「雑感」カテゴリーアーカイブ

阪野 貢/殺されてもよい人はいない、忘れられてもよい人はいない ―辻野弥生著『福田村事件』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、辻野弥生著『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房新社、2023年7月。以下[1])と佐藤美侑・米原範彦編『映画「福田村事件」公式パンフレット』(太秦、2023年9月。以下[2])がある。映画「福田村事件」を観た際に購入したものである。部落差別のなかを生き抜いてきた売薬行商団の支配人(29歳)の「朝鮮人なら殺してええんか」、惨状を前に鳴咽(おえつ)を漏らしながら、初行商旅の子ども(13歳)の「なんで、なんでなんで、俺たち、なんで、なんでなんで‥‥」が胸に刺さった、深く重い映画である。
〇「福田村事件」の概要はこうである。「関東大震災が発生した1923(大正12)年9月1日以降、(「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が略奪や放火をした」などの流言蜚語(りゅうげんひご)が飛び交い)各地で『不逞鮮人』(ふていせんじん)狩りが横行するなか、9月6日、四国の香川県からやって来て千葉県の福田村に投宿していた15名の売薬行商人の一行が朝鮮人との疑いをかけられ、地元の福田村・田中村の自警団によって、ある者は鳶口(とびぐち)で頭を割られ、ある者は手を縛られたまま利根川に放り投げられた。虐殺された者9名(胎児を含めると10名)のうちには、6歳・4歳・2歳の幼児と妊婦も含まれていた。犯行に及んだ者たちは法廷で自分たちの正義を滔々(とうとう)と語り、なかには出所後に自治体の長になった者まで出て、事件は地元のタブーと化した。そしてさらに、行商人一行が香川の被差別部落出身者たちだったことが、事件の真相解明をさらに難しくした」([1]帯)。なお、福田村では、殺人罪で逮捕された「かれらは自分たちの代表で捕まったのだという同情の意識から、見舞金のみならず、村をあげて農作業の援助もしたといわれる」([1]141ページ)。また、第2審(1924年9月)で懲役3年から10年の判決が言い渡され、千葉刑務所に収監されたが、その際、「福田村及び田中村では、一人前、800円位の餞別を贈ったと」([1]185ページ)されている。そして、1926年12月、「大正天皇の死去により、翌年多くの犯罪者が恩赦を受けているが、福田村事件の被疑者8名(福田村4名、田中村4名)も、第2審から2年5カ月後に全員恩赦で無罪放免になっている」([1]187ページ。)
〇関東大震災の混乱のなかで起こった福田村事件は、元をたどれば日本が1910(明治43)年8月に朝鮮を植民化したことが遠因になっていた。韓国併合によって多くの朝鮮人が日本に移住し、その一方で朝鮮半島で抗日闘争が激化するなかで、その「暴徒」に対して日本人(福田村の住民)の多くが不安と恐怖(反逆、報復)を感じ、差別意識を強めていった。その際、流言蜚語(デマ)の拡散に大きな役割を果たしたのは、政府・官憲の情報であり、新聞の報道であった。また、朝鮮人虐殺は、6,000人以上とされているが、軍・警察が主導し、主に役所や警察の教唆煽動(きょうさせんどう)によって組織された「自警団」によって行われた。それは、「国家(福田村)を憂えて」の蛮行であり、集団の狂気、共同体の暴力であった。「同調圧力」の強い現代の日本社会と「権力監視」の使命を放棄した日本のメディアの現状において、「負の歴史」に学ぶ意義は大きい。
〇スクリーンにおける船頭・田中倉蔵の一言と、それに対して悲しく笑っている売薬行商団の支配人・沼部新助の最期の一言である。([2]81ページ)

〇福田村の村長・田向龍一と新聞記者・恩田楓のやり取りである。その後、駐在が保護した生き残りの6人を連れて行く。([2]84ページ)

〇香川県の売薬行商について辻野はいう。「もともと香川県は全国一の小さな県で、『五反百姓』といって平均5反くらいしか農地を持たなかった。多くは5反以下で、小作率も全国一と高く、小作争議も頻発した。十分な耕作面積を得られない被差別部落の人たちは、行商で稼ぐしかなかったのである」([1]133~134ページ)。貧困は、歴史的・社会的要因によって階級的・構造的に作り出される不平等である。それは、生活や人生を破壊する恐怖であり、暴力である。「福田村事件」は、ロシア革命(1917年)や米騒動(1918年)などをきっかけにさまざまな社会運動が勃興する時代背景のもとで、民族差別とともに、部落差別とそれに基づく貧困に起因するものでもあった。強く認識したい。なお、香川県では、「福田村事件」の翌年1924年に県水平社が結成されている。
〇最後に、映画「福田村事件」の監督・森達也の次の一文を引いておく。「映画はフィクションだ。エンタメの要素も強い。だから実在していない人もたくさん登場する。物語を紡ぎながら事実を補強する。/でもそれは史実とは微妙に違う。だからこそ、この本の位置は重要だ。もう一度書く。忘れてはいけない。忘れたらまた同じことをくりかえす。過去にあった戦争や虐殺よりも恐ろしいことがひとつだけある。戦争や虐殺を忘却することだ」([1]242ページ)。2023年は関東大震災から100年の節目に当たる。

付記
本稿のタイトル「殺されてもよい人はいない、忘れられてもよい人はいない」は、美術作家・飯山由貴の言葉である。飯山は問う。「私たちは『殺されてもよい人はいない』ことを当たり前とする社会を、それを当たり前のこととする文化を、作れているのだろうか」([2]37ページ)。

 

阪野 貢/欽ちゃんの「運の神様に好かれる5大ポイント」―萩本欽一著『ダメなときほど運はたまる』等のワンポイントメモ―

計画的偶発性理論の骨子は、① 人生やキャリアは、(その8割が)想定外の出来事や「偶然の出来事」(happenstance)によって影響を受ける。② 偶然の出来事に対して積極的に行動・努力することによって、キャリアを発展させることができる。③ 偶然の出来事をただ待つだけでなく、それを引き寄せる・創り出すために積極的に行動し、変化する状況に注意を向けることによってチャンスが生まれる。また、チャンスが来たときにそれを掴(つか)める準備をしておくことによってキャリア形成を図ることができる、というものである。(<雑感>(182)阪野貢)

〇本稿は、<雑感>(182)追補/「キャリア」再考:計画的偶発性理論をめぐって―J.D.クランボルツ・A. S.レヴィン著『その幸運は偶然ではないんです!』のワンポイントメモ―/2023年7月25日投稿、の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、萩本欽一(「コント55号」「視聴率100%男」の欽ちゃん)の本が3冊ある。『ダメなときほど運はたまる―だれでも「運のいい人」になれる50のヒント』(廣済堂新書、2011年1月。以下[1])、『負けるが勝ち、勝ち、勝ち!―「運のいい人」になる絶対法則』(廣済堂新書、2012年10月。以下[2])、『続 ダメなときほど運はたまる』(廣済堂新書、2015年2月。以下[3])がそれである。そこで欽ちゃんは、「運のいい人になる」ための人生訓や「運をつかむ生き方」を説く。その際、欽ちゃんにあっては「運の神様」は実在し(「僕には専属の運の神様がいるんです」[2]47ページ)、「運」はコントロールすることができるのである。またその3冊から、一面あるいは一部において、キャリア理論のひとつである「計画的偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)に関する素材やヒントを見出すこともできようか。
〇欽ちゃんはいう。「目の前には3つの運がある」(3ページ)。「生まれながらの運」と「だれかが持ってきてくれる運」、そして「努力した人の元へやってくる運」である。「生まれながらの運」を持っているのは、つらい環境や子育てに向かない親の元に生まれてきた人などで、こういう人は自分の境遇を恨まず、ごく普通の生活を送っているだけで必ず幸運がやってくる。「だれかが持ってきてくれる運」は、人から好かれている人、いやなことをじっと我慢している人、人間関係に悩んでいる人、いじめられている人などにくる。しかも、人を見る目が育つという“おまけ”もついてくる。「努力した人の元へやってくる運」については、「努力は人を裏切らない」という言葉があるが通りである([1]3~8ページ)。
〇そして、欽ちゃんは、「これまでの人生を振り返って見ると、80%以上は『運』で生きてきたような気がします」([2]174ページ)という。その「運を呼び寄せる」ために大事なことを、次の5つに要約する(「運の神様に好かれる5大ポイント」)。

① 運は自分で貯金する――だれもが運の預金通帳を持っており、その人の生活に応じて増えたり減ったりしている。
② 向いていない場所に運がある――運は好きなことのなかにではなく、苦手なこと、向いていないことのなかに落ちている。
③ 運は言葉と行動に左右される――運も不運も自分の周りに漂っているが、そのなかからいい運を引き寄せるには、いい言葉やいい行動が必要になる。
④ 運と不運はトータル50%ずつ――人生の最期の日にトータルすると、運と不運は半分半分になり、つまり運から見ると人生はチャラ(プラマイゼロ)である。
⑤ つらい境遇は「運のせい」にする――つらい境遇にいる人には、いつか絶対いい運がやってくるので、「今、このとき」の不運について深刻に考えすぎないようにしたほうがいい。([3]181~188ページ)

〇ここで、[3]から、恣意的であることを承知のうえで、運を引き寄せる(「運のいい人」になる)法則やヒント、態度や行動のいくつかを引いておく。

●  運の神様に好かれるコツは、人間関係で言えば、「威張らない」「気をつかう」「親切にする」、たったこれぐらい。(19ページ)
●  運のいい人になるためには、運を引き寄せるための行動や言葉をいつも考えて、用意しておいたほうがいい。(43ページ)
●  運の神様は「運」を人に託して運びます。あなたも周りの人もすべて、「運」をもたらすメッセンジャーです。(70ページ)
●  性格のよさや誠実さって、周りの人間に「放っておけないな」と思わせて、運を呼び寄せるんです。(157ページ)
●  そのときの損、得じゃなくて、自分の目の前にやってきたことを精いっぱいこなしていく人に、運は近づいてくるんです。(168ページ)
●  運の神様は、才能や頭脳のありなしじゃなく、努力の足跡を見てくれています。(178ページ)

〇ここ数本(「夢」「キャリア」等)、T氏に対する念(おも)いから、意図的に本筋のテーマからそれたような記事を投稿してきた(本質的にはそれていないと認識している)。ここらで、閑話休題(かんわきゅうだい)としたい。

あなたが夢を追求する道中では、よく目を開き耳をすませておくことをお勧めします。チャンスがやってきたときにそれをつかむ準備ができていれば、想定外の出来事があなたをさらによい結果へと導く可能性があります。(<雑感>(182)阪野貢)

阪野 貢/追補/憲法上の「国民」:主権者・有権者・市民について考える ―駒村圭吾著『主権者を疑う』のワンポイントメモ―

「国民」には、①主権者(「主権」を有する国民)、②有権者(「固有の権利」を有する国民)、③市民(「不断の努力」をする国民)の3つの役柄があてがわれている。国民は、局面に応じてこの3役を演じ分けなければならない。(下記[1]19ページ)

〇本稿は、<雑感>(151)「主権者教育」「シティズンシップ教育」の一環としての「市民福祉教育」を考えるために―新籐宗幸著『「主権者教育」を問う』再読メモ―/2022年4月16日投稿、の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、駒村圭吾著『主権者を疑う――統治の主役は誰なのか?』(ちくま新書、2023年4月。以下[1])という本がある。[1]において駒村にあっては、「主権はフィクション」(273ページ)、観念的なものであり、「主権者」は「空虚な政治的表象」(14ページ)に過ぎず、その意味において主権者はいない。それは幻想でしかない。しかし、主権や主権者について論じることは可能であり、主権論や主権者論にはリアリティがある。
〇主権のフィクション性を再認識し、主権論・主権者論のリアリティを解き解す駒村の議論(主権論)、その序論(「見取り図」)はこうである。日本国憲法の舞台に登場する「国民」は、ひとりで3役を演じている。「主権者」と「有権者」、そして「市民」がそれである。国民はまず、憲法「前文」が規定するように、「主権者」(国民主権)である(戦前は君主(天皇)主権)。その際の主権とは、国のあり方を最終的に決める絶対的な決定権、あるいは国の権力の行使の正当性を支える究極的な権威をいう。主権者とは、主権を実現する主体、主権的決定ができる主体であり、主権者には国のあり方について絶対的かつ最終的に判断することが求められる。国民が主権者として立ち現れるのは、基本的には憲法を制定あるいは改正するとき(局面)である。
〇「有権者」とは、憲法第15条第1項が規定するように、権力者を選び罷免するとともに、権力者になることもできる国民をいう。「市民」には、憲法第12条が規定するように、憲法が保障する自由や権利を獲得・保持するために「不断の努力」が求められる。さらに、公共の福祉のために憲法が保障する自由や権利を「利用する責任」が課せられている。市民とはこういう国民をいう。そして、憲法第13条がいうように、主権者と有権者、そして市民は、すべて「個人」として尊重されなければならない。
〇以上を整理すると次のようになる(抜き書きと要約。見出しは筆者)。また、図1は、「憲法上の『国民』は3つの仮面を演じ分ける」という言説を図示したものである。

