「大橋謙策の福祉教育論」カテゴリーアーカイブ

老爺心お節介情報/第70号(2025年5月10日)

「老爺心お節介情報」第70号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第70号を送ります。
ご活用ください。

2025年5月10日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。
〇季節の移ろいは早いものですね。我が家の庭に咲く花も、今は、てっせん、三寸あやめ、シャリンバイ、アッツ桜、スズラン、二人静が咲いています。庭の小さな畑では、早くもさやえんどうの収穫ができるようになりました。
〇このゴールデンウィークは、娘夫妻に手伝ってもらいながら、“老い支度”の断捨離をしました。過日から行っていた私の書斎に続いて、妻の居室の断捨離、物置の断捨離と、今更ながらよくぞ品物が詰まっているものだと感心してしまいました。出てくる子どもや孫のおもちゃ、品物、写真に目を留めては思い出話が続き、作業は捗りません。それでも“老い支度”への覚悟は妻共々意識でき、断捨離の必要性を自覚しました。
〇断捨離にともない、自分の“実際生活に必要な文化的教養”の低さに我ながら愕然としています。今まで、家事全般を妻に任せていた生活でしたので、“スーパーでの買い物の仕方”“消火器の処分のしかた”、“燃えないゴミの分別基準”、“お風呂場のカビの落とし方”、“詰まった台所の水道の対応策”等々、細々とした知識と技術のなさに情けなくなっています。〇各地の社会福祉協議会の実践の中で、“ごみ屋敷”問題が出てきますが、年老いた一人暮らしでは本当に対応が大変だということを実感する日々です。
〇今号の「老爺心お節介情報」は、この間に読んだ本の書評ではなく、本を読んでの随想を書かせて頂きました。
(2025年5月10日記)

<本を読んでの随想>

① 『過疎地域の福祉革命』(安田由加里著、幻冬舎、2024年12月、900円)

〇長野県社会福祉協議会が主催している「人口減少、超高齢化社会、限界集落の小規模市町村における地域福祉実践のあり方」について、ここ2~3年考える機会が与えられている。そのテーマにピッタリの本『過疎地域の福祉革命』が刊行された。
〇この本は、兵庫県赤穂郡上郡町という全国743あるという「消滅市町村」の一つであり、かつ総務省が過疎地として指定している885市町村の一つである町での実践の取組である。上郡町は人口約1万3000人弱で、高齢化率は40%を超えている。
〇上記の長野県の人口2000人以下の市町村に比べ、人口もまだ多く、地域資源もまだそれなりにある地域での実践であるが、何としても本のタイトルに魅せられた。
〇実践の内容は、町外からの移住者である著者(看護師)が5年前に訪問看護事業所を立ち上げ、共感する介護支援専門員、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士等リハ職、看護職、介護職が連携して地域での自立生活を支援している実践である。
〇5年前に立ち上げた事業所は、現在職員が30人規模に成長している。この事業所が取り組んだ介護予防の取組が功をなして、上郡町の介護費が2000万円削減できたという。
〇以前照会した福山市の鞆の浦地区の実践と同じように、民間事業所が柔軟な取り組みを行い、住民のニーズに応え、住民が主体的に地域課題に気づき、解決に取り組む実践は素晴らしいものである。
〇ただ、筆者としては“福祉革命”というタイトルから、新たなシステムが構築されたのかと期待していたが、それは残念ながらなかった。
〇筆者は、過疎地の地域福祉は、看護小規模多機能施設を中核として、訪問看護、訪問介護、訪問リハビリ、在宅医療診療所の医師などの専門職が連携して対応できれば、かなりの過疎地でも地域自立生活支援が可能になると提言してきた。
〇また、過疎地では、住民の年金受給額の総額と保健・医療・福祉・介護サービスに従事している人の給与の総額を合算させてみると大変な規模になっていて、それらが事実上その地域の経済を支えていることにもっと着目して、「福祉はまちづくり」という哲学で、地方自治体経営を推進していくことが重要であると提言してきた。
〇そんなことも含めて考えてきた私とって、本のタイトルにある“福祉革命”がもっと論じられているのかと思ったが、残念ながら、内容はそうではなかった。

② 『地域社会におけるウエルビーイングの構築―社会教育と福祉の対話』(松田武雄著、福村出版、2023年、3900円)

〇筆者は、「社会教育と地域福祉の学際的研究」を60年間行ってきたので、この本のタイトルに魅せられて購入し、読んだ。
〇著者の松田武雄先生は、名古屋大学教育学部出身で、筆者と同じ小川利夫先生を恩師として仰いでいる。したがって、筆者と同じように「社会教育と社会福祉の学際研究」に関心を寄せ、研究されることは不思議ではない。しかしながら、松田武雄先生のお名前および勤務先はそれなりに存じ上げていたが、著書を読むのは初めてである。それというのも、松田武雄先生は、筆者より10歳くらい若く、日本社会教育学会で久しく交わる機会もなかったからであるし、松田武雄先生の若いころの研究は、日本における社会教育成立史研究だったということもあるのかもしれない。
〇筆者は、拙著『地域福祉とは何か』のなかで、“他方、社会教育学会、社会教育政策においては、東京大学や名古屋大学の社会教育関係講座の主任教授の方々が社会教育と地域福祉と題する著作を上梓する状況であり、かつ文部科学省も「地域学校協働事業」を政策の重要な柱にする状況である”」ののべ、例えばとして松田武雄先生の『社会教育と福祉と地域づくりをつなぐ』(大学教育出版、2019年)を紹介している(拙著『地域福祉とは何か』はじめにP4参照)。
〇ところで、著者と筆者の共通の恩師である小川利夫先生が「教育と社会教育の関係」、「教育と福祉の谷間」の問題について体系的に研究したのが、この分野の研究としては実質的に嚆矢である。
〇小川利夫先生は、「教育と福祉の関り」の「今後の課題」として3点挙げている(①いわゆる児童保護をめぐる問題、いいかえるなら教育における国民的最低限保障をめぐる問題、②セツルメントをめぐる問題、いいかえるなら働く国民大衆の生活と教育に関わる問題、③いわゆるコミュニティ・オーガニゼションをめぐる問題、いいかえるなら井上友一にその一つの「原型」がみられる「自治民育」の歴史的、今日的課題(小川利夫著『社会教育研究40年』P110、小川利夫社会教育論集第8巻、亜紀書房、1992年2月)。しかしながら、小川利夫先生は①の問題に研究を焦点化させていく。
〇筆者の「教育と社会福祉」の学際的研究は、1960年代では夜間中学生やへき地教育、あるいは児童養護施設の児童の教育、さらには生活困窮者世帯の教育扶助と教育補助問題などについて行っていた。
〇しかしながら、恩師が研究課題に挙げていながら未だ手つかずの分野に取り組み恩師との研究の違いを出すことと、江口英一先生の低所得階層の生活保護世帯への転落を防ぐためには、地方自治体ごとに対人福祉サービスを整備する必要性があるという指摘や、岡村重夫先生の“新しい社会福祉の考え方としての地域福祉”という論説に影響を受けて、“社会教育と地域福祉の学際的研究”を研究課題とすることにした。
〇その成人を中心にした「教育と福祉」、地域を基盤としている「社会教育と地域福祉」の学際的研究の課題として、①地域福祉の主体形成と社会教育、②ノーマライゼーション思想の具現化に関わる福祉教育と社会教育、③高齢者のいきがい、健康増進、社会参加促進と社会教育、④退職前労働者における老後生活設計イメージ作りと社会教育、⑤外国人の福祉と社会教育、⑥国際ボランティア活動のすすめと社会教育、⑦貧困の世代継承と社会教育、⑨コミュニティワークの方法と社会教育を挙げた(拙稿「『硯滴』に学ぶー不肖の弟子の戯言と思い」小川利夫著『社会教育研究40年』所収、亜紀書房、1992年)。
〇松田武雄先生は、小川利夫先生が日本社会事業大学の教員になって、間もない1962年に執筆した「わが国社会事業理論における社会教育観の系譜――その『位置づけ』に関する考察」(日本社会事業大学紀要『社会事業の諸問題』第10集、後の1989年に上梓した『教育福祉問題の基本問題』に収録、改題して「歴史的課題としての社会福祉教育論」、筆者は日本社会事業大学紀要『社会事業の諸問題』第10集を読んで、この論文に触発されて研究者の道を志す)の改題後の『教育福祉問題の基本問題』の中の章のタイトルとして使われた「社会福祉教育」という用語を使用して、そこに従来の「福祉教育論」とは違う視点、領域を見出そうとされている。
〇小川利夫先生は、「心のリハビリ通信」第6号(1998年)の中でも、“私は、日社大時代いらい、社会福祉教育的な考察を手掛けてきたのは”と述べ、ある意味“気軽に”「社会福祉教育」という用語を使用している。

〇松田武雄先生は、「教育と福祉の関り」、「社会教育と福祉の関り」について以下のように論述している。

① 学校教育と社会教育が合わせて福祉とつながり、総称して教育福祉論ということができるのであり、大人も含めた幅広い学習権、社会権の実現を目指すことができる(同書P25)
② 社会教育と地域福祉を統合した社会教育福祉は、学校教育以上に福祉的性格の強い地域づくりへと展開している(同書P26)
たとえば、島根県松江市では、地区公民館の中に地区社会福祉協議会が設置され、社会教育活動と地域福祉活動とが一体となった住民主体の活動が行われている(同書P26)
③ 教育福祉論はもともと学校教育と福祉の「谷間」の問題として提起されたが、社会教育と福祉が結びつくことによって、社会教育福祉として地域づくりへと展開していく(同書P26)
④ 地域におい社会教育福祉を構想する際には、かつてのような行政依存ではなく、住民自治によるコミュニティ・ガバナンスの構築がその基盤となる。したがって、コミュニティ・ガバナンスを視野に入れ、社会教育と福祉とを統合した社会教育福祉という領域を構想して、現代のリスク社会、貧困社会に抗することができるような社会教育(社会教育福祉)のシステムを構築することがどのように可能なのか、という課題が登場する(同書P37)
⑤ ちなみに私は、社会教育福祉を「コミュニティにおける社会教育と福祉の融合も
しくは統合」と説明している。「融合」は社会教育福祉を機能論的に把握しようとしたものであり、「統合」はそれを構造的に把握しようとしたものである(同書P68)
⑥ 福祉の視点からすると、社会教育の目的は、学習・文化・地域活動を中心とする人間活動を通した福祉(well-being=福祉)の実現であるということもできよう。個人とコミュニティ・地域社会に福祉を実現していくために、学習・文化活動と地域活動を通した自律的な自己形成がおこなわれ、かつ個人および集団によるそのような活動に狭義の福祉活動が関わっているのであり、これらを統合して社会教育(社会教育福祉)と考えたい(同書P87)

〇筆者がこの本を読んで物足りなさを感じた点は以下の通りである。

〇ⅰ)著者は、「社会福祉」ではなく、「福祉」との対話と表題で掲げているが、その「福祉」は広井良典さんの福祉の捉え方を引用して、well―being=福祉という意味合いで使っている。それでいて、社会教育の目的もwell―being=福祉であると言っているのでは、本のタイトルの「社会教育と福祉の対話」という意味が明らかにならない。
〇筆者自身、「社会福祉」を憲法第25条から説き起こすのではなく、憲法第13条も法源として位置づける必要があり、かつ社会福祉の目的は福祉サービス利用者の“最低限度の生活保障”ではなく、幸福追求、自己実現を図ることであると1970年代から述べているので、著者が「福祉」をwell―beingと考えることには異論はない。
〇しかしながら、著者は上記の⑥のところで、「狭義の福祉活動」という“古めかしい”用語の使い方をしていることには疑問を感じる。
〇社会福祉学界では、“広義の福祉と狭義の福祉”、“社会福祉と福祉”という用語を巡って歴史的に論争してきたことを考えると、著者の社会福祉認識は浅すぎて、自分の都合の良い使い方をしているといわざるを得ない。(医療・保健・介護・福祉の連携などという場合には、「社会福祉」を短く、省略して「福祉」という言い方はされる。筆者も、このような場合にはそういう使い方をしているが、基本的には『社会福祉』と「福祉」とは使い分けている)。
〇ⅱ)もう一つの点は、地域づくりを念頭においていながら、本の著者が使う「福祉」という用語、論述の中に「地域福祉」の考え方やそれとの関りがほとんど出てこない。
〇今や、社会福祉政策においても、社会福祉実践においても「地域福祉」が主流になっている状況の中で、“大人”を中心にした「社会教育福祉」と言っておきながら「地域福祉」との関りがほとんど論述されていないのはなぜなのだろうか
〇ⅲ)社会教育福祉の例として、島根県松江市の事例(上記の②)を度々挙げているが、この松江市のシステムは、筆者が1990年ころから、松江市社会福祉協議会からの招聘を受け、3~4年間、校区毎の地域づくり、公民館連絡協議会との連携、松江市の地域福祉計画及び地域福祉活動計画づくりなどにおいて社会福祉協議会並びに行政に提言し、システム化されたもので、そうした経緯をこの本の著者は学んでいないのではないか(筆者は、松江市との「関係人口」を継続するのが難しくなり、同志社大学の上野谷加代子先生に松江市との「関係人口」による支援を引き継いで頂いた。この間の活動の成果は『松江市の地域福祉計画―住民の主体形成とコミュニティソーシャルワークの展開』(上野谷加代子・杉崎千洋・松端克文編著、ミネルヴァ書房、2006年9月)に詳しいので参照されたい。筆者も第1章「21世紀型社会システムづくりと地域福祉―福祉文化と地域福祉計画」という拙
稿を掲載している)。
〇松江市の公民館は、戦後の早い時期に文部省で主任社会教育までされた藤原英夫先生(島根県職員から文部省へ転籍。のちに甲南女子大学学長。島根県出身、松江市在住)の影響もあって、松江市では小学校区ごとに公立公民館が設置されていた。その公民館には既に保健師が配置されていた。一方、公民館には地区社会福祉協議会の事務局も置かれていた(昭和30年代後半から50年代後半にかけて設置)。
〇筆者は、長野県下伊那地域での実習体験から、この公民館にある地区社会福祉協議会の機能を活性化し、コミュニティソーシャルワーク機能を発揮できるようにした保健、社会教育、社会福祉が連携して地域づくりを進めた方がいいと判断し、公民館連絡協議会や行政にも働きかけてきた。その結果、1997年度より、各公民館に地域保健福祉推進員が配置され、かつ公民館長が地区社会福祉協議会の会長を兼ねることで、住民の主体形成とコミュニティソーシャルワーク機能とが一体的に行われるようになった。
〇松江市のこのような保健・福祉・教育を小学校区毎に一体的に展開する松江市のシステムは松江市の「関係人口」と地域とが一緒に作り上げたものである。
〇この本の著者はアクションリサーチの重要性を指摘しているが、そうだとすれば地域の現象、事象を皮相的に紹介するのではなく、アクションリサーチとしての「関係人口」と地域との関りをもっと本質的に深める考察をして欲しかった。
〇筆者のように「バッテリー型研究」方法で、各地のシステムづくりをしてきたものには、著者のこのような記述、研究方法には疑問が残る。ただし、著者は、沖縄県や長野県松本市では、地域との「関係人口」としてのつながりをもって活動していることは評価したい。

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。 この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)・著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。ご参照ください。

第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と生きる意味を知る―」
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうか―」
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」
第4巻「異端から正統へ・50年の闘い―「バッテリー型研究」方法の体系化―」
第5巻「研修・講演録―地域福祉の過去から未来へ―」
第6巻「経歴と研究業績―地域福祉実践・研究の系譜―」
第7巻「福祉でまちづくり―支え合う地域福祉実践―」
第8巻「大橋謙策若き日の論考―地域福祉論の「原点」を探る―」
別  巻「地域包括ケア・介護・CSW・潮流と展望―理論と実践―」
ブックレット「社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題」

大橋謙策/大橋ブックレット 社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題

 


 

はじめに

〇日本社会事業大学同窓会北海道支部より、「北海道において保育所、高齢者福祉施設、障害者福祉施設等で虐待問題が起きている。ついては、同窓会支部の機関紙である『アガペ』において、『社会福祉と人権』というテーマで特集を組み、取り組みたい」ので、私にも「社会福祉と人権―社会福祉の今後―」と題して寄稿してほしい、との要請があった。
とても大事な課題であり、私なりに思うところを書かせて頂きたいと思った。しかしながら、大学教員退任後、社会福祉に関わる事象、事案、研究を網羅的に、かつ継続的にウオッチングしていないので、十分ご期待に沿えるかわからないが、本稿を書かせていただいている。そういう意味では、学術論文というより、エッセイ風な論考と捉えて頂きたい。
〇社会福祉実践現場などにおける虐待の問題は、法的には、①身体的虐待、②性的虐待、 ③経済的虐待、④ネグレクト、⑤心理的虐待に分類される。その虐待は現象的には職員一人一人の資質の問題として捉えられる。しかしながら、その背景にある社会構造としては、ケアの考え方、日本人の人権感覚、社会福祉従事者の人権感覚、社会福祉法人の経営・運営の在り方等、その背景と構造の分析は単純ではない。
〇筆者としては、それらの背景も含めて、以下のように論稿を構成したいと思っている。1回の寄稿では終わらないので、その旨ご了承頂きたい。

① 日本国民の文化と福祉文化――私が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題
② 憲法第25条に基づくケア観と憲法第13条に基づくケア観の相違
③ 福祉サービスを必要としている人の「社会生活モデル」に基づくアセスメントと医学モデルに基づくアセスメント
④ 福祉サービスを必要としている人のナラティブ(物語)を基底とした「求めと必要と合意」に基づく支援方針の作成(ICFの視点と福祉機器の利活用)
⑤ 入所型施設の運営・経営理念、方針と提供されるサービス
⑥ 勤務先の“劣悪な労働環境”とキャリアパス等の職員資質向上の取り組み

Ⅰ 日本国民の文化と福祉文化――筆者が50年間闘ってきた「社会福祉通説」の問題

〇筆者は、高校時代に島木健作の『生活の探求』を読んで、日本社会事業大学への進学を決めた。高校の教師や親類縁者からは、なぜ日本社会事業大学のようなところを選択するのかと“奇人・変人”扱いであった。
〇そのような環境の下での日本社会事業大学での学習であったが、授業内容は必ずしも筆者が望んでいたこととは違っていた。その大きな要因が、アメリカからの“直輸入”的社会福祉方法論を“金科玉条”のごとく位置づけることと、「福祉六法」に基づくサービスの提供であった。
〇その当時の社会福祉方法論は、アメリカで1930年代に確立した考え方であり、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底として成立してきた考え方、方法論であり、精神医学、心理学にかなり影響された考え方であった。
〇そのような中、筆者は日本の文化、風土に即した社会福祉の考え方、方法論があるのではないかと考え呻吟する。
〇当時、一番ケ瀬康子先生が「福祉文化」という用語を使用していくつか論文を書いており、自分の研究の方向もその方向ではないかと考え、“文化論”について研究したが、奥が深く、かつ掴まえ所がなく、その研究を中断した。

註1:一番ケ瀬康子先生は、1989年に「福祉文化学会」を創立している。
註2:筆者は、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』31巻第1号)を書き、中根千枝の「タテ社会論」、
阿部謹也の「世間体文化論」等を援用して、日本のソーシャルワークの理論化を論証した。

〇この日本文化は根が深く、簡単に因果関係を証明できないので、研究は中断したが、常に頭にこびりついて離れない。
〇日本では、子育てする際の文化として、“禁止と命令”によって、枠にはめようとする文化がある。常に、集団的価値観が尊重され、同調志向が強く、“逸脱”したものを排除、蔑視する傾向が強い。これは、学校教育における画一的教育方法であるベル・ランカスター方式の影響でもある。是非、『6か国転校生―ナージャの発見』(集英社)を読んでほしい。
〇そのような中、筆者は、戦前の社会事業理論における精神性と物質性に関する研究を行い、そのあり方を問うことが日本の社会福祉実践、研究を変えることになると確信していく。
〇結果として、筆者は地域福祉と社会教育の連携、学際研究に関心を寄せるようになり、その実践のフィールドを公民館や社会福祉協議会に求めていくことになる。
〇ところで、筆者は自分自身としては社会福祉の研究者であり、それを岡村重夫が提唱した “社会福祉の新しい考え方としての地域福祉“(岡村重夫説・1970年)という考え方に依拠して展開しようと考えていたが、そのような筆者の研究姿勢は、多くの社会福祉学研究者には理解されず、日本社会事業大学の教員からも、”大橋謙策は社会福祉研究のプロパーではない“という批判、評価を受けた。また、日本社会事業大学の清瀬移転に際し、大学院創設の文部省への申請書を審査した某有名大学の某教授も”あなたの論文は社会福祉の論文ではない“という評価を下した。
〇そのような中、筆者は、従来の社会福祉通説とは異なる新しい社会福祉実践、社会福祉学研究を求めて、社会福祉学界への抵抗の地域福祉研究50年を送ることになる。
〇その既存の社会福祉通説への批判と新たな社会福祉実践、社会福祉研究の論題は以下の通りであった。

ⅰ) 大河内一男の労働経済学(「我が国における社会事業の現状と将来について」昭和13年論文)を基盤とする社会福祉研究への批判
ⅱ) 社会権的生存権保障としての憲法第25条の「ウエルフェアー」から、憲法第13条に基づく幸福追求、自己実現支援の「ウエルビーイング」への転換(1973年論文)――障害者の学習・文化・スポーツの保障、「快・不快」を基底としたケア観、
ⅲ) 属性分野で細分化された福祉サービス、福祉行政の再編成と地域自立生活支援
ⅳ) 社会福祉施設中心主義と施設の社会化、地域化論(「施設の社会化と福祉実践」(日本社会福祉学会紀要『社会福祉学』第19号所収、1978年論文)
ⅴ)社会福祉の国家責任論オンリーではなく、社会保険の国家責任論と対人福祉サービスの市町村責任論との分離
ⅵ) 社会福祉の行政責任論ではなく、経済的給付、システムづくりにおける行政責任と地域自立生活支援における住民との協働による対人援助――べヴァリッジの第3レポートの位置、1601年「Statute Charitable Uses」研究、憲法第89条の桎梏からの脱却、2008年「地域における「新たな支えあい」を求めて」(厚労省研究会報告書―2016年地域共生社会政策の前史になる報告書)
ⅶ)社会事業における精神性と物質性――戦後の社会福祉は物質的対応で解決できると考えてきたことの誤謬――「救済の精神は精神の救済」(小河滋次郎、戦前方面委員の理念)

〇筆者は、1984年に書いた論文で、社会福祉研究者、社会教育研究者は“出されてきた政策には敏感であるが、政策を出さざるを得ない背景には鈍感である“と述べ、住民のニーズに即応したサービスの提供、地域づくりの必要性を説いている。
〇それは、対人援助として社会福祉を提供する際に、かつ地域づくりを展開する際における住民参加と住民のニーズを基点に考えるということである。
〇従来の社会福祉行政には、住民参加の規定もなければ、住民の相談、ニーズを「社会福祉六法体制」の基準に該当するかどうかで判定することや、措置行政の枠組みの中でサービスを提供すれば良いという考え方に対する批判でもあった。
〇そのような中、1970年代に、なぜ市町村社会福祉行政は計画行政でないのか、また、地方自治体の社会福祉施設整備計画がないのかを問い、市町村ごとに社会福祉計画を立案する必要性を説いた。
〇1980年には「ボランティア活動の構造」という図を示し、一般的隣近所の紐帯を強める地域づくり活動、地域にいる福祉サービス利用者を支える地域づくり、それらを社会福祉計画策定により解決していくという「自立と連帯に基づく社会・地域づくりのボランティア活動の構造」という図を作成した。
〇児童福祉法には市町村に児童福祉審議会を設置することが「できる」規定があり、かつ、民生委員法第24条に規定される意見具申権という規定、考え方を基に、当時、いくつかの自治体において、住民参加を保証する「社会福祉審議会」、「地域福祉審議会」の設置を求める提案をしている。

註3:東京都狛江市は、住民参加を規定した「市民福祉委員会」を条例で1994年に設置している。同じ頃、東京都目黒区でも「地域保健福祉審議会」が設置された。筆者の地元の稲城市では1980年代初めに「社会福祉委員会」を設置するが行政による要綱設置であった。東京都豊島区でも要綱設置であった。

〇このような住民参加による、住民のニーズに対応したサービスの提供という考え方が、多くの社会福祉行政、社会福祉従事者に共有されていれば、少なくとも“虐待”が起きる社会的背景、構造は違ってくる。
〇しかしながら、現実は、そのような住民のニーズに応えて、住民参加で社会福祉施設が作られたわけでなく、かつ、その社会福祉施設は措置行政によって、長らくサービス利用者を“収容保護する”という構造のなかで、“閉ざされた空間”に置いて福祉サービスが提供されるという構造の中で“虐待”事案として発生する。
〇社会福祉施設が、1978年に書いた論文のように、地域に開かれ、地域住民の共同利用施設として位置づけられ、運営、経営されているならば、“虐待”という事案は少しは防げるのではないだろうか。

Ⅱ 憲法第13条及び「快・不快」を基底としたケア観と「社会福祉観の貧困」、「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」

