「ディスカッションルーム」カテゴリーアーカイブ

社協の今後のあり方を問う―市社協の協業経営体化と地区社協のNPO法人化―

社協活動は「福祉教育に始まり福祉教育に終わる」といわれます。「市民福祉教育」の考え方に共感する者ですが、社協の今後のあり方についてどのように考えておられますか?

当研究所のブログ読者から上記のようなコメントをいただきました。
「社協の今後のあり方について」、とりわけ市町村社協が重点的に取り組むべきであろう点をめぐって、新味のないことですが、あえてスローガン風に述べてみました。説明不足の感は否めませんが、含意をおくみとりいただければ幸いです。

(1)公共性と実効性、透明性を担保する組織体制や経営・事業体制の改善・整備をすすめ、責任体制が明確化された、地域に開かれた社協へ
(2)行政の事業下請けや財政依存から脱却し、行政や市民活動団体等との対等なパートナーシップのもとに事業・活動を推進する自立・自律した社協へ
(3)地区社協のNPO法人化を促し、その地域の特産品や高級品としての事業・活動の推進を図る、小地域に根ざしたコンビニ型・専門店型の地区社協へ
(4)近隣の市町村社協との相互連携・協働体制を構築し、効率的かつ効果的に諸事業・活動を展開する協業経営体・広域連合体としての社協へ
(5)社協役職員の意識改革と資質・能力の向上を図り、明確な使命や経営理念のもとに新しい事業・活動を開拓・創造するコミュニティソーシャルワーカーへ

付記
京都市の社協は、市域(市社協)、区域(区社協)、学区(学区社協)の3層構造をもっています。上京区の「春日住民福祉協議会」は、1973年に設立され、全国的にも早い時期から住民主体の福祉のまちづくりに取り組んでいます。 2003年にはNPO法人化を図って、住民参加・協働による地域福祉活動の積極的・組織的展開を推し進め、近年では「自治・福祉・防災の三位一体」という新たな活動の視点を唱えています。

ご参考までに次の文献を紹介させていただきます。
(1)内山憲介・高橋信幸共編『総合支援型社協への挑戦―長崎県鹿町町社協の実践から―』中央法規出版、2000年。
(2)土橋善蔵・鎌田實・大橋謙策編集代表『福祉21ビーナスプランの挑戦―パートナーシップのまちづくりと茅野市地域福祉計画―』中央法規出版、2003年。
(3)上野谷加代子・杉崎千洋・松端克文編著『松江市の地域福祉計画―住民の主体形成とコミュニティソーシャルワークの展開―』ミネルヴァ書房、2006年。
(4)伊賀市社会福祉協議会編集『社協の底力―地域福祉実践を拓く社協の挑戦―』中央法規出版、2008年。

介護等体験と福祉教育―介護等体験は“古くて狭い”福祉観や教育観を再生産する―

現役の小学校の教員です。福祉教育に関心を持ち、地元の社会福祉協議会や老人福祉施設とも連携を取りながら、少しずつですがその活動に取り組んでいます。今年の8月には、東京で開催された全国福祉教育推進セミナーに参加し、「福祉教育で変わる、福祉教育が変わる~誰も排除しない地域づくりのために~」というテーマをめぐって多くを学んできました。サブタイトルの「地域づくりのために」というフレーズが、市民福祉教育研究所が発信されている「まちづくりと市民福祉教育」に関連すると思い、送信させていただきました。私は学生の時、介護等体験で老人福祉施設にお邪魔しましたが、正直なところモチベーションは決して高くなく、施設の方々に迷惑をかけるだけで、多くを学ぶことができませんでした。福祉教育の大切さを感じる今になっては、残念であり、また申し訳ないことをしたと思っています。そこで、介護等体験についてのいろんな考え方をお教えいただければ幸いです。

