「ディスカッションルーム」カテゴリーアーカイブ

反知性主義と熟議:2015年7月15日の「権力の暴走」に思う―資料紹介―

地域の懇談会や行政の委員会などに参加すると、深い議論や合意形成を阻害するような物言いや振る舞いをする人に出会うことがある。「よく分かりませんので、多数決に従います」(住民)。「私たちはこのように考えていますので、その点だけはよろしくお願いします」(組織代表者)。「そのような前例はありませんが、貴重なご意見として今後の参考にさせていただきます」(行政職員)。「専門家としての知見や経験から言えば、このように考えるべきだと思います」(学識経験者)、などがそれである。これらは、合理的思考や理性的判断の停止、目先の利害の優先、大勢への迎合を意味する。それは、子どものいじめや“危険な政治家”による反対意見の圧殺などで指摘される「反知性主義」(anti-intellectualism)の態度である。
いま、筆者(阪野)の手もとには、「反知性主義」に関する本が3冊ある。取り急ぎ、それぞれにおいて注目したい論点や言説を紹介することにする。

(1) 森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―』新潮社、2015年2月
「知性」とは、単に何かを理解したり分析したりする能力ではなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む、ということだろう。知性は、その能力を行使する行為者、つまり人間という人格や自我の存在を示唆する。知能が高くても知性が低い人はいる。それは、知的能力は高いが、その能力が自分という存在のあり方へと振り向けられない人のことである。(260ページ)

「反知性」とは、知性が欠如しているのでなく、知性の「ふりかえり」が欠如しているのである。知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。もっとも、知性にはそもそもこのような自己反省力が伴っているはずであるから、そうでない知性は知性ではなく、したがってやはり知性が欠如しているのだ、という議論もできる。どちらにせよ、反知性主義とは、知性のあるなしというより、その働き方を問うものである。(261~262ページ)

知性と権力との固定的な結びつきは、どんな社会にも閉塞感をもたらす。現代日本でこの結びつきに楔(くさび:阪野)を打ち込むには、まずは相手に負けないだけの優れた知性が必要だろう。と同時に、知性とはどこか別の世界から、自分に対する根本的な確信の根拠を得ていなければならない。日本にも、そういう真の反知性主義の担い手が続々と現れて、既存の秩序とは違う新しい価値の世界を切り拓いてくれるようになることを願っている。(275ページ)

(2) 内田樹編『日本の反知性主義』晶文社、2015年3月
「知性的な人」たちは単に新たな知識や情報を加算しているのではなく、自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替えている(中略)。知性とはそういう知の自己刷新のことを言うのだろうと私は思っている。(内田樹:20ページ)

知性というのは個人においてではなく、集団として発動するものだと私は思っている。知性は「集合的叡智」として働くのでなければ何の意味もない。単独で存立し得るようなものを私は知性と呼ばない。(内田樹:22ページ)

反知性主義を決定づけるのは、その「広がりのなさ」「風通しの悪さ」「無時間性」だということである。
反知性主義者たちにおいては時間が流れない。それは言い換えると、「いま、ここ、私」しかないということである。反知性主義者たちが例外なく過剰に論争的であるのは、「いま、ここ、目の前にいる相手」を知識や情報や推論の鮮やかさによって「威圧すること」に彼らが熱中しているからである。彼らはそれにしか興味がない。(内田樹:41ページ)

反知性主義の際立った特徴はその「狭さ」、その無時間性にある(中略)。長い時間の流れの中におのれを位置づけるために想像力を行使することへの忌避、同一的なものの反復によって時間の流れそのものを押しとどめようとする努力、それが反知性主義の本質である。(内田樹:60ページ)

知性とは、自分の頭で吟味し、疑い、熟考する能力や態度のことである。それは「結論先にありき」の予定調和や、紋切り型でお仕着せの思考を拒絶する。知性の発動に「ショートカット(近道)」はあり得ない。(想田和弘:243~244ページ)

知性が間断なく活発に発揮されるためには、苦労して到達した地点にしがみつくことなく、いつでも捨て去り更新する勇気や気力を維持することが必要になる。(中略)
反知性主義に陥らないためには、私たちはこのような知性の習性を充分に理解し、肝に銘じなければならない。のみならず、絶えず自らの態度を点検し、観察し、注意深く振り返る作業が不可欠である。(中略)反知性主義的態度は、本人がそう自覚せずとも、知らず知らずのうちに忍び寄るものだからである。
可能な限り先入観と予断と予定調和を排し、自分を含めた「世界」をよく観て、よく耳を傾けること。目的やゴールはとりあえず忘れて、目の前の現実を虚心坦懐に観察すること。
そのような姿勢こそが、反知性主義の解毒剤たりうるのだと思う。(想田和弘:257~258ページ)

(3) 佐藤優『知性とは何か』祥伝社(祥伝社新書)、2015年6月
反知性主義を大雑把に定義するならば、「実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」である。
新しい知識や見識、論理性、他者との関係性などを等身大に見つめる努力をしながら世界を理解していくという作業を拒(こば)み、自分に都合が良い物語の殻(から)に籠(こ)もるところに反知性主義者の特徴がある。合理的、客観的、実証的な討論を反知性主義者は拒否する。
もっとも、反知性主義者が、自分の物語に閉じ籠もっているだけならば、他者に危害は加えないが、政治エリートに反知性主義者がいると、国内政治、国際政治の両面でたいへんな悪影響を与え、日本の国益を毀損(きそん)することになる。(16ページ)

反知性主義者は、知性を憎んでおり、筋道が通った、論理的かつ実証的な言説を受け止める気構えがない(中略)。それだから、反知性主義者を啓蒙(けいもう)によって、転向させるという戦略は、ほとんど無意味だ。知性の力によって、反知性主義者を包囲していくというのが、筆者が考える現実的な方策である。(86ページ)

実証性、客観性を軽視もしくは無視しているので、事実に基づいた反証を反知性主義者は受け入れないのである。知性による説得ということ自体を拒否している。反知性主義者は、閉ざされた世界観の中で自己充足しているので、外部を持たない。本質において、対話が不可能なのである。
したがって、反知性主義者に対しては、こういう人々が力を背景に自らの心から生じた政治路線、経済政策を他者に強要していくことを、公共圏の力で封じ込めていくという方策しか取れないのだと思う。(146ページ)

反知性主義の罠にとらわれないようにするための処方箋は難しくない。知性を体得し、正しい事柄に対しては「然(しか)り」、間違えた事柄に対しては「否(いな)」という判断をきちんとすることだ。その場合の実践的な技法を、(中略)三箇条にまとめておく。
第一は、自らが置かれた社会的状況を、できる限り客観的にとらえ、それを言語化することだ。(中略)
第二は、他人の気持ちになって考える訓練をすることである。
第三は、(中略)「話し言葉」的な思考ではなく、頭の中で自分の考えた事柄を吟味してから発信する「書き言葉」的思考を身につけることだ。(中略)
このような知性を強化する作業を継続することによって、信頼、希望、愛など「目には見えないが、確実に存在する事柄」をつかむことができるようになれば、もはや反知性主義を恐れる必要はなくなる。(264~265ページ)

反知性主義という言葉や概念は、アメリカのキリスト教を背景にした宗教的なものである(Richard Hofstadter,Anti-Intellectualism in American Life,Knopf,1963.田村哲夫訳『アメリカの反知性主義』みすず書房、2003年12月)。それは、「知性と権力の固定的な結びつきに対する反感」「知的な特権階級が存在することに対する反感」である。反知性主義がアメリカで「力をもつ」のは、「アメリカがあくまでも民主的で平等な社会を求めるからである」(森本:262、264ページ。注①)。「反知性主義には、知識をエリートが独占していることに対する異議申し立てという民主主義的側面もある」(佐藤:4ページ)、などといわれる。
反知性主義という言葉を日本において見聞きするのは、最近のことである。しかも、それは、日本の今日的な政治状況との関わりでネガティブな言葉として使われることが多く、アメリカにおける用法と趣を異にする。
戦前の国家主義・全体主義を彷彿とさせる、強権的なやり方を採る政権中枢の政治家や、学問や知性を軽蔑・侮辱した発言をし、難解な言葉や考えを好まないと思われがちな一般市民(注②)に巧みにアピールする地方の扇動政治家(デマゴーグ)などが、日本政治の反知性主義化を促進させている。彼ら(反知性主義者)は、自分に都合のよい世界や物語の殻に閉じこもり、そこでは英雄気取りで勇ましく、雄弁に語る。しかし、広い世界で、またさまざまな物語について討論しようとはしない。そこにあるのは独りよがりの思い込みであり、単なる思い上がりである。そして、判断や行動の偏りである。彼らは現代の “裸の王様” である。
こうした反知性主義的な姿勢や態度を示すのは、(一部の)政治エリートだけではない。本稿の冒頭に記したように、身近な場や機会において、また問題をめぐって反知性主義的な思考や態度を採る学識経験者や行政職員、市民エリートや一般市民に出会う。彼らは柔軟性や融通性が乏しく、あるいは欠落し、相互理解や合意形成に向けた対話や議論に消極的であったり、拒否したりする。
反知性主義者の意識や考え方を教育・啓発によって変えるのは難しい、といわれる(佐藤:86ページ)。そうだとすれば、真の反知性主義がもつ平等主義や民主主義の側面を強く認識する。そして、真の反知性主義がその民主的機能を果たすことができるよう社会的・政治的・文化的環境を醸成し、条件を整備することが肝要となる。
そこに求められるのは、多くの当事者・利害関係者による「熟議」(熟慮し議論すること)である。物事を投票による多数決で決めるいわゆる「集計民主主義」(aggregative democracy)ではなく、信頼に基づく話し合いを通じて意見や選好が変容する過程を重視するいわゆる「熟議民主主義」(deliberative democracy)である。
ここで、「熟議の意義」について鈴木寛が整理するところを紹介しておくことにする。(1)情報洪水、過剰情報の社会のなかで、狼狽・動揺し、思考停止している自分に気づき、「我」にかえる。(2)直面する問題や現場をめぐって、自分の知らないさまざまな「経験」や「実践」があることに気づく。(3)自らのなかのいろいろな自分を発見し、自らの存在(立場や判断など)の複雑性や多様性を「自覚」する。(4)熟議を通じて、真の友人や同志を得る場や機会が生まれる。(5)熟議によって合意形成がなされるのではなく、コミュニケーションの生成とさまざまな実践が協働で始まる、がそれである(鈴木寛『熟議のススメ』講談社、2013年5月、36~41ページから抜き書き)。
こうした熟議は、「参加」と「平等」、そして「自律」を前提にすることはいうまでもない。それはまた、それゆえに、王様に向かって「でも、王さま、はだかだよ。」と言い放つ小さな子どもを育成・確保することになる。そして、それによってこそ、健全な民主主義が成立する。


① アメリカに移植されたキリスト教は、神と人間が対等な契約関係に立つというところから出発した。そうなると互いに権利と義務を有する結果になる。「つまり、人間が信仰という義務を果たせば、神は祝福を与える義務を負い、人間はそれを権利として要求できる」(森本:24ページ)。神の前で人は全て平等であり、学歴や教会の認知がなくても伝道者になれる。これがアメリカの反知性主義の根源である([書評]神戸大学名誉教授・吉田一彦が読む 森本あんり著『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―』『産経ニュース』2015年4月19日)。
② 筆者は、高い知性や豊かな教養をもち、誠実に振る舞い、“しなやか” で “したたか” に生きる市民(住民)を数多く知っている。

まちづくりにおける「合意形成」とマルチステークホルダー・プロセス(MSP)―資料紹介―

熱心なブログ読者から、まちづくりにおける「総論賛成・各論反対」の状況を打開するための「合意形成」に関して、参考になる「モノ」を紹介してほしいという連絡をいただきました。おそらくそれは、6月1日にアップした拙稿「市民自治とまちづくり―その立ち位置とプロセスを考える―」をご笑覧いただいたうえでのことであろうと推察します。
いま、筆者(阪野)の手もとにある「モノ」(資料)は、3冊の本と1通の報告書だけです。以下がそれです。
(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月。(以下、「1」と略す。)
(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月。(以下、「2」と略す。)
(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月。(以下、「3」と略す。)
(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月。(以下、「4」と略す。)

ここでは、それぞれの資料のなかから、個人的に注目したい「モノ」(言説)を2、3紹介することにします。なお、「2」には「合意形成学関連書籍リスト」が掲載されています。

(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月
仮に「市民は政策判断に必要な知識をもっていない」という前提を認めたとしても、そこから「専門家が市民に代わって意思決定すべきである」という結論を導く論理は飛躍している。「市民が必要な知識を専門家から学び意思決定に関与する」という論理も同時にありうる。国づくり、まちづくりに関わる喜びは専門家だけの特権ではない。(小林清司:13ページ)

合意とは、必ずしも形成するものではない。自然と形成されるものでもある。それゆえ、土木事業者が自らの信頼性を保ち、毅然とした態度をとり、人々の良識を信頼し、そして人々の信頼を確保することで人々の公共心による議論が成立するのなら、長期広域の影響をもつ土木事業においてすら、「決める」までもなく「決まる」ことも少なくないのかもしれない。
合意形成論、それは、人間の社会の根幹に関わり、そのあり方そのものを問うきわめて重大な意味をもつ議論である。(中略)いま、ここに居るわれわれにできることがあるとするのなら、それは、真の合意の達成を信じたうえで、社会全体を巻き込む合意形成の言論とその実践、それらを、各人の領分と役割の中で、一つずつ真摯に重ねていくことのほかは、ない。(藤井聡:43~44ページ)

意を同じくするのが同意であり、意を合わせるのが合意だとするなら、同意は自らの良識に基づく判断の結果として人々の意が同じくなる半ば必然的な現象を意味し、合意には何らかの妥協や打算も入り混じったうえで意を合わせるという社会的行為を意味するものではないか(中略)。「良い社会とは何か」という途方もない問題を考えるにあたり、あり得る一つの、あるいはともするなら唯一の回答は、打算と妥協を交えた合意の形成ではなく、先人たちと子々孫々との共有を前提とした良識に基づく同意の形成ではないか、と考えるに至りました。
良い社会に向けた同意の形成、そのためには、さまざまな社会的役割の中で責を負われている方々の、その責を前提とした具体的行動が、いま、ただちに、一つでも多く必要とされているのではないか、と思われてなりません。(藤井聡:173~174ページ)

(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月
合意形成とは、多様な意見の存在を踏まえ、対立が紛争に至ることを回避し、より高次の解決に導くための創造的な話し合いのプロセスである。したがって、合意形成は、たんなる説得や妥協、討論のための討論ではない。また、論者のだれかが勝利を収めるための論争ではない。関係者のだれもが納得する解決策を創造するための協働的な努力である。(桑子敏雄:189ページ)

社会的合意形成とは、(特定利害関係者の間の合意形成ではなく:阪野)、社会基盤整備のように、ステークホルダー(事業に関心・懸念を抱く人びと)の範囲が限定されていない状況での合意形成である。すなわち、不特定多数の人びとのかかわる合意形成である。(桑子敏雄:179ページ)

社会基盤整備のような不特定多数を対象とする合意形成プロセスの構築は、3つの大きな要素で構成される。すなわち、制度と技術と人である。このことは、この3つの項目に対応する人びとの関係の構築であるといってもよい。すなわち、制度を代表する行政機関に属する人びと、技術や知識をもつ専門家の人びと、および事業の影響を直接受ける人びとや一般市民である。(桑子敏雄:180ページ)

「合意」は、(全員の意見の一致を意味するのではなく:阪野)、①全員が賛成すること、②反対者がいなくなること、③反対者を少なくすること、④反対者を少なくするよう努力すること、というように、幅をもってとらえられる。(猪原健弘、266ページ)

(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月
参加者の討議技術の違いを乗り越えて、参加者が建設的な議論ができるように、中立的な立場で議論の手助けをする立場の人がプロセスの進行を司ることが必要です。この立場の人を「ファシリテーター」と呼びます。(225ページ)

ファシリテーターには次のようなことが求められます(ファシリテーターが持つべき基本的スキル)。
①課題となるテーマから中立であること。
②すべての参加者が自分の意見を述べることができるように工夫すること。
③不公平感をもたれないようにとりまとめること。
④時間の管理に十分に留意すること。
⑤参加者と十分に打ち解け、コミュニケーションがとれていること。
⑥参加者の真意を聞き出すテクニックを持っていること。(228~230ページから抜き書き)

合意形成プロセスの参加者に求められる能力としては、大きく4つの能力があると考えます。
第一に、論理的思考力です。論理的思考力をさらに細分化すると、帰結を考える力、理由を考える力、論点整理する力などが該当します。論理的思考力が欠けていると、思い込み、鵜呑み、ムダが起こります。
第二に、発想力です。発想力は、発散思考力、結合思考力に分けられます。発散思考力とは、自分でさまざまなアイディアを思いつく能力といえます。結合思考力とは、一見関係のないようなアイディアをくっつけて新しいアイディアをつくりだす能力といえます。発想力が欠けていると、過去の事例にとらわれてしまうこと、自分の考え方に固執してしまうことが起こります。
第三に、対応力です。対応力は、即応力と適応力からなります。即応力とは、すぐに対応できる力です。適応力とは、場に応じた対応ができる力です。対応力が欠けていると、タイミングを逸してしまうこと、空気を読めない行動をしてしまうことが起こります。
第四に、コミュニケーション力です。コミュニケーション力とは、認識力(聴く力)と表現力(話す力)からなります。コミュニケーション力が欠けていると、他人の考え方を十分にくみ取れないこと、自分の意図を他人に伝えられないことが起こります。(240~242ページから抜き書き)

(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月
マルチステークホルダー・プロセス(Multi-stakeholder Process:MSP)とは、平等代表性を有する3主体以上のステークホルダー間における、意思決定、合意形成、もしくはそれに準ずる意思疎通のプロセスをいう。ここでいう平等代表性(equitable representation)とは、マルチステークホルダーにおけるあらゆるコミュニケーションにおいて、各ステークホルダーが平等に参加し、自らの意見を平等に表明できるということであり、また、相互に平等に説明責任を負うということである。(61ページから抜き書き)

マルチステークホルダー・プロセスが適する条件は次の3点である。
①参加主体間に、対話が不可能であるまでの対立が発生していないこと。
②取り扱われるテーマがある程度具体性を帯びているものであること。
③最終目的が参加主体間で共有され、かつ、対話を経ることにより目的が達成される合理的な可能性(reasonable probability)があること。(61ページ)

マルチステークホルダー・プロセスによって得られるメリットは次の5点である。
①対話や情報共有等を通じて、参加主体間に一定の信頼関係が醸成されるとともに、相互にとって最善の解決策を探ろうとする姿勢(win‐win attitude)が創出される。
②広範なステークホルダーが参画することによって、対話の成果である決定や合意等への幅広い正当性(Legitimacy)が得られる。
③各ステークホルダーが主体的に参画することにより、それぞれの主体的な取組が促される。
④単独の取組もしくは二者間の対話のみでは解決できない、もしくは、十分な効果が得られない問題が、3主体以上の関与によって解決可能になる。
⑤各ステークホルダーが自己利益のみを目指して行動した場合、結果として各主体の利益が損なわれるという“囚人のジレンマ”的な状況にある問題が解決可能になる。(62ページ)

