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「共生」と「共に生きる」:寺田貴美代「社会福祉と共生」再考―資料紹介―

「共生」(symbiosis:共に生きる)は、耳に心地よい言葉である。それゆえにか、まちづくりや福祉教育などのスローガンや修飾語として、多用(濫用)される。また、個人的な心がけや心情のレベルで語られたり、究極の目的や理想として位置づけられることも多い。その際には、社会的な矛盾や対立、差別や排除などの事態が隠蔽されたり、「同化」や「統合」が推進あるいは強制されたりする危険性が生じることになる。「地域共生」(regional symbiosis:地域で共に生きる)は、地域社会でのノーマライゼーションやインテグレーション、そしてインクルージョンなどの理念の実現を通して、その推進が図られることになる。ノーマライゼーション(normalization:通常化)は、一人ひとりが当たり前の普通の生活をすること。インテグレーション(integration:統合化)は、社会的に分離・隔離されてきた人たちを一般社会に受け入れ一緒に生活すること。インクルージョン(inclusion:包摂)は、すべての人を社会の構成員として包み込みみんなで生活すること、である。共生とノーマライゼーションなどの概念は対立概念や同一概念ではなく、相互に連関し補強し合う概念である。

例年のことながら、1月と2月は、地元自治会等の次年度の役員を決める時期であり、静かな日常に多少の波風が立つ。「前例の踏襲」や「異質性の抑圧」などがそれである。筆者(阪野)はかつて、その場が収まらず、“えいやあ”である役職を引き受けたことがある。その後、その仕事をするにつれ、いろいろな雑音(ノイズ)が耳に入るようになった。最後の決まり文句は、「‥‥‥だからダメなんだよ」であった。10年以上居住しても、所詮は“よそ者”であり、“少数派”である。「出る杭は打たれる」のであるが、場合によっては「抜かれる」ことになる。しかも、何代も続く「家」の、若年の「地元住民」によってである。日頃の地域生活で、障がい者やその家族などに対する偏見や差別を目の当たりにするとき、「誰もが分け隔てなく、互いを尊重しながら共生していく社会」の実現は未だ遠しと思わざるを得ない。
「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(略称:「障害者差別解消法」)が2016年4月から施行される。それを前に、『月刊福祉』(全社協)は、その3月号で「インクルーシブな社会」を特集した。インクルーシブ(inclusive)は、「包含する」「包括的」「包摂的」などと訳され、「インクルーシブな共生社会の創造」「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育」などといわれる。
さて、本稿は、上記の雑誌が届いたのと前後して、あるブログ読者から寄せられた「福祉と共生のまちづくり」に関する基本的な視点や文献についての問い合わせに、若干なりとも応えようとするものである。そこで、ここでは、寺田貴美代の論文「社会福祉と共生」(園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、31~65ページ。以下「論文」)を紹介する。この論文は、寺田の博士論文の一部を抜粋して再構成したものである。その博士論文は、『共生社会とマイノリティへの支援―日本人ムスリマの社会的対応から―』(東信堂、2003年12月。以下「著書」)として出版されている。
寺田は、人間社会(「総論」)と社会福祉領域(「各論」)における「共生」の概念を整理・検討し、主要な論点として次の4つを取り上げる。①社会的差別と「共生」、②ノーマライゼーションと「共生」、③福祉コミュニティと「共生」、④生活の質と「共生」、がそれである(著書では、「情緒的理解による『共生』」を加えた5点を取り上げている)。そして、「社会福祉領域における共生概念の可能性」について考察する。その際、マジョリティ(majority)とマイノリティ(minority)については、集団に所属する人数の規模によって「多数者(派)」「少数者(派)」と訳されることが多いが、寺田は、集団に帰属する権力関係によって規定する(「優位集団」「社会的弱者集団」)。ただし、その区分はあくまでも概念上の表現であり、明確な境界によって二分されるとは限らないという(図1参照)。そのうえで、「マジョリティ文化への志向」を縦軸、「マイノリティ文化への志向」を横軸にした「共生に関する分析枠組」を提示し、「共生」へ移行する過程を「共生のプロセス」として捉え、その検討を進める。その際の主要な概念のひとつが、アイデンティティ(identity)である。それについては、「同一性」「主体性」「帰属意識」などと訳されるが、寺田は、社会や文化とのかかわりから捉えている(図2参照)。
以下に、論文のなかで注目したい論点や言説のいくつかを紹介することにする。

▽共生は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重を前提とする 
社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。(51ページ)

▽共生にはプロセスという視点が不可欠であり、そのプロセスは異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程である
現実の人々の状況は多様であり、人々がそれぞれに持つ文化的背景や社会的役割も当然のことながら異なっており、それぞれに意義や価値を有している。同じ属性や志向の者同士でさえも、人々は一枚岩ではなく、マイノリティ、マジョリティに関わらず、個々人の状況や立場に添って理解する必要がある。現代社会における文化やアイデンティティの多様化は、そこに生じる課題の多様化も意味しており、他者との葛藤や対立は、相互理解および関係の深化に伴う、相互の認識・態度の変化を引き起こす。その意味において、直接的かつ横断的な異質性との対峙は、共生に至るための契機として捉えることができよう。そして、この過程が単発的なものであっては、たとえ一時的・表面的には問題が収束したとしても、根本的な解決には結びつかない。そのため、共生にはプロセスという視点が不可欠であり、このプロセスが、より積極的に繰り返される状態を「共生の進展」、逆に、繰り返されない、あるいは逆行する状態を「共生の後退」と解釈することができる。つまり、共生のプロセスは、状況に応じて不断に変化する多様な関係の中で、異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程であり、この限りない営みなくして、共生社会の実現はありえないのである。(59ページ)

▽共生は、相互理解と尊重に基づき自―他の相互関係を再構築する営みであり、動態的な変容のプロセスである 
共生を定義するならば、「人々が文化的に対等な立場であることを前提とし、その上で、相互理解と尊重に基づき、自―他の相互関係を再構築するプロセスであり、それと同時に、双方のアイデンティティを再編するプロセスである」ということができると考える。そして共生社会とは、個々の異質性に対する評価や批判ではなく、理解と尊重を前提とする社会であり、決して固定化されたものではない。相互作用によって常に変容し、新しく組み直され、生まれ変わる柔軟性を持った社会である。それにもかかわらず、このプロセスが、初めから完了している社会――言い換えれば、全く変容することなく他者との共生が可能な社会を「共生社会」として考えるならば、異なる人々の価値観やアイデンティティが、恒常的に一致するということはありえない以上、共生を単なる夢物語に終わらせてしまうことになる。(中略)問題にしなければならないのは、理想ではなく、現実である。「共生社会」を「理想社会」と読み替え、現実から乖離させてはならない。現実性を持たない理念や規範として、共生を位置づけることは、現実問題を何ら解決に導かないばかりか、問題の本質を見失うことにもなりかねない。(60~61ページ)

以上のような「共生」や「共生社会」の実現を図るためには、社会全体が共生の意味や、その視点や実践方法(共生のプロセス)などについて認識し理解することが必要かつ重要となる。そのための教育的営為が問われる。また、共生は、個人のレベルだけでなく、集団的レベルでも展開されるものである。「異質な集団同士が接触し、相互の認識・理解が進展することによって、(中略)集団のさまざまな側面で共生が生じることになる」(61ページ)。留意したい。
ここで、図1と図2を示しておくことにする。
図1(筆者作成)は、マジョリティとマイノリティを規定するひとつの要素である「集団規模」(多数と少数)を横軸、「権力関係」(優位と劣位)を縦軸にして、その関係性を示したものである。これは素朴な理解に基づくものであるが、マジョリティとマイノリティの卑近な実態である。ちなみに、第Ⅰ象限に属する人々は、多数派で、社会的に優位に置かれる傾向にある。マジョリティの典型のひとつである。第Ⅲ象限のそれは、少数派で、社会的弱者として位置づけられることが多い。マイノリティの典型のひとつである。しかし、少数派であっても、第Ⅱ象限で示されるように社会的に強い影響力をもつ人々がいる。
 図2(寺田作成)は、共生について分析するための枠組みとして、人々の多様なアイデンティティの状況を把握する全体的な見取り図を示したものである。これは、あくまでも抽象的な類型であり、現実には多様な個人がこの4つの象限(タイプ)のいずれかに厳密に収まるというものではない。ちなみに、第Ⅰ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方共、強く志向し、その融合を図るタイプ」である。第Ⅲ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方への志向が弱い、あるいは志向しない・できないタイプ」であり、「自立型」(選択的に志向しない場合)と「孤立型」(非選択的に孤立せざるを得ない場合)がある(52ページ)。
共生と共に生きる/最終版
共生は、社会福祉や教育における重要な基礎的概念である。社会福祉や教育の目的や目標を達成するためには、共生の実態や背景を科学的視点に立って歴史的・思想的に分析する必要がある。とともに、地域・社会の自然や風土、文化(暮らし)などとの関係性において、多面的・多角的に検討することが求められる。寺田の論文は、そのための必読基本文献のひとつである。
ところでいま、筆者の手もとには、寺田のもの以外に、「共生」を論じた本として井上達夫・名和田是彦・桂木隆夫『共生への冒険』(毎日出版社、1992年5月)と黒川紀章『新・共生の思想―世界の新秩序―』(徳間書店、1996年2月)がある。井上(法哲学)と黒川(建築家)は、早い時期から共生について言及している。論点(要点)の一部を参考に供しておくことにする。
井上らは、その本の「序章」で、次のように述べている。「我々のいう《共生》とは、異質なものに開かれた社会的結合様式である。それは、内輪で仲よく共存共栄することではなく、生の形式を異にする人々が、自由な活動と参加の機会を相互に承認し、相互の関係を積極的に築き上げてゆけるような社会的結合である。symbiosisをモデルとする「共生」概念と区別するために、英語で表記するなら、conviviality(コンヴィヴィアリティ)という言葉がふさわしい。日本語の表現としては、安定した閉鎖系としての「共生」は、symbiosisの旧来の訳語に従って「共棲」と表記し、「共生」という言葉は、我々のいう《共生》、すなわち、異質なものに開かれた社会的結合様式を意味するものとして使うことを、提案したい」(25ページ)。すなわち、井上らの共生概念は、「開かれた社会的結合様式」を意味し、「調和」や「協調」といった「安定した閉鎖系」は想定されていない。
黒川は、その本の「まえがき」で、「そもそも『共生』という言葉は、仏教の『ともいき』と生物学の『共棲(きょうせい)』を重ねて私がつくった概念である」(1ページ)という。黒川の共生論について、寺田は、「その定義は極めて流動的かつ曖昧である。異質な主体間に『聖域』や『中間領域』を設定し、共生ではなく『共存』あるいは『共棲』の議論に留まっている」(寺田、62ページ)として、検討対象から割愛している。筆者も首肯するところである。ちなみに、黒川にあっては、「聖域」はお互いに入ってほしくない領域で、文化的伝統の根幹をなすものであり、例えば日本の天皇制やコメづくりがそれである。「聖域があればこそ、国相互の尊敬に基づく共生が可能となる」(328ページ)。「中間領域」は、「無理やりどちらかに分類されてしまったり、あるいは排除されてしまった領域や要素である。この意味で中間領域は曖昧性、両義性、多義性を含んでおり、流動的で浮遊している」。換言すれば、中間領域とは、「対立する二項、異質な文化、異質な要素」の間に「仮設的」(tentative:テンタティブ)に設定する共通項である(330ページ)。

補遺
図3は、以上の論述に若干の管見を加えて、「地域共生」プロセスの展開過程についてとりあえず図示したものである(未定稿)。その説述については他日を期すことにする。なお、共生地域の形成にあたって、「問題の気づきと発見」から「課題解決活動と支援」の“力”をいかに育成するかが重要となることは多言を要しない。
共生プロセス(3月21日)

付記
「共生社会」に関する参考文献リストには、寺田論文の巻末(63~65ページ)に記されているもののほかに、例えば次のようなものがある。
(1) 21世紀ヒューマンケア研究機構/地域政策研究所『「新しい共生社会のあり方」に関する調査研究報告書』2005年3月、「資料編」ⅱ~ⅵページ。
(2) 共生社会形成促進のための政策研究会(内閣府)『「共に生きる新たな結び合い」の提唱』(詳細版)2005年6月、49~50ページ。
なお、同報告書では、共生社会の形成促進という観点から、めざすべき社会の姿を5つの「横断的視点」として整理している(22~31ページ)。
① 各人が、しっかりした自分を持ちながら、帰属意識を持ちうる社会
② 各人が、異質で多様な他者を、互いに理解し、認め合い、受け入れる社会
③ 年齢、障害の有無、性別などの属性だけで排除や別扱いされない社会
④ 支え、支えられながら、すべての人が様々な形で参加・貢献する社会
⑤ 多様なつながりと、様々な接触機会が豊富にみられる社会

追記
図4は、以上の論述に若干の管見を加えて、「共生のステージとプロセス」について図示したものである(2017年6月5日)。

雑誌『ふくしと教育』と福祉教育実践研究―資料紹介―

多くの教育、福祉関係者の閉塞感は時代を反映しているとはいえむしろ、その実践者の孤立感やよって立つ新たな実践モデル、実践理論の不充足にあるともいえる。
今、この雑誌を創刊することは、福祉教育とボランティア学習について、多くの実践者と研究者が異なる立場、異なるフィールド、異なる実践を交差させ、情報交流、理論交流、そして人間としての交流を通して、共生の文化を育み、市民社会を形成する理論、実践方法を形成することにつながっていくと信じている。

雑誌『ふくしと教育』(以下、「本誌」)は、日本福祉教育・ボランティア学習学会の監修のもとに、2008年10月に大学図書出版から創刊されました。それは、全社協・全国ボランティア活動振興センターが1982年3月に創刊した『ボランティア・福祉教育研究』がわずか2号で廃刊となってから、四半世紀後のことです。
上記は、本誌の創刊号の巻頭を飾った上野谷加代子先生(当時の学会会長、同志社大学)の「『ふくしと教育』創刊によせて」の一節です(本誌、2ページ)。筆者(阪野)にとっては、理論と実践をつなぐ雑誌の刊行は一日千秋の思いで待ち望んでいたことであり、また上野谷先生の決意表明にも似た力強い言葉は、将来への展望が開けるものでした。
巻末では、津田英二先生(神戸大学)が「創刊によせて」、「人間中心の実践は、従来こだわってきた社会福祉や教育の概念を中心に置いていたのでは不十分である」。「新しい雑誌は、従来の枠組みでは捉えきれなかった、あるいは従来の枠組みの中に埋もれてしまっていた課題について、人間中心主義的視点を大切にしながら、悩みつつ理念の実践化の努力をしている人たちが声を出していく場になって欲しい」(本誌、57ページ)という願いを述べています。懐かしく思い出されます。
周知のとおり、雑誌の良し悪しを評価する基準・指標のひとつにインパクトファクター(impact factor:文献引用影響率)があります。それは、雑誌に掲載された論文(記事)の被引用回数を平均値で示す尺度です。誤解を恐れずにいえば、その雑誌が「流行(ハヤリ)に乗っているかどうか」を示す指標です。すなわち、それは、個々の論文や研究者の学問的レベルを評価するものではなく、雑誌の評価指数として用いられるものです。
本誌は、そうしたインパクトファクターや、その時の流行や話題性にとらわれるものではありません。本誌は、実践現場の要求と必要に応じて、信頼性の高い記事(情報)をいかにきめ細かく、かつ論理的に提供・発信するかが問われる雑誌です。しかも、実用性を重視したハウツー誌ではなく、福祉教育の実践者や研究者が豊かな実践事例を共有し、実践仮説の検証や理論的抽象化に取り組むことを要請する雑誌です。いいかえれば、本誌は、実践者と研究者が共働して、現場実践と理論研究の相互浸透を促進するひとつの「土俵」である、といえます。それは、創刊号の編集責任者が「この雑誌を通して学び合い、励まし合うことで実践を豊かにしていく」「双方向の雑誌づくりをめざしたい」と記すところです。蛇足ながら、相撲の土俵は、二人の力士(ここでいう実践者と研究者)がぶつかり合い、その技を磨き高め合う真剣勝負の「場」です。それは、角界(ここでいう「ふくしと教育」界)の隆盛と発展を期す「舞台」です。
情報の命(いのち)は信頼性である、といわれます。本誌は創刊以来、掲載記事の信頼性を最重要視しながら、実践事例の紹介に努めています。ただ、その事例は、「〇〇モデル」という、手本となる(とする)実践であると考えるべきではありません。個々の実践事例は、地域や学校などのその現場ならではのものであり、その現場の内発的で歴史的・社会的表出であり、反映でなければなりません。そして、その事例報告は、現場での実践活動をひとつの事実として正確に記録し、複数の事実と時系列的あるいは並列的に比較検討し、その事実の一般化を志向することが肝要となります。その作業や過程を経ないと、その実践活動はすぐに忘れ去られてしまう一過性のもので終わり、新たな価値や変革を生み出すことはできません。本誌の社会的意義に関して留意しておきたいところです。
 
先日、定期購読している本誌が届きました。今号で早20号を数えます。そこで本稿では、この機会に、創刊号以後の各号の特集テーマと論文の一覧を作成し、参考に供することにします。特集テーマの設定は、時局を背景にした実践的な問題や課題に対応するものであり、また先を見据えた研究課題を提起するものでなければなりません。その意味では、特集テーマの設定は雑誌(本誌)の特徴やレベルを表示するものでもあります。こうした点をより明らかにするためには、特集テーマの内部領域や構成についての考察や、特集論文の分析・評価などが必要になりますが、それは他日を期すことにします。

創刊号/いま、福祉教育・ボランティア学習の実践に求められるもの/2008年10月
〇対談:いま、福祉教育・ボランティア学習の実践に求められるもの
〇福祉をめざす教育へ~学習指導要領改訂をふまえて~
〇地域福祉の最近の動きと福祉教育
〇ボランティア・NPOの活動と最新の動向

第2号/地域と学校で取組む福祉教育/2009年1月
〇<特集巻頭言>感じ取り合うことのできる関係づくり
〇地域に教育の「場」を創造する福祉教育の取組み
〇小平市が取組む地域と学校のつながり
〇地域と学校のつながり「長崎ふれあい学習」
〇地域を基盤とした福祉教育~地域と学校のつながりを考える~
〇地域福祉教育プラットフォーム~共生社会の形成に向けた新たな仕組みとして~

第3号/食育と福祉教育/2009年4月
〇<特集巻頭言>?!!食育と福祉教育??!
〇座談会:子ども達の実態を食生活からみる―箸の使い方でみえる食卓、食でつながる食育と福祉教育を語る―
〇フードファディズムと食生活
〇食べることでつながる福祉教育実践~名古屋市立吹上小学校の取り組みを通して~
〇子どもを見守り育てる食育実践~さいたま市立大久保小学校の実践~

第4号/高校生が福祉を学ぶ/2009年7月
〇<特集巻頭言>高校生が福祉を学ぶ意味
〇新学習指導要領をどう読むか―その特徴と課題
〇高校福祉科の現状と新学習指導要領のポイント
〇フォーラム報告:いま、改めて高校福祉の源流を語る

第5号/ワークキャンプ~地域が変わり、人が変わる~/2009年10月
〇<特集巻頭言>ワークキャンプの歴史と魅力
〇山村地域におけるワークキャンプ実践―京都府南丹市美山町の山村生活支援型WCを中心として―
〇ESD実践としてのワークキャンプ―ぼらばんワークキャンプを事例として―
〇大学を拠点としたワークキャンプ実践―災害時のボランティア実践からの展開―
〇座談会:若者たちが語るワークキャンプの魅力
〇受入れ先が語るワークキャンプの魅力