C県H市の小学校にお勤めの先生から上記のようなコメントをいただきました。
「介護等体験」に関して、取りあえず次のように整理し、またひとつの言説を紹介させていただきます。
周知のように、「介護等体験」は、1997〈平成9〉年6月18日に公布された「小学校及び中学校の教諭の普通免許状授与に係る教育職員免許法の特例等に関する法律」(以下、「介護等体験特例法」と略す。)、同年11月26日に公布された「小学校及び中学校の教諭の普通免許状授与に係る教育職員免許法の特例等に関する法律施行規則」(以下、「施行規則」と略す。)と「小学校及び中学校の教諭の普通免許状授与に係る教育職員免許法の特例等に関する法律等の施行について」の文部事務次官通達によって制度化され、1998〈平成10〉年4月1日から実施されています。
介護等体験の制度の「趣旨」については、介護等体験特例法の第1条で、「この法律は、義務教育に従事する教員が個人の尊厳及び社会連帯の理念に関する認識を深めることの重要性にかんがみ、教員としての資質の向上を図り、義務教育の一層の充実を期する観点から、小学校又は中学校の教諭の普通免許状の授与を受けようとする者に、障害者、高齢者等に対する介護、介助、これらの者との交流等の体験を行わせる措置を講ずるため、小学校及び中学校の教諭の普通免許状の授与について教育職員免許法の特例等を定めるものとする。」と明記されています。すなわち、介護等体験事業のねらいは、「障害者、高齢者に対する介護、介助、これらの者との交流等の体験」を通して、教員の「個人の尊厳及び社会連帯の理念に関する認識を深め」、「教員としての資質の向上を図り、義務教育の一層の充実を期する」ことにあります。
施行規則では、その第1条で、介護等体験の期間は原則として社会福祉施設等5日間、特別支援学校2日間の「7日間」とする。第4条で、小学校または中学校の教諭の普通免許状の授与申請を行うに当たっては、「介護等の体験を行った学校又は施設の長が発行する介護等の体験に関する証明書を提出するものとする。」、と規定されています。
また、文部事務次官通達では、介護等体験の内容について、「介護、介助のほか、障害者等の話相手、散歩の付添いなどの交流等の体験、あるいは掃除や洗濯といった、障害者等と直接接するわけではないが、受入施設の職員に必要とされる業務の補助など、介護等の体験を行う者の知識・技能の程度、受入施設の種類、業務の内容、業務の状況等に応じ、幅広い体験が想定されること。」と説明しています。
以上が介護等体験の制度の概要です。なお、この介護等体験特例法は、田中真紀子さんが父・田中角栄元首相を介護した経験を踏まえて、田中さんらの発議によって議員立法として成立したものです。
介護等体験制度・事業をめぐる研究は、既に15年近く積み重ねられてきていますが、これまでのところ教師教育(学校教育)や教職課程に関する研究者による研究が多いように思われます。そういうなかにあって、日本福祉教育・ボランティア学習学会が2003〈平成15〉年度から2005〈平成17〉年度にかけて取り組んだ「介護等体験の学びと支援システム」の課題別研究は注目されます。
その研究の総括論文にあたる「介護等体験の改革の必要性とその方策」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』№10、万葉舎、2005年、262~273ページ)で長沼豊さん(学習院大学)は、介護等体験の問題点と制度改革の具体的方策(私案)について概略次のように述べています。以下に紹介します。ただし、この課題別研究は、社会福祉施設における体験(5日間)に限定されていることを付記しておきます。それはこの研究のひとつの限界でもあります。