憲法上の「国民」
主権者(前文)――憲法を制定・改正する局面
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢(けいたく)を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
● 前文では、国民は「主権」を持っていること、主権を持つ国民は自分で主権を持つと一方的に宣言していること、主権を持つ国民がなしとげた最初の仕事はこの憲法を制定したことであったということを規定している。( 16ページ)
● 主権とは、「国政についての最高の決定権」とされ、それは「国の政治のあり方を最終的に決定する力または権威」(国の統治のあり方を最終的・究極的に決定する権限)を意味する。(26~27ページ)

有権者(第15条)――選挙をする局面
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
● 第15条第1項では、公務員を選び罷免することは、「国民固有」の、つまり国民だけに認められる権利であることを規定している。(17ページ)
● 有権者とは、権力者を選び罷免するだけでなく、権力者そのものになることもできるという、両者を総合した国民をいう。(17ページ)

市民(第12条)――市民社会において「不断の努力」をする局面
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
● 第12条では、国民に自由と権利の行使について「不断の努力」を求め、公共のために「これを利用する責任」を 国民が負うことを規定している。(18ページ)
● 市民とは、社会を支え、政治と私的世界のバランスに腐心し、公共的負担を引き受ける国民をいう。(18ページ)

個人(第13条)――いずれの局面において(国民ではなく)「個人」として尊重される
すべて国民は、個人として尊重される。
● 第13条では、「主権者」も「有権者」も「市民」も、すべて「個人」として尊重されることを規定している。(19ページ)
● 「主権者」「有権者」「市民」の3役を演じ分ける「国民」という演じ手は、時に一己の「個人」に立ち戻り、舞台から離れることができることを意味する。(19~20ページ)

図1 憲法上の「国民」は3つの仮面を演じ分ける

出典:駒村圭吾著『主権者を疑う』ちくま新書、2023年4月、帯より。

〇そして、駒村はいう。「主権は“取扱い注意”(主権は、国の統治のあり方を絶対的・最終的に決定する権限であるがゆえに、 恐怖と期待に満ちた“取扱い注意”の概念)であるから、最後の『賭け』(つまり改憲)に打って出るのは慎重な上にも慎重であるべきである。一歩間違えると“革命”になりうるような『主権者』の登場をたのむ前に、統治上の諸課題を通常政治の枠の中でどうにか解決すべく、国民は『有権者』として、また『市民』としてがんばるべき」である(277ページ)。
〇そのためには、有権者や市民に求められる関心や問題意識を喚起・醸成するための仕掛けや教育・訓練が必要不可欠となる。主権者においても然りである。すなわち、有権者教育、市民教育、そして主権者教育がそれである。

憲法は主権者を畏(おそ)れている。主権者を畏れ敬いつつも、それを不断に疑うことを私たちに求めている。(14ページ)

阪野 貢/コモンズと福祉コミュニティ、そしてエピソディック・ボランティア ―宮本太郎編『自助社会を終わらせる』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、宮本太郎編『自助社会を終わらせる――新たな社会的包摂のための提言』(岩波書店、2022年6月。以下[1])という本がある。自助頼みの社会が、日本の地域と経済を脆弱化している。言われる「多様性」や「包摂」はときに、あまりにも浅薄すぎる。そんななかで[1]では、自助社会を終わらせるために、「単に包摂的な社会についての理念を称揚するにとどまらず、政策の実現を妨げる自助社会の成り立ちを解明し、転換の道筋を展望」(319ページ)し、「新たな包摂的社会に向けた政策と政治」(320ページ)を提起する。
〇そこでは、議論の枠組みを分野横断的に設定し、11名の執筆者が健筆を振るう。執筆者たちの専門領域は、社会政策学、政治学、行政学、社会福祉学、教育学、法律学などである。そのうちから、宮本太郎(政治学)と野口定久(地域福祉学)、須田木綿子(福祉社会学)の言説の一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
〇宮本は、序章「自助社会をどう終わらせるか」を執筆する。その前半で、自助と自己責任を迫る社会の成り立ちを掘り下げ、その構造を分析する。宮本はいう。単に新自由主義が席巻していることにのみ自助社会の原因があるのではなく、共助(社会保険)や公助(生活保護)の支え合いの制度のなかにも自助の原理が強調される傾向がある(7ページ)。また、自助社会では、いろいろなリスクを自前で解消するために、かえって歪んだ依存関係を生み出し、男性優位のジェンダー秩序や上位・下位関係に整序された階層秩序などによる権力的な相互依存関係を不断に増殖させていく(12ページ)。
〇その後半では、自助社会を終わらせる処方箋として、「社会的包摂」という考え方を提示する。それは、「困窮や格差の広がりに対して、誰も排除することなく社会の一員として迎え入れることができるように、施策をすすめようという考え方」(14ページ)である。そして宮本は、自助社会を脱却し、社会的包摂を刷新するための施策のための視点として、次の3つを主張する。①「所得保障」――分断を超える・選択を可能にする・勤労所得を補完する「所得保障」の再編成、②「社会サービス」――縦割りの「社会サービス」の包括化と多様な人々のケアへの参加、③「コモンズ」――誰もが必要であり利用できる・私有財でも公共財でもない「コモンズ」(共有資源)の構築、がそれである。最後に宮本はいう。

自助社会の終焉とコモンズ
現金給付のみならずサービスとインフラによってコモンズとしてのコミュニティにつながり、自尊の感覚を維持し広げることができること、税負担をめぐる損得勘定から中間層の支持を引き出すのではなく、中間層を含めて誰もが納得のできる「生活」のかたちを示し、その実現のための条件形成へ合意を広げることこそが、自助社会を終わらせるのである。(30ページ)

〇野口は、第3章「誰も排除しないコミュニティの実現に向けて――地域共生社会の再考」を執筆する。野口の所見はこうである。政府によって1979年に出された「日本型福祉社会論」は、公的福祉への支出の縮小・切り捨てを求め、家族や地域社会、企業の連帯を強調した。ところが、バブル経済の崩壊(1991年~1993年)を機に日本経済は低成長時代に入り、2000年代以降になると、日本型福祉社会論が強化を図った家族・地域社会・企業の連帯機能(関係動員機能)が縮小する。そんななかで、信頼と互酬の規範が内在する新しい市民活動(NPOやボランティア活動等)が、特に地域社会において台頭することになる(98~99ページ)。こうした状況から政府(厚生労働省)は、2016年に「地域共生社会」の実現を掲げ、社会福祉法を改正する。それ以降、法改正を重ね、地域共生社会政策の推進を図るが、そこには2つの側面、ないしベクトルが存在している。「旧来の制度の延命のために、新しい市民活動を組み込んでいくという面」と、「新たな市民活動や信頼と互酬の規範を広げ、当事者や住民、NPO組織による『誰も排除しないコミュニティ』の形成を後押しする面」(101ページ)がそれである。
〇そして、野口にあっては、「現在の日本の福祉レジーム(体制)は、負担と受給の面でいえば『中福祉中負担型』と見ることができる」。そこでは、新しい福祉レジームを、①雇用の安定と創出、②職業訓練、就労支援、所得と医療と住宅の保障、③社会的脆弱層へのソーシャルワーク支援、➃生活保護制度やベーシックインカム、からなる重層的なセーフティネットとして張り替えることが必要となる(102ページ)。その際、①「縦割りの制度が地域で生じているさまざまな切実なニーズに対応できていない状況をいかに変えていくか」、②「新たな市民活動と信頼を組み込んだ福祉コミュニティをどう構築していくか」などが問われることになる(108ページ)。
〇ここで、野口がいう②の「福祉コミュニティの創出(実現)」について、その言説をメモっておくことにする。なお、野口は「福祉コミュニティ」を「人々が共に生き、それぞれの生き方を尊重し、さらには生活環境として支え合いの機能を発揮できるようなコミュニティ」、すなわち「誰ひとりとして排除しないコミュニティ」と考える(91ページ)。

地域共生社会と福祉コミュニティの実現
福祉コミュニティの実現は、「共感」軸と「支援」軸で整理できる(図1)。図1に示した①当事者や家族の会と、②支援者・市民活動・ボランティア活動が結びつく場が地域拠点となれば、そこには多様な福祉専門職、社会貢献型の企業やNPOなども関わる。/①と②の集合である地域拠点は、まだ福祉コミュニティとはいえない。福祉コミュニティの十分条件には、③地域住民の理解と承諾、そして参加が必要となる。問題は、③が得られるかということである。/例えばしばしば、福祉施設の建設に住民の反対運動が生じることもある。こうした福祉施設建設をめぐるコンフリクト(住民との摩擦)を解消することは、地域共生社会の実現において通過しなければならない「壁」となって立ちはだかっている。/施設コンフリクトの合意形成を促すためには、施設側と住民側が感情論で対峙するのではなく、それぞれの利害を客観的に考慮することのできる仲介者が必要となる。/この仲介者の役割を果たす可能性が高いのが、ソーシャルワーカーなど各種の福祉専門職である。(111~112ページ)

図1 地域共生社会の実像としての福祉コミュニティの具現

出典:宮本太郎編『自助社会を終わらせる』岩波書店、2022年6月、111ページ。

〇須田は、第9章「個人化の時代の包摂ロジック――「つながり」の再生」を執筆する。須田はいう。2000年以降、保健・福祉領域の民営化政策が推進された。その過程で、NPOやボランティアが注目されたが、制度のあり方に影響を及ぼしたり、社会全体の空気を変えるには至らなかった(256ページ)。その一方で、自分の生活のあらゆる局面を自分で選択するという「個人化」(個人化の時代)と、その選択によって安全・安心と思われていた生活がリスクを伴うものとなる「リスク化」(リスク社会)が進むなかで、新しいタイプのNPOやボランティアが生まれている。そのひとつに、「エピソディック・ボランティア」(Episodic Volunteer)がある。エピソディック・ボランティアは、新しい形の「つながり」を多く生み出している(270ページ)。
〇エピソディック・ボランティアに関する須田の言説のひとつをメモっておくことにする。

エピソディック・ボランティアと新たな「つながり」
エピソディック・ボランティアは、その折々に社会的に関心を集めている課題に集中するひとつの課題が落ちつけば、次の課題に関心を移す。その流動性が、気まぐれで、あてにならないといわれる所以である。しかし、いつ、どこにいても、社会的課題への関心は継続してもち続けている。だからこそ、その時々の課題に即座に反応し、必要と思われるところに出没し、物事がおさまるとともに姿を消す。(273ページ)
エピソディックなNPO&ボランティアが生み出している「つながり」を社会的な包摂の力に転換するためには、保健・福祉サービス供給の場合とは異なる枠組みにおける行政とNPO&ボランティアの協働が必要である。とりわけ考慮すべき事柄として、次の3点が挙げられる。
第1に、エピソディックなNPO&ボランティアに関わる人々の多くが、必ずしも活動の広がりを求めていない。
第2に、エピソディックなNPO&ボランティアの活動は、既存の社会貢献活動の感覚になじまない。
第3に、エピソディックなNPO&ボランティアの活動は、既存の支援の枠組みにもなじまない場合が少なくない。(274~275ページ)