第6号/教師も育つ福祉教育/2010年1月
〇<特集巻頭言>教師も育つ福祉教育とは
〇小学校の教育活動を通しての私の変容
〇中学教師・海外体験を活かし日々の生活の中に学び続ける
〇JRCとの出会い、地域自主活動を通しての私の変容
〇高校での授業実践・地域での活動を通しての私の変容
〇教師はどのように育つのか

第7号/社協がやらねば誰がやる/2010年4月
〇<巻頭言>社協の福祉教育機能の広がりと基本
〇社協と学校の連携の実際―長崎県の学童・生徒のボランティア活動の歴史と課題―
〇社協事業の中の福祉教育(的な)機能① 地域福祉活動計画づくりを通した福祉教育
〇社協事業の中の福祉教育(的な)機能② 住民による個別支援活動がもつ福祉教育機能について
〇社協事業の中の福祉教育(的な)機能③ ふれあい・いきいきサロンの実践から
〇社協事業の中の福祉教育(的な)機能④ コミュニティソーシャルワークにおける(地域)福祉教育機能の可能性 
〇社協の福祉教育事業の確立① 夏のボランティア体験学習のすすめ
〇社協の福祉教育事業の確立② 福祉教育研究集会の「子どもの豊かな育ち」の取り組み
〇社協の福祉教育事業の確立③ 定年退職者への働きかけ「団塊世代キャリア活用事業 大人の学校」
〇福祉教育を通じて社協が伝えたいこと① その人らしい暮らしを支えていく
〇福祉教育を通じて社協が伝えたいこと② 子ども達とシチズンシップ
〇福祉教育を通じて社協が伝えたいこと③ 福祉教育にもたらされる意識の変化こそ!
〇福祉教育を通じて社協が伝えたいこと④ 福祉は土佐の山間より

第8号/見えにくい・わかりづらい障害へのアプローチ/2010年7月
〇<巻頭言>新たな福祉教育の地平への扉をひらく
〇見えづらい・わかりづらい障害の理解について
〇精神保健福祉と福祉教育の実践―子ども達は精神障害をもつ人との交流の中でどのように学んでいくのか―
〇疑似体験を通して伝える知的障害・発達障害の子ども(人)の気持ち
〇地域ぐるみで認知症の理解に取り組む

第9号/いま、改めて教育福祉を問う/2010年10月
〇<巻頭言>教育と福祉の“谷間”の諸問題にどう向き合うか
〇「不安定層の増大」から教育福祉を考える―教育福祉の今日的位置づけをめぐって―
〇スクールソーシャルワーカーとしての実践から
〇ともに学びともに育つ学校づくりと『障がい理解』の転換
〇「自分に何ができるか」を問う実践―MYPの教育理念に基づくコミュニティとサービスを事例として―

第10号/ボランティアをめぐる10の論点/2011年1月
〇<巻頭言>ボランティア国際年から10年、改めてボランティアの論点を問う
〇論点① ボランティアと現代社会
〇論点② ボランティアとまちづくり
〇論点③ ボランティアとライフサイクル
〇論点④ ボランティアと有償サービス
〇論点⑤ ボランティアと企業
〇論点⑥ ボランティアと奉仕活動体験
〇論点⑦ ボランティア学習の評価(中高校生)
〇論点⑧ ボランティア学習のファシリテート
〇論点⑨ ボランティアコーディネーターの評価~コーディネーターを活かすための組織と位置づけ
〇論点⑩ ボランティアの推進組織~大学ボランティアセンターでの実践から
〇論点総括 ボランティア・未来への視座
〇資料 全国ボランティア活動実態調査結果の概要

第11号/震災ボランティア/2011年9月
〇<巻頭言>笑顔や希望を取り戻すことを願って
〇鼎談/現地報告:震災から1か月半 そのときCLCはどう動いたか
〇震災の学び・支援を深める―時系列で見た災害支援からの学びと展望―
〇津波で崩壊した地域を支えた保育園~岩手県大槌町吉里吉里地区の保育園芳賀カンナ副園長のインタビューから
〇大震災・被災地から学ぶ避難と支援~会津若松市・北茨城市にみる信頼の人間関係・ネットワーク力

第12号/企業が取組む福祉活動/2012年2月
〇<巻頭言>企業の社会貢献活動と市民教育
〇ユニクロの「全商品リサイクル活動」で高校生が学んだこと
〇一般企業で福祉的視点をもって働くということ~イオンリテール株式会社で働く唐沢さんの場合
〇企業と福祉の架け橋に「きょうと福祉パートナー事業」
〇「まごころ宅急便in大槌」の実現と福祉活動の実際~ヤマト運輸、町県社協、地元スーパーの協働を見つめて

第13号/震災の学び、支援を深める/2012年8月
〇<巻頭言>震災経験から学び、新たな社会を構想する
〇福祉を学ぶ高校生がつなぐ被災地支援の輪~届けよう! 大阪と宮城の高校生の協賛プレゼント
〇東北福祉大学のボランティア会による災害支援活動
〇宮古市災害ボランティアセンターの現地報告
〇トヨタの被災地復興支援ボランティア活動

第14号/社会的つながりをつくる若者支援/2013年2月
〇<巻頭言>子ども・若者への切れ目のない支援ネットワークを!
〇高校生の進路指導を徹底支援するエンカレッジスクール
〇若者の自立支援に関わるエンド・ゴールの取り組み
〇いが若者サポートステーションによる自立支援とエンパワーメント
〇シティズンシップ教育と若者支援

第15号/福祉教育とボランティア活動の源流を探る―木谷宜弘先生を偲びながら/
2013年8月

〇<巻頭言>福祉教育とボランティア活動推進の源流を探る意義
〇福祉教育の礎としての木谷宜弘の思想
〇子ども達と共に、木谷ボランティアイズム
〇社協のボランティアセンターの歩み―黎明期からネットワークの成立まで
〇市民によるボランティア活動推進の源流を探る

第16号/社会的包摂と福祉教育/2014年2月
〇<巻頭言>「社会的包摂」と「社会的排除」のあいだ
〇学会シンポジウム:社会的包摂と福祉教育・ボランティア学習
〇全国社会福祉協議会における「社会的包摂にむけた福祉教育」の検討経過
〇オール滋賀社協による生活困窮者支援の考え方と実践活動
〇自転車レンタル事業「ハブチャリ」における地域づくり

第17号/障害理解と福祉教育/2014年8月
〇<巻頭言>インクルーシブな環境、当事者視点こそ!
〇精神障害者フットサルを通した交流体験がもたらす障害理解
〇「ICF」の視点からの福祉教育プログラム開発
〇発達障害の理解について―事例から学ぶ発達障害理解のポイント―
〇地域の中で共に育つ・育てる環境をつくる―神戸大学「のびやかスペースあーち」

第18号/これまでとこれから―日本福祉教育・ボランティア学習学会創立20年の節目からの多角的検討/2015年2月
〇<巻頭言>これまでの20年を振り返りこれからを模索する
〇今後の放課後・土曜日等の教育活動と福祉―子ども達の豊かな学びのための教育環境づくり―
〇中学校における福祉教育・ボランティア学習
〇高等学校にみる福祉教育・ボランティア学習のこれまでとこれから
〇学生のボランティア活動の20年とこれから~市民教育の視点から見た高等教育機関の役割を考える
〇サービス・ラーニングのこの20年とこれから
〇社会教育にみる福祉教育・ボランティア学習の関わりと課題
〇福祉教育・ボランティア学習とボランティアコーディネーター
〇福祉教育と社会福祉協議会―福祉を専門家だけのものにしないために
〇社協の現場からみたこの20年とこれから
〇共同募金と福祉教育
〇赤十字を通して思いやりの心を育む~青少年赤十字活動の実際~
〇子どもの貧困と地域づくりのこれまでとこれから
〇「社会的な孤立」を越えて―「当事者」と「当事者性」のエンパワメントにみる「地域・まち」づくり―
〇世代間交流活動―シニア世代の生き方づくり

第19号/福祉教育・ボランティア学習の地域ネットワークの再構築/2015年8月
〇<巻頭言>逆風と向き合い、追い風を捉えよう
〇貧困格差社会を生きる子ども達の学習支援と地域福祉実践―埼玉県/三芳町VGによる子ども達の学習支援教室「テゾーロ」の活動等―
〇高知県社協「福祉教育の新たな展開に向けた検討委員会」報告
〇共生文化創造への「あいち・なごや福祉教育・ボランティア学習研究会」
〇群馬県の「V・市民活動支援実践研究会」と「福祉教育実践研究会」の取り組み

第20号/福祉読本・ワークブックをどう“つくるか”“つかうか”/2016年2月
〇<巻頭言>社会的排除に福祉教育はどう向き合うか
〇福祉教育教材作成にかける想い・構成上の留意点―大阪府教育委員会福祉教育指導資料集『ぬくもり』改訂過程を通して―
〇市内小中学校で福祉教育をすすめる志木市社協の取組み
〇地域・学校・社協ですすめる福祉教育ハンドブック
〇福祉教育推進に向けた教材の作成と今後の展開―福岡県社協の福祉教育教材「ともに生きる」のねらい、つかい方―

以上を一瞥すると、特集テーマの設定は、現実を見据えた手堅いものになっています。また、その内部領域は、実践現場に目配りした焦点化の努力や工夫が図られています。しかしそれは、逆にいえば、従来の地域「福祉」や「学校」教育の一定の領域・分野にとどまりがちであるということです。その証左として、特集テーマの巻頭言や論文の執筆者(累計延べ人数150人)の所属先は「大学・研究機関」が38%、「社協・ボランティアセンター」が31%、「小・中・高校」が11%を占めていることを挙げることができます。次いで、「NPO・ボランティア団体」と「行政・公的機関」がそれぞれ5%、「社会福祉施設・団体」が2%、そして「社会教育施設・団体」は皆無です。この数字は、その限りにおいて、必ずしも学際性や新規性、あるいは革新性の高いテーマ設定にはなっていない、ということを意味するのでしょうか。今回の20号の発行を機に、一人の読者として、いくつかの観点や視角から「ふくし教育」や「市民福祉教育」の展望を行うことができるよう、誌名の『ふくしと教育』の「ふくし」に込められた理念や思い(こだわり)について再考したいものです。
なお、福祉教育の研究・協議は、本誌の他に、日本福祉教育・ボランティア学習学会による「全国大会」の開催や「研究紀要」の発行、全社協/全国ボランティア・市民活動振興センターによる「全国福祉教育推進セミナー」の開催や「福祉教育のあり方研究会」等の設置などを通して行われています。その動向を概観すると、いま、いかにしてそれぞれがその独自性や専門性を発揮し、そのうえでより豊かな連携・協働(共働)を図るかが改めて問われているのではないか。そう思うのは筆者だけでしょうか。例によって唐突ですが、あえて付記しておきます。

謝辞
本誌の紙面づくりにご尽力いただいている学会会員の皆様と、雑誌の電子版化が進むなど出版状況が急激に変化し一段とその厳しさを増すなかで、きめ細かな配慮の行き届いた編集・発行にご支援いただいている大学図書出版に対して、一人の会員ならびに読者として衷心より厚くお礼を申し上げます。
また、本稿をアップするにあたって、日本福祉大学の原田正樹先生と大学図書出版の藤原雄進様には格別のご厚情とご高配を賜りました。ここに記して深く感謝の意を表します。

地域を生きる・地域を拓く・地域を創る:「内発的発展論」と「内発的ESD」を読む―資料紹介―

「ないものねだりは愚痴である。あるものを探して磨くのが自治である」。「地元学は時間がかかる。人が育つ時間が必要だからである」。これは、「地元学」の提唱者である吉本哲郎の言葉である。筆者(阪野)は、ときにこのフレーズを思い出しながら、「地域」とかかわってきた。その際、自分のなかに設定したテーマは常に、「まちづくりと福祉教育」であった。また、「まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり」「まちづくりは市民主権・市民自治の理念に基づく市民運動」であることを念頭に置いてきた。
「地元学」に関連して思い及ぶものに、鶴見和子の「内発的発展論」や赤坂憲雄の「東北学」、原田正純の「水俣学」、あるいは山崎亮の「コミュニティデザイン」などがある。鶴見は2006年7月に鬼籍に入るが、赤坂との対談を中心に編まれた『地域からつくる』(藤原書店)が2015年7月に出版された。中央から(政府主導の)「地方創生」が推進され、「地方版総合戦略」(「都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略及び市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」)の策定が要請されているこんにち、「中央」でも「地方」でもなく、「地域からつくる」が重要な意味をもつ。
『地域からつくる』を入手した機会に、鶴見の『内発的発展論の展開』(筑摩書房)の再読と岩佐礼子の『地域力の再発見』(藤原書店)の通読を行うことにした。本稿は、例によって、3冊について筆者が関心をもった論点や言説の一部を抜き書きし、紹介するものである。

(1) 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年3月
▽内発的発展は多様性に富む社会変化の過程である
内発的発展とは、目標において人類共通であり、目標達成への経路と創出すべき社会のモデルについては、多様性に富む社会変化の過程である。共通目標とは、地球上すべての人々および集団が、衣食住の基本的要求を充足し人間としての可能性を十全に発現できる、条件をつくり出すことである。それは、現存の国内および国際間の格差を生み出す構造を変革することを意味する。
そこへ至る道すじと、そのような目標を実現するであろう社会のすがたと、人々の生活のスタイルとは、それぞれの社会および地域の人々および集団によって、固有の自然環境に適合し、文化遺産にもとづき、歴史的条件にしたがって、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に創出される。したがって、地球的規模で内発的発展が進行すれば、それは多系的発展であり、先発後発を問わず、相互に、対等に、活発に、手本交換がおこなわれることになるであろう。(9~10ページ)

▽内発的発展は地域を単位とし伝統の再創造を図る
(内発的発展の単位は地域である。)地域とは、定住者と漂泊者と一時漂泊者とが、相互作用することによって、新しい共通の紐帯を創り出す可能性をもった場所である。(25~26ページ)
内発的発展には、文化遺産、またはもっと広くいえば伝統のつくりかえの過程が重要である。伝統とは、ある地域または集団において、世代から世代へわたって継承されてきた型(構造)である。伝統にはさまざまな側面がある。第一は、意識構造の型である。世代から世代へ継承されてきた考え、信仰、価値観などの型が含まれる。第二は、世代から世代に継承されてきた社会関係の型である。たとえば、家族、村落、都市、村と町との関係の構造等が含まれる。第三は、衣・食・住に必要なすべてのものをつくる技術の型である。少なくともこれら三つの側面について、古くから伝わる型を、新しい状況から生じる必要によって、誰が、どのようにつくりかえるかの過程を分析する方法が、内発的発展の事例研究には不可欠である。(29ページ)
地域の小伝統の中に、現在人類が直面している困難な問題を解くかぎを発見し、旧いものを新しい環境に照らし合せてつくりかえ、そうすることによって、多様な発展の経路をきり拓くのは、キー・パースンとしての地域の小さき民である。その意味で、内発的発展の事例研究は、小さき民の創造性の探究である。(30ページ)

▽政策としての内発的発展という表現は矛盾をはらんでいる
政策としての内発的発展という表現は、矛盾をはらんでいる。地域住民の内発性と、政策に伴う強制力との緊張関係が、多かれ少なかれ存続しないかぎり、内発的発展とはいえない。たとえ政策として取り入れられた場合でも、それが内発的発展でありつづけるためには、社会運動の側面がたえず存続することが要件となる。(27ページ)

(2) 赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学』藤原書店、2015年7月
▽地域学は内発的発展論に支えられた知の運動である
地域学は、それぞれの地域に生きる人々が、外なる人々とも交流しながら、みずからの足元に埋もれた歴史や文化や風土を掘り起こし、それを地域資源としてあらたに意味づけしつつ、それぞれの方法や流儀で地域社会を豊かに育ててゆくことをめざす、野(の/や)の運動である。(赤坂、37ページ)
内発的発展論とは、それぞれの地域に暮らす人々が、みずからの足元に埋もれている歴史や文化や風土を掘り起こすことを通じて、内からの力を呼び覚ましながら、明日の地域社会を協同して育て創造してゆく、そのための実践的な導きの理論であり、東北学はそうした内発的発展論に支えられた知の運動である。(赤坂、12ページ)
地域学と内発的発展論とは、「汝の足元を深く掘れ、そこに泉あり」(ニーチェ)という促しの声において重なり、共鳴しあっている。(赤坂、37ページ)

▽内発的とは自治の精神に基づき時間をかけて立ち向かうことをいう
内発的発展論という言葉だけ聞くと、それは狭い地域やムラなり共同体なりに閉じこもり、外部の人間たちに対して、それを寄せ付けない狭い意識をもった発展の形なのではないかと誤解されてしまう怖れがある。内発的と外発的を区別するのは主体の在り方である。つまり、内発的とは、その土地に暮らす人々が内発的な欲求や自治の精神をもって、何かに立ち向かうことをいう。(赤坂、191ページ)
その土地で長い間、何代にもわたって生きてきた人たちの暮らしの流儀とか知恵とかをきちんと汲み上げる形で、もう一度、内発的に作り上げていく努力が必要なのである。外発的に、そこに暮らす人々をさしおいて頭越しに、性急に外から押し付けられるものは信頼できない。(赤坂、194、197ページ)
内発というのは発酵する、熟成する期間を必要とする。(鶴見、195ページ)

▽内発的であるには異質なものに対して開かれた態度が求められる 
内発的であるとは、内に閉じ籠もり、地域ナショナリズムを主張することではない。むしろ逆に、外に向けて、それゆえ異質なるものにたいして開かれた態度が求められる。
ムラ社会を巡回する漂泊者の群れこそが、ムラ社会存続の不可欠の要件である。漂泊者との交流、つまり漂白と定住とのたえざる相互作用があってはじめて、地域社会は活力を保つことができるのである。
ムラ社会にとって、漂白する人々は異質なるものであり、異文化を背負って登場する訪れ人である。鶴見さんはそこに、ムラ社会が活性化されるための不可欠の要件を認める。創造への豊かな契機が、漂白という異質なるものとの出会いのなかに隠されている、という発見でもある。(赤坂、218~219ページ)

▽内発的発展論は教育学であり教育民俗学である
内発的発展論は、分野としては社会学よりも教育学である。社会学でいえば、社会化の理論である。人間のひとりひとりの可能性を実現、顕在化していく、伸ばしていく。それが教育である。(鶴見、98ページ)
その土地に暮らす地元民がその土地の歴史や文化を掘り起こし、それを日常に、生活に役立て、それを伸ばしていく。これは民俗学であるが、教育民俗学であり、民俗学的教育である。それが内発的発展論である。(鶴見、115~116ページ)

