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阪野 貢/「自己責任論」を問う:責任は肯定的なものであり、個人の主体性を取り戻す ―ヤシャ・モンク著『自己責任の時代』のワンポイントメモ―

〇吉田竜平(北星学園大学)によると、社会福祉研究領域において自己責任論を問いなおすための課題には次のようなものがある。①自己責任とそうでないとされる境界の設定、②自己責任でなく不運な状況にある人々がスティグマを感じることなく福祉サービスを利用するための方法の模索、③責任概念自体の捉えなおしと公的責任の拡大、④他者の共感の広がりと全ての「個」が他者から承認される社会についての議論の深化、がそれである(参考文献 ①)。
〇筆者(阪野)の手もとに、ヤシャ・モンク著、那須耕介・栗村亜寿香訳『自己責任の時代―その先に構想する、支えあう福祉国家―』(みすず書房、2019年11月。以下[1])という本がある。[1]においてモンクは「まず、政治における自己責任論の興隆を跡づけ、それが社会保障制度に弱者のあら探しを強いてきた過程を検討する。次に、被害者に鞭打つ行為をやめさせたい善意の責任否定論が、皮肉にも自己責任論と同じ論理を前提にしていると指摘する。そしてどちらの議論も的を外していることを明らかにし、責任とは懲罰的なものではなく、肯定的なものでありうる」(カバーそで)と説く。
〇別言すればこうである。かつて「責任」という言葉は、他者を助ける個人の義務を意味するものとして使われてきた。現在ではそれが変容し、「責任」という概念を議論する際、人びとの選択の結果(「自己選択」「自己決定」)に対して責任を負う「結果責任」(「懲罰的自己責任論」)が強調されている。それに対して、先天的あるいは構造的な要因などを除いて、純粋な結果責任のみを追求すべきであるという「責任否定論」がある。それらの主張は、結局のところ、自己選択の結果に関しては程度の差はあれ、責任を取らなければならないという前提から脱してはいない。そこで、責任の肯定的な部分を再発見し、肯定的な責任概念(「肯定的責任像」)を再興すること、すなわち「多くの人が責任を果たそうとしている理由を認め、かれらの引き受けた責任の達成を実際に援助するような責任観」(148ページ)が必要となる。それは、人びとに、「主体性」を取り戻すことでもある(参考文献 ②)。
〇上述の吉田の指摘に留意しながら、[1]におけるモンクの「自己責任論」の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

責任像の変容―「他者への責任」から「自己責任」へ―
かつて責任という言葉は他者を助ける個人の義務のことを思い起こさせたものだが、今日では、自分で自分の面倒をみる責任――そしてそれを怠ったときにはその結果を引き受ける責任――のことが真っ先に思い浮かぶ。(中略)我々は「義務としての責任 responsibility-as-duty」〔他者への責任〕というとらえ方が優勢だった世界から、「結果責任としての責任 responsibility-as-accountability」〔自己責任〕という新たなとらえ方が舞台を支配する世界に移ったのである。責任そのものが人目を引くようになったことではなく、この変容した責任像が優位を占めていることこそが、責任の枠組みと責任の時代の両方をまとめて特徴づけているのである。(29~30ページ)

懲罰的責任論と責任否定論の論理
一見、懲罰的責任像と責任否定論とは正反対の立場のように思える。しかし、特定の問題について見解を対立させつつ、より深層の知的勢力図の分布を共有している者たちにはよくあることだが、その表面下にはおびただしい類似点が潜んでいる。適切な帰責条件については動かしがたい不一致が残るものの、責任の規範的重要性については、両者は驚くほど見方を一致させているのである。相違を声高に言いつのっておきながら、両派は次の点についてひそかに合意を交わしている。ある人の取り分が他の同胞市民よりも少ないこと、あるいは現に援助を要する状況にあることに関しては、当人がみずから招いたことかどうかによって、当人がどの程度補償を正当に要求できるのかが決まる、という点である(懲罰的責任論は、外的な環境や要因などによる、本人の責任ではないものについて懲罰的な責任を負わせることには反対するが、当人が制御することができたにもかかわらず自分が招いた結果については責任を負うべきであるとする。:筆者)。(18~19ページ)

肯定的な責任観の再興
責任の時代は、我々の政治的想像力を狭め、公共政策と現代哲学のどちらにも深刻な盲点を作ってきた。これへの主たる反発――筆者が責任否定論と呼んできたもの――も、ほぼ空振りに終わった。それは抗(あらが)うべき相手と同じ知的潮流に属しており、結局のところ理論的説得力も実践的効果もなかったのである。したがって、政治的にも哲学的にも、いまこそ肯定的な責任観を発展させるべき時だ。多くの人が責任を果たそうとしている理由を認め、かれらの引き受けた責任の達成を実際に援助するような責任観が必要なのである。(148ページ)/今日では、(中略)責任は結果責任の問題に置き換えられ、たえず懲罰的な仕打ちをちらつかせるようになった。/したがって、肯定的な責任観――個人が遂行し、社会が促進すべきものとしての責任のとらえ方――の再興をはかるには、我々の責任理解を広げる必要があるだろう。(149ページ)

肯定的な責任観の重要性
(肯定的な責任観が重要なのは)①自己への責任、自己志向的理由/自己への責任を負うことを通して、自分自身の生活に対して真の主体性の感覚をもつことができることによる(28、150ページ)。②他者への責任、他者志向的理由/他者への責任を果たすことを通して、一定の社会的役割や役目を引き受けることができ、その役割に伴う責任が自分にとってたいへん有意義だという思い(アイデンティティ)を形成することができることによる(28、159ページ)。③他者を責任ある存在と考えること、社会的理由/他者を、自分の行動への責任を負いうる存在とみなすことを通して、他者との有意義な関係を築くことができることによる(28、163ページ)。

自己志向的責任と主体性の獲得(上記①)
自分の生活を制御している感覚、すなわち主体性の感覚を求める願望は、少なくとも三つの形をとりうる。第一に、我々は一定の範囲で自分の生を実際に制御することを望んでいるはずである。第二に、我々は自分が自己への責任を果たしていると感じることを必要としているはずである。そして第三に、我々は自己への責任を果たしていると周囲からみなされることを必要としているはずである。(150~151ページ)/これと関連して、人が自己への責任を重んじる理由として、人は、自分の主体性を通じて最も基本的な欲求と欲望にかなう未来をわずかなりとも手にできる、という確信を必要としていることがあげられる。(157ページ)

他者志向的責任とアイデンティティの構成(上記②)
他者への責任を果たすことは、多くの人の生活のなかで役割を果たしていることである。他者への責任を果たすには多種多様なやり方がある。友人や家族に思いやりをもって接するという単純な行為から深い満足を得る人もいる。一定の社会的役割、配偶者や親、ペットの飼主としての役目を引き受けようとする決意する人もいるが、そこにはこれらの役割に伴う責任が自分にとってたいへん有意義だという思いがはたらいている。(159ページ)/個別の「企て project」に向けられた責任もまた、我々が他者に負う責任としては大切である。(162ページ)/(これらの)他者に対する責務、自分の家族への責務やみずから引き受けた企てへの責務は、人びとのアイデンティティを構成する。(172ページ)

社会的理由と関係性の構築(上記③)
他者を責任ある存在と考えることが重要である理由は、一つは、他者と有意義な関係を築くには、相手のことを自分の行動に責任を負える存在だと考える必要があるからである。第二の理由は、責任主体性の相互承認は、あらゆる平等主義的社会の成立条件でもあるからである。真に平等主義的な社会のねらいは、単に人びとに同程度の物質的資産を所有させることだけではなく、完全な市民としての対等な地位を互いに認めさせることでもある。この地位が致命的に損なわれるのは、一部の市民には完全な責任主体性が認められ、他方には認められない、という事態が生じた場合のことである。(164ページ)

肯定的責任像の概念
懲罰的責任像および責任否定論とは対照的に、肯定的責任像はこう主張する。(183ページ)/(1)一般に、特定の行動に責任が生じるのは、その行動が犯意mens reaという伝統的な要件を満たしている場合である。特定の行為について責任を負うには、自分自身の行動を一定範囲で制御できなければならず、たとえば条件反射的な行動であってはならない。(183ページ)/(2)特定の帰結の発生を促した行動に責任があるという事実があるからといって、その人にその帰結全体への責任があることにはならない。また、その帰結への責任の範囲は、どんなに単純化しても、その人の行動がその帰結の原因だったか否かに関する実証主義的説明に左右されることはない。(184ページ)/(3)誰かが特定の帰結について責任があるということを確定した後も、引き続き、そのことについてその人に結果責任をも負わせるべきかという問題が残る。特に、困窮状態にある人が自業自得でそのような状態に陥ったという事実があったからといって、即座にこの人への援助を否定すべきだということにはならない。(184ページ)

公共政策における肯定的責任像
責任像を懲罰的で前制度的なものから肯定的で制度的なものに切り替えると、公共政策の中心課題に関する理解を少なくとも次の三点で更新することになる。いくらか逆説的だが、そうすれば実際に意味ある仕方で責任を論じる方法を詳述できるようになるのである。非理想的な状況では、責任を負うことの意義を強調すること――そして各人の選んだ責任によって意味づけられた多くの生きがいをめぐる言説を流布させること――は、一般の市民の主体性を強化するプラグマテックな方法でありうる。同時にそれは、人に自分の責任遂行への誘因を与える鞭(むち)にばかり目を向ける傾向を克服し、人が望む責任を果たせるようになるための物質的、教育上の前提条件を整える政策設計を支える。そして最後に、それは福祉国家の官僚たちの努力を喚起して、かれらを、(片方が得点・利益するともう一方が失点・損失し、プラスマイナスゼロになる:阪野)ゼロサム・ゲームをとり仕切る懲罰的裁定者から協働的企てに関与する建設的パートナーへと変貌させうるのである。(202ページ)

「自己責任の時代」の克服
我々の選択次第で、我々は自己責任の時代を乗り越えることができる。(210ページ)/自己責任の時代の克服に必須の要素の一つは、責任の観念が求められている理由と、この概念にもっと前向きの色彩をもたせる方法とについて再考することである。(211ページ)/自己責任の時代を乗り越えるために必要なもう一つの作業は、我々の道徳的、政治的生活を別の長く忘れられてきた価値の言葉でとらえなおすことである。(211ページ)

〇限定的であるが、以上を要すると、①責任は懲罰的なものではなく、肯定的な意味を持つ(責任は、個人がそれを負い、それを社会が促進・支援すべきものである)。②懲罰的責任論と責任否定論は、結果責任について同じ論理(責任の規範的重要性)を前提にしている。③人は責任を負うことによって主体性を取り戻す(確保する)ことができ、自己責任の否定は個人の主体性を否定することに通じる。④他者への責任を果たすことは、一定の社会的役割や役目を果たすことになり、アイデンティティを育む。⑤他者を責任ある存在として認めること(責任主体の相互承認)は、他者と有意義な協働的な関係を築き、平等主義的社会の成立を促す。⑥責任を肯定的に展望するためには、責任を引き受けることを促すのではなく、責任を負う能力を養う物質的・教育的基盤を整備することが肝要となる。⑦こうした新しい責任について、その概念を社会的に周知させる方法について考えるとともに、新しい価値観に基づいて再考することが必要である、となろう。
〇価値観や社会課題が多様化・複雑化している現代社会にあって、ある結果の原因を一義的に個人に帰したり、本人の能力や努力の不足あるいは選択の失敗によって生じた結果を自業自得としてその責任を個人に押し付けることは、ほぼ不可能である。そこに求められるのは、自己責任の限界についての理解と認識である。とともに、自己責任ではなく、相互信頼と相互責任(社会的責任)を生み出す社会の構築であり、そのための物質的・教育的基盤の整備である。さらに付言すれば、自己責任を強いる自己決定ではなく、相互責任に繋がる相互決定の尊重であろう。しかもそれは、理性的・民主主義的な討議に依ることは言うまでもない。例によって唐突であるが、これらは「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究にも通底する。

参考文献
① 吉田竜平「自己責任論を問い直す―運の平等主義の視点から―」『北星学園大学社会福祉学部 北星論集』第59号、北星学園大学、2022年3月、61~73ページ。
② 有吉永介「ヤシャ・モンク『自己責任の時代』再考」『立教大学大学院教育学研究集録』第20号、立教大学大学院文学研究科教育学専攻、2023年3月、31~38ページ。

阪野 貢/夢の正体とキャリア教育の功罪 ―児美川孝一郎著『夢があふれる社会に希望はあるか』のワンポイントメモ―

「夢」に取扱説明書を付けることはできない(下記[1]169ページ)。/「夢」とは、個人の生き方、理想や価値観に深くかかわることがらである。だから、安易なマニュアルはない。同時に、「夢」は、それぞれの個人が、自分なりの方針や考え方、大切にしたいことを携えて、付き合っていくものである。(同、169~170ページ)

日本社会は、キャリア教育のような営みも含めて、子どもや若者が「夢を持つ」ことに過剰な価値を置き、それをあおり、称揚する社会である(下記[1]178ページ)。/「夢追い型」キャリア教育には、夢とは「見つけるもの」であり、努力すれば「見つかるもの」でもあるという(実際には根拠のない)前提がある。夢は時間の経過とともに変わるものであり、いろいろと挑戦しながら「育てるもの」でもある(同、86ページ抜き書き)

〇筆者(阪野)の手もとに、「キャリア教育」研究で著名な児美川孝一郎(こみかわ・こういちろう)が上梓した『夢があふれる社会に希望はあるか』(ベスト新書、KKベストセラーズ、2016年4月。以下[1])という本がある。
〇キャリア教育という言葉が明確に使われたのは、1999年12月の中央教育審議会答申「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」であるとされる。そこでは、「学校と社会及び学校間の円滑な接続を図るためのキャリア教育(望ましい職業観・勤労観及び職業に関する知識や技能を身に付けさせるとともに、自己の個性を理解し、主体的に進路を選択する能力・態度を育てる教育)を小学校段階から発達段階に応じて実施する必要がある」とされた。2004年1月には、文部科学省から「キャリア教育の推進に関する総合的調査研究協力者会議報告書~児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てるために~の骨子」が出され、それに基づいてキャリア教育が本格的に始動することになる。2004年が「キャリア教育元年」といわれる所以である。その報告書では、キャリアを「個々人が生涯にわたって遂行する様々な立場や役割の連鎖及びその過程における自己と働くこととの関係付けや価値付けの累積」として捉えている。そして、キャリア教育を「児童生徒一人一人のキャリア発達を支援し,それぞれにふさわしいキャリアを形成していくために必要な意欲・態度や能力を育てる教育」、端的にいえば「児童生徒一人一人の勤労観,職業観を育てる教育」と定義づけている。
〇この時期、キャリア教育で育成すべき能力に関して、例えば国立教育政策研究所生徒指導研究センターが「職業的(進路)発達にかかわる諸能力」(「4領域8能力」)について、2002年11月に公表した(「児童生徒の職業観・勤労観を育む教育の推進について(調査研究報告書)」)。その後、中央教育審議会が「基礎的・汎用的能力」について、2011年1月に提示した(「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」)。「基礎的・汎用的能力」は、「4領域8能力」を補強・再構成し、より一層現実に即した、社会的・職業的自立に必要な能力の育成を図ろうとしたものである。前者(「4領域8能力」)は、①人間関係形成能力(自他の理解能力、コミュニケーション能力)、②情報活用能力(情報収集・探索能力、職業理解能力)、③将来設計能力(役割把握・認識能力、計画実行能力)、④意思決定能力(選択能力、課題解決能力)で構成されている。後者(「基礎的・汎用的能力」)は、①人間関係形成・社会形成能力、②自己理解・自己管理能力、③課題対応能力、④キャリアプランニング能力によって構成されている。
〇キャリア教育の経緯について児美川は、概略次のようにいう。高度経済成長期(1955年~1973年頃)における画一主義的な日本の教育は1980年代に、「個性」重視の教育に急転換した。それによって、子どもや若者が自分を軸にして自分の「夢(やりたいこと)」を探す、「自分さがし」という考え方や価値観が普及する。1990年代になると、バブル景気(1981年~1991年頃)の崩壊(1991年~1993年頃)と経済不況が長期化する(「失われた30年」の)なかで、若者の就職難や非正規雇用が拡大した。「就職氷河期」(1993年~2005年頃)の到来である。2000年代に入ると競争原理と自己責任を基本とする新自由主義の推進と徹底が(小泉・安倍・菅政権によって)図られ、格差と分断の社会が若者の就労問題を深刻化させる。しかも、その原因が若者の意識や意欲、能力の問題にすり替えられ、「若者バッシング」の風潮が強化される。そこに政策化されたのが財界の求めに応じたキャリア教育の推進である。こうして、「1980年代の『夢』を賞賛する社会的風潮は、90年代以降における『夢を持て』という政治家や企業経営者たちのメッセージを経て、子どもや若者に『夢』を持たせることを教育の目的とする段階にまで到達する」(74ページ)。
〇そしていま、人口減少や少子高齢化、経済のグローバル化やデジタル化などを背景に、「国際競争に打ち勝つ」ための社会経済システムの構築が求められている。そういうなかで、政府・財界にあっては、個性や創造性豊かな質の高い、前向きでチャレンジ精神旺盛な、グローバル人材の育成(エリート教育)が喫緊の課題とされる。そこで、財界の教育要求に基づいたキャリア教育が重視され、キャリア教育政策の推進(小・中・高等学校を見通した、かつ学校の教育活動全体を通じたキャリア教育の充実)が図られることになる。〔補遺(1)参照〕
〇児美川にあっては、キャリア教育は子どもや若者に夢を持たせること、夢を追わせることを教育の目的とする政策である。児美川がいうこの「夢追い型」(80ページ)のキャリア教育が、「夢を強迫する社会」(61ページ)の基盤を整備することになる。ここで、[1]のなかから、「夢の正体とキャリア教育の功罪」に関するフレーズのいくつかを、限定的・恣意的であることを承知のうえで、メモっておくことにする(抜き書きと要約)。

