「ディスカッションルーム」カテゴリーアーカイブ

古川 彩/パレスチナのオリーブ

パレスチナのオリーブ

古川 彩


一粒の種
100本の木
10000粒のオリーブの実
オリーブの油
パレスチナ人の血を流れ
ガザの地を潤す

一粒の弾丸
100本のちぎれた手足
10000戸の消えた家族
クーフィーヤの抵抗
パレスチナ人が血を流し
ガザの地が枯れた

種を蒔いた
子どもの灰を撒いた
木を植えた
木が燃えた

あそこがわたしの畑です
指をさした
あそこで家族が身を裂かれました
手を合わせた

吹っ飛んだ我が家の跡で
袋に集めた瓦礫
「父さんの血がついてるんだ」

見開かれたままの黒い瞳
引き結んだ小さな口
少女たちは歌う
わたしたちはパレスチナ人
世界はわたしたちを
忘れてしまった

ホロコーストがライブ中継される
次の瞬間
勇敢な市民の腕とスマホが飛び散った
あまりに無惨な赤色に
思わずブラウザを閉じた
あまりに悲惨な空の下
祈り虚しく命を閉じた

「刺激的な映像が含まれています
ミュートしますか」
無機質な文字
世界にミュートされたオリーブの地で
叫ぶ有機の命の灯
世界がブロックした
彼の地の慟哭

ひっそりと消した
検索履歴
堂々と消えた
虐殺の歴史

地を焼き
知を燃やし
核を抱き
学を砕く

オリーブの油したたる
豊かな大地に
ジェノサイドの生き血が
染み込んでいく
世界の了解のもとに
命をひねりつぶす
昨日も今日も

一粒の種
100本の木
10000粒のオリーブの実
オリーブの油
パレスチナ人の血を流れ
ガザの地を潤す

一粒の真実
100本の報道
10000人の忖度なき声
クーフィーヤの誇り
パレスチナ人と笑みを交わし
ガザの地にオリーブが実る日

クーフィーヤ:パレスチナの伝統的スカーフ。

備考:この詩は、直接の加害者であるイスラエルに対する怒りもさることながら、今もリアルタイムで実行されつつある「虐殺」を見ないことにして暗黙の承認を与えている--あるいは「ひどいことをするもんだ」とコタツでお茶を飲みながらテレビのニュースを見、さてと、とスイッチを切って日常の生活に戻る--私たち一人ひとりの良心に向けられているのです。だからこそこれを読んだわたしは「パレスチナ人と笑みを交わし/ガザの地にオリーブが実る日」まで「10000人の忖度なき声」の一人でありたいと願うのです。(村上 進)


出典:古川 彩「パレスチナのオリーブ」『農民文学』第338号(2025,1)、日本農民文学会。
謝辞:転載許可を賜りました古川 彩さんと日本農民文学会に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所:田村禎章、三ツ石行宏


野尻紀恵/福祉教育の当事者としての子ども―子どもの生活課題を視野にいれて―












出典:野尻紀恵「福祉教育の当事者としての子ども―子どもの生活課題を視野にいれて―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会 研究紀要』Vol.23、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2014年7月、16~26ページ。
謝辞:転載許可を賜りました野尻紀恵先生と日本福祉教育・ボランティア学習学会に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所

老爺心お節介情報/第55号(2024年3月30日)

「老爺心お節介情報」第55号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

「老爺心お節介情報」第55号を送ります。
必要なら、周りの方に転送してくださっても構いません。

2024年3月30日  大橋 謙策

〇皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇本号は、ある明確な論題について論究する類のものではなく、長い間私の頭の中にもやもやしていたものを整理するために随想風に書いてみることにした。
〇昨夜というより、今朝(3月30日)方午前3時30分頃、例によってノンレム睡眠からレム睡眠に切り替わったのか眠れず、いろいろ考えていたことを体系的、理論的に説明できないものの、書き残しておいた方が後学の人のためになると考え、夜中にメモしたものを基に随想風に書くことにした。
〇この内容は、必ずしも実践者の方々には関心がないかもしれないが、少なくとも大学等の教員をしている人には読んで、考えて欲しいことである。