まちづくりにおける合意形成については、以上のうちとりわけ「2」の「社会的合意形成」と「4」の「マルチステークホルダー・プロセス」の言説が注目されます。ここで、それとの関わりで、2、3の基本的事項について若干述べることにします。
「まちづくりにおける合意形成は、さまざまな人々の異なる思いを『つなぐ』過程の積み重ねである」(「1」158ページ)といわれます。合意をめざす社会的事象や意見、意思などの多様性を考えると、まちづくりにおける合意形成は、例えば、①どのような社会的事象や社会的課題をテーマにするのか、②ハードあるいはソフトを中心に考えるのか、両者を組み合わせた総合的なものをめざすのか、③地元の自治会・町内会から市町村全域に至るどのレベルの範域を対象にするのか、④参加主体を特定の利害関係者に限定するのか、一般市民まで広げるのか、等々によって合意の目標や内容、合意形成プロセスの進め方、合意形成のための方法や技術などが異なります。これが一点目です。
二点目は、まちづくりにおける合意形成では、「時間」と「空間」と「ヒト」のバランスを図ることが肝要となる、ということです。「時間」については、現在の課題や市民だけでの合意ではなく、将来の課題や市民のことを考える。「空間」については、自分の地域(地元)だけでの合意ではなく、他地域を含めた広域(市域、県域など)のことを考える。「ヒト」については、活動的な市民や有識者が主体となった合意ではなく、社会的弱者や無関心層などに十分配慮する、ことが大切になります(「3」151ページ、土木学会コンサルタント委員会合意形成研究小委員会『社会資本整備における市民合意形成』科学技術振興機構Webラーニングプラザ、2007年3月、5ページ参照)。
三点目は、合意形成を推進するためには、「3」が説くファシリテーターや参加主体に求められる“技術”や“能力”を有する「人材」をどのように育成・確保するかが重要な課題となる、ということです。その点に関して、例えば、学校教育においては、小・中学校国語科の「話すこと・聞くこと」領域で合意形成を図る(めざす)学習が取り組まれています。また、シティズンシップ教育においては、コミュニケーション力とともに合意形成力を育てる学習が重視されます。なお、「3」には、大学の授業や各種企業研修などにおいて使える「参加者の能力を高めるためのアクティビティ」(「スピーチアンドクエスチョン」「全員参加型ディベート」「ロジックゲーム」「ディスカッションバトル」「ロールプレイング会議」「ネゴシエーションゲーム」)が紹介されています(「3」242~260ページ)。
いずれにしろ、多数決による安易な合意ではなく、多様な参加主体が相互信頼に基づいて深く議論(熟議)し、適切な方法やプロセスを踏まえて「納得」する合意を積み重ね、自律的・主体的に行動することがまちづくりの真骨頂(本来の姿)です。

最後に、以上で紹介したことをベースに、若干の管見も含めて、「合意」「合意形成」「マルチステークホルダー・プロセス」の関係性を図示することにします(図1)。本稿のねらいは、資料紹介に併せて、この作図にあります。

NSP7月1日最終版

「生活綴方教育と福祉教育」に関する研究への端緒:国分一太郎の1936年論文―資料紹介―

福祉教育の歴史は終戦直後から始まると捉えるのが通説である。しかし、それは戦前の福祉教育に関する歴史をふまえたものではない。戦前に関しては、更なる検討が必要とされる2つの説があるにすぎない。それは福祉教育の遡及的原点を大正デモクラシー期の新教育運動に見出す説と、地方改良運動に見出す説である。前者に関しては村上(1994)が、大正デモクラシー期の新教育運動の中でも、とりわけ「池袋児童の村小学校」の野村芳兵衛による生活教育や修身教育の実践を、福祉教育の遡及的原点として紹介している。後者に関しては、大橋(1997)が地方改良運動の諸実践の中には今日の福祉教育と同じような実践がみられると述べている。(三ツ石行宏「<解題>福祉教育史研究の課題と展望―阪野論文に導かれて―」日本福祉教育・ボランティア学習学会20周年記念リーディングス編集委員会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸~学際性と変革性~』大学図書出版、2014年10月、52ページ)

筆者(阪野)は、福祉教育の歴史研究に関して、1930年代の生活綴方教育の実践や運動のなかに今日の福祉教育実践の側面や要素が含まれていたのではないかという仮説を設定している。その実証的検討の端緒になるであろうと思われる論考に、太郎良信「国分一太郎による生活綴方教育批判の検討―1936年から1939年における―」『文教大学教育学部紀要』第45集、文教大学、2011年12月、21~38ページ、がある。
太郎良信(たろうら しん)はその論考で、国分一太郎(1911年3月~1985年2月)は、1930年以降1935年までは綴方(作文)を通して生活の現実に学ぶ教育実践(「生活勉強」)について説いていた。1936年から1939年にかけての時期には生活綴方教育批判の立場に転じ、また綴方教師たちに地域における啓蒙活動に取り組むことを呼びかけた、と述べる。その点を太郎良は、生活綴方教育批判を主題としていると考えられる国分の7本の論文を時系列に並べ、丁寧かつ深く分析・検討することによって明らかにしている。
1936年は、二・二六事件が発生した年である。それは、1929年10月に始まる世界恐慌をひとつの契機に経済的・政治的・社会的矛盾と混乱が深刻化するなかで、日本が軍国主義化・ファシズム化を進め、日中戦争(1937年7月勃発)と太平洋戦争(1941年12月勃発)への道を辿るターニングポイントとなった。1936年はまた、国分にとっても特筆されるべき年である。国分がその重要な担い手であった北方性教育運動(生活綴方教育運動)が衰退傾向を示し、その運動の拠点であった北方教育社(1929年6月、秋田市に創立)が同年8月に閉鎖に追い込まれている。それは、「視学などの圧力と、内部的な脆弱性」(津田道夫『国分一太郎―抵抗としての生活綴方運動―』社会評論社、2010年1月、150ページ)によるものであった。なお、1936年の前年1月に、国分がその中心的役割を果たした北日本国語教育連盟(秋田市)が正式発足し、8月には国分がその組織強化活動に関わった北海道綴方教育連盟(釧路市)が設立されている。
さて、本稿では、太郎良が紹介・検討する7本の論文のうちから、国分が「社会事業」に関心をもち、生活綴方教育と社会事業の関係や社会事業の教育的効果などについて言及する2本の論文(以下、「1936年論文」と記す。)の重要点を紹介する。それは、福祉教育の遡及的原点をどこに見出すかということだけではない。前述の三ツ石が指摘する福祉教育史研究のひとつの課題である「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続を検討する必要性」(『前掲書』54ページ)にどう応えるかという、その端緒を開くことになればという思いによる。それはまた、福祉教育史研究が手つかずの分野・領域の史資料を収集・分析・評価し、福祉教育像を豊かなものにすることを願ってのことである。

(1)国分一太郎「社会事業的文化事業的教師として」『日本文化と国民教育』第2巻第5号、東宛書房、1936年8月、74~79ページ
かうした困難なる生活を生きる子供をかゝへて青年教師は何とするか。或る人は歴史の秩序を信ずる事によつて、この現実の中に真実を、砂の中の砂金のかけら程でもいいからみつけさせて行かうと精神的になる。ある人はこの困惑は薬だといふ。この困難にまけぬやうな意志だけが大切だと説教する。乞食根性をもつなといふ。困難はやがて幸福のもとと出世美談みたいな真理を活用する。
ある青年教師は、子供とはそんな現実主義者ではない。夢の人だといつて、のびのびと、ゆるやかに魂と身を伸さうと賢明なことを言ふ。だがその子は家に帰ると、あまりにも多産な我が母のために、その弟妹をおばねばならぬ。そして背柱湾曲と統計表に計算される。
ありのまゝの現実を認識させる事だけが一番だ。あとは何も出来ないと言ふ。真実をかけ真実をみよといふ。見てどうするかと言へば答はない。あるとしても「真実のみが、未来をはらんでゐる」と深遠だ。あとはどうにもならぬとアナーキーになり、更に虚無におちいる。そこである若者どもは生活意欲をもたせようといふ。それには自分がもつ事だといふ。所が、その生活意欲とは何ぞやと質問をする先生が出る。生活意欲とは貧乏でなくなりたいといふだけものではないと答へられると、そんなら凶作の時に何故そんな事を叫び出したと叱る。もう一人はこんご、多分に空想的だと度々いふ。(76~77ページ)

そこで小学教師よ。青年教師よ。如何に生きんとするや――とせつぱつまつて来た。
曰く社会事業的教師とならん。曰く文化事業的教師とならん――とこの際答へたい。だが僕たち一人でそんな事をされるとは限らない自分の生活は困らぬから社会事業にしたがふといふわけにはいかないのが薄給中の薄給の青年教師だ。壮丁の検査成績がわるいとすぐ、保健省設置を提議できる陸軍とは何といふ羨しい熱心な存在だらう。我々教員は一番村に近くゐて、村の人々とも一番近い所にゐて、その子等の上にその人々の生活を知りつくしながら、医療国営一つ、生活安定一つの徹底をも、建議できない人間共である。漢字の存在や歴史的仮名遣ひが、如何に国民生活を不便にし子供を苦しめつゝありと知りながら、それが廃止の建議案をすら、直ちには出す事が出来ない。それをなし得る団結がほしい。
社会事業にしても、今の担当者は村の有力者や教育者の古手であつて、青年教師の手中にはない。だが、社会事業的出発のし方は大小とりまぜて色々ある。その小さい所からはじめて、日本の青年教師が手をつないで大きな社会事業をなし得る機会をまつことが大切ではないだらうか。託児所が論ぜられ、実践され、校外教育が再吟味され、地域中心の学校施設が問題とされ、生産学校が行はれはじめたのもみな、教育が社会事業の側にうごいて来た証明できる。紙芝居の教育的実践さへもがそれである。
社会事業には、解釈の浅さはあつても、行動の重要さをとらねばならぬ。よい社会事業は、よい社会改造を目標としてゐる筈だ、歴史がゆがめる社会事業があるにはあるにしても、それを駄目だと解釈して、貧しきものは貧しきまゝにして置いていい筈はない。文化の大衆への浸透、それもまたその不可能や困難をかこつより、よい文化合理化されたそれを、小刻みに与へて行く必要は十分にあるのだ。老年教師を啓蒙することもひとつだ。
じつとしてゐるよりは行動をした方がいい。行動は社会事業的な面が一番今のところ進歩的だとしたら、青年教師はそこへ行くだらう。それをきらつて、「生活を描け描け(くの字点:阪野)」とばかりいつてるのは、「貧しい事がなくなると、よい綴方が出なくなる」と心配する事の愚に等しい。
といつて、教室からとび出し、学校をはなれて、防貧や救貧事業にのり出せとか、保健衛生事業にでかろといふのではない。「純粋の情熱」や「きれいな知性」をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬのだ。
かういふ物の考へ方を先生がもつことがそもそも大事な生き方の精神となるのだ。僕らが育てた国民が大きくなつたら、すべての代議士が退職積立金法案には賛成を無条件にするように、農業保健法は立派に制定してくれるやうにとか、小作法はにぎりつぶさぬやうにとねがひたいならば、まことに気永な話ではあるが、社会政策的見地にたつ考へ方を国民に充満させねばならぬ。それの尖兵隊は社会事業家であらう。その尖兵の行動を見習ふこともなくして、意欲がどうの態度がどうの、リアリズムがどうのといつた所で、それが単なる精神的な「覚悟」に終らなかつたら御目出度うだ。
僕達青年教師は、小さい頃、人道主義的見知で育てられたらしい。その頃の青年教師に。だが真にヒユーマニストとして生きてゐる人間は何人ゐよう。前述の如く孤立して僅かに情熱をセンチと化するが落ちではないか。逆に封建的な精神で人間、子供を律しようとしてゐないとは言へぬ。
青年教師が、意欲をいひ、モーラルをいふ若さは悪いといはぬ。それはよい。だが現実とそれでは、まだまだ(くの字点:阪野)距離があるやうに出来てゐるといふ方が正直だ。その距離をうづめる手段も持たないでは困るのだ。
社会を愛し、文化を愛する青年教師の全日本的聯結が、それぞれの報告にもとづいて社会事業的、文化啓蒙的教育の行動形態を建設するの急務が叫ばれて欲しい。(77~79ページ-)

本論文は、当時25歳の国分が「青年訓導の立場から」書いたものである。
国分は、絶対的貧困にあえぎ、社会矛盾にさらされている東北農村の子どもたちの「現実生活」と、それに向き合う青年教師の状況を述べる。その際、「情熱と知性」を本質とする青年教師の教育実践(生活綴方教育)を、「自嘲的」「揶揄的」に描いている(太郎良「前掲論文」28ページ)。そのうえで、国分は、自分たちが育てられた「人道主義的見地」ではなく、「社会政策的見地」に立って、青年教師に「社会事業的教師」になるよう呼びかける。「『純粋の情熱』や『きれいな知性』をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬ」。「よい社会改造を目標」とする「よい社会事業」の行動は、「一番今のところ進歩的」である、と国分はいう。しかし、その言説は、青年教師に対して「社会事業家の生き方のその態度」の必要性を説くにとどまっている。国分自身の社会事業的教師として、具体的な教育実践に裏づけられたものにはなっていない、といえよう。
なお、「教育が社会事業の側にうごいて来た証明」についての指摘は、「教育福祉」の視点を示すものとして留意しておきたい。

(2)国分一太郎「文壇的批評と教壇的批評」『教育・国語教育』第6巻第10号、厚生閣書店、1936年10月、152~157ページ
主観的なものを客観的なものへ、個人的なものを社会的なものへ生活の眼をひらかせるの道は、つねに「現実生活」の把握によつて「現実生活」で証明し、現実生活にとかしこんで導かねばならぬ。自然発生的な社会認識をもつた子供を科学的な社会認識に導くことも、生物的人間を社会的人間にひきあげることも、すべて「生活」によつて証明しつゝ、あるひは他教科の各面に於て心づかひつゝあるひは子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ。(156ページ)

人間教育とか、純粋感情の教育とか(情操陶冶)といふレツテルを張つてやつて来た綴方教育が、産業の発達による社会的情勢の変化によつて、漸次、より広範囲な生活教育として、その直接的な武器として、生活態度の陶冶と、生活技術の鍛錬とにまで進展したことによるともいへるであらう。そして社会事業の方が、概念的な小学教育よりは、より教育的感化をもたらすといはれる如く、概念的な知的学科や、観念的な情操教科に比して、より現実的な綴方の方が有意義なものとされ、それには昔さながらの文壇的ひとりよがりの指導よりは、より教壇的な協働生活関係としての、生活組織器関(ママ、機関:阪野)として役立つやうに吟味されるに至つたのである。(157ページ)

僕達の綴方も、あらゆる教科が、生活を証明材料として引つさげて来り、綴方の道をゆたかにしてくれる限りは喜んでむかへるであらう。それらによつて生活の知性がたかまり、生活が充実し、生活行動が真摯になるならば、綴方にとつて其れはこのましき限りである。
それよりも却つて、綴方が綴方の垣の中にとぢこもる如きは、その機能を衰微させる自己矛盾として、むしろ警戒するに価することなのである。貧しさを深刻にかいた綴方があつてくれるやうに、貧しさよ永遠に亡ぶ勿れ――等といふのは綴方の望む処ではない。貧しさのなくなるやうに、防貧事業や救貧事業が、あるひはもつと根本的な社会事業が、学校の周囲でどしどし(くの字点:阪野)と行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である。即ち、綴方の局外よ。他教科にとどまらず、学校全般、社会全般の批判も、どしどし(くの字点:阪野)と綴方の垣を越えて来てほしいのである。かくしてこそ、綴方はますます(くの字点:阪野)生活組織としての機能を発揮するに便利であらう。(157ページ)

本論文は、国分によると、「世代の綴方論」としては「消極的駄文」であり、「児童作品批評に於ける若干の解剖」を行う「警告的駄文」(153ページ)である。
国分は、子どもの綴方に対する教師の批評は、「文芸評論」の影響を受けて、優秀な、見本(サンプル)となる作品などをよしとする「文壇的批評」の傾向にある。そうではなく、個々の子どもの「現実生活」や生活認識などに留意した「教壇的批評」が重要である、と説く。加えて国分は、現実生活を客観的・社会的・科学的に把握させることが肝要であり、「子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ」という。
そして、国分は、生活綴方と社会事業の関係について言及する。国分にあっては、社会事業によって感化されたことを綴方(作文)に書くことは、現実生活から学び、生活行動に生かすことであり、概念的・観念的な教育に比して教育的であり有意義である。また、生活綴方は国語教育にとどまらず、学校教育や校外教育への広がりをもつことによって、子どもたちの社会事業への関心を促すことになる。すなわち、「社会事業が、学校の周囲でどしどしと行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である」。

以上の「1936年論文」において、国分は、生活綴方教育についてネガティブに論じている。その際、その論拠は必ずしも明確であるとはいえない。また、社会事業による教育・啓蒙とその教育的効果への関心と期待を示している。その際の社会事業の言辞については、観念的・抽象的なものにとどまっている。とはいえ、当時、国分は、生活綴方教育の実践や運動において指導的役割を担っていた。そういうなかで、国分の社会事業に関する関心や発言は、青年教師(綴方教師)たちにどのような影響を与え、どのような取り組みを生み出したのか。その前提として、国分がよしとする綴方教師としての「教師像」はどのようなもので、どのような特質をもつものであったか。今後の研究課題とすべきところである。
太郎良は、前掲の論考で、「視学等から監視や干渉を受けて、つねに弾圧をおそれていた」国分にあっては、生活綴方教育批判は「視学等の心証を良くするためのものであった可能性がある」(36ページ)という。そうだとすれば、国分の社会事業への関心は単に、そのためのものであったのか。そうではなく、ファシズムの常態である公権力による教育の支配・統制が強化されるなかで、それに対抗する教育実践として、「社会改造」を目標とする社会事業に期待したのか。興味のあるところである。
なお、国分は、1938年3月に教職を免ぜられた。1941年10月には、左翼的傾向をもつ北方性教育運動(「抵抗としての生活綴方運動」)の関係で警察に逮捕されている。また、1938年1月に健民健兵政策を推進するために厚生省が創設され、同年4月には人的・物的資源を統制運用するために国家総動員法が公布、5月に施行された。それを契機に、社会事業は戦時厚生事業へと変質し、戦時体制の枠組みに組み込まれていく。
いずれにしろ、国分が社会事業の教育的効果に関心を示したことについては、個人的にも時代的にも厳しい状況に追い込まれていったこととの歴史的文脈・関係性のなかで考究する必要があろう。国分は、1943年7月に判決が下される過程で「転向」を余儀なくされている。国分の社会事業への関心とその呼びかけは、生活綴方教育批判を行うなかでの、「抵抗」「転向」あるいは「偽装転向」としてのそれであったのか。綴方教師たちはその点をどのように受け止め、どのような社会事業的な教育実践に取り組んだのか。それとも、綴方教師に対する弾圧が強まるなかで、取り組むことができなかったのか。あるいは、教育現場の綴方教師たちは、国分の呼びかけに対して端(はな)から一顧だにしなかったのか。それらを歴史的・実証的に明らかにすることが求められよう。
周知のように、敗戦後の生活綴方教育は、1950年7月の「日本綴方の会」(1951年9月「日本作文の会」と改称)の発足や、国分の『新しい綴方教室』(日本評論社、1951年2月)、無着成恭の『山びこ学校』(青銅社、1951年3月)等の刊行などを契機に復活・興隆する。そして、1950年代前半にひとつの頂点を迎える。それは、戦後の新しい教育(教育の民主化)のなかで、戦前の生活綴方教育を継承・発展させようとするものであったと評される。そこでは、貧困からの脱出が最重要課題とされたが、具体的に「現実生活」がどのように把握され、「生活教育」がどのように規定されていったのか。綴方教師によって「社会事業的」な教育実践は展開されたのか。「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続」に関する研究課題のひとつである。

