〇筆者(阪野)の手もとに、梅川由紀著『ごみと暮らしの社会学―モノとごみの境界を歩く―』(青弓社、2025年5月。以下[1])がある。[1]では、ごみを単なる解決すべき環境「問題」としてではなく、日常生活に密着した「生活文化」として捉える(「問題としてのごみの研究」から「生活文化としてのごみの研究」へ)。そのうえで、「現代日本の都市部に住む人々にとって、家庭から排出されるごみはどのような存在なのか」を明らかにする(27ページ)。具体的には、「ごみとモノの境界がどこにあるのか、時代によってその境界がどう揺れ動いてきたのか、ごみとモノの価値の違いとは何なのか」などについて、多くの雑誌や資料の分析、ごみ屋敷におけるフィールドワークを通して論述する(カバーそで)。
〇その際、梅川にあっては、モノには、「機能的価値」、「心情的価値」、「可能性的価値」という3つの価値が存在する。「機能的価値」とは「モノがもつ機能面に対する価値」(279ページ)、「心情的価値」とは「モノに与えた個人的な思い出や意味に対する価値」(281ページ)、「可能性的価値」とは「モノを所有することで得られるだろう未来の可能性に対する価値」(282ページ)をいう。モノは、この「3つの価値のいずれか、あるいは複数の価値をもつ対象(物品)」である。一方、ごみは、「モノの3つの価値を失ったもの、あるいは価値を放棄した対象(物品)」である(293ページ)。そして、梅川は、「モノとごみの間に存在し、完全にモノやごみとは言いきれない、あいまいな価値をもつ状態」(54ページ)、別言すれば「モノの3つの価値の一部を有し、一部を失った対象(物品)」(293ページ)として「マージナルな対象(物品)」というカテゴリーを想定する。それは要するに、モノとごみとの曖昧な境界領域(マージナル)に存在する中古品やリユース品などである。
〇また、梅川は[1]で、高度経済成長期の生活様式の変化によってごみと人間の関係、ごみとモノの境界がどのように変化したか、その社会的プロセスを追究する。例えば、掃除機の普及によって、掃除の仕方が「掃き出す」から「吸い取る」へ変わり、チリやホコリがごみとして意識されるようになる。その背景には、住宅構造の変化などがある。冷蔵庫の普及によって、食品を「冷やす」だけでなく「保管」することが可能になり、買いすぎや作りすぎなどによる余剰品を生み出すことになる。その背景には、食の洋風化や女性のライフスタイルの変化、マイカーの普及などがある(181ページ)。また、プラスチック製品の普及によって、モノの「古さ、汚れ、傷」を「味や風合い」ではなく劣化と捉え、使い捨ての行動を加速させることになる(210ページ)。その背景には、大量生産・大量消費の経済システムの確立や、耐久性よりも利便性や衛生・清潔を重視する社会意識の変化などがある。
〇続いて梅川は、こうしたモノとごみの境界が曖昧になり、モノの価値を放棄できない人々が抱える問題として、「ごみ屋敷」問題に焦点を当てて論を展開する。すなわちこうである。1968年には存在していたと考えられるごみ屋敷という現象が、大きく社会問題化したのは2006年頃からである(221ページ)。その問題性については、①防災・防犯機能の低下、②ごみなどの不法投棄の誘発、③火災の発生の誘発、④土壌汚染や水質汚濁のおそれ、⑤病害虫・悪臭の発生、⑥風景・景観の悪化、などが指摘されている(辻山幸宣。224~225ページ)。
〇ごみ屋敷の住人にとって、堆積された物品はごみではなく、上述の心情的価値や可能性的価値を放棄できずにいるマージナルな対象(物品)であるケースが多い。現代社会は物質的な豊かさと情報過多を特徴とし、物品やサービスの効率的な消費や短期間での更新(アップグレード)が絶えず求められる。その結果、たとえそのモノに潜在的な価値が残っていたとしても「価値を放棄する能力」(断捨離や整理能力)が社会的な規範として強く求められている(291~292ページ)。従って現代社会では、ごみ屋敷に堆積するこうしたマージナルな対象を「廃棄物=ごみ」と見なし、公的な介入による処分を促す。また、そのような合理的な行動をとることが「ふつう」と理解され、社会の機能維持に不可欠な規範として作用するのである(294ページ)。
〇すなわち、ごみ屋敷の住人は、現代社会の支配的な価値観(社会規範)、すなわちモノとごみを厳密に区別し(「モノとごみの二極化」303ページ)、廃棄することを前提とする消費社会に対して対抗的に応答する人である。その人がモノの価値を放棄できない要因は、社会的孤立やセルフ・ネグレクト(自己放任)といった生活上の課題、精神疾患(「ためこみ症」)や認知機能の低下などが複合的に絡み合って生じている(226~232ページ)。そして、この問題のより深い背景には、現代社会が抱える大量生産・大量廃棄の構造的な問題が横たわっており、ごみ屋敷は社会のひずみが個人に表れた現象として理解されるべきである。
〇およそ以上が、梅川の主張・言説のひとつのポイントである。ここから、ごみ屋敷の問題は、単なる個人的な迷惑行為ではなく、また単に「ごみを片づける」という表層的な対処に留まるものではない。そこには、その住人の価値観を尊重し、生活に寄り添いながら、生活支援や精神的ケア、地域とのつながりの再構築などを図る「福祉的対応」(238~239ページ)が不可欠となる。そして、持続可能で実効性のあるそのような支援を地域全体で実現するためには、「まちづくりと市民福祉教育」の視点・視座が重要となる。すなわち、「ごみ屋敷」問題は、地域社会全体で支え合うべき「まちづくり」の課題である。とともに、モノとごみに対する社会意識(すなわち生活文化)を変革し、住人に対する偏見やスティグマの解消を図って地域共生社会の基盤を築くための「市民福祉教育」の課題でもあるのである。
「雑感」カテゴリーアーカイブ
阪野 貢/追補・上野千鶴子「老い」論の深層―辺見庸著『コロナ時代のパンセ』のワンポイントメモ―
〇本稿は、<雑感>(248)阪野 貢/アンチ・アンチエイジングの思想が示す「老い」論―上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジングの思想――ボーヴォワール『老い』を読む』(みすず書房、2025年4月)のワンポイントメモ―/2025年10月24日/本文、の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、芥川賞作家・ジャーナリストである辺見 庸(へんみ・よう)の本『コロナ時代のパンセ――戦争法からパンデミックまで7年間の思考』(毎日新聞出版、2021年4月。以下[1])がある。[1]は、「戦争法」(安保法制)から新型コロナウイルスのパンデミックに至る、「人倫の根源が抜け落ちた危機の7年間」(帯)の時代を辺見が凝視し、その疑いを鋭い思索(パンセ)として綴ったエッセイ集である。
〇ここでは、<雑感>(248)の追補として、[1]から、おのれの無知と無関心を問う「オババと革命」、おのれがケアされる哀しみについて吐露する「西瓜のビーチボール」、そのエッセイの一節をメモっておく(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
不可視化される「オババ」:無知と無関心を問う
駅近くをあるいていると、よく蓬髪短躯(ほうはつたんく)の老婦人をみかける。わたしはかのじょを心のなかで(失礼ながら)オババと呼んでいるのだが、見かけよりはよほど若いのかもしれない。ゴム草履を履き、襤衣(らんい)ながらも、背筋をぴんとのばしてスタスタと忙しげにどこかへとむかっている。その姿をみるたび、ああ、きょうは元気そうだなとホッとする。どうじに、さまざまな感情が胸に渦巻く。このひとの塒(ねぐら)はどこなのだろう。どうやって生活しているのか。身よりはないのか。支援者はいるのだろうか‥‥‥。そして、はっと気づく。オババにかんするそうした疑問が、わたしにとって、ほんとうは、けっして切実ではないことに。/すれちがい、ワンブロックもあるかぬうちに、わたしはかのじょのことをあらかた忘れているのである。だいいち、わたしはかのじょの面立(おもだ)ちをまったくおぼえていない。声も知らない。名前も知らない。そして、かのじょについてなにも知らないことが、わたしの気分をなにがなし〝楽〟にしているのかもしれないと心づく。(170ページ)/わたしはオババを知らない。目をあわせたこともない。かのじょを天才的だとおもったことはある。快も不快も、わたしになんらの印象ものこさない。その身のこなしと目差し、気息(きそく)において、けだし天才的ではないかと。ちがう! わたしがかのじょの名前はおろか面差(おもざ)しも知らないのは、よくよくおもえば、わたしがかのじょを正視せず、なにも問うたことがないからだった。(172ページ)
