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重田信一「福祉教育の推進を考える」(1975年6月)―資料紹介―

歴史研究においては、研究素材としての史資料の収集、分析と解釈、根拠づけ(解釈の積み重ね)、そして歴史観などの仕方やあり方が問われる。なかでも、史資料の収集には多くの困難を伴い、難儀することがしばしばである。
思いがけず、富山県社協発行の機関誌『福祉とやま』第183号(1975年6月1日、2頁)に掲載されている重田信一先生(2011年11月26日没。享年101)の原稿「福祉教育の推進を考える」を発見した。
周知のように、1970年11月、東京で開催された「昭和45年全国社会福祉会議」の第3専門委員会において、「社会福祉の理解を高めるために―教育と社会福祉―」というテーマのもとに、福祉教育について研究協議された。全国レベルで実施された最初のそれである。その際、会議に先立って、全社協をはじめ東京都社協(一番ヶ瀬康子委員長)や大阪府社協(岡村重夫委員長)などで「福祉教育研究委員会」が設けられ、福祉教育の具体的推進方策をめぐって研究協議がなされた。そのうち、全社協の福祉教育研究委員会は、全国会議での研究協議を踏まえ、1971年5月に「福祉教育の概念について」と題する中間答申を出している。その際、委員長を務めたのが重田先生である。
委員会の答申・報告書には、委員長の意向や言説が反映されることがある。全社協の中間答申では、福祉教育が地域福祉におけるひとつの方法論として捉えられている。以下に紹介する重田先生の一文を通して、中間答申における福祉教育の概念規定を改めて読み返してみるのも一考である。

福祉教育の推進を考える――明治学院大学教授・重田信一
ここ二、三年は実に福祉優先のPR時代といってよい盛況であった。
しかし今年になって低成長経済の段階に入ると、地方財政の赤字を理由に、福祉政策の行きすぎがささやかれることは、どうしたことであろうか。
社会福祉政策の伸長は政治家のアクセサリーではなかったはずである。
社会福祉についての国民要求はもっと根の深いものであったはずである。
形態の上でなく実質として社会福祉サービスは深められなければならない。
その課題についてより効果的な方向はなんであろうかは、地域住民と共に考え実践することのなかで明らかにされよう。
そのためには、説明し知らせる広報と共に、考える広報が必要である。
ここ十年ほど前から社会福祉の教育広報の重要さが叫ばれるのも時代的な意味をもつのである。
ある市町村で福祉教育・広報をどこまで住民に浸透させることができるかは、大局的にはその市町村における公私の福祉活動がどこまで進展しているかによって限定される。
住民が全く知らないこと、関心のないことをPRすることがいかに困難であるかを、われわれは実際に身をもって知らされているはずである。
実践あってこそ広報も効があるのである。
議員選挙の立候補者の公約に福祉政策の拡充が大きく掲げられ、福祉の充実を要求する住民運動が新聞報道される一方で、住民大衆が身近かに社会福祉の実態にふれ身につまされて福祉の充実に共鳴する心境まで至っているとはいい切れない実状の下で、福祉行政や社協関係者はどう行動すべきであろうか。
まず一般的にいえることは、従来からの福祉活動のあり方を、経済高度成長以後の住民の生活実態と比較して再検討するところから始めるべきではなかろうか。
施設を例にとると、その施設活動に関連した生活問題についての情報を集め、職員との話しあいを経て、理事者にその結果を伝え、今後の施設運営方針決定に前向きの影響を与え、新しい運営方針の意味を職員が理解し、その担当業務を方向づけるよう働きかけ、更にボランティア活動を通じて社会福祉の理解者協力者を増加させ、また施設活動を通じて日常接触する保健衛生、教育の専門家や、民生児童委員、婦人団体の幹部等に、実態をふまえて福祉活動の方向を考えるように仕向ける努力を根気よくキメ細かに進めることを期待したい。
社協は当面する地域住民の生活問題の変容について注意を深めるよう、これに関連する行政資料の整理を、更に住民懇談会、アンケートの実施に努め、その結果を問題提起として広報紙を通じてPRする。
その上で中・高校の福祉教育指定校を設定すれば、抽象的な社会保障制度の解説や道徳教育にとどまることなく、生きた同じ地域社会の活動事例を通じて生徒と共に教師自身にも新しい生活問題とそれへの対処の基本的方向が理解してもらえるのではなかろうか。
社会教育もまた社会福祉の教養講座の枠を破ることができるだろう。
社会福祉の教育広報の推進は、行政職員や社協職員ひとりの小手先の仕事でなく、地域社会をあげての総合的な活動によって裏付けられねばならない。(完)

1977年度に学校における福祉教育の全国統一的な制度化が図られ、今日ではまちづくりを指向した地域ぐるみの福祉教育が広がっている。こうした福祉教育の歴史的展開過程を一瞥するとき、1975年時点で、その後の福祉教育や福祉教育指定校制度のあるべき姿を説いている。とともに、「社会福祉の教育広報の推進は、(中略)小手先の仕事でなく、地域社会をあげての総合的な活動によって裏付けられねばならない」と結語を述べていることには、重田先生の見識の深さと先見性の高さを感ぜざるを得ない。

徳島県における福祉教育とボランティア実践の歴史と特性―資料紹介:木谷宜弘先生を偲びながら―

『ふくしと教育』第15号(大学図書出版、2013年8月)が届いた。「特集」は、2012年10月13日にご逝去(享年83)された「木谷宜弘先生を偲びながら」の玉稿で編集されている。「福祉教育とボランティア活動の源流を探る」が特集タイトルである。
私事に及ぶが、筆者(阪野)が木谷先生から直接的にご懇篤なるご指導と格別のご支援を受けるのは、1982年9月、全社協に新たに設けられた「福祉教育研究委員会」(第2次大橋謙策委員会)の末席を汚してからのことになる。30年も前のことである。爾来、筆者は折に触れ、木谷先生が“ボランティアの父”であり、“福祉教育の先達”であることを痛感してきた。これは筆者だけではあるまい。その認識は、今回の特集原稿によってさらに強められた。
木谷先生の「哲学」「思想」「理念」と「信念」、そして「理論」や「実践」は、実に広く、深く、そして穏やかさのなかに力強さを秘めている。「相互実現」等の用語(ターム)、「ボランティアは自由であるから楽しい。」等の語録、「共生から共創の里づくり」等の取り組み、そして「福祉と、そのとなり」(『福祉と、そのとなり:随想』ボランティア研究所、2008年)等のいいまわし(表現)。これらは「木谷イズム」そのものである。それを再考・追考し、継承するのは勿論のこと、さらに発展させる責務をわれわれは担っている。
ところで、筆者の手元に、「徳島県における福祉教育とボランティア実践の歴史と特性」と題する、A4判、2枚半の原稿がある。筆者が、2007年10月、徳島県社協に木谷先生らを訪ねた際に、先生から直接拝受した「草稿」(木谷先生のことば)である。タイトル末尾の「と特性」は朱書きで加筆されており、名前「木谷」が自筆で記されている。
木谷イズムの再考・追考、そして継承と発展の一助になるのではないかという想いから、以下にその全文を紹介することにする。

徳島県における福祉教育とボランティア実践の歴史と特性― 木谷―

昭和7年 徳島県童話研究会発足
昭和32年徳島県児童文化研究会と改称、児童文学部、口演童話部、視聴覚部、子供会育成部(子ども会育成みつばちクラブの母体となる)
資料:「徳島児童文化」1号~6号 昭和32年10月~34年9月 徳島県児童文化研究会発行

昭和21年 徳島県子供民生委員会から子ども会連合会へ
地域子供民生会を基盤とし、県、郡市、学校、それぞれの単位において、組織的活動が展開されていた。昭和32年PTA活動が普及するにつれて、地域子供民生会は PTA子ども会に吸収された。
資料:「こどもとともに」昭和32年7月 徳島県教育委員会社会教育課・徳島県PTA連合会編
昭和22年の半田町子ども会と昭和28年にできた里浦こども会は突出していた。 徳島県社会福祉協議会は、昭和34年第1回徳島県地域子ども会連絡会議開催し、 県下の子ども会の結集をはかった。
さらに、強化策として昭和37年徳島県子ども会育成みつばちクラブを結成し、それが連合会結成の基盤となった。
資料:「みつばち運動と子ども会」昭和38年4月 徳島県社会福祉協議会発行
昭和43年徳島県子ども会連合会結成

昭和32年 心の里親運動
1957年10月の里親開拓月間行事の一環として徳島県社会福祉協議会では「心の里親」(精神里親制度)を開始した。この心の里親は養護施設で生活している 孤児たちとの交流をはじめとする「あしながおじさん」のことで、里親ボランティアは新聞紙上で募集し、初年度は50名からスタート、20年後には200名余に進展した。この心の里親制度は北海道札幌市に伝播し、大きく開花した。

昭和33年 「明るい茶の間運動」と遊び場づくり
福祉をお茶の間の話題にしたい。その願いから「明るい茶の間運動」を展開。その手始めに、小学生から、「僕たち、私たちの願い」をテーマとした作文を募集した。その中に「遊び場」への要望が一番多かった。そこで、市民の手による「遊び場づくり」を提案、その結果、県下各地において「遊び場をつくる運動」が展開された。山間地の母親たちが造った野球場、青年団や老人クラブが労働奉仕で造った遊び場、民生児童委員が町会の協力で街中に造った遊び場など成果は上がった。遊び場づくりから子ども会の育成さらに子どもの家の建設へと発展した地域活動も現れた。

昭和33年 生涯学習をめざした老人大学の創設
全国最初の老人大学が鳴門市に誕生した。この老人大学は瞬く間に徳島全県の市町村 に広がっただけでなく、その萌芽は全国へと拡大した。徳島の老人大学の特質は、老人クラブ によって運営され、学習から地域実践へと連動させるという生涯学習をめざすところにあった。 徳島県老人クラブ連合会の活動は目覚しく「老人の手作り作品展示会」「老人芸能大会」「老友新聞の発行」と全国老人クラブの牽引車のような働きを示した。

昭和33年 徳島県児童文化研究会のはたらき
日本のアンデルセンと呼ばれる久留島武彦は口演童話による児童文化活動を全国に 広げた。徳島県もその影響を受けて、昭和7年、徳島県立図書館に徳島県童話研究会を 設立した。昭和33年、その組織を発展的に改組し、徳島県児童文化研究会として、 児童文学、人形劇、子ども会育成など幅広い児童文化の普及に貢献した。本組織は子ども会育成みつばちクラブ育成の母体となった。

昭和34年 「青年ボランティアの集い」の開催と実践
まだ「ボランティア」という言葉は市民権を得ていなかった。そこで、まず若者たちの時代感覚に訴えようと青年団へ呼びかけ、大麻神社の社務所の協力を得て、一泊研修を開いて、ボランティアの重要性を訴えた。その結果、遊び場づくりや少年野球の指導,小児マヒ予防運動や小児マヒ児童の臨海キャンプの開催、バラック住宅密集地における子どもを守る運動など青年たちによるボランティア実践が県下各地に浮上した。

昭和34年 保健福祉地区育成推進地区のモデル指定と地域活動
全国保健福祉地区育成協議会(育成協)が発足、本県では推進モデル地区となった大麻町と小松島市和田島地区が先陣を切って地域組織活動を推進した。両地区の「健康で明るい町づくりの地域実践」は全国の「実践事例集」に収録発表されるなど、大きな成果を挙げた。その実践の中には福祉教育やボランティア実践の先駆的住民活動の姿が見られる。

昭和34年 実業奉仕団によるボランティア活動の萌芽
本県の地域活動の活発化は、実業奉仕団体並びに企業組織の社会貢献活動に大きな影響を与えた。ロータリークラブは児童施設出身者の里帰り懇談会の開催、ライオンズクラブは心の里親への参加とその組織発展支援、青年会議所は離島や山間僻地の健康診断協力、菓子製造会社組合による「お菓子まつりキャラバン」(「こどもの日」「老人の日」のPR活動と児童施設や老人ホームへのお菓子寄贈運動)など多彩な活動が起きた。

昭和37年 善意銀行の発足
本県におけるボランティア活動の広がりを背景として、善意銀行の創設機運が盛り上がり、県社協は昭和36年に善意銀行構想を発表,翌37年、善意銀行小松島市支店を開設した。38年には全国450ヶ所に設置され、昭和52年今日に見られるボランティア センター網が完成した。

平成12年 「第9回全国ボランティアフェスティバルとくしま」を契機に子供民生委員活動が TIC運動として再生
全国大会を契機に児童の「藍・あい・愛運動」が3年間展開され、それを継承して十代世代による社会活動(「TIC運動」)が全県下に普及されている。阿波市の例にみられるように、TICの企画運営による「こどもフェスタ」の開催も新しい動きである。
さらに、上勝町ではTICによる山・海・街の三者による共創・対流プログラムの開催が予定されるなど、  TIC運動は全国への普及が期待されている。

以上から、福祉教育の言説に関していえば、木谷先生のそれは、子ども会や児童文化から始まり、老人クラブや生涯学習、そしてまちづくりにまで至る。しかも、狭義の「福祉」にとどまらず、「そのとなり」すなわち子ども・青年から高齢者や障がい者などを含めたすべての人間個々人の生命(生きる力)と生活(暮らし)、そして人生(生涯)を見据えた大きな広がりをもつものである。そのひとつの背景や基盤は、、四国徳島ならではの遍路に対するお接待の風習や文化にある、といえようか。そしてまた、子供民生委員制度を創案した平岡国市との間に何か一脈相通じるものがあると感じるのは、筆者だけであろうか。

天竜厚生会における福祉教育の取り組み―資料紹介―

1984年11月、全社協によって『福祉教育ハンドブック』が刊行された。そのことに関して、筆者(阪野)は、「それによって、福祉教育は、一定の理論的整理が行われるとともに、具体的実践のための『水先案内』を得ることになる」と評したことがある(阪野貢・ほか『福祉教育論』北大路書房、1998年、8ページ)。
そのハンドブックのなかに、福祉教育の実践事例のひとつとして、静岡県天竜市(現・浜松市)にある社会福祉法人天竜厚生会のそれが「社会福祉施設による福祉教育」と題して紹介されている。そこで、執筆者の山村睦(天竜厚生会研修センター)は、社会福祉施設と福祉教育の関係をめぐって次のように述べている。

