「大橋謙策の福祉教育論」カテゴリーアーカイブ

老爺心お節介情報/第61号(2024年8月13日)

「老爺心お節介情報」第61号

地域福祉関係者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

暑い夏です。くれぐれもご自愛ください。
「老爺心お節介情報」第61号を送ります。

2024年8月13日   大橋 謙策

〇本当に暑い夏ですね。
〇“夏の暑さにも負けず”、全国各地のCSW研修で飛び回っています。
〇7月13日~14日には、徳島県阿南市で第21回四国地域福祉実践研究セミナー(「こんぴらセミナー」から通算すると第27回になります)に参加してきました。600名もの参加者で、熱気溢れる、かつ実践報告の水準も高いセミナーでした。年々、参加市町村も増え、参加者も多彩となり、地域福祉研究者としては学びの多い、嬉しいセミナーでした。
〇恒例の句会も行われ、筆者も投句しました。選者は阿南市俳句協会の関係者で、覆面で審査してくれました。筆者の投句「時鳥、阿南の郷に人を呼び」がなんと特選3句の一つに選ばれました。
〇来年の第22回四国地域福祉実践研究セミナーは高知県黒潮町で行われることになりました。黒潮町は南海トラフで34mの津波が押し寄せると想定されている町です。「地域共生社会政策」で標榜されている多世代交流の「小さな拠点」のモデルとなっている高知県ふれあいあったかセンターを6か所も運営している町です(高知県全体で55か所)。黒潮町は重層的支援体制整備事業を受託しており、急速に、かつ着実に地域共生社会づくりが進展しています。
〇黒潮町は、「藁焼きカツオ」で有名な明神水産があり、セミナーへの参加と同時に、「藁焼きカツオ」とお酒での懇親会も楽しみです。来年、2025年7月12日~13日が開催予定日です。皆さん、大いに参加してください。
〇今回の「老爺心お節介情報」は、日本社会事業大学同窓会の北海道支部の機関紙『アガペ』に連載中の「虐待問題」のその④を転載します。『アガペ』への寄稿は、後一回でおしまいにしようと考えています。
〇筆者は、酷暑ではありますが、CSW研修で8月~9月も全国を飛び回っています。私のCSW研修は4日間か5日間のコースで、「社会生活モデル」に基づくアセスメント能力の向上、アウトリーチ型のロールプレイとその気づきの検証、地域住民が抱えているニーズに対応する問題解決プログラムの開発、地域での頃地を克服するソーシャルサポートネットワークづくりの課題を学ぶことを必須としています。前期課程と後期課程との間には宿題を出し、後期課程においてその宿題へのコンサルテーションを受講生一人一人に即して行うもので、かなりハードですし、公私の力量が問われるものです。改めて、地域福祉関係者、社会福祉協議会関係者の研修のあり方を問い直すべきではないでしょうか。

(2024年8月13日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第60号(2024年7月24日)

「老爺心お節介情報」第60号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

「老爺心お節介情報」第60号を送ります。

2024年7月24日  大橋 謙策

〇酷暑の夏、皆様には如何お過ごしでしょうか。
〇私の方は、この暑さでは散歩もままならず、睡眠も熟睡できずと、少々へたり込んでいます。皆様には、くれぐれもご自愛の上、ご活躍下さい。

Ⅰ 「災害と福祉」のテーマに、日本地域福祉学会はどう立ち向かうのか?

〇2024年6月15日~16日に、第38回日本地域福祉学会東京大会が文京学院大学・本郷キャンパスを会場にして行われました。昨年の長野大会に続いての対面・集合型の大会で、久し振りに旧知の方々とお会いでき、旧交を温めることができ、嬉しい、楽しい機会でした。
〇私は、大会課題シンポジュウム「災害と地域福祉」のコメンテーターとして参加をしました。
〇コメンテーターとしては異色かもしれませんが、この機会に社会福祉関係者に災害支援のあり方を考え直してほしいと思い、以下のようなレジュメを用意して臨みました。
〇学会としては、災害にどう対応したのかという状況報告はそれなりに重要ですが、それはある意味“善意”のレベルであり、学会としては、被災者支援にどう対応するのか、対応の際の視点は、方法はどうあるべきか、その視点、方法は他の分野の被災者支援の方々とどこが同質で、どこが異質なのかを整理・対応することが、“誠意”ある対応ではないのかという考えのもとに、コメントというより、学会への問題提起という意味合いでレジュメを作成しました。





Ⅱ ケアリングコミュニティの形成と「社会福祉施設の地域貢献」

〇筆者は、1977年に大正大学で行われた日本社会福祉学会のシンポジストに指名され、学会デビューを果たした。その報告は、1978年の日本社会福祉学会紀要『社会福祉学』第19号に「施設の社会化と福祉実践ーー老人福祉施設を中心にー」として掲載されている。
〇筆者は、その論文において、社会福祉施設の社会化と地域化を進め、社会福祉施設を地域住民の生活を守る“共同利用施設”として位置づけるべきことを提言した。
〇その後、筆者は、2014年4月に『ケアとコミュニティ』(ミネルヴァ書房)を編者として上梓する。その本の中で「社会福祉におけるケアの思想とケアリングコミュニティの形成」と題する論文を書き、その一節で「ケアリングコミュニティの構築・コミュニティソーシャルワークの触媒機能」について言及した。
〇ケアリングコミュニティを構築するのには、地域の社会福祉施設が社会化、多機能化、地域化して、地域住民の生活を守る“共同利用施設”の役割を担うことの重要性を指摘した。
〇去る6月に行われた第38回日本地域福祉学会で「地域福祉優秀実践賞」を受賞した広島県福山市鞆の浦地区を基盤に実践を展開している「さくらホーム」の代表をしている羽田冨美江さん(理学療法士)が書かれた『超高齢社会の介護はおもしろい』(七七舎発行、CLC発売)を読んで、“我が意を得たり”と喜んだ。
〇まず、この本のサブタイトルが「介護職と住民でつくる地域共生のまち」というのが嬉しい。
〇第2には、筆者の1978年論文と同じに、「利用者さんを地域化する、「スタッフを地域化する」という理念を掲げて実践していることである。そのことにより、サービス利用者の居場所、生き甲斐が増進し、そのことを通して住民の意識が変わり、介護施設自体が地域の中に入り込んでいくというケアリングコミュニティづくりの実践が展開されている。
〇第3には、福山市鞆の浦地区といっても、人口3900人、高齢化率49・3%で、その地区の中がまた4地区に分かれていて、各地区の祭り、独自の文化を形成してきた地域状況を踏まえ、住民の自宅から半径400mの圏域ごとに小規模多機能型施設等を配置し、その施設が住民の生活を守る拠り所になっているという。これは、厚生労働省が進めている地域共生社会づくりの「小さな拠点」と同じ発想であり、事実上、それらの拠点施設が住民の生活を守る共同利用施設になっていて、ケアリングコミュニティを支えていることである。
〇第4には、「さくらホーム」で実践されているケア観が私の考え方と一致していることである。サービス利用者一人一人にあった、その人の生育歴や地域の人間関係、日常行動様式も十分踏まえたケアプランを作成提供していること、それを前提として、“介護とは相手の人生を支えることであり、生きる意欲をもち続けられようにサポートすること”であり、かつ“どんな人でも居場所がある地域とは、支援が必要な人を住民が自然に受け入れ、「相手に助けが必要なら、できる範囲で手を貸すのが当たり前」という文化がある町です”と言える羽田さんの生き方に大いなる共感をした。
〇皆さんには、是非、この本を読んで欲しい。そして同じような実践を全国で取り組みたいものである。
〇羽田さんの実践と同じように、ケアリングコミュニティづくりに取り組んでいる実践を書いた本を紹介するので、是非読んで頂きたい。
(参考文献)「ケアリングコミュニティの拠点としての施設・社会福祉法人の実践例」
① 『ソーシャルイノベーションー社会福祉法人佛子園が「ごちゃまぜ」で挑む地方再生』(監修 雄谷良成 ダイヤモンド社、2018年9月)
② 『里山人間主義の出番ですー福祉施設がポンプ役のまちづくり』指田志恵子著、あけび書房、2015年10月ーー社会福祉法人優輝会(広島県三次市)の実践)

(2024年7月24日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第59号(2024年7月6日)

「老爺心お節介情報」第59号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係の皆様

暑い日が続いていますが、お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第59号を送ります。
本体部分に、うまく「社会生活モデルに基づくアセスメントシート」を組み込めませんでしたので、別々のファイルで送ります。できれば、一体化させて保存ください。
興味、関心のある方に自由に読んでもらってください。
皆様ご自愛の上、ご活躍下さい。

2024年7月6日   大橋 謙策

〇皆さま、暑い日々がやってきましたが、お変わりありませんでしょうか。私の方は変わらず過ごしています。
〇今号は、当初、6月に行われた日本地域福祉学会で学んだこと、感じたことを書こうと思っていたのですが、思うように考えがまとまらないので、先に日本社会事業大学同窓会北海道支部の機関誌『アガペ』に寄稿した第3回目の拙稿を掲載することにしました。

