「阪野貢の福祉教育論」カテゴリーアーカイブ

阪野 貢/新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―総目次・文献一覧―

新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
―総目次・文献一覧―

阪野 貢/市民福祉教育研究所

はじめに
   ―「まちづくりと市民福祉教育」実践と研究の現状と課題―
01 「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
   ―その本質に迫るいくつかの鍵概念に関する研究メモ―
02 「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
   ―その哲学的思考に関する研究メモ―
03 「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
   ―その文化的・芸術的視点からのアプローチに関する研究メモ―
04 「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
   ―「まちづくりと市民福祉教育」実践に関する基礎知識メモ―
むすびにかえて


はじめに

―「まちづくりと市民福祉教育」実践と研究の現状と課題―


市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする。

〇2012年6月25日にウェブサイト(「市民福祉教育研究所」)を開設して12年が経った。当初は勝手気ままな運営・管理であったが、多くの方々のご指導とご支援を得て、それなりの体裁を整えることができるようになった。長らくご厚誼をいただいている皆様には感謝あるのみである。ちなみにいま、ブログ記事の表示数は30万9000回、訪問者は15万5000人、投稿記事は1500本を数えている。
〇福祉教育の実践と研究の世界では、実に多くのことを学び、経験させていただいた。そこで多少なりとも身に付けてきた筆者なりの福祉教育実践・研究についての視点・視座や知識、経験などはすでに、時代遅れのものになっている(賞味期限あるいは消費期限が切れている)。そうした認識に立って、皆様に、新たな視点・視座のもとでさんざんな現在(いま)を終わらせ、未来(あす)に向けて新たな地平を拓いていただきたいという願いのもとで、226本の文献とそれに関する記事(学部学生を対象にした講義(議論)のためのメモ)を「『まちづくりと市民福祉教育』論の体系化に向けて」と題して集成することにした。そこには、かつて大学の「福祉教育コース」や社協の「福祉教育研修会」などで、学生や社協職員らと福祉教育について楽しく活発に議論したことが忘れられない自分がいるのであろうか。今は昔‥‥‥であるのだが。
〇「市民福祉教育研究所(オンライン組織)」の主宰者や運営協力者、共同研究者、そして多くの読者の皆様方には、引き続き倍旧のご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

   2024年5月10日
                               阪野 貢


日本福祉教育・ボランティア学習学会第20回とうきょう大会(2014年11月)

〇2014年11月8日と9日に、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第20回大会が日本社会事業大学(東京都清瀬市)で開催されました。
〇筆者(阪野)は、8日午前中の「特別課題研究(とうきょう企画)」の③「福祉教育・ボランティア学習の原理を探る」という分科会で、「福祉教育の歴史研究」に関して三ツ石行宏先生(神戸親和女子大学)と “対談” する機会を得ました。50名近くの参加者とともに、多くの「気づき」と「学び」のある、有意義なひと時を過ごすことができました。
〇三ツ石先生は、福祉教育の歴史研究に精力的に取り組まれており、既に複数の論稿を発表されています。今回は、三ツ石先生の玉稿「福祉教育史研究の現状と課題」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』第22号、2013年11月、68~76ページ)と筆者の拙稿「地方改良運動にみる福祉教育実践―福祉教育の遡及的原点を求めて―」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』第13号、2008年11月、120~129ページ)をベースに、互いにその考えや思いを語るものでした。
〇三ツ石先生からの質問や参加者との議論のうちから、先生が最初に提示された次の質問に対する筆者の回答の概要を以下に記すことにします。「福祉教育史の研究上の課題はどこにあると思うか?」、というのがそれです。
〇福祉教育研究が科学的な研究を志向し、福祉教育の理論化と体系化を図るに際しては、福祉教育の歴史研究はその基本的部分に据えられなければならない。しかし、『学会年報』(第13号)に、「福祉教育研究は、これまで、福祉教育の歴史に無関心であった」(120ページ)と書いたが、その状況は今日においても変わっていない。それは何故か?
〇福祉教育は、その実践が先行してきたが故に、その理論的な整理や研究が “後追い” しがちであった。そういうなかで、福祉教育の歴史研究は、取り残されてきたのではないか。それは、研究者の問題意識が希薄だったのか。研究者が怠慢だったのか。あるいはまた、日本福祉教育・ボランティア学習学会における研究活動の姿勢に問題や限界があったのか、等々いろいろと考えられる。
〇福祉教育研究における歴史研究の課題については、先ずは福祉教育史研究についての問題意識を高め、研究の振興を図ることが強く求められる。その際に、 “歴史研究は理論研究を無視しては成立しない” ということに十分留意することが肝要となる。それは、「実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される。実践のない理論は空虚であり、理論のない実践は盲目である」(120ページ)という言葉をもちだすまでもない。
〇一般に、「歴史に関心が集まるのは歴史の転換期においてである」といわれる。福祉教育はこれまで、子ども・青年の発達の歪みや、高齢者や障がい者が抱える生活問題や偏見・差別の実態などに焦点をあてて実践を積み上げ、また理論化の作業を進めてきたといってもよい。
〇その子どもは、6人に1人が貧困であり、3200万人の65歳以上の高齢者は10人に1人が老後破産をしている、といわれる。障がい者に関しては、ICFの視点や社会的包摂の理念が語られてはいるが、その内実化や実現を図るにはまだ多くの時間と努力を要する。
〇高齢者や障がい者、子ども、外国籍住民など多くの人々の人権が侵害され、平和と民主主義が危機的な状況にある。政治の世界では右傾化が進み、教育の世界では例えば「道徳の教科化」が推し進められている。こうした今日的状況は、いままさに「歴史の危機的転換期」にあるといわざるを得ない。歴史が “逆方向” に進もうとしているいまこそ、歴史研究が重視されなければならない。
〇福祉教育史研究の研究方法論上の課題についていえば、福祉教育に関する歴史的事象をどういう視点や視座で捉え、分析するか。その際の枠組みをどのように設定するか。また分析の手続きや手順をどのように踏むか、等々についての議論がこれまで十分に行われてこなかった。これは福祉教育史研究の “遅れ” の何ものでもないが、喫緊の重要課題として認識することが強く求められる。
〇「福祉教育史研究の意義と課題」については、筆者は、『学会年報』(第13号)で次のように書いている。

福祉教育研究における歴史研究は、福祉教育の歴史的事実を実証的に解明することからはじまる。すなわち、それは、たんに福祉教育の変遷を押さえるだけでなく、その変遷の意味を明らかにすることである。その際、その史実を社会的・経済的・政治的・文化的諸条件との相互関連のなかで捉えることが肝要となる。それを通じて科学的・客観的に今日の福祉教育の到達点を押さえ、それが抱える問題点や課題を発見し、その本質を把握する。そして、それを解決し克服するための適切な方向を見定め、具体的な解決策を見出す。
ここに、福祉教育史研究の意義と課題があり、研究の重要性を指摘することができる。要するに、現在を読み解き、未来を拓くための有効な方法の一つに歴史があり、歴史研究があるのである。(120ページ)

〇福祉教育研究における歴史研究について、研究者の “問題意識の希薄” や “怠慢” などといったが、その点をめぐって実践者に関して一言付け加えておきたい。
〇社会的事象は、常にその歴史的背景や状況のもとで生じるものである。当然のことながら、福祉教育実践も、歴史性をもって存在し、展開されてきた。今後も、展開されなければならない。つまり、福祉教育実践に取り組む際には、実践者はその歴史性について常に、また強く認識することが求められる。そうでないと、新たな、しかも確かで豊かな福祉教育実践の展開を期待することはできない。実践者も福祉教育実践の歴史性を強く認識すべきである。

【初出】
<雑感>(21)阪野 貢/福祉教育の歴史研究と福祉教育実践の歴史性―第20回大会に参加して―/2014年11月11日/本文

日本福祉教育・ボランティア学習学会第23回長野大会(2017年11月)

〇福祉教育はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常児(者)と障がい児(者)、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生などの「二項対立」的な「分かりやすさ」のなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがち(なりがち)であった。しかも、「包摂」や「共生」の概念的・抽象的な思考や理解にとどまり、日常の地域生活場面においてその感覚化や行動化を促すことに、必ずしも主体的・積極的であったとは言えない。
〇そしていま、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が声高に叫ばれるなかで、「包摂」や「共生」が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を「思考停止」に陥らせたり、ある種の「刷り込み」を可能にする恐れなしとしない。その要因や背景については、①福祉教育が自らの思想や哲学について十分に言及せず、実践(実践科学としての性格)を重視(尊重)してきたこと、②福祉教育がその固有性や独自性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと、③福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙する議論を十分に展開せず、未整理の部分が多いこと、などを挙げることができる。
〇それらの結果として、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して、統制的で定型化された実践活動が展開されている(されようとしている)。それはちょうど、国や県が建設・管理する道路のルートに沿って、カーナビの指示通りに車を走らせる「ヒト」(福祉教育)のようでもある。先日(2017年11月)、筆者(阪野)が長野県上田市からの帰途、心地よいスピードで、自動運転車にでも乗っているような気分のなかで思ったことである(蛇足ながら、筆者の車は絶滅危惧種のマニュアル車である)。

【初出】
<雑感>(58)阪野 貢/二項対立の思考:「分かりやすさ」の罠―仲正昌樹を再読する―/2017年12月25日/本文

日本福祉教育・ボランティア学習学会第24回あいち・なごや大会(2018年11月)

〇2018年11月の日本福祉教育・ボランティア学習学会第24回大会(「あいち・なごや大会」)の「分科会」(自由研究発表)に参加した際、ある種の懸念や危惧が筆者(阪野)の頭をよぎった。福祉教育実践や研究は、その基軸である地域性と共働性をはじめ、多様性と共通性、学際性と総合性、創造性と変革性などについての「知」と「心」と「力」の育成・共有を確かなものにしてきたか。その取り組みはタコツボ化し、硬直化しているのではないか、というのがそれである。多少具体的にいえば、福祉教育は、①その成立基盤であり構成要素でもある科学的な「社会認識」の形成、②その理念や思想とされる「社会的包摂」や「共生社会」についての単一的思考からの解放、そして③その地域・社会の真の「あるべき姿」を展望し未来(あす)を切り開く「市民性」(市民的資質・能力)の育成、などをめぐる問題点や限界についての懸念や危惧である。

【初出】
<雑感>(71)阪野 貢/「冷たい社会」を「冷たい頭」で考える、そこには「厳しい闘い」と「本当の優しさ」がある:子ども・青年と大人の社会認識や市民性を形成するための愉快な“学び”について―タカツボ的思考からの脱却とネットワーク型思考の展開―/2019年1月12日/本文

日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会(2019年11月)

〇2019年11月23日~24日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会が北星学園大学(札幌市)で開催された。大会テーマは、「未来へつなぐ、みんなでつなぐ。~多文化共生社会を育む福祉教育とボランティア学習~」であった。圧巻で感動的だったのは、本田優子(ほんだ・ゆうこ、札幌大学教授、アイヌ文化・アイヌ史)による「アイヌ文化からみる多文化共生社会の創造」と題する「基調講演」であった。アイヌ語に、「ヤイコシラㇺスイェ」という言葉がある。「ヤイ」は「自分」、「コ」は「に対して」、「シ」は「自分」、「ラㇺ」は「心」、「スイェ」は「を揺らす」、「ヤイコシラㇺスイェ」で「自分に対して自分の心を揺らす」となる。それは日本語の「考える」という意味である。「考える」とは「心を揺らす」こと、筆者(阪野)にとって目から鱗(うろこ)が落ちる一言であった。
〇「自由研究発表」や「課題別研究」報告などでは、ひとえに筆者の浅学菲才によるものであるが、「心を揺らす」報告はさほど多くはなかった。新味のない(使い古された)テーマについて、場所や組織、人を替えただけの、あるいは横文字や権威づけられた(古めかしい)過去の言説を多用した議論では、福祉教育実践や研究の推進は望むべくもない。歴史的・社会的・文化的実践であるはずの福祉教育実践をめぐって、その現場から乖離(かいり)した抽象的な言葉・概念や思考をこねくり回すのも、然りである。そこからは、原理や理論のない、視野が狭く定型化され、矮小化された実践が生み出されるだけである。そうした福祉教育実践さえも、厳しい時代状況に押しつぶされようとしている(されている)。意図的にか無意識的にか、それを理解・認識しない実践者(あるいは実務家)や研究者がいる。また、お互いの「傷」をなめ合い、慰め合っている人たちもいる。そこからは、福祉教育実践や研究の「展望」や「未来」は見出せない。
〇そこで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。「理論と実践」の関係性について探究することなく、単なる「実践(事例)」研究にとどまりがちな福祉教育研究の現状も気にかかる。

【初出】
<雑感>(98)阪野 貢/歴史的視点や哲学的思考を欠いた福祉教育:「福祉教育哲学」の必要性を問う―高久清吉著『哲学のある教育実践』再読メモ―/2019年12月12日/本文

最近の福祉教育の実践や研究をめぐって‥‥‥

〇「福祉教育の歴史」の概略を知りたい、という連絡をある方から複数回いただきました。また、熱心なブログ読者(S氏)からは、最近の福祉教育の実践や研究をめぐって、「他地域の実践事例を見聞しても、以前のようにワクワク感が沸かなくなってきた。」「現場における実践的研究の重要性が認識されていない。またその研究の独自性の追求が弱い。」「教育実践と研究活動は不可分であり、往還関係で捉えることが重要である。」「現場実践と研究をつなぐ仕掛けやシステムはどうあるべきか。それはどのように機能すべきか。」「実践現場の課題と大学人らによる研究の課題設定にズレが生じているのではないか。」「研究者による実践評価の基準がよく分からない。基準の開示すらない。」「教育学分野からの福祉教育研究が期待したほどには進展しない。」「学会発表でも研究の視点や枠組み、データの収集・分析方法などに曖昧なものが散見される。」等々、実に多くの指摘をいただきました。厳しいものばかりです。
〇「ズレ」に関しては、筆者(阪野)は、最近の政治(政策・制度)による新しい歴史の始まりと実践現場とのズレ、個別的実践への政治的意向の反映や統制も気にかかります。「福祉教育を通していま守るべきものは何か、拓くべきものは何か」。主体的・自律的な福祉教育実践と研究の意義や方向性が、以前にも増して厳しく問われているように思うのは筆者だけでしょうか。

【初出】
<ディスカッションルーム>(54)阪野 貢/「福祉教育の歴史」についての断章:「現場実践の二極化」と「課題別研究の進展」の時代―資料紹介―/2015年12月20日/本文

福祉教育の本質に迫る理論的・歴史的かつ哲学的論考について‥‥‥

〇熱心なブログ読者から複数のメールが届いた。ひとりの盟友からはありがたい、また厳しい内容のものをいただいた。感謝である。あえてその一部(総評的な一文)を記しておくことにする。

● 読破された本とそれに基づくテーマのボリュームに圧倒されました(本の紹介とテーマの表示が狙いなのでは?)。貴兄の10年余にわたるこうした努力に敬服します。10年間は当然必要とする内容だと思いました。貴兄の知識や経験から語られる啓発的で、議論の呼び水的な内容は、ブログを読む若い人には魅力的で刺激的だと思います。ますますの健筆を期待します。
● 相変わらず、難しい論考です。「当事者論」に関連して言えば、貴兄の文章は、完全に男性による福祉教育論ですね。今日的に言えば、なぜジェンダーやセクシャリティ、ダイバーシティの問題が取り上げられないのか。不思議に思います。フロイドをはじめとした男性心理学者が今日的に手厳しく批判されているのをもちろんご存じだと思います。心理学だけでなく、歴史学、医学、社会学、そして貴兄の福祉教育論も男性史観ですね。
● 「障碍者論」に関連して言えば、「青い芝の会」のことが詳しく出ていますが、当時あの運動(川崎バス闘争:1977年~1978年)の発端となった川崎市営バスを通学等で利用していたものとして懐かしく読ませていただきました。横田弘が「闘争」という言葉に「ふれあい」というルビを振ったことを思い出しながら、一人の人間の疑問や私憤によって世の中を変えることができた例が少なくないことを改めて認識しています。貴兄が福祉教育に期待するところでしょうか。
● 貴兄は「まちづくり」に関して批判的思考と社会変革を強調されますが、批判力と変革力はつながるものなのか、延長線上なのか、よくわかりません。また、教育概念でくくられた「福祉教育」と主体形成論の「福祉教育」が私のなかでは結びつきません。さらに、貴兄が多用される「市民」はひとつの理念であり、理想的な目的概念ですから、実在するヒトではありません。そう考えると、貴兄の福祉教育論のキー概念である「市民福祉教育」を「市民・福祉教育」として捉えれば、私のなかでは一つひとつの論考への違和感が少なかったかな、という感じです。

〇ここで、「主権」と「住民」、「市民」について一言しておきたい。「主権」とは、他に譲ることのできない、また他から侵されることのない最高の自己決定権。「住民」(residents)とは、県民や市・町・村民など、一定の行政区域に住んでいる人。「市民」(citizen)とは、市民社会や公共性などについての関心と理解のもとに、まちづくりへの主体的・自律的参加と「共働」を進めることができる人。その際の「共働」とは、住民・市民や行政をはじめ多様な主体が新しい「場」(ステージ、プラットホーム)を創設し、そこにそれぞれが参加(参集、参与、参画)して対等・協力の関係のもとで、また相互作用・相互補完・相乗効果により、共有化した目標を達成するために事にあたること(共同、協同)をいう。「住民」は、生涯にわたる教育・学習によって、また相互交流や実践活動などを通して「市民」へと自己変革、自己変容する。「市民主権」「市民自治」は、単なる理想概念ではなく、未だ不完全であるが、未来に向かって実現せんとする規範概念である。
〇福祉教育学界では、教育方法・技術論的な観点からの研究は盛んであるが、福祉教育の本質に迫る理論的・歴史的かつ哲学的論考はいまだに少ない。そうした福祉教育研究の現状と課題、その背景(要因)を明らかにするとともに、福祉教育実践・研究の新たな展開の方向性と可能性を探ることが、いま、改めて求められている。それに応えるためには、多面的・多角的な視座に基づく福祉教育理論の構築や刷新に関する総合的な研究が肝要となる。それは、歴史的視点や哲学的思考を大事にしながら、如何にして理論と実践の往還・融合の具現化を図るかを探究するものでなければならない。

【初出】
<雑感>(161)阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」再考―新たな福祉教育の理論研究を求めて―/2022年9月1日/本文

            


01「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて

―その本質に迫るいくつかの鍵概念に関する研究メモ―


はじめに―大橋謙策と原田正樹の言説―
(1)大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会、1986年9月。
(2)大橋謙策『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク―』中央法規出版、2022年4月。
(3)原田正樹『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版、2009年11月。
(4)原田正樹『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』中央法規出版、2014年10月。

01 市民社会/規範や実体としての市民社会
(1)山口定『市民社会論―歴史的遺産と新展開―』有斐閣、2004年3月。
(2)吉田傑俊『市民社会論―その理論と歴史―』大月書店、2005年7月。
(3)今田忠・岡本仁宏補訂『概説市民社会論』関西学院大学出版会、2014年10月。
(4)坂本治也編『市民社会論―理論と実証の最前線―』法律文化社、2017年2月。

02 玉野井芳郎/地域主義
(1)玉野井芳郎『地域分権の思想』東洋経済新報社、1977年4月。
(2)玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』みすず書房、1978年3月。
(3)玉野井芳郎『地域主義の思想』農山漁村文化協会、1979年12月。
(4)玉野井芳郎・清成忠男・中村尚司編『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試み―』学陽書房、1978年3月。

03 ソーシャル・キャピタル/「活動する市民」と「シビック・パワー」
(1)ロバート・D・パットナム、河田潤一訳『哲学する民主主義』NTT出版、2001年3月。
(2)坂本治也『ソーシャル・キャピタルと活動する市民―新時代日本の市民政治―』有斐閣、2010年11月。

04 シーシャルアクション/ソーシャルワーカーとソーシャルアクション
(1)井手英策『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書)集英社インターナショナル、2020年6月。
(2)井手英策『幸福の増税論―財政はだれのために―』岩波新書、2018年11月。
(3)井手英策・柏木一惠・加藤忠相・中島康晴『ソーシャルワーカー―「身近」を革命する人たち―』ちくま新書、2019年9月。
(4)高良麻子『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』中央法規出版、2017年2月。
(5)小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年8月。
(6)木下大生・鴻巣麻里香編『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう! ―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』ミネルヴァ書房、2019年9月。

05 コミュニティデザイン/「福祉はまちづくり」の時代における「市民」
(1)山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年5月。
(2)山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』NHK出版、2012年5月。
(3)山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中公新書、2012年9月。
(4)山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所、2016年11月。

06 コミュニティ・オーガナイジング/COのプロセスとステップ
(1)マシュー・ボルトン、藤井敦史・ほか訳『社会はこうやって変える!―コミュニティ・オーガナイジング入門―』法律文化社、2020年9月。
(2)鎌田華乃子『コミュニティ・オーガナイジング―ほしい未来をみんなで創る5つのステップ―』英治出版、2020年11月。

07 関係人口/地域再生主体としての「新しいよそ者」
(1)田中輝美『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』大阪大学出版会、2021年4月。

08 主権者教育/市民社会の形成とシティズンシップ教育
(1)新籐宗幸『「主権者教育」を問う』岩波ブックレット、2016年6月。

09 自律教育/個人的・集団的自律と「自己教育力」
(1)岡田敬司『自律者の育成は可能か―「世界の立ち上がり」の理論―』ミネルヴァ書房、2011年7月。
(2)梶田叡一『自己教育への教育』(教育新書)明治図書、1985年6月。

10 共生教育/「包摂と排除」とインクルーシブ教育
(1)倉石一郎『包摂と排除の教育学―戦後日本社会とマイノリティへの視座―』生活書院、2009年11月。
(2)倉石一郎『教育福祉の社会学―〈包摂と排除〉を超えるメタ理論―』明石書店、2021年6月。

11 地域教育経営/つながりと熟議
(1)荻野亮吾・丹間康仁編著『地域教育経営論』大学教育出版、2022年10月。

12 まちづくり/幻想と打開
(1)木下斉『まちづくり幻想―地域再生はなぜこれほど失敗するのか―』(SB新書)SBクリエイティブ、2021年3月。

13 社会関係資本/地域社会のつくり方
(1)荻野亮吾『地域社会のつくり方―社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ―』勁草書房、2022年1月。

14 3.5%/市民的抵抗
(1)エリカ・チェノウェス、小林綾子訳『市民的抵抗―非暴力が社会を変える―』白水社、2023年1月。

15     コモンズ/福祉コミュニティの創出
(1)宮本太郎編『自助社会を終わらせる――新たな社会的包摂のための提言』(岩波書店、2022年6月。

16     宇沢弘文/社会的共通資本
(1)宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)岩波書店、1974年6月。
(2)宇沢弘文『日本の教育を考える』(岩波新書)岩波書店、1998年7月。
(3)宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)岩波書店、2000年11月。
(4)宇沢弘文『始まっている未来―新しい経済学は可能か―』岩波書店、2009年10月。
(5)宇沢弘文『経済学は人びとを幸福にできるか』東洋経済新報社、2013年11月。
(6)宇沢弘文『人間の経済』(新潮新書)新潮社、2017年4月。

17     共生/共に生きる
(1)寺田貴美代「社会福祉と共生」園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月。

18     鶴見和子/内発的発展論
(1) 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年3月。
(2) 赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学』藤原書店、2015年7月。
(3) 岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』藤原書店、2015年3月。

19     共生保障/まちづくりと市民福祉教育
(1)宮本太郎『生活保障―排除しない社会へ―』岩波新書、2009年11月。
(2)宮本太郎『共生保障―<支え合い>の戦略―』(岩波新書、2017年1月。

20     同調圧力/世間と社会
(1)鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』(講談社現代新書)講談社、2020年8月。
(2)岡檀『生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―』講談社、2013年7月。

21     地域力/その構成要素
(1)宮城孝『住民力―超高齢社会を生き抜く地域のチカラ―』明石書店、2022年1月。

22     まちづくり/ひとつの視点と視座
(1)大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月。
(2)伊藤穣一・ジェフ・ハウ、山形浩生訳『9プリンシプルズ―加速する未来で勝ち残るために―』早川書房、2017年7月。

23     社会運動/みんなで「わがまま」
(1)富永京子『みんなの「わがまま」入門』左右社、2019年4月。
(2)大畑裕嗣・成元哲・道場親信・樋口直人編『社会運動の社会学』有斐閣、2004年4月。
(3)小熊英二『社会を変えるには』講談社、2012年8月。
(4)中條共子『生活支援の社会運動―「助け合い活動」と福祉政策―』青弓社、2019年8月。
(5)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月。

24     生活者/対抗的自律型市民
(1)天野正子『「生活者」とはだれか―自律的市民像の系譜―』中央公論社、1996年10月。

25 ボランティア/今昔
(1) 早瀬昇『「参加の力」が創る共生社会―市民の共感・主体性をどう醸成するか―』ミネルヴァ書房、2018年6月。
(2)大阪ボランティア協会監修、小田兼三・松原一郎編『変革期の福祉とボランティア』ミネルヴァ書房、1987年7月。
(3)中野敏男「ボランティアとアイデンティティ―普遍主義と自発性という誘惑―」『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任―』青土社、2001年12月。
(4)小林啓治『総力戦体制の正体』柏書房、2016年6月。
(5)丸山千夏『ボランティアという病』宝島社新書、2016年8月。

26 アクティブ・ラーニング/地元に学び、地域を創る「地元学」
(1)吉本哲郎『地元学をはじめよう』(岩波ジュニア新書)岩波書店、2008年11月。
(2)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する答申」2012年8月。
(3)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する諮問」2014年11月。
(4)阪野貢「富山県福祉教育サポーター養成カリキュラム(私案)」2015年4月。

27 「まちづくり学」/キャパシティ・ビルディングのアプローチ
(1) 織田直文『臨地まちづくり学』サンライズ出版、2005年3月。
(2) 西村幸夫編『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』朝倉書店、2007年4月。
(3) 日本福祉のまちづくり学会編『福祉のまちづくりの検証―その現状と明日への提案―』彰国社、2013年10月。
(4) 日本都市計画学会関西支部新しい都市計画教程研究会編『都市・まちづくり学入門』学芸出版社、2011年11月。
(5) 株式会社オオバ技術本部『まちづくり学への招待―どのようにして未来をつくっていくか―』東洋経済新報社、2015年5月。

28 合意形成/マルチステークホルダー・プロセス
(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月。
(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月。
(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月。
(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月。

むすびにかえて―地域と「地域学」―
(1)山下祐介『地域学入門』ちくま新書、2021年9月。
(2)山下祐介『地域学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2020年12月。
(3)柳原邦光・ほか編『地域学入門―<つながり>をとりもどす―』ミネルヴァ書房、2011年4月。


02「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて

―その哲学的思考に関する研究メモ―


  はじめに―哲学のある教育実践―
(1)高久清吉哲学のある教育実践―「総合的な学習」は大丈夫か―』教育出版、2000年4月。

01   「ふくし」の哲学
(1)三谷尚澄『哲学しててもいいですか? ―文系学部不要論へのささやかな反論―』ナカニシヤ出版、2017年3月。
(2)広井良典『福祉の哲学とは何か―ポスト成長時代の幸福・価値・社会構想―』ミネルヴァ書房、2017年3月。
(3)糸賀一雄『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月。
(4)阿部志郎『福祉の哲学』誠信書房、1997年4月。
(5)伊藤隆二『この子らは世の光なり』樹心社、1988年9月。
(6)仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月。
(7)大橋謙策『社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月。

02   「正義感覚」の育成
(1)伊藤恭彦『さもしい人間―正義をさがす哲学―』新潮新書、2012年7月。

03   「人間的連帯」の言説
(1)馬淵浩二『連帯論―分かち合いの論理と倫理―』筑摩書房、2021年7月。
(2)齋藤純一『不平等を考える―政治理論入門―』ちくま新書、2017年3月。

04   「自己決定」の実相
(1)小松美彦『「自己決定権」という罠―ナチスから相模原障害者殺傷事件まで―』言視舎、2018年8月。
(2) 吉崎祥司『「自己責任論」をのりこえる―連帯と「社会的責任」の哲学―』学習の友社、2014年12月。
(3) 高橋隆雄・八幡英幸編『自己決定論のゆくえ―哲学・法学・医学の現場から―』九州大学出版会、2008年5月。
(4) 湯浅誠『どんとこい、貧困!』イースト・プレス、2011年7月。

05   「世間」からの解放
(1)阿部謹也『「世間」とは何か』講談社現代新書、1995年7月。
(2)阿部謹也『学問と「世間」』岩波新書、2001年6月。
(3)佐藤直樹『「世間」の現象学』青弓社、2001年12月。
(4)山本七平『「空気」の研究』文藝春秋、1983年10月。
(5)鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』講談社現代新書、2020年8月。
(6)岡檀『生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―』講談社、2013年7月。

06   「しょうがい」と疑似体験の陥穽
(1)荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』柏書房、2021年5月。
(2)荒井裕樹『車椅子の横に立つ人―障害から見つめる「生きにくさ」―』青土社、2020年8月。
(3)荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』ちくま新書、2020年4月。
(4)荒井裕樹『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ―』現代書館、2011年2月。
(5)荒井裕樹『差別されてる自覚はあるか―横田弘と青い芝の会「行動綱領」―』現代書館、2017年1月。
(6)佐藤貴宣・栗田季佳編『障害理解のリフレクション―行為と言葉が描く〈他者〉と共にある世界―』ちとせプレス、2023年3月。

07   「生」の倫理
(1)野崎泰伸『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から―』白澤社、2011年6月。
(2)野崎泰伸『「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!―』筑摩書房、2015年3月。

08   「しんがり」の姿勢
(1)鷲田清一『しんがりの思想―反リーダーシップ論―』角川新書、2015年4月。
(2)駒村康平編『社会のしんがり』新泉社、2020年3月。

09   「助けて」の創造
(1)奥田知志『もう、ひとりにさせない―わが父の家にはすみか多し―』いのちのことば社、2011年6月。
(2)奥田知志『「助けて」と言おう―3・11後を生きる―』日本キリスト教団出版局、2012年8月。
(3)奥田知志・茂木健一郎『「助けて」と言える国へ―人と社会をつなぐ―』集英社新書、2013年8月。
(4)佐藤彰・奥田知志・宋富子、明治学院150周年委員会編『灯を輝かし、闇を照らす―21世紀を生きる若い人たちへのメッセージ―』いのちのことば社、2014年3月。
(5)奥田知志・稲月正・垣田裕介・堤圭史郎『生活困窮者への伴走型支援―経済的困窮と社会的孤立に対応するトータルサポート―』明石書店、2014年3月。
(6)埋橋孝文、同志社大学社会福祉教育・研究支援センター編『貧困と生活困窮者支援―ソーシャルワークの新展開―』法律文化社、2018年9月。

10   「愛郷心」の相克
(1)将基面貴巳『反「暴君」の思想史』平凡社新書、2002年3月。
(2)将基面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』百万年書房、2019年8月。
(3)将基面貴巳『愛国の構造』岩波書店、2019年7月。
(4)姜尚中『愛国の作法』(朝日新書)朝日新聞出版、2006年10月。
(5)佐伯啓思『日本の愛国心―序説的考察―』中公文庫、2015年6月。
(6)市川昭午『愛国心―国家・国民・教育をめぐって―』学術出版会、2011年9月。
(7)鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ!』岩波ブックレット、2016年6月。

11   「差別」の本質
(1)キム・ジへ、尹怡景訳『差別はたいてい悪意のない人がする―見えない排除に気づくための10章―』大月書店、2021年8月。
(2)神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない―ジェンダーやLGBTQから考える―』集英社新書、2022年8月。

12   「共感」の功罪
(1)山竹伸二『共感の正体―つながりを生むのか、苦しみをもたらすのか―』河出書房新社、2022年3月。
(2)ポール・ブルーム、高橋洋訳『反共感論―社会はいかに判断を誤るか―』白揚社、2018年2月。
(3)永井陽右『共感という病―いきすぎた同調圧力とどう向き合うべきか?―』かんき出版、2021年7月。

13   「利他」の学問
(1)伊藤亜紗編、中島岳志・若松英輔・國分功一郎・磯崎憲一郎『「利他」とは何か』集英社新書、2021年3月。
(2)中島岳志『思いがけず利他』ミシマ社、2021年10月。
(3)若松英輔『はじめての利他学』NHK出版、2022年5月。

14   “Well-being ”  の視点
(1)マーティン・セリグマン、宇野カオリ監訳『ポジティブ心理学の挑戦―“幸福”から“持続的幸福”へ―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年10月。
(2)前野隆司『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門―』講談社現代新書、2013年12月。
(3)前野隆司『実践・脳を活かす幸福学 無意識の力を伸ばす8つの講義』講談社、2017年9月。
(4)前野隆司・前野マドカ『ウェルビーイング』日経文庫、2022年3月。
(5)前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』プレジデント社、2022年5月。
(6)渡邊淳司・ドミニク=チェン監修・編著『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』ビー・エヌ・エヌ、2020年3月。
(7)石川善樹・吉田尚記『むかしむかし あるところに ウェルビーイングがありました―日本文化から読み解く幸せのカタチ―』KADOKAWA、2022年1月。
(8)草郷孝好『ウェルビーイングな社会をつくる―循環型共生社会をめざす実践』明石書店、2022年7月。
(9)内田由紀子『これからの幸福について―文化的幸福観のすすめ―』新曜社、2020年5月。

15   「自前」の思想
(1)清水展・飯嶋秀治編『自前の思想―時代と社会に応答するフィールドワーク』京都大学学術出版会、2020年10月。
(2)佐高信・田中優子『池波正太郎「自前」の思想』集英社新書、2012年5月。
(3)伊藤幹治『柳田国男と梅棹忠夫―自前の学問を求めて』岩波書店、2011年5月。

16   「生きづらさ」の正体
(1) 中西新太郎『〈生きにくさ〉の根はどこにあるのか―格差社会と若者のいま―』(前夜セミナーBOOK)特定非営利活動法人 前夜、2007年3月。
(2) 湯浅誠・川添誠編『「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ―』旬報社、2008年11月。
(3) 香山リカ・上野千鶴子・嶋根克己『「生きづらさ」の時代―香山リカ×上野千鶴子+専大生―』専修大学出版局、2010年11月。
(4) 岡田尊司『「生きづらさ」を超える哲学』(PHP新書)PHP研究所、2008年12月。
(5)小山真紀・相原征代・舩越高樹編『生きづらさへの処方箋』ナカニシヤ出版、2019年2月。

17   「相互支援」の人間学
(1)支援基礎論研究会編『支援学―管理社会をこえて―』東方出版、2000年7月。
(2)舘岡康雄『利他性の経済学―支援が必然となる時代へ―』新曜社、2006年4月。
(3)舘岡康雄『世界を変えるSHIEN学―力を引き出し合う働きかた―』フィルムアート社、2012年11月。
(4)森岡正博編著『「ささえあい」の人間学―私たちすべてが「老人」+「障害者」+「末期患者」となる時代の社会原理の探究―』法藏館、1994年1月。

18   「ふつう」の功罪
(1)深澤直人『ふつう』D&DEPARTMENT PROJECT、2020年7月。
(2)佐野洋子『ふつうがえらい』(新潮文庫)、新潮社、1995年3月。
(3)泉谷閑示『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)、講談社、2006年10月。
(4)キリーロバ・ナージャ『6ヵ国転校生・ナージャの発見』集英社インターナショナル、2022年7月。

19   「批判的教育」の使命
(1)マイケル・W・アップル、ジェフ・ウィッティ、長尾彰夫編著『批判的教育学と公教育の再生―格差を広げる新自由主義改革を問い直す―』明石書店、2009年5月。
(2)ヘンリ―・A・ジルー、渡部竜也訳『変革的知識人としての教師―批判的教授法の学びに向けて―』春風社、2014年1月。

20   「対話」の技術
(1)山口裕之『コピペと言われないレポートの書き方教室―3つのステップ―』新曜社、2013年7月。
(2)山口裕之『「大学改革」という病―学問の自由・財産基盤・競争主義から検証する―』明石書店、2017年7月。
(3)山口裕之『人をつなぐ 対話の技術』日本実業出版社、2016年4月。

21   「 弱さ」のデザイン
(1)天畠大輔『<弱さ>を<強み>に―突然複数の障がいをもった僕ができること』岩波書店、2021年10月。
(2)澤田智洋『マイノリティデザイン―「弱さ」を生かせる社会をつくろう―』ライツ社、2021年1月。
(3)高橋源一郎・辻信一『弱さの思想―たそがれを抱きしめる―』大月書店、2014年2月。
(4)鷲田清一『<弱さ>のちから―ホスピタブルな光景―』講談社、2014年11月。

22   「 共同体」の教育的営為
(1)内田樹『サル化する世界』文藝春秋、2020年2月。
(2)内田樹・平川克己『沈黙する知性』夜間飛行、2019年11月。

23   「贈与」の意義
(1)白井聡『武器としての「資本論」』東洋経済新報社、2020年4月。
(2)斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社、2020年9月。
(3)内田樹『コモンの再生』文藝春秋、2020年11月。
(4)マルセル・モース、森山工訳『贈与論 他二篇』岩波文庫、2014年7月。
(5)仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉――〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』名古屋大学出版会、2011年2月。
(6)山田広昭『可能なるアナキズム――マルセル・モースと贈与のモラル』インスクリプト、2020年9月。

24   「共事者」の実践的態度
(1)斎藤幸平『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』KADOKAWA、2022年11月。

25   「思いやり」の暴力
(1)長谷川眞理子・山岸俊男『きずなと思いやりが日本をダメにする―最新進化学が解き明かす「心と社会」―』集英社インターナショナル、2016年12月。
(2)中島義道『「思いやり」という暴力―哲学のない社会をつくるもの―』(PHP研究所、2016年2月。
(3)清水将一『ボランティアと福祉教育研究』風詠社、2021年6月。

26   「哲学対話」の方法
(1)梶谷真司『考えるとはどういうことか―0歳から100歳までの哲学入門―』幻冬舎新書、2018年9月。
(2)河野哲也編『ゼロからはじめる哲学対話―哲学プラクティス・ハンドブック―』ひつじ書房、2020年10月。

27   「地域共生社会」の模索
(1)渡邉琢『介助者たちは、どう生きていくのか―障害者の地域自立生活と介助という営み』生活書院、2011年2月。
(2)渡邉琢『障害者の傷、介助者の痛み』青土社、2018年12月。

27   「まちづくりの哲学」の構築
(1)アーク都市塾企画/戸沼幸市編著『まちづくりの哲学』彰国社、1991年12月。
(2)代官山ステキなまちづくり協議会企画・編集、蓑原敬・宮台真司『まちづくりの哲学―都市計画が語らなかった「場所」と「世界」―』ミネルヴァ書房、2016年6月。

むすびにかえて―支配に抗する思想―
(1)松村圭一郎『くらしのアナキズム』ミシマ社、2021年10月。


03「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて

―その文化的・芸術的視点からのアプローチに関する研究メモ―


はじめに

01   「時間」と「空間」の座標― 内藤廣(建築家)から学ぶ―
(1)内藤廣『建築のちから』王国社、2009年7月。
(2)内藤廣『場のちから』王国社、2016年7月。
(3)内藤廣『空間のちから』王国社、2021年1月。

02   「塑する」ことと「繋ぐ」こと―佐藤卓(グラフィックデザイナー)から学ぶ―
(1)佐藤卓『塑する思考』新潮社、2017年7月。

03   「福祉文化」活動を通した「ゆるやかな絆」―今中博之(ソーシャルデザイナー)から学ぶ―
(1)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月。
(2)アトリエ インカーブ編『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』ビブリオ インカーブ、2019年9月。
(3)今中博之『社会を希望で満たす働きかた―ソーシャルデザインという仕事―』朝日新聞出版、2018年10月。

04   「1984年」と「個性」と「多様性」―ジョージ・オーウェルと村田紗耶香(小説家)に学ぶ―
(1)ジョージ・オーウェル、高橋和久訳『1984年』(新訳版)早川書房、2009年7月。
(2)村田紗耶香『信仰』文藝春秋、2022年6月。

05   「社会」と「自分」を「考える」  ―池田晶子(哲学者、文筆家)から学ぶ―  
(1)池田晶子『14歳からの哲学―考えるための教科書―』トランスビュー、2003年3月。

06   「教養」と「教育」―教養人(安部謹也・ほか)から学ぶ―
(1) 安部謹也『「教養」とは何か』(講談社現代新書)講談社、1997年9月。
(2) 梅田正己『「市民の時代」の教育を求めて―「市民的教養」と「市民的徳性」の教育論―』高文研、2001年5月。
(3) 村上陽一郎『あらためて教養とは』(新潮文庫)新潮社、2009年4月。
(4) 中央教育審議会「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」2002年2月。
(5) 日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会『21世紀の教養と教養教育(提言)』2010年4月。

07   「福祉」はアートであり、デザインである―東京藝大と東大における体験型授業から学ぶ―
(1)東京藝術大学 Diversity on the Arts プロジェクト編『ケアとアートの教室』左右社、2022年1月。
(2)山中俊治『だれでもデザイン―未来をつくる教室-』朝日出版社、2021年11月。

08 共同体の狂気の「負の歴史」―映画「福田村事件」から学ぶ―
(1)辻野弥生『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』五月書房新社、2023年7月。

むすびにかえて


04「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて

―「まちづくりと市民福祉教育」実践に関する基礎知識メモ―


はじめに

01 アクションリサーチ:その概念、原則、プロセス
(1)矢守克也『アクションリサーチ―実践する人間科学―』新曜社、2010年6月。
(2)CBPR研究会『地域保健に活かすCBPR―コミュニティ参加型の活動・実践・パートナーシップ―』医歯薬出版、2010年7月。
(3)武田丈『参加型アクションリサーチ(CBPR)の理論と実践―社会変革のための研究方法論―』世界思想社、2015年3月、Kindle版:太洋社、2019年10月。
(4)JST社会技術研究開発センター・秋山弘子編著『高齢社会のアクションリサーチ―新たなコミュニティ創りをめざして―』東京大学出版会、2015年9月。
(5)草郷孝好編著『市民自治の育て方―協働型アクションリサーチの理論と実践―』関西大学出版部、2018年3月。
(6)芳賀博編著『アクションリサーチの戦略―住民主体の健康なまちづくり―』ワールドプランニング、2020年3月。
(7)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月。
(8)平井太郎『話し合いが変わる 地域でアクションリサーチ』農山漁村文化協会、2022年3月。

02 コミュニティ・エンパワメント:その概念、原則、プロセス
(1)安梅勅江『エンパワメントのケア科学―当事者主体チームワーク・ケアの技法―』医歯薬出版、2004年9月。
(2)安梅勅江編著『コミュニティ・エンパワメントの技法―当事者主体の新しいシステムづくり―』医歯薬出版、2005年4月。
(3)安梅勅江編著『健康長寿エンパワメント―介護予防とヘルスプロモーション技法への活用―』医歯薬出版、2007年8月。
(4)安梅勅江編著『いのちの輝きに寄り添うエンパワメント科学―だれもが主人公、新しい共生のかたち―』北大路書房、2014年11月。
(5)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月。

03   「まちづくりと市民福祉教育」におけるリフレクション
(1)「特集/福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション」『研究紀要』Vol.20、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月。
(2)熊平美香『リフレクション―自分とチームの成長を加速させる内省の技術―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021年3月。
(3)西原大貴『「自分の可能性」を広げるリフレクションの技術』日本実業出版社、2023年4月。
(4) 千々布敏弥『先生たちのリフレクション―主体的・対話的で深い学びに近づく、たった一つの習慣―』教育開発研究所、2021年11月。
(5)学び続ける教育者のための協会(REFLECT)編『リフレクション入門』学文社、2019年1月。

04 ケアリングコミュニティと福祉教育
(1)大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』(講座ケア 新たな人間-社会像に向けて 第2巻)ミネルヴァ書房、2014年4月。
(2) 原田正樹「ケアリングコミュニティの構築をめざして」『月刊自治研』第59巻696号、自治労サービス、2017年9月。

05 コミュニティ・オーガナイジングと学習・トレーニング
(1)韓国住民運動教育院、平野隆之・穂坂光彦・朴兪美編訳著『地域アクションのちから―コミュニティワーク・リフレクションブック―』全国コミュニティライフサポートセンター、2018年3月。
(2)朴兪美「韓国住民運動教育院の地域組織化のトレーニング」『日本福祉大学研究紀要―現代と文化』第140号、日本福祉大学福祉社会開発研究所、2020年3月。


むすびにかえて

―「まちづくりと市民福祉教育」における「共働」―


〇福祉の世界では、「参加から協働へ」ともいわれ、「協働」(coproduction、collaboration)という用語(ターム)が使用、強調されるようになって久しい。また、その概念は、地方自治(「新しい公共と公私協働」等)やまちづくり(「参画と協働によるまちづくり」等)の分野で多用されてきた。
〇例えば、横浜市は、他に先駆けて協働の概念を導入した自治体として有名である。横浜市では、1999年3月に「市民活動推進検討委員会」(委員長・堀田力)が報告した「横浜市における市民活動との協働に関する基本方針」(「横浜コード」)を基本的理念として、諸施策・事業を協働の視点のもとに推進してきている。その「横浜コード」では、行政が市民活動と協働するに当たっての6原則を提示している。(1)対等の原則(市民活動と行政は対等の立場にたつこと)、(2)自主性尊重の原則(市民活動が自主的に行われることを尊重すること)、(3)自立化の原則(市民活動が自立化する方向で協働をすすめること)、(4)相互理解の原則(市民活動と行政がそれぞれの長所、短所や立場を理解しあうこと)、 (5)目的共有の原則(協働に関して市民活動と行政がその活動の全体または一部について目的を共有すること)、(6)公開の原則(市民活動と行政の関係が公開されていること)、がそれである。また、2004年7月に策定された「協働推進の基本指針」では、「協働」を「公共的サービスを担う異なる主体が、地域課題や社会的な課題を解決するために、相乗効果をあげながら、新たな仕組みや事業を創りだしたり、取り組むこと」と定義づけている。
〇全社協が、2005年3月、『「協働」による福祉のまちづくり推進のための人材養成のあり方・研修プログラム』と題する報告書を纏めている。そのなかで、山口稔(関東学院大学)は、「協働活動とは何か」について次のように説述している。多少長くなるが、以下に述べる「市民福祉教育」との関わりがあることから、その一文をあえて紹介する。「①コミュニティワークにおける協働活動とは、住民、住民組織、NPO、福祉団体、施設・機関・組織、行政など、地域福祉にかかわる複数の主体が、それぞれの情報・経験・知識・技術などあらゆる資源をもちより交換しあい、対話と信頼、合意形成、自主性・主体性の尊重、対等な立場をもって具体的な問題解決活動に取り組むとともに主体形成を図る非制度的な協力関係をもつ活動である。②協働関係を築くに当たっては、行政のみならず、住民も含め、あらゆる主体に責任が伴うということが忘れられがちである。住民を取り上げるならば、行政依存体質ではない、自己の確立と主体的参画が求められる。すなわち、住民の協働活動の主体としての力量を高めることは、対等な協働関係にとって必須条件である。③対等な関係が成立するためには、各主体がそれぞれのもつ特質を最大限に生かしながら自立性、主体性をもつ必要がある。」(37ページ)。すなわちこれである。
〇なお、一種の流行語のように「協働」という用語を多用するのは行政や社協であるが、政治的な意味(概念)や政治参加の局面では、行政と市民が対等な立場で「協働」することは考えられない。行政参加の局面においては、「協働」は実態として存在している。ただし、両者の前提に「信託」の概念やシステムがあることに留意したい。行政がいう「協働」には、こうした点についての認識が希薄であったり、無自覚であることが多い。そこで、市民には、「信託」とそれに加えて「オンブズマン」「リコール」などについの認識や自覚が求められる。併せて留意しておきたい。
〇「協働」に類似・関連する用語に「共働」(coaction)がある。この用語を使用する自治体は多くはないが、例えば、福岡市では、2008年度に、「共働事業提案制度」を設けている。その目的は、市民の発想を活かした提案を募集し、NPOと市の「共働」による相乗効果を発揮することで市民に対するきめの細かいサービスを提供するとともに、地域課題の効果的・効率的な解決や都市活力の向上を図ることにある。この制度がめざす「共働」とは、「事業の企画段階から、NPOと市が対等な立場で、意思の疎通を図りながら意見を出し合い、適切なパートナーシップに基づき事業に取り組むこと」である。
〇また、「共働のまちづくり」を進める福岡県の古賀市では、『第4次古賀市総合振興計画(2012~2021)』(2012年6月)で、「共働」について次のように解説している。「『キョウドウ』とは、さまざまな主体が共通の目標に向かって、対等な立場で、相互に補完しあい、相乗効果をあげながら、社会的課題の解決にあたること。『キョウドウ』の表記方法には、『協働』や『共働』などがあるが、古賀市ではどちらかがどちらかに追従する関係ではなく、お互い対等の立場で『ともに』取り組んでいくという意味を込め、『共働』と表記している。」(7ページ)、というのがそれである。さらに、同県の宇美町は、2013年7月、「宇美町共働のまちづくり推進のための指針」を策定するが、「共働」には次のような意味が込められているとしている。「町民等と行政は、暮らしやすい町を築いていくためにパートナーシップを確立し、それぞれの責務と役割を認識しあい、認め合い、尊重しあい、対等な立場で、共に考え、共に協力し、共に行動していくまちづくりの実現を目指す」(3ページ)、がそれである。そして、「横浜コード」と同じく、(1)共有の原則(活動に必要な情報を共有すること)、(2)相互理解の原則(お互いの共通性や違い・特性を理解して協力し合い、相乗効果を生むように努めること)、(3)自主・自立の原則(役割分担や責任を明確化するとともに、自主性を尊重し、お互いに独自性、専門性を高めること)、(4)対等の原則(対等な横の関係で、成果を拡充し、相互に補完し合うこと)、(5)公開の原則(取り組みについて積極的に情報公開していくこと)を「共働の原則」とし共通認識することによって、よりよいパートナーシップを築くことができる、としている(11ページ)。
〇豊田市では、「共働によるまちづくり」「共働社会」の実現をめざして諸施策・事業に取り組んでいる。豊田市は、2005年10月に「豊田市まちづくり基本条例」を制定するが、その第2章「まちづくりの基本的な原則」第5条「共働によるまちづくり」で、「市民及び市は、共通の目的を実現するために、互いの立場を尊重し、対等な関係に立って、共にまちづくりを推進することに努めるものとします。」と定めている。豊田市総合企画部の手になる「豊田市まちづくり条例の考え方」(2005年10月)によると、「共働によるまちづくり」は、「市民及び市が、共通の目的を実現するために、それぞれの役割と責任の下、対等な関係に立って、相互の立場を尊重し、共に働く・行動すること」(7ページ)を意味するものである。また、「条例の考え方」では、諸事業・活動を A:行政が専属的に行う分野、B:行政活動に市民が参入する分野、C:市民と行政が一緒に活動する分野、D:市民活動に行政が連携する分野、E:市民が専属的に行う分野、の5つの分野に分けている。そのうえで、B、C、D の分野の活動を「協働の活動」とし、A+B+C+D+E によって「共働によるまちづくり」をめざす、と説いている(8ページ)。なお、直近の2013年3月に策定された『第2期豊田市市民活動促進計画』(2013年度~2017年度)をみると、「共働」について次のように説明されている。「市民と行政が共に考え、共に行動することでよりよいまちを目指すこと。市民と行政が協力・連携すること(通常これを「協働」といいます。)のほか、共通する目的に対して、市民が専属的に行う分野や、行政が専属的に行う分野をそれぞれの判断で、それぞれに活動することも含まれます。」(2ページ)。
〇以上の「定義づけ」や「解説」について、その構成要素を分析すると、共通するいくつかの基本的要素を見いだすことができる。その言葉を整理あるいは換言するとすれば、「対等な立場」「相互理解」「共通の目標」「連携・協力」「情報公開」「相互補完」「相乗効果」などがそれである。現状では、「協働」とりわけ「共働」の概念は観念的・多義的で、曖昧なものに留まっており、理論的にも実践的にもその問題点の明確な整理と広く深い検討が求められるといわざるを得ない。
〇ところで、筆者(阪野)はこれまで、「市民福祉教育」や福祉教育でいう「協同実践」などとの関わりで、「共働」「共働活動」という用語を使ってきた。次のような一文がそれである。いささか長きにわたるが、再掲する。

福祉教育でいう協同実践は、これまで、ややもすると形式的で活動至上主義に陥り、そこでの人間関係はとりわけ地域における福祉教育実践においては権威主義的な上下関係(「ピラミッド型」)になりがちであったといってよい。またそれは、実践の基盤になる共通の土俵づくりがないまま、あるいは不十分なまま、実際には既存のそれぞれの土俵でのひとり相撲に終わってしまい、理念だけが空転しているようでもある。共働活動は、メンバー間の対等で平等な人間関係と、市民としての個々のメンバーの主体的・自律的な参加に基づく一体的・組織的かつ柔軟な活動を展開するための相互作用を強調するところに協同実践との違いがある(『市民福祉教育の探究』みらい、2009年、80~81ページ)。

「参加と協働」は響きのよい言葉である。しかし、そこには、いくつかの問題点や限界が見いだされる。たとえば、参加が提唱される一方で、住民の責任や責務が強調されている。住民の政策形成過程への参加の重要性が指摘されながら、現実的には行政サービスの担い手としての参加に偏っている。また、協働は、相変わらず行政主導・行政優位のそれにとどまっている(『市民福祉教育をめぐる断章』大学図書出版、2011年、3ページ)。

市民と行政が「パートナーシップ」以上の高いレベルの市民参加を実現するためには、市民にも行政にも、対等な立場で、実質的・実効的な「参加と協働」をいかに展開するかが問われることになる。その際にまず求められるのは、行政においては「お上」意識の変革や行政組織の改革である。市民においては、能動的で理性的・自律的な生活主体や権利主体、自治主体として、個人的責任だけでなく社会的責任を負うべき存在として自らを形成することである。ここに、教育的営為や学習活動的要素が必要とされ、「市民福祉教育」が存立する(『同上書』、4~5ページ)。

シティズンシップ教育は、国家や社会にとって都合のよい、無批判・無抵抗の体制依存的市民を育成するものではない。それは、市民「参加」という名の「動員」や、行政の「下請け」化、「補完」化を促すものではない。また、官製的なボランティア・市民活動の振興、いわんや奉仕活動の義務化の推進を図るものではない。それは、市民一人ひとりが個人としての権利と義務を行使し、主体的・自律的な個人が自分の意思決定に基づいて社会的・政治的・経済的分野で能動的・積極的に行動する、時には多数派の決定に対する市民的不服従や良心的拒否を許容する成熟した市民社会の形成を志向する教育である。そのために必要となる能力が意識、知識、スキルである。
こうしたシティズンシップ教育、すなわち市民的資質・能力の育成は、福祉文化の創造や福祉のまちづくりの主体形成を図る市民福祉教育とかさなり合い、参考にすべき点が多い。シティズンシップ教育の一環としての市民福祉教育の展開のあり方や方向性について追究する必要がある。それは、福祉教育の実践と研究にとって喫緊の課題である(『同上書』48~49ページ)。

今日、国や地方自治体の行政改革と財政再建が焦眉の課題とされるなかで、「新しい公共」の創出や「新たな支え合い」の強化が叫ばれ、住民(市民)やボランティア、NPO、地域組織・団体などと行政の「協働」が推進されている。しかし、その取り組みの多くは、自治体主導・自治体優位の、「上から」の「新しい公共」であるといわざるを得ない。真に求められるのは、主体的・能動的・自律的な住民による住民主導・住民優位の、「下から」の「新しい公共」である。それは、「新しい公共」の創出にとって、新しい「私」の育成(住民の主体形成)が大きな課題となることを意味する(『同上書』84ページ)。

筆者はこれまで、協同実践(注①)に替わる用語として「共働活動」(coaction)を使ってきた。それは、グループのメンバーによって共有化された目標のもとで、各メンバーが主体的・自律的に参加して行う協同(共同)活動を意味する。その本質は、メンバー間の対等で平等な人間関係と、一体的・組織的かつ柔軟な活動を展開するための相互依存・補完・協力の相互作用にある。要するに、共働活動とは、多様な個人や集団が共生関係を形成し、多面的な相互作用によって社会的統合や融合を達成していく過程で展開される協同(共同)活動をいう。
市民福祉教育においては、こうした共働活動(体験学習)が重視される。そこでは、目標達成のためのアセスメント能力やプランニング能力、コーディネート能力、メンバーシップやリーダーシップ、それに共感的・共生的な生活理解・支援能力などの諸能力の育成と、その過程での「平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治」などの価値観の形成が重要な課題となるのである(『同上書』68ページ)。

〇以上の叙述から、「まちづくりと市民福祉教育」における「共働」に関する概念図を作成すれば、以下のようになろうか。

「まちづくりと市民福祉教育」における「共働」―社協を中心に―

【初出】
<ディスカッションルーム>(18)阪野 貢/福祉によるまちづくり、協働と共働、市民福祉教育/2013年8月25日/本文
<ディスカッションルーム>(20)阪野 貢/協働と共働/2013年9月16日/本文

注 ➀
福祉教育における「協同実践」とは、複数の人間(住民、市民)が地域の社会福祉問題について共有化・共通認識し、それぞれの立場の違いを大切にしながら、問題解決に向けての、双方向的な「学び合う関係性」「学びの関係づくり」を大切にした実践方法をいう(原田正樹)。しかし、協同実践の構造や性質をはじめ協同実践が生みだす効果やそれを成功させるための方法や条件などについては、これまで必ずしも理論的かつ具体的に言及・議論されてきたとはいえない。協同実践の方法やその研究をめぐっては、たとえば次のような疑問や課題が残る。それは、「共働実践」のあり方を問うものでもある。

(1)協同実践の展開によってグループのメンバー間により親密な人間関係が形成され、 より高いレベルの積極的・主体的な活動が新たに生みだされたことをもって協同実践に特有の効果とみなすのか。
(2)協同実践ではグループの大きさやメンバーの多様性はどの程度が効果的なのか。
(3)協同実践の効果は一時的なグループにおいては現れにくいであろうが、効果を生むためのグループの継続性や凝集性についてはどう考えるか。
(4)協同実践にはさまざまな協同のレベル(同調、協調など)が存在するであろうが、それぞれのレベルに対応した相互活動はどうあるべきか。
(5)協同実践では個々のメンバーが強い主体性をもつことを認めないのか。あるいはどの範囲や程度までメンバー個々人の主体的活動を認めるのか。
(6)協同実践の展開過程におけるメンバー間の相互作用のダイナ ミックスについてどう考えるか。
(7)協同実践において生起するであろう離合集散についてどう考え、対応するか。
(8)協同実践に必要な専門的技能(対人技能、集団技能など)とは何か。メンバーはその技能をどのように習得するか。
(9)協同実践には複数の人間がかかわり、またそれゆえに意見の調整などに多くの時間と労力を要する傾向にあることを考えると、必ずしも単独実践に比べて協同実践が効果的な実践方法であるとはいいきれない。問題の種類や内容によっては単独実践の方が効果的な場合もある。この点についてはどう考えるか。
(10)協同実践であっても、実践そのものは基本的には一人ひとりの人間のなかで営まれる。そこから、協同実践のあり方について検討する際には、一人ひとりの実践(個別性)といろいろな人たちとの実践(協同性、共同性)、そしていろいろな内容や方法の実践(多様性)という視点が必要かつ重要となる。実践の協同(共同)性を強調するあまり、その個別性とそれに基づく多様性を軽視することがあってはならない。この点についてはどう考えるか。

【初出】
<まちづくりと市民福祉教育>(12)阪野 貢 /「協同実践」と市民福祉教育/2012年10月30日/本文

阪野 貢/新訂「「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―その文化的・芸術的視点からのアプローチに関する研究メモ―

新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
―その文化的・芸術的視点からのアプローチに関する研究メモ―

阪野 貢/市民福祉教育研究所

 

はじめに
01 「時間」と「空間」の座標  ― 内藤廣(建築家)から学ぶ  ―
02 「塑する」ことと「繋ぐ」こと  ―佐藤卓(グラフィックデザイナー)から学ぶ  ―
03 「福祉文化」活動を通した「ゆるやかな絆」 ―今中博之(ソーシャルデザイナー)から学ぶ  ―
04 「1984年」と「個性」と「多様性」 ―ジョージ・オーウェルと村田紗耶香(小説家)から学ぶ  ―
05 「社会」と「自分」を「考える」―池田晶子(哲学者、文筆家)から学ぶ―
06 「教養」と「教育」―教養人(安部謹也・ほか)から学ぶ―
07 「福祉」はアートであり、デザインである  ―東京藝大と東大における体験型授業から学ぶ  ―
08 共同体の狂気の「負の歴史」―映画「福田村事件」から学ぶ―
むすびにかえて

 


はじめに


〇「文化」とは、人間らしい生活のあり方をいう。文化とは、日常生活のなかにあって、生活を豊かにするものである。また、生活それ自体が文化であり、文化でなければならない。
〇そもそも、文化という言葉は包括的で多義的な概念である。また、その言葉には、主観的・理念的要素が入りやすい。同様に、「福祉文化」という言葉も抽象的であり、多義的である。それゆえ、安易に使うことにもなりかねない。
〇福祉文化とは何か。1989年7月に創設された福祉文化学会(現・日本福祉文化学会)の初代会長であった一番ヶ瀬康子は、福祉文化を「福祉の文化化」と「文化の福祉化」が統合化された概念として捉える(一番ヶ瀬康子編著『福祉を拓き、文化をつくる』中央法規出版、1991年5月)「」。一番ヶ瀬は、「福祉の文化化」についていう。社会福祉は本来、人間としての幸せを求めての日常生活での努力を意味する。とすれば、社会福祉は当然、
文化的な生活をめざさなければ意味がない。また、社会福祉の究極の目的は、自己実現や自己超越への援助であり、そのあり方を追求していくことにある。その視点に立てば、文化を含み得ない社会福祉はあり得ない、と。また、「文化の福祉化」についてこう説明する。真の文化は、人びとの暮らしのなかから生れる。本来の文化が生み出されるためには、一部の条件に恵まれた人だけの努力では限界がある。高齢者や障がい者をはじめすべての人が、草の根からの文化創造をめざして、日々の生活が営まれてこそ、文化の基盤はより広く、深まり、高まる、と。
〇そこでまず、一番ヶ瀬のいう「福祉の文化化」に関していえば、それは、社会福祉それ自体をいかに質・量ともに豊かな、文化的なものにしていくか、文化の香りのするグレードの高いものにしていくかということを意味する。そこから、福祉文化とは、日常生活の量的充実と質的充実・向上を図り、人びとの健康で快適な生活や情感の安定を保証する「生活の質としての文化」であるといえる。さらにはまた、人びとの日常生活に心の潤いと安らぎ、豊かさなどをもたらす文化であるともいえようか。そういう福祉文化の創造には、人に対する優しさや思いやり、人と人との第一次的・直接的な触れあいや支えあいが必要かつ重要となる。その点において、福祉文化とは、「優しさの文化」「思いやりの文化」であり、「触れあいの文化」「支えあいの文化」であるともいえよう。なお、福祉の文化化は、内容的には、福祉行政の文化化や行政の福祉文化化などを求めことになる。
〇次に、「文化の福祉化」に関していえば、まず文化は、人びとの日常的な生活行為のなかに現れ、創られるものである。そこから、高齢者や障がい者などの福祉サービス利用者を含め、すべての人が生活主体として、文化の創造主体であり活動主体であるといえる。しかし、例えば芸術文化についていえば、こんにちにおいてもまだ、芸術家や文化人などと呼ばれる一定の条件に恵まれた一部の人だけのものであるとか、特定の人が美術館や音楽ホールなどの特定の場所や機会にふれるものであるという認識が強い。とりわけ福祉サービス利用者にとっては、芸術文化は無縁の存在となっている。こういった文化状況の偏りを是正し、すべての人びとに対して、とりわけ文化的貧困のもとに置かれてきた福祉サービス利用者やその家族などに対し、文化を享受する機会の確保・拡充や文化活動への参加の機運の醸成などを図ることが求められる。
〇いずれにしろ、福祉文化については、いまだ抽象的な理念が提唱されているにすぎない。今後、福祉文化創造に向けての積極的な取り組みが求められるが、福祉文化が実質を伴わない単なるスローガンやイメージアップのためのものに終るとすれば、真に豊かな生活は実現しない。福祉文化という言葉を、実質を伴わない空念仏や一時の流行語に終らせるべきではない。

初出】
阪野 貢「福祉文化のまちづくりと福祉教育」『福祉文化研究』Vol. 2、福祉文化学会、1993年3月、18~20ページ。

〇本稿は、「文化と芸術」「アートとデザイン」「自己表現と問題解決」などの視点から「まちづくりと市民福祉教育」に関して草してきた拙稿(論点や言説についてのメモ)の一部を集成したものである。

 


01 「時間」と「空間」の座標  ― 内藤廣(建築家)から学ぶ  ―


<文献>
(1)内藤廣『建築のちから』王国社、2009年7月、以下[1]。
(2)内藤廣『場のちから』王国社、2016年7月、以下[2]]。
(3)内藤廣『空間のちから』王国社、2021年1月、以下[3]。

〇「文章を書く建築家」と評される内藤廣が上梓した3部作の本には、その時々の信条や心象を言葉にした、哲学的で、専門的知識に裏打ちされた玉稿が収められている。内藤は[1]で「建築の本懐(本意)は、その誕生にあるのではなく、その後、時代と共に生きていく時間の中にこそある」(18~19ページ)。「大衆が心から望むものと建築家が実現しようとするもの、そのベクトルが一致する時、建築は街を変え、人びとを変えていく力となる」(20ページ)、と説く。[2]で「建築の依って立つところ、それは大地だ。大地とその場所に生きる人間だ」(12ページ)。いま、建築という価値が大きく毀損(きそん)され、本質的な意味で「建築の冬の時代」(12ページ)が到来しつつある。そんななかで必要とされるのは、「場所の持っている内在的な力、人を生かしめる内発的な力」(20ページ)である「場のちから」であり、それを全身で受け止めるような体験である(12ページ)、という。[3]で「空間の本性は、『和解の場』のことなのかもしれない」。「建築や環境が内包する空間とは、(「人と自然」、「生と死」、「過去と未来」、「復興と街造り」など)全てのものが流れ込み、もつれあい、そしてその和解を用意する場のことなのではないか」(34ページ)、と問う。そして、建物の空間や街の空間を豊かなものにするのは、可能な限り「時間が生まれ育っていくような空間」をつくることだけである(236ページ)、と言い切る。
〇3冊の本に通底する基本的な言説のひとつは、次のようなものである。すなわち、「建築」(architecture)は「人間」の「身の置き所」([3]206ページ)を「構築する意志」であり、「建物」(building)はそのための道具、具体的なモノである([3]232~233ページ)。大切なのは(守るべきは)、「空間」と「時間」によって織りなされている「建築」という名の意志である。本来の建築の価値は、「人の生きる長さを越えて何事かを伝える」([3]5ページ)ところにあり、メッセージを伝えることによって建築は生命を与えられる。その際の(本当の)価値は、「生み出すものではなく、生まれてくるものであり、なおかつきわめて個人的なもの」([3]89ページ)である。
〇そして、内藤にあっては、建築について自分の思考を磨き、建物が生み出された内実について(技術や経済や制度の側から)説明するためには、言葉の助けが必要となる。「文章を書く」ひとつの所以でもある。内藤はいう。「建物を建てる際の現実的な体験は、建築に対する思い込みに修正を迫る。現実と思考、そのやりとりの試行錯誤が言葉になり文章になる」。「建築と文章とは切っても切れない関係にある」([1]82ページ)。
〇ここでは、[1][2][3]における論点や言説から、「まちづくりと市民福祉教育」に関して「使える」であろう・留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。1

[1]『建築のちから』
「建築の力」は空間や時間と人びととの開放的な共感のなかに現れる
われわれは、建物の完成にこだわり、品質にこだわり、意図したものができ上がる作品性に神経質になり、その結果、いちばん大切なことを見失ってはいまいか。社会制度の命ずるところ、資本主義経済が望むところ、そうしたものに対する律儀さが建物の質に無意識のうちに現れているのなら、人びとは建物から距離を置くだろう。なぜなら、建物が社会や資本に顔を向けて、人びとに背を向けているからだ。
「建築の力」(建築のなかに生まれてくる価値:筆者)はそういうところには現れない。「建築の力」は人びととの共感の中に現れる。それは、発注者、建設関係者、設計者、住民、不特定多数の人びと、よりよい社会を目指すそうした人たちの運動体、そうしたものの中で初めて兆(きざ)すはずだ。そのためには建築という価値は「完結的」であってはならない。開かれていなければならない。空間的に開かれている、あるいは時間的に開かれている必要がある。いちばん望ましいのは「空間にも時間にも開かれている」ということだ。そう誰もが感じられるような状況となった時、「建築の力」は熱湯がいきなり泡立つように内側から湧き上がってくる。([1]19ページ)

建築には空間に身を置き時間のなかに生きる人間に対する洞察が不可欠である
おそらく建築の中には、「わかりやすい価値」と「わかりにくい価値」が存在する。「わかりやすい価値」はわかりやすいのだから容易に広まる。([1]233ページ)
一方、「わかりにくい価値」は伝わりにくいから、いくら声を大にしてもなかなか広まらない。建築に時代を超えていく本質的な生命力というようなものが存在するとしたら、それはこの中にしかない。多くの場合、「わかりにくい価値」は空間の中にある。空気の肌触り、陰影の深さ、音、匂い、そうした目に見えない空間の質に価値の重点が置かれた場合、そこに表現されたもの、建築家が精魂込めて託したもの、それはきわめて高度でわかりにくいものになる。その空間に身を置き、時を過ごし、体験しなければわからない。メディアも写真家もこうした価値には不親切であり続けた。
しかし、このあり方は、誰にでも開かれているわけではない。これを現実のものとするには、才能が要る。たくさんの要素を同時に想像し、それを空間の中に結び合わせなければならないからだ。経験と直観が必要なことはいうまでもないが、それが一級のものになる
ためには、何より、その空間に身を置く人間というものにたいする深い洞察が不可欠で、
それだけのものを身につけた建築家はめったにいない。([1]233~234ページ)

[2]『場のちから』
建築は空間の「湿り気」・人の感情の総体と向き合わなければならない
モダニティ(近代性、近代的なもの:筆者)は、わたしたちの身の回りを覆い尽くしつつある。それは、世界的な経済構造や社会構造と連動して、いまだに生活の隅々にまで浸潤し続けている。便利さ、明るさ、速さ、安さ、そしてなによりわかりやすさ、この力には抵抗し難いものがある。しかし、人という存在は、それだけでは遥(はる)かに足りない。人の感情を受け止め、人が尊厳を保持しうる空間とは、そんなものに支配された空間ではないはずだ。
モダニティがもたらす空間は何故か乾いている。現代建築も乾いている。雑誌で目にする様々な作品には、明らかに「湿り気」が欠落している。([2]123~124ページ)
空間に「湿り気」を求めたい。ここで言う「湿り気」とは、感情の襞(ひだ)や心の陰影を受け止める空間の質のことだ。([2]124ページ)
建築という価値も、本来はそうした人の感情に生起する様々な質に内包すべきである。そのためには設計は、喜び、夢、希望、愛着、悲しみ、打算、矛盾、裏切り、葛藤、追憶、といった人の感情の総体と向き合わねばならないだろう。この態度は設計者に多大の忍耐を強いるが、結果として、出来上がる空間に「湿り気」をもたらすはずだ。この困難さに耐えることは、それ自体が「建築に感情を取り戻すための戦い」なのだ。([2]124ページ)

都市計画は終わりも完成もない物語(物語ること)のプロセスである
誰であれ志のある都市計画家を思うとき、その職業の難しさと悲しさを思わずにはいられない。彼らは100年を夢想し、理想を思い描き、今日の日常的な無理難題を扱う。それでいて、都市の時間に終わりのないこともよく知っている。華々しくテープを切るようなゴールなどない。すなわち、すべてはプロセスであって、目の前の現実は過ぎ去る一側面でしかない。そのことを誰よりも熟知している。また同時に、自らが夢想する未来もまた過ぎ去る一側面でしかないことも知っている。人間のそして人間社会の性(さが)を嫌というほど見ながら、それでも社会の改良を諦めない。都市計画家とはそういう存在なのだ。難しさと悲しさが浮かぶのはそれ故だ。([2]183ページ)
終わりのない都市の物語は、たとえそれがプロセスであったにせよ、そして、それがたとえ見果てぬ夢であったとしても、空間デザインを旋律(メロディー)に、そして社会システムを通奏低音に、より美しい韻律(リズム)を奏でることが出来るはずだ。ソフトウェアとはその韻律のこと。その韻律にこそ人間社会の希望がある。([2]186ページ)

[3]『空間のちから』
建築は「つまらなくて価値のあるもの」「生き生きと生きる」を価値の中心に据える
建築が本来担わなければならない長い時間からすれば、「面白さ」は初期に求められる付加的な要素に過ぎない。([3]83~84ページ)
建築に「面白さ」を求めることは危険だ。一発芸と同じで、「面白さ」は一時もてはやされるが、すぐに「時代遅れ」になる。「面白さ」があったにしても、それはやはり建築の原理原則に適ったものでなくてはならないはずだ。しかし、それはそうたやすく手に入る類のものではない。昨日目新しく話題になった建物が、見る間に日常風景の中に飲み込まれ、忘れ去られていく様をいくつも見てきた。だから、「面白さ」を建築という価値の中心に据えていいはずがない。
世の中の公共建築を見渡してみると、「面白くて価値のないもの」ばかりが目立つようになってきている。そこで、逆説的なようだが、あえて「面白さ」を捨てて、「価値のあるもの」を目指してはどうか、また、多くの人が「生きること」、「生き生きと生きること」を価値の中心に据えてはどうか。
「面白さ」はわかりやすく、それ故伝わりやすいから流布しやすく、それ故に容易に消費されていく。とかく人の心は飽きやすい。それに対して、建築的体験の中に留まるような「わかりにくさ」は言葉になりにくい。それ故、伝わりにくい。この矛盾を乗り越える必要がある。([3]84~85ページ)

〇ここで、評論家・加藤周一(1919年~2008年)の『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007年3月。以下[4])を思い出す。確認しておきたい。加藤はいう。日本文化のなかには3つの異なる「時間」が共存している。①(『古事記』にみられる時間のような)始めなく終りない直線=歴史的時間、②(四季を中心とした)始めなく終りない円周上の循環=日常的時間、③(人生の)始めがあり終りがある普遍的時間、である。そして3つの時間のどれもが、「今」に生きることを強調する([4]28~36ページ)。日本における(閉鎖的な)「空間」の特徴は3つある。①(神社の建築的空間がそうであるように)空間の秘密性と聖性が増大する(人に見せず、大事にする)「オク」(奥)の概念、②(神社には塔がないように)建築は平屋または二階建てで、地表に沿って広がり、天に向かって伸びていくことはない「水平」面の強調、③(武家屋敷や都会の地下的のように)時とともに変わる必要に応じて家屋などを増やしていく「建増し」思想、である([4]164~174ページ)。これらによって「私の居る場所」、すなわち「ここ」を重視する。要するに、日本文化に内在する時間と空間の概念は、自分がいる「今=ここ」に集約され・強調される。それは「全体から部分へ」ではなく、「部分から全体へ」という思考過程をたどるものであり、日本文化の基本的な特徴(「今=ここ」の文化)である。その時間における典型的な表象・表現が現在主義であり、空間におけるそれが共同体集団主義である([4]233~238ページ)。
〇このような加藤の言説に対して内藤は、[2]において次のように要約して持論を展開する(抜き書きと要約。見出しは筆者)。留意しておきたい。

建築の本質は「今・ここ」を確かなものにするために「待つ」ことにある
加藤周一の「今・ここ」論を要約すると、「今・ここ」という時空の中の一点から世界の認識を広げていくという癖のようなものが(日本)文化の基層に根強くあるのではないか、という提示だ。西欧の時間と空間とは、個人という存在の外部に普遍的な尺度を設定し、自分と世界を定位しようとするが、この国の文化はそれとは違って、「今・ここ」という内部化された座標のもとに育まれてきたのだが、これがかつて戦争へと向かう精神を生み出した、というのである。([2]112~113ページ)
建築や都市に課せられた大きなテーマは、「今・ここ」の確かさではなかったか。しかし、情報化社会の出現と共にこれが急速に希薄になりつつある。今問題にすべきは、失われつつある「今・ここ」が生命を持つためにはどのようにすれば良いのかということだ。つまり、現在を起点に、時間と空間の幅を広く捉えること、それが建築や都市に課せられた大きなテーマなのではないか。([2]113ページ)
近年、建築が育んできた文化は、あまりにも一足飛びに未来を志向しすぎてはいまいか。そこには、その未来に至る持続的な時間が消去されている。どこかの時点で、建築は「待つ」ことを辞めたのである。([2]114ページ)
「待つ」という行為を通して、人は広がりのある「今・ここ」を引き出すことが出来る。([2]113ページ)
「待つ」ためには、未来を想起し、そこから現在を逆照射する逆立ちしたような意識が必要だ。「待つ」ことは建築にふたたび持続的な時間概念を導き入れることである。おそらく、「待つ」ことを想起することは、建築に新たな質をもたらすはずだ。([2]115ページ)

【初出】
<雑感1>(138)阪野 貢/「時間」と「空間」の座標・尺度で「生きる」ということについて考えるために―建築家・内藤廣の「ちから」3部作に学ぶ―/2021年6月21日/本文

 


02 「塑する」ことと「繋ぐ」こと  ―佐藤卓(グラフィックデザイナー)から学ぶ  ―


<文献>
(1)佐藤卓『塑する思考』新潮社、2017年7月、以下[1]。

デザインの本質は、物や事をカッコよく飾る付加価値ではありません。あらゆる物や事の真の価値を、あらゆる人間の暮しへと繋ぐ「水のような」ものなのです。(「帯」)

〇日本を代表するグラフィックデザイナーの一人である佐藤卓が書いた[1]は、デザインのノウハウ本ではない。佐藤がデザインに関する「仕事」を高く積み上げ、それを深く掘り下げることによって体得した「思考」について論じたものである。その際の重要なキーワードは「塑(そ)する」である。また、注目したいキーワードに「繋(つな)ぐ」がある。「1」はつまりは、人間の「生き方」すなわち「哲学」の書である(筆者にとって「塑する」とは馴染みのない言葉である。連想するのは「粘土・彫塑」「木材・彫刻」といった程度である)。
〇佐藤は[1]でいう。「人の営みの中で、デザインが一切関わっていない物(モノ)や事(コト)など一つもない。政治、経済から医療、福祉、衣食住、教育、科学、技術、エネルギー、社会活動、等々まで、どんな分野のどんな物事にも、すでにデザインがある」(74ページ)。「人がなし得る全ての企てには、計画的であるか否かにかかわらず、必ずデザインが及んでいる」(75ページ)。「デザインは全ての人間の営為を成り立たせるために必要なもの」(77ページ)である。
〇ここでは、佐藤のこのような視点を首肯したうえで、留意したい言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「人の営み」とデザイン
デザインは日常ありとあらゆるところに隠れている。意識化されるデザインなど、そのごく一部にすぎず、ほとんどのデザインに対して我々は無意識である。(8~9ページ)
どんな技術にせよ情報にせよ、人に届けるためには何かしらのデザインを必ず経なければならない。これは、それぞれの人の思想や好き嫌いの問題ではなく、人が人として生きていく上でどうしても避けられない事実である。(9ページ)

「弾性」と「塑性」
「柔(じゅう)よく剛(ごう)を制(せい)す」という言葉がある。しなやかな柔軟さが一見強そうな堅さを結果的には負(ま)かしてしまうものだ、を意味する。この「柔」という言葉は、さらに「弾性(だんせい)」と「塑性(そせい)」の二つの性質に分けられる。(47ページ)
弾性とは、例えば釣り竿のように、外部から力が加わって形を変えても、その力がなくなれば元の形に戻ろうとする性質である。塑性とは、例えば粘土のように、外部からの力で凹(へこ)むと、そのままの形を保つ性質である。それは、加わった力次第でそのつど形状を変化させる。(47ページ)

「自分らしさ」と「ありのまま」
人生訓上の「柔」は、これまでは「弾性」をイメージして語られてきた。いかなることに当っても自分を見失うな、常に自分の形を忘れず、自分に戻れ、といった具合にである。(48ページ)
これに対して「塑性」は、自分の形などどうでもよく、そのつど変化してもかまわないのだ、となる。しかし、そもそも自分とは何か、自己意識はどこから来て、なぜ自分は今ここに存在するのか。人生のそんな基本についてまるで分かっていない自分に、どんな形があるものなのか。自分を分かっていない自分が、自分の形をどう決めるというのか。何を考えているにしても、すでに考えている自分が存在するのだから、「自分らしさ」を気にかける必要はなく、そのつど与えられた環境で適切に対応している自分のままがいいのではないか。(48~49ページ)
自分のままであるかどうか(自分を強く意識していないかどうか)を自覚するためには、折あるごとに自分を疑ってみなければならない。何かよい案を思いついても、その直後に、これは第三者にもちゃんと伝わるのだろうか、と自分を疑ってみる。(51ページ)

「やるべきこと」と「やりたいこと」
塑性的であるとは、社会の流れにただ身を委(ゆだ)ねることでも、無闇(むやみ)に付和雷同することでも、ましてや世の中に媚(こ)びて流行を追うことでもなく、置かれた状況を極力客観的に受け止め、適切に対応できる状態に自分をしておくことである。それは、世の中に流されない冷静な判断の下、自分が今なるべきものになる、「やるべきこと」をやる姿勢である。塑性的であれば、やるべきことが、まさに「やりたいこと」になる、と言い換えてもいい。(60ページ)

「表現」と「個性」
デザインの仕事では、とかく個性的な表現を求められる傾向がある。そこで、自分らしさとは何かと考えざるを得なくなる。(49ページ)
本来、個性は誰にでもあって、個性のない人など、この世に存在しない。表現以前の思考の段階がすでに充分個性的なので、個性は、それと意識していない状態のほうがむしろ出やすいのではないか。(54ページ)
なすべきこと(「やるべきこと」)についてできるだけ客観的に思考し、見極めるところに、その人ならではの個性が出る。一般には、目に見える表現に個性があるとされがちであるが、それは違う。表現以前のその人その人の思考、ひいては生き方や思想に個性は確実に潜んでいる。(54ページ)

「発想」と「繋ぐ」
未知の事象が突如現れたかのように、「無」から何かを発想するなど、絶対にあり得ない。必ず「それ以前」が存在する。つまり発想とは、ある目的のために今まで繋がっていなかった事物同士を繋げる試みであり、自分が「無」から純粋に生み出すのではけっしてない。すでにあるのに気がつかずにいた関係を発見して繋ぐ営為が、発想である。(55ページ)

「仕事」と「塑性」
全ての仕事は「これから」のためにある。将来のために、今、何をしておくべきかを考え、事を為すことである。(168ページ)
あらゆる仕事という仕事の基本は、「間に入って繋ぐこと」である。(57ページ)
何かと何かの間に入って両者を繋ごうとすると、当然、繋ぎ方はそのつど異なる。臨機応変な繋ぎ方を可能にするため、一定の形を持たずにおく、それこそが塑性による「柔」の姿勢である。自分の形を持っていると、帰巣本能のようにそこに帰っておけば安心であり、その形が自分が社会的に認知される効力にもなる。(58ページ)
しかしながら、一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭めるのだと知っておくべきである。(58ページ)

「感性」と「仕事」
デザインは「感性の仕事だ」と言われる。それは、感性は特別な人にしか備わっていないといったニュアンスさえ感じられる。(62ページ)
そもそも感性とは何なのか。それが外部からの刺激、あるいは情報を感受する能力だとするなら、周囲の環境から何らかを感じ取る力に差はあれど、感性がまったくない人などいるわけがない。(62ページ)
誰にでもふつうに備わっている感性をさらに活かす能力、すなわち感じ取った内容を世の中に役立つなにものかに変換していく能力を技術として身につけているのがデザイナーの本分である。(64ページ)
感性が必要ない仕事などあり得ないのだし、感性を持たない人などいない。感性を活かすための技術が、それぞれの仕事でそれぞれに必要なのである。その技術とは、聞き・話し・見せるコミュニケーション能力であり、発想する能力であり、具体的な形にする能力である。(65ページ)

「ほどよい関係」とデザイン
昔から普段よく言われてきた「ほどほど」や「いい塩梅(あんばい)」などの言葉が、実は日本人が忘れてはならない大切な感性をしかと伝えている。(115ページ)
度が過ぎない、ほどのよいところを見極める(「ほどほどを極める」114ページ)、そこにこそ、デザインを考える、ひいては人の営為を考える上での大切なヒントがある。(258ページ)
秩序と無秩序、国と国民、伝統と現代、人と人、人と物事‥‥‥。それらのほどよい関係を見つけるためにこそ、人の営みにはデザインがあり続けるのである。(259ページ)

〇以上から、冒頭に記した[1]「帯」の一節に注釈を加えるとすれば、次のようになろうか。すなわち、デザインの本質は、物や事をカッコよく飾るために外から価値を付け足すこと(「付加価値」)ではない。あらゆる物や事がもともと持っている真の価値を見出し、その価値をあらゆる人間の暮しへと繋ぐ、われわれが生きる上でなくてはならない(「水のような」)ものである。デザインの本質は自己表現ではなく、何かと何かを「繋ぐ」ことである。デザイナーの仕事は、あらゆる物事を社会や不特定多数の人の間に入って、ほどよく繋ぐことであり、装飾を施す(デザインする)ことが目的ではない。
〇ここで、山崎亮の「コミュニティデザイン」(community design)の言説を思い出す。確認しておきたい。山崎によると、コミュニティデザインとは、地域コミュニティの課題をその地域の人たちが自ら解決できるよう、「場」や「しくみ」をデザインすることである。コミュニティデザイナーの仕事は、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわちコミュニティデザインを進めるために、人と人を結びつけ、なさすぎでも、ありすぎでもない「いいあんばいのつながり」(山崎亮『コミュニティデザインの時代』中央公論新社、2012年9月、10~11ページ)をデザインすることである。佐藤の言説と通底するところである。
〇改めて佐藤は、「(政治・経済や医療・福祉、科学・芸術など全ての)人の営みの中でデザインと関わりのない物事は何ひとつないのだとすれば、必然的にデザイン教育へと意識が向かう」(216ページ)。「デザインは、我々を取り巻く地球環境を人の営みと共に気づかい(気づいて思いやる)考えることでもある」(220ページ)、という。そこで、デザインマインドを育む「デザイン」の授業を、「英語の早期導入や道徳の成績評価化の前に、むしろ国語・算数・理科・社会・体育・デザイン」として一日も早く、小学校低学年から始めてはどうか、と提案する(220ページ)。
〇また、山崎もいう。「これからの地域福祉に必要な知恵を、『わたしたち』は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。その生き方(Life)こそが、21世紀を生きていく『わたしたち』にとって最高の財産(Wealth)になるであろう」(山崎亮『縮充する日本』PHP研究所、2016年11月、355ページ)。
佐藤と山崎のこの言説については、「まちづくりと市民福祉教育」について思考する筆者にとって、同感(首肯)するところである。
〇佐藤にあっては、「ある課題を深く掘り下げて行くために、場合によっては一定の枠(=形)をあらかじめ決めて(=持って)おく必要があることまで否定するつもりはない」(61ページ)。そう言いながらも、弾性的に自分の形あるいはスタイルを持つことには否定的である。「一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭める」、と佐藤はいう。
〇この点を「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に引き寄せて言えば、その実践・研究をめぐる状況や課題は、歴史的・社会的に形成され変質する。その点を認識したうえで、「まちづくりと市民福祉教育」の科学的・体系的で学際的な深化・発展を期するためには、独自(固有)の分析視点・視角や枠組み、アプローチの仕方や分析方法、言語体系や論述方法などを設定・構築することが必要かつ重要となる。とは言え、すべての実践家(学術的実践家)や研究者(実践的研究者)が同一の実践・研究方法による必要はない。根源的な価値観や共通する科学的な知識・考え方を踏まえたうえで、異なった実践・研究方法を採ることによって新たな可能性や展望を切り拓くことができる。それぞれの形あるいはスタイルを持つ実践・研究の成果を、「共働」の視点に立って、如何に融合化・統合化するかが重要となる。それによってはじめて、「まちづくりと市民福祉教育」の総体としての推進が図られることになる。

【初出】
<雑感>(54)阪野 貢/生き方をデザインする:「塑(そ)する」ことと「繋(つな)ぐ」こと―佐藤卓著『塑する思考』読後メモ―/2017年10月27日/本文

 


03 「福祉文化」活動を通した「ゆるやかな絆」 ―今中博之(ソーシャルデザイナー)から学ぶ  ―


<文献>
(1)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月、以下[1]。
(2)アトリエ インカーブ編『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』ビブリオ インカーブ、2019年9月、以下[2]。
(3)今中博之『社会を希望で満たす働きかた―ソーシャルデザインという仕事―』朝日新聞出版、2018年10月、以下[3]。

〇[1]は、今中博之(社会福祉法人素王会理事長、アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター)と村木厚子(元厚生労働事務次官)の対談本である。「自力と他力」「内閉と開放」「市場と制度」などの二項対立的なキーワードを通して、「福祉は何故、低くみられるのか」「福祉をかっこいい業界にするにはどうすべきか」を語り合う(「帯」)。[2]は、今中と松井彰彦(東京大学大学院教授)の講演と対談を中心に編んだものである。そこでは、「共感を求めすぎないこと」「閉じながら “ときどき” 開くこと」の重要性を説きながら、「市場×福祉」について論じ合う。[3]は、「あなたの『怒り』は何ですか」というフレーズで始まる。今中の怒りは、障がい者などの社会的に弱い立場に置かれている人、すなわち「ふつうではないとみなされる人」をさらに痛めつける人や社会のシステムに向けられる。
〇[1]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

文化の市場性と福祉文化
私は、社会福祉学者の一番ヶ瀬康子氏がいう「福祉の文化化と文化の福祉化」を実践する母体としてアトリエ インカーブ(デザイン事務所)を位置づけています。彼女はそれを「福祉文化」という概念で表現しました。生活の質が問われて久しい昨今、「社会福祉の究極の目的が、自己実現への援助であり、その在り方を追求していくことであるという視点にたつならば、文化をふくみ得ない社会福祉はあり得ないといっても過言ではない」と主張します。私も同感です。ただ、文化の「市場性」については、これまであまり議論が進んでこなかった。今後の課題は、市場性を意識した福祉文化をつくっていくことです。(20ページ)

越せない溝と「かっこいい福祉」
私にとって「かっこいい」とは、クールやスマートではなく、わかりあえないと認めることだったように思います。認めるためには、たくさんの時間が必要です。私の優しさとあなたの優しさは違うってことや、私の怒りとあなたの怒りも違うってこと。共感ができなくても理解できるまで話す、聞く。ながい時間のなかでわかりあえないことがわかるようになってきます。そうして紡がれた幸せを「かっこいい福祉」、その企てを「かっこいい社会福祉」というのだと思います。(197~198ページ)

〇[2]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

障がい者の芸術文化活動と「市場の力」
好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい。選択肢の多い市場では「差別をしない取引」が可能です。つまり、市場の中には社会的に弱い人だから差別をするという行動規範は薄いのです。ゆえに、しがらみも少ない。だからこそ市場は、国を超えて人と人をつなげていくのです。
問題は、どの程度の市場化(開き方)をするかです。共感的消費者だけにアプローチしていては、広がりません。狭くて逃げ場所のないコミュニティは差別がはびこります。かといって、つながりすぎ、共感を求めすぎては、綻(ほころ)びが出てきます。身の丈にあったいい塩梅(あんばい)。そこがポイントです。
近江商人の理念である「三方よし」(売り手良し、買い手良し、世間良し)の場合のみ取引をすることです。(203~204ページ)

アートを通じた自己実現と相互実現
インカーブでは、社会福祉事業として障がい者の芸術文化活動を進めていくために「閉じながら“ときどき”開く」ことを心がけてきました。(中略)インカーブの事業の目的は、知的に障がいのあるアーティストの日常が作品制作を通して平安であることです。
アートの商業的価値を慮(おもんぱか)ることは、共感を超える市場につながります。その実現のためには、つながりすぎないこと、共感を求め過ぎないことではないでしょうか。(205ページ)

〇以上のメモに関して、若干付言しておきたい。まず、「市場」についてである。市場は、需要者と供給者が出会い、契約と取引が行われ場である。松井の言によれば、「いろんな人が集まって、一定のルールのもとにお互いにプラスになるように取引する場である」([2]88ページ)。当然、そこでの人間関係は対等である。市場では、この対等な「契約関係」とともに、人と人との「信頼関係」も必要かつ重要となる。信頼関係は、相手との対等な関係を築くための人間関係であるが、それゆえに「倫理性」(「一定のルール」)が要求される。今日の市場経済社会では、契約関係だけでなく、それ以上に信頼関係が重要となる。この点を含意するのが、今中がいう「好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい」という言説であろう。しかし、簡単に「嫌いな人なら手を切ればいい」とはいえないのも人間社会である。そこで求められるのは、「仲間をつくる営為であり、(たとえ嫌いであっても・嫌いになっても)仲間外れにしないという行動」である。それを「福祉」と呼んでいい。
〇次に、「共感的消費者」についてである。共感的消費者とは、商品の品質ではなく、「障がい者がつくった」という商品の背景に思い入れをもって購入する人たちをいう(神谷梢[2]6ページ)。「社会福祉の事業者は、『共感的消費者』にアプローチしてきた。ただ、その範囲はとても狭く、見慣れた仲間うちに限られている。共感的消費者だけに依存し続ければ、マーケットは永遠に広がることはない。これが社会福祉の市場化の限界点である」([2]200ページ)と今中はいう。周知の通り、消費には「機能的消費」「記号的消費」「共感的消費」の3つの形態がある。ブランドネームなどの付加価値を消費する記号的消費ではなく、その商品の機能や効用を消費する機能的消費と、その商品への “こだわり” や “想い” に共感して消費する共感的消費が肝要である。
〇いまひとつは、「福祉文化」についてである。前述の一番ヶ瀬がいう「福祉の文化化」に関していえば、それは、社会福祉それ自体をいかに質・量ともに豊かな、文化的なものにしていくか、文化の香りのするグレードの高いものにしていくかということを意味する。そこから、福祉文化とは、日常生活の量的拡大と質的充実を図り、人びとの健康で快適な生活と情感の安定を保証する生活の質としての文化であるといえる。別言すれば、人びとの日常生活に心の潤いや安らぎ(内面的豊かさ)、社会的・経済的・文化的豊かさなどの「平安」をもたらす文化である。そういう福祉文化を創造するためには、人と人との “であい” “ふれあい” “ささえあい” が必要かつ重要となる。
〇こうした「福祉の文化化」をより確かなものにするためには、福祉政策や行政の文化化を図ることが肝要となる。「福祉政策・行政の文化化」のねらいは、住民の参加と合意形成のもとに、障がい者などを含めたすべての住民の主体的・自律的な文化活動の推進を図り、すべての住民が文化を享受し創造するための条件整備や環境醸成をおこなうことにある。
〇「文化の福祉化」に関していえば、文化は人びとの日常的な生活行為のなかに現れ、創られるものである。そこから、障がい者などを含めた、生活主体としてのすべての人が、文化の創造主体であり、活動主体であるといえる。しかし、例えば、芸術文化についていえば、今日においてもまだ、一定の条件に恵まれた一部の人だけのものであるとか、特定の場所や機会にふれるものであるという認識が強い。こうした芸術文化状況の偏りを是正し、とりわけ芸術文化の貧困のもとに置かれてきた障がい者などに対しては、芸術文化を享受する機会の確保・拡充や芸術文化活動(創作活動)への主体的参加を促す環境醸成を図ることが肝要となる。
〇アトリエ インカーブでは、創作活動と日常生活が共存している。作品制作を通して平安(福祉)を追求している。それはまさに「福祉文化」である。その実践は、荒廃したいまの日本社会を変革し、新たな地平を開く視点や力を生み出している。
〇なお、タイトルに使った「ゆるやかな絆」は、大江健三郎(文)・大江ゆかり(画)の『ゆるやかな絆』(講談社、1996年4月)による。それは、[1]と[2]を読むなかで思い至ったものである。ただし、記号的消費(使用)ではない。「ゆるやかな絆」をめぐって大江は、次のように述べている。僕らは「ゆるやかで、人を束縛するところは少しもなく、その両端にいる同士はお互いにひそかな敬愛の心を抱いているが、それを口にしないまま時が流れて行き、……というような、真の家族についての感情教育」を受けていたのである(講談社文庫、1999年9月、111ページ)。
〇[3]の裏テーマは、「怒りと希望:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること」であろうか。今中は、怒りをつくり出す社会的課題に対峙し、「ソーシャルデザインという仕事」を通して「怒りを希望に変える」「社会を希望で満たす」デザイナーである。今中にあっては、デザインは「整理整頓」(今中のデザインの原点)であり、デザイナーは「社会改良者」「社会活動家」である。デザイナーには、「目の前の一人を慮(おもんぱか)る」(220ページ)、「『なんとなく、分かる』ゆらいだ状態を受け入れる」(113ページ)、「身の丈にあった組織のサイズと、目の届く活動内容にする」(117ページ)、「熱い胸と冷たい頭の態度を身につける」(126ページ)ことなどが必要かつ重要となる。一言をもってすれば、社会に対して“ しなやかに、したたかに ”であろうか。
〇今中の仕事場であるアトリエ インカーブは、知的に障がいのあるアーティストと、デザイナーであるスタッフが日常を暮らす場所(「デザイン事務所」)である。そこでは、アーティストによって制作活動が行われ、その(生活)支援活動や環境整備活動がデザイナー(スタッフ)によって展開される。インカーブの運営理念は「閉じながら開く」(48ページ)である。事業の目的は「作品制作をおこなう、知的に障がいのあるアーティストの日常が平安であること、そして彼らの作品に尊厳を取り戻すこと、それに伴って市場で正当な評価を得ること」(137ページ)にある。それ故に、「デザインと福祉」「福祉とアート」「文化と福祉」「市場と福祉」が重視される。
〇今中の人生とアトリエ インカーブの誕生と展開については、今中の著作『観点変更―なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか―』(創元社、2009年9月)に詳しい。そこでは、例えば、次のような言説に注目したい。「アートはアカデミズムに犯されず、自らのためにつくりだしたものであり、『創造=オリジナル』である。デザインはその真逆に位置する」(89ページ)。「取材を受けた後、新聞に踊る文言は『頑張っている障害者』や『アートで生きがい作り』、『障害者アート』だった」(144ページ)。「ヒトもモノもコトも、見る角度によって、美しくも、醜(みにく)くも、優しくも、冷たくもなる。ヒトもモノもコトも、見る角度や高さを少しずつコントロールすることができるようになってきた。私はそれを『観点変更』と呼ぶ」(273ページ)。「私は彼らのクリエイティブな能力に心酔してインカーブを立ち上げた。お涙頂戴や見世物小屋として立ち上げたわけではない」(298ページ)、などがそれである。それらは筆者に、糸賀一雄の『福祉の思想』(日本放送出版協会、1968年2月)を学生時代に読んだときの感動を蘇(よみがえ)らせる。
〇[3]の論考から、福祉教育実践や研究において、筆者が注目あるいは留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それは、「目から鱗(うろこ)」の、福祉教育論の「作品」「テクスト」でもある。

アーティストの尊厳と作品の尊厳
(インカーブのアーティストの作品は)初めから評価されたわけではないし、作品が売れたわけでもない。私は「美術館」で展覧会をすべき作品だと思っていたが、美術関係者からは「公民館や市役所のロビー」での展示をすすめられた。バザー商品と同じように展示すれば購入者も現れるかもしれないというアドバイスもいただいた。
一方で、社会福祉関係者からの風当たりも強烈だった。立ち上げてまもないインカーブの事業を講演会で説明したときだった。「あんたらは、障がい者を食い物にしてるだけや。デザインやアートみたいなもんで障がい者が食べていけるわけないやろ。知的障がい者は文句いわへんから、スタッフが好きなことやってるだけやないか」。大阪弁で罵声が浴びせられた。(35ページ)
障がいがあるというだけで彼らの作品をカテゴライズ(分類、区分)し、評価の俎上に載せることをためらったり、市場性があることを認めないのは時代錯誤といえるだろう。(37ページ)
誰もが障がい者の社会参加を当然のことと思えるようになるためには、障がい者もみんなの土俵に上がる必要がある。特別に仕立てられた土俵ではなく、市場というフラットな土俵(現代アートを扱う一般のアート市場:筆者)に上がらなくてはならない。(39ページ)
インカーブやアーティストの矜持(きょうじ。誇り)を守るために、公民館のロビーではなく、お涙ちょうだいの展覧会でもない、作品の尊厳を傷つけない「美術館」で発表し、美術の俎上に載せることを目指したのだ。(42ページ)

デザインとソーシャルデザイン
コトやモノを計画的・意識的につくる行為は確かにデザインである。しかし本来はそれだけではない。つくった先を見据えること、そしてその先の暮らしや環境にも責任を負うことがデザインである。(50ページ)
デザインは、モノの姿や形よりも、「計画」や「意図」にその本質がある。(62ページ)
インカーブのような「障がい者のための社会福祉事業」を興すことも広義のデザインである。(63~64ページ)
ソーシャルデザインとは、「社会的課題を解決」するための、「意図的な企て」を「整理整頓」することで、利益追求を第一義にせず、「社会貢献」をおこなうことだ。ソーシャルデザインの実践は「ソーシャルワーク」を重ね合わせながら考える必要があるため、二つの領域を「行ったり来たり」しながら進めていかなければならない。(58ページ)
ソーシャルデザインは、金もうけを第一義に考えるのではなく、あくまで「生活の困りごと」をデザインの思考や手段を用いて解消することが目的である。その生活は個人のミクロのレベルを起点に考えられる。つまり「市場をつくろう」と思い立つのは、あくまで目の前で「生活の困りごと」を持った個人のためであり、その個人に相対さない限り困りごとの真実は見えてこない。(54ページ)

ソーシャルデザインとコミュニティデザイン
この数年間、ソーシャルデザインと並行して「コミュニティデザイン」という言葉も頻繁に使われるようになった。(中略)ソーシャルデザインは、対象を「目的を一つとしない人々」を含めた集団で、個人から地域、さらに政策や運動などの社会的課題を射程に置く。一方のコミュニティデザインは、「目的を一つとする人々」の共同体で、その社会的課題は、個人から地域までを対象としている。(65ページ)
馴染みのある日本のソーシャルデザイン(「コミュニティデザイン」:筆者)は、過疎化する地方の再生のために、その地域の市民をエンパワーする仕組みや、事業デザインをおこなうことだ。(中略)私が話すソーシャルデザインは、ラディカル(革新的、根源的)で荒唐無稽(こうとうむけい)な物語にうつっているのかもしれない。(160ページ)

ソーシャルデザイナーと「可視化する能力」
ソーシャルデザイナーは、「社会的課題を解決するための意図的な企てを整理整頓する人間」である。彼らに必要とされるのは「社会的課題」を「発見」する能力、その社会的課題を解決するための「バランスの良い」意図的な企て、そして課題を「整理整頓」するときに必要な「狭義のデザイン」能力である。(69~70ページ)
①「社会的課題」を「発見」する能力については、自らの興味と関心、そして怒りが生まれてくる課題を発見してほしい。発見するには、哲学や宗教に裏付けされた思想が必要である。「哲学・宗教抜きのデザインと社会福祉は愛のないセックス」だと言えないだろうか。(70、71ページ)。
②「バランスの良い」意図的な企てについては、両極端な二つの道を否定することから入り、一つの計画を立てること(仏教でいう「中道」)である。(72ページ)
社会的課題にはそれぞれの暗閣(くらやみ)がある。いかんともしがたい状況に出くわすことがある。(中略)その暗闇に分け入るために、ソーシャルデザイナーの覚悟とメンタルのタフさとラフさが要求されている。(73ページ)
③課題を「整理整頓」する能力については、デザイナー独自の能力は、「可視化する能力」である。色や形をつくり、文章を書き、企画書に仕立て、プレゼンテーションをおこない、依頼者・顧客の課題を解決することである。時代が変わってもデザイナーの中核をなす基本のスキルは、可視化する能力につきる。(73~74ページ)

「公と共と私」と「閉じながら開く」
社会を希望で満たしていくために、地域やNPO法人、社会福祉法人は協働すべきである。中でも私は、社会福祉法人を使い倒すことで「公と共と私」をつなぎ直せる可能性にかけてみたい。(139ページ)
現在はおこなっていないが、インカーブの設立当初「見学会」を開いていた。(中略)毎月の見学会には多様な分野から大量の人がインカーブにやってきた。行政は「社会福祉施設は地域に開かれた存在になりましょう」と指導する。その言葉を鵜呑みにした私は、見学会を真面目に開催していた。(142ページ)
そもそもインカーブは、誰を「主体」として仕事をしているのか。それは間違いなく障がいのあるアーティストであり、彼らの制作環境を整えることが第一義である。その主体性を脅やかすモノやコトに抗していくのがわれわれスタッフの仕事であり、ソーシャルデザイン/ソーシャルワークである。開き過ぎれば彼らの精神状態はアップダウンし心の波が立つ。スタッフも見学者へのアテンド(世話、接待)が増え、本来の仕事であるアーティストとの関係が希薄になる。
その後、私がインカーブを「閉じながら開く」組織にしていこうと考えたのは、彼らを慮(おもんぱか)ることができなかった見学会の反省からだった。(143ページ)

マイノリティ(少数派)とダイバーシティ(多様性)
私は「デザイナー」の属性と「障がい者」の属性があり、二つを行ったり来たりしながら仕事をしてきた。(214ページ)
「東京2020  NIPPONフェスティバル」の「主催プログラム」を検討していた文化・教育委員会の進行台本には、「今中委員には、〈障がいを持つ当事者〉として、また、知的に障がいのある現代アーティストたちの創作活動の支援者として、ご協力いただいた」と記されていた。文章のはじめにある〈障がいを持つ当事者〉である私が、「トークンマイノリティ」だと気づいたのはそのときだった。
トークンは「証拠」という意味で、トークンマイノリティは「お飾りのマイノリティ」ともいわれる。「トークンマイノリティ」ということを否定的に捉えれば、委員会のメンバーにマイノリティ(社会的少数者)の人も含めておけばイメージが良くなるという打算であり、まさにバランスを取るために形ばかりに入れるマイノリティのことだといえる。一方で肯定的に捉えれば、多様な人々の参加によって多様性を実現しているとも、自己と他者のシームレス化(境界線を消すこと)の実現に一役買ったともいえる。(215ページ)
メガネをかけたアスリートはオリンピックに出場し、車椅子に乗るアスリートはパラリンピックに出場すると、われわれは思い込んでいないか。メガネと車椅子が同じ福祉用具なら両者はパラリンピックに出るべきである。メガネがファッションなら、車椅子もファッションである。そうであるなら、オリンピックとパラリンピックは、どちらか一方でいい。メガネも車椅子も有用性という意味では差異はない。(216~217ページ)

〇「怒りは感情的なものではなく、希望を追い求めるがゆえの態度である」(228ページ)。[3]の「あとがき」のワンフレーズである。ここに、「福祉文化」や「ソーシャルデザイン」についての今中の思想や哲学、その核心を見る。多言を要さないであろう。

補遺(1)
〇今中の著作のひとつに、『壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても』(河出書房新社、2020年7月)がある。デザイナーと障がい者の2つの属性をもつ今中が、自らの人生を綴った自分史であり、怒りや安らぎをその時々の心情を吐露した本でもある。
〇ここであえて、次の3点に限ってメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

(1)障壁と防壁
「壁」には、「壊すべき壁」(障壁)と「自分を守ってくれる壁」(防壁)の2つがある。壁をゼロにしたからといって共生がかなうわけではない。小さな心の壁は、他者と適度な距離感をあたえ共生には欠かせない存在である。一方で、壊すべき壁を完全にフラットにすることは不可能である。(1~2ページ)

(2)閉じながら開く
困っている人の存在やその人の悩みを「知って欲しい」と思う人が、多すぎる。その人たちは「いいひと」であり、悪意のない善意の持ち主である。しかし、開きっぱなしだと害虫が侵入し(疲弊する)、閉じっぱなしだとカビ臭くなる(脆弱になる)。そこで、壁の中に籠(こも)りながらも、つながりをもち、時が来たら壁の上から顔を出すという、「閉じながら開く」が重要となる。(89、91ページ)

(3)多様性のややこしさ
マジョリティ(多数派)には、(きっと)悪意はない。ただ、悪意のない善意ほどややこしいものはない。多様性はややこしい。初めて見る規格外は恐怖であるが、それが多様性である。つまずくことを躊躇するなら、多様性のある社会は実現しない。つまづくことを覚悟するしか、多様性のある社会は実現できないのである。(21、108ページ)

補遺(2)
〇今中の著作のひとつに、『なぜ「弱い」チームがうまくいくのか―守り・守られる働き方のすすめ―』(晶文社、2022年4月)がある。そこでは、「デザインと社会福祉と仏教を行ったり来たりしながら」(24ページ)、働き方・仕事論や組織マネジメント・リーダーシップ論、そして生き方・人生論などが広く深く説かれる。
〇今中の主張はシンプルである。「弱い人はお互いを守り合いながら長く生存できる。強い人を守る人はいない、強い人は生き残れない」。極論すればこれだけである。その際のキーワードは、「弱さ」と「多様性」である。今中はいう。「チームに一番必要なのは弱さである」。すなわち、人間はそもそも、弱い存在であり、弱いからこそチームを組んで生き延びようとする。弱く矛盾した存在としての個人が有機的につながることによって、チームは機能する。チームは強い人だけでは構成できないのである(9、113ページ)。
〇そしていう。「多様性を失ったシステムは崩壊する」。すなわち、共生社会はバラツキを是とする社会(多様性のある社会)であり、その違いをひとまとめにせずお互いを認め合う。違いが交差すれば違和感も生まれるが、それ以上に異なる視点が有効に機能し、新たな希望が見つかる。弱い人も強い人も、異なるものが異なるものとして共存・協働することが肝要である(17、103ページ)。
〇「弱さ」と「多様性」に関して、いくつかの言説を紹介しておくことにする。
・高橋源一郎/「効率的な社会、均質な社会、『弱さ』を排除し、『強さ』と『競争』を至上原理とする社会は、本質的な脆(もろ)さを抱えている」(高橋源一郎・辻信一『弱さの思想―たそがれを抱きしめる―』大月書店、2014年2月、12ページ)。
・天畠大輔/「僕は介助なしでは何もできない。しかし、だから多くの人とかかわり、深く繋がり、ともに創りあげる関係性を築いていける。それが僕の<強み>になっている。能力がないことが<強み>なのである。自分だけで何もできないことは、無能力と同義ではない」(天畠大輔『<弱さ>を<強み>に―突然複数の障がいをもった僕ができること―』岩波新書、2021年10月、226ページ)。
・澤田智洋/「『弱さ』の中にこそ多様性がある。だからこそ、強さだけではなく、その人らしい『弱さ』を交換し合ったり、磨き合ったり、補完し合ったりできたら、社会はより豊かになっていく」(澤田智洋『マイノリティデザイン―「弱さ」を生かせる社会をつくろう―』ライツ社、2021年1月、51~52ページ)。
・熊谷晋一郎/「凡庸(ぼんよう)コンプレックス」、すなわち個性のない・どこにでもいる規格化・平準化された「ふつう」の人間が、「奇妙に多様性を奨励する社会の中で、相対的に可視化された(奇抜な)障害者への嫉妬が芽生えるという転倒した現象も起きている」(熊谷晋一郎「『用無し』の不安におびえる者たちよ」里見喜久夫『障害をしゃべろう! 上巻 ―「コトノネ」が考えた、障害と福祉のこと―』青土社、2021年10月、185ページ)。

【初出】
<雑感>(73)阪野 貢/「怒りと希望」:社会に怒りラディカル(徹底的)に抗すること・目の前の一人を慮(おもんぱか)ること・社会的課題をデザインで解き希望に変えること―今中博之著『社会を希望で満たす働きかた』読後メモ―/2019年1月28日/本文

 


04 「1984年」と「個性」と「多様性」 ―ジョージ・オーウェルと村田紗耶香(小説家)から学ぶ  ―


<文献>
(1)ジョージ・オーウェル、高橋和久訳『1984年』(新訳版)早川書房、2009年7月、以下[1]。
(2)村田紗耶香『信仰』文藝春秋、2022年6月、以下[2]。

〇[1]『1984年』は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説である。「情熱と暴力と絶望」(トマス・ピンチョン「解説」507ページ)に満ちた小説であり、読み進めると “緊張と憂鬱と恐怖” が襲う。
〇この小説の舞台は、主人公のウィンストン・スミスが住む3強国のひとつ、オセアニアである。その国では、ビッグ・ブラザーが率いるイングソックという名の政党による一党独裁体制がとられている。その党は、3つのスローガン「戦争は平和なり/自由は隷従なり/無知は力なり」を掲げている。
〇「戦争は平和なり」(war is peace)は、戦争はその継続化によって存在しなくなる(見せかけの平和)。「真の恒久平和とは、永遠の戦争状態と同じ」(307ページ)である、という意味である。「自由は隷属なり」(freedom is slavery)は、権力に隷属(屈従)すれば、思想・良心に従って行動する真の自由ではなく、監視下の自由(錯覚の自由)が保障される。「隷属は自由なり」(409ページ)、という意味である。「無知は力なり」(ignorance is strength)は、知識のない思考は空虚であり、思考のない知識は盲目である。従属(服従)は思考停止と洗脳によって実行される。「階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、成立しえない」(293ページ)、という意味である。
〇いまひとつ注目しておきたい党のスローガンに、「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」(56ページ)というのがある。過去は記録と記憶のなかに存在するが、権力者は歴史を書き換え捏造(ねつぞう)する、という意味である。
〇筆者はここで、「洗脳」と「盲従」、「上意下達」と「統制」という言葉について思う。福祉教育も、権力や権威に洗脳され、権力や権威に盲従しているところはないか。また、上意下達や統制について「見て見ぬふりをしている」ところや、「見ぬふりをして見ている」ところはないか。今年は「2022年」である。ロシアのウクライナ侵攻が始まり、日本を取り巻く安全保障環境がより一厳しさを増している。そんななかで、「 “ふくし” は平和のシンボルであり、身近な “ふくし” を学ぶことは世界の平和を創る道に通じる」ことを改めて、心(胸)に強く刻みたい。
〇[2]『信仰』は、芥川賞作家の村田紗耶香の最新刊である。6編の短編小説と2編のエッセイが収録されている。エッセイのひとつ「気持ちよさという罪」では、「個性」と「多様性」という言葉との出会いや、そのときの率直な思いが述懐され、その言葉の暴力性が述べられる。メモっておくことにする(抜き書き)。

●確か中学生くらいのころ、急に学校の先生が一斉に「個性」という言葉を使い始めたという記憶がある。今まで私たちを扱いやすいように、平均化しようとしていた人たちが、急になぜ? という気持ちと、その言葉を使っているときの、気持ちのよさそうな様子がとても薄気味悪かった。(中略)「さあ、怖がらないで、みんなももっと個性を出しなさい!」と言わんばかりだった。そして、本当に異質なもの、異常性を感じさせるものは、今まで通り静かに排除されていた。(110ページ)
●当時の私は、「個性」とは、「大人たちにとって気持ちがいい、想像がつく範囲の、ちょうどいい、素敵な特徴を見せてください!」という意味の言葉なのだな、と思った。(中略)「個性」という言葉のなんだか恐ろしい、薄気味の悪い印象は、大人になった今も残っている。(111ページ)
●大人になってしばらくして、「多様性」という言葉を最初に聞いたとき、感じたのは、心地よさと理想的な光景だった。例えば、(中略)仲間同士の集まりで、それぞれいろいろな意味でのマジョリティー、マイノリティーの人たちが、互いの考え方を理解しあって、そこにいるすべての人の価値観がすべてナチュラルに受け入れられている空間。発想が貧困な私が思い浮かべるのは、それくらいだった。(111~112ページ)
●私はとても愚かなので、そういう、なんとなく良さそうで気持ちがいいものに、すぐに呑み込まれてしまう。だから、「自分にとって気持ちがいい多様性」が怖い。「自分にとって気持ちが悪い多様性」が何なのか、ちゃんと自分の中で克明に言語化されて辿り着くまで、その言葉を使って快楽に浸るのが怖い。そして、自分にとって都合が悪く、絶望的に気持ちが悪い「多様性」のこともきちんと考えられるようになるまで、その言葉を使う権利は自分にはない、とどこかで思っている。(112ページ)
●私がついていけないくらい、私があまりの気持ち悪さに吐き気を催すくらい、世界の多様化が進んでいきますように。今、私はそう願っている。(117ページ)

〇筆者はここで、「障害と個性」「分離と統合」「排除と共生」「多様性と包摂」などの言葉とともに、「車椅子体験と障がい者との交流」について思う。そして、その “ぎこちなさ”  や  “危うさ”  に思い至る。これまでの福祉教育プログラムは、子どもたちやマジョリティ(多数派)に属していると思っている(思わされている)人たちに、「気持ちよさという罪」を負わせてきたのではないか、と疑心暗鬼になり、自責の念に駆られる。

【初出】
<雑感>(31)阪野 貢/『1984年』と『茶色の朝』、そして“いま”―読後メモ―/2015年9月8日/本文
<雑感>(160)阪野 貢/村田紗耶香が述懐する「個性」と「多様性」―その言葉の暴力性―/2022年8月27日/本文

 


05 「社会」と「自分」を「考える」  ―池田晶子(哲学者、文筆家)から学ぶ  ―


<文献>
(1)池田晶子『14歳からの哲学―考えるための教科書―』トランスビュー、2003年3月、以下[1]。

〇久しぶりに池田晶子の著書『14歳からの哲学―考えるための教科書―』(トランスビュー、2003年3月、以下[1])を読み返すことにした。池田は、日本語による「哲学エッセイ」を確立したと評される、稀有(けう)な自称文筆家である。[1]は、長年にわたり、年代を超えて読み継がれている池田の代表作である。なお、池田は、2007年2月に46歳の若さで亡くなっている。
〇[1]は、哲学の歴史や哲学者の考えを紹介・解説するものではない。「14歳以後、一度は考えておかなければならないこと」(「帯」)として、「考える」「言葉」「自分とは誰か」などの30のテーマについて、哲学の専門用語を使わず、平易な文章で読者に語りかけ・問いかける。本稿では、次の3つのテーマについてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

目に見えない「社会」は観念であり、観念が変わらなければ現実社会は変わらない
目に見えないのに存在するもの、それは思いや考えである。思いや考えのことを、ここではまとめて「観念」と呼ぶことにしよう。(82ページ)
「社会」というのは、明らかにひとつの「観念」であって、決して物のように自分の外に存在している何かじゃない。「社会」は、観念として、自分や皆の「内に」存在しているものなんだ。(82ページ)
社会を変えようとする場合、先ず自分が変わるべきなんだ。社会は、それぞれの人の内の観念なのだから、現実を作っている観念が変わらなければ現実は変わらないんだ。(83ページ)
世のすべては人々の観念が作り出しているもの、その意味では、すべては幻想と言っていい。社会がそうなら、国家というものもそうなんだ。人は、「日本」という国家が、外の物のように存在していると思って、それが観念であるということを忘れて、その観念のために命を賭(か)けて戦争したりする。観念のために命を捨てるなんて芸当ができるのは、生物のうちでも人間だけだ。これはとても不思議なことだ。(83、84ページ)
「社会」というのは、複数の人の集まりという単純な定義以上のものではない。それ以上の意味は、人の作り出した観念だということだ。複数の人が集まれば、複数の観念が集まり、混合し、競い合って、その中で最も支配的な観念、つまり最も多くの人がそう思い込む観念が、その集団を支配することになる。これが言わば「時代」というものだけれど、これも人々が自分で作り出している観念であることに変わりはない。「社会の動き」とは、つまり「観念の動き」であると見る習慣を身につけよう。(84ページ)

「自分」を愛するということがそのまま、「世界」を愛するということである
自分であるところのもともとの自分は、ただ自分であるということ。ただ自分であるということは、他人がいるから自分であるのではなく、他人がいてもいなくても、他人がいるかいないかに関係なく、その自分としてあるということだ。他人の存在は、自分が自分であると気づくためのきっかけにすぎない。自分の存在は他人の存在に依(よ)ってはいないのだから、その意味で、自分というのは絶対的な存在なんだ。(66ページ)
「世界」つまりすべてのことは、自分の存在に依っている。自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ。自分が存在するということが、世界が存在するということなんだ。世界が存在するから自分が存在するんじゃない。世界は、それを見て、それを考えている自分において存在しているんだ。つまり、自分が、世界なんだ。(67ページ)
嫌いな人、イヤな人は、ああ、そういう人なんだな、丸ごと認めて受け容れてあげるんだね。むろん大変なことだよ。でも、それが自分のためなんだ。それができなければ、君が自分を本当に愛することはできない。自分を愛していない人生を生きるというのは、とても苦しいものだ。だって、嫌いな人からは離れればいいけど、誰が自分から離れることができるだろう。嫌いな自分と四六時中一緒にいるなんてことが、苦しくないわけがないじゃないか。(104ページ)
自分とは世界なのだ。だから、自分を愛するということが、そのまま、世界を愛するということなんだ。だから、もしも君が世のため人のために何かをしたいと願うのなら、一番最初にしなければならないことは何か、もうわかるはずだ。(104ページ)

「思う」ことではなく、「考える」ことこそが全世界を計る正しい定規になる
わからなくて不思議なことを、それが本当のことなのかどうかを知ろうとして、人は「考える」といことを始めるんだ。「考える」は、それまでの、ただなんとなく「思う」ということとは全然違うことなんだ。(8~9ページ)
考えるというのは、それがどういうことなのかを考えるということであって、それをどうすればいいのかを悩むってことじゃない。(9ページ)
自分が思っていることが、ただ自分がそう思っているだけではなく、本当に正しいことなのかどうかを知るためには、考えるということをしなければならないんだ。「本当にそう思う」ということと、「本当にそうである」ということとは、違うことだ。(14、15ページ)
人は、「考える」、「自分が思う」とはどういうことかと「考える」ことによって、正しい定規(尺度、基準)を手に入れることができるんだ。自分ひとりだけの正しい定規ではなくて、誰にとっても正しい定規、たったひとつの正しい定規だ。(16ページ)
その定規は、君が、考えれば、必ず見つかるんだ。正しい定規はどこだろうってあれこれ探して回っているうちは、それは見つからない。考えることこそが、全世界を計る正しい定規になるのだとわかった時に、君は自由に考え始めることになるんだ。(17ページ)
考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。謎が謎として存在するから、人は考える、考え続けることになるんだ。(196、197ページ)

〇以上のポイントは、「社会は観念として、自分の内に存在している」(82ページ)。「自分が世界であり、世界(すべてのこと)は自分において存在している」(67ページ)。「自分は自分でしかないことによってすべてである(絶対的存在)」(68ページ)。「自分を愛するということがそのまま、世界を愛するということである」(104ページ)。「本当に生きるということは、わからないことをわからないと思わないで、誰にとっても正しいことを、考える・考え続けるということである」(23ページ)、となろうか。

【初出】
<雑感>(102)阪野 貢/「社会は世界観に基づく」「生は死を内包する」を「考える」ために:ひとつの哲学言説―いま、改めて池田晶子著『14歳からの哲学』を読む―/2020年2月24日/本文

 


06 「教養」と「教育」―教養人(安部謹也・ほか)から学ぶ―


<文献>
(1) 安部謹也『「教養」とは何か』(講談社現代新書)講談社、1997年9月、以下[1]。
(2) 梅田正己『「市民の時代」の教育を求めて―「市民的教養」と「市民的徳性」の教育論―』高文研、2001年5月、以下[2]。
(3) 村上陽一郎『あらためて教養とは』(新潮文庫)新潮社、2009年4月、以下[3]。
(4) 中央教育審議会「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」2002年2月、以下[4]。
(5) 日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会『21世紀の教養と教養教育(提言)』2010年4月、以下[5]。

〇福祉教育実践や研究の画期をなしたものに、1980年9月に全社協に設置された「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)の中間報告「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」(1981年11月)がある。そこでは、福祉教育は、「国民の社会福祉への関心と参加の促進」をめざす意図的な教育活動である。福祉教育は、人権思想に基づいた社会福祉の営みの主体として、市民一人ひとりが担ういわば「福祉人」の育成を図るものであり、現代を生きるにふさわしい人格形成にかかわるものである、と述べられた。これは、市民イコール福祉人の「教養」に通底するものでもあり、今さらながら改めて注目しておきたいところである。
〇1990年代後半には、例えば高橋智(東京学芸大学)が、教育学教育や教師教育における「国民的福祉教養」の構想について論究している(注1)。また、大橋謙策(当時・日本社会事業大学)が、高校福祉科の設置とのかかわりで、子ども・青年の発達を促すものとしての福祉教育を基底に、すべての高校生に「国民的教養としての福祉教育」を展開することについて言及している(注2)。
〇これらは20年から30年以上も前のことで、旧聞に属する。さらに、それ以前の1970年代後半以降に「教養主義」の「没落」や「終焉」が指摘されたことは、周知の通りである。そしていま、グローバリゼーションとローカリゼーションが同時進行するなかで、「知識基盤社会」(注3)と「市民参加型社会」の時代を迎えている。知識基盤社会は、新しい知識・情報・技術の重要性が飛躍的に高まる社会であり、そこでは大学教育等の改善のみならず、子どもから大人までの「生きる力」を如何に育成するかが重ねて問われることになる。市民参加型社会は、参加と協働(共働)による市民主権・市民自治のまちづくりを進める社会であり、そのまちづくりの担い手となり得る市民としての教養(「市民的教養」「シティズンシップ」)を如何に形成し、そのための教養教育を如何に再活性化するかが問われることになる。
〇福祉の(による)まちづくりの市民的教養(「市民的福祉教養」)は、それを形成・涵養するための確かな教養教育や豊かな実践軽軽を積みあげることによって育まれる。こうした視点に立って「市民福祉教育」について論究することは、“まちづくりの福祉教育”の今日的課題である。
〇本稿では、筆者(阪野)の手もとにある資料から、「教養」に関する基本的な論点や言説の一部を紹介することにする。

(1) 安部謹也『「教養」とは何か』講談社([1])
「自分が社会の中でどのような位置にあり、社会のためになにができるかを知っている状態、あるいはそれを知ろうと努力している状況」を「教養」があるというのである。(56ページ)

教養があるということは(中略)「世間」(「大人が互いに結んでいる人間関係の絆」:阿部、18ページ)の中で「世間」を変えてゆく位置にたち、何らかの制度や権威によることなく、自らの生き方を通じて周囲の人に自然に働きかけてゆくことができる人のことをいう。これまでの教養は個人単位であり、個人が自己の完成を願うという形になっていた。しかし「世間」の中では個人一人の完成はあり得ないのである。個人は学を修め、社会の中での自己の位置を知り、その上で「世間」の中で自分の役割をもたなければならないのである。(180ページ)

(2) 梅田正己『「市民の時代」の教育を求めて―「市民的教養」と「市民的徳性」の教育論―』高文研([2])
現代における「市民」とは、ひと言でいえば、民主主義と人権の思想を体現した人間類型といえます。
いくつかのキーワードがあげられます。思想・言論の自由をはじめとする「市民的自由」、特権や差別を認めない「平等」、自主性・自発性にもとづく「参加」、主体的に引き受ける「責任」、そして「自治」です。
「市民」とはつまり、うんと単純化していえば、自由と平等の原則に立って、一人ひとりの尊厳を守るとともに、全員が参加し、全員が責任を引き受けることによって、自分たちの社会を自分たちの手で治めてゆくこと(自治)のできる人間類型ということになります。(145ページ)

「市民」を育てる教育は、自立した「市民」として「自治」に参加するために必要な知識と認識、それにもとづく一定の見識の面での教育と、「市民」として実際に行動するさいに必要な自覚と能力、技能、態度をめぐる教育の2つの側面が考えられます。前者を「市民」として身につけておきたい教養すなわち「市民的教養」の教育、後者を、「権利主体」としての自覚をはじめ、「公共の精神」、話し合い(討議)の能力と技能、他者にはたらきかけ互いに協力できる能力などの「市民的徳性」の教育と名づけてみました。
なお、「市民的徳性」という用語については、「市民」としての自覚、能力、技能、態度のすべてが含まれていると考えられる「シティズンシップ」という言葉を使った方がよいかも知れません。(146~150ページから抜き書き)

日本の教育をささえてきたのは、国家主義と立身出世主義(学歴主義)の二本の柱でした。教育の中心に「国家」をすえる考え方は、20世紀をもってその歴史的役割を終えました(ただし国家主義は消滅したわけではなく、幾年もたたないで復活してきます。)。日本の社会にも明確に質的な変化が生じつつあり、日本も明らかに「市民の時代」に入っています。日本の教育はその価値基軸を「国家」から「市民」に転換していかなくてはなりません。「市民的教養」の修得と「市民的徳性」の育成を二本の柱として、新しい学校をどう構想するかが問われています。(64、80、101、104、141、238ページから抜き書き)

(3) 村上陽一郎『あらためて教養とは』新潮社([3])
自分の中にきちんとした規矩(きく。分別のための「基準」「ものさし」「枠組み」:村上)を持っていて、そこからはみ出したことはしないぞという生き方のできる人こそが、最も原理的な意味で教養のある人と言えるのではないか――というのが私の年来の主張なのです。その上に、一般的な意味での教養、つまり何がしかの知識、何がしかの経験、そして専門家としてではなく、人間一般としての「広さ」、そうしたものが相俟(あいま)って教養が論じられるようになる。しかし、慎(つつし)みを形造る規矩が欠けると、それこそ教養というのはものすごく安っぽくなって、口にするのも恥ずかしいようなものになりかねないんじゃないかというのが私の基本的な考え方です。(28ページ)

今日では、社会が「知識に基礎を置く社会」(knowledge-based society)という言葉で規定されるほど、様々な分野の知識が社会を動かしています。それを身につけなければ生きていけない。社会の中で活動することができない。専門性が求められる一方で、しかし、専門以外の様々な知識に通暁(つうぎょう)していることで、初めて現代社会に生きる資格が与えられるとさえ思われます。その意味での「教養」が、エリート階級だけでなく一般の人々にとっても、現代ほど必要とされる社会はありません。その意味での教養は、現代社会のなかで人間が生きるための「力」そのものです。(88ページ)

ドイツ語の〈Bildung〉というのは、英語のに近い言葉です。つまり「造り上げる」ことですね。では何を「造り上げる」のかというと、「自分」という人間をきちんと造り上げていくことであり、これが「教養」なのではないかと思うのです。(中略)
自分を修めること、きちんとした人間として、正しいと思う方向に向かって自分を造り上げていくことをもって教養と理解するとなると、市井(しせい)の中に埋もれている生活者(中略)の中にも、自分をしっかり持って、自分を見つけて、自分をきちんと造り上げていく人はいると確信しています。(中略)
何を材料にして自分を造り上げるか。広い知識や広い体験は決定的に大事な材料の一つですけど、全部ではない。造り上げるというと、いかにも何かがちがちに造り上げた完成品ができてしまうように見えますけど、そうじゃないんですね。自分というものを固定化するのではなく、むしろいつも「開かれて」いて、それを「自分」であると見なす作業、そういう意味での造り上げる行為は実は永遠に、死ぬまで続くわけです。(中略)一生をかけて自分を造り上げていくということにいそしんでいる、邁進(まいしん)している。それを日常、実現しようと努力している人を、われわれは教養のある人というのではないか、そう私は思っています。(185~187ページ)

(4) 中央教育審議会「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」([4])
教養とは、個人が社会とかかわり、経験を積み、体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける、ものの見方、考え方、価値観の総体ということができる。(中略)人には、その成長段階ごとに身に付けなければならない教養がある。それらを、社会での様々な経験、自己との対話等を通じて一つ一つ身に付け、それぞれの内面に自分の生きる座標軸、すなわち行動の基準とそれを支える価値観を構築していかなければならない。教養は、知的な側面のみならず、規範意識と倫理性、感性と美意識、主体的に行動する力、バランス感覚、体力や精神力などを含めた総体的な概念としてとらえるべきものである。

新しい時代を生きるための教養として、社会とのかかわりの中で自己を位置付け律していく力や、自ら社会秩序を作り出していく力が不可欠である。主体性ある人間として向上心や志を持って生き、より良い新しい時代の創造に向かって行動することができる力、他者の立場に立って考えることができる想像力がこれからの教養の重要な要素である。

教養教育については、これまで、主として高等教育における問題として議論されることが多かった。しかし、(中略)教養の涵養は個人にとって生涯の課題であり、教養を身に付ける努力は、いずれの年齢や職業においてもすべての人に求められるものである。教養教育の在り方を検討するに当たっては、高等教育だけでなく、幼児期からの家庭教育、初等中等教育も含めた学校の教育活動全体、地域での様々な活動、社会生活における様々な体験や学習を通じて、いかに教養を身に付けていくかを考える必要がある。

(5) 日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会『21世紀の教養と教養教育(提言)』([5])
現代社会において生起し深刻化するさまざまな問題や課題に適切に対応し、その平和的な解決を図っていくには、それらの問題や課題の解決に向けての多様な取り組みに参加・協働する知性・智恵・実践的能力の形成と、それらの多様な取り組みを支え推進する基盤としての市民社会の豊かな展開が重要である。
そのためには、次の三つの公共性を活性化することが重要である。第一に、集合的意思決定過程(政治)の開放性・透明性(情報公開・情報開示)が確保され、その過程への十分な市民参加があること(市民的公共性)、第二に、さまざまな問題や課題を自分たちの協力・協働により解決・達成すべきものとして引き受け、その協力・協働に参加する活力あるカルチャーが息づいていること(社会的公共性)、第三に、社会のすべての成員が、その尊厳を尊重され、安全かつ豊かな文化的・社会的生活を享受する権利を有する存在であることが、承認され前提となっていることである(本源的公共性:社会的存在としての人間の生存権に関わる公共性)。
現代の多様化・複雑化・流動化する社会では、この3つの公共性の活性化とその担い手となりうる市民としての知性・智恵・実践的能力(市民的教養)の形成が、いま切実に求められている。(ⅳ~ⅴ、4~5ページ)

21世紀に期待される教養は、現代世界が経験している諸変化の特性を理解し、突きつけられている問題や課題について考え探究し、それらの問題や課題の解明・解決に取り組んでいくことのできる知性・智恵・実践的能力であると言ってよいであろう。その多面的・重層的な知性・智恵・能力を、学問知、技法知、実践知という三つの知と市民的教養を核とするものとして捉える。
学問知は、学問・研究の成果としての知の総体であり、その学習を通じて形成される知である。それは、錯綜する現実や言説(研究を含む)を分析的・批判的に検討・考察し、同時に、諸問題を自分に関わる問題として思慮し、そしてまた、自分の生き方や考え方を自省する知でもある。技法知は、メディアの活用、多種多様な情報・資料の編集、数量的推論、自国語・外国語、学術的な文章作成能力、言語的・非言語的な表現能力・コミュニケーション能力などを構成要素とする知で、学問知および実践知の学習・形成と活用の基礎となるものである。実践知は、日常のさまざまな場面で実際に活用・発揮(実践)される知で、市民的・社会的・職業的活動に参加・協働し、共感・連帯し、同時に、自らの在り方・生き方・振る舞い方を自省し調整していく知である。
他方、市民的教養は、上記の三つの公共性、すなわち本源的公共性、市民的公共性、社会的公共性についての理解を深め、その実現に向けたさまざまな活動やプロジェクトに参加し、連帯・協働していく素養と構えを指す。
大学教育・教養教育では、これら三つの公共性に開かれ、その実現を志向し、その実現のための活動やプロジェクトに参加し協働するうえで必要とされる学問知・技法知・実践知を育んでいくこと、それを核とする「市民的教養」を育んでいくことが重要である。(ⅴ~ⅵ、17~18ページ)

〇「教養」とは何か。以上からも分かるように、その捉え方は多様である。その点を知るのには、歴史的視点から教養主義について論述する竹内洋の『教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化―』((中公新書)中央公論新社、2003年7月)、哲学・思想の領域から教養主義の復活を説く仲正昌樹の『教養主義復活論―本屋さんの学校Ⅱ―』(明月堂書店、2010年1月)、なども興味深い。
〇ここで、以上に紹介した論点や言説を参考に、「教養」の構造と性格について暫定的な管見を述べておくことにする(図1参照)。

図1 「教養」カラー
〇「教養」は、「知識」「経験」「知性」「価値観・規範」を構成要素とする。
幅広い知識を修得するためには、知的な好奇心と懐疑心、追究心が必要である。経験を社会的意義のあるものにするためには、その活動・行為を外向化・社会化するとともに、継続的に取り組み、展開することが必要である。知性とは、物事について的確に思考し、判断し、表現する知的な能力をいう。教養の形成には、知的な側面のみならず、行動や判断の基準(規範)やそれを支える価値観の構築が必要であり、「教養の原点」(村上[3])はここにある。
〇また、教養は、家庭や地域・社会におけるさまざまな生活体験を通して形成される。教養は、子ども・青年の発達段階に応じて、また高齢期まで生涯にわたって形成される。教養は、現代社会や現代世界の変化や問題に対応するものである。教養は、新しい時代を切り拓き、未来社会を創造するものである。これらの点をめぐって、学校(小・中・高・大学教育))における教養教育をはじめ、市民社会や国際社会を生きるための子ども・成人に対する教養教育のあり方が問われることになる。


(1) 高橋智「教育学教養と福祉教養―教育学教育における福祉教養の意義―」『東京学芸大学紀要.第1部門、教育科学』第48集、東京学芸大学紀要出版委員会、1997年3月。
(2) 大橋謙策「高校における福祉教育の位置と高校福祉科」大橋謙策編集代表『福祉科指導法入門』中央法規、2002年4月。
(3) 「知識基盤社会」(knowledge-based society)とは、「新しい知識・情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる領域での活動の基盤として飛躍的に重要性を増す」社会をいう(中央教育審議会「我が国の高等教育の将来像(答申)」2005年1月)。その進展を図るためには、大学教育等の改善のみならず、小学校から大学までの一貫した取り組みが必要である。また、知識基盤社会を生き抜くためには子どもから大人まで、「生きる力」の育成を図ることが重要となる。

追記
2013年7月14日の朝日新聞の「天声人語」―「キョウヨウとキョウイク」が面白い。
老後をどう生き生きと過ごそうかと誰しも考える。そこには秘訣があるらしい。「キョウヨウ」と「キョウイク」なのだという。教養と教育かと思いきや、さにあらず。「今日、用がある」と「今日、行くところがある」の二つである。なるほど何も用事がなく、どこにも行かない毎日では張り合いがあるまい、という記事である。老後を豊かに過ごすには、地域・社会との「関わり」「つながり」が必要かつ重要である、ということか。

【初出】
<ディスカッションルーム>((52)阪野 貢/市民的福祉教養と市民福祉教育:「教養」について考える―資料紹介―/2015年11月16日/本文

 


07 「福祉」はアートであり、デザインである  ―東京藝大と東大における体験型授業から学ぶ  ―


<文献>
(1)東京藝術大学 Diversity on the Arts プロジェクト編『ケアとアートの教室』左右社、2022年1月、以下[1]。
(2)山中俊治『だれでもデザイン―未来をつくる教室-』朝日出版社、2021年11月、以下[2]]。

〇[1]と[2]は、東京藝術大学や東京大学で中高生や社会人を対象に行なわれた体験型授業の様子をまとめたものである。[1]は、2016年より開設された、約100人の社会人と約30人の藝大生が共に学ぶ履修証明プログラム(Diversity on the Arts Project、通称:DOOR)の講義と実践の様子(体験)を記録したものである。そこでは、「アート×福祉」をテーマに、共生社会を支える人材の育成とコミュニティの醸成をめざす(2ページ)。講義で取り上げる具体的なテーマは、貧困、障害、性的マイノリティ、引きこもりなど多岐にわたる。講師もアーティストや障がい者、福祉の専門家、現代社会に生きづらさを感じている当事者など多様である。
〇DOORでの「学び」は、次のようなことを基本的な考え方(コンセプト)にする。共生社会の実現には、創造性(アート)とそれが活きる環境を耕す(cultivate)ことが重要である(4ページ)。何かを学ぶうえで、「誰と学ぶのか」、学びの対象と「どう出会うのか」が重要な要素となる(5ページ)。アート(=創造性)の領域では「個人の主観」が大切にされるが、自分の主観の深いところには他者との共通点がある。アートも福祉も、多くの人たちとの「対話」(「創造のコミュニケーション」)や「協同」のなかで、異なった何かと自分とが融合し、変化し、豊かになっていく(7、8ページ)。すなわちこれである。
〇身近にある、状態としての多様性(diversity)に対して「想像」を巡らし、対話し、歩み寄り、見えないものを知覚することによって、共生社会の「創造」に向けて動き出す(236、238ページ)。多様性が創造性(creativity)を生み、育てるのである。
〇[1]から、「まちづくりと市民福祉教育」に関して、「気になる」あるいは「使える」論点や言説のいくつかをメモっておく(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者。見出しの後の氏名は講義者)。

アートと福祉は多様性を特性とする/日比野克彦
アートと福祉は、アプローチこそ違え、視座が「多様性」を重視しているのは同じである。多様性のある社会を築いていくためには、違いを認め合う「アートの特性」を基盤にして、そのうえに福祉や経済などさまざまなものを組み立てていくことが肝要になる。(17ページ)

被支援者との共感不可能性を共感する/奥田知志
ホームレスなどの生活困窮者を支援する際、「大変でしたね」「わかります」というと、10人にふたりくらいは「野宿をしたこともないのに何がわかるんだ」と怒る。支援活動を行なううえでは、この「共感不可能性」を常に意識していなければならない。相手との対等性をいかに保ち、共感不可能性にどれほど共感できるかが重要となる。(40ページ)

アートは既成の価値観に異議を唱えること/久保田翠
知的障害があるひとの、「よくわからない」行為も、本人が生きるために不可欠なことであり、生きている証である。知的障害のあるひとたちの存在自体がアートであり、彼らの生き様そのものがひとつの表現である(「表現未満、」)。表現やアートはできあがった作品だけをさすのではない。知的障害のあるひとたちの存在をまるごと認め、彼らに対する見方を変えこと、すなわち既成の価値観に異議を唱えることがアートである。(59、61ページ)

ALLY(アライ)の存在は重要であるが‥‥‥/松岡宗嗣
性的マイノリティの存在は「いない」のではなく、「見えていない」のである。性的マイノリティのひとびとは、「ふつう」や「あたりまえ」とされる規範的な性のあり方の枠組みから排除されることで、さまざまなライフステージごとの困難に直面する。「ALLY(アライ)」は、「支援者」「同盟」「味方」を意味する。アライになるためには、「知る」こと、「変わる」こと、そして「行動する」ことといったステップが必要となるが、誰もが誰かのアライになれる。しかしその際の、「当事者ではないが味方」という考え方は、二項対立的な考えにつながる。「かわいそうなマイノリティを助ける」という考え方は、自分自身の差別意識を不可視化する。(85、91、98、99、100ページ)

対話がつながりの回復を図る/六車由実
介護現場では、利用者の人生や経験について話を聞くことで、彼らそのものを理解し、思い出を共有すること。それと共に、個人史からそのひとたちが生きてきた時代や地域の歴史、生活のあり方を知り、伝えていくこと、が大切となる(「介護民俗学」)。利用者同士や利用者とスタッフによる平等で開かれた「対話」によって、スタッフから利用者へという一方的な固定化された関係性が修復される。介護現場で一番大切なのは、要介護度が上がらないようにする支援(自立支援介護)ではなく、「つながりの回復」を図る支援である。つながりがあれば、老いや病、認知症で体が動かなくなったとしても、ひとは最後まで希望をもって生きていける。(123、129、131ページ)

〇[2]は、2017年に22名の中高生に対して、山中俊治(デザインエンジニア)の研究室(東京大学生産技術研究所)で行なわれた「デザイン」に関する4日間の特別授業を再現したものである。そこでは、身の回りのものをよく観察してアイデアを生み出し、「そこに新しい価値を見出し、形に落とし込み、人に伝え、一緒に完成させていくデザイナーの営み(デザインの方法)の根幹」(5ページ)が具体的に綴(つづ)られている。山中にあってはそれは、「人間がなにかを生み出す時の普遍的な方法」(6ページ)である。また、デザインは「人工物、あるいは人工環境と人の間で起こるほぼ全てのことを計画し、幸福な体験を実現すること」(43ページ)と定義づけられる。
〇デザインは、人びとが日常生活上のベネフィット(benefit:利益、恩恵、便益)を得て効率よく、豊かに暮らすために、安全性や操作性、格好よさや愛着、値段などをトータルにプランニングする営為である(44ページ)。それは、感覚的なものと科学的な知識を融合する営みである。その仕事を行なうデザイナーは、それが「総合的な営み」であるという点において、映画監督やオーケストラの指揮者に近いともいえる(51ページ)。
〇[2]から、「まちづくりと市民福祉教育」に関して、「気になる」あるいは「使える」論点や言説のいくつかをメモっておく(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

サイエンスとアートとデザイン/デザインする
サイエンスとアートの目的は真理の探求にある。デザインはいつも誰かをハッピーにすることをめざす。サイエンスは、客観性を追求して記述し、検証しあって知識を共有する。アートは、主観を追求して表現し、「共感」を共有する。その共感を確実なものにするために、評論が大切な役割を果たす。デザインは、サイエンスとアートの両方の知見から得たことを統合して、安全性や操作性、格好よさなどの高いモノをつくる。(47、49、51ページ)

デザインはアイデアが命である/アイデアを出す
デザインのコアになるのはアイデアである。アイデアの本質はそもそも偶然である。アイデアのヒントはいつも観察のなかに、他人の頭のなかにある。また、知識や経験、情報のなかにある。そしてアイデアは、それらを「つなぎ替える」「つなぎ直す」ことである。要するに、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」(ジェームス・W・ヤング)。(174、186、188、190、344ページ)

スケッチを描くということ/スケッチする
スケッチを描くということは、自分が何を見て、何を見ていないかを意識することである。描くということは、そこを見ることと連動していて、見ていないところは描けないし、描く時には必ず見ようとする。私たちは注目しているところ以外を見ておらず、無意識に、全部は見ないようにしている。絵を描くことで意識的に見る範囲を限定したり、見る範囲を決めることができる。スケッチに全ては描かない。最も重要なエッセンスを抽出して(抽象化して)リアリティを与えるということが、スケッチの表現の根幹である。(70、71、110ページ)

デザインが社会変革を促す/未来を拓く
義足をデザインしているとき、失われた体の一部を補完するというより、新しい体を作っている感覚がある。義足は障がい者のために作ったものであるが、実は、障がい者を見る社会のほうが変わるきっかけになる。義足は大量生産ではなく、一人ひとりの切断者に合わせて、「かっこよく」「美しく」作る。一人ひとりのためのデザインが、そのものに目を向けさせ、社会の意識を変え、未来を拓く。いま、みんなのためのデザインから一人ひとりのためのデザインへと、時代は流れている。(318、320、323ページ)

〇以上を要するに(一面的であるが)、アートは、多様性にアプローチしてその異なる存在を認識し、より理解を深め、問いを投げかける(自己表現、問題提起の)営みである。デザインは、過去や「いまここ」から学び、一人ひとりに合わせたものの存在を生み出し、社会変革をもたらす(他者実現、問題解決の)営みである。その点においてアートとデザインは、「まちづくりと市民福祉教育」が内包する営みでもある。留意しておきたい。
〇前述のように、DOORでの「学び」のキーワードのひとつは、「創造性」と「多様性」である。その点に関して、重ねて次の一節を引いておく(抜き書き)。

アート=創造性は、誰のなかにでもある。ひとはどんな苦境においても、創造性を完全に忘れることはない。むしろ、そうした創造性に小さな喜びや希望を見出し、自己と向き合い、ときに他者とそれを共有することで、ひとはひとらしくあり続けることができ、「生きよう」とする思いをも強くできる。([1]3ページ)。

ダイバーシティ(多様性)をめざす、という言葉をよく聞く。しかし、多様性とは状態であり、すでに私たちの周りに存在しているものである。こうした多様性があるという状況を、どれだけセンシティブ(敏感)に感じとれるかということが重要になる。「さまざまなひとがこの世界で生きている」と言葉ではわかっていても、どれだけその状況を意識できるかどうかは、個々によって開きがある。多様なひとびとがいて、さまざまな世界の感じ方がある、ということをより意識できるようになってほしい。([1]232~233ページ)

〇創造性は時に、「ひらめき」すなわち偶然から生まれる。その「ひらめき」は、個々人の「記憶された知識や経験」に基づいてもいる。したがって、創造性は不確かであり、独創的である。しかしその本質は、新しい快適で豊かな未来社会を拓くところにある。多様性は一面では、マジョリティ(多数派)の文化や視点から唱えられる。一方からの多様性の強調は、“出る杭は打たれる”日本社会にあって、同調圧力を強めることにもなる。しかしその本質は、マイノリティ(少数派)の文化や視点を中心に据えた共生社会を形成するところにある。そこでまずは、創造性も多様性も、その人がその人らしく、共に生きられる地域・社会を共に創ることをめざして、さまざまなヒト・コト・モノをそれぞれに「気にする」ことから始まる。付記しておきたい。

【初出】
<雑感>(153)阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」はアートであり、デザインである―東京藝大で “福祉”を学び、東大で “デザイン” を学ぶ―/2022年6月6日/本文

 


08 共同体の狂気の「負の歴史」―映画「福田村事件」から学ぶ―


<文献>
(1)辻野弥生『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』五月書房新社、2023年7月、以下[1]。

〇筆者(阪野)の手もとに、辻野弥生著『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』(五月書房新社、2023年7月。以下[1])と佐藤美侑・米原範彦編『映画「福田村事件」公式パンフレット』(太秦、2023年9月。以下[2])がある。映画「福田村事件」を観た際に購入したものである。部落差別のなかを生き抜いてきた売薬行商団の支配人(29歳)の「朝鮮人なら殺してええんか」、惨状を前に鳴咽(おえつ)を漏らしながら、初行商旅の子ども(13歳)の「なんで、なんでなんで、俺たち、なんで、なんでなんで‥‥」が胸に刺さった、深く重い映画である。
〇「福田村事件」の概要はこうである。「関東大震災が発生した1923(大正12)年9月1日以降、(「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が略奪や放火をした」などの流言蜚語(りゅうげんひご)が飛び交い)各地で『不逞鮮人』(ふていせんじん)狩りが横行するなか、9月6日、四国の香川県からやって来て千葉県の福田村に投宿していた15名の売薬行商人の一行が朝鮮人との疑いをかけられ、地元の福田村・田中村の自警団によって、ある者は鳶口(とびぐち)で頭を割られ、ある者は手を縛られたまま利根川に放り投げられた。虐殺された者9名(胎児を含めると10名)のうちには、6歳・4歳・2歳の幼児と妊婦も含まれていた。犯行に及んだ者たちは法廷で自分たちの正義を滔々(とうとう)と語り、なかには出所後に自治体の長になった者まで出て、事件は地元のタブーと化した。そしてさらに、行商人一行が香川の被差別部落出身者たちだったことが、事件の真相解明をさらに難しくした」([1]帯)。なお、福田村では、殺人罪で逮捕された「かれらは自分たちの代表で捕まったのだという同情の意識から、見舞金のみならず、村をあげて農作業の援助もしたといわれる」([1]141ページ)。また、第2審(1924年9月)で懲役3年から10年の判決が言い渡され、千葉刑務所に収監されたが、その際、「福田村及び田中村では、一人前、800円位の餞別を贈ったと」([1]185ページ)されている。そして、1926年12月、「大正天皇の死去により、翌年多くの犯罪者が恩赦を受けているが、福田村事件の被疑者8名(福田村4名、田中村4名)も、第2審から2年5カ月後に全員恩赦で無罪放免になっている」([1]187ページ。)
〇関東大震災の混乱のなかで起こった福田村事件は、元をたどれば日本が1910(明治43)年8月に朝鮮を植民化したことが遠因になっていた。韓国併合によって多くの朝鮮人が日本に移住し、その一方で朝鮮半島で抗日闘争が激化するなかで、その「暴徒」に対して日本人(福田村の住民)の多くが不安と恐怖(反逆、報復)を感じ、差別意識を強めていった。その際、流言蜚語(デマ)の拡散に大きな役割を果たしたのは、政府・官憲の情報であり、新聞の報道であった。また、朝鮮人虐殺は、6,000人以上とされているが、軍・警察が主導し、主に役所や警察の教唆煽動(きょうさせんどう)によって組織された「自警団」によって行われた。それは、「国家(福田村)を憂えて」の蛮行であり、集団の狂気、共同体の暴力であった。「同調圧力」の強い現代の日本社会と「権力監視」の使命を放棄した日本のメディアの現状において、「負の歴史」に学ぶ意義は大きい。
〇スクリーンにおける船頭・田中倉蔵の一言と、それに対して悲しく笑っている売薬行商団の支配人・沼部新助の最期の一言である。([2]81ページ)

〇福田村の村長・田向龍一と新聞記者・恩田楓のやり取りである。その後、駐在が保護した生き残りの6人を連れて行く。([2]84ページ)

〇香川県の売薬行商について辻野はいう。「もともと香川県は全国一の小さな県で、『五反百姓』といって平均5反くらいしか農地を持たなかった。多くは5反以下で、小作率も全国一と高く、小作争議も頻発した。十分な耕作面積を得られない被差別部落の人たちは、行商で稼ぐしかなかったのである」([1]133~134ページ)。貧困は、歴史的・社会的要因によって階級的・構造的に作り出される不平等である。それは、生活や人生を破壊する恐怖であり、暴力である。「福田村事件」は、ロシア革命(1917年)や米騒動(1918年)などをきっかけにさまざまな社会運動が勃興する時代背景のもとで、民族差別とともに、部落差別とそれに基づく貧困に起因するものでもあった。強く認識したい。なお、香川県では、「福田村事件」の翌年1924年に県水平社が結成されている。
〇最後に、映画「福田村事件」の監督・森達也の次の一文を引いておく。「映画はフィクションだ。エンタメの要素も強い。だから実在していない人もたくさん登場する。物語を紡ぎながら事実を補強する。/でもそれは史実とは微妙に違う。だからこそ、この本の位置は重要だ。もう一度書く。忘れてはいけない。忘れたらまた同じことをくりかえす。過去にあった戦争や虐殺よりも恐ろしいことがひとつだけある。戦争や虐殺を忘却することだ」([1]242ページ)。2023年は関東大震災から100年の節目に当たる。

付記
本稿のタイトル「殺されてもよい人はいない、忘れられてもよい人はいない」は、美術作家・飯山由貴の言葉である。飯山は問う。「私たちは『殺されてもよい人はいない』ことを当たり前とする社会を、それを当たり前のこととする文化を、作れているのだろうか」([2]37ページ)。

【初出】
<雑感>(189)阪野 貢/殺されてもよい人はいない、忘れられてもよい人はいない ―辻野弥生著『福田村事件』のワンポイントメモ―/2023年10月5日/本文

 


むすびにかえて


〇地域の文化開発や文化創造にとって、その基盤は人材である。福祉文化を創り、育てる人材の発掘と育成が重視されなければならない。また、福祉文化の質は、住民リーダーの資質や力量によって決まるといってもよい。個々の住民の福祉文化活動が質の高ものであっても、そこに新しい視点と柔軟な思考、それに豊かな経験などを備えた優れたリーダーがいなければ、それは福祉文化として育たないであろう。個々の住民の能力や技術、エネルギーをいかに結集するか、住民リーダーの存在が問われることになる。
〇また、高齢者や障がい者などの福祉サービス利用者を、地域の活性化や福祉文化の創造を図る主体として位置づけ、その推進方策について検討することも重要である。高齢者や障がい者がもつ知識や経験などを生かすための日常的な “ 出番 ” や “ 晴舞台 ” を準備することが求められる。さらに、子どもについても、明日の文化の担い手として、しかも現役のそれとして、日常的な福祉文化活動に参加することが期待される。
〇高齢者や障がい者などの福祉サービス利用者をはじめ、すべての住民は、単なる文化の受け手としてのみ存在するのではない。文化的生活を主体的・能動的に享受し、豊かな福祉文化を創造する主体として存在することが期待される。また、文化の香りのする福祉のまちづくりを推進するためには、その実践や運動に主体的・積極的に取り組む住民を必要不可欠とする。ここに、福祉教育が求められる。
〇福祉教育は、住民の日常生活に立脚した営みであり、すべての住民が地域生活主体として、日常生活が展開される地域社会のなかで共に手をたずさえて豊かに、文化的に生きるための活動である。そういう福祉教育を推進する際、その主役は、あくまでも地域の主人公としての住民である。
〇いずれにしろ、福祉教育の振興は、地域の自治能力や教育力、福祉力などの向上をもたらす。とともに、地域の福祉文化を生み出す。芸術や文化に完結や完成がないように、教育にも本来、完結や完成はない。福祉教育への継続的で計画的な取り組みが求められる。そこにはじめて、文化の香りのする福祉のまちが誕生するのである。

