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老爺心お節介情報/第37号(2022年12月26日)

「老爺心お節介情報」第37号

皆さんお変わりありませんか。随分とご無沙汰しています。
8月に出す予定の「老爺心お節介情報」が漸くできました。送ります。関係者で自由にご活用下さい。
向寒の折、皆様くれぐれもご自愛ください。
(2022年12月26日記)

〇皆さんお変わりありませんでしょうか。新型コロナウイルスの第7波が驚異的に拡大していますが、皆さんのところは大丈夫でしょうか。私は、7月4日に第4回目のワクチン接種を行いました。ワクチンの効果はいかほどか分かりませんが、出来る対策の一つです。
〇今回のテーマは、1960年代から悩んできた「人が育つということ」、「人を育てる」ということに関わり、言語、思考のとらえ方です。
(2022年8月15日記)

Ⅰ 「言語と思考」――「言語の脳科学」(酒井邦嘉著、中央公論新社、2002年)

〇私は、日本社会事業大の学部2年生の時のゼミナールで、カール・マルクスの『経済学・哲学草稿』を講読した。その時以来、人間の主体性をどう形成するのか、できるのかに関心を寄せるようになった。主体形成を図るということは、人が育つということ、人を育てるという営みについて考えることであると思い、教育学を学ぶ必要性を感じ、学生サークル「教育科学研究会」を立ち上げ、当時、日本社会事業大学の非常勤講師を勤められていた山住正巳先生(東京都立大学教授、後に総長)に指導をお願いした。「教育科学研究会」では、月刊誌『教育』(国土社)に連載中の勝田守一先生の連載原稿の「能力と発達と学習」(後に国土社から単行本『能力と発達と学習』として刊行)を輪読することを中心に勉強した。
〇これらの勉強の中から、人間が育つうえで「外化」(「疎外」ともいう)という営みの重要性を認識する。人間の成長には、自らの内なるものを外に出して、自らがそれを客観化し、そのありようを意識して改善していく営みが主体形成には欠かせないと考えた。鉄道関係者がよくしている「指差し喚呼」や、学校で国語の教科書を音読させたりする営みは、その「外化」の一つである。自らの内なるものが“外”で出て、それを自らが対象化し、意識化し、それを主体的に改善、克服するという弁証法的取り組みである。
〇この“学び”の過程において、“言語と思考”とのかかわりに興味を持ち、ピアジェの『言語と思考』による内言語と外言語、ヴィゴツキー『思考と言語』(柴田義松訳)等も読むことになる。難しくて、十分咀嚼できているとは思わないが、心理学も含めて思考と言語との関り、その心理、かつ思考、言語の背景にある民俗学、文化に関心を拡大させていく。しかしながら、この論考はあまりにも奥が深く、途中で思考をとん挫させてしまった。
〇この8月に、「言語の脳科学」(酒井邦嘉著、中央公論新社、2002年)を知り、読み始め、それの読後感も含めて「老爺心お節介情報」として情報提供したかったが、全国各地のコミュニティソーシャルワーク研修が始まり、時間的にも、精神的にも余裕がなく、この「老爺心お節介情報」は8月15日の段階で、書きかけのまま、放置されることになった。
〇皆さんには、是非「言語の脳科学」(酒井邦嘉著、中央公論新社、2002年)を読んで欲しい。
〇筆者が、“言語と思考”、民俗学、心理学等への傾倒を強めていくのには、柴田義松先生の存在がある。
〇筆者は、1970年に東京大学大学院教育学研究科の修士課程を修了し、博士課程への進学が認められていたが、恩師の小川利夫先生を介して、女子栄養大学の助手にお誘い頂いた。
〇当時、筆者は全国の「教育科学研究会」の教授学部会にも参加しており、「島小物語」等を書いた教育方法論、教授学で名を馳せていた斎藤喜博先生(「斎藤喜博全集」が刊行されている)や柴田義松先生とは顔みしりであった。そのような関係もあったのか、大学院博士課程に在籍のまま、女子栄養大学の助手に採用するとの条件だったので、1970年4月から女子栄養大学に赴任することになる。女子栄養大学人間学教室には動物生態学の先生や科学史の先生がおり、より広く学問を考える環境があった。柴田義松先生は、のちに東京大学教育学部の教育方法論講座の教授として転任された。(2022年8月15日記、一部2022年12月26日追記)

Ⅱ 都道府県社会福祉協議会の創設時・初代事務局長に関わる調査研究の必要性

(はじめに)
〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。私は、12月も秋田、岩手、富山、石巻等のコミュニティソーシャルワーク研修で忙しくしていましたが、それも12月24日で終わり、漸くのんびりとする時間が持てています。
〇新型コロナウイルス感染症のワクチンも第5回目が終わり、何とか元気に過ごしています。
〇今回は、「老爺心お節介情報」第37号の追記部分として書いて、今年の仕事納めにしようと思います。

(日本地域福祉学会の地域福祉実践の地方史研究と都道府県社会福祉協議会の創設時・初代事務局長に関わる調査研究の必要性)

〇11月、12月と岩手県に行き、日本社会事業大学を卒業し、岩手県に入職後、岩手県立大学の教授をされた細田重憲さんや、日本社会事業大学を卒業後、岩手県社会福祉協議会に入職し、岩手県社会福祉協議会の事務局長を務められた右京昌久さん達と懇親する機会があり、『都道府県社会福祉協議会の創設時・初代事務局長に関わる調査研究』の必要性を痛感したので、その情報提供とお願いである。
〇筆者は、日本地域福祉学会の事務局長当時、財団法人安田火災記念財団からの助成を頂き、北海道、東京、近畿ブロックの地域福祉実践の地方史をまとめる研究プロジェクトのプロモーターを務めた。その成果物は、1992年に中央法規出版から『地域福祉史研究序説』として刊行されている。
〇この研究プロジェクトは、その後各都道府県単位の学会支部で取り組んで欲しい旨をお願いしたが、筆者が知る限りめぼしい成果は出ていない。富山県地域福祉研究会が、富山国際大学短期大学の学長をされている宮田伸朗先生を中心に、富山県地域福祉実践の地方史の研究をまとめられているが、それ以外では寡聞にして知らない。
〇上記したように、今回岩手県の訪問に際し、岩手県立大学が「岩手の社会福祉史研究会」を組織し、岩手県社会福祉協議会の初代事務局である見坊和雄さんに聞き取りしている資料をご恵贈賜り、読むことができた。聞き取りの要約は、細田重憲さんが『岩手の保健』第226号=228号(令和3年3月・8月・令和4年3月)、岩手県国民健康保険団体連合会発行に連載している。
〇これらの資料を読み、改めて地域福祉実践における地方史研究の必要性、とりわけ都道府県社会福祉協議会の創設時の初代事務局の人物像も含めた研究が必要ではないかと思った。その際に、筆者がすぐに思いついたのが、秋田県社会福祉協議会の三浦三郎事務局長と山形県社会福祉協議会の松田仁兵衛事務局長である(松田仁兵衛さんの本は全社協選書から『社会福祉とともに』が刊行されている)。
〇秋田県社会福祉協議会の三浦三郎事務局長には、筆者が日本社会事業大学学部3年生の時、恩師の小川利夫先生に名刺に添え書きをして頂いて、山形、秋田を訪問した際に大変お世話になった。三浦三郎事務局長は、戦前の社会事業主事講習を受けており、戦前のセツルメントハウス・興望館にも勤めていたこともある。三浦三郎事務局には、秋田の祭り・竿灯を見せて頂いた上に、下浜の自宅に留めて頂いた。
〇見坊和雄さんは、三浦三郎さんと松田仁兵衛さんと一緒になって、いろいろな取り組みをされたことを話しておられる。改めて、東北3県の社会福祉協議会の事務局に焦点を当てて、地域福祉実践の地方史を研究する必要があるのではないか。
〇と同時に、全国の各県社会福祉協議会の創設の時の状況や初代の事務局長の動向についての歴史研究に各県社会福祉協議会の職員や日本地域福祉学会の各県支部の会員は是非取り組んで欲しいものである。

(2022年12月26日追記)

老爺心お節介情報/第36号(2022年6月13日)

「老爺心お節介情報」第36号

〇関東は梅雨入りしたようですが、皆さまのところは如何ですか。梅雨がないと水不足になり、田畑が困りますが、連日の雨と湿度の高い日々は気分的にはまいります。
〇我が家近辺の多摩丘陵には、今年もホトトギス(時鳥)が飛来し、“トウキョウトッキョキョカキョク”と毎日未明から鳴いています。
〇我が家の庭の小さな畑に、ナス、キュウリ、シシトウが実り、食卓を豊かにしてくれています。
〇「老爺心お節介情報」第36号をお届けします。

Ⅰ 社会問題の分析視角と『ことばと文化』(鈴木孝夫著)

〇私は、恩師の小川利夫先生から研究指導を受ける際、“おまえの分析視角は何か、そのナイフは先行研究を踏まえた理論課題を明らかにできる研ぎ澄まされているナイフなのか、それともなまくらなのかどうか?”、“事象に流されて、紹介するだけのものは論文とは言わない”等と常に戒められてきた。
〇そんなこともあり、私は論文を書くときに、あるいは講演をする際にとても十分とはいえないにしても、常に以下のようなことを考えて研究生活を送ってきた。

➀ 何故、その社会問題、事象を取り上げるのか、それを取り上げる意義は何か?
② 取り上げた社会問題、事象をどう分析するのか、その分析の視角は何か?
③ 分析したここの要因間の関係の構造を考え、何が幹で、何が枝で、何が葉なのか、枝葉末節を考えて、構造的に分析を行い、考えているか?
④ 分析をした社会問題、事象を通して、社会福祉学界に対してどのような理論課題を提起し、論述しようとしているのか、その理論課題に即した先行研究も十分まえてに論述しているのか?