● 夢は、人を前向きにさせる破壊的な威力があると同時に、時には人の人生を狂わせてしまうかもしれないようなやっかいさを持がゆえに、「怪物くん」である。(13ページ)
● 夢は「出会い頭の恋」のようなものなのではないか。その恋心をじっくり温めて、ふくらませていくこともできるが、逆に、いつのまにか忘れてしまうこともできる。(18ページ)
● 夢は、人を熱中させ、前のめりにさせることができるが、反面、その人にとって、ありえたかもしれない他の可能性に対して盲目にさせ、選択肢を狭めてしまう力も持っている。(22~23ページ)
● 日本における雇用の仕組みは、「就職(=職に就く)」ではなくて「就社(=会社に入る)」という仕組みになっている。「就社」社会の現実と、現実のキャリア教育のあいだには、抜き差しならないズレ(齟齬)がある。(44、89ページ)
● 「就きたい職業」「やりたい仕事」という意味での夢を持っている子どもや若者は、実際には年齢が上がるにつれて少なくなり、同世代の半数程度にとどまる。(45ページ)
● 夢は固定的で動かないものではなく、育ったり、育てたりできるものであり、夢と現実が交差する地点でどう振る舞うかが大事になる。(55、56ページ)
● キャリア教育は、概ね①自己理解、②職業理解、③キャリアプランの作成の3つのジャンルから構成されていた。キャリア教育の主要なジャンルに、「夢(やりたいこと)」が登場していることが注目される(77、80ページ)
● 夢には、①「実現したいこと」、②「将来やりたい仕事」「自分が就きたい仕事」、③「仕事を通じて達成したいこと」、④「なりたい自分」など、多様な意味がある。(107~109ページ)
● 夢の正体をつかむためには、夢の側を掘り下げる(=夢の世界の現実や周辺を知る)ことと、自分の側を掘り下げる(=自分の夢の根っこ・根拠を探る)ことが必要になる。(128ページ)
● 夢を考えていく際の「軸」には、自分本位の基準で夢を抱く「自分軸」と、社会参加・社会貢献の側面から夢を発想する「社会軸」の2つがある。(128~129ページ)
● キャリア教育は、「やりたいこと(希望、願望)」「やれること(能力、適性)」「やるべきこと(社会参加、社会貢献)」の3つの視点から考えることが肝要である。(132~134ページ)
● キャリア研究では、明確な目標を立て、そこに到達するために「逆算」して、計画化に努力していくという考え方(「キャリア・プランニング」論)ではなく、偶然のチャンスを生かして、上手に転換を図りながら自分のキャリアを歩んでいくという考え方(「計画的な偶発性(プランド・ハプンスタンス)」の理論)が主流となっている。(136~137ページ)
●「夢と向き合う」ということは、自分自身の「願望」や「理想」と、「現実」をどう擦り合わせ、どのように折り合いを付けるかという問題である。(145~146ページ)
● 夢が見つからないときには、意識的に「自分の枠」(興味や関心、能力や資質)を広げることが肝要となる。(149~150ページ)
● キャリア研究の世界では、近年、職業や仕事というキャリア(人生、生き方)に限らず、それと並行して別のキャリアを持つという「パラレル・キャリア」の考え方が注目されている。(167ページ)

〇[1]のタイトルは、「夢をあおる」現在の日本社会に抗するものであり、刺激的で挑発的である。児美川の主張(メッセージ)は要するにこうである。夢(希望、願望、理想)は育てるものである。夢は、その持ち主である自分自身が上手く付き合い、マネジメントし、現実と折り合いをつけていくしかないものである(自己実現)。その一方で夢は、「その社会を映し出す鏡にほかならない」(178ページ)。そこで、求められる社会は、「夢を強迫する社会」ではなく、「等身大の、ありのままの自分が認められ、でも、少し背伸びすることを求め、励ます社会」(182ページ)である。すなわち夢は、独(ひと)りよがりのものではなく、市民社会や共生社会のなかで育まれるものであり、その社会への参加・貢献を軸にして考える必要がある。キャリア教育の本来の役割は、子どや若者が社会参加・社会貢献するための力量形成を図ることにある(93ページ)。キャリア形成やキャリア教育の意義はここにある。さらに、筆者なりにあえて言えば、キャリア教育はシティズンシップ教育としてのそのあり方が問われることになる。
〇最後に参考までに、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年~1975年、ドイツ出身の政治哲学者)の、人間の生活(「活動的生活(vita activa)」を規定する3つの条件(「活動力」)――「労働(labor)」「仕事(work)」「活動(action)」に関する言説を引いておく(ハンナ・アレント、 志水速雄訳『人間の条件』ちくま学芸文庫、1994年10月)。アーレントがいう「労働」は「人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力」(19ページ)、すなわち生命を維持するための生物学的な行為、「仕事」は「人間存在の非自然性に対応する活動力」(19ページ)、すなわち工作物を製作する職人的な行為、「活動」は「物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力」(20ページ)、すなわち多くの他者に働きかける公共的(政治的)な行為、である。さらに筆者なりに別言すれば、労働=カネを得るための生産的な活動力、仕事=モノ(作品)を生み出す創造的な活動力、活動=ヒトと関わる公共的(政治的)な活動力、である。
〇アーレントにあっては、近代社会はキリスト教に依って「労働」が優位な社会となり、「仕事」と「活動」の領域が狭められ、それが最終的には全体主義を生み出した。その全体主義に対抗するためには、公共的な問題について議論する公共空間を創り出すこと(多様な個性を持つ多数の他者と積極的に関わる「活動」の領域)が重要となる。それはすなわち、マルクス主義が「仕事」を含んだ「労働」のなかに人間性の本質を見出そうとしたのに対して、アーレントは「活動」に最も重要な「人間の条件」を見出したのである。今日、社会や世論などに影響を及ぼすソーシャルメディアや検索エンジンなどによってもたらされる、20世紀の全体主義とは異なるいわゆる「デジタル全体主義」の台頭が指摘されている。そんななかで、アーレントの「公共性」をめぐる言説が、市民社会や参加民主主義、地域活動などについて議論する際にもしばしば引用される所以でもある。
 
 
補遺
現行の「小・中・高等学校学習指導要領」では、「キャリア教育」に関して次のように記載されている。

小学校学習指導要領(2017年3月告示、2020年4月から全面実施)
第1章 総則/第4 児童の発達の支援/1 児童の発達を支える指導の充実
(3) 児童が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科等の特質に応じて、キャリア教育の充実を図ること。

中学校学習指導要領(2017年3月告、2021年4月から全面実施)
第1章 総則/第4 生徒の発達の支援/1 生徒の発達を支える指導の充実
(3) 生徒が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科等の特質に応じて、キャリア教育の充実を図ること。その中で、生徒が自らの生き方を考え主体的に進路を選択することができるよう、学校の教育活動全体を通じ、組織的かつ計画的な進路指導を行うこと。

高等学校学習指導要領(2018年3月告示、2022年4月から年次進行で実施)
第1章 総則/第1款 高等学校教育の基本と教育課程の役割
4    学校においては、地域や学校の実態等に応じて、就業やボランティアに関わる体験的な学習の指導を適切に行うようにし、勤労の尊さや創造することの喜びを体得させ、望ましい勤労観、職業観の育成や社会奉仕の精神の涵養に資するものとする。
第2款 教育課程の編成/3 教育課程の編成における共通的事項/(7)キャリア教育及び職業教育に関して配慮すべき事項
ア 学校においては、第5款の1に示すキャリア教育及び職業教育を推進するために、生徒の特性や進路、学校や地域の実態等を考慮し、地域や産業界等との連携を図り、産業現場等における長期間の実習を取り入れるなどの就業体験活動の機会を積極的に設けるとともに、地域や産業界等の人々の協力を積極的に得るよう配慮するものとする。
第5款 生徒の発達の支援/1 生徒の発達を支える指導の充実
(3) 生徒が、学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力を身に付けていくことができるよう、特別活動を要としつつ各教科・科目等の特質 に応じて、キャリア教育の充実を図ること。その中で、生徒が自己の在り方生き方を考え主体的に進路を選択することができるよう、学校の教育活動全体を通じ、組織的かつ計画的な進路指導を行うこと。

阪野 貢/3.5%(?)の「市民的抵抗」:新しい形の政治参加と社会変革 ―エリカ・チェノウェス著『市民的抵抗』のワンポイントメモ―

ここに「3.5%」という数字がある。なんの数字かわかるだろうか。ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、「3.5%」の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるというのである。(斎藤幸平『人新生の「資本論」』集英社新書、2020年9月、362ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、エリカ・チェノウェス著、小林綾子訳『市民的抵抗―非暴力が社会を変える―』(白水社、2023年1月。以下[1])という本がある。「非暴力行動は弱い、受け身の行動である。もつとも速く解放に至るのにもっとも頼りになるのは暴力だ。非暴力抵抗は行き過ぎた不正義に対しては無理があり効果もない」などといった、「非暴力に対する迷信や批判」がある(22~23ページ)。そんななかで[1]は、「非暴力が社会を変える」と説く。
〇[1]は、非暴力による「市民的抵抗」の基礎的・基本的な事項について事例に基づいて紹介する。その際、「歴史や理論から最新情報まで網羅し、市民的抵抗を多角的に考察し」(354ページ)、その可能性を展望する。そこでは、「市民的抵抗」とは、「非武装の民衆がさまざまな活動を組み合わせながらおこなう闘争の形態である」(61ページ)と定義する。そして、ある国のすべての人口の「3.5%」が非暴力で立ち上がれば社会は変わる、という「3.5%ルール」(仮説)を提唱する。チェノウェスはいう。「1900年から2019年の間に、非暴力革命は50パーセント以上が成功した一方で、暴力革命の成功率は26パーセントにとどまる。/これは驚くべき数字である。なぜなら、この数字は、非暴力は弱々しく効果も乏しいが、暴力行為は強力で効果的だという、一般的な見方をひっくり返す数字だからだ」(43~44ページ)。
〇その一方で、チェノウェスは、市民的抵抗の成功率は、2010年以降低下している、としてこういう。「市民的抵抗キャンペーンは、1940年代の低いところから、2010年まで、10年ごとに安定して効果を高めていた。それ以降、すべての革命の成功率は、低下している」(316ページ)。その原因や背景については、現代の政府が「下からの非暴力的挑戦について学習し、適応している」ことがあげられる。すなわち、国家が「運動の中に入り込み、運動を内部から分裂させ」(「スマートな抑圧」)たり、そうすることによって、政府側が「非暴力運動が暴力などもっと軍事的戦術を使うよう仕向ける(運動を過激な方向に進める)」(318ページ)のである。留意すべき点(指摘)である。
〇[1]におけるチェノウェスの主張は、次の5点に要約される。(1)市民的抵抗は、多くの場合、暴力的抵抗よりも現実的・効果的な方法である。(2)市民的抵抗がうまくいくのは、敵方の支持基盤から離反を生み出すことによってである。(3)市民的抵抗は、ストライキや代替機構の構築など、単なる抗議以上のものを含む。(4)市民的抵抗は、過去百年にわたって、武装抵抗よりもはるかに効果的であった。(5)非暴力抵抗は常に成功するわけではないが、市民的抵抗を非難する者たちが考えるよりも、はるかにうまくいく(347ページ)。すなわちこれである。
〇ここでは、[1]のうちから、「市民的抵抗とは何か」と「市民的抵抗キャンペーンを効果的にする要素(条件)」(「市民的抵抗が成功する条件」)の2つの事項について、チェノウェスの言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

市民的抵抗とは何か
● 市民的抵抗とは、政治的、社会的、経済的な現状を打破しようとする目的で、暴力を用いる、あるいはちらつかせる者に対して、暴力を用いずに、暴力をちらつかせたりせずにおこなう集団行動様式である。市民的抵抗は、手段と目的において、組織立っており、民衆によるものであり、明確に非暴力である。(27ページ)
● 市民的抵抗は、動的な紛争の方法であり、非武装の人びとが、さまざまに調整された、非制度的な方法――ストライキ、抗議、デモ、ボイコット、代替機構構築、その他たくさんの戦術――を用いて、敵に危害を加えたり、危害を加えるぞと脅したりせずに、変化を促すことを目的とする。(28ページ)
● (市民的抵抗は、次のような要素を含むアプローチ・行動である。)
第1に、市民的抵抗は紛争の方法である――人びとあるいは運動が、政治的、社会的、経済的あるいは道徳的な主張をおこなうために、動的に立ち向かう技術である。市民的抵抗は、積極的に紛争を惹起するもので、混乱を招いたり、現状を打破したり、別のものと替えたり、変革したりするために、力を集結させる。(29ページ)
第2に、市民的抵抗を仕掛けるのは、敵に直接危害を加えることがない非武装の市民である。変化をもたらそうとする人びとは、自分たちの創造性や独創性を武器に戦う一般市民であり――さまざまな社会的、経済的、文化的、政治的な梃子(てこ)の力を働かせて――自分たちのコミュニティや社会に影響を及ぼそうという目的を持っている。(29ページ)
第3に、市民的抵抗は多様な一連の方法を組み合わせることを含む。この戦いのアプローチでは、意図的に、事前の話し合いをもとに、目的を持ってさまざまな方法が駆使される――たとえば、ストライキ、抗議、怠業、欠勤、占拠、非協力、それから経済、政治、社会の代替機構の開発などをつうじて下からの力や下からの梃子を構築するのである。人びとが道路上で抗議をしているからというだけでは、市民的抵抗をおこなっているとはいえない。(30ページ)
最後に、市民的抵抗の目標は、現状に影響を及ぼすことである。市民的抵抗は、広い社会の中での変化――しばしば革命的な変化――を求める傾向がある。市民的抵抗は、民衆やそこに住む市民といった属性を兼ね備えている傾向があり、複数の集団や連合が手を取り合って活動し、政治、経済、社会、宗教、または道徳的慣行や懸念事項についてまとまった声を上げる――より大きな集団を代表して。(31~32ページ)
● 市民的抵抗とは何かを確認する上で、市民的抵抗ではないことは何かを理解することは有益だろう。
第1に、市民的抵抗は、抗議のような、たったひとつの技術を用いることではない。市民的抵抗は、多数の異なる非暴力の技術(中略)を含むもので、これらを意図的に相次いで発生させ、長期政権を追放しようとする。こうした技術には組織と調整が必要であることが暗に示されている。(32ページ)
第2に、市民的抵抗は必ずしも平和的な紛争解決の話ではない。本来的な意味では、市民的抵抗は建設的に紛争を促進する。(33ページ)
第3に、市民的抵抗は、非暴力的アプローチを用いるが、必ずしも非暴力とイコールではない。(中略)規律立った非暴力は、道徳的理由から暴力の行使を禁止する。同じように、穏健主義(反戦・反暴力主義)は、暴力の行使を無条件に拒むという規律的立場を取り、暴力を道徳に欠けた行為だとみる。(34ページ)