「介護等体験」制度の問題点
(1)対象を小・中学校の教員免許取得希望者に限定している問題
本制度は小・中学校の教員免許取得希望者が対象である。制度の趣旨を生かすと す れば、また中等教育学校(1998〈平成10〉年6月の学校教育法改正によって新設された中・高一貫教育を行う学校)の設立や、中・高の教育の連携強化という実態を考慮すれば、高校の教員免許取得希望者にも体験が必要なのではないか。
(2)特例法による実施という問題
免許取得の要件でありながら教育職員免許法の単位認定ではない。学生を送り出す大学等にしてみれば、単位化されたものでなく、学生が個々に体験して免許申請時に証明書を提出するという性質のものであるから、どこまで責任を持つのか曖昧なものとなっている。
(3)参加動機の問題
体験に参加する学生の一般的な実態は、免許取得のみで教員にならない学生の振る舞いが特に問題となっている。事前指導を強化したとしても、動機の弱い、中途半端な学生を体験に参加させることによって施設利用者などの生活の混乱や権利侵害を起こしかねず、こうしたことは制度上避けられない。
(4)体験場所の選定の問題
本制度では、一部例外を除いて、体験する学生が体験場所を選ぶことができない。現在は都道府県の社会福祉協議会が体験場所の割り振りを行っているが、学生からすれば体験場所が「あてがわれる」ものとなっている。また、体験する学生の多い都市部の地域では、きめ細かい場所の選定は無理である。
(5)体験内容の問題
介護等体験の内容は、「等」がついているとはいえその中心は「介護」であり、それも基本的には各社会福祉施設に任せること(「丸投げ」)になっている。大学の事前指導に差があるのと同様に、受け入れの施設によって、体験内容には教育的に質が高いものとそうでないものがあり、かなり差がある。

「介護等体験」制度の改革方策
(1)体験の対象者を教員採用試験合格者のみにする。
(2)教育職員免許法のなかの習得すべき単位として位置づける。
(3)体験の対象者を高校の免許取得希望者にも拡大する。
(4)体験内容や体験場所の幅を広げる。

介護等体験制度・事業は、関係者の努力によって継続的に実施され、一応の「定着」をみるに至っているといえます。しかし、それは、とりわけ体験活動の期間が短いがゆえに、中途半端な、単なる介護等「体験」(「実習」ではない)に留まりがちであり、「体験」を客観的に捉えてその意味を考え、それによって自己変革を促すという「経験」にまで高めるには無理がある、といえるのではないでしょうか。「活動あって学びなし」といった批判もされそうです。また、介護=高齢者・障がい者=社会福祉施設=福祉、障がい児=特別な子ども=分離教育=特殊教育、といった古くて、幅の狭い福祉観や教育観を再生産することに結果するのではないか、危惧されるところです。
市民福祉教育では、「体験学習」が重視されます。それは、ただ単に体験することではなく、その活動を通して「学び」、「気づき」、「ふりかえり」、そして「変わる」ことであり、さらにはあたらしく「動く」ことです。介護等体験の「体験」についてもこのように考え、そのための制度改革や体験内容の改善を図る必要があるのではないでしょうか。
市民福祉教育は、福祉の(による)まちづくりの主体形成を図るための教育活動です。しかもそれは、子どもから大人まで、すなわち家庭教育と学校教育、そして社会教育を含めた、ひとが生まれてから死ぬまでの一生涯にわたる教育・学習(生涯学習)として取り組むことが求められます。その意味からまた、市民福祉教育は、従来の福祉教育(学校福祉教育、地域福祉教育)のみならず、2003〈平成15〉年4月から福祉系高校を中心に新たな取り組みがなされている「福祉科教育」や、大学等における社会福祉従事者養成のための社会福祉専門教育などとの相互関連性や整合性も問われることになります。
介護等体験制度・事業は、学校福祉教育(市民福祉教育)の推進に資する教員を養成・確保するという視点を盛り込むことによって、小・中・高校で展開されている学校福祉教育をより“確か”で“豊か”なものにすることに繋がります。また、長沼さんが指摘するように、介護等体験の対象者を高校の免許取得希望者にまで拡大するとすれば、高校の福祉科教育などともかかわってきます。さらに、介護等体験事業によって、学生を送り出す立場の大学・短大と受け入れ側の社会福祉施設・特別支援学校、その調整窓口(中間支援組織・機関)としての役割を担う都道府県の社会福祉協議会と教育委員会、そして何よりも学習主体である学生と、ときには教育主体にもなり得る施設利用者や特別支援学校の幼児・児童・生徒、等々との総合的で効果的な連携・協働が進めば、学校福祉教育(市民福祉教育)の推進が図られます。介護等体験制度・事業をよりよいものにするためには、こうした点に留意した理論的・実証的研究と、それに基づく「介護等体験の学習支援システムの構築」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』№10、特集2)が求められるのではないでしょうか。その際、共生社会の形成に向けたノーマライゼーションやインクルーシブ教育(障がいの有無にかかわらず、すべての子どもが地域の学校の、通常の学級で学べる教育)の理念が基本に据えられなければならないことはいうまでもありません。