〇アメリカの Nancy Macduff が1990 年に提唱したと言われる「エピソディック・ボランティア」は、活動の「はじまり」と「終わり」が明確であるということから、「エピソード」(episode) という言葉に由来している。また、日本では「ちょこっとボランティア」「ちょこボラ活動」などとも言われるが、その特徴は「マイペース」にある。それ故に、「無責任で身勝手」「気まぐれ」な「今どきのボランティア」と揶揄されることもある。その活動は、地域で開催される行事・イベントや災害発生後の被災地支援など、さまざまな場面で行われている。エピソディック・ボランティアの功罪、その独自の機能や価値、その活動を支援する際の方策、等についてのさらなる検討が今後の課題となろう。

阪野 貢/「共感」再考:共感のメリットとデメリット ―山竹伸二著『共感の正体』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、山竹伸二著『共感の正体―つながりを生むのか、苦しみをもたらすのか―』(河出書房新社、2022年3月。以下[1])という本がある。「共感論」について活発な議論が展開されるなかでこんにち、「反共感論」の主張が少なからずみられる。山竹はいう。「共感は本当に相互理解と協調、平和をもたらす自然の恩恵なのだろうか? それとも、不安や自由の喪失、憎しみ、差別をもたらす、悪魔のささやきなのか‥‥‥?」(21~22ページ)。「共感が生み出す助け合いが集団を強化し、文化を築く礎になったこと、その一方で、共感による集団の排他性が紛争や差別、迫害を生んできた歴史がある」(24ページ)。
〇[1]において山竹は、多角的な視点に立って、また科学的・哲学的な考察を通して「共感」の本質を解明しようとする。とともに、心のケアの領域や日常の対人関係における共感の有効性や応用可能性を明らかにし、共生社会における共感の重要性を指摘する。山竹は説く。「共感のメリットはリスクを大きく超える可能性がある」(204ページ)。「大事なのは共感に頼らないことではなく、共感のデメリットを減らし、よりよい形で共感を活かせるようにすること」(205ページ)である。
〇[1]で注目すべきポイントは、現象学(自分の意識・主観に現われていることを出発点にして、誰もが共通して了解できる意味(「本質」)を解明するための哲学的思考法)の観点から共感の本質にアプローチし、その問い直しを試みるところにある。山竹はそれを次のように整理する(7. 8.  以外の丸括弧内の解説は別頁より引用。126~129ページ)。

  1. 共感が生じる経験は、①「情動的共感」(相手と同じ感情であると感じる共感)と②「認知的共感」(相手と同じ考え方、感受性、価値観であると感じる共感)の2つに分けられる。
  2. 共感の質は心の発達、特に自己の確立と認知の発達にともなって変化する。
  3. 他者の共感によって得られる自己了解(自分の感情に対する気づき・自覚)と「存在の承認」(「ありのままの自分」が受け容れられていること)。
  4. 心理的距離、空間的距離の近い人間ほど共感が生じやすい。
  5. 共感力(相手の考えや気持ちを察することができ、その気持ちに寄り添うことができる力)には個人差がある。
  6. 共感は感情の共有であり、自己了解と同時に他者了解(他者の感情に対する気づき・自覚)が生じている。
  7. 共感は他者理解をとおして他者のためになる行動(利他的行為)を生む。
  8. 共感は喜びだけでなく、苦しみを生む場合もある(共感的苦悩)。
  9. 共感はお互いを理解し、協力し合う基盤となり、文化・社会を形成する。

〇以上の「共感の本質」(「共感の原理」)に続いて山竹は、「共感の功罪」について次のように整理する(130ページ)。


〇ここで、[1]のうちから、「共感」をめぐる論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

共感と利他的行為
共感という経験は対人関係における感情共有の確信であり、共感が生じると多くの場合、相手に対して親和的な感情(親しみ)が生じ、他人事ではないと感じられる。/この時、自己了解(自己の感情への気づき)と同時に、他者の感情了解が生じている。自己了解が「自分がどうしたいのか」という欲望を告げ知らせる以上、共感は「他者がどうしてほしいのか」を理解し、相手が望む行為の選択を、つまり利他的行為を可能にするのである。/もちろん、自分の感情と相手の感情が同じである、という保証はない。だが、私たちは共感を手がかりにして、相手に気持ちや望みを言葉で確認することができるし、それによって適切な対応を取ろうとする。そうやって経験を何度も積み重ねるほど、次第に的を外すことなく相手の感情を理解できるようになり、適切な対応が可能になる。/こうした理解力を培うには、言葉と想像力、推論する理性の力を身につけることが必要である。(110ページ)

排他的共感と差別
共感はすべてにおいてよいことが起きるわけではない。/誰かの悲しみや苦しみに共感し、助けたいと思う場合でも、必ずしもよい結果、正しい行動につながるとは限らない。共感から、目の前にいる人を手助けしてしまい、結果的に大勢の人を苦しめたり、困らせてしまうこともある。助けたつもりでいても、相手にとっては迷惑だったり、かえって悪い結果を招く場合も少なくない。/また、共感は憎悪や怒りのような感情にも共振するため、憎しみや怒りを増幅させる危険性がある。/仲間への共感から、仲間以外の人々を敵視したり、憎悪や軽蔑の眼差しを向けたりすることを、「排他的共感」と呼ぶことにしよう。/共感は文化を形成し、集団の結束を強めるのだが、それは半面、共感できない文化や自分の所属する集団以外の人々に対して、排除する傾向を生みやすい。共感による民族や国との一体感は、外国への差別意識、敵対意識につながりやすいのだ。繰り返される戦争、少数民族への迫害、異質な文化への差別などは、排他的共感が拍車をかけている。(116~117ページ)

協調的共感と共同性意識
多様な価値観を学び、様々な立場の人の身になって考えることで、偏った行動ではなく、より公正で適切な共感と利他的行為ができるようになる。/多様な価値観に寛容になるには、人間は集団の属性や価値観によらず、存在そのものが尊重されるべきだ、という感覚が必要になる。/この感覚を養うものこそ、親密な人々による共感なのだ。それは「ありのままの自分」が受容される経験、無条件の承認を感じる経験であり、だからこそ、「ありのままの他者」を受け容れ、共感できるようになるのである。/こうした対応を各々の人間ができるようになれば、他者との間に良好な関係性が形成され、よりよい協調が生まれ、お互いに助け合えるような社会を築くことができる。異なる考え方や価値観の人々の間にも、差異を認め合いながらも共感できるものを見出せるようになる。私はこれを「協調的共感」と呼び、共感の成熟したものとして捉えておきたい。(123~124ページ)/共感は人間同士の心のつながりを感じさせ、同じ人間であるという意識、共に生きているという意識をもたらすのだ。/しかし、この共同性の意識においても、適度な距離感、公正な判断力がなければ、容易に集団心理に呑み込まれてしまうだろう。/したがって、共感が人間の道徳性や共同性の意識において重要だとしても、そこに潜んでいるリスクを十分に自覚し、その対処法を考えなければならない。排他的共感に陥らず、協調的共感に至る道を考える必要があるのだ。(124~125ページ)

共感のリスクとその回避
共感には様々なリスクが付きまとっている。/まず第1に、共感しやすい人は、相手の感情に巻き込まれ、自分自身の感情を制御することが難しくなりやすい。/第2に、思い込みの強い人、自己中心的な人の場合、共感は相手と自分を同一視し、相手の他者性、固有性を無視してしまう傾向がある。/そして第3に、自分の所属集団、立場、価値観を過剰評価している人が共感すると、自分が共感できない人々に対して無関心になったり、敵視する傾向がある。/こうした共感のリスクを回避するためには、自己了解ができていること、感情の制御ができることが必要になる。自己了解の力があり、感情のコントロールができる人は、過度に相手の感情に巻き込まれたりしないし、相手と自分を同一視したりもしない。また、多様性に寛容で、他者との差異や他者性を認められる人は、排他的にもなりにくい。だから自分とは経験も立場も異なる相手であっても、先入観なしに対話し、相手との差異を認めつつも、自分と共通するものを見出すことができる。そうやって相手の感情に近づき、共感する可能性が高いのである。(166~167ページ)

良心と共感
「良心」は善悪を判断し、「人として正しくありたい」という思いが含まれているが、この判断の基準は内面にある価値観や行動規範、人としての理想などである。それは多くの人が認める価値観や社会規範とほぼ重なるため、共感や同情に公平性、公正さをもたらしている。しかし、そうした個人の内面にある価値観や行動規範は、何らかの状況で取り込まれ、身につけたはずなので、成長にともなって変化し、良心も変わってくることになる。(184~185ページ)/完全に「他者のため」という動機だけで良心が生じるわけではない。他者に承認されたい、他者と共に生きたい、という「自己のため」の動機も当然あるだろう。そうでなければ、自己犠牲を美徳と考えるような偏った義務論になりかねない。(188ページ)/共感によって他者の苦しみを知れば、自己の欲望を超えて、心から他者を助けたいという思いも強くなる。承認欲望と救済欲望が重なりあい、「自己のため」の行為が「他者のため」の行為になるのだ。そして共感の経験を繰り返し、理性的な思考が深まるにつれ、多様な他者の身になって考える力もついてくる。/こうして、成熟した良心は自己の欲望を自覚した上で、他者を心から助けたいと感じ、より普遍性のある判断を求めるようになるのである。(189~190ページ)

〇山竹にあっては、現代社会は、異なった文化や立場、多世代の「多様な人々が交流するようになり、共感が拡大する可能性のある時代である」(201ページ)。その一方で、現代社会では「絶対的な価値基準が見失われ、どうすれば周囲に認められるのか、自分の価値を確信できるのか、という承認不安が蔓延している」(202ページ)。そこで、上述の「共感の本質」を認識し、「心のケアの原理」に基づいて子育て、教育を実践すれば、「共感は私たちの未来を切り開く上で、とても重要な役割をはたすはず」(202ページ)である。「共感」への期待と展望である。山竹はいう。「楽観的と思う人もいるかもしれないが、私はそうした未来の可能性を信じたい」(205ページ)。
〇「まちづくりと市民福祉教育」(とりわけ学校福祉教育)においてはこれまで、抽象的な理念やひとつのスローガンとして「共感」が声高に叫ばれてきた感なきにしも非ずである。「共感の本質」についての理解・認識と、それに裏付けられた共感力を高めるための取り組みや教育プログラムの開発を如何に進めるかが問われよう。例によって唐突であるが、指摘しておきたい。
〇なお、上記の「心のケアの原理」とは、「共感は『ありのままの自分』が受け容れられている(認められている)という実感を与えることで、相手の不安を緩和する。また、共感によって相手の苦しみの根底にある感情を理解し、それを相手に伝えることで、相手に自己了解を促すことができる。すると、相手は自分を見つめなおすことができるようになり、考え方を修正したり、自分がどうしたいのか、どうすべきなのか、納得のいく判断ができるようになる」(194ページ)ということを指す。

