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「相模原障害者施設殺傷事件」の本質と正義:「見て見ぬふりをする私」「見ぬふりをして見る私」、その「後ろめたさ」―神奈川新聞取材班著『やまゆり園事件』読後メモ―

死刑制度そのものの問題もあった。 彼が犯した罪は命を選別し「生きる価値がない」と断定して殺したこと。その彼を僕たちが「生きる価値がない」と断定して処刑する。選別に対する選別。これほどのジレンマはない。(森達也:下記[本書]139ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、神奈川新聞取材班が著わした『やまゆり園事件』(幻冬舎、2020年7月。以下[本書])がある。2016年7月に神奈川県相模原市の県立知的障がい者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺害され、職員2人を含む26人が重軽傷を負った「やまゆり事件」を追いかけたドキュメントである。本書のカバー「そで」には次のように記されている。「事件を起こしたのは、元職員の植松聖(うえまつ・さとし)。当時26歳。20年3月、死刑判決が確定した。『障害者は人の幸せを奪い、不幸をつくり出す』など障害者への差別発言をくり返した植松は、人々の意識に巣くう差別と偏見、優生思想など、社会に潜む課題をあぶり出した」。
〇筆者は「やまゆり園事件」については、25年近く相模原市に居住していたこともあって、事件の発生からある“おもい”をもってきた。そこで、本ブログの<ディスカッションルーム>(81)2020年1月1日投稿や<雑感>(99)2020年1月9日投稿の拙稿などで若干ふれてきた。その“おもい”とは、事件の風化が進み、事件の記憶や教訓の継承が危ぶまれるなかでの、次のようなものである。① どのような差別意識がいつから、どのように醸成されてきたのか。② 匿名裁判は人間の尊厳を毀損(きそん)するものではないのか。③ 刑事責任能力の有無だけを争点にした裁判は真相解明を不可能にするのではないか。④ 皮相浅薄な共生思想では根強い優生思想に太刀打ち(たちうち)できないのではないか。⑤ 加害者を断罪する正義によって「見て見ぬふりをする私」「見ぬふりをして見る私」の加害者性は免罪されるのか、などである。
〇本稿では、それらの“おもい”に関する本書の叙述のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

① どのような差別意識がいつから、どのように醸成されてきたのか―「私が殺したのは人ではありません。心失者です」―
● 「事件を起こしたことは、いまでも間違っていなかったと思います。意思疎通のできない重度障害者は人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在。絶対に安楽死させなければいけない」。さも常識であるかのような口ぶりで、彼は笑みを浮かべながらこうも言い放つ。「私が殺したのは人ではありません。心失者です」。(97ページ)
「心失者」(しんしつしゃ)――。この耳慣れない言葉は彼の造語だ。人の心を失った者という意味で、主に「意思疎通の取れない重度障害者」を指すという。この事件を象徴するキーワードと言ってもいい。(98、55ページ)
● 判決は、「施設勤務経験を基礎として動機が形成された」と認定した。彼の証言を事実認定したくだりはこうだ。
≪施設での仕事中、利用者が突然かみついて奇声を発したり、自分勝手な言動をしたりすることに接したこと、溺れた利用者を助けたのにその家族からお礼を言われなかったこと、一時的な利用者の家族は辛そうな半面、施設に入居している利用者の家族は職員の悪口を言うなど気楽に見えたこと、職員が利用者に暴力を振るい、食事を与えるというよりも流し込むような感じで利用者を人として扱っていないように感じたことなどから、重度障害者は不幸であり、その家族や周囲も不幸にする不要な存在であると考えるようになった≫
彼から見えた施設の「現実」だったのだろうが、同僚らの証言などを踏まえた徹底的な検証が公判でなされることはなかった。(352~353ページ)
● 「なぜ、あのような人物を採用したのか」。事件後、ある施設の関係者は、資質に欠けた元職員による犯行と切り捨てた。どこか人ごとのようだった。こうした反応について、県内の入所施設職員は憤りを隠せなかった。「自分たちが普段取り組んでいる支援のありようが問われた事件だったのに、あまりにも人ごとではないか」。この職員の危機感はひときわ強かった。事件によって、入所施設の構造的な問題があらためて浮き彫りになったと受け止めていた。(354ページ)
● (息子が重傷を負った)尾野剛志は語気を強め、こう指摘した。「障害者の家族は悩みながら子育てをしている。その中で感じる小さな喜びを、あなたは奪った」。(120ページ)

② 匿名裁判は人間の尊厳を毀損するものではないのか―「生きた証として実名と写真を公表してほしい」―
● 県によると、名前を出したり匿名でも遺影を掲げたりするのに理解を示す遺族がいる一方、「マスコミの取材に追われたり、他人から心ない言葉をかけられたりするのではないか」「そっとしておいてほしい」といった意見も少なくないという。県の担当者は「遺族を二次被害から守ることを一番に考えたい」とする一方、一般参列者からは式典の形骸化や事件の風化を懸念する声も上がる。(51ページ)
● (遺族の男性は、)匿名審理は姉の存在を否定することにならないか。事件以降、そんな思いをずっと抱えてきた。姉の命を奪った男の裁判を機に自分が顔をさらし、姉の代わりに法廷に立つことが、姉の尊厳を守り、供養になるのではないか。そう考えた。(114ページ)
神奈川県警は「遺族からの強い要望」を理由の一つとして、被害者を匿名で発表した。「名前を出さないのは家族も差別しているから」「匿名は人生を否定すること」。県警や遺族の対応を批判する意見が相次いだ。「匿名発表に傷ついた」と語る障害者もいた。男性は障害を理由に匿名を望んだわけではなかったが、自分が責められているように感じた。
自宅を訪ねてくる記者は「生きた証しとして実名と写真を公表してほしい」と口々に言った。自分は姉にひどいことをしているのか。心が揺らぎ、ふさぎ込んだ。それでも、姉の実名を出せば事件に巻き込まれたと知った周囲が戸惑うのではないか。そう考えると、とても公表する気持ちになれなかった。(114ページ)
● (園の家族会会長を長く務めた)尾野剛志は唯一、実名で取材に応じてきた。当事者が声を上げなければ、「障害者は不幸をつくることしかできない」と言ってはばからない植松に屈してしまうと考えるからだ。(119ページ)
● なぜ、実名を明かせないのか。「だって、いままでだって、ずっと、ひっそり生きてきたんだから」。(長男が入所する)男性は、犠牲となった入所者は生前から「隠された存在」だったと明かした。(162ページ)

③ 刑事責任能力の有無だけを争点にした裁判は真相解明を不可能にするのではないか―「被告を裁くだけの裁判に終わった」―
● 植松が重度障害者に抱いた嫌悪感が事件の引き金となったことは疑いようがない。しかし、何をきっかけに差別的感情が芽生え、殺害をいとわないほどの憎悪へと飛躍させたのか。刑事責任能力の有無のみが争われた裁判ではほとんど解明されなかった。その糸口となる植松の生い立ちや人間性にも迫りきれず、司法の限界を露呈する形となった。事件の真相解明を訴える識者からは控訴を求める声が上がった。(121ページ)
● 責任能力の有無だけを争点にした裁判には、むなしさが募った。判決後の会見で、(障害のある娘と暮らす和光大学名誉教授で社会学者の)最首悟は「被告を裁くだけの裁判に終わった。障害者本人やその家族、障害者福祉に関わる人々の願いとは程遠い内容だった」と残念がった。突飛な考え方をする人間が引き起こした特異な事件として断罪してみせるのではなく、植松の主張を「社会への告発」として受け止め、真の動機を引き出してほしいと期待していたからこその落胆だった。(128ページ)

④ 皮相浅薄な共生思想では根強い優生思想に太刀打ちできないのではないか―社会の底流にはいつ爆発してもおかしくないマグマのように優生思想がある―
● 事件の根底には、優生思想がある。植松は衆院議長に宛てた手紙で、「障害者は不幸しかつくらない」「重度障害者が安楽死できる世界を目指す」と記していた。優生思想が極端な形で現れた事件だったが、いまの社会のありようと無関係ではない。
子どもが五体満足で生まれてきてほしいと願うのは、親としての素朴な愛情だと思う。否定するつもりはない。だが、その願いは裏を返せば、障害を持って生まれてきてほしくないということでもある。新型出生前診断で染色体異常が見つかった場合、9割以上が中絶を選ぶ時代だ。
社会の底流にはいつ爆発してもおかしくないマグマのように優生思想がある。だが、多くの人たちは自らの内にある優生思想を自覚したくないのだろう。あの事件が突き付けたことに向き合わず、「極端な考えを持った男が起こした事件」としてだけ受け止められて事件が風化していく可能性が高い。(338~339ページ)

⑤ 加害者を断罪する正義によって「見て見ぬふりをする私」「見ぬふりをして見る私」の加害者性は免罪されるのか―「加害者」の一人としての後ろめたさを抱えながら取材を続けてきた―
● 「リンカーンは黒人を(奴隷制度から)解放した。自分は重度障害者を生み育てる恐怖から皆さまを守った、ということです」。恥ずかしそうに語りながらも、彼の表情は誇らしげに見えた。(101ページ)
「社会の役に立たない重度障害者を支える仕事は、誰のためにもなっていない。だから自分は社会にとって役に立たない人間だった。事件を起こして、やっと役に立てる存在になれたんです」。ぞっとした。自らをリンカーンに重ね合わせる彼の心の深淵(しんえん)をのぞき見た思いがした。ゆがんだ正義感を振りかざし、周囲からの称賛を疑わず、心の中の闇を増幅させていったように思えてならない。その闇にのみ込まれ、いつしか「心失者」になっていたのは彼自身ではなかったか。(105ページ)
● 彼の言動は本人の思惑を超えて、多くの人々が長きにわたって十分に目を向けずに放置してきたことを白日の下にさらした。
それは、私たちが暮らす地域社会が重度の知的障害者を迷惑視し、家族を孤立させ、親による介護が限界に達したら施設しか居場所がないようにしてきた、ということにほかならない。地域での無自覚な差別や排除のなれの果てが、意思疎通ができないと一方的に断じた入所者を次々と襲った彼だったのではないか。そうした社会のありようについて気に留めることもなく黙認してきた「加害者」の一人として後ろめたさを抱えながら取材を続けてきた。(351ページ)
● (姉を亡くした)男性は自ら証言台に立ち、死刑判決を求めていた。「想像通りの判決だった。若者に死刑を求めた十字架は一生背負っていく」。(121ページ)

〇植松は公判で、「事件後、共生社会に傾いたが、やがて破綻する」と述べたという。人々に「本気になって共生社会をつくる気があるのかどうか」(364ページ)、を問うものである。
〇本書は終章(結論と展望)で、「分ける教育」と「分ける社会」について言及する。その概要はこうである。やまゆり園事件は、教育のあり方が問われる事件である。何かが「できる、できない」という能力主義教育が、障がい者への差別意識を生み出す温床になっていないか。学校現場では、障害の有無や程度、学力に応じて学ぶ場を「分ける教育」が日常になっている。事件を機にあらためて、「共に学ぶ」インクルーシブ教育(「分けない教育」)の意義を考えるべきである(360~361ページ)。
〇「共に学ぶ」、その先に「共に生きる」がある。「分ける社会」のありようを変えていくためには、「障害者には優しく接しなければならない」といった上から目線の考えや、障がい者を「理解」や「支援」の対象として見るのではなく、対等な仲間として付き合い、「私とあなた」という二人称の関係性を紡いでいくことである。「分ける社会」を変えていくには、障がい者と出会うことからしか始まらない(363、365ページ)。
〇これらの言説は目新しいものではなく、紋切り型の、言い古されたものである。とはいえ、障がい者と仲間として付き合い、障がい者を仲間外れにしない「共生社会」が実現するまで、強調されるべき言説である。そこには、いまも続く障がい者差別や排除、抹消の実態がある。

付記
本稿を草することにしたきっかけのひとつは、次の記事(書評)にある(『岐阜新聞』2020年9月6日付)。とりわけ最後の一節を心に刻んでおきたい。本稿のサブタイトル―「見て見ぬふりをする私」「見ぬふりをして見る私」、その「後ろめたさ」―が意味するところでもある。

“取材班は地元紙記者として「社会のありようについて気に留めることもなく黙認してきた『加害者』の1人として後ろめたさを抱えながら取材を続けてきた」という。植松死刑囚の「正義」、彼を断罪する「正義」。彼を英雄とする「正義」が対立する中で、この「後ろめたさ」こそが自らを免罪せずに真理への扉を開く鍵だと思う。”

