「まちづくりと市民福祉教育」カテゴリーアーカイブ

阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究への学び(その3)―地方改良運動にみる福祉教育実践:福祉教育の遡及的原点を求めて―

 僭越至極であるが、筆者は昨今の「福祉教育」における実践や研究の動向に対し、危機感を抱いている。その根幹にあるのは、福祉教育の「歴史と哲学と原理」に対する深い洞察や言及が、等閑視されているのではないかという懸念である。

具体的には、例えば、福祉教育は「いかなる歴史的・社会的背景によって生み出されたのか」「いかなる変遷を経て今日に至ったのか」など、その歩みについて検証してきたか(歴史)。「福祉教育とはいかなる教育的営為か」「共生の本質とは何か」など、根源的な問いを設定しそれに応答してきたか(哲学)。「人と人の繋がりはいかにして形成されるのか」「地域社会のエンパワメントはどのようなプロセスで生じるのか」など、そのメカニズムの理論化を図ってきたか(原理)、等々についてである。

 本来、これら3要素は独立して存在するものではない。「歴史」のなかに「哲学」が紡ぎ出され、その「哲学」が実践を導く「原理」を体系化し、さらにその「原理」に基づいた実践がまた新たな「歴史」を形成していく。この循環構造こそが福祉教育を学問たらしめる条件・要諦であり、「歴史と哲学と原理」を三位一体として捉える視座が不可欠である。

以上の問題意識に基づき、痛切な自戒の念を込めて、下記の拙稿を再掲することにする。

*   *   *

地方改良運動にみる福祉教育実践
―福祉教育の遡及的原点を求めて―

Ⅰ はじめに

実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される。実践のない理論は空虚であり、理論のない実践は盲目である、といわれる。

福祉教育の歴史と理論と実践は、相互の関係にあり、歴史研究と理論研究と実践研究は互いを無視しては成り立たない。とりわけ歴史研究は、福祉教育研究の基本に据えられるべきものである。しかし、福祉教育研究は、これまで、福祉教育の歴史に無関心であったといわざるを得ない。

例えば、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第2回大会(1996〈平成8〉年10月)から第13回大会(2007〈平成19〉年11月)までにおける「自由研究発表」(実践報告を除く)は393本を数えるが、そのうち歴史に関する発表はわずか10本(2.5%)に過ぎない。また、学会の機関誌である『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』の創刊号(1996〈平成8〉年7月発行)から第12号(2007〈平成19〉年11月発行)までに掲載されている論文(基調論文、解説論文、特集論文、研究論文、研究ノート)は95本を数えるが、歴史に関するものは皆無である。ここに、福祉教育の理論研究や実践研究の進展があまりみられないひとつの要因があるといえる。

いうまでもなく、福祉教育研究における歴史研究は、福祉教育の歴史的事実を実証的に解明することからはじまる。すなわち、それは、たんに福祉教育の変遷を押さえるだけでなく、その変遷の意味を明らかにすることである。その際、その史実を社会的・経済的・政治的・文化的諸条件との相互関連のなかで捉えることが肝要となる。それを通じて科学的・客観的に今日の福祉教育の到達点を押さえ、それが抱える問題点や課題を発見し、その本質を把握する。そして、それを解決し克服するための適切な方向を見定め、具体的な解決策を見出す。

ここに、福祉教育史研究の意義と課題があり、研究の重要性を指摘することができる。要するに、現在を読み解き、未来を拓くための有効な方法のひとつに歴史があり、歴史研究があるのである。

福祉教育の変遷を分析、把握するためには、先ずその原点や源流を探求することが求められる。それをどこに見出すかは、福祉教育研究の視点や枠組みの設定をはじめ、そこから得られる福祉教育の対象、主体、方法などについての知見、そしてそれらを総合化・体系化してその意味内容を確定しようとする福祉教育の概念規定などによって異なる。

これまで、第二次世界大戦後における福祉教育の源流は、例えば、1946〈昭和21〉年に平岡国市によって創案された徳島県の子供民生委員制度や、1950〈昭和25〉年度から実施された神奈川県の社会事業教育実施校(社会福祉研究普及校)制度などに求められてきた(1)。また、村上尚三郎は、福祉教育の「遡及的原点」として、「大正デモクラシーが教育界に及ぼした所産とも目される1920年代の、いわゆる新教育運動の勃興に焦点をあて」、「池袋児童の村小学校」の訓導・野村芳兵衛の生活教育や修身教育の実践に着目している(2)

本稿では、福祉教育を「地方自治」や「地域振興」の視点から捉え、その「遡及的原点」は明治40年代以降に内務省主導で展開された「地方改良運動」の取り組みのなかに見出すことができる、という仮説を設定する。そして、それを諸史料から検証することにする。

周知の通り、地方改良運動では、地方(地域)すなわち町村の振興を図るために「人心の開発」が重視され、町村民に対する教育と教化が推進された。そこには、今日でいう福祉教育実践のひとつの側面や要素が含まれていたと考えられる。

そこで、以下では、具体的にはその教育・教化活動に関する史料について紹介し、検討を加える。それを通してその福祉教育実践としての側面や要素を明らかにする。そして、それを今日の福祉教育実践やその課題につなげて考え、そこから課題解決のための手がかりや示唆を得ることにしたい。

Ⅱ 地方改良運動とその推進方策

地方改良運動は、日露戦争(1904〈明治37〉年~1905〈明治38〉年)後のいわゆる「戦後経営」の一環として、内務省地方局の主導のもとに推進された。すなわち、それは、戦争による国家財政の危機的状況を打開するとともに、帝国主義列強諸国に伍する地位を獲得するために、国力の充実・発展と国家的統合を図る官製運動であった。この最重要の国策のもとで、地方改良運動では、具体的には「生産事業の振励」をはじめ「地方自治の振興」「公共心の育成」などの諸施策が展開され、地方(町村)の自発的・自立的振興が促された(3)。こうした運動が強力に推進されたのは、第2次桂太郎内閣が成立し内務大臣に平田東助が就任した1908〈明治41〉年から、1914〈大正3〉年頃にかけてであった。それ以後、地方振興は、それまでの総合的な施策から農事の改良・発達を中心にした個別的な施策として展開されることになる(4)

こうした地方改良運動の推進を図るに当たって、内務省地方局は次のような政策手法を採った。(1)啓蒙書や実践事例集の刊行・配布、(2)「地方改良事業講習会」の開催、(3)中央報徳会の機関誌『斯民』の発刊、(4)「模範村」の表彰、などがそれである(5)

(1)については、啓蒙書として『地方自治ノ指針』(1904〈明治37〉年)、『地方自治要鑑』(1907〈明治40〉年)、『地方改良の要項』(1912〈明治45〉年)、実践事例集として『地方資料(第1編~第15編)』(1907〈明治40〉年)、『地方改良実例』(1912〈明治45〉年)などがある。

(2)は、1909〈明治42〉年に、地方改良運動の監督・指導に当たる全国の地方吏員を主な対象として、第1回講習会が東京市の国学院大学で開催された。この講習会は1923〈大正12〉年頃まで継続開催されたが、ほぼ同時期の1908〈明治41〉年から1922〈大正11〉年にかけて、内務省地方局によって「感化救済事業講習会」が雁行して開催されている(6)。注目されるところである。

(3)に関しては、1906〈明治39〉年に内務官僚の床次竹二郎(地方局長)や井上友一(府県課長)らによって、半官半民の「報徳会」(1912〈大正元〉年に「中央報徳会」と改称)が結成され、報徳運動が展開された。この運動では、二宮尊徳の報徳思想(至誠・勤労・分度・推譲)に基づいた、主として地主層に対する教化善導が行われた。しかも、それは、内務省の地方行政事務に組み入れられていった。1906〈明治39〉年には機関誌『斯民』が発刊され、報徳思想についての再評価や研究が行われた。とともに、報徳思想は、地方改良運動の中心的なイデオロギーとして全国の各町村レベルにまで波及した(7)。要するに、地方改良運動はこの報徳会を推進母体として全国展開されたのである。

(4)については、1905〈明治38〉年に表彰された「明治の三大模範村」(静岡県賀茂郡稲取村、千葉県山武郡源村、宮城県名取郡生出村)が注目される。この表彰施策は、1910〈明治43〉年以降、中央(内務省)だけでなく地方でも本格的に展開された。そのねらいは、顕著な業績をあげた団体や個人に対して表彰を行うとともに、地方(町村)振興に取り組む団体や個人の自発的意識を喚起し、地方改良の機運を促進することにあった。

Ⅲ 町村振興のための教育・教化と福祉教育実践

地方改良運動の実質的な発案者であり、主導者であった井上友一は、町村振興には「経済の開発」と「人心の開発」が重要であり、また国力の充実・発展を図るための地方自治の振興には、町村民の「自治心」の喚起が必要不可欠である、と説いた(8)。そこで、地方改良運動は、「自治民育」(「自治民」の育成)というひとつのスローガンのもとで、教育・教化運動的な色彩の濃いものとして展開された。例えば、小学校では、町村振興の地域的課題が教育活動に採り入れられ、町村の実情や、児童や町村民の実際の日常生活に即した「教授の実際化と郷土化(9)」が志向された。また、小学校を卒業した在村青年や町村民に対しては、町村振興に向けていわゆる「補習教育」が推進された。そこでは、小学校教育の補習と農業教育などの実業教育、それに勤倹貯蓄などを軸とした生活様式(生活規範と生活態度)の改良・改善を図るための教化活動(生活教育)などが行われた(10)

教育・教化活動の展開に際しては、教育勅語(1890〈明治23〉年)と戊辰詔書(1908〈明治41〉年)の趣旨の徹底や浸透が図られ、報徳思想(主義)が基調とされたことはいうまでもない。周知の通り、教育勅語では、儒教的道徳思想を基礎に、忠君愛国が教育の基本であることが強調された。戊辰詔書は、国民の個人主義・享楽的傾向の是正を諭し、国民に勤労と節約を求めた。

こうした町村振興の教育・教化活動や運動に動員されたのは、地域の中核機関である小学校と、地方の有力者である小学校教員であった。

1 小学校における「自治民育」の実践
ここで、内務省が刊行した前述の『地方資料』『地方改良の要項』『地方改良実例』に収録されている地方改良実践事例から、小学校における「自治民育」の教育活動の一端を紹介する。

害虫駆除と学童貯金(史料①)
小学校生徒の実業思想を養成するの一事は、愛知県に於て著く其功を収めり。就中、渥美郡の施設は最も見るへきものあり。即ち教授の際を以て、或は箒掃衛生の業を行はしめ、或は害虫の駆除に従はしめ、或は花卉の栽培を為さしむる等、実用に習はしめんとして、最も其意を用る。更に家庭との連絡を通し、種々の業務を撰ひて、労働に習はしめ、又廃物利用の念を養ふことに勉めたり。かくて勤労と節約とに依りて得たる金員は、其出所を明にして之を学童貯金と為すことを奨励せるに、其効を奏せること殆と意表に出てたり。例へは、福岡小学校の如きは生徒間に於ける勤勉の風よりして、延きて其父兄を化し、一村漸く勤勉力行の俗に嚮ひ、日を逐うて旧時貧困の状より脱せんとするに至れり(11)

出征軍人家族の慰安と小学校生徒の裁縫(史料②)
愛知県額田郡なる北部高等小学校(当時岩津村細川村学校組合立)及岩津村(当時大樹寺村)立大樹寺尋常高等小学に於ては曩に戦役に際し出征軍人家族に労力を供し、且慰安の一方法として無料裁縫の依頼に応したり。最初両校職員に於て、軍人家族の衣服は一切無料を以て裁縫の依頼に応し、慰安の実を挙けんことを志し、其旨を女生徒に告くるや何れも喜んて之を迎へ、誓て夜を以て日に継くも此作業を遂行すへき旨を答へたり。依て村役場より各区区長総代等に其旨を伝へ、又は年長生徒をして軍人各戸に就き材料を取集めて之を裁縫したり。されは軍人家族中此の好意に感泣せしものありと云ふ。而して其裁縫等は新古を問はす又種類を択はさりしを以て、中には洗濯洗張の上裁縫したるものも亦少なからさりしと云ふ(12)

害虫駆除(史料③)
児童の勤倹の美風を喚起せしめ、併せて愛郷の心を養はしめるが為め、滋賀県甲賀郡にては、学童をして害虫駆除の事に当らしむ。且作業の当日は、教員をして兼て編纂したる郷土誌を携帯せしめ、郷土に於ける地理、歴史、博物等に就きて、一々実地の教授をなさしむ(13)

小学校施設の老人慰藉会(史料④)
宮崎県西諸県郡紙屋尋常高等小学校に於ては其附帯事業として毎年一回年齢六十歳以上の老人を集めて児童の成績品書画の類を陳列縦覧に供し或は児童をして読方、話方、唱歌、遊戯等を試みしめ或は音楽隊を編制して演奏せしめ以て老人に慰藉を与ふることゝせり又平素に於ても屢々児童の成績品又は珍らしき物を老人に回送して之を慰さめつゝあり而して其の接待及回送の労は何れも児童をして之に当らしめ以て自ら老人を尊敬するの念を深からしむといふ(14)

小学校生徒の教科以外の作業(史料⑤)
宮城県に於ては県下の小学児童に対し勤労を重んするの観念を養成する方法として地方適切の作業を選ひ教科以外之に従事せしむることを奨励したるに今や県下各小学校に於て実行するに至れり其の概要左の如し

学校に理髪機械を備付け児童相互に理髪を為さしむるもの頗る多し其の方法は学校に依りて多少異なれりと雖も多くは最初教師の指導に依りて年長の児童に練習せしめ休憩時間を利用し或は放課後に於て相互に又は幼年児童の為めに理髪し其の賃金を一回二銭内外と定め之を共同貯金として蓄積し或は学校に寄附し或は学用品共同購買の資金に利用せるものあり今や僻陬の地にして理髪店なき所に於ては父兄の請に応して理髪を為すものあるに至れりといふ(中略)

毎朝出校前の作業として牛乳配達、新聞配達、納豆売、豆腐売、飴売等の行商に従事せる児童市街地に最も多数なり又午後の放課後及休日には菓子売、薪炭売等に従事せるものあり其の他学校に於ては学用品の共同販売を実施し其の購入、販売、記帳等の取扱を練習せしめ収益は共同貯金と為し以て商業の実習と勤倹自治の精神とを養成するに努め居れり(中略)

小学校に於て養鶏、養豚、養兎の業を課し以て其の飼育方法を教ふると同時に之か趣味の養成に努めたる結果家庭に於ても養蓄又は養禽を楽むもの追々其の数を増せり(15)

教師生徒及有志者より成れる長寿者慰藉会(史料⑥)
静岡県周智郡飯田村睦実区には睦実尋常高等小学校職員生徒及区内有志者を以て組織せる長寿者慰藉会なるものあり長上を敬ふの主旨に依り長寿者に接するに常に赤誠懇篤を以てし又年二回区内七十歳以上の老人を招待して之を慰藉す而して之に要する費用は会員の寄附金を以て支弁せり四十二年十一月三日天長の佳節に際し本会総会を同小学校内に開催したる時の如き区内七十歳以上の老人十八名は一名の漏なく或は杖に縋り或は孫児に擁せられて来会し先つ遥拝式を挙行して聖寿の万歳を祝し引続き唱歌、余興等あり又児童の手工品を縦覧せしめ記念撮影を為し特志者の寄贈に係る扇子(祝寿の文字模様あり)を配与する等会員総出にて歓待の労を採れり斯くて来会の翁媼は何れも喜色面に溢れ和気靄々の内に散会したりといふ(16)

