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大橋謙策/地域福祉研究者の「研究者文化」と日本地域福祉研究所の設立目的―理事長の退任に際して―

2023年5月20日に大正大学で行われた日本地域福祉研究所の理事会、総会で、日本地域福祉研究所の理事長を退任することが認められました。
1994年12月23日に、日本地域福祉研究所を設立し、2000年1月にNPO法人格を取得し、理事長を担ってきましたが、30年目の節目の年に後進に道を委ねます。
地域福祉研究者の皆様、社会福祉協議会関係者の皆様には、長年に亘り、日本地域福祉研究所及び理事長である私を支えてくださり、衷心より厚く感謝とお礼を申し上げます。理事長は替わりますが、今後とも日本地域福祉研究所へのご支援、ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。(2023年5月21日記)

地域福祉研究者の「研究者文化」と日本地域福祉研究所の設立目的

〇日本地域福祉研究所は1994年12月23日に設立されました。日本社会事業大学大学院修士課程を修了した人を中心に設立しました。元東京都社会福祉協議会職員で、静岡英和大学、静岡福祉大学で教員をされた青山登志夫さん等が尽力してくれて、日本地域福祉研究所の設立ができました。
〇日本地域福祉研究所設立に際し、私は4つの設立目的を考えました。
〇第1は、新しい社会福祉の考え方である「地域福祉」の哲学、理念、実践の在り方などに関する「地域福祉」の普及・啓発でした。
〇筆者は、地域福祉実践・研究を市町村社会福祉協議会を基盤に確立しようと考えて、取り組んで来ましたが、日本の社会福祉学界では、“私のような研究領域、研究方法は社会福祉プロパーでない”と厳しい批判を受けてきました。それらの意見との戦いも含めて、「地域福祉」の考え方の普及と啓発が必要だと考えました。そのことが、従来のコミュニティオーガニゼーション、コミュニティワークに代えてコミュニティソーシャルワークという提唱になります。また、同じように福祉教育を軸とした地域福祉の主体形成理論の提唱も行ってきました。
〇第2には、地域福祉実践の向上に向けた各種研修と実践者の組織化です。
〇筆者は、全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の講師を長らく務め、社会福祉協議会職員の研修の重要性を痛感していました。
〇その全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」が修了したこともあり、その代替機能を担えればと思いました。一時は、通信制の研修システムの構築も考えました(当時は、今ほどICTの発展・普及がない中での紙媒体による通信制を考えていました。いまなら、ICTを使ってできるかもしれません)。
〇その代わりというわけではありませんが、年1回「地域福祉実践研究セミナー」を日本地域福祉研究所が「関係人口」として深く関わり、その地域の実践にある意味影響力を持っている地域で、その地域の実践をフィールドに学習するセミナーを開催しようと考えました。名称も、“地域福祉実践セミナー”でもないし、”地域福祉研究セミナー“でもなく、「地域福祉実践研究セミナー」としたのも、実践と研究の循環を考えたからです。
〇1995年5月に島根県邑南郡瑞穂町で行われた「山野草を食べる会」に呼ばれた際に、当時の瑞穂町社会福祉協議会の日高政恵事務局長にお願いし、1995年8月に第1回を開催したのが始まりです。
〇筆者自身の瑞穂町との関りは、1981年に当時の島根県社会福祉協議会の山本直治常務理事、松徳女学院高校の山本壽子教諭の紹介で訪問したのが最初で、その後瑞穂町の福祉教育、地域づくりの支援に関わってきました(『安らぎの田舎の道標』大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著、万葉舎、2000年8月参照)。
〇第3は、地域福祉実践の記録化と出版化です。
〇筆者は、日本社会事業大学大学院で博士課程を修了し、博士の学位を取得した人にはその博士論文を単著として、刊行し、世の評価を受けるべきだと考えてきました。
〇当時、中央法規出版にお願いしました。できれば中央法規出版が全国の大学の社会福祉系の博士論文を刊行するシリーズを作ってくれればありがたいという思いも含めてお願いしました。日本社会事業大学で博士の学位を授与された野川とも江さん、田中英樹さん、宮城孝さんの博士論文は刊行されました。その後は、出版事情の悪化などもあり頓挫してしまいました。
〇これは、当時の日本社会事業大学の伝統に倣ったものです。当時の日本社会事業大学では、40歳で単著を刊行するのが、教授に昇格する基準でした。私も必死だったことが思いだされます。
〇また、当時は、出版される本の背表紙に著者であれ、監修であれ、名前が明記されるのは、ある意味研究者のステイタスシンボルでもありました。私の恩師は、そのような機会を若手に作り、論文をかくことを奨励してくれました。
〇そのような“伝統”を引き継ぎたいと考えて、博士論文の出版化を推奨してきました。
〇と同時に、日本地域福祉研究所が関わることで、全国各地の実践が向上するならば、その実践を記録化し、できれば刊行したいと考えました。研究所の設立に何かとご支援、ご協力してくれた東洋堂企画出版社(のちに、万葉舎と改名)の尾関とよ子社長(尾関社長との間を取り持ってくれたのは、1970年からのお付き合いがある手嶋喜美子元板橋区区議会議長さんである)が、この考え方に賛同してくれて、出版事情が悪くなってきている中でも、日本地域福祉研究所が関わった実践を出版化してくれました(この件は、「老爺心お節介情報」の第44号の「関係人口」の中で紹介しているので参照してください)。
〇第4は、地域福祉実践・研究者の育成の機会の提供です。
〇筆者は、地域福祉研究者は、自分のフィールドを持ち、その地域と深く関わりながら、その実践を体系化、理論化することが肝要で、“空理空論”を振りましても地域福祉実践・研究にならないと考えてきました。だからこそ、市町村自治体の地域福祉計画を作る場合でも、タスクゴールだけ華やかに、かっこよく作っても、それが具現化されなければ駄目だと考え、住民の意識変容と参加を促すプロセスゴールと地域関係者の社会福祉に関わる力学を変えるリレーションシップゴールの重要性と必要性を考え、実践してきました。
〇そのようなフィールドを持てる研究者に育てるためには、私自身が関わるフィールドに同道して学んでもらうとか、フィールドを提供して実習なり、その地域へのコンサルテーションを行う能力を身に着けてもらうことが必要だと考えてきました。
〇私自身、恩師の“カバン持ち”で、随分と全国の実践現場に連れて行ってもらいましたし、恩師の名刺に“大橋を頼む”という一筆を書いてもらって、恩師が紹介するフィールドに出かけたものです。
〇そんなこともあり、大学院生や若手の研究者にフィールドをもってもらいたくて、いろいろチャンスを提供してきました。成功した場合の方が多いのですが、失敗したことも多々あります。若い頃は、ついつい“自分ひとりで偉くなったつもり、自分は豊かな能力があると過信しがち“で、私の教えが頭に入らず、生意気な言動をとって、実質的に”退室“せざるを得ない人もありました。
〇第5は、日本地域福祉研究所で長らく地域福祉実践に貢献された方々の“たまり場”、拠り所としての「福祉サロン」の機能を持つことでした。
〇全社協の事務局長された永田幹夫先生や三浦文夫先生をはじめとして、社会福祉協議会の第一線で頑張ってこられた方々や地域福祉研究者の「福祉サロン」ができれば、ノンフォーマルな学習の場が機能できると考えました。日本地域福祉研究所の事務室とは別の階のフロアーを借り、冷蔵庫等を整備して、「土曜福祉サロン」などの開催も試みました。現役の方は忙しいけれど、たまには集い、定年退職された方はサロンに来るのを楽しみ、若手に自分の実践を話してくれれば、それが地域福祉実践研究の向上につながると“夢”見ました。
〇このような目的を考えて設立した日本地域福祉研究所ですが、どれだけその目的が達成されたかは、関係者の皆様の評価に委ねることにします。
〇ところで、このような日本地域福祉研究所設立の目的を考えたのは、筆者を育んでくれた「研究者文化」があったからです。
〇日本の大学の教育研究システムは、大きく分けて講座制と学科目制があります。講座制は主任教授、助教授、講師、助教等複数の教育研究スタッフがいて、いわばチームで教育研究を行うシステムです。それに比し、学科目制は、開講されている授業科目を担当する教員が個別学科目毎に配属されているシステムで、研究というより、授業を行う教育に比重があるシステムです。
〇現在の社会福祉系大学は学科目制で教育研究が行われています。したがって、教員がチームで仕事をするとか、大学ごと、講座制の教室毎の「研究者文化」というものを構築することが難しいシステムで、教員個々人が独立した状況で教育研究を行います。大学院を出て、助教、講師という若手も一人前の教員、研究者であり、長年教育・研究に携わってきたベテランの教員とも対等であり、結果として若手の時から“自立している”とみなされるので、ベテランの先生方から「研究者文化」を伝授されるという機会がほとんどない状況です。
〇私の場合には、幸か不幸か、旧制大学で学んだ先生方から教えをうけたので、この「研究者文化」というものを色濃く受けています。妻に言わせれば、それほどまでにしなくてもいいのではないかと揶揄されるほど、“先生の言動、論理展開、先生の社会活動”に“憧れ”、学び、時には“盗み”、身に着けてきました。日本地域福祉研究所の設立の目的は、そのような経緯の中で育てられた私が“行うべき責務、任務”だと学び、受け継ぎ、実践してきたものです。
〇日本地域福祉研究所を維持することは、所員になってくれた方々の会費だけでは賄いきれません。日本地域福祉研究所の理事になってくれた方々には寄付をお願いしました。また、日本地域福祉研究所自身、全国の自治体、社会福祉協議会の研修や計画策定業務の委託を受けて経営努力もしてきました。しかしながら、それでもとても経営は厳しく、私自身も毎年100万円以上の寄付を続けてきました。したがって、私の寄付金の累計は30年間で3000万円を超しています。そのような行動をとれたのは、恩師が“講演や研修で頂いた謝金は自分の懐に入れるな、自分の生活費に使うな”と強調していたからです。それらのお金は、実践で働いている方々や社会に還元しろと口を酸っぱくするほど言い募っていました。そんな「研究者文化」を長年叩き込まれてきましたのでできたことです。
〇このような「研究者文化」がいいかどうかは分かりません。しかしながら、現在の社会福祉系大学の教員、地域福祉研究者の言動をみていると、このような「研究者文化」ともいえる文化を身に着け、行動している人がほとんど見られないことはなんとも淋しい限りです。このような状況の下では、実践と研究のよき循環が衰退し、実践力もぜい弱化し、研究者の質も下がるという“悪循環”に陥らないか危惧しています。