市民的抵抗キャンペーンを効果的にする要素(条件)
キャンペーン(闘争、運動)は、限定的な期間、人びとを動員し、一連の調整された方法を用いて個別の目的を達成しようとする。(中略)これらはたとえばストライキ、抗議、座り込み、ボイコット、その他の非協力の形態を取る混乱をもたらす方法である――これらは党への参加、選挙への立候補、請願といった、政治的あるいは経済的関与をおこなうための制度内にある通常の方法の枠外にある。(116ページ)
(市民的抵抗キャンペーンを成功させる要素(条件)として、次の4つをあげることができる。)
(1)あらゆる社会的地位から集まる大衆の参加(大規模な参加)
市民的抵抗キャンペーンの成功を決定的に左右するもっとも重要な要素は、参加する人びとの規模と範囲である。キャンペーン参加者の基盤が大きく多様なほど、より成功する傾向にある。大衆の参加によって、真の意味で現状を打破でき、続いてきた抑圧を維持することができないように変化させ、敵の組織やしばしば治安部隊も含む支持者の離反を促し、権力保持者の選択肢を狭める。大規模キャンペーンを無視することは政治的に不可能になる。(134~135ページ)
(2)政権支持者の忠誠心を変化させること(忠誠心の変容)
市民的抵抗がうまくいくのは、下からの十分な力を誘発すること、つまり、草の根の市民社会が権力保持者の計画や政策を実行・施行する責任者たちを本質的に分裂させたり、抱き込むことによってである。(中略)この要素は、敵側の支柱にいる人びとに忠誠心の変化を促す抵抗運動の能力である。/この能力を獲得するためには、抵抗キャンペーンが多くの異なるコミュニティから支持を得ている必要がある。(中略)支持者の幅が広くなるほど、その運動は社会のあらゆる立場を代表し、多様な場に影響を及ぼすようになる。(137ページ)
(3)デモに限らず幅広い戦術を用いること(多様な戦術)
さまざまな戦術を駆使する運動は、抗議活動やデモなど、ひとつの方法に頼りすぎる運動よりも成功する傾向にある。新しく、予想もしない戦術を生み出す上で、多くの人的資本をうまく活用できる非暴力キャンペーンは、予想可能で戦術的に面白みがない運動よりも、活動の勢いを維持することに長けている。抵抗運動の規模がとりわけ大きな場合には、他の方法で圧力をかけられる限り、路上での活動から退くことも可能なのだ。(140ページ)
(4)抑圧を前にしても規律と強靭さを保つこと(規律と強靭さ)
運動は、とどまる力を培うと成功する傾向にある。つまり、強靭(きょうじん)さを養い、規律を保ち、政府が暴力的に壊しにかかってきても大衆の参加を保持できることを意味する。もっとも重要な点は、組織性を維持することである。政権側が何をぶつけてきても――暴力で仕返しをするのでも、暴力に反応し退こうと散り散りになるのでもなく。これを達成できる運動は、たいていはっきりとした組織構造を有する。(141ページ)なお、「抑圧」とは、政府や政府関係機関が、強制力を使って相手の行動に影響を及ぼす場合を指す。(262ページ)

〇チェノウェスの「3.5%ルール」は、世界中の耳目を集めた言葉(仮説)である。チェノウェスがいう「3.5%ルール」とは、「運動の観察可能な出来事の絶頂期に全人口の3.5パーセントが積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説」(174ページ)である。ただし、この仮説にはいろいろな点に留意する必要がある。「絶頂期」とは、「ある出来事が一番盛り上がった」時点をいい、「参加者数が時間の経過によって増えていく流れ」を説明するものではない(175ページ)。「人口」とは、ある国の全ての人口であり、自治体や地域、あるいは特定の組織・集団の人口ではない。「革命運動」とは、「指導者の退陣や独立を達成するといった大きな変化を目的とする運動」(180ページ)であり、その「成功」(「失敗しない」)とは、その運動が「いちばんの盛り上がりをみせてから1年以内」(43ページ)に目的が達成されたことをいう。革命運動は、すなわち「政権転覆」をめざす運動であり、政治的譲歩(政策・制度の改善・廃止等)を促すものではない。したがってまた、「3.5%ルール」は、「気候変動運動や、地方政府、企業や学校に対する運動」(180ページ)に適応できるものではない。そしてチェノウェスはいう。「この数字の裏にあるデータは、過去に何が起こったかを語るもので、将来も同じことが必ず起こるとはいっていない。この歴史的傾向は、だれかが意識する前から存在した。人びとがこの閾値(いきち。境界となる値)を意識的に達成しようとするようになってもこのルールがあてはまるかはだれにもわからない」(175ページ)。「1945年から2014年までの間に、3.5パーセントというハードルを超えたのは、389の抵抗運動のうちたった18事例だけである。これは対象期間中に起きた抵抗運動全体の5パーセント未満である」(175~176ページ)。本稿のタイトルを「3.5%(?)の『市民的抵抗』」とし、(?)を付した意味はここにある。本稿の冒頭に記した斎藤幸平の一文にも注意したい。
〇「市民的抵抗」の言葉から思い出すものに、「抗議」「市民的不服従」「社会運動」などがある。その違いについて、チェノウェスの言説を引いておくことにする(抜き書きと要約)。

「抗議」は、市民的抵抗のひとつの方法である。抗議は、典型的には象徴的行動であり、ある問題に対して人びとの関心を集め、変化を要求することをめざす。多くの人びとが抗議と市民的抵抗を同一視する。だが、効果的な市民的抵抗は、通常、抗議にとどまらず、たくさんの非暴力的方法を用いる。(75~76ページ)

「市民的不服従」では、自分たちが不当とみなすものに対して公然と抗議しておこなうものである。法を犯して逃亡することはカウントしない。法を犯す人物は、刑に処せられることを完全に受け入れていなければならず、要求されれば服役する。(104~105ページ)

市民的抵抗は、ストライキ、抗議、座り込み、ボイコットなど、限定的な期間、人びとを動員し、一連の調整された方法を用いて個別の目的を達成しようとする。「社会運動」は市民的抵抗と異なり、長期間にわたって継続するような現象を意味している。社会運動は、社会を変化させるために、組織化、政策提言、その他の政治的活動を組み合わせる傾向にある。社会運動は必ずしも市民的抵抗を用いない。(116~117ページ)

阪野 貢/階級論的視点に基づく貧困研究―志賀信夫著『貧困理論入門』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、志賀信夫著『貧困理論入門―連帯による自由の平等―』(堀之内出版、2022年5月。以下[1])という本がある。志賀にあっては、貧困とは「人間生活において何かが剥奪(はくだつ)されている状態」であり、「あってはならない生活状態」(8ページ)のことをいう。その貧困を論じることと、貧困問題を論じることとは異なる。前者は、「貧困とは何か」や「貧困対策の理論的核となる原理」について論じることであり、後者は、「現象した貧困」を論じることである。志賀は前者に焦点化したものを「貧困理論」と呼び、[1]のテーマとする(7ページ)。
〇[1]ではまず、「貧困」や「階級」などの諸概念について整理する。次いで、貧困理論の歴史的変遷について整理・検討する。そのうえで、現代日本の貧困問題の検討・考察を通じて、「階級論的貧困理論」を練り上げる。
〇志賀によると、貧困を理解する方法には「階層論」的な視点と「階級論」的な視点の2つがある。その際の「階層」とは、「なんらかの特徴にそくして人びとを区分し層化したもの」(27ページ)である。この立場においては、「貧困を余儀なくされている階層の人びとを事後的にどのように階層移動させるか」(28ページ)ということが課題となる。それに対して「階級」とは、「何らかの地位身分の違いを指示する概念」(28ページ)である。それは、資本主義社会においては「資本-賃労働」という地位身分、すなわち「資本家-労働者」という階級を問うことになる。この立場においては、「貧困をそもそも生じさせる社会関係、つまり『資本-賃労働関係』そのものの変革や資本の振る舞いに対する規制」(28ページ)が課題となる。そして志賀はいう。「前者は、いま現在起きている現実問題への対応であり、後者は、根本原因への介入である。この両者はどちらか一方だけが重要であるというのではなく、その両方が重要である」(28~29ページ)。
〇志賀によると、貧困と非貧困を区別する境界は歴史的に変化し、貧困の概念は歴史的に拡大してきた。それにともなって貧困理論は、19世紀末から20世紀初頭の「絶対的貧困理論」(チャールズ・ブース、シーボーム・ラウントリー)から、20世紀半ばの「相対的貧困理論」(ピーター・タウンゼント)、そしてEUにおける現代(1980年代以降)の「社会的排除理論」へと発展してきた。絶対的貧困理論においては、貧困は「『動物的生存の維持』さえもできないような生活状態」を指す。相対的貧困理論においては、貧困は「『一般的な生活様式(style of living)の維持』ができないような生活状態」を指す。それは、時代と社会によって変化する。現代の貧困論の社会的排除理論においては、貧困を「『幸福(=well-being)を追求できないような自由の欠如、権利の不全』という視点」から理解しようとする(32ページ)。すなわち、そこでは、幸福を追求するための「自由の平等」が社会的目標とされ、それを如何に拡大するかが重要となる。また、「社会的排除」(Social Exclusion)の対概念は「社会的包摂」(Social Inclusion)であるが、それは、「自由」と「権利」が実質的に保障されている状態をいう。それを可能にするのは「自己決定」に基づく「社会参加」である(118ページ)。
〇要するに、志賀にあっては、現代の貧困(「新しい貧困」)は、「自由・権利」に基づく「自己決定型社会参加」の阻害の問題を含んでいる。従って、現在の貧困対策は、個人の「自由・権利」が実質的に保障されているか否かが問われることになる。ただし、こうした貧困概念の拡大は、従来の絶対的貧困や相対的貧困が一掃されたことを意味するものではない。日本においては、「いまだに餓死事件が後を絶たないし、低所得や所得の喪失は貧困問題の中心であり続けている」ことに留意する必要がある(119ページ)。
〇志賀は、以上のような現代の貧困に関する「社会的排除理論」を提示したうえで、貧困を解消するための戦略について論じる。その中心は、「相対的過剰人口対策」と「脱商品化」である。
〇「相対的過剰人口」は、「資本-賃労働関係」のなかで、生産技術の進歩・向上等によって構造的・必然的に生み出される労働者人口(失業者)をいう。それは、景気循環によって排出される労働者(流動的過剰人口)や、都市労働者の供給源である農村に潜在している過剰人口(潜在的過剰人口)、就業が不安定な日雇い労働者(停滞的過剰人口)などの形態をとって現れる。この「相対的過剰人口」は、「失業者個人のあり方に注目し、行動変容や認識の変容によって就労を促す『失業者』対策」(200ページ)によって解消することはできない。そこで必要とされるのは、「資本の振る舞いの規制や『資本-賃労働』という社会関係への介入・変革を促す『相対的過剰人口』対策」である。そして志賀はいう。社会変革をめざす「相対的過剰人口」対策と、個人の変化をめざす「失業者」対策はいずれも重要である。「前者だけに終始するならば、社会変革が実現されるまで多くの人びとが貧困状態を脱することができないし、後者だけに終始するならば、貧困は自己責任の証左であるという主張を裏付けるものとして機能してしまう」(200ページ)。
〇「脱商品化」は、保育、教育、医療、介護、住宅などを低額化、無償化、普遍化することをいう。さらに「社会環境の整備に努め、個人の自己決定に基づく要求があれば、能力に対する支援や特性への配慮をおこなっていくというものである」(174ページ)。これを志賀は「ベーシックサービス(BS)」と呼ぶ(207ページ)。そしてこれは、「自由の平等」の具体化と権利の実質的保障の実現を促すことになる(175ページ)。こうした脱商品化は、貨幣がなくてもそれらの商品(BS化された共同所有物)を利用できるようになり、「労働力商品を常に売らなければ生きていけないという状態から徐々に抜け出し、労働力の脱商品化」を可能にする(208ページ)。そして志賀はいう。「BS化されていく領域を増やしていくことができれば、その過程で資本主義的生産様式や『資本-賃労働関係』は廃絶されていき、貧困根絶の道の先に、資本主義社会とは異なる包摂型社会が実現するかも知れない」(212ページ約)。
〇以上が、「資本-賃労働関係」の廃絶の必要性を説く「階級論」的視点に立って、「社会的排除理論」を手掛かりに立論する志賀の「貧困理論」、その概要である。ここで、いささか長い引用であり、重複するところもあるが、志賀の言説の理解を深めるために、その一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「社会的排除」とは「市民的生存」が否定されたり「自己決定型社会参加」が阻害されている状態をいう
「自己決定」できるためには、選択可能な選択肢の束が必要である。この選択肢の束とは、「自由」の広さのことである。社会全体で保障しようと約束し、法としてルール化した「自由」の範囲が「権利」であり、この「権利」を持つ人びとのことを(「市民(citizen)」と呼ぶ。(116ページ)/貧困概念と自己決定概念が関連付けられながら議論され始めているということは、貧困概念に「自由」と「権利」の要素が付加されつつあるということである。つまり、人びとに保障されるべき生存のあり方の歴史的変遷は、「動物的生存」(絶対的貧困理論)⇒「共同体的生存」(相対的貧困理論)⇒「市民的生存」(社会的排除理論)と整理できる。また、貧困対策のなかで保障されるべき社会参加のありかたは、(家父長制的共同体のメンバーシップに基づく(105~106ページ))「役割遂行型社会参加」⇒(シティズンシップの諸権利に基づく(106ページ))「自己決定型社会参加」と変化してきていると整理できる。1980年代以降、何らかの事情により「市民的生存」が否定されていたり、「自己決定型社会参加」が阻害されている場合、これを「社会的排除(Social Exclusion)」の状態にあると表現するようになってきている。(116~117ページ)

