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阪野 貢/「リフレクション」基礎考―「まちづくりと市民福祉教育」における「5つのリフレクション」―

〇筆者(阪野)の手もとに、「リフレクション」(reflection)に関する次のような文献がある(それしかない)。

(1)「特集/福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション」『研究紀要』Vol.20、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月


(2) 熊平美香著『リフレクション―自分とチームの成長を加速させる内省の技術―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021年3月(以下[2])
(3) 西原大貴著『「自分の可能性」を広げるリフレクションの技術』日本実業出版社、2023年4月(以下[3])
(4) 千々布敏弥著『先生たちのリフレクション―主体的・対話的で深い学びに近づく、たった一つの習慣―』教育開発研究所、2021年11月(以下[4])
(5) 学び続ける教育者のための協会(REFLECT)編『リフレクション入門』学文社、2019年1月(以下[5])

〇「リフレクション」は、企業をはじめ保健、医療、看護、福祉、教育などさまざまな業種・分野(現場)で取り組まれ、研究と議論が行われてきている。本稿ではまず、福祉教育のリフレクションについて、原田正樹の言説[1]を要約する。そこに示された知識や理解、実践を深め広げるためのヒントを得るために、あえてビジネスの世界におけるリフレクションの言説や論点を[2][3]から学ぶ。それは、人材育成や組織開発など、企業の成長や存亡にかかわる厳しいものであることによる。そして、[2][3]からの知見を補強するために、[4][5]についてその一部にふれることにする(抜き書きと要約。語尾変換・統一。見出しは筆者)。

 

Ⅰ.  原田正樹「福祉教育・ボランティア学習における創造的リフレクションの開発」

体験学習とリフレクション
●  福祉教育・ボランティア学習において、共生の福祉観を育むためには、障害や高齢による日常生活動作の疑似体験だけでは不十分であることは指摘されてきた。また、従来から「体験のやりっ放しはよくない」という指摘はなされ、体験学習における振り返りの大切さは意識されてきた。
●  リフレクションのないプログラムは、どれほど目新しいものであっても、それは学習者の生活世界を変えていくものにはならないばかりか、地域社会の関係構造(リレーションシップ)を変えていく力にはなり得ない。
●  振り返りといっても、生徒たちの体験後の感想文・作文が主流で、自らの行為を省みる(内省)内容が中心であった。生徒間で異なった気づきを発見したり、課題を共有化していくことによる「感想文からはじまる学習」こそ、リフレクションのスタートである。
●  ポートフォリオを導入して、(学習指導の過程において実施する)「自己形成評価」を取り入れる実践も増えてきた。ポートフォリオでは、学習者自身が学びを意識化し深めるという点では有効であるが、内省・省察的な振り返りだけでは、地域社会の関係構造の変化にむけた働きかけにつながらない。今日の福祉教育・ボランティア学習は、「社会創出」を指向したプログラムになっていない。

社会創出とリフレクション
●  社会創出とは、自らが地域社会の一員であることを自覚し、共生文化を創造する担い手として、地域社会に働きかけていくことができる力を育むことである。そのためには、体験だけで終わらせないための目的設定やプログラム、そしてそのことを意識したリフレクションが必要である。
●  例えば、ホームレスのことを知った生徒たちには、「これからどうしていくか」を問うことで、自らの行為や生き方を考えていくことになり、さらにホームレス問題を社会のなかでどう解決していくかを考えていく主体になり、その解決にむけてアクションを創り出していくことが望まれる。これが「創造的リフレクション」(creative reflection)である。

創造的リフレクションと主体形成
●  リフレクションは、反省的思考(reflective thought)→行為のなかの省察(reflection-in-action)→批判的自己省察(critical self-reflection)→批判的省察(critical reflection)→創造的省察(creative reflection)という道筋で展開される。
●  「創造的省察」とは、現時点から過去の行為をふりかえるだけではなく、近未来の自分や社会を創り出すという視点から、リフレクションをしていくことである。同時にリフレクションを通して、近未来を創り出していくという指向性を有している。
●  個人の体験をリフレクションによって、何らかの解釈や意味づけをすることで、それを抽象的な概念として普遍化することが重要である。このことを繰り返すことによって、個人の発達を促していくことになる。そこで、個人の具体的な体験からその本質を引き出し(抽象化)、それを言葉(文章)や絵、図などによって表現すること(概念化)――「抽象的概念化」(abstract conceptualization)を行うための(教師による)学習支援が重要になる。
●  リフレクションは、事後学習のプログラムではなく、体験の事前、事中、事後のすべての段階で行われる。しかも、こうしたリフレクションを繰り返し行うことで、新たな理解、新たな応用へと昇華していくという螺旋型の構造を示す。
●  未来志向の創造的リフレクションは、「学習の広がりと深まり」と「プログラムの展開と多様な学びの場」という2つの軸で考えられる。すなわち、一つだけのプログラムだけで学びが終始するのではなく、プログラムそのものも次の段階へと発展し、また様々な学びの場へと広がっていくことで、市民社会や共生文化の担い手としての主体形成が促されていく。
●  創造的リフレクションの構造には3つの特徴がある。①個別プログラムにおける丁寧なリフレクションを積み上げ、長期のプロセスを重視してリフレクションを長期で捉えていること。②当初は提供されたプログラムであっても、本人の意思や成長によって、自ら学びの場を選択したり、創り出すように展開していくこと。③新しい社会創出にむけて、理念的に語るだけではなく、具体的に提案(proposal)・提唱(advocate)することを組み込んだ学習プログラムを重視していくこと、である。これらによって新しい社会創出に向けた主体形成が図られていく。
●  福祉教育・ボランティア学習では、当事者に共感・共鳴し、ときには代弁する「当事者性」の涵養を大切にし、多くの人たちと学びあう「協同実践」を大切にしてきた。こうした学びの関係性を大切にするとともに、学びが連続し、継続していくことで、社会につながっていくという方向性を強くしていかなければならない。そしてそれは1つのプログラムではなく、地域のなかに複数の学びがあることが重要である。そのためには生涯学習の視点からの学びのシステムを検討していかなければならない。

(備考)
原田正樹「福祉教育・ボランティア学習における創造的リフレクションの開発」『研究紀要』Vol.20/日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月、41~52ページ/2021年2月24日/本文

 

Ⅱ.  熊平美香著『リフレクション―自分とチームの成長を加速させる内省の技術―』

リフレクションとその技術
リフレクションとは、「自分の内面を客観的、批判的に振り返る行為」(3ページ)である。その目的は、あらゆる経験から学び、未来に活かすこと。経験を客観視することで新たな学びを得て、未来の意思決定と行動に活かしていくことにある。それによって、自分自身の成長だけでなく、他者への理解を深めて成長を促進したり、組織をまとめるリーダーシップを育んだりすることができる。リフレクションの基本となるメソッドは、①自分を知る、②ビジョンを形成する、③経験から学ぶ、④多様な世界から学ぶ、⑤アンラーンする(学んだことを手放す)、の5つである(4~5、11ページ)。また、リフレクションの質を高めるためには、事実や経験に対する自分の判断や意見を、「意見」「経験」「感情」「価値観」(「認知の4点セット」)に切り分けて可視化することが肝要となる。それによって、自分の内面を多面的に深堀りし、柔軟な思考を持つことができるようになる。(20~21ページ)

リフレクション   基本の5メソッド
リフレクションの基本となる5つのメソッドは次の通りである(図1:11ページ)。このメソッドを活用することによって、良質なリフレクションを実践できるようになる。((1)41~43、(2)54~56、(3)73~81、(4)96~101、(5)104~109ページ)
(1) 自分を知るリフレクション
自分を突き動かす動機の源(内発的動機)を知ることで、自分のモチベーションを維持できるようになり、困難な状況でもぶれない自分の軸を持つことができる。動機の源は「価値観」(判断の尺度やものの見方)として現れる。
(2) ビジョンを形成するリフレクション
動機の源(大切にしている価値観)につながる目的やビジョン(「未来に対する意図」)を持つことで、「現状を変えたい」という思いや「現状と理想のギャップを埋めたい」と強く願う気持ちが生まれ、潜在的能力が高まり、困難に打ち勝つエネルギー(「クリエイティブテンション」)が生まれる。
(3) 経験から学ぶリフレクション
「反省」は、変えることができない過去の間違いを確認し、責任を追及したり評価を下したりする。リフレクションは、自らの行動や経験を振り返り、その結果と結びつけることによって、そこから何を学び、どんな教訓や法則を見出したか、自己の内面を俯瞰・客観視する。その学びを通して行動の前提になる持論(過去の経験から導かれた法則)をアップデートし、次の行動にどう活かするかを計画することができる。
(4) 多様な世界から学ぶリフレクション
「対話」は、自己を内省(リフレクション)し、自分の考えに固執せず、評価判断を保留して、他者と共感する聴き方と話し方をいう。それを通して思考を深め、多面的・多角的に物事を眺めることができる。それは、自分の境界線の外にある多様な世界から学び、その学びを自分のものにして自分の世界を広げることが可能になる。
(5) アンラーンするリフレクション
過去の成功体験(学び)と、その経験によって形成されたこれまでのやり方やものの見方が通用しなくなったとき、成功体験の思い出を残して、ものの見方を手放す。その際、アンラーンした(学んだことを手放した)先の世界を理解するために、想像力を働かせる。それによって、新しいものの見方や解決策を見出すことができる。

図1 リフレクション 基本の5メソッド

認知の4点セット
リフレクションの中核となるツール(手段)が「認知の4点セット」である(図2:21ページ)。認知とは、外界にある対象を知覚し、それが何なのかを判断することを意味する。認知(知覚と判断)は、過去の経験により形成された「ものの見方」を通して行われる。「認知の4点セット」では、意見とその背景にある経験、感情、価値観を切り分けて考えることによって、多面的・多角的なものの見方ができ、自己理解が増し、自分を変える力が高まる。(22~23、30~31、(1)~(4)32~39ページ)
(1) 意見:あなたの意見は何ですか?(意見とはある物事に対する自分の主張・考え、学び、思ったこと、をいう)
(2) 経験:その意見の背景(根拠)には、どのような経験がありますか?(経験には読んだり聞いたりして知っていることも含まれる)
(3) 感情:その経験や知識に対して、どのような感情を抱いていますか?(感情は大きくはポジティブかネガティブのどちらかに分類される)
(4) 価値観:そこかに見える、あなたが大切にしている価値観はなんですか?(価値観には判断に用いた基準や尺度、ものの見方が含まれる)

図2 認知の4点セットのフレームワーク

リフレクションの4つのレベル
リフレクションには次の4つのレベル(段階)がある(77~81ページ。図3:80ページ)。
レベル1:出来事や結果について振り返る(体験した出来事や結果そのものを振り返る)
レベル2:他者や環境について振り返る(経験した出来事や結果の背後にある因果関係を考える)
レベル3:自分の行動について振り返る(自らの行動を振り返り、結果と結びつけることによって次に取るべき行動を考える)
レベル4:自分の内面について振り返る(自分の行動の前提にある自分の考えを「認知の5点セット」で振り返り、俯瞰する)

                                                   図3 リフレクションの4つのレベル

〇なお、上述のリフレクションの5つの基本メソッドについて熊平は、次のような「成長が期待できる」と要約する。(225ページ)
①  自分を知るリフレクション
自分の動機の源を知ることで、目的を定める基礎ができる。
②  ビジョンを形成するリフレクション
動機の源につながる目的を持つことで、ビジョンが形成できる
③  経験から学ぶリフレクション
ビジョンを実現するために仮説を立てて行動し、経験から学ぶことができる
④  多様な世界から学ぶリフレクション
未知の課題に取り組むときにも、多様な視点で、創造的な解決策を見出すことができる
⑤  アンラーンするリフレクション
過去の成功体験が通用しないときにも、自らの学びを手放し、新たな視点を持つことで、解決策を見出すことができる
〇いまひとつ熊平は、5つのメソッドは「自律型学習者」になるための・育てるためのメソッドでもあるとして、次の7つの観点からリフレクションの活用方法(自律型学習者を育てる方法)を説く。参考に供することにする。((1)222~223、(2)227~228、(3)241、(4)250~251、257、(5)261~262、(6)278~279、(7)291、293ページ)
(1) 主体性を育む
期待される役割に対して自ら考え行動することではなく、育成相手が自ら定めた目的に向かって考え行動するように支援する。
(2) 自分の頭で考える力を育む
何(What)をどのように(How)からだはなく、育成相手がなぜ(Why)から考える習慣をつけるように支援する。
(3) 期待値で合意する
期待値のズレが生じないように、育成相手が自分のゴール(使命)を正しく理解するように支援する。
(4) 経験・感情・価値観を聴き取り、信頼関係を構築する
経験・感情・価値観について共感による傾聴を行い、心理的に安全な環境づくりを心がけることによって、育成相手との信頼関係を構築する。
(5) 相手の強みを引き出し、褒(ほ)める
自分の強みを活かして貢献することができるように、育成相手が自分の強みを自覚・客観視できるように支援する。
(6) 成長を支援する
相手の行動、その結果、理想の行動について冷静に指摘・評価し、軌道修正(フィードバック)を促すことによって、育成相手の成長を支援する。
(7) 自分の育成力を高め続ける
相手の課題に焦点を当てるだけでなく、自分の選択した指導方法とその前提にある内面を振り返り、自分の育成力(指導の効果)を高め続ける。

 

Ⅲ.  西原大貴著『「自分の可能性」を広げるリフレクションの技術』

リフレクションの本質
リフレクションの本質とは、自分の可能性を知ることである。それは、「心から望む自分の目的地と、ありのままの今の現在地、その道のりに自分の可能性があり、支えとなる仲間がいるということを、心の鏡に照らし映すこと」(9ページ)。その「心の鏡に映る自分を見て、自分自身を深く知る方法」(72ページ)である。その際の重要な視点は、①心から望む(your heart)、②今を生きる(your moment)、③自分と仲間の可能性をつなぐ(your connections)、の3つである(11ページ)。それによって、自分が決めた限界を超えて自分の可能性を知ることができ、その限界に挑戦して、自分の可能性をいかんなく発揮できるようになる。そして、それを通して、「みんなが笑顔で自分の可能性に挑戦し応援し合う社会」(13ページ)の実現が図られるのである。

リフレクションの3つの視点
リフレクションとは、過去に囚われた思い込みや他人の作る限界から自由になって、自分の可能性を知り、広げ、未来を決めて(自分自身の成功・目的地を計画して)、現状ではない「心から望む自分らしさ」を想像し創造する実践である。それによって、これまでの視界が変わる(「見たいものしか見ない」のではなく、「見たいものは見える」)、思考が変わる、行動が変わる、結果が変わる、仲間や組織との関係が変わる、そして人生が変わり、社会が変わるのである。そのプロセスがリフレクションの実践であり、それには3つの視点が重要となる。(カバー・そで、72~74ページ)
(1) 心から望む:your heart
・心から見たいものを決める
・心から向かう目的地を明確にする
・心から大切にすることを多面的に決める
・大切なことはすべて大切にする
・心からの喜び、心からの幸せを実感している自分らしさを知る
(2) 今を生きる:your moment
・感情や判断をやめて、今をありのままに受け入れる
・自分が決めた目的地に向かう現在地を知る
・過去の失敗や感情に囚われることなく、今に感謝する
・浮かれ思い上がることなく、厳しく客観的に現状を受け入れる
・覚悟を持って自分の未来を決め、自分の可能性に挑戦する
(3) 自分と仲間の可能性をつなぐ:your connections
・現在地から目的地までをつなげる自分の可能性を知る
・支えとなる仲間がすでにいることに気づく
・これからの道を拓く仲間との関係を築く
・自分を支える仲間の可能性を信頼する
・自分と仲間の可能性をつなぐ

〇いまひとつ西原は、自分の可能性を最高に発揮している姿を多面的にリフレクションして、言語化することを勧める。すなわち、自分はすでに理想(成功している、目的地に到達している)の状態にあることを思い描き、それを言語化して肯定的な自己宣言(自己暗示、自己説得)を行うこと(アファメーション、affirmation)によって、自己肯定感と自尊心の強化を図り、自分の理想をかなえていく。その際の注意事項として次の7点を挙げる。参考に供することにする。(120~125ページ)
(1) 個人的、主体的な文章にする
自分が主体的に行動できる内容を文章化する。
(2) 他人の評価を含まない
他人の決める評価に依存せず、自分が決める「心から望む自分らしさ」を文章化する。
(3) 意識を向けたい肯定文で書く
「過去に囚われたなりたくない自分らしさ」ではなく、「心から望む自分らしさ」を文章化する。
(4) 実現している自分を現在進行形・現在完了形で表す

「〇〇している」「〇〇になっている」など現在進行形、現在完了形により、過去に囚われないようにする。
(5) 感情(うれしい・楽しい・誇らしい・気持ちいい・穏やか)を含める
「心から望む自分らしさ」を想像して、あらゆることを実現しているときの感情を含めた言語化を行う。
(6) 臨場感と精度を日々高める
言語化したアファメーションにこだわることなく、日々内容を精査して自分らしさを高めていく。
(7) ドリームキラーには教えない
人は人の夢を「現実味がない、前例がない、危険、意味がない」などと判断してしまう。アファメーションは自分だけのものであり、その内容を100%肯定してくれる人とだけ共有する。

 

Ⅳ.   千々布敏弥著『先生たちのリフレクション―主体的・対話的で深い学びに近づく、たった一つの習慣―』

「信念」に囚われる教師
現行の学習指導要領(小学校は2020年度、中学校は2021年度から完全実施、高等学校は2022年度の第一学年から学年進行で実施)に基づいて、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)の実践が求められている。しかし、それを阻害する教師の「信念」(教師が自らの行動と思考様式に影響を与える価値の一定の体形:28ページ)に次のようなものがある。「教師は学習内容を、子ども間の能力差に配慮して学級集団全体が向上するよいに指導する必要がある」「子どもに対しては学習方法まで含めて、教師がきちんと指導しないといけない」「教師は常に子どもに規律ある行動をさせる必要がある」「学習成績の不振な子どもの指導はやっかいだ」「年間の授業のすすめ方の大枠は、指導書を参考にすべきだ」というのがそれである(17ページ)。こうした信念を変えるためには、すなわち「主体的・対話的で深い学び」を実現するためには、教師が主体的にリフレクションに取り組む必要がある。

マックス・ヴァン=マーネンのリフレクションの3段階論
カナダの現象学的教育学者のマックス・ヴァン=マーネン(Max van Manen)は、リフレクションの3段階論を提唱している。(156~160ページ)
(1) 技術的リフレクション
ある目的を達成するために、汎用的な原則を技術的に応用すること。すなわち、授業のなかで想定と異なる発言が子どもから出てきても対処できず、既存の知識やマニュアルで適応すること。
(2) 実践的リフレクション
個人的な体験、認識、信念などを分析し、実践的な行動を方向づけること。すなわち、想定外の授業の流れや子どもの発言などに対して、当初の授業デザインにこだわることなく、即興的に解釈し、授業デザインを修正しながら授業をすすめること。
(3) 批判的リフレクション
授業において意識すべき目的自体を常に見直す姿勢や考え方を持つことである。すなわち、教師の意図どおりに動かないし考えない子どもを鋭敏に受け止め、指導意図を柔軟に見直すこと。

教師のリフレクションを求める姿勢
授業研究を含めた、教師が授業について構想するあらゆる場面において、技術的リフレクションにとどまることを避け、実践的リフレクションや批判的リフレクションに取り組むことで、教師は子どもの主体的・対話的で深い学びを実現する授業ができるようになる(181ページ)。すなわち、教師にそのための手法(マニュアル)を提示することでは不適切であり、教師が自ら主体的にリフレクションするように促す戦略が必要になる。教師のリフレクショを促すのは手法ではなく、姿勢である(210ページ)。

 

Ⅴ. 学び続ける教育者のための協会(REFLECT)編『リフレクション入門』

熟考するリフレクション
リフレクションは、「反映する」「反射する」が第一義的な訳である。ただ、人のあり方に関わる場合には「熟考する」「省察する」という訳があてられる(2ページ)。リフレクションは、さまざまな業種・分野で用いられてきている用語であり、そのため必ずしも同一の意味・概念で使用されているわけではない(4ページ)。ここでは、リフレクションとは「自身の行為を規定するような自分自身の内面的で暗黙的な知識や技術、感受性・価値観などの要素に焦点をあて(映し出し)、その内容を吟味すること」(5ページ)をいう。すなわち、リフレクションは、「間違いをただすために」行うものではない。自分自身がどのように考え、どのようなことを願いとしてその行為を行ったのか、それは本当に望むものだったのかということを確認するというプロセスである。リフレクションはあくまでもプロセスであり、自分自身を映し出す営みであり、他者によって間違いを指摘されたり、変えられたりするものではない(8ページ)。[坂田哲人]