〇辺見は、まちなかで見かける「オババ」に対し、その存在や生活を「切実ではないこと」として遠ざけ、無知と無関心によって自分が精神的に〝楽〟になっていることを自覚する。この個人的な無知や無関心は、上野が批判する「アンチエイジンの思想」の根底にある、「老い」や「弱者」を意識的に排除・遮断する現代社会の構造を、個人の内面レベルで反映したものと言える。
抵抗する「ビーチボール」:ケアされる哀しみ
介護老人保健施設に通いはじめて1カ月、目も気持ちもずいぶん慣れてきた。/施設にあっては他者の発見より、おのれを見なおすことのほうが多いかもしれない。総合着座体操というプログラムがあって、わたしのような通所者と諸症状のひかくてき重い車椅子の高齢入所者がいっしょになって着座したままラジオ体操などの運動をする。先日はラジオ体操のあと、西瓜の模様のビーチボールをつかい、女性指導員が意外なトレーニングをはじめた。なにかの童謡を口ずさみながらリズミカルに歩きまわり、ビーチボールを参加者に手わたして問う。「冷たいの反対はなーに?」。ビーチボールを持たされたおばあちゃんが嬉々として答える。「あったかい!」。「あたりい!」と指導員。/わたしはドキドキする。西瓜のビーチボールがこちらに回ってくるのではないか。いや、まさかそんなことはあるまい、と自己内問答。まさか点‥‥‥の根拠には<わたしは〝かれら〟とちがうのだから>があった。思わずハッとする。このばあいの〝かれら〟は、かれらなんかという区別か差別のニュアンスが滲(にじ)んでいたからだ。なんということだ!じぶんに舌打ちする。心がざわざわする。(中略)西瓜のビーチボールがわたしの膝にのせられた。<脳トレ質問>がだされる。/「明るいの反対はなーに?」/胸のなかに鉄の玉ができて、焼けるほど熱くなる。まっ赤になって胸のなかでゴロゴロ転がる。われながらたまげる。激怒しているのだ、わたしは。明るいという形容詞の反対はなにかとためらいもなく問うあなたは、わたしをかれらなんかといっしょにしているのだな。なんという無礼! 目が焔(ほむら)を噴(ふ)いた。/わたしはじぶんの怒りのはげしさにだじろぐ。にしても、なぜこんなにも憤るのか?おそらく、認知症と混同されたことだけではない。ここにかれらなんかといっしょにいること、そうせざるをえない心身の老い。それに焦っているじぶん。そして、どうしようもなく末枯(すが)れてゆくなりゆきをまだ諦観できないじぶんにいらだって、かれらなんかとじぶんを懸命に区別しようとし、同時に、他人にも区別してもらいたがったのである。目がうるんでくる。風景が掠(かす)れる。(199~201ページ)。
〇辺見は、「老い」を生きる自分が個としての尊厳を失い、「かれらなんか」として十把一絡げに同じ要介護者として扱われる屈辱に激しく抵抗する。この「老い」に伴う不安や主体性の喪失感の赤裸々な吐露こそ、上野の「アンチ・アンチエイジングの思想」、すなわち「老い」の否定的な意味合いを転換しその価値を肯定することの重要性を力強く裏付けるものと言える。
〇以上踏まえ、一言したい。辺見が描く「オババ」に対する無知と無関心と、「老い」に伴う尊厳の喪失への抵抗に対して、「老い」を自分の生の一部として能動的に捉え、主体的な生の課題として引き受ける意識や姿勢を育むことが肝要となる。そして、自己の尊厳を守り抜く主体的な生き方を可能にするため、「老い」についての社会的・思想的な学びを求め深めることが求められる。これは、「市民福祉教育」の重要な教育内容のひとつとして位置づけられるべきである。特に、「老い」を生きる高齢者自身が、これまでありがちであった福祉教育の一方的な客体(思いやりの対象)としてではなく、自己の重要な学習課題として「老い」に主体的に向き合う側面は、市民福祉教育の根幹をなす教育内容として確立されるべきであろう。
岩崎好宏・岩崎 操/『社会福祉法人すぎのこ会 50周年記念誌』









阪野 貢/アンチ・アンチエイジングの思想が示す「老い」論 ―上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジングの思想』のワンポイントメモ―
「人間、役に立たなきゃ、生きてちゃ、いかんか」(259ページ)。「生きるのに、遠慮はいらないわよ!」(266ページ)。「人は人の手を借りて生まれ、人の手を借りて死んでゆく。そういうものだ。そのどこが悪いのか」(301ページ)。「安心して要介護になれる社会を!」(275ページ)。
〇筆者(阪野)の手もとに、上野千鶴子著『アンチ・アンチエイジングの思想――ボーヴォワール『老い』を読む』(みすず書房、2025年4月。以下[1])がある。「老いは文明のスキャンダルである」。これは[1]の冒頭の一文であり、上野がシモーヌ・ド・ボーヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908-1986)の『老い(La Vieillesse)』(1970年)から受け取った核心的なメッセージである。人は皆、老い、衰え、やがて依存的な存在になる。これは、誰も抗(あらが)うことのできない普遍的な自然のプロセスである。しかし、現代の文明(社会システムや価値観の総体)は、この老いの現実を無価値なもの、恥ずべきものとして捉える。そして、そこから逃避し、それを拒否し、隠蔽しようとする。PPK(ピンピンコロリ)という理想の強要や、認知症予防という自己責任論の拡散などがそれである。老いを避け、若さ(自立)を維持・追求することを至上命題とする思想・価値観(「アンチエイジング」)こそが、人間存在の根源的な事実を無視した恥ずべき現代文明の言語道断な事実・欠陥(「スキャンダル」)である。これが上野の主張である。
〇上野は、「老人」についてこう言う。老人は老人として生まれるわけではない。加齢にしたがってやがて老人になる。ここまでは自明である。だが人は単に老人になるのではない。人は、長い間「他者」として蔑視してきた当の老人に自分自身が変貌したことを認めざるを得なくなる(「老いとは他者になる経験である」(7ページ))。そして、社会が押しつける老人のカテゴリーにしぶしぶ同意し、いわば二級市民であることに同意したときに初めて、ホンモノの「老人になる」のである(21、86、93ページ)。
〇そして、言う。「高齢者が好奇心を失わず、前向きに生き、死ぬまで成長を続ける(ことに価値がある)という高齢者観こそ、エイジズム(年齢差別)と呼ぶべきではないのか」(226ページ)。「人は老いる。老いれば衰える。加齢は成長と衰退の過程、『生涯発達』とか『生涯現役』といったかけ声をわたしは信じない」(261ページ)。「エイジズムの背後にあるのは、『生涯現役思想』こと効率と生産性優位の価値観である」(252ページ)。「ひとは依存的な存在として生まれ、依存的な存在として死んでいく。それなら『老い』に抗うアンチエイジングの自己否定的な試みよりも、老いを受容するアンチ・アンチエイジングの思想が、今ほど必要とされている時代はないのではないだろうか」(226ページ)。
〇ここで、次の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
エイジズムとアンチ・アンチエイジング:人は老い、衰え、依存のなかで尊厳を持って生きる存在である
