「まちづくりと市民福祉教育」カテゴリーアーカイブ

「住民主体」「行政参加」のまちづくりと「スマート自治体」「圏域連携」の自治体行政:「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」に関するメモ―寺谷篤志・他編著『創発的営み』を読む―

1996年6月に日本・ゼロ分のイチ村おこし運動の企画書と実施要領を策定し、京都の京阪ホテルで岡田憲夫先生と杉万俊夫先生の意見を聞いた。岡田先生は「これは議会が飛ぶ、夜明け前だ」、杉万先生は「ここまで強制しないと地域は動かないのか」と言われた。(寺谷篤志、2019年11月。「補遺(1)」参照)

(ゼロ分のイチ運動の「企画書」は)やや大げさに言えば、我が国の地域づくりにとって、記念碑的文書とも言える。(小田切徳美『農山村は消滅しない』岩波新書、2014年12月、60ページ)

(『創発的営み』は)智頭町という地域の「小さな記録」ではあるが、それを通じて日本社会の未来のあり方さえも展望する「大きな書」であることがわかる。(小田切徳美:下記『創発的営み』193ページ)

〇鳥取県智頭町(ちづちょう)は、鳥取県の東南に位置し、総面積の9割以上を山林が占め、人口6909人、高齢化率41.04%(2019年11月1日現在)のまちである。まちのキャッチコピーは、「みどりの風が吹く疎開のまち」である。「過疎のまち」でないことに注目したい。
〇智頭町では、一人の住民の発案によって、1988年5月に「智頭町活性化プロジェクト集団」(Chizu Creative Project Team、CCPT)が結成された。1996年8月に、住民主体・主導と行政参加・支援による「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」(早瀬集落。以下「ゼロイチ運動」)が始まった。その中心人物のひとりに、寺谷篤志(てらたに・あつし)がいた。その寺谷(敬称略)から先日、1冊の本のご恵贈を賜った。寺谷篤志・澤田廉路・平塚伸治編著、小田切徳美解題『地方創生へのしるべ―鳥取県智頭町発 創発的営み』(今井出版、2019年10月。以下[本書])がそれである。
〇筆者(阪野)の手もとにある智頭町のまちづくり運動に関する本は、6冊となった。

(1)寺谷篤志・澤田廉路・平塚伸治編著、小田切徳美解題『地方創生へのしるべ―鳥取県智頭町発 創発的営み』今井出版、2019年10月
(2)寺谷篤志著『定年後、京都で始めた第二の人生―小さな事起こしのすすめ―』岩波書店、2016年5月
(3)寺谷篤志・平塚伸治著、鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』仕事と暮らしの研究所、2015年3月
(4)熊谷京子・藤原由貴・長谷莱生写真、西村早栄子文章『鳥取県智頭町 森のようちえん まるたんぼう~空と大地と太陽と~』NPO法人 森のようちえん まるたんぼう、2014年8月
(5)渡邉格著『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」―タルマーリー発、新しい働き方と暮らし―』講談社、2013年9月、文庫版・2017年3月
(6)岡田憲夫・杉万俊夫・平塚伸治・河原利和著『地域からの挑戦―鳥取県・智頭町の「くに」おこし』(岩波ブックレットNo.520)岩波書店、2000年10月

〇本書は、智頭町におけるまち(地域)づくりを主動・先導してきた5人のキーパーソンに焦点を当て、ゼロイチ運動の前史から現在までにおける取り組み(「創発的営み」)の実践記録である。本書に添付された寺谷の書簡によると、「心血を注いだまちづくりは、一体どんな意味を持っていたのか」。「社会規範を意識して取り組んだまちづくりやゼロ分のイチ運動は、人々にどんな影響を与えているのか。そこにはエマージング(emerging、「創発」)現象が起こっているように思いました。その様子を編集しています」。
〇筆者はかつて、寺谷から貴重な資料の提供を受けて、本ブログの「ディスカッションルーム」に(61)地域経営実践者としての寺谷篤志の挑戦、その記録:鳥取県智頭町地域経営講座「杉下村塾」を中心に―資料紹介―/2016年6月28日投稿、(62)鳥取県智頭町「杉下村塾」10年の歩み:河原利和のレポート―資料紹介―/2016年7月3日投稿、をアップしている。
〇本稿では、それらに加えて、ゼロイチ運動について再確認・再認識するために、本書における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「創発的営み」
創発的営みは、ある一人の発意やつぶやき的アイデアが活発な議論を巻き起こし、具体的な事業アイデアに昇華する協働作業の実践である。創発的営みとは、智頭町の地域づくり全般から受け取った表現である。小さな動きの一歩こそ価値がある。(平塚:9ページ)

「体系的な挑戦」
ゼロイチ運動の計画づくりの要諦とした、「住民自治」と「地域経営」と「交流・情報」の3本柱が規範形成の必要条件となる。この3本柱は地域を元気にするための基本的な考え方のエッセンス(地域を元気にするための秘訣)である(図1参照)。
住民自治とは、住民が地域をよくするために事業計画を立て共働で事業を行い、自分たちで地域づくりを達成していく考え方である。そのために、住民独自による地域づくりの検討会等を組織して、予算を確保し、専門家や行政の知恵を引き出し、積極的に実行していく運動である。
地域経営とは、その地に住むすべての人々が、主体的に地域を治めることである。地域に内在する、人、モノ、こと、技術、文化、社会システムなど、あらゆる資源を総動員して、地域資源の価値を最大限に引出し、宝(財)や誇りとする。さらに、それらが地域内で持続的に循環して機能する考え方である。
交流・情報とは、地域から地域づくりのノウハウやアイデアなどを、積極的に他地域に情報を発信することである。それによって、初めて他者との関係が生まれ、交流も生まれてくる。地域には自立自営の意識が生まれてくる。交流は地域に新しい風を吹き込み、新たな価値を創造するエンジンとなっていく。つまり、地域は外に開かれていなければならない。(平塚:11~12ページ)

「夢追い人」
(ヒヤリングした5人のみなさんに共通点がある。)それはまず「行動力」である。合わせて「レスポンス(反応)の速さ」や立てた「計画に対する執念」は半端ではない。そのことが多くの障害を乗り越える原動力となって、プロジェクトを実現させている。煎じ詰めれば、強い信念のもと「第一歩を踏み出す勇気」と、「実行力」が結果となって現れている。つまり、ちょっとした思いつきを行動力と執念によって現実にさせている。ヒヤリングした方々は、時代の魁(さきがけ)としての思いが強く、言い換えれば、夢を実現する「夢追い人」の挑戦であった。
なぜ智頭町にこれらの人々が集まったのか。それは、おそらく熱いところには熱い人々が、執念のあるところには執念のある人々が、人財は人財の結合によって磁場を形成するのではなかろうか。これが自然の理のように思えた。(澤田:177~178ページ)

「奥深い特徴」
ゼロイチ運動は3つの奥深い特徴を持っている。
1つ目は、「内発性」の重視である。これは、以前の、工場誘致やリゾート開発などの外来型開発ではなく、地域自らが一歩踏み出すことを重視しており、その「一歩」に無限大(=1/0)の価値があると捉えている。いっけん、奇妙な「ゼロ分のイチ」というネーミングには、ブレのない思想性を感じることができる。
2つ目は、「総合性・多様性」の重視である。これは、以前の単品型・画一的な地域活性化から、福祉や環境等を含めた総合型、地域の実情を踏まえた多様性に富んだ取り組みへの転換を意識している。この運動が、誘導すべきモデルを作らず、地域からの手上げ方式をとったのは、先の内発性を重視すると同時に、この総合性を目指し、多様性を認めようとする企画者の意志を示している。
3つ目は、「革新性(イノベーション)」の重視である。これは、以前の「男社会」(参加者の多くが年長の男性戸主)を刷新する仕組みとして、ゼロイチ運動では、集落そのものではなく、同じ地理的範囲で「振興協議会」を設立することを前提としている。女性の積極的参画が当然である地域づくりにとって、必要な革新的なシステム・チェンジであろう。(小田切:183~184ページ)

「にぎやかな過疎」
最近の農山村では、①開かれた地域づくりに取り組む地域住民、②地域で自ら「しごと」を作ろうとする移住者、③何か地域に関われないかと動く関係人口、④これらの動きをサポートするNPOや大学、そして⑤SDGs(Sustainable Development Goals〈持続可能な開発目標〉)により地域貢献活動を再度活発化しはじめた企業(智頭町では今後の課題)などの多様・多彩なプレイヤーが緩やかなネットワークでつながり、なんとなくワイワイ・ガヤガヤとした雰囲気を作りだしている(「にぎやかな過疎」)。その結果、人口減少下でも、地域にいつも新しい動きがあり、人が人を呼ぶ、しごとがしごとを作るという現象が、ここに生まれている(「人口減少下での人材増」)。(小田切:186、187、189ページ)

〇ところで、総務省が、2017年10月、大臣主催の「自治体戦略2040構想研究会」(座長・清家篤。以下[研究会])を立ち上げている。そこでの検討内容は、(1)「2040年頃の自治体が抱える課題の整理」、(2)「住み働き、新たな価値を生み出す場である自治体の多様性を高める方策」、(3)「自治体の行政経営改革、圏域マネジメントのあり方」等(「運営要綱」)についてである。
〇研究会は、2018年4月、「第一次報告~人口減少下において満足度の高い人生と人間を尊重する社会をどう構築するか~」を公表した。そこではまず、「我が国は、少子化による急速な人口減少と高齢化という未曾有の危機に直面している」(2ページ)という。そして、自治体行政が2040年頃に抱える(1)「個別分野の課題」として、①子育て・教育、②医療・介護、③インフラ・公共施設,公共交通、④空間管理(空き家、空き地等)、治安・防災、⑤労働・産業・テクノロジー(ICT、ロボット、生命科学等)、(2)「自治体行政の課題」として①経営資源の変化、②圏域マネジメントと行政経営改革、等々について整理している。
〇そのうえで、報告書は、「2040年頃にかけて迫り来る我が国の内政上の危機とその対応」について、3つの柱に集約されるという。(1)「若者を吸収しながら老いていく東京圏と支え手を失う地方圏」、(2)「標準的な人生設計の消滅による雇用・教育の機能不全」、(3)「スポンジ化する都市と朽ち果てるインフラ」がそれである。そのなかで注目されるのは、「急速に人口減少が進み、特に小規模な自治体では人口の減少率が4~5割に迫る団体が数多く生じると見込まれる。そのような中では、個々の市町村が行政のフルセット主義を排し、圏域単位で、あるいは圏域を越えた都市・地方の自治体間で、有機的に連携することで都市機能等を維持確保する(中略)必要がある」。「都道府県・市町村の二層制を柔軟化し、それぞれの地域に応じた行政の共通基盤の構築を進めていくことも必要になる」(50ページ)という指摘である。なお、都市の「スポンジ化」とは、「都市の大きさは変わらずに、ランダムに小さな空き家、空き地が生じて都市全体が低密度化する状態」をいう。行政の「フルセット主義」とは、個々の市町村が全分野の施策・行政サービスを提供することをいう。
〇研究会は、2018年7月、「第二次報告」を公表した。そこでは、(1)「スマート自治体への転換」、(2)「公共私によるくらしの維持」、(3)「圏域マネジメントと二層制の柔軟化」、(4)「東京圏のプラットホーム」の4点をめぐって、「新たな自治体行政の基本的考え方」を提示する。そのうちの(3)については、「地方圏の9割以上の市町村では、今後、人口減少が見込まれている」なかで、①「圏域単位での行政のスタンダード化」、すなわち「個々の市町村が行政のフルセット主義と他の市町村との勝者なき競争から脱却し、圏域単位での行政をスタンダードにし、戦略的に圏域内の都市機能等を守り抜かなければならない」(35ページ)と指摘する。とともに、②「都道府県・市町村の二層制の柔軟化」、すなわち「都道府県・市町村の二層制を柔軟化し、それぞれの地域に応じ、都道府県と市町村の機能を結集した行政の共通基盤の構築を進めていくことが求められる」(36ページ)と指摘する。なお、「スマート自治体」とは、AIやロボットなどを活用し、自治体職員でなければできないより価値のある業務に注力する自治体のあり方をいう(「補遺(2)」参照)。
〇そして、報告書は、「圏域」について、「圏域単位で行政を進めることについて真正面から認める法律上の枠組みを設け、圏域の実体性を確立し、顕在化させ、中心都市のマネジメント力を高め、合意形成を容易にしていく方策が必要ではないか」(36ページ)という。「圏域の法制化」である。
〇以上を要するに、「2040年頃にかけて迫り来る我が国の内政上の危機」に対応するためには、隣接する自治体が連携・補完する「圏域」を法制化し、「圏域単位での行政のスタンダード化」を進めるための「地方行政体制」の見直しが必要となる、というのである。それは、国の地方自治への介入・統制の強化を進め、「地方自治の本旨」である「住民自治」と「団体自治」を破壊することにつながる恐れなしとしない。「自治の侵害と破壊」である。
〇別言すれば、「圏域」では、地方選挙(直接選挙)によって選ばれる首長と議員からなる「議会」をもたない。それゆえに、住民の具体的なニーズや意思が反映されず、責任が果たせず、国がその権限と財源によって政策遂行や行政事務を主導的・直接的におこなうことになる。それは、市町村の権限や財源を制限することにつながる。とりわけ「圏域」の中核都市以外の周辺市町村においては、その自治が弱体化・形骸化することになり、「住民主体・行政参加」のまちづくりは極めて困難になる。いつか見た光景であり、国家主義や全体主義への指向である。強く留意したい。
〇なお、ここで思い出すのは、日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が2014年5月におこなった「成長を続ける21世紀のために 「ストップ少子化・地方元気戦略」」(「増田レポート」)の提言である。そこでは、「2040年までに全国の市町村の半数が消滅する可能性がある」とされた。危機を過剰に煽って、「事を成す」というやり方(常套手段)である。2014年9月から推進されている「地方創生」施策を見ても分かるように、政府は、「迫り来る危機」を強調し、画一的な施策を「上から」地方に押し付けている。「圏域」構想においても然(しか)りである。「圏域」構想は、行財政の効率化をめざした「平成の大合併」(1999年7月~2010年3月)と似た要素や側面を持っており、地方(地域)の個性や独自性を奪い、その疲弊・衰退を深刻化させる可能性が高い。「隠れた合併」の促進である。
〇下の記事は、筆者が住む地元新聞が報じた2019年11月7日付け朝刊の1面準トップ記事である。「平成の大合併」についての実証的な検証・分析なくして、「圏域」構想はあり得ない。

〇なお、総務省が2018年9月に設置した「地方自治体における業務プロセス・システムの標準化及びAI・ロボティクスの活用に関する研究会(「スマート自治体研究会」)」(座長・國領二郎)が、2019年5月、「報告書~「Society 5.0時代の地方」を実現するスマート自治体への転換~」を公表した。総務省が2040年頃を見据えた「将来の地方自治体の姿」は、「スマート自治体」と「圏域連携」である。
〇「圏域連携」とは、複数の市町村で構成する行政組織「圏域」を新たな行政単位に位置づけるものである。そこでは、少子高齢化や労働力人口の減少、それによる地方財政のより一層の逼迫化を背景に、国が地方行政を主導的に管理・運営し、統制することになる。それは、それぞれの地域の生活実態に基づく基本的人権の保障や、参加型のボトムアップの(熟議)民主主義を危うくする。国や社会(財界)は、その地に住むすべての人々による、その地ならではの、泥臭いまちづくり(「創発的地域経営」)は「時代遅れ」、とでもいうのであろうか。「にぎやかな過疎」「人口減少下での人材増」の現実をどう見ているのか。問うてみたい。
〇「Society 5.0」とは、狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society 2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く新たな社会を指す。サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会をいう(内閣府)。

補遺
(1)「集落版ゼロイチ運動」企画書(1996年6月)

(2)「圏域」構想―地方圏の圏域マネジメントと二層制の柔軟化―

「あなた自身があなたのまちです」―「シビックプライド」に関するワンポイントメモ―

「You Are Your City(あなた自身があなたのまちです)」(下記[1]164ページ)

〇10年ほど前から、地方自治体の営業活動(「売り込み」:牧瀬稔)を意味するシティプロモーション(和製英語)の劇的な進展が図られ、それとの関連や、公共空間デザインやまちづくりの現場などにおいて「シビックプライド(Civic Pride)」(株式会社読売広告社の登録商標)という言葉や概念が注目されている。
〇その背景には、少子高齢化や人口減少、経済の低成長などによって特徴づけられる「縮小社会」の到来、とりわけ地域経済の低迷と地方財政の逼迫化、地域コミュニティの担い手不足がある。とともに、地方分権化の推進による都市間競争の発生、より具体的には持続可能なまちづくりを進めるために必要な経営資源(ヒト・モノ・カネ)の確保・調達をめぐる地域間の競争の激化(「伊賀市シティプロモーション指針」)がある。そしてまた、社会事象として地域コミュニティの衰退や地方崩壊が進む反面、地域や地方に新たな生き方や働き方を求め、自らの存在価値を見出そうとする人々の価値観の転換、などがある。
〇筆者(阪野)の手もとに、「シビックブライト」に関する本が3冊ある。(1)伊藤香織(いとう かおり)・柴牟田伸子(しむた のぶこ)監修、シビックプライド研究会編『シビックプライド―都市のコミュニケーションをデザインする』(宣伝会議、2008年11月。以下[1])、(2)伊藤香織・柴牟田伸子監修、シビックプライド研究会編『シビックプライド2【国内編】―都市と市民のかかわりをデザインする』(宣伝会議、2015年9月。以下[2])、(3)牧瀬稔(まきせ みのる)・読売広告社 ひとまちみらい研究センター編著『シティプロモーションとシビックプライド事業の実践』(東京法令出版、2019年3月。以下[3])がそれである。
〇シビックプライドとは、「市民」(主体的・能動的で自律的な活動主体)が都市(地域)に対してもつ誇りや愛着のことである。それは、単なる「まち自慢」ではなく、また地域(地元)への親近感や情感的な郷土愛とも多少ニュアンスを異にする。つまり、シビックプライドは、自分自身が関わっている「この場所」(まち)をより良くしていこうとする、ある種の当事者意識に基づく自負心を意味する([1]164、[2]126、[3]50ページ)。その点において、例えば小学校社会科中学年の「地域学習」の推進や、行政や社協などによる「市民協働のまちづくり」「市民主体のまちづくり」への住民参加(参集、参与、参画)は、シビックプライドを醸成する重要な要因になる。ソーシャル・キャピタル論や共生社会論、そして「まちづくりと市民福祉教育」に通底するところでもある。
〇シビックプライドは、「この場所」を「知る」ことによって、「誇り」に気づき、「愛着」がわくことから始まる。その気づき(情報や気持ち)を対話型のコミュニケーションを通じて他者に伝え、「自分ごと」(「自分ごと化」)を「自分たちごと」(「みんなごと化」)にする。人と人がつながり、まちの多様なヒト・モノ・カネ・コト・情報などとの関係性をつくりだす。それは、時間や空間を超えて広がり深まる。そして、より良いまちづくりのアクション(行動)を起こす。さらに、その活動を評価、改善し、Plan(計画)・Do(実行)・Check(評価)・Action(改善)のPDCAサイクルを効率的に回しながら継続的に取り組む。
〇すなわち、シビックプライドは、「誇りの種を探す」「魅力を掘り起こす」ことから始まる。シビックプライドは、一人ひとりが抱くまちへの思いであり、それに基づくアクションである。そして、それらの連鎖や関係性を広め、共働化・継続化することによって、その思いやアクションは次代のシビックプライド(誇りや愛着の醸成・向上)になる。シビックプライドでまちは変わるのである。([2]136~139ページ)。
〇シティプロモーションとシビックプライド事業について、そのひとつの事例として「伊賀市シティプロモーショ指針」(2017年3月策定)の一部を紹介する。伊賀市は三重県の北西部に位置し、伊賀流忍者の里や松尾芭蕉の生誕地として知られる、人口約9万1,000人(2019年9月現在)のまちである。

〇筆者の手もとには[1][2][3]のほかに、木下大生(きのした だいせい)・鴻巣麻里香(こうのす まりか)編著『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう!―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』(ミネルヴァ書房、2019年9月。以下[4])がある。[4]には、「このままではいけない」(危機感をもつ、問題提起する)を「なら、こうしよう」(社会を変える行動、ソーシャルアクションを起こす)に変えた人々のリアルなストーリ(実践事例)が収録されている。[4]の編著者である鴻巣にあっては、ソーシャルアクションとは、「誰にとっても住みよい社会をつくるための行動」である。また、[4]のキーワードである「当事者」とは、「ある問題、あるいは困難が生じた時、その問題から直接影響を受ける関係者」である。「当事者力」とは、「『私は』で始まる語り(Narrative,ナラティブ。ライフストーリー)から生まれる力」、換言すれば、何かの困難の当事者である・あった経験によって芽生え、揺り動かされた感情や行動力、を言う。そして[4]は、「あなたのアクションは本の中にはありません。フィールドに出かけましょう」と、読者に訴える(「ちょっと長めのはじめに」ⅰ~ⅶページ)。
〇[4]のもうひとりの編著者である木下は、「ちょっと長めのおわりに」のなかで「『社会を変える』ことについての試論的総論」を論じている。木下の言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

社会を動かすのは最終的には「当事者力」である
「社会を変える」きっかけを作るのは必ずしも当事者とは限らないが、その後の行動・活動には必ず当事者が介入するべきである。
当事者不在のソーシャルアクションは、活動・行動している人の自己満足に終始してしまう可能性を孕(はら)み、場合によっては当事者をより窮地に追い込む状況を作り出さないとも限らない。変えられるべき社会的課題の被害を最も被っている当事者の意見を聞かなかったり、蔑(ないがし)ろにするべきではなく必ず何かしらの形で当事者の関わりを担保することが求められる。(220ページ)

社会を変えるには「変換力」を持つ人が必要である
「社会を変える」とは、①法律を作る・変える、②状況(状態)を変える、③慣習を変える、④人々の意識を変える、ことである。そのためには、①変えたいことの明確化・具体化(問題をカタチにする)、②状況についての具体的な語り(自分の状況を具体的に語れるようになる)、③目的の設定(何をめざすのかを明らかにする)、④仲間を作る(同じ仲間意識がある人とつながる)、⑤理解者を増やす(社会の人々に知ってもらう)ことが求められる。これらは、社会を変えようとする際に最低限必要とされる要素であり、「社会を変える」具体的なやり方・方法である。(211~212、223ページ)
社会を変えようとする場合に必要なのは、自分の何かしらの体験を、権利が侵害・抑圧され、生活に困難を来たしている当事者の経験や感情に「変換する力」を持つ人である。別言すれば、当事者(他者)の生きづらさや社会課題を緩和・解決するためにその問題状況を自分に引き付け、当事者に寄り添い、直接的あるいは間接的な行動・支援を起こす・行う人である。この「変換力」は「共感力」あるいは「権利意識」と言ってもよい。(219、230ページ)

「社会を変える」とは人のつながりを結びなおすことである。([4]帯)

原田正樹「2000年以降の福祉教育実践の展開―全社協の取り組みから紐解く―」

備考
(1)原田正樹「2000年以降の福祉教育実践の展開―全社協の取り組みから紐解く―」『ふくしと教育』通巻27号、大学図書出版、2019年8月、42~47ページ。
(2)「目次」『ふくしと教育』通巻27号、1ページ。

謝辞
本稿をアップするにあたっては、日本福祉大学副学長の原田正樹先生と大学図書出版社長の鈴木宣昭さん、編集部の奥西眞澄さん、藤原雄進さんには格別のご厚情とご高配を賜りました。ここに記して深く感謝の意を表します。

鳥居一頼「ステレオタイプ化された貧しい福祉意識からの脱却~授業『めだかのめぐ』で覚醒した藤女子大の学生たち~」

はじめに

1997年鳥取県米子市のある小学校で「道徳」の授業を参観した。「めだかのめぐ」〈注1〉という教材を通して、親切や思いやりといった福祉的なテーマを学ぶ内容であった。授業後、その学校の教員とともに「授業反省会」に臨んだ。
そのときに、「この教材は1年生の子どもたちには適切な教材ですか?」と質問され、答えようとした瞬間に、自分の福祉的な価値観が見事に百八十度覆されたような衝撃を受けたのである。
それ以降、機会あるごとにこの教材を取り上げ、子どもから高齢者まで様々な人を対象に授業を展開してきた。
それらの実践を糧に、藤女子大学の「ボランティア論」での授業「めだかのめぐ」を通して、覚醒した学生たちの福祉意識のありようを授業内容やそのノートから分析し、この教材の価値について明らかにしたい。
本稿では、第1章「教材めだかのめぐを学ぶということ」の中で、その教材を使った授業の具体的な展開を考察する。第2章「覚醒する学生たち」では、授業後学生が書いたノートを中心に、学生たちの意識の変容について分析する。第3章では「教材の価値と貧しい福祉観の是正」についての私論をまとめる。
福祉教育という世界のささやかな授業実践ではあるが、ステレオタイプ化され無意識のうちに刻まれた福祉的価値観を真逆の価値観に変える衝撃的な教材について紹介することで、学生たちが偏った人間観や福祉観に気づき自ら意識変容をはかるとともに、福祉教育の人間理解学習を進める基礎的な学習のひとつとして問題提起をしたいと考える。