大橋謙策/「バッテリー型研究」と「関係人口」―関係性を豊かに持った自治体―

1)はじめに
〇筆者の「老爺心お節介情報」の誤字脱字を修正したうえで、多くの方に読んでもらえるよう、阪野貢先生が自ら主宰している「市民福祉教育研究所」のブログにおいて、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーを設置してくれ、その中に「アーカイブ(3)老爺心お節介情報」が第1号から収録されている。
〇その阪野貢先生からの要望で、筆者の地域福祉実践、地域福祉研究に於いて、「関係人口」をどう考え、位置付けているのかを書いて欲しいという要望があった。

阪野貢先生のメール
“先生がこれまで、全国で「関係人口」として主導されてこられた数多くの地域づくりに関し「関係人口」のあり様等についての玉稿を(福祉教育の視点から)お願いしたいと念じております。いかがでしょうか。恐縮至極ですが、「老爺心お節介情報」の一読者からの願い(リクエスト)です。

〇その要望に応えるべく、本稿を書いているが、本稿はもとより「関係人口」に関わる学術論文ではないし、阪野先生なり、阪野先生のブログの読者が何を聞きたいのかを精査しているわけではないので、ある意味、私なりにこの50年間の地域福祉実践、地域福祉研究において、どのような関係性をもって行ってきたのかを書くことで責をはたしたいと思う。
〇ただし、阪野先生のメールの括弧書きしてある“福祉教育からの視点”は今回は触れずに書かせて頂いた。

2)「バッテリー型研究」と「関係人口」――その関係性
〇「関係人口」という定義は、緩やかにその地域とその地域づくりに関わる外部の人間として定義しても、その関係性をどういう尺度で図るのか定かでない。関りを持つ地域への訪問の頻度、回数の問題なのか、地域に関わりを持とうとしている外部人間をその地域関係者がアドバイザーや各種計画策定委員として任命しているのか、それとも関りを持とうとしている人間が自称「関係人口」と標ぼうしているのか、さらにはその地域との関りが一過性でなく、継続的に、長期的に関わる期間、スパンのことを問うているのか、必ずしも定かでない。
〇筆者が「バッテリー型研究」というのは、これら「関係人口」の考え方も含めていると同時に、その地域における地域福祉実践に関わる研究方法をも考えている。
〇社会福祉学会における研究方法、研究倫理は、リサーチ系研究における研究方法、研究倫理、あるいは個別支援に関わるソーシャルワーク実践における質的研究、研究倫理はそれなりに確立し、研究者も順守する環境が整備されつつある。
〇しかしながら、地域福祉実践、地域福祉研究における研究方法、研究倫理は必ずしも論議が進んでいないし、確立もしていない。
〇筆者は、講演や研修で招聘だけの地域の関りなのか、それともその地域の地域福祉実践に関わるコンサルテーションまでも依頼されるのか、その地域との関りを持つ際に常にそれらのことを意識してきた。
〇そして、単なる講演や研修のための招聘に留まらず、その地域の地域福祉実践の向上に自分がどう関われるのか、時には差し出がましい提案を敢えてするようにしてきた。コンサルテーションを行うにしても、“差し出がましい提案”をするにしても、その地域の住民の地域社会生活課題はなんであり、それをどう改善する地域福祉実践を展開するのかを常に考え、把握しようと意識してきた。
〇それと同時に、その地域を訪問する際には、事前に各種統計資料や既存の策定された計画を送って頂き、分析していくとか、現地に入り、地域を短時間でも案内して頂くとか、行政や社会福祉協議会の職員に何が生活課題なのかを聞く等して把握するように努めてきた。
〇コンサルテーションや“差し出がましい提案”をする場合には、自分なりに、その地域の地域福祉実践を向上させるための“実践仮説”を提示することに努めてきた。その地域の実践の“評論”ではなく、今後の発展を考えての“実践仮説”の提示である。“評論”と“実践仮説”との違いは、その地域で頑張っている人々を励まし、やる気にさせ、改革してみようと思わせるかどうかが重要な違いのポイントだと考えてきたし、“実践仮説”を提示するということはその内容、発言に責任をもつということでもある。
〇また、そのことは、どのような「関係人口」に位置づくかは知れないけれど、担当の職員が継続的関りを持ちたい(年賀状のやり取り、手紙やメールでの相談等職員が尋ねてくれば対応するという“来るものは拒まず、去る者は追わず”の精神)と思うならば、それなりに支援することを考えてきた。
〇というのも、地域の力学は複雑であり、担当の職員がいくらがんばろうとしても、“地域は動かない”場合があり、地域を対象に考える場合、“天の時、地の利、人の和”という諺通り、時期が来ないと地域を変える改革のエネルギーが充満しない場合がある。これらの時期を見誤ると、“実践仮説”ももって頑張ろうとしている職員の努力が徒労に終わるか、あるいは“組織から、地域から排除の対象”になりかねない。このことで苦労された職員を数多見てきている。地域福祉研究者はそれらのことにも目配り、気配りができなければならず、“実践仮説”という名のもとに、担当職員を“煽り、扇動し”、結果的に職員のみならず、研究者自身がその地域への“出入り禁止”を事実上申し渡される事案は数多ある。
〇筆者が関わった地方自治体において、行政との関わりは主に地域福祉計画等の行政計画のお手伝いを通し、その計画策定後、その計画の進行管理、アフターフォローを兼ねて、地域保健福祉審議会等を条例設置し、その委員長として以後関りを継続する場合が多い。
〇他方、市町村社会福祉協議会を通じての関りは、担当の職員は全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の研修やコミュニティソーシャルワーク研修の際に出会い、意気投合して、その職員の社会福祉協議会を軸にした市町村の地域福祉実践の向上を目指して関りを持ってきたことも多い。
〇前者の場合では、岩手県遠野市、東京都目黒区、豊島区、長野県茅野市等であり、後者の場合では、東京都狛江市、富山県氷見市などがある。この両者は関りの入り口、契機は別々であるが、筆者は常に市町村行政とそこの社会福祉協議会とが共働するように仕向け、新たなシステム、サービス開発を行ってきた。それは、地域福祉は市町村という政治行政機構の最も基礎となる自治体が基盤だということを常に意識していたからである。