<日本社会事業大学同窓会北海道支部・『アガぺ』寄稿その③>

Ⅰ 情感的ケア観からアセスメントに基づく科学的ケア観への転換――「求めと必要と合意」に基づく支援

〇日本の医療の発展の要因の一つは、症状、病変の事象から、それがどこに起因するのかを診断する検査技術の発展が大きく貢献してきたと筆者は考えている。かつては、脈を取ったり、へらで舌の状態を観察したり、聴診器で心臓の鼓動や呼吸を確認するといった診断法が、今ではレントゲン、尿検査、血液検査、MRI、CTスキャナーといった検査機器の開発により、症状、病変の診断は特段に向上してきている。それらの検査を担う検査技師の養成、資格まで確立してきている。
〇かつて、巷で言い交された“あのやぶ医者は!”といった言葉は今日では死語になっている。
〇それに比して、社会福祉分野では、長らく中央集権的機関委任事務体制のもとで、サービス利用者が行政により認定され、その人たちが行政の委任を受けた措置施設で生活を送ることを前提に、その人のADL(日常自立生活能力)が低くければ、それを補完する“世話”として三大介護と呼ばれる排せつ介助支援、食事摂取支援、入浴介助支援が展開されてきた。
〇そこでは、措置されたサービスを必要としている人の生活を向上させるために、何をするべきか、何に気を付けるべきかの診断という発想は事実上なかったといっても過言ではない。1971年の「社会福祉施設緊急整備計画」の中では、それら福祉サービスを必要としている人々を施設に“収容保護”し、いわゆる“最低限度の生活を保障すればいい”という考えで貫かれていたといっても過言ではないであろう。
〇1971年以降の「入所型社会福祉施設中心の時代」においては、ある意味、措置された福祉サービスを必要としている人の生活を“丸ごと抱え込んで支援する”という発想のもとに、その利用者の個々の差異には着目せず、同じ生活リズムで、集団的に生活を“させる”というケアを提供する職員側の立場、視点からの対応の仕方で済まされてきた。
〇しかしながら、1990年の“社会福祉八法改正”により、在宅福祉サービスが法定化され、かつ地方分権の下で中央集権的機関委任事務体制の改革が求められるようになると、状況は変わる。
〇在宅福祉サービスを利用している人は、一人ひとり生活環境も違うし、行動様式も異なるし、同一空間で集団生活をしているわけではない。それだけに、在宅福祉サービスを利用している人の支援には個々人の生活状況や本人の希望を尊重したサービスの提供が求められるようになる。
〇筆者は、1987年に書いた論文「社会福祉思想・法理念におけるレクリエーションの位置」(日本社会事業大学研究紀要第34集所収、1988年刊)において、入所型施設で提供しているサービスの分節化と構造化の必要性を提起した。それは福祉サービスを必要としている人の状況に応じて分節化させたサービスの中から必要なものを選択し、パッケージ化(当時、ケアマネジメントという用語はなかった)させれば画一的なサービス提供にもならず、かつ在宅福祉サービスの個々人の状況に対応できるということを提起した。

註1 拙著『地域福祉とは何か――哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』(中央法規出版、2022年4月刊、P32参照)

〇このことを進めるためには、福祉サービスを必要としている人は何を望んでいるのかその人の希望、願い、思いをきちんと受け止めなければならないし、同時に福祉サービスを必要としている人にケア・支援を行う専門職が、その人にはどういうサービスが必要であるかを診断したうえで支援する必要があることも提起した。
〇筆者の言い方で言えば、福祉サービスを必要としている人の求め、希望と専門職が生支援上必要と考えることを出し合い、両者の合意で在宅福祉サービスの提供を考えていくという「求めと必要と合意」に基づく支援のあり方である。
〇ところで、福祉サービスを必要としている人々への支援において、よほど気を付けないと無意識のうちに“上から目線”の世話をしてあげるというパターナリズムになりがちになる。
〇福祉サービスを必要としている人はさまざまな心身機能の障害や生活上の機能障害において要介護、要支援の状態に陥っているので、ついつい福祉サービス従事者はその機能障害を改善、補完するために“いいことをしてあげる”という意識になりがちである。それは、一見“善意”に満ちた行為として考えられがちであるが、福祉サービスを必要としている人の意思や主体性を尊重しての“誠意”ある行為といえるのであろうか。
〇また、福祉サービスを必要としている人で家族と同居している場合には、福祉サービスを必要としている人本人の意思よりも、同居している家族が家族自身の“思い”、“願い”を福祉サービス従事者に話され、その家族の希望が優先され、ややもすると福祉サービスを必要としている本人の意向や意思は無視されがちになる。ましてや、福祉サービスを必要としている人は、日常的に同居している家族に普段から迷惑をかけているからという“負い目”もあり、家族に遠慮して、自分の意向、意思を表明しない場合が多々ある。日本の戦後の社会保障・社会福祉制度設計は、家族がおり、家族が“助け合う”ことを当たり前のように前提として設計されてきたために、福祉サービスを必要としている人本人の意思や希望は家族の前ではかきけされてしまいがちであった。
〇イギリスのブラッドショウは1970年代に、住民の抱える生活上のニーズを4つに類型化(①本人から表明されたニーズ、②住民は生活上の不安や不満、生活のしづらさを抱えているが表明されていないニーズ、③住民自身は気が付いていないし、表明もしていないが専門職が気づき、必要だと考えられるニーズ、④社会的にすでにニーズとして把握され、対応策が考えられているニーズ)した。
〇この類型化されたニーズにおいて、日本の社会福祉分野において気を付けなければならないニーズ把握の問題は、②の住民が生活上様々なニーズがあるにも関わらず気が付いていないか、自覚しておらず、表明されていないニーズである。
〇日本の“世間体の文化”、“忖度の文化”、”もの言わぬ文化”に馴染んで生活してきた国民は、自らの意思を表明することや自らの希望や願いを表明することに多くの人が躊躇してしまう。したがって、本人が自分の意見や気持ちを表明しないのだからニーズがないのだろうと解釈するととんでもない間違いを起こすことにもなりかねない。それらのニーズは潜在化しがちで、対応が遅れることになる。
〇一方、専門職が気づき、必要と判断するニーズにおいても、社会生活モデルに基づくアセスメントやナラティブに基づく支援方針の立案が的確に行われていればいいが、上記したようなパターナリズムでのアプローチをしている場合には専門職の判断が必ずしも妥当であると言えない場合が生じてくる。
〇イギリスでは、1990年の法律により、福祉サービスを提供する際には、その援助方針やケアプラン及び日常生活のスケジュール等を事前に本人に提示し、本人の理解を踏まえて提供することが求められるようになったが、2005年の「意思決定能力法」ではよりその考え方を重視するように法定化された。
〇日本の民法の成年後見制度や社会福祉法の日常生活自立支援事業が福祉サービスを必要としている人が自ら意思決定できないことを判定するということを前提にして制度設計されているのと違い、イギリスの「意思決定能力法」は日本と逆の立場を取っている。
〇「意思決定能力法」は①知的障害者、精神障害者、認知症を有する高齢者、高次脳機能障害を負った人々を問わず、すべての人には判断能力があるとする「判断能力存在の推定」原則を出発としており、②この法律は他者の意思決定に関与する人々の権限について定める法律ではなく、意思決定に困難を有する人々の支援のされ方について定める法律であるとしている。その上で、③「意思決定」とは、(イ)自分の置かれた状況を客観的に認識して意思決定を行う必要性を理解し、(ロ)そうした状況に関連する情報を理解、保持、比較、活用して (ハ)何をどうしたいか、どうすべきかについて、自分の意思を決めることを意味する。したがって、結果としての「決定」ではなく、「決定するという行為」そのものが着目される。意思決定を他者の支援を借りながら「支援された意思決定」の概念であるとしている。
〇日本だと、“安易に”、あの人は判断能力がないから、脆弱だから“その意思を代行してあげる”ということになりかねない。言語表現能力や他の意思表明方法を十分に駆使できない障害児・者の方でも、自分の気持ちの良い状態には“快”の表情を示すし、気持ちが悪ければ“不快”の表現ができる。福祉サービス従事者は安易に“意思決定の代行”をするのではなく、常に福祉サービスを必要としている人本人の意思、求めていることを把握することに努める必要がある。
〇その上で、本人が自覚できていない人、食わず嫌いでサービス利用の意向を持てていない人に対し、専門職としてはニーズを科学的に分析・診断・評価し、必要と判断したサービスを説明し、その上で、両者の考え方、プランのあり方を出し合って、両者の合意に基づいて援助方針、ケアプランを作成することが求められている。

註2,菅冨美枝「自己決定を支援する法制度・支援者を支援する法制度――イギリス2005年意思決定能力法からの示唆―」法政大学大原社会問題研究所雑誌No622、2010年8月所収)参照

