「雑感」カテゴリーアーカイブ

福祉教育に関する概念図(10+2)―思考をおしゃれに視覚化することのすすめ―

〇筆者(阪野)はかつて、学生に対して、論文を書くにあたっては思考の枠組みと構造に対応させて、「書くべきこと」と「書きたいこと」を峻別し、その関係性を重視しながら「簡潔明瞭」に書くことを求めてきた。しかも、論述の内容や関係性を視覚化した「概念図」の作成を勧めた。“言うは易し行うは難し”であることを承知のうえで、「この章や節で書いていることをひとつの図で示すとどうなりますか」「文章を因数分解し、それを再構成して簡便な図を描いてみて下さい」というふうにである。それは、訴求効果を高めるだけでなく、その作業を通して思考と論理の体系化・構造化や拡大・深化を期待するがゆえである。
〇本稿では、福祉教育に関するいくつかの概念図のうちから、筆者が再認識したい基本的なものを10点選択し、それに筆者が作成した2点を加えて一覧にまとめ、各図の説述文の一節を紹介することにする(抜き書きと要約)。

図1 ボランティア活動の構造/1980年7月
ボランティア活動には、①地域の連帯力・教育力を取り戻し、再創造していくための地域づくりのボランティア活動、②地域に住んでいる自立困難な人を疎外することなく、必要な個別援助を提供し、地域の福祉を支える力となるボランティア活動、③どのような街をつくるのか、障害者や高齢者と共に生きる街をどうつくるのか、という地域福祉の街づくり計画をすすめるボランティア活動、という3つの機能がある。その3つの機能は個人のなかに有機化して内包されている場合もあれば、そうでない場合もあろう。しかし、少なくとも3つの機能は図1のように構造化され、個人もしくはグループあるいは地域のなかに有機的連携をもって存在し、統合した力を発揮できるようになっていることが必要であろう。(55ページ)

出典:大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、56ページ。初出は、全社協・ボランティア基本問題研究委員会「ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―」1980年7月、である。

図2 “福祉のいとなみ”の各局面に対応した福祉教育の課題/1981年11月

いま一度、“国民の社会福祉への関心と参加の促進”という福祉教育の出発点に立ちかえり、その根底にある教育課題を整理し直してみる必要がある。あちこちから発せられた“課題”群を有機的に関連づけ、福祉教育の理念を構造化する必要がある。そこで、“福祉のいとなみ”、そのあるべき姿、あり方をまずその構成分子にまで分解し、その上で全体構造を描いてみるとともに、その構成分子の一つ一つが要求する教育課題を見い出すという方法を試みた。要するに、“福祉のいとなみ”と、教育課題の両者を分解し、相互に関連する同士を結合した上で、再び全体を俯瞰するという工程を経て、より明確な福祉教育像を見い出そうとしたのである。図2はその作業をまとめたものである。“福祉のいとなみ”と教育課題のかかわり合いの中に“福祉人”(期待される福祉活動を正しく担いうる人間像)の要件が浮かび上がってくる。(9ページ)

出典:全社協・福祉教育研究委員会「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」(福祉教育研究委員会中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月、10ページ。

図3 現代社会の社会福祉の諸問題/2000年12月

現代社会においては、人間の関係性(「つながり」)を重視し、「ソーシャル・インクルージョン」の理念を進める必要がある。従来の社会福祉は主たる対象を「貧困」としてきたが、現代においては、①「心身の障害・不安」(社会的ストレス問題、アルコール依存、等)、②「社会的排除や摩擦」(路上死、中国残留孤児、外国人の排除や摩擦、等)、③「社会的孤立や孤独」(孤独死、自殺、家庭内の虐待・暴力、等)といった問題が重複・複合化しており、こうした新しい座標軸をあわせて検討する必要がある。図3の横軸は、貧困と心身の障害・不安に基づく問題を示すが、縦軸はこれを現代社会との関連で見た問題性を示したものである。なお、各問題は、相互に関連しあっているとともに、社会的排除や孤立の強いものほど制度からも漏れやすく、福祉的支援が緊急に必要である。(2、3ページ、「別紙」)。

出典:厚生省社会・援護局「『社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会』報告書」2000年12月、「別紙」。

図4 ICFの構成要素間の相互作用/2001年5月

障害に関する国際的な分類としては、これまで、世界保健機関(以下「WHO」)が1980年に「国際疾病分類(ICD)」の補助として発表した「WHO国際障害分類(ICIDH)」が用いられてきた。WHOでは、2001年5月の第54回総会において、その改訂版として「ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)」を採択した。ICIDHは、「障害分類」(「病気/変調」→「機能障害」→「能力障害(能力低下)」→「社会的不利」)として、「障害」のマイナス面を分類するという考え方が中心であった。それに対して、ICFは、「生活機能」というプラス面からみるように視点を転換し、さらに「背景要因」の観点を加えた。「生活機能」は「心身機能・身体構造」「活動」「参加」、「背景要因」は「環境因子」「個人因子」から構成されている。この考え方は、障がい者はもとより、すべての人々の生活活動(仕事、家事、学習・文化・スポーツ活動など)に関する保健・医療・福祉サービスや社会システムなどのあり方の方向性を示唆している。

出典:厚生労働省ホームページ参照。

図5 福祉教育とボランティア学習の構造イメージ/2003年1月

福祉教育とボランティア学習は、双方とも、人権尊重・異文化理解をべースに、共生社会・福祉社会の創造を大目標にかかげる実践である。しかし、総体としてとらえると、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがある。福祉教育は、「社会福祉問題や福祉現場とのつながり」を起点とする。それに対してボランティア学習は、かならずしも社会福祉領域に限らず、より広く、「社会的問題や市民活動とのつながり」を大事にする実践である。また、福祉教育は、より制度的かつ切迫的な現実課題に応えることが期待される実践である。このことから、福祉教育は、ボランティア学習に比べて、よりカリキュラムとして制度化しやすい体質をもっているともいえる。現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されているが、両者の特徴を総合することが求められている。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にある。(36~38ページ)

出典:地域を基盤とした福祉教育・学習活動の推進方策に関する研究開発委員会編『福祉教育ハンドブック』全社協、2003年1月、39ページ。

図6 共生に関する分析枠組 ―理論上のアイデンティティ類型―/2003年3月

社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティ(少数者・派)とマジョリティ(多数者・派)の両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。図6は、人々の多様なアイデンティティの状況を把握するための全体的な見取り図(基礎モデル)である。縦軸の変数として「マジョリティ文化への志向」の度合いを取り、横軸の変数として「マイノリティ文化への志向」の度合いを取っている。各象限のタイプは、あくまでもアイデンティティを分析し、共生へのプロセスを検討するために構成したものであり、抽象的な類型である。そのため、実在する人々が、各タイプの特徴と厳密に一致するわけではない。(51、52~53ページ)

出典:寺田貴美代「社会福祉と共生」園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、52ページ。

図7 社協事業における福祉教育の位置づけ/2008年3月

社協の使命は、「地域福祉の推進」である。そして、その主人公は「地域住民」である。社協は「住民主体の原則」を掲げ、住民自身の学びと地域福祉活動の実践を継続的に支援してきた。地域住民が地域福祉を担っていくためには、住民自身が地域の様々な課題に気付き、その解決に向けて自ら取り組んでいく手法を学んでいく、という気づきと学びのプロセスが重要である。そのことを通して、地域課題に取り組む力量を培った住民の層を厚くしていくことが、社協の使命の遂行に直結していくことになる。したがって、社協職員はあらゆる事業をすすめる際に、福祉教育の重要性を意識し、地域住民が主体的に問題解決にむけて働きかけていけるような事業の企画とプログラム展開を考えていく必要がある。 図7は、社協事業における福祉教育の位置づけを示したものである。社協の使命達成のために、福祉教育はなくてはならない実践なのである。(2ページ)。

出典:福祉教育実践研究会『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育推進のためのパンフレット)全社協・全国ボランティア活動振興センター、2008年3月、3ページ。

図8 地域を基盤とした福祉教育の展開と地域福祉活動の推進/2008年3月

図8は、「地域の中での福祉の学び」と「地域福祉活動」の関係を示したものである。(上・下図ともに)上下2つの帯があるが、上の帯は、「個々の住民に着目した、学びと活動実践のプロセス」を示している。地域課題に気づき学ぶことを重視した部分は、より「福祉の学び」( 福祉教育)の性格が濃く、課題解決を重視した実践の部分は「地域福祉活動」としての性格が濃い、ということができる。そして、福祉教育としての機能も地域福祉活動としての性格も、多少の違いはあっても、本来、決して一方が全く失われるという関係ではないとも考えられる。しかし、「学び」と「活動」との関係を重視して、常によりよい相互作用を意識して取り組まなければ、それぞれが形骸化してしまうおそれもある。そう考えると、「福祉の学び」と「地域福祉活動」の「両者の関係の継続や深まりを意図的に支援する社協(職員)の営みが福祉教育である」(下の帯)と、捉えることが大切になってくる。福祉教育にあっては、具体的な地域課題から遊離することなく、地域福祉活動の実践にあたっても学びの機能が発揮されるように、社協としての意識的な働きかけが求められるのである。福祉教育は、福祉教育の担当者のみが実践するものではなく、全ての社協職員もしくは社協組織全体で取り組んでいく基本的かつ根源的なテーマであると言える。(4ページ)「地域福祉は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」「社協活動は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」のである。

出典:福祉教育実践研究会『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育推進のためのパンフレット)全社協・全国ボランティア活動振興センター、2008年3月、5~6ページ。

図9 福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション―内省から省察、そして創造へ―/2012年11月

リフレクション(reflection)研究の萌芽は、社会学者であるG.H.ミードが提唱したことによる。彼はリフレクションを「自分自身を、距離をおいて他者の立場から見ること」であるとした。内省的な反省とは違い、自分自身をあたかも他人を見るかのように捉え返すことに特徴があると言われる。サービスラーニング研究における「リフレクション」には、多くの先行研究があるが、それらを踏まえて、やや大胆にリフレクションの展開を整理するならば、「反省的思考」→「行為のなかの省察」→「批判的自己省察」→「批判的省察」→「創造的省察」という道筋である。ここでいう創造的省察とは、現時点から過去の行為をふりかえるだけではなく、近未来の自分や社会を創り出すという視点から、リフレクションをしていくことである。同時にリフレクションを通して、近未来を創り出していくという指向性を有している。(42~44ページ)

出典:原田正樹「福祉教育・ボランティア学習における創造的リフレクションの開発」『研究紀要』Vol.20、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月、44、45ページ。なお、筆者(阪野)はとりあえず、「内省(ないせい)」は「かえりみて見直すこと」、「省察(しょうさつ)」は「ふりかえり考えめぐらすこと」と理解しておくことにする。

図10 社会的包摂にむけた福祉教育の展開/2013年3月
(1)好意的な関心をもたせる福祉教育 「無関心」→「関心」へ

「無関心」から「好意的関心」を促していくためには、漠然とした抽象的な対象理解(「障害者問題」など)ではなく、具体的な個人や地域(「その地域に居住する車椅子利用者のAさんの暮らし」など)への関心を促すことが必要である。(13ページ)

(2)「共感・当事者」を育む福祉教育 「同情」→「共感」へ

単なる「同情」から「共感」を促していくためには、「対話」を通して関係性を育みながらお互いに理解をしていくとともに、地域のなかでの意図的な「学びの場づくり」が必要である。(14ページ)

(3)包摂をめざす福祉教育 反感・コンフリクト→共存へ

「反感」「コンフリクト」(葛藤や対立)の状態から「共存」(仲良くはなれなくても排除はしない。適度な距離感を保つ)を促していくためには、反感・コンフリクトへのアセスメント(判断・評価)をして分かりあえる場をつくるとともに、アドボカシー(代弁)や通訳的な役割を担う人材の育成が必要である。(15ページ)

(4)福祉教育の展開によって当事者や地域のエンパワメントを促す

福祉教育の展開によって当事者(問題の直接の関係者)や住民、地域のそれぞれのエンパワント(主体的に問題解決を図ろうとする力の発揮と開発)、すなわち主体形成を促していくことが地域を基盤とした福祉教育の特徴であり、まさに当事者性(問題の直接的な関係者に<なる>こと)を軸とした地域福祉援助の展開である。ワーカー(コミュニティソーシャルワーカー)は地域住民の一人ひとりの意識変容を促しながら、それを地域全体に広げ、最終的には「地域の福祉力」を蓄積していく(コミュニティエンパワメント)ための働きかけが必要である。(16~17ページ)

出典:社会的課題の解決にむけた福祉教育のあり方研究会『社会的包摂にむけた福祉教育―共感を軸にした地域福祉の創造―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、2013年3月、13~17ページ。

〇「市民福祉教育」とは、学校教育における福祉教育(学校福祉教育)と地域を基盤とした福祉教育(地域福祉教育)、そして社会福祉従事者や福祉サービス利用者に対する福祉教育について、「市民」の育成という視点・視座から、それぞれの融合を図ることを志向する教育活動である。より具体的には、「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」と概念規定できる。
〇以下に、「市民福祉教育」と「市民活動」に関する概念図(拙図)を記すことにする。前者(図11)については、例えば、「福祉文化」と「共働」に関して、前述の「『社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会』報告書」(図3)から次の一節を想起しておきたい。「福祉文化の創造/社会福祉が人々の生活にかかわるものであることから、人々の生活の拠点である地域社会において、いわゆる『官』と『民』が<共働>してその推進を図る必要があり、新しい『公』の創造を提言した所以でもある。また、社会福祉が人々の生活にかかわるうえで、その人の尊厳を守り、生き方を尊重することが必要であることはいうまでもない。これらのことは、狭い意味での社会福祉の課題にとどまるものではないことから、このようなことに立脚した<福祉文化>が創造され、わが国の中に定着していくことが必要であろう」(10ページ。山括弧は筆者)。
〇後者(図12)に関して言えば、「市民福祉教育」は、その地域に居住する「一般住民」(一般住民という住民はいない)や「地域住民」と呼ばれる「住民」を福祉によるまちづくりの活動や運動に「参加」(林義樹:「参集」→「参与」→「参画」)する「市民」に育てる意図的な教育活動である。そして、まちづくりは「私」からはじまる。

図11 教育・福祉教育・市民福祉教育の関連図/2013年9月
市民福祉教育の概念図 教育は、一般的・基本的には、次の3つの視点から捉えることができる(概念図中の下段の表示)。(1)教育は、人間の「生命」すなわち「生きる力」の育成と向上を図るための活動である。その際の生きる力とは、社会的存在としての自分を、豊かな人間性と他者との相互行為のもとに主体的・自律的に築きあげていくための資質や能力のことをいう。(2)人間が生まれ、生命を終えるまで生き続けること、それは生活することである。教育は、この日常の「生活」における実際的で具体的な「活動」すなわち生活経験を通して、またそれとの関連において現実社会について学ぶための活動である。その生活経験の過程で、知識や技能が獲得され、また活用されることになる。(3)教育は、人間の「生涯」にわたる社会「参加」に基づく成長・発達のための活動である。教育の使命は、生活への準備としてのものから生涯にわたって継続するものへと変化している。要するに、「生命」「生活」「生涯」すなわちライフ(Life)は、人間の成長・発達の過程であり、それはまた教育の過程であるといえる。

出典:「市民福祉教育の定義と概念図」『本ブログ/ディスカッションルーム』2013年9月2日投稿。

図12 市民活動の4要素/2018年2月

「活動」は、お金を得るためにやる「労働」ではなく、モノとして残る価値をつくるための「仕事」でもなく、自ら主体的にやりたいと感じ、そこに他者が何らかの価値を見出せる行為をいう。「労働」や「仕事」ではなく、「活動」に重きが置かれてこそ、豊かな社会はつくられる(ハンナ・アレント)。「市民」は、「活動」する人たち、もしくは「活動」する意識を持った人たちをいう。広い意味で「一般の人」という場合は「住民」という言葉を使うことにしたい。その上で、地域をよくするための心理的介入を定義すると、それは「住民」を「市民」に変えていく活動ということになろう。(61~62ページ)

出典:山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所、2016年11月、145ページの図「活動の原動力となる3つの輪」を参考に筆者が作成した。山崎の言説を援用すれば、「4つの輪が重なるところに、縮充の時代に求められる『参加』のヒントがある」(146ページ)ということになろうか。なお、山崎の図に似たものに、永井美佳「市民活動の事業化」大阪ボランティア協会編『テキスト 市民活動論―ボランティア・NPOの実践から学ぶ―』大阪ボランティア協会、2011年9月、77ページの図「企画立案の3要素」がある。

(注)以上、2021年2月17日一部修正(以下の図3・6・7・9・12の横に表示されていた文章を削除)。

 

(注)以下、2021年2月18日修正(図の解像度を考慮して、2018年2月7日投稿の文章をそのまま表示)。

〇筆者(阪野)はかつて、学生に対して、論文を書くにあたっては思考の枠組みと構造に対応させて、「書くべきこと」と「書きたいこと」を峻別し、その関係性を重視しながら「簡潔明瞭」に書くことを求めてきた。しかも、論述の内容や関係性を視覚化した「概念図」の作成を勧めた。“言うは易し行うは難し”であることを承知のうえで、「この章や節で書いていることをひとつの図で示すとどうなりますか」「文章を因数分解し、それを再構成して簡便な図を描いてみて下さい」というふうにである。それは、訴求効果を高めるだけでなく、その作業を通して思考と論理の体系化・構造化や拡大・深化を期待するがゆえである。
〇本稿では、福祉教育に関するいくつかの概念図のうちから、筆者が再認識したい基本的なものを10点選択し、それに筆者が作成した2点を加えて一覧にまとめ、各図の説述文の一節を紹介することにする(抜き書きと要約)。

図1 ボランティア活動の構造/1980年7月
ボランティア活動には、①地域の連帯力・教育力を取り戻し、再創造していくための地域づくりのボランティア活動、②地域に住んでいる自立困難な人を疎外することなく、必要な個別援助を提供し、地域の福祉を支える力となるボランティア活動、③どのような街をつくるのか、障害者や高齢者と共に生きる街をどうつくるのか、という地域福祉の街づくり計画をすすめるボランティア活動、という3つの機能がある。その3つの機能は個人のなかに有機化して内包されている場合もあれば、そうでない場合もあろう。しかし、少なくとも3つの機能は図1のように構造化され、個人もしくはグループあるいは地域のなかに有機的連携をもって存在し、統合した力を発揮できるようになっていることが必要であろう。(55ページ)

出典:大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、56ページ。初出は、全社協・ボランティア基本問題研究委員会「ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―」1980年7月、である。

図2 “福祉のいとなみ”の各局面に対応した福祉教育の課題/1981年11月

いま一度、“国民の社会福祉への関心と参加の促進”という福祉教育の出発点に立ちかえり、その根底にある教育課題を整理し直してみる必要がある。あちこちから発せられた“課題”群を有機的に関連づけ、福祉教育の理念を構造化する必要がある。そこで、“福祉のいとなみ”、そのあるべき姿、あり方をまずその構成分子にまで分解し、その上で全体構造を描いてみるとともに、その構成分子の一つ一つが要求する教育課題を見い出すという方法を試みた。要するに、“福祉のいとなみ”と、教育課題の両者を分解し、相互に関連する同士を結合した上で、再び全体を俯瞰するという工程を経て、より明確な福祉教育像を見い出そうとしたのである。図2はその作業をまとめたものである。“福祉のいとなみ”と教育課題のかかわり合いの中に“福祉人”(期待される福祉活動を正しく担いうる人間像)の要件が浮かび上がってくる。(9ページ)

出典:全社協・福祉教育研究委員会「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」(福祉教育研究委員会中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月、10ページ。

図3 現代社会の社会福祉の諸問題/2000年12月

現代社会においては、人間の関係性(「つながり」)を重視し、「ソーシャル・インクルージョン」の理念を進める必要がある。従来の社会福祉は主たる対象を「貧困」としてきたが、現代においては、①「心身の障害・不安」(社会的ストレス問題、アルコール依存、等)、②「社会的排除や摩擦」(路上死、中国残留孤児、外国人の排除や摩擦、等)、③「社会的孤立や孤独」(孤独死、自殺、家庭内の虐待・暴力、等)といった問題が重複・複合化しており、こうした新しい座標軸をあわせて検討する必要がある。図3の横軸は、貧困と心身の障害・不安に基づく問題を示すが、縦軸はこれを現代社会との関連で見た問題性を示したものである。なお、各問題は、相互に関連しあっているとともに、社会的排除や孤立の強いものほど制度からも漏れやすく、福祉的支援が緊急に必要である。(2、3ページ、「別紙」)。

出典:厚生省社会・援護局「『社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会』報告書」2000年12月、「別紙」。

図4 ICFの構成要素間の相互作用/2001年5月

障害に関する国際的な分類としては、これまで、世界保健機関(以下「WHO」)が1980年に「国際疾病分類(ICD)」の補助として発表した「WHO国際障害分類(ICIDH)」が用いられてきた。WHOでは、2001年5月の第54回総会において、その改訂版として「ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)」を採択した。ICIDHは、「障害分類」(「病気/変調」→「機能障害」→「能力障害(能力低下)」→「社会的不利」)として、「障害」のマイナス面を分類するという考え方が中心であった。それに対して、ICFは、「生活機能」というプラス面からみるように視点を転換し、さらに「背景要因」の観点を加えた。「生活機能」は「心身機能・身体構造」「活動」「参加」、「背景要因」は「環境因子」「個人因子」から構成されている。この考え方は、障がい者はもとより、すべての人々の生活活動(仕事、家事、学習・文化・スポーツ活動など)に関する保健・医療・福祉サービスや社会システムなどのあり方の方向性を示唆している。