〇筆者は、日本社会事業大学の講義で、よく「社会福祉観の貧困」「人間観の貧困」「貧困観の貧困」「生活観の貧困」という用語を使用して講義をしてきた。
〇それは、社会福祉を志している学生が陥り易い社会福祉観を問い直す作業過程として、その用語を使ってきた。
〇筆者は、社会福祉を憲法第25条からだけ説き起こすのではなく、それとともに憲法第13条からも説き起こすべきだと1960年代末から言ってきたし、論文にも書いてきた。
〇憲法第25条の社会権的生存権の規定は、人類が歴史的に獲得してきた権利であり、国民のセーフティネット機能として重要であることは重々分かったうえで、それだけだと提供される社会福祉サービスがちまちました“最低限度の生活保障”の域を出ないことになるし、その反動として、社会福祉サービスを提供する側のパターナリズムが避けられないと考えてきたからである。
〇それらのことを実感する機会はいくつもあるが、その一つは1970年に女子栄養大学に助手として採用され、勤務し始めて改めて痛感したし、同じく1970年から始めた聖心女子大学の非常勤講師の勤務からも痛感させられた。
〇女子栄養大学では、昼食を大学の食堂で摂るのだけれど、その食堂はキャフェテリア方式で、自分の好み、自分の懐具合、自分が食べたい分量を自分で考えるという“主体性”が常に求められる。
〇当時の社会福祉施設の食事は盛っ切りで、自分(福祉サービス利用者)の主体的選択の余地はなく、かつ食器も割れない食器で供されていた。日常生活における食事の持つ意味、食事に伴う生活文化などを女子栄養大学でいろいろ教わった。
〇当時、島根県出雲市の長浜和光園がバイキング方式の食事を提供し始めていて、社会福祉施設における食事に関わる問題の重要性を随分と学ばせてもらった。食事を通して学ぶ食文化、食事の場における会話、食事を作る生活技術など日常生活における食事の持つ意味は大きい。女子栄養大学では、当時核家族化が進む中での“子どもの孤食”の問題が大きく取り上げられていた。
〇筆者は、当時の女子栄養大学で社会福祉の科目を受講している学生に、夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問し、その施設の食事の実態を分析するレポート課題を出した。そのレポートに書かれた当時の分析と今日とを比較出来たらとても良かったと思うのだけれど、そのレポートは女子栄養大学を退職した際に、廃棄処分してしまったことが残念である。
〇他方、聖心女子大学でも社会福祉の科目を教えていたが、同じように夏休みの宿題として、社会福祉施設を訪問してボランティア活動を行い、学生なりの社会福祉施設の評価を求めるレポートを課した。その際、学生から質問があった。訪ねる社会福祉施設は日本の社会福祉施設でなければ駄目かという質問である。その学生は、夏休みに入ると同時に、父母がいる海外へ行くという。その海外の社会福祉施設の訪問記でもいいのかという質問であった。そのような境遇の学生が数人いた。日本と海外の社会福祉施設との比較が図らずも行うことができた。社会福祉施設を取り巻く福祉文化の違いを期せずして学生同士で論議できたことはおもしろかった。
〇1992年、筆者は日本社会事業大学の長期在外研究が認められ、イギリスに半年間滞在した。それも、筆者はロンドン大学などへの派遣ではなく、自由にさせて頂いた。
〇筆者は、ロンドンのケンジントン&チェルシー区に滞在し、区内にあるホスピスやボランティアセンターなどに出入りさせてもらった。ホスピスでは、余命いくばくもない人々が、私が訪問する度に、私に向かって“エンジョイしているか”と尋ねられる日々であった。そのホスピスでは、余命いくばくもないのに、ドリンキングパーティもあり、かつ犬のボランティアも登録されていて連れてこられたり、浴室にはカラフルな壁画が描かれていたりという福祉文化の違いを様々な形で私に問いかけてきた。
〇筆者は、憲法第13条に基づく社会福祉観を考える場合、生活上の様々な事象に対し「快・不快」を基底として、生活を楽しむ、生活を再創造するというリクリエーションが大切ではないかと考え、1980年代後半に、日本社会事業大学の故垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の園田碩哉さん、千葉和夫さん(のちに日本社会事業大学の教員)、淑徳短期大学の木谷宜弘先生(元全社協ボランティア活動振興センター長)等と“社会福祉における文化の問題、レクリエーションの位置”について研究を行った。社会福祉施設の食事、社会福祉施設のインテリア、社会福祉施設職員のユニフォーム、行動規範などについて調査研究を行った。その結果は、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』(ぎょうせい)として上梓された。その『福祉レクリエーションの実践』には、筆者が日本社会事業大学研究紀要第34集に寄稿した「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題する論文が収録されている。
〇その論文では、ⅰ)社会福祉とレクリエーション、ⅱ)レクリエーションの捉え方の視角、ⅲ)西洋の社会福祉思想とレクリエーション及び娯楽、ⅳ)日本における社会福祉思想にみるレクリエーション及び娯楽、ⅴ)社会福祉六法の目的と生活観、ⅵ)施設最低基準にみる生活観、ⅶ)在宅生活自立援助ネットワークの構成要件、ⅷ)在宅福祉サービスの供給方法と施設整備の在り方について論述している。
〇この論文では、権田保之助の社会事業や娯楽の捉え方を踏まえつつ、如何に社会福祉法の目的が狭隘であるかを論述した。と同時に、入所型社会福祉施設のサービスを分解して、地域で住民の必要と求めに応じてサービスパッケージをすれば、社会福祉施設の位置と役割が変わることを指摘している(当時はケアマネジメントという用語は使われてなく、筆者は必要なサービスをパッケージして提供するという意味でサービスパッケージという用語を使用していた)。
〇1996年に総理府の社会保障審議会が社会保障の捉え方を見直し、事実上福祉サービスを必要としている人のその人らしさを支えるサービスに転換させる勧告を出す。憲法第25条に基づく“最低限度の生活保障”への偏りを反省し、事実上憲法第13条を法源とする社会保障、社会福祉への転換が求められた。
〇しかしながら、相も変わらず社会福祉分野では、“上から目線のサービスを提供してあげる”という考え方や姿勢が蔓延っているし、生活を楽しく、明るく、楽しむ自立生活支援にはなっていない。
〇社会福祉分野では、故一番ケ瀬康子先生等が「福祉文化学会」を設立し、社会福祉サービスの考え方や社会福祉における文化性について研究を推進してきたが、その研究枠組みは必ずしも私の先の論文の枠組みとは同じではない。
〇他方、1970年代から播磨靖男さんたちのわたぼうしコンサートを始めとして、社会福祉の枠にとらわれない障害者文化の向上に貢献する実践があるが、それらがどれだけ社会福祉分野に影響を与えて、社会福祉の質を変えたかは定かでない。
〇個々人の福祉サービスを必要としている人の「快・不快」を基にしたケアの提供を考えたならば、従来の入所型社会福祉施設で行ってきたケアが、いかにケアする側の論理、都合で提供されているかが分かるであろう。
〇日本人の文化と社会福祉との関りについては、本連載第1回でも書いたが、社会福祉関係者もケア提供者も、福祉サービスを必要としている人を「枠組み」に当てはめ、その「枠組み」の中の人間は同じだという“錯覚”にも似た“思い入れ”で対応し、「枠組み」の中の人、一人ひとりを丁寧に見て、その人の“思い”や“願い”をきちんとアセスメントしようとしない「文化」を持っている。
〇障害者といっても、障害の状態、障害の種類によっては全然違うし、障害者の中の発達障害者を見ても、その行動様式、“こだわり”は全部違うといってよい。なのに、それらの人々を一括りにして対応しようとするケア観が蔓延っている。
〇人間を見るのに、「枠組み」からのみ見たり、レッテルを貼ってみる人間観を変え、一人ひとり異なる存在であり、その異なる存在を受容し、関係性を豊かに持てるようにしていかないとケアの現場だけで問題を解決できると思うのは誤りだとさえいえる。
〇虐待の背景、深層心理には、日本人が陥っているその人のおかれている属性や枠組みから人間を捉える抜きがたい文化がある。
〇このような日本人が“身に着けている文化”を払しょくし、新しい人間観の基でのケア観を構築していくことが“急げば回れ”の諺ではないが重要である。そのため、小さい時からの、多分化を学び、一人一人のナラティブを尊重する福祉教育の実践の推進が求められている。

Ⅲ 情感的ケア観からアセスメントに基づく科学的ケア観への転換―「求めと必要と合意」に基づく支援

〇日本の医療の発展の要因の一つは、症状、病変の事象から、それがどこに起因するのかを診断する検査技術の発展が大きく貢献してきたと筆者は考えている。かつては、脈を取ったり、へらで舌の状態を観察したり、聴診器で心臓の鼓動や呼吸を確認するといった診断法が、今ではレントゲン、尿検査、血液検査、MRI、CTスキャナーといった検査機器の開発により、症状、病変の診断は特段に向上してきている。それらの検査を担う検査技師の養成、資格まで確立してきている。
〇かつて、巷で言い交された“あのやぶ医者は!”といった言葉は今日では死語になっている。
〇それに比して、社会福祉分野では、長らく中央集権的機関委任事務体制のもとで、サービス利用者が行政により認定され、その人たちが行政の委任を受けた措置施設で生活を送ることを前提に、その人のADL(日常自立生活能力)が低くければ、それを補完する“世話”として三大介護と呼ばれる排せつ介助支援、食事摂取支援、入浴介助支援が展開されてきた。
〇そこでは、措置されたサービスを必要としている人の生活を向上させるために、何をするべきか、何に気を付けるべきかの診断という発想は事実上なかったといっても過言ではない。
〇1971年の「社会福祉施設緊急整備計画」の中では、それら福祉サービスを必要としている人々を施設に“収容保護”し、いわゆる“最低限度の生活を保障すればいい”という考えで貫かれていたといっても過言ではないであろう。
〇1971年以降の「入所型社会福祉施設中心の時代」においては、ある意味、措置された福祉サービスを必要としている人の生活を“丸ごと抱え込んで支援する”という発想のもとに、その利用者の個々の差異には着目せず、同じ生活リズムで、集団的に生活を“させる”というケアを提供する職員側の立場、視点からの対応の仕方で済まされてきた。
〇しかしながら、1990年の社会福祉八法改正“により、在宅福祉サービスが法定化され、かつ地方分権の下で中央集権的機関委任事務体制の改革が求められるようになると、状況は変わる。
〇在宅福祉サービスを利用している人は、一人ひとり生活環境も違うし、行動様式も異なるし、同一空間で集団生活をしているわけではない。それだけに、在宅福祉サービスを利用している人の支援には個々人の生活状況や本人の希望を尊重したサービスの提供が求められるようになる。
〇筆者は、1987年に書いた論文「社会福祉思想・法理念におけるレクリエーションの位置」(日本社会事業大学研究紀要第34集所収、1988年刊)において、入所型施設で提供しているサービスの分節化と構造化の必要性を提起した。それは福祉サービスを必要としている人の状況に応じて分節化させたサービスの中から必要なものを選択し、パッケージ化(当時、ケアマネジメントという用語はなかった)させれば画一的なサービス提供にもならず、かつ在宅福祉サービスの個々人の状況に対応できるということを提起した。

註1: 拙著『地域福祉とは何か――哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』(中央法規出版、2022年4月刊、P32参照)

〇このことを進めるためには、福祉サービスを必要としている人は何を望んでいるのかその人の希望、願い、思いをきちんと受け止めなければならないし、同時に福祉サービスを必要としている人にケア・支援を行う専門職が、その人にはどういうサービスが必要であるかを診断したうえで支援する必要があることも提起した。
〇筆者の言い方で言えば、福祉サービスを必要としている人の求め、希望と専門職が生活支援上必要と考えることを出し合い、両者の合意で在宅福祉サービスの提供を考えていくという「求めと必要と合意」に基づく支援のあり方である。
〇ところで、福祉サービスを必要としている人々への支援において、よほど気を付けないと無意識のうちに“上から目線”の世話をしてあげるというパターナリズムになりがちになる。
〇福祉サービスを必要としている人はさまざまな心身機能の障害や生活上の機能障害において要介護、要支援の状態に陥っているので、ついつい福祉サービス従事者はその機能障害を改善、補完するために“いいことをしてあげる”という意識になりがちである。それは、一見“善意”に満ちた行為として考えられがちであるが、福祉サービスを必要としている人の意思や主体性を尊重しての“誠意”ある行為といえるのであろうか。
〇また、福祉サービスを必要としている人で家族と同居している場合には、福祉サービスを必要としている人本人の意思よりも、同居している家族が家族自身の“思い”、“願い”を福祉サービス従事者に話され、その家族の希望が優先され、ややもすると福祉サービスを必要としている本人の意向や意思は無視されがちになる。
〇ましてや、福祉サービスを必要としている人は、日常的に同居している家族に普段から迷惑をかけているからという“負い目”もあり、家族に遠慮して、自分の意向、意思を表明しない場合が多々ある。
〇日本の戦後の社会保障・社会福祉制度設計は、家族がおり、家族が“助け合う”ことを当たり前のように前提として設計されてきたために、福祉サービスを必要としている人本人の意思や希望は家族の前では搔き消されてしまいがちであった。
〇イギリスのブラッドショウは1970年代に、住民の抱える生活上のニーズを4つに類型化(①本人から表明されたニーズ、②住民は生活上の不安や不満、生活のしづらさを抱えているが表明されていないニーズ、③住民自身は気が付いていないし、表明もしていないが専門職が気づき、必要だと考えられるニーズ、④社会的にすでにニーズとして把握され、対応策が考えられているニーズ)した。
〇この類型化されたニーズにおいて、日本の社会福祉分野において気を付けなければならないニーズ把握の問題は、②の住民が生活上様々なニーズがあるにも関わらず気が付いていないか、自覚しておらず、表明されていないニーズである。
〇日本の“世間体の文化”、“忖度の文化”、”もの言わぬ文化”に馴染んで生活してきた国民は、自らの意思を表明することや自らの希望や願いを表明することに多くの人が躊躇してしまう。したがって、本人が自分の意見や気持ちを表明しないのだからニーズがないのだろうと解釈するととんでもない間違いを起こすことにもなりかねない。それらのニーズは潜在化しがちで、対応が遅れることになる。
〇一方、専門職が気づき、必要と判断するニーズにおいても、社会生活モデルに基づくアセスメントやナラティブに基づく支援方針の立案が的確に行われていればいいが、上記したようなパターナリズムでのアプローチをしている場合には専門職の判断が必ずしも妥当であると言えない場合が生じてくる。
〇イギリスでは、1990年の法律により、福祉サービスを提供する際には、その援助方針やケアプラン及び日常生活のスケジュール等を事前に本人に提示し、本人の理解を踏まえて提供することが求められるようになったが、2005年の「意思決定能力法」ではよりその考え方を重視するように法定化された。
〇日本の民法の成年後見制度や社会福祉法の日常生活自立支援事業が福祉サービスを必要としている人が自ら意思決定できないことを判定するということを前提にして制度設計されているのと違い、イギリスの「意思決定能力法」は日本と逆の立場を取っている。
〇「意思決定能力法」は①知的障害者、精神障害者、認知症を有する高齢者、高次脳機能障害を負った人々を問わず、すべての人には判断能力があるとする「判断能力存在の推定」原則を出発としており、②この法律は他者の意思決定に関与する人々の権限について定める法律ではなく、意思決定に困難を有する人々の支援のされ方について定める法律であるとしている。その上で、③「意思決定」とは、(イ)自分の置かれた状況を客観的に認識して意思決定を行う必要性を理解し、(ロ)そうした状況に関連する情報を理解、保持、比較、活用して 、(ハ)何をどうしたいか、どうすべきかについて、自分の意思を決めることを意味する。したがって、結果としての「決定」ではなく、「決定するという行為」そのものが着目される。意思決定を他者の支援を借りながら「支援された意思決定」の概念であるとしている。
〇日本だと、“安易に”、あの人は判断能力がないから、脆弱だから“その意思を代行してあげる”ということになりかねない。言語表現能力や他の意思表明方法を十分に駆使できない障害児・者の方でも、自分の気持ちの良い状態には〟“快”の表情を示すし、気持ち悪ければ“不快”の表現ができる。福祉サービス従事者は安易に“意思決定の代行”をするのではなく、常に福祉サービスを必要としている人本人の意思、求めていることを把握することに努める必要がある。
〇その上で、本人が自覚できていない人、食わず嫌いでサービス利用の意向を持てていない人に対し、専門職としてはニーズを科学的に分析・診断・評価し、必要と判断したサービスを説明し、その上で、両者の考え方、プランのあり方を出し合って、両者の合意に基づいて援助方針、ケアプランを作成することが求められている。

註2:菅冨美枝「自己決定を支援する法制度・支援者を支援する法制度――イギリス2005年意思決定能力法からの示唆―」法政大学大原社会問題研究所雑誌No822、2010年8月所収)参照

Ⅳ ナラティブ(人生の物語)を大切にした支援―福祉サービスを必要としている人のアセスメントを「医学モデル」から「社会生活モデル」へー

〇筆者は、1970年頃から、社会福祉学研究、社会福祉実践において労働経済学を理論的支柱にした経済的貧困に対する金銭給付と憲法第25条に基づく最低限度の生活保障の考え方では国民が抱える生活問題の解決ができず、新たな社会福祉の考え方が必要であると考え、提唱してきた。
〇筆者が考える社会福祉とは、その人が願うその人らしさの自立生活が何らかの事由によって阻害、停滞、不足、欠損している状況に対して関わり、その阻害、停滞、不足、欠損の要因を除去し、その人の幸福追求、自己実現を図れるように対人援助することだと考えた。
〇その場合の“自立生活”とは、古来から“人間とは何か?”と問われてきた課題を基に6つの要件(ⅰ)労働的・経済的自立、ⅱ)精神的・文化的自立、ⅲ)身体的・健康的自立、ⅳ)生活技術的・家政管理的自立、ⅴ)社会関係的・人間関係的自立、ⅵ)政治的・契約的自立)があると考えた。
〇と同時に、それらの6つの「自立生活」の要件の根底ともいえる、その人の生きる意欲、生きる希望を尊重し、その人に寄り添いながら、その人が望むナラティブ(人生の物語)を一緒に紡ぐ支援だと考えてきた。
〇戦前の生活困窮者を支援する用語に「社会事業」という用語がある。この「社会事業」には、積極的側面と消極的側面とがあるといわれており、その両者を統合的に提供することの重要性が指摘されていた。積極的側面とは、その人の生きる意欲、希望を引き出し支えることで、消極的側面は生活の困窮を軽減するための物質的援助のことを指していた。消極的側面は、気を付けないと“人間をスポイルする”危険性があることも懸念されていた。
〇現在の民生委員制度の原型である大阪府の方面委員制度を1918年に大阪で創設した小河滋次郎は、“その人を救済する精神は、その人の精神を救済することである“として、「社会事業」における積極的側面を重視した。しかしながら、戦後の生活困窮者を支援する「社会福祉」は積極的側面を実質的に“忘却”してしまい、物質的援助をすれば問題解決ができると考えてきた。
〇憲法第25条の最低限度の生活保障では消極的側面の対応でよかったのかもしれないが、憲法第13条に基づく幸福追求の支援ということでは、高齢者のケアであれ、障害者のケアであれ、生活困窮者の支援であれ、その人が送りたい“人生”、その人が願う希望をいかに聞き出し、その人の生きる意欲、生きる希望を支え、伴走的に支援していくことが求められる。
〇従来の社会福祉学研究や社会福祉実践では、「療育」、「家族療法」、「機能回復訓練」などの用語が使われており、その人らしさの生活を尊重し、支援するということよりも、ややもすると専門職的立場からのパターナリズム的に“治療・療”し、“問題解決”を図るという目線に陥りがちであった。
〇また 従来の社会福祉学や社会福祉実践では、よくアブラハム・マズローの「欲求階梯説」が使われが、この考え方も気を付けないといけない。
〇アブラハム・マズローがいう生理的欲求、安全の欲求、愛情と所属の欲求、自尊と承認の欲求、自己実現の欲求の6つの欲求の項目の意味は重要であるが、それらの項目において、下位の欲求が満たされたら上位の欲求が生じるという“欲求階梯説”はどうみてもおかしい。人間には、自ら身体的自立がままならず、他人のケアを必要としている人であっても、当然その人が願うナラティブ(人生の物語)があり、それを自己実現したいはずである。
〇その際、福祉サービスを必要としている人自らが自分の希望、欲求を表出できるとは限らない。福祉サービスを必要としている人の中には、さまざまなヴァルネラビリティ(社会生活上のさまざまな脆弱性)を抱えている人がおり、自らの願いや希望を表出できない人がいる。更には、障害を持って生まれてきたことで、多様な社会体験の機会に恵まれず、一種の“食わず嫌い”の状況で、何を望んだらいいのかも分からない人という生活上の“第2次障害”ともいえる状況に陥っている人もいる。このような人々の場合には、その人の“意思を形成する”ことに関わる支援も必要になってくる。
〇日本の社会福祉関係者の中には、1981年に世界保健機関で制定されたICIDH(国際障害分類)に基づくアセスメントを無意識に、いまだ利活用している人がいる。
〇ICIDHは、その人の心身機能に障害があるかどうかを診断し、その人の心身機能の障害がその人の能力不全をもたらし、ひいてはそのことがその人の社会生活上において不利をもたらすというImpairment――Disability――Handicapの関係を直線的に描くもので、心身機能の不全を診断することを基底とする「医学モデル」と呼ばれるものである。
〇この「医学モデル」は、ある意味わかりやすい構造になっているので、今でも多くの社会福祉関係の底層の心理として位置づいてしまっているが、これによる支援は機能障害を直すか、直せないまでもそれを補完するというレベルの支援になってしまう。
〇WHOは2001年にICF(国際生活機能分類)を発出し、ICIDHからICFへの転換を求めた。
〇ICFは、福祉サービスを必要としている人の生活環境を変えれば、従来のICIDHでは機能障害によりできないと思われていたことができるかもしれないので、その福祉サービスを必要としている人の“最低限度の生活保障”という考え方でなく、福祉サービスを必要としている人の生活環境を変えて、その人の自己実現を図る支援への転換を求めたものである。
〇ICFの考え方と昨今の急速な福祉機器の開発により、福祉現場は急速に変わらざるを得ない。介護ロボットや障害者のコミュニケーションを保障する福祉機器の導入如何では、従来の障害児・者、高齢者などの福祉サービスを必要としている人への支援のあり方は全く違うものになってしまう。
〇このような背景も踏まえて、筆者は従来の「医学モデル」に基づく診断(アセスメント)ではなく、社会生活上に必要な機能があるかないかを基に診断する「社会生活モデル」に基づくアセスメントの必要性を提起している。
〇「社会生活モデルに基づくアセスメントシート」の図の表頭の大項目に基づきアセスメントを行うことが、ケアの科学化には必須である。
〇今日のように、福祉機器の開発やICT、IoTが急速に進展している状況の下では、福祉サービスを必要としている本人は福祉機器を使ったら自分の生活がどのように変容するのかのイマジネーション(想像性)をもてない人がいる。そのような人々に対し、イマジネーションがもてるようにし、新たな人生を作り出すクリエーション(創造性)機能も重要な支援となる。
〇従来の社会福祉実践は、福祉サービスを必要としている人の「できないことに着目し、できないことを補完・補填する目的で、してあげるケア観」に陥りがちであった。幸福追求、自己実現を図るケア観に立つと、福祉サービスを必要とする人の「できることを発見し、それを励ますケア観」が重要になる。
〇今の社会福祉実践には、その人の生育歴におけるナラティブ(narrative:身の上話、経験などに関する物語)に着目し、その人が望む人生を創り上げることに寄り添い、支援することが求められている。

〇今まで3回に亘り、「虐待問題」が起きる根源的背景として、あるいは深層心理として持っている日本国民が有している文化的要因と社会福祉観、人間観について論述したうえで、ケア観の検討並びに画一的ケア観から個別支援におけるアセスメントとそれに基づくケアの必要性について述べてきた。
〇今回は、それらを踏まえて、虐待の定義、現状について整理した上で、今後の「虐待問題」の検討すべき課題を提示したい。

Ⅴ 虐待防止の法的定義と類型及び現状

〇虐待の問題は、子ども分野、障害者分野、高齢者分野において、共通する部分もあれば、異なる部分もあるので、虐待の法的定義とその類型及び状況については分野ごとに整理することとしたい。

① 高齢者分野における法的定義と虐待の類型及び現状
〇高齢者分野における虐待に関する法律は、2005年に制定された「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援などに関する法律」(以下「高齢者虐待防止法」という)がある。
〇その法律では、高齢者虐待の類型及び養護の定義を以下のように定めている。

ⅰ 虐待の種類  身体的虐待、介護・世話の放棄・放任、心理的虐待、性的虐
待、経済的虐待
ⅱ)高齢者とは65歳以上の者をいう
ⅲ 「養護者」とは、高齢者を現に養護する者であって養介護施設従事者等以外
の者をいう
ⅳ)養介護施設従事者とは、介護保険法、老人福祉法等における業務に従事する者

〇高齢者虐待の状況は、厚生労働省が公表した令和4年度(2021年度)の「高齢者虐待の防止、高齢者の養護者に対する支援等に関する法律に基づく対応状況などに関する調査結果」を基にした。ここでは、気になる項目を中心に抜粋しているので、詳しくはその調査を参照願いたい。
〇養介護施設従事者等による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待件数の推移ば、2022年度において相談件数は2795件(虐待と判断された件数は856件)で、前年度比16・9%の増となっている。
〇「高齢者虐待防止法」が制定された翌年の通報件数が273件(虐待と判断された件数54件)であったことを考えるとその増加件数は約10倍で、高齢化率の増加を考えたとしても、かつ「高齢者虐待防止法」の周知度が高まったとしても大幅な伸びとなっている。
〇他方、養護者による虐待についてみると、2022年度の通報件数は38291件(虐待と判断された件数16669件)で、前年度比5・3%の増となっている。
〇「高齢者虐待防止法」が制定された翌年の通報件数が18390件(虐待と判断された件数12569件)と比較しても増大している。
〇ただし、養介護施設従事者等による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待件数の増大が約10倍なのに対し、養護者による虐待の通報件数では約2倍(虐待と判断された件数では約1・3倍)なので、如何に養介護施設従事者等による高齢者虐待が増大していることが見て取れる。
〇虐待が起きた養介護施設の種類別では、「特別養護老人ホーム」が最も多く、274件(32・0%)、次いで「有料老人ホーム」が221件(25・8%)、「認知症対応型共同生活介護(グループホーム)」が102件(11・9%)、「介護老人保健施設」が90件(10・5%)となっている。
〇虐待の内容は、養介護施設従事者によるものでは、「身体的虐待」が810人(57・6%)、次いで「心理的虐待」が464人(33・0%)、「介護等放棄」が326人(23・2%)であった。
〇虐待を受けた高齢者像では、認知症高齢者で身体的虐待を受けている人が多い。
〇養護者による虐待では、虐待の発生要因(複数回答)としては「認知症の症状」が9430件(56・6%)、虐待者の「介護疲れ・介護ストレス」が9038件(54・%)、「理解力の不足や低下」が7983件(47・9%)、「知識や情報の不足」が7949件(47・7%)、「精神状態が安定していない」が7840件(47・0%)、「被虐待者との虐待発生までの人間関係」が7748件(46・5%)であった。
〇養護者の虐待の内容(複数回答)は、「身体的虐待」が11167人(65・3%)、次いで「心理的虐待」が6660人(39・0%)、「介護等放棄」が3370人(19・7%)、「経済的虐待」が2540人(14・9%)であった。
〇被虐待高齢者の「認知症の程度」と「虐待種別」との関係では、被虐待高齢者に重度の認知症がある場合には「介護等放棄」、「経済的虐待」をうける割合が高く、軽度の認知症の場合には「身体的虐待」、「心理的虐待」が高い傾向がみられた。

②  障害者分野における法的定義と虐待の類型及び現状
〇障害者分野における虐待に関する法律は、2011年に制定された「障害者虐待の防止、障害者の養護者に対する支援等に関する法律」(以下「障害者虐待防止法」という)がある。
〇と同時に、国連が制定した「障害者権利条約」(2008年発効)を日本政府が2014年に批准したことを受けて、2011年に障害者基本法が改正され、「障害に基づくあらゆる形態の差別の禁止」が盛り込まれたことを受けて、その規定を具現化する「障害者差別解消法」が制定されていることも併行的に考えなければならない。
〇「障害者虐待防止法」では、障害者虐待の類型及び養護の定義を以下のように定めている。

ⅰ)「障害者」とは、身体・知的・精神障害その他の心身機能の障害がある者であ
って、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活・社会生活に相当な制限を
受ける状態にあるものをいう。
ⅱ)「障害者虐待」とは、ⅰ)養護者による障害者虐待、ⅱ)障害者福祉施設従事者等による障害者虐待、ⅲ)使用者による障害者虐待をいう。
ⅲ)障害者虐待の類型は、イ)身体的虐待、ロ)放棄・放置、ハ)心理的虐待、
ニ)性的虐待、ホ)経済的虐待の5つとしている。

〇障害者虐待の現状については2024年3月5日に行われた第140回の社会保障審議会障害者部会に報告された「障害者虐待事例への対応状況調査結果等について」に基づき明らかにしたい。
〇2022年度の養護者による障害者虐待の相談・通報件数は8650件で、2021年度より約1300件増加している。
〇「障害者虐待防止法」は2011年に成立しているが、その翌年の2012年度の相談・通報件数が3260件なので、約10年間で約2・6倍に増加している。
〇相談・通報件数のうち、虐待と判断された件数は2022年度で2123件、これも2012年度に比べると1・6倍になっている。
〇相談・通報者は、警察が51%、本人13%、施設・事業所の職員が11%、相談支援専門員が11%である。
〇虐待行為の類型では、身体的虐待が69%、心理的虐待が32%、経済的虐待が17%、放棄・放置が11%、性的虐待が3%である。
〇障害者福祉施設従事者等による障害者虐待は、2022年度が4104件で、前年度より1・28倍増加している。
〇そのうち、虐待判断件数は956件で、前年度比1・37倍である。
〇相談・通報者は、当該施設・事業所その他の職員が16%、設置者・管理者が15%、本人が16%、家族・親族が11%となっている。
〇虐待行為の類型は、身体的虐待52%、心理的虐待46%、性的虐待14%、放棄・放置が10%、経済的虐待が5%である。
〇被虐待者の障害種別では、知的障害が73%、身体障害が21%、精神障害が16%で、行動障害を伴うものでは34%になっている。
〇障害者分野の虐待問題では、他の高齢者や児童とは異なる“障害者を雇用している使用者”による虐待問題がある。
〇障害者虐待との通報・届け出があった事業所は、厚生労働省雇用環境・均等局総務課労働紛争処理業務室の調査報告によれば、2021年度で1230件(都道府県からの報告197件、労働局などへの相談880件、その他労働局等の発見153件)であった。
〇通報・届出の対象となった障害者数は1431人であり、障害種別では、精神障害が37・8%、知的障害が32・3%、身体障害が19・1%、発達障害が7・1%となっている。
〇虐待行為の類型では、経済的虐待が47・5%、心理的虐待が37・8%、身体的虐待が8・3%、放置等による虐待が4・4%、性的虐待が1・9%となっている。
〇虐待の相談・通報があった件数のうち、虐待と認められた障害者数は、2021年度502人であった。
〇就労形態別では、パート等が46・4%、正社員32・9%、期間契約社員3・8%などとなっている。
〇障害者虐待を行った使用者の内訳では、事業主85・8%、所属の上司12・2%となっている。
〇虐待が認められた事業所の業種では、製造業25・5%、医療・福祉が22・7%、卸売業・小売業が11・2%、宿泊業・飲食サービス業が6・6%、建設業が5・9%となっている。
〇事業所の規模別では、5~29人規模の事業所が49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13.5%で、50~99人規模で6・9%、100~299人規模で3・8%となっている