現代の貧困理論や貧困対策には労働者階級の「階級意識」や「連帯」に基づく「階級的視点」が必要である
「階級はなくなった」「階級など古い」という言説は、連帯の不可能性を大きくする。日本では、社会の人びとが総中流化したという言説が人口に膾炙(かいしゃ。広く知れ渡ること)し、彼ら・彼女らに内面化させられ、労働者階級としての連帯の意義が不透明化させられている。そのため、労働生活を含む生活の保障が弱体化し、代わって分断による生活と労働の管理が前面化傾向にある。階級的な緊張関係ではなく、「国民一丸となって」というスローガンは日本でなじみのものとなっている。(194ページ)/当然のことだが、階級的視点を持った貧困研究や反貧困の社会運動は、拙速に「資本-賃労働関係」の廃絶を強調するものではない。「資本-賃労働関係」が継続していても、シティズンシップの諸権利の実質化は併存することが可能である。また、これまでの歴史的過程のなかで人びとの自由と権利の拡大は達成されてきており、その連続性を無視するなどということもありえない。逆に、「資本-賃労働関係」と自由と権利の併存があるからといって、それが階級的視点の不必要性を意味するものでもない。ここでは、貧困を根絶する連帯のための必要条件が階級的視点であるといっているのである。(195ページ)

貧困・差別を根絶するためには「脱商品化」と「資本-賃労働関係」の廃絶を進めることが必要となる
保育、教育等をはじめとするBS化は、権利の実質的保障にもつながる。BS化されれば、貨幣がない場合でも、保育サービスや教育をうけることができる可能性が高まるからである。教育が脱商品化されれば、教育への権利が実質的に保障される道がひらかれる。食への権利も食料が脱商品化されれば実質的に保障される可能性が高まるだろう。(210ページ)/ただ、課題もある。BSのような共同所有は、社会の人びとの共同的な経営を原則としなければならない。そしてその共同的な経営は、差別がある場合、うまくいかないことが予測されるのだ。経営の場に差別が持ち込まれ、権力勾配(こうばい)が生じてしまうと私的所有に傾いたり汚職につながるからである。汚職は共同経営に対する信頼を動揺させ、私的所有の台頭は共同経営を突き崩す直接の原因となる。私的所有は、差別と貧困の上でこそ花開く。別の見方をすれば、資本主義的生産様式や「資本-賃労働関係」を維持したままで貧困・差別の完全な根絶は不可能だということである。(210~211ページ)

〇筆者の手もとに、白井聡著『今を生きる思想 マルクス―生を呑み込む資本主義帯―』(講談社現代新書、2023年2月。以下[2])という本がある。[2]において白井は、「われわれの意識や感性、感覚、価値観、思考といった、普通われわれ一人一人が『自分のもの』であると信じて疑わないもののなかに、資本主義のロジックがどのように入り込んでいるのか、(中略)われわれ自身のなかで資本主義がどのように深化しているのか、それをマルクスの理論を通じて検証する」(6~7ページ)。
〇先の[1]で志賀は、「社会参加」の概念や論理に基づいて、「社会的排除」の対概念である「社会的包摂」について論じる。しかしそれは、「社会的排除」の議論に比して必ずしも十分なものではない。そこでここでは、きわめて恣意的であることを承知のうえで、[2]で白井が説く「社会的包摂」についてみておくことにする(抜き書きと要約)。
〇白井はいう。「マルクスの言う『包摂』は、社会学などでよく使われる『包摂』とは、ニュアンスがまったく異なる。後者の『包摂』は、『社会的包摂』などといった言い回しで使われ、どちらかと言うと肯定的な意味合いで使われる。社会的に周縁化された存在や、逸脱したあるいは逸脱しかかった存在を、社会がその一員として受け入れ、適切な居場所を与えることを、社会学的な意味での『包摂』というのである。/これに対して、マルクスの言う『包摂』には、何かを包み込み、徐々に圧迫し、ついには窒息させるという意味合いを読み込むことができる。つまり、否定的なイメージを喚起する。/では、何が何を包み込むのか。端的に言って、資本主義のシステムがわれわれ人間の全存在を含むすべて、自然環境を含む全地球を包み込む」(100ページ)のである。
〇資本主義的生産様式において労働者は、生産手段(物を生産するための原料や工場・機械など)を持っていないために、自らの労働力(物を生産するための人間の精神的・肉体的能力)を商品として資本家に売り、資本家の指揮・監督のもとで労働することになる。これは、資本が労働を「形式的に包摂」(形式的包摂)することを意味する。しかもその資本は、剰余価値(労働者の労働力の価値(賃金)を超えて生み出される価値。利潤)を生産するために、生産力の向上を常に追求する。そこで、労働者はそのプロセスに巻き込まれ、生産様式の絶えざる変化に適応することを強いられる。これは、資本による労働の「実質的包摂」を意味する(103、104ページ)。
〇そして白井はいう。本来、「仲間」や「協働」「共感」「連帯」「団結」といったものは自主的につくり出すべきものであり、仕事の「やりがい」も自ら発見すべきものである(119ページ)。しかし、新自由主義の現代において、「19世紀的な蓄積様式に回帰した資本」(116ページ)は、「実質的包摂」を高度化し、労働者を純然たる「労働力商品の所有者」へと還元させている。そういうなかで資本は、労働者のあいだで自然発生しない「協働」「共感」「連帯」「団結」や「やりがい」などの情動を商品として売るに至る。これらの情動商品の代金は、労働者の賃金から天引きされており、低賃金はその結果である(118~119ページ)。こうして、「われわれの情動、感情生活までもが商品化され、買うべき対象となった後、まだ包摂されていないものとして残っているものは何もない」(120ページ)。これが白井がいう「新自由主義段階の包摂」である。留意しておきたい。
〇ここで、「資本が人間の道徳的意図や幸福への願望とはまったく無関係のロジックを持っており、それによって運動している。その意味で、人類にとって資本は他者である」(96ページ)というマルクスの「資本の他者性」の概念が思い出される。併せて筆者は、(1)労働の生産物からの疎外、(2)労働行為における疎外、(3)類的存在(人間は生産共同体において他者とともに共同生活を営む社会的存在である)からの疎外、そして(4)人間からの人間疎外(自己疎外)、というマルクスの「疎外論」を思い出す(マルクス著、城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』岩波文庫、1964年3月)。
〇雇用破壊が進む現代社会について「格差社会」「分断社会」「無縁社会」「管理社会」、あるいは「貧困強制社会」( ※)などと言われ、「資本主義の危機」が叫ばれる。その基底をなすのは紛(まぎ)れもなく「階級社会」である。そこから、それらの言葉が表す諸現象について議論したり、「共生社会」を展望する際には、「階級論的視点」が必要かつ重要となる。本稿で言いたいことのひとつである。例によって唐突ながら、それは「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究にも通底する。

※藤田和恵著『不寛容の時代 ボクらは「貧困強制社会」を生きている』 くんぷる、2021年8月。

補遺
図1は、「資本-賃労働関係」に関し、賃労働の再生産過程の範式を示したものである。参考に供しておくことにする。

資本の循環過程におけるGは貨幣、Wは商品、Pmは生産手段、Aは労働力、Pは生産過程、W´は剰余価値によって増加した商品、G´は剰余価値によって増加した貨幣、をそれぞれ表す。賃労働の再生産過程におけるA(W)は労働力商品、APは労働過程、(G)‥‥AP‥‥Gは賃金の後払い、をそれぞれ表す。――は資本および労働力の流通過程、‥‥は商品および労働力の移動、==は資本の下での労働者の労働、をそれぞれ表す。
労働者は労働市場において、労働力を商品として販売するが、その販売に失敗すると失業という労働問題を抱える。労働過程(資本にとっては生産過程)においては、低賃金、長時間労働、劣悪な労働環境などの労働問題が生じる。消費生活過程では、資本から独立し、労働者の消費生活が世帯内で私的・個別に営まれる。そこでは、労働問題の具体的結果として、また労働者やその世帯内の個人的な理由によって生活上の諸困難(生活問題)が生じる。未来の労働力である子どもの生育にも支障をきたすことになる。一方、資本は、労働力の再生産の必要から、あらゆる手段を駆使して労働者の消費生活に介入する。
なお、高齢者や障がい者は、資本にとって衰退した労働力あるいは欠損した労働力であるがゆえに、労働市場・労働過程・消費生活過程において、健常な労働者に比してより厳しい状況に置かれることになる。

阪野 貢/災害ボランティア、その「絆」や「感動」にみる「闇」―丸山千夏著『ボランティアという病』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、丸山千夏著『ボランティアという病』(宝島社新書、2016年8月。以下[1])という本がある。[1]は、東日本大震災(2011年3月)や熊本地震(2016年4月)の被災地で展開されたボランティアを取材し、その闇(深淵)の部分を炙(あぶ)り出したジャーナリストのルポルタージュである(伝聞調の文章が散見されることに留意したい)。
〇[1]のカバーの紹介文にはこう記されている。「熊本地震にも多く集まったボランティアの人々。多くのマスコミは、ボランティアの人々を持ち上げ、毎日のように報道している。だが、その裏側では、ボランティアの範囲を超えた越権行為、必要のない物資の援助、野放しにされている巨額の寄付金、そしてこれからはじまる復興利権など、多くの問題を抱えている。しかし、それらを批判することはタブーとされてきた。すべて善意のもとに正当化されてきたからだ。本書では、善意のもとに、ボランティアのすべてを受け入れてしまう日本人の病を抉(えぐ)り出す。はたして、あなたの善意は、本当に必要とされているのか。本当に正しいのか。検証する。」
〇[1](すなわち被災地)には、ジャーナリスティックな名称であるが、いろいろなボランティアが登場する。「素人ボランティア」、「プロ・ボランティア」、「人生迷子型ボランティア」、「野良ボランティア」、「テクニカル・ボランティア」などがそれである。「素人ボランティア」は、善意に基づいて被災地に駆けつけるが、ときに足手まといになるボランティアである(101ページ)。「プロ・ボランティア」は、あくまでも独自の活動にこだわり、支援活動一本で生活を営むボランティアである(103ページ)。「人生迷子型ボランティア」は、都会での生活に行き詰まり、行き場をなくした人が被災地に居場所を見つけるボランティアである(88ページ)。「野良ボランティア」は、災害の現場で社協や他の団体と連携・協力しながら役割を分担して動くという発想を持たないボランティアである(38ページ)。「テクニカル・ボランティア」は、プロフェッショナルな技術力を持つ高度な専門家が作業を請け負うボランティアである(103ページ)。
〇丸山によると、こうしたボランティア活動はときにやっかいな問題を生じさせる。たとえばそのひとつは、古着や食料品などの大量の支援物資の後処理や、大量の千羽鶴や寄せ書き・メッセージなどへの対処(対応)が、被災地を襲う「第二の災害」(134ページ)となっている。いまひとつは、支援が長期化するなかで支援者(よそ者)と地元住民との間に主従関係が生じたり、濃密な人間関係を築いてきた地方のコミュニティではその人間関係に亀裂が生じたりするケースがある(169ページ)。もうひとつは、取材に来るマスコミをはじめ、物見遊山で被災地観光に来る若者、視察に来る政治家や投資家、慰問に訪れる芸能人や有名人、あるいはフィールドワーク(現場での情報収集)に来る専門家や研究者等々、実に多種多様な人々が被災地現場に出入りし(そのなかには「危ない人々」も存在する)、地域・社会がかきまわされる(167、179ページ)。
〇災害ボランティアは、いまだに「善意」頼りであり、いま国策的な「動員」が促進されている。そこでは、「絆」「笑顔」「感動」などの美辞麗句が並べたてられ、「がんばろう!」と激励される。それらに違和感を覚える人がいる。また、災害ボランティアに参加しない・できないことに「後ろめたさ」を感じている人もいる。一方、被災者の側には「善意は断ることができない」という前提がある(184ページ)。「あつかましいお願いなのですが、被災地のことを気にかけていてもらいたいし、支援が終わったらさっさと帰って欲しい。そんなこと、思っても普通は言えないですよね」(181ページ)。災害ボランティアの問題(「病」)の核心を突く、被災地の一人の住民の声である。
〇例によって唐突で我田引水的であるが、この住民の言葉から、学校福祉教育の一環としてしばしば取り組まれる訪問・交流活動での施設利用者(高齢者、障がい者など)の声を思い出す。「ここは私たちの生活の場ですから、勉強が終わったらさっさと帰って欲しい。そんなこと、思っても普通は言えないですよね」。
〇災害ボランティアには、被災地の現場で「善意」が闊歩(かっぽ)あるいは暴走することもあるなかで、組織的・体系的な災害支援の知識やノウハウが求められる。そこでは、被災者中心、地元主体、そして共働の取り組みが重要となる。またそこでは、情緒的な「絆」や全体主義的な「がんばれ!ニッポン」といった言葉やスローガンは不要である。被災者とボランティアによって共創される「愛」と「信頼」、そして「希望」が肝要となる。これが筆者の読後感である。
〇「絆」(きずな)とは、人(被災者)と人(ボランティア)を繋ぎとめる「綱」(つな)であり、それは「愛」と「信頼」と「希望」を意味する。付記しておきたい。

阪野 貢/フィールドワークと「自前の思想」、そして「自前の学問」:時代と社会に「応答」すること ―清水展・飯嶋秀治編『自前の思想』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、清水展・飯嶋秀治編『自前の思想―時代と社会に応答するフィールドワーク』(京都大学学術出版会、2020年10月。以下[1])という本がある。[1]は、これからフィールドワークとそれに基づいて発信しようとする人たちが、「かつてそれぞれの時代の喫緊課題に積極的に関わり、発言し、行動していったフィールドワークの先達」(18ページ)の人生と仕事ぶり(技法や作法など)を学ぶことを通して、「示唆や励ましを得ること」(1ページ)を目的に編まれたものである。
〇「取り上げる先人たちは、自身のフィールドワークでの体験や知見にもとづき、それをじっくりと熟成させながら自前の思想を紡ぎ出し」(1ページ)、時代と社会の現場と現実に関与し、応答し、さらには積極的に介入していった人たちである。中村哲(医師・土木技師)、波平恵美子(文化人類学・医療人類学)、本多勝一(新聞記者・ルポライター)、石牟礼道子(詩人・小説家)、鶴見良行(東南アジア海域世界研究)、中根千枝(社会人類学)、梅棹忠夫(生態学・民族学)、川喜田二郎(地理学・文化人類学)、宮本常一(日本民俗学)、岡正雄(民俗学)の10人がそれである。
〇[1]の編者のひとりである清水は、「はじめに―現場と社会のつなぎ方」において、「10人の先達」の略歴と業績を紹介する。そして、それぞれがフィールドワークから「自前の思想」を編み上げていった、その方法や意義について言及する。それを通して清水は、読者・フィールドワーカーに対して、「時代状況への介入を含めた過激な応答実践」(18ページ)を呼びかける。次の一節をメモっておくことにする(見出しは筆者)。

フィールドワークと「自前の思想」の編成
フィールドワークとは、人々の暮らしの営みやそこで生ずる諸問題を、暮らしの場(生活世界)のなかで理解し、逆に個々人の暮らしの営みを見つめ丁寧に描くことをとおして、その喜びや悲しみ、日々の生活の背景や基層にある意味世界、つまり文化というコンテクスト(社会的脈略・状況や背景)を明らかにしようとする企てと言えるでしょう。そして(本書で取り上げるフィールドワーカーたちは:阪野)その総体を丸ごと描き考察するために、欧米の偉大な思想家の言説や流行りの理論を安易に借用(乱用/誤用?)したりしませんでした。人々の生活の場に身を置き、腰を低くして同じ高さ(低さ)の目線で話し、その説明に謙虚に耳を傾け、彼らが生きる社会文化や政治経済のコンテクストに即して粘り強く考え続けました。けっして虎の威を借る狐(とらのいをかるきつね)になろうとせず、かといって井の中の蛙(いのなかのかわず)になることも避けて身体と思索の運動を続け、具体的で手触りのある現場から的確な言葉を自ら紡ぎ出し、自前の思想を編みあげてゆきました。さらにその先には、人々の暮らしに直接に関わるような政治社会状況に積極的に関与し、問題の解決や状況の改善に寄与するために積極的な介入を行ったりしました。(17ページ)