Ⅰ 「人を教えることは自分が育つこと」――社会福祉系大学院における研究指導論、研究方法論についての随想

〇ミルトン・メイヤロフは『ケアの本質』という本の中で、ケアすると言うことは相手の成長と同時に自分も成長する関係であると述べているが、“人を教える”という営みも同じである。
〇社会福祉系大学及び大学院は、教育研究組織が「講座制」でなく「学科目制」である。そこでは、余ほど意識しないと“教育・研究の再生産は縮小していく”と何回か書いてきた(「戦後社会福祉研究と社会福祉教育の視座」『戦後社会福祉教育の五十年』所収、ミネルヴァ書房、1998年、あるいは「社会福祉学研究方法と研究組織に関する小稿」『日本社会福祉学会ニュース第86号』所収、2021年3月)。
〇私が、日本社会事業大学大学院、東北福祉大学大学院で研究指導して博士の学位を取得した人が25名、修士の学位を取得した人が110名になる。この他、東京大学大学院、同志社大学大学院、淑徳大学大学院で、非常勤ながら研究指導した方々も多数いる。
〇それらの大学院生を指導していていくつかの類型化ができると思った。
〇第1のタイプは、大学院に来て、社会福祉の学びを深めたいし、できれば大学等の教育者・研究者になりたいのに、自分の研究テーマ、研究すべき社会福祉の理論課題が明確でなく、結果的に指導教員から与えられる課題、ヒントを基に自分の研究テーマを設定していった人々のタイプである。
〇このタイプの人の中には、ケアリングコミュニティ研究をしている大石剛史さん、イギリスの1601年慈善信託法を研究した松山毅さん、イギリスのボランタリーセクター研究をした宮城孝さんなどがいる。
〇この方々への指導は、ある意味、私自身が興味関心と研究の必要性を感じていながら、時間的にも、能力的にも一人では限界があり、その自分ができない部分を指導する院生に委ね、研究を進めてもらうというやり方である。
〇第2のタイプは、社会福祉学、社会福祉実践以外の領域を基盤に、自分の実践領域、研究領域と社会福祉学との“学際研究”を志してきた人々である。理学療法との関りを深めたいと考えた吉川和徳さん、廣島美保さん、建築学との関りでの瀬戸真弓さん、看護学との関りで野川とも江さん、本田芳香さん等がいる。
〇この方々への指導は、大学院生が有している他の領域の「土俵」に私自身が乗って、その分野の問題と社会福祉学との関係を深めていかないと指導できないので、“耳学問的”な側面も出てくるが、自分自身の視点、研究関心を拡げる機会になった。建築学の西山卯三先生の空間論と居場所問題、福祉機器の利活用とICFとの関係、保健・医療・看護・福祉のIPW、IPEなどについて見識を拡げることができ、後々それが生きてくることを実感できた。
〇第3のタイプは、大学院生自身は自らの関心、深めたいという課題、領域、事象を有しているが、それをどのように分析し、社会福祉学としての理論課題に昇化させたらいいのか悩んでいる人々である。
〇この方々には、取り上げる事象、問題をどういう風に分析し、構造化したら社会福祉学の理論課題を抽出できるかを指導した。その際に、その理論課題は一言でいえばどういう表現で表せるかを意識して取り組んだ。
〇玉木千賀子さんの「ヴァルネラビリティ」研究、崔太子さんの「ソーシャルサポートネットワーク」研究、越智あゆみさんの「福祉アクセシビリティ」研究、原田和広さんの「実存的貧困」研究などがそうである。
〇第4のタイプは、指導教員と同じフィールドに通い、関りのある自治体やその社会福祉協議会の実践・研究を「バッテリー型研究」を通して、新しいシステムを作り上げていく社会実証的研究スタイルである。
〇このタイプには、長野県茅野市での「福祉21ビーナスプラン」、「どんぐりプラン」を作り上げた原田正樹さんがいる。その際に、重要なのは、結果としてのタスクゴールだけではなく、プロセスゴールやリレーションシップゴールまでに関わることができるということが指導上大きな意味を持つ。
〇このように考えると、社会福祉学研究も、論文の最後の謝辞のところで指導教員の名前を載せて感謝するだけではなく、自然科学や大量的社会調査分野と同じように、共同研究者として、執筆者をファーストオーサーとし、アドバイザ-や指導をしてヒント等を提案した人をセカンドオーサーとして明記した方がいい時代が来たのかもしれない。