出典:厚生労働省ホームページ参照。

図5 福祉教育とボランティア学習の構造イメージ/2003年1月

福祉教育とボランティア学習は、双方とも、人権尊重・異文化理解をべースに、共生社会・福祉社会の創造を大目標にかかげる実践である。しかし、総体としてとらえると、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがある。福祉教育は、「社会福祉問題や福祉現場とのつながり」を起点とする。それに対してボランティア学習は、かならずしも社会福祉領域に限らず、より広く、「社会的問題や市民活動とのつながり」を大事にする実践である。また、福祉教育は、より制度的かつ切迫的な現実課題に応えることが期待される実践である。このことから、福祉教育は、ボランティア学習に比べて、よりカリキュラムとして制度化しやすい体質をもっているともいえる。現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されているが、両者の特徴を総合することが求められている。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にある。(36~38ページ)

出典:地域を基盤とした福祉教育・学習活動の推進方策に関する研究開発委員会編『福祉教育ハンドブック』全社協、2003年1月、39ページ。

図6 共生に関する分析枠組 ―理論上のアイデンティティ類型―/2003年3月

社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティ(少数者・派)とマジョリティ(多数者・派)の両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。図6は、人々の多様なアイデンティティの状況を把握するための全体的な見取り図(基礎モデル)である。縦軸の変数として「マジョリティ文化への志向」の度合いを取り、横軸の変数として「マイノリティ文化への志向」の度合いを取っている。各象限のタイプは、あくまでもアイデンティティを分析し、共生へのプロセスを検討するために構成したものであり、抽象的な類型である。そのため、実在する人々が、各タイプの特徴と厳密に一致するわけではない。(51、52~53ページ)

出典:寺田貴美代「社会福祉と共生」園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、52ページ。

図7 社協事業における福祉教育の位置づけ/2008年3月

社協の使命は、「地域福祉の推進」である。そして、その主人公は「地域住民」である。社協は「住民主体の原則」を掲げ、住民自身の学びと地域福祉活動の実践を継続的に支援してきた。地域住民が地域福祉を担っていくためには、住民自身が地域の様々な課題に気付き、その解決に向けて自ら取り組んでいく手法を学んでいく、という気づきと学びのプロセスが重要である。そのことを通して、地域課題に取り組む力量を培った住民の層を厚くしていくことが、社協の使命の遂行に直結していくことになる。したがって、社協職員はあらゆる事業をすすめる際に、福祉教育の重要性を意識し、地域住民が主体的に問題解決にむけて働きかけていけるような事業の企画とプログラム展開を考えていく必要がある。 図7は、社協事業における福祉教育の位置づけを示したものである。社協の使命達成のために、福祉教育はなくてはならない実践なのである。(2ページ)。

出典:福祉教育実践研究会『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育推進のためのパンフレット)全社協・全国ボランティア活動振興センター、2008年3月、3ページ。

図8 地域を基盤とした福祉教育の展開と地域福祉活動の推進/2008年3月

図8は、「地域の中での福祉の学び」と「地域福祉活動」の関係を示したものである。(上・下図ともに)上下2つの帯があるが、上の帯は、「個々の住民に着目した、学びと活動実践のプロセス」を示している。地域課題に気づき学ぶことを重視した部分は、より「福祉の学び」( 福祉教育)の性格が濃く、課題解決を重視した実践の部分は「地域福祉活動」としての性格が濃い、ということができる。そして、福祉教育としての機能も地域福祉活動としての性格も、多少の違いはあっても、本来、決して一方が全く失われるという関係ではないとも考えられる。しかし、「学び」と「活動」との関係を重視して、常によりよい相互作用を意識して取り組まなければ、それぞれが形骸化してしまうおそれもある。そう考えると、「福祉の学び」と「地域福祉活動」の「両者の関係の継続や深まりを意図的に支援する社協(職員)の営みが福祉教育である」(下の帯)と、捉えることが大切になってくる。福祉教育にあっては、具体的な地域課題から遊離することなく、地域福祉活動の実践にあたっても学びの機能が発揮されるように、社協としての意識的な働きかけが求められるのである。福祉教育は、福祉教育の担当者のみが実践するものではなく、全ての社協職員もしくは社協組織全体で取り組んでいく基本的かつ根源的なテーマであると言える。(4ページ)「地域福祉は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」「社協活動は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」のである。

出典:福祉教育実践研究会『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育推進のためのパンフレット)全社協・全国ボランティア活動振興センター、2008年3月、5~6ページ。

図9 福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション―内省から省察、そして創造へ―/2012年11月

リフレクション(reflection)研究の萌芽は、社会学者であるG.H.ミードが提唱したことによる。彼はリフレクションを「自分自身を、距離をおいて他者の立場から見ること」であるとした。内省的な反省とは違い、自分自身をあたかも他人を見るかのように捉え返すことに特徴があると言われる。サービスラーニング研究における「リフレクション」には、多くの先行研究があるが、それらを踏まえて、やや大胆にリフレクションの展開を整理するならば、「反省的思考」→「行為のなかの省察」→「批判的自己省察」→「批判的省察」→「創造的省察」という道筋である。ここでいう創造的省察とは、現時点から過去の行為をふりかえるだけではなく、近未来の自分や社会を創り出すという視点から、リフレクションをしていくことである。同時にリフレクションを通して、近未来を創り出していくという指向性を有している。(42~44ページ)

出典:原田正樹「福祉教育・ボランティア学習における創造的リフレクションの開発」『研究紀要』Vol.20、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月、44、45ページ。なお、筆者(阪野)はとりあえず、「内省(ないせい)」は「かえりみて見直すこと」、「省察(しょうさつ)」は「ふりかえり考えめぐらすこと」と理解しておくことにする。

図10 社会的包摂にむけた福祉教育の展開/2013年3月
(1)好意的な関心をもたせる福祉教育 「無関心」→「関心」へ

「無関心」から「好意的関心」を促していくためには、漠然とした抽象的な対象理解(「障害者問題」など)ではなく、具体的な個人や地域(「その地域に居住する車椅子利用者のAさんの暮らし」など)への関心を促すことが必要である。(13ページ)

(2)「共感・当事者」を育む福祉教育 「同情」→「共感」へ

単なる「同情」から「共感」を促していくためには、「対話」を通して関係性を育みながらお互いに理解をしていくとともに、地域のなかでの意図的な「学びの場づくり」が必要である。(14ページ)

(3)包摂をめざす福祉教育 反感・コンフリクト→共存へ

「反感」「コンフリクト」(葛藤や対立)の状態から「共存」(仲良くはなれなくても排除はしない。適度な距離感を保つ)を促していくためには、反感・コンフリクトへのアセスメント(判断・評価)をして分かりあえる場をつくるとともに、アドボカシー(代弁)や通訳的な役割を担う人材の育成が必要である。(15ページ)

(4)福祉教育の展開によって当事者や地域のエンパワメントを促す

福祉教育の展開によって当事者(問題の直接の関係者)や住民、地域のそれぞれのエンパワント(主体的に問題解決を図ろうとする力の発揮と開発)、すなわち主体形成を促していくことが地域を基盤とした福祉教育の特徴であり、まさに当事者性(問題の直接的な関係者に<なる>こと)を軸とした地域福祉援助の展開である。ワーカー(コミュニティソーシャルワーカー)は地域住民の一人ひとりの意識変容を促しながら、それを地域全体に広げ、最終的には「地域の福祉力」を蓄積していく(コミュニティエンパワメント)ための働きかけが必要である。(16~17ページ)

出典:社会的課題の解決にむけた福祉教育のあり方研究会『社会的包摂にむけた福祉教育―共感を軸にした地域福祉の創造―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、2013年3月、13~17ページ。

〇「市民福祉教育」とは、学校教育における福祉教育(学校福祉教育)と地域を基盤とした福祉教育(地域福祉教育)、そして社会福祉従事者や福祉サービス利用者に対する福祉教育について、「市民」の育成という視点・視座から、それぞれの融合を図ることを志向する教育活動である。より具体的には、「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」と概念規定できる。
〇以下に、「市民福祉教育」と「市民活動」に関する概念図(拙図)を記すことにする。前者(図11)については、例えば、「福祉文化」と「共働」に関して、前述の「『社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会』報告書」(図3)から次の一節を想起しておきたい。「福祉文化の創造/社会福祉が人々の生活にかかわるものであることから、人々の生活の拠点である地域社会において、いわゆる『官』と『民』が<共働>してその推進を図る必要があり、新しい『公』の創造を提言した所以でもある。また、社会福祉が人々の生活にかかわるうえで、その人の尊厳を守り、生き方を尊重することが必要であることはいうまでもない。これらのことは、狭い意味での社会福祉の課題にとどまるものではないことから、このようなことに立脚した<福祉文化>が創造され、わが国の中に定着していくことが必要であろう」(10ページ。山括弧は筆者)。
〇後者(図12)に関して言えば、「市民福祉教育」は、その地域に居住する「一般住民」(一般住民という住民はいない)や「地域住民」と呼ばれる「住民」を福祉によるまちづくりの活動や運動に「参加」(林義樹:「参集」→「参与」→「参画」)する「市民」に育てる意図的な教育活動である。そして、まちづくりは「私」からはじまる。

図11 教育・福祉教育・市民福祉教育の関連図/2013年9月
市民福祉教育の概念図 教育は、一般的・基本的には、次の3つの視点から捉えることができる(概念図中の下段の表示)。(1)教育は、人間の「生命」すなわち「生きる力」の育成と向上を図るための活動である。その際の生きる力とは、社会的存在としての自分を、豊かな人間性と他者との相互行為のもとに主体的・自律的に築きあげていくための資質や能力のことをいう。(2)人間が生まれ、生命を終えるまで生き続けること、それは生活することである。教育は、この日常の「生活」における実際的で具体的な「活動」すなわち生活経験を通して、またそれとの関連において現実社会について学ぶための活動である。その生活経験の過程で、知識や技能が獲得され、また活用されることになる。(3)教育は、人間の「生涯」にわたる社会「参加」に基づく成長・発達のための活動である。教育の使命は、生活への準備としてのものから生涯にわたって継続するものへと変化している。要するに、「生命」「生活」「生涯」すなわちライフ(Life)は、人間の成長・発達の過程であり、それはまた教育の過程であるといえる。

出典:「市民福祉教育の定義と概念図」『本ブログ/ディスカッションルーム』2013年9月2日投稿。

図12 市民活動の4要素/2018年2月

「活動」は、お金を得るためにやる「労働」ではなく、モノとして残る価値をつくるための「仕事」でもなく、自ら主体的にやりたいと感じ、そこに他者が何らかの価値を見出せる行為をいう。「労働」や「仕事」ではなく、「活動」に重きが置かれてこそ、豊かな社会はつくられる(ハンナ・アレント)。「市民」は、「活動」する人たち、もしくは「活動」する意識を持った人たちをいう。広い意味で「一般の人」という場合は「住民」という言葉を使うことにしたい。その上で、地域をよくするための心理的介入を定義すると、それは「住民」を「市民」に変えていく活動ということになろう。(61~62ページ)

出典:山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所、2016年11月、145ページの図「活動の原動力となる3つの輪」を参考に筆者が作成した。山崎の言説を援用すれば、「4つの輪が重なるところに、縮充の時代に求められる『参加』のヒントがある」(146ページ)ということになろうか。なお、山崎の図に似たものに、永井美佳「市民活動の事業化」大阪ボランティア協会編『テキスト 市民活動論―ボランティア・NPOの実践から学ぶ―』大阪ボランティア協会、2011年9月、77ページの図「企画立案の3要素」がある。

引き続き「福祉教育」してもいいですか?―“福祉を哲学する”はじめの一歩:「世の光」(糸賀一雄)と「互酬性」(阿部志郎)、そして「博愛」(大橋謙策)/補遺:大橋謙策「最終講義」レジュメ(2010年3月13日)―

現在社会福祉の社会科学は混迷のうちにその理論的責任を放棄しがちである。それに代わって社会福祉の「価値」は一人歩きをし、ある種の無政府状態にある。「福祉の心」等が氾濫し、ソフトな精神が説かれている。戦争前夜や世紀末に、そのような精神は「慰籍」(いしゃ:なぐさめいたわること)にこそなれ、反福祉の対抗力になり得なかったことを、15年戦争で経験したことである。(吉田久一『日本の社会福祉思想』勁草書房、1994年10月、まえがき、ⅲページ)

行政は「思想」や「理論」ではなく、「思想」や「理論」に対して、行政は「禁欲」的でなければならない。社会福祉にあっては、むしろ行政と「思想」は「教育」も含めて、緊張関係が望ましい。(吉田久一『同上書』214ページ)

〇暮れから正月にかけて筆者(阪野)が読んだ本に、三谷尚澄著『哲学しててもいいですか? ―文系学部不要論へのささやかな反論―』(ナカニシヤ出版、2017年3月。以下[1])と広井良典編著『福祉の哲学とは何か―ポスト成長時代の幸福・価値・社会構想―』(ミネルヴァ書房、2017年3月。以下[2])がある。
〇文部科学省によって、「大学改革」という名のもとで、教員養成系・人文社会科学系「学問」の「不要論」がうたわれている。また、「学問」ではなく、「実践力」の養成に特化した職業訓練機関(「専門職大学」)や資格取得機関への転換が図られている。それは、「社会」的要請によるものであるというが、その際の「社会」は(政治に大きな影響力を持つ)「財界」のことを意味する。
〇[1]で三谷はいう。「頼るもののない時代のただなかに、拠って立つべき足場をもたないままに放り出された人間は、どうやって日々をしのいでいけばよいのだろう。(中略)そんなときだからこそ、それほど立派でも力強くもない人間にも届くことのできる倫理の言葉を探しておく必要があるのではないか。そして、その点において、(中略)哲学と呼ばれてきた知的営みがきわめて大きな知的貢献を行なうことができるのではないか」(81~82ページ)。「論理的・批判的に思考する」能力と「箱の外に出て思考する」能力(「異質なもの」や「自分とは違った考え方や意見」に対する「感受性」や「耐性」。さまざまな状況に柔軟に対応するために必要とされる「器量」)の育成(120、151ページ)、「市民的器量(civic virtue)」「哲学の器量を備えた市民」の育成(105、195ページ)などを目的とする教育がこの国の大学から姿を消すことがあってはならない、と。
〇政治と社会の右傾化、福祉の私事化と教育の国家統制が進んでいる。こうした現在の社会情勢のなかで、「いつか来た道」論が唱導される。しかし、その「危機」は、「時代の繰り返し」であり、歴史の繰り返しではない(吉田久一『日本社会事業思想小史―社会事業の成立と挫折―』勁草書房、2015年10月、はしがき、ⅴページ)。新しい歴史をつくるのは、草の根の民主主義であり、歴史的で社会的な内容を失うことのない「市民」による組織的・体系的な活動や運動である。
〇[2]の広井にあっては、「ポスト成長時代」の日本社会は、(a)政府の借金の際限なき累積と将来世代へのツケ回し、(b)人々の「社会的孤立」の高さ(「無言社会」)、の“危機”状況にある。と同時に、「新たなつながり」やネットワーク化を志向する動き(「関係性の進化」「関係性の組み換え」)がみられる。このような状況においてこそ、「人々の行動や判断の導きの糸となるような、新たな価値原理や社会構想が求められている」。いま、「福祉の哲学とは何か」が問われるところである(まえがき、ⅱ~ⅲページ)。なお、[2]では、「福祉」を積極的ないしポジティブな営みとして捉え、「幸福」や「公共性」「宗教」「コミュニティ」「生命」などとの関わりについて多面的・多角的な思考を展開している。それは、これまでの「福祉思想」や「福祉思想研究」とは異なる「新たな視点」からのアプローチであり、「独自の考察と構想」を提起するものでもある。付記しておく。
〇もはや旧聞に属するが、「福祉の思想や哲学」といえば筆者は先ず、「この子らを世の光に」「発達保障」の糸賀一雄と、「ボランティアの互酬性」「コミュニティ重視志向の地域福祉」の阿部志郎を思う。糸賀は、「福祉の実現は、その根底に、福祉の思想をもっている。実現の過程でその思想は常に吟味(ぎんみ)される。(中略)福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである」(糸賀一雄『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月、64ページ)という。阿部は、「福祉の哲学は、机上の理屈や観念ではなく、ニードに直面する人の苦しみを共有し、悩みを分ちあいながら、その人びとのもつ「呻き」(うめき)への応答として深い思索を生みだす努力であるところに特徴がある」(阿部志郎『福祉の哲学』誠信書房、1997年4月、9ページ)と主張する。二人はともに「実践的思想家」であり、それは、先駆的な現場実践(キリスト教福祉実践)を通して形成された幅の広い、奥行きの深い「福祉の思想」であり「福祉の哲学」である。なお、周知のように、「世の光」とは新約聖書(「マタイによる福音書」)の「山上の垂訓(説教)」のひとつである(「あなたがたは世の光である」)。「互酬」とは「贈与と返礼」の社会的相互行為を意味する。
〇本稿では、[1]と[2]を読んだことをきっかけに、糸賀の「この子らを世の光に」という言葉と阿部の「互酬と地域福祉」についての言説を改めて、『福祉の思想』と『福祉の哲学』から確認することにする(抜き書きと要約)。三谷の[1]のタイトルをもじって言えば、「引き続き『福祉教育』してもいいですか?」、そのための「再確認」である。その意図は、旧聞を尋繹(じんえき)して新しきを知る(創る)、にある。

糸賀一雄:「この子らを世の光に」
(精神薄弱児の教育は)彼らについて何を知っているか、彼らにたいして、また、彼らのために何をしてやったかということが問われるのでなく、彼らとともにどういう生きかたをしたかが問われてくるような世界である。(51ページ)

この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。「この子らに世の光を」あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。「この子らを世の光に」である。この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。障害をもった子どもたちは、その障害と戦い、障害を克服していく努力のなかに、その人格がゆたかに伸びていく。3才の精神発達でとまっているように見えるひとも、その3才という発達段階の中味が無限に豊かに充実していく生きかたがあると思う。生涯かかっても、その3才を充実させていく値打ちがじゅうぶんにあると思う。(177ページ)

この子たちは、自己実現という生産活動ばかりではなく、もうひとつ別な新しい生産活動をしている。心身障害をもつすべてのひとたちの生産的生活がそこにあるというそのことによって、社会が開眼され、思想の変革までが生産されようとしているということである。ひとがひとを理解するということの深い意味を探究し、その価値にめざめ、理解を中核とした社会形成の理念をめざすならば、それはどんなにありがたいことであろうか。(178ページ)

阿部志郎:「互酬」と地域福祉
哲学という言葉は、「知恵の探求」という意味である。哲学は、答えそのものによってよりも、むしろ問いによって性格づけられる。哲学は学問の一分野であるが、「学問」が「問いを学ぶ」「問われて学ぶ」という字で構成されているのは興味深い。(9ページ)

福祉の哲学とは、福祉とはなにか、福祉はなにを目的とするか、さらに人間の生きる意味はなにか、その生の営みにとって福祉の果たすべき役割はなにかを、根源的かつ総体的に理解することであるが、それには、福祉が投げかける問いを学び、考えることである。それはニードの発する問いかけに耳を傾けることからはじまる。(9ページ)

互酬は、親族・地域共同体を維持するための不可欠な行為で、今でもアジアの共同体は互酬で成り立っている。戦後の日本社会では、共同体は封建遺制として否定され崩壊の途をたどったのに、目標とするコミュニティは未だつくられていない。でも、互酬は生き続ける。香典、香典返し、結婚祝い金、引き出物、中元、歳暮の風習は、ヨーロッパ社会ではまったくみられない。しかし、共同体を維持する機能としての互酬は失われ、かつアジアの互酬を支える宗教性も日本社会にはないのが実態だ。(92ページ)

互酬制と近代型福祉、さらに伝統的ボランティアと有償型サービスとのあいだに深いギャップがあり、ときおり、雑音が聞こえぬわけでもない。アジアの共同体のなかにたくましく息づいている互酬制―分かち合いの相互扶助―に今ひとたび目を向け、そして日本の地域社会の現実を見直したうえで、自立と連帯の福祉社会を創出する発想に切り換えるのが望ましいのではないか。時代とともにニードが変わるから対応が多様化するのは当然である。その態様はどうであれ、住民が福祉を学習し、理解し、実践に参加するまちづくりを推進する必要を痛感せずにはいられない。(126~127ページ)

〇「福祉の思想や哲学」の探究は、実証的・実践的なものでなければならない。それによってその思想や哲学は広め、深められ、また新たな思想や哲学の形成が図られることになる。ここでは、筆者の姿勢が評論家的なそれであることを承知のうえで、糸賀の「この子らを世の光に」に対して伊藤隆二の「この子らは世の光なり」(『この子らは世の光なり』樹心社、1988年9月)、阿部の「ボランティアの互酬性」に対して仁平典宏の「贈与のパラドックス」(『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月)についての言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

伊藤隆二:「この子らは世の光なり」
糸賀一雄氏は戦後、最初の公立福祉施設「近江学園」をつくり、この子らの教育福祉に邁進(まいしん)し、ついに「この子らに世の光を」を「この子らを世の光に」に転回させたのである。「この子らを」というとき、われ(または、われわれ)は主体で、「この子ら」は客体になる。主体が客体に働きかけ(あるいは操作し)、「世の光に」まで高めてやるのだという発想には、ある種の傲慢(ごうまん)さがあるし、「この子ら」の本質への誤解がある。また、「この子らを世の光に」というとき、まだこの子らが「世の光」であることを認めていない。そこで教育し、きたえ、みがきをかけて、やっと世の光になりうるのだという見方である。わたくしは、この子らと長く深くかかわっているが、この子らは生まれながらにして「世の光」だと知った。正確にいうと、生まれたときから死ぬときまで、いや死んでもなお世の光でありつづける。「この子らは(そのままで)世の光である」。「この子ら」は主体であって、世を照らしつづけているのである。(223~224ページ)