思想―「応答」的行動を支える姿勢や信条
(本書でいう)思想とは、学術の理論や哲学というよりも、社会に対する身の処し方や律し方、広くは自らが生きる社会、狭くはフィールドワークでお世話になった人たちとの関係の作り方や応答の仕方などを支える姿勢や信条を意味しています。(1ページ)/下から・現地現場から社会の成り立ちを見据え理解し対応するための姿勢や信条とほぼ同義です。(2ページ)

〇もうひとりの編者である飯嶋は、「自前の思想」の本質を「時代と社会に応答する」3つの側面――「遭遇」「動員」「共鳴」からまとめている。それぞれの要点をメモっておくことにする(見出しは飯嶋)。

遭遇/自前の思想は遭遇したものへの応答から「はじまる」
人により、それがより劇的な場合と、より漸次的な場合との違いはありこそすれ、そののちインパクトをあたえる仕事が、自らの仕事の延長線上に出てくるという以上に、ある人物やある主題、ある状況に「遭遇」してしまい、そこから好むと好まざるとに関わらず、その状況に巻き込まれ、そのひとと仕事が大きく動いていくことになる。つまり自前の思想を生みだす応答は、こうした遭遇から「はじめる」というよりも「はじまる」のである。(422ページ)

動員/自前の思想の応答はあらゆるものを「資源化する
予期せぬ「遭遇」から始まってしまう自前の思想の応答は、それゆえにこそ、応答する者がもてる全てを動員してそれに応答せざるを得なくなる。遭遇した事態に対して出来合いの方法論や便利なアプローチ法があるわけではない。まずは徒手空拳(としゅくうけん)のまま向き合い、それから手持ちの札と技をなんとかやりくり活用して応答する。(中略)それはきれいごとではなく、応答が遭遇から「はじまってしま」ったら、あらゆる契機を「資源」として動員して臨まざるを得なくなるのである。(425~426ページ)

共鳴/自前の思想は「徒弟化しない」
喫緊の課題との「遭遇」に始まり、あらゆる契機を資源として「動員」する必要が生じた自前の思想は、「徒弟化しない」という点がきわめて特徴的である。徒弟的に見える面があったとしても、それは学問的な技法の習得に限られている。(426ページ)/遭遇する事態や人々が異なり、動員できる資源が異なっている私たちが、先人の方法だけを模倣することに意味があるはずもない。徒弟化せずに自前の思想でやるしかないのは、かつても今も変わらないであろう。(429ページ)/(本書で取り上げたひとびと・応答者たちは:阪野)それぞれの現場(フィールド)で、他の現場で応答するひとびとのあり方に励まされ、自らの糧ともしていったのである。なので、自前の思想の応答者は徒弟化しない。ただ異なる状況にある応答者同士で共鳴するのである。(430ページ)

〇筆者は人類学や民俗学については全くの門外漢である。「10人の先達」に関しても、石牟礼道子の『苦海浄土―わが水俣病』(講談社、1969年1月)、中根千枝の『タテ社会の人間関係―単一社会の理論』(講談社現代新書、1967年2月)、『タテ社会の力学』(講談社学術文庫、2009年7月)、『タテ社会と現代日本』(講談社現代新書、2019年11月)、梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波新書、1969年7月)、川喜田二郎の『発想法―創造性開発のために』(中公新書、1967年6月)、『続・発想法―KJ法の展開と応用』(中公新書、1970年2月)、宮本常一の『忘れられた日本人』(未来社、1960年1月。岩波文庫、1984年5月)、などのベストセラーとなっている本を読んだだけである。また、[1]に描かれている10人の人生と仕事については、スケールがあまりにも違いすぎ、想像だにできない。そんななかで、あるいはそれゆえに自分の浅学菲才さを恥じるのみであるが、「まちづくりと市民福祉教育」のフィールドワークに多少とも関わってきたものとして、[1]から認識を新たにする点は実に多い。
〇ここでは、宮本常一に関する次の一節だけをメモっておくことにする。そこには、「強い『地域主義』『反中央集権』『反官僚主義』の姿勢があり、(宮本は)現地と協働しながら生活改善と経済振興を図るという点でまさしく応答するフィールドワークの実践者」(11ページ)であった。

「外国の文化を受け入れるような素地を国の中へ作っていかなきゃならないんじゃないか。(中略)つまり外国の人たちがやってきて、安(やす)んじておられる場所だろう。それじゃあ、向こうの習俗をすてないで、日本人の生活の中に入り込み、ともに生活できるような場があったかっていうと、ないだろう。これが、やはり、君たちのやらなきゃならん仕事の一つだ。」
「僕の夢は、はっきり言うとね、地域主義なんだよ。それが昔から夢だったんだ。百姓のせがれだったからね。大事なことは、地域社会というのは立派に成長してゆかなければならないんだ。地域社会が充実してくると、世の中がにぎやかになるんだね。それぞれの地域社会が生き生きしてくることが、世の中で一番おもしろいんで、もういっぺん地方が中央に向かって、反乱をおこさなきゃいけないと思うんだ。世の中が変わってゆくのは、いつも、田舎侍が町に向かって反乱を起こすことなんだよね。」
「それが無くなったらね、国っていうのは滅びるんだろう。今はもう、完全な中央集権時代。しかしそれをもういっぺん、ぶっこわしてね、人間が生きるっていうことはどういうことなんだっていうことを問いつめていく。どうじゃろうそれを君たち、やってみないかね。なあ、やろうや。」(鼓童文化財団2011:62-63)(358ページ)

〇この一節にあるのは、「地域が大きなものの力に組み込まれ、それへの従属を余儀なくされ、自主性が削(そ)がれ挑戦へのエネルギーが失われていくことへの危機感であろう。こうした社会の動きに対して(宮本の)その姿勢は戦闘的であり、(中略)アナーキーさを感じさせる」(359ページ)。留意しておきたい。
〇また、宮本がいう「君たち」とは、若いフィールドワーカーのことである。宮本は、フィールド(現地・現場)でワーク(仕事・作業)する人に対して、「地域のよどみや人びとのしがらみに風穴をあけていく存在や力」(368ページ)として期待したのである。
〇なお、筆者の手もとに、佐高信・田中優子の対談本『池波正太郎「自前」の思想』(集英社新書、2012年5月。以下[2])という本がある。[2]は、「辛口評論家と江戸研究家の最強コンビが、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』など池波正太郎のヒット作はもちろん、池波自身の人生をも読み解きながら、これからの日本人に相応しい生き方を共に考える」(カバーそで)本である。佐高と田中は次のようにいう。参考に供しておく。

自前の思想とは、つまり、迷ったり、遊んだりしながら、一人前になることをめざす思想ということである。(佐高、191ページ)

「自前」という言葉は「手前」と同様に空間を表現している。畳に手をついて頭を下げる。その手の身体側が自分、つまり自らの「分」であり、手前である。その自らの空間に全てを引き受けるのが、「自前で生きる」ことだ。(田中、192~193ページ)/自前の思想で重要なのは「他人と比較しない」ことなのである。比較するには比較の基準が必要だが、自前という空間には、共通の基準がない。(193ページ)/自前が、ありとあらゆることを引き受けつつ、社会における己の姿勢を練り上げていく楽屋空間(プライベートの空間:阪野)だとすると、そこは「あそび」の空間(童心にかえる、楽しい空間:阪野)でもあるはずなのだ。(193ページ)

〇筆者の手もとにもう一冊、伊藤幹治著『柳田国男と梅棹忠夫―自前の学問を求めて』(岩波書店、2011年5月。以下[3])という本がある。[3]は、「ミンゾク」学者で「一国民俗学」を構築した柳田国男と「比較文明学」を開拓した梅棹忠夫を比較しながら、ふたりの知の営み(業績とその特色など)を数々のエピソードをまじえて回想・整理した「柳田・梅棹論」である。「ふたりの知のスタイルは、幅広く多くの文献を参照しつつ、西洋の学問に依存するのではなく、自らの頭で仮説を構築して思考することだった」(カバーそで)。その点(「自前の学問」)をめぐって、次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

柳田国男と梅棹忠夫のふたりの知のあり方には共通した点がいくつかある。
ひとつは、柳田国男も梅棹忠夫も、欧米の学問をまるごと輸入し、その理論を日本の社会や文化の研究にそのままあてはめるのを忌避したことである。/ふたりは欧米からの借りものでない、「自前の学問」を構築しようとしていたのである。柳田が「明日の学問」とよんだ民間伝承論(一国民俗学)(中略)の特徴は、この国の農山漁村に埋もれているさまざまな民間の伝承を文字に記録し、その記録をとおして「自前の学問」を構築しようとした点にある。/梅棹もまた、(中略)柳田と同じように、自分の目で見、自分の耳で聴き、自分のからだで感じ、自分の頭でたしかめた経験的事実にもとづいて構築した「自前の学問」を高く評価したのである。そして、これを「土着の学」とよんでいた。/こうした「自前の学問」を求めた柳田と梅棹の一貫した姿勢は、いずれも揺るぎない実証的精神に支えられたものと思うが、このことはややもすれば欧米の人類諸科学の理論に魅せわれるわかい世代の研究者に警鐘を鳴らしているとみてよかろう。
いまひとつは、柳田国男も梅棹忠夫もひろい視野に立って「日本とはなにか」という重い課題と真摯(しんし)に向きあっていたことである。/柳田は一国民俗学を構築するために、他者としての世界の諸民族の文化を視野に入れ、自己としてのこの国の民俗文化(フォークロア)を手がかりにして、「日本とはなにか」という問い対する答え求めたが、梅棹もまた日本文明論を開拓するために、他者としての世界の諸文明と対比して自己としての日本文明を相対化し、「日本とはなにか」という問いに対する答えを求めている。/ふたりの日本研究は、(中略)視野のせまい「一国完結型」の日本研究に再考を迫っている。
もうひとつは、柳田が構築した一国民俗学も梅棹が開拓した日本文明論も、ひとしく仮説の構築を特徴としていることである。/梅棹が(は)科学には実証的事実の蓄積(実証性)、その内的関係をみやぶる洞察力、発想力(仮説性)、全体をおおう論理的体系化(体系性)という三つの要素があると述べ、柳田の学問には仮説の構築とその検証が繰り返されている。(中略)自分の学問を実証性と仮説性のまんなかに位置づけた。(中略)柳田が膨大なデータを駆使して綿密な実証と仮説の構築につとめたことはよく知られているが、梅棹もまた(中略)洞察力に富んださまざまな仮説を提出している。/興味深いのは、柳田も梅棹が提起した仮説のほとんどが、いずれも個々の短い論文のなかに提示されていることである。ふたりは仮説を提示するために、さまざまな論文を書きつづけていたことになる。(180~183ページ)

柳田国男と梅棹忠夫には、一国民俗学と日本文明論以外の知の営みにも共通した点がいくつかある。
ひとつは、柳田と梅棹が後進の研究者やわかものたちと積極的に交流し、自宅の一部を開放して彼らと自由に議論する「私的な場」を提供したことである。
いまひとつは、柳田も梅棹も後進の研究者やわかものと「対等な関係」を結んでいたことである。
もうひとつは、柳田も梅棹もわかりやすい文章を書くことに精力を傾注していたことである。(中略)(それを)ひとことでいえば読者と「密度のあるコミュニケーション」を大事にしたからであろう。
最後に、柳田国男と梅棹忠夫が国際共通語のエスペラントに関心を寄せていたことを指摘しておこう。(183~185ページ)

〇この一節ではとりわけ、①人々の生活はその人が生まれ育った時代と社会のなかで営まれ、生活の主体性はそれを生み出す歴史的背景や社会的・文化的基盤の枠内で形成される。借り物理論ではなく、「自前の理論」が重視されるべき根拠がここにある。②フィールド(現場)での実践的研究には仮説探索型の研究と仮説検証型のそれがあるが、この両者を循環的に組み合わせて相互作用を引き起こすことによって、研究の科学性を担保することができる。その実践が科学的であるかどうかはこの仮説性が重要となる、この2点を押さえておきたい。

新美一志/「福祉教育」「まちづくり」「ふくし」のキャッチフレーズに関するメモ

〇「福祉教育」に関して、「社協活動は、福祉教育で始まり、福祉教育で終わる」「福祉まちづくりから福祉まちづくりへ」「ふくしは、だんの、らしの、あわせ」など、いろいろなキャッチフレーズがある。それらは、時に、「社協の先輩たちが語り継いできた言葉」「福祉教育実践の先人たちからのメッセージ」、あるいは「詠み人知らず」(作者不詳)として紹介され、引用されている。しかし、その短いフレーズには、その作者の理念や思想が込められており、また作成された時代や社会の様相が反映されているはずである。そう考えると、キャッチフレーズは、宣伝や広告のための「単なる」謳い文句として軽視することはできず、歴史的・社会的なキーワードとして重要な意味をもつものである。
〇「社協活動は、福祉教育で始まり、福祉教育で終わる」は、島根県瑞穂町(現邑南町おおなんちょう)社協の地域福祉環境や地域福祉実践に基づく言葉である。瑞穂町社協は、1980年前後以降、生涯学習の視点から、学校内外における子ども・青年の福祉教育実践や地域住民を対象にした社会福祉学習などに先駆的・総合的に取り組んできた。その中核を担ったのは日高政恵(元事務局長)であり、その取り組みを全面的・継続的に支援したのが大橋謙策である。日高は、「大橋先生から、福祉の町づくりなのか、福祉で町まちづくりなのか、とよく言われました」と述懐している。大橋が本格的に福祉教育やボランティア活動の実践に触れ、研究を展開するのは1980年前後からであるが、その当初から大橋は「福祉で町づくり」を説いていたのである(大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵著『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月)。
〇この点を関して、コミュニティデザインの第一人者と評される山崎亮が、大橋へのインタビューを通して次のように述べている。「大橋さんの言葉を借りれば、福祉事業者や研究者の間で70年代からスローガンのようにいわれていた『福祉まちづくり』が、90年代から『福祉まちづくり』へと変わったのである。」「大橋さんは、2010年代は『福祉でまちづくり』から『福祉まちづくり』といわれる時代へと移行したと話していた」(山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP新書、2016年11月、331、335ページ)。
〇「福祉」を平仮名の「ふくし」と表記したひとりに、木原孝久(住民流福祉総合研究所)がいる。木原は、1974年9月に「福祉教育研究会」を立ち上げ、ミニコミ誌「福祉教育」を創刊した。その後、誌名を「わかるふくし」(2003年4月「住民流福祉」に改題)に変更し、『わかるふくしの発想』(福祉教育研究会、1984年1月)と同名の『「わかるふくし」の発想』(ぶどう社、1995年6月)を上梓する。その頃の木原の関心は、住民が理解に苦しむ「福祉」から「それならわかる」と言ってくれるような「ふくし」、すなわち「わかるふくし」づくりを進めることにあった。その意識や姿勢は今日も変わらない。
〇先駆的に「ふくし」を「だんの、らしの、あわせ」を意味する言葉として使用したひとりは、阪野貢である。1990年代中頃からであり、およそ30年前のことである。それは、「福祉」を広義に解釈し、子どもから大人まで親しみやすい言葉として使われ、しかもすべての人々が福祉社会の形成や福祉文化の創造に主体的に関わることを企図してのことであった。そこで阪野は、「ふくし」とは「ふだんの、くらしの、しあわせ」について「みんなで考え、みんなで汗をながすこと」であり、「しあわせ」とは「みんなが、満足していて楽しいこと」であるという。留意したい。なお、阪野によると、その表記の直接的なきっかけは、茨城県社協主催の福祉教育セミナーに参画したことにあるが、そこで学んだのは「ふくし」=「普通の、暮らしの、幸せ」であった、という。その後、阪野は、「まちづくりと市民福祉教育」について論究することになる。
〇日本福祉大学は、身近な生活から「福祉」を考えるために、2004年度に初めて発行した高校生向けの冊子(『はじめての福祉』)と2006年度の大学案内で、「福祉」を「ふくし」と表記した。それは、「つうの、らしの、あわせ」を意味するものであった。以後、日本福祉大学は、2009年度から「ふくしの総合大学」を標榜する。
〇大学図書出版が2008年10月に、日本福祉教育・ボランティア学習学会の監修のもとに全国誌『ふくしと教育』を創刊した。雑誌名に「ふくし」が使われた最初である。
〇その後、「ふだんの、くらしの、しあわせ」の「ふくし」については、原田正樹によって全国的な普及が図られている。そこでは常に、「貧困的な福祉観」の再生産が懸念される学校や地域における福祉教育実践に対する警鐘が鳴らされる。とともに、先進的で具体的な提言がなされ、確かで豊かな福祉教育実践の方向性が提示される。特筆されるべきところである(『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版、2009年11月)。
〇「ふつうの、くらしの、しあわせ」の「ふくし」については、たとえば清水将一がその意味内容について言及している。清水はいう。「普通に暮らす幸せとは人それぞれで普遍的ではない。『普通って一人ひとりで違うもの あなたの普通を押しつけないで』(読み人知らず)という歌がある」(『ボランティアと福祉教育研究』風詠社、2021年6月)。