追記(2020年9月17日)
鳥居一頼先生から次のようなメールをいただいた。「後ろめたさ」を抱えながら、生きながらえようとする「私」がいる。「私」を抉(えぐ)る言葉―「声するだけ」「書くだけ」「口先だけ」、「懺悔(ざんげ)」「内省」「良心」等々を心に刻み込みたい。

後ろめたさ

報われぬ世と 嘆くとも
分断の世を 抗(あらが)いながら
差別の世に 人として生きたい

ただいつも 後ろめたさがつきまとう
声するだけの 自分の無力に
書くだけの 自分の非力に
口先だけの 自分の卑力に

だからいつも 後ろめたさが強くなる
動けぬ エネルギーの枯渇
憤るしかない 自己完結
悟ったフリする 自己欺瞞

いつまでも 後ろめたさは責め続ける
世の非道を傍観する 加害者として
世の不正を見逃す 加害者として
世の不義に目を背ける 加害者として

それでも 後ろめたさが人の道を示す
後悔とは違う 懺悔
弁解とは違う 内省
詭弁とは違う 良心

後ろめたさの功罪
忘却した罪過を 白日の下に晒(さら)す
無関心を装った罪過を 社会に問う
利己的に生きた罪過を 一人ひとりに課す

追記/社会変革とソーシャルアクション:「社会を変える」の至言―ワンポイントメモ―

保守的な人も左翼的な思想の持ち主もいる。そこで「君たちは右なのか左なのか」という質問がでました。そのとき、「われわれは右でも左でもない、前だ」と答えたという。「問題の認識」のしかた(フレーム=枠組み)を変えることが、運動にとって重要だという理論がフレーミングです。(小熊英二、下記[1]454、456ページ)

社会とは、結局のところ、人のつながりだ。社会を変えるとは、人のつながりを結びなおすことだ。(小熊英二、下記[2]「帯」)

〇筆者(阪野)は、本ブログの<雑感>(117)2020年9月1日投稿の「ライフ・セキュリティとソーシャルワーク」と題する拙稿の最後で、「ソーシャルワークとソーシャルアクション」について若干ふれた。そこでは、高良麻子の「ソーシャルアクションの実践モデル」(「闘争モデル」と「協働モデル」)の一部を紹介したに過ぎない。
〇この点に関して、山東愛美は、ソーシャルアクションをそのプロセスに基づいて次の二つに類型化している。要求や闘争による「ダイレクトアクション」と交渉や調整による「インダイレクトアクション」がそれである。山東にあっては、その特徴は次の表のようになる。

〇そして山東は、2010年頃から、「ソーシャルアクションが論じられる際には、インダイレクトアクションをイメージすることが増えつつある」。それは、従来のソーシャルアクションとして認識されてきたダイレクトアクションの「完全な変容ではなく、分化・多様化」によるものである。こうした傾向がみられるのは、「地方分権や地域包括ケアなどの制度・政策的背景や、地域を基盤としたソーシャルワークやコミュニティソーシャルワークの台頭などの理論的動向も反映されていると考えられる」、という(山東愛美「日本におけるソーシャルアクションの2類型とその背景―ソーシャルワークの統合化とエンパワメントに着目して―」『社会福祉学』第60巻第3号、日本社会福祉学会、2019年11月、44ページ)。高良のそれとともに、留意しておきたい言説である。
〇いま、筆者の手もとに、社会変革とソーシャルアクションに関する本が2冊ある(しかない)。(1)小熊英二著『社会を変えるには』(講談社現代新書、講談社、2012年8月、以下[1])と(2)木下大生・鴻巣麻里香編著『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう! ―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』(ミネルヴァ書房、2019年9月、以下[2])がそれである。[1]は、「社会を変える」ということについて歴史的、社会構造的、そして思想的に考察したものである。小熊は、「思考や討論のためのテキストブックとして本書を使ってもらえればいい」(513ページ)、という。[2]は、ソーシャルアクションの実践者とその実践者を支援することで間接的にアクションを起こした人々の物語集である。鴻巣は、「あなたのアクションは本の中にはありません。フィールドに出かけましょう」(ⅶページ)、という。
〇本を読んでいると、新たな気づきや学びとともに、“確かにその通りである”(「至言」)という一文に出合うものである。それが読書の魅力や醍醐味でもある。次に、[1][2]から、筆者にとって、「社会を変える」の至言の一文のみをメモっておくことにする(抜き書き、見出しは筆者)。

「参加して何が変わるのか」「参加できる社会、参加できる自分が生まれる」
運動とは、広い意味での、人間の表現行為です。仕事も、政治も、芸術も、言論も、研究も、家事も、恋愛も、人間の表現行為であり、社会を作る行為です。それが思ったように行なえないと、人間は枯渇します。「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいました。「対話をして何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。([1]516~517ページ)

誰もが何かの「当事者」であり、誰もが何かの「非当事者」である
障がい者、引きこもり、被差別部落、貧困、在日外国人、オキナワ、フクシマ、女性、LGBT。誰もが何かの「当事者」であり、誰もが何かの「非当事者」なのだ。私たちを「当事者」と「非当事者」に分断しようとする力に常に抵抗し続け、作られた境界を共に超えていこうとすることが、社会を変えることにつながるのかもしれない。([2]52ページ)

〇日本における「ソーシャルアクション」の実践や研究、それに教育は、「乏しく」「停滞しており」「脆弱である」などと評される。その背景は何か、その問題や原因は奈辺にあるか。「ソーシャルアクション」は、当事者を含む社会福祉運動なのか、ソーシャルワーカーによる援助技術なのか。「ソーシャルアクション」とコミュニティソーシャルワークやアドボカシー(擁護・代弁)の概念との関係性や整合性をどう考えるか。「ソーシャルアクション」におけるソーシャルワーカーの役割や専門性をどこに見出すか。検討すべき残された課題は多い。[1]と[2]は、これらの課題検討のひとつのとば口(入り口)にあるとも言えよう。
〇取り急ぎ本稿を草することにしたきっかけは、本ブログの<鳥居一頼の世語り>(421)2020年9月6日投稿の「おもえ うごけ かんじよう」と題する散文詩の最後の一節にある。「思考せよ~おもえ!/行動せよ~うごけ!/感動せよ~かんじよう!」がそれである。これは、鳥居が一人のヒト(孫娘)に「贈る言葉」であり、「命」「生きる」「人生」のありようを問うものである。それは、「自分を変える」、そして「社会を変える」の至言でもある。

追記(2020年9月10日)
鳥居一頼先生から次のようなメールをいただいた。まさに「至言」である。鳥居先生とのこうしたやり取りは実に楽しく、有意義である。

〇「ソーシャルアクション」の実践と研究に、教育はどれだけ貢献しているのか。特に学校教育は、国家的に承認された文化的・道徳的価値や社会的認識の上に成り立っている公教育機関ですから、そもそも彼ら自身が動くことはありません。組合運動も日和っている現代では、子どもへの働きかけも地域活動への参加も、主体的にする人は希有でしょう。
〇北海道では、高校の教師が6月の学校再開以来、「残業が増えている」とアンケートに答えています。ダラダラとしていても、時間が過ぎれば残業です。処理能力がなくて時間のかかるのも残業です。段取りがしっかりしている者は、多少の残業でクリアできるでしょう。周りを見て残業するフリをするしかない風見鶏も混じっています。それを一色単に「残業」というくくりで、マスコミがさも「やっている」ごとく報道することに苛立ちを覚えます。時間ではなく中身です。もちろん良心的な先生もたくさんいます、きっと。
〇ただ多くの先生は「社会的活動をしてますか」との問にどう答えるでしょう。学校に籠城していては、社会がどう働きかけても、出てこられないですね。大学の教員も内部で権威闘争してるばかりでは、果たしていかがなものかと、いつも感じています。
〇教育の閉塞は、国家による管理統制が強化されたことによる、教員の市民力の低下ないし劣化でしょうか。無作為でいることが、楽なのです。指示されて動けばいいだけです。忙しいフリをしているだけで、いいのです。子どものことを建前にすれば、社会的な面倒さからは逃げられるのです。確かになすべきことが多くなって、処理しきれないところは同情の余地はありますが、「右でも左でもない。その考えすらない」と答えるかもしれません。そんな風潮の中で、子どもを粗末にしてはならないと、自分を見失わぬよう善戦する「変わり者」が、教師の良心を失うことのないようエールを贈りたいですね。
〇ソーシャルワーカー、コミュニティソーシャルワーカーについても、名刺を出されてその肩書きを尋ねると苦笑いされた社協マンがいましたが、その資格に恥じぬよう健闘をただ祈るだけです。さして地域福祉を推進しているとは思えない地域の方でした。資格の肩書き化を促している現状では、そもそも福祉における市民運動の地ならしさえ難しいでしょう。その核にならねばならぬ社協マンの地域福祉への熱い思いを、彼らと市民をつないで、一緒に考え、動き、感じる、指導者との出会いが、いまあまりにも少なすぎるのではないでしょうか。また、多くの研究者は、国や地方の行政の施策の理論的後付けに精を出して、箔を付けようと頑張っています。地域包括ケアシステムの制度化の推進も然りですが、果たしていかがなものかと、横文字の概念づくりに加担するのは、私にはとうてい無理ですし、そもそも見識すらありません。頑張る方々には、全く失礼な私です。
〇社会変革とは自らの生き方を変えることから始まるしかありませんね。そのためには「自らを振り返る力」を、私の身近なひとたちと共に付けていくことに心掛けていくことにいたします。身の程をわきまえながら、できることから、ですね。

ライフ・セキュリティとソーシャルワーク:「困っている人を助ける」から「みんなの必要を満たす」への政治思想の転換―井手英策の「新書」3点の読後メモ―

所得制限は、さまざまな政治対立を生みだす原因となっている。日本の予算は、義務教育、外交、安全保障をのぞき、ほとんどが低所得層や障がい者、ひとり親世帯などの「だれかの利益」でできている。そして大半の給付には、所得制限という自助努力、自己責任の象徴である分断線が網の目のようにこまかく引かれている。受益者を限定すれば安あがりではある。だが、こうした制度設計そのものが、政府の公正さへの強い反発を生みだし、社会の分断を加速させるのである。(下記[1]222ページ)

〇筆者(阪野)が「井手英策」(いで・えいさく、慶応義塾大学、財政社会学)についてまず思い出す言葉を五つ挙げるとすれば、「分断社会」「All for All(みんながみんなのために)」「ベーシック・サービス」「ライフ・セキュリティ」そして「財政改革(消費税増税)」である。
〇井手の新刊書に、『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書、集英社インターナショナル、2020年6月。以下[1])がある。そして、筆者の手もとには、単著である『幸福の増税論―財政はだれのために』(岩波新書、岩波書店、2018年11月。以下[2])と、柏木一惠・加藤忠相・中島康晴との共著である『ソーシャルワーカー―「身近」を革命する人たち』ちくま新書、筑摩書房、2019年9月。以下「3」)がある。
〇[1]では、「新自由主義がなぜ日本で必要とされ、影響力を持つことができたのか、歴史をつぶさに振り返り、スリリングに解き明かす。グローバル化もあって貧困層がふえるなか、個人の貯蓄に教育も老後も委ねられる日本。本来お金儲けではなく、共同体の『秩序』と深く結びついていた経済に立ち返り、経済成長がなくても、個人や社会に何か起きても、安心して暮らせる財政改革を提言」する(カバー「そで」)。
〇[2]では、「なぜ日本では、『連帯のしくみ』であるはずの税がこれほどまでに嫌われるのか。すべての人たちの命とくらしが保障される温もりある社会を取り戻すために、あえて『増税』の必要性に切り込み、財政改革、社会改革の構想(自己責任社会から、頼りあえる社会へ)を大胆に提言する」(カバー「そで」)。
〇そして[3]では、「多くの人が将来不安におびえ、貧しさすらも努力不足と切り捨てられる現代日本。人を雑に扱うことに慣れきったこの社会を、身近なところから少しずつ変革していくのがソーシャルワーカーだ。暮らしの『困りごと』と向き合い、人びとの権利を守る上で、何が問題となっているのか。そもそもソーシャルカークとは何か。未来へ向けてどうすればいいのか。ソーシャルワークの第一人者たち(柏木・加藤・中島)と研究者(井手)が結集し、『不安解消への処方箋』を提示」する(カバー「そで」)。
〇本稿では、[1][2][3]を併読(再読)して、留意しておきたい井手(一部は中島)の言説(提唱、提案)のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「勤労国家」と「弱者救済」
(勤労、倹約、貯蓄という自助努力と自己責任を前提として作られた「勤労国家」にあって、)生活水準の低下、将来への不安、国際的な地位の劣化などのきびしい状況が進んでいる。この状況を乗りこえる方法は、端的にいえば、ふたつにしぼられる。ひとつは、もう一度かつてのような成長を取りもどし、自己責任で将来不安にそなえられる状況を作る、勤労国家再生アプローチである。もうひとつは、低所得層や生活支援の必要な人たちを救済し、彼らを社会のなかに包摂していく格差是正アプローチである。([2]32、34ページ)
(ところが、現在の日本は、人口の急減や超高齢化などによる経済規模の縮小が進むなかで、)「成長なくして未来なし」という、成長に依存する社会モデル(「成長依存型社会」)はもう限界に達している。また、日本社会は、共在感(「ともにある」という感覚:井上達夫)や仲間意識をもてない、利己的で孤立した「人間の群れ」と化しつつあり、格差是正や社会的包摂についての関心も低い。「弱者救済」を正義として語る時代はおわりつつある。([2]46、47、49、52、96ページ)