私たちはセクシズム(性差別)の被害者でもあるけれど、エイジズム(年齢差別)の被害者でもある。/わたしたちは「若い(あるいは年齢より若く見える)ことが価値であるような社会に住んでいる。若い者ももはや若くない者も、その価値を内面化している。だからこそ、「お若いですね」が高齢者に対する「ほめ言葉」になり、高齢者もそれをうれしがる。/若さを維持するためのアンチエイジングは、健康食品やサプリメント、スポーツジム、ファッション、コスメなどさまざまな業界で一大市場を形成しており、高齢者たちはそれに虚しい投資を続けている。いわば自己否定のための投資というようなものだ。(13ページ)/アンチエイジング(老いや衰えを否定的に捉える思想・高齢者観:阪野)がこれほどに世の中に浸透した思想ならば、わたしたちはそれに対抗しなければならない。だからこそ、アンチ・アンチエイジング(老いによる弱さや依存を肯定的に捉える思想・高齢者観:阪野)なのである。(14ページ)
児童福祉と高齢者福祉:高齢者福祉は社会的「姥捨て」の制度的保障でもある
「子供は未来の現役であるから、社会は彼に投資することによって自分自身の未来を保証するのに反し、老人は社会からみれば執行猶予期間中の死者にすぎない」(ボーヴォワール)/児童福祉には根拠がある。次世代の生産性の担い手を育てることだからだ、他方、ただ死んでいくのを待つだけの高齢者には、何の生産性もない。/「なぜ老人を介護するのか」と問いを立て、答えを「人格崇拝」と「社会連帯」に求める立論は、わたしを納得させるものではないし、この問いに明快なこと答えを出した者はいない。だが、ともあれ、高齢者への社会福祉が世界的に進んできたことは確かである。(172ページ)/高齢者福祉には、なにがしか家族から高齢者を切り離したいという「姥捨て」(うばすて)の要素が見られる。すなわち高齢者福祉とは社会的「姥捨て」の制度的保障――それもみじめでない程度の――と考えてもよい。そして「みじめさ」の程度は、当該の社会が判定する。(174ページ)
自立と依存:社会は依存のネットワークであり、自立とは依存先の分散である
介護保険法にいう「自立」とは「依存のない状態」手っ取り早くいえば介護保険を使わないか、そこから「卒業」することを言う。他方、障害者総合支援法にいう「自立」とは、支援を受けながら何をしたいかを自己決定することを言う。(299~300ページ)/(高齢者と障害者の)「自立」と「自律」、「介護」と「介助」の違いは、障害者の権利が障害者による当事者運動の成果だったのに対し、高齢当事者による権利運動が存在しなかったことによる。(301ページ)/自覚するにせよしないにせよ、人は依存の網の目のなかで生きている。自分が依存される立場にも依存する立場にもあることを、認めたらよい。依存が悪なのではない。依存を可能にしない/できない社会が悪なのだ。(298ページ)/自分がしたいことをできない時。人に頼って何が悪いか。人に助けてもらったからといって、その人の言いなりになる必要は少しも無い。(300ページ)/人は老いる。老いて衰える。やがて依存的な存在になる。人は人の手を借りて生まれ、人の手を借りて死んでゆく。そういうものだ。そのどこが悪いのか。(301ページ)/
〇最後に、例によって、以上の言説を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言しておきたい。それはこうである。市民福祉教育はこれまで、高齢者に関して、「お年寄り」に対する「思いやりの心」の育成や「互いに支え合う地域共生社会」の創造を強調してきた。上野の言説に依拠すれば、思いやりの心の育成という情操教育や道徳教育の視点は、老いることを非効率的で非生産的な現象として否定的に捉える社会構造を温存させ、自立を絶対視し、依存を悪とする思想を追認することにならないか。地域共生社会の創造というまちづくり学習や市民性教育の視点は、高齢者に対し、依存しない自立を要求し、地域貢献に取り組む生涯現役の高齢市民を要請することにならないか。
〇そこで、市民福祉教育は、高齢者を保護の対象と見なす一面的で情操的な単なる思いやり教育から脱却する。そして、老い、衰え、依存する存在としての高齢者の尊厳を「他者に依存する権利」として構造的・制度的に保障する社会システムへの変革を志向する。そのためのエイジズムへの権利意識と社会システムの理解を深め、それに基づいて「安心して老い、互いに頼り合えるまちづくり」に取り組むための教育へと転換する必要があろう。
阪野 貢/「共感的利他主義」と「多元的思考」―渡邉雅子著『共感の論理』のワンポイントメモ―
〇筆者(阪野)の手もとに、渡邉雅子著『共感の論理――日本から始まる教育改革』(岩波新書、2025年9月。以下[1])がある。渡邉にあっては、近代を牽引したのは、資本主義、科学主義、民主主義、国家主義という4つの原理である。その内の資本主義の成長と拡大は、自然破壊と経済格差を生み出した。経済の「拡大・成長」から「持続可能な低成長」への移行が進んでいる現在、「人間と自然との関係を、自然を収奪の対象とする見方から、人間を自然の一部と捉える発想へと転換する必要がある。そしてこの新しい自然観に基づき、個人主義・利己主義的な価値から利他主義へと価値を転換することが、今、世界的に求められている」(ⅶページ)。そして、時代は、各人がそれぞれの価値観に基づいて生きる「多元的社会」へ移行しており、そこでは「状況に応じて、あるいは自己の信じる価値観に従って、複数の思考方法を柔軟に選択する能力」、すなわち「多元的思考」が不可欠となる(ⅷページ)。こうした考えに基づいて[1]で渡邉は、「共感的利他主義」を社会原理の基盤に置きながら、「多元的思考」を育む教育のあり方を提言する。
〇先ず、「共感的利他主義」についてである。渡邉にあっては、利他主義には、「合理的利他主義」「理性的利他主義」「効果的利他主義」「法・原理的利他主義」の4つの形がある。合理的利他主義は、「自己利益を利他の行為の動機」にし、利他を「課題解決のための合理的な手段」として考えるものである。理性的利他主義は、利他の具体的な行為を、「理性によって個人よりも大きな社会全体の利益や共通善のために起こす」ものである。効果的利他主義は、開発途上国への援助(寄付)のように、「効率性と費用対効果の最大化」を目的とするものである。法・原理的利他主義は、「宗教の教義や法律によって定められた義務」として行われるものである(97~99ページ)。これらの利他は、「『自然と切り離された人間』という前提のもと、まず『利己主義』を第一の選択肢として捉えた上で、その後に『利他』を実行しようとするものである。したがって、それは必然的に利己主義を土台とした利他にならざるを得ない」(103ページ)。
〇そのうえで渡邉は、「共感的利他主義」について次のように説述する。
共感に基づく利他主義(共感的利他主義)は、誰かが苦しんだり悲しんだりしているのを見た時、その人の状況に身を置き、自分ごととして苦しみや悲しみを感じて手を差し伸べる。現代では多様なメディアによって被災地の様子やさまざまな理由で苦しんでいる人が報じられると、身近な人のみならず苦しんでいる「知らない誰か」のもとにもボランティアが駆けつけ、それぞれの人ができる多様な援助が行われる。この利他のあり方は、相手からの見返りを期待したり、将来利他の行為の結果を取り戻す戦略を練ったり、計算・評価して効率的かつ費用対効果の大きい行為を選択したり(経済原理)、全体の利益となる法律や制度的仕組みを理性的に作ったり(政治原理)、個人の外側から善悪の判断によって定められたり(法技術原理)、ましてや自己実現を目指して行われるのではない。日常における他者との経験の積み重ねを通して、その時々の状況を捉えながら、私欲をとりはらって相手が何を望んでいるのかを瞬時に感じ取る、共感に依る利他である。相手の苦しみを見て、居ても立っても居られず思わず行う利他である。(99~100ページ)
〇そして、渡邉にあっては、「共感に基づくこの態度を社会で生きていく上のしつけとして、倫理として育んでいるのが日本の学校教育である」(100ページ)。日本以外の利他主義は、利己主義を土台にしたそれであり、自然を収奪の対象とする資本主義を中心的な原理とする「近代」の価値観から脱却できていない。「脱近代」(ポストモダン)を実現できるのは日本の利他主義とそれを含む教育である。新しいパラダイム(思考の枠組みや規範)においては、「日本の教育が育んできた利他のあり方こそ、改めて評価されるべきである」(95ページ)。