仁平典宏:「贈与のパラドックス」
阿部志郎も「互酬性」を基盤に据えたボランティア論の担い手の一人である。阿部は1973年の時点では、ボランティアの報酬性を明確に否定していたが、1994年には態度を180度と言ってもいいほど「軟化」させている。彼はまず、共同体や地域社会において不可欠な行為として「互酬性」を取り上げ、「香典―香典返し、結婚祝い金―引き出物、中元、歳暮の風習」を例示する反面、その基盤は失われてきているという。その一方で、新たに登場してきた「相互に有料で利用し、有償でサービスを提供する」「市民参加型福祉サービス」に、「互酬の近代化・組織化」を見る。彼によると、これらは「(1)会員の自主性にもとづく、(2)友愛・協同の思想にたつ、(3)有償とはいえ実費弁償的性質のもので収益を目的としない、(4)グループとして、ボランタリー・アソシエーションの性格を保つ」ことから「広義のボランティアの原則からはずれていない」と述べる。このように、ここで「互酬性」という思想財を獲得することによって、「ボランティア」という言葉は高い汎用可能性を配備することが可能になった。担い手にとって効用があると言えるなら、経験・楽しさ・友達づくり・評価・金銭的対価などを、区別なく堂々と「ボランティア」として肯定できる。<贈与のパラドックス>は、このような形で「解決」されるべきこととなった。(381~382ページ)

〇仁平の「贈与のパラドックス」(paradox:「逆説」「矛盾」)とは、贈与は行為者の真の意図とは別に、交換や見返り、偽善や自己満足などとして外部観察されがちである、という意味であろう。平易に言えば、「贈与の偽善性」「贈与の疑わしさ・怪しさ」である。ボランティアについての言説の歴史は、こうした「贈与のパラドックス」を如何に解決するかの歴史であった、と言ってよい。
〇いま改めて「福祉の哲学」の必要性を強調する一人に、大橋謙策がいる(注①)。大橋は、「住民と行政との関係を上下の関係で捉えるのではなく、住民の自立と連帯を前提にし、対等の立場で問題解決を図る新たな社会哲学、社会システムが求められ、社会福祉のような歴史的に国の『社会の制度』として発展してきたものも従来にない発想が求められている」(大橋謙策『社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、30ページ)として、次の3つの「思想」を取りあげる。併せて、大橋の言説の一部を「再認識」しておくことにする(抜き書きと要約)。

大橋謙策:「博愛」の精神
第1は、フランスの近代市民革命の際にうたわれた「博愛」の思想である(自由と平等を担保する「博愛」)。
第2は、ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンといった思想である(「社会的包摂」)。
第3は、自分たちで相互扶助組織をつくり、対応しようとする考え方である(「協同組合方式」)。(『社会福祉入門』28~30ページ)

内務省官僚・井上友一は、救済事業の精神的関係を強調して風化行政を提唱する。すなわち、救済行政は「風気善導の事、之が神髄」となり、物質的救済=経恤的行政は二の次となる。明治38(1905)年、井上らの提唱により組織された報徳会(二宮尊徳)の「教」の1つに「推譲」(すいじょう)論がある(注②)。その「貯蓄といふことと、公益、慈善といふことをば二宮翁の教では合せて推譲といふ一つの言葉で現はして居ります」とする考えと同じである。風化的救済制度は、社会事業分野だけではなく、報徳会などと結びつきながら、社会教化の役割を担っており、戦前社会教育の理論的支柱でもあった。その後の社会事業の精神性、物質性あるいは社会事業と社会教育における相違分類などに多大な影響を与えた。(大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、216~217ページ)

ソーシャルワークを展開する際の価値の1つは、人間性を尊重し、社会正義と公正を守ることであり、人々の自由と平等を保障することであるが、それらを標榜すればするほど、人々が社会的にも、個人的にも“博愛”という社会の神聖な責務を遂行することが求められる。(そのためには)伝統的な意識と行動を尊重しつつも、新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる。(『社会福祉入門』227ページ)

〇大橋はライフワークとして、全国各地で草の根の地域福祉実践の向上に取り組んでいる(「実践的研究」)が、最近の政策動向に関して、「地域福祉が“我が事”になり、その危険性を警鐘すべきである。戦前の歴史を忘れた政策は恐ろしい」という(筆者への書簡)。ここで、社会福祉の「精神性」や福祉思想による「社会教化」について思い起こしておきたい。
〇「博愛」に関しては、とりあえず次の諸点に留意したい。(1)フランス革命は、新興の「ブルジョワジー」(有産階級、中産階級)による革命である。(2)その理念は、「自由、平等、友愛」であり、「自由、平等、博愛」ではない。(3)「自由」は、多様性を保障するが、不平等を生むことにもなる。(4)「平等」は、突き詰めれば全体主義や不自由を生む。(5)「友愛」とは、他者を自分の本当の兄弟のように愛すること(社会秩序)を意味する。(6)「博愛」には、「慈善」と同様に、階級差別的な意味合いがある、などである(注③)。
〇最後に、冒頭に記した福祉思想史研究の第一人者であった吉田久一の次の一節を引いておく。
 
(私の)半世紀にわたる現場および研究を通じての社会福祉生活の反省と展望は、社会福祉はいつの日も社会科学に信頼を持つこと、社会福祉問題を背負いながら懸命に生きようとしている人間を見失わないこと、の二点に尽きるように思う。(吉田久一『日本社会福祉思想史』(吉田久一著作集1)川島書店、1989年9月、17ページ)


①「福祉を哲学する」一人に秋山智久がいる。秋山は、「福祉哲学の必要性」を次の8点に要約している。(1)平和・人権・安全の希求、(2)人間尊重の確認、(3)社会福祉の進む方向の示唆、(4)社会福祉的人間観の確立、(5)「倫理綱領」の検討、(6)実践の価値観の探求、(7)社会福祉利用者の人間としての不幸、人生の不条理の解明、(8)実践の拠り所としての価値観・人生観の提供。これらの必要性は、秋山にあっては、将来より広義の「福祉哲学」が体系化されるときに、その主要な「構成要素」ともなるものである(秋山智久・平塚良子・横山穫『人間福祉の哲学』ミネルヴァ書房、2004年6月、45~47ページ)。
②1906(明治39)年に、半官半民の「報徳会」が結成され、報徳運動が展開された。この運動では、二宮尊徳の報徳思想――「至誠(誠を尽くす)・勤労(よく働く)・分度(身をわきまえる)・推譲(世の中のために尽くす)」に基づいた、主として地主層に対する善導が行われた(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、15ページ)。
③フランス革命の理念は「自由、平等、友愛」である。「自由」は放置すればアナーキズム(無政府主義)に行き着く。「平等」は突き詰めたら全体主義や共産主義になる。「友愛」は友を愛するであり、他の宗教や民族は除外される。「博愛」とは違う(中川淳一郎・適菜収『博愛のすすめ』講談社、2017年6月、35、98ページ)。

付記
2000年9月、首相(森喜朗)の私的諮問機関である「教育改革国民会議」が、その『中間報告―教育を変える17の提案―』で「奉仕活動の義務化」を提案した。その後、例えば、武力攻撃事態等の有事の際の「ボランティア活動」(国民保護法、2004年9月施行)、介護保険制度下における「介護支援ボランティア(有償ボランティア)」(介護保険法、2007年9月運用開始)、軽犯罪者に対する「社会奉仕命令」(法務省法制審議会、2010年2月答申)、更生保護対象者に対する「社会貢献活動(立ち直りを助ける社会のチカラ)」(更生保護法、2015年6月本格実施)などが提言・施策化されている。国によるボランティア政策の動向として、強い「危機」意識をもって、改めて注目しておきたい。

補遺(2018年2月16日)
「大橋謙策:『博愛』の精神」に関して、大橋の「最終講義」からその一節を紹介しておくことにする(大橋謙策「最終講義『社会事業』の復権とコミュニティソーシャルワーク」『日本社会事業大学研究紀要』第57集、2011年2月、26~28ページ。『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月)。
以下の文中の「ミレーの『落穂拾い』」については、『旧約聖書』の次の聖句を思い出しておきたい。「あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である」(「レビ記」23章22節)。「あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。そうすればあなたの神、主はすべてあなたがする事において、あなたを祝福されるであろう」(「申命記」24章19節)。

大きな「2番目」の柱(Ⅱ 戦後社会福祉の展開における制度設計思想上の誤謬・思考の箍)で言いたい戦後の社会福祉を問い直す次のポイントは、自由と平等は教えたけれども、博愛を教えてこなかったということです。われわれは、社会福祉教育において労働経済学的な視点から救貧を捉えて、1601 年以降の救貧制度をずっと教えてきます。しかし、それだけで社会福祉を本当に捉えきれるかという問題があると私は思っています。
フランスは、実は、封建的な身分差別に抵抗して、自由と平等をすべての人に保障しようという思想で市民革命を成し遂げるわけです。そのときに出てくるのは、実は、博愛です。この世に生きとし生けるものの中には、すべて幸福を追求する権利がある。日本国憲法の「憲法13条」で幸福追求権をうたい、「何人もそれを侵してはならない」とうたいました。フランスと同じように、「この世に生きとし生けるものすべての自由と平等を保障する」とうたったわけです。
しかしながら、その崇高な理念はそうだとしても、この世に生きとし生けるものの中には、生まれながらにして労働をする力を持てない者、あるいは生まれながらにしてコミュニケーション手段を十分に持てない者、あるいは生まれながらにして判断する力を十分に持てない者が当然いるわけで、その方々の幸福追求権は誰が代弁するのか、代替するのか。そのアドボカシー機能は何なのかという問題です。
労働経済学の立場から考えると二元論に考えるしかないですし、全ての人の生きる権利、幸福追求権は労働経済学では説明がつかないと考えていました。
アドボカシー機能が社会システムとしてきちんと担保されなければ、自由と平等の思想は生きてこないわけです。ある一定の線以上の人を線引きして、〝ある一定の線以上の人には幸福追求権はあるけど、それ以下の人はだめよ〟と言ったのでは、迫力を欠いてしまうわけです。その自由・平等を求める論理の帰結として、博愛が求められたと私は思っています。
フランス人権宣言あるいは憲法の中で、この博愛という語句・思想は出たり入ったりするほど社会的な位置づけは難しいものです。この博愛という哲学、思想を社会システムにどう落とし込んでいくのか、具現化させるのか。これは大変難しかったと思います。しかし、思想としては自由と平等を標榜する以上、博愛はなければいけなかったと思っています。
フランスの救済事業の歴史研究をずっとやっている方の中に、花園大学の林信明先生あるいは東大の経済学部の中西洋先生がいらっしゃいます。中西洋先生は、『<自由・平等>と≪友愛≫~“市民社会”;その超克の試みと挫折~』(ミネルヴァ書房)という本を書いています。林信明先生は、『フランス社会事業史研究』(ミネルヴァ書房)を書いていますが、いずれの本にしても、「この博愛をどう位置付けるか、大変難しい」と思っているようです。
しかし、私は、この博愛という思想・理念をきちんと受け止めていかないと、こんにち、何となく「ノーマライゼーション」とか、「ソーシャルインクルージョン」という言葉を使っていますが、その原理は何なのか、哲学は何なのかが見えてこないと思っています。
私は、クリスチャンではありませんから、原罪から説き起こすわけにはいきません。仏教徒でもありませんから、慈悲から説き起こすわけにもいきません。もう少し違う視点で考えたときに、フランスの社会を成り立たせる社会哲学として、博愛を位置付けたことの持つ意味を考えてみる必要があると私は思っています。
私は、学部時代、朝日訴訟にかかわってきて、「憲法25 条」の持つ意味はいろいろな意味で重要だということは、嫌というほど学ばせてもらいました。当時、「ジュリスト」、「判例時報」、「法律時報」を使いながら、「憲法25 条」をはじめとした生存権なり社会権の持つ意味は随分学んだつもりでいます。
しかし、ずっと腑に落ちなくて、朝日茂さんの最高裁の判決が出たあとの会合で、私は、〝どうも『25 条』だけでいいんだろうか〟という問題提起をしました。大変若いときにその話をして、当時の社大の先生から随分こっぴどく怒られたのを記憶しています。
しかし、私は、「『25 条』と同時に『13 条』も大事だ」と言ったときに、当時の朝日訴訟の中央対策委員会の事務局長をしていた長宏先生が、〝大橋くん、それは大事なことかもしれない。『13 条』というものにもっと着目しろ〟と応援をもらって、それ以来、私は、めげずに、〝『25 条』からだけ説き起こす社会福祉論はいかがなものであろうか。『25 条』の重要性もさることながら、『13 条』論はいったい何なのか〟と。それが行き着くところは、いわば、フランスの博愛であり、あるいは私がその頃使った「自己実現サービス」という言葉です。
なぜ社会福祉の自立論は狭いのだろう。もっと人間が生きとし生けるものとして、障害を持った人もこの世に生れた以上、自己実現したいという願いを持っているはずではないか。われわれは、1834 年のイギリスのニュー・プアロー(新救貧法)における劣等処遇原則を教えるけれども、日本の中でこの「自己実現」という問題についてどれだけ社会福祉の関係者が論議をしたのかが、どうもそのときからの一貫して悩みでした。
今も悩んでいるわけです。それは、中西洋先生とか、林信明先生のようなフランスの研究の泰斗でさえも十分わからないものを私がわかるとは思えませんけれども、その博愛の持つ意味を考えたいということです。
先ほど、学部時代に習ったコンドルセの名前を出しました。よくわかりませんでしたけれども、コンドルセの(『公教育の原理』(明治図書 松島釣訳))という本を、当時、小川利夫ゼミで読みました。なぜ、「子どもの教育以上に大人の教育を公の金でやるべきだ」と、大人の教育の重要性をコンドルセは指摘したのか。
行き着くところは、結局、博愛という崇高な理念を具現化できるには、〝人間はどうしてもエゴイスティックです。どうしてもわが田に水を引きがちですから〟、そこで〝理性を、社会契約の重要性を大人こそが学ぶべきだ〟とコンドルセはしきりに言うわけです。
私は、やはり生涯学習の原点は、大人たちが社会契約をできる力をもつということだと思います。幸福追求権を認める。その際に、障害を持っている人たちを排除しない。その人たちの権利を代弁し、包み込んでいく。あのジャン=フランソワ・ミレーの「落ち穂拾い」のすばらしい絵がありますが、あれは、まさに博愛の一つの具現的なシステムの現れだと思います。落ち穂を母子家庭の親が拾うという、一つのいわば営みなわけです。われわれは、ミレーの絵を見てそのすばらしさだけに目を奪われますけれども、その背後に持つ、その当時のフランスの思想について、もっと学ばないといけないと考えた次第です。


二項対立の思考:「分かりやすさ」の罠―仲正昌樹を再読する―

我々は、自分の周囲にある様々な事物を個別に認識するに際して、ほぼ不可避的に「二項対立」的あるいは「二分法」的な思考をしている。自分の周囲にある物の位置関係を確認する時は、自分の現在の位置から見ての「右/左」「上/下」「前/後」の三つの二項対立軸が不可欠になる。位置が特定された対象の属性を認識する際には、「大/小」「重/軽」「白/黒」の二本の軸、人間同士の関係でも、「男/女」「年長/年少」「親しい/疎遠」‥‥‥といった各種の二項対立図式が働いている。我々はそうした無数の対立軸を組み合わせながら、この「世界」を自分にとって認識しやすいように(再)構成しているわけである。(仲正:24ページ要約)

「分かりやすさ」という名の思考停止が蔓延している。知識人ですら、敵か味方かで「世界」を線引きする二項対立図式にハマり込んでいる。悪くすると、お互い対立する中で「敵」の思考法が分かるようになり、「敵」に似てきてしまう。こうした硬直した状況を捉え直す上で、アイロニカルな思考は役に立つ。アイロニーは、敵/味方で対峙する“前線”から距離を置き、そこに潜む非合理な思い込みを明らかにする。(仲正:カバー裏書き)

〇福祉教育はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常児(者)と障がい児(者)、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生などの「二項対立」的な「分かりやすさ」のなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがち(なりがち)であった。しかも、「包摂」や「共生」の概念的・抽象的な思考や理解にとどまり、日常の地域生活場面においてその感覚化や行動化を促すことに、必ずしも主体的・積極的であったとは言えない。
〇そしていま、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が声高に叫ばれるなかで、「包摂」や「共生」が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を「思考停止」に陥らせたり、ある種の「刷り込み」を可能にする恐れなしとしない。その要因や背景については、①福祉教育が自らの思想や哲学について十分に言及せず、実践(実践科学としての性格)を重視(尊重)してきたこと、②福祉教育がその固有性や自律性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと、③福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙する議論を十分に展開せず、未整理の部分が多いこと、などを挙げることができる。
〇それらの結果として、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して、統制的で定型化された実践活動が展開されている(されようとしている)。それはちょうど、国や県が建設・管理する道路のルートに沿って、カーナビの指示通りに車を走らせる「ヒト」(福祉教育)のようでもある。先日、筆者(阪野)が長野県上田市からの帰途、心地よいスピードで、自動運転車にでも乗っているような気分のなかで思ったことである(蛇足ながら、筆者の車は絶滅危惧種のマニュアル車である)。
〇帰宅後、ふと仲正昌樹(なかまさ・まさき、政治思想史)を読みたくなった。そこで、仲正の『「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言―』(筑摩書房、2006年5月)を再読することにした。以下は、その言説の一部である(抜き書きと要約)。

なぜ二項対立にハマるのか?
二項対立というのは、いろいろな意味で使われる言葉だが、政治的にネガティヴな意味で使われている時は、おおよそ①実際にはいろいろ複雑な争点があって単純にイエス/ノーを言えないはずのところを強引に単純に割り切って敵と味方で全面的に対立している(かのような)構えを見せること、②対立している双方の論理が、相手方の言い分のイエス/ノーをそのままひっくり返しただけで、第三者的には、合わせ鏡のように左右対称になっているように見えてしまうこと――を指している。(13~14ページ)

二項対立をやっている人たちは、なぜ、ステレオタイプ(型どおり)な台詞(せりふ)を語り続けるのだろうか? 答えは“簡単”である。斎藤貴男(ジャーナリスト)が指摘しているように、相手方が単純なレトリック(修辞、言い回し)で庶民の目をくらまし、複雑な現実に目を向けさせないようにしているので、自分たちも庶民にまず“目をさまして”もらうため仕方なく、庶民が振り向いてくれるような庶民にとって分かりやすい単純な言葉で語っている、というのである。しかし、それではまるで、庶民には全然主体性がなくて、右から何か吹き込まれたら右になびき、左から吹き込まれたら左になびくので、たくさん言ったもの勝ちだと言っているようなものである。(15ページ)

カンタンに二項対立している人たちに対して、第三者的な立場から批評を加えると、「自分の問題としてではなく、他人事のように語っている」などという拒絶反応をする人々がいる。二項対立の一方の側に身を置いていないのは、高見に立ったつもりになって無責任なことを言っている不真面目な輩(やから)である、という妙な価値観が働いているのである。「今はもう冷戦的な二項対立的発想の時代ではない」と言いながら、自分自身はますます二項対立的な図式にハマり込んでいる大小の評論家が増殖している。(17ページ)

人はどうして分かっていながら「二項対立」図式に自らハマっていき、そこから抜け出せなくなってしまうのか。「世界は複雑であり、二項対立では片づけられない」ことを多くの人は抽象的には理解しているが、いざ自分の考えを表明すべき立場に立たされると、何らかの形で「世界」を、自分にとっての「敵/味方」に単純に切り分けて、“分かりやすい答え”を出して、安心しようとする。その安心感を振り切って、複雑さを再認識するのは非常に困難になる。「哲学」は、思考を単純化してしまう「分かりやすくて心地よい言葉」に抵抗してきたと言えるが、現代日本において顕著に見られるように、時として哲学者自身が自覚的無自覚的に、二項対立的な「分かりやすさの罠」にハマってしまうことがある。(17~18ページ)

すべての二項対立が悪ではない
最近では、「敵/味方が最初から決まっていて妥協や歩み寄りの余地がない二項対立的な論争は不毛だ」という感じで、“二項対立”が悪者扱いされることが多いが、「二項対立的になる」ことは常に悪いことであるとは限らない。単なるフリートークではなく、一つの「答え」を出すことを目的として論議する場合、イエス/ノーに意見がはっきりと分かれるような二項対立的な問題設定をどこかでする必要がある。(31~32ページ)

特定の価値観・世界観を持っている人々が、自らの価値観・世界観を直接的に反映する形で論争の土俵を設定すると、最初から妥協や、自らの立場を変化させる余地がなくなってしまうことになりがちである。そうした世界観レベルの二項対立とは一応切り離した形で、最初の時点で便宜的にイエス/ノーの立場を二項対立的に設定しておいて、議論を進めていくうちに互いに(立場を)移動し合ったり、第三、第四の立場を設定できる可能性を認めることができるのであれば、(暫定的で変動可能な)二項対立的論争形態はむしろ有用であると言うべきだろう。(34ページ)