コルトハーヘンの「ALACTモデル」と「8つの問い」
オランダの教師教育研究者であるフレット・コルトハーヘン(Fred Korthagen)は、学習者の行為と省察の理想的なプロセスを5つの局面に分けている(図4:40ページ)。第1局面:行為(Action)、第2局面:行為の振り返り(Looking back on action)、第3局面:本質的な諸相への気づき(Awareness of essential aspects)、第4局面:行為の選択肢の拡大(Creating alternative methods of action)、第5局面:試行(Trial)、頭文字をとってALCT(アラクト)モデルトと呼ばれているのがそれである。
第1局面は、学習者が行為つまり具体的な経験を積み、学びのニーズが生まれてくる局面・段階である。ここでは、コーチ役(教育者)には、学習者の学びのニーズをもとにリフレクションを進めていくとともに、学習者が新しい学びのニーズに気づくようにするための働きやスキルが必要になる。
第2局面は、第3局面とともに「内的方面に向かう局面」であり、行為の振り返りを行ってその本質に気づくことが期待される。そのためにここでは「8つの問い」が用意される。その構造は、左半分は自分を視点に、右半分は相手を視点にした問いである。さらに、問1と問5は「行ったこと」(doing)、問2と問6は「考えたこと」(thinking)、問3と問7は「感じたこと」(feeling)、問4と問8は「欲したこと」(wanting)に関する問いである。この「8つの問い」を自分に発しながら行為を振り返り、コーチ役(教育者)と2人で行う場合には、コーチ役(教育者)が学習者に対して問いかけるのである。
第3局面では、自分と相手との間、あるいは自己の内面と行為との間にある不一致や悪循環に向き合い、「違和感の背景にあったものごとの本質」「そこにあった大切なこと」など(すなわち「本質的な諸相」)を深く探っていく。この局面・段階で学習者に自己の経験に向き合わせるには、コーチ役(教育者)の受容と共感、誠実さが大切になる。
第4局面では、第3局面の本質的な気づきを踏まえて「外的方面に向かう局面」であり、「次はこうしてみたい」「今後はこうしてみよう」という思いを持つことになる。そこで、コーチ役(教育者)は、複数の方法を学習者に比較・検討させるなどしながら、よりよい解決方法を見出せるように支援することが求められる。
第5局面では、第4局面で選んだ解決方法やそこから得られた知見をもとに、学習者が新たなアプローチを試みる局面・段階である。この局面・段階で積んで具体的な経験は、第1局面の「行為」となり、次の新たなALCTモデルの循環が生まれ、この循環を繰り返すことで螺旋的にリフレクションの質が高まっていく。(38~45ページ)[中田正弘]

図4 ALACTモデルと「8つの問い」

〇なお、リフレクションは、振り返るタイミングによって、行為の最中に振り返る「行為のなかのリフレクション」(reflection in action)と行為の後で振り返る「行為についてのリフレクション」(reflection on action)に分けられる(ドナルド・アラン・ショーン(Donald Alan Schön))。行為後のリフレクションはさらに、自分ひとりで行為を振り返る「セルフリフレクション」(self-reflection)と、他者にフィードバック(指摘・評価)をもらう「コレクティブリフレクション」(collective reflection)に分けられる。リフレクションの類語の「フィードバック」は、自己の行動や思考に対して他者による指摘・評価をもらうことを言う。「反省」は、自己の失敗やミスについて振り返り、今後に活かすことを言う。付記しておく。
〇例によって、以上の言説や議論を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて考えてみると、取りあえず次のようなことが再確認・再認識される。先ず、単なる「振り返り」や「内省」ではなく、「熟考するリフレクション」に留意したい。「まちづくりと市民福祉教育」におけるリフレクションは、その目的や背景、具体的な取り組みの内容やその成否の要因、その成果や学びなどを、取り組みのそれぞれの段階において振り返り、話し合い、熟考する過程である。そこからまた、新しい「まちづくりと市民福祉教育」が始まる。原田がいう「創造的リフレクション」である。
〇この点を別言すればこうである。「まちづくりと市民福祉教育」はその具体的な取り組みを通して、それに関わる個々人の連帯と協働(共働)、自己理解と自己実現、相互支援と相互実現などを促し、市民性の育成や共生文化の担い手としての主体形成を図る。また、自己の「まちづくりや市民福祉教育」の場面や思考を段階的あるいは螺旋的に、しかも批判的に振り返ることによって客観的な判断力や洞察力を得て、新たな視点(考え方)で継続的に「まちづくりや市民福祉教育」に関わることになる。
〇また、それによって住民は、能動的で理性的・自律的な生活主体や権利主体として、個人的責任だけでなく社会的責任を負うべき存在(市民)として自らを形成し、まちづくりの集団的・組織的な活動や運動に関わることになる。その際には、その活動や運動を確かで豊かなものにするための、個人的主体のみならず、集団行為主体や運動主体としてのあり方が問われることになる。こうした市民主体のあり様の多様化や複雑化、その融合化が「成熟」であり、いわゆる「市民的成熟」である。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」における「市民的成熟のためのリフレクション」が求められることになる。
〇さらに、当然のことながら、まちづくりは一人ではできない。まちづくりは、建設的な批判と豊かな創造という視点・視座のもとに、連携・協働の場である地域社会の具体的な生活課題を解決することを第一義とする。そこでは、住民自治の理念のもとで、地域・住民の縦・横の人的ネットワークと「参加と協働」(共働)のあり方が厳しく問われることになる。リフレクションには、複数の人々や集団、組織で行うことによって、より効果的な自己理解と自己成長を促し、メンバー相互の信頼感の構築(再構築)や協働関係の向上に寄与するグループリフレクション(group reflection)がある。「まちづくりと市民福祉教育」において、「グルーブによるリフレクション」が問われるところである。
〇いまひとつ、「まちづくりと市民福祉教育」は、学校教育(定型教育)をはじめ、社会教育(不定型教育)や家庭教育(非定型教育)、青少年教育や成人教育など、あらゆる場と機会を通じて取り組むことが肝要である。そこでのリフレクションは、あらゆる教育機会や教育機関との空間的・水平的な関係性のなかで、また生涯の各期における教育との時間的・垂直的な関係性のなかで実施される。「まちづくりと市民福祉教育」における「生涯学習としてのリフレクション」である。
〇もうひとつ、「まちづくりと市民福祉教育」は、高齢や障害の理解や高齢者・障がい者の疑似体験、それに基づく「共感する力」や「思いやりの心」の育成・醸成に留まるものではない。それは、一人ひとりの地域住民(市民)が抱える地域生活課題に焦点を当てて個人の関係構築や組織化を進め、課題解決に向けた具体的な、地域生活に根ざした地域貢献活動や政策提言、政治的活動などを行う。それによって、社会変革のための地域・社会の福祉文化の醸成やウェルビーイングの実現が図られることになる。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」におけるリフレクションは本質的に、「社会変革のためのリフレクション」である。
〇以上、「まちづくりと市民福祉教育」における「5つのリフレクション」、すなわち「創造的リフレクション」「市民的成熟のためのリフレクション」「グループによるリフレクション」「生涯学習としてのリフレクション」「社会変革のためのリフレクション」、である。

阪野 貢/「コミュニティ・エンパワメント」基礎考 ―その概念、原則、発展段階等と “まちづくり”

エンパワメントという言葉は、さまざまな分野で使われている。実はその分野ごとに違う定義がある。代表的なものを紹介すると、教育分野では、内発的動機づけ、成功経験、有能感、長所の伸長、自尊感情。社会開発分野では、人間を尊重し、すべての人間の潜在能力を信じ、その潜在能力の発揮を可能にするような平等で公正な社会を実現しようとする活動。ビジネス分野では、権限の委譲と責任の拡大による創造的な意思決定。保健福祉分野では、自分の健康に影響のある意志決定と活動に対しより大きなコントロールを当事者が得る過程、としている。(下記[4]3ページ)

〇筆者(阪野)は、前稿(<雑感>(197)「アクションリサーチ」基礎考―その概念、原則、プロセス等と実践的課題―/2024年2月10日投稿/ ⇨本文)で「アクションリサーチ」の概念、原則、プロセス等について整理するなかで、筆者がかねてより議論してきた「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に通底する要素として、「当事者主体」「課題解決と社会変革」「パートナーシップ」「エンパワメント」「話し合いと協同学習」「リフレクション」を指摘した。
〇そんな折、本ブログ読者のN氏から、「エンパワメント」の基礎・基本についていくつかの問い合わせをいただいた。本稿は、それに応えるために草したもの(その一部)である。
〇筆者の手もとに、「エンパワメント科学」研究の第一人者である安梅勅江(あんめ・ときえ)の本が5冊ある(しかない)。

(1)安梅勅江著『エンパワメントのケア科学―当事者主体チームワーク・ケアの技法―』医歯薬出版、2004年9月(以下[1])
(2)安梅勅江編著『コミュニティ・エンパワメントの技法―当事者主体の新しいシステムづくり―』医歯薬出版、2005年4月(以下[2])
(3)安梅勅江編著『健康長寿エンパワメント―介護予防とヘルスプロモーション技法への活用―』医歯薬出版、2007年8月(以下[3])
(4)安梅勅江編著『いのちの輝きに寄り添うエンパワメント科学―だれもが主人公、新しい共生のかたち―』北大路書房、2014年11月(以下[4])
(5)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月(以下[5])

〇そこで本稿では、「エンパワメント」(とりわけ「コミュニティ・エンパワメント」)の基礎的理解を図るために、前稿と同じような枠組みのもとで、5冊の本からその論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

コミュニティの概念
「コミュニティとは、目的、関心、価値、感情などを共有する社会的な空間に参加意識を持ち、主体的に相互作用を行っている場または集団である。」
どんな組織や地域にも「人々がともに何かを構築するための単位」があり、それは、「あるテーマに関する関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知識や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団」である。これが「コミュニティ」の1つの側面である。
コミュニティの特徴(要素)は、➀目的、関心、価値、感情などの共有、②帰属意識、③自主的な運営、④相互作用、である。([2]4ページ)

エンパワメントの概念
エンパワメントとは、元気にする、力を引き出す、好奇心の共感ネットワークを作ることである。([1]2ページ)
エンパワメントとは、元気にすること、力を引き出すこと、きずなを育むこと、そして共感に基づいた人間同士のネットワーク化である。人間は生まれながら自分の身体的、心理的、精神的、スピリッチュアルなウエルビーイングを成就しようとする意欲を持っている。当事者や当事者グループが、自らのウエルビーイングについて十分な情報のもとに意思決定できるよう、ネットワークのもとに環境を整備することがエンパワメントである。和訳すれば、絆育力(きずなを育む力)、活生力(いきいき生きる力)、共創力(ともに創る力)となろう。([2]5ページ)

コミュニティ・エンパワメントの概念
コミュニティ・エンパワメントは、コミュニティやシステムなど、「場」全体の力を引き出す、活性化することを意味する。いわば共創力である。
すなわち、コミュニティ・エンパワメントとは、個人や組織、地域などコミュニティの持っている力を引き出し、発揮できる条件や環境をつくっていくことにほかならない。力には顕在力と潜在力があるが、その両者を引き出すのみでは不十分であり、力を活かす「条件」が整ってはじめてコミュニティ・エンパワメントといえる。
その結果、コミュニティの「自己決定力」を高めていくことが可能となる。コミュニティによる「決定力」「コントロール力」「参加意識」を支える環境整備が基本である。つまり、コミュニティ・エンパワメントを引き起こすには、コミュニティのメンバーの「主体的なかかわり」と「連帯感(組織性)」が必要であり、これをいかに実現するかがコミュニティ・エンパワメントの技術なのである。
実際には、コミュニティ・エンパワメントは「現実の関係性のつながり」と「共感イメージのネットワーク」という2側面を持つ。現実とイメージの両者が車の両輪のようにエンパワメントを推進する。([2]6ページ)

エンパワメントの原則
エンパワメントの原則は次の8点である。([1]4~5ページ)
(1)目標を当事者が選択する
目標は当事者が最終的に選択する。当事者の意思決定が難しい場合は、当事者の代弁者としてふさわしい者が選択する。目指すところがどこなのか、最終決定は当事者であることをつねに意識する必要がある。
(2)主導権と決定権を当事者が持つ
目標を実現するための方法や時期などについて、当事者が希望する方法を最優先する。もちろん選択肢の可能性と限界については、あらかじめ十分に情報を提供する必要がある。
(3)問題点と解決策を当事者が考える
課題を遂行するうえで、どこが障害となってくるのか、問題になるのか、自らが考え、解決法を工夫するよう働きかける。
(4)新たな学びと、より力をつける機会として当事者が失敗や成功を分析する
ネットワークは継続し発展するものである。成功でも失敗でも何か動きがあった後には次の機会のためになぜそうなったのかを当事者が自ら考え、次の動きに備える機会を設ける。
(5)行動変容のために内的な強化因子を当事者と専門職の両者で発見し、それを増強する
「内的な強化因子」とは、当事者が強く必要と認識し、自らの意思で求めようとするきっかけを意味する。行動変容のための価値を自らが発見し、それを強めることで実現していく。専門職はそのための環境の整備に徹する。
(6)問題解決の過程に当事者の参加を促し、個人の責任を高める
「自らの問題解決の能力を増強する」ために、すべての問題解決の過程に当事者がかかわり、自らの責任で判断することで個人の責任を高めていく。
(7)問題解決の過程を支えるサポートネットワークとネットワークと資源を充実させる
問題解決の過程を支えるため、サポートネットワークと資源(人的資源、物的資源、経済的資源、情報資源など)を適切に活用するよう環境条件を整える。
(8)当事者のウエルビーイングに対する意欲を高める
何よりも大切なのは当事者の「やる気」である。「やる気」を育てるための技術を縦横に用いる。

エンパワメントを実現するための指標
エンパワメントを着実に実現するためには、8つの指標を満たすことが求められる。これは評価指標として活用することができる。([3]11ページ)
1.共感性(empathy)
・メンバー間、あるいはメンバーのプログラムへの共感性はどの程度が?
・あるのかないのか、あるなら限定的なものなのか発展的なものなのか?
2.自己実現性(self-actualization)
・メンバー一人ひとりが、どの程度自己実現できていると感じているか?
3.当事者性(inter sectral)
・メンバー一人ひとりが、人ごとではなく、自分のこととしてかかわっているか?
4.参加性(participation)
・メンバー一人ひとりが、どの程度参加していると感じているか?
5.平等性(equity)
・参加者が、プログラムの内容やフィードバックを平等であると感じているか?
6.戦略の多様性(multi strategy)
・ワンパターンではなく、さまざまな戦略を複合的に組み合わせてプログラムを遂行しているか?
7.さまざまな状況への適用性(contextualism)
・参加者や環境が変化しても、プログラムは対応できるか?
※7.可塑性(plasticity)
さまざまな状況変化に柔軟に対応できるかどうかは、個人や組織の発展に大きな影響を及ぼす。メンバーや環境が変化しても、メンバー、活動、目標達成 へのプロセスが前向きに形を変化させながらどこまで対応できるかを評価指標とする。([5]27ページ)
8.継続性(sustainability)
・プログラムには、安定した継続の見通しがあるか?
※8.発展性(innovation)
将来への発展性や持続可能性は、メンバーに安定感をもたらす。活動において、 発展へのイノベーションや安定した継続の見通しがあるかを評価指標とする。([5]27ページ)

エンパワメントの発展段階
エンパワメントの発展段階は、「創造(Creation)」「適応(Adaptation)」「維持(Sustain)」「発展(Enhance)」の4段階(CASEモデル)として捉えることができる(図1)。([5]17~18ページ)
(1)「創造」段階は、何もないところから、新たに活動や関係性が発生する段階である。創造技術、創発技術、変革技術など、新しい活動や関係性の開始に向けた技術が必要である。
コミュニティ・エンパワメントの開始には、まずメンバーがどこに関心があるのかという「テーマ」を共有する必要がある。創造段階においては、メンバーに、「コミュニティ」に参加することの意義に気づいてもらうよう仕向けることが鍵となる。([2]32ページ)
(2)「適応」段階は、発生した活動や関係性が周囲との調整で定常化するまでの段階である。適応技術、調整技術、協調技術、伝達技術など、活動や関係性を軌道に乗せるための環境調整、チーム調整などを含む技術が求められる。
適応段階のコミュニティは、いまだ脆弱であり、適応のためのさまざまな軋轢に耐えなければならない場面が出てくる。メンバー間の結び付きを強め、信頼を築きながら、共通のテーマに対する関心や必要性に対する認識を高める活動の継続が求められる。([2]33ページ)
(3)「維持」段階は、活動や関係性を定常化する段階である。維持技術、実施技術、追求技術、統制技術など、活動や関係性を安定した形で維持するための技術が重要となる。
維持段階では、メンバーの情熱や関心と適合させる形で、テーマを設定し続ける必要がある。維持段階の「コミュニティ」は、共通性と多様性をおびてくる。長期に及ぶ相互交流は、安定性と拡大性を必然的にもたらすからである。実践場面においては、共通の価値のもとにメンバーが集うネットワークを構成することが、維持段階におけるコミュニティ・エンパワメントのかなめとなる。([2]34ページ)
(4)「発展」段階は、さらなる進展に向けて活動や関係性を拡大する段階である。展開技術、影響技術、統合技術など、混沌とした複雑な対象に対して統合的に発展するための技術が求められる。
発展段階には、さらに多くの「テーマ」を巻き込み、「コミュニティ」の拡大にともないメンバーが増加し、「活動」がより多様で複雑になる。そうした状況下においても、信頼感や関係性を維持し、おもしろいと思わせる刺激を失わないようにすること、助け合うための相互交流を図りながら実践を体系化することが鍵となる。([2]35ページ)

図1 エンパワメントの発展段階

エンパワメントの種類
エンパワメントは、対象の種類別に見るとセルフ・エンパワメント、ピア・エンパワメント、コミュニティ・エンパワメントの3種類に分けるこができる(図2)。
セルフ・エンパワメント(self empowerment)とは、当事者自らが力を発揮するものである。自分自身の力をつける、対処能力をつける。それが他者とのかかわり、地域とのかかわりに発展する。
ピア・エンパワメント(peer empowerment)とは、仲間(ピア)同士、グループが力を発揮するものである。ピア・エンパワメントの強みは、自分の「思い」に、ピアの「思い」を加えられる点にある。
コミュニティ・エンパワメント(community empowerment)とは、コミュニティ、地域社会、社会システムが力を発揮するものである。コミュニティやシステムなど、「場」全体の力を引き出す、活性化することを意味する。([1]18~25ページ)

セルフ・エンパワメント、ピア・エンパワメント、コミュニティ・エンパワメントの3つを組み合わせて活用することが、継続的で効果的なエンパワメントの実現に必須である。これをエンパワメント相乗モデル(Empowerment Synergy Model)という(図3)。([5]13ページ))

コミュニティ・エンパワメントは、セルフ・エンパワメント、ピア・エンパワメントに加え、ソーシャルサポート、ソーシャルネットワーク、コミュニティ・オーガニゼーション、コミュニティ心理学などと関連している。
またコミュニティ・エンパワメントと関連付けてコミュニティ能力(community competence)という考え方が生まれ、コミュニティの課題を自ら把握し改善を推進してゆく力量と定義されている。([1]26ページ)

     図2 エンパワメントの種類      図3 エンパワメント相乗モデル

コミュニティ・エンパワメントの目標・戦略設計
コミュニティ・エンパワメントの開始には、まずメンバー間にパートナーシップを築くことが前提である。そして共に問題と目標を見きわめ、対象とする範囲を定めて全体像を把握する。戦略とは、目標を実現するための論理的な手順を定めることである。([2]35ページ)
論理的に目標設定と戦略設計を行うためには、次の6つのステップに沿って順に整理することが有効である(図4)。
このモデルの特徴は、目標と戦略がどのようにプロジェクトを成功させるかの“筋道と根拠”を明示できる点である。プロジェクトが成功するかどうかの可否(whether)に加えて、方法(how)、根拠(why)を論理的に明確にすることができる。([3]27~29ページ)
第1ステップ:もたらしたい成果は?
当事者は何を求めているのか、どんな夢をもっているのか、どうなってほしいと期待しているのか、それを成果として記述する。
第2ステップ:現状の問題点あるいは課題は?
“問題や課題”を明らかにする。この場合の問題や課題とは、当事者が意識化しているものにとどまらない。サポーターや専門職などが気づき、将来的に予測しているが、当事者には意識されていない問題や課題を含む。
第3ステップ:その背景は?
第2ステップにあげられた“問題や課題”について、その“背景”となる要因を記述する。そのコミュニティ自体が抱えている背景に加えて、社会全体にかかわる背景を含めて記述する。
第4ステップ:問題点や課題、コミュニティの背景要因に影響を与える要因は?
“問題や課題”はもとより、“背景”に影響を与える要因を整理する。問題や課題に直接的に影響する要因、背景に影響することで間接的に問題や課題に影響する要因を記述する。
第5ステップ:影響を与える要因を変化させる戦略は?
影響を与えている要因を変化させる戦略を立てる。“変化させられる要因”に焦点を当て、できるだけ数多くの戦略をあげる。また“変化させることが難しい要因”については、放置しておいていいのか、側面から別の方法で間接的な変化を起こすよう試みるのが望ましいのかなどを検討する。“変化させられるのか、させられないのか、させられなくても何らかの手を打つ必要があるのか”を見抜く洞察が求められる。
第6ステップ:戦略の根拠は?
戦略の根拠となる理論や既存研究をあげ、その戦略が適切で効果的であることを示す。

これらの6つのステップの完成後、将来にわたり論理的な流れに沿って戦略を実現するために、“目標、成果、影響要因が十分に定義されているか” “目標が妥当で実現可能であるか”をメンバー間できちんと確認しておく。すなわち、その目標と戦略が効果をあげる根拠をはっきりさせておく。