Ⅱ ナラティブ(人生の物語)を大切にした支援――福祉サービスを必要としている人のアセスメントを「医学モデル」から「社会生活モデル」へ

〇筆者は、1970年頃から、社会福祉学研究、社会福祉実践において労働経済学を理論的支柱にした経済的貧困に対する金銭給付と憲法第25条に基づく最低限度の生活保障の考え方では国民が抱える生活問題の解決ができず、新たな社会福祉の考え方が必要であると考え、提唱してきた。
〇筆者が考える社会福祉とは、その人が願うその人らしさの自立生活が何らかの事由によって阻害、停滞、不足、欠損している状況に対して関わり、その阻害、停滞、不足、欠損の要因を除去し、その人の幸福追求、自己実現を図れるように対人援助することだと考えた。
〇その場合の“自立生活”とは、古来から“人間とは何か?”と問われてきた課題を基に6つの要件(ⅰ)労働的・経済的自立、(ⅱ)精神的・文化的自立、(ⅲ)身体的・健康的自立、(ⅳ)生活技術的・家政管理的自立、(ⅴ)社会関係的・人間関係的自立、(ⅵ)政治的・契約的自立)があると考えた。と同時に、それらの6つの「自立生活」の要件の根底ともいえる、その人の生きる意欲、生きる希望を尊重し、その人に寄り添いながら、その人が望むナラティブ(人生の物語)を一緒に紡ぐ支援だと考えてきた。
〇戦前の生活困窮者を支援する用語に「社会事業」という用語がある。この「社会事業」には、積極的側面と消極的側面とがあるといわれており、その両者を統合的に提供することの重要性が指摘されていた。積極的側面とは、その人の生きる意欲、希望を引き出し支えることで、消極的側面は生活の困窮を軽減するための物質的援助のことを指していた。消極的側面は、気を付けないと“人間をスポイルする”危険性があることも懸念されていた。
〇現在の民生委員制度の原型である大阪府の方面委員制度を1918年に大阪で創設した小河滋次郎は、“その人を救済する精神は、その人の精神を救済することである“として、「社会事業」における積極的側面を重視した。しかしながら、戦後の生活困窮者を支援する「社会福祉」は積極的側面を実質的に“忘却”してしまい、物質的援助をすれば問題解決ができると考えてきた。
〇憲法第25条の最低限度の生活保障では消極的側面の対応でよかったのかもしれないが、憲法第13条に基づく幸福追求の支援ということでは、高齢者のケアであれ、障害者のケアであれ、生活困窮者の支援であれ、その人が送りたい“人生”、その人が願う希望をいかに聞き出し、その人の生きる意欲、生きる希望を支え、伴走的に支援していくことが求められる。
〇従来の社会福祉学研究や社会福祉実践では、「療育」、「家族療法」、「機能回復訓練」などの用語が使われており、その人らしさの生活を尊重し、支援するということよりも、ややもすると専門職的立場からのパターナリズム的に“治療・療育”し、“問題解決”を図るという目線に陥りがちであった。
〇また、従来の社会福祉学や社会福祉実践では、よくアブラハム・マズローの「欲求階梯説」が使われが、この考え方も気を付けないといけない。アブラハム・マズローがいう生理的欲求、安全の欲求、愛情と所属の欲求、自尊と承認の欲求、自己実現の欲求の6つの欲求の項目の意味は重要であるが、それらの項目において、下位の欲求が満たされたら上位の欲求が生じるという“欲求階梯説”はどうみてもおかしい。人間には、自ら身体的自立がままならず、他人のケアを必要としている人であっても、当然その人が願うナラティブ(人生の物語)があり、それを自己実現したいはずである。
〇その際、福祉サービスを必要としている人自らが自分の希望、欲求を表出できるとは限らない。福祉サービスを必要としている人の中には、さまざまなヴァルネラビリティ(社会生活上のさまざまな脆弱性)を抱えている人がおり、自らの願いや希望を表出できない人がいる。更には、障害を持って生まれてきたことで、多様な社会体験の機会に恵まれず、一種の“食わず嫌い”の状況で、何を望んだらいいのかも分からない人という生活上の“第2次障害”ともいえる状況に陥っている人もいる。このような人々の場合には、その人の“意思を形成する”ことに関わる支援も必要になってくる。
〇日本の社会福祉関係者の中には、1981年に世界保健機関で制定されたICIDH(国際障害分類)に基づくアセスメントを無意識に、いまだ利活用している人がいる。
〇ICIDHは、その人の心身機能に障害があるかどうかを診断し、その人の心身機能の障害がその人の能力不全をもたらし、ひいてはそのことがその人の社会生活上において不利をもたらすというImpairment――Disability――Handicapの関係を直線的に描くもので、心身機能の不全を診断することを基底とする「医学モデル」と呼ばれるものである。
〇この「医学モデル」は、ある意味わかりやすい構造になっているので、今でも多くの社会福祉関係の底層の心理として位置づいてしまっているが、これによる支援は機能障害を直すか、直せないまでもそれを補完するというレベルの支援になってしまう。
〇WHOは2001年にICF(国際生活機能分類)を発出し、ICIDHからICFへの転換を求めた。
〇ICFは、福祉サービスを必要としている人の生活環境を変えれば、従来のICIDHでは機能障害によりできないと思われていたことができるかもしれないので、その福祉サービスを必要としている人の“最低限度の生活保障”という考え方でなく、福祉サービスを必要としている人の生活環境を変えて、その人の自己実現を図る支援への転換を求めたものである。
〇ICFの考え方と昨今の急速な福祉機器の開発により、福祉現場は急速に変わらざるを得ない。介護ロボットや障害者のコミュニケーションを保障する福祉機器の導入如何では、従来の障害児・者、高齢者などの福祉サービスを必要としている人への支援のあり方は全く違うものになってします。
〇このような背景も踏まえて、筆者は従来の「医学モデル」に基づく診断(アセスメント)ではなく、社会生活上に必要な機能が歩かないかを基に診断する「社会生活モデル」に基づくアセスメントの必要性を提起している。
〇「社会生活モデルに基づくアセスメントシート」の図の表頭の大項目に基づきアセスメントを行うことが、ケアの科学化には必須である。
〇今日のように、福祉機器の開発やICT、IoTが急速に進展している状況の下では、福祉サービスを必要としている本人は福祉機器を使ったら自分の生活がどのように変容するのかのイマジネーション(想像性)をもてない人がいる。そのような人々に対し、イマジネーションがもてるようにし、新たな人生を作り出すクリエーション(創造性)機能も重要な支援となる。
〇従来の社会福祉実践は、福祉サービスを必要としている人の「できないことに着目し、できないことを補完・補填する目的で、してあげるケア観」に陥りがちであった。幸福追求、自己実現を図るケア観に立つと、福祉サービスを必要とする人の「できることを発見し、それを励ますケア観」が重要になる。
〇社会福祉実践は、その人の生育歴におけるナラティブ(narrative:身の上話、経験などに関する物語)に着目し、その人が望む人生を創り上げることに寄り添い、支援することが求められている。

「社会生活モデル」に基づくアセスメントの視点と枠組シート

出典:大橋謙策『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』中央法規出版、2022年4月、135~136ページ。

(2024年7月5日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第58号(2024年5月5日)

「老爺心お節介情報」第58号

地域福祉研究者各位
社会福祉協議会関係者各位

とても気持ちのいい季節になりました。
皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
「老爺心お節介情報」第58号を送ります。

2024年5月5日   大橋 謙策

Ⅰ 『穂積重遠ー社会教育と社会事業とを両翼として』(大村敦志著、ミネルヴァ書房、2013年4月)を読んで

〇朝日新聞に掲載されたミネルヴァ書房の広告を見て、大変驚き、すぐに読み始めた本が『穂積重遠ー社会教育と社会事業とを両翼として』(大村敦志著、ミネルヴァ書房、2013年4月)である。
〇更に驚いたことは、NHKの朝のテレビ小説の『虎の翼』で俳優の小林薫が演ずる「穂高重親」は穂積重遠がモデルであると知ったことである。
〇穂積重遠は、戦前の有名な民法の法学者であり、最高裁判事や東宮大夫を歴任された人で、以前よりその名前と華麗なる「学閥一族」のことは知っていたが、その穂積重遠の“社会評伝”のサブタイトルに“社会教育と社会事業とを両翼として”が付けられていることに、“社会事業と社会教育の学際的研究”をしてきたものにとって、自分の勉強不足を恥じ入るばかりであった。
〇穂積重遠は、末広厳太郎とともに、関東大震災後に東京帝国大学セツルメントを学生と一緒に行っていたことは知っていたが、穂積重遠が財団法人社会教育協会の会長、理事長を歴任し、「法を軸にした公民教育」をこれほど手掛けていたことは知らなかった。しかも、私は財団法人社会教育協会(当時の財団理事長は有光次郎、元文部事務次官)の「加齢学研究懇談会」で講演(1988年3月)し、その講演録が「高齢化社会に向けてー教育行政はいかにあるべきか」と題して、社会教育協会機関誌『国民』のNO1064(1988年6月)に掲載されているにも関わらず、その社会教育協会の設立者が穂積重遠であることも知らず、本当に恥じ入るばかりである。
〇私が大学院で学んでいる時代は“戦前の研究は皆、封建的で、戦後の考え、研究はいい”という実に単純な「ポツダム研究」(ポツダム宣言の受託前と後)という思考法があったし、「ポツダム研究者」という言い方もあった。
〇また、鶴見俊介が主宰する「転向の科学」という研究同人の思考法があったこともあり、自分自身戦前の社会事業の歴史研究をしているにも関わらず、謙虚に戦前の思想、研究をどこか斜に構えて研究していたのかもしれないと反省するばかりである。
〇私の東京大学大学院の修士学位請求論文は『戦前社会事業における「教育」の位置』であるが、その公開口述試験の際、指導教員であった宮原誠一先生が私の修士学位請求論文を高く評価してくれた上で、宮原先生から、今度は「社会教育における社会事業の位置」を研究して欲しい。そうでないと全体が分からないのではないかと指摘された。宮原先生から与えられた宿題は残念ながら研究しきれていないが、穂積重遠の社会評伝を読んで、宮原誠一先生の指摘の重要性に改めて気づかされた。
〇穂積重遠が設立した社会教育協会は、家庭教育の重要性を考えて、東京家庭学園を設立し、穂積重遠がその東京家庭学園の学園長を兼任している。この東京家庭学園は今日の白梅学園大学の前身である。
〇穂積重遠の人物評伝の中から学ぶ点も多々ある本であったが、著者の大村敦志先生の執筆の仕方にも大いに学ぶことが多かった。何しろ、法学者の大村敦志先生が書かれたものだけに、論文執筆はこうあるべきだという見本のように、実に膨大な資料を駆使して、多面的に論考されている姿勢は、社会福祉学研究者、地域福祉学研究者は学ばないといけないと強く感じた。
〇本書は、法学研究の枠組みについてとか、法と社会との関係、あるいは法と道徳との関係、あるいは1930年代~1940年代における大学、学問のあり方等が論じられており、法学研究の方法が分からないものにとってはやや難しかった点もあったが、とても学問のあり方、大学教員のあり方などとても参考になった。私も大学時代学んだ家族法の川島武宜、中川善之助、我妻栄などの先生方の名前がでてくるので、それらのことを思い起こしながら読み進めることができた。
〇本書は、東京大学法学部の2011年の学生向けの講義「穂積重遠論ー20世紀前半の社会と法」とそれに関連するゼミナールでの報告、論議が基になっているというが、なんとも羨ましい大学教育のあり方であり、大学教員としての姿勢である。
〇咋今の福祉系大学が社会福祉士国家試験対応の予備校的な教育に堕していることを憂いているものにとって、改めて福祉系大学の教員に本書を読んで、考えて欲しい本である。