修辞的アイロニーと哲学的アイロニー
フリードリヒ・シュレーゲル(1772年~1829年、ドイツ初期ロマン派の思想家)は、単なる修辞的アイロニーと哲学的アイロニーを分けている。修辞的アイロニーというのは、自分の言葉を洒落(しゃれ)たものに見せるためにちょっとだけ逆説的に聞こえる表現(皮肉)を使ってみるというようなことであり、思考の枠組みにおける大きな変容を伴っていないようなものである。それに対して哲学的アイロニーは、「対話」などの形を取りながら、「哲学する主体」が無自覚に依拠している「秘密の意図」を“反省”的に明らかにして、“主体”の視野を拡げていく営みである。(188ページ)

「アイロニー」の語源になったギリシャ語の<eironeia>は、(相手の思考が生まれるのを助ける)「産婆術」(ソクラテスの対話形式の哲学)を意味していた。(190ページ)

〇二項対的な思考は、議論における相違点や対立点を鮮明にする。しかし、その反面、議論に参加する人々の立場や立ち位置を硬直化させ、議論それ自体を不毛なものにしてしまう危険性がある。そこで、自分自身の古い思考の枠組みを解体して再構築(「脱構築」)しながら、自分の立場や立ち位置から一歩踏み出し、思考する。それによって、硬直化した二項対立を俯瞰(ふかん)することができ、「敵/味方」の両極がそれぞれ持つ非合理な思い込みを明らかにすることができる可能性が開かれる。これが仲正がいう「アイロニカルな思考」であろうか。仲正の「アイロニー」は単なる「皮肉」(修辞的アイロニー)ではない(ちなみに、筆者に対する「皮肉」のひとつに、「字が達筆すぎて読めない‥‥‥」がある)。
〇二項対立には、多かれ少なかれ「グレーゾーン」(中間領域、境界領域)が存在する。そのことを前提に、あるいはそれに着目して議論することも必要かつ重要となる。グレーゾーンの発生は、議論の条件や状況が不明確であったり(認識の限界)、それに対する判断や基準に差異があり(認識のずれ)、それらを特定化できないことなどによる。とはいえ、その判然としないグレーゾーンを新たな視点で整理することによって、汎用性の高い思考やその枠組みを生み出すこともできよう。留意しておきたい点である。
〇また、不毛な二項対立を克服するためには、議論の前提や条件などについて事前に予備的に調査・吟味し、“かみ合った”議論が実現可能かどうかを検討する必要がある(フィージビリティ・スタディ/実現可能性調査:feasibility study/略 FS)。例えば、正/誤や真/偽などの「結論」だけを議論する二項対立は、双方の立場や立ち位置による「正当性」を主張するにとどまり、新たな結論や合意を得ることは難しい。双方が、前提条件や状況について、幅広い情報のもとに多面的・多角的に思考し、理解や認識を深めることができれば、正当性のある判断をいくつか見出す可能性(選択肢)が広がる。それが、冷静かつ複眼的な思考による議論を促すことになる。付記しておきたい。
〇以前にも増して、多様性を包摂する「地域共生社会」の実現に向けた福祉教育プログラムの研究・開発が求められている。またそれを社会的に普及・発展させるための枠組みを如何に構築するかが問われている。そういうなかで、今はもう、二項対立的に、概念的・抽象的に「排除と包摂」や「対立と共生」などを唱え(説い)て「コト」が済む時代ではない。
〇例えば、「社会的排除」には、経済的・社会的・政治的・文化的な次元や領域があり、それらが複合的に組み合わさっている。また、国や地域社会、家族、個人などの各レベルでその様相は異なる。さらには排除が排除を生む「累積的排除」や複数の「ヒト・モノ・コト」による同時「並行的排除」などがある。「包摂」には、「排除」と“闘う”知識や能力、時間や資源を必要とする。また、事後的かつ予防的な対策や主体的かつ積極的な事業・活動などが重要となる。
〇「排除と包摂」を「カンタンに、キレイに、分かりやすく」説くのではなく、その複雑な具体的事象を複雑なままに思考・理解し、その状態やプロセスから本質を見出すことが必要かつ重要となる。二項対立的な単純な発想を越え、関係性を重視し、当事者意識(当事者性)を尊重する「第三者」的な立場や立ち位置を、新しく自覚することが肝要となる。仲正の言説を通して再認識した、「二項対立の思考」に関する基本的な事項である。

〇〇先生への手紙:「学校の地域化」「地域の学校化」と福祉教育研究の課題―“真田の郷”で考えたことども―

〇12月2日と3日、長野県上田市の長野大学を会場に、日本福祉教育・ボランティア学習学会第23回大会が開催された。大会テーマは、「共生社会の実現にむけた地域づくりと福祉教育・ボランティア学習」であった。開催に先立ち、大会実行委員長の川島良雄先生(社会福祉学部長)は、「開催要項」に次のような一文(「歓迎のごあいさつ」)を寄せている。

今、改めて問う。ともに悩み、考える機会に!
今、日本の「地域」「福祉」「ボランティア」は、どこへ向かおうとしているのか。ボランティアとは、そもそも何なのか。こうした事を改めて問う必要に迫られているように感じます。
長くなりますが、2つの文章を引用します。じっくり読んで頂き、大会を通して考えてみて頂けると幸いです。
● 「子供・高齢者・障害者など全ての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創り、高め合うことができる『地域共生社会』を実現する。このため、支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティを育成し、福祉などの地域の公的サービスと協働して助け合いながら暮らすことができる仕組みを構築」する。(平成28年6月/閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」より)
● 「『他人事』になりがちな地域づくりを地域住民が『我が事』として主体的に取り組んでいただく仕組みを作っていくとともに、市町村においては、地域づくりの取組の支援と、公的な福祉サービスへのつなぎを含めた『丸ごと』の総合相談支援の体制整備を進めていく必要」がある。(平成28年7月/「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部」の設立趣旨より)
従来の「地域」「福祉」「ボランティア」の概念とは、異なるように感じられます。大会主旨にもありますように、地域における共生社会の示す理念や長野県などの事例を検討し、どのように地域住民や多様な主体が「我が事」として参画し、世代や分野を超えて「丸ごと」つながってきたのか、つながっているのか、あるいはつながろうとしているのかを明らかにして、今後のアプローチをともに悩み、考える機会にしていけたらと思います。

〇筆者(阪野)が「長野大会in信州うえだ」で考えたこと、引き続き考えなければならないことは、「『学校の地域化』と『地域の学校化』―学校統廃合と地方創生による『新しい地域づくり』の功罪―」であろうか。本稿は、その「思い」や、そのための若干の「資料」を記したものである。



資料(1)
地域力強化検討会 最終とりまとめ~地域共生社会の実現に向けた新しいステージへ~
平成29年9月12日
地域における住民主体の課題解決強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(地域力強化検討会)


他人事を「我が事」に変えていくような働きかけをする機能(第106条の3第1項第1号関係)
[中間とりまとめの要点]
②「地域で困っている課題を解決したい」という気持ちで、様々な取組を行う地域住民や福祉関係者によるネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
[中間とりまとめ 2(1)住民で身近な圏域での「我が事・丸ごと」(「我が事」の地域づくり)(P.8)関係]
<②の促進に向けて>
〇 ②の促進においては、①、③を活発化し地域に関心を持つ人を増やしていくことが重要である。そのためには、地域包括支援センターや保健センターなども含めた市町村、社会福祉協議会等が、地域の状況や活動等について把握している情報を数値化・可視化し、提供することで、「我が事」の認識が深まっていったり、地域生活課題の解決につながるボランティア活動等を具体的に示すことで、実際の活動に取り組みやすくなる。
〇 また、教育委員会や社会教育委員等と連携して、社会教育や学校教育の中で、福祉教育の機会を提案し、障害や認知症、社会的孤立の理解等に関して学ぶことを通じて、地域や福祉を身近なものとして考える機会を提供することも重要である。
〇 その際、単に知識を学ぶだけでなく、その人を多面的に理解し、お互いの人間関係をつくるようなプログラムや、地域生活課題を共有し解決していけるような学習が必要であり、学習者の状況に応じて、段階的に取組を進めていくことも大切である。
〇 地域生活課題の学習や研修機会の提供に当たって、社会福祉事業を実践している社会福祉法人や社会福祉協議会、NPO法人などが積極的にその役割を担うことが期待される。

社会福祉法改正案(第4条、第5条、第6条)
(地域福祉の推進)
第4条 地域住民、社会福祉を目的とする事業を経営する者及び社会福祉に関する活動を行う者(以下「地域住民等」という。)は、相互に協力し、福祉サービスを必要とする地域住民が地域社会を構成する一員として日常生活を営み、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されるように、地域福祉の推進に努めなければならない。
2 地域住民等は、地域福祉の推進に当たつては、福祉サービスを必要とする地域住民及びその世帯が抱える福祉、介護、介護予防(要介護状態若しくは要支援状態となることの予防又は要介護状態若しくは要支援状態の軽減若しくは悪化の防止をいう。)、保健医療、住まい、就労及び教育に関する課題、福祉サービスを必要とする地域住民の地域社会からの孤立その他の福祉サービスを必要とする地域住民が日常生活を営み、あらゆる分野の活動に参加する機会が確保される上での各般の課題(以下「地域生活課題」という。)を把握し、地域生活課題の解決に資する支援を行う関係機関(以下「支援関係機関」という。)との連携等によりその解決を図るよう特に留意するものとする。
(福祉サービスの提供の原則)
第5条 社会福祉を目的とする事業を経営する者は、その提供する多様な福祉サービスについて、利用者の意向を十分に尊重し、地域福祉の推進に係る取組を行う他の地域住民等との連携を図り、かつ、保健医療サービスその他の関連するサービスとの有機的な連携を図るよう創意工夫を行いつつ、これを総合的に提供することができるようにその事業の実施に努めなければならない。
(福祉サービスの提供体制の確保等に関する国及び地方公共団体の責務)
第6条(略)
2 国及び地方公共団体は、地域住民等が地域生活課題を把握し、支援関係機関との連携等によりその解決を図ることを促進する施策その他地域福祉の推進のために必要な各般の措置を講ずるよう努めなければならない

今後の展開に向けて~第10回検討会での各委員の御発言から~(抜粋)
原田正樹(座長・日本福祉大学)
〇 地域共生社会とは決して目新しい言葉ではなく、今までも理念的にも運動・実践的にも、福祉の現場で語られ、かつ運動・実践されてきたものです。その上で今回の意義は、法改正を踏まえて、地域共生社会を施策として今後、どう展開していくかというところに大きな特徴があります。そのために、これから関係者が考えていく方向性や論点、留意点はこのまとめの中にいろいろ盛り込ませていただきました。
〇 よって最終とりまとめには、理念や方向性だけではなく、具体的な方法や留意点、事例まで書かれています。その意味では教科書的というか概説になっています。一文一言に委員の皆さんの想いが込められているわけです。まずは関係者がこの内容を熟読していただき、討議することからスタートしてほしいと思います。この内容をベースにしながら、それぞれの地域で、これからの実践をつくっていくのか、システムをつくっていくのかを話し合って、創意工夫していくこと。同時に、「我が事・丸ごと」の視点から10年先、20年先の社会保障のあり方を考えていくこと。そのときの最初の論点整理を我々はさせていただいたと思います。
〇 委員の皆さんがおっしゃっていたように、これはまとめでも完成でもなくて、ここから始めていくという、地域共生社会の創出にむけたスタートラインに立ったということを改めて確認させていただきたいと思います。今後、どう広がっていくか、これをどう具現化していくか、定着させていくかが重要です。それを実現していくための課題は山積しているわけですが、またいろいろな機会で皆様方と議論したり、「おわりに」に示されているように厚生労働省をはじめ多くの方がこれを後押しをしていくように御期待申し上げて、検討会を閉じさせていただきたいと思います。
越智和子(琴平町社会福祉協議会)
〇 私自身は平成27年9月に出された「新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」に接して、これからの地域福祉の取組が変わっていくというわくわく感にあふれました。そしてこの検討会で地域福祉が施策になるという大きな流れを感じました。まとめの中に、ソーシャルワークとかソーシャルワーカーという言葉が多く書き記されました。ですが、実際にソーシャルワーク、ソーシャルワーカーがどうあるのかというのが十分に議論し尽くされていない不安があります。どこかでしっかり議論されているのであればいいのですが。
〇 地域の中では声の出せる人は町づくりに参加できますが、声の出せない人だとか、そういう弱さを持った人たちは参加できないです。これからはそうした人たちを含めた地域づくりだと思うのです。福祉としての視点で、ソーシャルワーカーがその理念に基づいて関わり、町づくりに取り組むことだと思います。また、多職種、多分野との連携を考えると、ソーシャルワーク、ソーシャルワーカーについて、実践に基づいた議論を進めていただきたい。これからのソーシャルワークについて、もっと深めていただきたい。
〇 地域福祉(支援)計画ということで、今年度に(支援)計画の策定をするところがあると思いますが、今回の内容を盛り込んでいただくとしても指針、ガイドラインを待ってとなると実際上は難しいと思うのです。最後のまとめで厚生労働省として本気でやるということであれば、とりあえず最終まとめを参考にとにかくやってほしいと強く都道府県を応援していただきたい。行政担当者は3年すると異動しますから、前回策定したときと今回では担当者が違います。今の熱も伝わりません。意義も伝わらないのではと不安になります。本気で取り組んでいくという姿勢をぜひお伝えいただきたいと思っています。
〇 最後に、社会福祉協議会の職員として、このとりまとめを読むのは行政職員であったり社協職員になるのではというご発言がありました。確かにそうなのかもわかりません。そうであるならしっかりと我々は担っていかなければならないと強く感じました。今、このときも社協職員たちは、ケアワーカーたちはそれぞれの現場で頑張っています。そうした現場にいる人たちを励ましながら、我々自身が期待される組織として社協が継続してこれからの地域づくりに取り組むことが重要だと思っています。今回のまとめを受けて、それぞれの市町村で創造的に、クリエイティブな地域づくりができるように皆さんの御指導、御支援をいただきながら取り組んでいきたいと思っています。
〇 そしてそのためには、その中に福祉教育という取組を忘れてはいけない。我々専門職だけでなく、地域の人たちに地域づくりの主体者である、主権者であるという認識をしていただけるよう取り組んでいかなければいけないと思いました。

検討会の議論では
● 「地域」の有する二面性、差別・排除、地域力の脆弱性ぬきに「丸投げ」されても困る。
● 国から押し付けられる画一的な「我が事」はおかしい。多様性をどう保障するか。
● 「制度のはざまを作ってきたのは誰か」制度だけでなく、行政、組織、専門職の責任もある。
● 「連携」という合い言葉だけではダメ。「丸ごと」にする具体的な仕組みが必要。
● 福祉分野だけでもダメで、どう広げるか。深めるか。
● 地域福祉推進の行政の責務を示す必要がある。
● ソーシャルワークの機能を示すことが重要。
※ 原田正樹「基調講演」『第23回長野大会in信州うえだ 報告要旨集』26ページ。

資料(2)
新しい時代の教育や地方創生の実現に向けた学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について(答申)
平成27年12月21日
中央教育審議会



第1章 時代の変化に伴う学校と地域の在り方について(抜粋)
第2節 これからの学校と地域の連携・協働の在り方
1.これからの学校と地域の目指すべき連携・協働の姿
(1)地域とともにある学校への転換
社会総掛かりでの教育の実現を図る上で,学校は,地域社会の中でその役割を果たし,地域と共に発展していくことが重要であり,とりわけ,これからの公立学校は,「開かれた学校」から更に一歩踏み出し,地域でどのような子供たちを育てるのか,何を実現していくのかという目標やビジョンを地域住民等と共有し,地域と一体となって子供たちを育む「地域とともにある学校」へと転換していくことを目指して,取組を推進していくことが必要である。すなわち,学校運営に地域住民や保護者等が参画することを通じて,学校・家庭・地域の関係者が目標や課題を共有し,学校の教育方針の決定や教育活動の実践に,地域のニーズを的確かつ機動的に反映させるとともに,地域ならではの創意や工夫を生かした特色ある学校づくりを進めていくことが求められる。
これまでの提言では,地域とともにある学校の運営に備えるべき機能として「熟議」「協働」「マネジメント」の三つが挙げられており,これらはこれからの学校運営に欠かせない機能として,再認識していく必要がある。
① 関係者が皆当事者意識を持ち,子供たちがどのような課題を抱えているのかという実態を共有するとともに,地域でどのような子供たちを育てていくのか,何を実現していくのかという目標・ビジョンを共有するために「熟議(熟慮と議論)」を重ねること。
② 学校と地域の信頼関係の基礎を構築した上で,学校運営に地域の人々が「参画」し,共有した目標に向かって共に「協働」して活動していくこと。
③ その中核となる学校は,校長のリーダーシップの下,教職員全体がチームとして力を発揮できるよう,組織としての「マネジメント」力を強化すること。
(2)子供も大人も学び合い育ち合う教育体制の構築
学校,家庭及び地域は,教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに,相互に協力していくことが重要である。地域が学校や家庭と共に教育の担い手となることが社会的な文化となっていくためにも,地域の一部の人々だけが参画し協力するのではなく,地域全体で子供たちの学びを展開していく環境を整えていくことが必要であり,子供との関わりの中で,大人も共に学び合い育ち合う教育体制の構築が必要である。
地域には,学校,教育機関,首長部局等の行政機関,社会教育施設,PTA,NPO・民間団体,企業,経済・労働関係団体など,様々な機関や団体等がある。他方,個人として学校支援ボランティアに関わっている地域の人々もいる。子供たちや学校の抱える様々な課題に対応していくためにも,また,子供たちの生命や安全を守っていくためにも,子供を軸に据え,様々な関係機関や団体等がネットワーク化を図り,子供たちを支える一体的・総合的な教育体制を構築していくことが重要である。学校と地域が連携・協働するだけでなく,子供の育ちを軸に据えながら,地域社会にある様々な機関や団体等がつながり,住民自らが学習し,地域における教育の当事者としての意識・行動を喚起していくことで,大人同士の絆が深まり,学びも一層深まっていく。地域における学校との協働活動に参画する住民一人一人が学び合う場を持って,子供の教育や地域の課題解決に関して共に学び続けていくことは,生涯学習社会の実現のためにも重要である。
さらに,家庭教育の支援の観点からも,地域と学校の連携が進むことで,課題を抱えた保護者に対する支援の充実につながるとともに,孤立感を抱えた保護者を含む多くの保護者に対し,学校との連携・協働による活動に参画していく機会を作ることにつながる。
(3)学校を核とした地域づくりの推進
地方創生の観点からも,学校という場を核とした連携・協働の取組を通じて,子供たちに地域への愛着や誇りを育み,地域の将来を担う人材の育成を図るとともに,地域住民のつながりを深め,自立した地域社会の基盤の構築・活性化を図る「学校を核とした地域づくり」を推進していくことが重要である。成熟した地域が創られていくことは,子供たちの豊かな成長にもつながり,人づくりと地域づくりの好循環を生み出すことにもつながっていく。また,地域住民が学校を核とした連携・協働の取組に参画することは,高齢者も含めた住民一人一人の活躍の場を創出し,まちに活力を生み出す。さらに,地域と学校が協働し,安心して子供たちを育てられる環境を整備することは,その地域自身の魅力となり,地域に若い世代を呼び込み,地方創生の実現につながる。
一方的に,地域が学校・子供たちを応援・支援するという関係ではなく,子供の育ちを軸として,学校と地域がパートナーとして連携・協働し,互いに膝を突き合わせて,意見を出し合い,学び合う中で,地域も成熟化していく視点が重要である。子供たちも,総合的な学習の時間や,放課後・土曜日,夏期休業中等の教育活動等を通じて地域に出向き,地域で学ぶ,あるいは,地域課題の解決に向けて学校・子供たちが積極的に貢献するなど,学校と地域の双方向の関係づくりが期待される。
地域によっては,公民館等の社会教育施設を一つの拠点として,高齢者の健康維持や文化の伝承等の地域課題に関わる社会教育活動を,住民が主体となって活発に行っているところもある。学校という場を地域の人々が集い,学び合う場としていくだけでなく,このような拠点が学校とつながり,双方向の関係を持つことも有益である。
2.学校と地域の連携・協働を推進するための組織的・継続的な仕組みの構築(略)
3.学校と地域の連携・協働を推進するための体制整備(略)



※ 資料(1)(2)の文中の太字は筆者(阪野)による。

付記

(注) コミュニティ・スクールの導入状況の推移(基準日/設置校数/学校設置者数)は、次の通りである。平成17年4月1日/17校/6市区、平成20年4月1日/341校/2県63市区町村、平成25年4月1日/1,570校/4道県153市区町村、平成29年4月1日/3,600校/11道県367市区町村。

追記―〇〇先生からの手紙―(2017年12月9日)
早速、〇〇先生からご丁寧な返信をいただいた。そのなかで先生は、今日の「福祉教育」研究の課題として、(1)福祉教育の哲学、思想の研究、(2)(「我が事」のことを考えると)戦前の「地方改良」「中央報徳会」の研究、(3)ボランティア活動と市民活動との関係の研究、の3点を挙げている。相変わらずの“現役の実践的研究者”としての、「研究」への姿勢と熱意には敬服するのみである。
ここで管見を述べれば、(1)に関しては、教育は歴史的・社会的・文化的営為である。その福祉「教育」実践を通して、ソーシャルインクルージョン(「フランス生まれ、EU育ち」岩田正美)やICF(WHO)などの外国・国際機関生まれの理念や考え方、それに基づく実践方法などを問い直し、「市民福祉教育」に固有の思想や哲学を探究することが求められている。(2)に関しては、日露戦争(1904年~1905年)後に推進された地方改良運動は、報徳思想(二宮尊徳)に基づき、国力の充実・発展と国家的統合を図る官製運動であった。しかもそれは、「経済の開発」と「人心の開発」が重視され、「自治民育」というスローガンのもとで、教育・教化運動的な色彩の濃いものとして展開された。現在の政治や経済、社会、教育の動向と重なる。この官製運動が国民精神総動員運動へとつながる戦前と同じ轍を踏まないためにも、いま最も留意すべき点である。(3)に関しては、「ボランティアとは、無償あるいは低額な報酬で行う支援活動である」といった言説がある。ボランティア活動の性格(原則)のひとつは、「自主性・主体性」「無償性・無給性」である。「市民活動」は、無償のボランティア活動と有償の市民活動(狭義)を包含する。「動員」「派遣」のボランティア活動や「ちょボラ」の問題性やその背景について検討する必要がある。
筆者(阪野)はいま(“円空ゆかりの地”で)、こんなことを考えている。