〇続いて、渡邉はいう。「共感を育む教育は、国語の読解方法の中に、そして綴方の伝統を受け継いだ感想文の中にあり、特別活動や多様な教科において共通して見られる教授法の中にも見つけることができる」(100ページ)。そして、具体的には、「五感を働かせた体験に基づいて感情を伝え合い、共感を育む日本の国語教育(読解、作文)は、世界から遅れた弱みではなく、AI時代にこそ強みとなる」(カバーそで)。すなわち、「共感の論理」は、AIにできない人間特有の能力を育むための土台となる。これが[1]における核心な主張である。
〇次に、「多元的思考」についてである。渡邉にあっては、「近代の成り立ちを歴史の大きな流れの中で捉えると、かつては宗教があらゆる領域を支配していたが、やがて『世俗化』が進み、宗教からまず政治が切り離され、次に法と科学が分離し、最後に経済が宗教と道徳から解放されて、それぞれが独立した機能を果たすようになった」(3~4ページ)。「近代における四領域への機能分化」である。そして現代社会は、「経済」「政治」「法技術」「社会」という異なる論理を持つ四領域によって構成されている。
〇それぞれについて渡邉はいう。「経済」領域では、「効率性の追求」を中心的な価値観に持ち、「経済活動を支える労働者・生産者の育成」を教育の目的とする。「政治」領域では、「公共の利益の追求」を中心的な価値観に持ち、「自律した政治的主体としての市民の育成」を教育の目的とする。「法技術」(「法」「規範」)領域では、「摂理と規範の伝授」(絶対的な知識や規範の伝授)を中心的な価値観に持ち、「宗教的、思想的、科学的に確立した『真理』を『規範』として伝えること」を教育の目的とする。「社会」領域では、「共感による連帯」を中心的な価値観に持ち、「他者および自己とのコミュニケーションを通じて社会秩序を成り立たせる道徳心を『自己形成』の一環として養うこと」を教育の目的とする(70~73ページ)。
〇そして、渡邉は、不確実性が増す現代社会においては、単一の「論理的思考法」に依存するのではなく、複数の異なる価値観に基づく思考を柔軟に使い分ける「多元的思考」が課題解決に不可欠である、という。すなわち、「多元的思考」は、「共感の論理」(共感的利他主義)を土台にして活かす実践的な能力である。[1]の、いまひとつの核心的な主張である。
〇以上の「共感的利他主義」と「多元的思考」の言説については、例えば、①人間と自然の関係性/人間と自然の関係論(環境倫理学)は多様であり、単に人間を自然の一部と捉える発想は、宗教や科学、文化を生み出した人間の独自性・特殊性を矮小化することにならないか、②利己・利他の二元論/利己主義と利他主義の二元論的な対比は単純に過ぎ、多様な利他主義の動機を過小評価あるいは等閑視することにならないか、③利他の情動性と社会性/「相手の苦しみを見て、居ても立っても居られず思わず行う利他」という「共感的利他主義」は、情動性が強調されるあまり、複合的に影響し合う社会的・継続的な地域課題の解決に向けた原理になりえないのではないか、④多元的思考の方法とプロセス/「多元的思考」は「柔軟に使い分ける」ことが求められるが、その具体的な方法やプロセス、評価基準などについての説明が不十分であり、どう考えるか、⑤感情と論理の連携/情動的な「共感」と論理的な「多元的思考」という性質の異なる能力は、どのように連携・統合され、課題解決のための実践的な能力になりうるのか、⑥教育目的の限定性/四領域における教育目的の指摘は、極めて狭く限定的で、偏りがあり、「教育の道具化」という批判を招かないか、⑦日本の学校教育現場の実態/いじめや不登校、教員の加重労働などの深刻な問題を抱える日本の学校教育現場は、国語教育(感想文)や特別活動によって共感を生む土台(場)たりうるのか、などが問われようか。
〇これらの点についての検討は、別の機会に委ね、ここでは例によって、以上の言説を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言しておきたい。それは、「共感的利他主義」と「多元的思考」が、複雑で多様な地域課題の解決と市民が主体的・自律的に参加・共働する地域共生社会の実現に重要なひとつの論理的基盤となる、ということである。すなわち、具体的には、地域課題の解決や地域共生社会の実現に向けて「共感的利他主義」(人間的な温かさや倫理観)は市民の思考や対応にどう活かされるか、「多元的思考」(多元的に思考し判断する能力)は課題解決の実践方法やプロセスにどう貢献するか、が問われることになる。
阪野 貢/「中途半端さ」と「共事者」が “弱い紐帯の強み” を生む ―小松理虔著『小名浜ピープルズ』のワンポイントメモ―
〇筆者(阪野)の手もとに、小松理虔(こまつ・りけん)著『小名浜ピープルズ』里山社、2025年5月。以下[1])がある。小松は「地域活動家」「ローカルアクティビスト」として知られる。[1]は、小松が生まれ・暮らす福島県いわき市小名浜での人との出逢いや触れ合い、出来事や活動の情景などを生き生きと描いたエッセイである。そこに書かれるのは、2021年つまり東日本大震災から10年を経た後の小名浜で生きる人たち(「小名浜ピープルズ」)と「ぼく」(小松)が交わした生の言葉(声)、すなわちリアリティである(19~20ページ)。その内容について[1]の “帯” は、こう記す。「東北にも関東にも、東北随一の漁業の町にも観光地にもなりきれない。東日本大震災と原発事故後、傷ついたまちで放射能に恐怖し、風評被害は受けたが直接の被害は比較的少なかった、福島県いわき市小名浜。著者はこの地で生まれ育ち〈中途半端〉さに悶えながら地域活動をしてきた。当事者とは、復興とは、原発とは、ふるさととは――10年を経た『震災後』を地元の人々はどう暮らしてきたのか。魅力的な市井の人々の話を聞き、綴った、災害が絶えない世界に光を灯す人物録」。そこで小松が問いかけるのは、今後も、どこかで起こりうる災害や出来事を、如何にして「自分ごと」として捉え、関わっていくことができるか(183ページ)、という点である。
〇[1]にしばしば登場する言葉に「中途半端さ」と「共事者」がある。その言葉に関する一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
中途半端な「当事者」としての葛藤
2011年の東日本大震災でも、ぼくの家はたしかに被災地とされる地域に含まれるけれど、倒壊したわけでも家族が命を失ったわけでもない。(11ページ)/たしかにつらい時期はあった。ぼくはある一面では被災者だったが、別の一面では被災者ではなかった。/ぼくは震災後、さまざまな活動を始めたが、外の人たちは、ぼくたちの活動を「被災地での取り組み」にカテゴライズしていく。ぼくはいつの間にか、「被災地でがんばっている男性」になった。(12~13ページ)。/ある時期から、ぼくの投稿は「福島で被災した当事者の声」としてひとり歩きしていった。閲覧数やリツイート数がものを言う世界で、自分の言葉に力を持たせるために、あるいはだれかを非難するために、「当事者」の言葉は好き勝手に都合よく持ち出され、本人の意志と関係ない方向で広がり、その先で論争をつくり出す。そこかしこに「真の当事者」が出現し、誤解や分断が深まり、語りにくい空気が生まれていった。部外者であればこんなことを悩まずに済んだのだろうか。ぼくは当事者と非当事者の間で、自分の「中途半端さ」に苦しめられた。(13ページ)
「共事者」という新しい視点