Ⅱ 第8回ホームカミングデーの際の原田正樹さんとの対談で示した先行研究及び研究スタイルを学んだ先生方――大橋謙策の研究枠組みと研究方法

〇去る2023年10月28日に行われた「第8回大橋ゼミホームカミングデー」の際に、原田正樹さんと対談を行った。その時の内容を覚え書き程度であるが、記録に留めておいた方がいいと思うので書く。
〇大橋謙策の研究枠組みと研究方法は、大きく分けて5つの柱からなっている。
〇第1の柱は、自分の理論を確立する上で、乗り越えるべき先行研究者は誰かという問題である。
〇論文を書くに当たって、いろいろ先行研究を学ぶが、自分が依拠し、乗り越える理論家、研究者は誰かということは、研究を志す者にとってとても重要な課題である。
〇私は、社会福祉学分野では岡村重夫であり、教育学、とりわけ社会教育学にあっては小川利夫であった(岡村重夫理論については「岡村理論の思想的源流と理論的発展課題」『岡村理論重夫の継承と展開 社会福祉原理論』ミネルヴァ書房、2012年、小川利夫理論については「「硯滴」に学ぶー不肖の弟子の戯言と思いー」『小川利夫社会教育論集第8巻 社会教育研究四〇年ー現代社会教育研究入門』亜紀書房、1992年を参照)。
〇研究者になる道は、自分のテーマ、研究課題に即して、誰のどの理論を乗り越えるべきかを早く掴むことが最も重要な道のりである。
〇第2の柱は、どのような研究方法を身に着けるかである。
〇我々が大学院で学んでいる時代は、研究者になるなら①その分野の原理、哲学、②その分野に関わる歴史研究、③その分野に関わる国際比較研究が出来なければ駄目だとよくいわれたものである。その教えには必死に対応しようとしてきたが、どういう研究方法を身に着けるかは、残念ながら教えてくれなかった。
〇筆者なりに開拓しようと思ったのは、社会教育学も社会福祉学も臨床的実践科学を軸にした統合科学(この用語は2000年に知ることになる)であるということを考え、現場に根差し、現場のニーズに応え、現場の実践を支援する理論仮説を提供できる研究者になろうと考えたことである。
〇結果的に、各地の自治体、社会福祉協議会、公民館をフィールドにして、そこで働く職員たちとの「バッテリー型研究」というスタイルを構築できた。この方法は、恩師の宮原誠一先生が教え子を各地の自治体に社会教育主事として送り込む実践的研究から学ぶところもあったし、次の柱で述べる恩師の小川利夫先生の実践者の組織化を行っていたことに示唆を得て、私なりに独自に作り上げたものである。
〇第3の柱は、実践者・研究者の組織化である。
〇小川利夫先生のこの点での組織化は大変素晴らしいものであった。実践家と“肝胆相照らす”関係を作り出し、様々な研究会を組織されていた。名称は定かでないが、「教育と福祉を語る集い」、「児童相談所セミナー」、「養護児童問題セミナー」等1970年代に精力的に組織し、現場で起きている問題を社会構造的に整理する研究方法には大変勉強させられた。研究会の後は必ずと言っていいほど“酒会”の場があり、そこでも談論風発の論議を行っていた。そばで見聞きし、時には“酒会”の“幹事役”や研究会の事務局を担うことで、研究者としても社会人としても大いに鍛えられた。
〇第4の柱は、大学教員としての社会活動、社会貢献活動である。
〇この分野では仲村優一先生、一番ケ瀬康子先生、三浦文夫先生、小川利夫先生などに憧れ、導かれて成長できた。
〇仲村優一先生には、日本社会事業大学の教員として日本社会福祉学会の会長、日本社会福祉教育学校連盟会長、日本社会事業大学学長、日本学術会議の会員になって、社会的に社会福祉学の社会的評価を高める活動をしなければ駄目だと言われてきた。一番ケ瀬康子先生も同様であるが、一番ケ瀬康子先生は、講演料の高いところにも行くが、時には活動を助成するために寄付金を置いてくるところにも出かけて、社会福祉の向上に努めなければならないと言われたし、小川利夫先生には、講演料を自分の生活費のために使うな、それは社会的に使えと、ことあるごとに言われてきた。三浦文夫先生には、様々な福祉財団などを紹介してもらい、その財団の助成先の選考委員、財団の評議員、理事などを勤めることの意味、意義、社会的役割について教えて頂いた。
〇このような、研究方法、研究枠組みの集大成として、私の第5の柱となる日本地域福祉研究所を1994年に設立した。
〇それは、実践と理論を循環させ、研究者の養成と組織化、実践家の組織化を図り、草の根の地域福祉実践の向上を図りたいと考えたからである。日本地域福祉研究所が毎年行った「地域福祉実践研究セミナー」もその目的の一つであった。このセミナーの分身といえる「四国地域福祉実践研究セミナー」、「房総地域福祉実践セミナー」は現在でも継続して行われている。
〇このような研究枠組みや研究方法が妥当性を持っているかどうかは他者の評価を得なければならないが、少なくとも私はこの柱を軸に60年間近く地域福祉実践・研究を行ってきたことは事実であり、後学者のためにここに記しておきたいと思った。