続・「対話」考:山口裕之を読む―「みんなちがって、みんないい」はどこまで許容できるのか―

四里(り)の道は長かつた。(1ページ)/年齢(とし)が違ふからとは言へ、かうした境遇にかうして安(やす)んじて居る人々の気が知れなかつた。かれは将来の希望にのみ生きて居る快活な友達と、これ等の人達との間に横(よこた)はつて居る大きな溝(みぞ)を考へて見た。『まごまごしてゐれば、自分もかうなつて了(しま)ふんだ!』(188ページ)/日本が初めて欧州の強国を相手にした曠古(こうこ。前例のないこと:阪野)の戦争、世界の歴史にも数へられるやうな大きな戦争――その花々しい国民の一員と生れて来て、其名誉ある戦争に加はることも出来ず、その万分の一を国に報(むく)ゆることも出来ず、其喜悦(そのよろこび)の情(じょう)を人並に万歳の声に顕(あら)はすことすらも出来ずに、かうした不運(ふしあわせ)な病の床に横(よこたわ)つて、国民の歓呼(かんこ)の声を余所(よそ)に聞いて居ると思つた時,清三(せいぞう)の眼には涙が溢(あふ)れた。(529~530ページ)
田山花袋『田舎教師』(左久良書房版)日本近代文学館、1974年12月。

〇立身や忠誠とは無縁の「田舎教師」であった筆者(阪野)が、最近読んだ本のなかで“面白い”と思ったものに、山口裕之(徳島大学、哲学研究者)のそれがある。『コピペと言われないレポートの書き方教室―3つのステップ―』(新曜社、2013年7月。以下[1])、『「大学改革」という病―学問の自由・財産基盤・競争主義から検証する―』(明石書店、2017年7月。以下[2])、『人をつなぐ 対話の技術』(日本実業出版社、2016年4月。以下[3])、である。
〇[1]は、「レポート」を書くにあたって、「コピペ」と言われないためには具体的にどうすればよいのかを、「最重要ポイント」のみに絞って解説したものである。その根底には、学部学生らに「自分の意見を根拠づけて主張する力」を身につけてもらいたい、という願い(「思い」)がある。「おわりに―民主主義とレポート」(93~98ページ)は深く、読む意義は大きい。
〇[2]は、政財界主導で進められている「大学改革」(国家権力の過度の介入、学長トップダウン体制の構築、競争主義や成果主義の強化、研究予算の削減や組織の統廃合、等々)の単なる反対論ではない。いわんや「潰(つぶ)れる大学」「大学の生き残り策」といった類の「読み物」ではない。[2]は、大学改革における論点を整理し、あるべき姿を追求するための見取り図を提示する、総合的で本格的な「大学論」である。「教育は、消費者が欲するものを提供するサービスではなく、何を欲するべきかを考える力を与えるための営みである」(248ページ)。大学に求められる機能(大学の存在意義)は、民主主義的な市民社会を支えるために、「さまざまな問題について、その背景を知り、前提を疑い、合理的な解決を考察し、反対する立場の他人と意見のすり合わせや共有を行う能力」(148ページ)、「正しく考え、議論し、他人と意見を共有する技能」(221ページ)を育成する(習得させる)ことである。留意すべき言説である。
〇[3]は、そのタイトルから「マニュアル本」と思われるが、民主主義の思想や歴史、民主主義国家の形成やあり方などにも言及する学術書(「人文書」)である。そこでは、人々の対話を阻(はば)み、人々を分断させている日本社会の現状分析を通して、「対話による合意形成」の重要性が一貫して主張される。その論述に関して山口は自らを、「意地の悪い揚げ足取り」(159ページ)「へそ曲がり」(161ページ)などと言うが、そこに批判性やオリジナリティがあり、また[3]の魅力(“面白い”)のひとつがある。本稿では、「まちづくりと市民福祉教育」にも通底する(使える)、[3]における山口の言説のいくつかを纏めておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

対話のねらいは合意形成と妥当な結論の発見にある
対話は、立場や意見を異にする人と話しあい、互いに納得できる合意点を見つけることである。対話は、相手の立場を理解し、多面的な見方を知ることで、妥当な結論を出すための方法である。対話は、憶測や思いつきではなく、客観的な根拠にもとづいて進めなくてはならない。対話は、自分と相手を成長させ、人と人とをつなぎ、ひいては民主的な社会全体を支えるのである。(はじめに、263ページ)

民主主義の本質は対話であり多数決ではない
民主主義とは対話である。民主主義の本質は多数決でなく、すべての人が対等な立場で自分の意見を根拠づけて主張し、討議し、お互いに納得できる合意点を探るところにある。多数決は、合意を形成するための手段の一つに過ぎない。無造作な多数決は、「多数派の専制」とほとんど同義である。それは、少数者の権利を侵害することになる。民主主義は、共同体のメンバーの人権を保障するための制度である。(40、51、116ページ)

民主主義はすべての市民が賢くなることを要求する
民主主義を支える一般市民は、対話に先立ってあるいは対話の過程で、普段から自分の思考力を鍛えるべく、努力する必要がある。それは、一面的な感情にとらわれない、多面的なものの見方や論理的な思考(「人間の日常生活における論理的思考」「日常的思考」)である。民主主義とは、すべての市民が賢くならなければならないという、無茶苦茶を要求する制度である。大学やその他の教育機関は、その無茶苦茶を実現するために存在しているのである(47、117、146ページ)

一般意思は多数派の意思ではなく理性によるものである
「一般意思」とは、「多数派の意思」ではなく、「実際にメンバー全員が持っている意思」でさえない。それは、「論理的に考えて共同体を設立し維持するために必要な条件」であり、各人に理性(論理的思考力)があれば、メンバー全員がこれを意思するはずのもの(「論理的思考力がある人間なら誰しも納得するはずのもの」)である。その点で、「一般意思」は基本的人権と表裏一体であり、それをお互いに守ることが「一般意思」である。(65、67、107ページ)

権利は義務の対価ではなく義務を伴わない
基本的人権(自由権、平等権、社会権、参政権など)とは、人間が人間らしく生きていくために不可欠のものであり、義務を伴うものではない。「権利」(ライツ:rights)の対義語としての「義務」(デューティ:duty)は、「誰かから要求されたわけではなく、人として当然果たすべきこと」である。「ライツ・アンド・デューティズ」と言えば、「人間として当然要求できることと、人間として当然果たすべきこと」という意味であり、「権利は義務の対価」という意味ではない。ライツとデューティは、表裏一体の「人間として当然のもの」である。人権とは、国家権力が課した「義務」(オブリゲーション:obligation)を果たしたことの対価として、国家権力から恵与されるものではない。(76、77、78ページ)

「人それぞれ」は対話を拒み連帯を妨げる
最近の風潮として、「人それぞれ」が蔓延(まんえん)している。「人それぞれ」という言葉は、相手(個性)を尊重するかのようであるが、他人の意見をよく聞かずに切り捨てる言葉である。それは、人々に対話を拒否させて合意形成をしない、人々の連帯を妨げるものであり、民主主義社会の根幹を掘り崩してしまいかねない。民主主義の理念とは、他人と協力することで、一人で生きていくよりも安全で快適に生きていくことである。そのために、自分たち自身で妥当なルールを決め、それを共有することである。(137、155、156ページ)

個性の尊重は微妙な差異の競い合いにすぎない
「個性重視」をめぐって、「みんなちがって、みんないい」(金子みすず:私と小鳥と鈴と)というフレーズや、「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」(槇原敬之:世界に一つだけの花)という歌詞を見聞きする。多様性を尊重することは重要である。「個性」や「その人らしさ」は、個人の属性ではなく、個人間の関係性である。また、それは、成長する過程で、社会に流通している既存の価値観を選択することで形成されるものである。「もともと特別」などということはない。「個性」や「その人らしさ」は千差万別というよりは、社会的に許容可能な範囲内での変異に収まる。それゆえ、「個性」や「その人らしさ」の尊重とは、ある許された範囲内での微妙な差異の競い合いということになる。(162、163
ページ)

真の道徳教育は対話の教育である
現在、社会全体が「感情」や「思い」を尊重し、「心」を重視する方向に進んでいる。感情は個人的で、その人の立場に依存するものであり、誰しもが認める「正しさ」の根拠とはならない。共有できる「正しさ」は、感情ではなく、客観的な事実と合理的な予測にもとづいた対話によって作っていかなければならない。また、「思い」は、強いことが評価される傾向にあるが、強ければよいというわけではない。「何を思うか」のほうが大切である。そして、「心」が重視されるなかで、(内発的な動機が無視され)特定の徳目(道徳内容)を押しつけ、刷りこむ道徳教育が推進されている。徳目を覚えたからといって、その徳目を実践できるとは限らない。徳目の一方的な刷りこみそのものが、非道徳的である。道徳教育にとって重要なことは、「正しさ」(何が正しいことか)を判断する能力や技術を身につけることである。それは対話の能力であり、「対話の技術」である。(173、264、267、274ページ)

〇ところで、[3]で山口は、「ネットで一番ヒットするのは『普通の人』の意見」という見出しの一節で、次のように述べている。「ネットで情報発信するためには何の資格も学識もいらないので、ネット上のサイトや掲示板には、憶測や妄想にもとづくいい加減な記述があふれかえっている。パソコンの画面に表示されたからといって、それは権威あるものではなく、その辺の居酒屋での世間話や、個人の思いをつらねた日記などと同等の信用性しかないものが大部分なのである」(237~238ページ)。
〇また、本ブログにアップした雑感(55)「『まちづくりの哲学』という本:「キキカン」と「希望」―読後メモ―」(2017年11月15日投稿)で取り上げた宮台真司も、そのなかで次のように述べている。 「ネットが同じ穴のムジナだけが集う<劣化空間>を提供する。<劣化空間>でつけあがる輩(やから)が、電子掲示板や、ブログのコメント欄や、ツイッターなどのSNSを、炎上させる。<劣化空間>は『馬鹿にとっては逃避先』であるが、『馬鹿でない人々にとっては真っ先にそこから逃げ出したい場所』である。ネット上では、見識の深い作家や批評家の発言と、劣化した人々の発言とが、等価になる。そうしたコミュニケーション空間では、見識の深い作家や批評家から順番に退却していく道理である」(51ページ、要約)。
〇山口と宮台の言説に関して一言すれば、「普通の人」「同じ穴の狢(ムジナ:穴熊)」である筆者(阪野)は、行きつけの場末(ばすえ)の酒場で安い酒をあおったり、永遠の高嶺の花である一流ホテルの高級バーでロマネ・コンティを舌の上で転がしたりしながら、「まちづくりと市民福祉教育」についての「思い」を語り合い、意見や知識を「共有」することができれば、と念じている。
〇本ブログのねらいのひとつは、議論のための素材や情報の提供による「問いかけ」にある。その際、「知識は体系になって、はじめて力を発揮するのであって、断片の寄せ集めは単なる雑学である」([3]228ページ)こと、すなわち知識や情報の構造化・体系化に留意したい。

補遺
山口は[3]で、「対話の技術」(どのように対話すればよいのか)について、その要点を次のように「まとめ」ている(259~260ページ)。
①自分から見て、どんなに不正だと思える相手についても、その人なりの立場や感情があるはずなので、まずはそれを理解しようとすることが大切である。
②それから、問題となる事態を具体的に特定し、それが事実に反する思いこみや、中身のない言葉だけのものではないかを検討する。
③人間の思考にはバイアス(偏り)がかかっていることを自覚する。
④自他の要求を明確化することで、争点を明確化する。
⑤要求が、事態の改善につながる因果関係を持っているかどうかを検討する。
⑥相手の思考の体系を理解したうえで、その問題点を指摘し改善策を提示するような建設的な質問をする。
⑦自分自身の立場を反省する。
⑧事実認識を共有する。そのためには、ネット情報に頼らず、学術的な研究や一次資料を確認する。
⑨共有されている価値観を確認し、価値観同士が両立しえない場合には、どの程度のところまでが許容範囲なのかについて合意形成する。現実をその許容範囲に収束させるための適切な手段を検討する。

『まちづくりの哲学』という本:「キキカン」と「希望」―読後メモ―

近所に住むおじいちゃんが入院された。「にわか百姓」の私に、いつも優しくまた丁寧に、農作業を指南してくれた方である。早速お見舞いに伺ったが、一週間ほどたってご子息からお礼の連絡が入った。電話で、である。

我が家には2002年3月生まれの犬(柴犬)がいる。目が見えず、耳も聞こえず、認知症の症状が顕著にみられる。ある夜、大きな声で鳴き始めた。すぐに対応したが、近所からお叱りの連絡が入った。深夜23時30分、無言電話で、であ。

私は昨年、地元の老人クラブの役員を仰せつかった。ある役員との連絡は、時にはメールで行うことがあった。いま思えば、その時の話題は少々厄介なものばかりであった。メールは、お互いの「繋がり」を深化させない、「摩擦」を避けるためのツールとして活用されたのだろうか。

〇「まちづくり」について語るとき、「遠くの親戚より近くの他人」や「向こう三軒両隣り」の日頃の付き合いとそれによる見守り活動や支え合い活動の必要性が指摘される。また、近隣住民の日常の挨拶や立ち話から始まるが、住民相互の直接的な「対話」や対面的な「熟議」によるまちづくりの意義や重要性について述べられる。上記の話は、それらに関する、筆者(阪野)が暮らす田舎町でのひとつの現実である。
〇以前にも増して、住民の個人主義的傾向が強まるなかで、匿名性の高まりと人間関係の希薄化が進んでいる。また、無関心層やフリーライダー(対価を払わず便益を享受する人)が増えている。そういうなかで、新旧住民や世代間にさまざまな葛藤や軋轢が生じ、(地縁)共同体的紐帯の弱体化が深刻な問題になっている。「まちづくり」や「コミュニティ再生」の難しさを感じざるを得ない。
〇さて、筆者(阪野)の手もとにいま、『まちづくりの哲学』という本が2冊ある。アーク都市塾企画/戸沼幸市編著『まちづくりの哲学』彰国社、1991年12月(以下[1])と代官山ステキなまちづくり協議会企画・編集/蓑原敬・宮台真司著『まちづくりの哲学―都市計画が語らなかった「場所」と「世界」―』ミネルヴァ書房、2016年6月(以下[2])である。
〇「アーク都市塾」(現「アカデミーヒルズ」)は、1988年9月に設立された民間の成人向け教育施設である。[1]は、その「塾」で開催された「まちづくりの哲学ラボ」(アドバイザー・戸沼幸市早大教授)における議論の成果を纏めたものである。そこでは、「都市のユーザーとしての生活者の視点」から社会的事象の傾向や背景を把握・分析し、それを通して「まちづくり」について多角的かつ平易に論じている。その際の基本的な考え方のひとつは、「まちづくりは生活の作法づくり」(15~20ページ)である。以下では、「キキカンと生活者によるまちづくり」に関する言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「キキカン」からのまちづくり
「まちづくり」への強いきっかけづくりには、大ざっぱにみて「喜楽美」と「哀怒醜」のようなポジィティブとネガティブの感性の両面のベクトルが有効に思える。
この二つの感性ベクトルを一つにまとめた表現が、「キキカン」(嬉々感と危機感の同時表現)という概念である。
単純に「胸の躍るように楽しいこと、美しいこと」(嬉々感)なら、誰でも強く魅(ひ)かれるし、逆に「不当に醜いこと、怒りや不安をおぼえること」(危機感)なら早急に対策を練ろうとするのは、当然である。であれば、この「嬉々感と危機感」を生活環境の中から発見する活動が、「まちづくり」の第一歩であると言える。すなわちこうした一人一人の素朴な思い・感性・執着心の振向けの作法が、今後の都市環境の行方を握っている鍵とも考えられる。(216~217ページ)

生活者による現代版「まちづくり」
生活者による現代的(版)「まちづくり」とは、居住者の立場から一歩踏み出し、もっと幅広い生活範囲の環境に視野を広げたときに発見する様々なキキカン(嬉々感と危機感)をテコに、理性的なプロセスに基づく共同作業を経て、因果関係を明らかにし、建設的に問題解決を図る環境創造活動である。(231ページ)

〇「代官山ステキなまちづくり協議会」は、2006年5月に設置認定された、東京の渋谷区まちづくり条例に基づく「まちづくり協議会」のひとつである。[2]は、その協議会が2011年に開催したセミナー「まちづくりの哲学」の一環として企画・実施された対談を纏めたものである。対談者は、都市計画界の重鎮である蓑原敬(みのはら けい)と、稀代の社会学者と評される宮台真司(みやだい しんじ)である。
〇その対談は、「よいまちとは何か」「どうすればよいまちは作れるのか」「なぜよいまちを求めるのか」(ⅰページ)という三つの素朴な疑問や、「未来への渇望が“希望”と呼べるのなら、まちづくりとは“まち”に“希望”を刻印する営み」(ⅵページ)であるという理念(根本的な考え方)などをベースに展開される。そして、「まちづくり」をめぐる豊富で高尚な知識や見識に基づく対談を通して、人間の幸福や生きる意味を考える。とりわけ、宮台の読書体験(膨大な知識の量と質)には圧倒される。また、個人的体験の開陳や社会風俗や事件に対する鋭い分析も興味深い。以下では、「我田引水」的な「つまみ食い」と評されることを承知のうえで、論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「微熱感」と「生き物としての場所」
街とは、建物や街路などの空間的配置だけでなく、そこを行き交う人々の内面をも含んだ、生き物のようなもの(「生き物としての場所」)である。1990年代初めの渋谷には、街全体に「微熱感」があった。分かりやすい言葉で言えば、「この街にいれば、何かができる」という感覚(「魅力」)である。当時の渋谷は、女子高校生を中心とする若者たちにとって、普段緊張を強いられ“演技”をしている家や学校や地元とは違う、「素」の自分に戻れる「解放区」「居場所」であった。(宮台:15、17ページ)
 
まちづくりと「機能的に空白の場所」
まちが計画的に作られていくと、すべての場所に目的が割り振られてしまい、その目的に従って生活することが命じられ、まちに拘束されているという感じがする。(代官山ステキなまちづくり協議会 野口浩平:ⅲ、24ページ)
1990年代半ばに「屋上論」を展開した。なぜ学校の屋上には不良や今で言うひきこもりが滞留していたのか。「機能的に空白の場所」だからである。廊下は「歩く場所」。校庭は「運動する場所」。教室は「学ぶ場所」。でも屋上にはそうした機能が割り振られていない。だから「何かをする人」でいる必要がなくなって、解放されるのである。
機能を割り振られた場所を、機能的に空白の場所へと差し戻す「屋上化」は、<我有化>(固有化、自己化、自分のものとすること)の一種である。(宮台:24~25ページ)

IT化と「感情の劣化」
インターネット元年である1995年から2010年頃までは、ネットの良さは「誰にでも開かれていること」「誰とでも繋がれること」だとされた。そのお蔭で、「新しい政治参加」「新しいコミュニティ形成」に役立つのだと喧伝された。昨今は一転。ネットが「誰にでも開かれている」からこそ政治もコミュニティも<感情の劣化>に見舞われがちになった。また、ネットが「同じ穴の狢(ムジナ)」(同類の悪党)だけが集う<劣化空間>を提供したり、(ゲートを設けて出入りを制限する)<見えないゲーテッドコミュニティ化>つまり<見えない化>が進むようになった。ネットは、「見たいものだけ見て、見たくないものは見ない」という、さもしく浅ましき営みに帰結しがちである(宮台:51、54、57ページ)
「感情の劣化」とは、真理の獲得よりも、感情の発露が優先される態勢である。それは、「感情を制御できずに<表現>よりも<表出>に固着した状態」とも言える。ちなみに、<表現>の成否は相手を意図通りに動かせたか否かで決まり、<表出>の成否は気分がスッキリしたか否かで決まる。(宮台:58ページ)

コミュニティ再生とファシリテーター
対人ネットワークが空洞化してしまった現在、コミュニティ再生のための処方箋は、エリート論でもソーシャル・キャピタル論でもなく、「熟議論」である。ただしそれは、皆で話し合えばいいという議論ではなく、熟議論の半分はファシリテーター論である。ファシリテーターが従来のエリートと決定的に違うのは、人々が「自分たちで決めた」という感覚を失わない範囲で座まわしをすることである。(宮台:130~131ページ)
ファシリテーターは「依らしむべし、知らしむべからず」(「為政者は人民を施政に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい」)の対極である。ファシリテーターには、知識や教養もさりながら、場の感情的配置やダイナミクスへの敏感さが必要である。なぜなら、これが正しいという内容的介入ではなく、「声のデカイ極端者」が場の空気を支配できないように、不完全情報を可能な限り完全化したり、発言機会をコントロールしたりする役目を果たす存在だからである。(宮台:131ページ)