「頼りあえる社会」と「ライフ・セキュリティ」
消費を手びかえ、勤労、倹約、貯蓄の自助努力にはげみ、将来不安におびえて生きる自己責任社会をつづけていくのか、税による満たしあいをつうじて、だれもが安心して生きていける、経済活動も刺激する「頼りあえる社会」をめざすのか。痛みと喜びを(税で)分かちあう「頼りあえる社会」をつくりあげ、「私たち」という連帯の土台を再生しなければ、多くの人びとが感じている生きづらさはつづく。([1]174、175ページ)
そこで、消費税を軸に全員が痛みを分かちあいつつ、一定以上の収入や資産を持つ富裕層や大企業への課税でこれを補完すること、以上を財源として、すべての人びとに医療や介護、子育て、教育、障がい者福祉などの「ベーシック・サービス」(現物給付)を提供することが重要となる。そのサービスは、人びとが安心してくらしていける水準をみたす必要がある。これは、「ベーシック・インカム」(現金給付)ではなく、「社会保障」(Social Security)を超える、「生活」と「生命」の保障すなわち「ライフ・セキュリティ」(Life Security/生の保障)という考え方である。([1]222ページ、[2]84、135ページ)

「尊厳ある生活保障」と「品位ある命の保障」
「ライフ・セキュリティ」は、「均等な人びと」というときに、「人間らしい生」という共通点に着目し、すべての人たちを受益者として等しくあつかう。人間ならばだれもが必要とする/必要としうる(可能性がある)ベーシック・サービスを、すべての人びとに均等に配分することをめざす。「尊厳ある生活保障」である。([1]223ページ)
「ソーシャル・セキュリティ」をさらに推しすすめ、すべての「命と暮らし(=life)」を保障する「ライフ・セキュリティ」に編み変えていくことは、「救済の政治」を「必要の政治」へと転換することにほかならない。つまり「困っている人を助ける」から、「みんなの必要を満たす」への政治思想の転換である。([3]23ページ)
他方、社会的、経済的条件によって、他者と均等になれない人びとにたいしては、富裕な人より少ない税負担を、富裕な人より相対的に手厚い保障を提供することをめざす。消費税とともに富裕層や大企業への課税を強化し、生活扶助、住宅手当、職業教育・職業訓練も充実させる。「品位ある命の保障」である。([1]223ページ)

「公・共・私のベストミックス」と「ソーシャルワーク」
きわめて多様になっている個別のニーズを政府によるサービス給付だけで満たすことはむつかしい。したがって、「公」が共通のニーズを満たしていくのと同時に、「共」や「私」の領域とつながりを強め、個別のニーズ、別言すれば一人ひとりの「こまりごと」をどのように解消するかもあわせて検討されなければならない。「公・共・私のベストミックス」である。([1]225ページ)
「公」の領域は、自治会やボランティア団体などのさまざまなアクター(人や組織)が交錯する場である。そこでは、さまざまな地域ニーズを満たそうとするアクターを接続する、接着剤のような機能が必ず求められる。([3]221、222ページ)
そこで注目されるのが、ソーシャルワーク/ソーシャルワーカーである。ソーシャルワーカーにもとめられているのは、たんなる福祉やサービスの提供者としての役割ではない。接着剤のような役割が求められ、その資質がハッキリと問われることとなる。([1]225ページ、[3]222ページ)
ソーシャルワークの核心は、個別の「こまりごと」にたいして、それを発生させている「環境」それ自身を変革していくことにある。またその「こまりごと」は、かならずしも低所得層の生活困難にかぎられるものではなく、介護や子育て、教育など、所得の多寡とは関係なく生じうる個別の案件と向きあうのがソーシャルワーカーの第一の任務である。([1]226ページ)

「地域変革」と「組織変革」
ソーシャルワークは、「社会の変化と開発、つながり」を促進する実践である。その際の「社会」とはどこかにあるものではない。人びとのより身近で影響をおよぼせる「地域」や「組織」のなかに埋もれた資源を発掘し、ときには開発・創出(社会資源の発掘・開発・創出)しながら、他者との対話と関係構築を積み重ねるなかで形づくられる、総体としての環境、それがソーシャルワーカーにとっての「社会」である。([3]38、43ページ)
ソーシャルワークの実践では、人びとのニーズを中心に、人びとと地域社会環境との関係を調整することが重要となる。地域で暮らす多様な人びと相互の接点(対話やかかわり)を創り出すことこそが、地域社会に、お互いさまを共感し合える互酬性と多様性、人びとの信頼関係を創出し、すべての地域住民が決して排除されることのない地域変革を推進する原動力となる。([3]74、75ページ)
ソーシャルワークの中核に据えられているのは「社会環境の改善」であり、「社会変革」(social reform)である。その社会変革を個人(ミクロ)と国家(マクロ)の関係でとらえてしまうと、その実現可能性は遠のいていく。社会変革を個人と地域(メゾ)の関係でとらえれば、その実現可能性は格段に高まる。([3]65、77、78ページ)
ソーシャルワーカーの手の届かないところにある「社会変革」を取り戻すためには、まず、地域を変えていく道筋を示す必要がある。と同時に、ソーシャルワーカーが所属する組織を変革する方途も検討していかなければならない。ソーシャルワーカーの大部分は組織人である。それゆえ、経営の方針や組織内の上下関係の論理によって、彼らが状況に対して柔軟かつ迅速に対応することが難しい場合がどうしても存在する。(そこで、ソーシャルワークについて根本的に問い、共通理解を深め、)ソーシャルワーカーは連帯しなければならない。総合的な生き物である人間尊厳を守るために。([3]78、216ページ)

「社会変革」と「個人のアイデンティティ変容」
「地域を変える」には、地域社会で暮らす一人ひとりのアイデンティティの変容が重要な契機となる。個人のアイデンティティの変容は、人びとの関係構造の変容による。つまり、人びとのかかわりの密度や質、そのリアリティが、関係構造を変容させ、一人ひとりのアイデンティティをも変化させていく。([3]80、82ページ)
個人のアイデンティティの変容、すなわち人びとの関係構造の変容を求めるためには、黙殺・無理解・不安や恐怖・排除に支配された関係性を、対話・理解・信頼・包摂にもとづく関係性へと変容させていくことが肝要である。([3]82ページ)
日本のソーシャルワークには、法や制度への行き過ぎた順応がしばしば見られる。また、法や制度だけでなく、社会環境それじたいを主体的に創造・変革していくという発想が希薄である。これらが相まって、ソーシャルワークとは何か、ソーシャルワークにおける正義とは何か、という共通理解もまた深められずにいる。これらの課題を乗り越えるためには、「社会変革」と「ソーシャルアクション」(社会的活動)の考えかたが必要となる。([3]83、84ページ)

「プラットホームの世紀」と「ソーシャルワーカー」
国や地方がさまざまな施策に細かく介入し、複雑化するニーズを一つひとつ満たしていくことには限界がある。したがって、国と地方、そして地域のそれぞれに「新たなプラットホーム」を作り直していかなければならない。([3]221ページ)
ベーシック・サーズを土台とするライフ・セキュリティによって誰もが安心して生き、暮らすという基本権が保障される。この「パブリック・プラットホーム」のうえにソーシャルワーカーの社会変革をつうじた地域の人的・制度的ネットワークという「コミュニティ・プラットホーム」が重層的に重なり合う。そうすれば、人びとの生存権も幸福追求権の双方が射程に収められることとなる。([3]221ページ)
「市場の世紀」ともいうべき20世紀は、「プラットホームの世紀」である21世紀へと大きな変貌を遂げる。その変貌の中心にソーシャルワーク/ソーシャルワーカーが存在する。([3]222ページ)

〇「地域変革」と「社会変革」の推進を図るソーシャルワーク/ソーシャルワーカーの重要なアプローチ・実践方法のひとつに、「ソーシャルアクション」がある。本稿の理解を深めるためにここで、ソーシャルアクションに関する調査報告と言説の一部を紹介しておくことにする。
〇ひとつは、日本社会福祉士養成校協会(2017年4月より日本ソーシャルワーク教育学校連盟)が2016年10月から翌年1月にかけて実施した「地域における包括的な相談支援体制を担う社会福祉士養成のあり方及び人材活用のあり方に関する調査研究事業」の<実施報告(暫定版)>(2017年3月)である。そこでは、地域包括支援センター(全数:4,729ヶ所、6,575票)と市区町村社協(全数:1,846ヶ所、2,961票)の職員を対象にした調査で、例えば「地域への働きかけ」について次のような報告がなされている。
〇「制度・施策の課題等の解決に向けて、地域住民が行政に対して働きかけを行うことを支援する」か、という質問に対して、「全く実施していない」「あまり実施していない」と答えた地域包括支援センターの職員が79.7%、市区町村社協の職員が76.2%を占めている。また、そうした支援に「対応する力量」を有しているか、という質問に対して、「全く有していない」「あまり有していない」と答えた地域包括支援センターの職員が76.4%、市区町村社協の職員が69.9%を占めている。ソーシャルワーカーによるソーシャルアクションの実践は乏しく、力量や意識は低いと言わざるを得ない。
〇また、「所属する組織の管理運営」について次のような報告がなされている。「必要な場合、組織のミッションやルールを超えた対応を行うよう、上司や同僚に働きかける」か、という質問に対して、「全く実施していない」「あまり実施していない」と答えた地域包括支援センターの職員が54.0%、市区町村社協の職員が58.0%を占めている。また、そうした働きかけに「対応する力量」を有しているか、という質問に対して、「全く有していない」「あまり有していない」と答えた地域包括支援センターの職員が55.7%、市区町村社協の職員が56.3%を占めている。前述した、ソーシャルワーカーによる「組織変革」に関して、留意しておきたい。
〇いまひとつは、高良麻子(こうら・あさこ、法政大学、社会福祉学)の『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』(中央法規、2017年2月、以下[4])における言説である。高良にあっては、日本における「ソーシャルワークの方法としてのソーシャルアクションは、研究と実践ともに停滞して」おり、「ソーシャルアクションの実践方法を、日本の現状をふまえた形で示す必要がある」。そこで、社会福祉士によるソーシャルアクションの調査・分析を通して、「日本における社会変動およびニーズの多様化等をふまえたソーシャルアクションの実践モデルを構築する」([4]3ページ)ことを[4]の目的とする。
〇高良によると、ソーシャルワークにおけるソーシャルアクションとは、「生活問題やニーズの未充足の原因が社会福祉関連法制度等の社会構造の課題にあるとの認識のもと、社会的に不利な立場に置かれている人びとのニーズの充足と権利の実現を目的に、それらを可能にする法制度の創設や改廃等の社会構造の変革を目指し、国や地方自治体等の権限・権力保有者に直接働きかける一連の組織的かつ計画的活動およびその方法・技術である」([4]183ページ)。その主なモデルには「闘争モデル」と「協働モデル」の二つがある。
〇「闘争モデル」とは、「『支配と被支配』や『搾取と被搾取』といった対立構造に注目し、それによる不利益や被害等を署名、デモ、陳情、請願、訴訟などで訴え、世論を喚起しながら、集団圧力によって立法的および行政的措置等をとらせる」モデルである。約言すれば、「デモ、署名、陳情、請願、訴訟等で世論を喚起しながら集団圧力によって立法的・行政的措置を要求する」モデルである。「協働モデル」とは、「制度から排除されている人びとのニーズを充足する非営利部門サービスや既存制度が機能するしくみを開発し、そのサービスを当事者のアクション・システムへの参加を促進するしかけとしながら、これらの実績等によって、法制度の創設や関係構造の変革等を多様な主体と協働しながら進めていく」モデルである。約言すれば、「多様な主体の協働による非営利部門サービス等の開発とその制度化に向けた活動によって法制度の創造(創設)や関係等の構造の変革を目指す」モデルである。([4]184、183ページ)。
〇そして高良は言う。従来のソーシャルアクションは、「集団圧力によって社会福祉の制度やサービスの拡充・創設・改善を集中的に要求していく(闘争モデル)が主であった」。本研究の事例研究で明らかになったソーシャルアクションは、「集団の力でニーズを充足する非営利部門サービスやしくみを開発してその実績を示し、主に地方自治体の行政職員、議員、サービス提供事業主体等と協働しながら、新たな政府部門サービスやしくみを創っていく(協働モデル)が主であった」([4]139ページ)。
〇高良によってソーシャルアクションの「協働モデル」が提示されたことは、ソーシャルアクションの実践・研究において意義深い。ただ、高良は、「闘争モデルのソーシャルアクションを、社会福祉関連法に規定される組織に属するソーシャルワーカーが被雇用者として実践することは現実的ではない」([4]189ページ)と言う。そうであれば、「組織に属する被雇用者」という点で、「地域変革」と「社会変革」の実現可能性は低くなる。そのような状況を打開するためには、「協働モデル」と「闘争モデル」をいかに活用するか、両モデルをいかに併用するか。あるいは、社会的弱者主体の社会福祉運動におけるソーシャルアクションにいかに取り組むか、社会的弱者の利益や権利を擁護・代弁(アドボカシー)するソーシャルアクションにいかに取り組むか、などが問われることになる。
〇いずれにしろ、社会福祉関連法制度の「縦割り」や「制度のはざま」が解消されず、「制度からの排除」が引き起こされている今日、「闘争モデル」のソーシャルアクションを展開することはソーシャルワーカーの社会的責務である。そして、今日においてもその役割は失われていない。それは、「すべてのソーシャルワーカーが避けては通れない実践課題であり、(『地域変革』と)『社会変革』の要諦」(中島[3]79ページ)である。留意したい。
〇最後に、社会福祉士養成におけるソーシャルアクションに関して一言触れておく。これまで、社会福祉士養成課程における教育内容について、ソーシャルアクションに関する記載はなかった。2021年4月から、社会福祉士養成カリキュラムにおいて、地域共生社会に関する科目(「地域福祉と包括的支援体制」)が創設されるとともに、ソーシャルワーク機能を学ぶ科目が再構築される。すなわち、従来の「相談援助」という科目が「ソーシャルワーク」に変更される。そして、「ソーシャルワークの理論と方法(専門)」という科目で、「想定される教育内容の例」として「ソーシャルアクション」が記載されている。次の資料を参照されたい。