史料①は、清掃、害虫駆除、花卉栽培などの勤労と、廃物利用などの節約を通して学童貯金を行うことを奨励した実践である。史料②は、出征軍人家族を慰安するために、小学校生徒が無料で裁縫の依頼に応じた実践である。史料③は、害虫駆除の保健衛生活動を通して勤倹と愛郷の意識・態度を養うとともに、郷土理解の促進を図った実践である。史料④は、敬老の精神を養うために、小学校で、生徒が中心になって行った老人慰藉会の実践である。史料⑤は、相互理髪をはじめ、牛乳・新聞配達や納豆売りなどの行商、養鶏や養豚の業などの教科外の作業を通して、勤倹自治の精神の育成を図った実践である。史料⑥は、小学校の生徒のみならず、教員や地元の有志者などによって組織された長寿者慰藉会の敬老活動の実践である。

要するに、これらの教育実践は、「勤勉力行」「勤倹自立」「慰安」「慰藉」「愛郷」などの規範意識や生活態度を育成し、それを通して町村振興を図るという意図のもとに実施・展開された。そして、そのための手段や方法のひとつとして取り組まれたのが、害虫駆除の保健衛生活動や高齢者を慰藉するための敬老(会)活動などであったのである。

前者の保健衛生活動については、1897〈明治30〉年に制定された伝染病予防法に基づいて、その後、明治・大正・昭和と時代の変遷に伴って地区衛生組織活動の推進が図られることになる。そのなかの住民各層に対する広報・教育活動の実践に、福祉教育のひとつの原型を見出すことができる。また、後者の敬老(会)活動については、時代性は異なるものの、現象的には今日の福祉教育の主要な体験活動(体験学習)のひとつである高齢者理解や高齢者との交流・共生活動に通じるものである、といえよう。

2 大阪府生野村における「自治民育」の実践
ここに、村田宇一郎が1910〈明治43〉年に著した『学校中心自治民育要義』(宝文館発行)と題する本がある。村田は、大阪府天王寺師範学校長として、1907〈明治40〉年から大阪府東成郡生野村において「自治民育」に関する実践・研究を行った。村田のこの著書は、自治民育の「意見」と生野村での「実験」成績をまとめたものであった。その内容は、内務省の教育・教化要求に応えるものであり、内務省によって推奨されるところとなった。生野村での実践が自治民育の「モデル(17)」や「公民教育」の「原型(18)」などと評される所以であり、各地に大きな影響を与えたことは推察に難くない。

以下では、生野村における村田の自治民育の実践(内容と方法)とその特徴を把握するために、上述の彼の著書のなかから注目すべき叙述部分を摘記する。

忠君愛国と富国の手段(所論①)
我国方今の趨勢は(中略)、一等国の地位に上つたと云つても、他の七ヶ国に比すれば金力の程度に於ては顔色がないのである。(中略)こんな貧乏世帯で世界列強の間に介在して、能く国の面目を保ち得るであらうか憂慮に堪へないのである。そこで吾々国民はどこ迄も奮発して富を作らねばならぬ、併し国を富ましても忠君愛国の思想を失ふてはならぬ、忠君愛国の思想を益々強盛ならしめると共に国を富ましむるやうな働きある国民を造成することは、我国方今の急務にして吾々国民教育者の任務も亦茲に存するのである(19)

忠君愛国の思想を強盛ならしむると同時に国を富ましめんとするには、如何なる手段が必要であるかと云へば(中略)、立憲思想を普及せしむることが何よりも急務である(20)

此立憲思想の普及を謀らんとするには、之が根底をなす地方自治の思想から普及してかゝらねばならぬ(21)

公共心共同心の養成(所論②)
国民教育者はこの町村自治の何たることを了解して教育に従事せねばならぬ。而して更に我国自治体の現状を省みて、其病根のあるところを察すれば、自治の発展に最も肝要であると云はれて居る公共心共同心が、他の徳義心に比して割合に発達が後れて、或は英国に於ける百年以前のことを実現しつゝあるのではなからうかと思はれるのは甚だ遺憾の次第である。それで吾々教育者は小学校時代から、この公共心共同心の養成には一層の努力を要することを自覚せねばならぬ(22)

小学校本来の立場(所論③)
小学校に従事せる教員達は(中略)各自の奉職して居る市町村の歴史的構造や、法律的構造や、社会的構造などを了解して、将来その市町村公民となつて各自の市町村を手塩にかけて育てるやうな人間を造るべく、その預かれる子弟に対して基礎的教育を施(す必要がある――筆者注)(23)

元来小学校は、どこ迄も町村自治体に於ける文化の中心となり、その町村の程度、民風事業方針等を参照して将来并に現在の自治民を造成するの道を講ずるところとならねばならぬ(24)

庶民教育系統の建設(所論④)
小学校教育に次ぐに青年団体教育を以てし、青年団体教育に次ぐに自治体教育を以てして、小供も青年も戸主も主婦も老爺老媼も永年の間にそれぞれに訓練して、一家の一員たり、市町村の自治民たるに適当する資格を養ひ、市町村そのものを秩序的に系統的に整理せねばならぬ(25)

自己の町村の了解(所論⑤)
町村の事情を町村民一般が知らないやうなことでは、町村に対する愛の心即ち愛町村心と云ふものが起らぬ。町村の面目の為めに町村に対する義務の為めに、自己の行動を慎まねばならぬと云ふ心持が出来ないから、是非共これ等のことを了得せしめねばならぬ(26)

一般村民をして「我が村」を了解して之を愛し之を保護するの道を悟らしめたこと(27)

自村の情態が分れば分る程、村民一般の公共心共同心が発揮されて、自治体の面目を思ふ観念が出来なければならぬのである(28)

公民的知識の教授(所論⑥)
(小学校教育の――筆者注)高等科に入りては、市町村政の大要から郡制府県制の大要に及ぼし、名誉職の何たることより自治団体の理事機関や執行機関のことを概説し、自治体に対し各自が負ふ所、并にそのために尽すべき義務を挙げ、社会の秩序を重ずべきこと、社会の進歩に貢献すべきこと(中略)なども教へられて居るのである(29)

(青年団体教育の実業補習学校の修身科にありては――筆者注)町村自治のこと(代議機関、行政機関、土木衛生教育産業の状態、財政の状態、産業組合、報徳結社、商工組合、農会、在郷軍人会、神社、寺院、町村是のこと、民風興起のこと)を、各自の町村の材料について説示し、我家を理解し我村を理解せしめて、孝道の貴きこと、友愛の重ずべきことから、正直になけらねばならぬ、勤勉でなけらねばならぬ、秩序を守らねばならぬ、公共心共同心がなけらねばならぬことを知らしめ、進んでは(中略)我国の国勢の大要を知らしめて国家に対する奉公心を喚起せしめ、土地の状況によりては、対外観念を与へて海外に移住発展するやうな考を与へることも必要である(30)

事業上における指導(所論⑦)
青年を指導するには、只彼等の頭を肥やしたばかりではいかない。事業をやらせて、筋骨を労せしめる其間に、実地上から指導を加へて行かねばならぬ(31)

村民の自発性の尊重(所論⑧)
余りに故意的に急速に改善策を立てんよりも、自然に緩々と、彼等(村民――筆者注)の仲間から適切な改善策の出でんことを望む(32)

所論①では、日露戦争後のわが国の重要課題は国家富強(経済力の強化)と忠君愛国(愛国心の涵養)である。そのためには立憲思想の普及が急務であり、さらにその根底をなすのは地方自治の思想の普及である、と説いている。地方自治の思想の普及が愛郷心と愛国心を喚起し、町村振興と国力充実をもたらす、というのである。所論②では、町村自治の発展には公共心共同心を育成するための教育の推進が重要である、と説いている。その担い手は国民教育者である。所論③では、小学校と小学校教員は、市町村の歴史的・法律的・社会的構造などの了解に基づいて、自治民育の基礎的教育を施す必要がある、と説いている。当時、自治民育の担い手は、小学校と小学校教員以外にはなかったし、いなかったのである。所論④では、秩序ある市町村を建設するためには、小学校教育―青年団体教育(青年教育)―自治体教育(成人教育)という庶民教育系統を建設しなければならない、と説いている。子どもから大人までの総ての市町村民を対象にした庶民教育によって、自治民育が考えられたのである(33)。この系統的・継続的な庶民教育は、今日でいう生涯教育(生涯学習)に通じるものでもある。所論⑤では、公共心共同心や自治心の育成を図るためには、先ず自己の町村の状態について了解することが必要かつ重要となる、と説いている。自治民育の教育内容の基軸に自己の町村を了解することが据えられていたのである(34)。所論⑥では、小学校教育や青年団体教育では公民的知識の教授が重要である、と説いている。自治民育の教育内容のひとつとして地方自治に関する知識が重視されたのである。所論⑦では、青年を指導するには知識の教授のみならず、事業上での実地指導が必要であり、所論⑧では、村民や生徒の自発性を引き出すことが重要である、と説いている。いわば現場主義・臨地主義の教育方法と、従来の命令―服従の教育方法ではない、協議や討論などの自発性を尊重した教育方法が活用されたのである(35)

以上の、村田が説く町村振興と国力充実のための自治民育の構想と実践(内容と方法)を大胆に要約するとすれば、およそ次のようになろう。すなわち、(1)小学校と小学校教員による自治民育に基づく町村社会の形成、(2)小学校教育―青年教育―成人教育という継続的・一貫的教育の促進と町村民の教化、(3)町村の歴史的・法律的・社会的構造理解(町村理解)に基づく教育内容の構成、(4)町村自治に関する法制的・公民的知識の教授、(5)実際的・実地的指導や自発性を引き出すための多様な教育方法の活用、などがそれである。

そして、これらは、その歴史的背景や意義、質的内容は異なるものの、今日の福祉教育が抱えるいくつかの課題に思い至らせる。住民主体・住民参加による福祉のまちづくり、ローカル・ガバナンスの地域福祉、地域再生の生涯学習、などと地域特性を生かした多様な福祉教育実践のあり方についてのそれである。

Ⅳ 自治民育と福祉教育実践の課題

イギリスの歴史家であるE.H.カーは、その著『歴史とは何か』(1961年)で、歴史とは「現在と過去との対話(36)」であるとした。これを引くまでもなく、歴史研究は、現在に残る史料をもとに過去の事 実について多角的・総合的な視点から検証・考察し、それを通して現在を読み解くとともに新しい歴史を築いていく指針を見出す試みである。福祉教育の歴史研究についていえば、いわゆる「歴史主義の貧困」に陥らないためにも、歴史的事実としてのその実践活動から何を学び、今後の福祉教育実践のあり方の追究に「使える」どのような、新たな着想や有益な示唆を得るかが問われることになる。

本稿では、福祉教育の遡及的原点を地方改良運動期における自治民育の教育・教化活動に求め、その史料の紹介と若干の考察を行った。それによって、自治民育の実践に、今日の福祉教育実践のひとつの側面や要素が含まれていたことを明らかにすることができた。ただ、その論述は、史料と紙幅の制約から限定的なものにならざるを得ず、残された課題は多い。改めて全国各自治体における地域(町村)振興策と自治民育活動に関する史料を掘り起こし、それを丹念に検証し、福祉教育の視点・視座から分析・検討することが必要となる。

最後に、今後に向けて、自治民育と福祉教育実践の課題をめぐって次の2点について再確認し、若干の考察を加える。それをもって本稿のむすびにかえることにする。

(1)地方改良運動は、行政町村の自主的・自立的振興を促し、町村を「国家のための共同体(37)」に転化させるための運動であった。したがって、それは、国家による「上から」の社会的・政策的運動として、しかも国民の指導教化に力点を置いた自治民育運動として展開された。

自治民育という言葉は村田が用いたターム(用語)である。前述の著書を題して「学校中心自治民育要義と云つたのは、教育者の立場から学校を中心として自治民を造成せんことを論述したからである(38)」と述べている。村田はまた、自治民育を、町村自治の担い手である公民を造ることであるとした。しかも、それは、町村振興と国力の前提的基礎となるものであり、町村や国家のために貢献する能動的な主体(公民)形成を図るものであった。いいかえれば、町村や国家が求めたのは「義務としての自治」「義務としての公共心共同心」であり、村田の自治民育論はそれに応えるものであったのである(39)

福祉教育は、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な住民(市民)の育成を図るための教育活動である。また、それは、平和・民主主義・人権とともに、自立・共生・自治が基本的価値としてその根底に据えられるべき活動である。しかも、その際の市民とは、人間の尊厳と自由・平等・友愛に絶対的な価値をおく、権利・義務を有する民主主義の担い手をいう。そこから、福祉教育は、自治民育の教育・教化活動が「上から」の、あくまでも国家的・社会的責任=義務としてのそれであったのとは異なり、自立・共生・自治の意識に基づいた「下から」の、権利としての教育活動でなければならない、といってよい。とすれば、その権利をどのようなものとして、どのように獲得するか。また、その権利が保障されるためには、どのような社会的義務を、どのように引き受けなければならないか。地方分権が進み、市民社会の再構築が叫ばれるなかで問われるところである。

(2)地方改良運動の第一の課題は、地方自治体の再編策であった。この官製の国民運動は、第一次世界大戦後の社会不安に対処するための民力涵養運動(1918<大正7>年~1922<大正11>年)に継承され、昭和恐慌期における農山魚村の経済的困窮・社会的混乱を収拾するための農山魚村経済更生運動(1932<昭和7>年~1934<昭和9>年)へと、それぞれが異質な側面をもつ運動として連続する(40)。1937<昭和12>年には戦時体制化のもとで国民精神総動員運動がはじまり、ファシズム体制の確立をめざすことになる。

今日、国民保護法(2004〈平成16〉年)などの有事法制のもとで有事への準備が進み、国民の統制や動員が予定されている。社会福祉界では高齢者や障害者の自己責任が問われ、自立が強制されるなかで、社会福祉の後退と切り捨てが進んでいる。その一方で、地域における住民相互の「つながり」や「新たな支え合い(41)」に過度の期待がかけられている。教育界では2006〈平成18〉年の教育基本法改正の強行などにみられるように、子ども・青年の生きる力や学力が強調され、愛国心が強要されるなかで、教育の能力主義化の推進と国家統制の強化が図られている。福祉教育に関していえば、官製(的)奉仕活動の展開が推進されている。

このように市民生活や住民生活が脅かされ、国家による強要や統制が進むなかで、戦前の轍を踏まないためにも、「地方改良運動にみる福祉教育実践」の構造や特質を解明し、歴史的問題点や課題を明らかにすることを通して、地域・住民主権の福祉教育の可能性や方向性について追究する意義は大きいといえよう。なお、地域・住民主権の福祉教育とは、住民の生活課題や福祉課題を素材に、地域特性を踏まえた内発型の地域振興や自立的で能動的な住民自治を志向する教育活動である。そこでは「地域理解」「生活理解」を不可欠とする。

【注】

*   *   *

【初出】
「地方改良運動にみる福祉教育実践―福祉教育の遡及的原点を求めて―」『年報』Vol.13、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2008年11月、120~129ページ。
【参考】
阪野貢『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』みらい、2009年10月、1~19ページ。

阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究への学び(その2) ―平岡国市「子供民生委員制度」の実践をめぐって―