3)関係性も持った自治体、社会福祉協議会の計画、実践の記録化
〇筆者が「バッテリー型実践、研究」として関係性を持った自治体は、山口県宇部市や富山県氷見市のように30年を超えるところもあるし、担当職員の熱意に絆され関係を持ち始めたが、その担当職員の人事異動や組織の上司が変わり理解を得られなくなるなどの理由から3~4年で関係性がなくなる場合もある。さらには、いったん関係が閉ざされたように思えたものが数年後に再開される場合などもあり一様ではない。
〇筆者が関わりを持ち続けたいと思い、かつ地域の関係者も持ち続けてほしいという場合でも、筆者の時間には限りがあるし、筆者が関係性も持ち、その地域の地域福祉実践を向上させるために継続的に関わっていくためには、筆者個人ではどうみても対応できない。
〇そこで、1994年12月に日本地域福祉研究所を設立し、日本社会事業大学大学院で教えた教え子たちを私のいわば“分身”として関係性のある自治体に派遣し、組織的に関係性を継続できるようにしようと考えた。それは、大学院で“頭でっかちな地域福祉論を学ぶ”ことよりも、身につく体験学習の場ではないかとも考えて、教え子たちに筆者が関係性を持っていた自治体を任せ、継続的にコンサルテーションができればと考えたからである。
〇しかしながら、筆者の思惑を理解し、思惑通りに成長してくれた人もいれば、期待にそぐわず、関係性を壊してしまったり、期待する実践家、研究者にならなかった人もいる。
〇と同時に、筆者は、その地域との関係性を“俗人的なもの”にせず、社会的に汎用性あるものとするために、関係性により作り上げられた、その自治体の地域福祉実践や地域福祉計画を記録化し、世に問うために出版するということを心掛けてきた。
〇その場合、計画レベルのものを本にしても実践的裏付け、検証がなく、単なるきれいごとの“絵にかいた餅”になりかねないので、一定の実践を踏まえた後に、計画の理念と実際という形でその自治体の実践を本として刊行するということを心掛けてきた。
〇それら実践の記録化したものを、手元にある資料だけで紹介すると以下の通りである。

〇以上のような本としての記録は残っていないが、筆者が筆者なりに関係性をもって取り組んできた自治体として思い起すことができる自治体を列挙すれば以下の通りである。
北海道鷹栖町、遠別町、美深町、岩手県沢内村、秋田県藤里町、宮城県石巻市、千葉県鴨川市、富里市、東京都稲城市、東京都目黒区、東京都豊島区、香川県琴平町、愛媛県今治市、四国中央市、徳島県美馬市、島根県松江市、沖縄県浦添市
等である。
〇上記以外に、“関係性”の中味の捉え方に関わってくるが、日本地域福祉研究所が開催してきた27回の地域福祉実践研究セミナーの開催自治体、あるいは25回の四国地域福祉実践研究セミナーの開催地、さらには18回を数える房総地域福祉実践研究セミナーなども関係性を大切して、その地域の地域福祉実践を向上させようと取り組んできた自治体ということができる。

寺谷篤志/拙著『ギブ&ギブ、おせっかいのすすめ』(今井出版、2022年6月)について

〇出版はこれで最後と覚悟して編集しました。京都に来て5冊目の発刊です。編集面と出版面の応援者があって実現しました。昨年3月、横浜市立大学の吉永崇史先生のゼミで智頭フィールド学習に取り組んでおられることを知りました。何か役立てばと関係書籍をお送りしたところ、吉永先生から昨年4月11日にメールとともに智頭町に関する論文が届きました。《直感的に、この“コミュニティ”に研究者としての魅力を感じたのだ。あえて言語化するならば、智頭町の人が、雰囲気が、洗練されている。その“洗練さ”は何によってもたらされているのであろうか》、との解析に感動しました。吉永ゼミの胸をお借りして、智頭の魅力と洗練さを探ってみようと思いました。
〇本書は一気に編集したものではありません。当初、吉永ゼミに第1章から第3章を提供(素案)しました。そして、第4章の感想文が届き、第5章の松尾氏のCCPT活動の転換点の視座をもらい、第1章8「エディターシップ」を編集しました。第6章吉永先生の考察と、第7章は2回目の感想文を受け、第2章6「ゼロイチ運動と地域計画」に計画策定をステップ(「四面会議システム」の実践例)を加筆しました。そして、「満点星チーム」と「Cheese」は、コロナ禍の中、智頭町を訪問して第8章のレポートが届きました。最後に、「はじめに」「おわりに」と、全体を精査して加除筆し、「ギブ&ギブ」のキャッチボールで編集しました。
〇振り返ってみますと、理性的・打算的に考えたら“何にもならんことをするな”です。長続きの秘訣は頑なに感性に拘ったことでした。お金や地位や名誉にならんことをしたから、満74歳まで休みなく地域づくりに取り組みました。そして、志のある人々が集まる場を、学ぶ場を、ポジションを、光の当たる場を作って、皆さんに提供しました、そこに贈与と略奪が起こりました。その軌跡を編集しています。
〇私は五段階活動と言っていますが、1.気づく、2.企画する、3.実行する、4.記録する、5.編集する、地域づくりのルーチンによって実現しました。本書は智頭町の地域づくりの通信簿となっています。

 