私たちは相互交流の意味からも、また地域住民の社会福祉に対する理解を深める意味からも、施設を「ふれあいの場」として活用することが自然に行うことができないかと考えた。(中略)
昭和55年(ママ/56年:阪野)に、地元の天竜市が系統的に市民の福祉意識の高揚を図ろうというきっかけから、福祉教育事業が始まった。(182ページ)
施設で行われる福祉教育は、(中略)施設の歴史のなかで必然的にその必要性を感じるところから始まった。福祉教育のもつ意味のなかで、特にその目標が社会福祉を中心課題として始まったことは特徴的なところである。
今ひとつ福祉教育には社会福祉とかかわりはあるが、もっと幅を広めて、「人間教育」の場として、個々人の生き方を考える機会としても、とらえられている。(185ページ)

山村がいうように、天竜厚生会では、地元・天竜市から国際障害者年記念事業(1981年)としての委託を受けて、福祉教育に取り組むことになる。とはいえ、天竜厚生会はその後、他に類をみないほどに、福祉教育事業に計画的・継続的・組織的に取り組む。とともに、系統的・体系的なプログラムを開発・編成して、福祉教育実践の展開を図ることになる。何故か。それは、単に、主として1970年代から始まる「施設の社会化」論の潮流に乗ったり、1990年の社会福祉関係8法改正に基づく「施設の社会化」のあり方の問直しを先取りしただけでもあるまい。
その答えの基本部分は、山村がいう「人間教育」ということばに見いだすことができるのではないか。天竜厚生会では当初から、人間の存在そのもの(存在の根拠)と生き方を問う人間教育の一環として福祉教育の推進を企図したのであろう。それをより確かなものにするために、1984年12月に「天竜厚生会福祉教育研究会」を立ち上げる。1988年3月に『施設における中学・高校生の福祉教育に関する研究』として纏めた研究成果と、その研究プロセスが注目されるところである。要するに、天竜厚生会は、“福祉教育は社会福祉施設がもつ重要な役割や機能である”という「福祉教育」に対する信念と確信、そして「教育」に対する情熱と使命感をもって取り組んできたといっても過言ではあるまい。
周知の通り、福祉教育はいま、「学校福祉教育」から「地域福祉教育」、筆者がいう「市民福祉教育」へと、その移行・進展が指摘されている。しかし、それは、学校における福祉教育や、福祉教育実践における社会福祉施設等との連携・協働を軽視するものではない。原田正樹によると、「今日の福祉教育の動向を一言で表すならば、『地域において生涯にわたる総合的統合的な福祉教育の展開』が求められているといえる。このことは、今日の福祉教育実践を『地域化』という視点で整理することができる」(『地域福祉の理論と方法』中央法規出版、2009年、68ページ)。原田の言説を敷衍すれば、そうであるが故に今日、学校福祉教育のあり方や社会福祉施設における福祉教育の取り組み、学校と社会福祉施設等との連携・協働のあり方などが厳しく問われることになる。
周知の通り、1970年代は、1971年度を初年度とする「社会福祉施設緊急整備5か年計画」が策定され、それに基づいて、社会福祉施設のいわば量的な整備充実が図られた時代である。そういうなかにあって、天竜厚生会は、研修センターを設置して社会福祉施設を利用した福祉教育の推進を図るとともに、福祉教育ハンドブックや福祉教育実施報告書の刊行などによる「地域化」(原田)に主体的、積極的に取り組み、果敢に挑戦してきた。これは厳然たる事実である。それを可能にした要因や条件は何か。また、それらが複合的・効果的にプラスの方向に作用したのであろうが、それは何故か。そしてまた、何よりも山村三郎(天竜厚生会事務局長)の存在が大きかったが、彼の福祉教育に関する思想や理念はいかなるものであったのか。
別稿で、筆者はいま、手元にある福祉教育関連資料の整理を行っていると述べた。今回は、天竜厚生会の福祉教育に関する資料(史料)を紹介することにした。上述のように、天竜厚生会では、1981年から福祉教育に取り組んでいる。30年以上も前のことである。30年の歴史から、とりわけ山村三郎から、福祉教育の実践者や研究者は何を学び、何について考えてきたのか。真摯に振り返る必要があるといえよう。ここで、唐突ではあるが、「歴史を学ぶと、我々が歴史から学んでいないことが分かる」というドイツの哲学者ヘーゲルの名言を思い出す。
以下に、天竜厚生会の福祉教育に関する資料(史料)を紹介しようとする意図は、上記のような研究課題にアプローチする必要性があると考えるからである。それはまた、次代を担う若手実践者・研究者による「市民福祉教育」の理論の構築と実践の進展を願ってのことでもある。

Ⅰ 福祉教育開催要領
(1)福祉教育の目的
望ましい福祉社会とは、明るく、健康で、支えあう気持ちのあふれた地域社会であろうかと思 います。この研修は、障害者に対する福祉をはじめ、せまりくる高齢化社会に対応して老人の福祉など、ひろく社会福祉の全般について市民一人一人の意識をたかめようとするものであります。
(2)福祉教育の対象
一般市民、学生、生徒等
広報、新聞等でアピールし、一般からの自主的参加を働きかけるほか、福祉事務所、社会福祉協議会、教育委員会等より各種団体、学校等へ働きかける。
(3)福祉教育の内容
①福祉の理解
社会福祉を生活上困難な状況におかれた人々に対する援助としてのみとらえるのではなく、社会生活の中で障害を持つ人々も含めて全ての人々がよりよい生活を作り出すための活動であることを正しく理解する。
②障害者の理解
一般に障害者といわれている人々の障害の発生、原因、障害の状態、障害者の実数等正しく理解し、障害者の援助について考える。合わせて、実際に障害を持つ人々が日常生活上どのような不自由があるかを体験してみる。
③施設見学
社会福祉実践の場の一つである施設及び施設を必要とする人々が多領域にわたることの実際を知る。
④施設実習(ふれあい)
障害者、老人等と直接ふれあうことにより、障害者、寝たきり老人への理解を深め、福祉の心をより高める。
※プログラム(概要:阪野)
日帰りコース(中学生・一般) 9:00~16:00
オリエンテーション/講義/実技/施設見学/施設実習(約90分)
1泊2日コース(中学生・高校生等) 9:00~2日目/16:00
オリエンテーション/講義/実技/施設実習(約7時間)/レクリェーション/反省会
2泊3日コース(高校生等) 9:00~3日目/16:.00
オリエンテーション/講義/実技/施設実習(約14時間)/レクリェーション/反省会

『ふくし教育―福祉教育5周年記念誌―』天竜厚生会研修センター、1986年、60~62ページ。

Ⅱ 福祉教育のあゆみ
【昭和56年】
4月1日
天竜市より福祉教育実施委託をうける。
4月7日
天竜市福祉事務所長・天竜厚生会事務局長共に、静岡県立二俣高等学校、静岡県立天竜林業高等学校を訪問、福祉教育実施に伴い、高校生の参加を御願いする。
天竜市内校長会において中学生の参加を御願いする。
4月~6月
天竜市福祉事務所より、各種団体等への福祉教育実施に伴う参加のお願いをする。
6月10日
天竜市内校長会(中学校長)天竜厚生会を訪れ、施設見学、中学生の福祉教育の在り方について検討する。
7月6日
天竜市福祉教育開講式。
天竜市長をはじめ、静岡県西部民生事務所長等、多数の来賓列席のもとに開講式が催される。
受講生/天竜市婦人連盟
8月3日
中学生福祉教育開始。
8月7日
岡部町社会福祉協議会主催による岡部町中学生の福祉体験学習実施。
9月4日
福祉教育閉講式
一応の成果をおさめ福祉教育閉講式を行う。
天竜市長ほか列席。受講生/天理市自治会
9月22日
福祉教育の模様を静岡第一テレビ局が取材。
10月1日
天竜市内校長会(中学校長)中学生福祉教育反省会。
10月22日
福祉教育。受講生/天竜市心身障害児推進協議会
11月末
昭和56年度天竜市福祉教育報告書作成。
【昭和57年】
2月16日
浜北市福祉事務所、浜北市教育委員会、天竜厚生会の三者にて浜北市福祉教育実施の方法について協議、浜北市教育委員会を通して中学生の福祉教育参加を御願いする。
2月
竜山村より住民の福祉啓発を目的とした福祉教育の依頼がある。時期7月・8月
4月22日
福祉教育の具体的内容、実施方法について浜北市福祉事務所と協議する。
4月中旬
天竜市と昭和57年度福祉教育の実施について協議、日程等の調整をはかる。
5月4日
浜北市内校長会において福祉教育の概要について説明する。
5月~7月
天竜市、浜北市共に、市内各団体等への福祉教育実施に伴う参加の御願いをする。
中遠振興センターより一般を対象とした福祉教育の依頼がある。
7月2日
天竜市福祉教育開講式。
天竜市長他、多数の来賓列席のもとに開講式が催される。
受講生/天竜市婦人連盟
7月19日
浜北市福祉教育開講式。
浜北市長他、多数の来賓列席のもとに開講式が催される。
受講生/浜北市婦人会
7月21日
竜山村社会福祉協議会主催の福祉教育実施。
民生委員他各種団体を対象に7月、8月に4回に分けて実施する。
8月5日
天竜市福祉教育の模様をテレビ静岡が取材する。
8月6日
岡部町社会福祉協議会主催の岡部町中学生福祉体験学習実施。
8月9日
川根町主催の川根中学生福祉教育実施。
8月17日
浜北市福祉教育の模様を静岡新聞社が取材する。
8月18日
浜北市福祉教育閉講式。
一応の成果をおさめ、福祉教育閉講式を行う。
浜北市長ほか列席。受講生/浜北市婦人会
8月20日
天竜市福祉教育の模様をNHKテレビ及び静岡新聞社が取材する。
8月26日
天竜市福祉教育閉講式。
一応の成果をおさめ、福祉教育閉講式を行う。
天竜市収入役ほか列席。受講生/静岡県立天竜林業高等学校
9月28日
中部振興センター主催の福祉教育実施。
【昭和58年】
7月12日
静岡県ボランティア・カレッジ事業共済(ママ/催:阪野)で17市町村合同福祉教育開講式を行う。
【昭和59年】
プログラムを一部変更してビデオ「楽園をめざして」を導入。
12月~昭和63年3月
福祉教育研究会を発足し、トヨタ財団の助成を受け、予備研究「施設における中学・高校生の福祉教育に関する研究~福祉教育の理論と方法―中学・高校生への期待と社会福祉施設の役割に関する実証的研究~」を行う。
●参加中学・高校生の追跡アンケート調査及び保護者のアンケート調査、事前アンケート調査と感想文の分析
●福祉教育ハンドブック全面改訂 「福祉ってなんだろう」作成
【昭和63年】
6月28日~29日
トヨタ財団の助成を受け、福祉教育研究集会を開催。
記念講演 児童文化研究家 吉岡たすく氏 「私の見た子供の世界」
9月22日~平成2年11月30日
トヨタ財団の助成を受け、研究「社会福祉施設における実践的福祉教育の研究~障害者との触れあい体験を中心とした地域における福祉教育実践の展開方法研究と方法論の開拓」を行う。
● 天竜市民福祉意識調査実施(平成元年8月25日~27日)
天竜市を市街地から山間部まで6地区に分け、18才以上69才以下の市民の中から、各地 区の人口比に基づき世帯主、妻、若年層を各200名、600名を抽出、学生の協力を得て個別面接の方法で実施した。
● 効果測定取り組み
福祉教育参加の中学・高校生を対象とした約600名に事前(実施役1ヶ月前)・事後(福祉教育実施終了後)測定を実施。
● 小学生福祉教育ハンドブック「ふくしってなんだろう」作成(平成2年3月発行)
● 福祉教育モデル事業実施
① 幼児への取り組み
ポスター、福祉教育ハンドブックを幼稚園、保育園、児童館等の関係機関に配付。
「母親が子に教える福祉教育」の実施。(平成2年9月19日)対象:北遠地区母親クラブ
② 児童への取り組み
親子体験教室・日帰りコースの実施。(平成2年7~8月)
親子体験教室・1泊2日コースの実施。(平成2年7月~8月)
③ 高校生を中心として主体的活動を促進する取り組み
高校生ワークキャンプ(天竜市社協主催)の実施。対象:天竜厚生会施設利用者・地元高校生
【平成7年】
従来中学・高校生を対象に行っていた事前アンケートの内容を見直し、事前・事後に中学生から一般までを対象に行うこととした。
施設利用者に講師を依頼し、午前中の講義の内容充実を図った。

Ⅲ 福祉教育関係資料
(1)『福祉ってなんだろう―福祉教育ハンドブック―』
昭和56年7月/初版第1刷
昭和57年7月/第2刷
昭和58年5月/第3刷
昭和59年5月/第4刷
昭和60年5月/第5刷
昭和62年5月/改訂第1版第1刷
昭和63年12月/第2刷
平成2年12月/第3刷
平成2年12月/第3刷
平成4年6月/改訂増補第1版第1刷
平成8年1月/第2刷
(2) 『ふくしってなんだろう―福祉教育ハンドブック 小学生編―』
平成2年3月/初版第1刷
平成3年2月/第2刷
平成8年1月/第3刷
(3)『福祉ってなんだろう―福祉教育実施報告書―』
天竜厚生会福祉教育実施報告書/昭和57年11月
昭和58年度福祉教育実践活動報告書/昭和59年1月
昭和59年度福祉教育実施報告書/昭和60年1月
昭和60年度福祉教育実施報告書/昭和61年3月
昭和61年度福祉教育実施報告書/昭和62年3月
昭和62年度福祉教育実施報告書/昭和63年3月
昭和63年度福祉教育実施報告書/平成 元年3月
平成元年度福祉教育実施報告書/平成 2年3月
平成 2年度福祉教育実施報告書/平成 3年3月
平成 3年度福祉教育実施報告書/平成 4年3月
平成 4年度福祉教育実施報告書/平成 5年3月
平成 5年度福祉教育実施報告書/平成 6年3月
平成 6年度福祉教育実施報告書/平成 7年3月
平成 7年度福祉教育実施報告書/平成 8年3月
(4)『ふくし教育―福祉教育5周年記念誌―』天竜厚生会研修センター、昭和61年4月
(5)『施設における中学・高校生の福祉教育に関する研究』天竜厚生会福祉教育研究会、           昭和63年3月
(6) 『天竜市民福祉意識調査報告書』平成2年10月