図4 コミュニティ・エンパワメントの目標・戦略設計の枠組み

コミュニティ・エンパワメントの「コツ」
コミュニティ・エンパワメントには、効果的に展開するための、ある意味で「コツ」とでもいえる7つの原則がある。これらを活用することで、無理なく発展することが可能となる。([3]12~16ページ)
(1)目的を明確にする:価値に焦点を当てる
当事者が何を求めているのか、そのニーズにしたがって“目的を明確に”設定する。そのニーズは当事者の価値を反映している。価値とは、目指す状態を実現するプロセスにおいて、守る必要のある基準や方針などである。一人ひとりの価値を束ねて、基本的な考え方、理念、行動指針、方針などを共有していく。
(2)プロセスを味わう:関係性を楽しむ
“プロセスを味わう”とは、参加メンバー同士の関係性やテーマへの取り組みのプロセス自体を楽しみながら味わう、という意味である。
エンパワメントの最も重要な原則は“ともに楽しむこと”である。そもそもが“共感に基づく自己実現”に大きく依存するからである。
(3)共感のネットワーク化:親近感と刺激感
“共感のネットワーク化”とは、親近感と刺激感の両方の感覚をもちながら、つながっているという感覚をもつことである。親近感とはリラックスした安心感、刺激感とはピリッとした緊張感である。コミュニティ・エンパワメントには、硬軟併せもつこと、すなわち硬い部分と柔らかい部分、安心感と緊張感との両側面をもつことで、より活性化することが知られている。
(4)心地よさの演出:リズムをつくる
エンパワメントの推進には、“変化のリズム”と“秩序化のリズム”のまったく異なる2つのリズムを用いることが有効である。“変化のリズム”は変化を敏感に察知し適応するリズム、“秩序化のリズム”は生み出した適応の方法を秩序化して、より効果的、効率的、拡張的に広げていくリズムである。
(5)ゆったり無理なく:柔軟な参加様式
当事者の参加の状態や役割は、時期により変化してかまわないなど、参加の様式には柔軟な幅をもたせることが原則である。また、さまざまな人が、さまざまな時期に、さまざまな状態で参加することができるようにする。
(6)その先を見据えて:常に発展に向かう
どんな人もコミュニティも、ひとつの状態にとどまっていられない存在である。未来に向かって、その先を見据えながら、常に発展に向かう動きを伴うことで活性化する。硬直化することなく、さまざまなメンバーを柔軟に取り込み、ダイナミックに環境に適応しつつ、より意味のある活動を展開する。
(7)活動の意味づけ:評価の視点
活動の意義を感じるためには、活動の意味づけ、すなわち評価の視点が必要となる。それは、携わっていることの“有効性”すなわち“価値”を明らかにすることである。コミュニティや関係性にどんな意味があるのか、その目標、活動結果、影響力、コストはどの程度なのか、などを知ることで、満足感を得たり、次への見通しを得たりできる。

〇安梅にあっては、「エンパワメント」は、「湧力(ゆうりょく)」すなわち「人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させること」([5]7ページ)である。それはまた、「絆育力」(きずなを育む力)、「活生力」(いきいき生きる力)、「共創力」(ともに創る力)([2]5ページ)である。そこでは、「縁パワメント」「援パワメント」(安梅)の広がりが期待され、管理・運営主体による統制型のコミュニティから当事者主体による自律型のコミュニティへの変革が構想される。そして、「共感」、「共働」(協働)、「共創」が肝要となる。
〇ところで、「絆育力」「活生力」「共創力」の類似語あるいは関連語に、「地域力」「住民力」「福祉力」などの言葉がある。それらは、「地域コミュニティ」や「まちづくり」などとの関わりでも使われる。またときに、それらは「エンパワメント」(セルフ・エンパワメント、ピア・エンパワメント、コミュニティ・エンパワメント)を包含する概念でもある。
〇ここで、旧稿(<雑感>(150)「地域力」「住民力」再考のために―宮城孝著『住民力』のワンポイントメモ―/2022年3月18日投稿/ ⇨本文)を思い起こしておきたい。

付記
忘却の彼方に消え去っていた拙稿に、「地域の福祉力・教育力と福祉教育のネットワーク形成」がある。およそ30年も前のものであり汗顔の至りであるが、あえて<雑感>(150)との関連で付記しておくことにする。

地域の福祉力・教育力と福祉教育のネットワーク形成



出所:阪野 貢『福祉のまちづくりと福祉教育』文化書房博文社、1995年5月、158~173ページ所収。

阪野 貢/「アクションリサーチ」基礎考―その概念、原則、プロセス等と実践的課題―

〇筆者(阪野)は1985年前後からおよそ30年間、いくつかの市区町村で「まちづくりと市民福祉教育」に関する実践・研究にたずさわってきた。その成果は見るべきものがないが、地元学(吉本哲郎、結城登美雄ほか)をはじめ、地域学(山下祐介、柳原邦光ほか)、まちづくり学(佐藤滋、西村幸夫、織田直文、木下斉、山崎義人ほか)、コミュニティデザイン(山崎亮、小泉秀樹ほか)、コミュニティ・オーガナイジング(鎌田華乃子、室田信一ほか)、そしてアクションリサーチなどからも多くを学んだ(追記 参照)。
〇筆者の手もとに、アクションリサーチに関する次のような本がある(それしかない)。

(1)矢守克也著『アクションリサーチ―実践する人間科学―』新曜社、2010年6月
(2)CBPR研究会著『地域保健に活かすCBPR―コミュニティ参加型の活動・実践・パートナーシップ―』医歯薬出版、2010年7月
(3)武田丈著『参加型アクションリサーチ(CBPR)の理論と実践―社会変革のための研究方法論―』世界思想社、2015年3月(Kindle版:太洋社、2019年10月)
(4)JST社会技術研究開発センター・秋山弘子編著『高齢社会のアクションリサーチ―新たなコミュニティ創りをめざして―』東京大学出版会、2015年9月
(5)草郷孝好編著『市民自治の育て方―協働型アクションリサーチの理論と実践―』関西大学出版部、2018年3月
(6)芳賀博編著『アクションリサーチの戦略―住民主体の健康なまちづくり―』ワールドプランニング、2020年3月
(7)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月
(8)平井太郎著『話し合いが変わる 地域でアクションリサーチ』農山漁村文化協会、2022年3月

〇本稿では、これまでの取り組み・活動を振り返りながら、今更ながら改めてアクションリサーチの基礎的理解を図るために、8つの文献の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部語尾変換。一部見出しは筆者)。

 

Ⅰ.矢守克也著『アクションリサーチ―実践する人間科学―』

アクションリサーチの概念
アクションリサーチ(action research)とは、望ましいと考える社会的状態の実現を目指して研究者と研究対象者とが展開する共同的な社会実践のことである。(1ページ)
アクションリサーチ(action research)とは、「こんな社会にしたい」という思いを共有する研究者と研究対象者とが展開する共同的な社会実践のことである。よって、そのキーワードは、「変化」であり、「介入」である。望ましい社会の実現へ向けて「変化」を促すべく、研究者は現場に「介入」していく。(11ページ)

アクションリサーチの特性
アクションリサーチの定義はさまざまであるが、以下の2点をアクションリサーチのミニマムな特性として指摘することができると思われる。
(1)目標とする社会的状態の実現に向けた変化を志向した広義の工学的・価値懐胎的な研究
アクションリサーチでは、よりよい方向(改善、改革)への変化が謳われる以上、そこに価値が懐胎(かいたい)しないはずはない。アクションリサーチは、「現状よりも望ましい斯く斯くしかじかな社会的状態を作りましょう」という価値判断とともに遂行される研究活動である。
(2)上記に言う目標状態を共有する研究対象者と研究者(双方を含めて当事者)による共同実践的な研究
当事者と研究者による共同実践的な研究という特性は、研究者と対象者との独立性を100%保証することはできないという事実を率直に受けとめ、むしろ、この点を積極的に評価・活用しようとするものである。(13~14ページ)

アクションリサーチにおける「正解」と「成解」
アクションリサーチでは、どのような現場にも、また、いつの時点でも普遍的に妥当する真理・法則性―「正解」―を研究者が同定することが目標とされているわけではない。むしろ、アクションリサーチは、特定の現場(ローカリティ)において、当面、成立可能で受容可能な解―「成解」―を、研究当事者(研究者と研究対象者)が共同で社会的に構成することを目標としている。
「成解」は、「正解とは異なり、ユニヴァーサル(普遍的)ではなく、常に、空間限定的(local)で、かつ、時間限定的(temporary)な性質をもつ。言いかえれば、アクションリサーチがもたらす「成解」は、常に、修正と更新に向けて開かれていることになる。「成解」は、今この現場(フィールド)では「成解」かもしれないが、他の現場では「成解」たりえない可能性はあるし、当時に、同じ現場においても、過去あるいは将来においては、別の「成解」が成立するかもしれない。(22ページ)
以上から、アクションリサーチにおけるインターローカリティ(inter-locality)、すなわち、複数の現場間の比較・対照作業、および、インタージェネレーショナリティ(inter-generationality)、すなわち、同じ現場の複数時点間の比較・対照作業、以上2つの重要性が導かれる。(23ページ)

 

Ⅱ.CBPR研究会著『地域保健に活かすCBPR―コミュニティ参加型の活動・実践・パートナーシップ―』

CBPRの概念
CBPRはCommunity-Based Participatory Researchの略であり、直訳すると「コミュニティを基盤とした参加型研究」である。(2ページ)
CBPR を「コミュニティの健康課題を解決し、コミュニティの健康と生活の質を向上するために、コミュニティの人々と専門職/研究者のパートナーシップによって行われる取り組み・活動」と定義する。(4ページ)
CBPRの対象となるコミュニティを「人々が共通の特性、例えば価値や規範、文化などを持ち、そこに何らかの帰属意識を持ち、さらにそこに一定の連帯や支え合いの意識が働いている集団」と定義する。(4ページ)
CBPRにおけるパートナーシップを「異なる立場や機関の人たちでつくられた組織の活動を通して形成される、信頼しあいそれぞれの力をいかして育ちあう関係性」と定義する。(5ページ)
CBPRは公衆衛生領域のアクションリサーチとも言われる。CBPRの理論的基盤や特徴はアクションリサーチと同じである。一方、コミュニティを対象とする考え方は、人間は社会・文化・歴史・自然といった多様な側面を持つ環境と相互作用しながら生活し発達していくという地球的な視点を含めた見方や考え方である生態学的アプローチに基づいている。(8ページ)

アクションリサーチとその特徴
アクションリサーチとは
現実の社会問題の実際的解決を目的として、問題の生じている現場において、当事者と研究者が協働して行う取り組み・活動
アクションリサーチの特徴
①現実の社会問題を実際に解決する:現場の最大の関心事は目の前の問題であり、アクションリサーチは、「現実の社会問題を実際に解決する」ことを目的としている。
②研究者と当事者が協働する:アクションリサーチは、問題が生じている現場の当事者と協働することにより行われるところに特徴がある。当事者と研究者が実際の文脈に応じた解決方法を見いだしながら、課題解決のための活動を行うことで、直接的に現実に働きかけていく。
③振り返りreflectionが重要である:アクションリサーチは当事者と研究者との関係性の中で行われること、当事者と研究者の認識の変化が重要であること、および社会変革をめざし政治的方向性を意図する活動にもなり得るわけであるから、研究者の認識や思考、関わりを振り返りながら行うことがとりわけ必要になる。
③取り組み・活動である:アクションリサーチは研究手法ではなく、さまざまな研究手法を用いて行う取り組み・活動である。アクションリサーチでは、解決すべき問題の内容や状況に応じて、量的・質的研究などさまざまな研究手法を用いる。アクションリサーチは、研究者からみれば研究活動であり、当事者からすれば現場の課題解決のために取り組む活動である。(9ページ)

CBPRの原則
CBPRの9つの原則は、CBPRの実践をすすめるための道しるべとして考えることができる。
原則1:地域を、共通の価値観や帰属意識を持つ集団(コミュニティ)として捉えよう
CBPRは、コミュニティとしての人々とともに活動することを基盤としている。
原則2:コミュニティの健康問題を解決するために、コミュニティの強みや資源を用いよう
CBPRは、コミュニティにどのような資源があり、それらがどのように機能しているかを明らかにし、それを強みとして再確認し、コミュニティの健康の向上のために有効に活用していく。
原則3:活動のすべての段階において、対等なパートナーシップを目指そう
活動のすべての段階において共に行うことを通し、互いの力の差や価値観の違いを認めるよう努める。このような関わりから、互いの間に信頼や尊重が生まれ、パートナーとしての関係に発展していくのである。
原則4:それぞれの知識や技術を共有した互いに学び合い、能力を高めよう
専門職や研究者は、住民からコミュニティ固有の知識や伝統、文化を学び、住民は、専門職や研究者から研究や活動を進めるために必要な知識やスキルを学ぶなど、それぞれの知識や技術を共有して、互いに学び合う。
原則5:活動の成果を、コミュニティに還元しよう
CBPRでは、研究活動によって知識を発見すること、つまり、研究の成果を得ることと、得られた知識をコミュニティに還元していくことのバランスをうまくとることが大切になる。
原則6:生態学的(エコロジカル)な視点で、コミュニティの問題を多角的に捉えよう
人間の生活や発展を人間と環境の相互作用として捉える生態学的な視点によって、コミュニティの健康問題を多角的に捉えることが重要である。
原則7:活動は、循環し繰り返しながら発展させていこう
CBPRでは、この問題解決のプロセスを行きつ戻りつ循環しながら進む。しかし、大事なことは、プロセスを繰り返す中でメンバーは何度も何度も互いの理解を確認し合いながら進めていくことになり、それによって活動が修正され、よりよいものになっていくことができるのである。
原則8:結果を利用しやすい形でコミュニティに還元し、広く社会に普及させよう
CBPRによって得られた結果や成果は、住民にとって、わかりやすく、丁寧に、役に立つ方法で伝える。成果をコミュニティに還元して初めてCBPRの目的の達成につながる。
原則9:長期的で持続できる活動として取り組もう
CBPRにおいては、当面の健康問題の解決で活動を終えるのではなく、長期    的により健全なコミュニティとして発展できるようコミュニティの力を蓄えることを目指している。(12~16ページ)

CBPRの進め方
CBPRのすすめ方は、全体が5つで構成されている。図1は、CBPRの目的である「コミュニティの健康課題の解決やコミュニティの健康の向上」に向かって循環し反復する活動がCBPRの過程であることを図示したものである。(20ページ)
(1)健康問題を感じ取る
コミュニティの健康問題や健康課題を専門職として認識すること。
(2)メンバーを集め組織をつくる
必要によって、活動の規模に応じて①企画・運営など中核的な活動をする仲間や組織、②コミュニティに出て具体的な実践活動をする仲間や組織、③安心して活動できるよう支えてくれる仲間や組織をつくること。
(3)健康課題を明確にする
重要なポイントは、①多様なアプローチを用いてニーズ調査やデータ収集を行うこと、②直接地域に出向き、住民と会って、顔を見せ合い、声を聞いて調査すること、③分析の協働作業に住民がメンバーとして参加すること、④収集できた情報に対して、倫理的な約束事項を遵守すること。
(4)計画をつくり実施する
①住民に直接的なサービスを提供するプログラムや、住民の健康問題への対処能力の向上や育成を目的にするプログラムなど、具体的な活動やプログラムを計画し実施すること、②住民リーダー(ピアリーダー)の育成やグループ育成、コミュニティのネットワークづくりや政策化など、コミュニティに広く浸透させるための戦略を立てること。
(5)活動を評価し普及する
プロセス評価、アウトカム(成果)評価、影響評価など常に活動の振り返りを行うこと。(19~26ページ)

 図1 CBPRの進め方の全体像

CBPRのパートナーシップ
CBPRのパートナーシップは、CBPRの核となる重要な部分である。(36ページ)
CBPRは、メンバー同士のパートナーシップを育て、メンバーの持つエネルギーに着目し、グループがよりよい形で変化し発展していくことが大きな鍵となる。パートナーシップを育んでいくために重要なことは、次の通りである。①メンバー同士が知りあう機会をつくる、②話しやすい雰囲気をつくる、③対等に参加できるよう配慮する、④だれもが対等な決定権をもつ、⑤信頼関係を深める、⑥ファシリテーターの役割(ファシリテーターは、グループの中で中立的な立場をとり、チームワークを引き出し、そのチームの成果が最大になるよう支援する)、⑦目的・目標・優先順位を決める、⑧グループで必要なきまり(規範)をつくる、⑨コミュニティの強さと特徴に気づく、⑩対立に立ち向かう。(44~51ページ)

 

Ⅲ.武田丈著『参加型アクションリサーチ(CBPR)の理論と実践―社会変革のための研究方法論―』

アクションリサーチの概念
さまざまな学問領域における参加型のリサーチの代表的な定義の多くに共通する部分を組みあわせると、CBPR(Community Based Participatory Research=コミュニティを基盤とする参加型リサーチ)とは「コミュニティの人たちのウェルビーイングの向上や問題・状況改善を目的として」、「リサーチのすべてのプロセスにおける」、「コミュニティのメンバー(課題や問題の影響を受ける人たち)と、研究者の間の対等な協働によって」、「生み出された知識を社会変革のためのアクションや能力向上に活用していく」、「リサーチに対するアプローチ(指向)」だといえる。(Kindle版22ページ。以下同)
CBPRは、クルト・レヴィン(Kurt Lewin、ドイツ・アメリカの心理学者)の流れを汲む「知識の実践への活用が強調されるアクションリサーチ」と、パウロ・フレイレ(Paulo Freire、ブラジルの哲学者・教育者)に代表される「問題を抱える人たちの参加が強調される参加型アクションリサーチ」を両極にもつ幅広いスペクトラム(範囲)を包括するリサーチに対するアプローチだといえる。(38ページ)

CBPRの原則
(1)コミュニティとの協働
CBPRは、既存のコミュニティを認識し、そのコミュニティと協働し、その協働を通してコミュニティの連帯感をさらに高めるリサーチに対するアプローチである。
(2)コミュニティ内のストレングスや資源の尊重
CBPRは、対象となるコミュニティの課題に対応するため、コミュニティの既存のストレングス(強さ)、資源、そして関係を認識し、それらを活用する。これらの資源には、コミュニティの人たちのもつ技術や資産、信頼・協働・相互関与といった言葉に代表されるような関係ネットワーク、さらにコミュニティの人たちが集う物理的な集会所なども含まれる。
(3)リサーチのすべての段階で平等に協働するパートナーシップ
CBPRでは、問題の設定、データ収集、データ分析、結果の解釈、コミュニティの関心事にあわせた結果の活用といったプロセスにおいて、コミュニティの人たちや研究者といったすべての関係者が平等に参加し、主導権を共有することが原則である。とくにコミュニティの人たち、その中でも周縁化された人たちの主体的な参加が非常に重要である。
4)すべての関係者の協同の学びと能力開発の促進
CBPRは、すべての参加者の協同の学びと能力開発を促進する。CBPRのプロセスにおける協同の学びを通して、参加者たちはお互いの知識、技術、能力を循環的に共有し、高めあっていくのである。この原則の根底にあるのが、対話の中からお互いの批判的意識化を高め、アクションにつなげていくというパウロ・フレイレの考えである。
(5)リサーチとアクションの統合
CBPRの目的は、たんに知識の創造だけでなく、リサーチによって得られた知識を活用することによって、またそのプロセスを通した教育や意識改革を通じて、リサーチの対象となる課題の解決のためのなんらかのアクション、社会変革、あるいはコミュニティの改善を実行していくことである。
(6)地域密着性とエコロジカルな視点の重視
CBPRは、対象となるコミュニティに固有な課題に適合した取り組みなのだが、その際に個人、家族あるいは社会的ネットワークといった地域に密着した直近の環境、さらにコミュニティや社会といったエコロジカル(生態学的)な視点を重視する。したがって、CBPRでは、焦点となる課題の生体医学的、社会的、経済的、文化的、物理的、環境的といった複数のレベルの要因を考慮し、多様な分野からの研究者やコミュニティの参加者によってチームを形成していく必要がある。
(7)循環的な反復のプロセスによる変革
CBPRでは、コミュニティの人たちと研究者が循環的な反復のプロセスを通して、コミュニティの改善や社会変換を達成していく。この螺旋状のプロセスは、たとえばもっともシンプルなものとしては、「適切な情報収集」と「状況の把握」の「見る(look)」、次に「何が起こっているのかの探究と分析」および「その解釈と説明」の「考える(think)」、そして「計画」「実施」「評価」の「行動する(action)」の3つを繰り返すものがある。
(8)すべての関係者との結果の共有と協働による結果の公開
CBPRは、リサーチによって得られた結果や知識を、すべての関係者やコミュニティの人たちが理解できる言語を用いて共有し、こうした人たちの状況改善や社会変革のためのアクションに活用することをめざす。さらに、結果を発表する際に、会合や学会での共同発表者や出版物の共著者といった形で、コミュニティのパートナーと協働で行っていくことが大切である。
(9)長期にわたるかかわりと関係の維持
CBPRの成功のために必要なパートナーシップの構築や維持、そしてCBPRの目的であるコミュニティの状況改善や社会変革のためには、長期的なかかわりが不可欠である。(60~76ページ)