呼び寄せ高齢者、孤立から共生への途―「男おいてけぼりのひとりぼっち」から「男それぞれの舞台の立役者」へ―

私の担当地区にお住まいのHさんは、娘さん夫婦の勧めに応じて長年住み慣れたふるさとを離れ、数年前に引っ越してこられました。Hさんはそれまでの一人暮らしの生活から、お孫さんもいる家族の一員として、以前とは違う“至れり尽くせり”の生活をすることになりました。「おじいちゃん、ご飯ですよ~!」「おじいちゃん、お風呂ですよ~!」という生活です。ところが、1年近くが過ぎたころから、Hさんは体調を悪くし、そのまま寝たきりになるのではないかと思われるほどの状態になられました。
ところが、何を思ったか、スープの冷めない距離ではありますが、娘さん夫婦の家を出てアパートを借り、一人暮らしを始められました。それからのHさんは、私の、何よりも娘さん夫婦の心配に反して、俄然元気になられました。図書館から借りた本を読んだり、なんとパソコンを独学で学び始められました。また、あまり外出することのなかったHさんですが、市内にある銭湯に通い始め、何人かの友達もでき、以前とは違った楽しい、生き甲斐のある生活を始められました。
こうしたHさんの様子を目の当たりにして、民生委員研修で学んだいわゆる「呼び寄せ高齢者」のことを思い出しております。ご家族のなかではうまくいっていても、「地域」とのかかわりが希薄になると、生きる力が弱くなったり、希望を失ったりするのではないかと思います。呼び寄せ高齢者に関していわれる「孤立から共生へ」という言葉とその意味するところ(内容)が本当に重要であり、民生委員としての活動もこういった点に留意する必要があるのではないか、と思っています。先生のお考えをお伝え願えれば幸いです。
S市の一民生委員より

「呼び寄せ高齢者」に関する上記のようなコメントをいただきました。
Hさんは、読書やパソコン学習による「自分づくり」、図書館や銭湯で出会った人たちとの「仲間づくり」、そしてそこここで知り合った人との「役割づくり」の“3つのづくり”を始められ、それが生き甲斐づくりにつながって元気になられたのではないでしょうか。民生委員活動や地域活動、福祉の(による)まちづくりや市民福祉教育の実践活動のあり方について考える際に、留意しておきたい点です。

ところで、上野千鶴子さん(東京大学名誉教授)は、「男おひとりさまに生きる道はあるか?」という問いに対して、「イエス」と答え、その処方箋(「ひとりで生きる智恵と工夫」)について『おひとりさまの老後』(法研、2007年)や『男おひとりさま道』(法研、2009年)などで説いています。

『おひとりさまの老後』では、「『さしむかいの孤独』ということばがあるが、(夫婦は)ふたりでいるから(家族以外の人たちから)孤立することだってある」(32ページ。括弧内は阪野)といい、「あとがき」では、「なに、男はどうすればいいか、ですって?/そんなこと、知ったこっちゃない。/せいぜい女に愛されるよう、かわいげのある男になることね。」(263ページ)と断じています。