どこかに加害者としての側面があって、どこかで被害者の側面もある。ある課題では当事者であり、だけどある課題では当事者とは言えず、かといって無関心を決め込むわけにもいかないから、いろいろなことに興味や関心を持つけれど、すべての社会課題に関われる余裕もない。そういう中途半端で、曖昧で、揺らいでいる自分をそのまま丸ごと受け止めてみるしかないし、そこで踏みとどまるしかないんじゃないか。/なんなら、中途半端であることそれ自体に意味があるはずだし、当事者でも専門家でもないからこそ果たせる役割だってあるんじゃないか。そう考えられるようになって、ぼくは「わたしの被災」を語っていいんだ、そうやって自分の立場から語っていかないと震災や原爆事故の影響だってわからないじゃないかと思うようになった。そのプロセスで「共事者」なんと言葉が自分のなかから生まれた。共事者とは中途半端な人たちのことだ。自分自身の中途半端さに意味を見出したくて、つまり自分をなんとか勇気づけたくて出てきた言葉だった。(14~15ページ)
〇小松にあっては、東日本大震災で直接的な被害を免れたものの、被災地に住む者として当事者というレッテル(「被災地でがんばっている男性」)を貼られ、そのことが中途半端な当事者としての葛藤であった。そんななかで、地元でのさまざまな活動や人々との関わりを通して、この「中途半端さ」を否定するのではなく、それを受け入れ、むしろそこに意味を見出すようになる。すなわち、当事者と非当事者との間で揺れ動く存在を肯定的に認める。しかし、その立ち位置は、当事者でも専門家でもないという中途半端で曖昧なものである。またそれゆえに、それは多様な視点から物事を捉え、異なる立場の人々を結びつけ、新たな価値や役割を生み出す。その存在を小松は「共事者」と名付ける。
〇共事者は、「当事者の周囲にいて、関心を寄せたり、興味を持ったり、事の推移を見守ったりしている。つまり『事を共に』する」(177ページ)。小松はいう。「被災者とは言えないけれど被災地に生きている。被災地に生きているわけではないけどその土地に思いを寄せている。被災とは別の、でも似たような悲しみや苦しみを感じている。そんな『中途半端な人たち』が、ぼくたちの身近なところにたくさんいるということを忘れてはいけない」(18ページ)。
〇以上、小松が説く・提唱する「中途半端さ」とは、ある出来事において直接的な当事者ではないものの、無関係でもないという複雑で曖昧な立ち位置にある状態を指す。その葛藤からそれを肯定する過程で紡ぎ出された「共事者」という概念は、特定の事柄に対して当事者か非当事者(部外者、傍観者)かという単純な二項対立的な見方を超えて、より多角的で多様な「当事者性」や「共事者性」を認める視座を提供する。
〇また、「中途半端さ」を肯定し「共事者」という概念を創出したこの視点は、「まちづくり」においても大きな意味を持つ。それは、特定の専門家や一部の熱心な地域活動家だけでなく、それぞれが抱える「中途半端さ」や「曖昧さ」を認め合い、緩やかな連帯や共感のネットワーク(「弱い紐帯の強み」:アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッター)を構築しようとするなかで「事を共にする」という、新たなコミュニティ形成のあり方を提示する。ここで、次の一文を引いておく(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「寄り添えなさ」に向き合う
その人が見ている世界と自分に見えている世界が異なるのだとすれば、同情は傲慢になり、共感は暴力になってしまわないだろうか。他者とまったく同じ経験をした人はいないのだし、結局のところ、その当事者本人に成り代わることもできないのだから。体験も経験も悲しみも死者との向き合い方も人によって異なる。あなたの悲しみ、わかります、などとはますます言えなくってしまう。/じゃあどうすればいいんだろう。(223ページ)。/ぼくにできることといえば、その「寄り添えなさ」にこそ向き合うことじゃないか。ぼくらはみな、だれかの悲しみのよそ者だ。いま目の前にいる人は、自分とは異なる方法で悲しみと向き合っているかもしれない。自分の知っている世界などちっぽけで、その外側に、幾重にも幾重にも世界が広がっているかもしれない。そう想像してみる。寄り添えない世界に立って、それでもなお、他者との間に、細々とでもいいから手繰り寄せられそうな線を探し出そうとする。そんな営みの先に、きっと新たな世界が広がっていく。(224ページ)
〇さらに言えば、➀「中途半端さ」と➁「共事者」、そして➂「寄り添えなさ」という3つの視点は、「市民福祉教育」においても重要な意味を持つ。例えば、「中途半端さ」は、それを否定するのではなく、その姿勢を受け入れ、意味づけることを通して自己肯定感を育む。「共事者」は、他者への無関心を乗り越え、他者と「事を共にする」という連携・協働の姿勢を促す。「寄り添えなさ」は、他者理解の限界を認めながらも、継続的な傾聴と対話を通じて真摯に向き合う心構えや態度を養う。そして、これらの視点(➀自己肯定感の育成、➁無関心の克服と協働の促進、➂対話の心構えの養成)から人々は、地域の出来事や課題あるいは「まちづくり」について、多様な人々との緩やかなネットワークを構築する。そしてまた、その過程で人々は、主体的・協同的に学び、新たな価値や役割を見出すことになる。付記しておきたい。
阪野 貢/「ケア」と「編集」:「弱さ」はそのままで、いまある<傾き>として「輝き」を放つ ―白石正明著『ケアと編集』のワンポイントメモ―
〇筆者(阪野)の手もとに、白石正明著『ケアと編集』(岩波新書、2025年4月。以下[1])がある。白石は、自身が手掛けた医学書院(出版社)の<ケアをひらく>シリーズで数々の文学賞を受賞した「名物編集者」「スター編集者」、あるいは「名伯楽」(すぐれた資質を持った人を見抜く力のある人物)などと評される。
〇[1]で白石は、「ケア」と「編集」の関連性をめぐって鋭い視点で深く洞察する。その際、白石にあっては、「ケア」と「編集」は問題点や弱点として評価されてしまう個々の<傾き>をそのままにして、その環境や文脈を変える作業・行為をいう。本人(「図」)を変えるのではなく、その背景(「地」)を変えるという意味でソーシャルワーク的である(「ソーシャルワーク的編集」37~38ページ)。
〇また、[1]で白石は、具体的なエピソードをまじえて、「ケア」にまつわる名著を興味深くガイドする。そのなかで、「自立は依存先を増やすこと。希望は絶望を分かち合うこと」(243ページ)、「自立とは依存先が分散されていることである」(61ページ)という熊谷晋一郎の言葉や、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の生きる姿から「ただ生きるために生きればいいんだ」(185ページ)、障害を肯定しても否定しても “いま、ここにわたしがいる” ことは確かであり、「評価より存在のほうが強いのだ」(31ページ)という白石自身の言葉などに、改めてハットさせられる。
〇[1]の根幹に位置づけられる思想のひとつは、北海道浦河町にある精神障がい者の生活拠点「浦河ベてるの家」で実践されてきた「当事者研究」に深く依拠している。次の一文をメモっておく(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
➀困りごとを外在化する:「他者経由のアイデンティティ」の尊重
べてるの家では、主語は「自分」ではなく、病を得た客観的な存在としての「当事者」である。そこに自分自身との距離ができる。そして「語り」ではなく「研究」である。自分の困りごとを自分の外に出して、他人事(ひとごと)のようにそのメカニズムを探るのだ。/そして最大の特徴は、当事者研究は「ひとり作業」ではないことである。必ず複数の仲間とやる。障害者運動の先人が、(親や支援者や周囲の人ではなく)「自分のことは自分がいちばん知っている」という地点から切り拓いたのが「当事者主権」という理念だ。その成果を尊重しつつ、当事者研究は「自分のことは自分がいちばん知らない」という前提からはじめる。だから自分ひとりでやるのではなく、仲間と研究する必要がある。/あえて強調すれば、「これがわたしです」と自分の思う自己像を仲間に提示するのではなく、さんざん語りあったのちに、仲間が自分について持った像を「じゃあそれを自分としよう」と後から自分に取り込む。そんな「他者経由のアイデンティティ」を尊重するところが最大の特徴だとわたしは思っている。(21~22ページ)