『福祉ってなんだろう―福祉教育実施報告書―』〔平成8年度〕天竜厚生会研修センター、1997年、20~22ページ。

Ⅳ 参加人数5年間の推移
昭和56年度
中学生430、    高校生275、      小・大学生0、         一般982、          計1,687
昭和57年度
中学生740、    高校生224、      小・大学生0、           一般619、          計1,583
昭和58年度
中学生1,186、  高校生201、      小・大学生27、       一般1,066         計2,480
昭和59年度
中学生2,023、 高校生123、       小・大学生54、      一般1,057         計3,257
昭和60年度
中学生2,185、  高校生735、       小・大学生155、    一般1,001、      計4,076

中学生6,564、  高校生1,558、    小・大学生236、    一般4,725、      計13,083

『ふくし教育―福祉教育5周年記念誌―』天竜厚生会研修センター、1986年、17ページ。

付記
拙稿をアップするに際して、天竜厚生会理事長の山本たつ子先生にご相談させていただきました。先生からは、アップすることについてご快諾いただくとともに、次のようなコメントも頂戴しました。感謝あるのみです。先生のお許しを得て、以下にそれを紹介させていただきます。

原稿読ませて頂きました。
天竜厚生会における福祉教育は阪野先生のご指摘のとおり、施設が片手間にというよりも、社会福祉の理解を推進する役割を社会福祉施設も持つべきであるという視点から始まっております。職員とご利用者共々、使命感を持って臨んだといえます。施設の社会化、地域開放と言うレベルから一歩も二歩も深めてきたと感じております。
最近、社会福祉法人の社会貢献事業としてこの福祉教育が語られることがありますが、社会貢献といった言葉で片付けてもらいたくない、社会福祉施設あるいは社会福祉法人は、社会福祉を推進し地域理解を深める担い手であり、それは責務であろうと感じます。
学校の授業で福祉教育が進めれれておりますが、障害者体験や高齢者体験を通して理解を進めるという内容には、少し抵抗があります。きちんと人と人が向き合うことから理解は生まれると思うからです。

長野県における福祉教育の取り組み―資料紹介(2)―

1985年3月23日に、長野県社会福祉総合センター講堂で、長野県社会福祉協議会主催の「昭和59年度 福祉教育を進める懇談会」が開催された。参加者は、社会福祉協力校をはじめ、信濃教育会、県民生児童委員協議会、58年度住民会議事業実施社協、モデル公民館事業実施公民館、県教育委員会、それに県社会福祉協議会などの関係者54名を数えた。
ここでは、その際に準備・配布された資料のなかから、長野県における福祉教育の取り組みの経緯について報告している部分を紹介する。前稿の「長野県における福祉教育の取り組み―資料紹介(1)―」と重複する部分もあるが、参考に供しておきたい。
なお、以下の記述では、1978年9月に開催された県社会福祉大会において、「信濃教育会」から「福祉の心を育成する」ことの提案がなされた。その後、福祉教育の副読本や手引書の編集は信濃教育会に委託されている、ことが注目される。そこから、ひとつは、信濃教育会と、その手になる副読本や手引書を分析・評価することによって、長野県における福祉教育の背景やその内実に迫ることができよう。また、信濃教育会と学校現場、教育委員会、公民館、それに県・市町村社会福祉協議会などとの相互関係や連携・協力の実態はどうであったのか。詳細な分析が求められるところである。

福祉教育の推進について(報告)―思いやりの心を育てる教育の実践―
昭和53年9月
第27回県社会福祉大会で採択(福祉の心の育成)
信濃教育会から福祉の心を育成することの提案が行われ採択。
昭和54年1月
長野県福祉教育大綱作成委員会発足
教育、福祉関係の21機関団体長で構成する福祉教育大綱作成委員会を発足、2年間におよぶ審議成案を得る。
昭和55年9月
第29回県社会福祉大会で採択(福祉教育大綱)
別紙「長野県福祉教育大綱」が満場一致で採択される。
昭和55年11月
福祉教育に関する調査実施
県下の小学校(416校)・中学校(192校)・高等学校(104校)の教師(各学校、男1、女1)を対象に調査実施。
昭和56年4月
福祉教育手引書の編集を信濃教育会に委託
教師のための福祉教育手引書「ともに生きる」の編集を信濃教育会に委託。
昭和56年6月
社会福祉についての意識調査実施
県下の小学校(83校)5年以上の児童及び中学校(39校)高等学校(21校)の生徒と保護者を対象に調査を実施。
昭和56年9月
第30回県社会福祉大会で「福祉教育」の推進宣言
大会第4部会に「福祉教育と実践活動」部会を設け“教育大綱”の具体的実践について討議、並びに家庭・学校・地域社会で福祉教育を推進することを宣言。
昭和57年2月
福祉教育に関する調査報告書刊行
福祉教育に関する調査・社会福祉についての意識調査結果の報告書を作成刊行。
昭和57年4月
小学校低学年用副読本の編集を信濃教育会に委託
福祉教育が家庭で育くまれることを目的に「親と子の福祉教育読本」(小1年生)の編集を信濃教育会に委託する。
昭和57年5月
教師のための福祉教育手引書「ともに生きる」を刊行配布。(30,000部)
教師のための手引書刊行、県下の幼・保・小・中・高校の教師等全員に配布・子どもらに思いやりの心の定着化を目指す。
昭和57年7月
県民会議を松本市で実施(参加者1,500名)
福祉教育大綱のねらいを実践に移していくため「福祉教育を進める県民会議」を松本市で開催。
昭和57年8月
福祉教育の推進について文部大臣に陳情
家庭教育、学校教育、社会教育の関連において福祉教育が推進されるよう小川平二文部大臣に陳情する。
昭和57年10月
「ともに生きる」の活用状況調査
県下の小・中・高校(714校)を対象に福祉教育手引書「ともに生きる」の活用状況についてアンケート調査を行う。(回収率65.8%)
昭和58年4月
小学校高学年用副読本の編集を信濃教育会に委託
小学校(4年生~6年生)を対象に人格形成の基礎づくり及び福祉の心が育まれることをねらいに、その教材の編集を信濃教育会に委託する。
昭和58年4月
福祉学習モデル公民館の指定(期間2年、補助1館5万円)
地域住民が福祉の体験学習を通じて福祉意識の向上を図るための場と機会の提供を行う。公民館8館を指定。
昭和58年4月
福祉教育を進める住民会議の推進(期間1年、補助1か所5万円)
地域住民1人ひとりに福祉の心の定着化を目指し、県下8ブロックが主催者となって会議を開催。(昭和58年度)
昭和58年8月
小学校低学年用「思いやる心」を刊行配布(34,000部)
福祉教育が家庭に定着することをねらいに、親と子の福祉教育副読本「思いやる心」を県下小学校1年生全員に配布。
昭和58年8月
教師のための福祉教育手引書「ともに生きる」の活用状況調査
県教委は、小・中学校における教師のための福祉教育手引書の使用状況をまとめ“ 手引書の効果があらわれている”とみる報告書を文部省に提出する。
昭和59年2月
福祉教育部会を開催
福祉教育の体系化とプログラムの作成を目ざして部会活動を推進。
昭和59年4月
福祉教育を進める住民会議の推進(期間1年、補助1か所5万円)
地域住民一人ひとりに福祉の心の定着化を目指し、県下8ブロックが主体になって会議を開催。(昭和59年度)
昭和59年4月
福祉教育副読本「思いやる心(中学生用)」の編集を信濃教育会に委託
中学生(1~3年)を対象に、人格形成の基礎づくりと思いやる心が育まれることをねらいに、その教材の編集を信濃教育会に委託。
昭和59年6月
福祉教育の推進について自民党に陳情
思いやりの心を育てる福祉教育が学校現場で積極的に活用されるよう、海部俊樹自民党文教制度調査会長に陳情。
昭和59年9月
思いやる心(小 高学年用)を刊行配布(37,500部)
福祉教育副読本「思いやる心」を刊行、県下小学校4年生全員に配布。
(学校備付)積極的な活用を依頼。
昭和59年10月
福祉教育副読本(小1用)思いゆる心増刊配布。(17,000部)
福祉教育副読本思いやる心(小1用)を増刊。有償配布。
昭和60年2月
福祉教育副読本(小1、小4)の活用状況調査
昭和58年度(小1年生用)及び昭和59年度(小4年生用)に配布した福祉教育副読本の活用状況について調査を実施。
昭和60年3月
福祉教育を進める懇談会を開催
現在まで進めてきた福祉教育(家庭・学校・社会)の成果と問題点並びに今後の推進方策について話し合う。

(『昭和59年度 福祉教育を進める懇談会―思いやりの心を育てる教育の実践―』長野県
社会福祉協議会、1985年、5~8ページ)

長野県における福祉教育の取り組み―資料紹介(1)― 

いわゆる「3号雑誌」にも至らず、創刊から2号で廃刊になった、福祉教育に関する幻の雑誌に『ボランティア・福祉教育研究』がある。編集・発行は全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センターである。創刊号は1982年3月(実際は同年8月。B5判、117ページ)、第2号は翌1983年9月(159ページ)にそれぞれ発行されている。
その第2号に筆者(阪野)の拙稿「福祉教育の最近の動向―『福祉教育手引書』をめぐって―」が掲載されている。それは、神奈川県、長野県、佐賀県、それに山口県における福祉教育(事業)の取り組みの概説と、各県で発行されている福祉教育手引書の内容紹介と分析・評価を通して、福祉教育が抱える課題について言及したものである。
いま、筆者は、手元にある福祉教育関連資料の整理を行っているが、長野県の福祉教育の取り組みに関する資料(史料)が見つかった。(1)「福祉教育」取組み内容と経過(B4・1枚、2段)、(2)長野県福祉教育の推進(B4・1枚)、(3)福祉教育事業実施計画(B4・1枚)、(4)長野県福祉教育の推進(B4・1枚)、(5)長野県福祉教育の推進((案)と加筆されている)(B4・1枚)、(6)福祉教育第3次推進計画(案)について(B4・2枚)、がそれである。(1)の資料の片隅に「93年3月9日 17時27分;長野県社会福祉協議会」と記されていることから、これらの資料はファクス受信したものであろう。20年も前のことである。
ここでは、上記の拙稿のうちから長野県に関する記述部分を再掲し、それに併せて6点のうちから(1)(2)の資料を紹介する。それによって、汗顔の至りである拙稿の論述に抜け落ちていた部分をうめることにしたい。以下の2点の資料からは、1950年度から全国に先駆けて取り組まれた神奈川県における福祉教育事業とともに、長野県(社協)におけるそれが、1977年度の「学童・生徒のボランティア活動普及事業」の創設に影響を及ぼしたであろうことが分かる。併せて、長野県の福祉教育事業の取り組みの内容や成果が、その後の全国の福祉教育事業の展開に反映、具現化されたであろうことも推察するに難くない。
周知の通り、長野県には、ペスタロッチ主義教育を内実とする開発主義教育(その対極に注入主義教育がある。)を提唱、導入し、「信州教育」の礎を築いたとされる能勢栄(1852年~1895年。明治前期の教育学者)の教育実践の歴史がある。また、その信州教育の運動を支えた「信濃教育会」(教員の職能団体)がある。それらは、かつて長野県が全国でも有数の「教育県」と呼ばれた所以のひとつでもある。とはいえ、長野県の福祉教育の取り組みが、後発の1967年度の静岡県、1971年度の宮城県(社協)、1972年度の山形県(社協)をはじめとする他県のそれに比して、より積極的・計画的かつ総合的であったのは何故か。例えば、1980年9月の第29回県社会福祉大会で「長野県福祉教育大綱」が採択され、翌年9月の第30回県社会福祉大会では「福祉教育」の推進宣言がなされている。また、1982年5月に教師のための福祉教育手引書『ともに生きる』や、1983年8月に小学校低学年生、翌年9月に小学校高学年生のための福祉教育読本『思いやる心』などを発行する。さらには、1982年8月に文部大臣、1984年6月に自由民主党文教制度調査会会長に対して福祉教育の推進について陳情までしている。1983年4月に始まる福祉学習モデル公民館の指定事業(公民館8館を期間2年、補助1館5万円で指定)も特筆される。こうした長野県での取り組みは、(学校)福祉教育の嚆矢とされる神奈川県における取り組みから13年後のことであるが、それは何故か。言い換えれば、神奈川県のそれが早期に他県に波及あるいは普及しなかったのは何故か。福祉教育についての歴史研究の課題は多い。
以下にまず、「福祉教育の最近の動向―『福祉教育手引書』をめぐって―」(『ボランティア・福祉教育研究』第2号、1983年、102~110ページ)を再掲する。