初出】
阪野 貢「福祉文化のまちづくりと福祉教育」『福祉文化研究』Vol. 2、福祉文化学会、1993年3月、21~22ページ。

〇「(市民)福祉教育」に固有の実践・研究方法は構築・確立されているか、ということをめぐっては、例えば、日本福祉教育・ボランティア学習学会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸-学際性と変革性―』(大学図書出版、2014年10月)から読み解くこともできよう。筆者は、福祉教育実践の理論化や研究の科学的体系化は言われるほどには進んでいないと思っている。ここ10年近くは、「先進的」「独創的」と評される実践事例の単なるモデル化や定型化による「福祉教育プログラム」の研究開発が進められてきた。そのうえにいま、政府主導による形式的で画一的な、財源の裏付けを欠いた、理念や理想としての「地域共生社会」づくりが強調(強制)されている。気にかかるところである。言うまでもなく、地域づくり(まちづくり)を推進するためには、そのノウハウやヒト、モノ、カネ、情報が必要である。
〇また、「地域共生社会」については、原田正樹の次の指摘を胸に刻んでおきたい。「これまで『総論賛成・各論反対』と言われてきたが、7・26(相模原殺傷)事件はこの『総論』でさえも全否定し、共生社会を実現していくことの難しさを思い知らされた」(原田正樹「7・26(相模原殺傷)事件を考える-事件が問いかける意味とは-」『ふくしと教育』第22号、大学図書出版、2017年2月、13ページ)。
〇改めていま、(市民)福祉教育の理論的・実証的かつ実践的研究のあり方が厳しく問われている。その際、「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成」を図る「まちづくりと市民福祉教育」にあっては、本稿で提示した「文化的・芸術的視点からのアプローチ」が必要かつ重要となる。強く認識したい。

 


備 考 ― <文献>一覧  ―


はじめに

01 「時間」と「空間」の座標― 内藤廣(建築家)から学ぶ―
(1)内藤廣『建築のちから』王国社、2009年7月。
(2)内藤廣『場のちから』王国社、2016年7月。
(3)内藤廣『空間のちから』王国社、2021年1月。

02 「塑する」ことと「繋ぐ」こと―佐藤卓(グラフィックデザイナー)から学ぶ―
(1)佐藤卓『塑する思考』新潮社、2017年7月。

03 「福祉文化」活動を通した「ゆるやかな絆」―今中博之(ソーシャルデザイナー)から学ぶ―
(1)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月。
(2)アトリエ インカーブ編『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』ビブリオ インカーブ、2019年9月。
(3)今中博之『社会を希望で満たす働きかた―ソーシャルデザインという仕事―』朝日新聞出版、2018年10月。

04 「1984年」と「個性」と「多様性」―ジョージ・オーウェルと村田紗耶香(小説家)から学ぶ―
(1)ジョージ・オーウェル、高橋和久訳『1984年』(新訳版)早川書房、2009年7月。
(2)村田紗耶香『信仰』文藝春秋、2022年6月。

05 「社会」と「自分」を「考える」  ―池田晶子(哲学者、文筆家)から学ぶ―  
(1)池田晶子『14歳からの哲学―考えるための教科書―』トランスビュー、2003年3月。

06 「教養」と「教育」―教養人(安部謹也・ほか)から学ぶ―
(1) 安部謹也『「教養」とは何か』(講談社現代新書)講談社、1997年9月。
(2) 梅田正己『「市民の時代」の教育を求めて―「市民的教養」と「市民的徳性」の教育論―』高文研、2001年5月。
(3) 村上陽一郎『あらためて教養とは』(新潮文庫)新潮社、2009年4月。
(4) 中央教育審議会「新しい時代における教養教育の在り方について(答申)」2002年2月。
(5) 日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会『21世紀の教養と教養教育(提言)』2010年4月。

07 「福祉」はアートであり、デザインである―東京藝大と東大における体験型授業から学ぶ―
(1)東京藝術大学 Diversity on the Arts プロジェクト編『ケアとアートの教室』左右社、2022年1月。
(2)山中俊治『だれでもデザイン―未来をつくる教室-』朝日出版社、2021年11月。

08 共同体の狂気の「負の歴史」―映画「福田村事件」から学ぶ―
(1)辻野弥生『福田村事件―関東大震災・知られざる悲劇』五月書房新社、2023年7月。

むすびにかえて

 

阪野 貢/新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―その哲学的思考に関する研究メモ―

新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
―その哲学的思考に関する研究メモ―

阪野 貢/市民福祉教育研究所

 

はじめに―哲学のある教育実践―
01  「ふくし」の哲学
02  「正義感覚」の育成
03  「人間的連帯」の言説
04  「自己決定」の実相
05  「世間」からの解放
06  「しょうがい」と疑似体験の陥穽
07  「生」の倫理
08  「しんがり」の姿勢
09  「助けて」の表明
10  「愛郷心」の相克
11  「差別」の本質
12  「共感」の功罪
13  「利他」の学問
14 “Well-being”  の視点
15  「自前」の思想
16  「生きづらさ」の正体
17  「相互支援」の人間学
18  「ふつう」の功罪
19  「批判的教育」の使命
20  「対話」の技術
21  「 弱さ」のデザイン
22  「 共同体」の教育的営為
23  「贈与」の意義
24  「共事者」の実践的態度
25  「思いやり」の暴力
26  「哲学対話」の方法
27  「地域共生社会」の模索
28  「まちづくりの哲学」の構築
むすびにかえて―支配に抗する思想―

 


はじめに―哲学のある教育実践―


<文献>
(1)高久清吉哲学のある教育実践―「総合的な学習」は大丈夫か―』教育出版、2000年4月、以下[1]。

〇2019年11月、日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会が北星学園大学(札幌市)で開催された。大会テーマは、「未来へつなぐ、みんなでつなぐ。~多文化共生社会を育む福祉教育とボランティア学習~」であった。圧巻で感動的だったのは、本田優子による「アイヌ文化からみる多文化共生社会の創造」と題する「基調講演」であった。アイヌ語に「ヤイコシラㇺスイェ」という言葉がある。「ヤイ」は「自分」、「コ」は「に対して」、「シ」は「自分」、「ラㇺ」は「心」、「スイェ」は「を揺らす」、「ヤイコシラㇺスイェ」で「自分に対して自分の心を揺らす」となる。それは日本語の「考える」という意味である。「考える」とは「心を揺らす」こと、筆者にとって目から鱗(うろこ)が落ちる一言であった。
〇「自由研究発表」や「課題別研究」報告などでは、ひとえに筆者の浅学菲才によるものであるが、「心を揺らす」報告はさほど多くはなかった。新味のない(使い古された)テーマについて、場所や組織、人を替えただけの、あるいは横文字や権威づけられた(古めかしい)過去の言説を多用した議論では、福祉教育実践や研究の推進は望むべくもない。歴史的・社会的・文化的実践であるはずの福祉教育実践をめぐって、その現場から乖離(かいり)した抽象的な言葉・概念や思考をこねくり回すのも、然りである。そこからは、原理や理論のない、視野が狭く定型化され、矮小化された実践が生み出されるだけである。そうした福祉教育実践さえも、厳しい時代状況に押しつぶされようとしている(されている)。意図的にか無意識的にか、それを理解・認識しない実践者(あるいは実務家)や研究者がいる。また、そうした状況に抗することなく早々に諦め、受け入れ、慰め合っている人たちもいる。そこからは、福祉教育実践や研究の「展望」や「未来」は見出せない。
〇そこで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践とのかかわりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。「理論と実践」の関係性について探究することなく、単なる「実践(事例)」研究にとどまりがちな福祉教育研究の現状も気にかかる。
〇そんな思いのなかで、高久清吉の[1]で、筆者なりに再確認・再認識しておきたい論点と言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「哲学のある教育実践」という言葉
「哲学のある教育実践」という言葉に接した時、ある人は、教育についての確固とした信念や信条をもった教師による実践とか、教育の理念や理想に基づく明確な思想に貫かれた実践を思い浮かべるかも知れない。また、人によっては、考え方や判断の筋道がすっきりとした実践、教師の体系的な見方や考え方が際立っているような実践をイメージするかも知れない。いずれにしても、「哲学のある教育実践」が意味するものは、だれにも共通一様に理解されるというのはあり得ないようである。(108~109ページ)

「哲学」の意味
「哲学」の意味は、通常、大きく次のような二つに分けられる。一つは、「哲学すること」(Philosophieren)、もう一つは、「哲学」(Philosophie)である。
「哲学すること」とは筋道の通った知的活動そのもの、この活動の「過程」にこそ哲学の本質があると見る立場である。それに対し、「哲学」とは知的活動の「結果」または「所産」として導き出された内容の体系、それが本来の哲学であるとする立場である。この二つの意味は、よく「過程としての哲学」と「結果としての哲学」という言葉で表現されている。この二つを切り離して別々のものと見なすことはできないが、「哲学」の意味を、一応、この二つに分けるのは妥当である。(109~110ページ)

「哲学のある教育実践」の意味
「哲学」の意味を二つに分けるとすると、これに対応して、「哲学のある教育実践」の意味も二つに分けられる。「哲学のある教育実践」の「哲学」を「過程としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な見方や考え方が大きく作用する教育の実践、言い換えれば、教育実践上のさまざまな問題や事柄が哲学的な見方や考え方に基づいて吟味され、判断され、構想される実践ということになる。これに対し、「哲学」を「結果としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な思考から生まれた内容、つまり、教育に関する明確な「思想」に基づく実践ということになる。
「哲学のある教育実践」のこのような二つの意味は、実は、一方がなければ、他方も成り立たないという表裏の関係にある。哲学的な考え方によって明確な思想が導き出されるし、明確な思想が前提となって、実践上のさまざまな問題や事柄についての哲学的な考え方も行われることになるわけである。(110ページ)

〇以上を簡潔に言えば、高久にあっては、「哲学」とは「いわゆる学問領域としての哲学やその学説内容ではない。いつでも、全体的・根本的なものを踏まえながら、実践や実際上の個々の問題を筋道立てて主体的・構造的にとらえていこうとする思考の働きそのもの」(まえがき、ⅵページ)をいう。そして、「哲学のある教育実践」は、「教育の理論または哲学と結び付き、これによって支えられ、方向づけられた教育実践」(97ページ)と定義づけられる。
〇そのうえで高久は、教育現場と教師について、次のように指摘する。「哲学をもたないで教育の実際の仕事に従事している教師たちに共通して認められる欠点は、本質と現象、全体と部分、本と末、重と軽との間の区別がはっきりせず、これらを簡単に混同してしまうことである」。「さまざまな問題や事柄への対応に追いまくられる教育現場において、教師のものの見方や考え方は強力に狭められてしまい、現象に振り回される本末軽重の見分けもできなくなってしまう」(112ページ)。そこで、現場教師に求められるのは、「教育の理論または哲学と、教育実践との生きた結び付きを求める問題意識」である(97ページ)。「教育現場にとって何よりも必要なのは、『普遍的理念』、つまり、教育の本質的・原理的なものをしっかりと踏まえ、これに基づく哲学的な考え方を展開していくことである」(112ページ)。
〇こうした指摘は、学校現場を含めた地域・社会における福祉教育(「市民福祉教育」)にも通底する。福祉教育学界(学会)が探究すべきものは、福祉教育の場当たり的な、対処療法的な方法・技術ではない。哲学的思考によって生み出される「福祉教育思想」(「福祉教育哲学」)と、それに貫(つらぬ)かれた福祉教育の「理論と実践」である。その際の哲学的思考は言うまでもなく、自律的で理性的、批判的な思考であり、その論理化と体系化が「哲学する」ということでもある。
〇今日、行政主体のまちづくりや福祉の公的責任の縮減、教育の国家統制の強化などが進むなかで、市民の要求や構想に基づく「まちづくり改革」や高齢者や障がい者などの真のニーズに基づく「福祉改革」、子ども・青年から出発する下からの「教育改革」が強く求められている。そこで何にもまして必要なのは、それらに関する思想と哲学である。筆者は、「まちづくりと市民福祉教育」について思考する際、歴史的視点とともに哲学的思考が必要かつ重要であることを指摘してきた。その際とりあえず、大雑把であるが、「思想」を物事についてのまとまった思考、「哲学」を物事の根源のあり方についての探究、そして「倫理」を社会において人が守るべき物事の規範、と考えてきた。本稿は、その点に多少なりとも留意しながら草してきた拙稿(論点や言説についてのメモ)の一部を集成したものである。

【初出】
<雑感>(98)阪野 貢/歴史的視点や哲学的思考を欠いた福祉教育:「福祉教育哲学」の必要性を問う―高久清吉著『哲学のある教育実践』再読メモ―/2019年12月12日/本文

 


01  「ふくし」の哲学


<文献>
(1)三谷尚澄『哲学しててもいいですか? ―文系学部不要論へのささやかな反論―』ナカニシヤ出版、2017年3月、以下[1]。
(2)広井良典『福祉の哲学とは何か―ポスト成長時代の幸福・価値・社会構想―』ミネルヴァ書房、2017年3月、以下[2]。
(3)糸賀一雄『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月、以下[3]。
(4)阿部志郎『福祉の哲学』誠信書房、1997年4月、以下[4]。
(5)伊藤隆二『この子らは世の光なり』樹心社、1988年9月、以下[5]。
(6)仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月、以下[6]。
(7)大橋謙策『社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、以下[7]。

〇文部科学省によって、「大学改革」という名のもとで、教員養成系・人文社会科学系「学問」の「不要論」が謳(うた)われている。また、「学問」ではなく、「実践力」の養成に特化した職業訓練機関(「専門職大学」)や資格取得機関への転換が図られている。それは、「社会」的要請によるものであるというが、その際の「社会」は(政治に大きな影響力を持つ)「財界」のことを意味する。ちなみに、2023年度開学予定を含む専門職大学・短期大学は22校(大学19校、短期大学3校)、専門職学科は1学科を数えている。
〇こうした潮流に対して、[1]で三谷尚澄はいう。「頼るもののない時代のただなかに、拠って立つべき足場をもたないままに放り出された人間は、どうやって日々をしのいでいけばよいのだろう。(中略)そんなときだからこそ、それほど立派でも力強くもない人間にも届くことのできる倫理の言葉を探しておく必要があるのではないか。そして、その点において、(中略)哲学と呼ばれてきた知的営みがきわめて大きな知的貢献を行なうことができるのではないか」(81~82ページ)。「論理的・批判的に思考する」能力と「箱の外に出て思考する」能力の育成(120、151ページ)、「市民的器量(civic virtue)」すなわち「哲学の器量を備えた市民」の育成(105、195ページ)などを目的とする教育がこの国の大学から姿を消すことがあってはならない、と。「まちづくりと市民福祉教育」のあり方を問う際の根源的な問題のひとつでもある。強く認識したい。なお、「箱の外に出て思考する」能力とは、「異質なもの」や「自分とは違った考え方や意見」に対する「感受性」や「耐性」、さまざまな状況に柔軟に対応するために必要とされる「器量」をいう(151ページ)。
〇政治と社会の右傾化、福祉の私事化と教育の国家統制が進んでいる。こうした現在の社会情勢のなかで、「いつか来た道」論が唱導される。しかし、その「危機」は、「時代の繰り返し」であり、歴史の繰り返しではない(吉田久一『日本社会事業思想小史―社会事業の成立と挫折―』勁草書房、2015年10月、はしがき、ⅴページ)。新しい歴史をつくるのは、草の根の民主主義であり、歴史的で社会的な内容を失うことのない「市民」による組織的・体系的な実践(援助・支援、活動)や運動である。
〇[2]の広井良典にあっては、「ポスト成長時代」の日本社会は、(1)政府の借金の際限なき累積と将来世代へのツケ回し、(2)人々の「社会的孤立」の高さ(「無言社会」)、の “危機” 状況にある。と同時に、「新たなつながり」やネットワーク化を志向する動き(「関係性の進化」「関係性の組み換え」)がみられる。このような状況においてこそ、「人々の行動や判断の導きの糸となるような、新たな価値原理や社会構想が求められている」。いま、「福祉の哲学とは何か」が問われるところである(まえがき、ⅱ~ⅲページ)。
〇なお、[2]では、「福祉」を積極的ないしポジティブな営みとしてとらえ、「幸福」や「公共性」「宗教」「コミュニティ」「生命」などとのかかわりについて多面的・多角的な思考を展開している。それは、これまでの「福祉思想」や「福祉思想研究」とは異なる「新たな視点」からのアプローチであり、「独自の考察と構想」を提起するものでもある。
〇ところで、「福祉の思想や哲学」といえば筆者はまず、「この子らを世の光に」「発達保障」の糸賀一雄と、「ボランティアの互酬性」「コミュニティ重視志向の地域福祉」の阿部志郎を思い出す。糸賀は、「福祉の実現は、その根底に、福祉の思想をもっている。実現の過程でその思想は常に吟味(ぎんみ)される。(中略)福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである」([3]64ページ)という。阿部は、「福祉の哲学は、机上の理屈や観念ではなく、ニードに直面する人の苦しみを共有し、悩みを分ちあいながら、その人びとのもつ「呻き」(うめき)への応答として深い思索を生みだす努力であるところに特徴がある」([4]9ページ)と主張する。二人はともに「実践的思想家」であり、それは、先駆的な現場実践(キリスト教福祉実践)を通して形成された幅の広い、奥行きの深い「福祉の思想」であり「福祉の哲学」である。なお、周知のように、「世の光」とは新約聖書(「マタイによる福音書」)の「山上の垂訓(説教)」のひとつである(「あなたがたは世の光である」)。「互酬」とは「贈与と返礼」の社会的相互行為を意味する。
〇ここでは、糸賀の「この子らを世の光に」と阿部の「ボランティアの互酬性」について、その論点と言説を改めて[3]と[4]から確認することにする(抜き書きと要約)。

糸賀一雄:「この子らを世の光に」([3])
(精神薄弱児の教育は)彼らについて何を知っているか、彼らにたいして、また、彼らのために何をしてやったかということが問われるのでなく、彼らとともにどういう生きかたをしたかが問われてくるような世界である。(51ページ)

この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。「この子らに世の光を」あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。「この子らを世の光に」である。この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。障害をもった子どもたちは、その障害と戦い、障害を克服していく努力のなかに、その人格がゆたかに伸びていく。3才の精神発達でとまっているように見えるひとも、その3才という発達段階の中味が無限に豊かに充実していく生きかたがあると思う。生涯かかっても、その3才を充実させていく値打ちがじゅうぶんにあると思う。(177ページ)

この子たちは、自己実現という生産活動ばかりではなく、もうひとつ別な新しい生産活動をしている。心身障害をもつすべてのひとたちの生産的生活がそこにあるというそのことによって、社会が開眼され、思想の変革までが生産されようとしているということである。ひとがひとを理解するということの深い意味を探究し、その価値にめざめ、理解を中核とした社会形成の理念をめざすならば、それはどんなにありがたいことであろうか。(178ページ)

阿部志郎:「ボランティアの互酬性」([4])
哲学という言葉は、「知恵の探求」という意味である。哲学は、答えそのものによってよりも、むしろ問いによって性格づけられる。哲学は学問の一分野であるが、「学問」が「問いを学ぶ」「問われて学ぶ」という字で構成されているのは興味深い。(9ページ)

福祉の哲学とは、福祉とはなにか、福祉はなにを目的とするか、さらに人間の生きる意味はなにか、その生の営みにとって福祉の果たすべき役割はなにかを、根源的かつ総体的に理解することであるが、それには、福祉が投げかける問いを学び、考えることである。それはニードの発する問いかけに耳を傾けることからはじまる。(9ページ)

互酬は、親族・地域共同体を維持するための不可欠な行為で、今でもアジアの共同体は互酬で成り立っている。戦後の日本社会では、共同体は封建遺制として否定され崩壊の途をたどったのに、目標とするコミュニティは未だつくられていない。でも、互酬は生き続ける。香典、

香典返し、結婚祝い金、引き出物、中元、歳暮の風習は、ヨーロッパ社会ではまったくみられない。しかし、共同体を維持する機能としての互酬は失われ、かつアジアの互酬を支える宗教性も日本社会にはないのが実態だ。(92ページ)

互酬制と近代型福祉、さらに伝統的ボランティアと有償型サービスとのあいだに深いギャップがあり、ときおり、雑音が聞こえぬわけでもない。アジアの共同体のなかにたくましく息づいている互酬制――分かち合いの相互扶助――に今ひとたび目を向け、そして日本の地域社会の現実を見直したうえで、自立と連帯の福祉社会を創出する発想に切り換えるのが望ましいのではないか。時代とともにニードが変わるから対応が多様化するのは当然である。その態様はどうであれ、住民が福祉を学習し、理解し、実践に参加するまちづくりを推進する必要を痛感せずにはいられない。(126~127ページ)

〇「福祉の思想や哲学」の探究は、実証的・実践的なものでなければならない。それによってその思想や哲学は広め、深められ、また新たな思想や哲学の形成が図られることになる。ここでは、筆者の姿勢が評論家的なそれであることを承知のうえで、糸賀の「この子らを世の光に」に対して伊藤隆二の「この子らは世の光なり」、阿部の「ボランティアの互酬性」に対して仁平典宏の「贈与のパラドックス」についての言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

伊藤隆二:「この子らは世の光なり」([5])
糸賀一雄氏は戦後、最初の公立福祉施設「近江学園」をつくり、この子らの教育福祉に邁進(まいしん)し、ついに「この子らに世の光を」を「この子らを世の光に」に転回させたのである。「この子らを」というとき、われ(または、われわれ)は主体で、「この子ら」は客体になる。主体が客体に働きかけ(あるいは操作し)、「世の光に」まで高めてやるのだという発想には、ある種の傲慢(ごうまん)さがあるし、「この子ら」の本質への誤解がある。また、「この子らを世の光に」というとき、まだこの子らが「世の光」であることを認めていない。そこで教育し、きたえ、みがきをかけて、やっと世の光になりうるのだという見方である。わたくしは、この子らと長く深くかかわっているが、この子らは生まれながらにして「世の光」だと知った。正確にいうと、生まれたときから死ぬときまで、いや死んでもなお世の光でありつづける。「この子らは(そのままで)世の光である」。「この子ら」は主体であって、世を照らしつづけているのである。(223~224ページ)

仁平典宏:「贈与のパラドックス」([6])
阿部志郎も「互酬性」を基盤に据えたボランティア論の担い手の一人である。阿部は1973年の時点では、ボランティアの報酬性を明確に否定していたが、1994年には態度を180度と言ってもいいほど「軟化」させている。彼はまず、共同体や地域社会において不可欠な行為として「互酬性」を取り上げ、「香典―香典返し、結婚祝い金―引き出物、中元、歳暮の風習」を例示する反面、その基盤は失われてきているという。その一方で、新たに登場してきた「相互に有料で利用し、有償でサービスを提供する」「市民参加型福祉サービス」に、「互酬の近代化・組織化」を見る。彼によると、これらは「(1)会員の自主性にもとづく、(2)友愛・協同の思想にたつ、(3)有償とはいえ実費弁償的性質のもので収益を目的としない、(4)グループとして、ボランタリー・アソシエーションの性格を保つ」ことから「広義のボランティアの原則からはずれていない」と述べる。このように、ここで「互酬性」という思想財を獲得することによって、「ボランティア」という言葉は高い汎用可能性を配備することが可能になった。担い手にとって効用があると言えるなら、経験・楽しさ・友達づくり・評価・金銭的対価などを、区別なく堂々と「ボランティア」として肯定できる。<贈与のパラドックス>は、このような形で「解決」されるべきこととなった。(381~382ページ)

〇仁平の「贈与のパラドックス」(paradox、逆説・矛盾)とは、贈与は行為者の真の意図とは別に、交換や見返り、偽善や自己満足などとして外部観察されがちである、という意味であろう。平易に言えば、「贈与の偽善性」「贈与の疑わしさ・怪しさ」である。ボランティアについての言説の歴史は、こうした「贈与のパラドックス」を如何に解決するかの歴史であった、と言ってよい。
〇いま改めて「福祉の哲学」の必要性を強調する一人に、「実践的研究者」である大橋謙策がいる(注①)。大橋は[7]で、「住民と行政との関係を上下の関係で捉えるのではなく、住民の自立と連帯を前提にし、対等の立場で問題解決を図る新たな社会哲学、社会システムが求められ、社会福祉のような歴史的に国の『社会の制度』として発展してきたものも従来にない発想が求められている」(30ページ)として、次の3つの「思想」を取りあげる。(1)フランスの近代市民革命の際にうたわれた「博愛」の思想(自由と平等を担保する「博愛」)。(2)ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンといった思想(「社会的包摂」)。(3)自分たちで相互扶助組織をつくり、対応しようとする考え方(「協同組合方式」)、がそれである(28~30ページ)。そして大橋はいう。「ソーシャルワークを展開する際の価値の1つは、人間性を尊重し、社会正義と公正を守ることであり、人々の自由と平等を保障することであるが、それらを標榜すればするほど、人々が社会的にも、個人的にも “博愛” という社会の神聖な責務を遂行することが求められる。(そのためには)伝統的な意識と行動を尊重しつつも、新たな社会システムに必要な価値、意識として “博愛” の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる」(227ページ)。再認識したい。
〇なお、大橋は、全国各地における草の根の地域福祉実践の向上と「バッテリー型研究」に取り組んでいるが、最近の政策動向に関して、「地域福祉が“我が事”になり、その危険性を警鐘すべきである。戦前の歴史を忘れた政策は恐ろしい」という(筆者への書簡)。地域共生社会が「上から」の押しつけ(「教化」)によるものであってはならない、という指摘である。「バッテリー型研究」については、大橋謙策『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク―』中央法規出版、2022年4月、ⅱページを参照されたい。
〇また、「博愛」に関しては、次の諸点にも留意しておきたい。(1)フランス革命は、新興の「ブルジョワジー」(有産階級、中産階級)による革命である。(2)その理念は、「自由、平等、友愛」であり、「自由、平等、博愛」ではない。(3)「自由」は、多様性を保障するが、不平等を生むことにもなる。(4)「平等」は、突き詰めれば全体主義や不自由を生む。(5)「友愛」とは、他者を自分の本当の兄弟のように愛すること(社会秩序)を意味する。(6)「博愛」には、「慈善」と同様に、階級差別的な意味合いがある、などである(注②)


①「福祉を哲学する」ひとりに秋山智久がいる。秋山は、「福祉哲学の必要性」を次の8点に要約している。(1)平和・人権・安全の希求、(2)人間尊重の確認、(3)社会福祉の進む方向の示唆、(4)社会福祉的人間観の確立、(5)「倫理綱領」の検討、(6)実践の価値観の探求、(7)社会福祉利用者の人間としての不幸、人生の不条理の解明、(8)実践の拠り所としての価値観・人生観の提供。これらの必要性は、秋山にあっては、将来より広義の「福祉哲学」が体系化されるときに、その主要な「構成要素」ともなるものである(秋山智久・平塚良子・横山穫『人間福祉の哲学』ミネルヴァ書房、2004年6月、45~47ページ)。
②フランス革命の理念は「自由、平等、友愛」である。「自由」は放置すればアナーキズム(無政府主義)に行き着く。「平等」は突き詰めたら全体主義や共産主義になる。「友愛」は友を愛するであり、他の宗教や民族は除外される。「博愛」とは違う(中川淳一郎・適菜収『博愛のすすめ』講談社、2017年6月、35、98ページ)。

【初出】
<雑感>(59)阪野 貢/引き続き「福祉教育」してもいいですか?―“福祉を哲学する”はじめの一歩:「世の光」(糸賀一雄)と「互酬性」(阿部志郎)、そして「博愛」(大橋謙策)/補遺:大橋謙策「最終講義」(レジュメ)(2010年3月13日)―/2018年1月25日/本文

 


02  「正義感覚」の育成


 <文献>
(1)伊藤恭彦『さもしい人間―正義をさがす哲学―』新潮新書、2012年7月、以下[1]。

 さもしい:①見苦しい。みすぼらしい。②いやしい。卑劣である。心がきたない。
正義:①正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。②正しい意義または注解。③(justice)㋐社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。現代ではロールズが社会契約説に基づき、基本的自由と不平等の是正とを軸とした「公正としての正義」を提唱。 ㋑社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。(新村出編『広辞苑』(第六版)岩波書店、2008年1月)

〇周知のように、2015年6月、選挙権年齢を満18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が成立した(施行は2016年6月)。そしていま、高校生らの政治や選挙への関心を高め、政治的教養を育む教育のあり方が問われている。
〇「まちづくりと市民福祉教育」について考えてきた筆者は、これまで、「政治」(とりわけ地方政治)を重要な検討課題のひとつとして位置づけてきた。また、各地のまちづくりにかかわるなかで、地域における政治的・社会的権力や地元住民(「有力者」)の言動に戸惑ったこともあった。そのとき、正義感をひけらかすわけではないが、「さもしい」や「正義」という言葉が脳裏に浮かんだのも偽らざる事実である。
〇[1]で伊藤恭彦は、政治「哲学的思考を思い切り『低空飛行』させ」(18ページ)、わかりやすく、ユーモアを交え、ときには自虐ネタをふりかけながら「さもしさ」の正体を追う。そして、伊藤の主張(結論)は、シンプルでクリアである。「私はいろいろな考え方や生き方をする人々が、ゆるやかに共存している社会が望ましいと思う。正義という言葉を使って一人一人をお説教するのではなく、最低限の正しい制度についてみんなで考え、合意し、それを形作ることを目指した方がいい。正義は制度を通して実現される。制度とは、すべての人間を架け橋でつなぐ最低限の絆でもある」(205ページ)、というのがそれである。
〇以下に、(1)「さもしさ」と「正しさ」、(2)「お互い様」の倫理と制度化、(2)「私憤」と「公憤」、という項目を設けて、伊藤の論点や言説の要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

(1)「さもしさ」と「正しさ」
私たちは既に十分豊かであるにもかかわらず、他の人をさしおいて貪欲に利益を追求しているかもしれない。さらには誰かの不幸の上に自分の豊かな生活を作り上げているかもしれない。こうした態度を「さもしい」と呼びたい。(14ページ)

「さもしさ」が人と人との関係を意味しているとするならば、その反対語は「正しさ」になる。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは倫理の体系の中に「正しさ」(正義)を位置付け、それが人間関係においてとても重要であることを説いた。「不正な人と思われているのは、(1)法律に反する人と、(2)貪欲な人、すなわち、不平等な人である」という。(57ページ)

「さもしい」とは倫理的に言うと不正な人間関係を意味している。不正だと言う理由は、自分の「分」を超えて何かを得ようとするからである。一人一人が「分」を超えて欲望を追求すると、すごく不平等な人間関係ができあがってしまう。これを押さえ込むためには、一人一人の「分」を確定する基準が必要だ。しかし、この基準を確定できるほど、私たちの社会は単純ではない。そこで生きている人間はみな違い、おかれた環境もみな違うからである。(71~72ページ)

「分」とは、ある人がもっている価値であり、その人の必要性や功績や長所などにあったその人にふさわしいものをいう。不正とは自分の「分」を守らないことであり、正義とは「その人にふさわしいものを与える」ことを意味する。各人の「分」を決めるにあたり、分かりやすい基準は、自由な行動と自己責任である。(59~62、72ページ)

自由社会(市場社会)は、競争社会である。市場社会の競争は全員に参加を強制する。競争である以上、順位がつく。かくして市場競争は必然的に不平等を生み出す。不平等の発生を必然と捉えた上で、問題を含んでいない不平等とは何か。別の言い方をすれば、許される(倫理的に許される)不平等とは何か。これが不平等と格差(不平等が、ある限度を超し、問題を含んでいる場合の表現)を検討するときに中心に据えられなければならない問いだ。不平等に対してこうした問いを『正義論』の著者ジョン・ロールズも立てている。ロールズは現代社会にふさわしい正義として、①「基本的な自由を全員に保障すること」、②「機会(ライフチャンス)の実質的平等をはかること」、そして、③「それでも残る不平等は社会の最も不利な人々の利益になること」、という三点を指摘している。不平等はあってもよいが、社会で最も不遇な人々の状況改善に役立たなくてはならないというわけだ。
不平等や格差を捉えるときには、視点を不平等の底辺にいる人々に定めなければならない。もし、不平等の底辺にいる人々が過酷な状態に放置されているならば、その不平等は問題だと言える。(98~99、101~102ページ)

(2)「お互い様」の倫理と制度化
共同体社会の名残として、私たちの社会には「お互い様」という考えが残っている。「困った時はお互い様」である。(106ページ)

「お互い様」は、日本的共同体関係に源をもつ言葉だと思われる。共同体的なもたれ合いという互酬性がここには含まれている。ただ、同時に「お互い様」には、相手の立場になってみるという大切な洞察が含まれている。つまり、自分の視点と他人の視点を入れ替えてみるわけだ。共同体的な倫理と正義は異なるかもしれないが、「お互い様」の倫理には公平さや正義につながる視点が含まれている。そう考えてみると、「お互い様」という美しい発想を、制度の中に組み込んでいくことは正義を満たす一つのルートになるだろう。できることなら困っている人を助けたいとほとんどの人は思うだろう。ただ、助けることを個人に任せると、同じ苦境に立ちながらも、助けられる人と助けられない人という不公平が生じる。だから、市場社会の底辺で苦しむ人々を助けるための基本的な仕組みは、社会制度にした方がよい。(113~114ページ)

お互いに助け合うという制度は、自己責任を曖昧にするものではない。不運な人を助けることは、その人がまた自己責任に基づいて行動していく途を確保することでもある。つまり、自由な選択とか自己責任とかいった価値を、助け合いの制度は損なうのではなく、逆に輝かすことになるのだ。(123ページ)

不平等の底辺で苦しむ人々を助けることは、最低限の正義だと思う。私たちはこのような正義感を制度にきちんと組み込む必要がある。そして、そんな制度をつくり、制度の維持に貢献したならば、後は自由に自分の欲望を追求しても「さもしい」とは言われない。(137ページ)

(3)「私憤」と「公憤」
正義は、人を苦しめる構造、人を食い物にして利益を得てしまう構造、この構造を改革することである。正義が求めるのは、構造を規制する制度の形成や制度の改革である。(159~160ページ)

社会の中で苦しんでいる人を助けることが、正義の優先課題である。正義という規範に従って社会を構想してみること、これが今、私たちに求められることだ。正義はそれを支える感情も必要としている。それは「むかつき」といった私憤ではない。「私が公平に扱われていない」という怒りを、同じように社会で不公平に扱われている人々の境遇と重ねあわせることで生じる「これはおかしいだろう」という感情だ。私的なむかつきではなく、社会の不正を訴える怒りである。それは私憤ではなく、またバラバラな私憤の寄せ集めとしての興奮でもない。社会全体の不公平や不正義に対する憤り、つまり公憤だ。不公平に対する公憤を紡ぎ合わせ、それを社会的な公平感に高めていくこと、これが現実社会に生きる私たちの正義感になる。そしてそれが制度改革を導くだろう。(197~198ページ)

〇以上から分かるように、伊藤は、社会の不公平や不平等の「さもしい」問題を解決するのは、「正しさ」(正義)にかなった公平な「制度」である。先ずは政治による制度の形成が肝要である、と説いている。そういうなかで、次の一節は大いに首肯するところである。それに関して、福祉教育の実践・研究における似たような姿勢・態度を律したい。

政治家の中にもやたら道徳的お説教をしたがる人がいる。「親を敬え」「郷土を愛せ」「公共心をもて」などと。そのメッセージ自体には問題がないとしても(本当は問題の多い道徳を語っている場合も多いが)、お説教は政治家の仕事ではない。政治家は全身全霊をかけて制度の再構築に取り組むべきだ。そのために税金で雇われている。上から目線で道徳を語るヒマがあったら、制度構築のために政治学、政治哲学、公共政策学などを学ぶべきだ。(205~206ページ)

〇ただ、制度の構築は政治(政治家)の役割であるが、そのすべてを政治に任せておけばよいというものではない。国政であれ地方政治であれ、政治をつくるのは国民・市民の一人ひとりである。すなわち、制度(法規、仕組み、きまり)の形成や運営、またその改革に直接的あるいは間接的に参加(参画)して公平・公正で平等な社会を創り、それを保持するのは、国民・市民一人ひとりである。その際、「私憤」や「公憤」を感じる能力、「正」や「不正」を判断する能力、すなわち「正義感覚(the sense of justice)」が問われることになる。
〇人は、親子の愛情や信頼関係に基づく親の指示や命令、禁止などを通して、道徳的な感情や態度を習得する。また、自分の身の回りや日常生活における仲間との関係で、正義や不公平(不正義)の感覚や感情を持ったり、表出したりする。それはより広い地域・社会における正義を求め、さらには政治的あるいは法的な正義を求める感覚や感情を醸成することになる。そして社会での正義感覚は、制度を遵守することに向けられ、また必要に応じてそれを改革することによってより一層の「秩序だった社会」が形成・保持されることを要請する。
〇このように、社会における正義や制度による秩序は、家庭での親子関係や集団での仲間関係における正義感覚によって基礎づけられる。そして、その正義感覚は、子ども・青年が地域・社会のなかで成長するにつれて徐々に習得されていく。
〇そうだとすれば、子ども・青年から大人までの正義感覚をいかに育成し、発達させるかが重要な問題となる。それを「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて言うとすれば、市民福祉教育を通じた正義感覚の育成が、(子ども・青年から大人までの)市民の人権意識や地域における助け合いの意識を高め、市民的資質や能力(シティズンシップ)を形成し、それに基づいたまちづくりの社会的実践(援助・支援、活動)や運動を促すことになる。別言すれば、正義感覚は、市民的資質や能力の重要な構成要素であり、市民によるまちづくりはそうした正義感覚に基づいた理解力と判断力、実践力を欠いては機能しない、ということである。その意味では、市民福祉教育における正義感覚の育成という課題は、シティズンシップやその教育のあり方を追求するなかでより明確なものとなる。筆者が市民福祉教育の基本的概念として「シティズンシップ教育」を重視する所以である。
〇「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、「共生」の理念のもとで、政治や社会への参加(参画)や協働(共働)を重視してきた。しかし、「正」「不正」を判断するのに必要な正義感覚の育成・形成については、必ずしも十分に関心を払ってきたとは言えない。まちづくりの実践や運動に向けた、またその実践や運動における(子ども・青年から大人までの)市民の正義感覚の育成・醸成が大きな課題になる。

補遺
〇 不平等や格差を肯定する立場に立つと、不平等や格差そのものを解消するための取り組みは消極的なものにならざるを得ない。その際の取り組みは、いわゆる勝ち組と負け組のうち、負け組の人びとに「再チャレンジ」の機会を用意することになるが、結果的には勝ち組と負け組の入れ替えをするだけに過ぎない。しかも、その機会をとらえて努力する限りでは支援(「助け合いの制度」)の対象とされるが、努力の質量によって支援の対象から外されることになる。そこにあるのは排除の論理(排除の正当化)である。
〇そこで求められるのは、個人の「意欲」「能力」「努力」などの有無や質量を個人的・内面的なものに押しとどめるのではなく、それを下支えする多面的・重層的な社会システムをどう構築するかということである。すべての人が、その属性や帰属にかかわりなく、「自立と連帯」「自律と共生」の社会的な互恵的信頼関係のなかで平等に扱われ、共に支え合い、それを通して社会への完全参加を果たすことが強く求められる。

【初出】
<ディスカッションルーム>(53)阪野 貢/「正義感覚」とまちづくり:伊藤恭彦著『さもしい人間』を読む―資料紹介―/2015年12月11日/本文

 


03  「人間的連帯」の言説


<文献>
(1)馬淵浩二『連帯論―分かち合いの論理と倫理―』筑摩書房、2021年7月、以下[1]。
(2)齋藤純一『不平等を考える―政治理論入門―』ちくま新書、2017年3月、以下[2]。

「人間の尊厳と存在意義―生の無条件の肯定と豊かに生きるということ―」について筆者は、次のように考えている。すなわち、人がそれぞれ、みんなと豊かに生きるためには、「 “ただ生きる” ことの保障」と「 “よく生きる” ことの実現」、そして「 “つながりのなかに生きる” ことの持続」が必要かつ重要となる。

「 “ただ生きる” ことの保障」は、人はそれぞれ、いま、ここに生きているというそのことに本源的な価値がある、という考えに基づいている。
「 “よく生きる” ことの実現」は、人にはそれぞれ、やりたいこと・やれること・やらなければならないことがある、という考えに基づいている。
「 “つながりのなかに生きる” ことの持続」は、人はそれぞれ、社会や歴史・文化・環境などとのつながりのなかに生きている、という考えに基づいている。

〇馬淵浩二は[1]でまず、(1970年代以降の)新自由主義の影響のもとで消費主義をはじめ個人主義や能力主義が強化され、多元化や多様化が進み、格差や分断が拡大した現代社会にあって、「連帯」という言葉はすでに「賞味期限」が切れているのだろうか、と問う。その答えは「否」である。そのうえで馬淵は、「連帯(solidarity)」概念の類型化と最大公約数的な定義を試みる。具体的には、代表的な「社会的連帯(social solidarity)」、「政治的連帯(political solidarity)」、「市民的連帯(civic solidarity)」、「人間的連帯(human solidarity)」についての主要な論者の連帯論を辿り、自身の「人間的連帯論」を構想する。その基底にあるのは、人間は連帯的存在であり、相互扶助的な関係のなかでしか生きられないという人間観である。すなわち、[1]の基調を成すのは「連帯は人間存在の基本構造である」(313ページ)というテーゼである。
〇馬淵は「連帯」を次のように定義する。

連帯とは、共通の性質・利益・目的を共有する複数の者たちが、あるいは他者の利益・目的の実現に関与する複数の者たちが、協働や扶助(の責任)を引き受けることで成立する結合のことである。この結合は、自然発生的であったり、目的意識的であったり、制度的であったりする。この結合には、一体感の感情が伴うことが少なくない。(50ページ)

〇連帯とは、人々が結合し、互いに協力し支え合うことであるが、それは様々な場面や文脈において成立する。この定義には上述した連帯の代表的な類型が包摂されている。「社会的連帯」は、「接着剤のように人々を繋ぎ止め、社会の成立に資する結合関係」、「同じ社会の成員であるという条件のもとで成立する連帯」を意味する。「政治的連帯」は、「政治的大義(共通の目標)の実現をめざす者たちのあいだに成立する協力関係」、「同じ政治的大義に関与しているという条件のもとで成立する連帯」を意味する。「市民的連帯」は、「福祉国家の制度を介して市民のあいだに成立する相互扶助関係」、「同じ福祉制度を支えているという条件のもとで成立する連帯」を意味する。「人間的連帯」は、「人類の一員である個人のあいだに成立する普遍的な道徳的関係」、「人間であるという理由で成立する連帯」を意味する(42、280ページ)。
〇馬淵が構想する「人間的連帯」について加筆すれば、それは「国家、社会、政治集団といった特定の集団のなかで成立する連帯ではなく、人間あるいは人類という集団の内部で成立する連帯」(281ページ)である。それは、「全人類が結合している」ということを意味し、「人間は本来的に連帯的存在であるという人間の存在様式を表現するもの」(296ページ)である。別言すれば、「人間の存在構造」を指し示す・形容する言葉(302ページ)である。その意味において、馬淵にあっては、「人間的連帯」は他の様々な種類の連帯に通底する共通の「分母」(303ページ)であり、「母体」(312ページ)となる。
〇ここでは、馬淵の論点や言説のうちから、市民福祉教育の実践・研究に「使える」あるいは「使いたい」次の5点に限ってメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それは、冒頭に記した管見に新たな視点や思考を加味したいという思いによる。

人間は本来的に「連帯的存在」である/人間の生は相互扶助や連帯によって成立している
新自由主義の過去数十年にわたる影響のもとで、自助努力や自己責任という発想が持て囃(はや)されてきた。自助努力や自己責任の主張は一面では正しい。しかし、この主張を不当に全面化することは避けなければならない。なぜなら、そのことによって、人間に関する一個の真理が覆い隠されてしまうからである。それは、他者たちに支えられなければ、人は生きられないという真理である。新自由主義は、この連帯の真理を抑圧し隠蔽(いんぺい)してきた。だが、自助努力や自己責任という発想が妥当する領域など高が知れている。それは、人間の生という氷山の一角にすぎず、その下には分厚い連帯の層が存在し、その山頂を支えているのである。新自由主義の狭隘(きょうあい)なイデオロギーに抗して、人間は連帯的存在として見出され、思考されなければならない。(15ページ)

連帯はそれ自体では「正当性」を保証しない/連帯は「共同性」以外の価値や尺度を必要とする
連帯は、ある集団に属する者たちを結合させ、支え合いを実現する。だが、連帯はそれが働く集団の性格に応じて、「悪のための連帯」として実現される可能性も残される。その意味で、連帯が成立しているという事実だけで連帯の正当性や倫理的正しさが保証されるわけではない。(318ページ)連帯論には人間の共同性や利他性を強調する傾向があるが、人間はいつも共同性や利他主義にもとづいて生きているわけではない。(211ページ)
個々の連帯が正当化されうるものであるためには、連帯が帯びる共同性の価値とは別の価値や別の尺度が必要になるだろう。たとえば正義という尺度が必要になるかもしれない。連帯する者たちの一部に犠牲が強いられ、一部が特権を享受する事態が生み出される場合、その連帯は正義に悖(もと)る可能性がある。あるいは、連帯がどのような目的を実現しているのか、どのような価値を促進しているのか、集団の外部に悪しき影響を及ぼしてはいないか――そうした事柄についての思考が連帯論には必要となる。そのような事柄を思考するためには、正義以外にも自由、平等、差異、人権といった他の価値や尺度が考慮されなければならないかもしれない。(318~319ページ)
しかし他方で、連帯が他の価値を支えているという一面を忘れてはならない。人々の自由や平等が毀損(きそん)された状況を変えようとするとき連帯が生起する。自由を行使する人物の生存が危ういとき、それを支えるのも連帯である。(325ページ)

連帯は「排除の論理」を内包する/連帯は包摂と排除という両義性を持っている
連帯が連帯であるがゆえに自身の内部に生み出してしまう負の要素のひとつとして、「排除」が挙げられる。(319ページ)
集団は、集団に属する者たちと、そうでない者たちとのあいだに境界線を引くことによって成り立つ。あるいは、境界線が引かれることによって、集団が立ち上がる。「彼ら」とは異なるものとして、「われわれ」集団が生み出されるのである。その集団の連帯が機能するとき、それは一方で当該の集団の結合を強化するが、その結合の強化が他方で排除を生み出すことに貢献する。すなわち、集団の外部に敵を作り出してそれを攻撃したり、集団の内部から「不純」な分子を排除して外部に放逐(ほうちく)する。(319、320ページ)
そうであるなら、連帯をめぐって次のような論点が浮上する。誰が連帯によって結合するのか、誰がその結合から排除されるのか、包摂されたり排除されたりする場合の条件はどのようなものか。その線引きは正当なものか。これらの問いは、連帯の「正しさ」を判定するうえで、欠かすことのできない参照事項となるだろう。いずれにせよ、ある場面で連帯を主張するとき、かならずそこから排除される者たちが存在するという構造的事実に、連帯論は敏感でなければならない。(320、321ページ)

連帯は「感情」によって成立する/連帯は人間の感情の及ぶ範囲や程度に左右される
連帯感という言葉が存在することからも分かるように、連帯の成立にとって感情は重要な要素である。集団の成員たちによってある種の感情が共有されていなければ、連帯が成立し持続することは困難だろう。連帯と親和的な感情は、共感や親近感や一体感といったものであろう。こうした感情が共有されず、成員たちが憎しみ合っていたり、利己主義が支配的であったりするような集団においては、連帯は成立し難いはずである。(321ページ)
だが、感情は、連帯にとって諸刃の剣である。ひとつには、感情が及ぶ範囲の問題がある。人間の感情の及ぶ範囲は狭い。規模が比較的小さな集団の内部でなら連帯は容易に成立するだろう。だが、感情が及ぶ領域を超えたところに存在する者たちとのあいだに連帯が成立することは困難になる。(321、322ページ)
人は、感情の及ぶ範囲にいる者たちだけと結び付いているわけではない。このような世界にあっては、見知らぬ者たちとの連帯がひとつの焦点となる。そのような連帯はいかにして可能になるのか。感情の広がりと関係の広がりが大きくずれてしまう世界にあって、感情の広がりの外部に存在する者たちとのあいだに、どのようにして連帯を立ち上げることができるのだろうか。連帯に刻まれた包摂と排除の問題、「われわれ」と「彼ら」を分かつ境界線の問題は、感情という問題の地平においても未決の問題なのである。(322ページ)

連帯には「水平的連帯」と「垂直的連帯」がある/連帯は権力性・階層性を排除できない
連帯の現象形態として、水平的連帯と垂直的連帯がある。水平的連帯では、(相互依存関係にある)個人が横に連なる。これに対して、連帯する個人のあいだに、垂直的な位階秩序が生み出されることがあるかもしれない。そのような垂直的な権力関係によって規制されている連帯が、垂直的連帯である。たとえば、一国の指導者が危機を乗り越えるためだと称して、国民に団結や自己犠牲を訴えることがある。それは、権力者によって組織され、動員される連帯である。(323ページ)
連帯をひとつの理念として捉え、階層性が廃棄され平等性によって特徴づけられる結合だけを連帯と呼ぶこともできる。ただし、そこでは、階層性が廃棄され、あまねく平等性によって特徴づけられる連帯が現実にどれほど存在するかという疑問が生じる。また、連帯から階層性を完全に排除できるかという問題も存在する。(323、324ページ)
かりに垂直的権力が連帯に伴うことが避けがたいことなのだとすれば、その事態にどのように対処すべきかを考えなければならない。その場合、許容される権力とそうでない権力とを識別すること、つまり、垂直的権力の許容される範囲を確定することが、ひとつの論点となる。(324ページ)

〇人間は身体と不可分な「身体的存在」(297ページ)であり、人間はその生(生存や生活)を自足できない「非自足的存在」(299ページ)である。それゆえに人間は、外部の物質(とりわけ自然)や他者に依存せざるを得ない。すなわち、人間は本来的に、他者との相互扶助や連帯の関係のなかでしか生きられない存在である。これが、馬淵が説く人間観の核心のひとつである。そして、(社会福祉における)自助努力や自己責任を前提とした「自立生活支援」や「依存的自立」などの言説とは異なる評価を得るところである。自助努力も自己責任も社会的レベルの連帯を通じてなされ、果たされるのである。馬淵が[1]の「あとがき」で、「私が述べたかったのは、連帯によって私たちの生が成立しているという、その事実だけである」(376ページ)という意味はここにある。
〇「人間の存在構造」に刻まれた支え合いと「分かち合いの論理と倫理」(333ページ)は、人々が連帯するときに立ち上がる。その連帯は、私と他者との相互依存関係を重視する際、「自律」や「自由」の価値を不可欠とする。人間は自律し、自由であることによって「相互に排他的であるのではなく、むしろ相互に結び付き連帯する」(108ページ)。私だけの自律や自由は、他者を支配したり、他者からの信頼や承認が得られなくなったりする。すなわち、連帯は、単なる道徳的規範や国家などの介入(強制)によるのではなく、個々人の主体的・能動的な思考や行動による自律や自由によって支えられる。同時に連帯は、個々人の自律や自由を実質化し、その実現を図るのである。さらにそれを支えるのは「平等」という価値である。
〇齋藤純一は[2]で、格差や分断、不平等が拡大・深化する現代社会にあって、人々の「平等な関係」とは何かを根底から問いなおし、その関係を再構築するための「制度」について考える。すなわち、市民の間に平等な関係を維持するための生活条件を保障する(広義の)社会保障制度と、市民を政治的に平等な者として尊重する(熟議)デモクラシーの制度のあり方等について考察する。その際、「不平等」とは、その人に「値しない」(「ふさわしくない」「不当である」)「有利-不利が社会の制度や慣行のもとで生じ、再生産されつづけている事態」(17ページ)をいう。「熟議デモクラシー」とは、「数の力」(「選挙デモクラシー」)ではなく、「理由の力」を重んじ、「質的に異なった意見や観点を、たとえそれがごく少数の者が示すにすぎないとしても、尊重すること」(175ページ)をいう。
〇齋藤にあっては、社会保障の目的は、「たんに貧困に対処し、すべての人が人間らしいまともな(decent)暮らしが送れるようにする(事後的な保護・救済:筆者)だけではなく、深刻な社会的・経済的不平等をも規制し、平等な自由を享受しうる条件をすべての市民に保障すること(事前の支援:筆者)にある」(134ページ)。こうした「社会保障の制度を支持し、それを介して互いの生活条件を保障しようとする市民間の連帯」が「社会的連帯」である(94ページ)。その社会的連帯は、次のような理由によって必要とされ、市民によって受容されなければならない。①国力(戦力・生産力等)を増強するための「生の動員」、②人生に起こりうる病気や事故などの「生のリスク」の回避、③生まれ持った能力や境遇の「生の偶然性」がもたらす不当な格差の改善、④生・育・老・病・死という「生の脆弱性」によって生まれる支配-被支配関係の阻止、⑤人々の多様な生き方を促す「生の複数性」の尊重、がそれである(98~104ページ)。
〇そして齋藤はいう。「生の動員」を除く4つの理由はいずれも、「生きていくために人々が他者の意思に依存せざるをえない状態に陥るのを避け、市民の間に平等な関係を保つことを重視している。他者に依存しながらも、その意思に服することを強いられない自律が可能となるのは、依存とそれへの対応が人々の間に支配-被支配を生みださないようにする制度化された保障が確立されているときである」(105ページ)。すなわち、齋藤にあっては、誰もが避けられない「他者に依存すること」と、「他者の意思に依存すること」を区別し、特定の他者の意思に依存せずに生きることすなわち「自律」を可能にするための制度が(「事前の支援」としての)社会保障である(107ページ)。「私たちの生において依存関係が避けられないからこそ、『自律』が価値をもつのである」(107~108ページ)。留意したい。

【初出】
<雑感>(145)阪野 貢/「連帯」再考―馬淵浩二著『連帯論』のワンポイントメモ―/2021年10月10日/本文

 


04  「自己決定」の実相


<文献>
(1)小松美彦『「自己決定権」という罠―ナチスから相模原障害者殺傷事件まで―』言視舎、2018年8月、以下[1]。
(2) 吉崎祥司『「自己責任論」をのりこえる―連帯と「社会的責任」の哲学―』学習の友社、2014年12月、以下[2]。
(3) 高橋隆雄・八幡英幸編『自己決定論のゆくえ―哲学・法学・医学の現場から―』九州大学出版会、2008年5月、以下[3]。
(4) 湯浅誠『どんとこい、貧困!』イースト・プレス、2011年7月、以下[4]。

〇1990年代後半以降、財界の要望に応える「小さな政府」を実現するために、「措置から契約へ」という社会福祉基礎構造改革の推進が図られた(1998年6月:中央社会福祉審議会社会福祉構造改革分科会「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)」等)。そのなかで、「自己選択」「自己決定」すなわち「自己責任」が声高に叫ばれるようになった。また、「市場原理の導入」などの新自由主義的教育改革の推進が図られた(1996年7月:中央教育審議会「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」等)。そこでは、子ども・青年が抱える困難や不利益を、「自己責任」として個々人が引き受ける「生きる力」の育成が強調されるようになった。周知の通りである。
〇「自己決定」と「自己責任」は口当たりのよい言葉である。しかし、その言葉に関して、「自己」すなわち「個人」「ひとり」については曖昧であり、「共に」決定する、「共に」責任を取るなどとはあまり言わない。また、「自己決定」と「自己責任」の実相は、外見だけを飾り(虚飾)、人目をあざむき、だます(欺瞞)という危険性がある。
〇小松美彦の[1]は、『自己決定権は幻想である』(洋泉社新書、2004年7月)の増補改訂版である。旧版では、「自己決定権」の概念それ自体や「自己決定権」への無条件の信頼は非常に危ういことを論じている。旧版のインタビュー(2003年)から15年後のこんにちでは、主に医療や福祉の分野において「自己決定権」「自己決定」という言葉と概念は当たり前のものになっている。しかし、その問題性は見えにくい形でますます拡がっている。「自己決定権」に加えて、「人間の尊厳」という言葉と概念も巧妙に作用し、差し迫った状況にある(3~4ページ)。小松は、その問題状況をダイナミックに論考する。
〇[2]で吉崎祥司はいう。小泉政権(2001年4月~2006年9月)によって、競争原理を基本理念とする規制緩和の推進が図られた。そのなかで、1990年代以降の「自己責任論」が、政財界においてより一層強調されるようになった。また、経済の低成長下における社会保障費の削減を理由づける考え方として、「自立・自助論」が展開された。ヨーロッパなどと比べて、日本では、社会的責任の観念が必ずしも十分に定着しているわけではない(6~13ページ)。こうした特殊「日本型自己責任論」(13ページ)について吉崎は、その内容と特質を批判的に検討し、それを克服するための課題と道筋を明らかにする。
〇高橋隆雄・八幡英幸らは[3]で、生命倫理における基本的概念のひとつである「自己決定」をめぐって、その歴史的由来や概念の意味、法的観点からの問題、医師や看護師の専門職の自律性とのかかわり、等々について多面的に論考する。そのなかで、小柳正弘は、「『自己決定』の系譜と展開」(22~42ページ)において、「『私たち』の自己決定」について次のように述べている。自己決定の主体である「自己」は、理念としては「強い個人」が前提とされている。しかし、現実には「弱い個人」が主体として困難を引き受けているのが現状である。それでも「私」が自己決定しなければならないとすれば、私は他者によって支えられなければならない。すなわち、私が他者とともに「私たち」として決定することが必要となる。「自己が自己のことを決定する」という自己決定には、もうひとつ、「私たちが私たちのことを決定する」という自己決定の理念型が存在することを思い起さなければならない、と(38~40ページ)。
〇[4]は、現代日本の貧困問題を現場から訴え続け、社会的包摂を説く湯浅誠が子どもたちに書き下ろした自己責任論である。そこでのキーワードのひとつに、「溜め(ため)」がある。湯浅にあってはそれは、「がんばるための条件」「その人が持っている条件」を意味するが、基本的な「溜め」となるのは「お金」「人間関係(親や友達など)」「精神(的なもの)」の3つである。「家にお金がなくて、人間関係に恵まれないなら、社会がその人の “ 溜め ” になればいい」(49ページ)。また、自己責任論をふりかざす人たちに共通しているのは、「上から目線」である。自己責任論は「問い」を外に、社会に出てこないように封じ込めること、自己責任論の一番の目的、最大の効果は、相手を黙らせることである。自己責任論は、弱いものイジメが横行し、生きづらい、誰も幸せでない、満ち足りない社会をつくる(153~157ページ)。
〇さて、ここではまず、[1]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

自己責任論と「自己決定」「自己決定権」
政府の言う自己責任論は、国家や支配権力が、基本的に人々を強制したいと考えている事実の裏返しの表現にすぎない。自己決定をするのなら自分で責任をとれという、身の蓋もない態度の裏側には、文句を言わずに言うことを聞けという、国家の冷徹で傲慢な態度が透けて見える。(18ページ)
自己決定と自己決定権とはまったく違うものである。自己決定イコール自己決定権だと単純に考えていると、権利という制度的な思弁の土俵の上で、思わぬ落とし穴にはまってしまう危険がある。(19~20ページ)
私たちの行動には、「思わず~する」という無意識の行動、すなわち言葉で考えるというよりも身体全体で考えると言ったほうがよいようなものがあり、自己決定には、そういった具体的な生の実相が、まるごと含まれている。これに対して、自己決定権にはこのような自ずからなる要素はない。自己決定権は、言葉によって普遍化された人為的な権利であり、思弁によって客観化された制度であり、さらには個別の実相を他人事に変えてしまう装置であり、したがって、いつでも政治的な恣意によって道具にされるという危険性をもったものである。(20ページ)

自己決定権批判の根拠
自己決定権という考え方には、根本的に問題がある。
①人が生きていくすべての場面において、個人が何かを決めるということは、決して個人の問題にとどまらない。自己決定権という言葉によって、人間関係の尊重すべき貴重な機微(微妙な事情・おもむき)が覆い隠されてしまっている。
②「本人の意思による」という自己決定権という言葉が謳(うた)われ、その美しい響きが無為に受け入れられてしまったことによって、(政府や政治に対する)人々の抵抗が鈍ってしまった。
③いったん自己決定権を盾(たて)にしてしまうと、さまざまなことに関して、自分のことは自分で決めればよいのだから、他人には口を出してほしくないという壁ができてしまう。その結果として、自己決定権が他者同士のコミュニケーションを遮断・排除する道具として機能する危惧がある。
④死は果たして自己決定できるのか。死は一個人に閉じ込められたものではなく、家族や医師、看護師など実に多くの人がかかわる。死は、周囲の人々すべてにまたがる、人間関係のなかでおきる事柄である。(40~49ページ)

自己決定・自己決定権と「共決定」
自己決定とは、起こっている事柄それ自体のことである。あるいは生の具体的な局面で私たちが絶えず行っている個々の判断や選択や行為そのもののことである。その意味では、人間が自己決定なしに通常の社会生活を送ることは、とてもできないと言ってよい。自己決定権とは、自己決定することを社会や国家が、個人の権利として認めるということである。「する」あるいは「せざるをえない」のが自己決定であるのに対して、「認められる」あるいは「するために使う」のが自己決定権であると言ってよい。(98ページ)
私たちは、いつも他者とのかかわりのなかで自分の行動を決定している。同じように、自分が決定した行動は、いつもまわりの他者たちに少なからぬ影響を及ぼしている。決定すればそれで終わりということは本来的にない。自己決定とは、他者との複雑な網の目のなかで行われるしかないものであり、そういう意味では、純粋な自己決定はない。私たちの行う決定は、好むと好まざるとにかかわらず、いつも本質的に「共決定」であることを強いられているといえる。(98ページ)

「共決定」と関係性・共同性
共決定とは、猶予のある場合にそうすべきだというモデルである。そのモデルを不毛なものにしないためには、それぞれがそれぞれの立場から努力し、徹底的に話し合いながら決めていくことである。(102ページ)
関係性を大切にする立場は、まず内と外を区別しない。個々の人間的な交渉から目をそらさないことを原則として、これを守ることができるのであれば、どこまでも外に広がっていこうとする態度のことである。(103ページ)
共同性を重視する立場は、私たちは私たち、あなたたちはあなたたちというように、そもそも内と外に縁取りをこしらえておいて、二つを区分けし固定していこうとする態度のことである。(103~104ページ)
だから、関係性を重視する立場は相互の異質性を厭(いと)わないし、共同性を重視する立場では自分たちのなかにある同質性に、まず目を向けるということになる。(104ページ)
個々の人間の具体的な実存を前にすれば、抽象的な同質性などというものは、はじめからどこにもない。共同体の掲げる同質性は、いつも避けがたい抽象性を帯びてしまい、個々人の具体的な個別性にあるかけがえのなさを、共同体の意思の名をもって、裏切っていくことになる。(105ページ)

「人権」と「存在」
「人権」とは、結局、国家や社会によって与えられる人為的なものである。しかし、それ以前に、障害者にせよ健常者にせよ、その人がいるということ、「存在」していること自体が第一次的なもののはずである。これ自体は絶対に否定できない。(311ページ)
仮に、心や意識が本当に絶無のまま生きている人がいるとして、それをどう考えたらよいのか。それでもその人が “ そこにいる ” という厳然たる事実が、その人から被(こうむ)る迷惑と呼ばれることまで含めて、私たち自身が “ いる ” ことを何らかの形で支えてくれているのである。「迷惑をかける―かけられる」という関係をもてることは、実は人間の豊かさに思われる。(316ページ)
「自己決定権」にせよ、「人間の尊厳」にせよ、検討にあたって必須のことは、型どおりの「人権」的な思考ではなく、誰々がいた、あるいは誰々がいるという「存在」ベースで考え直すことである。(319ページ)

〇次に、[2]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「自己責任論」の機能
「自己責任論」の機能とは、さしあたり、①競争を当然のこととし、②競争での敗北を自己責任として受容させ(自らの貧困や不遇を納得させ)、③社会的な問題の責任をすべて個人に押しつけ(苦境に立たされた “ お前が悪い ” )、④しかもそうした押しつけには理由がある(不当なものではない)と人びとに思い込ませることによって、⑤抗議の意思と行動を封殺する( “ だまらせる ” )、というものである。そのようなものとして、「自己責任論」は、新自由主義的支配の合理化・正当化のためのイデオロギー(支配層の思想形態)であることを本質としている。(11ページ)

「自己責任論」の特徴
「自己責任論」は、次のような特徴をもっている。
①「自己責任論」は、「社会的責任」と「個人的責任」を意図的に混同したうえで、「社会的責任」を否定する、あるいは相対化する。
②「自己責任論」は、社会的責任の否定にとどまらず、社会的な問題をすべて「個人」のうちに押し込め、個人的な解決を迫る。
③「自己責任論」は、個人が抱える困難は、誰のせいでもなく、当の本人の努力や能力の不足によるもので、その事実を受け入れよと強く迫る。一生懸命努力していても報われない場合は、そもそも「能力」が不足しているからだ、と個々人の「能力」の有無・高低をあげつらう。
④「自己責任論」は、本質的に「社会問題」であるのにもかかわらず、社会的責任に蓋(ふた)をして、問題をもっぱら個人的なものに還元し、しかも困難の最終的な原因を個人の能力に求めることで、「責任」を自認させ、抗議の意思も封じる。
⑤「自己責任論」は、それが流布しやすい理由の一つに、「一人前」の人間は、他人に頼らずに自立すべきもの・自ら助けるべきもの、という「自立・自助」の世間的常識がある。誰にも頼らずにちゃんと生活をたてていけないような人間は一人前ではない、といった「自立」観を前提としている。
⑥「自己責任論」では、何にせよ、自分で決定し、選択したことの結果について自分で責任をとるのは当然であり、ある人がおかれた状況・境遇は、そうした決定・選択の結果なのだから「自己責任」であるという一見もっともらしい理屈のもとで、「自己決定=自己責任」が説かれる。
⑦それらの結果として、「自己責任論」は、人びとの間に、多重的な分断をもたらし、個人を孤立化させるにとどまらず、たがいを敵視するように仕向ける。
これらの諸特徴をもつ「自己責任論」が通用しやすい特有の土壌(「社会文化」)が日本社会にはある。(16~17ページ)

自己決定の前提と条件
自己決定には、それを簡単に許さない前提や条件(困難性)がある。①自己決定は、社会制度や時代の支配的な社会的観念や意識、社会の風潮や趨勢、慣習や風俗などの「状況」の「圧力」や「傾向性」のもとで行われる。②「状況」の圧力や傾向性に対して自覚的・批判的であるためには、十分な情報の獲得と、「選択」の結果についての適切な判断が必要とされるが、それが困難である。③「状況」や「選択」にかかわる基本的な情報が獲得されているとしても、従属的位置にある労働者に、その特定の社会関係において自由な選択を行うことは許されない。(55~58ページ)
こうして、「自己決定」は多くの場合、疑似的で、決定者の「自己責任」を問えるようなものではない。つまり、「自己決定」は、個人の「自己責任」に直結させることができるようなものではない。真に自由な自己決定・選択が可能になる前提・条件の周到な吟味なしに、自己決定を自己責任に直結させるような「自己決定論」は、多く欺瞞をかかえるものである。(58ページ)
そこで、労働者が自己決定する際の鍵になるのは、個人が他者と「共にする決定」の場と仲間、連帯する組織を作り出すことである。(60ページ)

〇筆者はかつて、『みんなのなかにわたしがいる みんなとともにわたしがいる』(三重県社会福祉協議会、2004年3月)というタイトルの「小学生からの福祉読本」の作成にかかわったことがある。そこでの根本的な考え方は「実存」「自立」「共生」「まちづくり」「参画」「共働」などであった。
〇そのことを思い出しながら、改めて[1]における小松の言説を要約する。「自己決定」は、実際には、社会的広がりや他者との関係性(「関係としての私」「われわれのわれ」198ページ)のなかで行われる。「自己決定権は、個人主義を擬装しながら、実際には抽象化され、普遍化されることによって、いつでも国家共同体に転化・悪用されかねない危険性をもったもの」である。その意味で、「自己決定権を個々人の具体的な実存の側から見てみれば、そんなものは、はじめからないのだと極論してもよい。それをあるのだとなお言い募るのであれば、幻想としてあるのだと言うしかない」(106ページ)。これが、小松が最も強く主張する「自己決定権の欺瞞性」、すなわち「自己決定権という罠」である。加えて、小松の「共決定」(「相互決定」:筆者)という言説にも留意したい。

【初出】
<雑感>(85)阪野 貢/「自己決定」と「自己責任」:いま改めてその虚飾と欺瞞について考える―小松美彦著『「自己決定権」という罠』と吉崎祥司著『「自己責任論」をのりこえる』の読後メモ―/2019年6月22日/本文

 

補遺
〇小気味よい本に出会うと楽しいものである。筆者の手もとにある、桜井智恵子(さくらい・ちえこ、教育社会学)の『教育は社会をどう変えたのか―個人化がもたらすリベラリズムの暴力―』(明石書店、2021年9月。以下[1])もその一冊である。タイトルからも興味をそそられる。(小気味よさはしばしば、一元論的な思考やそれに基づく思考停止状態のなかにあることに留意しておきたい。)
〇生存のための「自立」を必要条件とする資本主義社会は、能力と所有の論理に基づいている。現代社会のルールであるリベラリズム(自由主義)は、個人の尊厳や自由、多様性、自己決定(自己責任)などを最も重要な価値とみなしている。そういう社会の政治経済的構造が生み出す排除や差別などの諸困難に対する桜井の主張は、明快である。能力主義の価値観を是認し、それを国家や社会の支配層と共有している限り、排除や差別は助長され正当化される。すなわち、個人が「自立」能力で生き延びるために自己中心的に生きることは、排除や差別する社会を自分自身が支えていることになる。そこで考えるべきは、現代社会の根底にある能力主義=業績承認の解体、である。
〇[1]におけるキーワードは、「個人化」、「能力の共同性」、「存在承認」である。それぞれの定義とそれに関する言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部語尾変換)。

個人化
私たちは、個人で稼いで個人で満たすという「勤労」概念に基づく個人化社会をつくった。生きていくためのニーズを満たすために、がんばって働き自分で稼ぐスタイルが前提となり、皆で分かち合う共同性は縮減した。環境や状況の劣悪は横に置き、「生きる上での困難」を乗り越えられないことを個人の問題に矮小化する傾向を「個人化」と呼ぶ(16ページ)。

能力の共同性
能力は個人が有する固有(単独)のものではない(私的所有物ではない:阪野)。能力は、他者や社会・文化によって、個のなかに共同的に培われているものであり、他者や環境とのかかわりという相互関係自体(能力の共同性)である(188ページ)。すなわち、能力とは、分かちもたれて現れたもの(互いに分かち合って共有するもの:阪野)であり、それゆえその力は関係的であり共同のものである。能力は個に還元できない(190ページ)。「共同」とは、個が「力を合わせる」「互いに助け合う」というものではなく、「いっしょにある」という意味合いであり、「私のなかにみんながいる」(189ページ)のである。

存在承認
現代社会を覆う能力主義は、「できること」(成果や業績)を承認する「業績承認」を意味する。それに対していま必要とされるのは、「在ること」(ありのまま)を承認する「存在承認」である。それは、自分自身を自分で承認し得る、「社会的状態」の構想である(187ページ)。すなわち、存在承認とは、「共同的なものを基底に、自分を自分で承認しうる所得配分を前提にした状態」(251ページ)をいう。

●現代の学校現場で、子どもは批判的に物事を考える機会を奪われている。必要なときに他者を頼ることは「依存」と見なされ、自助努力で生きることが大事だという価値観が教え込まれる。教育現場は、学力やコミュニケーション能力で人の価値が計られる能力主義によって貫かれ、自己責任という考え方を刷り込む場となっている。そこには、共に生きる社会や国の在り方を考えたり、能力主義によって正当化される経済格差をもたらす資本主義に疑問を持ったりする余地はない(12~13ページ)。

●学校や社会には「能力の高い人ほど優秀」というソフトな優生思想が浸透している(15ページ)。それによって生きづらさが生じ、社会的弱者がつくられ、自責他害が強まっている(206ページ)。また、凄惨(せいさん)な相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月)を受けてもなお、自己責任や排除を生み出す能力主義に基づく教育を問い直す機運は高まらず、グローバル人材の育成という形でむしろ強化されている。他方で、子どもの状況に応じた多様な教育機会を確保するとして個別支援の流れが強まっている。それは、学校のありようを問い直さずに子どもの分断を正当化する(15ページ)。

●個別救済は、トラブルが起きてからの救済システムであり、それらを生み出す社会的なあり方をこそ、問う必要がある。個別救済だけでは、逆に現在の排除的な社会の原理や個人化を補完することになる(19ページ)。

●資本主義経済を基調とする日本の公教育制度は、教育を受けることを権利として保障し、その保障を通して教育における国家支配を実現していくような体制である。いいかえれば、「保障」を通して「支配」を実現し、「支配」を実現するために「保障」を行う教育体制である(岡村達雄)(111ページ)。

●リベラリズムは近代個人の自由や多様性を尊重するために、政治権力や世間から干渉されない個人の自由を重視した。すなわち、個人の自由が、個人化された自由に矮小化されてしまった。個人の自由にとって大切なのは、個人化されない自由である(20、21ページ)。

●能力主義が導く自己責任論は、本人の能力や努力に問題を矮小化し、社会が協働する意味や契機を奪っている。すなわち、能力が個に分断されることで、人々には共同性が見えにくくなっている。「地域との連携」がお題目のように叫ばれているが、連携をすればよいというわけではない。自己責任論を広げるような連携ならしない方がずっとましだ。また、自己責任論は、「自立支援」という名の下に「自立するなら支援する」という脅迫めいたメッセージを発している(60~63ページ)。「支援」は支配的要素を含む言葉でもある(59ページ)。

●「能力の共同性」は、多様な人々が力を合わせるという意味合いとは異なり、個に還元できない能力論である。「依存先を増やす」というような個人化された共同性は、いともたやすくネオリベラリズム(新自由主義。個人の選択や市場原理の重視)に利用される。「存在承認」は、あなたの存在を認めるよといった承認論ではない(261ページ)。共同的なものでしかありえない、個人化されていない存在のあり方である(251ページ。)

〇繰り返しになるが、桜井の主張は脱個人化と能力主義の解体である。それによって、「自由で平等な社会への書き換え」(257ページ)が可能となる。その際、桜井にあっては、新しいしくみを構築するのではなく、現在の社会を覆う個人化や能力主義に基づく仕組みや制度を「脱構築」(既存のものを問い直して一度解体し、新たなものに再構成)し、非資本主義的な生活様式による社会を構想することが肝要となる。そこに求められるのは、「能力が個人のものではなく、いつも共同ではたらいていて、競争をしなくても必要に応じて分かち合う論理」(252ページ)である。それは、「(存在承認の基で)生きていくための所得分配がフェアで、それぞれが自由に生き合うという世界」(262ページ)、「アナキズム(国家や市場の支配権力に向き合いながら、自分たちの問題を自分たちで解決す知恵・思想:阪野)のようなもので教育や福祉の世界を包囲する」(252ページ)社会をめざす。要するに、個々人の「能力に応じて」から「必要に応じて」への転換である。
〇なお、[1]のタイトルを「市民福祉教育は地域・社会をどう変えたのか」と読み替えると、汗顔の至りである。福祉教育は、子どもが自主的に、そして自由かつ平等に学ぶ場としての学校や学校教育の根源的・社会構造的な問題状況やその要因を厳しく問うてきたか。支配的な価値観のままに物事を承認し提案することは現状肯定につながるが、人間・社会の現実を主導する価値観やその枠組みにあてはめることに終始し、枠組みそのものを問うてこなかったのではないか。仮に桜井の言説に依拠するとすれば、個人化や能力主義、業績承認や存在承認などについて深く問うことなく、自立(自律)や連帯(共生)、まちづくりなどについて理念的・表層的に言及するだけではなかったか。それらを問うてこなかった「成果」は、資本主義システムにおける教育や福祉を下支えし、補完することにある。個人化や能力主義に基づく教育や福祉の拡大再生産(個人の自由と分断と多様化による管理・統治)である。
〇筆者はかつて、『みんなのなかにわたしがいる みんなとともにわたしがいる』(三重県社会福祉協議会、2004年3月)というタイトルの「小学生からの福祉読本」の作成にかかわったことがある。そのタイトルの意味するところは、「よりよくある」ための人間の「自立と連帯」「自律と共生」である。それは、桜井の言説によると、個人化に基づくものであり、個人モデルのそれであることになる。そこで筆者には、「自立と連帯」「自律と共生」を「個のもの」のままではなく、「共同のもの」「分かち合うもの」としていかに展望するかが問われることになる。その意味で、「私のなかにみんながいる」という桜井の言葉は重い。
〇「私のなかにみんながいる」は、「みんなのなかに私がいる みんなとともに私がいる」の基底あるいは前提に位置づくのであろうか。そう考える場合、それは、(必ずしも力を合わせるという要素はない)一緒に行う「共同」と相互作用の「共働」を含意する(分かち合う)ことになる。「共同と共働」に基づく「自立と連帯」「自律と共生」である。そしてそこには、アナキズムやコミュニズム(共同体主義)に基礎をおく社会像が構想される。

〇筆者の手もとに、桜井智恵子の『教育は社会をどう変えたのか―個人化がもたらすリベラリズムの暴力―』(明石書店、2021年9月)という本がある。
〇生存のための「自立」を必要条件とする資本主義社会は、能力と所有の論理に基づいている。現代社会のルールであるリベラリズム(自由主義)は、個人の尊厳や自由、多様性、自己決定(自己責任)などを最も重要な価値とみなしている。そこでは、環境や状況の劣悪は横に置いて、「生きる上での困難」を乗り越えられないことが個人の問題に矮小化される。その傾向を桜井は「個人化」という。そういう社会の政治経済的構造が生み出す排除や差別などの諸困難に対する桜井の主張は、明快である。「能力主義」の価値観を是認し、それを国家や社会の支配層と共有している限り、排除や差別は助長され正当化される。すなわち、個人が「自立」能力で生き延びるために自己中心的に生きることは、排除や差別する社会を自分自身が支えていることになる。そこで考えるべきは、現代社会の根底にある能力主義=業績承認の解体、である。
〇桜井の主張は脱個人化と能力主義の解体である。それによって、「自由で平等な社会への書き換え」(257ページ)が可能となる。その際、桜井にあっては、新しいしくみを構築するのではなく、現在の社会を覆う個人化や能力主義に基づく仕組みや制度を「脱構築」(既存のものを問い直して一度解体し、新たなものに再構成)し、非資本主義的な生活様式による社会を構想することが肝要となる。そこに求められるのは、「能力が個人のものではなく、いつも共同ではたらいていて、競争をしなくても必要に応じて分かち合う論理」(252ページ)である。それは、「私のなかにみんながいる」ことを意味し、個々人の「能力に応じて」から「必要に応じて」への転換である。
〇桜井の言説を「市民福祉教育は地域・社会をどう変えたのか」と読み替えると、汗顔の至りである。福祉教育は、子どもが自主的に、そして自由かつ平等に学ぶ場としての学校や学校教育の根源的・社会構造的な問題状況やその要因を厳しく問うてきたか。支配的な価値観のままに物事を承認し提案することは現状肯定につながるが、人間・社会の現実を主導する価値観やその枠組みにあてはめることに終始し、枠組みそのものを問うてこなかったのではないか。仮に桜井の言説に依拠するとすれば、個人化や能力主義、「業績承認」や「存在承認」などについて深く問うことなく、自立(自律)や連帯(共生)、まちづくりなどについて理念的・表層的に言及するだけではなかったか。その際の業績承認は、「できること」(成果や業績)を承認することをいい、存在承認は「在ること」をありのままに承認することをいう。それらを問うてこなかった「成果」は、資本主義システムにおける教育や福祉を下支えし、補完することにある。個人化や能力主義に基づく教育や福祉の拡大再生産(個人の自由と分断と多様化による管理・統治)である。

【初出】
<雑感>(155)阪野 貢/「私のなかにみんながいる」ということ―桜井智恵子著『教育は社会をどう変えたのか』読後メモ―/2022年7月18日/本文

 


05  「世間」からの解放


<文献>
(1)阿部謹也『「世間」とは何か』講談社現代新書、1995年7月、以下[1]。
(2)阿部謹也『学問と「世間」』岩波新書、2001年6月、以下[2]。
(3)佐藤直樹『「世間」の現象学』青弓社、2001年12月、以下[3]。
(4)山本七平『「空気」の研究』文藝春秋、1983年10月、以下[4]。
(5)鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』講談社現代新書、2020年8月、以下[5]。
(6)岡檀『生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―』講談社、2013年7月、以下[6]。

〇筆者はこれまで、いくつかの地域で、「まちづくり」や「市民福祉教育」の実践「活動」にかかわってきた。正直に言えば、自分が現に居住する地域での取り組みには、ある種の“息苦しさ”や閉塞感を感じてきた。その息苦しさを和らげるためには“酸素”を吸入し、いま一度呼吸を整えることが必要である。以下の[1]から[4]の「世間」と「空気」に関する抜き書きは、過去に吸ったことのある空気よりも高濃度の酸素である。筆者には、いま所属する世間で、その流量や濃度、吸入方法を如何に考えるかが問われることになる(抜き書きと要約)。

[1]阿部謹也『「世間」とは何か』
西欧では社会というとき、個人が前提となる。個人は譲り渡すことのできない尊厳をもっているとされており、その個人が集まって社会をつくるとみなされている。したがって個人の意思に基づいてその社会のあり方も決まるのであって、社会をつくりあげている最終的な単位として個人があると理解されている。日本ではいまだ個人に尊厳があるということは十分に認められているわけではない。しかも世間は個人の意思によってつくられ、個人の意思でそのあり方も決まるとは考えられていない。世間は所与とみなされているのである。(13~14ページ)
私達は世間という枠組の中で生きているのであって、誰もが世間を常に意識しながら生きているのである。いわば世間は日本人の生活の枠組となっている。敢(あ)えていえば日本人は皆世間から相手にされなくなることを恐れており、世間から排除されないように常に言動に気をつけているのである。(14、15ページ)
世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置がそこにあるものとして生きている。世間には、形をもつものと形をもたないものがある。形をもつ世間とは、同窓会や会社、政党の派閥、短歌や俳句の会、文壇、囲碁や将棋の会、スポーツクラブ、大学の学部、学会などであり、形をもたない世間とは、隣近所や、年賀状を交換したり贈答を行う人の関係をさす。(16、17ページ)
世間には厳しい掟がある。それは特に葬祭への参加に示される。その背後には世間を構成する二つの原理がある。一つは長幼の序であり、もう一つは贈与・互酬の原理である。世間の掟にはもう一つ重要なものがある。それは世間の名誉を汚さないということである。(17、18ページ)
「世間」の構造に関連して注目すべきことがある。西欧人なら、自分が無実であるならば人々が自分の無実を納得するまで闘うということになるが、日本人の場合は、自分は無罪であるが、自分が疑われたというだけで、世間を騒がせたことについて謝罪することになる。このようなことは、世間を社会と考えている限り理解できない。世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな人間関係の環なのである。(20~21ページ)

[2]阿部謹也『学問と「世間」』
「世間」と社会の違いは、「世間」が日本人にとっては変えられないものとされ、所与とされている点である。社会は改革が可能であり、変革しうるものとされているが、「世間」を変えるという発想はない。明治以降わが国に導入された社会という概念においては、西欧ですでに個人との関係が確立されていたから、個人の意志が結集されれば社会を変えることができるという道筋は示されていた。しかし「世間」については、そのような道筋は全く示されたことがなく、「世間」は天から与えられたもののごとく個人の意志ではどうにもならないものと受けとめられていた。したがって「世間」を変えるという発想は生まれず、改革や革命という発想も生まれえなかった。(111~112ページ)
「世間」は差別的で排他的な性格をもっている。仲間以外の者に対しては厳しいのである。「世間」には序列があり、その序列を守らない者は厳しい対応を受ける。それは表立っての処遇ではないが、隠微な形で排除される。「世間」の中では個性的な生き方はできない。常に「世間」の枠を意識していなければならないからである。自分と「世間」とは一体として意識されている。自分が落ちこぼれないように努力している反面で、「世間」の外に特定の対象を設定して、その対象に対して自分の優位を確認しようとする。「世間」の外にそのような対象を設定することによって、自分自身の恐れや不安を転嫁するのであり、「世間」に対する恐怖を和らげるのである。私たち自身が「世間」の中で生きている不安を転嫁する過程で差別意識が発生してくるのである。その意味で差別意識は「世間」の産物である。(151~152ページ)

[3]佐藤直樹『「世間」の現象学』
社会という言葉はわが国の「近代化」と一体となったかたちで、つまり「近代化」のシステムとして展開された。ジャーナリズムや学問の世界では、あたかも西欧流の社会が実在するかのように、社会という言葉があたりを席巻した。しかしそれは、蜃気楼のようなものだった。おおかたの見方に反して、「世間」は消滅するどころか、実際に明治以降私たちの<生活世界>に実在したのは、「近代化」のシステムとしての社会ではなく歴史的・伝統的システムとしての「世間」のほうであった。(98ページ)
西欧流の「社会」と日本の「世間」のちがいを簡単にまとめると表1のようになる。(97ページ)


[4]山本七平『「空気」の研究』
「空気」は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である。われわれは「空気」に順応して判断し決断しており、総合された客観情勢の論理的検討の下に判断を下して決断しているのではない。だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基準となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。(22ページ)
「空気」の基本にあるのは臨在感的把握である。それは、物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けることをいう。(32、33ページ)
臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。感情移入はすべての民族にあるが、この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。従ってその前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化乃至は生活化であり、一言でいえば、それをしないと、「生きている」という実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならないのである。(38ページ)
臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。そして絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう、いわば「空気」の支配が起ってしまうのである。(40ページ)
われわれは、「空気」を排除するため、現実という名の「水」を差す。「水」とはいわば「現実」であり、現実とはわれわれが生きている「通常性」であり、この通常性がまた「空気」醸成の基である。そして日本の通常性とは、実は、個人の自由という概念を許さない。(129、172ページ)
ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人びとを現実に引きもどすことを意味している。われわれの通常性とは、一言でいえばこの「水」の連続、すなわち一種の「雨」なのであり、この「雨」がいわば「現実」であって、しとしとと降りつづく “ 現実雨 ” に、「水を差し」つづけられることによって、現実を保持しているわけである。従ってこれが口にできないと “ 空気 ” 決定だけになる。(91、92ページ)

〇「世間」と「空気」は過去の遺物ではない。「世間」は今日も、解体・消滅することなく、そこに所属する人々の行動原理として働いている。そこで醸成される「空気」は、人々を支配し、ときには議論を否定し、思考を停止させる。日本の現代社会においては一面では、「世間」が膨張し、「空気」が意思決定の主役のようにもなっている。
〇「まちづくり」や「市民福祉教育」の世界ではこれまで、「世間」と「空気」の存在を前提にした議論が十分に行われてきたとは言えない。もっぱら、「地域社会」「市民社会」「共生社会」などの、翻訳語としての「社会」(society)を舞台にした議論が行われてきた。「社会」は観念的な世界であり、人はそのなかで生きているとはいえ、一定の心理的距離を置くこともできる。「世間」は日常生活における具体的な人間関係であり、一面では本音(ほんね)の世界でもある。右傾社会や格差社会、そして監視社会すなわち管理社会が進展するなかでいま、その趨勢を押しとどめ、真の市民社会や共生社会の実現を図るために、日常語としての「世間」と「空気」について探究する必要がある。「世間」と「空気」を対象化し議論することは、「社会」について論究する際のひとつの前提である。それはまた、自分の存在を意識し思考することであり、「社会」や「世間」の「息苦しさ」から自分や他の人々を解放することに通じる。
〇[5]は、鴻上尚史(作家・演出家)と佐藤直樹(評論家)の対談本である。「人を苦しめているものは『同調圧力』と呼ばれるもので、それは『世間』が作り出しているもの」である。新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本特有の「世間」が強化され、「同調圧力」が狂暴化・巨大化している。自粛の強制や監視、感染者に対するバッシングなどがそれである。「世間」の特徴は、「所与性」(変わらないこと・現状を肯定すること)にあり、「今の状態を続ける」「変化を嫌う」ことにある(鴻上:6、7ページ)。[5]は、新型コロナがあぶり出した「世間」のカラクリや弊害について追求する。
〇[5]で筆者が留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

[5]鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力』
「同調圧力」を生む「世間」:鴻上
「同調圧力」とは、「みんな同じに」という命令である。同調する対象は、その時の一番強い集団である。多数派や主流派の集団の「空気」に従えという命令が「同調圧力」である。数人の小さなグループや集団のレベルで、職場や学校、PTAや近所の公園での人間関係にも生まれる。日本は「同調圧力」が世界で突出して高い国なのである。そして、この「同調圧力」を生む根本に「世間」と呼ばれる日本特有のシステムがある。(5ページ)

「世間」と「社会」の違い:鴻上
「世間」というのは、現在及び将来、自分に関係がある人たちだけで形成される世界のことである。分かりやすく言えば、会社とか学校、隣近所といった、身近な人びとによってつくられた世界のことである。「社会」というのは、現在または将来においてまったく自分と関係のない人たち、例えば同じ電車に乗り合わせた人とか、すれ違っただけの人とか、知らない人たちで形成された世界である。つまり、「あなたと関係のある人たち」で成り立っているのが「世間」、「あなたと何も関係がない人たちがいる世界」が「社会」である。日本人は「世間」に住んでいるけれど、「社会」には住んでいない。(31、32ページ)

「世間」と「社会」の二重構造:佐藤
「社会」というのは、「ばらばらの個人から成り立っていて、個人の結びつきが法律で定められているような人間関係」である。法律で定められている人間関係が「社会」である。「世間」というのは、「日本人が集団となったときに発生する力学」である。「力学」とはそこに同調圧力などの権力的な関係が生まれることを意味する。日本人は「世間」にがんじがらめに縛られてきたために、「世間」がホンネで「社会」がタテマエという二重構造ができあがっている。おそらく現在の日本の社会問題のほとんどは、この二重構造に発していると言ってもいい。(33~35ページ)

「世間」を構成するルール:佐藤
「世間」を構成するルールは四つある。①お返しのルール/毎年のお中元・お歳暮に代表されるが、モノをもらったら必ず返さなければならない。②身分制のルール/年上・年下、目上・目下、格上・格下などの「身分」がその関係の力学を決めてしまう。③人間平等主義のルール/「みんな同じ時間を生きている」、すなわち「みんな同じ仲間である」と考えている。そこから、「出る杭は打たれる」ことになり、「個人がいない」ということになる。④呪術性のルール/「友引の日には葬式をしない」といったように、俗信・迷信に逆らうことができない。こうした四つのルールからできあがったのが「世間」である。そうした人間関係のつくり方をしている国は日本しかないのではないか。(35~50ページ)

「世間」の特徴:鴻上
「世間」には五つの特徴がある。①「贈り物は大切」、②「年上が偉い」、③「『同じ時間を生きること』が大切」、④「神秘性」(佐藤がいう「呪術性」)、佐藤の言説と同じである。加えて⑤「仲間外れをつくる」がある。それは「排他性」を意味し、仲間外れをつくることが、自分たちの「世間」を意識し、強固にすることになる。この五つの特徴(ルール)のうち、一つでも欠けた場合に表れるのが「空気」である。「世間」が流動化したものが「空気」である。「空気」に支配されるのは、それが「世間」の一種だからである。(50~53ページ)

〇要するに、「世間」の本質は、その暗黙のルールに従うこと、みんなと同じことをすることにある。「世間」のルール(その強さ)が、「みんな同じ」すなわち「違う人にならない」という同調圧力を生み出し、個人の行動を抑制するのである。
〇「同調圧力」とは、「少数意見を持つ人、あるいは異論を唱える人に対して、暗黙のうちに周囲の多くの人と同じように行動するよう強制すること」である。すなわち、「何かを強いられること」「異論が許されない(封じられる)状況」(16ページ)をいう。こうした同調圧力や相互監視を生み出す、別言すればそれによって支えられるのが「世間」である。この「世間」と「同調圧力」が、いまの日本社会の「息苦しさ」や「生きづらさ」の正体である。それを緩和あるいは除去するためには、「世間のルール」を漸進的に変革するしかない。そのためのひとつのヒントを与えてくれるのが岡檀の[6]である。
〇[6]は、「地域の社会文化的特性が住民の精神衛生にあたえる影響、特に、コミュニティの特性と自殺率との関係」(10ページ)を明らかにしている。徳島県南部に位置する旧・海部町(現・海陽町)は、太平洋に臨む、人口3000人前後で推移してきた小規模な町である。その町は、全国でも極めて自殺率の低い「自殺 “最” 稀少地域」である。[6]は、そこに暮らす町民たちの、「生きづらさを取り除く」ユニークな人生観や処世術を、2008年から4年にわたる現地調査によって解き明かす(「帯」)。
〇[6]で筆者が注目したいひとつの言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

[6]岡檀『生き心地の良い町』
5つの自殺予防因子
旧・海部町ではなぜ、自殺者が少ないのか。「自殺予防因子」として次の5つが考えられる。
① いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
多様性を尊重し、異質や異端なものに対する偏見が小さく、「いろんな人がいてもよい」と考えるコミュニティの特性がある。それだけではなく、「いろんな人がいたほうがよい」という考え方が町に浸透している。
② 人物本位主義をつらぬく
職業上の地位や学歴、家柄や財力などにとらわれることなく、その人の問題解決能力や人柄によって判断するという考え方が重んじられている。
③ どうせ自分なんて、と考えない
町民には、自分たちが暮らす世界を自分たちの手によって良くしようという、基本姿勢がある。「どうせ自分なんて」と考える人が少なく、主体的に社会にかかわる人が多い。
④ 「病(やまい)」は市(いち)に出せ
病気のみならず、生きていく上でのあらゆる問題をひとりで抱えるのではなく、みんなで解決しようという考え方がある。町民の、援助を求める行為への心理的抵抗が小さい。
⑤ ゆるやかにつながる
人間関係が固定していない。町民はそれぞれが、息苦しさを感じない距離感を保ちながら、「ゆるやかな絆」のもとで連携している。(29~92ページ)

〇岡はいう。旧・海部町は江戸時代の初期、材木の集積地として飛躍的に隆盛し、「多くの移住者によって発展してきた、いわば地縁血縁の薄いコミュニティだった」(88ページ)。「人の出入りの多い土地柄であったことから、人間関係が膠着(こうちゃく)することなくゆるやかな絆が常態化したと想像できる」(90ページ)。こうした歴史的背景のもとで培われ維持されてきた「ゆるやかな絆」が、自殺予防を促している。「ゆるやかな絆」という住民気質に注目しておきたい。
〇ここで、世論がどのようなメカニズムで形成されるかを検討したE.ノエル=ノイマン(1916年~2010年、ドイツの政治学者)の「沈黙の螺旋理論」についてメモって(紹介して)おきたい。その概要はこうである。人間はその社会的天性として、仲間と仲たがいして孤立することを恐れる(「孤立への恐怖」)。人間には意見分布の状況(「意見(の)風土」)を認知する能力がある(「準統計的感覚(能力)」)。そこで、自分の意見が多数派であると判断したときは、自分の意見を公然と表明する。逆に自分の意見が少数派であると認識した場合は、孤立を恐れて沈黙を促す(守る)。この循環過程によって意見の表明と沈黙が螺旋状に増幅し、多数派意見への「なだれ現象」(同調)が引き起こされ、多数派意見が「世論」(「論争的な争点に関して自分自身が孤立することなく公然と表明できる意見」)として公認されるようになる。そして、少数派はますます孤立の度を深めていく。なお、ノエル=ノイマンは、少数派でありながら、孤立の脅威をものともしないで意見表明する、「ハードコア(固い核)」と名付ける活動層についても言及する。「沈黙の螺旋研究」の詳細については、E.ノエル=ノイマン、池田謙一・安野智子訳『沈黙の螺旋理論―世論形成過程の社会心理学―』(改訂復刻版、北大路書房、2013年3月)と、たとえば時野谷浩の『世論と沈黙―沈黙の螺旋理論の研究―』(芦書房、2008年3月)を参照されたい。

補遺
・歩いて2、3分の所に住むおじいちゃんが入院された。「にわか百姓」の私に、いつも優しくまた丁寧に、農作業を指南してくれた方である。早速お見舞いに伺ったが、一週間ほどたってご子息からお礼の連絡が入った。電話で、である。
・我が家には2002年3月生まれの犬(柴犬)がいた。目が見えず、耳も聞こえず、認知症の症状が顕著にみられた。ある夜、大きな声で鳴き始めた。すぐに対応したが、近所からお叱りの連絡が入った。深夜23時30分、無言電話で、であ。
・私は数年前、地元の老人クラブの役員を仰せつかった。ある役員との連絡は、時にはメールで行うことがあった。いま思えば、その時の話題は少々厄介なものばかりであった。メールは、お互いの「繋がり」を深化させない、「摩擦」を避けるためのツールとして活用されたのだろうか。
・3年前、隣の家が火事になり、大騒ぎになった。翌日、お見舞いと後片付けにお邪魔したが、その作業に参加したのは私だけであった(2日目には丁重に断られている)。今年になって、近所に住む二人のおばあちゃんが他界された。それを知ったのは1か月後のことである。「村八分」の二分はどこへやら、である。

【初出】
<雑感>(46)阪野 貢/「世間」の膨張と「空気」の支配―その「息苦しさ」からの解放―/2017年4月24日/本文
<雑感>(120)阪野 貢/同調圧力の強い世間を生き抜くということ―鴻上尚氏・佐藤直樹著『同調圧力』と岡檀著『生き心地の良い町』のワンポイントメモ―/2020年10月2日/本文

 


06  「しょうがい」と疑似体験の陥穽


「しょうがい」と疑似体験の陥穽【その1

<文献>
(1)荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』柏書房、2021年5月、以下[1]。
(2)荒井裕樹『車椅子の横に立つ人―障害から見つめる「生きにくさ」―』青土社、2020年8月、以下[2]。
(3)荒井裕樹『障害者差別を問いなおす』ちくま新書、2020年4月、以下[3]。
(4)荒井裕樹『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ―』現代書館、2011年2月、以下[4]。
(5)荒井裕樹『差別されてる自覚はあるか―横田弘と青い芝の会「行動綱領」―』現代書館、2017年1月、以下[5]。

〇1970年代から80年代にかけて、日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」神奈川県連合会の横田弘や横塚晃一らは、「障害者は不幸」「障害者は施設で生きるしかない」「障害者は殺されてもやむを得ない」といった固定的な価値観(常識)と闘った([3]134ページ。注①、②)。その後、「完全参加と平等」(1981年の「国際障害者年」)をはじめ「バリアフリー社会」「自立生活」「地域生活支援」「地域共生社会」、あるいは「共生共育」(インクルーシブ教育)などの実現をめざした障がい者運動が展開された。2016年4月に「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が施行され、同年7月にはその対極に位置する「相模原障害者施設殺傷事件」が起きた。「差別を解消するための法律を作れば、そのうち差別は克服される」といってしまえるほど、この社会は単純な仕組みにはなっていない([3]13ページ)。元施設職員の犯人・植松聖は「重度障害者は不幸をばらまく存在であり、絶対に安楽死させなければいけない」と断言した。そして早々に、事件の風化が進んだ。ここに障がい者差別の「現在」があり、青い芝の会の「過去」の闘争やその思想が浮かび上がる。
〇荒井裕樹は、「この社会に存在する数々の問題について『言葉という視点』から考えること」を仕事にする気鋭の「文学者」である。専門は、厳しい境遇に追いやられている「被抑圧者の自己表現活動」([1]20ページ)である。主な研究対象(テ―マ)は、障害や病気と共に生きる人たちの「言葉」であり、障がい者運動や患者運動にかかわる(かかわった)人たちの表現活動である。荒井はいう。1970年代に、障がい者の苦労をわかってもらうのではなく、世間の障がい者差別と闘った「青い芝の会」神奈川県連合会の横田は、「障害者は不幸」「障害は努力して克服すべき」という考えが常識だった時代に「なんで障害者のまま生きてちゃいけないんだ?!」と言った([1]151ページ)。障がい者運動家たちからもらった最大のものは、「『正しい』とか『立派』とか『役に立つ』といった価値観自体を疑う感覚」([1]244ページ)である。「ある人の『生きる気力』を削(そ)ぐ言葉が飛び交う社会は、誰にとっても『生きようとする意欲』が湧(わ)かない社会になる。そんな社会を次の世代には引き継ぎたくない」([1]29ページ)。荒井が依拠する基本的な視点や認識のひとつであり、ひとりの「学者」としての覚悟(姿勢)である。
〇[1]は、「言葉」に潜む暴力性を明らかにし、その息苦しさ(「言葉の壊れ」)に抗(あらが)うための18本のエッセイ集である。荒井は、「言葉の殺傷力」、特に2010年代以降に顕著になった「言葉が壊されている」現実に、猛烈な危機感を持つ。「言葉というものが、偉い人たちが責任を逃れるために、自分の虚像を膨らませるために、敵を作り上げて憂(う)さを晴らすために、誰かを威圧して黙らせるために、そんなことのためばかりに使われ続けていったら、どうなるのだろう」(247ページ)。これが[1]の各エッセイに通底する問題意識である。空虚なスローガンやキャッチフレーズとともに、質疑や質問に向き合わず、討論やコミュニケーションを遮断した安倍政権の汚く卑劣な言葉やフレーズを思い出す。
〇[2]は、学術誌に掲載した論文と文芸誌やネットジャーナルに寄稿したエッセイの14本の論考から成っている。荒井の研究者人生「最初の10年間の総括」(222ページ)である。ほとんどの人が「車椅子の横に立つ人」を障がい者の「身内」か「介護者(福祉職)」と決めつけてしまう。障害や障がい者をめぐるある種の固定観念や思い込み(ステレオタイプ)にとらわれ、それを定型的・限定的に捉えてしまう狭い範囲での想像力は、何から生み出されるのか。障がい者が経験する現代社会における「生きにくさ(生きづらさ)」や、それをめぐる「語りにくさ(語られにくさ)」を言葉でどうとらえるのか。こうした「にくさ」が交錯(こうさく)する問題について考える端緒を開こうとするのが[2]である。そして荒井はいう。「いつか(その)正体を見極めて、ぶち壊したいと思う」(34ページ)。
〇[3]は、1970年代から80年代にかけてさまざまな抗議行動(闘争)を繰り広げた「青い芝の会」神奈川県連合会の問題提起を、その運動に参加した障がい者たちの言葉やフレーズ、思想や価値観などを通して丹念に振り返り、「障害者差別を問い直す」。たとえば、青い芝の会が「障害者と対立関係にある健康な者」「障害者を差別する立場にいる健康な者」を「健全者」(73ページ)と呼んだ。あるいは、憲法第25条に規定された「生存権」を「生きる権利」「この世に存在する権利」(194ページ)という意味で使ったことなどに言及し、そこに青い芝の会の思想をみる。そして荒井はいう。「障害者本人たちが、障害者抜きに作られた『常識』に対して、異議申し立てを行なってきた経緯」(22ページ)について、その具体的な事例を一つひとつ調べていくことが重要である。障がい者差別についてあまりにも早急にあるいは短絡的に「解決」を求める発想は、「弱い立場の人に我慢や沈黙を強いたり、そうした『解決』に馴染(なじ)めない人たちを排除したりする方向へと進みかねない」(252ページ)。複雑に入り組んだ障がい者差別の問題について考える荒井のスタンス(立場)である。
〇ここでは、福祉教育(とりわけその実践)に関してしばしば見聞きする言葉やフレーズのいくつかを[1][2][3]から抜き出し、荒井のその論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「障害」という言葉と定義([2])
これまで「障害」は「不幸の代名詞」「生きにくさの象徴」のように考えられてきた側面がある。「障害」は立場や見方によって定義がさまざまに変化し得る相対的なものである。(189、192ページ)
人は程度の差こそあれ、何らかの障害を抱えながら生きていると考えた方がよい。
自分には何ができて、何ができないのか。どこからが自分の手に負えない状況になってしまうのか。何かできないことに直面した際、誰に、どれだけのサポートを求めれば良いのか。自分のなかに「障害」を見出すというのは、こうした点について考えることでもある。ここでいう「障害」とは、「ある特定の文脈や状況のなかで、他の多くの人がそれほど苦労せずにできることができず、そのことで日常生活に支障をきたすこと」という意味である。人は誰しも「障害的要素」や「障害者的側面」をもっているはずであり、そうした内省(リフレクション、reflection)を通じて、社会を捉え返すことが大切である。(190~195ページ)

「障がい者」に対する紋切り型の表現([2])
障害者に対する紋切り型の表現は、これまでも繰り返し批判されてきた。記憶に新しい例で言えば、Eテレの情報バラエティ番組「バリバラ(Barrierfee Variety Show)」が、日本テレビ系列の有名チャリティ番組「24時間テレビ」にぶつけて「障害者×感動の方程式」と題した番組を組み、障害者が感動や勇気を与える存在として描かれることを「感動ポルノ」(Inspiration porn)と批判したことが話題になった。(24ページ)
もともと「感動ポルノ」という言葉は、豪州(オーストラリア)のジャーナリスト、ステラ・ヤング(Stellar Young)のものとされている。Eテレの同企画を詳細に報じた『朝日新聞』(2016年9月3日)の記事は、当日の番組の様子を次のように伝えている。<番組では冒頭、豪州のジャーナリストで障害者の故ステラ・ヤングさんのスピーチ映像を流した。ステラさんは、感動や勇気をかき立てるための道具として障害者が使われ、描かれることを、「感動ポルノ」と表現。「障害者が乗り越えなければならないのは自分たちの体や病気ではなく、障害者を特別視し、モノとして扱う社会だ」と指摘した。>(27ページ)
「不幸」や「悲劇」を健気(けなげ)な努力によって乗り越える障害者の姿が涙とともに「消費」されることは珍しくない。(113ページ)

障がい者の「役に立たない」という烙印([1])
戦時中の障害者たちは、「お国の役に立たない」ということで、ものすごく迫害された。「国家の恥」「米食い虫」という言葉で罵(ののし)られた。そうした迫害に苦しんだ人たちだからこそ、「障害者を苦しめる戦争反対!」とはならない。むしろ、なれないのだ。迫害されている人は、これ以上迫害されないように、世間の空気を必死に感じ取ろうとする。どういった言動をとればいじめられずに済むか、自分をムチ打つ手をゆるめてもらえるかを必死になって考える。(104~105ページ)
誰かに対して「役に立たない」という烙印を押したがる人は、誰かに対して「役に立たないという烙印」を押すことによって、「自分は何かの役に立っている」という勘違いをしていることがある。特に、その「何か」が、(「国家」「世界」「人類」などの)漠然とした大きなものの場合には注意が必要だ。「誰かの役に立つこと」が、「役に立たない人を見つけて吊るし上げること」だとしたら、断然、何の役にも立ちたくない。(107ページ)

「障がい者はもっと遠慮するべきだ」という暴力([1])
老若男女、障害や病気の有無にかかわらず、「遠慮」をまったく感じないでいられる人は現実的にはほとんどいない。だから、みんなが、どこかで、誰かに「遠慮」している。それでも、障害や病気がある人の「遠慮」は、場合によっては命に関わる。(178ページ)
日本の障害者運動が最初に闘ったのは、「遠慮圧力」だった。<生きるに遠慮が要るものか>というフレーズは、障害者運動の神髄だとさえ言える。「みんな、それなりに遠慮しているのだから、障害者も弱者なんていう言葉にあぐらをかかず、もっと遠慮するべきだ」。いまでも、こうした意見を持つ人がいる。でも、この世の「遠慮圧力」は、みんなに等しく均一にかかっているわけではない。やはり、どこかで、誰かに、重くのしかかっている。自分たちが生きる社会のなかで、「生きること」そのものに「遠慮」を強いられている人がいることを想像してみてほしい。「遠慮圧力」が、ときには人を殺しかねないことを想像してみてほしい。確かに、ある程度の「遠慮」は美徳かもしれないけれど、誰かに「命に関わる遠慮を強いる」のは暴力だ。(183~184ページ)

「障害は個性」「みんな違ってみんないい」という言葉([3])
1990年代以降、「障害は個性」や「みんな違ってみんないい」といった言葉が、障害者との共生をめざす文脈でしばしば見かけられるようになった。しかし、これらの言葉は、どちらかというと「障害者と仲良くするための言葉」であり、障害者差別という人権侵害を抑止したり糾弾したりする「闘う言葉」ではないようである。(231~232ページ)
ある差別について語る言葉がない(少ない)ことは、その社会に差別が存在しないことを意味しない。むしろ、差別について語る言葉が少ないほど、その社会が差別に対して鈍感であることを意味している。(232ページ)

「障がい者も同じ人間である」というフレーズ([3])
障害の有無にかかわらず、人は皆、等しくかけがえのない存在であり、等しい尊厳を有した存在であるという意味において、「障害者も同じ人間」というフレーズはまったく間違ってもいなければ、無力なきれいごとでもない。(235ページ)
「人間」とは極めて普遍的で抽象的な言葉だからこそ、ともすると、個々人の抱えた事情を一切無視して、少数者を多数者の論理に従わせたり、多数者の価値観を少数者に受け入れさせたりする抑圧的な言葉として、いかようにも転用できてしまう。つまり、「障害者も同じ人間なのだから」という表現は、障害者に対して我慢や自制を強いる表現としても使われかねないのである。(236ページ)
障害者たちが障害者運動のなかで叫んできた「障害者も同じ人間」というフレーズは、「障害者も生物学上『人間』に分類される存在である」などといった意味ではない。運動の蓄積に鑑(かんが)みるならば、この言葉は「障害者も社会のなかで共に生活する者である」といったメッセージとして育て上げられてきたフレーズである。「障害者も同じ人間」というフレーズは、「他の人々に認められている社会参加への機会や権利は、障害者にも等しく認められるべきである」といった意味内容で使われなければならない。(239ページ)

障がい者の「差別と区別は違う」という定型句([1])
「差別と区別は違う」というのは、障害者差別が起きたときにも出てくる定型句である。「差別」は不当に「されるもの」であり、「区別」は不利益が生じないように「してもらうもの」である。「不利益の生じる区別」は「差別」だし、そもそも属性を理由に「不利益」を押しつけることは許されない。「差別と区別は違う」というフレーズは、「それは差別だ!」と批判された側が思わず口走るというパターンが多かったように思う。(124~125ページ)
この社会は「権利」という概念に鈍(にぶ)いけど、それと対になって「差別」への感性も鈍い。「差別」への感性を鈍らせないためにも、「権利」に敏感でなければならない。(126ページ)

「隣近所」で生きる障がい者との「闘争(ふれあい)」([2])
障害者が排除されるのは抽象的な「地域」ではなく、具体的な「隣近所」であることから、横田は「障害者は隣近所で生きなければならない」と言った。これは、「障害者は、目に見えて、声が聞こえる距離で生きなければならない」ということだ。障害者が身近にいない社会では、障害者はどんな人なのかといった想像力が希薄になる。逆に、障害者にとっても、様々な人たちが混在している社会のなかで生きなければ、「自分とは何者か」「自分と社会はどのような関係にあるか」について考える機会を失う。「障害者が遠い社会」や「障害者にとって遠い社会」では、障害者について語る言葉も、障害者と語らう言葉も貧困になる。言葉が貧困なところに想像力は育まれない。(77~78ページ)
横田は、障害者は周囲の人々と軋轢を起こしながら・起こしてでも(「隣近所」で)生きなければならないと言った。小さな諍(いさか)いは、相手と言葉を交わし、相手が何者なのかを考える契機になる。横田が「闘争」という言葉に「ふれあい」というルビを振ったことは有名なエピソードだ。(78ページ)

「自己責任」という言葉とその不気味さ([1])
「自己責任」という言葉に、おおむね次の三点において不気味さを覚えている。
一つ目は、2004年の「イラク邦人人質事件」で騒がれた時から、「自己責任の意味が拡大し過ぎている」という点だ。これまでも、病気・貧困・育児・不安な雇用などで生活の困難を訴える人が、「甘え」「怠(なま)け」といった言葉でバッシングされることはあった。近年では、こうした場面にも「自己責任」が食い込んできた。二つ目は、「自己責任」が「人を黙らせるための言葉」になりつつある、という点だ。社会の歪みを痛感した人が、「ここに問題がある!」と声を上げようとした時、「それはあなたの努力や能力の問題だ」と、その声を封殺(ふうさつ)するようなかたちで「自己責任」が湧き出してくる。三つ目は、この言葉が「他人の痛みへの想像力を削(そ)いでしまう」という点だ。「自己責任」という言葉には「自らの行ないの結果そうなったのだから、起きた事柄については自力でなんとかするべき」「他人が心を痛めたり、思い悩んだりする必要はない」という意味が込められている。(189~191ページ)
「自己責任」というのは、声を上げる人を孤立させる言葉だ。「従順でない国民の面倒など見たくない」という考えを持った権力者は、今後も「自己責任」という言葉を使い続けていくだろう。国民が分断されていることほど、権力者にとって好都合なことはないからだ。(195ページ)

人が「生きる意味」について議論すること([3])
人が「生きる意味」について、軽々に議論などできない。障害があろうとなかろうと、人は誰しも「自分が生きている意味」を簡潔に説明することなどできない。「自分が生きる意味」も、「自分が生きてきたことの意味」も、簡潔な言葉でまとめられるような、浅薄なものではないからである。私が「生きる意味」について、第三者から説明を求められる筋合いはない。また、社会に対して、それを論証しなければならない義務も負っていない。もしも私が第三者から「生きる意味」についての説明を求められ、それに対して説得力のある説明が展開できなかった場合、私には「生きる意味」がないことになるのか。だとしたら、それはあまりにも理不尽な暴力だとしか言えない。(234ページ)
この社会のなかで、誰かに対し、「生きる意味」の証明作業を求めたり、そうした努力を課すこと自体、深刻な暴力であることを認識する必要がある。重度障害者に対し「生きる意味」の証明作業を求めるような価値観は、必ず、重度障害者以外に対しても牙(きば)を剥(む)く。(235ページ)

〇[4]は、「障害者によって描かれた文学」作品を研究対象に、それらの作品が生み出された文学活動の歴史と意義について考察する。具体的には、俳人で運動家の花田春兆と文芸同人団体「しののめ」、詩人で運動家の横田と「青い芝の会」神奈川県連合会をとり上げる。そして、「障害者自身がいかに自己の存在意義について悩み、いかに自己と社会との関係性について折り合いをつけてきたのか、その内省的な思索の変遷過程を、可能な限り同時代の障害者自身の文学表現から読み解いていく」(8ページ)作業を行う。それは、障がい者や障がい者運動の「内面史」を語ることでもある。荒井はいう。戦後日本の障がい者運動のなかでは、「文学は決して周縁的・副次的な存在ではなく、人脈を繋ぎ、思想を練磨していく上で、むしろ中心的な役割を果たしていたとさえ言える」(8ページ)。
〇[5]は、横田が1970年5月に書き上げた「青い芝の会」の「行動綱領 われらかく行動する」(「補遺」参照)の解釈を通して、その歴史や思想、その意義について考察する。「行動綱領」は、「一人の重度脳性マヒ者が、この社会に厳然と存在する障害者差別に頽(くずお)れてしまわないために、自分を鼓舞し支えようとして綴った言葉」(299ページ)である。「青い芝の会」の活動には、「『自分たちの苦労と悲しみをわかってもらいたい』という迎合的な姿勢や、『障害のある人もない人も、共に手を取り合ってがんばろう』といった朗(ほが)らかな雰囲気は微塵もなかった」(14ページ)。彼らは、差別者を容赦なく徹底的に糾弾し、非妥協的で戦闘的な姿勢を貫き通した。荒井によると横田は、差別者と対峙して自覚的あるいは無自覚な差別を問いただし、その壁を乗り越えて明日を切り拓き、自分自身を解き放つためには「差別されてる側の自覚から湧き上がる怒りが必要だ」(299ページ)とした。障がい者(被差別者、被抑圧者)の「自覚」がキーワードである。ここに、「差別されている自覚はあるか」というタイトルの意味をみる。

社会のすべてが、障害者と共生する時が来るとは私には考えられない。/私たち障害者が生きるということは、それ自体、たえることのない優生思想との闘いであり、健全者との闘いなのである。(横田:[4]225ページ)

私達は生きたいのです。/人間として生きる事を認めて欲しいのです。/ただ、それだけなのです。(横田:[5]103ページ)


①1970年5月に起きた実母による障がい児殺害事件に対する減刑嘆願反対運動をはじめ、優生保護法改悪反対運動および「胎児チェック」反対運動(1972年から1974年)、川崎バス闘争(1977年から1978年)、養護学校義務化阻止闘争(1975年から1979年)などがそれである。その概要と詳細は[3](41~47、128~145、150~176、188~220ページ)を参照されたい。
②横田と横塚の言説(思想)については、次の著作を参照されたい。
横田弘『障害者殺しの思想』JCA出版、1979年1月。
横田弘、立岩真也解説『障害者殺しの思想(増補新装版)』現代書館、2015年6月。
横塚晃一『母よ!殺すな』すずさわ書店、1975年1月。
横塚晃一、立岩真也解説『母よ!殺すな(増補復刻版)』生活書院、2007年9月。

補遺
横田の手になる「行動綱領 われらかく行動する」は、次の通りである([5]29~30ページ)。

荒井による各項目の解説文(「注釈めいたもの」)をメモっておくことにする([5]121~142ページの抜き書きと要約)。

一、われらは自らがCP者である事を自覚する
障害者運動は障害者が主体となり、障害者の主体性が発揮されるかたちでなされなければならない。そのためには自分がCP者(脳性マヒ者)であることを自覚し、CP者としての思考や考え方がなければならない。それがすべての原点である。
一、われらは強烈な自己主張を行なう
障害者が障害者のまま生きていくために、障害者としてしか生きられない自分の存在を「自己主張」すべきである。この社会の常識自体が障害者の存在を否定的に捉えている。そんな常識を<健全者エゴイズム>として捉え直さない限り、障害者は<自己解放>の道を歩むことはできない。
一、われらは愛と正義を否定する
母親がわが子を愛するが故に障害児を殺した事件が起きた。その愛を圧倒的多数の人たちが支持すれば、それは正義になる。その「愛と正義」の名のもとに、障害児は殺され、あるいは施設へと送られた(送られている)。「障害者のためを思って」という健全者だけに都合のよい「愛と正義」について、人間の心を凝視しなければならない。「福祉は思いやり」という発想も怖い。非常時に真っ先に犠牲になるのは障害者である。
一、われらは問題解決の路を選ばない
障害者が成し得ることは、「不満があるなら何か具体的な対案や代替案を示せ」という発想に応えることではなく、次々と問題提起を起こす以外にない。安易な問題解決は<安易な妥協>を生む。安易な妥協は、「正義」として受け止められ、「誰」が「何」を考えなければならないのかという点を曖昧にしてしまう。妥協は、弱い立場の者がしぶしぶ折れる(折られる)ことになる。

【初出】
<雑感>(144)阪野 貢/言葉とフレーズと福祉教育 :福祉教育は障がい者から感動や勇気をもらい、自分を演じるための教育的営為か? ―荒井裕樹を読む―/2021年9月19日/本文

 

「しょうがい」と疑似体験の陥穽【その2】

<文献>
(1)佐藤貴宣・栗田季佳編『障害理解のリフレクション―行為と言葉が描く〈他者〉と共にある世界―』ちとせプレス、2023年3月、以下[1]。

〇福祉教育実践ではこれまで、「訪問・交流活動」「収集・募金活動」「清掃・美化活動」の“3大活動”や「疑似体験」「技術・技能の習得」「施設訪問(慰問)」の“3大プログラム”を中心にした体験活動が実施・展開されてきた(されている)。圧倒的に多いのは、障害や高齢の疑似体験、なかでも車いす体験やアイマスク体験、インスタントシニア体験である。相変わらず「慰問」という施設訪問も多い。これらの体験活動は場合によっては、誤解や思い込み、偏見を助長し、「貧困的な福祉観の再生産」(原田正樹)を促すことになる。
〇ここで、障害疑似体験の陥穽(かんせい。落とし穴)について、村田観弥の論考[1]――「障害疑似体験を『身体』から再考する」佐藤貴宣・栗田季佳編『障害理解のリフレクション―行為と言葉が描く〈他者〉と共にある世界―』ちとせプレス、2023年3月、123~153ページ。――から先行研究と村田の言説の一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

西舘有沙らは、できないことに目が行き過ぎて事実誤認やミスリードを引き起こし、障害者へのネガティブな態度を植えつける点、障害者の能力を特別視する傾向が強まる点など、障害者の姿を誤って捉え、障害に対する認識のゆがみを強固にする側面を挙げ、この検討をせずに教育方法としての疑似体験を採用すべきでないと指摘する。そして改善策として、➀体験の目的を具体的かつ明確に定める、②できないことばかりを体験させない、④事後指導の時間を設ける、④指導者の指導技術を高める、を提案する。(124ページ)

松原崇と佐藤貴宣は、障害学や障害当事者からの視点として、➀政治・社会的構造の要因の看過(個人にばかり焦点を当てる)、②差別的な見方の強化(障害者の無力さが強調され、障害者や障害にネガティブな価値づけが生じる)、③体験の精度の低さ(疑似体験できるのは、個人が突然身体機能の障害を負ったときの状態やそのときの感情のみで、症状の不安定さや症状の進行などの可変的状態がシミュレートできない)、④障害者への倫理的問題(試しにちょっとやってみる程度に扱われ、しばしば楽しい遊びやゲームのように行われる)、を批判として挙げる。そこで対策として、障害者自身がファシリテーターとなる手法や、注意深くブログムムをデザインすることでネガティブな効果を回避する事例など、学習を始める参加者が「現実」を対象化するきっかけとして、プログラムの一部や出発点として位置づけることを提案する。そして、社会構成主義的な協働体験として再構成し(体験は人々の間のコミュニケーションを通じて協働的に構成されると考える社会構成主義の観点に依拠し)、①問題を障害者個人でなく、外部環境へと問題帰属する文脈を用意する、②障害者が企画者として参加する、③障害者を含む参加者間での対話を喚起する、の3点の「仕掛け」を挙げている。(124~125ページ)

障害当事者である鈴木治郎は、体験し経験して知ることはけっして無駄ではないとしながらも、「その場限りの経験」になることや、企画者が「役に立つことだから善いこと」だと押しつける点を指摘する。そして、誰もが「当たり前」を共有化できる場づくりのための「互いの差異を認め共に出会う教育」が必要だと述べる。それを受け谷内孝行は、障害理解プログラムは、障害を理解することに重きを置くのではなく、障害から個性の尊重、共生の重要性、社会変革などを学び、新たな価値を創造する場であるとする。(128ページ)

細馬宏通は、アイマスク体験の主役は、アイマスクをつくる人ではなく、ナビゲーター(ガイドヘルパー)側だと述べている。(148ページ)

村田観弥はいう。
● 操作的に経験された疑似体験は、障害者への偏見をもってはいけないとする常識的な規範意識に囚われ、障害/健康の枠組みを強固にし、特別な存在とする見方を先鋭化することにもなりうる。また場合によっては、その経験は個々に異なるにもかかわらず、障害当事者の発言があたかも正解のように伝わることもある。(126~127ページ)
● 障害を疑似的に体験する活動をたんに問題とするよりも、その経験を自分自身の「日常」や「身体」について考えるきっかけとしての「学びの契機」(「障害者理解」でなく「自己理解」の体験)とする論を試みる。(130ページ)
● 他人の経験を生きるという試みは困難である。であるならば、体験が疑似(似て非なるもの)であることを問題にするよりも、疑似であることの可能性(誰かの立場になって考えたことによる意味の変化や視野の広がり等)に視点をずらすことで、思い込みや誤解が生じるプロセスに気づき、みずからの問題として考える教育的契機にできるのではないか。(144ページ)
● 体験活動は、「意図的に制限した身体を生きる」という体験を、「まずは実践してみる」ことに重点を置く。特定の障壁を感じることなく生きてきた同質性の高い日常から外へ出て、そうでない世界に身を投じる。「健常者」として規格化された身体を崩すことで、「差異化」の体験過程が言語化され、新たな「私」が再構成される。体験は「他人の身体を生きる」ということとは程遠いけれど、何かが生まれるきっかけにはなる。疑似体験では誤解や思い込み、偏見が生起しやすい。あえて誤解や偏見が顕在化する「場」として提示することで、それが我々の日常に遍在し、気づきにくく、見えない壁をつくっており、そこへ意識を向けることで壁を動かすことには有効かもしれないと考える。(151ページ)
● まず己の身体を通した困惑や不安、違和感といった感覚に向き合ってみる経験こそが、「私も同情や特別視をしているのではないか」との気づきにつながり、誤解や偏見と生きる自分自身に向き合うことになるのではないだろうか。(152ページ)

〇疑似体験には「有効論」と「有害論」がある(杉野昭博)。前者は、疑似体験は障がい者への配慮や支援の仕方について理解することを通して、障がい者への共感性を高めることになる、というものである。後者は、疑似体験は障がい者個人の機能障害(インペアメント)が強調され、社会の偏見や差別についての理解が進まず、障害や障がい者に対するネガティブな価値づけがなされてしまう、といものである。いずれもそこでは、一面的なあるいは一時(いっとき)の障害理解や障がい者体験にとどまり、計画的・継続的なまちづくりや社会変革への視点が弱いと言わざるをえない。再認識したい。

 


07  「生」の倫理


<文献>
(1)野崎泰伸『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から―』白澤社、2011年6月、以下[1]。
(2)野崎泰伸『「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!―』筑摩書房、2015年3月、以下[2]。

〇[1]は、「障害学」の視点から、障がい者にとって「正義」とは何かを問い、生を肯定する「倫理」を新たに構想しようとしたものである。野崎泰伸はいう。この社会で障がい者が「生きづらい」のは、軽減・克服すべき個人の身体(障害)に問題があるのではなく、健常者を「正常」とする価値観にとらわれている社会に責任がある。したがって、その「生きづらさ」を解消するためには、障がい者を分断・排除している社会が負担を負わなければならない。また、「障害はないほうがよい」という言説がある。その多くは「障害者は存在しないほうがよい」という議論にすりかわってしまう。その「すりかえ」は、社会的負担の拒否を表明するものである。1970年代の「青い芝の会」などの障がい者運動は、「障害からの解放」ではなく(障害によってこうむる)「差別からの解放」を求めた。それらの運動は、「障害者の生存を無条件に肯定する」という「当たり前のことを当たり前に」要求したものであり、その主張に「学問」は学ぶべきである。改めて確認しておきたい野崎の言説のひとつである。
〇[2]は、「犠牲」という視点から、障がい者が抱える諸問題(「生きづらさ」)を検討することによって、「生の無条件の肯定」という思想の構築を図ろうとしたものである。野崎はいう。この社会では、経済成長至上主義や功利主義(「最大多数の最大幸福」)の考え方のもとで、貧富の格差や少数者の犠牲が前提・容認されている。そうしたなかで、障がい者が抱える「生きづらさ」の問題が私事化・矮小化され、障がい者やその家族、支援現場は犠牲を強いられ、追い詰められる。そして、閉鎖的な関係性が形づけられ、そこでのみ「生きづらさ」が共有されることになり、「共倒れ」が引き起こされていく。そしてまた、「何を言っても」「どうせ」この社会は変わらないという諦(あきら)めが、自分の暮らしを守ることに傾注させ、異質な存在(他者)を排除することを促す。こうした「犠牲の構造」のもとに障がい者を差別・抑圧し、捨て置くこの社会に抗するには、「生の無条件の肯定」という正義が問われ、倫理が求められなければならない。改めて押さえておきたい野崎の言説のひとつである。
〇ここでは、福祉教育実践や研究に思いをいたしながら、留意したい論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

[1]『生を肯定する倫理へ』
障がい者問題の本質と「障害をもつ者ともたざる者との断絶」
障害者問題は特殊な問題ではなく、みんなの問題である。そのことを説明するために、次のようなことが言われる。みんな老いていくし、不慮の事故で障害者になったりする。あるいは、昨今では精神的な病になってしまう者も多い。このことから、誰もが障害や老いによっていつしか自分の身に社会的なハンディを背負わされるようになる。(8ページ)
こうした理解は「いま障害をもっていない者への説明」としては適切だ。だが、現に障害を有する者にとっては、こうした言われ方が生ぬるいと感じられるのもまた事実である。実際に「明日障害をもつかもしれない人」にとって「いままで障害を有してきた身体/精神がこの瞬間感じるもの」を感じ取ることは不可能である。障害をもつ者ともたざる者との間のこの断絶は、あなたと私が違う人間である以上、けっして完全に埋めることなどできないはずである。まずは、この断絶の存在を深く認識しなければ、なにも始まらない。それでは「どのように」障害者の問題は〈私たち〉の問題であるということができるのであろうか。それは次のように考えることができる。現在の私たちの社会が、障害者を生きにくくさせていること、障害があるだけで人間扱いされないような社会に、あなた自身も、私も住んでいることを、あなたや私はどう考えるのか、を問わなければならないのである。そして、これこそが、障害者問題が〈私たち〉の問題であるという理由のもっとも基本的な部分なのである。(9ページ)
障害者を排除する社会にあなたや私が住むということ、そしてそのことをあなたや私はどう考えるのか、というところに問題の本質があると述べた。この問題には、2つの側面があると思われる。1つは、社会の正しさの問題、つまり正義の問題であり、もう1つは、こうした問題を自身から引き離さず、棚上げすることなく考えるという要素である。(10ページ)

障害学と「障害はないほうがよい」という言説
障害学は、多くの健常者が考えるような発想、すなわち障害はなおしたり、克服すべきものだという視点を基本的にはもたない。そうした視点は、障害を「異常なもの」と考える発想であり、この社会で生活したければ、健常者のように「正常」になるように努力しなさい(障害の医学モデル・個人モデル)、という結論を導きやすい。なぜならば、この社会が健常者中心で回っているからである。これに対して、障害学の視点とは、まず「この社会で障害者が〈人間らしく〉生きていくためには、(障害者のほうではなく)社会はどのようにあるべきか」を考えるのである(障害の社会モデル)。(19ページ)
障害を社会的文脈において理解するということは、障害者の〈生きづらさ〉を誰が負担すべきか、つまり「帰責性の問題」が中核的な議論となる。(26ページ)
「障害はないほうがよい」という言説は、その多くが「障害者は存在しないほうがよい」という議論にすりかわってしまうことに注目すべきである。社会モデル的に考えれば、「障害はないほうがよい」という問いに対する答えは定まらないはずである。「障害はないほうがよい」が「障害者は存在しない方がよい」にすりかわってしまう背景には、社会的負担の問題がある。つまり、「障害はないほうがよい」を「障害者は存在しないほうがよい」にすりかえるのは社会的負担の拒否を表明しているのである。そのように考えたとき、「障害はないほうがよい」を問わせる場自体が、「すりかえ」も含めて、私たちが構築したものにすぎないとも言えるはずである。(27ページ)

障がい者運動と「障がい者の生存を無条件に肯定すること」
1970年前後に、重度障害者が個々の場面において声をあげ始めた。(中略)(そうしたなかで)特に注目されるのが、脳性マヒ者の団体である「青い芝の会」の活動であろう。(「青い芝の会」の)障害者本人が訴え、求め続ける障害者解放とは、障害からの解放ではなく、(障害によってこうむる)差別からの解放なのである。これは障害学でいうところの「医学モデルから社会モデルへ」というパラダイムシフト(支配的な考え方の劇的な変化:筆者)に符号している。(36、37ページ)
日本における戦後障害者運動を(中略)思想的に見ていけば、とりわけここ40年間の障害者本人による運動に胚胎(はいたい。芽生え)するのは、障害者の生存を無条件に肯定することであると言える。私は、この運動が面白いのは、当たり前のことを当たり前に言っていることにあると思っている。彼らの主張はしばしば非論理的であると言われたりもするが、私は明快な筋が通っていると考えている。障害者によって主張されたから意味があるのではなく、障害者によって主張された数々の主張が、社会において普遍性を帯びるからこそ、この運動には意味があると私は考えている。まず学問がなすべきことは、障害者運動の主張を学ぶことであり、それによって学問自身をとらえ返すことにあると、私は考える。(45~46ページ)

「当事者研究」と当事者が語ること
近年、「当事者研究」というものがなされている。それは、当事者自身の手によって、当事者が直面する問題を、当事者内部にとどまらず、当事者と(当事者を捨て置く)社会との関係によって考察していこうとするものである。(166ページ)
当事者が語り出すとき、さまざまな点で考えるべきことがある。まずは、そこに行きつくまでにその当事者がいかなる困難を経験してきているかは、想像すべきであろう。語り出した当事者を勇気があると賞賛することも問題である。まず、誰が、何がそこまで当事者を語れなくさせてきたのかが問われるべきである。(中略)語り出す当事者を英雄化してしまうのは、「語ることのできる主体」を期待するだけの非当事者であると言わずに、他になんと言えようか。それはまた、いまだ沈黙せざるを得ない当事者たちへ向けた無言の圧力でもあるのだ。(167ページ)
そもそも、語り出す当事者の主張が、当事者一般の意見を代表するわけでもない。また、いったん語り出した当事者の主張の内容が、当事者であるというだけで正しさを担保されるわけでもない。ではなぜ、当事者の主張が大切になってくるのか。ここまでの理路をたどってくれば、当事者の(生きづらさ)を捨て置く学問体系や私たちの社会が不正義であるからだ、ということができる。それを正すためには、これまでの学問体系や私たちの社会に、ただ単に当事者の主張をつけくわえたもので満足してはならない。それだけでは語る主体の物語で終わってしまう。(167~168ページ)

正義と倫理的命令としての「生の無条件の肯定」
正義というものが存在するのであれば、それはどのような生が生きることをも無条件に肯定しなければならない。生の無条件の肯定が、倫理的命令である。(193ページ)
(1)「生の無条件の肯定」は、感情や気持ちの問題ではない。「生の無条件の肯定」は、広く社会構造の問題をも問うものであり、条件をつけながら特定の存在だけを「生きる価値がある」とする社会構造に反対するものだと言える。(2)「生の無条件の肯定」は、生命の神聖性原理ではない。生命の価値を、他の価値と比べて絶対で最高の価値であるとする「生命の神聖性」という原理とも一線を画し、それがなければ他の、自由や平等などといった価値が実現しないという意味で、基本的かつ原初的な価値であると言える。(3)「生の無条件の肯定」は、スティグマを与えるものではない。当事者にスティグマを与えたり、スティグマを黙認する社会のようなものが、「生の無条件の肯定」を体現するはずもない。(4)「生の無条件の肯定」は、現前するものではない。「生の無条件の肯定」は、いまだ達成されたものでもないし、将来達成されるものでもないからこそ、正義なのである。(194~198ページ)

[2]『「共倒れ」社会を超えて』
「生きづらさ」と共依存による「共倒れ」の社会
困っているとき、弱っているときに、誰かに何かをお願いしたり頼ったりすることを妨げてはならず、誰かにSOSを発信すること自体はけっして悪いことではない。(中略)〈生きづらさ〉をひとりで抱え込む必要などないからである。他方で、ある特定の相手と閉じた関係性が形づくられ、そこでのみ〈生きづらさ〉が共有されるような場合、「共倒れ」の危険性が出てくる。というのも、弱っている相手、支えが必要な相手を支えたくても支えきれなくなった場合、もはやそれは「共に生きる」状態ではなく、「共倒れ」と呼ぶにふさわしい状態だからである。(75ページ)
Xという条件を満たしていなければ生きる価値などないと思わせるような構造や価値観がこの社会に存在しているからこそ、共依存による「共倒れ」が起こってしまうのだと私は考えている。(中略)であるから私は、共依存による「共倒れ」を防ぐには、家族や近親者だけに責任を負わせてはならないと考えている。誰もが無条件に生きてよいというメッセージを社会が発し、それを可能にするような制度を整えることが、より根本的な解決法であろうと思うのである。(76~77ページ)

「犠牲のシステム」と「豊かに」生きられる社会
犠牲とは、交換や譲渡ができないもの、しないものを、その社会において、それができるようにする力のことである、と言ってよいのではないか。そして、真の「豊かさ」とは、交換不可能性、譲渡不可能性を源泉とする価値のことなのである。であるなら、交換不可能性、譲渡不可能性に基づく価値を、自発的にせよ強制的にせよ、社会に差し出してはならないのであり、それらの価値を守るために、交換可能な価値は存在すると考えることもできるのではないか。ここで私は、(中略)交換不可能な価値を差し出さなくてもすむような社会を創出するためにこそ、交換可能な価値を使う必要があると述べているのである。交換可能な価値の代表が貨幣であり、交換不可能な価値の代表が身体や生命、環境、尊厳である。交換可能な価値は、使用することによって価値が生まれ、交換不可能な価値は、そこに存(あ)るだけで本源的な価値を有していると言えるかもしれない。(96ページ)
「豊かに生きる」とは、すべての生が、先述のような意味において犠牲にならないことであると私は考えている。人の生命や尊厳など交換不可能なものを、貨幣など交換可能なものに「交換」させ、それを「美談」に仕立て上げ、そうした「交換」を社会に埋め込んでいく装置が、「犠牲のシステム」なのである。他者を犠牲にしない、そして私という存在も犠牲にされない社会(「犠牲のない社会」:筆者)こそが、他者と共に「豊かに」生きられる社会であると言えるのではないか。(96~97ページ)

障がい者の「生そのもの」を選別する「教育」と「観念」
日本の道徳教育においては、「生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重する」(中学校学習指導要領)などと、生きることや生命を尊重することの大切さを児童・生徒に理解させることが重視されている。(190ページ)
(分離教育を前提とするこの国の:筆者)学校教育においては、障害のある「生そのもの」が、「学校教育に順応できる(順応させるに値する)」かどうかが、当人および家族の意向よりも優先的に問われることになるのである。つまり、障害のある「生そのもの」は、「この社会で生きるに値する/生きさせるに値する」かどうかが問われることになるわけである。こうして、障害をもつ子どもの「生そのもの」は、一般化・抽象化された「生命」観に基づく価値序列によって選別の対象となっていくのである。こうした動きを、根本のところで推し進めているのは、政治や法律であるというよりはむしろ、「障害者の『生そのもの』は、生きるに値する/生きさせるに値するかどうかが問われても仕方がない」という、広く私たちを覆う観念なのではないか。そして、そのような観念は、世論によって強化され押し広げられ、私たちを、障害をもつ人を、「犠牲の構造」へと巻き込んでいくのである。(194~195ページ)

「生の無条件の肯定」と「権力に抗する倫理の姿」
一般化・抽象化された「生命」ではなく、個別・具体的な「生命」に目を凝らしてみると、ただそこに存在しているだけで、それは絶対的なのである。個別・具体的な「生命」は、ある空間と時間において間違いなく存在している。だからこそ、それは比類がないのであって、絶対的なのである。(中略)この「生きているということそのもの」(「生そのもの」)こそ、あらゆる生の原形であって、私たちはこうした「生そのもの」を無条件に肯定しなければならないのではないか。なぜなら、「生そのもの」の否定は、原理的な水準において、すべての生の否定を意味するからである。こうした理由によって「生命の価値」「生命の尊厳」といった一般的・抽象的な次元よりもいっそう深い水準において、「生そのもの」を無条件に肯定する必要があるのではないかと私は考えているのである。(191~192ページ)
権力は「生そのもの」を、一般化・抽象化された「生命」に基づく価値序列に当てはめ、「生きるに値する生/生きさせるに値する生」であるかどうか選別していく。その過程で権力は、「生そのもの」に「尊厳」を付与することで、「生そのもの」を肯定する回路を絶ってしまう。だからこそ私たちは、そうした力に抵抗しなければならないのである。「生そのもの」を、それ自体として受け取ること、したがって、一般化・抽象化された「生命」として受け取ってはならないということ、「生そのもの」を無条件に肯定すること。それこそが、「生の無条件の肯定」が指し示す倫理の地平なのである。(200ページ)

社会運動と「民主的アプローチ」
多くの社会運動は、「他者と共に豊かに生きられる社会」の実現を目指している。裏を返せばそれは、この社会が、まだそうなっていないことを意味している。(中略)現安倍政権は、異質な人間を排除し、同質な人間をのみ成員とする社会を作ろうとしているように思えてならない。異質な人間を異質なまま、この社会のメンバーとして受け入れようとせず、同質化を強要し、それに従わない人は構成員とみなさず、放遂しようとしているのである。それによってこの社会は、他者と出会う機会を失っていき、同質な人間だけで完結した、閉じた社会になっていくのではないか。(180ペジ)
社会運動にかかわる上で肝要なのは、ある属性をもつ人びとを差別し、見殺しにするこの社会を、「犠牲の構造」の上に成り立つこの社会を絶対に許さないという思いと、いつの日か、そうした社会を変革することができるという信念ではないかと私は思うのである。(215~216ページ)
いくら「来るべき社会」について議論をしても、その基底に「正しさ」がなければ、何の意味もない。人びとがもし、「政治的な力による調整」によって多数派を形成することこそ民主主義の実践だと考えているとすれば、端的に言ってそれは誤りである。結局のところそれは、政治的に力の強いものこそが「正しい」と言っているのと同じである。複数あるプランのうち、もっとも論拠が確かで妥当性が高いのは何かをめぐって、意見交換をしながら合意を形成し、それに基づいて社会を運営していくというのが、あるべき民主主義の姿ではないか。(222ページ)

〇野崎の言説の核心は、「『生の無条件の肯定』は正義であり、倫理的命令である」という点にある。それを[1]では「障害者」の視点に立って、[2]では「犠牲」という視角から論究するのであるが、その主張を際立たせようとするあまり、論理の飛躍や混乱、不整合が散見される。例えば、野崎は「負け惜しみではなく、障害がないほうがよい、とは思わない障害当事者も存在する」ことから「『障害はないほうがよい』という問いに対する答えは定まらない」([1]27ページ)という。その意見については、筆者にも「自分がCP(Cerebral Palsy:脳性マヒ)であることを誇りに思っている」という知人がいるが、一般論としては全面的には首肯しかねる。「障害はないほうがよい」。ただし、それが即、障がい者の存在を否定することにつながらない論理の展開が強く求められる。そこでは、障がい者に対する意識・態度や個別具体的な支援のあり方などが厳しく問われることになる。多言を要しない。
〇野崎の言説は必ずしも新味性があるとは言えないが、そこから福祉教育実践や研究が学ぶべき論点や主張も多い。例えば、「身体や生命は、そこに在るだけで本源的・絶対的な価値を有している」。「一般化・抽象化された『生命』ではなく、個別・具体的な『生命』に目を凝らすことが重要である」。「学校教育においても、障害のある『生そのもの』は価値序列によって選別の対象となっている」。「生きる・生きさせるに値するかどうかを問うという考え方は、世論によって強化・拡大されていく」。「これまでの学問体系や私たちの社会に、ただ単に当事者(障がい者)の主張をつけくわえるもので満足してはならない。それだけでは語る主体の物語で終わってしまう」、などがそれである。

補遺
野崎泰伸は、「倫理」と「倫理学」そして「哲学」について次のように述べている。
「倫理」とは、「人としてあるべき道についての掟」のようなものである。「倫理学」とは、「いかに生きるべきか」について考える学問である。「哲学」とは、人生のあらゆる出来事について、その根源にさかのぼって探究する学問である。倫理学は哲学のひとつの領域である([2]49ページ)。「障害とは何かを問うていく営為は哲学的であり、障害者とともに生きる社会はどうあるべきかを考える営為は倫理学的でもある」([1]21ページ)。

【初出】
<雑感>(67)阪野 貢/障がい者差別と生の思想:「自分の存在意義を問う」(「“ただ生きる”ことの保障」×「“よく生きる”ことの実現」×「“つながりのなかに生きる”ことの持続」)―野崎泰伸「生の無条件の肯定」思想についての福祉教育的視点からのメモ―/2018年11月3日/本文

 


08  「しんがり」の姿勢


<文献>
(1)鷲田清一『しんがりの思想―反リーダーシップ論―』角川新書、2015年4月、以下[1]。
(2)駒村康平編『社会のしんがり』新泉社、2020年3月、以下[2]。

〇[1]で鷲田清一はいう。「縮小社会・日本に必要なのは強いリーダーではない。求められているのは、つねに人びとを後ろから支えていける人であり、いつでもその役割を担えるよう誰もが準備しておくことである」。いま、「新しい市民のかたち」「自由と責任の新しいかたち」が問われている(カバー「そで」「帯」)。
〇鷲田の論はこうである。日本は、高度経済成長の「右肩上がり」の時代から「右肩下がり」の時代に移行し、人口減少や少子高齢化などによる「縮小社会」が進行している。しかしいまだに、この国の政治・経済は「成長」を至上命題として考え、多くの人は拡大思考から解放されないでいる。
〇かつて出産から子育て・教育、看護や介護、看取りと葬送(そうそう)、もめ事解決、防犯・防災などの基本的な生活活動(生命に深く関わる「いのちの世話」)は、地域社会で住民が共同で担ってきた。しかし、高度消費社会の進展が図られるなかで、それらの活動も、納税やサービス料を支払うことによって、行政や専門家、サービス企業に責任放棄・転嫁(「押しつけ」)され、委託(「おまかせ」)されている。別言すれば、市民が「顧客」や「消費者」という受け身の存在に成りさがっている(「市民の受動化」)。それは、「責任を負う」ということをめぐっての、この社会の「劣化」であり、市民の「無能力化」を意味する。
〇いま、こうした「右肩下がり」の時代を見据えて、いかにダウンサイジング(downsizing、縮小化)していくかが問われている。そこで求められるのは、人や組織を引っ張っていく強いリーダーシップ(リーダー)ではなく、社会全体への気遣い・目配りや周到な判断ができ、「退却戦」もいとわないフォロワーシップ(フォロワー)である。それが「しんがりの思想」である。これこそが、市民が受動性から脱して「市民性」(シティズンシップ)を回復させ、それを成熟させる前提になる。「市民性」とは、「地域社会のなかで、みなの暮らしにかかわる公共的なことがらについてともに考える、そしてそれぞれの事情に応じて公共の務めを引き受ける、そんな市民・公民としての基礎的な能力」(88ページ)をいう。
〇そして、鷲田にあっては、「市民性の回復」すなわち(対抗的な)「押し返し」の活動は、たとえばボランティアやNPOの活動、Uターン、Iターンの動きなどに見ることができる。リーダーや市民にはいま、「しんがり」の務めと「押し返し」のアクションを行なうことが求められている。その際に重要なのは、リーダーシップではなくフォロワーシップである。
〇鷲田は[1]で、民俗学者の梅棹忠夫の「請(こ)われれば一差し舞える人物になれ」(215ページ)という一言を引いて本文を閉じる。「成熟した市民」「賢いフォロワーとなる市民」の姿である。
〇[2]は、2014年度から2018年度まで慶應義塾大学で行われた全労済協会寄附講座「生活保障の再構築―自ら選択する福祉社会」をもとに、さまざまな分野や地域で、変化する社会経済が引き起こす諸課題を克服すべく格闘している「しんがり」たちの活動をまとめたものである(8ページ)。
〇[2]での駒村康平の思い・願いは、すなわちこうである。「しんがり(殿軍:でんぐん)」とは、戦いに敗れて撤退する本隊を守るために最後まで戦場に残り、敵を食い止める部隊のことである。社会や地域が大きく変化し、その対応に既存の諸制度が対応できないときに、起きている問題に格闘する人や組織は必ず必要である。そうした人々や組織を「しんがり」と呼び、「先駆け(先駆者)」だけが褒(ほ)めそやされる時代に、「しんがり」の活躍にも光を当てたい(8~9ページ)。
〇駒村はいう。今日の日本社会は、人口減少や格差の拡大などによる社会の劣化が進んでいる。また、戦前・戦中の適者生存や優生思想が強まり、再び危機の時代を迎えている。LGBT(性的少数者)をめぐる生産性の議論や相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月)などがそれである。そんななかで、地域社会を維持するために自ら社会問題を考え、構想し、地域の問題は住民自身で解決するという意識のもとで行動できる市民を育てる。また、平和のために時代や場所を超えて他者の困窮(困りごと)を想像し、共感できる市民を増やす、それが強く求められる。駒村が期待する「市民」は次のようなものである。

(1)充実した熟議ができるような市民になってほしい
社会や国に影響を及ぼす大きな政治的な諸問題について、伝統にも権威にも屈従することなく、よく考え、検証し、省察し、議論を闘わせる市民になってほしい。
(2)他者への敬意を払うような市民になってほしい
自分たちとは人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティが異なっていたとしても、他の市民を自分と同等の権利を持った人間と考え、敬意を持って接するようになってほしい。
(3)他者、他国の人の気持ちを想像、共感できる市民になってほしい
さまざまな政策が自分そして自国民のみならず他国の人々にとってどのような意味、影響を持つかを想像、理解できるようになってほしい。
(4)人の「物語」を聞くことにより、人生の意義を広く、深く理解できる市民になってほしい
幼年期、思春期、家族関係、病気、死、その他、さまざまな人生の出来事について、単に統計・データとして見るのではなく、一人ひとりの人生の「物語」として、理解することによって、多様な生き方に共感できるようになってほしい。
(5)政治的に難しい問題でも自ら考え、判断できる市民になってほしい
政治的な指導者たちを批判的に、しかし同時に彼らの手にある選択肢を詳細にかつ現実的に理解したうえで、判断するようになってほしい。
(6)世界市民として自覚し、社会全体の「善」に想いをはせてほしい
自分の属する集団にとってだけではなく、社会、人類全体にとっての「善」について考えてほしい。複雑な世界秩序の一部として自分、自国の役割を理解し、人類が抱えている国境を超えた、複雑で知的な熟議が必要とされる多様な諸問題の解決を考えてほしい。(23~24ページ)

〇言うまでもなく、地域の問題は地域住民の問題であり、住民自身で解決するという意識が重要である。その地域社会(まち)のありようを最終的に決めるのは、「市民」でなければならない。その点で市民には、鷲田がいう「市民性の回復と成熟」、駒村がいう(1)から(6)の「市民性」(市民としての資質・能力)の形成が求められる。地域の問題はまた、複雑化・複合化し、多様化、困難化している。その点で市民には、多領域の専門家や「関係人口」などとの「共働」が肝要となる。先ずは問題把握や解決に向けて「熟議」する公共的な “場” の構築であろう。さらに市民には、政治や行政に対する一辺倒な批判だけでなく、まちの将来展望を踏まえた課題解決活動や運動の取り組みが求められる。これらは、筆者がいう「市民福祉教育」に通底する。
〇なお、鷲田は[1]で、福澤諭吉の『学問のすゝめ』の一節、「一人にて主客二様の職を勤むべき者なり」(岩波文庫、1978年1月、64ページ)を引く。それは、「ふだんは公共のことがらを、市民のいわば代理として担う議会や役所にまかせておいてもいいが、そのシステムに致命的な不具合が露呈したとき、あるいはサービスが決定的に劣化したときには、いつでも、対案を示す、あるいはその業務をじぶんたちで引き取るというかたちで、人民が『主』に戻れる可能性を担保しておかなければならないということである」(197~198ページ)。これは、「顧客」「消費者」としての市民の、鷲田がいう「押し返し」である。世間から押しつけられるものではなく、地べたから立ち上がる、「責任」の新しいかたち(感覚)である。得意げに口汚くののしるだけの市民(クレーマー)や専門家は無用であり、ときに有害でもある。付記しておきたい。

【初出】
<雑感>(114)阪野 貢/社会劣化の時代における「しんがり」の思想と闘い―鷲田清一著『しんがりの思想』と駒村康平編著『社会のしんがり』のワンポイントメモ―/2020年8月1日/本文

 


09  「助けて」の表明


<文献>
(1)奥田知志『もう、ひとりにさせない―わが父の家にはすみか多し―』いのちのことば社、2011年6月、以下[1]。
(2)奥田知志『「助けて」と言おう―3・11後を生きる―』日本キリスト教団出版局、2012年8月、以下[2]。
(3)奥田知志・茂木健一郎『「助けて」と言える国へ―人と社会をつなぐ―』集英社新書、2013年8月、以下[3]。
(4)佐藤彰・奥田知志・宋富子、明治学院150周年委員会編『灯を輝かし、闇を照らす―21世紀を生きる若い人たちへのメッセージ―』いのちのことば社、2014年3月、以下[4]。
(5)奥田知志・稲月正・垣田裕介・堤圭史郎『生活困窮者への伴走型支援―経済的困窮と社会的孤立に対応するトータルサポート―』明石書店、2014年3月、以下[5]。
(6)埋橋孝文、同志社大学社会福祉教育・研究支援センター編『貧困と生活困窮者支援―ソーシャルワークの新展開―』法律文化社、2018年9月、以下[6]。

〇2018年11月、日本福祉教育・ボランティア学習学会第24回大会(「あいち・なごや大会」)が日本福祉大学(愛知県東海市)で開催された。大会テーマは、「共生文化創造への途―福祉教育・ボランティア学習の新たな展開を探る―」であった。奥田知志の記念講演――「共に生きる意味」と、それを受けて行われた大橋謙策との対談――「共生文化の創造にむけた学び」は圧巻であった。宗教や実践・研究の体系を持つヒトは強くて深い。聞き手は感銘を受け、心が揺さぶられる。
〇周知のように、奥田は、生活困窮者(ホームレス等)に対して、信仰(神学)に支えられた深い洞察とそれに基づく個別的で包括的かつ持続的な「人生支援」を行っている。奥田はいう。「自己責任論の社会が私たちから奪ったものがある。それは『助けて』という一言である」(「2」37ページ)。大橋は、地域福祉の理論と思想、方法(コミュニティソーシャルワーク)、そして福祉教育について実践的研究を進めている。大橋はいう。「新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる」(大橋謙策『新訂 社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、227ページ)。
〇[1]:本書の内容をあえて言えば、「絆の神学」とも言うべきであろうか。しかし、それは空論ではなく、具体的な「ホームレス」との出会いの中から紡(つむ)ぎだされた「絆の物語の神学」である。この時代に「だれ」と、どのような「絆」を結んで生きるのかと、この本は問いかけている。(関田寛雄「推薦の言葉」6ページ)
〇[2]:震災以来声高に叫ばれ続ける「絆」という言葉。しかし多くの場合、そこで意味しているのは自分に都合のよい絆のこと。ホームレス支援の現場と震災支援の中で見えてきた、傷つくことを恐れて自己責任論の中に逃げ込む現代人の心のあり方を問う。(「帯」)
〇[3]:ホームレスが路上死し、老人が孤独死し、若者がブラック企業で働かされる日本社会。人々のつながりが失われて無縁社会が広がり、格差が拡大し、非正規雇用が常態化しようとする中で、私たちはどう生きればよいのか? 本当の“絆”とは何か? いま最も必要とされている人々の連帯とその倫理について、社会的に発信を続ける茂木健一郎と、長きにわたり困窮者支援を実践している奥田が論じる。対談本。(カバー「そで」)
〇[4]:本書は、明治学院150周年記念連続講演会(2013年11月、明治学院高校主催)を再録したものである。奥田の講演「その日、あなたはどこに帰るか?―誇り高き大人になるために」が収録されている。メッセージは、「誇り高い人類として生きたいのならば、『助けて!』と言ってください。『助けて!』は、新しい社会を創造するために欠かせない言葉です」。(77ページ)
〇[5]:奥田によって名づけられた「伴走型支援」の思想・理念・仕組みを確認するとともに、その成果と課題を実証的に明らかにしたうえで、これからの生活困窮者支援の方向性を示す必要があると考えた。それが本書である。(稲月正「はじめに」4ページ)
〇[6]:本書は、①「伴走型支援」の内容、②家計相談支援の意味と方法、③学校ソーシャルワークの背景と機能、④保育ソーシャルワークの今後の方向性など、生活困窮者および(子どもの)貧困に関するホットイシューズを取り上げている。講演記録集。(埋橋孝文「序」3ページ)
〇筆者が奥田を知ったのは、NHKクローズアップ現代取材班編著『助けてと言えない―いま30代に何が―』(文藝春秋、2010年10月)である。その本の「帯」の一文、「言えない/孤独死した39歳の男性が便箋に残した最後の言葉は『たすけて』だった」に衝撃を受けたことを覚えている。ここでは、[1]から[6]のうちから、[1]の論考について筆者が留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「一人称」で語られる「安心・安全」は人を無縁へと押しやる
「安全、安心の街づくり」とは、いったい何であったのか。そもそもホームレス状態の人々を「タイプの違う人」と呼び、「治安や秩序が乱れる」と決めつけているのは差別である。「安全、安心の街づくり」が人を排除し、その人たちを死へと向かわせている。「安心・安全」が、人を無縁へと押しやっているのである。あえて問いたい。「安心・安全はそんなに大事か」と。自分たちの「安心・安全」を追求する地域社会が、「自分の安心・安全」を守るために他者との出会いのチャンスを自ら閉ざし、敵対心を燃やす。あるいは、それを理由に無関係を装う。(92ページ)
実際の「安心・安全」は、常に「一人称」で語られる。私の安心・安全、我が町の安心・安全、我が国の安心・安全、我が家の‥‥‥。そこには、あなたの安心・安全や彼らの安心・安全は存在しない。全部が「我がこと(一人称)」なのだ。そもそも人が出会い、共に生きようとする時、人は多少なりとも自分のスタイルやあり様を変えざるを得なくなる。すなわち、自らの都合を一部断念せざるを得なくなる。出会いというものは、その意味で自分の「安心・安全」のみを願う私たちにとって、「危険」だと言わざるを得ない。出会いによって人は学ぶ。そして学ぶと、人は変えられ、新たにされる。(93ページ)