あなたが開き、広げる万華鏡の世界:心が躍る一冊―今中博之著『壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても』のワンポイントメモ―

あなたは、/壁をゼロにすることを/本当に願っていますか?/他者の喜びを/自分の喜びとしたいなら、/他者の苦しみも/自分の苦しみとしなければ/道理が合いません。/共に生きることは、/生半可なことではないのです。(16ページ)

私たちは、/他者から何かを伝えられ、/それに呼応する/言葉がなくてもいいし、/自分だけの言葉を/他者に語る必要もありません。/大きな壁の中では、私たちは、/秘密をたくさん持っていて/構わないのです。(44ページ)

誰かに「勇気をあたえたい」と思うあなたは、強者で賢者です。/だから、あなたに「ワタシを守る壁」なんて必要ありません。/私は、ワタシを守るために「仏教的なるもの」が必要でした。(188ページ)

〇筆者(阪野)は今中博之(ソーシャルデザイナー。敬称略)から、「名刺代わり」のご高著『壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても』(河出書房新社、2020年7月。以下[本書])のご恵贈を賜った。今中がいう「名刺代わり」とは、自らの人生を綴った自分史であり、怒りや安らぎを、その時々の心情を吐露した本でもある、という意味であろうか。また、今中は、本書は「少し毒気(どくけ)のある生き方エッセイ」であるという。誰をやり込め、傷つける「毒気」なのか。その対象は、「あなた」(「壁の中に籠りがちなあなた」「壁を壊して外に出たがるあなた」、「マジョリティのあなた」「マイノリティのあなた」、「中・高生のあなた」「大人のあなた」、しかも「見て見ぬふりをするあなた」「見ぬふりをして見るあなた」)なのか、「既成の知や制度化された知」(208ページ)なのか、あるいはもしかして今中、あなた自身なのか。
〇そんなことよりも、今中がそのような「気負い」をなくすきっかけは何だったのか。筆者は、その答えのひとつを次の一節に見出したい。「壁をコントロールできるなら、すべきだと書いてきました。無理やりにでも、意図的にそうすべきだとも書きました。でも、こうも思うのです。私は何さまだ‥‥‥自惚(うぬぼ)れるんじゃない、と。/仏教は、私に『無常』を教えてくれました。『無常』の『常』とは、『ずっとそのまま』ということです。それに『無』がつくと、『ずっとそのままは無いよ』となります。つまり『うつりかわる』ということです。うつりかわるものは、『すべてのもの』です」(183、184ページ)。「ずっとそのままは無いよ」は、「あなた」へのメッセージであり、愛娘(まなむすめ)へのそれでもある。
〇筆者は、本書を読み始めて早々に、何故か(本当に何故か)、子どものころに遊んだ摩訶不思議な世界である「万華鏡」を思い出した。3枚の鏡を組み合わせたもので、その内部に封入された対象物(オブジェクト)は次の三つである。「デザイン学・仏教学(仏教的なるもの)・社会福祉学」「デザイン(企て)・人生(生き方)・自分史(内省)」「哲学(生き方)・価値(選択基準)・思想(考え方)」。これらが、「一人ひとりで、共に」という理念・原理に基づいて「ソーシャル・イノベーション」(社会変革)をもたらす。そして、今中のほどほどでない“憤り”や“怒り”と、「仏教的なるもの」による“優しさ”や“安らぎ”を映し出す(図1参照)。今中の憤りや怒りは数知れないであろうが、筆者自身も優しさや安らぎを覚えるのは次の一節である。「愛する人を守るためには、私はワタシを守らなければならない。そのために壁の中に籠ることを肯定したい。けっして心のバリアフリーだけが幸せになる行為ではない」(217ページ)。
〇以下で、筆者が注目したい今中の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「壊すべき壁」と「自分を守ってくれる壁」―「障壁」と「防壁」―
そもそも壁は二つあります。それは、「壊すべき壁」と「自分を守ってくれる壁」です。壁をゼロにしたからといって共生(きょうせい)が叶うわけではありません。大きな壁に囲まれているから孤独になる? そうとも限りません。壁は壊すものばかりではなく、自分の手で積まなけれはならないものもあるのです。/大きな心の壁は、豊潤(ほうじゅん)な孤独をあたえてくれるし、沈黙の中で生きる意味、死する意味を学ぶことができます。小さな心の壁は、他者と適度な距離感をあたえ共生には欠かせない存在です。一方で、壊すべき壁を完全にフラットにするなんて不可能です、きっと。(1、2ページ)

「弱さ」の分だけ「強さ」がある―「イーブンの法則」―
私たちは、なにかしら生活に困りごとをもっています。完璧に健康な人間などいません。永遠に続く富者(ふしゃ)がいないのと同じです。つまり、弱さのない人間などいません。逆に、私たちには、強さが必ずあるということです。ただ、強さが弱さを消すわけではありません。弱さを抱えて生きるから強さが発見できるのです。/弱い自分なんて嫌いだと言わないでください。弱さがなくなれば、あなたの強さもなくなります。それが、イーブンの法則というものです。/アトリエ インカーブ(知的に障がいのあるアーティストとデザイナーであるスタッフが協働する公的なデザイン事務所)のアーティストたちと20年近く暮らしてきて、この法則、案外当たります。(3、26ページ)

共に寄り添う前に、一人でいることを肯定する―「一人ひとりで、共に」―
当事者研究のスローガンの中に「一人ひとりで、共に」という言葉あるんです。「一人ひとり」は「壁を作りましょう」という意味で、「共に」という言葉はそれと矛盾するようですけど、「壁に籠っている人同士でやりとりをしましょう」という、そういう両価的なメッセージです。(熊谷晋一郎)/異なる価値観をもつ人々が共に生きるには、個々に壁を立てながらもつながっていく態度が必要ですね。壁に籠りながらも、つながりをもつ。/誰一人同じ価値観をもつ人はいません。それでも共に生きる。「一人ひとりで、共に」は、これからの共生社会の原理ではないでしょうか。(135、136、157~158ページ)

〇今中がいう重要な言葉や言説のひとつに、「観点変更」がある。「ヒトもモノもコトも、見る角度によって、美しくも、醜くも、優しくも、冷たくもなることを知った。少なくともアトリエ インカーブのアーティストに出会うまでは、私の見る角度は既成概念という鎖で固定されていた。/鎖がからだから溶け出してからは、ヒトもモノもコトも、見る角度や高さを少しずつコントロールすることができるようになってきた。私はそれを『観点変更』と呼ぶ」(今中博之『観点変更―なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか―』創元社、2009年9月、273ページ)。これがそれである。本書を読んで「観点変更」について改めて認識したとき(28ページ)、何故か(本当に何故か)、秋竜山の「福祉マンガ」の次の4コマ漫画を思い出した(秋竜山『福祉マンガNo.2 みんないいひと みんないいこと』相模原市社協、1985年3月、48~49ページ。図2参照)。多言を要しないであろう(含蓄のある作品である)。
〇いまひとつ留意すべき今中の言葉(作法)に、「閉じながら開く」がある。今中はこう説明する。困っている人の存在やその人の悩みを「知って欲しい」と思う人が、多すぎる。その人たちは「いいひと」であり、悪意のない善意の持ち主である(89ページ)。しかし、「開きっぱなしだと害虫が侵入し(疲弊する)、閉じっぱなしだとカビ臭くなる(脆弱になる)」。そこで、「壁の中に籠りながら、時が来たら壁の上から顔を出す」(91ページ)。それが「閉じながら開く」である、という。前述の万華鏡は、そのオブジェクト(今中の思考の枠組み)によって、固定概念を覆(くつがえ)す新しい世界(壁のなかで繰り広げられる世界)をそのウチに開く。そして、ひと工夫加えることによって、万華鏡は外の景色を取り込み、ソトの世界を無限に広げるのである(本稿のタイトルの意味はここにある)。
〇例によって我田引水のそしりを免(まぬが)れないが、今中の言説から、「市民福祉教育」にかかわるであろう一節を抜き出すと、例えば次のようなものがある。「マジョリティ(多数派)には、(きっと)悪意はありません。ただ、悪意のない善意ほどややこしいものはない」(21ページ)。「多様性はややこしいのです。/初めて見る規格外は恐怖です。でも、それが多様性です。/もし、あなたが、つまずくことを躊躇するなら、多様性のある社会を実現したいなんて言ってはダメです。つまづくことを覚悟するしか、多様性のある社会は実現できないのですから」(108ページ)。「私たちは、見えない障壁に囲まれて生活しているようなものです。一見、自由が保障されているようで、その実、コントロールされています。/障壁は強く強靭(きょうじん)です。抵抗しても、歯が立ちそうにない」(165ページ)。
〇これらの「ややこしさ」について、文部科学省が2020年度からその充実を図るという「心のバリアフリー」教育は、どのように認識しているのか。市民福祉教育はどのように向き合い、どのような事業・活動や運動を展開しようとしているのか。(敗戦後の混迷期のように)政治・経済・社会のすべてが「劣化」した日本のいまの在り様は、それらの教育実践の拠り所である(新しい)「哲学・価値・思想」の必要性について強く迫っている。今中の本書は、それに応えてくれる一冊でもある。