〇上記のことを私が意識して分析視角、問題構造という用語を使って書いた最初の論文が「現代児童の問題構造と分析視角」(『ジュリスト』572号、有斐閣、1974年10月)である。
〇自分のことを棚に上げておこがましいことを言うようであるが、最近の実践や研究において、上記のことがほとんど触れられずに、“犬が歩けば棒に当たる”類の研究姿勢が多いことはなぜなのだろうか?それは私達の世代の“大学院”での研究指導が不十分であったからであろうか。
〇『ことばと文化』(鈴木孝夫著、岩波新書、780円)を2022年6月に読んだ。残念ながら、この本は1973年に初版が出ている。
〇私が、1970年頃に日本の文化を基底とした社会福祉のあり方と、WASP(ホワイト、アングロサクソン、プロテスタント)の文化を基底としたアメリカの社会福祉の考え方、とりわけ社会福祉方法論との関係で悩んでいたころに出た本である。
〇生活のしづらさを抱えている人を支援する際に、その人の文化的基底は何か、生活文化は何か、その違いを抜きにして“アメリカ直輸入”的に社会福祉方法論を論じ、支援の際に援用することにどうしても馴染めず、文化、言葉、心理というものを学ぼうとしたがあまりにも奥が深くとん挫した研究経験を私は有している。
〇ところが、この『ことばと文化』を読んで、初版本が出た時に、この本を読んでいれば、あるいは私の研究上の“分析視角”や“問題構造の描き方”は変わっていたかも知れないと直感的に思った。というのも、生活問題を取り上げる社会福祉研究は、生活問題の事象をどのように表現し、どのような文脈の中で分析し、関係づけて考えるか、そのヒントが『ことばと文化』の中にあるからである。
〇鈴木孝夫氏は、慶應大学名誉教授であり、言語社会学者である。1926年に生まれ、2021年の2月に逝去している。逝去に際し、多くのマスコミが鈴木孝夫氏の論功を取り上げ紹介した。浅学菲才の私は不覚にも、その時はじめて鈴木孝夫氏の論功を知った。(鈴木孝夫氏が逝去された報道の後、すぐにこの本を購入したが、1年間本棚に“積読”の状態で、漸くここに来て読むことができた)。
〇『ことばと文化』の初版本が出された1970年代初頭の頃、社会福祉と社会教育の学際研究をしていた私は、その二つの領域の文献とその領域の政策動向、実践情報を把握するのに精一杯で、精神的にも、時間的にも余裕がなく、広く“文化”や“ことば”に関する文献を検索できていなかった。“文化”については、いくつかの文献を渉猟したが、あまりにも奥が深く、幅が広く、“社会福祉と文化”の関係を分析できる視角を確立できる自信が持てず、諦めてしまった経験を有している。
〇鈴木孝夫氏は、『ことばと文化』の中で次のように述べている。

① “文化の単位をなしている個々の項目(事物や行動)というものは、一つ一つが、他の項目から独立した、それ自体で完結した存在ではなく、他のさまざまな項目との間で、一種の引張り合い、押し合いしながら、相対的に価値が決まっていくものなのである”(P4)
② あらわれた文化とかくされた文化――“ある国の人々の生活や考え方を隅々まで支配している、その国の文化というものは、そこに生まれた人々にとっては、空気の存在と同じく、元来自覚されにくいものである。・・普通の人が気付く、いわゆる文化の相違は、比較的目につきやすい、具体的な現象に限られることが多いのである。あらわな文化という(over culture)と呼ぶ文化の側面がこれである。
この顕在的な文化に対して、目に見えにくい、それだけに、仲々気が付かない文化の側面のことをかくれた文化(cover culture)と呼ぶ。・・・このように文化の項目としては全く同一のスプーンを使いながら、日本人と西洋人との間には、ちょっと人が気が付かない構造的な違いが見られる。・・かくれた部分に気付くことこそ、異文化理解のカギであり、また外国語を学習することの重要な意義の一つはここにあるといえよう。(P15~17)
③ “ことばが、私たちの世界認識の手がかりであり、唯一の窓口であるならば、ことばの構造やしくみが違えば、認識される対象も当然ある程度変化せざるを得ない。”(P31)
④ “ことばというものは、混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から、人間にとって有意義と思われる仕方で、虚構の文節を与え、そして分類する働きを担っている。言葉とは絶えず生成し、常に流動している世界を、あたかも整然と区分された、ものやことの集合であるかのような姿の下に、人間に提示して見せる虚構性を本質的に持っているのである“(P30~31)
⑤ “ものにことばを与えるということは、人間が自分を取り巻く世界の一側面を、他の側面や断片から切り離して扱う価値があると認めたということにすぎない。
化学式でH₂Oと一括できる同一のものが、日本語で「氷」、「湯」、「ゆげ」に始まり、「露」「霜」から「春雨」や「夕立」に至る、何十という別々のことばで呼ばれていることは、しかし、確実なものとしての存在は、H₂Oだけであって、それ以外の名称は、名前だけの実体のない存在、つまり対象の側に必然的な裏付けのない虚構であるということにはならないのである。
何故かといえば、このH₂Oですら、人間が世界のある特定の角度から整理した結果、把握されたものであって、決して最終的な、確実なものではないからだ“(P39~40)

〇我々が、社会問題、生活問題を取り上げて研究する際、どの視点からその問題を取り上げるのか、そしてその問題の整理にあったて、どのような“言葉”で分析するのか、その結果どのような理論課題を提起するのか、とても重要なことである。
〇アメリカ人の“ものの見方、考え方”における文化と、日本人の“ものの見方、考え方”の違いと、それを表現する仕方が違うということをよく踏まえて海外研究、国際研究をする必要がある。
〇“ことわざ”はその国の文化、生活慣習にすぐれて影響を受けている“ことば”である。私の拙文を韓国語に訳すときに、“ことわざ”の翻訳ができないとよく言われたものである。
〇このようなことを考えると、生活問題、社会問題自体が、ある局面を語っているわけであるから、その分析はどの側面から切っているのか、それは何を提起しているのかを常に考える必要がある。
〇“研究者”として、論文を書くということが如何に難しいかを再認識させられた。

Ⅱ 雑感―― 黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史』を読んで

〇ウクライナ人の民族国家、主権国家ウクライナへロシアが侵攻した。とても許される行為ではない。まさに国際法を踏みにじる蛮行である。いくら、1991年以前のソビエト連邦の傘下国であったとしても、断じて許されない行為である。
〇ロシアはなぜこのような蛮行を犯したのか、黒川祐次著『物語 ウクライナの歴史』(中公新書、860円)を読んで、その歴的な遠因、根の深さを改めて認識させられた。
〇かつて、このような蛮行を日本もしてきた。韓国の人が日本に対して持っている“恨”には根深いものがある。韓国(朝鮮)に対し、白村江の侵略、秀吉の侵略に加え、日韓併合、「創氏改称」という蛮行を日本は行ってきた。中国に対しても満州国建設、南京侵略等蛮行を行ってきた。
〇ロシアのウクライナ侵攻に際し、どれだけの日本人が、かつて韓国(朝鮮)や中国に対して行ってきた蛮行を振り返り、反省し、その上でロシア批判をしているのであろうか。
〇戦前、日本が犯した蛮行を今こそ正面から向き合い、反省し、謝罪すべきことは明らかに謝罪したうえで、未来に向けての平和友好を築く努力をするべきではないのだろうか。
〇マスコミの論調に、このようなかつて日本が犯した蛮行との関りでの論説が十分でないことに懸念を持っている。まさか、そんな“日本の過去の蛮行”は“水に流して”と思っている日本人がいないことを願うばかりである。
〇目の前のウクライナ侵攻を日本人が傍観しているのではないことを願うのみである。
〇と同時に、ウクライナ難民の受け入れとタイ、ミヤンマー、あるいはバングラデシュ等のアジア地域の人々の難民受け入れとを日本人が差別化していないことを願うばかりである。

(2022年6月13日記)

老爺心お節介情報/第35号(2022年5月5日)

「老爺心お節介情報」第35号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。時の移ろいは早いもので、もう5月になってしまいました。昨年の4月は第3回四国歩きお遍路巡礼の後半を歩き、4月末に帰宅し、今頃は紀行文を書いている時期でした。
〇新型コロナウイルス感染症に伴う“行動制限”もない3年振りのゴールデンウイークですが、皆さんは自然を満喫されたでしょうか。
〇この間、読んだ本や雑誌についての情報をお届けします。

Ⅰ 「ひきこもり」の人たちへの関わり方、支援のあり方を考える本です。是非読んで下さい。

『ひきこもりの真実』林恭子著、ちくま新書、840円
『ひきこもりから考える』石川良子著、ちくま新書、780円

〇林恭子さんは“ひきこもり当事者”の方で、ご自分の体験を基に、“ひきこもり”支援のあり方について述べられています。
〇“支援を受ける側”の立場から、“ひきこもり”支援は“就労がゴールではない、自己肯定感の回復が先であり、大切である”。
〇支援者に伝えたいことは、“向き合うのではなく、支援する側―支援される側という関係ではなく、横に並ぶ”こと、 “アウトリーチは当事者にとって恐怖以外のなにものでもない”。
〇“分かるということよりも分かろうとしている姿勢が当事者に伝わることが大切”、“当事者に見えている世界を知って欲しい”等など、とても考えさせられる内容が書かれています。是非読んで下さい。
〇石川良子さんの本は、ひきこもりの方々と20年間近く関わってこられた体験を基に社会学研究者として書かれたものです。
〇林恭子さんの本を読んで、私は、改めてソーシャルワーク支援を必要としている人の一般的属性概況を知識として知っている必要があるが、その属性概況に“レッテル”を貼って、その属性概況の一般的「枠組み」で支援を考える支援をしてはならないこと、一般的属性概況を踏まえた上で、なおかつその一人一人にきちんと向き合い、その人のナラティブに基づき支援をすることの重要性を再確認させられた。
〇皆さんにも支援者の姿勢として、是非考えて欲しい点である。