日本はいま、戦時中の社会体制への回帰が加速し、“政治”と“教育”は「危機」状況にある。戦時体制下において、綴方教師たちによる社会事業的な教育実践は、戦時厚生事業に再編されていった社会事業と軌を一にして、戦争に協力することになったのであろうか。そうだとすれば、同じ轍を踏まないためにも、こんにちの福祉教育(市民福祉教育)のあり方は厳しく問われる必要がある。あえて付記しておきたい。


軍国主義ファシズム最頂期の1940(昭和15)年には、「治安維持法」(1925年4月公布、5月施行)によって全国で300人を超える生活綴方教育運動の指導的立場にあった教師たちが検挙・投獄され、弾圧された(乙訓稔「国分一太郎の生活綴方教育の理念」『実践女子大学生活科学部紀要』第50号、実践女子大学、2013年3月、52ページ)。

補遺
周知のように、1937年5月に「教育科学研究会」を結成した城戸幡太郎と留岡清男は、雑誌『教育』(第5巻第10号、岩波書店、1937年10月)において生活綴方教育批判を行った(1938年生活教育論争の発端)。「綴方教育は児童の生活を理解し、生活態度を自覚せしむることはできるが、彼等の生活力を涵養することはできぬ。彼等の生活力を涵養するには彼等の生活問題を解決することのできる生活方法を教へねばならぬ」(城戸幡太郎「生活学校巡礼」48ページ)。「生活主義の綴方教育は、畢竟、綴方教師の鑑賞に始まつて感傷に終るに過ぎない」(留岡清男「酪聯と酪農義塾」60ページ)、がそれである。こうした手厳しい批判に対して、「社会事業的教師」(綴方教師)たちはどのように反応し、どのような新しい教育課題を見出し、またどのような教育実践を展開したのか。こんにちの福祉教育実践にも通じるであろう点として、興味深いところである。(畢竟<ひっきょう>⇒つまるところ、要するに。)

謝辞
本稿を草するにあたっては、文教大学教育学部教授の太郎良信先生に格別のご高配を賜った。ネット検索でも全くヒットしない雑誌『日本文化と国民教育』に掲載されている国分の「1936年論文」については、先生が私蔵されているものをコピーしご送付いただいた。感謝あるのみです。

井岡勉「住民福祉教育の課題」(1977年3月)―資料紹介―

1954年5月9日に日本社会福祉学会が創立された。翌1955年5月5日、学会から独立分離して、日本社会事業学校連盟が結成された。
日本社会事業学校連盟は、1971年8月23、24日の両日、私立学校教職員組合愛知会館(名古屋市)で、「社会福祉教育の現状と問題点」をテーマに「(第1回)社会福祉教育セミナー」を開催した。会長・仲村優一は、「セミナー報告」(1972年11月1日)の挨拶文のなかで次のように述べている。ちなみに、そのセミナーでは、第1日目の午前、二葉学園・村岡末広が現場の立場、日本福祉大学・高島進が大学の立場からそれぞれ「問題提起」をし、午後は関西学院大学・岡村重夫が「社会福祉教育の現状と問題点」について、主として大学の社会福祉学科のカリキュラムを中心に「基調講演」を行っている。そのあとは、第2日目にかけて分科会と全体会がもたれている。

本連盟としては、以前に一度若林前会長の時にカリキュラム問題をとりあげて2日がかりのセミナーをしたことがあるので、今回のセミナーは第2回ということになると思う。
とにかく、加盟校から自由に参加していただいて、大学問題が厳しく問われている今日の状況下における社会福祉系大学が当面している問題を、ザックバランに出しあって討議してみようというのが、今回のセミナーのねらいであった。(以下、略)

その後、社会福祉教育セミナーは、毎年継続的に開催された。第6回のそれは、1976年11月21、22日の両日、湯河原厚生年金会館(神奈川県湯河原町)で「今日の社会状況に社会福祉教育はいかに応えるか」という主題のもとに開催された。そこでは、1976年11月8日に発表された中央社会福祉審議会の意見具申「社会福祉教育のあり方について」を検討するという課題も含められていたことから、各分科会では個別のテーマを設定せず、主題に基づいて討議された。そういうなかで、第2分科会では、井岡勉(同志社大学)によって、「住民福祉教育の課題」について「問題提起」された。以下に紹介するのは、井岡のそれ(以下、「井岡報告」という。)と、高森敬久(愛知県立大学)による「討議要約」である。なお、会長・松本武子は、「セミナー報告書」(1977年3月31日)の「はしがき」のなかで次のように述べている。

語り明かしたのち、あるいはわれわれは社会福祉教育のあり方に共通なものを見出し得ないかもしれない。それならばわれわれは何故共通であり得ないかを明確化し、互いに彼我の別を理解し協調し合おうではないか。まさに社会福祉教育セミナーの意義はここにあろうと思う。多様化し変動する今日社会にあっては、価値観の多様性への寛容さをもちながら、ゴールをともにすることに努力しようではないか。(以下、略)

第2分科会・問題提起/住民福祉教育の課題/井岡勉(同志社大学)

Ⅰ 今日の社会状況
1973年秋の石油ショックを契機として、日本経済が深刻なスタグフレーション状況に陥って以来、地域住民の労働と生活上には困難の度合いが強まっている。とりわけ貧困・低所得階層を中心とする社会的生活障害の担い手たちは、緊迫した生活危機・破綻の状況に追い込まれている。
こうしたなかで、雇用保障、賃金・労働条件の改善、社会保障、一般公共施策の拡充強化とならんで、社会福祉に対する社会的要求が増大して来ざるをえない。しかしこれに対して、減速経済、財政危機を理由とする「福祉見直し論」、「高福祉高負担論」が政府・財界筋から強く打ち出されている。それは、住民運動、世論、地方自治体によって前進を見せ始めた権利としての社会福祉を後退させ、実際には低福祉高負担をはかりながら、自助と相互扶助の社会福祉に転嫁しようとするものである。
最近とくに目立つ動きは、異常なまでの地域福祉ブームである。この地域福祉は、70年前後から官製コミュニティづくりが活発化するとともに、その枠組のなかに社会福祉が位置づけられ、両者の結合領域としてにわかに強調され始めた。地域福祉のなかでも、施設処遇否定のトーンにおいて在宅者福祉ないしコミュニティ・ケアが提唱され、地域組織化の目標とされるに至った。このことは、客観的には官製コミュニティづくりにみられる住民運動対策と地域再編成への政策的要請に地域福祉もまた一定の役割を担い、モダンな装いで安上がりの福祉を方向づけるものといわねばならない。かくて加えて昨今は、減速経済、財政危機下の「福祉見直し論」、「高福祉高負担論」の強調、自助と相互扶助の精神に依拠した「日本型福祉社会」を志向する「生涯設計計画」の提起という状況にあって、地域福祉が異常な期待のされ方をしている。
すなわち、福祉施策拡充の意義を事実上軽視する方向での精神主義の強調、「福祉のこころ論」の喧伝、相互扶助の助長、官製ボランティアの組織化等の傾向がそれである。
こうした上からの地域福祉を貫く支配と効率の論理を明らかにし、これに対応して生活と連帯の論理に立つ住民の側からの地域福祉を構築していくことが課題となっている。

Ⅱ 住民福祉教育の現状
地域福祉の強調とともに、近年地域住民に対する社会福祉教育、略して住民福祉教育が重視され、取組まれてきている。住民福祉教育の意義については後述するので、まず社協などの住民福祉教育の現状について、断片的であるが、みうけられる傾向、問題点を指摘しておきたい。
社協などの住民福祉教育は、一応社会福祉に対する住民の関心、理解を深めさせ、住民参加をよびおこす意図で試みられているようであるが、問題はそれが何を対象として、いかなる視点、方向づけと内容・方法でもって行なわれているのか、ということであろう。
社協の展開する住民福祉教育の状況に関して詳しいデータはないが、全社協の「昭和50年度市区町村社協基本調査」によれば、これに類する項目として「研修会・講座・大会等」があり、それらをともかく開催した社協は平均63.0%という状況である。それも法人化の有無や市・区・町・村各レベル別では大きな格差があり、最高は法人村社協で平均96.2%、最低は未法人村社協で平均42.9%に過ぎない。
住民福祉教育プログラムの対象、種類についても審かではないが、一般にみうけられるものを例示すれば、福祉教育普及校の指定、一般住民むけの社会福祉講座、ボランティア・スクール、民生委員研修、老人大学などが試みられているようである。
住民福祉教育の基調としてみうけられる特徴的な傾向は、精神主義(善意、福祉のこころ、たすけあい、物質より精神が大切などを強調)、あるいは機能・技術主義(ハウ・トウもの)、両者の結合が支配的であって、科学的社会認識と民主主義重視の方向づけ(社会問題対策としての社会福祉、権利保障、運動視点など)が欠落しがちなことである。こうした傾向は、狭義の住民福祉教育プラグラムにかぎらず、調査・広報活動、諸会合・行事その他社協活動の全過程を通じた教育的機能として現象している。
この傾向の反映でもあろうか、社協の住民福祉教育において従来から主要な対象となってきた民生委員の社会福祉意識は、一般住民と比べても落差があり、精神主義的傾斜から脱けきれていない(別表1参照)。
この傾向は、民生委員の生活保護観として、権利としてのとらえ方についての拒絶反応がおおむね過半数をこえていることと対応しているといえよう(別表2参照)。
日常的に社会福祉活動にかかわっている民生委員にしてこの程度であって(民生委員ゆえにというべきかもしれないが)、いかに近代的・民主的な住民福祉教育が徹底していないかを物語っているといえよう。一般住民に至ってはなおさら、昨今の「福祉」というコトバの氾濫にもかかわらず、社会福祉について正しい情報が知らされていないし、その学習権が十分保障されているとはいい難い。とりわけ、貧困・低所得者をはじめ社会福祉対象者への住民福祉教育の機会がほとんど欠落していることは大きな問題点である。

Ⅲ 今後の課題
住民福祉教育をめぐる今後の課題としては、まず第一にその近代的・民主的あり方としての基本的視点を確立することである。その内容としては、つぎの5点の確認が必要であろう。
①住民福祉教育の意義は、住民相互の自己教育活動として展開されるところにある。
②住民福祉教育の目的は、住民が地域・自治体の主権者として社会福祉施策を自らの意思と要求にもとづいてコントロールし、これを権利として享受することにより、人間としての最低限の生活を維持し、自己実現をはかっていくためのものであること。
③住民福祉教育の主体は住民自身であり、その対象もまた彼ら自身であること。
④行政は住民の福祉教育権を保障し、その条件整備を行なう責任を負っていること。
⑤社協など民間団体が住民福祉教育を行なう場合、とくに住民相互の自己教育活動としての性格を厳守すること。
第二には、戦後わが国社会福祉の歴史的課題であった筈の社会福祉の民主化を地域レベルから実現していくために、住民福祉教育における精神主義的傾斜や機能・技術主義を克服して遅れている社会福祉問題・政策についての科学的認識、権利保障の視点に立つ民主主義的社会福祉観に高めていくこと、そのための系統的な住民福祉教育プログラムを展開することが望まれる。
第三には、住民相互の自己教育といっても、そこに運動がなければ結局与える住民福祉教育に終ることから、域福祉要求の組織化・運動化の全過程と有機的に結びついた住民福祉教育の展開が重要である。そのなかには、①住民による調査活動(地域福祉課題の顕在化・明確化と相互確認)、②広報による問題提起、世論喚起(社会福祉問題・政策動向についての常時的情報提供を含む)、③社会福祉についての学習活動の組織化、④対策行動計画、行動の組織化、評価における実践的教育機能の導入・結合、などが含まれよう。
第四には、これまで欠落しがちであった対象者集団の住民福祉教育に力を入れることである。それは、従来の与えられた社会福祉から、対象者集団自らが相互自己教育を通じて、権利としての社会福祉を掌握し、その活用により自己実現を促進する運動過程と結びつけて展開される必要がある。そのためには、①社会福祉施設・サービスの周知徹底、②権利としての活用働きかけ、③活用しやすい条件づくり(活用の拒絶反応や地域の偏見除去)、④対象者集団の仲間づくりと結びついた権利行使、学習活動の場づくり、⑤対象者集団自らの問題対策行動の展開・対象者集団とボランティア・一般住民との相互連帯支援(障害者の住みよい街づくりなど)、等々の推進を要しよう。
第五には、社会教育との連携を強め、社会教育としての住民福祉教育を推進していくことである。
さいごに、住民福祉教育に対する(福祉系)大学の役割にふれておこう。大学においては、自由でアカデミックな研究教育を通じて、広い科学的視野と民主的センスを身につけた良識ある住民・専門家として、学生が自己実現していくための社会福祉教育が準備され、展開される必要がある。また国民に聞かれた(開かれた:阪野)大学として、住民福祉教育の基地的な役割を果たさねばならない。こうして今日、大学における社会福祉教育をめぐって、住民福祉教育の視点からあらためて問い直してみる必要があるのではないかと考えられる。

16時15分

第2分科会・討議要約/住民福祉教育は如何にあるべきか/高森敬久(愛知県立大学)

本分科会では社会福祉教育をめぐる諸問題の内で、とくに大学外における教育、すなわち住民を対象とした社会福祉教育をとりあげその内容や今後の在り方について検討した。
先づ(先ず:阪野)、現在各地で実施されている各種住民福祉教育の内容や方法からそれらの問題点が指摘された。ここでは地域的相互扶助主義、精神主義的福祉論の展開、即戦力的安直な技術主義、人間関係や家族関係の調整といった対症療法的な視点が強調され、社会問題に起因する諸問題の因果関係的把握が欠落していること。
さらにその結果として、権利保障運動意識の発展していこうとする住民の側の自主的な活動の芽をつみとってしまうおそれのあること、精神主義や技術主義は自己利益への関心をたかめることにはなっても、地域における施設受容に否定的に機能せざるを得ないこと、またこうした中での住民福祉教育では公的な責任を問うという問題意識は生まれないこと、住民の学習権を保障しようとする姿勢が一部の行政を除き、各自治体行政には殆んどみられないこと等の問題が指摘された。
こうした現状における住民福祉教育の新しい視点は、住民相互の自己教育としての福祉教育的運動の展開の必要性をふまえた学習と運動の結合による自主的福祉教育の展開をめざすべきこと、権利としての社会福祉を明確にするために社会科学的視点を住民福祉教育にとり入れること、与える福祉から権利として獲得する福祉の確立のために住民福祉教育は系統的な学習プログラムをもたなければならないこと、またこうした学習権の保障のために、制度、組織、資源などの条件整備、情報の提供、学習集団の組織化等の整備が求められていることである。
次に住民福祉教育の担い手の問題であるが、社協はその担い手の一つとして重要な部分を占めるものと考えられる。しかし現状の社協の場では権利としての社会福祉の確立は困難である。むしろ住民福祉教育にも公教育的視点が確立されなければならないとすれば、社会教育が住民福祉教育の担い手とならなければならないであろう。
以上の問題提起をうけて本部会での討論は先づ(先ず:阪野)社協の把握する市民層と社教の把握する市民層には大きなgapeがあるのではないか、したがってそのgapeを埋める方向を持たなければならない。即ちその具体的な方法として、一定所得以下のニードへの対応と、一定所得以上のニードへの対応を福祉教育の展開過程においても考慮する必要があることである。
次に住民福祉教育の担い手が学習者自身であるということは極めて妥当な方向性を持つものと思われるが、しかしたとえその教育主体、学習主体が住民であるとしても、学習の場をどのように確立するのかという論点が不明確ではなかろうか。とくに住民福祉教育においては「心の福祉論」や技術論的福祉教育には熱心であるだけに社会福祉行政に権利視点を明確にした教育を期待することは確かに困難である。さらにこうした限界は社会教育行政の側面にもみられるのである。また住民サイドにおいても住民自身の自己教育のための方法や資源をもち得ない状況があり、こうした中での住民の自己学習的住民福祉教育の確立はきわめてむつかしいのではないか。
さらに住民の自己教育論におけるこのような限界については、たとえば住民運動のどのような点が住民自身の社会認識の発展を促したかといった問題にもみられるように、一般に日本人には社会的認識の概念や意識が欠落しているので、我々はこれらを住民福祉教育の中でどう乗り越えてゆくかという問題もあろう。
また、この事と関連して“福祉の権利”という概念は日本人に非常になじみにくい。周知のように我国では西欧的な市民社会の経験は経ていないので“権利”ということばを正しく理解することが出来ない。権利という言葉をとくに使わなくても我国には昔から人間を大切にするという伝統はあったと思われる。社会福祉の教育では理解ではなく納得であり、得心させることが目標である。
この他、井岡報告においては必ずしも地域福祉の内容が具体的に示されなかったが厚生省的認識における地域福祉―在宅者の福祉対策を中心とした安上り福祉に対してはより明確な批判視点をもつべきであるといったことも強調された。
<出席者>(アイウエオ順)
井岡勉(同志社大学)、一柳豊勝(同朋大学)、上田千秋(仏教大学)、越智猛大(東北福祉大学)、菊地正治(西九州大学)、高森敬久(愛知県立大学)、土井洋一(大正大学)、原田克己(淑徳大学)、船曳宏保(福岡県社会保育短期大学)、本出祐之(関西学院大学)、待井和江(大阪社会事業短期大学)、松本武子(日本女子大学)、吉田卓司(四国学院大学)
(『昭和51年度・第6回社会福祉教育セミナー報告書―今日の社会状況に社会福祉教育はいかに応えるか―』日本社会事業学校連盟、1977年3月、53~58ページ)
 