阪野 貢/まちづくり幻想:自覚と打開の道 ―木下斉著『まちづくり幻想』のワンポイントメモ―

僭越ながら、いま暮らす “まち” で「よそ者、若者、ばか者」の役割を多少とも果たそうとしてきた(している)。しかし、地域からはいまだに、「物言わぬよそ者」としての振る舞いが要求される。地元の“名士”が主役の地域活動や “あやふや” と “うやむや” が交錯する会議では、「梯子(はしご)を外される」(梯子はかかっていなかった)、「出る杭(くい)は打たれる」(出る杭は抜かれる)ことも二度三度。さすがに「あほらしくってやってらんねーよ」。いまだに「世間」の「空気」が読めない自分がいる。

〇筆者(阪野)の手もとに、内閣府の「地域活性化伝道師」(地域おこしの専門家。2022年4月現在、394人が登録されている)を務める木下斉(きのした・ひとし)の『まちづくり幻想―地域再生はなぜこれほど失敗するのか―』(SB新書、SBクリエイティブ、2021年3月。以下[1])という本がある。「地方創生」や「地域再生」が叫ばれて久しいが、「地方」や「地域」はますます衰退し、「創生」や「再生」は混迷の度を深めている。その原因のひとつは「まちづくり幻想」にある。その幻想を振り払い、打開するためには、まちづくりや地域再生に関する意識や思考の範囲を広げ、面倒なことに果敢に取り組み、一つひとつの事業・活動を地道に積み上げていくことしかない。一人の住民の覚悟と意識変革(「思考の土台」の再建)、地域人材の発掘と育成、地域循環経済による地域経営(稼ぎ)、そして仲間と「地域の未来」について語り合う、それがまちを変える。木下が主張するところである。
〇[1]から、まちづくりの「幻想」とその「打開策」に関する木下の論点や言説のいくつかを、限定的・恣意的になることを承知のうえで、メモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

人口さえ増加すれば地域が活性化するという幻想/人口減少と新たな経済的成長
▷地方が人口減少で衰退しており、それを解決すれば再生する考え方そのものは、大いなる「幻想」です。(40ページ)/地方の人口減少は衰退の原因ではなく、結果なのです。つまり、稼げる産業が少なくなり、国からの予算依存の経済となり、教育なども東京のヒエラルキーに組み込まれる状況を放置した結果、人口が流失したわけです。(41ページ)
▶一時的に移住定住の補助金をもらい、地域おこし協力隊などの限られた収入を3年ほど担保されただけの人口が、各自治体で数人、数十人増加しただけで構造的に変わるでしょうか。/人口論に支配された地方活性化論は、どこまだいっても無理が生じます。人口さえ増えればすべてが解決する、という幻想を捨て、先をみた思考が必要です。(43ページ)/できもしない方法に固執するのではなく、新たな付加価値の生み出し方と向き合う時代にきているのではないでしょうか。経済的成長を諦めるのではなく、今までとは異なるアプローチでの経済成長シナリオが必要なのです。(46ページ)

予算があれば地域は再生するという幻想/学び、動くヒトと組織が地域を変える
▷トップの仕事とは「人事」が9割を占めると言っても過言ではありません。「何をやるか」よりも「誰とやるか」「誰に任せるか」の方が圧倒的に重要です。/しかしながら、衰退地域のトップの多くは、「筋のよい事業に適切な予算を確保すれば成功する」という幻想に因(とら)われているのです。(62~63ページ)
▶どんなに筋のいい(見込みがある)事業で、適切な予算を確保できたとしても、どうしようもないチームでは絶対に失敗します。/内発的な力があるチームを作り出せるかどうかがすべての勝負の始まりです。だからこそトップの仕事は、事業のネタ探しでも、予算確保でもなく、よい人事なのです。(63ページ)/(意思決定層は、)組織の外で多様な接点を持ち、適切な学習時間を確保し、学び続ける必要があるのです。(64ページ)/自治体の意思決定者は、予算獲得の前に自分たちの地域がどのようなシナリオで再生するか、その戦略をつくる時間と人材を優先しなくてはなりません。そのことで適切な予算活用と事業の選択が可能になるのです。(67ページ)

成功事例を真似れば成功するという幻想/金太郎飴型からの脱却
▷意思決定層の傾向は、すぐに「答え」を求めがち。その定番は「成功事例を真似れば成功する」という幻想です。/毎年どこかの地域の「成功事例」を視察し、それをパクるための予算を行政に確保させ、取り組んでみる。うまくいかないと、次のネタをまた探し、行政の予算を確保させ‥‥‥という無限ループ(繰り返し)に陥っている地域は多くあります。(72ページ)
▶いつもこのように、ネタとカネを配って全国各地が一斉に真似をし、市場の崩壊を繰り返す。意思決定層は短絡的かつ適当なパクリをせず、自分たちの頭で考えるチームの養成に力をいれるべきなのです。国側も成功事例の横展開、水平展開の幻想から早く脱却することが必要です。(79ページ)

「うちの地域は大変な状況にある」という幻想/若者が地域の未来を豊かに語る
▷地方の意思決定層の抱える問題の一つは、地域の未来に対して非常に悲観的な人が多いことです。(96ページ)/(「うちの地域は大変な状況にある」という)ネガティブなプレゼンテーションは、その地域に関わろうとする人を減らしていく効果はあるでしょうが、プラスになることはありません。皆で「大変だよな」と言って、互いの傷をなめあったところで何も変わらないのです。(97ページ)
▶危機を乗り切る時に意思決定層の人たちが、20年、30年先に生きていないやつが意思決定をするべきではないと次の世代に席を譲り、それを支える立場に回ることは、まちづくりにおいて非常に重要です。(100ページ)/バトンを次世代に積極的に渡し、次なる世代を支え、未来に向けて動いていこうとする地域は、世代横断で変化を作り出しています。いつまでも長老たちが取り組んでいる地域は、どんどん若者はいなくなり、沈んでいきます。「誰がやるか=人」と向き合う必要があります。(101ページ)

すごい人に聞けば「答え」を教えてくれるという幻想/良いパートナーの発掘
▷(地域事業のチームメンバーを組織する際に)一番やってはいけないのは、単に「力ありそうだから」と目的も共有しないままえらい人や有名な人にチームに入ってもらうといったことです。(106ページ)/すごい人たちに聞けば「答え」を教えてくれるという幻想は捨てましょう。(108ページ)
▶(「答え」は、)自分たちで考え抜き、その上で共にプロと議論し、実践してこそ見えてくるものなのです。(108~109ページ)/「強烈な少人数チーム」(3~5人)を組織し、圧力をかわしながら、時に相手の力も借りながらプロジェクトを前に進めていくことが大切なのです。(105ページ)/地域事業の要は安易に思考を放棄せずに、自分たちでリスクをとって実践するチームなのです。税金で予算をつけた無料の研修では担い手なんて育ちません。そもそもそんなところで良いパートナーを「発掘」できるはずもないのです。(109ページ)

地域が衰退しているから誰がやっても失敗するという幻想/集団圧力からの解放
▷成功者は地域で妬(ねた)まれてしまう問題があります。(110ページ)/「悪くなるのも、よくなるのも全員一緒でなくてはならない」という、悪しき「横並び」幻想があります。足並みを乱すものは許さないという集団圧力こそが、成功者を潰し、次に続く挑戦者すら排除して、地域を衰退に至らしめることになるのです。(112ページ)。/「人口減少だ」とか、「経済が低迷している」とか環境要因のせいにして、「だから何をやっても失敗する」という幻想(に囚われている地元の事業者がいます)。(113ページ)
▶このような集団的な妬みによる状況を打破するためには、本当は意思決定者が地元の成功者を巻き込んだプロジェクトを立ち上げることが必要なのですが、なかなか難しいものです。/このような集団圧力が発生する中では、まず着実に投資して、事業を積み上げていくということに徹するのが大切です。(114~115ページ)/自らの事業を通じてまちを変えようと経営を続けられている方たちこそ、地元でより様々なシーンでの活躍が必要です。ただしその時には従来の民間と行政の関係ではなく、民間が投資、事業を開発する立場を貫くこと、そして行政もよからぬ組織心理で動かぬ、新たな公民連携のカタチが必須です。(118ページ)

集団が持つ無責任、他力本願、現状維持を正当化するための幻想/「挑戦者」「成功者」を活かす
▷集団が持つ幻想は無責任と他力本願と現状維持を正当化するために共有されているものが多くあります。(137ページ)/日本人は「みんなでやることは素晴らしい」という幻想が刷り込まれていて、それを美徳にしすぎています。/地域活性化でもよくいわれる「みんなで頑張ろう」とは、私は責任はとらないよ、という意味です。(126ページ)/地域で現状を打開し、変化させたいと思っている方であれば、それらの圧力をかわしながら、自らの動きを続けていく必要があるわけです。(137ページ)
▶(誰かの成功を)「ねたむ」「ねたまれ、疲弊する」ことによって地域は「新たな負の連鎖」に陥ります。(137ページ)/この問題の解決には2つの軸に分けて考える必要があります。地元の人々が「挑戦者・成功者を目の前にしたときにとるべき行動」と、「挑戦者・成功者側が意識すべきこと」の2軸です。(138ページ)/(前者については、)様子見などせず、最初の不安な時期にしっかりと具体的に応援すること。(後者については、)7~8人から反対されるうちに「仕事」を始め、地域での挑戦者を潰して回るのではなく、育て、投資すること、が重要です。(138~145ページ)/成功者を潰すのではなく、成功者を讃(たた)え、教えを乞い、そして褒められた成功者もオープンな姿勢で対応する。このような連携が発揮されたとき、地域に競争力のある大きな産業が生まれます。(146ページ)

「外の人」に手伝ってもらえば地域が豊かになるという幻想/「関係人口」との健全な関係
▷地域においては「よそ者」が地元を荒らす悪者の幻想を抱かれていることもあれば、有名なシンクタンクやコンサルタントを過剰に持ち上げる「よそ者」幻想に支配されているところもあるのです。(148ページ)/(関係人口については)「地元のファンが増加すれば地域がよくなる」という幻想を持ったものも多くあります。(161ページ)
▶地方に必要なのは単にゆるい関係をもつ人口(居住人口でもない、交流人口でもない、第三の人口としての関係人口)ではなく、明瞭に消費もしくは労働力となる人口を移住定住せずとも確保していくところに価値があるはずです。(162ページ)/関係人口という「外の人」に期待されるべき経済的役割としては2つがあります。(166ページ)/一つは、地元に住んだり訪れたりするだけではない「新たな消費」に貢献してくれるということです。/もう一つは、地元に不足する「付加価値の高い労働力」となってくれるという視点です。(166~167ページ)/漠然とした中で関係人口を募集するのではなく、「消費力」「労働力」という2軸をもとに地域に必要な関係人口をターゲティングし、そのような方々と意味のある関係を適切に築いていくことが重要です。(167ページ)

「わからないことは専門家に任せるもの」という幻想/外注依存の「毒抜き」
▷「わからないことは専門家に任せるもの」という幻想が、いまだはびこっています。/ハイエナのようなコンサルタントなども多くいるのも確かです。(171ページ)/地方のさまざまな業務の問題点は、計画するのも外注、開発するのも外注も、運営も外注、となんでもかんでも外注してしまうことにあります。(173ページ)
▶本来は、地元の人たちで計画を組み立て、事業を立ち上げ、産業を形成して動くのが基本です。(171ページ)/外注ばかりを続けると外注しかできなくなります。(173ページ)/地域の外注主義と、そこに群がるコンサルの構図が生み出す悪循環は、地域から3つの能力を奪います。➀執行能力がなくなり、自分たちで何もできなくなる、②判断能力がなくなる、③経済的自立能力が削がれ、カネの切れ目が縁の切れ目となる。(174~176ページ)/外注依存の「毒抜き」のためには、自前事業を一定割合で残し、外注よりも人材へ投資をする、です。当事者たる地元の人たちの知識や経験を積み上げて、独自の動きをとるのがなんといっても大切です。(176ページ)

「お金があるから事業が成功する」という幻想/事業を起こす際の4原則
▷地域で事業を起こすときに、「先立つものがない」という声が多く聞かれます。つまり「お金があるから事業が成功する」という幻想をもっていて、お金がないからできないというわけです。それは全くもって幻想、勘違いです。(189ページ)
▶(地域における初めての事業では、次の4つのポイントを意識して事業に取り組むことが大切です。)➀負債を伴う設備投資がないこと:借金したり投資家から資金を調達してまで、いきなり大規模な設備投資を伴う事業からスタートするのはリスクが高すぎます。②在庫がないこと:在庫を持つような特産品開発も、はっきり言ってナンセンです。③粗利(あらり、売上総利益)率が高いこと(8割程度):商売には、「最初は安く始め、後から高くしていく」という選択肢はありえません。製造工程から、自分にしかないスキルを提供することで付加価値を高め、粗利率が高い商売にしなければなりません。(190~192ページ)

〇木下は、以上のような「幻想」を打開する「プレイヤー」として、行政の意思決定者、行政の組織集団・自治体職員、民間の意思決定層、民間の集団・企業人、そして「外の人」を設定し、そのアクションについて言及する。その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

行政の意思決定者/「役所」ですべきこと、「地域」ですべきこと
アクション1 外注よりも職員育成
有名な外の人に任せればよいという幻想に囚われている限りは、成果が生まれないのです。/幻想に組織が侵されないために、可能な限り、行政は「自前主義」を取り戻し、委託事業などの予算を管理した上で、人材投資に切り替える必要があります。(207ページ)
アクション2 地域に向けても教育投資が必要
何より健全な意思決定を地域全体で民主的に行うためには、最低限の教育レベルが担保されることは不可欠です。行政のみならず、議会などがまともに機能するためには、地元有権者も含めて教育ラインを引き上げていかなければ、地域の問題を自分たちで考えることは困難になってしまいます。自治体こそ国任せにしない、独自の教育投資が求められる時代になっていると思います。(209~210ページ)
アクション3 役所ももらうだけでなく、稼ぐ仕掛けと新たな目的を作る
「役所が稼ぐのはよいことではない」というのも幻想です。/意思決定者たちこそ、経営者として目を覚ます時です。必要な資金を稼ぎ、公共として投資を続けていかなくてはなりません。/稼ぐのはあくまで手段なのです。(210ページ)/自治体の意思決定層こそ、経費のかかるものを購入する「貧乏父さん」の思想から、稼ぐ資産に投資していく「金持ち父さん」の思想に転換する必要があります。(211ページ)