阪野 貢/追補/「関係人口」と「よそ者」―田中輝美の論考と大橋謙策の実践研究―

〇地域づくりに関してしばしば、「よそ者、若者、ばか者」という3者が挙げられ、その役割が指摘される。従来のシステムや活動に対して批判的で、新しい見方を醸成する「よそ者」、しがらみのない立場から、新たなエネルギーによって次の時代を切り拓く「若者」、旧来の価値観の枠組みからはみ出し、既成概念を壊す「ばか者」がそれである(真壁昭夫『若者、バカ者、よそ者―イノベーションは彼らから始まる!』PHP研究所、2021年8月参照)。そこに通底するのは、常識や固定観念にとらわれず、客観的にモノゴトを考え、前向きに行動する姿勢や態度である。彼らは地域づくりの現場で、ときに好意的・肯定的に評価され、またときには地域や組織から受け入れられず、軽視あるいは排除される。
〇私事にわたるが、筆者(阪野)がいま暮らす“まち”に定住して25年が過ぎた。そして僭越ながら、ある思いや願いのもとで、地域との関わりにおいて「よそ者、若者、ばか者」の役割を多少とも果たそうとしてきた(している)。しかし、地域からの基本的な評価は、いまだに地域外からの「よそ者」(移住者)である。コトによってはある役割を果たすことが要請・期待されるが、それとて地域に住む一般的な住民とは異質な「よそ者」「見知らぬ者」に対してである。そうしたなかで、「よそ者、若者、ばか者」に無頓着・無関心に暮らす地域住民が多い。これが、多かれ少なかれ伝統的な共同性や社会関係が残る農村部や中山間地域を抱える、地方の小都市(人口約8万6,000人)のひとつの実相である。
〇また、地元の行政やJA等の広報誌などでは最近、「関係人口」に関する記事が目につくようになった。それは、移住者や新規の就農者の増加を図りたいという考えによるのであろう。また、「農福連携」の記事も散見される。農福連携とは、「障がい者等が農業分野で活躍することを通じ、自信と生きがいを持って社会参画を実現していく取り組み」である。「担い手不足や高齢化が進む農業分野において、新たな働き手の確保につながる可能性がある」(農林水産省ホームページ)という。そこでは、いわゆる「健康・生きがい就労」が強調され、劣悪な労働条件や職場環境のなかでの就労が余儀なくされている。それは、安価な労働力を補填・補充する、技能実習生として働く「低度」外国人材の非熟練労働の実態と重なる(安田峰俊『「低度」外国人材―移民焼き畑国家、日本―』KADOKAWA、2021年3月参照)。
〇さて本稿は、本ブログの<雑感>(104)「『関係人口』とまちづくり―その概念に関するメモ―」(2020年3月23日投稿。⇒本文)で説く「関係人口」の追記と、「よそ者」の補記である。
〇筆者の手もとに、田中輝美(たなか・てるみ。ローカルジャーナリスト、島根県立大学)の『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』(大阪大学出版会、2021年4月。以下[1])がある。
〇「関係人口」という用語は、高橋博之(たかはし・ひろゆき)と指出一正(さしで・かずまさ)の二人のメディア関係者が2016年に初めて言及したものである。「関係人口」とは、高橋にあっては「交流人口と定住人口の間に眠るもの」、指出にあっては「地域に関わってくれる人口」をいう。その後、田中輝美は「地域に多様に関わる人々=仲間」(2017年)、総務省は「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」(2018年)、農業経済学者である小田切徳美(おだぎり・とくみ。明治大学)は「地方部に関心を持ち、関与する都市部に住む人々」(2018年)、河井孝仁(かわい・たかよし。東海大学)は「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(2020年)としてそれぞれ、「関係人口論」を展開する(73~75ページ)。
〇田中は[1]で、こうした抽象的・多義的で、農村論や過疎地域論に偏りがちな(都市部における関係人口を切り捨ててしまう)関係人口論に問題を投げかけ、関係人口について社会学的な視点から学術的な概念規定を試みる。関係人口とは「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」(77ページ)である、というのがその定義である。この定義づけで田中は、関係人口を、移住した「定住人口」でも観光に来た「交流人口」でもなく、新たな地域外の主体、別言すれば「一方通行ではなく、自身の関心と地域課題の解決が両立する関係を目指す『新しいよそ者』」(69ページ)として捉える。その際、地域とどのように関わるかについて、関係人口の空間(「よそ者」)とともに、時間(「継続的」)と態度(「関心」)に注目する。
〇こうした定義づけを踏まえて田中は、関係人口が地域再生に関わった事例の分析を行い、関係人口が(1)どのように地域再生の主体として形成されていくのか、(2)地域再生にどのような役割を果たすのか(14ページ)、という2点を明らかにする。そのなかで、現代の人口減少社会における地域再生の方向性と具体的な方法論を示す。これが[1]における「関係人口」研究の目的である。なお、田中が調査対象としたのは、関係人口が島根県海士(あま)町で廃校寸前の高校の魅力化という教育課題に関わった事例、島根県江津(ごうつ)市でシャッター通り商店街の活性化という経済課題に関わった事例、そして香川県まんのう町で過疎地域の高齢者の生活支援という福祉課題に関わった事例、この3つである。
〇上記(1)の「地域再生主体の形成」について田中は、パットナム(Robert D.Putnam,アメリカの政治学者)の「社会関係資本論」をよりどころにアプローチする。社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)論とは、地域・社会における人々の相互関係や結びつきは、ネットワークや互酬性、信頼性などによって規定されるという考え方である。田中は、地域再生主体の形成過程について次のようにいう。先ず、①地域課題に関心や問題意識をもつ関係人口は、その課題解決に向けて主体的に動き出し、その際に関わった地域住民と社会関係資本を構築する過程で地域再生の当事者・主体として形成される。続いて、②その関係人口が社会関係資本を構築する過程で、最初につながった地域住民とは別の新たな地域住民が地域再生主体として形成され、両者(地域再生主体としての関係人口と同じく地域再生主体として形成された地域住民)の「協働」という相互作用によって地域課題に立ち向かう。そして、③その地域住民が自ら社会関係資本を構築する力をつけたことで地域内にまた、新たな地域住民や新たな関係人口との間に多層的な社会関係資本が構築され、連続的に地域課題の解決を図る(250、273、308ページ)。
〇この3つのステップ――①関係人口が地域課題の解決に動き出す。/関係人口が地域住民との間に社会関係資本を構築する。→②関係人口と地域住民との間に信頼関係ができる。/社会関係資本が別の住民に転移する。→③地域住民が地域課題の解決に動き出す。/地域住民が別の地域住民や関係人口との間に社会関係資本を構築する、これが「地域再生サイクル」(279ページ)である。ここでの要点は、地域再生主体とは「主体的に地域課題を解決する人」であり、「地域再生の主役はその地域に暮らす住民」である。田中はいう。「人口減少が前提となる現代社会の地域再生においては、『心の過疎化』に起因する主体性の欠如が報告され続けてきた地域住民が主体性を獲得し、地域再生の主体として形成されることが欠かせない。その形成を促すカギとなる存在が、関係人口である」(308~309ページ)。ここで重要なのは、地域住民が地域外の関係人口をどれだけ呼び込んで活用したかという量ではない。問われるのは、新たな地域住民が「地域再生の主体性」をどのように獲得したかという、地域住民と関係人口との間の関係性の「質」である(309ページ)。すなわち、地域住民が関係人口を資源として客体化するのではなく、地域住民と関係人口が対等な主体として「協働」していくなかで互いが、どのように地域再生主体として形成されていくかが重要になる(312ページ)。
〇上記(2)の「地域再生における関係人口の役割」について田中は、敷田麻美(しきだ・あさみ。北陸先端科学技術大学院大学)の「よそ者論」をよりどころにアプローチする。敷田の言説を引いて、田中はいう。「よそ者」とは「異質な存在」であり、地域住民との関係によってその異質性が左右される。そして、よそ者と地域住民がどのように関わるかによっていろいろな変化(「よそ者効果」)が起きる(116ページ)。その「効果」についての敷田の言説を、田中は次のように紹介・説述する。①地域の再発見効果(よそ者は地域に不慣れなことが幸いして、地域資源の価値や地域のすばらしさを見出すことができる)、②誇りの涵養効果(地域住民は地域外の視点を持つよそ者を意識することで、自らの地域のすばらしさを認識する)、③知識移転効果(地域住民がよそ者と接することで、地域にない知識や技能を補う効果が期待できる)、④地域の変容を促進する効果(地域がもともと持っている資源や知識を、よそ者の刺激を利用して変化させることができる)、⑤「地域とのしがらみのない立場からの解決案」の提案(よそ者は地域のしがらみにとらわれない立場だからこそ、優れた解決策を提案できる)、この5つがそれである(116~118ページ。各項目の表記は敷田による)。
〇田中にあっては、関係人口と地域住民との「協働」によって、このような「よそ者効果」が発現し、創発的な課題解決が可能になる。この点と上述の「地域再生サイクル」の知見から田中は、地域再生における関係人口の役割は、①地域再生主体の形成と②創発的な課題解決の促進の2つであることを明らかにする。以上が田中の議論である。その内容については、地域福祉論の領域から言えば必ずしも特段の新味があるものでもないが、社会学的な視点・視座から3地域の事例の質的研究を地域再生活動の発展段階に沿って丹念に行う。そして、「社会関係資本論」や(以下に記すような)「よそ者論」に依拠して「関係人口」についての整理がなされている。注目されるところであろう。
〇ここで、上述の敷田の「よそ者と地域づくり」に関する論考について若干ふれておきたい。そのひとつは、「よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究」(『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.9、北海道大学、2009年9月、79~100ページ。以下[2])である。なお、[2]の決定版として、敷田の「よそ者と協働する地域づくりの可能性に関する研究」(『江淳の久爾(えぬのくに)』第50号、江沼地方史研究会(石川県加賀市立中央図書館内)、2005年4月、74~85ページ)がある。
〇[2]で敷田は、意図的に起こる効果と意図せずとも起こる効果の両方を含めて、「よそ者の地域づくりへのかかわりが起こす変化」を「よそ者効果」とする。そして、田中が紹介・説述した5項目を次のように換言し、それらの効果は複合的に同時に起きているが、それがどのように発現するかが重要となる、という。項目の換言は、①技術や知識の地域への移入、②地域の持つ創造性の惹起や励起、③地域の持つ知識の表出支援、④地域(や組織)の変容の促進、⑤しがらみのない立場からの問題解決(89ページ)、である。
〇敷田はさらに、「よそ者効果の活用」についていう。地域づくりの本来の姿は、地域がよそ者に依存するのではなく、よそ者をひとつの「資源」として適切に活用することにあり、「よそ者活用戦略」「よそ者活用モデル」が必要となる。その際、よそ者はあくまで「有限責任」を持つ存在であり、また地域づくりには「最適解」はないことから、地域の多様な選択肢を提示することが求められる存在である。その点に留意し、地域がその主体性を発揮しながらよそ者とどのような相互関係を形成するか、そのプロセスが地域づくりでは重要となる。それによって、一方だけではなく、「よそ者と協働しながら地域もよそ者も相互変容し、それが結果的に地域を持続可能にすることにつながる」のである。敷田にあっては、その「相互変容」のプロセスこそが地域づくりである(97ページ)。この点の「協働」は、筆者(阪野)がかねてから主張してきた「共働」に通底するものであろう。
〇敷田のいまひとつの論考は、「地域づくりにおける専門家にかんする研究:『ゆるやかな専門性』と『有限責任の専門家』の提案」『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.11、北海道大学、2010年11月、35~60ページ。以下[3])である。
〇[3]で敷田は、地域づくりの背景と変遷を分析したうえで、地域づくりにおける専門性のあり方や専門家と地域の関係性について考察する。そして、「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」について提案する。その際のスタンスは、地域づくりには専門家が必要であるというものである。なお、「専門家」とは、「ある特定の分野において卓越した知識と技術・技能を持ち(場合によってはそれらを総合化・体系化している)、それを表現することができる人」を指し、そこに研究者を含める。「地域」とは、「一定の地理的広がりを持つ土地や空間と、そこに居住・滞在する地域住民間の関係性」(37ページ)を表わし、社会学で用いられる「地域社会」や「地域コミュニティ」と同義とする(37ページ)。そして、「地域づくり」とは、「地域社会の課題を解決し、よりよい状態を目指すために地域社会にはたらきかけて仕組みを構築してゆくプロセスとその内容」(40ページ)をいう。
〇敷田にあっては、地域づくりはこれまで、①地域の経済の活性化やインフラの整備をめざした「地域振興型」から、②地域の特定課題の解決をめざした「テーマ型」を経て、③総合的な地域づくりのために地域社会全体のデザインをめざす「統合デザイン型」へと質的に移行してきた。それに伴って、地域づくりの専門家に求められ能力や状態も、①知識の提供や特定事業・業務の遂行・アドバイス、②対象テーマ・分野についての調査研究や実践、③地域関係者による地域づくりの課題発見や解決策の創出と課題解決、へと変化した。したがってまた、地域づくりの専門家の関与や責任も、①業務や委託の範囲内での限定責任、②自主的な活動範囲における条件つき責任、③地域との関わりの範囲と内容の拡大による無限責任、へと変化してきた(45ページ)。そのうえで敷田は、地域づくりに関わる専門家の専門性について、「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」について言及する。
〇「ゆるやかな専門性」とは、「専門家が自らの専門性の範疇だけで地域づくりに関与するのではなく、専門性を主体的に拡張や拡大することである。また自らの専門性を背景に地域内外の関係者と地域(資源)を関係づけることで、地域づくりを支援する『ゆるやかさ』を維持することである」(51、56ページ)。「有限責任の専門家」とは、総合化した地域づくりのなかで、専門家が地域づくりへの関与を主体的にコントロールして一定の期間と範囲内で地域づくりに関わり、一定の範囲に限定して責任を負うことをいう(54~55、56ページ)。住民が直接の当事者となる最近の地域づくりにおいて、この「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」の考え方は、地域の利益と専門家の役割やキャリア形成にとって重要であり、地域にも専門家にも「相利的」(55ページ)である。 [3]における敷田の主張である。
〇ここで筆者(阪野)は、「福祉でまちづくり」の「スーパースター」(田中輝美の言葉)的な「関係人口」や地域づくりの専門家(「実践的研究者」)といえる大橋謙策(おおはし・けんさく。日本地域福祉研究所)の「バッテリー型研究方法」を思い出す。大橋のそれについては、本ブログの<まちづくりと市民福祉教育>(27)大橋謙策「地域福祉実践の神髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―」(2018年4月4日投稿。⇒本文)を参照されたい。
〇大橋は、全国各地の地域福祉(活動)計画の策定や地域福祉の研修会・セミナーなどに関わるが、その際の視点や姿勢はおよそ次のようなものである。それは、本ブログに転載されている上記論文から筆者(阪野)なりに抽出・整理したものである。以下でいう「地域」は福祉等の関係者や関係機関・組織、地域住民などを意味し、「関係人口」は大橋を指す。