Ⅱ 「医療的ケア」を必要としている人へのソーシャルワークと生命倫理

〇私は、2000年前後に、日本社会事業大学大学院、同志社大学大学院、東北福祉大学大学院、淑徳大学大学院等での授業において、社会福祉学研究者の基礎的素養として、社会福祉学の基本になる哲学を学ぶ授業を行っていたことがある。その際のテキストとして、生命倫理やケアの考え方、公共福祉などに関わる文献を取り上げて行っていた。
〇今日のように、「医療的ケア児」への支援、終末期を迎えているがん患者、高齢者等への支援、難病の方への「社会生活モデル」に基づくソーシャルワーク支援を考える際に、あらためて支援に当たる立場としてソーシャルワークにおける生命倫理、ケア観を問い直しておく必要があるだろう。
〇私が学んでいた1960年代当時の日本社会事業大学の学生には、脳性まひの学生がおり、その学生の支援に仲村優一先生が多大の努力をされていた。その学生の一人は、「青い芝の会」のメンバーとしていろいろ活動していた。1975年に横塚晃一さんが『母よ殺すな』(すずさわ書店)を上梓した時代で、障害を有している子どもをもった親の苦労、苦悩と障害を有している子ども自身の生存権、幸福追求権との関りをいろいろ考えさせられた時代であった。

#前にも紹介したが、SOMPO福祉財団文献賞を受賞した高阪悌雄著『障害基礎年金と当事者運動』(明石書店、5400円)を是非読んで欲しい。

〇今日の「医療的ケア」を必要としている人へのソーシャルワークと生命倫理との関係も、内容的にとても重い問題であるが、地域福祉実践・研究を志すものとして避けて通れない課題である。
〇医療従事者における“呼吸すること”を保障する「医学モデル」に基づく実践としての生命倫理とは異なり、社会福祉従事者においては“生きること”を保障する「社会生活モデル」に基づく実践であり、医学分野の生命倫理を踏まえながらも、「社会生活モデル」に基づく実践における生命倫理、ソーシャルワークのあり方を論究する必要がある。
〇この間以下の本を読んで、「生きること」、生命倫理についていろいろ考えることがあった。
『助けてが言えない』、松本俊彦編著、日本評論社、1600円
『殺す親、殺させられる親』児玉真美著、生活書院、2300円

〇松本俊彦編著『助けてが言えない』の中で、精神障害者への支援において、“コンプライアンスから、アドヒアランスへと発展し、いまや患者と医療者のパートナーシップをより重視したコンコーダンス”の時代だという記述に大いに期待したいと思うものの、実情はそうなっているのだろうかと考えてしまった。精神障害者の地域自立生活支援における“コンコーダンス”の時代を我々は市町村で構築できるであろうか。
〇児玉真美著『殺す親、殺させられる親』は、第2部で『「死ぬ・死なせる」をめぐる意思決定』について書かれている。一人暮らし高齢者や一人暮らし障害者の終末期支援をしていく際に、我々が考えておかなければならない課題が提起されている。

Ⅲ 「生きづらさを抱えた人」の支援と地域生活定着支援センター

〇地域共生社会政策の一環として,地域福祉計画、地域福祉支援計画を策定する際に、自殺予防、再犯防止、孤立・孤独対策等も包含して計画策定することが求められている。
〇『新ノーマライゼーション』2022年4月号(日本障害者リハビリテーション協会、500円)は、矯正施設出所者への支援のあり方について特集している。全国に48ある地域生活定着支援センターの取組や千葉県中核地域生活支援センター等の取組が紹介されている。「生きにくさを抱えた障害者等の支援者ネットワーク」の赤平守さんが「支援の本質を問い続けてー生きにくさネットの活動」を書いています。赤平さんは、“「生きにくさを抱えている人の心はいつも揺れ動いています。「地域で生きる人を、地域で支える」のであれば、その人を知る努力と確かな根拠を基にした想像力が必要となります”と述べていますが、ソーシャルワークにおける「2つのそうぞう性(想像力と創造力)」の重要性と、“レッテル”を貼って分かった気にならないで、福祉サービスを必要としているその一人一人のナラティブに基づく支援のあり方が問われています。
〇また、犯罪という事柄に我々は目が行きがちであるが、その背後には貧困、障害、いじめ、虐待などの問題があり、その人のソーシャルサポートネットワークが崩壊したときに“犯罪”がおきていることを考え、支えていく意味が問いかけられている。

Ⅳ 雑感「文化人類学とソーシャルワーク」

〇かつて、私は加地伸行著『儒教とは何か』(中公新書、720円)等の儒教関係の本を読んで、儒教とは何かを考えようとした。それは、自分を含めて、日本人のものの考え方、感じ方に色濃く儒教の“教え”が入り込んでおり、影響を受けている。地域福祉の主体形成を考えていくとき、これらの問題は看過できないと考え、チャレンジしたが事実上その作業はとん挫している。
〇以前紹介した山本七郎著『日本資本主義の精神~なぜ一生懸命働くのか~』も同じ文脈である。
〇それは、マックス・ヴェーバーが書いた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をひも解くとすれば、それと同じように日本人に影響与えた考え方、思想を探ろうという文化人類学的発想からでたものであった。
〇私は、1970年代に“日本の福祉文化の底流にあるものに興味、関心を寄せ”、文化とは何かを理解したいと思ったし、その日本人の文化と社会福祉との関りを考究したいと考えたが、“奥が深く、幅が広く、とても自分には手が負えない”と考えて、その研究アプローチも断念せざるを得なかった。
〇しかしながら、住民の生き方、地域のありよう等を考えないで地域福祉研究をしていていいのだろうかとういう“脅迫観念”ともいえる思いは今になっても消えないでいる。
〇かつて、中根千枝の「タテ社会の構造」理論を援用して、2005年に「わが国におけるソーシャルワークの理論化を求めて」(『ソーシャルワーク研究』第31巻第1号)を書いたのもその“流れ”から来ている。
〇この連休中に、宮城谷昌光著『孔丘』(文芸春秋、2000円)を読んだ。この本は、孔子の生涯と考え方を小説にしたものであるが、この本を読みながらを如何に自分の中に儒教の考え方が入り込んでいるか改めて再認識させられた。
〇「法」と「礼」、「徳」、「天」といった人間の行動を律する語句や考え方が如何に当たり前のように自分の中にあることに驚かされた。
〇文化人類学や社会思想史は、形になりづらいものであり、研究の難しさはあるが、社会福祉学が自立支援を目的に考えるとすれば避けて通れない課題ともいえる。日本の社会福祉学研究を文化人類学の視点を踏まえて行う人が出てこないであろうか。

(2022年5月5日記)

 

老爺心お節介情報/第34号(2022年3月24日)

「老爺心お節介情報」第34号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。我が家の小坪には、ミツバツツジやシデコブシの花が咲き、春到来を告げています。
〇新型コロナウイルス感染症の「第6波」も減少傾向を見せ始め、少し気分的にも楽になってきました。私自身は2月4日に第3回目のワクチン接種を行いました。それでも地方への出張では気を使い、3月13日にPCR検査を受けましたが陰性でした。これからも体調管理に気を付けて、新型コロナウイルス感染に罹らないように留意していきたいと思います。 〇「老爺心お節介情報」第34号は、以下の通りです。

Ⅰ 『地域福祉とは何かーー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』

〇拙著『地域福祉とは何かーー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』
(中央法規出版、2022年4月10日発行、3000円)を上梓しました。
〇本書の「まえがき」を添付しましたので参考にして頂ければと思いますが、地域福祉実践・研究の理論的課題を私の50年間の「バッテリー型研究」の自伝史に引き付けて書いてみました。本書は、私の50年間の地域福祉実践・研究の「集大成」です。
〇全国各地で、これからもコミュニティソーシャルワーク研修が進むものと考えられますが、その際に本書を使って頂ければ全てわかるように、“地域福祉の考え方”、“地域自立生活支援の考え方”、“住民の社会福祉を高めることの必要性と気を付けなければならない視点”、“地域福祉を推進する組織である地域を基盤とする社会福祉法人としての社協の性格、歴史的変遷”、“地域福祉を推進する方法論としてのコミュニティソーシャルワーク機能”についてまとめてあります。
〇とりわけ、現時点で考えられるコミュニティソーシャルワーク研修の考え方、それに必要な研修用のシートも収録してあります。大いにご活用頂き、コミュニティソーシャルワークの推進の役立てて頂ければと思います。

Ⅱ ICFの視点に基づくケアマネジメント方法を活用したソーシャルケア

〇私は、2001年のWHOのICF(国際生活機能分類)の日本語版翻訳に際し、その「社会活動」領域の作業班長を仰せつかりました。私自身、1960年代から障害者の学習・文化・スポーツ・レクリエーションの振興に取り組んでいましたし、社会福祉は憲法第25条の規定による社会権的生存権の保障のみならず、憲法第13条に基づく幸福追求権、自己実現を図ることも社会福祉推進の法源、根拠とすべきと考え、実践も研究もしてきましたので、2001年のWHOのICFの考え方である生活環境を改善することの重要性についてはさほど驚きませんでしたし、“今更”という感慨を持ったことは事実です。
〇しかしながら、厚生労働省がWHOのICFを翻訳し、その考え方を普及させるとなると話はかわってきます。私は、当時、厚生労働省の担当者に、“このICFの考え方を取り入れると障害者分野の施策の大幅な見直しが必要ですよ。状況によっては、障害基礎年金や障害者手帳のもつ意味が変わってきますし、障害認定に伴う制度自体の改編が必要になると思いますが、それでも行いますか”と質問したことを覚えている。
〇その当時は、生活環境の変化がサービスを必要としている人の生活意欲、生活方法、行動様式、生活圏域の拡大を劇的に変えるというイメージはさほどなかったことは事実です。
〇しかし、その後の介護ロボットの開発・普及、ICTを活用しての福祉機器の開発・普及の進展は目を見張るものがあり、これからのケアワーク、ソーシャルワークというソーシャルケアはICFの視点に基づく福祉機器の利活用を前提としたものでなければ“使い物”にならなくなってきています。
〇しかしながら、社会福祉士、介護福祉士、介護支援専門員、障害者相談支援専門員などの養成・研修において、福祉機器に関する領域は殆ど“皆無”といっても過言ではありません。福祉機器を利活用しての生活環境を改善させることは、これからのソーシャルケアの実践においては不可欠となっています。
〇先日読んだ『奇跡の介護リフトー介護業界に風穴を開けた小さなメーカーの苦闘の記録』(森島勝美著、幻冬舎、1500円、2022年2月発行)は、是非多くの社会福祉関係者に読んで欲しい文献です。
〇本書には、自宅において介護リフトを利活用することによって、“寝たきりの高齢者”の生活変容、生活意欲などが紹介されています。
〇社会福祉(社会事業)は、戦前から福祉サービスを必要としている人の生きる意欲、生きる希望、生きる見通しを引き出し、支えることが重要であり、それが“積極的社会事業”であると言われてきましたが、まさに福祉機器はそのような機能を有しています。
〇その際に重要なことは、福祉機器には補聴器もその範疇に入っているということを忘れてはいけません。2021年3月に出されたWHOの「聞こえ」の保障にかかわる報告書で、“難聴がうつ病を誘発し、それが認知症へとつながっている”ことを指摘しています。
〇社会福祉関係者は補聴器も含めた福祉機器の利活用に関心を寄せることが肝要です。このことは、拙著『地域福祉とは何か』の中で、地域自立生活支援における福祉機器の利活用の重要性についても述べています。