行政の組織集団・自治体職員/「自分の顔を持ち、組織の仕事につなげる」
アクション4 役所の外に出て、自分の顔を持とう
組織内での信頼、行政組織としての制度などに対する知識が備わっていることは基本としつつも、やはりそこから先、何かを具現化する上では地域における様々な方々に協力してもらわなければ、予算があったとしても形になりません。/同時に予算も限られる昨今、自分が言えば協力してくれる地元内外仲間をしっかり持っていないと、大きな動きは作れません。(213~214ページ)/仕事は役所内で完結するという幻想を振り払うため、アクションを起こすことが大切です。//役所内完結幻想を振り払い、まちに出ていきましょう。(216ページ)
アクション5 役所内の「仕事」に外の力を使おう
行政に所属している一人として重要なのは「役所にしかできないこと」を通じた地域への貢献です。/小さな取り組みは大切ですし、個人として顔を持つことも重要ですが、これらはあくまで手段です。それらを役所内の仕事にどれだけつなげていけるか、が大切。(217ページ)

民間の意思決定層/「自分が柵(さく)を断ち切る勇気」と「多様寛容な仕事作り」
アクション6 既存組織で無理ならば、新たな組織を作るべし
集団意思決定は、時に大きな間違いを犯す集団浅慮(しゅうだんせんりょ)に陥ったり、異なる人を排除する側面を強くするものでもあります。(219ページ)/これを打開する方法は、異分子をいかに意識的に取り込むか、にあります。/地域の取り組みにおいても、地元のいつも同じのえらい人だけでなく、外の人を効果的に取り込む仕掛けを作れるかどうかが問われています。(220ページ)
アクション7 地域企業のトップが逃げずに地域の未来を作ろう
人口減少になったらもう地方経済は終わり、というのは幻想です。/地域意思決定者の中には、極端に悲観的な予測と、まちのことは民間ではなく行政の仕事だという幻想に支配されている人がいます。(222ページ)/一方で、地元に積極的に投資を続ける経営者もいます。/地方における基盤の一つは、民間企業の存在です。地域における民間企業経営者だからこそできる地域活性化は、事業を通じた貢献なのです。(223ページ)

民間の集団・企業人/「地元消費と投資、小さな一歩がまちを変える」
アクション8 バイローカルとインベストローカルを徹底しよう
民間側の様々な組織、企業に属する人たちは、実は地元で最も大きな構成員であり、この層がどう動くか、はとても重要なことです。(225ページ)/地域内消費を、近隣の地元資本のお店にいって普通に買い物する(バイローカル)だけでも、地域内に流れるお金は違います。/地域内では地元資本を持つ人たちがお金を出し合い、地元事業に投融資すること(インベストローカル)はとても大切な動きです。(226ページ)
アクション9 一住民が主体的にアクションを起こすと地域は変わる
まちが変化するのは、大きな開発が行われる時だけでなく、小さな拠点が一つできることから始まったりします。(227~228ページ)/消費にしても、投資にしても、自ら始める企画にしても、大きな事業である必要はないのです。小さな取り組みを積み重ねれば、大きな地域の変化につながる。積小為大(せきしょういだい)、小さな一歩をないがしろにしなければ、一人の住民がまちに影響を与えることは大いにあるのです。(228~229ページ)

外の人/地元ではない強みとスキルを生かし、リスクを共有しよう
アクション10 リスクを共有し、地元ではないからこそのポジションを持つ
まず外の人として、(プロジェクトは失敗することもありますので、)地域プロジェクトに対して一定のリスクを共有することです。(230ページ)/その上で、地元ではないからこそのポジション、つまり、時に憎まれ役になるようなことも必要です。(231ページ)
アクション11 場所を問わない手に職をつけよう
地域おこし協力隊のみならず、外の人は一定のプロフェッショナルとしての役割を持つことが大切です。地域に関わる時に何ができるのか。具体的なスキルを持ち、一定の提案ができる動き方ができないと、すでに地域にある仕事をそのまま引き受けるだけになってしまいます。/「手に職」というのは高度な技術だけではなく、地域に関わる「フック」(地域・住民の興味関心を引くもの)です。(232ページ)
アクション12 先駆者のいる地域にまずは関わろう
どんな地域に関わったらいいかについては、地域との相性や地域の受け入れ態勢や準備などから、外の人としては、2つの原則があります。一つはいきなり移住しないこと、もう一つは先行者がいるところをまずは選ぶこと、です。(233ページ)

〇筆者はこれまで、1990年前後から2015年頃にかけて複数の地域で、福祉によるまちづくりの代表的な実践である地域福祉(活動)計画の策定に関わってきた。そのいずれにおいても、基本的には住民の主体形成としての「まちづくりと市民福祉教育」に焦点を当ててきた。それは、まちづくりは一人の住民の意識変革と小さな一歩(行動)から始まる、と考えているからである。また筆者は、計画の策定は、地域・住民が自分たちの「未来(あす)の夢」を語ることである。「夢」は追い求めるものであり、育むものでもある、と言ってきた。その際には、計画(夢)が画餅に帰すことのないよう細心の注意を払ってきた。それは、計画に基づく事業・活動の実現可能性を担保するためである。そしてまた、計画策定後も何らかの形でそれぞれの地域に関わってきた。それは、「関係人口」としての自分自身のあり方を問うものでもある。
〇例えば、東京都狛江市社協の地域福祉活動計画『あいとぴあ推進計画』(1990年3月)に基づいて取り組んだ一般市民を対象にした「あいとぴあカレッジ」の開講や保育園・幼稚園児を対象にした福祉絵本(「幼児のあいとぴあ」)の作成・配布、岐阜県関市社協の地域福祉活動計画『みんなで創る福祉のまちプラン21』(2000年5月)に基づく「地域ふくし懇談会」の開催などは、とりわけ思い出深いものがある。
〇狛江市社協の取り組みでは、計画策定に関わったT氏の怒りに満ちた言葉を思い出す。「私は、タバコ販売でほそぼそと暮らしていて、普段もほとんど外出はしない。こんな会議に参加している暇なんかないんだ」。その後、彼は、カレッジで自分の障害や暮らしについて語り、福祉のまちづくりの必要性を訴える「物言う当事者(市民)」に変貌する。関市社協の取り組みでは計画策定後、16の支部(地区)社協主催の基幹事業(福祉教育事業)となる「ふくし」懇談会で、さまざまな人との出会いがあった。Y氏が、「この地域にはこんなに多くの障がい者がいる。この地域の恥だ。こんな資料を懇談会に出してもらいたくない」と強い口調で不満をぶちまけた。翌年に開催された懇談会には、地元に所在する福祉施設で暮らす知的障害の若者数人が、地元住民として参加した。「自己紹介をお願いします」「‥‥‥」「‥‥‥」。彼らを温かく見守る参加者のなかにY氏もいた。
〇こんな話は枚挙にいとまがないが、地域に住む一人の住民が変わり、一人の住民が仲間と共に地域を変える。「まちづくりと市民福祉教育」の醍醐味がここにある。まちづくり幻想を振り払いまちを変えるのは常に、「百人の合意より一人の覚悟」(235ページ)であり、地域を変えるには「夢」(97ページ)が必要である、という木下の言葉を思い起こしたい。
〇絶対的に地盤沈下しているその今日的状況のなかで、社協は地区社協(小・中学校区の圏域)を基盤に、専門多機関や多職種、そして何よりも一人ひとりの高齢者や障がい者、子どもから大人までの地域住民などが、「まちづくりと市民福祉教育」を通していかに連携し共働・共創するかが問われている。それは、社協の唯一の生き残り策であるとも言える。「地域福祉(社協活動)は福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」という言葉を改めて強く認識したい。

よくある話ですが、うちは閉鎖的だとか、出る杭は打たれるだとか、結局、言い訳なわけです。閉鎖的だろうと、出る杭は打たれるだろうと、やる人はやるわけです。/「自分の保身で怖いからやりたくないんです。絶対に損したくないし」といってくれればよいのですが、なぜか土地のせいにします。そもそもよそ者でなくても、若くなくても、バカなんて言われなくても、やればいいだけなのです。(129ページ)

付記
「関係人口」については、阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―その本質に迫るいくつかの鍵概念に関する研究メモ― 7 関係人口/地域再生主体としての「新しいよそ者」/2022年10月30日投稿 を参照されたい。

阪野 貢/追補/「差別」再考―「共事者」と「当事者」に関するメモ―

〇本稿は、先の記事――<雑感>(168)「差別」再考―「差別はたいてい悪意のない人がする」「差別は思いやりでは解決しない」のワンポイントメモ―/2023年2月4日投稿 の追補である。
〇『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年9月)で知られる斎藤幸平の新著に、『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA、2022年11月)がある。本書は、2020年4月から2022年3月にわたって毎日新聞に連載された「斎藤幸平の分岐点ニッポン」を書籍化したものである。行き詰まっている資本主義の現場から、23のテーマについて言及する。第3章の「偏見を見直し公正な社会へ」では、声をあげることが難しい「沈黙する(日本)社会」にあって、「外国人労働者」をはじめ「釜ヶ崎の野宿者」「東日本大震災の復興」「水俣病問題」「部落差別」「アイヌ」などに関する実相が抉(えぐ)り出される。
〇斎藤は、本書の「あとがき」で補足的に、マジョリティの特権集団に欠けている他者へのエンパシー(共感)や想像力について触れ、「一から学び直す」必要性を説く。また、誰もが加害者であり被害者でもある「事を共にする」ゆるい関りに根ざした「共事者(きょうじしゃ)」(いわき市在住の地域活動家、小松理虔の言葉)について言及する。
〇ここで、「共事者」とその類義語・関連語である「当事者」に関する斎藤の文章をメモっておくことにする(抜き書き)。

共事者は、一つの問題や正義に固執し、他の問題や自分の加害性に目を瞑(つぶ)るのではなく、さまざまな問題とのインターセクショナリティ(交差性)を見出し、さまざまな違いや矛盾を超えて、社会変革の大きな力として結集するための実践的態度である。/共事者になることは、これまでの「敵/味方」「被害者/加害者」というような単純な二元論的語りのなかで、排除・抑圧されてきた声を聞き取ることができるようになるための一歩である。(217ページ)

当事者とは誰か、本当の当事者探しをして、彼らの意見を絶対視して、尊重すべきことなのか? それは、当事者・非当事者という線引きのもとで分断を生むだけでない。結局、「真の当事者」として誰を優先するかを決定するにあたって、そこにもまた研究者や支援者の権力関係が入り込んでくる。自分にとっての都合のいい「真の当事者」の主張を探して、他の人々を黙らせることが一般化するだろう。それでは「当事者」も利用されているだけだ。それに、自らの正義に固執して、それに合致しないものを糾弾するような運動は、共感も生まない自己満足で終わる。/結果的に、「真の当事者」への語りを限定していくことが、多くの人にとって「自分には語る資格がない」と声どころか、考える能力さえも奪うことになる。その先に待っているのは、無関心と忘却である。それでは社会問題はまったく改善しない。「自分は当事者ではないから発言をするのを控えよう」というのは、一見するとマイノリティに配慮しているようで、単なるマジョリティの思考放棄である。それは、考えなくても済むマジョリティの甘えであり、特権なのだ。そのようなダイバーシティでは、差別もなくならない。(215~216ページ)

〇福祉教育ではしばしば、「当事者」や「当事者性」について議論される。その際の「当事者性」とは、「当事者」またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合いを意味する言葉である。その点において福祉教育は、その当事者性(すなわち当事者やその問題をどの程度 “ 我が事 ” として捉えるか)を高め深めることを支援することによって、問題意識や問題解決のための具体的な行動を得ようとする実践である、といえる(松岡廣路「福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性・エンパワメント―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』 VOL.11、万葉舎、2006年11月、18、19ページ)。付記しておきたい。

阪野 貢/「差別」再考―「差別はたいてい悪意のない人がする」「差別は思いやりでは解決しない」のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、「差別論」に関する本が2冊ある。キム・ジへ著/尹怡景(ユン・イキョン)訳『差別はたいてい悪意のない人がする―見えない排除に気づくための10章―』(大月書店、2021年8月。以下[1])と神谷悠一著『差別は思いやりでは解決しない―ジェンダーやLGBTQから考える―』(集英社新書、2022年8月。以下[2])がそれである。いずれも、ハッとするタイトルである。
〇[1]は、韓国で16万部超のベストセラーとなったキム・ジへ(김지혜、Kim Ji-hye)著『善良な差別主義者』(선량한 차별주의자、2019)の日本語訳版である。筆者の差別や人権についての稚拙な考えや思い・願いに変革を迫る、強烈なメッセージを発する本である。内容的には、事例を交えながら、女性や障がい者、セクシュアル・マイノリティ、移民などに対する差別や人権の諸問題が取り扱われる。
〇「本書が注目されたのは、差別に関する既存の考え方に新たな問いを投げかけたからと考えられる。一般に、差別に対する認識は、差別をする加害者と、それを受ける被害者という構造の中で議論される。本書でも指摘されているように、だれもが差別は悪いことだと思う一方、自分が持つ特権には気づかないので、みずからが加害者となる可能性は考えない傾向が強い。こうした考え方に、本書は『善良な』という表現を用いて、『私も差別に加担している』『私も加害者になりうる』という可能性に気づかせる。つまり、平凡な私たちは知らず知らず差別意識に染まっていて、いつでも意図せずに差別行為を犯しうるという、挑発的なメッセージを著者は投げかけている」(金美珍、[1]229~230ページ)。
〇[1]では「トークニズム」、「特権」、「優越理論」、「間接差別」、「差異の政治」などの理論に基づき、「多様性と普遍性」(「多様性をふくむ普遍性」)や「形式的平等と実質的平等」の観点から、また個人的レベルと構造的レベルの差別などをめぐって論究する。「差別禁止法」についての言及も注目される。それぞれの理論と差別禁止法に関する言説の一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

トークニズム―名ばかりの差別是正措置:お茶を濁す―
トークニズムtokenismとは、歴史的に排除された集団の構成員のうち、少数だけを受け入れる、名ばかりの差別是正措置をさす。/トークニズムは、被差別集団の構成員のごくわずかを受け入れるだけで、差別に対する怒りを和らげる効果があることが知られている。それによって、すべての人に機会が開かれているように見え、努力し能力を備えてさえいれば、だれもが成功できるという希望を与えるからである。結局、現実の状況は理想的な平等とは雲泥の差があるにもかかわらず、平等な社会がすでに達成されているかのような錯覚を引き起こす。(25ページ)

特権―「持てる者の余裕」:意識にのぼらない恩恵―
特権とは、一部の人だけが享受するものではない。特権とは、与えられた社会的条件が自分にとって有利であったために得られた、あらゆる恩恵のことをさす。/不平等と差別に関する研究が進むにつれ、学者たちは平凡な人が持つ特権を発見しはじめた。ここで「発見」という言葉を使ったのには理由がある。このように日常的に享受する特権の多くは、意識的に努力して得たものではなく、すでに備えている条件であるため、たいていの人は気づかない。特権というのは、いわば「持てる者の余裕」であり、自分が持てる側だという事実にさえ気づいていない、自然で穏やかな状態である。(30ページ)/自分には何の不便もない構造物や制度が、だれかにとっては障壁(バリア)になる瞬間、私たちは自分が享受する特権を発見する。(31ページ)/ほとんどの人は平等という大原則に共感しており、差別に反対している。(中略)しかし、相対的に特権を持った集団は、差別をあまり認識していないだけでなく、平等を実現するための措置に反対する理由や動機を持つようになる。(38ページ)