第1章 教材「めだかのめぐ」を学ぶということ〈注2〉

1 85文字の世界

そもそも、潜在意識の中にある自分と違った存在に対する蔑視感や排除感は、どこから生まれくるのか。自分と違うものに対する不安感や恐怖感を抱きながら、社会というより「世間」という不文律な統制力によってあらがうことをあきらめ、周りの集団との同質化を求められた結果として、排除・排斥感をその内に育ててきたのではないか。
「見慣れない」「出会わない」「知らない」という「無知」からくる偏見と差別感が染みついた「無恥」を無意識に身に付けていったのではないかと考える。
この授業は、このような「無知」による「無恥」をいかに是正し、自己認識した上で学生個々の意識変容を促すことを目的に、福祉の視点から実践を続けてきたものである。
さて、授業の課題は、冒頭の「めだかのめぐは ちいさいときに ざりがにに しっぽをかじられました。それで ほかのめだかのようには うまくおよげません。がっこうに はいるまえは そのことを とてもしんぱいしていました。」という、たった85文字の文章である。
質問は、大きく5つである。
授業は「めぐはどんな心配をしたの?」という最初の質問から始まる。「上手く泳げないことで、どんな心配をしたのか?」というだけの質問である。
学生たちの答えは、「上手に泳げない、みんなとカタチが違う、そのことが原因でいっしょに遊べない、みんなに笑われる、みんなに仲間はずれにされる、バカにされる、いじめられる」というものであった。
質問を続ける。「そんなめぐに、あなたならどうしますか?」
「一緒に遊んであげる、困っていたら手助けしてあげる、仲良くする、意地悪した子がいたら怒ってあげる、友だちになってあげる」など、優しさに満ちた答えが返ってくる。それが「優しさや思いやり、親切という心」であるという、道徳的価値観を教えていく授業の導入部分となるのである。
札幌、名古屋、大阪〈注3〉の大学で同じ授業を行ったが、異口同音の回答が戻ってくる。それも小学1年生と全く変わらぬ回答である。なぜそのような事態が、起っているのであろうか?
そこで、「何かおかしいことに気づきませんか?」と3つ目の質問する。すると、戸惑ったような表情を見せるが、ほとんど無回答である。今までの流れが当たり前であり疑問を挟む余地はないという思い込みの強さが、ここに表出される。
沈黙も想定内、学生たちとの授業は続く。「ところで、あなたが小学校に入学するときには、どんな心配をしたでしょうか?」と、4つめの質問を投げかける。
「早起きできるかな、友だちできるかな、給食を残さず食べられるかな、勉強むずかしいのかな、先生こわくないかな、学校まで歩いていくの大変だな」
学生たちは、予想だしなかった質問に答えながら、なにかが違うといった漠然とした疑問に困惑している表情を浮かべてくる。
誰もがみんなささやかな不安を持って、1年生になったのではないか。泳げない、姿形がみんなと違うというめぐのような障がいのある子は、障がいのない子とは全く別の「不安」を持っているという「ここ」の心理は、いったいどこから生まれてきたものなのであろうか? そこに、気づきだしたのである。

2 当たり前という思い込みの怖さ

米子市の小学校で、初めてこの授業を参観したときには、その授業の展開になんの違和感もなく当たり前であると受け止めていた。しかし、放課後「授業反省会」に臨んで、授業後のふりかえりをした折りに、突然ハンマーで殴られたような衝撃が走った。
「おかしい、変だ、間違っている!」。それは、24年間ボランティア学習や福祉教育の実践者として、さも知ったかぶりをして進めてきた自己への強烈な批判と無恥への自戒の念であった。
めぐとのギャップを見ていこう。
学生たちは、自分が入学を前に、バカにされたり、いじわるされたり、笑われたり、仲間はずれにされるとは、だれも思っていない。ところが めぐはそんな心配をしていると、なぜ想像するのだろうか? その根っこには、一体何があるのだろうか?
意識変革を迫る5つ目の重要な質問である。「そう考えているのは、誰ですか?」
学生たちは、沈黙のまま自分の胸を指差す。めぐではなく、「わたしたち!」「世間様!」である。
なんの思い入れもなく、周りがそう思い信じていることに付和雷同することを「おかしい」と感じるところから、学生自身の見識を疑ってみてほしい。これはそのひとつのきっかけといえるのではないか。
正当だと信じて疑わない社会や世間。そして親世代や幼児教育を担う者たちが、その価値観を善とした中で育てられ、無意識のうちに感化された幼子たちの心。学生も障がいのある子への「憐憫の情」という道徳的価値観を身につけて成長してきた結果として、それを是正する機会もなく、「優しさや思いやり」という倫理性へと高めてきたと考えられよう。そこに「思い上がり」は自覚されていない。
ここに、日本の国の福祉の精神的貧困性の根幹を見ることができるのではないか。換言すれば、求める共生共存の福祉社会を実現する妨げとなる希薄な人権意識の源ともなっているのである。障がい者への暗黙の了解のうちにある差別意識である。
これが、社会的な通念として無批判に受容させ無条件に感化していく地域社会、世間様の怖さである。防ぎようのないバリアフリー状態で浸透する差別と蔑視、そして偏見という不変な精神風土の問題とも言えよう。障がい者差別や人権侵害を無意識に冒し続けてきた結果と考えても過言ではない。
ただしここでは、同情や哀れみの感情をすべて否定するものではない。相手を気遣う感情として粗末にしてはならない心の働きであり、誰しもいてもたってもいられないほどの哀れみや悲しみを抱く惻隠の情は持っているからこそ、人でいられる。しかし、一方的に弱者の立場に追いやる強者の論理を押しつけ、平然として福祉社会を標榜するこの有り様を許してはならないのである。
偏見を持つことの怖さを、G.W.オルポートは、次のように指摘している。
「偏見とは、十分な証拠なしに、他人のことを悪く考えることである。偏見とは、ある集団に属している人が、たんにその集団に属しているからとか、それゆえにまた、その集団の持っている嫌な特質を持っていると思われるとかという理由だけで、その人に対して向けられる嫌悪の態度、ないしは敵意ある態度である。予断は新しい知識が表れても、それが改められない場合のみ偏見となる。偏見の持つ効果は、必ずしも偏見の対象自体のせいではなく、ある種の不利な立場に当人を陥れてしまう点にある」(『偏見の真理』)
偏見によって相手を不利な立場に陥れることを、日常的に繰り返している事実に気づくことであろう。ほとんどは自己の評価を正当化しているために、その愚弄に気づき改善しようという自覚認識までには発展しえない。
「根本そのものが間違っている。今まで意識していなかった不条理や蔑視感、差別感があるということ。私が最初に思考したことから意識が覚醒されていったのは、勝手にめぐをいじめる人がいると思い込み、それが当たり前だと思って、その間違えを教わらなかったことだ」と、受講した学生〈注4〉は苦渋する。
フランスの思想家ルソーは、「理性、判断力はゆっくりと歩いてくるが、偏見は群れをなして走ってくる」(『エミール』)と指摘し、「偏見に染まるのは早く、こびりついたら容易には消えない」〈注5〉と論じる。
そもそも「しっぽをかじられた」ことが原因で「うまくおよげない」結果、みんなと同じことが出来ないことを「とてもしんぱい」という教材の文脈からして、このような偏見と悪意に満ちた答えを暗黙のうちに誘導しているといっても間違えではない。
それは、まさにそのような認識を「正しい」ことであると教化するなにものでもない。
それゆえに、今までの当たり前だという固定観念が、ここで打ち砕かれて「覚醒」のハンマーの音を聞くのである。

3 車いすとメガネ

なぜ、多くの学生はそのような勝手な想像をしてしまったのかを究明する。
授業は、本論を捕捉・深化するために、「めだかのめぐ」を「人間」に例える。
人間に例えると、泳げないということは歩けない、歩けないから車いすを「利用」する。この「利用」という表現がキーポイントとなる。
学生たちの当初の認識は、「鳥居さんは車いすの人」「車いすの人は歩けないから可哀想な人」「だから鳥居さんは可哀想な人」という三段論法で説明がつく。そこに、働く障がいのある人への憐憫の情は否定しないが、歩けないというだけで一方的に弱者にする強者の論理がここにあることに気づいてほしいのである。
そこで、足が不自由なので車いすを利用する。車いすは「歩くための道具」であるが、差別の象徴ともなっている。
「ところで、学生の中に目が悪くてメガネやコンタクトを使っている人は?」と挙手を促しながら、メガネをかけた学生を指名し、「そのメガネを外して、私を見てください。どのように見えますか?」「ぼやけてはっきり見えません」「それではもう一度かけてください。今度はどうですか?」「はっきり見えます」「あなたは、目に障がいがありますね。障がい者と言われたことはありませんか?」驚いた様子で「ありません」と答える。
教室の机に車いすに見立てた椅子を乗せながら、「私は、目が悪いのでメガネがないと車を運転することができません。運転の条件に眼鏡使用と明記されています。運転できないと生活に支障をきたします。私は障がい者です。しかし、メガネをかけた人が全て障がい者であると誰も言われたことはないでしょう。確かに、見慣れていることで違和感なく受け入れられていることも、車いすのとの違いです。でも、どちらもその人が生きていく上で必要な道具です。道具は“幸せになる”ためのものであり、決して不幸になるためのものであってはいけない。最悪な道具は不幸を生むものであり、人を殺戮する兵器、核兵器はその最たる物ではありませんか!」と語りかける。
そして、おもむろに椅子の上にメガネを置いて、「どちらも人を幸せにする道具でなければならないのでは?」と問いかけるのである。
この問答で、学生は「車いすとメガネ」の違いを思考し、自問自答する。
「この話に衝撃を受けた。メガネをかけている人に対して障がいを負っていると感じたことはない。それが私の今までの当たり前。でもそれは正しいことではないということに気づかされた。今までの当たり前が覆された」と、ノートした学生〈注6〉もいた。
車いすは、自力歩行が困難な人が利用する道具であるが、その単なる道具がメガネとは違って「差別の象徴」として負の役割を果たしているとすれば、由々しき事態である。だからこそ、授業にこの話を組み込むことで、学生は様々な葛藤を経て意識の変化が生まれてくるのである。85文字の世界をここでまた別の視点から広げ深めていくのである。
「車いすとメガネ」に関わる学生の意識の変容については、第3章の分析に譲りたい。

4 ボタンの掛け違い

障がいのある人との関係を、蔑視や偏見により見下した差別を前提とした関係図式では、「互いに対等である」という関係性を見い出すことは、はなはだ困難である。
「差別という言葉では、議論も対話も前に進まない。言われる側は口を閉ざし、気持ちのギャップが生まれる。それに代わる言葉をどう生み出すか」と語った高良倉吉〈注7〉は、沖縄の基地の過重負担問題に対し、日本政府の仕打ちを「差別」という表現に否定的な見解を述べている。
差別意識だけを強調していては、差別する側との議論も対話も進まないという指摘に、この授業の求めるところは何かを強く問われたのである。単に眠っていた差別意識を目覚めさせることではない。それを否定する自己変革力をどのようなベクトルに導いていくのかが、大学教育の目的でもある。
ボランティア論の授業が、「自己実現と共生社会の実現」を狙いとするなら、「差別について議論する」ことが出来ることと、その先にある福祉社会の共生意識の醸成について論じ続けなければならないのである。
だからこそ、薄っぺらな「共生感」を唱えてきた学校教育に対し問題を提起しなければ、先の学生のように「教わらなかった」ことが自分の無恥を知り苦渋するのである。「共生共存の福祉社会を」といった文言も絵空事のように虚しく響く。「共生」という言葉ひとつ取り上げても「共に生きる」といった程度のレベルで解釈され、理念も空洞化しているのが実態であろう。
そこで、「共生の状態」〈注8〉について、田村太郎の論に委ねたい。
「同じ社会に存在し生活をしながら、同じ権利やチャンスがない状態は、共生とはいえない。基本的な権利の保障や不公平の是正が共生への第一歩であり、それぞれのちがいを大切にしながら、生き続けてことができる社会かどうかが、共生を実現する重要な視点」であり、その視点は、「①『あってはならないちがい』の解消(基本的人権の保障、機会の均等、自由権の保障など)。②『なくてはならないちがい』の保障(少数者への権利の保障、多様なあり方生き方の尊重)。③『ちがいを越えた協働』の実現(多数者の意識や態度変化、社会全体の変革)」。この3つの視点にさらに「地域、社会、世界全体が、互いの違いを乗り越えて共に日々の暮らしの幸せを保障し平和な社会の創造を協働する」ことで、はじめて「共生」が実現された状態といえると論じる。
上記の3つの視点から考えて、「非共生社会」とはどのような状況にあるのか。
国民の人権を時の権力から守るための日本国憲法が、政権政党により憲法改正を求められている。2013年5月3日の憲法記念日を前に、朝日新聞の行った世論調査の結果〈注9〉、改憲の提案に必要な憲法第96条の改定は、反対54%、賛成38%であった。また、第9条についても、「変えない方がよい」が52%で、「変える方がよい」の39%よりも上回った。しかし、この数は侮れない。平和憲法として国際的に評価されている「戦争放棄」についても、過半数を数%上回るだけの「変えない」という意見であり、厳しい事態であることを如実に示している。そのような歴史的な判断を求められる時代を引き継ぎ、厳しい内外の社会情勢の中で生きなければならないのが、学生たちであり若い世代であることは否定できない事実である。
そこで、この授業の根底の理念でもある、憲法第13条を確認する。
「すべての国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉〈注10〉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。これは、社会福祉を国家が保障する根拠ともいえる条文である。幸福追求権とも呼ばれるが、福祉を学ぶ者として心にしっかり留めておいてほしいのである。
その上で、憲法問題や政治問題に関心を持ちながら、現代の経済や教育、福祉や医療など日本社会の課題を具体的に考察することが、一人ひとりに求められているのである。人権保障ひとつ取り上げても、沖縄の米軍基地移設問題、ハンセン病問題〈注11〉、学校でのいじめ・体罰問題など、未解決な課題が数多く見えてくる。経済的な貧困の問題は、すでに子どもから教育を受ける均等な機会を奪い、その格差を親が認知せざるを得ない状況にある。教育福祉の問題である。雇用状況〈注12〉の厳しい現状での失業や疾病などによる経済的な破綻は、社会福祉問題に直結することからも、高齢化の問題ばかりではなく課題が山積する未成熟な福祉社会であると認識されよう。
「共生社会」を実現することは、確かに困難なことである。しかし、その理念を学校教育をはじめ市民教育の機会や社会的な活動の場で、いかに啓発してきたのか。時の政治権力により正当化された人権侵害の歴史を踏まえてなお障がい者にとどまらず、社会的弱者と社会の隅に追いやられた人たちの人間としての尊厳をいかに保障するのか。法律や制度、政策だけでは解決できぬ倫理性の問題だけに、人間と関わり合う多くの体験学習を構築しない限り、希薄な言葉の解釈だけで済まされよう。そのような空虚な言葉遊びの教育は、もう止めなければならない。
そのためにも、「めだかのめぐ」の授業で指摘された学生たちの「ボタンの掛け違い」は、強く自省されなければならない。一方的に相手を弱者の立場に追いやり、かわいそうという同情憐憫の情を身勝手に膨らませ、蔑視する心からうまれる「善意」にどんな意味があるのか、自問自答する機会を与えなければならない所以である。
「かわいそうなめぐ」に対して、「助けてあげる、遊んであげる」という傲慢さを「よし」とする強者の論理をいかに是正するのか。その上で、社会・世間や教育の欺瞞をいかにあばくのかが課題となる。障がいのある相手に対する自身の心の構え方の間違いに、鋭く切り込まなければ、同質化を求める日本の社会・世間の根深い体質や異質なものを排斥排除してきた社会・世間の悪しき常識を変えることはできない。
めぐのように一方的に弱者の側に身を置かされることで、その人の尊厳やプライドが喪失する。障がい者だけではなく高齢者も同様である。「一方的に助けられる存在」として、人は存在できるであろうか? その正否が問われる教材といえよう。
阿部志郎〈注13〉の言葉が、心に沁みる。
「福祉の世界に入ると、自分自身のよって立つよりどころを求めずにはいられない厳しさに直面させられる。ときに、苦しみ、疑い、そして悩む。それに耐え、それを克服し、そこに使命(いのちを使うこと)を見出す心情的な過程、読み、聞き、ふれあい、学ぶ態度、自分を納得させ方向づける理想がだれにもあるものである。それを哲学と呼んで差し支えないのではないか」
立つべきよりどころが間違っていたなら、取り返しがつかない。厳しさを味わうこともなく、使命感すら抱くこともなく、福祉の世界に関わることは許されることであろうか?
「福祉の構造を貫く普遍的社会的な理念のみが福祉の哲学ではない。人とともに生きる場で、自分に出会うという経験から形成される哲学が大切なのだ。真実の出会いは、心の中に対話(ダイアローグとは真理をわかち合うの意)を育てる。出会いは、尊敬というより畏敬の想いを温め、あふれるばかりの喜びへと導いてくれる。だからこそ邂逅にふさわしい感動を伴うのだろう。福祉とは戦いでもある」と続く。
教材もまた「真実の出会い」を創造するのである。邂逅はひととの関わりだけではなく、学生たちの柔らかな感性に響く痛みを分かち合う想像力を喚起したエピソードからも、その自己変容の感動を受容することが可能となるのである。
さらに「福祉とは戦いでもある」という一文は、自己葛藤だけではなく、社会の福祉への認識をも変えていく長い道程なのかもしれない。心しておきたい。
さて、この「ボタンの掛け違い」をどう是正するのか?
そこで、授業では「人との向き合い方〈注14〉」を考えてもらう。
学生に協力してもらい、車いすユーザーの役を担ってもらう。「彼女は、車いすを利用している足の不自由な方です。私たちの目は車いすに注目してしまうことで、大きな間違いを冒してきました」。学生を立たせて、車いすを私との間に置き、「車いすを通してあなたを見ることで“車いすの○○さん”と呼ばれてきました」。そこで、この車いすを一度取り除いて、学生の後ろに隠してしまい、私と学生が向き合う設定にする。学生にいくつか質問しながら、「あなたには、いろいろな人間的な魅力があるでしょう。もちろん苦手なこともきっとあるはずです。その一つがみんなとは違って足に障がいがあるため歩くことができない。だからといって、何もできなくなったわけではない。歩くのが不自由だから、車いすを利用するだけのことですよね」
車いすを介在させて相手を見るのではなく、車いすを排除してあくまでも相手と向き合うことができるかどうかが、「ボタンの掛け違い」を正す適切な方法であり、意識的にそうすることによって、お互いの理解は深まるのである。車いすのイメージを払拭して、相手を丸ごと受け止められるのか、そのとき足が不自由なことは、単なるその人の一部の苦手な行動でしかなくなるのである。「苦手意識」は人間誰しもあることを承知している。
そこに優劣をつけて、「できるか、できないか」で全人的に評価する愚弄を排斥しなければならない。それは、対等性を実現する有効な手立てとして活用できるだろう。
換言すれば〈注15〉、「車いすを外す」という意識が、今までの車いすというフィルターを通してしか人を見ようとしなかった自己の行為の過ちに気づき出す。その人なりを自分の中に引き受けて理解していく過程こそ、人間理解の本質ではないか。ここに「福祉の根幹」がある。そこにしっかりと根付いた授業こそが求められるのである。
その中で、その人は足が不自由だから「車いすを利用する」という認識こそが、障がいの悲しみと差別・蔑視のシンボルを静かに葬ることになる。車いすは、その瞬間に主役の座から降ろされて、その人の陰に隠れ、「車いすの○○さん」という呼称も廃棄される。主役は人間そのものである。
「鳥居さん、障がい者って誰? 確かに歩けないよ。車いすにも乗ってよ。歩けないから車いすを足替わりにして、俺は自分の行きたいところに自由に出かけることも出来る。どこがみんなと違うんだい。歩けるか歩けないかの話で障がい者というレッテルを貼らなければならない理由ってなんだい? 俺は、障がい者である前に人間なんだ」と、電動車いすを利用する友人のゴリさんが、小学生を前にした私との対談で語った。
相手としっかりと向き合うことは、障がいがあろうがなかろうが関係はない。「俺は障がい者である前に人間なんだ」という言葉の重さを、授業の中で具体的に展開しなければ、障がいのある彼らの置かれている状況は、いつまでも変わらないし、大事なメッセージを伝えることもできない。安易に「福祉の学習」をしてきたツケが、若い世代の未来に肩代わりされ支払われていくことに、この授業を通して感じて欲しいのである。
車いすは単なる道具である。それは足の不自由な人たちにとっては、制限された行動から自ら解放するための道具であり、幸せを実現するものである。車いすに着せられた濡れ衣を晴らすことができれば、道具としての価値も再評価されるだろう。車いすには罪はない。それを、「教材」としてどのように活用するのか、そこに指導する側の「福祉力」が問われているのである。
難しい論理を振りかざすのではない。対等性の前提について誰もが共感的に理解できる「人間同士の対話」の中に、差別意識を一掃する価値を見い出すことができるのである。
次に、「相手の意思を確かめる」ことである。ここから始めなければ、全ては詭弁となる。「違う」ことを前提に、人は互いに分かり合い、共に幸せに生きるために、「知力」と「感性」、そして「行動力」を、人との関わりの中で育てなくてはならない。丸ごとその人を受け止めること当たり前にするために、体験的な学びを積み上げなければ、当たり前に行動することはできない。
人はだれもその人生を豊かに幸せに生きたいと渇望する。それが「当たり前」であり、障がいの有無で決定するものではない。誰もが一人では生きられぬゆえに、共に生きるそのときに対等な関わり方を体験的に学ばなければ身に付かないと考えるのである。
授業のまとめに、上士幌町〈注16〉で全町の5.6年生を集めて「めだかのめぐ」の授業をした際のエピソードを紹介した。いつものように、めぐの気持ちについて問いかけると、男の子が「うちのクラスに弟が3年生だけど車いすで通っている子のお姉ちゃんがいるから、そのお姉ちゃんに聞くといいよ」と助言され、5年生のお姉ちゃんに尋ねてみた。「君の弟は入学する時に、どんな心配をしていたの?」。彼女は静かに答えた。「弟に聞いてきださい」。心が震え、二の句が継げなかった。その人の意思を尊重することを、見事に小学5年生に学んだ瞬間だった。子どもは、時に師となり、心のあるべき道をさりげなく照らす。
学生たちには、それ以上何も言わずに、今日の学習のふりかえりをノートに書くよう指示をして、授業を終えた。
授業を受けた学生〈注17〉が、私の伝えたいことをしっかりと受け止めてくれた。
「…私の中の当たり前が、世間の作りあげた偏見であったことに気づかされたエピソードであった。めぐの体には不備がある。それゆえに考えられる心配事は何かと問われたときにいじめられるのではないかと心配した。そこに何故そう考えるのかという切り返しは強烈かつ新鮮だった。違いを認知することが悪なのではなく、共生を拒否することが悪なのではないか。障がい者と一緒に生きていく上で重要なことである。…ボランティア学習が何故必要なのか、それは『福祉の学習』である。
福祉とは『幸せやゆたかさ』を示す言葉であり、すなわち幸福の学習である。幸福の追求は、人生を考えることに近い行為であり、この学習の根幹は、人間理解の本質にあり、それは自分なりに人間を自分の中に受け入れ理解していく過程である。その学習が必要な理由は、人を思いやる心や判断力を育て、人間らしく生きることを助けるからではないか」
次章で、めぐとの出会いで「ボタンの掛け違い」に気づき覚醒していく藤女子大を中心に学生たちの意識変容の状況を分析する。

第2章 覚醒する学生たち

1 研究対象

研究対象は、2011年度より3カ年の「ボランティア論」を受講した藤女子大の学生である。2011年41名、2012年30名、2013年43名の計114名が、授業終了後に提出したノートを分析する。
ノートの内容を、①めぐへの接し方(差別意識を認知する言動)、②自己の意識変容(覚醒)、③これからの態度決定(課題との向き合い方)、④社会への発信(問題提起)の4つの視点から分類した。個々の文章表現が様々なために、統計学的な処理はできないことを予め断っておく。年度別の学生の思考傾向は、概略把握できるのではないかと考える。
また、参考として、大阪教育大で2008年度「発達教育学演習」を担当したが、授業で取り上げた様々な事例等について、個々が率直に感じ考えたことをその都度ノートさせた。そして、講義テーマごとにノートをまとめ記録とし、その集積された全体の記録の中から、個々に関心のあるテーマについて受講した学生の意向について分析するよう、小論文〈注18〉を課題として与え学期末の評価とした。そこで提出された「めだかのめぐ」に関するいくつかの小論文を取り上げ参考として紹介する。

2 藤女子大学の学生の意識変容について

(1)2011年度
① めぐへの接し方(差別意識を認知する言動)
・容姿の違いや泳げないことで、からかわれたり、いじめられたり、仲間はずれにされるという意見が半数以上ある。そのことで、優しくしてあげることは正当であり正解であると信じている。弱い立場の人を助けたり手伝うのは当たり前であるという感覚を多くが持つ。
・「今まで生きてきた経験上、他人との違いが怖かった」との告白には、同質化を求めてきた社会の感化力を見る。
・上から目線で哀れみの目で見ることや、車いすの人など少数派(マイノリティー)が奇異の目で見られるのが普通であるところに、見慣れない者やマイノリティに対する差別意識の一端を見る。
・劣っていることで社会的地位が低いという認識や、障がいを負うことは悪いことであり、瞬間時に同情し親切にするといった勝手な思い込みも指摘された。
・小さい頃から困った人は助けてあげようと教わってきたが、いつの間にかその困った人が障いを持つ人という意識に変わっていったというのは、学校教育の総合的学習の時間などで福祉を取り上げた時に、特定の人への関心度を高めてきた成果(結果)であるのかもしれない。この学年の学生は、すでに「ゆとり教育」を受けてきた世代である。
・幼稚園時代に障がい児を受け入れ一緒に生活した経験から、「少しみんなと違う」という思いが「嫌だ」という感情を抱いたことや、手足の不自由な子が特別扱いされいまいち輪になじめない光景を思い出したことで、負のイメージを抱いたことは、幼児期の障がい児との関わり方に課題を残している証左ではないか。
・体の弱い子や不自由な子には優しくしようと学校でそう習い、身体に染みついていたという学生は、そうすることに何の心理的抵抗がないことが伺える。多くは、このような意識を学校教育の中で、「いいこと」として育てられてきたことは否定できない。問題はどのような倫理感の下に育てられたかにある。それをここでは、問題視しているのである
・たくさん不安はあっても、いざ学校に行くときっと優しい仲間ができて助けてくれるというポジティブな捉え方もあった。