〇白石にあっては、当事者研究とは、困りごとを抱える当事者に対して専門家が権威主義的・一方的に治療や矯正を行うのではなく、当事者自身が自らの困難や経験を客観的に「研究」し、専門家や仲間たちとともにそのメカニズムを探求する協働的な営み(協同作業)をいう。この営みの意義は、当事者の障害や病気などについての個人的な経験や思いを、信頼すべきデータとして再定義することにある。そして、「自分のことは自分がいちばん知らない」という前提のもとに、他者との「対話」を通じて新たな自己像を構築することになる。
〇➀に加えて、白石の思想的な核心を成す3つの文章を、重複していることを承知の上でメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。そこに通底するのは、問題そのものを解決するのではなく、その問題に対するマジョリティの「モノサシ」や「背景」「分母」を変える、という考え方である。
➁「弱さ」を解放する:見方を変える行為
マイノリティ(少数派)はマジョリティ(多数派)に認められるべくがんばってきたが、もはやこれまでと諦めてうなだれたときに、足下にまったく違ったモノサシが落ちていた。それで測ったみたら、あーらふしぎ、自分は変わらなくてもモノサシを変えればいいのだった。/ここにはちょっとした発見と感動がある。そうした感動に向けて物事の組み換えを行い、モノサシ、つまり分母を変えることを目指すのが、編集という行為ではないのか?!/世間の常識(分母)から外れた人が、ふたたびその分母に合わせて自らを改変するという努力が強調されやすい。でも自分で変えられること、自分でコントロールできることなんてほんの一割くらいじゃないか? それだけをピックアップして「こうすればできます」と言うのは勝手だが、残り九割はコントロールの外にある。/コントロールできない。そんな自由きわまりない世界に生きていると思うと、深々と息ができるような気がする。(75ページ)
〇白石にあっては、個人の「弱さ」は、生産性や効率性、自己決定や自己責任などを問う既存の「モノサシ」(見方)によって測られ、克服すべき問題や排除の対象として位置づけられてきた。そうした既存の価値観や評価軸(マジョリティの「モノサシ」や「分母」)を問い直し、その転換を図ることによって、弱さは克服すべき問題から解放され、その人の存在を特徴づける個性(<傾き>)として再定義されることになる。すなわち、自分を変える努力ではなく、自分を取り巻く社会の既存のルールや評価基準を変えるという発想の転換こそが、より自由な生き方を可能にする。それは、世間の常識(分母)を問い直し、新しい価値観を創造する「編集」という行為に通じるのである。
➂ケアを編集する:「依存」を転換する視座
健康といわれる多くの人は、(中略)多くの依存先(「依存できる物」「依存できる人」など)を持っている。つまり依存症とは、依存先が一つとか二つとか極めて乏しい人のことであり、言ってみれば「依存症の人は依存が足りない」のである。/弱さや依存は「克服すべきもの」という問題設定のままであれば、弱さは強さに、依存は自立に変更されなければならない。(62ページ)/なんだかんだ言っても、「現在がよくないから、こうしなければならない」あるいは「現在はよくないが、こうすればもっとよくなる」は、どちらも「現在のままではダメ」なのだ。(63ページ)/(依存症の人が)「これしかない」と考えられているところに「こうも考えられる」という別の補助線を出して、その補助線にしたがってこれまで出ている要素を並べ直すと、景色がガラッと変わってくる。/出された問題に答えるのではなく、その問題自体を組み替えてしまうこと。あるいは、与えられた問題の外に出てしまうこと。ここで述べた例についていえば「弱さ」とか「依存」といった克服されるべき問題――なにより当人がもっとも「克服すべき」と思っている問題――に別の光を与えること。/それは編集という仕事そのものだと思う。(63~64ページ)
〇白石にあっては、依存症は依存のしすぎではなく、人や物、仕事や趣味などの依存先(依存できる対象)が少ない状態をいう。その状態を「克服すべきもの」として理解するのではなく、新しい視点・視座(「補助線」)で捉え直すことによって異なった意味や価値を引き出すことができる。例えば、「依存先を増やす」という視点に転換することによって、その人が抱える問題の本質は「依存のしすぎ」ではなく、「依存の不足」であると再定義される。このような「編集」こそが、問題解決の本質であり、「ケア」そのものである。その意味において、「ケア」と「編集」は本質的に類似した行為であると言えるのである。
➃「輝き」を引き出す:背景を変える編集術
(この本の執筆)当初は「ケアと編集は近い」という感覚だけはあったが、どこがどう近いのかはよくわからなかった。そこでいつも著者に言うように「それを探すために書くんですよ!」と自分に言ってみたら、どこかでシフトチェンジが起きたらしく、どうにか書き終えることができた。/今、ケアとは何か、と聞かれたらこう答えるだろう。/「それ自身には改変を加えず、その人の持って生まれた<傾き>のままで生きられるように、背景(言葉、人間関係、環境)を変えること」と。/編集もおそらく似たような行為なのだろう。文章に改変を加えるより先に、その人や文章の<傾き>が輝きに変わるような背景(文脈、構成)をつくっていく作業が編集の本態ではないか。そうしたやり方を、わたしはケアする人たちから学んできた。そして、それ以外の編集のやり方をわたしは知らない。(240ページ)
〇白石にあっては、ケアの利用者や個々の文章が持つ固有の<傾き>(利用者の個性、文章の癖など)を問題点や改変すべきものとしてではなく、その人や文章の重要な特性として尊重し、受け容れる。しかも、そのものに直接的な改変を加えるのではなく、その<傾き>に新たな価値や独自の魅力(「輝き」)が引き出されるよう、その背景や文脈を変える・整えることが重要となる。すなわち、その人や文章の「輝き」を引き出すために、周りの環境や構成を変えるというその作業・行為こそが、「ケア」と「編集」に共通する重要なそれであり、その本質である。
〇白石の思想を端的にいえば、社会的な関係性のなかで形成される「弱さ」の肯定である。そしてその思想は、その「弱さ」を哲学的・実践的に、個人や社会の関係性の源泉として見直し、捉え直すことを促すものである。
〇ここで、以上の視点・視座や言説を「まちづくり」に引き寄せて一言する。白石の思想は、「まちづくり」にも大きな示唆を与える。➀まちづくりは、地域・住民が抱える困りごとを、あたかも他人事のように客観的な「研究」対象として取り扱うことによって、感情に流されることなく、問題の本質やメカニズムを冷静に分析できるようになる。➁まちづくりは、地域・住民の「弱さ」や「課題」を「克服すべき問題」としてではなく、それを「特性」として捉え直し、新しい価値観でそのまちを再定義することによって、より豊かで持続可能なものになる。➂まちづくりは、地域・住民の「克服すべき問題」を新しい視点・視座(「補助線」)で捉え直し、それぞれの「依存先」を分散させる仕組みを創ることによって、地域・住民の課題解決能力を高めることになる。➃まちづくりは、地域・住民の固有の<傾き>(人間関係、環境など)を弱点として消し去るのではなく、それを活かせる背景を「編集」することによって、その魅力を引き出し、創り出すことになる、などがそれである。
〇加えて、白石の「ケアと編集」は、筆者が説く「市民福祉教育」の実践的な方法論を提供しているとも言える。地域・住民が➀自己理解を深める教育の基盤となる。➁福祉的価値観の再構築を促す教育の契機となる。➂支え合いのネットワークを構築する力の育成を図ることになる。➃多様性を尊重する地域づくりの感性を養うことになる、などがそれである。すなわち、市民福祉教育は、地域・住民が「ケア」と「編集」の視点や力を取り戻す、あるいは育むプロセスである、と言えようか。付記しておきたい。