〇筆者は、2004〈平成16〉年8月、子供民生委員制度に関する資料収集を行うために徳島県を訪ねた。その節、平岡国市の後を受けて1957〈昭和32〉年9月から6年間徳島県社会福祉協議会の職員として子供民生活動の推進に尽力された木谷宜弘先生(当時・ボランティア研究所)をはじめ、子供民生委員制度についての研究を地元で行っていた森依顕先生(元・徳島文理大学)や日開野博先生(元・四国大学短期大学部)などから貴重な資料の提示や助言をいただいた。また、子供民生活動の発祥(1946〈昭和21〉年7月)の地である三好郡西祖谷山村(みよしぐんにしいややまそん)西岡小学校と、1948〈昭和23〉年から継続的に子供民生活動を実施・展開した名西郡石井町(みょうざいぐんいしいちょう)藍畑小学校を訪ねることができた。なかでも西岡小学校を訪れた折には、夏休み期間中にもかかわらず、貴重な資料を拝見することができた。また、校舎正面の垣根のなかに、子供民生委員活動の発祥の地を示す石碑を見つけることができた。懐かしい思い出である。
〇下記の拙稿は、「子供民生委員制度」に関する原資料の紹介と子供民生活動の分析・検討を行ったものである。

*   *   *

平岡国市と子供民生委員制度
―地域・地元に根ざした福祉教育実践のあり方を考えるために―
.





















































【初出】
阪野貢『子供民生委員と市民福祉教育』中部学院大学、2005年4月、7~60ページ。
【参考】
阪野貢『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、13~65ページ。
【備考】
私事にわたり恐縮ながら、木谷宜弘先生からの書簡を添えさせていただきます。

阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究への学び(その1) ―狛江市社協「あいとぴあカレッジ」の実践をめぐって―

〇筆者はいま、あるきっかけを得て、「まちづくりと市民福祉教育」に関していろいろと思いを巡らしている。その際の問題意識は次のようなものである。

 【問題意識 ①】
〇「福祉教育」実践と研究はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常者と障がい者、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生、などの二項対立的な分かりやすさのなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがちであった。しかも、包摂や共生の概念的・抽象的な思考や理解に留まり、日常の地域生活場面においてその感覚化や生活化、行動化を促すことに必ずしも主体的・積極的であったとはいえない。
〇そして、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が叫ばれるようになって久しいが、包摂や共生が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を思考停止に陥らせたり、ある種の刷り込みを可能にする恐れなしとしない。その要因や背景については、(1)福祉教育がその存立基盤となる原理論や思想・哲学への探究を等閑視してきたこと。(2)福祉教育の実践科学としての側面、すなわちハウツーや手法の提供に偏重してきたこと。(3)福祉教育がその固有性や自律性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと。(4)福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙せず、「政治リテラシー」(政治的判断力や批判力)についてほとんど言及してこなかったこと、などを挙げることができる。
〇その結果、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して統制的で定型化された実践活動となりつつある。その弊害は、筆者が耳にする次のような声にも顕著に表れている。すなわち、「他地域の実践事例を見聞しても、以前のように『ワクワク感』が沸かなくなってきた」、「福祉教育が学校現場のニーズに即した形で十分な進展を見せているとはいい難い」、「現場実践と研究活動は不可分であり、両者の往還関係を構築することが肝要であるが、両者の間に乖離が生じている」などの指摘がそれである。
〇そういうなかで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育の原理論を探求し、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」、「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。

【問題意識 ②】
〇「福祉教育」実践と研究はいま、大きな転換期を迎えている。従来の福祉教育は、ともすれば高齢者や障がい者に対する福祉の心の育成を図ろうと、子どもたちの個人の内面や道徳心に訴えかける「思いやり教育」に重きが置かれてきた。また、福祉教育活動が、(1)高齢や障害による不自由や困難についての疑似体験や、(2)車椅子利用者や視覚障がい者などの生活を支援するためのガイドヘルプ技術の習得、(3)福祉施設などに暮らす高齢者や障がい者との訪問・交流活動、という3つの形態に限定されがちであった。そこには、少なくとも3つの深刻な課題が見出される。
〇第1の理論的課題は、「依存を否定する自立観の超克」である。福祉教育は「支援する側の優越感」(思いやりが思いあがり)を育むことになり、高齢者や障がい者の「依存する権利」や「自立は依存先を増やすこと」(熊谷晋一郎)という考え方を不可視化させていないか、という点である。 第2の実践的課題は、「まちづくりとの乖離の解消」である。福祉教育は教室内での知識学習や一過性の体験学習に留まり、日常生活が営まれる地域・社会そのものを変革しようとする志向性が脆弱である、という点である。そして第3の哲学的課題は、「主体変革としての教育観の確立」である。福祉教育を単なる知識や技術・技能の習得や情動的な共感教育に終わらせるのではなく、学習者が社会の課題を自らの問題として捉え直し、社会を創り変える主体(変革主体)へと成長していくプロセスを、いかなる人間観や教育観(理念的・哲学的な根拠)に基づいて構築していくべきか、という点である。
〇これら3つの課題は、個別に存在するものではない。新しい自立観という「理論」を携え、地域・社会の変革という「実践」を積み重ねるプロセスを経て、子どもから大人までを含む地域住民は、真の変革主体という「哲学」を体現する主体へと成長を遂げる。すなわち、「まちづくりと市民福祉教育」を一体的に捉えるための分析枠組み(視座)こそが、地域共生社会を共創する鍵となる。ここでいう「まちづくり」とは、単なるインフラの整備やハード面の構築を指すのではない。その「まち」に住む人々が互いの権利をどのように認め合い、どのようなルールで共に暮らすかいう地域共生社会の設計そのものである。一方、「市民福祉教育」とは、単なる知識や技術・技能の習得ではなく、その設計に主体的・自律的に参加(参集・参与・参画)するための自治力と共生力の育成である。つまり、教育によって市民のパラダイムの転換を図ることは、暮らしの社会的基盤や共生の作法を書き換えることを意味し、それが結果として地域・社会の仕組み(構造)の変革を促すのである。
〇そこでまず、1980年前後から「福祉で町づくり」を説き、福祉教育とボランティア活動のあり方を追究してきた大橋謙策の言説の原点に立ち返り、いまは「福祉はまちづくり」の時代にあることを認識することが肝要となる。そして、そこでは、「市民福祉教育はまちづくりの基盤であり、まちづくりは市民福祉教育の実践の場である」という考え方が重要になる。すなわち、「まちづくり」と「市民福祉教育」は、車の両輪の関係にある。前者は、誰もが排除されない仕組み(ハード・ソフト)を構築する営みである。後者は、その仕組みを動かし、更新する主体(市民)を育む営みである。そして、両者を媒介するのは、学習を個人の内面に留めず、地域の変革へと開いていく「学習の外化(社会化)」の概念である。

〇筆者が本格的に「福祉教育」実践と研究に足を踏み入れた嚆矢は、東京都狛江市社会福祉協議会における取り組みであった。それは、地域福祉活動計画(「あいとぴあ推進計画」)の策定(1990〈平成2〉年3月)であり、その中核事業である “あいとぴあカレッジ” の実践は、1990年代という早い段階で福祉教育を「まちづくり」の不可欠な基盤として位置づけたものであった。下記の拙稿はその一端をまとめたものである。
〇なお、「あいとぴあ推進計画」の策定は、1988〈昭和63〉年7月4日開催の第1回運営委員会、同年7月19日開催の第1回作業委員会からスタートした。
〇また、 “あいとぴあカレッジ” 「基礎課程」第Ⅰ期の第1回の学習(「オリエンテーション」)が行われたのは、1991〈平成3〉年5月9日であった。

*   *   *

福祉教育計画と学習プログラム
――狛江市社協 “ あいとぴあカレッジ ” の取り組みをめぐって――

はじめに

〇今日、地域福祉(活動)計画の策定が要請されるなかで、その一環として地域住民による福祉教育活動を動機づけ、促進し、援助するための方策の計画づくり――福祉教育の計画化が求められている。その福祉教育計画は、自治体によって策定される計画と地域住民が主体的に創りあげるものとに大別される。前者の自治体による福祉教育計画は、例えば、さらに市町村、広域行政圈、都道府県の3層に細分できる。また、その構造化の流れは、市町村→広域行政圏→都道府県の方向で考えるべきである。しかも、3層のうち、福祉教育の本質からいって、市町村レベルの計画が最も重要視される。後者の住民が主体になって策定する福祉教育計画は、東京都における地域福祉計画のいわゆる「三相」計画のうちの「地域福祉活動計画」の一環としてのそれであるといえる。
〇東京都狛江市の社会福祉協議会(以下、「社協」と略す)は、1990〈平成2〉年3月、地域福祉活動計画としての“あいとぴあ推進計画”を策定した。その計画は、ボランティア活動・福祉教育計画と在宅福祉計画の2つから内容構成された。本稿では、そのうちの福祉教育計画について、その策定過程と学習プログラムを中心に、その策定作業にかかわった者としての立場から考察することにする。

Ⅰ 福祉教育計画の意義と役割

〇福祉教育は、すべての地域住民の生命と生活を守り、人間的な発達と自立を保障する地域・社会を創造するために、住民がその主体となって家庭・学校・企業・地域などの場で展開する教育・学習活動の総体をいう。したがって、福祉教育活動は、単なる社会福祉に関する知識や技術の伝達活動ではない。啓蒙や宣伝活動でもない。また、教化活動でもないし、そうであってはならない。それは、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざした、住民の内発的な意欲に基づいた、住民による自己教育・相互教育活動として展開される。その際、住民は、学習主体であるとともに教育主体でもあり、学ぶことを通して教え、教えることを通して学ぶ。換言すれば、住民は、相互に学びかつ教え、教えかつ学ぶという関係を通じて福祉文化の創造や福祉のまちづくりを進めるのである。福祉教育計画とは、地域住民がこのような福祉教育活動を自発的・主体的に創造し、展開していくための計画をいう。そして、計画そのものを練りあげていく主体は、あくまでも地域住民である。また、その取り組みは、そのまま同時に福祉教育の実践であり、運動でもある。
〇ところで、例えば、社協による福祉教育事業・活動は、従来、無計画に、あるいは単なる思いつきや経験などによって、しかもせいぜい単年度計画によって実施・展開されてきたといってもよい。そういった事業・活動に科学性・客観性・体系性を与え、また事業・活動を継続的に安定化させるものが福祉教育計画である。また、福祉教育計画は、一定地域内での福祉教育事業・活動を計画化の対象とする地域計画であり、かつ総合的な計画である。その際、福祉教育計画は、あくまでも地域計画としての福祉教育計画であり、地域の総合計画ではない。また、「総合的」とは、①計画内容として、事業計画、施設整備計画、マンパワー計画、財政計画を含む。②教育の3領域と呼ばれる家庭教育、学校教育、社会教育を生涯学習の視点から有機化・再編成する。③行政をはじめ、地域内の公的機関や民間機関、それに住民団体などとの連携・協働を図る。④福祉・教育・保健・医療などの関係行政、施設、機関の連携・統合化を図る。⑤長期・中期・短期あるいは単年度計画など、一定の見通しを立てる、といった意味である。
〇以上を要するに、福祉教育計画の策定の意義は、福祉教育事業・活動の総合化、科学化、体系化、継続化、それに合意形成などにある。また、その主な役割は、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざした住民の自発的・主体的な福祉教育活動を担保することにあるといえよう。

Ⅱ 福祉教育計画の内容と策定方法

1 福祉教育計画の内容
〇福祉教育計画は、一般的・基本的には、①事業計画、②施設整備計画、③マンパワー計画、それに④財政計画の4つの計画から内容構成される。①事業計画は、福祉講座・講演会・行事などの諸事業の開催や福祉広報・啓発事業の実施に関する計画、②施設整備計画は、施設、設備、教材・教具などの開発、整備、活用に関する計画、③マンパワー計画は、福祉・教育・保健・医療などの関係職員、社会福祉サービス利用者、一般市民、ボランティアなどの開発、育成、活用に関する計画、④財政計画は、財源の確保や運用に関する計画、をそれぞれいう。これらのうち、基本をなすのは事業計画である。そして、福祉教育計画は、まず事業計画が策定され、次いでその事業展開に必要な施設整備計画とマンパワー計画が策定され、その3つの計画を裏うちするための財政計画が策定されて計画が構造化される。
〇➀事業計画(シゴト)の策定は、単なる思いつきや経験、勘(かん)、あるいはこれでの慣習などによって立案した福祉教育事業を羅列することではない。また、事業数の多さや事業の種類の多様さを誇るものでもない。福祉教育の目標に照らした有意義な事業を精選し、それら各事業の相互の関連づけを行うとともに、重点的な事業を中核に事業の構造化を図ることが肝要となる。
〇➁施設整備計画(モノ)は、住民の生活実態や学習要求、地域の教育や社会福祉に関する将来構想に裏づけられたものでなければならない。しかも、福祉教育振興についての長期的なビジョンのもとに策定されなければならない。その際、学校、公民館、社協、社会福祉施設などで現に行われている福祉教育の諸事業・活動や諸形態を生涯学習の視点で捉え、見直し、再編成し、その有機化・統合化を図ることが必要かつ重要となる。
〇➂マンパワー計画(ヒト)については、まず、自分のもっている知識や技術、能力や経験を地域住民のために提供しようという住民――“まちのために自分の知恵や腕を貸そう”という住民を発掘、確保し、またそういった住民を助言者や援助者として養成・研修するための計画が必要かつ重要となる。また、社協職員は、側面から住民の福祉教育活動を助長・奨励し、方法論的・技術論的に助言・援助することを本務とするが、その際、側面的援助活動の中枢をなすものは学習情報の提供と学習相談である。社協職員には、学習情報の収集・処理・提供に関する知識と技術を有し、学習の内容や方法について専門的に助言・援助しうる能力が求められる。そして、こういった知識や能力をもつ社協職員の養成・研修計画や配置計画が必要となる。
〇➃財政計画(カネ)は、福祉教育計画に現実性・実質性を与えるものとして、計画を空文化させないためにも必要不可欠である。その際、継続的・安定的な財源確保を図るために、科学的な現状分析と長期的な見通しをもった財政計画を立てることが求められる。すなわち、財政計画は、長期的に健全な財政構造が維持されながら、事業が円滑に、効率的・目的的・生産的に経営され、事業目標が達成されていくものでなければならない。
〇なお、こういった内容をもつ福祉教育計画は、単年度で完結されるものではない。一般的には中・長期にわたるものが策定され、その複数年度計画のなかから各年度の単年度計画が策定されることになる。中・長期の見通しを欠いた単年度の福祉教育計画は、体系性や計画性、必然性や説得性の弱いものになる。

2 福祉教育計画の策定主体
〇以上のような福祉教育計画の策定主体は、種々の学習要求や学習必要をもつ地域住民である。住民主体による計画策定がなされない限り、いかに建設的で理想的な計画が策定されたとしても、それは決して本来の意味での福祉教育計画であるとはいえない。しかし、福祉教育計画の主体は地域住民であるとはいえ、一部に傑出した住民が存在するものの、計画策定のための力量を備えた住民は極めて少ないといわざるをえない。そこで、現実的、実質的には、計画策定に際して社協が中核的・先導的役割を担うことになる。また、行政には、住民が主体的・能動的・自律的に福祉教育計画を策定することができるよう環境醸成や条件整備を図り、側面的援助を行うことが求められる。とりわけ社協職員には、計画策定に当たって、住民の主体性・自律性を損なわないように専門的・技術的に助言・援助するとともに、個々の住民の声が実質的に計画に反映されるよう配慮する特別重大な役割を果たすことが期待される。しかし、社協職員は、必ずしも計画策定についての科学的・専門的な知識や技術を有しているとはいえない。そこで、計画策定能力をもつ社協職員の養成・研修や適正配置が焦眉の課題となる。