前段の指摘は、さしずめ「夫婦おふたりさまのひとりぼっち」ということでしょうか。ここからさらに、男とりわけ定年退職後の夫については、その俗語である「粗大ゴミ」や「濡れ落ち葉」「ワシも族」が連想されます。家庭や職場ではない第三の居(要)場所づくりや地域社会へのソフトランディング、すなわち第二の人生の新たなライフスタイルをいかに創造するかが問われるところです。

後段に関しては、『男おひとりさま道』の「あとがき」で、「困ったときに困ったといえる『かわいげのある』男おひとりさまが増えるのは大歓迎。そして世の中のしくみをその助け合いができる方向に変えていけたら、と願っている」(271ページ)と述べています。「困ったときに困ったといえる『かわいげのある』男」とは、自立・自律した男、ということでしょう。いうまでもなく、時期や状況に応じて、自立には依存が、自律には他律が必要になります。そして、「世の中のしくみをその助け合いができる方向に変えていく」ためには、それにかかわる「人づくり」と、そのための「教育づくり」が必要かつ重要となります。市民福祉教育の存立するところです。

パターナリズムと福祉教育―“苦情”は制度等改善に関する“提案”である―

社会福祉実践者の中には、いまだに「~してあげる」というお節介を信条としている者も少なくないようです。社会福祉が内に抱えるこのようなパターナりズムから脱却していくための福祉教育が実践者にも求められています。社会福祉におけるパターナリズムの問題については、利用者が自らの問題について考える(自己決定)ことができるようにあらゆる情報を提供し、利用者の自己決定を尊重していくインフォームド・コンセントの理念に基づいて支援を行うことに加え、その際利用者の自己決定のリスクが高ければ、支援内容をよりサポーティブにしていけば、多少なりともディレンマは解消するだろうと思います。また、福祉サービスにおける苦情は、先生が述べられているように、苦情処理や苦情解決のためのシステムとして機能しているだけです。苦情が”貴重な情報”として扱われて、制度や政策の改善などにつなげていくためには、”問題解決を志向した批判的思考”を取り入れていくシステムに変えていくことが大切だと思います。その際、苦情は制度等改善に関する提案と呼称することにより福祉教育につながりませんか。
社会福祉実践にかかわる一市民

パターナリス゜ムと福祉教育をめぐって上記のようなコメントをいただきました。
福祉サービス利用者をめぐる(に対する)市民福祉教育のあり方について考える際の、重要な視点です。これまでありがちだった精神主義的な福祉教育論や、安易な実践活動のハウツー中心の福祉教育論などから脱却するためにも、留意すべき言説のひとつであると考えます。

付記
カテゴリー「まちづくりと市民福祉教育」に掲載されている「(10)パターナリズムと市民福祉教育」(2012年9月10日/本文)をご参照下さい。

阪野貢著『「市民福祉教育」の研究―総括と展望―』私家版、2011年。

本書は、既刊の3冊を合本したものである。『戦後初期福祉教育実践史の研究』(角川学芸出版、2006年)、『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』(みらい、2009年)、『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』(大学図書出版、2011年)がそれである。
なぜ、従来の「教育」ではなく、「福祉教育」を打ち出し、さらには「市民福祉教育」への展開を図る必要があるのか。その点について追究するとともに、科学的な体系を有し、客観化・普遍化された福祉教育や市民福祉教育の実践成果(証拠、エビデンス)を提示することが求められる。これは、福祉教育実践と研究に関わる者の原点であり、ミッション(社会的使命)であろう。私は、それには十分に応えることができず、未だに多くの限界と問題点や課題を抱えていることは承知している。
また、科学的で客観的な「証拠」と、筋道を立てた考え方(「論拠」)に基づいてひとつの「結論」(主張)を導き出す論理的思考を十分に採ってきたかといえば、未だにロジック(論理)とパッション(熱い想い)の狭間で自問自答を繰り返している。
さらには、自らの福祉教育実践と研究に関するレーゾンデートル(存在理由、存在価値)について厳しく追求してきたか。その実践と研究は、ディレッタンティズム(学問を趣味や道楽として愛好すること)に陥っていないか。これらに対する回答も、未だに必ずしも明確ではない。ただ、マックス・ヴェーバーの「ディレッタンティズムが学問の原理となっては、もはやおしまいであろう。『直観的に捉えること』を願う人びとは、映画館へでも行くがよい。」(『宗教社会学論選』(大塚久雄・ほか訳)みすず書房、1972年)という言葉(言説)は認識している。
そういうなかにあって、ひとまずこれまでの実践と研究を総括し、できれば今後を展望したいというのが、本書の刊行意図である。忌憚のないご批判やご叱正がいただければ望外の幸せである。
(『「市民福祉教育」の研究―総括と展望―』「はしがき」より)