付記
「アトリエ インカーブ」と今中博之、神谷梢の言説については、<雑感>(73)/2019年1月28日/本文、(95)/2019年9月19日/本文、(112)/2020年7月8日/本文、を参照されたい。

社会劣化の時代における「しんがり」の思想と闘い―鷲田清一著『しんがりの思想』と駒村康平編著『社会のしんがり』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、鷲田清一(わしだ・きよかず。臨床哲学)が著した『しんがりの思想―反リーダーシップ論―』(〈角川新書〉KADOKAWA、2015年4月。以下[1])という本がある。[1]で鷲田はいう。「縮小社会・日本に必要なのは強いリーダーではない。求められているのは、つねに人びとを後ろから支えていける人であり、いつでもその役割を担えるよう誰もが準備しておくことである」。いま、「新しい市民のかたち」「自由と責任の新しいかたち」が問われている([1]カバー「そで」、「帯」)。
〇鷲田の論はこうである。日本は、高度経済成長の「右肩上がり」の時代から「右肩下がり」の時代に移行し、人口減少や少子高齢化などによる「縮小社会」が進行している。しかしいまだに、この国の政治・経済は「成長」を至上命題として考え、多くの人は拡大思考から解放されないでいる。
〇かつて出産から子育て・教育、看護や介護、看取りと葬送(そうそう)、もめ事解決、防犯・防災などの基本的な生活活動(生命に深く関わる「いのちの世話」)は、地域社会で住民が共同で担ってきた。しかし、高度消費社会の進展が図られるなかで、それらの活動も、納税やサービス料を支払うことによって、行政や専門家、サービス企業に責任放棄・転嫁(「押しつけ」)され、委託(「おまかせ」)されている。別言すれば、市民が「顧客」や「消費者」という受け身の存在に成りさがっている(「市民の受動化」)。それは、「責任を負う」ということをめぐっての、この社会の「劣化」であり、市民の「無能力化」を意味する。
〇いま、こうした「右肩下がり」の時代を見据えて、いかにダウンサイジング(downsizing、縮小化)していくかが問われている。そこで求められるのは、人や組織を引っ張っていく強いリーダーシップ(リーダー)ではなく、社会全体への気遣い・目配りや周到な判断ができ、「退却戦」もいとわないフォロワーシップ(フォロワー)である。それが「しんがりの思想」である。これこそが、市民が受動性から脱して「市民性」(シティズンシップ)を回復させ、それを成熟させる前提になる。「市民性」とは、「地域社会のなかで、みなの暮らしにかかわる公共的なことがらについてともに考える、そしてそれぞれの事情に応じて公共の務めを引き受ける、そんな市民・公民としての基礎的な能力」([1]88ページ)をいう。
〇そして、鷲田にあっては、「市民性の回復」すなわち(対抗的な)「押し返し」の活動は、たとえばボランティアやNPOの活動、Uターン、Iターンの動きなどに見ることができる。リーダーや市民にはいま、「しんがり」の務めと「押し返し」のアクションを行なうことが求められている。その際に重要なのは、リーダーシップではなくフォロワーシップである。
〇鷲田は[1]で、梅棹忠夫(うめさお・さだお。1920年~2010年。民俗学者)の「請(こ)われれば一差し舞える人物になれ」([1]215ページ)という一言を引いて本文を閉じる。「成熟した市民」「賢いフォロワーとなる市民」の姿である。
〇筆者の手もとにもう一冊、駒村康平(こまむら・こうへい。経済学者)が編んだ『社会のしんがり』(新泉社、2020年3月。以下[2])という本がある。[2]は、2014年度から2018年度まで慶應義塾大学で行われた全労済協会寄附講座「生活保障の再構築―自ら選択する福祉社会」をもとに、さまざまな分野や地域で、変化する社会経済が引き起こす諸課題を克服すべく格闘している「しんがり」たちの活動をまとめたものである([2]8ページ)。
〇駒村の思い・願いは、すなわちこうである。「しんがり(殿軍:でんぐん)」とは、戦いに敗れて撤退する本隊を守るために最後まで戦場に残り、敵を食い止める部隊のことである。社会や地域が大きく変化し、その対応に既存の諸制度が対応できないときに、起きている問題に格闘する人や組織は必ず必要である。そうした人々や組織を「しんがり」と呼び、「先駆け(先駆者)」だけが褒(ほ)めそやされる時代に、「しんがり」の活躍にも光を当てたい([2]8~9ページ)。
〇駒村はいう。今日の日本社会は、人口減少や格差の拡大などによる社会の劣化が進んでいる。また、戦前・戦中の適者生存や優生思想が強まり、再び危機の時代を迎えている。LGBT(性的少数者)をめぐる生産性の議論や相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月)などがそれである。そんななかで、地域社会を維持するために自ら社会問題を考え、構想し、地域の問題は住民自身で解決するという意識のもとで行動できる市民を育てる。また、平和のために時代や場所を超えて他者の困窮(困りごと)を想像し、共感できる市民を増やす、それが強く求められる。駒村が期待する「市民」は次のようなものである([2]23~24ページ)。

(1)充実した熟議ができるような市民になってほしい
社会や国に影響を及ぼす大きな政治的な諸問題について、伝統にも権威にも屈従することなく、よく考え、検証し、省察し、議論を闘わせる市民になってほしい。
(2)他者への敬意を払うような市民になってほしい
自分たちとは人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティが異なっていたとしても、他の市民を自分と同等の権利を持った人間と考え、敬意を持って接するようになってほしい。
(3)他者、他国の人の気持ちを想像、共感できる市民になってほしい
さまざまな政策が自分そして自国民のみならず他国の人々にとってどのような意味、影響を持つかを想像、理解できるようになってほしい。
(4)人の「物語」を聞くことにより、人生の意義を広く、深く理解できる市民になってほしい
幼年期、思春期、家族関係、病気、死、その他、さまざまな人生の出来事について、単に統計・データとして見るのではなく、一人ひとりの人生の「物語」として、理解することによって、多様な生き方に共感できるようになってほしい。
(5)政治的に難しい問題でも自ら考え、判断できる市民になってほしい
政治的な指導者たちを批判的に、しかし同時に彼らの手にある選択肢を詳細にかつ現実的に理解したうえで、判断するようになってほしい。
(6)世界市民として自覚し、社会全体の「善」に想いをはせてほしい
自分の属する集団にとってだけではなく、社会、人類全体にとっての「善」について考えてほしい。複雑な世界秩序の一部として自分、自国の役割を理解し、人類が抱えている国境を超えた、複雑で知的な熟議が必要とされる多様な諸問題の解決を考えてほしい。

〇言うまでもなく、地域の問題は地域住民の問題であり、住民自身で解決するという意識が重要である。その地域社会(まち)のありようを最終的に決めるのは、「市民」でなければならない。その点で市民には、鷲田がいう「市民性の回復と成熟」、駒村がいう(1)から(6)の「市民性」(市民としての資質・能力)の形成が求められる。地域の問題はまた、複雑化・複合化し、多様化、困難化している。その点で市民には、多領域の専門家との「共働」が肝要となる。先ずは問題把握や解決に向けて「熟議」する公共的な“場”の構築であろう。さらに市民には、政治や行政に対する一辺倒な批判だけでなく、まちの将来展望を踏まえた課題解決活動や運動の取り組みが求められる。これらは、筆者がいう「市民福祉教育」に通底する。
〇なお、鷲田は[1]で、福澤諭吉の『学問のすゝめ』の一節、「一人にて主客二様の職を勤むべき者なり」(岩波文庫、1978年1月、64ページ)を引く。それは、「ふだんは公共のことがらを、市民のいわば代理として担う議会や役所にまかせておいてもいいが、そのシステムに致命的な不具合が露呈したとき、あるいはサービスが決定的に劣化したときには、いつでも、対案を示す、あるいはその業務をじぶんたちで引き取るというかたちで、人民が『主』に戻れる可能性を担保しておかなければならないということである」([1]197~198ページ)。これは、「顧客」「消費者」としての市民の、鷲田がいう「押し返し」である。世間から押しつけられるものではなく、地べたから立ち上がる、「責任」の新しいかたち(感覚)であ。得意げに口汚くののしるだけの市民(クレーマー)は無用であり、ときに有害でもある。付記しておきたい。

追補
(1)社会保障制度の「しんがり」としての生活困窮者自立支援制度に関するメモ
〇社会保障制度の「しんがり」として、2015年4月、旧来からの「生活保護制度」に加えて、「生活困窮者自立支援制度」が施行された。この制度は、いわゆる「第2のセーフティネット」として、「生活困窮者の自立と尊厳の確保」と「生活困窮者支援を通じた地域づくり」を図ろうとするものである。
〇生活困窮者自立支援制度は、「現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者」(生活困窮者自立支援法第2条)、すなわち生活保護に至っていない「生活困窮者」に対して、「自立の支援に関する措置を講ずることにより、生活困窮者の自立の促進を図ることを目的とする」(同法第1条)。実施される事業は、必須事業の「自立相談支援事業」と「住居確保給付金の支給」、任意事業の就労準備支援、一時生活支援、家計相談支援、子どもの学習支援、就労訓練などである。
〇これらの事業は、経済的・社会的自立に向けた相談支援の提供であり、現金給付はない。唯一経済給付がある「住居確保給付金の支給」とて、臨時的・緊急的なものであり、対象者や給付期間、給付要件について限定的である。また、多くが任意事業であることによって、支援事業の実施や支援内容に地域間格差が生じる恐れが大きい。
〇要するに、生活困窮者自立支援制度は、就労自立を強調・強制するものであり、福祉の目的を就労の拡大におき、福祉の受給条件として就労を求める。すなわち、就労(work)と福祉(welfare)を組み合わせる「ワークフェア(workfare)」を志向・強化するものである。それはまた、ワーキングプア(働く貧困層)や過重労働を生み出し、就労困難者を事業対象から排除することになる。
〇しかも、貧困の自己責任を前提に、「自立支援」の名のもとで、生活困窮者の私生活への介入が拡大される。そして何よりも、生活困窮者に対する新たな相談窓口が、「就労・自立支援の強化」と生活保護の「不正受給への厳正な対処」(生活保護法改正)等により、生活保護の抑制的な運用(「水際作戦」などの違法行為)を推し進めることになる。
〇さらに、生活困窮者自立支援制度では、行政や関係機関、民間団体、地域住民などによって、経済的困窮と社会的孤立の特徴をもつ生活困窮者の包括的・早期的・創造的な支援を行う「地域づくり」に取り組むことが求められている。それは、困窮(「困りごと」)や経済的貧困の問題を生活困窮者・貧困者の生き方の問題にすり替えたり、生活困窮支援や生活保護についての国家責任を地域・住民に転化したり、地域・社会に生きる生活困窮者の人権や尊厳、生存権を脅かす、そういう恐れがある。
〇いずれにしろ、「自立支援」の考え方は、貧困の原因を個人の怠惰に帰す古典的な理解に基づくものである。経済的困窮や社会的孤立の問題は公的責任に基づく対応が必要不可欠であり、そのもとでこそ地域・住民による主体的・自律的活動が可能となる。生活困窮や貧困の問題を地域・住民の善意に基づく「共助」に引き受けさせることは、社会の不安と分断を拡大させるだけである。
〇別言すれば、「しんがり」(生活困窮者自立支援制度)のなかの“しんがり”のあり方が問われる、ということである。その“しんがり”は、多様な専門家と「共働」しながら、地域経済社会の事象や問題・課題を構造的に把握し、政策・制度や行政の問題や限界を明らかにする。そのうえで、地べたをはって地域づくりに取り組む、そういう市民である。その“しんがり”にこそ、「一差し舞える主(主人)」、すなわち真のリーダーシップ(「先駆け」)を期待したい。