阪野 貢/「まちづくり」は「動詞の物語」:「夏の甲子園」が終わった日に―長田弘著『長田弘全詩集』のワンポイントメモ―
〇筆者(阪野)の手もとに、詩人であり随筆家である長田弘(おさだ・ひろし)の『長田弘全詩集』(みすず書房、2015年4月。以下[1])がある。[1]には、長田の詩集18冊、詩篇471篇が収められている。
〇今年の「夏の甲子園」が終わった日、[1]のページを何気なくめくっていた。「夏の物語―野球―」が目に留まった。(255~256ページ)

〇「愛する」も目に留まった。(412ページ)

〇そこで、ふと思った。「まちづくり」は、「町」「住民」「行政」「モノ」「事業」「計画」「開発」「整備」「運営」といった “ 乾いた ” 名詞では語れない。「まちづくり」は「動詞の物語」であると‥‥‥。
まちづくり―動詞の物語―
まちづくりは
まちの課題や可能性を見出す
まちの明日への希望を語り合う
互いの経験を共有し、分かち合う
まちづくりは
まちの魅力や伝統、文化を育む
まちの新たな暮らしを築き合う
互いの心に寄り添い、励まし合う
まちづくりは
まちの誰かがその行動や営みを創り出す
まちの人と人がつながり、学び合う
互いの違いを尊重し、支え合う
だから、まちづくりは
愛するという動詞である
〇「まちづくり」は、そこに暮らす人々が、こうした動詞を重ねながら、自らの手で明日という日の物語を紡ぐことである。「まちづくり」という白いボールを追って、誰もが一人の担い手になって‥‥‥。
阪野 貢/「障害」を「個性」として捉えることの意義と課題 ―ジョーダン・スコットの絵本『ぼくは川のように話す』のワンポイントメモ―
〇筆者(阪野)の手もとに、ジョーダン・スコット文、シドニー・スミス絵、原田勝訳の『ぼくは川のように話す』(偕成社、2021年7月。以下[1])がある。あることをきっかけに、この絵本を知ることになった。感謝である。
〇[1]は、カナダの詩人ジョーダン・スコットの、自身の経験にもとづくものである。吃音(きつおん)を持つ「ぼく」は、言葉が滑らかに出ないことを悩んでいる。ぼくが話すときの、クラスのみんなの笑い声がたえられない。そんなぼくを、父が静かな川べりに連れ出す。川の流れを眺めながら、父が僕に「ほら、川の流れを見てみろ。あれが、おまえの話し方だ」と語りかける。ぼくは、「あわだって、うずをまいて、なみをうち、くだけている」川の流れに、自分の話し方を重ね合わせる。「川だってどもっている。ぼくとおなじように」。このことがきっかけに、ぼくは自分の吃音を否定的に捉えるのではなく、ありのままに受け入れ、自己肯定感を取り戻していく。ジョーダン・スコットはいう。「ぼくはときおり、なんの心配もなくしゃべりたい、『上品な』、『流暢な』と言えるような、なめらかな話し方であればいいのに、と思います。でも、そうなったら、それはぼくではありません。ぼくは、川のように話すのです」と‥‥‥。
〇この物語のポイントは、吃音を克服して流暢に話せるようになることではなく、①ぼくが吃音の困難(障害)を「個性」として肯定的に捉え直し、それを受容することの大切さにある。このメッセージは、②「流暢に話すことが善である」という社会の固定観念に疑問を投げかけ、多様なコミュニケーションのあり方を認め、その違いを許容する社会の寛容さを問いかけている。また、この物語は、③ぼくの苦しみをありのままに受け止め、ぼくの言葉をじっと待ってくれる父の姿を通して、他者に深く共感し、無条件に寄り添い、伴走することの重要性を示唆している。
〇ここで、障害の「受容」とは、単に個人の心理的な側面だけでなく、障害を社会との相互関連のなかで捉え直し、障害に対する個人の内面的な価値観(感)の転換を図るとともに、社会的な環境の改善・変革を促すプロセスであることを思い起こしたい。(⇒本ブログ:<雑感>(239)本文を参照されたい。)
〇ところで、「個性」とその関連語である「属性」と「特性」について、『広辞苑』(第7版、岩波書店、2018年1月)はこう説明する。【個性】①(individuality)個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。②個物または個体に特有な特徴あるいは性格。【属性】(attribute)①事物の有する特徴・性質。②〔哲〕基体としての実体に依存する性質・分量・関係などの特徴。狭義には偶然的な性質と区別される物の本質的な性質。例えばデカルトでは、精神の属性は思惟、物体の属性は延長とされた。【特性】そのものだけが有する、他と異なった特別の性質。特質。性格特性。
〇「個性」とは、その人や物にしかない独自の性質や特徴をいう。その人や物に具わる主観的な「らしさ」や他の人や物とはちがう「ユニークさ」、すなわち独自性が重視され、ポジティブなニュアンスで使われることが多い。例えば、“個性的なファッション” “独創的なアイディア”などがそれである。「属性」とは、その人や物が属する特定の集団に共通してみられる性質や特徴をいう。その人や物が持つ個別性よりも共通性が注目され、客観的な「カテゴリ」や社会的分類の「ラベル」として、価値判断を含まないニュートラルな意味合いで使われる。例えば、“性別” や “年齢”、“職業”などがそれである。「特性」とは、その人や物が持つ本質的で、他と比べて目立った性質や特徴をいう。個性や属性を構成する要素のひとつである。例えば、“生物の特性” や “製品の特性”、“性格特性”などがそれである。
〇要するに、「個性」は「その人や物ならではの独自の持ち味」、「属性」は「共通の集団に分類するための客観的な特徴」、「特性」は「他のモノと区別される顕著な性質」、と言えようか。(図1 参照)
図1 人間と個性・属性・特性

〇「障害個性論」について一言する。それは、障害を単なる身体的・機能的な欠損や問題として捉えるのではなく、唯一無二の存在である人間が持つ多様な個性のひとつとして肯定的に評価する。そして、障がい者の尊厳を尊重し、社会全体に多様な人間のあり方を認め、社会の共生を推進することをめざす考え方である。しかしそこには、障害者が現実的に直面する物理的・社会的な困難や問題が表層的な、場合によっては美的な「個性」という言葉によって矮小化される。そして、その責任が個人化され、本質的な社会構造的視点(「障害の社会モデル」:障害を社会の構造や環境によって生じるものとして捉え、社会の側に改善や配慮を求める考え方)が見落とされる恐れがある。すなわち、肯定的な意味合いを持つはずの「個性」という言葉が、社会構造的な課題に対する公的責任や共生に向けた取り組みを放棄あるいは希薄化させる危険性を孕(はら)んでいるのである。「障害個性論」は、その肯定的な側面を活かしつつ、社会の責任を厳しく追求し、いかに社会変革を促すかが問われるのである。
〇「障害は個性である」や「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)といった言葉が、障がい者との共生をめざす文脈でしばしば使われる。しかし、これらの言葉は、どちらかと言えば障がい者との単なる友好関係を築くための言葉であり、障がい者に対する偏見・差別や不平等などの人権侵害を抑止・糾弾し、社会の構造を変革していく言葉ではない。ここで、こうした言説について改めて銘記したい。(⇒本ブログ:<雑感>(144)本文を参照されたい。)
付記
筆者は、「わたしは20代になって、吃音から解放されました」というN氏の言葉を思い出す。その言葉には、「大人になっても吃音で苦しみ、惨めな思いをする人はお気の毒です‥‥‥」という心の内が透けて見えるようでもあった。同じ障害を持つ人々や、異なる種類や程度、あるいは原因による障害を持つ人々の間で生じる偏見や差別(「内部差別」「当事者間差別」)、その社会構造的な背景や問題点、その解消法などについて論究することが求められる。
阪野 貢/日本の美意識が育む「まちそだち」:「奥」と「熟れ」の思想から考える ―福本繁樹著『「染め」の文化』のワンポイントメモ―