Ⅱ 『原子力災害からの複線型復興ーー被災者の生活再建の道』(丹波史紀著、明石書房、2023年3月刊)を読んで

〇本書は、立命館大学産業社会学部教授の丹波史紀先生が、日本福祉大学に提出した博士学位請求論文を基に刊行されたもので、2023年度SOMPO福祉財団の社会福祉文献賞を受賞した著作である。
〇丹波史紀先生がそのご高著を恵贈してくれたので、私がお礼の手紙に書いた感想をここに転記しておきたい。

『この度は、SOMPO福祉財団の社会福祉学文献賞の受賞、本当におめでとうございました。私も6年間選考委員長をしていましたので、文献賞の受賞は本当に素晴らしいものです。その受賞文献をご恵贈賜りありがとうございました。
未だ丁寧に読んではいませんが、一読させて頂いた感想は、SOMPO福祉財団の選考委員の皆さんの評価とほぼ同じです。その上で、私の感想を述べます。
第1は、「災害ケースマネジメント」のあり方に関する論述がもっと欲しかったです。ご高著自体が、被災者の横断的、大量調査を基にしての論証でしたからやむを得ないかもしれませんが、社会福祉学の文献としては実態調査のみでなく、その支援のあり方、その支援システムのあり方にもっと論究してほしかったですね。以前お送りした私どもがまとめた石巻市の被災者へのソーシャルワーク支援はそれに少しでも迫れればという思いで纏めました(『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援』参照)。
第2には、「複線型復興」の持つ意味です。自然災害と原子力放射能汚染災害との複合的災害が福島県の特色で、私も浪江町等の避難所に行く機会を持ちましたが、複合的災害の持つ意味があまりにも深刻で、研究に関わることを断念した思いがあります。それだけ難しい問題ではありますが、複合的被災者の支援のあり方は、もっと多角的に検討されるべきではないかと思いました。特に、同居家族だった世帯が、放射能汚染災害により、家族分解、離婚、複数世帯化による経済的困難さなどを見聞きしてきたものには、原子力放射能汚染災害の一般的課題のみならず、社会福祉学の視点からの考察がよりあってほしかったというのが私の感想です。精読しておらず、とりあえず礼状を出すに当たっての感想を述べなければという思いからの感想ですから、正鵠を得ていないかもしれませんが、お許しください。』

〇地域福祉実践の領域において、阪神淡路大震災以降、社会福祉協議会による「災害ボランティアセンター」設置による支援が定着化しているが、“災害と社会福祉”との関りにおいて、被災者支援を長期的なスパンで、世帯全体の再建を考えていくことが重要である。限界集落、過疎地、高齢化という状況の中では、生活再建は被災直後の“がれき撤去”というレベルでは済まされない深刻な生活の変容があり、その支援が求められていることを社会福祉関係者、とりわけ地域福祉関係者は実践上でも、研究上でもきちんと受け止め、対応策を考え行くべきである。

(2024年5月5日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第57号(2024年4月9日)

「老爺心お節介情報」第57号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
能登半島地震で被災に遭った富山県氷見市へお見舞いに漸く行けました。
その際に感じたことをまとめましたので参考にしてください。

2024年4月9日   大橋 謙策

<能登半島地震による氷見市の被災状況と支援>

〇4月4日~5日、能登半島地震の災害に遭った富山県氷見市へ、遅れ馳せながら富山県氷見市と氷見市社会福祉協議会へお見舞いに行けた。高齢の私が行っても何もできず、かえって足手まといになるだけだと訪問を控えていたが、漸くお見舞いに行けた。
〇氷見市は、能登半島の付け根に位置している。石川県の被災状況はテレビ等で報道されるが、氷見市も能登半島の一部をしめており、被災状況は厳しいもので、テレビなどの放映で感じたものとは、また違う状況だった。
〇いまだ、石川県奥能登地域には行けていないが、今回の地殻変動、激しい液状化による被害を見て、災害支援の難しさを改めて考えさせられた。
〇氷見市の林市長、森市民部長、高木氷見市社会福祉協議会会長、七分氷見市社会福祉協議会常務理事にお会いし、お見舞いを申し上げるとともに、宮城県石巻市での東日本大震災被災者へのソーシャルワーク支援をまとめた『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援』の本を贈呈してきた。
〇氷見市は市全体の高齢化率は40%であるが、被災状況が激しかった氷見市旧市街の北大町地区と石川県七尾市との県境にある姿地区はより高齢化が高く、生活再建が非常に厳しいものと思われ、物理的復興だけでは被災者支援はできず、生活全般の支援が必要で、そのためにはソーシャルワーク支援が必要であることをお願いしてきた。
〇被災状況は、氷見市社会福祉協議会の森脇次長、山崎次長、開上さんに案内とともに被災者支援の状況を聞かせて頂いた。お忙しい中対応して頂き、この紙上で改めてお礼申し上げたい。
〇氷見市の災害被災状況と被災者支援の状況は、氷見市社会福祉協議会が『氷見市の被災状況と災害ボランティア・支えあいセンターの現状』に詳しいので、ホームページなどを見て頂きたい。

Ⅰ 氷見市の被災状況の概況

〇氷見市は、現在の人口は約4万3000人で、世帯1万4500世帯、高齢化率約40%で、市内に21地区社会福祉協議会が組織されており、約900人の生活のしづらさを抱えている人たちを支援する地域ケアネット事業(富山県単独事業)が展開されている。
〇2024年1月1日、午後4時10分に発生した能登半島地震により、200棟の家屋が全壊、400棟の家屋が半壊し、り災証明を受けた世帯は7000世帯という被害状況であった。断水も約1万4000世帯で発生し、復旧は1月21日に全域で復旧した。
〇人命の被害はなかったものの、液状化による被害は酷いものであった。建物の外観はそれほどではなくても、屋内が液状化の影響で住むことが難しいとか、道路のマンホールが隆起して、自動車の通行を妨げているとか、庭にある灯篭(氷見市には各家庭に石灯篭が沢山ある)が崩れたたり、台座がしっかりしている大きな墓石のある墓地が液状化で波打ってしまっているとか、その被害状況は家屋だけではなく、生活全般に大きく影響する被害が出ている。
〇被害が大きかった地区は、上庄川の北側の北大町地区と県境の姿地区に集中しているようであるが、上庄川の流域もそれなりに災害が発生している。上庄川の南側の南大町地区はあまり被害を受けていない状況とか、昔、布施の湖と呼ばれた湿地帯のあった地域ではあまり被害が発生していない(液状化が起きるのではと素人的には考えていた)状況をみて、地震のメカニズムが良く理解できない。

Ⅱ 被災支援の取り組みで学ぶべき点

〇氷見市での被災者支援の状況を行政や医療機関等も含めて広く検証しているわけではないが、氷見市社会福祉協議会の活動から学ぶべき点を箇条書きにして、広く関係者の情報共有をしたい。