③  児童分野における法的定義と虐待の類型及び現状
〇児童分野における虐待に関する法律は、2000年に制定された「児童虐待の防止等に関する法律」(以下「児童虐待防止法」という)がある。
〇児童分野における虐待については、1933年に「旧児童虐待防止法」が制定されていたが、これは戦後1947年に児童福祉法が制定されたことに伴い廃止されている。しかしながら、1990年代に入り、急速に児童虐待が増加したことに伴い、新しく「児童虐待防止法が」が制定されることになった。
〇「児童虐待防止法」では、児童の虐待の定義及び類型について以下のように定めている。

ⅰ)児童虐待の定義――「児童虐待」とは、保護者(親権を行う者、未成年後見人その他の者で、児童を現に監護するもの
ⅱ)児童虐待の類型――身体的虐待、性的虐待、保護者としての監護の放棄・放任、心理的虐待

〇令和4年度(2022年度)中に、全国232か所の児童相談所が児童虐待相談として対応した件数は219170件だった。
〇筆者が日本社会事業大学の在外研究制度で、長期にイギリスに滞在したのは1992年であったが、当時イギリスの虐待件数は1990年当時約36000件だった。
〇しかしながら、イギリスの児童虐待の状況から考えて、日本でも家族形態の変容、地域における児童健全育成力の低下等から、急速に児童問題が深刻化し、児童虐待が増えると考え、筆者は全社協の全国民生児童委員協議会の企画委員会の委員長として、民生委員が児童委員を兼ねるだけでは対応できないと考えて、児童問題を主管、主務とする児童委員制度を創設すべきとの提案をした。その提案は厚生省に受け入れられ、1994年度から「主任児童委員制度」が始まる。
〇と同時に、筆者は東京都児童福祉審議会の専門部会長として、当時東京都にある12か所の児童相談所とは別に、都内各区市町村に最低1か所の「子ども家庭支援センター」を設置し、保健師、保育士、社会福祉士を配置して、子ども・家庭への相談支援を行うこと、しかもそれはアウトリーチ型の地域組織化を想定して行うことなどの提案をし、専門部会で承認され、東京都に建議した。その建議は受け入れられ、東京都全区市町村に58か所の「子ども家庭支援センター」が設置された。
〇この二つの提案は、イギリスでの在外研究制度の成果であり、日本でも急速に児童虐待への対応を図るべきとの提案であったが、当時の児童福祉研究者や児童福祉行政の関係者たちの反応は、従来の児童相談所体制でいいとする反応であった。
〇児童虐待は、筆者の想定した通り、1990年度には1101件で、その後2000年度には17725件、2010年度には56384件、2020年度では205044件と急増している。
〇2022年度の児童虐待の219170件の内容別件数は、「身体的虐待」が51679件(23・6%)、「ネグレクト」が35556件(16・2%)、「性的虐待」が2451件(1・1%)、「心理的虐待」が129484件(59・1%)となっている。
〇児童相談所に寄せられた虐待相談の相談経路は、2022年度では警察等が最も多く、112965件(51・5%)、次いで近隣・知人が24174件(11・0%)、家族・親戚が18436件(8・4%)、学校が14987件(6・8%)となっている。
〇児童虐待による死亡事件も2022年度では45件、51人が亡くなっている。子どもを巻き込んだ心中事件も37件、47人が亡くなっている。
〇虐待を行っている人の類型では、実母が38224件(57・3%)、実父が19311件(29・0%)、実父以外の父が4140件(6・2%)となっている。
〇虐待を受けた子どもの年齢別では、小学生が最も多く、23488件(35・2%)、次いで3歳~学齢前が16505件(24・7%)、0歳~3歳未満12503件(18・8%)、中学生9404件(14・1%)となっている。
〇児童分野における虐待発生の要因として、厚生労働省はⅰ)子どもの状況――発達・発育、健康状態・身体状況、情緒の安定性、問題行動、基本的な生活習慣、関係性、ⅱ)養育者の状況――健康状態等、性格的傾向、日常的世話の状況、養育能力等、子どもへの思い・態度、問題認識・問題対処能力、ⅲ)養育環境――夫婦・家族関係、家族形態の変化を挙げている。

Ⅵ 虐待の現状から抽出して論議すべき課題

〇このように「虐待問題」と一言で言っても、高齢者分野、障害者分野、児童分野といった多岐に亘っており、それを総括りして論議することは困難である。
〇強いて言えば、日本の「家」意識、画一的集団生活からの“逸脱者”への罰の意識、上意下達の命令体質がもたらす“複合的表出”の結果としての「虐待」と言えるのではないか。
〇とりわけ、日本の戦後の社会保障、社会福祉は、戦前の「家」制度の名残をとどめており、家族の扶養、家族の介護を家族間の情愛の感情、親密圏域の自然発生的ケア観を前提として構築されている。
〇社会福祉従事者もその呪縛から解放されておらず、家族を前提としたケア方針の立案をしがちであり、福祉サービス利用者を一個の独立した個人として捉え、その個人の幸福追求、自己実現を支援する役割を社会福祉関係者が担うという崇高な理念、人間像を描けないままに業務に従事していること、それらの職員を雇用する社会福祉法人などの組織自体も上記の理念を明確に持たないままの経営、運営に陥っているのではないかと思っている。
〇上記した虐待の現状について、再度まとめるとともに、今後検討する論議すべき課題との関係で、重要だと思われることを再掲しておきたい。

① 養介護施設従事者等による高齢者虐待の相談・通報件数と虐待件数の増大が約10倍なのに対し、養護者による虐待の通報件数では約2倍(虐待と判断された件数では約1・3倍)なので、如何に養介護施設従事者等による高齢者虐待が増大していることが見て取れる。
② 虐待を受けた高齢者像では、認知症高齢者で身体的虐待を受けている人が多い。
③ 高齢者の養護者による虐待では、虐待の発生要因(複数回答)としては「認知症の症状」が9430件(56・6%)、虐待者の「介護疲れ・介護ストレス」が9038件(54・“%)、「理解力の不足や低下」が7983件(47・9%)、「知識や情報の不足」が7949件(47・7%)、「精神状態が安定していない」が7840件(47・0%)、「被虐待者との虐待発生までの人間関係」が7748件(46・5%)であった。
④  2022年度の養護者による障害者虐待の相談・通報件数は8650件で、2021年度より約1300件増加している。「障害者虐待防止法」は2011年に成立しているが、その翌年の2012年度の相談・通報件数が3260件なので、約10年間で約2・6倍に増加している。
⑤ 被虐待者の障害種別では、知的障害が73%、身体障害が21%、精神障害が16%で、行動障害を伴うものでは34%になっている。
⑥ 障害者分野の虐待問題では、他の高齢者や児童とは異なる“障害者を雇用している使用者”による虐待問題がある。
就労形態別では、パート等が46・4%、正社員32・9%、期間契約社員3・8%などとなっている。
事業所の規模別では、5~29人規模の事業所が49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13.5%で、50~99人規模で6・9%、100~299人規模で3・8%となっている
⑦ 児童虐待による死亡事件も2022年度では45件、51人が亡くなっている。子どもを巻き込んだ心中事件も37件、47人が亡くなっている。
虐待を行っている人の類型では、実母が38224件(57・3%)、実父が19
311件(29・0%)、実父以外の父が4140件(6・2%)となっている。
日本では、いまだ「子どもの発見」が不十分で、子どもは親の付属物として捉え、
子どもを親の意向に従わせる「命令と禁止」での子育てが払しょくできていない。

〇これらの「虐待の現状」から考えて、検討すべき課題は以下の通りである。

ⅰ)家族による親密圏域のケアを当たり前の前提として、公共圏域のケアの整備が十分でない問題。
この問題の中には、相談できる「福祉アクセシビリティ」の問題や介護支援専門員、障害者相談支援員のケア観の問題がある。
また、ケアをしている家族の社会福祉制度を活用する受援力、地域福祉サービス利用主体の形成が不十分の問題もある。
ⅱ)養介護者が集積している社会福祉法人などのサービス供給組織の経営理念、運営方針等にケアのあり方、サービス利用者の尊厳の保持が具体的に明記され、それが常に研修等を通じて確認できているかどうかの問題―社会福祉現場に関わる動機、モチベーションとその内省、外化の機会の有無とアンガーマネジメントの研修。
ⅲ)機関委任事務体制下では行政による措置施設職員の研修がおこなわれていたが、2000年以降は、社会福祉職員の研修は行政的には対応できておらず、個々のサービス供給組織により行われている。
しかも、メンター制度やOJTの機能はほとんどなく、入職後から独任官的に職務を任せられ、体系的な研修を通して、自らの実践を振り返り、検証する機会を持てていない。
とりわけ小規模のサービス供給事業組織がそうである。
ⅳ)上記ⅱ)の問題とも関わるが、従事者が安心してケアに従事できるかどうか、職場環境の整備との関係の問題と同時に、きちんとしたケア観を有している人を採用し、キャリアップについて見通しがもてる人事政策があるかどうかの問題。
ⅴ)日常的に地域で障害者等とふれあい、その人の人格を尊重する機会である福祉教育の実践が地域、学校において行われているかの問題―人間の理解は頭での言語能力での理解だけでなく、福祉サービスを必要としている人との切り結びが重要。

〇虐待が起きている現場の状況は様々であり、その「違い」を捨象して、共通の統一的見解を示すことは容易ではない。
〇しかも、今までも述べてきたように、日本人が有している国民的文化がもたらす人権感覚の低さ、多様性を認める認識の低さ等の、国民の深層心理、底流にある意識との関りを抜きにして語れない部分が多分にあるが、ここではそれを踏まえた上で、今後虐待問題を検討するに際しての課題について論述しておきたい。
〇筆者は、連載の第4回の最後において、下記のような問題があることを指摘した。
〇それは、以下の通りである。最終回の今号では、これらについて論述したい。

ⅰ)家族による親密圏域のケアを当たり前の前提として、公共圏域のケアの整備が十分でない問題。
この問題の中には、相談できる「福祉アクセシビリティ」の問題や介護支援専門員、障害者相談支援員のケア観の問題がある。
また、ケアをしている家族の社会福祉制度を活用する受援力、地域福祉サービス利用主体の形成が不十分という問題もある。
ⅱ)養介護者が集積している社会福祉法人などのサービス供給組織の経営理念、運営方針等においてケアのあり方、サービス利用者の尊厳の保持が具体的に明記され、それが常に研修等を通じて確認できているかどうかの問題―社会福祉現場に関わる動機、モチベーションとその内省、外化の機会の有無とアンガーマネジメントの研修。
ⅲ)機関委任事務体制下では行政による措置施設職員の研修がおこなわれていたが、2000年以降は、社会福祉職員の研修は行政的には対応できておらず、個々のサービス供給組織により行われている。
しかも、メンター制度やOJTの機能はほとんどなく、入職後から独任官的に職務を任せられ、体系的な研修を通して、自らの実践を振り返り、検証する機会を持てていない。とりわけ小規模のサービス供給事業組織がそうである。
ⅳ)上記ⅱ)の問題とも関わるが、従事者が安心してケアに従事できるかどうか、職場環境の整備との関係の問題と同時に、きちんとしたケア観を有している人を採用し、キャリアアップについて見通しがもてる人事政策があるかどうかの問題。
ⅴ)日常的に地域で障害者等とふれあい、その人の人格を尊重する機会である福祉教育の実践が地域、学校において行われているかの問題―人間の理解は頭での言語能力での理解だけでなく、福祉サービスを必要としている人との切り結びを通して体感的に学ぶことが重要。

Ⅶ 家族を“含み財産”とする社会福祉制度の破綻と「福祉アクセシビリティ」のいい「総合相談窓口」、「まるごと相談窓口」の設置及び福祉教育の推進

〇戦後日本の社会福祉制度は、家族を“含み財産”として位置づけ、家族の介護、養育を前提にして制度設計されてきた。
〇しかしながら、1960年代の高度経済成長政策の下、急速に産業構造の転換が行われ、工業化、都市化、核家族化が進み、家族の、地域の介護力、養育力はぜい弱化していった。
〇そのことについては、拙稿「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加」(吉田久一編『社会福祉の形成と課題』19811年、所収)に論述してあるので参照して欲しい。
〇ところで、筆者が地域福祉と社会教育との学際的研究において、より明確に地方自治体における地域福祉とそれを可能ならしめる地域づくりを社会教育と地域福祉の有機的関りのもとで行おうと考えるようになったのは、江口英一先生が1986年に書いた「日本における社会保障の課題」という論文に触発されてからである。
〇社会教育はもともと地方分権を前提にして理論構築や実践が展開されていたが、社会福祉の分野における地方自治体の位置というものは必ずしも明確でなく、“福祉国家体制”という名のもとに、常に中央集権的機関委任事務の下で社会福祉行政は進められてきた。社会保障の一環である社会保険は国レベルで検討される政策であることは理解できるが、社会保障の一環である対人援助としての社会福祉は地域で生活している住民の身近な地方自治体の政策として論議されるものだと筆者は考えてきた。
〇それは経済的給付とちがって、対人援助としての社会福祉は、地域性、地域の生活環境に左右される部分が多く、全国一律のサービス提供、対人援助にはなじまないと考えてきたからである。
〇江口英一先生は、先の論文で、地域住民の生活は大変不安定で、生活上のちょっとした事故でも住民の25%が生活保護世帯に転落する可能性を有していて、それを防ぐためには地方自治体ごとの福祉サービスの整備が必要であるとその論文で説かれていた。
〇筆者はこの論文に勇気づけられ、この論文に依拠しながら、どうしたら地域住民の生活を守り、安定させる福祉サービスの整備のあり方、提供のシステムができるかを考えてきたのが筆者の地域福祉研究60年であった。
〇その中の理論的、実践的課題の一つが「福祉アクセシビリティ」の問題である。それは住民の生活の安定を守る地方自治体の福祉サービスの整備量もさることながら、住民からみた「福祉アクセシビリティ」が大きな問題だと考えたからである。
〇「福祉アクセシビリティ」とは、距離的に近いという問題、公共交通機関の利便性、たらい回しをされない、ワンストップの相談の総合性、心理的、手続き面での受容性などが大きいと考えたからである。
〇1970年ごろ、国民の社会福祉認識は、社会福祉を利用する人、必要としている人は、ある意味で「自業自得」であり、福祉サービスを利用することは個人にとっても、家族・親類縁者にとっても”恥”とする意識が強かった。
〇このような福祉サービスを必要としていながら、福祉サービスの相談窓口が“縁遠かった“住民は、誰にも相談できず、ストレスを貯めこみ、ネグレクトするとか、心理的虐待、身体的虐待に走っていったことは想像に難くない。
〇住民の身近なところで、心理的負担もなく、相談しやすい環境があったならば、利用できる福祉サービスがある、なしに関わらず、住民は自ら抱える辛さ、悩み等を「外化」でき、虐待に走る度合いが減ったのではないだろうか。
〇今、地域共生社会政策の下で、包括的支援体制、重層的支援体制整備の必要性が謳われているが、1990年までの中央集権的機関委任事務体制の下では、「社会福祉六法体制」に基づく縦割り福祉行政が行われていて、「福祉アクセシビリティ」のいい世帯・家族全体を支援する総合相談窓口はなかった。
〇筆者は1990年に東京都狛江市、東京都目黒区、岩手県遠野市などにおいて、縦割り福祉行政の弊害を除去し、住民にとって「福祉アクセシビリティ」のいい福祉行政システムを構築してきた。
〇このような「福祉アクセシビリティ」の良さに加えて、職員によるアウトリーチ型問題発見と支援とが行われたならば、養護者の虐待の動向は違っていたのではないだろうか。
〇日本の社会福祉・社会保障は、相も変わらず“家族の介護力、養育力”に依存する“家族”を含み財産とする発想が色濃く残っている。
〇今こそ、市町村において包括的・重層的支援システムを構築し、コミュニティソーシャルワーク機能を発揮できるシステムの構築とそれを担当できる職員の養成が喫緊の課題である。
〇今や、単身者社会であり、家族に頼らない、「福祉アクセシビリティ」のいい、生活に関わる「総合相談窓口」や「まるごと相談窓口」を地域に構築することが必要である。
〇と同時に、住民の社会福祉に関する知識の向上、社会福祉制度の理解を深め、国民が戦前からの「家制度」に基づく「家意識」を変容させ、家族に頼らない、公共圏域の社会サービスを利用するのが当たり前と思える住民の福祉サービス利用の受援力を高める福祉教育の推進がますます重要になってきている。

Ⅷ 介護問題が集積している社会福祉法人の理念、経営方針と虐待問題

〇連載の第4回目で述べたが、厚生労働省の調査によれば、障害者施設や通所サービ
スなどの従事者から障害者が虐待を受けた件数は、2023年度、5618件で前年度比約37%増加している(ちなみに、家族などの養護者から虐待を受けた障害者は2285件、前年比7・8%増であった)。
〇介護施設の職員らによる高齢者への虐待は1123件(前年度比31・2%増)で、2006年度調査開始以来の最多となった。家族などの養護者による虐待は17100件(前年度比2・6%増)であった。
〇このような状況を踏まえ、社会福祉施設、福祉サービス事業所での虐待をなくすためには以下のような取り組みが必要ではないか。

ⅰ)社会福祉法人の設立理念、経営方針における人間性、個人の尊厳を謳う個別ケアが明確化されているか
〇日本の社会福祉施設は、中央集権的機関委任事務が少なくとも1990年まで、あるいは2000年まで続いていたこともあり、福祉サービスを必要としている人、福祉サービスを利用している人のアセスメントが事実上できていなかった。
〇福祉サービスを必要としている人を行政がサービス利用の要件に合致しているかどうかを判断し、社会福祉施設・社会福祉法人はその行政に措置された人を受け入れ、サービスを提供していたために、入所型施設などにおいては、三大介護と言われる食事、排せつ、入浴がどれだけ“自立”しているかというADLの評価が中心であった。
〇医療の世界では、ついこの間まで“やぶ医者”という言葉が住民の間で使われていたが、いまやその用語は“死語”になっている。それは、医療の世界では、聴診器だけでなく、レントゲン、MRI、CTスキャナー、血液検査などの診断技法が格段に進展し、患者の病変の診断と治療との関係性が格段に向上したからである。
〇ところが、社会福祉界は未だ福祉サービスを必要としている人が何につまずき、何が生活のしづらさを生み出す要因なのか、本人は何を希望し、どういう生活を送りたいと願っているのかなどの「社会生活モデル」に基づくアセスメント技法が確立していない。何となく社会福祉士、介護福祉士などの資格を有している人が“情感的に”判断しているという“やぶソーシャルワーカー”が沢山いる。
〇それは、福祉サービスを必要としている人が現に制度化されているサービスを利用できる要件に合致するかどうかという仕事の仕方をしてきた中央集権的機関委任事務体質の福祉文化を見直すことなく、無意識のうちにそれを引きずってきているからである。
〇また、社会福祉法人は行政から措置された人に対する“最低限度の生活保障”をしてあげるという目線になりがちで、結果として法令による措置施設の施設最低基準に基づき集団的、画一的ケアを実施してきたのではないだろうか。
〇2000年以降、福祉サービス利用が契約で行われるようになった際に、従来の支援方針、ケア観を見直し、福祉サービスを必要としている人、利用している人と福祉サービスを提供する側とが相対契約をする制度に変わったことに伴い、その際に、どれだけの社会福祉法人、社会福祉施設がその相対契約に相応しい福祉サービス利用者、福祉サービスを必要としている人の個々の状況に見合ったアセスメントと援助方針を確立することを明確にできたであろうか。
〇筆者が考えるのに、現象的には社会福祉法人も社会福祉施設も個人の尊厳、人間性の尊重を謡いながら、実質的には個々人の状況を丁寧にアセスメントするという福祉文化が確立できていなかったのではないか。
〇その点で、筆者が注目しているのは、2002年の老人福祉施設最低基準が改訂され、ユニットケアが出されてくる中で、一般社団法人日本ユニットケア推進センターが進めている、限りなく個別ケアの具現化の取り組みである(拙編著『ユニットケアの哲学と実践』日本医療企画、2019年)。
〇一般社団法人日本ユニットケア推進センターが進めている個別ケアの実践は、同じ厚生労働省が定めた基準である老人福祉施設最低基準に則りながら、個別ケアを確立できており、かつ職員の離職率も低く、利用者からの評価も高いことを考えると全国的に展開できないことではない。要は、社会福祉法人の経営理念、実践哲学がそのことを明かにできているかどうかの問題である。

ⅱ)市町村における福祉サービス事業所職員の研修の体系化はされているだろうか
〇中央集権的機関委任事務体制時代にあっては、行政がサービス提供を社会福祉法人に委託していたこともあって、各都道府県が社会福祉研修センターを設置し、社会福祉法人、社会福祉施設の職員に対する研修がそれなりに整えられていた。
〇しかしながら、2000年の介護保険、2005年の障害者総合支援法以降、福祉サービス利用は行政の措置から、福祉サービスを必要としている人と福祉サービス事業者との間の契約に変わったこともあり、各都道府県の社会福祉研修センターの役割は大きく変わり、筆者が観る限りにおいて各都道府県の社会福祉職員に対する研修機能は大幅に低下していると言わざるを得ない。
〇ある意味、職員の研修は、各福祉サービス事業者の任意となり、行政は各サービス事業者のサービス管理者の資格、研修を規制化させることで、職員のサービスの質の担保を図る仕組みへと変更した。
〇したがって、福祉サービス事業所で働く職員、社会福祉法人、社会福祉施設で働く職員の研修は、いわば無秩序状態になっている。
〇このような状況のなかで、小さな規模の事業所の職員はほとんど研修を受けることもできなければ、自前で研修をすると言うことも容易ではなくなってきている
〇先に挙げた事業所の虐待件数についても、事業所の規模や事業所内での研修の有無などについて丁寧に分析する必要があるが、ここでは触れない。ただし、福祉サービス事業所の規模別・虐待種別事業所数の調査によれば、規模が5~29人の規模の事業所が虐待件数全体の49・2%、30~49人規模が16・8%、5人未満が13・5%であり、逆に300人以上の規模では1・0%であることを考えると事業所の規模ごとにおける職員研修のあり方との関係があることは想像に難くない(「令和3年度使用者による障害者虐待の状況」調査)。
〇他方、1990年以降、地方分権化が進み、国や県は市町村への指導を直接的にはできず、専門的助言の域を超えることができなくなった。その上に、市町村は各分野ごとの福祉計画の“上位計画”として「地域福祉計画」を位置づけている。しかしながら、この市町村ごとの「地域福祉計画」を見る限り、市町村内の福祉サービスに従事する職員の研修の必要性を掲げている「地域福祉計画」は皆無に近い。
〇今や、一部の大手を除くと福祉サービス事業所、社会福祉法人の職員の研修システムはとても不十分だと言わざるを得ない。
〇しかしながら、福祉サービスは国民にとって欠かせないサービスであり、かつサービス利用費がいわば公定価格で縛られてはいるものの、逆の意味では“安定”していることもあり、いわゆる市場ベースの“競争原理”は働きにくい状況である。
〇ならば、サービス管理者の資格、研修のみならず、市町村福祉行政による市町村内の社会福祉職員の研修を整備し、職員の資質向上を図るべきなのではないだろうか。
〇2011年の「地方分権一括法」で、市域内だけの住民を対象に福祉サービスを提供している社会福祉法人の許認可権は市長が有することになったし、その後介護保険サービスの許認可権も町村長にまで移譲されたことを考えると、市町村レベルでの域内の福祉サービス従事者への研修システムの構築は市町村行政が責任をもって行うべきではないだろうか。
〇このような職員の研修システムの構築をしないでおいて、事業所における虐待を取り締まるという姿勢だけでは問題解決につながらない。

ⅲ)社会福祉学の構造と国家資格養成課程における実践力習得の課題
〇社会福祉学の構造は、①社会福祉の目的、理念に関わる哲学、②福祉サービスを必要としている人の生活のしづらさ、生活問題をアセスメントし、構造的に分析する分析科学、③福祉サービスを必要としている人の問題を解決するための援助方針の立案、活用できる福祉サービスの利用計画、活用できる福祉サービスがなければ、新しい問題解決プログラムを作成するとか、新しい福祉サービスを開発するなどの設計科学、④立案された援助方針、ケアプランに基づき具体的な対人援助の実践を展開する実践科学。この実践科学は、設計されたプラン通りに実施すればいいというものではなく、福祉サービスを必要としている人の日々の変化を見据え、実践者がその状況に合わせ、設計されたプラン、対人援助を微調整していく必要性がある。⑤実践を展開した後、福祉サービス利用者の「快・不快」を基底とした満足度や設計されたケアプランの妥当性などについての評価、振り返りを図る評価科学の5つの要素からなる統合科学である。
〇この統合科学という考え方は、戦前に確立されてき旧帝国大学の講座制の学問体系にはない、新しい学問の考え方であり、日本学術会議が2003年以降打ち出している考え方である。
〇社会福祉分野は、従来「学問」ではなく、「論」の域を出ていないと学術界では言われてきたが、日本学術会議の提案による「統合科学」という視点、枠組みを考えるならば、社会福祉はまさにぴったりの「統合科学」である。この「統合科学」という考え方の提唱もあって、社会福祉学は2003年度から日本学術振興会の科学研究費の細目として「社会福祉学」が位置づけられ、文字通り日本の学問体系において「社会福祉学」が認証された。
〇しかしながら、統合科学としての「社会福祉学」における個々の要因、要素の実践、研究の科学化は未だ道遠しの状況である。
〇第1には、援助方針を立てる基になるアセスメントが十分確立されていない。相も変わらず医学モデルに基づく“治療”、“療育”という考え方が強く、「社会生活モデル」に基づく、その人の自己実現を図るという発想が十分でない。そのことは先に述べた中央集権的機関委任事務体制の文化的名残りであり、かつ憲法第25条に基づく最低限度の生活保障を保証してあげるというパターナリズムを払しょくできていないからである。
〇今や、ICF(国際生活機能分類)の考え方に基づき、福祉機器等を活用してその人の生活環境を改善したらどうなるかという視点からのアセスメントも重要になってきている。
〇第2には、社会福祉の実践現場は、施設最低基準などの制約があり、ややもすると新人職員と言えども“一人前”の扱いを受けて、勤務シフトに配属され、事実上OJT―オン・ザ・ジョブ・トレーニング(職場での実務を通じて知識やスキルを習得させる育成方法)が実施されてない。
〇また、同じような理由から職員の資質を向上させる一つの方法であるメンター制度(経験豊富な先輩社員・メンター・が後輩シャインのキャリア形成や悩み解決法をサポートする社内制度)なども導入されていないのが大方である。
〇今日では、社会福祉士、介護福祉士の国家資格が出来てから約40年近くの歴史を経て、多くの社会福祉従事者が資格を有する時代になってきている。
〇先に述べた虐待事案において、国家資格の有資格者が虐待を起こしているのか、それとも資格を有していない人が虐待を起こしているのかの分析まではしきれていない(障害者分野では、虐待を起こした職員の就労形態別調査では、正社員、パート等において虐待がおこされていて、派遣労働者等の件数は少ない。しかしながら、国家資格の有無による虐待件数の調査は見当たらなかった。高齢者分野においてもこの項目は見当たらなかった)。
〇資格を有していない人が虐待問題を起こしていてもしょうがないという訳ではないが、資格を有している人でも虐待を起こしているかもしれないという問題点をここでは指摘しておきたい。
〇つまり、現在の国家資格は、社会福祉制度などに関わる座学で学べる部分と実習によって習得できる部分で教育課程は構成されているが、筆者は圧倒的に実習が少ないと考えている。
〇社会福祉士の国家資格の受験資格を得られる通信制の養成機関では、出題科目である講義科目についての履修は求められず、相談援助に関する演習と実習が課せられている。
〇この考え方は、講義科目は当然国家試験に出題されるので、その理解の程度を計ることは国家試験で行えばいいのであり、その国家試験をクリアできなければ合格できないので、それで一種のスクリーニングが行われているという考え方である。
〇しかしながら、相談援助に関する技術は演習で身に着けなければ習得できないので、必修にすると言う考え方だった。当時の厚生労働省の高官はそのことを明言していた。
〇そうだとすると、社会福祉系大学などの養成校の通学生の講義科目についても同じことがいえるので、もっと選択の幅を増やして、負担を軽減し、その分演習や実習によって、座学で得られない実践力の取得に努めるべきではないか。
〇同じようなことは、社会福祉職員研修においてもいえることで、知識の量を増やす、新しい知見を身に着けることを目的とした講義を聞くという承り研修はe-ラーニングでも行うことができるので、対面での座学研修は少なくし、その分事例に基づき、その事例で起きた現象がどのような要因から出されてきたのかをアセスメントし、其の問題を解決する援助方針を立て、どのようなサービス、どのような支援を行うべきかのケアプランを作成するアクティブラーニングを質量ともに増やすことが必要ではないか。それを行わない限り、“知識はあるけれど、対応ができない”という状況はなくならないし、国家資格を有していても虐待事案を起こすことになる。
〇ただ、このような事例に基づきコンサルテーションを行える大学の教員がどれだけいるかが大きな問題である。
〇第3には、医学部の入試において面接が重要な位置と役割を担ってきていることが評価されている。
〇社会福祉系大学において、社会福祉従事者の個人的資質を問う受験生の面接を行って、ソーシャルワーカー、ケアワーカーとしての適性を弁えるという取り組みをしている大学がどれだけあるのだろうか。
〇日本社会事業大学でも、面接を実施して社会福祉従事者としての資質を見抜くという課題は大きな問題であった。かつては、受験生全員の面接が行われていたが、大学経営と受験生の増大という課題の前に面接は受験科目から姿を消した。今、思い起せば、対人に関わることは受験における面接が無くなっただけでなく、新入生のオリエンテーションキャンプ、3年次進学時のインテグレーションキャンプといい、対人関係を培う行事はカリキュラムから姿を消している。ソーシャルワーク関係の教員がその重要性を指摘し、順守することができず、教員の負担軽減という名の下で姿を消している。このような状況で、学生はソーシャルワーク機能に必要な実践力を高めることができるのであろうか。
〇職員の個人的資質の面で言えば、怒りやすい、すぐ切れるとか言った問題は、全体の問題でもあると同時に、すぐれて個人的資質の問題でもあるので、アンガーマネージメントの研修を受けるとか、コーチングを受ける機会を増やすとかして、職員本人の思ったこと、感じたこと、悩んだことを「外化」する機会や「内省」の機会を持つことも重要である。