(1) 地域による実践の理論化・体系化と関係人口としての理論仮説の提起と検証(バッテリー型研究方法)を行う。
(2) 地域と長期間にわたって関わり、特定あるいは総合的・統合的な事業・活動への支援を継続的に行う。
(3) 地域による実践活動の活性化と、地域と行政や関係機関との協働を成立させるコミュニティソーシャルワーク機能(触媒・媒介機能)の展開、そのためのシステムの整備を支援する。
(4) 多種多様な、あるいは潜在的な地域課題の解決に向けた専門多職種によるチームアプローチの必要性や重要性を提唱し、その実現を図る。
(5) 地域との相互作用や相互学習の過程を通して、地域内外との交流や福祉等関係者(実践者)の組織化を促す。
(6) 地域による実践のプロセスとその結果の客観化・一般化や実践仮説の検証を図るために、著作物の刊行や地域によるそれを支援する。
(7) 地域による問題発見・問題解決型の共同学習(福祉教育)を徹底的に行い、地域(地域住民や専門家等)の社会福祉意識の変容・向上を図る。
(8) 地域との共同実践を通して地元自治体における福祉サービスの整備や、全国の地方自治体や国への政策提言を行い、その具現化の制度化・政策化を促す、

などがそれである。これらを総じていえば、地域による「草の根の地域福祉実践」を豊かなものにするために「継続は力なり」の意志を体して、理論と実践を往還・融合する探究的な「実践的研究」に取り組み、「福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク」を追究する、ここに大橋の「関係人口」としての具体的・実践的な視点や姿勢を見出すことができる。しかもそれらは、地域づくりや地域再生に「関係人口」が果たすべき役割や機能のひとつのモデルとして整理されよう。
〇なお、上記の(6)に関する文献に例えば次のようなものがある。紹介しておきたい。表記した地名は大橋が関わった地域である(それはそのほんの一部に過ぎない)。