研究者の役割
CBPRのリサーチの部分における研究者のかかわり方には、①主唱者(initiator)/実際には時間、スキル、意欲のある人の主唱なくしてはCBPRは始まらず、そうした人は権威のある立場にいる人や研究者であることが多い。②コンサルタント(consultant)/時にはコミュニティの人たちがリサーチの部分を研究者に委託し、研究者がコミュニティの責任においてそれを実施することもある。③協働者(collaborator)/お互いの良さを統合してリサーチのプロセスをコミュニティと研究者が協働して行う場合には、研究者の役割は協働者となる、の3つの役割が考えられる。(77~78ページ)
コミュニティ・オーガナイジングの部分においては、①リーダーあるいは鼓舞者、②コミュニティ・オーガナイザー、③民衆教育者、④参加型調査者の役割が、研究者あるいはコミュニティのどちらかによって担われる必要がある。(78~79ページ)
③民衆教育者/民衆教育者とは、コミュニティの人びとの学びのプロセスを促進する役割である。知識のない人たちに知識を提供する「教師」ではなく、人びとがすでに有している知識を自分たちで再発見したり、新しい知識を獲得したりするのを助ける役割を担う。知識が増大すると自尊感情の向上やエンパワメントに結びつくのだが、理想的には教育者の専門的知識がコミュニティの人たちの経験的知識と組みあわさることで、問題に関する新しい考え方や理解の仕方が生み出されていくべきである。(79ページ)

 

Ⅳ.JST社会技術研究開発センター・秋山弘子編著『高齢社会のアクションリサーチ―新たなコミュニティ創りをめざして―』

アクションリサーチの概念
今日のアクションリサーチは、しばしば社会技術の範疇の中で議論される。(中略)社会技術は、「自然科学と人文・社会科学の複数領域の知見を統合して新たな社会システムを構築していくための技術」であり、社会を直接の対象とし、社会において現在存在しあるいは将来起きることが予想される問題の解決を目指す技術(「社会技術研究開発の今後の推進に関する方針~社会との協働が生む、社会のための知の実践~」独立行政法人科学技術振興機構社会技術研究開発センター、2013年11月、2ページ)と捉えられる。(24ページ)
アクションリサーチは、社会技術の社会への実装が社会的イノベーションを引き起こし、社会(システム)を望ましい方向に変えていく。結果として社会的課題を解決に導く。そのような合理的かつ科学的な道が存在することを確かめるための社会実験であると考えられる。(24~25ページ)

アクションリサーチの特徴
アクションリサーチには、基本的には次の3つの特徴がある。
第1の特徴は、社会的課題の解決を目的とすることである。アクションリサーチの目的は、普遍的な法則や一般化の解を求めるのではなく、社会が直面している特定の問題や課題の実行可能な解決策を見出すことである(16ページ)。
第2の特徴は、解決すべき課題に関わる人たちと研究者が共に研究に参与することである。ステークホルダー(stakeholder:利害関係者)と呼ばれる関与者は、研究者、行政、住民、民間団体、企業などであり、それぞれの立場から課題解決に向けて役割を果たす。
第3の特徴は、アクションリサーチのステークホルダーは、互いの立場や違いを尊重し、互いから学びながら、協働して役割分担をする。それぞれのステークホルダーがもっている情報や力をうまく引き出して繋ぎ、協働する中でそれぞれが発展的に変化し、より創造的な力としてさらに協働の成果を獲得していくように促し、調整することは研究者の役割のひとつである。(7ページ)

アクションリサーチの研究プロセス
アクションリサーチでは、一般の実証・実験研究と異なり、課題解決のためのアクション(解決策の実行)が研究の中核となるので、その前後で研究のプロセスをどう構成するかが重要となる。
アクションリサーチの研究プロセスは、図2(一部調整)に示す①特定コミュニティで解決を要する課題の発見と分析[Plan-1]、②解決のための方策の計画と体制づくり[Plan-2]、③計画に即した解決策の実行[Do]④解決策実行の過程と結果の評価[Check]の4つの段階からなる。(32ページ)
4段階の研究プロセスは、一般に経営管理論などの分野で用いられるPDCAサイクル(Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善))に類似するものであるが、次の点で異なっている。第1にPlan(計画)を2段階(①、②)に分けている点、第2にAct(改善)は次の新しいサイクルのPlanに改善策として含めている点、第3に研究成果の他のコミュニティへの波及のための要件の設定(Transferability)を、以上の4段階で1サイクルを構成する研究プロセスとは別に設けている点である。(32~33ページ)

図2 コミュニティにおけるアクションリサーチの研究プロセス

研究者の役割
アクションリサーチにおいて研究者に期待されるのは、専門的な知識を振りかざし、自分の考えを押し付けて、強引に引っ張っていくのではなく、関与するすべての人の意見に耳を傾け、その意見をまとめていく調整役ないしファシリテーターの役割なのである。しかし、ファシリテーターの役割は、ただ話を聞いて、全体をまとめるだけでは十分ではない。より良い状況の実現に向けてコミュニティを変えていくよう異なる意見の調整を図り、全体の方向付けをしていくことが必要である。
住民のニーズは多様であり、意見の対立もある。状況が変化することによって既得権を失う場合には、変化に対して強固に反対する者もおり、それが旧来からの地域のボス的存在であれば、全体がそれに流されていく恐れもある。研究者には、傾聴能力やコミュニケーション能力に加えて、リーダーシップを発揮することが求められる。(58~59ページ)

 

Ⅴ.草郷孝好編著『市民自治の育て方―協働型アクションリサーチの理論と実践―』

アクションリサーチの概念
アクションリサーチ(実践支援型研究)は、当事者と研究者が協働して、特定の社会問題に向き合い、その問題の解決のために、関係者が協働して行う調査から改善への一連の研究活動を指す。つまり、調査によって問題の所在を明らかにし、次に、その問題を解決するための具体策を検討する。そして、具体策を実際に適用し、その結果を関係者が協働して検証することで、対策の成果と課題を詳らかにし、更なる改善を目指していくという一連の実践的研究手法である。(3ページ)
アクションリサーチとは、組織あるいはコミュニティの当事者(実践者)自身によって提起された問題を扱い、その問題に対して、研究者が当事者とともに協働で問題解決の方法を具体的に検討し、解決策を実施し、その検証をおこない、実践活動内容の修正をおこなうという一連のプロセスを継続的におこなう調査研究活動のことを意味する。(9ページ)

アクションリサーチの特色
実践的研究手法であるアクションリサーチの特色は、(中略)取り組む課題によって異なる面もあるが、ここでは、2つの共通点を記しておきたい。
1)社会進化を志向する現場主義
アクションリサーチは、研究者と当事者(実践者)が二人三脚で、お互いの知見を生かし、実践活動に移すことで、社会発展を追求するという実践的研究であり、いわば、「知識共有と実践連動型の社会進化アプローチ」と言うことができ、既存の研究手法とは一線を画するものである。つまり、アクションリサーチは、実践活動の改善を通じての社会変容(social change)を視野に入れた研究手法なのである。
2)学際的視座の必要性
アクションリサーチは、実践活動の改善を最大の目標に置いて活動する研究手法であり、研究者が実践者と協働するパートナーとなり、密接に、課題や実践内容の検討や評価を行う。そのためには、実践の内容を多面的かつ複眼的に分析・考察し、実践活動の改善方法を実践者の視点から提案し、また、実践活動の評価方法やフィードバックの方法の吟味や選定をしていくことが求められる。(中略)アクションリサーチは、狭い専門分野の中で構築されてきた高度な専門理論の検証のためにあるのではなく、現在進行形で取り組むべき課題の改善を最優先事項とする手法である。したがって、アクションリサーチは、深く狭い専門性の融合よりも、浅く広く異なる専門性の知見を活用するという学際的視座が求められるのである。(10~11ページ)

市民自治力向上と協働型アクションリサーチ
アクションリサーチは、取り組むべき課題、専門分野、アクションリサーチに携わるメンバーの違いによって、さまざまな種類に分けることができる。地域発展や市民自治力との関わりからアクションリサーチの位置づけを検討するには、研究者がどのような立場で当事者と関わりを持って、アクションリサーチに参画するかどうかを把握しておく必要がある。(19ページ)
アクションリサーチに携わる研究者の位置づけが内部者であるか外部者であるのか、アクションリサーチの推進者が内部者か外部者かによって、協働の型が変わってくる。(中略)①「外部者と協働する内部者」――自分自身の実践を研究する際に(あるいは内部主導のプロジェクトで)外部専門家の支援を求めるアクションリサーチ、②内部者と外部者の「相互的協働」――内部者と外部者がティームとして、フル・パートナーシップの関係で進めるアクションリサーチ、③「内部者と協働する外部者」――外部専門家がコンサルタントとして支援するアクションリサーチ、の3つの型を協働型アクションリサーチであると考えられる。(19、20ページ)
社会のしくみが複雑化する現代社会において地域コミュニティを改善していくためには、市民自治力の向上を目指して、地域の住民、行政、企業、NPO、専門家らによる協働実践や協働学習が必要であり、ますます協働型アクションリサーチ活用機会の広がりが想定され。(28ページ)

協働型アクションリサーチの流れ
地域の特定課題を対象とする協働型アクションリサーチの一連の流れは、図3の通りである。(24ページ)

図3 協働型アクションリサーチの循環図

 

Ⅵ.芳賀博編著『アクションリサーチの戦略―住民主体の健康なまちづくり―』

アクションリサーチの概念
アクションリサーチはこれまでの伝統的な実証主義的研究に求められてきた妥当性、信頼性、客観性、一般化とは一線を画した新しい世界観をもつ研究デザインであり、特定の現場に起きている特定の出来事に焦点を当て、そこに潜む課題に向けた解決策を現場の人とともに探り、状況が変化することを目指す研究デザインである。研究者が問題を特定して介入プログラムを提供し、住民は被験者としてそのプログラムに参加するだけの従来型の研究手法とはその理念を大きく異にしている。(20ページ)

アクションリサーチと共同学習
アクションリサーチは、問題を抱えるコミュニティの人々と研究者が課題の発見から計画の作成、解決策の実行、評価のすべての段階への民主的な参加とパートナーシップを基盤としており、参加者すべてにとっての共同学習(colearning)とエンパワメントのプロセスを伴うものである。従来の問題解決型の実証研究は、「介入研究」とよばれているが、研究者をも含む参加者すべてにとっての共同学習、すなわち“学び合い”のプロセスを大切にしているアクションリサーチには、従来的な「介入」の用語は基本的に馴染まない。(20ページ)

住民参加型による住民主体プログラムの開発プロセス
住民参加型による住民主体プログラムの開発プロセスは、10段階からなる。
(1)研究者側のチーム形成
アクションリサーチのプロセスを完結させるためには、複数の研究者がチームを組んで展開することが必要となる。
(2)行政との協力体制の構築
住民参加型のプロセスを円滑に進めるためには、行政職員や保健福祉の専門職(社協など関係する地域の専門職を含む)を加え多くの協力を仰ぐことが必要となる。
(3)関係者へのインタビュー実施
住民主体によって解決すべきコミュニティの課題に関して共通認識をもつために、個別やグループでのインタビューの機会を研究者側が設定することが必要となる。
(4)キーパーソン(メンバー)の支援・信頼関係の構築
コミュニティの住民を巻き込んだワークショップ等、次のダイナミックな展開へと繋げるために、キーパーソンやキーメンバーと行政、研究者の信頼関係を構築することが必要である。
(5)地区住民参加型ワークショップによる住民主体プログラム案の抽出
できる限り多くの住民やコミュニティ関係者を募り、地域課題や理想を共有しながら、地域全体に広がるダイナミックな住民主体の活動の創出を目指すことが望ましい。
(6)抽出されたプログラム案を実践化するための検討会実施
抽出されたプログラム案を実際の活動に結びつけるための検討会を、研究者や行政、キーパーソン(キーメンバー)、コミュニティ関係者などによって繰り返し実施することが必要である。
(7)プログラムの実行と主体組織への支援
研究者や行政は、具体的な活動プログラムとそれを実行するための主体組織(コアメンバー)への側面的な支援を行い、ある段階からその役割をフェードアウトさせることが必要となる。
(8)住民主体運営の強化
住民主体のプログラム活動に参加するコアメンバーや住民の意欲やモチベーションを上げ、主体的運営の強化をすることが必要であり、このことが研究者や行政の役割となる。
(9)研究成果のフィードバック
研究の結果や成果をさまざまな形で関係者と共有するとともに、コミュニティ全体に還元することが必要であり、それは住民活動のスパイラル(螺旋的)な発展と強化を可能にする。
(10)コミュニティへの情報提供による活動の強化と支援
住民主体の活動プログラムをコミュニティに定着させるためには、さまざまな媒体を活用しながらコミュニティへ情報提供することが必要である。(29~35ページ)

 

Ⅶ.安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』

アクションリサーチの概念
アクションリサーチとは、当事者が発した課題について、当事者と共に解決に取り組み、検証を行い、よりよい社会を共に創るという一連のプロセスを継続的に行う活動のことである。
アクションリサーチの大きな特徴の1つは、多人称の立場から課題を捉えることで、新たなパラダイム変換を図る可能性を秘めていることである。すなわち、リサーチの基本である客観的に観察する3人称に加え、当事者と直接相対する2人称、当事者の一員としての1人称と、多層の視点を活用する強みがある。当事者に寄り添い、当事者と共に考えることで、新たな視点、これまでなかった方法など、解決の本質に迫るアイディアが生まれるチャンスが拡大する。
当事者と共に実践から出発し、実践の中で研究し、その成果をすぐに実践に適用するのがアクションリサーチである。(6ページ)

アクションリサーチの原則
共に創るアクションリサーチに求められるのは、当事者の価値観とニーズを明らかにし、当事者にできることは何かを見きわめて、環境を整備することである。
当事者の価値観とは、個人、人びと、組織が大切にしている歴史や文化、思いである。ニーズとは、個人、人びと、組織が求めているものである。当事者の価値観やニーズは、外部者の予想と違う場合が少なくない。そこでアクションリサーチの第一歩は、コミュニケーションをとることである。
共創型のアクションリサーチにおいても、当事者が自分ごととして課題を捉え、継続的に自分の力で解決に向けた活動を遂行できる環境を準備する。
すなわち、アクションリサーチの原則は、①当事者の価値観、②当事者のニーズ、③当事者にできること(使える感覚、共にある感覚)の3点を踏まえることである。(15、16ページ)

アクションリサーチに活かすエンパワメント
エンパワメントの原則は次の8点である。①目標を当事者が選択する。②主導権と決定権を当事者が持つ。③問題点と解決策を当事者が考える。④新たな学びと、より力をつける機会として当事者が失敗や成功を分析する。⑤行動変容のために内的な強化因子を当事者とサポーターの両者で発見し、それを増強する。⑥問題解決の過程に当事者の参加を促し、個人の責任を高める。⑦問題解決の過程を支えるネットワークと資源を充実させる。⑧当事者のよりよい状態(目標達成やウェルビーイングなど)に対する意欲を高める。
つまり、エンパワメントの原則は当事者主体である。したがって、当事者に関わる人びと、専門職や上司、仲間の役割は、当事者の力を湧き上がらせ、そのための環境整備をすることである。ここでいう当事者とは、中心的に関わる人、人びと、組織をさす。当事者に関わる人びととは、それを側面から支える人、人びと、組織をさす。(11ページ)

アクションリサーチの評価
共創型アクションリサーチは、エンパワメントの8つの要素に基づき評価できる。
1.共感性(empathy)
自分の意志を持ちながら、他者にも同じように明確な意志があることを認める。他者の意向を受け止め、自らのことと置き換えて他者の意向を理解することができる。それが共感である。(中略)共感性の高いプログラムやメンバー間のつながりは、エンパワメント(自分・仲間・組織・社会・システムなどがもっている力を引き出す、発揮すること)実現への大きな力となる。
2.自己実現性(self-actualization)
自己実現性とは、メンバー一人ひとりが、自己の活動によって自己の思いや価値を実現することができると感じていることである。(中略)自己実現性の高い活動であれば、人びとが自ら参加したいと願い、活動にとどまり続けたいと願うようになる。
3.当事者性(inter sectral)
当事者性とは、メンバー一人ひとりが、人ごとではなく自分のこととして関わっていることの指標である。自分のこととして関わるとは、ゴールの達成に自分の役割があると確信している状態をさす。
4.参加性(participation)
参加性とは、実際にメンバー一人ひとりが、活動に影響を与えていると感じていることの指標である。これは物理的な参加にとどまらない。人びとが何らかの形で、確かに関わっていると思えることの指標である。
5.平等性(equity)
平等性は、メンバーの連帯を促進する上で必須である。メンバーが、活動の内容、フィードバック、メンバーに対する処遇が平等と感じないと、力は湧かず、逆に力を奪う状態に陥る。
6.戦略の多様性(multi strategy)
多様性は、活動の発展に向けた多様な資源の確保につながる。個人、組織、環境にとって大きな強みである。メンバーの多様性に加え、用いる資源の多様性を考慮する。さまざまな人、資源、戦略を複合的に組み合わせて、活動を遂行する。
7.可塑性(plasticity)
さまざまな状況変化に柔軟に対応できるかどうかは、個人や組織の発展に大きな影響を及ぼす。メンバーや環境が変化しても、メンバー、活動、目標達成へのプロセスが前向きに形を変化させながらどこまで対応できるかを評価指標とする。
8.発展性(innovation)
将来への発展性や持続可能性は、メンバーに安定感をもたらす。(中略)活動において、発展へのイノベーションや安定した継続の見通しがあるかを評価指標とする。(25~27ページ)

 

Ⅷ.平井太郎著『話し合いが変わる 地域でアクションリサーチ』

アクションリサーチの概念
「アクションリサーチ」のアクションは実践=実際にやってみること、リサーチは研究=省(かえり)み、考えることを指す。つまり、アクションリサーチは、やりながら考える、省みながらやってみる(「やりながら考える、考えながらやる」27ページ)、といったかたちで実践と研究を循環的に組み合わせ、課題に向き合うことだ。
対応が求められる課題が複雑で深刻であればあるほど、国や専門家の示す対応策を待たず、鵜吞みにせず、現場で試行錯誤を重ねながら打開策を見出していった方が効果的ではないか。(17ページ)
アクションリサーチの核心にあるのは、「話し合いで現場の知恵を引き出す」ことである。それは現場の目線からいえば、「話し合い、知恵を寄せ合い、少しずつ事態を打開する」ことだ。(18ページ)

アクションリサーチの要素
アクションリサーチは、少人数の集団をつくることで、個々人がばらばらのときには期待できなかった運動が起りうること(グループ・ダイナミクス)、そうした運動が起きるのに、現場を尊重する専門家のかかわりが重要であること(トレーニング・グループ)という2つの要素から成り立っている。(39ページ)

アクションリサーチにおける「解答」と「解法」
アクションリサーチでは、一見、遠回りな道筋でも、あえて現場の人びとが試行錯誤を通じて、専門家も納得するような方向性を見出すことを尊重する。(中略)アクションリサーチが解き明かそうとする考え方、すなわち知識は、何をすべきかに関する知識knowing-what(解答)ではなく、どのようにすべきかに関する知識knowing-how(解法)だといわれる。(中略)解答が引き出されること以上に、どうしたらそうした解答に現場の人びと自身が行き着くかの解法が重要なのだ。(68ページ)

アクションリサーチの進め方=解法の要点
アクションリサーチを進めてゆくうえでの要点は、①「目標をうまく共有する」、②「尊重の連鎖」、③「根をもつことと翼をもつこと」の3つである。(132ページ)
(1)目標をうまく共有する
課題からではなく目標(将来の「ありたい姿」)から語り合うことは、①わかりやすいかたちでの現場の尊重につながる、②目標から語り合うと、自分たちの足許が固められ、試行錯誤が「着実な」ものになる(多方面に試行錯誤が広がり、何のためにやっているのかが十分、共有されたものになる)、③目標が言葉にされると、さまざまな人びとを惹きつける力が生まれる。(136、137ページ)
(2)尊重の連鎖
現場に見え隠れする序列(嫁や若者、女性、移住者など地域の秩序で「周辺」にある人たち)に即して、より上位の人びとが自ずとより下位の人びとを「尊重」(「共感」ではない)することが連鎖してゆくプロセスが重要である(「周辺的な存在の連鎖的な尊重」)。(160~161ページ)
尊重の第一歩は、話し合いの相手の立場に立ち、相手の希望や不安に思いを馳せ、自分から動き出すことである。(171~172ページ)
(3)根をもつことと翼をもつこと
地域づくりに求められるのは、いきなり事業を導入する事業導入型サポート=かけ算の支援でなく、まずは市民の声に耳を傾け小さな成功体験を積み重ねる寄り添い型サポート=足し算の支援を経て、かけ算の支援に移行する方法である。(181ページ)
足し算/かけ算の支援を、地域の内側からの目線で捉え直すと、足し算の支援の段階(ありたい姿探し、目標共有、試行錯誤)は「根をもつこと」、かけ算の支援の段階(小さな成功体験、組織的事業展開)は「翼をもつこと」と例えられる。(182、183ページ)