ⅳ)社会福祉施設最低基準等の見直しと福祉機器を利活用した職員の負担軽減、利用者のQOLの向上
〇虐待の問題は、福祉サービス利用者に対するケアワーカーやソーシャルワーカーの配置基準が劣悪であるからとか、労働条件が悪いから起きるというという労働環境劣悪説を唱える人もいるが、事柄はそう単純なものではない。
〇しかしながら、十分な労働環境が保障されず、気持ちの余裕もなくなり、身体的にも疲労が蓄積されている時に、虐待が起きやすいことは想像するのに難くない。
〇虐待案件の調査でそのような視点での分析が今後必要になるのではないか。しかし、ここではそれについては触れない。
〇虐待の問題と職員の労働環境の悪さとの直接的相関性をいうことは簡単にはできないが、先に述べたように「ユニットケア」で「個別ケア」を徹底している社会福祉施設ではサービス利用者も家族も大変評価していること、並びにその「ユニットケア」で働いている職員の離職率が全介護事業所や全国社会福祉施設経営者協議会に加盟している事業所と比較して、離職率が特段に低い事を考えると、それは社会福祉施設最低基準に問題があるというより、先述したような施設の経営方針等に由来していると考えるのが妥当であろう。
〇とはいうものの、社会福祉施設最低基準が見直され、福祉サービス利用者の空間的生活環境の整備が整えられ、集団的、画一的ケアの提供ではなく、サービス利用者の生活リズムに合わせた支援が可能となるような社会福祉施設最低基準の見直しは確かに今後必要であろう。
〇現在、厚生労働省は高齢者分野での介護ロボット、見守りセンサー等のICTや福祉機器を活用しての「介護労働生産性向上センター」を設置する政策を進めていると同時に、「LIFE」といった介護現場のデータ化によるケアの科学化を進めている。
〇他方、障害者分野でもICTを活用した「障害者ICTサポートセンター」を設置して、障害者本人の生活の利便性を高めると同時に、社会福祉職員の負担軽減を図っている。
〇これら福祉機器の利活用は、職員の負担軽減のみならず、利用者のQOLの向上にも連動している重要な取り組みである。
〇しかし、それ以上に重要なのは、介護ロボットの利活用もさることながら、介護現場に介護リフトを導入することである。人力による抱え上げをするのではなく、介護リフトを利活用することによって、福祉サービス利用者の不安感は軽減するし、職員の腰痛予防にもなる。結果的に利用者と職員との会話の時間も増えるということも考えると、社会福祉施設最低基準の人員配置基準の見直しのみならず、従来の人力による介護をするという福祉文化を変えることが、今最も重要な取り組み課題である。

(注記)
本連載は、日本社会事業大学同窓会北海道支部の求めに応じて執筆したものである。連載は、「老爺心お節介情報」第51号、第52号、第59号、第61号、第66号が初出である。


 

大橋ブックレット
社会福祉従事者の社会福祉観と虐待問題

発 行:2025年5月8日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


 

大橋謙策/大橋謙策研究 第7巻:福祉でまちづくり

 


 

目  次

Ⅰ 大橋謙策監修『安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)‥‥‥2
―島根県瑞穂町  未来家族ネットワークの創造―』(抜粋)

Ⅱ 全社協・福祉教育研究委員会『福祉教育の理念と実践の構造
―福祉教育のあり方とその推進を考える―』(抜粋)‥‥‥47

Ⅲ 全社協・福祉教育研究委員会『学校外における福祉教育のあり方と
推進』(抜粋)‥‥‥69

Ⅳ 全社協・ボランティア基本問題研究委員会『ボランティアの基本理念と
ボランティアセンターの役割
―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―』‥‥‥112

Ⅴ 全社協・福祉教育活動事例評価検討会『地域に広がる福祉教育活動事例集
―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』(抜粋 )‥‥‥132

Ⅵ 大橋謙策「地域福祉実践の神髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの
開発・コミュニティソーシャルワーク―」‥‥‥142

 


Ⅰ   大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著

安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)
――島根県瑞穂町  未来家族ネットワークの創造―

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1 大橋謙策/『安らぎの田舎の道標』発刊に寄せて

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2 大橋謙策・澤田隆之・日高政恵/鼎談・瑞穂が目指す21世紀の福祉

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3 参考資料


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備考:瑞穂町は、島根県の中西部に位置し、広島県境に接した中国山地の町である。2004年10月、合併により邑南町(おおなんちょう)となった。
出典:大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町  未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月、6~11、175~255ページ。

 


Ⅱ   全社協・福祉教育研究委員会

福祉教育の理念と実践の構造(抜粋)
――福祉教育のあり方とその推進を考える―

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出典:全社協・福祉教育研究委員会『福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―』(福祉教育研究委員会中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月、1~22ページ。

 


Ⅲ  全社協・福祉教育研究委員会

学校外における福祉教育のあり方と推進(抜粋)

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Ⅰ 生涯教育と福祉教育

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第1章 家庭教育と福祉教育

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第2章 社会教育と福祉教育

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出典:全社協・福祉教育研究委員会『学校外における福祉教育のあり方と推進』(中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、1~44ページ。

 


Ⅳ   全社協・ボランティア基本問題研究委員会

ボランティアの基本理念と
ボランティアセンターの役割

―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―

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出典:全社協・ボランティア基本問題研究委員会『ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、1980年7月、1~20ページ。

 


Ⅴ   全社協・福祉教育活動事例評価検討会

地域に広がる福祉教育活動事例集(抜粋)
―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―

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出典:全社協・福祉教育活動事例評価検討会『福祉教育モデル事例集 地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、1996年3月、はしがき、目次、83~87ページ。

 


Ⅵ 大橋謙策

地域福祉実践の神髄
―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク―

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出典:『大橋謙策主要論文集(2013年~2018年)』大橋ゼミ45周年ホームカミングデー実行委員会、2018年10月、113~126ページ。

 


 

大橋謙策研究 第7巻
福祉でまちづくり―支え合う地域福祉実践―

発 行:2025年5月7日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


 

老爺心お節介情報/第69号(2025年4月29日)

「老爺心お節介情報」第69号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第69号を送ります。
是非、5月17日に行われる石川県社会福祉協議会主催の
シンポジュウムに参加してください。
金沢駅前の「金沢ホテル」で、午後1時、開催です。
詳しいことは石川県社会福祉協議会へお問い合わせください。

2025年4月29日   大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。
〇春の季節はいいですね。我が家の庭では、ピンクと赤の牡丹が咲き誇っていましたが、それも終わり、今は、こでまり、シャガ、紫蘭が咲いています。シャガ、紫蘭はあまり魅力的な花だとは思っていなかったのですが、切って家に飾って、間近でよく見ると可憐な、とても魅力的な花だったことに今更ながら驚かされています。
〇我が家の庭の“猫の額”ほどの畑に、さやえんどう、シシトウ、キュウリ、ナス、トマトの苗を各4本づつ作付けしました。毎日、その成長を見るのが楽しみです。
〇毎年4月は各地の研修もなくのんびりしているのですが、今年は書斎の断捨離を始めました。2つあった書庫は既に断捨離をし、大方の本は東北福祉大学大学院の「大橋文庫」に寄贈しました。書斎にあった本は、自分の執筆に欠かせない本と断捨離をするのが忍び難い本が残っていました。その書斎の書棚に会った本をいよいよ断捨離することにしました。
自分の研究者としての人生が終わり、断筆しろと言われているようでとても辛い作業でしたが、思い切ってしました。書棚はガラガラで、残りは自分が書いた本が残っているだけです。
〇「老爺心お節介情報」第69号は、来る5月17日に行われる、石川県社会福祉協議会主催の「能登半島地震、集中豪雨の被災者支援から社会福祉関係者は何を学ぶか」のシンポジュウムのコーディネーターとして、社会福祉協議会が運営する新たな「災害福祉支援ネットワーク」がこれから考えておかなければならない「検討課題」(未定稿)について掲載しました。
〇もう一つは、6月28日から開催される日本地域福祉学会・武庫川女子大学大会において、上野谷加代子先生とトークセッションをする機会が与えられました。「次世代を担う地域福祉研究者、実践家に何を学び、何を継承して欲しいか」について話をしようと思っています。
〇二つとも未定稿で、これから関係者の意見を聞きながら推敲しますが、皆さんの興味、関心を呼び起こし、これらの集い、大会に参加して欲しいと思い、未定稿ながら「老爺心お節介情報」第69号を発刊、配信します。
(2025年4月29日記)


老爺心お節介情報/第68号(2025年4月6日)

「老爺心お節介情報」第68号

〇皆さんお変わりありませんか。
〇我が家の庭は、朱海棠、ミツバツツジが満開です。春はいいですね。
〇皆さんは、新年度を迎えられ、新たな気持ちで仕事に向かわれていることと思います。人事異動があった方は、差し支えなければお教えください。
〇「老爺心お節介情報」第68号は、36年振りに訪ねた下伊那、飯田で学んだことです。
(2025年4月4日記)

Ⅰ 地域づくりの基本は「選択的土着民」の形成と「第3の分権化」

(1)人口減少、超高齢化社会、財政力が弱い町村の地域福祉を考える『南信州地域福祉・連携推進の集い』に参加して
〇3月25日に行われた長野県社会福祉協議会主催の『南信州地域福祉・連携推進の集い』に参加してきました。
〇南信州とは、静岡県とに隣接する売木村(人口497人、高齢化率46・6%、財政力指数0・11)、天龍村(1000人、高齢化率61・7%、財政力指数0・16)、阿南町(3825人、高齢化率39・0%、財政力指数0・18)、泰阜村(1385人、高齢化率43・3%、財政力指数0・15)、下条村(3288人、高齢化率37・0%、財政力指数0・23)の5ケ町村を指しています。
〇この5ケ町村は、人口の少ない小規模町村のみならず、超高齢化社会になっているうえに、町村の財政力指数がいずれも低く、自治体経営自体が厳しい状況に陥っています。
〇今回の取り組みは、昨年度から始まった木曽郡6町村の社会福祉協議会連携事業の第2弾として、南信州5町村でも連携を深めようと実施されました。
〇仕掛け人、コーディネーターはNPO法人はなぶさ学園理事長の木下英幸さんです。 はなぶさ学園は、NPO法人のフットワークの良さを発揮し、下伊那郡松川町の重層的支援体制整備事業の「参加支援」等を受託し、取り組んでくれています。
〇今回は、長野県社会福祉協議会が山梨県社会福祉協議会とジョイントして、「休眠預金事業」の助成事業にトライし、「人口減少・過疎化・超高齢化の小規模町村における地域福祉・連携推進のあり方」のテーマが採択され、その一環で今回の事業は取り組まれました。
〇参加者は50名弱でしたが、オンラインでの参加もあり、かつ遠くは塩尻市からも参加してくれ、嬉しい集いになりました。詳しい報告書は、後日長野県社会福祉協議会から出されると思います。
〇『南信州地域福祉・連携推進の集い』では、小規模町村であればあるほど、社会福祉の分野での「縦割り福祉」を無くし、地域共生社会政策が求めているような全世代対応型の福祉サービスの提供、農福連携、工福連携も含めた「福祉は地域づくり」という考え方が必要で、そのためには施設経営の社会福祉法人、社会福祉協議会が一体的に、オール福祉という視点で取り組む必要があること、個々の町村だけでなく、圏域を拡大して連携社会福祉法人の考え方を導入することの必要性を述べました。それらの拠点に施設経営の社会福祉法人が地域貢献事業を発展させて取り組みを進めること、行政と社会福祉協議会が協働して重層的支援体制整備事業を推進する必要性があることを述べました。
〇その上で、島根県海士町(人口2200人、高齢化率39・9%)の社会福祉協議会が中心になって、施設経営の二つの社会福祉法人と町社会福祉協議会が合併した実践(「月刊福祉」2025年4月号の片桐一彦論文参照)や『過疎地域の福祉革命』(安田由加里著、幻冬舎)を紹介しました。
〇私にとって、今回の飯田市訪問は、36年ぐらい前に、飯田市の社会福祉大会に招聘された際に訪れて以来ということで、本当に久しぶりの訪問でした。

(2)“私の地域福祉実践・研究の心のふるさと”阿智村の住民主体の地域づくり
〇私にとって飯田・下伊那地域は“私の地域福祉実践・研究の心のふるさと”なのです。
〇私は、社会教育法第3条の“実際生活に即する文化的教養”を高める社会教育の実践こそが大切で、それには地域住民の問題発見・問題解決型共同学習の実践による地域づくり、社会教育の振興が大切だと教わり、そこに地域福祉と社会教育との学際研究の糸口を見出しました。
〇私が、市町村の地域福祉計画策定における住民座談会の開催を大事にし、そこで明らかになった住民のニーズを基に、新しい福祉サービスの開発、福祉サービス供給システムの構築の必要性を指摘してきたことは下伊那から学んだものです。更に、私が地域福祉の4つの主体形成の必要性を指摘していることも下伊那から学んだことです。
〇1966年2月に、私(当時日本社会事業大学の学部3年生)は、恩師の小川利夫先生が阿智村で講演される機会に帯同し、阿智村の公民館主事であった岡庭一雄さんの家に寄宿させて頂いて、社会教育実習、社会福祉実習をさせて頂きました。寒い地域なので、私はアノラック姿で役場に出勤したら、教育長に怒られ、急遽、岡庭一雄さんの背広を借りて、実習をすることになりました。
〇実習中に参加した下伊那郡阿智村での住民集会は、岡庭公民館主事、園原保健師、生活改良普及員(名前を忘れました)と私のように福祉を学び、社会教育との学際研究・実践を志す学生の4人で地域に入りました。その時の経験が“私の地域福祉実践・研究の心のふるさと”なのです。その時の住民の生活の厳しさ、日常生活とその意識を変えることの難しさ、住民の生活の厳しい状況の社会構造、在宅の障害者の生活実態などについて私はいろいろ考える機会を与えて頂きました。
〇ちなみに、その時の実習は、阿智村に続いて喬木村、松川町の実習と続きます。喬木村では、当時進められていた長野県の小渋川開発に関する住民の学習に供するため、「公民館報喬木」に土地収用法の解説を分かりやすく書けといわれ、法学を専門に学んだものでないにも関わらず執筆したことを覚えています。
〇また、松川町では、全国的に有名になり、その後、全国の保健師が松川町詣でをする“聖地”になった「松川町健康学習の集い」の第1回に参加した思い出があります。それは“風が吹けば桶屋が儲かる”との例えとよく似ていて、松川町で①子ども虫歯が多い、②親が袋菓子をまるごと与えている、③なぜ親が袋菓子をまるごと与えているかというと、親は果樹栽培に忙しく、子どもの世話が十分できないといった生活実態を明らかにし、住民がどうしたらいいのかを考える集いでした。その頃、“農家の嫁を9時に寝かせる”運動にも取り組んでいました。
〇この後、私は長野県茅野市、中野市、須坂市、山ノ内町等、当時東京大学教育学部を卒業し、長野県の市町に就職し、社会教育活動に邁進している先輩たちを訪ね歩きました。山ノ内町では、柄沢社会教育主事が運転するバイクの後ろに乗り、寒風吹きすさぶ夜、リンゴ畑の中を走り、青年たちの学習会に参加したりしました。その時は、小学校の部屋で寄宿させて頂き、とても寒い夜を過ごしたことも楽しい思い出に残っています。
〇このような実習を可能にさせてくれたのは、長野県社会教育主事たちのネットワークがあったからであり、中でも東京大学教育学部の宮原誠一研究室の先輩達のお陰です。この場を借りて、改めて60年前の恩義に厚く感謝とお礼を申し上げます。
〇と同時に、恩師の小川利夫先生のお陰でもあります。小川利夫先生は,箴言として「人の幸せ、それは人と人とのふれあいの豊かさと深さにある」(1993年2月20日)と述べているように、人と人とのつながりを大切にし、手帳にはがきを挟んでおいて、旅先からでもせっせと手紙を書いて出している先生でした。実践者を組織化し、研究者を組織化することを常に心がけている先生で、私が提唱してきた「実践家と研究者のバッテリー型研究方法」は小川利夫先生に大きな影響を受けています。
〇小川利夫先生は、阿智村でも名古屋大学社会教育研究室を中軸にした「生涯学習セミナー」を開催しています。
〇小川利夫先生は、自分の名刺に“大橋謙策君をよろしく頼む”と一筆書きし、印鑑を押してくれて、これをもってどこそこの誰々を訪ねろと何枚も名刺を持たせてくれました。いわば、“通行手形”のようなもので、それがあったために、見ず知らずの私を多くの先輩たちが受け入れてくれた訳です。そんな小川利夫先生を研究者として見習おうと努めてきましたが、いまだ足元にも及ばない状況です。
〇今回の訪問では、喬木村の実習で寄宿させて頂いた喬木村阿島の曹洞宗の淵静寺に寄り、お世話になった小原玄祐さん(喬木村の社会教育主事でもあった)、小原道子さん夫妻の墓参をさせて頂きました。
〇阿智村では、岡庭一雄さんの家にお邪魔し、お世話になったお母さまの仏壇にお線香をあげさせて頂き、昔のご恩に感謝とお礼を捧げさせて頂きました。
〇その後、岡村一雄さんの車で村内を案内して頂きながら、阿智村の地域づくりについていろいろお話を伺いました。
〇岡庭一雄さんは、私の一年先輩で、1942年生まれです。私と境遇がよく似ており、1944年に御父上が出征し、戦死されています。私は1943年10月生まれで、父は1944年の5月に出征し、シベリア抑留中に病死しました。そんなこともあり、私は岡庭一雄さんにとても親しみを感じていました。
〇私が阿智村で実習させて頂いた時、岡庭さんは公民館主事で、その後阿智村の社会教育係長、商工観光課長、建設課長、環境水道課長を経て1997年12月に退職し、翌年の1998年2月に行われた村長選挙に青年層から担ぎ出されて当選。村長を4期務められました。
〇岡庭村政の理念を私なりに一言でいうならば「住民主体の地域づくりを行政が支える」というもので、行政と住民の協働という考え方よりも、一歩先を行った住民自治の村政といってよいと思います。
〇それは、1967年から続けられている「阿智村社会教育研究集会」の伝統が基盤となっています。「阿智村社会教育研究集会」は、「地域の子育て」、「健康づくり」、「福祉」、「地域と産業」、「自然・歴史・文化」等の分科会が開設され、住民自身の手で内容の企画、当日の進行・記録まで行われる住民主体の集会です。これらの阿智村の社会教育振興には、私の恩師である小川利夫先生が深く関わっています。
〇この方式は、「社会教育研究全国集会」の阿智村版で、私などもそれに学び1970年代に東京都稲城市で同じようなセミナーを開催してきました。28回続けてきた日本地域福祉研究所の全国地域福祉実践研究セミナーや26回になった四国地域福祉実践研究セミナーもこの手作りの、住民主体で運営される「社会教育研究全国集会」に学んだものです。
〇「阿智村社会教育研究集会」で、住民たちが地域の問題を出し合い、論議し、その改善、改革を図る力を身に着ける活動を継続していけているということが、阿智村村政の底流にあるということをしっかりと見据えなければならないとつくづく思いました。
〇私が4つの地域福祉の主体形成(①地域福祉実践の主体形成、②地域福祉サービス利用の主体形成、③地域福祉計画策定の主体形成、④社会保険契約の主体形成)の重要性を1970年代末に指摘し、そのための福祉教育の必要性をのべたのも、同じ考え方です。
〇これらの社会教育の振興に尽力した公民館主事、社会教育主事の集団が当時下伊那地域にあり、喬木村の島田修一社会教育主事(後に東京大学教育学部助手、中央大学教授)や松川町の松下拡社会教育主事等下伊那・飯田地区の社会教育関係職員が、自分たちのあるべき姿を求めて、「下伊那テーゼ」と呼ばれる社会教育主事、公民館主事の行動規範を作成します。岡庭一雄さんはそれらの集団の仲間と切磋琢磨し、住民自治と社会教育の重要性に目覚めていったのだと思います。
〇阿智村では、従来の自然発生的町内会(集落)ではなく、住民主体で地域づくりを担ってもらうことを目的に、平成10年から新たな自治会を組織することを住民に要請してきました。自治会には、自治会ごとに5か年間の地区計画(地域づくり計画)を作ってもらい、各地区の特色を活かした住民主体の地域づくりを推進しています。行政は、「自治会活動支援金」制度を作り、自治会活動の活性化を支援しています。
〇私は1990年代初頭に、東京都社会福祉審議会で「第3の分権化」の必要性を提起し、答申に盛り込まれています。「第3の分権化」とは、国から都道府県(第1の分権化)、都道府県から市町村(第2の分権化)、市町村から地域住民組織への分権化(第3の分権化)であり、社会福祉分野における住民主体の地域づくりの必要性と重要性を指摘しました。
〇この「第3の分権化」構想は、市町村に公民館を設置する際に、中央公民館構想で行くのか、自律した、各々の地区が独立した地区公民館構想で行くのかという論議を1970年代初頭に、私自身が住んでいる東京都稲城市の社会教育委員として論議した時からの課題、構想でした。
〇また、1970年代から、私は幾度となくデンマーク、スウェーデンに調査研究に行き、対人福祉サービスを住民のニーズに対応して、きめ細かく提供するために、市町村の中を分権化して、地区毎に権限を与えてサービスを提供しているシステムを見聞し、日本の在宅福祉サービスを展開する上ではこの「第3の分権化」が必要であると温めていた構想でした。そこでは、デンマークの生活支援法やスウェーデンの社会サービス法が大変参考になりました。
〇ところで、 阿智村の住民主体の地域づくりを最も具現化している方式が、平成13年度(2001年度)から進められている「阿智村むらづくり委員会事業」だと思います。
〇「村づくり委員会事業」は、阿智村の協働活動推進課の予算事業で、5人以上の村民が集まって行う自主的な村づくりの活動です。補助金は原則10万円以内ですが、研修に必要な講師の旅費、講師の謝金、参考図書代、印刷製本費などに支出可能で、補助決定の決裁権は村長ではなく、協働活動推進課の課長決済で行われています。岡庭さん曰く、村長決済だと、どうしても政治がらみになりかねないので、課長決済にしたということです。
〇この「村づくり委員会事業」は、今まで18団体が助成を受け、活動を展開してきているという。代表的な事例としては、平成13年(2001年)に養護学校(当時)の在学生の親たちが中心となって「通所施設を考える会」を発足させ、それがのちに「村づくり委員会事業」に採択され、検討を重ね、2005年社会福祉法人「夢のつばさ」が開設されます。現在では、グループホーム、地域活動支援センター、多機能型事業所、移動支援事業等の7つの拠点事業所でサービスを提供しています。阿智村の障害者の概況は身体障害者手帳所持者約500人、療育手帳所持者約50名、精神保健福祉手帳所持者約20名となっており、社会福祉法人「夢のつばさ」が多機能型事業所を経営していることもあり、阿智村での大きな拠り所になっています。
〇また、「村づくり委員会事業」の一つとして、「図書館づくり委員会」があります。この委員会は、以前から住民が読み聞かせ活動をしていたこともあり、「村づくり委員会事業」として最初に認定された委員会です。結果的に、中央公民館を改修し、その中に図書館を建設することになりました。「村づくり委員会事業」のメンバーであった住民が図書館司書の資格を取得し、現在図書館に勤めているといいます。
〇このように、阿智村の「村づくり委員会事業」は、静岡県掛川市の榛村純一市長が1970年代に提唱した「選択的土着民」の形成を行っており、住民主体の村づくりに大きく貢献をしてきたと言える。
〇阿智村の村づくりに大きく関わった小川利夫先生は、常に「福祉は教育の母体であり、教育は福祉の結晶である。社会教育は教育と福祉、福祉と教育を結ぶものである」、(1993年2月19日)と言い続けてきましたが、その考え方が実証された阿智村の実践と言えます(岡庭一雄、細山俊男、辻浩編『自治が育つ学びと協働 南信州・阿智村』自治体研究社、2018年2月参照)。

Ⅱ 閑話

〇去る3月29日~30日に、子どもたちが企画して、私たち夫妻の「金婚式」と「傘寿の祝い」を湯河原温泉の創業80年の宿でしてくれました。紫色の被りものとちゃんちゃんこを着せられ、写真を撮りました。
〇新型コロナで延び延びになっていた「金婚式」と孫たちの受験等もあって「傘寿の祝い」も延期されていました。「還暦の祝い」も湯河原温泉、「古希の祝い」も湯河原温泉で、宿は各々違いましたが、何か奇しくも同じ湯河原温泉で行われました。
〇部屋から眺める、苔むした庭には樹齢100年の梅の古木があり、梅の花は終わっていましたが、温泉の湯舟からの桜と利休梅の花が丁度見頃でした。温泉と美味しい料理に舌鼓を打ち、満たされた旅行を楽しみました。
〇帰路、熱海のMOA美術館に寄り、歌川広重の浮世絵を心置きなく見ることができました。まさに至福の時でした。
(2025年4月4日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」(『大橋謙策研究』)があります。ご参照ください。
第1巻「四国お遍路紀行・熊野古道紀行―歩き来て自然と生きる意味を知るー」
第2巻「老爺心お節介情報―お変わりなくお過ごしでしょうかー」
第3巻「地域福祉と福祉教育―鼎談と講演―」
第4巻「異端から正統へ・50年の闘いー「バッテリー型研究」方法の体系化―」
第5巻「研修・講演録―地域福祉の過去から未来へ―」
第6巻「経歴と研究業績―地域福祉実践・研究の系譜―」

老爺心お節介情報/臨時特別号(2025年4月26日)

「老爺心お節介情報」臨時特別号

日本地域福祉研究所の皆様
「老爺心お節介情報」読者の皆様

日本地域福祉研究所が日韓交流を深めようと韓国での第1回セミナーを開催したのが1996年です。それ以降、6 回に亘り、韓国各地でセミナーをやってきました。

今年は、日韓国交回復60周年、「村山談話」が発出されて30周年です。

これを記念し、かつ拙著『地域福祉とは何か』の韓国版翻訳が、金玄勲さん(ソウル市社会福祉協議会会長)及び崔太子さんの努力で完成しましたので、その出版記念会も兼ねて、下記の通り、日韓地域福祉関係者交流をしようとの企画が進んでいます。