(1)「災害ボランティア・支えあいセンター」という名称
〇氷見市社会福祉協議会は「災害ボランティアセンター」という名称ではなく、「災害ボランティア・支えあいセンター」という名称で、1月3日に立ち上げている。その際、共同募金会からの支援金を想定して、「kintone」のアプリを導入している。
〇しかしながら、氷見市の「災害ボランティア・支えあいセンター」は、ボランティアのニーズ・シーズのマッチングを行う需要供給の調整だけを行うのではなく、住民からボランティアの派遣要請があった際に、その要請を受け止めた上で、それ以外の生活支援の必要性があるかどうかを、申請のあった世帯に社会福祉協議会の災害時支援現地班の職員を派遣し、ニーズキャッチとともにアセスメントを行い、それをケア会議に掛けて、どういうボランティアを派遣するのかを決定し、派遣している。
〇私は、従来から、土砂撤去などのボランティアの派遣調整だけではないと言ってきたが、氷見市社会福祉協議会は「災害ボランティア・支えあいセンター」という名称に見られるように、生活全般に亘ってのニーズ把握と支援を考えている。これは大変素晴らしい考え方である。
〇実際のボランティア派遣申請の相談内容と派遣は、大きく3つに類型できる。
〇第一の類型は、従来の土砂の撤去、家具の片づけ等のボランティアの派遣である。
〇第二の類型は、専門技術ボランティアで、家屋内の応急修理や灯篭の撤去である。石材業者に依頼すると小さな灯篭の撤去で5~6万円、大きなものでは8~10万円掛かるところをボランティアにより、計200基の崩壊した灯篭の片づけが行われた。大きいものでは、灯篭の笠の部分だけで700キロもあるものをボランティアが片付けてくれたという。そのボランティアの人は、長野県の音楽家で、トラック、重機をレンタルリースして、持ち込み、一か月逗留してボランティア活動をしてくれたとのこと、私には想像もできない活動で、その人の思い、気持ち、活動費の捻出等後学のためにもいろいろと聞きたいと思った。
〇第三の類型は、専門職による支援である。り災証明の手続きをするのに、多くの高齢者は写真も取れず、申請手続きに難渋していた。その際、お手伝いしてくれたボランティアは富山県の司法書士会の方々で、り災証明の手続きサポートをしてくれた。
〇氷見市社会福祉協議会の実践が素晴らしいなと改めて実感できたことは、富山県が単独で展開しているケアネット事業があるが、そのケアネットを構築されていた住民が900世帯あったという。そのケアネット事業の方々は、何らかの生活のしづらさを抱えており、日常的に見守りや声掛け、簡単な生活支援を地域の方々の力でおこなわれ、生活のしづらさを解決しているわけだが、そのケアネット事業の対象の方からは災害発生後「災害ボランティア・支えあいセンター」への相談・依頼が一件もなかったという。それはたぶん、地域の方々が日常の延長で対応してくれたのではないかと氷見市社会福祉協議会が説明していたが、これはすごいことで、普段の実践の成果と言わざるを得なく、私は感動した。
〇「災害ボランティア・支えあいセンター」への相談者の属性は、一人暮らし高齢者が23%前後、高齢者のみ世帯が18%前後、障害の方がいる世帯が4~6%前後という状況で、2週間単位で、大体300件~500件の相談申請の状況であった。
〇「災害ボランティア・支えあいセンター」は、旧体育館に開設されていたが、そのセンターに氷見市の拡大した地図が張ってあり、その地図上に、どこの地区で、どのような属性を有した人からの申請があり、どのような支援をしたかを色分けしたシールでマッピングしてあり、氷見市内の被害状況の分布とボランティアの派遣要請の状況が分るようになっており、緊急事態の状況にも関わらず、全体像を可視化している点も高く評価できる。
〇私は社会福祉協議会が運営する「災害ボランティアセンター」の使命は土砂の撤去、がれきの撤去ではないと言い続けてきたが、氷見市社会福祉協議会の「災害ボランティア・支えあいセンター」はまさに私の考え方を実践してくれた取り組みで高く評価したい。
〇氷見市社会福祉協議会の森脇俊二事務局次長が、“「災害ボランティアセンター」は支援に駆けつけるボランティアのためにあるのではなく、被災した住民を支援するためのものである。だから「災害ボランティア・支えあいセンター」なのだ”という発言は、とても印象的で、私は“我が意を得たり”と納得した。
〇氷見市の「災害ボランティア・支えあいセンター」の活動実績として注目しておく点は、ⅰ)ボランティアの派遣依頼者からのクレームがゼロであったこと、ⅱ)ボランティア活動のリピーター率が高く、約70%にのぼる、ⅲ)日常的に災害協定並びに姉妹社会福祉協議会関係にある全国の社会福祉協議会(愛知県半田市、三重県伊賀市、長野県茅野市、宮崎県都城市、香川県琴平町の各社会福祉協議会)から職員が派遣され、富山県内社会福祉協議会からの支援も含めて一日11人の社会福祉協議会の職員が応援に入ってくれた点などである。

(2)クラウドファンディングによる支援金の造成
〇東日本大震災以降、被災者支援、被災地支援は必ずしも日本赤十字社、共同募金会、NHK等の従来型の募金団体への寄付とは異なり、クラウドファンディングによる特定の地域、特定のテーマ・課題に寄付する活動が増えてきた。
〇氷見市の「災害ボランティア・支えあいセンター」の運営費のみならず、氷見市社会福祉協議会は、経営している自前の建物や行政から指定管理を受けている建物でも大きな損害を発生している。このような状況の中で、募金活動はとても重要で、受動的にではなく、積極的に募金活動を展開する必要がある。
〇氷見市社会福祉協議会は、三重県伊賀市社会福祉協議会の協力・支援をもらい、1月12日からクラウドファンディングによる支援金の受付を開始した(締め切り2月15日)。
〇クラウドファンディングによる支援金の受付以前にも社会福祉協議会は1月5日より緊急支援募金を始めており、海外からの申し込みもあり、受付方法についての英訳ページを開設したりしていたが、より募金がしやすいように、クラウドファンディングによる支援金の募集を行った。
〇募金額の総額は、氷見市社会福祉協議会へ直接募金をされた募金が総計279件、1520万円、クラウドファンディングによる募金が164人で220万5000円、この他市役所やボランティアセンターなどに設置した募金箱に40万円余の募金があり、現時点では総計約1700万円余の募金となっている。
〇この他にも、共同募金会から災害支援助成ということで300万円の助成を得ている。
〇私は、大和証券福祉財団やSOMPO福祉財団などの助成団体へも申請をしたらと提言してきた。

(3)生活全般における伴走的ソーシャルワーク支援の必要性
〇氷見市では、行政の健康課を中心に、富山県保健師会の協力を得て、被害の大きかった姿地区、北大町地区などの1406世帯の生活支援の必要性に関するローラー作戦が行われた。このような調査は、宮城県石巻市でも医療・保健関係者により行われた。住民のニーズキャッチとしてはとても重要な取り組みであるが、石巻市でもそうであったが、どうしても医療面、健康面での聞き取りが中心にならざるを得ない。
〇私は、『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援』の本の中で書いた「社会生活モデル」に基づくアセスメントが被災者支援には必要であることを林市長たちに話をしてきた。
〇とりあえず、り災証明の交付を受けた約7000世帯を対象に、アンケート調査を行い、そこからスクリーニングして個別訪問調査による支援を展開できないか、その調査を行政、社会福祉協議会、外部の専門職、福祉系大学等の協働で行うことが必要ではないかと提案してきた。
〇このような支援のシステムとそこで使われるアセスメントシートの様式を確立しておく必要がある。そうでないと、これからの災害支援が毎回“賽の河原の石積み”のように、蓄積されず、結果として支援の遅れをもたらすのではないかと危惧している。

(2024年4月8日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
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老爺心お節介情報/第56号(2024年4月2日)

「老爺心お節介情報」第56号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

桜も漸く咲き、いよいよ新年度も始まりました。
気持ちも新たに頑張りましょう。
「老爺心お節介情報」第56号を送ります。

2024年4月2日   大橋 謙策

<『和田敏明 地域福祉実践・研究のライフヒストリー』が刊行される>

〇私が敬愛する日本社会事業大学の一年先輩の和田敏明さんの50年余に亘る社会福祉協議会での実践、地域福祉研究のライフヒストリーが本として上梓された。
〇この『和田敏明 地域福祉実践・研究のライフヒストリー』は、香川県社会福祉協議会の日下直和局長が精力的に編集業務を担ってくれて刊行出来た。お礼を申し上げたい。
〇この本の基になる対談の場は、社会福祉協議会四国ブロックの研修会や日本地域福祉研究所の地域福祉実践研究セミナーin今治の特別分科会、あるいは香川県内社会福祉協議会常務吏・事務局長セミナーの場において行われたものを香川県社会福祉協議会がテープ起こしをしてくれ、それを基に編集したものである。
〇全社協の地域福祉部を中心に、日本の社会福祉協議会の質の向上、社会的評価を高め、かつ日本地域福祉学会の創設をはじめとして地域福祉実践の理論化、体系化をされ、かつ全社協の事務局をされた和田敏明さんなので、私は出版先はどう見ても全社協出版部ではないかと勝手に思い込んでいたが、残念ながら全社協出版部からは出版事情の悪化などもあり、叶わなかった。結果として、「自費出版」という形で香川県社会福祉協議会を発行元に刊行出来た。是非、全国の社会福祉協議会関係者、地域福祉研究者は自らのための1冊はもとより、大学の図書館、社会福祉協議会の事務局用にも購入して頂きたい。
〇本書は、和田敏明さんの社会福祉協議会入職の1960年代から、ほぼ10年スパンにおいて、そのスパンの中における社会福祉政策、社会福祉協議会実践などのトピックスを取り上げて、それらのことに和田敏明さんがどう関わってこられたのか、その当時の思いや今だから話せる秘話、エピソードを交えながら語って頂いた。和田敏明さんの語りから、その当時の時代状況や社会福祉協議会の変遷が良くわかる内容に編集されている。
〇と同時に、日下直和局長のご尽力で、和田敏明さんの話に出てくる当時の政策や関係資料を可能な限り収録して頂いた。この収録されている資料を今手元で自分が集めようとすると容易ではない。この本は、1960年代以降の社会福祉協議会、地域福祉における関係資料がまとまって収録されているということも貴重な本となっている。
〇和田敏明さんとの対談当事者として非常に貴重だと思えたことは、①市町村社会福祉協議会法制化のプロセス、②「広がれボランティアの輪」と阪神淡路大震災、③厚生省(当時)との政策立案化に向けての相互交流と研究会活動、④社会福祉法人聖労会理事長として、地元の社会福祉協議会と協働して地域貢献活動を行った点等である。
〇是非、「老爺心お節介情報」の購読者はこの本を購入し、読んで頂きたい。この本の申込先は添付ファイルで添付してありますので、それをご活用ください。