(2)長野県
①社会福祉普及校事業
長野県では、昭和38年度から「社会福祉普及校事業」を実施している。神奈川県につぐ先駆的なこころみである。その「設置要綱」によると、普及校事業は「児童・生徒が体験を通じて社会福祉への理解と関心を高め、日常生活の中に相互扶助、社会連帯の思想を浸透させる」ことを目的とする。
事業の実施主体は県社協である。当初は県社協が高等学校1校を指定し、生徒の活動のひとつとして社会福祉や社会保障制度についての調査・研究がおこなわれた。昭和41年度には「社会福祉普及協力高等学校設置要綱」が定められた。普及校事業の制度的確立とともに、指定校の拡大(8校)、活動内容の充実がはかられている。ついで昭和45年度からは、その名称が「社会福祉普及協力校」と改められ、協力校の指定枠も専門学校・短期大学に拡大された(専門学校・短期大学の指定は昭和53年度で中止されている)。
さらに、昭和50年度からは中学校、54年度からは小学校の指定が開始された。翌55年度には普及校の指定方法が改められ、市町村社協との連携のうえに指定されることになった。また、社会福祉普及協力校が「社会福祉普及校」と改称された。昭和57年度においては、41市町村社協が普及校事業に取り組み、小学校29校、中学校36校、高等学校38校の計103校が1カ年の指定をうけている。
昭和55年9月、第29回長野県社会福祉大会において「長野県福祉教育大綱」が決議・採択された。大綱では、「人間がお互いに人間らしく生きるため、自分の生命や生活ばかりでなく、他人の生命や生活を尊重し、より住みよい福祉社会の実現をめざして、行動や体験を通して実践していく方向」が示された。それをうけて、県社協はさっそく、同年11月と翌56年6月、教師、児童・生徒、それに保護者を対象に福祉教育についての意識調査を実施した。その調査結果は、昭和57年2月、『学校教育、家庭・地域づくりのための意識調査』として報告されている。
②『ともに生きる』
長野県社協は、昭和57年5月、『ともに生きる―教師のための福祉教育手引書』を刊行した。これは、上述の長野県福祉教育大綱が示す「学校(含幼稚園・保育所)における福祉教育」の方向と、福祉教育についての意識調査結果をうけて作成されたものである。編集は信濃教育会、編集委員はそのほとんどが学校教育現場の教師である。
手引書は、「Ⅰ 福祉教育の必要性およびねらい」「Ⅱ 指導計画および教育課程への位置づけ」「Ⅲ 関係資料」の3部構成となっている。Ⅱの「指導計画および教育課程への位置づけ」では、福祉教育の現状と課題、福祉教育のねらい、福祉教育の内容、福祉教育の機会と方法、福祉教育の具体例などの枠組のもとに、幼稚園・保育園、小学校、中学校、高等学校における福祉教育について説いている。そのうち福祉教育のねらいについては、その重点が学校段階別に、すなわち幼稚園・保育園は「思いやりの心を育てるために」、小学校は「実践活動を通して福祉の心を」、中学校は「実践活動を通しての社会参加」、高等学校は「自主的活動としての社会参加」におかれている。児童・生徒の発達段階や学校段階に応じた福祉教育を考え、しかも学校における福祉教育を一貫性のあるものにし、その構造化をはかろうとしている点はこの手引書の大きな特色となっている。
また、手引書は、多くの実践的具体例や指導案を収録している。具体的な実践活動をとおして「福祉の心」をはぐくみ、「人間性豊かな児童・生徒の育成」をはからんとするのである。(104~105ページ)(中略)
長野県社協発行の『ともに生きる』にはつぎのような記述がある。
「福祉とは、みんなが幸せに暮らすことができるようにするための願いや事業及び活動のことであるが、人々が幸せな生活を送るには、物の豊かさだけでなく、心の豊かさが必要である。福祉の根底となるものは、人々の心の問題であり、愛と奉仕の精神に支えられた社会連帯の精神、いわゆる『思いやりの心』である。また、さらにともに生きる喜びをもつための活動である。」
ここでは、「福祉」ということばが抽象的な目的概念として規定され、その精神性が強調されている。したがって、そこから、福祉教育のねらいは、思いやりの心、助けあいの心、奉仕の精神、社会連帯の精神などのいわゆる「福祉の心」を育成し、それを実践する態度を養うことにおかれる。こういった点は、長野県社協のそれだけではない。本稿でとりあげた福祉教育手引書に共通してみられる。
福祉教育には、「福祉の心」の昂揚をはかる領域とともに、歴史的社会的形成体としての社会「福祉のしくみ」について理解・認識させる領域がある。福祉教育のカリキュラムは、大きくはこの二つの領域によって編成される。それにもとづいた福祉教育の具体的展開は、児童・生徒自らが、まず地域社会の社会福祉問題に直面することからはじまる。そのうえで、その問題について考え、理解し、問題解決のための方法を見出し、そのための活動をおこなう。そして、その活動について評価する。しかも、これらの実践過程をとおして、児童・生徒の自己変革をうながすのである。また、こういった福祉教育実践の前提には、科学的社会認識と人権視点を基調にした民主主義的社会福祉観が据えられるべきことはいうまでもない。
ところが、前述した既刊の福祉教育手引書にはいずれも、人権視点や歴史的社会的視点が欠落している。しかも、そこでは、福祉教育実践のためのいわゆる“How  to”に重点がおかれ、具体的方策についての解説がその大部分を占めている。それは、学校教育でいうところの「各科教育法」のひとつ―「(実践)福祉教育法」といったところである。
福祉教育は、学校教育のみならず家庭教育や社会教育の領域においても、すなわちすべての生涯教育のプロセスを通じて展開される必要がある。しかも、その活動は、地域社会に根ざした住民運動とつながり、地域「福祉」教育運動に成長することが期待される。福祉教育実践が単に福祉サービス活動の一環としてのみ位置づけられ展開されるならば、それは、福祉行政の肩代わり、もしくは下請けの活動にとどまることになる。そして、いわれるところの「安上がり福祉」「福祉切捨て」推進の一翼をになうことにもなりかねない。こんにち、経済不況と財政危機を背景に自助と相互扶助の強化が叫ばれるなかで、その危険性は大きいといえる。
これらの点にも目配りした福祉教育手引書が望まれる。(107~108ページ)

次に、前述した長野県の福祉教育関連資料の(1)(2)を紹介する。

(1)「福祉教育」取組み内容と経過
昭和38年12月
社会福祉普及協力事業スタート
長野高校社会科学研究班に調査研究活動を指定(毎年1校指定)
41年度 「社会福祉普及協力高等学校設置要綱」
43年度 「社会福祉普及協力高等学校設置運営要綱」
45年度 「社会福祉普及協力校設置運営要綱」
50年度 「社会福祉普及協力校設置補助要綱」
52年度 「社会福祉協力校」併設(Ⅰ~Ⅳ期指定 昭和63年度まで6校ずつ3か年指定)
昭和47年7月
県社協会長、県教委委員長、教育長と第1回会談し、「福祉教育」について初の提案
昭和47年9月
第21回県社会福祉大会処理委員会決定事項として県議会議長に「福祉教育の充実強化」について請願
昭和50年8月
黒田県社協会長 県教育長室で関係者と第2回会談
昭和53年10月
第27回県社会福祉大会で「県民に福祉の心を育てる福祉教育」が必要。との提案が信濃教育会から出され採択される
昭和54年1月
福祉教育大綱作成委員会発足
委員長・県社協会長 副委員長・信濃教育会長 21委員で構成
昭和55年9月
第29回県社会福祉大会で「長野県福祉教育大綱」採択
昭和55年11月
教師を対象に「福祉教育に対する調査」実施
小学校(436校)、中学校(198校)、高等学校(104校)の各校、男女教師各1名1,424名を対象
昭和56年1月
「福祉教育に関する調査」集計
1,265名から回収(回収率・88.8%)
その結果 現在の学校教育で「徳育が一番欠けている」55.3% 欠けている理由として、「自己中心的」70.1% 「価値観が物質的」69.2% 「思いやりが欠けている」41.9% 福祉教育を取り入れることについて は、 「取り入れる方がよい」76.5%
昭和56年5月
教師のための福祉教手引書の編集を信濃教育会に委託
昭和56年6月
小・中・高校生とその保護者を対象に「社会福祉についての意識調査」を実施
昭和56年7月
同上調査集計
抽出校143校中139校(児童生徒4,630枚 回収率・97.2%、保護者4,556名)
「思いやり」については学校・家庭共に協力して74.8%
昭和56年4月
社会福祉普及校事業 県社協から市町村社協指定に
昭和57年5月
教師のための福祉教育手引書「ともに生きる」発刊配布
県下の小・中・高等学校全教師,幼保育所に各2部配布 30,000部
昭和57年6月
親と子の福祉教育読本の編集を信濃教育会に委託
昭和57年7月
福祉教育を進める県民会議開催 1,200人参加
昭和57年8月
上記県民会議における宣言決議に基づき小川文部大臣に「福祉教育」を陳情
昭和57年11月
手引書「ともに生きる」活用状況アンケート調査
714校中521校(回収率73.0%) 「特活」で活用235校ついで「社会」「道徳」
学校における福祉教育について「積極的に取り組むべき」小40.9% 中47.1%
高校64.2%
昭和58年8月
親と子の福祉教育読本「思いやる心」発刊(低学年用)
県下の小学校1年生全員に配布 34,000部
昭和58年8月
親と子の福祉教育読本「思いやる心」(高学年用)編集を信濃教育会へ委託
昭和58年8月
福祉教育推進指導教諭研究協議会(60年 福祉教育推進研究協議会に改名)
昭和59年4月
福祉学習モデル公民館の推進 8ブロック1館指定
昭和59年4月
親と子の福祉教育読本「思いやる心」発刊(高学年用)
県下の小学校4年生全員に配布 37,500部
昭和59年4月
親と子の福祉教育読本「思いやる心」(中学生用)編集を信濃教育会へ委託
昭和59年4月
福祉教育読本「明るい家庭づくりのためのハンドブック」編集作業に入る 家庭部会
昭和60年11月
親と子の福祉教育読本「思いやる心」発刊(中学生用)
県下の中学校1年生全員に配布 37,500部
昭和62年2月
家庭向け福祉教育読本「あたらしい家庭づくり入門」
県下の新婚家庭に配布 30,000部
昭和62年12月
福祉教育推進セミナー開催(福祉教育推進権〈ママ/研:阪野〉協議会改め)
昭和63年4月
福祉教育推進地区指定事業開始
県内8ブロック1か所2か年指定 視聴覚教材16mm映画フィルムの長期貸出し
昭和63年4月
福祉教育啓発パンフレット「みんな仲良くなるために」作成配布 2,000部
平成元年4月
社会福祉協力校32校3か年指定
平成3年4月
社会福祉協力校93校 社会福祉普及校348校
平成3年9月
福祉教育ハンドブック「福祉の心を広めるために」作成配布2,000部
平成4年4月
社会福祉普及校事業廃止
平成4年4月
社会福祉協力校80校指定
平成4年4月
「ともに生きる」教師のための福祉教育手引書全面改訂を(社)信濃教育会へ編集委託
平成5年2月
福祉教育推進セミナー開催

(2)長野県福祉教育の推進
福祉教育大綱の作成(55年)
(人間がお互いに人間らしく生きるため、自分の生命や生活ばかりでなく、他人の生命や 生活を尊重し、より住みよい福祉社会の実現をめざして、行動や体験を通して実践していく方向を示したものである。)

意識調査(56年)

第1次推進計画(57年度~61年度)
県民運動の展開
萌芽期
福祉教育推進県民会議の開催(57年度)
(児童、生徒、親に重点を置いた活動の展開)
福祉教育副読本等の作成(57年度~61年度)
社会福祉協力校・普及校事業(ボラ金(ママ/協?:阪野)事業、57年度~)

第2次推進計画(63年度~4年度)
実践活動・啓蒙活動
発展期
(地域・家庭に重点を置いた活動の支援)
教師のための福祉教育手引書の作成(4年度)
社会福祉協力校・普及校事業(ボラ金事業、57年度~)(4年度からは普及校事業廃止)
福祉教推進地区助成事業 視聴覚教材の整備 福祉教育推進小冊子の作成(63年度~4年度)

第3次推進計画(案)(5年度~8年度)
実践活動・啓蒙活動
充実期
(学校、地域、家庭での福祉教育の総合的基盤整備)
視聴覚教材の製作・配布(5年度~8年度)
社会福祉協力校・普及校事業(ボラ金事業、57年度~)(4年度からは普及校事業廃止)
視聴覚教材の整備 福祉教育推進小冊子の作成(5年度~8年度)

付記
以上に加えて、「長野県福祉教育大綱」と、文部大臣と自由民主党文教制度調査会会長に提出された「陳情書」を紹介しておくことにする。福祉教育史研究の一助にでもなれば幸いである。

資料(1)「長野県福祉教育大綱」
(長野県福祉教育大綱作成委員会が作成し、1980年9月、第29回県社会福祉大会で採択された。)

はじめに
この福祉教育大綱は、人間がお互いに人間らしく生きるため、自分の生命と生活ばかりでなく、他人の生命や生活を尊重し、より住みよい福祉社会の実現をめざして、行動や体験を通して実践していく方向を示したものである。
ところで、日本社会の現状はどうであろうか。産業経済の高度成長が今日の日本を築いてきたことは否定できないが、反面、余りにも急激な変化、発展は人間社会にひずみをもたらし、人間が人間らしく生きる根源としての人間愛、ひいては人間社会の連帯感をも失わしめ、時には豊かな自然を破壊し、さまざまな公害を生んできたことも事実である。
わが郷土信州も、こうした社会風潮のらち外ではない。物にかたよった家庭生活、青少年非行の増加、老人問題、障害者の置かれている状況、環境、公害問題等、いくたの課題が山積している。
こうした中で、この大綱のねらいは、県民ひとりひとりが、個人または集団として福祉社会の実現を自分のこととしてとらえ、その解決に向かって継続的に努力し、共に育つ豊かな郷土信州を築くにある。
したがって、この大綱はいかなる思想、信条、宗教、政治、職業等と対立するものではなく、また、居住する地域差、年齢差にかかわることなく、人間本来の善意志に根ざしたものである。
ここでは、一応、家庭、学校、社会の三分野に分けて考えるが、この三分野が相互に関連しあって目的が達せられることはいうまでもない。
なお、この大綱の実践的な活動は、各家庭や地域、各団体や機関、各施設や職場等に任せられているので、それぞれが積極的な活動を展開することを期待するものである。
1 家庭における福祉教育―思いやりの心を家庭の中に―
(1)愛情と信頼に満ちた家庭生活が営まれているか、家族みんなで見直してみよう。
親はたしかに子どもを養育し、子どもは親に孝養をつくす、相互扶助の心を育てる。
(2)人間づくりの土台である家庭教育機能の回復をはかり、いっそうの充実をめざそう。
よき人柄を育てることに家庭の重要な役割があることを認識する。
(3)隣人や地域社会とのかかわりを深め、共に育つ連帯の輪を広げよう。
自分の家庭ばかりでなく、近隣との心のふり合いのある生活を実現する。
(4)親子(わが家)でできるボランティア活動を心がけ、体験をとおして福祉の心を育てよう。
思いやりの心を身近な所から実現する。
2 学校(含幼稚園、保育所)における福祉教育―福祉の理解、実践を教育課程に―
(1)福祉教育を教育内容に位置づけよう。
現行の教育内容を福祉という角度から見直し、指導内容、方法、時間等を明確にした福祉教育計画を立案、実践する。
(2)児童・生徒等の社会参加による福祉教育をすすめよう。
社会参加による奉仕の実践活動をとおして、福祉の心を育てる。
(3)心身に障害をもつ人々との交流を深めよう。
心身に障害をもつ人々との交流をとおして、お互いの理解と心のふれ合いを深める。
3 社会における福祉教育―地域の課題をみずからの手で―
(1)学校教育、社会教育、社会福祉の関係者が話し合い、福祉の地域づくりについて
協力体制 をつくろう。
福祉社会実現への地域体制の基盤づくりをする。
(2)公民館の各種学級には、必ず福祉の意義、福祉活動のすすめなどをとり入れよう。
福祉の心とは何かを学ぶため、意図的、計画的な学習活動を展開する。
(3)自治会、公民館等が中心になり、福祉の地域づくりのための話し合いを進めよう。
住民が地域の課題を解決するため、行動や体験をとおして学ぶ。
(4)地域における各種団体(市民団体、企業、労働組合)は、地域福祉に対して何ができるかを見つめ、個性ある活動を展開しよう。
各種団体はその目的遂行とともに、福祉社会実現への積極的な活動をする。