② 自己の意識変容(いかに覚醒したか)
・今までの価値観が否定され意識が変化するバリエーションは、個々多様であった。それは個々の生育環境や生活体験などから生起されるもので、「価値観が変わる」という点で共通することである。
・いじめられているとは、私たちが感じることで、そこに薄っぺらな同情や当たり前の生活ができないといった相手への思い込みからの偏見や勝手な決めつけ、見た目の違いなど、一方的な見方や捉え方による自己判断に気づき、ハッとしたり恥じたりしたした瞬間に意識の変化が起こっている。
・善意の行動であっても、気づかないところで差別であったり、独りよがりのエゴや特にボランティアは悪ではないが自己満足に代わることもあると気づいたという。
・障がいという先入観に囚われ本質を見失っていることに驚きを持った学生は、その本質が何であるかを掴んだのではないか。
・それが普通という感覚が多数派であること、少数派の障がい者は奇異な目で見られることはしばしばあること、これらが世間の認識であり、それを親や教師に教えられたことへの怖さを抱いている。
・「福祉を学び始めて、自然とハンディのある子に手を貸すことや親切にすることが当たり前だと思うようになり、それが正解だと思い込んでいた。この授業を通して見方を変えれば車いすはメガネと同じ道具にも関わらず、その道具を使うことでハンディがあり可哀想だという勝手な考えが恥ずかしい」と訴え、福祉を学んでいながら間違った考えを持ったことに気づいたことで、福祉と向き合っていこうとする意思を読み取った。
・車いすとメガネの道具としての比較について41人中17人が関心を示していた。しかし、初めて視力障がいがあることで自分が「障がい者」であることを認識した。それで、考え方の視野が広がり今までの考え方や捉え方の貧しさに気づいたり、そのことから人は何らかの障がいを抱えている事実を知ることで、意識が変わっていった。そのことから、人には不備のあることを、「身近な障がい」というレベルで、いかに認知させることができるかが、重要なターニングポイントとなったことを伺わせた。
・衝撃を受けたと書いた学生は、「最初は単純にみんなと異なるめぐには、優しく気を配ってあげるべきと考えていた。そう考えること自体が相手を低く見ていて優しくする以前に平等ではない考え方を持って接してることを知って衝撃を受けた」という。平等という表現であるが「対等」という相手との向き合い方の課題に気づきだしているのではないか。
・他と違うことは個性であり、いじめられる理由にはならないという気づきや、障がいがあるからといって特別な感情は不要であるという気づきも生まれている。
・一方で特別衝撃的なことではない。当たり前のことを当たり前のこととして受け止めた感覚だったという学生もいる。そのことを確認するきっかけであったことが必要であり、それ以上に、「世間に作られた常識」という点で、肯定の気持ちがある反面否定的な疑問を抱いているが、その指摘は鋭い。「“かわいそう”という言葉の意図や“思いやり”の根幹が、本当に社会に植え付けられてきた思想に基づく意思の元に発せられたものなのか、私には判断することは出来ない。そもそも社会に植え付けられた思想とは何か? 押しつけがましい善意の考え方のことだろうか?」(M.Sのノートを引用)。学生がこの疑問を自己課題として取り組むスタートラインを示唆している。そうすれば、大学での他の社会福祉などの講義もおもしろく感じるのではないか。

③ これからの態度決定(自己課題との向き合い方)
・「私は、最初確かにメグは可哀相であり、どこかメグを否定するように捉えていた。しかし、その一方でメグがメグの今の姿であることは、今後も変化せず仕方のないことであるから、どこかでみんなと一緒に続けることは不可能であることを理解しなければならないのではないかと考えた。先生の考えを聞いているうちに、『では果たして自分が完璧に完成された人間なのか』という疑問が浮かび上った。この大学で学んできた様々な分野を参考に考えたら、自分のメグに対する印象や考え方が明らかに間違っているのではないかと思うようになった。
メグにとってはメグ自身の今の姿的に完成された姿であり、何一つ間違いなどない。ただ私が大多数と違う何か=否定すべきところ、可哀相なところという間違った認識を持っているがために生まれてしまった考えに過ぎないのだ。
このことにより、私は“人は人、自分は自分”という個性を大切にするべきであると共に相手への理解を深めることが大切ではないかということを学んだ」(Y.Hのノートより引用)。学生自身の問題に留まらず、大学人として、どのようにこの重要な疑問と向き合うべきか、本質的な課題を投げかけられている。
・形や見え方が違っても、同じ人間ではないか。そこに差別や偏見があること自体おかしい。直したいという、率直な意見である。
・同じ目線で、みんなと同じように接する、自分の価値観を押しつけない、個性として見る。価値観の押しつけは、そこに力の上下関係があることに起因する。その上下関係を成立させる要因は何かを明らかにすることが、これからの人との関わり方から学ばなければならない。「スクールカースト」という問題もないがしろには出来ない。
・違いから可哀想と上から目線で見る哀れみを是正する、
・どのようにサポートできるのか、何を必要としているのかを考える。
・相手がどう思っているのかを直接聞く。その人が望んでいることで、幸せに導くのが福祉である。
・「優しくするのは間違えではない」「自分をいい人だと思いたくて行動するのは違う」「心苦しくても状況を判断して支援するのがボランティア、ボランティアは公平だけでなく、必要に応じて行動する」「ボランティアすることで喜びや幸せを多く感じてもらえるのではないか」「互いに理解したり仲良くするために考えることもボランティアではないか」と、現在しているボランティア活動のあり方に言及する。
・相手への理解を深めることが大切である。めぐを理解するだけではなくめぐ自身も理解することも重要である。他方、自分から見た一方的な相手ではなく、相手から見た自分をしっかり認知することで対等性が担保されることを指摘している。
・人間をいかに理解するのか、ここにボランティア学習の重要な学習視点〈注19〉がある。「人間理解学習」そのものである。
・しかし、一方で今までの価値観を否定されたことで、これからどうしていいかわからない、深い問題でありその意識を変えるのは難しい、差別した一人としてどのような福祉を求めるのか、一生間違って福祉を考えていたのでは、と悩み始めていることは、良き前兆である。悩むゆえに、解決の糸口を見つけようとあがき始める。他人ではなく「自分自身がどうか」を考えることから始めることしかない。

④ 社会への発信(問題提起)
・ボランティアの活動は良とし、萎縮させてはいけない。
・車いすの人は希な人だからといって特別扱いにしない。
・障がいを認知し共生共存を拒まない。ここで誰を拒まないのか。拒まれる理由は何か。拒むという一方的な拒絶反応を起こす態度は容認されるのか。「拒まない」という言葉一つからも、多くの疑問が生まれる。
・手を貸す前に正しいか否かを考える。ここでは、正しいという「基準」は何か明らかにできるかどうかが問題である。
・世間の偏見をなくすのは困難であり、この問題の根は「良心からの発露」だから、否定することが難しい。としているが、そもそも「良心」は肯定できる「善」なのかどうかから、疑っていくことで、ボタンの掛け違いそのものに気づくのではないか。
・哀れな子と見る社会を変える。そのためにどんな言動を取るべきなのかを考えなければ、意識が芽生えても萎えてしまう。
・個々の問題意識から、社会への関心を高め広めることが学習の発展性を意味する。「私が車いすを周りと違い特別視してしまうのは、過ごしてきた社会で車いすの駐車場、バスの中の車いす専用席などを見てきたために、無意識に植え付けられたものだと思った。これらが直接偏見を生むわけではないが、自分たちとは違うんだということを嫌でも認知させる社会にも改善の必要があるのではないか」(A.K)
この発想は今までなかった。私の中の当たり前が崩壊した。
・「障がいを持つ人は、その障がいと向き合い共に生きるのだから、周りの私たちはその障がいを持つ人たちと共に生きることを当たり前にしなければいけない。障がいは悪いことではなく、その人の持つ個性であることに気づき、互いが住みよい社会を形成していけたら良いのではないか」(E.N)当たり前にするための「行動」が何も示されていないが、まずは「関心」から始まる。

(2) 2012年度
① めぐへの接し方(差別意識を認知する言動)
・姿形が違うことで、じろじろ見られいじめに遭う、友だちができない、仲間はずれにされる、笑われる、からかわれる、同じように動けない、クラスからうくなどと、7割近くがマイナスに感じている。
・見た目や第一印象で差別したり、人の気持ちを理解できると勘違いしたり、可哀想と同情したり、他人に迷惑をかける存在だと考えている。
・自身が仲間はずれにされた経験から、どうしても他の人と違ったり劣ったりすることがあると「人からよく思われないのではないか、仲間はずれにされて孤独になるのではないか」という気持ちが起こる。だから、常に人の視線や評判を気にかけ、そこから抜けきれずにいるという。世間の目を気にする心理と同様である。ここでは、みんなと同じでないと不安であるという意識から「みんなと違うめぐ」を見る立場に立つ。そこに差別化の土壌があり、同質化を無意識に求めてきた日本社会(世間)の一面を露呈している。

② 自己の意識変容(いかに覚醒したか)
・上から目線で「~してあげる」と見下していた。してあげる立場なのかと疑問を抱いた。
・当たり前、正しいと考えていたことが全て打ち砕かれた。そう考えていたことに、ゾワッとした。慣れや思い込みが間違えであった。「“他とは違う”“障がいがある”というだけで、その人たちの気持ちまでひとくくりにしてしまうことが当たり前になっていることに気づき、またそれは違うのではないか」(M.K)の指摘は鋭い。
・めぐは何も悪くないのに恐れるのは理不尽である。弱者扱いする自分がおかしい。 いじめられる要因はないのだから、堂々としていい。非難する人は愚かだ。
・相手への勝手な思い込みに罪があった。
・善という行為に差別意識があり根本的な問題があったことや無意識に障がい者に対し差別偏見を持ち決めつけたことに、いたたまらなさを感じている。
・ショックを受けた! 思い知らされた! しっぽがないというオプションがついただけで、全く別の回答をしたことに気づかなかったことに衝撃を受けた。
・授業を受けなければ、差別偏見を無意識に持ち続けた。
・大半がまともに泳ぐことに注目して、そこから勝手な想像でその子を決めつけてしまったとの指摘は、苦手である一面を強調することで、一方的に「出来ない子」のレッテルを貼ることの理不尽さに気づきだしててる。
・S.Hは「見た目や第一印象で判断、差別、区別してきた私たち。“自分が基本”どこかでみんなそう思っているから、そういう現象が起きたのだろう。少し人と違う。それはその人の個性であって、それを非難する私たちはすごく恥ずかしい」と記す。I.Mは「障がいを持つ人を哀れむことが正しい、まっとうな考えだと思っていたことに気づいた。無意識に差別をしていた。その上、そのことに満足さえしていた。自分がとても恥ずかしい。恥ずかしいというよりも悲しくなった。今まで普通に生活してきただけで、このような考えを持ってしまったことに悲しくなった。人とのことを考えて思いやっているつもりで傷つけていたのかと思うと胸が痛い」二人とも、いたたまれない恥辱と悔いを書き記す。
・N.Tは「人のことを見かけで決めつけて差別している人の心に問題があるのであって、そういう心を持った人こそ見かけではわからない心の障がいを持っているのだ」と鋭く切り込む。

③ これからの態度決定(自己課題との向き合い方)
・障がいに注目するのは苦手を知って接することであり、その人自身と向き合うことである。一人ひとりが障がいをもち、性格や個性として捉える。また、欠点に注目するのではなく、ひとりの人間として受け止め見ること、同じ感情と気持ちを共有できること、など、従来差別や先入観で囚われてきた障がい者への心構えに大きな変化が生起している。対等性をどうお互いに作っていくのかが、実践場面での課題となる。その上で、違いを理解できない人こそ障がいがあることも心に留めておきたい。
・困っていれば手を差しのべるのが当たり前であるが、その前に同等に接しているかどうかが問われる。違いを超えた助け合いが可能となり、さらに、「福祉とは、してあげることではなく、尊重すること」という貴重な指摘もある。
・それらを受けて、今の気づきをどう生かすのかが大事であり、自分を変えたい。そこで、人や物事の本質を見極めるために「当たり前のトレーニング」を授業で学びたいという目標が明確になった。
・小学1年生の回答にあった「待っててあげる」という気持ちは、見過ごしてはならないと主張する。見守るという大事な視点を、普段忘れがちになるがたわいないことのように見えて、実はその人に関心を持ち続ける意思を表示しているのである。マザーテレサは、「愛の反対は憎しみではなく無関心である」と語ったが、福祉や教育は人への関心を持ち続けて、お互いに育ち合う関係に他ならない。
・当たり前は、私たちの思う「普通」がみんなと同じことだと、それがそれが当たり前になっていて根本的に間違っているとの指摘もあり、「普通」という定義がそもそもがはっきりしないと問題提起する。この曖昧な「普通」という言葉をいかに頻繁に使い、それぞれの受け止め方で勝手に解釈し納得していることか。「普通」という言葉が幅をきかせていることに、懐疑的になることは重要である。曖昧さを正すことで、論争の核心が明らかになるからである。
・「心のバリア」について、自己保身から周りに同調することによって生まれた弱い心であるが、それを根本から考え見つめ直すことはひとりでは難しいと記す。
・同じ目線や同じ視野に立つことの難しさも当然の指摘ではあるが、M.Hは「もう開き直って、障がいによって困難なことも、“障がいがあってもここまでできた”というポジティブな強い心が芽生えそうだ」と、めぐにエールを贈る。障がい者を理解しようとする疑似体験学習の落とし穴は、いつも「大変だな、心配だな、不安!」というレベルで終えて、さも“わかったふり”をするところにある。それが薄っぺらな疑似体験学習の正体である。そこから一歩先に進むと、彼らは「その状態で生き抜いている」という事実に、しっかり向き合わせなければならない。そこから障がいにめげず「人が生きる」ことの強さを感動と共感をもって学ぶことができるのである。

④ 社会への発信(問題提起)
・「この差別意識や残酷さを多くの人に知ってもらいたい。その子(めぐ)の可能性や自由を押しつぶしてしまうことのないよう」。そのためのメッセンジャーが若い君たちである。だから、さまざまなところでさまざまな人を対象に授業を続けてきたのである。まずは、事実を正確に受け止めることから始めよう。
・障がい者への差別をなくすのは難しく、人それぞれだから考えを変えることも難しいが、それでもなお世間の当たり前を疑ってみて考え直すことが重要であり、障がいという言葉すら間違えではないかと指摘するところに、一歩踏み出す力強さを感じる。
・ボランティアする上で、相手の気持ちを確認すること、個性・アイデンティティを見いだすこと、対等な関係づくりはなくてはならない意識であり、真心から本当に必要としていることを理解し手を差しのべることであるとし、ボランティアの本質を突く。
・共生は、一人ひとりの個性を認め、誰もが幸せになってこそ成り立つという。「幸せのカタチ」は人それぞれであるが、K.Uは「周りと違うことで不安を抱くかもしれないが、周囲の意識や地域が正しく道徳的だったら、めぐは絶対にひとりにはならない」という鋭い指摘は、「ひとりにならない、してはいけない」という関係づくりを、今まさに地域社会が求めているところである。

(3) 2013年度
① めぐへの接し方(差別意識を認知する言動)
・いじめられる、なじめるだろうか、友だちできるだろうか、馬鹿にされる、笑われる、かわいそう、みんなと同じことができるか、で半数以上を占める。
・差別感、偏見を思っていて、勝手な想像をしていた。
・「誰に教わったわけでもなく、ただこの社会で生きてきた中で出来た感覚、考えだと思っていた」その感覚や考えを、一度さらけ出す機会であったかと考える。
・「外見が違う・泳ぐことが出来ない」=「偏見される・怖い」と思っているに違いないと思った。だからこそ、「困っている時に手を差しのべよう、いつも見ていてあげよう」という固定観念が生まれていたという。この固定観念は、多くの人にある。
・統合保育をしていた幼稚園の時からの体験で、「いつからか自分と何か違う人(障がいや持病のある方)に対し、『優しくしなきゃ』『困っているときは助けてあげなきゃ』と上から目線で、相手の対して偏見を持つようになっていた。きっかけは特にないが、そう思わないと、今度は他の人たちから(健常者?)から私が変な目で見られるのではないかと思うようになったのだ」という点では、障がい児と関わってきた経験でも、どこかで優位性を保持してきた事実が指摘されている。そのきっかけが他者の視線を意識し、空気を読むことで自己保身を身につけていくことにあったのであろう。それも成長過程の一つである。幼児期から障がい児と関わってきたからといって、一概に対等性を身につけたとは言い切れない事例でもある。

② 自己の意識変容(いかに覚醒したか)
・障がいのある人がいじめや差別を受ける存在であると、心のどこかで自分が思っていたのだと感じ悲しくなった。この悲しさこそ自身にしっかり向けていかなければならない。
・不条理、蔑視感、差別意識に気づいた時に、覚醒した。本当の心配は当人でなければわからないという当たり前のことに気づいたときに覚醒した。ここでの覚醒のあり方は、個々の受けるインパクトの違いで様々であるが、「目が覚める」という感覚は、普段あまり体験しないものではないか。忘れてはならないインパクトであってほしい。
・一方的に相手に対して、社会的に弱い立場なのだから、その上に立つ私が助けてあげなければという負の面でしか見ていなかったことに気づき、完全に誤っていたとするのは、“負の面”を誇張することで差別意識を助長していることに気づいたのである。
・当事者でもないのに不安がると信じて疑わなかったが、その認識がおかしいと指摘されるまで、どこが間違っていたのか本当に気づかなかった、自分の考え方の間違えにショック、偏見意識にショック、何かおかしなことでは?で思わずハッとしたという心の動揺を、複数の学生が素直に打ち明けている。
・基準や価値観が自分中心で、それが当たり前の感覚となる。批判をされない限り、いや批判されてもなお間違えだと納得しない限りは、人は頑なに自分を守る。しかし、その当たり前感を揺さぶることが、授業でもある。
・助けてあげるという上からの目線でいたことや、自分勝手に可哀想と同情したり、思いやりが偽善的で浅はかだったとふりかえる。そこから、自己と向き合うことを始めなければならない。そのために「向き合う勇気と自信が欲しい」というE.Oの欲求は、114人中ただひとり表意したものであり、ここに自己変容を可能にする大きなヒントがあり、強い説得力を持つ。
・A.Bは、「障がいがあろうがなかろうが、その不安は変わらないということを、どうして考えられなかったのか、それが根本的な差別ではないかと、すごく納得した。…今まで考えたことのない角度からの視点だったので、100%納得とはいかないが、これからの授業を通して自分の考えをはっきりさせていきたい」と抱負を語る。頼もしい限りである。授業へのモチベーションが、学生により維持されるのである。
・差別や偏見の意識を自力で気づきのは難しい。だからこそ、心底考えるきっかけをつくる授業が求められるのである。
・114人の学生の中でひとりだけ次のように記述した。「体の不自由な方たちに関して、あまり可哀想という思いはない、いくらその人が普通の人より手助けが必要だから少し違うという意見も、人の手助けなしには生きていくことが出来ないからだ。でも、生きていく中でみんなが同じ生活をしていくのは不可能である。もし、自分自身に置き換えたとき、今足が動かせなくなったら、少なからず今までとは違う対応を取られることは確かである。しかし私は、差別を受けない限り、可哀想と思われても、みんながいつも以上に優しくしてくれて、以前と全く違う対応をされても、それが嫌だとは感じないと思う。人とは違うと思われても、むしろそれが人から受ける優しさに感じる」。“差別を受けない限り”という前提の下での人との関わり方を肯定している。優しくしてくれるという“与えられる一方のサービス”にはどのような心理的な苦痛を伴うものであるのか、また前提が崩れた時にはどう対処するのか、そもそも前提が現実に存在するのか、これからの授業の中で明らかにしたい。
・家庭教育の一面を語ってくれたY.Hは「小さい頃から母親に、“障がいがあるからかわいそう”とか“いじめてやろう”“仲間はずれにしよう”という思いがあるのは、根本から間違っている。そう言う子もいるのだということを頭に入れて、普通に接しなさい、と口うるさく言われた。改めて言葉で言うのは簡単だけれども、実際に心から思っているのか、そのことが行動で表されているのかが、疑問に思った」
という。心に思うことと行動の一致は難しい課題だが、そう意識することが自分をよりよく成長させるエネルギーともなる。
・ボランティアについて触れた中で、「今まで考えていたボランティアという意識が180度ひっくり返ったような気がする」、「ボランティアは“~してあげる”といった行為だと思っていた自分が情けない」と自省する。
・さらに、大学での介護実習体験を重ねてきたにも関わらず、差別や偏見を前提にした実習を繰り返してきたのではと考えると恥ずかしいと自省する。介護実習の指導のあり方や内容にも一石を投じている。

③ これからの態度決定(自己課題との向き合い方)
・同じ立場の人として捉えることや、本人の意思を聞き取ることが大事な関わり方であり、意思確認もせずに勝手な振る舞いは不能であること、また、カタチに囚われず中身を判断していくことが正しい考え方であると指摘された。対等性をいかに実現できるかどうかのターニングポイントである。
・その一方で、相手の立場になって考えることは複雑で難しい、相手の不安を理解することは難しい、無条件に教えられた思いやりの過ちに気づくのは困難、具体的にどうすればいいのかわからない、相手から見た自分の優しさに不安を覚えるという意見もある。この授業だけで解決できる問題ではないことを百も承知で、困難だからと放置することはできない以上、今後この課題と向き合って共に授業を創らなければならないのである。
・その関わり合い方である。「どんな人とでも通じ合える人間になりたい。偏見をなくして気持ちを伝え合いたい。同じ目線で考え障がいも個性ではないか。同じ人間はいない、個性と考える。一人ひとり“違う”ということを忘れてはならない。相手を拒否することなく共生すること。差がない優しさが大切である。心の中に埋めている勘違いが人を傷つける」。“やさしさを本物にする”試練が始まる。
・自分を変えたいとする意見には、これからの14回の講義の中で変えたい、相手も人間、違うというだけで哀れむのは改めたい、いじめられていることを前提に手伝うという思いを変えたいとしている。
・「私は、あまり人を見て哀れや障がいのある人などという感想は抱かない性質だが、周りの人がそう言ったら、そうなんだね、と否定はしない。そのような態度が偏見等の助長をしているのならすぐに止めたい」。この決意こそが差別や偏見を是正するひとりでも出来る第一歩ではないか。
・ボランティアに積極的に参加したいと、意思表示する。
・M.Mが「今まで普通に思えたことに、何も疑問を持たずに生きていたら、このボランティア論を受けていても、何も意味がない」という意見に、これからの授業に対しての大きな励ましをもらった。
・「現実には車いすの人がいようともあまり気にかけない.薄情だと自分で思っていたしただ無関心だけかもしれないが、そういった気にかけすぎない=特別扱いを必要以上にいなくてもよいのかもしれない」という指摘から、醒めた目で見ることも、時に必要不可欠ではないか。

④ 社会への発信(問題提起)
・気持ちよく過ごしていける社会が必要。個性を尊重し共感し合えたら素晴らしい社会になる。見方を変えるだけで考え方も変わっていく。それでは、そのような社会をどのように形成するのか、若い世代に「福祉の世界」へ強い関心を持ってもらうことが肝心である。
・「無意識な差別は、日本人誰もが持つものであり、深く人権侵害とも繋がる考えでもある」と指摘する。人権そのものについて考えるきっかけになったことは、重要である。
・2011年度、2012年度に比べて、社会的な発信が人数の割には少ない。授業の中で、「共生」について十分に触れていなかったことも、その原因であろう。今後の授業で補填が必要となる。「自分と社会との関わり」について考える機会を十分に創っていきたい。