(2)生活困窮者支援を通じた地域づくりと「ケアリングコミュニティ」
〇「生活困窮者支援を通じた地域づくり」に関して「ケアリングコミュニティ」のことが指摘される。ケアリングコミュニティについて筆者(阪野)はかつて、仮説的に次のように述べたことがある。参考に供しておくことにする。
〇筆者(阪野)は、管見ながら、しかもその一部に過ぎないが、人と人が共に生き、共に支え合うこと(「相互依存」interdependence)によって自己成長と相互成長、自己実現と相互実現を促す地域社会、すなわち「ケアリングコミュニティ」(caring community)に関して次のように考えている。(1)地域のあらゆる住民が「安心」して暮らせるまちは、「安全」と「信頼」と「責任」のまちである。安心=安全×信頼×責任、である。(2)まちづくりは、そこに暮らす住民が相互に支援し合う(「相互支援」の)地域コミュニティを創造するために、意識と思考と行動の変革を図ることから始まる。まちづくりは相互支援であり福祉教育である。(3)「自立」(「依存的自立」)は、自己選択と自己決定、そして自己責任に基づく自己実現の過程を通して達成される。それは、個人的なものにとどまらず、歴史的・社会的・文化的状況や背景によって規定される。自立は自己実現のための手段であり、歴史的社会的性格(特徴)を持つ。(4) 自己決定と自己実現は、個人的営為ではなく、自分と他者との相互の認識と行動に基づいた自己成長と相互成長を通じて初めて可能となる。自己実現は「相互実現」である。(5)現在の日本社会では、格差社会や管理社会が進展するなかで、持続可能な相互支援型社会を如何に形成するかが問われている。管理は画一化や受動化を促進し、支援は多様性や能動性を尊重する。地域共生社会は相互支援型社会である。なお、これらとともに、またこれらを可能にするためには、まちづくりや地域福祉についての多様な政策・制度的対応や専門機関・専門家による対応などが必要かつ重要であることは言うまでもない。(<ディスカッションルーム>(68)「支援学」ノート/2017年6月1日投稿)

「仲間とつながりハッピーに生きる」:「共感」とは心に人を住まわせることである。その心に定員はない。―金森俊朗の「いのちの授業」を読む―

〇金森俊朗(かなもり・としろう)が2020年3月に亡くなった(享年73)。金森は、1969年3月に金沢大学教育学部卒業後、石川県内の小学校(小松市立小学校1校、金沢市立小学校7校)で38年間教鞭をとった。1990年前後から本格的に、「いのちの授業」(「性の授業」「デス・エデュケーション」等)に取り組んだ。それは、教育界のみならず医療や福祉の世界でも全国的に注目を集めるようになる。
〇金沢市立南小立野(みなみこだつの)小学校4年1組の「金森学級」(35人、10歳の子どもたち)が、2002年4月から1年間、NHKテレビの長期取材を受けた。それが翌2003年5月、「NHKスペシャル・こども輝けいのち 第3集・涙と笑いのハッピークラス~4年1組 命の授業~」というタイトルで放映された。それは、多くの人々の感動を呼び、国際的にも高く評価された。
〇筆者(阪野)の手もとに、金森の「いのちの授業」(教育実践とその思想)に関する本が8点ある(しかない)。以下がそれである。

(1)NHK「子ども」プロジェクト『NHKスペシャル こども 輝けいのち/4年1組 命の授業―金森学級の35人―』日本放送出版協会、2003年9月(以下[1])
NHK「子ども」プロジェクトの取材記録である。そのときのディレクターは言う。「放送後、5年生になったみんなと会う機会があった。番組を見たみんなの気持ちは、たぶん陽くんの言葉が一番うまくまとめている。『おもしろかった。たしかにおもしろかったけどな、オレらの1年間はもっと重たいもんやで』。ぐうの音も出なかった」(156ページ)。続けてディレクターは、「学校が持つ可能性、そして子どもたちが本来持っている力は、まだまだ捨てたものではないはずなのだ。実は私は、(全国の学校に)そのことを伝えたかった」のである、と言う(157ページ)。
(2)金森俊朗『いのちの教科書―学校と家庭で育てたい生きる基礎力―』角川書店、2003年10月(以下[2])
金森学級では、①給食の一限目、食材の一つひとつと丁寧に向かい合う。②“包”むという漢字から、母親の心を学ぶ。③友だちの家族が亡くなったら、共に死を考える。④父母、祖父母に話を聞いて、自分史を人体図にまとめる。⑤末期ガンの患者や障がい者と、じかに語り合う。⑥どろんこサッカーや川への飛び込み、自然のなかで激しい遊びをする。⑦日々の気持ちは仲間に宛てて、「手紙ノート」に書く。これらによる「いのちの学び」は、学校と家庭で育てたい「生きるための基礎力」である、と金森は言う(カバー「そで」)。
(3)NHK「子ども」プロジェクト編『NHKスペシャル こども・輝けいのち:ジュニア版2 涙と笑いのハッピークラス』汐文社、2004年6月(以下[3])
[1]のジュニア版である。金森学級の朝は、「手紙ノート」から始まる。毎日3人ずつ交代で、クラスメイトに宛ててノートに手紙を書く。家で書いてきたその手紙を、みんなの前で読んで聞かせる。テーマは「なんでもいい」。金森は言う。「みんながやったのは、自分をわかってもらって、そして友だちをわかろうという、そういうわかり合う努力でした」(99ページ)。金森授業の核心のひとつは「つながり合う」である。
(4)金森俊朗『希望の教室―金森学級からのメッセージ―』角川書店、2005年4月(以下[4])
本書では、どこの地でも、誰でも実践しうる基本的な日常の学びが提示される。金森は言う。「私はあえて『ガキはガキらしくせい』と繰り返し言い続けた。この場合の『ガキ』とは、もっと自分にこだわり、わがままを通そうとして激しくぶつかってもいい、一見『馬鹿げたフェスティバル文化』(ボディー・コミュニケーションの遊びや活動)をいつでもどこでも展開していいよ、との意味を込めて使ったことばである」(249ページ)。
(5)金森俊朗『子どもの力は学び合ってこそ育つ―金森学級38年の教え―』(角川oneテーマ21)角川書店、2007年10月(以下[5])
「子どもたちもいっぱい悩みを抱えている」。「どのような親・教師・学校が子どもの生きる力を育てるのか」。その問いに対して金森は、「これからは、危険や災害を見通し、備える力・いざというとき瞬時に判断する力・人と人とをつないで協力する力・困難の中でなけなしの条件を引き出す力が必須である」。それらの力=真の学力は、学び合ってこそ育つ。本書では、その力を習得、発揮するための具体的なプロセスを開示する(「帯」)。
(6)金森俊朗『金森俊朗の子ども・授業・教師・教育論』子どもの未来社、2009年1月(以下[6])
金森にあっては、「子どものリアリティから学び、人間を深く捉える」。「子どものなかに社会や時代を読む」ことが、教師としての最低要件である。「子どもの内面世界を無視した外からの『モラル』『規範意識』の徹底に、子どもたちはストレスや悲しみを自他いずれかに向かって爆発させる。社会と時代の痛みを共に背負う深い人間的な共感があってこそ、働きかけの厳しさは子どもに受容され、力につながる」のである(294、295ページ)本書では、金森授業の教育観と哲学、実践の神髄が語られる(「帯」)。
(7)金森俊朗『「子どものために」は正しいのか』(学研新書)、学研教育出版、2010年10月(以下[7])
「子どものために」という親心が子どもを追い詰めている? 子どもの個性は、「できること」にしか認められず、「できたか、できなかったか」の成果主義評価の下で悩む現代の子どもたち。厳しい現実を生き抜くために、今本当に必要な力とは?(カバー「そで」)。この問いに対して、「金森学級には理想の子どもたちがいる」と言う。①年間数千ページの本を読む。②外で友たぢと豊かに関わり遊ぶ。③家族と自分、仲間を大切にする。④高度な言語力と思考力れをもつ、がそれである(「帯」)。
(8)金森俊朗・辻直人『学び合う教室―金森学級と日本の世界教育遺産―』(角川新書)、KADOKAWA、2017年4月(以下[8])
金森にあっては、子どもは「自ら学び、友と学び合う」ことこそが「生きる力」であると分かっている。金森学級では、子どもたちが「学ぶ力」だけでなく、仲間と学び合う、競争社会を超える「生きる力」を身につける。その金森実践の根底・源泉には、日本の教育史上で“非主流”とされてきた生活綴方教育・生活教育がある(カバー「そで」)。共著者である辻は、その歴史や理念について説述し、それに基づく金森実践の本質に迫る。生活綴方教育・生活教育は「世界教育遺産」として誇られるものであり、今日の教育状況のなかでこそ、その教育が大きな意味をもっている、と辻は言う。

〇本稿では、以上から、筆者が注目したい金森の子ども観や教育観、教育実践とその思想などをめぐって、視点・視座や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「つながり合う」と「生きる希望」
生きるということは、仲間と「つながり合う」ことである。([2]12ページ)/子どもたちが何よりも求めているのは、学ぶことの喜び、友と学び合う楽しさ、学ぶことの意義を実感することである。/それをひと言で、「生きる希望」と呼ぶ。学校は、生きる希望や夢を学ぶことによって、横並びの関係性([8]116ページ)のなかで学び合うことによって、子どもを育む場である。/この「仲間と共に希望を育む学び」に力を入れることは、決して「学力」に重さを置く教育と対立するものではない。それを内に含みつつ、はるかに超えて、生きる力に直結した言語能力や思考能力を育てていく。それが、確かな学力ともなる。/今の教育改革は、子どもを集団からばらばらにして、競争させ、自己肯定感を奪い、一緒に生きよう! という「共同の思想」をつぶすものである。([2]16ページ)

「学び合う」と「いのち輝く」
学力とは、自分と自分を取り巻く世界を読み解き、それを自分のことばで表現し、他者に伝え、交流し合う力である。その学力は、自分の存在やこれから生きる社会や自然にどのような希望があるかを見出す力として発揮されなければならない。([4]166ページ)/(すなわち)自分の真実を知り、感動した心を自分のことばで表現し、他者に伝え、伝えたことによって、返ってきた他者の考えに耳をすませ、さらに確かなものにする。つまり、交流し合う力があって初めて学びが得られるのであり、その交流し合う力まで含めて「学力」と呼ぶ。/(そこから)教育とは、自分が深くわかる、つまり人間を理解するということが、その目的であると言ってよい。それは、「いのち(が)輝く」ことであり、そのために一番大事なことは、本物の生きざまに触れ、生の大切さを学び([2]23ページ)、人間の存在の尊厳を学ぶという視点を持つことである。([5]139ページ)

「子どもの生命力」と「生活教育」
教育とは、子ども(人間)が内に持っている成長・発達の可能性を引き出し、大きく育む営みである。([8]20ページ)/現代の子どもも、動物・哺乳動物としての原始性・野性・動物性を心身の奥に秘めている。([8]26ページ)/それは、過酷な条件のなかでも生き抜くことができる逞(たくま)しい心身の力であり、生活意欲や、命の危険を察知・予知し危険を乗りこえたり、避けたりする力である。五感を中心とする鋭い感覚や感性などを意味する。([8]30ページ)/それらが全面的に発揮される時と場所を保障すれば、子どもはまちがいなく、全身、全運動・感覚器官から喜びを放射し、友とつながり、生活意欲を高める。それは、学習意欲、表現意欲・表現力、好奇心、集中力,切り替える力などを高める。([8]37ページ)/その可能性を大きくきり拓(ひら)く教育の中心柱は、生活綴方教育であり、その土台をなす生活教育である。([8]44ページ)/生活綴方教育とは、生活のありのままの様子や日頃の思いを素直に記録することを追求した作文教育である。([8]171ページ)/生活教育とは、子どもの生活実感や経験、日常生活における場面を大事にして行われる教育実践である。([8]185ページ)

「キャッチャー」と「ピッチャー」
教育実践はもちろん、子どもに関わる仕事をしている人たちは、「キャッチャー」である。子どもは「ピッチャー」で、さまざまな球を投げてくる。([4]7~8ページ)/人間が生まれて生きるのは、それぞれが幸せになるためである。そのために学校があり、人間は学び合っている。/「仲間と一緒にハッピーに生きようぜ!」。([5]173ページ)/その思いを実現するために、大人はキャッチャーになって、子どもがピッチャーとして投げる好奇心、日々の生活からの学び、内面の喜怒哀楽を全人格と全人生をかけて受け止め、豊かに返球する。すなわち、子どもに根ざした意味ある学びと生活を創造することが大切である。/「豊かな返球」のなかでも、特に大切にしていて特徴的なのは、フェスティバル文化論である。学習や行事は、人と人とをつなげ、フェスティバルのように楽しく感動的でなければならない。([5]173~174ページ)