「感情の教育」と「ななめの関係」
コミュニティ再生には、優秀な座回し役・呼び掛け役・巻き込み役を果たすことができるファシリテーターを養成することが必要である。そのためには、<感情の教育>が必須となる。しかしそれを国民全体のものとして構想すると、全体主義に陥ることになる。また、現在の教育人材を前提にすると、公的に制度化することは不可能である。そこで、顔が見えるコミュニティで、人格的信頼を基盤にした子どもの<感情の教育>に乗り出すしかない。(宮台:135ページ)
しかも、「何がいい人生なのか」「何がいい社会なのか」という価値への言及(価値教育)が不可欠となる。その価値を埋め込むのは、教育したがる大人を一部に含んだ子どもの「成育環境の全体」である。そのなかで例えば、親子という「縦の関係」よりは、井戸端や縁側の話とも関係するが、親戚や近所の大人との「ななめの関係」で「価値の伝承」を図ることが大切になる。(宮台:136、138~139ページ)

〇宮台がいう「感情の教育」は、道徳教育やそれを基盤とした「心の教育」などにかかわることから、慎重に取り組むことが求められる。それは、個人の主体性や自律性を軽視あるいは無視したり、現在の政治・経済・社会の状況や情勢を無批判的・肯定的に捉え、個人の社会への順応や適応を重視するもの(偏狭な「社会化」)であってはならない。「感情の教育」に求められるのは、「コミュニティの再生や創造」に向けた批判性や創造性、革新性である。
〇地域貢献活動と学習活動を通して市民性を育むサービス・ラーニング、学校・保護者・地域住民が連携・協働して進めるコミュニティ・スクール、地域課題の発見・解決に向けた能動的学修のアクティブ・ラーニング、そして「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現。いままさに、「体験学習」と「共生社会」の時代であり、「地域ファースト」と「一億総活躍社会」(皆が包摂され活躍できる全員参加型社会)の時代である。しかしそれは、政府・行政主導の、学校や地域に対する「強制」や「動員」あるいは「下請け」や「丸投げ」であってはならない。「まちづくりの哲学」の構築が求められるところである。外発的で他律的・依存的な、しかも哲学のない「まちづくり」は地域を亡ぼす。それは、「市民福祉教育」においても然りである。
〇なお、筆者は、「まちづくり」と言うと山崎亮と田村明を思い起こす。山崎は、全国各地で、「自立的共同体」づくりを支援する「コミュニティデザイナー」として活躍している。田村は、総合性や文化性のある都市計画づくりをめざして、平仮名の「まちづくり」を提唱した「都市プランナー」であった。[2]で、宮台は山崎について、蓑原は田村についてそれぞれ言及している。留意しておきたい(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

山崎亮と「コミュニティデザイン」
行政が山崎亮を呼ぶ目的は明白である。一口で言えば、地域住民にとって自治体行政が持つ意味を一変させること。「金を持ってこい」「予算を組んで何とかしろ」と政治家や行政に要求するかわりに、「邪魔しないでくれ」「自分たちの自立的活動をサポートする枠組みやインフラを整えろ」と要求するように、変える。とはいえ、霞が関エリートや自治体エリートには、山崎亮的なコミュニケーションをする能力も機会もない。
行政が「個人を」サポートして共同体を空洞化させるのでなく、行政が「(個人を包摂する)共同体を」サポートする。「弱者への再配分」から「(参加と包摂に向けた)動機づけへの再配分」へのシフトである。行政の山崎亮支援はこれである。(宮台:144ページ)

田村明と「まちづくり」
総合的な都市計画ではなく、法定外の協議型・参加型の都市計画が平仮名のまちづくりの代名詞になってしまっている。
平仮名のまちづくりが独立してしまうと、漢字の都市計画とは切れてしまい、補助金も使えないし、使えても微々たるものしか出してもらえない。国の縦割り組織との対立や国法の解釈をめぐる厳しい領域には立ち入らない、弥縫的なことになる。与えられた枠のなかで、自分たちが活動できる領域のみで行動して、それで「やれた。やれた。成果だ。成果だ」と言う。平仮名の共同体のスケールのまちづくりと、漢字の権力的なガバナンスが避けられない都市計画をトータルに考えるべきである。(蓑原:198~199ページ)

付記
この<世界>は、低迷し、奥深い混沌が支配している。そこから脱出し、幸せを追求する一つの道筋として、広い意味での「まちづくり」がある。その道筋は、「都市計画」や狭い「まちづくり」の障壁を超えて、自然生態系と折り合いながら、人のつながりを再構築しながら、身の回りの生活環境を立て直す行動に僕らを誘っている。(蓑原:363~364ページ、抜き書き)
 

生き方をデザインする:「塑(そ)する」ことと「繋(つな)ぐ」こと―佐藤卓著『塑する思考』読後メモ―

デザインの本質は、物や事をカッコよく飾る付加価値ではありません。あわゆる物や事の真の価値を、あらゆる人間の暮しへと繋ぐ「水のような」ものなのです。(「帯」)
 
〇筆者(阪野)の手もとに、日本を代表するグラフィックデザイナーの一人である佐藤卓が書いた『塑する思考』(新潮社、2017年7月。以下「本書」)がある。本書は、デザインのノウハウ本ではない。佐藤がデザインに関する「仕事」を高く積み上げ、それを深く掘り下げることによって体得した「思考」について論じたものである。その際の重要なキーワードは「塑(そ)する」である。また、注目したいキーワードに「繋(つな)ぐ」がある。本書はつまりは、人間の「生き方」すなわち「哲学」の書である(筆者にとって「塑する」とは馴染みのない言葉である。連想するのは「粘土・彫塑」「木材・彫刻」といった程度である)。
〇佐藤は言う。「人の営みの中で、デザインが一切関わっていない物(モノ)や事(コト)など一つもない。政治、経済から医療、福祉、衣食住、教育、科学、技術、エネルギー、社会活動、等々まで、どんな分野のどんな物事にも、すでにデザインがある」(74ページ)。「人がなし得る全ての企てには、計画的であるか否かにかかわらず、必ずデザインが及んでいる」(75ページ)。「デザインは全ての人間の営為を成り立たせるために必要なもの」(77ページ)である。本稿では、佐藤のこのような視点を首肯したうえで、留意したい言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。「です・ます」調を「である」調に変換。見出しは筆者)。

「人の営み」とデザイン
デザインは日常ありとあらゆるところに隠れている。意識化されるデザインなど、そのごく一部にすぎず、ほとんどのデザインに対して我々は無意識である。(8~9ページ)
どんな技術にせよ情報にせよ、人に届けるためには何かしらのデザインを必ず経なければならない。これは、それぞれの人の思想や好き嫌いの問題ではなく、人が人として生きていく上でどうしても避けられない事実である。(9ページ)
 
「弾性」と「塑性」
「柔(じゅう)よく剛(ごう)を制(せい)す」という言葉がある。しなやかな柔軟さが一見強そうな堅さを結果的には負(ま)かしてしまうものだ、を意味する。この「柔」という言葉は、さらに「弾性(だんせい)」と「塑性(そせい)」の二つの性質に分けられる。(47ページ)
弾性とは、例えば釣り竿のように、外部から力が加わって形を変えても、その力がなくなれば元の形に戻ろうとする性質である。塑性とは、例えば粘土のように、外部からの力で凹(へこ)むと、そのままの形を保つ性質である。それは、加わった力次第でそのつど形状を変化させる。(47ページ)

「自分らしさ」と「ありのまま」
人生訓上の「柔」は、これまでは「弾性」をイメージして語られてきた。いかなることに当っても自分を見失うな、常に自分の形を忘れず、自分に戻れ、といった具合にである。(48ページ)
これに対して「塑性」は、自分の形などどうでもよく、そのつど変化してもかまわないのだ、となる。しかし、そもそも自分とは何か、自己意識はどこから来て、なぜ自分は今ここに存在するのか。人生のそんな基本についてまるで分かっていない自分に、どんな形があるものなのか。自分を分かっていない自分が、自分の形をどう決めるというのか。何を考えているにしても、すでに考えている自分が存在するのだから、「自分らしさ」を気にかける必要はなく、そのつど与えられた環境で適切に対応している自分のままがいいのではないか。(48~49ページ)
自分のままであるかどうか(自分を強く意識していないかどうか)を自覚するためには、折あるごとに自分を疑ってみなければならない。何かよい案を思いついても、その直後に、これは第三者にもちゃんと伝わるのだろうか、と自分を疑ってみる。(51ページ)

「やるべきこと」と「やりたいこと」
塑性的であるとは、社会の流れにただ身を委(ゆだ)ねることでも、無闇(むやみ)に付和雷同することでも、ましてや世の中に媚(こ)びて流行を追うことでもなく、置かれた状況を極力客観的に受け止め、適切に対応できる状態に自分をしておくことである。それは、世の中に流されない冷静な判断の下、自分が今なるべきものになる、「やるべきこと」をやる姿勢である。塑性的であれば、やるべきことが、まさに「やりたいこと」になる、と言い換えてもいい。(60ページ)
 
「表現」と「個性」
デザインの仕事では、とかく個性的な表現を求められる傾向がある。そこで、自分らしさとは何かと考えざるを得なくなる。(49ページ) 
本来、個性は誰にでもあって、個性のない人など、この世に存在しない。表現以前の思考の段階がすでに充分個性的なので、個性は、それと意識していない状態のほうがむしろ出やすいのではないか。(54ページ)
なすべきこと(「やるべきこと」)についてできるだけ客観的に思考し、見極めるところに、その人ならではの個性が出る。一般には、目に見える表現に個性があるとされがちであるが、それは違う。表現以前のその人その人の思考、ひいては生き方や思想に個性は確実に潜んでいる。(54ページ)
 
「発想」と「繋ぐ」
未知の事象が突如現れたかのように、「無」から何かを発想するなど、絶対にあり得ない。必ず「それ以前」が存在する。つまり発想とは、ある目的のために今まで繋がっていなかった事物同士を繋げる試みであり、自分が「無」から純粋に生み出すのではけっしてない。すでにあるのに気がつかずにいた関係を発見して繋ぐ営為が、発想である。(55ページ)

「仕事」と「塑性」
全ての仕事は「これから」のためにある。将来のために、今、何をしておくべきかを考え、事を為すことである。(168ページ)
あらゆる仕事という仕事の基本は、「間に入って繋ぐこと」である。(57ページ)
何かと何かの間に入って両者を繋ごうとすると、当然、繋ぎ方はそのつど異なる。臨機応変な繋ぎ方を可能にするため、一定の形を持たずにおく、それこそが塑性による「柔」の姿勢である。自分の形を持っていると、帰巣本能のようにそこに帰っておけば安心であり、その形が自分が社会的に認知される効力にもなる。(58ページ)
しかしながら、一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭めるのだと知っておくべきである。(58ページ)

「感性」と「仕事」
デザインは「感性の仕事だ」と言われる。それは、感性は特別な人にしか備わっていないといったニュアンスさえ感じられる。(62ページ)
そもそも感性とは何なのか。それが外部からの刺激、あるいは情報を感受する能力だとするなら、周囲の環境から何らかを感じ取る力に差はあれど、感性がまったくない人などいるわけがない。(62ページ)
誰にでもふつうに備わっている感性をさらに活かす能力、すなわち感じ取った内容を世の中に役立つなにものかに変換していく能力を技術として身につけているのがデザイナーの本分である。(64ページ)
感性が必要ない仕事などあり得ないのだし、感性を持たない人などいない。感性を活かすための技術が、それぞれの仕事でそれぞれに必要なのである。その技術とは、聞き・話し・見せるコミュニケーション能力であり、発想する能力であり、具体的な形にする能力である。(65ページ)。

「ほどよい関係」とデザイン
昔から普段よく言われてきた「ほどほど」や「いい塩梅(あんばい)」などの言葉が、実は日本人が忘れてはならない大切な感性をしかと伝えている。(115ページ)
度が過ぎない、ほどのよいところを見極める(「ほどほどを極める」114ページ)、そこにこそ、デザインを考える、ひいては人の営為を考える上での大切なヒントがある。(258ページ)
秩序と無秩序、国と国民、伝統と現代、人と人、人と物事‥‥‥。それらのほどよい関係を見つけるためにこそ、人の営みにはデザインがあり続けるのである。(259ページ)

〇以上から、本稿の冒頭に記した本書の「帯」の一節に注釈を加えるとすれば、次のようになろうか。すなわち、デザインの本質は、物や事をカッコよく飾るために外から価値を付け足すこと(「付加価値」)ではない。あらゆる物や事がもともと持っている真の価値を見出し、その価値をあらゆる人間の暮しへと繋ぐ、われわれが生きる上でなくてはならない(「水のような」)ものである。デザインの本質は自己表現ではなく、何かと何かを「繋ぐ」ことである。デザイナーの仕事は、あらゆる物事を社会や不特定多数の人の間に入って、ほどよく繋ぐことであり、装飾を施す(デザインする)ことが目的ではない。
〇ここで、山崎亮の「コミュニティデザイン」(community design)の言説を思い出す。山崎によると、コミュニティデザインとは、地域コミュニティの課題をその地域の人たちが自ら解決できるよう、「場」や「しくみ」をデザインすることである。コミュニティデザイナーの仕事は、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわちコミュニティデザインを進めるために、人と人を結びつけ、なさすぎでも、ありすぎでもない「いいあんばいのつながり」(山崎亮『コミュニティデザインの時代』中央公論新社、2012年9月、10~11ページ))をデザインすることである。佐藤の言説と通底するところである。
〇佐藤は、「(政治・経済や医療・福祉、科学・芸術など全ての)人の営みの中でデザインと関わりのない物事は何ひとつないのだとすれば、必然的にデザイン教育へと意識が向かう」(216ページ)。「デザインは、我々を取り巻く地球環境を人の営みと共に気づかい(気づいて思いやる)考えることでもある」(220ページ)、と言う。そこで、デザインマインドを育む「デザイン」の授業を、「英語の早期導入や道徳の成績評価化の前に、むしろ国語・算数・理科・社会・体育・デザイン」として一日も早く、小学校低学年から始めてはどうか、と提案する(220ページ)。
〇また、山崎も言う。「これからの地域福祉に必要な知恵を、『わたしたち』は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。その生き方(Life)こそが、21世紀を生きていく『わたしたち』にとって最高の財産(Wealth)になるであろう」(山崎亮『縮充する日本』PHP研究所、2016年11月、355ページ)。佐藤と山崎のこの言説については、「まちづくりと市民福祉教育」について探究する筆者にとって、同感するところである。
〇佐藤にあっては、「ある課題を深く掘り下げて行くために、場合によっては一定の枠(=形)をあらかじめ決めて(=持って)おく必要があることまで否定するつもりはない」(61ページ)。そう言いながらも、弾性的に自分の形あるいはスタイルを持つことには否定的である。「一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭める」、と佐藤は言う。
〇この点を「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に引きつけて言えば、その実践・研究をめぐる状況や課題は、歴史的・社会的に形成され変質する。その点を認識したうえで、「まちづくりと市民福祉教育」の科学的・体系的で学際的な深化・発展を期するためには、独自(固有)の視点や枠組み、アプローチの仕方や分析方法、言語体系や記述方法などを設定・構築することが必要かつ重要となる。とは言え、すべての実践家(学術的実践家)や研究者(実践的研究者)が同一の実践・研究方法による必要はない。それぞれの形あるいはスタイルを持つ実践・研究の成果を、「共働」の視点に立って、如何に融合化・統合化するかが重要となる。それによってはじめて、「まちづくりと市民福祉教育」の総体としての推進が図られることになる(注①)。例によって我田引水ではあるが、あえて一言付け加えておきたい。
〇最後に、蛇足ながら付記すると、言葉は人の考えや感情をデザインするものである。筆者がこれまでに多少なりとも関わった「仕事」(まちづくりと市民福祉教育)を通じて使うようになった言葉やキャッチコピーに、例えば、次のようなものがある。「ふくし」(ふだんの・くらしの・しあわせ/福祉の意味/注②)、「あいとぴあ」(であい・ふれあい・ささえあい+ユートピア/狛江市社協:地域福祉活動計画/1990年3月)、「みんなのなかにわたしがいる みんなとともにわたしがいる」(自立と共生/三重県社協:小学生からの福祉読本/2004年3月)。これもデザインである。


①「福祉教育」に固有の実践・研究方法はすでに成立・存在しているか、ということをめぐっては、例えば、日本福祉教育・ボランティア学習学会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸-学際性と変革性―』大学図書出版、2014年10月、から読み解くこともできよう。筆者は、福祉教育実践の理論化・体系化は言われるほどには進んでいないと思っている。ここ10年近くは、「先進的」「独創的」と評される実践事例の単なるモデル化や定型化による「福祉教育プログラム」の研究開発が進められてきた。そのうえに、いま、政府主導による形式的で画一的な、財源の裏付けを欠いた、理念や理想としての「地域共生社会」づくりが強調(強制)されている。気にかかるところである。言うまでもなく、地域づくり(まちづくり)を推進するためには、そのノウハウやヒト、モノ、カネが必要である。
また、「地域共生社会」については、原田正樹の次の指摘に留意したい。「これまで『総論賛成・各論反対』と言われてきたが、7・26(相模原殺傷)事件はこの『総論』でさえも全否定し、共生社会を実現していくことの難しさを思い知らされた」(原田正樹「7・26(相模原殺傷)事件を考える-事件が問いかける意味とは-」『ふくしと教育』第22号、大学図書出版、2017年2月、13ページ)。改めて、いま、福祉教育の理論的・実証的研究のあり方が厳しく問われている。
②「ふくし」の意味することについて、原田正樹は次のように述べている。「共生文化を創出していくことができる力のことを『共に生きる力』という。これが福祉教育の目標である。/そしてそのことを子ども達にもわかるように、福祉教育実践の先人たちは、福祉を『ふだんのくらしのしあわせ』として、メッセージを込めた。/『ふくし』の主体は、私自身である」(逗子市社協 福祉教育チーム企画・編集『みんなが「ともに生きる」福祉教育の12年~逗子での12年の実績を踏まえて~』逗子市社協、2015年8月、101ページ)。
なお、筆者が平仮名の「ふくし」(ふだんの・くらしの・しあわせ)という言葉を使い始めたのは、1990年代中頃から2000年前後にかけての時期であろうか。その直接的なきっかけは、茨城県社協主催の福祉教育セミナー(1994年2月、1998年1月、2000年1月、2001年1月)に参加したことにあるが、そこで修得したのは「ふくし」=「普通の・暮らしの・幸せ」であった。

改めて、田村明を読む―「まちづくり3部作」について―

〇筆者(阪野)の手もとに、鈴木伸治編『今、田村明を読む―田村明著作選集―』(春風社、2016年4月)がある。本書には、田村明(1926年~2010年)の環境開発センター・横浜市役所時代(1963年~1968年、1968年~1981年)の「初期の論考」から、都市やまちづくりについての「思考の軌跡」をたどることができる8編が収録されている。
〇田村は、都市計画・都市政策の実践者・改革者であり、「(実践的)都市プランナー」「地域(政策)プランナー」「自治体プランナー」などと言われた。また、「まちづくり」という言葉を一般に広めたことでも知られる(1ページ)。鈴木によると、「田村が我が国の都市計画に遺した功績は、主に横浜市における実践と、法政大学に移って以降の『まちづくり』を世に広める活動の2つに分けられる」(27ページ)。
〇田村の著作に「まちづくり3部作」と呼ばれるものがある。(1)『まちづくりの発想』(1987年12月)、(2)『まちづくりの実践』(1999年5月)、(3)『まちづくりと景観』(2005年12月)、がそれである。いずれも岩波新書として刊行されたものであるが、そのねらいは、「まちづくり」の思想の普及啓発と全国におけるの実践の紹介にあった。鈴木が、「田村はまちづくりや自治のあり方を説いて回る伝道師のような存在でもあった」(24ページ)と評するところでもある。ただ、「3部作」は内容的には、単なる啓蒙書に留まるものではなく、学術的な専門書である。
〇本稿では、鈴木の編著をきっかけに再読した「3部作」のなかから、再認したい田村の言説の一部を紹介することにする(抜き書きと要約)。言うまでもなく、田村が思考と実践を重ねた時代背景や政治的・社会的状況は、現在では大きく変わっている。こんにち、貧困と格差が拡大し、不安感や閉塞感が漂うなかで、「地方創生」「一億総活躍」「人づくり革命」などのスローガンが声高に叫ばれている。そうした「今、田村明を読む」のは、田村の「まちづくり」の思想と実践から改めて何を学びなおし、何が「使える」かを探ることでもある。

■ 『まちづくりの発想』
まちづくりの構造
「まちづくり」とは、一定の地域に住む人々が、自分たちの生活を支え、便利に、より人間らしく生活してゆくための共同の場を如何につくるかということである。その共同の場こそが「まち」である。(52~53ページ)
共同の場(「まち」)とは、目に見える広場や美しい町並みもあるし、共同で利用できる上下水や街路などの施設もある。さらに、地域に住む人々が互いに知らない間でも守ってゆけるルールや意識も、見えない共同の場といえるだろう。(53ページ)
「つくる」とは、新しくつくるだけではなく、風土と歴史の上に立ってこれを修復したり、守ることも含まれる。「つくる」対象としては、(1)モノづくり、(2)シゴトづくり、(3)クラシづくり、(4)シクミづくり、(5)ルールづくり、(6)ヒトづくり、そして(7)コトおこし(イベントを起こす)、の7つをあげることができる。(54ページ)
「つくる」には、「見えるまちづくり」と「見えないまちづくり」の両面があり、それらが不即不離(ふそくふり。つかずはなれず)で働くのが、まちづくりである。また、「つくる」には、逆に「つくらない」こと、「つくらせない」こともふくめておきたい。無用な開発を抑制したり、自然を保全したり、歴史的な遺産を破壊しないようにするということも必要である。(87ページ)