補遺
〇筆者(阪野)の手もとに、ポール・ブルーム(Paul Bloom、アメリカ・イェール大学心理学教授)著/高橋洋訳『反共感論―社会はいかに判断を誤るか―』(白揚社、2018年2月。以下[2])と、永井陽右(ながい・ようすけ、テロ・紛争解決スペシャリスト)著『共感という病―いきすぎた同調圧力とどう向き合うべきか?―』(かんき出版、2021年7月。以下[3])という本がある。ともに、共感の負の側面に焦点を当てた本である。
〇[2]のブルームによると、「共感」(empathy)は「情動的共感」と「認知的共感」に分けられる。「情動的共感」は、「他者が感じていると思しきことを自分でも感じること」すなわち「他者の経験を経験する」(10ページ)という意味での共感(感情的な働き)である。「認知的共感」は、「他者の心のなかで起こっている事象を、感情を挟まずに評価する能力に結びつけてとらえる」(25ページ)という意味での共感(理性的な働き)である。ブルームは、前者の情動的共感に反対し、後者の認知的共感を評価する。「共感には善玉と悪玉がある」(20ページ)。「共感(情動的共感)は愚かな判断を導き、無関心や残虐な行為を動機づけることも多い」(9ページ)。「共感は道徳的指針としては不適切である」(9ページ)。「私たちは(共感の時代ではなく)理性の時代に生きている」(19ページ)、別言すれば“他者を思いやる善き人になりたいのなら、あるいは世界をもっとよい場所にしたいのなら、理性を行使すること(理性に基づく判断や行動)が重要である”(9ページ、第6章)、などがブルームの主張である。詳細は、本ブログ<雑感>(81)共感≠善:共感は道徳的指針としては不適切である―ポール・ブルーム著『反共感論』読後メモ―/2019年5月15日投稿/本文(⇦クリック)、を参照されたい。
〇[3]の永井にあっては、「共感」とは「他者の感情経験に直面した人が、認知的および感情的に反応すること」。その「反応に至るまでのプロセス」(33ページ)、である。永井はいう。「共感は、全員ではなく特定の誰かしか照らさない『スポットライト的性質』と、自分にとって照らすべきだと思えた相手しか照らさない『指向性』を持つ」(17ページ)。「共感とは誰かの困難に対してではなく、困難に陥っている自分側(同じグループの仲間)の誰かに作用している。まさに共感は差別主義者なのである」(18ページ)。「共感は一般的に、理性的な『認知的共感』と感情的な『情動的共感』の2つに、機能的に分けられている」(28ページ)。
〇永井は続ける。「多様性とは、自分にとって都合の悪い人の存在を認めることである。『多様性を受け入れることは難しい』という心構えを持つべきである」(161、162ページ)。「共感できない・共感されにくい人をなおざりにしないために、共感に代わるものが必要となる。共感ではなく、地に足のついたリアルな、実体の伴った、権利に対する理性的な眼差し(理性的に、自分の権利と同時に他者の権利を見つめること)こそが、憎悪が渦巻く現代の世界を良くする鍵である」(167~169ページ)。
〇要するに永井にあっては、「共感」とそれに代わるものとして、「理性」と「人権」、人権に対する理性的な理解と反応が重要である。「感情に任せるのではなく、共感の良いところをうまく使いながらも、同時に理性も働かせてその手綱(たづな)をしっかりと持ち、取り残されている人がいないか、対立や分断をどう乗り越えることができるか、などを常々考えることが社会と世界を良くしていくことに繋がる」(180ページ)のである。
〇なお、[3]には、永井と内田樹(うちだ・たつる、思想家)との対談が収録されている。そこで内田はいう。いまの日本社会は、「共感過剰」な社会になっている。共感できる人間だけで固まって、同質的な、集合的共感のようなものを作って、外部の人とのコミュニケーションができなくなってきている。共感や理解をベースにして人間関係を構築するのは危険である。それよりは、「共感も理解もできないけど、目の前に困ってる人がいたらとにかく助ける」(「惻隠の情」)というルールの方が汎用性が高いし、間違いが少ない。惻隠の情が発動するためには、「自分から見て弱者である」こと、「自分の力の範囲内で救うことができると思える」ことの2つの条件がある(191、218、222ページ要約)。参考までに付記しておくことにする。

阪野 貢/追補/「聞くこと」「話すこと」を考える:「ただ聞く」ことをめぐって ―尹雄大著『聞くこと、話すこと。』のワンポイントメモ―

言葉が信じられない時代であるのは間違いない。それでも私とあなたのあいだにある言葉を愛(いとお)しく思う。わかり合うためではなく、わかりあえなさが明らかになるとき、かけがえのない存在としてここにいることがわかるからだ。(下記[1]258ページ)

〇本稿は、<雑感>(183)「考えること」を考える:「哲学対話」をめぐって―梶谷真司著『考えるとはどういうことか』のワンポイントメモ―/2023年8月8日投稿、の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、インタビュアー・作家の尹雄大(ユン・ウンデ)の『聞くこと、話すこと。―人が本当のことを口にするとき―』(大和書房、2023年5月。以下[1])という本がある。[1]は、濱口竜介(映画監督)や上間陽子(琉球大学教授)、坂口恭平(建築家)、そして「ユマニチュード」という認知症高齢者のためのケアの技法を開発したイヴ・ジネストらとの対話を通して、「聞くこと」、「話すこと」とはどういう体験なのか、人間にとって「言葉」とは何か、といったことをめぐる評論である。
〇ユマニチュード(Humanitude)とは、相手のことを大切に思っていることを伝えるための「見る・話す・触れる・立つ」(「ケアの4つの柱」)の技術を通して、人間らしさ(ユマニチュード)を尊重するケアの技法をいう。
〇[1]のキーワードのひとつに、「ただ聞く」がある。それは、上記の本ブログ<雑感>(183)で述べた、相手の話を聞きそれを「受け止める」ことが大切である、という指摘にも通じる。その点をめぐって、[1]における尹の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

余計な聞き方をせず「ただ聞く」という態度によってこそ信頼関係が生まれる
互いが「あなたを知りたい」というあまりの率直さに触れたとき、私が私であることを許される、認められる。そこに「私自身であっていいのだ」という安心を覚える。確実な約束を与えられるからそれが信じられるのではなく、ただ許され、認められることに自らを懸けようとする。それが信頼ではないか。/そうなると「あなたを知りたい」という問いかけで重要なのは「何を聞くか」でも、それによって話された言葉の理解でもない。この場にいる互いのあり方にただ注視する態度だけが必要だ。/そのとき聞くことは意味の理解につながらないだろう。というより、つなげる必要がない。日常においては、聞くことを理解にすぐさま結びつけてしまう。ともかくわかろうとするのもまた意識的な行為のなせる業(わざ)だ。そこからは信頼して言葉を紡げる関係性は生まれにくい。(27~28ページ)

「ただ聞く」とはその人の「今ここ」の感情を分かろうとする試みである
たいていの場合、人は相手の話を「その人の話」としてではなく、「自分の話」として聞きがちだ。自分の理解できる範囲の出来事を相手に見出しては「わかる」と言い、共感できないことはただちに「わからない」と判断する。わからなさを前にした途端、実際には口にしなくても、心の中で相手の話に対して「つまり・結局・要するに」を持ち出して解釈することに忙しい。その後に続くのは「だから良い・悪い」のジャッジだ。(43ページ)/「完全に聞く」(「ただ聞く」)とは相手を完璧に理解することではない。わかろうと試みる状態のことだ。/そういう時間と空間であるためには、互いの協力が必要になる。どのような関係性がそれを可能にするかといえば、少なくとも話し手がその人のすべてで「今ここ」において話すという態度が必要になる。(45ページ)

相手の話を「ただ聞く」ためには自分の判断基準や価値観を手放す必要がある
相手の話を「私の話」として聞いてしまうとき、「私」は必ずジャッジ(判断)している。/私たちは物事をジャッジするとき、善悪は対象に属していると思っている。相手が良いことをしたから、それを「良い」とし、悪いから「悪い」と判断したと。そうではない。自分の解釈が善悪正誤を決めているのだ。あなたが誰かの行いや発言に「善悪」をつけたとき、そこで明らかになるのは、あなたが長年培ってきた価値観であり信条だ。(233ページ)/私たちのジャッジの基準は、生まれ育った環境、時代、社会の中で選ばざるを得なかったというような、極めて個人的な事情に基づいている。生き延びるためにそれを身につけてきた経緯がある。(235ページ)/他人の話を聞く前に、自身のジャッジを形成するに至ったストーリーを知り、その顛末を最後まで聞きとり、それを手放さない限り、私たちは相手の話を聞くことができない。本当に尊重することができない。(237ページ)

生きている事実について「ただ聞く」ことによって「聞き取られない声」を聞かないといけない
(ドメスティック・バイオレンス(DV)や性暴力などの過酷な境遇を生きている少女など)「本当に話せない」という我が身を引き裂くような、晴れることのない思いが胸奥(きょうおう)に腹に全身にわだかまったまま生きている人が現にいる。そんな切迫した思いが、コミュニケーションにおいて推奨されている通りの共感や肯定を示すことで太刀打(たちう)ちできるはずもない。(93ページ)/「本当にのたうち回るような経験というのをした人は自分の体験を表す言葉を持たない」(上間陽子)。(94ページ)/身に刻まれた痛みや悲しみを抑えることも晴らすこともかなわない。引き裂かれた感情を抱え、それでも正気を保たないことには生きていけない。摩滅しそうになりながら生きてきた人の言葉が、穏当に理解できるようなものになるわけがない。身が軋(きし)むような生き方を強いられてきたのであれば、ほつれた語り口(まとまりを欠いた話し方:筆者)で言わざるを得ない必然性がある。(106ページ)/聞き取られない声がある。だから聞かないといけない。何を聞くのかではなく、ただ聞く。子供らにより良い生き方を諭す前にすべきなのは、すでに生きている事実について耳を傾けることではないか。(111ページ)

〇ここで、2つの文章を引いておきたい。ひとつは、「話をしている最中に概念的な理解をしようとして頭で考えてしまうということは、相手の話から常に遅れている。(中略)そのときその場にいながらそこにおらず、想定の中にまどろむことを自分に許している。端的に言えば、話を聞いていない」(21ページ)というそれである。意識的に集中して相手の話を聞き、いろいろ考えようとするとき、相手の「話を聞いていない」のである。対話における「聞くこと」「話すこと」と「考えること」(自分が設定した「問い」に自分なりに「答え」る営み)の難しさがここにある。体験的に納得できるところでもあり、留意しておきたい。
〇いまひとつは、「共感は理解への唯一の道ではない」(226ページ)。「共感は、相手の話を自分の話として聞いている。けれども本当に話を聞こうと思うのならば、他者の声を尊重するならば、相手の話を相手の話として聞かなくてはならない。あなたという存在は私の共感の及ばないところで生きている」(228ページ)というそれである。「ただ聞く」のは難しい。それは、対話の知恵や技法を問うものではなく、「今ここ」にいる相手を、かけがえのない存在・尊厳ある存在として真に「受け止める」ことによって可能になるのである。

(人の話を聞くにあたり)聞き慣れない表現に戸惑ったときに求めるべきは、戸惑いをちゃんと味わうことではないか。それもせずに正当性という正解に向かう道筋を選ぶ発想こそが、相手の話の聞けなさにつながっている気がする。(上記[1]194ページ)

 

阪野 貢/「考えること」を考える:「哲学対話」をめぐって ―梶谷真司著『考えるとはどういうことか』のワンポイントメモ―

意見とは、自分が考えてきた「問い」に対して、自分が出した「答え」である(山田ズーニー『伝わる・揺さぶる! 文章を書く 』(PHP新書、2001年11月、41ページ)。

〇筆者(阪野)の手もとに、哲学者の梶谷真司(かじたに・しんじ)の『考えるとはどういうことか―0歳から100歳までの哲学入門―』(幻冬舎新書、2018年9月。以下[1])という本がある。梶谷にあっては、哲学とは、「考える」営みそのものであり、「問い、考え、語ること」である(32ページ)。
〇梶谷はいう。「考える」という営為は本来、自分自身に問いかけ、自分なりの答えを出すことであり、自分自身との「対話」を意味する。しかし、ひとりで悶々(もんもん)と考えることには限界がある。また、現実の家庭や学校、社会(会社、地域等)における「考える」という営為は、既に決められている「正しいこと」「よいこと」「他者の意に沿うこと」の「正解」を探し求めるそれであり、そう考えさせられている。とりわけ学校では、生徒は教師や教科書によって提示された問いについて、強制的に考えさせられ、ひとつの正解を見出し、統制・画一化されている。また、特定の基準に即して選別され、序列化され、場合によっては周縁化され、排除される(12~13、52~53ページ)。
〇そこで、より広く、深く考えるためには、多様な立場の人が集まり、自由に「共に問い、考え、語り、聞くこと」が肝要になる。別言すれば、複数の人がいっしょに問い、その答えを探して考え、言葉にして語り、それを聞き、それを受け止める(「受け入れる」ではない)ことが、「共に考える」ということである。その際、とりわけ大事なのは、分からないことを「問う」ことである。それによって、はじめて「考える」ことができる。分からないことが増えれば、それだけ問うこと、考えることが増えるのである。そして、その過程を通して、自分を縛りつけるさまざまな制約(息苦しい世間の常識や慣習、人間関係、自分自身の思い込みや不安・恐怖、こだわり等)から解き放たれ、他の人といっしょに「自由になること」ができる。それは、人と人が「共に生きること」を意味する。こうした「共に問い、考え、語り、聞くこと」の具体的な方法(method)と方法論(methodology、方法の体系・システム)が、知識として学ぶ哲学(philosophy)ではなく、梶谷のいう「共に考える営み」としての哲学(philosophize)、すなわち「哲学対話」である(12~17ページ)。
〇「哲学対話」では、多様な立場の人が参加することが重要となる。適正な参加人数は10~15人前後とされる。また参加者は、対等であることを明確にするために、輪になって座る。そして、進行役(ファシリテーター)の支援のもとに、「共に考える体験」(共に問い、考え、語り、聞くこと)を通して個人的・主観的な感覚を覚え、それが「共感」を呼び起こし、思考を深化・拡大させる。こうした「哲学対話」について、[1]における梶谷の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