資料(2)「陳情書」
(1982年8月23日、福祉教育を進める県民会議実行委員会代表/社会福祉法人長野県社会福祉協議会会長・湯本安正、社団法人信濃教育会会長・太田美明、長野県PTA連合会会長・鷲沢正一の連名で、文部大臣・小川平二に陳情した。)

昭和57年7月6日松本市において本県59団体の関係者が相寄り、「思いやりの心を育てる教育の実践」を総合テーマに「福祉教育を進める県民会議」を開催、別添報告書の通り決議しました。
つきましては、この宣言にもとづいて次の事項の推進を図られるよう陳情いたします。
1. 次代な担う児童・青少年に思いやりの心を育てることは、わが国の未来にかかわる緊急の 課題であると考える。このため家庭教育、学校教育、社会教育、の関連において福祉教育が推進されるよう、特に学校において別記「全国小・中・高の児童・生徒に「福祉教育」の確立を提言する件」について早急に配慮されたい。
1. 当面においては、地方自治体及び社会福祉協議会等が教師及び児童・生徒を対象に作成する福祉教育のための手引書、副読本について、これが学校教育現場で積極的に活用するよう配慮されたい。
〈別記〉
全国小・中・高の児童・生徒に「福祉教育」の確立を提言する件
さきに行われた国の小学校・中学校・高等学校の教育課程の第一のねらいは「児童・生徒の豊かな人間性を育てる」ことである。そのためには、「社会福祉の実践体験を得させる」教育が有力な手がかりの一つである。
また福祉教育については、小・中・高の学習指導要領の各教科および領域のなかで発達的・系統的に要求されているところである。
しかし独立した教科目をもたないため、その指導が不徹底に陥っていることも事実である。
本県の意識調査(別冊参照)によれば、学校・家庭・社会・地域住民があげて、福祉教育の実践を希求しており、これが徹底すれば、青少年の非行も減少すると考えられている。
よって速やかに全教育活動の中で、この教育がどの教師にも実践できるための、福祉カリキュラムあるいは指導書を作成することを提言します。

資料(3)「陳情書」
(1984年6月26日、社会福祉法人長野県社会福祉協議会会長・湯本安正、社団法人信濃教育会会長・太田美明の連名で、自由民主党文教制度調査会会長・海部俊樹に陳情した。)

日本国憲法に示されている社会福祉の推進につきましては、日頃格別の御高配を賜り、心から感謝申し上げます。
さて、本会におきましては、思いやりの心を育む福祉教育の重要性に鑑み、昭和55年長野県福祉教育大綱(別紙)を策定し、じ来この大綱に基づき、福祉教育を家庭、学校、地域社会に向けて進め、潤いのある地域社会づくりに努めているところであります。
つきましては、次に掲げる事項は、福祉社会実現のため極めて重要な事項でありますので、近く取り組まれる「教育臨調」においても、思いやりの心を育てる福祉教育の実現について、格別の御理解とこれが推進を賜りたく陳情いたします。

1 次代な担う児童・青少年に思いやりの心を育てることは、わが国の未来にかかわる緊急の課題であると考える。このため家庭教育、学校教育、社会教育の関連において福祉教育が推進されるよう、特に学校において別記「全国小・中・高の児童・生徒に「福祉教育」の確立を提言する件」について早急に配慮されたい。
2 地方自治体及び社会福祉協議会等が教師及び児童・生徒を対象に作成する福祉教育のための手引書、副読本について、これが学校教育現場で積極的に活用されるよう配慮されたい。

(『昭和59年度  福祉教育を進める懇談会―思いやりの心を育てる教育の実践―』長野県
社会福祉協議会、1985年、19~21、40~41、63~64ページ)

幼児福祉教育―狛江市社協のふくしえほん「あいとぴあ」20年のあゆみ―

東京の狛江市社会福祉協議会が編集した『就学前の子どもたちに贈る狛江の福祉教育―ふくしえほん「あいとぴあ」20年のあゆみ―』が、2013年3月に大学図書出版から刊行されました。その「はじめに」は、「市内の保育園、幼稚園に通う全5歳児に向けた『ふくしえほん“幼児のあいとぴあ”』の福祉教育実践が20年を迎えました。最初にこのえほんを手にした5歳児は、今年で25歳の成人です。……」と記されています。
『幼児のあいとぴあ』(福祉教育シート)の作成に当初かかわりをもたせていただいた筆者(阪野)にとっては、長きにわたるこの取り組みにはただただ頭が下がるのみです。以下に、『幼児のあいとぴあ』について筆者が最初に草した拙稿(「“福祉の心”育てたい―『幼児のあいとぴあ』(福祉教育シート)作成・配布の活動―」『現代保育』第41巻第10号、チャイルド本社、1993年、46~48ページ)を再掲し、作成の背景や経緯、当時の想いなどを紹介させていただきます。

幼児の福祉教育の必要性
幼児に対する福祉教育の必要性や重要性が指摘されて久しい。
例えば、長野県の社会福祉協議会(以下「社協」と略す)が昭和57年5月に発行した『ともに生きる―教師のための福祉教育手引書―』では、「“思いやり”というような精神性にかかわることの教育は、可塑性の大きい幼児期においてとくに重要である」という認識のもとに、「幼稚園・保育園における福祉教育」について触れている。また、神奈川県福祉部が昭和61年1月、主に保育所保母を対象に発行した『暖かい心ありがとう―幼児に福祉教育を―』では、「福祉の心」(「生命をいつくしむ心」と「思いやりの心」)は、人とのふれあいを通して幼児期に身につけさせるべきであり、「就学してからでは遅すぎる」として、「幼児福祉教育」の必要性を強調している。
しかし、幼児に対する福祉教育の取り組みは、これまで、盲・ろう・養護学校生徒と同様に、小学生や中・高校生に対するそれに比して、消極的なものにとどまっていたと言わざるをえない。
それが最近、幼児の福祉教育に関する具体的な取り組みやそのためのある種の条件整備が図られてきている。
例えば、厚生省は、平成元年度から、特別保育対策の一つである「保育所地域活動事業」、そのうちの「特別保育科目設定実施事業」の一つとして「老人福祉施設訪問等世代間交流事業」「地域における異年齢児交流事業」などの推進を図っている。
文部省は、平成元年3月『幼稚園教育要領』を改訂し、次いで厚生省が、平成2年3月『保育所保育指針』を改定・通達した。そのうち、『保育所保育指針』の「5歳児の保育の内容」においては、「人間関係」について、「(9)地域のお年寄りなど身近な人に感謝の気持ちを持つ。(10)外国の人など自分とは異なる文化を持った様々な人に関心を持つようになる」などと記されている。
また、富山県では、県と県社協が平成2年3月、幼児(5歳児)を対象に『みんな なかま』と題する福祉絵本を編集、発行している。
幼児の福祉教育は、今、緒についたばかりである。今後、人間性豊かな幼児の育成をめざして、全人格的教育としての福祉教育の積極的な展開が望まれる。
福祉のまちづくりの夢へ
東京都狛江市社協は、平成2年3月、地域福祉活動計画としての「あいとぴあ推進計画」を策定した。その計画は、ボランティア活動・福祉教育計画と在宅福祉計画の二つから内容構成されている。前者の計画では、重点事業の一つとして、市民・住民に対する福祉教育事業としての「“あいとぴあカレッジ”の開講」が構想されるとともに、児童に対して「市民参加による福祉絵本や福祉読本の作成・配布」が計画された。
なお、“あいとぴあ”とは、市民・住民の“であい”“ふれあい”“ささえあい”の三つの“あい”とユートピアを合成した言葉である。そこには、市民・住民の、福祉のまちづくりの「夢」が込められている。
平成2年8月、狛江市社協内に、ボランティア活動・福祉教育事業の企画・立案を任務とする「ボランティア活動推進委員会」(以下「推進委員会」と略す)が設置された。そして、まず、“あいとぴあカレッジ”開講のための準備が進められ、平成3年5月から8月にかけて、その基礎課程・第Ⅰ期が開講された。
次いで、平成4年7月、推進委員会のなかに「福祉えほん推進委員会」(以下「編集委員会」と略す)が設置された。編集委員会は、小学校教員1名、幼稚園長1名、保育所保母2名、それに推進委員会委員2名(福祉関係者、学識経験者)の計6名の委員によって構成されるものである。およそ月1回開催の編集会議では活発な議論が展開され、また編集会議へのイラストレーターの参加・協力、それに社協事務局スタッフの積極的・精力的な作業などを経て、平成5年3月、『幼児のあいとぴあ』(福祉教育シート、B5判、両面カラー印刷、12枚)が作成、発行された。
平成5年4月、狛江市内のすべての5歳児に対し、幼稚園や保育所などを通して『幼児のあいとぴあ』(4月号)の第1回配布が行われた。その際、資料1のような「ご家族の皆様へ」という趣意書が配布された。配布に先立ち、幼稚園・保育所関係者に対して、趣旨説明と配布の協力依頼も行われている。
以後、毎月1回、シートと、それに併せて資料2の「保護者のみなさまへ~『幼児のあいとぴあ』ご案内~」、それに50名を対象に「幼児のあいとぴあアンケート」(葉書)を計画的・継続的に配布している。
シートの編集は幼児の生活体験を通して
幼児に対する福祉教育は、様ざまな日常的な生活体験を通して、またその一環として展開されることが肝要である。しかも、その際、幼児の年齢や発達段階をはじめ、興味や関心の方向、生活の連続性や関連性、それに親・きょうだい・友達・保育者などとの人間関係などを考慮することが必要かつ重要となる。こういった考え方をベースにして、そして次のようなねらいと方針のもとに、シートの編集が行われた。
〈ねらい〉
人とのかかわりの基本となる自立と連帯の心や力の育成を図る。
〈方針〉
①子供が好奇心や興味・関心をもち、楽しく遊べるよう工夫する。
②子供の日常的な遊びや生活にかかわる身近な素材を取り上げる。
③子供の生活(家庭生活、園生活、地域生活)の連続性や相互補完性に留意する。
④子供個々人の特性や発達段階に応じた活用ができるよう配慮する。
⑤各シートからいろいろな話題を引き出し、豊かな発展的な活用が促されるよう工夫する。
⑥親、きょうだい、仲間・友達、それに保育者などとの活用が図られるよう配慮する。
⑦福祉的な心情のみならず、福祉的な判断力や実践意欲、態度などが育成されるよう工夫する。
なお、『幼児のあいとぴあ』(シート)の4月号から3月号の内容〈テーマ〉は次の通りである。4月・ともだちいっぱい、5月・たんけんごっこ、6月・いろんなことば、7月・わたしのかぞく、8月・いなかのおばあちゃん、9月・わたしもできるよ、10月・あかいはね なあに?、11月・こまえだいすき、12月・だいじなおもちゃ、1月・せかいのともだち、2月・きれいなまち、3月・もうすぐ いちねんせい。

狛江市社協の『幼児のあいとぴあ』に関する論稿には次のようなものがあります。参考にしていただければ幸いです。本文中から、「当面(今後)の課題」についての叙述部分の一部を付記しておきます。
(1) 阪野貢「幼児の福祉教育に関する研究」『日本保育学会第46回大会研究論文集』福岡教育大学、1993年、594~595ページ。
(2) 阪野貢・小楠寿和「福祉絵本づくりの活動―幼児に対する福祉教育―」『福祉文化研究』第3号、福祉文化学会、1994年、80~87ページ。
「編集委員会では、『幼児のあいとぴあ』の内容の充実と有効活用のあり方などをめぐる当面 の課題として、およそ次のような点が挙げられている。
①シートの内容の充実を図るために、子どもの反応や保護者の評価に関するアンケート(「幼児  のあいとぴあアンケート」)の内容や実施時期・回数などについて再検討する必要がある。
②子どもの反応や保護者の評価に加えて、シートに関する幼稚園教員・保育所保母自身の理解や認識、参加や協力などについて意識・実態調査を実施する必要がある。
③シートの配布がひとつのきっかけとなってもつようになった、子どもや保護者、教員や保母などの福祉問題への興味や関心をさらに深化・拡大させるためには、福祉的な実体験活動を展開する必要がある。
④狛江市や関係機関・団体などの協力を得て、シート発行の趣旨の理解の徹底を図るとともに、幼稚園や小学校の教員、保育所保母などに対する福祉教育研修や保護者への福祉教育・啓発活動を実施する必要がある。
⑤子どもや保護者、教員や保母などに対する福祉教育・啓発活動を推進するためには、家庭や学校、地域の関係諸機関・施設・団体などの横断的・有機的な連携・協働を図る必要がある。」(87ページ)
(3) 小楠寿和「福祉えほん“幼児のあいとぴあ”の発行と配布」大橋謙策編著『地域福祉計画策定の視点と実践~狛江市・あいとぴあへの挑戦~』第一法規出版、1996年、222~231ページ。
「幼児に対しての福祉教育事業の展開も、単に福祉えほんの活用を中心に考えるのではなく、幼児の日常生活の中での体験をより重視するとともに、生活環境自体を整備していく方向での展開が考えられる。(中略)
いずれにせよ、福祉えほん“幼児のあいとぴあ”の作成は、親子の会話を通して家庭における福祉教育の展開を目的に始まった取り組みであったが、現在、幼児に福祉媒体を提供する段階から、子供の生活全般へと視点を広げ事業を展開する必要が生まれてきている。」〈231ページ〉
(4) 中島修「就学前の子どもと地域における福祉教育」村上尚三郎・阪野貢・原田正樹編著『福祉教育論』北大路書房、1998年、74~81ページ。
「狛江市社協の取り組みの今後への課題としては、
①福祉えほんの活用を幼稚園・保育園から小学校につなげ、幼児から高齢者までの体系的な福祉教育展開のなかに福祉えほんを位置づける。
②福祉えほん活用マニュアルを作成し、そのマニュアルに基づきつつ各園での日常保育と結びついた柔軟な活用ができるような研修会の充実。
③福祉えほんの活用をさらに進めるために、子ども自身の反応(学習成果)を客観的に判断できる評価方法の検討。
④保護者にも社会福祉問題に関心と理解をもってもらえるように、福祉えほん活用についての研修・講演会の企画。
⑤福祉えほんの活用によって園外保育などが促進され、園と地域住民が連携できるようなしくみを検討し、園と家庭だけではない子どもと地域住民との接点を模索し、体験プログラムの充実を図る。」(80ページ)