(2024年3月30日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野 貢/福祉文化・福祉教育・ボランティア活動―NHK社会福祉セミナーより―

NHK社会福祉セミナー
――福祉文化・福祉教育・ボランティア活動――

目 次

(1)児童福祉施設の役割と課題/1997年8月10日放送
(2)家庭福祉と福祉教育/1997年8月17日放送
(3)ボランティアの意義と役割/2001年1月7日放送
(4)福祉教育とボランティア活動/2001年1月21日放送
(5)児童福祉の制度と施設/2001年8月12日放送
(6)家庭福祉の重要性/2001年8月19日放送
(7)福祉教育とボランティア/2001年12月16日放送
(8)福祉ボランティアの意義/2003年3月2日放送
(9)青少年教育と福祉ボランティア/2003年3月16日放送
(10)福祉ボランティアの意義と役割/2004年2月1日放送
(11)福祉教育とボランティア活動/2004年2月15日放送
(12)福祉ボランティア活動とは/2004年12月5日放送
(13)福祉文化と福祉教育/2006年3月19日放送
(14)福祉環境づくりと福祉教育/2007年3月18日放送
(15)福祉文化と福祉教育/2008年3月23日放送
(16)福祉環境づくりと福祉教育/2009年1月4日放送

*   *   *

(1)児童福祉施設の役割と課題
(2)家庭福祉と福祉教育
NHK社会福祉セミナー/1997年8月-11月/1997年8月1日発行









(3)ボランティアの意義と役割
(4)福祉教育とボランティア活動
NHK社会福祉セミナー/2000年12月-2001年3月/2000年12月1日発行









(5)児童福祉の制度と施設
(6)家庭福祉の重要性
NHK社会福祉セミナー/2001年8月-11月/2001年8月1日発行








(7)福祉教育とボランティア
NHK社会福祉セミナー/2001年12月-2002年3月/2001年12月1日発行




(8)福祉ボランティアの意義
(9)青少年教育と福祉ボランティア
NHK社会福祉セミナー/2003年1月-3月/2003年1月1日発行








(10)福祉ボランティアの意義と役割
(11)福祉教育とボランティア活動
NHK社会福祉セミナー/2004年1月-3月/2004年1月1日発行









(12)福祉ボランティア活動とは
NHK社会福祉セミナー/2004年10月-12月/2004年10月1日発行





(13)福祉文化と福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2006年1月-3月/2006年1月1日発行





(14)福祉環境づくりと福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2007年1月-3月/2007年1月1日発行





(15)福祉文化と福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2008年1月-3月/2008年1月1日発行




(16)福祉環境づくりと福祉教育
NHK社会福祉セミナー/2009年1月-3月/2009年1月1日発行




木原孝久/“ 福祉 ” から “ 救済 ” へ

いつもお世話になっております。
コロナの5年間、私の50年にわたる思索の全てを見返し、まだ使えるもの、視点を変えたら使えるもの、もう他の発想に置きかえるべきものに分けた上で、改めてこれから何を中心に考えていくべきか検討してみると、特に目を引いたのが「救済」の発想でした。
そこでこの発想を12ページに簡潔にまとめるとともに、最近考え付いた発想も「救済」とうまく結びついたものに限って加えてみました。この発想をもっと発展させていきたいと思っていますので、もし興味を持たれた方は読んでみていただき、何かお考えになったことや、事例などありましたら、お知らせいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。

住民流福祉総合研究所/所長・木原孝久












阪野 貢/「民俗としての福祉」×「福祉教育の目的」―岡村重夫の「1976年論文」―

〇春が戻ってきた(内山節の「横軸の時間」)。筆者(阪野)は、定年を契機に、年金で生計を維持しながら、80坪ほどの農地で自家用野菜を育てる(「定年百姓」「年金百姓」になれるわけがない)家庭菜園者でもある。それが、「老人」(※)である自分の新たな生きがいやレクリエーションになっている。いまは、毎晩のように食卓に上がる“つみ菜”の春の香りを楽しんでいる。昨日(3月5日)は、春ジャガイモの植え付けをおこなった。