(2022年3月24日)

大橋 著作 その2

老爺心お節介情報/第33号(2022年2月22日)

「老爺心お節介情報」第33号

〇皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。前回の「老爺心お節介情報」をお届けしてから早3か月が経ってしまいました。申し訳ありません。
〇昨年の10月以降、新型コロナウイルス感染症が小康状態になり、各地の研修が開催されたことと、私の最後の著書になるであろう『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』(中央法規出版、4月刊行)の編集、校正に忙殺され、「老爺心お節介情報」を書く時間と気持ちの余裕がありませんでした。この間、皆様にお届けしたくなるような“情報”に出合わなかったこともありますが、上述した業務以外に新たな文献を読めていないことも要因の一つです。
〇今回の「老爺心お節介情報」は以下の3点です。

Ⅰ 宮城孝著『住民力―超高齢社会を生き抜く地域のチカラ』(明石書店、1800円)

〇法政大学の宮城孝先生が、自らの地域福祉実践・研究のフィールドとして長く関わってきた島根県松江市淞北台地区や中野区、あるいは東日本大震災で被害を受けた陸前高田市での支援を中心に取り上げ、地域づくりにおける住民の参加、力について分かりやすく書いてあります。「住民力」を高める7つのポイントも示されています。

Ⅱ 原田和広著『実存的貧困とはなにか』(青土社、7200円)

〇本書は、700ページを超える大著です。
〇原田さんは、山形市で子育て支援サービスの事業を展開している人で、山形県議会議員も勤めました(昨年の総選挙で、県議を辞し、国政選挙に出馬しましたが落選しました)。
〇本書は、原田さんが東北福祉大学大学院で学び、博士論文として学位取得が認められた博士論文に加筆修正したものです。私が指導教員を勤めました。
〇本書は、生活困窮、生活のしづらさを抱えている人々について、従来の社会福祉学の経済的・古典的貧困では現状を説明できないこと、新しい生活のしづらさを抱えている「新しい貧困」だけでも説明できない状況があるとして、それは「実存的貧困」ではないかと問題提起しています。その実証事例を“風俗営業”などに従事している女性を中心に、膨大なインタビュー調査を基に解析しています。従来の“風俗営業”等に従事している女性の問題はジェンダー論の立場から分析することが多かったのですが、それでは現状を説明できないと考え、その人の生育史、学歴、社会関係等も分析して、新たな貧困概念が必要ではないかと考え、「実存的貧困」概念を提唱しています。
〇読みでがありますが、とても重要な社会福祉学の理論的検討がされています。社会福祉学研究者は少なくとも本書を読んで、新たな社会福祉問題の分析視角、理論課題を検討するべきだと思います。

Ⅲ 阪野貢先生の「市民福祉教育研究所」のブログ「雑感」104号

〇私は地域福祉研究の「研究方法」について長らく悩んできました。とりわけ、外部の人間として地域に入るのですから、“地域”との関わり方については悩んできました。
〇研究者として、“上から目線”で地域に入り、“教えてあげる”という“臭い”をさせながら、“地域を引っ搔き回し”、その成果をあたかも自分の“手柄”のように披歴する研究者に1970年代から辟易してきました
〇私自身はそれについては相当気を付けてきたつもりではありますが、住民の皆さんからみたら、同じような指摘を受けるのかも知れません。
〇また、住民の意識、関係等の大量的リサーチを行うのが地域福祉研究なのかとも思ってきました。
〇その地域福祉の「研究方法」については『地域福祉とは何かー哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』で述べたつもりです。一言で言えば、実践家と研究者が野球の投手、捕手のようにバッテリーを組んで、協働実践を行う「バッテリー型研究」が重要だと考えてきました。
〇そのことに関し、阪野貢先生が「関係人口」に関わらせて説明しているので参照して頂きたい。その一部を以下に抜粋しておきます。是非、阪野貢先生のブログを読んで下さい。

#「関係人口」とは――以下、阪野貢先生が主宰する「市民福祉教育研究所」のブログの「雑感」104号、「まちづくれと市民福祉教育」63号を参照(以下に一部引用)。

「まちづくりと市民福祉教育」63号
追補/「関係人口」と「よそ者」―田中輝美の論考と大橋謙策の実践研究―

〇筆者の手もとに、田中輝美(たなか・てるみ。ローカルジャーナリスト、島根県立大学)の『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』(大阪大学出版会、2021年4月。以下[1])がある。
〇「関係人口」という用語は、高橋博之(たかはし・ひろゆき)と指出一正(さしで・かずまさ)の二人のメディア関係者が2016年に初めて言及したものである。「関係人口」とは、高橋にあっては「交流人口と定住人口の間に眠るもの」、指出にあっては「地域に関わってくれる人口」をいう。その後、田中輝美は「地域に多様に関わる人々=仲間」(2017年)、総務省は「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」(2018年)、農業経済学者である小田切徳美(おだぎり・とくみ。明治大学)は「地方部に関心を持ち、関与する都市部に住む人々」(2018年)、河井孝仁(かわい・たかよし。東海大学)は「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(2020年)としてそれぞれ、「関係人口論」を展開する(73~75ページ)。
〇田中は[1]で、こうした抽象的・多義的で、農村論や過疎地域論に偏りがちな(都市部における関係人口を切り捨ててしまう)関係人口論に問題を投げかけ、関係人口について社会学的な視点から学術的な概念規定を試みる。関係人口とは「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」(77ページ)である、というのがその定義である。この定義づけで田中は、関係人口を、移住した「定住人口」でも観光に来た「交流人口」でもなく、新たな地域外の主体、別言すれば「一方通行ではなく、自身の関心と地域課題の解決が両立する関係を目指す『新しいよそ者』」(69ページ)として捉える。その際、地域とどのように関わるかについて、関係人口の空間(「よそ者」)とともに、時間(「継続的」)と態度(「関心」)に注目する。

(2022年2月22日記)

老爺心お節介情報/第32号(2021年11月6日)

「老爺心お節介情報」第32号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。新型コロナウイルスの感染が小康状態になり、事業も研修も日常スタイルに戻りつつあるのではないのでしょうか。私も、この10月から各地の研修が再開され、普段の生活スタイルに戻り、やっと“自分らしく”なってきました。
〇「老爺心お節介情報」第32号を送ります。

Ⅰ 『ええじゃないかー民衆運動の系譜』(西垣晴次著、講談社学術文庫)

〇東京大学大学院で社会教育を学んでいる時、色川大吉著『明治精神史』、安丸良夫著『日本の近代と民衆思想』、渋谷定輔著『農民哀史』、細井和喜蔵著『女工哀史』、横山源之助『日本の下層社会』等を読み、民衆(庶民)の生活、民衆の考え、民衆の思想等について考えていた時があった。
〇今、厚生労働省は「地域共生社会政策」を掲げ、住民参加で、「地域生活課題」を明らかにして「地域福祉計画」の策定を求めている。
〇筆者は、その「地域生活課題」に関し、疑義を呈し、「地域社会生活課題」ではないかと述べてきた。それというのも、庶民の地域社会生活に関わる側面を考えないと地域福祉は展開できないと考えてきたからである。
〇今回、『ええじゃないかー民衆運動の系譜』(西垣晴次著、講談社学術文庫)を読んだ。お伊勢信仰とお陰参りと大政奉還された慶応3年に起きた「ええじゃないか運動」とを天連動させて考察された著書で、民衆の生活不安、治世への不満、不満を発散させる方法としての踊りと信仰との関係等を考えることができ、とても参考になった。
〇丁度、11月6日に中根千枝先生の訃報が報道された。1990年代に中根千枝先生の「タテ社会の構造」を基に地域福祉実践と研究を考えた頃を思い出し、改めて地域福祉実践、研究の奥の深さと難しさをかみしめている。

Ⅱ 『新ノーマライゼーション』2021年10月号(公益財団法人日本障害者リハビリテーション協会発行)

〇今月号は、「災害対策基本法の改正による個別支援計画の作成促進について」、「精神障害者にも対応した地域包括ケアシステムが目指すモノ」、ロービジョンの障害者が使いこなす「iPhoneは暮らしの必須アイテム」、難病のME(筋痛性脳脊髄)・CFS(慢性疲労症候群)の患者さんの「医療難民、福祉難民からの脱却を目指した10年間――療養に専念できる環境を求めて」等が掲載されており、大変参考になった。
〇ソーシャルワーカーはマイノリティという用語をよく使うが、果たしてどれだけ難病の患者さんも含めてマイノリティのことを知ろうとしているのか、大いに反省させられた。

(2021年11月6日記)

老爺心お節介情報/第31号(2021年9月20日)