3 福祉教育計画の策定過程と方法
〇計画は、通常、Plan→Do→See という手順で進められる。教育計画とりわけ福祉教育計画に関する限りは、そうした考え方ではその計画は空論化し、画餅に帰しやすい。福祉教育計画は、See(評価、調査)→Plan(計画)→Do(実施)→See(評価)というサイクルで進められなければ実効性のあるものとはならない。
〇すなわち、福祉教育計画を策定する場合、まず現行の福祉教育事業・活動を洗い出して現状と課題を明らかにするとともに、住民の福祉意識や社会福祉に関する学習要求や学習必要について調査検討することからはじまる。そのうえで、次に、目標の設定を行う。目標は、単に夢や理想を語ったものではない。また、スローガンを掲げたものでもない。目標を設定する際には、そのシゴト(事業)の実現可能性をはじめ重要性、緊急性、効率性などを考慮して設定されなければならない。目標が設定されれば、その目標を達成するために必要なモノ、ヒト、そしてカネなどの手段が選択され、その組み合わせについて検討されることになる。以上をより具体的・実際的にいえば、福祉教育計画は、➀目的の設定、➁目標の明確化、➂現状に関するデータの収集、➃目標達成のための合理的な手段の選定、➄事業・活動の展開、そして➅計画の評価、というプロセスをたどるのである。
〇➀福祉教育における目的は、最終の到達点をいうが、一般的には曖昧で抽象的・理念的なものにならざるをえない。しかし、目的を具体的に表現した➁目標は、抽象度を下げ、明確化を図ることが必要かつ重要となる。さもないと具体的な計画策定が不可能となり、また目標を達成するための手段の選定が困難になる。また、計画目標は、実現可能なものであり、焦点化され、しかも構造化されていなければならない。すなわち、抽象的・総花的で焦点の定まらない、しかも実現性の乏しい目標の設定は問題があり、無意味でもある。➂現状に関するデータの収集については、意図的・計画的・系統的に計画策定のための基礎的データを収集することが肝要となる。しかも、数量的調査のみならず、多様な形態と方法を駆使して地域住民の生活課題や学習要求などを捉えることが必要である。単発的なアンケート調査だけによる資料収集では、内実をともなった福祉教育計画の策定は困難である。➃目標達成のための手段は、目的合理的に選定・決定されなければならない。単なる思いつきや先進地域での実践例の模倣では意味がない。福祉教育計画は、本来、地域の歴史や特性を基盤に、地域住民自らの創意と工夫、そして努力によって策定される個性的なものである。➄各種の事業・活動には、個々ばらばらにではなく、常に相互の関連性のもとで展開されることによって有意義な成果を期待することができる。そして➅計画の評価は、目的や目標と裏はらの関係にあり、計画策定過程上、極めて重要である。そして、まずは設定した目標がどの程度達成され、どのような結果・成果があったかを見極めることがポイントになる。また、評価は、より整備された次の段階の計画策定を動機づけ、方向づけるために行われるものである。
〇以上の➀から➅のうち、福祉教育計画の策定過程上その心臓部分にあたるのは、➁目標の明確化である。計画目標の設定に際しては、➀地域住民の生活実態と生活課題や地域課題、➁住民の学習要求と学習必要、それに➂地域のさまざまな学習機会の供給実態などについて的確に把握することが必要かつ重要となる。
〇まず、➀住民の生活実態については、地域の歴史や特性に留意し、地域を展望し、将来予測を含めた生活実態を把握する必要がある。生活課題や地域課題については、それを生み出す生活構造や社会構造とのかかわりで把握すべきである。➁住民の学習要求は、現実的には住民の学習関心や学習の傾向について把握するなかで捉えることができる。その際、住民の生活実態や生活課題・地域課題とのかかわりで把握することが肝要となる。また、学習要求は、今日、高学歴化や情報化の進展によってますます多様化し、高度化しているが、住民自身によってまだ意識化、課題化されていないものもあることに留意する必要がある。そして、その学習要求の内容をいかに実証的に明らかにするかが問われることになる。一方、学習必要は、住民にとって社会的・発達的・教育的に学習が必要とされるものをいう。何を学ぶべきかについては、福祉のまちづくりや福祉教育、その計画策定などについての基本的な考えが問われることになる。この学習要求や学習必要は、そのすべてがそのまま現実の事業計画の内容とはならない。両者は福祉教育というフィルターを通して整理され、重要性・緊急性・日常性・共通性・適時性などの視点からプライオリティ(優先度)をつけて選択・精選され、課題化され、そして事業化されることになる。また、仮に学習必要だけで事業計画が立案された場合は、住民に強制感や疎外感を与え、住民に支持されるものとはならないことに留意する必要がある。➂地域の学習機会の供給実態については、社協や社会福祉施設などによる福祉講座や講演会などの開催状況、公民館や図書館などにおける社会教育活動の現状、それにカルチャー・センターをはじめとする教育・文化産業の動向などについて総合的に明らかにする必要がある。そして、それらの相互の連絡・調整を含めた計画策定が求められる。

Ⅲ 福祉教育事業計画の立案の手順と視点

〇福祉教育事業計画とは、福祉教育の全体計画(総合計画)の基本を構成するものであり、例えば福祉学級・講座や福祉講演会、福祉映画会、福祉祭りなどの実施計画をいう。それは、事業の名称をはじめ実施目的、実施主体、実施期間や時間、実施場所、学習者や参加者、講師や指導・助言者、学習目標、学習内容や方法、それに経費などを構成要素とする。それぞれの福祉教育事業計画のなかで学習課題(主題)や学習内容・方法、学習の展開過程などについて詳細に計画・立案したものを、福祉教育における学習プログラムという。それは、学校教育に即していえば、カリキュラムや学習指導案に相当する。そして、福祉教育計画と事業計画、それに学習プログラムの3者は、密接不可分の関係にあり、また福祉教育計画→事業計画→学習プログラムという順に具体化、実体化される。
〇ところで、狛江市社協が策定した“あいとぴあ推進計画”では、重点事業のひとつとして“あいとぴあカレッジ”の開講が構想された。それは、住民が“あいとぴあ”のまちづくりを主体的・創造的に展開するための、その善意の気持ちを有効に活かすための学習(福祉教育)の場として位置づけられた。ここでは、“あいとぴあ推進計画”策定後、“あいとぴあカレッジ”開講に至るまでの狛江市社協や住民の取り組みについて、とりわけ事業計画や学習プログラム立案の手順と視点に焦点をあてて概観し、若干の考察を加えることにする。

1 ボランティア活動推進委員会の設置
〇1990〈平成2〉年3月、狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会によって策定された“あいとぴあ推進計画”が、社協の理事会・評議員会において報告され、狛江市社協が今後取り組んでいく基本計画として承認された。そして、1990〈平成2〉年度は、“あいとぴあ”元年として、推進計画そのものの住民への周知・浸透と計画の実施・推進体制づくりが基本方針として定められた。
〇1990〈平成2〉年8月、狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会の発展的解散の後をうけて、在宅福祉推進委員会の組織化について検討する在宅福祉サービス関連事業連絡会とともに、ボランティア活動推進委員会(以下、「推進委員会」と略す)が設置された。推進委員会は、ボランティア活動・福祉教育推進事業の企画・立案を主な任務とし、学識経験者をはじめボランティア、地域住民団体、福祉施設・団体、地域産業、教育機関、行政機関、それに社協などの各関係者27名によって構成された。
〇推進委員会の委員に幅広く関連分野からの参加を求めたのは、各委員のそれぞれの分野での働きかけを通して、“あいとぴあ”市民運動の拡大と深化を期待してのことであった。例えば、ボランティアの生(なま)の声を伝えるために、狛江ボランティア連絡会(1984〈昭和59〉年4月結成)から3名のボランティアが委員として参加した。その3名は、推進委員会と狛江ボランティア連絡会とのパイプ役を果たした。また、教育の分野では、小・中・高等学校の校長や教頭、それに教育委員会の参加をえ、それが学校における福祉教育推進へのひとつの重要な契機にもなった。推進委員会は、1990〈平成2〉年度においては通算3回開催されたが、委員が多人数ということもあってか、積極的に協議するというよりは一面では承認機関的なものにとどまった。協議が積極的に行われたのは、推進委員会のもとに設けられたボランティア活動推進委員会企画小委員会(以下、「企画小委員会」と略す)の場であった。

2 “あいとぴあカレッジ”開講のための準備活動
〇第1回推進委員会において、“あいとぴあカレッジ”に関する諸事項の素案づくりを主な任務とする企画小委員会が設置された。企画小委員会は、推進委員会委員長(1名)、同副委員長(2名)、ボランティア(1名)、福祉団体関係者(1名)、中学校長(1名)、教育委員会関係者(2名)、福祉事務所長(1名)、それに社協理事(1名)の計10名の委員によって構成された。そこで検討された事項は推進委員会にもちあげられ、そこでの協議を通して合意形成が図られた。
〇1990〈平成2〉年9月には、企画小委員会のなかに作業委員会が設けられた。それは、学識経験者(推進委員会副委員長)と社協事務局職員の4名の委員によって構成され、通算4回開催された。そこでは、“あいとぴあカレッジ”に関する事業計画や学習プログラム立案の基礎的・具体的な作業が、主としてブレイン・ストーミングの討議法で行われた。
〇以下では、各回の企画小委員会において検討・協議されたことを、社協事務局の記録から概観することにする。

(1)第1回企画小委員会(1990〈平成2〉年9月)
〇“あいとぴあカレッジ”は、狛江という地域で、住民が寄り合って創るカレッジであるという点が再確認され、その考え方をベースにいろいろな意見が出された。例えば、福祉のまちづくりは住民の生活(暮らし)から出発しなければならない。したがって、その担い手の育成・確保を図ろうとする“あいとぴあカレッジ”は、住民の暮らしに密着したものであることが求められる。そこで、講師(指導者)は狛江市内の人材に求め、住民の生きざまに学ぶ。学習資料は、地域の実態や住民の生活現実に根ざした生(なま)の資料に基づく、手づくりのものとする。学習場所(会場)は、市内の小学校の空き教室を有効利用する方向で考えることにし、住民が下駄履きで気軽に参加できるよう配慮する、などが決定された。

(2)第2回企画小委員会(1990〈平成2〉年12月)
〇“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムを中心に協議された。また、住民の・住民による・住民のためのカレッジであるという視点を生かすために、学習者もカレッジの運営に積極的にかかわれるような「運営委員会」の設置について検討された。その他、学習者が主体的・創造的にかかわれる体制づくりという視点から、開講式以前に第1回の学習日を設け、オリエンテーションを行う。聴講生制度の導入については、聞きたい講座だけ参加する「つまみ食い学習」では福祉のまちづくりは担えないという考えのもとに、見送る。カレッジの学長については、遊び心をもって市内の最高齢者などが候補にあげられたが、“あいとぴあ推進計画”の産婆役を務めた狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会委員長(学識経験者)に依頼する、ことなどが協議、決定された。

(3)第3回企画小委員会(1991〈平成3〉年1月)
〇“あいとぴあカレッジ”での学習内容や学習方法についての協議、講師団の絞り込み、それにカレッジ案内・募集要項(「あいとぴあカレッジ――入学のご案内」)についての検討などが行われた。席上、市内の人材による講師の講話内容や方法に関し、とりわけ講師が人前で話をすることや現実生活についての自分の思いや願い、悩みや苦しみなどの内面をさらけ出すことの戸惑いなど、いくつかの疑義が提示された。しかし、“あいとぴあカレッジ”は住民が相互に学び合う場であり、講師は、自分の生きざまを話すことによって学習者に住民としての生き方の素材を提供するとともに、自分自身も一人の住民として地域社会に貢献し、また自己実現・自己向上を図る、という基本的理念が再確認された。また、今回の企画小委員会では、学習評価の視点と方法についての検討もなされた。

(4)第4回企画小委員会(1991〈平成3〉年2月)
〇“あいとぴあカレッジ”の協賛団体の募集や学習者の修了レポートのあり方などについて検討された。また、学習プログラムの具体的な詰めの作業が行われた。そして、企画小委員会としての成案を得た。

〇1991〈平成3〉年2月、第3回推進委員会が開催された。そこでは4回にわたる企画小委員会での検討結果が報告され、協議を経てほぼ原案通り“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムが決定された。
〇“あいとぴあカレッジ”の事業計画案や学習プログラム案は、以上のように、作業委員会、企画小委員会、推進委員会のあいだを何度となく往復し、そのなかで練りあげられ、内容の深化が図られていった。また、4つの委員会は、住民参加の場として、あるいは関係機関・団体との連携・協働や合意形成の場としても有効に機能したといえる。さらにまた、各委員にとっては、委員会は学習の場であり、自己実現や自己変革の場であったともいえよう。“あいとぴあカレッジ”の開講にかかわった委員の変革や変容が、“あいとぴあ”のまちづくりの「はじめの一歩」となったのである。

Ⅳ 福祉教育の学習プログラム立案の方法と留意点

〇地域住民による福祉教育において、その学習プログラムの立案は難しい。その主な理由のひとつは、学習者の属性や生活の実状、それに基づく発達課題や生活課題、学習要求や学習必要などがそれぞれ異なるところにある。その点では福祉教育の学習プログラムには定型はなく、学習者の数と同じだけの学習プログラムが準備されなければならないことになる。しかし、現実的には、地域社会の実態や動向などが反映される個々の学習者の多様な生活実態やニーズから、共通する、統合されるプログラムを立案・編成することになる。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムの立案に際しては、“あいとぴあ”のまちづくりのための学習の方向づけや内容づけがなされたことはいうまでもない。しかし、その際、住民に対する学習要求調査に基づいて住民が必要とする学習項目や学習課題を探り出すという手法は採られなかった。また、主な、中心的な学習者(参加者)を想定・決定し、そのうえで学習者の生活実態や学習要求を把握するということもなされなかった。その点においては、限界のあるプログラムであったといわざるをえない。とはいうものの、立案・編成に際して、基本的なところではとりわけ次の4点について認識され、留意されたことについては注目しておきたい。

(1) 学習プログラムの立案に際しては、「はじめに学習者ありき」という認識が重要である。しかも、その学習者を地域生活主体として捉え、その立場に即したプログラムの立案・編成が求められる。すなわち、個々の住民が現実的に抱える生活課題や学習要求、それに狛江市の歴史的社会性や地域性に基づく生活課題や地域課題などに焦点をあてた、実際的で実践的な学習活動の展開が必要かつ重要となる。
(2) 学習プログラムは学習活動の単なる日程表や予定表ではない。それは、学習者のモラールを引き起こし、高めることができるものでなければならない。学習プログラムづくりとは、地域住民の生活や学習に関する考えや思い、願いなどをプログラムという形に具体的に表現することに他ならない。その際、手づくりの、手のこんだ学習活動が自主的、主体的、そして自律的に展開されるよう工夫し、配慮することが求められる。
(3) 地域住民による学習は、地域生活に発し、地域生活に帰す。“あいとぴあカレッジ”における学習は、個々の住民に始まって個々の住民に帰るだけでなく、その成果が地域に還元されることが期待される。その際、地域への還元は、学習者自身の高まりや深まりなくしてはありえない。知識の単なる蓄積は態度の変容を促さないともいわれる。その意味からも、関心と感動を引き起こすプログラムの編成が求められる。
(4) “あいとぴあカレッジ”は、狛江市に暮らす住民を対象とするカレッジ(講座)ではなく、住民を主体とするものである。また、その学習プログラムは、住民の・住民による・住民のための、手づくりのものである。したがって、学習プログラムを立案・編成する過程そのものが重要となる。それ自体がすでに学習すなわち福祉教育の過程であり、“あいとぴあ”のまちづくりの過程でもある。