〇筆者(阪野)の手もとに、福本繁樹(ふくもと・しげき)著『「染め」の文化―染み染み染みる日本の心―』淡交社、1996年5月。以下[1])がある。著名な染色家であり民族芸術学者である福本が、およそ30年も前に著した本である。言うまでもなく、「染め」は、色付けの単なる技術ではなく、作り手の手作業に宿る精神性や感性、そして社会の価値観や人々の生活様式などが深く反映される行為である。そこで、福本は[1]で、単に「染め」の技術的な側面だけでなく、日本の「染め」が持つ社会的・文化的かつ歴史的な背景や意味、すなわち「染めの文化」について探究する。その論述は、染色家としての制作経験と民族芸術学者としての視点・視野を融合させたものであり、それゆえに奥深く、興味深い。
〇本稿では、「染め」のひとつの背景として福本がこだわり、それを説く「奥」(おく)と「熟れ」(なれ)についてのみメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
「奥」の文化と「染(し)みる」という作用
無意識ではあっても、自己の心に染みついた直観的なこだわりはどこかに必然性を秘めている。あるとき自然にそのこだわりが整理されて、論理的な認識となることがある。染色家の私は、これまで「染め」と「奥」とにこだわりをもって制作にとりくんでいたが、最近、日本の「奥」の文化は「染め」の文化ときわめて密接な関係があるのではないかと考えるようになった。ともに日本人に特異な美的感性にかかわる重要な文化である。(22ページ)
つつむ、箱にいれる、かさねる、覆う、などは、「奥」をつくる一連の行為と考えられる。中身にたどりつくまでの距離や段階をつくるため、遮断、隠蔽、抵抗、隔離、絶縁することである。深い「奥」を形成して、神聖な結界を設ける。そこには神や心が宿る。このような「奥」を形成する文化は、あらゆる分野にじつにひろく深く根ざし、日本独自の発展をみせたと指摘される。(26ページ)
研究や技術が、奥深い境地に達することを「堂に入る」(どうにいる)という。それに対する褒め言葉は、「奥深い」「奥行きがある」「奥ゆかしい」などとするのがいい。おなじ褒め言葉でも、「好し」「きれい」「りっぱ」「みごと」などとしても、場合によっては「お人好し」「きれいごと」などと皮肉になることすらある。「りっぱ、りっぱ」「おみごと」などといわれても、はたして心底褒められているのか疑わしいものだ。「奥」に対する価値感は絶対的だ。「奥」にこだわって、「奥深い」「奥行きがある」「奥ゆかしい」と形容できる日本文化がどれだけあるかを考えてみると、じつに多いことに気づく。また日常的にも、感情的にも、われわれは「奥」の文化と深くかかわっている。(27ページ)
奥に作用をおよぼす有効的な方法がひとつある。それが「染みる」ということだ。表面全体からジワジワと攻めて、表面に何らの傷も残さず内部に入り込み、いつの間にか全体にいきわたって、中心部にまで到達する。そして全体の色を芯から大きく変化させる。「染みる」という方法によってのみ、奥は作用をうけて変容をとげる。「染みる」ことは「奥までとどく」ことだといいかえることができる。(30ページ)
「奥」に対峙するものが「染め」であり。「奥」と「染め」は切っても切れない関係の、一組、一対のものと考えることができる。「奥」の文化を抜きに「染め」の文化を語ろうとすれば、「染め」の意義の重要部分に触れ得ないでおわってしまう。(30ページ)
〇要するに、福本にあっては、日本の文化における「奥」とは、包む、重ねる、覆うなどの行為によって中身との間に距離や段階をつくり、神聖な空間を設ける文化のことをいう。この「奥」は、日本人の特有な美的感性に関わる重要な要素であり、「奥深い」といった言葉でその価値が表現される。この「奥」に作用を及ぼす有効的な方法が「染みる」(しみる)ことである。それは、表面から徐々に内部へ浸透し、中心部にまで到達して全体を変容させる行為を指す。そしてこの「染みる」という行為は、染色という文化の根幹をなしている。従って、「染めの文化」を深く理解するためには、まず「奥」の文化への理解が不可欠であり、「奥」と「染め」は切っても切り離せない関係にあるのである。
「熟(な)れ」の美学と風化の価値
日本人の感性や芸術を語るとき、かならず問題とされるのは、日本人の自然景物への情熱的な関心であろう。(95ページ)
イギリス人ばかりでなく欧米人は、苔(こけ)をカビか金属のサビのように、汚らしいいやなものととらえるようだ。終戦後、日本家屋がアメリカ軍に強制借りあげになったが、駐留軍がひきあげたあと、古色蒼然たる館の、黒光りした素木(しらき)の柱はすっかりペンキが塗られ、苔むした庭の石灯籠はワイヤー・ブラシで真っ白に磨かれていて、日本人が「アッ!」と驚いたという。(95~96ページ)
苔への関心度、価値観、美的評価は、日本人独特の感性を顕示するものだろ。「苔むす」とは苔が生えることだが、転じて、長い年月がたつ・古めかしくなることをいう。日本人は古めかしくなることに価値をおく。日本の伝統的美意識に「色熟れ」(いろなれ)というものがあり、「馴染む」(なじむ)ことをよしとして、「風化」をよろこび、「古びる」ことに価値をおく。(96ページ
熟成・円熟・熟考・熟睡・熟達・熟知・熟慮・熟練などの熟語にみられる「熟」の意のように、完全・十分な状態に達することを「熟れる」(なれる・こなれる・うれる)という。「熟」は古びてさらに良しという意味である。(96ページ)
古色の好きな日本人は一方で清潔好きである。古色と汚れの違いは、ときとして微妙である。しかし日本人は風化と穢(けが)れを区別する。風化は自然の仕業だが、穢れは世間の仕業である。いかにも人工的な汚れが、穢れとして嫌われる。(99ページ)
「熟れる」をよしとする日本人の感性は、あらゆるものを生態のうちにとらえる資質を示すものだろう。「生態」とは生存の様式のことで、うつろう、ほろびるということはいのちがある証であり。そのいのちこそ大切だということだ。あらゆるものを「生態」のうちにとらえ、そこに「美」を見出す生態学的な感受、それが日本人の感性の基幹をなすものではないかと考える。(100ページ)
〇要するに、福本にあっては、日本人の美意識は、自然に対する深い関心と結びついており、苔を趣のあるモノとして評価するように、特に長い年月を経て味わい深くなること、すなわち「熟れる」こと、「古びる」ことに価値を置く。この「熟れ」という感覚は、清潔好きな日本人にとって、自然の仕業である「風化」を好み、世間の仕業である汚れ(穢れ)を明確に区別する。そして、あらゆるものを「いのちあるもの」として捉え、移ろいゆくその姿に美を見出すという繊細な感覚が、日本の美意識の根底をなしているのである。
〇言うまでもなく、「まちづくり」には、その “ まち ” ならではの歴史や伝統文化、自然環境、地域産業などの地域特性を活かし、そこに暮らす住民の “ まち ” に対する愛着や誇りを育むことが必要かつ重要となる。また、「まちづくり」は、住民一人ひとりが主役となって、その “ まち ” が持つ「物語」を紡ぎ、「らしさ」を育み、「夢」を織りなす、そのプロセスが重視されなければならない。それによって、その “ まち ” の個性や魅力が向上し、コミュニティの活性化が図られ、持続可能性が確保されることになる。
〇本稿で取り上げた福本の「奥」と「熟れ」についての言説(思想)は、ギスギスとした効率性や合理性を追求するだけの「まちづくり」を超え、日本の美的感性を活かした「まちづくり」の指針となり得る重要な視点であり要素である。すなわち、“ まち ” に静かに「染み込み」、時間をかけて「熟成」していくプロセスこそが、その “ まち ” の真の個性を育むことになる。また、住民一人ひとりの思いや願いが “ まち ” に染み渡り、風化を恐れず、古くなることを美と捉えるような、その “ まち ” ならではの文化を育むことになるのである。別言すれば、「まちづくり」は、単に計画されたものを「つくる」のではなく、一人ひとりの住民がその “ まち ” の生命力を引き出し、それを「そだてる」プロセスこそが大切にされるべきなのである。それは、「まちづくり」を超えた、「まちそだち」と言えようか。