周知のように、内発的発展論は、1970年代中頃に提起された理論である。それは、従来のいわゆる「外来型開発」を批判し、住民の自治と参加による、住民主体の地域発展のあり方を問うものである。それを主導したのが鶴見和子である。その後、1990年代以降、新自由主義(市場原理主義)を背景に、自立自助や規制緩和を前提とした地域開発(地域社会)政策の展開や制度改革が推進されることになる。その内実は行財政改革であり、その一環として地方分権改革や福祉・教育改革が進む。そしてこんにち、その流れのなかで、内発的発展の概念や言説が政府主導の「地域振興」や「地域間競争」「地方創生」などをめぐる論理に内包化されている。すなわち、内発的発展の政策的推進が図られている。それは、一面では、外来型開発への対抗理論として措定され展開された内発的発展論の、理論としての特徴や歴史的意義、理論的有効性が問われることを意味する。
そもそも、グローカル化や高度情報化の時代にあって、地域の発展が「内発性」だけで完結する地域は存在しない。現実的には、その多少にかかわらず地域外の資源などに目を向けざるを得ない。地域資源を主体としつつも必要な外部資源の活用や導入を図ることを通じて、その地域の資源が生かされ、また新しく創り出されることになる。すなわち、地域のより豊かな持続的発展を指向するには、「内発性」と「外発性」を二項対立的に捉えるのではなく、その有機的連携や協働(共働)を図ることが必要かつ重要となる。それは必ずしも、地域住民の主体性や主導性としての「内発性」自体を軽視したり、狭隘に追い込んだりするものではない。
鶴見の言を俟つまでもなく、内発的発展を外部からの強制力によって政策的に推進することは、論理的には矛盾をはらんでいる。だからといって、ただひたすらに自立・自律による「内発性」を強調し、「外発性」を軽視あるいは否定することは、地域住民が直面している問題状況や地域課題の客観的把握を困難にする。とともに、地域住民がもつ内発的発展の潜在的能力を低下させ、発展の方向性を見失うことにもなる。すなわち、ここでは、地域住民の内発力と政策に伴う強制力との緊張関係のなかで、地域住民の主体性・能動性や自律性を厳しく問うことが必要かつ重要となる。それは、内発的発展の実践過程における、地域住民の地域づくり主体としての力量形成とそのあり方を問うことを意味する。鶴見が、「漂泊(者)と定住(者)の交流」を説き、「内発的発展論は教育学であり、教育の方法である」と強調するところである。
内発的発展は、政府や行政機関による「上から」の啓蒙・啓発ではなく、地元住民の「下から」の気づきや疑問、興味や関心などを基盤とする。したがってまず、個々の住民(鶴見がいう「キー・パースンとしての地域の小さき民」)の、地域づくり(まちづくり)主体としての個人的力量をいかに形成するかが重要となる。そして、個人的対応での課題や限界が生じたり、集団的・組織的対応を必要とする場合に、地域内・外の他者や他機関との交流や連携・共働のための(による)集団的力量形成が肝要となる。例えば、「地域住民―地域組織・団体―行政(職員)」の連携・共働関係の構築とそのための(それによる)教育は不可欠なものとして考えられなければならない。そこには、新しい、「共通の価値、目標、思想等」としての「共通の紐帯 (common ties)」(『内発的発展論の展開』25ページ)を創り出す可能性がある。
いずれにしろ、内発的発展の現実的な実践過程において最も重視されなけれぱならないのは、地域づくり(まちづくり)のための個人的・集団的主体形成(力量形成)であり、地域住民によるそのための不断の自己教育・相互教育である。それは、鶴見がいうように、「発酵・熟成」する期間や過程を必要とする。それによって、地域づくりのより確かで豊かな運動としての展開が推進されることになる。

(3) 岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』藤原書店、2015年3月
▽「持続可能な発展」は巨大な「システム社会」を前提とする
「持続可能な発展(開発)」(Sustainable Development:SD)は、大量生産、大量消費、大量廃棄に依存する資本主義や市場主義といった巨大システムからの脱却はせず、むしろそのシステムを最大限に利用し、言うなれば近代化のグリーン化を目指すものだった。換言するとエコロジー的近代化である。それは、環境保全と経済発展は両立するという前提に立って持続可能な発展を目指すことであり、環境規制の強化、環境税の導入、環境に配慮した技術革新の促進など、ドイツや北欧諸国の政策に代表される。
エコロジー的近代化には、水俣病患者が体験したような社会的差別や断絶、孤立や家族や共同体の崩壊といった社会的な問題に答える用意ができていない。そこには社会的な持続可能性についての配慮が欠如していると言えるだろう。(43~45ページ)

▽「持続可能な発展を支える教育」は多領域を横断する包括的教育である
「持続可能な発展を支える教育」(Education for Sustainable Development:ESD)は、あらゆる人々が、地球の持続可能性を脅かす諸問題に対して計画を立て、取り組み、解決方法を見つけるための、多様な分野の教育である。これを起点として多文化共生教育、ジェンダー教育、平和教育、人権教育、開発教育と、ESDはありとあらゆる教育を包含しながら複雑化し、一つの教育概念としての一貫性が疑問視されてきている。(71~72ページ)
色々な分野の教育をESDは次々と取り入れているが、どういった教育がESDではないのか、というESDとESDでないものとの境界線がぼんやりしているから生じるのである。これは〇〇教育といった、教育内容でESDを固定化して捉えるときに生じてしまう混乱であり、このアプローチには明らかな理論的限界がある。(85~86ページ)

▽「持続可能な発展のための内発的共育」は環境や社会の変動に寄り添う「共育」である
「持続可能な発展のための内発的共育」(Endogenous Education for Sustainable Development:EESD:内発的ESD)は、SDを支えるのは〇〇教育である、といった固定的な教育の捉え方ではない。発展過程の変動に寄り添って変化するような、動的なものとして教育や学習を捉えるものである。それは、人間として生きていくためには必要不可欠な、発展の変動に左右されない一貫性のある基本的な共育でありながらも、発展の過程で生じる社会変動や環境変動の際に外来の知識や知恵、技術などの要素を外から取れ入れながら、変動を乗り越えていく知恵を生み出すためにダイナミックに変化する共育である。すなわち、平常時の「静的」な動態と変動時の「動的」な動態という二つの動態を持つ共育をいう。(86~87ページ)
「ESD」という国際的に認識された教育概念は、地域レベルまで戦略的に上意下達式に地域の文脈に沿って普及し、新たな価値観を創造していくことであり、現場から内発的に立ち上がってくる教育及び学習のあり方とは根本的に異なっている。(73ページ)
「内発的ESD」は既存のESDを内発的なものに転換するという意味ではなく、あくまでも「持続可能な発展を支える内発的な共育」という意味を持つ。(87ページ)
「共育」とは、学校教育に囚われない、創造的で、相互的な、生活世界の視点から「教育」を置き換えた用語である。それは、内発的発展の過程において人々が共に学び合い教え合い育つという意味に加え、この共に育つプロセスにおいて学習と教育が一体化している状態を示す。(76ページ)

▽「持続可能な発展」は内発的で自律的な「創造的前進」をいう
持続可能な発展とは、声高に地球環境問題を唱えることや、エコタウンの建設や、化石エネルギーから自然エネルギーへの転換や、エコツーリズムによる街づくりといった可視的な「取り組み」を意味するのではなく、このような人々の普遍的な共同の祈念に導かれた、自律的で暗黙的な「創造的前進」そのものを指すのではないだろうか。風土に根ざし、しっかりと自分の立つ足元を見つめながら、今を生きるものたち、目に見えないものたち、声なきものたち、それらすべてとのつながりを身に引き受け、人間の潜在的可能性を発現しながら持続を希求するメカニズム、即ち内なる持続可能性の構築こそが「生命から内発する力」の源であり、発展を人間の成長の視角で捉えようとした鶴見が内発的発展論で追求していた真の意味ではないのか。この内なる持続可能性の構築を支えるものが、内発的発展に埋め込まれた内発的ESDである。
人間の潜在的可能性を発現するという意味での内発性とは、自分自身の主体的な力でもあり、願いや祈りを共有する仲間の力を借り、自発的に結集する力、共同性の力でもある。(372ページ)

先述の、鶴見の内発的発展論は外来型開発に対抗するものであるが、ESD は、経済発展と環境保全との折り合いをつける教育でもある。また、ESDにおいては、「環境」の概念が自然環境という狭義のものから、社会・経済・文化環境などの広義のものに拡張されてきた。それに伴って内包化(総合化)された平和教育や人権教育、あるいは福祉教育は、ESDとの親和性や同質性が強調される。その結果、ESDはそれ固有の構成要素や内容を曖昧化させ、平和教育や人権教育などの既存の教育についてはそのものの存在意義や特徴を希薄化させる恐れなしとしない。この点については、「まちづくりと福祉教育」においても、それが人権教育や道徳教育、共生教育(インクルーシブ教育)、防災・安全教育などとの親和性が高いがゆえに、強く留意すべきところである。
また、ESDは、学校や地域において総合的に展開されることが期待されている。学校教育に関していえば、2008年1月の学習指導要領改訂に関する中央教育審議会答申で、「持続可能な社会を構築することが強く求められている」として、ESDの取り組みの重要性が指摘された。この答申を踏まえて、学習指導要領にESDの視点が盛り込まれた(小・中学校は2008年3月、高等学校は2009年3月にそれぞれ改訂・公示)。以降、ESDの普及が図られるが、いわれるほどには進展していない。地域のESDについては、リーダーシップの養成やネットワークの形成(コーディネーターやファシリテーターの育成)が肝要となるが、これも進んでいるとはいい難い。その背景に何があり、その原因は奈辺にあるのか。本質論的かつ実践論的検討が求められよう。
ESDは、個人を対象とした知識伝達や能力形成のための教育として捉えられている。この従来型の教育に対して岩佐(「内発的ESD」)は、人、モノ、コト、そして自然が有機的にかかわる地域(「生活世界」)の内発的発展を支えるための、人間(地域)の潜在的可能性を発現させ、共同性や自律性そして創造性を育成する「共育」のあり方を提示する。それは、地域に暮らす高齢者や障がい者、外国籍住民など、すべての「ヒト」が「共働」する「まちづくりと福祉教育」における重要な視点・視座のひとつでもある。

付記
(1) 政府の「地方創生」策に関しては、2014年9月に「まち・ひと・しごと創生本部」(「地方創生本部」)が設置され、同年11月に「地方創生関連2法」(「まち・ひと・しごと創生法」「地域再生法の一部を改正する法律」)が公布・施行された。また、2015年度中に「地方版総合戦略」を策定することが求められている(努力義務)。
(2) 「福祉教育とESD」については、例えば、「特集 持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」『研究紀要』Vol.14、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2009年11月、7~58ページを参照されたい。

「福祉教育の歴史」についての断章:「現場実践の二極化」と「課題別研究の進展」の時代―資料紹介―

「福祉教育の歴史」の概略を知りたい、という連絡をある方から複数回いただきました。また、熱心なブログ読者(S氏)からは、最近の福祉教育の実践や研究をめぐって、「他地域の実践事例を見聞しても、以前のようにワクワク感が沸かなくなってきた。」「現場における実践的研究の重要性が認識されていない。またその研究の独自性の追求が弱い。」「教育実践と研究活動は不可分であり、往還関係で捉えることが重要である。」「現場実践と研究をつなぐ仕掛けやシステムはどうあるべきか。それはどのように機能すべきか。」「実践現場の課題と大学人らによる研究の課題設定にズレが生じているのではないか。」「研究者による実践評価の基準がよく分からない。基準の開示すらない。」「教育学分野からの福祉教育研究が期待したほどには進展しない。」「学会発表でも研究の視点や枠組み、データの収集・分析方法などに曖昧なものが散見される。」等々、実に多くの指摘をいただきました。厳しいものばかりです。
「ズレ」に関しては、筆者(阪野)は、最近の政治(政策・制度)による新しい歴史の始まりと実践現場とのズレ、個別的実践への政治的意向の反映や統制も気にかかります。「福祉教育を通していま守るべきものは何か、拓くべきものは何か」。主体的・自律的な福祉教育実践と研究の意義や方向性が、以前にも増して厳しく問われているように思うのは筆者だけでしょうか。
S氏の思い(批判)に対する回答は他日を期すことにして、本稿では先ず、「福祉教育のあゆみ」についてその一文を紹介することにします。コンパクトに要領よく説述されている原田正樹先生(日本福祉大学)のものです。併せて、関係資料と筆者の管見の一部を記しておきます。歴史的知見からS氏への回答の一部を見出すことにつながれば、という思いです。なお、福祉教育の通史と歴史研究に関しては、次の文献も参照して下さい。
(1) 阪野貢「福祉・教育改革と福祉教育のあゆみ」村上尚三郎・阪野貢・原田正樹編著『福祉教育論』北大路書房、1998年3月、2~13ページ。
(2) 杉山博昭「福祉教育の歴史」阪野貢監修/新﨑国広・立石宏昭編著『福祉教育のすすめ』ミネルヴァ書房、2006年4月、22~33ページ。
(3) 田村禎章「戦後の社会福祉・教育・福祉教育関係略年表」「資料」「参考文献」」阪野貢監修/新﨑国広・立石宏昭編著『同上書』202~246ページ。
(4) 三ツ石行宏「福祉教育史研究の現状と課題」『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』Vol.22、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2013年11月、68~76ページ。

「福祉教育の考え方―福祉教育のあゆみは?」
福祉教育が成立してきた背景には、児童の健全育成を意図した流れと、地域福祉の推進を意図した流れの、ふたつの大きな流れがあります。[注1]
児童の健全育成のための福祉教育
児童の健全育成を意図した取り組みは、すでに終戦直後から始まっています。当時は、人間性の信頼の回復をめざして、子どもたちに社会事業(今日の社会福祉)を通して教育しようという趣旨から始まりました。共同募金会による副読本作成や、徳島県での子供民生委員制度(子どもたちが自らの生活課題に気づき、それを解決していくことを目的に実践を展開した活動)、大阪市民生局による副読本作成や神奈川県での社会事業教育実施校制度(その後の学童・生徒のボランティア活動普及事業の原型になっていく)、日本赤十字による青少年赤十字活動(JRC)などが有名です。[注2]
高度経済成長により都市化・過疎化がすすみ、核家族も増えていきました。また1970年代頃から、「受験戦争」という用語に代表されるような偏差値重視の教育、校内暴力や家庭内暴力といった問題が顕在化してきました。子どもたちを取り巻く変化のなかで、福祉教育やボランティア活動が重視されるようになってきます。これらの取り組みが1977年の「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(国庫補助事業)開始につながります。この制度によって学校における本格的な取り組みが全国各地で行われるようになりました。[注3]
2002年には「総合的な学習の時間」が本格的に導入されるなど、子どもが自ら学び自ら考える力などの全人的な「ともに生きる力」の育成をめざし、教科の枠を超えた横断的・総合的な学習が学校・家庭・地域との連携のもと実施されるようになってきています。[注4]
地域福祉推進のための福祉教育
地域福祉の推進を意図した福祉教育実践は、1960年代の後半から始まります。高度経済成長を背景に地域や家庭の機能が変化していくなかで、地域福祉活動を推進していくために住民への啓発活動が必要になり、具体的な方法論として福祉教育が位置づけられていきます。当時の保健婦(現・保健師)による地域保健活動や公民館での社会教育活動に影響を受けながら、社会福祉の分野でも、地域のなかでの教育活動の必要性が高まっていきました。特に、社会福祉協議会はこのことを意識して取り組むようになります。
1993年には、社会福祉事業法の改正に基づいて「国民の社会福祉に関する活動への参加の促進を図るための措置に関する基本的な指針」が示されます。このなかでは「幼少期から高齢期に至るまで生涯を通じた福祉教育・学習の機会を提供していく必要がある」として、その重要性が位置づけられています。その後、全国社会福祉協議会が中心となって、地域福祉を推進するための福祉教育のあり方について研究会を重ね、報告者(ママ。報告書)や事例集などにまとめられ、市町村社会福祉協議会が中心となって地域福祉推進のための福祉教育を展開してきました。[注5]
こうした実践に対して、1980年になって「福祉教育研究」が深まっていきます。これまでの実践が整理されるなかで、考え方や構成要件などについて一定の合意ができてきました。考え方としても、児童健全育成と地域福祉推進というふたつの流れがまとめられ、福祉教育という領域が整ってきました。特に子ども・青年の発達のゆがみと福祉教育の有効性、地域福祉の主体形成と福祉教育の必要性について、実践研究と理論化がすすみました。
1995年には日本福祉教育・ボランティア学習学会が設立されます。福祉分野だけではなく、教育分野との学際的な研究が始まります。特に、今日の教育改革や福祉改革のなかで注目が高まり、各方面から期待されるようになってきました。近年では「福祉教育を通して何を学び、何を伝えるか」という質の議論がされるようになり、ICF(国際生活機能分類)やリフレクション(ふりかえり)の視点、社会的包摂を意図したプログラムの研究がなされてきています。また昨今、社会的孤立や排除などによる孤立死やひきこもりなどの今日的な課題に対しての地域福祉のアプローチとして、地域住民への福祉教育が注目されてきています。[注6]
(原田正樹「福祉教育のあゆみは?」上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会、2014年3月、12~13ページ)

[注1]福祉教育の源流
福祉教育の源流をどこに求めるかは、福祉教育そのものをどのように捉えるかによって見解は異なります。筆者は、明治後半期から内務省地方局主導のもとで推進された地方改良運動の「自治民育」の取り組みのなかに、福祉教育実践の側面や要素が含まれていたと考えています。また、大正デモクラシー期の新教育運動や昭和初期の郷土教育運動、そして1930年代の生活綴方教育運動などにも注目する必要があると思っています。今後の研究が俟たれるところです(「生活綴方教育と福祉教育」に関する研究への端緒:国分一太郎の1936年論文―資料紹介―/『本ブログ』2015年5月12日投稿、を参照下さい)。

[注2]戦後初期の福祉教育実践
敗戦から1955(昭和30)年にかけての福祉教育実践については、(1) 1946年12月、平岡国市による徳島県の「子供民生委員制度」の創案、(2) 1948年4月、青少年赤十字(1922年6月発足)の組織変更と奉仕活動の再開、(3) 1948年8月、中央共同募金会による教材用資料『国民たすけあい共同募金―社会科教材参考資料―』の刊行、(4) 1950年4月、神奈川県における「社会事業教育実施校制度」の創設、(5) 1953年4月、鳥取県八頭郡社会福祉協議会による「社会福祉事業教育指定校制度」の設置、(6)1949年5月、大阪市民生局による中学校社会科副読本『明るい市民生活へ―社会事業の話―』の刊行、などが有名です。定説となっているこれら以外の、全国各地における福祉教育実践(学校教育や社会教育、ヒトや組織・団体等)に関する史料の発掘が求められます。なお、(1) 子供民生委員制度については、大阪府河内市(現・東大阪市)や松原市でも設置されていましたが、その史的研究は皆無です。

[注3]福祉教育研究における2つの画期
福祉教育研究の画期をなす重要な事項を二つあげるとすれば、(1) 1970年11月に東京で開催された「昭和45年全国社会福祉会議」(全国社会福祉協議会・厚生省・中央共同募金会等主催、参加者約1,800名)と、(2) 1995年10月に設立された「日本福祉教育・ボランティア学習学会」(於・日本社会事業大学、当初会員268名)です。(1)では、「社会福祉の理解を高めるために―教育と社会福祉―」というテーマのもとに、福祉教育についての、全国レベルでは初めての研究協議が行われました。(2)は、学校現場や地域における福祉教育実践の質的向上と、福祉教育研究の学問としての体系化が求められるようになったことを背景に設立されました。

[注4]福祉教育の時期区分
福祉教育の展開を年代順に概略整理すると次のようになるでしょうか。
1970年代:各地における学校中心の福祉教育実践の促進
1980年代:福祉教育実践の全国的展開と理論化の推進
1990年代:学校や地域における福祉教育実践の拡大と多様化
2000年代:福祉教育に関する制度の硬直化と実践の形骸化
2010年代:各地における福祉教育実践の二極化と学会における課題別研究の進展