「ボディー・コミュニケーション」と「馬鹿げたフェスティバル文化」
「(土砂降りの雨が降った日、泥水のなかに飛び込む)どしゃぶりどろんこ」「(運動場に書いたS字の陣地を、片足跳びなどで移動しながら取り合う)エスケン」「(厳冬期のプールでの)イカダ乗り」「(田んぼでの)米作りや農園作り」「障がい者や妊婦・末期がん患者らとの交流体験」など、「もの・こと・人・自然とのボディー・コミュニケーション(体感・体験)」の活動([8]32ページ)は、一年間で多彩に展開する。/「どしゃぶりどろんこ」や「エスケン」「イカダ乗り」を典型とする活動をあえて、「馬鹿げたフェスティバル文化」と呼ぶ。([4])245ページ)/一見「馬鹿げた」文化は人間が持つ攻撃性を発散させたり、豊かに育むために必要なものである。とりわけ子どもにとって、その文化は、人間が本性として持つ攻撃性を、積極性や挑戦心や人や自然と交わる力に転化し、育む大きな役割を持っている。([4]247ページ)/一見「馬鹿げた」文化は、本来子どもたちに、子どもであるがゆえに無条件に保障されるべきものである。([4]248ページ)

「共感」と「共育・響育・協育」
心拓(ひら)いてわかってもらえる努力をし、それを聞いた側がキャッチする。その時に、それを批評しない、分析しない。自分のなかにある同じ悲しみ、痛み、悩みを語る。それによって一緒に担って一緒に歩いていこう、友だちのなかに自分を、他者のなかに自分を、自分のなかに他者を発見し合って生きる。それが「共感」である。いま、その関係性を築くことが求められている。(「6」60ページ)/そこから、教育は「共育」「響育」「協育」と言い換えてもよい。([8]252ページ)/「全人格と全人生(を)かけて聞かなきゃ言ってくれない」「聞いてくれる人、聞いてくれる仲間がいれば言う」。/心の世界、「聞いてくれる人」、授業でも同じである。心の世界になるともっと、とことん聞いてくれる人にしかしゃべらない。心の扉は外側から引っ張っても、開けようとしても開かない。本人が内側から開けてくれないと。心の扉は内側にしか取っ手がないのである。(「6」100ページ)/その点でまた、教育は、子どもを通して浮き彫りになる保護者の実像に、深く共感する営みである。保護者や地域の積極的な応援・協力を必要とする。そこから、子どもと保護者、そして地域が協働して「学び」を創るために、教師の人間性や専門性、市民性や社会性が問われることになる。(「6」286、287~288ページ)

〇金森の「いのちの授業」はシンブルであり、根源的である。約言すれば、「いのち」には何の約束も保証もない。しかも、一回限りである。子どもたちは、さまざまな「生」や本物の「生きざま」に直に触れ、自ら学び、多くの友だちや大人との「つながり」のなかで学び合う。それによって、「生きている自分」と「生かされている自分」に出会い、人間の多様な存在と個人の尊厳について理解する。そして、自分らしく、またみんなが輝いて生きる喜びを実感する。「金森実践」は、こうしたことを子どもの心に「原風景」として刻み、「生きる希望、源泉」([7]204ページ)を育むのである。そこに見出すキーワードは、「いのちと生活」「表現と共感」「学び合いと感動」であり、それらに通底するのは「つながり合う」である。
〇本稿の冒頭に記したNHKの番組では、奥深い、感動的な学びの場面が多い。2003年2月、金森学級では、「いのちの授業」が続いていた。そんなある日、翼(つばさ)くんの父親が突然に亡くなった。光芙由(みふゆ)さんは、3歳の時に父親を奪われた。3月20日、金森学級の「しめくくりの会」(「お別れ会」)の日の様子である([1]152~153ページ、[3]96~98ページ)。金森実践の真骨頂を見る。

クラスのみんなは一人ひとりが板きれを持って運動場に集合した。光芙由と翼のお父さんに手紙を書くためだ。2メートル四方の大きな文字を運動場に刻む。
どのように手紙を出すかについて、はじめは気球に乗せて空に飛ばすという案も出されたが、時間的に間に合わないということもあり、「天国からでも見えるような」大きな手紙ノートを書くことになったのだ。
運動場の土は、思ったより硬くなかなか掘れない。「と」や「ち」など画数が少ない文字を掘り終えた子は、漢字に苦戦している仲間の応援に加わった。
手紙ノートの文章は、健太(けんた)が中心となって考えた。
光芙由のお父さんも翼のお父さんも若くして亡くなった。光芙由や翼をどんなに心配していることだろう。考えに考え抜いた言葉は、結果として、金森学級みんなの誓いの手紙となった。

光芙由と翼のお父さんへ
二人はいつも元気だ
私たちがそばに
いるから安心してね

書き終わった後、みんなでいっしょに、この手紙ノートを読みあげた。祐人(ゆうと)がぽつりとつぶやいた。
「死んでしまったら普通の手紙は届かないけど、心の手紙はきっと届くと思う」

付記
本稿を草することにしたきっかけのひとつは、次の記事にある(『岐阜新聞』2020年6月7日付朝刊)。

神谷梢「解説 静かでおだやかなこの物語を紡いでゆく」―今中博之著『アトリエ インカーブ物語~アートと福祉で社会を動かす~』―

〇文庫化に際し『アトリエ インカーブ物語』(単行本:今中博之著『観点変更』創元社、2009年9月)を読み終え、一編の「物語」が紡がれるほどの月日が流れたことを目(ま)の当(あ)たりにしています。
〇2002年にアトリエ インカーブ(以下、インカーブ)が立ち上がり、単行本の『観点変更』が刊行されたのが2009年なので、本書にはこれまでのインカーブ物語の前半が記されていることになります。私が今中と出会ったのは、彼のサラリーマン時代終盤のことです。本書にもそのくだりがありますが、最初は今中の個人のデザイン事務所で手伝いをさせてもらうようになったものの、当時私はまだ学生で、今振り返るのも恐ろしいほど何もできないでいました、そして同時に、インカーブの前身である作業所のスタッフになり、以来、社会福祉法人の立ち上げから運営、行政との折衝など、インカーブの黒衣(くろご)的な役どころを担っています。
〇今中は最近、菩薩様(ぼさつさま)のような目をしていると言われたそうです。でも出会った頃は、不動明王のように眼光鋭く、それはそれは厳しかった! 今、愛娘(まなむすめ)のさくらちゃんに目尻を下げっぱなしなところをみると、隔世(かくせい)の感すらあります。
〇今中には何事も「ほどほどで済ませる」ということがありません。今となっては、その厳しさの意味が分かりますが、当時は怒られどおしで、よく泣いて帰っていました。不動明王は人々を叱りつけてでも正しい道へ導こうとしている、だからあんな怒ったお顔をしていると今中に教えられました。怒りの奥にはやさしい眼差(まなざ)しがあります。それは自分の思い通りにならないことへの独りよがりな苛立(いらだ)ちではなく、小さき者、名もなき者を悲しませる理不尽な物事に対する憤(いきどお)りです。人は誰しも善(よ)く見られたいと、自分が怒っている姿をあらわにすることをためらうもの。しかし今中は、その怒りをうやむやに収めるようなことはしません。目を見開いて、相手の目を見て、ちゃんと怒ります。
〇あれから20年近く経った今だからあえてエラそうに言うと、私をはじめとするスタッフがいなければ、今中の思考や企(くわだ)てが体現され、息が吹き込まれることはなかった、はず。そんな自負をもてるほど、それをここに書けるほどに、私は今中に育ててもらったともいえるし、理想郷を実現するためにうまく育て上げられた(丸め込まれた)ともいえます。いずれにせよ今中が思い描いた大きな理想は、一人のものではなく、みんながそれぞれの胸に抱くものになりました。
〇ひとが成熟するというのは、自分が思う時にいつでも大人と子どもを行ったり来たりできることだと、精神科医の言葉だったか、聞いたことがあります。今中のなかには、まさに大人と子どもが同居しているようにみえます。これまで鍛錬(たんれん)されてきた冷静な判断力と事業の後先(あとさき)の展開を見据えながらも、未(いま)だ見ぬ物事を興(おこ)す時には期待に胸を躍(おど)らせているのがわかります。
〇本書を読み進めると、今中は初めから結果を見越して、あるいは確固たる裏づけがあって行動を起こしてきたようにみえますが、私の体験では結果の3割くらいの目処がついたところでスタートを切っています。
〇インカーブが始まって、今中の考えやふるまいが時に周り(特に同業者の方)から反感を買い、軋轢(あつれき)をうむところを見てきました。今中のそれは世の中の理不尽に対する怒りからきているはずなのに、なぜ周りとの衝突がうまれるのでしょう。
〇知的障がいのあるひとがアートの才能を活かして、あるいはアートに親しみながら暮らしてゆきたいと願うなら、それをデザインの力で叶えたいと考えることは、今中にとってごく自然で、その生い立ちからも自身のつよい信念や理想に基づいているようにみえます。一方で、インカーブがスタートした約20年前は、行政や福祉にたずさわるひとにとって、アートやデザインは未知の世界のこととして理解しにくいものであったはずです。
〇よく知らないものを警戒したり排除しようとするのは当然のことなのかもしれません。けれど、今中の思考やインカーブの事業が、正義の押し売りや今中個人の独善的な行いととられるのはとても口惜しい。そう映らないようにするには、うまく言葉で表せないのですが、アクチュアルな(実際の、本当の)肌感覚というのか、思考や企てを体現する行動が「いま」の空気感をまとっていることが大事なような気がしています。その行いが信念に照らして善いことだとしても、「いま」すべきではない社会状況ならブレーキをかける。これまで20年間、私はそんなことを心に砕いてきたように感じるのです。
〇良くも悪くも、私は大人と子どもを行き来できない、ただの大人です。むしろ意図的に、標準的な大人であろうとしていろところもあります。私はインカーブの中にいながらも、意識は一人その輪を抜け出して、いまの世の中の言葉と流れの中で「インカーブ」という存在をとらえようとしています。それは、アーティストとスタッフが、信念や理想の中ではなく、いまこの時を生きているからです。今中のソーシャルデザインの思考に乗っかりながら、アーティストとスタッフを無用な衝突から守る私なりの方法なのだと思います。
〇本書が刊行された今日も、昨日と変わらない「普通なしあわせ」(当たり前のことを当たり前に行えること)がインカーブには満ちています。でも、物語が紡げるほど長く、毎日が「普通なしあわせ」で満たされていることは、「普通」ではなく「奇跡」のようです。
〇静かでおだやかなこの物語の続編が明日からも紡がれることを願います。

※神谷梢「解説 静かでおだやかなこの物語を紡いでゆく」今中博之『アトリエ インカーブ物語―アートと福祉で社会を動かす―』(河出文庫)河出書房新社、2020年7月、288~292ページ。
※神谷梢/かみたに・こずえ/アトリエ インカーブ・チーフディレクター。
※今中博之/いまなか・ひろし/アトリエ インカーブ・クリエイティブディレクター。

「生きる」(永六輔)を「定点観測」(井上一夫)する―ワンポイントメモ―

〇「6月27日、午後1時の時報を13秒ほど前にお伝えしました」。2020年6月27日に放送された「久米宏 ラジオなんですけど」の最終回、その第一声である。「ゲストコーナー 今週のスポットライト」に登場したのは伊集院光。久米と伊集院の話のなかで、「永六輔」が何度も登場した。
〇筆者(阪野)はこの番組を、半年ほど前から、毎週土曜日の夕方か夜中にユーチューブで聴いてきた。6月27日は午後5時頃からである。その途中でふと、積読本の一冊に、井上一夫著『伝える人、永六輔―『大往生』の日々―』(集英社,2019年3月)があることを思い出した。そこで夕食後、この本を読み始め、併せて永六輔の『大往生』(岩波新書、1994年3月)を実に久しぶりに再読した。井上は1948年生まれ、元「岩波新書」編集者である。永は1933年~2016年、放送作家・作詞家である。
〇井上の本のカバー「そで」の「内容紹介」は次の通りでる。「1994年に発売されるやいなや、大反響を呼び200万部を超える大ベストセラーとなった『大往生』。担当編集者であった著者(井上一夫)はその後10年、永六輔と本作りの日々を共にし、「ラジオ」と「旅」を源泉とする「知恵の言葉」のありようを探っていく。現場にいたからこそ見えた、永六輔の実像とは――。豊富なエピソードを交え、語り継いでいく。」
〇永は『大往生』の「まえがき」で、寺山修司(1935年~1983年、歌人・劇作家)の次の一節を引いている。「生が終わって死が始まるのではない/生が終われば死もまた終わってしまうのだ」(ⅱページ)。
〇本稿では、多言を弄(ろう)さず、井上の一文と永の詞の一節に限ってメモっておくことにする(見出しは筆者)。筆者の「いま」と「これから」に、留意したい。