私も今回が最後の訪韓になるかもしれないので、韓国の関係者との旧交を温めるのを楽しみにしています。

お忙しい皆様ですので、とりあえず日程だけでもお知らせしておいた方がいいかと思い連絡致します。

私は、820日にソウル入りし、23日帰国の予定で計画を立てたいと思っています。

一、 日韓地域福祉関係者交流の集い

二、2025年8月21日(木)

三、場所、ソウル

大橋謙策/大橋謙策研究 別巻:地域包括ケア・介護・CSWの潮流と展望

 


 

目   次

地域福祉からみる社会福祉法人の可能性‥‥‥2
―コミュニティソーシャルワークの可能性を考える―

ICFの視点に基づくケアマネジメントと福祉用具の活用‥‥‥18

社会福祉学研究シラバス‥‥‥24
―社会福祉学の性格及び構造と社会福祉教育・研究の課題―

社会サービスと社会福祉との関連について‥‥‥29

デンマークのケアマネージメント・システムと
サービス利用者の自己決定の原則‥‥‥45

イギリスの民間社会福祉活動(研究ノート)‥‥‥72

学校教育と地域福祉―福祉の視点から学校を問う―‥‥‥83

ソーシャルワークの挑戦と対応‥‥‥93
―アジア太平洋地域における新しいパラダイムの開発―

コミュニティケアとソーシャルワーカーの専門性‥‥‥102

市町村における地域福祉の展開と子育て支援のあり方‥‥‥120
―保育所の今後の課題―

ソーシャルワーク:発展のための触媒‥‥‥127

地域トータルケアと国際的ヒューマンセキュリティー‥‥‥132
―ソーシャルワーク教育を中心にして―

地域で社会福祉をどう育てるか‥‥‥137

博愛の精神に基づく寄付の文化の醸成‥‥‥149
―共同募金60周年と今後の展望―

憲法25条と博愛―社会福祉とは何かを悩んで30年―‥‥‥155

地方分権化におけるまちづくりと社会教育委員の役割‥‥‥156

地域福祉の主体形成と社会教育‥‥‥162

地域福祉の展開と社会教育‥‥‥169

ICFの視点を踏まえたケアマネジメントと福祉用具の普及‥‥‥177

戦後社会福祉学界を牽引した巨頭逝く‥‥‥183
―仲村優一先生、三浦文夫先生の逝去を悼む―

21世紀型トータルケアシステムの創造と地域福祉‥‥‥185

1


地域福祉からみる社会福祉法人の可能性

―コミュニティソーシャルワークの可能性を考える―


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出典:『平成25年度 かながわライフサポート事業報告書』神奈川県社会福祉協議会、2014年10月、31~46ページ。

 


ICFの視点に基づく
ケアマネジメントと福祉用具の活用


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出典:『日本生活支援工学会誌』第13巻第2号、日本生活支援工学会、2013年12月、3~8ページ。

 


社会福祉学研究シラバス

―社会福祉学の性格及び構造と社会福祉教育・研究の課題―


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出典:東北福祉大学大学院総合福祉学研究科シラバス(2014年版)。

 


社会サービスと社会福との関連について


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出典:『25年のあゆみ―日本社会事業大学大橋ゼミ―』日本社会事業大学大橋ゼミホームカミングデー実行委員会、1999年11月、25~32ページ。

 


デンマークのケアマーネジメン・システムと
サービス利用者の自己決定の原則


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出典:『25年のあゆみ―日本社会事業大学大橋ゼミ―』日本社会事業大学大橋ゼミホームカミングデー実行委員会、1999年11月、36~49ページ。

 


イギリスの民間社会福祉活動(研究ノート)


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出典:『25年のあゆみ―日本社会事業大学大橋ゼミ―』日本社会事業大学大橋ゼミホームカミングデー実行委員会、1999年11月、50~55ページ。

 


学校教育と地域福祉

―福祉の視点から学校を問う―



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92


出典:『地域福祉研究』No.20、日本生命済生会福祉事業部、1992年5月、33~42ページ。

 


ソーシャルワークの挑戦と対応

―アジア太平洋地域における新しいパラダイムの開発―


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出典:『35年のあゆみ―日本社会事業大学大橋ゼミ―』日本社会事業大学大橋ゼミホームカミングデー実行委員会、2008年10月、56~64ページ。

 


コミュニティケアとソーシャルワーカーの専門性


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出典:『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、11~28ページ。

 


市町村における地域福祉の展開と子育て支援のあり方

―保育所の今後の課題―


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124


125


126


出典:『保育年報(2006)』全国社会福祉協議会、2006年7月、9~15ページ。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、31~37ページ。

 


ソーシャルワーク:発展のための触媒


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131


出典:『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、53~57ページ。

 


地域トータルケアと国際的ヒューマンセキュリティー

―ソーシャルワーク教育を中心にして―


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135


136


出典:『学術の動向』第12巻第10号、財団法人日本学術協力財団、2007年10月、66~70ページ。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、61~65ページ。

 


地域で社会福祉をどう育てるか


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146


147


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出典:『日本ソーシャルワーカー協会会報』第50号(通巻第100号)、特定非営利活動法人日本ソーシャルワーカー協会、2007年8月。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、67~78ページ。

 


博愛の精神に基づく寄付の文化の醸成

―共同募金60周年と今後の展望―


149


150


151


152


153


154


出典:『月刊福祉』第89巻第12号、全国社会福祉協議会、2006年11月、12~17ページ。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、85~90ページ。

 


憲法25条と博愛

―社会福祉とは何かを悩んで30年―


 

155


出典:『黎明会だより』第95号、黎明会、2006年10月。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、94ページ。

 


地方分権化におけるまちづくりと
社会教育委員の役割


156


157


158


159


160


161


出典:『社会教育』通巻第719号、財団法人全日本社会教育連合会、2006年5月、8~13ページ。
『社会福祉の新たな地平と日本社会事業大学 資料集第2巻』日本社会事業大学学生課、発行年不明、101~106ページ。

 


地域福祉の主体形成と社会教育


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166


167


168


出典:『月刊福祉』第60巻第10号、全国社会福祉協議会、1977年10月、106~112ページ。

 


地域福祉の展開と社会教育


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172


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175


176


出典:『月刊社会教育』第35巻第10号、旬報社、1991年10月、6~13ページ。

 


ICFの視点を踏まえた
ケアマネジメントと福祉用具の普及


177



178


179


180


181


182


出典:『福祉介護』第5巻第6号、日本工業出版、2012年6月、1~6ページ。

 


戦後社会福祉学界を牽引した巨頭逝く

―仲村優一先生、三浦文夫先生の逝去を悼む―


183


184


出典:『月刊福祉』第99巻第3号、全国社会福祉協議会、2016年2月、98~99ページ。

 


21世紀型トータルケアシステムの創造と地域福祉


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出典:日本地域福祉研究所監修、大橋謙策ほか編『21世紀型トータルケアシステムの創造―遠野ハートフルプランの展開―』万葉舎、2002年9月、1~56ページ。

 


 

大橋謙策研究 別巻
地域包括ケア・介護・CSWの潮流と展望―理論と実践―

発 行:2025年4月25日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


老爺心お節介情報/第67号(2025年3月17日)

「老爺心お節介情報」第67号

域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第67号を送ります。
能登半島地震支援特集です。
皆さまご自愛ください。

2025年3月17日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。我が家の庭では、梅が咲き終わり、今は山茱萸、沈丁花、ミツバツツジ,水仙、春蘭が咲き、花盛りの春になりました。散歩に良く行く、近くの公園では、ハクモクレン、桜も満開です。
〇3月11日から14日まで、能登半島地震の被災者支援の状況を調べるため、前回行けなかった輪島市、能登町、志賀町を主に廻ってきました。それは後述しますが、まずは 旧聞になりますが、話題提供二題。
(2025年3月16日記)

Ⅰ 金沢市社会福祉協議会創設70周年記念行事に参加――善隣館を訪問

〇私は2月2日に行われた「金沢市社会福祉協議会創設70周年記念祝賀会」に招聘され、記念講演をしてきました。
〇その折に、昭和9年に当時の方面委員により第1号が設立された「善隣館」を見学したいと思い、訪問させて頂きました。
〇「善隣館」は金沢市の方面委員が大阪での実践を視察調査し、昭和9年に方面委員であった安藤謙治、荒崎良道、浦上太吉郎らが中心になって作られた地域福祉活動の拠点であり、保育所、授産事業等を展開した。「善隣館」は、多い時で19か所が設立され、現在は11館が活動を展開している。
〇金沢市の「善隣館」は戦後公民館がつくられてくる中で、社会教育活動は衰退し、社会福祉事業に特化されていく。宮崎県都城市の自治公民館は、住民が財源も含めて負担し、文字通りコミュニティセンター機能を有している住民が運営する公民館であるが、「善隣館」は、篤志家である方面委員が設立し、地域のコミュニティセンターとして活動を展開してきた。戦後は維持が困難となり、社会福祉法人されて、社会福祉事業を展開していくことになる(この「善隣館」については、全国社会福祉協議会出版部から『小地域福祉活動の歴史・金沢善隣館の過去・現在・未来』(阿部志郎他著、1993年)が出版されている)。
〇私は以前にも別の善隣館を訪問させて頂いたが、今回は社会福祉法人小立野善隣館子ども園を訪問させて頂いた。
〇小立野善隣館は、加賀藩の菩提寺並びに将軍徳川家の位牌寺として栄えた由緒ある浄土宗・如来寺の住職・吉田善堂氏が、方面委員に就任している際の昭和15年10月に設立したものである。小立野善隣館は隣保館、診療所、保育園を経営してきました。
〇第3代目理事長の吉田昭生長老と話をしていて、“世間はとても狭い”ものであり、“縁によって結ばれているものである”とつくづく思わさせられた。
〇というのも、吉田昭生長老の弟さんが、氷見市の小境にある浄土宗のお寺・大栄寺の住職・故吉田昭寿さんだということが分ったからである。
〇吉田昭寿さんは、氷見市民生・児童委員協議会の会長の他、富山県民生・児童委員協議会の会長、全国民生・児童委員協議会副会長、氷見市社会福祉協議会の副会長を歴任され、浄土宗の教務部長もされた富山県における重鎮でした。私は、氷見市の社会福祉行政、氷見市社会福祉協議会のアドバイザーを長く勤めていた縁もあり、大変お世話になった方でした。
〇その方が、如来寺の吉田長老の弟さんと分かり、本当に驚きました。世間とは本当に狭いものだと襟を正しました。
〇小立野隣保館は、現在社会福祉法人の資格を得て、高齢者のデイサービスと放課後デイサービスを実施して経営を成り立たせている。戦後、各地の隣保館が経営的に維持するのが厳しくなり、保育所等を経営して対応してきているが、地域のコミュニティセンター機能はそれなりに意識されて取り組まれている。
〇吉田昭生長老の妹の啓子さんが園長している小立野善隣館子ども園の保育方針と保育環境には大変感動した。
〇吉田啓子園長が北欧を視察して、その考え方を導入したものだということであるが、1つには遊具が大変工夫されていた。その代表がハンモックである。また、2つには高価だっただろうと推察されるが、家具が木目の美しい木材で作られており、部屋全体が木材の優しさに包まれている。3つ目には、調理場がガラス張りで、園児たちが調理している様子を見ることができる。自分たちの食べ物がどのようにして作られているかということを知ることはとても大切である、4つ目には、野外の遊具が冒険的で、子どもたちをわくわくさせるような遊具が備えられている。5つ目には一斉保育でなく、異年齢集団での保育も考えられており、とても感心した、
〇私自身、幼稚園の副園長を、非常勤ではあったが、5年間勤めて、それなりの保育観を持っているが、まったく同感できる保育所であった。
〇後日談になるが、後述する3月11日から前回訪問できなかった能登半島地震の被災地輪島市、能登町、七尾市、志賀町を訪問したが、その折の3月13日に、吉田昭寿さんの娘さんが嫁いでいる、能登町にある数馬酒造(日本酒「竹葉」を出している。とても美味しいお酒です)を訪ね、娘さんの数馬浩子さんにお会いしてきた。とても素敵な令夫人です。)

Ⅱ 「いしかわソーシャルワーカー連絡会」で災害ソーシャルワークを考える

〇2025年2月1日に石川県社会福祉協議会と「いしかわソーシャルワーカー連絡会」の共催で、令和6年度地域共生セミナー『災害ソーシャルワークから地域共生社会を描く』が開催され、私も講演しました。
〇「いしかわソーシャルワーカー連絡会」は、石川県介護福祉士会、石川県介護支援専門員協会、石川県相談支援専門員協会、石川県精神保健福祉士会、石川県医療ソーシャルワーカー協会、石川県社会福祉士会の6団体で構成されている組織です。都道府県単位で、社会福祉関係専門職が横につながり、活動することは素晴らしいことです。
〇筆者は、日本学術会議の幹事をしている時に、日本のソーシャルワーク系の専門職団体とケアワーク系の専門職団体とが連携して全国協議会を持つべきだと考え提唱しました。その会議には、社会福祉学の研究をしている学会とソーシャルワーク教育、ケアワーク教育をしている日本社会事業学校連盟(当時)や日本介護福祉士養成校協議会も加わって、社会福祉専門職の養成、任用、研修をトータルで論議をしていくことが社会福祉専門職の地位を高めると同時に国民のQOLを高めることになると考えました。
〇結果的に関連する17団体が加盟してくれ、「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」が設立されました。
〇この組織は2000年5月に発足し、初代代表には仲村優一先生に就いて頂きました(第2代代表は大橋謙策、第3代代表は白澤政和)。
〇なぜ、このような組織を立ち上げたかというと、1990年に在宅福祉サービスが法定化され、1990年代に在宅福祉サービスの整備が進むと同時に、その利用者も増大していました。2000年に実施される介護保険制度では、施設福祉サービスと在宅福祉サービスとは2本立ての制度設計になりました。
〇施設福祉サービス利用者は、サービスが“まるめ”で提供されるので、利用者の個別のサービスについて「求めと必要と合意」に基づいてケアマネジメントが行われることはさほど重視されません。
〇ところが、在宅福祉サービスでは、どのサービスが必要なのか、利用者はどういうサービスを希望しているのかという「求めと必要と合意」に基づくケアマネジメントがとても重要になります。
〇また、施設福祉サービスでは、利用者は買い物をほとんどしないで済みますし、ゴミ出しを考えずに生活しています。夜間等の緊急時でも宿直職員が対応してくれます。
〇ところが、在宅福祉サービスではそれらの生活機能を誰が担ってくれるのか、それらのサービスはケアワーカーによる三大介護だけでは問題解決できません。そこでは、在宅福祉サービスを必要としている人の生き方、生きる希望、近隣関係、家族関係等を含めた生活支援のソーシャルワーク機能が必要になります。
〇1987年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が成立した際には、福祉サービスはほぼ施設福祉サービスだけであり、そこではケアワーカーの養成・供給の問題は喫緊の課題でした。しかしながら、ソーシャルワーク機能の必要性についての認識は厚生省(当時)をはじめ、左程高くありませんでした。一部、社会福祉系大学の教員、研究者が声高にその必要性を述べていたに過ぎませんでした。
〇先に述べたように、1990年代の在宅福祉サービスの整備が増大してくるなかで、認知症高齢者、精神障害者、発達障害者などの生活のしづらさを抱えている人々がそれらの在宅福祉サービスを利用して在宅生活を送ることを希望し、利用が増大してくると核家族化の進展もともなって、ますますケアワークとソーシャルワークとの有機的提供が求められるようになってきました。
〇先の「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」を設立するに際して、その組織の名称をどうするかを主に仲村優一先生、田端光美先生と論議をし、一つは“ヒューマンケア”、もう一つは“ソーシャルケア”が候補に挙がりました。“ヒューマンケア”という名称は主にアメリカで使われており、“ソーシャルケア”は主にイギリスで使われていました。
〇結果的には、イギリスで1998年に設立されたソーシャルケア総合協議会(GSCC)が決め手になり、先の「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」の設立になりました。

(註)「ソーシャルケア」:イギリスでは、1970年に制定された「地方自治体社会サービス法」を担うべきソーシャルワーカーを養成するに当たって、従来の属性分野ごとのソーシャルワーク教育ではなく、ジェネリックアプローチができるソーシャルワーク養成・研修機関が必要だとして中央ソーシャルワーク教育研修協議会(CCETSW)を設立する。その後、「ケア基準法」(2000年)の制定との関わりで、中央ソーシャルワーク教育研修協議会(CCETSW)は1998年に廃止され、ケアワークの質の向上を目指すとともに、それを包含する形で、ソーシャルケア総合協議会(GSCC)を設置する。「ケア基準法は」は、ソーシャルケアの質を改善する根拠法である。ソーシャルケア総合協議会(GSCC)は、①専門ソーシャルワーカーの養成基準の責任、②ソーシャルケアサービス利用者の保護レベルの向上などを担う(『イギリス地域福祉の形成と展開』田端光美著、有斐閣、2003年参照)。日本では、アメリカ型の個人に焦点化させたヒューマンケアではなく、社会生活を支援することに焦点化させたイギリス型の動向を踏まえ、イギリスのGSCCと同じような理念を掲げて、2000年にソーシャルワークの専門職団体、ソーシャルワーク教育の団体、ケアワークの専門職団体、ケアワーク教育の養成団体が一堂に会して「ソーシャルケアサービス従事者研究協議会」が設立された(初代代表仲村優一、2代目代表大橋謙策、3代目代表白澤正和)。
(参考文献)
1,『イギリス地域福祉の形成と展開』田端光美著、有斐閣、2003年
2,「英国ソーシャルケアの市場化とその課題」正野良幸著、「京都女子大学生活福祉学科紀要 第11号」、2015年2月
3,「イギリスにおけるソーシャルワーカーの継続的能力・職能開発に関する一考察」白旗希実子著、東北公益文科大学、「産業教育学研究」第46巻第2号、2016年7月
4,「イギリスの社会的ケアに係る自治体評価と事業者評価の動向――ケアの質の合意及びアウンタビリティのメカニズムの視点からーー」長澤紀美子緒、「高知県立大学紀要 社会福祉学部編 第69号」、2019年12月
5、「英国の民間健康保険と高齢者ケアサービスーNHSとSocial Careが包含されている英国のヘルスケアシステムの特徴――」小林篤著、「損保ジャパン日本興亜総研レポートVol、74」、2021年3月

〇「いしかわソーシャルワーカー連絡会」のように、都道府県単位で“ソーシャルケア”の団体を組織してくれているのは、2003年に設立された「栃木県ソーシャルケア協議会」があり、先ごろ20周年行事が行われ、その際に作成された報告書が市販されている。
〇筆者は、その「いしかわソーシャルワーカー連絡会」で各団体の能登半島地震災害支援の報告を聞いた後、講演させて頂いたが、その冒頭で以下の3点を前提にして話をさせて頂いた。
① ・社会福祉制度の枠の中で、制度化されたサービスを利用して支援するのは、ソーシャルワークなのであろうか
・社会福祉士の資格を有している人が、生活のしづらさを抱えている人を支援するのはソーシャルワークなのだろうか、また、その人をソーシャルワーカーというのだろうか
② ・在宅福祉サービスを基盤とした地域福祉実践にはソーシャルワークとケアワークを有機的に提供するソーシャルケアという考え方が重要―2000年ソーシャルケアサービス従事者研究協議会、2003年栃木県ソーシャルケア協議会発足
③ ・社会福祉関係者、とりわけ社会福祉協議会関係者はボランティア活動というと、社会福祉協議会の“専売特許”と考えてこなかったであろうか。あの東京都のボランティア活動センターも、「ボランティア・市民活動センター」と衣替えし、保健福祉局からの補助金ではなく、生活文化局からの補助金で運営されているー能登半島地震・能登集中豪雨の支援における技能ボランティアの位置と活躍をどう見るか

〇ここで、考えて欲しいと思ったのは、社会福祉関係者が災害支援の活動について、それが“素朴に”ソーシャルワークだと考えていることである。社会福祉士等の資格を有している人が活動を行えば、それはソーシャルワークなのだと思っていることへの警鐘である。
〇筆者は、1970年代から、ケースワーク等を研究している社会福祉方法論研究の大学教員が、社会福祉職員として活動している人を気軽に“ソーシャルワーカー”と呼んでいることに相当の抵抗感を覚えた。その人が行っている活動、行動を見ているととても私の考え方ではソーシャルワーカーとは呼べないし、呼びたくないと思ってきた。
〇そんな経緯もあり、筆者は1980年代末から“ソーシャルワーク機能を最も具現化している人がソーシャルワーカーである“という言い方を使ってきた。保健師もソーシャルワーク機能を業務でしているし、弁護士もそうだし、教師もソーシャルワーク機能を展開している。
〇そのような中で、最もソーシャルワーク機能を具現化し、その活動においてソーシャルワーク機能を意識している人をソーシャルワーカーと呼びたいし、其の機能、活動している人が社会福祉士であって欲しいと願い、その実現に努力してきたつもりである。
〇だとすれば、能登半島地震の被災者支援において、「いしかわソーシャルワーカー連絡会」の構成団体の人々はソーシャルケア、ソーシャルワークをどれだけ意識して活動を展開してきたのかを考えて欲しいという思いで冒頭に述べさせて頂いた。
〇被災者支援という“極限状況”の中で頑張っていることには敬意を表し、感謝はするけれども、そこまでいわないと、災害被災者支援のあり方を考える社会福祉専門職団体としては物足りない。
〇社会福祉専門職団体が、ソーシャルケア、ソーシャルワーク機能を意識化して、その機能を具現化させる、その積み重ねが、国民からの信頼とソーシャルケア、ソーシャルワークの専門職としての位置を構築できるのではないか。
〇そのような視点から、社会福祉専門職の方々がどれだけ災害被災者支援においてソーシャルワーク機能を意識したかを私なりに提示させて頂いて講演をした。まさに、NHKの番組「チコちゃんに叱られる」ではないが、社会福祉専門職の人々に〝喝“を入れて、”ボート生きてんじゃねーよ“と訴えたかったからである。
〇講演内容は、以下の柱で行った。
ⅰ)災害対策基本法、災害救助法における救命・救急とソーシャルワーク支援との区別化
ⅱ)被災後のステージ毎に変容する生活課題、生活のしづらさへのソーシャルワーク支援
ⅲ)被災による生活変容の課題とソーシャルワーク機能
ⅳ)災害対策基本法に基づく「避難行動要支援者」名簿作成と災害支援ソーシャルワーク
ⅴ)災害被災者支援のソーシャルワークと地域包括ケアシステムの構築

Ⅲ 能登半島地震・能登集中豪雨被災者支援から何を学ぶか

〇3月11日から14日まで、前回の訪問で行けなかった輪島市、能登町、志賀町を中心に再度、社会福祉関係者が今回の災害支援から何を学ぶべきかということを目的に訪問させて頂いた。
〇今回の訪問も石川県社会福祉協議会の茂尾亜紀さんと村田明日香さん(七尾市中島町出身の被災者、中島町は仲代達也氏が主宰する無名塾が上演する観劇堂があるところ)にコーディネート及び運転をして頂き、多くの関係者に会えた。この紙上を借りて厚く感謝とお礼を申し上げたい。

(1)七尾市の和倉温泉の被害――産業連関経済の危機
〇3月11日、七尾市の和倉温泉の被害状況を確認してから奥能登へ入ろうということで、和倉温泉街を牽引してきた加賀屋旅館へ行った。
〇和倉温泉街は、星野リゾートとか協立リゾートとか、全国的に展開している外部資本を入れずに頑張ってきた街で、そのリーダーが加賀屋旅館であった。
〇加賀屋旅館は、七尾湾にせり出した形で立地しているのが、ある意味売りであったが、今回の能登半島地震では、その護岸部分が約1メートル近く沈下していて、建物の被害には厳しいものがあるのではないかと外から見て推察した。被災後1年以上経つが、営業を再開できているところは僅かで、地域経済の今後が懸念される。
〇和倉温泉街は旅館業を中心に回っている地域であり、旅館で使用するリネン関係の企業、旅館で働く仲居さんたちでにぎわう美容院、旅行に来られたお客さん目当てのかまぼこ、水産物などのお土産さん等産業連関表で能登半島地震の被災状況を明らかにしていくことも、社会福祉関係者は知っておくべき内容であろう。

(註)「産業連関表」とは、総務省が統計として出しているもので、我が国の経済構造を総体的に明らかにするとともに、経済波及効果分析や各種経済指標の基準改定を行う際の基礎資料となる。ある1つの産業部門は、他の産業部門から原材料や燃料などを購入し、これを加工して別の財・サービスを生産し、さらにそれを別の産業部門に対して販売する。購入した産業部門は、それらを原材料として、また別の財・サービスを生産する。このような財・サービスの「購入―生産―販売」という連鎖的つながりを表したのが産業連関表である(総務省)。

(2) 穴水町の「平和子ども園」の自主避難所開設・実践の素晴らしさ
〇穴水町にある「平和子ども園」は、被災の翌日の1月2日から自主避難所を開設した(園長は輪島市門前町に自宅があり、そこで被災。「平和子ども園」までは通常車で15分)。
〇ども連れの家族を主な対象に声を掛け、33人(1歳3か月の乳児入れて未就学児4名、小学生7名、中学生1名、高校生1名、大人が20名)が6室の保育室を利用して避難生活をした。延べ74人の避難者が利用した。中には、88歳の認知症の車いす生活の高齢者も家族ともども受け入れて生活をして頂いたという。また、大学受験の高校生には、特別室を作り、受験勉強してもらったという。その受験生は無事入試センター試験に受かり、志望校へ進学できたという。
〇当時「平和子ども園」には、災害備蓄用品が毛布20枚、サーモマット3枚、水2リットル、ペットボトル60本、簡易トイレ(使い捨て500回分)、運動用マット10枚、アルコール消毒液、お米、菓子類、折りたたみ椅子などもあった。水道は断水していたが、電気が通電していたし、Wi-Fiも使えたので自由に使って頂いたという。
〇1月3日には行政からカップ麺15,パン25個の支援があった他、他の家族や出入りの業者からの支援もあった。1月4日には、有難いことに、北海道の胆振地震で被災された
経験を持つ「リズム学園」が大量の物資をもって、救援に駆けつけてくれたという。
〇自衛隊による救援は1月5日には始まったが、自衛隊の入浴が1月7日に始まる前の1月6日には、子ども園にあるシャワー室を活用し、お湯をガスコンロ2台使って沸かし、体を拭いてもらって、大喜びされたという。
〇食事は、子ども園の厨房を使って、調理師の免許を持つ副園長(園長夫人)が避難者の食事をすべて作ったという。ある時、避難者が食事を一緒に作ると申し出てくれたが、副園長は“保育園の厨房は子どもの健康と衛生を守る砦、聖域なので、他の人は入らないでください”と言って、一人で食事の準備をしてくれたという。その食事内容は、避難所生活では考えられない、コロッケ、親子丼、牛丼、ちらし寿司、シュウマイ、出し巻き卵などが供されていた。
〇行政や他の機関から寄せられる情報はすべて掲示板に貼るなどして公開にしたし、自主避難所でありながら、行政と交渉して指定避難所と同じ扱いをしてもらった。なんと、避難生活中に、避難者と2回も飲み会をしたという。他の避難所では考えられない運営がされていた。
〇「平和子ども園」の園長であり、自主避難所を開設した日吉輝幸さんは、自主避難所を開設するかどうか随分葛藤したという。
〇結果的に、自主避難所を開設したのは、2017年度から石川県社会福祉協議会のモデル事業として、穴水町内の7社会福祉法人が協議会を作り、地域貢献活動していたことと祖母の代から保育所を開設し、地域づくりを志してきたDNAのなせる業かもしれないという。
〇「平和子ども園」は、そもそも昭和14年に瑞源寺保育所として創設されている(戦後、昭和28年に穴水第1平和保育園として認可)。
〇吉輝幸園長の祖母は曹洞宗瑞源寺の住職夫人で、方面委員に就任していた。当時、女性の方面委員は珍しいが、夫である瑞源寺住職が町長をされていたこともあったのか、方面委員になっている。当時の石川県の方面委員は金沢市の善隣館を設立し、保育所や診療所を開設しているなどの活動が活発に展開されていた時代であり、それに影響を受けたのか、「平和子ども園」の前身は昭和14年に設立されている。日吉輝幸園長は瑞源寺の三男に生れ、兄は住職をされている。そのような家系のDNAが自主避難所開設に向かわせたともいえる。
〇他方、2017年度から進められている社会福祉法人の地域貢献活動のなかで、地域共生社会の実現を訴えてきたこともあって、自主避難所開設に踏み切らせたのかもしれないという。
〇日吉輝幸園長が講演用にまとめたレジュメ、スライドには『令和6年能登半島地震 被災で見えた園の存在意義と役割――地域共生社会の担い手としてー』と書いてあるのを見ても、社会福祉法人としての責務、理念を大事にして開設されたことが伺える。