3 大阪教育大学の学生の小論文から

2008年前期の授業を取り上げ、受講した「人間科学専攻発達人間福祉学コース」の学生自身が分析した3つの小論文を考察する。

(1) 「めだかのめぐ」から学ぶ 高橋 沙織
高橋は、受講者の意見を3つに大別する。①めぐ(障がい者)がいじめられる、かわいそうだと勝手に思い込んでいたという自身のボタンの掛け違いについて振り返ったもの、②障がい者の偏見を助長、美化してしまう道徳教育の貧しさ、③長い時間をかけてこうした偏見は築かれてきたものであるから、思い込みを捨てたり視点を変えることは難しく、時間がかかる。その上で、「ボタンの掛け違い」を道徳教育のあり方から考え、さらに「共生」について言及する。
ボタンの掛け違いの原因は、障がい者は差別されるものだと無意識下の中で、哀れみの感情を持つことは障がい者を見下していることであると考える。そこで、障がい者の認知について、手が「ない」、足が「ない」、話せ「ない」といった、自分と比べ相手に「ないもの、できないもの」に注目しがちであり、「できること」への可能性に目が向きにくくなるという指摘は妥当である。
そこで、「できないこと」だけではなく「できること」にも目を向け、障がい者への考え方を変え、対等な立場に立つことができれば、ボタンの掛け違いを直せるとする。では、「対等な立場に立つ」とはどういうことか?
そこで高橋は、玉井真理子の『障害児もいる家族物語』から、聴覚障がい者と手話のできない健常者とのコミュニケーション障害について、健常者が「手話障がい者」であるという玉井の考え方を受けて、「対等」な立場に立ったものであり、「ボタンの掛け違い」を直す上で大切であると考える。
「聴覚障がい者は確かに聞こえ『ない』が、手話が『できる』のであり、手話ができない健常者は聞くことが『できる』が、手話が『できない』のである。健常者が手話を『できない』ことを棚にあげて、…『耳が聞こえなくて気の毒だ』と考えることはあっても自身が『手話ができなくて気の毒』であることには目を向けない。それが、『見下し』であり、『傲慢さ』であり、ボタンの掛け違いにつながるのだ。健常者にできて障がい者にできないことがある一方で、逆に障がい者にはできるけど、健常者にできないことにもっと目を向けることが『対等』な立場に立つことである」する。
聴覚障がい者とのコミュニケーションを取る手立てとして「手話」があり、一方的に手話を障がい者に押しつけてきた功罪を認めざるを得ない。「手話障がい者」という認識は誰も持ってはいないだろう。そこに、対等性を見い出す高橋の視点は興味深い。
次に、道徳教育の貧しさについて、教師自身の「ボタンの掛け違い」を指摘する。単なる知識であれば、間違えを修正することは可能であるが、一度身についた道徳性を変えるのは、時間がかかり難しいとする。問題は、「間違え」を自覚していないことである。多くの学生の回答の中でも、なぜ差別意識を無意識に持ってたのかと自問するが、おかしくないかという疑問が投げかけられない限り、人は自分の「基準と価値観」で生きていくのである。教育の改革が難しいのは、教員が個々様々な「基準と価値観」をもって子どもに関わっているからであり、「道徳の教科化〈注20〉」が進められようとしているのも、そこに指導内容の統一性や指導力の強化、それによるお仕着せの倫理観の確立を国家統制していくのものであるという危機意識を、学校教育を担う者たちは強くもってほしいと願うばかりだ。道徳教育の貧しさは、そこに人間としての教師自身が問われることからの逃避の結果でもある。特に「道徳の授業」は教科書がないだけに教員の裁量に委ねられてきたことも、今回の「教科化」の布石となったと考える。「愛国心」教育がまた声高に叫ばれる。
「めだかのめぐ」が道徳の副教材であったことを想起すれば、85文字の世界にこれだけの道徳的に価値観のある教材はない。その文字面だけを読んで理解を促すような授業に、「NO!」を突きつけたのである。いかに「教材研究」をするのかが、教育の専門職としての教員の基本的な仕事であり資質が問われるところである。「忙しい」という言い訳では済まされない日々の研鑽をおろそかにしてはいないか、自省すべきである。そうしなければ、子どもの心の育ちに強い影響を与える教員であることに、耐えられないであろう。教育者としての、「良心」が問われる事態であるといっても過言ではない。
最後に、高橋は「共生」について、「当たり前」のことと論じる。
「お互いに助けたり、助けられたり、何かを教えたり、教えられたりしている部分は、必ずある。『できること、できないこと』は誰でも持っていて、どの人が優れていて、劣っているかの区別もないはずである。『共生』している中で助け合っているという当たり前のことに『気づいていく』ことがこれからの社会に求められることである」と結ぶ。「共生のあり方」については、まだまだ熟慮しなければならない。これまでの「当たり前」そのものを疑うことから「気づき」が生まれ、「共生感に基づく新たな当たり前」をいかに構築していくのかが、それを学びとった者たちの社会的責務であることを引き受けてほしいと、切望する。

(2) 「めだかのめぐ」は教室にいる?~インクルージブ教育〈注21〉への課題  松岡茉莉子
松岡の切り口は、ユニークである。
「めだかのめぐ」を通して、多くの学生が現代社会の「マイノリティ」に対する在り様に疑問を感じていると推察し、めぐの存在は、自らの差別性や、また次世代へその差別観を齎(もたら)す危険性を示唆していると論じる。さらに、社会的マイノリティの存在を認め、自らと同じ社会で生きることの必要性があると示唆する。
そこで、「教育現場でめぐのような子どもたちが果たしているのだろうか?」と疑問を投げかける。
「障がいのある子どもたちの多くは、特別支援学校に入学・進学するといった傾向が今でも多く見られる。これは同年代の子どもたちに対し、発達に著しく障がいがあるため、通常の小学校では対応が困難だとされるからと言われている。このことによって、子どもたちと周囲との関わりのネットワークの中において、めぐのような社会的マイノリティの立場にある子どもたちは、自動的に排除されている」という指摘は、めぐを著しい発達障がいを負っている子という前提での論である。しかし、めぐは身体障がいであり普通学校で学ぶことは可能である。
ただ、社会的マイノリティである障がいの重い子どもたちの置かれている状況は、松岡が指摘している現実を否定できない。支援学校から家庭のある地域に戻ってきても、遊ぶ相手がいない。同じ学校に通わないことで地域で暮らす子どもたちとの関係性も薄い。そこで、札幌の燕信子は脳性マヒの息子が地域で孤立しないために、市内に共同学童保育所「翼クラブ」を、全国に先駆けて作ったのである。
「鳥居さん、この子はよだれをすぐに垂らすんです。親が口を酸っぱくしてすぐにすすりなさいと注意するんですが、なかなか出来ないんですね。ところが翼クラブで子どもたちと遊んでいて、『よだれたらして、きったないな-!』と嫌な顔で言われると、“すする”んです。これって、この子にも他の子と関わっていく中で、こうしなければならないっていう『社会性』が育ってきている証ですよね。小さな発達の兆候だけれども、親にはそのことがとても嬉しいんですよ。翼クラブをつくったことが報われた瞬間でした」と、15年も昔に語ってくれたことを印象深く思い出す。
「学校という子どもが最初に接する大きな社会で、めぐのような子どもがいないこと、このことがめぐのような子どもたちに対する思い込みやイメージを増長させる原因である」と論じるが、現実は特別支援学級に通級しない発達障がいのある子どもが普通教室にいる。そこでの子どもたち同士の関わり合い方も重要だが、それ以上に子どもを取り巻く保護者の理解と協力を得ることが大きな課題となっているのである。
松岡は、「教育現場はひとつの社会である。マイノリティの存在も包括し、他者との関わりを重視していかなければならない。そのため、インクルージヴの視点をもった現場づくりが必要になってくる」と指摘する。
その概念として、インクルージョン〈注22〉(inclusion)を理解しておかなければならない。「貧困や失業に陥った人々、障がいを有する人々、ホームレス状態にある人々を社会的に排除するのではなく、地域社会への参加と参画を促し社会に統合する」とし、ここでいう統合を「社会秩序の維持を意味するintegrationではなく、社会の中に包み込むこと(inclusion)を指す」のであるが、「社会」を「学校」に置き換えることで、インクルージヴ教育が見えてくるであろう。
特別な配慮ではなく、「めぐの存在が思い込みやイメージによるものだけでなく、ありのままのめぐに触れ、関わることが何より大切ではないか。社会では様々な立場の人間がいる。個人の発達過程において、他者の影響力は多くの割合を占める。学校というのは、そのことを学ぶ場である。学校という小さな社会がインクルージヴ化されることによって、教材『めだかのめぐ』の必要性もなくなる」と松岡は考える。
排除された世界で生きてきたマイノリティの人たちを、社会が受け入れる環境を創るためには、「学校やその教育」が果たすべき役割が大きい。そのような理念を学校が実現しようという意思と、さらには指導者である教員自らが具体的にいかに実践するかにかかっている。学校経営や学年・学級経営の中にしっかりと位置づけしなければならない。
私の小さな実践〈注23〉ではあるが、インクルージヴ教育を実現していたのである。特殊学級〈注24〉が設置されていた小学校に勤務していた1989年当時に、5年生44人のクラスを担任した。そこに特殊学級に在籍する知的障がいのある子を、クラスの真ん中に座ってもらい、学級経営をスタートさせた。「ありえない」取り組みに、同級生も保護者も驚いた。非難の声は校長、教頭が壁になって防いでくれた。信頼を得るには、子どもたちの心の変容しかなかった。2年間生活を共にしたある子どもは、卒業の時にこう書き記した。
「私たちのクラスには、とても大切な友だちがいる。かしわ学級(特殊学級)にいるときには、障がいをもっていることで差別していた。それは、心のどこかに穴があいているのだと思った。本当は差別なんかしたくないと思っていても、その穴に落ちてしまうと、どうしても差別してしまう。5年生になって、Iちゃんをクラスで面倒を見ることになった。最初はすごく嫌だった。なんで私たちがそんなことをしなきゃいけないのと何度も思った。でも一緒に生活していくと、どんな人なのかも、どんなに優しい子なのかも、よくわかってきた。元気で優しいIちゃんが笑ってくれると、自分も笑いたくなる。少し知恵遅れだからといって、無視したり悪口を言っている自分が馬鹿らしくなってきた。このクラスにIちゃんが来たことによって、みんなの心が変わった。今まで以上に優しく素直な人間になったと思う」
「共に生活する」ことで、子どもたちは自分の差別や蔑視という心の穴に気づき、その穴を埋める努力を、力まず、時間をかけて行う。その子の存在の重さを、一人ひとりが感じ始めていった時に、その子が生きることで、周りの子どもたちも生きてくるのである。
学校は、めぐを含めた子どもたちと、そして子ども同士、さらには保護者に対しての「市民教育としての福祉教育」の現場であるという認識と責任は、いまだ全うされていない。福祉教育そのものが不十分な現状では、「めだかのめぐ」を必然的に学ばなければならない事態は、まだまだ続くのである。
松岡が共生について論じるところは、私の実践とオーバーラップする。「共生とは、同じ地域コミュニティでさまざまな立場の人間が交わり、関わっていくことである。関わりがあってはじめて、それぞれの個性を認識し、同時に自らと他者の違いに納得できる。他者との相違を認め、子どもたちは成長していく」ことを、まさに実現したのである。
いかに様々な人と関わらせるのか、まさに「人とのかかわりの学習」を学校でも地域でも体験的に学ぶ機会を用意しなければならない。それは障がいの有無を考慮しない、「誰もが学ぶ」機会を保障しなければならないのである。ここにインクルージブ教育の意義を見出すことができるであろう。
子どもの福祉の実現の内実を考えると、文化的社会に生きるための能力や技術を身につけることとしての「育ちの保障」、そして子ども一人ひとりが生きる歓びを十分に経験できる「幸福の保障」という2つの要件が示されが、その要件を満たすために重要なことは「他者とや出来事との豊かな関係(つながり)という契機を、恐らくは欠かすことができない。子どもは他者や社会との善い関係が保障されてこそ、ゆくゆく育ちや幸福を経験することができる」と加藤悦雄〈注25〉は、「社会から排除される子どもとソーシャル・インクルージョンの構想」の中で論じる。
さらに、松岡は「大人もまた、子どものインクルージヴ・ネットワークの一端を担っている。その大人たちは、自らの差別性を顧みながら、めぐの存在を想像だけでない実像のあるものとして捉えなければならない。本物の共生とは、違いをお互いが認め合い、その違いもまた当たり前であると認識できる社会である」と結ぶが、この主張を補強しよう。
加藤悦雄〈注26〉は、子どものソーシャル・インクルージョンには2つの要件を必要とするという。「ひとつは子どもが社会関係(他者との邂逅)を経験する『場面』を創り出すこと(=環境的要件)であり、今ひとつは子ども自身が社会関係を取り結ぶ『力』を高めていくこと(=主体的要件)である。…2つの要件は相互に関わり合い、循環していく関係にある。なぜなら子どもは良好な社会関係を経験できる場面を保障されることで、表現し対話する力など社会関係を取り結ぶ力を身につけ、その力を用いてさらに新しく他者や社会と出会い関係を築いていくからである」と論じる。『場面』と『力』を実現するところが地域であり学校であるとすれば、そこで「めぐの存在を実像」として捉えていくことができるかどうか、子どもとの向き合う大人としての真価が問われているのである。翻って子ども自身が「自ら育つ力」が試されていくのである。

(3) めだかのめぐに学ぶ  吉田 紗代
吉田は、「福祉教育が孕んでいる問題の根本が示され、今まで学んできた福祉が見事に打ち砕かれるという経験をする。道徳教育や福祉教育が、健常者の立場から上からの目線で語られていることに気づかされる。この授業を受けた多くの人にとって衝撃的な体験だったようだ。さらに、それまで抱いていた福祉に対する違和感の正体がつかめたようにも感じた」と、自身の受けた衝撃を語る。
「主人公はめぐではない。健常者が勝手に解釈して、『~してあげる』という傲慢な考え方を育てることが、知らず知らずのうちに目的になってしまっている」という吉田の指摘は新鮮だ。しかし、どうすればその意識を変えることができるのか、という方法を見出すまでには至らず、気づきだけで終わってしまっていたと、自らの思考の弱点を突く。
それは、「道徳的に『良い』答えが期待できる問いを提示するという、教育によるコントロールや押しつけが存在していることに気づいたことで、確かに一歩前進したが、その時はその気づきに対しての驚きがいっぱいで、そこから先のことを考えることができずにいた」という。そこで、吉田はその先を考えたいと、健常者が上に立つ社会について考察し、それを少しでも変えていくにはどうすれば良いのかを検討している。
なぜ健常者は上になるのか?
一つには、障がい者は健常者と比べて、「みんなができる」ことが簡単にはできないという身体的機能・知的能力などの問題はある。しかし、一時的に人の助けを直接的に必要とするのは、日常生活ではごく自然なことである。「障がい者は、その助けられる側にまわる回数が多いだけなのである。その頻度・程度の違いで、いつも人の手を借りなければならないという点でかわいそうであると見なされると同時に、一人で多くのことができる健常者より下の立場になってしまう」という、吉田の「回数」に着目した論点は、評価できる。
さらに「障がいを持つということはマイナスなのではなく、障がい者にとってはそこがスタート地点なのだから、できないことがあるのなら手を差し伸べるというスタンスは少しも変わらない」というところで「スタート地点」という発想やスタンスの考え方は妥当である。
二つに、障がい者が少数者であるというマイノリティの問題をあげる。「ただ単に数の上の優位性で、健常者は押しつけが可能になる」と述べ、迫害は少数者に対して起こりやすいと指摘する。いじめも同様であるとする。少数者は、多数者から見ると異質な存在であり、異質なものに対して、人は多少の恐怖心を抱くことについては、授業の中でも取り上げたことである。
「自分と違う、みんなと違うという存在は、未知である状況が不安や恐怖を増幅させ、数の利を使ってそれを押さえ込もうとする行動の結果が、迫害や排除となる」という差別の過程の整理は理解しやすい。
では、その意識をどのように変えるのか?
「福祉はマイノリティを重んずるところから始まる。これが福祉のアイデンティティである。“ひとり”の尊厳を守り、その人が自立的に生き、社会の中で人生を充実できるように援助するのが、社会福祉の実践である。援助には、社会に背を向けて“ひとり”を守るのではなく、マイノリティとマジョリティが共に力を合わせて、連携できる社会の追究を目指す姿勢をかかせない」と、阿部志郎〈注27〉は論ずる。
吉田は、「福祉は共生」を目指すと言う。意識の格差を埋めるには、『違い』に着目するのではなく、『同じ』ことを見つければ良いと提案する。“めぐ”も、みんなと同じように期待と不安を胸に秘めているはずだということが、障がいに囚われていなければ簡単に思いつくことができたと考えている。「違いを見るのではなく、その人自身を良く知った上で共通点を探せば良いのだ。その後、さらに違いを認めていくことで、誰かが上で誰かが下だという考えは起こりにくくなる」
「お互いを良く知らなければ、分かり合うことは不可能である。それには、社会の分離ではなく、共生にどれだけ貢献できるかが決め手になる。人々の意識の変化と制度上の変化が同時にその効力を発揮したときに、それは実現する」のは、障がいのある人を社会の中で排斥・排除し孤立させてはならないという意思を、社会を構成する“誰もが”主体的に表示することが求められる。それは同時に、教育制度や教育内容にも必然的に連動することになる。
「人々の意識の変化に影響を与える福祉教育にあたっては、“めだかのめぐ”のように誰かを特別扱いするのではなく、様々な人がいる集団を舞台にして、それぞれがそれぞれの足りないところを補うようなストーリーを創作し、子どもたちたちに訴えかけるべきだろう」と、ユニークな提案をして結ぶ。
福祉教育が“福祉”に特化した教育活動ではなく、「人間としての生き方やあり方」を学ぶ「全人教育」であることを肝に銘じ、若い世代の意識を覚醒させるために、“めだかのめぐ”には、もうしばらくヒロインとしての地位を保持してもらうこととする。

第3章 教材の価値と貧しい福祉観の是正

1 教材としての価値

「めだかのめぐ」や、その授業過程で利用したいくつかのエピソードの教材としての価値について確かめたい。
導入の「めだかのめぐ」は、平易な文章で小学生1年生にも理解可能な内容ではあるが、それは、その後の学習を深化させるために、適切な教材である否かは、知的好奇心と知的渇望を満たすに足るものであるか否かが基準となる。なぜならそれは、授業方法を通して大学教育の質的な価値を問われるからに他ならない。
そこで、その教材としての価値と授業方法の評価を、次の視点でチェックする。

① 興味関心を惹いたか。
単純なエピソードであり、人間ではなく「めだか」が主人公であったことで、心理的な抵抗感も少なく、絵本の世界に入るように“めぐ”に自身の気持ちを投影させることができたのではないか。
また、場面の転換でいろいろなエピソードを挿入し、心理的葛藤の場面を創ることで、自身の内面と素直に向き合ったことは、今まで味わったことのない「意識の変容の過程」を短時間に体験的に認識したのではないか。
そして、質問内容をわかりやすくしたことにより、思考を深めたことも、興味関心を惹き続けたのではないかと、学習態度やノートで判断される。
さらに、授業後の態度形成についての言及も、学習への意欲化やテーマの継続化が提起されていることから、福祉への興味関心の度合いを高めていたと考える。
その意味でも、教材は学生の拒絶反応を押さえた「適度な刺激」をいかに与えるかが重要であり、「我が身の問題」として考えるステージにどう招き入れるかが、授業を構成する魅力となる。

② 学習のねらいが達成できたか。
「障がいのある者への無意識的な差別や蔑視感・偏見への気づきと、共生を実現するための自己の福祉的な意識変革」という学習のねらいを達成するために、平易な教材を利用することにより、課題への取り組みが主体化されたのではないか。そこでは、課題(質問)に積極的に関わり、追求する態度が維持されていたと判断される。
さらに、自身の思考の狭義さを知ることで、広げ深めることに学ぶ喜びを見出していることも、学習態度の形成としてのねらいを十分達成したのではないかと考える。

③ 困難やつまずきを生じても、それを乗り越えていく耐性を育てているか。
質問は単純であっても、その中身は深く自ずと回答も自らの内面にしかない。正しい答えを求めているのではなく、自身の中にある「解」を求めていくのである。それは自身の人間性や倫理観を直接問われているのであり、自己葛藤を余儀なくされる。そのプレッシャーに耐えて乗り越えていくことができる、授業内容の構成になっていたか否かが問われている。短い文章表現であっても、ノートにはその葛藤の軌跡が残されている。

④ 共感的理解にまで至っているか。
福祉に関わる学習内容は、共感的理解に達してはじめて、「わかり合える」段階に高めることができる。この授業は、専門的知識を学ぶ講義ではなく、「めぐ」への心理的投影を行うことで、人間としての共感性に自ら気づく学習である。そうでなければ、授業は成立不能である。
その真意を正しく伝えられたか否かが、教材の価値を決定する。

⑤ 満足感や充足感を与えられるか。
厳しく自己の価値観や人間観と率直に向き合う授業であり、「自己否定」するところから、新たな自分を見出し「自己肯定感情」を取り戻すために、「もがく」時間となる。初めての体験は、そこに精神的な満足感と充足感をもたらしていたと判断する。

⑥ 自分の想いを、熱意と誠意をもって学生に伝え、学習と向き合っているか。
指導者自身の自戒である。同じ授業を何度も繰り返しても、授業は生ものであり、学生の反応も様々である。特に、ボランティア論の講義の早い時期に実施するため、学生の実態をよく分からないまま、授業に入らざるを得ない。
さらにこの授業は、その後の講義への興味関心を促す重要なプロローグの役目を果たす。その意味でも、「いつも真剣勝負を挑む」覚悟で、学生と向き合う。その評価は、ノートに記載されている。
ただ、授業には万全の準備と緊張感をもって臨んでいるのか。体裁を取り繕い、思慮の浅い言葉で逃げていないか。自戒の根は、ここにあることを心して臨む。

⑦ 学生とのコミュニケーションが成立しているか。
学生は、質問に丁寧に答える態度で、現段階でのコミュニケーションらしき状態はある。前時のノートを評価し返却する際に、心にかかる学生のノートを印刷して配布したり紹介することで、全体評価をすると同時に、「ノートに書かれたことを粗末にしない」という意思を態度として示す。
特に非常勤講師には、その講義時間でしか学生との関わりがないだけに、授業中のコミュニケーションを成立させるためには、信頼関係の醸成が必要不可欠である。

⑧ 自らの「福祉観やボランティア観」を再確認できたか。
「ボランティア論」の学習である以上、そこに「福祉とはなにか?」「ボランティアとは何か?」という課題を意識させることが、必須条件である。この授業を通して、自らの福祉観やボランティア観を確認し、意識の変容に迫られたとの記載がある。
そもそも、それは「人間とは何か?」「なぜ生きるのか?」という根源的な問いかけが、生きる哲学として発せられなければならない。そこに、大学教育の全人教育の目的があるのではないか。「ボランティア論」を通して一貫して求める「人として生きることへの確かめ」である。

2 分析から見えてきたこと

藤女子大学における2011年度より3カ年の授業で、受講生から見えてきた分析内容を考察する。それは、「向き合う勇気と自信」をいかに育むのかが、学生から提起された課題でもある。
また、「ひとりにならない、してはいけない」という思いの熱さが、これからの社会福祉を支持する市民としての意思と態度であることを、これを契機に学び続けてほしい。
そして、障がい者などが地域社会で普通の生活を営むことを当然とするノーマライゼーションの理念を具現化したバリアフリーやユニバーサルデザインを推奨してきた者にとって、「車いすマーク」の影響について指摘は、衝撃であった。その功罪を解き明かすことを、課題として学生から与えられたのである。

① 自分の言動がどのような背景を持って生まれてきたのかを考えることは重要である。 家庭教育での親の躾、保育所・学校での道徳教育や特別活動や総合的学習の時間での、障がい児との統合学習や交流学習活動などの体験値、また地域(世間)での様々な人との関わりなど、自分の生育環境や生活体験、学習体験、そして交友関係などに起因した現在の言動を考えることで、自己評価を通して新しい価値観を作り直すという作業が始まる。そのことを考える「きっかけ」を与えられたのではないか。

② 低年齢から分け隔てなく多様な人と関わることは、その人間性の発達に必要不可欠である。「関わり」の重要性は否定しないが、「関わり方」による個々人の心理的変化は、特に思春期における友人関係の中で、「障がいのある人への意識の変化」として顕在化することに注目したい。
障がい児や病弱児と一緒に生活した体験が、決して正しい理解に繋がらず、負のイメージを抱いていること、友だちとの関係を友好にするために、その意向に同調すること、障がい者への対応を周りがどのように見るかを意識することによる態度の変化、親から躾されてきたにも関わらず、心と行為のギャップに疑問を持ってきたことなど、思春期の成長過程の中での意識の変化を見逃してはならない。
この問題が起こる原因のひとつとして、「対等性」を育てることの難しさを提起している。

③ 固定観念に縛られていた自身の差別感や蔑視感に気づき、「恥ずかしい」というを観念を多くの学生が持っている。この「恥」という観念を、自らの倫理観や行動規範の一つとして据えることで、意識の変容は確かなものとなる。その「恥をかく」体験を一過性にすることなく、その度合いが高いほど、その恥意識をこえて人は成長することを確信する。その兆候が、「こうする、こうしたい」というポジティブな意思表示に他ならない。

④ 「衝撃」「ショック」「思い知る」「180度ひくり変える」など、急激な意識の変化に戸惑いや不安を感じながらも、しっかりと受け止めることで、自己肯定への段階に挑む。「恥意識」もその一つである。その変化の要因について、多くの学生は今までの生活体験のあり方をふりかえっているが、本大学での福祉の講義や福祉施設での実習、そしてボランティア活動における行動規範にも触れていることに、注目したい。学生の個々の問題に留まらず、大学としての指導指針にも影響を与えることになる。

⑤ 授業は、“自己との対話”である。ものの見方や感じ方、考え方が広がったという指摘も、次の授業へ臨む態度決定を促す。授業内容を共感的に理解し、心の動揺と葛藤の結果、自己の意識変容を獲得した上で、次回からの授業へのモチベーションを高め期待感を持つことは、ポジティブに「学ぶ姿勢」を、その内に育てることに他ならない。