「自己責任論」は社会の無責任を肯定し人を分断・排除する
自己責任論社会とは、困窮状態に陥ったその原因も、またそこから脱することも、すべては本人次第、本人の責任であるという考え方である。現在の社会は、この自己責任論に席巻された感がある。(162~163ページ)
自己責任論の構造は、ある人に関する責任を、ある一定の範囲に押しとどめて理解するというものである。自己責任、あるいは身内の責任は、自分自身、あるいは家族という一定の範囲に責任を押しとどめた。その結果、周囲は無責任を装えたのだ。「自己責任論」は、社会の無責任を肯定するための理屈だった。自己責任論的な構造は、日本社会においては以前からあったと思う。しかし、当時成長を続ける社会というものが前提として存在していたゆえに、がんばればチャンスを手に入れられるという時代でもあった。すなわち、個人のがんばりが効く時代であった。自己責任という言葉は、教育的な面も含め、ある程度の意味があったのだ。しかし、現在のような低成長期において、企業社会や家族的経営と呼ばれたものは崩壊し、終身雇用制は原則ではなくなった(賃金労働者の4割が非正規雇用である:阪野)。公の行う社会保障も先細るなかで、自己責任は「励まし」ではなく、人を分断、排除するための用語となった。(168ページ)

「孤族」の時代は「何が必要か」とともに「だれが必要か」を問う
ホームレス支援において重要なのは、「ハウスレス」と「ホームレス」という、2つの困窮という視点である。ハウスレスは家に象徴される、食糧、衣料、医療、職などあらゆる物理的(・経済的:阪野)困窮を示す。もうひとつは、ホームレス。それは、家族に象徴されてきた関係を失っている、すなわち関係的困窮(無縁:筆者)を言う。税制と社会保障の一体的改革は、ハウスレス問題にとって重要な課題である。経済の動向がこの先どのようになるのか。労働者の権利がどのように守るのかなど、課題は山積である。しかし一方で、たとえ食べられるようになったとしても、だれと食べるのかという問題は、さらに重要な事柄なのだ。この視点に立ち、野宿者支援をしてきた私たちが考え続けたことは、この人には今何が必要か、ということとともに、この人に今だれが必要か、ということであった。そして今日、このホームレス問題は、野宿状態という物理的困窮の有無にかかわらず、多くの人々が抱えている問題となっている。(171ページ)
「無縁社会」や「孤族」の時代は、ホームレス問題がもはや路上の問題ではないことを明示している。このホームレス化を促進したもの、その最大の要因が「自己責任論」であったと思っている。(172ページ)

「傷」つくことなしにだれかと出会い「絆」を結ぶことはできない
自己責任社会は、自分たちの「安心・安全」を最優先することで、リスクを回避した。そのために「自己責任」という言葉を巧妙に用い、他者との関わりを回避し続けた。そして、私たちは安全になったが、だれかのために傷つくことをしなくなり、そして無縁化した。長年支援の現場で確認し続けたことは、絆には「傷」が含まれているという事実だ。(209ページ)
傷つくことなしにだれかと出会い、絆を結ぶことはできない。出会ったら「出会った責任」が発生する。だれかが自分のために傷ついてくれる時、私たちは自分は生きていてよいのだと確認する。同様に、自分が傷つくことによってだれかがいやされるなら、自分が生きる意味を見いだせる。自己有用感(自分は人の役に立っているという意識:阪野)や自己尊重意識にとって、他者性と「きず」は欠くべからざるものなのだ。(210~211ページ)
「傷つくという恵み」――国家によって犠牲的精神が吹聴された歴史を戒(いまし)めつつ、今こそ他者を生かし、自分を生かすための傷が必要であることを確認したい。(211ページ)

〇日本社会はいま、福祉や教育の世界においても、規制緩和や市民参加(「我が事・丸ごと」等)が声高に叫ばれるなかで、民主主義の崩壊が進み、国家権力による管理・統制が強化されている。「地域参加による学校づくりのすすめ」(「コミュニティ・スクール」等)や市民によるまちづくり(「地域福祉計画」等)の「主体性」や「自律性」も所詮は、規制緩和と同時並行的に管理・統制の変更や強化が図られるなかでのものに過ぎないのか。こうした社会認識のもとで改めて[1]を読むと、奥田らの地べたを這いずり回り、血がにじむ取り組みにただただ頭が下がる。とともに、日本社会の危うさを痛感する。
〇福祉教育についての議論は、「学会」の界隈だけにあるのではない。個別具体的な実践や研究が展開されている「いま」(現在進行形)の福祉教育現場こそが重視されなければならない。「学会」は、最新の福祉教育実践や研究の成果を持ち寄り、多面的・多角的な視点から議論し、実践・研究の深化や発展を図る“現場”である。その“現場”ではいまだに、これまでの権威ある学説を無条件に受け入れたり、眼前の地域・社会や新たな社会福祉問題に向き合おうとしない「報告」が散見される。高齢者や障がい者、生活困窮者、外国籍住民などを福祉教育実践や研究の「共働者」ではなく、言い古された「当事者」として位置づけるモノも多い。また、気鋭の実践家や研究者による実践・研究の学際的・総合的、歴史的・哲学的視点(視座)からの掘り起こしやブラッシュアップ(磨き上げること)も、必ずしも十分であるとは言えない。学会の「あいち・なごや大会」に参加し、また[1]から[6]を読み返して思ったことのひとつである。

補遺
奥田の言説のキーワード、キーコンセプトのひとつに「伴走型支援」がある。奥田によるとそれは、「1988年にホームレス支援が始まり、以来、路上での生活やその後の看取りまで続く営みのなかで生まれた支援論である。学者が豊富な知識を駆使して構築した体系ではない。日々の経験が積み重ねられ、何よりも当事者から学ぶなかで澱(おり。液体の底に沈んだカス:阪野)が沈殿していくようにできた支援論である」([6]27ページ)。奥田は、生活困窮者支援における「伴走型支援の7つの理念」について次のように整理している。([5]56~72ページ抜き書き)
(1)家族(家庭)機能をモデルとした支援
家族(家庭)が持っていたと想定される機能に、①包括的、横断的、持続的なサービス提供機能、②記憶の蓄積と記憶に基づくサポートプラン策定機能、③持続性のあるコーディネート機能、④役割の担い合いによる自己有用感提供機能、がある。伴走型支援は、これらの家族(家庭)機能をひとつのモデルとした支援である。
(2)早期的、個別的、包括的、持続的な人生支援
伴走型支援は、生活困窮者が社会的に孤立状態にあり、しかも多様で複合的な課題を抱えているとの認識に立つがゆえに、早期的、個別的、包括的、持続的な支援でなければならない。それは「自立支援」にとどまらず、「人生支援」である。
(3)存在の支援
伴走型支援は、従来の問題解決型の「対処・処遇の支援」に加えて、「伴走そのもの」を支援とする。伴走者と当事者が、向き合うこと、関係すること自体が支援である。
(4)参加包摂型の社会を創造する支援
伴走型支援は、徹底して個人に寄り添うことから始まる。当然の帰結として、社会や地域を問うことになる。困窮者支援は、経済的困窮状態にあり、社会的に孤立した「個人の社会復帰を支援する」といわれるが、問題の本質は「そもそも復帰したい社会であるかどうか」というところにある。
(5)多様な自立概念を持つ相互的、可変的な支援
伴走型支援は、生活自立や社会参加を基軸とした社会的自立、経済的自立など多様な自立概念から構成される。伴走は、助けられたり助けたりという相互的な関係である。また、助けられた者が助ける側に変われる可変性が担保されなければならない。
(6)当事者の主体性を重視する支援
伴走型支援は、当事者が自分で自分を助ける力を得ることである。当事者は「できない人」ではなく、「自分を助けることができる人(になる)」との認識に立つ。「まず自助、次に共助、最後に公助」という順番が重視されるが、自助は、公助や共助が適正に機能している状況において成立する。
(7)日常を支える支援
伴走型支援は、人生支援である。そして人生の大半は、なにげない日常である。伴走型支援は、この日常を支える支援である。伴走型支援は、「日常は問題が起こる場所である」という認識に立ち、日常を支える参加包摂型社会の構築をめざす。

【初出】
<雑感>(70)阪野 貢/「“助けて”と言えない無縁社会」×「“違った意見”が言えない統制社会」:気がつけば民主主義が民主的な手続きによって内側から壊れている―奥田知志を読む―/2018年12月25日/本文

 


10  「愛郷心」の相克


<文献>
(1)将基面貴巳『反「暴君」の思想史』平凡社新書、2002年3月、以下[1]。
(2)将基面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』百万年書房、2019年8月、以下[2]。
(3)将基面貴巳『愛国の構造』岩波書店、2019年7月、以下[3]。
(4)姜尚中『愛国の作法』(朝日新書)朝日新聞出版、2006年10月、以下[4]。
(5)佐伯啓思『日本の愛国心―序説的考察―』中公文庫、2015年6月、以下[5]。(6)市川昭午『愛国心―国家・国民・教育をめぐって―』学術出版会、2011年9月、以下[6]。
(7)鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ!』岩波ブックレット、2016年6月、以下[7]。

最近、戦争が始まる “臭い” がする / あんた、戦争を知ってるか / 気をつけなよ / もうこりごりだからな。
最近、“里” の夢をよく見る / 人っ子一人いない / おかしな空模様だ / なぜか、いつもそこで夢は終わる。

〇筆者が、「愛国」や「愛国心」についていま改めて考えなければならないと思ったきっかけは、上記の、要介護高齢者(女性)の痛みに耐えるような“うめき声”である。そして、彼女はいつも、自分が生まれ育った「里」のことを心配している。
〇将基面貴巳は[1]を、「現代日本は『暴政』への道を歩んでいるのではないか。そんな想念がこのごろしきりに脳裏をよぎる」(10ページ)と書き出す。「このごろ」とは、バブル崩壊(1991年3月~1993年10月)後10年余が経過し、小泉純一郎内閣(2001年4月~2006年9月)によって「規制緩和」や「構造改革」という名の新自由主義的政策が推進された時代であろう。
〇[1]は、「危機的様相を日ごとに深める祖国(日本)を念頭におきつつ、政治をいかに監視すべきか。不正な権力にはどのように抵抗すべきか」(232ページ)について真正面からとり上げたものである。そこにおいて、将基面は、「共通善」思想に立脚する「国民社会」の建設の必要性を説く。「共通善」(common good)とは、「社会や国家など政治共同体全体にとっての善のことを指し、ある特定の個人や集団にとっての善とは明確に区別されるものである」(10ページ)。その「共通善」の実現に国民は、直接的な責任を持たない。「それは権力担当者が引き受けるべき責務である」(35ページ)。「暴政」とは、「ある一部の権力者や権力がひいきにする特定の集団が利益を享受することを目的とする政治のことである」(10ページ)。
〇将基面はいう。「共通善思想が浸透した社会では、国民一人ひとりが、国民全体の理想と利益に対して責任を負っていることを自覚し、そうした共通の理想と利益を一人ひとりがおのおのの立場から不断に探求する。また、権力が不正を働いていることを知るならば、これを公の場ではっきりと批判し、たとえ一人であっても不正権力に立ち向かう個人がいれば、その人を『社会』」(特に社会の木鐸〈ぼくたく。指導者〉たるジャーナリズム)が援護する。権力に擦(す)り寄り、既得権益にしがみ付いてはなれようとしない者や、反社会的なビジネスを行う者や組織を公の場で批判し、たとえそうした行為が自らの目的にかない、自分の利益になるとしても、自らは手を出さないよう、自身をコントロールする」(232~233ページ)。このような倫理的感覚・態度をもつ人々が、日本という国家権力に対峙する存在としての「国民社会」を探求し創出することが、現代日本に求められる。将基面の主張のひとつである。
〇国家権力は、被治者を統制・強制する。「いざとなれば、自国民に対してさえ銃口を向け、私有財産を没収し、個人のあらゆる権利と自由を侵害しうる存在である」(39ページ)。国民はこのことを十分に認識し、国民社会の理想像の創出を権力担当者に一切任せてはならない。国民は、一人ひとりが「共通善」を不断に追求し、政治に対する関心を強め、権力を厳重に監視する。そして、正当性や妥当性を欠く場合には、権力に抵抗の意思を明示しなければならない。それは、「国民各自が自分の良心の問題として、悩み、決断すべき問題」(39ページ)であり、国民の倫理的義務である、と将基面はいう。
〇こうした将基面の言説は、「反時代的」(234ページ)なものであり、その底流に流れるのは以下に述べる「共和主義的パトリオティズム」の思想である。
〇[2]は、「日本人なら日本を愛するのは当然であり、自然である」という単純な社会通念に対して歴史的・哲学的に批判する、中学生でも理解できる平易な「教科書」である。内容的には、通俗的な「愛国心」や「愛国心教育」に関する言説への「解毒剤」(将基面)としての効能が期待される。別言すれば、日本の長所ばかりを見て欠点を見ようとしない「日本バカ」(65ページ)にならないための、日本の若者へのエールである。なお、[2]は[3]の「副産物」(将基面)でもある。
〇[2]における論点や言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

批判的愛国者のすすめ
日本語の「愛国」「愛国心」は、英語で言うとパトリオティズム(patriotism)である。(33ページ)
現代の日本では、「愛国」「愛国心」=ナショナリズムという理解が一般的である。日本語の「愛国」は、「ナショナリズム的パトリオティズム」の意味で理解されている。しかし、ヨーロッパで「愛国」という場合、「共和主義的パトリオティズム」を指す。この考え方が世界的・歴史的には本来のものである。(44、51ページ)
ナショナリズムとは、自らのネイション(nation.国民、民族)の独自性にこだわり、それに忠実であることを求める思想である。(42ページ)
共和主義とは、市民の自治を通じて、市民にとっての共通善(特に自由や平等、そしてそうした価値の実現を保証する政治制度)を守ることを重視する思想である。(35ページ)
「ナショナリズム的パトリオティズム」は、自国を盲目的に溺愛し、自国の失敗や過ちの経験から学ぶことなく、ひたすら自国の歴史や文化を誇りに思う自画自賛(自国礼賛)である。(116、117ページ)
政治的・経済的に権力を持つ人たちは、批判の対象とならざるを得ない。なぜなら、権力を持たない人々にはできないことをその政治的・経済的権限で可能にできる人々は、大きな責任を背負っているからである。(120ページ)
本来の「愛国」「愛国心」とは、常に政治権力に対して批判的なまなざしを注ぎ、市民の自由や平等を守る「共和主義的パトリオティズム」である。権力に対して批判的な態度をとることが愛国的(patriotic)なのである。(123ページ)

「報道の中立性」という犯罪
報道機関の重要な役目は、強制力や影響力を持っている人たちを監視することである。ところが、昨今ではマスメディアが「報道の中立性」という名目で権力批判をしないことが当たり前になっている。これほど甚(はなは)だしい勘違いはない。勘違いどころかほとんど犯罪的な過ちである。報道機関は、権力を持たない人々を代弁するためにあるのである。事実を客観的に報道するだけではなく、権力を持つ人々の仕事内容を、権力を持たない人々の立場から批判するためにあるのである。それをして初めて、報道機関は仕事を立派に成し遂げたということができるのである。(121~122ページ)

〇「現代世界で静かに進行する変化の一つは、『愛国』が政治を語る言葉として復活していることである」([3]2ページ)。「愛国という問題が今日ますます徹底的な思考を要する課題として急浮上している」([3]322ページ)。そういうなかで、[3]は、欧米と日本の多様な現代パトリオティズム論を歴史的観点から批判的に検討し、その固有の性格をあぶり出し、その問題性の一端を明らかにする。約言すれば、愛国=パトリオティズムについての歴史的・哲学的な構造の解明が[3]の目的である(12ページ)。
〇[3]における論点や言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「愛のまなざし」と愛国
愛国的であることを「祖国への愛」と読み換えるならば、その「愛」は盲目なものであってはならず「愛のまなざし」という観点が重要である。自国に「愛のまなざし」を注ぐということは、「私の国」に対してあらゆる規範的な判断を停止することではない。誇るべ長所だけでなく、恥ずべき欠点も含めて正確に「私の国」を理解することが、「愛のまなざし」に含まれる。一方で、愛する自国に長所を見出すことを喜ぶが、他方で、様々な過失や過誤を見出して、そのことに悩み苦しみ、欠点を改めようと努力するのである。このような「愛のまなざし」に基礎づけられた愛国的態度であってはじめて、それは道徳的義務ではないにせよ、望ましいものでありうると結論づけられるであろう。(222ページ)
「愛のまなざし」(loving attention,loving gaze)において重要なのは、愛の対象を可能な限り明瞭に理解しようとする点である。「愛のまなざし」の下にある対象は、「あばたもえくぼ」ではなく、「あばた」は「あばた」として認識される。「愛のまなざし」は、まなざしの対象に、良いところを見ようと心がけつつも、長所も短所も同様に、正確に理解する。すなわち、そのまなざしが「愛」に発するために、対象に好意的に接するが、しかし、その対象を正確に理解するという意味で、対象を分析し評価することも怠らないのである。共和主義的パトリオティズムを胸に抱く市民は、祖国に対してこのような「愛のまなざし」を持っている。祖国への愛は盲目ではなく、むしろ「祖国を鋭く見つめることを要求する」のである。(170ページ)

愛国と排除の論理
愛国的であるということは、無条件に道徳的正当性を主張できるものではない。にもかかわらず、愛国的であることが国民としての当然の義務であるかのような主張を巷間(こうかん。世間)で目にすることも少なくない。愛国的であることが義務であるとする認識が広く共有されるならば、それはどのような帰結をもたらすのか。(222~223ページ)
自国のアイデンティティに基礎づけられた愛国は、極端な場合、排外的で外国人を忌み嫌ったり見下(みくだ)したりする態度に結びつきやすい。他方、自国民であっても、愛国的ではないと判定される人々は、愛国者たちによって公的な避難や攻撃にさらされることが少なくない。愛国が熱狂化すればするほど、文化や人種、宗教的背景を共有する同一国民の間においてさえ、思想信条を異にする一部の人々を「非国民」「売国奴」であると排撃する傾向が増大することは広く認識されている。(226ページ)

国家の聖性と愛国
国家は、正統な義務を独占する「聖なる」存在である(国家は国民に様々なサービスを提供する組織、神社のように国民にとってありがたい・尊いもの、正当な暴力を独占・行使する存在である)。愛国的であることを義務として承認することは、国家という「聖なる」存在の忠実な信徒であることを意味する。国家の聖性への信仰は、当然、国家を尊崇(そんすう)することを必要とし、国家のための犠牲を要求する。国家のために死ぬことを拒否するのは、国家の聖性を認める限り、極めて難しい。(282ページ)
現代という歴史的地点において愛国的であるということが道徳的義務であると主張しうるとすれば、それは国家の聖性を認める限りにおいてにすぎない。「国家の聖性を認める限りにおいて」という限定条件は極めて重要である。(283ページ)
現代において当然視されているが必ずしも自覚されていない国家信仰を掘り崩(くず)すには、政府(さらには国家)を批判する市民たちが、非国民や国賊などと罵(ののし)られても動じないことが必要である。現代日本の文脈では、「反日」などと非難罵倒(ひなんばとう)されても、これに対して、自分たちこそが愛国的なのだと応答すべきではない。なぜなら、そうした自己弁護は、すなわち「お前は反日だ」という非難を支える国家への崇拝感情を裏書きする(実証する)ことになるからである。(283~284ページ)

〇[4]の姜尚中にあっては、愛国とは、自然な感情の発露としての妄信などではなく、「理にかなった信念」「自分自身の思考や感情の経験に基づいた確信」(54ページ)による行為である。愛郷は、自分が生まれ育った故郷への愛、情緒や感情によるものである。[5]の佐伯啓思にあっては、「戦後日本の愛国心をめぐる感情は、(「あの戦争」によって)ある『負い目』を背負い、その『負い目』をめぐって展開している」。そういった認識に立って「日本的精神の行方」を探求するなかで、「もうひとつの愛国心」(388ページ)を描き出そうとする。
〇将基面は、[4][5]について、「平成時代を代表する日本の愛国心論」である。しかし、いずれも「基本的には啓蒙書」であり、「愛国=パタリオティズムの包括的・体系的議論を必ずしも指向するものではない」([3]9ページ)と評している。
〇ここでは、[4][5]で言及している「愛郷と愛国」「愛郷心と愛国心」について、その一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

姜尚中―「愛郷と愛国」、その微妙な共棲関係
「愛郷」と「愛国」の関係は、「微妙な共棲(きょうせい)関係」にある。つまり、一方では、「愛郷」は、ナショナリズムという特定の歴史的段階において形成された一定の教義によって利用され、時として排斥される関係にある。例えば、上からの「郷土教育」が説かれるのは、画一的な「愛国心」などを強制する場合に、空洞化した実感的な部分を補完する必要があるためである。『美しい国へ』の著者(安倍晋三)が「国を自然に愛する気持ちをもつ」ために、「郷土愛をはぐくむことが必要だ」と述べているのは、そうした「郷土教育」の効用を意識しているからであろう。つまり、「愛郷」は「愛国」に「自然な」感情の装いをほどこす補完的な役割を果たしていることになるのである。(154~155ページ)

佐伯啓思―愛郷心は愛国心の換喩的表現
「愛郷心」とは「愛国心」のいわば換喩(かんゆ。比喩)的表現にすぎない。「郷」は「国」の象徴的な代理になっており、換喩的に「国」を表現している。この二つの概念を変換すれば「パトリオティズム」が二重性を帯びていることは別に不思議ではなかろう。「愛郷心」は結構だが「愛国心」は危険だ、という議論は説得力がない。そして、「愛郷心」と「愛国心」が重なり合うという意味での「パトリオティズム」にある種の強い情緒が伴うのは、「郷」にせよ「国」にせよ、その何か大事なものが失われつつあるからではなかろうか。そこにはあの種の喪失感が付着するのではないだろうか。繰り返すが、ある国の歴史的な伝統や文化や風土がそのままそこにあり、それらに自明のものとして囲まれているとき、人は、わざわざ「愛郷心」や「愛国心」を感じる必要もないであろう。ほとんど無自覚にそれらに囲まれて生活しているだけである。それらが失われつつあるという喪失感に囚(とら)われたとき、もしくは、たとえば外地にあってそこにどうしようもない距離感をもったときにこそ、「愛郷心」や「愛国心」を感じるというべきなのであろう。近代社会は、人々の流動性を高め、急激に都市化を行い、なつかしい風景を破壊していった。このことが近代の人々にパトリオティズムを抱(いだ)かせるのである。(132~133ページ)

〇[6]と[7]について将基面は、次のように評している。[6]は、「戦後の愛国心論では『忠誠問題が無視されてきた』と指摘し、そこに戦後日本における愛国心論の一つの特徴を見ている」([3]121ページ)。[7]は、「72ページの小冊子(岩波ブックレット)ながら、充実した作品である。愛国心の旗印のもと現代日本で広がりつつある排外主義を的確に批判している」([2]193ページ)。それぞれの一節をメモっておくことにする。

市川昭午―愛国は究極的には殉国を求める
愛国心や愛国心教育の問題が敬遠されたり嫌われたりするのは、それが究極において国家に対する忠誠の問題となるからであろう。国民国家は国民を保護し、その権利を保障する代わりに、国民に法律を守らせ、国民の自由を制約する。国家が国民の安全と国の独立を守るための共同防衛装置である以上、国民の側も国を大切に思うだけでは足りず、国防の義務に従うことが要求される。それは一旦緩急(かんきゅう。危急)ある場合には愛国だけでは不十分であり、究極的には殉国(じゅんこく。国のために命をなげだすこと)が求められるということである。(87ページ)

鈴木邦男―〈愛国心〉を汚れた義務にしてはならない
「同じ日本人なんだから」「日本を愛する愛国心をもっているのだから」という視野の狭い仲間意識のもと、排他的な傾向が強まっている。政権を批判したり、日本の問題点などを指摘したりすると「反日!」とののしられる。「他国に学んで、日本のここを良くしよう」などと言っても、「お前は外国の肩をもつのか」と怒鳴られる。その結果、「日本はすばらしい」「日本人は最高」といった自画自賛の言葉が氾濫し、そしてその足下で排外主義が跋扈(ばっこ。強くわがままに振る舞うこと)しているのが現状ではないのか。(52ページ)

〇「まちづくりと市民福祉教育」について語るとき、否が応でも、「自然に育まれた歴史や伝統・文化」の継承や「地域を愛する豊かな心」「郷土を愛する子ども」の育成などに関して語ることになる。しかも、愛郷心とその延長戦上にあるものとして扱われる愛国心が、学校現場においては道徳教育とのかかわりで言及されることにもなる。福祉教育はこれまで、その点を避けてきた。
〇周知の通り政府や文部科学省は、道徳教育と愛国心教育を強化する法律や施策を重ねてきた(いる)。その頂点は、「我が国と郷土を愛する」の文言(愛国心教育規定)が盛り込まれた2006年12月の教育基本法改正と、2018年4月からの道徳の教科化である。
〇2015年3月に「学校教育法施行規則」と道徳に係る「学習指導要領」が一部改正・改訂された。そして、それに基づいて小学校では2018年4月から、中学校では2019年4月から「特別の教科 道徳」(道徳科)が全面実施されている。注目すべきは、検定「教科書」の使用と新たな教育方法と評価の導入である。前者は、「日本の伝統や文化の尊重」「愛国心や郷土愛の態度」などをめぐって、一定の価値観や規範意識を国が上から押し付けることになる。それは、多様性や人権の尊重が声高に叫ばれる時代・社会にあって、極めて憂慮すべきことである。後者については、いわゆる「読み物道徳」「押し付け道徳」から「考え、議論する道徳教育」への質的転換である。しかしそれは、学習指導要領にあらかじめ提示された「道徳的価値」(「内容項目」)に限って「考え、議論する」にとどまる。したがって、それはまた、一定の価値観の押し付けに他ならない。加えて、道徳教育の評価については、「数値による評価」ではなく「個人内評価」として行うとされるが、一人ひとりの児童・生徒の道徳的心情や態度を評価することは憲法が保障する「思想・信条の自由」を侵害する以外の何物でもない。
〇愛国心教育の拡充の背景には、1990年代以降の経済のグローバル化が進展するなかで世界に通用する、「高い倫理観」や「多様な価値観」をもつパワフルな日本人の育成を図る必要があった。と同時に、社会格差が急速に拡大するなかで、国民統合の強化を図ることが要請された(市川昭午『教育基本法改正論争史―改正で教育はどうなる』教育開発研究所、2009年4月、29ページ)。すなわち、グローバル人材の育成・確保(エリート教育)が強く求められるなかで、一般の子ども(ノンエリート)に対する道徳教育の推進が図られ、その中心に位置づけられた(られる)のが愛国心教育である。要するに、「グローバル人材養成の道徳教育」と「ノンエリートへの愛国心教育」、すなわち「国家(財界)のための道徳教育」である。
〇こうした背景を押さえたうえで、大森直樹の言説に留意したい。大森にあっては、道徳教育には2つの重要な領域がある。ひとつは、「道徳は人々が生活と仕事のなかで自然に身につけるものであり、子どもにとっては学校が生活の場であることに対応した領域である」。すなわち、「無意図的な道徳教育」である。いまひとつは、「歴史と社会のなかで人々はどのように道徳を形成してきたか、社会現象としての倫理や道徳について認識をふかめる」領域である。すなわち、「道徳事実についての学習」である。そして大森は、こうした教育・学習は、「社会科をはじめとする教科学習や人権を主題とする総合学習でおこなうべき」である、とする。(大森直樹『道徳教育と愛国心―「道徳」の教科化にどう向き合うか―』岩波書店、』320、321ページ)。「まちづくりと市民福祉教育」について考える際の、ひとつの重要な視点でもある。
〇なお、ここで、愛郷心は生まれ育った地域・郷土の歴史や風土、文化を愛する心(感情や態度)で、地域への帰属意識を醸成する。愛国心は政治共同体としての国家を愛する心(感情や態度)で、国家への忠誠を求める、という愛郷心と愛国心の違いについて改めて確認しておきたい。

【初出】
<雑感>(96)阪野 貢/戦争が始まる“臭い”がする:「愛国」「愛国心」に関するワンポイントメモ―将基面貴巳を読む―/2019年10月8日/本文

 


11  「差別」の本質


<文献>
(1)キム・ジへ、 尹怡景訳『差別はたいてい悪意のない人がする―見えない排除に気づくための10章―』大月書店、2021年8月、以下[1]。
(2)神谷悠一『差別は思いやりでは解決しない―ジェンダーやLGBTQから考える―』集英社新書、2022年8月、以下[2]。

〇[1]は、韓国で16万部超のベストセラーとなったキム・ジへ(김지혜、Kim Ji-hye)著『善良な差別主義者』(선량한 차별주의자、2019)の日本語訳版である。筆者の差別や人権についての稚拙な考えや思い・願いに変革を迫る、強烈なメッセージを発する本である。内容的には、事例を交えながら、女性や障がい者、セクシュアル・マイノリティ、移民などに対する差別や人権の諸問題が取り扱われる。
〇「本書が注目されたのは、差別に関する既存の考え方に新たな問いを投げかけたからと考えられる。一般に、差別に対する認識は、差別をする加害者と、それを受ける被害者という構造の中で議論される。本書でも指摘されているように、だれもが差別は悪いことだと思う一方、自分が持つ特権には気づかないので、みずからが加害者となる可能性は考えない傾向が強い。こうした考え方に、本書は『善良な』という表現を用いて、『私も差別に加担している』『私も加害者になりうる』という可能性に気づかせる。つまり、平凡な私たちは知らず知らず差別意識に染まっていて、いつでも意図せずに差別行為を犯しうるという、挑発的なメッセージを著者は投げかけている」(金美珍、[1]229~230ページ)。
〇[1]では「トークニズム」、「特権」、「優越理論」、「間接差別」、「差異の政治」などの理論に基づき、「多様性と普遍性」(「多様性をふくむ普遍性」)や「形式的平等と実質的平等」の観点から、また個人的レベルと構造的レベルの差別などをめぐって論究する。「差別禁止法」についての言及も注目される。それぞれの理論と差別禁止法に関する言説の一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

トークニズム―名ばかりの差別是正措置:お茶を濁す―
トークニズムtokenismとは、歴史的に排除された集団の構成員のうち、少数だけを受け入れる、名ばかりの差別是正措置をさす。/トークニズムは、被差別集団の構成員のごくわずかを受け入れるだけで、差別に対する怒りを和らげる効果があることが知られている。それによって、すべての人に機会が開かれているように見え、努力し能力を備えてさえいれば、だれもが成功できるという希望を与えるからである。結局、現実の状況は理想的な平等とは雲泥の差があるにもかかわらず、平等な社会がすでに達成されているかのような錯覚を引き起こす。(25ページ)

特権―「持てる者の余裕」:意識にのぼらない恩恵―
特権とは、一部の人だけが享受するものではない。特権とは、与えられた社会的条件が自分にとって有利であったために得られた、あらゆる恩恵のことをさす。/不平等と差別に関する研究が進むにつれ、学者たちは平凡な人が持つ特権を発見しはじめた。ここで「発見」という言葉を使ったのには理由がある。このように日常的に享受する特権の多くは、意識的に努力して得たものではなく、すでに備えている条件であるため、たいていの人は気づかない。特権というのは、いわば「持てる者の余裕」であり、自分が持てる側だという事実にさえ気づいていない、自然で穏やかな状態である。(30ページ)/自分には何の不便もない構造物や制度が、だれかにとっては障壁(バリア)になる瞬間、私たちは自分が享受する特権を発見する。(31ページ)/ほとんどの人は平等という大原則に共感しており、差別に反対している。(中略)しかし、相対的に特権を持った集団は、差別をあまり認識していないだけでなく、平等を実現するための措置に反対する理由や動機を持つようになる。(38ページ)

優越理論―嘲弄(あざけり、からかうこと):他人の不幸は蜜の味―
プラトンやアリストテレスなど、古代ギリシアの哲学者たちは、人は他人の弱さ、不幸、欠点、不器用さを見ると喜ぶと述べた。笑いは、かれらに対する一種の嘲弄(ちょうろう)の表現だと考えたのだ。このような観点を優越理論superiority theoryという。トマス・ホッブズは、人は他人と比べて自分のほうが優れていると思うとき、プライドが高まり、気分がよくなって笑うようになると説明する。だれかを侮蔑(ぶべつ)するユーモアがおもしろい理由は、その対象より自分が優れているという優越感を感じられるからである。/優越理論によれば、自分の立ち位置によって、同じシーンでもおもしろいときと、そうでないときがある。そのシーンから自分の優越性を感じる際にはおもしろいけれど、逆に自分がけなされたと感じればおもしろくない。(92ページ)/集団間の関係においても、同じような現象があらわれてくる。人は自分を同一視する集団に優越感を持たせる冗談、すなわち自分とは同一視しない集団をこき下ろす冗談を楽しむ。もしも相手の集団に感情移入してしまうと、その冗談はもはやおもしろくなくなる。(中略)相手の集団に対してネガティブな偏見を持っている場合はどうだろうか。決して自分とは同一視せず、むしろ距離を置こうとする集団に対する侮蔑は、みずからの属する集団の優越性を確認できる、楽しい経験になる。(93ページ)

間接差別―一見の平等と実際の差別:同じようで違う―
だれに対しても同じ基準を適用することのほうが公正だと思われるかもしれないが、実際は、結果的に差別になる。司法書士試験で、問題用紙・答案用紙と試験時間をすべての人に同一に設定すれば、視覚障害者には不利になる。製菓・製パンの実技試験において、すべての参加者に同じように手話通訳を提供しない場合、聴覚障害者に不利である。公務員試験の筆記試験で、他の受験生と同様、代筆を許可しない場合、高次脳機能障害の人に不利である。これらは、全員に同一の基準を適用することが、だれかを不利にさせる間接差別indirect discriminationの例である。(117ページ)

差異の政治―多様性を含む普遍性:みんな違う、みんな同じ―
承認とは、たんに人であるという普遍性についての認定ではなく、人が多様性をもつ存在であること、すなわち、差異を受け入れることをふくむ。集団間の違いを無視する「中立」的なアプローチは、一部の集団に対する排除を持続させる。「中立」と見せかけている立場は、実は主流の集団を「正常」と想定し、他の集団を「逸脱」と規定して抑圧する、偏った基準であるからだ。アイリス・マリオン・ヤングが述べる「差異の政治politics of difference」は、このように「中立性」で隠蔽(いんぺい)された排除と抑圧のメカニズムに挑むために「差異」を強調する。(194ページ)/アイリス・ヤングは、抑圧的な意味を持つ「差異」という言葉を再定義する必要があると述べる。「主流集団を普遍的なものとみなし、非主流だけを『異なる』と表現するのではなく、違いを関係的に理解し相対化すること」である。女性が違うように、男性も違うことができ、障害者が違うように、非障害者も違うと見る、相対的な観点だ。したがって、差異とは本質的に固定されたものではなく、文脈によって流動的なものである。車いすに乗っている人が「つねに」異なるわけではなく、運動競技のような特定の文脈では差異があっても、他の脈略では差異がなくなるようなものだ。(196~197ページ)/私たちはみな同じであり、またみな異なる。私たちを本質的に分ける差異はないという点で、私たちは人間としての普遍性を共有するが、世の中に差別が存在するかぎり、差異は実在するため、私たちはその差異について話しあいつづけなければならない。(197ページ)

差別禁止法―平等を実現するための方策:文化の改善か、政治改革か―
私たちが生涯にわたって努力し磨かなければならない内容を、「差別されないための努力」から「差別しないための努力」に変えるのだ。これらすべての変化は、市民の自発的な努力によって、一種の文化的な革命としておこなうこともできる。平等な社会をつくる責任のある市民として生きる方法を、市民運動に学ぶのだ。しかし同時に、平等の価値を共同体の原則として明らかにし、新しい秩序を社会の随所に根づかせるための法律や制度も必要だ。日常における省察とともに、平等を実現するための法律や制度に関する議論が必要なのだ。(202ページ)/差別撤廃という目的には同意するが、国が介入する問題なのかという疑問を抱く人々もいる。かれらは、国が介入するかわりに、自発的な文化の改善を通じて社会の変化をつくりだせると考える。これは、たしかに理想的で望ましく、法の制定とは無関係に、根本的な社会変化のために必要なアプローチではある。しかし、すでに差別が蔓延している社会で、法律で定められた規範ないし実質的な変化を期待することは難しい。(208ページ)

〇以上に加えて、キム・ジヘの言説の理解を深めるために、文章のいくつかを抜き書きする。

●  私をとりまく社会を理解し、自己を省察しながら平等へのプロセスを歩みつづけることは、自分は差別をしていないという偽りの信仰よりも、はるかに貴重だということだけは明らかである。(プロローグ:13ページ)
●  私たちが権利や機会を要求するとき、結果として求めるのは、ただ楽な人生ではない。私たちは、施設に閉じ込められ、他人から与えられたものだけを食べて寝て、何の労働もせず生涯を送る人生を、人間らしい生き方とは思わない。(中略)不平等な立場にいる人が平等な権利と機会を求めるのは、他の人と同じように、リスクを覚悟して冒険し、自分なりの人生を生きていくための権利と機会という意味なのである。(1章:36ページ)
●  立ち位置が変われば、風景も変わる。/風景全体を眺(なが)めるためには、世の中から一歩外に出てみなければならない。(中略)私たちの社会がユートピアに到達したとは思えない。私たちはまだ、差別の存在を否定するのではなく、もっと差別を発見しなければならない時代を生きているのだ。(1章:41ページ)
● 固定観念は、自分の「頭の中にある絵」にすぎない。(中略)固定観念は、自分の価値体系をあらわす、ある種の自己告白になる。(51、52ページ)/固定観念は一種の錯覚だが、その影響力は相当強い。(中略)人々は、自分の固定観念に合致する事実にだけ注目し、そのような事実をより記憶し、結果的に、ますます固定観念を強固にしていくサイクルが作られる。一方で、固定観念に合致しない事実にはあまり注意を払わない。固定観念を覆すような事例を見かけたとしても、なかなか考えを変えようとしない。かわりに、その事例を典型的ではない特異なケースとみなし、例外として取りあつかうのである。(2章:52~53ページ)
●  差別を眺めるとき、性別や人種という軸に加えて国籍、宗教、出身国・地域、社会経済的地位などの軸を加えると、状況はさらに複雑になる。(62~63ページ)(中略)差別の経験をひとつの軸だけで説明することはできない(中略)。/さまざまな理由で幾重にも重なった差別を受ける人、差別を受ける集団の中でさらに差別を受ける人もいる。差別とは、二つの集団を比較する二分法に見えるが、その二分法を複数の次元に重ねて立体的に見てこそ、差別の現実を多少なりと理解することができるのだ。(2章:63ページ)
●  差別は私たちが思うよりも平凡で日常的なものである。固定観念を持つことも、他の集団に敵愾心(てきがいしん)を持つことも、きわめて容易なことだ。だれかを差別しない可能性なんて、実はほとんど存在しない。(2章:65ページ)
● (差別について)考察する時間を設けるようにしないかぎり、私たちは慣れ親しんだ社会秩序にただ無意識的に従い、差別に加担することになるだろう。何ごともそうであるように、平等もまた、ある日突然に実現されるわけではない。(3章:85ページ)
●  「からかってもいい」とされる特定の人々(中略)だけに同じようなこと(揶揄、蔑視)が集中してくりかえされる。私たちは、だれを踏みにじって笑っているのかと、真剣に問いかけるべきなのだ。(96ページ)/だれかを差別し嘲弄するような冗談に笑わないだけでも、「その行動は許されない」というメッセージを送れる。(中略)少なくとも無表情で、消極的な抵抗をしなければならないときがあるのだ。(4章:105~106ページ)
●   私たちはたちは教育を通じて、不公正な能力主義を学んでいるのではないだろうか。そのことによって、何ごとも不合理に区分しようとする、不平等な社会をつくっているのではないか。いまさらながら怖くなる。(5章:124ページ)
●  「差別は(中略)人種や肌の色を理由に、だれかを社会の構成員として受け入れないとするとき、その人が感じる侮蔑感、挫折感、羞恥心の問題である」。すなわち、人間の尊厳に関する問題なのである。(6章:143ページ)
●  民主主義が実現するには、基本的な前提として、社会のすべての構成員が平等な関係をもち、対等な立場で討論できなければならない。(中略)私たちは、同じ空間を共有しながら生きていくための倫理について考えなければならない。そうしてこそ、隠蔽された不平等を前提として平等を享受していた、古代ギリシアのポリスとは違う、真の民主主義をつくることができるだろう。(7章:162ページ)
●  正義とは、真に批判する相手がだれなのかを知ることである。だれが、または何が変わるべきなのかを正確に知る必要があるということだ。世界はまだ十分に正義に満ちあふれているわけではなく、社会の不正義を訴える人々の話は、依然として有効である。(8章:182ページ)
●  平等に向けた運動に参加できるのはだれだろうか。全員の賛同を期待することはできないだろう。歴史上、何の抵抗もなく達成された平等はなかったからだ。しかし同度に、一部の人々は、自分の立場や地位に関係なく、正義の側に立ち、マイノリティと連帯した。結局は、私たちだれもがマイノリティであり、「私たちはつながるほどに強くなる」という精神が世の中を変化させてきた。あなたがいる場所で、あなたはどんな選択をしたいだろうか。(9章:202~203ページ)
●   だれもが平等を望んでいるが、善良な心だけでは平等を実現することはできない。不平等な世界で「悪意なき差別主義者」にならないためには、慣れ親しんだ秩序の向こうの世界を想像しなければならない。そういう意味で、差別禁止法の制定は、私たちがどのような社会をつくりたいかを示す象徴であり宣言なのだ。(10章:219ページ)
●   閉鎖されたひとつの集団としての「私たち」ではなく、数多くの「私たち」たちが交差して出会う、連帯の関係としての「私たち」も可能ではないだろうか。だれかに近づき、「線を踏んだでしょう」「出て行け!」と叫ぶのではなく、みんなを歓迎し、一緒に生きる、開かれた共同体としての「私たち」をつくりたい。(エピローグ:224ページ)

〇[2]は、「差別」を「心の問題」として捉え、善意の「思いやり」や「優しさ」で解決しようとする「思いやり」万能主義からの脱却を説く。そして、権利保障と差別を解消・禁止するための法制度の整備や施策の推進の必要性と重要性について論究する。そこで取りあげる差別は、主に女性差別と性的少数者差別である。
〇神谷はこういう。「思いやり」はあくまでも、個人の資質や感情に基づくものである。その「思いやり」に基づかなくても人は守られる、というのが「人権」の考え方である。差別のひとつに「アンコンシャスバイアス」(無意識の偏見)があり、「思いやり」と同じ匂いがするフレーズに、現状の取り組みを是認する(新規性がない)意味の「周知を徹底する」や、他人事の象徴としての「何も気にしない」といったものがある。セクシュアルハラスメントに関して、「防止」法制(規定)はあるが「禁止」法制(規定)はない。また、男女の雇用機会の均等に関しても差別は禁止されているが、罰則の規定はない。ともに実効性が低く、「思いやり」に留まっているのが日本の現状である。
〇そこで神谷にあっては、制度や法律を整備することによって、一定の水準で権利を担保することが重要である。差別の防止・解消や禁止についての「啓発」の制度化や、差別禁止の法制度の導入が必要であり、「これが一番の近道」(93ページ)となる。
〇[2]における神谷の主張は要するに、「差別は権利の問題であり、思いやりは人権尊重の理念を持たない」、「差別は思いやりではなく、制度で解決すべきである」というものである。その言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換)。

●  人権問題、特に「ジェンダー」や「LGBTQ」の問題を考えたり語ったりする際に、突然「思いやり」が幅を利かせ始め、万能の力を持つかのように信奉されてしまう。(中略)何をするにしても「思いやり」が靄(もや)のように現れ、実際には何も進んでいないにもかかわらず、何かを「やった感」「やっている感」だけが残るというのが長年の日本の状況(である)。(4~5ページ)


●  「思いやり」は、個々人の「気に入る」「気に入らない」といった恣意性に左右されやすいものであり、不具合が起きてしまうものである。思いやりも人それぞれ、ということになると、そこで保障されることも人それぞれであろう。そんな普遍性のないものを「人権」と呼べるだろうか。(49ページ)
●  ジェンダー規範からの逸脱は、排除を引き起こし、差別やハラスメント、仲間外れや無視といった事象が、逸脱したマイノリティ(女性、性的マイノリティはもちろん、これらの人たちに限らない)自ら、自分を制約する方向に力を加える。それが差別に対する異議申し立てを封印し、「男らしさ」を優遇する。だから、性的マイノリティに対する個別の差別や暴力根絶とともに、大元の性差別撤廃(女性差別を含むが、より広い意味で)にも力を入れるべきだ、ということである。(112ページ)
●  思いやり「だけ」では、多岐にわたる複雑な問題を解決することはできない。仮に思いやる心があったとして、それを持続的に、習慣的に、社会的な背景や構造にアプローチできる何らかの方法で実行しない限り、社会はもとより、身の回りを変えることも難しいが実情である。/関心のない人も含めて、より多くの人がジェンダーの領域に一定程度の水準まで取り組みを進めるためには、オーダーメイド的な(職人的なと言ってもいいかもしれません)取り組みだけではなく、ある種の「量産型」的な、誰にでも取り組め、扱うことのできる手法(研修・講習による定期的な周知・啓発:筆者)も、同時に求められている。(133~134ページ)
●  「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」(略称「人権教育・啓発推進法」。2000年12 月 公布・施行)は、人権一般を扱うほとんど唯一の法律であるが、教育・啓発を実施するための行政の体制整備以外のことは規定がなく、実際の権利の保障には至っていないという致命的な課題がある。(52ページ)/この法制度に基づく取り組みは、「心がけとか思いやりとか、私人間の関係性のレベルにとどまっている」という指摘もある。(50ページ)
●  イギリスでは、「性別」や「障がい」など各分野の差別禁止法を統合したものを、通称「平等法」と呼び、両者はほぼ同じ内容として見られているようである。イギリスの場合、各分野の差別禁止法を統合した「平等法」のほうが、差別禁止法よりも積極的に平等を目指すために「公的機関の平等義務」などを規定しているとの指摘もある。(187ページ)

〇以上の言説を「福祉教育」に引き寄せて一言する(問う)。福祉教育(実践と研究)はこれまで、ジェンダーやLGBTQの問題について見て見ぬ振りを決め込んできたのではないか。また、福祉教育(実践と研究)はどれほどに、外国籍の子どもだけでなく外国人労働者や移民などの人権や差別について体系的に言及してきたか。厳しい差別や排除の現場に立ってその実態から気づき・学びを深める教育(体験学習)に積極的に取り組んできたか。差別の背景や構成要素(直接差別、間接差別、合理的配慮の否定など)について加害者と被害者を構造化して考えてきたか。不公正な能力主義や不合理な選別主義に対峙する批判的な福祉・教育理論の構築や実践に関心を払ってきたか。社会通念の変革とともに、差別を禁止・根絶するための政策の立案や関係法律・制度の改善・整備について思考し行動(運動)を起こしてきたか。そして何よりも、「思いやり」はこれらについての「思考停止」を促してきたのではないか。自責の念に駆られる。

【初出】
<雑感>(168)阪野 貢/「差別」再考―「差別はたいてい悪意のない人がする」「差別は思いやりでは解決しない」のワンポイントメモ―/2023年2月4日/本文

 


12  「共感」の功罪


「共感」の功罪【その1】

<文献>
(1)山竹伸二『共感の正体―つながりを生むのか、苦しみをもたらすのか―』河出書房新社、2022年3月、以下[1]。

〇「共感論」について活発な議論が展開されるなかでこんにち、「反共感論」の主張が少なからずみられる。[1]において山竹伸二はいう。「共感は本当に相互理解と協調、平和をもたらす自然の恩恵なのだろうか? それとも、不安や自由の喪失、憎しみ、差別をもたらす、悪魔のささやきなのか‥‥‥?」(21~22ページ)。「共感が生み出す助け合いが集団を強化し、文化を築く礎になったこと、その一方で、共感による集団の排他性が紛争や差別、迫害を生んできた歴史がある」(24ページ)。
〇山竹は、多角的な視点に立って、また科学的・哲学的な考察を通して「共感」の本質を解明しようとする。とともに、心のケアの領域や日常の対人関係における共感の有効性や応用可能性を明らかにし、共生社会における共感の重要性を指摘する。山竹は説く。「共感のメリットはリスクを大きく超える可能性がある」(204ページ)。「大事なのは共感に頼らないことではなく、共感のデメリットを減らし、よりよい形で共感を活かせるようにすること」(205ページ)である。
〇[1]で注目すべきポイントは、現象学(自分の意識・主観に現われていることを出発点にして、誰もが共通して了解できる意味(「本質」)を解明するための哲学的思考法)の観点から共感の本質にアプローチし、その問い直しを試みるところにある。山竹はそれを次のように整理する(7. 8.  以外の丸括弧内の解説は別頁より引用。126~129ページ)。

  1. 共感が生じる経験は、①「情動的共感」(相手と同じ感情であると感じる共感)と②「認知的共感」(相手と同じ考え方、感受性、価値観であると感じる共感)の2つに分けられる。
  2. 共感の質は心の発達、特に自己の確立と認知の発達にともなって変化する。
  3. 他者の共感によって得られる自己了解(自分の感情に対する気づき・自覚)と「存在の承認」(「ありのままの自分」が受け容れられていること)。
  4. 心理的距離、空間的距離の近い人間ほど共感が生じやすい。
  5. 共感力(相手の考えや気持ちを察することができ、その気持ちに寄り添うことができる力)には個人差がある。
  6. 共感は感情の共有であり、自己了解と同時に他者了解(他者の感情に対する気づき・自覚)が生じている。
  7. 共感は他者理解をとおして他者のためになる行動(利他的行為)を生む。
  8. 共感は喜びだけでなく、苦しみを生む場合もある(共感的苦悩)。
  9. 共感はお互いを理解し、協力し合う基盤となり、文化・社会を形成する。

〇以上の「共感の本質」(「共感の原理」)に続いて山竹は、「共感の功罪」について次のように整理する(130ページ)。


〇ここで、[1]のうちから、「共感」をめぐる論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

共感と利他的行為
共感という経験は対人関係における感情共有の確信であり、共感が生じると多くの場合、相手に対して親和的な感情(親しみ)が生じ、他人事ではないと感じられる。/この時、自己了解(自己の感情への気づき)と同時に、他者の感情了解が生じている。自己了解が「自分がどうしたいのか」という欲望を告げ知らせる以上、共感は「他者がどうしてほしいのか」を理解し、相手が望む行為の選択を、つまり利他的行為を可能にするのである。/もちろん、自分の感情と相手の感情が同じである、という保証はない。だが、私たちは共感を手がかりにして、相手に気持ちや望みを言葉で確認することができるし、それによって適切な対応を取ろうとする。そうやって経験を何度も積み重ねるほど、次第に的を外すことなく相手の感情を理解できるようになり、適切な対応が可能になる。/こうした理解力を培うには、言葉と想像力、推論する理性の力を身につけることが必要である。(110ページ)

排他的共感と差別
共感はすべてにおいてよいことが起きるわけではない。/誰かの悲しみや苦しみに共感し、助けたいと思う場合でも、必ずしもよい結果、正しい行動につながるとは限らない。共感から、目の前にいる人を手助けしてしまい、結果的に大勢の人を苦しめたり、困らせてしまうこともある。助けたつもりでいても、相手にとっては迷惑だったり、かえって悪い結果を招く場合も少なくない。/また、共感は憎悪や怒りのような感情にも共振するため、憎しみや怒りを増幅させる危険性がある。/仲間への共感から、仲間以外の人々を敵視したり、憎悪や軽蔑の眼差しを向けたりすることを、「排他的共感」と呼ぶことにしよう。/共感は文化を形成し、集団の結束を強めるのだが、それは半面、共感できない文化や自分の所属する集団以外の人々に対して、排除する傾向を生みやすい。共感による民族や国との一体感は、外国への差別意識、敵対意識につながりやすいのだ。繰り返される戦争、少数民族への迫害、異質な文化への差別などは、排他的共感が拍車をかけている。(116~117ページ)

協調的共感と共同性意識
多様な価値観を学び、様々な立場の人の身になって考えることで、偏った行動ではなく、より公正で適切な共感と利他的行為ができるようになる。/多様な価値観に寛容になるには、人間は集団の属性や価値観によらず、存在そのものが尊重されるべきだ、という感覚が必要になる。/この感覚を養うものこそ、親密な人々による共感なのだ。それは「ありのままの自分」が受容される経験、無条件の承認を感じる経験であり、だからこそ、「ありのままの他者」を受け容れ、共感できるようになるのである。/こうした対応を各々の人間ができるようになれば、他者との間に良好な関係性が形成され、よりよい協調が生まれ、お互いに助け合えるような社会を築くことができる。異なる考え方や価値観の人々の間にも、差異を認め合いながらも共感できるものを見出せるようになる。私はこれを「協調的共感」と呼び、共感の成熟したものとして捉えておきたい。(123~124ページ)/共感は人間同士の心のつながりを感じさせ、同じ人間であるという意識、共に生きているという意識をもたらすのだ。/しかし、この共同性の意識においても、適度な距離感、公正な判断力がなければ、容易に集団心理に呑み込まれてしまうだろう。/したがって、共感が人間の道徳性や共同性の意識において重要だとしても、そこに潜んでいるリスクを十分に自覚し、その対処法を考えなければならない。排他的共感に陥らず、協調的共感に至る道を考える必要があるのだ。(124~125ページ)

共感のリスクとその回避
共感には様々なリスクが付きまとっている。/まず第1に、共感しやすい人は、相手の感情に巻き込まれ、自分自身の感情を制御することが難しくなりやすい。/第2に、思い込みの強い人、自己中心的な人の場合、共感は相手と自分を同一視し、相手の他者性、固有性を無視してしまう傾向がある。/そして第3に、自分の所属集団、立場、価値観を過剰評価している人が共感すると、自分が共感できない人々に対して無関心になったり、敵視する傾向がある。/こうした共感のリスクを回避するためには、自己了解ができていること、感情の制御ができることが必要になる。自己了解の力があり、感情のコントロールができる人は、過度に相手の感情に巻き込まれたりしないし、相手と自分を同一視したりもしない。また、多様性に寛容で、他者との差異や他者性を認められる人は、排他的にもなりにくい。だから自分とは経験も立場も異なる相手であっても、先入観なしに対話し、相手との差異を認めつつも、自分と共通するものを見出すことができる。そうやって相手の感情に近づき、共感する可能性が高いのである。(166~167ページ)

良心と共感
「良心」は善悪を判断し、「人として正しくありたい」という思いが含まれているが、この判断の基準は内面にある価値観や行動規範、人としての理想などである。それは多くの人が認める価値観や社会規範とほぼ重なるため、共感や同情に公平性、公正さをもたらしている。しかし、そうした個人の内面にある価値観や行動規範は、何らかの状況で取り込まれ、身につけたはずなので、成長にともなって変化し、良心も変わってくることになる。(184~185ページ)/完全に「他者のため」という動機だけで良心が生じるわけではない。他者に承認されたい、他者と共に生きたい、という「自己のため」の動機も当然あるだろう。そうでなければ、自己犠牲を美徳と考えるような偏った義務論になりかねない。(188ページ)/共感によって他者の苦しみを知れば、自己の欲望を超えて、心から他者を助けたいという思いも強くなる。承認欲望と救済欲望が重なりあい、「自己のため」の行為が「他者のため」の行為になるのだ。そして共感の経験を繰り返し、理性的な思考が深まるにつれ、多様な他者の身になって考える力もついてくる。/こうして、成熟した良心は自己の欲望を自覚した上で、他者を心から助けたいと感じ、より普遍性のある判断を求めるようになるのである。(189~190ページ)

〇山竹にあっては、現代社会は、異なった文化や立場、多世代の「多様な人々が交流するようになり、共感が拡大する可能性のある時代である」(201ページ)。その一方で、現代社会では「絶対的な価値基準が見失われ、どうすれば周囲に認められるのか、自分の価値を確信できるのか、という承認不安が蔓延している」(202ページ)。そこで、上述の「共感の本質」を認識し、「心のケアの原理」に基づいて子育て、教育を実践すれば、「共感は私たちの未来を切り開く上で、とても重要な役割をはたすはず」(202ページ)である。「共感」への期待と展望である。山竹はいう。「楽観的と思う人もいるかもしれないが、私はそうした未来の可能性を信じたい」(205ページ)。
〇「まちづくりと市民福祉教育」(とりわけ学校福祉教育)においてはこれまで、抽象的な理念やひとつのスローガンとして「共感」が声高に叫ばれてきた感なきにしも非ずである。「共感の本質」についての理解・認識と、それに裏付けられた共感力を高めるための取り組みや教育プログラムの開発を如何に進めるかが問われよう。例によって唐突であるが、指摘しておきたい。
〇なお、上記の「心のケアの原理」とは、「共感は『ありのままの自分』が受け容れられている(認められている)という実感を与えることで、相手の不安を緩和する。また、共感によって相手の苦しみの根底にある感情を理解し、それを相手に伝えることで、相手に自己了解を促すことができる。すると、相手は自分を見つめなおすことができるようになり、考え方を修正したり、自分がどうしたいのか、どうすべきなのか、納得のいく判断ができるようになる」(194ページ)ということを指す。

【初出】
<雑感>(185)阪野 貢/「共感」再考:共感のメリットとデメリット ―山竹伸二著『共感の正体』のワンポイントメモ―/2023年8月23日/本文 

 

「共感」の功罪【その2】

「共感には善玉と悪玉がある」
「共感は道徳的指針としては不適切である」
「私たちは(共感の時代ではなく)理性の時代に生きている」(ブルーム)

<文献>
(1)ポール・ブルーム、高橋洋訳『反共感論―社会はいかに判断を誤るか―』白揚社、2018年2月、以下[1]。
(2)永井陽右『共感という病―いきすぎた同調圧力とどう向き合うべきか?―』かんき出版、2021年7月、以下[2]。

〇筆者(阪野)は、1989(昭和64)年1月7日(土)と1989(平成元)年1月8日(日)は韓国・ソウルにいた。1月5日~10日の5泊6日、学生を引率しての研修旅行であった。ソウルの学生たちと「アリラン」(民謡)を合唱する機会にめぐまれた。また、7日から9日までのいずれかに、臨津江(イムジンガン)を渡って38度線・板門店を訪ねている。「イムジン河 水清く とうとうと流る‥‥‥」ではじまるザ・フォーク・クルセダーズ(学生フォークグループ)の「イムジン河」を思い出していた。
〇2019(平成31)年4月30日(火)と2019(令和元)年5月1日(水)は鹿児島にいた。4月28日~5月2日の4泊5日、福岡(大宰府天満宮と九州国立博物館)と鹿児島への観光旅行である。4月30日には川辺郡知覧町(現・南九州市)にある知覧特攻平和会館を訪ねた。そこに展示されている遺影と遺書・遺品などに圧倒され、多くの観光客がいるなかで筆者は、ただ立ち尽くすだけだった。何通かの遺書を読んだとき、脳裏をかすめたのは「検閲」「虚飾」そして「殺された」(「国家による殺人」)の三つの言葉である。
〇特攻隊員の全戦死者は1036人、そのうち知覧基地から出撃した者は402名。また、戦死した朝鮮人特攻隊員は17人、知覧特攻平和会館に祀(まつ)られている者は11人である。そのうちのひとりに、卓庚鉉(タク・キョンヒョン)がいる。「アリラン特攻」卓庚鉉と「特攻の母」鳥濱(とりはま)トメとの感動の物語は有名である。卓は、その前日に鳥濱が経営する富屋食堂で「アリラン」を歌い、1945(昭和20)年5月11日に出撃する。24歳の若さであった。「アリラン アリラン アラリヨ アリラン ゴゲロ ノモガンダ(アリラン アリラン アラリよ アリラン峠を越えて行く)‥‥‥」。
〇朝鮮人特攻隊員に関する最近の論文に、権学俊(クオン・ハクジュン)「韓国における朝鮮人特攻隊員像の変容」『立命館産業社会論集』第52巻第4号、立命館大学産業社会学会、2017年3月、67~81ページ、がある。そこに次の叙述がある。

植民地支配された朝鮮人青年が、自らを支配する国のために死を選択した、また、差別を受けた朝鮮人青年を、基地があった町で食堂を営んでいた日本人女性が自分の子どものように世話をし、その青年が出撃に前夜に朝鮮のアリランを歌ったという物語は、日本の都合に合わせた解釈がなされ、「悲劇の主人公」として同情を集めるだけでなく、一部からは「朝鮮人であるのに日本のために命を捧げた人物」と賞賛され、「アリラン特攻」としての物語性が評価された一方で、アリランを歌う以外の彼の心の声は全く聞こえてこなかった。(75ページ)

〇17人の朝鮮人特攻隊員は、植民地支配と民族的差別の被害者である。権はいう。朝鮮人「特攻隊員は日本のために死んだ『対日協力者』であり、民族の『裏切り者』だという認識・見方から脱することは非常に難しい」(76ページ)。「彼らの魂は依然として、軍神として賞賛された日本でも、祖国である韓国でも受け入れられずに、日韓の失われた歴史の空白の狭間でひたすら漂流している」(78ページ)。この一節に触れたとき筆者は、目頭を押さえる人がいた知覧特攻平和会館の時空ではあまり感じなかった怒りや悲しみを覚える。とともに、歴史的・理性的思考の重要性を再認識する。そして、30年前の平成元年早々に、ソウルで合唱した「アリラン」の哀愁や板門店の軍事停戦委員会本会議場の緊張を思い出した。なお、筆者には戦死した伯父(おじ)がいる。その長男(筆者の従兄)は70年以上もたったいまも、戦争の呪縛や国家不信から抜け出すことができないでいる。悲惨である。
〇こうした感情やわずかな理性をきっかけに、「積読」(つんどく)本のなかにあった、ポール・ブルーム(Paul Bloom、アメリカ・イェール大学心理学教授)著/高橋洋訳『反共感論―社会はいかに判断を誤るか―』(白揚社、2018年2月。以下[1])を読むことにした。それはまた、いま社会的風潮として(福祉教育の世界において)「共感」や「共生」、とくにその「心」が強調されるなかで、いかにして「感情」(「共感」)と「理性」のバランスをとるかが問われている、という認識に基づいてもいる。さらに一言すれば、筆者は、「共感」と「理性」にはそれぞれ限界があり、その両者の漸進的な共働によってよりよい“まちづくり”を進めることができる(進めなければならない)、と考えている。
〇ブルームによると、「共感」(empathy)は「情動的共感」と「認知的共感」に分けられる。「情動的共感」は、「他者が感じていると思しきことを自分でも感じること」すなわち「他者の経験を経験する」(10ページ)という意味での共感(感情的な働き)である。「認知的共感」は、「他者の心のなかで起こっている事象を、感情を挟まずに評価する能力に結びつけてとらえる」(25ページ)という意味での共感(理性的な働き)である。ブルームは、前者の情動的共感に反対し、後者の認知的共感を評価する。「共感には善玉と悪玉がある」(20ページ)。「共感(情動的共感)は愚かな判断を導き、無関心や残虐な行為を動機づけることも多い」(9ページ)。「共感は道徳的指針としては不適切である」(9ページ)。「私たちは(共感の時代ではなく)理性の時代に生きている」(19ページ)、別言すれば“他者を思いやる善き人になりたいのなら、あるいは世界をもっとよい場所にしたいのなら、理性を行使すること(理性に基づく判断や行動)が重要である”(9ページ、第6章)、などがブルームの主張である。
〇ブルームは、[1]の要点について次のように簡潔に述べている。

共感とは、スポットライトのごとく今ここにいる特定の人々に焦点を絞る。だから私たちは身内を優先して気づかうのだ。その一方、共感は私たちを、自己の行動の長期的な影響に無関心になるよう誘導し、共感の対象にならない人々、なり得ない人々の苦難に対して盲目にする。つまり共感は偏向しており、郷党性(きょうとうせい。同郷のよしみ)や人種差別をもたらす。また近視眼的で、短期的には状況を改善したとしても、将来悲劇的な結果を招く場合がある。さらに言えば数的感覚を欠き、多数より一人を優先する。かくして暴力の引き金になる。身内に対する共感は、戦争の肯定、他者に向けられた残虐性の触発などの強力な要因になる。人間関係を損(そこ)ない、心を消耗させ、親切心や愛情を減退させる。(17ページ)

〇この「要点」の理解を深めるために、ブルームの「反共感論」の論点や言説について、その一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

共感のスポットライト的な特質――共感はその射程が限定的であり、数的感覚を欠いている
●私たち人間にとって、共感はスポットライトのようなものである。つまり、焦点が絞られ、自分が大切に思っている人々は明るく照らし出し、見知らぬ人々や、自分とは違う人々や、脅威を感じる人々はほとんど照らし出さないスポットライトなのだ。
共感は、大勢の人々が関わる問題に直面すると黙して語らず、共感は大勢よりたった一人を重視するよう私たちを仕向ける。
共感は、特定の個人ではなく統計的に見出される結果に対しては反応を示さない。(45ページ)
スターリンは、「一人の死は悲劇的だが、100万人の死は統計的だ」と述べたと言われている。またマザー・テレサは、「大衆を見ても、私は決して行動しないでしょう。でも、一人を見れば行動します」と言った。道徳的判断において数の重要性が認められるのなら、それは理性のゆえであって感情のゆえではない。(112ページ)
●共感を含めた他者に対する反応は、既存の偏見、嗜好(しこう)、判断を反映するものである。この事実は、共感が無条件に私たちを道徳的にするわけではないことを示す。(88ページ)
●スポットライトの問題の一つは、焦点の狭さだ。またもう一つの問題は、向けた場所しか照らし出さないことである。だからバイアス(偏った見方)の影響を受けやすい。(112~113ページ)
●スポットライト的な性質のゆえに、共感はバイアスの影響を受けやすい。また、焦点の狭さ、特定性、数的感覚の欠如という特質を持つがゆえに、自分の注意を惹くもの、人種の好みなどの影響をつねに受けている。私たちが少なくともある程度の公平さや公正さを保てるのは、共感の作用から免(まぬか)れ、規則や原理、あるいは費用対効果の計算に依拠した場合に限られる。(119ページ)

共感と思いやり――共感と思いやりは独立しており、ときには対立することさえある
●心理学者のヴィッキー・ヘルゲソンとハイディ・フリッツは、「他者に過剰に配慮し、自分のニーズより他者のニーズを優先する」ことを「過度の共同性」(unmitigated communion)と呼んだ。(165ページ)
「共同性」(過度なタイプではなく適切な共同性)が高い人と、「過度の共同性」が高い人の違いはどこにあるのか? どちらのタイプの人々も、他者を気づかう。しかし「共同性」が、配慮や思いやりとも呼べるものに対応するのに対し、「過度の共同性」は共感、もっと正確に言えば共感的苦痛(empathic distress)、つまり他者の苦しみに苦しむことにより強く結びついている。
私は、「過度の共同性」の高さが、共感力の高さとまったく同じであるとは思っていない。とはいえそれらのいずれも、他者との関わりという点では、同じ根本的な脆弱性をもたらす。自身の生活を阻害する過剰な苦痛を本人に引き起こす。(167~168ページ)
●共感と思いやり(compassion)の区別は、非常に重要である。(中略)あるレビュー論文のなかで、神経科学者のタニア・シンガーと認知科学者のオルガ・クリメッキは、この区別について次のように述べている。「共感とは対照的に、思いやりは他者の苦しみの共有を意味しない。そうではなく、それは他者に対する温かさ、配慮、気づかい、そして他者の福祉を向上させようとする強い動機によって特徴づけられる。思いやりは他者に向けられた感情であり、他者とともに感じることではない」。(170ページ)
「感情的な共感は、思いやりの前駆である」「最初に情動的共感を覚えない限り、思いやりを感じることはできない」と主張される。
私たちは一般に、日常生活で情動的共感を特に覚えなくても他者を気づかったり手助けしたりしていることを考えてれば、これらの主張は理解しがたい。(中略)思いやりや親切心は共感から独立しているばかりでなく、それと対立することさえあり、共感感情を抑えたほうが人はより適切に振舞える場合がある。(174ページ)

暴力・残虐性と共感――暴力と残虐性の要因は必ずしも「共感の欠如」ではない
●暴力行為にはさまざまな原因があり、私は犠牲者の苦難に対する共感が、それ以外の原因より重要であると言い張るつもりはない。しかし共感は暴力と無関係ではない。ヒトラーがポーランドに侵攻したとき、彼を支持したドイツ人は、ポーランド人による同胞のドイツ人の殺害や虐待のストーリーに激怒していた。(234ページ)
私は平和主義者ではない。無実の人々の苦難は、アメリカが第二次世界大戦に参戦したときのように、場合によっては軍事介入を正当化すると、私は考えている。それでもやはり、共感は暴力行為を選好する方向へと、あまりにも強く人々を傾(かたむ)かせると言わざるを得ない。共感は私たちが戦争の恩恵を考慮するよう仕向ける。それを通じて被害者のために復讐し、危機に直面している人々を救い出させようとする。(235ページ)

感じることと考えること――「共感」に代わる道徳的指針・行動基準は「理性」である
●情動の本性が過大評価されている。私たちは直観力を備える一方、それを克服する能力(理性的熟慮の能力)を持つ。道徳問題を含めものごとを考え抜き、意外な結論を引き出すことができるのだ。ここにこそ人間の真の価値が存在する。この能力は、人間を人間たらしめ、互いに適正に振舞い合えるよう私たちを導いてくれる。そして苦難が少なく幸福に満ちた社会の実現を可能にする。(14~15ページ)
善き行ないには、あらゆる種類の動機が存在する。それには、より包括的な関心、思いやりなどがある。(中略)また、名声に対する関心、怒りの感情、プライド、罪悪感、信仰、世俗的な信念体系などがある。私たちには、正しい行ないを動機づける要因として、あまりにも性急に共感をあげる傾向があるようだ。(126~127ページ)
善き人であるためには、他者への気づかい、すなわち他者の苦しみを緩和し、世界をよりよい場所にしようとする心構えと、何が最善かを見極められる理性的な能力の組み合わせが必要である。(127ページ)
●「私たちは共感をはじめとする直感の影響を受けても、その奴隷ではない」。開戦するか否かを決定する際に費用対効果分析に依存する、あるいは自分の子どもに愛情を注ぎ、赤の他人には特に何も感じなくても、彼らの命も自分の子どもの命と同じく重要であることを認識するなど、私たちはもっとよいことができる。(258ページ)

〇[1]の原題は、“Against Empathy”(2016)である。一瞬ギョッとするが、ブルームは、“Empathy Is Not Everything”(「共感がすべてではない」)、“Empathy Plus Reason Make a Great Combination”(「共感と理性は偉大な組み合わせをなす」)などといったタイトルでも構わなかった、という。「自立」やそのための「自己決定」「自己責任」が強調される現代社会において、“共感の欠如”、したがって“共感性の強化”“共感力の育成”こそが最大の課題である、と言われる。それは、「共感」が無条件に肯定されていることにもよる。しかし、ことはそれほど単純ではない。「私は共感に反対する」というブルームの「具体的な見解に賛成するにせよ反対するにせよ、情動的に反応するのではなく、それについて理性的に考察し皆で議論することが肝要である」(「訳者あとがき」302ページ)。まさにそれが本書でブルームが説くところである。ブルームの「反共感論は理性の存在を前提とする」(258ページ)。留意したい。

補遺
〇[2]の永井にあっては、「共感」とは「他者の感情経験に直面した人が、認知的および感情的に反応すること」。その「反応に至るまでのプロセス」(33ページ)、である。永井はいう。「共感は、全員ではなく特定の誰かしか照らさない『スポットライト的性質』と、自分にとって照らすべきだと思えた相手しか照らさない『指向性』を持つ」(17ページ)。「共感とは誰かの困難に対してではなく、困難に陥っている自分側(同じグループの仲間)の誰かに作用している。まさに共感は差別主義者なのである」(18ページ)。「共感は一般的に、理性的な『認知的共感』と感情的な『情動的共感』の2つに、機能的に分けられている」(28ページ)。
〇永井は続ける。「多様性とは、自分にとって都合の悪い人の存在を認めることである。『多様性を受け入れることは難しい』という心構えを持つべきである」(161、162ページ)。「共感できない・共感されにくい人をなおざりにしないために、共感に代わるものが必要となる。共感ではなく、地に足のついたリアルな、実体の伴った、権利に対する理性的な眼差し(理性的に、自分の権利と同時に他者の権利を見つめること)こそが、憎悪が渦巻く現代の世界を良くする鍵である」(167~169ページ)。
〇要するに永井にあっては、「共感」とそれに代わるものとして、「理性」と「人権」、人権に対する理性的な理解と反応が重要である。「感情に任せるのではなく、共感の良いところをうまく使いながらも、同時に理性も働かせてその手綱(たづな)をしっかりと持ち、取り残されている人がいないか、対立や分断をどう乗り越えることができるか、などを常々考えることが社会と世界を良くしていくことに繋がる」(180ページ)のである。
〇なお、[2]には、永井と内田樹(うちだ・たつる、思想家)との対談が収録されている。そこで内田はいう。いまの日本社会は、「共感過剰」な社会になっている。共感できる人間だけで固まって、同質的な、集合的共感のようなものを作って、外部の人とのコミュニケーションができなくなってきている。共感や理解をベースにして人間関係を構築するのは危険である。それよりは、「共感も理解もできないけど、目の前に困ってる人がいたらとにかく助ける」(「惻隠の情」)というルールの方が汎用性が高いし、間違いが少ない。惻隠の情が発動するためには、「自分から見て弱者である」こと、「自分の力の範囲内で救うことができると思える」ことの2つの条件がある(191、218、222ページ要約)。参考までに付記しておくことにする。

【初出】
<雑感>(81)阪野 貢/共感≠善:共感は道徳的指針としては不適切である―ポール・ブルーム著『反共感論』読後メモ―/2019年5月15日/本文

 


13  「利他」の学問


<文献>
(1)伊藤亜紗編、・中島岳志・若松英輔・國分功一郎・磯崎憲一郎『「利他」とは何か』集英社新書、2021年3月、以下[1]。
(2)中島岳志『思いがけず利他』ミシマ社、2021年10月、以下[2]。
(3)若松英輔『はじめての利他学』NHK出版、2022年5月、以下[3]。

〇伊藤亜紗は美学者、中島岳志は政治学者、若松英輔は批評家・随筆家、國分功一郎は哲学者、そして磯崎憲一郎は小説家である。分野も背景も異なるこの5名の研究者が、東京工業大学の「未来の人類研究センター」(2020年2月設立)のメンバーとして取り組んでいるのが、「利他」をめぐる問題である。[1]は、「全員ではぐくんできた利他をめぐる思考の、5通りの変奏」であり、いまだその「出発点であり、思考の『種』にすぎない」という(8ページ)。
〇[1]におけるひとつのキーワードは、「うつわ」――「うつわになること」「『うつわ』的利他」である。伊藤は次のようにいう。

利他とは「うつわ」のようなものではないか。相手のために何かをしているときであっても、自分で立てた計画に固執せず、常に相手が入り込めるような余白を持っていること。それは同時に、自分が変わる可能性としての余白でもある。この何もない余白が利他であるとするならば、それはまさにさまざまな料理や品物をうけとめ、その可能性を引き出すうつわのようである。(58ページ。語尾変換)

〇人間は「うつわ」のような存在として生きることによって、「利他」が宿る。こうした人間観を生み出す伊藤の言説は、こうである。利他的な行動には本質的に、「これをしてあげたら相手にとって利になるだろう」という、「私の思い」が含まれている。その「私の思い」は私の思い込みでしかなく、「自分の(利他的な)行為の結果はコントロールできない」、すなわち見返りは期待できない(「利他の不確実性」)。自分の利他的な行為は、相手は「喜ぶはずだ」「喜ぶべきだ」という押しつけが始まるとき、人は利他を自己犠牲と捉えており、その見返りを相手に求めていることになる。その点において、利他的な「思い」や「行為」は、相手をコントロールしたり、支配することにつながる危険をはらんでいる。そうならないためには、相手を「信頼」してその自律性を尊重し、相手の言葉や反応を「聞く」ことを通じて相手の潜在的な可能性を引き出すこと、すなわち相手の力を信じることが必要不可欠となる。それは、「こちらには見えていない部分がこの人にはあるんだ」という距離と敬意を持って、相手を気づかうこと(「ケア」)である。この他者への気づかい、すなわち「ケアとしての利他」は、相手の隠れた可能性を引き出すこと(「他者の発見」)になり、それは同時に自分が変わること(「自分の変化」)になる。そのためには、こちらから善意を押しつけるのではなく、相手を信頼し、利他の結果の可能性や意外性を受け入れる、うつわのような「余白」を持つことが必要となる。この自由な余白、スペースは、とくに複数の人が「ともにいる」ことをかなえる場面で重要な意味を持つ(50~56、59ページ)。
〇筆者の手もとに、中島岳志著『思いがけず利他』(ミシマ社、2021年10月。以下[2])という本がある。中島は[1]の著者のひとりである。[2]において中島は、「利他の本質に『思いがけなさ』ということがある。利他は人間の意思を超えたものとして存在している」(6ページ)と説く。具体的にはこうである。「利他は自己を超えた力の働きによって動き出す(「縁起による業」:私はさまざまな縁によって(縁起的現象として)存在している)。利他はオートマティカルなもの(意思を超えたもの)。利他はやって来るもの(利他の与格性)。利他は受け手によって起動する(利他は事後的)。そして、利他の根底には偶然性の問題がある(利他の偶然性)」(174ページ。括弧内は筆者)。
〇[2]のうちから、中島の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「共感」が利他的行為の条件となったとき、「別の規範」が起動し「共感される人間」になることが求められる
通常、利他的行為の源泉は、「共感」にあると思われている。/他者への共感、そして贈与(利他)。この両者のつながりは非常に重要である。(21ページ)/しかし、共感が利他的行為の条件となったとき、例えば重い障害のある人たちのような日常的に他者からの援助・ケアが必要な人は、「共感されるような人間でなければ、助けてもらえない」といった思いに駆(か)られる。/他者に自分の苦境を伝えることが苦手な人、笑顔を作ることが苦手な人、人付き合いが苦手な人。人間は多様で、複雑である。だから「共感」を得るための言動を強(し)いられると、そのことがプレッシャーとなり、精神的に苦しくなる人は大勢いる。/そもそも「共感される人間」にならなければならないとしたら、自分の思いや感情、個性を抑制しなければならない場面が多く出てくる。(22ページ)/「共感」されるために我慢を続ける。自分の思いを押し殺し続ける。むりやり笑顔を作る。そうしないと助けてもらえない。そんな状況に追い込むことが「利他」の影で起きているとすれば、問題は深刻である。(23ページ)/さらに、「より深い共感」を利他の条件にしてしまうと、今度は自分の思っていることや感情を露わにしなければならないという「別の規範」が起動してしまう。そうすると、「自分をさらけ出さないと助けてもらえない」という新たな恐怖が湧き起こってくる。(24ページ)

利他の主体はどこまでも受け手側にあり、その意味において私たちは利他的なことを行うことはできないのである
特定の行為が利他的になるか否かは、事後的にしかわからない。いくら相手のことを思ってやったことでも、それが相手にとって「利他的」であるかはわからない。与え手が「利他」だと思った行為であっても、受け手にとってネガティブな行為であれば、それは「利他」とは言えない。むしろ、暴力的なことになる可能性もある。いわゆる「ありがた迷惑」というものである。/つまり、「利他」は与えられたときに発生するのではなく、それが受け取られたときにこそ発生するのである。自分の行為の結果は、所有できない。あらゆる未来は不確実である。そのため、「与え手」の側は、その行為が利他的であるか否かを決定することができない。あくまでも、その行為が「利他的なもの」として受け取られたときにこそ、「利他」が生まれるのである。(122ページ)/受け手が相手の行為を「利他」として認識するのは、その言葉(や行為など)のありがたさに気づいたときであり、発信と受信の間には長いタイムラグがある。(128ページ)/つまり、発信者にとって、利他は未来からやって来るものである。また、発信者を利他の主体にするのは、どこまでも、受け手の側であるということである。この意味において、私たちは利他的なことを行うことができないのである。/発信者にとって、利他は未来からやって来るものであり、受信者にとっては、「あのときの一言」(や「あのときの行為」)のように、過去からやって来るもの。これが利他の時制である。(132ページ)

利他的になるためには「偶然の自覚」に基づいて器(うつわ)のような存在になり、与格的主体を取り戻すことが必要である
私という存在は、突然、根拠なく与えられたものである。あらゆる存在は、自己の意志によって誕生したのではなく、意志の外部の力によってもたらされたものである(与格的な存在)。ここに存在の被贈与性という原理がある。/そして、誕生以降も私という存在の奇跡は続く。今の私は、様々な偶然性の奇跡的な組み合わせによって成立している。私という個性は、単純な因果関係では説明できない天文学的な縁起によって構成されている。(150ページ)/この「私が私であることの偶然性」についての自覚が、「自分が現在の自分ではなかった可能性」「私がその人であった可能性」へと自己を開くことになる。(143ページ)/この「偶然の自覚」が他者への共感や寛容へとつながり、連帯意識を醸成し、「利他」が共有される土台を築くことになる。(143、145ページ)/ここで重要なのは、私たちが偶然を呼び込む器(うつわ)になることである。偶然そのものをコントロールすることはできない。しかし、偶然が宿る器になることは可能である。(176ページ)/そして、この器にやって来るものが「利他」である。器に盛られた不定形の「利他」は、いずれ誰かの手に取られる。その受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿を現し、起動し始める。/このような世界観のなかに生きることが、「利他」なのである。/だから、利他的であろうとして、特別のことを行う必要はない。毎日を精一杯生きることである。私に与えられた時間を丁寧に生き、自分が自分の場所で為(な)すべきことを為す。能力の過信を諫(いさ)め、自己を超えた力に謙虚になる。その静かな繰り返しが、自分という器を形成し、利他の種を呼び込むことになるのである。(177ページ)

〇筆者の手もとに、若松英輔著『はじめての利他学』(NHK出版、2022年5月。以下[3])という本がある。若松も[1]の著者のひとりである。若松はいう。人と人との「つながり」が問われている今日、「私たちがもう一度、他者とともに生きるために『つながり』を持続的に深めるには何が必要か。この問題を解く鍵語(キーワード)として考えてみたいのが『利他』である」(6ページ)。そして若松は、[3]において、日本仏教の視座から最澄や空海、儒教のそれから孔子や孟子、西洋哲学からフランスのオーギュスト・コント(1798年~1857年)やアラン(本名:エミール=オーギュスト・シャルティエ、1868年~1951年)らの「利他」の思想を取りあげる。とともに、「利他を生きた人たち」として吉田松陰や西郷隆盛、二宮尊徳、中江藤樹らの「利他」の哲学を紹介し、論述する。そのうえで若松は、ドイツの心理学者・哲学者であったエーリッヒ・フロム(1900年~1980年)の『愛するということ』(1956年)を読み解き、「自分を愛すること」、すなわち「自分を深く信頼すること」が「利他」につながる、と主張する。次の一節が若松の結論である。

自分で自分のことを愛することができれば、その人は自分を固有なものにできる。そして、そのうえで誰かのことを愛することができれば、その人は他人のことを固有な存在として認めることができる。自分自身が固有であると知ることは、他者が固有であると知ることである。それはすなわち自他ともに等しい存在であることを経験するということでもある。/愛を通して利他を考えるとき、私たちは愛の前で等しくなければならない。Aさんのことは愛せて、Bさんのことは愛せないのであれば、それは利他がうまく働いている状態とはいえないのである。/利他には等しさが必要である。そして、そのためにはまず、他者を愛するように、自分を愛し、信じることが大切なのである。/(人は唯一無二の存在であることを認め、自他を愛するという)真の意味の「愛」があるとき、そこに在るものはすべて等しくなる。ただ人間であるというそのことにおいて、等しく貴い存在になる、のである。(118~119ページ。語尾変換)

〇前述の[1]で伊藤は、障がい者へのインタビューを通じて、こう語る。晴眼者が視覚障がい者に先回りしてことこまかに道案内をするとき、それはしばしば「善意の押しつけ」になってしまう。それは、視覚障がい者にとっては、「障がい者を演じること」が求められることになり、自分の聴覚や触覚を使って自分なりに世界を感じることができなくなってしまう。それはまた、障がい者が「健常者の思う『正義』を実行するための道具にさせられてしまう」(47ページ)ことになる。さらに伊藤は、認知症当事者の言として、こういう。認知症の当事者がイライラし怒りっぽいのは、支援や援助を求めていないのに周りの人が助けすぎるからではないか(46~48ページ)。福祉教育の実践・研究において、深く留意したい点である。
〇なお、筆者はしばしば、とりわけ福祉教育実践をめぐって「思いやり」と「思い違い」「思い上がり」はときとして紙一重(かみひとえ)であり表裏一体である、と語ってきた。ここで改めて強く認識したい。
〇加えて、次のことを付言しておきたい。人間は日常生活や社会生活を営むうえで何らかの支援や援助を受けるに際して、「たすけられ上手・たすけ上手に生きる」ことが問われることがある。その際の「たすけられ上手」とは、  甘え上手や集(たか)り上手ではないのは当然のことながら、社会(世間、財界)や支援者・援助者が期待し求める「たすけられ上手を演じる(あるいは演じさせられる)こと」(演じるさまや人)であってもならない。

【初出】
<雑感>(181)阪野 貢/「利他」再考の3冊:利他は事後的であり、利他的になろうとする作為は利他を遠ざける ―中島岳志著『思いがけず利他』等のワンポイントメモ―/2023年7月15日/本文

 


14 “Well-being”  の視点


“Well-being”  の視点【その1】

<文献>
(1)マーティン・セリグマン、宇野カオリ監訳『ポジティブ心理学の挑戦―“幸福”から“持続的幸福”へ―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年10月、以下[1]。
(2)前野隆司『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門―』講談社現代新書、2013年12月、以下[2]。
(3)前野隆司『実践・脳を活かす幸福学 無意識の力を伸ばす8つの講義』講談社、2017年9月、以下[3]。
(4)前野隆司・前野マドカ『ウェルビーイング』日経文庫、2022年3月、以下[4]。
(5)前野隆司『ディストピア禍の新・幸福論』プレジデント社、2022年5月、以下[5]。
(6)渡邊淳司・ドミニク=チェン監修・編著『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』ビー・エヌ・エヌ、2020年3月、以下[6]。
(7)石川善樹・吉田尚記『むかしむかし あるところに ウェルビーイングがありました―日本文化から読み解く幸せのカタチ―』KADOKAWA、2022年1月、以下[7]。

「ウェル・ビーイングとは、個人の権利や自己実現が保障され、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあることを意味する概念」である(厚生労働省『雇用政策研究会報告書』、2019年7月、1ページ)
「ウェルビーイングとは『健康』と『幸せ』と『福祉』のすべてを包む概念」である(前野隆司・前マドカ:下記[2]18ページ。注①)
「持続的ウェルビーイングは、人間が心身の潜在能力を発揮し、意義を感じ、周囲の人との関係のなかでいきいきと活動している状態」を示す包括的な概念である(渡邊淳司・ドミニク=チェンほか:下記[6]30ページ)

〇筆者(阪野)はかねてより、「福祉」を、キャッチフレーズ的に「だんの らしの あわせ」について「みんなで考え、みんなで汗を流すこと」を意味する言葉として、「ふくし」と表記してきた。その際、「しあわせ」についても簡潔に、「みんなが 満足していて 楽しいこと」と言ってきた。それは、個人のひと時の気分や感情に留まるものではなく、人生という長い期間にわたる「しあわせ」であり、しかも「みんなが」社会的に「良好な状態」にあることを含意するものとして考えてきた。近年、いろいろな分野で多用さ、注目を集めている “ Well-being”「ウェルビーイング」に通じる。(注②)
〇ウェルビーイングという言葉は、1946年7月に設立された世界保健機関(WHO)の世界保健憲章(1948年4月発効)のなかで使われたのが最初であると言われている。“ Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. ”「健康とは、病気ではないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいう」がそれである。ここでは、“ well-being ”は「満たされた状態」と訳される。また、1946年11月に公布、翌1947年5月に施行された日本国憲法は、その第13条で幸福追求権について謳っている。「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」がそれである。ここでは、「幸福追求」は公式には、“ pursuit of happiness ”と訳される。すべて国民は、第25条に基づく健康で文化的な最低限度の生活保障とともに、第13条が謳う幸福を追求し自己実現を図る基本的権利を有するのである。
〇時を経て、2015年9月、国連サミットで2030年を目標年次とする「持続可能な開発目標」(SDGs:Sustainable Development Goals)が採択された。SDGs には、17のゴールと169のターゲットがある。3番目のゴールとして、“ Good Health and Well-Being ”「すべての人に健康と福祉を」が明記されている。ちなみに、1番目のゴールは“No Poverty”「貧困をなくそう」、2番目のそれは“Zero Hunger”「飢餓をゼロに」である。
〇このように、ウェルビーイングは古くて新しい言葉である。とりわけここ数年来のコロナ禍によって、改めて「健康」(health)や「幸せ」(happiness)、「福祉」(welfare)や「豊かさ」(richness)などに対する意識や価値観が変化し、働き方(雇用形態)や企業経営(健康経営)のあり方が問われることになる。それをひとつの要因や背景として、ウェルビーイングへの注目が拡大し、研究が進展している。ちなみに、2021年12月に「ウェルビーイング学会」が発足し、2022年1月に新聞紙上に「今年をウェルビーイング元年に」(注③)という記事が載った。そして、2024年4月には武蔵野大学に日本初(世界初)となる「ウェルビーイング学部」が開設される。「ウェルフェア(Welfare)からウェルビーイング(Well-being)へ」という新しい時代の幕開けであろうか。なお、このフレーズは、1994年3月に上梓された高橋重宏の著作『ウェルフェアからウェルビーイングへ―子どもと親のウェルビーイングの促進:カナダの取り組みに学ぶ』(川島書店)にみられる。
〇筆者(阪野)の手もとに、ポジティブ心理学(ウェルビーイングの実現を志向する心理学)の創始者と評されるアメリカの心理学者マーティン・セリグマン(Martin E. P. Seligman)の本――『ポジティブ心理学の挑戦―“幸福”から“持続的幸福”へ―』(宇野カオリ監訳、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2014年10月。以下[1])がある。[1]でセリグマンは、「ウェルビーイングの5つの要素」として有名な「PERMA(パーマ)」という指標について論述する(33~53ページ)。P:ポジティブ感情(Positive Emotion)、E:エンゲージメント(Engagement)、R:関係性(Relationships)、M:意味・意義(Meaning)、A:達成(Achievement)、がそれである。
〇「PERMA」すなわちウェルビーイングの状態について平易・簡潔に言えばこうであろう。次のような人は幸せである、という。(下記[4]参照)。

マーティン・セリグマン/「ウェルビーイングの5つ要素」
P:「ポジティブ感情」 嬉しい、楽しいなど、ポジティブな感情を持つ人。
E:「エンゲージメント」 物事に関わり、それに没頭したり夢中になる人。
R:「関係性」 援助や協力など、他者とのつながりやよい関係性を持つ人。
M:「意味・意義」 人生の意味・意義について自覚したり社会貢献する人。
A:「達成」 何かを達成(成功)するとともに、達成のために努力する人。

〇そして、セリグマンはいう。「幸せとは自分が気持ちよく感じることであり、人生の方向性はその気持ちよさを最大限にしようとすることで決まるとする。/ウェルビーイングとは、自分の頭の中だけで存在するわけにはいかないものだ。ウェルビーイングは、気持ちよさと同時に、実際には意味・意義、良好な関係性、および達成を得ることが組み合わさったものなのだ。人生の選択は、これら5つの要素すべてを最大化することで決まる」(50ページ)。
〇筆者の手もとに、日本における幸福学研究の第一人者と評される前野隆司の「ウェルビーイング」に関する本が4冊ある(しかない)。(1)『幸せのメカニズム―実践・幸福学入門―』(講談社現代新書、2013年12月。以下[2])、(2)『実践・脳を活かす幸福学 無意識の力を伸ばす8つの講義』(講談社、2017年9月。以下[3])、(3)前野マドカとの共著『ウェルビーイング』(日経文庫、2022年3月。以下[4])、(4)『ディストピア禍の新・幸福論』(プレジデント社、2022年5月。以下[5])、がそれである。
〇前野によると、ウェルビーイング(幸福)研究には、各人の主観的な幸福感を統計的・客観的に計測する「主観的幸福研究」と、収入や学歴、生活状況や健康状態などの客観的なデータを使って間接的に幸福を計測する「客観的幸福研究」がある([2]33~34ページ)。
〇前野は、主観的幸福研究をベースに、ウェルビーイングな状態でいるために必要な因子――「幸せの4つの因子」について探究する。次がそれである([2]96~113ページ、[3]98~113ページ、[4]72~75、87~92ページ、[5]119~140ページ)。

前野隆司/「幸せの4つの因子」
第1因子:「やってみよう」因子(自己実現と成長の因子)
やりがいや強みを持ち、主体性の高い人は幸せである。
・コンピテンス(私は有能である)
・社会の要請(私は社会の要請に応えている)
・個人的成長(私のこれまでの人生は、変化、学習、成長に満ちていた)
・自己実現(今の自分は「本当になりたかった自分」である)
第2因子:「ありがとう」因子(つながりと感謝の因子)
つながりや感謝、あるいは利他性や思いやりを持つ人は幸せである。
・人を喜ばせる(人の喜ぶ顔が見たい)
・愛情(私を大切に思ってくれる人たちがいる)
・感謝(私は、人生において感謝することがたくさんある)
・親切(私は日々の生活において、他者に親切にし、手助けしたいと思っている)
第3因子:「なんとかなる」因子(前向きと楽観の因子)
前向きかつ楽観的で、何事もなんとかなると思える、ポジティブな人は幸せである。
・楽観性(私はものごとが思い通りにいくと思う)
・気持ちの切り替え(私は学校や仕事での失敗や不安な感情をあまり引きずらない)
・積極的な他者関係(私は他者との近しい関係を維持することができる)
・自己受容(自分は人生で多くのことを達成してきた)
第4因子:「ありのまま」因子(独立とマイペースの因子)
自分を他者と比べすぎず、しっかりとした自分らしさを持っている人は幸せである。
・社会的比較志向のなさ(私は自分のすることと他者がすることをあまり比較しない)
・制約の知覚のなさ(私に何ができて何ができないかは外部の制約のせいではない)
・自己概念の明確傾向(自分自身についての信念はあまり変化しない)
・最大効果の追求のなさ(テレビを見るときはあまり頻繁にチャンネルを切り替えない)

〇そして、前野はいう。これらの4つの因子(第1因子:主体的に生きる、第2因子:共に生きる、第3因子:未来を信じる、第4因子:他人と自分を比べない)を意識しながら行動していけば、どんな人でも自分らしい幸せを掴むことができる。しかし、現代社会・世界は、利己主義から利他主義まで、民主主義から専制主義まで、個人主義から全体主義まで、経済成長から脱成長まで両極化しつつあり、バラバラのカオス(混沌)になりつつある。こうした混迷と分断の「ディストピア禍」において、多様な価値観を持つ人々がつながり合い、利他の精神を築き、より調和的な社会・世界をめざすためには、他者を「想像し、許し、信じ、対話する」ことからはじめる以外に解決策はない([5]141~147ページ)。
〇筆者の手もとにもう1冊、渡邊淳司・ドミニク=チェン監修・編著の『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうために―その思想、実践、技術』(ビー・エヌ・エヌ、2020年3月。以下[6])という本がある。「ウェルビーイングとは、『わたし』が一人でつくりだすものではなく、『わたしたち』が共につくりあうものである」(2ページ)というのが、[6]のシンプルなメッセージである。すなわち、「個でありながらに共」という日本的なウェルビーイングのあり方について探究する([6]帯)。
〇[6]では、単数形の「わたし」ではなく、複数形の「わたしたち」のウェルビーイングを想定する。そして、「『わたしたち』のウェルビーイングとは『競争』するものではなく、『共創』するものなのだ。(中略)『わたし』のウェルビーイングを追い求めつつ、『わたしたち』のウェルビーイングを共につくりあう、重層的な認識によってウェルビーイングを捉えていく必要がある」(4ページ)と説く。渡邊・チェンらにあっては、「効率性」や「経済性」といった既存の「ものさし」にとらわれた個人主義的(individualistic)な「わたし(個)のウェルビーイング」だけでなく、人と人とのあいだにウェルビーイングが生じると考える集産主義的(collectivistic)な「わたしたち(共)のウェルビーイング」(32ページ)も、「人それぞれの心を起点とした新しい発想の『コンパス』となる」(3ページ)。それによって、「コミュニティと公共」というより広い視点からのウェルビーイングについても論じることになる。そして、ウェルビーイングに配慮した新しい社会像をめざすことができるのである(3~6ページ)。
〇渡邊・チェンらによると、ウェルビーイング(心身がよい状態)には3つの側面・領域がある。心身の機能が不全でないか、病気でないかを問う医学の領域である「医学的ウェルビーイング」、その時の気分の良し悪しや快・不快など、一時的かつ主観的な感情に関する領域である「快楽主義的ウェルビーイング」、心身の潜在能力を発揮し、周囲の人との関係のなかで意義を感じている「いきいきとした状態」を指す「持続的ウェルビーイング」がそれである(20、30ページ)。すなわち、健康で、心地よく、周囲の人との関係のなかで意義を感じいきいきと活動している状態をウェルビーイングというのである。そして「近年は、医学的もしくは快楽主義的なものではなく、ウェルビーイングを持続的かつ包括的に捉えようとする考えが主流となっている」(20ページ)。
〇次いで[6]では、持続的ウェルビーイングを生み出しその向上を図るためには、他者との関係性のなかでどのような働きかけ(「配慮」)をすべきか(「ウェルビーイング向上のために他者が介入する際、留意すべき点」45ページ)、について説く。以下がその要点である(45~49ページ)。

渡邊淳司・ドミニク=チェン/「ウェルビーイングを生み出すための6つの配慮」
個別性への配慮
何よりも意識すべきは、「私とあなたは違う」という点である。ウェルビーイングの要因の重要度は、個人によってやその人のライフステージによっても変化する。
自律性への配慮
ウェルビーイングは誰かに与えるものではなく、自身で気づき、行動するものである。他者に働きかける際には、いくつかの選択肢を用意し、相手に一定の自律性を担保することが望まれる。
潜在性への配慮
「ふとした瞬間に感じる気持ち良さ」や「ちょっとした違和感」など、潜在的には存在しているが自覚されていない情報や感覚体験をすくい上げ、それらに目を向ける。
共同性への配慮
人間は他者との関係性のなかで生きている。当事者間に深い共感や価値観の共有をもたらすものに取り組んだり、体験したりする。
親和性への配慮
ポジティブ感情には、興奮を伴うポジティブ感情と、平穏や思いやり、愛といったリラックスするそれがある。現代社会は前者に偏っており、両方のポジティブ感情のバランスを取ることが望まれる。
持続性への配慮
ウェルビーイングは、短期的あるいは長期的な目標設定をすることだけでなく、その過程の充実によって持続性を作り出すことが重要になる。

〇そして、渡邊・チェンらは「コミュニティと公共のウェルビーイング」についていう。インターネットの普及などによって、コミュニティのあり方が揺れ動いている。そんななかで、「公共のウェルビーイング」について考える際、「存在論的安心」「公共性」「社会創造ビジョン」という3つの要因が重要となる。「存在論的安心」とは、自身や自分を取り巻く環境や世界が安定的・継続的に存在し、それに対する確信や信頼のことを指す。「公共性」とは、多様な人々が共に生きられる公共の場(空間)を、一人ひとりのボトムアップな動きによって創り出すことをいう。そしてこの2つを前提に、自分たちが自律的に活動することによって新たなイノベーションが生まれ、社会創造が実現する(「社会創造ビジョン」)。それは自己効力感や達成感を得る機会になり、一人ひとりのウェルビーイングを高めていく。要するに、「コミュニティと公共のウェルビーイング」を実践していくことは、新たな社会や未来を構想し創造することそのものなのである(63~75ページ)。
〇この点(地域コミュニティにおけるウェルビーイング)は、住民個々人のウェルビーイングと集合的なウェルビーイング(コミュニティ・ウェルビーイング)を実現していく「まちづくり」や、そのための教育(「市民福祉教育」)に通じることになる。例によって唐突であるが、指摘しておく。
〇さらに筆者の手もとにもう1冊、石川善樹・吉田尚記の『むかしむかし あるところに ウェルビーイングがありました―日本文化から読み解く幸せのカタチ―』(KADOKAWA、2022年1月。以下[7])という本がある。[7]では、「日本の文化と風土を前提にしたウェルビーイングへの道とは何か」について、「古事記」や「日本昔ばなし」などから読み解く。そこから得られた「教訓」は次の5つである。

石川善樹・吉田尚記/「昔話と古典から学ぶウェルビーイング5つの教訓」
(1)上より奥を見る:上ばかりを見て焦るのではなく、あえて視点を外してみる。
(2)ハプニングを素直に受け入れてみる:突発的なトラブルや出来事と楽しみながら向き合ってみる。
(3)人間は多面体であることが当然という認識に立ち戻る:人間は本来、多面的な顔、矛盾した性質を持っていることを再認識する。
(4)自己肯定感の低さにとらわれすぎない:日本人には謙遜の精神が根付いているが、自己肯定感への執着を手放す。
(5)他者の愚かさを許し、寛容に受け入れる姿勢を身につける:自分と他者に寛容になる。

〇石川・吉田は、この5つの教訓が「現代人のウェルビーイングの素地になる」という(156~159ページ)。
〇なお、上述の[6]では、日本的ウェルビーイングの特徴として、次の3点を指摘している。(1)自律性(自分の周りの環境に対し主体能動性を感得できる)、(2)思いやり(自己のウェルビーイングのみならず周りの他者のそれにも寄与できる)、(3)受け容れ(自律性と他者の存在が調和し現在のポジティブ・ネガティブの双方を含む状況を受け容れられる)、がそれである(56~57ページ)。
〇冒頭で記したように、ウェルビーイングは、身体的、精神的、社会的に満たされている良好な状態にあることを意味する。すなわち、ウェルビーイングは、「豊かさ」を考えるためのキーワードである。その点をめぐって、筆者はこれまで、「豊かさ」を獲得・実現するための条件について言及してきた。ここでそれを再認識(再確認)しておくことにする。

阪野 貢/「豊かさ」を獲得・実現するための5つの条件
(1)基本的人権の尊重や自由・平等と民主主義の確保を前提に、人々の個別具体的な発達保障と生活保障の具現化と共生や支え合いの創出が図られること。
(2)すべての人が個性的・創造的に自分を生きる(生き抜く)ために多様な選択肢が準備され、その選択の自己決定やそのための支援がなされること。
(3)自分の生きがいや自己実現のための活動にとどまらず、他者や地域・社会のための、社会変革を進める社会貢献活動(共働活動)に参加できること。
(4)そのための個人的な尊敬と信頼に基づく熟議やさまざまな知識や経験による想像力と創造力によって、明るい社会と未来(希望)が開拓・共創されること。
(5)以上のことを可能にし、相互支援と相互実現、地域・まちづくり、社会変革と社会創造を推進するための教育・学習(市民福祉教育)が、すべての人の生涯にわたって自律的・主体的に行われること。


➀ 図1は、前野隆司・前野マドカの「ウェルビーイングの定義」を図示したものである。図2は、2010年12月に内閣府に設けられた「幸福度に関する研究会」(2010年~2013年)が、「幸福度指標試案」の構成要素を体系図として描いたものである。参考に供しておく。図2では、「幸福度」指標を「主観的幸福感」と、それを支える3つの柱として「経済社会状況」「(心身の)健康」「関係性」を含めて考えている。また、地球温暖化や大気汚染などの環境面の「持続可能性」についても重視している。

 図1 ウェルビーイングとは何か


② 平仮名表記の「ふくし」については、例えば、松岡広路の論考「<ふくし>を実質化する福祉教育・ボランティア学習とは」『ふくとし教育』通巻36号、大学図書出版、2023年9月、62~63ページ、が興味深い。松岡はいう。<ふくし>とは、「あらゆる人が、多元的課題を内包する日常生活を基点に、臨床的かつ集合的に幸福を追求するとともに、マジョリティ文化のなかで当たり前とされてきた社会の在り方・生き方およびその根底の価値を、生活者としての視点で疑い、その変容を促す主体となるような総合的な営為」(64ページ)である。簡潔に言えば、「あらゆる人が、幸福や命をめぐる学びの中で、現代の生き方・ライフスタイルを批判的に再構築し社会を変えるという、人間らしさの本源を問う営みである」(6ページ)。

③ 「今年をウェルビーイング元年に」(日経電子版/2022年1月5日)

【初出】
<雑感>(193)阪野 貢/“ Well-being ” 考―「しあわせ」の構成要因に関するワンポイントメモ―/2023年12月12日/本文

 

“Well-being”  の視点【その2】

<文献>
(1)草郷孝好『ウェルビーイングな社会をつくる―循環型共生社会をめざす実践』明石書店、2022年7月、以下[1]。

〇2015年9月、ニューヨークの国連本部で開催された「国連持続可能な開発サミット」(United Nations Sustainable Development Summit)で、2030年を目標年次とする「持続可能な開発目標」(SDGs:Sustainable Development Goals)が採択された。それは、「誰一人取り残さない(no one will be left behind)」持続可能な社会の実現をめざす世界共通の目標である。
〇筆者(阪野)の手もとに、草郷孝好著『ウェルビーイングな社会をつくる―循環型共生社会をめざす実践』(明石書店、2022年7月。以下[1])という本がある。
〇[1]で草郷は、「誰一人取り残さない」持続可能な社会を実現するためには、社会発展モデル(経済・社会システム)を従来の「経済成長モデル」から「ウェルビーイングモデル」へ転換して「循環型共生社会」を切り拓くことが必要かつ重要であるとする。そして、そのためには、労働・教育・医療・環境・経済・社会に関する政策をウェルビーイングモデルに基づいたものに転換する必要があるとし、その処方箋を提示する。例えば、経済効率をあげる人材育成のための競争教育(偏差値教育)から、主体的に物事に取り組む力や他者に共感し協働する力を涵養していく「共創・共修学習」への転換や(152ページ)、地域づくりについて「行政が企画して、住民が参加する」という「市民参加」から、「住民の主体的活動を柱にして、行政がそれを支援する」という「行政参加」への転換(183ページ)、などがそれである。
〇「経済成長モデル」は一般的に、人間の物質的な豊かさを追求する経済成長のために生産活動の維持・拡大を図り、経済的利益を最優先する社会発展モデルをいう(大量生産、大量消費、大量破棄によって維持されてきた経済システム)。草郷にあっては、「ウェルビーイングモデル」とは、一人ひとりの人間が身体的・精神的・社会的に良好な状態を維持するために、自身が持っている「潜在能力」を活かし、充足度の高い生き方を選択し、追求できる社会発展モデルをいう(114ページ)。そして、「循環型共生社会」とは、ウェルビーイングを大切にし、経済の持続的成長と環境の持続的保全を図る循環型経済と、誰もが人間らしく生活でき、多様性と人権を認め合う思いやりのある共生社会の持続的発展がバランスよく保たれる社会像(99ページ)、循環型経済と共生社会の2つを併せ持つ社会像(15ページ)をいう。
〇以下では例によって、「まちづくりと市民福祉教育」を射程に入れながら、[1]における草郷の「ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会」に関する言説や論点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

SDGsと循環型共生社会
SDGsが掲げる「誰一人取り残さない持続的な社会」とは、
(1)誰もが安心して人間らしい生活のできる社会(人間らしい生活)
(2)お互いを認め合い多様性を大切にする共生社会(多様性重視)
(3)循環型経済によって環境と共存する持続可能な社会(環境との共存)
この3つの条件をすべて備えた「循環型共生社会」である。(26ページ)/別言すれば、循環型共生社会は、環境と調和し、経済と環境の両立をめざす循環型経済システムと、すべての人に基本的な生活と人権の保障(憲法25条の生存権)をめざす共生社会システムを両輪とする。(103ページ)

ウェルビーイングモデルと社会的共通資本
循環型共生社会を実現するためには、社会発展モデルを従来の「経済成長モデル」から「ウェルビーイングモデル」に転換する必要がある。(103ページ)/ウェルビーイングモデルは、日本の経済学者である宇沢弘文が提起した「社会的共通資本」(Social Overhead Capital)を土台として成り立つ。(123ページ)/宇沢がいう社会的共通資本は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。それは、大気、森林、河川、水、土壌などの「自然環」、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの「社会的インフラストラクチャ―」、教育、医療、司法、金融制度などの「制度資本」の3つの大きな範疇にわけて考えることができる。(124ページ、図1参照)

ウェルビーイングモデルと潜在能力アプローチ
ウェルビーイングモデルは、インドの経済学者であるアマルティア・セン(Amartya Sen)が提唱した「潜在能力アプローチ」(capability approach、ケイパビリティアプローチ)を大黒柱として成り立つ。(116ページ)/センは、誰もが真の自由を保障される社会こそ、よりよい生き方を選択できるウェルビーイングの高い社会であると考える。“真の自由”とは、誰もが自分の持っている素質や可能性に気づき、それを伸ばしていくことによって、充足度の高い生き方を自ら選択できる自由のことである。(116ページ)/潜在能力アプローチのもう一人の提唱者であるアメリカの哲学者マーサ・ヌスバウム(Martha Craven. Nussbaum)は、「善く生きる」ためには、安定した経済基盤を持つだけではなく、社会的包摂、政治的参加の保障、多様な文化を認め合う社会での暮らしが欠かせない。善く生きて、幸せな人生を送るには、個人と社会の両方が密接に関係し合っていると考える。(118~119ページ)/ヌスバウムにあっては、人間は、生まれた時から備わっている生来の潜在能力(基礎的潜在能力)と、その潜在能力を個人の努力や周りの支援によって磨き・伸ばす(内的潜在能力)とともに、それを発揮できる多様な選択肢を保障する社会を実現すること(結合的潜在能力)によって「善く生きる」ことができるのである。(118~120ページ、図1参照)

内発的地域協働と地域づくり
地域の社会変革には、地域住民が社会のあり方を思い描き、未来ビジョンを構想することが大きな力になる。そして、未来ビジョンの実現には、地域に関わるさまざまな当事者(stakeholder、ステークホルダー)の主体的な地域協働が欠かせない。(169ページ)/地域のステークホルダーが主体的に地域協働していくことを「内発的地域協働」という。(171ページ)/イギリスの国際開発省(DFID:Department for International Development、1997年~2020年)は、持続的に生活改善を図るためには地域協働が不可欠とし、地域協働を醸成するために、「当事者主体の地域協働を醸成するための6つのポイント」に集約し、実行に移した。
(1)当事者目線で問題に向き合う
(2)当事者自身が問題解決に動く
(3)当該地域と地域外との関係を意識する
(4)行政と市民の協働
(5)制度、社会、経済、環境の持続性
(6)柔軟で長期的な視点を持つ
がそれである。/これらからいえるのは、当事者目線と当事者行動が重要であること、地域間の連携が大切であること、地域の当事者同士の協働が必要であること、中長期の視点を持って地域協働に取り組むことである。地域社会を変えていくためには、長期的視点に立ち、当事者目線、当事者協働、地域間連携という形で地域協働を推し進めていくことが重要なのである。(171~172ページ)

循環型共生社会への変革のポイント
地域レベルで、ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会に舵取りしていくためのポイントは、次の2点である。
(1)変革の方向性を打ち出すリーダーの存在
地域社会の変革に欠かせないのは、どのような社会を構想し、当事者である住民の参画意識を引き出し、協働をリードする優れたリーダーの存在である。
(2)当事者の地域協働と行政参加への切り替え
行政は、まちづくりの主役である住民のアイデアや動きにアンテナを張り、それらのパートナーとして参加していく行政参加に切り替えていくことが必要である。(205~207ページ)

ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会に変革していくために、私たちが取り組むべき重要なポイントは、次の3点である。
(1)循環型共生社会への地域変革ビジョンを構想し、推進する
地域の当事者が、地域社会の将来ビジョンを描き、それを実現するために行動していけるかどうかがカギを握る。
(2)地域独自の文化、歴史、智慧を活かし個性ある循環型共生社会をつくる
循環型共生社会は、地域固有の環境、生活文化、地域の歴史、そして、地域住民がつくりだしてきたさまざまな智慧を活かして、持続的な社会の実現をめざしていく。
(3)循環型共生社会の暮らしを日常生活に取り込んでいく工夫と協働を楽しむ
循環型共生社会の実現には、日頃の生活を見直して、自ら生活を変えていくことが必要であり、そのために、住民同士が対話し、協働することで、生活の拠点である地元をかけがえのない共通の場(コモンズ)として育てていく。(213~215ページ)

〇草郷は、「社会的関係資本」と「潜在能力アプローチ」そして「内発的発展論」(内発的地域協働)を援用して、経済成長モデルからウェルビーイングモデルへの転換を図り循環型経済システムと共生社会システムを併せ持つ循環型共生社会の実現を提唱する(図2参照)。そして草郷はいう。「私たち自身が社会を変えていく当事者であることを自覚し、小さなことから協働、対話、共創によって自分事として何かを変えていくことが、後々、大きく社会を変えていくことにつながる」。「ウェルビーイングを大切にする地域が増えていけば、循環型共生社会に向かって社会は動き出していく」(222ページ)。そのためには、「主体性と共感力を磨く教育政策」への転換が求められる(150~153ページ)。これが草郷からのシンブルで強いメッセージである。それは、筆者が言ってきた「まちづくりと市民福祉教育」に通底する。

図1 ウェルビーイングを大切にする社会の特徴

図2 循環型共生社会の構想

【初出】
<雑感>(194)阪野 貢/“ Well-being ” 再考―「ウェルビーイングを大切にする循環型共生社会」に関するワンポイントメモ―/2023年12月22日/本文

 

“Well-being”  の視点【その3】

<文献>
内田由紀子『これからの幸福について―文化的幸福観のすすめ―』新曜社、2020年5月、以下[1]。

〇筆者(阪野)の手もとに、内田由紀子著『これからの幸福について―文化的幸福観のすすめ―』(新曜社、2020年5月。以下[1])という本がある。内田にあっては、主観的な幸福感(Happiness、subjective well-being)は、「喜びや満足などを含んだ、ポジティブな感情・感覚」として定義することができる。それは、一時的な感情状態だけではなく、持続的な、自分の状態や人生に対する評価や心理的安寧(well-being)も含んだ概念である(1ページ)。また、幸福は、個人の性格特性や志向性などの価値観を反映するものであるが、その個人が暮らす環境や文化社会的要因についての状態を示すものである。つまり公共の政策や意思決定にも関わるものである(20ページ)。国レベルの幸福については、経済的な豊かさが重要視されるが、経済自体が直接的に幸せをもたらすわけではなく、GDP(国内総生産)に代表される経済状態は幸福を高める要因のひとつに過ぎない(13ページ)。こうした考えのもとで内田は、専門とする文化心理学の視点・視座から、「幸福とは何か」「幸福とはどのように私たちが暮らす文化と関わっているのか」について客観的・実証的に探究する。内田はいう。[1]において「『幸せになりましょう』というキラキラ輝くメッセージではなく、『幸せとは何かをシリアスに考えましょう』というメッセージを発信したい」と(151ページ)。
〇[1]のキーワードのひとつに「文化的幸福観」がある。その一文をメモっておくことにする(抜き書き)。

幸福と文化的幸福観
幸福は個人が感じるものでありながら、何を幸福と感じるかは実はその人が生きる時代や文化**(傍点筆者)の精神、価値観、地理的な特徴を反映している。たとえば自然のなかで過ごすことで感じる幸福、消費のなかで感じる幸福は、どちらも幸せをもたらすものでありながら、前者はより自然豊かな地域で、後者はより都市的地域で感じられるものであり、農村部と都市部では幸せに関する考え方が違っているかもしれない。幸福はどのような状況に暮らす人もある程度理想とする感情状態でありながら、「どのように幸福を得るのか」はやはり文化によって異なっているだろう。/このような幸福についての考えは「文化的幸福観」と呼ぶことができる。文化的幸福観は、文化を構成する価値観や人生観を反映して成立している。社会生態学的環境(生業あるいは気候など)や宗教・倫理的背景などにより、人々が実際に追求する幸福の内容は異なっている可能性がある。文化・思想的背景がいったんできあがれば、人々は「幸福とは〇〇なものである」という文化的幸福観を教育などにより意識的・無意識的に再生産し、その文化内の他者の幸福の感じ方にも違いを与えるかもしれない。そしてどのようにして幸福を得ようとするか、どの程度の幸福を求めようとするかなどの幸福への動機づけのあり方も異なってくるであろう。(ⅴページ)

〇ここでいう「文化」とは、「ある集団内に社会・集団の歴史を通じて築かれ、共有された、価値あるいは思考・反応のパターン」をいう。すなわち、習慣やルール・価値観など、一定の集団(国家、民族、地域、家族など)のなかで共有され、伝達される有形無形の枠組みが文化である。それはまた、生活のなかに多層的に重なって存在しており、集団を構成する人々が変化すれば文化自体も変化することになる(73、74ページ)。
〇いまひとつのキーワードは「集合的幸福」である。その一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

個人の幸福と集合的幸福
個人の幸福は、個々人の「心の持ち方」だけではなかなかうまくいかず、いろいろな社会の相互作用のなかで実現されている。これまでの個人の幸福モデルでは、一人ひとりの幸福の実現をめざすことが、組織や地域全体の集合的な幸福を高めることになるという視点で捉えられてきた。しかし、個人の幸福の追求は、誰かの幸福を搾取したり、誰もが利己的になることで「共貧状態」に陥ったりすることもあり得る。この視点に立てば、個人の幸福の追求だけでは集合的な幸福は実現せず、集合での持続可能な幸福モデルを考えることも必要になる。つまり、これからの幸福については、組織や地域全体における「個人の幸福」と「集合的幸福」の良きバランスを考えることが重要になる。(105、106ページ)

個人の幸せが、他者の幸せを搾取せずに協調的に成立することも大事な要件である。おそらく日本の協調的な幸福******(傍点筆者)は、他者との調和を重視することで、天災などの困難を乗り越え、周囲と助け合うために自分を律する、そういう機能をもって受け継がれてきた。個人ばかりに目を向けてそれが競争的な形で相手を打ち負かし、自らが多くの取り分を得ようとするようなものでは、社会は過度に競争的になり、安定した幸福は得られない。個人の幸せの行きつく先が、足りない部分を満たし続けようとしてしまう快楽主義的なものになってしまっては持続的な幸福は見込めない。個人が生きる意味や価値を感じられるような幸福を実感しながら、それを支える社会・集合とバランスを持っていくことは、現在日本における幸福について考えるうえで極めて重要なことなのではないだろうか。(143ページ)

〇日本の「協調的な幸福」については、内田は「文化的自己観」(Markus & Kitayama)――「相互独立的自己観」と「相互協調的自己観」をめぐって、こう説述する。相互独立的自己観は、人は他者や周囲の状況から区別されて独立に存在するものであり、人の行動はその人の内部にある属性(能力、性格など)による、という考え方(自己観)である。相互協調的自己観は、人は他者や周囲の状況などによって左右されるものであり、人の行動は周囲からの要求に合わせて行われる、という考え方(自己観)である(77~79ページ)。狩猟採集に依存する経済体系を歴史的にもってきたアメリカでは、前者の「個人の自立」が優先されやすく、定住型の農耕に依存する経済体系を歴史的にもってきた日本では、後者の「社会の協調」が優先されやすい(84ページ)。それゆえに、日本人は、自分だけが周囲から飛び抜けて幸福であったりすることよりは、「人並みの日常的幸せ」「ほどほどの幸せ」が大切にされる(68ページ)。
〇なお、内田は、「個人の自由」を重んじる価値観が形成されるなかで、日本人の心のあり方は今、一階が協調性、二階が独立性という、二階建ての家のようになっているのではないか、と指摘する(123ページ。図1:124ページ)。そして、「一階部分の協調性を、保守的で階層的なものではなく、互いの信頼関係を構築し、維持するためのシステムとして活用すれば、(増設された)二階部分の独立性とは両立する可能性がある」(125ページ)という。

図1 現代日本の自己における独立性と協調性の二階建てモデル

〇もうひとつのキーワードとして、「地域の幸福」に関する内田らの調査結果の概要をメモっておくことにする(抜き書き)。

地域内の「つながり」と幸福
地域内のつながりは住人の幸福度を上げている傾向がある。また、つながりは地域内部だけではなく、外の人とも広がっているほうがより良いようである。分析の結果、地域の幸福*****(傍点筆者)には社会関係資本(信頼関係)や地域内でのサポートのやり取りなどが重要な要素となっていることなどが見いだされた。また「閉鎖的」と思われがちな日本の地域内のつながりは、意外にも逆に「開放性」につながっていた。地域内信頼関係があれば、移住者についても受け入れる気持ちが強く、世代が異なる人など、多様な人の意見を聴こうとする雰囲気が醸成されていることなどがわかったのである。/このようなことから、地域内の「つながり」や「共有されている価値」を維持することに貢献するような活動(お祭りなど)や、地域間を橋渡しする制度設計(プロのコーディネート機能の活用)、そして地域外からの評価によって、自分たちが生きる社会・自然・文化的環境を再評価し、誇りをもてるような指針をつくることが重要なのではないかと考えている。(110~111ページ)

〇内田は、「地域の幸福」(地域内の集合的幸福)を高める試みの一例として、農村コミュニティにおける「普及指導員」の果たす役割について紹介する。普及指導員は、農業者や農業コミュニティを対象に、技術指導や経営指導を行う都道府県の職員である。内田らの研究の結論はこうである。農業コミュニティ内部の信頼関係(つながり)である「ソーシャル・キャピタルを形成することは農業コミュニティの幸福につながっていること、そしてそれは内部住民任せの自発的な部分だけではなく、普及指導員による外部からの働きかけによって支えることができるということが示された」(116ページ)。例によって唐突ながら、「まちづくり」や関係人口、コミュニティソーシャルワーカーなどにも通底する言説であろう。留意しておきたい。
〇[1]における内田の主張のひとつは、「幸福は『ごく個人的な』ものと考えられがちであるが、実は社会や文化の影響を大きく受ける、『集合的な現象』でもある」(146ページ)というものである。個人の幸福と集合的幸福の関係は、個人の幸福の追求は集合的幸福度を高め、集合的幸福の追求は個人の幸福度を高めるという相互性・不可分性にある。そこで内田は、個人の幸福と集合的幸福のバランスを保つことが重要であると言う。その際のバランスには、前述した日本人の相互協調的自己観、すなわち「人並み」「ほどほど」といった感覚を大切にするバランス思考が反映されているのであろう。
〇ここでは、個人の幸福度と集合的幸福度を高めるためには、個人に対する働きかけと組織や地域・社会に対する働きかけが必要かつ重要となることに留意したい。その際、ステレオタイプの幸福(「これが幸せなんだ」)や社会的に強制された幸福(「幸せだと思いなさい」)ではなく、それぞれの幸福とそれを支える要件を個々人が、地域・社会全体が思考し追求することが肝要となる(21ページ)。そこで問われるのが、内田が紹介する農業者(個人の幸福)や農業コミュニティ(集合的幸福)に対する「普及指導員」(生産技術に関連する技術力・活動と地域のつながりに関連するコーディネート力・活動が求められる:116ページ)のような役割や機能であろう。「まちづくり」(住民と地域コミュニティ)における重要な視点・視座でもある。
〇なお、筆者が本稿のタイトルを「“Well-being”再々考」としたのは、内田と同様に、「幸福」は個人的な感情状態をさす「幸せ」(happy、happiness)ではなく、地域・社会や環境などを含めた包括的な「幸福」(Well-being)概念として表示すべきであるという思考によるものである。そして、その根底には(またまた唐突であるが)、「困っている人を助ける」という「福祉」(welfare)観ではなく、「みんなの必要を満たす」という「ふくし」(Well-being)観がある。

【初出】
<雑感>(204)阪野 貢/“ Well-being ”再々考:文化的幸福観と集合的幸福をめぐって ―内田由紀子著『これからの幸福について』のワンポイントメモ―/2024年4月24日/本文

 


15  「自前」の思想


<文献>
(1)清水展・飯嶋秀治編『自前の思想―時代と社会に応答するフィールドワーク』京都大学学術出版会、2020年10月、以下[1]。
(2)佐高信・田中優子『池波正太郎「自前」の思想』集英社新書、2012年5月、以下[2]。
(3)伊藤幹治『柳田国男と梅棹忠夫―自前の学問を求めて』岩波書店、2011年5月、以下[3]。

〇筆者(阪野)の手もとに、清水展・飯嶋秀治編『自前の思想―時代と社会に応答するフィールドワーク』(京都大学学術出版会、2020年10月。以下[1])という本がある。[1]は、これからフィールドワークとそれに基づいて発信しようとする人たちが、「かつてそれぞれの時代の喫緊課題に積極的に関わり、発言し、行動していったフィールドワークの先達」(18ページ)の人生と仕事ぶり(技法や作法など)を学ぶことを通して、「示唆や励ましを得ること」(1ページ)を目的に編まれたものである。
〇「取り上げる先人たちは、自身のフィールドワークでの体験や知見にもとづき、それをじっくりと熟成させながら自前の思想を紡ぎ出し」(1ページ)、時代と社会の現場と現実に関与し、応答し、さらには積極的に介入していった人たちである。中村哲(医師・土木技師)、波平恵美子(文化人類学・医療人類学)、本多勝一(新聞記者・ルポライター)、石牟礼道子(詩人・小説家)、鶴見良行(東南アジア海域世界研究)、中根千枝(社会人類学)、梅棹忠夫(生態学・民族学)、川喜田二郎(地理学・文化人類学)、宮本常一(日本民俗学)、岡正雄(民俗学)の10人がそれである。
〇[1]の編者のひとりである清水は、「はじめに―現場と社会のつなぎ方」において、「10人の先達」の略歴と業績を紹介する。そして、それぞれがフィールドワークから「自前の思想」を編み上げていった、その方法や意義について言及する。それを通して清水は、読者・フィールドワーカーに対して、「時代状況への介入を含めた過激な応答実践」(18ページ)を呼びかける。次の一節をメモっておくことにする(見出しは筆者)。

フィールドワークと「自前の思想」の編成
フィールドワークとは、人々の暮らしの営みやそこで生ずる諸問題を、暮らしの場(生活世界)のなかで理解し、逆に個々人の暮らしの営みを見つめ丁寧に描くことをとおして、その喜びや悲しみ、日々の生活の背景や基層にある意味世界、つまり文化というコンテクスト(社会的脈略・状況や背景)を明らかにしようとする企てと言えるでしょう。そして(本書で取り上げるフィールドワーカーたちは:阪野)その総体を丸ごと描き考察するために、欧米の偉大な思想家の言説や流行りの理論を安易に借用(乱用/誤用?)したりしませんでした。人々の生活の場に身を置き、腰を低くして同じ高さ(低さ)の目線で話し、その説明に謙虚に耳を傾け、彼らが生きる社会文化や政治経済のコンテクストに即して粘り強く考え続けました。けっして虎の威を借る狐(とらのいをかるきつね)になろうとせず、かといって井の中の蛙(いのなかのかわず)になることも避けて身体と思索の運動を続け、具体的で手触りのある現場から的確な言葉を自ら紡ぎ出し、自前の思想を編みあげてゆきました。さらにその先には、人々の暮らしに直接に関わるような政治社会状況に積極的に関与し、問題の解決や状況の改善に寄与するために積極的な介入を行ったりしました。(17ページ)

思想―「応答」的行動を支える姿勢や信条
(本書でいう)思想とは、学術の理論や哲学というよりも、社会に対する身の処し方や律し方、広くは自らが生きる社会、狭くはフィールドワークでお世話になった人たちとの関係の作り方や応答の仕方などを支える姿勢や信条を意味しています。(1ページ)/下から・現地現場から社会の成り立ちを見据え理解し対応するための姿勢や信条とほぼ同義です。(2ページ)

〇もうひとりの編者である飯嶋は、「自前の思想」の本質を「時代と社会に応答する」3つの側面――「遭遇」「動員」「共鳴」からまとめている。それぞれの要点をメモっておくことにする(見出しは飯嶋)。

遭遇/自前の思想は遭遇したものへの応答から「はじまる」
人により、それがより劇的な場合と、より漸次的な場合との違いはありこそすれ、そののちインパクトをあたえる仕事が、自らの仕事の延長線上に出てくるという以上に、ある人物やある主題、ある状況に「遭遇」してしまい、そこから好むと好まざるとに関わらず、その状況に巻き込まれ、そのひとと仕事が大きく動いていくことになる。つまり自前の思想を生みだす応答は、こうした遭遇から「はじめる」というよりも「はじまる」のである。(422ページ)

動員/自前の思想の応答はあらゆるものを「資源化する
予期せぬ「遭遇」から始まってしまう自前の思想の応答は、それゆえにこそ、応答する者がもてる全てを動員してそれに応答せざるを得なくなる。遭遇した事態に対して出来合いの方法論や便利なアプローチ法があるわけではない。まずは徒手空拳(としゅくうけん)のまま向き合い、それから手持ちの札と技をなんとかやりくり活用して応答する。(中略)それはきれいごとではなく、応答が遭遇から「はじまってしま」ったら、あらゆる契機を「資源」として動員して臨まざるを得なくなるのである。(425~426ページ)

共鳴/自前の思想は「徒弟化しない」
喫緊の課題との「遭遇」に始まり、あらゆる契機を資源として「動員」する必要が生じた自前の思想は、「徒弟化しない」という点がきわめて特徴的である。徒弟的に見える面があったとしても、それは学問的な技法の習得に限られている。(426ページ)/遭遇する事態や人々が異なり、動員できる資源が異なっている私たちが、先人の方法だけを模倣することに意味があるはずもない。徒弟化せずに自前の思想でやるしかないのは、かつても今も変わらないであろう。(429ページ)/(本書で取り上げたひとびと・応答者たちは:阪野)それぞれの現場(フィールド)で、他の現場で応答するひとびとのあり方に励まされ、自らの糧ともしていったのである。なので、自前の思想の応答者は徒弟化しない。ただ異なる状況にある応答者同士で共鳴するのである。(430ページ)

〇筆者は人類学や民俗学については全くの門外漢である。「10人の先達」に関しても、石牟礼道子の『苦海浄土―わが水俣病』(講談社、1969年1月)、中根千枝の『タテ社会の人間関係―単一社会の理論』(講談社現代新書、1967年2月)、『タテ社会の力学』(講談社学術文庫、2009年7月)、『タテ社会と現代日本』(講談社現代新書、2019年11月)、梅棹忠夫の『知的生産の技術』(岩波新書、1969年7月)、川喜田二郎の『発想法―創造性開発のために』(中公新書、1967年6月)、『続・発想法―KJ法の展開と応用』(中公新書、1970年2月)、宮本常一の『忘れられた日本人』(未来社、1960年1月。岩波文庫、1984年5月)、などのベストセラーとなっている本を読んだだけである。また、[1]に描かれている10人の人生と仕事については、スケールがあまりにも違いすぎ、想像だにできない。そんななかで、あるいはそれゆえに自分の浅学菲才さを恥じるのみであるが、「まちづくりと市民福祉教育」のフィールドワークに多少とも関わってきたものとして、[1]から認識を新たにする点は実に多い。
〇ここでは、宮本常一に関する次の一節だけをメモっておくことにする。そこには、「強い『地域主義』『反中央集権』『反官僚主義』の姿勢があり、(宮本は)現地と協働しながら生活改善と経済振興を図るという点でまさしく応答するフィールドワークの実践者」(11ページ)であった。

「外国の文化を受け入れるような素地を国の中へ作っていかなきゃならないんじゃないか。(中略)つまり外国の人たちがやってきて、安(やす)んじておられる場所だろう。それじゃあ、向こうの習俗をすてないで、日本人の生活の中に入り込み、ともに生活できるような場があったかっていうと、ないだろう。これが、やはり、君たちのやらなきゃならん仕事の一つだ。」
「僕の夢は、はっきり言うとね、地域主義なんだよ。それが昔から夢だったんだ。百姓のせがれだったからね。大事なことは、地域社会というのは立派に成長してゆかなければならないんだ。地域社会が充実してくると、世の中がにぎやかになるんだね。それぞれの地域社会が生き生きしてくることが、世の中で一番おもしろいんで、もういっぺん地方が中央に向かって、反乱をおこさなきゃいけないと思うんだ。世の中が変わってゆくのは、いつも、田舎侍が町に向かって反乱を起こすことなんだよね。」
「それが無くなったらね、国っていうのは滅びるんだろう。今はもう、完全な中央集権時代。しかしそれをもういっぺん、ぶっこわしてね、人間が生きるっていうことはどういうことなんだっていうことを問いつめていく。どうじゃろうそれを君たち、やってみないかね。なあ、やろうや。」(鼓童文化財団2011:62-63)(358ページ)

〇この一節にあるのは、「地域が大きなものの力に組み込まれ、それへの従属を余儀なくされ、自主性が削(そ)がれ挑戦へのエネルギーが失われていくことへの危機感であろう。こうした社会の動きに対して(宮本の)その姿勢は戦闘的であり、(中略)アナーキーさを感じさせる」(359ページ)。留意しておきたい。
〇また、宮本がいう「君たち」とは、若いフィールドワーカーのことである。宮本は、フィールド(現地・現場)でワーク(仕事・作業)する人に対して、「地域のよどみや人びとのしがらみに風穴をあけていく存在や力」(368ページ)として期待したのである。
〇なお、筆者の手もとに、佐高信・田中優子の対談本『池波正太郎「自前」の思想』(集英社新書、2012年5月。以下[2])という本がある。[2]は、「辛口評論家と江戸研究家の最強コンビが、『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』など池波正太郎のヒット作はもちろん、池波自身の人生をも読み解きながら、これからの日本人に相応しい生き方を共に考える」(カバーそで)本である。佐高と田中は次のようにいう。参考に供しておく。

自前の思想とは、つまり、迷ったり、遊んだりしながら、一人前になることをめざす思想ということである。(佐高、191ページ)

「自前」という言葉は「手前」と同様に空間を表現している。畳に手をついて頭を下げる。その手の身体側が自分、つまり自らの「分」であり、手前である。その自らの空間に全てを引き受けるのが、「自前で生きる」ことだ。(田中、192~193ページ)/自前の思想で重要なのは「他人と比較しない」ことなのである。比較するには比較の基準が必要だが、自前という空間には、共通の基準がない。(193ページ)/自前が、ありとあらゆることを引き受けつつ、社会における己の姿勢を練り上げていく楽屋空間(プライベートの空間:阪野)だとすると、そこは「あそび」の空間(童心にかえる、楽しい空間:阪野)でもあるはずなのだ。(193ページ)

〇筆者の手もとにもう一冊、伊藤幹治著『柳田国男と梅棹忠夫―自前の学問を求めて』(岩波書店、2011年5月。以下[3])という本がある。[3]は、「ミンゾク」学者で「一国民俗学」を構築した柳田国男と「比較文明学」を開拓した梅棹忠夫を比較しながら、ふたりの知の営み(業績とその特色など)を数々のエピソードをまじえて回想・整理した「柳田・梅棹論」である。「ふたりの知のスタイルは、幅広く多くの文献を参照しつつ、西洋の学問に依存するのではなく、自らの頭で仮説を構築して思考することだった」(カバーそで)。その点(「自前の学問」)をめぐって、次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

柳田国男と梅棹忠夫のふたりの知のあり方には共通した点がいくつかある。
ひとつは、柳田国男も梅棹忠夫も、欧米の学問をまるごと輸入し、その理論を日本の社会や文化の研究にそのままあてはめるのを忌避したことである。/ふたりは欧米からの借りものでない、「自前の学問」を構築しようとしていたのである。柳田が「明日の学問」とよんだ民間伝承論(一国民俗学)(中略)の特徴は、この国の農山漁村に埋もれているさまざまな民間の伝承を文字に記録し、その記録をとおして「自前の学問」を構築しようとした点にある。/梅棹もまた、(中略)柳田と同じように、自分の目で見、自分の耳で聴き、自分のからだで感じ、自分の頭でたしかめた経験的事実にもとづいて構築した「自前の学問」を高く評価したのである。そして、これを「土着の学」とよんでいた。/こうした「自前の学問」を求めた柳田と梅棹の一貫した姿勢は、いずれも揺るぎない実証的精神に支えられたものと思うが、このことはややもすれば欧米の人類諸科学の理論に魅せわれるわかい世代の研究者に警鐘を鳴らしているとみてよかろう。
いまひとつは、柳田国男も梅棹忠夫もひろい視野に立って「日本とはなにか」という重い課題と真摯(しんし)に向きあっていたことである。/柳田は一国民俗学を構築するために、他者としての世界の諸民族の文化を視野に入れ、自己としてのこの国の民俗文化(フォークロア)を手がかりにして、「日本とはなにか」という問い対する答え求めたが、梅棹もまた日本文明論を開拓するために、他者としての世界の諸文明と対比して自己としての日本文明を相対化し、「日本とはなにか」という問いに対する答えを求めている。/ふたりの日本研究は、(中略)視野のせまい「一国完結型」の日本研究に再考を迫っている。
もうひとつは、柳田が構築した一国民俗学も梅棹が開拓した日本文明論も、ひとしく仮説の構築を特徴としていることである。/梅棹が(は)科学には実証的事実の蓄積(実証性)、その内的関係をみやぶる洞察力、発想力(仮説性)、全体をおおう論理的体系化(体系性)という三つの要素があると述べ、柳田の学問には仮説の構築とその検証が繰り返されている。(中略)自分の学問を実証性と仮説性のまんなかに位置づけた。(中略)柳田が膨大なデータを駆使して綿密な実証と仮説の構築につとめたことはよく知られているが、梅棹もまた(中略)洞察力に富んださまざまな仮説を提出している。/興味深いのは、柳田も梅棹が提起した仮説のほとんどが、いずれも個々の短い論文のなかに提示されていることである。ふたりは仮説を提示するために、さまざまな論文を書きつづけていたことになる。(180~183ページ)

柳田国男と梅棹忠夫には、一国民俗学と日本文明論以外の知の営みにも共通した点がいくつかある。
ひとつは、柳田と梅棹が後進の研究者やわかものたちと積極的に交流し、自宅の一部を開放して彼らと自由に議論する「私的な場」を提供したことである。
いまひとつは、柳田も梅棹も後進の研究者やわかものと「対等な関係」を結んでいたことである。
もうひとつは、柳田も梅棹もわかりやすい文章を書くことに精力を傾注していたことである。(中略)(それを)ひとことでいえば読者と「密度のあるコミュニケーション」を大事にしたからであろう。
最後に、柳田国男と梅棹忠夫が国際共通語のエスペラントに関心を寄せていたことを指摘しておこう。(183~185ページ)

〇この一節ではとりわけ、①人々の生活はその人が生まれ育った時代と社会のなかで営まれ、生活の主体性はそれを生み出す歴史的背景や社会的・文化的基盤の枠内で形成される。借り物理論ではなく、「自前の理論」が重視されるべき根拠がここにある。②フィールド(現場)での実践的研究には仮説探索型の研究と仮説検証型のそれがあるが、この両者を循環的に組み合わせて相互作用を引き起こすことによって、研究の科学性を担保することができる。その実践が科学的であるかどうかはこの仮説性が重要となる、この2点を押さえておきたい。

【初出】
<雑感>(173)阪野 貢/フィールドワークと「自前の思想」、そして「自前の学問」:時代と社会に「応答」すること ―清水展・飯嶋秀治編『自前の思想』のワンポイントメモ―/2023年3月24日/本文

 


16  「生きづらさ」の正体


<文献>
(1) 中西新太郎『〈生きにくさ〉の根はどこにあるのか―格差社会と若者のいま―』(前夜セミナーBOOK)特定非営利活動法人 前夜、2007年3月、以下[1]。
(2) 湯浅誠・川添誠編『「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ―』旬報社、2008年11月、以下[2]。
(3) 香山リカ・上野千鶴子・嶋根克己『「生きづらさ」の時代―香山リカ×上野千鶴子+専大生―』専修大学出版局、2010年11月、以下[3]。
(4) 岡田尊司『「生きづらさ」を超える哲学』(PHP新書)PHP研究所、2008年12月、以下[4]。
(5)小山真紀・相原征代・舩越高樹編『生きづらさへの処方箋』ナカニシヤ出版、2019年2月、以下[5]。

〇「生きづらさ」という言葉や概念が使われるようになって久しい。藤野友紀(教育学)によると、「生きづらさ」という言葉が用いられたのは、雑誌記事検索で調べてみると、1981年の日本精神神経学会総会において「主体的社会関係形成の障害と抑制」として語られたのが最初である。2000年以降、「生きづらさ」などをタイトルに掲げる論考は一挙に増え、その学問的・実践的分野や領域も確実に拡がっている(藤野友紀「『支援』研究のはじまりにあたって―生きづらさと障害の起源―」『子ども発達臨床研究』創刊号、北海道大学、2007年3月、46ページ)。
〇「生きづらさ」の近接・関連用語に「障害」や「バリア(障壁)」がある。「障害」についてWHO(世界保健機関)は、2001年5月、ICIDH(国際障害分類)に変えて人間の生活機能と障害の分類法としてICF(国際生活機能分類)の考え方を提唱した。それは、「心身機能・身体構造」「活動」「参加」の3つの次元と「環境因子」「個人因子」の2つの因子によって構成されている。「バリア(障壁)」は、一般的には「物理的バリア」「社会的バリア」「制度的バリア」「心理的バリア」の4つに分類される。周知の通りである。
〇「生きづらさ」という用語や概念は曖昧である。しかもそれは、子ども・青年や貧困者、高齢者、障がい者などに固有のものとして、個人的・主観的な心情や問題・課題として捉えられることが多い。しかしそれは、モラルハザード(道徳性や倫理観の混乱・欠如)によるものではなく、現代日本の社会構造(現代資本主義)の政治的・経済的・社会的そして歴史的な欠陥や矛盾によるものである。その欠陥や矛盾は、1990年代、2000年代以降、なんら解決・解消されることなく、むしろ多様化・多層化・多元化が進んでいる。2016年3月に施行された安全保障関連法や2018年12月に発効した環太平洋パートナーシップ(TPP)協定(経済連携協定)などによる現代版「富国強兵」政策が推進される“いま”においても、である。
〇「生きづらさ」とは、社会や組織のなかに自分の「居場所」(「要場所」)が見つからず、将来(あす)への希望や展望をもつことができない生活上の困難や不利益を被(こうむ)っている社会的排除の状態をいう。
〇「生きづらさ」は、一人ひとりが抱える困難・不利益や不安・不満を自己責任に「内閉化した問題」や「他者との関係性」の歪(ゆが)みなどとして、複雑で多面的な様相を呈している。貧困のなかで思考や意欲までも奪われる人(湯浅誠「意欲の貧困」)や、社会や組織・集団における人間関係をうまくつくれない人などが思い起こされる。そうした人たちは、社会(財界)が求める制度やシステムによって選別・分断され、排除されている。
〇“いま”求められるのは、「生きづらさ」の正体を暴(あば)き、その今日的現状をあぶり出し、その解決策(社会参加支援や居場所支援などの社会的包摂支援)を探求することである。それは、対症療法的な単なる処方箋ではなく、「下から」のまちづくりや地域・社会改革を志向するものでなければならない。その担い手は言うまでもなく、「生きづらさ」のなかにいる一人ひとりの住民・市民であり、社会的・政治的アプローチを行う支援者や組織・団体である。そこでは、表面的な同情や共感ではなく、真の連携や共働のあり方が厳しく問われる。
〇「生きづらさ」や「生きにくさ」をタイトルにした本は、筆者(阪野)の手もとには5冊しかない。以下がそれである。

(1) 中西新太郎『〈生きにくさ〉の根はどこにあるのか―格差社会と若者のいま―』(前夜セミナーBOOK)特定非営利活動法人 前夜
「苦しいけれど声が出せない日常を生きるのが若い世代の状態である」(5ページ)。本書は、その「生きづらさ」や「現代日本の抑圧構造」を確かめ、検証するために行われたセミナーの記録を中心に編まれたものである。国家主義と新自由主義とを合体させた政治体制のなかで、「まさか生存権が保障されないはずはない、という思いこみは通用しない。生きづらいと思うことさえ許されない抑圧状況はいっそう深く、広く、この社会に進行している」(6ページ)と中西新太郎(社会哲学)は説く。

(2) 湯浅誠・川添誠編『「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ―』旬報社
本書は、社会活動家である湯浅誠と川添誠が「現代日本の生きづらさ」をテーマに、本田由紀(教育社会学)、中西新太郎(社会哲学)、後藤道夫(社会哲学)の研究者と行った鼎談を纏(まと)めたものである。湯浅は言う。「結局、私たちは『NOと言える市民・労働者・消費者になろう』と呼びかけたいんだ、と最近よく思います。こんな政治家はいらない、そんな非人間的な労働はしない、そんな商品は買わない、と個々の場面で人間(生)・労働・商品のダンピングに否をつきつけられる社会にしたい。それが言えるなら、そしてそれを言っても孤立しない、大丈夫だと感じられるようになれば、この社会の『生きづらさ』は相当程度軽減するだろう、というのがわたしの見通しです」(9ページ)。

(3) 香山リカ・上野千鶴子・嶋根克己『「生きづらさ」の時代―香山リカ×上野千鶴子+専大生―』専修大学出版局
「現在確かに『生きづらい』状況が、人間の内側(こころ)にも外側(社会)にも蔓延している」(荒木敏夫、8ページ)。本書は、「生きづらさのゆくえ」をテーマにした講演とシンポジュウ、それを聞いた学生たちの座談会の記録である。講演では、香山リカ(精神科医)が「生きるのがしんどい、と言う若者たち」、上野千鶴子(社会学)が「ネオリベ改革がもたらしたもの」について「こころ」や「社会」の問題を解きほぐす。

(4) 岡田尊司『「生きづらさ」を超える哲学』(PHP新書)PHP研究所
親と折り合いが悪い人、いわれのない不安に悩む人、心に空虚感を抱えている人、「絆」に縛られている人、自分が何者かわからない人、生きる意味が見つからない人。「生きづらさ」を抱える人が増えている。アルツール・ショーペンハウァー(ドイツの哲学者)、ヘルマン・ヘッセ(ドイツの詩人・小説家)、サマセット・モーム(イギリスの小説家・劇作家)らの生き方や岡田尊司(精神科医)自身の豊富な臨床経験を通して、「生きづらさ」を乗り越え、自分らしく生き抜くための哲学を描き出す。それが本書である。岡田は最後に言う。「生きるための哲学は、生きようとする営みのなかにこそある」(253ページ)。

(5) 小山真紀・相原征代・舩越高樹編『生きづらさへの処方箋』ナカニシヤ出版
本書は、京都大学のメンバーを中心に2014年に立ち上げた共同研究による、「生きづらさ学」からの実践的アドバイスの本である。そこでは、「過保護,性差、外国人差別、発達障害など、学生生活をメインに想定した種々の『生きづらさ』を分野横断的に分析し、克服の具体的方法を提示する」(「帯」より)。その際の「処方箋」(ヒント)は、臨床現象学をはじめ、社会学、法哲学、文化人類学、防災学、障害学生支援、精神医学、環境分析など、まさに分野横断的・俯瞰的視点に基づいている。「生きづらさ学」は「生きづらさの横軸」を探す学問であり、「生きづらさの共通性」や「他者との関係性」に留意する必要がある、と言う。

〇さて、本稿ではまず、[1]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

困難の内閉化と「自己責任論」
被害を被(こうむ)っている側に「自分に責任がある」と感じさせてしまう、つまり困難を内閉化させる抑圧様式は日本社会にいたるところで蔓延(まんえん)している。(中略)一人ひとりが抱える困難をその人の内側へと閉じこめる強烈な力がはたらいている。私には異議を申し立てる権利があると言わせない、封殺する力である。責任を偽装すると言ったほうが正確であるが、これは、きわめて深い抑圧の姿である。(58ページ)
このようなレトリック(表現の仕方)や自分に責任があるという感じ方を導く有力な言説として「自己責任論」がある。(中略)抑圧された者たちを徹底的に無力にしていく思想的回路として、自己責任論をとらえる必要がある。(59ページ)

自立支援と「生存権」の損壊
(近年の「自立支援型政策」にいう)政策言語としての「自立」は、公的・社会的な支援に頼らずに自己責任で生きていくという意味である。(128ページ)
「権力」と「社会的無力」という不平等な関係を含んだ(自立―依存関係)が「自立」のあるべき姿として押しつけられている。(128ページ)
生存権を保障する政策は、事情があって自立できない人たちが対象であるが、自立支援型の政策では、「自立」の見込みや「意欲」の有無という新たな尺度で対象者を再分類する。(129ページ)
生存権を平等に保障するという考え方が崩れると、どのような結果が表れるか。意欲や見込みのあるなしは、権力者によって認定・選別されるから、保障を得るには、自分は意欲も自立の見込みもない「真の弱者」だと認めなければならない。(129ページ)
つまり、自立できない存在は完全に無力であるとされ、自立できぬ以上他の人よりも低い処遇に甘んじるよう社会的に強制される。「国家の慈悲によってはじめて人権を保護される」存在になる。19世紀に福祉国家の観念が出てくるまで通用してきた「残余的福祉」という考え方である。(129ページ)
「自立支援」は、「真の弱者」をあぶり出し、同時に、自立してがんばろうと思う者を「貧困な自立」の状態に固定していく、という結果を招くのである。(中略)「自立支援」という政策を使って絶対的な貧困を受け入れさせる、生存権損壊(そんかい)のスパイラル(螺旋〈らせん〉)が出現するのである。(130ページ)

〇次に、[2]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「自己責任論」と「生きづらさ」
「生きづらさ」の問題をつねに社会的次元で捉えようとするわたしたちの立場からすると、どうしても必要になるのは、現状を丁寧にあぶり出していくことで、自己責任論からの転換を図ることである。(湯浅、6ページ)
大きなレベルで自己責任論を批判することは、ある意味では易(やさ)しい。構造改革や新自由主義といった用語をもち出せば、何かが言われ、何かがわかったような気がしてくる。しかしそのことと、目の前にいる一人ひとりと向き合い、対応することが切り離されていたら、総論としては自己責任論を大いに批判する人が、各論ではその子・親族・友人にたいして自己責任論を振り回す、という悲喜劇が起こらないとはかぎらない。残念ながらそれは随所で起こっている。そうなると、現実には貧困状態に追い込まれていく人たちの数は減らない。自己責任論批判が増えていったとしても、現実の場面では、個々に切り捨てられていくからである。(湯浅、6~7ページ)

「自立」が強いる「生きづらさ」
貧困者(貧困のなかにいる若者)にとって、「自立」は存在しえない。ところが、(中略)(彼らは)つねに“社会”から“家族”から「自立」を迫られている。「いつまでもフラフラしていないで、まともな仕事について早く一人暮らしをしなさい」と。彼ら自身の仕事は、本人の選択によるものとされ、彼らが抱える困難は「自己責任」によるものとされる。彼らにとっては、「自立」は目標でありながら、自分自身を締め付ける抑圧の言葉である。(河添、19ページ)
「自立」をめざせばめざすほど、彼らは非人間的な労働環境への順応を要請される。しかしながら破壊された労働環境は、彼ら自身を安定的に「自立」させるようなものではないから、破壊された労働環境によって今度は労働者の精神状態が不安定になっていく。貧困と「自立」は両立しえない。(河添、19ページ)
このように、貧困のなかにいる若者は、「自立」しようにも「自立」しようがない。貧困を根絶していくことなく、「自立」を促すことはありえない。(河添、19ページ)

「強い市民社会」と“居場所”づくり
「強い市民社会」というのは、弱肉強食の市場原理にたいしてきちんと歯止めをかけられる社会、人間の弱さを認めて受け止められる社会、弱さの認識から相互扶助・社会連帯の必要性の認識を通じて、「市場」とは異なる「社会」を構想できる社会、を言う。そういう「強い市民社会」が確立していれば、社会制度はおのずと変わっていくはずである。(湯浅、174~175ページ)
「意義申し立てする社会連帯」というのは、「これはおかしい」ということを話し、数人なり、数十人のグループができれば、それでもって社会的に訴えていく、それが当たり前に行なわれるような、そういう社会的な雰囲気をつくっていきたい。(湯浅、175ページ)
「強い市民社会」をつくるうえでの(労働)運動論的なポイントは、(中略)究極的には“居場所”である。つまり、不満を言い合って、「おかしい」と思ったことをかたちにできる場所である。(河添・湯浅、177ページ)
社会に向けて発言ができたり、ただその場にいるだけでもお互いが尊重される安心感・信頼感を感じられる空間としての“居場所”が大事だと思う。(湯浅、178ページ)
「たたかうためには、たたかわなくていい“居場所”が必要である」。(中略)たたかわなくていい“居場所”は、たたかうための必要条件みたいなものである。(中略)そういう“居場所”が社会のなかから減ってきている。(湯浅、179ページ)

〇いまひとつ、[3]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「非行から自傷へ」と「ネオリベ改革」
社会学では社会というのは、個人の集まりではなく、ふるまいの集合である。(中略)人々のふるまいの集合に一定の規則があるから、その行動がなにを意味しているかがお互いにわかるおかげで成りたっているのが社会というものである。(上野、57~58ページ)
(1980年代から90年代頃から)いわゆる青年期の逸脱といわれるものが(中略)変化してきた。それを簡単に言うと、非行から自傷へ、である。他人を傷つけることから、自分を傷つけることへの変化である。(中略)攻撃衝動というものが、他者から自己へ向かっているのではないか。何か困ったことが起きたときになんでこんなことが起きたのか、誰が悪いのかと思ったときに「私が悪い」というしかないから、生きづらい思いをするのである。これを、「私が悪い」という代わりに「貧乏が悪い」、「社会が悪い」、「学校が悪い」、「先生が悪い」、それから「資本家が悪い」とか言えたらラクである。(上野、64~65ページ)
それなのに、誰も自分以外の人を悪いと言えず、責めることができないために、自分自身を責めるほかない。それで攻撃衝動が我と我が身(われとわがみ)に向かう。なぜそういうことが起きたのか? (それは社会学者によると)「社会が変わったから」(中略)社会環境やルールが変わったからである。(上野、65ページ)
(その一つが)いわゆる「ネオリベ改革」(「ネオリベラリズム」つまり「新自由主義」改革)と言われるものである。(上野、66ページ)
ネオリベこと新自由主義とは、ごく簡単に言うと市場万能主義のことである。公平な競争のもとで勝ち負けを争って、勝ったら勝者の能力と努力のおかげ、負けたら敗者の無能と怠惰のせい。そういう「自己決定・自己責任」の原理をさす。規制緩和をして勝者が残り敗者は退出する市場の原理に委(ゆだ)ねたほうが、財の最適配分ができるようになるという考え方のことである。(上野、67ページ)