哲学対話のルールと特徴―「他者へ」と「世界へ」と自らを開く
①何を言ってもいい
哲学対話においてもっとも大切なのは、「自由に考えること」であり、「問う」と「語る」からいかにして制約を取り払うかである。自由に問い、自由に語ることによって、はじめて自由に考えられるようになる。(47、48ページ)
②人の言うことに対して否定的な態度をとらない
自分の言うことが同意されなくても、決して否定されないと分かっていることが重要である。自分の言うことをそのまま受け止めてもらえると思えてはじめて、何でも言えるようになる。(55~56ページ)
③発言せず、ただ聞いているだけでもいい
話したくなければ黙っていていい。その自由がなければ、話したいことを話す自由もないことになる。「聞く」というのは、対話への立派な参加である。聞いていることじたいが、対話にとって決定的に重要である。(58ページ)
④お互いに問いかけるようにする
「問い」かけができなければ、対話で思考を深めたり広げたりすることはできない。問うことを学ばないところでは、考えることも学べるはずがない。考えるとは、「分からないことを増やすこと」であり、何を質問してもいい、ということである。(60、64、66ページ)
⑤知識でなく、自分の経験にそくして話す
知識に基づいて話したり、人の言葉や何かの用語を引き合いに出すのは、権威づけをし、それによって自分の優位を示そうとしていることが多い。「共に考える」ためには、
自分の言葉で、自分の経験や思いと結びつけたり、身近な例を出したりして話せばいいのである。(71ページ)
⑥話がまとまらなくてもいい
話し合いの答えを安易に先送りすることがあってはならないが、お互いに問い、考えた結果、結論が出るのであれば、それでいい。大切なのは、言いたいことを言い、問いたいことを問い、考えるべきことを考えたかどうかなのである。(75ページ)
⑦意見が変わってもいい
哲学対話では、みんなで考えているのだから、考えを深めたり広げたりするのであれば、個々人の意見は変わってもいい。意見が変わるということは、思考が深まった、広まった、違う角度から考えた、前提が問い直されたということであり、望ましいことである。(76ページ)
⑧分からなくなってもいい
分からなくなるというのは、問いが増える、考えることが増えることである。対話で分からなくなるのは、望ましいことであり、他者へと、世界へと自らを開いていくことである。(76、77ページ)

哲学対話の意義―「自由」と「責任」と「自分」のための哲学
哲学対話は「自由」を実感し理解する格好の機会である
哲学対話で自分とは違う考え方、ものの見方を他の人から聞いた時、自分自身から、そして自分の置かれた状況、自分のもっている知識やものの見方から距離をとる。その時私たちは、それまでの自分自身から解き放たれる。自分を縛っているもの――役割、立場、境遇、常識、固定観念など――がゆるみ、身動きがとりやすくなる。/また、哲学対話で今まで分かっていたことが分からなくなると、いわゆるモヤモヤした感覚、それこそ靄(もや)の中に迷い込んだ感じがする。/この自分を縛りつけていたものからの解放感と、自分を支えていたものを失う不安定感――この両義的感覚は、まさしく自由の感覚であろう。(93、94ページ)
哲学対話において感じるこの自由は、感覚じたいが個人的であり、主体的であるとしても、だからといって、他者と共有できないわけではない。そこで自分が感じる自由は、まさにその場で他の人と共に問い、考え、語り、聞くことではじめて得られるものである。だからそれは、他者と共に感じる自由なのだ。/こうして私たちは考えることで自由になり、また他の人といっしょに考えることで、お互いが自由になる――哲学対話は、このような固有の、そしておそらくは、より深いところにある自由を実感し理解する格好の機会なのである。(96~97ページ)

哲学対話を通して生まれる「責任」は他者と共に享受する権利である
哲学対話を通して自ら考え、決めた時に生じる責任の問題は、ポジティブな意味での責任である。それは、自由と引き換えにしぶしぶ負う義務ではなく、むしろ自由と共に手に入れるべき権利のようなものではないか。(98ページ)
私たちは、自ら考えて決めた時にだけ、自分のしたことに責任をとることができる。だから自ら考えていないということは、自分で決めていないということであり、そうであれば、やったことの責任は、本来とれないはずである。(100ページ)
哲学対話で選んだこと、決めたことは、結果がどうであれ、責任をとることができる。そうして私たちは、ただ自由だけを求めるのでも、責任だけを甘受するのでもなく、その間で妥協するのでもなく、自由と責任をいっしょに取り戻す。それは他でもない、自分自身の人生を生きることなのだ。/しかもそれは、対話を通して生まれた他者との共同的な関係に根差している。だからそこで引き受ける責任は、一人で負わなければならない責めでも、できれば避けたい負担でもない。他者と共に享受する権利となるのだ。(104ページ)

哲学対話は人生を「自分」のものにする営みである
哲学対話は、“恋愛”と同じである。/恋愛も人生も、自分で身をもってやってみるしかない。一から始めなければならない。うまくいかなくても、時に嫌気がさしても、臆病になっても、手放してしまうわけにはいかない。(110ページ)
哲学対話=「考えること」もそれと同じだ。レベルの高さ、厳密さ、深さ、一貫性を求める必要はかならずしもない。誰のためでもない。自分のために考えるのだ。どんなにつたなくても、自分でつまずいて自分で考えたことしか、その人のものにはならない。/だから、とにかくやってみればいい。そうして自由と思考を自分のものにし、人生を自分のものにするのだ。その時、いっしょに考えてくれる人がいたら続けられる。だから哲学は対話でするのがいいのだ。(110~111ページ)

哲学対話の核心―自分自身の「問い」をもつことと「考えること」の関連性
「問い、考え、語り、聞くこと」としての哲学(哲学対話)において、もっとも重要なのは「問うこと」である。「問い」こそが、思考を哲学的にする。/「考える」というのは、自発的で主体的な活動を指す。それは「問い」があってはじめて動き出す。問い、答え、さらに問い、答える――この繰り返し、積み重ねが思考である。それを複数の人で行えば、対話となる。(115ページ)
考えるには、考える動機と力がいる。自分自身が日ごろ、疑問に思っていることはつい考えたくなる。考えずにはいられない。こういう考える力をくれる問い、つい考えたくなる問い、考えずにはいられない問い、それが自分の問いであり、そうした問いを問うのが、自分を問うことである。/自ら問いたいことを問い、そこから考えることは、「問題を解くために考える」=「考えさせられる」のとは、まったく違うのである。(118~119、120ページ)
知識だけ学んで問うことがなければ、思考はどこにも行かず、育つこともない。知識もなしに問うばかりでは、思考は方向を見失う。知識はそこからさらに問うてこそ意味があり、問いは知識によってさらに発展する。だから哲学的に考えるためには、答えのある問いとない問い、閉じた問い(簡潔に答えられてそれ以上の説明を要しない問い)と開いた問い(答えに説明を要する問い)の両方が必要なのである。(141、144ページ)

〇およそ以上が、筆者の関心に基づいて捉えた、[1]が説く「哲学対話」や「考えること」の理念や意義、方法についての要点である(哲学対話の具体的な実践法については省略する)。そこには、「共に考える」ことを拡大・深化させるに際して、例えば、「論理的思考と批判的思考」、「具体的思考と抽象的思考」、「課題解決型思考と価値創造型思考」、「帰納的思考と演繹的思考」(複数の個別事例から一般原則・理論(結論)を導き出す思考と、一般原則・理論(一般論)を前提に個別の結論を導き出す思考)、あるいは他の人の考えの「容認と受容」などをめぐる疑問なしとしない。その点についての検討は別稿に譲ることにして、ここでは、再認識する意味で次の一文を引いておくことにする。それは、例によって唐突であるが、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に求められるひとつの理念や思想に通底するものでもある。地域コミュニティにおいて「共に考える」ことを通して自分の生きる現実を問い、考え、それを変え、自由と責任を取り戻してだれもが「よく生きる」、という理念や思想(地域共創のための自己責任と自己実現、相互責任と相互実現)である。

地域コミュニティにおいて、地元住民が当事者として地域をどうするかを考えなければならないはずなのに、それを国や自治体、もしくはどこかの企業が代わって考え、決めてきた。/何か問題が起きたら、住民は行政や企業を非難するが、彼らが責任をとることはない。当たり前である。それは彼らの人生ではないからだ。他方、当事者である住民は、自分たちで考えも決めもしなかったから、責任がとれない。それなのにその結果を引き受けるしかない。何とも理不尽なことではないか。(102~103ページ)

私たちは、自分の生き方に関わることを誰かに委ねるべきではない。また誰かに代わって考えて決めてあげることもやめなければならない。人間は自ら考えて決めたことにしか責任はとれないし、自分の人生には自分しか責任はとれないのだ。/しかもそのさい、一人で考えるのではなく、他者と共に考えることが重要なのだ。(103ページ)

哲学は夢を追いかけるユートピア思想ではないし、社会全体を変えようとする革命思想でもない。それは「考える」ということを通して、誰もが自分の生きる現実をほんの少しでも変え、自由と責任を取り戻して生きるための小さな挑戦である。そこで必要なのは、高邁(こうまい)な理想よりも徹底的なリアリズルなのだ。(259ページ)

〇筆者の手もとにもう1冊、「哲学対話」に関する本がある(2冊しかない)。哲学者の河野哲也(こうの・てつや)が編集する『ゼロからはじめる哲学対話―哲学プラクティス・ハンドブック―』(ひつじ書房、2020年10月。以下[2])がそれである。[2]は、哲学対話=哲学プラクティスに関する論点や言説が網羅的に記されているハンドブック(マニュアル)である。そこでは、「哲学対話とは、人が生きるなかで出会うさまざまな問いを、人々と言葉を交わしながら、ゆっくり、じっくり考えることによって、自己と世界の見方を深く豊かにしていくこと」(寺田俊郎:3ページ)をいう。
〇そして、哲学対話の特徴と実際的な意義・効用のポイントについて次の諸点を指摘する。[1]における説述と重複するが、参考に供しておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

哲学対話の特徴―「自由」によって自分と世界の見方を深く豊かにする
(1)哲学対話には問いがある
● 哲学的な問いは対話を必要とし、哲学的な問いを考える唯一の方法は対話である。
● 哲学的な問いの最終的な答えは誰も知らないのだから、対話に参加する人々の関係は平等・対等になる。
(2)哲学対話は答えを急がない
● 哲学対話は、速やかに答えを出さなければならないという圧力から自由である。
● 自分の意見を他の人々の意見に照らして吟味することによって、自分の意見の根底にある暗黙の前提に気づくことができる。
● その前提を明らかにすることは、自分の意見を明らかに、深く、豊かにしていくために必要であると同時に、互いに意見を理解するためにも必要なことである。
● 哲学対話が成功するということは、新たに問いが見出されるということであり、哲学対話を重ねれば重ねるほど問いが生まれ、さらに哲学対話が続いていく。
(3)哲学対話は自他の考えが変わっていくことを大切にする
● 自分で考え、他の人々と共に考えることによって、自他の考えが変わっていくことを自覚し認めあうことができる。
これらの特徴から、哲学対話を成立させるためにもっとも大切な条件は「自由」――問いを立てる自由、意見を表明する自由、意見に対する問いを立てる自由、答えを出す圧力からの自由、そして自分の考えを変える自由、である。(寺田俊郎:3~9ページ)