優越理論―嘲弄(あざけり、からかうこと):他人の不幸は蜜の味―
プラトンやアリストテレスなど、古代ギリシアの哲学者たちは、人は他人の弱さ、不幸、欠点、不器用さを見ると喜ぶと述べた。笑いは、かれらに対する一種の嘲弄(ちょうろう)の表現だと考えたのだ。このような観点を優越理論superiority theoryという。トマス・ホッブズは、人は他人と比べて自分のほうが優れていると思うとき、プライドが高まり、気分がよくなって笑うようになると説明する。だれかを侮蔑(ぶべつ)するユーモアがおもしろい理由は、その対象より自分が優れているという優越感を感じられるからである。/優越理論によれば、自分の立ち位置によって、同じシーンでもおもしろいときと、そうでないときがある。そのシーンから自分の優越性を感じる際にはおもしろいけれど、逆に自分がけなされたと感じればおもしろくない。(92ページ)/集団間の関係においても、同じような現象があらわれてくる。人は自分を同一視する集団に優越感を持たせる冗談、すなわち自分とは同一視しない集団をこき下ろす冗談を楽しむ。もしも相手の集団に感情移入してしまうと、その冗談はもはやおもしろくなくなる。(中略)相手の集団に対してネガティブな偏見を持っている場合はどうだろうか。決して自分とは同一視せず、むしろ距離を置こうとする集団に対する侮蔑は、みずからの属する集団の優越性を確認できる、楽しい経験になる。(93ページ)

間接差別―一見の平等と実際の差別:同じようで違う―
だれに対しても同じ基準を適用することのほうが公正だと思われるかもしれないが、実際は、結果的に差別になる。司法書士試験で、問題用紙・答案用紙と試験時間をすべての人に同一に設定すれば、視覚障害者には不利になる。製菓・製パンの実技試験において、すべての参加者に同じように手話通訳を提供しない場合、聴覚障害者に不利である。公務員試験の筆記試験で、他の受験生と同様、代筆を許可しない場合、高次脳機能障害の人に不利である。これらは、全員に同一の基準を適用することが、だれかを不利にさせる間接差別indirect discriminationの例である。(117ページ)

差異の政治―多様性を含む普遍性:みんな違う、みんな同じ―
承認とは、たんに人であるという普遍性についての認定ではなく、人が多様性をもつ存在であること、すなわち、差異を受け入れることをふくむ。集団間の違いを無視する「中立」的なアプローチは、一部の集団に対する排除を持続させる。「中立」と見せかけている立場は、実は主流の集団を「正常」と想定し、他の集団を「逸脱」と規定して抑圧する、偏った基準であるからだ。アイリス・マリオン・ヤングが述べる「差異の政治politics of difference」は、このように「中立性」で隠蔽(いんぺい)された排除と抑圧のメカニズムに挑むために「差異」を強調する。(194ページ)/アイリス・ヤングは、抑圧的な意味を持つ「差異」という言葉を再定義する必要があると述べる。「主流集団を普遍的なものとみなし、非主流だけを『異なる』と表現するのではなく、違いを関係的に理解し相対化すること」である。女性が違うように、男性も違うことができ、障害者が違うように、非障害者も違うと見る、相対的な観点だ。したがって、差異とは本質的に固定されたものではなく、文脈によって流動的なものである。車いすに乗っている人が「つねに」異なるわけではなく、運動競技のような特定の文脈では差異があっても、他の脈略では差異がなくなるようなものだ。(196~197ページ)/私たちはみな同じであり、またみな異なる。私たちを本質的に分ける差異はないという点で、私たちは人間としての普遍性を共有するが、世の中に差別が存在するかぎり、差異は実在するため、私たちはその差異について話しあいつづけなければならない。(197ページ)

差別禁止法―平等を実現するための方策:文化の改善か、政治改革か―
私たちが生涯にわたって努力し磨かなければならない内容を、「差別されないための努力」から「差別しないための努力」に変えるのだ。これらすべての変化は、市民の自発的な努力によって、一種の文化的な革命としておこなうこともできる。平等な社会をつくる責任のある市民として生きる方法を、市民運動に学ぶのだ。しかし同時に、平等の価値を共同体の原則として明らかにし、新しい秩序を社会の随所に根づかせるための法律や制度も必要だ。日常における省察とともに、平等を実現するための法律や制度に関する議論が必要なのだ。(202ページ)/差別撤廃という目的には同意するが、国が介入する問題なのかという疑問を抱く人々もいる。かれらは、国が介入するかわりに、自発的な文化の改善を通じて社会の変化をつくりだせると考える。これは、たしかに理想的で望ましく、法の制定とは無関係に、根本的な社会変化のために必要なアプローチではある。しかし、すでに差別が蔓延している社会で、法律で定められた規範ないし実質的な変化を期待することは難しい。(208ページ)

〇以上に加えて、キム・ジヘの言説の理解を深めるために、文章のいくつかを抜き書きする。

●  私をとりまく社会を理解し、自己を省察しながら平等へのプロセスを歩みつづけることは、自分は差別をしていないという偽りの信仰よりも、はるかに貴重だということだけは明らかである。(プロローグ:13ページ)
●  私たちが権利や機会を要求するとき、結果として求めるのは、ただ楽な人生ではない。私たちは、施設に閉じ込められ、他人から与えられたものだけを食べて寝て、何の労働もせず生涯を送る人生を、人間らしい生き方とは思わない。(中略)不平等な立場にいる人が平等な権利と機会を求めるのは、他の人と同じように、リスクを覚悟して冒険し、自分なりの人生を生きていくための権利と機会という意味なのである。(1章:36ページ)
●  立ち位置が変われば、風景も変わる。/風景全体を眺(なが)めるためには、世の中から一歩外に出てみなければならない。(中略)私たちの社会がユートピアに到達したとは思えない。私たちはまだ、差別の存在を否定するのではなく、もっと差別を発見しなければならない時代を生きているのだ。(1章:41ページ)
● 固定観念は、自分の「頭の中にある絵」にすぎない。(中略)固定観念は、自分の価値体系をあらわす、ある種の自己告白になる。(51、52ページ)/固定観念は一種の錯覚だが、その影響力は相当強い。(中略)人々は、自分の固定観念に合致する事実にだけ注目し、そのような事実をより記憶し、結果的に、ますます固定観念を強固にしていくサイクルが作られる。一方で、固定観念に合致しない事実にはあまり注意を払わない。固定観念を覆すような事例を見かけたとしても、なかなか考えを変えようとしない。かわりに、その事例を典型的ではない特異なケースとみなし、例外として取りあつかうのである。(2章:52~53ページ)
●  差別を眺めるとき、性別や人種という軸に加えて国籍、宗教、出身国・地域、社会経済的地位などの軸を加えると、状況はさらに複雑になる。(62~63ページ)(中略)差別の経験をひとつの軸だけで説明することはできない(中略)。/さまざまな理由で幾重にも重なった差別を受ける人、差別を受ける集団の中でさらに差別を受ける人もいる。差別とは、二つの集団を比較する二分法に見えるが、その二分法を複数の次元に重ねて立体的に見てこそ、差別の現実を多少なりと理解することができるのだ。(2章:63ページ)
●  差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものである。固定観念を持つことも、他の集団に敵愾心(てきがいしん)を持つことも、きわめて容易なことだ。だれかを差別しない可能性なんて、実はほとんど存在しない。(2章:65ページ)
● (差別について)考察する時間を設けるようにしないかぎり、私たちは慣れ親しんだ社会秩序にただ無意識的に従い、差別に加担することになるだろう。何ごともそうであるように、平等もまた、ある日突然に実現されるわけではない。(3章:85ページ)
●  「からかってもいい」とされる特定の人々(中略)だけに同じようなこと(揶揄、蔑視)が集中してくりかえされる。私たちは、だれを踏みにじって笑っているのかと、真剣に問いかけるべきなのだ。(96ページ)/だれかを差別し嘲弄するような冗談に笑わないだけでも、「その行動は許されない」というメッセージを送れる。(中略)少なくとも無表情で、消極的な抵抗をしなければならないときがあるのだ。(4章:105~106ページ)
●   私たちはたちは教育を通じて、不公正な能力主義を学んでいるのではないだろうか。そのことによって、何ごとも不合理に区分しようとする、不平等な社会をつくっているのではないか。いまさらながら怖くなる。(5章:124ページ)
●  「差別は(中略)人種や肌の色を理由に、だれかを社会の構成員として受け入れないとするとき、その人が感じる侮蔑感、挫折感、羞恥心の問題である」。すなわち、人間の尊厳に関する問題なのである。(6章:143ページ)
●  民主主義が実現するには、基本的な前提として、社会のすべての構成員が平等な関係をもち、対等な立場で討論できなければならない。(中略)私たちは、同じ空間を共有しながら生きていくための倫理について考えなければならない。そうしてこそ、隠蔽された不平等を前提として平等を享受していた、古代ギリシアのポリスとは違う、真の民主主義をつくることができるだろう。(7章:162ページ)
●  正義とは、真に批判する相手がだれなのかを知ることである。だれが、または何が変わるべきなのかを正確に知る必要があるということだ。世界はまだ十分に正義に満ちあふれているわけではなく、社会の不正義を訴える人々の話は、依然として有効である。(8章:182ページ)
●  平等に向けた運動に参加できるのはだれだろうか。全員の賛同を期待することはできないだろう。歴史上、何の抵抗もなく達成された平等はなかったからだ。しかし同度に、一部の人々は、自分の立場や地位に関係なく、正義の側に立ち、マイノリティと連帯した。結局は、私たちだれもがマイノリティであり、「私たちはつながるほどに強くなる」という精神が世の中を変化させてきた。あなたがいる場所で、あなたはどんな選択をしたいだろうか。(9章:202~203ページ)
●   だれもが平等を望んでいるが、善良な心だけでは平等を実現することはできない。不平等な世界で「悪意なき差別主義者」にならないためには、慣れ親しんだ秩序の向こうの世界を想像しなければならない。そういう意味で、差別禁止法の制定は、私たちがどのような社会をつくりたいかを示す象徴であり宣言なのだ。(10章:219ページ)
●   閉鎖されたひとつの集団としての「私たち」ではなく、数多くの「私たち」たちが交差して出会う、連帯の関係としての「私たち」も可能ではないだろうか。だれかに近づき、「線を踏んだでしょう」「出て行け!」と叫ぶのではなく、みんなを歓迎し、一緒に生きる、開かれた共同体としての「私たち」をつくりたい。(エピローグ:224ページ)

〇[2]は、「差別」を「心の問題」として捉え、善意の「思いやり」や「優しさ」で解決しようとする「思いやり」万能主義からの脱却を説く。そして、権利保障と差別を解消・禁止するための法制度の整備や施策の推進の必要性と重要性について論究する。そこで取りあげる差別は、主に女性差別と性的少数者差別である。
〇神谷はこういう。「思いやり」はあくまでも、個人の資質や感情に基づくものである。その「思いやり」に基づかなくても人は守られる、というのが「人権」の考え方である。差別のひとつに「アンコンシャスバイアス」(無意識の偏見)があり、「思いやり」と同じ匂いがするフレーズに、現状の取り組みを是認する(新規性がない)意味の「周知を徹底する」や、他人事の象徴としての「何も気にしない」といったものがある。セクシュアルハラスメントに関して、「防止」法制(規定)はあるが「禁止」法制(規定)はない。また、男女の雇用機会の均等に関しても差別は禁止されているが、罰則の規定はない。ともに実効性が低く、「思いやり」に留まっているのが日本の現状である。
〇そこで神谷にあっては、制度や法律を整備することによって、一定の水準で権利を担保することが重要である。差別の防止・解消や禁止についての「啓発」の制度化や、差別禁止の法制度の導入が必要であり、「これが一番の近道」(93ページ)となる。
〇[2]における神谷の主張は要するに、「差別は権利の問題であり、思いやりは人権尊重の理念を持たない」、「差別は思いやりではなく、制度で解決すべきである」というものである。その言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換)。

●  人権問題、特に「ジェンダー」や「LGBTQ」の問題を考えたり語ったりする際に、突然「思いやり」が幅を利かせ始め、万能の力を持つかのように信奉されてしまう。(中略)何をするにしても「思いやり」が靄(もや)のように現れ、実際には何も進んでいないにもかかわらず、何かを「やった感」「やっている感」だけが残るというのが長年の日本の状況(である)。(4~5ページ)


●  「思いやり」は、個々人の「気に入る」「気に入らない」といった恣意性に左右されやすいものであり、不具合が起きてしまうものである。思いやりも人それぞれ、ということになると、そこで保障されることも人それぞれであろう。そんな普遍性のないものを「人権」と呼べるだろうか。(49ページ)
●  ジェンダー規範からの逸脱は、排除を引き起こし、差別やハラスメント、仲間外れや無視といった事象が、逸脱したマイノリティ(女性、性的マイノリティはもちろん、これらの人たちに限らない)自ら、自分を制約する方向に力を加える。それが差別に対する異議申し立てを封印し、「男らしさ」を優遇する。だから、性的マイノリティに対する個別の差別や暴力根絶とともに、大元の性差別撤廃(女性差別を含むが、より広い意味で)にも力を入れるべきだ、ということである。(112ページ)
●  思いやり「だけ」では、多岐にわたる複雑な問題を解決することはできない。仮に思いやる心があったとして、それを持続的に、習慣的に、社会的な背景や構造にアプローチできる何らかの方法で実行しない限り、社会はもとより、身の回りを変えることも難しいが実情である。/関心のない人も含めて、より多くの人がジェンダーの領域に一定程度の水準まで取り組みを進めるためには、オーダーメイド的な(職人的なと言ってもいいかもしれません)取り組みだけではなく、ある種の「量産型」的な、誰にでも取り組め、扱うことのできる手法(研修・講習による定期的な周知・啓発:筆者)も、同時に求められている。(133~134ページ)
●  「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(略称「人権教育・啓発推進法」。2000年12 月 公布・施行)は、人権一般を扱うほとんど唯一の法律であるが、教育・啓発を実施するための行政の体制整備以外のことは規定がなく、実際の権利の保障には至っていないという致命的な課題がある。(52ページ)/この法制度に基づく取り組みは、「心がけとか思いやりとか、私人間の関係性のレベルにとどまっている」という指摘もある。(50ページ)
●  イギリスでは、「性別」や「障がい」など各分野の差別禁止法を統合したものを、通称「平等法」と呼び、両者はほぼ同じ内容として見られているようである。イギリスの場合、各分野の差別禁止法を統合した「平等法」のほうが、差別禁止法よりも積極的に平等を目指すために「公的機関の平等義務」などを規定しているとの指摘もある。(187ページ)

〇以上の言説を「福祉教育」に引き寄せて一言する(問う)。福祉教育(実践と研究)はこれまで、ジェンダーやLGBTQの問題について見て見ぬ振りを決め込んできたのではないか。また、福祉教育(実践と研究)はどれほどに、外国籍の子どもだけでなく外国人労働者や移民などの人権や差別について体系的に言及してきたか。厳しい差別や排除の現場に立ってその実態から気づき・学びを深める教育(体験学習)に積極的に取り組んできたか。差別の背景や構成要素(直接差別、間接差別、合理的配慮の否定など)について加害者と被害者を構造化して考えてきたか。不公正な能力主義や不合理な選別主義に対峙する批判的な福祉・教育理論の構築や実践に関心を払ってきたか。社会通念の変革とともに、差別を禁止・根絶するための政策の立案や関係法律・制度の改善・整備について思考し行動(運動)を起こしてきたか。そして何よりも、「思いやり」はこれらについての「思考停止」を促してきたのではないか。自責の念に駆られる。