「生きづらさ」と不安
「生きづらさ」の精神構造は、不安と似ているのである。あるいは「生きづらさ」の原因は漠然とした不安感なのではないかとさえ思う。自分自身が何者であるかの不安、自分の将来や可能性にたいする不安、人が自分をどう見ているのかについての不安、この社会の先行きに関する不安、そうしたもろもろの不安が、私たちの精神や生活を脅かし、「生きづらい」感覚をもたらしているように思えてならない。(嶋根、209ページ)
不安そのものを完全になくすことはできない。しかし不安に直面したとき、その原因が何に由来しているかを知れば、不安はやわらぐものである。同じように、私たちが何となく感じている「生きづらさ」も、他の人や他の社会と引き比べてみたり、その原因が私たちの外部にあることを知ったりすることで、「生きづらさ」の感覚を多少なりとも乗り越えていくことができるかもしれない。(嶋根、209~210ページ)

〇以上の諸言説のなかで、河添の「貧困者にとって、『自立』は存在しえない」「貧困と『自立』は両立しえない」([2]19ページ)という言葉から思い出すことがある。1956年11月から1963年7月にかけて、岸勇(当時・日本福祉大学)と仲村優一(当時・日本社会事業大学)との間で、公的扶助とケースワークの位置づけをめぐって展開されたいわゆる「岸・仲村論争」である。ここでは、その論争に関する加藤園子(当時・立命館大学)の一文を紹介しておくことにする。「今は昔」ではなく、「今も昔(も変わらない)」である。

岸説では「最低生活保障」と「自立助長」をあいいれるものとしてではなく、本来分離、対立したものとして位置づけている。そこでは、公的扶助にケースワークが導入される根拠となった「自立の助長」の意味について、自立の基本的要素は経済的自立であり、自立の喪失が社会的原因にもとづくものである以上、自立は国家の雇用政策によってはじめて助長されるものであること、そして、これに反して公的扶助の目的である最低生活保障それ自体は決して自立を助長するものではありえず、そこではむしろ「自立」という概念が似而非(えせ)なる意味にすりかえられ、その強調は、実は保護の制限と引きしめの意図がその背後に政策的に存在することを厳しくとらえねばならないとしている。そして「自立の助長」と関連して公的扶助にケースワークが導入された目的もまさにその民主主義的体裁によるにすぎず、保護引き締め強化による対象者の人権侵害の事実や公的扶助のもつ救貧法的本性をそれによって隠蔽・合理化することに役立てられてきているとして、仲村説と真っ向から対立することとなった。
(加藤園子「仲村・岸論争」真田是編『戦後日本社会福祉論争』法律文化社、1979年9月、91~92ページ)

【初出】
<雑感>(87)阪野 貢/「生きづらさ」再考―一昔前と変わらぬ“いま”を考えるためのメモ―/2019年7月7日/本文

 


17  「相互支援」の人間学


<文献>
(1)支援基礎論研究会編『支援学―管理社会をこえて―』東方出版、2000年7月、以下[1]。
(2)舘岡康雄『利他性の経済学―支援が必然となる時代へ―』新曜社、2006年4月、以下[2]。
(3)舘岡康雄『世界を変えるSHIEN学―力を引き出し合う働きかた―』フィルムアート社、2012年11月、以下[3]。
(4)森岡正博編著『「ささえあい」の人間学―私たちすべてが「老人」+「障害者」+「末期患者」となる時代の社会原理の探究―』法藏館、1994年1月、以下[4]。

ケアリングコミュニティとは、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。筆者はそれを地域福祉の基盤づくりであると考えている。/そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されていかなければならない。こうしたケアリングコミュニティは、①ケアの当事者性(エンパワメント)、②地域自立生活支援(トータルケアシステム)、③参加・協働(ローカルガバナンス)、④共生社会のケア制度政策(ソーシャルインクルージョン)、⑤地域経営(ローカルマネジメント)といった5つの構成要素により成立している。(原田正樹「ケアリングコミュニティの構築に向けた地域福祉―地域福祉計画の可能性と展開―」大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』ミネルヴァ書房、2014年4月、100ページ)

〇いま、その問題意識は必ずしも目新しいものではないが、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現について声高に叫ばれている。それを単なるスローガンに終わらせないためには、またあるべき「地域共生社会」を実現するためには、「相互支援」と「相互実現」についての基本的理解が必要かつ重要となる。
〇筆者(阪野)は、管見ながら、しかもその一部に過ぎないが、人と人が共に生き、共に支え合うこと(「相互依存」interdependence)によって自己成長と相互成長、自己実現と相互実現を促す地域社会、すなわち「ケアリングコミュニティ」(caring community)に関して次のように考えている。(1)地域のあらゆる住民が「安心」して暮らせるまちは、「安全」と「信頼」と「責任」のまちである。安心=安全×信頼×責任、である。(2)まちづくりは、そこに暮らす住民が相互に支援し合う(「相互支援」の)地域コミュニティを創造するために、意識と思考と行動の変革を図ることから始まる。まちづくりは相互支援であり福祉教育である。(3)「自立」(「依存的自立」)は、自己選択と自己決定、そして自己責任に基づく自己実現の過程を通して達成される。それは、個人的なものにとどまらず、歴史的・社会的・文化的状況や背景によって規定される。自立は自己実現のための手段であり、歴史的社会的性格(特徴)を持つ。(4) 自己決定と自己実現は、個人的営為ではなく、自分と他者との相互の認識と行動に基づいた自己成長と相互成長を通じて初めて可能となる。自己実現は「相互実現」である。(5)現在の日本社会では、格差社会や管理社会が進展するなかで、持続可能な相互支援型社会を如何に形成するかが問われている。管理は画一化や受動化を促進し、支援は多様性や能動性を尊重する。地域共生社会は相互支援型社会である。なお、これらとともに、またこれらを可能にするためには、まちづくりや地域福祉についての多様な政策・制度的対応や専門機関・専門家による対応などが必要かつ重要であることは言うまでもない。
〇上記のように、筆者の手もとには、そのタイトルやサブタイトルに「支援」などの文言が含まれている本が4冊ある。本稿では、それぞれの本のなかで論じられている「支援」に関する言説について、筆者なりにいま一度押さえておきたい一節を、抜き書きあるいは要約することにする(見出しは筆者)。それは、「支援」に関する基本的な文献や考え方について知りたいという、熱心なブログ読者からの依頼に不十分ながらも応えるためである。

(1) 支援基礎論研究会編『支援学』東方出版
〇「支援学」(Supportology)は、1993年に発足した「支援基礎論研究会」(オフィス・オートメーション学会〈現・日本情報経営学会〉の研究部会)が7年余にわたる研究活動を通して新しく開拓した学問分野である。「本書は、ハウツーを教える入門書ではなく、広く支援現象、支援行為一般の研究の指針を与えることを目的にした見取り図である」(2ページ)。ここでは、本書に収録されている今田高俊(現在は東京工業大学名誉教授)の論稿「支援型の社会システムへ」における言説について紹介する。

管理型社会システムから支援型社会システムへ
現在、行き過ぎた管理機構のひずみや亀裂が集中的にあらわれ、管理の限界がいたるところで露呈するようになっている。管理を中心とする運営法では、もはや活力ある社会を確保できない状態である。/意義のある人生や生活を築き上げるためには、管理に代わる社会の仕組みが必要である。管理に代わる新しい社会編成の在り方としてもっとも有望なものは支援である。支援型の社会システムへの構造転換をはかることが、現在、さまざまな形であらわれている社会問題を解決するために不可欠である。/1990年代以降、ボランティア活動やNPO(非営利組織)、NGO(非政府組織)による活動活動が高まった。これらの活動は、管理ではなく支援を、市民自身の自発的な意志によっておこなおうとする動きである。(9~10ページ)

支援の定義
支援とは、何らかの意図を持った他者の行為に対する働きかけであり、その意図を理解しつつ、行為の質を維持・改善する一連のアクションのことをいい、最終的に他者のエンパワーメントをはかる(ことがらをなす力をつける)ことである。(11ページ)

支援と自省的フィードバック
支援は、自分で勝手に目標を立てて効率よくそれを達成するという、従来の私的利益の追求行為からは区別される。被支援者がどういう状況に置かれており、支援行為がどう受け止められているかを常にフィードバックして、被支援者の意図に沿うように自分の行為を変える必要がある。これができない支援は本当の意味での支援ではない。(12ページ)

支援と配慮とエンパワーメント
支援をおこなう当事者は、あくまでも自分の生き甲斐や自己実現を得るという動機が前提になっている。この意味では、私的なものである。ただし、この私的性格は、被支援者の行為の質が改善され、被支援者がことがらをなす力を高めることを前提としており、いわゆる利己的な行為ではない。私的な自己実現が、直接、他者に対する気遣い、配慮へとつながっている。要するに、支援には、他者への「配慮 care」と「エンパワーメント」が決定的に重要である。(12ページ)

支援と支援システム
実際に支援が成立するためには、一連の支援行為がばらばらになされるのではなく、それらがまとまりをもったシステムを形成することが必要である。また、支援は固定したシステムではうまくいかない。被支援者が置かれている状況変化にあわせて、システムを変えていく必要がある。/支援システムは、人的・物的・情報的資源を関係づけ、それらが支援を効果的に実現できるようなモデル(ノウハウ)を備えることが重要である。(12~13ページ)

支援学の体系化
20世紀が管理の世紀であるとすれば21世紀は支援の世紀である。今後、管理が消滅することはありえないが、少なくても支援の発想が社会のなかに組み込まれ、肥大化した管理の仕組みを縮小する方向に進まざるをえないだろう。弱肉強食型の競争主義とそのグローバル化が進みつつあるが、これがアナーキー(無秩序)な社会あるいはその反動として管理主義の強化につながってはますます住みにくい世界になる。そうならないためにも今後、支援学を深め体系化していくことが重要である。管理に代わる支援の発想を持って、グローバル時代の共生原理をつくりあげていくことが、われわれの責任である。(234ページ)

〇管理型社会から支援型社会への転換が求められている。支援は、支援者(支援主体)と被支援者(被支援主体)というセットで意味をなす行為であり、①「他者への働きかけ」を前提にして、②「他者の意図の理解」、③「行為の質の維持・改善」、④「エンパワーメント」を構成要素とする。支援には、支援者の「自省的フィードバック」と、被支援者への「配慮」と「エンパワーメント」が重要である。支援の実質化を図るためには、「ヒト、モノ、カネ、情報」などの資源を効果的・効率的に活用し、またそのためのモデル(ノウハウ)を備えることが必要となる。とともに、支援システムを形成し、しかもそのシステムは被支援者の置かれた状況に応じて柔軟・自在に変化・対応する(「自己組織化」する)ことができるものでなければならない。
〇支援学は管理学に対置される。支援学は、社会生活上の諸問題を解決し、被支援者の「エンパワーメント」を図ることによって自己実現が達成され、それを通じて共生社会の創造に貢献することを使命とする。
〇以上が今田の言説、その一部である。注目されるのは、支援の概念に「エンパワーメント」が含意されていることである。そこから、支援が成立するためには、被支援者の意図が優先され、支援者の支援が自己目的化してはならないことになる。今田にあっては、「自分の意思を前面にださない」「相手への押しつけにならない」「相手の自助努力を損なわない」が、「支援に要請される条件」(15ページ)となる。

(2) 舘岡康雄著『利他性の経済学』新曜社
〇本書は、とりわけその前半は、舘岡康雄(現在は静岡大学大学院)の博士論文「”支援”の理論化と実証化に関する研究―利他的なビジネスモデルがもたらす経済合理性―」(東京工業大学社会理工学研究科)がベースになっている。舘岡は1996年から「プロセスパラダイム」の概念を提唱するが、「支援」と「プロセスパラダイム」に関する言説のみを抜き書き(要約)する。

自己中心の「管理」と相手中心の「支援」
管理は、自分から出発して相手を変える、相手をコントロールする行動様式である。それに対して支援は、相手から出発して相手との関わりにおいて自分を変える、自分で(自由意志で)自分をコントロールする行動様式である。/すなわち、管理は自己中心の行動様式であり、支援は相手中心の行動様式である。/したがって、管理の被行為者は「させられている」のであり、支援の被行為者は「してもらっている」のである。(86~87ページ)

リザルトパラダイムからプロセスパラダイムへ
いま時代は、あらゆる分野で「リザルトパラダイムからプロセスパラダイムへ」と動いている。パラダイム(paradigm)とは、その時代に共通するものの見方や捉え方(価値観、枠組み、考え方)をいう。/管理行動では、管理者は計画を提示し、その計画と被管理者の結果とのズレが重要とされる。そこでは、「結果」(リザルト、result)が重視され、管理者と被管理者の関係は「させる/させられる」の一方向の関係にある。管理行動はリザルトパラダイムにおける行動様式である。/支援行動では、支援者は相手の刻々変わる状況を知り、それに合わせて被支援者と相互作用を行ないながら支援を達成していく。そこでは、「過程」(プロセス、process)が重視され、支援者と被支援者の関係は「してもらう/してあげる」の双方向の関係にある。支援行動はプロセスパラダイムにおける行動様式である。(87、88、93~94ページ)

〇以上が舘岡の言説、その一部である。舘岡にあっては、支援はあくまでも支援者の自由意志で行われものであり、支援をするかしないかは支援者に委ねられる。「動員による支援」「支援の管理」「支援の制度化」などは想定されていない。また、舘岡の言説で重要なのは、「プロセスパラダイム」についての提言である(91~97ページ)。相手(被支援者)の動きに合わせて自分(支援者)も動きを変える。また、相手(被支援者)にも自分(支援者)の動きに合わせて動きを変えてもらう。両者が寄り添ってこうした動き(動的な活動)をするとき、その過程(プロセス)で問題解決能力が高まり、両者は「合一の方向に向かう」(100ページ)、とされる。留意しておきたい点である。

(3) 舘岡康雄著『世界を変えるSHIEN学』フィルムアート社
〇舘岡は、民間企業の人事部での経験を踏まえて、2001年から「SHIEN学」を提唱する。本書は、学生やビジネスマンが気軽に読める「SHIEN学の入門書」である。「支援」をあえて「SHIEN」とローマ字表記する意義、「管理」「支援」「SHIEN」あるいは「協働」などの概念の相互関連、SHIEN「学」の学問としての成立要件や理論的枠組みと体系性、などについての言及は必ずしも十分なものであるとは言えないが、要点を紹介する。

SHIENと「お互いの力を引き出し合う能力」
「支援」は上位者が下位者に、力のあるものが力のないものに、施すという概念である。/SHIENは、互いに助け合うことで、重なり(つながり、関係性)のなかったところに重なりをつくり、「してもらう/してあげる」を交換するという、新しい時代の問題解決法のひとつである。/SHIEN学では、相手の力を引き出したり、逆に相手からも自分の力を引き出してもらったりする能力を「してもらう/してあげる能力」と呼ぶ。/SHIENの原理というのは厳密なシステムではなくて、重なりがなかったところに重なりをつくったり、相手からしてもらうことと、こちらがしてあげることを、相互に交換したりすること。ただそれだけである。(13、35、58、155ページ)

「してもらうこと」と「豊かな関係性」とSHIEN学
「してもらう」能力を高めるためには、自分の「弱みを相手に見せること」が非常に大切であり、「相手によい質問をすること」「相手を褒(ほ)めること」も有効である。それによって自分と相手との豊かな関係性を深めることができる。/「してもらう/してあげる」というのはテクニックではなく、非常にいい関係性があるからこそ生まれるものである。志が同じで、ひとつの目標に向かっていく集団があったならば、惜しみなくお互いの能力を出し合っていって、一緒につくるよろこびを感じることが、お互いが幸せになる、何よりの方法である。/「してもらうこと」がSHIEN学のスタートであり、本質である。(60~65ページ)

プロセスパラダイムの時代と競争的共存の時代
これからの、「動いているものを動くままに」捉えるプロセスパラダイムの時代は、今までのリザルトパラダイムの時代の、「善か悪か」「有か無か」「量か質か」「ハードかソフトか」といった二項対立を越えて、新しい解へジャンプすることができる自由な社会である。/そういう時に大切になってくるのは、「してもらう能力」である。新しい時代には「してもらう」ことは必須となる。/苦手なことはしてもらってよいのである。そして自分は、自分の得意なことで相手をSHIENする。また今、競争的共存の時代が来たともいえる。競争しているのだけど、同時に共存してもいるわけで、ひとり勝ちの時代はすでに終わっているのである。/人間関係でいえば、「関係をつくることに積極的」(「関係積極性」)であることが大切な時代である。(82~83、119ページ)

リザルトパラダイムとプロセスパラダイムの違い
20世紀型のリザルトパラダイムと21世紀型のプロセスパラダイムの違いは、図1の通りである。(43ページ)

〇以上が舘岡の言説、その一部である。舘岡は、上下関係のなかでの一方向の支援(「施し」)を「支援」、対等な関係のなかでの双方向の支援を「SHIEN」とする。そして、「SHIEN」は、新しい時代(プロセスパラダイムの時代)における、「新しい働きかたを実現する行動原理」(15ページ)となる、という。
〇舘岡にあっては、「SHIEN学」でいう「SHIEN」とは、「自分よりも他人を大事にしたり、助けたりする考え方(=利他性)を軸に、行動を起こすこと全般」(18ページ)を指す。「SHIEN学の本質」「SHIENの神髄」は、「してもらう/してあげる能力」であり、お互いの力を引き出し合うことである。そこで重要になるのが、自分と相手を「つなぐ」こと、「関係性を高め合う」ことであり、舘岡はそれを「重なりをつくる」という。

(4) 森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』法藏館
〇本書は、生命倫理や法哲学、仏教哲学などを研究する5人の共同研究のプロセスを纏めたものである。読み応えのある包括的で深淵(しんえん)なテーマ設定がなされているとともに、一般にありがちな共同研究の成果報告でないところがユニークで興味深い。本書の「ささえあいの人間学」とは、人と人が互いに「ささえあって」生きるという形の社会原理を探究し、人々にささえられながら生まれ死んでいく人間の「いのち」のあり方について議論する枠組み(学問)である。ここでは、本書に収録されている土屋貴志(現在は大阪市立大学)の論稿「『ささえる』とはどういうことか」等における言説について紹介する。

「ささえ」と「ささえあい」 
人間同士の「ささえ」は、すべて「ささえあい」にほかならないのではないか。というのは、人間は必ず何らかの「他者」を必要とする存在であり、その意味で、完全に自分の力で自立しているわけではないからである。現実の「ささえ」の場面においては、一方向的な「ささえ」(「ささえる」側は自立しており「ささえられる」側は依存するだけであるような状況)が成立しているわけではなく、必ず両方向的な「ささえあい」(双方が「ささえ」「ささえられ」合っているような状況)になっているのである。/人間は何らかの他者を「ささえる」ことによってよろこびを得る存在であり、他者が何も返すことができなくてもその他者によって「ささえられている」ことになるのである。(105ページ)

「ささえる」と「ともにいる」
「ささえる」ことは、「相手にかかわっていこうとする」ことである。/「かかわり」こそ「ささえ」の基盤であり、かかわりのないところには相手もなく、したがって相手への働きかけもあり得ないからである。その意味で、かかわりを保っていこうとする姿勢こそ何にもまして必要なものであり、なくてはならないものである。/しかも、時間を惜しまず、傍に共にいるということ、この「ともにいる」ということこそ、かかわりの本質を表すことである。/「ともにいる」ということ、かかわっていく姿勢によって「ともにいる」ということを示すことが、「ささえる」ということの最も基本的な事項になるのである。(57~58、60~61ページ)

「かかわり」と「受容」
相手にかかわっていくとは、相手を受け容れていくことである。相手を受け容れる余裕がなければ、かかわっていくことはできない。もしその余裕がないまま無理にかかわろうとするなら、必ずひとりよがりに終わることになる。相手を受け容れるということは、結局のところ、相手に対していろいろな気持ちを抱く自分自身を受け容れることに他ならない。その意味で、いつでも、どんな相手にも、求めに応じてかかわってゆけるようにするには、つねに自分自身をみつめて、あらゆる自分を受け容れる用意が必要である。相手を受け容れる余裕は、実は自分自身を受け容れる余裕から生まれるからである。(59~60ページ)

「ささえ」と「共感」
「ささえ」の根底にあるべき考え方は、「共感」が達成されるように努めるべきである、ということである。/「ささえ」の場面では、「共感」が必然的な前提になっている。/「共感」とは、相手の私的な世界を、あたかも自分自身のものであるかのように感じとり、しかもこの「あたかも‥‥‥のように」という性格を失わないことである。いいかえれば、①相手の体験を、その本人が感じているままに感じ取ること、②相手の体験はあくまでその人自身の体験であり、私自身の体験とは別であるとわきまえていること、この二つの条件を同時に満たすことである。/ただし、「共感」だけで相手を「ささえた」ことにはならない。「こころのささえ」の場面を離れて、相手が具体的な介助や援助や治療を要求している場合には、「共感」の達成だけでは「ささえあい」の達成は不十分なものとなる。(281、290~291、296、299ページ)

〇土屋にあっては、「ささえる」ということについての原則的な考え方のひとつは、「どんな事実であれ、その人に関する事実は第一義的にその人本人のことであって、他の人のことではない」(52ページ)。「事実に直面しそれを受け容れなければならないのはその人自身なのであって、他の人が代わってやることは決してできない」(50~51ページ)ということである。ある事実についての当事者性(「自分のこと」である度合い)について言えば、本人が最も「当事者」であり、身近な人ほど「当事者性」が高く(つまり、より「自分のこと」であり)、身近でない人ほど低い(逆に言えば、「第三者性」すなわち「ひとごと」である度合いが高い)ということになる。しかし、具体的な「ささえ」の場面では、問題になるのはつねにいま現在目の前にいる相手であり、「当事者性の序列」は問題にならない(51~53ページ)。土屋の基本的な言説として押さえておきたい点である。

〇以上の叙述を踏まえて、ここではひとまず、「支援」とは、自分・支援者(支援主体)と相手・被支援者(被支援主体)の「要求と必要と合意」「受容と共感とエンパワメント」に基づいて、「相互支援と相互作用」「相乗作用と相乗効果」「自己実現と相互実現」を図る活動(行動様式)でありプロセスである、と理解しておくことにする。その際、支援者や被支援者は、個人だけでなく、集団や組織、コミュニティ、社会などを含む。「支援主体」や「被支援主体」の意味するところである。
〇ところで、筆者はこれまで、「まちづくりと市民福祉教育」について論考する際に、「共働」(coaction)の概念を重視してきた。また、その構成要素として、①多様な個人や集団・組織・コミュニティ・社会、②目標や価値観の共有化と統合化、③新しい場(ステージ、プラットホーム)の創設、④その場への主体的・自律的な参加(参集、参与、参画)、⑤多面的な相互作用による相互補完や相乗効果、⑥社会的統合や融合の達成、などを考えてきた。
〇図2は、「支援」に留意しながら、多様な主体による「対抗」から「共働」への過程を、ひとつのモデルとして図示したものである。例えば、「対抗」段階では、内部(当事者間)における上下関係や外部(第三者)との対等(並立)な関係における競争、管理、支配を意味している。「連携」段階では、役割と責任の相互確認や協力の相互促進に向けた行動を起こす。「協働」段階では、目標の明確化を図り、舘岡がいう「重なりのなかったところに重なりをつくる」即ち「関係づくり」(パートナーシップづくり)を進め、協同することを意味する。そして、新しく設けられた「場」における相互補完やそれによる相乗効果によって協働の融合・一体化が図られ、相互支援や相互実現が成立する。それが「共働」の段階である。こうした段階の過程を通して、「創発」(単なる総和以上の成果が生み出されること)や「共創」(イノベーションによって共に新しい価値を創り上げること)、「共生」(すべての人の人格と個性を尊重し、共に支え合いながら共に生きること)が実現することになる。

〇筆者が本稿で言いたいのは、「相互支援」と「相互実現」、そのための「共働」が「地域共生社会」の神髄である、ということである。


上野谷加代子(同志社大学)は、人が共に支え合って生きていくためには「助け上手と助けられ上手」になることが大切である、と説く(『たすけられ上手 たすけ上手に生きる』全国コミュニティライフサポートセンター、2015年8月)。森岡正博(早稲田大学)は、人間は他からささえられてはじめて生活でき、自己決定できる存在であり、「他からささえられ、他をささえてゆく」ことこそが「人間」の本質である、と言う(森岡正博「序 方法としての『ささえあい』」森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』20ページ)。あえて可視化するほどのことでもないが、「ささえあい」(「ささえる」ことと「ささえられる」こと)の諸相について、例示的(上位と下位、優位と劣位)に図3に示しておく。

【初出】
<ディスカッションルーム>(68)阪野 貢/「支援学」ノート―「相互支援」「相互実現」に関する基本的な視点/追補:大橋謙策「『我が事・丸ごと地域共生社会』とコミュニティソーシャルワーク機能」―/2017年6月1日/本文

 


18  「ふつう」の功罪


<文献>
(1)深澤直人『ふつう』D&DEPARTMENT PROJECT、2020年7月、以下[1]。
(2)佐野洋子『ふつうがえらい』(新潮文庫)、新潮社、1995年3月、以下[2]。
(3)泉谷閑示『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)、講談社、2006年10月、以下[3]。
(4)キリーロバ・ナージャ『6ヵ国転校生・ナージャの発見』集英社インターナショナル、2022年7月、以下[4]。

(1)「ふつう」は私とあなたの「あいだ」にある
私は、周りのあなたとの類似性を重視し、そこに安寧や安心を感じる。
私は、周りのあなたとの相異性に緊張し、そこに不安や劣等感を感じる。
(2)「ふつう」は私とあなたの「ふだん」にある
私が「ふつう」を意識するのは、日常の生活場面においてである。
しかもその現実の場面は、生活と人生のひとコマに過ぎず、常に変化する。
(3)「ふつう」の隣に「特別」がある
私には社会的に許容される独自性欲求があり、それが自尊感情を高める。
その一方で、社会意識である孤独感や差別意識・偏見を生む。
(4)- ➀ 私は「ふつう」を求め、あなたを「ふつう」にさせる
私は、人並みを求め、周りから目立つあなたを攻撃する。
それが窮屈で、生きづらい地域・社会をつくる。
(4)-➁ 私は「ふつう」を捨て、あなたと「わがまま」をいう
私は、生き方や価値観を変え、あなたと権利や不満を主張する。
それが地域・社会を革め、豊かな未来を切り拓く。

〇上記のようなことを思いながら、深澤直人(ふかさわなおと)の『ふつう』(D&DEPARTMENT PROJECT)と佐野洋子の『ふつうがえらい』(新潮文庫)を読んだ。深澤は世界的に有名な(身の回りにあるさまざまな製品をデザインする)プロダクトデザイナーである。深澤のデザイナー活動のテーマや哲学は、「ふつう」という概念にある。それは、「ふつう」という価値が日本人の生活の根底をなすことによる。[1]は、その「ふつう」について雑誌に15年間にわたって連載したコラムを書籍化したものである。佐野(1938年~2010年)は、絵本作家、エッセイストであり、代表作に絵本『100万回生きたねこ』(講談社、1977年10月)がある。[2]には、佐野が自分を「生きる」ことの思いや行動を装飾のない「なま」の文章に乗せた73篇のエッセイ(「世間話」)が収められている。それらは単純明快で、歯に衣着せぬストレートなところが面白い。
〇[1]では、「ふつう」の良さに気づき、「ふつう」は「日常のあたりまえに通り過ぎる出来事を自覚したときに感じるもの」(26ページ)であるという思いに至る。そんななかから、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

知識の世界とリアルな世界の「ふつう」 ―経験に基づくリアルな世界の「ふつう」が人間を幸せにする―
頭で勝手に思い込んでいるものと、目で見ているものの形は違う。人間は実際にそのものを目の前にして見ているときでさえも、思い込んだ形をしているように捉えてしまう。極端な言い方をすれば目に見えるすべてはその人の概念であって先入観が成す世界なのかもしれない。先入観を成すものは経験なしに得た情報である場合が多い。デザインをしていると二つの世界の存在が見えてくる。一つは他から得た情報とその集積の知識が成す世界。これを「常識」とか「ふつう」とか言うのかもしれない。もう一つは先入観なく見た、あるいは感じたそのままの世界。経験から得た情報とその集積としてのリアルな世界である。これも言ってみれば「ふつう」である。人間はこの二つの世界観と二つの「ふつう」を持ち合わせ、そこを頻繁に行き来している。人は後者のようなリアルな「ふつう」に出会ったとき、自己の思い込みや先入観に気付き、「あ~、な~んだ、これもふつうなんだ」などと安心したり、驚いたりしていい気持ちになる。身体は常にリアルに触れているのに、思考は与えられた情報を信じている。だから既に触れていた感触を何かによって自覚させられたとき、はっとするのだ。(中略)リアルな世界の「ふつう」に触れたとき人間は幸せになる。(52~54ページ)

「変える」ことと「変えない」デザイン ―デザインはしっくりいっていないことを正し、改善することである―
長く使われてきたものは、もう生活の分子になっているから簡単に変えようとしてはいけない。「保守的」といわれるかもしれないが、「保守」ということばには二つの意味がある。一つは、「正常な状態を保つこと」。もう一つは、「旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとすること」。それは、まさしく長い年月を経て「ふつう」になってきたことを「ふつう」のままにしておこう(と)することだと思った。保守の反対は革新で、その意味は旧来の制度を改めて新しく変えることである。制度を改革するのであって、よいものを新しく作ることとは違う。変えるのではなく、しっくりいっていないことを正し、改善すること。デザインは「変える」こととか「新しく」作ることだと思い込んでいる人は少なくない。そういったデザインの一般論に反抗して「変えない」ということは易(やさ)しくない。「自分のデザイン」というような気持ちを捨てなければならない。でも、そうやっていいものを継承して現在の生活に合わせて少しずつ直していこうとすれば、いつか自然に新しいものがぽろっと生まれる時がある。新しいのに、ずっといいものと繋がっているようなものができる時がある。(201~203ページ)

「美しい」と「いい雰囲気」をつくるデザイン ―デザインは暮らしという全体の「雰囲気」をつくることである―
椅子や家具をデザインする時も、心がけるのは、もはや「形」とか「自己表現」などでは、毛頭ない。いい雰囲気を醸(かも)し出す物かどうか、を問いながら、私はデザインする。(中略)いい雰囲気とは、調和の事かもしれない。(中略)「綺麗」とか「美しい」という事は、それがよい物かどうかを決める、最も重要な事ではない。「雰囲気がいい」事のほうが上である。物が、単一で美しい、などという事など、ないのだ。雰囲気を醸し出す物でなければ、「いいデザイン」とは言えない。新しければいい、などという事はデザインの基準ではない。/「いい感じ」を醸し出す物が、「いい雰囲気」をつくる。デザイナーは、物だけをデザインしてはいられない。暮らしという全体の「雰囲気」をつくらなければいけない。結局は、空気をつくるのだ。(310~312ページ)

〇以上を要するに、①事実(本物)に触れる経験、②「ふつう」になったものを「変えない」デザイン、③空気(意識)を醸成するデザインが重要であるというのであろう。唐突ながら、これらは「まちづくりと市民福祉教育」にも通底する。誤解を恐れずにそれを別言すれば、まちづくりはそのまちの歴史や文化によって生み出された「ふつう」を磨くことである、と言えようか。
〇[2]では、「ふつう」はシンプルであり、「えらい」は生まれてから死ぬまでの、誰もが行う人間の野性的な、普段の営みにこそあるという思いに至る。ここでは、河合隼雄(1928年~2007年。臨床心理学)の「解説」文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

ふつうの人とえらい人 ―「ふつう」は「生き物であれば、誰でも持っているもの」であり、「よくいきている」ふつうの人のほうがえらい―
「正しいというのは正義というのではない。」(192ページ)/「正義」の方は必ず理由をもっている。「かくかくしかじか」という理由によって正しいという。それは理由によって支えられており、その理由はイデオロギーとかによって支えられている。つまり、それは正しい理論、正しい認識、などというものによって支えられ、立派に見えるけれど、そこから知らぬ間に生きた人間が消え去ってしまう。それに対して、佐野洋子のいう「正しい」は、まず生きた人間が先行している。生きた人間の存在を通して、正しいという叫びがとびだしてくる。「私は野性の中にある知性こそが、本当の知性だ、そして、それは人間が生き物であれば、誰もが持っているものだと思う。」(193ページ)と書かれている。/「誰でも持っているもの」を言いかえると「ふつう」になる。その「ふつうがえらい」のだ。(中略)現代人は自分が「生き物」であることを忘れているのだ。うまくやったり、努力したりすれば何でもできる、と思いすぎている。今世紀になってテクノロジーが異常に発達したので、うまくやれば何でも可能と思いすぎているのだ。「えらい」人を見ると、自分も同じように「えらく」なろうとする。そのことによって無理をしすぎて、「生き物」である自分を見失ってしまうのだ。そのような偽物の「えらさ」ではなく、「生き物であれば、誰でも持っているもの」としての「ふつう」のところに、でんと腰をすえると、世間の評価と関係のない「えらさ」を獲得できる。しかし、そのためには、人はひとりひとり個人差があり、自分ではどうしようもない欠点が沢山あることをはっきりと認識する必要がある。(285~286ページ)

〇筆者の手もとにもう一冊、精神科医である泉谷閑示(いずみやかんじ)の『「普通がいい」という病』(講談社現代新書)という本がある。[3]にこういう一文がある。

ある親御さんが、「私は、息子に普通の子になって欲しかった。ある時、息子は『普通って何!』と言った。私は、何でもいいから普通に、みんなと足並みを揃えて欲しいって思って育ててきた。普通じゃないと他人に説明できないから、ただ分かりやすい人になって欲しいという気持ちだった」と、話されたことがありました(中略)。/しかし、どんな人も、決して最初から「普通」を求めていたはずはありません。/この親御さんの場合は、ご自身が幼い頃から周囲の視線や言葉によって傷ついてきた歴史があって、「普通」でないことはこんなにもまずいことなのかと考えるようになった。それで、どこか窮屈さを感じながらも、「普通」におびえ、「普通」に憧(あこが)れ、「普通」を演じるようになった。そして、わが子もそうやって生きるべきだと考えるようになったのです。(41、42ページ)

〇この一文から、「普通」は「考えや行動が同じ」であり、「他人に説明しなくても分かる状態」をいうのであろう。また、「普通」は、「一般的」「標準的」「多数派」といった意味をもち、自分が所属する「世間」(集団や組織)との関係性の調和を重視する日本文化(日本人)の伝統的な価値観である。「普通」の認知領域や設定基準によって、積極的・肯定的、消極的・否定的、あるいは好意的・非好意的な感情や思考・行動を生む。そして、周りの人への気配りが共有され、周りの人と調和したときのポジティブな感情や思考が、幸福感や満足感(well-being)として意味づけられる。上の一文から、こうした言説を想起する。

【初出】
<雑感>(122)阪野 貢/「ふつう」別考―深澤直人著『ふつう』と佐野洋子著『ふつうがえらい』等のワンポイントメモ―/2020年10月30日/本文

付記
「ふつう」こそ「個性」の原料
〇キリーロバ・ナージャ著『6ヵ国転校生・ナージャの発見』(集英社インターナショナル、2022年7月)という本がある([4])。6ヵ国転校生のナージャが1990年代にロシア、日本、イギリス、フランス、アメリカ、カナダで実際に通っていた学校での体験や発見を綴ったものである。「イギリスの学校では、よく書くために、消しゴムを使って書き直せるエンピツを使っていた。ロシアでは、よく考えるために、書いたものは直せないペンを使っていた」。「ロシアの学校では、体育で整列するとき背が高い人が前だった」。「フランスの学校では、多くの人が家に帰ってお昼をたべていた」。「カナダの中学校では、計算機を使いながら答えを解答用紙に書いていた」等々、興味深い。そこからは、多文化理解や多文化共生には、生活様式や文化の皮相的なものではなく、その内奥の思考方法などの違いに注目しなければならないことが分かる。
〇ナージャは、大人になって次の5つを発見したという。(1)「ふつう」が最大の個性だった。(2)苦手なことは、克服しなくてもいい。(3)人見知りでも大丈夫、しゃべらなくても大丈夫。(4)どんな場所にも、必ずいいところがある。(5)6ヵ国の先生からもらったステキなヒントたち(①すべてに理由、そして面白さがある。②分からないことがあるから、仲間がいる。③人生に完璧はなかなかない。④わたしも、答えを知らない。⑤目標を立てるのも、達成するのも自分だ。⑥前例を覆(くつがえ)すからこそ、進化がある)、がそれである。
〇ここで、(1)「ふつう」が最大の個性だった、について付言しておきたい(114~118ページ抜粋)。

「環境が変わると、ガラッと変わるものは?」
答えは、「ふつう」だ。転校するたびに今まで「ふつう」だと思っていたことが、急に通用しなくなる。転校生なら少なからずみんな経験している気がする。
絶対的な「ふつう」がないんだとしたら、自分の「ふつう」ってなんだろう? 今まで考えたことはなかったけれど、誰かの「ふつう」を真似する限り、二番煎じにしかならないし、自分の本当のよさが生きてこない気がした。
子どものころはなかなか気づけないけれど、まわりと違う自分の「ふつう」こそが、「個性」の原料だ。そう気づいてから、今まで嫌いだった自分の「ふつう」がなんだか少しだけかわいく見えた。
そう、みんな「ふつう」でいいし、「ふつう」に対するコンプレックスをもっともっと捨てられるといいなと。
「ふつう」を磨いていくことが、「個性」を磨くことよりずっと早いという発見をしてから、ずっとそう思っている。

〇そしてナージャは、「ふつう」を「個性」として考えるためのヒント、についていう(118ページ)。
(1)意識して、違う「ふつう」の環境に身を置いてみる。
(2)自分の「ふつう」に他の「ふつう」を少し混ぜてみる。
(3)どちらにとっても新しい「ふつう」が生まれる。
(4)みんながそれを「個性」として重宝するようになる。

 


19  「批判的教育」の使命


<文献>
(1)マイケル・W・アップル、ジェフ・ウィッティ、長尾彰夫編著『批判的教育学と公教育の再生―格差を広げる新自由主義改革を問い直す―』明石書店、2009年5月、以下[1]。
(2)ヘンリ―・A・ジルー、渡部竜也訳『変革的知識人としての教師―批判的教授法の学びに向けて―』春風社、2014年1月、以下[2]。

〇筆者の手もとに、「批判的教育学」(Critical Pedagogy)の必読書であるマイケル・W・アップル、ジェフ・ウィッティ、長尾彰夫編著『批判的教育学と公教育の再生―格差を広げる新自由主義改革を問い直す―』(明石書店、2009年5月。以下[1])がある。そこには長尾の論稿「教育改革のポリティックス分析―新たな『教師論』の構築に向けて」が収録されている。
〇本稿では、長尾彰夫(ながお・あきお)の言説のなかから、筆者なりにいま一度認識しておきたいいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

(1)新自由主義・新保守主義と公教育の破壊
自由経済と強い国家を追求する新自由主義と新保守主義(注②)の勢力は、一方で「民主主義」を口にしつつ、他方では民主主義の意味そのものを根底から変え、さらなる格差や不平等を作り出している。また、「伝統」を声高に叫びつつ、それに異を唱えるものは徹底的に排除する。こうした「改革」がもたらす最大の問題は、公教育の破壊である。(3ページ)
(2)批判的教育学・批判的教育学者の使命
批判的教育学は、新自由主義と新保守主義による政策と実践が子どもや教師に与える影響(問題状況)を明らかにする。究極的には、非民主的な「改革」を押し戻し、真の「民主主義と市民性」に基づく「改革」を推し進める。そのために、進歩主義的な社会運動と協力しながら行動する。それが批判的教育学や批判的教育学者の使命である。(3~4ページ)
(3)現代の教育改革の特徴
教育改革はしばしば、官邸・内閣を中心とした時の政治的権力によって推進される(中曽根内閣が1984年8月に設置した「臨時教育審議会」や安倍内閣が2006年10月に設置した「教育再生会議」等)。それは、従来型の、文部科学省の官僚的・行政的権力による教育改革とは異なる。しかも、その両者の間には、共通性(点)と異質性(点)が存在する。現代における教育改革は、こうした微妙にして深刻な矛盾と対立を含んだ権力構造の分析なしには、その実像と特徴を捉えることはできない。(151ページ)
(4)ポリティックスの意味
ポリティックス(politics、政治学)とは、政党や政治が行っているような狭い意味での「政治的な事柄」「政治活動」を意味するのではない。ある事態や事柄をめぐって、それに関わる様々な人々や集団が、それぞれの利益と被害に関わるパワー(権力)を行使していく過程、およびそれによって生み出されていく(権力的な)諸関係をいう。(152ページ)
(5)教育改革のポリティックス分析
教育改革のポリティックス分析では、教育改革に関わるさまざまな集団や組織の利害や権力(パワー)が、どのように複雑に作用しているかというその状態(権力作用の関係)を具体的・現実的に分析する。その際、何のためにポリティックス分析を行うのかという、ポリティックス分析のめざすべきところをどこに設定するのかを明らかにしておくことが重要となる。(154ページ)
(6)教育改革と教師の「批判的権力」
教師は、教師としての視点と立場に基づくパワー(権力)を行使しながら、教育改革に関わっていくことが求められる。そのパワーの根底に据えられるべきは、教師が実際的な教育現場に関わっていくという専門性であり、それを基礎に、教育政策を批判的に捉え対象化していくいわば「批判的権力」である。教育改革のポリティックス分析では、教師が「批判的権力」をいかに獲得していくか、それを可能にする「教師論」とはいかなるものかが重要な課題となる。(163~164ページ)

〇「学校における福祉教育」は、歴史的・客観的な評価・分析を行わないまま、「指定校制度」を過去のものにしつつある。それに代わって登場した「地域を基盤とした福祉教育」は、ただ時流に乗ることを優先し、曖昧な「地域指定」や「実践主体」のもとで進められている。その当然の帰結として、一部の社協(職員)や学校(教師)を除いて、社協と学校の関係が表層化・限定化し希薄化している。そしていま、福祉教育関係者は、文部科学省が進める「コミュニティ・スクール(Community School)」や「アクティブ・ラーニング(Active learning)」に何の躊躇もなく、無邪気に秋波を送っている。
〇こうした動向や実態(課題)を生み出したその時々の福祉・教育政策に対して、福祉教育の実践(実践者)や研究(研究者)は、十分な関心を持って臨んできたであろうか。それぞれの福祉・教育政策の真の狙いを抉(えぐ)り出すことなく、それらを無批判的・盲従的に是認し受容する。そのうえで福祉・教育政策に適応(適合)する福祉教育実践のあり方を探究してきたのではないか。長尾の言説から、福祉教育の実践や研究のあり方を厳しく問ういくつかの示唆を得ることができる。
〇筆者の手もとには、もう1冊、ヘンリ―・A・ジルー著、渡部竜也訳『変革的知識人としての教師―批判的教授法の学びに向けて―』(春風社、2014年1月。以下[2])がある。[2]は、アメリカの批判的教育学者であるジルー(Henry A. Giroux)が1970年代から80年代にかけて発表した論文を集録し刊行(1988年)したものの全訳である。
〇訳者の渡部によると、ジルーの教育論は「二部構成」から成っている。そのひとつは、「生徒(特にこの場合、被抑圧者たちの子どもたち)が日頃慣れ親しんでいる文化的経験に結びつく仕方で自分たちの社会的ポジションを力動的に捉えていけるような知の枠組みを提供していくアプローチ」即ち「批判の言説」である。いまひとつは、「必要ならばその社会的ポジションの変革に向けて文化的経験の読み替えを行い(既存の社会体制に疑問を呈するような新たな解釈可能性の発見)、同じ問題意識に立つ外部の団体などと協力して実際に変革への力をつけていくためのアプローチ」即ち「可能性の言説」である。この二つの言説を換言して要約すれば、「日常言説の自明性を疑うための批判的分析と新たな可能性の提言」となる。(383ページ)
〇ジルーの批判的教育学については原典に当たっていただくことにして、ここでは、[2]のタイトルでもある「変革的知識人」(transformative intellectuals)に関する次の一節を付記するにとどめる。

(1)学校は論争的領域である
学校は実際のところ、政治や権力から隔離された客観中立の装置などではなく、権威の諸形態、知識の型、道徳的規則の諸形態、過去の見方や未来の展望などのうちのどれを正当化して子どもに伝えていくべきかという問題をめぐる闘争を具体化して表現した論争的領域である。学校は決して中立的な場ではなく、教師も同じく中立的な立場にいることなど不可能である。(237ページ)
(2)教師は教育改革の主体である
教師は教育改革の主体である。教師は学校の官僚的組織のなかで、専門職化された技術職ではない。即ち、教師は単に、前もって定められた目標を効果的に達成するために職業的に準備をするパフォーマーとして見なされるようなことはあってはならない。教師は、知への価値に対して特別に貢献し、また若者の批判的パワーを高めること(思慮のある能動的な市民を育成すること)に自由でなければならない。(230、235ページ)
(3)教員養成の変革が求められる
教師が生徒を活動的・批判的市民に育てるためには、教師が変革的な知識人となるべきである。現在の大学や教員養成ではしばしば「ハウ・ツー」が優先され、そのような仕事をどのようにこなすのか、与えられた知識体系を教授するのに最善の手法をどのようにマスターするのか、といったところに力点が置かれている。「変革的知識人」としての教員養成のあり方を問う必要がある。(232、237ページ)

〇ジルーの言説に関しては、教育は本質的に政治であり、権力である。学校は現実的にも、政治や権力の構造と機能を持っており、それゆえに子どもの批判的主体性の育成や能動的市民性の形成を図る場として存在する。学校教育は「政治的中立性を確保しなければならない」「権力と結びつくことがあってはならない」というのは、幻想である。学校教育では、学校外部の地域・社会におけるそれ(政治や権力)との関わりで、どのような理念や目的や価値観を有する政治や権力の場として学校を位置づけるかが問われることになる。これらの点を再認識しておきたい。
〇ジルーがいう「変革的知識人としての教師」については、少なくとも社会科教師にはそのあり方が問われることになるが、全ての教師にその素養や能力が求められるとは言い難い。この点を「市民福祉教育」に引き寄せて言えば、先ずは、福祉教育担当の学校教員や社協職員、そして「活動する市民」「市民エリート」(坂本治也)などが福祉・教育政策を批判し変革する知識や能力を身につける必要があろう。その際の福祉教育は、「思いやり」などの特定の価値観を押し付ける道徳主義や、「共に生きる」などの口当たりの良い言葉を唱えるスローガン主義に基づくものでないことは言うまでもない。
〇福祉教育は、人権尊重や社会正義の価値を基盤に、福祉・教育政策を批判し変革するソーシャルアクションやアドボカシー(註➀)についての思考(批判的思考)と実践(変革能力)を要件とする。本稿で再認識したいのはこの点である。


①アドボカシー(advocacy)は、元々は「擁護」や「支持」「唱道」などを意味する言葉である。やがて、「政策提言」や「権利擁護」など、特定の政策を実現するために社会的な働きかけを行う活動を示すようになった。また、「政府や自治体に対して影響をもたらし、公共政策の形成及び変容を促すことで、社会的弱者、マイノリティー等の権利擁護、代弁の他、その運動や政策提言、特定の問題に対する様々な社会問題などへの対処を目的とした活動」とも定義される(「日本アドボカシー協会」ホームページより)。

【初出】
<雑感>(43)阪野 貢/福祉教育は「批判」と「変革」を必要要件とする:「福祉教育と批判的教育研究」に関するメモ―日本福祉教育・ボランティア学習学会の新体制に寄せて―/2017年1月4日/本文

 


20  「対話」の技術


<文献>
(1)山口裕之『コピペと言われないレポートの書き方教室―3つのステップ―』新曜社、2013年7月、以下[1]。
(2)山口裕之『「大学改革」という病―学問の自由・財産基盤・競争主義から検証する―』明石書店、2017年7月、以下[2]。
(3)山口裕之『人をつなぐ 対話の技術』日本実業出版社、2016年4月、以下[3]。

〇筆者が最近読んだ本のなかで“面白い”と思ったものに、山口裕之(やまぐち・ひろゆき、徳島大学、哲学研究者)のそれがある。『コピペと言われないレポートの書き方教室―3つのステップ―』(新曜社、2013年7月。以下[1])、『「大学改革」という病―学問の自由・財産基盤・競争主義から検証する―』(明石書店、2017年7月。以下[2])、『人をつなぐ 対話の技術』(日本実業出版社、2016年4月。以下[3])、である。
〇[1]は、「レポート」を書くにあたって、「コピペ」と言われないためには具体的にどうすればよいのかを、「最重要ポイント」のみに絞って解説したものである。その根底には、学部学生らに「自分の意見を根拠づけて主張する力」を身につけてもらいたい、という願い(「思い」)がある。「おわりに―民主主義とレポート」(93~98ページ)は深く、読む意義は大きい。
〇[2]は、政財界主導で進められている「大学改革」(国家権力の過度の介入、学長トップダウン体制の構築、競争主義や成果主義の強化、研究予算の削減や組織の統廃合、等々)の単なる反対論ではない。いわんや「潰(つぶ)れる大学」「大学の生き残り策」といった類の「読み物」ではない。[2]は、大学改革における論点を整理し、あるべき姿を追求するための見取り図を提示する、総合的で本格的な「大学論」である。「教育は、消費者が欲するものを提供するサービスではなく、何を欲するべきかを考える力を与えるための営みである」(248ページ)。大学に求められる機能(大学の存在意義)は、民主主義的な市民社会を支えるために、「さまざまな問題について、その背景を知り、前提を疑い、合理的な解決を考察し、反対する立場の他人と意見のすり合わせや共有を行う能力」(148ページ)、「正しく考え、議論し、他人と意見を共有する技能」(221ページ)を育成する(習得させる)ことである。留意すべき言説である。
〇[3]は、そのタイトルから「マニュアル本」と思われるが、民主主義の思想や歴史、民主主義国家の形成やあり方などにも言及する学術書(「人文書」)である。そこでは、人々の対話を阻(はば)み、人々を分断させている日本社会の現状分析を通して、「対話による合意形成」の重要性が一貫して主張される。その論述に関して山口は自らを、「意地の悪い揚げ足取り」(159ページ)「へそ曲がり」(161ページ)などと言うが、そこに批判性やオリジナリティがあり、また[3]の魅力(“面白い”)のひとつがある。

〇本稿では、「まちづくりと市民福祉教育」にも通底する(使える)、[3]における山口の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

対話のねらいは合意形成と妥当な結論の発見にある
対話は、立場や意見を異にする人と話しあい、互いに納得できる合意点を見つけることである。対話は、相手の立場を理解し、多面的な見方を知ることで、妥当な結論を出すための方法である。対話は、憶測や思いつきではなく、客観的な根拠にもとづいて進めなくてはならない。対話は、自分と相手を成長させ、人と人とをつなぎ、ひいては民主的な社会全体を支えるのである。(はじめに、263ページ)

民主主義の本質は対話であり多数決ではない
民主主義とは対話である。民主主義の本質は多数決でなく、すべての人が対等な立場で自分の意見を根拠づけて主張し、討議し、お互いに納得できる合意点を探るところにある。多数決は、合意を形成するための手段の一つに過ぎない。無造作な多数決は、「多数派の専制」とほとんど同義である。それは、少数者の権利を侵害することになる。民主主義は、共同体のメンバーの人権を保障するための制度である。(40、51、116ページ)

民主主義はすべての市民が賢くなることを要求する
民主主義を支える一般市民は、対話に先立ってあるいは対話の過程で、普段から自分の思考力を鍛えるべく、努力する必要がある。それは、一面的な感情にとらわれない、多面的なものの見方や論理的な思考(「人間の日常生活における論理的思考」「日常的思考」)である。民主主義とは、すべての市民が賢くならなければならないという、無茶苦茶を要求する制度である。大学やその他の教育機関は、その無茶苦茶を実現するために存在しているのである(47、117、146ページ)

一般意思は多数派の意思ではなく理性によるものである
「一般意思」とは、「多数派の意思」ではなく、「実際にメンバー全員が持っている意思」でさえない。それは、「論理的に考えて共同体を設立し維持するために必要な条件」であり、各人に理性(論理的思考力)があれば、メンバー全員がこれを意思するはずのもの(「論理的思考力がある人間なら誰しも納得するはずのもの」)である。その点で、「一般意思」は基本的人権と表裏一体であり、それをお互いに守ることが「一般意思」である。(65、67、107ページ)

権利は義務の対価ではなく義務を伴わない
基本的人権(自由権、平等権、社会権、参政権など)とは、人間が人間らしく生きていくために不可欠のものであり、義務を伴うものではない。「権利」(ライツ:rights)の対義語としての「義務」(デューティ:duty)は、「誰かから要求されたわけではなく、人として当然果たすべきこと」である。「ライツ・アンド・デューティズ」と言えば、「人間として当然要求できることと、人間として当然果たすべきこと」という意味であり、「権利は義務の対価」という意味ではない。ライツとデューティは、表裏一体の「人間として当然のもの」である。人権とは、国家権力が課した「義務」(オブリゲーション:obligation)を果たしたことの対価として、国家権力から恵与されるものではない。(76、77、78ページ)

「人それぞれ」は対話を拒み連帯を妨げる
最近の風潮として、「人それぞれ」が蔓延(まんえん)している。「人それぞれ」という言葉は、相手(個性)を尊重するかのようであるが、他人の意見をよく聞かずに切り捨てる言葉である。それは、人々に対話を拒否させて合意形成をしない、人々の連帯を妨げるものであり、民主主義社会の根幹を掘り崩してしまいかねない。民主主義の理念とは、他人と協力することで、一人で生きていくよりも安全で快適に生きていくことである。そのために、自分たち自身で妥当なルールを決め、それを共有することである。(137、155、156ページ)

個性の尊重は微妙な差異の競い合いにすぎない
「個性重視」をめぐって、「みんなちがって、みんないい」(金子みすず:私と小鳥と鈴と)というフレーズや、「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」(槇原敬之:世界に一つだけの花)という歌詞を見聞きする。多様性を尊重することは重要である。「個性」や「その人らしさ」は、個人の属性ではなく、個人間の関係性である。また、それは、成長する過程で、社会に流通している既存の価値観を選択することで形成されるものである。「もともと特別」などということはない。「個性」や「その人らしさ」は千差万別というよりは、社会的に許容可能な範囲内での変異に収まる。それゆえ、「個性」や「その人らしさ」の尊重とは、ある許された範囲内での微妙な差異の競い合いということになる。(162、163
ページ)

真の道徳教育は対話の教育である
現在、社会全体が「感情」や「思い」を尊重し、「心」を重視する方向に進んでいる。感情は個人的で、その人の立場に依存するものであり、誰しもが認める「正しさ」の根拠とはならない。共有できる「正しさ」は、感情ではなく、客観的な事実と合理的な予測にもとづいた対話によって作っていかなければならない。また、「思い」は、強いことが評価される傾向にあるが、強ければよいというわけではない。「何を思うか」のほうが大切である。そして、「心」が重視されるなかで、(内発的な動機が無視され)特定の徳目(道徳内容)を押しつけ、刷りこむ道徳教育が推進されている。徳目を覚えたからといって、その徳目を実践できるとは限らない。徳目の一方的な刷りこみそのものが、非道徳的である。道徳教育にとって重要なことは、「正しさ」(何が正しいことか)を判断する能力や技術を身につけることである。それは対話の能力であり、「対話の技術」である。(173、264、267、274ページ)

〇ところで、[3]で山口は、「ネットで一番ヒットするのは『普通の人』の意見」という見出しの一節で、次のように述べている。「ネットで情報発信するためには何の資格も学識もいらないので、ネット上のサイトや掲示板には、憶測や妄想にもとづくいい加減な記述があふれかえっている。パソコンの画面に表示されたからといって、それは権威あるものではなく、その辺の居酒屋での世間話や、個人の思いをつらねた日記などと同等の信用性しかないものが大部分なのである」(237~238ページ)。
〇また、社会学者の宮台真司(みやだい・しんじ)も、『まちづくりの哲学―都市計画が語らなかった「場所」と「世界」―』(ミネルヴァ書房、2016年6月)という本のなかで次のように述べている。 「ネットが同じ穴のムジナだけが集う<劣化空間>を提供する。<劣化空間>でつけあがる輩(やから)が、電子掲示板や、ブログのコメント欄や、ツイッターなどのSNSを、炎上させる。<劣化空間>は『馬鹿にとっては逃避先』であるが、『馬鹿でない人々にとっては真っ先にそこから逃げ出したい場所』である。ネット上では、見識の深い作家や批評家の発言と、劣化した人々の発言とが、等価になる。そうしたコミュニケーション空間では、見識の深い作家や批評家から順番に退却していく道理である」(51ページ、要約)。
〇筆者はこれまで、ブログ(「市民福祉教育研究所」)を通して、「まちづくりと市民福祉教育」に関する議論のための素材や情報の提供によるひとつの「問いかけ」を行なってきた。その際、「知識は体系になって、はじめて力を発揮するのであって、断片の寄せ集めは単なる雑学である」([3]228ページ)こと、すなわち知識や情報の構造化・体系化が厳しく問われることについては、多少なりとも留意してきた。しかし、“多少”では困るのである。ここで改めて、肝に銘じておきたい。

補遺
山口は[3]で、「対話の技術」(どのように対話すればよいのか)について、その要点を次のように「まとめ」ている(259~260ページ)。

①自分から見て、どんなに不正だと思える相手についても、その人なりの立場や感情があるはずなので、まずはそれを理解しようとすることが大切である。
②それから、問題となる事態を具体的に特定し、それが事実に反する思いこみや、中身のない言葉だけのものではないかを検討する。
③人間の思考にはバイアス(偏り)がかかっていることを自覚する。
④自他の要求を明確化することで、争点を明確化する。
⑤要求が、事態の改善につながる因果関係を持っているかどうかを検討する。
⑥相手の思考の体系を理解したうえで、その問題点を指摘し改善策を提示するような建設的な質問をする。
⑦自分自身の立場を反省する。
⑧事実認識を共有する。そのためには、ネット情報に頼らず、学術的な研究や一次資料を確認する。
⑨共有されている価値観を確認し、価値観同士が両立しえない場合には、どの程度のところまでが許容範囲なのかについて合意形成する。現実をその許容範囲に収束させるための適切な手段を検討する。

【初出】
<雑感>(56)阪野 貢/続・「対話」考:山口裕之を読む―「みんなちがって、みんないい」はどこまで許容できるのか―/2017年12月1日/本文

 


21  「 弱さ」のデザイン


<文献>
(1)天畠大輔『<弱さ>を<強み>に―突然複数の障がいをもった僕ができること』岩波書店、2021年10月、以下[1]。
(2)澤田智洋『マイノリティデザイン―「弱さ」を生かせる社会をつくろう―』ライツ社、2021年1月、以下[2]。
(3)高橋源一郎・辻信一『弱さの思想―たそがれを抱きしめる―』大月書店、2014年2月、以下[3]。
(4)鷲田清一『<弱さ>のちから―ホスピタブルな光景―』講談社、2014年11月、以下[4]。

「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、 それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」(国連総会決議「国際障害者年行動計画」1980年1月30日採択)

〇筆者(阪野)の手もとにいま、天畠大輔(てんばた・だいすけ)の『<弱さ>を<強み>に―突然複数の障がいをもった僕ができること』(岩波書店、2021年10月。以下[1])と、澤田智洋(さわだ・ともひろ)の『マイノリティデザイン―「弱さ」を生かせる社会をつくろう―』(ライツ社、2021年1月。以下[2])という本がある。天畠は、四肢マヒ、発話障害、嚥下(えんげ)障害、視覚障害などの重複障害を抱える、「世界でもっとも障害の重い研究者のひとり」である。澤田は、「息子に視覚障害があるとわかってから、『強さ』だけで戦うことをやめた」コピーライターであり、「言葉とスポーツと福祉」が専門の広告クリエイターである。ともに1981年生まれの気鋭のヒトである。
〇[1]で天畠は、生活上の困難(「弱さ」)と徹底的に向き合いながら、独自のコミュニケーション法(「あ、か、さ、た、な話法」)を創り、24時間介助による一人暮らし、大学進学、会社の設立(介護者派遣事業所)、大学院での当事者研究(博士号取得)、全国各地の重度障がい者と介助者の相談支援活動など、自身の人生の軌跡と生き様を紹介する。その際のキーワードのひとつは「当事者力」「当事者研究」である。天畠はいう。「当事者力」とは、「自身の抱える困難<弱さ>を自覚し、社会にその困難<弱さ>と解決の方法を訴えていく力」(182ページ)である。「当事者研究」は、障がい者の生活が制度によって “ 囲われた生活 ” になっている状況を打開し、「個人的なこと」を「政治的なこと・社会的なこと」に結びつける。すなわち当事者研究には、障害の「個人モデル」を「社会モデル」に転換し、社会規範を変える・社会変革を促す障がい者運動を再び活性化させる可能性がある(212ページ)。
〇いまひとつのキーワードは「合理的配慮」であろう。合理的配慮とは、「障がいのある人が、過度な負担を伴わず社会参加の機会を得られるように社会の障壁を取り除き、障がい者に配慮すること」(69ページ)をいう。2016年4月の障害者差別解消法の施行をきっかけに社会で大きく注目を集めるようになった。
〇天畠の「合理的配慮」に関する論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「弱さ」を「強み」にする「合理的配慮」
介助者の介入ありきで論文を書きあげるという、一般的に考えられている規範(かくあるべきもの)からは外れてしまう自分の「弱い」部分にあえてスポットを当て、逆にそのことの合理性の証明を(個人的なことを徹底的に深堀りする)当事者研究によって実践してきた。そしてそれを発信することで、社会の見方を変え、すでにある合理性の考え方やその境界線を変化させること、ひいては合理的配慮の範囲を広げていくことにも繋がる、という可能性を実感した。/合理的配慮は「与えられるもの」ではない。「でき上がっているもの」でもない。当事者が自分のニーズを発信して、何が合理的であるかを社会と対話しながら、つくり上げていくものなのである。/障がい者が合理的配慮を受けるのは権利であるが、配慮を受けるためには相応の「責任を負う」。(73~74ページ)/「当事者が制度の上にあぐらをかいてはいけない」(74ページ)

介助者と協働で書いた論文は「自分の論文」と言えるのだろうか‥‥‥。介助者の能力に「依存」して、僕は自分の能力を水増しさせているのではないか‥‥‥。僕は論文執筆における「能力の水増し問題」に長く苦しめられることになった。(130ページ)/僕は「介助者と協働で論文執筆する研究方法」にみずから疑問を持ちながら、介助者と協働で博士論文を書き上げた。しかし、ある意味自分の<弱さ>と徹底的に向き合っていく作業ともいえるその過程で、誰しもが自分一人の能力で生きているわけではない、ということに気がついた。ちなみに僕は<弱さ>という言葉を、社会的規範からはみ出てしまうこと、それに付随する生きづらさという意味で使っている。(131ページ)

僕は常に介助者との関係性のなかで自己決定をしている。(204ページ)/一見すると僕の自己決定のあり方はとても特殊なように思えるが、他者とかかわりながら生きていく以上、「健常者」であっても発話が可能な障がい者であっても、基本はみんな同じである。誰もが、自分以外の他者の影響を受け、ときに〝妥協〟しながら、日々自己決定をしていると言えるのではないか。(204~205ページ)/研究の結果たどり着いたのが、「<弱い>主体としてのあり方を受け入れる」という思いである。他者の意見に左右されながら、そして協働しながら、モノを生み出していくことは、障がいがあるゆえの特別なことではなく、人間誰もがそういった側面を持っている。そのことへの気づきによって、僕の持つ生きづらさは軽減された。さらに、それがいかに合理的であるかということを論理的に分析していくことで、逆に自分の<弱さ>が<強み>になることもある、という発見に至った。(205ページ)

今の社会で能力主義から自由に生きられる人はほとんどいないのではないか。(225ページ)/能力主義は、個人の努力や責任を求めるあり方である。しかし、重度障がい者の置かれている現状をみれば、個人の努力や責任ではどうにもならないことのほうが多いのである。/僕は介助なしでは何もできない。しかし、だから多くの人とかかわり、深く繋がり、ともに創りあげる関係性を築いていける。それが僕の<強み>になっている。能力がないことが<強み>なのである。自分だけで何もできないことは、無能力と同義ではない。(226ページ)

〇[2]で澤田はいう。だれもが持つマイノリティ性である「苦手」や「できないこと」、「障害」、「コンプレックス」は、克服しなければならないものではなく、生かせるものである。だれかの弱さは、だれかの強さを引き出す力である(12ページ)。人はみな、なにかの弱者・マイノリティであり(42ページ)、人はみな、クリエイターである。(324ページ)。そこに「マイノリティデザイン」という新して言葉と考え方を見出す。
〇澤田は「運動音痴」すなわち「スポーツ弱者」である。そこで、「スポーツ弱者を、世界からなくす」ことをミッションに、90競技以上の「ゆるスポーツ」を発案する。粘り気のあるハンドソープを手につける「ハンドソープボール」、イモムシをモチーフにした衣装を着てコート内を這う「イモムシラグビー」、穴の開いたラケットを使う「ブラックホール卓球」等々である。勝利至上主義や強者にハンデをつけるスポーツではなく、「勝ったらうれしい、負けても楽しい」「健常者と障がい者の垣根をなくした」スポーツである。その競技場には、「弱さを強さに変える」仕事をする、「(目の見えない息子の)弱さを生かせる社会」を(息子に)残したいという澤田の姿がある。
〇澤田の「マイノリティデザイン」に関する論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

マイノリティデザインは「弱さを生かせる社会」を創る
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」。トルストイの言葉である。/「弱さ」のなかにこそ多様性がある。(51ページ)/だからこそ、強さだけではなく、その人らしい「弱さ」を交換し合ったり、磨き合ったり、補完し合ったりできたら、社会はより豊かになっていく。/息子が目に見えないという「弱さ」と、自分のコピーを書けるという「強さ」をかけ合わせる。自分がスポーツが苦手という「弱さ」と、いろいろな人の「強さ」をかけ合わせる。/今、僕は「強さ」も「弱さ」も、自分や大切な人のすべてをフル活用して仕事をしている。弱さは無理に克服しなくていい。あなたの弱さは、だれかの強さを引き出す力だから。/弱さを受け入れ、社会に投じ、だれかの強さと組み合わせる――これがマイノリティデザインの考え方である。そして、ここからしか生まれない未来がある。(52ページ)/マイノリティとは、「社会的弱者」ではなく、「今はまだ社会のメインストリームには乗っていない、次なる未来の主役」である。(42ページ)

すべての「弱さ」は社会の「伸びしろ」
「迷惑かけて、ありがとう」。昭和のプロボクサーでありコメディアンのたこ八郎さんの言葉である。(326ページ)/迷惑とは、あるいは弱さとは、周りにいる人の本気や強さを引き出す、大切なもの。/だからこそ、お互い迷惑をかけあって、それでも「ありがとう」と言い合える関係をつくれたなら、これ以上の幸せはない。/すべての弱さは、社会の伸びしろ。(327ページ)

〇筆者(阪野)の手もとにいま、上記の2冊のほかに、「弱さ」をテーマにした本が2冊ある。高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)・辻信一(つじ・しんいち)の『弱さの思想―たそがれを抱きしめる―』(大月書店、2014年2月。以下[3])と、鷲田清一(わしだ・きよかず)の『<弱さ>のちから―ホスピタブルな光景―』(講談社、2014年11月。以下[4])がそれである。
〇[3]は、2010年から2013年にかけて行われた「弱さの研究」(共同研究)に基づく、高橋(作家、社会批評家)と辻(文化人類学者、環境運動家)の対談本である。その研究の「目的と意義」は次の通りである。

「弱さの研究」の目的と意義
社会的弱者と呼ばれる存在がある。たとえば、「精神障害者」、「身体障害者」、介護を必要とする老人、難病にかかっている人、等々である。あるいは、財産や身寄りのない老人、寡婦、母子家庭の親子も、多くは、その範疇(はんちゅう)に入るかもしれない。自立して生きることができない、という点なら、子どもはすべてそうであるし、「老い」てゆく人びともすべて「弱者」にカウントされるだろう。さまざまな「差別」に悩む人びと、国籍の問題で悩まなければならない人びと、移民や海外からの出稼ぎ、といった社会の構造によって作りだされた「弱者」も存在する。それら、あらゆる「弱者」に共通するのは、社会が、その「弱者」という存在を、厄介なものであると考えていることだ。そして、社会は、彼を「弱者」を目障りであって、できるならば、消してしまいたいなあ、そうでなければ、隠蔽(いんぺい)するべきだと考えるのである。/だが、ほんとうに、そうだろうか。「弱者」は、社会にとって、不必要な、害毒なのだろうか。彼らの「弱さ」は、実は、この社会にとって、なくてはならないものなのではないだろうか(かつて、老人たちは、豊かな「智慧」の持ち主として、所属する共同体から敬愛されていた。それは、決して遠い過去の話ではない)。/効率的な社会、均質な社会、「弱さ」を排除し、「強さ」と「競争」を至上原理とする社会は、本質的な脆(もろ)さを抱えている。精密な機械には、実際には必要のない「可動部分」、いわゆる「遊び」がある。「遊び」の部分があるからこそ、機械は、突発的な、予想もしえない変化に対処しうるのだ。社会的「弱者」、彼らの持つ「弱さ」の中に、効率至上主義ではない、新しい社会の可能性を探ってみたい。(高橋:11~12ページ)

〇[3]では、“ 大きいこと ” や “速いこと ” などを良しとする「強さ」の思想と “ 小さいこと ” や “ 遅いこと ” などに価値を見出す「弱さ」の思想を対比するなかで、「弱さの再発見」を説き、「弱さの思想」の必要性が打ち出される。
〇要するにこうである。人間は、身体をもつ存在(身体的存在)であり、必ず死を迎える有限性がある、本質的に「弱い」存在である(有限性=弱さ)。それゆえに人間は、家族やコミュニティを形成し、支え合い・分かち合い・補い合うという「内なる力(パワー:Power)」によって生きている。そしてそこに、やさしさや思いやり、明るさや楽しさなどの人間的な価値や意味が見出されることになる。政府や法律などによる強制力をもつ「外なる力(フォース:Force)」ではなく、この「内なる力」こそが真の強さである(7ページ)。すなわち人間には、「弱さ」のなかに多様な可能性があり、「強さ」が潜んでいる。「弱さの強さ」である(71ページ)。
〇現代社会は、経済成長をひとつのゴールとする競争社会である。競争は、多様性を犠牲にし、均質性や効率性を重視する。そこでは「強さ」が追求され、「弱さ」が排除される。その意味で、現代社会は強者に向けて設計されている社会である(74ページ)。現実世界では、社会的・経済的・(自然)環境的な破綻が露わになり、「強さ」と信じられてきたものの「弱さ」が明らかになっている。「強さの弱さ」である。そしていま、「強さ」をめぐる競争ではなく、多様な者たち同士がお互いの「弱さ」を補い合いながら如何に豊かに生きるか、すなわち多様性を如何にとりもどすか、人間に根源的に備わっていた「弱さの思想」を如何に育てるかが問われている。それは、「弱さ」を中心とした共同体を形成すること、弱者に向けて社会を設計し直すことを意味する(95ページ)。そこでは、「弱さの思想」の入口として、競争の「勝ち」「負け」や、人間の「弱さ」や「強さ」という二元論から自由になることが求められる(203ページ)。
〇次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「弱さの思想」と社会改革
この社会は、弱いとか強いとかというふうに二元論的にできていて、強さを上に、弱さを下にした固定的なヒエラルキーでオーガナイズされている。弱さの思想とは、その「強さ・弱さ」の二元論そのものを超えていくことである。この二項対立を溶かしていく、あるいは無効化していく。それが、社会を支配・被支配のない、よりよい場所へと変えていくのに役立つことになる。社会について言えることはそのまま自分にも言えるわけで、まずは内なる二元論やヒエラルキーからいかに自らを解き放つか、である。(辻:203~204ページ)

〇なお、高橋と辻は、「勝ち」「負け」や「弱さ」「強さ」の二元論から自由になるための方策、すなわち「弱さの思想」(「勝たないし、負けない」、「勝ち負け」そのものを超えるという考え方(161ページ) ) に基づく社会を実現するための具体的方策については言及しない。ここでは、そのひとつとして、社会的に弱い立場に置かれている人々の「内なる力」を育成・強化し、社会改革に向けた下からの草の根運動としてその力を臨機応変に発揮する、そのための教育的営為が必要かつ重要となる、と言っておきたい。
〇[4]で鷲田(哲学者)は、僧侶をはじめ教師、建築家、ゲイバーのマスター、性感マッサージ嬢、精神科医、医療シーシャルワーカーなど、人を「温かくもてなす」(hospitable) 仕事をする13人へのフィールドワーク(聞き書き)を通して、ケア(世話)する人がケアを必要としている人に逆にケアされるという反転(「ケアの反転」)の意味を追い、ケア関係の本質に迫る。そこでは、自分と他者の弱さを受け入れ、その存在を認め合い、信頼して他者に身をあずける関係(「存在を贈りあう関係」)が必要かつ重要となる。鷲田はいう。「『弱さ』は『強さ』の欠如ではない(松岡正剛)」(226ページ)。「弱い者には強い者を揺さぶるような力(弱さの力)がある」(210ページ)。「〈弱さ〉はそれを前にしたひとの関心を引きだす。弱さが、あるいは脆(もろ)さが、他者の力を吸い込むブラックホールのようものとしてある」(212ページ)。「ケアを、『支える』という視点からだけではなく、『力をもらう』という視点からも考える必要がある」(221ページ)。
〇鷲田による  “  まとめ  ”  のエッセイ(「めいわくかけて、ありがとう」:たこ八郎)から、次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「存在を贈りあう関係」と生きる力
じぶんがここにいることがだれかある他人にとってなんらかの意味をもっていること、そのことを感じることができれば、ひとはなんとかじぶんを支えることができる。(231ページ)/じぶんの存在が、「ふつうのひと」としてではなく、看護され、介護されるべきひとという規定を受けることが、病院や施設のなかでひとをいかに生きづらくしているかは、しばしば語られてきたことである。ひとは世話をしてもらう、聴いてもらうばかりでなく、じぶんだってひとの世話ができる、じぶんだって聴いてあげられる、じふんだってここにいる意味があるのだ、という想いが閑(しず)かに湧いてくるとき、ちょっとばかり元気になるものだ。/じぶんのしていることが、あるいはじぶんの存在が、だれか別のひとのなかである意味をもっていると確認できること、そのことが生きる意味をもはやじぶんのなかに見いだせなくなっているひとがなおもかろうじて生きつづけるその力をあたえるということとともに、その逆のこと、つまり他者に関心をもたれている、身守られているのではなく他者への関心をもちえているということもまた、ひとに生きる力というものをあたえてきたのではないだろうか。(232ページ)

【初出】
<雑感>(146)阪野 貢/「弱さ」考―「弱さの強さ」と「強さの弱さ」―/2021年11月24日/本文

 


22  「 共同体」の教育的営為


<文献>
(1)内田樹『サル化する世界』文藝春秋、2020年2月、以下[1]。
(2)内田樹・平川克己『沈黙する知性』夜間飛行、2019年11月、以下[2]。

〇筆者は「内田樹の世界」への旅を重ねてきた。今回は内田の新刊書『サル化する世界』(文藝春秋、2020年2月。以下[1])を旅することにした。[1]は、雑誌のコラムや講演録、対談やインタビューなどを加筆修正し、再構成したものである。内田にあっては、挑発的なタイトルの「サル化」とは、「今さえよければ、自分さえよければ、それでいい」という時間意識の縮減や自己同一性の委縮した人たちが主人公になっている歴史的趨勢(過程)のことを言う。「サル」は、中国の「朝三暮四」(ちょうさんぼし)という説話に由来する(補遺① 参照)。
〇日本社会ではいま、「身の丈(たけ)にあった」「期待される」「自分らしい」生き方が推奨あるいは強制されている。それは、生き方の定型化・固定化を促すものである。「成熟」とは多様に「変化」し「複雑化」することであるが、それを認めないのが現代社会である。人びとが感じている「生きづらさ」や「息苦しさ」の原因のひとつは、ここにある。そのような視点から、内田は[1]で、自分の身の丈を超えて自由に多様に生きることを提案する。人間は、成長するにつれて、「考え方が深まり、感情の分節がきめ細かくなり、語彙(ごい)が豊かになり、判断が変わり、ふるまいが変わる」(8ページ)。それが「成熟」である(「なんだかよくわからないまえがき」)。
〇以下に、[1]で筆者が「共感」する2つの視点・言説に限ってメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

教育の主体は集団であり、「共同体の存続」をめざす営為である
教育する主体は集団である。そして、教育の受益者も集団である。教育は集団の義務である。教育の受益者は子どもたち個人ではなく、共同体そのものである。共同体がこれからも継続して、人々が健康で文化的な生活ができるように、われわれは子どもを教育する。(216ページ)。
「教師団」には、今この学校で一緒に働いている人々だけではなく、過去の教師たちも未来の教師たちも含まれている。そういう広々とした時間と空間の中で、教育活動は行われている。そして、そういうような時代を超えた集団的活動が可能なのは、教育事業の究極の目的が「われわれの共同体の存続」をめざすものだからである。(219ページ)
教育政策の適否を計る基準は一つしかない。それはその政策を実行することが子どもたちの市民的成熟に資するかどうか、それだけである。市民的成熟に関係のないこと、それを阻(はば)むものは教育の場に入り込ませてはいけない。そういう基準で教育政策の適否を判定する習慣をわれわれは失って久しい。それが現在の日本の教育の混乱と退廃をもたらしている。(219ページ)

相互扶助的な共同体は「持ち出し」覚悟の私人から立ち上がる
地域社会の相互扶助的なマインドは簡単に無くなってしまった。共同体は簡単に崩れてしまう。これから先、日本社会はゆるやかに定常経済に移行してゆく。そんななかで、相互扶助的な共同体を再生する必要がある。(260、261ページ)
相互支援の共同体を立ち上げるというのは、基本的には行政の支援を当てにするのではなく、私人が身銭を切って、自分で手作りする事業である。「持ち出し」である。私人たちが持ち寄った「持ち出し」の総和から「公共」が立ち上がる。はじめから「公的なもの」が自存するわけではない。公的なものは私人が作り出すのである。(269、270ページ)
今、市民たちはどうやって「公的なもの」から私権・私物を取り出すことができるかを競っている。政府は、国民に対して「私権を抑制しろ、私有財産を差し出せ」とうるさく命令している。逆である。国民が自発的に私権を抑制し、私有財産を贈与するときに、そこに公共が立ち上がる。(270ページ。補遺② 参照)

〇内田の新刊書に、平川克己との対談本『沈黙する知性』(夜間飛行、2019年11月。以下[2])がある。対談のテーマや内容は、言葉や世論にはじまり、日本社会の衰退やグローバリズムの終焉、そして村上春樹や吉本隆明等々、多面的かつ多層的である。ここでは、[2]における次の3つの言説だけを再認識しておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

言葉に対する怯えや覚悟
何かを語ろうとしてる人間はみな「自分が発信している言葉は、誰かの言葉をパラフレーズ(言い換え、置き換え)しているだけかもしれない」ということを自覚しておく必要がある。その自覚がないから、自分たちの思考がパターン化した思考の枠組みをなぞっているだけだという自覚もないし、逆に、お気楽に傲慢で攻撃的な言葉を発することができるとも言える。言葉に対して、怯(おび)えや覚悟というものがあってもよい。(平川:35ページ)

身体感覚と生活実感のある言葉
「ほんとうのこと」「本音」を言うためには、命を賭けなければならない。生身の身体(身体性)や現実生活の常識から乖離した言葉には、説得力がない。一方で、身体感覚に裏付けられた言葉だけではなく、抽象度の高い言葉を使っていかないと思想は形成できない。そこで、抽象度の高い言葉を、生活実感のある言葉で裏打ちしていく作業(「伝わる言葉」への変換)が必要になる。(平川:57、58、305ページ)

孤独な沈黙のなかでの知性
見聞の狭い人間は、目の前の現実を見てすぐに「前代未聞」だと浮き足立ったり、有頂天になったりする。知識人は逆に、何を見ても「これはどこかで見たことがあるんじゃないかな」というところから吟味(ぎんみ)をする。そして、どういう文脈で「こういうこと」が起きたのか、過去の事例を参照しながら理解しようとする。知識人の、この孤独な沈黙のなかでの営為が、未来を切り拓く。これが本物の知性である。(内田:106、109ページ)

〇なお、筆者はかつて、「まちづくり」のための市民性形成(市民的資質・能力の育成)と市民運動に関して、次のように述べたことがある。「市民運動は通常、自らの、あるいは他者の尊厳や生命・生活が脅かされるときに、多くの市民が集合し、集合行為として展開される。その際、その運動は、必ずしも環境や立場を同じにする人びとが集まって展開されるものではない。運動に参加する人びと(運動主体)は多様であり、運動の目的も直接的に自らの利益や地位向上などのための利己的なものではない。運動主体の多くは、利己主義を超える人間観や社会観をもっており、社会的な事象や出来事に積極的に関与し、自己決定し、共通認識のもとに連帯して行動する自発的で能動的かつ自律的な個人である。また、その個々人は、運動展開の過程で他者理解を深め、自己を再発見し、自己変容・変革を促す。それを通して、他者との相互連携がより深化・発展するのである。」(<まちづくりと市民福祉教育>(3)福祉のまちづくり運動と市民福祉教育/2012年7月4日投稿)。これは、まちづくりのための市民運動や市民福祉教育についての理念的な管見である。本稿のサブタイトルに関して付記しておくことにする。

補遺 ①
中国の春秋時代の宗(の国)にサルを飼う人がいた。朝夕四粒ずつのトチの実をサルたちに給餌(きゅうじ)していたが、手元不如意(てもとふにょい。家計が苦しく金がないこと)になって、コストカットを迫られた。そこでサルたちに「朝は三粒、夕に四粒ではどうか」と提案した。するとサルたちは激怒した。「では、朝は四粒、夕に三粒ではどうか」と提案するとサルたちは大喜びした。
このサルたちは、未来の自分が抱え込むことになる損失やリスクは「他人ごと」だと思っている。その点ではわが「当期利益至上主義」者に酷似している。「こんなことを続けていると、いつか大変なことになる」とわかっていながら、「大変なこと」が起きた後の未来の自分に自己同一性を感じることができない人間だけが「こんなこと」をだらだら続けることができる。その意味では、データをごまかしたり、仕様を変えたり、決算を粉飾したり、統計をごまかしたり、年金を溶かしたりしている人たちは「朝三暮四」のサルとよく似ている。([1]22ページ)

補遺 ②
スモールサイズの「顔の見える共同体」で、地域・住民自らが医療や福祉・介護などに関するサービスや事業活動を相互支援的に手作り・手売り・手渡しし、自律的なコミュニティをつくることが肝要である。「こんなところで小さくやったって社会は変わらないよ」ではなく、逆に「小さくやるから変われる」のである([1]324~325、326ページ)。

【初出】
<雑感>(110)阪野 貢/共感の世界:「教育は集団的営為であり、市民的成熟に資することである」ということ―内田樹著『サル化する世界』のワンポイントメモ―/2020年6月22日/本文

 


23  「 贈与」の意義


<文献>
(1)白井聡『武器としての「資本論」』東洋経済新報社、2020年4月、以下[1]。
(2)斎藤幸平『人新世の「資本論」』集英社、2020年9月、以下[2]。
(3)内田樹『コモンの再生』文藝春秋、2020年11月、以下[3]。
(4)マルセル・モース、森山工訳『贈与論 他二篇』岩波文庫、2014年7月、以下[4]。
(5)仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉――〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』名古屋大学出版会、2011年2月、以下[5]。
(6)山田広昭『可能なるアナキズム――マルセル・モースと贈与のモラル』インスクリプト、2020年9月、以下[6]。

「贈与」の概念を初めて体系的な社会分析のために用いた研究は、マルセル・モースの『贈与論』である。その主要な問いは、贈物の中に潜むいかなる力が、貰い手に返礼させるのかというものである。これに対するモースの答は神秘性を帯びている。つまり、マオリ族が用いる「ハウ」という観念それ自体に原因を求めた。「ハウ」とは、「物の霊、とくに森の霊や森の獲物の霊」とされ、返礼されずにいると――もち主を殺してでも――元の場所に戻りたがる「贈与の霊」である。贈与者は、贈物をハウと共に送ることで、貰い手に対して神秘的で危険な力を行使していることになる。この観念を媒介として、富、貢納、贈与の義務的循環と、それを通じた社会的結合関係の維持機能を説明するというのが、かの古典的名著の主旨であった。([5]28ページ)

〇筆者(阪野)の手もとにいま、3冊の本がある。白井聡(しらい さとし)著『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社、2020年4月。以下[1])、斎藤幸平(さいとう こうへい)著『人新世の「資本論」』(集英社、2020年9月。以下[2])、内田樹(うちだ たつる)著『コモンの再生』(文藝春秋、2020年11月。以下[3])がそれである。現代の日本社会は、「格差」「分断」「貧困」、そして「コロナ禍」などの言葉で語られる。その現状は、「グローバル資本主義末期における、市民の原子化・砂粒化、血縁・地縁共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠(さくばく)たる」([3]6ページ)ものである。この3冊の本は、こうした行き詰まる資本主義社会の「いま」と、向こう側の新たな「社会像」について思考する際に役立つ。
〇[1]にあっては、自立が強制され、自己決定(自己責任)が追及される現代資本主義社会を生き延びるための「武器」になるのは、カール・マルクスの『資本論』である。1980年代以降の新自由主義(ネオリベラリズム)は、「小さな政府」「規制緩和」「市場原理主義」などをキーワードに、社会の仕組みだけではなく、人間の魂や感性、センスを変えてしまった。資本による生産・労働過程のそれのみならず、労働者の魂、人間の全存在(身体・心理・文化・社会的諸側面の全体。人間の「全体性」)の「包摂」である(66、67ページ)。[1]は、『資本論』のキモを平易に解説した画期的な入門書であるが、裏にあるテーマは「新自由主義の打倒」(222ページ)である。別言すれば、「資本主義を内面化した人生から脱却するための思考法」(「帯」)である。
〇[2]において斎藤は、「マルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を〈コモン〉として持続可能に管理することであった」(190ページ)として、「資本主義の転換」を迫る。その際の〈コモン〉とは、「社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す」。それは、資本主義(新自由主義)でも社会主義(国有化)でもない「社会像」(「脱成長コミュニズム」)であり、「水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理する」(141ページ)ことをめざす。
〇[3]で内田はいう。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によって、グローバル資本主義と新自由主義は大規模な修正を余儀なくされることになる。その先に取り得る選択肢のひとつが「コモンの再生」である。それは「いま」、世界各地で、共同・協働のネットワークの再評価が始まっていることからもうかがい知ることができる(270ページ)。内田にあっては、国民国家がより小さな政治単位に分割されてゆく「『地域主義』がこれからの流れ」(261ページ)になるなかで、「コモン(共有地)」とは(「私」ではなく)「私たち」による「ご近所」共同体(6ページ)である。
〇私事にわたるが、2020年9月、「PSA:4.43」が筆者のその後の生活を決することになった。同年12月、「グリソンスコア:9」によって奈落の底に突き落とされる。そして、コロナ禍のなかの2021年4月、手術のために12日間の入院生活を強いられた。入院中のある日、(本当に)何故かふと、40年以上も前のことであるが、他界した伯父の「献体」のことを思い出した。身体の「贈与」である。なお、伯父は晩年、百姓仕事などのすべてを娘婿に渡し、近くの寺院(真宗高田派本山 専修寺)で奉仕活動に没入している。
〇いま、資本主義社会の行き詰まりについて批判する文脈で、またコミュニティの再興が叫ばれ、「コモンズ」(共有資源)や「コミュニズム」(共同体主義)について論じられるなかで、「贈与」が注目されている。「贈与」は多義的で、多用あるいは乱用されている感があるが、その言葉で思い出すのはマルセル・モースの『贈与論』である。モース(1872年~1950年)は、フランスの社会学者・文化人類学者であり、協同組合運動を中心とする社会主義思想への共感・共鳴を示していた。1925年に出版された『贈与論』は、「バイブル的存在」(小林修一)、「現代贈与論の原点」(平尾昌宏)などと評される。周知の通りである。
〇以下では、モース著・森山工(もりやま たくみ)訳『贈与論 他二篇』(岩波文庫、2014年7月。以下[4])におけるモースの基本的な議論・主張のうちから、(1)「贈与の3つの義務」と(2)「全体的社会的事象」についてのみ再確認しておくことにする。それは例によって、「市民福祉教育」実践・研究に「使える」であろう理論や方法に関する筆者の個人的な関心による。
〇モースにあっては、伝統的な「贈与」は、「贈り物をおこなう義務」「贈り物を受け取る義務」、そして「受け取った贈り物に対してお返しをする義務」の3つの義務から成っている。この「贈与」「受領」「返礼」という義務のうち、その根幹に位置づけられるのは第3の義務すなわち「返礼」である。それは、「贈与」と「受領」の義務を前提としている(101ページ)。要するに、モースがいう「贈与」は、相互性(互酬性)に基づく義務的な「贈与交換」(「贈与と交換」「贈与=交換」「贈与という名の交換」)である。そして、モースによると、「贈与」「受領」「返礼」は「気前よく」(60ページ)なされねばならず、「借りを返さないままでいる」(395ページ)と劣位に置かれたり、対抗関係を生み出すことになる。この点は現代社会においても然りである。「ギフト(gift)という一つの単語が『贈り物』という意味と『毒』という意味」(37ページ)の両義性を持つといわれる所以でもある。物の贈与には悪意や敵対といった感情的要素(感情的価値)が備わっているのである。モースはいう。「物には依然として情緒的な価値(精神的価値:筆者)が備わっているのであって、貨幣価値に換算される価値(金銭的価値:筆者)だけが備わっているわけではない」(393ページ)。
〇「返礼」の義務の特徴は、「贈与の恩恵に浴した人には、もらったものと等価のものに、さらに何かを上乗せしてお返しすることが義務づけられるようになること」(15ページ)にある。そして、「贈与」「受領」「返礼」が果たす機能は、物の交換や流通それ自体ではなく、「贈り物を受け取るということ、さらには何であれ物を受け取るということは、呪術的にも宗教的にも、倫理的にも法的にも、物を贈る側と贈られる側とにある縛りを課し、両者を結びつける」(43ページ)ことにある。すなわち、「贈与」「受領」「返礼」の循環・体系は、個人や集団などの間に友好的な関係(紐帯)を生み出し、その維持・強化を促すのである。モースはいう。「社会が発展してきたのは、当のその社会が、そしてその社会に含まれる諸々の下位集団が、さらにその社会を構成している個々人が、さまざまな社会関係を安定化させることができたからである。すなわち、与え、受け取り、そしてお返しをすることができたからである」(450ページ)。
〇ところでモースは、「贈与」は、「社会生活をかたちづくるあらゆることが、ここで混ざり合っている」という。それは、「宗教的な制度であり、法的な制度であり、倫理的な制度である――この場合、それは同時に政治的な制度でもあり、家族関係にかかわる制度でもある。それはまた、経済的な制度である」。それゆえにモースは、これを「『全体的な』社会的現象」(「全体的社会的事象」)と呼ぶことを提唱する(59ページ)。これは、「『全体』への強い志向性にもとづいて学術的探究に臨む」(「訳者解説」476ページ)モースの社会学・文化人類学の特徴を示すものである。ここで、次の一文を引いておくことにする。「全体を丸ごと考察すること、これによって、本質的なことがら、全体の動き、生き生きとした様相を把捉(はそく)することができたのであり、(中略)社会生活を具体的に観察することのうちに、新しい諸事象を見いだす手段がある。(中略)全体的社会的事象を考究すること以上に差し迫ったものはないし、また実り多いものもない」(442ページ)。
〇上述したように、モースは[4]で、「贈与の3つの義務」に基づく贈り物が循環することによって、社会的連帯・紐帯が生み出されることを指摘した。その点に関して、私事ながら本稿の冒頭に記した伯父の「献体」の贈与行為についてはどう考えるのか。公益財団法人・日本篤志献体協会によると、「献体の最大の意義は、みずからの遺体を提供することによって医学教育に参加し、学識・人格ともに優れた医師・歯科医師を養成するための礎となり、医療を通じて次の世代の人達のために役立とうとすること」(同ホームページより)にある。現在、わが国には献体篤志家団体が62団体あり、献体登録者の総数はおよそ30万5000人を越え、そのうちすでに献体した人は約14万人に達している(2019年3月31日現在)。
〇伯父の献体行為は、宗教的な動機も考えられるが、見返りを求めない、利他主義に基づく不特定の匿名他者への自発的な贈与であった。また、伯父が普段所属していたアソシエーション(機能集団)やコミュニティ(共同体)に対する個人的な感情(正義、責任、義務、感謝、愛、自己実現など)の発露であったろう。しかもそれは、医学教育に参加し、医療を通じて次世代の人達に役立とうとする公的な贈与であったといってよい。さらに言えば、医学や医療技術、生命科学や生命倫理などの発展をもたらし、回りまわって伯父の家族の自己利益にもつながることが想定される。いずれにしろ、伯父の献体行為は何らかの個人的・社会的な連帯意識に基づくものであり、またその行為の結果として人々の個人的・社会(文化)的な連帯意識の形成が促される。あえて指摘するほどに目新しいものではないが、ひとつの論点として再確認しておきたい。
〇筆者の手もとにいま、2冊の本がある。仁平典宏(にへい のりひろ)著『「ボランティア」の誕生と終焉――〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』(名古屋大学出版会、2011年2月。以下[5])と山田広昭(やまだ ひろあき)著『可能なるアナキズム――マルセル・モースと贈与のモラル』(インスクリプト、2020年9月。以下[6])がそれである。そこに見いだされるひとつの論点([5]]の〈贈与のパラドックス〉、[6]の「支配への抵抗」)について留意したい。
〇[5]において仁平は、「ボランティアをはじめとする参加型の市民社会の諸カテゴリーは、『善意』や『他者のため』と解釈される契機を不可避的に含むことになる。(中略)この『他者のため』と外部から解釈される行為の表象」を「贈与」と呼ぶ(10ページ)。そのうえで、「近現代の日本におけるボランティア言説の展開をたどり、参加型市民社会のあり方を鋭く問いなおす」(「帯」)。サブタイトルにいう〈贈与のパラドックス〉(paradox:逆説、矛盾)とは、贈与は行為者の真の意図とは別に、交換や見返り、偽善や自己満足などとして外部観察されがちである、という意味である。平易に言えば、「贈与の偽善性」「贈与の疑わしさ・怪しさ」である。
〇「アナキズム」には、「無政府主義」「政治的極左」「革命思想」といったイメージがつきまとう。その実は互酬性や相互扶助に基づく「支配に抗する思想」である。[6]において山田は、モースの『贈与論』を手がかりに、多くの思想家の議論・言説について言及し、「来たるべき経済」(贈与経済)社会を模索する。そして山田は、「非中心性、自主的連合、そしてつねにダイレクトに否を表明できる直接民主主義、これらはアナキズムの変わることのない基底である」(228ページ)。アナキズムは「個人的自由の追求と連帯の追求とがけっして矛盾しないと考える思想」である。「個人の自由の確保こそが真の連帯の条件である」(195ページ)、という。なお、ここで筆者は、アナキズムに関して「地域主義」(「小さな政府」)の理念を基盤に、「市民」のつながりや集まりである「地域コミュニティ」における「共働」をイメージしている。誤解を恐れずに付記しておきたい。

アナキズムとは、個人の自由を抑圧・侵害するようなあらゆる支配権力(とくに国家権力)を否定し、上からの組織化や統制を拒否しながら、合意によって自由で調和的な社会を建設しようとする思想である。したがってその根本には、権力による支配や強制なしに、社会を運営していくことが可能だとする発想がある。方法は大別してふたつある。ひとつは直接政治の領域に入って、国家権力を打倒しようとするものであり、もうひとつは国家権力と直接対決するのではなく、権力支配とは無縁な空間を(多くの場合、小規模かつ分散的性格の自治的協同体を建設するなどの方法で)非政治領域のなかに作り上げることによって、国家による権力支配を骨抜きにしていこうとするものである。([6]、195、196ページ。中見真理(なかみ まり)著『柳宗悦――時代と思想―』東京大学出版会、2003年3月、59~60ページ。)

補遺
筆者の手もとにいま、在野の日本近代史家・渡辺京二(わたなべ きょうじ)の本『幻のえにし――渡辺京二 発言集』(弦書房、2020年10月)がある。少し長くなるが、次の一文を引いておきたい。なお、渡辺は、『苦海浄土――わが水俣病』(講談社、1969年1月)などで知られる作家・石牟礼道子(いしむれ みちこ)を「50年間一緒にやってきた戦友」(本書、119ページ)という。二人の「道行き」(歩み)については周知のことである(米本浩二『魂の邂逅――石牟礼道子と渡辺京二――』新潮社、2020年10月)。

自分というものがこの世に生まれてきて満足するような人間のあり方というのは、一人一人が独立するしかないんですよ。一人一人が独立してね、自分の主人公になってね、そういう本当に独立した人間がある地域を介してね、地域というのは土地、土地は自然ということでもあるけれども、そういうものを介して、お互いが結びついて、その土地の生活を守り抜いていくということしか無いんですよ。
要するに、僕らは自分自身をまず独立させることなんですよ。それはどういう意味かというと、自分の考えを持つことなんですね。自分の考えを持つ。(253~254ページ)
自分の頭で考えるということは、コモンセンスで考えることなんです。コモンセンス。つまり普通の良識です。生活する上での普通の理屈で考えればいいわけなんですよ。すべての事柄は。そうするとおかしい事は、いくら理論ぶって言ったっておかしいわけなんです。そういう健全な批判能力みたいなものをね、保持していこうというのが、自分が一人である事なんですよ。(255ページ)
つまり自分は一人である、自分は自分の考えで生きている、国からも支配されない、いわゆる世論からも妄想からも支配されないというあり方ができるのは、自分がある土地に仲間とともに結びついていると感じるからなんだ。ところがそういう基盤がなくなっているからね。自分が生きている土地に相当するのは、自分がともに生きてきた仲間なんだよ。自分がこの世の中で自分でありたい、妄想に支配されたくないという同じ思いの仲間がいる。それが小さな国である。自分が自分でありたいという自分と、同じく自分が自分でありたい人たちで作った仲間が、小さな国になっていく。そういうものをしっかり作るということが僕の思う革命なのさ。それ以外はない。(257~258ページ)

【初出】
<雑感>(134)阪野 貢/「贈与」再考メモ―コミュニズムとアナキズム―/2021年4月28日/本文

 


24  「共事者」の実践的態度


<文献>
(1)斎藤幸平『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』KADOKAWA、2022年11月、以下[1]。

〇『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年9月)で知られる斎藤幸平の新著に、『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』(KADOKAWA、2022年11月)がある。[1]は、2020年4月から2022年3月にわたって毎日新聞に連載された「斎藤幸平の分岐点ニッポン」を書籍化したものである。行き詰まっている資本主義の現場から、23のテーマについて言及する。第3章の「偏見を見直し公正な社会へ」では、声をあげることが難しい「沈黙する(日本)社会」にあって、「外国人労働者」をはじめ「釜ヶ崎の野宿者」「東日本大震災の復興」「水俣病問題」「部落差別」「アイヌ」などに関する実相が抉(えぐ)り出される。
〇斎藤は、[1]の「あとがき」で補足的に、マジョリティの特権集団に欠けている他者へのエンパシー(共感)や想像力について触れ、「一から学び直す」必要性を説く。また、誰もが加害者であり被害者でもある「事を共にする」ゆるい関りに根ざした「共事者(きょうじしゃ)」(いわき市在住の地域活動家、小松理虔の言葉)について言及する。
〇ここで、「共事者」とその類義語・関連語である「当事者」に関する斎藤の文章をメモっておくことにする(抜き書き)。

共事者は、一つの問題や正義に固執し、他の問題や自分の加害性に目を瞑(つぶ)るのではなく、さまざまな問題とのインターセクショナリティ(交差性)を見出し、さまざまな違いや矛盾を超えて、社会変革の大きな力として結集するための実践的態度である。/共事者になることは、これまでの「敵/味方」「被害者/加害者」というような単純な二元論的語りのなかで、排除・抑圧されてきた声を聞き取ることができるようになるための一歩である。(217ページ)

当事者とは誰か、本当の当事者探しをして、彼らの意見を絶対視して、尊重すべきことなのか? それは、当事者・非当事者という線引きのもとで分断を生むだけでない。結局、「真の当事者」として誰を優先するかを決定するにあたって、そこにもまた研究者や支援者の権力関係が入り込んでくる。自分にとっての都合のいい「真の当事者」の主張を探して、他の人々を黙らせることが一般化するだろう。それでは「当事者」も利用されているだけだ。それに、自らの正義に固執して、それに合致しないものを糾弾するような運動は、共感も生まない自己満足で終わる。/結果的に、「真の当事者」への語りを限定していくことが、多くの人にとって「自分には語る資格がない」と声どころか、考える能力さえも奪うことになる。その先に待っているのは、無関心と忘却である。それでは社会問題はまったく改善しない。「自分は当事者ではないから発言をするのを控えよう」というのは、一見するとマイノリティに配慮しているようで、単なるマジョリティの思考放棄である。それは、考えなくても済むマジョリティの甘えであり、特権なのだ。そのようなダイバーシティでは、差別もなくならない。(215~216ページ)

〇福祉教育ではしばしば、「当事者」や「当事者性」について議論される。その際の「当事者性」とは、「当事者」またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合いを意味する言葉である。その点において福祉教育は、その当事者性(すなわち当事者やその問題をどの程度 “ 我が事 ” として捉えるか)を高め深めることを支援することによって、問題意識や問題解決のための具体的な行動を得ようとする実践である、といえる(松岡廣路「福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性・エンパワメント―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』 VOL.11、万葉舎、2006年11月、18、19ページ)。ただ、そこでは、「当事者」と「非当事者」を区分し、両者を二項対立的に位置づけて思考することは解消されない。留意したい。

<雑感>((170)阪野 貢/追補/「差別」再考―「共事者」と「当事者」に関するメモ―/2023年2月10日/本文

 


25  「思いやり」の暴力


<文献>
(1)長谷川眞理子・山岸俊男『きずなと思いやりが日本をダメにする―最新進化学が解き明かす「心と社会」―』集英社インターナショナル、2016年12月、以下[1]。
(2)中島義道『「思いやり」という暴力―哲学のない社会をつくるもの―』(PHP研究所、2016年2月、以下[2]。
(3)清水将一『ボランティアと福祉教育研究』風詠社、2021年6月、以下[3]。

〇長谷川眞理子・山岸俊男著『きずなと思いやりが日本をダメにする―最新進化学が解き明かす「心と社会」―』(集英社インターナショナル、2016年12月)が面白い。[1]は、進化生物学者の長谷川(総合研究大学院大学)と社会心理学者の山岸(一橋大学大学院)の対談本である。人間社会の問題を解決するに当たって人を過大評価してはならない。「心がけ」や「お説教」では社会は変わらない。革新をもたらす人は周りの「空気を読まない人」である。こういった指摘には、「まちづくり」や「市民福祉教育」について考えるヒントが示されている。
〇[1]のなかから、「プレディクタブルな人」と「思いやり」や「差別」に関する二人の知見や発想の要点を、我田引水と評されることを恐れずに、紹介することにする(見出しは筆者:阪野)。

相互協調性の質
「日本人は相互協調的である」。相互協調性(interdependence)は、質的には、ポジティブなものとネガティブなものの2種類に分けられる。前者は、何かの問題について、協力して一緒に解決しようというものである。後者は、集団の問題を解決するのではなく、集団内で波風を立てないように行動するというものである。その人たちは、いわゆる「空気を読む」人であり、いつも「びくびく」している。
相互協調性と対照的なものは独立性(independence)である。独立性にもポジティブとネガティブの二つがある。ポジティブ・インディペンデンスは、他者と積極的に関わり、自己主張することに躊躇しないというタイプである。ネガティブ・インディペンデンスは、「誰も私に構わないでくれ」という、他者との関わりに消極的なタイプである。

プレディクタブルな人
「人間は社会的動物である」。ヒトは、社会なくして生きられない存在であり、自分の独立を守り維持するためには、他者とコミュニケーションを取り、協力する必要がある。その際、相手の主張や反応を予測したうえで自己主張をしないと、摩擦や衝突が生じることになる。そこに求められるのは、プレディクタブル(predictable)、つまり「予測可能な」人間(「分かりやすい人」)になることである。
プレディクタブルになるということは、自分の旗幟(きし、立場や主張)を鮮明にし、首尾一貫した行動規範に基づいて行動すること(「言行一致」)を意味する。それはつまり、他者と自分との違い(個別性)を明確にすることであり、それはまた多様性を歓迎することでもある。そうすることによって、他者から信頼・評価される存在となり、フレンド(friend)=味方=仲間を増やすことになる。

思考力のトレーニング
「個性と多様性の尊重、共生社会の実現」。いまの日本では、これらの言葉や理念が心がけや説教、スローガンとして語られ、その際には「思いやり」「絆」などが強調される。多様性のある社会や共生社会の構築は、個々人の異質性や不明性について相互に認識し、理解することから始まる。即ち、自分とは違う他者が、どのような世界観や思想を持っているかを把握する。とともに、自分なりの価値観や原理原則の確立を図り、それに基づいて一貫性のある行動をとることが求められる。多様性や共生は、「違うこと」に耐えることであり、思いやりの心の育成を図れば済むようなものではない。「みんな違ってみんないい」は、それほど簡単ではない。
「ヒトは社会システムのなかで動いている」。即ち、自分はどういう種類の人間かということを鮮明にし、お互いにそれを理解し、他者と衝突しながら言及し議論し、一緒に何かに取り組んで行く。そういうヒトにとって必要かつ重要なのは、心がけを説く「心の教育」ではない。複雑な議論を展開し、社会づくりに関する制度設計を行う「思考力のトレーニング」である。
社会を変えるには、個人レベルの心がけや行動ではなく、社会科学の知見を踏まえて物事について思考・判断・表現する人たちが、ひとつのコアを形成し、社会変革の原動力になってくれるのを期待するしかない。(以上、第7章:243~288ページ)

差別の利得
「差別は偏見から生まれると思われている」。しかし、差別の原因は偏見ではない。差別と偏見は切り離して考えるべきである。
社会のなかで差別が行われるのは、そこに何らかのメリットがあるからである。少なくとも、当初の段階ではメリットがあり、それによって差別が構造化され、継続的に行われてきた。逆に言えば、差別することによってデメリットやコストが増えるのであれば、そうした差別は生まれない。従って、差別をなくすには、差別をすることによって得られるメリットよりも、差別をしないことで得られるメリットを大きくすることである。差別は感情ではなく、利得の問題である。そういう意味では、競争社会は「差別をなくす社会」であり、競争なき社会は「差別の社会」「差別を温存する社会」であると言える。

差別構造の追及
「差別問題を『心でっかち』で考えてはならない」。差別は、第一義的には、社会構造の要因によって起こるものであり、その結果である。社会に差別構造があると、それによって差別を正当化する現実が生まれ、その現実が差別構造をさらに補強していく。そしてますます、差別は正当化され、固定化されていく。
差別の解消は、個人の意識(「心がけ」)を変えたり、スローガンを叫ぶだけでは不可能である。差別の現実(「結果」)を直視し、それを生み出してきた(いる)社会構造(社会システム)を追及し、制度改革を進めることが肝要となる。(以上、第5章:181~203ページ)

〇以上に基づいて、「プレディクタブルな人=個性的であり、多様性を歓迎する人」(257ページ)すなわち「社会変革の原動力になる人」(288ページ)のあり方について考える際の視点や枠組みを、筆者なりに図式化(素案)しておくことにする。

「プレディクタブルな人」の検討枠組み

〇なお、プレディクタブルな人は、フレンド=味方だけではなく、エネミー(enemy)=敵をつくることにもなる。「出る杭(くい)は打たれる」。「和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」である。それは、相互協調性を意味するが、他者からの承認欲求(独立性)の裏返しでもある。付記しておきたい。

補遺
中島義道『「思いやり」という暴力―哲学のない社会をつくるもの―』(PHP研究所、2016年2月)も、同意できない点もあるが、痛快で面白い。言説の一部を紹介(抜き書き)しておくことにする。なお、[2]は、中島著『<対話>のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの―』(PHP研究所、1997年11月)のタイトルを変えたものである。

わが国の人間関係において、最も重視されるのは、「他人を思いやる」ことであり、そのためには「本当のことを言わないこと」である。この国では、「お上」は「思いやり」や「優しさ」といった人間の根源的価値に関してまで個人のなかに踏み込もうとする。「思いやり」を持つことがなぜ必要なのかという問いを忘れて、「思いやりを持とう!」という掛け声だけが列島にこだまする。この国では、「思いやり」や「優しさ」を声高に唱え、人々から生き生きとした思考力を奪っている。「思いやり」や「優しさ」という名のもとに、とりわけ弱者の叫び声は完全につぶされつづける。風通しの悪い社会である。(4、11、13、76、165ページ)

この国では、「思いやり」はほとんどの場合「利己主義の変形」として機能してしまう。自分の身に危険がふりかからない範囲での「思いやり」など、気楽な「思いやり」である。この国では、みんな「思いやり」という名のもとに真実の言葉を殺している。「対話」を封じている。しかも、ほとんどの者はその暴力に気づいていない。(166~168ページ)

この国では「優しさ」は今やエスカレートして熱病にまでなっている。これほどまでに「優しさ」が叫ばれている空気のなかで、弱い人間は「優しさ」によって殺されてゆく。精神的に破綻してゆく。最新型の「優しさ」の特徴をなすものは、他者との対立や摩擦を徹底的に避けることであり、この目的を達成するために「言葉」を避ける。ひとことで言うと、自分に異質な者としての他者を徹底的に恐れるのである。(183~184ページ)

「対話」(「哲学的対話」)とは、各個人が自分固有の実感・体験・信条・価値観にもとづいて何ごとかを語ることである。正真正銘の「対話」とは、身分・地位・知識・年齢等々ありとあらゆる「服」を脱ぎ捨てて、全裸になって「言葉」という武器だけを手中にして戦うことである。「対話」とは全裸の格闘技である。(120、141~142ページ)

「対話」のある社会は、「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をぐいと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔(いさぎよ)く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を消し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。(228~229ページ)

この国で要求されるのは「和の精神」である。「和」とは、現状に不満をもつ者、現状に疑問を投げかける者、現状を変えてゆこうとする者にとっては最も重い足かせである。「和の精神」はつねに社会的勝者を擁護し社会的敗者を排除する機能をもつ。そして、新しい視点や革命的な見解をつぶしてゆく。かくして、「和の精神」がゆきわたっているところでは、いつまでも保守的かつ定型的かつ無難な見解が支配することになる。(61~62ページ)

【初出】
<雑感>(45)阪野 貢/プレディクタブルな人、その協調性と独立性:もう一つの考え方―長谷川眞理子・山岸俊男著『きずなと思いやりが日本をダメにする』の読後メモ―/2017年4月12日/本文

付記
「思いやり思いやり」と「思いうけ」:思いやり教育こそ福祉をダメにする
〇清水将一の『ボランティアと福祉教育研究』(風詠社、2021年6月)という本がある([3])。「福祉教育と思いやり」についての論考を紹介しておきたい(20~21ページ)。

福祉教育と思いやり
よく新聞などに小学校に障害児が進学して、健常児と一緒に学んでいる様子が載っている。いわゆる統合教育である。先日も大きな見出しで「思いやりの心が育った」という記事が目についた。私が引っかかるのは、思いやりの心が育ったのは健常児で障害児はどうなったのかいまいち分からない点である。
マスコミの取り上げ方が一方的なのかと思っていると学校でも似たところがある。福祉教育指定校などでも、「福祉とは思いやりの心である」なんて言っているようだ。障害児が福祉教育の教材であるかのような扱いである。果たして思いやりの心を育てることが福祉教育なのであろうか。

思いやりとは
思いやりの心が育つことは良いことであり今後も大いに続けるべきではあるが、思いやりの心は福祉教育の前提なのである。障害児を思いやるのは当たり前のこととならねばならない。思いやりとは自分の思いを相手にやることである。今度は相手(障害児)の思いを自分に受けとめることが大切である。これを「思いうけ」という。障害児の問題を自分のこととして受けとめることこそ福祉教育の起点である。
残念ながら現在は前提教育も十分に出来ておらず、この前提教育をあたかも福祉教育そのものと思い込んでいるようである。そろそろ福祉教育の起点に立った「思いうけ教育」実践が行われてもよさそうに思うのだが。

思いやり教育への反論
上記に続いて福祉教育を「思いやり教育」と捉えることに反対するもう一つの理由は、社会福祉の専門性との関わりからである。例えば一部の人が思っているように、社会福祉実践(ソーシャルワーク)はやさしい心、親切心があれば誰にでも出来るものと捉えられることがある。
今日社会福祉の専門性が言われているにもかかわらず、現場実践のない者や社会福祉学を学んでいない者が無責任にも福祉は思いやりの心だなどといい、その専門性に触れないことは我々ソーシャルワーカーにとっていらだたしく思えるのである。

思いやり教育こそ福祉をダメにする
そういう認識がある限りいつまで経っても福祉は聖域だと思われ(思わされ)、そのため低賃金や労働環境の悪い職場で働いている福祉従事者は多数いるのである。
思いやりの心、やさしい心は福祉に限ったことではない。医者や弁護士や教師、その他の専門職にも当然必要なはずである。それをことさら福祉に関してのみ、思いやりの心、やさしい心を強調するのは福祉に対する理解のなさの表れである。
福祉教育が思いやり教育である限り福祉の専門性は薄れていく。現在の福祉教育こそ、福祉の発展を阻害しているといえば言い過ぎであろうか。

 


26  「哲学対話」の方法


<文献>
(1)梶谷真司『考えるとはどういうことか―0歳から100歳までの哲学入門―』幻冬舎新書、2018年9月、以下[1]。
(2)河野哲也編『ゼロからはじめる哲学対話―哲学プラクティス・ハンドブック―』ひつじ書房、2020年10月、以下[2]。

意見とは、自分が考えてきた「問い」に対して、自分が出した「答え」である(山田ズーニー『伝わる・揺さぶる! 文章を書く 』(PHP新書、2001年11月、41ページ)。

〇筆者(阪野)の手もとに、哲学者の梶谷真司(かじたに・しんじ)の『考えるとはどういうことか―0歳から100歳までの哲学入門―』(幻冬舎新書、2018年9月。以下[1])という本がある。梶谷にあっては、哲学とは、「考える」営みそのものであり、「問い、考え、語ること」である(32ページ)。
〇梶谷はいう。「考える」という営為は本来、自分自身に問いかけ、自分なりの答えを出すことであり、自分自身との「対話」を意味する。しかし、ひとりで悶々(もんもん)と考えることには限界がある。また、現実の家庭や学校、社会(会社、地域等)における「考える」という営為は、既に決められている「正しいこと」「よいこと」「他者の意に沿うこと」の「正解」を探し求めるそれであり、そう考えさせられている。とりわけ学校では、生徒は教師や教科書によって提示された問いについて、強制的に考えさせられ、ひとつの正解を見出し、統制・画一化されている。また、特定の基準に即して選別され、序列化され、場合によっては周縁化され、排除される(12~13、52~53ページ)。
〇そこで、より広く、深く考えるためには、多様な立場の人が集まり、自由に「共に問い、考え、語り、聞くこと」が肝要になる。別言すれば、複数の人がいっしょに問い、その答えを探して考え、言葉にして語り、それを聞き、それを受け止める(「受け入れる」ではない)ことが、「共に考える」ということである。その際、とりわけ大事なのは、分からないことを「問う」ことである。それによって、はじめて「考える」ことができる。分からないことが増えれば、それだけ問うこと、考えることが増えるのである。そして、その過程を通して、自分を縛りつけるさまざまな制約(息苦しい世間の常識や慣習、人間関係、自分自身の思い込みや不安・恐怖、こだわり等)から解き放たれ、他の人といっしょに「自由になること」ができる。それは、人と人が「共に生きること」を意味する。こうした「共に問い、考え、語り、聞くこと」の具体的な方法(method)と方法論(methodology、方法の体系・システム)が、知識として学ぶ哲学(philosophy)ではなく、梶谷のいう「共に考える営み」としての哲学(philosophize)、すなわち「哲学対話」である(12~17ページ)。
〇「哲学対話」では、多様な立場の人が参加することが重要となる。適正な参加人数は10~15人前後とされる。また参加者は、対等であることを明確にするために、輪になって座る。そして、進行役(ファシリテーター)の支援のもとに、「共に考える体験」(共に問い、考え、語り、聞くこと)を通して個人的・主観的な感覚を覚え、それが「共感」を呼び起こし、思考を深化・拡大させる。こうした「哲学対話」について、[1]における梶谷の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

哲学対話のルールと特徴―「他者へ」と「世界へ」と自らを開く
①何を言ってもいい
哲学対話においてもっとも大切なのは、「自由に考えること」であり、「問う」と「語る」からいかにして制約を取り払うかである。自由に問い、自由に語ることによって、はじめて自由に考えられるようになる。(47、48ページ)
②人の言うことに対して否定的な態度をとらない
自分の言うことが同意されなくても、決して否定されないと分かっていることが重要である。自分の言うことをそのまま受け止めてもらえると思えてはじめて、何でも言えるようになる。(55~56ページ)
③発言せず、ただ聞いているだけでもいい
話したくなければ黙っていていい。その自由がなければ、話したいことを話す自由もないことになる。「聞く」というのは、対話への立派な参加である。聞いていることじたいが、対話にとって決定的に重要である。(58ページ)
④お互いに問いかけるようにする
「問い」かけができなければ、対話で思考を深めたり広げたりすることはできない。問うことを学ばないところでは、考えることも学べるはずがない。考えるとは、「分からないことを増やすこと」であり、何を質問してもいい、ということである。(60、64、66ページ)
⑤知識でなく、自分の経験にそくして話す
知識に基づいて話したり、人の言葉や何かの用語を引き合いに出すのは、権威づけをし、それによって自分の優位を示そうとしていることが多い。「共に考える」ためには、
自分の言葉で、自分の経験や思いと結びつけたり、身近な例を出したりして話せばいいのである。(71ページ)
⑥話がまとまらなくてもいい
話し合いの答えを安易に先送りすることがあってはならないが、お互いに問い、考えた結果、結論が出るのであれば、それでいい。大切なのは、言いたいことを言い、問いたいことを問い、考えるべきことを考えたかどうかなのである。(75ページ)
⑦意見が変わってもいい
哲学対話では、みんなで考えているのだから、考えを深めたり広げたりするのであれば、個々人の意見は変わってもいい。意見が変わるということは、思考が深まった、広まった、違う角度から考えた、前提が問い直されたということであり、望ましいことである。(76ページ)
⑧分からなくなってもいい
分からなくなるというのは、問いが増える、考えることが増えることである。対話で分からなくなるのは、望ましいことであり、他者へと、世界へと自らを開いていくことである。(76、77ページ)

哲学対話の意義―「自由」と「責任」と「自分」のための哲学
哲学対話は「自由」を実感し理解する格好の機会である
哲学対話で自分とは違う考え方、ものの見方を他の人から聞いた時、自分自身から、そして自分の置かれた状況、自分のもっている知識やものの見方から距離をとる。その時私たちは、それまでの自分自身から解き放たれる。自分を縛っているもの――役割、立場、境遇、常識、固定観念など――がゆるみ、身動きがとりやすくなる。/また、哲学対話で今まで分かっていたことが分からなくなると、いわゆるモヤモヤした感覚、それこそ靄(もや)の中に迷い込んだ感じがする。/この自分を縛りつけていたものからの解放感と、自分を支えていたものを失う不安定感――この両義的感覚は、まさしく自由の感覚であろう。(93、94ページ)
哲学対話において感じるこの自由は、感覚じたいが個人的であり、主体的であるとしても、だからといって、他者と共有できないわけではない。そこで自分が感じる自由は、まさにその場で他の人と共に問い、考え、語り、聞くことではじめて得られるものである。だからそれは、他者と共に感じる自由なのだ。/こうして私たちは考えることで自由になり、また他の人といっしょに考えることで、お互いが自由になる――哲学対話は、このような固有の、そしておそらくは、より深いところにある自由を実感し理解する格好の機会なのである。(96~97ページ)

哲学対話を通して生まれる「責任」は他者と共に享受する権利である
哲学対話を通して自ら考え、決めた時に生じる責任の問題は、ポジティブな意味での責任である。それは、自由と引き換えにしぶしぶ負う義務ではなく、むしろ自由と共に手に入れるべき権利のようなものではないか。(98ページ)
私たちは、自ら考えて決めた時にだけ、自分のしたことに責任をとることができる。だから自ら考えていないということは、自分で決めていないということであり、そうであれば、やったことの責任は、本来とれないはずである。(100ページ)
哲学対話で選んだこと、決めたことは、結果がどうであれ、責任をとることができる。そうして私たちは、ただ自由だけを求めるのでも、責任だけを甘受するのでもなく、その間で妥協するのでもなく、自由と責任をいっしょに取り戻す。それは他でもない、自分自身の人生を生きることなのだ。/しかもそれは、対話を通して生まれた他者との共同的な関係に根差している。だからそこで引き受ける責任は、一人で負わなければならない責めでも、できれば避けたい負担でもない。他者と共に享受する権利となるのだ。(104ページ)

哲学対話は人生を「自分」のものにする営みである
哲学対話は、“恋愛”と同じである。/恋愛も人生も、自分で身をもってやってみるしかない。一から始めなければならない。うまくいかなくても、時に嫌気がさしても、臆病になっても、手放してしまうわけにはいかない。(110ページ)
哲学対話=「考えること」もそれと同じだ。レベルの高さ、厳密さ、深さ、一貫性を求める必要はかならずしもない。誰のためでもない。自分のために考えるのだ。どんなにつたなくても、自分でつまずいて自分で考えたことしか、その人のものにはならない。/だから、とにかくやってみればいい。そうして自由と思考を自分のものにし、人生を自分のものにするのだ。その時、いっしょに考えてくれる人がいたら続けられる。だから哲学は対話でするのがいいのだ。(110~111ページ)

哲学対話の核心―自分自身の「問い」をもつことと「考えること」の関連性
「問い、考え、語り、聞くこと」としての哲学(哲学対話)において、もっとも重要なのは「問うこと」である。「問い」こそが、思考を哲学的にする。/「考える」というのは、自発的で主体的な活動を指す。それは「問い」があってはじめて動き出す。問い、答え、さらに問い、答える――この繰り返し、積み重ねが思考である。それを複数の人で行えば、対話となる。(115ページ)
考えるには、考える動機と力がいる。自分自身が日ごろ、疑問に思っていることはつい考えたくなる。考えずにはいられない。こういう考える力をくれる問い、つい考えたくなる問い、考えずにはいられない問い、それが自分の問いであり、そうした問いを問うのが、自分を問うことである。/自ら問いたいことを問い、そこから考えることは、「問題を解くために考える」=「考えさせられる」のとは、まったく違うのである。(118~119、120ページ)
知識だけ学んで問うことがなければ、思考はどこにも行かず、育つこともない。知識もなしに問うばかりでは、思考は方向を見失う。知識はそこからさらに問うてこそ意味があり、問いは知識によってさらに発展する。だから哲学的に考えるためには、答えのある問いとない問い、閉じた問い(簡潔に答えられてそれ以上の説明を要しない問い)と開いた問い(答えに説明を要する問い)の両方が必要なのである。(141、144ページ)

〇およそ以上が、筆者の関心に基づいて捉えた、[1]が説く「哲学対話」や「考えること」の理念や意義、方法についての要点である(哲学対話の具体的な実践法については省略する)。そこには、「共に考える」ことを拡大・深化させるに際して、例えば、「論理的思考と批判的思考」、「具体的思考と抽象的思考」、「課題解決型思考と価値創造型思考」、「帰納的思考と演繹的思考」(複数の個別事例から一般原則・理論(結論)を導き出す思考と、一般原則・理論(一般論)を前提に個別の結論を導き出す思考)、あるいは他の人の考えの「容認と受容」などをめぐる疑問なしとしない。その点についての検討は別稿に譲ることにして、ここでは、再認識する意味で次の一文を引いておくことにする。それは、例によって唐突であるが、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に求められるひとつの理念や思想に通底するものでもある。地域コミュニティにおいて「共に考える」ことを通して自分の生きる現実を問い、考え、それを変え、自由と責任を取り戻してだれもが「よく生きる」、という理念や思想(地域共創のための自己責任と自己実現、相互責任と相互実現)である。

地域コミュニティにおいて、地元住民が当事者として地域をどうするかを考えなければならないはずなのに、それを国や自治体、もしくはどこかの企業が代わって考え、決めてきた。/何か問題が起きたら、住民は行政や企業を非難するが、彼らが責任をとることはない。当たり前である。それは彼らの人生ではないからだ。他方、当事者である住民は、自分たちで考えも決めもしなかったから、責任がとれない。それなのにその結果を引き受けるしかない。何とも理不尽なことではないか。(102~103ページ)

私たちは、自分の生き方に関わることを誰かに委ねるべきではない。また誰かに代わって考えて決めてあげることもやめなければならない。人間は自ら考えて決めたことにしか責任はとれないし、自分の人生には自分しか責任はとれないのだ。/しかもそのさい、一人で考えるのではなく、他者と共に考えることが重要なのだ。(103ページ)

哲学は夢を追いかけるユートピア思想ではないし、社会全体を変えようとする革命思想でもない。それは「考える」ということを通して、誰もが自分の生きる現実をほんの少しでも変え、自由と責任を取り戻して生きるための小さな挑戦である。そこで必要なのは、高邁(こうまい)な理想よりも徹底的なリアリズルなのだ。(259ページ)

〇筆者の手もとにもう1冊、「哲学対話」に関する本がある(2冊しかない)。哲学者の河野哲也(こうの・てつや)が編集する『ゼロからはじめる哲学対話―哲学プラクティス・ハンドブック―』(ひつじ書房、2020年10月。以下[2])がそれである。[2]は、哲学対話=哲学プラクティスに関する論点や言説が網羅的に記されているハンドブック(マニュアル)である。そこでは、「哲学対話とは、人が生きるなかで出会うさまざまな問いを、人々と言葉を交わしながら、ゆっくり、じっくり考えることによって、自己と世界の見方を深く豊かにしていくこと」(寺田俊郎:3ページ)をいう。
〇そして、哲学対話の特徴と実際的な意義・効用のポイントについて次の諸点を指摘する。[1]における説述と重複するが、参考に供しておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

哲学対話の特徴―「自由」によって自分と世界の見方を深く豊かにする
(1)哲学対話には問いがある
● 哲学的な問いは対話を必要とし、哲学的な問いを考える唯一の方法は対話である。
● 哲学的な問いの最終的な答えは誰も知らないのだから、対話に参加する人々の関係は平等・対等になる。
(2)哲学対話は答えを急がない
● 哲学対話は、速やかに答えを出さなければならないという圧力から自由である。
● 自分の意見を他の人々の意見に照らして吟味することによって、自分の意見の根底にある暗黙の前提に気づくことができる。
● その前提を明らかにすることは、自分の意見を明らかに、深く、豊かにしていくために必要であると同時に、互いに意見を理解するためにも必要なことである。
● 哲学対話が成功するということは、新たに問いが見出されるということであり、哲学対話を重ねれば重ねるほど問いが生まれ、さらに哲学対話が続いていく。
(3)哲学対話は自他の考えが変わっていくことを大切にする
● 自分で考え、他の人々と共に考えることによって、自他の考えが変わっていくことを自覚し認めあうことができる。
これらの特徴から、哲学対話を成立させるためにもっとも大切な条件は「自由」――問いを立てる自由、意見を表明する自由、意見に対する問いを立てる自由、答えを出す圧力からの自由、そして自分の考えを変える自由、である。(寺田俊郎:3~9ページ)

哲学対話の意義・効用―共生社会・成熟社会の構築と集団的意思決定に貢献する
(1)哲学対話は、多様な人々が、人が生きるうえで大切な問いを、互いの意見を尊重しあいつつ考えることによって対話の文化を醸成し、共生する社会を築くことに役立つ。
(2)哲学対話は、共生社会の別言であるが、風通しがよく、居心地がよく、生きやすい成熟した社会を築くことに貢献する。
(3)哲学対話は、重大な根本的な問題について問い、熟議し、まともな集団的意思決定を行うことに貢献する。それは民主主義に貢献するということである。(寺田俊郎:17~22ページ)。

自分の「考え」を持っていないということは、この考えを作りあげるための「考え方」を持っていないということである。(中略)何かの思想を持つことは、そうむつかしいことではない。それには出来合いのいろいろの思想があるからである。日本は今日まで、いつもそういう出来合いの西洋の思想を貰(もら)ってきて、サシ根して育てようとした。(中略)しかしほんとうに自分の考えを持つためには、それを持つ手段としての自分の「考え方」がなくてはならない。その考え方が我々にないならば、新たに学ぶほかはないのである(笠信太郎『ものの見方について』(改訂新版)角川ソフィア文庫、1966年7月、6ページ)。

追記
梶谷真司の次の文献も参照されたい。
・『人生を変える文章教室 書くとはどういうことか』飛鳥新社、2022年12月。
・『問うとはどういうことか―人間的に生きるための思考のレッスン―』大和書房、2023年8月。

阪野 貢/新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―その本質に迫るいくつかの鍵概念に関する研究メモ―

新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
―その本質に迫るいくつかの鍵概念に関する研究メモ―

阪野 貢/市民福祉教育研究所

 

はじめに―大橋謙策と原田正樹の言説―
01 市民社会/規範や実体としての市民社会
02 玉野井芳郎/地域主義
03 ソーシャル・キャピタル/「活動する市民」と「シビック・パワー」
04 ソーシャルアクション/ソーシャルワーカーとソーシャルアクション
05 コミュニティデザイン /「福祉はまちづくり」の時代における「市民」
06 コミュニティ・オーガナイジング/COのプロセスとステップ
07 関係人口/地域再生主体としての「新しいよそ者」
08 主権者教育/市民社会の形成とシティズンシップ教育
09 自律教育/個人的・集団的自律と「自己教育力」
10 共生教育/「包摂と排除」とインクルーシブ教育
11 地域教育経営/つながりと熟議
12 まちづくり/幻想と打開
13     社会関係資本/地域社会のつくり方
14 3.5%/市民的抵抗
15     コモンズ/福祉コミュニティの創出
16     宇沢弘文/社会的共通資本
17     共生/共に生きる
18     鶴見和子/内発的発展論
19     共生保障/まちづくりと市民福祉教育
20     同調圧力/世間と社会
21     地域力/その構成要素
22     まちづくり/ひとつの視点と視座
23     社会運動/みんなで「わがまま」
24     生活者/対抗的自律型市民
25 ボランティア/今昔
26 アクティブ・ラーニング/地元に学び、地域を創る「地元学」
27 「まちづくり学」/キャパシティ・ビルディングのアプローチ
28 合意形成/マルチステークホルダー・プロセス
むすびにかえて―地域と「地域学」―

 


はじめに―大橋謙策と原田正樹の言説―


<文献>
(1)大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会、1986年9月、以下[1]。
(2)大橋謙策『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク―』中央法規出版、2022年4月、以下[2]。
(3)原田正樹『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版、2009年11月、以下[3]。
(4)原田正樹『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』中央法規出版、2014年10月、以下[4]。

市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする。

〇福祉教育学界では、教育方法・技術論的な観点からの研究は盛んであるが、福祉教育の本質に迫る理論的・歴史的かつ哲学的論考はいまだに少ない。そうした福祉教育研究の現状と課題、その背景(要因)を明らかにするとともに、福祉教育実践・研究の新たな展開の方向性と可能性を探ることが、いま、改めて求められている。それに応えるためには、多面的・多角的な視座に基づく福祉教育理論の構築や刷新に関する総合的な研究が肝要となる。それは、歴史的視点や哲学的思考を大事にしながら、如何にして理論と実践の往還・融合の具現化を図るかを探究するものでなければならない。
〇福祉教育の理論研究に関してまず押さえておくべきは、大橋謙策と原田正樹のそれである。大橋の『地域福祉の展開と福祉教育』(全国社会福祉協議会、1986年9月)と『地域福祉とは何か』(中央法規出版、2022年4月)、原田の『共に生きること 共に学びあうこと』(大学図書出版、2009年11月)と『地域福祉の基盤づくり』(中央法規出版、2014年10月)に注目すべきである。衆目の一致するところであろう。
〇大橋は[1]で、「本書は学術論文というよりも実践的研究書である」(ⅳページ)、「筆者の問題関心は、教育と福祉における“問題としての事実”に学びつつ、問題、課題をどう実践的に解決するのかという点にある」(ⅳページ)、「『地域福祉を推進する住民の主体形成』を意図的に行う営みが福祉教育である」(ⅲページ)という。「実践的研究書」という一言が、筆者(阪野)の福祉教育実践・研究の起点となっている。具体的には、1990年4月からの狛江市社会福祉協議会における福祉教育実践(あいとぴあカレッジ、福祉えほん・幼児のあいとぴあ)を嚆矢とする。それは、拙稿「地域における福祉教育の計画と学習プログラム」(『日本の地域福祉』第5巻、日本地域福祉学会、1992年3月、84~106ページ)として纏められている。
〇原田は[3]で、「福祉教育を通して育みたい力は『共に生きる力』である。個人のなかで完結する生きる力だけではなく、他者と共に生きることができる力を大切にする。そのために、私たちはいのちや他者、そしてその生活基盤である地域について考えてみることが、まず福祉教育をとらえるスタートである」(11ページ、語尾変換)という。障がい者施設で介護職員として働いたことに基づく原田の、地域共生教育としての福祉教育論の出発点である。筆者が原田の理論研究について、感性的・理性的・主体的認識(一番ヶ瀬康子)の確かさと豊かさを痛感することにつながる点でもある。
〇大橋の[2]は、「50年間の実践的研究を振り返りながら、地域福祉の考え方をまとめたもの、地域福祉についての集大成」である。そこには「補論」として、「戦前社会事業における『教育』の位置」と「福祉教育の理念と実践的視座」と題する論考が収録されている。それはともに、36年前の[1]に収録されているものでもある。とりわけ「福祉教育の理念と実践的視座」は、その歴史的・社会的背景に留意しながら、今後の福祉教育の理論研究において立ち返るべきひとつの原点である。
〇原田の[4]は、「地域福祉計画づくりを中心とした地域福祉実践の分析であり、地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究法に関する著書」(大橋謙策「推薦の辞」)である。原田は、「大橋先生が『地域福祉の展開と福祉教育』を上梓されたのが1986年である。本書の内容(構想)は、その今日的な続編でありたいと考えた」(231ページ)という。そこに、大橋-原田の師弟関係を超えた、研究者としての真摯な姿勢を見る。
〇[1]と[4]の次に求められるのは、大橋と原田の理論研究に批判的検討を加えながら、その特徴、有効性と限界、歴史的・現代的意義などを明らかにする。そして、それを通して福祉教育の原理や哲学、理念、歴史、対象、機能、展開方法、存在意義などの根源的な課題を解く、新たな理論研究であろう。その際、科学一般に求められる特性と、福祉教育研究に固有の研究方法すなわち固有の分析視点・視角や枠組み、手順と手続き、言語体系と言語使用、そして論述の方法などが問われることになる。そこではじめて、実践の学・課題解決の学としての「福祉教育学」の構築の方向性が見えてくる。
〇ところで、筆者はこれまで、浅学菲才ながらそれ故に見るべき成果がほとんどないままに、「まちづくりと市民福祉教育」について思考してきた。その際、「市民福祉教育」の概念についてはひとまず、「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民(子ども・青年、大人)の育成を図るための教育活動」と規定してきた。また、実践と運動については、福祉と教育の「政策・制度」、その政策・制度のもとでの現場における「実践」(援助・支援、活動)、そして政策・制度の変革を求める「運動」という3つの視点から総合的に捉えようとしてきた。さらに、市民福祉教育(福祉教育事業と福祉教育機能)を「定型教育(学校教育等)」、「不定型教育(社会教育等)」、「非定型教育(家庭教育等)」、そして「市民・文化活動(運動)等」の4つの形態・領域に分け、それを複合的に捉えようと試みてきた。その際、その実践や運動の主体者(教育者、専門職者等)や主導者(学習者、研究者等)、あるいは共働者(地域住民、専門職者、高齢者・障がい者等)などのあり様を問うてもきた(表1参照)。

〇そうしたなかで、「まちづくりと市民福祉教育」に関する鍵概念として、例えば次のようなものを見出してきた。「まちづくり」の(土台を指す)基礎的な概念として「市民社会」「地域主義」「ソーシャル・キャピタル」、ソーシャルワークの概念として「ソーシャルアクション」、市民の社会変革への参加方法に関する「コミュニティデザイン」「コミュニティ・オーガナイジング」、地域再生・まちづくり主体に関する「関係人口」、そしてそれらに通底し、福祉教育の(中心を指す)基本的な概念でもある「主権者教育」「シティズンシップ教育」「自律教育」「共生教育」などがそれである。これらは、「『まちづくりと市民福祉教育』とは何か」という根源的な問い・課題に迫るものでもある。本稿は、ある面ではこれらの概念をめぐって草してきた拙稿(論点や言説についてのメモ)の一部を集成したものである。それは、「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けた試論につながることを願ってのことである。

【初出】
〈雑感〉(161)阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」再考―新たな福祉教育の理論研究を求めて―/2022年9月1日/本文

 


01 市民社会/規範や実体としての市民社会


<文献>
(1)山口定『市民社会論―歴史的遺産と新展開―』有斐閣、2004年3月、以下[1]。
(2)吉田傑俊『市民社会論―その理論と歴史―』大月書店、2005年7月、以下[2]。
(3)今田忠・岡本仁宏補訂『概説市民社会論』関西学院大学出版会、2014年10月、以下[3]。
(4)坂本治也編『市民社会論―理論と実証の最前線―』法律文化社、2017年2月、以下[4]。

〇[1]において山口は、「市民社会」論をめぐる戦後の問題意識とその変遷、継承すべき戦後デモクラシーの遺産を明らかにし、1990年代に本格化しはじめた「新しい市民社会」論の特徴と内容、とりわけ「市民社会(論)の再構築」の動きを整理する(320ページ)。終章の「むすび」で山口は、「市民社会」を「国家」「市場」とは区別される第3の領域として捉えるのではなく、「理念(とりわけ平等・公正)」・「場(共存・共生の場)」・「行為(自律的行為)」・「ルール(公共性のルール)」の4つの要件の総体として捉えるのが正しいのではないか、という。そして、「市民社会」とは、「さまざまの『公共空間』・『アソシエーション空間』が出会い、政治のあり方、経済のあり方、社会のあり方について、『共存・共生』の原理の上に立って協議する『場』を用意する諸条件の総体である」と再定義する(322ページ)

〇[2]で吉田は、「マルクスは階級社会または階級闘争論の理論家とみなされているが、そうであるだけではなく、彼は一貫した市民社会論の理論家でもある。彼の理論的出立点はヘーゲルの市民社会と国家の問題にあったが、その後も、市民社会概念と階級社会概念を中軸とした歴史観(「市民社会史観」と「階級社会史観」)を形成し、近代ブルジョア的社会、国家そして将来的協同社会についての総体的理論を樹立した」(53ページ)、という。その視点・視座から、吉田は、マルクス市民社会論の再構成を軸に、現代的市民社会論の理論的問題と、西欧と戦後日本の市民社会論の歴史的展開について考察する。そこにおいて吉田は、国家や市場から独立した市民社会を構築する現代的市民社会論を批判する。とともに、「歴史貫通的な<土台>としての市民社会、ブルジョアジーとともに発展する近代ブルジョア的市民社会、そして将来社会における協同社会としての市民社会の重層的構成をもつ」マルクスの市民社会論(「重層的市民社会論」)について説く(66~67、68ページ)。
〇[3]の著者である今田は、日本の市民社会の構築に向けて、1980年代から30年以上にわたって実践・研究し問題を提起し続けてきた「歴戦の勇士」(岡本:ⅴページ)である。長年の経験と知見を基に、その集大成として大学学部レベルの講義を取りまとめたものが[3]である。その内容は、日本の市民社会論の歴史的展開やデモクラシー思想の変遷をはじめ、フィランソロピーとボランティア、市民社会組織、社会的経済と社会的企業、パブリックとコモンズ、市民社会と政府・企業などと広範囲・多岐にわたる。1998年9月に設立された「市民社会ネットワーク」設立趣意書で今田はいう。「市民」は「政治的・社会的権利・義務を持ち、公共性を自覚した自立・自律した個人」である。「そのような市民がつくる社会が市民社会であり、市民社会の政治のルールが民主主義である」(16ページ)。
〇[4]は、今日的な市民社会の実態と機能を体系的に学ぶ概説入門書である。具体的にはまず、市民社会について考える際の5つの基礎理論(理論枠組)――①熟議民主主義論、②社会運動論、③非営利組織経営論、④利益団体論、⑤ソーシャル・キャピタル論を解説する。続いて、市民社会の盛衰を規定する諸要因のうちから特に重要と思われる6つの要因――①市民社会を支える資源としての「ボランティア・寄付」、②人々を市民社会へと誘う「価値観」、③市民社会の発展を促す政府と市民社会組織との「協働」、④新自由主義と市民社会の関係性(「政治変容」)、⑤市民社会を規定し構造化する「法制度」、⑥市民社会に決定的な位置を占める宗教や宗教団体(「宗教」)を解説する。そして最後に、市民社会がどのような帰結をもたらしているか(「市民社会の帰結」)の実態について、ローカルな視点やグローバルな視野から解説する。[4]は、それらを通して現代市民社会論の明日を問う著作でもある。
〇ここでは、「まちづくりと市民福祉教育」について論及するにあたって、山口定([1])と坂本治也([4])の言説から、「市民」と「市民社会」について留意したい論点や議論の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

山口定の言説
「規範的人間型」としての「市民」の概念
「市民」とは「自立した人間同士がお互いに自由・平等な関係に立って公共社会を構成するという<共和感覚>に支えられ、そうした人々の自治を社会運営の基本とすることを目指して公共的決定に主体的に参加しようとする自発的人間型」をいう。(9ページ)

目的概念としての「市民社会」の定義
われわれのいう意味での「目的概念としての市民社会」は、第1に、まず「国家」(あるいは官僚支配)から「社会」が自立するという意味での「社会の自立」を、第2に、「封建制」や前近代的な「共同体」との関係において個々人が自立するという意味での「個人の自立」を、そして第3に、「大衆社会」ならびに「管理社会」との関係において個々人が「自立」を回復し、公共社会を「下から」再構成するという意味での「個々人の自立と公共社会の回復」をその中心的内容とするものである。(12~13ページ)

「ブルジョア社会」「資本主義社会」「市場社会」と「市民社会」
90年代初頭以降、本格的に登場しはじめた「新しい市民社会」論(=現代的市民社会論)には、旧来の、そしてとりわけ戦後日本の人文・社会科学において論じられた「市民社会」論(=近代的市民社会論)とは異なるさまざまの特徴がある。(149ページ)
「新しい市民社会」論においては、中心的なキーワードである「市民社会」の概念そのものにまつわる重大な意味転換が見受けられる。すなわち「市民社会」は、これまでの「ヘーゲル=マルクス主義的系譜」の中では事実上「ブルジョア社会」と等置されてきたのだが、それに対して、90年代初頭以来、「ブルジョア社会」とは明確に区別されるばかりか、場合によっては、「ブルジョア社会」もしくは「資本主義社会」「市場社会」と正面から対立し、必要ならこれをコントロールするという方向性をもったものという位置づけが与えられている。(149~150ページ)
「新しい市民社会」論の特徴をとらえるのに重要なのは、「国家」と並んで「経済」もしくは「市場」という領域を別個に設定して、その両者に対置される独自の領域としての「市民社会」をクローズアップさせ、その意義を強調することである。(154ページ)

「市民社会組織」の4つの要件
「新しい市民社会」論においてそもそも、「団体」(あるいはアソシエーション)一般と「市民社会」団体すなわち「市民社会組織」(辻中豊)との定義上の区別は何か、つまり、どのような団体が「市民社会組織」なのか。(183ページ)
「市民社会組織」さらには「市民(運動)団体」たることを自称する場合には、①その構成員同士の自由・平等な諸権利の相互承認、②人々の自発的・自律的な合意に基づく組織運営、③情報公開が保障された上で行われる理性的討議による「公共性」の推進、④異質者間の共存・共生を可能にする多様性の相互承認の4つを、その内部組織のあり方に関する基本的なスタンスとすべきである。この要件のどれをはずしても、歴史的に形成され、維持され、かつあらためて蘇(よみがえ)ってきた「市民社会」の理念そのものの中核が失われることになるからである。(189~190ページ)

坂本治也の言説
「市民社会」の定義
今日的な文脈における市民社会は、政府、市場、親密圏(家族、恋人、親友関係)との対比において定義される。すなわち、①中央・地方の統治機構による公権力の行使ないし政党による政府内権力の追求が行われる領域としての政府セクター、②営利企業によって利潤追求活動が行われる領域としての市場セクター、③家族や親密な関係にある者同士によってプライベートかつインフォーマルな人間関係が構築される領域としての親密圏セクター、という3つのセクター以外の残余の社会活動領域が市民社会である。
換言すれば、公権力ではないという非政府性(non-governmental)、利潤(金銭)追求を主目的にしないという非営利性(non-for-profit)、人間関係としての公式性(formal)という3つの基準を同時に満たす社会活動が行われる領域が市民社会である(図1参照)。そして、市民社会にはさまざまな団体、結社、組織が存在しており、それらは「市民社会組織(civil society organization、CSOと略記されることもある)」と呼ばれる。(2ページ)

「市民社会組織」の具体例
市民社会組織には、個々の市民によって自発的に活動が始められた福祉団体、環境保護団体、人権擁護団体、スポーツ・文化団体、宗教団体、ボランティア団体などはもちろん、政府セクター寄りとみなされる政治団体、行政の外郭団体、社会福祉法人、学校法人、市場セクター寄りとみなされる業界団体、労働組合、農協、医療法人、親密圏セクター寄りとみなされる自治会・町内会、地縁団体など、多様性に満ちた雑多な団体・組織が含まれる。
また、一般社団法人、一般財団法人、特定非営利活動法人、宗教法人、消費生活協同組合などの特定の法律にもとづいた法人格をもつ団体はもちろん、法人格を有さない任意団体であっても、通常は市民社会組織としてみなされる。さらに、さまざまな社会運動・市民運動においてみられる、恒常的な組織としての実体をもたない運動体も、市民社会内部の存在として位置づけられる。(2~3ページ)

規範としての「市民」「市民社会」の概念
「市民」や「市民社会」という概念は、しばしば特定の規範的立場にとっての理想的な状態や到達すべき目標を表すために用いられる。たとえば、「市民」を「自主独立の気概をもち、理性的な判断や議論ができ、能動的に政治参加や社会参加する人々」と限定的に定義するような場合である。あるいは、「市民社会」を「人々が相互に尊重し合い、理性にもとづいて対等に対話を行うことを通じて、公共問題を自主的に解決していこうとする社会」と定義するような場合である。
これらの場合、「市民」や「市民社会」は「民主主義にとって理想的な人々」「めざすべき善き社会」といった規範的ニュアンスを含むことになる。また、そのような条件を満たさない人々や社会は「市民」や「市民社会」ではない、ということになる。(6ページ)

「市民社会」の3つの機能
市民社会はアドボカシー機能、サービス供給機能、市民育成機能という3つの重要な機能を有している。(12ページ)
(1)アドボカシー機能/アドボカシー(advocacy)とは、「公共政策や世論、人々の意識や行動などに一定の影響を与えるために、政府や社会に対して行われる主体的な働きかけ」の総称である。具体的には、①直接的ロビイング(direct lobbying)=議員・議会や行政機関に対する直接的な陳情・要請、②草の根ロビング(grassroots lobbying)=デモ、署名活動、議員への手紙送付など、団体の会員や一般市民を動員するかたちでの政府への間接的働きかけ、③マスメディアでのアピール=マスメディアへの情報提供、記者会見、意見広告の掲載など、④一般向けの啓発活動=シンポジュウムやセミナーの開催、統計データ公表、書籍出版など、⑤他団体との連合形成、⑥裁判闘争、といった多様な活動形態が含まれる。(12ページ)
(2)サービス供給機能/市民社会は、政府、企業、家族と同様に、さまざまな有償・無償の財やサービスを供給する。特に、市民社会の役割が大きいのは、福祉、介護、医療、環境、教育、文化芸術、スポーツなどの領域における対人サービス供給である。これらの領域では、政府、企業、家族では十分満たされなくなったニーズを、市民社会のサービス供給によって満たす動きが昨今強くみられるようになっている。(13ページ)
(3)市民育成機能/市民社会は人々が出会い、集い、語らい、取引や交渉を行う社交の場である。家庭や職場に比べると、市民社会における人間関係は、より多様な年齢、職業、階層の人々と交わる可能性が高いものとなる。また、そこでの関係性は、基本的に公権力や貨幣価値の力によって義務的ないし強制的に発生するものではなくて、個人の自由意思にもとづいて、自発的に形成され、不要になったら解消されるものである場合が多い。
このような多様かつ自発的な人間関係が育まれる市民社会組織への参加は、人々を民主主義に適合的な「善き市民」へと育成する機能があるとされる。(14ページ)

〇以上のメモから、「市民社会」論にいう「市民」には、「自立的」をはじめ「自律的」「理性的」「能動的」などの規範的価値や態度・行動が求められる。「自立的な市民」とは自助的自立や依存的自立をしている市民(「できる市民」)、「自律的な市民」とは自分で考え・行動し・責任を負う市民(「ブレない市民」)、「理性的な市民」とは知性や教養に基づいて合理的に判断する市民(「賢い市民」)、「能動的な市民」とは社会への参加や働きかけを行う市民(「行動する市民」)である。それらは、実体として存在する「市民」ではなく、理念的・規範的な「市民」像である。
〇また、「市民活動」と「市民運動」に関しては、管見をまじえてとりあえず次のように整理できよう。すなわち、「市民活動」とは、特定の組織や団体に属さないいわゆる一般「市民」を中心に、環境・平和・人権・福祉・教育・文化・地域・まちづくりなど公共領域における広範な問題の発見と解決をめざして、協働的かつ継続的に取り組む集合行為である。そして、「市民運動」はひとつは「市民自治」、ひいては「市民社会」の実現をめざす。
〇「市民」の要件と「市民活動」「市民運動」の成立条件でとりわけ重要なものは、「自律性」である。「自律」(autonomy)とは、権力に伏さず・権威に同調せず、自らの判断によって自らの行為を決定あるいはコントールすることである。その判断や行為決定を可能にするためには、自分が持つ知性や教養に基づいて、自分を取り巻く環境や直面している出来事・問題などについて認識・理解し、思考することが必要となる。また、自律は、自己判断に基づいて自分の行為を自分で規制・統制することから、他からの強制や拘束、妨害などを受けない、個人の自由意志を前提とすることはいうまでもない。その自由意志は、他人の言動に影響されないだけでなく、自分の欲求にも影響されずに自分をコントロールする意志を含意する。こうした自律にこそ「人間の尊厳」を見出すことができる。
〇要するに、真に「市民社会」に求められる「市民」像は、「自律的で理性的」な市民である。一面では、それを前提に、「自立的な市民」や「能動的な市民」が存在することになる。
〇人が自ら思考・判断し、自律的に行動するためには、個々人の自由意志と社会的責任に立脚した権利意識や自治意識をもって自覚的・能動的に学び続けることが肝要となる。こうした人間(「自律的で理性的な市民」)の育成・確保は、教育が取り組むべき根本的かつ現代的課題である。そしてまた、「まちづくり」に必要不可欠な営為である。それはまさに「市民福祉教育」の課題でもある。
〇上述のメモからいまひとつ、「市民」の要件を満たさない人々は「市民」ではない、という議論について一言したい。すなわち、日本社会はいま、分断や格差、貧困、偏見や差別が拡大し、自立が強制され、自己決定(自己責任)が追及されている。加えてコロナ禍にある。そんな社会にあって、「市民」の要件(自覚・意欲・能力など)を欠く、あるいはそれが不十分であるとみなされる高齢者や障がい者、子ども、生活困窮者、外国籍住民などがいる。形式的・外見的には市民であっても、実質的・本質的には市民ではない状況に追い込まれ、社会的に排除されている人々である。市民になろうとしても、あるいは市民になることが期待されても、市民になりえない人々である。
〇現代市民社会には、抑圧され排除される人々(「市民」)が存在し、それを生み出す歴史的社会構造がある。ここに、現代「市民社会論」が取り組むべき本質的な課題が存在する。「社会変革論としての市民社会論の現代的意義」([2]34ページ)が問われるところである。そして、現代市民社会が抱える歴史的社会問題を抉(えぐ)り出し、その根本的・本質的な解決を志向する「まちづくりと市民福祉教育」の内容や方法が問われることにもなる。激変する現代社会とそのもとでのコロナ禍にあって、「存在」する意味を問う時間と空間の余裕もなく、(筆者も含めて)ただ必死に生きているヒト(「市民」)がいることを改めて強く認識したい。

補遺 ―「市民」と「大衆」、「市民活動」と「住民活動」―
「市民社会」を構想する前提として、「大衆社会」からの “個人の自立” が問われることになる。「市民」と「大衆」の特性と関係性をひとつの座標図で表すと図2のようになろうか。
「市民社会」について論じるにあたって、「市民活動」と「住民活動」を区別し、その特性と関係性をひとつの座標図で表すと図3のようになろうか。

【初出】
<雑感>(137)阪野 貢/「市民社会論」再読メモ ―規範としての「市民」と実体としての「市民」―/2021年6月1日/本文

 


02 玉野井芳郎/地域主義


<文献>
(1)玉野井芳郎『地域分権の思想』東洋経済新報社、1977年4月、以下[1]。
(2)玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』みすず書房、1978年3月、以下[2]。
(3)玉野井芳郎『地域主義の思想』農山漁村文化協会、1979年12月、以下[3]。
(4)玉野井芳郎・清成忠男・中村尚司編『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試み―』学陽書房、1978年3月、以下[4]。

地域というのは、人が生き、働き、思考する場であり、従って拡大し、重層する性質をもっている。地域主義というのは、その場から、その存続の可能性を信じながら、関連する全体を見通すことである。(古島敏雄、[4]カバー)
私たちが価値の基準を常に大都会や中央や外国において、私たち自身の生活や地域環境を軽視しつづけたこと、そのことを厳しく問い直すことがなければ、地域主義は育たないだろう。(河野健二、[4]カバー)

〇周知の通り、玉野井芳郎は経済学者であり思想家、社会運動家であった。なによりも1970年代における「地域主義」「地域主義経済学」の提唱者・主唱者として著名である。1970年代は、高度経済成長(1955年~1973年)のひずみが露呈し、公害の続発や過疎・過密現象の激化をはじめ、自然環境の破壊や生活環境の悪化、住民の地域帰属意識の希薄化や連帯感の喪失などが進んだ時代であった。そんななかで地方分権や市民自治を重視する「地方の時代」や、自然・生態系や環境の保護を説くエコロジー思想などに基づく「住民運動」が注目された。
〇玉野井はいう。「現存の社会・経済システムに自然・生態系を導入することは、社会システムに〝地域主義〟(regionalism)を導入することにひとしいのである」([2]60ページ)。「60年代から70年代にかけて全国各地でまき起った激しい住民運動がなかったなら、地域主義の思想がこれほど広汎な社会的支持を得ることはなかったであろう」([3]18ページ)。「地域主義とは、<非政治的な市民文化の勃興>をこそ目指すべきものであって、そこには、市場経済的『市民社会』を突きぬけた地平(社会)に登場するであろう新たな『市民』(ビュルガー Bürger:ドイツ語)の再生が期待されている」([1]ⅲページ)。すなわち、玉野井の「地域主義」の背景には「エコロジー」や「住民運動」があり、新たな市民を再生する「社会変革」の方向が打ち出されていた。そして、玉野井の「地域主義の思想」は、「下から」の「内発的地域主義」によって、実践的に「地域共同体の構築」をめざしたのである。その理念的方向については、「地域的個性を背景としながら、独自の経済・伝統・文化の多様性を生かした地域分権的自治の自主的自発的確立」と要約される(杉野圀明「『地域主義』に対する批判(上)」『立命館経済学』第28巻第2号、立命館大学経済学会、1979年6月、22(190)ページ)。
〇ここでは、[3]を中心に、玉野井の「地域主義の思想」について留意したい論点や議論の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「地方分権」は「地域分権」、「地方の時代」は「諸地域の時代」を意味する
「中央」そのものが地方分権、いや正しくは地域分権の確立を中央集権的に達成するというのは、もともと論理的矛盾ではないだろうか。すなわち、国が権力とカネをもって地域分権を達成するという道筋には、ほんらい大きい限界が横たわっているものとみなければならない。しかもその道筋には、国からのカネとモノの画一的な大量投入にともなう地域の混乱と荒廃が、いつものことながら待ち受けているはずである。([3]14ページ)
各自治体は、地域住民の総意を体現して、「地方の時代」にふさわしい自主・自立の姿勢を国にたいして表明しなければならないように思われる。最近、「国と地方は上下の関係でなく、対等の立場でそれぞれの機能を生かした協力関係でなければならない」と適切に提言されている。(それは)「地方」といわれるものが、単数の「国」と同一平面上にある単数の「地方」ではなく、「国」とは次元を異にして、歴史と伝統を誇る複数的個性の諸地域――そこには人間の生き生きとした生活感情がある――からなっていることを是認することにほかならない。「地方の時代」とは、正しくは「諸地域の時代」を意味するのである。([3]14~15ページ)