⑥ この学習で触発された問題意識を高めるためには、他の科目(講義)においても、学習に対する自己目的を明確にして臨むことや、人や社会の問題や動向に興味関心を募らせて臨むことが求められる。

⑦ ボランティアの本質を捉えたり、ボランティアのあり方を言及する点では、今後の「ボランティア論」への学習意欲と関心を喚起することができた。

⑧ 今後どのように福祉意識を高め、生活行動を取ることが、自らの生き方としてふさわしいのかという「生きる課題」として転換されなければ、単なる知識注入論で終始する。ボランティア論が、単に知識を習得するに留まらず、いかに「自己葛藤」を生じさせて自分と向き合うことや、「どう生きるのか?」を常に問われる学習であることを、共に追求したい。

⑨ 「メガネと車いす」の比較で影響を受けたと記述したのは、2011年度が41.5%、2012年度が36.7%の割合を示していることから、効果的な事例であったと評価される。
しかし、2013年は9.3%と急落している。ただ記載がなかったという点だけで、全く影響がなかったと結論づけるのは早急であろう。

⑩ ノートを点検したところ、漢字の誤字やひらがな表記が目立つこと、語彙が少ないこと、表現が稚拙であること、論理的な構成が不足していることなどが伺える。携帯電話の辞書検索を利用することも改善のひとつとして考慮したい。
また、初年時教育で基本的な小論文指導は欠かせないのではないか。いい資質を持った学生も多くいることから、本大学で学生の文章表現力をいかに高めていくのか、重要な課題である。

⑪ ボランティア活動論は、「ボランティア学習〈注28〉」の考え方に立って展開している。それは、ボランティア活動を通して、様々な社会生活の課題に関わり、社会や人にとって有益な役割や活動を担うことで、学習者の自発性・自主性を育み、無償性を尊び、公共性を身につけながら、よりよき社会人としての全人的な成長発達を促す社会体験学習である。
換言すると、「共生と共存を学ぶ」ための学習である。真実性をおびたエピソードから、“さもさもらしいおこがましさ”を負の心と知り、自らをふりかえり成長するチャンスが、若い世代のボランティア学習の世界にあることを確信する。そのためにも、エピソードを伝える側のボランティア観を今一度「ボランティア論」の授業を通して確認しなければならない。
せめて、一方的に弱者に“してあげる”という“奉仕観〈注29〉”を若い世代に教え込もうとする愚陋は、もう終わりにしなければならない。
エピソードと向き合うのは、常に自分自身であることを強く自覚させられるからこそ、「ボランティア論」は興味を惹かれる「おもしろい学びの世界」となる。

3 貧しい福祉観の是正を求めて

2013年4月19日、大阪地方裁判所は、勝訴の判決〈注30〉を下す。枚方市在住の足の不自由な女性(73歳)が、自家用車を所有している理由で生活保護を打ち切られ、法廷で争った。「車を使うことは自立を助ける」と認め、市に賠償を命じた。
生まれつき股関節に障がいがあり、手術も受けたが筋肉が弱くよく転ぶ。座席を改良した車は通院にも買い物にも欠かせなかったという。
判決後「これでもう人の目を気にして暮らさなくてもいい」と思ったが、ネット掲示板で非難される。身近にも陰口をたたく人はいたが、裁判で勝ってもそうなのか。「私の痛みや苦労なんて、全然知らんのでしょう。もっと見るからに痛そうにしていたら、いいんですか」
セーフティネットである生活保護費の不正受給問題として、枚方市は訴訟を起こしたが、市の判断は、一律に受給者の自家用車の所有を認めないという原則論であった。阿部志郎は「制度は人間を無差別平等に取り扱う」と指摘する。しかし、判決が、「自立のための所有」を認めたことは、個々の身体的状況を考慮して適用するという「判断基準」を示した画期的なものではないか。
憲法第13条の条文を具体的に尊重した判例となったと評価するが、それでもなお世間の風当たりの強さを感じて、身を縮めて生きなければならないところに、福祉の貧しさの一端を知ることができる。「批判する側も、いつかは泣きを見るかもしれない」という受給者の声も、ネットという匿名の世界で憂さ晴らしをしている者たちや世間で陰口をたたく者たちには無視されるだろう。精神的なストレスはまだ解消されぬと想像する。
さて、この事例は、「生活保護受給者の車の所有は、自立を助ける」という一点だけでも、「自立とはなにか」を考える機会が、社会福祉を学ぶ者たちには与えられたのである。
この「自立」こそが、人間の尊厳を護る重要な概念であることを、学ばなくてはならない。
その上で、日本社会の福祉意識の貧しさの現況を知り、そこから「人間として生まれ幸せに生きる」ことの困難性とその原因を探求し、解決の方策を考えることが、大学で学ぶ「実践的福祉」ではないかと考える。
この授業は、個々の様々な経験や環境の中で、様々な人と関わって成長してきた学生の心の深層に入り込み、自問自答を繰り返すことで、自らをさらけ出し、今までの自分の価値観や人生観、人間観を覆す苦しみを味わうものであった。
また、この授業は、差別・偏見・蔑視・排斥・排除、そして高慢・傲慢な態度をいかに是正するのかが、個人に対しても社会及び世間に対して、「人権擁護の問題」として提起されたかと考える。そこには、「個々の幸せをいかに実現するのか」が常に問われていることに「気づかせる授業」としての役割があったことを意味する。
さらに、この授業は、教材として「めだかのめぐ」を取り上げたが、道徳の授業を指導する際に、十分な教材研究をすることなく、教科書会社の提供している教材の解釈や指導計画を丸ごと飲み込み、授業を連綿と続けてきている学校教育の現状に、「NO!」を突きつけたのである。子どもたちの思考を規定し、当たり前の回答として無批判に受け止めて、「差別意識」を助長させてきたことに気づくことなく、指導者は過ちを繰り返してきた事実を認めなければならない。公教育の「道徳」という授業の副教材として使用してきたことは、「知らなかった」では済まされない問題であり、福祉の根本的な理念である人権が損なわれていく事実に無頓着であることは、決して許されることではない。
このような無分別な授業は、人為的に生起した事態であるがゆえに、正しい認識を持つことで回避できる。
福祉を学ぶことは、自己の価値を計る“ものさし”を固定化するのではなく、ものさし自体が“違う”と思った瞬間から、“変える勇気”を持つことではないか。学生の意識の変化は、この“ものさし”を変えたところに起因する。
何を持って「貧しい福祉観」と認識するのか、その価値判断は学生個々に委ねられる。しかし、自らの人間性を高め、「やさしさ」を強さに変えるための試練を、今から始めなければならない。それが福祉を学ぶ者たちの挑戦である。福祉は戦いである。
リクルート創業者の江副浩正は、「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変える」と語ったが、機会は与えられるだけではなく創り出すことの重要性を指摘している。
学生の信託に応えるべく、主体的に課題に取り組む授業を創る責任を課せられたことからも、「めだかのめぐ」を起点に、その発展としてボランティア論で取り上げる「ボランティア拒否論」について、学生と共に論究したい。
私は、私に影響を与えてきた関わりの深い人たちの意思を受け継ぎ、その関わりからお互いに築いてきた“福祉と人”のあり方を、次世代へと引き継ぐために、使命感を与えられて生かされているという思いから、この研究ノートを書き記した。
福祉やボランティアの授業は、それを具現化する「共育〈注31〉の営み」に他ならない。
井上ひさしの言葉である「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく ふかいことをおもしろく」こそが、私の授業の真骨頂である。
そこで、「真実」を学び得た学生が、身近な人たちや社会に対して、次の時代そして世代への“メッセンジャー”として生きることを夢見たい。それこそ、私が授業を続ける価値であることを信じて疑わない。

〈注釈、引用・参考文献〉
※ 鳥居一頼 : 藤女子大学非常勤講師・愛知淑徳大学非常勤講師
〈1〉出典:学習研究社、小学1年の道徳の副読本のなかの1編
〈2〉「めだかのめぐ」の授業について、拙著「福祉教育のキーワードと指導のポイント」(大阪ボランティア協会刊1996年p89~97)、「子どもと学ぶボランティア」(大阪ボランティア協会刊2008年p43~46)、「地域にあったか福祉の種を蒔こう!」(佐賀市社会福祉協議会ホームページ2013年2月掲載論文p1~4)で取り上げた。
〈3〉札幌は藤女子大、北海道医療大、名古屋は愛知淑徳大、大阪は大阪教育大、聖トマス大である。
〈4〉藤女子大2013年前期ボランティア論受講生E.Sのノートから引用
〈5〉朝日新聞「天声人語」2012年9月14日
〈6〉藤女子大2013年前期ボランティア論受講生H.Aのノートから引用
〈7〉沖縄県副知事高良倉吉が朝日新聞の「インタビュー」で語った「沖縄の覚悟」から引用(2013年4月26日朝刊)
〈8〉「ボランティアNPO用語事典」(大阪ボランティア協会編集 中央法規2004年刊)p24~25の田村太郎から引用した。
〈9〉朝日新聞2013年5月2日(木)朝刊に掲載された。第9条を変え「国防軍」を設けることについて、反対が62%、賛成が31%であった。女性の61%は第9条維持。
〈10〉公共の福祉とは、社会に暮らすすべての人々が公平に受け、「それゆえに皆のはたらきや配慮で大きさを増していくべき全体の幸福(「日本国憲法」自由国民社2002年刊p19参照)
〈11〉ハンセン病元患者への人権問題は、2013年4月16日に「ボランティア論」第2講の授業で取り上げた。授業は、「ハンセン病問題を授業化する~おまえ、もう学校に来るな!」(「ボランティア北海道はまなすの里」2013年刊予定)の中のひとつ「おまえ、もう学校に来るな!」をロールプレーイングを使って展開した。
〈12〉雇用状況について、文部科学省の「平成24年度学校基本調査」によると、24年度大学卒業者で「進学も就職もしていない」進路未決定者は86,566人、非正規雇用やアルバイトを含めた「安定的な雇用についていない卒業生」は卒業者全体の22.9%にものぼる。
〈13〉「福祉の哲学」p19引用 阿部志郎著 1997年 誠信書房刊
〈14〉前掲「子どもと学ぶボランティア」の「第2章ボランティア授業の7つの扉 6車いす濡れ衣を晴らす」(p102~113)に詳しい。
〈15〉前掲「子どもと学ぶボランティア」の「第2章ボランティア授業の7つの扉 6「車いすの濡れ衣を晴らす」(p112~113)から引用する。
〈16〉十勝管内上士幌町で町社会福祉協議会が主催する町内の小学5・6年を一堂に集めた、「ボランティア活動実践交流会」が22年間22回実施されている。1回目から講師として参加し19回福祉の授業を担当してきた。現在も継続中で全国的にも希有な事業である。
〈17〉聖トマス大学1年中山佳百里「ボランティア学習論レポート」(2009年1月)から抜粋した。
〈18〉小論文は、29人の受講生のうち、講義テーマの「こころを傷つける言葉」「善魔とは何か」「どちらがボランティア?」などから学生が自主的に選択し、「めだかのめぐ」は5本選択された。
〈19〉ボランティア学習には4つの学習がある。1は「人間理解学習」、2に「体験学習」3に「自己発見学習」、4に「イメージ学習」である。前掲拙書「福祉教育のキーワードと指導のポイント」p104~105に詳しい。
〈20〉文部科学省は2013年4月4日、道徳の教科化について検討する「道徳教育の充実に関する懇談会」の初会合を開く。下村博文文科相は「道徳教育は子供たちの豊かな人間性を育む上で不可欠だ」と強調。委員から「学校現場では道徳の時間への関心は低く、改善には教科化が必要だ」「教科化に反対の人も多い。現場の教員にそっぽを向かれるものにしてはならない」と意見が出た。政府の教育再生実行会議がいじめ対策の提言に道徳の教科化を盛り込んだことを受けて設置された。
〈21〉インクルージブ教育(inclusive education)とは、障がいの有無によらず、誰もが地域の学校で学べる教育。国連の障害者権利条約の批准に向けて国内の法整備が進む中、2011年7月に成立した改正障害者基本法でインクルーシブ教育の理念が盛り込まれた。
〈22〉インクルージョンについて、「ソーシャル・インクルージョンの社会福祉」(岡田恭一・西村昌記編著ミネルヴァ書房2008年刊)pⅱより引用した。
〈23〉当時在職していた北海道早来町(現安平町)早来小学校での実践であり、拙著「ちょうどよい目の高さでの福祉教育」(大阪ボランティア協会1993年刊)p35~37に詳しい。
〈24〉特殊学級とは、学校・中学校・高等学校において、心身に障害のある児童・生徒のために特別に設けられた学級。平成19年(2007)学校教育法改正に伴い、特別支援学級に名称を変更。
〈25〉前掲「ソーシャル・インクルージョンの社会福祉」p113より引用した。
〈26〉前掲「ソーシャル・インクルージョンの社会福祉」p137~138より引用した。
〈27〉前述「福祉の哲学」の「はじめに」より引用する
〈28〉前掲「福祉教育のキーワードと指導のポイント」P3~4に詳しい。
〈29〉前掲「子どもと学ぶボランティア」の「第3章地域で社会でボランティアの学びをコーディネートする 4ボランティアと奉仕の違い」p167~172に詳しい。
〈30〉朝日新聞2013年5月1日付け朝刊特集「みる・きく・はなすはいま」の「敵がいる4」より事例を引用する。
〈31〉前掲「子どもと学ぶボランティア」の「第1章こっちょのボランティア授業論」p6「子どもに育てられ、人の道を示唆(しめ)され、生きることの喜びを共育という」

備考
(1)鳥居一頼「ステレオタイプ化された貧しい福祉意識からの脱却~授業『めだかのめぐ』で覚醒した藤女子大の学生たち~」『人間生活学研究(藤女子大学人間生活学部紀要)』第20号、藤女子大学、2013年3月、63~96ページ。
(2)文・編集委員会/絵・山本省三「めだかの めぐ」『みんなのどうとく 1 ねん』(2017年3月検定済)学研教育みらい、2019年3月、28~29ページ。

大橋謙策「日本における地域共生社会政策とコミュニティソーシャルワーク機能」

謝辞
本稿は、大橋謙策先生から2018年11月4日付けでご恵贈を賜った『大橋謙策主要論文集(2013年~2018年)』(大橋ゼミ45周年ホームカミングデー実行委員会、2018年10月27日)と『日本社会事業大学/東北福祉大学大学院 大橋ゼミ45年の歩み』(大橋ゼミ45周年ホームカミングデー実行委員会、2018年10月27日)に収録されている玉稿です。前者には論考の最後に4点の「図」が表示されていますが、本ブログの [まちづくりと市民福祉教育](28)大橋謙策「地域共生社会づくりとコミュニティソーシャルワーク」/2018年9月25日投稿 に表示されているものと同一ですので割愛しました。そちらをご参照下さい。
筆者(阪野)は「大橋ゼミ」生ではありませんが、こうした貴重な資料をその都度ご恵贈いただいています。そのことに深く感謝するとともに、本ブログへのアップをご快諾いただいた大橋謙策先生に衷心より厚くお礼申し上げます。

大橋謙策「地域共生社会づくりとコミュニティソーシャルワーク」

謝辞
本稿は、2018年9月20日、関市・関市社会福祉協議会主催の「大橋謙策先生 講演会」の際に配布されたレジュメ・資料です(一部編集)。本ブログへのアップをご快諾いただいた大橋謙策先生と関市・関市社会福祉協議会に衷心より厚くお礼申し上げます。

大橋謙策「地域福祉実践の神髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―」

はじめに ―「我が事・丸ごと地域共生社会」の実現に向けての課題
〇厚生労働省は2016年7月に『「我が事・丸ごと」地域共生社会実現本部』を発足させ、2015年9月に発表した「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現―新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」(「以下「新しい福祉提供ビジョン」と略」)の具現化を推進させることになった。
〇それは、地域自立生活支援を展開する上で、①子ども、障害者、高齢者の全世代を一元的、一体的に受け止め、相談に応ずるワンストップサービスをシステム化すること、②福祉サービスを必要としながらサービス利用に繋がっていない人々をアウトリーチして発見し、支援することと、時には伴走型の継続的支援を行うこと、③福祉サービスを必要としている人々を地域から排除しない、新たな地域コミュニティづくりを進めること、④そのためにも子ども、障害者、高齢者の全世代が交流・利用できる地域における小さな拠点づくりが必要になること、⑤そして全世代支援、全世代交流を進めていくためには属性分野・機能別の縦割りの資格ではなく、各資格間の相互乗り入れが必要になること等を具体化、具現化させること等が課題としてあることを指摘している。
〇しかしながら、これらのことは“言うは易く、行うは難し”である。それらの理念、考え方の具現化、具体化においては少なくとも福祉教育の推進、ニーズ対応型福祉サービスの開発とそれを企画できる力量のある職員の養成、住民と行政の協働を成り立たせる触媒、媒介の機能をもったコミュニティソーシャルワーク機能とそれを実施できるシステムを整備しない限り難しい。これ以外にも、専門多職種連携の在り方とシステム等の検討課題があるが、今回は触れない。
〇筆者はそれら「地域福祉実践の真髄」ともいえるそれら3つの機能の具現化とその理論化を求めて50年間研究をしてきたといっても過言ではない。
〇その研究スタイルは「バッテリー型研究方法」ともいえるもので、実践家の実践を理論化、体系化するとともに、研究者の理論仮説を実践家に提起し、実践してもらい検証するという研究者と実践家とがあたかも投手、捕手のようにバッテリーを組んで行う方法であり、筆者の50年間の実践、研究はまさにその方法によるところが大きい。
〇四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの20年間の実践もまさにそうで、筆者が関わった他のセミナーも含めて、それらのセミナー等において「バッテリー型研究方法」で実践され、論議され、システム化され、地方自治体の政策を産み出してきた多くの実践が先に述べた厚生労働省の報告書にそれなりの影響を与えたと自負している。
〇地域福祉実践の方法として検討しなければならないことは多々あるが、今回は「我が事・丸ごと地域共生社会」実現上特に考えなければならないことと、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの20年間の実践を通して考えてきたことに焦点化させることとし、本稿では、「地域福祉実践の真髄」ともいえるものの内、上記に挙げた3点を取り上げた。それを筆者がどのように考え、展開してきたのかを随想風に振り返りながら、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの実践に対し、若干のコメントをすることとしたい。
〇本資料集に収録された四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの実践そのもののコメントは四国4県ごとに他の人が行っているので本稿では行わないこととする。

1. 地域福祉実践(社会福祉協議会活動)は“福祉教育に始まり、福祉教育に終わる”
〇全国社会福祉協議会が1979年から始め、1991年(12期生)まで続けた「地域福祉活動指導員養成課程」(設置された各教科目のテキストに基づき、レポートが課され、添削指導を受けた上で4泊5日の宿泊スクーリングがあり、修了論文の提出が課せられた)は、筆者の研究者的成長に大きな影響を与えると同時に、そこでの相互の学びの過程を通じての実践者との交流が「バッテリー型研究方法」の推進とその後の実践者の組織化に非常に大きな役割を果たしてくれた。
〇筆者はその第1期から「社会福祉教育論」という科目を担当した。それは多分、筆者が「社会教育と地域福祉」の学際的研究を行い、既に「月刊福祉」等の雑誌や著作で「社会教育と地域福祉」に関わる論文を執筆していたからお呼びがかかったのであろうと推察している。
〇筆者の社会福祉学研究、地域福祉論研究において福祉教育は大きな柱である。後に筆者は福祉教育の定義を「憲法第13条、第25条などに規定された基本的人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、社会福祉活動への関心と理解を進め、自らの人間形成を図りつつ、社会福祉サービスを利用している人々を社会から、地域から疎外することなく、ともに手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」(1982年)と定義した。
〇この定義を考えるにあたっては、戦前の社会問題対応策としての社会事業と社会教育との関係性、とりわけ内務省が推進した風化行政、地方改良運動、精神作興運動等の研究を踏まえて定義したものである。
〇この福祉教育の考え方と実践は市町村社会福祉協議会が住民主体の活動を展開する上で必要不可欠な活動であると筆者は位置付け、先の「地域福祉活動指導員養成課程」において、“社会福祉協議会の活動は福祉教育に始まり、福祉教育に終わる”ほど重要な活動であることを強調してきた。
〇島根県瑞穂町(現邑南町)社会福祉協議会の事務局長になった日高政恵さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者であり、1997年の第1回こんぴらセミナーのシンポジュウムの登壇者でもある)は、住民の生活実態に関する様々な調査を行い、それを踏まえて68の集落福祉委員会を基盤に、13のブロックでの「地域福祉デザイン教室」を行い、徹底的に住民による問題発見・問題解決型の共同学習を通じて、住民の社会福祉意識の変容、向上を図る地域福祉実践を展開した(『未来家族ネットワークの創造――安らぎの田舎への道標』万葉舎、2000年参照)。
〇瑞穂町の実践は、子どもの福祉教育、住民の社会福祉学習、介護福祉人材の養成等町全体で文字通りトータル的に福祉教育を行っており、日高政恵さん自身社会福祉協議会活動は“福祉教育に始まり、福祉教育に終わる”と述べてくれている。
〇福祉教育のより体系的実践としては1988~89年に策定された東京都狛江市社会福祉協議会の「あいとぴあ推進計画」で位置付けられた「あいとぴあカレッジ」がある。
〇それは1991年から実施された(「あいとぴあ推進計画」は狛江市社会福祉協議会の須崎武夫さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者であり、のちに事務局長)が東京都社会福祉協議会のモデル指定地区を受託し、社協中心の地域福祉計画づくりを行う。筆者はこの策定委員会の委員長で、委員には狛江市福祉事務所の所長にも入ってもらい、行政との整合性を持たせることを意図した。その後、狛江市は「あいとぴあ推進計画」と連動させた「あいとぴあレインボープラン」を行政計画として策定。狛江市では「あいとぴあレインボープラン」に基づき狛江市条例による「市民福祉委員会」を設置し、重要な社会福祉政策課題については「市民福祉委員会」で協議することを明記。筆者はその「市民福祉委員会」の委員長を15年勤〈務〉める)。
〇「あいとぴあ推進計画」に基づく「あいとぴあカレッジ」は、年間15回程度の本格的な市民福祉教育のカレッジとして実施された(『地域福祉計画策定の視点と実践――狛江市のあいとぴあへの挑戦』第一法規、1996年参照。あいとぴあカレッジを担当した阪野貢(当時宝仙学園短期大学、のちに中部学院大学教授)さんが「市民福祉教育研究所」を設立・主宰し、ブログも開設しているので参照されたい)。
〇また、体系的な福祉教育実践としては狛江市の実践よりも早く、筆者は山口県宇部市において1977年より「宇部市婦人ボランティアセミナー」を企画・実施している。
〇このセミナーは文部省(当時)の助成事業を活用しての実践であるが、社会福祉と社会教育との有機的連携を意識したもので、1年間に17回の座学(講義)と14回の体験、実習(朗読、点字、手話、配食サービス、老人の介護等)のプログラムが組まれた本格的な福祉教育の実践であった(『宇部市の生涯学習推進構想――いきがい発見のまち』東洋堂企画出版社、1999年6月、参照。筆者は17年間、毎年数回宇部市に通い、最後はセミナー(後に2年制のカレッジに改組)30周年記念までお付き合いをしてきた)。
〇このような実践は、上記以外でも、岩手県沢内村(現西和賀町)社会福祉協議会で地域福祉計画の策定とそれに基づく「コーリム大学」を1990年代初頭に実施した。
〇筆者の問題発見・問題解決型共同学習的福祉教育は、1973年の東京都稲城市(筆者の居住地)における「住みよい稲城を創る会」(代表幹事大橋謙策)が主催した集いが最初である。
〇プログラムは、初めに生活問題を抱えている人に実態報告をして頂き、その後分科会に分かれて討議をするというスタイルで行われた。第1回目の集いでは、「嫁」(息子の配偶者)の立場から同居している姑の介護問題の報告、父子家庭の単独世帯の子育ての困難さの報告、学校拒否児(当時の呼称)を抱える家族の悩みの3事例の話を頂いた。
〇東京都の「市」ではあっても、農村的風土が残っていた地域だっただけに、「集い」というオープンな場での発題者を探すのに大変苦労はしたが、発題者の問題提起は実に重要で、その実態の深刻さが浮き彫りになった。その当時、筆者は知らなかったが、既に市内(当時人口3万人)に多くの学校拒否児がいたようで、その親たち(15名)が学校拒否児の親の体験報告があるということで個々に集いに参加してきていた。当初、分科会としては設定していなかった学校拒否児に関する分科会を親たちの要望で急遽作ったことが昨日のように思い出される。いかに、“事実は小説よりも奇なり”で、我々がその実態をただ把握していないだけだということを痛感させられ、アウトリーチによる問題発見の重要性に気づかされた。
〇1997年に香川県琴平町で開催された第1回こんぴら地域福祉実践セミナーは、「ふれあいのまちづくり事業」の補助金による事業ということも考えて、単なる一過性の福祉講演会ではなく、福祉教育、住民の社会福祉学習の機会として、かつ継続することを意識して行われた。当時、人口約1万2,000人の町で、参加者が600人にのぼり、会場が立錐の余地がないほどの状況は驚きであった。考えてみれば、1986年に琴平町社会福祉協議会が受託した「ボラントピア事業」において、夏の暑い日に、冷房のない学校の体育館に並べた椅子と椅子の間の通路に氷柱を何本も立てて行われた講演会になんと1,000人が参加された歴史を持っていた(講演者・大橋謙策)。それらの仕掛けをした琴平町社会福祉協議会の越智和子(現琴平町社会福祉協議会常務理事)さんも20代末の若い時に、山口県笠戸島で「地域福祉活動指導員養成課程」を受講した一人である。
〇筆者は、このような地域福祉と社会教育の学際的研究と実践に関わるなかで、1979年、全国社会福祉協議会が設置した「ボランティア基本問題検討委員会」(委員長阿部志郎、作業委員長大橋謙策)において起草委員長として「ボランティア活動の性格と構造」をまとめさせて頂いた。それは①ボランティア活動と市民活動との関係性をどう整理するかという問題、②ボランティア活動の目的を“自立と連帯の社会・地域づくり”と考えること、③市民活動とボランティア活動を考える場合、その活動には3つの性格の活動があること。それは第1に近隣での日常的なふれあいのある地域づくりを行うこと、第2に地域内にある福祉サービスを必要としている人を発見し、その個別課題に対応する対人サービス活動を行うこと、第3に市町村における(地域)福祉計画づくりを行うことの3つの課題があり、それらを構造的に捉えて考え、実践することの重要性を提起した。
〇また、そのような市民活動とボランティア活動との関係を意識したのは、1970年前後のコミュニティ構想が“住民参加、住民の権利ということが担保されない、権限なきコミュニティにおいて、麗〈うるわ〉しき隣人愛に基づく活動、助け合い活動”を求めていたことへの反論であり、かつ地域住民の生活を守るためには国レベルの社会保険制度の整備と共に、居住する市町村自治体における福祉サービスの整備が必要であり、重要であると考えたからに他ならない。(全社協・ボランティア基本問題検討委員会報告書「ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割」1980年を参照)。
〇また、その頃、福祉教育の実践が求める目標として「4つの地域福祉の主体形成」(市町村地域福祉計画策定主体、地域福祉実践主体、福祉サービス利用主体、社会保険契約主体)の必要性をまとめ、提起している。
〇「我が事・丸ごと地域共生社会」の実現に向けて、市町村における行政と住民の協働のあり方や全世代支援を行えるワンストップサービスができるシステムの構築等を考え、実施できるようにするためにも、まずもって住民参画による市町村地域福祉計画づくりが重要になる。また、その計画策定主体の形成も含めて地域福祉の4つの主体形成がなされなければ実現は難しいことになる。
〇福祉教育を皮相的にとらえるのでなく、地域住民が社会福祉の学習を通じ、地域にある問題に目を開き、気づき、それを解決するためにどう行動するべきかを考える機会を提供する福祉教育こそ地域福祉実践の根幹であることを改めて認識して欲しい。