哲学対話の意義・効用―共生社会・成熟社会の構築と集団的意思決定に貢献する
(1)哲学対話は、多様な人々が、人が生きるうえで大切な問いを、互いの意見を尊重しあいつつ考えることによって対話の文化を醸成し、共生する社会を築くことに役立つ。
(2)哲学対話は、共生社会の別言であるが、風通しがよく、居心地がよく、生きやすい成熟した社会を築くことに貢献する。
(3)哲学対話は、重大な根本的な問題について問い、熟議し、まともな集団的意思決定を行うことに貢献する。それは民主主義に貢献するということである。(寺田俊郎:17~22ページ)。

自分の「考え」を持っていないということは、この考えを作りあげるための「考え方」を持っていないということである。(中略)何かの思想を持つことは、そうむつかしいことではない。それには出来合いのいろいろの思想があるからである。日本は今日まで、いつもそういう出来合いの西洋の思想を貰(もら)ってきて、サシ根して育てようとした。(中略)しかしほんとうに自分の考えを持つためには、それを持つ手段としての自分の「考え方」がなくてはならない。その考え方が我々にないならば、新たに学ぶほかはないのである(笠信太郎『ものの見方について』(改訂新版)角川ソフィア文庫、1966年7月、6ページ)。

追記
梶谷真司の次の文献も参照されたい。
・『人生を変える文章教室 書くとはどういうことか』飛鳥新社、2022年12月。
・『問うとはどういうことか―人間的に生きるための思考のレッスン―』大和書房、2023年8月。

阪野 貢/追補/「キャリア」再考:計画的偶発性理論をめぐって―J.D.クランボルツ・A. S.レヴィン著『その幸運は偶然ではないんです!』のワンポイントメモ―

キャリア研究では、明確な目標を立て、そこに到達するために「逆算」して、計画化に努力していくという考え方(「キャリア・プランニング」論)ではなく、偶然のチャンスを生かして、上手に転換を図りながら自分のキャリアを歩んでいくという考え方(「計画的な偶発性(プランド・ハプンスタンス)」の理論)が主流となっている(児美川孝一郎著『夢があふれる社会に希望はあるか』KKベストセラーズ、2016年4月、136~137ページ)。

〇本稿は、<雑感>(177)夢の正体とキャリア教育の功罪―児美川孝一郎著『夢があふれる社会に希望はあるか』のワンポイントメモ―/2023年6月4日投稿、そのなかの上記の一節に関する追補である。
〇いま、いわゆるVUCA(ブーカ)――Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の時代にあって、自分の「経歴」や「職歴」、すなわち「キャリア」(career)を他人まかせや組織まかせではなく、自らどのように構想し形成・開発していくかが問われている。
〇まず、「キャリア」という言葉・概念について簡単に押さえておきたい。ひとつは、厚生労働省の「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」報告書(2002年7月)がいう「キャリア」と「キャリア形成」についてである。いまひとつは、中央教育審議会の「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」答申(2011年1月)がいう「キャリア」と「キャリア発達」についてである。

「キャリア」と「キャリア形成」
―厚生労働省「キャリア形成を支援する労働市場政策研究会」報告書(2002年7月)―
近年、労働市場の変化や労働者等の職業意識の変化に伴い、「キャリア」や「キャリア形成」等の言葉が個人の職業生活を論ずる場合のキーワードの一つとなっている。(中略)
「キャリア」とは、一般に「経歴」、「経験」、「発展」さらには、「関連した職務の連鎖」等と表現され、時間的持続性ないし継続性を持った概念として捉えられる。
「職業能力」との関連で考えると、「職業能力」は「キャリア」を積んだ結果として蓄積されたものであるのに対し、「キャリア」は職業経験を通して、「職業能力」を蓄積していく過程の概念であるとも言える。
「キャリア形成」とは、このような「キャリア」の概念を前提として、個人が職業能力を作り上げていくこと、すなわち、「関連した職務経験の連鎖を通して職業能力を形成していくこと」と捉えることが適当と考えられる。
また、こうした「キャリア形成」のプロセスを、個人の側から観ると、動機、価値観、能力を自ら問いながら、職業を通して自己実現を図っていくプロセスとして考えられる。

「キャリア」と「キャリア発達」
―中央教育審議会「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について」答申(2011年1月)―

人は,他者や社会とのかかわりの中で、職業人、家庭人、地域社会の一員等、様々な役割を担いながら生きている。これらの役割は、生涯という時間的な流れの中で変化しつつ積み重なり、つながっていくものである。また、このような役割の中には、所属する集団や組織から与えられたものや日常生活の中で特に意識せず習慣的に行っているものもあるが、人はこれらを含めた様々な役割の関係や価値を自ら判断し、取捨選択や創造を重ねながら取り組んでいる。
人は、このような自分の役割を果たして活動すること、つまり「働くこと」を通して、人や社会にかかわることになり、そのかかわり方の違いが「自分らしい生き方」となっていくものである。
このように、人が、生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分と役割との関係を見いだしていく連なりや積み重ねが、「キャリア」の意味するところである。このキャリアは、ある年齢に達すると自然に獲得されるものではなく、子ども・若者の発達の段階や発達課題の達成と深くかかわりながら段階を追って発達していくものである。(中略)
このような、社会の中で自分の役割を果たしながら、自分らしい生き方を実現していく過程を「キャリア発達」という。

〇要するに、厚生労働省報告では「キャリア」とは、単なる「職歴」ではなく、職業経験を通してあらゆる経験が持続的・継続的に蓄積・連鎖して構築されていくこと(またその過程やさま)をいう。中央教育審議会答申では「キャリア」とは、「人が、生涯の中で様々な役割を果たす過程で、自らの役割の価値や自分と役割との関係を見いだしていく連なりや積み重ね」の総体を意味する。この点に関して文部科学省は、「『働くこと』については、職業生活以外にも家事や学校での係活動、あるいは、ボランティア活動などの多様な活動があることなどから、個人がその学校生活、職業生活、家庭生活、市民生活等の生活の中で経験する様々な立場や役割を遂行する活動として、幅広くとらえる必要がある」(文部科学省『中学校キャリア教育の手引き』2011年5月、16ページ)とする。留意しておきたい。
〇筆者(阪野)の手もとに、J.D.クランボルツ・A.S.レヴィン著、 花田光世・大木紀子・宮地夕紀子訳『その幸運は偶然ではないんです!―夢の仕事をつかむ心の練習問題―』(ダイヤモンド社、みすず書房、2005年11月。2022年2月・第18刷。以下[1])という本がある。クランボルツ(1928年~2019年)は、代表的なキャリア理論のひとつである「計画的偶発性理論/計画された偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)の提唱者として著名である。
〇計画的偶発性理論の骨子は、① 人生やキャリアは、(その8割が)想定外の出来事や「偶然の出来事」(happenstance)によって影響を受ける。② 偶然の出来事に対して積極的に行動・努力することによって、キャリアを発展させることができる。③ 偶然の出来事をただ待つだけでなく、それを引き寄せる・創り出すために積極的に行動し、変化する状況に注意を向けることによってチャンスが生まれる。また、チャンスが来たときにそれを掴(つか)める準備をしておくことによってキャリア形成を図ることができる、というものである。
〇[1]はこういう。「人生には、予測不可能なことのほうが多いし、あなたは遭遇する人々や出来事の影響を受け続ける。結果がわからないときでも、行動を起こして新しいチャンスを切り開くこと、偶然の出来事を最大限に活用することが大事」である(1ページ)。「この本を通してあなたに伝えたいのは、結果がわからないときでも、行動を起こして新しいチャンスを切り開くこと、偶然の出来事を活用すること、選択肢を常にオープンにしておくこと、そして人生に起きることを最大限に活用すること。(中略)うまくいっていない計画に固執するべきではない」ことである(2ページ)。「この本で伝えたい基本的なことは、積極的に行動してチャンスをつかみ、新しい経験を最大限に活かそうとすることで満足のいくキャリア、満足のいく人生を見つけることができ」ということである(206ページ)。
〇そして、偶然の出来事をキャリア形成に繋げるためには、次のような行動(「行動原則」)が求められるという。① 好奇心(curiosity)/興味や関心をそそる活動に積極的に関わり、それを学びの経験にする(206ページ)。② 持続性(persistence)/失敗してもキャリアの夢を見続け、それが実現するための行動を起こし努力する(52ページ)。③ 楽観性(optimism)/失敗に対して悲観的にならず、建設的な行動を助けるような前向き(ポジティブ)な考え方を持つ(209ページ)。④ 柔軟性(flexibility)/ひとつの目標や計画に固執せず、他の選択肢にもオープンになる(82ページ)。⑤ 冒険心(risk taking)/結果が不確かであっても、新しい活動に挑戦し、行動を起こしてチャンスを切り開く(1ページ)、がそれである(「訳者あとがきにかえて」225ページ参照)。
〇およそ以上が、筆者の偏狭な関心事にもとつぐ[1]の議論の抜き書き・要約であり、<雑感>(177)の追補である。
〇なお、本稿を草することにした意図にいまひとつ、私事にわたるがT氏のキャリアをめぐる筆者の思いや願いがある。氏は今年度から、厳しい条件を承知のうえで所属機関を移籍し、研究・教育のステージを変えることになった。それに関して[1]のなかから、クランボルツとレヴィンの次の言葉を借りたい。T氏への敬意とエールでもある。いつも好奇心を持ち、いつも学び、いつも挑戦してほしいのである(223ページ)。

想定外の出来事は常に起こります。その中のいくつかは、あなた自身の行動の結果として起きています。そしてその中のいくつかは、あなたのキャリアに大きな影響を与える可能性があるのです。(27ページ)

あなたが夢を追求する道中では、よく目を開き耳をすませておくことをお勧めします。チャンスがやってきたときにそれをつかむ準備ができていれば、想定外の出来事があなたをさらによい結果へと導く可能性があります。(53ページ)

付記
〇筆者の手もとに、雇用ジャーナリストの海老原嗣生(えびはら・つぐお)が書いた『クラウンボルツに学ぶ夢のあきらめ方』(星海社新書、2017年4月。以下[2])という本がある。[2]では、キャリア論の「基礎中の基礎(バイブル)」(8ページ)と評するクランボルツの計画的偶発性理論を平易に、小気味よく解説している。図1は、計画的偶発性理論のポイントを整理したものである。参考に引いておくことにする。海老原はいう。「夢はときにあきらめる(消化する)べきものであり、ときに新たに見つける(代謝する)べきものである」。そのため(代謝するため)にはまず「踏み出すこと(好奇心、楽観性、冒険心)」、もう一度「いちから始めること(柔軟性)」、そして「続けること(持続性)」が重要となる。

 

 

 

阪野 貢/「利他」再考の3冊:利他は事後的であり、利他的になろうとする作為は利他を遠ざける ―中島岳志著『思いがけず利他』等のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、伊藤亜紗(編)・中島岳志・若松英輔・國分功一郎・磯崎憲一郎著『「利他」とは何か』(集英社新書、2021年3月。以下[1])という本がある。伊藤は美学者、中島は政治学者、若松は批評家・随筆家、國分は哲学者、そして磯崎は小説家である。分野も背景も異なるこの5名の研究者が、東京工業大学の「未来の人類研究センター」(2020年2月設立)のメンバーとして取り組んでいるのが、「利他」をめぐる問題である。[1]は、「全員ではぐくんできた利他をめぐる思考の、5通りの変奏」であり、いまだその「出発点であり、思考の『種』にすぎない」という(8ページ)。
〇[1]におけるひとつのキーワードは、「うつわ」――「うつわになること」「『うつわ』的利他」である。伊藤は次のようにいう。

利他とは「うつわ」のようなものではないか。相手のために何かをしているときであっても、自分で立てた計画に固執せず、常に相手が入り込めるような余白を持っていること。それは同時に、自分が変わる可能性としての余白でもある。この何もない余白が利他であるとするならば、それはまさにさまざまな料理や品物をうけとめ、その可能性を引き出すうつわのようである。(58ページ。語尾変換)