「地域主義」は実践的に地域共同体を構築することをめざす
国が「上から」提唱し組織する「官製地域主義」と区別して、「内発的地域主義」の私なりの定義を掲げておこう。――それは、「地域に生きる生活者たちがその自然・歴史・風土を背景に、その地域社会または地域の共同体にたいして一体感をもち、経済的自立性をふまえて、みずからの政治的・行政的自律性と文化的独自性を追求することをいう。」
この定義をめぐって、まず経済的自立というのは、閉鎖的な経済自給を指しているのではなく、とりわけ土地と水と労働について地域単位での共同性と自立性をなるべく確保し、そのかぎりで市場の制御を企図しようとしている。次に政治と行政については「自律」という表現を用いているように、地域住民の自治が強調されている。最後に、地域に生きる人びとがその地域――自然、風土、歴史をふまえたトータルな人間活動の場――と「一体感」をもつという重要な思想が語られていることに注意してほしい。([3]19ページ)
地域主義はもはや論理的構築というよりも実践的・歴史的構築の対象といってよい。([2]60ページ、[3]181ページ)

「地域主義」は地域生活者による「生活づくり」を最大の課題とする
地域主義のエコロジー基礎は、当然のことながら大気系と水系と土壌生態系より構成される。だからその地域性は、同時に季節性を含むことになる。地域主義における〝地域〟とは、このようなに空間的地域と時間的季節性によって特徴づけられる人間の生活=生産の場所と考えなければならない。([3]10ページ)
「地域主義」はなによりもまず地域共同体の構築をめざすことを提唱する。この提唱にたいして、「地域主義」とはかつての農村共同体の復活をはかる封建的反動だなどと非難するなら、それは見当違いもはなはだしいといわなければならない。こんにち求められている町づくりや村づくりはこれまでのような「ものづくり」ではない。町や村に棲む人びとの「生活づくり」こそが最大の課題なのだ。地域共同体の構築という「地域主義」の課題は、「ものづくり」から「生活づくり」への転換という時代の展望を含意するものであることが知られなければならない。([4]9ページ上・下段)
人間生活の日常性にかかわる諸問題については、その決定の主体は、国や社会のレベルにおける抽象的個人ではなくて、諸地域のレベルに位置する地方自治体であり、正しくはそれを構成する地域住民=地域に生きる生活者でなければならない。([3]22ページ)

「諸地域の時代」とは諸自治体が「憲法」や憲章などを制定する時代のことである
地域に生きる人々の文化・生活権は国レベルの法律ではなくて、地方の各自治体においてこそ確立されるべきものである。地方の時代とは諸地域の時代のことであり、諸地域の時代とは諸自治体がそれぞれの本格的な「憲法」、憲章、または条例を制定する時代のことであるといってよいのではなかろうか。なるほどこれらは、いずれも法律の下位規範であるかもしれない。しかし、何が地域の生活者=住民にとって真に共通の利益となるべきものであるかを自分自身の手で書くということは、法律にまさるとも劣ることのない「よきしきたり」をうちたてることを意味する。これが自治体の自己革新でなくて何であろう。([3]38~39ページ)

「地域主義」がめざす地域共同体は市町村レベルにおける「開かれた共同体」である
私たちの生活の小宇宙は、中央からの権力や金(かね)の支配から独立した、なによりも自立的な共同体でなければならない。これが第一の眼目と思われるが、それにとどまるものではない。第二には、この共同体は外にたいして開かれたものでなければならない。行政単位の面からすると、「わたしのまち」「わたしのむら」を代表する市町村は、都道府県の自治体レベルにたいして、「下から上へ」の情報の流れを根幹とする開かれた行政システムの基礎単位となるべきものであろう。([3]124ページ)
地域主義がめざす地域共同体は開かれた共同体でなければならない。開かれたという意味は、上からの決定をうけいれるというより、下から上への情報の流れをつくりだしてゆく。そればかりか地域と地域との横の流れを広くつくりだしてゆくことをも意味する。([4]9ページ下段)
それは、「中央」を否定して無政府の混乱した体制をつくりだすというのではない。それは「中央」を個性的諸地域の自立にもとづく地域分権に照応する、あるべき「中央」へと復位させるものといってよい。([3]17ページ)

「内発的地域主義」は「行政への住民参加」ではなく「住民への行政参加」をめざす
地域主義とは、金(かね)や政治権力の優位するMacht(権力:ドイツ語)の世界から、あらためて真のRecht(法と正義:ドイツ語)の世界を復位させてゆく努力を開始しなければならない時代と考えられる。([1]ⅲページ、[3]118~119ページ)
地域主義とは、単なる地方主義の域をこえて、内発的地域主義であるということを確認しなければならない。となると、自治体行政と住民との関係も、まさしく主客を転倒させなければならない。行政への住民参加ではなく、住民への行政参加ということとなり、ここに自立的主体による内発的地域主義の主張があらわれる。([3]119ページ)

〇地方分権改革は、1993年6月に衆参両院で「地方分権の推進に関する決議」がなされたことから始まる(それを起点とする)。1999年7月にはいわゆる「地方分権一括法」(2000年4月施行)が成立し、国と地方の関係が上下・主従の関係から対等・協力の関係に変わり、機関委任事務制度が廃止され、国の関与の新しいルール化が図られた。2021年3月、「第11次地方分権一括法案」が閣議決定されている。
〇「自治基本条例」が全国で最初に施行されたのは、2001年4月、北海道ニセコ町の「ニセコまちづくり基本条例」である。自治基本条例は、他の条例や施策の指針となる、自治体の自治(まちづくり)の方針と基本的なルールを定める条例であり、「自治体の憲法」と言われる。2022年4月現在、全国403自治体(全国1,718市町村)で制定されている。
〇玉野井の「地域主義」は、一面では、これらの動きを生み出すものでもあった。しかし、「地域主義」は、1970年代を中心にひとつのブームを巻き起こしたが、その後はいわれるほどの進展はみせなかった。その原因は奈辺にあるのか。その点をめぐって例えば、①自然環境や生態系と人間との関係性(破壊と脅威)や、巨大な独占資本による経済とそれに支配される地域経済(第一次産業や地方小工業など)との関連性(競争と収奪)などについての実証的分析なしに、規範的議論や主張(べき論)がなされている。②市場経済や政治・官僚・産業機構(癒着体制)がもたらす現実の地域社会の構造的矛盾について、科学的分析が不十分なまま、抽象的な議論にとどまっている。③「地方分権」(「地域分権」)という政治や行政に関わる議論でありながら、現実の政治・権力構造や政治・行政過程の分析を欠いている。④地域共同体が消滅しているなかで、また現実の中央集権的な行政システムのなかで、如何にして「地域主義」の実現を図るかという方法論が不明確である。⑤「まちづくり」の方向と展望は、その地域に自分を同一化する「定住市民」を必要とするが、その能動性や主体性を如何に育成・形成するかという論理が欠落している、などと評されることによるのであろう。これらを総じて別言すれば、地域・住民が地域の実態を踏まえて主体的・自律的に統治権を行使する(国の地方への関与を縮小するという「地方分権」と対峙する)「地域主権」(regional sovereignty)の「社会変革」の課題や方法、展望が見出せない、ということであろう。
〇玉野井の「地域主義」に共感するところは多い。「地域主義」は、公害反対運動や生活環境を守る住民運動、それに「まちづくり」の実践・研究などに大きな示唆を与えた。しかし、それが規範的であるがゆえに、理論構築については厳しい評価を受けた(受けている)ことも確かである。(筆者による)以上の諸点はその一部であり、相互に関連し重なり合っているが、「まちづくりと市民福祉教育」に関する課題に通底するものでもある。そしてそれは、新たな「社会像」としての「コミュニズム」(共同体主義)や「地域主権社会(国家)」とそのための「市民」の育成・確保のあり方を問うことになる。

【初出】
<雑感>(135)阪野 貢/追記/「まちづくりの思想としての地域主義」を考える―玉野井芳郎著『地域主義の思想』再読メモ―/2021年5月20日/本文

 


03 ソーシャル・キャピタル/「活動する市民」と「シビック・パワー」


<文献>
(1)ロバート・D・パットナム、河田潤一訳『哲学する民主主義』NTT出版、2001年3月、以下[1]。
(2)坂本治也『ソーシャル・キャピタルと活動する市民―新時代日本の市民政治―』有斐閣、2010年11月、以下[2]。

〇わが国では、2000年代に入って「ソーシャル・キャピタル(Social Capital)」(社会関係資本。以下「SC」)についての研究が盛んに行われるようになった。SCの研究については、アメリカの政治学者ロバート・D・パットナム(Robert D.Putnam)のそれがよく知られている。パットナムは、1993年に出版した『哲学する民主主義』(NTT出版、2001年3月。原題 Making Democracy Work )において、SCを次のように定義した。「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」([1]206~207ページ)、がそれである。要するに、SCは、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率を高める働きをする社会的な関係をいう。その内実・構成要素は「信頼」「規範」「ネットワーク」の3つである。そして、パットナムはいう。「信頼、規範、ネットワークのような社会資本の一つの特色は、普通は私的財である通常資本とは違い、普通は公共財である点である」([1]211ページ)。
〇「信頼」(trust)は、自発的な協調行動を生み出す源であり、SCの本質的な要素であるとされる。その信頼は、自分が個人的に知っている範囲の人々に対する信頼と、知らない人を含む一般的な人々に対する信頼とでは、信頼の性質は大きく異なる。パットナムが重視するのは、前者のパーソナルな信頼(personal trust)ではなく、後者の一般的信頼(generalized trust)である。小規模で緊密に結びついた前近代的なコミュニティにおいてはパーソナルな信頼だけでも足りるが、大規模で複雑化した現代社会においては、あまりよく知らない人同士の相互作用が圧倒的に多くなるため、知らない人を含んだ薄い信頼すなわち「一般的信頼」の方がより広い協調行動を促進することにつながり、SCの形成に役立つとしている。
〇「規範」(norm)は、「~べきである」と表現することのできるもので、法規範や、道徳や倫理、ルールや慣習などの社会規範がその典型である。パットナムは、さまざまな規範のなかでも、「互酬性の規範」(norms of reciprocity)を特に重視する。互酬性とは、相互依存的な利益の交換を意味するが、それは、「均衡のとれた互酬性」(同等価値の利益を同時に交換することを示す)と「一般化された互酬性」(現時点では一方的な、あるいは不均衡を欠く交換でも、将来的にはいま与えられた利益は均衡のとれた交換になるという相互期待を基にした交換の持続的な関係のことを示す)に分類される。パットナムが重視するのは、前者の均衡のとれた互酬性ではなく、後者の一般化された互酬性である。一般化された互酬性は、短期的には相手の利益になるようにという愛他主義に基づき、長期的には当事者全員の効用を高めるだろうという利己心に基づいており、利己心と連帯の調和に役立つとされる。
〇「ネットワーク」(network)には、職場内の上司と部下の関係などの「垂直的なネットワーク」と、合唱団や協同組合などの「水平的なネットワーク」がある。パットナムは、水平的かつ多様な人々を含むネットワークこそがSCを構成すると考える。そして、家族や親族を超えた幅広い「弱い紐帯」を重視し、そのなかでも特に「直接顔を合わせるネットワーク」が重要であるとする。
〇以上のように、パットナムが重視するSCの内実・構成要素は、「一般的信頼」「一般化された互酬性の規範」「水平性と多様性のある市民社会のネットワーク」の3つである。また、パットナムは、「ネットワーク」が「信頼」や「互酬性の規範」を生み、「互酬性の規範」や「ネットワーク」から社会的な「信頼」が生まれるというように、互いに他者を増加・強化させる関係にあることも指摘する。
〇パットナムの言説から筆者は、SCを人々の協調行動を活発にするネットワーク(社会的つながり)と、そこから生まれる互酬性の規範(お互いさまの支え合い)や一般的な人々に対する信頼感である、と理解したい。SCが多く蓄積されている地域・社会では豊かなネットワークのもとに人々の協調行動が起こりやすく、人々は互いに信頼しあい、互いに支え合って地域・社会の発展を促す、という論理である。いろいろな人々同士が社会的に豊かにつながり(ネットワーク)、それに基づいて互いに信頼しあい(信頼)、 “お互いさま” という思いから互いに支え合うこと(互酬性の規範)によって地域・社会の諸問題が解決され、より良い統治が進み、豊かな地域・社会が創り出されるのである。
〇わが国のSC研究において注目すべき論者のひとりに、坂本治也がいる。坂本の著作に『ソーシャル・キャピタルと活動する市民―新時代日本の市民政治―』(有斐閣、2010年11月)がある。そこで坂本は、パットナムの分析枠組みを援用しながら、日本の地方政府の統治パフォーマンス(performance、 遂行能力)とソーシャル・キャピタルの関係を計量分析を通じて明らかにする。その結果のひとつとして坂本は、統治パフォーマンスに有意なプラスの影響を与える唯一の媒介変数は、「活動する市民」が果たす「政治エリート(首長と議会議員)に対する適切な支持・批判・要求・監視の機能」である「シビック・パワー」(坂本の造語)であることが確認された。そしてシビック・パワーは、「一般市民」ではなく、「自らが定義する特定の『公益』の増進をめざし、異議申し立て、政治エリートの監視、啓発活動、公論喚起などの手段を通じて、政治機構の外側から政策過程に何らかの影響を与えようとする組織化された市民団体などで活動する運動家・活動家」である「市民エリート」(一般市民のなかの一部)によって担われていることが明らかになった、という(「2」215ページ)。その際、坂本にあっては「活動する市民」は、「政治エリートに対して批判的かつ活動的な態度・行動を有する市民」([2]131ページ)をいう。そして、政府の統治パフォーマンスを高め、より良き統治を実現するためには、「協調する市民」や「協働する市民」に加えて、政府を監視・批判する「活動する市民」の存在が必要不可欠となる。
〇ここで、SCと市民福祉教育の関係について一言する。それについて論じる場合まずは、SCの形成にとって市民福祉教育はどのような役割を果たすのか、市民福祉教育の展開にとってSCはどのような意味をもつのか、ということが問われる。その際、ひとつの仮説として、SCの醸成・蓄積・向上によって人々のつながりや社会的ネットワークが豊かに構築されるところでは、人々の、福祉によるまちづくりやそのための市民福祉教育への関心や理解、参加はその度合いを高める。また、福祉によるまちづくりや市民福祉教育への関わりが高い人々は、パーソナルネットワーク(個人を中心とした他者とのネットワーク)や社会的ネットワークとの親和性や価値を高め、SCの蓄積・向上を促すことになろうか。この点に関して、坂本のいう「一般市民」に対するそれとともに、「市民エリート」の育成・確保、すなわち「シビック・パワー」の育成・向上を図るための市民福祉教育のあり方が問われることになることに留意したい。
〇地域に根ざした、地域ぐるみの豊かな市民福祉教育の実践はSCを形成する。豊かなSCの蓄積は、より豊かな市民福祉教育の推進につながる。換言すれば、SCは市民福祉教育を推進するためのひとつの資源であり、またSCを醸成するプロセスは市民福祉教育の推進のプロセスの一部でもある。その点において、市民福祉教育の進展の度合いは、SCのひとつの指標になり得ると言えよう。

【初出】
<まちづくりと市民福祉教育>(5)阪野 貢/ソーシャル・キャピタルと市民福祉教育/2012年8月21日/本文

 


04 ソーシャルアクション/ソーシャルワーカーとソーシャルアクション


<文献>
(1)井手英策『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書)集英社インターナショナル、2020年6月、以下[1]。
(2)井手英策『幸福の増税論―財政はだれのために―』岩波新書、2018年11月、以下[2]。
(3)井手英策・柏木一惠・加藤忠相・中島康晴『ソーシャルワーカー―「身近」を革命する人たち―』ちくま新書、2019年9月、以下[3]。
(4)高良麻子『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』中央法規出版、2017年2月、以下[4]。
(5)小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年8月、以下[5]。
(6)木下大生・鴻巣麻里香編『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう! ―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』ミネルヴァ書房、2019年9月、以下[6]。

所得制限は、さまざまな政治対立を生みだす原因となっている。日本の予算は、義務教育、外交、安全保障をのぞき、ほとんどが低所得層や障がい者、ひとり親世帯などの「だれかの利益」でできている。そして大半の給付には、所得制限という自助努力、自己責任の象徴である分断線が網の目のようにこまかく引かれている。受益者を限定すれば安あがりではある。だが、こうした制度設計そのものが、政府の公正さへの強い反発を生みだし、社会の分断を加速させるのである。(井手英策、[1]222ページ)

〇筆者が井手英策についてまず思い出す言葉を5つ挙げるとすれば、「分断社会」「All for All(みんながみんなのために)」「ベーシック・サービス」「ライフ・セキュリティ」そして「財政改革(消費税増税)」である。
〇[1]では、「新自由主義がなぜ日本で必要とされ、影響力を持つことができたのか、歴史をつぶさに振り返り、スリリングに解き明かす。グローバル化もあって貧困層がふえるなか、個人の貯蓄に教育も老後も委ねられる日本。本来お金儲けではなく、共同体の『秩序』と深く結びついていた経済に立ち返り、経済成長がなくても、個人や社会に何か起きても、安心して暮らせる財政改革を提言」する(カバー「そで」)。
〇[2]では、「なぜ日本では、『連帯のしくみ』であるはずの税がこれほどまでに嫌われるのか。すべての人たちの命とくらしが保障される温もりある社会を取り戻すために、あえて『増税』の必要性に切り込み、財政改革、社会改革の構想(自己責任社会から、頼りあえる社会へ)を大胆に提言する」(カバー「そで」)。
〇[3]では、「多くの人が将来不安におびえ、貧しさすらも努力不足と切り捨てられる現代日本。人を雑に扱うことに慣れきったこの社会を、身近なところから少しずつ変革していくのがソーシャルワーカーだ。暮らしの『困りごと』と向き合い、人びとの権利を守る上で、何が問題となっているのか。そもそもソーシャルカークとは何か。未来へ向けてどうすればいいのか。ソーシャルワークの第一人者たち(柏木・加藤・中島)と研究者(井手)が結集し、『不安解消への処方箋』を提示」する(カバー「そで」)。
〇ここでは、[1][2][3]を併読(再読)して、留意しておきたい井手(一部は中島)の言説(提唱、提案)のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「勤労国家」と「弱者救済」
(勤労、倹約、貯蓄という自助努力と自己責任を前提として作られた「勤労国家」にあって)生活水準の低下、将来への不安、国際的な地位の劣化などのきびしい状況が進んでいる。この状況を乗りこえる方法は、端的にいえば、ふたつにしぼられる。ひとつは、もう一度かつてのような成長を取りもどし、自己責任で将来不安にそなえられる状況を作る、勤労国家再生アプローチである。もうひとつは、低所得層や生活支援の必要な人たちを救済し、彼らを社会のなかに包摂していく格差是正アプローチである。([2]32、34ページ)
(ところが、現在の日本は、人口の急減や超高齢化などによる経済規模の縮小が進むなかで)「成長なくして未来なし」という、成長に依存する社会モデル(「成長依存型社会」)はもう限界に達している。また、日本社会は、共在感(「ともにある」という感覚:井上達夫『他者への自由』創文社、1999年1月)や仲間意識をもてない、利己的で孤立した「人間の群れ」と化しつつあり、格差是正や社会的包摂についての関心も低い。「弱者救済」を正義として語る時代はおわりつつある。([2]46、47、49、52、96ページ)

「頼りあえる社会」と「ライフ・セキュリティ」
消費を手びかえ、勤労、倹約、貯蓄の自助努力にはげみ、将来不安におびえて生きる自己責任社会をつづけていくのか、税による満たしあいをつうじて、だれもが安心して生きていける、経済活動も刺激する「頼りあえる社会」をめざすのか。痛みと喜びを(税で)分かちあう「頼りあえる社会」をつくりあげ、「私たち」という連帯の土台を再生しなければ、多くの人びとが感じている生きづらさはつづく。([1]174、175ページ)
そこで、消費税を軸に全員が痛みを分かちあいつつ、一定以上の収入や資産を持つ富裕層や大企業への課税でこれを補完すること、以上を財源として、すべての人びとに医療や介護、子育て、教育、障がい者福祉などの「ベーシック・サービス」(現物給付)を提供することが重要となる。そのサービスは、人びとが安心してくらしていける水準をみたす必要がある。これは、「ベーシック・インカム」(現金給付)ではなく、「社会保障」(Social Security)を超える、「生活」と「生命」の保障すなわち「ライフ・セキュリティ」(Life Security、生の保障)という考え方である。([1]222ページ、[2]84、135ページ)

「尊厳ある生活保障」と「品位ある命の保障」
「ライフ・セキュリティ」は、「均等な人びと」というときに、「人間らしい生」という共通点に着目し、すべての人たちを受益者として等しくあつかう。人間ならばだれもが必要とする/必要としうる(可能性がある)ベーシック・サービスを、すべての人びとに均等に配分することをめざす。「尊厳ある生活保障」である。([1]223ページ)
「ソーシャル・セキュリティ」をさらに推しすすめ、すべての「命と暮らし(=life)」を保障する「ライフ・セキュリティ」に編み変えていくことは、「救済の政治」を「必要の政治」へと転換することにほかならない。つまり「困っている人を助ける」から、「みんなの必要を満たす」への政治思想の転換である。([3]23ページ)
他方、社会的、経済的条件によって、他者と均等になれない人びとにたいしては、富裕な人より少ない税負担を、富裕な人より相対的に手厚い保障を提供することをめざす。消費税とともに富裕層や大企業への課税を強化し、生活扶助、住宅手当、職業教育・職業訓練も充実させる。「品位ある命の保障」である。([1]223ページ)

「公・共・私のベストミックス」と「ソーシャルワーク」
きわめて多様になっている個別のニーズを政府によるサービス給付だけで満たすことはむつかしい。したがって、「公」が共通のニーズを満たしていくのと同時に、「共」や「私」の領域とつながりを強め、個別のニーズ、別言すれば一人ひとりの「こまりごと」をどのように解消するかもあわせて検討されなければならない。「公・共・私のベストミックス」である。([1]225ページ)
「公」の領域は、自治会やボランティア団体などのさまざまなアクター(人や組織)が交錯する場である。そこでは、さまざまな地域ニーズを満たそうとするアクターを接続する、接着剤のような機能が必ず求められる。([3]221、222ページ)
そこで注目されるのが、ソーシャルワーク/ソーシャルワーカーである。ソーシャルワーカーにもとめられているのは、たんなる福祉やサービスの提供者としての役割ではない。接着剤のような役割が求められ、その資質がハッキリと問われることとなる。([1]225ページ、[3]222ページ)
ソーシャルワークの核心は、個別の「こまりごと」にたいして、それを発生させている「環境」それ自身を変革していくことにある。またその「こまりごと」は、かならずしも低所得層の生活困難にかぎられるものではなく、介護や子育て、教育など、所得の多寡とは関係なく生じうる個別の案件と向きあうのがソーシャルワーカーの第一の任務である。([1]226ページ)

「地域変革」と「組織変革」
ソーシャルワークは、「社会の変化と開発、つながり」を促進する実践である。その際の「社会」とはどこかにあるものではない。人びとのより身近で影響をおよぼせる「地域」や「組織」のなかに埋もれた資源を発掘し、ときには開発・創出(社会資源の発掘・開発・創出)しながら、他者との対話と関係構築を積み重ねるなかで形づくられる、総体としての環境、それがソーシャルワーカーにとっての「社会」である。([3]38、43ページ)
ソーシャルワークの実践では、人びとのニーズを中心に、人びとと地域社会環境との関係を調整することが重要となる。地域で暮らす多様な人びと相互の接点(対話やかかわり)を創り出すことこそが、地域社会に、お互いさまを共感し合える互酬性と多様性、人びとの信頼関係を創出し、すべての地域住民が決して排除されることのない地域変革を推進する原動力となる。([3]74、75ページ)
ソーシャルワークの中核に据えられているのは「社会環境の改善」であり、「社会変革」(social reform)である。その社会変革を個人(ミクロ)と国家(マクロ)の関係でとらえてしまうと、その実現可能性は遠のいていく。社会変革を個人と地域(メゾ)の関係でとらえれば、その実現可能性は格段に高まる。([3]65、77、78ページ)
ソーシャルワーカーの手の届かないところにある「社会変革」を取り戻すためには、まず、地域を変えていく道筋を示す必要がある。と同時に、ソーシャルワーカーが所属する組織を変革する方途も検討していかなければならない。ソーシャルワーカーの大部分は組織人である。それゆえ、経営の方針や組織内の上下関係の論理によって、彼らが状況に対して柔軟かつ迅速に対応することが難しい場合がどうしても存在する。(そこで、ソーシャルワークについて根本的に問い、共通理解を深め)ソーシャルワーカーは連帯しなければならない。総合的な生き物である人間尊厳を守るために。([3]78、216ページ)

「社会変革」と「個人のアイデンティティ変容」
「地域を変える」には、地域社会で暮らす一人ひとりのアイデンティティの変容が重要な契機となる。個人のアイデンティティの変容は、人びとの関係構造の変容による。つまり、人びとのかかわりの密度や質、そのリアリティが、関係構造を変容させ、一人ひとりのアイデンティティをも変化させていく。([3]80、82ページ)
個人のアイデンティティの変容、すなわち人びとの関係構造の変容を求めるためには、黙殺・無理解・不安や恐怖・排除に支配された関係性を、対話・理解・信頼・包摂にもとづく関係性へと変容させていくことが肝要である。([3]82ページ)
日本のソーシャルワークには、法や制度への行き過ぎた順応がしばしば見られる。また、法や制度だけでなく、社会環境それじたいを主体的に創造・変革していくという発想が希薄である。これらが相まって、ソーシャルワークとは何か、ソーシャルワークにおける正義とは何か、という共通理解もまた深められずにいる。これらの課題を乗り越えるためには、「社会変革」と「ソーシャルアクション」(社会的活動)の考えかたが必要となる。([3]83、84ページ)

「プラットホームの世紀」と「ソーシャルワーカー」
国や地方がさまざまな施策に細かく介入し、複雑化するニーズを一つひとつ満たしていくことには限界がある。したがって、国と地方、そして地域のそれぞれに「新たなプラットホーム」を作り直していかなければならない。([3]221ページ)
ベーシック・サーズを土台とするライフ・セキュリティによって誰もが安心して生き、暮らすという基本権が保障される。この「パブリック・プラットホーム」のうえにソーシャルワーカーの社会変革をつうじた地域の人的・制度的ネットワークという「コミュニティ・プラットホーム」が重層的に重なり合う。そうすれば、人びとの生存権も幸福追求権の双方が射程に収められることとなる。([3]221ページ)
「市場の世紀」ともいうべき20世紀は、「プラットホームの世紀」である21世紀へと大きな変貌を遂げる。その変貌の中心にソーシャルワーク/ソーシャルワーカーが存在する。([3]222ページ)

〇「地域変革」と「社会変革」の推進を図るソーシャルワーク/ソーシャルワーカーの重要なアプローチ・実践方法のひとつに、「ソーシャルアクション(Social Action)」がある。ここで、ソーシャルアクションに関する調査報告と言説の一部をメモっておくことにする。
〇ひとつは、日本社会福祉士養成校協会(2017年4月より日本ソーシャルワーク教育学校連盟)が2016年10月から翌年1月にかけて実施した「地域における包括的な相談支援体制を担う社会福祉士養成のあり方及び人材活用のあり方に関する調査研究事業」の<実施報告(暫定版)>(2017年3月)である。そこでは、地域包括支援センター(全数:4,729ヶ所、6,575票)と市区町村社協(全数:1,846ヶ所、2,961票)の職員を対象にした調査で、例えば「地域への働きかけ」について次のような報告がなされている。
〇「制度・施策の課題等の解決に向けて、地域住民が行政に対して働きかけを行うことを支援する」かという質問に対して、「全く実施していない」「あまり実施していない」と答えた地域包括支援センターの職員が79.7%、市区町村社協の職員が76.2%を占めている。また、そうした支援に「対応する力量」を有しているかという質問に対して、「全く有していない」「あまり有していない」と答えた地域包括支援センターの職員が76.4%、市区町村社協の職員が69.9%を占めている。ソーシャルワーカーによるソーシャルアクションの実践は乏しく、力量や意識は低いと言わざるを得ない。
〇また、「所属する組織の管理運営」について次のような報告がなされている。「必要な場合、組織のミッションやルールを超えた対応を行うよう、上司や同僚に働きかける」かという質問に対して、「全く実施していない」「あまり実施していない」と答えた地域包括支援センターの職員が54.0%、市区町村社協の職員が58.0%を占めている。また、そうした働きかけに「対応する力量」を有しているかという質問に対して、「全く有していない」「あまり有していない」と答えた地域包括支援センターの職員が55.7%、市区町村社協の職員が56.3%を占めている。前述したソーシャルワーカーによる「組織変革」に関して、留意しておきたい。
〇いまひとつは、冒頭<文献>に記した高良麻子の[4]における言説である。高良にあっては、日本における「ソーシャルワークの方法としてのソーシャルアクションは、研究と実践ともに停滞して」おり、「ソーシャルアクションの実践方法を、日本の現状をふまえた形で示す必要がある」。そこで、社会福祉士によるソーシャルアクションの調査・分析を通して、「日本における社会変動およびニーズの多様化等をふまえたソーシャルアクションの実践モデルを構築する」([4]3ページ)ことを[4]の目的とする。
〇高良によると、ソーシャルワークにおけるソーシャルアクションとは、「生活問題やニーズの未充足の原因が社会福祉関連法制度等の社会構造の課題にあるとの認識のもと、社会的に不利な立場に置かれている人びとのニーズの充足と権利の実現を目的に、それらを可能にする法制度の創設や改廃等の社会構造の変革を目指し、国や地方自治体等の権限・権力保有者に直接働きかける一連の組織的かつ計画的活動およびその方法・技術である」([4]183ページ)。その主なモデルには「闘争モデル」と「協働モデル」の2つがある。
〇「闘争モデル」とは、「『支配と被支配』や『搾取と被搾取』といった対立構造に注目し、それによる不利益や被害等を署名、デモ、陳情、請願、訴訟などで訴え、世論を喚起しながら、集団圧力によって立法的および行政的措置等をとらせる」モデルである。約言すれば、「デモ、署名、陳情、請願、訴訟等で世論を喚起しながら集団圧力によって立法的・行政的措置を要求する」モデルである。「協働モデル」とは、「制度から排除されている人びとのニーズを充足する非営利部門サービスや既存制度が機能するしくみを開発し、そのサービスを当事者のアクション・システムへの参加を促進するしかけとしながら、これらの実績等によって、法制度の創設や関係構造の変革等を多様な主体と協働しながら進めていく」モデルである。約言すれば、「多様な主体の協働による非営利部門サービス等の開発とその制度化に向けた活動によって法制度の創造(創設)や関係等の構造の変革を目指す」モデルである。([4]184、183ページ)。
〇そして高良はいう。従来のソーシャルアクションは、「集団圧力によって社会福祉の制度やサービスの拡充・創設・改善を集中的に要求していくもの(闘争モデル)が主であった」。本研究の事例研究で明らかになったソーシャルアクションは、「集団の力でニーズを充足する非営利部門サービスやしくみを開発してその実績を示し、主に地方自治体の行政職員、議員、サービス提供事業主体等と協働しながら、新たな政府部門サービスやしくみを創っていくもの(協働モデル)が主であった」([4]139ページ)。
〇高良によってソーシャルアクションの「協働モデル」が提示されたことは、ソーシャルアクションの実践・研究において意義深い。ただ、高良は、「闘争モデルのソーシャルアクションを、社会福祉関連法に規定される組織に属するソーシャルワーカーが被雇用者として実践することは現実的ではない」([4]189ページ)という。そうであれば、「組織に属する被雇用者」という点で、「地域変革」と「社会変革」の実現可能性は低くなる。そのような状況を打開するためには、「協働モデル」と「闘争モデル」をいかに活用するか、両モデルをいかに併用するか。あるいは、社会的弱者主体の社会福祉運動におけるソーシャルアクションにいかに取り組むか、社会的弱者の利益や権利を擁護・代弁(アドボカシー)するソーシャルアクションにいかに取り組むか、などが問われることになる。
〇いずれにしろ、社会福祉関連法制度の「縦割り」や「制度のはざま」が解消されず、「制度からの排除」が引き起こされている今日、「闘争モデル」のソーシャルアクションを展開することはソーシャルワーカーの社会的責務である。そして、今日においてもその役割は失われていない。それは、「すべてのソーシャルワーカーが避けては通れない実践課題であり、(『地域変革』と)『社会変革』の要諦」(中島[3]79ページ)である。留意したい。
〇ところで、山東愛美は、ソーシャルアクションをそのプロセスに基づいて次の2つに類型化している。要求や闘争による「ダイレクトアクション」と交渉や調整による「インダイレクトアクション」がそれである。山東にあっては、その特徴は表2のようになる。

〇そして山東は、2010年頃から、「ソーシャルアクションが論じられる際には、インダイレクトアクションをイメージすることが増えつつある」。それは、従来のソーシャルアクションとして認識されてきたダイレクトアクションの「完全な変容ではなく、分化・多様化」によるものである。こうした傾向がみられるのは、「地方分権や地域包括ケアなどの制度・政策的背景や、地域を基盤としたソーシャルワークやコミュニティソーシャルワークの台頭などの理論的動向も反映されていると考えられる」、という(山東愛美「日本におけるソーシャルアクションの2類型とその背景―ソーシャルワークの統合化とエンパワメントに着目して―」『社会福祉学』第60巻第3号、日本社会福祉学会、2019年11月、44ページ)。高良のそれとともに、留意しておきたい言説である。
〇なお、冒頭<文献>に記した、社会変革とソーシャルアクションに関する[5][6]について一言付け加えておきたい。[5]は、「社会を変える」ということについて歴史的、社会構造的、そして思想的に考察したものである。小熊は、「思考や討論のためのテキストブックとして本書を使ってもらえればいい」(513ページ)、という。[6]は、ソーシャルアクションの実践者とその実践者を支援することで間接的にアクションを起こした人々の物語集である。鴻巣は、「あなたのアクションは本の中にはありません。フィールドに出かけましょう」(ⅶページ)、という。
〇本を読んでいると、新たな気づきや学びとともに、“確かにその通りである”(「至言」)という一文に出合うものである。それが読書の魅力や醍醐味でもある。[5][6]から、筆者にとって、「社会を変える」の至言の一文のみをメモっておくことにする(抜き書き、見出しは筆者)。

「参加して何が変わるのか」「参加できる社会、参加できる自分が生まれる」
運動とは、広い意味での、人間の表現行為です。仕事も、政治も、芸術も、言論も、研究も、家事も、恋愛も、人間の表現行為であり、社会を作る行為です。それが思ったように行なえないと、人間は枯渇します。「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいました。「対話をして何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。([5]516~517ページ)

誰もが何かの「当事者」であり、誰もが何かの「非当事者」である
障がい者、引きこもり、被差別部落、貧困、在日外国人、オキナワ、フクシマ、女性、LGBT。誰もが何かの「当事者」であり、誰もが何かの「非当事者」なのだ。私たちを「当事者」と「非当事者」に分断しようとする力に常に抵抗し続け、作られた境界を共に超えていこうとすることが、社会を変えることにつながるのかもしれない。([6]52ページ)

〇日本における「ソーシャルアクション」の実践や研究、それに教育は、「乏しく」「停滞しており」「脆弱である」などと評される。福祉教育におけるそれは、皆無と言ってよい。それらの背景は何か、その問題や原因は奈辺にあるか。「ソーシャルアクション」は、当事者を含む社会福祉運動なのか、ソーシャルワーカーによる援助技術なのか。「ソーシャルアクション」とコミュニティソーシャルワークやアドボカシー(擁護・代弁)の概念との関係性や整合性をどう考えるか。「ソーシャルアクション」におけるソーシャルワーカーの役割や専門性をどこに見出すか。「まちづくりと市民福祉教育」は「ソーシャルアクション」をどう位置づけ、どう考えるのか。検討すべき残された課題は多い。[5]と[6]は、これらの課題検討のひとつのとば口(入り口)にあるとも言えよう。

【初出】
<雑感>(117)阪野 貢/ライフ・セキュリティとソーシャルワーク:「困っている人を助ける」から「みんなの必要を満たす」への政治思想の転換―井手英策の「新書」3点の読後メモ―/2020年9月1日/本文
<雑感>(118)阪野 貢/追記/社会変革とソーシャルアクション:「社会を変える」の至言―ワンポイントメモ―/2020年9月8日/本文


05 コミュニティデザイン /「福祉はまちづくり」の時代における「市民」


<文献>
(1)山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年5月、以下[1]。
(2)山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』NHK出版、2012年5月、以下[2]。
(3)山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中公新書、2012年9月、以下[3]。
(4)山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所、2016年11月、以下[4]。

〇周知の通り、山崎亮は、「日本でただひとりのコミュニティデザイナー」「地方再生の救世主」などと紹介されることもあるという、斯界の第一人者である。山崎によると、コミュニティデザイナーとは、「モノをつくらないデザイナー」「地域の課題を、地域の人たちが解決するための場をつくるデザイナー」([2]9、16、122ページ)である。また、「コミュニティデザイナーは『救世主』ではない。この仕事は〝主〟になってはならない仕事だ。まちづくりの主体となるのは、その地域で暮らす住人である。(コミュニティデザイナー:筆者)がリーダーシップを発揮して、『みなさんでこういうまちをつくりましょう』と言ってしまったら、住民主体のまちづくりはできなくなる」([2]122ページ)。要するに、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわち「コミュニティデザイン」を進めるために、人と人を結びつけ、その関係性を深める “しくみ” を「デザイン」(注①)することが、コミュニティデザイナーの仕事である。その際、いわれる「地方消滅」をただ不安がり嘆(なげ)くのではなく、いわゆる「活動する市民」(まちづくりについて主体的・自律的・能動的な態度・行動を有する住民)を如何に確保・育成するかのプロセスをデザインすることが肝要となる。山崎は次のよういう(抜き書きと要約)。

社会の課題を解決するためのデザインについて考えるとき、2つのアプローチがあるような気がする。ひとつは直接課題にアプローチする方法。困っていることをモノのデザインで解決しようとする方法である。(中略)一方、課題を解決するためにコミュニティの力を高めるようなデザインを提供するというアプローチもある。(中略)コミュニティデザインに携わる場合、後者のアプローチを取ることが多い。コミュニティの力を高めるためのデザインはどうあるべきか。無理なく人々が協働する機会をどう生み出すべきか。地域の人間関係を観察し、地域資源を見つけ出し、課題の構成を読み取り、何をどう組み合わせれば地域に住む人たち自身が課題を乗り越えるような力を発揮するようになるのか、それをどう持続させていけばいいのかを考える。([1]246~247ページ)

〇コミュニティデザイナーは、コミュニティデザインという方法によって、そのまちに暮らす住民自らがまちの現状を把握し、問題を理解し、課題を解決していくプロセスをデザインする、地域支援(まちづくり支援)の専門家である。その方法は山崎によると、基本的には次の4段階によって進められる(抜き書きと要約)。

第1段階:ヒアリング
ヒアリングの内容は大きく分けて、「どんな活動をしているのか」「その活動で困っていることは何か」「ほかに興味深い活動をしている人がいたら紹介してくれないか」の3点である。地域の情報を調べ、人の話を聴き、地域の人間関係を把握し、現地を歩いて回るうちに、その地域でどんなことをすればいいのかが少しずつ見えてくる。
第2段階:ワークショップ
地域の特徴や課題を整理、共有し、取り組んでみたいプロジェクトやその実現の方法などについて話し合う。その手法は、ブレーンストーミング、KJ法、ワールドカフェ(カフェのようなリラックスした空間で次々とテーブル=カフェを移動しながら、違う人とミーティングを重ねる手法)など、話し合う内容や集まったメンバーによって決める。
第3段階:チームビルディング
アイデアが出そろった段階で、「誰がどのプロジェクトを担当するのか」を決めることになる。その際、自分が取り組みたいプロジェクトを選んでもらいつつ、メンバーの調整を行いながら、担当チームをつくる。チームごとに構成員の役割を決めて、本人たちが協力してプロジェクトが進められる体制を構築する。
第4段階:活動支援
できあがったチームの活動(特に初動期の活動)を支援する。チームが活動を進めるために相談に乗ったり、情報提供を行ったり、必要なスキルを得る機会を設けたりなどする。初動期のサポートは、チームの活動内容を見ながら徐々に減らしていく。自分たちだけで活動できるようになるのが最終目標なので、チームにできることが増えたらコミュニティデザイナーは手伝いを減らす。([3]180~195ページ)

〇まちづくりには、地域の特性や課題に応じたクリエイティブな思考やオリジナルなアイデア、斬新なセンスなどが求められる。そこから、コミュニティデザイナーには、それらを生み出す知識や情報(事例)、態度や行動、そしてアイデアを “かたち” にしブラッシュアップする(磨き上げる)技能(スキル)などが必要となる。また、個々の住民(個人的実践主体)の主体形成のみならず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上させるためのメソッド(手法、やりかた)を身につけることも肝要となる。
〇なお、山崎においては、アメリカの心理学者ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)の「社会的知性」(SQ:Social Intelligence Quotient)に関する所説を引用し、コミュニティデザイナーには次のような能力が求められることになる。(1) “読み取り能力”(「社会的意識」:ゴールマン)、すなわち「他人の感情を読み取る能力」「人の話をしっかり聴く能力」「相手の意図や思考を理解する能力」「社会のしくみを知る能力」の4つの能力と、(2) “そのうえでどう行動するか”という能力(「社会的才覚」:ゴールマン)、すなわち「相手と同調する能力」「自分の意図を効果的に説明する能力」「他者に影響を与える能力」「人々の関心に応じて行動する能力」の4つの能力、がそれである([3]219~220ページ。ダニエル・ゴールマン、土屋京子訳『SQ 生きかたの知能指数―ほんとうの「頭の良さ」とは何か―』日本経済新聞出版社、2007年1月、130~158ページ)。
〇いずれにしろ、まちづくりには、「まちの人たちが主体となれる方法論で(地域の:筆者)課題を解決していける人材」、つまり「ファシリテーター」が必要となる([2]154ページ)。周知の通り、全国には、2009年度から実施されている国(総務省)の「集落支援員」や「地域おこし協力隊」の事業などを活用し、地域の課題解決やまちづくりに取り組む人材を積極的に導入している地方自治体がある。2021年度における(専任)集落支援員は1,915人、自治会長などとの兼務の(兼任)集落支援員は3,424人、実施自治体は386団体、地域おこし協力隊員は6,015人、受け入れ自治体は1,085団体を数える。その数は増加傾向にあるが、決して多くはない。また、受け入れ態勢の不備や地域(地元)住民との意識のズレなどによって、その制度が十分に機能しているとはいえないところもある。
〇まちづくりのソフト事業である人材育成は、何よりも地域が取り組むべき課題である。そこでは、まちづくりをファシリテート(支援、促進)する人材の確保・育成とともに、「活動する市民」や一般住民へのまちづくに関する意識啓発・教育が必要かつ重要となる。 2014年度に東北芸術工科大学(山形市)に日本で最初の「コミュニティデザイン学科」(学科長・山崎亮)が開設された。学科の合言葉は、「ふるさとを元気にするデザインを学ぼう!」であるという。コミュニティデザイン(まちづくり)の本格的な人材育成が期待される。
〇フランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の『21世紀の資本』(山形浩生ほか訳、みすず書房、2014年12月)がベストセラーになった。そこでの言説のひとつは、先進国では経済的格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因は保有する資産の多寡にある。資産家は投資によってさらに資産を増やし、その一方で低所得者は、賃金が上がらない限り資産形成を行うことができない、というものである。同じような言い回しをすれば、地域では生活環境の格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因のひとつは、住民主体のまちづくり(コミュニティデザイン)とその啓発・教育の事業・活動の実施度にある。住民主体のまちづくりが活発な地域は、その実態(実情)や特性を活かした新たなまちづくりを推し進める。その取り組みが低調な地域では、地域の課題を発見し、それを解決するための「人のつながり」(山崎)が広がらない。筆者がここで言いたいことのひとつはここにある。それは、市民福祉教育に通底するものでもある。
〇[4]は、「縮充する社会」をつくるためには人々の主体的な「参加」が必要不可欠であるとして、「まちづくり」などの8つの分野における「参加」の潮流を、各分野を牽引するリーダーとの対話を通して纏めあげたものである。「縮充」とは、「人口や税収が縮小しながらも地域の営みや住民の生活が充実したものになっていく」([4]17~18ページ)ことをいう。山崎の論点や言説の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「楽しさなくして未来なし」
人口が減り、少子化と高齢化によって活気を失ったまちが再び元気になるためには、そのまちに暮らす人たちの「参加」が不可欠になる。「参加なくして未来なし」である。([4]14~15ページ)
「楽しさ」は、参加型社会の重要なキーワードになる。「正しい」だけでは仲間は増えない。どんなに立派な取り組みでも、つまらなければ長続きはしない。活動することに、「楽しさ」を見出せてこそ、参加は市民にとって社会を変革する有効な方法となり得る。その意味で、「楽しさなくして参加なし」である。([4]36ページ)
「楽しさなくして参加なし」「参加なくして未来なし」を縮めて言えば、「楽しさなくして未来なし」ということになる。つまり、「楽しさ」と「未来」とを結びつけるしくみが「参加」だということになる。([4]19ページ)

「住民」を「市民」に変える
ハンナ・アレント(1906年10月~1975年12月、ドイツ出身の哲学者:筆者)は、人間の生産的な行為を「労働」「仕事」「活動」の3つに分類した。お金のためではなく、モノを残すためでもなく、自ら主体的にやりたいと感じ、そこに他者が何らかの価値を見出せる行為を「活動」と位置づけた。そして、「活動」に重きが置かれてこそ、豊かな社会はつくられるとアレントは論じている。([4]61ページ)
「活動」する人たち、もしくは「活動」する意識を持った人たちが「市民」になる。地域をよくするための「心理的介入」(ワークショップなどで住民の生活を意識から変えていこうとする活動)は、「住民」(「一般の人」)を「市民」に変えていく活動をいう。コミュニティデザイナーの仕事は、「住民」の意識が「市民」へと変わるように支援することである。したがって、住民の主体的な変化を促すために介入するのが役目になる。([4]61~62、64ページ)

「参加」の発展性
「参加」には発展性がある。参加することの楽しさを知れば、「参画」する意欲が生まれる。他者がつくった計画に加わることは「参加」だが、計画の策定段階に自ら加わることは「参画」になる。「参画」の動きが活発な分野では、もっと高次元の現象が起こり得る。それが「協働」(コラボレーション)という活動である。([4]68ページ)
行政への住民参加(住民活動の原動力)には、「住民がやりたいこと」「住民ができること」「行政が求めていること」の3つがある。この3つ輪が重なるところに、縮充の時代に求められる「参加」「参画」「協働」のヒントがある。([4]146ページ)
この3つの輪を「自分がやりたいこと」「自分にできること」「社会が求めていること」と書き換えれば、人生を傾けて取り組める活動を探り当てることができるかもしれない。([4]426ページ)

「当事者」が「現場」で学ぶ
日本の戦後の社会福祉に欠けていたのは、「わたしたち」にとっての「教育」だった。課題というのは“当事者”の参加なしには解決できない。法律を整えたり、施設をつくったり、お金を与えたりしても、当事者である「わたしたち」に課題を解決する意欲がなければ、社会が豊かになることはない。言い換えれば、当事者が学ぶことによって課題解決の道は開かれる。これからの地域福祉に必要な知恵を、「わたしたち」は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。([4]355ページ)
学校や社会教育の現場などの教育の分野がいよいよ参加型に変わろうとしている(アクティブラーニング、コミュニティ・スクール等:筆者)この動きは、あらゆる分野に影響を及ぼし、参加型社会から参画型社会、さらには協働型社会へと発展していく大きな推進力になる可能性がある。いよいよ本丸である。([4]358~359ページ)

〇要するに山崎は、日本の人口減少社会の希望は市民の「参加」にある。「縮充する時代の行方には、正確もなければゴールもない。『学び』というインプットと、『活動』というアウトプットを、つねに市民が織り返している状態にこそ大きな意味がある」(440ページ)、という。シンプルであり、それ故に訴求性の高い結論である。「まちづくりと市民福祉教育」に通底する基本的な視点・視座として認識したい。


①山崎にあっては、「デザイン」とは「社会的な課題を解決するために振りかざす美的な力」である。すなわち、多くの人たちに関係している課題を見つけ、それをたくさんの人が共感するような“美しい方法”で解決しようとする行為をいう([3]233ページ)。

補遺
①山崎は、「コミュニティデザインとまづくりは同じではない。(中略)横文字を組み合わせたコミュニティデザインよりはまちづくりのほうが理解してもらいやすい。(中略)まちづくりという言葉は馴染みがあるのだろう。それならそれでいい」([3]213~214ページ)としながら、次のように述べている。

(地域のさまざまな:筆者)人の集まりが力を合わせて目の前の課題を乗り越え、さらに多くの仲間を増やしながら活動を展開することを支援するのが(中略)コミュニティデザインである。これは、コミュニティの力を増幅させるという意味で「コミュニティエンパワメント」や「コミュニティオーガニゼーション」と呼ばれる手法に近いのかもしれない。あるいは、社会福祉の分野でいわれる「コミュニティワーク」や、開発途上国支援の分野でいわれる「コミュニティディベロップメント」に近い方法なのかもしれない。いずれも「つくることを前提としないコミュニティづくり」であるから、今後はこうした分野の知見を活かしながら、コミュニティデザインの実践を続けたいと思う。([3]123ページ)

②[4]で山崎亮が「対話」した「医療・福祉」分野のインタビュイーは大橋謙策である。山崎は次のように述べている。

大橋さんの言葉を借りれば、福祉事業者や研究者の間で70年代からスローガンのようにいわれていた「福祉のまちづくり」が、90年代から「福祉でまちづくり」へと変わったのである。大橋さんは、2010年代は「福祉でまちづくり」から「福祉はまちづくり」といわれる時代へと移行したと話していた。([4]331、335ページ)

【初出】
<雑感>(26)阪野 貢/住民主体の内発的なまちづくりとコミュニティデザイン―持続可能な地域再生と住民の主体形成―/2015年4月1日/本文
<ディスカッションルーム>(66)阪野 貢/「「縮減社会」(小滝敏之)と「縮充社会」(山崎亮):参加・つながり・自治―資料紹介―/2017年3月1日/本文

 


06 コミュニティ・オーガナイジング/COのプロセスとステップ


<文献>
(1)マシュー・ボルトン、藤井敦史・ほか訳『社会はこうやって変える!―コミュニティ・オーガナイジング入門―』法律文化社、2020年9月、以下[1]。
(2)鎌田華乃子『コミュニティ・オーガナイジング―ほしい未来をみんなで創る5つのステップ―』英治出版、2020年11月、以下[2]。

〇[1]は、「現状に怒りを覚え、それに対して何かをしたいと考えている人、社会システムに不満を抱いている人、国の行く末に不安を覚えている人のためのもの」であり、「自分の信じていることに対してどのように変化を生み出していくことができるかについて書かれている」(1ページ)。[2]は、「世の中のできごとに『何かがおかしい』と思ったり、暮らしている地域の問題に気づいたり、今の日本社会や政治の状況にもやもやしたものを感じたりしている人に、少しでも、その状況を変えられるかもしれない、と思ってもらうために」(1ページ)書かれたものである。[1]と[2]はともに、「コミュニティ・オーガナイジング(Community Organizing)」(「CO」と略される)の手法や本質について具体例を交えながら解説(説述)し、それを通して「社会を変える」「ほしい未来をみんなで創る」プロセスや方法を解き明かす。
〇[1]における基本的な概念のひとつは、「パワー」と「自己利益」である。「パワー」についてボルトンはいう。社会の変革と民主主義の刷新を図るためには、日常的な生活における「パワー」(課題を解決する能力、影響力を発揮する能力)が必要不可欠である。市民は誰もが、何らかのパワーを持っている。市民は、正義や道徳的正しさを振りかざして政治や社会に対する批判や糾弾に終始したり、限定的で象徴的な抗議活動や政治運動を展開したりするのではなく、自らのパワーの形成・向上に努めなければならない。その際、権威や権力、組織や資金などを持たない多くの市民にとっては、異質な人々や団体・組織などとの関係性(信頼関係、協働関係)を構築・拡大することが肝要となる。そこにパワーが生み出される。そして、社会変革は、「小文字の政治」(政府レベルでの意思決定をめぐる『大文字の政治』ではなく、ローカルな領域で共通の課題をめぐってなされる市民間の協議や意思決定)によって可能となる(27ページ)。
〇「自己利益」についてボルトンはいう。社会変革への市民参加は、自分の利益を度外視したものではなく、先ずは個人的で具体的なニーズや動機による「自己利益」に基づく。その個人的な利益は他の人々との個人的な利益と結びついており、そこから自己利益の共通部分すなわち公共的な利益が見出されることになる。そして共有された自己利益が他者や団体・組織などとの関係性と、それに基づくパワーを創り出す。共通の自己利益によって、「人々は、偏見のバリアを越えて、連携することができ」、それが「健全な民主政治のために必要とされる幅広い連帯感情の基盤」となるのである(41ページ)。要するに(平易に言えば)、社会を変えるためには関係性に基づく市民の力(パワー)が必要であり、自己利益につながっている課題こそが市民の行動やアクションを促す。これがコミュニティ・オーガナイジングの起点となる考え方である。
〇ボルトンは、コミュニティ・オーガナイジングのプロセスについて次のように述べる。図4は、「コミュニティ・オーガナイジングのプロセス」を表示したものである。

もし変化を望むのならば、パワーが必要だ。共通の利益をめぐって、他の人々との関係を通してパワーを構築するのだ。そして、共通に直面している大きな(抽象的な)問題を(解決可能な)具体的課題に分解し、必要な変化を作り出せるパワー(権力、影響力)を持っている意思決定者が誰なのかを特定することが重要である。それから、意思決定者の反応(リアクション)を引き出すアクションを起こして、彼らとの関係を構築する必要がある。もし、彼らが変化を実行することに同意しないのであれば、アクションのレベルを上げるか、より創造的な戦術を駆使することになる。そして、実践しながら学び、徐々に小さな成功体験を積み重ねながら、より大きな課題に対する準備を進めていく。こうした戦略を可能にするために、コミュニティ・オーガナイジングと呼ばれるアプローチを構成する一連のスキルやツールが存在している。(3~4ページ。丸括弧内は筆者)

〇以上が、[1]におけるボルトンのコミュニティ・オーガナイジング論から筆者が押さえておきたい論点や言説である(パワーとアクションに関する実用的なスキルやツールについては省略)。社会変革を生み出すためのコミュニティ・オーガナイジングの方法、その原則についてボルトンはいう。「正義は、それを実現するパワーがある時だけ手にすることができる」(24ページ)、「自分でできることをしてあげてはならない」(120ページ)。別言すれば、「正義を追求・実現するためにはパワーが必要である」、「他の人の能力を高める・自分でできることは自分でする」、それが社会を変えるのである。そしてボルトンは、「コミュニティ・オーガナイジングの文化は個人の絶望や挫折を集団的な怒りや変化へのパワーへと変えることを目的としている」(132ページ)と述べる。核心の一言である。
〇[2]は、世の中の出来事について「仕方がない」と諦めてしまうのではなく、「仕方がある」ことを知って社会を変えていく方法論、すなわちコミュニティ・オーガナイジングについて解説する。それは、鎌田にあっては、「仲間を集め、その輪を広げ、多くの人々が共に行動することで社会変化を起こすこと」(1~2ページ)と定義づけられる。
〇[2]で注目すべきは、コミュニティ・オーガナイジングの「5つのステップ」(55ページ)である。その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換)。図5は、「コミュニティ・オーガナイジングのステップ」を表示したものである。

(1)共に行動を起こすためのストーリーを語るパブリック・ナラティブ
まず自分自身のナラティブ(物語)を語ることによって自分の想い(私のストーリー)を他者に伝え、それを他者と共有して一体感(私たちのストーリー)を作り出し、共有した価値観のもとで、いま共に行動する必要性や理由(行動のストーリー)について語る。(95~96ページ)
(2)活動の基礎となる人との強い関係を作る関係構築
ひとつひとつのアクションを振り返り(すなわち学びながら行動し)、それぞれが持つ関心や資源を交換し、そのためにも一対一(フェイス・トゥ・フェイス)の対話を重視することによって価値観を共有し、人との強いつながりを作る。(107ページ)
(3)みんなの力が発揮できるようにするチーム構築
多様性に富んだメンバーで共有する目的を作り、みんなの約束事(合意事項)を設定し、相互依存に基づく役割を明確にすることによって計画したゴールが達成され、チームワークが向上し、活動に参加しているメンバー個人が成長するチームを作る。(126ページ)
(4)人々の持つものを創造的に生かして変化を起こす戦略作り
①一緒に立ち上がる人(同志)は誰か、②ほしい変化(戦略的ゴール)は何か、③どうしたら持っているものを必要な力(問題解決能力)に変えられるか、④戦術(戦略を具体的に実行する手段)は何か、⑤(時間枠のある)行動計画は何か、に応える効果的な戦略(方向性・シナリオ)を立てる。(152ページ)
(5)たくさんの人と行動し、効果を測定するアクション
小さなことから安心して・安全にチャレンジできる場を用意したり、多様な視点や意見を出し合って自由闊達に議論できる場を設定したりしてリーダーシップ(他者が目的を達成できるようにする責任を引き受けること。他者と関係を作り、他者の力を引き出し、他者を動かす能力)を育み、よりたくさんの人をアクションに誘うとともに、一連の行動やプロセスを振り返る。(72、215ページ)

〇こうした「5つのステップ」(実践)を支えるのは、「コーチング」である。鎌田はいう。コーチングは、①より前向きに仕事に取り組むために行う。②成果を達成するための資源の使い方を分析・評価できるようにする。③知識やスキルを強化するために行う、のである。そして、コーチングを受けることによって、またチームメンバー同士がコーチングすることによって、主体的に動けるリーダーや自分で考えて行動できる人が育っていく(231ページ)。
〇以上が、[2]における鎌田のコミュニティ・オーガナイジング論の骨子である(具体的な方法や手法については省略)。その基本的な考え方は至ってシンプルである。自分たちが暮らす地域・社会を自分たちの選択と行動によって創造あるいは変革する(より健全な市民社会を創る)ためには、人々の間に関係性を作り、草の根のリーダーシップを育て、共に行動する(コミュニティをつくる)ことが肝要となる。そしてそこでは、解決や変化を求めて「行動する人」(コミュニティ・オーガナイザー)の育成・確保が問われる。その際のコミュニティ・オーガナイザーとは、「困難に直面している人たちをオーガナイズ(組織化)して、その人たちの持っているものを使って、パワーを作り出し、問題の解決を促す人のこと」(63~64ページ)をいう。
〇「困難を抱える人々が変化の源」(63ページ)である。一般市民がアクション(活動や運動)を起こして社会変革を促す。そのための方法や行動である「コミュニティ・オーガナイジングを日本社会にも広めていかなければならない」(4ページ)。これが鎌田の考えや願いである。「まちづくりと市民福祉教育」について探究する筆者のそれと通底するところでもある。
〇改めて強調しておきたい。「コミュニティ・オーガナイジングは、いつも次の質問から始まる。あなたは何に怒りを覚えるのか」([1]18ページ)。「人を行動(コミュニティ・オーガナイジング)に動かす原動力は『怒り』である」([2]92ページ)。

【初出】
〈雑感〉(162)阪野 貢/「コミュニティ・オーガナイジング」考―そのプロセスとステップ―/2022年9月15日/本文

 


07 関係人口/地域再生主体としての「新しいよそ者」


<文献>
(1)田中輝美『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』大阪大学出版会、2021年4月、以下[1]。

〇地域づくりに関してしばしば、「よそ者、若者、ばか者」という3者が挙げられ、その役割が指摘される。従来のシステムや活動に対して批判的で、新しい見方を醸成する「よそ者」、しがらみのない立場から、新たなエネルギーによって次の時代を切り拓く「若者」、旧来の価値観の枠組みからはみ出し、既成概念を壊す「ばか者」がそれである(真壁昭夫『若者、バカ者、よそ者―イノベーションは彼らから始まる!』PHP研究所、2021年8月参照)。そこに通底するのは、常識や固定観念にとらわれず、客観的に物事を考え、前向きに行動する姿勢や態度である。彼らは地域づくりの現場で、ときに好意的・肯定的に評価され、またときには地域や組織から受け入れられず、軽視あるいは排除される。
〇私事にわたるが、筆者がいま暮らす “まち” に定住して25年が過ぎた。そして僭越ながら、ある思いや願いのもとで、地域との関わりにおいて「よそ者、若者、ばか者」の役割を多少とも果たそうとしてきた(している)。しかし、地域からの基本的な評価は、いまだに地域外からの「よそ者」(移住者)である。コトによってはある役割を果たすことが要請・期待されるが、それとて地域に住む一般的な住民とは異質な「よそ者」「見知らぬ者」に対してである。そうしたなかで、「よそ者、若者、ばか者」に無頓着・無関心に暮らす地域住民が多い。これが、多かれ少なかれ伝統的な共同性や社会関係が残る農村部や中山間地域を抱える、地方の小都市(人口約8万6,000人)のひとつの実相である。
〇また、地元の行政やJA等の広報誌などでは最近、「関係人口」に関する記事が目につくようになった。それは、移住者や新規の就農者の増加を図りたいという考えによるのであろう。また、「農福連携」の記事も散見される。農福連携とは、「障がい者等が農業分野で活躍することを通じ、自信と生きがいを持って社会参画を実現していく取り組み」である。「担い手不足や高齢化が進む農業分野において、新たな働き手の確保につながる可能性がある」(農林水産省ホームページ)という。そこでは、いわゆる「健康・生きがい就労」が強調され、劣悪な労働条件や職場環境のなかでの就労が余儀なくされている。それは、安価な労働力を補填・補充する、技能実習生として働く「低度」外国人材の非熟練労働の実態と重なる(安田峰俊『「低度」外国人材―移民焼き畑国家、日本―』KADOKAWA、2021年3月参照)。
〇「関係人口」という用語は、高橋博之と指出一正の2人のメディア関係者が2016年に初めて言及したものである。「関係人口」とは、高橋にあっては「交流人口と定住人口の間に眠るもの」、指出にあっては「地域に関わってくれる人口」をいう。その後、田中輝美は「地域に多様に関わる人々=仲間」(2017年)、総務省は「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」(2018年)、農業経済学者である小田切徳美は「地方部に関心を持ち、関与する都市部に住む人々」(2018年)、河井孝仁は「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(2020年)としてそれぞれ、「関係人口論」を展開する([1]73~75ページ)。
〇田中は[1]で、こうした抽象的・多義的で、農村論や過疎地域論に偏りがちな(都市部における関係人口を切り捨ててしまう)関係人口論に問題を投げかけ、関係人口について社会学的な視点から学術的な概念規定を試みる。関係人口とは「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」(77ページ)である、というのがその定義である。この定義づけで田中は、関係人口を、移住した「定住人口」でも観光に来た「交流人口」でもなく、新たな地域外の主体、別言すれば「一方通行ではなく、自身の関心と地域課題の解決が両立する関係を目指す『新しいよそ者』」(69ページ)として捉える。その際、地域とどのように関わるかについて、関係人口の空間(「よそ者」)とともに、時間(「継続的」)と態度(「関心」)に注目する。
〇こうした定義づけを踏まえて田中は、関係人口が地域再生に関わった事例の分析を行い、関係人口が(1)どのように地域再生の主体として形成されていくのか、(2)地域再生にどのような役割を果たすのか、という2点を明らかにする(14ページ)。そのなかで、現代の人口減少社会における地域再生の方向性と具体的な方法論を示す。これが[1]における「関係人口」研究の目的である。なお、田中が調査対象としたのは、関係人口が島根県海士(あま)町で廃校寸前の高校の魅力化という教育課題に関わった事例、島根県江津(ごうつ)市でシャッター通り商店街の活性化という経済課題に関わった事例、そして香川県まんのう町で過疎地域の高齢者の生活支援という福祉課題に関わった事例、この3つである。
〇上記(1)の「地域再生主体の形成」について田中は、パットナムの「社会関係資本論」をよりどころにアプローチする。社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)論とは、地域・社会における人々の相互関係や結びつきは、ネットワークや互酬性、信頼性などによって規定されるという考え方である。田中は、地域再生主体の形成過程について次のようにいう。まず、①地域課題に関心や問題意識をもつ関係人口は、その課題解決に向けて主体的に動き出し、その際に関わった地域住民と社会関係資本を構築する過程で地域再生の当事者・主体として形成される。続いて、②その関係人口が社会関係資本を構築する過程で、最初につながった地域住民とは別の新たな地域住民が地域再生主体として形成され、両者(地域再生主体としての関係人口と同じく地域再生主体として形成された地域住民)の「協働」という相互作用によって地域課題に立ち向かう。そして、③その地域住民が自ら社会関係資本を構築する力をつけたことで地域内にまた、新たな地域住民や新たな関係人口との間に多層的な社会関係資本が構築され、連続的に地域課題の解決を図る(250、273、308ページ)。
〇この3つのステップ――①関係人口が地域課題の解決に動き出す。/関係人口が地域住民との間に社会関係資本を構築する。→②関係人口と地域住民との間に信頼関係ができる。/社会関係資本が別の住民に転移する。→③地域住民が地域課題の解決に動き出す。/地域住民が別の地域住民や関係人口との間に社会関係資本を構築する、これが「地域再生サイクル」(279ページ)である。ここでの要点は、地域再生主体とは「主体的に地域課題を解決する人」であり、「地域再生の主役はその地域に暮らす住民」である。田中はいう。「人口減少が前提となる現代社会の地域再生においては、『心の過疎化』に起因する主体性の欠如が報告され続けてきた地域住民が主体性を獲得し、地域再生の主体として形成されることが欠かせない。その形成を促すカギとなる存在が、関係人口である」(308~309ページ)。ここで重要なのは、地域住民が地域外の関係人口をどれだけ呼び込んで活用したかという量ではない。問われるのは、新たな地域住民が「地域再生の主体性」をどのように獲得したかという、地域住民と関係人口との間の関係性の「質」である(309ページ)。すなわち、地域住民が関係人口を資源として客体化するのではなく、地域住民と関係人口が対等な主体として「協働」していくなかで互いが、どのように地域再生主体として形成されていくかが重要になる(312ページ)。
〇上記(2)の「地域再生における関係人口の役割」について田中は、敷田麻美の「よそ者論」をよりどころにアプローチする。敷田の言説を引いて、田中はいう。「よそ者」とは「異質な存在」であり、地域住民との関係によってその異質性が左右される。そして、よそ者と地域住民がどのように関わるかによっていろいろな変化(「よそ者効果」)が起きる(116ページ)。その「効果」についての敷田の言説を、田中は次のように紹介・説述する。①地域の再発見効果(よそ者は地域に不慣れなことが幸いして、地域資源の価値や地域のすばらしさを見出すことができる)、②誇りの涵養効果(地域住民は地域外の視点を持つよそ者を意識することで、自らの地域のすばらしさを認識する)、③知識移転効果(地域住民がよそ者と接することで、地域にない知識や技能を補う効果が期待できる)、④地域の変容を促進する効果(地域がもともと持っている資源や知識を、よそ者の刺激を利用して変化させることができる)、⑤「地域とのしがらみのない立場からの解決案」の提案(よそ者は地域のしがらみにとらわれない立場だからこそ、優れた解決策を提案できる)、この5つがそれである(116~118ページ。各項目の表記は敷田による)。
〇田中にあっては、関係人口と地域住民との「協働」によって、このような「よそ者効果」が発現し、創発的な課題解決が可能になる。この点と上述の「地域再生サイクル」の知見から田中は、地域再生における関係人口の役割は、①地域再生主体の形成と②創発的な課題解決の促進の2つであることを明らかにする。
〇以上が田中の議論である。その内容については、地域福祉論の領域から言えば必ずしも特段の新味があるものでもないが、社会学的な視点・視座から3地域の事例の質的研究を地域再生活動の発展段階に沿って丹念に行う。そして、「社会関係資本論」や(以下に記すような)「よそ者論」に依拠して「関係人口」についての整理がなされている。注目されるところであろう。
〇ここで、上述の敷田の「よそ者と地域づくり」に関する論考について若干ふれておきたい。そのひとつは、「よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究」(『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.9、北海道大学、2009年9月、79~100ページ。以下[2])である。なお、「2」の決定版として、敷田の「よそ者と協働する地域づくりの可能性に関する研究」(『江淳の久爾(えぬのくに)』第50号、江沼地方史研究会(石川県加賀市立中央図書館内)、2005年4月、74~85ページ)がある。
〇[2]で敷田は、意図的に起こる効果と意図せずとも起こる効果の両方を含めて、「よそ者の地域づくりへのかかわりが起こす変化」を「よそ者効果」とする。そして、田中が紹介・説述した5項目を次のように換言し、それらの効果は複合的に同時に起きているが、それがどのように発現するかが重要となる、という。項目の換言は、①技術や知識の地域への移入、②地域の持つ創造性の惹起や励起、③地域の持つ知識の表出支援、④地域(や組織)の変容の促進、⑤しがらみのない立場からの問題解決(89ページ)、である。
〇敷田はさらに、「よそ者効果の活用」についていう。地域づくりの本来の姿は、地域がよそ者に依存するのではなく、よそ者をひとつの「資源」として適切に活用することにあり、「よそ者活用戦略」「よそ者活用モデル」が必要となる。その際、よそ者はあくまで「有限責任」を持つ存在であり、また地域づくりには「最適解」はないことから、地域の多様な選択肢を提示することが求められる存在である。その点に留意し、地域がその主体性を発揮しながらよそ者とどのような相互関係を形成するか、そのプロセスが地域づくりでは重要となる。それによって、一方だけではなく、「よそ者と協働しながら地域もよそ者も相互変容し、それが結果的に地域を持続可能にすることにつながる」のである。敷田にあっては、その「相互変容」のプロセスこそが地域づくりである(97ページ)。この点の「協働」は、筆者がかねてから主張してきた「共働」に通底するものであろう。
〇敷田のいまひとつの論考は、「地域づくりにおける専門家にかんする研究:『ゆるやかな専門性』と『有限責任の専門家』の提案」『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.11、北海道大学、2010年11月、35~60ページ。以下[3])である。
〇[3]で敷田は、地域づくりの背景と変遷を分析したうえで、地域づくりにおける専門性のあり方や専門家と地域の関係性について考察する。そして、「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」について提案する。その際のスタンスは、地域づくりには専門家が必要であるというものである。なお、「専門家」とは、「ある特定の分野において卓越した知識と技術・技能を持ち(場合によってはそれらを総合化・体系化している)、それを表現することができる人」を指し、そこに研究者を含める。「地域」とは、「一定の地理的広がりを持つ土地や空間と、そこに居住・滞在する地域住民間の関係性」(37ページ)を表わし、社会学で用いられる「地域社会」や「地域コミュニティ」と同義とする(37ページ)。そして、「地域づくり」とは、「地域社会の課題を解決し、よりよい状態を目指すために地域社会にはたらきかけて仕組みを構築してゆくプロセスとその内容」(40ページ)をいう。
〇敷田にあっては、地域づくりはこれまで、①地域の経済の活性化やインフラの整備をめざした「地域振興型」から、②地域の特定課題の解決をめざした「テーマ型」を経て、③総合的な地域づくりのために地域社会全体のデザインをめざす「統合デザイン型」へと質的に移行してきた。それに伴って、地域づくりの専門家に求められ能力や状態も、①知識の提供や特定事業・業務の遂行・アドバイス、②対象テーマ・分野についての調査研究や実践、③地域関係者による地域づくりの課題発見や解決策の創出と課題解決、へと変化した。したがってまた、地域づくりの専門家の関与や責任も、①業務や委託の範囲内での限定責任、②自主的な活動範囲における条件つき責任、③地域との関わりの範囲と内容の拡大による無限責任、へと変化してきた(45ページ)。そのうえで敷田は、地域づくりに関わる専門家の専門性について、「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」について言及する。
〇「ゆるやかな専門性」とは、「専門家が自らの専門性の範疇だけで地域づくりに関与するのではなく、専門性を主体的に拡張や拡大することである。また自らの専門性を背景に地域内外の関係者と地域(資源)を関係づけることで、地域づくりを支援する『ゆるやかさ』を維持することである」(51、56ページ)。「有限責任の専門家」とは、総合化した地域づくりのなかで、専門家が地域づくりへの関与を主体的にコントロールして一定の期間と範囲内で地域づくりに関わり、一定の範囲に限定して責任を負うことをいう(54~55、56ページ)。住民が直接の当事者となる最近の地域づくりにおいて、この「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」の考え方は、地域の利益と専門家の役割やキャリア形成にとって重要であり、地域にも専門家にも「相利的」(55ページ)である。[3]における敷田の主張である。
〇ここで筆者は、「福祉でまちづくり」の「スーパースター」(田中輝美の言葉)的な「関係人口」や地域づくりの専門家(「実践的研究者」)といえる大橋謙策の「バッテリー型研究方法」を思い出す。大橋は、全国各地の地域福祉(活動)計画の策定や地域福祉の研修会・セミナーなどに関わるが、その際の視点や姿勢はおよそ次のようなものである。以下でいう「地域」は福祉等の関係者や関係機関・組織、地域住民などを意味し、「関係人口」は大橋を指す。

(1) 地域による実践の理論化・体系化と関係人口としての理論仮説の提起と検証(バッテリー型研究方法)を行う。
(2) 地域と長期間にわたって関わり、特定あるいは総合的・統合的な事業・活動への支援を継続的に行う。
(3) 地域による実践活動の活性化と、地域と行政や関係機関との協働を成立させるコミュニティソーシャルワーク機能(触媒・媒介機能)の展開、そのためのシステムの整備を支援する。
(4) 多種多様な、あるいは潜在的な地域課題の解決に向けた専門多職種によるチームアプローチの必要性や重要性を提唱し、その実現を図る。
(5) 地域との相互作用や相互学習の過程を通して、地域内外との交流や福祉等関係者(実践者)の組織化を促す。
(6) 地域による実践のプロセスとその結果の客観化・一般化や実践仮説の検証を図るために、著作物の刊行や地域によるそれを支援する。
(7) 地域による問題発見・問題解決型の共同学習(福祉教育)を徹底的に行い、地域(地域住民や専門家等)の社会福祉意識の変容・向上を図る。
(8) 地域との共同実践を通して地元自治体における福祉サービスの整備や、全国の地方自治体や国への政策提言を行い、その具現化の制度化・政策化を促す、

などがそれである。これらを総じていえば、地域による「草の根の地域福祉実践」を豊かなものにするために「継続は力なり」の意志を体して、理論と実践を往還・融合する探究的な「実践的研究」に取り組み、「福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク」を追究する、ここに大橋の「関係人口」としての具体的・実践的な視点や姿勢を見出すことができる。しかもそれらは、地域づくりや地域再生に「関係人口」が果たすべき役割や機能のひとつのモデルとして整理されよう。
〇なお、上記の(6)に関する文献に例えば次のようなものがある。紹介しておきたい。表記した地名は大橋が関わった地域である(それはそのほんの一部に過ぎない)。

・東京都狛江市/大橋謙策編『地域福祉計画策定の視点と実践―狛江市・あいとぴあへの挑戦―』第一法規出版、1996年9月。
・富山県氷見市/大橋謙策監修、日本地域福祉研究所編『地域福祉実践の課題と展開』東洋堂企画出版社、1997年9月。
・岩手県湯田町(現・西和賀町)/菊池多美子/『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記―』東洋堂企画出版社、1998年9月。
・富山県富山市/大橋謙策・林渓子『福祉のこころが輝く日―学校教育の変革と21世紀を担う子どもの発達―』東洋堂企画出版社、1999年1月。
・山口県宇部市/宇部市教育委員会編『いきがい発見のまち―宇部市の生涯学習推進構想―』東洋堂企画出版、1999年6月。
・島根県瑞穂町(現・邑南町)/大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月。
・岩手県遠野市/日本地域福祉研究所監修、大橋謙策ほか編『21世紀型トータルケアシステムの創造 ―遠野ハートフルプランの展開―』万葉舎、 2002年9月。
・長野県茅野市/土橋善蔵・鎌田實・大橋謙策編『福祉21ビーナスプランの挑戦―パートナーシップのまちづくりと茅野市地域福祉計画―』中央法規出版、2003年2月。
・香川県琴平町/越智和子『地域で「最期」まで支える―琴平社協の覚悟―』全国社会福祉協議会、2019年7月。

〇大橋と一緒になって長野県茅野市の地域福祉計画や地域福祉活動計画の策定に関わったひとりに原田正樹がいる。原田も富山県氷見市や三重県伊賀市、愛知県知多半島の市町など全国各地の地域福祉実践に参画するが、その際のスタンス(姿勢・立場)は一貫して地域住民や社協職員などの “伴走者” としてのそれである。そこに、大橋のそれと重なる、「関係人口」としてのあるべき姿を見る。

【初出】
<まちづくりと市民福祉教育>(63)阪野 貢/追補/「関係人口」と「よそ者」―田中輝美の論考と大橋謙策の実践研究―/2022年1月21日/本文

 


08 主権者教育/市民社会の形成とシティズンシップ教育


<文献>
(1)新籐宗幸『「主権者教育」を問う』岩波ブックレット、2016年6月、以下[1]。

〇福祉教育はこれまで、「主権者教育」「政治教育」についての議論を敬遠してきた。その背景や要因はなにか。ボランティア活動の政治的・道徳的な動員や統制が叫ばれるなかで、学校教育の「場」(学校内外)における「福祉教育とボランティア活動の混在化」や「福祉教育・ボランティア活動・ボランティア学習の関係性」が問われている。
〇全体主義的な管理統制が強い日本社会にあって、中央集権的で巨大なシステムである学校や行き過ぎた競争と管理による教育を変えることは難しい。だからこそ、児童・生徒や教員、保護者や地域住民などが共働して政治を革(あらた)め、真に自律的・主体的な主権者(政治のあり方を決定・実行することができる権力をもつ者。国民・市民)による政治を創る教育が求められる。以下の議論の問題意識は、ここにある。
〇教育基本法(2006年12月22日公布・施行)の第14条(政治教育)は、「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と謳(うた)っている。まず、この条文を押さえておきたい。
〇日本において「主権者教育」の必要性が声高に叫ばれるようになるのは、2000年代以降である。その政策化のひとつの重要な契機は、総務省が2011年4月に設置した「常時啓発事業のあり方等研究会」(座長:佐々木毅)の報告である。その「最終報告書」(2011年12月)では、子ども・若者に対する新たなステージとしての「主権者教育」の必要性と重要性を説き、現代に求められる新しい主権者像のキーワードは「社会参加」の促進と「政治的リテラシー(政治的判断力や批判力)」の向上である、とした。そして、「主権者教育」を次のように規定する。「欧米においては、コミュニティ機能の低下、政治的無関心の増加、投票率の低下、若者の問題行動の増加等、我が国と同様の問題を背景に1990年代から、シティズンシップ教育が注目されるようになった。それは、社会の構成員としての市民が備えるべき市民性を育成するために行われる教育であり、集団への所属意識、権利の享受や責任・義務の履行、公的な事柄への関心や関与などを開発し、社会参加に必要な知識、技能、価値観を習得させる教育である。その中心をなすのは、市民と政治との関わりであり、本研究会は、それを『主権者教育』と呼ぶことにする」(7ページ)。
〇いまひとつ注目すべきは、文部科学省が2015年10月、1969年10月の文部省初等中等教育局長通達「高等学校における政治的教養と政治的活動について」を廃止し、それに代わって同通知「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」を発出したことである。1969年通達では、「国家・社会としては未成年者が政治的活動を行なうことを期待していないし、むしろ行なわないよう要請している」。「生徒が政治的活動を行なうことは、学校が将来国家・社会の有為な形成者として必要な資質を養うために行なっている政治的教養の教育の目的の実現を阻害するおそれがあり、教育上望ましくない」などとして、学校内外における政治的活動を「禁止」した。そのねらいは、1960年代後半にベトナム反戦運動等を契機に多発・激化した学生運動(大学闘争)やその高校・高校生への波及(高校紛争)を阻止しようとするところにあった。
〇2015年通知では、「今後は、高等学校等の生徒が、国家・社会の形成に主体的に参画していくことがより一層期待される」。「現実の具体的な政治的事象も取り扱い、生徒が有権者として自らの判断で権利を行使することができるよう、より一層具体的かつ実践的な指導を行う」などとした。その背景には、「18歳が世界標準」というなかで、選挙権年齢が「満18歳以上」(2016年6月施行)、成年年齢が「18歳」(2022年4月施行)にそれぞれ引き下げられたことがある。それに伴って、「主権者教育」の重要性が強調されることになる。
〇しかし、2015年通知の内実は、「高等学校等の生徒による政治的活動等は、無制限に認められるものではなく、必要かつ合理的な範囲内で制約を受ける」などと、学校や教員の「指導」等による学校内外における政治的活動の規制を求めるものとなっている。すなわちそれは、基本的には政治的活動の自由化を促したり、容認したりするものではない。
〇2015年9月、総務省と文部科学省は、高等学校等の生徒向け副教材として『私たちが拓く日本の未来―有権者として求められる力を身に付けるために―』の<解説編><実践編><参考篇>と教師用の<活用のための指導資料>を作成・公表した。それは、政府主導の「主権者教育」の展開をこと細かく指示するものとなっている。また、選挙権年齢の引き下げによる「主権者教育」の強調は、「有権者教育」に縮小・限定される恐れなしとしない。そこで、民主主義を成り立たせる前提である「人権」や「思想・良心(信条)の自由」などに基づく議論が必要かつ重要となる。
〇2017年3月に小・中学校、2018年3月に高等学校の「新学習指導要領」が告示された(小学校では2020年度、中学校では2021年度から全面実施、高等学校では2022年度から年次進行で実施)。それに基づいて、小・中学校と高等学校では、児童・生徒の発達段階に応じた「主権者教育」を実施し、主権者として必要な資質・能力を教科等横断的な視点で育成することとされている。高等学校では、従来の「現代社会」に代わって、「公民」科の新しい必修科目「公共」が設けられている。
〇また、文部科学省は2018年8月、新学習指導要領の下での学校・家庭・地域における「主権者教育」の推進方策について検討するために、「主権者教育推進会議」(座長:篠原文也)を設置した。そして、2021年3月に「今後の主権者教育の推進に向けて」最終報告を公表した。そこでは、主権者教育をめぐる課題と今後の推進方策に関し、(1)(小・中学校、高等学校、大学、教師養成・研修等)各学校段階等における取り組みの充実、(2)家庭、地域における取り組みの充実、(3)主権者教育の充実に向けたメディアリテラシー(メディアからの情報を批判的・創造的に読み解く能力)の育成、などについて提言する。そして、その提言を実現するために、(4)社会総がかりでの「国民運動」としての主権者教育推進の重要性を説く。こうした文部科学省の取り組みは、前述の2015年通知や『私たちが拓く日本の未来<活用のための指導資料>』に示された考え方の周知を図ろうとするものであり、内容的には新味に欠ける。
〇ところで、新藤宗幸は、[1]で「主権者教育を問う」。その議論・言説の要点のひとつはこうである(抜き書きと要約)。「主権者教育」は、現実の政治の実態を棚にあげ、単に新有権者に「政治的な教養を育む教育」を説くのではない(10ページ)。「主権者教育」は、まず現実の政治が生み出している社会的問題事象の中身を学習し、政治にどのような利害が反映されているのかを学ぶことから始めるべきである(15ページ)。「主権者教育」に求められているのは、日々生起する政治的事象の内実をみる眼を養うことであり、また政治権力の行動の意味を洞察する能力を高めることである(7ページ)。「主権者教育」は、政治権力に従順な人間を育てることではない(21ページ)。
〇「主権者教育」と表裏一体で強調されるものに、「教育における政治的中立性」がある。続けて新藤はいう。政権の言説やそれを忖度した同調の「政治性」は不問に付され、それらに対する批判的言説が「政治的中立性」に反するとされる傾向にある(23ページ)。「教育における政治的中立性」という場合の「政治」とは、「政治」一般を指しているのではなく、あくまで「政党政治」を意味する(30ページ)。「教育における政治的中立性」とは、政党政治の介入を排除する規範としての意味をもつものである(30ページ)。しかも、それだけではなく、教員にあっては自らの思想・信条や専門的知識に基づいて、物事には社会的にも学問的にも多様な見解があることを示しつつ、自らの見解を説かねばならない(31ページ)。こうした能動的な教育と教員による「政治的中立性」を保障するためには、文部科学省から校長にいたる「タテの行政系列」を改革する必要がある。同時に、首長のもとの教育行政への市民参画を徹底するとともに、学校ごとに生徒・教員・市民が参画する運営組織をつくるなどして、「教育行政の政治的中立性」が実現されなければならない(43ページ)。
〇日本においては、国家による統一的・画一的な管理主義教育や教育行政が、学校現場や教育委員会を「思考停止」状態に追いやり、生徒の自主的・主体的な活動を制約あるいは否定してきた。そういうなかで、真の「主権者教育」の推進を図るためには、如何にして生徒の政治的関心を高め、政治的教養を豊かにするか。そして、学校内外における多様な政治的問題状況に異議申し立てをし、政治的活動への参加を促すか、が問われることになる。そのためには例えば次のようなことが求められる、と新藤はいう。政治的教養を培うにあたって、若者に限らず大人たちが生活の場に生じているさまざまな市民運動や社会運動との接点をもつ(61ページ)。学校は地域の多様な集団と生徒の交流の場を用意し、生徒たちが地域の課題を通じて政治のあり方を考える機会とする(63ページ)。地方自治体の首長や各行政セクションの職員、教育委員会や教育長・教育委員、自治体の議会や議員などと交流し、地域政治や地域行政の役割やあり方などについて議論する(64、65ページ)。学校を「地域に開かれた学校」「民主的な学校」にするために教員は、市民としての感性を磨きつつ、教育のプロフェッション(専門職)として、市民の支援を得ながら、学校改革や教育改革に立ち上がる(59、60ページ)、などがそれである。
〇日本における「主権者教育」のモデルのひとつは、イギリスの「シティズンシップ教育(Citizenship Education)」である。それを方向づけたのは、政治学者のバーナード・クリック(Bernard Crick)らが中心となってまとめた1998年9月の政府答申「シティズンシップのための教育と学校でのデモクラシーの指導(Education for citizenship and the teaching of democracy in schools)」(「クリック・レポート」)である。イギリスでは、この答申に基づいて2002年から、中等教育段階(第7学年~第11学年。日本の小学校1年~高校1年)でシティズンシップ教育が必修化された。
〇クリック・レポートでは、シティズンシップを構成する要素として、「社会的・道徳的責任(social and moral responsibility)」「コミュニティへの関与(community involvement)」「政治的リテラシー(political literacy)」の3つが挙げられている。この3つの事柄は、相互に関連性を有し、依存関係にある。クリックによればシティズンシップ教育は、ボランティア活動の促進に偏りがちであるが、「能動的な市民(active citizen)」の育成こそがその中心に位置づけられるべきである。そのためには、「政治的リテラシー」(政治的判断力や批判力)を中核的な内容とするシティズンシップ教育が肝要となる。なお、この「3つの柱」について、クリック・レポートは次のように述べている(下記「参考文献」(3)122、123、124ページ)。

社会的・道徳的責任
子どもたちが、権威のある者ならびにお互いに対して、幼少からの自信や社会的・道徳的な責任ある態度を教室の内外で見につけることです。このような学習は学校の内外を問わず、子どもたちが集団で行動したり遊んだりするときあるいは自分たちの地域における活動に参加するときに、時と場所を選ばずに展開されるべきです。
コミュニティーへの関与
自分たちの社会における生活や課題について学び、それらに有意義な形で関われるようになることです。社会参加・社会奉仕活動を通じた学習もここに含まれます。
政治的リテラシー
児童・生徒が知識・技能・価値観といったものを通じて、市民生活(public life)について、更には自身が市民生活において有用な存在となるための手段について学ぶことです。

〇シティズンシップ教育の一環として考える「まちづくりと市民福祉教育」についても、同じことが言える。すなわち、「市民福祉教育」が「まちづくり」のための地域貢献活動やボランティア活動、あるいはサービスラーニングなどとの関連性を問うとき、主権者・政治主体としての子ども・青年から大人までの「市民」に求められる政治的リテラシーの育成にとりわけ留意する必要がある。別の著作で述べているクリックの次の一文を引いておく(下記<参考文献>(2)199~200ページ)。留意したい。

イギリスでも合衆国でも、多くの指導的政治家たちはシティズンシップを、イギリスでは「ボランティア活動」に、合衆国では「公共奉仕学習」(サービス・ラーニング)に切り詰めようとしている。しかし、ここには難しさがある。ボランティア活動一辺倒になってしまうと、善意あふれる年寄りたちが若者に何をすべきかを言って聞かせるだけに終わってしまいかねないのだ。ボランティアに与えられた任務の目的や方法を誤っていると思ったり、つまらないことのよう思ったりしたときに、その改善策を提案してゆく責任を与えないでおいて、それを全うする責任だけを引き受けさせるということになれば、ボランティアたちは市民として扱われていないことになる。こうなれば、ボランティアは単なる使い捨ての要員にされかねないし、また彼らを幻滅させることになるだろう。

補遺(1)―シティズンシップ教育と市民福祉教育―
〇シティズンシップ教育は、国家や社会にとって都合のよい、無批判・無抵抗の体制依存的市民を育成するものではない。それは、市民「参加」という名の「動員」や、行政の「下請け」化、「補完」化を促すものではない。また、官製的なボランティア・市民活動の振興、いわんや奉仕活動の義務化の推進を図るものではない。それは、市民一人ひとりが個人としての権利と義務を行使し、主体的・自律的な個人が自分の意思決定に基づいて社会的・政治的・経済的分野で能動的・積極的に行動する、時には多数派の決定に対する市民的不服従や良心的拒否を許容する成熟した市民社会の形成を志向する教育である。
〇こうしたシティズンシップ教育、すなわち市民的資質・能力の育成は、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりの主体形成を図る市民福祉教育と重なり合い、参考にすべき点が多い。シティズンシップ教育の一環としての市民福祉教育の展開のあり方や方向性について追究する必要がある。それは、福祉教育の実践と研究にとって喫緊の課題である。
〇市民福祉教育とりわけ学校福祉教育においては、これまで、訪問・交流活動、収集・募金活動、清掃・美化活動の「3大体験活動」や、高齢や障がいの疑似体験、手話や点字の学習、施設訪問(慰問)の「3大プログラム」などを中心にその実践活動が展開されてきた。しかもその際、その活動が観念的・精神的なものにとどまったり、活動そのものが目的化したり、さらには福祉教育の目的やねらいから遊離した福祉教育活動のゲーム化が進み、アイスブレイクどまりの実践活動の展開がしばしばみられるといってもよい。厳しい生活を強いられている地域住民が抱える社会福祉問題を素材にし、その解決に向けた実践活動を展開する市民福祉教育にとって、最も自戒すべきところである。3大体験活動や3大プログラムを止揚した、市民性育成のための新たなプログラム開発が強く求められる。その際、重要になるのは、民主的な参加と徹底した討議に基づくとともに、子ども・青年の発達段階に応じた系統的・計画的・継続的な市民性育成のためのそれである(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章』大学図書出版、2011年1月、48~50ページ。同「シティズンシップ教育と市民福祉教育」市民福祉教育研究所ブログ〈まちづくりと市民福祉教育〉(1)2012年7月4日アップ。一部加筆訂正)。

補遺(2)―「シティズンシップ教育宣言」(経済産業省)―
〇日本における「シティズンシップ教育」の政策化に関しては、経済産業省(委託先:三菱総合研究所)が「シティズンシップ教育と経済社会での人々の活躍についての研究会」(委員長:宮本みち子)を設置し、2006年3月に「報告書」、同年5月に「シティズンシップ教育宣言」(パンフレット)をそれぞれ発表している。「報告書」では、「シティズンシップ」について、「多様な価値観や文化で構成される社会において、個人が自己を守り、自己実現を図るとともに、よりよい社会の実現に寄与するという目的のために、社会の意思決定や運営の過程において、個人としての権利と義務を行使し、多様な関係者と積極的に(アクティブに)関わろうとする資質」(20ページ)と定義している。
〇また、「シティズンシップ教育宣言」では、「シティズンシップ教育の必要性」について、「報告書」中の説述(9ページ)を次のようにまとめている(3ページ)。

私たち研究会では、成熟した市民社会が形成されていくためには、市民一人ひとりが、社会の一員として、地域や社会での課題を見つけ、その解決やサービス提供に関する企画・検討、決定、実施、評価の過程に関わることによって、急速に変革する社会の中でも、自分を守ると同時に他者との適切な関係を築き、職に就いて豊かな生活を送り、個性を発揮し、自己実現を行い、さらによりよい社会づくりに関わるために必要な能力を身につけることが大切だと考えます。一方で、こうした能力を身につけることは、いかなる人々にとっても、個々人の力では達成できないものであり、家庭、地域、学校、企業、団体など、様々な場での学びや参画を通じてはじめて体得されうるものであると考えます。
上記のような能力を身につけるための教育、すなわちシティズンシップ教育を普及して、市民一人ひとりの権利や個性が尊重され、自立・自律した個人が自分の意思に基づいて多様な能力を発揮し、成熟した市民社会が形成されることを期待しています。
なお、私たち研究会の提言は、市民に奉仕活動などを義務付けたり、国家や社会にとって都合のよい市民を育成しようという目的のものではありません。

<参考文献>
(1)長沼豊『市民教育とは何か―ボランティア学習がひらく―』(ひつじ市民新書)ひつじ書房、2003年3月。
(2)バーナード・クリック、添谷育志・金田耕一訳『デモクラシー』(<一冊でわかる>シリーズ)岩波書店、2004年9月。
(3)長沼豊『新しいボランティア学習の創造』ミネルヴァ書房、2008年12月。
(4)長沼豊・大久保正弘編、バーナード・クリックほか、鈴木崇弘・由井一成訳『社会を変える教育 Citizenship Education ―英国のシティズンシップ教育とクリック・レポートから―』キーステージ21、2012年10月。
(5)蒔田純『政治をいかに教えるか―知識と行動をつなぐ主権者教育―』弘前大学出版会、2019年6月。
(6)日本学術会議政治学委員会政治過程分科会『報告 主権者教育の理論と実践』日本学術会議、2020年8月。
(7)全国民主主義教育研究会編『「公共」で主権者を育てる教育を』(民主主義教育21 Vol.15)同時代社、2021年7月。

【初出】
<雑感>(151)阪野 貢/「主権者教育」「シティズンシップ教育」の一環としての「市民福祉教育」を考えるために―新籐宗幸著『「主権者教育」を問う』再読メモ―/2022年4月16日/本文

 


09 自律教育/個人的・集団的自律と「自己教育力」


<文献>
(1)岡田敬司『自律者の育成は可能か―「世界の立ち上がり」の理論―』ミネルヴァ書房、2011年7月、以下[1]。
(2)梶田叡一『自己教育への教育』(教育新書)明治図書、1985年6月、以下[2]。

〇市民福祉教育は、住民一人ひとりがそれぞれの思いや考え、願いなどに基づいて、住みなれた地域で自立および自律した生活を営むことができる福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践(援助・支援、活動)や運動に取り組む「市民」の主体形成を図るための教育活動である。市民福祉教育についてとりあえずこのようにとらえた場合、「自立」(independence)と「自律」(autonomy)、そして内容的には「共生」(symbiosis、cooperation)がひとつの鍵概念となる。それらのうちから、ここでは、岡田敬司の[1]に依りながら(抜き書きと要約。引用表記は省略)、「自律」をめぐって若干述べることにする。
〇そのまえに、「共生」に関して一言すると、例えば庄司興吉は、共生(広義)という言葉・用語を社会科学的に概念化する場合には、共存(co-existence)、共有(sharing)、共生(symbiosis)、共感(sympathy)という4つのヴァージョンに分析して考える必要があると説く(庄司興吉編著『共生社会の文化戦略―現代社会と社会理論:支柱としての家族・教育・意識・地域―』梓出版社、1999年4月、3~12ページ)。庄司がいうこの4つのヴァージョンに関しては、共存には理解、共有には固有、共生には自立、共感には傾聴がそれぞれその前提(必要)となる。そしてこれらは、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究において重要な用語・概念のひとつでもある。
〇さて、「自律」について、『広辞苑』(第6版、岩波書店、2008年)は、「自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること」、また『大辞林』(第3版、三省堂、2006年)では、「他からの支配や助力を受けず、自分の行動を自分の立てた規律に従って正しく規制すること」と説明している。
〇いうまでもなく、教育の基本的目標は自律的人間の育成にある。それは、教育基本法にいう「教育の目的」としての「人格の完成」を意味する(人間の自律=人格の完成)。そして、自律的人間こそが真に、地域・社会を担い、創造・改革することができる。
〇自律とは、自らの判断によって自らの行為を決定あるいはコントールすることである。その判断や行為決定を可能にするためにはまず、自分を取り巻く環境やそのもとに展開されている状況、直面している出来事や事柄、問題などについて認識、理解し、思考することが必要となる。また、自律は、自己判断に基づいて自分の行為を自分で規制・統制することから、他からの強制や拘束、妨害などを受けない、個人の自由意志の存在を前提とすることはいうまでもない。その自由意志は、他人の言動に影響されないだけでなく、自分の欲求にも影響されずに自分をコントロールする意志を含意する。こうした自律にこそ「人間の尊厳」を見出すことができ、「自から」を「律する」ことができる点において人間は尊厳に値する存在であるといえる。
〇人が自ら思考・判断し、自律的に行動するためには、個々人の自由意志と個人の社会的責任に立脚した権利意識や自治意識をもって自覚的・能動的に学び続けることが肝要となる。こうした人間(「市民」)主体の形成は、教育が取り組むべき根本的かつ現代的課題である。それはまさに、市民福祉教育の課題でもある。
〇人間は個人として個々に存在すると同時に、社会的集団や組織の構成員としても存在している。「人間は社会的存在である」(アリストテレス)といわれ、和辻哲郎が『風土―人間学的考察―』(岩波書店、1935年9月)で主体的・具体的な人間存在は個人的かつ社会的な二重構造をもつと説く所以である。ここから、自律の意味は、自己判断・自己決定や自己統制による「個人的自律」だけでなく、社会的集団・組織における共同判断・共同決定や内部統制による「集団的自律」をも含むことになる。これは、社会的集団・組織や地域・社会の自治のあり方を問うものでもある。この点を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて言えば、個人的主体と集団的主体、さらにはまちづくりの運動主体の育成・確保のあり方が問われることになる。
〇集団的自律は、社会的集団・組織における合理的・統合的な集団行為について判断・決定するためのものである。しかし、それは、必ずしも個々の構成員にとって合理的な納得を得ることができるものであるとは限らない。集団的自律の名のもとに個人的自律が軽視・無視され、あるいは圧殺され、個人的自律と集団的自律の間に矛盾や対立、葛藤などが生ずる例は枚挙にいとまがない。この両者の調和を図り、相補的・相乗的関係を創り出すことに教育したがってまた市民福祉教育の重要課題があるといえる。
〇ところで、自律の反対概念は「他律」(heteronomy)である。他律とは、自らの判断によって自らの行為を決定あるいはコントロールすることができない事態であり、外部の権力や権威に依存、服従することをいう。人は、一般的には、他律的存在から自律的存在へと成長・発達する。そのためには、時期や状況に応じて、他者によって権力的あるいは権威的に主導される教育としての他律教育が必要かつ重要となる。なお、ここでいう権力とは「非自発的な服従を引き出す力」、権威とは「自発的な服従を引き出す力」を意味する(岡田敬司『かかわりの教育学―教育役割くずし試論―』(増補版)ミネルヴァ書房、2006年10月、246ページ)。
〇他律教育は、自律性を育成するための受動的・強制的な教育である。自律教育は、自律性を推進するための能動的・自発的なそれである。いずれにしろ、教育は、その根源においては他律的な営みであるが、他律教育とその基での自律教育の過程を通して、あるいは他律教育と自律教育の相互性(相互依存、相互補完、相互促進)のなかで、自律性の育成、獲得を図るのである。市民福祉教育も時期や状況に応じて、他律教育や自律教育としてのその展開が必要となることは、これまたいうまでもない。
〇以上を要するそのひとつとして最後に、西岡正子の次の言説を引いておく。「自律のための教育は若年世代、壮年世代そして高齢世代と今を生きる全世代が、共に取り組み実現しなければならない課題である。それは取りも直さず、人間の尊厳に基づく教育であり、人間として生きるための教育である。すべての世代の幸せと豊かな社会の形成は自律の為の教育と密接不離の関係にある。われわれは自律のための教育の実現をもって初めて未来の創造に向かうことが出来るといえるのである」(南澤貞美編『自律のための教育』昭和堂、1991年11月、105ページ)。
〇ところで、冒頭に記した市民福祉教育の規定は内実的には、子ども・青年から大人まで、教育の全領域において、また生涯学習とのかかわりで「自己教育力」(self-directed learning、self-educational ability)の育成を必要とする。
〇ここで、自己教育(力)に関するひとつの言説をメモっておくことにする。今日おいてもしばしば引用あるいは援用される梶田叡一の[2]である。
〇梶田は[2]で、「教師によって、またその学校での教育によって、教えられ育まれてきたものを土台として、自分自身でさらに学び、成長し続けることができるかどうかということ」、すなわち「自己教育の力を育てるということは、学校教育の持つ本質的な使命である。いや、教育という営みの全てが持つ本質的な使命と言ってもよい」(11ページ)。「自己教育とは、結局のところ、その人の生き方の問題にほかならない。(中略)自らの接するところ体験するところのすべてを、自己の認識の拡大深化のための糧とし、自己成長のためのきっかけとする、というのが自己教育である」(49、52ページ)と説いている。
〇そして、自己教育への構えや意欲、そのための技能(「自己教育の構えと力」)を意味する「自己教育性」は、次の4つの側面が特に重要な意義をもつと考える。(1)成長・発達への志向、(2)自己の対象化と統制(コントロール)、(3)学習の技能と基盤、(4)自信・プライド・安定性、がそれである。それぞれについて、梶田は、(1)は、自分なりの「ねがい」(長期的な目標)と「ねらい」(当面の目標や課題)、そして「やる気」(達成と向上の意欲)をもって、自己の成長・発達をめざす力、(2)は、自分自身の現状や課題、可能性などについて認識、評価し、自分自身をコントロールして一定の方向へ向けていく力、(3)は、基礎的・基本的な学力(知識、理解、技能)と、それに基づく学び方の能力(知識、技能)、(4)は、以上の3つの側面を支える、自分なりの自信とプライド、そしてそれに支えられた心理的な安定性、であると述べ、自己教育力はこうした4つの側面から構成されるとしている(36~53ページ)。
〇以上から、市民福祉教育のひとつの鍵概念ともなる「自己教育力」について管見を簡潔に述べるとすれば、こうなる。すなわち、自己教育力は学習への意欲の形成や学習の仕方の習得などとして狭く捉えるべきではない。自己教育力は、学校教育においてのみ育成されるものではない。それは、「自分が(で)自分を」教育する力だけではなく、他者や、自分を取り巻く社会的状況や文化的環境、自分のライフステージやライフスタイルなどによって影響される。すなわち、自己教育力は、生涯にわたって自発的に学ぶ意欲(欲求と意志)や姿勢をもって、地域・社会の新たな変化や問題状況に主体的かつ積極的に対応し、自分ひとりであるいは他者と共働しながら、課題解決を自律的・能動的に図るために必要な能力である。それは、自らの生き方について、自省しながら是正・改善し、よりよい生き方を創造していく能力でもある。そういう点において、自己教育力は、「自己学習」「自己形成」「自己啓発」「自己統制」「自己陶冶」「自己実現」等々の概念を統合したものである。そしてそれは、前述の自律教育とともに、福祉によるまちづくりにつながり、またつなげなければならない重要な概念である、といえよう。市民福祉教育は、こうした自己教育力をいかに育成し、その伸長を図るかが問われるのである。
〇「自己教育力」に関して、「教育」や「学習」の主体性をめぐる議論について一言する。たとえば学校教育においては、教育の主体(行為者)は教師であり、子どもは教育の客体(対象者)である。あるいは、学校教育の主役は子どもであり、主体はあくまでも教師である、などとされる。そこには、教育の受動性と学習の能動性についての拘(こだわ)りがある。福祉教育について言えば、「福祉教育」と「福祉学習」を区別する論がそれである。1995年10月に設立された日本福祉教育・ボランティア学習学会の名称にみる「教育」と「学習」も然(しか)りである。文部省(文部科学省)の『我が国の文教施策(教育白書)』(1994年版)に初めて「ボランティア教育」という言葉が登場するが、1980年代以降、学校現場や民間団体では「ボランティア学習」が使われてきた。
〇「教育」論と「学習」論についての検討は別の機会に譲るとして、ここではとりあえず、「教育は学習の指導である」「学習のないところに教育はない」という勝田守一のフレーズを引いておくことにする(勝田守一『能力と発達と学習』国土社、1990年10月、149~150ページ)。

【初出】
〈まちづくりと市民福祉教育〉(8)阪野 貢/自律教育と市民福祉教育/2012年8月29日/本文
〈まちづくりと市民福祉教育〉(15)阪野 貢/自己教育力と市民福祉教育/2013年3月28日/本文

 


10 共生教育/「包摂と排除」とインクルーシブ教育


<文献>
(1)倉石一郎『包摂と排除の教育学―戦後日本社会とマイノリティへの視座―』生活書院、2009年11月、以下[1]。
(2)倉石一郎『教育福祉の社会学―〈包摂と排除〉を超えるメタ理論―』明石書店、2021年6月、以下[2]。

〇[1]で倉石は、「包摂」を「それまで教育が関心の埒外(らちがい)においやっていた存在に『今さらながら』関心のまなざしを向け、それに対して何らかのはたらきかけを開始すること」(9ページ)と定義づける。そして、在日朝鮮人教育や高知県の「福祉教員」制度(同和教育)をめぐる言説や実践を実証的に明らかに、「包摂」を探求する。
〇[2] で倉石は、「教育福祉」の「メタ理論」を探究する。その際の「教育福祉」は、「貧困や排除の克服を目的に立ち上げられた教育政策や制度、あるいは官民両方におよぶ社会事業的改善策の展開」を総称する。その第一義的な目的は、「学校からの排除に直面している子どもや家族等が被(こうむ)っている種々の不利益や剥奪(はくだつ)が軽減されるような支援を、主として教育の場でおこなうこと」にある。「メタ理論」(ある理論の前提となる理論:筆者)とは、「教育福祉をめぐる個別の経験的研究が参照すべき道しるべ」となる事例横断的な「理論軸」をいう(9ページ)。
〇ここでは、[2] における「包摂と排除」に関する論点や言説を取りあげる。倉石はまず、包摂と排除をめぐる「同心円モデル」という思考図式について説き、その問題性を指摘する(以下のページ表記はすべて[2]のそれである)。
〇「包摂と排除の同心円モデル」において「排除」とは、「中心に経済システムが位置し、周辺に政治、法、教育、福祉システム等が配置されている」現行の社会システムに、「十全に参加しえず、恩恵をこうむることができない立場(状態)」にあることをいう(10ページ)。「包摂」はその逆で、居ながらにして(そのままの状態で)、そのシステムの恩恵をこうむることができる立場(状態)にあることをいう。この「包摂と排除の同心円モデル」においては、排除の状態が先にあり、それへの対処策として事後的に包摂がなされる(排除が先で、包摂が後にくる)という「時間的序列」を考える。とともに、排除が悪で、包摂が善であるという「価値序列」を考える(20ページ)。倉石にあっては、この「時間的序列」と「価値序列」は、素朴で日常知に近い単線思考であり、包摂に潜むパターナリズム(「あなたのため」という根拠・理由によって介入・干渉あるいは支配すること:筆者)の問題などが見過ごされたりする。そしてなによりも、「包摂と排除の同心円モデル」には、包摂「される」側の主体性が看過されているという致命的な欠陥がある(103ページ)。
〇次いで倉石は、「包摂と排除の同心円モデル」思考に対して、より適切なものとして「包摂と排除の入れ子構造」論を対置(提起)する。それは、「包摂のなかに排除が、また逆に排除のなかに包摂が宿されているという認識を骨子とする議論」である。すなわち、「包摂と排除はそれ単独では成立せず、互いに他をともなうことでようやく完結をみる」、「排除と包摂は互いに他を必要とする」(20ページ)という考え方である。そこでは、包摂の進展が排除を促進・高度化し、逆に排除の進展が包摂を促進・完全化する、という図式がみられる。要するに、包摂と排除は、「対立しあう相克的関係」(30ページ)にあるのではなく、「相互参照的なもの」(45ページ)である。
〇さらに倉石にあっては、「入れ子構造」論にも問題がある。排除の通俗的なイメージには最初から、社会の周辺部や外部に追いやられていることが含意されている、というのがそれである。こうした思考から解放されるためには、「創発的包摂」概念が肝要となる。「創発的包摂」について倉石はいう。「創発的包摂」とは、「既存の秩序により多数の他者を取り込むのでなく秩序を『中断』させ変形させるものとしての包摂」(105ページ)を意味する。別言すれば、ソーシャル・マイノリティの人びとが、現存する秩序に単に包摂されたいと願うのではなく、共生社会の形成者として、新しい行動や生活の仕方が可能になるような方法でその秩序を作り直すことが肝要である、ということである。その点において、「創発的包摂」は、専門家・専門職との調和的関係を前提とするが、当事者の意向が最優先される「主体的営為としての包摂」(103ページ)である。
〇およそ以上が、筆者が読み取った[2]における倉石の言説である。その点から福祉教育に関して一言すれば、福祉教育はこれまで往々にして、高齢者や障がい児・者などに関する「排除と包摂」の観点から福祉教育の理念や実践・研究のあり方を問いがちであった。例えば、排除(悪)への対処策として包摂(善)が位置づけられ、「社会的包摂に向けた福祉教育」「共生社会をめざした排除のない地域づくりと福祉教育」といったことが理念的・総論的、あるいは二項対立的に語られてきた。この発想は、倉石の言説に依れば再検討が要請される。また、福祉教育では、マイノリティの包摂が「多様性」についての理解に留まったり、包摂の進展を図るマイノリティ側の主体性・自律性、あるいは主導性に十分に関心を払ってこなかった。場合によっては意図的に「無頓着」でもあった、といえば言い過ぎであろうか。包摂という営為は誰かによってなされる(受動的な)ものではなく、排除されている当事者本人が主体的・自律的に、そしてまた共働的になす(能動的な)ものである。またそれは、形式的なものではなく、確かに・豊かに「生きる」ことの内実が伴うものでなければ意味をなさない。そうした前提に立てば、そこにこそ福祉教育のあり方が厳しく問われることになる。
〇周知のように、戦後の学校教育法体制(1947年4月施行)の最大の特徴は、「障がい児をひとまず他の一般の子どもと同様、就学義務制度の対象として位置づけたこと」(29ページ)にある。障がい児の公教育への「包摂」である。しかし、その体制整備は先送りされ、就学に困難をきたす子どもには就学猶予・免除制度が適用されることになる。障がい児の普通教育からの「排除」である。その後、遅ればせながら1979年4月に「養護学校」が義務化され、形式的には障がい児の教育機会が保障されることになる(包摂)。また、2007年4月には「特殊教育」が「特別支援教育」、「特殊教育諸学校」(盲学校、聾学校、養護学校)が「特別支援学校」に名称変更される。さらに、2012年7月の中央教育審議会報告を受けて、共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システムの構築とそのための特別支援教育の推進が図られることになる。これらは、「分離教育」から「統合教育」、そして「インクルーシブ教育( Inclusive Education)」への変遷(過程)として捉えることができる。しかし、基本的には能力主義教育政策に基づく分離・別学体制が堅持されている(排除)。
〇こうした障がい児教育政策に対して、特別支援学校に在籍する子どもの数が増加傾向にあるなかで(特別支援学校在籍者数:2010年12万1,815人、2015年13万7,894人、2020年14万4,823人、2021年14万6,285人)、福祉教育はどのような立ち位置から、どのように(理論的・実践的に)振る舞ってきたのか。いま改めて根本的な科学的理解と検証をおこない、それに基づいて理論と実践の見直しと再構築を図ることが求められる。相変わらず分離・別学体制を所与のものとして受け容れ、障がい児・者に対する「思いやり教育」「共生教育」としての福祉教育の実践・研究が展開されるなかで、そのあり方が厳しく問われている。
〇唐突ながら、いま、「福祉教育・ボランティア学習を軸とした福祉でまちづくり」に熱心に取り組んできた(いる)社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーカー(坂本大輔)の言葉を思い出す。その言葉が胸に突き刺さる。「福祉教育に関して研究者や実践者の意識は薄れてきているのではないか」。それに関して、福祉教育実践・研究者(鳥居一頼)はいう。「貧しいとか、苦しいとか、障がいがあるとかという以前に、この世に生まれ育ち、『生きる』(二重かぎ括弧は筆者)ということに対して、子どもに対してのまなざしを私たちはどれだけ熱くしていけるのか」が問われる。胸に刻んでおきたい(『ふくしと教育』第33号、大学図書出版、2022年8月、34、41ページ)。

【初出】
〈雑感〉(159)阪野 貢/排除と包摂:主体的営為としての「包摂」を考える ―倉石一郎著『教育福祉の社会学』のワンポイントメモ―/2022年8月16日/本文

 


11 地域教育経営/つながりと熟議


<文献>
(1)荻野亮吾・丹間康仁編著『地域教育経営論』大学教育出版、2022年10月、以下[1]。

●地域福祉における評価は、実践の成果や課題解決の側面から行われる「タスクゴール」(課題達成)、実践の過程や住民・関係主体の参加や連携・協働の側面から行われる「プロセスゴールス」(過程達成)、住民や行政などの関係性や地域の権力構造の側面から行われる「リレーションシップゴール」(関係力学変容)という視点が重視される(補遺(1) 参照)。
●学校教育における評価は、それがいつ行われるかによって、教育活動を始める前に行われる「診断的評価」、教育活動の途中で行われる「形成的評価」、教育活動が終了した後で行われる「総括的評価」に分けられる(補遺(2)参照)。
●問題・課題解決を図るための福祉・教育実践は、計画の立案・仮説の設定を行い(Plan)、計画・仮説を実行し(Do)、実行した結果に基づいて計画・仮説を評価・検証し(Check)、計画・仮説の改善・修正を行う(Action)、というプロセスを経る。そしてそれを、次の新たな取り組みに活かす。いわゆる「PDCAサイクル」である(仮の結論=仮説を設定して考える問題解決のための思考法を「仮説思考」という)。
●市民福祉教育の実践プログラムの企画・立案は、例えば、「学習者の設定・理解」、「学習要求と学習必要の把握」、「学習目標と内容・方法等の選定」、「実践プログラムの実施」、「学習評価とその共有」、「実践プログラムの改善・再計画」などの流れで行われる。

〇周知の通り、社会福祉では「我が事・丸ごと」地域共生社会の政策化が図られ、学校教育では新学習指導要領が提唱する「社会に開かれた教育課程」の具体化が志向されている(補遺(3)参照)。福祉教育では、共生社会の形成や多文化共生の実質化をめざした「地域を基盤とした福祉教育」の推進が要請されている。これらはいずれも、誰もが地域社会づくり(まちづくり)に参加し、安全で快適に「住み続けられる地域社会のデザイン」を企図している。その点において[1]は、一面では、時宜にかなったものであり、「まちづくりと市民福祉教育」について思考する筆者にとって興味をそそられる。
〇[1]では、地域社会を教育の基盤として位置づけ、学校教育と社会教育の双方の視点から、生涯学習を可能にする地域社会を総合的にデザインし、その運営について考える「地域教育経営」という枠組みを提示する(ⅰページ)。そして、「地域教育経営とは、学校の構成員や地域社会で暮らす人々を教育の当事者として位置づけ、それらの人々の間に『つながり』を紡ぐことで、学校運営協議会などの組織化された公的な意思決定の場面をはじめ、教育に関して『熟議』がなされる領域を日常的なさまざまな場面にも広げていこうとする実践、および、それを支える仕組みや制度に関する理論」である、と定義づける(17ページ)。
〇この定義では、地域教育経営を実現するための要素として、「つながり」と「熟議」が重視される。すなわち、地域住民をはじめ行政や企業、関係機関・組織などの「つながり」づくりが地域教育経営の基礎に位置づけられる。そして、「熟議」が、単なる話し合いではなく、地域社会を構成するさまざまな主体(関係主体)が連携・協働してまちづくりを推進し、地域社会に新たな「つながり」を紡ぐ実践として重要視される(18ページ)。定義でいう「学校運営協議会」は、教育委員会によって学校内に設置され、保護者や地域住民などが一定の権限を持って学校運営に参加する合議制の機関である。2004年9月の法定化以来、2021年5月現在で学校運営協議会を設置する学校(コミュニティ・スクール)は、全国の公立学校(幼稚園・小学校・中学校・義務教育学校・高等学校・中等教育学校・特別支援学校)の33.3%にあたる1万1,856校を数えている。
〇[1]は、地域教育経営の「見取り図」を示し、各地域の課題解決に向けた先進事例を紹介しながら「課題と展開」、「主体とパートナーシップ」、「デザインと評価」について議論する、入門・基礎レベルのテキストとして編まれている。筆者にとってはとりわけ、身近な地域社会での「つながり」と「熟議」をどのように組織化するか、地域教育経営の目標である「エンパワーメント」をどのように実現するか、そして住民主体の活動をどのように評価するか、などの論究(実践的方法論)が興味深い。
〇これらの点について、[1]における論点や言説のいくつかをメモっておく(抜き書きと要約。見出しは筆者。見出しの後の氏名は分担執筆者)。

コミュニティにおける話し合いの問題と対処法/佐藤智子
●古典的な意味でのコミュニティは、一定の地域的範囲(範域)をもつ「地域性」と、そこでの生活の「共同性」をその要素としている( R.M.マッキーバー)。現代におけるコミュニティは、一定地域に「常に在るもの」ではなく「失われつつあるもの」となり、ゆえに多くの場合、「新たにつくられるべきもの」ととらえられている。(162ページ)
●分断された社会に共生を取り戻し、包摂的なコミュニティを構築していく過程では、対話(話し合い)が欠かせない。話し合いの場では、①社会的な「上下関係」に起因した遠慮(反対意見を言いづらいなど)、②参加者間での前提の不一致や非共有(意見の前提にある情報や事実認識が異なるために話がかみ合わないなど)、③義務的な参加動機(話し合いに対してやる気がない、地域の問題に興味がないなど)、④発想の固定化(似通った意見しか出ないなど)、などの問題が生じやすい。(163、169~170ページ)
●こうした問題に対処するためには、①水平的な関係づくりを重視する(参加者の属性による区別も優遇もしないなど)、②情報やアイディアの提供(アウトプット)とともに吸収(インプット)を重視する(参加者が客観的な情報を吸収することができるなど)、③「楽しい」という感覚を優先する(参加者が意見表明や情報吸収に楽しさを感じるなど)、④問題解決や合意形成を目的としない(すべての参加者によって表明された意見やアイディア全体を総括し集約するなど)、などが有効である。(170~171ページ)

「まちの居場所」の種類とデザインの方法/荻野亮吾・高瀬麻以
●「まちの居場所」(たまり場)は、飲食店や自宅、公共スペースなどの場を開放して、交流やつながりづくりを重視するコミュニティカフェ型の居場所、高齢者・子ども・子育て支援などをテーマに、社会的課題の解決を目的とするコミュニティケア(community care)型の居場所、さまざまな人たちが出入りして独立した仕事を行うスペースだけでなく、属性の異なる利用者の交流や地域活動・市民活動を支援する場としてのコワーキングスペース(coworking space)型の居場所など、多種多様な形態をとる。(177~180ページ)
●それらは、既存の制度や施設の枠組みからこぼれおちたニーズ(隙間)に対応しようとするものであり、個々人が孤立せず他者と居合わすことができる場である。しかも、気軽に利用しやすい日常生活の場に根ざして設置され、地域の人々が中心になって運営される点に特徴がある。(175~176ページ)
●「まちの居場所」づくりは、それに関わる人それぞれが「想い」を出し合い・デザインし、誰もが気持ちよく参加することのできる空間・時間づくりや人間関係づくり(「空間」「時間」「人間(じんかん)」「隙間」の4つの「間」をデザインすること)を進め、ゆるやかな関係のなかで関わる人々がその「役割」を少しずつ担い・デザインしながら、自分たちの居場所を徐々に創出する「熟議」の過程が重要となる。(180~183、185ページ)

地域課題の解決とエンパワメント/菅原育子
●人々が、自分(たち)のもつ力や可能性を知り、自ら(地域の)課題解決に向けて行動したり、環境をより良くしようとすることや、そのための力を得たり力を発揮する過程は、「エンパワメント(empowerment)」という概念で説明される。エンパワメントとは、力を引き出す、力を与えるといった意味をもつ言葉である。(202ページ)
●地域社会におけるエンパワメントは、「専門家に頼るのではなく、住民自らが力をつけること」(住民個人のエンパワメント)とともに、組織や地域が「多様な個人を活かしながら地域の課題解決への力量形成をめざすこと」(組織・コミュニティのエンパワメント)と表現される。住民が中心となり、他者と協働して地域が抱えるさまざまな課題に向かって行動する地域づくりは、住民、住民主体の活動、そして地域全体のエンパワメントを推進することと同義である。(202ページ)
●エンパワメントは、住民と地域の関係性を理解し、住民主体の活動への支援を考えるうえで欠かせない概念である。そして、エンパワメントを推進する過程で不可欠となるのが、活動の評価である。評価とは、対象について、なぜそれをするのか、どのようにするのか、その結果どう変わったか、その変化は期待したものであったか、などの問いにこたえる行為である。(202ページ)

「住民参加型評価」とその流れ/菅原育子
●課題解決をめざす活動(「プログラム」)は一般的に、①ニーズや課題の把握、②企画と関係者の巻き込み、③具体的な実施体制の構築と実行計画の立案、④計画の実行と改善・修正、⑤最終的な振り返り、という流れで計画・実行されるが、評価(「プログラム評価」)はこの各段階で行われる。①の段階では状況把握のための「ニーズ評価」、②③の段階では活動の目標や計画が妥当かを評価する「セオリー評価」、④の段階では活動が計画通りに実行されているかを評価する「プロセス評価」や短期的な成果を評価する「アウトカム評価」、⑤の段階では長期的な成果を評価する「アウトカム評価」や活動の広範な影響を評価する「インパクト評価」が行われる。(204ページ。表1参照)
●住民をはじめとする当事者にとって、評価は活動を整理し、改善し、推進するのに役立つ。また、自分たちの置かれた状況を客観的に理解し、自分たちの強みや弱みを知り、関係者全員で課題を共有することや、活動の目的を共有することにつながる。さらに、活動展開中の評価は、活動の目的を関係者間で再確認し、自分たちの活動が期待していた成果に向かって進んでいるかを把握し、うまくいっていない時には活動内容を見直し改善することにつながる。また、うまくいっている時には、自信をもって活動を継続することに結びつく。(203ページ)
●(当事者である住民と評価の専門家が協働して行う住民「参加型評価」について)源由理子は、評価のプロセスを「評価の事前準備」および「評価の設計」「データの収集と分析」「データの価値づけと解釈」「評価情報の報告と共有」の4段階に分けたうえで、「参加型評価」の基本的な流れとして、各段階で当事者がどのように評価に参加し役割を担うかを設計する手順を示している。参加型評価においては、評価の4段階すべてにおいて、住民を含めた関係者が対話・討議を行い、合意形成を行いながら進めていくプロセスが重視される。多様な関係者が一同に介し(一堂に会し)、対話と討議を行う場として評価ワークショップ、または検討会と呼ばれる場を設ける手法が多く用いられる。参加型評価に関わる専門家には、これらの対話の場において多様で対等な意見の発散・構造化・収斂(しゅうれん)を導くファシリテーターとしての技能が求められる。(206~207ページ。図1、表2参照)

「エンパワメント評価」と地域のエンパワメントの実現/菅原育子
●参加型評価のなかでも、評価における当事者の参加と、参加を通したエンパワメントを強調するのが「エンパワメント評価」である。それは、当事者が主体的に評価を行い、その過程で評価に必要な技術を取得し、評価をもとに当事者自身が活動のすべてを決定することに重点を置く点で、徹底した当事者主体の評価手法である。(207ページ)
●評価は、当事者が自分たちのためのものであると実感でき、評価を通して活動の改善や深化が達成できるときに、(当事者個人や組織・コミュニティの)エンパワメントにつながる。評価の目的を関係者で共有し、適切な評価のデザインを協議しながら決めていくことが、(住民をはじめとする)当事者の主体性を高め、エンパワメント促進につながる評価の条件である。(211ページ)

〇ここで、上述の菅原が引用する源の言説(評価論)を引いておくことにする。表1の「プログラム評価の主な焦点」、図1の「参加型評価の流れ」、表2の「参加型評価の主な作業」がそれである(源由理子編著『参加型評価―改善と変革のための評価の実践―』晃洋書房、2016年11月)。

〇ところで、「まちづくりと市民福祉教育」実践では、福祉・教育関係機関・組織などが所在する地域を基盤に、子ども・青年や大人、高齢者や障がい者、行政や関係主体など多様な実践主体によって展開され、「つながり」と「熟議」を通じた合意形成と、実践(援助・支援、活動)や運動を通じた主体形成を図ることが必要かつ重要となる。
〇その際、地域の実態・実情やそれまでの実践・運動を分析し、それを通してどのような状態・到達目標を設定するか、それに対してどのような内容・方法が有効で、どのような状態・成果が期待できるか、などについて事前に体系的に検討することが肝要となる。いわゆる「実践仮説」の設定である。
〇そして、そこに求められるのは、多様な実践主体が参加して展開される住民「参加型」評価である。上述の源によると、対話による合意形成を前提とした参加型評価では、評価対象に対する帰属意識やプログラム(課題解決をめざす活動)に対する当事者意識が高まり、結果として評価情報の共有や活用の度合いが高まることが期待される。そして、「参加型評価をとおして民主的な市民参加の場を提供することが、社会の改善や変革に貢献する」(源『前述書』19ページ)ことになる。
〇以上を踏まえて、「まちづくりと市民福祉教育」に関する住民「参加型評価」について、ひとつの「評価指標の体系」を図2(試案)に示すことにする。

〇加えて、「まちづくりと市民福祉教育」に関する総括的評価の設問を例示しておく。以下の「この活動」についてはとりあえず、コミュニティソーシャルワークの代表的な実践である地域福祉(活動)計画の策定活動とその主体である地域住民(子ども・青年や大人、高齢者、障がい者など)を念頭に置いている。

ニーズ評価 × 学習者の設定・理解
・このまちはいま、どんな問題や課題を抱えていると思っていましたか
・この活動は、社会のニーズに合っていると思っていましたか
・この活動を通してまちづくりに参加しようと思った理由はなんでしたか
セオリー評価 × 学習要求と学習必要の把握 × 学習目標と内容・方法等の選定
・この活動の目的や取り組みの内容・方法等についてどう思いましたか
・この活動に参加するにあたってなにを学びたい・学ぶべきだと思いましたか
・この活動に関する学習の目標や内容・方法等についてどう思いましたか
プロセス評価 × 実践プログラムの実施
・この活動と学習は計画通り・期待していたように実施されたと思いますか
・この活動と学習を通して住民や関係機関等のつながりが深まり・広がったと思い          ますか
・この活動と学習について、あるいはそれを通して話し合いが深まり・広がったと           思いますか
アウトカム評価・インカム評価 × 学習評価とその共有
・この活動に参加する意欲や推進する能力は高まったと思いますか
・この活動に関する学習は活動を進めるうえで役立ったと思いますか
・この活動と学習を通してまちづくりについての認識は変わったと思いますか
費用対便益・費用対効果 × 実践プログラムの改善・再計画
・この活動と学習は効果的・効率的に取り組まれたと思いますか
・この活動と学習は見直し、改善・修正する必要があると思いますか
・この活動と学習は今後も継続あるいは拡大する必要があると思いますか

〇なお、社会福祉実践プログラムにおける「参加型評価」の適用をめぐって論究したものに、藤島薫『福祉実践プログラムにおける参加型評価の理論と実践』(みらい、2014年3月)がある。参照されたい。

補遺
(1)タスクゴール、プロセスゴール、リレーションシップゴール
タスク・ゴールは、目的達成面からの評価で、地域の福祉課題や生活問題を具体的にどの程度解決したか、福祉ニーズに対して社会資源の提供はどの程度活用されたか、問題解決に住民はどの程度満足しているか、などを量的・質的側面から評価する。
プロセス・ゴールは、課題達成に至るまでの諸過程、手続きを重視する側面からの評価で、住民(組織)が計画から実施の過程でどういう形で参加したか、参加を通じて問題解決能力をどれだけ身につけたか、住民組織や機関の協働促進はどう進展したか、また、その主体形成力はどう図られたかなどの評価である。
リレーションシップ・ゴールは、関係面からの評価で、地域住民や当事者の声及びニーズがどの程度活動に反映し、取り入れられたか、組織活動を通して地域の民主化は進展したか、当事者などの人権は擁護されたか、地域住民の連帯感は強まったか、などを評価する。これら3つの評価視点は業務分析に当たって総合的に活用してこそ有効である。
(日本地域福祉学会編集『地域福祉事典』中央法規出版、1997年12月、229ページ)

(2)診断的評価、形成的評価、総合的評価
事前的診断的評価は、新しい課程、学年、学期、単元、授業などに入る前に、指導の参考となる各種の事前的情報を収集する目的で行う評価である。例えば、新しい学習内容を習得するのに必要なレディネスの獲得状況(知識や経験、環境などの準備状態:筆者)、新しい学習内容の予習状況、あるいは習熟度・知能・性格・興味・適性などに関する情報が収集される。
形成的評価は、従業中・授業後・小単元終了時など、ある単元の指導を進める過程で、途中で学習者の学習状況(教育目標の達成状況)を確認し、教師と学習者の双方にフィードバックし、つまずきの早期発見・早期回復を行うことにより、学力形成に利用する目的で行う評価である。
総括的評価は、課程、学年、学期、単元の終了時などに、1つ以上の単元にまたがる広い範囲について、そこでの学習成果をまとめ、成績づけに利用する目的で行う評価である。すなわち、卒業(修了)試験、学年末試験、学期末試験などが総括的評価の手段である。
(辰野千壽・石田恒好・北尾倫彦監修『教育評価事典』図書文化社、2006年6月、62ページ)

(3)「社会に開かれた教育課程」
〇新学習指導要領(小学校は2020年度、中学校は2021年度から全面実施、高等学校は2022年度から年次進行で実施)は新たに設けられたその「前文」で、次のように述べている。「教育課程を通して、これからの時代に求められる教育を実現していくためには、よりよい学校教育を通してよりよい社会を創るという理念を学校と社会とが共有し、それぞれの学校において、必要な学習内容をどのように学び、どのような資質・ 能力を身に付けられるようにするのかを教育課程において明確にしながら、社会との連携及び協働によりその実現を図っていくという、社会に開かれた教育課程の実現が重要となる」。
〇すなわち、「社会に開かれた教育課程」の理念を実現するための要件として、①社会や世界の状況を幅広く視野に入れ、よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を持ち、教育課程を介してその目標を社会と共有していくこと。 ②これからの社会を創り出していく子供たちが、社会や世界に向き合い関わり合い、自分の人生を切り拓いていくために求められる資質・能力とは何かを、教育課程において明確化し育んでいくこと。 ③教育課程の実施に当たって、地域の人的・物的資源を活用したり、放課後や土曜日等を活用した社会教育との連携を図ったりし、学校教育を学校内に閉じずに、その目指すところを社会と共有・連携しながら実現させること、の3つが重要であるとする(文部科学省)。
〇ちなみに、今回の学習指導要領改訂に向けての中央教育審議会答申(2016年12月)は、「社会に開かれた教育課程」の実現について次のように述べている。
●(前略)新しい学習指導要領等においては、教育課程を通じて、 子供たちが変化の激しい社会を生きるために必要な資質・能力とは何かを明確にし、教科等を学ぶ本質的な意義を大切にしつつ、教科等横断的な視点も持って育成を目指して いくこと、社会とのつながりを重視しながら学校の特色づくりを図っていくこと、現実の社会との関わりの中で子供たち一人一人の豊かな学びを実現していくことが課題となっている。
● これらの課題を乗り越え、子供たちの日々の充実した生活を実現し、未来の創造を目指していくためには、学校が社会や世界と接点を持ちつつ、多様な人々とつながりを保ちながら学ぶことのできる、開かれた環境となることが不可欠である。そして、学校が社会や地域とのつながりを意識し、社会の中の学校であるためには、学校教育の中核となる教育課程もまた社会とのつながりを大切にする必要がある。
●こうした社会とのつながりの中で学校教育を展開していくことは、我が国が社会的な課題を乗り越え、未来を切り拓ひらいていくための大きな原動力ともなる。特に、子供たち が、身近な地域を含めた社会とのつながりの中で学び、自らの人生や社会をよりよく変えていくことができるという実感を持つことは、困難を乗り越え、未来に向けて進む希望と力を与えることにつながるものである。
〇周知のように、1998年12月告示の学習指導要領に向けて1996年7月に答申された中央教育審議会第1次答申(「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」)で、「開かれた学校」が提示された。「社会に開かれた教育課程」は、その「開かれた学校」教育の延長線上にあるだけではない。学校・家庭・地域社会の連携にとどまらず、教育課程の目標やカリキュラム・マネジメント(学校が、教育目標の実現に向け、また子どもや地域の実態を踏まえて教育課程の編成・実施・評価・改善を計画的・組織的に進め、教育の質を高めること)のあり方にまで踏み込んでいる点が注目される。

【初出】
<雑感>(164)阪野 貢/「地域教育経営」と住民「参加型評価」を考えるために―荻野亮吾・丹間康仁編著『地域教育経営論』のワンポイントメモ―/2022年12月1日/本文

 


12 まちづくり/幻想と打開


<文献>
木下斉『まちづくり幻想―地域再生はなぜこれほど失敗するのか―』(SB新書)SBクリエイティブ、2021年3月、以下[1]。

僭越ながら、いま暮らす “まち” で「よそ者、若者、ばか者」の役割を多少とも果たそうとしてきた(している)。しかし、地域からはいまだに、「物言わぬよそ者」としての振る舞いが要求される。地元の“名士”が主役の地域活動や “あやふや” と “うやむや” が交錯する会議では、「梯子(はしご)を外される」(梯子はかかっていなかった)、「出る杭(くい)は打たれる」(出る杭は抜かれる)ことも二度三度。さすがに「あほらしくってやってらんねーよ」。いまだに「世間」の「空気」が読めない自分がいる。

〇「地方創生」や「地域再生」が叫ばれて久しいが、「地方」や「地域」はますます衰退し、「創生」や「再生」は混迷の度を深めている。その原因のひとつは「まちづくり幻想」にある。その幻想を振り払い、打開するためには、まちづくりや地域再生に関する意識や思考の範囲を広げ、面倒なことに果敢に取り組み、一つひとつの事業・活動を地道に積み上げていくことしかない。一人の住民の覚悟と意識変革(「思考の土台」の再建)、地域人材の発掘と育成、地域循環経済による地域経営(稼ぎ)、そして仲間と「地域の未来」について語り合う、それがまちを変える。、内閣府の「地域活性化伝道師」(地域おこしの専門家。2022年4月現在、394人が登録されている)を務める木下斉(きのした・ひとし)が主張するところである。
〇[1]から、まちづくりの「幻想」とその「打開策」に関する木下の論点や言説のいくつかを、限定的・恣意的になることを承知のうえで、メモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

人口さえ増加すれば地域が活性化するという幻想/人口減少と新たな経済的成長
▷地方が人口減少で衰退しており、それを解決すれば再生する考え方そのものは、大いなる「幻想」です。(40ページ)/地方の人口減少は衰退の原因ではなく、結果なのです。つまり、稼げる産業が少なくなり、国からの予算依存の経済となり、教育なども東京のヒエラルキーに組み込まれる状況を放置した結果、人口が流失したわけです。(41ページ)
▶一時的に移住定住の補助金をもらい、地域おこし協力隊などの限られた収入を3年ほど担保されただけの人口が、各自治体で数人、数十人増加しただけで構造的に変わるでしょうか。/人口論に支配された地方活性化論は、どこまだいっても無理が生じます。人口さえ増えればすべてが解決する、という幻想を捨て、先をみた思考が必要です。(43ページ)/できもしない方法に固執するのではなく、新たな付加価値の生み出し方と向き合う時代にきているのではないでしょうか。経済的成長を諦めるのではなく、今までとは異なるアプローチでの経済成長シナリオが必要なのです。(46ページ)

予算があれば地域は再生するという幻想/学び、動くヒトと組織が地域を変える
▷トップの仕事とは「人事」が9割を占めると言っても過言ではありません。「何をやるか」よりも「誰とやるか」「誰に任せるか」の方が圧倒的に重要です。/しかしながら、衰退地域のトップの多くは、「筋のよい事業に適切な予算を確保すれば成功する」という幻想に因(とら)われているのです。(62~63ページ)
▶どんなに筋のいい(見込みがある)事業で、適切な予算を確保できたとしても、どうしようもないチームでは絶対に失敗します。/内発的な力があるチームを作り出せるかどうかがすべての勝負の始まりです。だからこそトップの仕事は、事業のネタ探しでも、予算確保でもなく、よい人事なのです。(63ページ)/(意思決定層は、)組織の外で多様な接点を持ち、適切な学習時間を確保し、学び続ける必要があるのです。(64ページ)/自治体の意思決定者は、予算獲得の前に自分たちの地域がどのようなシナリオで再生するか、その戦略をつくる時間と人材を優先しなくてはなりません。そのことで適切な予算活用と事業の選択が可能になるのです。(67ページ)

成功事例を真似れば成功するという幻想/金太郎飴型からの脱却
▷意思決定層の傾向は、すぐに「答え」を求めがち。その定番は「成功事例を真似れば成功する」という幻想です。/毎年どこかの地域の「成功事例」を視察し、それをパクるための予算を行政に確保させ、取り組んでみる。うまくいかないと、次のネタをまた探し、行政の予算を確保させ‥‥‥という無限ループ(繰り返し)に陥っている地域は多くあります。(72ページ)
▶いつもこのように、ネタとカネを配って全国各地が一斉に真似をし、市場の崩壊を繰り返す。意思決定層は短絡的かつ適当なパクリをせず、自分たちの頭で考えるチームの養成に力をいれるべきなのです。国側も成功事例の横展開、水平展開の幻想から早く脱却することが必要です。(79ページ)

「うちの地域は大変な状況にある」という幻想/若者が地域の未来を豊かに語る
▷地方の意思決定層の抱える問題の一つは、地域の未来に対して非常に悲観的な人が多いことです。(96ページ)/(「うちの地域は大変な状況にある」という)ネガティブなプレゼンテーションは、その地域に関わろうとする人を減らしていく効果はあるでしょうが、プラスになることはありません。皆で「大変だよな」と言って、互いの傷をなめあったところで何も変わらないのです。(97ページ)
▶危機を乗り切る時に意思決定層の人たちが、20年、30年先に生きていないやつが意思決定をするべきではないと次の世代に席を譲り、それを支える立場に回ることは、まちづくりにおいて非常に重要です。(100ページ)/バトンを次世代に積極的に渡し、次なる世代を支え、未来に向けて動いていこうとする地域は、世代横断で変化を作り出しています。いつまでも長老たちが取り組んでいる地域は、どんどん若者はいなくなり、沈んでいきます。「誰がやるか=人」と向き合う必要があります。(101ページ)

すごい人に聞けば「答え」を教えてくれるという幻想/良いパートナーの発掘
▷(地域事業のチームメンバーを組織する際に)一番やってはいけないのは、単に「力ありそうだから」と目的も共有しないままえらい人や有名な人にチームに入ってもらうといったことです。(106ページ)/すごい人たちに聞けば「答え」を教えてくれるという幻想は捨てましょう。(108ページ)
▶(「答え」は、)自分たちで考え抜き、その上で共にプロと議論し、実践してこそ見えてくるものなのです。(108~109ページ)/「強烈な少人数チーム」(3~5人)を組織し、圧力をかわしながら、時に相手の力も借りながらプロジェクトを前に進めていくことが大切なのです。(105ページ)/地域事業の要は安易に思考を放棄せずに、自分たちでリスクをとって実践するチームなのです。税金で予算をつけた無料の研修では担い手なんて育ちません。そもそもそんなところで良いパートナーを「発掘」できるはずもないのです。(109ページ)

地域が衰退しているから誰がやっても失敗するという幻想/集団圧力からの解放
▷成功者は地域で妬(ねた)まれてしまう問題があります。(110ページ)/「悪くなるのも、よくなるのも全員一緒でなくてはならない」という、悪しき「横並び」幻想があります。足並みを乱すものは許さないという集団圧力こそが、成功者を潰し、次に続く挑戦者すら排除して、地域を衰退に至らしめることになるのです。(112ページ)。/「人口減少だ」とか、「経済が低迷している」とか環境要因のせいにして、「だから何をやっても失敗する」という幻想(に囚われている地元の事業者がいます)。(113ページ)
▶このような集団的な妬みによる状況を打破するためには、本当は意思決定者が地元の成功者を巻き込んだプロジェクトを立ち上げることが必要なのですが、なかなか難しいものです。/このような集団圧力が発生する中では、まず着実に投資して、事業を積み上げていくということに徹するのが大切です。(114~115ページ)/自らの事業を通じてまちを変えようと経営を続けられている方たちこそ、地元でより様々なシーンでの活躍が必要です。ただしその時には従来の民間と行政の関係ではなく、民間が投資、事業を開発する立場を貫くこと、そして行政もよからぬ組織心理で動かぬ、新たな公民連携のカタチが必須です。(118ページ)

集団が持つ無責任、他力本願、現状維持を正当化するための幻想/「挑戦者」「成功者」を活かす
▷集団が持つ幻想は無責任と他力本願と現状維持を正当化するために共有されているものが多くあります。(137ページ)/日本人は「みんなでやることは素晴らしい」という幻想が刷り込まれていて、それを美徳にしすぎています。/地域活性化でもよくいわれる「みんなで頑張ろう」とは、私は責任はとらないよ、という意味です。(126ページ)/地域で現状を打開し、変化させたいと思っている方であれば、それらの圧力をかわしながら、自らの動きを続けていく必要があるわけです。(137ページ)
▶(誰かの成功を)「ねたむ」「ねたまれ、疲弊する」ことによって地域は「新たな負の連鎖」に陥ります。(137ページ)/この問題の解決には2つの軸に分けて考える必要があります。地元の人々が「挑戦者・成功者を目の前にしたときにとるべき行動」と、「挑戦者・成功者側が意識すべきこと」の2軸です。(138ページ)/(前者については、)様子見などせず、最初の不安な時期にしっかりと具体的に応援すること。(後者については、)7~8人から反対されるうちに「仕事」を始め、地域での挑戦者を潰して回るのではなく、育て、投資すること、が重要です。(138~145ページ)/成功者を潰すのではなく、成功者を讃(たた)え、教えを乞い、そして褒められた成功者もオープンな姿勢で対応する。このような連携が発揮されたとき、地域に競争力のある大きな産業が生まれます。(146ページ)

「外の人」に手伝ってもらえば地域が豊かになるという幻想/「関係人口」との健全な関係
▷地域においては「よそ者」が地元を荒らす悪者の幻想を抱かれていることもあれば、有名なシンクタンクやコンサルタントを過剰に持ち上げる「よそ者」幻想に支配されているところもあるのです。(148ページ)/(関係人口については)「地元のファンが増加すれば地域がよくなる」という幻想を持ったものも多くあります。(161ページ)
▶地方に必要なのは単にゆるい関係をもつ人口(居住人口でもない、交流人口でもない、第三の人口としての関係人口)ではなく、明瞭に消費もしくは労働力となる人口を移住定住せずとも確保していくところに価値があるはずです。(162ページ)/関係人口という「外の人」に期待されるべき経済的役割としては2つがあります。(166ページ)/一つは、地元に住んだり訪れたりするだけではない「新たな消費」に貢献してくれるということです。/もう一つは、地元に不足する「付加価値の高い労働力」となってくれるという視点です。(166~167ページ)/漠然とした中で関係人口を募集するのではなく、「消費力」「労働力」という2軸をもとに地域に必要な関係人口をターゲティングし、そのような方々と意味のある関係を適切に築いていくことが重要です。(167ページ)

「わからないことは専門家に任せるもの」という幻想/外注依存の「毒抜き」
▷「わからないことは専門家に任せるもの」という幻想が、いまだはびこっています。/ハイエナのようなコンサルタントなども多くいるのも確かです。(171ページ)/地方のさまざまな業務の問題点は、計画するのも外注、開発するのも外注も、運営も外注、となんでもかんでも外注してしまうことにあります。(173ページ)
▶本来は、地元の人たちで計画を組み立て、事業を立ち上げ、産業を形成して動くのが基本です。(171ページ)/外注ばかりを続けると外注しかできなくなります。(173ページ)/地域の外注主義と、そこに群がるコンサルの構図が生み出す悪循環は、地域から3つの能力を奪います。➀執行能力がなくなり、自分たちで何もできなくなる、②判断能力がなくなる、③経済的自立能力が削がれ、カネの切れ目が縁の切れ目となる。(174~176ページ)/外注依存の「毒抜き」のためには、自前事業を一定割合で残し、外注よりも人材へ投資をする、です。当事者たる地元の人たちの知識や経験を積み上げて、独自の動きをとるのがなんといっても大切です。(176ページ)

「お金があるから事業が成功する」という幻想/事業を起こす際の4原則
▷地域で事業を起こすときに、「先立つものがない」という声が多く聞かれます。つまり「お金があるから事業が成功する」という幻想をもっていて、お金がないからできないというわけです。それは全くもって幻想、勘違いです。(189ページ)
▶(地域における初めての事業では、次の4つのポイントを意識して事業に取り組むことが大切です。)➀負債を伴う設備投資がないこと:借金したり投資家から資金を調達してまで、いきなり大規模な設備投資を伴う事業からスタートするのはリスクが高すぎます。②在庫がないこと:在庫を持つような特産品開発も、はっきり言ってナンセンです。③粗利(あらり、売上総利益)率が高いこと(8割程度):商売には、「最初は安く始め、後から高くしていく」という選択肢はありえません。製造工程から、自分にしかないスキルを提供することで付加価値を高め、粗利率が高い商売にしなければなりません。(190~192ページ)

〇木下は、以上のような「幻想」を打開する「プレイヤー」として、行政の意思決定者、行政の組織集団・自治体職員、民間の意思決定層、民間の集団・企業人、そして「外の人」を設定し、そのアクションについて言及する。その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

行政の意思決定者/「役所」ですべきこと、「地域」ですべきこと
アクション1 外注よりも職員育成
有名な外の人に任せればよいという幻想に囚われている限りは、成果が生まれないのです。/幻想に組織が侵されないために、可能な限り、行政は「自前主義」を取り戻し、委託事業などの予算を管理した上で、人材投資に切り替える必要があります。(207ページ)
アクション2 地域に向けても教育投資が必要
何より健全な意思決定を地域全体で民主的に行うためには、最低限の教育レベルが担保されることは不可欠です。行政のみならず、議会などがまともに機能するためには、地元有権者も含めて教育ラインを引き上げていかなければ、地域の問題を自分たちで考えることは困難になってしまいます。自治体こそ国任せにしない、独自の教育投資が求められる時代になっていると思います。(209~210ページ)
アクション3 役所ももらうだけでなく、稼ぐ仕掛けと新たな目的を作る
「役所が稼ぐのはよいことではない」というのも幻想です。/意思決定者たちこそ、経営者として目を覚ます時です。必要な資金を稼ぎ、公共として投資を続けていかなくてはなりません。/稼ぐのはあくまで手段なのです。(210ページ)/自治体の意思決定層こそ、経費のかかるものを購入する「貧乏父さん」の思想から、稼ぐ資産に投資していく「金持ち父さん」の思想に転換する必要があります。(211ページ)

行政の組織集団・自治体職員/「自分の顔を持ち、組織の仕事につなげる」
アクション4 役所の外に出て、自分の顔を持とう
組織内での信頼、行政組織としての制度などに対する知識が備わっていることは基本としつつも、やはりそこから先、何かを具現化する上では地域における様々な方々に協力してもらわなければ、予算があったとしても形になりません。/同時に予算も限られる昨今、自分が言えば協力してくれる地元内外仲間をしっかり持っていないと、大きな動きは作れません。(213~214ページ)/仕事は役所内で完結するという幻想を振り払うため、アクションを起こすことが大切です。//役所内完結幻想を振り払い、まちに出ていきましょう。(216ページ)
アクション5 役所内の「仕事」に外の力を使おう
行政に所属している一人として重要なのは「役所にしかできないこと」を通じた地域への貢献です。/小さな取り組みは大切ですし、個人として顔を持つことも重要ですが、これらはあくまで手段です。それらを役所内の仕事にどれだけつなげていけるか、が大切。(217ページ)

民間の意思決定層/「自分が柵(さく)を断ち切る勇気」と「多様寛容な仕事作り」
アクション6 既存組織で無理ならば、新たな組織を作るべし
集団意思決定は、時に大きな間違いを犯す集団浅慮(しゅうだんせんりょ)に陥ったり、異なる人を排除する側面を強くするものでもあります。(219ページ)/これを打開する方法は、異分子をいかに意識的に取り込むか、にあります。/地域の取り組みにおいても、地元のいつも同じのえらい人だけでなく、外の人を効果的に取り込む仕掛けを作れるかどうかが問われています。(220ページ)
アクション7 地域企業のトップが逃げずに地域の未来を作ろう
人口減少になったらもう地方経済は終わり、というのは幻想です。/地域意思決定者の中には、極端に悲観的な予測と、まちのことは民間ではなく行政の仕事だという幻想に支配されている人がいます。(222ページ)/一方で、地元に積極的に投資を続ける経営者もいます。/地方における基盤の一つは、民間企業の存在です。地域における民間企業経営者だからこそできる地域活性化は、事業を通じた貢献なのです。(223ページ)

民間の集団・企業人/「地元消費と投資、小さな一歩がまちを変える」
アクション8 バイローカルとインベストローカルを徹底しよう
民間側の様々な組織、企業に属する人たちは、実は地元で最も大きな構成員であり、この層がどう動くか、はとても重要なことです。(225ページ)/地域内消費を、近隣の地元資本のお店にいって普通に買い物する(バイローカル)だけでも、地域内に流れるお金は違います。/地域内では地元資本を持つ人たちがお金を出し合い、地元事業に投融資すること(インベストローカル)はとても大切な動きです。(226ページ)
アクション9 一住民が主体的にアクションを起こすと地域は変わる
まちが変化するのは、大きな開発が行われる時だけでなく、小さな拠点が一つできることから始まったりします。(227~228ページ)/消費にしても、投資にしても、自ら始める企画にしても、大きな事業である必要はないのです。小さな取り組みを積み重ねれば、大きな地域の変化につながる。積小為大(せきしょういだい)、小さな一歩をないがしろにしなければ、一人の住民がまちに影響を与えることは大いにあるのです。(228~229ページ)

外の人/地元ではない強みとスキルを生かし、リスクを共有しよう
アクション10 リスクを共有し、地元ではないからこそのポジションを持つ
まず外の人として、(プロジェクトは失敗することもありますので、)地域プロジェクトに対して一定のリスクを共有することです。(230ページ)/その上で、地元ではないからこそのポジション、つまり、時に憎まれ役になるようなことも必要です。(231ページ)
アクション11 場所を問わない手に職をつけよう
地域おこし協力隊のみならず、外の人は一定のプロフェッショナルとしての役割を持つことが大切です。地域に関わる時に何ができるのか。具体的なスキルを持ち、一定の提案ができる動き方ができないと、すでに地域にある仕事をそのまま引き受けるだけになってしまいます。/「手に職」というのは高度な技術だけではなく、地域に関わる「フック」(地域・住民の興味関心を引くもの)です。(232ページ)
アクション12 先駆者のいる地域にまずは関わろう
どんな地域に関わったらいいかについては、地域との相性や地域の受け入れ態勢や準備などから、外の人としては、2つの原則があります。一つはいきなり移住しないこと、もう一つは先行者がいるところをまずは選ぶこと、です。(233ページ)

〇筆者はこれまで、1990年前後から2015年頃にかけて複数の地域で、福祉によるまちづくりの代表的な実践である地域福祉(活動)計画の策定に関わってきた。そのいずれにおいても、基本的には住民の主体形成としての「まちづくりと市民福祉教育」に焦点を当ててきた。それは、まちづくりは一人の住民の意識変革と小さな一歩(行動)から始まる、と考えているからである。また筆者は、計画の策定は、地域・住民が自分たちの「未来(あす)の夢」を語ることである。「夢」は追い求めるものであり、育むものでもある、と言ってきた。その際には、計画(夢)が画餅に帰すことのないよう細心の注意を払ってきた。それは、計画に基づく事業・活動の実現可能性を担保するためである。そしてまた、計画策定後も何らかの形でそれぞれの地域に関わってきた。それは、「関係人口」としての自分自身のあり方を問うものでもある。
〇例えば、東京都狛江市社協の地域福祉活動計画『あいとぴあ推進計画』(1990年3月)に基づいて取り組んだ一般市民を対象にした「あいとぴあカレッジ」の開講や保育園・幼稚園児を対象にした福祉絵本(「幼児のあいとぴあ」)の作成・配布、岐阜県関市社協の地域福祉活動計画『みんなで創る福祉のまちプラン21』(2000年5月)に基づく「地域ふくし懇談会」の開催などは、とりわけ思い出深いものがある。
〇狛江市社協の取り組みでは、計画策定に関わったT氏の怒りに満ちた言葉を思い出す。「私は、タバコ販売でほそぼそと暮らしていて、普段もほとんど外出はしない。こんな会議に参加している暇なんかないんだ」。その後、彼は、カレッジで自分の障害や暮らしについて語り、福祉のまちづくりの必要性を訴える「物言う当事者(市民)」に変貌する。関市社協の取り組みでは計画策定後、16の支部(地区)社協主催の基幹事業(福祉教育事業)となる「ふくし」懇談会で、さまざまな人との出会いがあった。Y氏が、「この地域にはこんなに多くの障がい者がいる。この地域の恥だ。こんな資料を懇談会に出してもらいたくない」と強い口調で不満をぶちまけた。翌年に開催された懇談会には、地元に所在する福祉施設で暮らす知的障害の若者数人が、地元住民として参加した。「自己紹介をお願いします」「‥‥‥」「‥‥‥」。彼らを温かく見守る参加者のなかにY氏もいた。
〇こんな話は枚挙にいとまがないが、地域に住む一人の住民が変わり、一人の住民が仲間と共に地域を変える。「まちづくりと市民福祉教育」の醍醐味がここにある。まちづくり幻想を振り払いまちを変えるのは常に、「百人の合意より一人の覚悟」(235ページ)であり、地域を変えるには「夢」(97ページ)が必要である、という木下の言葉を思い起こしたい。
〇絶対的に地盤沈下しているその今日的状況のなかで、社協は地区社協(小・中学校区の圏域)を基盤に、専門多機関や多職種、そして何よりも一人ひとりの高齢者や障がい者、子どもから大人までの地域住民などが、「まちづくりと市民福祉教育」を通していかに連携し共働・共創するかが問われている。それは、社協の唯一の生き残り策であるとも言える。「地域福祉(社協活動)は福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」という言葉を改めて強く認識したい。