2. ニーズ対応型福祉サービスの開発と「福祉でまちづくり」
〇筆者は1990年まで、日本には事実上ソーシャルワーク実践はなかったということを日本社会事業学校連盟(現日本ソーシャルワーク教育学校連盟)の社会福祉教育セミナーの席上や日本社会福祉学会等の場において発言してきた。しかしながら、残念ながら反論はされなかった。それどころか、戦後日本のケースワーク研究を牽引し、国際社会事業学校連盟からも高く評価されていた仲村優一先生は、“まさに君(筆者)が言う通りである”とさえ言われ、逆に日本におけるソーシャルワーク実践の定着を図る研究をしっかり頼むと励まされる状況であった。
〇戦後日本では、アメリカの文化、社会福祉に関するシステムの中で育ったケースワーク、グループワーク、コミュニティオーガニゼーションといった方法論が紹介・解説され、社会福祉教育の場において教えられてきた。
〇そこでは、インテークという用語やクライエントという用語が使われ、福祉サービスを利用しようとして、あるいは生活上の様々な問題を抱えて相談機関に来談した人とのラポートづくりから実践が説き起こされてきた。
〇筆者のように、戦前の社会事業における精神性と物質性の関係性の研究、地域改良・居住者の生活改善・人格向上を目指すセツルメント運動等を研究してきたものにとって、それには非常な違和感があった。多くの“社会福祉研究者”は筆者(大橋謙策)に対し、社会福祉六法体制とケースワーク等の社会福祉方法論とを前提としている“社会福祉プロパーの研究者”として認めず、“社会福祉体系外の研究者”として位置付ける言動を投げかけていた。
〇1977年に上梓され、1980年に日本語に翻訳された『社会福祉実践方法の統合化』 (『Integrating Social Work Methods』ハリー・スペクト/アン・ヴィッケリー編)において、アメリカのシステム理論やイギリスの地方自治体社会サービス法に基づく実践を通して、1930年代にアメリカで確立された社会福祉方法論の3分類法を「ソーシャルワーク」に止揚するべきであるという問題提起がなされ、それが日本語に翻訳されて紹介されているにも拘わらず、日本では実質的に2000年まで社会福祉士養成のカリキュラムの中で社会福祉方法論の3分類法を堅持しつづけた。しかも、いまでも多くの研究者がインテーク、クライエントという用語を無自覚的に論文上でも使用している。
〇筆者は、1973年に東京都稲城市立公民館の建設に際し、1947年に制定された児童福祉法の国会審議に向けて厚生省(当時)が作成した予想問答集の考え方(保育所設置の目的は①働かざるを得ない母親の就労支援、②子どもの成長には集団保育が必要、③文化国家、民主国家を建設するには女性の社会参加、社会活動を促進する必要があるので子どもを預ける保育所が必要)に基づき、公民館に市の専任職員である保母(当時)を常駐させた公民館保育室の設置を社会教育委員として提案し、建設した。その公民館の機能として住民のたまり場、交流の場としての機能・空間ももたせた。また、同じように1975年には、児童館、老人福祉センター、公民館を合築する地区公民館の建物の構想を示し、建設した。
〇更には、1973年、貧困児童の就学援助を増進させるために、当時、文部省の基準は生活保護基準の1.5倍が就学奨励費支給の基準であったものを市と交渉し、1.6倍にまで引き上げてもらった。
〇このような実践を若い時(20代)からしてきたものにとって、「申請主義」に囚〈とら〉われた社会福祉実践・研究やカウンセリング的ケースワーク論は何とも理解しがたいものであった。そのような発想は、社会福祉方法論の分野のみならず、施設経営をする社会福祉法人も陥っていた呪縛であり、市町村社会福祉行政自体も囚われていた呪縛であった。
〇日本の社会福祉実践、研究は、1990年まで中央集権的機関委任事務体制で展開されてきたこと、また福祉サービスも行政もしくは行政に委託された社会福祉法人が運営する施設において提供されてきたために、法人・施設運営の視点はあったものの、経営の視点は脆弱であったし、市町村における社会福祉行政のアドミニストレーションに関する研究は実質的になかったと言わざるを得なかった。
〇ある意味、国が設計する制度に基づく“制度ビジネス”に“安住”しており、そこでは、一般に経済界で必要とされている“市場調査”としての“サービスニーズの把握”の視点や方法、あるいは“商品開発”に該当する“ニーズ対応型サービス開発”の意識は希薄であったことは否めない。
〇筆者は、戦後の社会福祉実践・研究は中根千枝先生の研究の「鍵」概念を借りれば、「場」(枠組み)である制度としての枠(社会福祉六法体制、中央集権的機関委任事務体制)の中で社会福祉実践・研究を考え、行われてきたと指摘してきた。
〇しかしながら、21世紀においては「資格」(機能)として求められているソーシャルワーク機能に基づき、潜在化しがちな国民のニーズの発見・キャッチが重要であり、かつそれに対応したサービス開発とその起業化・経営が必要であることを頓〈とみ〉に1990年以降指摘してきた(筆者は1978年の論文「施設の社会化と福祉実践」(『社会福祉学』19号所収)以降、ニーズ対応型のサービス開発のヒントは、入所型施設で提供しているサービスを細かく分節化させることや家庭機能を分節化させて、それをどういうシステムで提供するかを考えることにあると述べてきた。また、1990年以降「福祉でまちづくり」の必要性を提起してきた)。
〇21世紀に入り、急速に進められている規制緩和の時代にあっては、社会福祉分野といえどもニーズの把握、ニーズ対応型サービスの開発とその起業化に関する研究が社会福祉研究上求められている。それは、ソーシャルワーク機能そのものが問われていることでもある。それはまた、ソーシャルワークの楽しさ、醍醐味を味わう機会でもある。
〇ソーシャルワークの使命(ミッション)は、ニーズキャッチ・発見を基盤に、それらの問題解決に向けてのサービスの提供、サービスの開発であり、それこそソーシャルワークの価値であることを忘れてはならない。
〇筆者は、今、①高齢者分野の介護保険制度外のサービス開発と供給の方法に関する研究(株式会社などが入所型施設で提供してきているサービスを細かく分節化させて、必要時に即応できるサービスシステムの開発をし、サービスを介護保険制度外のサービスとして提供している。従来の地域福祉実践はこれらの制度外のニーズに対応できているのであろうか)、②介護保険制度外の福祉機器、介護ロボットの購入・利活用に関する研究(障害者分野の補装具や介護保険の福祉用具の利活用と一般市販される福祉機器との利活用がボーダーレスになってきており、その相談、利活用システムのあり方が問われている。既に、福祉機器・介護ロボットの利活用・相談センターが制度外で動き始めている)、③障害者総合支援制度外のニーズキャッチとその商品開発、及びそれに関わっての新たな障害者の雇用形態、就労形態のあり方を考えた「起業化」が行われており、それにふさわしい経営形態はどういう組織がいいのかに関する研究、④「限界集落」、「消滅市町村」における「高齢者の、障害者のための福祉のまちづくり」ではなく、高齢者も障害者も参画した「福祉でまちづくり」という新たな第8次産業(第6次産業+障害者・高齢者・子育て中の親の参画+商店街を構成する生活衛生同業者組合も参画した地産地消・循環型地域経済)を創出することに関する研究に関心を寄せて実践に関わっている(「福祉でまちづくり」という用語は、1990年の岩手県遠野市の地域福祉計画策定において使用したのが最初である。それは特に市議会議員の研修会でその必要性と重要性を指摘した)。
〇この④の研究、実践は、文字通り地域福祉実践そのものに関わる実践であり、これは地方創生や立地適正化計画(コンパクトシティ計画)、あるいは休耕田、空き家対策等とも関わるまちづくり、地域づくりそのものの課題であり、地域経済に関わる研究、実践でもある。
〇山形県鶴岡市の地域福祉計画策定において、新しく特別養護老人ホームを100床、ユニット型で建設する構想(社会福祉法人鶴岡市社会福祉協議会立特別養護老人ホームおおやま、2005年)に際し、地産地消型の視点を取り入れるべく、商工会に特別養護老人ホームへの食材等を納入する協同組合を新たしく設立頂き、地元の商工業者に参入頂いた。全国の約7,000ある介護老人福祉施設(特別養護老人福祉施設)及び全国に約4,000ある介護老人保健施設がこのような発想で「地産地消」の取り組みをすれば、地域経済に与えるえる影響は大きく、現在言われている社会福祉法人の地域貢献の実態よりもその影響は大きく、これこそ社会福祉法人の役割、責務ではないのだろうか。
〇先に述べた島根県瑞穂町の実践のスローガンは「未来家族ネットワークの創造」であったが、それはもう民法上の血縁家族に頼っていたのでは「中山間地域」という地域での地域自立生活が維持できなくなってきており、地域に居住している人々が血縁を超えて“地域の未来家族”として生活をしていこうとする願いでもあった。
〇一人暮らし高齢者のみならず、地域生活している単身の精神障害者や知的障害者、非婚の男性、女性が増えることを考えると、これからは「少子高齢社会」もさることながら、「単身生活者の時代」になり、単身生活者の生活支援が深刻な課題になる。そこでは、血縁家族機能へ期待することは幻想である。家族が居なくても、家族に頼ることもなく、人生を全うできるように、日常生活自立支援のシステム、成年後見制度のシステム、入退院支援のシステム、死後の対応としての葬儀・遺骨の取り扱いも含めての支援等、本人の意思の確認と尊重を踏まえた“自立生活支援”のシステムを地域ごとに構築していかなければならない。まさに、「未来家族ネットワークの創造」である。ここでも従来の地域福祉実践の枠組みを再検討しなければならない。
〇今や、社会福祉の制度の枠に縛られた実践、制度を改善することのみに行きがちな“制度ビジネス”的な実践、研究を脱皮し、新たな視点での実践と研究が求められている。
〇とすれば、地域福祉実践も従来の枠を超えて、「福祉でまちづくり」の視点を大胆に取り入れ、かつその実践組織も社会福祉協議会や施設経営の社会福祉法人だけでなく、NPO法人、株式会社も含めた多様な組織体による起業化が行われ、そのプラットホームの上に地域自立生活支援が成り立つという新たな地域福祉の展開の時代として、研究枠組みも実践の方法も考え直さなければならない。
〇四国・こんぴら地域福祉実践セミナーで取り上げられた徳島県のNPO法人どりーまぁサービスの山口浩志さんは在宅のALS患者や重症心身障害児者への24時間ケアサービスを提供しているが、その根源には住民からの相談を断らないという哲学がある。その相談こそが“ビジネスチャンス”であるという発想で、それに柔軟に対応するために、かつその実践の社会的評価を得るために、社会福祉法人という経営形態ではなく、かつ株式会社という経営形態でなく、NPO法人という経営形態を選択したと言っている。
〇同じく徳島県美馬市木屋平地区のNPO法人こやだいらの実践、高知県津野町の学校跡地を利用した「集落福祉としての『森の巣箱』」の実践、人口減に伴う利用者減による経営困難でJAさえも撤退した山間地域でのガソリンの供給から日常生活の買い物支援、全世代交流支援型のサービス提供等の多機能型の地域づくりを展開している地域の生活支援の中核的組織である「あったかふれあいセンター『いちいの郷』」の実践などは、従来の狭い地域福祉実践の枠を超えた地域づくりそのものであり、血縁家族を超えた、地域での住民の自立生活を支援する実践である。
〇徳島県美馬市木屋平地区(合併前の旧木屋平村)のNPO法人こやだいらの実践は、筆者が“ベッドサイドから診察室まで、スーパーから冷蔵庫までの実践”と勝手に命名したが、人口710人の集落(高齢化率58%)での、世帯単位ではなく、個人単位の加入による「集落福祉のNPO法人版」である。標高1,955メートルの剣山の中腹(標高800メートル、地区の集落は標高200~800メートルに散在)で、一面の雲海を下に見ながら、蝉しぐれの中で、住民座談会を開催し、木屋平地区の集落福祉をどう進めるかを論議し、NPO法人格を取得して行うしかないといった論議をしたことが昨日のように思い起こされる。
〇これからの地域福祉実践には「福祉でまちづくり」をスローガンに、基礎自治体を基盤にしつつも、共同性と土着性が強い稲作農耕によって作られた、自然発生的に形成された地域、自治会を超えて、一定の生活圏域ごとにより分権化(市町村からの地域組織への第3の分権化、東京都地方分権推進委員会及び東京都社会福祉審議会で、委員として筆者が提唱)させた新たな地域組織に再編成し、そこで地域の多様な生活課題を解決する多機能型地域組織を構築し、活動を推進していくことが求められる。
〇それはある意味、住民一人ひとりが「選択的土着民」(静岡県掛川市元市長榛村純一氏提唱)となって、地域づくりに関わることであり、それはある意味、住民総参加の直接的民主主義という、地域を“コミューン”にすることである。そこに「限界集落」、「消滅市町村」問題を乗り越える一つの鍵がある。NPO法人こやだいらや「ふれあいあったかセンター『いちいの郷』」の実践はその萌芽とも言える。

3. 行政と住民の協働を触媒・媒介するコミュニティソーシャルワーク
〇イギリスのミヒャエル・ベイリイが提唱(1973年)した考えを基に地域福祉の考え方に関わる発展段階を整理すると① Care Out The Communityの時代、② Care In The Communityの時代、③ Care By The Communityの3つの発展の時期・時代がある。
〇筆者は、日本では1971年~1990年が①の時代で、1990年~2000年までが②の時代であり、2000年以降は③の時代に入り、社会福祉法制も社会福祉法への改称・改正で理念的にそれを求め、明確化したと述べてきた(地域におけるヴァルネラビリティの人々とその人々を排除しない地域のあり方を指摘した2000年12月の「社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会」の報告書が出された意味は大きい)。
〇ところで、コミュニティソーシャルワークという用語とその考え方は、1982年のイギリスでの「バークレイ報告」で提唱されたものであるが、イギリスではその考え方が実践的に必ずしも成功したとは言えない。
〇筆者は、日本的にコミュニティソーシャルワークがそれなりに定着できる状況になってきている要件として、(イ)まがりなりにも日常生活圏域における自治会等の地域組織機能があること、(ロ)全国の市町村に、地域を基盤として活動している社会福祉協議会が組織されていること、(ハ)全国の市町村に23万5千人の民生・児童委員と約5万人の保護司が設置されていることが大きいと考えている。
〇コミュニティソーシャルワークという考え方は、上記の③の時代には不可欠な考え方である。施設サービスから脱却し、地域での自立生活を支援していくためには、行政の力だけでは遂行できず、地域住民の参加、協働が欠かせない。そのためには先に述べた地域住民の4つの地域福祉の主体形成が求められる。
〇行政と住民との協働を促進し、住民の主体性を高め、住民自身が地域の問題を発見し、その問題に対し差別・偏見を持たず、地域から排除することなく、地域で問題解決を図る活動を推進するためには、住民の活動を活性化、促進させる触媒機能が重要であり、かつ行政と住民との協働を安定的に媒介させる機能が重要であり、それこそコミュニティソーシャルワーク機能である。
〇ところで、地域自立生活を支援するコミュニティソーシャルワーク機能の日本的発展段階には5つの段階があったと筆者は考えている。
〇第1の段階は、1979年にいち早く高齢化が進展していた秋田県が県単独事業として政策化させた在宅相談員制度である。一人暮らし高齢者を孤立させず、地域で見守ろうという実践で、社会福祉協議会と民生委員との協働の下に展開された。
〇筆者は、その初年度の在宅相談員の研修に招聘、参加させて頂いた。秋田県男鹿観光ホテルで行われた研修会では、従来の血縁的、地縁的見守りを昇華・発展させ、社会化させたシステムとして展開しようとする試みに社会福祉の新たな息吹と地域福祉実践の必要性を改めて認識させられた機会であった。そのもっとも優れた実践の一つは秋田県西仙北町社会福祉協議会の佐藤春子さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)の取り組みで、「一人ぼっちの不幸も見逃さない」という映画になり、その後“黄色いハンカチ運動”等に繋がっていく。社会福祉協議会と小地域とが協働して住民の孤立やゴミ出し等のちょっとしたお手伝いを行う事業は現在でも全国で行われており、富山県のケアネット事業等も県単で行われている。
〇第2の段階は、1990年に「生活支援地域福祉事業(仮称)の基本的考え方について」(平成2年8月、生活支援事業研究会中間報告、厚生省社会局保護課所管)と題する報告書がだされてからである。
〇筆者自身が、コミュニティソーシャルワークにより関心を寄せ、その政策化に関わるのは、この研究会の座長を仰せつかってからであり、日本におけるコミュニティソーシャルワーク機能が政策的に、実践的に意識された年である。
〇この報告書に基づき、1990年度にモデル事業として展開され、その成果を踏まえて政策化されたのが1991年度より始まる「ふれあいのまちづくり事業」という大型補助金事業である。モデル事業は福祉事務所、保健所、市町村社会福祉協議会で展開されたが、最も報告書の考え方を踏まえ実践してくれたのは富山県氷見市社会福祉協議会の中尾晶美さん(中尾さんも「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者で、のちに事務局長を勤〈務〉める。筆者は氷見市社会福祉協議会へ約35年間通い、「バッテリー型研究方法」を展開。最後の頃は氷見市行政アドバイザーも勤〈務〉める)の実践だったこともあり、「ふれあいのまちづくり事業」は市町村社会福祉協議会で実施されることになった(このモデル事業の評価委員長は宮城孝現法政大学教授が担ってくれた)。
〇これが、実質的な意味での日本におけるコミュニティソーシャルワーク実践の始まりと言える。
〇この事業では、今日大きな問題となっている潜在的福祉サービスを必要としている人の発見、しっかりしたアセスメントによるケアマネジメントに基づく援助方針の立案、専門多職種によるチームアプローチ等が提唱された。また、制度の谷間の問題、多問題家族、多重債務者、在住外国人、核家族・単身者の入院時支援、家庭内暴力の問題等への対応の必要性と重要性を指摘している。
〇しかしながら、この「ふれあいのまちづくり事業」でコミュニティソーシャルワーク機能の具現化が図れたとはいいがたいと筆者は考えている。この補助事業が多くの市町村社会福祉協議会を活性化させる契機にはなったと思うが、コミュニティソーシャルワーク実践の具現化と先に述べた「生活支援地域福祉事業(仮称)」の具体化という点では筆者は必ずしも成功したとは考えていない。
〇第3の段階は、1993年から日本社会事業大学の社会福祉学部福祉計画学科の地域福祉コースの所属教員が研究会(研究代表大橋謙策)を立ち上げ、厚生省(当時)の老人保健健康増進等事業の助成を受けて全国のいくつかの市町村をフィールドにして「在宅福祉サービスにおける自己実現サービスの位置とコミュニティソーシャルワークに関する実践的研究」を始めてからである(その研究成果は毎年報告書として出されているが、それを基に2000年8月に『コミュニティソーシャルワークと自己実現サービス』(大橋謙策他編、万葉舎)が上梓されているので参照されたい)。
〇そのフィールド市町村の一つである岩手県湯田町(当時、現西和賀町)社会福祉協議会において、主任ホームヘルパーの菊池多美子さん(この人も「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者で、全社協の「社会福祉主事養成課程」の修了者でもある。また、第1回こんぴら地域福祉実践セミナーのシンポジストとしても登壇。菊池多美子著『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記』1998年、万葉舎参照)が実践していた事例に触れ、その実践こそがコミュニティソーシャルワーク機能を具現化させている実践であり、コミュニティソーシャルワーク機能の具現化を全国的に展開できると勇気づけられた実践であった。
〇その実践には、①アウトリーチも含めた問題発見、②フォーマルケアとインフォーマルケアとを有機化させて提供、③個別対応型支援ネットワーク会議の開催、④伴走型のソーシャルワーク、⑤ニーズ対応型サービス開発、⑥社会福祉協議会独自の新しい財源創出等の機能を濃淡含めて実践していた。その考え方に学び、実践を体系化すると同時に、新たな理論仮説を提起し実践もして頂いた。この実践に関わることにより、筆者はコミュニティソーシャルワーク機能の実践ができると確信がもてた。
〇ただ、その実践は必ずしも意図的な、自らの仮説をもって、検証し、見直すというPDCAサイクルの実践でなかったこと、組織的には容認され、実践されていたが必ずしも社会福祉協議会の計画的、組織的位置づけの下に行われていなかったこと、かつその実践はすぐれて個人的であり、システムとして構築されていたわけでなかったこと等の課題があった。
〇その後、これら湯田町の実践における課題を解決するためにはコミュニティソーシャルワークを展開できるシステムづくりが必要であると考え、それには市町村地域福祉計画の策定との関わりが不可欠との認識をより強めさせることになった。
〇筆者は1970年代から市町村の地域福祉計画の必要性を論文で書いてきたし、先に述べた「ボランィア活動の性格と構造」のなかでも(地域)福祉計画の必要性を述べている。また、全社協が設置した「地域福祉計画研究委員会」にも委員として参加し、その委員会の報告書として1984年に上梓されている『地域福祉計画――理論と方法』にも執筆している(筆者は、この研究会の論議を踏まえ、1985年に「地域福祉計画のパラダイム」という論文(『地域福祉研究』№.13所収、日本生命済生会福祉事業部刊)を書いているので参照)。

(註) 地域福祉計画策定委員長として1988年から取り組み、1990年に制定した東京都狛江市「あいとぴあ推進計画」(『地域福祉計画策定の視点と実践』大橋謙策著、第一法規、1996年参照)や東京都目黒区が1990年から取り組んだ「目黒区地域福祉計画(福祉事務所と保健所を合体させ、人口26万人の区内を5地区に分け、その各々に保健福祉サービス事務所を設置)、あるいは同じく1990年から取り組んだ「遠野市ハートフルプラン」(『21世紀型トータルケアシステムの創造』大橋謙策他編、2002年、万葉舎参照)等の計画策定の実践を行ってきた。
あるいは東京都児童福祉審議会(専門部会長大橋謙策)において、筆者が委員長としてまとめた1990年の東京都東大和市の地域福祉計画で構想したものを、東京都児童福祉審議会専門部会に部会長である筆者が提案し、具現化して1994年から創設された「子ども家庭支援センター」(センターに保健師、社会福祉士、保育士を配置し、各区市町村に設置、現在58か所)等の政策提言及びその具現化の政策化及び実践がある。