まちづくりの基本理念
「まち」とは市民全体が共有のものとして自覚でき、共同に利用、活用できる場の総称である。「まちづくり」とはその共同の場を、市民が共同してつくりあげてゆくことである。
共同の場とは、(1)共同空間、(2)共同施設、(3)共同システム、(4)共同サービス、(5)共同イベント、(6)共同文化、などの総称である。
これらの共同の場をつくり、働かせてゆくことが「まちづくり」の目標であり、それには次のような基本理念をもってのぞむことが必要である。
(1)トータルの理念―まちは、個々ばらばらでなく、全体としてひとつである。
(2)システムの理念―まちは、複雑な要素が相互に絡みあい関係しあっている。
(3)共有環境の理念―まちは、市民の共有の空間であり環境である。
(4)市民共用・共益の理念―まちは、特定の人々のためではなく、市民全体に利用され、その共同利益のためにある。
(5)市民共存・共生の理念―まちは、多数の異なる人々が矛盾をもちつつも、互いの相違を認めあって生活する場である。
(6)市民協働・共責の理念―まちは、一人の手ではなく、市民の共同作業により、共同責任でつくられるものである。
(7)市民共感・共愛の理念―まちは、市民が共通した誇りと愛情をもてるものである。
(8)相互交流の理念―まちは、市民相互はもちろん、他の多くの人々、外国の人々を含めた交流の場である。
(9)内発性の理念―まちは、他からの強制ではなく、市民や自治体の自発的な発想と行動を主力にしてつくられるものである。(121~122ページ)

まちづくりの基本的発想
「まちづくり」は、「まちづくりの基本理念」を具体化し、次のような6つの基本的な発想に立っている。
(1)人間環境の思想
都市づくりや地域開発を、巨大な物としてではなく、まず生物としての人間の環境としてとらえ、都市や地域を人間にとってより望ましいトータルな環境(自然環境と人工環境)として創造してゆくべきだという考えである。人工環境も、巨大で機能だけを充たすものであってはならない。美しさや魅力、たのしさ、おもしろさ、安らぎといったものも必要である。(124~125、128ページ)
(2)市民自治の思想
ただ市民が集まって意見をいうとか、市民の意見を行政が吸(す)いとるというだけでは、ばらばらの矛盾した意見や思いつきの羅列に終わる。それらの市民の意見や行動がまとまった市民共通のものとなるのが、市民自治の考えである。それには、市民にせよ自治体行政にせよ、総合的なチエと行動力をもった人々と、その人々が働けるシクミが必要である。(139~140ページ)
(3)総合的主体性の思想
「まちづくり」は、自治体や公的機関、民間企業、市民などによってばらばらに行なわれてきたものを明確な目標の下に結集させ、「まち」が主体となって総合性を発揮しようという考えである。自治体がまちを全部つくることはできないし、そんなことはできるはずがない。まちは多くの主体が協働し、共同の責任でつくってゆくものである。(140、141ページ)
(4)地域個性確立の思想
各地にはそれぞれの個性があり、そこに歴史があり、多くの固有な地方文化を育ててきた。「まちづくり」は、自分の足もとの地域を見直し、そこから地域の特性を引きだし、これを広い未来的視野に立ってて伸ばし育てることである。「まち」の風土と歴史から、その地にふさわしい個性を見付けだし、また創造してゆくことである。(145、151ページ)
(5)継続的創造性の思想
「まちづくり」とは息の長い、未来に向けての作業である。「まちづくり」という考えは、単発的で短期的な物の考え方ではなく、長期にわたり、終りのないものである。だから夢がある。それは、新しい価値を将来に向かって創りだしてゆく作業である。まちづくりは、未来に向けた創造である。(152、154ページ)
(6)実践の思想
「まちづくり」は、たんなる観念やヴィジョンに終わらせるものではない。時間をかけても実践してゆくものである。「まちづくり」の思想は、あくまでも実践に方向性を与え、その力になり支えとなるものである。「まちづくり」は未来につながる今日に生き、今日の行動の中に未来を生みださなくてはならない。(158、159ページ)

まちづくりと地域経営
「まちづくり」「地域づくり」は、地域内にある土地、金、物、そして人やチエを生かし、組合わせながら、長い目で見て、暮しやすい、住みやすい場をつくることである。それは、地域資源を活用して目標を達成しようという一種の経営である。地域の土地や資源は限られているから、一時的に利用して効率がよければよいというのではない。長期性、未来性の見地からみた経営であり、短期の効率性ではなく、長期の効果性に重点をおく経営でなければならない。
長期的でトータルな地域全体の発展に目を向けなければならない。そして、地域全体を公平な目でとらえ、永続的に市民全体の代表として考えられる自治体が、地域経営の責任をもつべきであろう。自治体にとっての「まちづくり」は、ここでいう意味の地域経営である。(176、177ページ)

■ 『まちづくりの実践』
まちづくりの意味
平仮名の「まちづくり」は、従来の価値観を変える挑戦をしようというものである。「まちづくり」の用語は、次のような意味をもっている。(1)官主導から市民主導へ。(2)ハードだけでなくソフトを含めた総合的な「まち」へ。(3個性的で主体性ある「まち」へ。(4)すべての人々が安心して生活できる人間尊重の「住むに値する」まちへ。(5)マチ社会とその仕組みづくり。(6)「まちづくり」を担うヒトづくり。(7)環境的に良質なストックとなる積み上げ。(8)小さな身近な次元の「まち」に目をむける。(9)広域的に考え、世界の「まち」と繋がる。(10)理念や建前だけでなく実践的なものへ、である。「まちづくり」とは、これらの全部が関係しあっていて、その全体を含む意味である。
なお、10項目中の(5)「マチ社会とその仕組みづくり」は、異質で多様な価値観をもつ人々が、互いに個性や自由を尊重しながら、その相違を超えて結合できる新しい社会(「マチ」)と仕組みをつくるのも、「まちづくり」の重要な目的である。(7)「環境的に良質なストックとなる積み上げ」は、使い捨てのフロー(流れ。流入と流出)中心システムではなく、限られた環境資源を有効に回して、継続的に使えるよい蓄積を積みあげてゆけるシステムに変えるのが「まちづくり」である、と言う意味である。(33~37ページ)。

まちづくりの実践の意味
「まちづくりの実践」とは、行動を通じて環境を意識的に変化させることである。「まちづくり」の実践の基本には「理念」や「理想」がある。それが「現実」と食い違うときに、現実を理念に近づけるようにする行動の全体が実践である。理念とか理想をもたない場合には、どんなに大きな事業でも、既定路線上の機械的な「実行」に過ぎない。(41ページ)
また、混迷を深める時代(現代社会)において、「まちづくりの実践」は次のような意味をもつ。(1)自己中心主義からの脱皮。(2)国際性を育てる。(3)人間環境を守り育てる。(4)人生を豊かにする。(5)新しい自由な人間の結びと出会いの場をつくる。(6)未来と対話する、である。
なお、以上のうち、(1)「自己中心主義からの脱皮」は、「まちづくりの実践」は、身近な自然や人間への関わりと、その思いやりから始まる。人と自然、人とモノ、人と人との関係を見直すことである。(6)「未来と対話する」は、「まちづくりの実践」は過去から未来への時間のなかの現在として行われるものである。一人の小さな人間も、「まちづくり」を通じて、心は空間的にも時間的にも無限に広がることができるし、そのなかに自分の小さな位置を発見することもできる、と言う意味である。(200~206ページ)

■ 『まちづくりと景観』
景観の特性
景観は「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。景観の主体は生活者である市民である。景観は市民の協働の作品である。景観は歴史的な存在であると同時に、現在の社会の状態をそのまま反映している。景観は自然を加工し、人工物を加えた総合的な姿として示される。景観はそれぞれの地域の個性である。景観はコミュニティのつながりを保つ手段にもなる。「景観」とは、「地表のあるまとまった地域をトータルに捉えた認識像」である。(33、34、85、93、105、112、119、216ページ)

景観づくりの原則
都市景観は、自覚ある市民が思いをこめて協働し、長年にわたってつくりあげていく作品である。次の留意点は、「美しい都市景観づくりのための19原則」である。(1)自然の地形を尊重し、できるだけ生かしていく。(2)特色ある自然の山・川・海・湖などを極力意識的に見せる。(3)連続した時間の証明者である歴史的遺産を尊重し、現代に生かす。(4)都市を拡散させないで、できるだけコンパクトにして、豊かな田園を保持する。(5)都市の上空は市民総有の空間としてコントロールする。(6)都市を一望で捉えられる眺望点を確保し、市民が都市の実感をもてるようにする。(7)協働作品としての都市景観に、個性ある統一性を求める。(8)統一を乱さない範囲の多様性を奨励し尊重する。(9)道路は人間のためにあることを確認し、歩行者空間を拡大する。(10)都市のシンボルをつくり、市民が一致できる共感点を育てる。(11)都市に潤いとくつろぎを増やすため、緑と花と水場を増やす。(12)「まち」に優れたアートやデザインされたストリート・ファニチュア(街具。ベンチ、標識、バス停など)を置く。(13)地域の素材をできるだけ使い、地域の色彩を見つける。(14)地域にふぐわない不良物を排除し、その侵入を防ぐ。(15)人々が楽しく安心して動き、憩う場を作り、市民の交流を深める。(16)都市を舞台にして、伝統の祭り、魅力的な新しいイベントを繰り広げる。(17)日常生活の中で、市民の愛情ある手がいつも加えられていること。(18)ヒトやモノへの人々の優しい気持ちを育てる。(19)子供のときから老人まで「まち」への関心を深める教育・学習を行う、である。
以上の原則を実現するには、地域を総合的に運営できる①「市民の政府」(自治体を変革して「市民の事務局」に変え、さらに進めて「市民の政府」にしていく必要がある。141ページ)の存在と、②市民が協働作品をつくっていく総合的なシステムとルールが必要だが、そんと言っても、③市民の「まち」への思いが大前提になる。(218~222ページ)

〇田村によると、平仮名の「まちづくり」という用語は、1970年代後半(昭和50年代)になって一般化してきた。それは、「ハード」と「ソフト」の両面を含む総合的な「市民的な用語」であるが、「まちづくり」にはもうひとつ「時間の軸」がある。時間軸は、過去が現在を通して未来を求めていくものである(『実践』ページ)。すなわち、「まちづくり」は、今日の「場」における地道な作業(実践)の積み上げを必要とするが、「夢」のある未来を実現するための行為であり、運動である。「まちづくり」には未来を夢みるロマンがある(『発想』3ページ)。
〇これからの「まちづくり」の課題は、「人が住むに値する場」(「共同の場」)を如何に創り、長期にわたって継続的に維持するかである。そのためには、「まちづくり」の主体である子どもから大人までの実践的な「市民」をはじめ、「まちづくり」の専門家や現場のリーダーを如何に育てるか(「ヒトづくり」)が問われることになる。その際の「市民」は、「自主的に自治をつくる人」「自覚と責任ある市民」を言う。
〇「まちづくりの実践」とは、ヒトが自分以外の外部のヒトやモノなどに対して働きかけて行うものであり、「人間環境」を意識的に変化させることである。すなわち、「まちづくり」は、自然やヒトやモノを相手にする「他者実現」である(『実践』205ページ)。「まちづくり」のプランナー(専門家)は、建築家のように作品を残すことを目的にしていない。皆の力が結集して動いていることと、結果としてよい「まち」が形成されるようにするのが、その仕事である(『実践』174ページ)。
〇そして、「まちの景観」は、「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。「景観」は市民の協働作品であり、コミュニティのつながりを保つ手段にもなる。美しい景観は、「人間らしく生き生きと、誇りをもって生きてゆくためのものである」(『景観』227ページ)。
〇以上を要するに、田村の言説は、「まちづくり」のプランナーとしての豊富な経験(横浜市における行政経験)と全国各地の実践例の検証に基づいた、帰納的で未来志向型の思考によるものである。とともに、多様な地域現場の歴史的風土や文化を踏まえた、総合的な発想による、市民主導・市民主体の「まちづくり」論である。それは、地方自治(「市民の政府」)の問題として論じられる。また、「まちづくり」は「ヒトづくり」であることを含意する。改めて再認識しておきたい。
〇なお、田村は『まちづくりの実践』において、「『まちづくり』の動態的構造」の模式図(158ページ)を示している。そして、「『まちづくり』には、市民が主導し協働して行うルートが重要である」。「行政の都合による市民参加は、『みせかけ』あるいは『「宥(なだ)めすかし』という意味になりかねない」。「市民協働の動きが活性化することは、市民が市民としての自覚をもって自治体を他治体から本来の市民政府へと変えてゆく動きになろう」。「市民政府は、市民参加の到達点でもある」、と説述する(158~159ページ)。それらを参考に、「まちづくりと市民参加」の「動態的な構造」に関する管見を「模式化」して図示しておくことにする(図1)。

付記
(1) 冒頭に記した鈴木伸治編『今、田村明を読む』のなかに、「計画行政における市民参加」と題する論文(日本都市計画学会『都市計画』第72号、1972年9月、6~16ページ)が収録されている(127~150ページ)。「市民参加」については、アメリカの社会学者であるS.R.アーンスタインが1969 年に発表した8つの「市民参加の階梯」(図2)が有名である。年代的にはそれを参考にしていると思われるが、田村は、「市民参加の9段階」(図3)を提示している(138ページ)。

(2) 筆者(阪野)の手もとに、田村明著『都市プランナー 田村明の闘い―横浜〈市民の政府〉をめざして―』(学芸出版社、2006年12月)がある。
「大都市のなかで最も優れた都市デザインでしられる横浜市。今から40年前、その礎を築いた男がいた。量のみを求める建設行政、あと先を考えない開発優先、中央官庁のタテワリ支配に反旗を翻し、地域や市民の立場に立った市民の政府としての自治体、ハードもソフトも、便利さも美しさも考えるまちづくりをめざした闘いの記録」(学芸出版社)である。その男が、革新市長・飛鳥田一雄のもとで辣腕(らつわん)を発揮した田村明である。本書から、地方自治と「まちづくり」のひとつの原点を見出すことができる。
「横浜市はいつから独立国になったのかね」「憲法(宅地開発の憲法のような「宅地開発要綱」)をつくったそうじゃないか」「そんなに言うこと聞かないなら、補助金はやらないぞ」(152~154ページ)。国(建設省、現在の国土交通省)の役人の言である。それに対して、田村が国との交渉のなかでよく使ったセリフは、「そんなことを言っても市民が黙っていない」(370ページ)であったと言う。生々しい。
(3) 田村の言説のひとつに、「市民の政府」論がある。それを纏めた一冊が『「市民の政府」論―「都市の時代」の自治体学―』(生活社、2006年8月)である。国による「官治」「集権」の自治体運営とは対極の、市民自身が主体となる真の地方自治の有り様(ありよう)を論じている。
周知のとおり、2000年4月から「地方分権一括法」が施行され、国と地方の関係は「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係に再編された。また、北海道ニセコ町の「まちづくり基本条例」(2001年4月1日施行)を嚆矢として、2006年4月1日現在、64の市町村(全市町村1,820の3.5%)で「自治体(まち)の憲法」としての「自治基本条例」が制定・施行されている(2016年10月10日現在では、全市町村1,718の21.0%にあたる361市町村で制定・施行されている)。こうした状況下で、田村にあっては、「市民の政府」について認識する市民も自治体関係者もごく少なく、現在の自治体はまだ「市民の政府」と言えるものではない。
以下に、田村の言説の一部を紹介しておくことにする。なお、「市民政府」ではなく、「市民の政府」と「の」を強調するのは、市民自身が自治体を自分のモノと思えるようにするためである。
 
 「市民の」政府とは、一口で言えば、「政府が市民の所有物である」という意味だ。国の下請け機関や出先機関ではなく、市民が自立して自分の政府をつくり、自ら所有するということを意味する。(74ページ)

 「市民の政府」の必要条件は、まずは、市民も自治体もその自覚を持つことである。
 「市民の政府」の十分条件には、次の3つがある。
 ① 外部条件  中央統制や関与の排除、財政自主権の確立
 ② 内部条件  市民の参画、情報の公開、説明責任の遂行、政策立案の自主的能力
 ③ 市民条件  市民の信頼、共同意識、市民としての自己責任(75ページ)

 「市民の政府」は、かつての民衆を支配した「お上」の対極にある。混乱する地域と孤立化した人間を支えるには欠かせない、ヒトのココロを優先させる地域経営の装置である。真の人間性と英知による「民治」の「市民の政府」が期待される。(86ページ)

「知的生産」:「知る」ことと「考える」こと―外山滋比古と千葉雅也の「勉強論」について―

〇「知的生産」という言葉は、梅棹忠夫(うめさおただお、専攻は民族学)の造語である。梅棹は、「京大型カード」の発案者であり、情報管理の「古典」と評される『知的生産の技術』(岩波書店、1969年7月。以下[1])を著わしている。[1]で梅棹は、エッセイふうに次のように述べている。

知的生産とは、知的情報の生産である。既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、そこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである。それは、単に一定の知識をもとでにしたルーティン・ワーク以上のものである。そこには、多少ともつねにあらたなる創造の要素がある。知的生産とは、かんがえることによる生産である。(11ページ)

人間の知的活動を、教養としてではなく、積極的な社会参加のしかたとしてとらえようというところに、この「知的生産の技術」というかんがえかたの意味もあるのではないだろうか。このような意味での知的生産であるならば、それは、現代にいきる人間すべての問題ではないか。(中略)すべての人間が、その日常生活において、知的生産活動を、たえずおこなわないではいられないような社会に、われわれの社会はなりつつあるのである。(12ページ)

〇異例のロングセラーやヒットとなっている「思考」や「勉強」に関する2冊の本がある。外山滋比古(とやましげひこ、専攻は英文学)の『思考の整理学』(筑摩書房、1983年3月。以下[2])と千葉雅也(ちばまさや、専攻は哲学)の『勉強の哲学―来たるべきバカのために―』(文藝春秋、2017年4月。以下[3])である。筆者(阪野)の手もとにある[2]は、1986年4月発行の文庫本であるが、その帯(おび)には「東大・京大で1番読まれた本」「“もっと若い時に読んでいれば…”」というキャッチコピーがある。[3]のそれには、「東大・京大でいま1番読まれている本!」「勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである」とある。ともに読者の、「学歴」(「東大・京大」)や「人生」(「過去・現在・未来」)への思いを刺激し、その感情(「後悔や希望」)を巧みに煽(あお)る。不安や不満が渦巻く現代社会(格差社会、管理社会、閉塞社会)の時流やニーズを反映した本でもある。
〇[2]で外山は、「思考」の本質と方法(具体的な“秘伝”であり、単なるハウツーではない)についてエッセイ的に解説する。その基本には、「知識よりも思考の方が重要である」という主張がある。筆者が再認識しておきたい言説には、次のようなものがある(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

グライダー能力と飛行機能力
人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。
指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。(「グライダー」13、15ページ)

思考を寝させる
アイデアと素材さえあれば、思考は進むか、というと、そうではない。これをしばらくそっとしておく必要がある。“寝させる”のである。思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない。思考を生み出すのにも、寝させるのが必須である。
努力をすれば、どんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。努力しても、できないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。(「醗酵」32ページ。「寝させる」40、41ページ)

テーマの設定
「テーマはひとつでは多すぎる。すくなくとも、二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい」。ひとつだけだと、これがうまく行かないと、あとがない。こだわりができる。妙に力(りき)む。頭の働きものびのびしない。ところが、もし、これがいけなくとも、代りがあるさ、と思っていると、気が楽だ。テーマ同士を競争させる。いちばん伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から近づいてくる。
“熟したテーマは、向うからやってくる”(「カクテル」43ページ。「醗酵」35ページ)

知識の組み合わせと順序
思考における思いつき、着想は、第一次的なものである。単独ではさほど力をもっていないようないくつかの着想があるとする。そのままにしておけば、たんなる思いつきがいくつか散乱しているに過ぎない。それに対して、自分の着想でなくてもよい。おもしろいと思って注意して集めた知識、考えがいくつかあるとする。これをそのままノートに眠らせておくならば、いくら多くのことを知っていても、その人はただのもの知りでしかない。“知のエディターシップ”(既存の知識を編集によって、新しい、それまでとはまったく違った価値のあるものにすること)、言いかえると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となるのである。
本当のカクテル論文(すぐれた学術論文)は、諸説を照合・参照して調和折衷(「新しい結合」「自由な化合」)させ、人を酔わせながら、独断におちいらない手堅さをもっている。(「エディターシップ」51ページ。「カクテル」47ページ)

知識の蓄積と忘却
頭の優秀さは、記憶力の優秀さとしばしば同じ意味をもっている。これまでの教育では、知識をどんどん蓄積することが重視されてきた。しかし、これからは、新しいことを考え出し、作り出す「創造的人間」が問題になる。頭に、勉強し習得した知識を保存保管するだけでなく、不要になったものを、処分し、整理し、広々としたスペースをとる必要がある。頭をよく働かせるには、この“忘れる”ことが、きわめて大切である。
思考の整理には、忘却がもっとも有効である。不易(不変)の知識のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりうるはずである。(「整理」110~112、115ページ。「時の試練」127ページ。「すてる」133ページ)

〇[3]で千葉は、「勉強」の原理論と実践論(「勉強を進めるための基礎的なテクニック」)について哲学的に論述する。その最初に提示する基本的なテーゼは、「勉強とは、これまでの自分の自己破壊である」。筆者がメモっておきたい言説には、次のようなものがある(要約と抜き書き。見出しは筆者)。