周知の通り、2000年4月から施行された「地方分権一括法」等により、地方分権改革の推進が図られている。そこでは、中央と地方の関係が「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係へと改められ、市民主権・市民自治の実現に向けた行政運営や公私協働(「共働」)の取り組みが求められている。しかし、最近では、「地方創生」を掲げる国によって、地方の民意を無視して“上から目線”で、“粛々”とコトが進められ、地方自治を侵害しかねない政治状況が展開されている。それは、住民相互、住民と行政、地方と国などによる熟慮と討議の民主主義のあり方が厳しく問われていることを意味する。地方創生は、地元住民や地方自治体が自ら主導する“地域づくり”とその担い手を育成する“教育づくり”を進め、それを国が支えることから始まる。
そう考えるとき、本稿で紹介した40年近く前の「井岡報告」は、いま一度深く読み込む必要がある。また、井岡がいう住民福祉教育の視点や論点は、こんにちの「地方消滅の罠」(山下祐介)についての議論や平和・環境・福祉・教育などをめぐる危機的状況においてこそ、必要かつ重要なものである。さらに、井岡が指摘した住民福祉教育の「今後の課題」は、その多くが未だに「今後の課題」として残されている、といえよう。
こんにち、「国民の命と暮らしを守るため」という名目のもとに、「飽くなき市場原理主義の追求」とそれに基づく「地方の切り捨て」や「戦争のできる国づくり」が進んでいる。ここで、あえて“平和”について付言すれば、最近多用される「積極的平和主義」とは、本来は、軍事力を背景にした平和ではなく、人権や福祉が保障された状態を志向する立場をいう(「消極的平和」とは戦争や紛争のない状態をいう)。住民福祉教育は、そうした本来の意味での積極的平和主義に依拠した、住民による主体的・自律的な地域・社会づくりをめざすものである。それが真に豊かな国づくりにつながる。住民福祉教育(「市民福祉教育」)の探究を図るに際して常に、強く留意すべき点である。重ねて強調しておきたい。


(1) 日本社会福祉学会と日本社会事業学校連盟のあゆみについては、次の文献を参照されたい。
日本社会福祉学会編『社会福祉学研究の50年―日本社会福祉学会のあゆみ―』ミネルヴァ書房、2004年10月。
一番ヶ瀬康子/大友信勝 日本社会事業学校連盟編『戦後社会福祉教育の五十年』ミネルヴァ書房、1998年11月。
(2) 日本社会事業学校連盟は、2003年12月3日付けで、文部科学大臣より「社団法人日本社会福祉教育学校連盟」として設置認可された。それに先立つ同年9月21日に、新潟コンベンションセンター:朱鷺メッセ(新潟市)で「社団法人日本社会福祉教育学校連盟設立総会」が開催され、「設立趣意書」のなかで次のように述べられた。「任意団体日本社会事業学校連盟を発展解消し、新たな加盟校の責務と自律と自助努力をもって、まず小・中・高等学校における福祉教育や一般市民を対象とする生涯教育における社会福祉教育の啓蒙・普及への貢献が必要とされる」。それを受けて、2004年度以降、「社会福祉専門教育委員会」(委員長・米本秀仁)の「小委員会」として新たに設置された「小中高教育部会」(部会長・田村真広)を中心に、「学校教育・生涯教育等における社会福祉教育の啓発・普及活動」(「定款」第4条第1項第1号)が展開されることになる。

住民主導の「地域づくり」と「教育づくり」の可能性―資料紹介―

2015年3月、2013年7月からの検討・協議を踏まえて、「豊田市地域福祉計画・地域福祉活動計画」が策定・答申された。その計画策定は、地域福祉計画(行政計画)と地域福祉活動計画(民間計画)を一体的に策定したことや、社会福祉協議会による参加型の住民懇談会を福祉教育の視点から周到かつ丁寧に、累計で61回開催したことなどを特徴とする。計画内容に関しては、27中学校区で開催された懇談会での住民の意見や意向を、各地区ごとに見開き2ページに整理したことが特筆される。「地区の概況」、「地区の現状・課題(地区の自慢できるところ、地区の困りごと)」、「みんなでつくる将来のOO地区」(キャッチフレーズ)、「私たちにできること・していきたいこと」がその項目である。
策定委員会の末席を汚した筆者(阪野)は、住民参加のプログラムである住民懇談会に、福祉教育実践のひとつとして企画立案から実施まで積極的に関わった。とりわけ豊田市に編入合併した農山村地区での懇談会では、「地域づくり」に関する新たな気づきと深い学びを得ることができた。また、住民の地域(集落)に対する熱い思いや、農山村における「地域活性化」「地域再生」への力強さを痛感した。集落は「どっこい生きている」(後述の小田切)のである。
本稿は、住民懇談会への参加を機に併読した“農山村における地域づくり”に関する本(言説)の一部を紹介し、それに若干のコメントを付したものである。そのねらいは、農山村の現実を知り、地域づくりのあり方や可能性について考えることにある。

藻谷浩介・NHK広島取材班『里山資本主義―日本経済は「安心の原理」で動く―』KADOKAWA(角川oneテーマ21)、2013年7月
里山資本主義は、経済的な意味合いでも、「地域」が復権しようとする時代の象徴と言ってもいい。大都市につながれ、吸い取られる対象としての「地域」と決別し、地域内で完結できるものは完結させようという運動が、里山資本主義なのである。
ここで注意すべきなのは、自己完結型の経済だからといって、排他的になることではない点だ。むしろ、「開かれた地域主義」こそ、里山資本主義なのである。(102ページ)

「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予(あらかじ)め用意しておこうという実践だ。(121ページ)

里山資本主義は、マネー資本主義の評価指標、たとえばGDPや経済成長率を、必ずしも大きくするものではない。それどころかまじめに追求していくと、これらの指標を縮小させる可能性もある。しかしそれは、「(自然や人間関係などの:筆者)簿外資産の活用による金銭換算できない活動が、見えないところで盛んになって、お金に換算できない幸せを増やす。ついでに、お金で回る経済システム全体の安定性も見えないところで高まっている」という話にほかならない。(122ページ)

本書は、里山の環境資源を活かした地域循環型の経済を再生し、金銭換算できない価値や真の「豊かな暮らし」を生み出す里山資本主義の実践事例の紹介を通して、その意義について説いている。それは、マネー資本主義に対して、「ささやかな異議を唱える」(308ページ)ものである。
里山資本主義とは、「身近に眠る資源を活(い)かし、お金もなるべく地域の中でまわして、地域を豊かにしようとする」(181ページ)“地産地消”の実践である。そこでは、地域(里山)における雇用の安定と経済の正・好循環、そして生活の向上などが期待される。それはまた、マネー資本主義のリスクや歪みに対処できる、あるいは補完する「バックアップシステム」や「究極の保険」、「最大で最後の対抗手段」(282~284ページ)でもある。その点において、里山資本主義は、マネー資本主義の対極に位置し、今日のグローバル経済とは違うベクトルを示しており、衆目の関心を引く造語であり言説であるといえる。
農山村は、多かれ少なかれ保守的特質を有し、閉鎖性や排他性を残している。そうした地域で里山資本主義の普及や活用を図るためには、地域の自然や歴史、文化などとのつながりをもちつつ、その実践や運動に取り組む高い意欲と能力を備えた“人”をいかに確保・育成するかが問われることになる。また、藻谷らの主張や議論の根拠となる「成功事例」の汎化性(generalization)や持続可能性(sustainability)をいかに確保するかも大きな課題である、といえよう。

増田寛也編著『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減―』中央公論新社(中公新書)、2014年8月
推計によると、2010年から40年までの間に「20~39歳の女性人口」が5割以下に減少する市区町村数は、現在の推計に比べ大幅に増加し、896自治体、全体の49.8%にものぼる結果となった。実に自治体の約5割は、このままいくと将来急激な人口減少に遭遇するのである。本書では、これら896の自治体を「消滅可能性都市」とした。(29ページ)

東京圏をはじめとする大都市圏に日本全体の人口が吸い寄せられ、地方が消滅していくかのようである。その結果現れるのは、大都市圏という限られた地域に人々が凝集(ぎょうしゅう)し、高密度の中で生活している社会である。これを我々は「極点社会」と名づけた。(32ページ)

日本の人口減少には、人口の社会移動が大きく影響している。少子化対策の視点からも、地方から若者が大都市へ流出する「人の流れ」を変えることが必要なのである。
そのためには、地方において人口流出を食い止める「ダム機能」を構築し直さなければならない。同時に、いったん大都市に出た若者を地方に「呼び戻す、呼び込む」機能の強化も図る必要がある。地方の持続可能性は、「若者にとって魅力のある地域かどうか」にかかっているといえよう。すなわち、「若者に魅力のある地方中核都市」を軸とした「新たな集積構造」の構築が目指すべき基本方向となる。(47~48ページ)

地方における当面の人口減少は避けられない。この厳しい条件下で限られた地域資源の再配置や地域間の機能分担と連携を進めていくことが重要となる。このためには、「選択と集中」の考え方を徹底し、人口減少という現実に即して最も有効な対象に投資と施策を集中することが必要となる。(48ページ)

本書は、日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が2014年5月に発表した「成長を続ける21世紀のために『ストップ少子化・地方元気戦略』」と題する報告を基に、雑誌『中央公論』(中央公論新社)に掲載された論文を加筆・整理し、また「対話」を所収して再構成したものである。
周知のように、『中央公論』2013年12月号にはじまる一連の論文・報告(いわゆる「増田レポート」)で、「極点社会」や「消滅可能性都市」という衝撃的な言葉が使われた。それがマスコミ等によってセンセーショナルに報道されたことも加わって、消滅すると予測された地方自治体のみならず、地元住民の不安や危機感を煽り、怒りをかい、諦め感さえも募らせている。
その言葉以上に注目されるべきは、地方中核都市に人口や「投資と施策」を集中させるという、「選択と集中」の論理である。それは、国の人口政策や地域政策、その底流に流れる経済成長戦略の論理であり、農山村や過疎地域の切り捨てに帰結する。言い換えれば、「東京一極集中」の地方分散化(「ミニ東京化」)であり、地方創生すなわち「地方切り捨て」を手段とした持続可能な経済成長の達成である。そこには、真の「地方元気戦略」に求められる、地方自治体における「住民主権と住民自治」の論理がない、といわざるを得ない。ここに、「増田レポート」の本質的な限界や欠陥を見出すことになる。地域の維持・再生は、そこに生活する住民自身が行政や政治家、専門家などと“共働”しながら、問題を認識・理解し、課題解決に取り組むことから始まる。強く留意すべきところである。

山下祐介『地方消滅の罠―「増田レポート」と人口減少社会の正体―』筑摩書房(ちくま新書)、2014年12月
「選択と集中」は、地方・地域を巻き込んで、日本をもっと大きな変革へと待ち込もうというもののようだ。それは、カネのためなら、この国がもっと豊かになるためなら、地道な地域づくりの努力などどうなったってかまわない、グローバルな競争の中でこの国が優位に立つためなら、地域など消し飛んでも仕方がない、いや場合によってはそのほうが好都合だ――そういう意識を含んでいるように見える。(85~86ページ)

「選択と集中」に対し、私たちは「多様性の共生」を対抗理念として掲げることができる。「選択」には「画一性」への要請が潜むがゆえに「多様性」が対置され、また「集中」は「分散」と対比されるが、多様性は単なる分散ではなく、より積極的な「共生」を含意する。
加えてまた、「選択と集中」は国民の「依存」を孕み、これに対して「多様性の共生」は「自立」を基調とする。また「依存」する者をすべて包摂できない以上、「選択と集中」は「依存してよい者」と「依存させない者」との差別を生み、それゆえ「排除」をもたらす。これに対し、「多様性の共生」は「支え合い(相互依存)」を基調とすることで、多様なものの「包摂」を目指すものである。(156ページ)

人口減少・地方衰退の悪循環を断ち切り、地方が自立し、人口維持へと向かう正循環に流れを押し戻せるような具体的な方法をはっきりと示す必要がある。
こうした正循環への転換を現実に予兆するものとして、「人口回帰」現象が持ち出されることが多い。
増田レポートの人口ダム論には、回帰をとらえる視角がない。これは重大な論理的欠陥なのである。
正循環の実現を正確にとらえるためにも、回帰現象は検証されなければならない。(最近の:筆者)回帰論への注目と主張には、十分に傾聴すべきものがあると考えねばならない。(191、196~197ページから抜き書き)

本書は、上記の「増田レポート」を鋭く批判する書であるが、「単なる批判書」(24ページ)にとどまるものではない。例えば、「選択と集中」の論理に対しては、「自立と自治」を対抗軸として位置づけ、「多様性の共生」の論理を展開する。そこでは、「選択と集中」の論理や提言の欺瞞性や危険性を丁寧に解き明かし、地域を維持・再生するための道筋を提示している。
山下にあっては、人口の減少・偏在や地域消滅の問題を解決するためには、先ずは下からの住民参加と共同(協同・協働)、究極的には「自治」の実現が不可欠となる。とともに、上(国や地方自治体)からも歩み寄って、国民や住民と協同するための態勢づくり(「上下の協働」)を進めることが必要となる(162、168ページ)。
そして、山下は、具体的に、「問題解決型モデル事業」の展開を提案する。その事業展開のプロセスは、小地域の住民が抱える問題が集落から市町村→都道府県→国・政府へと上がり、かつまた逆に、その問題への対応が国・政府から都道府県→市町村→集落へとつながる。こうした「最初の問題提起が、その解決までしっかりとフィードバックできるような仕組み」(173ページ)をつくることが肝要となる、という。ただ、その実現可能性は現実的には高いとはいえないが、自立した地域づくりを進めるためには少なくとも集落(地域)と市町村、さらには都道府県の各レベルでの相互補完的な「上下の協働」が求められる。当面は、上下の総参加による課題解決へ向けた熟議の場(管見の限りでは、共働プラットホームとしての「市民活動センター」)の設置が問われよう。
なお、山下は、「ふるさと回帰」「田園回帰」や「地元志向」が注目されるなかで、地方再生のひとつのアイディアとして「二重住民登録制度」(住民票の二重登録)について提案・言及する。付記しておく。

小田切徳美『農山村は消滅しない』岩波書店(岩波新書)、2014年12月
農山村では、①人、②土地、③むら(集落)の3つの空洞化が進んでいる。①は、人口の流出・減少と高齢化である。②は、農業の担い手不足による農地の荒廃化、賃貸化、耕作放棄地化である。③は、社会的共同生活を維持する機能の低下・停滞化である。
農山村では、3つの空洞化が段階的に、そして折り重なるように進んでいる。
これらはいずれも現象面での空洞化であり、実はその深奥で本質的な空洞化、すなわち地域住民がそこに住み続ける意味や誇りを見失いつつある、「誇りの空洞化」が進んでいる。(16~23、41~42ページの要約)

地域づくりの本質的要素は、「内発性」「総合性・多様性」「革新性」の3つである。農山村における地域づくりには、この3つの要素に対応した支援策が求められる。
「内発性」については、地域住民が当事者意識を持つことを支援することである。
「総合性・多様性」については、経済面だけでなく福祉、環境、教育などにまで至る総合的支援と、地域の実情を踏まえた多様性に富んだ支援である。
「革新性」については、従来とは異なる新たな地域運営のシステムをつくる必要性が生じることから、長期(複数年)にわたる支援である。(52~55、136~138ページの要約)

都市部から農山村への移住者は着実に増加している。移住にはいくつものハードルがあり、特に大きなポイントは、「仕事」「住宅」「コミュニティ」である。近年は、この「問題」自体に変化が表れ始めている。
「仕事」については、それをめぐる問題の位相とその解決手段が、変化してきている。一見すれば、細切れでまとまった仕事にならないものを仕事の一部として捉えるような、「ナリワイ」(伊藤洋志)という働き方を支持する者もいる。
「住宅」については、特に空き家をめぐる問題が重要性を増している。
「コミュニティ」については、農山村の地域社会の閉鎖性に対する都市住民の違和感やそれによる参入障壁を、どう緩和していけるかが焦点となっている。(207~211ページから抜き書き)

本書は、上述の「増田レポート」に対するアンチテーゼを示したものである。農山村の「歩き屋」を自称する小田切は、足で集めた各地の事例を分析し、データを読み解き、農山村の“事実”を実証的かつ論理的に解明する。そして、政治的な「地方消滅(切り捨て)論」や「農村(地方)たたみ論」に対抗し、農山村における地域づくりは困難ななかでも進化・前進し確実に広がっているとして、その動きの支援策の必要性と重要性を説く。そこには、「都市・農村共生社会」の論理と展望がある。
また、小田切は、地域を動かすためには、「住民が単に当事者意識を持つだけではなく、さらに『誇りの再建』へ向けた意識を持つ必要がある」(72ページ)として、「地域づくりワークショップ」(地元学)と総称される活動に言及する。それは次のような手順で進められることが多い、という。すなわち、「①地域点検とその地図による「見える」化→②課題の整理と共有化→③地域の将来像の確立→④地域内での中間報告会の開催→⑤目標・プランの決定→⑥活動のスケジュールの決定→⑦実践」、という過程がそれである(74ページ)。首肯し得る重要な論点であり、言説である。
小田切は、「一部で集落の『限界化』は進んでいるものの、農山村集落は基本的に将来に向かって存在しようとする力が働いている」(31ページ)。農山村集落は「強くて、弱い」という矛盾的統合体であるが、基本的には強靭で、強い持続性をもっている(40~42ページ)、と言い切る。熱い思いをもって積極的に現場を歩き回り、実証的な農業・農村政策研究を続ける小田切の言辞は重い。

“まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり”。これは、もはや新味はないが、筆者が市民福祉教育に関して言い続けているフレーズである。まちづくりは、基本的には、国や自治体主導の上からのそれではなく、地域(地元)や住民主導の下からの主体的・自律的な実践であり運動でなければならない。そこでは、ガバナンス(governance、共治)や共働(coaction、コーアクション)についての考え方に留意しながら、地域(地元)でまちづくりの担い手をいかに確保・育成するか、住民の暮らしや生き方をめぐる価値観をいかに構築するか、などが問われる。それは、言い換えれば、人づくりすなわち教育づくりを問うものであり、教育づくりは持続可能な地域・社会を形成していくうえで最優先の事柄である、ということである。
とはいえ、まちづくりへの住民参加は必ずしも活発であるとはいえないのもひとつの現実である。それは、(1)労働を重視するあまり、社会貢献活動を軽視しがちな意識があること(例えば、「仕事が忙しく、地域活動やボランティア活動に参加する時間や暇がない」という意識があること)、(2)住民の自治意識が低く、行政依存体質が強いこと、(3)地縁・血縁によるタテ型の人間関係が残っていること(例えば、「昔からこの地域を取り仕切っているあの家の人に任せておけばいい」という姿勢があること)、(4)住民が討議に慣れていないため、合意形成が難しいこと、(5)まちづくりには制度や技法についての専門的な知識を必要とすること、(6)参加住民の思いや行動の正統性が保証されるとは限らないこと(例えば、「一部の住民が好きで、勝手にやっている」という評価やクレームがつくこと)、などによる。これらは、まちづくりすなわち教育づくりの課題でもある。
地域づくりを論考する上述の4冊では、山下が「総合学習等の導入で、地域に関わる教育を熱心に行った効果もある」(206ページ)、小田切が「公民館活動が地域づくりの母体となるケースが少なくない」(73ページ)と指摘するのみで、教育づくりについての言及は皆無に等しい。4冊が共通してもつ限界のひとつである。
教育は国家百年の大計であるといわれる。教育の重要性と長期的視点やビジョンの必要性を説いたものであろう。地域づくり、そのための教育づくりも、地域(地元)百年の大計である。地域・住民による、地域・住民のための教育づくりは、「時間の余裕は多くない」(小田切)なかで、果敢に取り組むべき喫緊の課題である。経済的格差の拡大や政治の右傾化などをはじめ日本社会が構造的に大きく変容する今日、この点の認識を欠いた地域づくりはその方向性や内容を危ういものにする。強調しておきたい。