・東京都狛江市/大橋謙策編著『地域福祉計画策定の視点と実践―狛江市・あいとぴあへの挑戦―』第一法規出版、1996年9月。
・富山県氷見市/大橋謙策監修、日本地域福祉研究所編『地域福祉実践の課題と展開』東洋堂企画出版社、1997年9月。
・岩手県湯田町(現・西和賀町)/菊池多美子著/『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記―』東洋堂企画出版社、1998年9月。
・富山県富山市/大橋謙策・林渓子共著『福祉のこころが輝く日―学校教育の変革と21世紀を担う子どもの発達―』東洋堂企画出版社、1999年1月。
・山口県宇部市/宇部市教育委員会編『いきがい発見のまち―宇部市の生涯学習推進構想―』東洋堂企画出版、1999年6月。
・島根県瑞穂町(現・邑南町)/大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月。
・岩手県遠野市/日本地域福祉研究所監修、大橋謙策・ほか編『21世紀型トータルケアシステムの創造 ―遠野ハートフルプランの展開―』万葉舎、 2002年9月。
・長野県茅野市/土橋善蔵・鎌田實・大橋謙策編集代表『福祉21ビーナスプランの挑戦―パートナーシップのまちづくりと茅野市地域福祉計画―』中央法規出版、2003年2月。
・香川県琴平町/越智和子著『地域で「最期」まで支える―琴平社協の覚悟―』全国社会福祉協議会、2019年7月。

付記
著名な「関係人口」のひとりに、住民主体のまちづくりをワークショップを中心とした手法でサポートする「コミュニティデザイナー」の山崎亮(やまざき・りょう)がいる。山崎については、本ブログの<雑感>(26)「住民主体の内発的なまちづくりとコミュニティデザイン―持続可能な地域再生と住民の主体形成―」(2015年4月1日投稿。⇒本文)と<ディスカッションルーム>(66)「『縮減社会』(小滝敏之)と『縮充社会』(山崎亮):参加・つながり・自治―資料紹介―」(2017年3月1日投稿。⇒本文)を参照されたい。

阪野 貢/地域を知り・地域に学び・地域を創り拓く「地域学」と「地域協働教育」 ―山下祐介著『地域学入門』読後メモ―

〇筆者(阪野)の手もとにいま、山下祐介(やました・ゆうすけ。社会学専攻)の『地域学入門』(ちくま新書、2021年9月。以下[1])と『地域学をはじめよう』(岩波ジュニア新書、2020年12月。以下[2])という本がある。山下というと、『限界集落の真実―過疎の村は消えるか?』 (ちくま新書、2012年1月)や『地方消滅の罠―「増田レポート」と人口減少社会の正体』(ちくま新書、2014年12月)を思い出す。
〇人口の高齢化によって「限界集落」はいずれ消滅する(注①)、とその危機が声高に叫ばれるようになったのは2007年頃からである。そして、2014年5月、民間の政策提言組織である日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が、減少する若年女性人口の予測から、「2040年までに全国約1800の自治体のうち、そのほぼ半数の896の自治体が消滅する可能性がある」と発表した。いわゆる「増田レポート」である。とりわけ「消滅可能性都市」という言葉は衝撃的であり、大きな波紋を呼んだ。「消滅する」と名指しされた市町村やそこで暮らす人々の不安や恐怖、そして怒りは相当なものであった。
〇そうしたなかで山下は、「高齢化によって消滅した集落」はなく、「限界集落」問題はいわば「つくられた」ものである。増田レポートが説く「極点社会」(大都市圏に人々が凝集し、高密度のなかで生活している社会)におけるひとつの道筋である「選択と集中」は、国家の繁栄のために地方(地域)や農家の切り捨てに帰結する。地方消滅の“警鐘”にこそ地方消滅の“罠”がある、としてそのレポートの「うそ」を暴いた。以後、山下は、生身の人間の暮らしや個々の地域の歴史や現在の実像を明らかにし、そこからの学びの作業を通して「(山下)地域学」を描いてきた。[1] はその集大成である。
〇山下にあっては、地域は人間の生存の基盤であり、「足もとの地域を知ることが、自分を知ることにつながる」。自分の足下にある地域について学ぶこと、それが「地域学」である([1]11ページ)。そこで山下は、地域の実像を、「生命」「社会」「歴史と文化」の3つの切り口(側面)から捉える。「生命」では、環境社会学の視点(視座)から、地域を、一定の環境のなかで育まれる生命の営み(生態)として切り出す。「社会」では、農村社会学や都市社会学、家族社会学の視点から、地域を、そこで展開される人々の集団の営みとして描き出す。「歴史と文化」では、歴史社会学や文化社会学などの視点から、地域を、連綿と続く歴史と文化の蓄積の営みのなかに見出す([1]11ページ)。
〇そして、日本社会はいま、人々の暮らしや地域が「近代化」(「西欧化」)や「グローバル化」によって大きく変容し、「地域の殻が内側からも、外側からも、崩壊する間際にある」([1]300ページ)。そうした「地域を見直し、新たな国家とのハイブリッドとして再生させる」ための「認識運動」([1]301ページ)として山下は、「地域学」を構想する。それは、「地域の殻が破られはじめている」流れに抗(あらが)い、新しい未来を拓(ひら)く「抵抗としての地域学」([1]302ページ)であり、「生きる場の哲学」([1]308ページ)そのものである。
〇[2]は、「中高生、大学初級者向けのもので、『地域学入門』のさらなる導入編」([1]22ページ)である。そこでは、「どの地域にも固有の歴史や文化があり、人々の営みがある。それらを知っていくことで、地域の豊かさ、そして自分や自分が生きる社会、そして未来が見えてくる」(カバー紹介文)として、地域学の魅力を伝える。
〇「地域学」の類似用語に「地元学」がある。地元学を提唱する2人の言説を紹介しておきたい。まずは地元学を代表するひとりである結城登美雄(ゆうき・とみお。民族研究家)のそれである。結城は、「いたずらに格差を嘆き、都市にくらべて『ないものねだり』の愚痴をこぼすより、この土地を楽しく生きるための『あるもの探し』。それを私はひそかに『地元学』と呼んでいる。(中略)『地元学』は都市やグローバリズムへの否定の学ではない。自然とともに生きるローカルな暮らしの肯定の学でありたい」(結城登美雄『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』農山漁村文化協会、2009年11月、2ページ)と説く。結城にあっては、地元学は、「理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学」(14ページ)であり、その土地の人びとの声に耳を傾け、そこを生きる人びとの暮らし方や地域のありようを学ぶものである。「美しい村などはじめからあったわけではない。美しく生きようとする村人がいて、村は美しくなるのである」(柳田邦国男)。(下記[3]28ページ)
〇また、地元学のもうひとりの第一人者である吉本哲郎(よしもと・てつろう。地元学ネットワーク主宰)は、「地域のもつ人と自然の力、文化や産業の力に気づき、(それを)引き出していく手法が地域学である」(カバー紹介文)。「自分たちであるもの(モノ、コト、ヒト)を調べ、考え、あるものを新しく組み合わせる力を身につけて(人、地域の自然、経済の3つの)元気をつくることが地元学の目的である」(17、22、38ページ)という。吉本にあっては、暮らしを「つくることを楽しむ」ことが大事であり(32ページ)、地域やまちの衰退は「つくる力」の衰退に起因するものである。その「つくる力」の衰退は、「考える力」の衰退であり、「調べる力」の衰退である(22、23ページ)。
〇ここで、[1] から、また例によって我田引水の誹(そし)りを免(まぬが)れないであろうことを承知のうえで、山下の「地域学」に関する論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「地域」は、固定化された空間ではなく、「私」の立場やものの見方・考え方によって認識される
「地域」はそもそも、誰かが世界の一部を切り取ることによって浮かび上がってくるものである。/何かを切り取らないと地域は出てこない(地域は境界性をもつ)。そして、その「切り取り方」にも色んなやり方があって、それは文脈にもよれば、時代によっても違う(地域は文化性・歴史性をもつ)。/そもそも世界のすべてはつながっている。どこかで切れ切れになっていて、「地域」がきれいに分かれているなどということはない。すべてはつながっているのだが、そのつながっているもののなかから、何らかの固まりを切り出してきたときに「地域」は立ち現れる。しかもそれが、全体の一部でありながら決して断片ではなく、それのみでなお一つの全体でありうるもの、それが地域である(地域は統一性・総合性をもつ)。(13ページ)/「地域」は、互いにつながりあっている世界の中から、何らかの固まりを見つけ、切り出してくる者がいるから「地域」になるのである。地域はだから、その「切り出してくる者」の立場やものの見方によって変わる。その者の見方がしっかりしていれば地域はしっかり示される。逆にその者の見方がぼんやりとしていれば、地域はぼんやりとしか見えないことになる。(13~14ページ)