〇筆者の手もとにもう1冊、筒井真優美編著『研究と実践をつなぐ アクションリサーチ入門―看護研究の新たなステージへ―』(ライフサポート社、2010年10月)がある。筒井はいう。「アクションリサーチの定義は、まだ曖昧なまま用いられていることも多いが、どの定義にも共通して用いられている点が3つある。①研究者が現場に入り、その現場の人たちも研究に参加する『参加型』の研究である。②現場の人たちとともに研究作業を進めていく『民主的な活動』である。③学問(社会科学)的な成果だけでなく『社会そのものに影響を与えて変化をもたらす』ことを目指す研究活動である」(5ページ)。
〇また、前述の(Ⅲ)武田丈著『参加型アクションリサーチ(CBPR)の理論と実践―社会変革のための研究方法論―』で、武田はいう。「さまざまな学問領域における参加型のリサーチの代表的な定義の多くに共通する部分を組みあわせると、CBPRとは『コミュニティの人たちのウェルビーイングの向上や問題・状況改善を目的として』、『リサーチのすべてのプロセスにおける』、『コミュニティのメンバー(課題や問題の影響を受ける人たち)と、研究者の間の対等な協働によって』、『生み出された知識を社会変革のためのアクションや能力向上に活用していく』、『リサーチに対するアプローチ(指向)』だといえる」(Kindle版22ページ)。
〇さらに、前述の(Ⅰ)矢守克也著『アクションリサーチ―実践する人間科学―』で、矢守は、「アクションリサーチのキーワードは、『変化』であり、『介入』である。望ましい社会の実現へ向けて『変化』を促すべく、研究者は現場に『介入』していく」(11ページ)という。
〇ここで、こういった点を改めて押さえながら、次のようなことを本稿の「むすびにかえて」おきたい。
〇アクションリサーチは、ある組織やコミュニティに属する人たち(住民、当事者)が抱える社会的課題の解決と社会の変革をめざして、研究者と当事者(実践者)が連携・協働して(パートナーシップによって)継続的に展開する社会実践(取り組み・活動)である。その解決や変革を図るに際しては、当事者や関与者(ステークホルダー)・組織やコミュニティなどのエンパワメント(湧活:ゆうかつ)の実現と強化、そのための「話し合い」(対話によるコミュニケーションを通しての知識や技術の構築・共有)や「協同学習」(共通目標を達成するための相互学習・学び合い)、そして「リフレクション」(研究者と当事者の認識や思考、関係性の内省・省察・振り返り)が必要かつ重要となる。それは、筆者がかねてより議論してきた「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に通底する。そこでは、「当事者主体」「課題解決と社会変革」「パートナーシップ」「エンパワメント」「話し合いと協同学習」「リフレクション」などが重要な要素となる。
〇以上のようなアクションリサーチについての議論から、その推進を図るうえでの問題点や課題として、およそ次のようなことが抽出されようか(漏れや重複があることは承知している)。それは、「まちづくりと市民福祉教育」のそれと重なる。

(1)コミュニティの人びとが抱える社会的課題の解決にあたって、アクションリサーチを導入する必要性や可能性、あるいは妥当性が問われる。現場(フィールド)の実践活動に研究の視点を取り入れることの意義化をどう図るか。
(2)アクションリサーチにおいては、フィールドのローカリティ(場所性)がもつ地域特性が重要な意味をもつ。研究と実践の両面においてローカリティの意義を見出し、そのデザイン化をどう図るか。
(3)研究者と当事者が連携・協働(パートナーシップ)するに際しては、それぞれの資質や能力、関心や意欲・態度などが問われる。それをどう評価し育成・向上を図るか。
(4)研究者と当事者の社会的課題についての認識をはじめ、課題解決や社会変革がめざす目標や目的(最終的なゴール)、それを達成するための具体的方策などについて、違いやズレが生じやすい。それをどう調整し合意形成を図るか。
(5)専門的知識や科学的方法に基づかないアクションリサーチは、コミュニティに悪影響を及ぼす可能性がある。それをどう認識し知識や方法の客観性・厳格性の向上を図るか。
(6)課題の発見から計画、実行、評価、さらには成果の波及に至るアクションリサーチのプロセスや発展段階は多様である。それぞれの段階に適した科学的方法をどう開発・活用し、プロセスの最適化を図るか。
(7)住民の主体的な活動によるアクションリサーチの進め方や、住民やコミュニティのエンパワメントなどの評価は、住民主体で行われる。その際のリフレクション(内省・省察・振り返り)や評価(集約的評価・段階的評価、タスクゴール・プロセスゴール・リレーションシップゴール)のデザイン化をどう図るか。
(8)アクションリサーチから得られた個別具体的な知見やノウハウについて、その評価(妥当性・信頼性)に関する議論が肝要となる。その知見やノウハウのコミュニティへの還元(フィードバック)や普遍化・一般化(他のコミュニティへの波及)をどう図るか。
(9)アクションリサーチの意思決定は当事者の側にあるが、意図的あるいは結果的に、研究者に私的利益をもたらす危険性がある。研究者と当事者が協働型アクションリサーチを進めるうえで、とりわけ研究者に対して研究倫理の徹底化をどう図るか。
(10)まちづくりに関して地域コミュニティが抱える問題は、福祉や教育、医療、看護、介護など多種多様で、複合的であり、多層・多次元にわたる。それをどう横断的・総合的に捉え連携・協働(共働)を図るか。

 

追記(2024年2月16日)
吉本哲郎『地元学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2008年11月
結城登美雄『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける―』農山漁村文化協会、2009年11月
山下祐介『地域学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2020年12月
山下祐介『地域学入門』ちくま新書、2021年9月
柳原邦光ほか編著『地域学入門―<つながり>をとりもどす―』ミネルヴァ書房、2011年4月
佐藤滋『まちづくりの科学』鹿島出版会、1999年9月
日本建築学会(佐藤滋ほか)編『まちづくりの方法』(まちづくり教科書 第➀巻)丸善丸善、2004年3月
西村幸夫編『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』朝倉書店、2007年4月
織田直文『臨地まちづくり学』サンライズ出版、2005年3月
木下斉『まちづくり幻想―地域再生はなぜこれほど失敗するのか―』SB新書、2021年3月
山崎義人ほか『はじめてのまちづくり学 』学芸出版社、 2021年8月
山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年4月
山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中公新書、2012年9月
山崎亮『ふるさとを元気にする仕事』ちくまプリマ―新書、2015年11月
山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP新書、2016年11月
小泉秀樹編『コミュニティデザイン学― その仕組みづくりから考える― 』東京大学出版会、2016年9月
鎌田華乃子著『コミュニティ・オーガナイジング―ほしい未来をみんなで創る5つのステップ―』英治出版、2020年11月
室田信一ほか編『コミュニティ・オーガナイジングの理論と実践―領域横断的に読み解く―』有斐閣、2023年8月

新美一志/気になる14+1のワンフレーズ―若松英輔著『ひとりだと感じたとき あなたは探していた言葉に出会う』を読む―

〇若松英輔(批評家、随筆家)の『ひとりだと感じたとき あなたは探していた言葉に出会う』(亜紀書房、2023年10月)を読みました。「気になる14+1のワンフレーズ」を抜き書きしました。誰が何を書いているか、自分が書くのに何が役立つか、そんなことを気にする苦しみから解放されたい。自分なりのこれまでの学びを思い起こし、自分なりのこれからの学びを楽しみたい。そんなことを願っています。

生活は水平的な方向のなかで広がりを求めて営まれるのに対して、「人生」は一点を掘り下げるようにして深まっていく。(7ページ)

自分を「受け容れる」とは、それまでの過去を抱きしめ、ゆっくり明日に向かって進んでいこうとする営みである。(14ページ)

同情の眼は、相手に弱者の姿を見出すが、「共感」の眼は、弱者の奥にもう一度立ち上がろうとする勇者の姿を見る。(18ページ)

「祈る」とは、願いを鎮め、彼方からの声に耳をかたむけること、無音の言葉を聞くことなのではないだろうか。(28ページ)

「ひとり」のときを生きる(孤独を生きる)とき、人はそれまで見過ごしてきた、さまざまなものに出会い直す。(35ページ)

「書く」とは、頭にあることを言葉にすることではなく、心の奥にあって、言葉にならなかったものを照らす営みなのである。(40ページ)

書かれた言葉、話された言葉は、誰かに受けとめられたとき、初めて「言葉」になる。(49ページ)

苦しみながらでも生きている。この現実が、「生きがい」が存在することを確かに告げ知らせている。(55ページ)

自分のものであるよりも、何かのはたらきで自らの手もとにあると感じられるもの、それを人は「分かち合う」。(63ページ)

「成長」は上に向かって芽を伸ばすことだが、「成熟」は、大地に深く根を下ろすことである。(72ページ)

「味わう」とは、意味を解釈することではない。書き手が強く感じながらも言葉にできなかったことをすくいとろうとすることである。(107ページ)

「年を重ねる」とは、言葉にできることを多く持つのではなく、語り得ないものを心に積み上げていくことなのではないだろうか。(109ページ)

二人の作品(筋ジストロフィーの兄弟の詩と画)は、病は存在しない、病を生きる人間が存在するだけだ、そう語っているようにも感じられる。(121ページ)

命の尊厳は亡くなってからも続く。死とは、生命の状態から純粋な「いのち」へと変容することだといえるかもしれない。(129ページ)

「新しさ」とは、単に新規性があることを意味しない。むしろ、古くならない何かを指す。(142ページ)

阪野 貢/桜井正成著『コミュニティの幸福論』再読メモ ―「幸せのシェア」と「パッチワーク型コミュニティ」―

生きづらいのは特別の人だけ?
SNSの友達やフォロワーが多い人は幸せ?/「これからはモノの豊かさより心の豊かさ」、そう言っているのは高齢者だけ?!/ウチでは気を遣いすぎるくらい遣うのに、ソトでは冷たいのが日本人?!
――絆は、しがらみ。「ほどほどな幸せ」で生きていこう。(下記「帯」)

〇筆者(阪野)の手もとに、桜井正成著『コミュニティの幸福論―助け合うことの社会学―』(明石書店、2020年9月。以下[1])という本がある。その「帯」は、[1]の内容を次のように紹介する。「『助けたくない、助けられたくない』日本のあなたとわたし、身近なギモンや俗説の真相究明に挑んだ国内外の学術的研究を紹介しつつ、家族や地域、趣味・ボランティアのグループ、SNSやネットゲームといったあらゆる“コミュニティ”を取り上げて、人と人との関わり合いを問いなおす」(「帯」)。
〇現代の日本社会は、血縁(家族)・地縁(地域社会)・社縁(会社)による社会的なつながりが希薄化あるいは崩壊した「無縁社会」(橘木俊詔)であると言われる。そんななかで、「コミュニティ」という言葉は多様性・多義性の高い概念として使われる。[1]で桜井は、「コミュニティ」を「人と人とのあつまりや、その関係性・空間」(ⅶページ)と定義し、地域、居場所、インターネット、当事者、働くこと、災害などさまざまな観点から幅広く「コミュニティ」を捉える。そして桜井は、「コミュニティで人と人とが(あなたと私とが)幸せに生きるには?」ということを追求し、考える(ⅶページ)。そしていう。「あなたが幸せならば誰かも幸せになる。コミュニティの幸せとはそうした性質を強くもつている。ともに幸せになっていくのである」(ⅸページ、語尾変換)。
〇[1]のうちから、桜井の言説や論点のいくつか(概要)をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

人と人が関わり合って人を助けることは助けた人も幸せにする
「人のために何かする」行動は、社会心理学などでは「利他的行動」、「向社会的行動」と呼ばれている。この行動は、「コミュニティと幸せ」に重要な意味合いをもっている。それは、人が誰かを助けることは、助けられた人にとってだけでなく、助けた人も幸せにする、ということである。(6ページ)/(現代の、自己責任が問われる個人化社会にあって)人と人との関わり合いは、幸せを生む可能性がある。(7ページ)

人と信頼し合って広く付き合う多様な人間関係によって幸福感が得られる
日本は人との円滑な関係に価値を置いている文化であるために、人と調和したときに幸福を感じるのではないか(「協調的幸福」)。(19ページ)/北米の文化と比較したときに、家族などの身近な人との関係が良好であることが、幸福に与える影響はより大きいとされている。(20ページ)/身近な特定の人だけ信頼して親密に付き合うのではなく、皆が信頼し合って広く付き合う(信頼を「解き放つ」)ことによって、多様な人間関係から幸福感を得られる人が増えるのではないか。(36、38ページ)

日本のボランティア活動はウチでの活動が盛んでありソトに目が向かないでいる
日本でボランティア活動を行なっている人は、個人で行なうというよりも、団体に所属して行なっていることが多い。そしてそのもっとも多い団体の形態は町内会などの組織である。(52ページ)/日本のボランティア活動は、お互い知り合い同士のなかで行なわれる、身内(「ウチ」)での活動が盛んであるがゆえに、「ソト」の見知らぬ他人を助けることに目が向かない可能性が考えられるのではないか。つまり、「助けを求める」見知らぬ他者に気づけない人が多くいる可能性がある。(60ページ)

助けられるとき「居心地の悪さ」を感じて助けを求めない・求められない人がいる
人は助けてもらうとき、ありがたみと同時に申し訳なさも感じる。(68ページ)/ウチとソトの壁が厚い(意識が強い)日本文化においては、ソトの人から助けられることも、そして助けることも、強い「居心地の悪さ」を感じる(「心理的負債」)。(86ページ)/関係性が永続的に続くような固定した人間関係では、助ける・助けられるというプラスの互酬性は、裏返せば、迷惑をかける・かけられるという、マイナスの関係性も積み重なっていくのではないか。(78ページ)/(従って)助ける側の人は、ウエメセ(上から目線、象徴的支配)にならないように気をつけなければならない。そして、助けられる側の人には助けを求められない(求めることが心理的負担となる)状況があるので、それを社会として、あるいはコミュニティとして解消する必要がある。(89ページ)

〇以上のような議論(論拠)に基づいて桜井は、国内外の学術的知見や事例を紹介しながら、子ども・若者らの「生きづらさ」の現状を多角的・多面的な分析する(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

地域コミュニティ:ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)には負の側面がある
ソーシャル・キャピタル(social capital、社会関係資本)は、地域・社会における人々の信頼関係や互酬性の規範、ネットワーク(社会的つながり)の状態を示す概念である。/信頼、規範、ネットワークが強くあるコミュニティでは、経済的の発展や犯罪の防止、教育の成果、被災地の復興などに、有用であるとされている。(112ページ)/しかし、①外部者の排除(閉鎖的になる)、②個人の自由の制限、③集団のメンバーからの過度な要求、④規範の水準の押し下げ(皆が楽な方に、悪い方に流されてしまう現象)、といった負の側面がソーシャル・キャピタルにあることも指摘されている。(114ページ)/このようなソーシャル・キャピタルの両面性は、日本語での「絆」が同時に「しがらみ」を意味することを思い出させる。(115ページ)

居場所とコミュニティ:助けが必要な子どもほど助けを得られるつながりも居場所もない
居場所には、1人でいる「個人的居場所」と他の人と一緒にいる「社会的居場所」がある。/個人的居場所もときに人には必要であるが、生きづらさの解消のためには、最終的には社会的居場所がより重要な役割を果たす。人と話せて、安心でき、自分の存在や役割を確認できる場が重要となる。(125ページ)/現在の子ども・若者にとっては、自宅(ファーストプレイス)でもない学校・職場(セカンドプレイス)でもない社会的な居場所(サードプレイス)となり得るのは、インターネット空間である可能性が高い。(135ページ)/しかも、助けが必要な子どもほど、助けを得られるつながりも居場所もない、という現状にある。(137ページ)

インターネットとコミュニティ:オンライン・コミュニティが現実社会のコミュニティに影響を及ぼす
SNSでのオンライン・コミュニティと現実の生活との関連はより多様化・複雑化し、そこでの幸福は一様ではなくなっていくことが予想される。(174ページ)/今後、オンライン・コミュニティがオフラインの現実社会のコミュニティに影響を及ぼし、その意味やあり方をますます変えていく可能性がある。そしてそこでの個人の幸せのあり方も、多様に広がっていきそうである。(176ページ)

「当事者」とコミュニティ:「当事者」という表現はそうでない人たちとの線引きを明確化する
LGBTに限らず、「当事者」という言葉は、当事者「以外」の人たちを、その当事者が抱える問題のソトの人=よそ者と位置づけることにもなりかねない。(200ページ)/当事者(コミュニティ)のウチとソトのあいだの壁を低くする、あるいはそのあいだをつなぐことは、当事者にとっても、当事者以外にとっても、その社会での生きやすさにつながると言えるのではないか。(207~208ページ)/当事者とそうでない(と思っている)者とのコミュニケーションのなかにこそ、お互いの生きづらさを明らかにし、共有し、問題を解決していく道筋があり、またそれを促進するような支援のあり方が必要ではないかと考えられる。(208ページ)

「働くこと」とコミュニティ:就労支援には支援者たちのネットワークづくりと小さなコミュニティが重要である
働くことから排除され、ホームレス状態になる若者は、多重的な社会的排除の状態にある。(220ページ)/社会的排除は人間関係からの排除でもある。(222ページ)/「働くこと」が支えられる(若者の就労支援)には、就労困難な若者個人を支援し就職支援をするだけでは、その支援達成に向けては不十分であり、それに加えて若者支援の社会ネットワークの構築が必要になる。(229ページ)/それが社会的包摂を推進する。(234ページ)/このような「支えるコミュニティ」は、大きな集団ではネットワークの密度が低くなることから、小さなものが、さまざまに存在していることが理想である。(229ページ)

災害とコミュニティ:一人ひとりがどこかでは助けてもらえる社会をつくることが重要である
災害に強いコミュニティとは、「レジリエンス」(resilience)なコミュニティである。レジリエンス(強靭)とは、何かが起きたときでも柔軟に対処できるしなやかなコミュニティのあり方をいう。(251ページ)/(災害などでコミュニティがこわれたときの対応策として)一人ひとりがどこかでは助けてもらえる、あるいは助け合える関係性が社会でつくられることが重要である(「パッチワーク型コミュニティ」)。(271ページ)

〇以上を踏まえて桜井は、「助け合うコミュニティづくり」のためのアプローチについて提示し、「幸せなコミュニティづくり」の手法を紹介する(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

助け合うコミュニティづくりの3つのパターン
皆が助け合える幸せなコミュニティをつくるには、問題を「個人化」させて自己責任とせず、①「助けられる人が助ける」、②「贈与を交換にする」、③「ソトをウチにする」、という3つのパターン(方法、アイディア)がある。(277ページ)/①「助けられる人が助ける」の方法は、常に援助される側にまわってしまいがちな人でも、誰かを・何かを助ける場面をコミュニティでつくることができれば、「心理的負債」を減らすことができるのではないか。いわば、ケアするコミュニティ(ケアリング・コミュニティ)の可能性である。(277ページ)/②「贈与を交換にする」の方法は、「贈与」であった援助を、対価を払うことで「交換」という規範へと変えてしまうことである。地域通貨(特定のグループや地域で流通させるクーポン券)やボランティアの時間預託制度などである。(280、281~282ページ)/③「ソトをウチにする」は、ソトの人に頼れないのであれば、「ソトをウチに」することによって、ウチの人を新たにつくってしまう、という方法である。他人と住み暮らすシェアハウスという取り組み(シングルマザー・シェアハウスなど)がそれである。(283~284ページ)

幸せなコミュニティづくりの2つの手法
「幸せなコミュニティづくり」のためのコミュニティ・ソーシャルワークの代表的な手法には、コミュニティ・オーガナイジング(Community Organizing:CO)とアセットベースド・コミュニティ・ディベロップメント(Asset Based Community Development:ABCD)の2つがある。/コミュニティ・オーガナイジングは、地域課題に焦点を当て、個人の関係構築や組織化を進め、社会変革に対する行動を起こすものである。(286ページ)/それは日本の住民運動や障害者運動とよく似ている。(290ページ)/アセットベースド・コミュニティ・ディベロップメントは、地域資源に着目し、地域住民主導の参加型プロセスで、人と人とのつながり(ソーシャル・キャピタル)を醸成し、内発的な発展を志向するものである。/それは例えば、コミュニティ・デザイン(山崎亮)や、地元学(吉本哲郎)などの手法がそれである。(295ページ)

「幸せのシェア」と「パッチワーク型コミュニティ」
誰かが誰かに寄り添い支援する、誰かがどこかで見守っている「つぎはぎ」の助け合いやコミュニティづくり(パッチワーク型支援、パッチワーク型コミュニティ)が重要である。ただそれは、支援の網の目が均一でないので、どこかで支援の網からもれる可能性がある。(とはいえ)支援を受ける側にとって選択肢があることや、「絆」を超えた「縁」を新たに結ぶことなどによって、「幸せのシェア」(共有・分かち合い)が柔軟で、風通しの良い「幸せなコミュニティ」を作っていく第一歩として効果的な手段である。(303、304、308ページ)/「幸せのシェア」と「パッチワーク型コミュニティ」がこれからどうやって日本で根付いていくのか。またそれは、コミュニティでの幸せが築かれるためにどれだけの意味があるのか、が問われるところである。(309ページ)