本稿の最初に述べた「豊田市地域福祉計画・地域福祉活動計画」では、「重点取組」のひとつとして、地域課題を解決するための、住民や地域が主体となった「住民懇談会の開催」、地域福祉活動の担い手を育成する、子どもから大人までを対象にした「住民福祉教育の推進」、それに地域福祉推進のための専門的な人材である「地域福祉コーディネーター(仮称)の設置検討」(地域拠点への配置)が明記された。少なくともこの3つの事業が確実に実施され、相互補完・相乗効果を発揮し得るよう推進されることによって、「安心して自分らしく生きられる支え合いのまちづくり」(計画の基本理念)が実現することを期待したい。


(1) 次の文献も参照されたい。
山下祐介『限界集落の真実―過疎の村は消えるか?―』筑摩書房(ちくま新書)、2012年1月。
小田切徳美編『農山村再生に挑む―理論から実践まで―』岩波書店、2013年8月。
(2) 2015年2月17日、東京の全国都市会館において「小規模多機能自治推進ネットワーク会議」の設立総会が開催された。それは島根県雲南市、三重県伊賀市、名張市、兵庫県朝来市の4市が呼びかけたものであり、43都道府県の142自治体が参加した。今後は、全国各地における住民自治の取り組みについて情報交換や調査・研究を進め、諸課題の解決に寄与するとともに、政府主導の「地方創生」に対して地域自らが必要な政策提言などを行うことになる。注目していきたい。
なお、このネットワーク会議の会則(第2条)は、「小規模多機能自治」について次のように定義づけている。「自治会、町内会、区などの基礎的コミュニティの範囲より広範囲の概ね小学校区などの範域において、その区域内に住み、又は活動する個人、地縁型・属性型・目的型などのあらゆる団体等により構成された地域共同体が、地域実情及び地域課題に応じて住民の福祉を増進するための取組を行うことをいう」。

付記
筆者が地域福祉計画・地域福祉活動計画の策定に関わったのは、1988年7月、東京都狛江市社会福祉協議会が設置した「狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会」(委員長・大橋謙策)の末席を汚したことが最初である。爾来、福祉教育実践の視点・視座に留意しながら、各地の社会福祉協議会の事業・活動や計画づくりに参加してきた。それを通して気づき学んだことは実に多い。
筆者は、社会福祉協議会や地域と関わる場合、その要求や必要に真摯かつ丁寧に対応するよう心がけてきた(「善意」)。また、刺身の“つま”のような立ち位置は避け、現場の住民や専門家と継続的に「共働」することをめざしてきた。その際、実践仮説の検証と探索を行うとともに、社会福祉協議会や地域・住民が新たな地域課題に主体的・自律的に対応し得る仕組みづくりや力量向上をめざして、共に学び、共に考えてきた(「誠意」)。これらは、実践的研究に求められる「善意と誠意」の姿勢や態度であろうが、筆者のその取り組みの実際や成果については汗顔の至りである。

「まちの憲法」、制定までの迷走―資料紹介―

2014年 関市の10大ニュース
2位 自治基本条例制定(12月)
自分たちのことは自分たちで決めるための新しいルールが誕生!
関市のまちづくりに関する基本的な事項を定め、市民、議会、行政のそれぞれの役割や責務を明確にし協働することにより、市民自治としあわせなまちの実現を目指す本条例を制定しました。制定にあたっては市民団体の代表や公募の市民、学識経験者ら28人で構成する自治基本条例策定審議会を設置し、平成24年12月から13回に渡る協議を行い、市長への答申を経て議会に提案され可決されたもので、「まちの憲法」として施行されます。

これは、平成26年12月24日、関市役所公式ホームページにアップされた「2014年 関市の10大ニュース」に関する記事の一部である。10大ニュースは、「秘書広報課が選定した市内の主な出来事67件の中から、最高幹部会において市長以下各部長らが投票し、得点数の多かった順に上位から10件」を選定したものである。ちなみに、1位は「関シティターミナルオープン(3月) 新しい『関市の顔』が完成!」である。それは、いわゆるハコモノである。市幹部の、自治基本条例についての認識や「市民主権、市民自治」の意識の“程度”の反映であろうか。市長(平成23年9月22日就任)のマニフェスト(政権公約)の一丁目一番地が「市民主権、市民自治。自分たちのことは自分たちで決める社会に。」であり、その最優先事項が「まちの憲法~自治基本条例の制定」(「市長マニフェスト推進計画」)であることを改めて思い起こしたい。
ところで、市が「関市自治基本条例検討委員会」(以下、「検討委員会」)の委員(公募市民)を募集したのは、平成24年4月1日から4月16日の期間であった。委員募集の文書には、検討委員会の開催回数は「5回程度を予定(平日の夜間2時間程度)」、委員の任期は「平成24年5月1日から平成24年9月30日まで」と記されていた。しかし、検討委員会の開始時期は、6月、さらに10月にずれ込み、名称変更された「関市自治基本条例策定審議会」(以下、「策定審議会」)が設置されたのは同年12月18日であった。そこには市議会の一部の議員や政策会派の思惑が透けてみえる、というのは逸言であろうか。
そういうなかで、委員(市民)の熱意と努力によって、策定審議会は13回、1年3カ月にわたって開催され、平成26年2月4日に「関市自治基本条例に関する答申書(関市自治基本条例素案)」(以下、「素案」)が市長に提出された。なお、策定審議会を傍聴した市民は当初の1、2名を除いてほとんどいなかった。毎回のようにひとりの議員が熱心に傍聴していたが、他の議員と市職員のそれは皆無であった。敢えて付記しておきたい。
その後、平成26年5月8日に開会された「平成26年関市議会第1回臨時会議」に「自治基本条例に関する特別委員会の設置について」(市議第6号)が提出、可決された。同年6月5日、「平成26年関市議会第2回定例会議」(~6月25日)が開会され、「関市自治基本条例の制定について」(議案第38号)が市長から上程された。しかし、第2回定例会議と、続く同年9月2日に開会された第3回定例会議(~10月1日)ではともに「継続審議」の議決が行われた(6月25日、10月1日)。審議未了による廃案にならなかったのがせめてもの救いであったといえよう。
上記の特別委員会は、平成26年6月から同年12月にかけて、会議を7回開催している。その会議について誤解や批判を恐れずにいうと、一見積極的で精力的なようにみえるが、その実は姑息で浅慮なものであった。以下に紹介する「委員会における主な意見」がその証左である。いずれにしろ、“慎重な政策議論”を経て、12月11日に、市側が提出していた原案を可決するに至った。それを受けて、同年11月27日に開会された「平成26年関市議会第4回定例会議」(~12月19日)の最終日に「関市自治基本条例」(以下、「条例」)が可決・成立し、12月25日に公布・施行された。
以上が、検討委員会の委員募集から条例の制定・施行までの概要である。
ここで、敢えて、自治基本条例の制定主体と議会の会派に関して一言しておきたい。
先ず、自治基本条例の制定主体は市民である。自治基本条例が「自治体の憲法」であるといわれる点において、市長と議会はそれを遵守する立場にある。自治基本条例は市長と議会が制定し、その手続きは通常の手続きでよいとされる向きがある。しかし、自治基本条例の制定は「市民主権、市民自治」の政治制度を創出するためのものである以上、「市民主導」「市民熟議」が強く求められる。ちなみに、埼玉県越谷市では、自治基本条例を平成21年9月1日に施行するが、自治基本条例をテーマにした市民による自主的・主体的な勉強会が全8回開催されている。その報告書が市長に提出され、それを受けて公募による市民を中心とした審議会(委員30人)を設置する。審議会の会議は89回、審議会による懇談会・説明会が40回開催された。平成22年4月1日に自治基本条例推進会議(委員15人)が設置され、平成22年度5回、23年度9回、24年度6回、25年度8回、26年度5回(平成26年11月末現在)、それぞれ開催されている。市民参画と協働による自治基本条例の制定と運用・普及に関する一例である。参考にしたい。
次に、議会の会派は、議会内の役割配分(議長、副議長、常任委員長など)を獲得するための“集まり”である。議員は、実態的には、「利益と便宜」のために会派に所属しているといっても過言ではない。議員の本来の任務は提出議案について審議し、討論・採決を行うことである。それは、一人ひとりの議員が有する固有の権利であり責務である。その議員活動が会派の決定によって左右されてはならない。そもそも、議員内閣制である中央政治の政党分派を地方議会に持ち込むことに、大きな問題がある。地方自治体は、首長(市町村長)と議員を住民の直接選挙で選ぶ二元代表制を採っている。議会の役割のひとつは、執行機関(首長と教育委員会などの委員会や委員)に対峙して監視・評価し、執行機関の独走や逸脱行為をチェックすることにある。地方議会には、本来的には与党も野党も存在しない。
改めて認識しておきたい基礎的・基本的なことどもである(森啓「自治体議会の改革と自治基本条例」『開発論集』第87号、北海学園大学開発研究所、2011年3月、1~8ページ。森啓『新自治体学入門―市民力と職員力―』時事通信出版局、2008年3月、172~173ページ参照)。

平成26年12月26日付けで市長から、策定審議会の末席を汚した筆者(阪野)に「関市自治基本条例の制定について(お礼)」の文書が送付されてきた。ここで、その添付資料(「これまでの経過報告」)と、併せて素案と条例を筆者なりに比較表示したものを紹介する。

これまでの経過報告
■関市議会全員協議会
平成25年12月16日 協議状況の説明
平成26年2月20日 素案説明(パブリックコメント実施前)
5月20日 パブリックコメント結果報告
■関市自治基本条例に関する特別委員会
第1回:6月20日、第2回:7月22日、第3回:8月26日、第4回:9月17日、第5回:10月20日、第6回:11月20日、第7回:12月11日
(委員会における主な意見)
・理念条例に個々具体的な施策や制度を規定することに違和感がある。
・市長の政策を具体的な名称を用いて規定しているが、基本条例に含めることは良いのか。市長が交代したら改正するのか。
・市民、議会及び行政が対等な立場で連携するとあるが、実際に協働することは難しい。
・子ども、高齢者、障がい者を別に規定する必要があるのか。  
・議会と議員の使い分けが分からない。
・委員の公募は、特定の市民が独占する恐れがある。
・地域委員会、まちづくり市民会議など具体的な名称は、一般的な表現に変えるべきである。(市長のマニフェストに掲載された名称であるため)
・自治会の規定がないのがおかしい。自治会はコミュニティ形成を図るためには最も重要な組織である。
・必要性が感じられない。すでに制定した自治体に聞いてもまったく活用されていない。
■パブリックコメント
期間 平成26年3月1日~平成26年3月31日
意見提出者 8人
意見数 18件
■住民説明会
パブリックコメント実施にともなう住民説明
実施回数 6回
参加者数 250人
各種団体の総会等における条例の説明
実施回数 11回
参加者数 790人
市職員を対象にした説明会
実施回数 1回
参加者数 230人
合計 1,270人

関市自治基本条例(1)
その2
5その4
その6
その7

筆者の立場(策定審議会委員)や本稿の限界(資料紹介)上、条例の構成(要素)や条文そのものについての評価やコメントは差し控える必要があろう。その点に留意しながら、最後に、次の諸点を付記しておきたい。
(1)自治基本条例は自治体の最高規範であり、他の条例や規則、計画などはこの条例の考え方を最大限尊重することになる。それを担保する規範意識を市民や地域社会に醸成するための取り組みが必要かつ重要となる。
(2)自治基本条例を機能させるかどうかの前提は、市民の「主権意識」「自治意識」である。その意識の形成と強化を図ることが強く求められる。市民性形成や市民福祉教育などの推進が図られねばならない。
(3)条例は、素案に修正が加えられたものになっているが、答申後の取り扱いは最終的には市長や議会に委ねられることになる。ただ、文言の変更はさておき、抽象的・包括的な条項(条文)への修正が複数箇所にわたって行われていることが懸念される。
(4)自治基本条例は理念条例であるが、その理念を実現するための「仕組み」として、とりわけ「地域委員会」「市民活動センター」「まちづくり市民会議」は重要な意味をもつ。条例が画塀に帰すことのないよう、具体的な規定が必要となる。
(5)「地域委員会」「市民活動センター」「まちづくり市民会議」は、市民が主役のまちづくりを確かで豊かなものにするためにも、三位一体の機関・組織として位置づけられることが大切になる。そのうえで、それぞれの機能が重複発揮されることが求められる。

「滅私奉公」と「活私開公」―資料紹介―

おはようございます。今日は、豊田市ボランティア連絡協議会主催の第3回「ボラ連 交流サロン」にお招きいただき、誠にありがとうございます。先ずもって、各地域でボランティア活動に取り組んでおられる皆様方に心より敬意を表します。とともに、ボランティアは「まちづくりにどのように関わったらよいのか?」というテーマで意見交換する貴重な機会を頂戴したことについて、厚くお礼申し上げます。また、大変光栄に思っております。
私の役割は、第2部の「参加者による意見交換会」の“前座”として、「まちづくり・ボランティア・市民福祉教育」に関して日頃考えておりますことなどを少しお話させていただくことかと認識しております。意見交換のための何らかの素材をお示しすることができれば幸いです。
過日、会長のOOさんからご丁重な依頼状を頂戴いたしました。また、副会長のOOさんからは具体的なプログラムをいただきました。そのプログラムのなかで、「意見交換会」の趣旨について次のように記されております。「地域福祉活動計画の基本的な理念は、一人ひとりが地域で役割を持ちながら、自分らしく生きることができるまちを、支え合いによってつくること。そのためには、私たちボランティアの役割は大変大きいと思います。横の連携を築くことは、さらに大きな力になると考えます。さあ、どのように関わっていきましょう? すでに関わっている方は、お話し下さい。」、というのがそれです。
「地域福祉活動計画」につきましては、ご案内のように、豊田市社会福祉協議会が中心になって昨年の7月から、住民主体・住民参加の理念のもとに、計画策定の作業が進められております。そのなかでも、27中学校区で、累計で約60回の「住民懇談会」が開催されたことは、特筆されるのではないでしょうか。その懇談会では、各地域の住民の皆様が抱える生活課題を明らかにして、その具体的な解決策と各地区が今後めざすべき「支え合いのまちづくり」の方向性などについて話し合われました。また、その際、住民の、住民による、住民のための情報交換や相互学習、今日のテーマに引き付けていえば「福祉教育」の一環として懇談が行われたことも評価できるのではないでしょうか。
いまひとつ計画策定に関して注目されるのは、行政と社協が連携を図りながら、行政の「地域福祉計画」と社協の「地域福祉活動計画」を一体的に策定しているということかと思います。豊田市の行政上のキワードに“ともばたらき”の「共働」というのがありますが、今回の計画策定はまさに、行政と社協、住民相互の「共働」に基づくものであるといっていいのではないかと思います。
ところで、今回、この講演の依頼を受けた機会に、何年振りかで『社会とどうかかわるか』という山脇直司(やまわき なおし)という先生が書かれた「公共哲学」(public philosophy)についての本を読み返してみました。2008年11月に、岩波ジュニア新書の一冊として刊行されておりますので、ご一読いただければと思います。
山脇先生は、その本で、「社会とのかかわり方」には3つのパターンがある。「社会とのゆがんだかかわり方」は「滅私奉公」(めっしほうこう)と「滅公奉私」(めっこうほうし)というライフスタイルや価値観である。「社会との理想的なかかわり方」として推奨したいのは「活私開公」(かっしかいこう)というライフスタイルや社会観である、といっています。
今回私がお伝えし、またお願いしたいことのひとつは、今日お集まりの皆様方はすでに、地域住民として、ボランティアとして、またまちづくりのためのいろいろな地域・社会活動を通して「活私開公」の考え方やライフスタイルをお持ちである。山脇先生がその実現を図るべきであるという、「社会との理想的なかかわり方」をされている。そうした考え方に基づいて、引き続き「自分らしく生きることができるまち」づくりのためのボランティア活動を進めていただきたい、ということです。
多少堅苦しくなりますが、「滅私奉公」と「滅公奉私」、そして「活私開公」についての山脇先生の文章を紹介させていただきます。

「滅私奉公」は、自分も他者も、国や会社、規律やイデオロギーのために犠牲となることを強いられるような、「社会とのかかわり方」でした。そこでの人間関係は、一人ひとりの「私」を活かすようなものではなく、国家の命令、会社組織、学校の規律、党のイデオロギーなどによって支配されていました。(148ページ)
「滅公奉私」は、他者とのつながりを切断するか、あるいは、他者とのつながりに興味を示したとしても自己利益の追求の延長でしかないような「社会とのかかわり方」でした。滅公奉私を生きる人にとって、身内や友だちやお仲間以外の他者は、赤の他人にすぎません。このような「社会とのかかわり方」では、公共世界の重要な要素である福祉などの公共善をつくっていくことについては、きわめて消極的な姿勢しか生まれないでしょう。(149ページ)
活私開公という「社会とのかかわり方」においては、「一人ひとりの個性を活かすような」仕方で他者とコミュニケーションをし、平和、人権、福祉など、共有しあえる公共善の実現を願います。また、戦争、人権弾圧、貧困、差別、環境破壊などの公共悪や、地震、津波などの災禍の現状をできるだけ的確に認識し、その除去や救援のためになんらかの努力をします。(149~150ページ)

要するに、「滅私奉公」は、自分を犠牲にして、国や地域・社会のために尽くす精神を意味します。この考えや行動は、全体主義につながります。この考えやライフスタイルは、1930年代以降戦時体制が進むなかでのものですが、それは戦後日本においても形を変えて生き残っているのではないでしょうか。「滅公奉私」は、社会全体に関することつまり「公共」(public)のことを無視して、自分と身内や仲間の利益だけを追求する精神を意味します。この考えや行動は、利己主義を蔓延させることになります。そこでは、「公平」(equity)や「公正」(fairness)が失われます。「活私開公」は、一人ひとりの個人の生き方を尊重し、「私」(個性)を活かしながら、共に分かち合い、共に手を携えて豊かに生きる地域・社会を創る(「開花させる」)精神を意味します。この考えや行動は、社会福祉の原理のひとつであるノーマライゼーションや社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)の思想につながります。それはまた、ボランティア活動の4原則ともいわれる(1)自発性・主体性、(2)社会性・連帯性、(3)無給性・無償性、(4)先駆性・開拓性に通じることにもなります。
いうまでもなく、「活私開公」という考え方やライフスタイルは、誰もが、自然に身につくものではありません。そこには教育や学習が必要になります。国や行政に対しては、一定の距離を保ち、ある種の緊張関係をもちながら、一人ひとりの住民が主体的・自律的・自治的に、いわば「下からの公共」「草の根からの公共」を創り上げて行くことが強く求められます。それこそが本当の、質の高い「公共」といえるのではないでしょうか。そこに求められるのは、「市民」(citizen)としての自覚と資質・能力を育てるための「市民性形成」、福祉に引き付けていえば今回の講演のひとつのテーマである「市民福祉教育」です。今回の「ボラ連 交流サロン」は「市民性教育」(citizenship education)や「市民福祉教育」の一環として開催されたのであろうと、私は思っているところです。
ボランティアは、市民「参加」やボランティア「派遣」という名の「動員」や、行政の「下請け」や「補完」を行うものではない。ボランティアは、主体的で自律的・自治的な、そして「草の根」(grass roots)の活動や運動である、ということに思いを致していただければ幸いです。
なお、蛇足ですが、「滅公奉私」という言葉は1980年に社会学者の日高六郎(ひだか ろくろう)が造った言葉であり、「活私開公」という言葉は山脇先生の友人である韓国人の金泰昌(キム テーチャン)という方の造語である、と山脇先生はおっしゃっています。
ご承知のように、まちづくりは国や行政の専売特許ではありません。まちづくりの担い手は、行政や社協をはじめ、自治会・町内会などの地域組織、NPOやボランティア団体、地域で営業活動を行う各種の事業者、そして何よりもそこで暮らしている一人ひとりの地域住民です。今日新たに持ってきました資料に、「活私開公」などについてのこれまでの話を含めて、「公共を支えるまちづくり主体の相関図」というのを載せています。次の「意見交換会」の参考にでもなれば幸いです。
取り急ぎ描いたこの図で注目してほしいことは、「公共」を「官」「公」「私」「民」の4つに分けて考えていること。その4つは相関関係、「共働」する関係にあること。そして、真に求められる「公共」は、行政主導・地方自治体優位の、「上から」の「公共」ではなく、主体的・自律的・自治的な住民による住民主導・住民優位の、「下から」の「公共」であること。そうした「公共」を創出し、その拡大・深化を図っていかなければならないということ、などです。今日お集まりの皆様方は、ボランティアとして、ボランティア活動を通して、その最前線で、そのための取り組みを自発的・主体的になされている、ということです。
それでは、これから本題に入ります。‥‥‥。