勉強とは「自己破壊」であり、「変身」することである
人は基本的には、家族や学校、会社、地域・社会など周りの環境の「ノリ」に合わせて生きている(環境への「同調」「適応」「順応」)。
勉強するのは、環境や同調圧力(「みんな同じようにしなさい」「出る杭は打たれる」)によって狭められた人生の「可能性」を切り開き、これまでのノリから「自由」になるためである。その意味で、勉強とは、かつての「ノっていた自分」を破壊し、わざと「ノリが悪い」人になることである。具体的には、勉強によって身につけるのは「批判的になる」ことであり、ノリの悪い「言語」を使用すること(「言語偏重」の人になること)である。それは、環境から「浮く」ことであり、周りから見て「キモい人」になることでもある。
要するに、勉強とは「自己破壊」であり、「新しいノリ」に引っ越すこと、新しい生き方に「変身」することである。(第1章「勉強と言語―言語偏重の人になる」)

勉強は情報の比較を「中断」し、「有限化」することが必要である
勉強は、いま気になっていること、「問題意識をもつ」ことから始まる。ただ、勉強にはきりがなく、「深追い」しすぎると「目移り」してしまうことがある。「深追い」(「アイロニー」「ツッコミ」)とは根拠を疑うこと、「追究」であり、「目移り」(「ユーモア」「ボケ」)とは見方を変えること、「連想」である。この二つは、「深い勉強」(「ラディカル・ラーニング」)のための思考スキルである。
勉強とは、何らかの専門分野に参加することである。専門分野の勉強は、「深追い」方向と「目移り」方向にきりがなくなる。そこで、勉強する際には、「まずこれだけ」「ここまで」「ひとまずこれを勉強した」というように勉強を「有限化」する(きりをつける)。そして、継続すること、が肝要となる。そのためには、「信頼」できる著者による「まとも」な本を読むことが基本となる。その読書から得た信頼できる情報を自分なりに考えて比較し、ある結論、しかし絶対的なものではなく仮の結論を出す。それは、自分の「こだわり」(「享楽」)によるが、この「比較の中断」「結論の仮固定」を比較の継続のなかで進めることが勉強を継続し、深めることである。
なお、「このくらいでいい」という勉強の「有限化」をしてくれる存在(「有限化の装置」)が教師である。また、勉強するにあたって「信頼」すべき他者は、「粘り強く比較を続けている人」「たえず勉強を続けている他者」である。(第2章「アイロニー、ユーモア、ナンセンス」、第3章「決断ではなく中断」、第4章「勉強を有限化する技術」)

〇「知る」ことと「考える」こと(「知識」と「思考」)は、例えば、「一次資料と二次資料」「量的データと質的データ」「既知のことと未知のこと」「伝達の言語と思考の言語」などの取り扱いや、「インプットとアウトプット」「概念くずしと概念づくり」「具体的思考と抽象的思考」「拡散的思考と収束的思考」などの取り組みが問われることになる。また、管見ながら、勉強とは、関心と疑問から始まり、ゆとりと自由のなかで知識の習得と思考の推進を図り、それを一所懸命に行い、未来(あす)の地域・社会を創るために繰り返すこと(活動と過程)である。改めて梅棹と外山、そして新たに千葉の「勉強論」を通じて再認識し、学んだことのひとつである。なお、[1][2]が長い時間を超えた「古典」と言われ、[3]が「いま」注目されるのは、その是非は別にして、単なるハウツー本ではなく、現代社会が求める「知的生産」の思想書(哲学書)であるからでもある。
〇筆者はかつて、学生たちに「住民の生活の匂(にお)いがする場に自分の身を置く」「フィールドの地べたを這(は)う」「一人ひとりの高齢者や障がい者などの人生に思いを致す」勉強や研究の重要性を説いてきた。そして、次のように言ってきた。(1)すべてを疑い、問題意識の明確化を図ること。(2)微視的かつ俯瞰的、複眼的視点をもつこと。(3)第一次的現実とともに、歴史から学ぶこと。(4)先行研究や、使える理論や方法について熟考すること。(5)量的研究と質的研究を組み合わせ、多面的・多層的に考察すること。(6)関連および周辺領域の知見を広範に参照すること。(7)協働的活動によって思考を拡散・焦点化、深化させること。(8)既存のものに偏重せず、新たな仮説の探索や設定・検証に基づくこと。(9)グラフや概念図を作成することによって、思考を視覚化すること。(10)信頼性や独創性・先駆性、そして倫理性を重視すること、などがそれである。付記しておく。

福祉教育は“教育する”ことができるのか:「差別」の権利と「共生」の義務―宮寺晃夫著『教育の正義論』読後メモ―

〇2016年4月、「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が施行された。それによって、共生社会の実現をめざして、障がい者への「合理的配慮」が行政機関や学校、事業者などに義務化された。また、国民には、「障害を理由とする差別の解消の推進に寄与するよう努めなければならない」(第4条「国民の責務」)ことが求められた。「合理的配慮」とは、障がい者から社会的障壁の除去について要請があった場合、過度な負担にならない範囲で、障害に基づく差別(区別、排除、制限など)を解消するために行う必要かつ適当な変更や調整のことをいう。法律の施行から1年以上が経った。いま、「合理的配慮」をめぐって、福祉教育が取り組むべき具体的な実践的・理論的課題は何か、その追究が厳しく問われている。
〇2016年7月、知的障害者の大規模福祉施設「津久井やまゆり園」で、「相模原障がい者殺傷事件」が起きた。マスコミ報道によると、被告(植松聖)は、「最低限度の自立ができない人間を支援することは自然の法則に反する」と言う。事件の発生から1年が経過しても、彼の思考(観念、思想)には何のブレもない。彼は、「(その施設に)3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信をもつことができました」。「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」と言い切っている。また、その施設の家族会前会長(尾野剛志)は言う。「僕が名前と顔を出して息子のことを語るのも、黙ってしまうと植松に負けたことになるんじゃないかと思うからです」。「(施設の)建て替え問題にしても、(犠牲者の)匿名の問題にしても、知的障害者を含めた障害者と言われる方々が差別されているという現実が、まず問題だと思っています」。「差別を根本的に変えるには100年かかるかもしれません」(『創』第47巻第8号、創出版、2017年8月、22~39ページ)。
〇われわれの社会はこれまで、障がい者を「排除」「隔離」「分断」してきた。いままた、優生思想や排外主義が国民生活に影を落としている。そのようななかで、共生社会とは、その実現に向けた取り組みは、そのひとつとしての福祉教育の存在意義は、などについて根源的に問い直すことが強く求められている。福祉教育は“教育する”ことができるのか。福祉教育を正当化・有効化する理論的・実践的研究は進んだのか(注①)。
〇ところで、筆者(阪野)の手もとには、「未読」や「積読」(つんどく)の本が多少なりともある。また、本の読み方も、その関心や必要性に応じて、通読や精読、飛ばし読み、拾い読み、斜め読み、あるいは目次や見出し、注釈だけを読むなど、まちまちである。今回は、宮寺晃夫著『教育の正義論―平等・公共性・統合―』(勁草書房、2014年5月。以下「本書」。)を「通読」することにした。それは、あの日から1年以上が経った「障害者差別解消法」(施行)と「相模原障がい者殺傷事件」(発生)についてのひとつの“想い”によるものである。
〇本書は、宮寺(専攻は教育哲学)が2006年から2013年の間に発表した11本の論文を編んだものである。内容的には、教育基本法の改正や教育委員会の形骸化、道徳教育の特別教科化など、教育の国家統制や右傾化の推進が図られるなかで、「正義」の理念や概念から教育のあり方(「正義の教育」)を問うている。その際の基本的なスタンスは、「平等と教育」「公共性と教育」「統合と教育」について、さまざまな考え方や立場の人びとが参加して公平に議論する「公論の場」を取り戻す(「復興」する)ことにある。宮寺が求めるのは、現在の「閉鎖的で不正義」な教育体制の打破である。
〇本書に収録されている論文に、「政治と教育は『差別』にどのように向き合ってきたか―H・アーレントの『統合教育』批判―」(以下「本論文」。初出原稿:「教育学と政治学は出会えるか―アーレントの『統合教育』批判を読む―」『近代教育フォーラム』第16号、教育思想史学会、2007年9月、221~231ページ)がある。
〇アメリカ公民権運動における重大事件(人種差別暴動)のひとつに、1957年9月に発生した「リトルロック事件」がある(注②)。その事件を素材に、政治哲学者のH・アーレント(Hannah Arendt、1906年~1975年)が、1959年の論稿「リトルロックの省察 “Reflections on Little Rock”」で「統合教育(融合教育)」批判を展開した(注③)。例えば、アーレントによると、人間の生活・活動は「個人的領域」「社会的領域」「政治的領域」の3つの領域に分けられる。それぞれの領域の支配原理は、個人的領域は「排他性」、社会的領域は「差別=識別」、政治的領域は「平等」である。学校は、社会的領域に属するものであり、白人と黒人の「人種統合教育」という政治的課題を社会的領域に持ち込むことは領域侵犯(社会的領域への政治介入)である(注④)。
〇本論文で宮寺は、アーレントの「統合教育」批判を手がかりに、「共生の強制は個人の自由と両立するか」(205ページ)という問題について、教育(論)と政治(学)との対比のもとで検討する。例えば、上述のアーレントの言説については、宮寺は、「『統合された学校』は、家庭環境、階層、人種など多様な出自と文化的背景を有する子どもに占められており、(中略)政治的実験場とみられてしかるべきである。このことにあえて着目しないアーレントは、学校論、いや教育論を、彼女の政治学のなかに正当に位置づけていない」(207ページ)。アーレントは、「あくまでも、『統合教育』の正当化を義務論の観点で追究しようとする」。「『統合教育』がもたらす効用(帰結論)には一切言及していない」(205ページ)と批判する。
〇すなわち、宮寺は、「学校が社会的領域に属する空間であるのは、あくまでも子どもにとってであり、大人にとっては、学校が同時に政治的領域にも属する」。大人は、「親として、地域社会の一員として、国家の担い手として、(個人的領域、社会的領域ばかりでなく、政治的領域にも)それぞれ異なる役割を同時に演じ、異なる責任を同時に負っている」(206ページ)と言う。また、宮寺にあっては、統合教育は「融合」をもたらし、「寛容と協和の精神」(205ページ)を芽生えさせるのである。
〇以下では、本論文の読後メモとして、「教育と政治における差別」をめぐって、アーレントと宮寺の言説のいくつかを抜き書きすることにする。それは、「福祉教育」について議論する際のひとつの視点・視座でもある。

(1) 「差別=識別」と「差別=分断」/識別の軽視は画一化や等質化を進め、逸脱者を排除する/「みんな違うけど、みんな仲間」
日本語で表わせば、どちらも「差別」と訳される英語に、「ディスクリミネーション」(discrimination、差別=識別)と「セグリゲーション」(segregation、差別=分断)がある。(192ページ)
人びとの間には、身体や性向や能力や育ちなどの点で、さまざまな差異がみられる。差別=識別(ディスクリミネーション)とはその差異の見極めのことであり、それに基づいて、人びとはそれぞれ交渉の相手を選び、交際の範囲を画する。誰とでも等しく付き合うべきだ、と言われても、仕事を一緒にしたり、休暇を共に過ごしたりする相手や仲間は、やはり差異の見極めに基づいて絞(しぼ)られていく。そうすることで社会が成り立っている、とアーレントは次のように断言する。「どのような程度にしろ、なんらかの差別=識別がなされないならば、社会はすぐに存在しなくなるであろうし、人と人との自由な結びつき(フリー・アソシエーション)や仲間づくり(グループ・フォーメーション)といった大変重要な可能性もなくなるであろう。」そうした差別=識別、すなわち差異の見極めが軽視されていくと、人びとは“誰でも一緒”という画一主義(コンフォーミズム)におちいり、やがてそれは国家の構成員を等質性(ホモジャニーティ)へと導いていくことになる、とアーレントは言う。(中略)アーレントにとって、国家の構成員の等質化は、とりもなおさず人種的少数者の言論と行為を封殺し、かれらを異邦人に仕立ててしまうことにつながる。それだけに、等質にみえる人びとの間に差異を再認し、異化しつづけていくことは、国家の構成員が画一主義に同調していかないために重要である、とアーレントはみている。(192~193ページ)
この差別=識別が、いわれのない偏見と結びつくと、人びとの間に分断を生じさせる。(193ページ)

(2) 教育と政治における「差別」/理念と現実、本音と建前は乖離する/「賛成と反対を超える」
教育(論)の現場では、「差別をしてはいけない」のは証明が不要な“公理”であり、それが目的にすえられる限り、「なぜ差別してはいけないのか」という発問は、差別意識を取り除くための反問として使われることはあっても、「差別は社会的権利である」という“命題”に展開されていくことはまずない。それに対して、「差別する人もいる」、「そういう人を無くすことはできない」という複数性(さまざまな立場からの討議)を踏まえて差別問題に取り組むのが政治学である。ここには、明白なズレがある。政治と教育の間には容易に越えられない溝があり、そこに架橋するには、実践的だけでなく、理論的にも重要な課題が残されている、とアーレントは示してくれているように思われる。(210ページ)

(3) 社会変革と「進歩主義の教育」/児童中心主義の教育は、大人の責任を子どもに転嫁する/「共生社会づくりは、みんなの手で」
アーレントにとって、社会を変革していかなければならない主体は(中略)子どもではない。社会の矛盾を正していかなければならないのは大人(中略)である。大人の教育責任は(中略)自分たちの社会に子どもを導き入れていくことにある。大人はこの責任を逃れて、社会変革の可能性を将来の大人に期待している。これは責任転嫁にほかならないが、大人の責任放棄に支持を与えてしまっているのが、アーレントによれば進歩主義の教育である。それは「子ども中心主義」とも呼ばれ、ジョン・デューイの教育理論の代名詞ともされている。社会が長年にわたり解決しようとしながらも、未解決のままに残されている難題を、「子ども中心主義」の名で子どもに押し付けているのが進歩主義の教育である、とアーレントはみている。そうした難題に、人種差別の解消と人種の融合がふくまれている。「統合教育」は、まさに大人の、いや人類の宿題を子どもに託するようなものである。(199ページ)

〇一般的に使われる「差別」という言葉は、国籍や障害、性的指向などの差別対象の多様化や、知る権利やプライバシーの権利、自己決定権などの人権概念の拡大が進むなかで、その定義づけが難しくなっている。「差別」には、政治的権力(法制度や行政施策など)と社会的権力(企業やメディアなど)、そして個人などによる差別がある。また、実態的差別(差別の行動や生活実態)と心理的差別(差別の観念や意識)がある。差別意識には、現実の差別実態に基づいて形成(学習)されたものと、支配者側の権力によって差別思想が注入されたものとがある。
〇これまで、福祉教育は、「社会福祉問題」としての「差別」を実践・研究対象としてきた。しかし、そこでの議論は、「共生社会の実現」という視点からのものが多く、「差別」の実態を深く鋭くえぐれ出し、それを広く社会に“告発”して「社会問題」化してきたか。また、権力に強く“対抗”してきたかというと、疑問符が付く。さらに言えば、これまでの福祉教育論では、高齢者や障がい者、外国籍住民などの「差別される側」の視点に立った議論に留まり、「差別される側」に内在する「差別」(「被差別者間差別」)や「差別する側」の問題について十分に議論されてきたであろうか。これまた、疑問とするところである。
〇福祉教育は、「啓発」と「教育」、「学校を中心とした領域(学校福祉教育)」と「地域を基盤とした領域(地域福祉教育)」、「福祉教育事業」と「福祉教育機能を有する事業」のように大別されてきた。福祉教育は、市民主体のまちづくりを進める教育事業・活動であり、子どもや高齢者、障がい者などすべての市民(住民)の参加を必要とする。また、福祉教育は、地域の社会福祉問題を素材とすることから、それぞれの教育領域や事業・活動だけで自己完結はしない。連携・協働(「共働」)が重視される。これまでの2分法の止揚をめざす「市民福祉教育」の探究が求められるところである。
〇「弱者である障害者に思いやりの心で接するのは健常者として当然のことです」。これは、「差別する者」と「差別される者」がその場(教室)にいないことを前提にした、T市の学校福祉教育(障がい者との交流授業)における教員の指導である。「われわれは社会の底辺にいるお年寄りのために援助の手を差し伸べるべきである」。これは、S市の地域福祉計画策定委員会における策定委員(高齢者)の見下し(みくだし)発言である。筆者がそこで感じたことのひとつは、違いを認めない「同調意識」や「同調圧力」であった。福祉教育の“怖さ”でもある。


① 福祉教育では、共生や共生社会について、「総論賛成、各論反対」という言い方をしてきた。「相模原障がい者殺傷事件」は、総論そのものを否定し、総論自体の合意形成が図られていない現実を露呈させたと言われる。いま、単なる実践プログラムやHow toではなく、福祉教育本質論についての歴史的・理論的研究が求められる(市江由紀子・戸枝陽基・原田正樹「〈鼎談〉地域共生社会の実現に向けて―障害差別と偏見に向き合う―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』第28号、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2017年6月、18ページ)。
② 宮寺は、「リトルロック事件」をめぐるアーレントの論稿について次のように解説している。

論文「リトルロックの省察」(1959)は、南部のアーカンソー州の州都リトルロックの公立高校での「統合教育」(インテグレイテット・エデュケーション)、つまり白人生徒と黒人生徒の共学の実施をめぐり、これまで入学を認められなかった黒人生徒の入校を妨害しようとして起きた“暴動”の鎮圧に、州政府(フォーバス知事)が消極的であったこと、いや、単に消極的というよりも、州兵を出動させて黒人生徒の入校を阻止したことに対して、連邦政府(アイゼンハワー大統領の共和党政権)が連邦正規軍を投入して、黒人生徒の入校を確保したことにふれて書かれたものである。リトルロックの“暴動”は、「統合教育」の徹底により人種差別の撤廃を図る中央政府と、それに消極的な州政府との対立を象徴する出来事として、全米の注目されるところとなった。アーレントは、論文「リトルロックの省察」で、中央政府による「統合教育」の強行実施に批判的なスタンスをとっている。とはいえ、もちろん州当局による「分離教育」の続行を支持しているわけでもない。学校という社会と地続きの空間を、政治的な力を行使してまで平等化しようとすることが、どこまで正当か、という問題をアーレントは提起するのである。(196ページ)

③「リトルロックの省察」は、「リトルロックについて考える」と題して、ハンナ・アレント著/ジェローム・コーン編/中山元訳『責任と判断 “Responsibility and Judgment”』(筑摩書房、2007年2月、253~277ページ)に収録されている。以下は、「訳者あとがき」の一節である。

「リトルロックについて考える」は、リトルロック事件の直後にアレントが書いた文章であり、(中略)リベラル派を刺激し、アイヒマン裁判のときにおとらぬ激しい批判にさらされた文章である。同時代の事件について書いていたアレントにはよくみえない事実などもあったようだが、アレントのスタンスは明確であり、黒人の生徒たちを人見御供(ひとみごくう。生贄(いけにえ)として差し出すこと:阪野)のようにして、白人と黒人の教育の分離の問題を解決させるのは間違いだというものである。
この事件が公民権運動にもたらした影響はきわめて大きく、生徒たちは結局は「ヒーロー」となり、黒人の権利回復に貢献することになった。結果としてはアレントの見込み違いという側面もあるのはたしかだが、このアレントの判断の背後には、幼い頃のユダヤ人としての経験があることも見落とすべきではないだろう。(中略)当時のドイツでは反ユダヤ主義的な傾向が強かったが、アレントの母親は学校において教師が反ユヤダ主義的な発言をした場合には、アレントに直ちに退席して帰宅して報告するように告げていた。そして母親は校長に抗議の手紙を送るのだった。しかし仲間の生徒たちから反ユダヤ主義的なからかいをうけても、ただひたすら耐えるようにと告げていたのだった。
アレントはこの母親の教えの背後にある基本的な考え方を、この論文では明確な原則として作りあげている。学校という領域は政治的な原則と社会的な原則が交錯する場である。教師は平等性を原則とする政治的な立場に立たされている。しかし仲間の生徒たちとアレントは、差別を原則とする社会的な領域で生きているのである。この原則の違いは明確なものであり、公民権運動にたいするアレントのスタンスを明確にする上で役立っているのである。(390ページ)

④ この点をめぐって、アーレントは次のように述べている。その前段で彼女は、「政治体において平等はそのもっとも重要な原則であるが、社会におけるもっとも重要な原則は差別である。社会とは、政治的な領域と私的な領域にはさまれた奇妙で、どこか雑種のようなところのある領域である」(『責任と判断』266ページ)と言う。

大衆社会とは、差異の境界をあいまいにして集団の違いを均(な)らす社会であり、これは個人の全人格的な一体性よりも、社会そのものに危険をもたらすものである。個人的な全人格的な一体性の〈根〉は、社会的な領域の彼方にあるからである。しかし順応主義は大衆社会だけの特徴ではなく、すべての社会でみられるものである。その集団を集団たらしめる差異の全般的な特徴に順応しない人々は、その社会的な集団にうけいれられないのである。アメリカにおける順応主義のもつ危険性は(これはアメリカ合衆国の建国以来の危険性である)、住民がきわめて不均質であるために、社会的な順応主義が絶対的な力を発揮して、国民としての均質性に代わる傾向があることだ。
いずれにせよ政治体にとって平等が不可欠なものであるのと同じように、社会にとっては差別と差異は不可欠なものなのだ。だから重要なのは、どうすれば差別をなくすことができるかではなく、どうすれば差別をそれが正当に機能する社会的な領域のうちにとどめておくことができるか、そして差別が破壊的な力を発揮する政治的な領域や個人的な領域にはいり込まないようにできるかということにある。(『責任と判断』267ページ)