原田先生は、「福祉教育の変遷」を年代記的に次のように整理しています。参考に供しておきます。
1960年代:高度経済成長、ライフスタイルの変化、受験戦争
1970年代:学校による「こどもたちの豊かな成長を促すための福祉教育」/社協による「地域福祉を推進するための福祉教育」の先駆け
1980年代:「福祉教育とは何か」 理論・概念の議論
1990年代:「福祉と教育の接近性」厚生省や文部省の福祉教育の位置づけ
2000年代:「総合的な学習の時間」の位置づけ・とりくみの広がり/→福祉教育実践の形骸化・質の問い直し/「福祉教育を通して何を学び、何を伝えるか」 質の議論へ
(原田正樹『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版、2009年11月、32ページ)

周知の通り、歴史の時代(時期)区分は、歴史の単なる指標ではありません。それは、歴史的事象の本質的な内容や流れを把握し理解するための研究の視角や方法に基づくものでなければなりません。それ自体が重要な学術的見解(成果)です。福祉教育史研究の進展を願って、再認識しておくことにします。

[注5]全国社会福祉協議会による福祉教育の研究協議
全国社会福祉協議会によって取り組まれた福祉教育の研究協議の成果物(報告書、事例集)を紹介します。ここでの課題は、それぞれの成果物(product)を通して、研究協議の成果内容についてはもちろんですが、研究協議が要請された時代的背景や福祉・教育関係者の問題意識を把握・分析することです。それによって、福祉教育の歴史的展開の意義や問題点とその要因などを明らかにすることができます。
(1)『福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―』(福祉教育研究委員会中間報告)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月。
(2)『学校外における福祉教育のあり方と推進』(福祉教育研究委員会中間報告)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月。
(3)『学校における福祉教育の推進体制と指導案』(岩手県・島根県・山口県福祉教育研究委員会報告)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月。
(4)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編『福祉教育ハンドブック』全国社会福祉協議会、1984年11月。
(5)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編『ボランティア・福祉教育研究』創刊号、全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センタ、1982年3月。
(6)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編『ボランティア・福祉教育研究』第2号、全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センタ、1983年9月。
(7)全国ボランティア活動振興センター編『福祉教育連絡会資料集』全国社会福祉協議会、1990年3月。
(8)『学校における福祉教育ハンドブック』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1994年3月。
(9)『福祉教育推進資料集』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1995年3月。
(10)『福祉教育モデル事例集 地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1996年3月。
(11) 『福祉教育ワークブック』(福祉教育プログラム研究委員会 平成10年度研究報告書)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1999年3月。
(12)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター/地域を基盤とした福祉教育・学習活動の推進方策に関する研究開発委員会編『福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会、2003年1月。
(13)『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、2005年11月。
(14)『社協がやらねばだれがやる「社協における福祉教育推進検討委員会報告書」』(ダイジェスト版)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、2006年3月。
(15)『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育実践研究シリーズ①)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター・福祉教育実践研究会、2008年3月。
(16)『学校・社協・地域がつながる福祉教育の展開をめざして』(福祉教育実践研究シリーズ②)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター/福祉教育実践研究会、2009年7月。
(17)『住民主体による地域福祉推進のための「大人の学び」』(福祉教育実践研究シリーズ③)全国社会福祉協議会/全国ボランティア・市民活動振興センター、2010年11月。
(18)『地域福祉は福祉教育ではじまり福祉教育でおわる』(福祉教育実践ガイド)全国社会福祉協議会/全国ボランティア・市民活動振興センター、2012年3月。
(19)『地域との連携によりはぐくむ ともに生きる力』(リーフレット)全国社会福祉協議会、2013年3月。
(20)『社会的包摂にむけた福祉教育~共感を軸にした地域福祉の創造~』(平成24年度社会的課題の解決にむけた福祉教育のあり方研究会報告書)全国社会福祉協議会/全国ボランティア活動・市民活動振興センター、2013年3月。
(21)『社会的包摂にむけた福祉教育~実践にむけた福祉教育プログラムの提案~』(平成25年度社会的包摂にむけた福祉教育のあり方研究会報告書)全国社会福祉協議会/全国ボランティア活動・市民活動振興センター、2014年10月。
(22)上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会、2014年3月。

[注6]日本福祉教育・ボランティア学習学会における福祉教育研究
日本福祉教育・ボランティア学習学会の『年報』『研究紀要』の特集号「タイトル」を紹介します。福祉教育の研究課題の変遷について知ることができます。それ以上に、ここでは、福祉教育の構成要素と構造(内容)について多面的・多角的視点から精緻に考察することによって、科学的・体系的な福祉教育理論の構築が期待されます。そのためには、先を見通した組織的・継続的な課題設定と追究が必要かつ重要となります。
(1)「日本福祉教育・ボランティア学習学会設立総会・第1回大会報告」『年報』Vol.1、1996年7月(新訂改版、1998年10月)。
(2)「高等教育機関とボランティアネットワーク」『年報』Vol.7、2002年12月。
(3)「福祉科教育法の確立をめざして」『年報』Vol.8、2003年12月。
(4)「地域づくりと福祉教育・ボランティア学習実践」『年報』Vol.9、2004年12月。
(5)「学会創立10周年 これまでの10年 これからの10年」「『介護等体験』の学習支援システムの構築」『年報』Vol.10、2005年12月。
(6)「福祉教育・ボランティア学習における当事者性の位置」『年報』Vol.11、2006年11月。
(7)「福祉教育・ボランティア学習の実践を評価する」『年報』Vol.12、2007年11月。
(8)「高校福祉科の高度化と多様化」『年報』Vol.13、2008年11月。
(9)「持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」『研究紀要』Vol.14、2009年11月。
(10)「地域を基盤とする福祉教育推進プラットホーム」『研究紀要』Vol.16、2010年11月。
(11)「学校教育における福祉教育・ボランティア学習の役割と可能性」『研究紀要』Vol.18、2011年11月。
(12)「福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション」『研究紀要』Vol.20、2012年11月。
(13)「メンタルヘルス課題を学習素材とした福祉教育」『研究紀要』Vol.22、2013年11月。
(14)「いのちの持続性と福祉教育・ボランティア学習」『研究紀要』Vol.24、2014年10月。
(15)「“サロン”の可能性を探る福祉教育・ボランティア学習」『研究紀要』Vol.25、2015年10月。

付記
全国社会福祉協議会/全国ボランティア・市民活動振興センター(全国ボランティア・市民活動振興センター運営委員会/社協ボランティア・市民活動センター強化方策検討のための研究委員会)が、2015年8月、「市町村社会福祉協議会ボランティア・市民活動センター強化方策2015」を策定しました。近年のボランティア・市民活動や社会福祉協議会を取り巻く情勢を踏まえて、市区町村社会福祉協議会ボランティア・市民活動センターの今後のあり方を強化方策として纏めたものです。
そのポイントが、『ボランティア情報』No.461、全国社会福祉協議会、2015年10月、2~5ページに掲載されています。そこに、上記研究委員会の委員長を務めた原田先生が一文を寄せています。「社会福祉協議会と福祉教育・ボランティア学習」について考える際のひとつの視点や視座を学ぶことができます。その一部を紹介しておきます(文中の「ボランティアの終焉」という言辞に関しては、仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学』名古屋大学出版会、2011年2月、を参照下さい)。

「強化方策2015」は、全国の市町村社協のボラセンはこうあるべきである、という内容をとりまとめたものではありません。(中略)社協ボラセンに、今後求められるであろう「機能」を整理したものです。
その背景には大きな問題意識がありました。市町村社協におけるボラセンの位置づけの曖昧さ(二極化)があること。ボランティア支援のあり方が変化していること。ボランティア団体の高齢化や活動のマンネリ化、新しい活動層へ広がっていかない。災害時などボランティアへの期待が高まる一方で、ボランティアが安上がりなマンパワーとして制度化されつつあること。例えば「有償ボランティア」とか、ボランティアのポイント制度など、そもそもボランティアとしてありえない話が行政主導で提案され、問題意識も持たずにそれを社協が推進しているような状況は、まさにボランティアの終焉かもしれません。
あらためて「ボランティア」と「コミュニティサービス」をしっかり使い分けて考えていくこと。地域福祉の基本にある住民主体の意味とその方法を問うこと。その上で地域ニーズの変化に対応できるボラセンのあり方を模索することが大切であるという意見が交わされました。
市区町村社協が担うボラセンの最大の機能は「プラットホーム」です。社協組織本体ではすぐにつながりにくいところとも、ボラセンとして関係をつくることができます。そのネットワークが、結果として地域のなかの「協議体」の役割を果たしていくのです。(『上掲誌』5ページ)

上記の「強化方策2015」では、「福祉教育」の流れとともに、「学校教育」におけるボランティア活動に関する理念の変遷について、次のように整理しています。記述の視点や内容に気になるところもありますが、参考のために付記しておくことにします。

「学校教育」
▽学校教育におけるボランティア活動に関係する大きな流れとして、次のような理念の変遷があります。
▽2001(平成13)年に学校教育法・社会教育法が改正されました。社会教育法では青少年に対し、ボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動その他の体験活動の機会を提供する事業の実施及びその奨励がうたわれました。
▽2002(平成14)年には中央教育審議会において、「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について」が答申されました。そこには、奉仕活動等に対する社会的気運の醸成、国民の奉仕活動・体験活動を推進する社会的仕組みの整備、18歳以降の個人が行う奉仕活動等の奨励・支援、といったことが書かれました。
▽また、ゆとり教育の導入と廃止が福祉教育の推進などに大きな影響を与えています。知識重視型の教育を経験重視の方針に切り替え、2002(平成14)年度に施行された学習指導要領による教育で具体的に実践されました(学習内容、授業時間数を3割減、完全週5日制、総合的な学習の時間の新設、「絶対評価」の導入等)。
▽同じく、2002(平成14)年の学習指導要領におけるゆとり教育の総合的な学習の時間の新設により、福祉教育の学校における活発な展開が期待されました。
▽2006(平成18)年に教育基本法が改正され、「生涯学習」が教育に関する基本的な理念として規定されました。これにより、学校がめざすべき「生涯学習社会を担う児童生徒の育成」についての二本の柱が明らかになりました。一つは、「生涯学習能力の育成、生涯にわたって学び続ける力の育成」、もう一つは「社会の形成者として必要な資質能力の育成、学びの成果を公共のために活かす力の育成」というものです。
▽2008(平成20)年の教育再生会議の最終報告書において、ボランティアや奉仕活動を充実し、人、自然、社会、世界とともに生きる心を育てることが盛り込まれました。
▽しかし、ゆとり教育が学力の低下をもたらしているという指摘がされるようになると、2008(平成20)年には、いわゆる「脱ゆとり教育」へと方向転換し授業量を増加させた学習要領が実施されることとなりました。この新しい学習指導要領では知・徳・体のバランスが重視され、道徳教育や体験学習の重要性が強調されました。(『強化方策2015』12ページ)

「正義感覚」とまちづくり:伊藤恭彦著『さもしい人間』を読む―資料紹介―

さもしい:①見苦しい。みすぼらしい。②いやしい。卑劣である。心がきたない。
正義:①正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。②正しい意義または注解。➂(justice)㋐社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。現代ではロールズが社会契約説に基づき、基本的自由と不平等の是正とを軸とした「公正としての正義」を提唱。 ㋑社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。(新村出編『広辞苑』(第六版)岩波書店、2008年1月)

周知のように、2015年6月、選挙権年齢を満18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が成立しました(施行は2016年6月)。そしていま、高校生らの政治や選挙への関心を高め、政治的教養を育む教育のあり方が問われています。
「まちづくりと市民福祉教育」について考えてきた筆者(阪野)は、これまで、「政治」(とりわけ地方政治)を重要な検討課題のひとつとして位置づけてきました。また、各地のまちづくりにかかわるなかで、地域における政治的・社会的権力や地元住民(「有力者」)の言動に戸惑ったこともありました。そのとき、正義感をひけらかすわけではありませんが、「さもしい」や「正義」という言葉が脳裏に浮かんだのも偽らざる事実です。

いま、筆者の手もとに、伊藤恭彦著『さもしい人間―正義をさがす哲学―』(新潮社(新潮新書)、2012年7月)があります。この本は、政治「哲学的思考を思い切り『低空飛行』させ」(18ページ)、わかりやすく、ユーモアを交え、ときには自虐ネタをふりかけながら、「さもしさ」の正体を追っかけています。そして、伊藤の主張(結論)は、シンプルでクリアです。「私はいろいろな考え方や生き方をする人々が、ゆるやかに共存している社会が望ましいと思う。正義という言葉を使って一人一人をお説教するのではなく、最低限の正しい制度についてみんなで考え、合意し、それを形作ることを目指した方がいい。正義は制度を通して実現される。制度とは、すべての人間を架け橋でつなぐ最低限の絆でもある」(205ページ)というのがそれです。
以下に、(1)「さもしさ」と「正しさ」、(2)「お互い様」の倫理と制度化、(2)「私憤」と「公憤」、という項目を設けて、伊藤の所論の要点を紹介することにします。

(1) 「さもしさ」と「正しさ」
私たちは既に十分豊かであるにもかかわらず、他の人をさしおいて貪欲に利益を追求しているかもしれない。さらには誰かの不幸の上に自分の豊かな生活を作り上げているかもしれない。こうした態度を「さもしい」と呼びたい。(14ページ)

「さもしさ」が人と人との関係を意味しているとするならば、その反対語は「正しさ」になる。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは倫理の体系の中に「正しさ」(正義)を位置付け、それが人間関係においてとても重要であることを説いた。「不正な人と思われているのは、(1)法律に反する人と、(2)貪欲な人、すなわち、不平等な人である」という。(57ページ)

「さもしい」とは倫理的に言うと不正な人間関係を意味している。不正だと言う理由は、自分の「分」を超えて何かを得ようとするからである。一人一人が「分」を超えて欲望を追求すると、すごく不平等な人間関係ができあがってしまう。これを押さえ込むためには、一人一人の「分」を確定する基準が必要だ。しかし、この基準を確定できるほど、私たちの社会は単純ではない。そこで生きている人間はみな違い、おかれた環境もみな違うからである。(71~72ページ)
「分」とは、ある人がもっている価値であり、その人の必要性や功績や長所などにあったその人にふさわしいものをいう。不正とは自分の「分」を守らないことであり、正義とは「その人にふさわしいものを与える」ことを意味する。(59~62ページから抜き書き)
各人の「分」を決めるにあたり、分かりやすい基準は、自由な行動と自己責任である。(72ページ)

自由社会(市場社会)は、競争社会である。市場社会の競争は全員に参加を強制する。競争である以上、順位がつく。かくして市場競争は必然的に不平等を生み出す(注1)。(98~99ページから抜き書き)
不平等の発生を必然と捉えた上で、問題を含んでいない不平等とは何か。別の言い方をすれば、許される(倫理的に許される)不平等とは何か。これが不平等と格差(不平等が、ある限度を超し、問題を含んでいる場合の表現)を検討するときに中心に据えられなければならない問いだ。不平等に対してこうした問いを『正義論』の著者ジョン・ロールズも立てている。
ロールズは現代社会にふさわしい正義として、①「基本的な自由を全員に保障すること」、②「機会(ライフチャンス)の実質的平等をはかること」、そして、③「それでも残る不平等は社会の最も不利な人々の利益になること」、という三点を指摘している。不平等はあってもよいが、社会で最も不遇な人々の状況改善に役立たなくてはならないというわけだ(注2)。
不平等や格差を捉えるときには、視点を不平等の底辺にいる人々に定めなければならない。もし、不平等の底辺にいる人々が過酷な状態に放置されているならば、その不平等は問題だと言える。(101~102ページ)
 
(2) 「お互い様」の倫理と制度化 
共同体社会の名残として、私たちの社会には「お互い様」という考えが残っている。「困った時はお互い様」である。(106ページ)
「お互い様」は、日本的共同体関係に源をもつ言葉だと思われる。共同体的なもたれ合いという互酬性がここには含まれている。ただ、同時に「お互い様」には、相手の立場になってみるという大切な洞察が含まれている。つまり、自分の視点と他人の視点を入れ替えてみるわけだ。共同体的な倫理と正義は異なるかもしれないが、「お互い様」の倫理には公平さや正義につながる視点が含まれている。そう考えてみると、「お互い様」という美しい発想を、制度の中に組み込んでいくことは正義を満たす一つのルートになるだろう。
できることなら困っている人を助けたいとほとんどの人は思うだろう。ただ、助けることを個人に任せると、同じ苦境に立ちながらも、助けられる人と助けられない人という不公平が生じる。だから、市場社会の底辺で苦しむ人々を助けるための基本的な仕組みは、社会制度にした方がよい。(113~114ページ)

お互いに助け合うという制度は、自己責任を曖昧にするものではない。不運な人を助けることは、その人がまた自己責任に基づいて行動していく途を確保することでもある。つまり、自由な選択とか自己責任とかいった価値を、助け合いの制度は損なうのではなく、逆に輝かすことになるのだ(注1)。(123ページ)

不平等の底辺で苦しむ人々を助けることは、最低限の正義だと思う。
私たちはこのような正義感を制度にきちんと組み込む必要がある。そして、そんな制度をつくり、制度の維持に貢献したならば、後は自由に自分の欲望を追求しても「さもしい」とは言われない。(137ページ)

(3) 「私憤」と「公憤」
正義は、人を苦しめる構造、人を食い物にして利益を得てしまう構造、この構造を改革することである。正義が求めるのは、構造を規制する制度の形成や制度の改革である。(159~160ページ)

社会の中で苦しんでいる人を助けることが、正義の優先課題である。正義という規範に従って社会を構想してみること、これが今、私たちに求められることだ。(197ページ)
正義はそれを支える感情も必要としている。それは「むかつき」といった私憤ではない。「私が公平に扱われていない」という怒りを、同じように社会で不公平に扱われている人々の境遇と重ねあわせることで生じる「これはおかしいだろう」という感情だ。私的なむかつきではなく、社会の不正を訴える怒りである。それは私憤ではなく、またバラバラな私憤の寄せ集めとしての興奮でもない。社会全体の不公平や不正義に対する憤り、つまり公憤だ。
不公平に対する公憤を紡ぎ合わせ、それを社会的な公平感に高めていくこと、これが現実社会に生きる私たちの正義感になる。そしてそれが制度改革を導くだろう。(197~198ページ)
 
以上から分かるように、伊藤は、社会の不公平や不平等の「さもしい」問題を解決するのは、「正しさ」(正義)にかなった公平な「制度」である。先ずは政治による制度の形成が肝要である、と説いています。そういうなかで、次の一節は大いに首肯するところです。

政治家の中にもやたら道徳的お説教をしたがる人がいる。「親を敬え」「郷土を愛せ」「公共心をもて」などと。そのメッセージ自体には問題がないとしても(本当は問題の多い道徳を語っている場合も多いが)、お説教は政治家の仕事ではない。政治家は全身全霊をかけて制度の再構築に取り組むべきだ。そのために税金で雇われている。上から目線で道徳を語るヒマがあったら、制度構築のために政治学、政治哲学、公共政策学などを学ぶべきだ。(205~206ページ)