13日23時
参考文献
(1)山脇直司『公共哲学とは何か』筑摩書房、2004年5月。
(2)山脇直司『社会とどうかかわるか―公共哲学からのヒント―』岩波書店、2008年11月。
(3)山脇直司『公共哲学からの応答―3・11の衝撃の後で―』筑摩書房、2011年12月。
(4)塩野谷祐一・鈴村興太郎・後藤玲子編『福祉の公共哲学』東京大学出版会、2004年1月。


本稿は、2014年12月11日に開催された豊田市ボランティア連絡協議会の第3回「ボラ連 交流サロン」での講演(「まちづくり・ボランティア・市民福祉教育」)の最初の部分を纏めたものである。

付記
先日、初雪が降った。足元の悪いなか、私は夕方、愛犬の散歩に出かけた。その途中で、二人の子どもが庭先で雪だるまを作って遊んでいた。楽しげであった。もう一度その庭先を通ると、二人の子どもは、なにかわめきながら雪だるまの首をはねていた。思わず「かわいそうじゃない!」。子どもたちはきょとんとした。
その夜、私は夏目漱石の姦通小説『それから』を読み終えた。「ヘクター」という飼い犬の名前が懐かしかった。「仕舞には世の中が真赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄(ほのお)の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行(ゆ)こうと決心した。」最後の一節である。
12月10日午前零時、政府による恣意的な運用や国民の「知る権利」の侵害が懸念されている特定秘密保護法が施行された。「番犬」という言葉がふと、私の頭をよぎった。
そこには「歪み」と「怖さ」がある。そして「不安」と「怒り」を覚える。それは私だけではあるまい。

日本福祉教育・ボランティア学習学会へのひとつの思いと期待―資料紹介―

1995年は、阪神・淡路大震災が発生し、のちに「ボランティア元年」と呼ばれた年である。その年の10月29日、日本社会事業大学を会場に日本福祉教育・ボランティア学習学会(以下、「本学会」)の設立総会・第1回大会が開催された。あれから早や20年が経過した。
2011年3月、東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所事故が発生した。この大震災によって、いま、持続可能な地域社会や共生社会を如何に再生し創造するかが厳しく問われている。その意味において2011年は、「コミュニティ再生元年」と呼ぶべきであるといわれる(牧里毎治)。また、福祉教育・ボランティア学習は、「次の段階」(ネクストステージ)を描く必要があるともいわれる(原田正樹)。
本学会は、2014年11月に開催される第20回大会を節目に新たな歴史を刻むことになる。しかし、それを俟つまでもなく、本学会の存在意義と使命を考えたとき、東日本大震災を機に新たな歩みが始まっていなければならない。そういうなかで、福祉教育・ボランティア学習の内容や方法等の改善・充実を図るために、本学会に期待される役割は以前にも増して大きくなっている。
そこで、本稿では、本学会の20年を振り返るために、一面的ではあるが、全20回の全国大会の開催要綱から「大会趣旨」(「目的」「開催主旨」等)について資料紹介することにする。それは、本学会の過去を筆者(阪野)なりに“記録”に留めるだけでなく、その記録を通して福祉教育・ボランティア学習の新しい未来を切り拓くことを願うためでもある。その願いを十全にかなえるためには、各大会の「基調報告」「記念講演」「課題別研究」「自由研究発表」「シンポジウム」等の内容とそこでの討議を総合的に検討・評価する必要があることはいうまでもない。
なお、以下の資料は、各大会の『報告要旨集』(『発表要旨集』)と、そこに掲載されている「開催要綱」を基本に整理したものである(第2回大会を除く)。また、「大会趣旨」の前段に、各大会の開催期日、会場、開催地、大会テーマをそれぞれ記した。
本学会は、1995年11月に『学会ニュース』を創刊するが、各大会の開催前後に開催案内と事後報告の記事を掲載している。学会活動等を知るうえでも貴重な資料である。付記しておきたい。

第1回大会 1995年10月29日 日本社会事業大学 清瀬市
福祉教育・ボランティア学習の研究と学会活動のあり方を探る
ごあいさつ
今日、福祉教育・ボランティア学習は、一連の福祉改革や教育改革が進むなかで、国民の福祉活動やボランティア活動への理解と参加を促すために、また社会の変化に対応して主体的・創造的に生きる心豊かな人間を育成するためのひとつの方策として、その推進を図ることが強く求められています。それは、21世紀の日本の福祉社会を決するといっても過言ではありません。
そういうなかで、私たちは、福祉教育・ボランティア学習に関する研究課題や研究方法などについて、社会福祉をはじめ学校教育や社会教育などの研究者や実践家が連携・交流しながら体系的・学際的に研究するとともに、家庭や学校、地域社会、社会福祉施設、それに企業などにおける福祉教育・ボランティア学習の実践や福祉活動・ボランティア活動の具体的な進め方などを探ることをめざして、日本福祉教育・ボランティア学習学会の設立について準備を進めてきました。
この度、多くの皆様のご理解とご支援のもとに、設立総会と第1回大会を開催する運びとなりました。広くお誘い合わせのうえご参加くださいますよう、ご案内とお願いを申しあげます。
設立準備委員会/代表・大橋謙策(日本社会事業大学)

第2回大会 1996年11月23日~24日 日本社会事業大学 清瀬市
福祉教育・ボランティアを通して何を学び、何を伝えるのか ~福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化をめざして~
大会実行委員長挨拶
「福祉教育・ボランティア学習を通して何を学び、何を伝えるのか」―福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化をめざして―をテーマに第2回大会を開催する運びとなりました。
昨年は多くの人々の熱い期待と熱意によって学会を立上げ、順調に滑り出した学会を何とか軌道にのせ、しっかりとした基礎を作り上げてゆくことが今回大会事務局をお預かりいたしました私ども実行委員会の責任だと自覚しています。
それにしても、この一年の間、福祉教育、ボランティア活動を取り巻く社会状況は大きく変化し始めております。
例えば、全国各地で活発に議論が展開したのはNPО市民活動支援に関する立法化の動きに対してでした。この事は様々な提案が出され、法制化の動きが見られます。又、ボランティア活動の総合化を廻って拠点のあり方についての検討も、先の市民活動の支援立法化とのからみもあり、各都道府県段階で検討会がもたれ始めています。
これらはボランティア活動の広まりと深まりを背景に、実践の体系化、理論化を促すものでもあると考えております。
時代的背景を認識しつつ、我々学会を構成する者達がこの変動する状況に左右されることなく、実践の体系化、理論化に向けて議論を多面的に深める場を設定してゆくことを目指して、シンポジウムを組み、課題別研究という討論の場を設定しております。大変勇気づけられておりますことは自由研究報告に厚みがついてきたことです。
最後に、本大会が成功裡に終了することができますよう、参加者の皆様のご協力をお願い申し上げます。
第2回大会実行委員会/実行委員長・山崎美貴子(明治学院大学)

第3回大会 1997年11月29日~30日 森ノ宮アピオ大阪及びピロティーホール 大阪市
人、いのち、地域 ―教育の危機に立ち向かう
本音で語りあえる学会に
第3回目の「学会」を大阪で開催することになりました。学会のテーマは「人、いのち、地域―教育の危機に立ち向かう」であります。
子どもが育つ器は、家庭であり、地域であり、学校であります。近年、子どもとその教育をめぐる事件や話題は尽きません。
福祉教育やボランティア活動の学習性が注目されつつある背景は何でしょうか。教育の硬直化や衰退といった危機に、はたして福祉教育は特効薬たりうるのでしょうか。
本学会はスタートしたばかりの若い学会です。さまざまな課題が突きつけられています。参加者がこれらの課題を本音で語り合うことなしには「危機」の解決はありません。
実効委員会では、シンポジウムや課題研究など2日間のプログラムを通して教育や福祉の実践課題と、本学会そのものの学問的な課題にいささかでも答えられたらという願いをもって準備してまいりました。
自由研究発表にも奮ってご参加下さい。たくさんの方々の参加をお待ちしております。
第3回大会実行委員会/実行委員長・岡本栄一(西南女学院大学)

第4回大会 1998年11月28日~29日 長崎大学教育学部・長崎大学医学部記念講堂 長崎市
こころ・学び・動き ―私が変わる、地域が変わる

豊かで実りある大会に
日本福祉教育・ボランティア学習学会が、長崎で開催されることとなりました。初の地方大会に相応しいように、課題研究や自由研究、公開シンポジウムに長崎の特色を生かすことに努力をしてみました。
第4回大会のテーマを、『こころ・学び・動き―私が変わる、地域が変わる―』といたしました。
人と人が支え合う行為が、「福祉」あるいは「ボランティア」と呼ばれるようになってきました。その背景には、競争原理の考え方やもの中心の現代社会のあり方が、子ども同士や子どもたちを取り巻く家庭・学校・地域の連帯感の脆弱化と家庭・地域等の教育力の低下をもたらし、自分をコントロール出来なくなった子どもたちが、安易に自殺やいじめ、また、不登校やナイフ所持に走る情況があります。
このような現状に歯止めをかけ、真に「福祉」や「ボランティア」による支え合う社会の実現をめざすには、子どもたちに生きる力を身につけさせると共に、地域における学び合いとその動きを通して、地域に住む人々が、人としてのやさしさや連帯感に満ちた支え合うこころを持つことが望まれます。人を変えること、それは私を変えることであり、それによって、子ども、学校、家庭、地域を変えようとするものです。そこで、今大会は『こころ・学び・動き―私が変わる、地域が変わる―』をテーマにして、参加者が真摯に「福祉教育・ボランティア学習」のあり方について研究協議を行い、私たちの願いや思いが達成されるようにしようとするものであります。
学会及び参加者の学問的課題解決のため、長崎あげて準備をいたしてまいりました。多数の方々の御参加をこころからお待ち申し上げております。
第4回大会実行委員会/実行委員長・室永芳三(長崎大学)

第5回大会 1999年11月27日~28日 淑徳大学千葉キャンパス 千葉市
21世紀へのカウントダウン ~新しい座標軸を求めて~ 個人・家庭・地域・社会そして教育・文化
1999年。わたしたちは、この90年代最後の年に生きる中で、何につけても90年代を振り返るとともに、迫りくる2000年、さらには21世紀を意識せざるを得ません。もちろん、福祉教育・ボランティア学習についても同様です。特に、近年我が国の激動する社会福祉の分野、教育の現場、また変動する家族や地域社会という今日的状況と照らし合わせると福祉教育やボランティア学習のあり方は、今後の私たちの社会において重要な新基軸になっていくと考えられます。
そこで、本大会では2000年および21世紀を目前にして、福祉教育・ボランティア学習のあり方を、これまでの過去の蓄積をふまえつつ、新たに模索していこうとの思いを込めて、大会テーマを「21世紀へのカウントダウン~新しい座標軸を求めて~」としました。
また、本大会の開催地である千葉は、さまざまな意味で新しい部分と旧い部分を合わせもった地域です。そのまさに大会テーマにマッチした千葉で、皆さま方と福祉教育・ボランティア学習の模索をすることができれば何よりです。実行委員一同、至らぬ点もあるかと存じますが、来世紀への第一歩となるような学会づくりを目指したいと思っています。
皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
第5回大会実行委員会/実行委員長・坂巻煕(淑徳大学)

第6回大会 2000年11月25日~26日 ホテルグランヴェール岐山・中部学院大学 岐阜市・関市
新時代の福祉教育・ボランティア学習を拓く ―総括と展望―

介護保険制度の施行や社会福祉法の成立、新学習指導要領の移行措置の実施など、福祉改革や教育改革の実践化が進むなかで、福祉教育・ボランティア学習への期待と関心が一段と高まっています。また、地域福祉を担う福祉マンパワーの育成や住民の主体形成のための福祉教育・ボランティア学習の取り組み、「総合的な学習の時間」や高校の教科「福祉」、完全学校週5日制等を視野に入れた学校内外における福祉教育・ボランティア学習の展開など、そのあり方が厳しく問われています。
21世紀を目前にした2000年という節目の年にあたり、日本のまん真ん中の岐阜において、「新時代の福祉教育・ボランティア学習を拓く」という大会テーマのもとに、これまで取り組まれてきた研究や実践を総括し、今後のあり方を展望します。
第6回大会実行委員会/実行委員長・渡邉栄(中部学院大学)

第7回大会 2001年11月24日~25日 とちぎ福祉プラザ 宇都宮市
―新世紀の福祉を創る― ~地域でのくらしを築く福祉教育・ボランティア学習~

新世紀をむかえて、わが国では政治、経済、社会のあらゆる場面で既成の価値観や枠組みを改革し、新しい価値観や枠組みを構築し始めようとしています。
教育の分野では、教育改革関連6法案が国会に提出され、「ボランティア活動等社会奉仕体験活動」等が位置付けられようとしている一方で、2002年からは「総合的な学習の時間」「完全週休2日制」が開始され、「開かれた学校づくり」への方向性を模索しています。
社会福祉分野では、社会福祉法の成立により、地域福祉への方向性が明確になり、地域での人々のくらしを支える新しい仕組みづくりがもとめられています。
このような福祉と教育の変革期において、それらと関係する福祉教育・ボランティア学習においては、学校と地域社会とが結びついた、学校での新しい福祉教育・ボランティア学習展開の課題、地域福祉を担う住民の主体形成や、市民のボランティア活動・NPО支援への課題、21世紀の福祉を担う人の福祉専門教育などについての課題があり、これらの課題に対して福祉教育・ボランティア学習の価値が改めて問われており、かつまた具体的な実践方法が喫緊に求められています。
そこで、栃木で開催される本大会のテーマ「新世紀の福祉を創る~地域でのくらしを築く福祉教育・ボランティア学習」とし、新世紀の福祉の目的となる、新しい地域でのくらしを築いていくひとつの方法として、福祉教育・ボランティア学習を捉え新世紀にふさわしい、価値や具体的な実践方法を模索します。
第7回大会実行委員会/実行委員長・石川渉(栃木県ソーシャルワーカー協会)

第8回大会(ひろしま大会) 2002年11月30日~12月1日 県立広島女子大学 広島市
―新しい公共の創造 ― 「市民参画型社会を拓く福祉教育・ボランティア学習」

大会趣旨
新世紀を迎えて、「まちづくり」「福祉」「教育」などへの市民の関心はかつてない高まりを見せており、市民参画型社会を具現化する取り組みが全国各地で展開されています。市民活動やNPО活動においては、その活動領域・分野・参加者はますます拡大し、市民社会、新しい公共の担い手として、主要な役割を担いつつあります。
このような状況の中で、社会福祉と教育は、<地方分権><住民参画>を指向する制度改革により、地域における相互関連性、結び付きをますます強めています。社会福祉の分野では、「地域福祉の推進」を基調に、福祉への計画段階からの住民参画の重要性と、これを可能とする福祉情報の提供、住民自身の福祉理解・学習の必要性と支援がこれまで以上に求められます。
教育の分野においても、2002年度より新学習指導要領に基づき「完全学校週5日制」「総合的な学習の時間」が施行され、児童生徒により豊かな地域での生活や、福祉などの幅広い体験学習場面を保障して行くことが関係者に求められています。
また、広島は人類最初の被爆地であり、“平和”を希求する市民による<平和学習><被爆者支援>が世代を超えて取り組まれてきました。
この広島大会では、<平和>と<福祉>について考えるとともに、福祉教育・ボランティア学習の実践・事例を相互に交流し、新しい市民社会を創造する理論と具体的実践方法について模索します。
第8回大会(ひろしま大会)実行委員会/実行委員長・吉富啓一郎(県立広島女子大学)

第9回とやま大会 2003年11月29日~30日 富山県総合福祉会館(サンシップとやま) 富山市
新しい「つながり」づくりと豊かな人間形成をめざして ~福祉教育・ボランティア学習を通して守るべきもの、変えるべきもの~
大会趣旨
グローバリズムとデフレ不況、急速な少子高齢化の下で、人々の生活は不安定さを増し、おとな社会における価値観の「ゆらぎ」は、児童・青少年の人格形成においても、かつてない深刻な状況をもたらしています。
教育の分野では、自ら生きる力の育成をめざして、総合的な学習など新しい実践が進められ、これまで以上に学校・家庭・地域の教育力の強化と相互の「つながり」が求められています。
福祉の分野でも、住民参画による公民協働のまちづくりをめざす地域福祉計画策定への取り組みが進められ、市町村合併の動きと並んで、新しい「つながり」が模索されています。
福祉教育・ボランティア学習には、新しい時代を生き、地域社会を支える住民が自らの主体形成をめざすとともに、21世紀の大半を担う児童・青少年の人間形成に寄与する使命が課せられています。
日本福祉教育・ボランティア学習学会第9回大会は、万葉の歌枕や立山・黒部などの美しく厳しい自然、真宗王国、越中売薬、忍耐・勤勉・進取の県民性、恵まれた居住環境、環日本海の交流拠点など旧き良きものと新しいものとが融合したここ富山の地で開催します。
本大会では、先人達や地域社会が築いてきた「つながり」を福祉教育・ボランティア学習の視点から見直し、今日の「ゆらぎ」を克服して新しい「つながり」を創り出していくための課題と方法について研究協議をします。
第9回とやま大会実行委員会/地元実行委員長・林溪子(富山短期大学)

第10回かながわ大会 2004年11月27日~28日 神奈川県立保健福祉大学 横須賀市
福祉教育・ボランティア学習の価値と展開 ―地域からの発信! 市民社会をいかに創造するか―