(2024年4月2日記)

(備考)
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老爺心お節介情報/第55号(2024年3月30日)

「老爺心お節介情報」第55号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

「老爺心お節介情報」第55号を送ります。
必要なら、周りの方に転送してくださっても構いません。

2024年3月30日  大橋 謙策

〇皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇本号は、ある明確な論題について論究する類のものではなく、長い間私の頭の中にもやもやしていたものを整理するために随想風に書いてみることにした。
〇昨夜というより、今朝(3月30日)方午前3時30分頃、例によってノンレム睡眠からレム睡眠に切り替わったのか眠れず、いろいろ考えていたことを体系的、理論的に説明できないものの、書き残しておいた方が後学の人のためになると考え、夜中にメモしたものを基に随想風に書くことにした。
〇この内容は、必ずしも実践者の方々には関心がないかもしれないが、少なくとも大学等の教員をしている人には読んで、考えて欲しいことである。

Ⅰ 「人を教えることは自分が育つこと」――社会福祉系大学院における研究指導論、研究方法論についての随想

〇ミルトン・メイヤロフは『ケアの本質』という本の中で、ケアすると言うことは相手の成長と同時に自分も成長する関係であると述べているが、“人を教える”という営みも同じである。
〇社会福祉系大学及び大学院は、教育研究組織が「講座制」でなく「学科目制」である。そこでは、余ほど意識しないと“教育・研究の再生産は縮小していく”と何回か書いてきた(「戦後社会福祉研究と社会福祉教育の視座」『戦後社会福祉教育の五十年』所収、ミネルヴァ書房、1998年、あるいは「社会福祉学研究方法と研究組織に関する小稿」『日本社会福祉学会ニュース第86号』所収、2021年3月)。
〇私が、日本社会事業大学大学院、東北福祉大学大学院で研究指導して博士の学位を取得した人が25名、修士の学位を取得した人が110名になる。この他、東京大学大学院、同志社大学大学院、淑徳大学大学院で、非常勤ながら研究指導した方々も多数いる。
〇それらの大学院生を指導していていくつかの類型化ができると思った。
〇第1のタイプは、大学院に来て、社会福祉の学びを深めたいし、できれば大学等の教育者・研究者になりたいのに、自分の研究テーマ、研究すべき社会福祉の理論課題が明確でなく、結果的に指導教員から与えられる課題、ヒントを基に自分の研究テーマを設定していった人々のタイプである。
〇このタイプの人の中には、ケアリングコミュニティ研究をしている大石剛史さん、イギリスの1601年慈善信託法を研究した松山毅さん、イギリスのボランタリーセクター研究をした宮城孝さんなどがいる。
〇この方々への指導は、ある意味、私自身が興味関心と研究の必要性を感じていながら、時間的にも、能力的にも一人では限界があり、その自分ができない部分を指導する院生に委ね、研究を進めてもらうというやり方である。
〇第2のタイプは、社会福祉学、社会福祉実践以外の領域を基盤に、自分の実践領域、研究領域と社会福祉学との“学際研究”を志してきた人々である。理学療法との関りを深めたいと考えた吉川和徳さん、廣島美保さん、建築学との関りでの瀬戸真弓さん、看護学との関りで野川とも江さん、本田芳香さん等がいる。
〇この方々への指導は、大学院生が有している他の領域の「土俵」に私自身が乗って、その分野の問題と社会福祉学との関係を深めていかないと指導できないので、“耳学問的”な側面も出てくるが、自分自身の視点、研究関心を拡げる機会になった。建築学の西山卯三先生の空間論と居場所問題、福祉機器の利活用とICFとの関係、保健・医療・看護・福祉のIPW、IPEなどについて見識を拡げることができ、後々それが生きてくることを実感できた。
〇第3のタイプは、大学院生自身は自らの関心、深めたいという課題、領域、事象を有しているが、それをどのように分析し、社会福祉学としての理論課題に昇化させたらいいのか悩んでいる人々である。
〇この方々には、取り上げる事象、問題をどういう風に分析し、構造化したら社会福祉学の理論課題を抽出できるかを指導した。その際に、その理論課題は一言でいえばどういう表現で表せるかを意識して取り組んだ。
〇玉木千賀子さんの「ヴァルネラビリティ」研究、崔太子さんの「ソーシャルサポートネットワーク」研究、越智あゆみさんの「福祉アクセシビリティ」研究、原田和広さんの「実存的貧困」研究などがそうである。
〇第4のタイプは、指導教員と同じフィールドに通い、関りのある自治体やその社会福祉協議会の実践・研究を「バッテリー型研究」を通して、新しいシステムを作り上げていく社会実証的研究スタイルである。
〇このタイプには、長野県茅野市での「福祉21ビーナスプラン」、「どんぐりプラン」を作り上げた原田正樹さんがいる。その際に、重要なのは、結果としてのタスクゴールだけではなく、プロセスゴールやリレーションシップゴールまでに関わることができるということが指導上大きな意味を持つ。
〇このように考えると、社会福祉学研究も、論文の最後の謝辞のところで指導教員の名前を載せて感謝するだけではなく、自然科学や大量的社会調査分野と同じように、共同研究者として、執筆者をファーストオーサーとし、アドバイザ-や指導をしてヒント等を提案した人をセカンドオーサーとして明記した方がいい時代が来たのかもしれない。

Ⅱ 第8回ホームカミングデーの際の原田正樹さんとの対談で示した先行研究及び研究スタイルを学んだ先生方――大橋謙策の研究枠組みと研究方法

〇去る2023年10月28日に行われた「第8回大橋ゼミホームカミングデー」の際に、原田正樹さんと対談を行った。その時の内容を覚え書き程度であるが、記録に留めておいた方がいいと思うので書く。
〇大橋謙策の研究枠組みと研究方法は、大きく分けて5つの柱からなっている。
〇第1の柱は、自分の理論を確立する上で、乗り越えるべき先行研究者は誰かという問題である。
〇論文を書くに当たって、いろいろ先行研究を学ぶが、自分が依拠し、乗り越える理論家、研究者は誰かということは、研究を志す者にとってとても重要な課題である。
〇私は、社会福祉学分野では岡村重夫であり、教育学、とりわけ社会教育学にあっては小川利夫であった(岡村重夫理論については「岡村理論の思想的源流と理論的発展課題」『岡村理論重夫の継承と展開 社会福祉原理論』ミネルヴァ書房、2012年、小川利夫理論については「「硯滴」に学ぶー不肖の弟子の戯言と思いー」『小川利夫社会教育論集第8巻 社会教育研究四〇年ー現代社会教育研究入門』亜紀書房、1992年を参照)。
〇研究者になる道は、自分のテーマ、研究課題に即して、誰のどの理論を乗り越えるべきかを早く掴むことが最も重要な道のりである。
〇第2の柱は、どのような研究方法を身に着けるかである。
〇我々が大学院で学んでいる時代は、研究者になるなら①その分野の原理、哲学、②その分野に関わる歴史研究、③その分野に関わる国際比較研究が出来なければ駄目だとよくいわれたものである。その教えには必死に対応しようとしてきたが、どういう研究方法を身に着けるかは、残念ながら教えてくれなかった。
〇筆者なりに開拓しようと思ったのは、社会教育学も社会福祉学も臨床的実践科学を軸にした統合科学(この用語は2000年に知ることになる)であるということを考え、現場に根差し、現場のニーズに応え、現場の実践を支援する理論仮説を提供できる研究者になろうと考えたことである。
〇結果的に、各地の自治体、社会福祉協議会、公民館をフィールドにして、そこで働く職員たちとの「バッテリー型研究」というスタイルを構築できた。この方法は、恩師の宮原誠一先生が教え子を各地の自治体に社会教育主事として送り込む実践的研究から学ぶところもあったし、次の柱で述べる恩師の小川利夫先生の実践者の組織化を行っていたことに示唆を得て、私なりに独自に作り上げたものである。
〇第3の柱は、実践者・研究者の組織化である。
〇小川利夫先生のこの点での組織化は大変素晴らしいものであった。実践家と“肝胆相照らす”関係を作り出し、様々な研究会を組織されていた。名称は定かでないが、「教育と福祉を語る集い」、「児童相談所セミナー」、「養護児童問題セミナー」等1970年代に精力的に組織し、現場で起きている問題を社会構造的に整理する研究方法には大変勉強させられた。研究会の後は必ずと言っていいほど“酒会”の場があり、そこでも談論風発の論議を行っていた。そばで見聞きし、時には“酒会”の“幹事役”や研究会の事務局を担うことで、研究者としても社会人としても大いに鍛えられた。
〇第4の柱は、大学教員としての社会活動、社会貢献活動である。
〇この分野では仲村優一先生、一番ケ瀬康子先生、三浦文夫先生、小川利夫先生などに憧れ、導かれて成長できた。
〇仲村優一先生には、日本社会事業大学の教員として日本社会福祉学会の会長、日本社会福祉教育学校連盟会長、日本社会事業大学学長、日本学術会議の会員になって、社会的に社会福祉学の社会的評価を高める活動をしなければ駄目だと言われてきた。一番ケ瀬康子先生も同様であるが、一番ケ瀬康子先生は、講演料の高いところにも行くが、時には活動を助成するために寄付金を置いてくるところにも出かけて、社会福祉の向上に努めなければならないと言われたし、小川利夫先生には、講演料を自分の生活費のために使うな、それは社会的に使えと、ことあるごとに言われてきた。三浦文夫先生には、様々な福祉財団などを紹介してもらい、その財団の助成先の選考委員、財団の評議員、理事などを勤めることの意味、意義、社会的役割について教えて頂いた。
〇このような、研究方法、研究枠組みの集大成として、私の第5の柱となる日本地域福祉研究所を1994年に設立した。
〇それは、実践と理論を循環させ、研究者の養成と組織化、実践家の組織化を図り、草の根の地域福祉実践の向上を図りたいと考えたからである。日本地域福祉研究所が毎年行った「地域福祉実践研究セミナー」もその目的の一つであった。このセミナーの分身といえる「四国地域福祉実践研究セミナー」、「房総地域福祉実践セミナー」は現在でも継続して行われている。
〇このような研究枠組みや研究方法が妥当性を持っているかどうかは他者の評価を得なければならないが、少なくとも私はこの柱を軸に60年間近く地域福祉実践・研究を行ってきたことは事実であり、後学者のためにここに記しておきたいと思った。