〇ところで、福祉教育の学習プログラムには、社会教育におけるそれと同様に、一般的には、「事業名」「主催者」「学習対象」「学習期間」「学習時間」「学習回数」「学習場所」「学習目標」「学習テーマ」「学習内容」「学習方法」「学習資料・用具」「指導・援助者」、それに「予算」などの諸事項が内容として含まれる。ここでは、“あいとぴあカレッジ”に関するそのうちのいくつかについて、その立案の方法や留意点などをめぐって論じることにする。

1 学習目標の設定
〇学習目標――学習プログラム全体のねらいは、到達可能なものを具体的に、焦点化して設定し、かつ魅力的なものであることが求められる。抽象的で総花的な学習目標は、学習目標を曖昧なものにし、学習プログラムの編成そのものを困難にする。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習目標は資料1のように設定された。そこには、学習活動そのものが福祉のまちづくりの実践や運動の一環であり、またそれへの具体的な参加が自らの生活をより豊かなものにすることに繋がることが示されていた。学習者が学習目標を身近に感じ、学習意欲を高めるためのひとつの工夫であった。

資料1 “あいとぴあカレッジ”の学習目標

2 学習テーマの設定
〇学習テーマは、学習プログラムの「顔」にあたるものであり、学習日ごとの学習内容を包括的に表現したものである。それは、学習者に対しては学習する概要を示すものであり、指導・援助者に対しては指導・援助すべき概要を提示するものである。そこで、学習テーマは、学習内容を的確に要約しているとともに、学習者が親近感や学習意欲をもちうるような、また学習の内容や方向を容易に想起し理解しうるようなものでなければならない。そして、また、学習者の属性や生活の実状などに適合し、指導・援助者には具体的な指導・援助活動の助けになるようなものであることが望まれる。すなわち、学習テーマは、課題性、親密性、それに具体性の高いものが望ましいといえる。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習テーマは資料2のように設定された。それは、“あいとぴあ推進計画”策定過程で、1989〈平成元〉年9月に開催された第1回市民懇談会における分科会テーマをベースにしていた。その設定に際しては慎重を期し、とりわけその表現には工夫を凝らした。すなわち、学習者を引きつけ、学習者に受け入れられるよう、日常的、具体的、魅力的で平易な表現に心をくだいたのである。

資料2 “あいとぴあカレッジ”の学習テーマおよび学習内容

3 学習内容の選定
〇学習内容は学習目標を具現化したものである。プログラムに盛り込む学習内容の選定に際しては、いわれるように学習内容の種類の単純化と分量の少量化を図ることが肝要となる。多様な種類の学習内容が多量に盛り込まれると、学習者は消化不良をおこし、学習の疎外感や挫折感を味わうことにもなる。学習内容の種類と分量の単純化、少量化によって、学習者は成就感や達成感、充実感などを味わい、学習活動への取り組みを積極的なものにする。さらにまた、次の学習活動への参加を促すことにもなるのである。
〇学習内容がもたらす教育的効果は、その配列の仕方によって左右される。学習内容の配列は学習活動を持続、発展させるうえで重要である。そこで、まず、学習活動への導入をスムーズに行うために、学習者に身近な、日常的・経験的・実際的な学習内容をもつものが配置される。そのうえで、内容配列には連続性と発展性、系統性、それに常に流動的に対処しうる弾力性、柔軟性などをもたせることが肝要となる。また、適切なところに「遊び」や「ヤマ場」の部分をバランスよく配列することが求められる。それによって、プログラムはより豊かなものになり、立体化・構造化する。そして、また、学習者にはゆとりや充実感、向上心などを与え、積極性を生むことにもなる。
〇“あいとぴあカレッジ”の学習内容は資料2のように選定、配列された。その学習プログラムは、単なる「福祉のまちづくり概論」や「社会福祉概論」を講じるための、いわゆる一般教養的学習を行うためのものではなかった。福祉のまちづくりの主体形成をいかにして図るかという観点に立ち、大きな学習課題のもとに立案・編成された。そして、その内容は、福祉のまちづくりについて歴史的・社会的に学習する「総論」、現実の個々の生活場面に即して学習する「各論」、それにまちづくりのための具体的な方法や技術について考え、その習得を図る「方法論」の3つの部分から成っていた。その結果、それは、学習内容が広範囲にわたり、一面では総花的なものになった。また、必ずしも十分には学習成果を日常生活につなげ、現実の生活課題の解決にせまりうるものにはならなかった。すなわち、学習成果の実践化や生活化への配慮が不十分であったともいえる。“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムは、学習の深まりに応じて基礎課程→実務課程→専攻課程と進む段階別編成がなされ、累進的体系化・構造化が図られていたが、上述の点は基礎課程における学習プログラムのひとつの限界であった、といえようか。

4 学習方法の選択
〇学習方法は、現実的には、学習の目標や内容をはじめ、学習者の属性や意識・意欲、指導・援助者の関心や能力、学習資料や用具、学習の時間や場所など種々の条件によって選定、決定される。学習の効果を高めるためには、単一の学習方法にこだわらず、多様な学習方法を有機的・立体的に活用・多用し、場合によっては視聴覚的手法などを併用することも求められる。学習方法には「講義」「討議」「話し合い」「発表」「実技」「実習」「調査」などがあるが、適切な学習方法を選択することは学習者の学習内容の理解を助け、認識を深め、学習効果を高めるだけでなく、学習者の学習への興味や関心、意欲などを持続させたり学習集団を維持させるためにも必要かつ重要となる。
〇“あいとぴあカレッジ”では、「講義」「討議」それに「実習」を中心にしながらも、「見学」や「話し合い」「発表」など学習者の主体的・能動的な活動を促す方法が採用された。また、学習を補強し、学習内容の高度化を図るために、ビデオでの視聴も組み込まれた。それらのうち、例えば「見学」は、現実生活に直面しながら学習課題にせまることができるという点においてメリットがあった。「話し合い」では、学習者の体験や主観・実感のレベルにとどまらないよう留意された。また、「発表」は、学習者が「胸におちてわかる」「身体でわかる」ためにも必要かつ重要であった。
〇また、“あいとぴあカレッジ”では、集会学習として公開の講演会を2回開催した。それは、学習に対する学習者の家族の理解と住民へのPRを意図したものであった。

5 学習資料・用具の選定
〇学習資料(教材)や学習用具(教具)は、学習効果を高めるための重要な要件のひとつである。学習資料や用具の選定に際しては、学習の目標や内容、方法に対する適切度、学習者の属性や日常的な地域生活との緊密度、それに指導・援助者の学習資料や用具に対する熟知度などとの関連が重視される。そして、種々の学習資料や用具を整備し、有効に活用することが求められる。
〇“あいとぴあカレッジ”では、学習資料に関しては、まず指導者(講師)に、指導者相互の事前打ち合わせを通してレジュメと資料の提示を求めた。そして、それを、「受講生便覧」「学習ノート」「学習資料」から成る冊子(『AITOPIA COLLEGE』B5判、52ページ)にまとめ、学習者に第1回開講日の「オリエンテーション」時に配布した。また、学習者に対しても、新聞・雑誌・広報紙などの関連記事や身近な住民の「生きざま」など、地域のさまざまな、生(なま)の資料を入手し、それを学習資料化することが求められた。その作業は、学習者にとってはそれ自体がすでに学習活動であり、また学習に迫力をもたせることを意図してなされた。

6 指導・援助者の活用
〇学習活動の展開とその深化・高度化には指導・援助者は欠かせない。学習目標を達成するためには、そのための意欲と能力をもつ指導・援助者が必要不可欠となる。
〇“あいとぴあカレッジ”では、講師(指導者)については、原則的には著名度や専門度で選定することは避けた。また、できる限り狛江市内から人材を発掘することにし、とりわけ福祉のまちづくりのための実践や運動に参加している一般住民の活用を図った。その理由のひとつは、学習内容の生活性や地域性を期待するとともに、学習者の学習活動やその成果の体験化、生活化、地域化を容易にすることにあった。講師の講話(レクチュア)については、学習活動の方向を定めるものではなく、あくまでも学習者の自主的・主体的な学習活動を誘発させ、持続、発展させるための補助的な役割を果たすものとして位置づけられた。すなわち、講師にはいわば話題提供者としての役割が期待され、学習を結実させ、具体化するのはあくまでも学習者自身であるとされた。また、講師は、ひとりの住民として、その活動を通して社会的貢献と自己実現・自己向上を図ることが期待された。
〇また、“あいとぴあカレッジ”では、学習者の学習活動が自主的・自発的に展開され、講師への依存度を少なくするよう、学習活動全般にわたって集団的あるいは個別的な助言・援助を行うチューター(学習援助者)を配置した。チューターには社会福祉系大学院の学生3名に依頼し、学習者と講師のあいだにあって、個々の学習者に対して、あるいは学習者内のリーダーを有効に活用して、たえずその援助性を発揮することが求められた。
〇なお、講師とチューターには、学習者が自主的・創造的な学習活動を展開しうるよう、学習内容や方法などについて協議を重ねることが求められた。また、彼・彼女らには、それぞれの学習指導・援助過程でいかにして「人間」や「生活」、「地域」や「まちづくり」にせまり、切り込んでいくかが問われた。

7 学習時間・場所等の決定
〇学習プログラムを企画・立案する際、時間的要素として、学習の時期、期間、時刻(時間帯)、回数(時間数)などについて検討することが求められる。それらは、地域の特性をはじめ、学習の目標や内容・方法、学習者の属性や生活実態、学習場所の学習条件や地理的条件などとのかかわりにおいて検討され、設定される。また、学習日と学習日の間隔(学習のインターバル)は、学習の習熟度や達成度との関連を考慮して設定される。
〇“あいとぴあカレッジ”では、学習時期を5月から8月までの第Ⅰ期と10月から2月までの第Ⅱ期に分け、それぞれ15回の学習日を設定した。学習日は、原則として毎週木曜日の午後6時30分から8時30分の2時間とし、公開講演や体験学習、施設見学などは土曜日の午後に組み込まれた。それらは、学習者の時間的制約をできる限り緩和・解消するための配慮であった。また、週1回の学習は、学習日と学習日とのあいだに、学習者によって個人学習や自主的な活動が展開されることを期待してのことでもあった。資料3は、1日の学習日の学習の流れ(「展開プログラム」)を示したものである。「学習活動」に連続性をもたせていた。「講話」と「討議」にそれぞれ50分の時間が配分されていた。また、「学習のねらい」に受講生とともに講師のそれが明示されていた、ことなどが注目されよう。

資料3 “あいとぴあカレッジ”における学習の流れ

〇学習場所(会場)の決定にあたっては、学習の目標や内容・方法に十分に対応できる施設・設備を有する場所が考慮されなければならない。また、地理的条件については、原則的には、学習場所への所要時間が徒歩で15分から20分程度以内が望ましいとされている。
〇“あいとぴあカレッジ”では、狛江市と狛江市教育委員会の理解と協力をえて、市のほぼ中央に位置する小学校(図書室)を学習会場とした。学校を学習会場としたねらいのひとつは、学校(教育)と社協(福祉)との連携強化を図り、地域の福祉教育関連諸資源のネットワーク化を促進することにあった。また、小学校(教員)をはじめとする学校における福祉教育の推進が期待された。

〇“あいとぴあカレッジ”開講のねらいは、福祉のまちづくりの担い手を育成し、その量的拡大と質的向上を図ることにあった。しかも、その基礎課程は、住民に対して、福祉のまちづくりのための実践や運動を動機づける学習課程であった。そこでの学習をひとつの契機に、多くの住民がさらに学習活動を続けるとともに、地域福祉活動やボランティア活動へ参加・協力することが期待された。そういった“あいとぴあカレッジ”の基礎課程の学習プログラムは、その立案に際して、以上のほかに次の諸点が留意された。

(1) 一定以上の学習成果を得るためには、学習集団の規模の適正化を図る必要がある。そこで、定員制を採用し、第Ⅰ期、第Ⅱ期ともに募集人員を30名とし、さらにそれを15名ずつの2グループと、7~8名ずつの4つの班に分けた。それによって、学習者の人間関係の緊密化とコミュニケーションの効率化を図った。
(2) 学習者の自発的な学習活動を触発するとともに、学習者がそれぞれの能力を発揮し、役割と責任を分担するよう班活動や係活動の展開を学習者に求めた。すなわち、各班より1名、計4名の班長が選出され、班長には各班の取りまとめと、“あいとぴあカレッジ”の運営に関する諸事項について協議・決議し、執行する「運営委員会」活動への参加が求められた。また、「学級通信」の編集と発行を行う「広報委員会」に8名の学習者が選ばれた。なお、「運営委員会」は、学長(1名)、常任講師(2名)、チューター(3名)、学習者代表(4名)、それに“あいとぴあカレッジ”の学習プログラムなどの企画・立案に当たったボランティア活動推進委員会委員(2名)の計12名によって構成された。
(3) 学習活動の修正や向上・発展、よりすぐれた学習活動の創造を図るために、学習評価を重視した。すなわち、学習者の評価活動を学習活動の一環として位置づけ、学習者に慣習化、定着化させることに努めた。また、学習修了者には、学習活動の総括と自己評価のために、簡単な、1人1編のレポートの作成と提出を求めた。
(4) 学習者から、特別の学習資料や学習者の自主的活動のための費用として、受講料3,000円を徴収した。それによって、学習者の中途脱落を防ぎ、自主的・主体的な活動の積極的展開を期待するとともに、参加責任をもたせた。
(5) 賞賛と激励、学習の継続と福祉のまちづくりへの参加・協力への期待を込めて、学習日10回以上の正規の修了者には修了証を授与した。学習日が10回未満の学習者については、不足分を第Ⅱ期で補うことによって正規の修了とした。

〇いずれにしろ、学習プログラムは、計画された活動が予定通り、「静かに」展開されることをよしとするものではない。学習者に能動的・創造的な活動を促す動的なものでなければならない。それによって、学習の深化や高度化を期待することができるのである。

むすびにかえて

〇1991〈平成3〉年5月9日、“あいとぴあカレッジ”「基礎課程」第Ⅰ期の第1回の学習(「オリエンテーション」)が行われた。学習者は募集定員の30名を数えた。その内訳をみると、性別では男性6名(20%)、女性24(80%)、年齢別では10歳代1名、70歳代1名、40歳代と50歳代がそれぞれ9名ずつで最も多く、全体の6割を占めた。また、職業別では、主婦を中心にしながらも、教員、学生(高校生、大学院生)、施設職員など多種多様であった。居住区別では全市的であり、狛江市に移住して4~5年になる者が多かった。地域に関心をもちはじめる居住年数なのであろうか。
〇講師は24名、チューターは3名、その他に社協事務局職員3名もカレッジの運営などにかかわった。計30名、学習者と同数であった。1991〈平成3〉年8月29日、第Ⅰ期生の学習発表会と閉講式が開催された。修了者は28名を数えた。修了者の学習活動への出席率は、土曜日の体験活動や公開講演以外は、常に90%前後の高率を示した。続いて、9月19日には、修了者主催の「卒業記念パーティー」が開催され、また交流活動をはじめ学習活動やボランティア活動などを行うための自主的なグループ――「一期生の会」が発足した。