〇[1]で桜井は、国内外の多くの学術的な研究と事例を取り上げ、「ウチとソト」「絆と縁」といった日本文化論を根幹に据えながら、多様なコミュニティ活動を読み解き、新たなコミュニティ論を展開する。そして桜井は、「(本書の)文章は、教科書でも一般書でも、研究書でもない、でもそれらすべてでもある」(312ページ)という。それ故にではなく、筆者の感受性の低さによるのであろうか、[1]に登場する数多くの地域(地元)や事例(実践)から、それぞれに固有の音や色そして匂い、そこに生きる個々人の痛みや苦しみ、あるいは心地よさなどが、必ずしも十分に肌感覚として伝わってこない。桜井が指摘する山崎亮や吉本哲郎らの、その地域(コミュニティ)の土(組織)や暮らし(活動)の匂いがする実践や研究が思い起こされるのは、筆者だけであろうか。
〇筆者の手もとに、[1]と同じようなタイトルの、山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班著『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』(NHK出版、2012年5月)がある。そこで山崎はこういう。「コミュニティの活動、言い換えれば、人と人とのつながりが機能するまちの暮らしは、住民ひとりひとりの『やりたいこと』『できること』『求められること』が組み合わさって実行されてこそ、初めて実現するものではないか。『できること』を他者に委ね、『求められること』を拒否し、『やりたいこと』だけに時間と労力を費やす人々の生活からは、成熟した豊かなコミュニティの姿を展望することはできない」(165ページ)。そして山崎は断言する。「コミュニティデザインに教科書はない」(144ページ)。

付記
地域福祉の視点から「ケアリング・コミュニティ」(caring community)を捉えると、それは「福祉サービスを必要とする人を社会的に排除するのではなく、地域社会を構成する一人として包摂し、日常生活圏域の中で支えていく機能を有しているコミュニティのことである」(大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』ミネルヴァ書房、2014年4月)。簡潔に換言すれば、人と人が共に生き、相互に支え合うコミュニティをいう。そこでは、相互の関係性を大切にし、お互いによりよく生きようという「相互実現的自立」(interdependence)が重視される(原田正樹)。

阪野 貢/“ Well-being ” 再考―「ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会」に関するワンポイントメモ―

〇2015年9月、ニューヨークの国連本部で開催された「国連持続可能な開発サミット」(United Nations Sustainable Development Summit)で、2030年を目標年次とする「持続可能な開発目標」(SDGs:Sustainable Development Goals)が採択された。それは、「誰一人取り残さない(no one will be left behind)」持続可能な社会の実現をめざす世界共通の目標である。
〇筆者(阪野)の手もとに、草郷孝好著『ウェルビーイングな社会をつくる―循環型共生社会をめざす実践』(明石書店、2022年7月。以下[1])という本がある。
〇[1]で草郷は、「誰一人取り残さない」持続可能な社会を実現するためには、社会発展モデル(経済・社会システム)を従来の「経済成長モデル」から「ウェルビーイングモデル」へ転換して「循環型共生社会」を切り拓くことが必要かつ重要であるとする。そして、そのためには、労働・教育・医療・環境・経済・社会に関する政策をウェルビーイングモデルに基づいたものに転換する必要があるとし、その処方箋を提示する。例えば、経済効率をあげる人材育成のための競争教育(偏差値教育)から、主体的に物事に取り組む力や他者に共感し協働する力を涵養していく「共創・共修学習」への転換や(152ページ)、地域づくりについて「行政が企画して、住民が参加する」という「市民参加」から、「住民の主体的活動を柱にして、行政がそれを支援する」という「行政参加」への転換(183ページ)、などがそれである。
〇「経済成長モデル」は一般的に、人間の物質的な豊かさを追求する経済成長のために生産活動の維持・拡大を図り、経済的利益を最優先する社会発展モデルをいう(大量生産、大量消費、大量破棄によって維持されてきた経済システム)。草郷にあっては、「ウェルビーイングモデル」とは、一人ひとりの人間が身体的・精神的・社会的に良好な状態を維持するために、自身が持っている「潜在能力」を活かし、充足度の高い生き方を選択し、追求できる社会発展モデルをいう(114ページ)。そして、「循環型共生社会」とは、ウェルビーイングを大切にし、経済の持続的成長と環境の持続的保全を図る循環型経済と、誰もが人間らしく生活でき、多様性と人権を認め合う思いやりのある共生社会の持続的発展がバランスよく保たれる社会像(99ページ)、循環型経済と共生社会の2つを併せ持つ社会像(15ページ)をいう。
〇以下では例によって、「まちづくりと市民福祉教育」を射程に入れながら、[1]における草郷の「ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会」に関する言説や論点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

SDGsと循環型共生社会
SDGsが掲げる「誰一人取り残さない持続的な社会」とは、
(1)誰もが安心して人間らしい生活のできる社会(人間らしい生活)
(2)お互いを認め合い多様性を大切にする共生社会(多様性重視)
(3)循環型経済によって環境と共存する持続可能な社会(環境との共存)
この3つの条件をすべて備えた「循環型共生社会」である。(26ページ)/別言すれば、循環型共生社会は、環境と調和し、経済と環境の両立をめざす循環型経済システムと、すべての人に基本的な生活と人権の保障(憲法25条の生存権)をめざす共生社会システムを両輪とする。(103ページ)

ウェルビーイングモデルと社会的共通資本
循環型共生社会を実現するためには、社会発展モデルを従来の「経済成長モデル」から「ウェルビーイングモデル」に転換する必要がある。(103ページ)/ウェルビーイングモデルは、日本の経済学者である宇沢弘文が提起した「社会的共通資本」(Social Overhead Capital)を土台として成り立つ。(123ページ)/宇沢がいう社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。それは、大気、森林、河川、水、土壌などの「自然環」、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの「社会的インフラストラクチャ―」、教育、医療、司法、金融制度などの「制度資本」の3つの大きな範疇にわけて考えることができる。(124ページ、図1参照)

ウェルビーイングモデルと潜在能力アプローチ
ウェルビーイングモデルは、インドの経済学者であるアマルティア・セン(Amartya Sen)が提唱した「潜在能力アプローチ」(capability approach、ケイパビリティアプローチ)を大黒柱として成り立つ。(116ページ)/センは、誰もが真の自由を保障される社会こそ、よりよい生き方を選択できるウェルビーイングの高い社会であると考える。“真の自由”とは、誰もが自分の持っている素質や可能性に気づき、それを伸ばしていくことによって、充足度の高い生き方を自ら選択できる自由のことである。(116ページ)/潜在能力アプローチのもう一人の提唱者であるアメリカの哲学者マーサ・ヌスバウム(Martha Craven. Nussbaum)は、「善く生きる」ためには、安定した経済基盤を持つだけではなく、社会的包摂、政治的参加の保障、多様な文化を認め合う社会での暮らしが欠かせない。善く生きて、幸せな人生を送るには、個人と社会の両方が密接に関係し合っていると考える。(118~119ページ)/ヌスバウムにあっては、人間は、生まれた時から備わっている生来の潜在能力(基礎的潜在能力)と、その潜在能力を個人の努力や周りの支援によって磨き・伸ばす(内的潜在能力)とともに、それを発揮できる多様な選択肢を保障する社会を実現すること(結合的潜在能力)によって「善く生きる」ことができるのである。(118~120ページ、図1参照)

内発的地域協働と地域づくり
地域の社会変革には、地域住民が社会のあり方を思い描き、未来ビジョンを構想することが大きな力になる。そして、未来ビジョンの実現には、地域に関わるさまざまな当事者(stakeholder、ステークホルダー)の主体的な地域協働が欠かせない。(169ページ)/地域のステークホルダーが主体的に地域協働していくことを「内発的地域協働」という。(171ページ)/イギリスの国際開発省(DFID:Department for International Development、1997年~2020年)は、持続的に生活改善を図るためには地域協働が不可欠とし、地域協働を醸成するために、「当事者主体の地域協働を醸成するための6つのポイント」に集約し、実行に移した。
(1)当事者目線で問題に向き合う
(2)当事者自身が問題解決に動く
(3)当該地域と地域外との関係を意識する
(4)行政と市民の協働
(5)制度、社会、経済、環境の持続性
(6)柔軟で長期的な視点を持つ
がそれである。/これらからいえるのは、当事者目線と当事者行動が重要であること、地域間の連携が大切であること、地域の当事者同士の協働が必要であること、中長期の視点を持って地域協働に取り組むことである。地域社会を変えていくためには、長期的視点に立ち、当事者目線、当事者協働、地域間連携という形で地域協働を推し進めていくことが重要なのである。(171~172ページ)

循環型共生社会への変革のポイント
地域レベルで、ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会に舵取りしていくためのポイントは、次の2点である。
(1)変革の方向性を打ち出すリーダーの存在
地域社会の変革に欠かせないのは、どのような社会を構想し、当事者である住民の参画意識を引き出し、協働をリードする優れたリーダーの存在である。
(2)当事者の地域協働と行政参加への切り替え
行政は、まちづくりの主役である住民のアイデアや動きにアンテナを張り、それらのパートナーとして参加していく行政参加に切り替えていくことが必要である。(205~207ページ)

ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会に変革していくために、私たちが取り組むべき重要なポイントは、次の3点である。
(1)循環型共生社会への地域変革ビジョンを構想し、推進する
地域の当事者が、地域社会の将来ビジョンを描き、それを実現するために行動していけるかどうかがカギを握る。
(2)地域独自の文化、歴史、智慧を活かし個性ある循環型共生社会をつくる
循環型共生社会は、地域固有の環境、生活文化、地域の歴史、そして、地域住民がつくりだしてきたさまざまな智慧を活かして、持続的な社会の実現をめざしていく。
(3)循環型共生社会の暮らしを日常生活に取り込んでいく工夫と協働を楽しむ
循環型共生社会の実現には、日頃の生活を見直して、自ら生活を変えていくことが必要であり、そのために、住民同士が対話し、協働することで、生活の拠点である地元をかけがえのない共通の場(コモンズ)として育てていく。(213~215ページ)

〇草郷は、「社会的関係資本」と「潜在能力アプローチ」そして「内発的発展論」(内発的地域協働)を援用して、経済成長モデルからウェルビーイングモデルへの転換を図り循環型経済システムと共生社会システムを併せ持つ循環型共生社会の実現を提唱する(図2参照)。そして草郷はいう。「私たち自身が社会を変えていく当事者であることを自覚し、小さなことから協働、対話、共創によって自分事として何かを変えていくことが、後々、大きく社会を変えていくことにつながる」。「ウェルビーイングを大切にする地域が増えていけば、循環型共生社会に向かって社会は動き出していく」(222ページ)。そのためには、「主体性と共感力を磨く教育政策」への転換が求められる(150~153ページ)。これが草郷からのシンブルで強いメッセージである。それは、筆者が言ってきた「まちづくりと市民福祉教育」に通底する。

図1 ウェルビーイングを大切にする社会の特徴

図2 循環型共生社会の構想

 

 

阪野 貢/“ Well-being ” 考―「しあわせ」の構成要因に関するワンポイントメモ―

「ウェル・ビーイングとは、個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念」である(厚生労働省『雇用政策研究会報告書』、2019年7月、1ページ)
「ウェルビーイングとは『健康』と『幸せ』と『福祉』のすべてを包む概念」である(前野隆司・前マドカ:下記[2]18ページ。注①)
「持続的ウェルビーイングは、人間が心身の潜在能力を発揮し、意義を感じ、周囲の人との関係のなかでいきいきと活動している状態」を示す包括的な概念である(渡邊淳司・ドミニク=チェンほか:下記[6]30ページ)

〇筆者(阪野)はかねてより、「福祉」を、キャッチフレーズ的に「だんの らしの あわせ」について「みんなで考え、みんなで汗を流すこと」を意味する言葉として、「ふくし」と表記してきた。その際、「しあわせ」についても簡潔に、「みんなが 満足していて 楽しいこと」と言ってきた。それは、個人のひと時の気分や感情に留まるものではなく、人生という長い期間にわたる「しあわせ」であり、しかも「みんなが」社会的に「良好な状態」にあることを含意するものとして考えてきた。近年、いろいろな分野で多用さ、注目を集めている “ Well-being”「ウェルビーイング」に通じる。(注②)
〇ウェルビーイングという言葉は、1946年7月に設立された世界保健機関(WHO)の世界保健憲章(1948年4月発効)のなかで使われたのが最初であると言われている。“ Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. ”「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいう」がそれである。ここでは、“ well-being ”は「満たされた状態」と訳される。また、1946年11月に公布、翌1947年5月に施行された日本国憲法は、その第13条で幸福追求権について謳っている。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」がそれである。ここでは、「幸福追求」は公式には、“ pursuit of happiness ”と訳される。すべて国民は、第25条に基づく健康で文化的な最低限度の生活保障とともに、第13条が謳う幸福を追求し自己実現を図る基本的権利を有するのである。
〇時を経て、2015年9月、国連サミットで2030年を目標年次とする「持続可能な開発目標」(SDGs:Sustainable Development Goals)が採択された。SDGs には、17のゴールと169のターゲットがある。3番目のゴールとして、“ Good Health and Well-Being ”「すべての人に健康と福祉を」が明記されている。ちなみに、1番目のゴールは“No Poverty”「貧困をなくそう」、2番目のそれは“Zero Hunger”「飢餓をゼロに」である。
〇このように、ウェルビーイングは古くて新しい言葉である。とりわけここ数年来のコロナ禍によって、改めて「健康」(health)や「幸せ」(happiness)、「福祉」(welfare)や「豊かさ」(richness)などに対する意識や価値観が変化し、働き方(雇用形態)や企業経営(健康経営)のあり方が問われることになる。それをひとつの要因や背景として、ウェルビーイングへの注目が拡大し、研究が進展している。ちなみに、2021年12月に「ウェルビーイング学会」が発足し、2022年1月に新聞紙上に「今年をウェルビーイング元年に」(注③)という記事が載った。そして、2024年4月には武蔵野大学に日本初(世界初)となる「ウェルビーイング学部」が開設される。「ウェルフェア(Welfare)からウェルビーイング(Well-being)へ」という新しい時代の幕開けであろうか。なお、このフレーズは、1994年3月に上梓された高橋重宏の著作『ウェルフェアからウェルビーイングへ―子どもと親のウェルビーイングの促進:カナダの取り組みに学ぶ』(川島書店)にみられる。
〇筆者(阪野)の手もとに、ポジティブ心理学(ウェルビーイングの実現を志向する心理学)の創始者と評されるアメリカの心理学者マーティン・セリグマン(Martin E. P. Seligman)の本――『ポジティブ心理学の挑戦―“幸福”から“持続的幸福”へ―』(宇野カオリ監訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年10月。以下[1])がある。[1]でセリグマンは、「ウェルビーイングの5つの要素」として有名な「PERMA(パーマ)」という指標について論述する(33~53ページ)。P:ポジティブ感情(Positive Emotion)、E:エンゲージメント(Engagement)、R:関係性(Relationships)、M:意味・意義(Meaning)、A:達成(Achievement)、がそれである。
〇「PERMA」すなわちウェルビーイングの状態について平易・簡潔に言えばこうであろう。次のような人は幸せである、という。(下記[4]参照)。

マーティン・セリグマン/「ウェルビーイングの5つ要素」
P:「ポジティブ感情」 嬉しい、楽しいなど、ポジティブな感情を持つ人。
E:「エンゲージメント」 物事に関わり、それに没頭したり夢中になる人。
R:「関係性」 援助や協力など、他者とのつながりやよい関係性を持つ人。
M:「意味・意義」 人生の意味・意義について自覚したり社会貢献する人。
A:「達成」 何かを達成(成功)するとともに、達成のために努力する人。

〇そして、セリグマンはいう。「幸せとは自分が気持ちよく感じることであり、人生の方向性はその気持ちよさを最大限にしようとすることで決まるとする。/ウェルビーイングとは、自分の頭の中だけで存在するわけにはいかないものだ。ウェルビーイングは、気持ちよさと同時に、実際には意味・意義、良好な関係性、および達成を得ることが組み合わさったものなのだ。人生の選択は、これら5つの要素すべてを最大化することで決まる」(50ページ)。
〇筆者の手もとに、日本における幸福学研究の第一人者と評される前野隆司の「ウェルビーイング」に関する本が4冊ある(しかない)。(1)『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門―』(講談社現代新書、2013年12月。以下[2])、(2)『実践・脳を活かす幸福学 無意識の力を伸ばす8つの講義』(講談社、2017年9月。以下[3])、(3)前野マドカとの共著『ウェルビーイング』(日経文庫、2022年3月。以下[4])、(4)『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社、2022年5月。以下[5])、がそれである。
〇前野によると、ウェルビーイング(幸福)研究には、各人の主観的な幸福感を統計的・客観的に計測する「主観的幸福研究」と、収入や学歴、生活状況や健康状態などの客観的なデータを使って間接的に幸福を計測する「客観的幸福研究」がある([2]33~34ページ)。
〇前野は、主観的幸福研究をベースに、ウェルビーイングな状態でいるために必要な因子――「幸せの4つの因子」について探究する。次がそれである([2]96~113ページ、[3]98~113ページ、[4]72~75、87~92ページ、[5]119~140ページ)。

前野隆司/「幸せの4つの因子」
第1因子:「やってみよう」因子(自己実現と成長の因子)
やりがいや強みを持ち、主体性の高い人は幸せである。
・コンピテンス(私は有能である)
・社会の要請(私は社会の要請に応えている)
・個人的成長(私のこれまでの人生は、変化、学習、成長に満ちていた)
・自己実現(今の自分は「本当になりたかった自分」である)
第2因子:「ありがとう」因子(つながりと感謝の因子)
つながりや感謝、あるいは利他性や思いやりを持つ人は幸せである。
・人を喜ばせる(人の喜ぶ顔が見たい)
・愛情(私を大切に思ってくれる人たちがいる)
・感謝(私は、人生において感謝することがたくさんある)
・親切(私は日々の生活において、他者に親切にし、手助けしたいと思っている)
第3因子:「なんとかなる」因子(前向きと楽観の因子)
前向きかつ楽観的で、何事もなんとかなると思える、ポジティブな人は幸せである。
・楽観性(私はものごとが思い通りにいくと思う)
・気持ちの切り替え(私は学校や仕事での失敗や不安な感情をあまり引きずらない)
・積極的な他者関係(私は他者との近しい関係を維持することができる)
・自己受容(自分は人生で多くのことを達成してきた)
第4因子:「ありのまま」因子(独立とマイペースの因子)
自分を他者と比べすぎず、しっかりとした自分らしさを持っている人は幸せである。
・社会的比較志向のなさ(私は自分のすることと他者がすることをあまり比較しない)
・制約の知覚のなさ(私に何ができて何ができないかは外部の制約のせいではない)
・自己概念の明確傾向(自分自身についての信念はあまり変化しない)
・最大効果の追求のなさ(テレビを見るときはあまり頻繁にチャンネルを切り替えない)

〇そして、前野はいう。これらの4つの因子(第1因子:主体的に生きる、第2因子:共に生きる、第3因子:未来を信じる、第4因子:他人と自分を比べない)を意識しながら行動していけば、どんな人でも自分らしい幸せを掴むことができる。しかし、現代社会・世界は、利己主義から利他主義まで、民主主義から専制主義まで、個人主義から全体主義まで、経済成長から脱成長まで両極化しつつあり、バラバラのカオス(混沌)になりつつある。こうした混迷と分断の「ディストピア禍」において、多様な価値観を持つ人々がつながり合い、利他の精神を築き、より調和的な社会・世界をめざすためには、他者を「想像し、許し、信じ、対話する」ことからはじめる以外に解決策はない([5]141~147ページ)。
〇筆者の手もとにもう1冊、渡邊淳司・ドミニク=チェン監修・編著の『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』(ビー・エヌ・エヌ、2020年3月。以下[6])という本がある。「ウェルビーイングとは、『わたし』が一人でつくりだすものではなく、『わたしたち』が共につくりあうものである」(2ページ)というのが、[6]のシンプルなメッセージである。すなわち、「個でありながらに共」という日本的なウェルビーイングのあり方について探究する([6]帯)。
〇[6]では、単数形の「わたし」ではなく、複数形の「わたしたち」のウェルビーイングを想定する。そして、「『わたしたち』のウェルビーイングとは『競争』するものではなく、『共創』するものなのだ。(中略)『わたし』のウェルビーイングを追い求めつつ、『わたしたち』のウェルビーイングを共につくりあう、重層的な認識によってウェルビーイングを捉えていく必要がある」(4ページ)と説く。渡邊・チェンらにあっては、「効率性」や「経済性」といった既存の「ものさし」にとらわれた個人主義的(individualistic)な「わたし(個)のウェルビーイング」だけでなく、人と人とのあいだにウェルビーイングが生じると考える集産主義的(collectivistic)な「わたしたち(共)のウェルビーイング」(32ページ)も、「人それぞれの心を起点とした新しい発想の『コンパス』となる」(3ページ)。それによって、「コミュニティと公共」というより広い視点からのウェルビーイングについても論じることになる。そして、ウェルビーイングに配慮した新しい社会像をめざすことができるのである(3~6ページ)。
〇渡邊・チェンらによると、ウェルビーイング(心身がよい状態)には3つの側面・領域がある。心身の機能が不全でないか、病気でないかを問う医学の領域である「医学的ウェルビーイング」、その時の気分の良し悪しや快・不快など、一時的かつ主観的な感情に関する領域である「快楽主義的ウェルビーイング」、心身の潜在能力を発揮し、周囲の人との関係のなかで意義を感じている「いきいきとした状態」を指す「持続的ウェルビーイング」がそれである(20、30ページ)。すなわち、健康で、心地よく、周囲の人との関係のなかで意義を感じいきいきと活動している状態をウェルビーイングというのである。そして「近年は、医学的もしくは快楽主義的なものではなく、ウェルビーイングを持続的かつ包括的に捉えようとする考えが主流となっている」(20ページ)。
〇次いで[6]では、持続的ウェルビーイングを生み出しその向上を図るためには、他者との関係性のなかでどのような働きかけ(「配慮」)をすべきか(「ウェルビーイング向上のために他者が介入する際、留意すべき点」45ページ)、について説く。以下がその要点である(45~49ページ)。