〇これら一連の地域福祉計画において政策提言したことと、先のコミュニティソーシャルワークの実践課題の解決とを結び付けて提案し、システム化させたのが2000年4月から始まった長野県茅野市の保健福祉サービスセンターの実践である。
〇コミュニティソーシャルワークの発展の第4段階は、地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワークとの連携がシステムとして確立できた長野県茅野市の保健福祉サービスセンターのシステムであり、実践である(筆者は1998年から15年間茅野市福祉行政アドバイザーを担当)。
〇この時期は、厚生労働省も未だ地域包括ケアとか、地域包括ケアシステムという用語は使っていないし、政策化させていない時期であった(筆者は、1990年の岩手県遠野市の地域福祉計画づくりから「地域トータルケアシステム」という用語を使用してきた)。
〇長野県茅野市は、地域トータルケアシステムの拠点としての保健福祉サービスセンターを市内4か所に設置(当時人口5万7千人、中学校区9)し、市役所内にいた福祉事務所の職員、保健課の保健師を再編成して配属した。それに加えて市社会福祉協議会の職員も配属して、子ども、障害者、高齢者の全世代に対応するワンストップサービスを展開することにした。
〇基本的には、行政職員(ソーシャルワーカー)、保健師、社会福祉協議会職員(ソーシャルワーカー)が3人1組でチームアプローチをすることにした。それは、フォーマルサービスとインフォーマルサービスとを有機化させることとアウトリーチ型のニーズキャッチをやりやすくさせるためであった。ある年の社会福祉協議会の職員は年間280日も地域へ出張り、住民の相談とニーズキャッチに努めた。社会福祉協議会のソーシャルワーカーを配属したのは地域住民の福祉教育の促進や住民のインフォーマルケア力の向上と活用の促進を図るためでもあった。
〇その保健福祉サービスセンターでは、フォーマルな制度、サービスのコーディネート、家族、地域の支え合い及び新たな意図的なソーシャルサポートネットワークの構築とコーディネート、更には福祉サービスを必要としている人を発見、あるいは新たに必要な福祉サービスの開発等の機能を総合的、統合的に展開できるシステムとして構想された。
〇しかも、そのシステムは地域の各機関の機関長レベルの連絡調整ではなく、個別具体的な問題を個々に解決するためのチームアプローチを行う個別対応型支援ネットワーク会議を開催し、具体的支援をリードする拠点システムとしても構想された。
〇また、茅野市保健福祉サービスセンターには、内科クリニック、訪問看護、高齢者デイサービス、訪問介護、地域交流センターを併設し、更には、システムとして内科クリニックと諏訪中央病院との病診連携、「かかりつけ医」制度の促進を図ることなども組み込んだ(『福祉21ビーナスプランの挑戦』大橋謙策他編、中央法規、2003年参照)。
〇長野県茅野市の計画、実践において、筆者は保健、医療、福祉の連携のみならず、社会教育との連携を意識して取り組んだ(地域福祉計画づくりに社会教育との連携を意識的に組み込むのは1990年の遠野市の計画づくりからである)。
〇なぜ、社会教育との連携を意識化したかというと、福祉サービスを必要としている人を発見し、支えていく上で、地域住民の力はプラスに働く場合もあれば、ややもするとそれらの人々への偏見、蔑視が働き、排除の動きにもなる恐れがあるので、地域住民のこれらの問題への関心の醸成と理解の深化を図ること及び住民自身が福祉サービスを必要としている人の支援者になることへの変容が求められるので、そのためにも筆者は一貫して地域福祉実践には福祉教育が不可欠であると述べてきたし、その一翼を社会教育が担うべきであると考えてきたからである。
〇更には、「福祉でまちづくり」の考え方を実現していくためには、住民の問題発見・問題解決型の共同学習が必要不可欠であると考えたからでもある。
〇まさに、地域包括ケアの構築には住民の学習を推進する社会教育行政との連携が必要と考えたからに他ならない。
〇この茅野市の実践事例は、その後静岡県富士宮市、掛川市、千葉県鴨川市等へ波及していく。
〇茅野市のシステムと実践は、2006年に制度化された介護保険制度の地域包括支援センターのシステムとしてのモデルであり、かつコミュニティソーシャルワーク実践を展開できるシステムのモデルでもあった。
〇2016年7月からは、東京都世田谷区(人口91万人)の27地区に設置されている地域包括支援センター(あんしんすこやかセンター)で、子ども、障害者、高齢者の全世代支援型のワンストップサービスが始まっており、その地区ごとにコミュニティソーシャルワーク機能を担う社会福祉協議会の職員が1.5人ずつ配属されて活動している。
〇筆者が、この間、手がけてきた地域福祉実践の考え方が国の政策のあり方に最も反映されたものとして、2008年に発表された『地域における「新たな支え合い」を求めて―住民と行政の協働による新しい福祉』がある。この厚生労働省の研究会の座長を勤めさせて頂いたが、筆者が研究し、地方自治体で実践的に制度化、政策化させた考え方がほぼ反映されたと思っている。
〇しかも、その考え方は、2009年から始まる「安心生活創造事業」というモデル事業の創設により実証的に検証されることになる。そのモデル事業の市町村に指定された中に香川県琴平町があるし、筆者がアドバイザーとしてシステムづくりに関与している千葉県鴨川市も含まれている。
〇これらの地域福祉実践の積み重ねが、理論的にも、実践的にも可能性があるという判断がなされたのであろう、2015年9月に発表された厚生労働省の「新しい福祉提供ビジョン」にこれらの考え方が政策的に引き継がれていく。
〇コミュニティソーシャルワークの第5段階は、この「新しい福祉提供ビジョン」をどう具現化させるかという時代である。
〇その理念をより強固に具現化させるべく、2016年7月に「我が事・丸ごと地域共生社会」実現本部が設置された。
〇そこで求められる実践課題を筆者なりに改めて整理すると、①筆者のいう4つの地域福祉の主体形成と福祉教育の課題、②「福祉でまちづくり」を推進する上で必要なニーズ対応型サービスの開発というソーシャルワーク機能を発揮できる職員の養成とそれを展開できるシステムづくりの課題、③行政と住民の協働を触媒・媒介させるコミュニティソーシャルワーク機能とそれを展開できるシステムの課題がある。
〇ところで、これらのことを具体的に実施できるシステムの運営のあり方とその市町村毎のアドミニストレーションはどうあったらいいのか等は研究的にも、実践的にも未だ緒に就いたばかりであり、地域福祉研究的にはほとんど皆無の状況である。
〇ましてや、これらの活動の担い手をどう養成し、配属できるのか十分な展望を持てていない。筆者が理事長〈を〉しているNPO法人日本地域福祉研究所は、全国の県、市、県社会福祉協議会、市町村社会福祉協議会等と協働して、多数のコミュニティソーシャルワークの研修の機会を担ってきているが、果たしてその研修内容や方法も今のままでいいのか、かつての「地域福祉活動指導員養成課程」のようなe-ラーニングも含めたより体系的養成課程を行う方がいいのか、かつ全国の市町村においてコミュニティソーシャルワークの養成・研修を実施することへの対応の展望は見えていない。
〇イギリスでは、大きな制度改革が行われるときには、必ずといっていいほどその制度改革を担う人材の養成のあり方を連動させて取り組んできた。日本では、制度は制度、人材養成は別か、あるいは制度に必要な人材を制度ごとの研修で養成するという立ち位置で行われてきた。そろそろ、ソーシャルワーク機能、とりわけコミュニティソーシャルワーク機能を発揮できる人材の養成を抜本的に考える必要があるのではないか。今の社会福祉士の養成課程がこれから求められるソーシャルワーク機能を発揮できる人材の養成として相応しいとは必ずしも筆者には思えない。
〇それらのことも含めて、「我が事・丸ごと地域共生社会」の実現にはいろいろ難しさがある、そうであればあるほど、改めて、今求められているコミュニティソーシャルワーク機能とはを整理、確認しておきたい。それが常に意識されていないと、福祉サービスを必要としている人を発見し、その人々が抱える問題を“我が事”のように理解、共感し、その問題を行政と住民が協働して地域を挙げて解決することはできない。
〇そして、それを推進しようとすればするほど、行政と住民の協働を触媒・媒介するコミュニティソーシャルワーク機能が求められることを意識化しなければならないからである。
〇改めて、今求められているコミュニティソーシャルワーク機能とはを整理、確認すると、①地域に顕在的、潜在的に存在する生活上のニーズ(生活のしづらさ、困難)を把握(キャッチ)すること、②それら生活上の課題を抱えている人や家族との間にラポール(信頼関係)を築くこと、③時には、信頼、契約に基づき対面式(ファイス・ツー・フェイス)によるカウンセリング的対応も行う必要があること、④その人や家族の悩み、苦しみ、人生の見通し、希望等の個人的要因を大切にしつつ、それらの人々が抱えている問題がそれらの人々の生活環境、社会環境との関わりの中で、どこに問題があるのかという地域自立生活上必要な環境的要因に関しても分析、評価(アセスメント)すること、⑤その上で、それらの問題解決に関する方針と解決に必要な方策(ケアプラン)を本人の求め、希望と専門職が支援上必要と考える判断とを踏まえ、両者の合意の下で策定すること、⑥その際には、制度化されたフォーマルケアを有効に活用すること、⑦そのうえで、足りないサービスについてはインフォーマルケアを活用したり、新しくサービスを開発するなど創意工夫して問題解決を図ること、⑧問題解決には多様な関係者の個別対応型支援ネットワーク会議を開催したり、必要なサービスを統合的に提供するケアマネジメントの方法を手段とする個別援助過程を基本的に重視しなければならないこと、⑨と同時に、その個別援助を支える地域を構築するために、個別対応型の必要なインフォーマルケア、ソーシャルサポートネットワークの開発とコーディネートを行うこと、⑩地域での個別支援を可能ならしめる地域づくりに関する“ともに生きる”精神的環境醸成、ケアリングコミュニティづくりを行うこと、⑪個別生活支援の外在的要因である生活環境・住宅環境の整備等も行うことを同時並行的に、総合的に展開、推進していく活動、機能である。
〇これらのコミュニティソーシャルワーク機能が十分意識化されない皮相的な取り組みで「我が事・丸ごと地域共生社会」という政策が展開されることに、行政も社会福祉関係者も、住民も十分留意しなければならない。したがって、市町村においてコミュニティソーシャルワークを展開できるシステムがない中で、安易に、コミュニティソーシャルワーカーという名称だけが一人歩きすることには気を付けなければならない。

4. おわりに
〇四国・こんぴら地域福祉実践セミナーは20回続いているが、それは他の実践セミナー(日本地域福祉研究所主催の全国地域福祉実践研究セミナーが22回、房総地域福祉実践セミナーが14回、沖縄かりゆし地域福祉実践セミナーが8回等)と同様に、“継続こそが力なり”と思い、続けることを意識して、かつ参加してきた。この20回に亘る四国・こんぴら地域福祉実践セミナーのすべてに参加しているのは、筆者と越智和子さんだけであろうか。
〇ところで、このセミナーは原則的に県行政や県社協の力に頼らずに、開催地を中心に自分たちで実行委員会を作り運営してきた。また、このセミナーは県庁所在地ではなく、「限界集落」と呼ばれる中山間地で行うことを原則としてきた。それは、「草の根の地域福祉実践」を豊かにしたいという思いからであった。県庁所在地での開催は第17回セミナーの愛媛県松山市が初めてである。このような考え方も四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの特色の一つである。
〇高知県の足摺岬のある土佐清水市でのセミナーに539名が四国4県から集まり、討議をした光景には、正直鳥肌が立つ程の感動と感銘を覚えた。この土佐清水市のセミナーに参加して、中央集権的機関委任事務体質、行政依存的体質が大きく変わりつつあることを確信できた。
〇しかも、この四国・こんぴら地域福祉実践セミナーは、「地域福祉俳句会」は固より、ジャズを聴きながらの交流、あるいは徳島の阿波踊り、高知の「よさこい」踊りの体験等地域文化の野趣〈やしゅ、素朴な味わい〉に富んでおり、参加していてとても楽しい集いである。
〇本稿は『地域福祉の真髄』と題して3つの点に絞って述べてきたが、これ以外でもニーズキャッチの方法、福祉教育を実践する上での資料の作り方、市町村の地域福祉計画づくりの方法、コミュニティソーシャルワークを展開できるアドミニストレーションのあり方等も検討しなければ地域福祉実践は推進できないであろう。しかしながら、それらについては紙幅の関係もあり、後日に委ねたい。
〇また、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの実践の中でも高知市の「こうちこどもファンド」の取り組みや香川県の「香川おもいやりネットワーク事業」(施設経営の社会福祉法人と市町村社会福祉協議会と民生・児童委員との3者がコラボレーションしての生活のしづらさ、生活の困窮者を地域で支える活動)、あるいは本資料には都合により収録できなかったが、愛媛県愛南町のNPO法人なんぐん市場が取り組んでいる、精神障害者の退院支援と地域定着、地域自立生活支援の取り組みの実践、更には想定される南海トラフ地震への対策も考えた災害時支援のソーシャルワーク実践のあり方等これからの地域福祉実践を考える上で大きな示唆を与えてくれる実践についても考察を深めなければならないし、かつそれに関わってこれからの地域福祉研究上の意義、あり方についても論述しなければならないが、これも後日に委ねたい。
〇最後になりましたが、20年間、四国・こんぴら地域福祉実践セミナーの開催にご尽力してくれた日開野博さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)、越智和子さん、白方雅博さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)、島崎義弘さん、佐和良佳さん、市川千香さん(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)、日下直和(「地域福祉活動指導員養成課程」修了者)さんをはじめ、お一人、お一人のお名前を挙げられないが、四国4県の市町村社会福祉協議会及び県社会福祉協議会の職員の方々、そして日夜、地域福祉実践に傾注されている方々、更には聖カタリナ大学、高知県立大学、松山大学、高知大学、四国学院大学の先生方等本当に多くの人々に支えられ、このセミナーが継続実施されてきたことにこの誌上を借りて改めて厚く御礼を申し上げるとともに、心より感謝を申し上げる次第である。

付記 本稿は2017年6月3~4日に、愛媛県松山市の松山大学で行われた日本地域福祉学会において、地元四国4県の地域福祉実践の発表の一環として編集刊行された『「地域福祉の遍路道」四国・こんぴら地域福祉セミナー資料集』に寄稿したものに一部加筆したものである。

謝辞
本稿は、一般財団法人社会福祉研究所『所報』第93号、2018年3月、1~17ページ所収の大橋謙策先生の玉稿です(行頭の丸印と山括弧内は阪野)。転載をご快諾いただいた大橋先生と社会福祉研究所に衷心より厚くお礼申し上げます。

「大橋福祉教育論」再考の視座と枠組み―新たな思考軸の構築をめざして―

福祉教育とは、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(「学校外における福祉教育のあり方と推進」全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、15ページ)。

ここ10年ほどの福祉教育学界は、地域福祉の主流化が進むなかで、良しにつけ悪しきにつけ、その視座が「教育と福祉」から「地域福祉と福祉教育」に矮小化され、俯瞰的議論から遠ざかっているようである。また、実践を支える理論や思想・価値、歴史などへの関心は未だ低い。実践方法の原理・原則の探究が不十分であり、理論的枠組みも不明確な福祉教育実践論が展開されているようでもある。

1 福祉教育の概念規定
上記の福祉教育の概念規定は、30年以上も前に大橋謙策によってなされたものである。今日においてもしばしば引用される。この概念規定以外にも、「福祉教育とは何か」について論考したものは複数、捉え方によっては多数あるが、大橋のそれがよく援用される。それは、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因するといってよい。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのであろう。
周知のように、全社協・全国ボランティア活動振興センターが1980年9月、「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)を設置し、翌1981年11月に「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」について研究の中間成果を纏め、報告した。委員会の設置は、全国各地で福祉教育実践の進展が図られ、学校における福祉教育のあり方について一定の理論的整理が求められるようになってきたことへの対応であった。次いで、1982年9月に第2次の「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)が設置され、翌1983年9月に「学校外における福祉教育のあり方と推進」と題する中間報告が行われた。大橋の福祉教育の定義は、第1次ではなく、「第2次福祉教育研究委員会」報告のなかで述べられている。そこではまた、次のように述べられている。「社会教育行政における福祉教育の促進には二つの視点が『車の両輪』としてなければならない。第一は、国民が社会福祉問題を学習し、それへの関心と理解を促進させる福祉教育活動の促進であり、第二には、今日の社会福祉問題の中心的課題を担っている障害者、高齢者の社会教育(学習、文化、スポーツ活動)の促進である」(15ページ)というのがそれである。後者(「第二」)に関してはさらに、「今日の社会福祉サービスの主たる対象である障害者、高齢者の学習、文化、スポーツ活動を豊かに促進させることが、国民の障害者観、老人観を変え、ひいては社会福祉観を変えて、ともに生きていく街づくりをすすめる上で重要」(16ページ)であるとされた。
ところで、大橋のこの定義は、全社協の「第2次福祉教育研究委員会」報告以前の1982年3月、神奈川県の「ともしび運動促進研究会」(委員長・大橋謙策)が編集し、「ともしび運動をすすめる県民会議」が発行した『ともしび運動促進研究会中間報告』で述べられている(4ページ)。「ともしび運動」は、長洲一二県知事の提唱によって、1976年10月から展開された行政・県民協働の福祉コミュニティづくり(自立と連帯のまちづくり)運動である。具体的には、「障害者の自立促進を」「おとしよりに生きがいを」「連帯感にあふれた地域社会づくり」などをその目標とし、「『ともしび運動』によってすすめられるべき課題の第一は“福祉教育の促進”である」(4ページ)とされた。
以上を要するに、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて高齢者や障がい者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視座に注目しないと、その定義や所説を読み解くことはできないということである。

2 福祉教育と「社会福祉問題」
先に記した大橋の福祉教育の定義についてその構成要素を弁別すると、次のようになる。(1)憲法第13条、第25条等に基づく人権思想をベースにする。(2)歴史的・社会的存在としての社会福祉問題を素材とする。(3)社会福祉問題との切り結びを通して、社会福祉制度や活動への関心と理解を進める。(4)社会福祉問題を解決する実践力を身につけるために、実践に基づく体験学習を重視する。(5)「自立と連帯の社会・地域づくり」の主体形成を図る、などがそれである。
大橋の定義における鍵概念のひとつは「社会福祉問題」である。大橋は、1981年2月に刊行された吉田久一編『社会福祉の形成と課題』(川島書店)所収の論文「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」(231~249ページ)で、高度経済成長期以降、「社会福祉問題の国民化と地域化」(大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、3~11ページ)が進んでいるが、地域で福祉問題を解決するためには、それができる「住民の形成とネットワークづくり、とりわけそこにおける住民参加の問題」(238ページ)が重要であり、焦眉の課題であるとする。そのうえで、地域福祉の主体形成のための福祉教育の必要性と、福祉行政の「地方分権主義」への転換を図り、地方自治体が自律性をもって「地域社会福祉計画」を住民参加のもとに策定することの必要性を指摘している。
福祉教育が学習素材とする「社会福祉問題」、とりわけ高度経済成長期以降のそれは、大橋にあっては、「戦前の大河内一男の社会政策と社会事業という整理や戦後の孝橋正一の社会問題と社会的問題という整理でも、包含できない課題として創出されてきた」(231ページ)。公害・環境問題と外的な生活破戒、過疎問題と家庭破戒、過密問題と生活の共同的集団的再生産機能の弱まりと不安定化、合理化・機械化による生活リズムの破戒や老人福祉問題の深刻化などが、「従来の問題にくわえてあらわれてきた」ものである(232~234ページ)。
地域住民のこれらの具体的な生活破戒の“状況”については、簡潔明瞭にカテゴライズしても、他の領域や次元の“状況”で説明するだけではその本質に迫ることはできない。社会福祉問題の分析は、それを現代社会の仕組みと運動法則によって必然的に生み出される構造的な「社会問題」として、社会科学的に捉えることによってはじめて可能となる。そうした分析のうえで、その問題解決に向けて、批判的・論理的かつ創造的に思考・判断・実践する“力”の育成・向上をいかにして図るか。そのための福祉教育実践の具体的展開について検討することが求められる。
以下に、上記の論文中から、「福祉教育と地域福祉の主体形成」に関する叙述部分を記しておく。大橋の「福祉教育の理念と実践の構造」についての所説の基本的部分(特色)を概観・俯瞰することができる。

福祉教育は、国民が社会福祉を自らの課題として認識し、福祉問題の解決こそが社会・地域づくりの重要なバロメーターとして考え、共に生きるための福祉計画づくり、福祉活動への参加を促すことを目的に行なわれる教育活動である。したがって、福祉教育は少なくとも次の諸点を構成要件として意識的に行なわれてこそ意味がある。
第一は、差別、偏見を排除し、人間性に対する豊かな愛情と信頼をもち、人間をつねに“発達の視点”でとらえられる人間観の養成、第二に社会福祉のもつ劣等処遇観、スティグマ(恥辱)をなくすことが必要で、そのためには国民の文化観、生活観を豊かにすることに他ならないこと、第三に、人間は人々との豊かな交流の中で生きる以上、生活圏の狭い障害者等の社会福祉サービス受給者の生活がいかに非人間的であるかをコミュニケーションの手段も含めてとらえられること、第四に複雑な社会における歴史的、社会的存在としての福祉問題を分析できる社会科学的認識が必要なこと、第五に今日の福祉は、福祉行政の中でも細分化されているが、その解決には関連行政たる労働行政、教育行政、保健衛生行政などを含めて地域的課題を総体的にとらえる力が必要であること、の五つを基本に、情報の周知徹底、体験・交流などによって感覚として体得することなどが方法論的にも加味されて、はじめて福祉教育の実践といえる。
福祉教育は、住民の福祉意識を変え、福祉問題をトータルにとらえ、問題解決のための福祉計画づくり、具体的解決のための実践などを行なえる住民の形成であり、それこそ地域福祉の主体形成といえよう。(243ページ)

3 福祉教育と「地域福祉の主体形成」
大橋は、岡本栄一によって「住民の主体形成と参加志向の地域福祉論」と評されるように、「地域福祉の主体形成」を重視する。その点について、大橋は、前記の著書『地域福祉の展開と福祉教育』において、「地域福祉の主体形成のしかたと主体として形成されるべき力量には、次のような7つのことが考えられる」とした。(1)社会福祉に関する情報提供による関心と理解の深化、(2)地域福祉計画策定への参加と政策立案能力、(3)社会福祉行政のレイマンコントロール(政治や行政の一部を一般市民に委ねること:阪野)、(4)社会福祉施設運営への参加、(5)意図的、計画的な福祉教育の推進、(6)地域の社会福祉サービスへの参加(ボランティア活動)による体験化と感覚化、(7)社会福祉問題をかかえた当事者の組織化と当事者のピア(仲間、peer)としての援助、がそれである(46ページ)。その後、大橋は、この「地域福祉の主体形成」(「住民の主体形成」)の7つの「枠組み」を整理し、「『地域福祉の主体』形成には、4つの課題がある」として、4つの主体形成の枠組みを提示する。すなわち、(1)地域福祉計画策定主体の形成、(2)地域福祉実践主体の形成、(3)社会福祉サービス利用主体の形成、(4)社会保険制度契約主体の形成、である(大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月、75~82ページ)。それは同時に、福祉教育の課題でもある。
この大橋の4つの主体形成については、7つから4つに“綺麗”に整理・集約された故にか、4つの側面が並列的に理解されがちで、その内的・構造的な相互関連性の把握を困難なものにしている。主体としての「住民」は、基本的には労働主体と(労働以外の)生活主体の統一的存在であろうが、政治主体・経済主体・文化主体であり、また地域の自治主体や変革・創造主体でもある。「住民」はこれらの側面を重層構造的にもつ存在である。地域の自治主体や変革・創造主体に関していえば、住民主体の社会福祉問題の解決や「自立と連帯の社会・地域づくり」を推進するためには、個人的主体形成のみならず集合行為主体や運動主体の形成が必要かつ重要となる。こうしたことを踏まえたうえで、地域福祉(住民)の主体形成を促進する福祉教育実践の内容や方法について具体的に検討することが肝要となる。(運動主体の形成と福祉教育のあり方に関しては、拙稿「運動主体形成と市民福祉教育」阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、70~81ページを参照されたい。)

4 「大橋福祉教育論」に対する批判
以上が、「社会福祉問題」と「主体形成」の鍵概念を中心にみた「大橋福祉教育論」の概括である。こうした大橋の所説に対してこれまで、「地域福祉と福祉教育」を説く地域福祉研究者からの系統的な批判はあまりみられない。それは、大橋の所説が一定の理論体系を作り上げていることによるが、大橋のそれが「福祉教育原理論」として前提され、そのうえで立論されていることにもよるといってよい。そういうなかで、生涯学習やESD(持続可能な開発のための教育)の研究者である松岡廣路が、論文「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」(『持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習(日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要)』第14号、2009年11月、8~23ページ)において、大橋の所説に批判的考察を加えている。
松岡の大橋批判は、大橋の福祉教育の定義は「汎用的であるがゆえに、同時に、脆弱性を併せもっている」。「脆弱性を項目化すると、<未分化な学習者像>、<社会福祉活動の内実の曖昧さ>、<楽観的な社会形成ビジョン>、<教育概念の曖昧さ>と約言できる」(13ページ)、というものである。そして、松岡は、「脆弱性の高い『福祉教育』の定義に基づいてしまうと、時代の大きな物語に押し流され、重要と思われる要素が外延化され、体制的要素を内包とする対象化(理論化)と実践化が、当然のごとく進んでいく。福祉教育が、現実と理想の拮抗関係の中に位置することを意識し、従来の枠組みを等閑視しないという批判的な姿勢を保つことが、今まさに重要である」(16ページ)として、「批判的創造性」の観点の必要性と重要性を説いている。松岡の批判は必ずしも、「大橋福祉教育論」をその理論的体系化の過程も視野に入れて、総合的・体系的に行うものにはなっていない。とはいえ、「社会的・福祉的課題の解決に不可欠な『批判的創造性』が、実践における学びの目標・内容(いわゆる『学びのベクトル』)から排除されている」(16ページ)という指摘は、首肯されるところである。(この点に関しては、例えば、拙稿「“いつか来た道” を憂う―「戦時厚生事業」の再考を求めて―」2014年4月1日投稿、などを参照されたい。)