目 的
日本福祉教育・ボランティア学習学会は、1995年(平成7年)に福祉教育並びにボランティア学習の推進方策やその検証などに関し、学際的・実践的な研究と情報交換を目的に設立されました。その後の社会福祉改革や教育改革のなかで、福祉教育やボランティア学習は大変注目を集め、その実践は一層広がってきました。学習指導要領に位置づけされるとともに、学校だけでなく地域への広がり、また生涯学習の視点からの福祉の学びが重視されるようになってきました。そこでは福祉・環境・国際・人権など多様な領域でボランティアに関する実践と学習が積み上げられています。また地域福祉の推進の上でも、主体形成が大きな課題となっています。
しかし、一方で安易な福祉教育実践による形骸化が指摘されたり、より実践に即した教材開発や指導法、あるいは実践評価や推進システムの課題も浮かび上がっています。
また、国外では戦争とテロが繰り返され、国内でも自殺者が増えたり、虐待や暴力行為の増加など反福祉的な状況が進んでいます。こうしたなかで、あらためて福祉教育・ボランティア学習がもつ価値が問われています。
こうした中、今年で第10回の節目を迎えるにあたって、福祉教育・ボランティア学習の先駆的な取り組みをしてきた神奈川県での開催を企画しました。
この10年間の本学会の蓄積を総括し今後の展開を示すとともに、神奈川県内における実践の掘り起こしと研究の組織化をめざして開催いたします。
第10回かながわ大会実行委員会/学会長・山崎美貴子(神奈川県立保健福祉大学)、実行委員長・谷口政隆(神奈川県立保健福祉大学)

第11回こうべ大会~震災10年記念大会~ 2005年11月25日~27日 神戸大学 神戸市
ともに創ろう共生の社会 ―被災地からの学び―
目 的
「ボランティア元年」と呼ばれた1995年から10年の歳月がながれました。阪神・淡路大震災からの復興の過程は、企業・行政中心の現代社会に人間・市民の力(ボランタリズム)がいかに重要であるかを気づかせた過程といってもよいでしょう。ボランタリズムの高揚はこれからの社会にますます重要なものとなっています。
しかし、多くの犠牲のもとに得られたこの「気づき」は、今日、どのように社会に定着しているでしょうか? あらゆる人々が主人公となりえるような「福祉・共生」社会は、順調に形成されているといえるでしょうか? あらためて「一人ひとりの人間こそが社会を創造していくのである」という草の根民主主義の原則に立ち返り、<これからのありよう>を具体的に構築していくことが求められています。あらゆる人々が真に「福祉・共生」をキーワードとする社会形成の主人公になってゆく過程とはいかなるものか、また、その過程を支える仕組み・仕掛けとはいかにあるべきか、こうしたことに思いをはせなくてはならないでしょう。
本学会も設立して10年がたちました。わたしたちは、福祉教育・ボランティア学習を、<一人ひとりが「福祉・共生」社会の形成に十全に参加しえる環境を創ろうとする実践>と広く捉えています。当事者・子ども・市民のエンパワメントに資する福祉教育・ボランティア学習の輪郭を体系的に整理し、実践的・研究的課題を明らかにしてゆくことが本学会の使命です。
本大会は、「気づき」「思い」「学会の使命」を大切にしながら、<これまでの10年>をふまえて、研究的・実践的な新たな動きの基点をつくろうとするものです。
神戸での三日間、新しい出会いとつながり、または、これまでのつながりの再構築のなかで、ともに社会を創っていこうとする力強い息吹を発していきましょう。
第11回こうべ大会実行委員会/実行委員長・和田進(神戸大学)

第12回埼玉大会 2006年11月25日~26日 東京国際大学第一キャンパス 川越市
「人と人を結び きずなを紡ぐ 新しい社会観づくりをめざして」

目 的
21世紀という新たな時代を迎えた現代社会は、さまざまな変革を試みている。しかし、今日の社会問題からは、人間疎外の傾向が強まり、人間関係の希薄さが浮き彫りになってきている。
そして今日、人と人、人と社会、そして自然とのかかわりなど、「つながり」がさまざまな場面で注目され始め、新たな社会の価値を見出そうとしている。しかし、人間は、相互に結びあうとするとともに、異質な他者を排除し、抑圧することで対立することがある。特に、人々の生活基盤となる地域において、コンフリクトは生じやすい。
新たな社会の価値を考えていく上で、改めて自分と他者との問題を切り離して考えるのではなく、互いの違いを認め、相互に理解しあうことから、一人ひとりの”いのち”はかけがえのないものとして尊重できるよう、実践的に学ぶことが求められるのではないだろうか。
これからの福祉教育・ボランティア学習は、社会から疎外されかねない人々が孤立、排除されることなく、信頼と協働による新しい社会づくりをめざし、生活する身近な地域で支えあえる仕組みが創られるよう、ソーシャル・インクルージョンの具現化をめざす必要があると考える。
そのためには、生活する上で自他の福祉課題に気づき、互いに共有し、それらの解決に向けてともに行動する、人間としての学びを実践できる力を培い、地域社会資源を活用し、ネットワーキング社会を構築していくという、つまり「地域を紡ぐ」視点が大切にされよう。
そこで本大会ではテーマを「人と人を結び きずなを紡ぐ 新しい社会観づくりをめざして」として、地域を基盤とする福祉教育・ボランティア学習の展開について、実践と研究課題を明らかにすることから、新たな歩みの方向性を考える機会を創ろうとするものである。
第12回埼玉大会実行委員会/大会特別顧問・遠藤克弥(東京国際大学)、実行委員長・青木孝志(十文字学園女子大学)

第13回大会静岡大会 2007年11月24日~25日 静岡県コンベンションアーツセンター「グランシップ」・静岡英和学院大学 静岡市
「福祉と教育のつながりを深め、豊かな市民社会を創る」
目 的
わが国は、急激な少子高齢社会に伴なう社会的活力の低下や格差拡大等への対応策が求められており、その一環として市民による参加型社会を形成することが大きな課題となっている。
今般の改正介護保険法や障害者自立支援法等の新たな施策は、利用者自身のその人らしい地域生活が維持できるよう地域に密着した諸事業が位置づけられており、こうした人びとを地域社会で支える福祉力の向上への取り組みが今まで以上に重要性を増している。
また、教育の分野においては改正教育基本法においては、「生涯学習」や「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」等が、新たに新設され多様な「学びの場」の必要性、さらに学校教育としての福祉教育・ボランティア学習のあり方が検討されており、今後の教育関連施策に反映されることになろう。
こうした状況の中、地域社会や学校、職域等で展開されている福祉教育・ボランティア学習は、人権の尊重を基調として社会福祉問題を素材にした教育実践を通して、市民の主体形成を図り、福祉文化の創造を目指している。
そのためには、地域社会の諸課題の発見・把握を通し、分野・領域を超え、世代間をつなぎ、一人ひとりの市民が参加型社会を構成する一員として、課題解決に取り組む「原動力」としての役割が求められており、福祉教育・ボランティア学習の理念をふまえた実践方法等の深まりが必要となっている。
静岡大会では、「福祉と教育のつながりを深め、豊かな市民社会を創る」をテーマに設定した。静岡県は、福祉教育・ボランティア学習が実践されて40年の節目の年であり、今までに取り組んできた学校と地域社会のつながりの現状と課題を学びあい、これからの参加型の市民社会を創る「福祉」と「教育」の連携のあり方を探ることを目的に開催する。
第13回大会静岡大会実行委員会/実行委員長・志田直正(静岡英和学院大学)

第14回徳島大会 2008年11月29日~30日 徳島県郷土文化会館・四国大学 徳島市
「福祉教育・ボランティア学習の昨日、今日、明日 市民社会の創造とその実現を目指して」
目 的
今、日本の福祉と教育は経済の激流に翻弄され、両者の分断と格差社会の拡大がますます進んでいる。その中で、人口減少と産業格差に喘ぎながらも、子供民生活動、心の里親運動、善意銀行(日本のボランティアセンターのルーツの一つ)活動、そして老人大学など福祉教育・ボランティア学習を全国に先駆けて開花せしめた徳島県の実践とその歴史がある。
そこで、本大会は福祉教育・ボランティア学習の徳島の実践と歴史から福祉教育・ボランティア学習の昨日・今日を提起すると共に、生涯学習の見地から福祉教育の明日を展望し、確固たる市民社会の創造とその実現を目指すことを目的とする。
第14回徳島大会実行委員会/実行委員長・木谷宜弘(ボランティア研究所)

第15回あいち・なごや大会 2009年11月28日~29日 名古屋市高年大学鯱城学園・日本福祉大学名古屋キャンパス 名古屋市
「福祉教育・ボランティア学習の近未来を展望する ―共生文化創造への途―」

開催主旨
今日、私たちを取り巻く社会状況の厳しさは、貧困問題や自殺、虐待、凶悪犯罪など反福祉・反人権的な問題が次々に顕在化していることに示されています。また戦争や内戦は絶えることなく続き、世界各地で多くの人びとが苦しみにあえいでいます。しかしどんなに厳しい状況のなかでも、新しい未来を切り拓こうと努力している人たちの活動のなかには、人間としての尊厳や優しさを見ることが出来ます。そしてそこにはいのちと向き合う豊かな学び合いがあります。
福祉教育・ボランティア学習の実践が、今ほど求められている時代はありません。しかし、これまでの福祉教育・ボランティア学習活動は、福祉の理念を広げ、互いに理解を深めあううえで少なからぬ成果をあげてきたとはいえ、今日の厳しい状況を乗り越えて新しい時代を切り拓く力となるためには、これまで以上に創意に満ちた活動を積極的に追求し、新たな高みを目指さねばなりません。持続可能な社会を創り上げていくために、市民社会のあり方を問いつつ、そのなかで福祉教育・ボランティア学習の近未来をどのように展望するのか、あいち・なごや大会では、過去の実践に学びながら、現在の到達点や問題点を検討し、福祉教育・ボランティア学習のあるべき姿を明らかにするために、多角的に研究協議していきたいと思います。
第15回あいち・なごや大会実行委員会/実行委員長・宮田和明(日本福祉大学)

第16回ぐんま大会 2010年11月27日~28日 前橋市総合福祉会館・前橋商工会議所会館 前橋市
福祉教育・ボランティア学習の新たな価値を探る ~ノーマライゼーションの発展に向けて~
大会趣旨
私たちは誰もが幸せな暮らしを願いながら、日々の生活を営んでいます。しかし、今日の急速な少子高齢化や経済環境の変化は、私たちの生活に深刻な影響を及ぼしています。貧困問題をはじめ、孤立や孤独死、自殺、虐待、差別・偏見、人権問題、消費者被害、情報疎外、災害被害など早期に解決の必要な課題が山積しています。これらは、特定の人々の問題ではなく、まさに私たち自身が当事者であり社会的支援や対応が求められるすべての国民の問題です。福祉サービスが充実し制度が整っても、私たちがこれらの問題を認識せず、お互いを認めなければ、手を携えて問題を解決することは不可能でしょう。
福祉教育・ボランティア学習は、私たちの身近な福祉問題を学習素材として、これらと向き合い、つながり、市民として問題の軽減を図ることを目的として、教育や福祉の現場で長く実践を積み重ねてきています。そこにはノーマライゼーション社会の実現という基調があり、すべての人々の尊厳を守る確かな学びあいがあります。しかし、一方で高齢者や障害(障がい)者など支援を必要とする人々は福祉教育・ボランティア学習の対象として客体化されていることもあり、対等・平等なノーマルな社会的状況や生活環境にあるのか、あらためて問い直すことも必要ではないでしょうか。
ぐんま大会では、これまでの実践に学びながらノーマライゼーションの原点を再確認するとともに、これを発展させるための福祉教育・ボランティア学習の新たな価値を探ります。これからの実践・研究につながるよう研究協議していきたいと思います。
第16回ぐんま大会実行委員会/大会会長・鈴木利定(群馬医療福祉大学)、実行委員長・足立勤一(群馬医療福祉大学)

第17回京都大会 2011年12月3日~4日 同志社大学新町キャンパス 京都市
ボランタリズムから問う福祉教育・ボランティア学習の原点 ~大震災の年に改めて考える実践・研究のあり方~

開催趣旨
第17回京都大会は「ボランタリズム」を主題とし、「震災」をめぐる課題を柱のひとつとして進めていきます。3月に震災が発生してすぐ、ある大学生が「岩手県に支援ボランティア活動に行ってきます」と言い、友人と共に2週間の活動に出向いて行きました。彼らが支援活動に参加した動機は「京都でじっとしていられない」との思いからでした。
それは被災地で不自由な生活を余儀なくされている人たちの失意や悲しみや憤りなど、想像をはるかに超える悲惨な状況を目の当たりにして湧きあがってきた思いだったと想像できます。いま被災地で活動をしている多くのボランティアの人たちも、おそらく彼らと同じような思いで参加したのではないでしょうか。
このような、ボランティアの思いの根底にあるのは、さまざまな人たちのことが「気になる」あるいは「放っておけない」という意識です。このように他者の苦しみや悲しさといった不条理を放置できない精神こそが、ボランタリズムです。ボランティア活動はこのボランタリズムを基底にして始まる活動で、近年注目されている被災地支援のみならず、福祉・教育・環境・国際など多様な分野で多彩な広がりをみせています。そこには言い知れぬ「参加による学び」や「相手から貰う感動」があったはずです。
こうした視点から今回の大会では、ボランタリズムから福祉教育やボランティア学習のあり方を概観してみることにしました。一つには、福祉教育やボランティア学習の理念やその意味についてボランタリズムの視点から振り返ること。二つには、今回の「震災支援」を含め、さまざまな現代的な諸課題の解決に向かうなかでのボランタリズムを考えていくこと。そして三つには、市民社会創造に関わる上でこれからの福祉教育やボランティア学習を推進する主体(社協、ボランティアセンター、学校、NPOなど)のあり方を考えてみようというものです。
晩秋の京都、それぞれの研究を交差させながら福祉教育やボランティア学習の歴史と今にたち、過去と未来を行き来しつつ、あらためてボランタリズムとの関係性を深く見つめる機会になればと考えています。
第17回京都大会実行委員会/名誉大会長・岡本榮一(ボランタリズム研究所)、実行委員長・名賀亨(華頂短期大学)

第18回いばらき大会 2012年11月24日~25日 常盤大学 水戸市
大震災から問い直す「福祉教育・ボランティア学習」のちから ~かたる・つなぐ・くらし~
開催主旨
昨年3月11日に起きた「東日本大震災」は、今大会の開催地である茨城県内に多くの被害をもたらしました。それは被災当事者同士の支えあいを呼び起こすとともに、東北各県への思いにつながり、被災地支援の活動や取り組みを生み出しました。震災後の原発事故に伴う危険の増大と不安の拡大は、問題状況について情報を共有し、たすけあう必然ともなりました。
このような経験をいかに生かすかという視点から今大会では、震災の体験と震災後の活動を「かたる」こと、被災者と支援者を「つなぐ」こと、そしてこのような取り組みを日常の「くらし」に生かすこと、これらをいかに実現するかを探ろうと、「福祉教育・ボランティア学習」の「ちから」を検討していきます。
第18回いばらき大会実行委員会/実行委員長・池田幸也(常盤大学)

第19回いしかわ大会 2013年11月16日~17日 金城大学 白山市
実践と学びのコミュニティを拓く ~まーぜて いーいよ、みっけよう~
開催趣旨
「東日本大震災」とその後の我が国の社会状況は、生活困難に陥る中で社会的に孤立し、地域から排除された人々に対する「社会的包摂」の必要性を認識させてくれました。そのような「社会的包摂」の在り方を考えるとき、地域住民の意識変革とそのための福祉教育の役割について、より考察を深めていかねばならないと思われます。
石川県は、「善隣思想」が生まれ実践されてきた地であり、また「能登半島地震」や「ロシアタンカー油流出事故」等の被災から、復興のまちづくりを進めてきた地でもあります。そのような思想や経験を土壌に、福祉、医療、教育、ボランティアに係る人々が、「善隣館」を地域住民の生活ニーズに対応するサロンとして育んできました。
しかし、石川県もやはり能登・加賀の地域を問わず、都市化・情報化・国際化・少子高齢化等の社会変化の中でコミュニティの衰退と「善隣館」の機能縮小に直面しており、新たな「実践と学び」のコミュニティを「いかに拓くか」を模索しています。
いしかわ大会では、大会テーマを「実践と学びのコミュニティを拓く~まーぜて いいよ、みっけよう」としました。「まーぜて」とは、地域の中で孤立している人々や、学校の中で孤立している児童・生徒の心の叫びを意味し「いいよ」と、「みっけよう」はそのような阻害された人々の言葉にならない苦悩を理解し、発見し、包摂していく地域住民の意識変革の過程を、金沢の方言で現わしています。
本大会においては、石川県のこれまでの福祉教育実践及び直面する課題を通して、「善隣思想」と「社会的包摂」について議論を交わし、これからのコミュニティ創生の方法や課題を探求していきます。
第19回いしかわ大会実行委員会/大会長・奈良勲(金城大学)、実行委員長・平野優(小松短期大学)

第20会とうきょう大会 2014年11月8日~9日 日本社会事業大学 清瀬市
福祉教育・ボランティア学習の新機軸 ~孤立をのりこえて希望のある社会へ~
大会主旨
人権意識の広がりと高齢化の進行にともなって、社会福祉は従来の救貧的な発想から脱却することが求められ、大きな改革が行われてきました。そこでは、地域で暮らすために、行政的に提供されるサービスと並んで、住民の参加による福祉社会の創造が求められています。一方、教育の世界では、競争原理にもとづく画一的な教育が席巻している状況に対して、「生きる力」を育む教育が提起され、その中で、人権にかかわる体験を通した学び方や社会的有用感を味わうことの重要性が訴えられました。福祉教育・ボランティア学習は、そのような状況の中で重要な位置を占めてきました。
しかし今日、グローバル経済が進行する中で、雇用が不安定になり、所得格差や貧困が多くの人の関心になってきています。そして、それは経済的なことだけではなく、社会関係や生きる意欲にも影を落とし、孤立や社会的排除という問題につながっています。さらに、これらのことが世代を超えて繰り返されるという状況が見られます。このような民主主義の危機的状況を突破するために、個別の生活課題やニーズに応えて、制度をのりこえるサービスが創造されるようになってきています。また、さまざまな困難を抱える人やそのことに共鳴する人によって、当事者性を基盤にした学びあいも見られるようになってきました。そこでは、時間と空間の共有を大切にし、学習と実践を往復させる<省察>を軸にした新しい学び方が注目されています。
そのような最中、2011年3月11日に東日本大震災が発生し、多くの人命が失われるとともに、放射能被害で苦しむ人々が生まれました。これからの社会をどういうものにするのか。人が孤立させられ、生きづらい社会に向かうのか、それとも、希望を求めて人と人とがつながる社会に向かうのか、私たちは歴史の岐路に立っています。
福祉教育・ボランティア学習学会第20回大会は、以上のことを意識して、「福祉教育・ボランティア学習の新機軸 孤立をのりこえて希望のある社会へ 」をテーマとして掲げます。現代的な問題状況とそれに向き合う実践、そこでの学びの変革が先鋭化してあらわれる首都圏において、このことを深めたいと考えます。
第20回とうきょう大会実行委員会/大会長・大島巌(日本社会事業大学)、実行委員長・辻浩(日本社会事業大学)