【参考文献】
(1) 岡本包治・山本恒夫編著『社会教育計画』第一法規出版、1975年。
(2) 岡本包治編著『学習プログラム』(講座「現代の社会教育」第3巻)ぎょうせい、1980年。
(3) 藤岡貞彦編『社会教育の計画と施設』(「日本の社会教育」第24集)東洋館出版社、1980年。
(4) 市町村自治研究会編『市町村計画資料集』第一法規出版、1982年。
(5) 日高幸男・岡本包治編著『社会教育のプログラム』全日本社会教育連合会、1984年。
(6) 岡本包治『社会教育における学習プログラムの研究』全日本社会教育連合会、1984年。
(7) 全国社会福祉協議会編『地域福祉計画』全国社会福祉協議会、1984年。
(8) 岡本包治・山本恒夫編『生涯教育のアイディアと実際』(「生涯教育対策実践シリーズ」第4巻)ぎょうせい、1985年。
(9) 大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会、1986年。
(10) 大槻宏樹編『コミュニティづくりと社会教育』全日本社会教育連合会、1986年。
(11) 岡本包治・小山忠弘・福留強編著『社会教育の計画とプログラム』全日本社会教育連合会、1987年。
(12)『地域福祉計画策定の手引』大阪府社会福祉協議会・大阪府衛星市町村社協事務局長会、1987年。
(13) 小川利夫・大橋謙策編著『社会教育の福祉教育実践』(「シリーズ福祉教育」第5巻)光生館、1987年。
(14) 木全力夫編著『社会教育計画論』東洋館出版、1988年。
(15) 岡本包治ほか『学習プログラムの技法』(「生涯学習テキスト」第4巻)実務教育出版、1988年。
(16) 『東京都における地域福祉推進計画の基本的あり方について』東京都地域福祉推進計画等検討委員会、1989年。
(17) 松下拡『健康学習とその展開』勁草書房、1990年。
(18) 矢野真和・荒井克弘編『生涯学習化社会の教育計画』(「日本の教育」第1巻)教育開発研究所、1990年。
(19) 日本地域福祉学会第4回大会地域福祉計画関係資料集編集委員会編『地域福祉計画の視点と課題』日本地域福祉学会第4回大会実行委員会、1990年。

【初出】
阪野貢「地域における福祉教育の計画と学習プログラム」『日本の地域福祉』第5巻、日本地域福祉学会、1992年3月、84~106ページ。
【参考】
阪野貢『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』みらい、2009年10月、205~231ページ。

*   *   *

〇以上から、「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に関して、次の諸点について留意しておきたい。

(1)本実践では、計画策定の手順を Plan→Do→See  ではなく、See(評価、調査)→Plan(計画)→Do(実施)→See(評価)とした。 住民のニーズや地域課題を徹底的に「見る(See)」ことから始めるこのサイクルは、計画の空論化を防ぐための必須条件である。アンケート調査という数字の裏側に隠れた、住民の「生活の実感」を汲み取ろうとしたのである。

(2)「あいとぴあカレッジ」では、住民の学習要求(学びたい)と学習必要(学ぶべき)を地域福祉のフィルターを通して精選し、具体的な事業・活動化を図った。これは、確かなまちづくりを推進するための基盤であり、同時に住民間の合意形成を構築するプロセスとして位置づけられたものである。

(3)“あいとぴあカレッジ”では、住民や大学院生を講師やチューター(学習援助者)として確保・養成する「ヒト」、小学校の図書室を拠点とする「モノ」、受益者負担による参加責任を明確にした「カネ」、そして手づくりのプログラムを企画・実施する「シゴト」の4要素を体系化した。これにより、福祉教育を一過性の単なるイベントに留めず、地域に根ざした、共働の、持続的な「まちづくり」のための事業・活動としてその構造化・計画化を図ったのである。

(4)“あいとぴあカレッジ”では、「福祉の知識を教える」「ボランティア精神を養う」といった教育者から学習者への一方的な知識伝達(パウロ・フレイレ「銀行型教育」)ではなく、福祉教育を「住民による自己教育・相互教育活動」と捉え直した。 ここでは、住民は単に「学ぶ者」ではなく、学ぶことを通じて自らの生活を見つめ直し、地域の課題を自らの課題として再構成する「教育主体」として位置づけたのである。

(5)“あいとぴあカレッジ”では、学習プログラムのテーマを「児童家庭福祉」「高齢者福祉」といった制度的・形式的なものではなく、「あなたは一人で子どもを育てられますか」「あなたの老後の暮らしは誰がみますか」といった、個人の内面に問いかけるものとした。これによって、福祉(「ふくし」)を「他人事」から「自分事」へと引き戻そうとしたのである。

(6)“あいとぴあカレッジ”では、講師選定において著名度や専門度をあえて避け、地域の人材や「生きざま」を語れる住民を優先した。これは、住民が自らの苦労や願いを語り、それを他の住民が聴く。この「語り」と「傾聴」の連鎖こそが地域における共感のネットワークを紡ぎ出せると考えた。講師もまた一人の住民として自己実現を図るという、学ぶ者との双方向の関係性を重視したのである。

(7)“あいとぴあカレッジ”では、学習プログラムのなかに「遊び」や「ヤマ場」を配列し、学習者のモチベーションを維持するように工夫した。「車椅子で歩く狛江の街」「楽しい仲間とティータイム」といった実習や交流活動などは、教室内の座学を「身体的な体験」へと変換する装置である。感動や驚きを伴う体験(ヤマ場)が、知識を「知恵」へと昇華させ、地域を変える力へと変容させるのである。

(8)“あいとぴあカレッジ”では、その運営体制にも腐心し、学習者自身が班活動や広報活動を担う仕組みを設けた。それは、カレッジ自体が「小さな地域コミュニティ」であることを意味する。委員会の場での議論、対立、そして合意形成のプロセスそのものが、民主的なまちづくりのトレーニング(福祉教育)となることを期待したのである。

(9)“あいとぴあカレッジ”では、社協職員の役割を、主導権を握ることではなく、住民の主体性を引き出すための「触媒(カタリスト)」であることを重視した。 学習情報の提供、学習相談への対応、そして住民同士をつなぐコーディネート。これらは、社協職員に求められる、高度な専門技術を要する「側面的援助」である。住民を信じ、待つ、というこの忍耐強い伴走こそが、住民の内発的なパワーを引き出すとともに、それを支える職員自身の専門性をより高度な次元へと引き上げるのである。

(10)“あいとぴあカレッジ”では、最終的な評価指標を受講生の数や満足度ではなく、学習後に、どれだけの住民が「ふだんの、くらし」のなかで新たな行動を起こしたかに設定した。 「一期生の会」の発足に象徴されるように、学習が集団的なアクションへと発展し、地域のインフォーマルな支え合い組織へと脱皮していく過程こそが、本実践の最大の成果である。

〇“あいとぴあカレッジ”の実践は、1990年代のそれである。「格差社会」や「分断社会」「監視社会」、あるいは「新・階級社会」などといわれる現代社会において、地縁の希薄化や価値観の多様化、さらには生活困窮の重層化といった変数がある。かつて地域コミュニティの核であった「学校」もまた、閉鎖性の打破や地域開放が叫ばれるなど、大きな変容の渦中にある。そして、“あいとぴあカレッジ”の学習テーマに据えられた高齢者や障がい者などの問題に加えて、精神疾患を抱える当事者やその家族、社会的孤立者、外国籍住民、性的マイノリティ、あるいはデジタル弱者などの問題が重要な課題として突きつけられている。さらには、“あいとぴあカレッジ”の会場とされた小学校の図書室が果たした役割を、現代ではSNSやオンラインプラットフォームが一部代替しつつある。
〇こうした社会変容のなかで、福祉教育の場をどこに見出すべきか。どのような媒体を通じて、住民の・住民による・住民のための福祉教育を再構築すべきかが問われている。その際、手前味噌ながら、当時この取り組みに深く関わった者の一人として確信しているのは、「福祉教育はまちづくりのエンジンであり、まちづくりは福祉教育の教材である」ということである。この視点を今こそ、強く意識すべきであろう。

全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター/全国社会福祉協議会における福祉教育の推進

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


出所:2025年11月29日~30日に愛媛県松山市の聖カタリナ大学北条キャンパスで開催された日本福祉教育・ボランティア学習学会第31回えひめ大会において、29日に課題別研究➂として「社協職員の福祉教育実践における価値の言語化~多様な実践の蓄積から紡ぎだす基盤としての価値~」の報告がなされた。本資料は、その際、話題提供された河邉裕子氏(全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター)の報告「全国社会福祉協議会における福祉教育の推進」のレジュメである。

⇨全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター「『福祉教育』の推進に向けた検討委員会報告書」2025年11月10日/本編

謝辞:転載許可を賜りました日本福祉教育・ボランティア学習学会と全社協・全国ボランティア・市民活動振興センターに衷心より厚くお礼申し上げます。全社協の河邉裕子さまには格別のご支援をいただきました。記して感謝申し上げます。
市民福祉教育研究所/主宰・田村禎章

寺谷篤志/社会システム(仕組み)の力―鳥取県智頭町と京都市のマンション自治会―

お問い合わせ
本書は、『過疎化SDGs・社会システム(仕組み)の力/本編―地域経営組織をつくる 杉しかない町から誇りある智頭町へ―』2023年3月12日/( ⇨ 全編)の加筆修正版です。
本書についてのご意見、ご質問等のお問い合わせは、このページ(フロントページ)上段画像下のナビゲーションメニューの「プラットホーム」からお願いいたします。寺谷篤志から直接、所見を述べさせていただきます。


 

はじめに―社会システム(仕組み)が奇跡を起こした―

〇2022年4月24日㈰の午後8時からZOOMで、秋田読書クラブ (主宰者、長尾眞文氏) の例会が行われた。題本は、『多様性の科学』(著者:マシュ―・サイド)で第6章の「平均値の落とし穴」(pp.268-312)を、関西大学社会学部教授草郷孝好先生が解説された。社会システム(仕組み)の重要性を再認識した。草郷先生とは初対面である。
〇次回は7月24日、拙著『ギブ&ギブ、おせっかいのすすめ(以下『ギブ&ギブ』)』(今井出版、2022年)第3章(pp.141-165)を、私が紹介する約束をした。このご縁を活かし、草郷先生から是非とも講評をお伺いしたいと思った。そこで、『ギブ&ギブ』の出版直後、既刊の『地方創生へのしるべ―鳥取県智頭町発 創発的営み(以下『創発的営み』)』(今井出版、2019年)と、『ゼロイチ運動と「かやの理論」』(今井出版、2021年)の智頭町づくり三部作をお贈りした。
〇7月24日(日)に読書会が開催されて、草郷先生から最後の1分間にコメントをいただいた。
《実は三冊の本を送っていただいていたのです。(略)ちょっと考え方を変えてあげる、物の見方をちょっと変えてみることで空気が変わる。空気を変えることを見事にされている。それを仕組みに変えて社会システムとしたところが最高に凄いところで、それは見事です。》
〇それから間髪を入れず、27日には草郷先生のご著書の新刊『ウェルビーイングな社会をつくる』(明石書店、2022年7月)が届いた。感激した。ご著書から、私たちは予想を越え未知への挑戦を行っていたことがわかった。つまり、地域づくりで「誇りの創造」をテーマに、社会システム(仕組み)の「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動(以下「ゼロイチ運動」)」に挑戦した。それらは何のためにやったのか、私たちはウェルビーイング(至高善)を手繰り寄せていた。2010年に腎臓癌を発症した。命を救ってもらい必死の思いで三部作を編集したことによって、地域づくりの核心を掴むことができた。
〇そして、応援していただいた方々の顔が浮かんだ。この納得感をあの世に持って行くわけにはいかない、兎に角まとめなければいけない。ところが2022年の酷暑は凄まじかった。7月末からフラフラしながら毎日パソコンに向かった、本書の構成は踏み込んで、また踏み込んで見えた。社会システム(仕組み)をキーワードに編集したところ、智頭町の集落で奇跡が起こっていた。
〇9月に入って草郷先生に荒書きを送った。「草郷です。修正資料を拝読させていただきました。セットで学生への貴重な資料になります。それから、差し支えなければ、関心のある知り合いに共有させていただきます」と。また、北京外国語大学北京日本学研究中心教授宋金文先生からは、「ゼロ分のイチ運動を社会システムの視点で整理して、いろいろ考えさせられることがあって、腑に落ちるものがあります。私も社会システム論の応用による境界突破という視点と、「制度創生と越境―過疎地域づくりの事例を通して」のテーマで、社会システムの立場から、この事例の意味を総括しているところです」。お二人のコメントに使命感を覚えた。地域づくりに社会科学の視点を取り入れ、理論を翻訳し実践して、身近な仕組みを少し変えた。本書は、住民の覚醒化によって地域規範が変化した二つのコミュニティ(鳥取県智頭町と京都市のマンション自治会)の軌跡を編集した。

2024(令和6)年10月

[プログラムガイド]“ ゼロ(無)からイチ(有) ” の小さな大戦略

〇1983年ごろ、智頭町の住民は観光資源がない、温泉がない、傑出した人物がいない、杉しかないと言っていた。しかし、地域社会で無いモノを幾ら嘆いても、地域は変わらない。私たちは智頭杉にこだわった。1984年に「杉板はがき」を発案し、翌年に「智頭杉名刺」を製作した。杉材の板切れや端切れでなにが地域活性化かと嘲笑された。
〇1988年に「智頭町活性化プロジェクト集団」(Chizu Creative Project Team:略 CCPT)を組織し、“地域の国際化”をテーマに青少年社会人海外研修支援事業をスタートして可能性が広がった。そして、1989年にスイス山岳地調査で住民自治の種を見つけ、新しい社会システムの実現に向けて挑戦した。世界に目を向ければヒントがあった。ところが30年前には、選挙違反が二度起こり、町会議員が大量に逮捕され、我が町はこんな町かと屈辱感を持った。どこにでもある普通の町(中山間地)がどうして革新できたのか、それはたまたま起こったことではない。
〇地域づくりに意図的に新機軸の①小集団活動を取り入れ、②社会科学の学びの場づくり、③社会システム(仕組み)を創造し、住民自治の舞台を創った。1995年にCCPTと智頭町役場職員7人で「智頭町グランドデザイン策定プロジェクト」のチームを発足させ、叡知を結集し、1997年に「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」がスタートした。15集落の住民が、「住民自治」「地域経営」「交流情報」の3本の柱によって活性化計画を立て実行する社会システムである。そして、2008年に地区振興協議会(旧小学校区単位)を設置し、併せて、行政施策で住民と役場が協働する百人委員会が起動した。その委員会に参加した西村早栄子氏(移住者)が「森のようちえん」を提案した。地区振興協議会の活動と百人委員会が実行され、智頭町に誇りを創造した。
〇そして、私は2011年秋に京都市に移住した。そこでマンション自治会の立ち上げを目指した。気づけば周りの町内会で毎年地蔵盆が催されていた。地蔵盆は豊臣秀吉の街づくり政策と言われている。マンションの理事会に地蔵盆を実施しようと提案した。ところがお地蔵さんが無い。考えた。お地蔵さんは大地を蔵に見立ててすべての生命が芽吹くところと解釈した。2014年2月、マンション管理組合の臨時総会が開催され、住民の総意を持って自治会が発足した。京都市のマンション自治会で日常防災をテーマに、子どもさん30人のふるさとづくりが始まった。
〇私たちの地域づくりの特色は、CI(Community Identity)戦略による。住民への対話は不可欠である。一つひとつ施策を企図し、社会科学を学び、講義等の文字起こしを行って共有することが、創発的規範の核心(萌芽)となった。諦めたら地域実現はない。それはなぜか。生きる。地域に生き抜くぞという信念が語彙となり、言葉となり、文章となり、会話となって、創発的規範の核となった。本書は地域創生に挑戦したステップを紹介する。