よくある話ですが、うちは閉鎖的だとか、出る杭は打たれるだとか、結局、言い訳なわけです。閉鎖的だろうと、出る杭は打たれるだろうと、やる人はやるわけです。/「自分の保身で怖いからやりたくないんです。絶対に損したくないし」といってくれればよいのですが、なぜか土地のせいにします。そもそもよそ者でなくても、若くなくても、バカなんて言われなくても、やればいいだけなのです。(129ページ)

備考
「関係人口」については、阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―その本質に迫るいくつかの鍵概念に関する研究メモ― 7 関係人口/地域再生主体としての「新しいよそ者」/2022年10月30日投稿 を参照されたい。

【初出】
〈雑感〉(171)阪野 貢/まちづくり幻想:自覚と打開の道―木下斉著『まちづくり幻想』のワンポイントメモ―/2023年3月1日/本文

 


13 社会関係資本/地域社会のつくり方


<文献>
(1)荻野亮吾『地域社会のつくり方―社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ―』(勁草書房、2022年1月、以下[1]。

〇筆者(阪野)の手もとに、荻野亮吾著『地域社会のつくり方―社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ―』(勁草書房、2022年1月。以下[1])という本がある。[1]において荻野はいう。「社会教育は、地域での様々な活動に住民を導く環境を創出することで、地域社会における社会関係を組み替え、この過程で市民の地域社会への意識を醸成するインフォーマルな学習を促す。つまり、社会教育とは、社会関係と市民意識の醸成を通じて、地域社会を常に新たな形に創造し続ける営為である。社会教育が十全に機能することで、地域社会は、その構成員が緩やかに入れ替わりながらも、持続的に地域の課題解決に取り組む共同体として維持される」(6ページ)。この結論を導くために[1]では、社会教育と地域社会の関係をめぐる問題を理論的かつ実証的に考察する([1]は「地域社会のつくり方」のハウツー本ではない)。具体的には例えば、社会教育が社会関係資本の醸成に寄与する実態や、住民の主体形成が、必ずしも住民の「主体性」や「自発性」に基づくものではなく、地域社会の関係のなかでなされていくその過程、あるいは社会教育と地域福祉やまちづくりなどの「隣接領域との対話や交流の可能性」(260ページ、)などを明らかにする。
〇ここでは、[1]のうちから、例によって「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に留意しながら、荻野の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

市民の能力形成に関する視点なくして地域社会に関する政策を機能させることは難しい
2000年代以降の社会教育・生涯学習に関する政策をめぐっては、「コミュニティ政策への社会教育・生涯学習の包摂」と、「学校教育の補完へのシフト」という二つの動きがある。(10ページ)/前者は、社会教育や生涯学習が担ってきた地域社会の形成や人材育成の機能に期待をかけ、まちづくりや地域社会に関する政策のなかに、その機能を包摂しようとする動きを指す。(10ページ)/後者は、学校運営協議会制度(コミュニティ・スクール)や学校支援地域本部事業など、学校・家庭・地域の連携・協力の焦点が「地域教育」から「学校支援」に定まってきたことを指す。(28ページ)/これらの政策では、地域社会への過度の期待があり、保護者や地域住民が「責任主体」として組み込まれる。(42ページ)そして、保護者や地域住民は、地域社会の活動や学校の支援の活動に参加する能力や意思を十分に有しているという「市民社会論的前提」(仁平典宏)が置かれている。(7ページ)/また、学校と地域の連携を推進する政策も、「参加」だけでなく「協働」を明確に打ち出すものであり、近年の地域社会には、「参加」よりも「協働」の役割が強く期待されるようになっていると言える。(45ページ)/これらの政策では、参加の背景(家庭や地域のつながりの希薄化や教育力の低下など)や、市民の能力が考慮されないまま、保護者や地域住民への期待が際限なく高まっている点に問題がある。(52ページ)/市民が地域社会に関わるための能力を育むという視点なくして、地域社会に関する政策を機能させることは難しい。(53ページ)

市民の主体形成に関する研究方法を「個体論」的アプローチから「関係論」的アプローチへと切り替える必要がある
社会教育の役割は、「自発性」や「主体性」を育むことで、身近な地域社会や、より大きな社会の変革に向けた市民の「参加」を促すことにある。すなわち、市民の「自発性」や「主体性」が、既存の社会の秩序を組み替えていくうえで重要な役割を果たす。自治の担い手である市民の育成こそが、社会教育における最重要の目標である。市民の参加が、行政の公共サービスの質や量を向上させ、ひいては社会全体をより良くしていく可能性を有している。/しかし、近年では、市民の「自発性」「主体性」を利用することで、地域社会や学校への関わりを促す政策が進められている。ここに暗黙のうちに、「市民社会論的前提」が導入され、市民の主体性の形成の過程が見えにくくなっている。同時に行政組織の再編と地域社会の再編とが、相互に影響を及ぼし合いながら進められることで、市民のノンフォーマル(社会教育等の不定型)な学習や、インフォーマル(家庭教育等の非定型)な学習環境にも大きな変化が生じている。/こうした地域社会をめぐる変化を的確に捉えるには、人々が社会的な活動に関わりを持つきっかけとなる社会関係に注目し、その社会関係が埋め込まれている地域社会の構造に焦点を合わせる必要がある。(79ページ)/すなわち、主体の見方を、内発的な主体性の形成(個人の心理的な変容)を議論の中核に据え、主体を中心に置いて客体との相互作用を描き出す「個体論」的アプローチから、先に社会関係があり、社会関係のなかで事後的に主体と客体が構成されるという「関係論」的アプローチへと切り替える必要がある。(77~78ページ)/つまり、人々がどのような相互関係のなかに埋め込まれ、その関係性からどう影響を受けているのかという関係論的な視点と、その関係性自体がどのように構成されているのかという構造論的な視点によって、理論的枠組みを構築することが重要になる。(79ページ)

個人の社会的ネットワークや地域活動への参加は中間集団という地域の「関係基盤」によって影響を受ける
「関係論」的アプローチすなわち、地域社会の構成を読み解き、社会教育を通じて形成される社会関係の重要性を理解し、社会教育や生涯学習に関する政策が地域の様々な実践を通じて住民の生活にどのような影響を与えてきたかを実証的に明らかにするためには、「社会関係資本」(Social Capital)という視点や概念が有効である。(91ページ)/ここでいう社会関係資本とは、「地域社会における協調行動を可能にする、社会的ネットワークと、そのネットワークに埋め込まれた互酬性の規範や信頼」を指す。(113ページ)また、社会的ネットワークとは、「地域の日常生活のなかで築かれるインフォーマルな個人間あるいは集団間のつながり」を意味する。(114ページ)/そして、社会的ネットワークの基礎をなす考え方やそれを把握するための手段として、(地域の社会関係資本の基礎単位となる)「関係基盤」(97ページ)という概念を援用する。その「関係基盤」の主なものは、地域のさまざまな中間集団(国家・社会と個人の中間に位置する集団)である町内会・自治会などの住民自治組織や地縁組織、協同組合や公益法人、NPO法人などの市民活動団体、趣味やスポーツ、学習のためのサークル・グループなどを想定することができる。(106~108ページ)/こうした「関係基盤」、つまり地域における中間集団の布置は、それぞれの地域で異なる。ここから、各地域社会において「関係基盤」がどのような関係(「重層性」「連結性」)にあり、この「関係基盤」が社会的ネットワークの構成(形成)を経て、住民の地域活動への参加をどのように促しているのかという、社会関係資本の構造的側面を詳細に見ることが、地域社会のつくり方を考えるうえで重要な作業になる。(117ページ)/そしてこれは、地域活動への関わりの過程で形成される、相互の信頼や互酬性の規範の形成といった認知的側面における変化を、インフォーマルな学習の過程として捉えることになる。さらに、社会関係資本の蓄積過程において、行政とりわけ社会教育行政がどのような関わりを持っているかを追究することになる。(115、116ページ)/図1は、こうした地域における社会関係資本(構造的側面と認知的側面)の「実証研究の枠組み」を示したものである。(115ページ)

図1 実証研究の枠組み

公共性のないサークル・グループであってもその活動を通じて社会的ネットワークを形成し社会関係資本の醸成に寄与する
中間集団は、その集団が目的として掲げる活動を行うに留まらず、社会的ネットワークを広げることで、地域での協調行動を促す公共的な役割を担っている。特に、趣味や教養、楽しみとの関連が深いと考えられるサークル・グループへの所属は、地域での話し合いや地域の活動への参加を促し、所属する集団の種類にかかわらず、ネットワークの多様性を増加させる。(136~137ページ)/しかも、中間集団の性質と、形成されるネットワークの性質や地域活動の性格との間に明確な対応関係はない。つまり、明確に公共的な目的を掲げないサークル・グループであっても、その活動を通じて水平的・垂直的な社会的ネットワークを形成し、地域の社会関係資本の形成に寄与することで、公共的な性格を持ち得る。あるいは、団体が掲げている目的と異なる活動があっても、社会的ネットワークが広がるなかで、異なる活動への参加が促される可能性もある。(137ページ)

〇以上のような議論を踏まえて荻野は、2つの事例研究を通して、地域における社会関係資本の醸成過程を明らかにする。長野県飯田市の公民館・分館活動の事例研究と、「学校支援」の枠組みのもとで社会的ネットワークの再構築を果たした大分県佐伯市の事例研究がそれである。そして、それらから得られた知見を踏まえて、「地域社会のつくり方」のポイントを次の4点にまとめる(抜き書きと要約)。

(1)地域社会における人間関係づくりの基礎として「関係基盤」(中間集団)の創出を進めること
住民は、顔の見える距離感で継続的に活動するなかで、相互の関係を紡ぎ、自分たちの活動目的や意義に関する理解を深めている。この意味で、中間集団は、地域のために自発的な協調行動をとれる「良き市民」を徐々に育む基盤になっている。
地域社会をつくるうえで重要なのは、同じ目的を持って中長期的に活動できるような準拠集団が、私たちの身近な場にどの程度存在するかである。各地域社会の状況に応じて、どのような中間集団が必要かを判断する必要がある。(254ページ)
(2)「関係基盤」同士のつながりを紡ぐこと
「関係基盤」の相互連関や布置によって、住民の地域活動への関わりは変化する。社会関係資本論に基づき、関係の基礎にある構造的要素(中間集団への所属、社会的ネットワークの形成、地域活動への関わり)に目を向けることは、「地域社会のつくり方」を考えるうえで重要な視角になる。(254ページ)
同じ集団や異なる集団同士をどうつなぎ合わせていくかということとともに、小さく同質的な集団を、より大きな集団へとつなげていく仕組みや戦略を、地域社会の状況に合わせて立案することも必要になる。(255ページ)
(3)社会関係資本の醸成に向けて時間軸を意識したアプローチを行うこと
社会関係資本の醸成には長期間の投資や関係の蓄積が必要になることを意識し、地域の社会関係資本が摩耗し消滅する前の段階から、中長期的な戦略によって対応することが重要になる。(255ページ)
また、社会関係資本の醸成に向けた戦略を立てる際には、公民館等の社会教育施設を拠点として位置づけることに留まらず、地域社会に存在する様々な資源や社会関係資本の総合的な点検を行い、行政の所管や、研究領域にとらわれない横断的な視点を持って戦略を立案することも重要になる。(256ページ)
(4)社会教育が地域関係資本の醸成に果たす役割を有効に活用すること
地域のネットワークの「結節点」である公民館に職員を配置するとともに、「関係基盤」の創出や組み替えを通じて住民の認知的価値観の変容を間接的に促すことによって、地域社会を動態的に再構成していくことが重要である。
職員には、住民同士の水平的な関係を紡ぐだけでなく、地域社会に変化をもたらす外部の視点を持った関わりや、行政各部署との垂直的な関係を紡ぐことにもその役割を広げていくことが期待される。要するに、地域社会づくりにおける社会教育のアプローチは、各地域社会の状況に応じて「関係基盤」を創出し、「関係基盤」の「結節点」に職員や拠点となる施設をいかに位置づけるかが重要なポイントになる。(256ページ)

〇筆者はかつて、東京都狛江市社協と岐阜県八幡町社協(現・郡上市)の地域福祉活動計画の策定(狛江市社協「あいとぴあ推進計画」1990年3月、八幡町社協「みんなでやらまいか 八まん福祉文化プラン21」2001年3月)と、その計画に基づく福祉教育事業・活動の立案・実施(狛江市社協「あいとぴあカレッジ」1991年5月開講、八幡町社協「福祉文化カレッジ」2003年5月開講」)に関わった。カレッジ開講のねらいはいずれも、まちづくりの担い手を育成することにあり、住民に対してまちづくりのための実践や運動を動機づけるものであった。そして、その学習をひとつの契機に、またその過程を通して社会的ネットワークを広げ、地域福祉活動やボランティア活動へ参加・共働することが期待された。
〇また筆者は、2016年4月から5年間という短い期間ではあったが、地元の老人クラブの運営に関わった。そのうちの1年は、年間を通して「認知症」について学習することを主軸に据え、地域でより豊かに暮らすための「学習」活動に取り組んだ。それは、意図的・目的的にまちづくりの主体形成を図ろうとするものではなかったが、結果的にはいわゆる「事業としての福祉教育」(福祉教育事業)ではなく、「機能としての福祉教育」(福祉教育機能)の取り組みになったと、手前味噌ながら評価している(我田引水的な自己満足でないことを願っている)。荻野がいう「関係論」的アプローチによるものであろうか。そしてまた、老人クラブ活動を通して、「地域参加や地域活動で重要なのは『楽しさ』と『自由』、そして『仲間』である」という教訓を得ている。
〇それらのことを思い出しながら筆者はいま、[1]の議論から、老人クラブはそのあり様によって、具体的には活動プログラムのねらいや内容・方法などによって地域のネットワークの結節点となり、社会関係資本の醸成を支える「関係基盤」(中間集団)として一定の機能を果たすことが期待されると思っている。しかしその現実は厳しいものがある。全国的に老人クラブの数や会員数が減少の一途をたどっている現状とその背景や要因を考えると、また荻野が指摘するように個人の行動の「自由」を制限する各地域の「しがらみ」(社会関係資本の「負の側面」、177~178ページ)や、「付き合い」や「お互い様」という感覚によって維持される積極的ではない地域活動(「遠慮がちな社会関係資本」、180ページ)を考えると、なおさらのことである。同じようなことが、市町村社協の事業・活動に参加する住民の意識や行動に見出される。それが、「社協の位置が絶対的に地盤沈下している」と評される、いまの社協の姿でもある。誤解を恐れずに、[1]の読後感のひとつとして付記しておくことにする。
〇厚生省と全社協が1977年度より「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(通称「社会協力校」事業)を始め、都道府県や市町村による単独指定事業も加わり、学校を中心にした福祉教育実践は全国各地に拡大、定着していった。宮城県(1980年)や秋田県(1981年)、長野県(1983年)では、福祉教育の地域住民への広がりを求めて公民館を福祉教育推進施設として指定し、社協と学校と公民館との連携のもとに地域福祉教育の推進が図られた。時代が変わり・世代が代わり、今は昔‥‥‥なのであろうか。

【初出】
<雑感>(180)阪野 貢/「社会関係資本」と「関係基盤」:主体形成は地域社会の関係と構造のなかでなされる―荻野亮吾著『地域社会のつくり方』のワンポイントメモ―/2023年7月1日/本文

 


14 3.5%/市民的抵抗


<文献>
(1)エリカ・チェノウェス、小林綾子訳『市民的抵抗―非暴力が社会を変える―』白水社、2023年1月、以下[1]。

ここに「3.5%」という数字がある。なんの数字かわかるだろうか。ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、「3.5%」の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるというのである。(斎藤幸平『人新生の「資本論」』集英社新書、2020年9月、362ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、エリカ・チェノウェス著、小林綾子訳『市民的抵抗―非暴力が社会を変える―』(白水社、2023年1月。以下[1])という本がある。「非暴力行動は弱い、受け身の行動である。もつとも速く解放に至るのにもっとも頼りになるのは暴力だ。非暴力抵抗は行き過ぎた不正義に対しては無理があり効果もない」などといった、「非暴力に対する迷信や批判」がある(22~23ページ)。そんななかで[1]は、「非暴力が社会を変える」と説く。
〇[1]は、非暴力による「市民的抵抗」の基礎的・基本的な事項について事例に基づいて紹介する。その際、「歴史や理論から最新情報まで網羅し、市民的抵抗を多角的に考察し」(354ページ)、その可能性を展望する。そこでは、「市民的抵抗」とは、「非武装の民衆がさまざまな活動を組み合わせながらおこなう闘争の形態である」(61ページ)と定義する。そして、ある国のすべての人口の「3.5%」が非暴力で立ち上がれば社会は変わる、という「3.5%ルール」(仮説)を提唱する。チェノウェスはいう。「1900年から2019年の間に、非暴力革命は50パーセント以上が成功した一方で、暴力革命の成功率は26パーセントにとどまる。/これは驚くべき数字である。なぜなら、この数字は、非暴力は弱々しく効果も乏しいが、暴力行為は強力で効果的だという、一般的な見方をひっくり返す数字だからだ」(43~44ページ)。
〇その一方で、チェノウェスは、市民的抵抗の成功率は、2010年以降低下している、としてこういう。「市民的抵抗キャンペーンは、1940年代の低いところから、2010年まで、10年ごとに安定して効果を高めていた。それ以降、すべての革命の成功率は、低下している」(316ページ)。その原因や背景については、現代の政府が「下からの非暴力的挑戦について学習し、適応している」ことがあげられる。すなわち、国家が「運動の中に入り込み、運動を内部から分裂させ」(「スマートな抑圧」)たり、そうすることによって、政府側が「非暴力運動が暴力などもっと軍事的戦術を使うよう仕向ける(運動を過激な方向に進める)」(318ページ)のである。留意すべき点(指摘)である。
〇[1]におけるチェノウェスの主張は、次の5点に要約される。(1)市民的抵抗は、多くの場合、暴力的抵抗よりも現実的・効果的な方法である。(2)市民的抵抗がうまくいくのは、敵方の支持基盤から離反を生み出すことによってである。(3)市民的抵抗は、ストライキや代替機構の構築など、単なる抗議以上のものを含む。(4)市民的抵抗は、過去百年にわたって、武装抵抗よりもはるかに効果的であった。(5)非暴力抵抗は常に成功するわけではないが、市民的抵抗を非難する者たちが考えるよりも、はるかにうまくいく(347ページ)。すなわちこれである。
〇ここでは、[1]のうちから、「市民的抵抗とは何か」と「市民的抵抗キャンペーンを効果的にする要素(条件)」(「市民的抵抗が成功する条件」)の2つの事項について、チェノウェスの言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

市民的抵抗とは何か
● 市民的抵抗とは、政治的、社会的、経済的な現状を打破しようとする目的で、暴力を用いる、あるいはちらつかせる者に対して、暴力を用いずに、暴力をちらつかせたりせずにおこなう集団行動様式である。市民的抵抗は、手段と目的において、組織立っており、民衆によるものであり、明確に非暴力である。(27ページ)
● 市民的抵抗は、動的な紛争の方法であり、非武装の人びとが、さまざまに調整された、非制度的な方法――ストライキ、抗議、デモ、ボイコット、代替機構構築、その他たくさんの戦術――を用いて、敵に危害を加えたり、危害を加えるぞと脅したりせずに、変化を促すことを目的とする。(28ページ)
● (市民的抵抗は、次のような要素を含むアプローチ・行動である。)
第1に、市民的抵抗は紛争の方法である――人びとあるいは運動が、政治的、社会的、経済的あるいは道徳的な主張をおこなうために、動的に立ち向かう技術である。市民的抵抗は、積極的に紛争を惹起するもので、混乱を招いたり、現状を打破したり、別のものと替えたり、変革したりするために、力を集結させる。(29ページ)
第2に、市民的抵抗を仕掛けるのは、敵に直接危害を加えることがない非武装の市民である。変化をもたらそうとする人びとは、自分たちの創造性や独創性を武器に戦う一般市民であり――さまざまな社会的、経済的、文化的、政治的な梃子(てこ)の力を働かせて――自分たちのコミュニティや社会に影響を及ぼそうという目的を持っている。(29ページ)
第3に、市民的抵抗は多様な一連の方法を組み合わせることを含む。この戦いのアプローチでは、意図的に、事前の話し合いをもとに、目的を持ってさまざまな方法が駆使される――たとえば、ストライキ、抗議、怠業、欠勤、占拠、非協力、それから経済、政治、社会の代替機構の開発などをつうじて下からの力や下からの梃子を構築するのである。人びとが道路上で抗議をしているからというだけでは、市民的抵抗をおこなっているとはいえない。(30ページ)
最後に、市民的抵抗の目標は、現状に影響を及ぼすことである。市民的抵抗は、広い社会の中での変化――しばしば革命的な変化――を求める傾向がある。市民的抵抗は、民衆やそこに住む市民といった属性を兼ね備えている傾向があり、複数の集団や連合が手を取り合って活動し、政治、経済、社会、宗教、または道徳的慣行や懸念事項についてまとまった声を上げる――より大きな集団を代表して。(31~32ページ)
● 市民的抵抗とは何かを確認する上で、市民的抵抗ではないことは何かを理解することは有益だろう。
第1に、市民的抵抗は、抗議のような、たったひとつの技術を用いることではない。市民的抵抗は、多数の異なる非暴力の技術(中略)を含むもので、これらを意図的に相次いで発生させ、長期政権を追放しようとする。こうした技術には組織と調整が必要であることが暗に示されている。(32ページ)
第2に、市民的抵抗は必ずしも平和的な紛争解決の話ではない。本来的な意味では、市民的抵抗は建設的に紛争を促進する。(33ページ)
第3に、市民的抵抗は、非暴力的アプローチを用いるが、必ずしも非暴力とイコールではない。(中略)規律立った非暴力は、道徳的理由から暴力の行使を禁止する。同じように、穏健主義(反戦・反暴力主義)は、暴力の行使を無条件に拒むという規律的立場を取り、暴力を道徳に欠けた行為だとみる。(34ページ)

市民的抵抗キャンペーンを効果的にする要素(条件)
キャンペーン(闘争、運動)は、限定的な期間、人びとを動員し、一連の調整された方法を用いて個別の目的を達成しようとする。(中略)これらはたとえばストライキ、抗議、座り込み、ボイコット、その他の非協力の形態を取る混乱をもたらす方法である――これらは党への参加、選挙への立候補、請願といった、政治的あるいは経済的関与をおこなうための制度内にある通常の方法の枠外にある。(116ページ)
(市民的抵抗キャンペーンを成功させる要素(条件)として、次の4つをあげることができる。)
(1)あらゆる社会的地位から集まる大衆の参加(大規模な参加)
市民的抵抗キャンペーンの成功を決定的に左右するもっとも重要な要素は、参加する人びとの規模と範囲である。キャンペーン参加者の基盤が大きく多様なほど、より成功する傾向にある。大衆の参加によって、真の意味で現状を打破でき、続いてきた抑圧を維持することができないように変化させ、敵の組織やしばしば治安部隊も含む支持者の離反を促し、権力保持者の選択肢を狭める。大規模キャンペーンを無視することは政治的に不可能になる。(134~135ページ)
(2)政権支持者の忠誠心を変化させること(忠誠心の変容)
市民的抵抗がうまくいくのは、下からの十分な力を誘発すること、つまり、草の根の市民社会が権力保持者の計画や政策を実行・施行する責任者たちを本質的に分裂させたり、抱き込むことによってである。(中略)この要素は、敵側の支柱にいる人びとに忠誠心の変化を促す抵抗運動の能力である。/この能力を獲得するためには、抵抗キャンペーンが多くの異なるコミュニティから支持を得ている必要がある。(中略)支持者の幅が広くなるほど、その運動は社会のあらゆる立場を代表し、多様な場に影響を及ぼすようになる。(137ページ)
(3)デモに限らず幅広い戦術を用いること(多様な戦術)
さまざまな戦術を駆使する運動は、抗議活動やデモなど、ひとつの方法に頼りすぎる運動よりも成功する傾向にある。新しく、予想もしない戦術を生み出す上で、多くの人的資本をうまく活用できる非暴力キャンペーンは、予想可能で戦術的に面白みがない運動よりも、活動の勢いを維持することに長けている。抵抗運動の規模がとりわけ大きな場合には、他の方法で圧力をかけられる限り、路上での活動から退くことも可能なのだ。(140ページ)
(4)抑圧を前にしても規律と強靭さを保つこと(規律と強靭さ)
運動は、とどまる力を培うと成功する傾向にある。つまり、強靭(きょうじん)さを養い、規律を保ち、政府が暴力的に壊しにかかってきても大衆の参加を保持できることを意味する。もっとも重要な点は、組織性を維持することである。政権側が何をぶつけてきても――暴力で仕返しをするのでも、暴力に反応し退こうと散り散りになるのでもなく。これを達成できる運動は、たいていはっきりとした組織構造を有する。(141ページ)なお、「抑圧」とは、政府や政府関係機関が、強制力を使って相手の行動に影響を及ぼす場合を指す。(262ページ)

〇チェノウェスの「3.5%ルール」は、世界中の耳目を集めた言葉(仮説)である。チェノウェスがいう「3.5%ルール」とは、「運動の観察可能な出来事の絶頂期に全人口の3.5パーセントが積極的に参加している場合、革命運動は失敗しないという仮説」(174ページ)である。ただし、この仮説にはいろいろな点に留意する必要がある。「絶頂期」とは、「ある出来事が一番盛り上がった」時点をいい、「参加者数が時間の経過によって増えていく流れ」を説明するものではない(175ページ)。「人口」とは、ある国の全ての人口であり、自治体や地域、あるいは特定の組織・集団の人口ではない。「革命運動」とは、「指導者の退陣や独立を達成するといった大きな変化を目的とする運動」(180ページ)であり、その「成功」(「失敗しない」)とは、その運動が「いちばんの盛り上がりをみせてから1年以内」(43ページ)に目的が達成されたことをいう。革命運動は、すなわち「政権転覆」をめざす運動であり、政治的譲歩(政策・制度の改善・廃止等)を促すものではない。したがってまた、「3.5%ルール」は、「気候変動運動や、地方政府、企業や学校に対する運動」(180ページ)に適応できるものではない。そしてチェノウェスはいう。「この数字の裏にあるデータは、過去に何が起こったかを語るもので、将来も同じことが必ず起こるとはいっていない。この歴史的傾向は、だれかが意識する前から存在した。人びとがこの閾値(いきち。境界となる値)を意識的に達成しようとするようになってもこのルールがあてはまるかはだれにもわからない」(175ページ)。「1945年から2014年までの間に、3.5パーセントというハードルを超えたのは、389の抵抗運動のうちたった18事例だけである。これは対象期間中に起きた抵抗運動全体の5パーセント未満である」(175~176ページ)。本稿のタイトルを「3.5%(?)の『市民的抵抗』」とし、(?)を付した意味はここにある。本稿の冒頭に記した斎藤幸平の一文にも注意したい。
〇「市民的抵抗」の言葉から思い出すものに、「抗議」「市民的不服従」「社会運動」などがある。その違いについて、チェノウェスの言説を引いておくことにする(抜き書きと要約)。

「抗議」は、市民的抵抗のひとつの方法である。抗議は、典型的には象徴的行動であり、ある問題に対して人びとの関心を集め、変化を要求することをめざす。多くの人びとが抗議と市民的抵抗を同一視する。だが、効果的な市民的抵抗は、通常、抗議にとどまらず、たくさんの非暴力的方法を用いる。(75~76ページ)

「市民的不服従」では、自分たちが不当とみなすものに対して公然と抗議しておこなうものである。法を犯して逃亡することはカウントしない。法を犯す人物は、刑に処せられることを完全に受け入れていなければならず、要求されれば服役する。(104~105ページ)

市民的抵抗は、ストライキ、抗議、座り込み、ボイコットなど、限定的な期間、人びとを動員し、一連の調整された方法を用いて個別の目的を達成しようとする。「社会運動」は市民的抵抗と異なり、長期間にわたって継続するような現象を意味している。社会運動は、社会を変化させるために、組織化、政策提言、その他の政治的活動を組み合わせる傾向にある。社会運動は必ずしも市民的抵抗を用いない。(116~117ページ)

【初出】
<雑感>(176)阪野 貢/3.5%(?)の「市民的抵抗」:新しい形の政治参加と社会変革 ―エリカ・チェノウェス著『市民的抵抗』のワンポイントメモ―/2023年5月15日/本文

 


15 コモンズ/福祉コミュニティの創出


<文献>
(1)宮本太郎編『自助社会を終わらせる――新たな社会的包摂のための提言』(岩波書店、2022年6月、以下[1]。

〇筆者(阪野)の手もとに、宮本太郎編『自助社会を終わらせる――新たな社会的包摂のための提言』(岩波書店、2022年6月。以下[1])という本がある。自助頼みの社会が、日本の地域と経済を脆弱化している。言われる「多様性」や「包摂」はときに、あまりにも浅薄すぎる。そんななかで[1]では、自助社会を終わらせるために、「単に包摂的な社会についての理念を称揚するにとどまらず、政策の実現を妨げる自助社会の成り立ちを解明し、転換の道筋を展望」(319ページ)し、「新たな包摂的社会に向けた政策と政治」(320ページ)を提起する。
〇そこでは、議論の枠組みを分野横断的に設定し、11名の執筆者が健筆を振るう。執筆者たちの専門領域は、社会政策学、政治学、行政学、社会福祉学、教育学、法律学などである。そのうちから、宮本太郎(政治学)と野口定久(地域福祉学)、須田木綿子(福祉社会学)の言説の一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。
〇宮本は、序章「自助社会をどう終わらせるか」を執筆する。その前半で、自助と自己責任を迫る社会の成り立ちを掘り下げ、その構造を分析する。宮本はいう。単に新自由主義が席巻していることにのみ自助社会の原因があるのではなく、共助(社会保険)や公助(生活保護)の支え合いの制度のなかにも自助の原理が強調される傾向がある(7ページ)。また、自助社会では、いろいろなリスクを自前で解消するために、かえって歪んだ依存関係を生み出し、男性優位のジェンダー秩序や上位・下位関係に整序された階層秩序などによる権力的な相互依存関係を不断に増殖させていく(12ページ)。
〇その後半では、自助社会を終わらせる処方箋として、「社会的包摂」という考え方を提示する。それは、「困窮や格差の広がりに対して、誰も排除することなく社会の一員として迎え入れることができるように、施策をすすめようという考え方」(14ページ)である。そして宮本は、自助社会を脱却し、社会的包摂を刷新するための施策のための視点として、次の3つを主張する。①「所得保障」――分断を超える・選択を可能にする・勤労所得を補完する「所得保障」の再編成、②「社会サービス」――縦割りの「社会サービス」の包括化と多様な人々のケアへの参加、③「コモンズ」――誰もが必要であり利用できる・私有財でも公共財でもない「コモンズ」(共有資源)の構築、がそれである。最後に宮本はいう。

自助社会の終焉とコモンズ
現金給付のみならずサービスとインフラによってコモンズとしてのコミュニティにつながり、自尊の感覚を維持し広げることができること、税負担をめぐる損得勘定から中間層の支持を引き出すのではなく、中間層を含めて誰もが納得のできる「生活」のかたちを示し、その実現のための条件形成へ合意を広げることこそが、自助社会を終わらせるのである。(30ページ)

〇野口は、第3章「誰も排除しないコミュニティの実現に向けて――地域共生社会の再考」を執筆する。野口の所見はこうである。政府によって1979年に出された「日本型福祉社会論」は、公的福祉への支出の縮小・切り捨てを求め、家族や地域社会、企業の連帯を強調した。ところが、バブル経済の崩壊(1991年~1993年)を機に日本経済は低成長時代に入り、2000年代以降になると、日本型福祉社会論が強化を図った家族・地域社会・企業の連帯機能(関係動員機能)が縮小する。そんななかで、信頼と互酬の規範が内在する新しい市民活動(NPOやボランティア活動等)が、特に地域社会において台頭することになる(98~99ページ)。こうした状況から政府(厚生労働省)は、2016年に「地域共生社会」の実現を掲げ、社会福祉法を改正する。それ以降、法改正を重ね、地域共生社会政策の推進を図るが、そこには2つの側面、ないしベクトルが存在している。「旧来の制度の延命のために、新しい市民活動を組み込んでいくという面」と、「新たな市民活動や信頼と互酬の規範を広げ、当事者や住民、NPO組織による『誰も排除しないコミュニティ』の形成を後押しする面」(101ページ)がそれである。
〇そして、野口にあっては、「現在の日本の福祉レジーム(体制)は、負担と受給の面でいえば『中福祉中負担型』と見ることができる」。そこでは、新しい福祉レジームを、①雇用の安定と創出、②職業訓練、就労支援、所得と医療と住宅の保障、③社会的脆弱層へのソーシャルワーク支援、➃生活保護制度やベーシックインカム、からなる重層的なセーフティネットとして張り替えることが必要となる(102ページ)。その際、①「縦割りの制度が地域で生じているさまざまな切実なニーズに対応できていない状況をいかに変えていくか」、②「新たな市民活動と信頼を組み込んだ福祉コミュニティをどう構築していくか」などが問われることになる(108ページ)。
〇ここで、野口がいう②の「福祉コミュニティの創出(実現)」について、その言説をメモっておくことにする。なお、野口は「福祉コミュニティ」を「人々が共に生き、それぞれの生き方を尊重し、さらには生活環境として支え合いの機能を発揮できるようなコミュニティ」、すなわち「誰ひとりとして排除しないコミュニティ」と考える(91ページ)。

地域共生社会と福祉コミュニティの実現
福祉コミュニティの実現は、「共感」軸と「支援」軸で整理できる(図1)。図1に示した①当事者や家族の会と、②支援者・市民活動・ボランティア活動が結びつく場が地域拠点となれば、そこには多様な福祉専門職、社会貢献型の企業やNPOなども関わる。/①と②の集合である地域拠点は、まだ福祉コミュニティとはいえない。福祉コミュニティの十分条件には、③地域住民の理解と承諾、そして参加が必要となる。問題は、③が得られるかということである。/例えばしばしば、福祉施設の建設に住民の反対運動が生じることもある。こうした福祉施設建設をめぐるコンフリクト(住民との摩擦)を解消することは、地域共生社会の実現において通過しなければならない「壁」となって立ちはだかっている。/施設コンフリクトの合意形成を促すためには、施設側と住民側が感情論で対峙するのではなく、それぞれの利害を客観的に考慮することのできる仲介者が必要となる。/この仲介者の役割を果たす可能性が高いのが、ソーシャルワーカーなど各種の福祉専門職である。(111~112ページ)

図1 地域共生社会の実像としての福祉コミュニティの具現

出典:宮本太郎編『自助社会を終わらせる』岩波書店、2022年6月、111ページ。

〇須田は、第9章「個人化の時代の包摂ロジック――「つながり」の再生」を執筆する。須田はいう。2000年以降、保健・福祉領域の民営化政策が推進された。その過程で、NPOやボランティアが注目されたが、制度のあり方に影響を及ぼしたり、社会全体の空気を変えるには至らなかった(256ページ)。その一方で、自分の生活のあらゆる局面を自分で選択するという「個人化」(個人化の時代)と、その選択によって安全・安心と思われていた生活がリスクを伴うものとなる「リスク化」(リスク社会)が進むなかで、新しいタイプのNPOやボランティアが生まれている。そのひとつに、「エピソディック・ボランティア」(Episodic Volunteer)がある。エピソディック・ボランティアは、新しい形の「つながり」を多く生み出している(270ページ)。
〇エピソディック・ボランティアに関する須田の言説のひとつをメモっておくことにする。

エピソディック・ボランティアと新たな「つながり」
エピソディック・ボランティアは、その折々に社会的に関心を集めている課題に集中するひとつの課題が落ちつけば、次の課題に関心を移す。その流動性が、気まぐれで、あてにならないといわれる所以である。しかし、いつ、どこにいても、社会的課題への関心は継続してもち続けている。だからこそ、その時々の課題に即座に反応し、必要と思われるところに出没し、物事がおさまるとともに姿を消す。(273ページ)
エピソディックなNPO&ボランティアが生み出している「つながり」を社会的な包摂の力に転換するためには、保健・福祉サービス供給の場合とは異なる枠組みにおける行政とNPO&ボランティアの協働が必要である。とりわけ考慮すべき事柄として、次の3点が挙げられる。
第1に、エピソディックなNPO&ボランティアに関わる人々の多くが、必ずしも活動の広がりを求めていない。
第2に、エピソディックなNPO&ボランティアの活動は、既存の社会貢献活動の感覚になじまない。
第3に、エピソディックなNPO&ボランティアの活動は、既存の支援の枠組みにもなじまない場合が少なくない。(274~275ページ)

〇アメリカの Nancy Macduff が1990 年に提唱したと言われる「エピソディック・ボランティア」は、活動の「はじまり」と「終わり」が明確であるということから、「エピソード」(episode) という言葉に由来している。また、日本では「ちょこっとボランティア」「ちょこボラ活動」などとも言われるが、その特徴は「マイペース」にある。それ故に、「無責任で身勝手」「気まぐれ」な「今どきのボランティア」と揶揄されることもある。その活動は、地域で開催される行事・イベントや災害発生後の被災地支援など、さまざまな場面で行われている。エピソディック・ボランティアの功罪、その独自の機能や価値、その活動を支援する際の方策、等についてのさらなる検討が今後の課題となろう。

【初出】
<雑感>(186)阪野 貢/コモンズと福祉コミュニティ、そしてエピソディック・ボランティア ―宮本太郎編『自助社会を終わらせる』のワンポイントメモ―/2023年9月8日/本文  

 


16     宇沢弘文/社会的共通資本


<文献>
(1)宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)岩波書店、1974年6月、以下[1]。
(2)宇沢弘文『日本の教育を考える』(岩波新書)岩波書店、1998年7月、以下[2]。
(3)宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)岩波書店、2000年11月、以下[3]。
(4)宇沢弘文『始まっている未来―新しい経済学は可能か―』岩波書店、2009年10月、以下[4]。
(5)宇沢弘文『経済学は人びとを幸福にできるか』東洋経済新報社、2013年11月、以下[5]。
(6)宇沢弘文『人間の経済』(新潮新書)新潮社、2017年4月、以下[6]。

〇日本は、相変わらずの「アメリカ追随と周回遅れの経済・社会改革」が病理化している。そういうなかで、「民意の歪曲・封じ込めと国策・政策の強行」「官僚・行政の暴走・劣化と政治・社会の荒廃」「自立・自己責任の強要と国家責任の縮小」が進んでいる。日本社会の危機的状況である。いま、「市場原理主義からの脱出と定常型社会への転換」「地域の内発的発展とローカリズムの推進」「競争教育・教育統制からの解放と共働・共創の教育改革」が強く要請される。
〇客観的な事実よりも個人的な感情や信条へのアピールが重視され(「ポスト真実」)、口当たりのよい言葉やスローガンが横行闊歩(おうこうかっぽ)している。出生前診断の拡大によって「命の選別」が懸念され、家庭や学校、福祉施設における「いじめ」や虐待など、生命(いのち)の尊厳が軽視・蹂躙(じゅうりん)されている。社会福祉は、極端な市場原理主義がいう「国家による窃盗」(『始まっている未来』15ページ)ではない。しかし、市場原理主義的な政策の推進によって子ども・高齢者・障がい者などの社会的弱者に対する福祉・教育の内部的矛盾が露呈し、形骸化が一層顕著になっている。とりわけ国家主権の自らの放棄(従属・植民地化)と国民の管理・統制の強化(隠蔽・制裁)が目に余る。
〇そんなことを思いながら、改めて宇沢弘文(うざわ ひろふみ、1928年~2014年)を読むことにした。その直接的なきっかけは、筆者(阪野)の周辺で見聞きした「ある種の作為を持って設置された政府系の審議会や委員会に参加することを誇りとする」某学究の“変節”。「住民主体や市民性形成の強調が社会福祉の公的責任の後退や社会保障の削減を招いている」という某検討会の委員の“短絡”。「住民参加をベースにした福祉計画策定の提案(プロポーザル)が採用されなくなった」という某シンクタンクの研究員の“嘆き”。そして、「人権侵害と過酷な労働・生活環境に置かれている現代版女工哀史」である某中国人技能実習生の“悲憤”(ひふん)の涙、などにある。
〇宇沢は経済学者・思想家であり、「ノーベル経済学賞に最も近い」と評された。1997年11月に文化勲章を受章している。宇沢の著作と言えばまず、『自動車の社会的費用』(1974年)と『社会的共通資本』(2000年)を想起する。宇沢の研究対象は「環境」「医療」「教育」「農村」など広範囲にわたった(宇沢弘文『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』東洋経済新報社、2016年11月)。また、宇沢は、自動車が抱える問題をはじめ水俣病などの公害問題や成田空港建設の問題、地球温暖化問題、そして教育問題等々、多様な社会問題に真摯に取り組んだ。周知の通りである。
〇筆者の手もとにある宇沢の著作は6冊である(しかない)。

『自動車の社会的費用』(岩波新書)岩波書店、1974年6月
自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。しかし公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、自動車の無制限な増大に対する批判が生じてきた。本書は、市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。(カバー「そで」より)
『日本の教育を考える』(岩波新書)岩波書店、1998年7月
「私たちはいま改めて、教育とは何かという問題を問い直し、リベラリズムの理念に敵った教育制度はいかにあるべきかを真剣に考えて、それを具現化する途を模索する必要に迫られています」――社会正義・公正・平等の視点から経済学の新しい展開を主導してきた著者が、自らの経験をまじえつつ、教育のあり方を考えてゆく。(カバー「そで」より)
『社会的共通資本』(岩波新書)岩波書店、2000年11月
ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する――このことを可能にする社会的装置が「社会的共通資本」である。その考え方や役割を、経済学史のなかに位置づけ、農業、都市、医療、教育といった具体的テーマに即して明示する。混迷の現代を切り拓く展望を説く、著者の思索の結晶。(カバー「そで」より)
『始まっている未来―新しい経済学は可能か―』岩波書店、2009年10月
世界と日本に現れている未曾有の経済危機の諸相を読み解きながら、パックス・アメリカーナ(アメリカの力によるアメリカのための平和)と市場原理主義で串刺しされた特殊な時代の終焉と、すでに確かな足取りで始まっている新しい時代への展望を語り合う。深い洞察と倫理観に裏付けられた鋭い論述は、「失われた二〇年」を通じて「改革者」を名乗った学究者たちの正体をも遠慮なく暴き出し、「社会的共通資本」を基軸概念とする宇沢経済学が「新しい経済学は可能か」という問いへのもっとも力強い「解」であることを明らかにする。(カバー「そで」より) 内橋克人(経済評論家)との対談本。2つの「補論」を収録。
『経済学は人びとを幸福にできるか』東洋経済新報社、2013年11月
第1部:市場原理主義の末路、第2部:右傾化する日本への危惧、第3部:60年代アメリカ――激動する社会と研究者仲間たち、第4部:学びの場の再生、第5部:地球環境問題への視座、の構成で論文や講演録が全20章に纏められている。池上彰(ジャーナリスト・東京工業大学教授)の「『人間のための経済学』を追究する学者・宇沢弘文――新装版に寄せて」を収録。
『人間の経済』(新潮新書)新潮社、2017年4月
富を求めるのは、道を開くため――それが、経済学者として終生変わらない姿勢だった(「経済学の原点は、人間が人間として人間らしく生きていくためにこそ、豊かさや、もろもろの道具としての財、つまりは経済の力が必要なのであって、決してその逆――豊かさが満たされれば人間らしく生きられる、ではない。」『始まっている未来』内藤克人:84、89ページ)。「自由」と「利益」を求めて暴走する市場原理主義の歴史的背景をひもとき、人間社会の営みに不可欠な医療や教育から、都市と農村、自然環境にいたるまで、「社会的共通資本」をめぐって縦横に語る。人間と経済のあるべき関係を追求し続けた経済思想の巨人が、自らの軌跡とともに語った、未来へのラスト・メッセージ。(カバー「そで」より) 宇沢国際学館・占部まり(宇沢の長女で内科医)の「前文」を収録。

〇本稿では、以上の著作に展開される宇沢の言説のうちから、「ゆたかな社会」「社会的共通資本」そして「教育」に関する論攷(ろんこう)を再確認し再認識することにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

ゆたかな社会とは
ゆたかな社会とその条件
ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーション(aspiration:熱望、抱負)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。([3]2ページ)

このような社会は、つぎの基本的諸条件をみたしていなければならない。
(1)美しい、ゆたかな自然環境が安定的、持続的に維持されている。
(2)快適で、清潔な生活を営むことができるような住居と生活的、文化的環境が用意されている。
(3)すべての子どもたちが、それぞれのもっている多様な資質と能力をできるだけ伸ばし、発展させ、調和のとれた社会的人間として成長しうる学校教育制度が用意されている。
(4)疾病、傷害にさいして、そのときどきにおける最高水準の医療サービスを受けることができる。
(5)さまざまな希少資源が、以上の目的を達成するためにもっとも効率的、かつ衡平(こうへい)に配分されるような経済的、社会的制度が整備されている。(同上書、2~3ページ)

ゆたかな社会とリベラリズム
ゆたかな社会はまた、すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本的権利が最大限に確保できるという、本来的な意味でのリベラリズム(liberalism:自由主義)の理想が実現される社会である。(同上書、3ページ)

「自由主義」を英語にすると、どちらかというと Libertarianism と言うのでしょうか、自由を最高至上のものとする考え方になります。
本来リベラリズムとは、人間が人間らしく生き、魂の自立を守り、市民的な権利を十分に享受できるような世界をもとめて学問的営為なり、社会的、政治的な運動に携わるということを意味します。そのときいちばん大事なのが人間の心なのです。([6]90ページ)

社会的共通資本とは
制度主義と社会的共通資本
(資本主義も社会主義も混乱と混迷のさなかにあって)市民的自由が最大限に保証され、人間的尊厳と職業的倫理が守られ、しかも安定的かつ調和的な経済発展が実現するような理想的な経済制度が存在するであろうか。それは、どのような性格をもち、どのような制度的、経済的特質を備えたものか。(中略)その設問に答えて、ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen、1857年~1929年)のいう制度主義(Institutionalism)の考え方がもっとも適切にその基本的性格をあらわしている。〈ヴェブレンの制度主義の思想的根拠は、これもまたアメリカの生んだ偉大な哲学者ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~1952年)のリベラリズムの思想にある。〉私たちが求めている経済制度は、一つの普遍的な、統一された原理から論理的に演繹されたものでなく、それぞれの国ないしは地域のもつ倫理的、社会的、文化的、そして自然的な諸条件がお互いに交錯してつくり出されるものだからである。制度主義の経済制度は、経済発展の段階に応じて、また社会意識の変革に対応して常に変化する。生産と労働の関係が倫理的、社会的、文化的条件を規定するというマルクス主義的な思考の枠組みを超えると同時に、倫理的、社会的、文化的、自然的諸条件から独立したものとして最適な経済制度を求めようとする新古典派経済学の立場を否定するものである。([3]20ページ。〈 〉内4ページ。※)

社会的共通資本(宇沢によるSocial Overhead Capitalの訳語)は、この制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したもので、(資本主義と社会主義の二つの経済体制の枠組みを超える)二十一世紀を象徴するものであるといってもよい。(同上書、「はしがき」ⅰページ)

社会的共通資本とその類型
社会的共通資本(Social Common Capital)は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすものである。(中略)社会的共通資本の具体的な構成は、それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスを経て決められるものである。(同上書、4ページ)

社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。自然環境は、大気、水、森林、河川、湖沼(こしょう)、海洋、沿岸湿地帯、土壌などである。社会的インフラストラクチャー(infrastructure)は、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど、ふつう社会資本とよばれているものである。(中略)制度資本は、教育、医療、金融、司法、行政などの制度をひろい意味での資本と考えようとするものである。(同上書、5ページ)

社会的共通資本の管理・運営
社会的共通資本は私的資本と異なって、個々の経済主体によって私的な観点から管理、運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として、社会的に管理、運営されるようなものを一般的に総称する。社会的共通資本の所有形態はたとえ、私有ないしは私的管理が認められていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理、運営されるものである。(同上書、21ページ)

社会的共通資本は、それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されるものであるということである。社会的共通資本の管理、運営は決して、政府によって規定された基準ないしはルール、あるいは市場的基準にしたがっておこなわれるものではない。この原則は、社会的共通資本の問題を考えるとき、基本的重要性をもつ。(同上書、22~23ページ)

社会的共通資本とコモンズ
(社会的共通資本の管理・維持の形態として、コモンズの考え方が重要となる。)コモンズ(Commons)の概念はもともと、ある特定の人々の集団あるいはコミュニティにとって、その生活上あるいは生存のために重要な役割を果たす希少資源そのものか、あるいはそのような希少資源を生み出すような特定の場所を限定して、その利用にかんして特定の規約を決めるような制度を指す。(同上書、84ページ)

伝統的なコモンズは、灌漑用水、漁場、森林、牧草地、焼き畑農耕地、野生地、河川、海浜など多様である。さらに、地球環境、とくに大気、海洋そのものもじつはコモンズの例としてあげられる。これらのコモンズはいずれも、(中略)社会的共通資本の概念に含まれ、その理論がそのまま適用されるが、ここでは、各種のコモンズについて、その組織、管理のあり方について注目したい。とくに、コモンズの管理は必ずしも国家権力を通じておこなわれるのではなく、コモンズを構成する人々の集団ないしコミュニティからフィデュシアリー(fiduciary:信託)のかたちで、コモンズの管理が信託されているのが、コモンズの特徴づける重要な性格であることに留意したい。(同上書、84~85ページ)

教育とは
教育と人間的成長
一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長することをたすけるのが教育だといってよいでしょう。そのとき強調しなければならないのは、教育は決して、ある特定の国家的、宗教的、人種的、階級的、ないしは経済的イデオロギーによって支配されるものであってはならないということです。([2]10ページ)

能力の育成と人格の形成
一人一人の子もどもがもっている個性的な資質を大事にし、その能力をできるだけ育てることが教育の第一義的な目的であることはいうまでもありませんが、同時に、子どもたちが成人して、それぞれ一人の社会的人間として、充実した、幸福な人生をおくることができるような人格的諸条件を身につけるのが、教育の果たすもう一つの役割でもあります。そのために、教育は、個別的な家庭あるいは、狭く地域的ないしは階級的に限定され場ではなく、できるだけ広く、多様な社会的、経済的、文化的背景をもった数多くの子どもたちが一緒に学び、遊ぶことができるような場でおこなわれることが望ましいわけです。学校教育制度が、上のような教育の理念からの必然的な帰結でもあり、現実に世界のほとんどの国々で学校教育制度がとられているのも、このような事情からです。(同上書、11ページ)

学校教育とインネイト
インネイト(innate)という言葉は、ふつう生得的、先天的、本有的などと訳されていますが、あえてインネイトという言葉を使うのは、一人一人の子どもが生まれたときすでに、その心のなかに、これら(言葉を話すこと、数を数えること)の理解力、能力をもっていることを強調したいと思うからです。
学校教育にさいして、もっとも困難な問題は、このインネイトな理解力、能力と、子どもたちが家庭や近所で学んだ後天的な理解力、能力とが、どちらも一人一人の子どもについて個性的であり、千差万別であるということです。これらの個性的な特性をもつ子どもたちを、一つの教室に集めて、同時に教えなければならないわけです。学校教育にさいして、もっとも留意しなければならない点でもあります。(同上書、14ページ)

ジョン・デューイの教育機能(「教育の3大原則」)
ジョン・デューイは、その古典的名著『民主主義と教育』のなかで、学校教育制度は三つの機能を果たしていると考えました。社会的統合、平等主義、人格的発達という三つの機能です。
学校教育の果たす第一の機能として、デューイが取り上げているのは、社会的統合ということです。若い人々を教育して、社会的、経済的、政治的、文化的役割を果たすことができるような社会人としての人間的成長を可能にしようとすることです。(中略)
第二の機能は、平等に関わるものです。学校教育は、社会的、経済的体制が必然的に生み出す不平等を効果的に是正するというのが、デューイの主張したところだったのです。学校教育が機会の平等化をもたらし、社会、経済体制の矛盾を相殺する役割を果たす(中略)機能を、デューイは、平等主義的機能と呼んだわけです。
デューイの強調した第三の機能は、個人の精神的、道徳的な発達をうながすという教育の果たす重要な役割であって、人格的発達の機能とも呼ばれるべきものです。(中略)(同上書、45~46ページ)

学校教育制度と社会的矛盾の拡大再生産
ヴェトナム戦争を契機として起こったアメリカ社会の倫理的崩壊、社会的混乱によって、デューイの教育理念にもとづく公立学校を中心とするアメリカの学校教育制度もまた大きく変質せざるを得ませんでした。デューイの掲げた平等主義的な教育理念にもとづいてつくり出されたアメリカの学校教育制度が現実の非人間的、収奪的状況のもとで、逆にアメリカ社会のもつ社会的矛盾、経済的不平等、文化的俗悪さをそのまま反映し、拡大再生産する社会的装置としての役割をはたすことになってしまったのです。(同上書、48ページ)

日本の学校教育と政治・官僚支配
基礎教育が社会的共通資本として位置づけられているとき、各小中学校はそれぞれ独立した社会的組織として、職業的規範にしたがって、経営されることが要請されます。これらの組織が、決して国家の統治機構の一部として官僚的支配を受けてはならないのは当然です。(中略)小中学校の教師は、教育サービスを売る労働者となり、聖職としての教師の職業的規範も誇りも失わざるを得なくなってしまいました。文部(科学)省はまた、教科書検定制度をたくみに利用して、自民党のもっていた、時代錯誤の、偏向したイデオロギーを基礎教育に持ち込んだのです。日本社会は現在、経済的、技術的観点からみて、世界でもっとも高い水準を誇っていますが、その反面、知性の欠如、道徳的退廃、感性の低俗さという面で、問題が生じています。その、もっとも大きな原因は、戦後五十年間にわたって、日本の基礎教育が文部官僚によって管理、支配されてきたことにあるといっても過言ではないと思います。(中略)日本の基礎教育制度の欠陥を象徴する「いじめ」の現象の原点はもっぱら、文部官僚による学校関係者に対する「いじめ」にあるといってもよいと思われます。(同上書、89~90ページ)

〇宇沢は、経済学の重要な理論を紹介・分析し、自身の知的探究の軌跡や思想の遍歴を回顧する。そのなかで、「社会的共通資本」の考え方や「人間の経済」(人間の心を大事にする経済学。人々がゆたかに暮らせる社会のための経済学)の理論を展開する。しかも、その要点を何度も繰り返し、丁寧に論攷する。「人間尊重と社会正義」「理知と気概」「批判と啓発」そして「痛快無比」などが、「理論経済学者」「社会活動家」としての宇沢の「世界」「宇宙」である。
〇宇沢の社会的共通資本の考え方は、医療や教育などの「現場」からは受容され、共感を得たと評される。それはひとつは、「人間尊重と社会正義」を実現するという「リベラル」の価値観を共有することによるのであろう。医療と教育(そして自然環境)は、社会的共通資本の「原点」であり、「次の世代に受け継いでいくべき聖なる営み」([4]32ページ)である。その観点から言えば、社会的共通資本として「まちづくりと市民福祉教育」について論究することが必要かつ重要となる。その際、宇沢は社会的共通資本の管理・運営主体を政府や市場ではなく、職業的・自律的専門家とりわけ大学人などの有識者に求めるが、コミュニティデザイナーやコミュニティソーシャルワーカーもその主体として期待されようか。
〇社会的共通資本の理論は、エビデンスに基づく実証的な分析・研究や、政策・制度を持続可能なものにするための財政運営に関心を持つ研究者や実務家からは、一定の距離が置かれている。
〇およそ30年間にわたって宇沢の「仕事」に伴走してきた岩波書店の編集者・大塚信一が、「宇沢思想入門」を「コンパクトに、一般読者向き」に書いている。『宇沢弘文のメッセージ』(集英社新書)集英社、2015年9月、がそれである。大塚は言う。宇沢の「人柄と学問は一体化したもので、両者を切り離すことはできない点にこそ、宇沢の仕事の偉大さと素晴しさがある」(10ページ)と。また、大塚によると、原田正純(はらだ まさずみ、1934年~2012年。水俣病の研究と患者の救済に献身的に取り組んだ医師)が、宇沢から「やさしくなくては学者でない」ということを身をもって教わったと書いている(同上書、216ページ)。
〇なお、『始まっている未来』の対談者である内橋克人は言う。21世紀の最大の課題は、分断・対立・競争を原理とする「競争セクタ―」ではなく、連帯・参加・協同を原理とする「共生セクター」の足腰をいかに強くしていくかにある。「共生経済」とは、F(食料)とE(エネルギー)とC(ケア)の自給圏(「FEC自給圏」)を人間の生存権として追求していく経済のあり方である。地域・社会の一定のエリア内で人々が連帯・協同し、政策決定過程にまで参加していく共生セクター(部門)を構築し、FEC自給圏を形成するに当たって、宇沢の社会的共通資本が重要な要素になることは言うまでもない(同上書、100~101ページ)。付記しておきたい。

補遺
「マルクス経済学」「ケインズ経済学」「新古典派経済学」の概略を記しておくことにする。

【初出】
<雑感>(75)阪野 貢/「人間尊重と社会正義」:「人間らしく生きるための経済学」を探究し、厳しくも痛快に語り、社会問題に真摯に取り組んだ“経済思想の巨人”―いま、改めて宇沢弘文を読む―/2019年3月5日/本文

 


17 共生/共に生きる


<文献>
(1)寺田貴美代「社会福祉と共生」園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、以下[1]。

〇「共生」(symbiosis:共に生きる)は、耳に心地よい言葉である。それゆえにか、まちづくりや福祉教育などのスローガンや修飾語として、多用(濫用)される。また、個人的な心がけや心情のレベルで語られたり、究極の目的や理想として位置づけられることも多い。その際には、社会的な矛盾や対立、差別や排除などの事態が隠蔽されたり、「同化」や「統合」が推進あるいは強制されたりする危険性が生じることになる。「地域共生」(regional symbiosis:地域で共に生きる)は、地域社会でのノーマライゼーションやインテグレーション、そしてインクルージョンなどの理念の実現を通して、その推進が図られることになる。ノーマライゼーション(normalization:通常化)は、一人ひとりが当たり前の普通の生活をすること。インテグレーション(integration:統合化)は、社会的に分離・隔離されてきた人たちを一般社会に受け入れ一緒に生活すること。インクルージョン(inclusion:包摂)は、すべての人を社会の構成員として包み込みみんなで生活すること、である。共生とノーマライゼーションなどの概念は対立概念や同一概念ではなく、相互に連関し補強し合う概念である。
〇例年のことながら、1月と2月は、地元自治会等の次年度の役員を決める時期であり、静かな日常に多少の波風が立つ。「前例の踏襲」や「異質性の抑圧」などがそれである。筆者(阪野)はかつて、その場が収まらず、“えいやあ”である役職を引き受けたことがある。その後、その仕事をするにつれ、いろいろな雑音(ノイズ)が耳に入るようになった。最後の決まり文句は、「‥‥‥だからダメなんだよ」であった。10年以上居住しても、所詮は“よそ者”であり、“少数派”である。「出る杭は打たれる」のであるが、場合によっては「抜かれる」ことになる。しかも、何代も続く「家」の、若年の「地元住民」によってである。日頃の地域生活で、障がい者やその家族などに対する偏見や差別を目の当たりにするとき、「誰もが分け隔てなく、互いを尊重しながら共生していく社会」の実現は未だ遠しと思わざるを得ない。
〇「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(略称:「障害者差別解消法」)が2016年4月から施行される。それを前に、『月刊福祉』(全社協)は、その3月号で「インクルーシブな社会」を特集した。インクルーシブ(inclusive)は、「包含する」「包括的」「包摂的」などと訳され、「インクルーシブな共生社会の創造」「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育」などといわれる。
〇さて、本稿は、上記の雑誌が届いたのと前後して、あるブログ読者から寄せられた「福祉と共生のまちづくり」に関する基本的な視点や文献についての問い合わせに、若干なりとも応えようとするものである。そこで、ここでは、寺田貴美代の論文「社会福祉と共生」(園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、31~65ページ。以下「論文」)を紹介する。この論文は、寺田の博士論文の一部を抜粋して再構成したものである。その博士論文は、『共生社会とマイノリティへの支援―日本人ムスリマの社会的対応から―』(東信堂、2003年12月。以下「著書」)として出版されている。
〇寺田は、人間社会(「総論」)と社会福祉領域(「各論」)における「共生」の概念を整理・検討し、主要な論点として次の4つを取り上げる。①社会的差別と「共生」、②ノーマライゼーションと「共生」、③福祉コミュニティと「共生」、④生活の質と「共生」、がそれである(著書では、「情緒的理解による『共生』」を加えた5点を取り上げている)。そして、「社会福祉領域における共生概念の可能性」について考察する。その際、マジョリティ(majority)とマイノリティ(minority)については、集団に所属する人数の規模によって「多数者(派)」「少数者(派)」と訳されることが多いが、寺田は、集団に帰属する権力関係によって規定する(「優位集団」「社会的弱者集団」)。ただし、その区分はあくまでも概念上の表現であり、明確な境界によって二分されるとは限らないという(図1参照)。そのうえで、「マジョリティ文化への志向」を縦軸、「マイノリティ文化への志向」を横軸にした「共生に関する分析枠組」を提示し、「共生」へ移行する過程を「共生のプロセス」として捉え、その検討を進める。その際の主要な概念のひとつが、アイデンティティ(identity)である。それについては、「同一性」「主体性」「帰属意識」などと訳されるが、寺田は、社会や文化とのかかわりから捉えている(図2参照)。
〇以下に、論文[1]のなかで注目したい論点や言説のいくつかを紹介することにする。

共生は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重を前提とする
社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。(51ページ)

共生にはプロセスという視点が不可欠であり、そのプロセスは異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程である
現実の人々の状況は多様であり、人々がそれぞれに持つ文化的背景や社会的役割も当然のことながら異なっており、それぞれに意義や価値を有している。同じ属性や志向の者同士でさえも、人々は一枚岩ではなく、マイノリティ、マジョリティに関わらず、個々人の状況や立場に添って理解する必要がある。現代社会における文化やアイデンティティの多様化は、そこに生じる課題の多様化も意味しており、他者との葛藤や対立は、相互理解および関係の深化に伴う、相互の認識・態度の変化を引き起こす。その意味において、直接的かつ横断的な異質性との対峙は、共生に至るための契機として捉えることができよう。そして、この過程が単発的なものであっては、たとえ一時的・表面的には問題が収束したとしても、根本的な解決には結びつかない。そのため、共生にはプロセスという視点が不可欠であり、このプロセスが、より積極的に繰り返される状態を「共生の進展」、逆に、繰り返されない、あるいは逆行する状態を「共生の後退」と解釈することができる。つまり、共生のプロセスは、状況に応じて不断に変化する多様な関係の中で、異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程であり、この限りない営みなくして、共生社会の実現はありえないのである。(59ページ)

共生は、相互理解と尊重に基づき自―他の相互関係を再構築する営みであり、動態的な変容のプロセスである
共生を定義するならば、「人々が文化的に対等な立場であることを前提とし、その上で、相互理解と尊重に基づき、自―他の相互関係を再構築するプロセスであり、それと同時に、双方のアイデンティティを再編するプロセスである」ということができると考える。そして共生社会とは、個々の異質性に対する評価や批判ではなく、理解と尊重を前提とする社会であり、決して固定化されたものではない。相互作用によって常に変容し、新しく組み直され、生まれ変わる柔軟性を持った社会である。それにもかかわらず、このプロセスが、初めから完了している社会――言い換えれば、全く変容することなく他者との共生が可能な社会を「共生社会」として考えるならば、異なる人々の価値観やアイデンティティが、恒常的に一致するということはありえない以上、共生を単なる夢物語に終わらせてしまうことになる。(中略)問題にしなければならないのは、理想ではなく、現実である。「共生社会」を「理想社会」と読み替え、現実から乖離させてはならない。現実性を持たない理念や規範として、共生を位置づけることは、現実問題を何ら解決に導かないばかりか、問題の本質を見失うことにもなりかねない。(60~61ページ)

〇以上のような「共生」や「共生社会」の実現を図るためには、社会全体が共生の意味や、その視点や実践方法(共生のプロセス)などについて認識し理解することが必要かつ重要となる。そのための教育的営為が問われる。また、共生は、個人のレベルだけでなく、集団的レベルでも展開されるものである。「異質な集団同士が接触し、相互の認識・理解が進展することによって、(中略)集団のさまざまな側面で共生が生じることになる」(61ページ)。留意したい。
〇ここで、図1と図2を示しておくことにする。
〇図1(筆者作成)は、マジョリティとマイノリティを規定するひとつの要素である「集団規模」(多数と少数)を横軸、「権力関係」(優位と劣位)を縦軸にして、その関係性を示したものである。これは素朴な理解に基づくものであるが、マジョリティとマイノリティの卑近な実態である。ちなみに、第Ⅰ象限に属する人々は、多数派で、社会的に優位に置かれる傾向にある。マジョリティの典型のひとつである。第Ⅲ象限のそれは、少数派で、社会的弱者として位置づけられることが多い。マイノリティの典型のひとつである。しかし、少数派であっても、第Ⅱ象限で示されるように社会的に強い影響力をもつ人々がいる。
〇図2(寺田作成)は、共生について分析するための枠組みとして、人々の多様なアイデンティティの状況を把握する全体的な見取り図を示したものである。これは、あくまでも抽象的な類型であり、現実には多様な個人がこの4つの象限(タイプ)のいずれかに厳密に収まるというものではない。ちなみに、第Ⅰ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方共、強く志向し、その融合を図るタイプ」である。第Ⅲ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方への志向が弱い、あるいは志向しない・できないタイプ」であり、「自立型」(選択的に志向しない場合)と「孤立型」(非選択的に孤立せざるを得ない場合)がある(52ページ)。共生と共に生きる/最終版
〇共生は、社会福祉や教育における重要な基礎的概念である。社会福祉や教育の目的や目標を達成するためには、共生の実態や背景を科学的視点に立って歴史的・思想的に分析する必要がある。とともに、地域・社会の自然や風土、文化(暮らし)などとの関係性において、多面的・多角的に検討することが求められる。寺田の論文は、そのための必読基本文献のひとつである。
〇ところでいま、筆者の手もとには、寺田のもの以外に、「共生」を論じた本として井上達夫・名和田是彦・桂木隆夫『共生への冒険』(毎日出版社、1992年5月)と黒川紀章『新・共生の思想―世界の新秩序―』(徳間書店、1996年2月)がある。井上(法哲学)と黒川(建築家)は、早い時期から共生について言及している。論点(要点)の一部を参考に供しておくことにする。
〇井上らは、その本の「序章」で、次のように述べている。「我々のいう《共生》とは、異質なものに開かれた社会的結合様式である。それは、内輪で仲よく共存共栄することではなく、生の形式を異にする人々が、自由な活動と参加の機会を相互に承認し、相互の関係を積極的に築き上げてゆけるような社会的結合である。symbiosisをモデルとする「共生」概念と区別するために、英語で表記するなら、conviviality(コンヴィヴィアリティ)という言葉がふさわしい。日本語の表現としては、安定した閉鎖系としての「共生」は、symbiosisの旧来の訳語に従って「共棲」と表記し、「共生」という言葉は、我々のいう《共生》、すなわち、異質なものに開かれた社会的結合様式を意味するものとして使うことを、提案したい」(25ページ)。すなわち、井上らの共生概念は、「開かれた社会的結合様式」を意味し、「調和」や「協調」といった「安定した閉鎖系」は想定されていない。
〇黒川は、その本の「まえがき」で、「そもそも『共生』という言葉は、仏教の『ともいき』と生物学の『共棲(きょうせい)』を重ねて私がつくった概念である」(1ページ)という。黒川の共生論について、寺田は、「その定義は極めて流動的かつ曖昧である。異質な主体間に『聖域』や『中間領域』を設定し、共生ではなく『共存』あるいは『共棲』の議論に留まっている」(寺田、62ページ)として、検討対象から割愛している。筆者も首肯するところである。ちなみに、黒川にあっては、「聖域」はお互いに入ってほしくない領域で、文化的伝統の根幹をなすものであり、例えば日本の天皇制やコメづくりがそれである。「聖域があればこそ、国相互の尊敬に基づく共生が可能となる」(328ページ)。「中間領域」は、「無理やりどちらかに分類されてしまったり、あるいは排除されてしまった領域や要素である。この意味で中間領域は曖昧性、両義性、多義性を含んでおり、流動的で浮遊している」。換言すれば、中間領域とは、「対立する二項、異質な文化、異質な要素」の間に「仮設的」(tentative:テンタティブ)に設定する共通項である(330ページ)。

補遺
図3は、以上の論述に若干の管見を加えて、「地域共生」プロセスの展開過程についてとりあえず図示したものである(未定稿)。その説述については他日を期すことにする。なお、共生地域の形成にあたって、「問題の気づきと発見」から「課題解決活動と支援」の“力”をいかに育成するかが重要となることは多言を要しない。

共生プロセス(3月21日)


「共生社会」に関する参考文献リストには、寺田論文の巻末(63~65ページ)に記されているもののほかに、例えば次のようなものがある。
(1) 21世紀ヒューマンケア研究機構/地域政策研究所『「新しい共生社会のあり方」に関する調査研究報告書』2005年3月、「資料編」ⅱ~ⅵページ。
(2) 共生社会形成促進のための政策研究会(内閣府)『「共に生きる新たな結び合い」の提唱』(詳細版)2005年6月、49~50ページ。
なお、同報告書では、共生社会の形成促進という観点から、めざすべき社会の姿を5つの「横断的視点」として整理している(22~31ページ)。
① 各人が、しっかりした自分を持ちながら、帰属意識を持ちうる社会
② 各人が、異質で多様な他者を、互いに理解し、認め合い、受け入れる社会
③ 年齢、障害の有無、性別などの属性だけで排除や別扱いされない社会
④ 支え、支えられながら、すべての人が様々な形で参加・貢献する社会
⑤ 多様なつながりと、様々な接触機会が豊富にみられる社会

【初出】
<ディスカッションルーム>(57)阪野 貢/「共生」と「共に生きる」:寺田貴美代「社会福祉と共生」再考―資料紹介―/2016年3月22日/本文

 


18     鶴見和子/内発的発展論


<文献>
(1) 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年3月、以下[1]。
(2) 赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学』藤原書店、2015年7月、以下[2]。
(3) 岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』藤原書店、2015年3月、以下[3]。

〇「ないものねだりは愚痴である。あるものを探して磨くのが自治である」。「地元学は時間がかかる。人が育つ時間が必要だからである」。これは、「地元学」の提唱者である吉本哲郎の言葉である。筆者(阪野)は、ときにこのフレーズを思い出しながら、「地域」とかかわってきた。その際、自分のなかに設定したテーマは常に、「まちづくりと福祉教育」であった。また、「まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり」「まちづくりは市民主権・市民自治の理念に基づく市民運動」であることを念頭に置いてきた。
〇「地元学」に関連して思い及ぶものに、鶴見和子の「内発的発展論」や赤坂憲雄の「東北学」、原田正純の「水俣学」、あるいは山崎亮の「コミュニティデザイン」などがある。鶴見は2006年7月に鬼籍に入るが、赤坂との対談を中心に編まれた『地域からつくる』(藤原書店)が2015年7月に出版された。中央から(政府主導の)「地方創生」が推進され、「地方版総合戦略」(「都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略及び市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」)の策定が要請されているこんにち、「中央」でも「地方」でもなく、「地域からつくる」が重要な意味をもつ。
〇『地域からつくる』を入手した機会に、鶴見の『内発的発展論の展開』(筑摩書房)の再読と岩佐礼子の『地域力の再発見』(藤原書店)の通読を行うことにした。本稿は、例によって、3冊について筆者が関心をもった論点や言説の一部を抜き書きし、紹介するものである。

(1) 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房
内発的発展は多様性に富む社会変化の過程である
内発的発展とは、目標において人類共通であり、目標達成への経路と創出すべき社会のモデルについては、多様性に富む社会変化の過程である。共通目標とは、地球上すべての人々および集団が、衣食住の基本的要求を充足し人間としての可能性を十全に発現できる、条件をつくり出すことである。それは、現存の国内および国際間の格差を生み出す構造を変革することを意味する。
そこへ至る道すじと、そのような目標を実現するであろう社会のすがたと、人々の生活のスタイルとは、それぞれの社会および地域の人々および集団によって、固有の自然環境に適合し、文化遺産にもとづき、歴史的条件にしたがって、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に創出される。したがって、地球的規模で内発的発展が進行すれば、それは多系的発展であり、先発後発を問わず、相互に、対等に、活発に、手本交換がおこなわれることになるであろう。(9~10ページ)

内発的発展は地域を単位とし伝統の再創造を図る
(内発的発展の単位は地域である。)地域とは、定住者と漂泊者と一時漂泊者とが、相互作用することによって、新しい共通の紐帯を創り出す可能性をもった場所である。(25~26ページ)
内発的発展には、文化遺産、またはもっと広くいえば伝統のつくりかえの過程が重要である。伝統とは、ある地域または集団において、世代から世代へわたって継承されてきた型(構造)である。伝統にはさまざまな側面がある。第一は、意識構造の型である。世代から世代へ継承されてきた考え、信仰、価値観などの型が含まれる。第二は、世代から世代に継承されてきた社会関係の型である。たとえば、家族、村落、都市、村と町との関係の構造等が含まれる。第三は、衣・食・住に必要なすべてのものをつくる技術の型である。少なくともこれら三つの側面について、古くから伝わる型を、新しい状況から生じる必要によって、誰が、どのようにつくりかえるかの過程を分析する方法が、内発的発展の事例研究には不可欠である。(29ページ)
地域の小伝統の中に、現在人類が直面している困難な問題を解くかぎを発見し、旧いものを新しい環境に照らし合せてつくりかえ、そうすることによって、多様な発展の経路をきり拓くのは、キー・パースンとしての地域の小さき民である。その意味で、内発的発展の事例研究は、小さき民の創造性の探究である。(30ページ)

政策としての内発的発展という表現は矛盾をはらんでいる
政策としての内発的発展という表現は、矛盾をはらんでいる。地域住民の内発性と、政策に伴う強制力との緊張関係が、多かれ少なかれ存続しないかぎり、内発的発展とはいえない。たとえ政策として取り入れられた場合でも、それが内発的発展でありつづけるためには、社会運動の側面がたえず存続することが要件となる。(27ページ)

(2) 赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学』藤原書店
地域学は内発的発展論に支えられた知の運動である
地域学は、それぞれの地域に生きる人々が、外なる人々とも交流しながら、みずからの足元に埋もれた歴史や文化や風土を掘り起こし、それを地域資源としてあらたに意味づけしつつ、それぞれの方法や流儀で地域社会を豊かに育ててゆくことをめざす、野(の/や)の運動である。(赤坂、37ページ)
内発的発展論とは、それぞれの地域に暮らす人々が、みずからの足元に埋もれている歴史や文化や風土を掘り起こすことを通じて、内からの力を呼び覚ましながら、明日の地域社会を協同して育て創造してゆく、そのための実践的な導きの理論であり、東北学はそうした内発的発展論に支えられた知の運動である。(赤坂、12ページ)
地域学と内発的発展論とは、「汝の足元を深く掘れ、そこに泉あり」(ニーチェ)という促しの声において重なり、共鳴しあっている。(赤坂、37ページ)

内発的とは自治の精神に基づき時間をかけて立ち向かうことをいう
内発的発展論という言葉だけ聞くと、それは狭い地域やムラなり共同体なりに閉じこもり、外部の人間たちに対して、それを寄せ付けない狭い意識をもった発展の形なのではないかと誤解されてしまう怖れがある。内発的と外発的を区別するのは主体の在り方である。つまり、内発的とは、その土地に暮らす人々が内発的な欲求や自治の精神をもって、何かに立ち向かうことをいう。(赤坂、191ページ)
その土地で長い間、何代にもわたって生きてきた人たちの暮らしの流儀とか知恵とかをきちんと汲み上げる形で、もう一度、内発的に作り上げていく努力が必要なのである。外発的に、そこに暮らす人々をさしおいて頭越しに、性急に外から押し付けられるものは信頼できない。(赤坂、194、197ページ)
内発というのは発酵する、熟成する期間を必要とする。(鶴見、195ページ)

内発的であるには異質なものに対して開かれた態度が求められる 
内発的であるとは、内に閉じ籠もり、地域ナショナリズムを主張することではない。むしろ逆に、外に向けて、それゆえ異質なるものにたいして開かれた態度が求められる。
ムラ社会を巡回する漂泊者の群れこそが、ムラ社会存続の不可欠の要件である。漂泊者との交流、つまり漂白と定住とのたえざる相互作用があってはじめて、地域社会は活力を保つことができるのである。
ムラ社会にとって、漂白する人々は異質なるものであり、異文化を背負って登場する訪れ人である。鶴見さんはそこに、ムラ社会が活性化されるための不可欠の要件を認める。創造への豊かな契機が、漂白という異質なるものとの出会いのなかに隠されている、という発見でもある。(赤坂、218~219ページ)

内発的発展論は教育学であり教育民俗学である
内発的発展論は、分野としては社会学よりも教育学である。社会学でいえば、社会化の理論である。人間のひとりひとりの可能性を実現、顕在化していく、伸ばしていく。それが教育である。(鶴見、98ページ)
その土地に暮らす地元民がその土地の歴史や文化を掘り起こし、それを日常に、生活に役立て、それを伸ばしていく。これは民俗学であるが、教育民俗学であり、民俗学的教育である。それが内発的発展論である。(鶴見、115~116ページ)

〇周知のように、内発的発展論は、1970年代中頃に提起された理論である。それは、従来のいわゆる「外来型開発」を批判し、住民の自治と参加による、住民主体の地域発展のあり方を問うものである。それを主導したのが鶴見和子である。その後、1990年代以降、新自由主義(市場原理主義)を背景に、自立自助や規制緩和を前提とした地域開発(地域社会)政策の展開や制度改革が推進されることになる。その内実は行財政改革であり、その一環として地方分権改革や福祉・教育改革が進む。そしてこんにち、その流れのなかで、内発的発展の概念や言説が政府主導の「地域振興」や「地域間競争」「地方創生」などをめぐる論理に内包化されている。すなわち、内発的発展の政策的推進が図られている。それは、一面では、外来型開発への対抗理論として措定され展開された内発的発展論の、理論としての特徴や歴史的意義、理論的有効性が問われることを意味する。
〇そもそも、グローカル化や高度情報化の時代にあって、地域の発展が「内発性」だけで完結する地域は存在しない。現実的には、その多少にかかわらず地域外の資源などに目を向けざるを得ない。地域資源を主体としつつも必要な外部資源の活用や導入を図ることを通じて、その地域の資源が生かされ、また新しく創り出されることになる。すなわち、地域のより豊かな持続的発展を指向するには、「内発性」と「外発性」を二項対立的に捉えるのではなく、その有機的連携や協働(共働)を図ることが必要かつ重要となる。それは必ずしも、地域住民の主体性や主導性としての「内発性」自体を軽視したり、狭隘に追い込んだりするものではない。
〇鶴見の言を俟つまでもなく、内発的発展を外部からの強制力によって政策的に推進することは、論理的には矛盾をはらんでいる。だからといって、ただひたすらに自立・自律による「内発性」を強調し、「外発性」を軽視あるいは否定することは、地域住民が直面している問題状況や地域課題の客観的把握を困難にする。とともに、地域住民がもつ内発的発展の潜在的能力を低下させ、発展の方向性を見失うことにもなる。すなわち、ここでは、地域住民の内発力と政策に伴う強制力との緊張関係のなかで、地域住民の主体性・能動性や自律性を厳しく問うことが必要かつ重要となる。それは、内発的発展の実践過程における、地域住民の地域づくり主体としての力量形成とそのあり方を問うことを意味する。鶴見が、「漂泊(者)と定住(者)の交流」を説き、「内発的発展論は教育学であり、教育の方法である」と強調するところである。
〇内発的発展は、政府や行政機関による「上から」の啓蒙・啓発ではなく、地元住民の「下から」の気づきや疑問、興味や関心などを基盤とする。したがってまず、個々の住民(鶴見がいう「キー・パースンとしての地域の小さき民」)の、地域づくり(まちづくり)主体としての個人的力量をいかに形成するかが重要となる。そして、個人的対応での課題や限界が生じたり、集団的・組織的対応を必要とする場合に、地域内・外の他者や他機関との交流や連携・共働のための(による)集団的力量形成が肝要となる。例えば、「地域住民―地域組織・団体―行政(職員)」の連携・共働関係の構築とそのための(それによる)教育は不可欠なものとして考えられなければならない。そこには、新しい、「共通の価値、目標、思想等」としての「共通の紐帯 (common ties)」(『内発的発展論の展開』25ページ)を創り出す可能性がある。
〇いずれにしろ、内発的発展の現実的な実践過程において最も重視されなけれぱならないのは、地域づくり(まちづくり)のための個人的・集団的主体形成(力量形成)であり、地域住民によるそのための不断の自己教育・相互教育である。それは、鶴見がいうように、「発酵・熟成」する期間や過程を必要とする。それによって、地域づくりのより確かで豊かな運動としての展開が推進されることになる。

(3) 岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』藤原書店
「持続可能な発展」は巨大な「システム社会」を前提とする
「持続可能な発展(開発)」(Sustainable Development:SD)は、大量生産、大量消費、大量廃棄に依存する資本主義や市場主義といった巨大システムからの脱却はせず、むしろそのシステムを最大限に利用し、言うなれば近代化のグリーン化を目指すものだった。換言するとエコロジー的近代化である。それは、環境保全と経済発展は両立するという前提に立って持続可能な発展を目指すことであり、環境規制の強化、環境税の導入、環境に配慮した技術革新の促進など、ドイツや北欧諸国の政策に代表される。
エコロジー的近代化には、水俣病患者が体験したような社会的差別や断絶、孤立や家族や共同体の崩壊といった社会的な問題に答える用意ができていない。そこには社会的な持続可能性についての配慮が欠如していると言えるだろう。(43~45ページ)

「持続可能な発展を支える教育」は多領域を横断する包括的教育である
「持続可能な発展を支える教育」(Education for Sustainable Development:ESD)は、あらゆる人々が、地球の持続可能性を脅かす諸問題に対して計画を立て、取り組み、解決方法を見つけるための、多様な分野の教育である。これを起点として多文化共生教育、ジェンダー教育、平和教育、人権教育、開発教育と、ESDはありとあらゆる教育を包含しながら複雑化し、一つの教育概念としての一貫性が疑問視されてきている。(71~72ページ)
色々な分野の教育をESDは次々と取り入れているが、どういった教育がESDではないのか、というESDとESDでないものとの境界線がぼんやりしているから生じるのである。これは〇〇教育といった、教育内容でESDを固定化して捉えるときに生じてしまう混乱であり、このアプローチには明らかな理論的限界がある。(85~86ページ)

「持続可能な発展のための内発的共育」は環境や社会の変動に寄り添う「共育」である
「持続可能な発展のための内発的共育」(Endogenous Education for Sustainable Development:EESD:内発的ESD)は、SDを支えるのは〇〇教育である、といった固定的な教育の捉え方ではない。発展過程の変動に寄り添って変化するような、動的なものとして教育や学習を捉えるものである。それは、人間として生きていくためには必要不可欠な、発展の変動に左右されない一貫性のある基本的な共育でありながらも、発展の過程で生じる社会変動や環境変動の際に外来の知識や知恵、技術などの要素を外から取れ入れながら、変動を乗り越えていく知恵を生み出すためにダイナミックに変化する共育である。すなわち、平常時の「静的」な動態と変動時の「動的」な動態という二つの動態を持つ共育をいう。(86~87ページ)
「ESD」という国際的に認識された教育概念は、地域レベルまで戦略的に上意下達式に地域の文脈に沿って普及し、新たな価値観を創造していくことであり、現場から内発的に立ち上がってくる教育及び学習のあり方とは根本的に異なっている。(73ページ)
「内発的ESD」は既存のESDを内発的なものに転換するという意味ではなく、あくまでも「持続可能な発展を支える内発的な共育」という意味を持つ。(87ページ)
「共育」とは、学校教育に囚われない、創造的で、相互的な、生活世界の視点から「教育」を置き換えた用語である。それは、内発的発展の過程において人々が共に学び合い教え合い育つという意味に加え、この共に育つプロセスにおいて学習と教育が一体化している状態を示す。(76ページ)

「持続可能な発展」は内発的で自律的な「創造的前進」をいう
持続可能な発展とは、声高に地球環境問題を唱えることや、エコタウンの建設や、化石エネルギーから自然エネルギーへの転換や、エコツーリズムによる街づくりといった可視的な「取り組み」を意味するのではなく、このような人々の普遍的な共同の祈念に導かれた、自律的で暗黙的な「創造的前進」そのものを指すのではないだろうか。風土に根ざし、しっかりと自分の立つ足元を見つめながら、今を生きるものたち、目に見えないものたち、声なきものたち、それらすべてとのつながりを身に引き受け、人間の潜在的可能性を発現しながら持続を希求するメカニズム、即ち内なる持続可能性の構築こそが「生命から内発する力」の源であり、発展を人間の成長の視角で捉えようとした鶴見が内発的発展論で追求していた真の意味ではないのか。この内なる持続可能性の構築を支えるものが、内発的発展に埋め込まれた内発的ESDである。
人間の潜在的可能性を発現するという意味での内発性とは、自分自身の主体的な力でもあり、願いや祈りを共有する仲間の力を借り、自発的に結集する力、共同性の力でもある。(372ページ)

〇先述の、鶴見の内発的発展論は外来型開発に対抗するものであるが、ESD は、経済発展と環境保全との折り合いをつける教育でもある。また、ESDにおいては、「環境」の概念が自然環境という狭義のものから、社会・経済・文化環境などの広義のものに拡張されてきた。それに伴って内包化(総合化)された平和教育や人権教育、あるいは福祉教育は、ESDとの親和性や同質性が強調される。その結果、ESDはそれ固有の構成要素や内容を曖昧化させ、平和教育や人権教育などの既存の教育についてはそのものの存在意義や特徴を希薄化させる恐れなしとしない。この点については、「まちづくりと福祉教育」においても、それが人権教育や道徳教育、共生教育(インクルーシブ教育)、防災・安全教育などとの親和性が高いがゆえに、強く留意すべきところである。
〇また、ESDは、学校や地域において総合的に展開されることが期待されている。学校教育に関していえば、2008年1月の学習指導要領改訂に関する中央教育審議会答申で、「持続可能な社会を構築することが強く求められている」として、ESDの取り組みの重要性が指摘された。この答申を踏まえて、学習指導要領にESDの視点が盛り込まれた(小・中学校は2008年3月、高等学校は2009年3月にそれぞれ改訂・公示)。以降、ESDの普及が図られるが、いわれるほどには進展していない。地域のESDについては、リーダーシップの養成やネットワークの形成(コーディネーターやファシリテーターの育成)が肝要となるが、これも進んでいるとはいい難い。その背景に何があり、その原因は奈辺にあるのか。本質論的かつ実践論的検討が求められよう。
〇ESDは、個人を対象とした知識伝達や能力形成のための教育として捉えられている。この従来型の教育に対して岩佐(「内発的ESD」)は、人、モノ、コト、そして自然が有機的にかかわる地域(「生活世界」)の内発的発展を支えるための、人間(地域)の潜在的可能性を発現させ、共同性や自律性そして創造性を育成する「共育」のあり方を提示する。それは、地域に暮らす高齢者や障がい者、外国籍住民など、すべての「ヒト」が「共働」する「まちづくりと福祉教育」における重要な視点・視座のひとつでもある。


(1) 政府の「地方創生」策に関しては、2014年9月に「まち・ひと・しごと創生本部」(「地方創生本部」)が設置され、同年11月に「地方創生関連2法」(「まち・ひと・しごと創生法」「地域再生法の一部を改正する法律」)が公布・施行された。また、2015年度中に「地方版総合戦略」を策定することが求められている(努力義務)。
(2) 「福祉教育とESD」については、例えば、「特集 持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」『研究紀要』Vol.14、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2009年11月、7~58ページを参照されたい。

【初出】
<ディスカッションルーム>(55)阪野 貢/地域を生きる・地域を拓く・地域を創る:「内発的発展論」と「内発的ESD」を読む―資料紹介―/2016年1月7日/本文

 


19 共生保障/まちづくりと市民福祉教育


<文献>
(1)宮本太郎『生活保障―排除しない社会へ―』岩波新書、2009年11月、以下[1]。
(2)宮本太郎『共生保障―<支え合い>の戦略―』岩波新書、2017年1月、以下[2]。

〇[1]は、人々の生活は雇用と社会保障がうまくかみあってこそ成立するという前提に立つ。そして、雇用と社会保障を包括する「生活保障」という視点から、日本と各国の雇用と社会保障の連携を比較分析し、ベーシックインカムやアクティベーション(活性化)などの諸議論にも触れながら、日本で生活保障システムがどのように再構築されるべきかを論じる。その際、所得保障だけではなく、大多数の人が就労でき、あるいは社会に参加できる「排除しない社会」のかたちを問う。とともに、そうした社会を実現するために必要な「生きる場」(人々が誰かにその存在が「承認」されていることで、生きる意味と張り合いを見出すことができる場)が確保される生活保障のあり方について考える。なお、ベーシックインカムとは、就労や所得を考慮せずにすべての国民に一律に一定水準の現金給付を行なう考え方である。アクティベーションとは、雇用と社会保障の連携強化を図り、社会保障給付の条件として就労や積極的な求職活動を求める考え方である。
〇[2]は、[1]の延長に位置づけられ、生活保障の新しいビジョンとして「共生保障」を提示する。本稿は[2]の(限定的な)再読メモである。宮本はいう。旧来の日本型生活保障は、現役世代の「支える側」(「強い個人」)と高齢者・障がい者・困窮者などの「支えられる側」(「弱い個人」)を過度に峻別してきた。そして、双方の生活様式を固定化し、「支えられる側」を一定の基準によって絞り込みながら、 社会保障・社会福祉の支出を医療や介護などの人生後半に集中させてきた(「人生後半の社会保障」)。ところがいま、高齢世代や子育て世代、非正規や単身の現役世代を中心に、生活困窮・孤立・健康などの様々な問題を、しかもそれらを複合的に抱える事態・状況が拡大・深刻化している。そこで、「支える側」と「支えられる側」という二分法から脱却し、生活保障の新しいビジョンとして、(すべての人の福祉ニーズに応える)普遍主義的な「共生保障」の制度や政策を構築する必要がある(「補遺」参照)。これが[2]における宮本の問題意識であり、議論(提唱)である。その際宮本は、「共生保障」は、地域における人々の「支え合い」を可能にするよう、「地域からの問題提起を受けとめつつ、社会保障改革の新たな方向付けにつなげる枠組みである」(48ページ)という。
〇宮本は、[2]で「共生」について次のように述べる(抜き書きと要約)。

(日本社会では)人々が支え合いに加わる力そのものが損なわれ、共生それ自体が困難になっている。こうした現実に分け入ることなく、規範として共生を掲げ続けるならば、それは現実を覆い隠すばかりか、困難になった支え合いに責任をまる投げしてしまうことにもなりかねない。(ⅳページ)。

共生という言葉は、その意味がいささか漠然としているゆえに、誰も反論しがたく、だからこそ都合良く使われてしまうところがある。今、社会の紐帯が根本から揺らいでいることから、「共生社会」が盛んに提起されるが、人々がどのように関わり合い、誰が何に対して責任をもつ構想なのか、はっきりしないことが多い。(223ページ)

共生や支え合いは規範として押し付けられる筋合いのものではない。一見したところ利他的な行為であっても、共生は長期的に見ると自己に利益をもたらす(「手段としての共生」)。また、人々が互いに認め認められる相互承認の関係を取り結ぶことができれば、共生はそれ自体が価値となる(「目的としての共生」)。共生や支え合いは、人々にとって手段でもあり目的でもあり、したがって本来は自発的な営みなのである。(194ページ)。

〇こうした指摘は、国(厚生労働省)がその実現を図る「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」について考える際の重要なポイントとなる。「我が事・丸ごと」の政策は、社会保障や社会福祉の国家責任が地域社会に転嫁され、社会保障・社会福祉費の削減と自助・互助による支援体制の推進が図られている。それを一言で言えば、「他人事(ひとごと)・丸投げ」である。確かな「共生」には、政府主導による「上から」の規範としてではなく、地域・住民の、地域・住民による、地域・住民のための「下から」の支え合いの戦略と、それを踏まえた事業化や制度化が強く求められる。なお、国が説く「地域共生社会」は、「制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が 『我が事』として参画し、 人と人、人と資源が世代や分野を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会」(厚生労働省「『地域共生社会』の実現に向けて 」2017年2月)をいう。耳ざわりの良い(口当たりの良い)言葉が連なる、“美しく”まとめられた一文である。ここで筆者は、中身がスカスカ(浅薄皮相)な、「活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする」(なんと白々しいことか)という「美しい国、日本」(2006年9月に召集された第165回国会における安倍内閣総理大臣の所信表明演説)という言葉を思い出す。
〇宮本は、[2]で「共生保障」について次のように述べる(抜き書きと要約)。

共生や自立というテーマが政府から打ち出されるとき、そこには行政と政治の責任が曖昧にされ、人々の助け合いや自助にすりかえられる危険もある。共生保障とは、そのようなすりかえを回避し、人々の支え合いのために行政と政治が果たすべき条件を示す政策基準でもある。(219~220ページ)

共生保障は、年金や医療などを含めた生活保障のすべてに関わるものではない。それは、次のような制度や政策を指す。
第一に、「支える側」を支え直す制度や政策を指す。これまで男性稼ぎ主を中心とした「支える側」は、支援を受ける必要のない自立した存在とされてきたが、「支える側」と目される多くの人々は経済的に弱体化し孤立化し、力を発揮できなくなっている。
第二に、「支えられる側」に括(くく)られてきた人々の参加機会を広げ、社会につなげる制度と政策である。そのためにも、人々の就労や地域社会への参加を妨げてきた複合的困難を解決できる包括的サービスの実現が目指される。
第三に、就労や居住に関して、より多様な人々が参入できる新しい共生の場をつくりだす施策である。所得保障については、限定された働き方でもその勤労所得を補完したり、家賃や子育てコストの一部を給付する補完型所得保障を広げる。(47ページ)

人々を共生の場につなげ、共生の場自体を拡充していく共生保障の戦略は、それ自体が生成途上のものである。このような考え方をより具体化していくためにも、地域におけるさらなる創造的な取り組み、社会保障改革の新展開、そして両者をつなぐ共生保障の政治が必要である。生活保障の新しい理念は、そのような地域、行政、政治の連関のなかで活かされ、練磨されていくべきものであろう。(221~222ページ)

〇「支える側」を子育て支援や介護サービス、リカレント教育などによって支え直し、「支えられる側」に就労支援や地域包括ケア、生活支援サービス(見守り・外出支援・家事支援)などを通して社会への参加機会を提供する。それは、より多くの人々が共生や支え合いの「場」(居住・就労・活動の場や領域)に参入することを意味する。その「場」は、地域における居住(高齢者や現役世代などが支え合いながら一緒に暮らす、あるいは一人暮らしの高齢者が地域の生活支援を受けながら暮らす「地域型居住」)の場をはじめ、コミュニティ(共同体)や就労の場、共生型ケアの場など、人々が直接、間接に相互の必要を満たし合う場(フィールド)を指す(51、52、94ページ)。
〇宮本は、「共生保障」型の地域福祉や地域組織づくりについて、その実践事例を紹介する。「ひきこもりで町おこし」を進めた秋田県藤里町社会福祉協議会の取り組みや、「このゆびとーまれの共生型ケア」を進めた富山市の民間デイサービス事業所「このゆびとーまれ」の取り組み、「小規模多機能自治」と呼ばれる島根県雲南市の市民と行政による協働のまちづくりの取り組みなどがそれである。
〇藤里町社協の取り組みは、ひきこもりの若者の居場所や交流拠点、働き場所として、2010年に地域福祉の拠点「こみっと」を開設し、それを特産品づくりによる町おこしへとつなげた実践である。それは、「障害や生活困窮など、働きがたさを抱えていた人々が、支援を受けつつも多様なかたちで働くことができる新しい職場環境」(82ページ)を指す「ユニバーサル就労」の考え方による。「このゆびとーまれ」のそれは、高齢者だけでなく子どもや障がい者などの誰もが利用できるデイケアハウスを1993年に開所し、それを「地域密着・小規模・多機能」をコンセプトとした共生型福祉施設、そしてその後の「富山型デイサービス」へと発展させた実践である。それは、「福祉のなかから当事者同士の支え合いをつくりだし、部分的には支援付き就労にもつなげていく試み」(106ページ)である「共生型ケア」の考え方による。それらの詳細については次の文献を参照されたい。
・菊池まゆみ『「藤里方式」が止まらない― 弱小社協が始めたひきこもり支援が日本を変える可能性?』萌書房、2015年4月
・菊池まゆみ『地域福祉の弱みと強み―「藤里方式」が強みに変える―』全国社会福祉協議会、2016年10月
・惣万佳代子『笑顔の大家族このゆびとーまれ―「富山型」デイサービスの日々―』水書坊、2002年11月
〇雲南市では、「まちづくりの原点は、主役である市民が、自らの責任により、主体的に関わることです」(雲南市まちづくり基本条例前文)という基本理念のもとに、2010年に公民館を地域づくり・生涯学習・地域福祉を担う交流センター(公設民営・指定管理)に改組する。そして、そこに自治会(地縁型組織)や消防団(目的型組織)、PTA(属性型組織)などがつながり、地域の総力を結集して地域課題を自ら解決し、住民主体のまちづくりを進める地域自主組織(小規模多機能自治)を概ね小学校区に立ち上げた。そこでは、要援護者の安心生活見守り事業や高齢者の買い物支援事業などが展開されている。地域自主組織は、市の財政支援や人的支援などを受けながら、地域間の連携や行政との協議・協働を図り(「地域自主組織取組発表会」「地域円卓会議」「地域経営カレッジ」等)、さらには2015年に「小規模多機能自治推進ネットワーク会議」を設立して全国の他地域とのネットワークを構築している。特筆されるところである。
〇なお、こうした「好事例」について、宮本は次のようにもいう。「『好事例』は、既存制度を超える『技』(『裏技』『荒業』を含めて)を備えた突出したリーダーシップによる例外的事例に留まっている」(ⅴページ)。「新聞やメディアは、地域で広がるひとり親世帯や高齢世帯の困窮、孤立をクローズアップし、時に警鐘を乱打する。その一方で、地域における困窮者支援やまちづくりの『好事例』を積極的に取り上げ、これを持ち上げる。さらに、国の社会保障改革の停滞について伝える。だが、深刻な地域の現実と一部の『好事例』と停滞する社会保障改革が、時々のトピックスに伴って代わる代わる前面に出て、相互につながらない」(ⅵページ)。「地域では、人々の支え合いを支え、共生を可能にしようとする多様な試みが広がっている。しかし、こうした動きは、『好事例』に留まり大きな制度転換にはつながっていない」(218ページ)。留意しておきたい。
〇「共生保障」の観点から「まちづくりと市民福祉教育」について一言しておきたい。(「支えられる側」とされがちな)高齢者や障がい者、子どもなどが自律的・能動的な地域生活を営むためには、「支える側」による個別具体的な支援とともに、安全・安心な生活環境が整備され豊かな社会関係が構築されなければならない。しかも、生活上の困難や社会的課題を抱える高齢者や障がい者、子どもにはそれゆえに、地域社会を構成する一員であるとともにまちづくりの主体であることを認識し、その役割を果たすことが期待される。その際、(まちづくりの主体である)その地域に暮らす多様な人々との相互理解や相互承認、共働や支え合い、それを保障するための仕組みが必要かつ重要となる。それが、「まちづくりと市民福祉教育」の内容や方法を決める。
〇周知の通り、(1)1970年代以降の高齢化社会の進展を背景に、高齢者の学習活動の奨励や社会参加活動の促進が図られるなかで、高齢者の学習・教育プログラムが開発、提示されてきた。(2)1960年代にアメリカで生まれた身体障がい者の自立生活運動を契機に、日本では1980年代以降、障がい者が自律的に地域生活を営むための自立生活プログラムが組織化され、その普及が図られてきた。(3)学校教育においては1980年代から「地域学習」が取り組まれ、1980年代後半には「環境教育」が注目される。2002年度から小・中学校で(高等学校では2003年度から)全面実施された「総合的な学習の時間」では、「まちづくり学習」の取り組みが行なわれるようになった。こうしたなかでまちづくり学習プログラムの開発が進むことになる(「付記」参照)。(4)1990年代以降、社会の階層化・ 分裂化が指摘され、政治や社会に積極的・主体的に参加する「能動的市民」(民主主義社会の形成者)の育成が求められた。イギリスでは 2002 年に、公教育の中等教育段階でシティズンシップ教育が必修化された。日本では2006 年に、経済産業省によって「シティズンシップ教育宣言」が出された。それをきっかけに、東京都品川区の小中一貫教育のなかでの「市民科」の設置(2006年)、お茶の水女子大学附属小学校における「市民」科の授業の取り組み(2007年)などがクローズアップされた。以後、学校教育のみならず、生涯学習の一環としてシティズンシップ教育プログラムの開発と実践が展開されることになる。
〇これらは、「まちづくりと市民福祉教育」に含まれるべき学習・教育活動であるが、市民福祉教育実践として十分に取り上げられてこなかった。共生保障としての「まちづくりと市民福祉教育」の重要な要素であり、積極的な議論の展開が求められる。

補遺
普遍主義的改革の「三重のジレンマ」
宮本は[2]で、1990年代からの社会保障改革の基調は普遍主義的改革であったが、その改革は空転し、掲げた目標のように進んでいない。それは、3つの深刻なジレンマあるいは矛盾―(1)国と自治体の財政的困難、(2)自治体の縦割り行政の制度構造と機能不全、(3)「支える側」の中間層の解体と雇用の劣化のなかで進行してきたからである、という。留意しておきたい(抜き書きと要約)。

第一に、本来は大きな財源を必要とする普遍主義的改革が、(経済)成長が鈍化し財政的困難が広がるなかで(その打開のための消費税増税の理由づけとして)着手されたということである。高齢社会が到来するなかで、高齢者介護については社会保険化(介護保険)が可能だったが、障がい者福祉や保育のニーズは、介護に比べて誰しも不可避とはいえない面があり、社会保険化は困難であった。したがって、財政的困難のなかで税財源へ依拠するというジレンマがいっそう深まった。
第二に、自治体の制度構造は「支える側」「支えられる側」の二分法に依然として拘束されている面がある。にもかかわらず、普遍主義的改革においては、その自治体にサービスの実施責任が課された。
第三に、救貧的福祉からの脱却を掲げた普遍主義が、中間層の解体が始まり困窮への対処が不可避になるなかですすめられた、という逆説である。日本社会で救貧という課題が現実味を増すなかで、救貧的施策からの転換が模索されるという皮肉な展開となったのである。そして新たな目標であった自立支援は、雇用が劣化して多くの人々の就労自立が困難になるなかで取り組まれた。
すなわち、共生保障とも重なる普遍主義的改革は、財政危機、自治体制度の未対応、雇用の劣化による中間層の解体という三重のジレンマのなかで、進行したのである。この三重のジレンマこそが、普遍主義的改革の展開とその結果を方向づけた。(153~154ページ)

付記
1.子供を対象とした「まちづくり学習」の経緯
1.1都市計画・まちづくりの分野での経緯
都市計画の中で子供やその教育の問題が本格的に取り上げられるようになったのは、1970年代からであり、80年代に入ると「地域学習」への期待から、各自治体によるまちづくり関連の副読本が相次いで登場した。
80年代後半には世田谷区が主催する「まちづくりコンクール」や、杉並区での「知る区ロード探検隊」など、自治体による直接的な「まちづくり学習」の取り組みがおこなわれるようになり、90年代半ばには、自治体による子供参加のまちづくり学習の取り組みが、10府県336市区町村で640以上行なわれていた。
さらに90年代には建築学会を始め、様々な専門家、市民団体が関心を寄せ、取り組みの内容は多様化し、事例数も増加傾向にある。
都市計画・まちづくりの分野では、これまで1)まちづくりの将来の担い手としての子供への着目、2)都市計画・まちづくりへの子供の視点の取り入れ、3)まちづくりへの子供参加が進む中で、その参加がお飾り的な物とならないために、の3点から子供に対する「まちづくり学習」が取り組まれてきた。
1.2教育の分野での経緯
一方、教育の分野では身近な地域やそこでの子供の生活、体験を教材とする「地域に根付いた教育・学習」が、繰り返し試みられ、「まちづくり学習」の素地となるものが存在すると言える。
このような取り組みは様々な理由から、これまで一般には広まらなかったが、1996年の中央教育審議会の答申によって、学校教育では、2002年から「総合的な学習の時間」の導入、体験的、問題解決的な学習の充実、地域との連携などが図られるようになり、「まちづくり学習」を行なう上での条件が整いつつあると言える。

2.「まちづくり学習」の近似概念の整理と理念の構築
2.1「まちづくり学習」の定義
「まちづくり学習」とは、「環境」のための学習であり、主な目的はまちづくりを自らの問題として捉え、関わってゆこうとする主体的意識の育成とそのために自らの「環境」を自分で判断するための価値観の育成である。
子供を対象とすることは、価値観や関心が発育の途中であるため多くの配慮が必要である点、携わる大人も共に学び合う事が可能であること(つまり「教育」と言うよりも、むしろ「学習」である)の2点においてまちづくりに関する「市民教育」と区別される。
2.2近似概念の整理
近似する概念としては、「環境教育」と「地域学習」の2つを挙げることができる。
「環境学習・教育」とは本来、人間と取り巻く環境全般に渡るものであり、「判断力」や「主体的態度」の育成を定義に含むが、日本においては公害を契機として再認識されたことから、その範囲は狭く捉えられがちで、一般的な環境問題や自然保護に偏重していた。
「地域学習」は、学校教育において1980年代から取り組まれ、身近な地域や地域社会について、地形、土地利用、公共施設、歴史、人の営み、それを守るための働きなどをテーマに「調べ学習」を行なうものである。
しかし、調べたことから思考するという発展的学習が行なわれることは非常に少ない。
つまり、まち(身近な環境)を対象とする「環境教育」であり、「地域学習」よりも一歩進んで、得た知識から考察し、まちに対して何らかの働きかけをしようとする学習である「まちづくり学習」は新しい概念であると言える。
この「環境教育」の偏りを補うべく、70年代後半から建築の分野では、イギリスにおける「環境教育」を手本とした「住環境教育」の議論が、都市計画の分野においても「まちづくり教育」「まちづくり学習」などの議論が起こっている。(以下略)


安藤真理「子供を対象とした『まちづくり学習』の学校教育における展開の可能性に関する研究―横浜市の取り組みの分析を通して―」『2001年度/東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻・修士論文(概要)』より。
謝辞
転載許可を賜りました東京大学工学部都市工学科/大学院工学系研究科都市工学専攻 都市デザイン研究室に厚くお礼申し上げます。

【初出】
<まちづくりと市民福祉教育>(58)阪野 貢/「共生保障」としての「まちづくりと市民福祉教育」を考えるために ―宮本太郎著『共生保障』再読メモ―/2021年11月1日/本文

 


20     同調圧力/世間と社会


<文献>
(1)鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』(講談社現代新書)講談社、2020年8月、以下[1]。
(2)岡檀『生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―』講談社、2013年7月、以下[2]。

社会には秩序が必要だ。人間同士が分断され競争するなかで、秩序を保ち、社会を成り立たせるためには、国家権力のもとで上から秩序を与えるしかないということになる。権力が上から与える秩序は、同調圧力と忖度によって増幅され、人々は自由と連帯を失い上位権力のもとで委縮する。
ところが、そういう世界は、自由を捨てた人間には案外住みやすい世界になるのだ。「正しい考え方」や「正しい生き方」は上から与えられるから、自分で考えずに済む。同調圧力をもはや「圧力」と感じなくなる。そこに全体主義が生まれる。(下記、前川喜平:134ページ)

〇これは、望月衣塑子・前川喜平・マーティン=ファクラー著『同調圧力』(角川新書、KADOKAWA、2019年6月)に所収の、前川の一文である。前川は続けていう。「無意識のうちに同調圧力に屈し、忖度や委縮を絶えず繰り返す。そうした人間が増えているのが今の日本だと思う。自ら考える力を育てる教育が今こそ必要だと声を大にして、あらためて訴えたい」(141ページ)。そして、前川の結語は単純明解である。心を縛られない「真に自由な人間に、同調圧力は無力である」(142ページ)。
〇[1]は、作家・演出家である鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)と評論家である佐藤直樹(さとう・なおき)の対談本である。鴻上には「『空気』と『世間』」(講談社、2009年7月)、佐藤には「『世間』の現象学」(青弓社、2001年12月)という著作がある。「あなたを苦しめているものは『同調圧力』と呼ばれるもので、それは『世間』が作り出しているもの」である。新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本特有の「世間」が強化され、「同調圧力」が狂暴化・巨大化している。自粛の強制や監視、感染者に対するバッシングなどがそれである。「世間」の特徴は、「所与性」(変わらないこと・現状を肯定すること)にあり、「今の状態を続ける」「変化を嫌う」ことにある(鴻上:6、7ページ)。[1]は、新型コロナがあぶり出した「世間」のカラクリや弊害について追求する。
〇[1]で筆者が留意したい視点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「同調圧力」を生む「世間」:鴻上
「同調圧力」とは、「みんな同じに」という命令である。同調する対象は、その時の一番強い集団である。多数派や主流派の集団の「空気」に従えという命令が「同調圧力」である。数人の小さなグループや集団のレベルで、職場や学校、PTAや近所の公園での人間関係にも生まれる。日本は「同調圧力」が世界で突出して高い国なのである。そして、この「同調圧力」を生む根本に「世間」と呼ばれる日本特有のシステムがある。(鴻上:5ページ)

「世間」と「社会」の違い:鴻上
「世間」というのは、現在及び将来、自分に関係がある人たちだけで形成される世界のことである。分かりやすく言えば、会社とか学校、隣近所といった、身近な人びとによってつくられた世界のことである。「社会」というのは、現在または将来においてまったく自分と関係のない人たち、例えば同じ電車に乗り合わせた人とか、すれ違っただけの人とか、知らない人たちで形成された世界である。つまり、「あなたと関係のある人たち」で成り立っているのが「世間」、「あなたと何も関係がない人たちがいる世界」が「社会」である。日本人は「世間」に住んでいるけれど、「社会」には住んでいない。(鴻上:31、32ページ)

「世間」と「社会」の二重構造:佐藤
「社会」というのは、「ばらばらの個人から成り立っていて、個人の結びつきが法律で定められているような人間関係」である。法律で定められている人間関係が「社会」である。「世間」というのは、「日本人が集団となったときに発生する力学」である。「力学」とはそこに同調圧力などの権力的な関係が生まれることを意味する。日本人は「世間」にがんじがらめに縛られてきたために、「世間」がホンネで「社会」がタテマエという二重構造ができあがっている。おそらく現在の日本の社会問題のほとんどは、この二重構造に発していると言ってもいい。「社会」と「世間」を比較すると次のようになる。(佐藤:33、34、35ページ)

「世間」を構成するルール:佐藤
「世間」を構成するルールは四つある。①お返しのルール/毎年のお中元・お歳暮に代表されるが、モノをもらったら必ず返さなければならない。②身分制のルール/年上・年下、目上・目下、格上・格下などの「身分」がその関係の力学を決めてしまう。③人間平等主義のルール/「みんな同じ時間を生きている」、すなわち「みんな同じ仲間である」と考えている。そこから、「出る杭は打たれる」ことになり、「個人がいない」ということになる。
④呪術性のルール/「友引の日には葬式をしない」といったように、俗信・迷信に逆らうことができない。こうした四つのルールからできあがったのが「世間」である。そうした人間関係のつくり方をしている国は日本しかないのではないか。(佐藤:35~50ページ)

「世間」の特徴:鴻上
「世間」には五つの特徴がある。①「贈り物は大切」、②「年上が偉い」、③「『同じ時間を生きること』が大切」、④「神秘性」(佐藤がいう「呪術性」)、佐藤の言説と同じである。加えて⑤「仲間外れをつくる」がある。それは「排他性」を意味し、仲間外れをつくることが、自分たちの「世間」を意識し、強固にすることになる。この五つの特徴(ルール)のうち、一つでも欠けた場合に表れるのが「空気」である。「世間」が流動化したものが「空気」である。「空気」に支配されるのは、それが「世間」の一種だからである。(鴻上:50~53ページ)

〇要するに、「世間」の本質は、その暗黙のルールに従うこと、みんなと同じことをすることにある。「世間」のルール(その強さ)が、「みんな同じ」すなわち「違う人にならない」という同調圧力を生み出し、個人の行動を抑制するのである。
〇「同調圧力」とは、「少数意見を持つ人、あるいは異論を唱える人に対して、暗黙のうちに周囲の多くの人と同じように行動するよう強制すること」である。すなわち、「何かを強いられること」「異論が許されない(封じられる)状況」(16ページ)をいう。こうした同調圧力や相互監視を生み出す、別言すればそれによって支えられるのが「世間」である。この「世間」と「同調圧力」が、いまの日本社会の「息苦しさ」や「生きづらさ」の正体である。それを緩和あるいは除去するためには、「世間のルール」を漸進的に変革するしかない。そのためのひとつのヒントを与えてくれるのが[2]である。
〇[2]は、大学教員である岡檀(おか・まゆみ)が、「地域の社会文化的特性が住民の精神衛生にあたえる影響、特に、コミュニティの特性と自殺率との関係」(10ページ)を明らかにしようとしたものである。徳島県南部に位置する旧・海部町(現・海陽町)は、太平洋に臨む、人口3000人前後で推移してきた小規模な町である。その町は、全国でも極めて自殺率の低い「自殺“最”稀少地域」である。[2]は、そこに暮らす町民たちの、「生きづらさを取り除く」ユニークな人生観や処世術を、2008年から4年にわたる現地調査によって解き明かす(「帯」)。
〇[2]で筆者が注目したいひとつの言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

五つの自殺予防因子
旧・海部町ではなぜ、自殺者が少ないのか。「自殺予防因子」として次の五つが考えられる。
① いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
多様性を尊重し、異質や異端なものに対する偏見が小さく、「いろんな人がいてもよい」と考えるコミュニティの特性がある。それだけではなく、「いろんな人がいたほうがよい」という考え方が町に浸透している。
② 人物本位主義をつらぬく
職業上の地位や学歴、家柄や財力などにとらわれることなく、その人の問題解決能力や人柄によって判断するという考え方が重んじられている。
③ どうせ自分なんて、と考えない
町民には、自分たちが暮らす世界を自分たちの手によって良くしようという、基本姿勢がある。「どうせ自分なんて」と考える人が少なく、主体的に社会にかかわる人が多い。
④ 「病(やまい)」は市(いち)に出せ
病気のみならず、生きていく上でのあらゆる問題をひとりで抱えるのではなく、みんなで解決しようという考え方がある。町民の、援助を求める行為への心理的抵抗が小さい。
⑤ ゆるやかにつながる
人間関係が固定していない。町民はそれぞれが、息苦しさを感じない距離感を保ちながら、「ゆるやかな絆」のもとで連携している。(29~92ページ)

〇岡はいう。旧・海部町は江戸時代の初期、材木の集積地として飛躍的に隆盛し、「多くの移住者によって発展してきた、いわば地縁血縁の薄いコミュニティだった」(88ページ)。「人の出入りの多い土地柄であったことから、人間関係が膠着(こうちゃく)することなくゆるやかな絆が常態化したと想像できる」(90ページ)。こうした歴史的背景のもとで培われ維持されてきた「ゆるやかな絆」が、自殺予防を促している。「ゆるやかな絆」という住民気質に注目しておきたい。
〇ここで2点、付記しておきたい。ひとつは、麻生太郎副総理兼財務大臣が、2020年6月4日に開かれた参議院の財政金融委員会で、日本は他国に比べて新型コロナウイルスによる死亡者数が少ないのは「国民の民度のレベルが違う」「民度が高い」ことによる、と答弁したことについてである。その際、麻生は、「(日本は)島国ですから、なんとなく連帯的なものも強かったし、いろんな意味で国民が政府の要請に対して極めて協調してもらったということなんだと思いますけれども、‥‥‥国民性が結果論として良かった‥‥‥」とも答えている。この「民度」「連帯」「協調」「国民性」が意味するところは、「世間」による「同調圧力」であると言ってよい。今また、コロナ禍で「がんばろうニッポン」が叫ばれている。その言葉が浮き彫りにするのは、「あぶないニッポン」の姿である。ここで、2013年7月29日の、憲法改正に関する麻生の発言、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね………」を思い出しておきたい。
〇いまひとつは、世論がどのようなメカニズムで形成されるかを検討したE.ノエル=ノイマン(1916年~2010年、ドイツの政治学者)の「沈黙の螺旋理論」についてである。誤解を恐れずに言えば、その概要はこうである。人間はその社会的天性として、仲間と仲たがいして孤立することを恐れる(「孤立への恐怖」)。人間には意見分布の状況(「意見(の)風土」)を認知する能力がある(「準統計的感覚(能力)」)。そこで、自分の意見が多数派であると判断したときは、自分の意見を公然と表明する。逆に自分の意見が少数派であると認識した場合は、孤立を恐れて沈黙を促す(守る)。この循環過程によって意見の表明と沈黙が螺旋状に増幅し、多数派意見への「なだれ現象」(同調)が引き起こされ、多数派意見が「世論」(「論争的な争点に関して自分自身が孤立することなく公然と表明できる意見」:68ページ)として公認されるようになる。そして、少数派はますます孤立の度を深めていく。なお、ノエル=ノイマンは、少数派でありながら、孤立の脅威をものともしないで意見表明する、「ハードコア(固い核)」と名付ける活動層についても言及する。「沈黙の螺旋研究」の詳細については、E.ノエル=ノイマン/池田謙一・安野智子訳『沈黙の螺旋理論―世論形成過程の社会心理学―』(改訂復刻版、北大路書房、2013年3月)と、例えば時野谷浩(ときのや・ひろし)の『世論と沈黙―沈黙の螺旋理論の研究―』(芦書房、2008年3月)を参照されたい。

【初出】
<雑感>(120)阪野 貢/同調圧力の強い世間を生き抜くということ―鴻上尚氏・佐藤直樹著『同調圧力』と岡檀著『生き心地の良い町』のワンポイントメモ―/2020年10月2日/本文

 


21 地域力/その構成要素


<文献>
(1)宮西悠司「地域力を高めることがまちづくり―住民の力と市街地整備―」『都市計画』第143号、日本都市計画学会、1986年12月、以下[1]。
(2)河上牧子「『地域力』と『ソーシャル・キャピタル』の概念に関する計画論的一考察」『都市計画論文集』第40-3巻、日本都市計画学会、2005年10月、以下「2」。
(3)東京都市長会提言「地域力の向上に向けて」2008年11月、以下[3]。
(4)総務省・地域力創造に関する有識者会議「地域力創造に関する有識者会議 最終取りまとめ 人材と資源で地域力創造を~まだまだできる人材力活性化」2010年8月、以下[4]。
(5)宮城孝『住民力―超高齢社会を生き抜く地域のチカラ―』明石書店、2022年1月、以下[5]。

〇筆者(阪野)が気になる言葉・概念に「地域力」がある。それは、「まちづくりと市民福祉教育」において諸刃(もろは)の剣(つるぎ)になるからでもある。
〇「地域力」は、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災を契機に、宮西悠司(みやにし・ゆうじ。まちづくりプランナー)によって提唱されたものである。具体的には、論稿「地域力を高めることがまちづくり―住民の力と市街地整備―」(『都市計画』第143号、日本都市計画学会、1986年12月、25~33ページ。以下[1])においてである。[1]で宮西は、まちづくりは「地域力を高める運動」として包括的に捉えるべきである。「まちづくりは、地域を基盤にし、地域住民が自主的、集団的活動を通じて、住民相互が助け合う心を養い、良好な住環境を形成するところにある。見方を変えれば、住民自身が地域への関心をいかに高めるか、地域の持つ資源をいかに充実させるか、加えて地域の自治能力の強化といったことがまちづくりという言葉で実践されている」(31ページ)、という。すなわち、宮西にあっては、「地域力」は、(1)「地域への関心力」―①地域・近隣社会とのかかわり、②地域環境への関心度合。(2)「地域資源の貯蓄力」―①地域居住環境状況(ハード)、②地域組織結成状況(ソフト)。(3)「地域の自治能力」―①住民組織の活動状況、②地域イベントへの参加状況、の3つの構成要素からなる(31~32ページ。図1参照)。そして、まちづくりは住民主体と行政参加によって進められ、行政は「地域力」の向上に取り組み、それを通じて行政改革を図ることが求められるのである。

〇「地域力」の概念について、その基本的な整理を行ったものに日本都市計画学会の学会誌に収録されている河上牧子(かわかみ・まきこ。都市計画専攻)の論稿「『地域力』と『ソーシャル・キャピタル』の概念に関する計画論的一考察」(『都市計画論文集』第40-3巻、日本都市計画学会、2005年10月、205~210ページ。以下[2])がある。[2]で河上は、上記の宮西や、地域力は「地域の問題解決力、コミュニティガバナンス、ソーシャルキャピタルの3要素から構成される」という山内直人(やまうち・なおと。公共経済学専攻)などの言説をめぐって、「地域力」と「ソーシャル・キャピタル」の概念整理を行う。そのまとめとして、河上はいう。「地域力」は、「ソーシャル・キャピタル」を包含する概念である。「地域力」は、「ソーシャル・キャピタル」によって支えられた「地域の問題解決能力」「地域の公共(財)とその計画・管理・運営能力」「地域自治の推進力」によって構成される。すなわち、「地域力」は、地域社会における住民の意識や行動、活動(ソフト面)のみならず、地域資源としての、地域の環境を構成する公共施設、公益施設、住居施設などのハードの状況も包含する地域の総合力的な概念という点が特徴的である(210ページ)。

〇1990年代以降の経済のグローバル化のなかで、経済成長の停滞と国・地方を通じた財政赤字問題が深刻化した。2000年4月の地方分権一括法の施行や2004年から2006年にかけての「三位一体改革」(国庫補助負担金の廃止・縮減、国から地方への税源移譲、地方交付税の見直し)などによって、地方分権改革の進展が図られた。しかも、国による三位一体改革は、地方財源を大幅に削減し、地方財政の逼迫化をもたらした。それらを背景に、実質的な住民参加が疑問視されるなかで、地域・住民を主役に祭りあげた地域・社会の活性化や再生が志向される。そのひとつとして、地域における住民参加や人材育成の促進が図られ、政府や地方自治体の行政機関・団体などによって「地域力」についての調査・研究がなされる。例えば、東京都市長会の提言「地域力の向上に向けて」(2008年11月。以下[3])や、総務省に設置された「地域力創造に関する有識者会議」(座長:月尾嘉男。2008年11月~2010年6月)の「地域力創造に関する有識者会議 最終取りまとめ 人材と資源で地域力創造を~まだまだできる人材力活性化」(2010年8月。以下[4])がそれである。
〇[3]では、「地域力」は「自治会・町会等の地縁組織、NPO等の市民団体や企業、これらの核となる市民及び行政が相互に連携し、総合力をもって主体的に地域の課題を発見し解決する力」(1ページ)と定義される。そして、その「地域力」の向上を図るためには、行政には(1)気軽に語り合い、活動できる場の提供(地域住民が互いを認識・理解し地域生活課題を共有化するために、気軽に人々が集える場を整備・提供する)。(2)地域力の向上の担い手の確保(地域が地域力の向上の担い手を確保し活用していくことに対して、十分な下支えをする)。(3)人材の発掘・育成(地域力の向上に必要なマンパワーとして、地域力の担い手に係る人材を発掘・育成する)。(4)地域力の向上のための財政支援(地域力の担い手がさまざまな活動を行う際の経費について、財政的に支援する)、などが求められることになる(19~25ページ)。
〇[4]では、今後の「地域力」創造の基本は、「地域資源の有効活用」と「人材力の強化」である(2ページ)、とする。そしていう。● 「地域力」には地域資源や人的要素、社会的要素、経済的要素、自然的要素など多様な要素・内容が含まれている。経済的条件、自然的条件は地域においてさまざまであるが、同じような条件下にあっても活性化している地域とそうでない地域がある。地域を活性化させる要因としては、究極的には「人材力」の要素が大きい。● 「人材力」は、さまざまな得意分野を持った多様な人々を発掘し、まわりの人々が支え、誰かに強制されるのではなく、緩やかにつながり、協力し合うことによって向上する。● 「人材力」が向かう対象として地域資源がある。地域に愛着を持ち自らの地域の魅力、資源に気づき、それらを磨いていけるよう、地域資源の発掘、再生、創造に向けた取り組みに「人材力」をつなげ、それを結集していくことが重要となる(3~4ページ、「最終取りまとめ概要」)。そのうえで、[4]は、表1のように「地域力」の構成要素を分解する。そして、「地域力」全般の評価や地域づくり事例のデータベースの構築について検討する必要があるとする。

〇総務省はその後、「地域力」の基本的・中核的な要素である「人材力」の強化を図るために2010年6月、「人材力活性化研究会」(座長:飯盛義徳)を設置する。そして、研究会は、2011年3月に『人材力活性化プログラム』と『地域づくり活動のリーダー育成のためのカリキュラム』を作成する。加えて、「プログラム」と「カリキュラム」の有効活用の促進とその普及を図るために、2012年3月に『地域づくり人の育成に関する手引き』、2013年3月に『地域づくり人育成ハンドブック』を作成・編集する。こうして、国主導の・上からの「地方分権」と同様に、国主導の・国好みの「地域づくり人」の育成・確保が、「地域おこし協力隊」や「地域力創造アドバイザー」「全国地域づくり人財塾」などを通じて図られる。
〇ここで、厚生労働省等が推進する「我が事・丸ごと」の地域共生社会の実現に向けた検討会について思い起こしておきたい。厚生労働省に設置された「地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会」(座長:原田正樹、2016年10月~2017年9月)、略称「地域力強化検討会」がそれである。そこでは、(1)住民主体による地域課題の解決力(すなわち「地域力」)の強化・体制づくりのあり方、(2)市町村による包括的な相談支援体制の整備のあり方、(3)寄附文化の醸成に向けた取り組み、について検討された。そして、2017年9月、「地域力強化検討会 最終とりまとめ~地域共生社会の実現に向けた新しいステージへ~」が報告されている。その内容は総じていえば、耳ざわりのよい言葉と裏腹に、地域・住民の「自立(自活)と連帯(絆)」「自助(個人)と互助(近隣)」の強制と財政の抑制(「我が事」)、社会福祉の市場化・商品化と社会保障・社会福祉の公的責任(行政責任)の地域への丸投げ(「丸ごと」)、などの理念が通底している。そしてそれは、少子高齢・人口減少社会が進展し地域社会(コミュニティ)の衰退や崩壊が進むなかで、分断と孤立、格差と不平等、そして差別と排除などの助長・再生産を促すものである。ここで、1979年8月の「新経済社会7カ年計画」(閣議決定)で打ち出された、「個人の自助努力と家庭や近隣・地域社会等の連帯」を基礎とする「日本型福祉社会」論が思い出される。
〇ところで、筆者(阪野)の手もとにいま、宮城孝(みやしろ・たかし。地域福祉専攻)の最新の著作『住民力―超高齢社会を生き抜く地域のチカラ―』(明石書店、2022年1月。以下[5])がある。[5]で宮城は、各地の住民福祉活動に共通しているのは、「住民リーダーたちの地域に対する強い愛着と将来への危機感」であり、「住民相互の協力関係の強さ」である(3ページ)。日本が直面している超高齢化や頻発する自然災害などの危機に立ち向かうためには、「住民力」が必要不可欠となる、という。その際の「住民力」とは、「地域の暮らしを守るためのチカラ」である(4ページ)。そこで、宮城は、地域づくりにおける住民参加や「住民力」のあり方について、自らが地域福祉実践・研究のフィールドとして関わってきた島根県松江市淞北台地区をはじめ、東京都中野区や立川市、神奈川県横須賀市における地域・住民の取り組み、さらには東日本大震災で被害を受けた陸前高田市での支援活動などを紹介しながら論述する。
〇そのうえで宮城は、[5]のまとめとして、「住民力」を高めるための「7つのポイント」を提示する(141~161ページ)。その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

「住民力」を高めるための7つのポイント
(1)地域の現状を知り、未来を予測する
地域住民、特に地域のリーダー層が、自分たちの地域の現状と今後の課題、将来の予測について、基本的・客観的なデータなどから知り、考えることが重要である。そのためにも、行政は、地域のデータを積極的に地域に示すべきである。住民が不安に思うのではないかのような点について余計な配慮は必要ない。住民自身が、地域のことを正確に知ることから、地域の課題を考えることが始まる。
(2)課題を共有化し、住民にできることを探る
行政は、前例の踏襲や公平性といったことから、新しい事業や施策が実現するには、手続きや時間がかかるなど壁が厚い。そこで、最初から行政にすべてを期待するのではなく、住民が自分たちでできることを追求する。そして、実績を示して行政や専門機関を最大限に活用すべきである。すなわち、住民ができることを探り、住民がいろいろな意味で力をつけて、行政が取り組まざるを得ないようにすることが大事なのである。
(3)住民力を高めるリーダーシップ
リーダーのあり様は、住民による福祉活動が地域に広がり発展していく決定的に重要なポイントとなる。リーダーには、地域への愛情(愛着)と熱意、地域課題に対する客観的理解(受容力)と危機感やチャレンジ精神、課題解決のための責任感と仲間との信頼関係の構築、などが求められる。住民主体による福祉活動が活発に展開されるためには、住民リーダーの的確なリーダーシップとともに、地域を支援する関係者には、そのリーダーの信頼を得る関係づくりと適切な刺激や情報を提供する力が求められる。
(4)チームの結束力とお互いの協力関係をつくる
住民による福祉活動を継続的に推進していくためには、リーダーとリーダーをサポートする周辺のスタッフによる「コア・チーム」の結束と協力関係を構築することが鍵となる。このコア・チームが、それぞれの地域の情報を持ち寄って情報交換し、課題に対応るアイデアを出し合い、協議していく必要がある。地域の課題に取り組むには、中・長期的な取り組みが必要となる。そのためにも、強力なリーダー一人に依存するのではなく、コア・チームづくりが非常に重要となる。
(5)行政や関係機関・団体を最大限に活用する
これからの時代は、行政や専門機関が地域に出向き、地域の課題をしっかりと理解し、その課題に対応していくことがますます求められる。その際、行政と地域住民との橋渡しをするのが、社会福祉協議会や地域包括支援センターである。人口減少・超高齢社会において、地域の課題がさまざまに顕在化する時代では、住民組織が自らその役割を果たしつつ、住民のみでは対応できない課題に対して、行政や関係機関・団体の力を最大限に活用する力を持つことが重要となる。
(6)理解者・協力者の参加を広げるしかけ
これからの住民福祉活動の大きな課題は、いかに一般住民を巻き込むかという点にある。福祉活動に参加する住民や団体が持続性を高め活性化していくためには、新たな人材の参加が不可欠となる。その際に重要なのは、活動に「楽しさ」(友達や仲間をつくる、知識や情報、技術を身につけるなど)の要素を取り入れるとともに、「その人を活かす」(趣味や特技などを活かす)ことである。
(7)新たな課題に粘り強く挑戦し続けるチカラ
住民によるこれまでの取り組みでは地域の課題に十分対応できなかったり、取り組みが中断してしまうことも生じる。地域は簡単に変わらないが、5年、10年で地域は大きく変わる。地域がそれなりの成果を出すまでには、必ずそこに至るまでのプロセスと多くの努力の積み重ねがある。超高齢社会にあって、地域では今後さまざまなことが起こり得るが、それらの変化を見つめつつ、新たな課題に果敢に、また粘り強く挑戦し続けることが必要かつ重要となる。

〇「〇〇力」という言葉・概念は多様である。例えば、「生きる力「社会力」「人間力」「福祉力」などがそれである。
〇「生きる力」は、(1)確かな学力:知識・技能に加え、自分で課題を見つけ、自ら学び、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力、(2)豊かな人間性:自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、(3)健康・体力:たくましく生きるための健康や体力、などからなる(第15期中央教育審議会第1次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について―子供に[生きる力]と[ゆとり]を―」1996年7月)。その答申を受けて、小・中・高等学校に「総合的な学習の時間」が新設された(小・中学校は2002年度、高等学校は2003年度から実施)。
〇「社会力」とは、「社会を作り、作った社会を運営しつつ、その社会を絶えず作り変えていくために必要な資質や能力」のことをいう。その基盤になる能力は、①「他者を認識する能力」と②「他者への共感能力ないし感情移入能力」の2つである(門脇厚司『子どもの社会力』〈岩波新書〉岩波書店、1999年12月、61、65ページ)。
〇「人間力」とは、「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」をいう。それは、①基礎学力、専門的な知識・ノウハウ、論理的思考力、創造力などの「知的能力的要素」、②コミュニケーションスキル、リーダーシップ、公共心、規範意識などの「社会・対人関係的要素」、③意欲、忍耐力、自分らしい生き方や成功を追求する力などの「自己制御的要素」からなる(内閣府・人間力戦略研究会「人間力戦略研究会報告書 若者に夢と目標を抱かせ、意欲を高める~信頼と連帯の社会システム~」2003年4月)。
〇「福祉力」は、地域福祉の推進を図るための地域の自発的な支援活動を総称する。地域福祉の推進(力)は、「地域の福祉力」と「福祉の地域力」との合力(ごうりょく)によって形成される。「地域の福祉力」は、「地域社会のなかに存在する、地域住民による自発的で開拓的な福祉活動や支援のエネルギー」(10ページ)をいう。それは、地域福祉の主体・当事者としての住民が「異質な他者との出会い、コミュニケーション、体験、学び、理解といった一連の過程を通じ、地域の多様性や異質性を受け入れ、活動を作り山し、地域のありようを構想していく力」(14ページ)をいう。ここでは、「出会いの場」(共有する力)、「協働の場」(作り出す力)、「協議の場」(構想する力)が重視される。「福祉の地域力」は、「『地域に潜在する福祉力』を奪わず活かすために、専門職・行政職がその福祉力を評価する意識や価値をもち、より積極的に『地域の福祉力』を形成さらには発展させるために用いる支援の方法」(21ページ)を意味する(全国社会福祉協議会・地域の福祉力の向上に関する調査委員会『地域福祉をすすめる力~育てよう、活かそう「地域の福祉力」~』2007年2月)。
〇「〇〇力」の「力」は「資質・能力」を意味する。地域・住民の「資質・能力」は本質的に、その有無や程度(高低、上下)は異なり、その特性も多様・異質であることを前提にする。その多様性や異質性は、そのものには問題はない。地域・住民が多様で異質なものであるという点においては対等である。問題は、多様・異質なものと関わることができる「資質・能力」があるかどうか、多様性や異質性を知り、理解し、受け入れ、共有することができるかどうかにある(岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考―』藤原書店、2015年3月、350ページ)。
〇こうした「資質・能力」に対する国や行政による「上から」「外から」の、しかも手あかのついたステレオタイプな働きかけは、画一化・没個性化とそのもとでの選別化・序列化を促し、息苦しい地域・住民を生むことになる。それは、管理・統制とその強化を意味する。超高齢化や頻発する自然災害に立ち向かうためにいま求められるのは、国主導の「地域再生」「地域の活性化」や「地方創生」ではない。住民主体・住民主導の、自律的で内発的な、地域に根ざしたその地域ならではの豊かさの実現と価値の共創である。そこには、緩(ゆる)やかな「コミュニズム(共同体主義)」が見出される。この言説は必ずしも目新しいものではないが改めて、本稿で紹介した宮城孝による「まちづくり」「住民力」に “温もり” と “確かさ” を感じるのは、筆者だけではあるまい。国や行政による無味乾燥な言葉(「地域力」「人間力」等)や羊頭狗肉(ようとうくにく)の政策・制度だけはご免(めん)こうむりたい。

備考
表1 (「地域力」要素分解図 )の拡大版を表示しておくことにする。

謝辞
宮西悠司の論稿「地域力を高めることがまちづくり―住民のチカラと市街地整備―」を拝受するにあたっては、日本都市計画学会事務局から格別のご高配を賜った。記して感謝申し上げます。

【初出】
<雑感>(150)阪野 貢/「地域力」「住民力」再考のために―宮城孝著『住民力』のワンポイントメモ―/2022年3月18日/本文

 


22 まちづくり/ひとつの視点と視座


<文献>
(1)大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月、以下[1]。
(2)伊藤穣一・ジェフ・ハウ、山形浩生訳『9プリンシプルズ―加速する未来で勝ち残るために―』早川書房、2017年7月、以下[2]。

〇筆者(阪野)は、福祉教育の視点から「地域福祉」や「まちづくり」について講ずる場合、大橋謙策の『地域福祉論』(放送大学教育振興会、1995年)を主要文献のひとつとして紹介し、また使用してきた。それは、岡本栄一の次の言説(理論分析・評価)に依拠したものでもある。
〇岡本は、地域福祉に関する諸理論を説明するに当たって、次の4つの「志向軸」を設定している。(1)コミュニティ重視志向軸、(2)政策制度志向軸、(3)在宅福祉志向軸、(4)住民の主体形成と参加志向軸、がそれである。そして、大橋先生の理論は、(4)の志向軸(「住民の主体形成と参加志向の地域福祉論」)に該当する、としている。なお、岡本にあっては、「志向軸」とは「地域福祉理論構成の軸足であり、柱である。各地域福祉論からすると、そこに独自性が現れているともいえるもので、いわばそれらにとっての特徴であり、強調点を意味している」(『地域福祉論』中央法規出版、2007年1月、10~20ページ)。
〇ところで、大橋謙策は、上述の著書において、地域福祉を次のように定義(「整理」)している。「地域福祉とは、自立生活が困難な個人や家族が、地域において自立生活できるようネットワークをつくり、必要なサービスを総合的に提供することであり、そのために必要な物理的、精神的環境醸成を図るため、社会資源の活用、社会福祉制度の確立、福祉教育の展開を総合的に行う活動」(28ページ)である。そして、「地域福祉展開の考え方」として、次の10点を指摘し、説明している(31~34ページ)。(1)全体性の尊重、(2)地域性の尊重、(3)身近性の尊重、(4)社会性の尊重、(5)主体性の尊重 、(6)文化性の尊重、(7)協働性の尊重、(8)交流性の尊重、(9)快適性の尊重、(10)迅速性の尊重。
また、大橋は、別のところで、地域福祉についてさらに詳しく次のように述べている。「地域福祉とは、属性分野にかかわらず、自立困難な、福祉サービスを必要としている個人および家族が、地域において自立生活が可能になるように在宅福祉サービスと保健・医療・その他関連サービスとを有機的に結びつけるとともに、近隣住民等によるソーシャルサポートネットワークを組織化し、活用し、必要なサービスをその個人および家族の主体的生活、主体的意欲を尊重しつつ、“求めと必要と合意”に基づき総合的に提供し支援する活動であり、その営みに必要な住宅・都市構造等の物理的環境の整備、ともに生きる精神的環境醸成とを有機化し、総合的に展開することといえる」(『地域福祉の理論と方法』中央法規出版、2009年3月、36ページ)。
〇以下に、大橋の地域福祉の概念規定と「地域福祉展開の考え方」(10点)をベースに、筆者なりに援用、加筆したものを「地域福祉(まちづくり)推進の基本的視点」として提示しておくことにする。なお、15の各項目については、内容的には相互関連性があり、重複するところがあることを予め断っておきたい。

地域福祉推進の基本的視点
(1)総合性
住民の地域生活を包括的・全体的にとらえ、求められる、また必要とされる事業・活動やサービスの展開や提供を総合的に行うことが必要である。
(2)地域性
住んでいる地域の歴史や伝統、特性に基づいた、また住民の生活実態や生活意識などに見合った事業・活動が展開され、サービスが提供できるようにすることが必要である。
(3)圏域性
地域福祉を推進するためには、住民の地域福祉生活圏域(エリア)を重層的に設定し、事業・活動の展開やサービスの提供の総合性と整合性が確保される必要がある。
(4)協働性
地域福祉の推進を図るためには、行政責任を明確にした制度的なサービスと住民のボランティア・市民活動との、一定の緊張関係が存続する有機的な連携・協働(共働)が必要となる。
(5)内発性
地域福祉は、行政主導による他律的・支配的発展ではなく、地域社会と住民による主体的で自律的な内発的発展の推進を図ることが必要である。
(6)主体性
地域福祉は、住民個々人の地域自立生活支援を目的にしているが、それを達成するためには、個々人の主体的・自律的な力量を高めることが必要である。
(7)身近性
身近な地区(小地域)において必要なサービスが気軽に利用できるとともに、身近な地域福祉活動やボランティア活動がそれぞれの地元で展開できるようにすることが必要である。
(8)リーダー性
豊かな人間性や優れた感性、リーダーシップや協調性、未来への先見性や果敢な行動力などをもった住民リーダーや組織リーダーを確保、養成する必要がある。
(9)迅速性
緊急事態に迅速に対応した、事業・活動の展開やサービスの提供・利用ができるようなシステムや行政組織を構築する必要がある。
(10)社会性
高齢者や障がい者も積極的に社会活動に参加し、社会的な交流と生きる希望や夢をもち、社会に貢献できる機会と場を作ることが必要である。
(11)交流性
老いも若きも、男も女も、障がい者もそうでない人も、多様な場・機会の創出やネットワークの構築などを通して日常的に交流し、活動することが必要である。
(12)快適性
高齢者や障がい者など全ての人が安全・安心で、快適に、いきいきと暮らせる“まち”や生活環境が整備される必要がある。
(13)文化性
生命の尊厳、生活の質、人生の豊かさ、という視点から、健康で文化的に、よりよく豊かに生きる(実存)ためのサービスの提供が考えられる必要がある。
(14)教育性
住民の、福祉の(による)まちづくりへの理解と関心を促し、そのための実践や運動に主体的・能動的・自律的に参加(参集、参与、参画)するための資質や能力の育成を図るための教育・啓発事業・活動が必要である。
(15)普遍性
地域福祉の推進をより確かなものにするためには、そのあり方や方向性などについて全国・世界規模で考えながら、自分の地域(地元)で活動・展開するという視点(グローカル)が必要となる。

〇過日、宇野重規の『未来をはじめる―「人と一緒にいること」の政治学―』(東京大学出版会、2018年9月)を読んだ(本ブログ<雑感>(71)2019年1月12日投稿)。そこでは、伊藤穣一、ジェフ・ハウ著/山形浩生訳『9プリンシプルズ―加速する未来で勝ち残るために―』(早川書房、2017年7月。以下[2])が紹介されている。宇野によると[2]では、常識自体が激しく変化している現代という時代を生き抜くための処方箋――「9つの原理」(9プリンシブルズ)が示されている。「しなやかさと引く知恵とコンパスを持って」(168ページ)生きる、というのがそのひとつである。
〇遅ればせながら筆者は、早速[2]を入手し読むことにした。その原著は、Whiplash: How to Survive Our Faster Future(Grand Central Publishing,2016)である。原題の“Whiplash”は「むち打ち症」である。
〇「むち打ち症」になりかねないほどの高速で激変する未来(あす)を生き抜くには、どうすべきか。[1]では、その原理(指針)について、イノベーション(変革)をめぐる多くのトピックやエピソードを解説しながら提示する。その論考は、圧倒的な知性を自在に操(あやつ)るものであり、深く広い。難解なところもあるが、刺激的で興味深く、おもしろい。
〇[2]においては、現代社会の特徴は「非対称性」(asymmetry)、「複合性」(complexity)、「不確実性」(uncertainty)にある。「非対称性」(不均等・偏り)は、かつては大きな力に対抗するためには、同等の組織や強さを要した。今日では、小さなものが大きなものに脅威を与えている。「複合性」は、異質性、ネットワーク、相互依存性、適応性の4つの要素から成り立っている。「不確実性」は、これまで人類の成功は正確に予測する能力と直結していた。しかしいまの時代は、未来(あす)を見通すことができなくなっており、無知を認めることのほうが戦略的に優位性を持っている(30~35ページ)、等々を含意する。
〇こうした大きな社会変革が進むなかで、今後の時代や社会において重要になるのが次の「9つの原理」である。「(1)権威より創発」「(2)プッシュよりプル」「(3)地図よりコンパス」「(4)安全よりリスク」「(5)従うより不服従」「(6)理論より実践」「(7)能力より多様性」「(8)強さより回復力」「(9)モノよりシステム」。すなわちこれである。以下に、その要点を抜き書きすることにする。なお、各項目の次に記したキャッチーなフレーズは、訳者・山形によるものである。

(1)権威より創発(emergence over authority)/自然発生的な動きを大事にしよう
伝統的なシステムだと、製造業から政府まで、ほとんどの意志決定はトップが行っていた。従業員は製品やプログラムを提案するよう奨励はされても、専門家と相談してどの提案を実施するか決めるのは、管理職や権威を持つ他の人々だった。このプロセスは通常はゆっくりしており、何層もの官僚主義に包まれ、保守的な手順主義に妨害を受ける。
創発的なシステムは、そのシステム内のあらゆる個人がグループに役立つ独自の知性を持っていると想定する。その情報は、人々がどんなアイデアやプロジェクトを指示するか選択するとき、あるいはそうした情報を得てイノベーションに使うときに共有される。(55~56ページ)

(2)プッシュよりプル(pull over push)/自主性と柔軟性に任(まか)せてみよう
人的資源の最高の使い道は、必要なものだけを、必要とされるときだけに使って、人々をプロジェクトに引き込む(プルする)ことだ。タイミングが鍵となる。創発は問題解決に多くの人々を使うという話ではあるけれど、プルは、この発想をもう一歩先に進め、必要なものを、それがまさに最も必要とされているときにだけ使う。(75ページ)
「プル」は資源を参加者のネットワークから必要に応じて引き出し、材質や情報を抱え込んだりはしない。既存企業の管理職にとって、これは費用削減をもたらし、急変する状況に対応する柔軟性を高め、最も重要な点として自分の仕事のやり方を考え直すのに必要な創造性を刺激することになる。(80ページ)

(3)地図よりコンパス(compasses over maps)/先のことはわからないから、おおざっぱな方向性で動こう
地図は、その土地についての詳細な知識と、最適経路の存在を含意している。コンパスは、はるかに柔軟性の高いツールだし、利用者が創造性と自主性を発見して自分の道を見つけなければならない。地図を捨ててコンパスを取るという決断は、ますます急速に動くますます予測不能な世界では、詳細な地図は無用に高いコストをかけて、人を森に深く引き込んでしまいかねない、という点を認識している。でもよいコンパスは、常に行くべきところに導いてくれる。(106ページ)
地図よりコンパスを重視すれば、別の道を探究したり、回り道を有効に使ったり、予想外の宝物を見つけたりできるようになる。(106ページ)

(4)安全よりリスク(risk over safety)/ルールは変わるものだから、過度にしばられないようにしよう
現代の低コストイノベーションの可能性をすべて活用するにはこれ(安全よりリスク重視)が不可欠だ。(中略)これはますます、製造業、投資、アート、研究のイノベーションでも重要なツールになりつつある。(140ページ)
安全よりリスクに注目する潜在的な便益は、金銭的な利得をはるかに超える。(中略)これ(安全よりリスク重視)は投資と製品開発の古い階層モデルでは閉め出されていた人々にとって、各種の新しい機会を提供する。(142ページ)
これ(安全よりリスク重視)はあらゆるリスクの高い提案を盲目的に支持しまくる必要はないけれど、イノベーターたちや投資家たちに、いま何かをやる費用と、何かを先送りにしようか考える費用とをてんびんにかけるよう促すものだ。(143ページ)

(5)従うより不服従(disobedience over compliance)/むしろ敢(あ)えてルールから外れてみることも重要
不服従、特に問題解決のような極度に重要な領域での不服従は、しばしばルール準拠より大きな見返りをもたらす。イノベーションには創造性が必要で、創造性は――善意の(そしてあまり善意でない)管理職たちの大いなるフラストレーションの源(みなもと)ではあるけど――しばしば制約からの自由を必要とする。(中略)偉大な科学的進歩に関するルールは、進歩のためにはルールを破らねばならないということだ。言われた通りにしているだけでノーベル賞を受賞できた人はいないし、だれかの設計図にしたがっていただけでノーベル賞をもらえた人もいない。(167ページ)

(6)理論より実践(practice over theory)/あれこれ考えるより、まずやってみよう
理論より実践ということは、加速する未来では変化が新しい常態となるので、実際にやって即興するのに比べ、待って計画するほうが高い費用がかかるということを認識するということだ。古き遅き日々なら、計画は――ほとんどどんな活動でもそうだけれど、特に資本投資を必要とするもの――金銭的なトラブルと社会的な後ろ指を指されかねない失敗を避けるのに、不可欠なステップだった。でもネットワーク時代では、主導的な企業は失敗を受け入れ、奨励さえしている。いまや(中略)各種のものの立ち上げは、価格面でも大きく下がり、ビジネスは「失敗」を安上がりな学習機会として受け入れるのがごく普通になっている。(194ページ)

(7)能力より多様性(diversity over ability)/ピンポイントで総力戦やっても外れるから、取り組みもメンバーも多様性を持たせよう
人はつい、ある分野で最も賢く最もよい訓練を受けた人々――専門家――がその得意分野の問題解決に一番向いていると思いがちだ。(224ページ)
さまざまな局面で、多様性のある集団のほうが生産的だと実証する研究は増える一方で、このため多様性は学校や企業やその他の組織にとって戦略的に重要となりつつある。多様性は政治的にもいいし、宣伝にもいいし、その人の人種やジェンダーの平等への取り組み次第では善行にもなる。でも各種の課題のほうでも最大限の複雑性を持ちかねない時代にあっては、多様性は単によいマネジメントだ。これは多様性が能力を犠牲にすると思われていた時代からは驚くほどの変化だ。(225ページ)

(8)強さより回復力(resilience over strength)/ガチガチに防御をかためるより回復力を重視しよう
強さより回復力を示す古典的な例は、葦(あし)と樫(かし)の木の物語だ。台風が吹き荒れたとき、鋼鉄のように強い樫の木は砕けるが、柔軟で回復力のある葦は低くたわみ、嵐が通り過ぎるとまた跳ね起きる。失敗に抵抗しようとして、樫の木はかえってそれを確実にしてしまったわけだ。(243ページ)
長期では、強さより回復力を重視することで、組織がもっと活気ある、堅牢(けんろう。頑丈)で、ダイナミックなシステムを発達させる一助となるだろう。これはとんでもない破綻に対してずっと耐性が高い。はるか遠い偶発事に備えて資源を取っておいたりしないし、不要な手続きだの手順だのに過剰な手間暇を支出したりもしないので、予想外の嵐をも乗り切れるようにする、組織的な健康のベースラインを構築できる。(246ページ)

(9)モノよりシステム(systems over objects)/単純な製品よりはもっと広い社会的な影響を考えよう
ごく最近まで、科学は脳研究に対し、腎臓研究と同じやり方で取り組んできた。言い換えると、研究者たちは脳という器官を研究対象のモノとして扱い、その解剖学、細胞構成、体内の機能などに専門特化して生涯のキャリアとした。でもエド・ボイデン(神経科学者)
はこの学術的な伝統には属していない。(中略)かれのグループは、脳を名詞よりは動詞として扱うほうが多く、独立した器官よりはむしろ重なりあうシステムの焦点として扱い、そうしたシステムを理解するには、その機能を定義づける変化し続ける刺激群の文脈を考えねばならないとしている。(268~269ページ)
各分野のあいだやその向こうの空間は、学術的にはリスクが高くても、競争は少ないことが多いし、有望で風変わりなアプローチを試すにも必要な資源は少なくてすむ。そしていまはあまりうまくつながっていない既存分野間のつながりを開封することで、すさまじいインパクトをもたらせるかもしれない。(282ページ)

〇以上の原理(処方箋)はそれぞれ、「お互いと重なりあり、補いあうようにできている(順番は重要度とは関係ない)」。そして、「9つの原理」や[1]全体に通底する「原理」に、「教育より学習」(learning over education)がある([2]38ページ)。本稿のサブタイトルの「9+1」が意味するところである。なお、その「学習」は自分でやること、「教育」はだれかにしてもらうことをいう([2]38ページ)。
〇例によって唐突であるが、ここで、「まちづくりの10原則」について思い起こしたい(本ブログ<まちづくりと市民福祉教育>(11)2012年10月13日投稿)。「(1)公共の福祉の原則」「(2)地域性の原則」「(3)ボトムアップの原則」「(4)場所の文脈の原則」「(5)多主体による協働の原則」「(6)持続可能性、地域内循環の原則」「(7)相互編集の原則」「(8)個の啓発と創発性の原則」「(9)環境共生の原則」「(10)グローカルの原則」(日本建築学会編『まちづくりの方法』丸善、2004年3月、3~4ページ)がそれである。この「まちづくりの10原則」に「9つの原理」(「9+1」の原理)を掛け合わせて考えてみると、「まちづくりと市民福祉教育」の実践や研究の新たな視点・視座や問題あるいは課題を見出すことができようか(図1)。留意したい。それは、激しい世界の動きや時代の流れとそれが個別具体的に反映される地域・社会において、その動きや流れをおもしろいと感じ、その現状を変革する方向性を見出し、変革する力を育てることが強く求められる、と思うからである。誤解を恐れずにそれを別言すれば、“おもしろさの探究と創造”であろうか。

補遺(1)
日本建築学会 「まちづくりの10原則」
(1)公共の福祉の原則
居住環境や町並み景観、地域経済、教育・文化など、地域社会の 公共の福祉に関わる事項を維持向上させ、安全性、快適性、保健・衛生などの基礎的な生活の場の条件、文化的な生活のための条件を整え、公共の福祉を実現する。
(2)地域性の原則
それぞれの場に存在する多様な(社会的、物的、文化的、自然的、歴史的な)地域資源とその潜在力を生かし、固有の地域性に立脚して進められる。
(3)ボトムアップの原則
公権力の行使としての都市計画や巨大資本による都市開発とは異なり、地域社会の住民と市民の発想を元に、地域社会における下からの活動の積み上げにより、その資源を保全し、地域社会を持続的に改善し、発展向上させる。
(4)場所の文脈の原則
歴史・文化の集積としての「場所の文脈」に対する共通理解の元で、社会・空間をその延長としてデザインし維持運営する。ここで言う場所の文脈とは、歴史的に積み重ねられた行為がそれぞれの場所に集積され生活を支える基盤となっているもので、それぞれのまちの社会と空間を支える基本であるとの認識である。
(5)多主体による協働の原則
個人やそれぞれの組織が自立しつつ、補完し合い、連携・協働して、活動する。このことは、一つのまちづくり活動の内部においても、さまざまなまちづくりが連携する場面においても、共通である。
(6)持続可能性、地域内循環の原則
持続可能な社会と環境を目指して、一挙に特定の目的を達成するのではなく、時間をかけた漸進的な過程を経ながら地域社会を構成する多様な主体の参加を得て持続的に進められる。そして、資源や財産、そして人材が地域内に循環し、持続可能な地域社会を維持しながら運営される。
(7)相互編集の原則
目標とする将来像が事前確定的ではなく、個々のまちづくり活動の成果が相互作用の過程を経ながら整合的に組み立てられ、徐々に「まち」の全体を形づくる。このプロセスを相互編集、相互デザインと呼ぶ。地域の内から、そしてボトムアップで全体を編集するのであり、それを導くのが目標空間イメージの共有とその持続を支える仕組みと技術である。
(8)個の啓発と創発性の原則
住民一人一人、個々のまちづくり組織の個性と発想が生かされ、個の自立と創発性により、それぞれが高め合いながら地域が運営されまちづくりが進められる。
(9)環境共生の原則
自然、生態学的環境の仕組みに適合し、物的環境を維持発展させる。そして、個々のまちづくりの活動の集積が広域的な生活圏、例えば河川の流域圏などの都市と農山漁村の複合環境体を維持向上させ、さらにそれらの集積である地球環境システムの維持に貢献する。
(10)グローカルの原則
地域性に立脚しながらも、常に地球的な視野で構想し、さまざまなネットワークに自らを位置づけ、活動する。まちづくりも、地域という境界を越えボーダレスな情報や知恵の交換が進められ、まちづくりの境界を越えて相互編集される。21世紀のグローバル社会の中では、地域性の原則を維持し、しかし地域に閉じこもるのではなく、拓かれた活動としてのまちづくりが展開されている。グローバルで、かつローカルな視点と行動が求められているのである。
(日本建築学会編『まちづくりの方法(まちづくり教科書第①巻)』丸善、2004年3月、3~4ページ)