(2024年3月30日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第54号(2024年3月8日)

「老爺心お節介情報」第54号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。
「老爺心お節介情報」第54号を送ります。

2024年3月8日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇能登半島地震の被害状況の報道を見るたびに胸が痛みます。災害の状況、規模によっても違いがありますが、人口減少、超高齢化地域における大きな地殻変動、液状化現象を伴う災害支援、災害復旧の難しさを改めて突き付けられている能登半島地震災害です。

Ⅰ 人口減少時代における地域福祉研究を考える

〇私は、去る2月20日に、長野市、長野市社会福祉協議会、長野県社会福祉協議会共催の「人口減少時代の地域づくり」をテーマにした「地域福祉ネットワーク会議」に招聘され、行ってきました。
〇その際の講演のレジュメの抜粋は以下の通りです。

〇筆者がこの講演を通して言いたかったことは、日本の社会福祉政策において、「地域福祉」がメインストリームになり、地域共生社会政策が展開されるときに、「地域福祉」の“地域”が“危急存亡”に陥っている。このような状況の中で、地域福祉実践、地域福祉研究はどうあるべきかを問い直すという視点で話をしたいと思った。
〇その講演で訴えたかった点は3点である。
〇第1点目は、地域の住民力、地域の力を向上させる支援を行う「触媒機能を持つ職員論」が重要であるという点である。
〇地域の住民が自然発生的に力を付け、地域の自治力を高めることは単純ではない。地域づくりに関わる公民館や社会教育の職員、あるいは社会福祉協議会の職員などが触媒機能を発揮して、働き掛ける重要性を述べた。今日のように、人口減少、高齢化が急速に進んでいる状況の中で、住民の負担感を減らし、一緒に地域づくりをしていく「職員論」が重要になる。
〇1984年に書いた論文「公民館職員の原点を問う」(『月刊社会教育』1984年6月号所収)はまさにそのことを述べたのである。地域福祉論の泰斗と言われる岡村重夫には「職員論」がない。
〇その「職員論」はどのような触媒機能を持つかである。一般的に触媒とはⅰ)触媒する物質を入れることによって、従来の物質が活性化する、ⅱ)触媒する物質を入れることによって、従来の物質が安定する、ⅲ)触媒する物質を入れることによって、新しい物質に変質すると言われている。
〇人口減少、高齢化における地域づくりには、この触媒機能を発揮できる職員の機能、能力と配置が重要であることを述べた。
〇この住民のエネルギーを向上させる触媒機能としては、公民館、社会教育による住民の主体形成と相通ずるものがある。
〇長野県は、戦後公民館活動と社会教育が非常に活発な地域であった。それは、ある意味戦前の「上田自由大学」に代表される住民の活発な自己教育活動の歴史ともつながる伝統、実践といえる(『大正デモクラシーと地域民衆の自己教育運動』(山野晴雄著、自費出版、申し込み先 東京都三鷹市牟礼5-6-10、山野晴雄、TEL0422-42-6558、定価3000円)参照)。
〇静岡県掛川市の市長であった榛村純一は1970年代に、地域づくりには住民一人一人が「選択的土着民」になれるよう生涯学習を推進することが肝要であると実践された地域づくりの思想と共通する。
〇筆者は、1980年代から地域福祉実践には「地域福祉の主体形成」が重要であり、それを促進する福祉教育が重要であると述べてきた。その福祉教育は、福祉サービスを受給している人と切り結びを通して獲得される意識、人間観であると述べてきた。
〇この考え方は、地域共生社会政策の基点になった1995年9月の報告書「誰もが支え合う地域の構築に向けた福祉サービスの実現――新たな時代に対応した福祉の提供ビジョンーー」の中で、“対象者を制度に当てはめるのではなく、本人のニーズを起点に支援を調整することである。制度ではなく、地域というフィールド上に展開する営みであり、個人のニーズに合わせて地域を変えていくという「地域づくり」に他ならない。個別の取組の積み重ねが大きな潮流になって地域を変えていくという考え方と同じである。
〇第2点目は、現在進められている重層的支援体制整備事業に見られるように、地域共生社会政策は「住民と行政の協働」が重要になるが、その住民と行政の車の両輪の車軸を誰が担うのかという問題である。
〇これは第1点目と関わる問題であるが、この車軸の機能を担う機関を筆者は市町村社会福祉協議会ではないかと考えている。
〇重層的支援体制整備事業の要は、第2層レベルの専門多機関、専門職多職種連携による困難事例への総合的支援活動と第3層レベルの小学校区における近隣住民、民生児童委員、自治会、地区社会福祉協議会の方々によるインフォーマルな支援、見守り、声掛けとが有機化することが重要で、だからこそ福祉サービスを必要としている人を地域から排除することなく、受け入れる地域づくりにつながるわけで、この第2層と第3層の機能をコーディネートできるのは、地域を基盤としている社会福祉協議会ではないかと考えている。
〇第3点目は、今までややもすると市町村や地域との関りが豊かにあったとは言えない社会福祉施設やそれを経営している社会福祉法人であったが、人口減少、超高齢社会、福祉サービス利用者の減少の時代にあっては、全国の約2万の社会福祉法人、全国に10万か所ある社会福祉施設が、地域住民の生活を守る拠点、住民の共同利用施設の機能を持てるようになるかである。
〇筆者は、1978年の日本社会福祉学会の機関誌『社会福祉学』に書いた「施設の社会化と福祉実践」で社会福祉施設は地域住民の拠り所になるための社会福祉施設の社会化と地域化を推進するべきだと述べてきたが、今や、社会福祉施設、社会福祉法人の地域貢献が2016年以降法的に位置づけられ、求められるようになってきている。
〇人口減少、超高齢社会時代において、社会福祉施設は地域住民の生活を守る、かつ地域づくりの拠点となるよう意識改革をしていかなければならない。また、それをしないと社会福祉施設、社会福祉法人自体の存続も難しくなってきている。これからは、社会福祉法人の連携化や合併問題を含めて、地域の維持・存続に社会福祉施設はどういう役割を担えるかを考える時代であると述べた。
〇社会福祉施設、社会福祉法人の地域貢献活動を考える際に、大阪府社協「しあわせネットワーク事業」、香川県社会福祉協議会「おもいやりネットワーク事業」を参考にして欲しい。

(2024年3月8日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

老爺心お節介情報/第53号(2024年1月26日)

「老爺心お節介情報」第53号

地域福祉研究者各位
社会福祉協議会関係者各位

能登半島地震には本当に胸が痛みます。
亡くなられた方のご冥福と被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。

2024年1月26日  大橋 謙策

寒中お見舞い申し上げます!