「老爺心お節介情報」第31号

―井上英晴先生の「岡村重夫理論」の考察を読んで―

〇井上英晴先生の存在を認識したのは。先生が福岡県嘉穂郡穂波町社会福祉協議会の福祉活動指導員として、産炭地における生活課題に取り組んだ実践レポートを読んだことが最初であると記憶している。
〇その後、井上先生が大学院での論文を基に刊行された『福祉コミュニティ論』を読み、それを日本社会事業大学の大学院で教材文献として紹介し、その批判検討をした記憶がある。その本では、井上先生は、大橋謙策の福祉コミュニティ論の考え方は間違っていて、岡村重夫の福祉コミュニティ論が正しいと、大橋謙策論文を批判していながら、最後は大橋謙策の考えを何か肯定しているかのような論説の仕方をされていたことを思い出している(手元にその著書がないので確かめていない)。
〇この度、井上英晴先生が鳥取大学を退職して、高松大学発達科学部に移られてから書かれた、以下の論文を読み、久しぶりに“知的好奇心と興奮”を覚えたので、その一端を紹介したい。

①『岡村重夫の生活者原理(社会福祉の援助原理)には個別性の原理が含まれるのか』(高松大学研究紀要第51巻、P1~21、2008年投稿、
②『岡村重夫なのりこえられたかーー「地域社会関係(原理)」について』
(高松大学研究紀要第52=53巻、P1~24、P39~80、2009年投稿)
③『岡村重夫による和辻哲郎の需要と批判』
(高松大学研究紀要第56―57巻、2011年投稿)
④『死あるいは死ぬということと、岡村重夫の死の援助』
(高松大学研究紀要第58―59巻、P1~56、2012年投稿)

〇井上英晴先生は、岡村重夫先生の(岡村重夫講演「現代の社会福祉の特徴」『大阪市社会福祉研究』特別号、2002年、大阪市社会福祉協議会・大阪市社会福祉研修センター) “日本の研究者を見ていると、社会福祉の問題は一体何なんだということが研究されていない。社会福祉の本がたくさんあるが、どれを見ても全くつまらない。中身は大学の先生なんかが来ているんですけども、みんな紙屑みたいなものだと思いますね。・・・見たら全くつまらない。お金と時間のムダなんですね。それは何故かというと、社会福祉の「固有性」、社会福祉は何なのかということ、他のものとは違う、ここに特色があるんだということが研究されていない・・・福祉がなければ社会がつぶれてしまうという、そういう必然性があるんだということを証明していかなければならない”という言説を引用しつつ、岡村重夫先生の理論を多角的に、多面的に検討した論稿を書かれている。
〇上記した大学紀要の論稿はいずれも長文で、引用文献も哲学分野も含めて、多面的に引用されて、諸々の論説を丁寧に批判検討されている。先に述べた岡村重夫先生の言説の持つ意味を多くの社会福祉研究者並びに地域福祉研究者に考えて欲しいと思った。

①の論稿では、私は個別性が問われるのは“支援する側”の視点であり、“主体性”はサービスを必要とする人の側の論理であり、その両者の“合意”が重要であると考えた。訓詁学的に論議をするのではなく、“求めと必要と合意に基づく支援”の展開を心がける必要性を改めて感じた。
②の論稿では、岡本栄一先生の論説を巡っての検討であるが、そもそも岡本栄一先生の論説の立論に問題があると私は考えており、1970年代の岡村重夫先生のコミュニティケアの考え方や私の「施設の社会化論と福祉実践」(1978年)で書いた域を超えてはいないと感じた。
③の論稿は、岡村重夫理論が和辻哲郎の考え方を援用したものだということがよく分かった。ただ、主体性についての岡村重夫理論の考察はやや浅く、岡村重夫はどうしたら主体性が確立できるのかについて論説しきれていないことをもっと深めるべきではなかったかと感じた。この点は、戦前の海野幸徳等の積極的社会事業論との関係なども深めるべきではなかったかと感じた。
④の論稿は、岡村重夫の「死の援助」についての言説(岡村重夫は「死の援助」――死の相談を受けられないソーシャルワーカーは落第―と述べている)であるが、学生の「死の援助」に関わるレポートも引用しながら展開しており、福祉教育の教材、方法論の上でも考えることが多々ある論文である。ここでも、岡村重夫の社会福祉の「固有性」について論じている。

〇井上英晴先生のこれら一連の論稿は、今日の地域共生社会政策を考える上で、とても考えさせられる論点が多く含まれている。
〇老爺心お節介情報」第30号で書いた、特例貸付の方々や生活のしづらさを抱えた人日を支援する際に、その事象のみに囚われず、それらの事象を引き起こす社会構造が、ある人には強く働き、ある人は乗り越えるという“違い”を意識しつつ、それらの人々への支援のあり方を考えることこそが、対人援助としての社会福祉の「固有性」であると改めて考えた。「老爺心お節介情報」第30号共々読んで頂きたい。
〇また、私は、岡村重夫理論については、その原著は読んできたし、松本英孝著『主体性の社会福祉論――岡村社会福祉学入門―』(法政出版株式会社、1999年)や『岡村理論の継承と展開』善4巻、ミネルヴァ書房、2012年)も読んで、それなりに理解してきたつもりではあるが、こういう見方、考え方もあるのかと改めて岡村理論を見直す機会になった。

(2021年9月20日記)

老爺心お節介情報/第30号(2021年9月6日)

「老爺心お節介情報」第30号

Ⅰ 「新型コロナウイルス感染症特例貸付に関する社協職員アンケート報告書」(2021年8月、関西社協コミュニティワーカー協会)の感想

〇以前から、兵庫県社会福祉協議会の広報紙に掲載されていた特例貸付に関する社会福祉協議会職員の取組の姿勢、考え方に共感しており、私の知っている関係者にもそれを情報共有させてもらってきていた。
〇また、同じような思いから、私が関わっている富山県や香川県等の関係者に、この特例給付事業を単なる“貸付”に終わらせることなく、この事案は社会福祉協議会にとって“宝の山”と考えて、これらの問題に対応できるように社会福祉協議会の活動、組織を見直すべきだと言い、特例給付関係の資料の整理の必要性を述べてきた。
〇この報告書の「自由記述欄」に書かれていることは、まさに社会福祉協議会の活動のあり方を考え直すヒントがたくさんある。新型コロナウイルスの件に伴う生活困窮の問題は、かつて1960年代に江口英一先生が指摘していた「不安定就業層」の問題であり、それがリーマンショックの時と同じように、顕著に表れたと考えている。この対策は、経済的支援の問題が最も重要ではあるが、それ以外に、今日の生活困窮者自立支援法で問題にしている課題や地域でのソーシャルサポートネットワークの脆弱性にも社会福祉関係者は目を向けるべきである。その点を社会福祉協議会関係者が最も関心を寄せるべき点であり、その上で、それらの課題にどう対応してきたのか、反省も含めて組織のあり方を考え直すべき課題であると思っている。その点で、P.128~9の自由記述の欄の内容とP.144の第1章のまとめ、P.150の第2章のまとめとの間にはやや齟齬があると思えた。経済的給付に関わる制度及びその対応体制の問題と“生活困窮を抱えている人へのソーシャルワークアプローチ”とは、意識して分けて考える必要がある。私は、後者の問題を重視し、そのソーシャルワークアプローチができないと、今後社会福祉協議会は生き残れないと考えている。それらの点について、大いに論議したいものだと思った。

Ⅱ 『生活クラブ千葉グループの挑戦――生協がなぜここまでやるのか』(2021年8月、中央法規、2000円)の感想

〇従来の消費者生協とはやや異なる発想で、住民の多様な生活課題に対応してきた「生活クラブ生協」の実践をまとめた本である。千葉県の生活クラブ生協の実践は、2000年代以降の千葉県における地域福祉に大きな影響をもたらした。時あたかも、労働者協同組合法が2020年12月に議員立法で成立し、2022年末までの施行となる。
〇韓国、ソウル市で実践している「ソンミソン」の実践も、一定地域に集積して、医療、芸術、コミュニティカフェ、学校などの多様な活動を重層的に、生協組織として展開している。ある意味、「コミューン」のイメージがあるとみてきましたが、それと同じような発想で生活クラブ生協は活動を展開しているのではないかと思った。

Ⅲ 『伴走型支援――新しい支援と社会のカタチ』(奥田知志・原田正樹共編著、有斐閣、2000円、2021年8月)の感想

〇生活困窮者支援法や地域共生社会政策作りに関わった研究者、実践家の“思い”が凝集された本である。社会福祉協議会関係者、地域福祉研究者は是非学んで欲しい。
その感想の一端を記しておきたい。

(1)生活困窮者、生活のしづらさを抱えている人を発見し、その人々との「つながり」を作り、信頼関係を構築して支援していく姿勢、哲学、関わり方の際の言葉遣いなどに込められた気持ちには学ぶことが多々ある。
(2)そのうえで、強いて述べるとすれば、ソーシャルワーク実践としての支援において、かつ地域福祉研究として深めなければならない点が幾つかある。