教育における権力と権威―いじめの次は体罰か―

学校教育現場で、“いじめの次は体罰か!”という問題が生じています。福祉の世界でも同じようなことがあり、福祉施設では、利用者が職員から身体的虐待を受けたというマスコミ報道がなされますが、実は職員が経営者から心理的虐待を受けている場合もあります。私は、主に知的障がい者を対象にしている障害福祉サービス事業所に勤めていましたが、昨年の12月末、経営者の「総合的な判断」「分かるでしょ」とやらで、一方的に退職を強いられました。客観的・合理的な理由のない不当解雇であり、解雇権の濫用による不法行為であると思っています。福祉や教育について発言されている先生の考えを聞かせて下さい。

このようなコメントをブログ読者からいただきました。まず、前段の教育現場での体罰の問題については、次のように考えます。
学校現場ではこれまで、1970年代から「校内暴力」、1980年代後半から「いじめ」、1990年代から「不登校」、1990年代後半から「学級崩壊」、等々の問題を抱えてきました。そして、今回、潜在化、常態化していた「体罰」の問題が明るみになりました。
周知のように、学校における体罰は学校教育法(第11条)で禁止されています。「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」というのがそれです。しかし、それ以前に、体罰は人権侵害の行為のなにものでもなく、人間としての尊厳や自尊心を傷つけることは必定です。体罰をめぐって「愛のムチ」という言葉が使われることもありますが、それは空虚で、欺瞞に満ちた単なる“美辞”に過ぎません。そもそも暴力(身体的暴力、精神的暴力)を伴う体罰に訴えなければ教育・指導ができないということは、教師の資質と能力が厳しく問われるとともに、教師自らが教育とその責任を放棄するものであると断ぜざるをえません。
ところで、教育や教師の世界においてはこれまで、「権力」と「権威」をめぐる問題が教育哲学などの分野・領域で議論されてきました。学校における教育や教師に、(教育的)権威が不必要であると考えることはできません。しかし、その権威は、選択権のない被支配や服従、排除などを強要・強制するだけの、狭く偏った権力の行使に堕落してしまう危険性があります。体罰は不当な、悪しき権力の行使である、ということについては多言を要しません。
「権力」と「権威」について、『広辞苑』(第6版、岩波書店、2008年)は次のように説明しています。「権力:他人をおさえつけ支配する力。支配者が被支配者に加える強制力。」。「権威(authority):①他人を強制し服従させる威力。人に承認と服従の義務を要求する精神的・道徳的・社会的または法的威力。②その道で第一人者と認められていること。また、そのような人。大家。」。ここではとりあえず、権力は人を強制する力(power)であり、権威はそれに服する人の承認に基づくものである。権力を正当化するのは権威である、ということを確認しておきます。
ところで、教育的人間関係(かかわり)について多面的に研究する教育学者に岡田敬司(京都大学)がいます。イギリスにおける教育哲学・道徳教育研究の第一人者にピーターズ(Peters, R.S.)がいます。ここで、「教育」「権力」「権威」をめぐって、二人の言説のごく一部を紹介しておきます。
まず、岡田は、教育の基本的目標は自律的人間の育成にある。人は、一般的には他律的存在から自律的存在へと成長・発達するが、そのためには時期や状況に応じて他者によって権力的あるいは権威的に主導される教育としての他律教育が必要かつ重要となる。ここでいう権力は「非自発的な服従を引き出す力」、権威は「自発的な服従を引き出す力」を意味する、と説いています(岡田敬司『かかわりの教育学―教育役割くずし試論―』(増補版)ミネルヴァ書房、2006年、246ページ)。
次に、ピーターズによると、教育とは、「本質的にみて、社会の構成員を価値あると考えられる生活形態の中に手ほどきすることである」(338ページ)。学校の存在根拠(レーゾン・デートル)は、「共同社会が価値あると認めるものを伝達することにある」(339ページ)。教師は、「権威をもった人物である。教師は、共同社会のためにある仕事をなし、その間、学校の中で社会的統制を維持するために、権威の座(in authority)におかれている。それと同時に、共同社会の文化の伝達者として雇用されているため、その文化のある側面について権威者(an authority)でなければならない。さらにまた、教師は、彼が権威を及ぼしている子どもたちの行動と発達について、また、子どもたちを教える方法について、ある程度まで、専門家であることが期待されている」(343~344ページ)。ここでいう「権威の座にあること」(being in authority)は、身体的・心理的強制や制裁、報償などによって「ある個人が他者を自己の意志に従わせるやり方」をいう「権力」を行使することとは異なる。「権威者であること」(being an authority)は、一般的には、信頼することのできる専門的な知識や能力をもっていることである。そして、その際の「権威」は、「基本的には、それに従う人たちの側でそれを承認しているがゆえにその行為を規制することになる、非個人的な規範的秩序または価値体系に訴えることを意味している」(341~342ページ)、などと述べています。そして、ピーターズは、「子どもたちに対して権威の座にある人々は、結局において子ども自身に自己規制のスタイルを発達させることになるような一つの原型を提供しなければならない。教師の権威は、他の世代に対して権威なくして生きることを学ばせるために必要である」(378ページ)。それゆえにこそ、教師には権威の行使が公的に正当化(合理化)されるのである、としています。(Peters, R.S.(1966)“Ethics and Education” 三好信浩・塚崎智訳『現代教育の倫理―その基礎的分析―』黎明書房、1971年)。
なお、唐突感が拭いきれませんが、ここで、国内における最高で独立した権力(強制力)である「国家権力」(「統治権」「主権」)と教育との関わりについて一言述べておきます。上記の岡田がいうように、教育の基本的目標は自律的人間の育成にあります。それは、教育基本法(第1条)にいう「教育の目的」としての「人格の完成」を意味します。すなわち、「人間の自律」イコール「人格の完成」ということです。また、西原博史(早稲田大学)は、「民主的に決定された国家意思であっても踏み込めない個人の領域」(29ページ)があり、それが「自分らしく生きていく権利」を意味する「基本的人権」(43ページ)である。「戦前の例を挙げるまでもなく、教育行政が組織的に国民に対するイデオロギー的教化に乗り出した時、子どもの思想・良心の自由はもろくも滅び去っていく。それを防ぐためにこそ、教育基本法があり、思想・良心の自由などの憲法で保障された基本的人権がある」(195ページ)、と述べています(西原博史『良心の自由と子どもたち』岩波書店、2006年)。西原の言説を通して、要するに筆者(阪野)がいいたいのは、たとえ民意を反映した政権や選挙で選ばれた地方自治体の首長であっても、教育に対する政治介入は許されない、ということです。

次に、ブログ読者がいう「退職の強要」に関しては、次のように考えます。
組織は、ある意思決定を行い、その決定にしたがって事業・活動の推進を図ります。その際には権力が必要となります。組織がその目標の達成をめざして機能するためには、意思決定や事業・活動の推進に際して、権力の存在は不可欠です。またその際、権力が拡大・強化することは否定できませんが、だからこそ組織における権力とリーダーシップ、それにメンバーシップのあり方が厳しく問われることになります。
経営者は、個々の職員が「ソーシャルワークの知識、技術の専門性と倫理性の維持、向上が専門職の責務である」(日本社会福祉士会「社会福祉士の倫理綱領」2005年6月採択)ことを認識し、福祉専門職としての良心と良識に従う自律的な実践活動を展開する限り、その権力を実践活動にまで及ぼしてはなりません。権力的地位にある経営者の個人的独断や偏見によって何かが強要・強制されることは、厳しく排除されるべきです。権力の魅力にとりつかれた経営者は、さらなる権力を求める腐敗傾向をもつといわれます。そのような経営者のいる組織、言い換えれば権力をめぐって職員間の真の合意形成やチェック・アンド・バランスの実質化が図られない組織、そうした組織の改善・改革・革新を図るための正義と勇気、知識と能力などをもちあわせた職員がいない組織は早晩、モラルハザード(倫理の欠如)を招き、内部崩壊することになるでしょう。
最後に一言。福祉教育とりわけ学校福祉教育は、これまで、地域の「社会福祉問題」、それも高齢者や障がい者などの、しかもある意味では限定的な「福祉」問題を学習素材化する傾向があったがゆえに、学校内のいじめや不登校、そして今回のような体罰などの問題(教育福祉問題)については、十分に教材化、対象化してきたとはいえません。また、ホームレスや外国籍住民、精神障がい者、貧困・低所得者、一人暮らし高齢者などの「社会的排除や摩擦」「社会的孤立や孤独」をめぐる生活問題や福祉課題の実態をしっかりと見据えてきたかというと、これもまた消極的評価を下さざるを得ません。今後、学校福祉教育の推進を図るに際しては、地域に軸足を置くとともに、学校や教室にもしっかりと軸足を置くことが求められます。
いまひとつ。「退職の強要」に関しては、福祉サービスの利用者のみならず、福祉事業者(経営者)や職員に対する「福祉教育」が必要かつ重要であり、その教育の内容や方法についての検討がいま強く求められていることを指摘しておきます。

ボランティア・平和教育・市民福祉教育―今、平和のための主体性と自律性を問う―

2012〈平成24〉年9月、「第21回全国ボランティアフェスティバルみえ」が三重県で開催されました。その分科会24では、「今、ボランティアを問う」というメインテーマのもとに、今日、「ボランティアの原則として掲げられていた、主体性、無償性、社会性(公共性)等について、その境界線上にある活動が広がってきており、『ボランティア』をどう捉えればよいのか、分かりにくくなっている(中略)。こうした状況をふまえ、改めてボランティアとは何かを考え」、「変えていくべきこと、変えてはいけないこと」(サブテーマ)について議論されました。
議論に先立ち、原田正樹先生(日本福祉大学)は、次のようなことを話題提起されました。

従来、ボランティアは「主体性」を大事にしてきました。(中略)「ボランティア」の自主的な行為としての側面、民主主義と平和を実現していくための市民社会の担い手としての側面が重視されてきました。しかし今日、さまざまな施策でボランティアが位置づけられるなかで、「ボランティア活動の義務化」や「県民総ボランティア構想」といった動き、国民保護計画での武力攻撃事態等における位置づけ、軽犯罪者等への社会奉仕命令、介護分野でのボランティア活動のポイント制度の導入などが議論されています。ボランティアが浸透してきたことと同時に、ボランティアが安易に国家や制度のなかに組み込まれています(『ボランティア情報』VOL.426、全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター、2012年11月)。

原田先生の、「ボランティアが浸透してきたことと同時に、ボランティアが安易に国家や制度のなかに組み込まれています」という指摘には、筆者(阪野)も認識を同じにするとともに、そうした状況に「危機感」さえ覚えます。
ここでは、「国民保護計画での武力攻撃事態等におけるボランティアの位置づけ」に関して、いま一度、若干の資料提示をしておきたいと思います。
まず、2003〈平成15〉年6月にいわゆる有事関連3法(武力攻撃事態対処法、自衛隊法一部改正法、安全保障会議設置法一部改正法)が成立し、続いて2004〈平成16〉年6月に有事関連7法(国民保護法、米軍行動関連措置法、捕虜取扱い法、自衛隊法一部改正法、国際人道法違反処罰法、特定公共施設利用法、海上輸送規制法)が成立しました。これによって日本の有事法制は整備・確立され、日本国憲法(平和憲法)の歴史に一大画期を成すことになりました。こうした一連の有事法制は、「備えあれば憂いなし」(小泉純一郎首相)という観点に立って、国家の安全のために武力攻撃等の緊急事態に対処するためのものです。しかし、この有事法制について、国民への周知は不十分であり、国民の認識と関心も低いといわざるを得ません。
国民保護法(「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」)は、有事関連3法のなかの武力攻撃事態対処法に関連する個別法として制定されたものです。それに基づいて、都道府県や市町村では既に「国民保護計画」が策定されています。国民保護法の第1条(「目的」)と第4条(「国民の協力等」)では次のように規定されています。

第一条 この法律は、武力攻撃事態等において武力攻撃から国民の生命、身体及び財産を保護し、並びに武力攻撃の国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるようにすることの重要性にかんがみ、これらの事項に関し、国、地方公共団体等の責務、国民の協力、住民の避難に関する措置、避難住民等の救援に関する措置、武力攻撃災害への対処に関する措置その他の必要な事項を定めることにより、武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(平成十五年法律第七十九号。以下「事態対処法」という。)と相まって、国全体として万全の態勢を整備し、もって武力攻撃事態等における国民の保護のための措置を的確かつ迅速に施することを目的とする。
第四条 国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。
2 前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、 その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。
3 国及び地方公共団体は、自主防災組織(災害対策基本法(昭和三十六年法律第二百二十三号)第五条第二項の自主防災組織をいう。以下同じ。)及びボランティアにより行われる国民の保護のための措置に資するための自発的な活動に対し、必要な支援を行うよう努めなければならない。

いま、とりわけ問題にしたいのは、第4条第3項の「国及び地方公共団体は、自主防災組織(災害対策基本法(昭和三十六年法律第二百二十三号)第五条第二項の自主防災組織をいう。以下同じ。)及びボランティアにより行われる国民の保護のための措置に資するための自発的な活動に対し、必要な支援を行うよう努めなければならない。」という規定です。要するにこれは、「ボランティア」が国や地方自治体の権限や管理のもとで、「国民の保護」のために「協力」「動員」させられることを意味します。それは、ボランティア活動の基本的性格である自発性や主体性、自律性や協働性が無視され、平和と自由と民主主義に対する意識を空洞化させることを必然にします。
ここで、安倍晋三首相(第一次安倍内閣)によって2006〈平成18〉年12月に改正された現行の教育基本法第2条(「教育の目標」)の「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という文言を思い起こしてみます。この条文に関しては、「教育憲法」とも呼ばれる教育基本法に「愛国心」が盛り込まれて愛国心教育が推進・強化され、戦前の国家主義・全体主義の基盤形成が図られていることを銘記しなければなりません。愛国心教育の強制は、個人の尊重(第13条)をはじめ、思想および良心(第19条)、信教(第20条)、表現(第21条)などの自由を保障した憲法に違反することは明白です。なお、憲法は国家権力を規制することによって国民の権利や自由を守るための法律(立憲主義)であり、憲法は国民が国家に、法律は国家が国民にそれぞれ守らせようとするものであることを確認しておきます。
筆者がいいたいことは、いま求められる「備え」は、恐怖感や不安感を前提にした有事体制や国民総動員体制をつくることではなく、巨大な国家権力と対峙し、有事政策に先行する平和政策とりわけ平和教育(それはすなわち市民福祉教育)の推進を図ることである、ということです。
そこで、以下に、「平和教育と福祉教育」に関する筆者の既発表の拙文に若干の加筆・修正を施したものを再掲しておきます(村上尚三郎・阪野貢・原田正樹編著『福祉教育論』北大路書房、1998年、22ページ)。