※民俗学者の宮田登(みやた・のぼる、1936年~2000年)は、『老人と子供の民俗学』(白水社、1996年3月)で、〈おい〉には「盛りを過ぎた」という語感がある〈老い〉と、「追加する」というイメージがある〈追い〉の二つがある。落ち目になっていくというマイナスの〈おい・老い〉を意味する前に、プラスイメージの〈おい・追い〉があった、という(5~6ページ)
※農(百姓仕事)は季節による単純な繰り返しの作業ではなく、自然を相手にした繊細で創造的な仕事である。アメリカの精神科医で老年学者のジーン・コーエンは、『いくつになっても脳は若返る』(野田一夫監訳、ダイヤモンド社、2006年10月)で、「創造性」は年をとるとより一層深まり、豊かになり得る。ガーデニングは「小さな創造性」が発揮しやすい分野である、という(225、227ページ)。

〇筆者の手もとに、安室知(やすむろ・さとる)の『都市と農の民俗―農の文化資源化をめぐって―』(慶友社、2020年2月)という本がある。この本では、「現代日本における農の存在意義について、生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度から捉え直し」ている。その際の切り口は、都市や農村における「農の文化資源化」である。「文化資源化」とは、「人が遺伝的に獲得したもの以外のすべてを文化とし、それを何らかの目的をもって資源として利用すること、および利用可能な状態にすること」をいう。安室にあっては「現代民俗学においては、文化資源化は避けて通ることができない問題である。現代において民俗伝承とされるものは、程度の差こそあれ、商品化や観光化など何らかの形で資源化されているといってよい」(9ページ)ここで筆者は、都市における「市民農園」とともに、無農薬・有機栽培野菜の商品化やグリーン・ツーリズム(農山漁村地域における滞在型の交流・余暇活動)、棚田のオーナー制度や観光などを思い出す。
〇筆者が暮らす岐阜県S市は、700年以上の伝統をもつ“刃物のまち”として知られている。まちには何故か、喫茶店と寿司屋が多い(筆者にはそう思える)。住民には、労働に追われることから、また家事時間の削減を図るために喫茶店で「モーニング」の朝食をとり、夕食を外食ですませる習慣があるのであろうか。それは、S市の刃物産業は部品製造業者と工程加工業者による社会的分業体制が採られていることから、零細企業や家内工業が多いことによると思われる。また、喫茶店や寿司屋は、コミュケーションや接待・商談の場となっているのであろう。
〇喫茶店の「モーニング」といった“日常の実際の暮らし”“人間の生”を民俗学の視点で探り、それを「ヴァナキュラー(vernacular)」と称して、「現代民俗学」(「現代学」としての民俗学)の研究対象とする本がある。島村恭則(しまむら・たかのり)の『みんなの民俗学―ヴァナキュラーってなんだ?―』(平凡社、2020年11年)がそれである。この本で、島村は、「ヴァナキュラー(俗)」について次のように定義づけている。「民俗学とは、人間(人びと=〈民〉)について、〈俗〉の観点から研究する学問である」。その際の「〈俗〉とは、①支配的権力になじまないもの、②啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの、③「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの、④(支配的権力、啓蒙主義的合理性、普遍主義、主流・中心意識を成立基盤として構築される)公式的な制度からは距離があるもの、のいずれか、もしくはその組み合わせのことをさす」(16、31ページ)。
〇別言すれば、〈俗〉とは、「対覇権主義的、対啓蒙主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的、対公式的な観点を集約的に表現したもの」(30、107ページ)である。それらの観点を持ち、それらの世界を研究対象とするのが「民俗学」である。島村によると、こうした観点や志向は、「日本の民俗学の基底部に確実に存在している」(29ページ)。なお、「覇権」とは「強大な支配的権力」(20ページ)を意味し、「啓蒙」とは「非合理的な世界にいる無知蒙昧な人を、明るい世界に導いて賢くすること」(17ページ)、「普遍」とは遍(あまね)く通用すること、を意味する。
〇周知の通り、「日本民俗学の創始者」と言われる人に柳田國男(やなぎた・くにお、1875年~1962年)がいる。その柳田民俗学に対して批判的な論陣を張る民俗学者に赤松啓介(あかまつ・けいすけ、1909年~2000年)がいる。筆者の手もとに、赤松の『差別の民俗学』(筑摩書房、2005年7月)という本がある。赤松は例えば、次のように批判する。「柳田系民俗学の最大の欠陥は、差別や階層の存在を認めようとしないことだ。いつの時代であろうと差別や階層があるかぎり、差別される側と差別する側、貧しい者と富める者とが、同じ風俗習慣をもっているはずがない。差別する側、富める者は、どうすれば自分の優位を示せるかを、いつの場合でも最大の関心にしている」(165ページ)。
〇赤松にあっては、民俗学は、伝承(「口頭伝承」「民間伝承」)や民俗に内在する階級性や差別論理と切り結び、それを読み解くことに意味があり、避けがたい必然がある。そして、日本社会の重層的な差別構造を見据えて、「解放の民俗学」を標榜し、「実践の民俗学」に執着する。赤松はいう。「一般の民俗学と、私たちの民俗学はどこが違うのか。権力や行政の民衆支配に協力するための調査、学術的研究のためという学閥的、また立身出世型のタネ探し、そうしたものがこれまでの民俗学であったといえる。(中略)解放の民俗学は、立身出世や金儲け、憐憫(れんびん。情けをかけること)などとは無縁のものである。あらゆる底辺、底層からの民俗の堀り上げ、掘り起こし、その人間性的価値の発見と、新しい論理、思考認識の道を開くということであろう。しかし、それは今後においても、とうてい平坦な道ではありえないのである」(116~117ページ)。
〇例によって唐突であるが、ここで想起されるものに、岡村重夫(おかむら・しげお、1906年~2001年)の論稿「福祉と風土―民俗としての福祉こそ基底―」がある。日本生命済生会社会事業局発行の雑誌『地域福祉』1976年3号(通巻121号)、1976年7月、4~9ページに掲載されている。岡村がそこで指摘することは、「われわれの社会生活や個人意識は、強く日本の風土によって規定される事実、従ってまたその共同生活を基盤とする社会福祉も、日本特有の風土性をもつという事実」(6ページ上段)である。
〇岡村はその論稿で、「民俗としての福祉」について概念規定はしない。ただ、福祉を「生活の次元」で捉えれば、福祉は風土によって規定され伝承された共同生活上の「生活の知恵」「生活の工夫」であり、「風土の産物」である、とする。次の一節を引いておく。