第1章  一歩を起こし、助走から「かや(蚊帳)の理論へ

〇1986年に鳥取県イメージアップ懇話会の委員の委嘱を知事から受け、審議の中から地域づくりを学び、いずれ智頭町に「地域戦略のソフト機関」を創りたいと思った。答申した「とっとりingsマン(積極人間)」の実践を決意した。鳥取県内の多様な人財と出会い、多くの知見を得た。そして、1989年8月末に「地域経営」をテーマに第1回杉下村塾(さんかそんじゅく)を開講し、参加者へ《これら「奇人」をいかに認めるかが、その地の将来を左右する。そして、地域の人々から出た「起人」が、「企人」に生まれ変わる》と、檄文を発信した。社会科学の学びから、住民と地方大学研究者との連携によって地域創生が実現した。

第2章  ゼロイチ運動と社会システム(仕組み)の創造

〇1993年に杉の木村で杉万俊夫先生(現:京都大学名誉教授)から「かや(蚊帳)」の理論 (『ゼロイチ運動と「かやの理」』講義-1、pp.206-228)(後記、参考資料3.参照)の講義を受け、CCPTと役場の連携を構想した。まず郵便局と役場職員は、高齢者サービスの「ひまわりシステム」を発案し、次に1995年にグランドデザイン策定プロジェクトチームを編成した。その時点に、杉万先生から「ゼロイチ運動と『かやの理論』―智頭町の活性化運動10年―」(論文-1、pp.4-27)が届いた。《「杉の木村」で行われている総事は、あくまで、「新しい」総事である。その総事は、CCPTという能動的な経営感覚の持ち主によって創出された総事であり、また、年間1万人を越える外来者を相手にした総事でもある》論考によって、次の段階の“集落のCCPT化”を実現するため、ゼロイチ運動を企画しスタートした。住民と研究者の叡知を結集し社会システムを創造した。地域に舞台を創れば人財は生まれる。

第3章  コミュニティの価値、創発的規範の連鎖

〇智頭町で実行した「かや(蚊帳)」の理論と社会システム思考を応用し、2014年にマンション自治会を設立した。学区町内会と連携しながら、地蔵盆とクリスマス会を開催し、子供さん30人のふるさとづくりを行っている。第13期 (2023.11.25) 第2回理事会で「居住者名簿」の作成が決議され、地縁による安心システムが起動した。
〇そして、杉しかない過疎の智頭町は、誇りの創造から起業戦略(小さな商い)へと展開している。それら実態を横浜市立大学教授吉永崇史先生ゼミ、関西学院大学非常勤講師畑井克彦先生ゼミ、京都大学教授永田素彦先生ゼミ、北海学園大学教授大貝健二先生ゼミは、智頭町をフィールド調査し、創発的規範の連鎖を検証された。1992年第4回杉下村塾に参されていた京都大学教授永田素彦先生から、「成長を続ける/成長を促す智頭」(第3章11(10))をご寄稿いただいた。地域づくりのプロセスが物語科学によって検証された。学生から感動の声が上がった。

第4章  智頭町の秘訣~地域の国際化、「誇りの創造」

〇1988年にCCPTの結成時、活動テーマを“地域の国際化”とした。杉万先生から《豊かな意味を汲みとれる心をもつには、豊かな「かや」に包まれることをおいて他にない》と提案された。本書を三冊目の翻訳図書として中国に提案したい。令和の遣唐使(書籍・ヒト交流)プロジェクトを企画中。北京外国語大学教授宋金文先生は、《寺谷さんたちの取り組みをじっと見ていくと、それは、方法はあるのだということに気が付きました。いま分かるようになったのは地域おこしがけっしてたやすいものではない、成果を上げるまでには、地元の資源、ひと、知恵などを凝縮して、住民主体に活動し、リーダーの粘り強い誘導などをとおしてシステム的に個人や組織、社会を動かすしかないということです。それは、長い道のりですが、やればできるということです》と、国を超える大学間連携から、住民と大学の襷掛け交流を展開している。

第5章  身近に人生師あり、独立自尊

〇21 歳の初冬の夜、地元小学校の宿直室に故小林義男先生を訪ねた。先生から手渡された一冊の本『ピーターの法則―創造的無能のすすめ―』(著者:ローレンス・J・ピーター)に、《階層社会では、全ての人は昇進を重ね、おのおの無能レベルに到達する》とあった。書籍は山峡の地に時代の先端を指し、学びの原点である。
〇子供の頃、母方の高祖父の逸話を聞いた。旧社村(鳥取市内)の村会議員をしていた。現職中、反対を押し切って溜池や発電所の建設を進めたという。おそらく地域を長い目で見ていたのだろう。施設は三世代にわたって活き続けている。つまり、「地域経営」の概念は高祖父の逸話に影響を受けた。そして、帰郷した時点から見ると雲外蒼天、想定外も想定外、予想を超えた地域づくりが実現した。社会科学の学びの場づくりが突破口となった。

おわりに―奇跡のサスティナブル(永続的)ラン、至高善(しこうぜん)へ !―

〇私の至(志)点は拙著を智頭町立図書館に献本することである。多くの方々と出会い、出会った人の数だけ知恵をいただいた。ここに万感を持って筆を擱く、と書いたところへ明治大学教授小田切徳美先生から、内容的にも「ラストラン」ではなく「サスティナブル(永続的)ラン」と、慧眼のコメントをいただいた。そして、《智頭町のこの30年間の取り組みと成果は、それに抗する大きな力になると思います。このような偉業に感謝しております》(2024.02.06)と、メールをいただいた。地域創生の事実をつくった。

追記―おわりにを書き終えて、極論・農山村は消滅しない―

〇幼い頃、あの山を越えて外の世界を見たいと思った。奇遇にも現在、平安京の大極殿の陰陽師寮址に住んでいる。1,200年前にはこの地で安倍晴明が天変地異を占った。地縁を感じる。願いは、地域づくりを編集し国内の過疎地域に事例紹介したい。交流先の北京外国語大学北京日本学研究センターに届けたい。命を救ってもらい、多くの人々との出会いが励みとなった。2年半かけてようやく一文字一文字を綴り、本書を書き終えた。地域は人々にとって身体の一部である。例え自治体が消滅しても地域は消滅しない。

書評―智頭町の地域づくり~解析「地域の社会的生態系(エコシステム)」の創造

〇九州大学大学院教授嶋田暁文先生に書評をお願いした。そして、ご教示いただいた「計画された偶発性理論」により、自身の行動パターンを理解することができた。書評では、《まず、寺谷さんの取り組みは、「社会システム」の変革には間違いないですが、用語として、「地域の社会的生態系(エコシステム)」というような概念を用いた方がすっきりしますね。生態系(エコシステム)こそが、しっくりきます》《「いずれにせよ、寺谷さんの最大のご貢献は、生態系を作り直したこと、プロセスを通じて、フォロワーだった人々の主体性を引き出し、彼(女)らが新たな生態系の下で主体的に活躍していくようになる基盤を構築されたことだろうと思います。その営みの全貌と背景(おじいさまのことなども含め)を知ることができ、大変勉強になりました》、地域の「エコシステム」の変革と解析をいただいた。

参考資料
① 1979年「ハエ(鮠・はや)」の理論
② 1991年「水平型エディターシップ」の理論
③ 1993~94年「かや(蚊帳)」「心の形成4点セット」の理論
④ 1997~98年「贈与と略奪」「現前トトロと伝説トトロ」の理論
⑤ 2023~24年「計画された偶発性理論」

〇私は理論を段階的に学習し一歩を起こし、実践論の核心を掴んだ。1983年に帰郷後、即座に行動したのは、自主勉強会で出会ったリーダーシップ論(著)松本順の「ハエ(鮠・はや)」の理論により行動原理を学んでいたからだ。智頭町の小磁極は「杉」である。そのことを共通の価値観としてチームを組織した。振り返ってみると周りから何と言われようと決然とした態度で実行した。
〇1997年に第9回杉下村塾の講義で、杉万先生からCCPTの活動13年のキーワードは「贈与と略奪」と解析いただいた。そして2023年に嶋田暁文先生からご教示をいただいた「計画された偶発性理論」は、①好奇心②粘り強さ③柔軟性④楽観性⑤勇気にある。特に①好奇心と⑤勇気と直観力が、夢を実現する法則と言える。

[プログラムガイド]まとめ

〇おそらく最後の執筆となる、とうとう19万字を超えた。そこで何が起こったか、執筆作業が心の免疫力を高めた。気力が充実し、病気には特効薬であった。それと創発的規範の伝播によってきっとインターローカリティ(3章7に解説)が起こるものと期待し、その執念で書いた。地域づくりを実践し40年、社会科学を学び、翻訳し、気づき、実践し、事実をつくり、記録し、創発的規範の連鎖を確かめ編集した。書いたことを公開したことによって、大学ゼミの学生さんは本書を読み、智頭町フィールド調査を行い、地域づくりが検証された。地域社会にとっても自分自身にとっても評価書である。
〇「森のようちえん」を視察した畑井ゼミの女子学生の「あとがき」(第3章11(12))~命を見つめなおす~山下奈々美さんは、《現代の女性が子どもを産み育てることから離れてしまった原因は何なのか。本当の意味で子どもを育てるということはどういうことなのか。目の前の当たり前に疑問を持ち、「本当のこと」とは何なのか。考えていく必要がある》、子育ての本質を問う共育機会となった。
〇地域づくりになぜ挑戦したのか、1つは、社会の本質と真理が知りたかった。2つは、住民自治と地域経営を実現したかった。3つは、人権を認める社会を創りたかった。つまり、地域づくりの延長線上に一生と老後がある。地域の新たな創造に手応えを感じながら取り組んだ。それは自己満足か、いえ違う。地域づくりは利他主義の実践(贈与と略奪)であった。地域づくりの秘訣は、創発的規範のゼロ(無)からイチ(有)の小さな大戦略にあった。

目次―社会システム(仕組み)の力―


 

社会システム(仕組み)の力
―鳥取県智頭町と京都市のマンション自治会―

発 行:2024年12月16日
著 者:寺谷篤志
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


阪野 貢/「まちづくり学習」考:「中野伸彦論文」に寄せて ―「まちづくり学習」論稿のワンポイントメモ―

〇「まちづくり学習」に関する多くの論稿のうち、いま筆者(阪野)の手もとにあるのは次の5本である。

(1)竹内裕一「まちづくり学習において地域問題を教材化することの意義」『千葉大学教育学部研究紀要』第52巻、千葉大学教育学部、2004年2月、57~67ページ(以下[1])。
(2)玉田洋「『まちづくり教育』の現状についての考察―『まちづくり』を『教育する』ことにおける課題―」『21世紀社会デザイン研究』第12号、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科、2014年1月、93~102ページ(以下[2])。
(3)吉水裕也・ほか「社会科におけるまちづくり学習の研究動向と展望」『兵庫教育大学研究紀要』第55巻、兵庫教育大学、2019年9月、1~10ページ(以下[3])。
(4)伊藤裕康「『まちづくり学習』の動向と課題―総合的な学習の時間を中心にして―」『文教大学教育学部紀要』第54集、文教大学、2020年12月、27~42ページ(以下[4])。
(5)中野伸彦・森和弘「福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ『ともに生きる力』~」『研究紀要』第17巻第1号、長崎ウエスレヤン大学(現・鎮西学院大学)地域総合研究所、2019年2月、45~58ページ(以下[5])。

〇本稿では、[1]と[2]についてはその概要、[3]と[4]については筆者が留意したい点をそれぞれメモっておくことにする(抜き書きと要約)。[5]については別稿(<まちづくりと市民福祉教育>(74)中野伸彦・森和弘/福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ「ともに生きる力」~/2024年9月〇日)でその全編を掲載する。

竹内裕一「まちづくり学習において地域問題を教材化することの意義」2004年
● まちづくり学習は、さまざまな体験を通して子どもたちが自分たちの生活する地域を知り、地域の良さや問題点を見いだし、地域の形成者の一人として主体的にまちづくりにかかわっていこうとする態度を培うことを目指す学習である。
● まちづくり学習では、身近な環境との親交を深め、それへの愛情をふくらませ、自ら変容していくために、子どもたちが楽しみながらさまざまな「まち体験」を積み重ねていくことを重視する。そのため、学習過程が重要視され、「体験重視型」学習(AOL:Action Oriented Learning)の学習形態をとる。(⇒補遺)
● 従来のまちづくり学習は、いくつかの問題点を孕(はら)んでいた。
第1は、楽しく体験することを重視する余り、ゲーム的要素が強くなりすぎ、学習内容が浅薄なものになってしまう危険性がある。
第2は、学習過程をゲーム仕立てにするために、実際の現実を抽象化モデル化し過ぎてしまい、正確な事実認識に基づいた学習が展開されにくい。
第3は、「体験重視型」学習だけでは、地域に生起する厳しい意見対立を伴うような地域問題に対して、有効な解決策を導き出し得ない。
第4は、まちづくり学習の場が主に「学校外」であったため、どうしても参加者が限られてしまう。(57ページ)
● 子どもたちは、地域社会において生起する様々な問題を、自らの問題として捉え、その解決策を模索することを通して、自立した市民として鍛え上げられる。地域形成主体、良き市民の育成という視点から、まちづくり学習の対象を、地域のまちづくりにある程度問題意識を持った一部の「目覚めた」子どもたちから、地域に生活する「すべての」子どもたちに拡大していくことが不可欠である。
● 地域で生活する人々にとって、地域問題は決して避けて通ることはできない切実で深刻な問題である。地域住民の一人である子どもたちが、地域問題を正面から受け止め、他人事ではなく自らの問題として捉えることができてこそ、真に自らを地域形成主体として立ち上げることができる。(58ページ)
● 地域問題を学校教育の場で扱う際、次のような視点が重要となる(地域問題を教材化するする視点)。
① 地域問題を地域の人々とともに学ぶ
地域社会において、子どもたちを地域構成主体として育んでいくには、地域の大人たちとともに学ぶことが決定的に重要である。その際、子どもたちは、地域問題の持つ多様性を、「大人を通して」学ぶとともに、「大人たちと対等な立場で」学ぶことによって、地域社会の抱える問題やその解決策について考え、話し合い、行動することを通して、真の地域形成主体としての資質を獲得していく。(59、60ページ)
② 地域問題を日常的個別的問題と社会問題を媒介する教材として位置づける
地域に生起する様々な問題は、個人の日常生活に直接関わる問題である一方、地球規模の問題へとつながる社会問題でもある。地域問題は日常的個別的な問題と社会問題との中間に位置し、いわば両者を媒介する存在である。そのため、地域問題学習こそ、学習内容を「自分ごと」としてとらえる視点と、「他人ごと」としてとらえる視点を統一して学習できる場である。
③ 地域問題を一般化相対化する視点を導入する
地域問題を他地域に生起する同種の問題と比較検討する、地域問題をより広い地域レベルの問題として把握する、地域問題を日本全体や世界の抱える問題のひとつとして位置づける等の作業を学習過程に組み込むことにより、子どもたちは地域問題をより多面的、多角的、構造的に理解することができ、広い視野から一つの立場に偏らないより公正で妥当な判断を下すことができるようになる。(60ページ)
● 学校教育、とりわけ社会科学習の場でまちづくり学習を推進するにあたっての最大の課題は時間の確保である。現実的には、既存の社会科の学習内容にまちづくり学習的な視点を導入していくことが考えられる。また、社会科学習だけでなく家庭科や技術科、図工科・美術科などまちづくり学習に関連する他教科や選択教科、総合的な学習の時間などのカリキュラムの統合や連携を図りながら学習内容を整備していくことも必要である。(65、66ページ)