(3)穴水町におけるNPO法人のボランティア活動の広がりと活躍
〇穴水町には多数のボランティア団体が被災者支援の活動に関わってくれている。後述するレスキューストックヤードやADRAをはじめ、名古屋ボランティアネット、藤田医科大学、東京アクションプラン、JVOAD、真如園サーブ等が支援に関わってくれている。
「老爺心お節介情報」第63号で紹介した国際NGO・ADRAの小出一博さんもその一人である。
〇国際NGO・ADRAはキリスト教のセブンスデー・アドベンチスト教会を設立母体としており、世界120支部を有している大きな国際NGOである。日本では、認定NPO法人ADRA・Japanとして認定されており、宗教法人セブンスデー・アドベンチスト教団の総務部長である柴田俊生氏が理事長を務めている。ADRAの名称は、Adventist Development and Relief Agencyの頭文字からとられている。
〇穴水町での支援では、主に技術系ニーズに対応するボランティア活動を展開してくれている。
〇他方、穴水町に2007年の能登半島地震の際に、穴水町社会福祉協議会「災害ボランティアセンター」支援、「避難所対応・家の相談会」開催などの支援を行ってきた「認定NPO法人レスキューストックヤード」の活動も大きな支援となっている。
〇「認定NPO法人レスキューストックヤード」は、代表をしている栗田暢之氏が、名古屋大学職員として、阪神淡路大震災に際し、1500人の学生ボランティアのコーディネートをした経験から、1995年7月に立ち上がった「震災から学ぶボランティアネットの会」が前身で、2002年に「NPO法人レスキューストックヤード」として設立された。「認定NPO法人レスキューストックヤード」は、「老爺心お節介情報」第63号で紹介した穴水町災害ボランティアセンターの組織図の中の生活支援ニーズに対応したボランティア活動を展開してくれている。
〇能登半島地震支援のNPO法人等のボランティア団体の受け入れ、調整は石川県災害対策ボランティア本部(石川県女性活躍・県民協働課)に対し、NPO法人レスキューストックヤードは県と連繋して活動をしている団体、個人であることを示す「災害ボランティア支援車両」というステッカーや名札・腕章の貸与をお願いしている。これはとても重要なことで、ボランティア活動だから自由にと言っても住民は今日の特殊詐欺が起こる状況の中ではなかなか訪問してくるボランティアを信用することができない。
〇ボランティア活動だから自由にということではなく、行政や社会福祉協議会との連携の中で活動して欲しいが、行政も社会福祉協議会もボランティア活動やNPO法人の活動実態を必ずしも全体的に把握できていない。これからは、ボランティア活動を規制、制約するわけではないが、一定のルール化が求められているのではないか。
〇「認定NPO法人レスキューストックヤード」は、生活支援の活動として、避難所のトイレ・寝床の生活環境整備、栄養のバランスや温食を考えた炊き出し、在宅避難者の困りごとニーズ調査やサロン開催などの活動を行っている。
〇「認定NPO法人レスキューストックヤード」の代表者である栗田暢之さんは、内閣府が2022年度から設置した「避難生活支援・防災人材育成エコシステムの構築に向けた具体化検討会」の座長もしており、「中長期支援に向けた避難所生活環境アセスメントシート」も開発、運用している。
〇このようなNPO法人の災害支援の状況をみていると、社会福祉協議会がいまだ「災害ボランティアセンター」の設置、運用していることが、如何に時代遅れであるか分かるし、いつまでも“ボランティアセンター”の活動でいいのかと言いたくなる。最近では、「災害福祉支援ボランティアセンター」と名称を変えてきているが、その内容が今一つはっきりしない。
〇社会福祉協議会は、災害被災者支援のソーシャルワーク機能を具現化できるシステムと能力を身に着けるべきである。 そのことを意識しないで、「DWAT」の活動に流れることは慎まなければならない。
〇国は、被災者支援の制度として、「被災高齢者等把握事業」を特定非常災害の場合には国の補助金10分の10の補助率で行っており、介護支援専門員などの職能団体から派遣された専門職により、災害救助法の適用から概ね3か月以内の間で、集中的に被災高齢者等の実態把握を求めている。その事業の中には①戸別訪問に基づく専門的な生活支援等の助言の実施、②その他被災者の状態悪化の防止を図るため、被災高齢者等の把握と一体的に行うことが効果的な取組として実施主体が認めた事業が挙げられており、これらの事業にどう社会福祉協議会が関わり、ソーシャルワーク機能を発揮できるかが問われていると言わざるを得ない。
〇また、国は「被災者見守り・相談支援等事業」を特定非常災害の場合には10分の10の補助率で実施している。これは、いわゆる「地域支え合いセンター」と呼ばれるもので、多くの場合、社会福祉協議会が受託している。この事業の支援対象者は災害救助法に基づく応急仮設住宅への入居者とされているが、在宅であっても災害を要因として孤立する恐れがある者を支援対象者に含めて差支えないとされている。
〇この「被災者見守り・相談支援等事業」は、事業実施期間中に、可能な限り一般施策による支援での対応を検討するとともに、本事業終了後の支援体制構築のため、民生委員・児童委員による見守りや生活困窮者自立支援制度などによる支援など、一般施策による支援へ移行していくことを十分に検討することとされている。
〇まさに、これこそ、社会福祉協議会が平時から行っておかなければならに活動であり、よりその機能を発揮するためにも、重層的支援体制整備事業を被災市町村は積極的に受託していくべきである。

(註)「認定NPO法人レスキューストックヤード」に関する情報は、代表の栗田暢之さんから国際NGO・ADRAの小出一博さんを通じて頂いたもので、この紙上を借りてお礼を申し上げる次第である。

〇ちなみに、珠洲市でボランティア活動を展開してくれたNPOは、技術系で災害救援レスキューアシスト、チームふじさん、愛・知・人(ブルーシート張り)、ピースボート災害支援センター、日本財団、DRT JAPAN(電気関係)、DEF TOKYO(電気関係)、ボウサリング(子ども支援)等があり、生活支援や保健・医療関係では日本レスキュー協会、ピースウィンズ・ジャパン、弘生福祉会、鳥越福祉会、すず椿、ひのきしんセンター等が支援に参加している。
〇この他、石川県精神保健福祉士協会、日本医療ソーシャルワーカー協会、石川県社会福祉士会、介護支援専門員協会、相談支援専門員協会、日本災害看護学会等の専門職団体、学会の関係者も支援に入っている。 更には、DWATの支援も含めて、介護福祉士会も支援してくれている。
〇このように、今や災害支援のボランティア活動は社会福祉協議会だけを見ていればいいというものではなく、多様な組織が支援に入ってくれている。しかしながら、それらの全体を俯瞰し、調整するプラットホーム機能が必ずしもできていない。福祉避難所や在宅の被災者支援においては、行政と社会福祉協議会がそれなりにプラットホーム機能を持てているが、施設関係まで含めると全体像が必ずしも見えていないのが現状ではないだろうか。能登町でも、重機を活用しての技術ボランティア団体「OPEN JAPAN」が頑張っているというので訪ねたが、代表の肥田さんは大船渡山林火災に駆けつけたということで会えず、話を聞けなかった。

(註)一般社団法人OPEN JAPANは、旧ボランティア支援ベース絆で、阪神淡路大震災や東日本大震災のボランティア支援で集まった仲間が立ち上げ、2012年3月11日に名称をOPEN JAPANに変更し、活動を続けている。代表は吉沢武彦さんで、吉沢さんは日本カーシェアリング協会にも所属している。

(4)輪島市における助け合いセンター(「被災者見守り・相談支援等事業」の活動)
〇輪島市社会福祉協議会では、「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援班」の活動を主にお聞きした。
〇「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援」事業は、上述したように国の制度である「被災者見守り・相談支援等事業」に基づくもので、輪島市社会福祉協議会は在宅の被災者支援、仮設住宅入居者への支援は社会福祉法人佛子園とJOKAとのジョイントとして、社会福祉法人佛子園の「輪島カブーレ」が請け負っている(この件については後述)。
〇「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援事業」は、令和6年度の6月から開始されるが、予算は1億70万円である(ちなみに、令和7年度は1億1700万円を要求)。この予算は、厚生労働省の生活困窮社会福祉支援事業の予算の中から出されており、補助率は10分の10の事業である。
〇「たすけあいセンター」で働く人は上は77歳、下は50歳で平均年齢65・4歳の30名が働いている。センターの副センター長であり、入職24年のベテラン保健師でもある大下百合香さんがリーダーとして牽引してくれている。
〇「輪島市災害たすけあいセンター見守り・相談支援班」では、令和6年10月から「あいちゃん通信」(現在第8号まで発行)を出して、戸別配布している。仮設住宅は自分たちの所管ではないが、同じ輪島市民なので、「輪島カブーレ」を通して配布している。
〇この「あいちゃん通信」を発行するに当たって中心になってくれている職員が、山路健造さんで、海外協力隊の経験を持ち、佐賀県でNPO地球市民の会に参加してきた、元西日本新聞の記者である。佐賀県では、在留外国人支援の活動をしていたという。その山路さんが、輪島市でのボランティア活動が一段落した機会に輪島市社会福祉協議会の「たすけあいセンター」職員として、応募してくれたとのこと。
〇「あいちゃん通信」を読んでいると、災害で汚れた写真の洗浄、ペットとの生活のサポートなどの紹介の他、令和6年度の4月6月までに1万2千世帯を超える家庭を訪問調査したとか、石川県内の福祉専門職団体による3096件の被災状況等の確認、“定期的通う場”がなく、孤立しがちでサロン開催の必要性、あるいは市内の介護サービス提供の状況の情報提供等、被災者の生活のしづらさ、困りごと、生活支援等がこの紙面を通じてわかり、とてもいい情報誌である。このような情報誌は、平時においても日常的に欲しいなと思いました。

(5)「輪島カブーレ」の「ごちゃまぜ福祉実践」と被災者支援
〇社会福祉法人佛子園の理事長である雄谷良成さんの「ごちゃまぜ福祉実践」は、『ソーシャルイノベーション』(雄谷良成監修、竹本鉄雄著、ダイヤモンド社、2018年9月)がわかりやすいので参照して欲しい。
〇「輪島カブーレ」は輪島市内で、歩ける範囲の地域において、空き家等を譲りうけ、それらの家屋をリノベーションして、ごちゃまぜの実践ができるエリアを創出している。現在、障害者向けの短期入居住宅、障害者向けのグループホーム、サービス付き高齢者向け住宅を始め、地域の人も利用できるウェルネス、障害者の就労継続支援A型事業所としてのそばや「やぶかぶれ」、ゲストハウス等12事業所を展開している。その中でも重要な役割を果たしているのが、地下1165メートルから湧き出る温泉「三の湯」と「七ノ湯」である。ここはまさに地域住民の“浮世風呂”で、コミュニティ形成の中核的雄施設である。「輪島カブーレ」のある地域の住民は入浴料がただで入れる温泉で、地域住民である証の木札が壁にかかっていて、住民は入浴する時にはそれを裏返して入るのだという。住民は、温泉に浸かった後、そばやである「やぶかぶれ」で昼食を摂ったり、ビールを飲んだりしている。私もそこで地ビール・ヴァイツェンを飲み、おそばを頂いたがとても美味しかったし、同じカウンターの隣に座っている人と気軽に話が出来る、まさに地域の居場所、拠り所になっている。
〇この「輪島カブーレ」が被災したこともあって、雄谷良成さんが会長をしている青年海外協力隊のOB・OGで組織されているJOCAが支援に入ってくれた。そこは、単なるボランティア活動としてではなく、JOCAの会員を社会福祉法人佛子園の職員として“出向”させるという形態で支援に入った。したがって、輪島市の復興事業に関わる事業を社会福祉法人佛子園が受託し、その事業は本来の職員だけではできないので、JOCAの会員が“出向”職員として担うという形式をとった。
我々に会ってくれた堀田直揮さんは、広島県のJOCAX3で勤務していたが、JOCAの災害復興担当の理事でもあるので、「輪島カブーレ」の災害に関わる責任者として活動をしている。

(註) JOCAとは、公益社団法人青年海外協力協会(Japan Overseas Cooperative
Association)の頭文字を取った略称である。本部は長野県駒ケ根市にあり、そこでは就労継続支援A型等の事業を展開している。JOCAは、JOCA東北、JOCAX3(広島県安芸太田町),JOCA南部(鳥取県
南部町)などに支部があり、社会福祉事業を展開している。多くの場合、多機能型の事業所を展開している。今回の能登支援では、これらで働いている職員がローテーションを組んで、「輪島カブーレ」及び輪島市支援に入ってくれた。JOCAは1983年12月に設立され、2012年2月に公益社団法人に移行。代表理事は雄谷良成氏である。

〇「輪島カブーレ」は、地域住民の拠り所である温泉をいち早く復活させた。温泉はくみ上げられたが、水道が出ず、熱い風呂にペットボトルを浮かべるなどして冷まし、住民の利用に供することができた。普段から「輪島カブーレ」のある地域住民と密接な、良好な関係を築いていたことが大きな力を発揮し、後片付けなども住民の方々が協力してくれた。
〇「輪島カブーレ」は、現在輪島市から委託を受けて、仮設住宅に住んでいる方々の見守り、生活支援、相談活動を展開している。
〇社会福祉法人佛子園は、2026年に輪島市内に6か所のコミュニティセンターを開設する。従来の集会機能だけでなく、相談機能、運動施設、食事処、銭湯なども併設されている施設である。社会福祉法人佛子園は、従来新しい事業を展開するときには、「福祉医療機構」の貸付を利用していたが、今では民間の金融機関の貸付も利用しながら事業展開しているという。この面でも、大いに学ぶべき点がある。

(6) ”孤立“した輪島市門前町の「生きる力」
〇「輪島カブーレ」の堀田直揮さんと話をしている際に、東日本大震災の際に、当時宮城県社会福祉協議会の職員で、石巻市支援で大きな働きをしてくれた北川進さん(現・日本社会事業大学専門職大学院教員)が輪島市門前町に3月17日の週に入るのだということが分り、電話して状況を聞くと、門前町に日本社会事業大学の卒業生の松下明さんがいて、輪島市門前町支所の地域支援係の担当しているという。松下さんは、能登半島地震発災後から日本社会事業大学の伝手で北川進さんと電話での相談をしていたことが判明した。
〇松下明さんに電話をすると支所にいるというので、急遽訪ねることにした。
〇前回の門前町訪問では、総持寺の被害状況をお聞きする程度だったので、予定を変更して行くことにした。
〇輪島市から門前町へ行く国道はトンネルが土砂で埋まり通行できないという。遠回りをする時間的余裕もないので、山越えの旧道を行くことにしたが、それも陥没したりしていて、一車線しかなく、工事関係者には驚かされたが、運転手の村田明日香さんが頑張って連れて行ってくれた。
〇門前町は、地震災害で輪島市本庁との行き来が十分できないため、門前町独自に災害被災者支援をせざるを得なくなり、支所の職員のご苦労は大変なものであったという。しかも、高齢化率が64・5%と非常に高い状況ではあったが、門前町はコミュニティの力がいまだ豊かにあり、その力で頑張ってこられたという。したがって、避難所も仮設住宅もできるだけコミュニティの力が発揮できるよう意識して取り組んできたという。現在、仮設住宅に入居している人は1292人で、門前町の人口が4276人であるから、約30%の人が仮設住宅生活ということになる。
〇災害復興支援で、とりわけ意識したのは、コミュニティの力を削がないように、仮設住宅を設置し、入居してもらっているが、その上で仮設住宅団地毎に、入居している人々で仮設住宅団地自治会を作ってもらうよう働き掛け、現在10仮設住宅団地のうち9地区で仮設住宅自治会が結成されたという。
〇生活支援面では、高齢化率が高いこと、外からの支援が難しい状況の中で、イオンリテールやまんぷく丸、Aコープでの移動販売を利用しやすいように、販売ルート、販売時間を表にして配布したり、おでかけバス、愛のリバスの運行時間を曜日ごとに分かる票にして配布している。
〇また、地域にある社会資源が門前町のどこの地区に何があるかを一覧表にしている。理美容院はどこの地区で開業しているとか、日用品はどこの地区で買えるとか、医療、歯科はどこで受診できるかなど、住民が生活する上で必要な情報を門前町支所では的確に、多面的に情報提供している。
〇門前町でも海岸隆起が激しいというので、江戸時代の北前船の寄港地で栄えた「天領黒島」を見学したが、4メートルの隆起で港は使えない状況であった。本当に自然の力のすさまじさを目の当たりした。

(7)志賀町地域支え合いセンターと生活支援相談員の研修
〇志賀町は旧志賀町(どちらかと言えば農村地域)と旧富来町(どちらかと言えば漁業経済地域)が合併した町である。志賀原発は旧志賀町にあるが、能登半島地震では被害がなかった(現在運転中止中)。
〇志賀町の仮設住宅は10箇所で、トレーラーハウスや木造りの仮設住宅、ムービングハウスという仮説住宅も設置されており、349人が入居している。
〇志賀町には社会福祉協議会に「志賀町地域支え合いセンター」が設置されており、主任生活支援相談員2名と生活支援相談員14名が配属されている。
〇志賀町社会福祉協議会を訪ねたら、生活支援相談員の方々が待機していて、研修をしてくれという話になった。皆さん、社会福祉を学んだ人々でないので、家庭訪問は住民の生活の仕方、生活の匂い等住民のニーズキャッチの最前線なのだから頑張って欲しい旨のはなしをした。住民の生活相談窓口を設置して、住民が来所するのを待つのではなく、家庭訪問して、住民のニーズを把握することが重要であること、仮設住宅でのサロンの運営などにあっては、住民の興味、関心が違うので場所は狭いかもしれないが、プログラムは画一的なものにしないことと、一斉に同じものをしてもらうことをできるだけ避けて欲しい旨の話をした。
〇志賀町の西方沖では、今でも余震が続いており、原発に影響するような第地震にならなければいいがという心配をされていた。
(2025年3月16日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

 

大橋謙策/大橋謙策研究 第6巻:経歴と研究業績

 


 

目  次

Ⅰ 経歴と研究業績‥‥‥2

  大橋謙策蔵書リスト‥‥‥24

Ⅱ 日本社会事業大学・最終講義‥‥‥25

Ⅲ 日本社会福祉学会・名誉会員の推挙に寄せて‥‥‥49

Ⅳ 日本地域福祉学会・名誉会員称号授与に感謝して‥‥‥51

Ⅴ 日本地域福祉研究所・理事長退任挨拶‥‥‥52

Ⅵ 大橋ゼミ・50周年ホームカミングデー挨拶‥‥‥56

1


Ⅰ  経歴と研究業績

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1 経歴


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2 研究業績
1)著書(単著、編著、監修)


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2)論文


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出典:『大橋謙策主要論文等(2019年~2023年)』大橋ゼミ50周年ホームカミングデー実行委員会、2023年10月、1~16ページ。

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3)追補(未定稿)


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備考:本資料は、岡村英雄氏(日本社会事業大学大学院修士課程修了、大橋ゼミ)の作成になるものである。一部確認を要する点があることから、「未定稿」とした。岡村氏には感謝とお礼を申し上げたい。

23


4)大橋謙策蔵書リスト

市民福祉教育研究所では、一部の「大橋謙策蔵書」の<リスト>を所蔵しております。フロントページ、画像下のナビゲーションメニュー中の「プラットホーム」からお問い合わせ下さい。/市民福祉教育研究所

24


Ⅱ 日本社会事業大学・最終講義

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『社会事業』の復権とコミュニティソーシャルワーク


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出典:大橋謙策「最終講義 『社会事業』の復権とコミュニティーソーシャルワーク」『日本社会事業大学研究紀要』第57集、日本社会事業大学、2011年2月、19~42ページ。

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 Ⅲ 日本社会福祉学会・名誉会員の推挙に寄せて

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49


 

出典:「日本社会福祉学会ニュース」第82号、2019年11月。

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Ⅳ 日本地域福祉学会・名誉会員称号授与に感謝して

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出典:「日本地域福祉学会ニュース」第82号、2019年12月、3ページ。

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 Ⅴ 日本地域福祉研究所・理事長退任挨拶

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<日本地域福祉研究所の理事長退任>

〇2023年5月20日に大正大学で行われた日本地域福祉研究所の理事会、総会で、日本地域福祉研究所の理事長を退任することが認められました。
〇1994年12月23日に、日本地域福祉研究所を設立し、2000年1月にNPO法人格を取得し、理事長を担ってきましたが、30年目の節目の年に後進に道を委ねます。
〇今回の改選で、理事等が大幅に若返りました。70歳以上の理事は基本的に退任(『コミュニティソーシャルワーク』の編集担当の田中英樹理事は重任)し、若いフレッシュな人が理事に選任されました。同時に、特任理事、客員研究員、主任研究員等の選任も行われました。この特任理事、客員研究員、主任研究員についても、若返りを図る必要がありますが、それは次期理事会で検討することになりました。
〇新体制の理事会は、6月1日に行われ、互選で理事長などを選びますが、現時点では法政大学現代福祉学部教授、当研究所の副理事長の宮城孝先生が選任される見込みです。
〇地域福祉研究者の皆様、社会福祉協議会関係者の皆様には、長年に亘り、日本地域福祉研究所及び理事長である私を支えてくださり、衷心より厚く感謝とお礼を申し上げます。理事長は替わりますが、今後とも日本地域福祉研究所へのご支援、ご鞭撻を心よりお願い申し上げます。(2023年5月21日記)

Ⅰ 地域福祉研究者の「研究者文化」と日本地域福祉研究所の設立目的

〇日本地域福祉研究所は1994年12月23日に設立されました。日本社会事業大学大学院修士課程を修了した人を中心に設立しました。元東京都社会福祉協議会職員で、静岡英和大学、静岡福祉大学で教員をされた青山登志夫さん等が尽力してくれて、日本地域福祉研究所の設立ができました。
〇日本地域福祉研究所設立に際し、私は4つの設立目的を考えました。
〇第1は、新しい社会福祉の考え方である「地域福祉」の哲学、理念、実践の在り方などに関する「地域福祉」の普及・啓発でした。
〇筆者は、地域福祉実践・研究を市町村社会福祉協議会を基盤に確立しようと考えて、取り組んで来ましたが、日本の社会福祉学界では、“私のような研究領域、研究方法は社会福祉プロパーでない”と厳しい批判を受けてきました。それらの意見との戦いも含めて、「地域福祉」の考え方の普及と啓発が必要だと考えました。そのこ

52


とが、従来のコミュニティオーガニゼーション、コミュニティワークに代えてコミュニティソーシャルワークという提唱になります。また、同じように福祉教育を軸とした地域福祉の主体形成理論の提唱も行ってきました。
〇第2には、地域福祉実践の向上に向けた各種研修と実践者の組織化です。
〇筆者は、全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」の講師を長らく務め、社会福祉協議会職員の研修の重要性を痛感していました。
〇その全社協主催の「地域福祉活動指導員養成課程」が修了したこともあり、その代替機能を担えればと思いました。一時は、通信制の研修システムの構築も考えました(当時は、今ほどICTの発展・普及がない中での紙媒体による通信制を考えていました。いまなら、ICTを使ってできるかもしれません)。
〇その代わりというわけではありませんが、年1回「地域福祉実践研究セミナー」を日本地域福祉研究所が「関係人口」として深く関わり、その地域の実践にある意味影響力を持っている地域で、その地域の実践をフィールドに学習するセミナーを開催しようと考えました。名称も、“地域福祉実践セミナー”でもないし、”地域福祉研究セミナー“でもなく、「地域福祉実践研究セミナー」としたのも、実践と研究の循環を考えたからです。
〇1995年5月に島根県邑南郡瑞穂町で行われた「山野草を食べる会」に呼ばれた際に、当時の瑞穂町社会福祉協議会の日高政恵事務局長にお願いし、1995年8月に第1回を開催したのが始まりです。
〇筆者自身の瑞穂町との関りは、1981年に当時の島根県社会福祉協議会の山本直治常務理事、松徳女学院高校の山本壽子教諭の紹介で訪問したのが最初で、その後瑞穂町の福祉教育、地域づくりの支援に関わってきました(『安らぎの田舎の道標』大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著、万葉舎、2000年8月参照)。
〇第3は、地域福祉実践の記録化と出版化です。
〇筆者は、日本社会事業大学大学院で博士課程を修了し、博士の学位を取得した人にはその博士論文を単著として、刊行し、世の評価を受けるべきだと考えてきました。
〇当時、中央法規出版にお願いしました。できれば中央法規出版が全国の大学の社会福祉系の博士論文を刊行するシリーズを作ってくれればありがたいという思いも含めてお願いしました。日本社会事業大学で博士の学位を授与された野川とも江さん、田中英樹さん、宮城孝さんの博士論文は刊行されました。その後は、出版事情の悪化などもあり頓挫してしまいました。
〇これは、当時の日本社会事業大学の伝統に倣ったものです。当時の日本社会事業大学では、40歳で単著を刊行するのが、教授に昇格する基準でした。私も必死だったことが思いだされます。
〇また、当時は、出版される本の背表紙に著者であれ、監修であれ、名前が明記されるのは、ある意味研究者のステイタスシンボルでもありました。私の恩師は、そのような機会を若手に作り、論文をかくことを奨励してくれました。

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〇そのような“伝統”を引き継ぎたいと考えて、博士論文の出版化を推奨してきました。
〇と同時に、日本地域福祉研究所が関わることで、全国各地の実践が向上するならば、その実践を記録化し、できれば刊行したいと考えました。研究所の設立に何かとご支援、ご協力してくれた東洋堂企画出版社(のちに、万葉舎と改名)の尾関とよ子社長(尾関社長との間を取り持ってくれたのは、1970年からのお付き合いがある手嶋喜美子元板橋区区議会議長さんである)が、この考え方に賛同してくれて、出版事情が悪くなってきている中でも、日本地域福祉研究所が関わった実践を出版化してくれました(この件は、「老爺心お節介情報」の第44号の「関係人口」の中で紹介しているので参照してください)。
〇第4は、地域福祉実践・研究者の育成の機会の提供です。
〇筆者は、地域福祉研究者は、自分のフィールドを持ち、その地域と深く関わりながら、その実践を体系化、理論化することが肝要で、“空理空論”を振りましても地域福祉実践・研究にならないと考えてきました。だからこそ、市町村自治体の地域福祉計画を作る場合でも、タスクゴールだけ華やかに、かっこよく作っても、それが具現化されなければ駄目だと考え、住民の意識変容と参加を促すプロセスゴールと地域関係者の社会福祉に関わる力学を変えるリレーションシップゴールの重要性と必要性を考え、実践してきました。
〇そのようなフィールドを持てる研究者に育てるためには、私自身が関わるフィールドに同道して学んでもらうとか、フィールドを提供して実習なり、その地域へのコンサルテーションを行う能力を身に着けてもらうことが必要だと考えてきました。
〇私自身、恩師の“カバン持ち”で、随分と全国の実践現場に連れて行ってもらいましたし、恩師の名刺に“大橋を頼む”という一筆を書いてもらって、恩師が紹介するフィールドに出かけたものです。
〇そんなこともあり、大学院生や若手の研究者にフィールドをもってもらいたくて、いろいろチャンスを提供してきました。成功した場合の方が多いのですが、失敗したことも多々あります。若い頃は、ついつい“自分ひとりで偉くなったつもり、自分は豊かな能力があると過信しがち“で、私の教えが頭に入らず、生意気な言動をとって、実質的に”退室“せざるを得ない人もありました。
〇第5は、日本地域福祉研究所で長らく地域福祉実践に貢献された方々の“たまり場”、拠り所としての「福祉サロン」の機能を持つことでした。
〇全社協の事務局長された永田幹夫先生や三浦文夫先生をはじめとして、社会福祉協議会の第一線で頑張ってこられた方々や地域福祉研究者の「福祉サロン」ができれば、ノンフォーマルな学習の場が機能できると考えました。日本地域福祉研究所の事務室とは別の階のフロアーを借り、冷蔵庫等を整備して、「土曜福祉サロン」などの開催も試みました。現役の方は忙しいけれど、たまには集い、定年退職された方はサロンに来るのを楽しみ、若手に自分の実践を話してくれれば、それが地域福祉実践研究の向上につながると“夢”見ました。