阪野貢著『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』みらい、2009年。

21世紀はガバナンスの時代と言われ、いかに自治体主導から住民主体のまちづくりへ転換していくかが問われている。そのような時代の中で、「市民福祉教育」を通して主体的・自律的・能動的な実践主体としての住民形成を図ることの必要性を説いたのが本書である。本書は、福祉教育の実践と研究に長年携わってきた著者が、学校福祉教育と地域福祉教育を融合する「市民福祉教育」について追究し、その構築を図りたいという想いのもとに編み上げた集大成とも言える書である。
著者は、「市民福祉教育」を追求するにあたって、「歴史」「理論」「実践」という3つの要素が相互に関係していることを重要視している。第1章から第3章では「歴史」、第4章から第9章では「理論」、第10章から第13章では「実践」についてそれぞれ論述されている。「歴史」については、明治40年代以降の「地方改良運動」の取り組みにまで遡り、その後の福祉改革や教育改革に着目しながら「日本福祉教育・ボランティア学習学会」設立までの福祉教育の形成・展開過程などをわかりやすく解説している。「理論」については、特に第4章の「市民福祉教育の理念と構造」において、「市民」の育成や「住民自治」の実現を目的とした「市民福祉教育」の概念の説明、基本的な考え方が提示されている。「実践」については、狛江市社会福祉協議会の“あいとぴあカレッジ”の取り組みや高岡市社会福祉協議会の「ジュニア福祉活動員」育成事業などを取り上げ、実践事例の検証を行っている。
本書は、「歴史」「理論」「実践」の3つの側面から「市民福祉教育」の意義や今後のあり方について必要な視点・視座を示唆しており、福祉教育に従事する人をはじめ、1人でも多くの方々に読んでいただきたい一冊である。
(「ブックガイド」『社会福祉研究』第108号、鉄道弘済会、2010年7月、48ページ)

阪野貢著『子供民生委員と市民福祉教育』角川学芸出版、2005年。

今日、学校の「総合的な学習の時間」等で、子どもたちが「福祉」について学ぶ機会は増え、地域では高齢者とのふれあい活動などのボランティアとして、児童・生徒が民生委員・児童委員と交流する場面も多くなってきています。
一方で、地域社会の結びつきが希薄化し「市民(地域住民)」のあり方が問われる中で、著者は「地域を基盤とした福祉教育実践の歴史から学ぶことが肝要である」と、福祉教育実践の源流のひとつ、1946年に徳島県で創案された「子供民生委員」の活動のおこりから、福祉教育の展開(理念と構造)について探っています。そこには創始者の精神を受け継ぎ、福祉教育の発展に貢献された木谷宜弘氏をはじめ関係者の熱意により、全国で実践が積み重ねられた経過が読み取れます。
日常の生活課題について子ども同士の支えあいが重要であった時代に端を発した福祉教育が、広く学校、地域で取り組まれるようになりましたが、著者は次に、福祉のまちづくり等に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図る「市民福祉教育」を提唱しています。
これから地域福祉の担い手となる子どもたちに願いを託し、福祉教育のネットワークの形成を考えていくうえで、読んでおきたい一冊です。
(「情報BOX」『View ビュー』№159、全国民生委員児童委員連合会、2005年12月、12ページ)