①生活のしづらさを生み出す社会的要因と個々の生活のしづらさを抱える人の問題とが、やや安易につなげて論じれている。同じ、社会的要因の中でも、その影響を“受けている”人は、どのような関り、個別要因が働いてそのような状況になったのかを丁寧に分析する必要がある。マス、マクロとしての社会的要因が、ある人には影響がさほどでなく、ある人には厳しく働いてしまう点へのアプローチ、分析を丁寧にする必要がある。そのことは、生活困窮者や生活のしづらさの“事象”を問題にするだけでなく、それらの問題を抱えている人の個人的要因とその人の置かれている社会的環境、要因との接点に関わるというソーシャルワーク実践の根幹の問題である。
②ソーシャルワーク実践には、生活のしづらさを抱えている人の生きる希望、生きる意欲、生きる見通しを引き出し支援する機能があり、戦前においてはそれを“積極的社会事業”として位置づけていた。このようなソーシャルワーク実践の歴史に触れることなく、“新しい支援”というのは、ソーシャルワーク研究をしてきたものにとっては悲しい。社会福祉の歴史も含めてソーシャルワークをきちんと学んで分析することが研究者としての務めである。
③「新しい支援」はどういうシステムで行われるべきなのか、その点での論述がない。「社会のカタチ」という言葉を使っているが、それはどのようなシステムを通して具現化されていくのか、地域福祉研究としては考えていかねばならない課題である。とりわけ、生活のしづらさを解決するために、厚生労働省も言っている参加支援、地域づくりをも考えた重層的支援では、地域におけるソーシャルサポートネットワークの構築に関わることが重要であると筆者は考えているが、それが「社会のカタチ」につながると思うのだが、論述がない。このことは、①の論点ともつながる。
④生活のしづらさの“事象”は、「ホームレス」(ハウスレスとは違う)やごみ屋敷といった“事象”に現れ、それを解決するために支援を展開することになるが、それらの“事象”を抱えている人の「生きづらさ」の実態、事象と「生きづらさの理解」(向谷地生良)はどれだけ深められて、かつ関係者の共有化が図られているのであろうか。その「生きづらさ」は、その人の生育過程にかなり関わる場合もあるし、その人の生活技術能力・家政管理能力との関りもある。また、それは、その人の人間関係、社会関係の持ち方にも関係があるのか、それとも自己表現能力との関りや自分の気持ちの言語化に問題があるのかといった要因が十分に分析(アセスメント)されず、“事象”の解決だけに目がむいてしまうことは、①の論点とも関わるが、ソーシャルワーク実践としては如何なものであろうか。
生活のしづらさを抱えている人々の特色的概況を社会福祉関係者が情報共有したうえで、個々の事案に“レッテル貼りで臨む”のではなく、その人の個人をよくアセスメントして対応することが肝要なのではないか。

(3)コミュニティソーシャルワークの特色は、生活のしづらさを抱えている人(経済的困窮者への経済的給付だけでは解決できない人、在宅福祉サービスなどの非貨幣的ニーズへのサービス提供(三浦文夫)だけでは解決できない“問題”を抱えている人)の“問題解決”(課題解決とは違う)において、制度化されたフォーマルケアサービスを最大限に活用しつつ、それと住民が有しているインフォーマルケアとを“有機的に結びつけて“支援を展開するところに特色がある。
したがって、コミュニティソーシャルワークは“個別支援と地域づくり”ではなく“個別支援を通して、その問題と切り結ぶことによる地域づくり、地域住民の意識変容を図る営み”である。そこがコミュニティワークとも違うところであるし、“地域を基盤としたソーシャルワーク”とも違うところである。
生活のしづらさを抱えた人への重層的支援の重要なポイントの一つは、この個別支援を通じて、その人の地域生活支援と社会活動支援を展開する上での地域のかかわり方、社会のかかわり方を変えていく営みである。

Ⅳ 雑感

〇このところ、司馬遼太郎の『峠』(新潮文庫、全3巻)や『山田方谷伝』(宇田川啓介著、上下、振学出版)、『山田方谷』(童門冬二著、学陽書房)を読んだ。幕末の混乱期に老中を勤めた藩の家老を勤めた山田方谷と河井継之助に関わる小説である。『峠』は越後長岡藩の河井継之助を取り扱ったもので、『山田方谷伝』、『山田方谷』は備中松山藩の山田方谷を取り扱っている。
〇これらの本を読んでいて、驚いたことは、幕末の歴史に登場している人間、例えば勝海舟、西郷隆盛、福沢諭吉、大久保利通らは、相互に訪問して、交流をしている関係にあったということを改めて認識させられた。幕末の力学に関しての自分の無知ともいうべきことを痛感した。江戸時代という交通が不便な時代に、お互いが切磋琢磨して、意見を戦わし、情報を収集し、行動規範を求めていたことは本当の驚きであった。
〇と同時に、福沢諭吉の『西洋事情』が当時15万部ともいわれるほど刊行されており、 多くの識者が“西洋事情”を知りながら、“尊王攘夷”を掲げた意味等を改めて考えさせられた。と同時に、地域づくりの持つ意味も考えさせられた小説であった。

Ⅴ シルバー産業新聞連載第9回

『地域共生社会づくりに必要な
新しい地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワーク』

「地域共生社会政策」の理念である全世代対応型重層的・包括的支援を展開していくためには、新たな地域包括ケアシステムとコミュニティソーシャルワーク機能が必要になる。
新しい地域包括ケアシステムの構築には、現在の介護保険法に位置づけられ、全国に約4500ある地域包括支援センターが改組・発展整備されることが最も可能性のある取組であると筆者は考えている。
既存の地域包括支援センターは、市町村を基盤としつつ、日常生活圏域毎に既に設置されており、重層的支援の一つのシステムとして構築されている。その名称が“高齢者包括支援センター”でなく、“地域包括支援センター”と命名されたのは、厚生労働省の担当者がいずれは高齢者のみならず、子ども・家庭支援、障害者支援をもできるように考えて命名したと仄聞している。
市町村圏域では、障害者分野の支援における障害者相談支援専門員制度があるし、母子保健分野では子育て世代包括支援センターの制度等があるが、これらは日常生活圏域毎の展開にはなっていない。福祉サービスを必要としている人や家族の困りごとが、縦割りの社会福祉行政でたらい回しにされず、かつ家族全体の抱える問題に対し日常生活圏域においてワンストップで対応するシステムとして既存の地域包括支援センターを改組することが最も近道であり、それにより住民の距離的、心理的福祉アケセシビリティは格段に飛躍する。
新たな「地域包括支援センター」システムの運営においては、現在属性分野ごとに、かつ制度ごとに、その担い手である職員の養成・研修を行っている仕組み自体を変え、新たな「地域包括支援センター」を担える職員(ソーシャルワーカー)を育てなければならない。
筆者は予てより、日本には社会福祉行政を含めて社会福祉実践を担う分野横断的な一元的職員論がないことが問題であると指摘してきた。その職員は、地域自立生活を支援するために、地域のあらゆる社会福祉問題に最低対応できるジェネリックソーシャルワークによる職員養成が必要であると指摘してきた。と同時に、そのソーシャルワークを展開できるシステムを市町村に構築する必要性も指摘してきた(註)。
市町村の日常生活圏域ごとに構築される新たな「地域包括支援センター」には、従来にない新たな機能であるソーシャルワーク機能、とりわけコミュニティソーシャルワーク機能を遂行するできるシステムを構築することが求められている。
それは、①相談を持っているだけではなく、アウトリーチによる問題発見ができるシステム、②サービス提供だけでなく、伴走的、継続的支援ができるシステム、③複合的問題に対応する専門多職種のコーディネート機能ができるシステム、④住民のインフォーマルケアの力を醸成し、福祉サービスを必要としている人の個別問題解決につなげるコーディネート機能などである。
ところで、地域共生社会の理念である福祉サービスを必要としている人を孤立させず、それらの人々が地域から蔑視、排除することなく、地域、社会においてそれなりの役割を担い、社会的に評価される重層的、包括的支援を展開することが今喫緊の課題として求められている。
それを実現していくメルクマールは、福祉サービスを必要としている人や家族のソーシャルサポートネットワーク(情緒的支援、手段的支援、情報的支援、評価的支援の4つの機能)を地域で個別課題毎にどれだけ構築できるかである。
しかも、地域で暮らす単身の高齢者や障害者が増大していく中で、従来家族に依存していたゴミの分別、各種契約書類や行政からの書類の管理・申請手続き、預貯金の管理、時には入退院等に際しての保証人の有無、更には看取りや葬儀、遺骨の取り扱い等の終末期ケアが日常生活圏域で社会的システムとして必要になってきており、新しい「地域包括支援センター」では、それらの課題にも対応することが求められている。
新しい「地域包括支援センター」に求められる機能を端的に述べるならば、「福祉サービスを必要としている人のナラティブを尊重した社会生活モデルに基づき、ICFの視点でケアマネジメントの手法を活用したコミュニティソーシャルワーク機能」であり、そこでは制度化されたフォーマルなサービスと近隣住民のインフォーマルケアとを有機化させる機能がシステムとして不可欠である。
筆者は、このような機能が求められる新しい「地域包括支援センター」ではコミュニティソーシャルワーク機能が必要であると考え、その養成・研修を全国各地で展開してきた。
これらのコミュニティソーシャルワーク機能の実践を展開していくためには、地域を基盤として成り立つ社会福祉法人としての市町村社会福祉協議会が大変重要なポジションにある。
全国の市町村社会福祉協議会が、これらの課題に堪えられるように、現状の“行政以上に官僚的な組織で、硬直した姿勢”と揶揄される状況からどう脱皮し、社会福祉協議会の組織としても、職員個々人の資質としてもコミュニティソーシャルワーク機能を具現化できる力量をどう高めて、新たな「地域包括支援センター」の一翼を担えるかが大きな課題である。
全国的には、「まるごと相談員」やコミュニティソーシャルワーカーを日常生活圏域に配置して、その取組を展開している市町村社会福祉協議会がみられるが、全体的には未だ十分とは言えない。福祉サービスを必要としている人を地域から排除せず、地域で包摂できるようにするためにも、ソーシャルサポートネットワークを身近な地域で構築できる可能性を秘めている市町村社会福祉協議会への期待は大きい。

(註)筆者は日本学術会議の第1部会員をしている2003年に、「ソーシャルワークを展開できる社会システムづくりへの提案」を日本学術会議の対外報告として取りまとめ、全国の市町村に配布をした。

(2021年9月6日記)

老爺心お節介情報/第29号(2021年8月15日)

「老爺心お節介情報」第29号

〇新型コロナウイルスの感染急拡大の上に、酷暑、豪雨と日本は、地球はどうなったのでしょうか。
〇残念ながら、日本地域福祉研究所の第26回地域福祉実践研究セミナーin花巻は、岩手県、花巻市が新型コロナウイルスの状況がステージⅣになったことから中止になりました。足掛け4年に亘り準備してきてくださった花巻市社会福祉協議会の皆様の無念さを思うとなんとも辛いです。この間の準備に、心より感謝とお礼を申し上げます。
〇今後とも、花巻市社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーク実践が豊かに展開されることを祈念すると同時に、機会があればいろいろお手伝いしたいと思います。
〇「老爺心お節介情報」29号は、その花巻市でのセミナーで、紹介しようと思った「福祉でまちづくり」の農村型原型に関するレジュメとシルバー産業新聞連載の8月分の拙稿です。
〇もう一つの情報は、福祉教育・ボランティア学習に関心のある人の必見の論稿です。その文献を紹介しておきます。
(2021年8月15日、平和を祈念して)