ただ、制度の構築は政治(政治家)の役割ですが、そのすべてを政治に任せておけばよいというものではありません。国政であれ地方政治であれ、政治をつくるのは私たち一人ひとりです。したがって、制度(法規、仕組み、きまり)の形成や運営、改革に直接的あるいは間接的に参加(参画)し、公平・公正で平等な社会を創り、それを保持するのは私たち一人ひとりです。その際、「私憤」や「公憤」を感じる能力、「正」や「不正」を判断する能力、すなわち「正義感覚(the sense of justice)」(注3)が問われることになります。
私たちは、親子の愛情や信頼関係に基づく親の指示や命令、禁止などを通して、道徳的な感情や態度を習得します。また、自分の身の回りや日常生活における仲間との関係で、正義や不公平(不正義)の感覚や感情を持ったり、表出したりします。それはより広い地域・社会における正義を求め、さらには政治的あるいは法的な正義を求める感覚や感情を醸成することになります。そして社会での正義感覚は、制度を遵守することに向けられ、また必要に応じてそれを改革することによってより一層の「秩序だった社会」(注4)が形成・保持されることを要請します。
このように、社会における正義や制度による秩序は、家庭での親子関係や集団での仲間関係における正義感覚によって基礎づけられます。その「正義感覚は社会の若年の構成員が成長するにつれて徐々に習得され」(注5)ます。
そうだとすれば、子どもから大人までの正義感覚をいかに育成し、発達させるかが重要な問題となります。それを「まちづくりと市民福祉教育」に引き付けて言うとすれば、市民福祉教育を通じた正義感覚の育成が、(子どもから大人までの)市民の人権意識や地域における助け合いの意識を高め、市民的資質や能力(シティズンシップ)を形成し、それに基づいたまちづくりの社会的実践や運動を促すことになります。言い換えれば、正義感覚は、市民的資質や能力の重要な構成要素であり、市民によるまちづくりはそうした正義感覚に基づいた理解力と判断力、実践力を欠いては機能しない、ということです。その意味では、市民福祉教育における正義感覚の育成という課題は、シティズンシップやその教育のあり方を追求するなかでより明確なものとなります。
正義感覚は、家庭教育をはじめ学校教育や社会教育(すなわち生涯学習)、道徳教育や人権教育など、さまざまな場や内容・方法によって育成されます。また、その社会の正義にかなった制度に関心をもったり、正義にかなう公平な制度の形成・構築にかかわるなかで、正義感覚は醸成されます。
「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、「共生」の理念のもとで、政治や社会への参加(参画)や協働(共働)を重視してきました。しかし、「正」「不正」を判断するのに必要な正義感覚の育成・形成については、必ずしも十分に関心を払ってきたとは言えません。まちづくりの実践や運動に向けた、またその実践や運動における(子どもから大人までの)市民の正義感覚の育成・醸成が大きな課題になります。
本稿で言いたいのは、「共生と社会正義の教育によるまちづくり」という点(視点、視座)についてです。その教育の機会は、実質的に、(子どもから大人までの)すべての市民に平等に保障されなければなりません。とともに、それぞれの市民が置かれている個別的な現実的状況(個人的要因や環境的要因)を十分に考慮しながら、教育内容や方法の適切性や公正性を追求する必要があります。さもないと(教育機会の平等保障だけでは)、「共生と社会正義の教育」という美名のもとで、市民を選別し、新たな不平等を生み出すことになりかねません。強調しておきたいところです。


(1) 不平等や格差を肯定する立場に立つと、不平等や格差そのものを解消するための取り組みは消極的なものにならざるを得ません。その際の取り組みは、いわゆる勝ち組と負け組のうち、負け組の人びとに「再チャレンジ」の機会を用意することになりますが、結果的には勝ち組と負け組の入れ替えをするだけに過ぎません。しかも、その機会をとらえて努力する限りでは支援(「助け合いの制度」)の対象とされますが、努力の質量によって支援の対象から外されることになります。そこにあるのは排除の論理(排除の正当化)です。
そこで求められるのは、個人の「意欲」「能力」「努力」などの有無や質量を個人的・内面的なものに押しとどめるのではなく、それを下支えする多面的・重層的な社会システムをどう構築するかということです。すべての人が、その属性や帰属にかかわりなく、「自立と連帯(共生)」の社会的な互恵的信頼関係のなかで平等に扱われ、共に支え合い、それを通して社会への完全参加を果たすことが強く求められます。
(2) John Rawls,A Theory of Justice (Harvard University Press,1971.revised edition,1999)ジョン・ロールズ著/川本隆史・福間聡・神島裕子訳『正義論』(改訂版)紀伊国屋書店、2010年11月。
アメリカの政治哲学者であるJ.ロールズ(1921年~2002年)は、「正義の二原理」について次のように論述を進めています。

<正義の二原理>を、暫定的なかたちで提示するとしよう。二原理の最初の定式化はあくまで試行的になされる。
<正義の二原理>の手始めの言明を左に示す。
第一原理 各人は、平等な基本的諸自由の最も広範な〔=手広い生活領域をカバーでき、種類も豊富な〕制度枠組みに対する対等な権利を保持すべきである。ただし最も広範な枠組みといっても〔無制限なものではなく〕他の人びとの諸自由の同様〔に広範〕な制度枠組みと両立可能なものでなければならない。
第二原理 社会的・経済的不平等は、次の二条件を充たすように編成されなければならない――(a)そうした不平等が各人の利益になると無理なく予期しうること、かつ(b)全員に開かれている地位や職務に付帯する〔ものだけに不平等をとどめるべき〕こと。(83~84ページ)

制度に関する正義の二原理の最終的な言明を提示したい。完璧さを目指すべく、これまで提示した諸定式を包含する完全な言明を提出しよう。
第一原理
各人は、平等な基本的諸自由の最も広範な全システムに対する対等な権利を保持すべきである。ただし最も広範な全システムといっても、〔無制限なものではなく〕すべての人の自由の同様〔に広範〕な体系と両立可能なものでなければならない。
第二原理
社会的・経済的不平等は、次の二条件を充たすように編成されなければならない。
(a)そうした不平等が、正義にかなった貯蓄原理と首尾一貫しつつ、最も不遇な人
びとの最大の便益に資するように。
(b)公正な機会均等の諸条件のもとで、全員に開かれている職務と地位に付帯する〔ものだけに不平等がとどまる〕ように。(402~403ページ)

以上の第一原理は「平等な自由の原理」、第二原理は「格差原理」と「公正な機会均等原理」と呼ばれます。第一原理は、参政権、言論の自由、思想や良心の自由、人身の自由、 私的所有権などの基本的自由は、他者の自由を侵害しない限りにおいて、すべての人びとに平等に与えられるべきである。第二原理は、社会的・経済的不平等が許されるのは、(a)最も恵まれない人びとに最大限の利益(恩恵)が与えられる場合と、(b)職務や地位に就くチャンスがすべての人びとに平等に与えられている場合に限られる、という意味です。
伊藤の言説(ロールズの所論の紹介)は、この「正義の二原理」を要約したものです。
(3) 公正・平等で秩序だった民主的社会の維持・運営に、「正義感覚」は欠かせません。ロールズは、『正義論』の第八章第69節から第77節(594~671ページ)で「正義感覚」についての所説を展開しています。その際、「正義感覚」の概念を次のように規定しています。「正義感覚とは、少なくとも正義の原理が道徳的観点を規定する限りにおいて、その観点を採用しその観点に基づいて行為したいと欲する、確固たる性向・構えをいう」(643ページ)。
また、ロールズは、正義感覚の発達を、①「権威の道徳性」(親の権威による幼児の道徳性)、②「連合体の道徳性」(家族、友人、学校、会社、地域などの特定の集団内における役割や地位に応じた道徳性)、③「原理の道徳性」(正義にかなった制度を受け入れ、それに対応する道徳性)という3つの段階に分けて論述しています(606~628ページ)。
(4) ロールズは、「秩序だった社会」の概念について次のように述べています。「本書冒頭において(第1節)、秩序だった社会を<成員の利益を増進するようもくろまれ、公共的な正義の構想によって事実上統制されている社会>として特徴づけておいた。したがって、秩序だった社会とは、〔1〕他の人びとも同一の正義の原理を承認しており、そして〔2〕基礎的な社会の制度がその原理を充たしかつ充たしていることが周知されている、以上の二点を全員が承服・承知している社会である」(595ページ)。
(5) ロールズ『同上訳書』606ページ。

市民的福祉教養と市民福祉教育:「教養」について考える―資料紹介―

福祉教育実践や研究の画期をなしたものに、1980年9月に全社協に設置された「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)の中間報告「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」(1981年11月)がある。そこでは、福祉教育は、「国民の社会福祉への関心と参加の促進」をめざす意図的な教育活動である。福祉教育は、人権思想に基づいた社会福祉の営みの主体として、市民一人ひとりが担ういわば「福祉人」の育成を図るものであり、現代を生きるにふさわしい人格形成にかかわるものである、と述べられた。これは、市民イコール福祉人の「教養」に通底するものでもあり、今さらながら改めて注目しておきたいところである。
1990年代後半には、例えば高橋智(東京学芸大学)が、教育学教育や教師教育における「国民的福祉教養」の構想について論究している(注1)。また、大橋謙策(当時・日本社会事業大学)が、高校福祉科の設置とのかかわりで、子ども・青年の発達を促すものとしての福祉教育を基底に、すべての高校生に「国民的教養としての福祉教育」を展開することについて言及している(注2)。
これらは20年から30年以上も前のことで、旧聞に属する。さらに、それ以前の1970年代後半以降に「教養主義」の「没落」や「終焉」が指摘されたことは、周知の通りである。そしていま、グローバリゼーションとローカリゼーションが同時進行するなかで、「知識基盤社会」(注3)と「市民参加型社会」の時代を迎えている。知識基盤社会は、新しい知識・情報・技術の重要性が飛躍的に高まる社会であり、そこでは大学教育等の改善のみならず、子どもから大人までの「生きる力」を如何に育成するかが重ねて問われることになる。市民参加型社会は、参加と協働(共働)による市民主権・市民自治のまちづくりを進める社会であり、そのまちづくりの担い手となり得る市民としての教養(「市民的教養」「シティズンシップ」)を如何に形成し、そのための教養教育を如何に再活性化するかが問われることになる。
福祉の(による)まちづくりの市民的教養(「市民的福祉教養」)は、それを形成・涵養するための確かな教養教育や豊かな実践軽軽を積みあげることによって育まれる。こうした視点に立って「市民福祉教育」について論究することは、“まちづくりの福祉教育”の今日的課題である。
本稿では、筆者の手もとにある資料から、「教養」に関する基本的な論点や言説の一部を紹介することにする。

(1) 安部謹也『「教養」とは何か』講談社(講談社現代新書)1997年9月
「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況」を「教養」があるというのである。(56ページ)

教養があるということは(中略)「世間」(「大人が互いに結んでいる人間関係の絆」:阿部、18ページ)の中で「世間」を変えてゆく位置にたち、何らかの制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人のことをいう。これまでの教養は個人単位であり、個人が自己の完成を願うという形になっていた。しかし「世間」の中では個人一人の完成はあり得ないのである。個人は学を修め、社会の中での自己の位置を知り、その上で「世間」の中で自分の役割をもたなければならないのである。(180ページ)

(2) 梅田正己『「市民の時代」の教育を求めて―「市民的教養」と「市民的徳性」の教育論―』高文研、2001年5月  
現代における「市民」とは、ひと言でいえば、民主主義と人権の思想を体現した人間類型といえます。
いくつかのキーワードがあげられます。思想・言論の自由をはじめとする「市民的自由」、特権や差別を認めない「平等」、自主性・自発性にもとづく「参加」、主体的に引き受ける「責任」、そして「自治」です。
「市民」とはつまり、うんと単純化していえば、自由と平等の原則に立って、一人ひとりの尊厳を守るとともに、全員が参加し、全員が責任を引き受けることによって、自分たちの社会を自分たちの手で治めてゆくこと(自治)のできる人間類型ということになります。(145ページ)

「市民」を育てる教育は、自立した「市民」として「自治」に参加するために必要な知識と認識、それにもとづく一定の見識の面での教育と、「市民」として実際に行動するさいに必要な自覚と能力、技能、態度をめぐる教育の2つの側面が考えられます。前者を「市民」として身につけておきたい教養すなわち「市民的教養」の教育、後者を、「権利主体」としての自覚をはじめ、「公共の精神」、話し合い(討議)の能力と技能、他者にはたらきかけ互いに協力できる能力などの「市民的徳性」の教育と名づけてみました。
なお、「市民的徳性」という用語については、「市民」としての自覚、能力、技能、態度のすべてが含まれていると考えられる「シティズンシップ」という言葉を使った方がよいかも知れません。(146~150ページから抜き書き)

日本の教育をささえてきたのは、国家主義と立身出世主義(学歴主義)の二本の柱でした。教育の中心に「国家」をすえる考え方は、20世紀をもってその歴史的役割を終えました(ただし国家主義は消滅したわけではなく、幾年もたたないで復活してきます。)。日本の社会にも明確に質的な変化が生じつつあり、日本も明らかに「市民の時代」に入っています。日本の教育はその価値基軸を「国家」から「市民」に転換していかなくてはなりません。「市民的教養」の修得と「市民的徳性」の育成を二本の柱として、新しい学校をどう構想するかが問われています。(64、80、101、104、141、238ページから抜き書き)

(3) 村上陽一郎『あらためて教養とは』新潮社(新潮文庫)2009年4月
自分の中にきちんとした規矩(きく。分別のための「基準」「ものさし」「枠組み」:村上)を持っていて、そこからはみ出したことはしないぞという生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人と言えるのではないか――というのが私の年来の主張なのです。その上に、一般的な意味での教養、つまり何がしかの知識、何がしかの経験、そして専門家としてではなく、人間一般としての「広さ」、そうしたものが相俟(あいま)って教養が論じられるようになる。しかし、慎(つつし)みを形造る規矩が欠けると、それこそ教養というのはものすごく安っぽくなって、口にするのも恥ずかしいようなものになりかねないんじゃないかというのが私の基本的な考え方です。(28ページ)

今日では、社会が「知識に基礎を置く社会」(knowledge-based society)という言葉で規定されるほど、様々な分野の知識が社会を動かしています。それを身につけなければ生きていけない。社会の中で活動することができない。専門性が求められる一方で、しかし、専門以外の様々な知識に通暁(つうぎょう)していることで、初めて現代社会に生きる資格が与えられるとさえ思われます。その意味での「教養」が、エリート階級だけでなく一般の人々にとっても、現代ほど必要とされる社会はありません。その意味での教養は、現代社会のなかで人間が生きるための「力」そのものです。(88ページ)

ドイツ語の〈Bildung〉というのは、英語のに近い言葉です。つまり「造り上げる」ことですね。では何を「造り上げる」のかというと、「自分」という人間をきちんと造り上げていくことであり、これが「教養」なのではないかと思うのです。(中略)
自分を修めること、きちんとした人間として、正しいと思う方向に向かって自分を造り上げていくことをもって教養と理解するとなると、市井(しせい)の中に埋もれている生活者(中略)の中にも、自分をしっかり持って、自分を見つけて、自分をきちんと造り上げていく人はいると確信しています。(中略)
何を材料にして自分を造り上げるか。広い知識や広い体験は決定的に大事な材料の一つですけど、全部ではない。造り上げるというと、いかにも何かがちがちに造り上げた完成品ができてしまうように見えますけど、そうじゃないんですね。自分というものを固定化するのではなく、むしろいつも「開かれて」いて、それを「自分」であると見なす作業、そういう意味での造り上げる行為は実は永遠に、死ぬまで続くわけです。(中略)一生をかけて自分を造り上げていくということにいそしんでいる、邁進(まいしん)している。それを日常、実現しようと努力している人を、われわれは教養のある人というのではないか、そう私は思っています。(185~187ページ)

(4) 中央教育審議会「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」2002年2月
教養とは、個人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体ということができる。(中略)人には、その成長段階ごとに身に付けなければならない教養がある。それらを、社会での様々な経験、自己との対話等を通じて一つ一つ身に付け、それぞれの内面に自分の生きる座標軸、すなわち行動の基準とそれを支える価値観を構築していかなければならない。教養は、知的な側面のみならず、規範意識と倫理性、感性と美意識、主体的に行動する力、バランス感覚、体力や精神力などを含めた総体的な概念としてとらえるべきものである。

新しい時代を生きるための教養として、社会とのかかわりの中で自己を位置付け律していく力や、自ら社会秩序を作り出していく力が不可欠である。主体性ある人間として向上心や志を持って生き、より良い新しい時代の創造に向かって行動することができる力、他者の立場に立って考えることができる想像力がこれからの教養の重要な要素である。

教養教育については、これまで、主として高等教育における問題として議論されることが多かった。しかし、(中略)教養の涵養は個人にとって生涯の課題であり、教養を身に付ける努力は、いずれの年齢や職業においてもすべての人に求められるものである。教養教育の在り方を検討するに当たっては、高等教育だけでなく、幼児期からの家庭教育、初等中等教育も含めた学校の教育活動全体、地域での様々な活動、社会生活における様々な体験や学習を通じて、いかに教養を身に付けていくかを考える必要がある。

(5) 日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会『21世紀の教養と教養教育(提言)』2010年4月
現代社会において生起し深刻化するさまざまな問題や課題に適切に対応し、その平和的な解決を図っていくには、それらの問題や課題の解決に向けての多様な取り組みに参加・協働する知性・智恵・実践的能力の形成と、それらの多様な取り組みを支え推進する基盤としての市民社会の豊かな展開が重要である。
そのためには、次の三つの公共性を活性化することが重要である。第一に、集合的意思決定過程(政治)の開放性・透明性(情報公開・情報開示)が確保され、その過程への十分な市民参加があること(市民的公共性)、第二に、さまざまな問題や課題を自分たちの協力・協働により解決・達成すべきものとして引き受け、その協力・協働に参加する活力あるカルチャーが息づいていること(社会的公共性)、第三に、社会のすべての成員が、その尊厳を尊重され、安全かつ豊かな文化的・社会的生活を享受する権利を有する存在であることが、承認され前提となっていることである(本源的公共性:社会的存在としての人間の生存権に関わる公共性)。
現代の多様化・複雑化・流動化する社会では、この3つの公共性の活性化とその担い手となりうる市民としての知性・智恵・実践的能力(市民的教養)の形成が、いま切実に求められている。(ⅳ~ⅴ、4~5ページ)

21世紀に期待される教養は、現代世界が経験している諸変化の特性を理解し、突きつけられている問題や課題について考え探究し、それらの問題や課題の解明・解決に取り組んでいくことのできる知性・智恵・実践的能力であると言ってよいであろう。その多面的・重層的な知性・智恵・能力を、学問知、技法知、実践知という三つの知と市民的教養を核とするものとして捉える。
学問知は、学問・研究の成果としての知の総体であり、その学習を通じて形成される知である。それは、錯綜する現実や言説(研究を含む)を分析的・批判的に検討・考察し、同時に、諸問題を自分に関わる問題として思慮し、そしてまた、自分の生き方や考え方を自省する知でもある。技法知は、メディアの活用、多種多様な情報・資料の編集、数量的推論、自国語・外国語、学術的な文章作成能力、言語的・非言語的な表現能力・コミュニケーション能力などを構成要素とする知で、学問知および実践知の学習・形成と活用の基礎となるものである。実践知は、日常のさまざまな場面で実際に活用・発揮(実践)される知で、市民的・社会的・職業的活動に参加・協働し、共感・連帯し、同時に、自らの在り方・生き方・振る舞い方を自省し調整していく知である。
他方、市民的教養は、上記の三つの公共性、すなわち本源的公共性、市民的公共性、社会的公共性についての理解を深め、その実現に向けたさまざまな活動やプロジェクトに参加し、連帯・協働していく素養と構えを指す。
大学教育・教養教育では、これら三つの公共性に開かれ、その実現を志向し、その実現のための活動やプロジェクトに参加し協働するうえで必要とされる学問知・技法知・実践知を育んでいくこと、それを核とする「市民的教養」を育んでいくことが重要である。(ⅴ~ⅵ、17~18ページ)