〇人間は「うつわ」のような存在として生きることによって、「利他」が宿る。こうした人間観を生み出す伊藤の言説は、こうである。利他的な行動には本質的に、「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」という、「私の思い」が含まれている。その「私の思い」は私の思い込みでしかなく、「自分の(利他的な)行為の結果はコントロールできない」、すなわち見返りは期待できない(「利他の不確実性」)。自分の利他的な行為は、相手は「喜ぶはずだ」「喜ぶべきだ」という押しつけが始まるとき、人は利他を自己犠牲と捉えており、その見返りを相手に求めていることになる。その点において、利他的な「思い」や「行為」は、相手をコントロールしたり、支配することにつながる危険をはらんでいる。そうならないためには、相手を「信頼」してその自律性を尊重し、相手の言葉や反応を「聞く」ことを通じて相手の潜在的な可能性を引き出すこと、すなわち相手の力を信じることが必要不可欠となる。それは、「こちらには見えていない部分がこの人にはあるんだ」という距離と敬意を持って、相手を気づかうこと(「ケア」)である。この他者への気づかい、すなわち「ケアとしての利他」は、相手の隠れた可能性を引き出すこと(「他者の発見」)になり、それは同時に自分が変わること(「自分の変化」)になる。そのためには、こちらから善意を押しつけるのではなく、相手を信頼し、利他の結果の可能性や意外性を受け入れる、うつわのような「余白」を持つことが必要となる。この自由な余白、スペースは、とくに複数の人が「ともにいる」ことをかなえる場面で重要な意味を持つ(50~56、59ページ)。
〇筆者の手もとに、中島岳志著『思いがけず利他』(ミシマ社、2021年10月。以下[2])という本がある。中島は[1]の著者のひとりである。[2]において中島は、「利他の本質に『思いがけなさ』ということがある。利他は人間の意思を超えたものとして存在している」(6ページ)と説く。具体的にはこうである。「利他は自己を超えた力の働きによって動き出す(「縁起による業」:私はさまざまな縁によって(縁起的現象として)存在している)。利他はオートマティカルなもの(意思を超えたもの)。利他はやって来るもの(利他の与格性)。利他は受け手によって起動する(利他は事後的)。そして、利他の根底には偶然性の問題がある(利他の偶然性)」(174ページ。括弧内は筆者)。
〇[2]のうちから、中島の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「共感」が利他的行為の条件となったとき、「別の規範」が起動し「共感される人間」になることが求められる
通常、利他的行為の源泉は、「共感」にあると思われている。/他者への共感、そして贈与(利他)。この両者のつながりは非常に重要である。(21ページ)/しかし、共感が利他的行為の条件となったとき、例えば重い障害のある人たちのような日常的に他者からの援助・ケアが必要な人は、「共感されるような人間でなければ、助けてもらえない」といった思いに駆(か)られる。/他者に自分の苦境を伝えることが苦手な人、笑顔を作ることが苦手な人、人付き合いが苦手な人。人間は多様で、複雑である。だから「共感」を得るための言動を強(し)いられると、そのことがプレッシャーとなり、精神的に苦しくなる人は大勢いる。/そもそも「共感される人間」にならなければならないとしたら、自分の思いや感情、個性を抑制しなければならない場面が多く出てくる。(22ページ)/「共感」されるために我慢を続ける。自分の思いを押し殺し続ける。むりやり笑顔を作る。そうしないと助けてもらえない。そんな状況に追い込むことが「利他」の影で起きているとすれば、問題は深刻である。(23ページ)/さらに、「より深い共感」を利他の条件にしてしまうと、今度は自分の思っていることや感情を露わにしなければならないという「別の規範」が起動してしまう。そうすると、「自分をさらけ出さないと助けてもらえない」という新たな恐怖が湧き起こってくる。(24ページ)

利他の主体はどこまでも受け手側にあり、その意味において私たちは利他的なことを行うことはできないのである
特定の行為が利他的になるか否かは、事後的にしかわからない。いくら相手のことを思ってやったことでも、それが相手にとって「利他的」であるかはわからない。与え手が「利他」だと思った行為であっても、受け手にとってネガティブな行為であれば、それは「利他」とは言えない。むしろ、暴力的なことになる可能性もある。いわゆる「ありがた迷惑」というものである。/つまり、「利他」は与えられたときに発生するのではなく、それが受け取られたときにこそ発生するのである。自分の行為の結果は、所有できない。あらゆる未来は不確実である。そのため、「与え手」の側は、その行為が利他的であるか否かを決定することができない。あくまでも、その行為が「利他的なもの」として受け取られたときにこそ、「利他」が生まれるのである。(122ページ)/受け手が相手の行為を「利他」として認識するのは、その言葉(や行為など)のありがたさに気づいたときであり、発信と受信の間には長いタイムラグがある。(128ページ)/つまり、発信者にとって、利他は未来からやって来るものである。また、発信者を利他の主体にするのは、どこまでも、受け手の側であるということである。この意味において、私たちは利他的なことを行うことができないのである。/発信者にとって、利他は未来からやって来るものであり、受信者にとっては、「あのときの一言」(や「あのときの行為」)のように、過去からやって来るもの。これが利他の時制である。(132ページ)

利他的になるためには「偶然の自覚」に基づいて器(うつわ)のような存在になり、与格的主体を取り戻すことが必要である
私という存在は、突然、根拠なく与えられたものである。あらゆる存在は、自己の意志によって誕生したのではなく、意志の外部の力によってもたらされたものである(与格的な存在)。ここに存在の被贈与性という原理がある。/そして、誕生以降も私という存在の奇跡は続く。今の私は、様々な偶然性の奇跡的な組み合わせによって成立している。私という個性は、単純な因果関係では説明できない天文学的な縁起によって構成されている。(150ページ)/この「私が私であることの偶然性」についての自覚が、「自分が現在の自分ではなかった可能性」「私がその人であった可能性」へと自己を開くことになる。(143ページ)/この「偶然の自覚」が他者への共感や寛容へとつながり、連帯意識を醸成し、「利他」が共有される土台を築くことになる。(143、145ページ)/ここで重要なのは、私たちが偶然を呼び込む器(うつわ)になることである。偶然そのものをコントロールすることはできない。しかし、偶然が宿る器になることは可能である。(176ページ)/そして、この器にやって来るものが「利他」である。器に盛られた不定形の「利他」は、いずれ誰かの手に取られる。その受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿を現し、起動し始める。/このような世界観のなかに生きることが、「利他」なのである。/だから、利他的であろうとして、特別のことを行う必要はない。毎日を精一杯生きることである。私に与えられた時間を丁寧に生き、自分が自分の場所で為(な)すべきことを為す。能力の過信を諫(いさ)め、自己を超えた力に謙虚になる。その静かな繰り返しが、自分という器を形成し、利他の種を呼び込むことになるのである。(177ページ)

〇筆者の手もとに、若松英輔著『はじめての利他学』(NHK出版、2022年5月。以下[3])という本がある。若松も[1]の著者のひとりである。若松はいう。人と人との「つながり」が問われている今日、「私たちがもう一度、他者とともに生きるために『つながり』を持続的に深めるには何が必要か。この問題を解く鍵語(キーワード)として考えてみたいのが『利他』である」(6ページ)。そして若松は、[3]において、日本仏教の視座から最澄や空海、儒教のそれから孔子や孟子、西洋哲学からフランスのオーギュスト・コント(1798年~1857年)やアラン(本名:エミール=オーギュスト・シャルティエ、1868年~1951年)らの「利他」の思想を取りあげる。とともに、「利他を生きた人たち」として吉田松陰や西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹らの「利他」の哲学を紹介し、論述する。そのうえで若松は、ドイツの心理学者・哲学者であったエーリッヒ・フロム(1900年~1980年)の『愛するということ』(1956年)を読み解き、「自分を愛すること」、すなわち「自分を深く信頼すること」が「利他」につながる、と主張する。次の一節が若松の結論である。

自分で自分のことを愛することができれば、その人は自分を固有なものにできる。そして、そのうえで誰かのことを愛することができれば、その人は他人のことを固有な存在として認めることができる。自分自身が固有であると知ることは、他者が固有であると知ることである。それはすなわち自他ともに等しい存在であることを経験するということでもある。/愛を通して利他を考えるとき、私たちは愛の前で等しくなければならない。Aさんのことは愛せて、Bさんのことは愛せないのであれば、それは利他がうまく働いている状態とはいえないのである。/利他には等しさが必要である。そして、そのためにはまず、他者を愛するように、自分を愛し、信じることが大切なのである。/(人は唯一無二の存在であることを認め、自他を愛するという)真の意味の「愛」があるとき、そこに在るものはすべて等しくなる。ただ人間であるというそのことにおいて、等しく貴い存在になる、のである。(118~119ページ。語尾変換)

〇前述の[1]で伊藤は、障がい者へのインタビューを通じて、こう語る。晴眼者が視覚障がい者に先回りしてことこまかに道案内をするとき、それはしばしば「善意の押しつけ」になってしまう。それは、視覚障がい者にとっては、「障がい者を演じること」が求められることになり、自分の聴覚や触覚を使って自分なりに世界を感じることができなくなってしまう。それはまた、障がい者が「健常者の思う『正義』を実行するための道具にさせられてしまう」(47ページ)ことになる。さらに伊藤は、認知症当事者の言として、こういう。認知症の当事者がイライラし怒りっぽいのは、支援や援助を求めていないのに周りの人が助けすぎるからではないか(46~48ページ)。福祉教育の実践・研究において、深く留意したい点である。
〇なお、筆者はしばしば、とりわけ福祉教育実践をめぐって「思いやり」と「思い違い」「思い上がり」はときとして紙一重(かみひとえ)であり表裏一体である、と語ってきた。ここで改めて強く認識したい。
〇加えて、次のことを付言しておきたい。人間は日常生活や社会生活を営むうえで何らかの支援や援助を受けるに際して、「たすけられ上手・たすけ上手に生きる」ことが問われることがある。その際の「たすけられ上手」とは、  甘え上手や集(たか)り上手ではないのは当然のことながら、社会(世間、財界)や支援者・援助者が期待し求める「たすけられ上手を演じる(あるいは演じさせられる)こと」(演じるさまや人)であってもならない。

阪野 貢/「社会関係資本」と「関係基盤」:主体形成は地域社会の関係と構造のなかでなされる―荻野亮吾著『地域社会のつくり方』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、荻野亮吾著『地域社会のつくり方―社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ―』(勁草書房、2022年1月。以下[1])という本がある。[1]において荻野はいう。「社会教育は、地域での様々な活動に住民を導く環境を創出することで、地域社会における社会関係を組み替え、この過程で市民の地域社会への意識を醸成するインフォーマルな学習を促す。つまり、社会教育とは、社会関係と市民意識の醸成を通じて、地域社会を常に新たな形に創造し続ける営為である。社会教育が十全に機能することで、地域社会は、その構成員が緩やかに入れ替わりながらも、持続的に地域の課題解決に取り組む共同体として維持される」(6ページ)。この結論を導くために[1]では、社会教育と地域社会の関係をめぐる問題を理論的かつ実証的に考察する([1]は「地域社会のつくり方」のハウツー本ではない)。具体的には例えば、社会教育が社会関係資本の醸成に寄与する実態や、住民の主体形成が、必ずしも住民の「主体性」や「自発性」に基づくものではなく、地域社会の関係のなかでなされていくその過程、あるいは社会教育と地域福祉やまちづくりなどの「隣接領域との対話や交流の可能性」(260ページ、)などを明らかにする。
〇ここでは、[1]のうちから、例によって「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に留意しながら、荻野の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