Ⅰ 能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福と被災された方々へお見舞い申し上げます

〇2024年が幸多かれと寿ぎをしている最中、能登半島地震の発生が知らされました。大変厳しい年明けになってしまいました。
〇能登半島地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災に会われた方々へ心よりお見舞い申し上げます。
〇能登半島地震の被災状況は、日を経るにつれ、被害の甚大さが明らかになり、従来の震災とはまた別の様相を示しています。救命・救援、インフラの復旧は、行政及び専門職の方々にお任せするしか手を出せない状態です。しかしながら、被災地の高齢化や被災地のインフラの破壊状況を考えると、被災住民の方々の生活再建、地域復興に向けての「復元力」には相当厳しいものがあると推察しています。
〇この1月28日に、宮城県石巻市で「災害時ソーシャルワークフォーラム」が開催されます。このフォーラムは、日本医療ソーシャルワーカー協会が、東日本大震災被災後から12年間、石巻市で被災者支援をしてきた1047ケースの分析を基に開催されます。当日には『東日本大震災被災者への10年間のソーシャルワーク支援ー(公社)日本医療ソーシャルワーカー協会の相談支援1047ケースの実践報告』という本も中法規出版から刊行されます。この本は、12年間に亘る被災者支援の「縦断的調査研究」です。
〇このケースの分析、報告書の刊行に向けて、ここ5年間お手伝いをさせて頂いていましたが、①災害被災者支援は長期的に、災害被災後生活変容ステージごとに、かつ個々人の社会生活のアセスメントを丁寧に行いながら個別支援を行わないと、生活再建には程遠いことが明白になりました。②また、被災者一般ではなく、被災者の中には要支援者もいれば、「復元力」がおびただしく弱い人もいて、被災者といっても同じ“一枚岩”でなく、階層性を有しているので、その階層性に応じた支援が必要となります。
〇発災直後の「災害ボランティアセンター」の支援だけでは“ダメ”だということと、「復元力」の弱い高齢者や障害者への支援は継続的、長期的に、かつより伴走的個別支援のソーシャルワーク機能が重要であることが明らかになりました。この課題解決には、今まさに問われている「地域共生社会政策」における包括的、重層的支援体制を整備していくことに他なりません。
〇全社協は、2022年3月に『災害から地域の人びとを守るためにーー災害復旧支援活動の強化に向けた検討会報告書』を出しましたが、この内容レベルでは“ダメ”だと思います。これは、発災後のある時期には必要ですが、被災者支援に於いて、ややもすると“置き去りにされがちな”「復元力」が弱い、いわゆる“災害弱者”と言われる方々への支援が十分ではありません。
〇社会福祉協議会の使命は、まさに今問われている「地域共生社会政策」における「復元力」が弱い人を、誰一人“孤立”させない、“孤独”にさせない、個別支援を軸とした参加支援とそれを可能ならしめる地域づくりとを統合的に行う使命も持っているはずです。だからこそ、”地域を基盤として成り立つ社会福祉法人“として、住民から住民会費を頂いているのではないでしょうか。
〇社会福祉協議会が1987年の阪神淡路大震災を契機に「災害ボランティアセンター」を設置し、多くの被災住民から喜ばれる活動をしてきたことは高く評価しますが、その陰で被災者の中でもとりわけ要支援が必要な方々への長期的、継続的、伴走的支援をシステム的に行えていたのでしょうか。
〇能登半島地震に遭われた地域の状況、地域住民の社会生活の構造、従来にない地殻変動的被災の状況を考えると被災者支援は長期化するでしょうし、生活再建は容易ではないと思います。東日本大震災の時の教訓から、“集落ごとの避難”がかなり意識され、取り組まれていますが、地殻変動の大きな今回の震災では、集落の維持、持続自体が可能かどうか危ぶまれます。「生活再建」は相当に長期化し、厳しいものがあると推察されます。
〇社会福祉関係者は「災害被災者支援のソーシャルワーク」の在り方とそれを展開できるシステムづくりを改めて考える必要があるのではないでしょうか。

Ⅱ 1984年拙稿「公民館職員の原点を問う」は「地域共生社会政策」の先取りか?

〇昨年末から新年にかけて、私が1984年に書いた論文「公民館職員の原点を問う」(『月刊社会教育』1984年6月号所収、国土社)の内容が、今日進められている「地域共生社会政策」の“個別支援を通じて地域を変える”とかの先取りであるとか、今日の地域づくりの考え方に必要なものであるとか、今日の社会教育行政、公民館の在り方を予見していたものであるとかの評価、意見を頂きました。
〇1984年の拙稿は、私にとって今日のコミュニティソーシャルワークの在り方につながる、いわば基底になる考え方を示した論文です。私は、岡村重夫理論には地域福祉に関わる職員論がないと批判してきました(拙著『地域福祉とは何か』P18参照)が、1984年論文はその中核となる論文でもあります。それが、今日、改めて問われていることは嬉しいことです。
〇私の研究は、1984年論文で言いたかったことを常に意識してきました。したがって、拙著『地域福祉とは何か』の中でも、イギリスの1982年のバークレイ報告との関りで、1984年論文を引用、紹介しています(『地域福祉とは何か』P124。そこでは1984年論文を1984年8月号と書いてあるのは誤植です)。
〇上記のような意見を頂く契機は、明治大学の小林繁教授が『月刊社会教育』(旬報社に発行元が変更)の2023年12月号で、『「公民館職員の原点を問う」が提起するもの』と題する論文を書いてくれたからです。
〇『月刊社会教育』2023年12月号の小林論文は、1984年の拙稿を、①戦後初期の公民館構想が、1949年制定の社会教育法に組み込まれて行く過程で、公民館構想が有していた「住民が問題を発見し、問題を共有、深化させ、問題を解決する実践の中で形成される力、その教育的機能というものを事実上排除」し、結果として「いちじるしく公民館の活動を狭めた」こと、②1960年代以降の急激な産業構造の変化の中で、さまざまな社会的矛盾が地域課題や生活問題としてあらわれ、そのことがとりわけ子どもや障害をもつ人、高齢者などの社会的不利益者の問題として顕在化してくる。それらは別個の問題などではなく、複合的に連鎖している状況のなかで、公民館はどのような役割が求められているのか、(大橋)論文では、これらの問題の連鎖を分析・把握するための学習と、その問題を「解決するための力に転化させるための励ましや援助」との有機的つながりが必要であること、③公民館職員にはコミュニティワーカーとして、「住民が認識を高め、問題を解決する実践力を身に着けられるよう援助する」ことが求められること、④(大橋論文)は、この間の地域福祉の大きな転換、すなわち「地域共生社会」に向けて、「支え手」と「受け手」に分かれず互いに支え合う活動が(その当時から)追求されていると、拙稿の1984年論文を引用しながら、論文の今日的意義を整理してくれています(「」内は私の補足)。
〇小林繁論文のタイトルにはサブタイトルとして「座談会のテーマ(学びの壁を突き破るには)に関って」が付けられています。
〇私にとって、座談会の内容は、今日の社会教育行政や公民館の活動の分析と1984年当時の大橋論文との分析、内容とが必ずしもかみ合ってない感がするので、座談会そのものの論評はここでは避けたいと思います。
〇私が、この論文を書いた1984年当時、三多摩の公民館で働いていた、ある有力な職員から批判、反論を頂きました。その折、私の恩師である小川利夫先生から、“これは大事なことだから継続的論争として発展させた方がいい”とけしかけられましたが、当時の私はそれを受け入れませんでした。というのも、その当時、私は社会教育関係者も、社会福祉関係者も“出てきた政策には敏感に反応するが、政策が出されてくる背景には鈍感である”と批判していて、現象的な“評価”で論争する意欲が沸かなかったからです。
〇この「公民館職員の原点を問う」という論文は、当時、表向きにはなかなか言える立場ではありませんでしたが、岡村重夫地域福祉論における“地域論”、“職員論の欠如”への批判でもありました。また、この論文は、その後のコミュニティソーシャルワーク機能に関する論文の基底になる論文でもありました。
〇拙稿が『月刊社会教育』でとりあげられていることを202年年末に教えてくれた人は、長野市中条地区で活動されている黒岩秀美さんです。中条村が長野市に合併され、中条地区の地域の力、住民の力が弱くなり“消滅していく”のではないかという危機感の下、改め地域づくりに尽力されている方で、小池正志元長野県社会福祉協議会事務局長などと研究会を組織し、「人口減少地区における地域福祉のあり方」について研究、活動しているメンバーの一人です。そこでは、公民館と社会福祉協議会、施設経営の社会福祉法人の今後のあり方が論議されています。
〇その黒岩秀美さんが、元長野県飯田市の社会教育主事であった木下巨一さんとつながり、いろいろ情報が寄せられました。と同時に、私の教え子たちからもこの1984年論文が改めて俎上にのぼっていることも教えられました。
〇以下の文は、黒岩さん、木下さんにメールした内容です。

『月刊社会教育』2023年12月号の件、改めて40年前の拙稿を読み返してみました。40年前と現在とは状況は違いますが、指摘していることは間違ってなかったし、今でも“通用する”論文だと思いました。
2023年12月号の特集は、拙稿のもつ意味についての論考ではなく、その中の一部の「地域における個別課題に関する学習の組織化とその普遍化、住民の共有化」に関わる部分だけですので、それはそれとして“独立した”課題として、今日的状況を踏まえて論議していく必要があるでしょう。
40年前の拙稿が述べたかった点は、“公民館が住民が抱える地域課題を通して地域づくりを行うこと”をなぜ失念してしまったのかへの提起でした。
それは、“公民館の教育機関化と学習内容の高度化”(市民大学化)への警鐘でした。
私自身、「地域青年自由大学構想」に関する論文を書いていますので、公民館の学習内容の高度化を単純に否定しているわけではないのですが、あまりにも“公民館が住民が抱える地域課題を通して地域づくりを行うこと”が軽視されていることへの警鐘でした。
「限界集落、「消滅市町村」の現況の中では、改めてこの論文の意味するところを考え、「公民館復活」が重要です。
仮に、公民館の学習内容の高度化を考えるなら、もっと教育方法、教育内容についての考察が深められるべきだと当時思いました。当時、三多摩では学習内容の高度化、科学化を目ざした取り組みがおこなわれていたので、その関係者からは批判されました。
しかしながら、時代が証明したように、放送大学や各大学の地域講座、通信教育が多様化するなかで、相対的に“公民館の地位”は低下してしまいました。
私は、日本社会教育学会で、松下圭一さん、島田修一さんとシンポジュウムを行いましたが、松下さんに組したわけでもありませんし、島田さんに組したわけでもなく、“第3の立場”で発言をしました。ただ、松下さんに代表される“社会教育への批判”はもっと謙虚に受け止めるべきだと思い、その旨の発言はしています。
もし機会があれば、40年前の拙稿をどう評価するか、大いに論議したいものです。

(2024年1月6日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。