「教養」とは何か。以上からも分かるように、その捉え方は多様である。その点を知るのには、歴史的視点から教養主義について論述する竹内洋の『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化―』(中央公論新社(中公新書)、2003年7月)、哲学・思想の領域から教養主義の復活を説く仲正昌樹の『教養主義復活論―本屋さんの学校Ⅱ―』(明月堂書店、2010年1月)、なども興味深い。
ここで、以上に紹介した論点や言説を参考に、「教養」の構造と性格について暫定的な管見を述べておくことにする(図1参照)。
図1 「教養」カラー
「教養」は、「知識」「経験」「知性」「価値観・規範」を構成要素とする。
幅広い知識を修得するためには、知的な好奇心と懐疑心、追究心が必要である。経験を社会的意義のあるものにするためには、その活動・行為を外向化・社会化するとともに、継続的に取り組み、展開することが必要である。知性とは、物事について的確に思考し、判断し、表現する知的な能力をいう。教養の形成には、知的な側面のみならず、行動や判断の基準(規範)やそれを支える価値観の構築が必要であり、「教養の原点」(村上)はここにある。
また、教養は、家庭や地域・社会におけるさまざまな生活体験を通して形成される。教養は、子ども・青年の発達段階に応じて、また高齢期まで生涯にわたって形成される。教養は、現代社会や現代世界の変化や問題に対応するものである。教養は、新しい時代を切り拓き、未来社会を創造するものである。これらの点をめぐって、学校(小・中・高・大学教育))における教養教育をはじめ、市民社会や国際社会を生きるための子ども・成人に対する教養教育のあり方が問われることになる。


(1) 高橋智「教育学教養と福祉教養―教育学教育における福祉教養の意義―」『東京学芸大学紀要.第1部門、教育科学』第48集、東京学芸大学紀要出版委員会、1997年3月。
(2) 大橋謙策「高校における福祉教育の位置と高校福祉科」大橋謙策編集代表『福祉科指導法入門』中央法規、2002年4月。
(3) 「知識基盤社会」(knowledge-based society)とは、「新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す」社会をいう(中央教育審議会「我が国の高等教育の将来像(答申)」2005年1月)。その進展を図るためには、大学教育等の改善のみならず、小学校から大学までの一貫した取り組みが必要である。また、知識基盤社会を生き抜くためには子どもから大人まで、「生きる力」の育成を図ることが重要となる。

追記
(1) 本稿を草することにしたのは、熱心なブログ読者から、「読書による教養主義」(大正時代の旧制高校を発祥として、1970年前後まで大学生の規範文化であったといわれる。)に関して厳しいコメントをいただいたことによる。
(2) 2013年7月14日の朝日新聞の「天声人語」―「キョウヨウとキョウイク」が面白い。
老後をどう生き生きと過ごそうかと誰しも考える。そこには秘訣があるらしい。「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。教養と教育かと思いきや、さにあらず。「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。なるほど何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがあるまい、という記事である。
老後を豊かに過ごすには「教養」の形成・向上が必要かつ重要である、ということを読み解くことができようか。

「まちづくり」の視点と枠組み:キャパシティ・ビルディングを考え、「まちづくりの福祉教育学」を構想するために―資料提供―

筆者(阪野)はこれまで、「まちづくりと市民福祉教育」をテーマに、ささやかな実践と研究を行ってきた。その際、まちづくりは地域(地元)の住民をはじめ行政やさまざまな組織・団体、NPO、企業などの主体形成なくしてはあり得ず、主体形成こそがまちづくりの本質である、という考えを基本に据えてきた。そして、どちらかといえば「まちづくり」よりは「市民福祉教育」に関心を寄せ、社会福祉学や教育学などの学問領域の言説を援用しつつ、福祉教育の実践の理論化と理論の実践化に取り組んできた。しかもそこでは、住民主体形成の「福祉教育学」の構築をめざして、固有の研究対象や研究方法について探究し、実践の主体や理念・目的、内容・方法、制度・組織、あるいは運動などについて問うてきた。それは、福祉教育学はまちづくりと人づくりを担う以上、多様な先行諸科学の知識・知見や技術を総合的に活用する学際的な総合科学であり、かつ「実践の学」として構想されるべきである、という考えに基づいている。
ところで、先日、あるブログ読者(学生)から、「まちづくり学」の成立をめざした本がいくつか出版されているが、「まちづくり」の視点や枠組みに関する基礎的・基本的な言説をいくつか紹介してほしい、というメールをいただいた。本稿は、不十分ながら、それに応えようとするものである。また、その延長上で、「まちづくりの福祉教育学」を構想するためのものでもある。
いま、筆者の手もとには、まちづくりに関する本が5冊ある。次がそれである。

(1) 織田直文『臨地まちづくり学』サンライズ出版、2005年3月。(以下、「1」と略す。)
(2) 西村幸夫編『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』朝倉書店、2007年4月。(以下、「2」と略す。)
(3) 日本福祉のまちづくり学会編『福祉のまちづくりの検証―その現状と明日への提案―
』彰国社、2013年10月。(以下、「3」と略す。)
(4) 日本都市計画学会関西支部新しい都市計画教程研究会編『都市・まちづくり学入門』学芸出版社、2011年11月。
(5) 株式会社オオバ技術本部『まちづくり学への招待―どのようにして未来をつくっていくか―』東洋経済新報社、2015年5月。

これらを一瞥すると、まちづくりの実践例を紹介するものが多い。しかも、「まちづくり」とはいうものの、その論述はハード面を中心とした都市計画論や土木・建築工学などの専門領域に限定されていたりする。また、「まちづくり学」とはいうものの、実践経験やそれに基づく知識や知見を教科書風に整理・総括したものもある。さらには、個別的・技術的なまちづくり実践の研究と総合的・俯瞰的なまちづくり学の研究が混同されている場合もある。いずれにしろ、「まちづくり学」の成立については未だしの感なきにしもあらず、といったところである。
こうしたまちづくり研究の現状認識のもとで、以下に、「1」「2」「3」を中心に注目したい論点や言説を紹介する。ここでは、取り敢えず3つの項目立てを行う。1.まちづくりとまちづくり学、2.まちづくりの潮流、3.まちづくりの進め方、がそれである。

1.まちづくりとまちづくり学
<A>「まちづくり」とは、住民や行政、企業などの地域構成員が、地域を良くするために心を通わせるコミュニケーションの場を形成する活動であり、<B>多様で複雑なまちづくりの課題をこの場を手がかりとし、地域の実態に即して解決しつつ、住民(議会、コミュニティ、既存の地域団体、NPO等を含む)、地元行政、企業(産業界を含む)などの地域構成員が、歴史・自然などの地域の固有性に着目し、地域という空間・社会・文化環境の健全な維持と改善・創造のために主体的に行う連続的行為である。これらの意味から、<C>まちづくりは、人々が心を通わせ、その場に臨んで、具体的な問題を解決していく活動である。(「1」24~25ページ)

まちづくりの本質とは何か、それは都市計画や都市整備とはどう違うのか。まちづくりは、地域を統合的にみることを特徴とする。まちづくりの統合的な視点やアプローチを都市計画と比較してみると、表1のようになる。(西村幸夫「2」1、7ページから抜き書き)
表1 まちづくりと都市計画の違い(18日22時)
まちづくりとは、「地域における、市民による、自律的・継続的な、環境改善運動」である。重要なのは、「地域における」、「市民による」という点にある。地域市民が安全・安心、福祉・健康、景観・魅力のための環境改善運動を、自分たちが自律的に、継続的にやり続けることが「まちづくり」である。(小林郁雄「2」83ページ)

「臨地まちづくり学」とは、臨地、すなわちまちづくりの現場での調査研究を重視し、住民主体で地域課題の解決を図る、または将来目標を獲得するための思想、知識・技術を開発する学問であるといえる。
その学問を行う主体は地域社会の構成員である、住民、市町村行政、地域企業、諸団体、NPO、大学等であり、研究者は準構成員としてまちづくりの現場に関わりながら事業支援を行い、研究開発の進展に貢献するのである。この学問はあくまで地域に息づく市井の人々に役立つことをめざして取り組むことを基本とする。(「1」46~47ページ)

2.まちづくりの潮流
人間の個々人の欲求が集合体として社会化し、それに符号する形の「まちづくり」が現出する。戦後のまちづくりを辿ると次のようになる。1960年代、環境破壊や公害の発生などの高度経済成長による歪みに対して、生活環境整備や福祉の充実への希求が高まり、イデオロギーを背景にした新しい社会運動が登場した(「告発・要求型まちづくり」)。1970年代、地方・地域の過疎的状況の中で、独自の産業振興を図り雇用の確保、人口の定住をめざして地域振興が取り組まれた(「地域経済振興型まちづくり」)。1980年代後半から1990年代前半、地域住民の地域への誇りと愛着の醸成や、経済とは切り離されたところでの芸術・文化活動の活発化などで、自己実現をめざす人間的欲求の発露の結果として地域の社会・文化開発がなされた(「自己実現型まちづくり」)。今後は、多様で複雑な地域課題を解決するためには、国や県、地域外企業などが行う「外発的地域開発」(exogenous regional development)と市町村行政や住民などが主体的・主導的に行う「内発的地域開発」(endogenous regional development)を結合させ、両者の長所を合わせ持った「ひらかれた内発的地域開発としてのまちづくり」が必要となる(「課題解決型まちづくり」)。(「1」114~127ページから抜き書き)

これまでの福祉のまちづくりは、障害者の住まいや介助問題を発端に、移動、交通、少子高齢社会の急速な到来に対するさまざまな地域課題を環境整備や法制度の構築、市民運動というかたちで発展させてきた。
今日、福祉のまちづくりの対象は拡大し、子ども、高齢者、障害者、外国人などへの多様な対策をはじめ、健康づくり、防災、安全・安心のまちづくりなど、その範囲を広く捉えることができる。さらにまた、東日本大震災は、日本のこれまでの社会経済活動のあり方を根本的に問い直し、地域とは何か、共助とは何か、過疎化、高齢化する地域における市民の役割、福祉のまちづくりの役割を問うこととなった。90年代までとはまったく異なるステージに突入したといえる。
福祉のまちづくりのゴールとは、地域やまちづくりの分野ですべての人が「分け隔てのない共生社会」(注1:阪野)の実現を図ることである。「弱くて脆い社会」(注2:阪野)をそろそろ脱皮する必要がある。(「3」10~24ページから抜き書き)

<注1> 「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」、2013年6月公布、2016年4月施行)は、「障害を理由とする差別の解消を推進し、もって全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。」(第1条)。
日本は、2014年1月、「障害者の権利に関する条約」(Convention on the Rights of Persons with Disabilities、2006年12月国連総会採択)を批准した。本条約は、「全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進すること」(第1条)を目的とし、締約国は「この条約において認められる権利の実現のため、全ての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること。」(第4条1(a))を定めている。
<注2> 「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」(「国際障害者年行動計画」(第63項)1980年1月国連総会決議)。

福祉のまちづくりに関する流れを概観すると、福祉のまちづくりは、①当初、障害者自身の自発的な活動すなわち住民主導型から始められたが次第に行政主導型に変化していったこと(「主体の変化」)、②福祉のまちづくりそのものの概念が時代とともに変化していったこと、すなわち当初の「福祉」は障害者を主体的に捉えていたが後年は全ての市民を対象にしていること(「概念の変化」)、③「まちづくり」の目的が道路や建築物といったハードを整備することからまちの中で生活できることへと進化していったこと(「対象の変化」)、④当初は法的拘束力がほとんどなかったが条例の制定等で次第に法的拘束力が強められていったこと(「法的拘束力の変化」)が理解できよう。(「3」200ページ。野村勸「建築分野からみた福祉のまちづくり」『福祉のまちづくり研究』第13巻第2号、日本福祉のまちづくり学会、2011年7月、13ページ)

3.まちづくりの進め方
臨地まちづくりを進める場合の要諦としては、次のような点がある。
① 地元の住民や行政の主体性、独創性を最も重要視する。
② 地域社会を生態的、動態的に扱う。
③ 現地の状況を客観的かつ感覚的、総合的に認識する。
④ 住民の深層内面的コンセンサスが得られるまちづくりの進め方、提案をする。
⑤ 地域の現状・課題把握、政策立案、実施をスピーディに行う。ただし、現場のペースを著しく乱してはならない。
⑥ 政策内容、事業展開に柔軟性を持たせる。現場の事情に応じて対応していく。しかし、基本コンセプト等はできるだけ崩さない。(「1」53ページ)

以上を要するに、まちづくり(「1」でいうひらかれた内発的な課題解決型まちづくり)は、地域の歴史性・固有性、地域住民・行政などの主体性・自律性、実践活動の総合性、計画性、運動性、継続性などにその特性を見出すことができる。まちづくりは、地域(地元)の住民をはじめ行政、組織・団体、NPO、企業などの主体の形成なしにはありえず、主体形成を本質とする。まちづくりは、住民主体・住民主導の内発的な取り組みを基本とするが、その推進を図るためには個々の住民(個人的実践主体)の主体形成にとどまらず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上するための取り組みを必要とする。まちづくりの重要な主体である地元行政や地域の組織・団体・NPO・企業などは、如何にして、ひとつの組織体として「まちづくりの力」を発揮するか、組織体相互の連携・協働(共働)を図るかが問われる。そしてまた、まちづくりの主体を形成(育成)するための教育的営為(「まちづくり教育」「まちづくり学習」「市民性形成」「市民福祉教育」など)のあり方も問われることになる。なお、福祉のまちづくりは、高齢者や障がい者などの社会的弱者に限らず、すべての人が安全で安心して快適に、共に暮らせるまちづくり(「共生のまちづくり」)の推進を図るものである。その意味においては、これまで使われてきた福祉「の」「で」「による」まちづくりは、総合的・包括的な概念である「まちづくり」に包含されることにもなろうか。
ここで、以上との関連で、「まちづくりの方向性と側面」と「キャパシティ・ビルディング」について一言付け加えることにする。
図1は、1990年代以降の地方分権改革の潮流に対応した住民参加・市民主導のまちづくりの方向性と側面(内容)について表示したものである。第1象限(市民主導/行政・専門家支援×創造・変革)が、推進することが志向されるまちづくりである。しかし、現状では、第2象限や第4象限にとどまったり、旧態以前とした第3象限(行政・専門家主導/住民参加×守旧・伝統)に位置づく取り組みが多い。2000年代に入るとまちづくりへの住民参加が制度化されるが、参加主体の多様化や多層化が進み、かえって参加が形式化・形骸化している実態もある。また、内容的には、ハード・ソフト両面にわたって総合的かつ有機的に地域課題を解決することが重要であるといわれるが、個別的・縦割り的なものも多くみられる。
図1 まちづくりの方向性と側面 11月17日17時30分
まちづくりは、それに参加する住民の「個別の能力強化」だけでなく、NPOや地域組織・団体、企業などの組織的な能力の形成・強化・向上を図る取り組み(キャパシティ・ビルディング、capacity building)とそれを促進・支援する専門的人材の育成やシステムの構築が必要かつ重要となる。キャパシティ・ビルディングは、「組織の実績と効果を高めるために、組織強化するプロセス」(「組織の能力強化」)と定義される。それは、NPOや市民活動団体、民間企業などが組織体として、まちづくり活動を推進するために、組織・人材・財源などの組織基盤・基礎体力(キャパシティ)を構築(ビルディング)・強化することを意味する。キャパシティ・ビルディングの取り組みでは、①リーダーシップ力(組織のリーダーのもつべき能力で、発想し、優先順位づけを行い、意思決定し、方向を決めて革新を行う能力)、②適応力(組織が抱える内外の環境変化を観察・評価し、対応する能力)、③マネージメント力(組織のもつリソース(資源)について、効果的・効率的に活用する能力)、そして④技術力(組織が組織運営上あるいはプログラム実施上の機能を発揮する能力)の4つの組織能力が必要とされる(「2」98~99ページ)。
キャパシティ・ビルディングは、東日本大震災を契機に地域の再生・創造が叫ばれ、まちづくりのあり方が改めて問われている今日、注目すべきアプローチのひとつである。

補遺
織田直文は、「臨地まちづくり学」の「臨地」について次のように述べている。

そもそも「まちづくり」そのものが現場性の高いものであって、もともと「臨地」ではないかとの指摘もある。しかしながら、まちづくりには現場から離れた基礎的研究や理論研究もあり、それも対極として重要である。あるいは、まちづくりの現場では、当事者たる住民やそこで地域貢献をする事業者などの自覚と、主体的な取組こそが重要であるとの自戒を促す意味も込めて、あえて「臨地」という言葉で強調しているのである。
さらにそのことを認識したうえで等しく大学の研究者、学生、ジャーナリストといった、外部からの観察者・提案者たちも<まち>を対象に研究をするのであり、その者たちが「その地に臨むこと・現地に出かけること」によるまちづくり研究も、「臨地まちづくり学」なのである。(「1」49ページ。織田直文「臨地まちづくり学の理論と実践―京都市山科区における臨地まちづくりによる地域活性化と教育実践の分析―」『政策科学』第15巻第3号、立命館大学政策科学会、2008年3月、42ページ)

この説述は、研究者や実践者(事業者)の立ち位置や研究・実践姿勢に視点・視座を置くものである。「まちづくり学」は「実践の学」「主体形成の学」であり、その基本的な性格は臨地性と実践性にある。また、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別されるが、この両者を循環的に組み合わせ、相互作用を引き起こすことによって理論の構築が可能となる。とすれば、「まちづくり学」の臨地性を「あえて『臨地』という言葉で強調する」必要はもともとない、といえよう。

追記(2017年9月20日)
「都市計画」と「まちづくり」の違いに関して、ひとつの言説を追記することにする(伊藤雅春・ほか編著『都市計画とまちづくりがわかる本』彰国社、2011年11月、6~7ページ)。

「まちづくり」は運動、「都市計画」は制度、と考えるとします。比較対照して記せば、
まちづくり:地域における、市民による、自律的継続的な、環境改善運動
都市計画:国家における、政府による、統一的連続的な、環境形成制度
となります。
この場合、もう少し限定的にいえば(「まちづくり」は)「市民まちづくり」とするべきでしょう。そして、「制度(法律)」はどのようにつくられるか、ではなくて、どのように使われるか、が問題です。それは、「技術」でも「社会」でも、もちろん「計画」でもそうで、どのように使うかというプロセス・運動が重要となります。(小林郁雄)