【初出】
<雑感>(7)阪野 貢/地域福祉推進の基本的視点―福祉教育実践の内容と方法を考えるために―/2013年6月22日/本文
<雑感>(72)阪野 貢/「むち打ち症」:激変時代を生き抜くための原理(9+1)―伊藤穣一、ジェフ・ハウ著『9プリンシプルズ』読後メモ/“おもしろさの探究と創造”―/2019年1月19日/本文

 


23     社会運動/みんなで「わがまま」


<文献>
(1)富永京子『みんなの「わがまま」入門』左右社、2019年4月、以下1]。
(2)大畑裕嗣・成元哲・道場親信・樋口直人編『社会運動の社会学』有斐閣、2004年4月、以下[2]。
(3)小熊英二『社会を変えるには』講談社、2012年8月、以下[3]。
(4)中條共子『生活支援の社会運動―「助け合い活動」と福祉政策―』青弓社、2019年8月、以下[4]。
(5)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月、以下[5]。

〇表1は、日本、韓国、ドイツの3か国における「社会運動」の各形態に対する許容度についてみたものである。「署名」や「請願・陳情」といった穏健で制度的な形態と、「デモ」や「座り込み」といった示威(じい。威力を示すこと)的なそれを取り上げている。日本では「署名」は83.8%、「請願・陳情」は65.6%、「デモ」は45.3%、「座り込み」は21.5%の人が肯定的に考えている。それに対して、ドイツでは、「デモ」(74.2%)、「請願・陳情」(77.9%)、「署名」(85.0%)ともに7~8割の人が支持している(山本英弘「社会運動を許容する政治文化の可能性―ブール代数分析を用いた国際比較による検討―」『山形大学紀要(社会科学)』第47巻第2号、山形大学、2017年2月、6ページ。山本の調査研究については、下記の[1]68~74ページに紹介されている)。

〇表2は、日本、韓国、ドイツの3か国における「社会運動」に対する態度についてみたものである。「代表性」、「有効性」、「秩序不安」を取り上げている。運動の「代表性」についての肯定的な回答(「そう思う」「まあそう思う」)はドイツで83.1%、日本は36.4%、「有効性」はドイツで79.3%、日本は51.8%、「秩序不安」についての否定的な回答(「そう思わない」「あまりそう思わない」)はドイツで64.1%、日本は38.3%である(山本、同上、6~7ページ)。

〇要するに、「社会運動」についてドイツでは許容度も評価も高いが、日本はともに低い、と考えられる。
〇筆者(阪野)の手もとに、「社会運動」の入門書が3冊ある(しかない)。(1)富永京子著『みんなの「わがまま」入門』(左右社、2019年4月。以下[1])、(2)大畑裕嗣・成元哲・道場親信・樋口直人編『社会運動の社会学』(有斐閣、2004年4月。以下[2])、(3)小熊英二著『社会を変えるには』(講談社、2012年8月。以下[3])がそれである。
〇[1]は、中高生を対象にした社会運動のガイドブックである。そこでは、「わがまま」(社会運動)を、「自分あるいは他人がよりよく生きるために、その場の制度やそこにいる人の認識を変えていく行動」(13ページ)として定義する。「わがまま」は、「権利や不満を主張すること」(66~67ページ)である、と言う。
〇[2]は、大学生を対象にした「日本初。社会運動論の体系的テキスト」(「帯」)である。そこでは、社会運動を、「①複数の人びとが集合的に、②社会のある側面を変革するために、③組織的に取り組み、その結果④敵手・競合者と多様な社会的な相互作用を展開する非制度的な手段をも用いる行為である」(4ページ)と定義づける。社会運動は、「社会を映し出す鏡」であり、「社会をつくる原動力」(2ページ)でもある、と言う。
〇[3]は、「社会を変える」ための基礎的なテキストブックである。そこでは、「社会を変える」ということについて「歴史的、社会構造的、あるいは思想的」(5ページ)に考える。小熊は言う(以下、語尾変換)。「運動のおもしろさは、自分たちで『作っていく』ことにある。楽しいこと、盛りあがることも、けっこう重要である」(497ページ)。「盛りあがりがあれば、『自己』を超えた『われわれ』が作れる。それができあがってくる感覚は楽しいものである」。「そういう盛りあがりがあると、社会を代表する効果が生まれ、人数の多さとは違う次元の説得力が生まれる」。「参加者みんなが生き生きとしていて、思わず参加したくなる『まつりごと』が、民主主義の原点である」(498ページ)。「社会を変えるには、あなたが変わること。あなたが変わるには、あなたが動くこと(である)」(502ページ)。「(運動に)『参加して何が変わるのか』といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれる」(517ページ)。
〇筆者はかつて、本ブログで、「福祉のまちづくり運動と市民福祉教育」(<まちづくりと市民福祉教育>(3)/2012年7月4日投稿)について管見を述べた。以下はその要点の一節である。

市民運動は、人々に共通する焦眉の生活問題から生ずる。それは、建設的な批判と豊かな創造という視点・視座のもとに、具体的な運動(活動)展開を通して歴史的・社会的問題としての生活問題を解決することを第一義とする。そして、その問題解決の道筋を探り、問題解決をより確かなものにし、その成果(行動と結果)を実効あるものにするためには、市民運動は次のような属性をいかに保持するかが問われることになる。すなわち、運動そのものがもつミッション性や思想性、公共性や政治性、批判性や革新性をはじめ、運動を通して醸成される集合的アイデンティティ(われわれ意識)、その基で社会変革の実現をめざす取り組みの組織性、他の地域や運動との交流・連帯を視野に入れた開放性や普遍性、それに運動を展開するうえでの計画性や継続性、などがそれである。これらは、運動主体の育成を図る市民福祉教育の内容や方法などを規定することになる。

〇筆者は、福祉によるまちづくりのための「市民運動と市民福祉教育」について、その理解や思考を深めたいと願っている。本稿では、[1]において留意したい「社会運動」(「わがまま」)についての論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「ふつう」幻想が「わがまま」をネガティブにする
1970年代、「一億総中流」の「意識」が形成された時代には、ある程度固定化・共有化された、一般的・中流的な「ふつう」の生き方が存在していた。(41ページ。図1)
社会のグローバル化が進み、多様化・個人化したいまの時代にあっては、たとえば「高齢者」「障がい者」「女性」あるいは「貧困」などといった「共通の要素(属性)でくくる(ひとくくりにする)」ことや、それらの要素に「共通する利害」を共有(想定)することが難しくなっている。そのような現代社会において、同じ属性を持つ人々のなかでもその生き方や価値観は個人的で多様である。それゆえに、高齢者・障がい者・女性イコール「かわいそう」、と言えなく(見えなく)なっている。(48、50ページ)
しかし、人々は「ふつう」の幻想をいまも持ち続けており、「みんなふつう」という同質性や均質性を認め合っている。そんななかで人々は、自分の意見を主張することを「自己中」「自己満」「自分勝手」あるいは「他害行為」と感じたり、「わがまま」を言えずに我満(沈黙)することを選んでいる。(52、53ページ。図2)

「社会運動」をガチガチにではなく柔軟に考える
「わがまま」は、恵まれない立場や弱い立場を是正したり、救ったりするだけではなく、社会運動をすることで、古い価値観をこわし、新しい価値観をつくることを目的としているが(87ページ)‥‥‥
● 公の場で「わがまま」を言うことは、対立を生んだり嫌悪感を覚える人もいるが、それは、「やらなきゃいけない」とは言わないまでも、「やっていい」ことである。(81ページ)
● 「わがまま」は「社会の変化」や「根本的な改善」を促すための社会運動のきっかけ(端緒)づくりである。(94ページ)
● 社会運動の仕事は、あくまで「わがまま」を公の場に出して、隠れた願望や要求を形にして多くの人に伝えることであり(95ページ)、新聞や雑誌の「投稿欄」を使ったり、ホームページをつくるのも立派な「わがまま」である。(196ページ)
● 長期的に見ると社会は変わっており、社会運動の効果や意味を長い目で見ることが有効(重要)である。(104ページ)
● 「わがまま」は何かが大きく変わらなくても、行動する人やその周りの人にとって何か変化があれば、それはその人にとって社会運動をする意味になる。(103ページ)
● 過激な主張や表現をする人のなかにいると、過激な言葉や振る舞いが当然視・常識化され、次第に主張や表現の幅が狭くなってしまう。(134ページ)
● ただひとりの「わがまま」、ただひとつの社会運動だけで、そんなにやすやすと社会は変わらない。(215ページ)
● 「わがまま」を言い続けることは大変なことであるが、うまくいくまでやる必要はないし、それを自分がやる必要もない。(215ページ)
● 基本的に、自分がやらなくても、社会にとって大事なことなのだから誰かがやってくれるという思いを持ち続けることは、自分の心を守るうえでも役に立つ。(217ページ)
● 自分のための「わがまま」を通じて当事者感覚を広げていくとともに、それを他人のため(「よその世界」)の「わがまま」すなわち「おせっかい」(支援、応援)へと変えていくことも大事である。(239ページ-)

〇筆者の机の上にはいま、新刊本か2冊ある。(4)中條共子著『生活支援の社会運動―「助け合い活動」と福祉政策―』(青弓社、2019年8月。以下[4])、(5)村木厚子・今中博之著『かっこいい福祉』(左右社、2019年8月。以下[5]。)がそれである。
〇[4]は、「地域住民で『たたかう』ために生まれた『助け合い活動』の1970年代から現在までを追い、地域のグルーブ、有償ボランティア,NPOと移り変わった担い手の変容、苦悩や課題を描き出す。(そして)自助(自己責任)の強化に抗(あらが)い、政策とは別の互助の可能性を展望する」(「カバー」)。その際、社会運動を、「社会的状況の変革を企図する集合的な取り組みであり、制度的な政治空間の内外で多様な手段によって展開される活動」(18ページ)として捉える。とともに、「助け合い活動の変革的性格に焦点を当てた『運動論』のアプローチを継承しながら、その限界を克服しうる方途として、社会学の研究領域である『社会運動研究』の蓄積」(18ページ)に学ぶ。
〇[5]は、村木と今中の対談本である。村木は言う。「かっこいい福祉」とは「制度にない」を「制度にする」ことをめざすして、新しいサービスを生み出し、多くの人や分野が相互につながることをつねに試行錯誤し続けることである。その人やその取り組みは、「みんな面白い」(189~193ページ)。今中は言う(※)。「アトリエ インカーブ」(アートスタジオ)では、知的に障がいのあるアーティストとデザイナーであるスタッフが、「福祉の文化化と文化の福祉化」(一番ヶ瀬康子)を実践している。加えて、「市場性を意識した福祉文化」をつくっていく必要がある(20ページ)。「かっこいい」とは、わかりあえないと認めること。認めるために、理解できるまで話す、聞く。そうして紡(つむ)がれた幸せが「かっこいい福祉」である(197~198ページ)。

〇富永京子によると「わがままが『違い』をつなぐ」([1]「帯」)。すなわち、「わがまま」を言うことによって、生き方や価値観の違う人々が一緒になってみんなで社会をつくる。樋口直人によると「社会運動は未来の予言者」([2]27~29ページ)である。すなわち、社会運動は到来する社会を啓示し、さまざまな「予言」をしてきた(「予言者」としての役割を果たす)。小熊英二によると「運動とは、広い意味での、人間の表現行為」([3]516ページ)である。すなわち、仕事も、政治も、言論も、芸術も、人間の表現行為であり、社会をつくる行為である。付記しておきたい。

【初出】
<雑感>(93)阪野 貢/社会運動:「ふつう」を捨てて「わがまま」を言うこと―富永京子著『みんなの「わがまま」入門』読後メモ―/2019年9月1日/本文

 


24 生活者/対抗的自律型市民


<文献>
(1)天野正子『「生活者」とはだれか―自律的市民像の系譜―』中央公論社、1996年10月、以下[1]。

人々の主体性を伴った参加なくして「縮充する未来」はありえない。幸いなことに、参加の潮流はさまざまな分野で高まりつつある。(4ページ)/参加の主体となるのは生活者だ。生活者という言葉がいろいろな場面で使われるようになった時期は、参加することによって社会を変えていこうとする機運の高まりと符合している。(55ページ)

〇山崎亮は、近著の『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』(PHP研究所、2016年11月)において、「縮小」を「縮充」へと導く唯一の解が「参加」であると言う(本ブログの「ディスカッションルーム」(66)参照)。また、天野正子著『「生活者」とはだれか―自律的市民像の系譜―』(中央公論社、1996年10月。以下[1]と略す)を紹介し、「生活者」に関する所説に触れている(54、167、221ページ)。上記はその一節である。
〇天野(1938年3月~2015年5月、社会学者)の著書には、『現代「生活者」論―つながる力を育てる社会へ―』(有志舎、2012年11月。以下[2]と略す)もある。[1]と[2]を通して、天野は、「生活者」の概念の軌跡を辿り(注①)、理論の集大成を図るなかで、その歴史的・現代的な意味を問い直す。とともに、国家・市場経済・専門家などに支配・管理されない「生活者」の、自律的な暮らしや他者との「つながり」(共同性・公共性)のあり方を模索する。それは、「まちづくり」や「福祉教育」に通底する研究の視点・視座でもある。本稿で[1]と[2]を取り上げる理由のひとつは、ここにある。また、天野の論理的思考とその文学的表現は、訴求性やストーリー性も高く、筆者(阪野)を惹きつける。
〇以下で、天野の「現代生活者論」の論点や言説のいくつかを紹介(引用、抜き書き)することにする。

日本社会が高度経済成長期をひたすら走っている頃には、生活者という言葉を、今ほど広範に聞くことはなかった。「生活者」がひんぱんに用いられるようになるのは、1980年代末から90年代にかけての時代である。([1]7ページ)/その背景には、明らかに日本社会の仕組みが「生産者」優位に偏りすぎてきたことへの反省がある。また、生活にゆとりが感じられず、「豊かな社会」のなかに、都市問題や環境・安全・資源問題などのさまざまな課題が山積していることへの不安がある。/「生活者」とは、そうした反省や疑問、不安などが入り交じった混沌のなかから生み出された、人びとの願望や期待のこめられた、新しい人間類型のラベルとみるべきである。([1]11ページ)

「生活者」という言葉が使われるのは、人びとの行動の形態や属性(消費者や勤労者、国民など)をさすのでも、また、「主婦感覚」や「庶民感覚」の持ち主といった感覚レベルの特徴をさすためでもない。「生活者」とは、特定の行動原理にたつ人びと、あるいはたつことをめざす人びとの、一つの「理想型」として使われている。([1]11~12ページ)/「生活者」の行動原理の一つは、「労働者」や「消費者」に対置され、その両方を含む全体としての生活の場から発想し、問題解決をはかろうとすることである。生活者という言葉は、生活が本来もっている全体性と、その全体を自らの手のなかにおきたいと願う主体としての人びとをさす。/もう一つの行動原理は、「個」に根ざしながら、他の「個」との協同により、それまで自明視されてきた生き方とは別の「もう一つの」(オルターナティヴな)生き方を選択しようとすることである。生活者とは、自分の行動に責任をもちつつ、他者との間にネットワークをつくり、「あたりまえ」の生活に対抗的な新しい生き方を創出しようとする人びとをさす。そして、「生活者」にとって、それぞれの私的な利害を異にする人びとが対話を重ね、「私」を超えていく場としての地域・市民領域へのかかわりかたが重要になる。([1]13~14ページ)

生活者という概念は時代により、さまざまな意味をこめられ、一つの理想型として使われてきた。しかし、それらに通底しているのは、それぞれの時代の支配的な価値から自律的な、いいかえれば「対抗的」(オルターナティヴ)な「生活」を、隣り合って生きる他者との協同行為によって共に創ろうとする個人――を意味するものとしての「生活者」概念である。/私たちは、いまその生活者概念の原点に立ち戻って、大衆消費財化しつつある(意味内容のあいまいなままに安売りされ、消費されている)「生活者」をとらえなおし、みずみずしく力強い響きをとりもどすことの必要な、時代を迎えているのである。([1]236ページ)

「生活者」とは、なによりも、無名であるが、しかし、それぞれに「わたし」をたずさえた、その意味で固有の名をもって存在し、生きる現場ともいうべき家族や地域の暮しを基底に、暮し方、ひいては自分の生き方を意識化し見直すことに、社会の展望拠点を求めようとする人びとである。さらにいえば自らの無名性において、他者との共通の主題・関心のもとに相互につながり、小さな共同性・公共性への回路を模索していく過程への参画を果たそうとする人たちである。/生活者は、多くの場合、すでに存在する何者かを指す概念ではない。生きる拠点である「生活」が破壊され、あるいは危機に陥ったときに、あらためて意味を担って浮上してくる概念である。そう考えるなら、生活者とは、日本社会の大きな転換過程で向きあう不安感やリスク感、日常的な暮し方への反省や疑問、新しい生き方やライフスタイルへの願望や期待の入り交じった混沌のなかから生み出された、どこにでも存在するごく「普通の人びと」である。([2]ⅰ~ⅱページ)

ネットワーク型コミュニティは、家族という親密でミクロな関係でも、国家や行政、市場というマクロな関係でもない、その中間に形成される、しゃべる、笑う、まなざす、振舞うなど、自他が身体を介して出会う<生>の現場に、小さな共同性、公共圏を創出していく営みである。([2]ⅷ、206ページ)/歴史的経験から学ぶことなしに、他者とつながる力を蓄えるのはむずかしい。状況の「破壊」と時代の転換が急速にすすむ今、ネットワーク型コミュニティの歴史的経験とそこに蓄積された経験知に学び、それを基盤に、国家や市場から自由なもう一つの共同性、公共性への回路を模索することがこれまで以上に重要性を増している。([2]ⅸ~ⅹページ)

東日本大震災による、地震・津波・原発事故という複合的な災害は、人間生命の再生産に最大の価値をおくジョン・ラスキン(John Ruskin、1819年~1900年、イギリスの社会思想家:阪野)の言葉――「生命のほかに富というものは存在しない」(There is no wealth but life)(注②)と、それを踏まえて、「生きること」が相互に異なる「人びととの“間”にある」こと、「つながり」を生きることと同義語であることを実践してきた歴史のなかの生活者像を、あらためて思い起こさせるものであった。/専門家支配や中央管理システム、市場経済にふりまわされない、自律的な新しい暮しのスタイルと共生のしくみをどう創りあげていくのか。その可能性はなによりも、時代を生き抜く概念として「生活者」の内実を問い、実質的な生命を与え、鍛えあげるなかから生れてくる。([2]297~298ページ)

〇筆者はこれまで、「市民福祉教育」について語る際に、基本的な考え方として、「生命」「生活」「生涯」すなわちライフ(Life)は人間の成長・発達の過程であり、それはまた教育の過程でもある、と言ってきた。天野の[1][2]の言説によってその点を加筆すれば、「生活」(Life)とは、その時代の社会、経済、政治、文化などの諸条件のもとで、生命(生きる力)の再生産を行い、自分を生き抜くための、生涯にわたる主体的・自律的で共同的・公共的な営み(具体的な行動)の過程である。そして、その過程を通して、曖昧模糊としたものであることも少なくないが、生活者の思想性(考え方)や哲学性(生き方)が形成される。しかもそれは、時間の経過(歴史性)のなかで広狭や浅深のあいだを揺らぎ、ときには要求や必要、意欲や志向を変える、ということになろうか。
〇地域に生きる一人ひとりの住民は、その生活や人生のさまざまな場面や過程で、自己責任が伴う自己選択や自己決定を行い、他者の支援を受けながら自分の人生を切り開いていく。「他者(ひと)まかせにしない、できることは自分で、一人でできないことは他者(ひと)と支えあって」というのが、生活者本来の生き方である([2]ⅳページ)。約言すれば、「自立と連帯」「自律と共生」である。しかし、住民は必ずしも、生き方について論理的・体系的に考え、自覚的・能動的に行動する(できる)とは限らない。煩雑で混沌とした日々の生活のなかで、また社会のしがらみを抱えながら、自分の思いや考えを自分のなかに閉じ込めてしまう。「長い物には巻かれろ」「郷に入っては郷に従え」であり、「沈黙」と「従属」である。それは、自分が自分の「生活」の主体であることを放棄し、自分の「生活」をみんなと共に創ることを止めることを意味する。教育的営為(「生活者教育」)が求められるところである。
〇天野は[1]で、生活雑誌『暮らしの手帖』を創刊した花森安治(1911年~1978年)の次の言葉を紹介している。「戦争に巻き込まれたのは、自分を含む民衆一人ひとりが守りたい自分の暮らしを創ってこなかったから」である([1]36~37ページ)。
〇日本社会では、「縮小社会」「格差社会」「右傾社会」「監視社会」などが進展し、国際的には同盟関係の強化などが図られている。また、その「現場」である地域社会と「担い手」である地域住民は、生活の不安や混乱のなかにある。「地方創生」という名の地域破壊も進んでいる。そうした「いま」、花森のこの言葉(「自分の暮らしを創る」)に思いを致すことが強く求められる。それは、国家の権力や意志に抗する生活者像であり、生活に根ざした自律と変革の思想である。
〇天野によれば、生活者とは、「生産や消費、労働や余暇、福祉や環境など、『生活』を細切れではなく総体として把握し、社会の支配的な価値からの自律を求める人たち」([2]238ページ)である。これを要するに、生活者は、(1)生活の全体性を把握する主体であり、(2)自律的な新しい暮らしのスタイルと共生のしくみを創りあげていく主体である([1]13~14ページ、[2]297~298ページ)。そこで、生活者を理解するにあたっては、生活者の生活意識をはじめ、生活様式や生活構造、生活環境や生活問題、そして生活史などの、生活の実相を総合的・学際的に把握することが求められる。また、対抗的な生活をとなりに生きる他者と創りあげるためには、生活の「共同性と公共性」(つながり)の実現に向けた日常的実践や社会運動(「生活者運動」)と、その統合をめざす取り組みが重要となる。まちづくりや市民福祉教育に通底する言説のひとつである。留意しておきたい。


①天野によると、「近現代における生活者像の形成を辿るなかで明らかにされた、(1)だれが(どのような運動が)、(2)どのような時代状況のもとに、(3)社会的にどのような階層を担い手に、(4)生活者に対置するどのような人びとを想定して、(5)どのような行動基準に立つ人びとが生活者とされたのか、(6)外国生まれの類似概念として何があげられるかについて、要約すれば」([2]41ページ)次の表1のようにな
る。

表1「生活者」概念の系譜

②山崎は、「生活こそが財産である」と訳している(『前掲書』168ページ)。

付記
本稿のタイトルの文言――「対抗的自律型市民」については、天野の次の言説に留意したものでもある。
「生活者」とは、「あたりまえ」の生活に対する「対抗的な」「もう一つの」(オルタナティヴ、alternative)新しい生き方を創出しようとする人びとである。([1]13ページ)
「生活者」とは、参加の自発性という点で「市民」(citizen)と、「居住すること」から問題を組み立てていく点で「住民」とを統合する視点をもつ概念である。([2]240ページ)

【初出】
<ディスカッションルーム>(67)阪野 貢/生活者とまちづくり:対抗的自律型市民の育成と共働的参加型社会の実現―資料紹介―/2017年3月27日/本文

 


25 ボランティア/今昔


ボランティア/今昔【その1】―「ボランティア拒否宣言」―

<文献>
(1) 早瀬昇『「参加の力」が創る共生社会―市民の共感・主体性をどう醸成するか―』ミネルヴァ書房、2018年6月、以下[1]。
(2)大阪ボランティア協会監修、小田兼三・松原一郎編『変革期の福祉とボランティア』ミネルヴァ書房、1987年7月、以下[2]。

〇筆者(阪野)が住むS市では、2018年7月に豪雨による浸水被害が発生した。社協は早速に災害ボランティアセンターを立ち上げ、ボランティアの募集と被災者(被災地区)への支援活動を始めた。2週間で、「予想をはるかに超える」およそ6,500人のボランティアが活動に参加した。そんななか、活動現場での次のような“やりとり”や“思い”が耳朶(じだ)に触れる。「遠くからわざわざ来ているので、弁当くらい出したらどうだ」(すべて手弁当でお願いしています)。「あちこちの被災地での活動経験について、その話を聞いてくれ」(いまは床下の泥だし作業が最優先です)。「持参した道具が壊れたので弁償しろ」(自己責任・自己負担でお願いしたいのですが)。「今日のボランティアの数とその内訳について情報提供しろ」(スコップをもってきて作業に加わってもらいたいものだ)。災害ボランティア活動現場のひとつの実相である。
〇8月、行方不明の子どもを発見したことを契機に、「スーパーボランティア」(尾畑春夫)が世間の耳目を集めた。尾畑は「無償」のボランティア精神を貫いている。9月からは、2020年東京オリンピック・パラリンピックの大会運営を支える「大会ボランティア」(8万人)と「都市ボランティア」(3万人)の募集が始まった。「上から目線」で、「安易にボランティア=労働力を集めようとしている」という批判の声も聞こえる。筆者が購読する地元新聞の「社説」は、最近のボランティア事情について次のように説いている(9月27日)。「これまでのような奉仕活動にとどまらず、災害からの復興援助、イベントの運営補助などボランティアの活動範囲は広がりを見せており、活躍の機会が増えるとともに期待も増しつつある。ボランティアは、かつてのような裏方ではなく、主役を支える名脇役へ役割を変えつつある」。
〇日本社会では、民主主義が後退し、右傾化・全体主義化が進んでいる。また、「災害多発時代」や「無縁社会」「共生社会」「管理社会」などについて云々される。ボランティアに関しては、「動員」「派遣」「活用」「タダ働き」「有償」「感動体験」「やりがい詐欺」等々の言葉が躍っている。『戦争ボランティア』(高部正樹著、並木書店、1995年2月)や『ブラックボランティア』(本間龍著、株式会社KADOKAWA、2018年7月)というタイトルの本も出ている。そういうなかでいま、ボランティアや市民活動の新たな展開を図るために、「ボランティア」や「市民活動」についての本質的な議論が求められている。
〇その時宜にかなった本が刊行された。早瀬昇著『「参加の力」が創る共生社会―市民の共感・主体性をどう醸成するか―』(ミネルヴァ書房、2018年6月、以下[]「1」)がそれである。筆者は早瀬の「ボランティア」言説にすべて首肯するものではないが、[1]では、市民による「自治と共生の社会」を構築するための基礎的知識や、市民参加(市民活動)の視点や考え方についてわかりやすく解説されている。そのなかで早瀬は、花田えくぼの詩「ボランティア拒否宣言」(おおさか・行動する障害者応援センターの機関誌『すたこらさん』1986年10月号)を紹介している。筆者がこの詩に最初に出会ったのは、岡本栄一「ボランティア活動の分水嶺」大阪ボランティア協会監修/小田兼三・松原一郎編『変革期の福祉とボランティア』(ミネルヴァ書房、1987年7月、251~252ページ)においてである。鋭く厳しい表現(「犬」)や言葉によるボランティア批判は、衝撃的であった。およそ30年前のことである。以下にその詩を記しておく(ルビは筆者)。

ボランティア拒否宣言/花田えくぼ
それを言ったらオシマイと言う前に
一体私に何が始まっていたと言うの
何時だってオシマイの向うにしかハジマリは無い
その向う側に私は車椅子を漕(こ)ぎ出すのだ

ボランティアこそ私の敵
私はボランティアの犬達を拒否する

ボランティアの犬達は 私を優しく自滅させる
ボランティアの犬達は 私を巧(たく)みに甘えさせる
ボランティアの犬達は アテにならぬものを頼らせる
ボランティアの犬達は 残された僅(わず)かな筋力を弱らせる
ボランティアの犬達は 私をアクセサリーにして街を歩く
ボランティアの犬達は 車椅子の蔭で出来上っている
ボランティアの犬達は 私をお優しい青年達の結婚式を飾る哀(あわ)れな道具にする
ボランティアの犬達は 私を夏休みの宿題にする
ボランティアの犬達は 彼等の子供達に観察日記を書かせる
ボランティアの犬達は 私の我がままと頑(かたく)なさを確かな権利であると主張させる
ボランティアの犬達は ごう慢と無知をかけがえのない個性であると信じ込ませる
ボランティアの犬達は 非常識と非協調をたくましい行動だと煽(あお)りたてる
ボランティアの犬達は 文化住宅に解放区を作り自立の旗を掲げてたむろする
ボランティアの犬達は 私と社会の間に溝を掘り幻想の中に孤立させる

私はその犬達に尻尾を振った
私は彼らの巧みな優しさに飼い慣らされ
汚い手で顎(あご)をさすられた
私は もう彼等をいい気持ちにさせて上げない
今度その手が伸びてきたら
私は きっとその手に噛(か)みついてやる

ごめんね
私の心のかわいそうな狼
少しの間 私はお前を忘れていた
誇り高い狼の顔で
オシマイの向こう側に
車椅子を漕ぎ出すのだ

〇この詩については、複数のヒトがその内容を読み解いている。ここでは、筆者の手もとにある論考のうちから、岡本栄一、筒井のり子、仁平典宏、鳥居一頼、そして早瀬昇の解釈(総括)を紹介しておくことにする。

岡本栄一
この詩はいろいろな解釈を私たちに迫る。「障害者の自立」の問題、「一人よがりの独善的なボランティア活動」、あるいは「活動の手段化」等々。
いずれにしても、ボランティア活動を先験的、アプリオリ(自明的:筆者)に「社会的善」であるとみなしている人達には大変ショッキングな詩であろう。車イスを押したなら、どんな押し方でも障害者は「ありがとう」というべきものだ、と考えている人達は、きっと「傲慢」な障害者の詩だと思うだろう。私はこんな詩を書かせたこれまでのボランティア活動の「あり方」を悲しいと思う。ここには健常者と障害者とを二つに分けたままで成立するボランティア活動の姿がある。そこではお互いが成長せず、また変わりもしない、といったことがある。ともあれ、私はボランティアの側だけで「自己回転」する活動が、どんなに罪が大きいか、この詩を読んでハッとさせられたことは事実である。(岡本栄一[2]252~253ページ)

筒井のり子
「かわいそう」という言葉自体は、もちろん差別語ではないが、その使われ方、使う人の気持ちいかんで、きわめて差別的な響きをもってくる。優越感の裏返しの同情は、その受け手にとって屈辱である。
次の詩はある障害者団体の機関誌に投稿されたものだが、“優しさ”から出発した援助が、結果的に相手の自立を損なってしまうことを、鋭く告発している。
「何もできない人」「かわいそうな人」「常に誰かの助けが必要な人」という決めつけは、ボランティア活動の本質をゆがめる。
たしかに現在、彼らは援助を必要としている。しかし、「援助を受ける側」という固定的なとらえ方をすべきではない。(筒井のり子『ボランティア・コーディネーター―その理論と実際―』大阪ボランティア協会、1990年3月、52、54ページ)

仁平典宏
1970年代以降、「ボランティア」は障害者から、抑圧者として尖鋭な批判を突きつけられることになった。この中で〈犬〉の記号も反復される。次の詩は、障害者運動――親や周囲の「善意」によって障害者の可能性が縮減されていく事態に対する根底的な異議申し立て――の系譜に位置づくものである。「ボランティアの犬達は」と何度もくり返されるこの詩は、それが〈贈与〉の対価として何を奪うかを、雄弁に告発している。
無償の、愛情に満ちた〈贈与〉行為こそが、「障害者」を障害者役割にとどめ、その可能性を根こそぎ奪っていく――言うまでもなくこれは、障害者運動が提起した最も重要な論点の一つであった。同時にボランティア言説の歴史も、決してナイーブなものではなく、絶えずこのような否定的なまなざしとの緊張のもとにあった。その中で、ボランティア言説は展開し鍛えられ、それなりに首肯性をもつ答えも生み出されてきた。(仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―〈贈与のパラドックス〉の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月、32、34ページ)

鳥居一頼
この詩は、たしかに衝撃が強いメッセージである。デフォルメ(歪曲:筆者)された表現であるが、そこに潜むボランティアの問題の核心を鋭く突いていることは、間違いない。このくらい痛烈に批判しない限り、お互いに覚醒はできないかもしれない。彼女のボランティア批判は、そこに安住した自身への憤りと悔悟(かいご:筆者)でもあり、その批判の矢は“自らに”放ったものでもあるといえよう。
その批判を裏読みすると、そこにボランティアの本質が見えてくる。逆説的に見るとボランティアとの信頼関係をどのように構築するのか、その関わり方を見事に表現しているのである。
もう一つ、ケアのあり方について問題を提起している。(中略)
この「ボランティア拒否宣言」は、まさに地域包括ケアが本格化する「ケア時代」に生きる多くの高齢者や闘病者の意思表明や自己選択・決定にかかる問題をも包含していることに気づかされる。花田の「頑固に意志を通す」生き方を考え真摯に受け止めなければ、障がい者や高齢者、そして闘病者にも、自己喪失の道を彷徨する悲劇となるであろう。(鳥居一頼「詩『ボランティア拒否宣言』に学ぶ“自立”と歪んだボランティア観~覚醒と受容そして意識変革を促す教材としての価値を探る~」『人間生活学研究』第22号、藤女子大学人間生活学部人間生活学科、2015年3月、103ページ)

早瀬昇
詩で使われている表現は激しいものではあるものの、ここで書かれているのは不信感から来るボランティアの拒否ではなく、逆にボランティアへの期待を込めた一種のラブレターだとも考えられます。というのも、この詩が掲載されたのは、障害者とボランティアが「障害の有無に関わらず、共に」より良い社会づくりを目指している団体の機関紙だからです。
とはいえ、この詩で私たちに届けようとしたボランティアへの問題提起には、真摯に応えなければなりません。ボランティアとボランティアが応援する相手との協働関係については、(中略)両者が共に生きる「共生」の関係づくりが重要になります。(早瀬昇[1]93ページ)

〇いずれにしろ、この詩が発表された1980年代半ば以降は、1981年の「国際障害者年」、1983年から1992年までの「国連・障害者の10年」の取り組みや「障害者生活圏拡大運動」とともに、「障害者自立生活運動」が展開された時期である。「優生思想」「自立と自己決定」「障害文化」などについて激しく議論された。「青い芝の会」(横塚晃一、横田弘)や「札幌いちご会」(小山内美智子、沢口京子)などによる社会的差別・偏見に対する糾弾闘争が思い出される。それにしても、横塚晃一の『母よ! 殺すな』(すずさわ書店、1975年2月)はあまりにもインパクトの強い本であった。
〇そしていま、この詩の主語(「主役」)を「政府や行政」、「ボランティアの犬達」を「ボランティアの私達」に置き換えると、例えば、「国や行政は、ボランティアの私達をアテにならないものに頼らせ、巧みに甘えさせ、優しく自滅させる」などとなろうか。そこにあるのは政府・行政主導の「地域共生社会」「地方創生」「一億総活躍社会」の実現や、ボランティアによる国民保護活動の展開(「国民保護法」)にむけた「篭絡」(ろうらく。巧みにいいくるめて人を自由に操ること)である。気がつくと、恣意的に解釈されている「積極的平和」のために「戦争ボランティア」が動員・派遣される、ということが一番怖い。
〇筆者は、ボランティア活動については大まかには、「人権意識や正義感覚に基づく主体的・自律的な住民による・住民のための市民活動」である。「主体的」とは「他のものによって導かれるのでなく、自己の純粋な立場において行うさま」であり、「自律的」とは「外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること」をいう(『広辞苑』第7版)。すなわち、市民活動は、「言われなくてもするけれど、言われてもしない」(早瀬『前掲書』231ページ)活動である。ボランティア活動は、原則的に「無償」であり、「有償ボランティア」という言葉は矛盾した使用法である。「市民活動」は、(無償の)ボランティア活動と非営利・有償活動の両者を包含するものである。そして、ボランティア活動は、「ボランティアのいない地域・社会」づくりをめさず活動であり、そこにあるのは主体的権利と社会的責務としての市民活動である、と考えている。
〇なお、ボランティアの基本的な「原則」や「性格」、「最も重要な要件」や「一番の核にある要素」は「自発性」であるといわれる。『広辞苑』によると、「自発性」は「他からの教示や影響によるのでなく、内部の原因・力によって思考・行為がなされること」、「自発的」は「自分から進んでするさま」である。類似用語の「自主性」は「他者に依存せず、自分で行動することができる性質」、「自主的」は「他からの干渉などを受けないで、自分で決定して事を行うさま」をいう。
〇ここで、高島巌の「ボランティアは活動ではない。生活なのだ」「ボランティアは人間にだけあたえられた楽しき権利なのである」、木谷宜弘の「ボランティアは自由である。だから楽しい」「共生から共働、そして共創の社会づくりへ」という言葉が思い起こされる。

【初出】
<ディスカッションルーム>(80)阪野 貢/「ボランティア拒否宣言」(1986年)再考:ボランティア活動は主体的・自律的で相互実現を図る活動である―資料紹介―/2018年10月6日/本文

 

ボランティア/今昔【その2】―「ボランティア動員論」―

<文献>
(1)中野敏男「ボランティアとアイデンティティ―普遍主義と自発性という誘惑―」『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任―』青土社、2001年12月、以下[1]。
(2)小林啓治『総力戦体制の正体』柏書房、2016年6月、以下[2]。

〇筆者(阪野)の手もとにある中野敏男(東京外国語大学)の著書『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任―』(青土社、2001年12月、以下[1])に所収の論文「ボランティアとアイデンティティ―普遍主義と自発性という誘惑―」(初出は「ボランティア動員型市民社会論の陥穽」『現代思想』vol.27-5、青土社、1999年5月、72~93ページ。陥穽(かんせい)おとしあな:阪野)を読み返してみた。今またなぜ「中野敏男なのか」「ボランティア動員論なのか」と言われそうであるが、以下は、留意すべき重要な点として筆者が再認識した、中野のボランティアをめぐる論点や言説(「動員論」)の一部である(見出しは筆者)。

「システム危機管理型国家」の方向
今日の日本で「ポスト福祉国家」の道として提示されているのは、国家の機能上の重心を「社会福祉」から政治-軍事的、経済的な「システム危機」への対応に大きく移行させた「システム危機管理型国家」とでも言うべき方向であって、それは、一方で有事を想定した安全保障のための「新ガイドライン」の導入や金融システムの危機に対する大規模な「公的資金」の投入など顕著に権力国家的・介入国家的な性格と、他方では教育や福祉などの部門に「法人化」の促進や「介護保険制度」の設立に示されるような市場原理の導入をもってする「リベラル」国家的な性格とを兼ね備えていこうとするものなのである。そしてこの道は、この国家システムに「主体」的に参与する「国民」の自発的意志をより多く必要とし、他方では、そこから外れたアウトサイダーやマイノリティに対するレイシスト(racist、差別的思想を持つ者:阪野)的な異者排除と、「福祉」や「保護」を要求する「弱者」の存在の軽視、あるいは「二流国民」化に進まざるをえないはずだし、現にそうなってきている。「国旗・国歌」法の制定(1999年8月公布・施行:阪野)から教育基本法の改定(2006年12月公布・施行:阪野)へ、そして憲法の改定へ、この一連の制度整備の動きは、現に自覚的なものになっているその方向への政策意思の表れとして読むことができる。ここで国家は、相対化されるどころか、新たにより危険な支配的機能を強化しようとしているのである。(253ページ)

ボランティアの動員
ボランティアは、言葉の意味からすれば人々の「自発性」を示すものだけれど、現在の状況下でそれを、「人間の主体の自立」の表れなどと賛美できるのだろうか。(中略)今日、ボランティア活動の意義をひときわ声高に宣揚している者とは、誰なのか。もちろんそれは、決して市民社会の可能性をポジティヴに見ようとする論者だけではあるまい。例えば、むしろ日本の文部科学省が、市民社会が対峙するはずの当の国家システムを代表する位置から、とりわけ精力的かつ組織的にボランティア活動の推進に努めているということがある。(257ページ)
ここに浮かびあがっているのは、国家システムが主体(subject)を育成し、そのようにして育成された主体が対案まで用意して問題解決をめざしシステムに貢献するという(「アドボカシー(advocacy 政策提案)型の市民参加」)、まことに都合よく仕組まれたボランティアと国家システムの動態的な連関である。すなわちボランタリーな活動というのは、国家システムを越えるというよりは、むしろ国家システムにとって、コストも安上がりで実効性も高いまことに巧妙なひとつの動員のかたちでありうるのである。
ボランティアは、国家システムの側の要求でもある。そう考えてみると、この要求が今日ことさら大きな声でなされているわけもよく理解できる。「福祉」などの機能をボランティアがより広範に果たすようになれば、(中略)国家の機能転換すなわち「福祉国家」から「システム危機管理型国家」への転換は、より容易になるはずだ。現在流行のボランティアの称揚は、もちろん進行中の「行政改革」や「教育改革」にも、そして「安全保障」にも、きちんとリンクしていると考えなければならないのである。そうだとすれば、それだけでも、この現在の動きにそんなに簡単に乗っかっていいのかという問いは避けられない。(258~259ページ)

ボランティアの自発性
「自発的」だからといってシステムから「自立」しているなどとは言えない(中略)。自発的なボランティアは、それの社会的機能から考えればむしろ無自覚なシステム動員への参加になりかねないのだし、ボランティアの自発性をただ称揚する市民社会論は、その点を塗りつぶすことによって、進行するシステム動員の重大な隠蔽に寄与しかねないということである。(260ページ)
現状とは別様なあり方を求めて行動しようとする諸個人を、抑制するのではなく、むしろそれを「自発性」として承認した上で、その行動の方向を現状の社会システムに適合的なように水路づける(中略)。今日、「ボランティアという生き方」がさかんに強調されるようになっているのは、実は、まさにそのような方策としてそれが採用されているということなのではないだろうか。(278~279ページ)

〇[1]における中野の言説のひとつは、「ボランティアという生き方」は、諸個人が「何かをしたい」という意志(自発性)だけがあるにすぎない。その主体=自発性は、それ自体としては「目的」や「中身」を持たない抽象的なものである。それゆえに、国家の呼びかけに応え、国家を補完する無自覚的なシステム動員への参加になりかねない。「自発的」だからといってシステムから「自立」しているとは言えない。ボランティアも、人間の主体=自発性も、「下からの公共性」(258ページ)のようにみえて、国家や行政によるいわば“下からの動員”のシステムに組み込まれている、というものである。そこで、中野は「今日のボランティア活動の高まりに市民社会の復権を見る論者たちは、そのようなボランティアのあり方にしっかり注意を払っているだろうか」(281~282ページ)と問いかける(批判する)。
〇ボランティアは、現状の国家や社会のシステムから自立・自律した「市民自治」をめざすものであると言われる。そうだとすれば、市民主権やまちづくり、主体形成などを説く「福祉教育論」はこれまで、「市民自治」や「まちづくり」を厳しく問い、深く考究してきたであろうか。その点に関して、中野の論考は、阪神・淡路大震災が発生した4年後に発表されたものであるが、震災後20年が経っても古さを失っていない。2011年3月の東日本大震災や2016年4月の熊本地震などが発生するなかで、むしろその重みは増していると言ってよい(注➀ )。
〇ところで、筆者の手もとに、小林啓治(京都府立大学)の『総力戦体制の正体』(柏書房、2016年6月、以下[2])と題する本がある。[2]は、「地域社会が1930年代以降の戦争にいかに巻き込まれ、あるいはそれを支えてきたかを、主として村の行政(村役場文書:阪野)を中心に明らかに」(327ページ)したものである。「全体主義的権力の基盤となる地域社会」「行政機構を通じた住民自治の破壊」「住民の主体化と動員の裏表(うらおもて)」等が含意するところに留意しながら、小林の言説の一部を付記(紹介)しておくことにする。文脈を無視した、牽強付会(けんきょうふかい)な引用と評されることを恐れずに、である。ただ、中野と小林の論考を併読すると、1930年代以降に地域・住民の内面を染め上げた政治・経済や教育(啓蒙)の、現代の状況との類似性が浮かび上がってくる。

満州事変(1931年9月~1933年5月:阪野)を契機に総力戦体制の構築が具体化し始めると、兵事行政は軍事行政として把握されるようになり、日中戦争(1937年7月~1945年8月:阪野)を契機に軍事援護も包括した軍事行政へと完全に変貌した。軍事援護の末端を統括したのは市町村行政であり、その活動が府県の通牒によって指示される以上、取り組みに対する熱意の差はあれ、それにしたがわざるをえないことは自明であった。その意味で、行政機構を通じた総力戦体制こそが自治を窒息させたと言えよう。(329ページ)

地域から見た総力戦を考える際に、1920年代以降の地域における自治意識や自治的活動の高まりをどう評価するか。30年代の農村で中心的な課題となったのは、恐慌下で沈滞した経済の立て直しであった。(そこで政府は、1932年から経済更生運動をスタートさせた。:阪野)。経済更生運動は行政村に依拠した「村中心」意識を涵養することによって、それを目指そうとした。
経済更生運動と軍事的組織化が同時期に進行していった。軍事的組織化は経済更生運動の成果を取り込みながら展開していったと言える。経済更生運動の過程で形成されつつあった村の一体性や「村中心」意識と、運動を進めるにあたって必要とされた統制的側面が、総力戦体制の構築にとってまたとない好条件となったことは否定できない。
地域社会における総力戦体制のための組織化は複線・複合的かつ重畳的展開としてとらえるべきである。(332~335ぺージから抜き書き)

総力戦体制は国民動員の究極的な形態である。戦争を総力戦たらしめたのは、基本的には資本主義が生み出した科学技術と生産力の発達であり、国家の組織力あるいは動員力が一定の高さに到達することが必要であった。そのためには、強制力だけではなく、主体化の契機が不可欠となる。国民としての主体化と動員は表裏一体をなすと考えるべきである。(339ページ)

地域社会は決して単一構造ではない。「場所」のコミュニティも多層・多様なものとして想定されるべきだが、それらが国家行政システムにどのように向き合うのか、あるいはどのような関係を構築していくのかが意識的な問題化されなければならない。さもなければ、(中略)現実の政治・経済的権力に押し流されてしまうだけだろう。災害・治安・国防(安全保障)などの回路によって、統合・統治・総動員に回収される契機は地域社会に内包されていることに配慮が必要である。その意味でも「総動員」は決して歴史的産物となったのではない。(345ページ)

〇いま、「グローバル神話の崩壊」や「新自由主義の終焉」が指摘されている。「一億総活躍社会」(2015年10月に発足した第3次安部晋三改造内閣のキャッチフレーズ。)や「アメリカ・ファースト」(2016年4月にアメリカ大統領候補者のドナルド・トランプが表明した外交政策の原則。)が唱えられている。その先にあるのはどのような国や社会なのだろうか(注② )。また、どのような福祉や教育をつくるべきなのだろうか。その点について追究し探究することが、「市民自治」や「まちづくり」についての地域・住民の思いや願い(感性)、知識や能力(理性)が再び国家にのみ込まれないために、強く求められている。国や政府関係者が好んで使う言葉(セリフ)である「丁寧な説明」「国民的議論」などを字義通りのものにする取り組みにおいて、である。


➀ ここで、仁平典宏の次の言説を紹介しておきたい。

「全ての動員は悪い」と総称的に論じるより、その動員が何と接続しているのかを個別に精査/評価する方が、有意義(である:阪野)。文脈抜きの動員批判は、文脈抜きの協働擁護と同じぐらい認識利得が小さい。中野敏男(1999)に端を発する近年のボランティア動員批判も、政策への従属自体を問題とする民主化要件➀(国家から自律しているか:阪野)の観点からのみ受容されていった面がある。だが、ボランティア活動が政策に「従属」していたとしても、その政策が規範理論的に擁護可能なら、その「動員」への批判は限定的に解除されてよい。(仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―〈贈与のパラドックス〉の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月、424ページ)。

仁平は、「活動が、国家から自律しているか(民主的要件①)、国家が行うべき社会保障を代替していないか(民主的要件②)が、民主的とされる基準である」(418ページ)。「動員論を認知すらしない言説が圧倒的多数ということの方が、むしろ問題かもしれない」(488ページ)と述べている。
なお、ボランティアは国家・行政主導によって「動員」される受動的存在であるという中野や仁平らの議論に対して、「異議を唱える」言説に、例えば竹中健(広島国際学院大学)のそれがある。「ボランティア行為」は、本質的に「自律性」や「内的必然性」、即ち能動的側面を内包しており、行為者の「活動経験の蓄積」によって導き出される、等の言説に留意しておきたい(竹中健『ボランティアへのまなざし―病院ボランティア組織の展開可能性―』晃洋書房、2013年3月)。

②「災害などの『有事』の際のボランティア」「日米のゆるぎない『同盟』関係」などと言われる。「有事」や「同盟」は、実質的には戦争や軍事に関する言葉である。また、国民に周知・認知されていないものに、「国民保護法」(「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」。2004年6月公布、同年9月施行)にいう有事の際の「自主防災組織及びボランティア」についての規定がある。強く認識しておきたい。「気がつけば有事になっていた」「その際には否応なしにボランティアに駆り出された」、それだけはごめんこうむりたい。

【初出】
<雑感>(42)阪野 貢/時代の危うさのなかで意志すべきもうひとつの視座:「無自覚な自発」と「下からの動員」―読後メモ―/2016年12月16日/本文

 

ボランティア/今昔【その3】―「災害ボランティア」―

<文献>
(1)丸山千夏『ボランティアという病』宝島社新書、2016年8月、以下[1]。

〇筆者(阪野)の手もとに、丸山千夏著『ボランティアという病』(宝島社新書、2016年8月。以下[1])という本がある。[1]は、東日本大震災(2011年3月)や熊本地震(2016年4月)の被災地で展開されたボランティアを取材し、その闇(深淵)の部分を炙(あぶ)り出したジャーナリストのルポルタージュである(伝聞調の文章が散見されることに留意したい)。
〇[1]のカバーの紹介文にはこう記されている。「熊本地震にも多く集まったボランティアの人々。多くのマスコミは、ボランティアの人々を持ち上げ、毎日のように報道している。だが、その裏側では、ボランティアの範囲を超えた越権行為、必要のない物資の援助、野放しにされている巨額の寄付金、そしてこれからはじまる復興利権など、多くの問題を抱えている。しかし、それらを批判することはタブーとされてきた。すべて善意のもとに正当化されてきたからだ。本書では、善意のもとに、ボランティアのすべてを受け入れてしまう日本人の病を抉(えぐ)り出す。はたして、あなたの善意は、本当に必要とされているのか。本当に正しいのか。検証する。」
〇[1](すなわち被災地)には、ジャーナリスティックな名称であるが、いろいろなボランティアが登場する。「素人ボランティア」、「プロ・ボランティア」、「人生迷子型ボランティア」、「野良ボランティア」、「テクニカル・ボランティア」などがそれである。「素人ボランティア」は、善意に基づいて被災地に駆けつけるが、ときに足手まといになるボランティアである(101ページ)。「プロ・ボランティア」は、あくまでも独自の活動にこだわり、支援活動一本で生活を営むボランティアである(103ページ)。「人生迷子型ボランティア」は、都会での生活に行き詰まり、行き場をなくした人が被災地に居場所を見つけるボランティアである(88ページ)。「野良ボランティア」は、災害の現場で社協や他の団体と連携・協力しながら役割を分担して動くという発想を持たないボランティアである(38ページ)。「テクニカル・ボランティア」は、プロフェッショナルな技術力を持つ高度な専門家が作業を請け負うボランティアである(103ページ)。
〇丸山によると、こうしたボランティア活動はときにやっかいな問題を生じさせる。たとえばそのひとつは、古着や食料品などの大量の支援物資の後処理や、大量の千羽鶴や寄せ書き・メッセージなどへの対処(対応)が、被災地を襲う「第二の災害」(134ページ)となっている。いまひとつは、支援が長期化するなかで支援者(よそ者)と地元住民との間に主従関係が生じたり、濃密な人間関係を築いてきた地方のコミュニティではその人間関係に亀裂が生じたりするケースがある(169ページ)。もうひとつは、取材に来るマスコミをはじめ、物見遊山で被災地観光に来る若者、視察に来る政治家や投資家、慰問に訪れる芸能人や有名人、あるいはフィールドワーク(現場での情報収集)に来る専門家や研究者等々、実に多種多様な人々が被災地現場に出入りし(そのなかには「危ない人々」も存在する)、地域・社会がかきまわされる(167、179ページ)。
〇災害ボランティアは、いまだに「善意」頼りであり、いま国策的な「動員」が促進されている。そこでは、「絆」「笑顔」「感動」などの美辞麗句が並べたてられ、「がんばろう!」と激励される。それらに違和感を覚える人がいる。また、災害ボランティアに参加しない・できないことに「後ろめたさ」を感じている人もいる。一方、被災者の側には「善意は断ることができない」という前提がある(184ページ)。「あつかましいお願いなのですが、被災地のことを気にかけていてもらいたいし、支援が終わったらさっさと帰って欲しい。そんなこと、思っても普通は言えないですよね」(181ページ)。災害ボランティアの問題(「病」)の核心を突く、被災地の一人の住民の声である。
〇例によって唐突で我田引水的であるが、この住民の言葉から、学校福祉教育の一環としてしばしば取り組まれる訪問・交流活動での施設利用者(高齢者、障がい者など)の声を思い出す。「ここは私たちの生活の場ですから、勉強が終わったらさっさと帰って欲しい。そんなこと、思っても普通は言えないですよね」。
〇災害ボランティアには、被災地の現場で「善意」が闊歩(かっぽ)あるいは暴走することもあるなかで、組織的・体系的な災害支援の知識やノウハウが求められる。そこでは、被災者中心、地元主体、そして共働の取り組みが重要となる。またそこでは、情緒的な「絆」や全体主義的な「がんばれ!ニッポン」といった言葉やスローガンは不要である。被災者とボランティアによって共創される「愛」と「信頼」、そして「希望」が肝要となる。これが筆者の読後感である。
〇「絆」(きずな)とは、人(被災者)と人(ボランティア)を繋ぎとめる「綱」(つな)であり、それは「愛」と「信頼」と「希望」を意味する。付記しておきたい。

【初出】
<雑感>(174)阪野 貢/災害ボランティア、その「絆」や「感動」にみる「闇」―丸山千夏著『ボランティアという病』のワンポイントメモ―/2023年4月20日/本文

 


26 アクティブ・ラーニング/地元に学び、地域を創る「地元学」


<文献>
(1)吉本哲郎『地元学をはじめよう』(岩波ジュニア新書)岩波書店、2008年11月、以下[1]。
(2)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する答申」2012年8月、以下[2]。
(3)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する諮問」2014年11月、以下[3]。
(4)阪野貢「富山県福祉教育サポーター養成カリキュラム(私案)」2015年4月、以下[4]。

〇筆者(阪野)は、去る7月31日、富山県社協主催の「平成27年度富山県福祉教育セミナー」に参加する機会に恵まれた。セミナーの前半では、(1)砺波市福祉センター北部苑の「施設の現況と地域との交流」、(2)富山県立南砺福野高校(福祉科)の「地域と繋がるボランティア」、(3)小矢部市社協の「小矢部市社協における福祉教育推進に関する取り組み」について、実践報告がなされた。各報告における鍵となる項目や考え方は、(1)「信頼と熱意により地域が繋がる!/地域が有機的に結ばれる!」、(2)「地域での活動は必要/高校生も、地域の住民の一人として人と関わり、地域づくりに貢献できる」、(3)「福祉教育サポーター養成確保モデル事業(小矢部方式)の取り組み/福祉教育サポーターの選出と養成講座の実施」、などであった。後半では、その報告を受けて、「各取り組みからこれからのヒントを探る」というテーマのもとでシンポジウムが行われた。
〇筆者は、それぞれから多くの気づきと学びを得ることができた。とりわけ、次のような事柄について思いを致すことができたのは有意義であった。「地元学」(「水俣地元学」)の提唱者である吉本哲郎の言説、文部科学省において小・中・高校への導入が検討されている「アクティブ・ラーニング」と呼ばれる学習・指導方法、そして富山県社協や小矢部市社協などにおける「福祉教育サポーター」養成カリキュラムの研究開発、などがそれである。本稿では、それらの関連資料(論点や言説)の一部を紹介することにする。

(1)吉本哲郎『地元学をはじめよう』(岩波ジュニア新書)岩波書店([1])
地元学の目的は、自分たちで(地元に:阪野)あるものを調べ、考え、あるものを新しく組み合わせる力を身につけて(町や村の:阪野)元気をつくることです。(22ページ)

地元の人たちによる地元学を「土の地元学」とします。これが地元学の基本となります。/地域の風土と暮らしは、外的要因、内的要因による変化をつねに受けています。その変化を適正に受けとめ、地元になじませていくのは、当事者であるそこに住む人たちです。(中略)/地元学はあるものを探すことからはじまります。そのときに、地元の人(「土の人」:吉本)たちだけではひとりよがりになってしまうので、外の人(「風の人」:吉本)たちといっしょにやっていくことが必要です。/地域のもっている力、人のもっている力を引き出すことが、外の人たちの役割です。(中略)この外の人たちによる地元学を「風の地元学」といいます。(36~37ページ)

地元学は、ないものねだりはしません。あるものを探し、それを磨いたりして価値のあるものにしていきます。その第一歩は、地元を調べることです。地元の風土や暮らしに「あるもの」(地域情報:阪野)を探していくのです。あるものとは「あるもの、あること、人」のことをまとめて言っています。(38ページ)

地元学は、調べる・考える・まとめる・つくる・役立てる、と言う順にすすめられます。(35~80ページ)

つくる・役立てるのは、ものづくり、地域づくり、生活づくりの三つの分野です。
ものづくりは、地域資源を活用して、草木染め、木工品、野の幸の加工品などをつくります。/地域づくりは、つぎのようなステップを踏んでいきます。①これまでを読む、②変化の風を読む、③これからを読む、④手をうつ。/生活づくりは、地域の素材を使ったり、遊んだりして、地域の暮らしを楽しんでいくことです。でも、生活づくりでだいじなことは家族づくりです。(65~66ページ抜き書き)

〇「地元学」は、単にその地域(地元)の自然や歴史、文化、産業などについて学問的に調査・考察するものではない。それは、地域の暮らしのなかにあるモノを探し、それを如何に使いこなすかを考え、新たな地域ブランド(「あるもの、あること、人」)を創造・開発するものである。換言すれば、地域づくりのための「実践や運動としての地元学」である。
〇地元学の主役は、子どもをはじめ高齢者や障がい者、外国籍住民などを含めた、そこに暮らす全ての「土の人」である。その人たちが、「共生・協働(共働)」の理念のもとに、「風の人」の視点や支援を得ながら、歴史・文化・風土に裏打ちされた新たな地域づくりに主体的・能動的・自律的に関わることが肝要となる。それゆえにまた、民俗学や福祉(学)の視点から地域づくりやそのための人づくりについて追究することが求められることになる。
〇この点に関して、岡村重夫の「民俗としての福祉」概念をめぐる言説を思い起こす。「われわれは老人福祉の法制を語るまえに、老人福祉の習俗を知らねばならず、さらにこの習俗を発展させるための道徳教育について考慮をめぐらせねばならない」と述べ、「老人福祉の民俗学」の必要性を説くのがそれである(岡村重夫「新隠居論序説」『社会福祉論集』第17・18号「生活福祉の諸問題」、大阪市立大学生活科学部社会福祉研究会、1979年3月、157ページ。注①)。岡村が思い描いた「老人福祉の民俗学」の内容については不明であるが、そこには地域・住民の「習俗」(習慣化された生活様式)と社会福祉の関係や教育(「徳教」)の問題が提起されている(柴田周二「宮本常一の民俗学(一)―慣習と人格形成―」『京都光華女子大学研究紀要』第43号、京都光華女子大学、2005年12月、41~42ページ)。それに付言すれば、地域づくり(まちづくり)研究においては、例えば「福祉の民俗学」や「地域づくりの教育学」の構造化や体系化の推進を図ることが求められよう。その課題の追究に際しては、戦前・戦後の郷土教育や生活綴方教育、社会科教育などの歴史的評価や現代的解釈について十分に留意する必要があることは多言を要しない。

(2)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する答申」2012年8月([2])
生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成することができない。従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。すなわち個々の学生の認知的、倫理的、社会的能力を引き出し、それを鍛えるディスカッションやディベートといった双方向の講義、演習、実験、実習や実技等を中心とした授業への転換によって、学生の主体的な学修を促す質の高い学士課程教育を進めることが求められる。学生は主体的な学修の体験を重ねてこそ、生涯学び続ける力を修得できるのである。(中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて―生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ―」2012年8月28日、9ページ)

〇「アクティブ・ラーニング」(active learning、能動的学習)は、上記の2012年8月の中央教育審議会答申(「質的転換答申」)にその用語が登場し、それ以降、大学の学士課程教育への導入・展開が図られている教授・学習方法である。その導入・展開の背景には、知識を使って主体的に考え、行動できるグローバル人材の育成・確保を必要とする経済界からの要請がある。また、大学を取り巻く経営環境の変化や学生の資質・能力の低下などの教育現場の実態がある。
〇アクティブ・ラーニングの概念は包括的であり、多様な名称(「学生参加型授業」「協調・協同学習」等)が用いられる。そういうなかで、「質的転換答申」では次のように解説されている。「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である」(同答申「用語集」)。
〇大学の学士課程教育の「質的転換」は、古典的で受動的な「学修」から主体的・能動的な学修への転換である。そのための教授・学習方法のひとつがアクティブ・ラーニングである。しかし、それは、必ずしも言われるほどの新味性を有するものではない。また、総合的・包括的な概念であるがゆえにか、その整理や構成要素の検討が不十分なままである。その計画・実施・評価のプロセスの進め方、とりわけ評価の観点や方法も曖昧である。何よりも、学士課程教育の教育内容・方法の改善を抽象的に説くにとどまり、学修時間そのものの質量ともにわたる増加・確保策についての言及がない。いずれにしろ、学士課程教育の改善・充実(質的転換)を図るためには、教育方法のひとつであるアクティブ・ラーニングをいかに教育課程のなかに位置づけ、その機能を十全に働かせるか。大学内外の学修支援や協働(共働)の体制をいかに整備・強化するか、などが問われることになる。その点への追究を欠くと、アクティブ・ラーニングはいっときの流行や奇をてらった単なる「用語」に終わることになる。

(3)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する諮問」2014年11月([3])
新しい時代に必要となる資質・能力の育成に関する(中略)取組に共通しているのは、ある事柄に関する知識の伝達だけに偏らず、学ぶことと社会とのつながりをより意識した教育を行い、子供たちがそうした教育のプロセスを通じて、基礎的な知識・技能を習得するとともに、実社会や実生活の中でそれらを活用しながら、自ら課題を発見し、その解決に向けて主体的・協働的に探究し、学びの成果等を表現し、更に実践に生かしていけるようにすることが重要であるという視点です。
そのために必要な力を子供たちに育むためには、「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと、「どのように学ぶか」という、学びの質や深まりを重視することが必要であり、課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や、そのための指導の方法等を充実させていく必要があります。こうした学習・指導方法は、知識・技能を定着させる上でも、また、子供たちの学習意欲を高める上でも効果的であることが、これまでの実践の成果から指摘されています。
また、こうした学習・指導方法の改革と併せて、学びの成果として「どのような力が身に付いたか」に関する学習評価の在り方についても、同様の視点から改善を図る必要があると考えられます。(中央教育審議会諮問「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」2014年11月20日)

〇アクティブ・ラーニングの学習・指導方法についての検討が、2020年度(小学校)から順次実施される次期学習指導要領の改訂作業のなかでも進められている。その際の改訂の視点は、学校教育の重点を「何を教えるか」から「どのように学ぶか」へと転換することである。また、学習の成果として「どのような力が身に付いたか」を評価することである。しかし、それは、小・中・高校ではすでに「総合的な学習の時間」における学習方法や、各教科・領域における「言語活動の充実」を図る学習指導として取り組まれているものでもある。
〇いま、なぜ、新たに「アクティブ・ラーニング」(「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」)なのか。学校教育において「生きる力」(1996年7月の中央教育審議会答申)から「確かな学力」(2003年10月の同答申)、そして「道徳力」(道徳の「特別の教科」化、2014年10月の同答申)へと路線変更が進むなかで、その真のねらいや本質を見極める必要があろう。アクティブ・ラーニングでは、児童・生徒の主体性、能動性、活動性、協働性などの育成が重視される。アクティブ・ラーニングの導入は「生きる力」の育成強化策であるとも評される。この点については、教育改革の切り札として2002年度から完全実施された「総合的な学習の時間」における学習活動は低調であり、「這い回る経験主義」という批判にさらされた(さらされている)ことに留意したい。また、アクティブ・ラーニング(学習・指導方法)の画一的な推進は、教育現場の自立性や創造性が損なわれ、学校教育の「改革」や活性化には繋がらない危険性があることを付記しておきたい。

(4)阪野貢「富山県福祉教育サポーター養成カリキュラム(私案)」2015年4月([4])
① オリエンテーション(サポーター養成研修の意義理解、仲間づくり)
② わが“まち”の歴史と文化を学び、個性と魅力を再発見する
③ 子どもと保護者の生活実態を把握し、学校教育をめぐる問題を考える
④ 自律と協働の共生社会を構想し、生涯学習とそのあり方を考える
⑤ 福祉教育のあゆみと現状を理解し、問題点と今後の方向性を探る
⑥ 住民主権・住民自治の認識を深め、福祉によるまちづくりを考える
⑦ コーディネーションとファシリテーションの考え方と展開方法を学ぶ
⑧ フィールドワーク(1)―福祉関係の施設・機関の見学と交流活動―
⑨ フィールドワーク(2)―教育関係の施設・機関の見学と交流活動―
⑩ 選択科目(1)―福祉文化とまちづくに―
⑪ 選択科目(2)―教育文化とまちづくり―
⑫ 福祉ネットワークの現状を理解し、福祉によるまちづくりを展望する
⑬ 学習の総括と今後の取り組み(学習発表)

〇富山県社協では、2014年度から小矢部市、上市町、入善町の各市町社協をモデル地区指定し、「福祉教育サポーター」の確保とそのための養成カリキュラムの研究開発を進めている。その経緯については、本ブログ(市民福祉教育研究所)に所収の「富山県における福祉教育の取り組みの経緯と今後の方向性」(2013年8月20日投稿)を参照されたい。
〇上記の項目は、養成カリキュラムのねらいや内容を「私案(素々案)」として示したものである。各市町社協では、地元住民が主体となって、その地域ならではのカリキュラムの編成・実施について協議している。今後は、学習目標の設定をはじめ、学習のテーマや内容・方法、学習の時間や場所、協働・支援体制などについての具体的な検討が必要となる。その際、学習者(福祉教育サポーター)の学習への興味・関心・意欲を引き出すとともに、学習内容の生活性や地域性を考慮し、学習成果の実践化や日常化を図ることなどが肝要となる。
〇なお、福祉教育サポーターとは、「① 福祉や教育、そしてまちづくりに関心のある多くの人が、② 地元や職場での日々の生活や活動などで得た知識や経験を、③ さらに確かで豊かなものにするために学習(研修)を行い、④ それによって自分や自分たちの能力と地元の魅力を再発見し、⑤ 求められる見識(判断力、考え方)と企画・実践力(福祉力、教育力)、そして意欲(情熱、向上心)を活かし、⑥ 何よりも自信と誠意と信念をもって、⑦ 行政をはじめ学校や社会福祉協議会(以下、社協)、社会福祉施設、公民館、NPО、自治会・町内会、企業などが行う、地元ならではの、新しいまちづくりとそのための「福祉教育」の事業・活動を支援する人をいう」。また、福祉教育サポーターは、「高校生以上の地元住民をはじめ、ボランティアやボランティアサポーター、NPО職員、民生委員・児童委員、福祉推進委員、地域(福祉)活動者、とりわけ団塊世代や高齢者・障がい者」などから選任され、「地区社協に若干名配置し、活動の場は主として地元の小学校区」である(富山県社協「『福祉教育サポーター』養成確保事業要綱」2013年8月1日)。福祉教育サポーター制度の要点のひとつは、サポーターを属人的に捉えるのではなく、個々の地元住民の属性や地元との関係性などに留意しながら、サポーターとしての機能や役割、活動のプロセスを重視するところにある。しかも、福祉によるまちづくりの観点に立ったそれである。

〇ところで、周知の通り、2015年4月1日から新教育委員会制度がスタートした。内容的には、教育委員長と教育長を一本化した新「教育長」が首長によって直接任命され、新教育長の権限強化と国の意向の教育行政への反映が図られることになった。それは、教育(教育行政)の政治的中立性と継続性・安定性を損なうものである。また、4月6日に、文部科学省が中学校の社会科教科書の検定結果を公表した。それによって、教科書検定は政府の歴史認識や見解を尊重・宣伝するものであることがより明らかにされた。そしてまた、安全保障関連法案をめぐって、政府・自民党議員による不適切な発言が続いた。「考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要なことを、日本国憲法がダメだと言うことはありえない」(磯崎陽輔、7月26日)、「SEALDs(注②)という学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」(武藤貴也、7月30日。)がそれである。政治家の劣化であり、民主主義の空洞化である。
〇こうした国による教育への不当な介入と管理統制の強化、国会議員による傲岸不遜(ごうがんふそん)な発言や反知性主義の態度こそが、「戦後教育のせいだろう」。前述の高校生や地域住民たちは、“土の人” として、地べたを這いずり回って、コツコツと真摯に地域づくりや教育づくに取り組んでいる。それは、集権的で上からの「地方創生」や「教育再生」とは違う、地域に根ざした“地元学” の確かで豊かな実践である。


① この論考で岡村重夫は、穂積陳重がその著『隠居論』(有斐閣、1915年3月)で説く「老人処遇論としての隠居論」について紹介・検討している。「老人福祉の民俗学の必要性」を指摘する直前の、岡村の次の一文を紹介しておくことにする。
今日の多くの老人処遇論は、「優老の法制」ないしは「優老の社会政策」を論ずるのに急にして、それに先だって優老の習俗や徳教や体制のあることを無視ないし軽視しているのではないか。わが老人福祉法は、いとも簡単に「敬老の日」を法律で制定したけれども、それに先だつ敬老の習俗、徳教、体制についてどれだけの対策を講じてきたか。(157ページ)
② SEALDs(シールズ)は、Students Emergency Action for Liberal Democracy – s の略称である。

【初出】
<ディスカッションルーム>(49)阪野 貢/“土の人” として地元に学び、地域を創る:教育再生やアクティブ・ラーニングへの思い―資料紹介―/2015年8月22日/本文

 


27 「まちづくり学」/キャパシティ・ビルディングのアプローチ


<文献>
(1) 織田直文『臨地まちづくり学』サンライズ出版、2005年3月、以下「1」。
(2) 西村幸夫編『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』朝倉書店、2007年4月、以下「2」。
(3) 日本福祉のまちづくり学会編『福祉のまちづくりの検証―その現状と明日への提案―』彰国社、2013年10月、以下「3」。
(4) 日本都市計画学会関西支部新しい都市計画教程研究会編『都市・まちづくり学入門』学芸出版社、2011年11月、以下[4]。
(5) 株式会社オオバ技術本部『まちづくり学への招待―どのようにして未来をつくっていくか―』東洋経済新報社、2015年5月、以下[5]。

〇筆者(阪野)はこれまで、「まちづくりと市民福祉教育」をテーマに、ささやかな実践と研究を行ってきた。その際、まちづくりは地域(地元)の住民をはじめ行政やさまざまな組織・団体、NPO、企業などの主体形成なくしてはあり得ず、主体形成こそがまちづくりの本質である、という考えを基本に据えてきた。そして、どちらかといえば「まちづくり」よりは「市民福祉教育」に関心を寄せ、社会福祉学や教育学などの学問領域の言説を援用しつつ、福祉教育の実践の理論化と理論の実践化に取り組んできた。しかもそこでは、市民の主体形成をめざして、固有の研究対象や研究方法について探究し、実践の主体や理念・目的、内容・方法、制度・組織、あるいは運動などについて問うてきた。それは、市民福祉教育はまちづくりと人づくりを担う以上、多様な先行諸科学の知識・知見や技術を総合的に活用する学際的な総合科学であり、かつ「実践の学」として構想されるべきである、という考えに基づいている。
〇ところで、先日、あるブログ読者(学生)から、「まちづくり学」の成立をめざした本がいくつか出版されているが、「まちづくり」の視点や枠組みに関する基礎的・基本的な言説をいくつか紹介してほしい、というメールをいただいた。本稿は、不十分ながら、それに応えようとするものである。
〇筆者の手もとにある「まちづくり」に関する本は上記の5冊である。それらを一瞥すると、まちづくりの実践例を紹介するものが多い。しかも、「まちづくり」とはいうものの、その論述はハード面を中心とした都市計画論や土木・建築工学などの専門領域に限定されていたりする。また、「まちづくり学」とはいうものの、実践経験やそれに基づく知識や知見を教科書風に整理・総括したものもある。さらには、個別的・技術的なまちづくり実践の研究と総合的・俯瞰的なまちづくり学の研究が混同されている場合もある。いずれにしろ、「まちづくり学」の成立については未だしの感なきにしもあらず、といったところである。
〇こうした「まちづくり」研究の現状認識のもとで、以下に、「1」「2」「3」を中心に注目したい論点や言説を紹介する。ここでは、取り敢えず3つの項目立てを行う。(1)まちづくりとまちづくり学、(2)まちづくりの潮流、(3)まちづくりの進め方、がそれである。

(1)まちづくりとまちづくり学
<A>「まちづくり」とは、住民や行政、企業などの地域構成員が、地域を良くするために心を通わせるコミュニケーションの場を形成する活動であり、/<B>多様で複雑なまちづくりの課題をこの場を手がかりとし、地域の実態に即して解決しつつ、住民(議会、コミュニティ、既存の地域団体、NPO等を含む)、地元行政、企業(産業界を含む)などの地域構成員が、歴史・自然などの地域の固有性に着目し、地域という空間・社会・文化環境の健全な維持と改善・創造のために主体的に行う連続的行為である。これらの意味から、/<C>まちづくりは、人々が心を通わせ、その場に臨んで、具体的な問題を解決していく活動である。(「1」24~25ページ)

まちづくりの本質とは何か、それは都市計画や都市整備とはどう違うのか。まちづくりは、地域を統合的にみることを特徴とする。まちづくりの統合的な視点やアプローチを都市計画と比較してみると、表1のようになる。(西村幸夫「2」1、7ページから抜き書き)
表1 まちづくりと都市計画の違い(18日22時)
まちづくりとは、「地域における、市民による、自律的・継続的な、環境改運動」である。重要なのは、「地域における」、「市民による」という点にある。地域市民が安全・安心、福祉・健康、景観・魅力のための環境改善運動を、自分たちが自律的に、継続的にやり続けることが「まちづくり」である。(小林郁雄「2」83ページ)

「臨地まちづくり学」とは、臨地、すなわちまちづくりの現場での調査研究を重視し、住民主体で地域課題の解決を図る、または将来目標を獲得するための思想、知識・技術を開発する学問であるといえる。/その学問を行う主体は地域社会の構成員である、住民、市町村行政、地域企業、諸団体、NPO、大学等であり、研究者は準構成員としてまちづくりの現場に関わりながら事業支援を行い、研究開発の進展に貢献するのである。この学問はあくまで地域に息づく市井の人々に役立つことをめざして取り組むことを基本とする。(「1」46~47ページ)

(2)まちづくりの潮流
人間の個々人の欲求が集合体として社会化し、それに符号する形の「まちづくり」が現出する。戦後のまちづくりを辿ると次のようになる。1960年代、環境破壊や公害の発生などの高度経済成長による歪みに対して、生活環境整備や福祉の充実への希求が高まり、イデオロギーを背景にした新しい社会運動が登場した(「告発・要求型まちづくり」)。1970年代、地方・地域の過疎的状況の中で、独自の産業振興を図り雇用の確保、人口の定住をめざして地域振興が取り組まれた(「地域経済振興型まちづくり」)。1980年代後半から1990年代前半、地域住民の地域への誇りと愛着の醸成や、経済とは切り離されたところでの芸術・文化活動の活発化などで、自己実現をめざす人間的欲求の発露の結果として地域の社会・文化開発がなされた(「自己実現型まちづくり」)。今後は、多様で複雑な地域課題を解決するためには、国や県、地域外企業などが行う「外発的地域開発」(exogenous regional development)と市町村行政や住民などが主体的・主導的に行う「内発的地域開発」(endogenous regional development)を結合させ、両者の長所を合わせ持った「ひらかれた内発的地域開発としてのまちづくり」が必要となる(「課題解決型まちづくり」)。(「1」114~127ページ)

これまでの福祉のまちづくりは、障害者の住まいや介助問題を発端に、移動、交通、少子高齢社会の急速な到来に対するさまざまな地域課題を環境整備や法制度の構築、市民運動というかたちで発展させてきた。/今日、福祉のまちづくりの対象は拡大し、子ども、高齢者、障害者、外国人などへの多様な対策をはじめ、健康づくり、防災、安全・安心のまちづくりなど、その範囲を広く捉えることができる。さらにまた、東日本大震災は、日本のこれまでの社会経済活動のあり方を根本的に問い直し、地域とは何か、共助とは何か、過疎化、高齢化する地域における市民の役割、福祉のまちづくりの役割を問うこととなった。90年代までとはまったく異なるステージに突入したといえる。/福祉のまちづくりのゴールとは、地域やまちづくりの分野ですべての人が「分け隔てのない共生社会」(注1:阪野)の実現を図ることである。「弱くて脆い社会」(注2:阪野)をそろそろ脱皮する必要がある。(「3」10~24ページ)

<注1> 「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」、2013年6月公布、2016年4月施行)は、「障害を理由とする差別の解消を推進し、もって全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。」(第1条)。
日本は、2014年1月、「障害者の権利に関する条約」(Convention on the Rights of Persons with Disabilities、2006年12月国連総会採択)を批准した。本条約は、「全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進すること」(第1条)を目的とし、締約国は「この条約において認められる権利の実現のため、全ての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること。」(第4条1(a))を定めている。
<注2> 「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」(「国際障害者年行動計画」(第63項)1980年1月国連総会決議)。

福祉のまちづくりに関する流れを概観すると、福祉のまちづくりは、①当初、障害者自身の自発的な活動すなわち住民主導型から始められたが次第に行政主導型に変化していったこと(「主体の変化」)、②福祉のまちづくりそのものの概念が時代とともに変化していったこと、すなわち当初の「福祉」は障害者を主体的に捉えていたが後年は全ての市民を対象にしていること(「概念の変化」)、③「まちづくり」の目的が道路や建築物といったハードを整備することからまちの中で生活できることへと進化していったこと(「対象の変化」)、④当初は法的拘束力がほとんどなかったが条例の制定等で次第に法的拘束力が強められていったこと(「法的拘束力の変化」)が理解できよう。(「3」200ページ。野村勸「建築分野からみた福祉のまちづくり」『福祉のまちづくり研究』第13巻第2号、日本福祉のまちづくり学会、2011年7月、13ページ)

(3)まちづくりの進め方
臨地まちづくりを進める場合の要諦としては、次のような点がある。
① 地元の住民や行政の主体性、独創性を最も重要視する。
② 地域社会を生態的、動態的に扱う。
③ 現地の状況を客観的かつ感覚的、総合的に認識する。
④ 住民の深層内面的コンセンサスが得られるまちづくりの進め方、提案をする。
⑤ 地域の現状・課題把握、政策立案、実施をスピーディに行う。ただし、現場のペースを著しく乱してはならない。
⑥ 政策内容、事業展開に柔軟性を持たせる。現場の事情に応じて対応していく。しかし、基本コンセプト等はできるだけ崩さない。(「1」53ページ)

〇以上を要するに、まちづくり(「1」でいうひらかれた内発的な課題解決型まちづくり)は、地域の歴史性・固有性、地域住民・行政などの主体性・自律性、実践活動の総合性、計画性、運動性、継続性などにその特性を見出すことができる。まちづくりは、地域(地元)の住民をはじめ行政、組織・団体、NPO、企業などの主体の形成なしにはありえず、主体形成を本質とする。まちづくりは、住民主体・住民主導の内発的な取り組みを基本とするが、その推進を図るためには個々の住民(個人的実践主体)の主体形成にとどまらず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上するための取り組みを必要とする。まちづくりの重要な主体である地元行政や地域の組織・団体・NPO・企業などは、如何にして、ひとつの組織体として「まちづくりの力」を発揮するか、組織体相互の連携・協働(共働)を図るかが問われる。そしてまた、まちづくりの主体を形成(育成)するための教育的営為(「まちづくり教育」「まちづくり学習」「市民性形成」「市民福祉教育」など)のあり方も問われることになる。
〇なお、福祉のまちづくりは、高齢者や障がい者などの社会的弱者に限らず、すべての人が安全で安心して快適に、共に暮らせるまちづくり(「共生のまちづくり」)の推進を図るものである。その意味においては、これまで使われてきた福祉「の」「で」「による」まちづくりは、総合的・包括的な概念である「まちづくり」に包含されることにもなろうか。
〇ここで、以上との関連で、「まちづくりの方向性と側面」と「キャパシティ・ビルディング」について一言付け加えることにする。
〇図1は、1990年代以降の地方分権改革の潮流に対応した住民参加・市民主導のまちづくりの方向性と側面(内容)について表示したものである。第1象限(市民主導/行政・専門家支援✖️創造・変革)が、推進することが志向されるまちづくりである。しかし、現状では、第2象限や第4象限にとどまったり、旧態以前とした第3象限(行政・専門家主導/住民参加✖️守旧・伝統)に位置づく取り組みが多い。2000年代に入るとまちづくりへの住民参加が制度化されるが、参加主体の多様化や多層化が進み、かえって参加が形式化・形骸化している実態もある。また、内容的には、ハード(物理的側面)とソフト(意識的・制度的・文化的側面)の両面にわたって総合的かつ有機的に地域課題を解決することが重要であるといわれるが、個別的・縦割り的なものも多くみられる。

図1 まちづくりの方向性と側面 11月17日17時30分
〇まちづくりは、それに参加する住民の「個別の能力強化」だけでなく、NPOや地域組織・団体、企業などの組織的な能力の形成・強化・向上を図る取り組み(キャパシティ・ビルディング、capacity building)とそれを促進・支援する専門的人材の育成やシステムの構築が必要かつ重要となる。

キャパシティ・ビルディングは、「組織の実績と効果を高めるために、組織強化するプロセス」(「組織の能力強化」)と定義される。それは、NPOや市民活動団体、民間企業などが組織体として、まちづくり活動を推進するために、組織・人材・財源などの組織基盤・基礎体力(キャパシティ)を構築(ビルディング)・強化することを意味する。キャパシティ・ビルディングの取り組みでは、①リーダーシップ力(組織のリーダーのもつべき能力で、発想し、優先順位づけを行い、意思決定し、方向を決めて革新を行う能力)、②適応力(組織が抱える内外の環境変化を観察・評価し、対応する能力)、③マネージメント力(組織のもつリソース(資源)について、効果的・効率的に活用する能力)、そして④技術力(組織が組織運営上あるいはプログラム実施上の機能を発揮する能力)の4つの組織能力が必要とされる(「2」98~99ページ)。

〇キャパシティ・ビルディングは、東日本大震災を契機に地域の再生・創造が叫ばれ、まちづくりのあり方が改めて問われている今日、注目すべきアプローチのひとつである。

補遺
織田直文は、「臨地まちづくり学」の「臨地」について次のように述べている。

そもそも「まちづくり」そのものが現場性の高いものであって、もともと「臨地」ではないかとの指摘もある。しかしながら、まちづくりには現場から離れた基礎的研究や理論研究もあり、それも対極として重要である。あるいは、まちづくりの現場では、当事者たる住民やそこで地域貢献をする事業者などの自覚と、主体的な取組こそが重要であるとの自戒を促す意味も込めて、あえて「臨地」という言葉で強調しているのである。
さらにそのことを認識したうえで等しく大学の研究者、学生、ジャーナリストといった、外部からの観察者・提案者たちも<まち>を対象に研究をするのであり、その者たちが「その地に臨むこと・現地に出かけること」によるまちづくり研究も、「臨地まちづくり学」なのである。(「1」49ページ。織田直文「臨地まちづくり学の理論と実践―京都市山科区における臨地まちづくりによる地域活性化と教育実践の分析―」『政策科学』第15巻第3号、立命館大学政策科学会、2008年3月、42ページ)

〇この説述は、研究者や実践者(事業者)の立ち位置や研究・実践姿勢に視点・視座を置くものである。「まちづくり学」は「実践の学」「主体形成の学」であり、その基本的な性格は臨地性と実践性にある。また、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別されるが、この両者を循環的に組み合わせ、相互作用を引き起こすことによって理論の構築が可能となる。とすれば、「まちづくり学」の臨地性を「あえて『臨地』という言葉で強調する」必要はもともとない、といえよう。

追記(2017年9月20日)
「都市計画」と「まちづくり」の違いに関して、ひとつの言説を追記することにする(伊藤雅春・ほか編著『都市計画とまちづくりがわかる本』彰国社、2011年11月、6~7ページ)。

「まちづくり」は運動、「都市計画」は制度、と考えるとします。比較対照して記せば、
まちづくり:地域における、市民による、自律的継続的な、環境改善運動
都市計画:国家における、政府による、統一的連続的な、環境形成制度
となります。
この場合、もう少し限定的にいえば(「まちづくり」は)「市民まちづくり」とするべきでしょう。そして、「制度(法律)」はどのようにつくられるか、ではなくて、どのように使われるか、が問題です。それは、「技術」でも「社会」でも、もちろん「計画」でもそうで、どのように使うかというプロセス・運動が重要となります。(小林郁雄)

【初出】
<ディスカッションルーム>(51)阪野 貢/「「まちづくり」の視点と枠組み:キャパシティ・ビルディングを考え、「まちづくりの福祉教育学」を構想するために―資料紹介―/2015年10月23日/本文

 


28 合意形成/マルチステークホルダー・プロセス


<文献>
(1)土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月、以下[1]。
(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月、以下[2]。
(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月、以下[3]
(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月、以下[4]。

〇まちづくりにおける「総論賛成・各論反対」の状況を打開するためには、「合意形成」が必要不可欠である。上の文献から、個人的に注目したい言説を2、3紹介することにする(抜き書きと要約)。なお、「2」には「合意形成学関連書籍リスト」が掲載されている。

(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会([1])
仮に「市民は政策判断に必要な知識をもっていない」という前提を認めたとしても、そこから「専門家が市民に代わって意思決定すべきである」という結論を導く論理は飛躍している。「市民が必要な知識を専門家から学び意思決定に関与する」という論理も同時にありうる。国づくり、まちづくりに関わる喜びは専門家だけの特権ではない。(小林清司:13ページ)

合意とは、必ずしも形成するものではない。自然と形成されるものでもある。それゆえ、土木事業者が自らの信頼性を保ち、毅然とした態度をとり、人々の良識を信頼し、そして人々の信頼を確保することで人々の公共心による議論が成立するのなら、長期広域の影響をもつ土木事業においてすら、「決める」までもなく「決まる」ことも少なくないのかもしれない。
合意形成論、それは、人間の社会の根幹に関わり、そのあり方そのものを問うきわめて重大な意味をもつ議論である。(中略)いま、ここに居るわれわれにできることがあるとするのなら、それは、真の合意の達成を信じたうえで、社会全体を巻き込む合意形成の言論とその実践、それらを、各人の領分と役割の中で、一つずつ真摯に重ねていくことのほかは、ない。(藤井聡:43~44ページ)

意を同じくするのが同意であり、意を合わせるのが合意だとするなら、同意は自らの良識に基づく判断の結果として人々の意が同じくなる半ば必然的な現象を意味し、合意には何らかの妥協や打算も入り混じったうえで意を合わせるという社会的行為を意味するものではないか(中略)。「良い社会とは何か」という途方もない問題を考えるにあたり、あり得る一つの、あるいはともするなら唯一の回答は、打算と妥協を交えた合意の形成ではなく、先人たちと子々孫々との共有を前提とした良識に基づく同意の形成ではないか、と考えるに至りました。
良い社会に向けた同意の形成、そのためには、さまざまな社会的役割の中で責を負われている方々の、その責を前提とした具体的行動が、いま、ただちに、一つでも多く必要とされているのではないか、と思われてなりません。(藤井聡:173~174ページ)

(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房([2])
合意形成とは、多様な意見の存在を踏まえ、対立が紛争に至ることを回避し、より高次の解決に導くための創造的な話し合いのプロセスである。したがって、合意形成は、たんなる説得や妥協、討論のための討論ではない。また、論者のだれかが勝利を収めるための論争ではない。関係者のだれもが納得する解決策を創造するための協働的な努力である。(桑子敏雄:189ページ)

社会的合意形成とは、(特定利害関係者の間の合意形成ではなく:阪野)、社会基盤整備のように、ステークホルダー(事業に関心・懸念を抱く人びと)の範囲が限定されていない状況での合意形成である。すなわち、不特定多数の人びとのかかわる合意形成である。(桑子敏雄:179ページ)

社会基盤整備のような不特定多数を対象とする合意形成プロセスの構築は、3つの大きな要素で構成される。すなわち、制度と技術と人である。このことは、この3つの項目に対応する人びとの関係の構築であるといってもよい。すなわち、制度を代表する行政機関に属する人びと、技術や知識をもつ専門家の人びと、および事業の影響を直接受ける人びとや一般市民である。(桑子敏雄:180ページ)

「合意」は、(全員の意見の一致を意味するのではなく:阪野)、①全員が賛成すること、②反対者がいなくなること、③反対者を少なくすること、④反対者を少なくするよう努力すること、というように、幅をもってとらえられる。(猪原健弘、266ページ)

(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房([3])
参加者の討議技術の違いを乗り越えて、参加者が建設的な議論ができるように、中立的な立場で議論の手助けをする立場の人がプロセスの進行を司ることが必要です。この立場の人を「ファシリテーター」と呼びます。(225ページ)

ファシリテーターには次のようなことが求められます(ファシリテーターが持つべき基本的スキル)。
①課題となるテーマから中立であること。
②すべての参加者が自分の意見を述べることができるように工夫すること。
③不公平感をもたれないようにとりまとめること。
④時間の管理に十分に留意すること。
⑤参加者と十分に打ち解け、コミュニケーションがとれていること。
⑥参加者の真意を聞き出すテクニックを持っていること。(228~230ページから抜き書き)

合意形成プロセスの参加者に求められる能力としては、大きく4つの能力があると考えます。
第一に、論理的思考力です。論理的思考力をさらに細分化すると、帰結を考える力、理由を考える力、論点整理する力などが該当します。論理的思考力が欠けていると、思い込み、鵜呑み、ムダが起こります。
第二に、発想力です。発想力は、発散思考力、結合思考力に分けられます。発散思考力とは、自分でさまざまなアイディアを思いつく能力といえます。結合思考力とは、一見関係のないようなアイディアをくっつけて新しいアイディアをつくりだす能力といえます。発想力が欠けていると、過去の事例にとらわれてしまうこと、自分の考え方に固執してしまうことが起こります。
第三に、対応力です。対応力は、即応力と適応力からなります。即応力とは、すぐに対応できる力です。適応力とは、場に応じた対応ができる力です。対応力が欠けていると、タイミングを逸してしまうこと、空気を読めない行動をしてしまうことが起こります。
第四に、コミュニケーション力です。コミュニケーション力とは、認識力(聴く力)と表現力(話す力)からなります。コミュニケーション力が欠けていると、他人の考え方を十分にくみ取れないこと、自分の意図を他人に伝えられないことが起こります。(240~242ページ)

(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府([4])
マルチステークホルダー・プロセス(Multi-stakeholder Process:MSP)とは、平等代表性を有する3主体以上のステークホルダー間における、意思決定、合意形成、もしくはそれに準ずる意思疎通のプロセスをいう。ここでいう平等代表性(equitable representation)とは、マルチステークホルダーにおけるあらゆるコミュニケーションにおいて、各ステークホルダーが平等に参加し、自らの意見を平等に表明できるということであり、また、相互に平等に説明責任を負うということである。(61ページ)

マルチステークホルダー・プロセスが適する条件は次の3点である。
①参加主体間に、対話が不可能であるまでの対立が発生していないこと。
②取り扱われるテーマがある程度具体性を帯びているものであること。
③最終目的が参加主体間で共有され、かつ、対話を経ることにより目的が達成される合理的な可能性(reasonable probability)があること。(61ページ)

マルチステークホルダー・プロセスによって得られるメリットは次の5点である。
①対話や情報共有等を通じて、参加主体間に一定の信頼関係が醸成されるとともに、相互にとって最善の解決策を探ろうとする姿勢(win‐win attitude)が創出される。
②広範なステークホルダーが参画することによって、対話の成果である決定や合意等への幅広い正当性(Legitimacy)が得られる。
③各ステークホルダーが主体的に参画することにより、それぞれの主体的な取組が促される。
④単独の取組もしくは二者間の対話のみでは解決できない、もしくは、十分な効果が得られない問題が、3主体以上の関与によって解決可能になる。
⑤各ステークホルダーが自己利益のみを目指して行動した場合、結果として各主体の利益が損なわれるという“囚人のジレンマ”的な状況にある問題が解決可能になる。(62ページ)

〇まちづくりにおける合意形成については、以上のうちとりわけ[2]の「社会的合意形成」と[4]の「マルチステークホルダー・プロセス」の言説が注目されます。ここで、それとの関わりで、2、3の基本的事項について若干述べることにする。
〇「まちづくりにおける合意形成は、さまざまな人々の異なる思いを『つなぐ』過程の積み重ねである」([1]158ページ)といわれる。合意をめざす社会的事象や意見、意思などの多様性を考えると、まちづくりにおける合意形成は、例えば、①どのような社会的事象や社会的課題をテーマにするのか、②ハードあるいはソフトを中心に考えるのか、両者を組み合わせた総合的なものをめざすのか、③地元の自治会・町内会から市町村全域に至るどのレベルの範域を対象にするのか、④参加主体を特定の利害関係者に限定するのか、一般市民まで広げるのか、等々によって合意の目標や内容、合意形成プロセスの進め方、合意形成のための方法や技術などが異なる。これが一点目である。
〇二点目は、まちづくりにおける合意形成では、「時間」と「空間」と「ヒト」のバランスを図ることが肝要となる、ということである。「時間」については、現在の課題や市民だけでの合意ではなく、将来の課題や市民のことを考える。「空間」については、自分の地域(地元)だけでの合意ではなく、他地域を含めた広域(市域、県域など)のことを考える。「ヒト」については、活動的な市民や有識者が主体となった合意ではなく、社会的弱者や無関心層などに十分配慮する、ことが大切になる([3]151ページ、土木学会コンサルタント委員会合意形成研究小委員会『社会資本整備における市民合意形成』科学技術振興機構Webラーニングプラザ、2007年3月、5ページ参照)。
〇三点目は、合意形成を推進するためには、[3]が説くファシリテーターや参加主体に求められる“技術”や“能力”を有する「人材」をどのように育成・確保するかが重要な課題となる、ということである。その点に関して、例えば、学校教育においては、小・中学校国語科の「話すこと・聞くこと」領域で合意形成を図る(めざす)学習が取り組まれている。また、シティズンシップ教育においては、コミュニケーション力とともに合意形成力を育てる学習が重視される。なお、[3]には、大学の授業や各種企業研修などにおいて使える「参加者の能力を高めるためのアクティビティ」(「スピーチアンドクエスチョン」「全員参加型ディベート」「ロジックゲーム」「ディスカッションバトル」「ロールプレイング会議」「ネゴシエーションゲーム」)が紹介されている([3]242~260ページ)。
〇いずれにしろ、多数決による安易な合意ではなく、多様な参加主体が相互信頼に基づいて深く議論(熟議)し、適切な方法やプロセスを踏まえて「納得」する合意を積み重ね、自律的・主体的に行動することがまちづくりの真骨頂(本来の姿)である。
〇最後に、以上で紹介したことをベースに、若干の管見も含めて、「合意」「合意形成」「マルチステークホルダー・プロセス」の関係性を図示することにする(図1)。本稿のねらいは、資料紹介に併せて、この作図にある。

NSP7月1日最終版

【初出】
<ディスカッションルーム>(46)阪野 貢/まちづくりにおける「合意形成」とマルチステークホルダー・プロセス(MSP)―資料紹介―/2015年6月23日/本文

 


むすびにかえて―地域と「地域学」―


<文献>
(1)山下祐介『地域学入門』ちくま新書、2021年9月、以下[1]。
(2)山下祐介『地域学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2020年12月、以下[2]。
(3)柳原邦光・ほか編『地域学入門―<つながり>をとりもどす―』ミネルヴァ書房、2011年4月、以下[3]。

〇山下祐介が書いた本に『地域学入門』(ちくま新書、2021年9月)と『地域学をはじめよう』(岩波ジュニア新書、2020年12月)がある。山下というと、『限界集落の真実―過疎の村は消えるか?』(ちくま新書、2012年1月)や『地方消滅の罠―「増田レポート」と人口減少社会の正体』(ちくま新書、2014年12月)を思い出す。
〇人口の高齢化によって「限界集落」はいずれ消滅する(注①)、とその危機が声高に叫ばれるようになったのは2007年頃からである。そして、2014年5月、民間の政策提言組織である日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が、減少する若年女性人口の予測から、「2040年までに全国約1,800の自治体のうち、そのほぼ半数の896の自治体が消滅する可能性がある」と発表した。いわゆる「増田レポート」である。とりわけ「消滅可能性都市」という言葉は衝撃的であり、大きな波紋を呼んだ。「消滅する」と名指しされた市町村やそこで暮らす人々の不安や恐怖、そして怒りは相当なものであった。
〇そうしたなかで山下は、「高齢化によって消滅した集落」はなく、「限界集落」問題はいわば「つくられた」ものである。増田レポートが説く「極点社会」(大都市圏に人々が凝集し、高密度のなかで生活している社会)におけるひとつの道筋である「選択と集中」は、国家の繁栄のために地方(地域)や農家の切り捨てに帰結する。地方消滅の “警鐘” にこそ地方消滅の “罠” がある、としてそのレポートの「うそ」を暴いた。以後、山下は、生身の人間の暮らしや個々の地域の歴史や現在の実像を明らかにし、そこからの学びの作業を通して「(山下)地域学」を描いてきた。[1] はその集大成である。
〇山下にあっては、地域は人間の生存の基盤であり、「足もとの地域を知ることが、自分を知ることにつながる」。自分の足下にある地域について学ぶこと、それが「地域学」である([1]11ページ)。そこで山下は、地域の実像を、「生命」「社会」「歴史と文化」の3つの切り口(側面)から捉える。「生命」では、環境社会学の視点(視座)から、地域を、一定の環境のなかで育まれる生命の営み(生態)として切り出す。「社会」では、農村社会学や都市社会学、家族社会学の視点から、地域を、そこで展開される人々の集団の営みとして描き出す。「歴史と文化」では、歴史社会学や文化社会学などの視点から、地域を、連綿と続く歴史と文化の蓄積の営みのなかに見出す([1]11ページ)。
〇そして、日本社会はいま、人々の暮らしや地域が「近代化」(「西欧化」)や「グローバル化」によって大きく変容し、「地域の殻が内側からも、外側からも、崩壊する間際にある」([1]300ページ)。そうした「地域を見直し、新たな国家とのハイブリッドとして再生させる」ための「認識運動」([1]301ページ)として山下は、「地域学」を構想する。それは、「地域の殻が破られはじめている」流れに抗(あらが)い、新しい未来を拓(ひら)く「抵抗としての地域学」([1]302ページ)であり、「生きる場の哲学」([1]308ページ)そのものである。
〇[2]は、「中高生、大学初級者向けのもので、『地域学入門』のさらなる導入編」([1]22ページ)である。そこでは、「どの地域にも固有の歴史や文化があり、人々の営みがある。それらを知っていくことで、地域の豊かさ、そして自分や自分が生きる社会、そして未来が見えてくる」(カバー紹介文)として、地域学の魅力を伝える。
〇ここで、[1] から、山下の「地域学」に関する論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「地域」は、固定化された空間ではなく、「私」の立場やものの見方・考え方によって認識される
「地域」はそもそも、誰かが世界の一部を切り取ることによって浮かび上がってくるものである。何かを切り取らないと地域は出てこない(地域は境界性をもつ)。そして、その「切り取り方」にも色んなやり方があって、それは文脈にもよれば、時代によっても違う(地域は文化性・歴史性をもつ)。そもそも世界のすべてはつながっている。どこかで切れ切れになっていて、「地域」がきれいに分かれているなどということはない。すべてはつながっているのだが、そのつながっているもののなかから、何らかの固まりを切り出してきたときに「地域」は立ち現れる。しかもそれが、全体の一部でありながら決して断片ではなく、それのみでなお一つの全体でありうるもの、それが地域である(地域は統一性・総合性をもつ)。(13ページ)
「地域」は、互いにつながりあっている世界の中から、何らかの固まりを見つけ、切り出してくる者がいるから「地域」になるのである。地域はだから、その「切り出してくる者」の立場やものの見方によって変わる。その者の見方がしっかりしていれば地域はしっかり示される。逆にその者の見方がぼんやりとしていれば、地域はぼんやりとしか見えないことになる。(13~14ページ)

「地域」という存在を欠き、国家と個人しかない認識は、危うい認識であり生き方である
いまや国民の多くは、空間的にも時間的にも、また暮らしにおいても仕事においても地域から切り離されて存立しており、地域を見出すどころか、地域とできるだけ無縁なまま暮らしている。多くの人にとっては、日常の中に「地域」を認識しづらい状況にあり、宙ぶらりんな社会の中で、個人が国家やグローバル市場にだけ向き合って暮らしているかのような錯覚が、むしろ一般的な認識となってしまった。実にちっぽけな一人一人の人間が、実に大きな装置の中で生きるようになっている。暮らしを成り立たせている環境が、広く際限のないものになっている。こうした装置(や環境)を実際に保持し、また動かしているのは地域である。それは具体的には地方自治体であり、様々な事業体の集積であり、地域社会(村や町内社会)の形をとる。国はただ、これらが作動する条件を整えるのにすぎない。(286ページ)
いまを生きる私たちは、こうした地域のありようを想像力を働かせて再認識せれば、いったい自分がどんな基盤の上にいるのか、まったく気付かないような環境の中に暮らしている。それどころか、一部の人々の視野にはすでに地域は存在せず、国家と個人しかない認識さえ確立されているようだ。だがそれは、すべてを国家に委ね、依存するしかないという危うい認識である。自分がどのように生きているのかもわからぬままただ生きているとすれば、これほど危うい生き方はない。私たちは地域を知るきっかけを取り戻さなくてはならない。(286~287ページ)

専制主義国家であり、民主主義国家でない日本社会を変革するのは、「地域主義」(地域ナショナリズム)である
弱者批判や地方切り捨て、国家の高度武装化、トップの専横の容認や全体主義の礼賛といった言説が、政治学者でも政治家でもないふつうの人々の間で展開されている。そこではどうも、この国の挙国一致体制をさらに進めてより完全なものとし、海外との経済競争に打ち勝つべくしっかりとした体制を整えよという主張さえ広がっているようだ。国家というものは、具体的には下から、国民や地域の現実の力によってはじめて作られていくものである。排除や分裂を伴う(自分の内部にあるものを否定し、その一部を排斥する)国家は危うい。(295ページ)
個人主義の中から立ち現れるナショナリズム(nationalism、国家主義)に対して、むしろ個人主義をさらに強く推し進めることで国家そのものを否定していこうという、コスモポリタニズム(cosmopolitanism、世界市民主義)の立場も表明されている。この超個人主義=脱国家主義的なコスモポリタニズムははたして、ナショナリズムを解消し、国家のない世の中をつくる適切な道筋になるのだろうか。(296ページ)
敵国と自国との差異だけを強調し、個人と国家の関係のみを際立たせる国民国家ナショナリズムの思考法には根本的な欠陥が潜んでいる。他方でそれをコスモポリタニズムによって解消しようとしても、それで問題が解決するものでもない。国家ナショナリズムにも、コスモポリタニズムにも、どちらにも大切なものが欠けている。それは地域である。危険な一国ナショナリズムに対抗できるのは、コスモポリタニズムではなく、その内部に確立される地域主義――地域ナショナリズム――である。(297~298ページ)

地域の人材を育てること、「地域教育」は学校の持つ大切な役割である
学校はそもそも地域のためのものではなく、国家のために必要な人材をつくる機関として設立された。そしていま国家が必要としているのは、この国が苛烈な国際競争を勝ち抜くのに必要な経済力・生産力を実現する人材である。学校教育は、地域教育などのためではない。この国の国際競争力を、人材育成という場から高めるために、一丸となって敵(海外の企業群)に立ち向かうためである。子供たちには、地域の人間であるよりは国家人として、さらには国際人・コスモポリタン(世界主義者)として育つことが強く求められている。(287~288ページ)
学校は外向きにだけではなく内向きに、すなわち国内の運営バランスを実現するために、子供たちを適切に教育して各所に配置する装置でなければならない。そのためにも、一人一人が自分の人生の調整を自ら適切に実現できるよう、人としての成熟をうながすものであるべきだ。私たちの暮らしはいまも地域と国家の両方でできている。地域の人材を育てることは、学校の持つ大切な役割である。だが、現実には近年、国家だけが尊重され、地域が極度に軽視されてきた。(288ページ)
学校が今後とも地域を継承する人材を育てる場であるのか、それとも地域と子供たちのつながりを断ち、国家や国際社会対応の人材供給の場になるのか、私たちはその分岐点にいる。(249ページ)

〇山下にあっては、「地域学」は抽象的な言語や普遍的な理論を学ぶものではなく、具体的な時空にいる「私」を地域のうちに “生きているもの” として浮かび上がらせ、見定めていく、そんな学びの作業である([1]16ページ)。また、私たちの暮らしや、身近な地域と国家と世界が大きく変容するなかで、その変化に対応するための最低限の認識法が「地域学」である([1]309ページ)。その認識の視点や言説のひとつが、上記のメモである。
〇筆者の手もとに、柳原邦光ほか編『地域学入門』(上記<文献>[3])という本がある。それは、「地域を考える」「地域をとらえる」「地域をとりもどす」という3部構成から成っている。柳原によるとそれは、「地域」をめぐる今日の困難や課題の現状を打開するための「希望の学」として「地域学」を構想するものである。すなわち、「地域学」は、地域課題をたちどころに解決するための処方箋を提示するものではなく、「現代の諸課題の根底にある問題性を探り出し、そこから諸課題をとらえ直して、未来を考えようとする」ものである(2ページ)。
〇いずれにしろ、「地域学」は、日本学術会議(地域学研究専門委員会)が2000年6月に報告した「地域学の推進の必要性についての提言」(注②)などにあるように、その研究や実践の必要性は認識されていよう。しかし、その理論化や体系化は必ずしも十全になされているとは言えない。そうしたなかで、筆者は、「地域・住民が拓き創るふくし」が確かで豊かなものになることを「地域学」に期待している。それは、「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化(「福祉教育学」の構想)に向けた思いや願いによるものでもある。本稿を草したひとつの意図はここにある。


①  周知の通り、「限界集落」という用語は、高知大学人文学部教授であった大野晃が1980年代後半から提唱してきた概念である。大野にあっては、「限界集落」は「65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え,冠婚葬祭をはじめ田役,道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落」をいう(大野晃『限界集落と地域再生』静岡新聞社、2008年11月、1ページ)。その点をめぐって山下は、「限界集落」問題はいわば「つくられた問題」としての色彩が強かったとして、次のように述べている。「『限界集落』の語をつくって注意喚起しようとした提唱者の意図に反し、その後の議論は、集落消滅を避けられない既定路線であるかのように取り扱っていった」。「『地方消滅』や『自治体消滅』は起きない」(山下祐介『地方消滅の罠』290~291ページ)。
②  日本学術会議の「提言」では、「地域学は、もっとも広義の『地域にかかわる研究』を指すものである。 現地研究(フィールド科学)に根ざして人文科学・社会科学・自然科学を統合的、俯瞰的に再編成しようとする学問的営為を、地域学と呼ぶ」。また、「提言」では、現地研究に根ざした基礎研究としての「地域学」の展開が必要とされている理由について、次の2点を指摘している。

1)わが国は明治以来、世界諸地域を相手どってそのおのおのを総合的にとらえようとする基礎研究としての地域学構築の地道な努力を十分にしないまま、いわば学理・学説としてのディシプリン(学術専門分野:筆者)だけを欧米から輸入してきた。そのために、わが国の学術専門分野は、とかく欧米の理論を追いかけるものとなってしまった面があることは否定できない。あらためて今日、もっとも基礎的な現地研究に立ち戻り、現地研究に立脚した学問を創り出す努力が必要になってきている。現地研究という「地を這う」ような地道な作業を経ないかぎり、しっかりした骨格をそなえる学問体系の構築は望めない。
2)従来の専門分化したディシプリンにしがみついているだけでは、あるいはまた、そのいくつかを寄せ集めてみる程度では、現在の世界の趨勢を的確に把握することができないばかりか、目前に危機的に発生している問題に対処し、それを解決することがむずかしくなっている。地球環境・生態系の破壊をいかにくい止めるか、世界的規模で公正をいかに実現するか、そして持続可能性・世代継承性に裏付けられた発展の道筋をいかに発見するか、など、人類的課題がつよく自覚されるなかで、水、食料、健康、人口、エネルギー、ライフスタイル、経済システム、価値観、教育、情報秩序、参加とパートナーシップ、民主主義、その他ありとあらゆる問題への取り組みが、何をとってみても、知識の統合を要求するとともに、これを具体的な場所に根ざした地域学として実現することを必須のものとしている。

補遺(1)―「地域学」教育と「「地域協働教育」―
〇「地域学」の必要性は、大学に設置されている学部名からも知ることができる。大学で「地域」を最も早く学部名に取り入れたのは1996年10月に設置された、岐阜大学の「地域科学部」(1997年度開設)である。その後、鳥取大学の「教育地域科学部」(1999年度開設。2004年度「地域学部」に改組)、金沢大学の「人間社会学域・地域創造学類」(2008年度開設)などが設置され、2015年度には高知大学に「地域協働学部」が開設されている。以後、国公立大学や私立大学でいわゆる「地域系学部・学科」の新設が続き、「地域学」が大学教育の場に普及する。
〇高知大学地域協働学部の目的は、「地域力を学生の学びと成長に活かし、学生力を地域の再生と発展に活かす教育研究を推進することで、『地域活性化の中核的拠点』としての役割を果たす」ことにある。そこでは、「地域協働教育」を通じて、地域資源を活かした6次産業化を推進してニュービジネスを創造できる「6次産業化人」や、「産業、行政、生活・文化の各分野における地域協働リーダー」の育成が図られている(高知大学地域協働学部ホームページ)。
〇高知大学地域協働学部では、「地域志向教育」あるいは「地域協働教育」を通して、「地域協働マネジメント力」の育成をめざしている。「地域協働マネジメント力」は3つの能力によって構成される。(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」がそれである。(1)「地域理解力」は「地域の産業及び生活・文化に関する専門知識を活用して、多様な地域の特性を理解し、資源を発見できる力」と定義される。その能力を構成するのは、「状況把握力」「共感力」「情報収集・分析力」「関係性理解力」「論理的思考力」である。(2)「企画立案力」は「課題を発見・分析し、解決するための方策を立案し、その成果を客観的に評価する能力」と定義される。その能力を構成するのは、「地域課題探究力」「発想力」「商品開発力」「事業開発力」「事業計画力」「事業評価改善力」である。(3)「協働実践力」は「多様な人や組織を巻き込み、互いの価値観を尊重しながら、参加者や社会にとっての新しい価値を生み出す活動をリードする力」と定義される。その能力を構成するのは、「コミュニケーション力」「行動持続力」「リーダーシップ」「学習プロセス構築力」「ファシリテーション能力」である(湊邦夫・玉里恵美子・辻田宏・中澤純治「地域協働教育への学生の意識―地域協働学部第1期生調査の結果から―」『高知大学教育研究論集』第20巻、2016年3月、25~33ページ)。これらの諸能力やその見方・考え方については、「まちづくりと市民福祉教育」に関するそれに通底するものでもあり、参考になろう。

補遺(2)―「地元学」の言説―
〇「地域学」の類似用語に「地元学」がある。地元学を提唱する2人の言説を紹介しておきたい。まずは地元学を代表する結城登美雄のそれである。結城は、「いたずらに格差を嘆き、都市にくらべて『ないものねだり』の愚痴をこぼすより、この土地を楽しく生きるための『あるもの探し』。それを私はひそかに『地元学』と呼んでいる。(中略)『地元学』は都市やグローバリズムへの否定の学ではない。自然とともに生きるローカルな暮らしの肯定の学でありたい」(結城登美雄『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』農山漁村文化協会、2009年11月、2ページ)と説く。結城にあっては、地元学は、「理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学」(14ページ)であり、その土地の人びとの声に耳を傾け、そこを生きる人びとの暮らし方や地域のありようを学ぶものである。結城は柳田邦国男の次の一節を引く。「美しい村などはじめからあったわけではない。美しく生きようとする村人がいて、村は美しくなるのである」([3]28ページ)。
〇また、地元学のもうひとりの第一人者である吉本哲郎は、「地域のもつ人と自然の力、文化や産業の力に気づき、(それを)引き出していく手法が地域学である」(カバー紹介文)。「自分たちであるもの(モノ、コト、ヒト)を調べ、考え、あるものを新しく組み合わせる力を身につけて(人、地域の自然、経済の3つの)元気をつくることが地元学の目的である」(吉本哲郎『地元学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2008年11月、17、22、38ページ)という。吉本にあっては、暮らしを「つくることを楽しむ」ことが大事であり(32ページ)、地域やまちの衰退は「つくる力」の衰退に起因するものである。その「つくる力」の衰退は、「考える力」の衰退であり、「調べる力」の衰退である(22、23ページ)。

【初出】
<まちづくりと市民福祉教育>(59)阪野 貢/地域を知り・地域に学び・地域を創り拓く「地域学」と「地域協働教育」―山下祐介著『地域学入門』読後メモ―/2021年12月24日/本文

 


備 考 ―<文献>一覧 ―


はじめに―大橋謙策と原田正樹の言説―
(1)大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会、1986年9月。
(2)大橋謙策『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク―』中央法規出版、2022年4月。
(3)原田正樹『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版、2009年11月。
(4)原田正樹『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』中央法規出版、2014年10月。

01 市民社会/規範や実体としての市民社会
(1)山口定『市民社会論―歴史的遺産と新展開―』有斐閣、2004年3月。
(2)吉田傑俊『市民社会論―その理論と歴史―』大月書店、2005年7月。
(3)今田忠・岡本仁宏補訂『概説市民社会論』関西学院大学出版会、2014年10月。
(4)坂本治也編『市民社会論―理論と実証の最前線―』法律文化社、2017年2月。

02 玉野井芳郎/地域主義
(1)玉野井芳郎『地域分権の思想』東洋経済新報社、1977年4月。
(2)玉野井芳郎『エコノミーとエコロジー』みすず書房、1978年3月。
(3)玉野井芳郎『地域主義の思想』農山漁村文化協会、1979年12月。
(4)玉野井芳郎・清成忠男・中村尚司編『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試み―』学陽書房、1978年3月。

03 ソーシャル・キャピタル/「活動する市民」と「シビック・パワー」
(1)ロバート・D・パットナム、河田潤一訳『哲学する民主主義』NTT出版、2001年3月。
(2)坂本治也『ソーシャル・キャピタルと活動する市民―新時代日本の市民政治―』有斐閣、2010年11月。

04 シーシャルアクション/ソーシャルワーカーとソーシャルアクション
(1)井手英策『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書)集英社インターナショナル、2020年6月。
(2)井手英策『幸福の増税論―財政はだれのために―』岩波新書、2018年11月。
(3)井手英策・柏木一惠・加藤忠相・中島康晴『ソーシャルワーカー―「身近」を革命する人たち―』ちくま新書、2019年9月。
(4)高良麻子『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』中央法規出版、2017年2月。
(5)小熊英二『社会を変えるには』講談社現代新書、2012年8月。
(6)木下大生・鴻巣麻里香編『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう! ―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』ミネルヴァ書房、2019年9月。

05 コミュニティデザイン/「福祉はまちづくり」の時代における「市民」
(1)山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年5月。
(2)山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』NHK出版、2012年5月。
(3)山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中公新書、2012年9月。
(4)山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所、2016年11月。

06 コミュニティ・オーガナイジング/COのプロセスとステップ
(1)マシュー・ボルトン、藤井敦史・ほか訳『社会はこうやって変える!―コミュニティ・オーガナイジング入門―』法律文化社、2020年9月。
(2)鎌田華乃子『コミュニティ・オーガナイジング―ほしい未来をみんなで創る5つのステップ―』英治出版、2020年11月。

07 関係人口/地域再生主体としての「新しいよそ者」
(1)田中輝美『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』大阪大学出版会、2021年4月。

08 主権者教育/市民社会の形成とシティズンシップ教育
(1)新籐宗幸『「主権者教育」を問う』岩波ブックレット、2016年6月。

09 自律教育/個人的・集団的自律と「自己教育力」
(1)岡田敬司『自律者の育成は可能か―「世界の立ち上がり」の理論―』ミネルヴァ書房、2011年7月。
(2)梶田叡一『自己教育への教育』(教育新書)明治図書、1985年6月。

10 共生教育/「包摂と排除」とインクルーシブ教育
(1)倉石一郎『包摂と排除の教育学―戦後日本社会とマイノリティへの視座―』生活書院、2009年11月。
(2)倉石一郎『教育福祉の社会学―〈包摂と排除〉を超えるメタ理論―』明石書店、2021年6月。

11 地域教育経営/つながりと熟議
(1)荻野亮吾・丹間康仁編著『地域教育経営論』大学教育出版、2022年10月。

12 まちづくり/幻想と打開
(1)木下斉『まちづくり幻想―地域再生はなぜこれほど失敗するのか―』(SB新書)SBクリエイティブ、2021年3月。

13 社会関係資本/地域社会のつくり方
(1)荻野亮吾『地域社会のつくり方―社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ―』勁草書房、2022年1月。

14    3.5%/市民的抵抗
(1)エリカ・チェノウェス、小林綾子訳『市民的抵抗―非暴力が社会を変える―』白水社、2023年1月。

15     コモンズ/福祉コミュニティの創出
(1)宮本太郎編『自助社会を終わらせる――新たな社会的包摂のための提言』(岩波書店、2022年6月。

16     宇沢弘文/社会的共通資本
(1)宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波新書)岩波書店、1974年6月。
(2)宇沢弘文『日本の教育を考える』(岩波新書)岩波書店、1998年7月。
(3)宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)岩波書店、2000年11月。
(4)宇沢弘文『始まっている未来―新しい経済学は可能か―』岩波書店、2009年10月。
(5)宇沢弘文『経済学は人びとを幸福にできるか』東洋経済新報社、2013年11月。
(6)宇沢弘文『人間の経済』(新潮新書)新潮社、2017年4月。

17 共生/共に生きる
(1)寺田貴美代「社会福祉と共生」園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月。

18     鶴見和子/内発的発展論
(1) 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年3月。
(2) 赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学』藤原書店、2015年7月。
(3) 岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』藤原書店、2015年3月。

19 共生保障/まちづくりと市民福祉教育
(1)宮本太郎『生活保障―排除しない社会へ―』岩波新書、2009年11月。
(2)宮本太郎『共生保障―<支え合い>の戦略―』(岩波新書、2017年1月。

20     同調圧力/世間と社会
(1)鴻上尚史・佐藤直樹『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』(講談社現代新書)講談社、2020年8月。
(2)岡檀『生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―』講談社、2013年7月。

21     地域力/その構成要素
(1)宮城孝『住民力―超高齢社会を生き抜く地域のチカラ―』明石書店、2022年1月。

22     まちづくり/ひとつの視点と視座
(1)大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月。
(2)伊藤穣一・ジェフ・ハウ、山形浩生訳『9プリンシプルズ―加速する未来で勝ち残るために―』早川書房、2017年7月。

23     社会運動/みんなで「わがまま」
(1)富永京子『みんなの「わがまま」入門』左右社、2019年4月。
(2)大畑裕嗣・成元哲・道場親信・樋口直人編『社会運動の社会学』有斐閣、2004年4月。
(3)小熊英二『社会を変えるには』講談社、2012年8月。
(4)中條共子『生活支援の社会運動―「助け合い活動」と福祉政策―』青弓社、2019年8月。
(5)村木厚子・今中博之『かっこいい福祉』左右社、2019年8月。

24     生活者/対抗的自律型市民
(1)天野正子『「生活者」とはだれか―自律的市民像の系譜―』中央公論社、1996年10月。

25 ボランティア/今昔
(1) 早瀬昇『「参加の力」が創る共生社会―市民の共感・主体性をどう醸成するか―』ミネルヴァ書房、2018年6月。
(2)大阪ボランティア協会監修、小田兼三・松原一郎編『変革期の福祉とボランティア』ミネルヴァ書房、1987年7月。
(3)中野敏男「ボランティアとアイデンティティ―普遍主義と自発性という誘惑―」『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任―』青土社、2001年12月。
(4)小林啓治『総力戦体制の正体』柏書房、2016年6月。
(5)丸山千夏『ボランティアという病』宝島社新書、2016年8月。

26 アクティブ・ラーニング/地元に学び、地域を創る「地元学」
(1)吉本哲郎『地元学をはじめよう』(岩波ジュニア新書)岩波書店、2008年11月。
(2)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する答申」2012年8月。
(3)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する諮問」2014年11月。
(4)阪野貢「富山県福祉教育サポーター養成カリキュラム(私案)」2015年4月。

27 「まちづくり学」/キャパシティ・ビルディングのアプローチ
(1) 織田直文『臨地まちづくり学』サンライズ出版、2005年3月。
(2) 西村幸夫編『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』朝倉書店、2007年4月。
(3) 日本福祉のまちづくり学会編『福祉のまちづくりの検証―その現状と明日への提案―』彰国社、2013年10月。
(4) 日本都市計画学会関西支部新しい都市計画教程研究会編『都市・まちづくり学入門』学芸出版社、2011年11月。
(5)5) 株式会社オオバ技術本部『まちづくり学への招待―どのようにして未来をつくっていくか―』東洋経済新報社、2015年5月。

28 合意形成/マルチステークホルダー・プロセス
(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月。
(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月。
(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月。
(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月。

むすびにかえて―地域と「地域学」―
(1)山下祐介『地域学入門』ちくま新書、2021年9月。
(2)山下祐介『地域学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2020年12月。
(3)柳原邦光・ほか編『地域学入門―<つながり>をとりもどす―』ミネルヴァ書房、2011年4月。

阪野 貢/新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―「まちづくりと市民福祉教育」実践に関する基礎知識メモ―

新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
―「まちづくりと市民福祉教育」実践に関する基礎知識メモ―

阪野 貢/市民福祉教育研究所

 

はじめに
01 アクションリサーチ:その概念、原則、プロセス
02 コミュニティ・エンパワメント:その概念、原則、プロセス
03 「まちづくりと市民福祉教育」におけるリフレクション
04 ケアリングコミュニティと福祉教育
05 コミュニティ・オーガナイジングと学習・トレーニング

 


はじめに


本稿は、「まちづくりと市民福祉教育」実践に関するアクションリサーチ、コミュニティ・エンパワメント、リフレクション、ケアリングコミュニティ、コミュニティ・オーガナイジングの「基礎考」を集成したものである。

 


01 アクションリサーチ:その概念、原則、プロセス


<文献>
(1)矢守克也『アクションリサーチ―実践する人間科学―』新曜社、2010年6月、以下[1]。
(2)CBPR研究会『地域保健に活かすCBPR―コミュニティ参加型の活動・実践・パートナーシップ―』医歯薬出版、2010年7月、以下[2]。
(3)武田丈『参加型アクションリサーチ(CBPR)の理論と実践―社会変革のための研究方法論―』世界思想社、2015年3月(Kindle版:太洋社、2019年10月)、以下[3]。
(4)JST社会技術研究開発センター・秋山弘子編著『高齢社会のアクションリサーチ―新たなコミュニティ創りをめざして―』東京大学出版会、2015年9月、以下[4]。
(5)草郷孝好編著『市民自治の育て方―協働型アクションリサーチの理論と実践―』関西大学出版部、2018年3月、以下[5]。
(6)芳賀博編著『アクションリサーチの戦略―住民主体の健康なまちづくり―』ワールドプランニング、2020年3月、以下[6]。
(7)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月、以下[7]。
(8)平井太郎『話し合いが変わる 地域でアクションリサーチ』農山漁村文化協会、2022年3月、以下[8]。

〇筆者(阪野)は1985年前後からおよそ30年間、いくつかの市区町村で「まちづくりと市民福祉教育」に関する実践・研究にたずさわってきた。その成果は見るべきものがないが、地元学(吉本哲郎、結城登美雄ほか)をはじめ、地域学(山下祐介、柳原邦光ほか)、まちづくり学(佐藤滋、西村幸夫、織田直文、木下斉、山崎義人ほか)、コミュニティデザイン(山崎亮、小泉秀樹ほか)、コミュニティ・オーガナイジング(鎌田華乃子、室田信一ほか)、そしてアクションリサーチなどからも多くを学んだ(追記 参照)。
〇筆者の手もとに、アクションリサーチに関する本に上記のようなものがある。本稿では、これまでの取り組み・活動を振り返りながら、今更ながら改めてアクションリサーチの基礎的理解を図るために、8つの文献の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部語尾変換。一部見出しは筆者)。

 

Ⅰ.矢守克也『アクションリサーチ―実践する人間科学―』

アクションリサーチの概念
アクションリサーチ(action research)とは、望ましいと考える社会的状態の実現を目指して研究者と研究対象者とが展開する共同的な社会実践のことである。(1ページ)
アクションリサーチ(action research)とは、「こんな社会にしたい」という思いを共有する研究者と研究対象者とが展開する共同的な社会実践のことである。よって、そのキーワードは、「変化」であり、「介入」である。望ましい社会の実現へ向けて「変化」を促すべく、研究者は現場に「介入」していく。(11ページ)

アクションリサーチの特性
アクションリサーチの定義はさまざまであるが、以下の2点をアクションリサーチのミニマムな特性として指摘することができると思われる。
(1)目標とする社会的状態の実現に向けた変化を志向した広義の工学的・価値懐胎的な研究
アクションリサーチでは、よりよい方向(改善、改革)への変化が謳われる以上、そこに価値が懐胎(かいたい)しないはずはない。アクションリサーチは、「現状よりも望ましい斯く斯くしかじかな社会的状態を作りましょう」という価値判断とともに遂行される研究活動である。
(2)上記に言う目標状態を共有する研究対象者と研究者(双方を含めて当事者)による共同実践的な研究
当事者と研究者による共同実践的な研究という特性は、研究者と対象者との独立性を100%保証することはできないという事実を率直に受けとめ、むしろ、この点を積極的に評価・活用しようとするものである。(13~14ページ)

アクションリサーチにおける「正解」と「成解」
アクションリサーチでは、どのような現場にも、また、いつの時点でも普遍的に妥当する真理・法則性―「正解」―を研究者が同定することが目標とされているわけではない。むしろ、アクションリサーチは、特定の現場(ローカリティ)において、当面、成立可能で受容可能な解―「成解」―を、研究当事者(研究者と研究対象者)が共同で社会的に構成することを目標としている。
「成解」は、「正解とは異なり、ユニヴァーサル(普遍的)ではなく、常に、空間限定的(local)で、かつ、時間限定的(temporary)な性質をもつ。言いかえれば、アクションリサーチがもたらす「成解」は、常に、修正と更新に向けて開かれていることになる。「成解」は、今この現場(フィールド)では「成解」かもしれないが、他の現場では「成解」たりえない可能性はあるし、当時に、同じ現場においても、過去あるいは将来においては、別の「成解」が成立するかもしれない。(22ページ)
以上から、アクションリサーチにおけるインターローカリティ(inter-locality)、すなわち、複数の現場間の比較・対照作業、および、インタージェネレーショナリティ(inter-generationality)、すなわち、同じ現場の複数時点間の比較・対照作業、以上2つの重要性が導かれる。(23ページ)

 

Ⅱ.CBPR研究会『地域保健に活かすCBPR―コミュニティ参加型の活動・実践・パートナーシップ―』

CBPRの概念
CBPRはCommunity-Based Participatory Researchの略であり、直訳すると「コミュニティを基盤とした参加型研究」である。(2ページ)
CBPR を「コミュニティの健康課題を解決し、コミュニティの健康と生活の質を向上するために、コミュニティの人々と専門職/研究者のパートナーシップによって行われる取り組み・活動」と定義する。(4ページ)
CBPRの対象となるコミュニティを「人々が共通の特性、例えば価値や規範、文化などを持ち、そこに何らかの帰属意識を持ち、さらにそこに一定の連帯や支え合いの意識が働いている集団」と定義する。(4ページ)
CBPRにおけるパートナーシップを「異なる立場や機関の人たちでつくられた組織の活動を通して形成される、信頼しあいそれぞれの力をいかして育ちあう関係性」と定義する。(5ページ)
CBPRは公衆衛生領域のアクションリサーチとも言われる。CBPRの理論的基盤や特徴はアクションリサーチと同じである。一方、コミュニティを対象とする考え方は、人間は社会・文化・歴史・自然といった多様な側面を持つ環境と相互作用しながら生活し発達していくという地球的な視点を含めた見方や考え方である生態学的アプローチに基づいている。(8ページ)

アクションリサーチとその特徴
アクションリサーチとは
現実の社会問題の実際的解決を目的として、問題の生じている現場において、当事者と研究者が協働して行う取り組み・活動
アクションリサーチの特徴
①現実の社会問題を実際に解決する:現場の最大の関心事は目の前の問題であり、アクションリサーチは、「現実の社会問題を実際に解決する」ことを目的としている。
②研究者と当事者が協働する:アクションリサーチは、問題が生じている現場の当事者と協働することにより行われるところに特徴がある。当事者と研究者が実際の文脈に応じた解決方法を見いだしながら、課題解決のための活動を行うことで、直接的に現実に働きかけていく。
③振り返りreflectionが重要である:アクションリサーチは当事者と研究者との関係性の中で行われること、当事者と研究者の認識の変化が重要であること、および社会変革をめざし政治的方向性を意図する活動にもなり得るわけであるから、研究者の認識や思考、関わりを振り返りながら行うことがとりわけ必要になる。
③取り組み・活動である:アクションリサーチは研究手法ではなく、さまざまな研究手法を用いて行う取り組み・活動である。アクションリサーチでは、解決すべき問題の内容や状況に応じて、量的・質的研究などさまざまな研究手法を用いる。アクションリサーチは、研究者からみれば研究活動であり、当事者からすれば現場の課題解決のために取り組む活動である。(9ページ)

CBPRの原則
CBPRの9つの原則は、CBPRの実践をすすめるための道しるべとして考えることができる。
原則1:地域を、共通の価値観や帰属意識を持つ集団(コミュニティ)として捉えよう
CBPRは、コミュニティとしての人々とともに活動することを基盤としている。
原則2:コミュニティの健康問題を解決するために、コミュニティの強みや資源を用いよう
CBPRは、コミュニティにどのような資源があり、それらがどのように機能しているかを明らかにし、それを強みとして再確認し、コミュニティの健康の向上のために有効に活用していく。
原則3:活動のすべての段階において、対等なパートナーシップを目指そう
活動のすべての段階において共に行うことを通し、互いの力の差や価値観の違いを認めるよう努める。このような関わりから、互いの間に信頼や尊重が生まれ、パートナーとしての関係に発展していくのである。
原則4:それぞれの知識や技術を共有した互いに学び合い、能力を高めよう
専門職や研究者は、住民からコミュニティ固有の知識や伝統、文化を学び、住民は、専門職や研究者から研究や活動を進めるために必要な知識やスキルを学ぶなど、それぞれの知識や技術を共有して、互いに学び合う。
原則5:活動の成果を、コミュニティに還元しよう
CBPRでは、研究活動によって知識を発見すること、つまり、研究の成果を得ることと、得られた知識をコミュニティに還元していくことのバランスをうまくとることが大切になる。
原則6:生態学的(エコロジカル)な視点で、コミュニティの問題を多角的に捉えよう
人間の生活や発展を人間と環境の相互作用として捉える生態学的な視点によって、コミュニティの健康問題を多角的に捉えることが重要である。
原則7:活動は、循環し繰り返しながら発展させていこう
CBPRでは、この問題解決のプロセスを行きつ戻りつ循環しながら進む。しかし、大事なことは、プロセスを繰り返す中でメンバーは何度も何度も互いの理解を確認し合いながら進めていくことになり、それによって活動が修正され、よりよいものになっていくことができるのである。
原則8:結果を利用しやすい形でコミュニティに還元し、広く社会に普及させよう
CBPRによって得られた結果や成果は、住民にとって、わかりやすく、丁寧に、役に立つ方法で伝える。成果をコミュニティに還元して初めてCBPRの目的の達成につながる。
原則9:長期的で持続できる活動として取り組もう
CBPRにおいては、当面の健康問題の解決で活動を終えるのではなく、長期    的により健全なコミュニティとして発展できるようコミュニティの力を蓄えることを目指している。(12~16ページ)

CBPRの進め方
CBPRのすすめ方は、全体が5つで構成されている。図1は、CBPRの目的である「コミュニティの健康課題の解決やコミュニティの健康の向上」に向かって循環し反復する活動がCBPRの過程であることを図示したものである。(20ページ)
(1)健康問題を感じ取る
コミュニティの健康問題や健康課題を専門職として認識すること。
(2)メンバーを集め組織をつくる
必要によって、活動の規模に応じて①企画・運営など中核的な活動をする仲間や組織、②コミュニティに出て具体的な実践活動をする仲間や組織、③安心して活動できるよう支えてくれる仲間や組織をつくること。
(3)健康課題を明確にする
重要なポイントは、①多様なアプローチを用いてニーズ調査やデータ収集を行うこと、②直接地域に出向き、住民と会って、顔を見せ合い、声を聞いて調査すること、③分析の協働作業に住民がメンバーとして参加すること、④収集できた情報に対して、倫理的な約束事項を遵守すること。
(4)計画をつくり実施する
①住民に直接的なサービスを提供するプログラムや、住民の健康問題への対処能力の向上や育成を目的にするプログラムなど、具体的な活動やプログラムを計画し実施すること、②住民リーダー(ピアリーダー)の育成やグループ育成、コミュニティのネットワークづくりや政策化など、コミュニティに広く浸透させるための戦略を立てること。
(5)活動を評価し普及する
プロセス評価、アウトカム(成果)評価、影響評価など常に活動の振り返りを行うこと。(19~26ページ)

 図1 CBPRの進め方の全体像

CBPRのパートナーシップ
CBPRのパートナーシップは、CBPRの核となる重要な部分である。(36ページ)
CBPRは、メンバー同士のパートナーシップを育て、メンバーの持つエネルギーに着目し、グループがよりよい形で変化し発展していくことが大きな鍵となる。パートナーシップを育んでいくために重要なことは、次の通りである。①メンバー同士が知りあう機会をつくる、②話しやすい雰囲気をつくる、③対等に参加できるよう配慮する、④だれもが対等な決定権をもつ、⑤信頼関係を深める、⑥ファシリテーターの役割(ファシリテーターは、グループの中で中立的な立場をとり、チームワークを引き出し、そのチームの成果が最大になるよう支援する)、⑦目的・目標・優先順位を決める、⑧グループで必要なきまり(規範)をつくる、⑨コミュニティの強さと特徴に気づく、⑩対立に立ち向かう。(44~51ページ)

 

Ⅲ.武田丈『参加型アクションリサーチ(CBPR)の理論と実践―社会変革のための研究方法論―』

アクションリサーチの概念
さまざまな学問領域における参加型のリサーチの代表的な定義の多くに共通する部分を組みあわせると、CBPR(Community Based Participatory Research=コミュニティを基盤とする参加型リサーチ)とは「コミュニティの人たちのウェルビーイングの向上や問題・状況改善を目的として」、「リサーチのすべてのプロセスにおける」、「コミュニティのメンバー(課題や問題の影響を受ける人たち)と、研究者の間の対等な協働によって」、「生み出された知識を社会変革のためのアクションや能力向上に活用していく」、「リサーチに対するアプローチ(指向)」だといえる。(Kindle版22ページ。以下同)
CBPRは、クルト・レヴィン(Kurt Lewin、ドイツ・アメリカの心理学者)の流れを汲む「知識の実践への活用が強調されるアクションリサーチ」と、パウロ・フレイレ(Paulo Freire、ブラジルの哲学者・教育者)に代表される「問題を抱える人たちの参加が強調される参加型アクションリサーチ」を両極にもつ幅広いスペクトラム(範囲)を包括するリサーチに対するアプローチだといえる。(38ページ)

CBPRの原則
(1)コミュニティとの協働
CBPRは、既存のコミュニティを認識し、そのコミュニティと協働し、その協働を通してコミュニティの連帯感をさらに高めるリサーチに対するアプローチである。
(2)コミュニティ内のストレングスや資源の尊重
CBPRは、対象となるコミュニティの課題に対応するため、コミュニティの既存のストレングス(強さ)、資源、そして関係を認識し、それらを活用する。これらの資源には、コミュニティの人たちのもつ技術や資産、信頼・協働・相互関与といった言葉に代表されるような関係ネットワーク、さらにコミュニティの人たちが集う物理的な集会所なども含まれる。
(3)リサーチのすべての段階で平等に協働するパートナーシップ
CBPRでは、問題の設定、データ収集、データ分析、結果の解釈、コミュニティの関心事にあわせた結果の活用といったプロセスにおいて、コミュニティの人たちや研究者といったすべての関係者が平等に参加し、主導権を共有することが原則である。とくにコミュニティの人たち、その中でも周縁化された人たちの主体的な参加が非常に重要である。
4)すべての関係者の協同の学びと能力開発の促進
CBPRは、すべての参加者の協同の学びと能力開発を促進する。CBPRのプロセスにおける協同の学びを通して、参加者たちはお互いの知識、技術、能力を循環的に共有し、高めあっていくのである。この原則の根底にあるのが、対話の中からお互いの批判的意識化を高め、アクションにつなげていくというパウロ・フレイレの考えである。
(5)リサーチとアクションの統合
CBPRの目的は、たんに知識の創造だけでなく、リサーチによって得られた知識を活用することによって、またそのプロセスを通した教育や意識改革を通じて、リサーチの対象となる課題の解決のためのなんらかのアクション、社会変革、あるいはコミュニティの改善を実行していくことである。
(6)地域密着性とエコロジカルな視点の重視
CBPRは、対象となるコミュニティに固有な課題に適合した取り組みなのだが、その際に個人、家族あるいは社会的ネットワークといった地域に密着した直近の環境、さらにコミュニティや社会といったエコロジカル(生態学的)な視点を重視する。したがって、CBPRでは、焦点となる課題の生体医学的、社会的、経済的、文化的、物理的、環境的といった複数のレベルの要因を考慮し、多様な分野からの研究者やコミュニティの参加者によってチームを形成していく必要がある。
(7)循環的な反復のプロセスによる変革
CBPRでは、コミュニティの人たちと研究者が循環的な反復のプロセスを通して、コミュニティの改善や社会変換を達成していく。この螺旋状のプロセスは、たとえばもっともシンプルなものとしては、「適切な情報収集」と「状況の把握」の「見る(look)」、次に「何が起こっているのかの探究と分析」および「その解釈と説明」の「考える(think)」、そして「計画」「実施」「評価」の「行動する(action)」の3つを繰り返すものがある。
(8)すべての関係者との結果の共有と協働による結果の公開
CBPRは、リサーチによって得られた結果や知識を、すべての関係者やコミュニティの人たちが理解できる言語を用いて共有し、こうした人たちの状況改善や社会変革のためのアクションに活用することをめざす。さらに、結果を発表する際に、会合や学会での共同発表者や出版物の共著者といった形で、コミュニティのパートナーと協働で行っていくことが大切である。
(9)長期にわたるかかわりと関係の維持
CBPRの成功のために必要なパートナーシップの構築や維持、そしてCBPRの目的であるコミュニティの状況改善や社会変革のためには、長期的なかかわりが不可欠である。(60~76ページ)

研究者の役割
CBPRのリサーチの部分における研究者のかかわり方には、①主唱者(initiator)/実際には時間、スキル、意欲のある人の主唱なくしてはCBPRは始まらず、そうした人は権威のある立場にいる人や研究者であることが多い。②コンサルタント(consultant)/時にはコミュニティの人たちがリサーチの部分を研究者に委託し、研究者がコミュニティの責任においてそれを実施することもある。③協働者(collaborator)/お互いの良さを統合してリサーチのプロセスをコミュニティと研究者が協働して行う場合には、研究者の役割は協働者となる、の3つの役割が考えられる。(77~78ページ)
コミュニティ・オーガナイジングの部分においては、①リーダーあるいは鼓舞者、②コミュニティ・オーガナイザー、③民衆教育者、④参加型調査者の役割が、研究者あるいはコミュニティのどちらかによって担われる必要がある。(78~79ページ)
③民衆教育者/民衆教育者とは、コミュニティの人びとの学びのプロセスを促進する役割である。知識のない人たちに知識を提供する「教師」ではなく、人びとがすでに有している知識を自分たちで再発見したり、新しい知識を獲得したりするのを助ける役割を担う。知識が増大すると自尊感情の向上やエンパワメントに結びつくのだが、理想的には教育者の専門的知識がコミュニティの人たちの経験的知識と組みあわさることで、問題に関する新しい考え方や理解の仕方が生み出されていくべきである。(79ページ)

 

Ⅳ.JST社会技術研究開発センター・秋山弘子編著『高齢社会のアクションリサーチ―新たなコミュニティ創りをめざして―』

アクションリサーチの概念
今日のアクションリサーチは、しばしば社会技術の範疇の中で議論される。(中略)社会技術は、「自然科学と人文・社会科学の複数領域の知見を統合して新たな社会システムを構築していくための技術」であり、社会を直接の対象とし、社会において現在存在しあるいは将来起きることが予想される問題の解決を目指す技術(「社会技術研究開発の今後の推進に関する方針~社会との協働が生む、社会のための知の実践~」独立行政法人科学技術振興機構社会技術研究開発センター、2013年11月、2ページ)と捉えられる。(24ページ)
アクションリサーチは、社会技術の社会への実装が社会的イノベーションを引き起こし、社会(システム)を望ましい方向に変えていく。結果として社会的課題を解決に導く。そのような合理的かつ科学的な道が存在することを確かめるための社会実験であると考えられる。(24~25ページ)

アクションリサーチの特徴
アクションリサーチには、基本的には次の3つの特徴がある。
第1の特徴は、社会的課題の解決を目的とすることである。アクションリサーチの目的は、普遍的な法則や一般化の解を求めるのではなく、社会が直面している特定の問題や課題の実行可能な解決策を見出すことである(16ページ)。
第2の特徴は、解決すべき課題に関わる人たちと研究者が共に研究に参与することである。ステークホルダー(stakeholder:利害関係者)と呼ばれる関与者は、研究者、行政、住民、民間団体、企業などであり、それぞれの立場から課題解決に向けて役割を果たす。
第3の特徴は、アクションリサーチのステークホルダーは、互いの立場や違いを尊重し、互いから学びながら、協働して役割分担をする。それぞれのステークホルダーがもっている情報や力をうまく引き出して繋ぎ、協働する中でそれぞれが発展的に変化し、より創造的な力としてさらに協働の成果を獲得していくように促し、調整することは研究者の役割のひとつである。(7ページ)

アクションリサーチの研究プロセス
アクションリサーチでは、一般の実証・実験研究と異なり、課題解決のためのアクション(解決策の実行)が研究の中核となるので、その前後で研究のプロセスをどう構成するかが重要となる。
アクションリサーチの研究プロセスは、図2(一部調整)に示す①特定コミュニティで解決を要する課題の発見と分析[Plan-1]、②解決のための方策の計画と体制づくり[Plan-2]、③計画に即した解決策の実行[Do]④解決策実行の過程と結果の評価[Check]の4つの段階からなる。(32ページ)
4段階の研究プロセスは、一般に経営管理論などの分野で用いられるPDCAサイクル(Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善))に類似するものであるが、次の点で異なっている。第1にPlan(計画)を2段階(①、②)に分けている点、第2にAct(改善)は次の新しいサイクルのPlanに改善策として含めている点、第3に研究成果の他のコミュニティへの波及のための要件の設定(Transferability)を、以上の4段階で1サイクルを構成する研究プロセスとは別に設けている点である。(32~33ページ)

図2 コミュニティにおけるアクションリサーチの研究プロセス

研究者の役割
アクションリサーチにおいて研究者に期待されるのは、専門的な知識を振りかざし、自分の考えを押し付けて、強引に引っ張っていくのではなく、関与するすべての人の意見に耳を傾け、その意見をまとめていく調整役ないしファシリテーターの役割なのである。しかし、ファシリテーターの役割は、ただ話を聞いて、全体をまとめるだけでは十分ではない。より良い状況の実現に向けてコミュニティを変えていくよう異なる意見の調整を図り、全体の方向付けをしていくことが必要である。
住民のニーズは多様であり、意見の対立もある。状況が変化することによって既得権を失う場合には、変化に対して強固に反対する者もおり、それが旧来からの地域のボス的存在であれば、全体がそれに流されていく恐れもある。研究者には、傾聴能力やコミュニケーション能力に加えて、リーダーシップを発揮することが求められる。(58~59ページ)

 

Ⅴ.草郷孝好編著『市民自治の育て方―協働型アクションリサーチの理論と実践―』

アクションリサーチの概念
アクションリサーチ(実践支援型研究)は、当事者と研究者が協働して、特定の社会問題に向き合い、その問題の解決のために、関係者が協働して行う調査から改善への一連の研究活動を指す。つまり、調査によって問題の所在を明らかにし、次に、その問題を解決するための具体策を検討する。そして、具体策を実際に適用し、その結果を関係者が協働して検証することで、対策の成果と課題を詳らかにし、更なる改善を目指していくという一連の実践的研究手法である。(3ページ)
アクションリサーチとは、組織あるいはコミュニティの当事者(実践者)自身によって提起された問題を扱い、その問題に対して、研究者が当事者とともに協働で問題解決の方法を具体的に検討し、解決策を実施し、その検証をおこない、実践活動内容の修正をおこなうという一連のプロセスを継続的におこなう調査研究活動のことを意味する。(9ページ)

アクションリサーチの特色
実践的研究手法であるアクションリサーチの特色は、(中略)取り組む課題によって異なる面もあるが、ここでは、2つの共通点を記しておきたい。
1)社会進化を志向する現場主義
アクションリサーチは、研究者と当事者(実践者)が二人三脚で、お互いの知見を生かし、実践活動に移すことで、社会発展を追求するという実践的研究であり、いわば、「知識共有と実践連動型の社会進化アプローチ」と言うことができ、既存の研究手法とは一線を画するものである。つまり、アクションリサーチは、実践活動の改善を通じての社会変容(social change)を視野に入れた研究手法なのである。
2)学際的視座の必要性
アクションリサーチは、実践活動の改善を最大の目標に置いて活動する研究手法であり、研究者が実践者と協働するパートナーとなり、密接に、課題や実践内容の検討や評価を行う。そのためには、実践の内容を多面的かつ複眼的に分析・考察し、実践活動の改善方法を実践者の視点から提案し、また、実践活動の評価方法やフィードバックの方法の吟味や選定をしていくことが求められる。(中略)アクションリサーチは、狭い専門分野の中で構築されてきた高度な専門理論の検証のためにあるのではなく、現在進行形で取り組むべき課題の改善を最優先事項とする手法である。したがって、アクションリサーチは、深く狭い専門性の融合よりも、浅く広く異なる専門性の知見を活用するという学際的視座が求められるのである。(10~11ページ)

市民自治力向上と協働型アクションリサーチ
アクションリサーチは、取り組むべき課題、専門分野、アクションリサーチに携わるメンバーの違いによって、さまざまな種類に分けることができる。地域発展や市民自治力との関わりからアクションリサーチの位置づけを検討するには、研究者がどのような立場で当事者と関わりを持って、アクションリサーチに参画するかどうかを把握しておく必要がある。(19ページ)
アクションリサーチに携わる研究者の位置づけが内部者であるか外部者であるのか、アクションリサーチの推進者が内部者か外部者かによって、協働の型が変わってくる。(中略)①「外部者と協働する内部者」――自分自身の実践を研究する際に(あるいは内部主導のプロジェクトで)外部専門家の支援を求めるアクションリサーチ、②内部者と外部者の「相互的協働」――内部者と外部者がティームとして、フル・パートナーシップの関係で進めるアクションリサーチ、③「内部者と協働する外部者」――外部専門家がコンサルタントとして支援するアクションリサーチ、の3つの型を協働型アクションリサーチであると考えられる。(19、20ページ)
社会のしくみが複雑化する現代社会において地域コミュニティを改善していくためには、市民自治力の向上を目指して、地域の住民、行政、企業、NPO、専門家らによる協働実践や協働学習が必要であり、ますます協働型アクションリサーチ活用機会の広がりが想定され。(28ページ)

協働型アクションリサーチの流れ
地域の特定課題を対象とする協働型アクションリサーチの一連の流れは、図3の通りである。(24ページ)

図3 協働型アクションリサーチの循環図

 

Ⅵ.芳賀博編著『アクションリサーチの戦略―住民主体の健康なまちづくり―』

アクションリサーチの概念
アクションリサーチはこれまでの伝統的な実証主義的研究に求められてきた妥当性、信頼性、客観性、一般化とは一線を画した新しい世界観をもつ研究デザインであり、特定の現場に起きている特定の出来事に焦点を当て、そこに潜む課題に向けた解決策を現場の人とともに探り、状況が変化することを目指す研究デザインである。研究者が問題を特定して介入プログラムを提供し、住民は被験者としてそのプログラムに参加するだけの従来型の研究手法とはその理念を大きく異にしている。(20ページ)

アクションリサーチと共同学習
アクションリサーチは、問題を抱えるコミュニティの人々と研究者が課題の発見から計画の作成、解決策の実行、評価のすべての段階への民主的な参加とパートナーシップを基盤としており、参加者すべてにとっての共同学習(colearning)とエンパワメントのプロセスを伴うものである。従来の問題解決型の実証研究は、「介入研究」とよばれているが、研究者をも含む参加者すべてにとっての共同学習、すなわち“学び合い”のプロセスを大切にしているアクションリサーチには、従来的な「介入」の用語は基本的に馴染まない。(20ページ)

住民参加型による住民主体プログラムの開発プロセス
住民参加型による住民主体プログラムの開発プロセスは、10段階からなる。
(1)研究者側のチーム形成
アクションリサーチのプロセスを完結させるためには、複数の研究者がチームを組んで展開することが必要となる。
(2)行政との協力体制の構築
住民参加型のプロセスを円滑に進めるためには、行政職員や保健福祉の専門職(社協など関係する地域の専門職を含む)を加え多くの協力を仰ぐことが必要となる。
(3)関係者へのインタビュー実施
住民主体によって解決すべきコミュニティの課題に関して共通認識をもつために、個別やグループでのインタビューの機会を研究者側が設定することが必要となる。
(4)キーパーソン(メンバー)の支援・信頼関係の構築
コミュニティの住民を巻き込んだワークショップ等、次のダイナミックな展開へと繋げるために、キーパーソンやキーメンバーと行政、研究者の信頼関係を構築することが必要である。
(5)地区住民参加型ワークショップによる住民主体プログラム案の抽出
できる限り多くの住民やコミュニティ関係者を募り、地域課題や理想を共有しながら、地域全体に広がるダイナミックな住民主体の活動の創出を目指すことが望ましい。
(6)抽出されたプログラム案を実践化するための検討会実施
抽出されたプログラム案を実際の活動に結びつけるための検討会を、研究者や行政、キーパーソン(キーメンバー)、コミュニティ関係者などによって繰り返し実施することが必要である。
(7)プログラムの実行と主体組織への支援
研究者や行政は、具体的な活動プログラムとそれを実行するための主体組織(コアメンバー)への側面的な支援を行い、ある段階からその役割をフェードアウトさせることが必要となる。
(8)住民主体運営の強化
住民主体のプログラム活動に参加するコアメンバーや住民の意欲やモチベーションを上げ、主体的運営の強化をすることが必要であり、このことが研究者や行政の役割となる。
(9)研究成果のフィードバック
研究の結果や成果をさまざまな形で関係者と共有するとともに、コミュニティ全体に還元することが必要であり、それは住民活動のスパイラル(螺旋的)な発展と強化を可能にする。
(10)コミュニティへの情報提供による活動の強化と支援
住民主体の活動プログラムをコミュニティに定着させるためには、さまざまな媒体を活用しながらコミュニティへ情報提供することが必要である。(29~35ページ)

 

Ⅶ.安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』

アクションリサーチの概念
アクションリサーチとは、当事者が発した課題について、当事者と共に解決に取り組み、検証を行い、よりよい社会を共に創るという一連のプロセスを継続的に行う活動のことである。
アクションリサーチの大きな特徴の1つは、多人称の立場から課題を捉えることで、新たなパラダイム変換を図る可能性を秘めていることである。すなわち、リサーチの基本である客観的に観察する3人称に加え、当事者と直接相対する2人称、当事者の一員としての1人称と、多層の視点を活用する強みがある。当事者に寄り添い、当事者と共に考えることで、新たな視点、これまでなかった方法など、解決の本質に迫るアイディアが生まれるチャンスが拡大する。
当事者と共に実践から出発し、実践の中で研究し、その成果をすぐに実践に適用するのがアクションリサーチである。(6ページ)

アクションリサーチの原則
共に創るアクションリサーチに求められるのは、当事者の価値観とニーズを明らかにし、当事者にできることは何かを見きわめて、環境を整備することである。
当事者の価値観とは、個人、人びと、組織が大切にしている歴史や文化、思いである。ニーズとは、個人、人びと、組織が求めているものである。当事者の価値観やニーズは、外部者の予想と違う場合が少なくない。そこでアクションリサーチの第一歩は、コミュニケーションをとることである。
共創型のアクションリサーチにおいても、当事者が自分ごととして課題を捉え、継続的に自分の力で解決に向けた活動を遂行できる環境を準備する。
すなわち、アクションリサーチの原則は、①当事者の価値観、②当事者のニーズ、③当事者にできること(使える感覚、共にある感覚)の3点を踏まえることである。(15、16ページ)

アクションリサーチに活かすエンパワメント
エンパワメントの原則は次の8点である。①目標を当事者が選択する。②主導権と決定権を当事者が持つ。③問題点と解決策を当事者が考える。④新たな学びと、より力をつける機会として当事者が失敗や成功を分析する。⑤行動変容のために内的な強化因子を当事者とサポーターの両者で発見し、それを増強する。⑥問題解決の過程に当事者の参加を促し、個人の責任を高める。⑦問題解決の過程を支えるネットワークと資源を充実させる。⑧当事者のよりよい状態(目標達成やウェルビーイングなど)に対する意欲を高める。
つまり、エンパワメントの原則は当事者主体である。したがって、当事者に関わる人びと、専門職や上司、仲間の役割は、当事者の力を湧き上がらせ、そのための環境整備をすることである。ここでいう当事者とは、中心的に関わる人、人びと、組織をさす。当事者に関わる人びととは、それを側面から支える人、人びと、組織をさす。(11ページ)