玉田洋「『まちづくり教育』の現状についての考察―『まちづくり』を『教育する』ことにおける課題―」2014年
● 「まちづくり教育」とは、まちを知る・郷土愛を育むことなどを目的に、自治体の協力のもと、主に小中学校などで実施されている学習のことをさす。他に様々な名称でも語られるが、いずれも正規の教科ではなく、「総合的な学習の時間」「生活科」「社会科」の中で、90年代以降、数多く実施されている。(93ページ)
●「まちづくり教育」は、その内容によって、「ハード(物的環境)型」(都市計画アプローチ)と「ソフト(社会的環境)型」(地域活性アプローチ)に分けられる。(95ページ)
●「まちづくり教育」は、その主体の目的によって、「まちづくり」教育(「地域」主体:自治体、地域のNPO等/主な目的:地域人材の育成)とまちづくり「教育」(「教育」主体:教育委員会、小中学校等の教育機関/主な目的:思考力・判断力・表現力の育成)に分けられる。(96ページ)
●「まちづくり教育」は、その内容(ハード・ソフト)と主体(地域主体・教育主体)の組み合わせによって、①ハード型「まちづくり」教育、②ソフト型「まちづくり」教育、③ハード型まちづくり「教育」、④ソフト型まちづくり「教育」の4つに分類できる。
●「まちづくり教育」は、①~④の全体が想起されるわけではなく、それぞれの立場(地域、教育機関)によって異なる。(97ページ)
●「まちづくり教育」の学習段階は、①まちを知る→②まちを好きになる→③まちに対する考えを持つ→④考えの共有→⑤行動する、と整理することができる。(98ページ)
●「まちづくり教育」の学習段階を考えると、「まちを知る」などの低いレベルにとどまる傾向にある。「まちづくり教育」の効果については、まだ明らかとなっていない部分が多く、それはそもそも検証しにくいものでもある。(99、101ページ)
●「まちづくり教育」は、学校などの教育機関で進行すると、子どもたちの「地域からの離脱」(若者の人口流出)を促進する要素を本質的に持っている。すなわち、「まちづくり教育」は、二つの主体(地域主体と教育主体)に目的の違いがあり、それがジレンマを生んでいくという課題を抱えている(東井義雄「村を捨てる学力」「村を育てる学力」1957年。「子どもと地域の乖離」が進んでいる今日においてはなおさらのことである。:阪野)。
●「まちづくり教育」は、ローカルに根差した「まちづくり」と、ナショナルな価値観の育成やグローバルな価値観への接続を孕(はら)む「教育」の二つが習合した概念、もとから両義性が存在する概念であり、「まちづくり教育」の成立には自ずから困難を伴う。(100、101ページ)
●「まちづくり教育」に可能性があるとすれば、「教育」という“上からの視点”ではなく、教育を受ける子どもたちの自主性が発揮された場合のみである。「まちづくり教育」は、大人たちのそれと同様に、子どもたちが、自分から参加し、楽しみながら主体的に取り組めるようなデザインがなされるべきである。(101ページ)

吉水裕也・ほか「社会科におけるまちづくり学習の研究動向と展望」2019年
● まちづくり学習とは、まちづくりの担い手を育成するために、自分自身が暮らしているまちを対象とし、まちに起こっている課題を他の地域やより大きなスケールと関連づけな がら認識し、自らが主導してハードとソフトの両面から総合的なまちづくり実践を行う学習と位置づけられる。(1ページ)
● 小学校社会科におけるまちづくり学習実践では、これまでのまちや今のまちの認識が強調され、これからのまちという未来の視点が弱い。また、これからのまちを考える際には、少子高齢化など予測可能な事象だけではなく、発生することが不確実な事象を組み合わせて、未来のシナリオを考えさせる未来予測型授業も必要である。
● 中学校社会科におけるまちづくり学習は、認識論的には、まちを所与のものと捉える学習が主流であり、目標論的には、まちづくりに関する知識・理解の獲得が中心である。しかし、まちが変化するものであること、まちづくりができる資質・能力を育むことを考えると、それでは不十分である。授業で生徒が追究する「問題(課題)」の取り上げ方に関しては、教師の「問題(課題)」か、子どもの「問題(課題)」か、という違いがみられる。また、取り上げる「問題(課題)」の種類(質)に関しては、スケールの違いがみられる。さらに解決策の導き方に関しては、グループや個人で自分(たち)にできることの提案、自治体などが行っている政策の妥当性の評価、代替案の創出という違いがみられる。なお、小・中を通じて、外国の研究を参照したものはみられない。(9ページ)

伊藤裕康「『まちづくり学習』の動向と課題―総合的な学習の時間を中心にして―」2020年
●「まちづくり学習」は、自分が暮らすまち(地域)を知って愛着を覚え、まちの良さや問題を見いだし、まちの問題を自分たち事として解決していこうとする中で、まちづくりを担う力を育む学習である。(28ページ)
●「まちづくり学習」をこのように規定すると、「まちづくり学習」は12のタイプに大別される。①環境・命まちづくり学習、②防災まちづくり学習、③すまいまちづくり学習、④建築・都市計画まちづくり学習、⑤景観まちづくり学習、⑥TOSS型観光まちづくり学習、⑦福祉まちづくり学習、⑧キャリアまちづくり学習、⑨食農まちづくり学習、⑩ESDまちづくり学習、⑪人権まちづくり学習、⑫総合まちづくり学習、がそれである。(30~36ページ)

● 「まちづくり学習」の深まりは、①まちへの関心をもつ→②まちを知る→③まちを好きになる→④まちに対する夢やこだわりをもつ→⑤まちに対するビジョンをもつ→⑥まちの様々な問題に対する解決策を提案する、の段階を経る。(29~30ページ)
●  深い学びの「まちづくり学習」を実現するための要件として、①外部の機関や地域の人々を巻き込んだ学びであること、②特定のテーマでの「まちづくり学習」であっても、モノ、コト、ヒトに係わる広範囲な学びであること、③教師や地域の人々の支援を受けながらも、子ども主導で学習活動が展開される学びであること、④(子どもの日常生活や実際の社会的場面における活動に基づく:阪野)本物(真正)の学びであること、が挙げられる。(36ページ)
● 持続可能な「まちづくり学習」を実現するための要件として、①全校での取り組みであること、②地域ぐるみの取り組みであること、③外部との連携体制が整えられること、が挙げられる。(37ページ)

中野伸彦・森和弘「福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ『ともに生きる力』~」2019年
<まちづくりと市民福祉教育>(74)中野伸彦・森和弘/福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ「ともに生きる力」~/2024年9月6日/本文

〇まちづくり学習についての以上の論述から、そのあり方について考える際に留意すべきいくつかの点を再掲しておくことにする。以下のそれは「まちづくりと市民福祉教育」に関しても通底しよう。

● 子どもたちを地域構成主体として育成するためには、地域問題の持つ多様性を「大人を通して」学ぶとともに、「大人たちと対等な立場で」学ぶことが重要である。また、学校ぐるみ(づくり)・地域ぐるみ(づくり)の取り組みや、そのための自治体や専門家、市民団体などの地域の関係機関等による共働的な関係の構築が肝要となる([1]59ページ、[4]37ページ)
● 地域問題は、個人の日常生活に直接関わる日常的個別的な問題と、他地域や地球規模の問題へとつながる社会問題との中間に位置し、いわば両者を媒介する存在である。そこで、地域問題学習は「自分ごと」と「他人ごと」を統一した学習となり、そのためには問題(課題)を多面的・多角的・構造的に把握し理解することが求められる。([1]60ページ)
● 学校教育におけるまちづくり学習の課題は、時間と場の確保である。まちづくり学習の場として総合的な学習(探究)の時間や社会科、生活科・家庭科などが考えられる。併せて、他教科や領域などの学習内容に、「まちづくり学習的な視点」(まちづくり学習機能を有する活動)を導入することも考えられる。([1]66ページ)
● 学校におけるまちづくり学習は一面では、「まちを知る」ことによって、子どもたちの「地域からの離脱」を促進する要素を持っている。子どもたちが豊かな地域づくりに参加(参集・参与・参画)するためには、子どもたちが地域を知り、地域の良さや問題点を見出し、主体的・自律的に、そして楽しみながら学習活動に取り組めるデザインが求められる。([2]100、101ページ)
● 子どもたちを持続可能な社会の創造主体として育成するためには、過去や現在のまちについての認識・理解に留まるのではなく、意識変革や価値観の育成などを通して、未来のまちについて考える未来予測型・未来創造型の授業も必要となる。([3]9ページ)

〇「まちづくり」をテーマや題材にすれば、それは即「まちづくり学習」として成立するわけではない。そのためにはいろいろな要件や取り組みが必要となる。まちづくり学習の目標や内容に加えて、地域の問題(課題)を発見し、理解し、解決するための主体的・自律的そして共働的な学びをどう構想するかが、子どもや教師、共働する地域の関係機関や住民などに問われることになる。その際、福祉教育実践において高齢者や障がい者がそうされることがあるように、「地域」が道具視されることがあってはならないことは言うまでもない。
〇なお、直近のまちづくり学習に関する論稿のひとつに、唐木清志の「社会系教科におけるまちづくり学習に関する評価モデル―サービス・ラーニングのパートナーシップの視点から―」(井田仁康監修、唐木清志・ほか編『Well-beingをめざす社会科教育―人権/平和/文化多様性/国際理解/環境・まちづくり―』古今書院、2024年4月、297~306ページ)がある。そこでは、まちづくり学習の可能性と課題を念頭に置きながら、まちづくり学習では多様な主体(constituency)の関係性こそが重要であるという立場から、まちづくり学習の評価モデル(まちづくり学習の全体を構造的に評価する枠組み)を検討する。
〇そのなかで唐木は、例えば、まちづくり学習の主体(子ども、教師、学校管理者(校長)、地域組織、地域住民など)に関して次の3点を指摘(提案)する。①まちづくり学習の主体を、教師が単元開発の段階で積極的に探し当てることが必要である。主体はその関係性の網の目の中に無数に存在しており、その網の目を活かしながら、まちづくり学習は成立するはずである。②主体間の関係性の質をより厳密に問うていくことが必要である。まちづくり学習では、主体の関係性が変容していくことで、単元そのものも変容を遂げると考えられるべきである。③まちづくり学習を授業づくりの次元で検討するばかりでなく、学校づくりや地域づくりの次元においても捉えていくことが必要である。まちづくり学習は、子どもや授業を変えるだけでなく、学校や地域を変える可能性を秘めているからである(304~305ページ)。
〇まちづくり学習に関連する概念に「サービス・ラーニング」がある。唐木はいう。サービス・ラーニングは、「教室で習得された知識・技能を、地域社会の課題を解決するために計画・実施される社会的活動に生かすことを通して、学習者が市民性を身に付けることを目的とした教育方法」と定義される。サービス・ラーニングを日本の学校教育の文脈に即して意訳するなら、「社会参加学習」が適切である。
〇日本型サービス・ラーニングとしての社会参加学習は、次の条件によって成立する。①地域社会の課題を教材化すること。②プロジェクト型の学習(子ども自らが問題を発見し、解決する能力を養うことを目的とした学習方法。問題(課題)解決型学習)を組織すること。③振り返りを重視すること。④学問的な知識・技能を習得、活用する場面を設定すること。➄地域住民との協働を重視すること、がそれである(298ページ)。唐木のサービス・ラーニングの言説については、<雑感>(40)社会参加とサービス・ラーニング―唐木清志著『子どもの社会参加と社会科教育』再読―/2016年10月1日/本文、を参照されたい。

〇「学校教育・サービスラーニング・福祉教育」については、<スライド版>(4)「学校教育・サービスラーニング・福祉教育―中央教育審議会答申等―」/2023年7月5日/本文、<原田正樹の福祉教育論>アーカイブ(4)講演録(1)/原田正樹/地域の課題に取り組む―サービスラーニングを理解する―/2021年3月2日/本文、を参照されたい。
〇「まちづくり学習と市民福祉教育」については、一部重複するところもあるが、<まちづくりと市民福祉教育>(11)まちづくり学習と市民福祉教育/2012年10月13日/本文、を参照されたい。

 

補遺
竹内裕一は、「社会科教育におけるまちづくり学習の可能性―子どもと地域の再生に向けて―」『千葉大学教育学部研究紀要』第47巻、千葉大学教育学部、1999年2月、55~69ページ、において「体験重視型」学習の問題点として次の4点を指摘する。その際、「体験重視型」学習は、「まちづくりに楽しくかかわる」ということを基本的コンセプトに、「楽しく参加しながら、知らず知らずのうちに、環境(まち)への思いや関心を高めていく」ことにねらいがある、という。

第1は、「楽しいだけでよいのか」という疑問である。
「体験重視型」学習はゲーム的要素が強いため、参加者が楽しむことが最大のねらいとされる。しかし、そこには「楽しい」だけで地域に生起する問題は解決できるのかという懐疑が存在する。さらに、社会科授業構成原理としての「まちづくり学習」を構想しようとするならば、教育内容の系統性を視野に入れた教科論としての展開が不可欠であろう。
第2は、ゲーム仕立てにするために、実際の現実を抽象化・モデル化し過ぎてしまい、具体的な地域の事実認識に基づいた学習が展開されにくい点である。
すなわち、地域で学んでおきながら、地域の現実を何も学ばないという結果になってしまわないのかという疑念である。第1点目とも併せて、「体験重視型」学習のカリキュラム論的検討が必要であろう。
第3は、上記2点にかかわって、実際に地域で生起する厳しい意見対立がみられるような地域問題の解決に向けて、はたしてこうした取り組みのみで地域の人々の合意を得、有効な解決策を見いだすことが可能なのかという、社会参加型学習の本質にかかわる問題点である。
地域に生起する問題は、多くの場合、住民相互に意見の相違が認められる。「体験重視型」学習では、こうした住民間の意見対立をゲーム仕立てにするわけだが、現実的な問題解決策を見いだすには、意見対立のある問題にかかわる「事実」と人々の「価値観」を考察する学習過程が不可欠であろう。
第4は、特に建築・都市計画系分野の場合、学校外における活動(ワークショップなどのイベント的催し)が中心であるため、参加者の範囲が限られる点である。
地域の具体的なまちづくりを考える場合、対象とする住民の量と質の拡大は避られない課題である。(65~66ページ)