「まなびほぐす」ことと「誤解する権利」:鶴見俊輔に学ぶ―資料紹介―

戦後言論界の中心人物の一人であった哲学者の鶴見俊輔が、2015年7月20日に亡くなった(享年93)。雑誌『思想の科学』や「ベ平連」、「九条の会」などが思い出される。学生時代に雑誌『思想』(岩波書店)とともに、『思想の科学』(思想の科学社)に挑戦したことが懐かしい。
いま、筆者(阪野)の手もとには、鶴見の本は3冊しかない。(1)『教育再定義への試み』(岩波書店、1999年10月。以下、「1」と略す。)、(2)『誤解する権利―日本映画を見る―』(筑摩書房、1959年12月。以下、「2」と略す。)、(3)『学ぶとは何だろうか―鶴見俊輔座談―』(晶文社、1996年3月。以下、「3」と略す。)、がそれである。この3冊も、他の著作と同様に、豊富なテーマや項目について自在に考えが述べられ、語られている。その思考は、拡散的思考から最終的には収束的思考(ジョイ・ギルフォード)に導かれる。とりわけ「1」では、生涯にわたって自分らしさをつくり、守るための「自己教育」論が展開される。「2」では、議論や論争は誤解のうえに成り立っていることを理解する(注①)。そして「3」では、豊かな感性と柔軟な思考、多様な他者(幅広い分野)との繋がりや関わりの重要性を思い知らされる(注②)。これらから、我田引水の謗(そし)りを免れないが、「まちづくりと市民福祉教育」に関するいくつかの視点や論点を読み取り、今後の立論の参考にしたいと思う。以下に、「1」と「2」から、鶴見の言説の一部を紹介する。

(1)『教育再定義への試み』
教育は、連続する過程であり、相互にのりいれをする作業である。教える―教えられる、そだつ―そだてられるは、同時におこり、そして一回でおわるのでなく、その相互作用はつづいていく。(43ページ)

教育は、それぞれの文化の中で生き方をつたえるこころみである。それは、あたらしく生まれてくるものにとっては、まえからくらしている仲間をまねることからはじまる。(中略)教えようとおとながこころみるときに、相手の失敗、抵抗、逸脱などから、自分の生き方への思いなおしのいとぐちを見つけることがある。それが、教育が連続する過程であるということであり、教える―教えられるという相互的な過程であるということだ。(中略)
私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらかは変わる。(45~46ページ)

たくさんのことをまなび(learn)、たくさんのことをまなびほぐす(unlearn)。それは型どおりのスウェーターをまず編み、次に、もう一度もとの毛糸にもどしてから、自分の体型の必要にあわせて編みなおすという状景を呼びさました。ヘレン・ケラーのように盲聾唖(もうろうあ)でなくとも、この問題は、学校にかよったものにとって、あてはまる。最後にはみずからのもうろくの中に編みこまなければならない。これがむずかしい。今の自分の自己教育の課題となる。(107~108ページ)

教師が教師であることによって、尊敬されるべきだと考えている教師は、教育をになう条件を現代では失っている。親が親であることによって、尊敬されなくてはならないという考えも、現代では考えなおす必要がある。
生徒の前に、自分自身をもっと前に出す方法を考えたらどうだろう。(131ページ)

死ぬことの準備までを自己教育とし、人間の絶滅までを見すえて自己教育の中にいれる。(中略)自己教育の道しるべ(こざかしく言えば、措定)を、終わりに書く。
一 くらしそのものは、くらしの意識より大きい。そしてもっと重大なものを含んでいる。私自身のくらしは、私の考えをこえる重さをもつ。
二 記録にのこるわずかの数の個人を越える偉大な個人が人間の総体にいる。人間の総体は、どんな偉大な個人より偉大である。
三 専門の思想家の仕事をこえる仕事が、専門の思想家外の人の仕事にはある。教育専門家以外の人たちによって大切な教育がこれまでになされてきたし、今もなされている。(186~187ページ) 

「人は生きているかぎり、今をどう生きるかという問題をさけることができない。今生きているということが、問題をつくる」(132ページ)。鶴見にあっては、そういう人生のさまざまな問題に個々人が立ち向かうときに支えとなるのが、「教育」である。すなわち、教育は、学校教育に焦点化された狭いものではなく、一人ひとりの人間の「くらしそのもの」に関わる、生涯にわたる「自己教育」である。
鶴見は言う。教育(自己教育)は、それぞれの文化のなかで「生き方」を伝える試みであり、それは「まねる」ことから始まる。また、教育は、学んだことを解(ほぐ)す――「まなびほぐす」(ヘレン・ケラーの言葉)ことであり、解したものを自分の寸法に合わせて編みなおす営みである。それによって、教育の目的である「自分らしさ」(integrity)を構築することになる。その自分らしさとは、ひとつに纏められた「全体」(total)ではなく、そっくりそのままの「まるごと」(whole)を意味する(34~43ページ)。
要するに、教育は、「集団として型にはめこむ」(34ページ)ものではなく、従って教師(「教育専門家」)の専有物ではない。教育がもつ本来の姿は、すべての世代の人による教える―教えられるという相互行為のなかに、連続的に見出される。鶴見が説くところである。

(2)『誤解する権利』
学問および評論を商売にするようになってから、とうぜんに論争の中にまきこまれることになり、いかに多くの論争が、誤解の上になりたっているかに気がつかざるを得ない。(中略)
誤解する権利と逆に、誤解される権利というものがある。われわれは、自分たちの心情を直接的にみんなに手わたしすることはできないので、何らかの行動に託して手わたしするほかない。だが、この行動というのは、ずいぶんでこぼこした形のもので、見方によってちがう仕方で光を反射し、どんな動機をその行動の背後に想定するかによって、ぜんぜんちがった意味をもつ行動として映ずる。(中略)
誤解をとくという消極的な作業は、精神衛生的によくないばかりか、客観的に無益でもある。論争という活動がもともと誤解する権利の活発な行使を前提としている以上、むしろわれわれは、誤解される権利を十分に活用して、自分で考えて意味のあると思う行動をどんどんつみかさねてゆくべきではないか。日常のつきあいの世界でも、誤解される権利をもっと活発に行使してゆくほうが、からっとした空気をつくれるように思う。(239~240ページ)

住民参加型のまちづくりでは、住民相互の対話や意見交換が重要な役割を果たす。ときにはそれが、議論や論争に発展することがある。それは、住民個々人の意見や見解の相違を尊重し前提にする限り、至極当然のことであり、無益なことではない。
鶴見は、論争は「誤解する権利」と「誤解される権利」の行使である。「誤解をとく」ことは「客観的に無益」である、と言う。論争は、妥協点を見つけるものではなく、争点や立場の明確化とその認識の共有化を図ることによって新しい価値を創造することに意義がある。「誤解する権利」と「誤解される権利」を活発に行使することによって、自主的・自律的を思考や行動を促すことになる。「まちづくりと市民福祉教育」に関して、鶴見の言説に首肯するところである。
 
以上を要するに、(1)まちづくりの主体形成は、住民が相互に学び―学び合う過程であり、学んだことを解(ほぐ)し、編み直す過程である。(2)まちづくりのための議論や論争は、「誤解する権利」と「誤解される権利」を活発に行使することであり、それによって新しい価値を創造する。筆者が鶴見の言説を通して学んだポイントである。

ところで、唐突であるが、2015年9月19日未明、安全保障関連法が参議院本会議で可決・成立し、日本の立憲主義・民主主義・平和主義に大きな傷痕を残すことになった(注③)。「戦争をしない国」から「戦争ができる国」への転換である。この事態を鶴見はどのように評価し、どのように開陳したであろうか。それを読んだり学んだりすることはもはやかなわないが、いま、「1」の次の一節を思い出す。

私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子岡真史が自殺した。
『生きることの意味』を読んだのは、私の息子が小学校四年生のときで、岡真史(一四歳)の自殺は、その後二年たって彼が小学校六年生くらいのときだったろう。彼は動揺して私のところに来て、
「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」
とたずねた。私の答は、
「してもいい。二つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなったら、その前に首をくくって死んだらいい。」(170~171ページ)


① 本書は、その副題「日本映画を見る」から分かるように、「大衆映画の時評」を集成したものであり、「誤解する権利を使うことによって成りたっている」(241ページ)。
② 本書は、鶴見の対談集「鶴見俊輔座談」全10巻(晶文社)のうちの1巻である。対談者は、谷川俊太郎をはじめとする19名であるが、いずれも「学ぶ」ということを対談テーマにはしていない。ブックカバーの表紙裏書には、次のように記されている。「あたえられたものをそのままのみくだす人間になりたくない。つねに新しい自分のいまの状況のなかから考えていきたい。ああも言えるこうも言える、別の見かたがありうるというその揺れを大切にする。‥‥‥自分自身が何かを求めていることが大切なのであって、すでにそれを得たと思ってしまうのは、まずいんじゃないですか」。これが鶴見が言う「学ぶ」ということである。
また、鶴見は、本書の「あとがき」で次のように述べている。「書かないことが、書くことの中心にあり、話さないことが話の中心にある。書く当人自身が書けないことがのこり、話す当人が話せないことがのこるというだけでなく、書く当人が書かないと自分できめていることがあり、話す当人が話さないと自分できめていることがある」(441ページ)。含蓄のある言い回しである。「書いてないこと」「言わなかったこと」を心にとめるのが「学ぶ」ということなのだろう。それは、「行間」や「言外」の真意を読み取ることでもある。
③ 福澤諭吉は『学問のすすめ』で次のように述べている。付記しておきたい。
ダメな政府に対して取るべき手段 
人民も政府もそれぞれの役割を果たして仲良くやっているときは申し分ないが、そうではなくなって、政府がその役割を逸脱して暴政を行うこともある。その場合、人民がとるべき行動は以下の三つのみである。
すなわち、信念を曲げて政府にしたがうか、力をもって政府に敵対するか、身を犠牲にして正義を守るか、この三か条だ。
第一の「信念を曲げて政府にしたがう」のは、たいへんよくない。
天の正しい道理にしたがうのは、人たる者の仕事である。なのに、その信念を曲げて、政府が作った人造の悪法にしたがうというのは、人たるものの仕事を放棄したことになる。
さらに、一度信念を曲げて、不正の法にしたがったならば、後世の子孫に悪い例を残し、天下に悪い習慣を広めることになる。(中略)
第二に「力をもって政府に敵対する」のは、もちろん一人の力でできることではない。必ず仲間が必要になる。これがすなわち内乱である。これは決して上策とは言えない。
現に戦いを挑んで政府に敵対するときは、物事の道理はしばらく放っておかれ、ただ力の争いになる。(中略)
第三の「身を犠牲にして正義を守る」とは、天の道理を信じて疑わず、いかなるひどい政治のもとで、どんなに過酷な法で苦しめられようとも、その苦痛に耐え、くじけずに志を持ち、何の武器をも持たず、少しの暴力も使わず、ただ、正しい道理を唱えて政府に訴えることである。以上、三つの策の内、この第三の策をもって上策の上とする。(福澤諭吉/齋藤孝訳『現代語訳 学問のすすめ』筑摩書房(ちくま新書)、2009年2月、96~98ページ)。

付記
鶴見の『学ぶとは何だろうか』と同じようなタイトルの本に、第27代東京大学総長を務めた政治学者の佐々木毅のエッセイ『学ぶとはどういうことか』(講談社、2012年3月)がある。佐々木は、「学ぶ」ということは、一定の時間と空間のなかで行われる人間の活動である。人間は「学び続ける動物」であり、「学びは人生と歴史の構成要素」である、と捉える。そして、「学びの4段階」ついて説いている。第1段階:事実ないし確実とされている知識や情報を「知る」こと、記憶すること。第2段階:知識や情報の内容を「理解する」こと。第3段階:事実や事実の関係とされている知識や情報を「疑う」こと。第4段階:既存の知識や情報を「超える」こと、がそれである(79~106ページ)。あえて付記しておくことにする。

“土の人” として地元に学び、地域を創る:教育再生やアクティブ・ラーニングへの思い―資料紹介―

筆者(阪野)は、去る7月31日、富山県社協主催の「平成27年度富山県福祉教育セミナー」に参加する機会に恵まれた。セミナーの前半では、(1)砺波市福祉センター北部苑の「施設の現況と地域との交流」、(2)富山県立南砺福野高校(福祉科)の「地域と繋がるボランティア」、(3)小矢部市社協の「小矢部市社協における福祉教育推進に関する取り組み」について、実践報告がなされた。各報告における鍵となる項目や考え方は、(1)「信頼と熱意により地域が繋がる!/地域が有機的に結ばれる!」、(2)「地域での活動は必要/高校生も、地域の住民の一人として人と関わり、地域づくりに貢献できる」、(3)「福祉教育サポーター養成確保モデル事業(小矢部方式)の取り組み/福祉教育サポーターの選出と養成講座の実施」、などであった。後半では、その報告を受けて、「各取り組みからこれからのヒントを探る」というテーマのもとでシンポジウムが行われた。
筆者は、それぞれから多くの気づきと学びを得ることができた。とりわけ、次のような事柄について思いを致すことができたのは有意義であった。「地元学」(「水俣地元学」)の提唱者である吉本哲郎の言説、文部科学省において小・中・高校への導入が検討されている「アクティブ・ラーニング」と呼ばれる学習・指導方法、そして富山県社協や小矢部市社協などにおける「福祉教育サポーター」養成カリキュラムの研究開発、などがそれである。本稿では、それらの関連資料(論点や言説)の一部を紹介することにする。

(1)吉本哲郎『地元学をはじめよう』岩波書店(岩波ジュニア新書)2008年11月
地元学の目的は、自分たちで(地元に:阪野)あるものを調べ、考え、あるものを新しく組み合わせる力を身につけて(町や村の:阪野)元気をつくることです。(22ページ)

地元の人たちによる地元学を「土の地元学」とします。これが地元学の基本となります。
地域の風土と暮らしは、外的要因、内的要因による変化をつねに受けています。その変化を適正に受けとめ、地元になじませていくのは、当事者であるそこに住む人たちです。(中略)
地元学はあるものを探すことからはじまります。そのときに、地元の人(「土の人」:吉本)たちだけではひとりよがりになってしまうので、外の人(「風の人」:吉本)たちといっしょにやっていくことが必要です。
地域のもっている力、人のもっている力を引き出すことが、外の人たちの役割です。(中略)この外の人たちによる地元学を「風の地元学」といいます。(36~37ページ)

地元学は、ないものねだりはしません。あるものを探し、それを磨いたりして価値のあるものにしていきます。その第一歩は、地元を調べることです。地元の風土や暮らしに「あるもの」(地域情報:阪野)を探していくのです。あるものとは「あるもの、あること、人」のことをまとめて言っています。(38ページ)

地元学は、調べる・考える・まとめる・つくる・役立てる、と言う順にすすめられます。(35~80ページ)
つくる・役立てるのは、ものづくり、地域づくり、生活づくりの三つの分野です。
ものづくりは、地域資源を活用して、草木染め、木工品、野の幸の加工品などをつくります。
地域づくりは、つぎのようなステップを踏んでいきます。①これまでを読む、②変化の風を読む、③これからを読む、④手をうつ。
生活づくりは、地域の素材を使ったり、遊んだりして、地域の暮らしを楽しんでいくことです。でも、生活づくりでだいじなことは家族づくりです。(65~66ページから抜き書き)

「地元学」は、単にその地域(地元)の自然や歴史、文化、産業などについて学問的に調査・考察するものではない。それは、地域の暮らしのなかにあるモノを探し、それを如何に使いこなすかを考え、新たな地域ブランド(「あるもの、あること、人」)を創造・開発するものである。換言すれば、地域づくりのための「実践や運動としての地元学」である。
地元学の主役は、子どもをはじめ高齢者や障がい者、外国籍住民などを含めた、そこに暮らす全ての「土の人」である。その人たちが、「共生・協働(共働)」の理念のもとに、「風の人」の視点や支援を得ながら、歴史・文化・風土に裏打ちされた新たな地域づくりに主体的・能動的・自律的に関わることが肝要となる。それゆえにまた、民俗学や福祉(学)の視点から地域づくりやそのための人づくりについて追究することが求められることになる。
この点に関して、岡村重夫の「民俗としての福祉」概念をめぐる言説を思い起こす。「われわれは老人福祉の法制を語るまえに、老人福祉の習俗を知らねばならず、さらにこの習俗を発展させるための道徳教育について考慮をめぐらせねばならない」と述べ、「老人福祉の民俗学」の必要性を説くのがそれである(岡村重夫「新隠居論序説」『社会福祉論集』第17・18号「生活福祉の諸問題」、大阪市立大学生活科学部社会福祉研究会、1979年3月、157ページ。注①)。岡村が思い描いた「老人福祉の民俗学」の内容については不明であるが、そこには地域・住民の「習俗」(習慣化された生活様式)と社会福祉の関係や教育(「徳教」)の問題が提起されている(柴田周二「宮本常一の民俗学(一)―慣習と人格形成―」『京都光華女子大学研究紀要』第43号、京都光華女子大学、2005年12月、41~42ページ)。それに付言すれば、地域づくり(まちづくり)研究においては、例えば「福祉の民俗学」や「地域づくりの教育学」の構造化や体系化の推進を図ることが求められよう。その課題の追究に際しては、戦前・戦後の郷土教育や生活綴方教育、社会科教育などの歴史的評価や現代的解釈について十分に留意する必要があることは多言を要しない。

(2)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する答申」2012年8月
生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成することができない。従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。すなわち個々の学生の認知的、倫理的、社会的能力を引き出し、それを鍛えるディスカッションやディベートといった双方向の講義、演習、実験、実習や実技等を中心とした授業への転換によって、学生の主体的な学修を促す質の高い学士課程教育を進めることが求められる。学生は主体的な学修の体験を重ねてこそ、生涯学び続ける力を修得できるのである。(中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて―生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ―」2012年8月28日、9ページ)

「アクティブ・ラーニング」(active learning、能動的学習)は、上記の2012年8月の中央教育審議会答申(「質的転換答申」)にその用語が登場し、それ以降、大学の学士課程教育への導入・展開が図られている教授・学習方法である。その導入・展開の背景には、知識を使って主体的に考え、行動できるグローバル人材の育成・確保を必要とする経済界からの要請がある。また、大学を取り巻く経営環境の変化や学生の資質・能力の低下などの教育現場の実態がある。
アクティブ・ラーニングの概念は包括的であり、多様な名称(「学生参加型授業」「協調・協同学習」等)が用いられる。そういうなかで、「質的転換答申」では次のように解説されている。「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である」(同答申「用語集」)。
大学の学士課程教育の「質的転換」は、古典的で受動的な「学修」から主体的・能動的な学修への転換である。そのための教授・学習方法のひとつがアクティブ・ラーニングである。しかし、それは、必ずしも言われるほどの新味性を有するものではない。また、総合的・包括的な概念であるがゆえにか、その整理や構成要素の検討が不十分なままである。その計画・実施・評価のプロセスの進め方、とりわけ評価の観点や方法も曖昧である。何よりも、学士課程教育の教育内容・方法の改善を抽象的に説くにとどまり、学修時間そのものの質量ともにわたる増加・確保策についての言及がない。いずれにしろ、学士課程教育の改善・充実(質的転換)を図るためには、教育方法のひとつであるアクティブ・ラーニングをいかに教育課程のなかに位置づけ、その機能を十全に働かせるか。大学内外の学修支援や協働(共働)の体制をいかに整備・強化するか、などが問われることになる。その点への追究を欠くと、アクティブ・ラーニングはいっときの流行や奇をてらった単なる「用語」に終わることになる。