渡邊淳司・ドミニク=チェン/「ウェルビーイングを生み出すための6つの配慮」
個別性への配慮
何よりも意識すべきは、「私とあなたは違う」という点である。ウェルビーイングの要因の重要度は、個人によってやその人のライフステージによっても変化する。
自律性への配慮
ウェルビーイングは誰かに与えるものではなく、自身で気づき、行動するものである。他者に働きかける際には、いくつかの選択肢を用意し、相手に一定の自律性を担保することが望まれる。
潜在性への配慮
「ふとした瞬間に感じる気持ち良さ」や「ちょっとした違和感」など、潜在的には存在しているが自覚されていない情報や感覚体験をすくい上げ、それらに目を向ける。
共同性への配慮
人間は他者との関係性のなかで生きている。当事者間に深い共感や価値観の共有をもたらすものに取り組んだり、体験したりする。
親和性への配慮
ポジティブ感情には、興奮を伴うポジティブ感情と、平穏や思いやり、愛といったリラックスするそれがある。現代社会は前者に偏っており、両方のポジティブ感情のバランスを取ることが望まれる。
持続性への配慮
ウェルビーイングは、短期的あるいは長期的な目標設定をすることだけでなく、その過程の充実によって持続性を作り出すことが重要になる。

〇そして、渡邊・チェンらは「コミュニティと公共のウェルビーイング」についていう。インターネットの普及などによって、コミュニティのあり方が揺れ動いている。そんななかで、「公共のウェルビーイング」について考える際、「存在論的安心」「公共性」「社会創造ビジョン」という3つの要因が重要となる。「存在論的安心」とは、自身や自分を取り巻く環境や世界が安定的・継続的に存在し、それに対する確信や信頼のことを指す。「公共性」とは、多様な人々が共に生きられる公共の場(空間)を、一人ひとりのボトムアップな動きによって創り出すことをいう。そしてこの2つを前提に、自分たちが自律的に活動することによって新たなイノベーションが生まれ、社会創造が実現する(「社会創造ビジョン」)。それは自己効力感や達成感を得る機会になり、一人ひとりのウェルビーイングを高めていく。要するに、「コミュニティと公共のウェルビーイング」を実践していくことは、新たな社会や未来を構想し創造することそのものなのである(63~75ページ)。
〇この点(地域コミュニティにおけるウェルビーイング)は、住民個々人のウェルビーイングと集合的なウェルビーイング(コミュニティ・ウェルビーイング)を実現していく「まちづくり」や、そのための教育(「市民福祉教育」)に通じることになる。例によって唐突であるが、指摘しておく。
〇さらに筆者の手もとにもう1冊、石川善樹・吉田尚記の『むかしむかし あるところに ウェルビーイングがありました―日本文化から読み解く幸せのカタチ―』(KADOKAWA、2022年1月。以下[7])という本がある。[7]では、「日本の文化と風土を前提にしたウェルビーイングへの道とは何か」について、「古事記」や「日本昔ばなし」などから読み解く。そこから得られた「教訓」は次の5つである。

石川善樹・吉田尚記/「昔話と古典から学ぶウェルビーイング5つの教訓」
(1)上より奥を見る:上ばかりを見て焦るのではなく、あえて視点を外してみる。
(2)ハプニングを素直に受け入れてみる:突発的なトラブルや出来事と楽しみながら向き合ってみる。
(3)人間は多面体であることが当然という認識に立ち戻る:人間は本来、多面的な顔、矛盾した性質を持っていることを再認識する。
(4)自己肯定感の低さにとらわれすぎない:日本人には謙遜の精神が根付いているが、自己肯定感への執着を手放す。
(5)他者の愚かさを許し、寛容に受け入れる姿勢を身につける:自分と他者に寛容になる。

〇石川・吉田は、この5つの教訓が「現代人のウェルビーイングの素地になる」という(156~159ページ)。
〇なお、上述の[6]では、日本的ウェルビーイングの特徴として、次の3点を指摘している。(1)自律性(自分の周りの環境に対し主体能動性を感得できる)、(2)思いやり(自己のウェルビーイングのみならず周りの他者のそれにも寄与できる)、(3)受け容れ(自律性と他者の存在が調和し現在のポジティブ・ネガティブの双方を含む状況を受け容れられる)、がそれである(56~57ページ)。
〇冒頭で記したように、ウェルビーイングは、身体的、精神的、社会的に満たされている良好な状態にあることを意味する。すなわち、ウェルビーイングは、「豊かさ」を考えるためのキーワードである。その点をめぐって、筆者はこれまで、「豊かさ」を獲得・実現するための条件について言及してきた。ここでそれを再認識(再確認)しておくことにする。

阪野 貢/「豊かさ」を獲得・実現するための5つの条件
(1)基本的人権の尊重や自由・平等と民主主義の確保を前提に、人々の個別具体的な発達保障と生活保障の具現化と共生や支え合いの創出が図られること。
(2)すべての人が個性的・創造的に自分を生きる(生き抜く)ために多様な選択肢が準備され、その選択の自己決定やそのための支援がなされること。
(3)自分の生きがいや自己実現のための活動にとどまらず、他者や地域・社会のための、社会変革を進める社会貢献活動(共働活動)に参加できること。
(4)そのための個人的な尊敬と信頼に基づく熟議やさまざまな知識や経験による想像力と創造力によって、明るい社会と未来(希望)が開拓・共創されること。
(5)以上のことを可能にし、相互支援と相互実現、地域・まちづくり、社会変革と社会創造を推進するための教育・学習(市民福祉教育)が、すべての人の生涯にわたって自律的・主体的に行われること。


➀ 図1は、前野隆司・前野マドカの「ウェルビーイングの定義」を図示したものである。図2は、2010年12月に内閣府に設けられた「幸福度に関する研究会」(2010年~2013年)が、「幸福度指標試案」の構成要素を体系図として描いたものである。参考に供しておく。図2では、「幸福度」指標を「主観的幸福感」と、それを支える3つの柱として「経済社会状況」「(心身の)健康」「関係性」を含めて考えている。また、地球温暖化や大気汚染などの環境面の「持続可能性」についても重視している。

 図1 ウェルビーイングとは何か


② 平仮名表記の「ふくし」については、例えば、松岡広路の論考「<ふくし>を実質化する福祉教育・ボランティア学習とは」『ふくとし教育』通巻36号、大学図書出版、2023年9月、62~63ページ、が興味深い。松岡はいう。<ふくし>とは、「あらゆる人が、多元的課題を内包する日常生活を基点に、臨床的かつ集合的に幸福を追求するとともに、マジョリティ文化のなかで当たり前とされてきた社会の在り方・生き方およびその根底の価値を、生活者としての視点で疑い、その変容を促す主体となるような総合的な営為」(64ページ)である。簡潔に言えば、「あらゆる人が、幸福や命をめぐる学びの中で、現代の生き方・ライフスタイルを批判的に再構築し社会を変えるという、人間らしさの本源を問う営みである」(6ページ)。

③ 「今年をウェルビーイング元年に」(日経電子版/2022年1月5日)

付記
本稿でとり上げた本の一覧である。
(1)マーティン・セリグマン、宇野カオリ監訳『ポジティブ心理学の挑戦―“幸福”から“持続的幸福”へ―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年10月
(2)前野隆司『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門―』講談社現代新書、2013年12月
(3)前野隆司『実践・脳を活かす幸福学 無意識の力を伸ばす8つの講義』講談社、2017年9月
(4)前野隆司・前野マドカ『ウェルビーイング』日経文庫、2022年3月
(5)前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』プレジデント社、2022年5月
(6)渡邊淳司・ドミニク=チェン監修・編著『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』ビー・エヌ・エヌ、2020年3月
(7)石川善樹・吉田尚記『むかしむかし あるところに ウェルビーイングがありました―日本文化から読み解く幸せのカタチ―』KADOKAWA、2022年1月

阪野 貢/福祉サービス消費者の主体形成と福祉教育 ―もうひとつの福祉教育を考えるためのワンポイントメモ―

〇私事にわたる記事(資料の提示)であることをお許し願いたい。筆者(阪野)は、2023年11月4日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第29回新潟大会の総会の席上で、学会の名誉会員の称号を野尻紀恵会長から授与された。恐縮至極であり、光栄の極みである。総会資料(「名誉会員の推挙について」)によると、その理由は次の通りである。

<学会におけるご略歴>
設立呼びかけ人であり、1995年~2010年の4期にわたって理事を務め、2002年~2007年には2期の副会長を務めた。
本学会が設立できたのは、阪野貢先生のご尽力があってのことである。設立趣旨文や会則の起草、関係者との調整、設立総会の準備など大橋謙策先生とともに東奔西走された。この学会設立の経過については、『ふくしと教育』(第17号、2014年)にて、「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」としてご執筆されている。
<福祉教育研究における主な研究業績>
阪野貢先生は、『日本近代社会事業教育史の研究』(共著、相川書房、1980年)、『戦後初期福祉教育実践史の研究』(単著、角川学芸出版、2006年)など本格的な歴史研究を踏まえ、史実とその時代背景を通して今日的な福祉教育の理論化とともに、その普及に尽力されてきた。『福祉教育の創造』(単著、相川書房、1989年)、『福祉のまちづくりと福祉教育』(単著、文化書房博文社、1995年)、『福祉教育論』(共編著、北大路書房、1998年)、『福祉教育のすすめ』(監修・共著、ミネルヴァ書房、2006年)など。それらの集大成として、「市民福祉教育」という理論化をはかられた。『「市民福祉教育」の研究―総括と展望―』(単著、私家版、2011年)。現在は、市民福祉教育研究所のブログ
http://sakanolab.com/ )を通して、積極的に研究成果を発表されている。(一部訂正)

〇日本福祉教育・ボランティア学習学会は1995年10月に設立された。その時の資料によると、学会設立の呼びかけ人は204人、会員は236人、予算額は200万円であった。こんにち、会員は644人(2023年10月現在)、予算額は954万円(2024年度)になっている。会員各位の尽力によって大きな学会に発展したことは、一会員として、また学会の設立に若干関わりを持たせていただいた者として、嬉しい限りである。
〇上記の「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」は、次の通りである。参考に供しておきたい。併せて、本ブログ<雑感>(191)1995年と1996年、そして“いま”―野澤和弘著『弱さを愛せる社会へ』のワンポイントメモ―/2023年10月30日投稿、に添付されている記事――「日本福祉教育・ボランティア学習学会設立」『月刊福祉』第79巻1号、1996年1月、108~109ページ( ⇒ 本文 )も参照されたい。







出所:「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」『ふくしと教育』第17号、大学図書出版、2014年8月、42~47ページ。

〇学会の設立に関する記事(資料)を探している際に、『月刊福祉』1996年6月号(第79巻6号)に掲載されている拙稿――「今後の福祉教育の展開を考える」が目に留まった。27年前の拙稿であり、忘却の彼方に消え去ったモノである。そこでは、今後の福祉教育の展開に向けて、こんにちの福祉教育が抱える問題や課題のうちのいくつかについて考察を加えている。(1)こんにちの福祉教育には総合的・計画的推進と学際的・実践的研究が求められている、(2)福祉教育とボランティア活動、ボランティア学習の関連について整理する必要がある、(3)福祉教育の評価とボランティア活動についての社会的評価は次元の異なるものである、(4)高齢消費者が増大するなかで消費者教育の一環としての福祉教育の推進が求められる、がその枠組み(見出し)である。そのうちの(4)については、次のように記している。

高齢消費者が増大するなかで消費者教育の一環としての福祉教育の推進が求められる
高齢社会は、高齢消費者したがってまた障害消費者が増大する社会である。「自立した消費者」の育成を図るための消費者教育、その一環としての福祉教育の推進が求められる。
高齢者の生活基盤は、心身の機能の低下や意思能力の衰退、それに経済的・社会的・家族的状況の変化などによって脆弱化、不安定化する。また、在宅福祉サービスの有料化や商品化が進むなかで、高齢者固有の経済的かつ精神的・身体的な消費者トラブルや被害が発生し、増大している。そこで、充実した消費生活基盤の確立をはじめ、消費者トラブルや被害に対する救済システムの整備、それに予防システムとしての自立した消費者の育成が重要な課題となる。
消費者教育は、「消費者が各自の生活の価値観、理念(生き方)を個人的にも社会的にも責任を負える形で選び、枠組みし、経済社会の仕組みや商品・サービスについての知識・情報を理解し、批判的思考を働かせながら合目的的に意思決定し、個人的、社会的に責任が持てるライフスタイルを形成し、個人として、また社会の構成員として自己実現していく能力を開発するものである」(日本消費者教育学会)。福祉教育は、社会福祉の制度・施策の仕組みや商品・サービスについての知識・情報を理解し、自主的・主体的、総合的・合理的に判断し、意思決定することのできる福祉商品・サービス消費主体の形成を図るものでもある。この点において、消費者教育の目的と福祉教育のそれは同根であり、両者は密接なかかわりのなかで展開されなければならないといえる。さらに、消費者教育と福祉教育はともに、単なる知識・情報の理解にとどまるものではなく、福祉商品・サービス消費主体としての意思決定能力の育成と態度・行動の変容・変革を促すものであり、そこから体験的・実践的学習活動が重視される点も共通するところである。消費者教育の一環としての福祉教育の実践と研究が求められる。(『月刊福祉』1996年6月号、全国社会福祉協議会、47ページ)

〇当時筆者は、消費者教育の一環としての福祉教育の展開に関して、まずは次の3つの側面における福祉教育のあり方が問われるとしている。①福祉商品・サービスや介護サービスの消費者・利用者(要介護者本人やその家族など)に対する福祉教育、②福祉商品・サービスや介護サービスの事業者や専門家に対する福祉教育、③福祉商品・サービスや介護サービスを安定的・継続的に提供するための市民的・世代間合意を図る福祉教育、がそれである。
〇また、こうも言ってきた。「消費者教育が学習素材として取り上げる消費者問題は、商品・サービスの購入や消費の際に生ずる消費者被害や不利益に関する問題(『取引問題』)としてのみとらえるのではない。それは、『生活環境問題』や『生活問題』としてとらえることが肝要となる。その点において、消費者教育と福祉教育は密接な関係性をもつ」。「消費者教育やその一環としての福祉教育は、健康で、社会参加の意思と能力を備えた高齢者に対しては有意義である。しかし、病気がちなどで社会参加の意思と能力が減退し、しかも記憶力や思考力、判断力などが低下した高齢者に対しては、その成果を期待することは難しい。そこに、代弁的機能(アドボカシー)あるいは後見的機能(ガーディアンシップ)を含めた福祉的かつ教育的な働きかけが必要不可欠となる」(阪野貢「福祉サービス消費者の主体形成と福祉教育―消費者教育に学ぶ―」『福祉文化研究』第6巻、日本福祉文化学会、1997年3月、37~38ページ)。改めて思い起こしておきたい。
〇また当時(2000年以降)、消費者教育の観点や視点から福祉教育について言及する論考が筆者の目に留まった。例えば、次のようなものがそれである。

[1]永原朗子・鳥井葉子・田結庄順子「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第1報)―高齢化・高齢者に関する福祉教育の授業分析結果を手がかりに―」『消費者教育』第21冊、日本消費者教育学会、2001年10月、175~184ページ。
[2]鳥井葉子・永原朗子・田結庄順子「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第2報)―高齢者に関する福祉教育の学習開発の枠組み―」『消費者教育』第22冊、日本消費者教育学会、2002年9月、149~156ページ。
[3]田結庄順子・鳥井葉子・永原朗子「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第3報)―高校生を対象とした高齢者の消費者被害に関する授業研究―」『消費者教育』第25冊、日本消費者教育学会、2005年9月、133~140ページ。
[4]田村久美・水谷節子「消費者教育の一環としての福祉教育―市区町村社会福祉協議会の調査結果から―」『消費者教育』第25冊、日本消費者教育学会、2005年9月、21~32ページ。

〇[1]では、「福祉教育の学習テーマとして高齢者の消費者問題・被害をとりあげることは、福祉をめぐる問題の所在を究明し、その解決にむけての実践力を育成していく上で重要である」(178~179ページ)とする。そして、「消費者教育と福祉教育の関連性」について次のように整理している(179ページ)。

消費者教育
[目的]
個人的かつ社会的な生活の質的向上を図るために自らの生活目標や価値意識を形成し、商品・サービスの購入・使用・廃棄にあたっては、自主的・主体的・総合的・合理的に判断し、意思決定し、自己の生活を主体的に創造していくことの出来る力を育成すると共に、消費者問題・被害については、その事実を認識し、その解決のためには他者と連帯して行動する能動的で積極的な消費者を育成すること。
[学習素材]
*商品・サービスの購入や消費の際に生じる消費者被害や不利益に関する問題(取引問題)
*ゴミ・資源問題をはじめとする生活環境問題(生活問題)
*高齢者・障害者・女性・子どもの福祉問題(生活問題)
福祉教育
[目的]
人権を擁護し、個人の尊厳を守り、安心して生活出来るように、社会福祉の制度・施策のしくみや商品・サービスについての知識・情報を理解し、自主的・主体的・総合的・合理的に判断し、意思決定することの出来る福祉商品・サービス消費の権利主体の形成を図ると共に、ともに生きる福祉社会の創造に向けて、福祉問題を解決していくために他者と連帯して行動する能動的で積極的な人間を育成すること。
[学習素材]
*高齢者・障害者・女性・子どもの福祉問題(生活問題)

〇そして永原らは、結論的に次のようにいう。消費者教育、福祉教育、家庭科教育の「3つの教育に見られる生活主体育成の学習の視点から共通点をまとめると、人間らしい生活の創造の視点に立ち、日常生活における問題・課題を発見し、社会的視野まで取り込んだ生活に関わる課題の改善・解決に主体的に取り組むことの出来る主権者としての自覚と実践力の育成と言える。従って、21世紀の新しい消費者教育における生活主体育成の課題は、(中略)福祉教育の理念・目標の導入を欠かすことが出来ない。つまり、(中略)(21世紀の新しい消費者教育は)高齢者の福祉をめぐる消費者問題・被害を検討する中で、高齢者福祉文化の創造や共に生きる福祉社会の創造に向けて、他者と連帯して福祉の理念、制度、施策等に関する問題や課題の改善・解決策を具体的に提言していくことの出来る主権者としての自覚と実践力を育成していくことにある」(182ページ)。「“ ゆとり ”や “ うるおい ”のある生活を優先する価値観を大切に、『人間の尊厳と人間性の尊重―人権の尊重と擁護―を基盤とするこころ、精神、思いやりの育成・高揚』と『共に生きる福祉社会の創造』を目指す福祉教育を通して人間らしさを継承していくことは、これからの消費者教育にも求められる」(183ページ)。
〇[2]では、中学校・高等学校の高齢者に関する福祉教育の学習開発のための枠組みを検討し、授業実践のための具体的な学習内容案を提示する。表1は、消費者教育における高齢者福祉教育の「学習開発の枠組み」を示したものである。それに沿って「学習内容案」を提案したのが表2である。

表1 中学校・高等学校の消費者教育における高齢者福祉教育の学習開発の枠組み

出所:「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第2報)」『消費者教育』第22冊、日本消費者教育学会、2002年9月、153ページ。

表2「高齢者の消費生活と福祉環境」学習内容案

出所:「21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成(第2報)」『消費者教育』第22冊、日本消費者教育学会、2002年9月、154ページ。

〇そして、鳥井らはいう。「表2の各学習テーマにおいて、高齢者とかかわった具体的な学習活動を通して、高齢者の人権を侵害する消費者問題を把握し、その改善策を考え、社会へと発信していくことにより、表1で示した消費者教育における高齢者福祉教育の目的が達成できる。また、(それは)このような学習過程を通して、21世紀の新しい消費者教育における生活主体の育成をめざすものである」(155ページ)
〇[3]では、「オレオレ詐欺」(振り込め詐欺)を“ 導入 ”にして、「年金証書を担保とした貸し金被害」「商品先物取引」を“ 展開 ”し、「高齢者の消費者被害の特徴」を“ まとめ ”る授業研究をおこなっている。
〇[4]では、次のように主張(議論)する。「消費者教育は、高齢者福祉の充実を図る一助として、高齢者や高齢者を抱える家族の消費生活のより積極的支援にかかわることが重要になる。消費者教育の一環として福祉教育を視野に入れることは、生活者を対象としながらも消費者の視点に重点をおくことであり、福祉教育の一環として消費者教育を視野に入れることは、生活者を対象としながらもそこに消費者の視点も取り入れていくことを意味する。高齢社会の地域福祉をより発展させる一つの媒介である情報・学習は、福祉教育が支援する領域と消費者教育が支援する領域といった独立した点と、両教育の共通する領域の連携した点、いわゆる何を支援するかといった情報・学習内容の棲み分けが必要である」(30ページ)。そして、田村らは、「高齢者福祉に関する消費者教育の一環としての福祉教育」の促進に向けた体系図(図1)を示す。