福祉とは、すぐれた人々の日常生活上の困窮に対する地域住民の共同的な援助に由来するものであると考えるならば、それは、人々の日常生活のいとなまれる環境、すなわち歴史的であると同時に空間的、自然的な風土との関連を無視することはできないであろう。社会福祉は政府の政策である以前に、すでに生活者が共同生活を守るために工夫した、いわば「生活の知恵」であった。(4ページ下段~5ページ上段)

主として輸入文化に支えられた官製社会福祉や専門家の社会福祉論と、民俗としての社会福祉も、また二重構造的に考えられるけれども、重要なことは、民俗としての福祉こそが基底となって、その上に社会福祉政策や社会福祉文化が消長するということである。福祉の風土とは、まさしくこの基底部分であると考えられる。そしてこの基底部分が掘りくずされ、分解しないためには、外来の上部構造に対して、生活者の見解を対置させ、近視眼的な専門家や法律を鋭く批判しなければならない。(9ページ下段)

〇古くは一番ケ瀬康子(いちばんがせ・やすこ、1927年~2012年)の指摘(「社会事業諸技術の文化的基盤」『社会事業』1958年2月号、全国社会福協議会)を引用するまでもなく、欧米の社会福祉やソーシャルワークの理論や思想、価値や倫理については、直輸入的に摂取し定着を図るのではなく、日本の文化や風土、日本人の国民性、社会構造や生活環境の特質などを十分に踏まえた日本的展開が求められる。ここで思い起こしておきたい。安易な輸入理論や思想(なかでも周回遅れのそれ)への依存には、十分注意すべきである。
〇ところで、「1976年」と言えば、岡村重夫の「福祉教育の目的」と題する論稿を思い出す。それは、伊藤隆二・上田薫・和田重正編著『福祉の思想・入門講座 ③福祉の教育』(柏樹社、1976年4月)の13~36ページに収められている。そこで岡村は、「福祉教育」は社会福祉の専門的知識や技術をもった福祉事業従事者を養成する「福祉専門教育」ではなく、一般市民の地域社会における福祉問題や社会福祉に対する関心を高めるものである(「福祉一般教育」)として、次のように述べている。