(3)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する諮問」2014年11月
新しい時代に必要となる資質・能力の育成に関する(中略)取組に共通しているのは、ある事柄に関する知識の伝達だけに偏らず、学ぶことと社会とのつながりをより意識した教育を行い、子供たちがそうした教育のプロセスを通じて、基礎的な知識・技能を習得するとともに、実社会や実生活の中でそれらを活用しながら、自ら課題を発見し、その解決に向けて主体的・協働的に探究し、学びの成果等を表現し、更に実践に生かしていけるようにすることが重要であるという視点です。
そのために必要な力を子供たちに育むためには、「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと、「どのように学ぶか」という、学びの質や深まりを重視することが必要であり、課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や、そのための指導の方法等を充実させていく必要があります。こうした学習・指導方法は、知識・技能を定着させる上でも、また、子供たちの学習意欲を高める上でも効果的であることが、これまでの実践の成果から指摘されています。
また、こうした学習・指導方法の改革と併せて、学びの成果として「どのような力が身に付いたか」に関する学習評価の在り方についても、同様の視点から改善を図る必要があると考えられます。(中央教育審議会諮問「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」2014年11月20日)

アクティブ・ラーニングの学習・指導方法についての検討が、2020年度(小学校)から順次実施される次期学習指導要領の改訂作業のなかでも進められている。その際の改訂の視点は、学校教育の重点を「何を教えるか」から「どのように学ぶか」へと転換することである。また、学習の成果として「どのような力が身に付いたか」を評価することである。しかし、それは、小・中・高校ではすでに「総合的な学習の時間」における学習方法や、各教科・領域における「言語活動の充実」を図る学習指導として取り組まれているものでもある。
いま、なぜ、新たに「アクティブ・ラーニング」(「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」)なのか。学校教育において「生きる力」(1996年7月の中央教育審議会答申)から「確かな学力」(2003年10月の同答申)、そして「道徳力」(道徳の「特別の教科」化、2014年10月の同答申)へと路線変更が進むなかで、その真のねらいや本質を見極める必要があろう。アクティブ・ラーニングでは、児童・生徒の主体性、能動性、活動性、協働性などの育成が重視される。アクティブ・ラーニングの導入は「生きる力」の育成強化策であるとも評される。この点については、教育改革の切り札として2002年度から完全実施された「総合的な学習の時間」における学習活動は低調であり、「這い回る経験主義」という批判にさらされた(さらされている)ことに留意したい。また、アクティブ・ラーニング(学習・指導方法)の画一的な推進は、教育現場の自立性や創造性が損なわれ、学校教育の「改革」や活性化には繋がらない危険性があることを付記しておきたい。

(4)阪野貢「富山県福祉教育サポーター養成カリキュラム(私案)」2015年4月
① オリエンテーション(サポーター養成研修の意義理解、仲間づくり)
② わが“まち”の歴史と文化を学び、個性と魅力を再発見する
③ 子どもと保護者の生活実態を把握し、学校教育をめぐる問題を考える
④ 自律と協働の共生社会を構想し、生涯学習とそのあり方を考える
⑤ 福祉教育のあゆみと現状を理解し、問題点と今後の方向性を探る
⑥ 住民主権・住民自治の認識を深め、福祉によるまちづくりを考える
⑦ コーディネーションとファシリテーションの考え方と展開方法を学ぶ
⑧ フィールドワーク(1)―福祉関係の施設・機関の見学と交流活動―
⑨ フィールドワーク(2)―教育関係の施設・機関の見学と交流活動―
⑩ 選択科目(1)―福祉文化とまちづくに―
⑪ 選択科目(2)―教育文化とまちづくり―
⑫ 福祉ネットワークの現状を理解し、福祉によるまちづくりを展望する
⑬ 学習の総括と今後の取り組み(学習発表)

富山県社協では、2014年度から小矢部市、上市町、入善町の各市町社協をモデル地区指定し、「福祉教育サポーター」の確保とそのための養成カリキュラムの研究開発を進めている。その経緯については、本ブログ(市民福祉教育研究所)に所収の「富山県における福祉教育の取り組みの経緯と今後の方向性」(2013年8月20日投稿)を参照されたい。
上記の項目は、養成カリキュラムのねらいや内容を「私案(素々案)」として示したものである。各市町社協では、地元住民が主体となって、その地域ならではのカリキュラムの編成・実施について協議している。今後は、学習目標の設定をはじめ、学習のテーマや内容・方法、学習の時間や場所、協働・支援体制などについての具体的な検討が必要となる。その際、学習者(福祉教育サポーター)の学習への興味・関心・意欲を引き出すとともに、学習内容の生活性や地域性を考慮し、学習成果の実践化や日常化を図ることなどが肝要となる。
なお、福祉教育サポーターとは、「① 福祉や教育、そしてまちづくりに関心のある多くの人が、② 地元や職場での日々の生活や活動などで得た知識や経験を、③ さらに確かで豊かなものにするために学習(研修)を行い、④ それによって自分や自分たちの能力と地元の魅力を再発見し、⑤ 求められる見識(判断力、考え方)と企画・実践力(福祉力、教育力)、そして意欲(情熱、向上心)を活かし、⑥ 何よりも自信と誠意と信念をもって、⑦ 行政をはじめ学校や社会福祉協議会(以下、社協)、社会福祉施設、公民館、NPО、自治会・町内会、企業などが行う、地元ならではの、新しいまちづくりとそのための「福祉教育」の事業・活動を支援する人をいう」。また、福祉教育サポーターは、「高校生以上の地元住民をはじめ、ボランティアやボランティアサポーター、NPО職員、民生委員・児童委員、福祉推進委員、地域(福祉)活動者、とりわけ団塊世代や高齢者・障がい者」などから選任され、「地区社協に若干名配置し、活動の場は主として地元の小学校区」である(富山県社協「『福祉教育サポーター』養成確保事業要綱」2013年8月1日)。福祉教育サポーター制度の要点のひとつは、サポーターを属人的に捉えるのではなく、個々の地元住民の属性や地元との関係性などに留意しながら、サポーターとしての機能や役割、活動のプロセスを重視するところにある。しかも、福祉によるまちづくりの観点に立ったそれである。

筆者は、8月3日から5日の3日間、福井県立大学大学院の集中講義に出講し、院生と「市民福祉教育」について対話・議論した。ひとりの院生は、軽度の認知症を抱える一人暮らしの母親を毎日のように訪ね、近所の住民の理解や支援を得ながら介護を続ける60歳代の男性であった。氏のテーマは、厚生労働省が2015年1月に策定した「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」を素材に、「認知症への理解を深めるための普及・啓発」や「認知症の人を含む高齢者にやさしい地域づくり」などの推進方策について福祉教育の視点・視座から実証的・実践的に研究しようとするものである。大学院修了後は、その研究成果を踏まえて、地域づくりの市民活動に取り組みたい、という。前述の、ボランティア活動を通じて地域と繋がる南砺福野高校(福祉科)の生徒たちの自信に満ちた実践報告とともに、院生の研究意欲と姿勢には頭が下がる思いであった。
ところで、周知の通り、2015年4月1日から、新教育委員会制度がスタートした。内容的には、教育委員長と教育長を一本化した新「教育長」が首長によって直接任命され、新教育長の権限強化と国の意向の教育行政への反映が図られることになった。それは、教育(教育行政)の政治的中立性と継続性・安定性を損なうものである。また、4月6日に、文部科学省が中学校の社会科教科書の検定結果を公表した。それによって、教科書検定は政府の歴史認識や見解を尊重・宣伝するものであることがより明らかにされた。そしてまた、安全保障関連法案をめぐって、政府・自民党議員による不適切な発言が続いた。「考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要なことを、日本国憲法がダメだと言うことはありえない」(磯崎陽輔、7月26日)、「SEALDs(注②)という学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」(武藤貴也、7月30日。注③)がそれである。政治家の劣化であり、民主主義の空洞化である。
こうした国による教育への不当な介入と管理統制の強化、国会議員による傲岸不遜(ごうがんふそん)な発言や反知性主義の態度こそが、「戦後教育のせいだろう」。前述の高校生や地域住民たちは、“土の人” として、地べたを這いずり回って、コツコツと真摯に地域づくりや教育づくに取り組んでいる。それは、集権的で上からの「地方創生」や「教育再生」とは違う、地域に根ざした“地元学” の確かで豊かな実践である。


① この論考で岡村重夫は、穂積陳重がその著『隠居論』(有斐閣、1915年3月)で説く「老人処遇論としての隠居論」について紹介・検討している。「老人福祉の民俗学の必要性」を指摘する直前の、岡村の次の一文を紹介しておくことにする。
今日の多くの老人処遇論は、「優老の法制」ないしは「優老の社会政策」を論ずるのに急にして、それに先だって優老の習俗や徳教や体制のあることを無視ないし軽視しているのではないか。わが老人福祉法は、いとも簡単に「敬老の日」を法律で制定したけれども、それに先だつ敬老の習俗、徳教、体制についてどれだけの対策を講じてきたか。(157ページ)
② SEALDs(シールズ)は、Students Emergency Action for Liberal Democracy – s の略称である。
③ 武藤貴也の言説に次のようなものがある。それに関する中学校教科書の記述は以下の通りである。
日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」である。
戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会がどんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。
(武藤貴也「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観」2012年7月23日)

国の政治のしくみの根本を定める法が憲法です。憲法は、政府の権力を制限して国民の人権を保障するという立憲主義の思想にもとづいて、政治権力の乱用を防いで、国民の自由や権利を守ります。立憲主義の考えは、政治が人の支配によってではなく、法によって行われることを要求する法の支配の思想とほぼ同じものです。(中略)
国民主権、平和主義、基本的人権の尊重は、日本国憲法の三つの基本原理です。
(『新しい社会 公民』<中学校社会科用教科書>東京書籍、2012年2月、36~37ページ)

大友信勝「『戦後70年』と安保法案」(2015年7月)―資料紹介―

筆者(阪野)は、大友信勝先生から、短い期間ではありましたが直接的・対面的に多くを学ばせていただきました。それは、真に幸運なことでした。あるヒトとコトに対して、一緒に闘ったことも忘れられません。(傲慢・狡猾で真摯さに欠ける反知性主義者との対峙は、そのヒトが哀れで、悲しいものでした。)
その大友先生から本日(7月18日)、以下のような「メッセージ」が届きました。そしてコメントもいただきました。恐縮至極です。ただただ頭が下がります。

少しでも、安保法案について危機感を共有できることを願って、締め切りの過ぎた原稿をわきに置いて「今書かなければ」と一気にかいたものです。「蟻の一穴」といいますが、治安維持法は数次の改正で民主主義の息の根までとめ、反対できないようにして、大政翼賛会をつくり、ひとびとを戦場に送りました。今やるべきことは戦争の準備ではありません。国際的に、紛争の原因となっている「格差と貧困」を解決し、途上国のすべての子どもたちや若者に教育と就労の場を保障していくことこそやるべきことです。人権と生命は、アメリカも日本も途上国も同じ重さです。日本の軍事費を増やし、軍事関連産業を大きくし、教育を統制し、思想・言論を引き締め、福祉を切り下げ、地球の裏側でも戦争できるというシナリオを阻止したいという一念で書きました。平和で国際貢献すべきです。

戦後70年と安保法案
安保法案が2015年7月15日、衆院特別委員会で自公による強行採決、7月16日、本会議採決と国民の声に背を向けたまま、「60日ルール」を目指して暴走しています。9月中旬までに参議院で議決されなくても、衆議院で再議決できるからです。自公の暴挙を国民がゆるし、すぐ忘れると思っているのでしょうか。
私は、安保法案反対の「学者・文化人」、「9条の会」等に加わり、意思表示を明確にしてきました。憲法解釈変更を1内閣が、1回の審議で関連法案10件の一括改正を伴い、ひとりの首相の独断で、しかも集団的自衛権行使という戦争への道を、憲法第9条を突き崩す一方的解釈変更として強行採決していく姿に危機感を抱いています。日本は、民主主義からファシズムへの変質に入ろうとしているかのようです。自民党のハト派は飛び去って、いつの間にか良識的な保守から超右寄りへ衣替えしていることにも驚きます。その自民党を「平和の党」を自称する公明党が国民の合意形成を目指す「熟議」を置き去りにし、強行採決を担い、補完し、関係者からたしなめる声もなく粛々と従っていることにも驚きを禁じえません。
現行憲法で集団的自衛権が行使できるかどうかという憲法解釈がキーワードであり、憲法学の解釈を謙虚に聞くべきです。首相の独断に耳触りの良い側近と同調者を集め、国際情勢が変化していることを理由に、戦後体制からの歴史的脱却を図ろうとしています。
「昭和の時代」、日本がアジアの国々に、世界に何をしたのか。あの大戦を二度と繰り返してはなりません。私は戦時下に生まれましたが戦争の記憶はありません。しかし、戦後の義務教育を生活綴り方(北方性教育運動)を理由に治安維持法で投獄されていた先生方から受けました。大学に入り、東大セツルメントで治安維持法違反により、6回逮捕・投獄された先生から「社会福祉総論」を学びました。何を学び、次の世代に何を伝えるのか。その役割を自覚的に自らの使命とすべきであろうと考えています。
現代史は米騒動(1918年)から始まります。普通選挙の実施と共に治安維持法(1925年)が国会を通過します。以後、治安維持法は数次の改正を繰り返し、思想・言論・結社等を取り締まり、最後は民主主義のすべてを圧殺し、大政翼賛の体制に入ります。
「昭和の時代」、複雑な社会的背景がありますが直接的にみると「満州事変」(1933年)が引き金です。世界大恐慌(1929年)による不況に対して満州(中国東北部)を「生命線」として権益確保を図った軍部の独走から始まります。兵力不足を開拓青少年義勇軍、農村不況から分村移民の奨励で行い、国策に従った人たちが敗戦時に取り残され、多くの人たちが生命を落とします。「日中戦争」(1937年)が短期決戦といいながら多くの戦死者をだし、泥沼に入り、戦線を広げ、長期化し、これが全面戦争へと進み、「太平洋戦争」(1941年)に入ります。国力の違うアメリカに「短期決戦」を挑みますが長期化し、最後は和平工作も進まず犠牲を拡大します。誰も、どこも戦争の責任を取ることなく敗戦を迎えます。
日中戦争から敗戦まで、軍人・軍属の死者、約230万人、そのうち、60%が餓死者だったという研究があります。無謀な戦線拡大で補給がなく、玉砕を命じたからです。サイパン島陥落(1944年7月)で日本軍の敗戦は決定的になります。それからの犠牲が圧倒的に増えますが敗戦を認めようとはしません。サイパン島陥落から、沖縄の地上戦、戦死者約20万人、うち、沖縄県民約94000人、沖縄出身の軍人・属約28000人、その後に本土に移り、東京大空襲で10万人、その他の都市での空襲で50万人、原爆で広島、14万人、長崎で7万人、満州は開拓民22万3千人のうち、帰国できたのは14万人、満州でも最初に逃げたのは軍隊、沖縄戦でも軍隊は民間人を守りませんでした。これだけではありません。当時、植民地だった朝鮮半島からの強制連行、従軍慰安婦、そして、戦場と化した東アジア、東南アジア、太平洋諸島で何千万人という、どれほど多くの現地の罪のない人々を巻き込み、その人権を蹂躙し、生命を奪ったことか。
戦争とは何か。水木しげるは「お国のために、といわれて考えること許されぬ時代、土色一色に塗られて死場へ送られる時代だ。人を一塊の土くれにする時代だ」と出征前の日記に書いています。森村誠一は「状況が70年前と似てきていると思います。怖いのは戦争体験者がどんどん減っていることですね。戦争では敵国だけが敵ではなくて戦場に引っ張りだす前に国民を殺す。国家によって個人の人生が破壊されてしまうんです」と「言論、思想、表現の自由」が縛られることを問題にしています。自民党の勉強会は「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」、「沖縄の二つの新聞社を絶対つぶさなあかん」と言っています。「学問の自由」に対して、首相は国立大学の入学式・卒業式で国旗掲揚、国歌斉唱を「実施すべきだ」といい、文科相も追認しています。教育への不当な介入が始まっています。
「外国人記者」の目は、マスコミの「政権批判が減った」、「損するのは市民」と政権与党の報道規制を取り上げ、すでにマスコミの権力批判の自粛が始まったと見抜いています。本年3月、ドイツのメルケル首相が訪日しました。講演会が象徴的でした。マスコミ各社から選んだのは「朝日新聞社」の招待を受ける形での講演です。講演は、歴史認識で「過去と向き合う」ことを強調し、原発について「脱原発は福島がきっかけ」と発言しました。暗に、日本の歴史認識、原発政策への批判が込められていました。第二次世界大戦の敗戦国で、日本とドイツの違いに目を見張りました。なぜなのか、を印象付けられました。
誰のための、何のための戦争なのか。国民の生命と財産を守るというが、沖縄で、満州で民衆を巻き添えにしたが守ることはしなかった。途上国に貧困と失業を作り、不安定な世界情勢を改善しないで、戦争により、先進国が紛争地帯を軍事力で屈服させて平和が来るであろうか。憎しみと復讐を増幅させ、悪循環をつくるだけではないか。政権与党の歴史認識が妥当だとは思えない。そもそも美しい戦争はありようはずがない。仮想敵国を攻撃して、国民を守るという発想は成立しない。広島、長崎の原爆、沖縄戦の地上戦、これを学ばず、また繰り返すというのであろうか。本当に、国民を守る戦争があるというのなら、強行採決ではなく、十分な時間をとり、丁寧な説明を行い、国民に信を問う総選挙を行うべきであろう。首相自らが「国民の理解が十分でない」と認める法案をなぜ、強行突破するのでしょうか。憲法第9条を変えるのであれば、解釈改憲という姑息な手段ではなく、国民の合意形成を図る手続きを取るべきであろう。憲法という一国のよって立つ指針を根本的に変える手続きを1内閣の独断でやるというのは傲慢であり、暴挙というしかないであろう。
社会福祉学は、社会的に最も困難な方々の暮らしと人権、尊厳を支えていく学問である。平和的で対等・平等な関係の中で合意形成と同意を得て取り組んでいく手続きの民主主義が生命線の学問です。ソーシャルワークはエンパワーメントを重視しており、権力による思想、表現の統制、拘束とは無縁です。権力者が口当たりのいい人、すり寄ってくる人々だけ集め、異質を排除すれば、それは独裁の始まりであり、ファシズムへの道となるでしょう。首相は、一国を左右する権限を持っていることへの謙虚さが必要であり、合意形成への限りをつくし、生命と尊厳を自国だけではなく、他の国々に対しても同様に大事にする見識が求められて当然でしょう。歴史と向き合うこととは、憲法第9条を抱くことになった真の戦争責任への自覚と反省だろうと考えます。それが第13条や第25条とつながる「大砲より人」を大事にする思想と理念というべきです。
戦後70年、私たちは歴史の転換期に立っています。権力の横暴に立ち向かい、歴史のターニングポイントをしぶしぶ見過ごし、結果として黙認するのではなく、声を上げ、手を広げ、次の世代、そしてさらに続く次の世代に「平和」を引き継げるようにしていくことではないでしょうか。東アジアの人々、先の戦争で人権と生命を奪った国々の人々に対して、不戦を誓うことではないでしょうか。民主主義と平和を求める声を権力で圧殺し、思想・言論・出版の自由を奪うことにつながる道へ逆戻りさせてはならないと危機感を抱きながら、声を上げるのは今だと考えています。東アジアとの学術的な民間交流につとめ、未来志向の関係を築いていくことから始めようではないか、と考え、ささやかなメッセージを送ります。
2015年7月17日/大友信勝