平和教育のねらいは、憲法と教育基本法の規定から、平和のうちに生存することを自覚的に追求し、平和のうちに生存する権利(「平和的生存権」)を行使する主体形成を図ることにある。そして、平和教育は、福祉教育と同様に、権利としての展開を必要不可欠とする。その際、平和は、戦争や紛争のない状態(「消極的平和」)を意味するにとどまらず、人権や福祉が保障された状態(「積極的平和」)をいう。
平和教育は、一般的に、「直接的平和教育」と「間接的平和教育」に大別される。前者は、戦争と平和に関する問題を直接的・意図的に取り上げる教育をいう。その内容は、広島平和教育研究所編集の『平和教育実践事典』(労働旬報社、1981年)によると、①戦争体験(「被害体験」「加害体験」「抵抗体験」)の継承、②戦争の科学的認識、③核時代の軍事状況についての理解、④平和を創造する行動力の育成、⑤国際連帯の精神の育成、などとなる。後者は、学習・文化・スポーツ活動や自然観察、動植物の飼育栽培などを通して人間(生命)の尊厳について教え、人権意識や仲間意識、そして豊かな人間的情操を育てる教育をいう。
平和教育は戦争と平和に関する問題を、福祉教育は地域の社会福祉問題をそれぞれ学習素材とする教育実践である。しかも、平和教育は、戦争の問題を中心的課題としながらも、貧困や飢餓をはじめ、社会構造的な不平等や不公正、差別や排除、それに自然環境や社会環境の破壊などの問題にも取り組む。また、平和教育と福祉教育は、その教育目標や方法論などにおいて共通するところが多い。たとえば、学校における平和教育と福祉教育はともに、学習素材についてのたんなる知的認識・理解にとどまらず、問題解決のための実践力を育成し、平和と福祉を創造する主体形成を図る。また、全教科・全領域での計画的・継続的かつ組織的な取り組みや、家庭・地域社会などとの連携・共働活動を必要不可欠とする。しかもともに、学校を越えた教育活動や運動へと発展させ、地域の平和活動・運動や福祉活動・運動などと結びつけることが求められる。
平和なくして福祉はなく、福祉なくして平和はない。平和教育と福祉教育(市民福祉教育)は表裏一体の関係にあるのである。

地域福祉懇談会と市民福祉教育―ニーズの把握と活動への動機づけをめざして―

当研究所のブログ読者であるS市社協の職員(コミュニティソーシャルワーカー)から、アウトリーチ活動のひとつとして計画的・継続的に取り組んでいる「地域ふくし懇談会」に関する資料の提供を受けました。それは、地域住民による地域・生活のニーズや問題の把握(顕在化と共有化)と、ニーズの充足や問題の解決を促すための事業・活動への内発的動機づけをめざすものです。要するに、それは、福祉の(による)まちづくりの主体形成を図るための市民福祉教育の実践活動そのものであるともいえます。以下に、その概要を紹介させていただきます。 

1.懇談会開催の趣旨
地域福祉の推進が社会福祉の基軸とされるなか、自分や自分の地域で暮らす住民が抱えている福祉課題を明確にし、その課題を地域住民が地域の福祉課題として捉え(共有化)、その解決・改善に向けた方策を住民がみんなで考え、みんなで行動するために懇談会を開催する。
具体的には、(1)住民の福祉に対する意識高揚と主体形成を図る(住民福祉教育の場)。(2)地域の福祉力(住民による福祉課題解決意識と能力)の向上を促す。(3)住民の意見を支部社協(校区ごとに組織された支部)活動および市社協事業に反映させる。(4) 市社協事業や支部社協活動を直接的に住民に知ってもらう機会とし、「住民に見える社協事業・活動」をめざす。(5)懇談会のテーマ設定や主要な論点の提示により、地域の関係団体や社会資源との連携強化を図る。(6)住民の地域福祉(活動)計画策定への参画の場とする。 

2.懇談会の変遷
源 流
自治会等の行事・会合の折に、支部役員や職員が出向き、「福祉」 をテーマに懇談や学習を行っていた。 
第1期 地域福祉活動計画の策定と周知(平成11年度)
「S市民地域福祉活動計画」を策定する際に、住民の福祉意識や福祉課題の把握と住民の計画策定への参画および住民への地域福祉啓発・教育を目的に、平成11年の8月から9月にかけて支部社協の協力により11の地域で開催(延べ492名が参加)する。福祉サービス利用者を代表し、障がい児・者とその家族の懇談会も開催する。「地域ふくし懇談会」の名称で、S市民地域福祉活動計画に毎年開催することが計画される。これにより平成12年度以降、毎年11地域、12の会場で開催することとなる。当初は懇談会案内チラシを全戸に配布し、住民に参加を呼びかける。その結果、例年延べ700名が参加。
第2期 統一テーマでの開催(平成12年度~13年度)
平成12年と13年開催の懇談会では、冒頭参加者に対し、社会福祉法に明記された「地域福祉」を推進するためには懇談会が重要であることを訴え、また、懇談会開催の趣旨を十分に伝える。平成13年からは、支部社協組織の強化や活動の開発・拡充を懇談の話題とすることにより、市社協と支部社協の共催とする。平成14年は、支部社協活動の拡充として、ふれあい・いきいきサロン活動を話題とする。また、子育て支援活動(子育てサロン)も話題とするが、住民の関心は低いといわざるを得ない状況がみられた。
第3期 地域別テーマでの開催①(平成14年度~15年度)
平成14年頃より、各地域および支部社協が抱える課題を取り上げるようになり、その明確化と共有化を図り、支部社協活動に反映しようとする意向が伺えるなど、支部社協の懇談会開催に対する自主性・主体性がみえるようになる。平成15・16年はS市地域福祉計画策定への住民参画が進む。平成15年から行政職員も参加。
第4期 地域別テーマでの開催②(平成16年度~17年度)
平成16年頃より、各支部社協がこれまでの懇談会で明らかになり共有化した課題に対して、より具体的なテーマを設定し、それらの解決方法の検討や研究のための懇談がはじまる。平成17年はS市地域福祉計画の周知を図る。平成17年頃から、児童・生徒に関する話題を取り上げたことにより、学校教職員が参加。合併地域においては、平成17年、18年にS市地域福祉計画策定への住民参画の場となる(平成17年から、延べ約1,000名が参加)。
第5期 地域別テーマでの開催③(平成18年度~21年度) 
平成18年頃より、懇談会開催の事前に支部長および支部社協役員等が研修を行い、より具体的な事業・活動の開発と展開方法について懇談する傾向が伺える。支部社協の奨励事業(メニュー事業―「地域ミニ集会、座談会」―)として、地域住民を対象にした学習会や懇談会、小地域での座談会の開催を支援する。
第6期 小地域福祉活動計画の策定(平成22年度~) 
より小地域での懇談会の開催をめざす。小地域福祉活動計画の策定を促す。
以上のうち、第1期と2期を黎明期、第3期と4期を定着期、第5期と第6期を発展期と時期区分することもできる。

3.懇談会のテーマ(一例)
(1)共通のテーマ
地域の福祉課題について。少子・高齢社会において私たちができること。地域住民である私たちがしなければならないこと、行政に支援を求めること。地域の関係団体との連携強化のために。支部社協組織および運営強化のために。支部社協活動の拡充のために。
(2)地域別テーマ
誰もが、いつまでもこの地域で豊かに生活するために。高齢になってもいきいきと暮らすために。バリアフリーのまちづくり。子どもを地域で守り、地域で育てる。ボランティア、市民活動の活性化のために。見守りネットワーク活動の拡充のために。災害時における住民相互の助けあい。ふれあい・いきいきサロン、子育てサロンおよび子育て支援。移送サービス。グループホーム(空き家を利用した宅老所)。

4.懇談会の成果
(1)「ふれあい・いきいきサロン」活動の展開
「地域で高齢者が気軽に集まる場所があるとよい」との発言があり、平成12年度から活動が始まった。さらに、各地の活動の様子をビデオに撮り、地域ふくし懇談会で紹介したことにより、全市に活動が広がった。
(2)「さわやかモーニング」活動の展開
サロン活動の必要性に関する発言を地域ふくし懇談会で紹介したところ、一地域のボランティアが、障がい者が気軽に集えるサロン(「ふれあいモーニング」)活動を開始した。
(3)「すくすくランド」活動の展開
平成14・15年度頃の懇談会で、地域で子育て支援の必要性を話題としたが、「何をしたらよいのか分からない」「その必要があるのか」などの意見が主流であった。平成17年度に、他団体である子育て支援ネットワーク協議会のメンバー(子育て家庭) から「地域における子育て支援活動を希望する」という発言があった。そこで、総合福祉会館で開催していたイベント「すくすくフェスタ」を平成18年度から地域で開催することにし、それによって地域住民が活動内容を理解することになった。その後、地域住民が、支部社協の事業として「すくすくランド」の活動を始めた。
(4)災害時要支援者避難支援活動の展開
災害時における要支援者の避難支援活動に関して、継続的に「組織・団体の連携と協働」「情報の把握と共有」「災害マップとその必要」などをテーマに懇談を重ね、平成 18年度より一部地域が要避難支援者の台帳の作成・整備と災害マップづくりに取り組んだ。現在は全地域が取り組み、全市レベルでマップができるに至っている。また、一部地域では、市が主催する総合防災訓練において避難支援活動や連絡(安否確認)活動を同時実施している。
(5)福祉活動者の拡大
①福祉委員の増員
一部地域の懇談会において、地域の福祉活動者である福祉委員の数が少ないことや、小地域(団地等)に福祉委員がいないなどの問題が提起された。これをきっかけに、地域の団体や住民同士が協議をし、福祉委員の設置・増員が図られた。
②地域団体役員の協力
自治会長や自治会福祉部長などの地域団体役員が懇談会を通じて地域の福祉活動を知ることによって、住民による地域福祉や見守りネットワーク活動等への関心が高まり、活動への協力が進んでいる。
③地域団体等との連携
子どもの安全確保を話題にすることによって、PTA役員や学校教職員の懇談会への参加と地域(福祉)活動に関する連携が進んだ。また、防犯・防災をテーマに懇談することを企画することによって、消防団員の参加と連携が進んだ。
④若年層の地域活動への関心と参加
子育て支援活動を行うにあたって、子育て家庭の保護者を支部社協団体の役員等に加えることにより、子育て世代の地域(福祉)活動への関心を高め、またその意見を支部社協が取り入れるようになった。
(6)地域住民の意識変革と社会力の向上
継続的に懇談会を開催してきたことにより、地域住民の、懇談会や会議などを企画・運営する力、問題を解決する力が向上してきた。
(7)高齢者施設の建設促進
一地域で空家を利用した「宅老所」と「移送サービス」が要望され、これに関する懇談と研修を重ねたところ、当該地域に社会福祉法人が経営する小規模多機能の施設が建設された。
(8)地域住民による福祉活動計画の策定
長年にわたる懇談会の開催を活かして、市社協では平成20年度頃から小地域住民福祉活動計画の策定を提案した。平成22年度から小地域で、地域住民による住民福祉活動計画の策定が進んでいる。さらに、この計画を策定することによって、これまでの事業・活動の拡大や新たな事業・活動の展開が図られつつある。
(9)「地域福祉計画」策定への住民参画の推進
平成15年度から始められた行政の地域福祉計画の策定過程において、住民参画の一手段として地域ふくし懇談会が活用された。また、それ以降、行政職員や市会議員などが懇談会に参加するようになっている。