図1「高齢者福祉に関する消費者教育の一環としての福祉教育」の促進にむけた体系図―福祉教育をアプローチとして―



*Ⅲの ● は、特に高齢者、被介護者、家族介護者に関する福祉教育内容のキーワードを示す。

出所:「消費者教育の一環としての福祉教育」『消費者教育』第25冊、日本消費者教育学会、2005年9月、30~31ページ。

〇以上、本稿では思いがけないことによって、かつて筆者が興味・関心を寄せた「消費者教育の一環としての福祉教育」に関する若干の資料を提示することにした(本稿の真のねらいはここにある)。その問題の重要性は、こんにちの福祉商品・サービス(費用負担、心理的抵抗感、情報格差など)や介護サービス(介護難民、老老介護、介護人材不足など)の現状を考えると、むしろ高まっていると言わざるを得ない。これを機会に、そのあり方等について改めて探究したいものである。

付記
冒頭に記した学会総会に参加している際に、傘寿(さんじゅ)を迎えられた大橋謙策先生からメール――「老爺心お節介情報」第50号が届いた。そのなかに、「大学の教員、研究者として、各種学会での発表のオブリゲーション(義務、責任)もなくなり、75歳以上で名誉会員に推挙されると、学会の理論研究をリードしようというモチベーションも下がり、研究範囲が狭隘になり、唯我独尊的になり、研究意欲も減退することになります」という一文があった。常にご自分を厳しく律してこられた(いまも律しておられる)先生ならではの言葉である。勝手ながら、筆者へのメッセージ(叱咤、鼓舞)として受け止めたい。

阪野 貢/1995年と1996年、そして “ いま ” ―野澤和弘著『弱さを愛せる社会へ』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、野澤和弘著『弱さを愛せる社会へ――分断の時代を超える「令和の幸福論」』(中央法規、2023年9月。以下[1])という本がある。野澤は、著名なジャーナリスト(新聞社の社会部記者、論説委員)であり、大学教員でもある。
〇[1]で野澤は、報道の現場で向き合ってきた少年犯罪の厳罰化、いじめ、ひきこもり、自殺、津久井やまゆり園事件、障がい者の身体拘束、ALS(筋萎縮側索硬化症)嘱託殺人、(ギャンブルや薬物等の)依存症、虐待する親たちの増加、正社員の解体等々の社会問題(生活問題)の本質を深く鋭く抉り出す。そして、「社会の劣化」「社会の崩落」を訴え、これからの時代に必要な価値観の転換を説く。
〇そこには、「孤独だった」「異質な存在だった」(22、23ページ)と述懐するひとりのジャーナリストとしての正義感とそれに基づく批判精神、ひとりの大人(重度知的障がい者の父親)としての自覚とそれ故の確信、そして「令和の時代に幸福な社会をもたらすヒントを見つけたい」(32ページ)という願いと過去に学び未来を拓く覚悟がある。そこに通底するのは「真摯」であり、野澤の言葉は厳しく重い。
〇「社会的弱者に寄り添う記事」を書き続け、「社会的弱者を支える実践」に取り組み続ける野澤の言説から、そのいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

1995年に日本社会は転換しその翌年に小さなやさしい風が吹いた
バブル崩壊(バブル景気:1981年~1991年頃、バブル崩壊:1991年~1993年頃)から今日まで経済の停滞と社会の劣化は続く。/特に1995年に起きた地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災は社会の崩落を象徴するものとして歴史に刻まれることになった。(2ページ)/日本経営者団体連盟(日経連)が「新時代の『日本的経営』――挑戦すべき方向とその具体策」を発表し、非正規雇用の増大を促し一億総中流社会を放棄する路線を示した。/1995年に起きた空前絶後の震災と犯罪、そして日本型経営(「終身雇用」「年功序列賃金」「企業別労働組合」)の大転換。運命的なものを感じさせられる。(18ページ)/未曽有の震災や事件がもたらした戦慄と混乱は日本社会の変質を決定づけたが、今振り返ってみると絶望ばかりが社会を覆っていたわけではない。(2ページ)/阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件の翌年、小さなやさしい風が吹いた。/これまで見向きもされなかった社会的弱者といわれる人々に社会や政治が手を差し伸べたのである。薬害エイズ訴訟の和解、らい予防法や優生保護法の廃止、障害者虐待の報道はいずれも1996年に起きた。/ただの偶然かもしれない。しかし、社会が崩落していくなかで、私たちは自らのなかにある弱さを見つめ、やさしさを抱きしめようとしたのだ。そうした人々の心が風を起こした。騒乱にかき消されてしまうほどの小さな風ではあったが、報道の現場で私は確かに感じた。(3ページ)

未来をすりつぶす社会の希望は過去から吹いてくる風が教えてくれる
予想を超える勢いで少子高齢化が進み、社会全体の地盤が沈んでいくのが今の日本だ。(10ページ)/報道の現場で、いじめ、ひきこもり、子どもや障害者の虐待などの記事を私は書いてきた。ジャーナリズムは歴史の最初の記録者といわれる。目の前で起きていることを記録するだけでなく、声なき声を聞き、埋もれている時代の真実を社会に伝え(「課題設定」の機能:67ページ)、政治や行政を動かす役割を担っている。今日の危機的な状況に対する責任はジャーナリズムにもある。それゆえ、私自身が未来に対する不作為の加害者でもあるのだ。(10~11ページ)/私たちは未来がすりつぶされていくことへの罪を自覚すべきだ。地図にはない暗い道を歩きながら、希望を見つけなければならない。どこかにあるはずだ。得体の知れない不安におびえ、目の前の安心にしがみついていたのでは見えないだけで、過去から吹いてくる風が教えてくれるはずである。(11ページ)

個人の暮らしに焦点を当て生身の人間の苦悩と幸福について社会化する
いじめ、ひきこもりの記事に対する読者からの反響は大きかったが、新聞社内でこうしたテーマが主流になることはなかった。政治や世界経済の動きを追い、権力を監視することがジャーナリズムの本分と信じられていた。/やはり私は主流から外れた記者だった。/真実を追っているときは孤独を感じる。ただ、国家権力を監視したり、統治する側の視点で社会を眺望したりするのとは違い、個人の私生活に焦点を当て、生身の人間の苦悩と幸福について社会化することにやりがいを感じることはできた。(16ページ)/社会が成熟してくると、政府や公的機関の役割は次第に限定的なものになり、一人ひとりの暮らしに関心の比重は高まってくる。個人の自由と多様性を享受できる社会を実現するためには、ジャーナリズムはこれまでとは違う役割が求められているのだと思う。(16~17ページ)

人々の暮らしや内面世界に安寧と潤いをもたらす価値観の転換が求められる
バブル後の30年、社会の格差は広がり、会社や地域社会のつながりは薄れ、家族すら分解されていくなかで、大人たちもまた孤立と疎外に苦しめられている。/1995年に未曽有の震災や事件の危機に直撃されたとき、自らの弱さや脆さに直面した人々のなかにやさしい風が吹いた。(中略)時の流れとともに、いつしか忘れてしまったが、今日の社会が直面している地球規模の気候変動や資本主義の行き詰まり、急激な現役世代の減少は1995年当時の危機よりもさらに大きなものである。慢性的に進行しているのでリアルに感じられないだけだ。(133ページ)/個人の力ではどうにも解決できない大きな危機に見舞われても、人々の暮らしの幸せや充足感をかみしめられる社会にしなくてはならない。(中略)この時代に生きている人々の価値観を変えなければ世界は破綻する。とりわけ社会に直接的な影響力をもたらし得る大人たちの価値観の転換が求められている。/人間の小ささや愚かさを自覚し、内面世界に安寧と潤いを運ぶやさしい風を今こそ起こさなければならないと思う。(134ページ)

過去の出来事の深層に踏み込み歴史を加筆修正していくことが重要である
バブルのあとの日本社会に起きたことを夢中になって報道してきたが、今振り返ってみるとあらゆるものが必然の糸でつながっているように思える。ジャーナリズムは歴史の最初の記録者ではあるが、歴史の真実は後の世にならなければわからないことがある。社会の最前線で目撃した者がその後の経過を追いながら過去の出来事を意味づけし、歴史を加筆修正していくことも重要な役割ではないか。「スロージャーナリズム」と私はそれを呼んでいる。/誰がどのような角度で見るかによって一つの出来事も異なる色彩を帯びて見えてくる。中立公正、不偏不党の客観報道にこだわるよりは、自らの立場を明らかにしたうえでじっくり時間をかけて深層へ踏み込んでいくことも「スロージャーナリズム」の役割と思っている。社会が多様化し、個人と社会をつなぐ情報の回路が無数に存在するようになった時代だからこそ、発信者のアイデンティティの明示が求められているのだと思う。(277ページ)

〇1995年は、筆者にとっても特別に思い出深い年である。その10月、「日本福祉教育・ボランティア学習学会」が設立された。翌1996年の11月に開催された第2回大会の基調講演では、会長の大橋謙策によって「福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題」が提示された。福祉教育・ボランティア学習の世界に「新しい風」が吹いたのである。
〇あれからおよそ30年。その後も  “ 劣化 ”  し続ける日本社会(格差と分断と孤立の社会)にあって、その風は「追い風」になったのであろうか。現実的・実態的には、新しい風が「人々の内面世界へ吹き渡り、新しい価値観に世界を染めていく」(273ページ)ための課題は多様化・複雑化し、深刻な問題が生じてもいる。それは、福祉教育・ボランティア学習の実践と研究の劣化と空洞化が進んでいる、ともいえる。
〇ここで、いま一度原点に立ち戻ってその歴史を振り返り、福祉教育・ボランティア学習の実践と研究の今後のあり方を問うために、そしてそのための視座を再確認あるいは再構築するために、次の二つの資料を提示しておきたい。大橋による課題提起(理論的枠組みとその構造)は、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして‥‥‥」という書き出しで始まる大橋の福祉教育の概念規定(神奈川県・ともしび運動促進研究会:1982年3月、全社協・福祉教育研究委員会:1983年9月)による限り、今後も「足元を照らすランプ」「進む道を照らす光」(旧約聖書・詩編119:105)たりうるのであろうか。
〇実践と研究の「後進」には、歴史を単に「鵜吞みにする」「説明する」のではなく、新しい視点・視座で歴史を読み解き、意味づけることが求められる。そのためには、歴史に向き合う自分の感性と知性を「磨く」「変える」ことが必要不可欠となる。

阪野貢「日本福祉教育・ボランティア学習学会設立」『月刊福祉』第79巻1号、1996年1月、108~109ページ



大橋謙策「福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題」『日本福祉教育・ボランティア学習学会第2回大会』1996年11月、5~9ページ



阪野 貢/「生きづらさ」の当事者研究 ―貴戸理恵著『「生きづらさ」を聴く』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、貴戸理恵著『「生きづらさ」を聴く――不登校・ひきこもりと当事者研究のエスノグラフィ』(日本評論社、2022年10月。以下[1])という本がある。貴戸は、不登校やひきこもりを経験した「当事者が集う対話の場」である「生きづらさからの当事者研究会」(通称:「づら研」)にコーディネーターとして関わりながら、「生きづらさ」についてのフィードワークを重ねている。そこでの実践は、誰もが「生きづらさ」を抱えうる現代社会にあって、「違和を表明できる場や関係性を生み出し続けるプロセスのなかに、新たな連帯を見いだす」(298ページ)というものである。
〇[1]では、「づら研」のフィールドワークを通じて「『生きづらさ』を抱えた人の意味世界に迫るとともに、『生きづらさ』を、『自分には関係ない』と感じている人びとも含めた社会全体の連帯の基礎として、捉え直すことを目指す」(4~5ページ)。即ち換言すれば、「『生きづらさ』に基づく共同性の有り様を探る」(13ページ)のである。その際に貴戸は、「生きづらさ」を「個人化した『社会からの漏(も)れ落ち』の痛み」(14ページ)と定義する。なお、[1]のサブタイトルの「エスノグラフィ」(民族誌)とは、調査対象者(「生きづらさ」を抱えた人)と同じ場(「づら研」)に身をおき、ともに行動(対話)しながら(参与)観察やインタビューを行い記録する調査手法をいう。
〇[1]における貴戸の言説のうちから、そのいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

「生きづらさ」からの脱却は、差別・不平等・貧困という社会構造的要因に目を配りながら、当事者の主観的な現実から出発することが必須である
個々の人びとが抱く「独自の人生を切り抜け、歩んできた」という実感は、「他でもない自分の人生」という圧倒的なリアリティのもとで、「社会のせいにしたくない」という誇りや、「数字など平板な記述によって解釈されうるものではない」という足元の複雑性の手放しがたさを帰結する。こうした社会構造的要因の指摘においそれとは説得されない人びとの素朴な感覚は、「自分の人生を定義するのは自分だ」という主体的な意識を下地としている。その下地に働きかけることなしに本人の認識を変えよとする営みは、「上から目線」の「啓発」「教育」にならざるをえないだろう。/社会構造的要因に目を配りながら、当事者による状況定義から出発することが必要だ。そのとき、人びとの足元に転がっている「生きづらさ」という言葉は一つの足がかりになると考えられる。(39ページ)

「生きづらさ」は10の構成要素に分節化されるが、それを組み合わせて記述することによって「生きづらさ」が明確化され、ポジティブな効果を持ちうる
(「生きづらさ」は、その構成要素として10項目に分節化される。)①無業および失業、②不安定就労、③社会的排除、④貧困、⑤格差・不平等、⑥差別、⑦トラウマ的な被害経験、⑧個々の心身のままならなさ、⑨対人関係上の困難、⑩実存的な苦しみ、である。(146ページ)/これらは相互に関連し合っており、個別に取り出せるものではない。ただ、個々の「生きづらさ」は、これらの項目の固有の濃度や絡(から)まり合いのなかで独自に存在している。(153ページ)/これらの構成要素を見定め、これらの10要素の組み合わせによって記述することで、「生きづらさ」という漠然とした言葉に一定の輪郭が生まれてくる。こうした記述は、複合的な困難を抱える個人と、それをとりまく社会環境とのあいだのコミュニケーションを回復させることに役立ち、いくつかのポジティブな効果を持ちうる。(153~154ページ)/第一に、複合的な困難を抱える個人が適切な支援を探索していく一助となりうる。第二に、「生きづらさ」を特別な事情を抱えた人だけの問題とするのではなく、濃淡はあれ現代社会に生きる多くの人に関わりのある事柄として捉え直すことが可能になる。(154~156ページ)

自分の「生きづらさ」を理解することを通して他者の「生きづらさ」を想像することができ、自分と他者がつながるなかで社会構造が見えてくる
「生きづらさ」と言う言葉には両義性があり、「限界」と「希望」をともにはらんでいる。/「限界」は、降りかかる困難を個人の感覚に押し込めることで、問題の個人化傾向を一層推し進める点だ。目の前の苦しい気持ちは、それだけにフォーカスしていると、自責や自己嫌悪が膨らみ、恵まれて見える他者への恨みや、救いのない社会への憎悪などが募っていく。(287ページ)/他方で「希望」もある。「生きづらさ」は、それを抱えている人自身が問題に取り組み、個人的な事情の向こうに構造の問題を見通していく契機にもなりうるのだ。「生きづらさ」という言葉を通じて自己の特徴や傾向を理解することで、「自分の人生を生きる」うえでのある種の「落ち着き」のようなものを得ていくことがある。「落ち着き」とは、諦めや絶望ではなく、「過去を消すことはできず、この人生の延長を生きるしかない」と腹をくくることであり、あがきや落ち込みも含めて、一筋縄ではいかない自己を受け容れていく態度である。そのように自己の「生きづらさ」を理解することで、他者の「生きづらさ」に想像をめぐらせることができるようになり、それらの向こうに共通の構造を見通すことにも開かれていく。/「生きづらさ」という言葉が、「限界」へ向かうか、「希望」の方向へ舵を切るかの分岐点は、第一に、本人がみずからの「生きづらさ」について探求すること、第二に他者との共同性のなかで取り組むこと、である。(288ページ)

「同じであるからつながれる」のではなく、個々の「生きづらさ」に基づく「つながれなさを通じたつながり」のなかに新たな共同性や連帯を見出すことができる
(「づら研」の)参加者が持ち寄る個々多様な「生きづらさ」は、「私とあなたと同じではない」「容易にはつながれない」という感覚をたびたび突きつける。だが、そうした違和感を、抱くたびに表明することができ、それをしても排除されることはないということについては、共通の信頼感を醸成していくことができる。それはいわば「つながれなさを通じたつながり」ともいうべきものである。(298ページ)/これを象徴するエピソードがある。かつてある参加者が、「自分はここにいていいのかな、と思ってしまうことがある」と「づら研」での居心地の悪さを漏らした。さまざまな参加者の経験を聴いていると、「無業ではない自分には、暴力被害を経験していない自分には、ここにいる資格がないのではないか」と思えてしまう、というのである。この発言に対して、「自分もそう思う」とその場の多くの参加者が共感を表した。「自分は「私たち」に含まれていない」というつながれなさの感覚は、まさにそれについて共感し合うことを通じて、つながりの感覚へと接続されていったのだ。(298~299ページ)

〇繰り返しになるが、以上は要するにこうである。「生きづらさ」からの脱却は、「自分の生きづらさ」について主観的・自律的(自分だけで問題に取り組む「自立」ではない)に考え、語ることがスタートとなる。「生きづらさ」は、「当事者が集う対話」の場や関係性を通じて他者とともに語り合い、探求することで対象化される。「自分はここにいていいのか」という否定的な問いかけに対しては、「ここにいていい」という存在承認ではなく、「自分もそう思う」と共感し、不安を共有することを通じて存在論的安心感の醸成をもたらす。そして、そこに新たな連帯や共同性を見出すことになる。これが[1]のひとつの議論(主張)である。
〇筆者の手もとにもう1冊、貴戸の近著がある。『10代から知っておきたい あなたを丸めこむ「ずるい言葉」』(WAVE出版、2023年7月。以下[2])がそれである。[2]は、日本社会に充満する空気(「同調圧力」)を批判的に捉え、日常的な場面において同調圧力に流されず、それから抜け出すための「10代から知っておきたい」実用書である。
〇貴戸にあっては、「同調圧力」とは、「周囲の人びとが『こうだろう』と期待する通りにみずから考え、行動するよう迫(せま)ってくる圧力」(4ページ)のことである。その不思議さは、「だれが期待や命令を発しているのか、どこに納得の根拠があるのかわからないのに、人びとが勝手に排除の恐怖を感じ取ってみずから従ってしまう」(4~5ページ)というところにある。そして、その問題点は、①「みんなで意見を出し合って合意していくプロセスがゆがむこと」、②「異質な存在が排除されること」、③「排除の不安から『集団』に同調することでいっそう同調圧力を高め、ますます排除の不安を強化してしまう、という悪循環があること」にある(6~7ページ)。
〇貴戸はいう。「同調圧力の強い社会は、多様性を認めずマイノリティ(社会的な少数派)を排除する不寛容さと表裏一体である。同調圧力に注目することは、マジョリティ(社会的な多数派)の側がそのような社会の変革を『自分ごと』としてとらえるひとつのきっかけになりえる。同調圧力にさらされる自分自身の生きづらさに、きちんと目を凝(こ)らすことを通じて、この社会から排除された人びとの苦境を想像し、マジョリティの側から変化に向けた一歩を踏み出すことを、展望してみることができる」(9~10ページ。語尾変換)。
〇[2]では、「あなたを丸めこむ」即ちその「場」の空気に従わせようとする「ずるい言葉」として、次の24の場面が登場する。参考までに列挙しておく。

(1)親密さを利用する言葉
➀「わたしたち友達でしょ」、②「仲間だろ」、③「みんなでやることに意味がある」
(2)連帯責任を利用する言葉
④「真面目か!」、⑤「みんなが迷惑してるよ」、⑥「どうせ無駄だからやめときなよ」
(3)親切を装った言葉
⑦「どうなっても知りませんよ」、⑧「仲良くしたいなら守ってね」、⑨「悪いところをみんなで教えてあげたの」
(4)人格否定の言葉
⑩「どうしてあなただけわがままいうの?」、⑪「そんなこと思うなんておかしいよ」、⑫「ノリ悪!」
(5)集団の秩序を利用する言葉
⑬「みんなが混乱してしまうよ」、⑭「世の中そういうものでしょ」、⑮「合わせる顔がない」
(6)裏切りと思わせる言葉
⑯「よくあんな恰好できるね」、⑰「ひとりだけずるいよ」、⑱「調子に乗ってない?」
(7)排除の恐怖をにおわせる言葉
⑲「同じようにできないなら必要ない」、⑳「いいよ、別の人に頼むから」、㉑「できないなら次はあなたの番だよ」
(8)「勝ち残ること」を強要する言葉
㉒「もっとポジティブじゃないと」、㉓「今どきはこのくらいできなきゃ」、㉔「個性として活かすべき」

〇いずれにしろ、例えば、「今どき」の「世の中」で「みんな」が「自由」にやっている「普通」のこと、等々の言葉に他者の意思や行動をコントロールする同調圧力が潜んでいることに留意したい(「今どき」は「時代遅れ」、「世の中」は「仲間外れ」、「みんな」は「だれか」、「自由」は「自分勝手」、「普通」は「わがまま」であろうか)。それらは、時間や空間、人間関係などの規模や範囲の境界線を曖昧にしたまま、意図的にその数や強さなどを誇示するときに使われる。先ずはその点に関して同調圧力による自分の「生きづらさ」を見据えることによって、同調圧力に流されず、他者と繋がりながら主観的・自律的に生きることが可能になる。そしてそれが、社会を変えるはじめの一歩になる。

付記
<雑感>(87)「生きづらさ」再考―一昔前と変わらぬ “いま ” を考えるためのメモ―/2019年7月7日投稿/本文(⇦クリック)、を参照されたい。