福祉教育の目的は、単に現行の社会福祉制度の普及・周知や「不幸な人びと」に対する同情をもとめることではなくして、社会福祉の原理ともいうべき人間像ないしは人間生活の原点についての省察を深めることであり、この省察にもとづく新しい社会観と人類文明の批判をも含まなくてはならないであろう。さらに言うならば、このような新しい社会観や生活観にもとづく具体的な対策行動の動機づけによって、福祉教育の目的は完結するものである。(19~20ページ)

〇そして、岡村にあっては、「真の福祉教育の目的」は具体的に以下の3点に集約される。そのなかで岡村は、次のように厳しく指摘する。福祉教育において「外在的な社会制度の欠陥を指摘する場合に、自分の内面的な偏見や人間観を自己批判することなしに、(あるいは)ひとの内面的文化を問うことなしに、単なる同情心や恩恵をよりどころとした『外面的福祉』の世論を造成することは、(それが)実現すればするほど福祉サービスの対象者は『気の毒なひと』として一般社会から疎外される結果になり終わり、福祉教育の目的は自己矛盾に陥らざるをえない」(34ページ抜き書き)。いまだに観念的な「福祉の心」や「思いやりの心」を育成する福祉教育が叫ばれ、その表層的な実践が展開されているなかで、改めて強く認識すべき指摘である。

(1)福祉的人間観の理解と体得
社会福祉は、その根底において独自の人間観に支えられねばならない。社会福祉の人間観は、社会的=全体的=主体的=現実的存在としての人間像である。この人間像の基礎にある仮説は、すべての個人が生活者であり、生活はいかなる場合にも、自己自身を貫徹してやまないということである。社会福祉の人間観は、抽象的に、あるいは観念的に「人格の尊厳」を主張するのではなく、具体的な生活者としての個人の重み、生活の重みを主張するものである。(31~32ページ抜き書き)
(2)現行社会制度の批判的評価
現在の社会制度によって福祉的人間性を無視せられ、そのような人間像による自己実現を妨げられている個人の生活実態を明らかにしなくてはならない。福祉教育の目的は、現行の社会制度から疎外され、「社会的・全体的・主体的・現実的な人間像」実現の機会を奪われている人が、どこに、またどれだけいるかを認識させることでなくてはならない。このことによって、福祉教育は、単なる人間観の教育よりすすんで具体的な教育目標をもつことができる。(33ページ)
(3)新しい社会福祉的援助方式の発見
福祉は本質的に社会福祉である。その「社会」とは、対等平等の個人によって形成される共同社会(コミュニティ)であり、社会福祉は、「慈善」や「施し」ではなくて、対等平等の個人が相互に援助し合う相互援助を本質とする。対等平等の個人が、全体的な自己実現の機会を提供されるように組織化された地域共同社会において、人びとはサービスの客体であると同時に主体にもなりうるような相互援助体系こそ、福祉的人間観から発展する新しい社会福祉体系である。その体系のなかで社会の果たすべき責任と個人の果たすべき責任とを明確にすることが福祉教育の第三の目的である。(35ページ抜き書き)