Ⅰ 「福祉でまちづくり」の農村型原型――地域福祉実践の一つの原点

※松田甚次郎著『津に叫ぶ』は、既に著作権が切れており、PDFでダウンロードできるようです。是非、読んでください。花巻市社会福祉協議会地域福祉課の根子裕司課長がダウンロードしてくれました。
(根子課長より)
参考までに、資料データをギガファイル便にアップいたしました。データ容量が20MBで、メールに添付できませんでした。
アドレスはつぎのとおりです。https://xgf.nu/8Ek4

「福祉でまちづくり」の農村型原型――地域福祉実践の一つの原点

1 井上 亀五郎『農民の社会教育』1902(明治35)年
農村社会の改良拠点としての公会堂――公談場、共同遊戯場、共同宴会場、展覧会

2 横井 時敬『模範農村』1907(明治40)年
公会堂――レストラン、風呂、図書館、遊技場
※東京大学教授、東京農業大学の共同創設者(榎本武揚)
3 島木健作『生活の探求』初版1937(昭和12)年6月
『続 生活の探求』初版1938年(昭和13)年6月
※香川県三木町で農民組合の書記、転向後作家生活――川端康成、林房雄と交友
4 松田甚次郎『土に叫ぶ』初版1938(昭和13)年5月、羽田書店
『続 土に叫ぶ』初版1942(昭和17)年

#1 松田甚次郎(1909年~1943年)、山形県稲舟村鳥越(現新庄市)で出生、盛岡高等農林学校卒業、宮沢賢治に師事
#2 鳥越隣保館を設置(1933(昭和8)年起工、1937(昭和12)年落成)
#3 農繁期共同保育所、出産相扶会、共同浴場、最上共慟村塾等を組織化――山形県社会課社会事業主事永田誠氏(社会事業主事補 大正15年~昭和7年、社会事業主事 昭和13年~14年)が支援。
#4 農村劇36回上演
#5 『土に叫ぶ』の出版社、羽田書店は元総理大臣羽田孜氏の父親で衆議院議員
羽田武嗣朗氏が社長。

(参考文献)
大橋謙策著「戦後地域福祉実践の系譜と社会福祉協議会の性格及び実践課題」
(『地域福祉史序説』日本地域福祉学会編、中央法規、1993年所収)

(2021年8月1日記)

Ⅱ シルバー産業新聞連載第8回

「地域福祉に必要なシステムづくりと地域包括支援センターの原型」

筆者は、1960年代末から、社会福祉学の中でも地域福祉に関する実践的研究を行ってきた。従来の社会福祉実践が「福祉六法体制」と呼ばれるように“縦割り“的に社会福祉法制の枠内でのみ行われ、かつサービスを必要としている人が法制度が定めたサービス利用要件に該当するかどうかを判定するシステムであったのに対し、地域福祉は当時、”社会福祉の新しい考え方“と考えられ、なおかつ地域福祉に関する法体系もないことから、地域福祉実践は社会福祉制度の枠内での実践だけではなく、住民のニーズに対応して新しいサービスも開発する、最もソーシャルワーク実践を行なえる領域だと考えたからである。
その新しいシステムは、地域福祉の理念である地域での自立生活を支援するシステムである以上、地方自治体レベルで、地域の実情に即して創造していくことが求められると考え、筆者は全国の地方自治体で地域福祉に関するシステムづくりを実践的に研究してきた。
と同時に、地域での自立生活を支援するということは、属性分野ごとの単身者に対応する「福祉六法体制」ではなく、問題を抱える単身者は固より、同居している家族全体を考えた対応が求められるし、中には、家族の構成員が複数で、複合的問題を抱えている世帯もある。したがって、地域福祉における新しいサービスやシステムの開発は世帯全体にも対応できる、分野横断的システムでなければならない。
現在進められている「地域共生社会政策」の具現化は、地方自治体の地域状況に即して新しい包括的、重層的支援ができるシステムをどう創るかが課題である。筆者は、その政策の具現化の要は、現在全国に約4800か所設置されている「地域包括支援センター」が分野横断的なワンストップサービスの拠点機関として、かつ包括的、重層的支援の要の役割を担えるかが大きな課題だと考えている。
地域包括支援センターは、2006年に介護保険制度が改正され、位置づけられた。市町村を複数の日常生活圏域に分け、その圏域毎に地域包括支援センターを設置し、保健師、社会福祉士、主任介護支援専門員を配置するシステムは画期的な取り組みであり、地域包括ケアの新たな一歩を踏み出したと位置づけても過言ではないと考えている。
筆者は、この地域包括支援センターのシステム的モデルは、長野県茅野市が2000年4月から発足させた茅野市保健福祉サービスセンターシステムであると考えている。
目黒区では、1990年に法定化された老人保健福祉計画を2017年に社会福祉法改正により“上位計画”とされた地域福祉計画と同じ考え方で、障害児者も子育て問題も視野に入れて、住民の地域での自立生活を分野横断的に支援する地域福祉計画として位置づけ、住民参加で策定した。当時目黒区は人口26万5000人で、保健所が2つ、福祉事務所が1か所あった。それを再編・改組するために、区内を5地区に分けて、各圏域に保健福祉サービス事務所を設置し、住民の身近なところ(福祉アクセシビリティ)で、保健と社会福祉が統合的に相談、支援できるシステムとした。
また、1994年には、東京都児童福祉審議会において、筆者は専門部会長として東京都内の区市町村における“子育て支援のシステム”創りを提言した。子育て分野は家庭の私事性が強く意識され、高齢者分野、障碍者分野に比して地域での自立生活を支援する在宅福祉サービスという考え方が弱かった。実態は、問題を抱える児童、家庭への“点と点”でつながる支援システムで、療育、法的措置、保護を中心としたサービスシステムで、その代表が児童相談所という位置づけであった。
しかしながら、家庭や地域での子育て能力が脆弱化している状況を踏まえると区市町村レベルで、保育所だけでない、多様な子育て支援のサービス開発と相談・支援体制を構築することが重要であると考えていた。そこで、子育て支援が必要な家庭の近くである東京都の全区市町村に子ども・子育て問題の総合的相談、支援システムとして「こども家庭支援センター」を構想した。その「子ども家庭支援センター」には、社会福祉士、保健師、保育士を配置し、チームで相談・支援の対応をすることを求めた。この「こども家庭支援センター」は急速に整備され、都内全区市町村に58か所設置された。
「地域包括支援センター」の原型は、これらの自治体における新しいシステムづくりの実践を踏まえ、長野県茅野市の地域福祉計画づくりの中で、提案し実現できた。
茅野市の地域福祉計画は、当時の諏訪中央病院の鎌田實院長や医師会の土橋善蔵会長を中心に、100名を超える委員が手弁当で、足掛け3年間に延べ400回を超える委員会を開催し取りまとめられた『福祉21ビーナスプラン』に盛り込まれ実現する。
茅野市は当時人口5万7000人の人口で、中学校が9校ある広大な市域であるが、その市内を4つの在宅福祉サービス地区(現在の日常生活圏域)に分け、その圏域ごとに保健福祉サービスセンターを設置し、社会福祉行政職員、市保健師、市社会福祉協議会職員を配置し、チームで仕事をする、世代横断的なワンストップの総合相談体制と地域へ出張っての問題発見機能を統合的に展開するシステムにした。筆者は、茅野市福祉行政アドバイバーとして関り、目黒区や東京都の実践を踏まえて、このシステムづくりをした。
これからの社会福祉は、出されてきた国の政策に敏感に対応するだけでなく、地方自治体の属性に即して、地方自治体が新しい地域自立生活支援のサービスやシステムを開発していく時代である。

#1、筆者が、各自治体でどのような取り組みをしたかは、『コミュニティソーシャルワーク』(中央法規で販売)第26号、27号で論述しているので参照願いたい。
#2、茅野市のシステムづくりは『福祉21ビーナスプランの挑戦』(中央法規、2003年)を参照願いたい。

Ⅲ 渡邊 琢「言葉を失うとき―相模原障害者殺傷事件から二年目に考えること―」 雑誌『世界』2018年8月号、岩波書店

『障害者の傷、介護者の痛み』(2018年、青土社)所収

※大熊由紀子先生の「ゆきのえにしメール」(7月22日付け)からの情報

(2021年8月15日記)

老爺心お節介情報/第28号(2021年7月22日)

「老爺心お節介情報」第28号

〇梅雨が明けて、猛暑の日々が続いていますが、皆さんはお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇私は、6月末から、新型コロナウイルスの件での自粛生活が続くので、時間的ゆとりが持てるようになりましたので、近くのパソコン教室に通っています。1990年頃にワードプロセッサーを使い始め、2000年頃にパソコンを使い始めましたが、いずれも見よう見まねで、本格的に基礎から体系的に学ぶことはありませんでした。分からないところは周りの人に聞いてやってきましたが、今回改めて習い始めて、用語やマークの意味が初めて分かり、こういうことだったのかという納得と新たな技術習得でパソコンに向かうのがさほど怖くなくなりました。
〇また、スマホ教室にも通い、こちらもこういう機能があったのだと妙に納得し、喜んでいます。
〇ただし、これらの技術や知識は面白く、楽しいですが、自分の日常の生活ではあまり使う機会がなく、やはり自分の生活と生活の行動上に必要な最低のものがあればいいのだとも実感しています。
〇しかし、これらの技術と知識を有しているかどうか、使えるかどうかは国民に新たなITリテラシー格差を生み出し、ひいてはそれが生活格差になることも実感しています。
〇DX時代といわれ、社会福祉学や社会福祉実践はどこへ行くのでしょうか。
〇「老爺心お節介情報」第28号の内容は以下の通りです。

Ⅰ CSWパワーアップ研修の方法と手順(コンサルテーション)