5 「大橋福祉教育論」再考のための枠組み
ある理論や所説を、内在的にしろ外在的にしろ批判的に考察するためには、その枠組みを構造的に捉え、それを主体的に再構成することが求められる。その点において、「大橋福祉教育論」を超える新たな福祉教育論の理論的枠組みを構築し、新たな実践方法を創造するためには、先ずはいま一度「大橋福祉教育論」の理論的枠組みの構築化の過程を時系列的に把握するとともに、その枠組みの構造を総合的に理解する必要がある。そこで、以下では、そのためのひとつの方法として、大橋が行った福祉教育についての2つの「講演」からそのレジュメの枠組みと項目をみることにする。日本福祉教育・ボランティア学習学会の第2回大会と第10回大会での講演である。

(1)福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題
(第2回大会・基調講演/1996年11月23日/日本社会事業大学)

地域づくりや地域福祉の主体「形成」は、福祉「教育」やボランティア活動(ボランティア「学習」)が推進されればそれで可能になるものではない。それは、子ども・青年や成人などの地域住民が、地域の社会福祉問題の本質を科学的に理解・分析し、変革的・創造的に問題解決を図ることのできる“力”を獲得し、しかもそれを具体的・現実的に行使することによって初めて可能となる。その主体形成ができなければ、福祉を学ぶことやボランティ活動は単なる「善行」にとどまり、無批判的で体制適応(順応)的な住民主体を形成することになる。福祉教育は「両刃の剣」になりかねない、といわれるところである。
そういう意味からも、上記の枠組みと項目のなかから、ここではとりわけ「形成と教育と学習」について留意しておきたい。それは、上述の松岡が、大橋の定義は「意図的な活動」と明記されていることからも「福祉教育が、ややもするとフォーマルな教育が中心であるとの理解(誤解)を許す脆弱性を有している」(15ページ)と指摘する点に関わることである。
大橋の指摘を俟つまでもなく、福祉教育を進めるにあたっては、その対象である子ども・青年あるいは成人などの「学習者」の発達特性や発達課題、学習者が置かれている状況などを理解すること(「学習者理解」)が重要となる。それは、「人格発達論」(「人間発達論」)にまで深められなければならない。そのうえで、子ども・青年や成人の、地域づくりや地域福祉の「形成」と「教育」と「学習」との関係を改めて考えてみる必要がある。
宮原誠一によると、「形成」は、人間の社会的生活における自然成長的な過程として捉えられる。それが豊かであることによってはじめて、組織的体系的な制度であり、目的意識的な過程としての「教育」が成り立つ。換言すれば、人間の「形成」の過程を、それぞれの時代の社会、政治、経済、文化の必要に基づいて「望ましい方向」に制御しようとする人間の努力が「教育」という営為である。宮原にあっては、広義の「教育」は「形成」と呼ばれるべきであり、学校教育や社会教育などの狭義の「教育」は「形成」を前提とする。すなわち、狭義の「教育」は、人間の「形成」のうちにあるひとつの営為であり、「形成」の過程に内包されるひとつの要因に過ぎない。
「形成」は、人間が社会的生活そのものによって“形づくられる”過程である。それは、第一次的には社会的・自然的環境によって行われる。とすれば、「形成」は「学習」なしには成り立たず、「学習」は「形成」に不可欠なものとして位置づけられる。そこから、「形成」と「教育」の関係は、「学習」と「教育」の関係になる。その関係について、勝田守一は、「学習のないところに教育はない」「教育は学習の指導である」という。勝田にあっては、「形成」にはその前提として「学習」があり、「形成」は自己の希望や意欲による目的意識的な営為である。従ってそれは、「自然成長的」(宮原)ではない(佐藤一子・ほか「宮原誠一教育論の現代的継承をめぐる諸問題」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第37巻、東京大学、1997年12月、311~331ページ。宮崎隆志「教育本質論における宮原誠一と勝田守一の差異について」『北海道大学大学院教育学研究科紀要』第83号、北海道大学、2001年6月、1~24ページ、等参照)。
いずれにしても、宮原と勝田の「形成」「教育」「学習」などをめぐる「教育」の概念や本質についての再検討は、福祉教育やボランティア学習の概念把握や本質理解に対してひとつの視座やアプローチの仕方を与えてくれるであろう。地域づくりを担う子ども・青年や成人などの多様な実践・運動主体の育成・確保が求められ、市民活動や教育活動のあり方が厳しく問われている今日、その再検討の意義は大きいと考えられる。それは、宮原と勝田は、「連帯」の概念を基底に地域を捉え、勝田は「自立と連帯」の場として地域を理解する。そのうえで、“地域づくりと教育実践(地域教育計画)”について言及するからでもある。

(2)学会の新たなる10年に向けて~福祉教育・ボランティア学習学会の今後の課題―学会創設10年の総括~
(第10回大会・総括講演/2004年11月28日/神奈川県立保健福祉大学)

学校は、「学習者」(生徒)と「指導者」(教師)、その両者を媒介する「教材」(教育内容)によって構成される。そこでの教育活動は、教科活動と教科外活動(道徳、特別活動、総合的な学習の時間)、学習指導と生活指導という2つの領域や機能に分けられる。また、教科活動と教科外活動、学習指導と生活指導はともに、学校や教育活動の理念や目的・目標を達成するうえで重要な機能を果たすものであり、学校教育において重要な意義をもつ。教育の理念や目的・目標の明確化なくして、学習者の主体的・創造的な学習活動や指導者の意欲的・積極的な学習・生活指導は促進されず、教育の成果を期待することはできない。そこから、教育の「理念・目的・目標」は、学校や学校教育の構造を成す重要な内部要素であるといえる。そして、「理念・目的・目標」「学習者」「指導者」「教材」は、相互に作用・影響し合い、相乗効果を生み出すものとして存在する。
こうした認識に立って、以上の枠組みと項目から、ここでは「福祉教育の構造」に関する研究・実践課題について一言する。
管見によれば、福祉教育は、(1)理念・目的・目標、(2)学習者、(3)指導者・支援者、(4)素材・教材、(5)教育内容・方法(評価を含む)などによって構造化される(「福祉教育の構造」)。それらの構成要素のうち、例えば(1)については、福祉教育(「市民福祉教育」)は、「自立(independence)と自律(autonomy)、共働(coaction)と共生(symbiosis)」という理念のもとで、「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図る」ことを目的とする。福祉教育は、そのために、地域の「社会福祉問題」を発見・理解・解決するための横断的・重層的な実践プログラムを開発・編成し、地域を基盤とした総合的・複合的な「地域をつくる学び合い」(東京都生涯学習審議会答申「地域における『新しい公共』を生み出す生涯学習の推進~担い手としての中高年世代への期待~」2002年12月)の支援を行う教育営為である、といえる。
そう考えたとき、(2)に関しては、「子ども・青年」のみならず、「成人」(中高年世代)の状況について分析・理解すること(「学習者理解」)。(3)に関しては、求められる資質・能力や知識・技能とは何かを探究し、その育成・向上を図ること(「指導者・支援者育成」)。(4)に関しては、学習者の問題意識や学習意欲を喚起し、教育(学習)目標を達成するために、身近な地域・生活「素材」(具体的事象)を掘り起し、「教材」化すること(「教材開発」)。(5)に関しては、地域(「地元」)や「まちづくり」に焦点をあてたカリキュラムやプログラムを開発・編成し、実施・展開、評価すること(「プログラム編成」)、などが求められる。これらは、福祉教育における普遍的な課題でもあるが、人権侵害や立憲主義・民主主義・平和主義の後退、福祉や教育の改悪・切り捨てなどが激しく進行するいまこそ、福祉教育を体制内的な教育営為にしないためにも、自律的・批判的・創造的に取り組むことが求められる重要な研究・実践課題であるといえよう。
周知の通り、教育の形態は大きく次の3つに分類される。(1)定型教育(formal education:制度化された学校において、構造化されたカリキュラムに基づいて教師と生徒の関係によって展開される教育。学校教育など。)、(2)不定型教育(non-formal education:学校の教育課程として行われる教育の外部において、一定の学習者に対して、ある学習目的を達成するために意図的・組織的に行われる教育。社会教育など。)、(3)非定型教育(informal education:日常的な生活経験(体験)や環境によって、知識や技能などを習得する無意図的・非組織的な教育。家庭教育など。)、がそれである。
福祉教育はこれまで、学校における福祉教育を中心にしながらも、学校外における福祉教育、成人を対象とした社会教育における福祉教育等の多様な分野で実践展開が図られてきた。具体的には、家庭や学校をはじめ、社協や公民館、福祉施設、民生委員・児童委員、NPO・ボランティア団体、自治会・町内会、企業、その他の関連施設・組織・団体などが、多様な“機会”や“場”を設けて福祉教育に取り組んできている。これまでの経過や現状・実態を踏まえると、福祉教育は、子ども・青年や成人などの地域住民を対象に、フォーマル、ノンフォーマル、インフォーマルの3つの形態の教育活動を相互に媒介し、関連づけ、学校や地域などで展開される多様な教育活動として構造化されることになる。「福祉教育の構造」について検討し、その再構築を図るに際して、上述の5つの構成要素とともに留意すべき点である。(「追記」のマトリックス図を参照されたい。)

むすびにかえて
大橋は、「教育と福祉」に関する初期の著作『地域福祉の展開と福祉教育』のなかで、「本書は、学術論文というよりも実践的研究書という方があたっているかもしれない。筆者の問題関心は、教育と福祉における“問題としての事実”に学びつつ、問題、課題をどう実践的に解決するのかという点にある」(「まえがき」)と述べている。この「実践的研究」の姿勢は、その一貫性を保ちながら「大橋福祉教育論」を深化・体系化させていく。
いわれるように、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別される。前者は仮説探索型の研究であり、後者は仮説検証型のそれである。この両者を循環的に組み合わせ、相互作用を引き起こすことによって、実践性と科学性を備えた、さらにはそれらを統合した研究と理論構築が可能となる。「大橋福祉教育論」を再考し、新たな福祉教育論を展開するに際して留意すべきひとつの視点・視座である。
改めていうまでもなく、上記の大橋「講演」の枠組みは壮大である。同時にそれは、幅広く奥深い「大橋福祉教育論」再考に向けた多様な視点・視座とアプローチの方向性を示すものでもある。「理論」(所説)は新たな時代や現実によって不断に凌駕され、更新されていく。「大橋福祉教育論」が「福祉教育原理論」としてその普遍性と不変性を今後も保持し続けるか否かの評価についてはひとまず置くとして、「大橋福祉教育論」をいかに継承し、新しく展開するかは福祉教育の実践者や研究者に課せられた大きな課題である。


大橋謙策先生の「教育と福祉」に関する実践と研究の経歴や業績等については、例えば(1)「大橋地域福祉論―その発展と継承(そのⅠ~そのⅥ)」『コミュニティソーシャルワーク』創刊号~第7号、日本地域福祉研究所、2008年5月~2011年6月。(2)『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月、が参考になる。

補遺
(1)大橋は、福祉教育とボランティア活動の関係性について、例えば次のように述べている。

ボランティア活動の契機・動機が(中略)自己満足的なもの、慈善的なものであったとしても、多くのボランティアはその活動を通して厳しいものの見方・考え方を修得していく。社会福祉一つとってみても単なる人のやさしさ、情熱だけでは解決できず、制度の確立と住民の協働がなければならない。ボランティアたちはそれらに関する意識を豊かにしはじめる。
社会福祉に関する意識は、知的理解のみではなかなか変容しない。社会福祉問題を抱えた人々との交流の中で、あるいはその問題解決の実践・体験の中で変容する。それだけにボランティア活動の推進は重要である。と同時に、福祉教育が求められる背景を解決するためにもボランティア活動を豊かなものにしなければならない。
(大橋謙策「福祉教育の構造と歴史的展開」一番ヶ瀬康子・小川利夫・木谷宜弘・大橋謙策編著『福祉教育の理論と展開』(シリーズ福祉教育1)光生館、1987年9月、74ページ。)

(2)福祉教育とその近似概念である「ボランティア学習」の関係性については、例えば長沼豊は次のように述べている。参考に供しておきたい。なお、長沼は、ボランティア学習は3つの構成要素から成るという。(1)ボランティア活動のための学習(目的としてのボランティア活動)、(2)ボランティア活動についての学習(対象としてのボランティア活動)、(3)ボランティア活動による学習(手段としてのボランティア活動)、がそれである。

福祉教育とボランティア学習は、ある実践では領域接近的に、ある実践では融合形として、ある実践は福祉教育の発展として(結果として)ボランティア学習がある、というように、重層的、輻輳(ふくそう)的に領域や方法が重なり合っているといえるだろう。(長沼豊『新しいボランティア学習の創造』ミネルヴァ書房、2008年12月、135ページ。)

(3)また、福祉教育とボランティア学習の「違い」と「関係」について、全社協の『新 福祉教育実践ハンドブック』では次のように述べられている。

福祉教育とボランティア学習は、(中略)双方とも人権尊重・異文化理解をベースに、共生文化・市民社会の創造を大目標に掲げる実践です。(中略)しかし概念的には、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがあるともいえます。(中略)
ボランティア学習の概念の中心に位置づけられる、「ボランティア活動に組み込まれている学び」という発想は、(中略)リアル空間での学びを強調するものです。(中略)安易な疑似体験や講話的な福祉教育への警鐘としてボランティア学習をとらえることこそが重要なのです。(中略)
現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されていますが、両者の特徴を総合することが求められています。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にあります。
(上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、32~33ページ。)

追記
「福祉教育の構造」をマトリックス図で示すと次のようになる。
11時30分

地域アイデンティティとまちづくり―自治基本条例と市民福祉教育(第3報)―

1 市民主権・市民自治の実現と「学ぶ権利」
関市では、2014年3月1日から31日の期間、「関市自治基本条例(素案)」についてのパブリック・コメント(Public Comment、以下「PC」と略す。)の募集が行われた。筆者(阪野)は、既述のように関市自治基本条例策定審議会委員の末席を汚したが、いい足りないこともあり、3月3日付で次のような管見を提出した。

関市自治基本条例(素案)の策定審議に関わられた策定審議会委員と市役所市民協働課等の皆様方に、先ずもって衷心より敬意と感謝の意を表させていただきます。
自治基本条例は「まちづくり条例」「市民参加・協働条例」等の基本的性格を有するものであるという認識のもとに、次の2点について管見を述べさせていただきます。ご検討願いたく存じます。

(1)独立条文として「学ぶ権利」保障の規定を設けるべきである。
市長がマニフェストに掲げる「市民主権・市民自治」を実現するためには、子どもから大人まで全ての市民を対象にした、関市の「まち」に関する理解・診断と「まちづくり」に関する「意識」「知識」「スキル」の醸成・育成が必要かつ重要となります。
素案には、「4 市民の権利及び役割 (1)市民の権利 ②」に「まちづくりに関して学習し、意見及び要望を提案できること。」という規定がありますが、この権利保障を担保する規定は必ずしも明文化されているわけではないと考えます。
ご案内のように、大垣市では2015年度から地元の歴史や文化、産業等を学ぶ「ふるさと大垣科」(仮称)が新設され、全小中学校で授業が開始されます。その内容等については不明であり、戦前の「郷土教育」が浅薄な愛国心の育成(「愛国心教育」)に繋がった“負の遺産”を持っていることには十二分に留意する必要があります。
その点を踏まえたうえで、次のような条文の加筆が求められると考えます。

4 市民の権利及び役割
(1)市民の権利
(2)学ぶ権利
1 市民は、まちづくりに関して、自ら考え行動するために学習することができます。
2 行政は、市民のまちづくりに関する学習の機会を確保するとともに、自主的な学習活動を支援します。

このように考えると、整合性を保持するためには、「4 市民の権利及び役割 (1)市民の権利 ②」の規定は、「まちづくりに関して意見及び要望を提案できること。」という規定になろうかと考えます。
なお、「学ぶ権利」の規定を独立条文として設けている市町村条例は少なくありませんが、「市民主権・市民自治」を掲げる関市においては必要不可欠な条文であることを重ねて申し述べます。

(2)「(5)市民活動及び市民活動センター」は「(5)市民活動センター」とすべきである。
「市民活動」は、自治基本条例の全条文に通底するものであり、この見出しには違和感を持たざるをえません。「市民活動及び」は削除すべきであると考えます。
「(4)地域委員会」「(5)市民活動センター」「(6)まちづくり市民会議」の設置・運営に関する規定は、極めて高く評価することができます。そして、この三つの機関・組織について三位一体の運営が推進されれば、「市民主権・市民自治」の実現が図られるものと考えます。
逆に言えば、そうでなければ「市民主権・市民自治」は画塀に帰すといえます。その点からも、自主的・自律的な「学ぶ権利」の独立条文規定は極めて重要なものとなります。

2014年4月21日、関市のホームページに「関市自治基本条例(素案)に対する意見の概要と市の考え方」(以下「PCの結果」と略す。)がアップされた。そこでは、筆者の愚見が次のように整理され、市の考え方が提示されている。

〈意見内容〉
独立条文として「学ぶ権利」を保障の規定を設けるべきである。市長がマニフェストに掲げる「市民主権・市民自治」を実現するためには、子どもから大人まで全ての市民がまちづくりについて学ぶ必要があります。素案には、「まちづくりに関して学習し、意見及び要望を提案できること」が規定されていますが、「学ぶ権利」を保障することが明文化されている訳ではないと考えます。「(1)市民の権利」の次に、「(2)学ぶ権利」として、「1 市民は、まちづくりに関して、自ら考え行動するために学習することができます。2 行政は、市民のまちづくりに関する学習の機会を確保するとともに、自主的な学習活動を支援します。」を追加することを提案します。
〈市の考え方〉
市民の権利に、まちづくりに関して学習することを規定しており、別に「学ぶ権利」を追加して規定することは考えておりません。まちづくりに関して学習することは大切であると考えますので、ご意見は今後のまちづくりの参考にさせていただきます。
〈案の修正〉
なし

〈意見内容〉
「(5)市民活動及び市民活動センター」を「(5)市民活動センター」とすべきである。「市民活動」は、自治基本条例の全条文に通底するものであり、この見出しに違和感を持たざるをみません。見出しから「市民活動及び」を削除するべきである。
〈市の考え方〉
この項目は、市民活動センターだけでなく、市民活動についても定めているため、項目名を「市民活動及び市民活動センター」にしていますが、ご意見は今後の参考にさせていただきます。
〈案の修正〉
なし

周知のとおり、PCは、住民の行政参加の促進と住民自治の拡充、行政運営の公正さの確保と透明性の向上などを図るための手続きである。「PCの結果」をみると、「意見等提出者数」8人、「意見等の総数」18件を数えるが、自治基本条例の基本的性格や制定の背景、意義などを考えたとき、意見提出が低調である。提出意見の「原文を一部要約し、また分割して掲載」されており、全文が公表されていない。そして、何よりも提出意見に対する回答がすべて「案の修正『なし』」である、ことなどが気にかかる。そこから、PC制度そのものが十分に周知・活用されず、形式的で正確・公正さに欠け、結果的には行政が住民を「説得」するための単なる手続きで終わっている、といえそうである。それ以前に、「PCの結果」に、自治基本条例の制定そのものに疑義をはさむ提出意見が散見されることから、自治基本条例に関する住民への情報提起や意識啓発が必ずしも十分なものではなかったのではないか、と思われる。唐突であるが、ここで、「無関心は地域社会を荒廃させるもっとも危険な心情のひとつである」(岩崎正弥・高野孝子『場の教育―「土地に根ざす学び」の水脈』農山漁村文化協会、2010年、18~19ページ)という一文を引いておくこしにする。住民と行政ともども留意すべき点である。

2 地域アイデンティティの再構築と地域の再生・復興
上記の岩崎正弥(愛知大学)は、その著作『場の教育』において、明治以降の近現代日本の学校教育の基調は成績重視の、「地元を捨てさせる教育」であった。一方、「明治後期の学校教育批判に端を発する新教育運動から、大正自由教育運動、農村教育運動、郷土教育運動、デンマーク型教育運動など」に共通する土台は「土地に根ざした教育」(Place‐Based Education)であった、と説いている(70ページ)。そして、こうした歴史と現在の「地元を知り、地元を愛し、地元を育てる学び」の実践を架橋し、地域と教育が手を携えて地域を再生する「地域再生学としての<場の教育>」(29ページ)の理念や可能性について論述している。その際、岩崎が「場所」ではなくあえて「場」という言葉を用いるのは、それを「<開かれ、生み出し、包み込む>という特質をもつ空間」として捉えることによるものである。
岩崎の「場の教育」の所説についてはひとまず置くとして、ここでは、前述のPCにいう「まちづくりに関して学ぶ権利」と「郷土教育」をめぐって一言述べておくことにする。
周知のように、郷土教育運動は、1930年代・昭和初期に隆盛するが、戦時体制化が進み、国民精神総動員運動がはじまる1937年を境に、当初の、郷土を正しく認識・理解し郷土の再生をめざす実践的な教育運動から、郷土愛を愛国心、「尽忠報国ノ精神」にまで涵養・高揚させることを目的とする観念的な精神運動に変質する。そして、それは、日本のファシズム体制の確立を促すことになる。
こうした歴史的認識を踏まえたうえで、岩崎の以下の言説に留意しておくことにする。地域(地元=郷土)を知り、地域を愛し、地域を育てる「教育」について考える際のひとつの視点を見出すことができよう。

郷土愛が国家愛に直結しないことは、郷土教育運動のなかでも指摘されていた。郷土を掘り下げることで、国体論が示す時空間とは別の時空間に立つことも十分ありえた。(93ページ)

郷土愛(Patriotism)というと評判が悪いけれど、本質的には郷土愛と国家愛(Nationalism)とは異なるものである。同じ土地に暮らす人びとを大切にし、その土地の歴史と文化を尊重し、その土地の自然環境を守り育てることが郷土愛であるはずだ。郷土愛は身近な具体的事象(人を含む)を対象とし、国家愛は抽象的な理念が必ず介在する。だから郷土愛は、自地域への誇りにかかわる地域アイデンティティ(Local Identity、以下「LI」とする)といいかえてもよいだろう。‥‥‥
郷土を知ることは、LIへの転化を促すのであろうか。郷土研究を通して詳細に自地域を知るとき、私たちの郷土に対する思いは変わるだろうか。私の考えでは、自分とは無関係な知識をいくら蓄積してもLIには転化しない。しかし地域事象が私たちの生活にどう影響しているのか、その中身を具体的に知ることができれば、その事象の身近さ度に応じてLIが育まれるだろう。いいかえれば、各地域事象の意味づけを行ない、私たちがその意味を理解するとき、腑に落ちるという体験とともに、事象が映し出す光景は一変するだろう。ここに至らないと知識偏重という謗りを越えることができない。(98~99ページ)
 
土地に根ざした教育とは、地域に学び、学びの主体が変えられ、今度は地域づくりの広い意味での担い手として、地域に働きかけ地域を変える。そして変わった地域から再び学び、自分の認識の更新を通して、その思いが再び地域にはねかえる。こうしたフィードバック・システムが繰り返されるところに、土地に根ざした教育の特色がある。この土地に根ざした教育のプロセスが<場の教育>である。(134~135ページ)

周知のように、2006年12月に公布・施行された新教育基本法には、「我が国の伝統と文化」「愛国心・郷土愛」「公共の精神」が強調されている。この規定は、国家による一面的な道徳観や価値観が押し付けられることによって、偏狭で閉鎖的な人間が育成される心配がある。とともに、復古的な国家主義や全体主義を基盤にした国家への奉仕が強要される恐れなしとしない。この点に十分に留意しながら、市民主権・市民自治の実現とそれによる地域の「変革」や「再生」を図るための主体(市民)を形成する教育のあり方が、 “いま” 問われている。筆者が本稿でいいたいのはこの点である。
中央・地方の財政難を背景に行政能力の強化を目的とした「平成の大合併」によって、地域アイデンティティの喪失が進んだ。東日本大震災と原子力発電所事故によって、地域生活が根こそぎ壊滅され奪われた。こうした事態に多くの人々が直面している “いま” こそ、地域の「再生」や「復興」のための、地域(地元=郷土)に根ざした新たな教育の創造と展開が求められるのである。

付記
「地域アイデンティティ」という言葉は、都市社会学や都市計画の分野などで1990年代後半以降に登場するようになったといわれている。例えば、都市社会学の観点から、松本康(1986年)は、「地域帰属意識」という用語を用いて、「ある人間が一定の地域に居住しているという客観的状態すなわち住民性に加えて、その地域社会に帰属する成員であるという主観的状態を示すもの」として捉えている。都市計画の分野では、金俊豪・藤本信義・三橋伸夫(1996年)らが、「地域アイデンティティ」(Local Identity)という用語を用いて、「心理学用語であるアイデンティティという概念を人間集団としての地域やコミュニティにまで拡大し、『個性』、『らしさ』あるいは『あるべき姿』などを指示するもの」として定義している。また、遠藤亮・中井検裕・中西正彦(2004年)らが、「地域帰属意識」(Community Consciousness)という用語を用いて、「地域帰属意識とは、ある地域に居住していると自覚するとともに、地域の目標や規範・価値観を受け入れ、その地域のために活動したいという意欲のこと」と定義している(城月雅大・園田美保・大槻知史・呉宣児「『まちづくり心理学』の創出に向けた基礎理論の構築―計画論と環境心理学の橋渡しによる地域再生のために―」『名古屋外国語大学現代国際学部紀要』第9号、2013年、31~47ページ)。