「地域」という存在を欠き、国家と個人しかない認識は、危うい認識であり生き方である
いまや国民の多くは、空間的にも時間的にも、また暮らしにおいても仕事においても地域から切り離されて存立しており、地域を見出すどころか、地域とできるだけ無縁なまま暮らしている。/多くの人にとっては、日常の中に「地域」を認識しづらい状況にあり、宙ぶらりんな社会の中で、個人が国家やグローバル市場にだけ向き合って暮らしているかのような錯覚が、むしろ一般的な認識となってしまった。/実にちっぽけな一人一人の人間が、実に大きな装置の中で生きるようになっている。暮らしを成り立たせている環境が、広く際限のないものになっている。/こうした装置(や環境)を実際に保持し、また動かしているのは地域である。それは具体的には地方自治体であり、様々な事業体の集積であり、地域社会(村や町内社会)の形をとる。国はただ、これらが作動する条件を整えるのにすぎない。(286ページ)/いまを生きる私たちは、こうした地域のありようを想像力を働かせて再認識せれば、いったい自分がどんな基盤の上にいるのか、まったく気付かないような環境の中に暮らしている。それどころか、一部の人々の視野にはすでに地域は存在せず、国家と個人しかない認識さえ確立されているようだ。だがそれは、すべてを国家に委ね、依存するしかないという危うい認識である。自分がどのように生きているのかもわからぬままただ生きているとすれば、これほど危うい生き方はない。私たちは地域を知るきっかけを取り戻さなくてはならない。(286~287ページ)

専制主義国家であり、民主主義国家でない日本社会を変革するのは、「地域主義」(地域ナショナリズム)である
弱者批判や地方切り捨て、国家の高度武装化、トップの専横の容認や全体主義の礼賛といった言説が、政治学者でも政治家でもないふつうの人々の間で展開されている。そこではどうも、この国の挙国一致体制をさらに進めてより完全なものとし、海外との経済競争に打ち勝つべくしっかりとした体制を整えよという主張さえ広がっているようだ。/国家というものは、具体的には下から、国民や地域の現実の力によってはじめて作られていくものである。排除や分裂を伴う(自分の内部にあるものを否定し、その一部を排斥する)国家は危うい。(295ページ)/個人主義の中から立ち現れるナショナリズム(nationalism、国家主義)に対して、むしろ個人主義をさらに強く推し進めることで国家そのものを否定していこうという、コスモポリタニズム(cosmopolitanism、世界市民主義)の立場も表明されている。この超個人主義=脱国家主義的なコスモポリタニズムははたして、ナショナリズムを解消し、国家のない世の中をつくる適切な道筋になるのだろうか。(296ページ)/敵国と自国との差異だけを強調し、個人と国家の関係のみを際立たせる国民国家ナショナリズムの思考法には根本的な欠陥が潜んでいる。他方でそれをコスモポリタニズムによって解消しようとしても、それで問題が解決するものでもない。国家ナショナリズムにも、コスモポリタニズムにも、どちらにも大切なものが欠けている。(297ページ)/それは地域である。危険な一国ナショナリズムに対抗できるのは、コスモポリタニズムではなく、その内部に確立される地域主義――地域ナショナリズム――である。(297~298ページ)

地域の人材を育てること、「地域教育」は学校の持つ大切な役割である
学校はそもそも地域のためのものではなく、国家のために必要な人材をつくる機関として設立された。そしていま国家が必要としているのは、この国が苛烈な国際競争を勝ち抜くのに必要な経済力・生産力を実現する人材である。学校教育は、地域教育などのためではない。この国の国際競争力を、人材育成という場から高めるために、一丸となって敵(海外の企業群)に立ち向かうためである。子供たちには、地域の人間であるよりは国家人として、さらには国際人・コスモポリタン(世界主義者)として育つことが強く求められている。(287~288ページ)/学校は外向きにだけではなく内向きに、すなわち国内の運営バランスを実現するために、子供たちを適切に教育して各所に配置する装置でなければならない。そのためにも、一人一人が自分の人生の調整を自ら適切に実現できるよう、人としての成熟をうながすものであるべきだ。私たちの暮らしはいまも地域と国家の両方でできている。地域の人材を育てることは、学校の持つ大切な役割である。だが、現実には近年、国家だけが尊重され、地域が極度に軽視されてきた。(288ページ)/学校が今後とも地域を継承する人材を育てる場であるのか、それとも地域と子供たちのつながりを断ち、国家や国際社会対応の人材供給の場になるのか、私たちはその分岐点にいる。(249ページ)