市民の能力形成に関する視点なくして地域社会に関する政策を機能させることは難しい
2000年代以降の社会教育・生涯学習に関する政策をめぐっては、「コミュニティ政策への社会教育・生涯学習の包摂」と、「学校教育の補完へのシフト」という二つの動きがある。(10ページ)/前者は、社会教育や生涯学習が担ってきた地域社会の形成や人材育成の機能に期待をかけ、まちづくりや地域社会に関する政策のなかに、その機能を包摂しようとする動きを指す。(10ページ)/後者は、学校運営協議会制度(コミュニティ・スクール)や学校支援地域本部事業など、学校・家庭・地域の連携・協力の焦点が「地域教育」から「学校支援」に定まってきたことを指す。(28ページ)/これらの政策では、地域社会への過度の期待があり、保護者や地域住民が「責任主体」として組み込まれる。(42ページ)そして、保護者や地域住民は、地域社会の活動や学校の支援の活動に参加する能力や意思を十分に有しているという「市民社会論的前提」(仁平典宏)が置かれている。(7ページ)/また、学校と地域の連携を推進する政策も、「参加」だけでなく「協働」を明確に打ち出すものであり、近年の地域社会には、「参加」よりも「協働」の役割が強く期待されるようになっていると言える。(45ページ)/これらの政策では、参加の背景(家庭や地域のつながりの希薄化や教育力の低下など)や、市民の能力が考慮されないまま、保護者や地域住民への期待が際限なく高まっている点に問題がある。(52ページ)/市民が地域社会に関わるための能力を育むという視点なくして、地域社会に関する政策を機能させることは難しい。(53ページ)

市民の主体形成に関する研究方法を「個体論」的アプローチから「関係論」的アプローチへと切り替える必要がある
社会教育の役割は、「自発性」や「主体性」を育むことで、身近な地域社会や、より大きな社会の変革に向けた市民の「参加」を促すことにある。すなわち、市民の「自発性」や「主体性」が、既存の社会の秩序を組み替えていくうえで重要な役割を果たす。自治の担い手である市民の育成こそが、社会教育における最重要の目標である。市民の参加が、行政の公共サービスの質や量を向上させ、ひいては社会全体をより良くしていく可能性を有している。/しかし、近年では、市民の「自発性」「主体性」を利用することで、地域社会や学校への関わりを促す政策が進められている。ここに暗黙のうちに、「市民社会論的前提」が導入され、市民の主体性の形成の過程が見えにくくなっている。同時に行政組織の再編と地域社会の再編とが、相互に影響を及ぼし合いながら進められることで、市民のノンフォーマル(社会教育等の不定型)な学習や、インフォーマル(家庭教育等の非定型)な学習環境にも大きな変化が生じている。/こうした地域社会をめぐる変化を的確に捉えるには、人々が社会的な活動に関わりを持つきっかけとなる社会関係に注目し、その社会関係が埋め込まれている地域社会の構造に焦点を合わせる必要がある。(79ページ)/すなわち、主体の見方を、内発的な主体性の形成(個人の心理的な変容)を議論の中核に据え、主体を中心に置いて客体との相互作用を描き出す「個体論」的アプローチから、先に社会関係があり、社会関係のなかで事後的に主体と客体が構成されるという「関係論」的アプローチへと切り替える必要がある。(77~78ページ)/つまり、人々がどのような相互関係のなかに埋め込まれ、その関係性からどう影響を受けているのかという関係論的な視点と、その関係性自体がどのように構成されているのかという構造論的な視点によって、理論的枠組みを構築することが重要になる。(79ページ)

個人の社会的ネットワークや地域活動への参加は中間集団という地域の「関係基盤」によって影響を受ける
「関係論」的アプローチすなわち、地域社会の構成を読み解き、社会教育を通じて形成される社会関係の重要性を理解し、社会教育や生涯学習に関する政策が地域の様々な実践を通じて住民の生活にどのような影響を与えてきたかを実証的に明らかにするためには、「社会関係資本」(Social Capital)という視点や概念が有効である。(91ページ)/ここでいう社会関係資本とは、「地域社会における協調行動を可能にする、社会的ネットワークと、そのネットワークに埋め込まれた互酬性の規範や信頼」を指す。(113ページ)また、社会的ネットワークとは、「地域の日常生活のなかで築かれるインフォーマルな個人間あるいは集団間のつながり」を意味する。(114ページ)/そして、社会的ネットワークの基礎をなす考え方やそれを把握するための手段として、(地域の社会関係資本の基礎単位となる)「関係基盤」(97ページ)という概念を援用する。その「関係基盤」の主なものは、地域のさまざまな中間集団(国家・社会と個人の中間に位置する集団)である町内会・自治会などの住民自治組織や地縁組織、協同組合や公益法人、NPO法人などの市民活動団体、趣味やスポーツ、学習のためのサークル・グループなどを想定することができる。(106~108ページ)/こうした「関係基盤」、つまり地域における中間集団の布置は、それぞれの地域で異なる。ここから、各地域社会において「関係基盤」がどのような関係(「重層性」「連結性」)にあり、この「関係基盤」が社会的ネットワークの構成(形成)を経て、住民の地域活動への参加をどのように促しているのかという、社会関係資本の構造的側面を詳細に見ることが、地域社会のつくり方を考えるうえで重要な作業になる。(117ページ)/そしてこれは、地域活動への関わりの過程で形成される、相互の信頼や互酬性の規範の形成といった認知的側面における変化を、インフォーマルな学習の過程として捉えることになる。さらに、社会関係資本の蓄積過程において、行政とりわけ社会教育行政がどのような関わりを持っているかを追究することになる。(115、116ページ)/図1は、こうした地域における社会関係資本(構造的側面と認知的側面)の「実証研究の枠組み」を示したものである。(115ページ)

図1 実証研究の枠組み

公共性のないサークル・グループであってもその活動を通じて社会的ネットワークを形成し社会関係資本の醸成に寄与する
中間集団は、その集団が目的として掲げる活動を行うに留まらず、社会的ネットワークを広げることで、地域での協調行動を促す公共的な役割を担っている。特に、趣味や教養、楽しみとの関連が深いと考えられるサークル・グループへの所属は、地域での話し合いや地域の活動への参加を促し、所属する集団の種類にかかわらず、ネットワークの多様性を増加させる。(136~137ページ)/しかも、中間集団の性質と、形成されるネットワークの性質や地域活動の性格との間に明確な対応関係はない。つまり、明確に公共的な目的を掲げないサークル・グループであっても、その活動を通じて水平的・垂直的な社会的ネットワークを形成し、地域の社会関係資本の形成に寄与することで、公共的な性格を持ち得る。あるいは、団体が掲げている目的と異なる活動があっても、社会的ネットワークが広がるなかで、異なる活動への参加が促される可能性もある。(137ページ)

〇以上のような議論を踏まえて荻野は、2つの事例研究を通して、地域における社会関係資本の醸成過程を明らかにする。長野県飯田市の公民館・分館活動の事例研究と、「学校支援」の枠組みのもとで社会的ネットワークの再構築を果たした大分県佐伯市の事例研究がそれである。そして、それらから得られた知見を踏まえて、「地域社会のつくり方」のポイントを次の4点にまとめる(抜き書きと要約)。

(1)地域社会における人間関係づくりの基礎として「関係基盤」(中間集団)の創出を進めること
住民は、顔の見える距離感で継続的に活動するなかで、相互の関係を紡ぎ、自分たちの活動目的や意義に関する理解を深めている。この意味で、中間集団は、地域のために自発的な協調行動をとれる「良き市民」を徐々に育む基盤になっている。
地域社会をつくるうえで重要なのは、同じ目的を持って中長期的に活動できるような準拠集団が、私たちの身近な場にどの程度存在するかである。各地域社会の状況に応じて、どのような中間集団が必要かを判断する必要がある。(254ページ)
(2)「関係基盤」同士のつながりを紡ぐこと
「関係基盤」の相互連関や布置によって、住民の地域活動への関わりは変化する。社会関係資本論に基づき、関係の基礎にある構造的要素(中間集団への所属、社会的ネットワークの形成、地域活動への関わり)に目を向けることは、「地域社会のつくり方」を考えるうえで重要な視角になる。(254ページ)
同じ集団や異なる集団同士をどうつなぎ合わせていくかということとともに、小さく同質的な集団を、より大きな集団へとつなげていく仕組みや戦略を、地域社会の状況に合わせて立案することも必要になる。(255ページ)
(3)社会関係資本の醸成に向けて時間軸を意識したアプローチを行うこと
社会関係資本の醸成には長期間の投資や関係の蓄積が必要になることを意識し、地域の社会関係資本が摩耗し消滅する前の段階から、中長期的な戦略によって対応することが重要になる。(255ページ)
また、社会関係資本の醸成に向けた戦略を立てる際には、公民館等の社会教育施設を拠点として位置づけることに留まらず、地域社会に存在する様々な資源や社会関係資本の総合的な点検を行い、行政の所管や、研究領域にとらわれない横断的な視点を持って戦略を立案することも重要になる。(256ページ)
(4)社会教育が地域関係資本の醸成に果たす役割を有効に活用すること
地域のネットワークの「結節点」である公民館に職員を配置するとともに、「関係基盤」の創出や組み替えを通じて住民の認知的価値観の変容を間接的に促すことによって、地域社会を動態的に再構成していくことが重要である。
職員には、住民同士の水平的な関係を紡ぐだけでなく、地域社会に変化をもたらす外部の視点を持った関わりや、行政各部署との垂直的な関係を紡ぐことにもその役割を広げていくことが期待される。要するに、地域社会づくりにおける社会教育のアプローチは、各地域社会の状況に応じて「関係基盤」を創出し、「関係基盤」の「結節点」に職員や拠点となる施設をいかに位置づけるかが重要なポイントになる。(256ページ)

〇筆者はかつて、東京都狛江市社協と岐阜県八幡町社協(現・郡上市)の地域福祉活動計画の策定(狛江市社協「あいとぴあ推進計画」1990年3月、八幡町社協「みんなでやらまいか 八まん福祉文化プラン21」2001年3月)と、その計画に基づく福祉教育事業・活動の立案・実施(狛江市社協「あいとぴあカレッジ」1991年5月開講、八幡町社協「福祉文化カレッジ」2003年5月開講」)に関わった。カレッジ開講のねらいはいずれも、まちづくりの担い手を育成することにあり、住民に対してまちづくりのための実践や運動を動機づけるものであった。そして、その学習をひとつの契機に、またその過程を通して社会的ネットワークを広げ、地域福祉活動やボランティア活動へ参加・共働することが期待された。
〇また筆者は、2016年4月から5年間という短い期間ではあったが、地元の老人クラブの運営に関わった。そのうちの1年は、年間を通して「認知症」について学習することを主軸に据え、地域でより豊かに暮らすための「学習」活動に取り組んだ。それは、意図的・目的的にまちづくりの主体形成を図ろうとするものではなかったが、結果的にはいわゆる「事業としての福祉教育」(福祉教育事業)ではなく、「機能としての福祉教育」(福祉教育機能)の取り組みになったと、手前味噌ながら評価している(我田引水的な自己満足でないことを願っている)。荻野がいう「関係論」的アプローチによるものであろうか。そしてまた、老人クラブ活動を通して、「地域参加や地域活動で重要なのは『楽しさ』と『自由』、そして『仲間』である」という教訓を得ている。
〇それらのことを思い出しながら筆者はいま、[1]の議論から、老人クラブはそのあり様によって、具体的には活動プログラムのねらいや内容・方法などによって地域のネットワークの結節点となり、社会関係資本の醸成を支える「関係基盤」(中間集団)として一定の機能を果たすことが期待されると思っている。しかしその現実は厳しいものがある。全国的に老人クラブの数や会員数が減少の一途をたどっている現状とその背景や要因を考えると、また荻野が指摘するように個人の行動の「自由」を制限する各地域の「しがらみ」(社会関係資本の「負の側面」、177~178ページ)や、「付き合い」や「お互い様」という感覚によって維持される積極的ではない地域活動(「遠慮がちな社会関係資本」、180ページ)を考えると、なおさらのことである。同じようなことが、市町村社協の事業・活動に参加する住民の意識や行動に見出される。それが、「社協の位置が絶対的に地盤沈下している」と評される、いまの社協の姿でもある。誤解を恐れずに、[1]の読後感のひとつとして付記しておくことにする。
〇厚生省と全社協が1977年度より「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(通称「社会協力校」事業)を始め、都道府県や市町村による単独指定事業も加わり、学校を中心にした福祉教育実践は全国各地に拡大、定着していった。宮城県(1980年)や秋田県(1981年)、長野県(1983年)では、福祉教育の地域住民への広がりを求めて公民館を福祉教育推進施設として指定し、社協と学校と公民館との連携のもとに地域福祉教育の推進が図られた。時代が変わり・世代が代わり、今は昔‥‥‥なのであろうか。