以上を一瞥すると、各大会では、時局性や地域性などを考慮した企画や課題設定が行われているといえる。例えば、第3回大会では神戸連続児童殺傷事件に象徴される「教育の危機」、第5回・6回・7回大会では「21世紀の新時代」、第8回大会では「平和と福祉」、第11回大会では「阪神・淡路大震災から10年」、第17回・18回大会では「東日本大震災と支援活動」などをめぐるものがそれである。大会テーマに関していえば、第3回大会以降「地域」に焦点があてられ、また第8回大会では「新しい公共」「市民参画型社会」、第11回大会では「共生の社会」の文言が登場する。これらの背景には、ノーマライゼーションを踏まえたソーシャルインクルージョン思想の普及や、地方分権改革の推進に基づく地域福祉の進展という時代状況がある。また、「生きる力」や「地域力」「福祉力」の育成・向上を求める社会的認識がある。
いずれにしろ、本学会は、第1回大会で学会設立の趣旨が確認され、第2回大会以降「福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化」をめざしてきている。各大会では、その前回や前々回の大会の成果(到達点と残された課題)に留意しながら、また新たな課題を設定して研究・討議が重ねられている。その際、福祉や教育の制度改革をめぐるその時々の重要課題や、福祉教育・ボランティア学習の具体的実践における課題などが採りあげられている。しかし、そこでの研究・討議は必ずしもその本質や方法原理に迫るまでには至らず、歴史的・理論的な研究・討議も十分に行われているとはいえない。今日においても「安易な福祉教育実践による形骸化」(第10回大会)を指摘せざるを得ず、またICFの視点や「社会的包摂」の理念に基づく、「まちづくり」の主体形成(市民性形成)を図るための福祉教育・ボランティア学習についての実践と研究はいわれるほどには進んでいない。
社会的包摂に関しては、そこにおいて、あるいはその一方で、自立・自助の強制や自己責任の強要などによって一部・特定の人びとの排除や周辺化が生み出されている。2013年6月に「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(障害者差別解消法、施行は2016年4月)や「子どもの貧困対策の推進に関する法律」(子どもの貧困対策推進法、施行は2014年1月)、同年12月に「生活困窮者自立支援法」(施行は2015年4月)が制定されたことは、その証左でもある。法律の制定の背景や課題について認識・理解する必要がある。また、包摂(あるいは「共生」)は、一面では、人間・社会・文化の画一化・均質化・平準化を促し、真の多様性や創造性の実現・向上を阻害している。留意しておきたい。
要するに、福祉教育・ボランティア学習やその実践の「理論化と体系化」は、未だ「道半ば」といったところである。
第20回大会では、「福祉教育・ボランティア学習の新機軸」が提起されよう。そこでは、時代の流れに飲み込まれない、ときにはそれに抗するための福祉教育・ボランティア学習の実践的・研究的課題が体系的に整理されることを期待したい。そして、本学会を構成する会員は、とりわけ平和と人権・民主主義の危機や政治の右傾化が進む今日的状況やその背景を認識しつつ、また理論(研究)と実践の往還を図りながら、実践の科学的分析や理論化・体系化、理論と実践の融合に向けての追究を多面的・多角的に、ねばり強く深めていく必要がある。

付記
本学会へのもうひとつの「思いと期待」については、拙稿「学会誕生の経緯、志のモノローグ―“天の時、地の利、人の和”を得て―」『ふくしと教育』通巻17号、大学図書出版、2014年8月、42~47ページを参照されたい。

若者 × まちづくり―資料紹介―

君の行く道は/希望へとつづく/空にまた/陽が昇るとき/若者はまた/歩きはじめる (「若者たち―空にまた陽が昇るとき―」)

2014年5月に「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」(座長・増田寛也)が『ストップ少子化・地方元気戦略』を発表した。そこでは、2040年の時点で、全国1800市区町村の49.8%に当たる896の市区町村が消滅する可能性があると推計され、地方に波紋を広げている。しかし、雑誌『中央公論』(中央公論新社)の2013年12月号にはじまる増田を代表とする一連の論稿(「増田レポート」)は、消滅の概念が曖昧であり、その推計の手法にも無理がある。それゆえにか、「消滅可能性」という衝撃的な言葉が先行し、その推計値が独り歩きしている。そして、それが、市町村のみならず、地元住民の不安や危機感を煽(あお)り、不信感やあきらめ感さえも募らせている。
そうしたなかで、人口減少や少子高齢化等の進行が著しい農山村地域において、都市との交流やU・J・Iターンの促進を図る事業、地域サポート人材を外部から導入する事業などの取り組み(「農山村再生」「地域創生」等)がなされている。そして、最近では、団塊の世代の「ふるさと回帰」とは異なり、若者の「田園回帰」の動きが注目されている。そのきっかけとなったものに、2009年度から国主導のもとで実施されている「地域おこし協力隊」の事業がある。
その制度の概要は次の通りである(総務省「地域おこし協力隊推進要綱の一部改正について(通知)」2013年3月29日)。

〇地域おこし協力隊事業は、地方自治体が都市住民を受け入れ、地域おこし協力隊員として委嘱し、おおむね1年以上3年以下の期間、地域で生活し、農林漁業の応援、水源保全・監視活動、住民の生活支援などの各種の地域協力活動に従事してもらいながら、当該地域への定住・定着を図る取り組みである。
〇地域協力活動とは、地域力の維持・強化に資する活動をいう。その一例として、地域おこしの支援(地域行事やイベントの応援等)、農林水産業従事(農作業支援等)、水源保全・監視活動(水源地の整備・清掃活動等)、環境保全活動(不法投棄パトロール等)、住民の生活支援(見守りサービス等)、その他(健康づくり支援等)が考えられる。
〇地方自治体は、設置要綱等を策定したうえで広報・募集等を行い、地域おこし協力隊員とする者を決定し、当該者を地域おこし協力隊員として委嘱し地域協力活動に従事させる。
〇地域おこし協力隊員は、生活の拠点を3大都市圏をはじめとする都市地域等から過疎、山村、離島、半島等の地域に移し、採用先の地方自治体に住民票を移動させた者である。
〇総務省は、地域おこし協力隊の推進に取り組む地方自治体に対して、必要な財政上の支援を行うほか、先進事例や優良事例の調査、これらの事例の地方自治体への情報提供等を行う。財政支援については、地方自治体に対して、地域おこし協力隊員の募集等に要する経費として上限200万円、活動に要する経費として1人当たり上限400万円(うち報償費等が上限200万円、活動費が上限200万円)の特別交付税措置を講じる。

地域おこし協力隊員の数は、2009年度の89人(実施自治体31:都道府県1、市町村30)から、2013年度の978人(実施自治体318:都道府県4、市町村314)へと増加し、取り組みに対する関心も高まっている。また、2014年2月に公表された「平成25年度地域おこし協力隊の定住状況等に係るアンケート結果」(総務省)によると、2013年6月末までに任期を終了した366人の隊員の状況は次の通りである。

〇年齢別では、20歳代が157人(42.9%)、30歳代が134人(36.6%)を数えている。
〇性別では、男性が239人(65.3%)、女性が127人(34.7%)を数えている。
〇任期終了後、活動地と同一市町村内に定住している者が174人(47.5%)、活動地の近隣市町村内に定住している者が30人(8.2%)、地域協力活動に従事している者が14人(3.8%)を数えている。
〇任期終了後、活動地と同一市町村内に定住している174人のうち、性別では男性が115人(66.1%)、女性が59人(33.9%)を数えている。また、起業が16人(9.2%:男性11人、女性5人)、就業が92人(52.9%:男性59人、女性33人)、就農が46人(26.4%:男性39人、女性7人)を数えている。

地域おこし協力隊事業は、都市住民のIターンの「促進」と地域サポート人材の「導入」などを図るための施策のひとつである。地域おこし協力隊員は、2009年度の事業開始以降、5年間で約10倍に増えている。その約8割が20歳代から30歳代の若者によって占められており、任期終了者の約6割が定住もしくは地域協力活動に従事している。また、任期終了者の約9割が起業・就業・就農している。都市から農山村への移住・定住(者)の新しい潮流として注目されよう。
ところで、まちづくりには「若者」「よそ者」「ばか者」が必要である、といわれる。バイタリティーのある人を含意する「若者」は、思考が柔軟であり、年長者に比して人間関係のしがらみ(繋がり)も薄いことから、地域に挑戦し、地域を革新することが期待される。他所から来た「よそ者」は、地域(地元)とのしがらみがなく、地域を冷静に客観的にみることができ、ときと場合によっては新しい “風” を起こすこともできる。地域に対して熱い思いをもつ「ばか者」は、“地” に根を張って、内発的な地域活動や住民運動に熱心に取り組む。いずれにしろ、まちづくり活動や運動の振興・活性化を図るには、「若者・よそ者・ばか者」が必要かつ重要となる。そして、その確保・養成とそのための啓発・教育、3者の参加と協働(共働)、などのあり方が問われることになる。
上述の地域おこし協力隊員の多くは、「若者」であり「よそ者」である。その潮流は、「若者」の生活や仕事(働き方)についての意識の変化や、地域・社会との関わり方の態度・行動の変容などに起因すると考えられる。また、農山村では「よそ者」を受け入れる住民の意識変化や、住民を巻き込んだ組織・体制の整備、すなわち「土(環境)をつくる」「村(地域)を開く」ことが進んでいることによるのであろう。地域おこし協力隊事業やその類似事業が今後どのように展開され推進されるかについては、未知数のところも多い。とはいえ、それらの事業は、とりわけ「若者」の「居場所と出番」(「要場所」)を創る、注視すべき取り組みのひとつであろう。

若者の「仕事」や「居住」に関する考え方と実践記録を纏めた興味深い本がある。伊藤洋志『ナリワイをつくる―人生を盗まれない働き方―』(東京書籍、2012年)、伊藤洋志・pha(ファ)『フルサトをつくる―帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方―』(東京書籍、2014年)がそれである。
前者の本では、「世間ではちょっと珍しい働き方」(238ページ)として、ひとつの仕事だけをやる「専業」ではなく、小さな仕事を組み合わせて生活を組み立てていく「複業」的生活の可能性について説き、次のように述べている。

「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事を『ナリワイ』(生業)と呼ぶ。これからの時代は、一人がナリワイを3個以上持っていると面白い」(2ページ)。
「ナリワイで生きるということは、大掛かりな仕掛けを使わずに、生活の中から仕事を生み出し、仕事の中から生活を充実させる。そんな仕事をいくつもつくって組み合わせていく。いわば現代資本主義での平和なゲリラ作戦だ」(27ページ)。

後者の本では、都会か田舎かという二者択一の住み方・暮らし方ではなく、都市に住んでいた人が新たにつくるもうひとつの拠点である「フルサト」や、その生活の拠点を複数もつ「多拠点居住」について説き、次のように述べている。

「フルサトといっても必ずしも実家のこととは限らない。フルサトは一カ所に限らず拠点は複数あったほうがセーフティーネットとしてもいい。フルサトをつくる、ということは田舎への完全移住ではない。また、すぐには完成しないのだが、少しずつ育てていくためにもやっぱりそこに行くだけで楽しく生きていける場所がよい」(9、14ページ)。
「田舎に仕事なんてない、という意見もよく聞かれるが、実は雇用は少ないかもしれないが、自分で見つけ出し工夫してつくれば、むしろ仕事の素材には困らない。田舎こそナリワイの宝庫である」(20ページ)。

なお、伊藤は、過疎地では空き家が増えているが、貸し出されていないところが多いその原因について、次の6点を指摘している。(1) 古来日本では家は代々引き継ぐものであり、そもそも持ち主に貸し出す意欲がない。(2) とにかくよそ者は、怖い、危ないというイメージがあり、よそ者アレルギーがある。(3) 家は空き家だが、仏壇があると貸し出しにくい。(4) 壊れているところが多いから、持ち主が空き家を無価値だと思い込んでいる。(5) 「盆と正月」に子どもたちが帰ってくるので、そのときだけ使うから貸せない。(6) 他に貸したり売ったりするとお金に困っていると思われ、見栄あるいは世間体から貸したくない、がそれである(57~65ページ)。これらの原因を払拭することが「フルサトをつくる」、ひいては「まちづくり」に繋がることになる。注目しておきたい。

自然と時間―山里の時空を“生き抜く力”を育む―

6月のある日曜日の午後、T市社協のA支所が主催する住民懇談会(「参加型住民懇談会」)に参加するため、高速道路を降りた後、渓流沿いに車を走らせた。カーナビに表示される道案内の赤い線は、だんだんと細くなっていった。沿道の看板や建物をはじめ、自転車やバイクでツーリングをする人、鮎釣りやバーベキューをする人、背中を丸めて道路の端を歩く一人の老女。そのすべてが山と緑の「自然」につつまれ、溶け込んでいた。橋を渡ると、会場の「ぬくもりの里」の看板が目に入った。「時間」通りの到着であった。
「人間も自然の一部である」「人間は自然によって生かされる」などといわれる。これらの言葉の含意を空間軸と時間軸のなかで読みとると、人間は自然にいだかれ、自然とともに生きる存在である。自然のなかの一時(いっとき)を生き、担うことによって、自分の生きていること(「いのち」)が引き継がれていく、ということではないか。人間は、自然と社会における現実(現象)と、時間の継続性のなかに生き、生かされる存在なのであろう。「自然」と「時間」に関して、こんなことを考えながらのドライブであった。
A地区は、2005年4月にT市に編入合併した地区である。人口は約3,000人、高齢化率は42.0%と市内で一番高く、今後も高齢化と人口減少が続く。T市の人口は約42万人、高齢化率は19.6%である(2014年4月現在)。
7月に入って、農業協同組合新聞の電子版に掲載された、「ともに生きる社会 再創造を」と題する哲学者・内山節(うちやまたかし)の一文が目に留まった。多少長くなるが、以下に紹介したい。

東日本大震災以降の日本を見ると、そこにはふたつの動きが存在していることがわかる。ひとつは自分たちのコミュニティを再創造しながら、ともに生きる社会をつくりだしていこうとする動きであり、もうひとつは以前の社会に早く戻そうとする動きである。後者からは原発の再稼働やアベノミクスなどの動きがでてくる。このふたつの動きはこの大震災をきっかけにして、日本の社会を新しく再創造するのか、それとも元に戻すのかをめぐる対立である。そしてこのような対立が生まれる背景には、今日の日本の現実があった。
現在の日本が失っている最大の問題点は、ともに生きる社会の喪失であるといってもよい。ともに生きる社会をつくり直そうとする今日の動きは、この現実を直視する人々のなかから生まれたものである。そして東日本大震災が、この動きを加速させた。ともに生きる社会をつくろうとするとき、その基盤は地域である。今日の日本の課題は、市場原理を強化することではない。課題はともに生きる経済や社会をつくることにあり、その基盤としての地域を活力あるものにすることの方である。そのためには、都市と農村との、生産者と購入者との新しい連帯のかたちを模索することが必要なのである。いま大事なことは、アベノミクスに虚構性と危険性をみている人たちとともに、連帯感にあふれた社会を創造することである。それは都市の人々が農民や農村を守り、農民たちが都市の人々の食文化を守っていけるような社会である(一部中略)。

今日、日本の農民や農村は危機的状況にある。とりわけ、TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加によって、モノだけでなくサービスや投資などの取引の自由化(市場原理の強化)が進み、日本経済の破綻を早め、「日本の社会の瓦解を促進する」ことが危惧されている。こうした現実を「直視」すると、今日の日本の課題は「ともに生きる経済や社会をつくることであり、その基盤としての地域を活力あるものにすること」である。これが内山の言説の要点である。
こうした経済の動向とともに、政治の世界では、右傾化とそれによる「上から」のナショナリズムの高まりが進み、憲法が提示する立憲主義と民主主義、そして平和主義が「危ない」状況にある。時間の流れ方が戦前のそれに戻っていく。内山がいう「以前の社会に戻そうとする動き」に関して、広く、深く認識することが求められるところである。なお、立憲主義とは、周知の通り、憲法は国家権力に縛りをかけるもの、国民の自由と権利を保障するために憲法によって政治権力の乱用を防止する、という考え方である。

内山といえば、「時間はどのようなものとして存在しているのか」を解こうとした、『時間についての十二章』(岩波書店、1993年)という著書を思い出す。内山は、「山里に暮らす人々は、縦軸の時間と横軸の時間という二つの時間のなかを生きている」(20ページ)という。

縦軸の時間は、過去、現在、未来が縦の線で結ばれている。それは西暦とか年号であらわすことができるような過ぎゆく時間であり、けっして戻ってくることのない不可逆的な時間である(20ページ)。
横軸の時間は、春が訪れたとき、村人は春が戻ってきたと感じながら、それを迎え入れる。春は円を描くように一度村人の前から姿を消して、一年の時間が過ぎ去ったのではなく、去年と同じ春が帰ってきた(くる:阪野)。時間は円環の回転運動をしている。このような時間存在をいう(22ページ、一部中略)。

要するに、「縦軸の時間」とは、誰にでも同じ速さで、過去→現在→未来と直線的で、客観的に流れる“時計の時間”をいう。「横軸の時間」とは、人間の営み=主体(自己)と自然や季節との関わりのなかで、回帰し、関係的に存在する時間をいう。この二つの時間のうち、商品経済が進展・浸透し、過疎化と高齢化が進んだ今日では、山村においても「縦軸の時間」が村人を強く支配している。これが、内山が説く「時間の存在論」のポイントのひとつである。また、内山は次のようにいう。

山里の世界でも、(中略)縦軸の時間と横軸の時間が矛盾しながらも全体で山里の時間を形成し、この二つの時間は使い分けられていた。自然と結びついた労働や暮らしのなかでは、あるいは自然との共時的な場を形成するなかでは、横軸の時間が支配的な時間軸になり、縦軸の時間が支配する社会との結びつきのなかでは縦軸の時間に依存していた。そして今日ではこの両者の矛盾が対立的なほどに高まったのである(32ページ)。

ところで、冒頭に記したA地区の住民懇談会では、「自然とともに存在する時間」(内山)の穏やかな流れのなかで、3回目の懇談会として議論が重ねられた。そして、それを踏まえて、住民福祉活動の理念や基本的な考え方に関するその地区ならではのキャッチフレーズが作成された。「笑顔と支え合いのまち、ぬくといA」がそれである。住民の思いは、「笑顔」は「健康」と「生きがい」、「支え合い」は「繋がり」と「集まり」を前提にし、住民相互の「支え合いなくしてこの地区は成り立たない」、というものである。都市部の他地区でのキャッチフレーズには、「豊かな自然」「自然が残る」などの文言が入る。その「自然」は二次的・人工的なものである。A地区には天然に近い自然が存在するが、「自然」という文言は住民からあまり出ない。「支え合い」への思いを強くもたざるを得ない山里(山間部)の厳しさである。それゆえに、そこには温かさ(「ぬくとい」)がある。
参加型住民懇談会は、住民にとって、この厳しさを再認識するとともに今後のまちづくりの方向性を展望し、この山里の時空を生き抜くための「共働」の場である。それはまた、“生き抜く力”を育む教育現場のひとつでもある。自主的・自律的で、計画的・継続的な開催が求められる。