〇「民俗としての福祉」は、岡村の着想を手がかりに、今後洗練されるべき「形成途中の概念」(岡田哲郎)であると評される(福山清蔵・尾崎新編著『生のリアリティと福祉教育』誠信書房、2009年3月、180ページ)。また、「生活主体者の論理」を強調する岡村理論には、地域福祉の主体形成や福祉教育についての論究がほとんどみられないと言われる。そんななかで、「生活の知恵」「生活の工夫」としての「民俗としての福祉」という概念の明確化を図る。個人の社会生活の実態を生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度や位相から捉え直す。そして、それを基底として地域住民の「相互援助の地域共同社会」に対する理解やそれに基づく行動のあり方を問う。それがいま、「福祉教育」実践や研究に改めて求められるひとつの歴史的・社会的視点や認識であろう。岡村の「民俗としての福祉」と「福祉教育の目的」の「1976年論文」は、その点においても注目すべき論稿(論考)である。「民俗としての福祉」と「(市民)福祉教育」の親和性・関連性に留意したい。
〇「人間(「民」)が遺伝的に獲得したもの以外はすべて文化」であり、「俗」である。それゆえに、民俗学はすべての学問の基底に位置づく。民俗学は非普遍や非主流、非中心などの民俗事象を研究対象とする。それゆえに、民俗学は「グラスルーツ(草の根)の学問」とも呼ばれる。また民俗学は、普遍や主流、中心などとされる側の基準によって形成された知識体系を相対化し、それを乗り越える知見を生み出そうとする学問である(島村恭規、30、256ページ)。「民俗としての福祉」の延長線上に「福祉民俗学」が構想されるとすれば、それは一面においてこうした民俗学に通底するものであろう。そしてそこに、生活主体者としての一般市民に対する福祉教育の新たな論理が見出される、あるいは見出すべきであろう。
〇なお、「福祉民俗学」を提唱するひとりに柴田周二(しばた・しゅうじ)がいる。柴田にあっては、「『福祉民俗学』を提唱する主たる理由は、福祉文化の基礎としての自立と協同の人間関係の根底に存在する、福祉をうけることを権利とする個人の協同を支える小集団をいかに形成するか、あるいはそれが形成されるための課題は何かを探究することである」(『福祉文化研究』Vol.24、日本福祉文化学会、2015年3月、63ページ)。別言すれば柴田は、「福祉社会を支える福祉文化の基礎を個人の自立と協同の人間関係とそれを支える小集団の形成に求め、福祉文化のあり方を、制度面だけでなく、人々の生活態度の面から考察する学問を『福祉民俗学』として位置付け、その方法と課題について」考察する(『人間福祉学研究』第10巻第1号、京都光華女子大学、2017年12月、8ページ)。
〇また、六車由実(むぐるま・ゆみ)は、「介護現場は民俗学にとってどのような意味をもつのか?」、「民俗学は介護の現場で何ができるのか?」という二つの方向性から問題提起をしようとして「介護民俗学」を掲げる。その際の問題意識のひとつは、「民俗研究者が地域で行っている聞き書きや調査が、地域の高齢者の介護予防につながる地域資源になりうるのではないか」ということにある(『驚きの介護民俗学』医学書院、2012年3月、6、227ページ)。本稿の最後に、六車の次の一節を引いておくことにしたい。

これまで民俗学は、地域の民俗の保存とそれを使った地域活性化という点で、地域づくり、まちづくりには積極的に関わってきた。高齢化がますます進み、在宅介護が地域における切実な問題となる今後は、このように高齢者が地域で暮らしていくことを支える介護予防事業に関わっていくことが、実践的な学問である民俗学に対して求められていくのではないだろうか。/だが、一方で私は、「介護予防」という言葉に少なからぬ違和感を覚えている。/介護予防という言葉には、介護は予防されるべきもの、という考え方が露骨に反映されている。/要介護状態になることは人間にとっては誰しもが迎える普遍的なことであり、(中略)介護を問題化するのではなく、介護を引き受けていく社会へと日本社会を成熟させていく(ことが必要である。)/そこで私は、「介護準備」という言葉を使ってみたい。(227~228ページ)

謝辞
本稿を草するに際しては、日本福祉大学の副学長・原田正樹先生と付属図書館にご高配を賜った。記して感謝申し上げます。

高等学校福祉教育方法・教材開発研究会「新学習指導要領に基づく福祉系高等学校の教育実態に関する調査研究」

(1)高等学校福祉教育方法・教材開発研究会「新学習指導要領に基づく福祉系高等学校の教育実態に関する調査研究」(ダイジェスト版/2020年3月)

(2)高等学校福祉教育方法・教材開発研究会「新学習指導要領に基づく福祉系高等学校の教育実態に関する調査研究」(完全版抜粋/2020年3月)

付記
本「報告書」をアップさせていただく際には、三重県立伊賀白鳳高等学校の鈴木幹治先生に格別のご指導とご高配を賜りました。記して感謝申し上げます。

矢幅清司「高校福祉科教育に関する資料」(平成7年度~平成22年度)

第01回(1995年度)/第02回(1996年度)/第03回(1997年度)/
第04回(1998年度)/第05回(1999年度)/第06回(2000年度)/
第07回(2001年度)/第08回(2002年度)/第09回(2003年度)/
第10回(2004年度)/第11回(2005年度)/

第12回(2006年度)/第13回(2007年度)/第14回(2008年度)/
第15回(2009年度)/第16回(2010年度)/

備考
上記の文字列をクリックすると、PDFファイルに保存されているそれぞれの資料が表示されます。

参考
〈ディスカッションルーム〉
(64)高校福祉科教育の原点に立ち返る:教師の思いと願い―資料紹介―/2016年11月24日/本文