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〇このような目的を考えて設立した日本地域福祉研究所ですが、どれだけその目的が達成されたかは、関係者の皆様の評価に委ねることにします。
〇ところで、このような日本地域福祉研究所設立の目的を考えたのは、筆者を育んでくれた「研究者文化」があったからです。
〇日本の大学の教育研究システムは、大きく分けて講座制と学科目制があります。講座制は主任教授、助教授、講師、助教等複数の教育研究スタッフがいて、いわばチームで教育研究を行うシステムです。それに比し、学科目制は、開講されている授業科目を担当する教員が個別学科目毎に配属されているシステムで、研究というより、授業を行う教育に比重があるシステムです。
〇現在の社会福祉系大学は学科目制で教育研究が行われています。したがって、教員がチームで仕事をするとか、大学ごと、講座制の教室毎の「研究者文化」というものを構築することが難しいシステムで、教員個々人が独立した状況で教育研究を行います。大学院を出て、助教、講師という若手も一人前の教員、研究者であり、長年教育・研究に携わってきたベテランの教員とも対等であり、結果として若手の時から“自立している”とみなされるので、ベテランの先生方から「研究者文化」を伝授されるという機会がほとんどない状況です。
〇私の場合には、幸か不幸か、旧制大学で学んだ先生方から教えをうけたので、この「研究者文化」というものを色濃く受けています。妻に言わせれば、それほどまでにしなくてもいいのではないかと揶揄されるほど、“先生の言動、論理展開、先生の社会活動”に“憧れ”、学び、時には“盗み”、身に着けてきました。日本地域福祉研究所の設立の目的は、そのような経緯の中で育てられた私が“行うべき責務、任務”だと学び、受け継ぎ、実践してきたものです。
〇日本地域福祉研究所を維持することは、所員になってくれた方々の会費だけでは賄いきれません。日本地域福祉研究所の理事になってくれた方々には寄付をお願いしました。また、日本地域福祉研究所自身、全国の自治体、社会福祉協議会の研修や計画策定業務の委託を受けて経営努力もしてきました。しかしながら、それでもとても経営は厳しく、私自身も毎年100万円以上の寄付を続けてきました。したがって、私の寄付金の累計は30年間で3000万円を超しています。そのような行動をとれたのは、恩師が“講演や研修で頂いた謝金は自分の懐に入れるな、自分の生活費に使うな”と強調していたからです。それらのお金は、実践で働いている方々や社会に還元しろと口を酸っぱくするほど言い募っていました。そんな「研究者文化」を長年叩き込まれてきましたのでできたことです。
〇このような「研究者文化」がいいかどうかは分かりません。しかしながら、現在の社会福祉系大学の教員、地域福祉研究者の言動をみていると、このような「研究者文化」ともいえる文化を身に着け、行動している人がほとんど見られないことはなんとも淋しい限りです。このような状況の下では、実践と研究のよき循環が衰退し、実践力もぜい弱化し、研究者の質も下がるという“悪循環”に陥らないか危惧しています。

出典:大橋謙策「老爺心お節介情報」第45号、2023年5月21日。
大橋謙策『大橋謙策研究 第2巻 老爺心お節介情報』市民福祉教育研究所、2025年1月、所収。

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Ⅵ 大橋ゼミ・ホームカミングデー挨拶

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<最後の「大橋ゼミホームカミングデー」が盛会裡に行われる>

〇去る10月28日、最後の「大橋ゼミホームカミングデー」が東京・市ヶ谷のアルカディアで行われました。130名の卒業生が、北は北海道、南は沖縄、海外からも韓国から3名の卒業生が集まり、盛会裡に行われました。
〇大学教員として、日本社会事業大学の学部のゼミ生、卒論指導学生約600名、大学院修士課程の修了者は日本社会事業大学大学院、東北福祉大学大学院合わせて約110名、博士課程は同約25名の修了者を指導してきました。大学教員50年間の集大成の、最後の「大橋ゼミホームカミングデー」でした。
〇私は1943年10月26日生まれで、ちょうど80歳ということもあり、教え子たちから傘寿のお祝いをして頂きました。結婚して53年、金婚式は新型コロナウイルスの騒ぎでできませんでしたが、傘寿を夫婦でお祝いして頂き、夫婦ともどもしみじみと“いい人生!”を送らせていただいたと教え子、関係者の皆さんへの感謝の気持ちが日々口をついて出ます。
〇本当に関係者の皆様に感謝とお礼を心より申し上げます。
〇下記の文は、「大橋ゼミホームカミングデー」の資料集に載せた挨拶分です。

『大橋ゼミ・50周年ホームカミングデー挨拶』

日本社会事業大学名誉教授
大橋 謙策

・1989年、日本社会事業大学に赴任してから、15年を記念して第1回のホーミカミングデーを開催しました。
このホームカミングデーは、故平田冨太郎学長の提言です。平田富太郎学長は、単科大学としての日本社会事業大学は卒業生を大切にして、リカレント教育の一環として、ホームカミングデーをゼミ毎に開催すべきと強く要望されました。
・それは、私が1974年、日本社会事業大学に赴任する際、五味百合子先生、仲村優一先生から言われたことと同じです。
日本社会事業大学の教員は、個人の研究もさることながら、学生指導、学生への教育を大切にしてほしい旨の訓示が度々されました。

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私は教員の大学教員の教務分担として、新任教員は学生委員会に所属させられ、学生教育の重要性を学べと言われました。
・恩師である小川利夫先生からは、厚生省(当時)から委託を受けている日本社会事業大学の立ち位置を考えたら、“単なる大学教員”に甘んじてはいけない。日本社会事業大学を代表して、日本社会福祉学会などで評価される研究者になれと諭されました。
・これらの教えを胸に、ある意味、家族を“犠牲”にして、日本社会事業大学で教育・研究に励んできました。
子どもたちは、父親と楽しい時間をどれだけ持つことができたのでしょうか、時には、学生の調査実習の際に、家族を連れて行き、家族には別行動してもらいながら、学生の調査実習の合宿指導を行いました。
家庭では妻に全てを任せ、妻に“明日は日曜日でしょ”と言われても、原稿書きがあるとか、文献を読まなくてはいけないからと言っては、家事もせず、子どもとの団らんの機会も多くは持ちませんでした。
今となっては悔いは残りますが、私の研究、教育、実践に全面的に家族が協力してくれたお陰だと、妻と子どもに感謝の念で一杯です。心からお礼を伝えたいと思います。
・このような経緯があったからでしょうか、教員、研究者として日本社会事業大学の学長はもとより、日本社会福祉学会会長、日本学術会議会員、日本社会事業学校連盟会長をさせて頂きました。
結果として、日本社会事業大学の先生方からの教えに背くことなく、50年間の大学教員の責務を全うできました。
・研究者としての評価は後世に委ねなければなりませんが、研究業績を「著作集」として刊行するのではなく、ある意味、岡村重夫先生を見習った訳ではありませんが、大橋謙策理論の集大成ともいえる著作『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』を2022年4月に上梓できました。
・唯一ともいえる残された課題は、5年ごとに行ってきたホームカミングデーをいつ終結するかという課題です。
ホームカミングデーは単に、卒業生が集まり、懇親し、近況報告をするというものでは駄目で、ホームカミングデーはある意味リカレント教育の場でもあるので、教員が教え子に最先端の研究、理論、実践を自ら指し示す機会でなければならないと教えられました。
そのために、ホームカミングデーごとに、5年間に教員がどのような論文を書いたのか、どのような実践・研究をしたのかを卒業生に示し、卒業生の学びを促す機会でもなければならない儀式でもあります。

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このことは、結構教員にとっては辛いタスクであり、儀式です。教員として、研究者として、“生きて”いなければ、“論文を書いて”いなければ、ホームカミングデーは単なる懇親の場になってしまいます。
大橋ゼミホームカミングデーの機会に、私が5年間書いた物の中から、数編を選んで資料集として冊子にし、参加者に配布すると同時に、この間お世話になった方々に配布してきたのも、研究者、教員として責務を果たしていますという“アリバイ証明”でもありました。
この作業は、結構辛いもので、論文を書ける時もあれば、書けない時もあります。コンスタントに実践し、研究し、論文にまとめるという作業はよほど意識して取り組んでいないと書けないものです。
政策や制度の解説的なものは、すぐ“時とともに色褪せて”しまうもので、5年経ても色褪せず、卒業生に読んでほしいというものを書き続けるということは、一つ一つの論文で、常に社会福祉実践、社会福祉理論における研究課題は何か、事象を分析する視点に従来にない鋭さがあるか、事象に流されずに、社会問題として構造的にとらえられているかなど、研究者、教員としての知見が常に問われることになります。まさに、教員、研究者として“生きているか”が問われることになります。
これらの作業をするためには、常に“アンテナを高く、広く張り”、情報収集に努め、何が社会福祉分野における理論課題なのかを考えていなければできない作業であります。
大学教員としての現役の時は、仕事がら必要な情報が“相手からもたらされる”という状況もありますが、国や自治体の委員、あるいは各種団体の役職・委員を退任しているものにとって、これらの役職・委員就任で得られている情報を自らの手で、体系的に収集把握することは容易ではありません。
また、大学の教員、研究者として、各種学会での発表のオブリゲーションもなくなり、75歳以上で名誉会員に推挙されると、学会の理論研究をリードしようというモチベーションも下がり、研究範囲が狭隘になり、唯我独尊的になり、研究意欲も減退することになります。
・私は今年80歳になり、上記の役割を担うことができなくなってきています。5年毎のホームカミングデーをここで終結し、教員、研究者としてなすべきことの責務から開放され、一人の“老爺”として、気軽に、自分の思うところを発信したいと思うようになってきました。2022年から始めた「老爺心お節介情報」の発信はその一端です。

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・ホームカミングデーは今回で8回目を迎えますが、この間のホームアカミングデーの開催にあたっては、多くの卒業生のご協力、ご支援があったから開催できました。
今回も、岡村英雄さん、田中裕美子さん、菱沼幹雄さん、平野裕司さんはじめ多くのゼミの卒業生のご協力、ご支援を頂きました。すべての人の名前を記載できませんが、この紙上を借りて、ここに厚く感謝とお礼を申し上げます。
・私は、後2年、(公財)テクノエイド協会理事長、富山県福祉カエレッジ学長を担う予定ですが、研究者、大学教員としての責務は今回のホームカミングデーをもって終了とさせていただきます。
卒業生の皆様には、自立した、かつ自律した職業人として、日本社会事業大学の建学の精神を忘れることなく、仕事に励んで頂きたいと思います。
皆様のご健勝とご多幸を心より祈念しています。今日からは、教師、研究者ではなく、“年老いた恩師”として、末永く懇親、懇談できればと願っています。

出典:大橋謙策「老爺心お節介情報」第50号、2023年11月4日。
大橋謙策『大橋謙策研究 第2巻 老爺心お節介情報』市民福祉教育研究所、2025年1月、所収。

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大橋謙策研究 第6巻
経歴と研究業績―地域福祉実践・研究の系譜―

発 行:2025年3月20日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


大橋謙策/住民の社会貢献活動及び地域再生と社会教育の役割(2008年10月29日)


*大橋謙策:(社)全国社会教育委員連合会長、日本社会事業大学学長

 

はじめに

ただいまご紹介いただきました、社団法人全国社会教育委員連合の会長をしております大橋でございます。第50回大会にあたりまして、私のほうから基調報告をさせていただきたいと思っております。先ほど開会の挨拶でも話をさせていただきましたが、ほんとうに今日は全国各地から遠路この長野の大会に馳せ参じていただきまして、ありがとうございました。私どもといたしましては、長野県というのは公民館の実践の歴史が大変豊かなところでございます。いろいろな分野で縦割り行政の見直しが求められている状況の中ですから、社会教育の分野も全国公民館連合会と一緒になって今こそ社会教育の関係者が一同に会して全国大会ができればという思いもあったわけでございますが、諸般の状況で今回は全国公民館連合会には物心両面にわたりまして支援をいただきましたが、とりあえず社団法人全国社会教育委員連合として第50回大会を開催するということにさせていただいたわけでございます。
この社会教育研究大会は、1959 (昭和34) 年に始まったわけでございまして、当初は財団法人全日本社会教育連合会が主催する形で行われました。しかしその財団法人全日本社会教育連合会の主催ではありましたけれども、趣旨は全国津々浦々の市町村の教育委員会に所属されている社会教育委員の方々の横の連絡を持ち、研究を深めることによって、全国的な社会教育の推進を図りたいということで始まりました。そんなことがございまして、全国社会教育委員連合が社団法人化されたことを契機に、1963年以降本法人の主催として大会を進めてまいったわけでございます。今回の50回大会にあたりまして、50回の節目のイベントを盛大にやるというわけではなくて、全国津々浦々に配置されている市町村の社会教育委員の方々の横の連絡ということの持つ意味を改めて問うたらどうだろうか。そういう意味では各都道府県、あるいは各ブロックの研究大会のテーマをばらばらに行うのではなくて、少しゆるやかな共通性を持たせて行う。そしてそれを3年くらい積み上げて50回大会に臨むのがよろしいのではないかということで作業を進めてきたわけでございます。先ほど50回大会の実行委員長でございます小出勉実行委員長から話がございましたよ

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うに、平成18年度の富山大会におきまして、「一人一人が学習成果を生かし、主体的に地域づくりに参画する社会をめざして」、住民が学習成果を生かして主体的に社会参画する、つまり自己満足的な、自己充足的な生涯学習になりがちだったものを、もう一度問いなおしをして、社会貢献、社会参画型の生涯学習、あるいは社会教育というものを考えてみようというテーマが平成18年度の富山大会での論議でございました。翌年の平成19年度はもう少し積極的に「新しい公共づくりに貢献する社会教育の役割」というテーマを掲げました。21世紀は新しい社会システムが求められているわけでございまして、その中身は新しい「公共」と呼ばれるものでございます。この新しい公共づくりに貢献する社会教育ということを考えてみました。それらを受けてこの50回の長野大会は「住民の社会貢献による地域再生」ということを謳ったわけでございます。個々のブロックの研究大会とか、あるいは各都道府県の研究大会の活動報告をつぶさに報告する時間がございませんが、別冊に資料がまとまっておりますので、そんなものを参考にしていただきながら本大会の持つ意味を考えていただければありがたいというふうに思っているわけでございます。
そこで私は、今日の基調報告では、その3年間の積み重ねを踏まえて今回のテーマでございます「住民の社会貢献活動及び地域再生と社会教育の役割」ということを大きく三つの柱でお話をしてみたいと考えております。一つは21世紀に求められる社会システムというものはどういうものか、ということでございます。二つ目は住民と行政の協働活動と住民の主体性、三つ目は戦後社会教育行政の理念と社会教育委員の役割の三つの柱から話をさせていただきたいと思った次第でございます。

Ⅰ 21世紀に求められる社会システム

はじめに、21世紀に求められる社会システムでございますけれども、実は文部科学省あるいは中央教育審議会は2000年以降いくつかの大事な問題提起をしているわけでございます。これは文部科学省のホームページ等を含めて入手していただき、改めて全国の市町村の社会教育委員の会議でご論議をいただければと思いますし、できましたら教育委員会をあげてその持つ意味をご論議いただければありがたいと思っております。一つは2002年の7月に中央教育審議会が出しました「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について」と題する答申がございます。そこで「新しい公共」という言葉を使ったわけでございます。答申では「個人や団体が地域社会で行うボランティア活動やNPO活動など互いに支えあう互恵の精神に基づき、利濶追求を目的とせず社会的課題の解決に貢献する活動が、従来の官と民という二分法ではとらえきれない新たな公共のための活動として評価されるようになってきている。」従来の行政側、行政以外という官と民という二分法ではない新しい公共というものが求められている。それは何なのかというと、経済成長至上主義の利潤追求というやり方ではもう限界になった、ボランティア活動やNPO活動など個人や団体が地域社会で行う互いに支えあう互恵の精神に基づく活動というものを見直してみる必要があるのではないか、こういう提起でございます。

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もうひとつ2003 (平成15) 年に同じく中央教育審議会が「新しい時代にふさわしい教育基本法と教育振興基本計画の在り方について」(資料1) と題する答申を出しました。
その中で21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成ということを考える必要があるというふうに述べまして、自己実現を目指す自立した人間の育成、「知」の世紀をリードする創造性に富んだ人間の育成、というものをあげながら、その中で新しい「公共」を創造し21世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成を謳ったわけでございます。
全国の社会教育委員会議あるいは教育委員会等では、これらの中央教育審議会の答申を素材にして学習し討論がどれだけ行われているのでしょうか。その市町村の社会教育のあり方をご論議いただくのも大変大事ですが、少なくとも国の教育政策や動向がどこに向かっているのかということは、事務局ともども考えていただきたいということでございます。今度の社会教育研究大会のテーマというのは、全国社会教育研究大会のアイデアというよりも、この文部科学省や中央教育審議会の、もっと広く言えば日本の内閣それ自体が求めている21世紀の新しい社会システム。それとかかわって社会教育はどうするのか、ということが改めて問われているのだということをご理解いただきたいと思います。
では21世紀に求められる新しい社会システムは何か。私は,それはネットワーキング型の横社会だというふうに思っているわけでございます。20世紀は中根千枝先生という文化勲章を授章された方の研究の結果で言えば、縦社会という社会構造だったということでございます。わかりやすい言葉で言えば、上意下達的な枠組みがしつかりしている。
その中で枠組みを尊重していれば寄らば大樹の陰で守られる。その枠組みを壊そうとして自分の主体的に感じ思ったことを述べようとすると出るくいは打たれる、こういう縦社会という日本の社会構造の特色の中で、大量生産、大量流通に基づく経済の発展が行われてきたのだというふうに思うわけでございます。第二次世界大戦前はいわば軍国主義で軍隊というものに見られる上意下達の組織、戦後は高度経済成長を成り立たせた大量生産・大量流通型の経済発展主義、そういう中で20世紀は過ぎてきたと思います。しかし21世紀はますます国際化社会が進むわけでございます。経済界は、いちはやく1990年のときの産業構造審議会の答申に見られるように、国際社会に対応する日本を考えると、もう縦社会の構造の中で人材というものを考えるわけにはいかない。ノーと言える日本人。自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の足で歩き、自分の頭で考えられる主体性のある人材を育てなければ、上意下達的な唯々諾々としているそういう人材では国際化社会は乗り切れないということを、経済界がいちはやく開題提起をしているわけでございます。その1990年の問題提起以降、約20年経つわけですが、皆さん自身もひしひしと国際化の動きというものはご理解いただけるのではないでしょうか。日本だけが日本の枠組みの中で過ごすということは許されない時代になってきているわけです。今日の世界恐慌とも言える金融危機の問題は、まさに日本国内ではどうしようもないほど、金融、貿易というものは変わってきているわけです。かつてのように資源を輸入し日本で加工し、その加工の仕方は大量生産、大最流通で送り出すという産業構造、社会構造はもう成り立たないところにきているということは皆さんおわかりかと思います。

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そうだとすれば、当然それに伴う人材の育成も変えなければならないのではないでしょうか。
20世紀の縦社会で求められた人材というものは、ある意味では素直で、上司に言われたことを真面目に頑張る、そういう人材であり、しかも均ー的な、個性というよりも均一的な人材が求められたわけではないでしょうか。そのときの教育というのは、皆さん自身もそうでしょうし、私もそうですが、自分が育ってくるときに「あなたは何をしたいのですか」ということを親や学校の先生から聞かれたことはほとんどないのです。皆さんはどうでしょうか。何か言おうものなら、「つべこべ文句言うんじゃない」「親の言うこと聞いていればいい」「先生の言うことを聞いていなさい」それだけで子どもを枠にはめてきてしまったのではないでしょうか。私にはそれは、“禁止と命令による型にはめる教育”だったのではないかというふうに思えてならないわけです。枠組みをつくり直そうとか、枠組みを超えて自分の個性を豊かに考えようとか、いくら教育基本法に個性の尊重とか人間性の尊重とか書いてあっても、理念として、言葉としてはありますけれども、実態は我々の体に染み付いている、国民の文化に染み付いている枠組みの中で物事を考えてしまう。枠組みがあろうとなかろうと自分が考えるというふうにはなっていない、そういう人物に自分は育てられたかなというふうに思うのですが、皆さんはいかがでしょうか。韓国の文部大臣をされました、李御寧(イ・オリョン)さんという方が書いた本の一つに『「縮み」思考の日本人』という本がございます。伸びようとするものをみんな縮めてしまう。枠にはめていってしまう。そういう文化を日本は持っていないか。それは韓国の文化とはまったく違う文化だ。というふうに李御寧さんは述べているわけです。その最たるもの、象徴的なものが、「盆栽だ」。竹も丸いのを四角につくつてしまう、盆栽も伸びようとするのを詰めてしまう。日常的に言うならば、弁当箱のようにぎゅうぎゅう詰めにしてしまう、あの日の丸弁当なんていう感覚は韓国にはない。そういうことを李御寧さんは言っているわけでございます。そのことは、盆栽文化を否定するということではありません。世界に誇れる文化ではありますが、それも見方を変えるとそのような捉え方もできるということだと思います。21世紀の国際化時代を考えますと、本当に一人ひとりの個性、人間性の尊重、人権というものを考えなければならない時代でございます。私たちは言葉としては人権、人間性の尊重はわかっておりますが、どれだけ実態的に見えているでしょうか。私自身今から35年くらい前に最初にアメリカを訪ねたときに、ビザをとるのに目の色を書かなければなりませんでした。私は、当然日本人は「目の黒いうちは」と言いますから、しかも小学校時代に自画像を描くと皆、目は黒のクレヨンで塗っていましたから、当然ビザの申請書に『ブラック』と書いたわけです。そうしましたら、大使館の職員がいやがらせだとも思うのですが、太い赤鉛筆で斜線を引きまして、『ブラウン』と英語で大きく書くんです。私の目はいつから茶色になってしまったのだろうかと、そのとき本当に考えました。皆さんは自分の目の色は、茶色ですか、黒ですか、青ですか。アメリカに行ってみて、人種の均禍といわれるシカゴなどで話をしてみると、目の色が違う、皮膚の色が違う、宗教が違う、大変な状況でございます。ついこの間もインドのある大学の先生が私を訪ねてくれまし

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た。いろいろ話をしておりますと、インドの宗教を理解するのは大変なことだと思いました。ある意味インドで宗教を聞くというのはタブーに等しいくらいという話を聞きました。日本人は宗教があまりないかもしれませんが、しかしヨーロッパやアメリカに行ってみると本当に皮膚の色、目の色いろいろと違うわけです。そういう中で人間とは何なのだろう。自分というのは何なのだろうと考えなければならない。そういう日々でございます。イギリスのロンドンにいるときに、通りを一本隔てるとまったく違ったにおいがする。違ったものを売っているお店がある。そういうところを毎日のように行き来しておりますと、日本人はよほど意識して人間性の尊重とか人権という言葉を使わないと、頭ではわかっているけれど日常生活感覚では身についていない、という話がたくさんあるのではないでしょうか。私も首から上は男女平等論者でございまして、とうとうと男女平等をしゃべりますが、首から下は意外と男尊女卑だったりするかもしれません。頭でっかちで頭ではみんなわかっている。では、日常生活の感覚でわかっているのだろうか。これはいま我々が問いかけられている21世紀の課題ではないかと思っているわけでございます。
私の地域は人口75,000人で560人くらいの在住外国人登録の方がいらっしゃる。国籍が52~53カ国です。もちろん統計をとった時点でもずいぶんかわりますが、東京の豊島区は人口25万人くらいのところですが、16,000人くらいの在住外国人の方の登録がございました。国籍は87カ国。それを私どもは全部外人と言っていたわけです。今や外国人と言いますが。87カ国の方が全部違うのに、何でひとくくりの外人になってしまうのでしょうか。非常に危険な考え方です。私は介護保険法に基づく第1号被保険者である高齢者になりました。私の高齢者と100歳の高齢者と同じ高齢者だと言われても、違いますよね。どうも日本人はそういう人を見ることを丁寧にしないで、大雑把にくくつてわかったような気になるんですね。障害者と言ってわかったような気になる。高齢者と言ってわかった気になる。外国人と言ってわかった気になる。ほんとうでしょうか。そういうことを小さい時から、一人ひとり丁寧に人を見る目を、人の好み、人の違い、そういうことを考えていかなければならないのではないでしょうか。なんでこんなに人を丁寧に見るということが不得手な文化を持っていたのでしょうか。それがある意味では稲作農耕文化につくられた社会構造であり、文化なのではないでしょうか。この長野県は田ごとの月と言われるくらいに、棚田があるわけでございます。石川県の能登にもすばらしい棚田がございます。千葉県にもすばらしい大山千枚田というのがございます。このような棚田はよほどお互いが共同して農業用水を確保しないかぎり、とても一人ではあれだけのことはできませんよね。今のように重機が整備されている時代ならいざ知らず、人手で田んぼを開拓し、農業用地を確保するということは、並大抵のことではないわけでございます。それをやるためには人力をまとめるしかない。日本にとっては田んぼで米をつくるというのは、まさに生計手段であり、生産手段そのものでございます。よく日本人は家と言いますが、私に言わせれば、あの「家」は生計手段、生産手段の田んぼや畑を継承する組織でしかない。血はつながっていない夫婦養子などが多かった。韓国・中国では夫婦養子というのはありません。中国は宗族というのはあります。それは文字通り血のつながりです。韓国には本貫というものがあり、

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血のつながりが証明されます。韓国ではそれと同時に苗字と名前を見れば同じ世代の血縁者であることがわかるということです。ですから、同じ苗字は基本的には結婚しません。最近は姓が同じでも本貫の出身地が違えば結婚してよいと緩やかになってきたそうですが、韓国では、恋愛をしても姓が同じだということで悲劇がずいぶんおきていて、今それを変えるべきだという論議をやっています。ですから、留学生などは「わたしは何代目の何々です」と言います。
日本はお寺に過去帳がございます。しかしそれは血のつながりを証明しておりません。養子縁組はたくさんあるわけでございます。家というのは何か、墓というのは何か。それは生計手段、生産手段である田んぼをどう維持継承するかという組織のことにすぎないと私は思っております。日本の言葉にある“ー所懸命”というのは、まさに土地を大事にするということです。そういう日本的な社会構造、文化というのは、地域がまとまらなければならない。用水は移動させることが困難です。田んぼも移動させられません。
どうしても土着性と共同性が強くなります。その共同性と土着性が強くなれば、その枠組みを壊そうとするものは、異端者扱いになります。だから村八分という言葉が出てくるわけでございます。私は自分の住んでいる地域で40年近く住んでおります。今日も社会教育委員の方が何人か見えております。自治体から地方自治功労賞も受けておりますが、土地の方に言わせれば、私はまだ旅の人でございます。どこの馬の骨だかよくわからない。旅の人なのです。土地を営々と耕し、それで生計を立ててきた方から見れば、大橋のような移住者は旅の人なのです。私の知っている友人は、神主で23代と続く神社の宮司をやっておりますが、今日お見えでしょう、島根県の江津にあります。その方と話をしたら、自分の地域は大正時代に引っ越してきた人もまだ旅の人だよと言っておりました。大正時代に移住した人も旅の人。出雲という非常に歴史のある地域からいけばそうかもしれません。つまり営々としてその地域の田んぼ、畑を開墾し耕し、農業用水を確保してきたその集団から見れば、外から来た人間は外の人なのです。内と外というのをものの見事に日本は使い分けるわけです。皆さんのところにもそれは相当あるのではないでしょうか。日本の民話は多くは水にからみます。桃太郎のように「どんぶらこどんぶらこ」と川上から川下に流れてくるわけです。ところが、弓矢というのはぜんぜん出てきませんね。日本に民話で弓矢が出てくるのは何かありましょうか。強いて言えば那須与ーの屋島の合戦くらいでしょうか。ところが外国では弓矢はずいぶんあるわけです。我々になじみのあるロビンフッドやウィリアムテルなどもそうでしょう。外国は狩りの文化です。狩りは移動します。したがってフロンティア精神は非常に豊かにあるわけです。日本は土着性、共同性です。ですから、同じ地域の中で共同して生産手段を確保し、生産してきたものの仲間内の結束は非常に固いわけです。それに宗教が結びついたりすれば、あるいは姻戚関係が結びついたりすれば、それは本当に強固な隣近所になるわけでございます。我々が言う地縁あるいは地域の持つ相互扶助性というのは、その稲作農耕文化につくられた文化、社会構造なわけです。地域にどこからか人が来て居ついた。その人を本当に助ける文化があるか。あまりないですね。閉ざされた集団の中での相互扶助は豊かにありますが、社会に開かれた相