定点観測/井上一夫
(担当編集者が、本書は「一編集者の定点観測の記録」である、と表現してくれた。)わたしは、編集者という立場を「定点」としています。そした可能な限り永さんに寄り添いつつ、彼の魅力を「観測」してきたといってよさそうだ。
観測というアナロジー(類推、比喩表現)がぴったりと思った理由は二つあります。ひとつは、観測には観測者の能力と個性が関係していること。いうまでもないことですが、観測とは客観的なデータの羅列ではありません。読みとる行為があって、はじめて意味を持つ。そこには当然、読みとる側の課題意識が関わりますから、それなりの角度が生じます。つまり、本書に即してひらたくいえば、わたしが記憶したいと思ったことが中核になるということで、わたしの実感と照応している。
いまひとつは、観測である以上、ある客観性が求められること。記憶なるもの、ときに思い込みや思い違いの危険があります。実際の本づくりにあたっては、何度も当時のドキュメントを点検し、関係者の証言の聞きとりを行ないました。むろん完璧であるはずもなく、限界はありますが、訂正すべきは訂正する作業をへています。単なる記憶のみに収斂(しゅうれん)させては事実としても違う。つまり、わたしのなかに厳としてある「記憶の体系」をベースにしつつ、ある客観性を持った「観測記録」として本書ができたといっていい。「一編集者の定点観測の記録」、そのとおりかと思う。(237~238ページ)

生きる/永六輔
生きているということは
誰かに借りをつくること
生きてゆくということは
その借りを返してゆくこと
誰かに借りたら
誰かに返そう
誰かにそうして貰ったように
誰かにそうしてあげよう
(194ページ)

〇筆者は、「定点観測」に関する言葉として、「追っかけ」を想起する。40年以上も前からはじまった追っかけの最初の対象は、伊藤隆二と大橋謙策である。伊藤については、神戸・福祉教育・研究会/伊藤隆二編『「福祉教育」の研究』(柏樹社、1975年12月)からである。大橋については、全社協の「(第2次)福祉教育研究委員会」(1982年9月~1984年3月)からである。そしていま、鳥居一頼を追っかけている。鳥居一頼著「詩『ボランティア拒否宣言』に学ぶ“自立”と歪んだボランティア観~覚醒と受容そして意識変革を促す教材としての価値を探る~」(『人間生活学研究』第22号、藤女子大学人間生活学部人間生活学科、2015年3月)がその端緒である。ここでいう「追っかけ」は、自分の実践や研究に「使える」理論や方法を取捨選択し、それらを統合するための「仕事」(ハンナ・アーレント:工作物を製作する職人的な行為)であり、プロセスである。付記しておきたい。

共感の世界:「教育は集団的営為であり、市民的成熟に資することである」ということ―内田樹著『サル化する世界』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)は「鳥居一頼の世界」(本ブログの「鳥居一頼の世語り」)が好きである。その理由は、切れ味の良い厳しい言葉とともに、多くの発言内容に「共感」することにある。とりわけ、これまで積み重ねられた地域・生活経験や知識・知性に基づく尖鋭(せんえい)で確かな批判的言説、にである。鳥居は、多岐にわたる地域・生活の実相を多角的に鋭く分析し、的確に評価する。問題点を深掘りし、課題を容赦なく抉(えぐ)り出す。そして、それらを「散文詩」に乗せる。そのジャンルは、福祉や教育、政治、経済、社会、文化などと広い。また、たまに登場するウイットに富んだ一節も面白い。
〇鳥居は、詩作の際には、時に仏の顔になり、時に鬼の形相(ぎょうそう)になっているのであろう。しかも、その過程で鳥居がとる立ち位置や姿勢は、多様な地域・生活課題を「我が事」として引き受け、自分の言葉に体を張る、というところにある。また、その基底には、人間の実存すなわち、いまをよりよく生きようとする人たちへのこだわりと覚悟があり、その人たちとの相互実現がある。
〇鳥居にあっては、その人たちとは、人間の尊厳が踏みにじられ、地域・社会から邪険(じゃけん)に扱われ、切り捨てられる人たちである。「鳥居一頼の世界」を別言すれば、「人間愛」の世界であり、「福祉と教育の思想」である。
〇筆者は「内田樹の世界」への旅を重ねてきた。今回は内田の新刊書『サル化する世界』(文藝春秋、2020年2月。以下[1])を旅することにした。[1]は、雑誌のコラムや講演録、対談やインタビューなどを加筆修正し、再構成したものである。内田にあっては、挑発的なタイトルの「サル化」とは、「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」という時間意識の縮減や自己同一性の委縮した人たちが主人公になっている歴史的趨勢(過程)のことを言う。「サル」は、中国の「朝三暮四」(ちょうさんぼし)という説話に由来する(補遺① 参照)。
〇日本社会ではいま、「身の丈(たけ)にあった」「期待される」「自分らしい」生き方が推奨あるいは強制されている。それは、生き方の定型化・固定化を促すものである。「成熟」とは多様に「変化」し「複雑化」することであるが、それを認めないのが現代社会である。人びとが感じている「生きづらさ」や「息苦しさ」の原因のひとつは、ここにある。そのような視点から、内田は[1]で、自分の身の丈を超えて自由に多様に生きることを提案する。人間は、成長するにつれて、「考え方が深まり、感情の分節がきめ細かくなり、語彙(ごい)が豊かになり、判断が変わり、ふるまいが変わる」(8ページ)。それが「成熟」である(「なんだかよくわからないまえがき」)。
〇以下に、[1]で筆者が「共感」する2つの視点・言説に限ってメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

教育の主体は集団であり、「共同体の存続」をめざす営為である
教育する主体は集団である。そして、教育の受益者も集団である。教育は集団の義務である。教育の受益者は子どもたち個人ではなく、共同体そのものである。共同体がこれからも継続して、人々が健康で文化的な生活ができるように、われわれは子どもを教育する。(216ページ)。
「教師団」には、今この学校で一緒に働いている人々だけではなく、過去の教師たちも未来の教師たちも含まれている。そういう広々とした時間と空間の中で、教育活動は行われている。そして、そういうような時代を超えた集団的活動が可能なのは、教育事業の究極の目的が「われわれの共同体の存続」をめざすものだからである。(219ページ)
教育政策の適否を計る基準は一つしかない。それはその政策を実行することが子どもたちの市民的成熟に資するかどうか、それだけである。市民的成熟に関係のないこと、それを阻(はば)むものは教育の場に入り込ませてはいけない。そういう基準で教育政策の適否を判定する習慣をわれわれは失って久しい。それが現在の日本の教育の混乱と退廃をもたらしている。(219ページ)

相互扶助的な共同体は「持ち出し」覚悟の私人から立ち上がる
地域社会の相互扶助的なマインドは簡単に無くなってしまった。共同体は簡単に崩れてしまう。これから先、日本社会はゆるやかに定常経済に移行してゆく。そんななかで、相互扶助的な共同体を再生する必要がある。(260、261ページ)
相互支援の共同体を立ち上げるというのは、基本的には行政の支援を当てにするのではなく、私人が身銭を切って、自分で手作りする事業である。「持ち出し」である。私人たちが持ち寄った「持ち出し」の総和から「公共」が立ち上がる。はじめから「公的なもの」が自存するわけではない。公的なものは私人が作り出すのである。(269、270ページ)
今、市民たちはどうやって「公的なもの」から私権・私物を取り出すことができるかを競っている。政府は、国民に対して「私権を抑制しろ、私有財産を差し出せ」とうるさく命令している。逆である。国民が自発的に私権を抑制し、私有財産を贈与するときに、そこに公共が立ち上がる。(270ページ。補遺② 参照)

〇内田の新刊書に、平川克己との対談本『沈黙する知性』(夜間飛行、2019年11月。以下[2])がある。対談のテーマや内容は、言葉や世論にはじまり、日本社会の衰退やグローバリズムの終焉、そして村上春樹や吉本隆明等々、多面的かつ多層的である。ここでは、[2]における次の3つの言説だけを再認識しておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

言葉に対する怯えや覚悟
何かを語ろうとしてる人間はみな「自分が発信している言葉は、誰かの言葉をパラフレーズ(言い換え、置き換え)しているだけかもしれない」ということを自覚しておく必要がある。その自覚がないから、自分たちの思考がパターン化した思考の枠組みをなぞっているだけだという自覚もないし、逆に、お気楽に傲慢で攻撃的な言葉を発することができるとも言える。言葉に対して、怯(おび)えや覚悟というものがあってもよい。(平川:35ページ)

身体感覚と生活実感のある言葉
「ほんとうのこと」「本音」を言うためには、命を賭けなければならない。生身の身体(身体性)や現実生活の常識から乖離した言葉には、説得力がない。一方で、身体感覚に裏付けられた言葉だけではなく、抽象度の高い言葉を使っていかないと思想は形成できない。そこで、抽象度の高い言葉を、生活実感のある言葉で裏打ちしていく作業(「伝わる言葉」への変換)が必要になる。(平川:57、58、305ページ)

孤独な沈黙のなかでの知性
見聞の狭い人間は、目の前の現実を見てすぐに「前代未聞」だと浮き足立ったり、有頂天になったりする。知識人は逆に、何を見ても「これはどこかで見たことがあるんじゃないかな」というところから吟味(ぎんみ)をする。そして、どういう文脈で「こういうこと」が起きたのか、過去の事例を参照しながら理解しようとする。知識人の、この孤独な沈黙のなかでの営為が、未来を切り拓く。これが本物の知性である。(内田:106、109ページ)

〇なお、筆者はかつて、「まちづくり」のための市民性形成(市民的資質・能力の育成)と市民運動に関して、次のように述べたことがある。「市民運動は通常、自らの、あるいは他者の尊厳や生命・生活が脅かされるときに、多くの市民が集合し、集合行為として展開される。その際、その運動は、必ずしも環境や立場を同じにする人びとが集まって展開されるものではない。運動に参加する人びと(運動主体)は多様であり、運動の目的も直接的に自らの利益や地位向上などのための利己的なものではない。運動主体の多くは、利己主義を超える人間観や社会観をもっており、社会的な事象や出来事に積極的に関与し、自己決定し、共通認識のもとに連帯して行動する自発的で能動的かつ自律的な個人である。また、その個々人は、運動展開の過程で他者理解を深め、自己を再発見し、自己変容・変革を促す。それを通して、他者との相互連携がより深化・発展するのである。」(<まちづくりと市民福祉教育>(3)福祉のまちづくり運動と市民福祉教育/2012年7月4日投稿)。これは、まちづくりのための市民運動や市民福祉教育についての理念的な管見である。本稿のサブタイトルに関して付記しておくことにする。

補遺 ①
中国の春秋時代の宗(の国)にサルを飼う人がいた。朝夕四粒ずつのトチの実をサルたちに給餌(きゅうじ)していたが、手元不如意(てもとふにょい。家計が苦しく金がないこと)になって、コストカットを迫られた。そこでサルたちに「朝は三粒、夕に四粒ではどうか」と提案した。するとサルたちは激怒した。「では、朝は四粒、夕に三粒ではどうか」と提案するとサルたちは大喜びした。
このサルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている。その点ではわが「当期利益至上主義」者に酷似している。「こんなことを続けていると、いつか大変なことになる」とわかっていながら、「大変なこと」が起きた後の未来の自分に自己同一性を感じることができない人間だけが「こんなこと」をだらだら続けることができる。その意味では、データをごまかしたり、仕様を変えたり、決算を粉飾したり、統計をごまかしたり、年金を溶かしたりしている人たちは「朝三暮四」のサルとよく似ている。([1]22ページ)

補遺 ②
スモールサイズの「顔の見える共同体」で、地域・住民自らが医療や福祉・介護などに関するサービスや事業活動を相互支援的に手作り・手売り・手渡しし、自律的なコミュニティをつくることが肝要である。「こんなところで小さくやったって社会は変わらないよ」ではなく、逆に「小さくやるから変われる」のである([1]324~325、326ページ)。
次の新聞記事を紹介しておきたい(『岐阜新聞』2020年1月18日付朝刊)。キーワードのひとつは「覚悟を決める」「便利や割安を我慢する」(持ち出す、身銭を切る)である。