〇山下にあっては、「地域学」は抽象的な言語や普遍的な理論を学ぶものではなく、具体的な時空にいる「私」を地域のうちに“生きているもの”として浮かび上がらせ、見定めていく、そんな学びの作業である([1]16ページ)。また、私たちの暮らしや、身近な地域と国家と世界が大きく変容するなかで、その変化に対応するための最低限の認識法が「地域学」である([1]309ページ)。その認識の視点や言説のひとつが、上記のメモである。
〇筆者(阪野)の手もとにもう一冊、柳原邦光(やなぎはら・くにみつ。フランス近代史専攻)ほか編著の『地域学入門―<つながり>をとりもどす』(ミネルヴァ書房、2011年4月。以下[3])という本がある。[3]は、「地域を考える」「地域をとらえる」「地域をとりもどす」という3部構成から成っている。柳原によるとそれは、「地域」をめぐる今日の困難や課題の現状を打開するための「希望の学」として「地域学」を構想するものである。すなわち、「地域学」は、地域課題をたちどころに解決するための処方箋を提示するものではなく、「現代の諸課題の根底にある問題性を探り出し、そこから諸課題をとらえ直して、未来を考えようとする」ものである([3]2ページ)。
〇いずれにしろ、「地域学」は、日本学術会議(地域学研究専門委員会)が2000年6月に報告した「地域学の推進の必要性についての提言」(注②)などにあるように、その研究や実践の必要性は認識されていよう。しかし、その理論化や体系化はまだ緒についたばかりであろうか。筆者としては、とりわけ「実践の学」としての「地域学」に注目したい。それは、「市民福祉教育(学)」と同様に、すでに地域で展開されているさまざまな実践や、そこから生まれる新たな知見に多くを学びたいからである。
〇ところで、「地域学」の必要性は、大学に設置されている学部名からも知ることができる。大学で「地域」を最も早く学部名に取り入れたのは1996年10月に設置された、岐阜大学の「地域科学部」(1997年度開設)である。その後、鳥取大学の「教育地域科学部」(1999年度開設。2004年度「地域学部」に改組)、金沢大学の「人間社会学域・地域創造学類」(2008年度開設)などが設置され、2015年度には高知大学に「地域協働学部」が開設されている。以後、国公立大学や私立大学でいわゆる「地域系学部・学科」の新設が続き、「地域学」が大学教育の場に普及する。
〇高知大学地域協働学部の目的は、「地域力を学生の学びと成長に活かし、学生力を地域の再生と発展に活かす教育研究を推進することで、『地域活性化の中核的拠点』としての役割を果たす」ことにある。そこでは、「地域協働教育」を通じて、地域資源を活かした6次産業化を推進してニュービジネスを創造できる「6次産業化人」や、「産業、行政、生活・文化の各分野における地域協働リーダー」の育成が図られている(高知大学地域協働学部ホームページ)。
〇高知大学地域協働学部では、「地域志向教育」あるいは「地域協働教育」を通して、「地域協働マネジメント力」の育成をめざしている。「地域協働マネジメント力」は3つの能力によって構成される。(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」がそれである。(1)「地域理解力」は「地域の産業及び生活・文化に関する専門知識を活用して、多様な地域の特性を理解し、資源を発見できる力」と定義される。その能力を構成するのは、「状況把握力」「共感力」「情報収集・分析力」「関係性理解力」「論理的思考力」である。(2)「企画立案力」は「課題を発見・分析し、解決するための方策を立案し、その成果を客観的に評価する能力」と定義される。その能力を構成するのは、「地域課題探究力」「発想力」「商品開発力」「事業開発力」「事業計画力」「事業評価改善力」である。(3)「協働実践力」は「多様な人や組織を巻き込み、互いの価値観を尊重しながら、参加者や社会にとっての新しい価値を生み出す活動をリードする力」と定義される。その能力を構成するのは、「コミュニケーション力」「行動持続力」「リーダーシップ」「学習プロセス構築力」「ファシリテーション能力」である(注③)。これらの諸能力やその見方・考え方については、「まちづくりと市民福祉教育」に関するそれに通底するものでもあり、参考になろう。留意したい。
〇なお、高知大学地域協働学部がいう「地域志向教育」とは、「地域課題の解決や地域の再生、発展を目的とした教育」(下記注③、25ページ)である。[3]で取り上げられている「地域協働教育」は、「大学が教育面で地域に協力を仰ぐ地域連携教育から地域との関係を一歩進め、大学が地域と協働で学生の教育と学生参加の地域づくり活動を行うもの」。「生活に根ざして学問的知識や方法論を駆使することを会得した地域づくりの人材を大学と地域が一緒に養成していく」教育をいう(藤井正「地域に向き合う大学」[3]292、293ページ)。付記しておく。


① 周知の通り、「限界集落」という用語は、高知大学人文学部教授であった大野晃(おおの・あきら。社会学専攻)が1980年代後半から提唱してきた概念である。大野にあっては、「限界集落」は「65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え,冠婚葬祭をはじめ田役,道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落」をいう(大野晃『限界集落と地域再生』静岡新聞社、2008年11月、1ページ)。その点をめぐって山下は、「限界集落」問題はいわば「つくられた問題」としての色彩が強かったとして、次のように述べている。「『限界集落』の語をつくって注意喚起しようとした提唱者の意図に反し、その後の議論は、集落消滅を避けられない既定路線であるかのように取り扱っていった」。「『地方消滅』や『自治体消滅』は起きない」(山下祐介『地方消滅の罠』290~291ページ)。
② 日本学術会議の「提言」では、「地域学は、もっとも広義の『地域にかかわる研究』を指すものである。 現地研究(フィールド科学)に根ざして人文科学・社会科学・自然科学を統合的、俯瞰的に再編成しようとする学問的営為を、地域学と呼ぶ」。また、「提言」では、現地研究に根ざした基礎研究としての「地域学」の展開が必要とされている理由について、次の2点を指摘している。

1)わが国は明治以来、世界諸地域を相手どってそのおのおのを総合的にとらえようとする基礎研究としての地域学構築の地道な努力を十分にしないまま、いわば学理・学説としてのディシプリン(学術専門分野:阪野)だけを欧米から輸入してきた。そのために、わが国の学術専門分野は、とかく欧米の理論を追いかけるものとなってしまった面があることは否定できない。あらためて今日、もっとも基礎的な現地研究に立ち戻り、現地研究に立脚した学問を創り出す努力が必要になってきている。現地研究という「地を這う」ような地道な作業を経ないかぎり、しっかりした骨格をそなえる学問体系の構築は望めない。
2)従来の専門分化したディシプリンにしがみついているだけでは、あるいはまた、そのいくつかを寄せ集めてみる程度では、現在の世界の趨勢を的確に把握することができないばかりか、目前に危機的に発生している問題に対処し、それを解決することがむずかしくなっている。地球環境・生態系の破壊をいかにくい止めるか、世界的規模で公正をいかに実現するか、そして持続可能性・世代継承性に裏付けられた発展の道筋をいかに発見するか、など、人類的課題がつよく自覚されるなかで、水、食料、健康、人口、エネルギー、ライフスタイル、経済システム、価値観、教育、情報秩序、参加とパートナーシップ、民主主義、その他ありとあらゆる問題への取り組みが、何をとってみても、知識の統合を要求するとともに、これを具体的な場所に根ざした地域学として実現することを必須のものとしている。

③ 湊邦夫・玉里恵美子・辻田宏・中澤純治「地域協働教育への学生の意識~地域協働学部第1期生調査の結果から~」『高知大学教育研究論集』第20巻、2016年3月、25~33ページ。本稿では、高知大学地域協働学部第1期生(67名)を対象に、2015年4月に実施した調査の結果を事例として、「地域志向教育」を行う学部を選択した学生の学部教育に対する意識と将来像 について検討している。

補遺
高知大学地域協働学部第1期生調査にみる「地域協働マネジメント力」の(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」の各構成能力について理解するために、各調査項目の質問文を紹介しておくことにする。その回答の選択肢は、「あてはまる」「どちらかといえばあてはまる」「どちらかといえばあてはまらない」「あてはまらない」の4つである。
(1)「地域理解力」
「状況把握力」
・身の回りの現状を客観的に理解して説明する方である
「共感力」
・人の話に興味を持ち、積極的に聴こうとする方である
「情報収集・分析力」
・起こった出来事や課題について理解するために、必要な情報を集めて整理しようとする方である
「関係性理解力」
・さまざまな出来事のつながりを理解しようとする方である
「論理的思考力」
・問題が起きたときに、すぐに結論を出すよりも、なぜそれが起きたのかを筋道を立てて考える方である
(2)「企画立案力」
「地域課題探究力」
・身近な地域の課題を発見し、その課題に取り組むことができる
「発想力」
・課題に対して取り組むための新しい方法を考えるのが好きである
「商品開発力」
・特産品を使って商品化することに関心がある
「事業開発力」
・自分でアイディアを思いつき、そのアイディアに基づいてイベントや事業を始めることに関心がある
「事業計画力」
・課題を解決するために必要な行動をリストアップして、その順序を決めることに関心がある
「事業評価改善力」
・自分の行動を振り返り、良い点と悪い点を見つけ出して次の行動に生かすことができる
(3)「協働実践力」
「コミュニケーション力」
・人の話を最後まで聞いてから、自分の話を始めることができる
・相手が自分の話を理解できるように話すことができる
「行動持続力」
・自分で決めたことは最後までやり通す
「リーダーシップ」
・グループにとって必要なことを自ら進んで実行することができる
・自分が提案した計画や企画を、他の人々に参加してもらいながら実現することができる
「学習プロセス構築力」
・授業時間以外にも、自分で計画を立てて学習することができる
「ファシリテーション能力」
・考えが違う相手と話し合いながら合意点を探ることができる