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互扶助というのは残念ながらありません。第一、社会という言葉がないというのがよく研究で言われることでして、一橋大学の学長をされた阿部勤也先生ではありませんが、日本は世間体ということだけを問題にする。社会と個人ではなく、仲間内の世間体である。こういう論議になるわけでございます。世間体が悪いからという言葉を皆さんも日常的に使うのではないでしょうか。社会規範ではなくて、世間体が悪いのです。世間体ということがなくなってしまったら、カラスの勝手でしょうというような話になるわけです。実はそこに大きな問題があるわけです。先ほど寺西審議官が社会規範という言葉を使われましたが、日本にとっての社会規範というのは何なのか。社会というのは何なのか。ということを改めて問い直しをしなければなりません。私は20数年前からしきりに寄付の文化という言葉を使っております。見ず知らずの社会のために寄付するという文化をつくらなくてはいけない。仲間内の冠婚葬祭は豊かにあるけれども、見ず知らずの人のために、社会のために寄付するという文化は、残念ながら日本にはない。大変失礼ですが皆さん自身は1年に1万円以上寄付するという方は手を上げていただけますか。さすが社会教育の全国大会ですね、かなりの方が寄付されています。私はいろいろなところで手を上げていただいていますが、1万円の寄付ができないのです。赤い羽根共同募金で隣近所の人が今年の目標額は350円ですとか500円ですとか言うと出すけれど、人が来ても来なくても自分から寄付をするという文化を持っているでしょうか。アイヌの人たちは文字がありませんでした。口承文化です。そのアイヌの人たちは稲作農耕文化とは違って、狩猟文化です。シャケとか何かを獲ってくるという文化でございます。そのアイヌの中で詳しいことはよくわかりませんが、私なりの理解をしますと、自分が獲ってきたものの10分の1は村の長に収めるという文化を有してきたそうでございます。村の中には年老いて狩りに行かれない人がいる。夫も亡くなり、子どもが小さくて狩りに行かれない人もいる。自分で狩りをし、自分で生計を立てていかれない人のために、村の長は皆が獲ってきたものの10分の1を収めさせ、それを分配するという文化を持っていたそうでございます。そういう文化を、倭人と言われている人たちはどれだけ学んだのでしょうか。もちろん日本の中にも、四国を中心としたお接待の世界があることはわかっております。しかしいつの間にか高度経済成長の中で、我々は金銭至上主義となり、経済成長がすべてだというふうに考え、自分のものは自分のもの、人のものも自分のもの、というふうな状況になってきていないだろうか。借景という言葉があります。自分の庭の景色は人に見せないけれども、遠くの山の景色は自分で使ってしまう。ドイツなどは通りを行く人のために窓に花を飾る。身内ではなくて外に向かって花を飾る。アメリカでも、垣根を囲い込まないで開かれた家にする。そういう住宅も文化も含めて、我々は決して開かれた感覚を持ってはいないわけでございます。それは徳川300年の鎖国の影響だということもありますが、どうも私は稲作農耕文化のもたらす社会構造文化があるのではないかと考えております。それを中根千枝さんは縦社会というふうに非常にわかりやすく述べたわけでございます。その縦社会の中である意味では私どもはあまり難しいことを考えずに主体性も問われることなく、枠組みの中で頑張れれば安心した最低の

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状況は過ごすことができました。今、枠組みがカタガタと壊れているわけです。本当にあなたはどう思うのですか、どうしたいのですか、学歴と言っても、よい大学に行っても一生それで保障されるわけでも何でもありませんよ。どう考えるのでしょうか。と問わなければなりません。昔だったら学歴、よい高校よい大学で安定した生活があったかもしれませんが、今ではそれで入った証券会社がつぶれてしまうかもしれない。東大の法学部を出て中央省庁のキャリアになろうと思っていた。その構造が壊れてしまっている。枠組みに就職するのではなくて、自分が持っている能力をどういうふうに社会の中に生かしていくのかということを考えなければならない、そういう時代が今来ているのではないかと私は思います。長野県の教育委員長に10月に就任されたようですが、元長野県の茅野市の矢崎市長が、茅野市で、住民と行政のパートナーシップをどうつくるか、条例でパートナーシップをどうつくるかということをやりました。行政は全部情報をわかっていて、行政だけで物事を進める時代は終わった。住民に学んでもらって、住民と行政は協働しなければならない。たとえば長野県の茅野市ではゴミの分別を16分別にしていると思います。16にゴミの分別をできる住民というのは、大変な力のある人たちです。徳島県の上勝町はたしか23分類をしていると思います。それだけの分類をできる住民というのは大変な力量でございます。今地球環境がたいへんだ、ゴミを減らそうと、いくら行政が声をかけても、住民が学習し、住民が参加をしてくれないかぎりできません。住民が間違ったゴミを出したら、行政の職員がいちいち分別するのでしょうか。そんな手間隙は、よほど住民のかたが税金を多く払わないかぎりやれないのではないでしょうか。口で地球温暖化、環境を何とかしようと言うのは簡単です。日常の毎日出るゴミをきちんと分別する能力を住民が持てるかどうか、これは、私は大変なことだなと思います。今は、住民は市長がやれと言ったからやるという時代ではないです。なぜ今16分別をしなければならないのか。それはどういう意味を持っているのか。ということを自分なりに学習し納得しないかぎりやれないのではないでしょうか。私はそういう実践を積み上げる、あるいは福祉の分野でも住民座談会を繰り返しやりながら練り上げていく、そういう中でパートナーシップ条例をつくり上げていく。行政と住民が協働しなければ、これからは地域は成り立たないし、社会は成り立たないし、行政を推進できないということを、57,000人という小さな市かもしれませんが、茅野市は壮大な実験をしたと私は思っております。今日は全国のいろいろな事例をご紹介する時間はありませんが、少なくとも行政が市長なり総理大臣の命令ー下、上意下達的にヒ°シッと何かをする時代ではない。ならば一人ひとりの住民が学習し、横につなげていくしかないのではないでしょうか。それをヨーロッパ等で言われている社会哲学で言えば、行政と住民の協働によるソーシャルガバナンス、第3の道です。従来は行政が住民を統治する、ガバメントでした。これからは行政と住民が協働してやらなければいけない、ガバナンスです。(社)全国社会教育委員連合が平成20年10月に刊行しました『住民参画による社会教育の展開』の中にある私の論文の中にも書きましたが、山形県の鶴岡市、合併前10万人の時に133の町内会で住民座談会をやりました。参加者は2,100人です。2,100人の住民に無記名でカードに生活課題を書いていただきましたが、問題提起された生活課題は、なん

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と5,300枚です。5,300枚に書かれた生活課題を、どうやって改善していくのか。住民の方々は、これは行政が頑張らなければだめだ、これは行政に言っても無理、住民自身が考えなければ、これは住民と行政が協働しないとできない、と話し合いながら整理をしていきます。私は大変な力だと思いました。私たちはいつのまにか教育というのを一方的なシステムにしてしまったのですね。「すずめの学校」のように教師がいて「ムチをふりふりちいぱっぱ」の教育を想定してしまっている。誰が生徒か先生かわからない、「めだかの学校」的な共同学習を教育と思わなくなってしまったのではないでしょうか。公民館の社会教育行政も、講師を連れてきて講座をやることだけが社会教育だとなってきています。違いますよ。学習とか教育の原点は、人と人とが交わることです。異なる考えの人たちが交わる中で、学びがはじまるのです。そういうことを意識して話をしないといけないのではないだろうか、というふうに思います。いずれにしましてもこれからの21世紀は国内的に見ても国際的に見ても、どう見ても一人ひとりの主体性というものがあり、その人の意識•関心・意欲というものをもとにして横につながっていくしかない。WHO(世界保健機関)は1980年に国際障害分類というのを出しました。通称ICIDHと言うのですが、身体的障害がある、その身体的障害がその人の能力の発達を不十分にさせる。能力の発達が十分ではないから、社会生活上不利益を生ずるという身体的障害(impairment)と能力不全(disability)と社会的不利(handicap)というその相関性が非常に強いということを1980年に整理をしました。WHOは2001年にその考え方ではダメだとことで見直しをいたしました。身体的に障害があろうとなかろうとそれは関係ない。その人の社会環境、意欲、そういうものを中心にして考え直さなければならないのではないかという新しいICFと呼ばれる考え方、国際生活機能分類を打ち出しました。わかりやすく言えば、障害者という言葉を使わない。Aさんをよく見ると生活上こういう機能障害がある。Bさんを見ると生活上こういう機能障害がある。考えてみるとゴミ出しをできない多くの男性は生活機能障害かもしれない。私なども生活機能障害がある。同時に私などは老眼が進んでいて、お風呂に入るときにはわずらわしいからどうしても脱衣所に眼鏡を置いてきます。お風呂に入って、はたと困るのは何か書いてあっても読めない。熱湯注意と書いてある。非常に危険なことです。皆さんはシャンプーとリンスとボディソープの違いがわかりますか。あれは見えないです。あわ立つものならなんでもいいやと私のように髪の毛のない人は考えて使用していますが、考えてみたら生活機能障害かもしれない。もっと困るのは、生命保険などの保険会社の契約書、なんであんなに細かい字で書いてあるのか、あれを高齢者が読んで契約したんじゃないですかと言われても困ってしまう。あれはどう見ても生活機能障害の問題点です。そう考えると身体的に障害があるというのではないが、生活上ほとんど多くの人が機能障害を持っている。だから障害者という言葉はやめましょう。生活上の機能障害というのは高齢化社会の中で悪徳商法だ、契約能力の不十分さだとみんな持っている。今はそういう時代です。かつての枠組みで守られている時代は終わって、一人ひとりの契約でいくと言ったときに、そのことを理解できる能力を持った人がどれだけいるのかと言ったら、今日大変大きな問題を抱え

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ているわけです。私のようにITが十分に使えない場合にはIT化石になるわけです。
行政の方は「ホームページを開設していますから、それを見てくれればいいのです」と言いますが、ホームページにアクセスできなかったらどうするのか。・そういうときに社会教育を考えたら、社会教育の学びというのはもっと多懐です。社会教育法の第3条に「実際生活に即する文化的教養」と書いてありますが、その意味はとても重要です。ICFの言うように生活機能に関する学習、主体性にかかわることが重要だということです。21世紀はどうも20世紀の時代のような枠組みがしつかりしていて、その中にいれば寄らば大樹の陰で守ってくれる時代ではなくて、非常に不安定な枠組みがない、一人ひとりが自分の枠組みをつくつていく、主体的につくつていくそういうことを求められる時代だということを少し考えていただければということでございます。その中でソーシャルガバナンスという行政と住民の協働、あるいはNHKのご近所の底力というテレビ番組に代表されるような、ソーシャルキャピタル、地域住民が改めて信頼と協働と互酬に基づく地域づくりをしないと地域は守れないということです。安全と安心を考えてみてください。ほんとうになんでこんなに防犯上安心できないことがおこるのでしょうか。防災の問題はどうでしょうか。防災上、防犯上、安全と安心がなくなってきている。今や食べるものも安心でなくなってきている。そう考えると、地域という生活圏域の中で、この信頼と互酬と協働という営みがすごく求められているのは皆さんおわかりではないでしょうか。それをソーシャルキャピタルと言っているわけです。このソーシャルキャピタルを、もう一度きちんとつくり直さないと日本の21世紀は立ち行かない、というところに今来ています。自民党もコミュニティ基本法というものをつくらないとやっていかれないのではないか、そういうところまで来ています。

Ⅱ  住民と行政の協働活動と住民の主体性

そこで2番目の柱でございますが、先ほど述べましたガバナンス能力としての学習、あるいは生活問題における住民参画、学習ということを本当に改めて考えていただきたい。住民はある日突然に目覚めるのでしょうか。朝起きたらとたんに聡明になってゴミの16分別や23分別ができるという薬があるのでしょうか。ドラえもんにでも頼んでそういう薬をつくってもらうという話になれば別ですが、いくら考えてもそういうことはない。日々の積み重ねではないでしょうか。しかもそのことに気がついていない人もたくさんいるはずでごさいます。住民と行政の協働というのは、理念としてはとてもすばらしいことですが、住民とひとことで言いますが、千差万別でございます。素人の一般住民によるレイマンコントロールという考え方は大切にしたいと思いますが、実態はそう簡単ではありません。今私がかかわっている地方自治体で、住民参加による地域福祉計画とか、公募制による社会教育委員とか、いろいろな形があります。でも本当に公募制で選ばれてきた住民が、力のある住民でしょうか。東京都の児童福祉審議会の委員で、公募で応募し選ばれて委員になった人が児童委員と児童福祉司の違いがわからない。児童福祉審議会は2時間しかなくて、私は進行役をやっている立場で、それをこの機会に教えてあげたいと思います

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けれども、限られた2時間の中でいろいろなことを審議しなければならないときに、そもそも児童委員と児童福祉司はどう違うのでしょうか、という委員の質問にどう対応していいかわからない。このようなことはいっぱいあるわけです。そもそもから学ばなければならないのでしょうか。介護保険事業計画の公募委員になった人たちが、介護保険の制度の仕組みをまったくわからないで議論している。公募委員になって何か言いたいという気持ちはわかります。でも向こう3年間のこの市町村の介護保険に関するサービスはどうなるのか、日常生活圏域をどう設定するか、介護保険をいくらにするかということを論議する時に、介護保険のそもそもの制度の説明をしなければいけないというのはすごくつらいですね。私などはそういう方がいらっしゃると、事務局と相談して別に勉強会をしてもらいますけれども、それでもなかなか追いつきません。みなさんはどう考えられますか。住民参画というのは実にきれいな言葉ですが、その住民というのはどういうことをわかっている住民なのでしょうか。あるいは私はよく学生に向かって、住民集会を企画しなさい、住民集会のシュミレーションとしてロールプレーというのをやってもらうのですが、学生たちが考える住民のイメージというのは恐ろしいほどに偏っています。地域にはいろいろな人がいる。中学校区には、人口11,000人で5.5人くらいの割合で家庭内暴力を受けている人がいる。1中学校区で3.5人の児童虐待を受けている人がいる。1中学校区に85枇帯の母子世帯がいる。1中学校区に130人くらいの在住外国人の方たちがいらっしゃる。1中学校区で29億5,000万円の医療費が使われている。1中学校区で6億円の介護費用が使われている。国が医療費33兆円、と言われてもびんと来ないかもしれませんが、中学校区に29億円という話だったら理解しやすくなるのではないでしょうか。抽象的な国のレベルの数字を扱うのではなく、地域にはこういう問題を具体的に抱えている人がいます。我々の地域づくりというのはそういうことを想定していますか。考えなければなりません。在住外国人のことは排除し、母子家庭も排除し、家庭内暴力も排除し、ひとり暮らしの人も排除して、それ以外のいわゆる皆さんが考えられる健常者だけの地域ですか、そんなことはないですよね。皆さんが地域と考えるのは、どういう地域なのか。そこに住んでいる住民というのはどういう住民なのかということを、もっと感度するどく、いろいろの人が住んでいる、その人たちの生活問題に絡めて学習し地域をどうするんだということを考えないかぎり、これからはやっていかれないわけです。皆さん見ていただいたかもしれませんが、過疎地だけが限界集落ではありません。NHKのおはよう日本で取り上げてもらいましたけれども、東京の豊島区ではなんと65歳以上の高齢者のうち、ひとり暮らしをしている人は34%です。ある地域はもう50%をこえて、友達もいないまったく孤立した状況で生活している。そういう具体的な地域の生活問題なり、そこを構成している住民の状況というものをきちんと把握して、我々は地域で実際生活に即するということを考えなければならない。社会教育行政や活動は、地域という場合に、果たしてそういうことを考えてくれているのか。社会教育で言う住民参加の「住民」というのはそういうことを考えてくれているのかということを改めて問い直していただきたい。そうしますと「これだけ行政は広報を出しているではない

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か。ホームページをやっているではないか」と言うのです。しかし東京の豊島区などでは、自治会の加入率はもう40%を割っています。そして今日の不景気の中で、新聞を購読していない人がたくさんいるのです。回覧板も回せない。住民にどうやって情報を提供するのでしょうか。私は1975年から5年間幼稚園の副園長を非常勤でやりました。保護者にわかってもらわなければいけないと思って、一生懸命「園だより」を書きました。年間100回くらい出しました。ところが親御さんからこういう電話がかかってきました。「あした子どもが遠足と言っていますが、どこに行くのでしょうか」「何時に集まればよいのでしょうか」「何を持って行けばよいでしょうか」もう職員たちは怒るわけです。「00に書いてありますから」と言ってもダメですね。私はそれ以来どれだけ活字文化に馴染んでいるか、ということをチニックする際の一つの指標にしています。そのころ家庭教育学級で、私はこういう質問をしました。20人の参加者がありました。「1週間のうち字を書いたことのある人。」そうしましたら、20人のうちたった2人でした。家庭教育学級に来るくらいですから、意識の高い人です、意欲のある人です。その人たちのうち、たった2人です。一人は、はがきを書いた。一人は、毎日家計簿をつけている。こういう現実です。そこを見て我々はもっと問題提起をしなければいけないわけです。つまり我々は、「公民館だより」「社会教育だより」「行政の広報」といくらでもやっているつもりですけれども、住民とは完全にずれています。もっとも実際生活に即する文化的教養を必要としている人とは、まったくと言っていいほどずれています。それがずれているというふうに感じている方はよいですが、社会教育の方はややもすると生活レベルが高くて、ほっておいても活字文化になじんでいますから、そんな人が地域にいるなんていうことは想像しないのかもしれない。しかし多くの場合、その人たちが問題を起こしたり、問題を抱えているわけです。今、社会福祉の分野で言えば、「福祉アクセシビリティ」と言われるものが最大の問題です。どこに行っていいのかわからない。つながらない。もっと社会教育は、社会教育法の第3条の持つ意味というものを考えて、本当に生活問題を抱えている人たちにどういうふうにアクセスするのか、接近するのか、考えなければいけないのではないでしょうか。そう考えますと、住民がある日突然目覚めるわけではありません。住民なりに悩み苦しんでいます。しかしそこに誰かが触媒の役割で、働きかけてきっかけをつくつてあげなければならない。そのきっかけは、広報で00講座をやりますから来てくださいで、来るのでしょうか。そんな抽象的な呼びかけで来る人は、ほっておいても何か探して来る人たちではないでしょうか。社会教育における学習ニーズの把握だとか、活動の把握がどれだけ真剣に考えられているのでしょうか。私は相当ずれているのではないかというふうに考えます。もっと我々は泥くさく、住民座談会をやっていたかつての問題発見・問題解決型共同学習や、山崎延吉、稲垣稔らが昭和初年にやったような全村学校運動的なものをやる必要があるのではないでしょうか。そういう社会教育行政と住民のパイプの役割を誰がやるか。まさに社会教育委員ではないでしょうか。それをいろいろな形で応援してくれる社会教育主事がもっとそこに責任を持ってやってもらわないといけないのではないでしょうか。今日はその経

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過をお話したいのですが時間の関係でできませんが、住民というのはすごく大事です。しかし自然発生的にあるとき目覚め立ち上がるわけではないのです。誰かが働きかけ、気がついてもらい、そして一緒に行こうというふうに誘ってもらわなければいけないのでないでしょうか。栃木の足利出身の相田みつをさんに、「あのひとがいくならわたしはいかない。あのひとがいくならわたしはいく。あのひと。あのひと。どっちのあのひと。」という詩があります。社会教育はもっと、どっちのあのひとなのか真剣に考えないといけないのではないでしょうか。そういう論議をできる場は、こういう社会教育委員の全国大会なのです。そういうことにお互いに気がつき、全国の市町村に持って帰って、本当に草の根からもう一度説き起こし、働きかけないかぎり、日本の社会をつくりなおすことはできないのではないでしょうか。文部科学大臣を責めることは簡単です。総理大臣を責めることも簡単です。しかし教育は100年の計であり、ー朝ータにはいきません。もし皆さんが、私の話を聞いて感動して、明日から頑張ろうと言ったらば怖くてしかたがないかもしれません。たぶん皆さんは県民文化センターの玄関を出て「ふう寒い」と思った瞬間、大橋の話は忘れてしまいます。譜演とは、そういう性質のものかもしれませんが、それを繰り返しやるしかないのではないでしょうか。それを総理大臣が一網打尽のように上意下達的にひとこと言ったら、全国津々浦々いくなんていうことはありえないのです。あってはいけない。だからこそ社会教育委員が日々丁寧にやるしかないんじゃないでしょうか。あて職で社会教育委員になった方はたくさんいらっしゃるかもしれません。しかし今一度、社会教育委員の役割は何なのかということをぜひ考えていただきたいと思います。詳しいことは、第50回大会を記念して、『住民参画による社会教育の展開』という本を社団法人全国社会教育委員連合で出しましたので、ぜひ買って読んでいただきたいと思います。決して宣伝ではなくて、社会教育は学習です。教育は学習なくして成り立たない。学習は関心と感動なくして成り立たない。東大の名誉教授の勝田守ー先生の言葉ですが、まさにこの機会に関心を持っていただいて、学習していただき、それを社会教育に反映していただければと思います。

Ⅲ  戦後社会教育行政の理念と社会教育委員の役割

時間がなくなってまいりましたが、今回のテーマの社会貢献でございます。私は戦後日本の教育で大きな間違いをしたと思っていることが一つあります。それは日本は自由と平等は教えましたけれども、博愛を教えなかったことです。先ほど小出勉実行委員長が話をしてくださいましたが、教科書に博愛が書いてあるでしょうか。どうもカラスの勝手でしょう的な自由と平等が出てまいります。身分差別、居住の自由、職業選択の差別、宗教による差別、いろいろな自由のなかったあの封建社会をくつがえして、すべての人が平等にお互いが契約して新しい社会をつくろうというフランス市民革命。これは天賦人権説と社会契約思想に支えられて成り立ちました。この世に等しく生きるものはすべて幸福を追求する権利があります。そしてお互いが個人の資格において主体的に契約し、社会をつくつていこう、こういう天賦人権説であり、社会契約思想でございます。日本国憲法はそれを引きついで憲法13

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条で何人も幸福を追求する権利があり、何人もそれを侵してはならないと述べています。また、第14条で法の下の平等を謳っています。ところがこの世に等しく生けるものの中には、生まれながらにして障害を持って生まれてくる方がいます。生物で習ったメンデルの法則ではありませんが、突然変異が出てまいります。生まれながらにして働けない、生まれながらにしてコミュニケーション能力が行使できない、生まれながらにして契約能力がなく契約できない、そういう方々の幸福追求権を、皆さんは認めずに抹殺しますか。私は日本学術会議の会員を2期やりましたけれども、私の時代の論点の一つは、生命倫理科学でございました。ヒトゲノムが全部解読できたのだから、遺伝子の中に遺伝で障害を持って生まれるということがわかれば、それは遺伝子操作をすべきではないか。していいのではないかという提案を、第7部の医学部系の先生方は考えられます。第1部の人文社会系の会員は反対いたします。皆さんは遺伝子操作をすることに賛成ですか。我々は誰がどういう基準で遣伝子操作するのでしょうか。どの遺伝子が悪くて、どの遺伝子がよいのでしょうか。私を例にとれば、大橋は若はげだから大橋の遺伝子は抹殺する。足が短い遺伝子も見た目が悪いから抹殺する。というふうになっていってしまうのでしょうか。人間とは何なのだろうか。命とは何なのだろうかということを、改めて我々は論犠しました。社会教育は結論が出ないまでも、そういうことを考えるきっかけを与えるべきだと思います。フランスはこの世に等しく生きる中で障害を持った人が生まれる。その人の幸福追求権を否定したら、自分の自由と平等も守れない。自分の自由と平等を守ろうとしたら、生きとし生けるのものの中に障害を持った人がいたら、その人の幸福追求を肩代わりしていく。担っていく。アイヌの人たちの文化と同じことを考えたのです。それを博愛と言ったわけです。公の救済は社会の神聖な責務の一つである。徳川家康が言ったといわれる、我々の自由と平等は重き荷物を持って遠き道を歩くがごとしなのです。気軽に自由と平等を謳歌していいでしょう、というふうにはならない。あなたが自由と平等を言うならば、あなたは博愛というものをどういうふうに考えるのですか。博愛が担保されない自由と平等はありえない、このことを教えきれなかったと私は思います。みなカラスの勝手になってしまっている。もう一度これを考えなければいけないのではないでしょうか。我々の人生の時間の一部を必ず社会のために使う。それを担保することによって、初めて自分の自由と平等が保障されるというこの社会哲学を教えなかったということは、最大の間違いであったと私は思います。道徳がどうだとか、そういうことを言うよりも、あなたは自由と平等を欲しいでしょう。ならば博愛を持たなければなりません。あなたは1年のうちで何時間社会のために時間を使いますか。あなたの人生のうち、どの部分を社会に還元しますか。イギリスのボランティア活動で一番多いのは、金銭ボランティアです。時間はないけれどお金を寄付する。ボランティアのとらえ方も含めて、日本はもっと博愛の持つ意味というものを考えなおさなければいけないのではないでしょうか。
時間がなくなって残念ですが、戦前、海野幸徳や川本宇之介という人たちが積極的社会事業と消極的社会事業ということを言いました。戦前の積極的社会事業は、今で言う社会教育です。戦前は積極的社会事業と消極的社会事業がかなり統合的にとらえられていました。海野幸徳はそれを統合的社会事業と言いました。そういう考

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え方がありました。その積極的社会事業と消極的社会事業が、いつの間にか戦後文部省と厚生省になってしまって、縦割り行政になって分離してしまった。我々社会教育も、いつの間にか文部省という縦割りの行政の枠の中で物事を考える思考方法になっていないでしょうか。21世紀は枠組みを超えてつくりなおそうと言ったときに、地域で起きている問題は、文部行政の枠では解決できません。公民館の原点は、まさにその積極的社会事業と消極的社会事業を公民館を地域づくりの拠点として統合しようとしたわけです。昭和21年の次官通牒でやろうとしたわけです。長野県はその次官通牒の理念を実現しようとしたわけです。だからこそ、字公民館というものを大事にしたし、沖縄県も同じように字公民館を大事にしたわけです。こっちは社会福祉、こっちは社会教育と分ける意味は全然ありません。もっと我々は自由に社会教育委員という制度を使いながら、制度で選ばれる社会教育委員ではあるけれども、発想はその制度にとらわれることなく、問題提起をし、住民一人ひとりに社会貢献を投げかけ、呼びかけ、地域には多様な住民がいるということに気づいていただき、そして本当にソーシャルガバナンス、ソーシャルキャピタルという視点での地域再生をしていくことが、21世紀のネットワーク型の横社会につながっていくのではないでしょうか。全国23,000人の社会教育委員こそが、その先頭に立って、立ち上がらなければいけない時代がきているのではないでしょうか。私はそう思っているわけでございます。どうぞ今日から3日間、社会貢献及び地域再生ということに、社会教育委員は何ができるのか、ということを考え全国の市町村に持ちかえっていただいて、多くの社会教育委員と住民とが一緒に具現化できる道を社会教育計画という形で、あるいは地方教育振興基本計画という形でつくつていただければありがたいと思っておます。私は東京都の生涯学習審議会の会長をやっておりますが、今東京都では第三の教育行政、地域教育行政というのを打ちだそうとしております。もう学校教育行政と社会教育行政という枠を超えよう。そういう意味ではいろいろなアイデアがあってよろしいのではないでしょうか。お話したいことは山ほどございますが、どうぞ今述べたようなことを含めて3日間、論議をいただき、草の根から日本の社会をつくり変えていくその言動力として、社会教育委員として、お互いに頑張っていこうではありませんか。ありがとうございました。

付記
第50回全国社会教育研究大会(長野大会)基調報告より
日時:平成20年10月29日(水)
場所:長野県県民文化会館

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