CSWパワーアップ研修の方法と手順(コンサルテーション)

コミュニティソーシャルワークの養成研修は、できるだけ社会福祉士や精神保健福祉士の有資格者を原則とし、別記の(初任者版CSW研修における事例検討の方法とアセスメント能力向上研修)の項目、手順、方法に基づいて研修を行って欲しい。
そのうえで、そのコミュニティソーシャルワーク研修修了者を対象とした研修(パワーアップ研修)では、コンサルテーションという機能を重視して研修を行って欲しい。
その際には、①個別支援の事例に即した問題解決プログラムの開発能力、その問題解決に即した新しい福祉サービスの企画力(抽象的、一般的地域資源の開発はダメ。個別支援に即して必要な地域資源、新しい福祉サービスの企画力を修得する)、②個別事例で提起された新しい問題の解決策として必要な新しいシステムづくりに関する企画力を高める研修を意識してほしい。
それが、“個別支援と地域づくり”という二元論ではなく、“個別課題の解決を通して地域を変える”という「地域共生社会政策」のポイントである。
CSWパワーアップ研修においては、別記の(初任者版CSW研修における事例検討の方法とアセスメント能力向上研修)を既に受講していることを前提に、下記の主に4,5,6の項目を重点的に展開する。復習の意味も兼ねて下記の1,2,3を再度行う。
このような研修をするにあたっては、従来、社会福祉方法論の領域で使われてきたスーパービジョンという用語は使用しないでいただきたい。コミュニティソーシャルワーク研修の中核的修得課題に即していえば、問題解決プログラムの開発、新しい社会福祉システムづくり、あるいは新しい財源確保や地域資源の開発にかかわる能力の向上を図る目的、内容からいえば、スーパービジョンという用語は馴染まず、コンサルテーションという用語がふさわしい。

(研修の方法と手順)
1 履修者に個別支援の事例を提出させる。
2 提出去れた個別事例の中から、ワークショップを行うグル-プ数に見合う事例を選択する。できるだけ、多領域の事例、困難事例を取り上げる。
3 ワークショップごとに取り上げて事例に即し、アセスメント能力の向上を図る
以下の手順を、まず個人作業として行い、その後グループごとのワークショップとして行う。

1)事例に即し、担当したソーシャルワーカーが何をアセスメントしたかを項目毎にポストイットに書き出す。
2)事例検討者が、事例を扱ったソーシャルワーカーのアセスメントが不十分なところで、かつ必要な項目ごとに、色違いのポストイットに書き出す。
3)上記1)、2)のポストイットを拡大した「社会生活モデルアセスメントシt-ト」に張り付ける

4 事例が抱える問題を解決するための望ましい支援方針を立案する。その際に、既存のサービスになく、問題解決に必要な解決プログラムや新しい福祉サービスを考え、それをポストイットに書き出し、先の「社会生活モデルアセスメントシート」に貼る。
5 問題解決プログラムや新しい福祉サービスについて、シートに基づき企画する。
6 問題解決の一つとして、その事例に即し、どのようなソーシャルサポートネットワークを構築すればいいのか、そのソーシャルサポートネットワークの構築に向けての企画書を作成する。

(初任者版CSW研修における事例検討の方法とアセスメント能力向上研修)
① 取り扱う事例の概略の説明を受ける。
② その概略化された事例に基づき、何がアセスメントされているかをその項目ごとに付箋(ポストイット)をつけて確認する。
③ 概略化された事例に対し、支援する場合に、アセスメントできてない、アセスメントした方がいいと思える項目を付箋の色を変えて書き出す。
④ 第1回目のアセスメントの付箋と第2回目のアセスメントの色違いの付箋の両方を、KJ法的に分類する。
⑤ KJ法的に分類したものを「社会生活モデルに基づくアセスメントシート」に貼り付け、自分のアセスメントの足らないところを自己認識する(「社会生活モデルに基づくアセスメントシート」は付箋を貼りやすいように、少し大きめの版で印刷してほしい。模造紙までとは言いません)。
⑥ 概略化された事例は、実際にはどうであったのかを事例発表者に改めて説明してもらう。
⑦ 新たに説明された事例に基づき、今度はグループごとに事例に対する支援・援助方針を立てる。
⑧ その際に、事例検討者個々人が気が付いておらず、グループ討議の中で出てきたアセスメントの項目については、前2回のアセスメントとは色違いの付箋で、シ-トに張り付ける。
⑨ 取り上げた事例ごとの支援・援助方針を各グループから報告してもらい、アドバイザーのコンサルテーションを受ける。
⑩ 取り上げた事例への支援・援助において、既存のサービス、社会資源がない場合には、それらのサービス、社会資源を簡略的に、箇条書きで書き出す。
⑪ 初任者は、①~⑩を丁寧に行った上で、困難な事例に即し「問題解決プログラムシート」に基づくプログラムの企画と個別事例に即した「ソーシャルサポートネットワーク構築シート」に基づく支援方策を企画する。

Ⅱ シルバー産業新聞連載記事第7回

「地域包括ケアの歴史的展開と地域社会生活支援」

厚生労働省は2016年7月に「地域共生社会実現本部」を立ち上げ、それ以降「地域共生社会政策」を推進している。その政策に先駆けて、厚生労働省は2015年に「医療介護総合確保法」を成立させ、いわゆる2025年問題(団塊の世代が後期高齢期になる2025年の介護問題)を見越して、日常生活圏域でのケアの一体的提供をするために、医療、介護、福祉の連携を強化させることを目的にした政策を推進すると同時に、“地域包括ケア”という用語をしきりに使用することになる。この“地域包括ケア”と“地域共生社会政策”という用語との関係が国会審議の過程において問われ、厚生労働省は、“地域共生社会政策は、地域包括ケアを包含したものである”と答弁している。
戦後70年間、社会福祉行政は「福祉六法体制」と呼ばれたように、属性分野ごとに細分化された“社会福祉行政の縦割り化”が進んでいたが、地域での自立生活が可能になるように支援していくためには、複合的課題を抱えた個人や家族全体に対し、総合的に相談支援していくことが求められ、現在「地域共生社会政策」の下で、様々な取り組みが展開されている。
2017年の社会福祉法改正では、地域生活課題の解決に資する支援が包括的に提供される包括的支援体制整備を努力義務として規定した。2020年の社会福祉法改正では、包括的支援体制を強化するための機能が法定事業になり、市町村が認める場合には市町村の責任において地域住民に対して包括的支援ができることが明記された。と同時に、その包括的支援をするために、介護、障害、子ども、生活困窮の分野からの財源拠出等の財政支援を定め、それらの制度の一体的運用・実施もできるようにした。
また、地域共生社会政策を推進するために、包括的支援を行うとともに、福祉サービスを必要としている人々を地域で早期に発見し、それらの人々が地域社会から蔑視されず、排除されず、それらの人々の個人の尊厳と人間性が尊重され、社会、地域において社会的役割を担い、地域社会を構成する一員として認められ、包含されるように、個別支援とそれを支える地域づくりを一体的に展開する重層的支援体制整備事業も位置づけられるようになった。
これらの考え方、政策はある日突然出てきたわけではない。これらの課題への取組は歴史的に常に問われ、実践もされてきた問題であった。
地域包括ケアシステムに関わる歴史的ベクトルは大きく2つある。第1のベクトルは、医療系を中核としたベクトルで、古くは1950年代の長野県の佐久病院の若月俊一医師による医療、保健、福祉、社会教育の連携システムに基づくベクトルや1970年代広島県御調町の山口昇医師による病院を拠点としたシステムのベクトルが有名である。この医療系を中核としたベクトルにはもう一つの流れがあり、1970年代秋田県象潟町、高知県西土佐村での宮原伸二医師による実践や兵庫県五色町で展開された松浦尊麿医師の実践で、地域保健を中核とした実践であった。
第2のベクトルは地域福祉系のベクトルで、1994年設置の岩手県遠野市「健康福祉の里」(国保診療所併設)におけるワンストップの相談システムや2000年実施の長野県茅野市における保健・医療・福祉の複合型拠点(内科クリニックを併設した保健福祉サービスセンター)を中学校区という4つの日常生活圏域毎に設置し、かつ社会福祉協議会が実践するコミュニティソーシャルワーク機能と有機化させるシステムを創った実践である。
ところで、“地域包括ケア”とか、“地域共生社会政策”とかが掲げる福祉サービスを必要としている人々への縦割りの属性分野を越えて福祉サービスを総合的に、かつ医療、介護と一体的に提供するという考え方は崇高であるが、その実現はそう簡単ではない。
地域包括ケアシステムを構築する際の保健・医療・介護・福祉の連携を阻む要因が幾つかある。その主なものを挙げると、①医療・保健・福祉・介護に関わる財源が一元的でない調達問題(税金による一般会計財源、医療保険財源、介護保険財源の違い)、②保健・医療・福祉・介護に関わる利用圏域(広域圏域、一部事務組合、市町村圏域、日常生活圏域)の違い、③介護保険事業計画、医療計画、健康増進計画、地域福祉計画・障害者福祉計画・子ども子育て支援計画等の各種保健・医療・福祉に関わる計画の整合性の問題等が挙げられる。
地域での自立生活支援においては医療的ケア児の問題、一人暮らし高齢者や一人暮らし障害者の入退院支援や看取り支援、あるいは認知症高齢者の支援、難病患者や若年性がん患者の療養と生活支援等、今日では益々医療・介護・福祉・保健を一体的に考えて提供するシステムや考え方を推進しなければならないところに来ている。
今や、急性期医療だけでなく、慢性期医療が社会的に大きな課題になってきている時に、病院での治療を中心に考えた「医学モデル」での対応だけでは問題が解決しない。治療ということも包含して、その人の生活全体を考え、アスメントし、支援方針を考えるという「社会生活モデル」に基づく支援が必要とされており、そのための専門多職種連携、チームアプローチが求められている時代である。
そのためにも、市町村ごとに、医療・介護・福祉・保健の一体的提供のシステムを考えた「地域福祉計画」の策定が重要になる。

(2021年7月22日記)