ところで、原田正樹先生(日本福祉大学)は、地域福祉(活動)計画を策定するにあたって住民参加を促すためには次のような技法を用いることが肝要である、としています。(1)住民の関心を高めるための方法、(2)住民参加による検討を促すための方法、(3)住民の福祉課題を把握するための方法、(4)福祉学習を進めていくための方法。すなわちこれです。具体的には、(1)については①情報収集と広報活動、②情報公開とプライバシーの保護、(2)については①ワークショップ、②参加型住民懇談会、③住民参加型調査、(3)については①当事者からの福祉課題の丁寧な把握、②策定委員会の構成と人選の方法、③パブリック・コメントの方法、(4)については①シンポジウムなど学習プログラムの企画、②参加・体験型の地域発見プログラムの企画、③先進地の視察や情報交換、の各項目をめぐって説述しています。そして、「これらをすべて実施しなければ計画策定ができないわけではない。これらを組み合わせながら、それぞれの地域特性に見合った進め方をしていくことが重要である。」と指摘しています(武川正吾編『地域福祉計画―ガバナンス時代の社会福祉計画』有斐閣、2005年、135~149ページ)。
S市社協の「地域ふくし懇談会」は、参加した住民の話し合いや特定のテーマについての語り合いを意図した「参加型住民懇談会」であるといえます。参加者は、当初は、一般住民の参加もみられたとはいうものの、支部(地区)社協関係者や民生委員、ボランティア、自治会・町内会役員などがその多くを占めていました。その後、行政職員をはじめ地元の市議会議員や学校教職員、PTA役員などが参加し、ときには福祉施設の利用者や職員、青年団員や消防団員などの参加もみられました。しかし、福祉サービスの必要者や利用者、障がい者、外国籍住民、青壮年層のいわゆる一般住民などの参加は必ずしも多いとはいえません。また、中・高校生などの参加は当初から想定されていません。各界各層の住民や多様な関係者の参加をどのようにして促すか、懇談会でのファシリテーターをどのようにして確保・育成するか、懇談会で話し合われた事柄をどのようにして福祉の(による)まちづくりの実践や運動に繋げていくか、そしてその実践や運動を推進するための地域の住民・組織リーダーをどのようにして確保・育成するか、さらには「地域ふくし懇談会」と行政や地域の各種組織・団体などが実施している類似の懇談会との連携・協働をどのようにして進めるか、等々の課題があるといえるのではないでしょうか。
「地域ふくし懇談会」を開催するまず第1のねらいは、住民自身によって、地元での日常生活上のニーズや問題を具体的に把握し、それを共有化することにあります。
ここで、福祉ニーズに関する言説について若干触れたいと思います。ひとつは、ブラッドショウ(Jonathan Bradshaw)のニーズの把握の形態に着目した「社会的ニーズ」についてのそれです。ブラッドショウは、ニーズを(1)規範的ニーズ(normative needs):専門家や行政職員、研究者などによって、社会的な規範(「~べきである」と表現されるもの)や基準などに照らして把握されるニーズ、(2)感得されたニーズ(felt needs):本人が生活上の困難や支援の必要性を感得・自覚したニーズ。ウオント(want、欲求)に当たる。(3)表明されたニーズ(expressed needs):本人がニーズを自覚したうえで(感得したニーズに基づいて)、実際にサービスの利用を表明、申請したニーズ。デマンド(demand、需要)に当たる。(4)比較ニーズ(comparative needs):同じ特性をもつ個人や地域等でありながら、サービスの利用者や制度等が存在する場合とそうでない場合とを比較して、利用者等が存在しない場合に必要性があると判断・測定するニーズ、の4つに類型化しています(日本地域福祉学会編集『新版 地域福祉事典』中央法規出版、2006年、230ページ、等)。
「地域ふくし懇談会」では、例えば、ノーマティブ・ニーズは社協職員や行政職員、学識経験者、フェルト・ニーズは地域・生活上の困難を感知し、ニーズを抱え、自覚している住民、エクスプレスド・ニーズは今後懇談会への積極的参加が求められる福祉サービス必要者や利用者、コンパラティブ・ニーズは社協職員や行政職員、学識経験者、民生委員やボランティア・NPO等の地域(福祉)活動者、等々が先ずニーズや問題の表明や把握(顕在化と共有化)に意識的・積極的に取り組むことが求められるのではないでしょうか。懇談会の組織化や運営の仕方、具体的な懇談の技法、そして各地区の懇談会の交流や連携・協働などの進展が求められるところです。
いまひとつの言説は鷹野吉章先生(日本地域福祉研究所)の「地域福祉ニーズ」についてのそれです。鷹野先生によると、これまで福祉ニーズは公的な福祉サービスによって充足されてきたため、実質的には個人や家族の必要性(ニーズ)とほとんど同義とされてきた。しかし、地域福祉という範疇からニーズを考え直した場合には、「単に住民個々の生活上のニーズのみならず、集団や地域全体の福祉等の活動上の諸ニーズも含むべき」である。そして、鷹野先生は、地域福祉ニーズを「生活上のニーズ」と「福祉活動上のニーズ」に分類整理し、生活上のニーズを保持する者(「当事者」)は、「地域住民、なかでも福祉サービスを必要とする住民、また福祉サービス利用当事者組織」であり、福祉活動上のニーズを保持する者は「福祉活動を行う地域住民、民生委員・児童委員、福祉ボランティア、NPO団体、福祉事業者」である、としています(鷹野吉章「福祉ニーズの論点とニーズの顕在化~『地域福祉ニーズ』を展望して~」『コミュニティソーシャルワーク』第3号、日本地域福祉研究所、2009年、5~14ページ)。
「地域ふくし懇談会」では、これまで、「生活上のニーズ」を掘り起こし、顕在化させることに関心や意識が注がれ、それに比して「福祉活動上のニーズ」にはあまり留意してこなかったのではないでしょうか。また、「生活上のニーズ」と「福祉活動上のニーズ」を関連づけ、それを「地域福祉ニーズ」として把握してきたとはいえません。それが、S市社協職員が評価するように、住民の意識の変革や新しい事業・活動の展開が促されたとはいえ、未だ期待するほどには地域に根ざした、地域ぐるみの福祉の(による)まちづくりが進んでいないことに結果しているといえるのではないでしょうか。

福祉教育におけるアウトリーチ活動―福祉の(による)まちづくりの住民主体形成を推進するために―

日本福祉教育・ボランティア学習学会第18回いばらき大会(2012年11月24日~25日)で行われた山崎美貴子先生と仁平典宏先生の対談―「大震災から“かたり・つなぐ・くらし”へ」で、「アウトリーチ」という言葉とそれに関する意見が交わされていました。「アウトリーチと福祉教育」に関する見解や実践事例が知りたい。

上記のようなメールをいただきました。筆者(阪野)もその対談を拝聴させていただきました。多くを学び、深く考えさせられるものでした。極めて不十分ですが、取り急ぎ以下のことをお伝えいたします。

「アウトリーチ」という用語は、精神保健福祉領域におけるACT(Assertive Community Tretment:包括的地域生活支援プログラム)の訪問サービス活動に関して使われることが多いと思われます。ACTについて一言すれば、それは、1972年にアメリカのマジソン市にある州立病院でのPACTに由来し、日本では2003〈平成15〉年に千葉県市川市の国立精神・神経センター国府台地区で実施されたのが最初であるといわれています。ACTの特徴は、①積極的なアウトリーチによって日常生活の場で支援を行う。②必要なときに、必要な場所で、必要なサービスを柔軟に提供する。③保健・医療・看護・福祉・就労支援などの多職種によるチームアプローチを展開する、などにあります。
地域福祉の世界では、1980年代に在宅福祉が強調され、1990年代前半になると住民参加型福祉が注目されるようになりますが、そうしたなかでおよそ1990年代以降にアウトリーチという用語が多く使われるようになった、といえるのではないでしょうか。
また、文化・芸術の世界では、1990年代後半から、日頃、文化・芸術との接点が少ない人びとに対してそれを体験できる機会を提供する事業・活動の名称としてアウトリーチという用語が定着した、ともいわれます。
ここで、アウトリーチ(Outreach)という用語について、その意味するところをいくつかの辞典で確認しておきます。
(1)『小学館ランダムハウス英和大辞典』第2版、小学館、1994年。
「(より広範な地域社会などへの)至れり尽くせりの奉仕[福祉、救 済]活動。」
(2)『リーダーズ英和辞典』第2版、1999年。
「特定集団[社会]の健康管理・就職・社会活動などなにからなにまで手を貸すこと、至れり尽くせりの救済[奉仕]活動。」
(3)『現代社会福祉辞典』初版、有斐閣、2003年。
「クライエントの日常生活の場(自宅など)において必要な情報やサービスを提供する活動であり、特に、行政機関や地域福祉関連の機関において求められるソーシャルワーカーの機能である。また、地域のなかで生活困難に直面している人々を見つけだすことも意味し、その場合はケール発見と同義に使われる。いずれも、利用者の来訪をただ待つのではなく、ソーシャルワーカーが積極的に地域に出ていくという側面が強調されている。」
(4)『社会福祉用語辞典』第8版、ミネルヴァ書房、2011年。
「接近困難な人に対して、要請がない場合でもワーカーの方から積極的に出向いていく援助のこと。生活上の問題や困難を有しているものの、福祉サービスの利用を拒んだり、ワーカーに対して攻撃的、逃避的な行動を示す人に対して積極的に働きかけることを指す。アグレッシブ・ケースワークの具体的方法であり、ワーカーの側に積極的な態度が求められる。」
(5)『社会福祉用語辞典』中央法規出版、6訂版、2012年。
「社会福祉の利用を必要とする人々のすべてが、自ら進んで申請をするわけではない。そこで、むしろ社会福祉の実施機関がその職権によって潜在的な利用希望者に手を差し延べ、利用を実現させるような積極的な取り組みのことをいう。日本語訳としては「館外出張事業」ともされる。アウトリーチは手を伸ばしてとる、手を差し延べるなどの意味があるが、リーチアウトという用語が用いられることもある。」
以上を多少補足しながら要約すると、アウトリーチは、こちら側から相手側に一方的に何かを届けて終わる(「出前」)というのではありません。また、専門機関や専門家が、相手側への介入が必要であり、それが有効であるという診断や判断に基づいて「押しかける」ものでもありません。アウトリーチは、こちら側と相手側とが双方向の関わりをもち、協働(共働)実践を志向するものです。この点を地域福祉や福祉の(による)まちづくりの事業・活動に引きつけて述べるとすれば、アウトリーチ活動には、①地域住民の主体性や自律性を認識・理解し、地域主権や住民・市民主権を尊重する。②地域の歴史や文化に基づいた、地域の人的・物的・制度的な社会資源のネットワークを開拓・創造する。③個々の地域住民が抱える生活・福祉問題やニーズに個別具体的・柔軟に対応するとともに、地域に潜在・顕在的に存在する複合的な地域・生活課題に包括的に対応する、ことなどが求められます。
福祉の分野ではありませんが、財団法人地域創造によって、2010〈平成22〉年3月に『新[アウトリーチのすすめ]―文化・芸術が地域に活力をもたらすために』と題する「文化・芸術による地域政策に関する調査研究[報告書]」(以下、「報告書」と略す。)が刊行されています。その一部をご紹介します。
報告書は、「これからのアウトリーチをより確かなものとするために」は次の3点が必要であると説いています。①明確な目的を持ち、協力体制を構築する一方で、創意工夫と偶発性を誘発するよう周到な準備を。②アウトリーチの実施には、幅広い関係者との連携や協働が欠かせません。③アウトリーチは、事業の準備・実施に加え、長期的な展望を持つこと、実施後に振り返ることが重要(32~34ページ)。すなわちこれです。①の偶発性については、予期しない偶発性のなかに、「新しい可能性」が広がったり、「予期せぬ効果」が生まれる、としています。また、報告書では、アウトリーチの位置づけや内容を4つのアプローチとして類型化し、それぞれ(「アウトリーチにおける4つのアプローチ」)の目的、戦略、企画・実施主体、効果についてその違いを整理しています(15ページ)。4つのアプローチとは、A.劇場・ホール内での鑑賞・体験サポート、B.派遣型アウトリーチ①(単発・集中型)、C.派遣型アウトリーチ②(継続・長期型)、D.連携・協働型アウトリーチ(文化以外の政策分野と連携して企画・実施)、です。ちなみに、この4類型を学校福祉教育の実践に当てはめてみると、例えば、A.は子どもたちが福祉施設などを訪問し、利用者などと交流する。B.は学校に高齢者や障がい者などを招き、一時的な交流を行う。C.は子どもたちと高齢者や障がい者などとの訪問・交流活動を日常的な活動として位置づけ、長期的・継続的なプログラムとして展開する。D.は福祉以外の文化・芸術・スポーツ・レクリエーション、あるいは環境保全や国際交流・協力などとの協働プログラムを企画・実施する、ということになるでしょうか。
以上の所説は、市民福祉教育のあり方について考えるに際して、多少とも“参考になる”“使える”のではないでしょうか。
ここで、ひとつの実践事例をご紹介します。S市社協の学校福祉教育事業とそれを推進するための教員に対する「福祉教育研修会」の事例です。
S市社協では、国際障害者年の1981〈昭和56〉年度に市内の小学校2校を「福祉協力校」として単独指定したことから学校福祉教育事業に取り組みます。それ以降の主な取り組みは次の通りです。1984〈昭和59〉年度:福祉副読本(小学校5年生用)を発行・配付。1986〈昭和61〉年度:市内の全小・中学校を福祉協力校に指定。1988〈昭和63〉年度:学校と地域が結びついた福祉教育の推進をめざして「福祉協力校連絡会」を開催。1992〈平成4〉年度:小・中学生を対象にした福祉読本を発行・配付(1993〈平成5〉年3月)。2000〈平成12〉年度:地域福祉活動計画を策定し、住民参画・主導による「福祉のまちづくり条例」(仮称)と「福祉教育条例」(仮称)の制定の促進、「福祉教育推進委員」(仮称)の養成・確保、「福祉教育実践プログラム」の研究・開発などを計画化(2000〈平成12〉年5月)。2001〈平成13〉年度:主体的・能動的な、地域に根ざした福祉教育の推進を図るために福祉協力校を「福祉教育推進校」に名称変更。市内の全小・中・高等学校・特別支援学校を指定。福祉協力校連絡会を「福祉教育研修会」に内容変更し、教員と地域の福祉関係者が協働して福祉教育実践プログラムについて研究・開発。2002〈平成14〉年度:教育委員会との共催により3日間の福祉教育研修会を開催。教員をはじめ地域の福祉関係者、福祉教育に関心のある市民など約60名が参加。2003〈平成15〉年度:学校における主体的・独創的で、地域性豊かな福祉教育実践の展開を求めて、事業・活動に対する助成方法を「福祉教育推進校指定」と「福祉教育推進事業指定」の2本立てに変更。福祉教育推進校が校内(教員)研修の一環として開催する福祉教育研修会に協力・支援。
こうした取り組みから、S市社協では、早い時期から「学校福祉教育」から「地域福祉教育」への志向や展開が図られてきたといえます。学校の教員を社協に呼び寄せて「福祉協力校連絡会」を開催するだけでは、地域に根づいた、地域ぐるみの福祉教育は進まない。従って、福祉の(による)まちづくりはますます困難、不可能になる、といった思いが読み取れます。そこで、福祉教育におけるアウトリーチ活動として、S市社協の職員や学識経験者が学校や地域に出向き、全教員を対象にした校内研修のひとつとして「福祉教育研修会」を開催する。そして、そこには、学校が所在する地域の高齢者や障がい者、民生委員やボランティア、PTAの役員や保護者なども参加し、地元住民の主体的・自律的な参加(参集、参与、参画)による福祉の(による)まちづくりを押し進める。これがS市社協の福祉教育実践の取り組みです。
最後に一言。周知の通り、学校福祉教育(市民福祉教育)は、福祉の(による)まちづくりをめざし、地域の社会福祉問題を学習素材とする教育活動です。従って、学校や教室の屋内ではなく、もともと地域に出向き、地域に軸足を置かないと、そして地域に存在する多種多様な社会資源と連携・協働することによってしか実施・展開できない教育活動です。そこに、福祉教育におけるアウトリーチ活動の必要性と重要性の根拠がある、といえます。