アクションリサーチの評価
共創型アクションリサーチは、エンパワメントの8つの要素に基づき評価できる。
1.共感性(empathy)
自分の意志を持ちながら、他者にも同じように明確な意志があることを認める。他者の意向を受け止め、自らのことと置き換えて他者の意向を理解することができる。それが共感である。(中略)共感性の高いプログラムやメンバー間のつながりは、エンパワメント(自分・仲間・組織・社会・システムなどがもっている力を引き出す、発揮すること)実現への大きな力となる。
2.自己実現性(self-actualization)
自己実現性とは、メンバー一人ひとりが、自己の活動によって自己の思いや価値を実現することができると感じていることである。(中略)自己実現性の高い活動であれば、人びとが自ら参加したいと願い、活動にとどまり続けたいと願うようになる。
3.当事者性(inter sectral)
当事者性とは、メンバー一人ひとりが、人ごとではなく自分のこととして関わっていることの指標である。自分のこととして関わるとは、ゴールの達成に自分の役割があると確信している状態をさす。
4.参加性(participation)
参加性とは、実際にメンバー一人ひとりが、活動に影響を与えていると感じていることの指標である。これは物理的な参加にとどまらない。人びとが何らかの形で、確かに関わっていると思えることの指標である。
5.平等性(equity)
平等性は、メンバーの連帯を促進する上で必須である。メンバーが、活動の内容、フィードバック、メンバーに対する処遇が平等と感じないと、力は湧かず、逆に力を奪う状態に陥る。
6.戦略の多様性(multi strategy)
多様性は、活動の発展に向けた多様な資源の確保につながる。個人、組織、環境にとって大きな強みである。メンバーの多様性に加え、用いる資源の多様性を考慮する。さまざまな人、資源、戦略を複合的に組み合わせて、活動を遂行する。
7.可塑性(plasticity)
さまざまな状況変化に柔軟に対応できるかどうかは、個人や組織の発展に大きな影響を及ぼす。メンバーや環境が変化しても、メンバー、活動、目標達成へのプロセスが前向きに形を変化させながらどこまで対応できるかを評価指標とする。
8.発展性(innovation)
将来への発展性や持続可能性は、メンバーに安定感をもたらす。(中略)活動において、発展へのイノベーションや安定した継続の見通しがあるかを評価指標とする。(25~27ページ)

 

Ⅷ.平井太郎『話し合いが変わる 地域でアクションリサーチ』

アクションリサーチの概念
「アクションリサーチ」のアクションは実践=実際にやってみること、リサーチは研究=省(かえり)み、考えることを指す。つまり、アクションリサーチは、やりながら考える、省みながらやってみる(「やりながら考える、考えながらやる」27ページ)、といったかたちで実践と研究を循環的に組み合わせ、課題に向き合うことだ。
対応が求められる課題が複雑で深刻であればあるほど、国や専門家の示す対応策を待たず、鵜吞みにせず、現場で試行錯誤を重ねながら打開策を見出していった方が効果的ではないか。(17ページ)
アクションリサーチの核心にあるのは、「話し合いで現場の知恵を引き出す」ことである。それは現場の目線からいえば、「話し合い、知恵を寄せ合い、少しずつ事態を打開する」ことだ。(18ページ)

アクションリサーチの要素
アクションリサーチは、少人数の集団をつくることで、個々人がばらばらのときには期待できなかった運動が起りうること(グループ・ダイナミクス)、そうした運動が起きるのに、現場を尊重する専門家のかかわりが重要であること(トレーニング・グループ)という2つの要素から成り立っている。(39ページ)

アクションリサーチにおける「解答」と「解法」
アクションリサーチでは、一見、遠回りな道筋でも、あえて現場の人びとが試行錯誤を通じて、専門家も納得するような方向性を見出すことを尊重する。(中略)アクションリサーチが解き明かそうとする考え方、すなわち知識は、何をすべきかに関する知識knowing-what(解答)ではなく、どのようにすべきかに関する知識knowing-how(解法)だといわれる。(中略)解答が引き出されること以上に、どうしたらそうした解答に現場の人びと自身が行き着くかの解法が重要なのだ。(68ページ)

アクションリサーチの進め方=解法の要点
アクションリサーチを進めてゆくうえでの要点は、①「目標をうまく共有する」、②「尊重の連鎖」、③「根をもつことと翼をもつこと」の3つである。(132ページ)
(1)目標をうまく共有する
課題からではなく目標(将来の「ありたい姿」)から語り合うことは、①わかりやすいかたちでの現場の尊重につながる、②目標から語り合うと、自分たちの足許が固められ、試行錯誤が「着実な」ものになる(多方面に試行錯誤が広がり、何のためにやっているのかが十分、共有されたものになる)、③目標が言葉にされると、さまざまな人びとを惹きつける力が生まれる。(136、137ページ)
(2)尊重の連鎖
現場に見え隠れする序列(嫁や若者、女性、移住者など地域の秩序で「周辺」にある人たち)に即して、より上位の人びとが自ずとより下位の人びとを「尊重」(「共感」ではない)することが連鎖してゆくプロセスが重要である(「周辺的な存在の連鎖的な尊重」)。(160~161ページ)
尊重の第一歩は、話し合いの相手の立場に立ち、相手の希望や不安に思いを馳せ、自分から動き出すことである。(171~172ページ)
(3)根をもつことと翼をもつこと
地域づくりに求められるのは、いきなり事業を導入する事業導入型サポート=かけ算の支援でなく、まずは市民の声に耳を傾け小さな成功体験を積み重ねる寄り添い型サポート=足し算の支援を経て、かけ算の支援に移行する方法である。(181ページ)
足し算/かけ算の支援を、地域の内側からの目線で捉え直すと、足し算の支援の段階(ありたい姿探し、目標共有、試行錯誤)は「根をもつこと」、かけ算の支援の段階(小さな成功体験、組織的事業展開)は「翼をもつこと」と例えられる。(182、183ページ)

〇筆者の手もとにもう1冊、筒井真優美編著『研究と実践をつなぐ アクションリサーチ入門―看護研究の新たなステージへ―』(ライフサポート社、2010年10月)がある。筒井はいう。「アクションリサーチの定義は、まだ曖昧なまま用いられていることも多いが、どの定義にも共通して用いられている点が3つある。①研究者が現場に入り、その現場の人たちも研究に参加する『参加型』の研究である。②現場の人たちとともに研究作業を進めていく『民主的な活動』である。③学問(社会科学)的な成果だけでなく『社会そのものに影響を与えて変化をもたらす』ことを目指す研究活動である」(5ページ)。
〇また、前述の(Ⅲ)武田丈著『参加型アクションリサーチ(CBPR)の理論と実践―社会変革のための研究方法論―』で、武田はいう。「さまざまな学問領域における参加型のリサーチの代表的な定義の多くに共通する部分を組みあわせると、CBPRとは『コミュニティの人たちのウェルビーイングの向上や問題・状況改善を目的として』、『リサーチのすべてのプロセスにおける』、『コミュニティのメンバー(課題や問題の影響を受ける人たち)と、研究者の間の対等な協働によって』、『生み出された知識を社会変革のためのアクションや能力向上に活用していく』、『リサーチに対するアプローチ(指向)』だといえる」(Kindle版22ページ)。
〇さらに、前述の(Ⅰ)矢守克也著『アクションリサーチ―実践する人間科学―』で、矢守は、「アクションリサーチのキーワードは、『変化』であり、『介入』である。望ましい社会の実現へ向けて『変化』を促すべく、研究者は現場に『介入』していく」(11ページ)という。
〇ここで、こういった点を改めて押さえながら、次のようなことを本稿の「むすびにかえて」おきたい。
〇アクションリサーチは、ある組織やコミュニティに属する人たち(住民、当事者)が抱える社会的課題の解決と社会の変革をめざして、研究者と当事者(実践者)が連携・協働して(パートナーシップによって)継続的に展開する社会実践(取り組み・活動)である。その解決や変革を図るに際しては、当事者や関与者(ステークホルダー)・組織やコミュニティなどのエンパワメント(湧活:ゆうかつ)の実現と強化、そのための「話し合い」(対話によるコミュニケーションを通しての知識や技術の構築・共有)や「協同学習」(共通目標を達成するための相互学習・学び合い)、そして「リフレクション」(研究者と当事者の認識や思考、関係性の内省・省察・振り返り)が必要かつ重要となる。それは、筆者がかねてより議論してきた「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に通底する。そこでは、「当事者主体」「課題解決と社会変革」「パートナーシップ」「エンパワメント」「話し合いと協同学習」「リフレクション」などが重要な要素となる。
〇以上のようなアクションリサーチについての議論から、その推進を図るうえでの問題点や課題として、およそ次のようなことが抽出されようか(漏れや重複があることは承知している)。それは、「まちづくりと市民福祉教育」のそれと重なる。

(1)コミュニティの人びとが抱える社会的課題の解決にあたって、アクションリサーチを導入する必要性や可能性、あるいは妥当性が問われる。現場(フィールド)の実践活動に研究の視点を取り入れることの意義化をどう図るか。
(2)アクションリサーチにおいては、フィールドのローカリティ(場所性)がもつ地域特性が重要な意味をもつ。研究と実践の両面においてローカリティの意義を見出し、そのデザイン化をどう図るか。
(3)研究者と当事者が連携・協働(パートナーシップ)するに際しては、それぞれの資質や能力、関心や意欲・態度などが問われる。それをどう評価し育成・向上を図るか。
(4)研究者と当事者の社会的課題についての認識をはじめ、課題解決や社会変革がめざす目標や目的(最終的なゴール)、それを達成するための具体的方策などについて、違いやズレが生じやすい。それをどう調整し合意形成を図るか。
(5)専門的知識や科学的方法に基づかないアクションリサーチは、コミュニティに悪影響を及ぼす可能性がある。それをどう認識し知識や方法の客観性・厳格性の向上を図るか。
(6)課題の発見から計画、実行、評価、さらには成果の波及に至るアクションリサーチのプロセスや発展段階は多様である。それぞれの段階に適した科学的方法をどう開発・活用し、プロセスの最適化を図るか。
(7)住民の主体的な活動によるアクションリサーチの進め方や、住民やコミュニティのエンパワメントなどの評価は、住民主体で行われる。その際のリフレクション(内省・省察・振り返り)や評価(集約的評価・段階的評価、タスクゴール・プロセスゴール・リレーションシップゴール)のデザイン化をどう図るか。
(8)アクションリサーチから得られた個別具体的な知見やノウハウについて、その評価(妥当性・信頼性)に関する議論が肝要となる。その知見やノウハウのコミュニティへの還元(フィードバック)や普遍化・一般化(他のコミュニティへの波及)をどう図るか。
(9)アクションリサーチの意思決定は当事者の側にあるが、意図的あるいは結果的に、研究者に私的利益をもたらす危険性がある。研究者と当事者が協働型アクションリサーチを進めるうえで、とりわけ研究者に対して研究倫理の徹底化をどう図るか。
(10)まちづくりに関して地域コミュニティが抱える問題は、福祉や教育、医療、看護、介護など多種多様で、複合的であり、多層・多次元にわたる。それをどう横断的・総合的に捉え連携・協働(共働)を図るか。

追記(2024年2月16日)
吉本哲郎『地元学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2008年11月
結城登美雄『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける―』農山漁村文化協会、2009年11月
山下祐介『地域学をはじめよう』岩波ジュニア新書、2020年12月
山下祐介『地域学入門』ちくま新書、2021年9月
柳原邦光・ほか編著『地域学入門―<つながり>をとりもどす―』ミネルヴァ書房、2011年4月
佐藤滋『まちづくりの科学』鹿島出版会、1999年9月
日本建築学会(佐藤滋・ほか)編『まちづくりの方法』(まちづくり教科書 第➀巻)丸善丸善、2004年3月
西村幸夫編『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』朝倉書店、2007年4月
織田直文『臨地まちづくり学』サンライズ出版、2005年3月
木下斉『まちづくり幻想―地域再生はなぜこれほど失敗するのか―』SB新書、2021年3月
山崎義人・ほか『はじめてのまちづくり学 』学芸出版社、 2021年8月
山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年4月
山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中公新書、2012年9月
山崎亮『ふるさとを元気にする仕事』ちくまプリマ―新書、2015年11月
山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP新書、2016年11月
小泉秀樹編『コミュニティデザイン学― その仕組みづくりから考える― 』東京大学出版会、2016年9月
鎌田華乃子著『コミュニティ・オーガナイジング―ほしい未来をみんなで創る5つのステップ―』英治出版、2020年11月
室田信一・ほか編『コミュニティ・オーガナイジングの理論と実践―領域横断的に読み解く―』有斐閣、2023年8月

【初出】
<雑感>(197)阪野 貢/「アクションリサーチ」基礎考―その概念、原則、プロセス等と実践的課題―/2024年2月10日/本文

 


02 コミュニティ・エンパワメント:その概念、原則、プロセス


<文献>
(1)安梅勅江『エンパワメントのケア科学―当事者主体チームワーク・ケアの技法―』医歯薬出版、2004年9月、以下[1]。
(2)安梅勅江編著『コミュニティ・エンパワメントの技法―当事者主体の新しいシステムづくり―』医歯薬出版、2005年4月、以下[2]。
(3)安梅勅江編著『健康長寿エンパワメント―介護予防とヘルスプロモーション技法への活用―』医歯薬出版、2007年8月、以下[3]。
(4)安梅勅江編著『いのちの輝きに寄り添うエンパワメント科学―だれもが主人公、新しい共生のかたち―』北大路書房、2014年11月、以下[4]。
(5)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月、以下[5]。

エンパワメントという言葉は、さまざまな分野で使われている。実はその分野ごとに違う定義がある。代表的なものを紹介すると、教育分野では、内発的動機づけ、成功経験、有能感、長所の伸長、自尊感情。社会開発分野では、人間を尊重し、すべての人間の潜在能力を信じ、その潜在能力の発揮を可能にするような平等で公正な社会を実現しようとする活動。ビジネス分野では、権限の委譲と責任の拡大による創造的な意思決定。保健福祉分野では、自分の健康に影響のある意志決定と活動に対しより大きなコントロールを当事者が得る過程、としている。([4]3ページ)

〇筆者(阪野)は、前稿(<雑感>(197)「アクションリサーチ」基礎考―その概念、原則、プロセス等と実践的課題―/2024年2月10日投稿/ ⇨本文)で「アクションリサーチ」の概念、原則、プロセス等について整理するなかで、筆者がかねてより議論してきた「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に通底する要素として、「当事者主体」「課題解決と社会変革」「パートナーシップ」「エンパワメント」「話し合いと協同学習」「リフレクション」を指摘した。
〇そんな折、本ブログ読者のN氏から、「エンパワメント」の基礎・基本についていくつかの問い合わせをいただいた。本稿は、それに応えるために草したもの(その一部)である。
〇筆者の手もとに、「エンパワメント科学」研究の第一人者である安梅勅江(あんめ・ときえ)の本が5冊ある。そこで本稿では、「エンパワメント」(とりわけ「コミュニティ・エンパワメント」)の基礎的理解を図るために、前稿と同じような枠組みのもとで、5冊の本からその論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

コミュニティの概念
「コミュニティとは、目的、関心、価値、感情などを共有する社会的な空間に参加意識を持ち、主体的に相互作用を行っている場または集団である。」
どんな組織や地域にも「人々がともに何かを構築するための単位」があり、それは、「あるテーマに関する関心や問題、熱意などを共有し、その分野の知識や技能を、持続的な相互交流を通じて深めていく人々の集団」である。これが「コミュニティ」の1つの側面である。
コミュニティの特徴(要素)は、➀目的、関心、価値、感情などの共有、②帰属意識、③自主的な運営、④相互作用、である。([2]4ページ)

エンパワメントの概念
エンパワメントとは、元気にする、力を引き出す、好奇心の共感ネットワークを作ることである。([1]2ページ)
エンパワメントとは、元気にすること、力を引き出すこと、きずなを育むこと、そして共感に基づいた人間同士のネットワーク化である。人間は生まれながら自分の身体的、心理的、精神的、スピリッチュアルなウエルビーイングを成就しようとする意欲を持っている。当事者や当事者グループが、自らのウエルビーイングについて十分な情報のもとに意思決定できるよう、ネットワークのもとに環境を整備することがエンパワメントである。和訳すれば、絆育力(きずなを育む力)、活生力(いきいき生きる力)、共創力(ともに創る力)となろう。([2]5ページ)

コミュニティ・エンパワメントの概念
コミュニティ・エンパワメントは、コミュニティやシステムなど、「場」全体の力を引き出す、活性化することを意味する。いわば共創力である。
すなわち、コミュニティ・エンパワメントとは、個人や組織、地域などコミュニティの持っている力を引き出し、発揮できる条件や環境をつくっていくことにほかならない。力には顕在力と潜在力があるが、その両者を引き出すのみでは不十分であり、力を活かす「条件」が整ってはじめてコミュニティ・エンパワメントといえる。
その結果、コミュニティの「自己決定力」を高めていくことが可能となる。コミュニティによる「決定力」「コントロール力」「参加意識」を支える環境整備が基本である。つまり、コミュニティ・エンパワメントを引き起こすには、コミュニティのメンバーの「主体的なかかわり」と「連帯感(組織性)」が必要であり、これをいかに実現するかがコミュニティ・エンパワメントの技術なのである。
実際には、コミュニティ・エンパワメントは「現実の関係性のつながり」と「共感イメージのネットワーク」という2側面を持つ。現実とイメージの両者が車の両輪のようにエンパワメントを推進する。([2]6ページ)

エンパワメントの原則
エンパワメントの原則は次の8点である。([1]4~5ページ)
(1)目標を当事者が選択する
目標は当事者が最終的に選択する。当事者の意思決定が難しい場合は、当事者の代弁者としてふさわしい者が選択する。目指すところがどこなのか、最終決定は当事者であることをつねに意識する必要がある。
(2)主導権と決定権を当事者が持つ
目標を実現するための方法や時期などについて、当事者が希望する方法を最優先する。もちろん選択肢の可能性と限界については、あらかじめ十分に情報を提供する必要がある。
(3)問題点と解決策を当事者が考える
課題を遂行するうえで、どこが障害となってくるのか、問題になるのか、自らが考え、解決法を工夫するよう働きかける。
(4)新たな学びと、より力をつける機会として当事者が失敗や成功を分析する
ネットワークは継続し発展するものである。成功でも失敗でも何か動きがあった後には次の機会のためになぜそうなったのかを当事者が自ら考え、次の動きに備える機会を設ける。
(5)行動変容のために内的な強化因子を当事者と専門職の両者で発見し、それを増強する
「内的な強化因子」とは、当事者が強く必要と認識し、自らの意思で求めようとするきっかけを意味する。行動変容のための価値を自らが発見し、それを強めることで実現していく。専門職はそのための環境の整備に徹する。
(6)問題解決の過程に当事者の参加を促し、個人の責任を高める
「自らの問題解決の能力を増強する」ために、すべての問題解決の過程に当事者がかかわり、自らの責任で判断することで個人の責任を高めていく。
(7)問題解決の過程を支えるサポートネットワークとネットワークと資源を充実させる
問題解決の過程を支えるため、サポートネットワークと資源(人的資源、物的資源、経済的資源、情報資源など)を適切に活用するよう環境条件を整える。
(8)当事者のウエルビーイングに対する意欲を高める
何よりも大切なのは当事者の「やる気」である。「やる気」を育てるための技術を縦横に用いる。

エンパワメントを実現するための指標
エンパワメントを着実に実現するためには、8つの指標を満たすことが求められる。これは評価指標として活用することができる。([3]11ページ)
1.共感性(empathy)
・メンバー間、あるいはメンバーのプログラムへの共感性はどの程度が?
・あるのかないのか、あるなら限定的なものなのか発展的なものなのか?
2.自己実現性(self-actualization)
・メンバー一人ひとりが、どの程度自己実現できていると感じているか?
3.当事者性(inter sectral)
・メンバー一人ひとりが、人ごとではなく、自分のこととしてかかわっているか?
4.参加性(participation)
・メンバー一人ひとりが、どの程度参加していると感じているか?
5.平等性(equity)
・参加者が、プログラムの内容やフィードバックを平等であると感じているか?
6.戦略の多様性(multi strategy)
・ワンパターンではなく、さまざまな戦略を複合的に組み合わせてプログラムを遂行しているか?
7.さまざまな状況への適用性(contextualism)
・参加者や環境が変化しても、プログラムは対応できるか?
※7.可塑性(plasticity)
さまざまな状況変化に柔軟に対応できるかどうかは、個人や組織の発展に大きな影響を及ぼす。メンバーや環境が変化しても、メンバー、活動、目標達成 へのプロセスが前向きに形を変化させながらどこまで対応できるかを評価指標とする。([5]27ページ)
8.継続性(sustainability)
・プログラムには、安定した継続の見通しがあるか?
※8.発展性(innovation)
将来への発展性や持続可能性は、メンバーに安定感をもたらす。活動において、 発展へのイノベーションや安定した継続の見通しがあるかを評価指標とする。([5]27ページ)

エンパワメントの発展段階
エンパワメントの発展段階は、「創造(Creation)」「適応(Adaptation)」「維持(Sustain)」「発展(Enhance)」の4段階(CASEモデル)として捉えることができる(図1)。([5]17~18ページ)
(1)「創造」段階は、何もないところから、新たに活動や関係性が発生する段階である。創造技術、創発技術、変革技術など、新しい活動や関係性の開始に向けた技術が必要である。
コミュニティ・エンパワメントの開始には、まずメンバーがどこに関心があるのかという「テーマ」を共有する必要がある。創造段階においては、メンバーに、「コミュニティ」に参加することの意義に気づいてもらうよう仕向けることが鍵となる。([2]32ページ)
(2)「適応」段階は、発生した活動や関係性が周囲との調整で定常化するまでの段階である。適応技術、調整技術、協調技術、伝達技術など、活動や関係性を軌道に乗せるための環境調整、チーム調整などを含む技術が求められる。
適応段階のコミュニティは、いまだ脆弱であり、適応のためのさまざまな軋轢に耐えなければならない場面が出てくる。メンバー間の結び付きを強め、信頼を築きながら、共通のテーマに対する関心や必要性に対する認識を高める活動の継続が求められる。([2]33ページ)
(3)「維持」段階は、活動や関係性を定常化する段階である。維持技術、実施技術、追求技術、統制技術など、活動や関係性を安定した形で維持するための技術が重要となる。
維持段階では、メンバーの情熱や関心と適合させる形で、テーマを設定し続ける必要がある。維持段階の「コミュニティ」は、共通性と多様性をおびてくる。長期に及ぶ相互交流は、安定性と拡大性を必然的にもたらすからである。実践場面においては、共通の価値のもとにメンバーが集うネットワークを構成することが、維持段階におけるコミュニティ・エンパワメントのかなめとなる。([2]34ページ)
(4)「発展」段階は、さらなる進展に向けて活動や関係性を拡大する段階である。展開技術、影響技術、統合技術など、混沌とした複雑な対象に対して統合的に発展するための技術が求められる。
発展段階には、さらに多くの「テーマ」を巻き込み、「コミュニティ」の拡大にともないメンバーが増加し、「活動」がより多様で複雑になる。そうした状況下においても、信頼感や関係性を維持し、おもしろいと思わせる刺激を失わないようにすること、助け合うための相互交流を図りながら実践を体系化することが鍵となる。([2]35ページ)

図1 エンパワメントの発展段階

エンパワメントの種類
エンパワメントは、対象の種類別に見るとセルフ・エンパワメント、ピア・エンパワメント、コミュニティ・エンパワメントの3種類に分けるこができる(図2)。
セルフ・エンパワメント(self empowerment)とは、当事者自らが力を発揮するものである。自分自身の力をつける、対処能力をつける。それが他者とのかかわり、地域とのかかわりに発展する。
ピア・エンパワメント(peer empowerment)とは、仲間(ピア)同士、グループが力を発揮するものである。ピア・エンパワメントの強みは、自分の「思い」に、ピアの「思い」を加えられる点にある。
コミュニティ・エンパワメント(community empowerment)とは、コミュニティ、地域社会、社会システムが力を発揮するものである。コミュニティやシステムなど、「場」全体の力を引き出す、活性化することを意味する。([1]18~25ページ)

セルフ・エンパワメント、ピア・エンパワメント、コミュニティ・エンパワメントの3つを組み合わせて活用することが、継続的で効果的なエンパワメントの実現に必須である。これをエンパワメント相乗モデル(Empowerment Synergy Model)という(図3)。([5]13ページ))

コミュニティ・エンパワメントは、セルフ・エンパワメント、ピア・エンパワメントに加え、ソーシャルサポート、ソーシャルネットワーク、コミュニティ・オーガニゼーション、コミュニティ心理学などと関連している。
またコミュニティ・エンパワメントと関連付けてコミュニティ能力(community competence)という考え方が生まれ、コミュニティの課題を自ら把握し改善を推進してゆく力量と定義されている。([1]26ページ)

     図2 エンパワメントの種類      図3 エンパワメント相乗モデル

コミュニティ・エンパワメントの目標・戦略設計
コミュニティ・エンパワメントの開始には、まずメンバー間にパートナーシップを築くことが前提である。そして共に問題と目標を見きわめ、対象とする範囲を定めて全体像を把握する。戦略とは、目標を実現するための論理的な手順を定めることである。([2]35ページ)
論理的に目標設定と戦略設計を行うためには、次の6つのステップに沿って順に整理することが有効である(図4)。
このモデルの特徴は、目標と戦略がどのようにプロジェクトを成功させるかの“筋道と根拠”を明示できる点である。プロジェクトが成功するかどうかの可否(whether)に加えて、方法(how)、根拠(why)を論理的に明確にすることができる。([3]27~29ページ)
第1ステップ:もたらしたい成果は?
当事者は何を求めているのか、どんな夢をもっているのか、どうなってほしいと期待しているのか、それを成果として記述する。
第2ステップ:現状の問題点あるいは課題は?
“問題や課題”を明らかにする。この場合の問題や課題とは、当事者が意識化しているものにとどまらない。サポーターや専門職などが気づき、将来的に予測しているが、当事者には意識されていない問題や課題を含む。
第3ステップ:その背景は?
第2ステップにあげられた“問題や課題”について、その“背景”となる要因を記述する。そのコミュニティ自体が抱えている背景に加えて、社会全体にかかわる背景を含めて記述する。
第4ステップ:問題点や課題、コミュニティの背景要因に影響を与える要因は?
“問題や課題”はもとより、“背景”に影響を与える要因を整理する。問題や課題に直接的に影響する要因、背景に影響することで間接的に問題や課題に影響する要因を記述する。
第5ステップ:影響を与える要因を変化させる戦略は?
影響を与えている要因を変化させる戦略を立てる。“変化させられる要因”に焦点を当て、できるだけ数多くの戦略をあげる。また“変化させることが難しい要因”については、放置しておいていいのか、側面から別の方法で間接的な変化を起こすよう試みるのが望ましいのかなどを検討する。“変化させられるのか、させられないのか、させられなくても何らかの手を打つ必要があるのか”を見抜く洞察が求められる。
第6ステップ:戦略の根拠は?
戦略の根拠となる理論や既存研究をあげ、その戦略が適切で効果的であることを示す。

これらの6つのステップの完成後、将来にわたり論理的な流れに沿って戦略を実現するために、“目標、成果、影響要因が十分に定義されているか” “目標が妥当で実現可能であるか”をメンバー間できちんと確認しておく。すなわち、その目標と戦略が効果をあげる根拠をはっきりさせておく。

図4 コミュニティ・エンパワメントの目標・戦略設計の枠組み

コミュニティ・エンパワメントの「コツ」
コミュニティ・エンパワメントには、効果的に展開するための、ある意味で「コツ」とでもいえる7つの原則がある。これらを活用することで、無理なく発展することが可能となる。([3]12~16ページ)
(1)目的を明確にする:価値に焦点を当てる
当事者が何を求めているのか、そのニーズにしたがって“目的を明確に”設定する。そのニーズは当事者の価値を反映している。価値とは、目指す状態を実現するプロセスにおいて、守る必要のある基準や方針などである。一人ひとりの価値を束ねて、基本的な考え方、理念、行動指針、方針などを共有していく。
(2)プロセスを味わう:関係性を楽しむ
“プロセスを味わう”とは、参加メンバー同士の関係性やテーマへの取り組みのプロセス自体を楽しみながら味わう、という意味である。
エンパワメントの最も重要な原則は“ともに楽しむこと”である。そもそもが“共感に基づく自己実現”に大きく依存するからである。
(3)共感のネットワーク化:親近感と刺激感
“共感のネットワーク化”とは、親近感と刺激感の両方の感覚をもちながら、つながっているという感覚をもつことである。親近感とはリラックスした安心感、刺激感とはピリッとした緊張感である。コミュニティ・エンパワメントには、硬軟併せもつこと、すなわち硬い部分と柔らかい部分、安心感と緊張感との両側面をもつことで、より活性化することが知られている。
(4)心地よさの演出:リズムをつくる
エンパワメントの推進には、“変化のリズム”と“秩序化のリズム”のまったく異なる2つのリズムを用いることが有効である。“変化のリズム”は変化を敏感に察知し適応するリズム、“秩序化のリズム”は生み出した適応の方法を秩序化して、より効果的、効率的、拡張的に広げていくリズムである。
(5)ゆったり無理なく:柔軟な参加様式
当事者の参加の状態や役割は、時期により変化してかまわないなど、参加の様式には柔軟な幅をもたせることが原則である。また、さまざまな人が、さまざまな時期に、さまざまな状態で参加することができるようにする。
(6)その先を見据えて:常に発展に向かう
どんな人もコミュニティも、ひとつの状態にとどまっていられない存在である。未来に向かって、その先を見据えながら、常に発展に向かう動きを伴うことで活性化する。硬直化することなく、さまざまなメンバーを柔軟に取り込み、ダイナミックに環境に適応しつつ、より意味のある活動を展開する。
(7)活動の意味づけ:評価の視点
活動の意義を感じるためには、活動の意味づけ、すなわち評価の視点が必要となる。それは、携わっていることの“有効性”すなわち“価値”を明らかにすることである。コミュニティや関係性にどんな意味があるのか、その目標、活動結果、影響力、コストはどの程度なのか、などを知ることで、満足感を得たり、次への見通しを得たりできる。

〇安梅にあっては、「エンパワメント」は、「湧力(ゆうりょく)」すなわち「人びとに夢や希望を与え、勇気づけ、人が本来持っているすばらしい、生きる力を湧き出させること」([5]7ページ)である。それはまた、「絆育力」(きずなを育む力)、「活生力」(いきいき生きる力)、「共創力」(ともに創る力)([2]5ページ)である。そこでは、「縁パワメント」「援パワメント」(安梅)の広がりが期待され、管理・運営主体による統制型のコミュニティから当事者主体による自律型のコミュニティへの変革が構想される。そして、「共感」、「共働」(協働)、「共創」が肝要となる。
〇ところで、「絆育力」「活生力」「共創力」の類似語あるいは関連語に、「地域力」「住民力」「福祉力」などの言葉がある。それらは、「地域コミュニティ」や「まちづくり」などとの関わりでも使われる。またときに、それらは「エンパワメント」(セルフ・エンパワメント、ピア・エンパワメント、コミュニティ・エンパワメント)を包含する概念でもある。
〇ここで、旧稿(<雑感>(150)「地域力」「住民力」再考のために―宮城孝著『住民力』のワンポイントメモ―/2022年3月18日投稿)を思い起こしておきたい。

付記
忘却の彼方に消え去っていた拙稿に、「地域の福祉力・教育力と福祉教育のネットワーク形成」がある。およそ30年も前のものであり汗顔の至りであるが、あえて<雑感>(150)との関連で付記しておくことにする。

地域の福祉力・教育力と福祉教育のネットワーク形成



出所:阪野 貢『福祉のまちづくりと福祉教育』文化書房博文社、1995年5月、158~173ペー『』」基礎考 ―その概念、原則、発展段階等と “まちづ『』」基礎考 ―その概念、原則、発展段階等と “まちづくり”」

【初出】
<雑感>(198)阪野 貢/「コミュニティ・エンパワメント」基礎考 ―その概念、原則、発展段階等と “まちづくり”/2024年2月22日/本文  

 


03  「まちづくりと市民福祉教育」におけるリフレクション


<文献>
(1)「特集/福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション」『研究紀要』Vol.20、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月、以下[1]。


(2) 熊平美香『リフレクション―自分とチームの成長を加速させる内省の技術―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021年3月、以下[2]。
(3) 西原大貴『「自分の可能性」を広げるリフレクションの技術』日本実業出版社、2023年4月、以下[3]。
(4) 千々布敏弥『先生たちのリフレクション―主体的・対話的で深い学びに近づく、たった一つの習慣―』教育開発研究所、2021年11月、以下[4]。
(5) 学び続ける教育者のための協会(REFLECT)編『リフレクション入門』学文社、2019年1月、以下[5]。

〇「リフレクション」(reflection)は、企業をはじめ保健、医療、看護、福祉、教育などさまざまな業種・分野(現場)で取り組まれ、研究と議論が行われてきている。本稿ではまず、福祉教育のリフレクションについて、原田正樹の言説[1]を要約する。そこに示された知識や理解、実践を深め広げるためのヒントを得るために、あえてビジネスの世界におけるリフレクションの言説や論点を[2][3]から学ぶ。それは、人材育成や組織開発など、企業の成長や存亡にかかわる厳しいものであることによる。そして、[2][3]からの知見を補強するために、[4][5]についてその一部にふれることにする(抜き書きと要約。語尾変換・統一。見出しは筆者)。

 

Ⅰ.  原田正樹「福祉教育・ボランティア学習における創造的リフレクションの開発」

体験学習とリフレクション
●  福祉教育・ボランティア学習において、共生の福祉観を育むためには、障害や高齢による日常生活動作の疑似体験だけでは不十分であることは指摘されてきた。また、従来から「体験のやりっ放しはよくない」という指摘はなされ、体験学習における振り返りの大切さは意識されてきた。
●  リフレクションのないプログラムは、どれほど目新しいものであっても、それは学習者の生活世界を変えていくものにはならないばかりか、地域社会の関係構造(リレーションシップ)を変えていく力にはなり得ない。
●  振り返りといっても、生徒たちの体験後の感想文・作文が主流で、自らの行為を省みる(内省)内容が中心であった。生徒間で異なった気づきを発見したり、課題を共有化していくことによる「感想文からはじまる学習」こそ、リフレクションのスタートである。
●  ポートフォリオを導入して、(学習指導の過程において実施する)「自己形成評価」を取り入れる実践も増えてきた。ポートフォリオでは、学習者自身が学びを意識化し深めるという点では有効であるが、内省・省察的な振り返りだけでは、地域社会の関係構造の変化にむけた働きかけにつながらない。今日の福祉教育・ボランティア学習は、「社会創出」を指向したプログラムになっていない。

社会創出とリフレクション
●  社会創出とは、自らが地域社会の一員であることを自覚し、共生文化を創造する担い手として、地域社会に働きかけていくことができる力を育むことである。そのためには、体験だけで終わらせないための目的設定やプログラム、そしてそのことを意識したリフレクションが必要である。
●  例えば、ホームレスのことを知った生徒たちには、「これからどうしていくか」を問うことで、自らの行為や生き方を考えていくことになり、さらにホームレス問題を社会のなかでどう解決していくかを考えていく主体になり、その解決にむけてアクションを創り出していくことが望まれる。これが「創造的リフレクション」(creative reflection)である。

創造的リフレクションと主体形成
●  リフレクションは、反省的思考(reflective thought)→行為のなかの省察(reflection-in-action)→批判的自己省察(critical self-reflection)→批判的省察(critical reflection)→創造的省察(creative reflection)という道筋で展開される。
●  「創造的省察」とは、現時点から過去の行為をふりかえるだけではなく、近未来の自分や社会を創り出すという視点から、リフレクションをしていくことである。同時にリフレクションを通して、近未来を創り出していくという指向性を有している。
●  個人の体験をリフレクションによって、何らかの解釈や意味づけをすることで、それを抽象的な概念として普遍化することが重要である。このことを繰り返すことによって、個人の発達を促していくことになる。そこで、個人の具体的な体験からその本質を引き出し(抽象化)、それを言葉(文章)や絵、図などによって表現すること(概念化)――「抽象的概念化」(abstract conceptualization)を行うための(教師による)学習支援が重要になる。
●  リフレクションは、事後学習のプログラムではなく、体験の事前、事中、事後のすべての段階で行われる。しかも、こうしたリフレクションを繰り返し行うことで、新たな理解、新たな応用へと昇華していくという螺旋型の構造を示す。
●  未来志向の創造的リフレクションは、「学習の広がりと深まり」と「プログラムの展開と多様な学びの場」という2つの軸で考えられる。すなわち、一つだけのプログラムだけで学びが終始するのではなく、プログラムそのものも次の段階へと発展し、また様々な学びの場へと広がっていくことで、市民社会や共生文化の担い手としての主体形成が促されていく。
●  創造的リフレクションの構造には3つの特徴がある。①個別プログラムにおける丁寧なリフレクションを積み上げ、長期のプロセスを重視してリフレクションを長期で捉えていること。②当初は提供されたプログラムであっても、本人の意思や成長によって、自ら学びの場を選択したり、創り出すように展開していくこと。③新しい社会創出にむけて、理念的に語るだけではなく、具体的に提案(proposal)・提唱(advocate)することを組み込んだ学習プログラムを重視していくこと、である。これらによって新しい社会創出に向けた主体形成が図られていく。
●  福祉教育・ボランティア学習では、当事者に共感・共鳴し、ときには代弁する「当事者性」の涵養を大切にし、多くの人たちと学びあう「協同実践」を大切にしてきた。こうした学びの関係性を大切にするとともに、学びが連続し、継続していくことで、社会につながっていくという方向性を強くしていかなければならない。そしてそれは1つのプログラムではなく、地域のなかに複数の学びがあることが重要である。そのためには生涯学習の視点からの学びのシステムを検討していかなければならない。

(備考)
原田正樹「福祉教育・ボランティア学習における創造的リフレクションの開発」『研究紀要』Vol.20/日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月、41~52ページ/2021年2月24日/本文

 

Ⅱ.  熊平美香著『リフレクション―自分とチームの成長を加速させる内省の技術―』

リフレクションとその技術
リフレクションとは、「自分の内面を客観的、批判的に振り返る行為」(3ページ)である。その目的は、あらゆる経験から学び、未来に活かすこと。経験を客観視することで新たな学びを得て、未来の意思決定と行動に活かしていくことにある。それによって、自分自身の成長だけでなく、他者への理解を深めて成長を促進したり、組織をまとめるリーダーシップを育んだりすることができる。リフレクションの基本となるメソッドは、①自分を知る、②ビジョンを形成する、③経験から学ぶ、④多様な世界から学ぶ、⑤アンラーンする(学んだことを手放す)、の5つである(4~5、11ページ)。また、リフレクションの質を高めるためには、事実や経験に対する自分の判断や意見を、「意見」「経験」「感情」「価値観」(「認知の4点セット」)に切り分けて可視化することが肝要となる。それによって、自分の内面を多面的に深堀りし、柔軟な思考を持つことができるようになる。(20~21ページ)

リフレクション   基本の5メソッド
リフレクションの基本となる5つのメソッドは次の通りである(図1:11ページ)。このメソッドを活用することによって、良質なリフレクションを実践できるようになる。((1)41~43、(2)54~56、(3)73~81、(4)96~101、(5)104~109ページ)
(1) 自分を知るリフレクション
自分を突き動かす動機の源(内発的動機)を知ることで、自分のモチベーションを維持できるようになり、困難な状況でもぶれない自分の軸を持つことができる。動機の源は「価値観」(判断の尺度やものの見方)として現れる。
(2) ビジョンを形成するリフレクション
動機の源(大切にしている価値観)につながる目的やビジョン(「未来に対する意図」)を持つことで、「現状を変えたい」という思いや「現状と理想のギャップを埋めたい」と強く願う気持ちが生まれ、潜在的能力が高まり、困難に打ち勝つエネルギー(「クリエイティブテンション」)が生まれる。
(3) 経験から学ぶリフレクション
「反省」は、変えることができない過去の間違いを確認し、責任を追及したり評価を下したりする。リフレクションは、自らの行動や経験を振り返り、その結果と結びつけることによって、そこから何を学び、どんな教訓や法則を見出したか、自己の内面を俯瞰・客観視する。その学びを通して行動の前提になる持論(過去の経験から導かれた法則)をアップデートし、次の行動にどう活かするかを計画することができる。
(4) 多様な世界から学ぶリフレクション
「対話」は、自己を内省(リフレクション)し、自分の考えに固執せず、評価判断を保留して、他者と共感する聴き方と話し方をいう。それを通して思考を深め、多面的・多角的に物事を眺めることができる。それは、自分の境界線の外にある多様な世界から学び、その学びを自分のものにして自分の世界を広げることが可能になる。
(5) アンラーンするリフレクション
過去の成功体験(学び)と、その経験によって形成されたこれまでのやり方やものの見方が通用しなくなったとき、成功体験の思い出を残して、ものの見方を手放す。その際、アンラーンした(学んだことを手放した)先の世界を理解するために、想像力を働かせる。それによって、新しいものの見方や解決策を見出すことができる。

図1 リフレクション 基本の5メソッド

認知の4点セット
リフレクションの中核となるツール(手段)が「認知の4点セット」である(図2:21ページ)。認知とは、外界にある対象を知覚し、それが何なのかを判断することを意味する。認知(知覚と判断)は、過去の経験により形成された「ものの見方」を通して行われる。「認知の4点セット」では、意見とその背景にある経験、感情、価値観を切り分けて考えることによって、多面的・多角的なものの見方ができ、自己理解が増し、自分を変える力が高まる。(22~23、30~31、(1)~(4)32~39ページ)
(1) 意見:あなたの意見は何ですか?(意見とはある物事に対する自分の主張・考え、学び、思ったこと、をいう)
(2) 経験:その意見の背景(根拠)には、どのような経験がありますか?(経験には読んだり聞いたりして知っていることも含まれる)
(3) 感情:その経験や知識に対して、どのような感情を抱いていますか?(感情は大きくはポジティブかネガティブのどちらかに分類される)
(4) 価値観:そこかに見える、あなたが大切にしている価値観はなんですか?(価値観には判断に用いた基準や尺度、ものの見方が含まれる)

図2 認知の4点セットのフレームワーク

リフレクションの4つのレベル
リフレクションには次の4つのレベル(段階)がある(77~81ページ。図3:80ページ)。
レベル1:出来事や結果について振り返る(体験した出来事や結果そのものを振り返る)
レベル2:他者や環境について振り返る(経験した出来事や結果の背後にある因果関係を考える)
レベル3:自分の行動について振り返る(自らの行動を振り返り、結果と結びつけることによって次に取るべき行動を考える)
レベル4:自分の内面について振り返る(自分の行動の前提にある自分の考えを「認知の5点セット」で振り返り、俯瞰する)

                                                   図3 リフレクションの4つのレベル

〇なお、上述のリフレクションの5つの基本メソッドについて熊平は、次のような「成長が期待できる」と要約する。(225ページ)
①  自分を知るリフレクション
自分の動機の源を知ることで、目的を定める基礎ができる。
②  ビジョンを形成するリフレクション
動機の源につながる目的を持つことで、ビジョンが形成できる
③  経験から学ぶリフレクション
ビジョンを実現するために仮説を立てて行動し、経験から学ぶことができる
④  多様な世界から学ぶリフレクション
未知の課題に取り組むときにも、多様な視点で、創造的な解決策を見出すことができる
⑤  アンラーンするリフレクション
過去の成功体験が通用しないときにも、自らの学びを手放し、新たな視点を持つことで、解決策を見出すことができる
〇いまひとつ熊平は、5つのメソッドは「自律型学習者」になるための・育てるためのメソッドでもあるとして、次の7つの観点からリフレクションの活用方法(自律型学習者を育てる方法)を説く。参考に供することにする。((1)222~223、(2)227~228、(3)241、(4)250~251、257、(5)261~262、(6)278~279、(7)291、293ページ)
(1) 主体性を育む
期待される役割に対して自ら考え行動することではなく、育成相手が自ら定めた目的に向かって考え行動するように支援する。
(2) 自分の頭で考える力を育む
何(What)をどのように(How)からだはなく、育成相手がなぜ(Why)から考える習慣をつけるように支援する。
(3) 期待値で合意する
期待値のズレが生じないように、育成相手が自分のゴール(使命)を正しく理解するように支援する。
(4) 経験・感情・価値観を聴き取り、信頼関係を構築する
経験・感情・価値観について共感による傾聴を行い、心理的に安全な環境づくりを心がけることによって、育成相手との信頼関係を構築する。
(5) 相手の強みを引き出し、褒(ほ)める
自分の強みを活かして貢献することができるように、育成相手が自分の強みを自覚・客観視できるように支援する。
(6) 成長を支援する
相手の行動、その結果、理想の行動について冷静に指摘・評価し、軌道修正(フィードバック)を促すことによって、育成相手の成長を支援する。
(7) 自分の育成力を高め続ける
相手の課題に焦点を当てるだけでなく、自分の選択した指導方法とその前提にある内面を振り返り、自分の育成力(指導の効果)を高め続ける。

 

Ⅲ.  西原大貴著『「自分の可能性」を広げるリフレクションの技術』

リフレクションの本質
リフレクションの本質とは、自分の可能性を知ることである。それは、「心から望む自分の目的地と、ありのままの今の現在地、その道のりに自分の可能性があり、支えとなる仲間がいるということを、心の鏡に照らし映すこと」(9ページ)。その「心の鏡に映る自分を見て、自分自身を深く知る方法」(72ページ)である。その際の重要な視点は、①心から望む(your heart)、②今を生きる(your moment)、③自分と仲間の可能性をつなぐ(your connections)、の3つである(11ページ)。それによって、自分が決めた限界を超えて自分の可能性を知ることができ、その限界に挑戦して、自分の可能性をいかんなく発揮できるようになる。そして、それを通して、「みんなが笑顔で自分の可能性に挑戦し応援し合う社会」(13ページ)の実現が図られるのである。

リフレクションの3つの視点
リフレクションとは、過去に囚われた思い込みや他人の作る限界から自由になって、自分の可能性を知り、広げ、未来を決めて(自分自身の成功・目的地を計画して)、現状ではない「心から望む自分らしさ」を想像し創造する実践である。それによって、これまでの視界が変わる(「見たいものしか見ない」のではなく、「見たいものは見える」)、思考が変わる、行動が変わる、結果が変わる、仲間や組織との関係が変わる、そして人生が変わり、社会が変わるのである。そのプロセスがリフレクションの実践であり、それには3つの視点が重要となる。(カバー・そで、72~74ページ)
(1) 心から望む:your heart
・心から見たいものを決める
・心から向かう目的地を明確にする
・心から大切にすることを多面的に決める
・大切なことはすべて大切にする
・心からの喜び、心からの幸せを実感している自分らしさを知る
(2) 今を生きる:your moment
・感情や判断をやめて、今をありのままに受け入れる
・自分が決めた目的地に向かう現在地を知る
・過去の失敗や感情に囚われることなく、今に感謝する
・浮かれ思い上がることなく、厳しく客観的に現状を受け入れる
・覚悟を持って自分の未来を決め、自分の可能性に挑戦する
(3) 自分と仲間の可能性をつなぐ:your connections
・現在地から目的地までをつなげる自分の可能性を知る
・支えとなる仲間がすでにいることに気づく
・これからの道を拓く仲間との関係を築く
・自分を支える仲間の可能性を信頼する
・自分と仲間の可能性をつなぐ

〇いまひとつ西原は、自分の可能性を最高に発揮している姿を多面的にリフレクションして、言語化することを勧める。すなわち、自分はすでに理想(成功している、目的地に到達している)の状態にあることを思い描き、それを言語化して肯定的な自己宣言(自己暗示、自己説得)を行うこと(アファメーション、affirmation)によって、自己肯定感と自尊心の強化を図り、自分の理想をかなえていく。その際の注意事項として次の7点を挙げる。参考に供することにする。(120~125ページ)
(1) 個人的、主体的な文章にする
自分が主体的に行動できる内容を文章化する。
(2) 他人の評価を含まない
他人の決める評価に依存せず、自分が決める「心から望む自分らしさ」を文章化する。
(3) 意識を向けたい肯定文で書く
「過去に囚われたなりたくない自分らしさ」ではなく、「心から望む自分らしさ」を文章化する。
(4) 実現している自分を現在進行形・現在完了形で表す

「〇〇している」「〇〇になっている」など現在進行形、現在完了形により、過去に囚われないようにする。
(5) 感情(うれしい・楽しい・誇らしい・気持ちいい・穏やか)を含める
「心から望む自分らしさ」を想像して、あらゆることを実現しているときの感情を含めた言語化を行う。
(6) 臨場感と精度を日々高める
言語化したアファメーションにこだわることなく、日々内容を精査して自分らしさを高めていく。
(7) ドリームキラーには教えない
人は人の夢を「現実味がない、前例がない、危険、意味がない」などと判断してしまう。アファメーションは自分だけのものであり、その内容を100%肯定してくれる人とだけ共有する。

 

Ⅳ.   千々布敏弥著『先生たちのリフレクション―主体的・対話的で深い学びに近づく、たった一つの習慣―』

「信念」に囚われる教師
現行の学習指導要領(小学校は2020年度、中学校は2021年度から完全実施、高等学校は2022年度の第一学年から学年進行で実施)に基づいて、「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)の実践が求められている。しかし、それを阻害する教師の「信念」(教師が自らの行動と思考様式に影響を与える価値の一定の体形:28ページ)に次のようなものがある。「教師は学習内容を、子ども間の能力差に配慮して学級集団全体が向上するよいに指導する必要がある」「子どもに対しては学習方法まで含めて、教師がきちんと指導しないといけない」「教師は常に子どもに規律ある行動をさせる必要がある」「学習成績の不振な子どもの指導はやっかいだ」「年間の授業のすすめ方の大枠は、指導書を参考にすべきだ」というのがそれである(17ページ)。こうした信念を変えるためには、すなわち「主体的・対話的で深い学び」を実現するためには、教師が主体的にリフレクションに取り組む必要がある。

マックス・ヴァン=マーネンのリフレクションの3段階論
カナダの現象学的教育学者のマックス・ヴァン=マーネン(Max van Manen)は、リフレクションの3段階論を提唱している。(156~160ページ)
(1) 技術的リフレクション
ある目的を達成するために、汎用的な原則を技術的に応用すること。すなわち、授業のなかで想定と異なる発言が子どもから出てきても対処できず、既存の知識やマニュアルで適応すること。
(2) 実践的リフレクション
個人的な体験、認識、信念などを分析し、実践的な行動を方向づけること。すなわち、想定外の授業の流れや子どもの発言などに対して、当初の授業デザインにこだわることなく、即興的に解釈し、授業デザインを修正しながら授業をすすめること。
(3) 批判的リフレクション
授業において意識すべき目的自体を常に見直す姿勢や考え方を持つことである。すなわち、教師の意図どおりに動かないし考えない子どもを鋭敏に受け止め、指導意図を柔軟に見直すこと。

教師のリフレクションを求める姿勢
授業研究を含めた、教師が授業について構想するあらゆる場面において、技術的リフレクションにとどまることを避け、実践的リフレクションや批判的リフレクションに取り組むことで、教師は子どもの主体的・対話的で深い学びを実現する授業ができるようになる(181ページ)。すなわち、教師にそのための手法(マニュアル)を提示することでは不適切であり、教師が自ら主体的にリフレクションするように促す戦略が必要になる。教師のリフレクショを促すのは手法ではなく、姿勢である(210ページ)。

 

Ⅴ. 学び続ける教育者のための協会(REFLECT)編『リフレクション入門』

熟考するリフレクション
リフレクションは、「反映する」「反射する」が第一義的な訳である。ただ、人のあり方に関わる場合には「熟考する」「省察する」という訳があてられる(2ページ)。リフレクションは、さまざまな業種・分野で用いられてきている用語であり、そのため必ずしも同一の意味・概念で使用されているわけではない(4ページ)。ここでは、リフレクションとは「自身の行為を規定するような自分自身の内面的で暗黙的な知識や技術、感受性・価値観などの要素に焦点をあて(映し出し)、その内容を吟味すること」(5ページ)をいう。すなわち、リフレクションは、「間違いをただすために」行うものではない。自分自身がどのように考え、どのようなことを願いとしてその行為を行ったのか、それは本当に望むものだったのかということを確認するというプロセスである。リフレクションはあくまでもプロセスであり、自分自身を映し出す営みであり、他者によって間違いを指摘されたり、変えられたりするものではない(8ページ)。[坂田哲人]

コルトハーヘンの「ALACTモデル」と「8つの問い」
オランダの教師教育研究者であるフレット・コルトハーヘン(Fred Korthagen)は、学習者の行為と省察の理想的なプロセスを5つの局面に分けている(図4:40ページ)。第1局面:行為(Action)、第2局面:行為の振り返り(Looking back on action)、第3局面:本質的な諸相への気づき(Awareness of essential aspects)、第4局面:行為の選択肢の拡大(Creating alternative methods of action)、第5局面:試行(Trial)、頭文字をとってALCT(アラクト)モデルトと呼ばれているのがそれである。
第1局面は、学習者が行為つまり具体的な経験を積み、学びのニーズが生まれてくる局面・段階である。ここでは、コーチ役(教育者)には、学習者の学びのニーズをもとにリフレクションを進めていくとともに、学習者が新しい学びのニーズに気づくようにするための働きやスキルが必要になる。
第2局面は、第3局面とともに「内的方面に向かう局面」であり、行為の振り返りを行ってその本質に気づくことが期待される。そのためにここでは「8つの問い」が用意される。その構造は、左半分は自分を視点に、右半分は相手を視点にした問いである。さらに、問1と問5は「行ったこと」(doing)、問2と問6は「考えたこと」(thinking)、問3と問7は「感じたこと」(feeling)、問4と問8は「欲したこと」(wanting)に関する問いである。この「8つの問い」を自分に発しながら行為を振り返り、コーチ役(教育者)と2人で行う場合には、コーチ役(教育者)が学習者に対して問いかけるのである。
第3局面では、自分と相手との間、あるいは自己の内面と行為との間にある不一致や悪循環に向き合い、「違和感の背景にあったものごとの本質」「そこにあった大切なこと」など(すなわち「本質的な諸相」)を深く探っていく。この局面・段階で学習者に自己の経験に向き合わせるには、コーチ役(教育者)の受容と共感、誠実さが大切になる。
第4局面では、第3局面の本質的な気づきを踏まえて「外的方面に向かう局面」であり、「次はこうしてみたい」「今後はこうしてみよう」という思いを持つことになる。そこで、コーチ役(教育者)は、複数の方法を学習者に比較・検討させるなどしながら、よりよい解決方法を見出せるように支援することが求められる。
第5局面では、第4局面で選んだ解決方法やそこから得られた知見をもとに、学習者が新たなアプローチを試みる局面・段階である。この局面・段階で積んで具体的な経験は、第1局面の「行為」となり、次の新たなALCTモデルの循環が生まれ、この循環を繰り返すことで螺旋的にリフレクションの質が高まっていく。(38~45ページ)[中田正弘]

図4 ALACTモデルと「8つの問い」

〇なお、リフレクションは、振り返るタイミングによって、行為の最中に振り返る「行為のなかのリフレクション」(reflection in action)と行為の後で振り返る「行為についてのリフレクション」(reflection on action)に分けられる(ドナルド・アラン・ショーン(Donald Alan Schön))。行為後のリフレクションはさらに、自分ひとりで行為を振り返る「セルフリフレクション」(self-reflection)と、他者にフィードバック(指摘・評価)をもらう「コレクティブリフレクション」(collective reflection)に分けられる。リフレクションの類語の「フィードバック」は、自己の行動や思考に対して他者による指摘・評価をもらうことを言う。「反省」は、自己の失敗やミスについて振り返り、今後に活かすことを言う。付記しておく。
〇例によって、以上の言説や議論を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて考えてみると、取りあえず次のようなことが再確認・再認識される。先ず、単なる「振り返り」や「内省」ではなく、「熟考するリフレクション」に留意したい。「まちづくりと市民福祉教育」におけるリフレクションは、その目的や背景、具体的な取り組みの内容やその成否の要因、その成果や学びなどを、取り組みのそれぞれの段階において振り返り、話し合い、熟考する過程である。そこからまた、新しい「まちづくりと市民福祉教育」が始まる。原田がいう「創造的リフレクション」である。
〇この点を別言すればこうである。「まちづくりと市民福祉教育」はその具体的な取り組みを通して、それに関わる個々人の連帯と協働(共働)、自己理解と自己実現、相互支援と相互実現などを促し、市民性の育成や共生文化の担い手としての主体形成を図る。また、自己の「まちづくりや市民福祉教育」の場面や思考を段階的あるいは螺旋的に、しかも批判的に振り返ることによって客観的な判断力や洞察力を得て、新たな視点(考え方)で継続的に「まちづくりや市民福祉教育」に関わることになる。
〇また、それによって住民は、能動的で理性的・自律的な生活主体や権利主体として、個人的責任だけでなく社会的責任を負うべき存在(市民)として自らを形成し、まちづくりの集団的・組織的な活動や運動に関わることになる。その際には、その活動や運動を確かで豊かなものにするための、個人的主体のみならず、集団行為主体や運動主体としてのあり方が問われることになる。こうした市民主体のあり様の多様化や複雑化、その融合化が「成熟」であり、いわゆる「市民的成熟」である。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」における「市民的成熟のためのリフレクション」が求められることになる。
〇さらに、当然のことながら、まちづくりは一人ではできない。まちづくりは、建設的な批判と豊かな創造という視点・視座のもとに、連携・協働の場である地域社会の具体的な生活課題を解決することを第一義とする。そこでは、住民自治の理念のもとで、地域・住民の縦・横の人的ネットワークと「参加と協働」(共働)のあり方が厳しく問われることになる。リフレクションには、複数の人々や集団、組織で行うことによって、より効果的な自己理解と自己成長を促し、メンバー相互の信頼感の構築(再構築)や協働関係の向上に寄与するグループリフレクション(group reflection)がある。「まちづくりと市民福祉教育」において、「グルーブによるリフレクション」が問われるところである。
〇いまひとつ、「まちづくりと市民福祉教育」は、学校教育(定型教育)をはじめ、社会教育(不定型教育)や家庭教育(非定型教育)、青少年教育や成人教育など、あらゆる場と機会を通じて取り組むことが肝要である。そこでのリフレクションは、あらゆる教育機会や教育機関との空間的・水平的な関係性のなかで、また生涯の各期における教育との時間的・垂直的な関係性のなかで実施される。「まちづくりと市民福祉教育」における「生涯学習としてのリフレクション」である。
〇もうひとつ、「まちづくりと市民福祉教育」は、高齢や障害の理解や高齢者・障がい者の疑似体験、それに基づく「共感する力」や「思いやりの心」の育成・醸成に留まるものではない。それは、一人ひとりの地域住民(市民)が抱える地域生活課題に焦点を当てて個人の関係構築や組織化を進め、課題解決に向けた具体的な、地域生活に根ざした地域貢献活動や政策提言、政治的活動などを行う。それによって、社会変革のための地域・社会の福祉文化の醸成やウェルビーイングの実現が図られることになる。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」におけるリフレクションは本質的に、「社会変革のためのリフレクション」である。
〇以上、「まちづくりと市民福祉教育」における「5つのリフレクション」、すなわち「創造的リフレクション」「市民的成熟のためのリフレクション」「グループによるリフレクション」「生涯学習としてのリフレクション」「社会変革のためのリフレクション」、である。

【初出】
<雑感>(199)阪野 貢/「リフレクション」基礎考―「まちづくりと市民福祉教育」における「5つのリフレクション」―/2024年3月10日/本文  

 


04 ケアリングコミュニティと福祉教育


<文献>
(1) 大橋謙策「はしがき」「社会福祉におけるケアの思想とケアリングコミュニティの形成」大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』(講座ケア 新たな人間-社会像に向けて 第2巻)ミネルヴァ書房、2014年4月、ⅴ~ⅶ、1~21ページ、以下[1]。
(2) 原田正樹「ケアリングコミュニティの構築に向けた地域福祉-地域福祉計画の可能性と展開―」大橋謙策編著『同書』87~103ページ、以下[2]。
併せて、原田正樹の次の論文にも注目する。
(3) 原田正樹「ケアリングコミュニティの構築をめざして」『月刊自治研』第59巻696号、自治労サービス、2017年9月、16~22ページ、以下[3]。

ケアリングは「世話をする」「面倒を見る」「思いやる」といった行動を指し、人々の相 互関係の中に広く見られるものである。人々が共存するために不可欠のものであり、看護の中核となる重要な概念でもある。「ケアリング」と「ケア」(さまざまな人によって行われる世話、配慮、介護、子育てなど)は、いずれも人に対する気遣いや配慮、関心といった極めて近い意味を 持つが、「ケアリング」はケアを受ける人と提供する人が相互に支え合い、成長する点に言 及しているところに特徴がある。/ケアリングにおいて、ケアを提供する人は、その相手を大切に思い、成長や自己実現に 向けて、専心する。そしてそのプロセスを通じて、ケアを提供する人自らも成長を遂げる。 ケアリングは社会が人間らしさを保持していく上でなくてはならないものであり、看護の道徳的理念といわれるゆえんでもある。(日本看護協会『改訂版 看護にかかわる主要な用語の解説』2023年11月、12ページ)

〇超少子高齢・人口減少・多死社会が進展するなかで、家族機能の低下や社会的紐帯の希薄化、社会的孤立の深刻化などがすすみ、複合化・複雑化した地域・社会生活上の諸問題が顕在化している。そんななかで、 従来の地域の “支え合い”ではなく、意識的に活動する住民による新しい地域づくりが求められている(下記[1]18~19ページ)。本稿で取り上げる「ケアリングコミュニティ」(caring community)とは、看護の領域で用いられてきたケアリングの考え方をコミュニティにまで広げて展開しようという考え方である([3]16ページ)。
〇筆者(阪野)の手もとに、大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』(講座ケア 新たな人間-社会像に向けて 第2巻)(ミネルヴァ書房、2014年4月)という本がある。その「カバー・そで」は、その内容を次のように紹介する。「本書は、地域福祉の視点からケアを再検討するとともに、ケアリングコミュニティ構築のための実践方法を提起することを目的として企画されたものである。ケアリングコミュニティとは、福祉サービスを必要とする人を社会的に排除するのではなく、地域社会を構成する一人として包摂し、日常生活圏域の中で支えていく機能を有しているコミュニティのことである」。
〇以下では、この本に収録されている19本の論文のうちから、ケアリングコミュニティについての基礎的論考と、そこから福祉教育の必要性について言及する次の2本の論文について、その論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

Ⅰ. 大橋謙策のケアリングコミュニティ論

人間存在の本質に「ケアする」「ケアされる」関係性がある
一般的な人間の生涯を通して考えてみると、われわれ人間は誕生期と終末期において“ケアされる”時期なくして生きることができない。まして、心身に障害を有したり、一時的に病気になった時には他者のケアなくして生きていくことができない。/それにもかかわらず、なぜ今ケアが問われているのであろうか。/逆に、ケアが必要な生涯を誰しもが送るにもかかわらず、なぜ他者へのケア、“ケアする”ことが問題になるのであろうか。/そもそも人間は1人では生きて行くことが困難な動物であり、集団の中でこそ生きるすべを獲得し、言語や文字を発達させてきたのではないか。だとすれば、“ケアする”、“ケアされる”関係性というものは人間にもともと求められていた機能だったのではないか。([1]2ページ。以下[1]省略)

「ケア」は自己実現を図ることに関わる営みである
ケアとは、子育ての時期のケアを考えても、終末期のケアを考えても、要は人間としての尊厳を護り、自己実現を図ることに関わる営みである。/とすれば、それは自己実現や人間としての尊厳をどう考えるかに関わっている命題である。ケアの目的は、人間が自立生活を送る上で必要な要件が何らかの要因で停滞、欠損、不足している時に支援を受けて、自己実現を図ることであろう。(8ページ)

「ケア」の考え方の構成要素として「6つの自立」がある
自立生活に必要な要件(条件)には次の6つがある(8~11、17ページ)。(そのような自立・自己実現の支援がケアの内容や方法を生み出し、そのための地域住民による意図的・意識的、主体的・能動的な助け合い(ケアリング)のコミュニティが「ケアリングコミュニティ」の形成と、住民と行政の協働による「地域共生社会」の創出につながる。:阪野)
① 労働的自立・経済的自立:労働をとおして社会とつながり、労働をとおしてものを創造する喜びを得ることは人間の成長に重要な要件である。労働の結果が経済的自立につながる。
② 精神的・文化的自立:人間として自らの快・不快の感性をもとにして、自ら感じたことを自己表出させる文化的自立の問題が大切である。思うところを多様な方法で感情表出するのは人間そのものの権利であり、人間だけに許される営みである。
③ 身体的・健康的自立:生活のリズムを保ち、生きる気力、生きる意欲、喜怒哀楽を豊かにもてることである。24時間の生活リズムをもち、社会関係・人間関係を築き、社会的に生きていくことは身体的・健康的自立のもっとも基本である。
④ 生活技術的・家政管理的自立:自らが生きていく上で生活を整える、日常生活を維持していく上での技術・知恵がなければ生きていけない。自立した生活を送る上では家政管理能力や生活技術能力がなければ生きていけない。
⑤ 社会関係的・人間関係的自立:地域にある社会関係・人間関係はすべて助け合いの精神に満ちた“麗(うるわ)しい”ものではない。プライバシーもなければ、生活共同体での役割を果たせなければ厳しい対応が求められる。そのような日本の文化のもとでは、意図的・意識的に社会生活上、良好な社会関係・人間関係を構築する必要がある。
⑥ 自律的意見表出的・契約的自立:日本の文化は、自分の意見を表出し、お互いがそれを認め合い契約する文化とはなっていない。日本の稲作農耕構造は、「世間体」を気にし、“長い物には巻かれろ”、“出る釘は打たれる”、“物言わぬ農民”などの文化をつくり出してきた。そのような文化的背景のなかで、1人の人間として自律的に意見表出し、社会的に契約する能力(自立)が求められる。

「ケアリングコミュニティ」をつくる考え方を「コミュニティソーシャルワーク」という
「コミュニティ」とは一般的に、そこに帰属している人のアイデンティティ(同一性の感情)が豊かにあり、そこに帰属している人が安心できる空間・組織であり、その生き方を支える社会システム、生活環境である。/「コミュニティ」は、「ケア」と本来密接不可分の関係にあり、生活の基盤を成している実質的な基礎である。(3ページ)/ケアリングコミュニティとは、福祉サービスを必要とする人を社会的に排除するのではなく、地域社会を構成する1人として包摂することであり、要支援者を日常生活圏域の中で支えていく機能を有している地域社会をいう。(ⅴページ)/日常生活圏を基盤として行政の制度的サービスと近隣住民のインフォーマルサービスとを結びつけて、地域住民の自立生活を支援する新しいケアリングコミュニティをつくる考え方はコミュニティソーシャルワークと言われる。(19ページ)

ケアリングコミュニティの実現には「地域福祉の4つの主体形成」が重要になる
(ケアリングコミュニティの実現を図るためには4つの地域福祉の主体形成を図ることが重要になる。:阪野)第1は、地方自治体においてどういう福祉サービスを整備するべきかという地域福祉計画策定主体の形成であり、第2には制度化された福祉サービスをどう有効に、合理的に、過不足なく利用するかという地域福祉サービス利用主体の形成であり、第3は地域から差別・偏見をなくし、福祉サービスを必要としている人を支える福祉コミュニティをどうつくるかという地域福祉実践主体の形成であり、第4は対人サービスとしての社会福祉を支える社会保険制度をどうつくるかという社会保険制度の契約主体の形成である。(15ページ)

地域福祉の“主体形成に向けての学習”が必要である
このような主体形成や市民活動は自然発生的にはつくれない。そこには“主体形成に向けての学習”が必要である。フランス市民革命が、「博愛」という哲学、あるいは社会契約という理念を具現化させていく上で、成人の“理性”が重要で、その“理性”を身につけるための成人の社会教育を公費で行うべきであるとした点は注目に値する。/住民か生活者としてエゴイスティックなままでなく、地方自治体のあり方に参画できる「市民」としての力量、あるいは国のあり方も含めて「博愛」と「社会契約主体」を身につけて行動できる「公民」としての主体形成が今求められている。(15~16ページ)

 

Ⅱ. 原田正樹のケアリングコミュニティ論

ケアリングコミュニティは「5つの構成要素」によって成立する
ケアリングコミュニティとは、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。それは、地域福祉の基盤づくりである。/そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されていかなければならない。こうしたケアリングコミュニティは、①ケアの当事者性(エンパワメント)、②地域自立生活支援(トータルケアシステム)、③参加・協働(ローカルガバナンス)、④共生社会のケア制度・政策(ソーシャルインクルージョン)、⑤地域経営(ローカルマネジメント)といった5つの構成要素により成立している。([2]100~102ページ)
① ケアの当事者性:地域福祉の当事者とは、そこに暮らしを営む住民自身である。とはいえ、すべての地域住民が「当事者意識」をもっていないのも事実である。そこで、福祉を学びあう場(福祉教育)が必要になる。
② 地域自立生活支援:地域包括ケアシステムが強調されている。コミュニティケアをどう地域で総合的に展開していくか、その際に専門職や機関だけではなく地域の福祉力を活用していく視点が必要である。
③ 参加・協働:ケアリングコミュニティの特徴は、相互に支え合う互酬性に基づくコミュニティである。そのためには完全な「参加」と新しい公共を創り出す「協働」のしくみ(統治)が必要である。
④ 共生社会のケア制度・政策:ケアに関する制度・政策介護保険だけのことではない。社会的排除と社会的包摂のあり方を政策としてとらえ、共生社会をめざした必要な政策、制度を推進していかなければならない。
⑤ 地域経営:ケアリングコミュニティを推進していくためには、必要な財源や人材が不可欠である。社会資源の開発や新たなビジネスモデルを創り出す必要(民間活力の活用:阪野)もある。

ケアリングコミュニティには「相互実現的自立」の自立観が据えられる
ケアリングコミュニティでは「相互に支え合う地域」を大切にする。その根底には相互実現的自立(interdependent)という新しい自立観を据えなければならない。20世紀、自立という考え方を拡大し多面的にとらえ、自立した近代的な市民像を描いてきた。自立プログラムでは依存(dependent)から自立(independent)へ、すなわち援助を受けなくてすむようになることを目標にしてきた。しかし人間は弱い存在である。その存在の弱さを認めあい、自己実現ではなく相互実現をしていく生き方が問われるようになった。/注目されているinterdependentとは、心理学の分野では依存的自立などと訳されている。codependent(共依存)とは異なり、相互によりよく生きていこうというベクトルを有する。地域福祉の分野では「相互実現」という概念が使われてきた。/個人が他からの援助を受けずにすむように自立させるのではない。お互いが支え合いながらより良く生きていけるような自立観の転換が求められているのである。ケアリングコミュティニで求める自立観はこの視点が基本である。([3]18~19ページ)

【備考】
ケアリングコミュニティと「相互実現的自立」

2021年4月から始まる重層的体制整備事業(社会福祉法第106条4)で必須とされる「相談支援」「参加支援」「地域づくり」を一体的に実施するということは、換言すればコミュニティソーシャルワークの展開である。それが可能になるシステム構築が求められる。申請主義からどう脱却し、アウトリーチや伴走型支援を重視し、参加によって役割や出番を創出することで社会関係を育み、生きる意欲(エンパワメント)を喚起する。そうした個人の存在が承認されるような地域、あるいは持続可能な地域社会にしていくために、新たな住民自治(多様性と多機能性)による地域づくりをめざす。こうしたテーマは、地域福祉における地域福祉ガバナンスや地域福祉マネジメントの研究課題でもある。/地域共生社会でいうところの「支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティ」とは、まさにケアリングコミュニティのことである。「支える、支えられる」という一方的な関係ではなく、「相互に支え合う」地域を構築する。そのときに基軸になるのは、従来のような個人のなかで自立を捉えるだけではなく、関係性のなかで自立を考えるという、相互実現的自立(interdependence)という考え方である。相互実現とは、お互いによりよく生きるという関係性を基盤にした自立観であり、伴走型支援といった方法につながる。これらは地域福祉の原理研究につながる(原田正樹「地域共生社会政策と地域福祉研究」『日本の地域福祉』第34巻、日本地域福祉学会、2021年3月、2ページ)。

〇大橋が指摘するように、「主体形成」や市民活動は自然発生的なものではなく、それに向けての目的意識的な「学習」が必要になる。地域福祉の主体形成は、①地域住民が地域の社会福祉問題を発見する・気づくことから始まり、②その問題や課題を“ひとごと”ではなく“自分ごと”と認識し、③それを“みんなごと”として共有・共通認識し、④その問題や課題の本質をみんなで理解・認識し、⑤組織的かつ変革的・創造的に課題解決を図ることのできる“力”を獲得し、⑥それを具体的・現実的に行使することによって初めて可能となる。⑦そしてその過程を振り返り(リフレクション)、⑧そこから得た知見をもとに次の新たなアプローチを試みる(「主体形成のサイクル」)。その主体形成ができなければ、福祉を学ぶことやボランティ活動は単なる“善行”にとどまり、無批判的で体制適応(順応)的な住民主体を形成することにもなる。また、主体形成の強調は、その一方で国や行政の責任や役割の矮小化、地域住民への“丸投げ”を招くことになる。福祉教育は“両刃の剣”になりかねない、といわれるところである。
〇主体「形成」について別言すればこうである。「形成」は、人間が社会的生活そのものによって “形づくられる” 過程である。それは、第一次的には社会的・自然的環境によって行われる。とすれば、「形成」は「学習」なしには成り立たず、「学習」は「形成」に不可欠なものとして位置づけられる。また、「学習」と「教育」は、「学習のないところに教育はない」「教育は学習の指導である」(勝田守一)という関係にある。そこから、地域福祉の「主体形成」にはその前提に福祉「学習」・福祉「教育」があり、それを必要とするのである。
〇原田が指摘するように、ケアリングコミュニティの形成主体である地域住民には、「当事者意識」を持つことが求められる。その際、「当事者」(concerned parties)という言葉には、「当事者」と「非当事者」を区分する、「当事者」の内在化と外在化を促す危険性がある。とりわけ「援助者」と「非援助者」、「教育者」と「学習者」という関係性のそれにあっては、見下したり偉ぶったりする言動をとる「上から目線」の関わりになることがある。その点において、その使用については慎重でありたい。また、当事者そのものではない「当事者性」という概念や言説(原田正樹、松岡廣路)があるが、それは、周囲の人が「当事者」をどのように理解・認識し、その関係性がどれだけ深まったかを示すものである。従ってそれは、「当事者」と「非当事者」という二項対立的な考え方を解消するものではない。
〇ケアリングコミュニティの形成主体としての地域住民は、その地域に暮らす生活主体である。その生活主体は、生活者として多様な境遇・立場や程度の異なる生活技術能力などをもつ存在である。その点において、社会的排除や包摂の対象とされる高齢者や障がい者、外国籍住民(などの要支援者)も同一である。また、その生活は社会関係・人間関係のなかで営まれるが、それゆえに「当事者」は、生活の多様な場面・局面において固定的あるいは個別的に生成・変容する。すなわち、「当事者」(生活者)は、その生活や人生において、ある問題の「当事者」であっても、別の問題では「非当事者」である(になる))存在でもある。要するに、「当事者」は、その人を取り巻く周囲との関係性や社会的状況によって一様ではなく、変容する存在である。しかもそれは、すべての地域住民の生活や人生に設定されるものである。そこから、地域に住む「すべての人が当事者である」という意識を持ち、「当事者問題」を地域・社会全体で引き受けることが必要かつ重要となる。その際の理念が、ノーマライゼーション(normalization)やインテグレーション(integration)、ソーシャルインクルージョン(social inclusion)である。
〇これらは、筆者がかねてより、とりわけ福祉教育の場面において、“ふくし”とは、“一人ひとりの しあわせ をめざすものであり、すべての人にかかわるものである”。“ふくし”とは、“ふだんの くらしの しあわせ”について、“みんなで考え みんなで汗をながすこと”である、と言ってきた所以である。またここで、高島巌の言葉を思い起こす。“ボランティアのはたらきは ともに考え ともに学び ともに生活しあうことなのだ”。“人間はみな ボランティアする権利をもっているのだ その権利は人間にだけあたえられた 楽しき権利なのである”。(「まちづくりと市民福祉教育」について論究する際、「ボランティア」を「ボランティア・地域活動」や「まちづくり」「市民活動」などに置き換えることも可能であろう。それは、「福祉の心は地域のなかで育つ」ことを唱えた高島の思想や実践に通じようか)高島は、児童養護施設「双葉園」園長であり、児童憲章草案起草者の一人であった。「わが国ボランティアの先駆者」「ボランティアの旗手」と評される(『ボランティア』第28巻第2号、富士福祉事業団、1993年6月)。例によって唐突であるが、付記しておく。

 

補遺
―ケアリングコミュニティ構築のためのコミュニティソーシャルワークの機能―

“無縁化社会”、“限界集落”になった地域を「福祉コミュニティ」や「ケアリングコミュニティ」に再構築していくためには、行政と住民の協働を媒介するか触媒機能であるコミュニティソーシャルワーク機能がもとめられている。([1]20~21ページ)

【初出】
<雑感>(200)阪野 貢/「ケアリングコミュニティ」基礎考 ―ケアリングコミュニティと福祉教育に関する大橋謙策と原田正樹の言説を中心に―/2024年3月22日/本文

 


05 コミュニティ・オーガナイジングと学習・トレーニング


<文献>
韓国住民運動教育院、平野隆之・穂坂光彦・朴兪美編訳著『地域アクションのちから―コミュニティワーク・リフレクションブック―』全国コミュニティライフサポートセンター、2018年3月、以下[1]。

〇筆者(阪野)の手もとに、韓国住民運動教育院著、平野隆之・穂坂光彦・朴兪美編訳著『地域アクションのちから―コミュニティワーク・リフレクションブック―』全国コミュニティライフサポートセンター、2018年3月。以下[1])という本がある。韓国住民運動教育院(CONET:Korea Community Organizing Network for Education & Training)は、地域・社会変化(「地域が社会を変化させる」)のために住民・コミュニティリーダー(住民リーダー)・コミュニティワーカーに対して、「コミュニティ組織化」(Community Organizing:CO)の教育・トレーニングを行う団体・専門家集団である。1996年に設立されている(後注)。コミュニティワーカーとは、資格や地位ではなく、コミュニティを組織化し「住民による、住民の」運動を促進し活性化する人をいう(60ページ)。
〇[1]は、CONET(コネット)による「コミュニティ組織化」とその教育・トレーニングの経験のエッセンスをまとめたものであり、コミュニティワークの振り返り(リフレクション)や点検のガイドブックである。そして、次のように言う。「コネットが長年こだわり続けてきた『コミュニティ組織化によるコミュニティ運動』は、日本で私たちが目指してきた『住民主体の地域福祉』にほぼ置き換えて考えることができる」(5ページ)。
〇[1]でいう「コミュニティ組織化」(地域組織化)とは、地域の「課題を解決するために住民を組織化し、その結集した力の実体として『コミュニティ組織』(住民組織)を立ち上げること」である。それは、住民自身が自分の生活と地域の現実を正しく認識し、住民意識をもつことから始まる。そして、住民自らが課題解決のための力(変化の力)を結集し、自らの行動・活動で自治的なコミュニティ組織を立ち上げるのである(40、42ページ)。「コミュニティ運動」(住民(自治)運動)は、「コミュニティ組織化によって形成されたコミュニティ組織が新しい地域をつくっていく動き(Movement)」をいう。それは、「住民のための」運動ではなく、「住民による、住民の」運動であり、住民自らが組織化された力で地域・社会を変えていく組織的な行動・活動であり運動である(39、40ページ)。
〇CONETのプロジェクトは、日本の社会福祉協議会のようにその地域に拠点をもってコミュニティの組織化を行うのとは異なり、パラシュート(落下傘)のようにコミュニティワーカーが見知らぬ地域に降り立って始まる(10ページ)。
〇当然のことながら、「地域づくり」には「コミュニティ組織化」が必要になる。CONETにあっては、その「コミュニティ組織化」は、コミュニティ組織とコミュニティリーダー、そしてコミュニティワーカーの三者の主体同士が協働して取り組む。その際、実際のコミュニティ組織化は、コミュニティワーカーではなく、コミュニティリーダーによって行われる。すなわち、コミュニティリーダーこそが、住民とコミュニティワーカーの間にあって、またコミュニティワーカーの参加・協力を得ながら、住民を組織化し、コミュニティ組織を立ち上げ、動かしていく。そして、そのコミュニティ組織は、コミュニティリーダーによって活性化したり停滞したりするが、コミュニティ運動の主体となり、新しい地域づくりに取り組むのである(13、21ページ)。コミュニティワーカーは、この(潜在する)コミュニティリーダーを見出し、リーダーシップを育成し、コミュニティ組織のリーダーとなるよう支援することが求められる(13ページ)。
〇このように、コミュニティ組織、コミュニティリーダー、コミュニティワーカーの三者の主体が協働することで、コミュニティ組織がコミュニティの問題や課題を解決できる活動・運動体となることができるのである。[1]の言説の核心はここにある(21~22ページ)。
〇表1は、「コミュニティ組織化の準備と行動」について、4過程、10段階に区分して表示したものである(23ページ。一部削除修正)。この10段階における主語は、コミュニティリーダーとコミュニティワーカーの協働である。

表1 コミュニティ組織化の準備と行動

〇表1の「コミュニティ組織化の4過程10段階」について、その要点をメモっておくことにする(22~24、47~49ページ。抜き書きと要約)。

コミュニティ組織化の4過程10段階
コミュニティ組織化を図るのは、住民とコミュニティリーダーとコミュニティワーカーである。そのうち、コミュニティリーダーが中心的な存在であり、民主的リーダーシップによって重要な役割を果たす。コミュニティ組織化は次の4過程10段階を経る。

第1過程/予備
第1段階:現場に入る
コミュニティワーカーは、組織化の目的や目標を立てて、自分が活動する地域を選択する。現場に入って、必要な基礎情報を把握する予備調査を実施し、その結果を分析・整理し、住民との出会いを構想してコミュニティ組織化の準備過程に入る。

第2過程/準備
第2段階:住民と出会う
コミュニティワーカーは、住民との出会いと関係の形成を通して、地域問題を綿密に分析し、住民にとって切実な問題を探り出す。その過程のなかで問題解決に向けて、コミュニティリーダーとしての可能性をもっている人は誰なのかを観察することが求められる。
第3段階:組織化のスケッチを描く
コミュニティワーカーは、住民が最も切実に感じ、行動する意欲をもっている課題を一つ選択し、解決のための暫定的な案として住民行動の目標と計画を用意することが求められる。

第3過程/組織化の行動
第4段階:コミュニティリーダーシップを形成する
コミュニティワーカーは、コミュニティリーダーシップの集いを開催・継続しつつ、学習・トレーニングを通して潜在的なコミュニティリーダーが自身のリーダーシップを成長させるように導くことが求められる。
第5段階:行動計画を立てる
コミュニティワーカーは、調査研究、目標と行動方針の設定、計画策定、役割分担のようなプロセスが進むように、潜在的なコミュニティリーダーの集まりに参加し、ファシリテーターとして支援することが求められる。
第6段階:住民を集める
潜在的なコミュニティリーダーは、直接住民と会い、課題について情報や問題意識を共有する。そして、住民自らが立てた目標と行動計画について話し合う。コミュニティワーカーは、潜在的なコミュニティリーダーが住民との出会いや対話、動機づけなどの方法を開発するように支援することが求められる。
第7段階:住民が行動する
潜在的なコミュニティリーダーは、住民を正式な集い(公聴会、討論会、学習会など)に招き入れ、正式なリーダーの役割を遂行し始める。具体的な行動計画を提案し、議論しつつ計画を実践していく。コミュニティワーカーは、潜在的なコミュニティリーダーが意思決定や実践の力量を身につけるように支援することが求められる。
第8段階:評価する
潜在的なコミュニティリーダーは、住民とともに実践結果を点検・評価し、新たな実践課題を確認し計画を用意するために、評価の場をつくり、その場を進行するファシリテーターとなる。コミュニティワーカーは、潜在的なコミュニティリーダーが住民力の結集という観点で評価できるように支援し、住民の関心が継続的に広がるようにすることが求められる。

第4過程/組織の立ち上げ
第9段階:省察する
省察を通して、継続して自分たちの生活課題や関心事を解決していくために、コミュニティ組織が必要だということを確認する。コミュニティリーダーは住民の振り返りを促し、コミュニティワーカーはコミュニティリーダーの活動を支援しながら、住民が組織の立ち上げを進めるように支援することが求められる。
第10段階:組織を立ち上げる
コミュニティリーダーと住民が、持続可能な活動のために、自分たちのコミュニティ組織を準備する(組織の名称や定款の準備、設立総会の開催など)。コミュニティワーカーは、住民の積極的な参加によって組織が立ち上げられるように、そのプロセスにおいてコミュニティリーダーを支援することが求められる。

〇次に、表1の第3過程「組織化の行動」、第4段階「コミュニティリーダーシップを形成する」、その核心キーワードである住民の「学習・トレーニング」に焦点を当て、要点をメモっておくことにする(120~126ページ。抜き書きと要約)。

住民の学習・トレーニング
住民は、「学習・トレーニング」を通じて生活課題や地域の現実について理解を進める。それによって、住民意識が形成され、コミュニティ組織化の過程に登場する。「住民の学習・トレーニング」は、コミュニティ組織化の必須過程であり、コミュニティ組織を発展させる重要な過程である。

Ⅰ.   住民の学習・トレーニングとは?
(1)住民が自分の生活と地域の現実を自ら理解していくことである
住民は学習・トレーニングを通して、自分の生活課題をさまざまな角度からみることができる。住民の学習・トレーニングは、知識を伝えたり方法を教えるのではなく、住民が自分の生活と地域の現実を自ら理解していくことである。
(2)住民が地域の課題を見つけ、行動を組織していくことである
住民の学習・トレーニングは、住民が自分の生活と地域の現実を理解するにとどまらず、地域の課題を見つけ、それを解決するための行動へと実践意志や力量を組織化していくことである。
(3)住民が住民意識を高めながらリーダーシップを開発していくことである
住民の学習・トレーニングは、住民が学習・トレーニングによって住民意識や自尊感情・自負心を高め、潜在的なリーダーがリーダーとしての意識と資質(リーダーシップ)を開発していくことである。
(4)住民がコミュニティ運動の新たな可能性と方向をつくっていくことである
住民は学習・トレーニングを通して想像力を発揮し、可能性や希望を見出していく。住民の学習・トレーニングは、住民がコミュニティの組織化についての意識をもって、コミュニティ運動の新たな可能性と方向性を創っていくのである。

Ⅱ.   住民の学習・トレーニングの原則
(5)住民の学習・トレーニングの主体は住民である
住民の学習・トレーニングの必要性の認識から企画・実行・評価・フォローアップの過程に至るまで、その主体は住民である。
(6)住民自らが発言し行動する
コミュニティ運動は住民自らの発言と行動によって展開されることから、学習・トレーニングの過程も住民自らが発言し行動することであり、教える主体と学ぶ主体が同じである。
(7)住民の学習・トレーニングは現場で日常的に起こる
住民の学習・トレーニングは、住民が生きる具体的な暮らしの現場で日常的に起こる。コミュニティ組織化が起っている現場こそがよい教科書である。
(8)住民の学習・トレーニングを持続的に展開する
住民の意識の成長と新しい活動が継続されると、コミュニティ運動も持続可能な形で発展する。住民の学習・トレーニングは終わったり完成されるものではなく、循環的・持続的に展開されるものである。

Ⅲ.   住民の学習・トレーニングのテーマ
(9)テーマはコミュニティ組織化の現場から出てくる
テーマは、住民の生活やニーズに基づくものであり、自分の価値・思い・イメージ・希望などと現実生活との関わりにおいて具体化される。
(10)コミュニティ組織化の過程がテーマをつくる
テーマは、コミュニティ組織化を促す手段であり、地域・生活理解から意識の高揚や資質の向上、課題の解決などの組織化の過程において作り出される。
(11)住民の変化や成長へと導くテーマを選ぶ
住民がコミュニティの組織化の過程に参加し、自分の変化を経験するなかで、自己開発やリーダーシップ開発、ビジョン開発など、住民自身の変化や成長を導くテーマが見出される。
(12)テーマは多様な方法で扱われる
テーマは一つの方法ではなく、評価・省察、具体的な行動・実践、対話・討論、共同のチームワーク、文化活動など、多様な方法で扱われる。

Ⅳ.    住民の学習・トレーニングの方法  1
(13)住民一人一人と出会いながら行われる
コミュニティリーダーやコミュニティワーカーは、住民が自分の生活と地域問題を客観化できるよう、一人一人の住民と出会いながら学習・トレーニングを進行させる。
(14)住民の集まりで行われる
コミュニティリーダーやコミュニティワーカーは、住民の集まりに参加したり住民の集まりを設けて、住民とともにテーマについて話し合い、学習・トレーニングを行う。
(15)コミュニティ組織化のプログラムとして行われる
コミュニティ組織化の過程のなかで、住民の意識を発展させコミュニティ運動の可能性を追求するために、地域の状況や住民の考えが反映された体系的なプログラムを開発し実施する。
(16)住民の実践的な行動を通じて行われる
学習・トレーニングは、住民の実践的な行動を通じて行われる。実践的な行動は、学習・トレーニングの過程であり、結果でもある。

.    住民の学習・トレーニングの方法  2
(17)体験と事例に基づいて進められる
現場の事例を振り返ったり互いの体験を分かち合うことによって、学習・トレーニングは多様なテーマで、ダイナミックに展開される。
(18)生活のなかのさまざまな出来事が学習の契機となる
住民が生活のなかで経験する多様な出来事自体が重要な学習・トレーニングのテーマになり、その出来事について話し合い、分析・整理することによって住民は多くのことを学ぶ。
(19)住民の利害関係をテーマとして進められる
自分の利害関係に関連している生活上の関心事をテーマとして取り上げると、住民の自発的・積極的な参加は高まる。
(20)コミュニティ組織のビジョンをめざして進められる
自分の生活や地域に対する期待や恐れは、コミュニティ組織のビジョンをつくる基礎になる。期待を具体化するテーマや、恐れを克服するテーマを取り上げながら、住民の学習・トレーニングを進める。

〇[1]のうちから「コミュニティ組織化の4過程10段階」と「住民の学習・トレーニング」をピックアップし、その要点をメモったのは、例によって我田引水的であるが、筆者がかねてより議論してきた「まちづくりと市民福祉教育」について考えるための新たなヒントを得たいがためでもある。
〇ここで、筆者がかつて関わった東京都狛江市社協と岐阜県郡上市(旧・八幡町)社協における地域福祉活動計画の策定と市民福祉教育実践について思い起こす。狛江市社協の地域福祉活動計画(「あいとぴあ推進計画」1990年3月策定)とそれに基づく「あいとぴあカレッジ」(1991年5月~)、郡上市社協の地域福祉活動計画(「みんなでやらまいか八まん福祉文化プラン21」2001年3月策定)とそれに基づく「福祉文化カレッジ」(2003年6月~)がそれである。その資料(拙稿)の一部を付記しておきたい。それは、本稿で取りあげたCONETの考え方と一部通底するところがあると考えるからでもある(阪野貢『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』みらい、2009年10月、205~231、241~246ページを参照されたい)。

Ⅰ.    “ あいとぴあカレッジ ” と学習プログラム

“ あいとぴあカレッジ ” の学習テーマおよび学習内容

Ⅱ.    “ 福祉文化カレッジ ” と学習プログラム

福祉文化カレッジの学習目標

“ 福祉文化カレッジ ” の学習テーマおよび学習内容

 


「韓国住民運動教育院」については、次の文献を参照されたい。
朴兪美「韓国住民運動教育院の地域組織化のトレーニング」『日本福祉大学研究紀要―現代と文化』第140号、日本福祉大学福祉社会開発研究所、2020年3月、56~67ページ。

備考
〇筆者にとって市民福祉教育実践と研究の原点でもある “ あいとぴあカレッジ ” については、実に多くのヒトやコトが思い出される。足のご不自由なTさんに  “ あいとぴあカレッジ ”の講師をお願いしたとき、「そんな暇はない。タバコ販売をして細々と暮らしている。われわれのそんな生活を何とかしてほしいものだ!」とすごい剣幕で怒られたことを思い出す。Tさんからはその後、講師を承諾していただき、緊張しながらも地域におけるご自分の生活の様子や問題についてリアルな講話をいただいた。それを一つの契機にTさんは、市民を対象にした「福祉の集い」などにも積極的に参加し、彼らを取り巻く地域生活の現状と課題について訴えられるようになる。大変身である。“ あいとぴあカレッジ ”では、学習者(受講者)とともに、講師の意識変革と態度変容を期待(企図)していたのである。
〇 “ 福祉文化カレッジ ” では、親子で受講された娘さんとお母さんのコトを思い出す。地元の高校で「福祉」を学ぶ娘さんは、「まちの “ ふくし ” についてもっと知りたい」という願いから、お母さんは、「お世話になっている地域に貢献したい」という念(おも)いから受講されたのである。その後娘さんは、卒業後は地元に戻って介護福祉の仕事をしたいという希望を抱いて、県内の福祉系大学に進む。お母さんは、カレッジで新たに知り合った仲間たちとともにボランティア活動に取り組むことになる。地元の福祉系高校 ⇄  “ 福祉文化カレッジ ” ⇨ 福祉系大学 ⇨「地元福祉」、という循環(進路)を描いて、高校福祉科教育と高大連携や、学校と地域の連携・協働(地域とともにある学校、地域に根ざした学校福祉教育)などについて考えていたのである。

【初出】

<雑感>(201)阪野 貢/地域づくりと「住民の学習・トレーニング」 ―韓国住民運動教育院著『地域アクションのちから』に学ぶ―/2024年4月1日/本文

 


備 考 ― <文献>一覧  ―


はじめに

01 アクションリサーチ:その概念、原則、プロセス
(1)矢守克也『アクションリサーチ―実践する人間科学―』新曜社、2010年6月。
(2)CBPR研究会『地域保健に活かすCBPR―コミュニティ参加型の活動・実践・パートナーシップ―』医歯薬出版、2010年7月。
(3)武田丈『参加型アクションリサーチ(CBPR)の理論と実践―社会変革のための研究方法論―』世界思想社、2015年3月、Kindle版:太洋社、2019年10月。
(4)JST社会技術研究開発センター・秋山弘子編著『高齢社会のアクションリサーチ―新たなコミュニティ創りをめざして―』東京大学出版会、2015年9月。
(5)草郷孝好編著『市民自治の育て方―協働型アクションリサーチの理論と実践―』関西大学出版部、2018年3月。
(6)芳賀博編著『アクションリサーチの戦略―住民主体の健康なまちづくり―』ワールドプランニング、2020年3月。
(7)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月。
(8)平井太郎『話し合いが変わる 地域でアクションリサーチ』農山漁村文化協会、2022年3月。

02 コミュニティ・エンパワメント:その概念、原則、プロセス
(1)安梅勅江『エンパワメントのケア科学―当事者主体チームワーク・ケアの技法―』医歯薬出版、2004年9月。
(2)安梅勅江編著『コミュニティ・エンパワメントの技法―当事者主体の新しいシステムづくり―』医歯薬出版、2005年4月。
(3)安梅勅江編著『健康長寿エンパワメント―介護予防とヘルスプロモーション技法への活用―』医歯薬出版、2007年8月。
(4)安梅勅江編著『いのちの輝きに寄り添うエンパワメント科学―だれもが主人公、新しい共生のかたち―』北大路書房、2014年11月。
(5)安梅勅江編著『エンパワメントの理論と技術に基づく共創型アクションリサーチ―持続可能な社会の実現に向けて―』北大路書房、2021年2月。

03  「まちづくりと市民福祉教育」におけるリフレクション
(1)「特集/福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション」『研究紀要』Vol.20、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月。
(2)熊平美香『リフレクション―自分とチームの成長を加速させる内省の技術―』ディスカヴァー・トゥエンティワン、2021年3月。
(3)西原大貴『「自分の可能性」を広げるリフレクションの技術』日本実業出版社、2023年4月。
(4) 千々布敏弥『先生たちのリフレクション―主体的・対話的で深い学びに近づく、たった一つの習慣―』教育開発研究所、2021年11月
(5)学び続ける教育者のための協会(REFLECT)編『リフレクション入門』学文社、2019年1月。

04 ケアリングコミュニティと福祉教育
(1)大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』(講座ケア 新たな人間-社会像に向けて 第2巻)ミネルヴァ書房、2014年4月。
(2) 原田正樹「ケアリングコミュニティの構築をめざして」『月刊自治研』第59巻696号、自治労サービス、2017年9月。

05 コミュニティ・オーガナイジングと学習・トレーニング
(1)韓国住民運動教育院、平野隆之・穂坂光彦・朴兪美編訳著『地域アクションのちから―コミュニティワーク・リフレクションブック―』全国コミュニティライフサポートセンター、2018年3月。
(2)朴兪美「韓国住民運動教育院の地域組織化のトレーニング」『日本福祉大学研究紀要―現代と文化』第140号、日本福祉大学福祉社会開発研究所、2020年3月。

阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―大橋謙策の「福祉教育原論」に関する研究メモ―  

「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
―大橋謙策の「福祉教育原論」に関する研究メモ―

阪野 貢/市民福祉教育研究所

 

 福祉教育とは、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(「学校外における福祉教育のあり方と推進」全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、15ページ)。

〇ここ10年ほどの福祉教育学界は、地域福祉の主流化が進むなかで、良しにつけ悪しきにつけ、その視座が「教育と福祉」から「地域福祉と福祉教育」に矮小化され、俯瞰的議論から遠ざかっているようである。また、実践を支える理論や思想・哲学、価値、歴史などへの関心は未だ低い。実践方法の原理・原則の探究が不十分であり、理論的枠組みも不明確な福祉教育実践論が展開されているようでもある。

1 福祉教育の概念規定
〇上記の福祉教育の概念規定は、30年以上も前に大橋謙策によってなされたものである。今日においてもしばしば引用される。この概念規定以外にも、「福祉教育とは何か」について論考したものは複数、捉え方によっては多数あるが、大橋のそれがよく援用される。それは、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因するといってよい。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのであろう。
〇周知のように、全社協・全国ボランティア活動振興センターが1980年9月、「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)を設置し、翌1981年11月に「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」について研究の中間成果を纏め、報告した。委員会の設置は、全国各地で福祉教育実践の進展が図られ、学校における福祉教育のあり方について一定の理論的整理が求められるようになってきたことへの対応であった。次いで、1982年9月に第2次の「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)が設置され、翌1983年9月に「学校外における福祉教育のあり方と推進」と題する中間報告が行われた。大橋の福祉教育の定義は、第1次ではなく、「第2次福祉教育研究委員会」報告のなかで述べられている。そこではまた、次のように述べられている。「社会教育行政における福祉教育の促進には二つの視点が『車の両輪』としてなければならない。第一は、国民が社会福祉問題を学習し、それへの関心と理解を促進させる福祉教育活動の促進であり、第二には、今日の社会福祉問題の中心的課題を担っている障害者、高齢者の社会教育(学習、文化、スポーツ活動)の促進である」(15ページ)というのがそれである。後者(「第二」)に関してはさらに、「今日の社会福祉サービスの主たる対象である障害者、高齢者の学習、文化、スポーツ活動を豊かに促進させることが、国民の障害者観、老人観を変え、ひいては社会福祉観を変えて、ともに生きていく街づくりをすすめる上で重要」(16ページ)であるとされた。
〇ところで、大橋のこの定義は、全社協の「第2次福祉教育研究委員会」報告以前の1982年3月、神奈川県の「ともしび運動促進研究会」(委員長・大橋謙策)が編集し、「ともしび運動をすすめる県民会議」が発行した『ともしび運動促進研究会中間報告』で述べられている(4ページ)。「ともしび運動」は、長洲一二県知事の提唱によって、1976年10月から展開された行政・県民協働の福祉コミュニティづくり(自立と連帯のまちづくり)運動である。具体的には、「障害者の自立促進を」「おとしよりに生きがいを」「連帯感にあふれた地域社会づくり」などをその目標とし、「『ともしび運動』によってすすめられるべき課題の第一は “福祉教育の促進” である」(4ページ)とされた。
〇以上を要するに、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて高齢者や障がい者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視座に注目しないと、その定義や所説を読み解くことはできないということである。

2 福祉教育と「社会福祉問題」
〇先に記した大橋の福祉教育の定義についてその構成要素を弁別すると、次のようになる。(1)憲法第13条、第25条等に基づく人権思想をベースにする。(2)歴史的・社会的存在としての社会福祉問題を素材とする。(3)社会福祉問題との切り結びを通して、社会福祉制度や活動への関心と理解を進める。(4)社会福祉問題を解決する実践力を身につけるために、実践に基づく体験学習を重視する。(5)「自立と連帯の社会・地域づくり」の主体形成を図る、などがそれである。
〇大橋の定義における鍵概念のひとつは「社会福祉問題」である。大橋は、1981年2月に刊行された吉田久一編『社会福祉の形成と課題』(川島書店)所収の論文「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」(231~249ページ)で、高度経済成長期以降、「社会福祉問題の国民化と地域化」(大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、3~11ページ)が進んでいるが、地域で福祉問題を解決するためには、それができる「住民の形成とネットワークづくり、とりわけそこにおける住民参加の問題」(238ページ)が重要であり、焦眉の課題であるとする。そのうえで、地域福祉の主体形成のための福祉教育の必要性と、福祉行政の「地方分権主義」への転換を図り、地方自治体が自律性をもって「地域社会福祉計画」を住民参加のもとに策定することの必要性を指摘している。
〇福祉教育が学習素材とする「社会福祉問題」、とりわけ高度経済成長期以降のそれは、大橋にあっては、「戦前の大河内一男の社会政策と社会事業という整理や戦後の孝橋正一の社会問題と社会的問題という整理でも、包含できない課題として創出されてきた」(231ページ)。公害・環境問題と外的な生活破戒、過疎問題と家庭破戒、過密問題と生活の共同的集団的再生産機能の弱まりと不安定化、合理化・機械化による生活リズムの破戒や老人福祉問題の深刻化などが、「従来の問題にくわえてあらわれてきた」ものである(232~234ページ)。
〇地域住民のこれらの具体的な生活破戒の “状況” については、簡潔明瞭にカテゴライズしても、他の領域や次元の “状況” で説明するだけではその本質に迫ることはできない。社会福祉問題の分析は、それを現代社会の仕組みと運動法則によって必然的に生み出される構造的な「社会問題」として、社会科学的に捉えることによってはじめて可能となる。そうした分析のうえで、その問題解決に向けて、批判的・論理的かつ創造的に思考・判断・実践する “力” の育成・向上をいかにして図るか。そのための福祉教育実践の具体的展開について検討することが求められる。
〇以下に、上記の論文中から、「福祉教育と地域福祉の主体形成」に関する叙述部分を記しておく。大橋の「福祉教育の理念と実践の構造」についての所説の基本的部分(特色)を概観・俯瞰することができる。

福祉教育は、国民が社会福祉を自らの課題として認識し、福祉問題の解決こそが社会・地域づくりの重要なバロメーターとして考え、共に生きるための福祉計画づくり、福祉活動への参加を促すことを目的に行なわれる教育活動である。したがって、福祉教育は少なくとも次の諸点を構成要件として意識的に行なわれてこそ意味がある。
第一は、差別、偏見を排除し、人間性に対する豊かな愛情と信頼をもち、人間をつねに “発達の視点” でとらえられる人間観の養成、第二に社会福祉のもつ劣等処遇観、スティグマ(恥辱)をなくすことが必要で、そのためには国民の文化観、生活観を豊かにすることに他ならないこと、第三に、人間は人々との豊かな交流の中で生きる以上、生活圏の狭い障害者等の社会福祉サービス受給者の生活がいかに非人間的であるかをコミュニケーションの手段も含めてとらえられること、第四に複雑な社会における歴史的、社会的存在としての福祉問題を分析できる社会科学的認識が必要なこと、第五に今日の福祉は、福祉行政の中でも細分化されているが、その解決には関連行政たる労働行政、教育行政、保健衛生行政などを含めて地域的課題を総体的にとらえる力が必要であること、の五つを基本に、情報の周知徹底、体験・交流などによって感覚として体得することなどが方法論的にも加味されて、はじめて福祉教育の実践といえる。
福祉教育は、住民の福祉意識を変え、福祉問題をトータルにとらえ、問題解決のための福祉計画づくり、具体的解決のための実践などを行なえる住民の形成であり、それこそ地域福祉の主体形成といえよう。(243ページ)

3 福祉教育と「地域福祉の主体形成」
〇大橋は、岡本栄一によって「住民の主体形成と参加志向の地域福祉論」と評されるように、「地域福祉の主体形成」を重視する。その点について、大橋は、前記の著書『地域福祉の展開と福祉教育』において、「地域福祉の主体形成のしかたと主体として形成されるべき力量には、次のような7つのことが考えられる」とした。(1)社会福祉に関する情報提供による関心と理解の深化、(2)地域福祉計画策定への参加と政策立案能力、(3)社会福祉行政のレイマンコントロール(政治や行政の一部を一般市民に委ねること:筆者)、(4)社会福祉施設運営への参加、(5)意図的、計画的な福祉教育の推進、(6)地域の社会福祉サービスへの参加(ボランティア活動)による体験化と感覚化、(7)社会福祉問題をかかえた当事者の組織化と当事者のピア(仲間、peer)としての援助、がそれである(46ページ)。その後、大橋は、この「地域福祉の主体形成」(「住民の主体形成」)の7つの「枠組み」を整理し、「『地域福祉の主体』形成には、4つの課題がある」として、4つの主体形成の枠組みを提示する。すなわち、(1)地域福祉計画策定主体の形成、(2)地域福祉実践主体の形成、(3)社会福祉サービス利用主体の形成、(4)社会保険制度契約主体の形成、である(大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月、75~82ページ)。それは同時に、福祉教育の課題でもある。
〇この大橋の4つの主体形成については、7つから4つに “綺麗” に整理・集約された故にか、4つの側面が並列的に理解されがちで、その内的・構造的な相互関連性の把握を困難なものにしている。主体としての「住民」は、基本的には労働主体と(労働以外の)生活主体の統一的存在であろうが、政治主体・経済主体・文化主体であり、また地域の自治主体や変革・創造主体でもある。「住民」はこれらの側面を重層構造的にもつ存在である。地域の自治主体や変革・創造主体に関していえば、住民主体の社会福祉問題の解決や「自立と連帯の社会・地域づくり」を推進するためには、個人的主体形成のみならず集合行為主体や運動主体の形成が必要かつ重要となる。こうしたことを踏まえたうえで、地域福祉(住民)の主体形成を促進する福祉教育実践の内容や方法について具体的に検討することが肝要となる。

4 「大橋福祉教育論」に対する批判
〇以上が、「社会福祉問題」と「主体形成」の鍵概念を中心にみた「大橋福祉教育論」の概括である。こうした大橋の所説に対してこれまで、「地域福祉と福祉教育」を説く地域福祉研究者からの系統的な批判はあまりみられない。それは、大橋の所説が一定の理論体系を作り上げていることによるが、大橋のそれが「福祉教育原理論」として前提され、そのうえで立論されていることにもよるといってよい。そういうなかで、生涯学習やESD(持続可能な開発のための教育)の研究者である松岡廣路が、論文「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」(『持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習(日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要)』第14号、2009年11月、8~23ページ)において、大橋の所説に批判的考察を加えている。
〇松岡の大橋批判は、大橋の福祉教育の定義は「汎用的であるがゆえに、同時に、脆弱性を併せもっている」。「脆弱性を項目化すると、<未分化な学習者像>、<社会福祉活動の内実の曖昧さ>、<楽観的な社会形成ビジョン>、<教育概念の曖昧さ>と約言できる」(13ページ)、というものである。そして、松岡は、「脆弱性の高い『福祉教育』の定義に基づいてしまうと、時代の大きな物語に押し流され、重要と思われる要素が外延化され、体制的要素を内包とする対象化(理論化)と実践化が、当然のごとく進んでいく。福祉教育が、現実と理想の拮抗関係の中に位置することを意識し、従来の枠組みを等閑視しないという批判的な姿勢を保つことが、今まさに重要である」(16ページ)として、「批判的創造性」の観点の必要性と重要性を説いている。松岡の批判は必ずしも、「大橋福祉教育論」をその理論的体系化の過程も視野に入れて、総合的・体系的に行うものにはなっていない。とはいえ、「社会的・福祉的課題の解決に不可欠な『批判的創造性』が、実践における学びの目標・内容(いわゆる『学びのベクトル』)から排除されている」(16ページ)という指摘は、首肯されるところである。

5 「大橋福祉教育論」再考のための枠組み
〇ある理論や所説を、内在的にしろ外在的にしろ批判的に考察するためには、その枠組みを構造的に捉え、それを主体的に再構成することが求められる。その点において、「大橋福祉教育論」を超える新たな福祉教育論の理論的枠組みを構築し、新たな実践方法を創造するためには、まずはいま一度「大橋福祉教育論」の理論的枠組みの構築化の過程を時系列的に把握するとともに、その枠組みの構造を総合的に理解する必要がある。そこで、以下では、そのためのひとつの方法として、大橋が行った福祉教育についての2つの「講演」からそのレジュメの枠組みと項目をみることにする。日本福祉教育・ボランティア学習学会の第2回大会と第10回大会での講演である。

(1)福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題(第2回大会・基調講演/1996年11月23日/日本社会事業大学)

出所:『日本福祉教育・ボランティア学習学会第2回大会』1996年11月、5~9ページ。

〇地域づくりや地域福祉の主体「形成」は、福祉「教育」やボランティア活動(ボランティア「学習」)が推進されればそれで可能になるものではない。それは、子ども・青年や成人などの地域住民が、地域の社会福祉問題の本質を科学的に理解・分析し、変革的・創造的に問題解決を図ることのできる“力”を獲得し、しかもそれを具体的・現実的に行使することによって初めて可能となる。その主体形成ができなければ、福祉を学ぶことやボランティ活動は単なる「善行」にとどまり、無批判的で体制適応(順応)的な住民主体を形成することになる。福祉教育は「両刃の剣」になりかねない、といわれるところである。
〇そういう意味からも、上記の枠組みと項目のなかから、ここではとりわけ「形成と教育と学習」について留意しておきたい。それは、上述の松岡が、大橋の定義は「意図的な活動」と明記されていることからも「福祉教育が、ややもするとフォーマルな教育が中心であるとの理解(誤解)を許す脆弱性を有している」(15ページ)と指摘する点に関わることである。
〇大橋の指摘を俟つまでもなく、福祉教育を進めるにあたっては、その対象である子ども・青年あるいは成人などの「学習者」の発達特性や発達課題、学習者が置かれている状況などを理解すること(「学習者理解」)が重要となる。それは、「人格発達論」(「人間発達論」)にまで深められなければならない。そのうえで、子ども・青年や成人の、地域づくりや地域福祉の「形成」と「教育」と「学習」との関係を改めて考えてみる必要がある。
〇宮原誠一によると、「形成」は、人間の社会的生活における自然成長的な過程として捉えられる。それが豊かであることによってはじめて、組織的体系的な制度であり、目的意識的な過程としての「教育」が成り立つ。換言すれば、人間の「形成」の過程を、それぞれの時代の社会、政治、経済、文化の必要に基づいて「望ましい方向」に制御しようとする人間の努力が「教育」という営為である。宮原にあっては、広義の「教育」は「形成」と呼ばれるべきであり、学校教育や社会教育などの狭義の「教育」は「形成」を前提とする。すなわち、狭義の「教育」は、人間の「形成」のうちにあるひとつの営為であり、「形成」の過程に内包されるひとつの要因に過ぎない。
〇「形成」は、人間が社会的生活そのものによって “形づくられる” 過程である。それは、第一次的には社会的・自然的環境によって行われる。とすれば、「形成」は「学習」なしには成り立たず、「学習」は「形成」に不可欠なものとして位置づけられる。そこから、「形成」と「教育」の関係は、「学習」と「教育」の関係になる。その関係について、勝田守一は、「学習のないところに教育はない」「教育は学習の指導である」という。勝田にあっては、「形成」にはその前提として「学習」があり、「形成」は自己の希望や意欲による目的意識的な営為である。従ってそれは、「自然成長的」(宮原)ではない(佐藤一子ほか「宮原誠一教育論の現代的継承をめぐる諸問題」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第37巻、東京大学、1997年12月、311~331ページ。宮崎隆志「教育本質論における宮原誠一と勝田守一の差異について」『北海道大学大学院教育学研究科紀要』第83号、北海道大学、2001年6月、1~24ページ、等参照)。
〇いずれにしても、宮原と勝田の「形成」「教育」「学習」などをめぐる「教育」の概念や本質についての再検討は、福祉教育やボランティア学習の概念把握や本質理解に対してひとつの視座やアプローチの仕方を与えてくれるであろう。地域づくりを担う子ども・青年や成人などの多様な実践・運動主体の育成・確保が求められ、市民活動や教育活動のあり方が厳しく問われている今日、その再検討の意義は大きいと考えられる。それは、宮原と勝田は、「連帯」の概念を基底に地域を捉え、勝田は「自立と連帯」の場として地域を理解する。そのうえで、“地域づくりと教育実践(地域教育計画)” について言及するからでもある。

(2)学会の新たなる10年に向けて~福祉教育・ボランティア学習学会の今後の課題―学会創設10年の総括~(第10回大会・総括講演/2004年11月28日/神奈川県立保健福祉大学)

出所:「実践と研究の未来」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報(10周年記念)』第10号、2005年12月、91ページ。

〇学校は、「学習者」(生徒)と「指導者」(教師)、その両者を媒介する「教材」(教育内容)によって構成される。そこでの教育活動は、教科活動と教科外活動(特別活動、総合的な学習の時間)、学習指導と生活指導という2つの領域や機能に分けられる。また、教科活動と教科外活動、学習指導と生活指導はともに、学校や教育活動の理念や目的・目標を達成するうえで重要な機能を果たすものであり、学校教育において重要な意義をもつ。教育の理念や目的・目標の明確化なくして、学習者の主体的・創造的な学習活動や指導者の意欲的・積極的な学習・生活指導は促進されず、教育の成果を期待することはできない。そこから、教育の「理念・目的・目標」は、学校や学校教育の構造を成す重要な内部要素であるといえる。そして、「理念・目的・目標」「学習者」「指導者」「教材」は、相互に作用・影響し合い、相乗効果を生み出すものとして存在する。
〇こうした認識に立って、以上の枠組みと項目から、ここでは「福祉教育の構造」に関する研究・実践課題について一言する。管見によれば、福祉教育は、(1)理念・目的・目標、(2)学習者、(3)指導者・支援者、(4)素材・教材、(5)教育内容・方法(評価を含む)などによって構造化される(「福祉教育の構造」)。それらの構成要素のうち、例えば(1)については、福祉教育(「市民福祉教育」)は、「自立(independence)と自律(autonomy)、共働(coaction)と共生(symbiosis)」という理念のもとで、「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図る」ことを目的とする。福祉教育は、そのために、地域の「社会福祉問題」を発見・理解・解決するための横断的・重層的な実践プログラムを開発・編成し、地域を基盤とした総合的・複合的な「地域をつくる学び合い」(東京都生涯学習審議会答申「地域における『新しい公共』を生み出す生涯学習の推進~担い手としての中高年世代への期待~」2002年12月)の支援を行う教育営為である、といえる。
〇そう考えたとき、(2)に関しては、「子ども・青年」のみならず、「成人」(中高年世代)の状況について分析・理解すること(「学習者理解」)。(3)に関しては、求められる資質・能力や知識・技能とは何かを探究し、その育成・向上を図ること(「指導者・支援者育成」)。(4)に関しては、学習者の問題意識や学習意欲を喚起し、教育(学習)目標を達成するために、身近な地域・生活「素材」(具体的事象)を掘り起し、「教材」化すること(「教材開発」)。(5)に関しては、地域(「地元」)や「まちづくり」に焦点をあてたカリキュラムやプログラムを開発・編成し、実施・展開、評価すること(「プログラム編成」)、などが求められる。これらは、福祉教育における普遍的な課題でもあるが、人権侵害や立憲主義・民主主義・平和主義の後退、福祉や教育の改悪・切り捨てなどが激しく進行するいまこそ、福祉教育を体制内的な教育営為にしないためにも、自律的・批判的・創造的に取り組むことが求められる重要な研究・実践課題であるといえよう。
〇周知の通り、教育の形態は一般的には、大きく次の3つに分類される。(1)定型教育(formal education:制度化された学校において、構造化されたカリキュラムに基づいて教師と生徒の関係によって展開される教育。学校教育など)、(2)不定型教育(non-formal education:学校の教育課程として行われる教育の外部において、一定の学習者に対して、ある学習目的を達成するために意図的・組織的に行われる教育。社会教育など)、(3)非定型教育(informal education:日常的な生活経験(体験)や環境によって、知識や技能などを習得する無意図的・非組織的な教育。家庭教育など)、がそれである。加えて、日常生活上の市民・文化活動(運動)などを展開するなかで生じる教育課程としての(4)市民・文化活動(運動)を考えることができる。それは、非意図的・間接的あるいは偶発的でもある。
〇福祉教育(福祉教育事業、福祉教育機能)はこれまで、学校における福祉教育を中心にしながらも、学校外における福祉教育、成人を対象とした社会教育における福祉教育等の多様な分野で実践展開が図られてきた。具体的には、家庭や学校をはじめ、社協や公民館、福祉施設、民生委員・児童委員、NPO・ボランティア団体、自治会・町内会、企業、その他の関連施設・組織・団体などが、多様な “機会” や “場” を設けて福祉教育に取り組んできている。これまでの経過や現状・実態を踏まえると、福祉教育は、子ども・青年や成人などの地域住民を対象に、フォーマル、ノンフォーマル、インフォーマルの3つの形態の教育活動や市民・文化活動(運動)等を相互に媒介し、関連づけ、学校や地域などで展開される多様な教育活動として構造化されることになる。「福祉教育の構造」について検討し、その再構築を図るに際して、上述の5つの構成要素とともに留意すべき点である(表1「市民福祉教育の構造」参照)。


 むすびにかえて
〇大橋は、「教育と福祉」に関する初期の著作『地域福祉の展開と福祉教育』のなかで、「本書は、学術論文というよりも実践的研究書という方があたっているかもしれない。筆者の問題関心は、教育と福祉における“問題としての事実”に学びつつ、問題、課題をどう実践的に解決するのかという点にある」(「まえがき」)と述べている。この「実践的研究」の姿勢は、その一貫性を保ちながら「大橋福祉教育論」を深化・体系化させていく。
〇いわれるように、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別される。前者は仮説探索型の研究であり、後者は仮説検証型のそれである。この両者を循環的に組み合わせ、相互作用を引き起こすことによって、実践性と科学性を備えた、さらにはそれらを統合した研究と理論構築が可能となる。「大橋福祉教育論」を再考し、新たな福祉教育論を展開するに際して留意すべきひとつの視点・視座である。
〇改めていうまでもなく、上記の大橋「講演」の枠組みは壮大である。同時にそれは、幅広く奥深い「大橋福祉教育論」再考に向けた多様な視点・視座とアプローチの方向性を示すものでもある。「理論」(所説)は新たな時代や現実によって不断に凌駕され、更新されていく。「大橋福祉教育論」が「福祉教育原理論」としてその普遍性と不変性を今後も保持し続けるか否かの評価についてはひとまず置くとして、「大橋福祉教育論」をいかに継承し、新しく展開するかは福祉教育の実践者や研究者に課せられた大きな課題である。

補遺
(1)大橋謙策は、福祉教育とボランティア活動の関係性について、例えば次のように述べている。

ボランティア活動の契機・動機が(中略)自己満足的なもの、慈善的なものであったとしても、多くのボランティアはその活動を通して厳しいものの見方・考え方を修得していく。社会福祉一つとってみても単なる人のやさしさ、情熱だけでは解決できず、制度の確立と住民の協働がなければならない。ボランティアたちはそれらに関する意識を豊かにしはじめる。/社会福祉に関する意識は、知的理解のみではなかなか変容しない。社会福祉問題を抱えた人々との交流の中で、あるいはその問題解決の実践・体験の中で変容する。それだけにボランティア活動の推進は重要である。と同時に、福祉教育が求められる背景を解決するためにもボランティア活動を豊かなものにしなければならない。
(大橋謙策「福祉教育の構造と歴史的展開」一番ヶ瀬康子・小川利夫・木谷宜弘・大橋謙策編著『福祉教育の理論と展開』(シリーズ福祉教育1)光生館、1987年9月、74ページ。)

(2)福祉教育とその近似概念である「ボランティア学習」の関係性については、例えば長沼豊は次のように述べている。参考に供しておきたい。なお、長沼は、ボランティア学習は3つの構成要素から成るという。①ボランティア活動のための学習(目的としてのボランティア活動)、②ボランティア活動についての学習(対象としてのボランティア活動)、③ボランティア活動による学習(手段としてのボランティア活動)、がそれである。

福祉教育とボランティア学習は、ある実践では領域接近的に、ある実践では融合形として、ある実践は福祉教育の発展として(結果として)ボランティア学習がある、というように、重層的、輻輳(ふくそう)的に領域や方法が重なり合っているといえるだろう。
(長沼豊『新しいボランティア学習の創造』ミネルヴァ書房、2008年12月、135ページ。)

(3)また、福祉教育とボランティア学習の「違い」と「関係」について、全社協の『新 福祉教育実践ハンドブック』では次のように述べられている。

福祉教育とボランティア学習は、(中略)双方とも人権尊重・異文化理解をベースに、共生文化・市民社会の創造を大目標に掲げる実践です。(中略)しかし概念的には、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがあるともいえます。/ボランティア学習の概念の中心に位置づけられる、「ボランティア活動に組み込まれている学び」という発想は、(中略)リアル空間での学びを強調するものです。(中略)安易な疑似体験や講話的な福祉教育への警鐘としてボランティア学習をとらえることこそが重要なのです。/現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されていますが、両者の特徴を総合することが求められています。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にあります。
(上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、32~33ページ。)

付記
阪野貢「『大橋福祉教育論』再考の視座と枠組み―新たな思考軸の構築をめざして―」市民福祉教育研究所ブログ〈まちづくりと市民福祉教育〉(26)2014年11月4日アップ。一部加筆修正。
阪野貢「『大橋福祉教育原論』再考の視座と枠組み―新たな思考軸の構築をめざして―」『ワンポイントメモ35+3 まちづくりと市民福祉教育―視点と論点―』(追補版)市民福祉教育研究所、2022年7月、14~27ページ所収。一部加筆修正。

 

阪野 貢/「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―岡村重夫の「1976年論文」に関する研究メモ―

「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて
―岡村重夫の「1976年論文」に関する研究メモ―

阪野 貢/市民福祉教育研究所

 

〇春が戻ってきた(内山節の「横軸の時間」)。筆者は、定年を契機に、年金で生計を維持しながら、80坪ほどの農地で自家用野菜を育てる(「定年百姓」「年金百姓」になれるわけがない)家庭菜園者でもある。それが、「老人」(※)である自分の新たな生きがいやレクリエーションになっている。いまは、毎晩のように食卓に上がる“つみ菜”の春の香りを楽しんでいる。昨日(3月5日)は、春ジャガイモの植え付けをおこなった。

※民俗学者の宮田登(みやた・のぼる、1936年~2000年)は、『老人と子供の民俗学』(白水社、1996年3月)で、〈おい〉には「盛りを過ぎた」という語感がある〈老い〉と、「追加する」というイメージがある〈追い〉の二つがある。落ち目になっていくというマイナスの〈おい・老い〉を意味する前に、プラスイメージの〈おい・追い〉があった、という(5~6ページ)。
※農(百姓仕事)は季節による単純な繰り返しの作業ではなく、自然を相手にした繊細で創造的な仕事である。アメリカの精神科医で老年学者のジーン・コーエンは、『いくつになっても脳は若返る』(野田一夫監訳、ダイヤモンド社、2006年10月)で、「創造性」は年をとるとより一層深まり、豊かになり得る。ガーデニングは「小さな創造性」が発揮しやすい分野である、という(225、227ページ)。

〇筆者の手もとに、安室知(やすむろ・さとる)の『都市と農の民俗―農の文化資源化をめぐって―』(慶友社、2020年2月)という本がある。この本では、「現代日本における農の存在意義について、生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度から捉え直し」ている。その際の切り口は、都市や農村における「農の文化資源化」である。「文化資源化」とは、「人が遺伝的に獲得したもの以外のすべてを文化とし、それを何らかの目的をもって資源として利用すること、および利用可能な状態にすること」をいう。安室にあっては「現代民俗学においては、文化資源化は避けて通ることができない問題である。現代において民俗伝承とされるものは、程度の差こそあれ、商品化や観光化など何らかの形で資源化されているといってよい」(9ページ)ここで筆者は、都市における「市民農園」とともに、無農薬・有機栽培野菜の商品化やグリーン・ツーリズム(農山漁村地域における滞在型の交流・余暇活動)、棚田のオーナー制度や観光などを思い出す。
〇筆者が暮らす岐阜県S市は、700年以上の伝統をもつ“刃物のまち”として知られている。まちには何故か、喫茶店と寿司屋が多い(筆者にはそう思える)。住民には、労働に追われることから、また家事時間の削減を図るために喫茶店で「モーニング」の朝食をとり、夕食を外食ですませる習慣があるのであろうか。それは、S市の刃物産業は部品製造業者と工程加工業者による社会的分業体制が採られていることから、零細企業や家内工業が多いことによると思われる。また、喫茶店や寿司屋は、コミュケーションや接待・商談の場となっているのであろう。
〇喫茶店の「モーニング」といった “日常の実際の暮らし” “人間の生” を民俗学の視点で探り、それを「ヴァナキュラー(vernacular)」と称して、「現代民俗学」(「現代学」としての民俗学)の研究対象とする本がある。島村恭則(しまむら・たかのり)の『みんなの民俗学―ヴァナキュラーってなんだ?―』(平凡社、2020年11年)がそれである。この本で、島村は、「ヴァナキュラー(俗)」について次のように定義づけている。「民俗学とは、人間(人びと=〈民〉)について、〈俗〉の観点から研究する学問である」。その際の「〈俗〉とは、①支配的権力になじまないもの、②啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの、③「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの、④(支配的権力、啓蒙主義的合理性、普遍主義、主流・中心意識を成立基盤として構築される)公式的な制度からは距離があるもの、のいずれか、もしくはその組み合わせのことをさす」(16、31ページ)。
〇別言すれば、〈俗〉とは、「対覇権主義的、対啓蒙主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的、対公式的な観点を集約的に表現したもの」(30、107ページ)である。それらの観点を持ち、それらの世界を研究対象とするのが「民俗学」である。島村によると、こうした観点や志向は、「日本の民俗学の基底部に確実に存在している」(29ページ)。なお、「覇権」とは「強大な支配的権力」(20ページ)を意味し、「啓蒙」とは「非合理的な世界にいる無知蒙昧な人を、明るい世界に導いて賢くすること」(17ページ)、「普遍」とは遍(あまね)く通用すること、を意味する。
〇周知の通り、「日本民俗学の創始者」と言われる人に柳田國男(やなぎた・くにお、1875年~1962年)がいる。その柳田民俗学に対して批判的な論陣を張る民俗学者に赤松啓介(あかまつ・けいすけ、1909年~2000年)がいる。筆者の手もとに、赤松の『差別の民俗学』(筑摩書房、2005年7月)という本がある。赤松は例えば、次のように批判する。「柳田系民俗学の最大の欠陥は、差別や階層の存在を認めようとしないことだ。いつの時代であろうと差別や階層があるかぎり、差別される側と差別する側、貧しい者と富める者とが、同じ風俗習慣をもっているはずがない。差別する側、富める者は、どうすれば自分の優位を示せるかを、いつの場合でも最大の関心にしている」(165ページ)。
〇赤松にあっては、民俗学は、伝承(「口頭伝承」「民間伝承」)や民俗に内在する階級性や差別論理と切り結び、それを読み解くことに意味があり、避けがたい必然がある。そして、日本社会の重層的な差別構造を見据えて、「解放の民俗学」を標榜し、「実践の民俗学」に執着する。赤松はいう。「一般の民俗学と、私たちの民俗学はどこが違うのか。権力や行政の民衆支配に協力するための調査、学術的研究のためという学閥的、また立身出世型のタネ探し、そうしたものがこれまでの民俗学であったといえる。(中略)解放の民俗学は、立身出世や金儲け、憐憫(れんびん。情けをかけること)などとは無縁のものである。あらゆる底辺、底層からの民俗の堀り上げ、掘り起こし、その人間性的価値の発見と、新しい論理、思考認識の道を開くということであろう。しかし、それは今後においても、とうてい平坦な道ではありえないのである」(116~117ページ)。
〇唐突であるが、ここで想起されるものに、岡村重夫(おかむら・しげお、1906年~2001年)の論稿「福祉と風土―民俗としての福祉こそ基底―」がある。日本生命済生会社会事業局発行の雑誌『地域福祉』1976年3号(通巻121号)、1976年7月、4~9ページに掲載されている。岡村がそこで指摘することは、「われわれの社会生活や個人意識は、強く日本の風土によって規定される事実、従ってまたその共同生活を基盤とする社会福祉も、日本特有の風土性をもつという事実」(6ページ上段)である。
〇岡村はその論稿で、「民俗としての福祉」について概念規定はしない。ただ、福祉を「生活の次元」で捉えれば、福祉は風土によって規定され伝承された共同生活上の「生活の知恵」「生活の工夫」であり、「風土の産物」である、とする。次の一節を引いておく。

福祉とは、すぐれた人々の日常生活上の困窮に対する地域住民の共同的な援助に由来するものであると考えるならば、それは、人々の日常生活のいとなまれる環境、すなわち歴史的であると同時に空間的、自然的な風土との関連を無視することはできないであろう。社会福祉は政府の政策である以前に、すでに生活者が共同生活を守るために工夫した、いわば「生活の知恵」であった。(4ページ下段~5ページ上段)

主として輸入文化に支えられた官製社会福祉や専門家の社会福祉論と、民俗としての社会福祉も、また二重構造的に考えられるけれども、重要なことは、民俗としての福祉こそが基底となって、その上に社会福祉政策や社会福祉文化が消長するということである。福祉の風土とは、まさしくこの基底部分であると考えられる。そしてこの基底部分が掘りくずされ、分解しないためには、外来の上部構造に対して、生活者の見解を対置させ、近視眼的な専門家や法律を鋭く批判しなければならない。(9ページ下段)

〇古くは一番ケ瀬康子(いちばんがせ・やすこ、1927年~2012年)の指摘(「社会事業諸技術の文化的基盤」『社会事業』1958年2月号、全国社会福協議会)を引用するまでもなく、欧米の社会福祉やソーシャルワークの理論や思想、価値や倫理については、直輸入的に摂取し定着を図るのではなく、日本の文化や風土、日本人の国民性、社会構造や生活環境の特質などを十分に踏まえた日本的展開が求められる。ここで思い起こしておきたい。安易な輸入理論や思想(なかでも周回遅れのそれ)への依存には、十分注意すべきである。
〇ところで、「1976年」と言えば、岡村重夫の「福祉教育の目的」と題する論稿を思い出す。それは、伊藤隆二・上田薫・和田重正編著『福祉の思想・入門講座 ③福祉の教育』(柏樹社、1976年4月)の13~36ページに収められている。そこで岡村は、「福祉教育」は社会福祉の専門的知識や技術をもった福祉事業従事者を養成する「福祉専門教育」ではなく、一般市民の地域社会における福祉問題や社会福祉に対する関心を高めるものである(「福祉一般教育」)として、次のように述べている。

福祉教育の目的は、単に現行の社会福祉制度の普及・周知や「不幸な人びと」に対する同情をもとめることではなくして、社会福祉の原理ともいうべき人間像ないしは人間生活の原点についての省察を深めることであり、この省察にもとづく新しい社会観と人類文明の批判をも含まなくてはならないであろう。さらに言うならば、このような新しい社会観や生活観にもとづく具体的な対策行動の動機づけによって、福祉教育の目的は完結するものである。(19~20ページ)

〇そして、岡村にあっては、「真の福祉教育の目的」は具体的に以下の3点に集約される。そのなかで岡村は、次のように厳しく指摘する。福祉教育において「外在的な社会制度の欠陥を指摘する場合に、自分の内面的な偏見や人間観を自己批判することなしに、(あるいは)ひとの内面的文化を問うことなしに、単なる同情心や恩恵をよりどころとした『外面的福祉』の世論を造成することは、(それが)実現すればするほど福祉サービスの対象者は『気の毒なひと』として一般社会から疎外される結果になり終わり、福祉教育の目的は自己矛盾に陥らざるをえない」(34ページ抜き書き)。いまだに観念的な「福祉の心」や「思いやりの心」を育成する福祉教育が叫ばれ、その表層的な実践が展開されているなかで、改めて強く認識すべき指摘である。

(1)福祉的人間観の理解と体得
社会福祉は、その根底において独自の人間観に支えられねばならない。社会福祉の人間観は、社会的=全体的=主体的=現実的存在としての人間像である。この人間像の基礎にある仮説は、すべての個人が生活者であり、生活はいかなる場合にも、自己自身を貫徹してやまないということである。社会福祉の人間観は、抽象的に、あるいは観念的に「人格の尊厳」を主張するのではなく、具体的な生活者としての個人の重み、生活の重みを主張するものである。(31~32ページ抜き書き)
(2)現行社会制度の批判的評価
現在の社会制度によって福祉的人間性を無視せられ、そのような人間像による自己実現を妨げられている個人の生活実態を明らかにしなくてはならない。福祉教育の目的は、現行の社会制度から疎外され、「社会的・全体的・主体的・現実的な人間像」実現の機会を奪われている人が、どこに、またどれだけいるかを認識させることでなくてはならない。このことによって、福祉教育は、単なる人間観の教育よりすすんで具体的な教育目標をもつことができる。(33ページ)
(3)新しい社会福祉的援助方式の発見
福祉は本質的に社会福祉である。その「社会」とは、対等平等の個人によって形成される共同社会(コミュニティ)であり、社会福祉は、「慈善」や「施し」ではなくて、対等平等の個人が相互に援助し合う相互援助を本質とする。対等平等の個人が、全体的な自己実現の機会を提供されるように組織化された地域共同社会において、人びとはサービスの客体であると同時に主体にもなりうるような相互援助体系こそ、福祉的人間観から発展する新しい社会福祉体系である。その体系のなかで社会の果たすべき責任と個人の果たすべき責任とを明確にすることが福祉教育の第三の目的である。(35ページ抜き書き)

〇「民俗としての福祉」は、岡村の着想を手がかりに、今後洗練されるべき「形成途中の概念」(岡田哲郎)であると評される(福山清蔵・尾崎新編著『生のリアリティと福祉教育』誠信書房、2009年3月、180ページ)。また、「生活主体者の論理」を強調する岡村理論には、地域福祉の主体形成や福祉教育についての論究がほとんどみられないと言われる。そんななかで、「生活の知恵」「生活の工夫」としての「民俗としての福祉」という概念の明確化を図る。個人の社会生活の実態を生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度や位相から捉え直す。そして、それを基底として地域住民の「相互援助の地域共同社会」に対する理解やそれに基づく行動のあり方を問う。それがいま、「福祉教育」実践や研究に改めて求められるひとつの歴史的・社会的視点や認識であろう。岡村の「民俗としての福祉」と「福祉教育の目的」の「1976年論文」は、その点においても注目すべき論稿(論考)である。「民俗としての福祉」と「(市民)福祉教育」の親和性・関連性に留意したい。
〇「人間(「民」)が遺伝的に獲得したもの以外はすべて文化」であり、「俗」である。それゆえに、民俗学はすべての学問の基底に位置づく。民俗学は非普遍や非主流、非中心などの民俗事象を研究対象とする。それゆえに、民俗学は「グラスルーツ(草の根)の学問」とも呼ばれる。また民俗学は、普遍や主流、中心などとされる側の基準によって形成された知識体系を相対化し、それを乗り越える知見を生み出そうとする学問である(島村恭規、30、256ページ)。「民俗としての福祉」の延長線上に「福祉民俗学」が構想されるとすれば、それは一面においてこうした民俗学に通底するものであろう。そしてそこに、生活主体者としての一般市民に対する福祉教育の新たな論理が見出される、あるいは見出すべきであろう。
〇なお、「福祉民俗学」を提唱するひとりに柴田周二(しばた・しゅうじ)がいる。柴田にあっては、「『福祉民俗学』を提唱する主たる理由は、福祉文化の基礎としての自立と協同の人間関係の根底に存在する、福祉をうけることを権利とする個人の協同を支える小集団をいかに形成するか、あるいはそれが形成されるための課題は何かを探究することである」(『福祉文化研究』Vol.24、日本福祉文化学会、2015年3月、63ページ)。別言すれば柴田は、「福祉社会を支える福祉文化の基礎を個人の自立と協同の人間関係とそれを支える小集団の形成に求め、福祉文化のあり方を、制度面だけでなく、人々の生活態度の面から考察する学問を『福祉民俗学』として位置付け、その方法と課題について」考察する(『人間福祉学研究』第10巻第1号、京都光華女子大学、2017年12月、8ページ)。
〇また、六車由実(むぐるま・ゆみ)は、「介護現場は民俗学にとってどのような意味をもつのか?」、「民俗学は介護の現場で何ができるのか?」という二つの方向性から問題提起をしようとして「介護民俗学」を掲げる。その際の問題意識のひとつは、「民俗研究者が地域で行っている聞き書きや調査が、地域の高齢者の介護予防につながる地域資源になりうるのではないか」ということにある(『驚きの介護民俗学』医学書院、2012年3月、6、227ページ)。本稿の最後に、六車の次の一節を引いておくことにしたい。

これまで民俗学は、地域の民俗の保存とそれを使った地域活性化という点で、地域づくり、まちづくりには積極的に関わってきた。高齢化がますます進み、在宅介護が地域における切実な問題となる今後は、このように高齢者が地域で暮らしていくことを支える介護予防事業に関わっていくことが、実践的な学問である民俗学に対して求められていくのではないだろうか。/だが、一方で私は、「介護予防」という言葉に少なからぬ違和感を覚えている。/介護予防という言葉には、介護は予防されるべきもの、という考え方が露骨に反映されている。/要介護状態になることは人間にとっては誰しもが迎える普遍的なことであり、(中略)介護を問題化するのではなく、介護を引き受けていく社会へと日本社会を成熟させていく(ことが必要である。)/そこで私は、「介護準備」という言葉を使ってみたい。(227~228ページ)

付記
阪野貢「『民俗としての福祉』×『福祉教育の目的』―岡村重夫の『1976年論文』―」市民福祉教育研究所ブログ〈ディスカッションルーム〉(90)2021年3月23日アップ。
阪野貢「『民俗としての福祉』と『福祉教育の目的』―岡村重夫の『1976年論文』を起点に―」『ワンポイントメモ35+3 まちづくりと市民福祉教育―視点と論点―』(追補版)市民福祉教育研究所、2022年7月、8~13ページ所収。

謝辞
本稿を草するに際しては、日本福祉大学の副学長・原田正樹先生と付属図書館にご高配を賜った。記して感謝申し上げます。

 

 

ワンポイントメモ13+3/まちづくりと教育づくり、周辺領域からのアプローチ/視点と論点

 

まえがき

相撲では、その代表的な基本動作である四股(しこ)やてっぽう、すり足などで「体づくり」(土台づくり)が行われる。また、大相撲では、上位力士がいるほかの相撲部屋に出向いて充実した稽古を行う「出稽古」も必要不可欠である。
本冊子は、誤解を恐れずに言えば、「体づくり」のための「出稽古」の類である。それは、「まちづくりと市民福祉教育」の土俵のうえで、それなりの相撲をとりたいがためである。
ブログ(「市民福祉教育研究所」)に、大橋謙策先生の「老爺心お節介情報」を継続的にアップさせていただいている。以下は、その第36号〈2022年6月13日〉の記事である。

私は論文を書くときに、あるいは講演をする際にとても十分とはいえないにしても、常に以下のようなことを考えて研究生活を送ってきた。
➀ 何故、その社会問題、事象を取り上げるのか、それを取り上げる意義は何か?
② 取り上げた社会問題、事象をどう分析するのか、その分析の視角は何か?
③ 分析した個々の要因間の関係の構造を考え、何が幹で、何が枝で、何が葉なのか、枝葉末節を考えて、構造的に分析を行い、考えているか?
④ 分析をした社会問題、事象を通して、社会福祉学界に対してどのような理論課題を提起し、論述しようとしているのか、その理論課題に即した先行研究も十分ふまえて論述しているのか?
自分のことを棚に上げておこがましいことを言うようであるが、最近の実践や研究において、上記のことがほとんど触れられずに、“犬も歩けば棒に当たる”類の研究姿勢が多いことはなぜなのだろうか?

大橋先生はまた、次のようにもいう。「研究者自身の立ち位置を明確にしないままに、取り組まれている実践を評価、紹介しているものが多く、地域福祉研究者として“一種の研究倫理”に抵触しているのではないかと思う論文を散見する。全国のいい実践は、大いに紹介し、情報共有化がおこなわれてほしいが、その場合でも紹介なのか、評論なのか、自分の学説の論証に使うのか等その位置づけは明確にしてほしいものである」(「老爺心お節介情報」第23号〈2021年3月25日〉)。

さらに大橋先生は、恩師の小川利夫先生について次のように述懐する。「“他人の土俵に乗って相撲を取れるようにならなければ一人前とは言えない”といい、自分の土俵に相手を連れてくるのではなく、他人の土俵に乗って話ができるように、意識して広い他分野へ関心を持つ事を奨励した。私は、当時、自分の分野さえもカバーできないのに、他分野まではとてもと思いつつ、他人の話題に付いていこうと背伸びをしていた時期があった」(「老爺心お節介情報」第4号〈2020年7月14日〉)。

こうした指摘は、浅学菲才で厚顔無恥な筆者にとっては、汗顔の至りであるが、体力と気力、そして時間が許す限り、「体づくり」と「出稽古」は続けたいと願っている。単なるディレッタンティズム(もの好き)ではないためにも、である。ただ、「体力の限界。‥‥気力もなくなり‥‥」という言葉がいま、思い出される。

なお筆者は、実践事例の研究や共有化については、次のように考えている。
・これまでの「福祉教育」研究は、一面では、全国各地で取り組まれている実践事例を掘り起し、それを咀嚼し、紹介することに汲々としてきた。確かに、実践事例の分析・検討を通して経験の知識化や実践の理論化が進められてきた。しかし、紹介される事例のほとんどは、その基準を曖昧にしたままでの「先駆的」「モデル的」と評される実践(「成功事例」)である。事例の掘り起しや咀嚼の仕方が独善的な場合もある。しかも、その実践事例は、機が熟するのを待たずに流行おくれとなり、過去のものとなっていく。最近では、新しく紹介される実践事例の数も少なくなってきているように思える。自己点検・評価をベースにした、息の長い「事例研究」(「実践的研究」)を期待したい。
・「成功事例」の分析・検討は、成功の要因や条件、法則などの抽出を通して、成功の再現を促す。しかし、過去の成功事例を単になぞるだけでは、いわゆる先行事例の後追いに過ぎず、実践のマニュアル化や定型化を進めることになる。それはまた、実践者や研究者の思考停止を招きかねない。「失敗事例」の分析・検討については、失敗の防止や回避を図るためだけではなく、新たな成功を生み出すための積極性や探求性が求められる。「成功の鍵」は一面では、成功事例のなかにある。「失敗は成功のもと」という格言がある。成功事例とともに、失敗事例も重要視したい。

                             2022年6月25日/阪野 貢

ⅰ~ⅱ

 

 

01/「時間」と「空間」の座標
        ― 内藤廣(建築家)から学ぶ―

〇筆者の手もとに、「文章を書く建築家」のひとりである内藤廣(ないとう・ひろし)の本が3冊ある。(1)『建築のちから』(王国社、2009年7月。以下[1])、(2)『場のちから』(王国社、2016年7月。以下[2])、(3)『空間のちから』(王国社、2021年1月。以下[3])、がそれである。編集者の思いによる3部作であるが、そこにはその時々の信条や心象を言葉にした、哲学的で、専門的知識に裏打ちされた玉稿が収められている。それ故に、洞察の深い文章は筆者にとって難解である。
〇内藤は、[1]で「建築の本懐(本意)は、その誕生にあるのではなく、その後、時代と共に生きていく時間の中にこそある」(18~19ページ)。「大衆が心から望むものと建築家が実現しようとするもの、そのベクトルが一致する時、建築は街を変え、人びとを変えていく力となる」(20ページ)、と説く。[2]で「建築の依って立つところ、それは大地だ。大地とその場所に生きる人間だ」(12ページ)。いま、建築という価値が大きく毀損(きそん)され、本質的な意味で「建築の冬の時代」(12ページ)が到来しつつある。そんななかで必要とされるのは、「場所の持っている内在的な力、人を生かしめる内発的な力」(20ページ)である「場のちから」であり、それを全身で受け止めるような体験である(12ページ)、という。 [3]で「空間の本性は、『和解の場』のことなのかもしれない」。「建築や環境が内包する空間とは、(「人と自然」、「生と死」、「過去と未来」、「復興と街造り」など)全てのものが流れ込み、もつれあい、そしてその和解を用意する場のことなのではないか」(34ページ)、と問う。そして、建物の空間や街の空間を豊かなものにするのは、可能な限り「時間が生まれ育っていくような空間」をつくることだけである(236ページ)、と言い切る。
〇3冊の本に通底する基本的な言説のひとつは、次のようなものである。すなわち、「建築」(architecture)は「人間」の「身の置き所」([3]206ページ)を「構築する意志」であり、「建物」(building)はそのための道具、具体的なモノである([3]232~233ページ)。大切なのは(守るべきは)、「空間」と「時間」によって織りなされている「建築」という名の意志である。本来の建築の価値は、「人の生きる長さを越えて何事かを伝える」([3]5ページ)ところにあり、メッセージを伝えることによって建築は生命を与えられる。その際の(本当の)価値は、「生み出すものではなく、生まれてくるものであり、なおかつきわめて個人的なもの」([3]89ページ)である。
〇そして、内藤にあっては、建築について自分の思考を磨き、建物が生み出された内実について(技術や経済や制度の側から)説明すめためには、言葉の助けが必要となる。「文章を書く」ひとつの所以でもある。内藤はいう。「建物を建てる際の現実的な体験は、建築に対する思い込みに修正を迫る。現実と思考、そのやりとり

1

の試行錯誤が言葉になり文章になる」。「建築と文章とは切っても切れない関係にある」([1]82ページ)。
〇本稿では、[1][2][3]における論点や言説から、「まちづくりと市民福祉教育」に関して「使える」であろう・留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

『建築のちから』
「建築の力」は空間や時間と人びととの開放的な共感のなかに現れる
われわれは、建物の完成にこだわり、品質にこだわり、意図したものができ上がる作品性に神経質になり、その結果、いちばん大切なことを見失ってはいまいか。社会制度の命ずるところ、資本主義経済が望むところ、そうしたものに対する律儀さが建物の質に無意識のうちに現れているのなら、人びとは建物から距離を置くだろう。なぜなら、建物が社会や資本に顔を向けて、人びとに背を向けているからだ。
「建築の力」(建築のなかに生まれてくる価値:阪野)はそういうところには現れない。「建築の力」は人びととの共感の中に現れる。それは、発注者、建設関係者、設計者、住民、不特定多数の人びと、よりよい社会を目指すそうした人たちの運動体、そうしたものの中で初めて兆(きざ)すはずだ。そのためには建築という価値は「完結的」であってはならない。開かれていなければならない。空間的に開かれている、あるいは時間的に開かれている必要がある。いちばん望ましいのは「空間にも時間にも開かれている」ということだ。そう誰もが感じられるような状況となった時、「建築の力」は熱湯がいきなり泡立つように内側から湧き上がってくる。([1]19ページ)

建築には空間に身を置き時間のなかに生きる人間に対する洞察が不可欠である
おそらく建築の中には、「わかりやすい価値」と「わかりにくい価値」が存在する。「わかりやすい価値」はわかりやすいのだから容易に広まる。([1]233ページ)
一方、「わかりにくい価値」は伝わりにくいから、いくら声を大にしてもなかなか広まらない。建築に時代を超えていく本質的な生命力というようなものが存在するとしたら、それはこの中にしかない。多くの場合、「わかりにくい価値」は空間の中にある。空気の肌触り、陰影の深さ、音、匂い、そうした目に見えない空間の質に価値の重点が置かれた場合、そこに表現されたもの、建築家が精魂込めて託したもの、それはきわめて高度でわかりにくいものになる。その空間に身を置き、時を過ごし、体験しなければわからない。メディアも写真家もこうした価値には不親切であり続けた。
しかし、このあり方は、誰にでも開かれているわけではない。これを現実のものとするには、才能が要る。たくさんの要素を同時に想像し、それを空間の中に結び合わせなければならないからだ。経験と直観が必要なことはいうまでもないが、それが一級のものになるためには、何より、その空間に身を置く人間というものにたい

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する深い洞察が不可欠で、それだけのものを身につけた建築家はめったにいない。([1]233~234ページ)

『場のちから』
建築は空間の「湿り気」・人の感情の総体と向き合わなければならない
モダニティ(近代性、近代的なもの:阪野)は、わたしたちの身の回りを覆い尽くしつつある。それは、世界的な経済構造や社会構造と連動して、いまだに生活の隅々にまで浸潤し続けている。便利さ、明るさ、速さ、安さ、そしてなによりわかりやすさ、この力には抵抗し難いものがある。しかし、人という存在は、それだけでは遥(はる)かに足りない。人の感情を受け止め、人が尊厳を保持しうる空間とは、そんなものに支配された空間ではないはずだ。
モダニティがもたらす空間は何故か乾いている。現代建築も乾いている。雑誌で目にする様々な作品には、明らかに「湿り気」が欠落している。([2]123~124ページ)
空間に「湿り気」を求めたい。ここで言う「湿り気」とは、感情の襞(ひだ)や心の陰影を受け止める空間の質のことだ。([2]124ページ)
建築という価値も、本来はそうした人の感情に生起する様々な質に内包すべきである。そのためには設計は、喜び、夢、希望、愛着、悲しみ、打算、矛盾、裏切り、葛藤、追憶、といった人の感情の総体と向き合わねばならないだろう。この態度は設計者に多大の忍耐を強いるが、結果として、出来上がる空間に「湿り気」をもたらすはずだ。この困難さに耐えることは、それ自体が「建築に感情を取り戻すための戦い」なのだ。([2]124ページ)

都市計画は終わりも完成もない物語(物語ること)のプロセスである
誰であれ志のある都市計画家を思うとき、その職業の難しさと悲しさを思わずにはいられない。彼らは100年を夢想し、理想を思い描き、今日の日常的な無理難題を扱う。それでいて、都市の時間に終わりのないこともよく知っている。華々しくテープを切るようなゴールなどない。すなわち、すべてはプロセスであって、目の前の現実は過ぎ去る一側面でしかない。そのことを誰よりも熟知している。また同時に、自らが夢想する未来もまた過ぎ去る一側面でしかないことも知っている。人間のそして人間社会の性(さが)を嫌というほど見ながら、それでも社会の改良を諦めない。都市計画家とはそういう存在なのだ。難しさと悲しさが浮かぶのはそれ故だ。([2]183ページ)
終わりのない都市の物語は、たとえそれがプロセスであったにせよ、そして、それがたとえ見果てぬ夢であったとしても、空間デザインを旋律(メロディー)に、そして社会システムを通奏低音に、より美しい韻律(リズム)を奏でることが出来るはずだ。ソフトウェアとはその韻律のこと。その韻律にこそ人間社会の希望がある。([2]186ページ)

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『空間のちから』
建築は「つまらなくて価値のあるもの」「生き生きと生きる」を価値の中心に据える
建築が本来担わなければならない長い時間からすれば、「面白さ」は初期に求められる付加的な要素に過ぎない。([3]83~84ページ)
建築に「面白さ」を求めることは危険だ。一発芸と同じで、「面白さ」は一時もとはやされるが、すぐに「時代遅れ」になる。「面白さ」があったにしても、それはやはり建築の原理原則に適ったものでなくてはならないはずだ。しかし、それはそうたやすく手に入る類のものではない。昨日目新しく話題になった建物が、見る間に日常風景の中に飲み込まれ、忘れ去られていく様をいくつも見てきた。だから、「面白さ」を建築という価値の中心に据えていいはずがない。
世の中の公共建築を見渡してみると、「面白くて価値のないもの」ばかりが目立つようになってきている。そこで、逆説的なようだが、あえて「面白さ」を捨てて、「価値のあるもの」を目指してはどうか、また、多くの人が「生きること」、「生き生きと生きること」を価値の中心に据えてはどうか。
「面白さ」はわかりやすく、それ故伝わりやすいから流布しやすく、それ故に容易に消費されていく。とかく人の心は飽きやすい。それに対して、建築的体験の中に留まるような「わかりにくさ」は言葉になりにくい。それ故、伝わりにくい。この矛盾を乗り越える必要がある。([3]84~85ページ)

〇ここで、評論家・加藤周一(1919年~2008年)の『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007年3月。以下[4])を思い出す。加藤はいう。日本文化のなかには3つの異なる「時間」が共存している。①(『古事記』にみられる時間のような)始めなく終りない直線=歴史的時間、②(四季を中心とした)始めなく終りない円周上の循環=日常的時間、③(人生の)始めがあり終りがある普遍的時間、である。そして3つの時間のどれもが、「今」に生きることを強調する([4]28~36ページ)。日本における(閉鎖的な)「空間」の特徴は3つある。①(神社の建築的空間がそうであるように)空間の秘密性と聖性が増大する(人に見せず、大事にする)「オク」(奥)の概念、②(神社には塔がないように)建築は平屋または二階建てで、地表に沿って広がり、天に向かって伸びていくことはない「水平」面の強調、③(武家屋敷や都会の地下的のように)時とともに変わる必要に応じて家屋などを増やしていく「建増し」思想、である([4]164~174ページ)。これらによって「私の居る場所」、すなわち「ここ」を重視する。要するに、日本文化に内在する時間と空間の概念は、自分がいる「今=ここ」に集約され・強調される。それは「全体から部分へ」ではなく、「部分から全体へ」という思考過程をたどるものであり、日本文化の基本的な特徴(「今=ここ」の文化)である。その時間における典型的な表象・表現が現在主義であり、空間におけるそれが共同体集団主義である([4]233~238ページ)。

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〇このような加藤の言説に対して内藤は、[2]において次のように要約して持論を展開する(抜き書きと要約。見出しは筆者)。留意しておきたい。

建築の本質は「今・ここ」を確かなものにするために「待つ」ことにある
加藤周一の「今・ここ」論を要約すると、「今・ここ」という時空の中の一点から世界の認識を広げていくという癖のようなものが(日本)文化の基層に根強くあるのではないか、という提示だ。西欧の時間と空間とは、個人という存在の外部に普遍的な尺度を設定し、自分と世界を定位しようとするが、この国の文化はそれとは違って、「今・ここ」という内部化された座標のもとに育まれてきたのだが、これがかつて戦争へと向かう精神を生み出した、というのである。([2]112~113ページ)
建築や都市に課せられた大きなテーマは、「今・ここ」の確かさではなかったか。しかし、情報化社会の出現と共にこれが急速に希薄になりつつある。今問題にすべきは、失われつつある「今・ここ」が生命を持つためにはどのようにすれば良いのかということだ。つまり、現在を起点に、時間と空間の幅を広く捉えること、それが建築や都市に課せられた大きなテーマなのではないか。([2]113ページ)
近年、建築が育んできた文化は、あまりにも一足飛びに未来を志向しすぎてはいまいか。そこには、その未来に至る持続的な時間が消去されている。どこかの時点で、建築は「待つ」ことを辞めたのである。([2]114ページ)
「待つ」という行為を通して、人は広がりのある「今・ここ」を引き出すことが出来る。([2]113ページ)
「待つ」ためには、未来を想起し、そこから現在を逆照射する逆立ちしたような意識が必要だ。「待つ」ことは建築にふたたび持続的な時間概念を導き入れることである。おそらく、「待つ」ことを想起することは、建築に新たな質をもたらすはずだ。([2]115ページ)

 

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02/「塑する」ことと「繋ぐ」こと
                 ―佐藤卓(グラフィックデザイナー)から学ぶ―

デザインの本質は、物や事をカッコよく飾る付加価値ではありません。あわゆる物や事の真の価値を、あらゆる人間の暮しへと繋ぐ「水のような」ものなのです。(「帯」)

〇筆者の手もとに、日本を代表するグラフィックデザイナーの一人である佐藤卓(さとう・たく)が書いた『塑する思考』(新潮社、2017年7月。以下[1])がある。[1]は、デザインのノウハウ本ではない。佐藤がデザインに関する「仕事」を高く積み上げ、それを深く掘り下げることによって体得した「思考」について論じたものである。その際の重要なキーワードは「塑(そ)する」である。また、注目したいキーワードに「繋(つな)ぐ」がある。[1]はつまりは、人間の「生き方」すなわち「哲学」の書である(筆者にとって「塑する」とは馴染みのない言葉である。連想するのは「粘土・彫塑」「木材・彫刻」といった程度である)。
〇佐藤はいう。「人の営みの中で、デザインが一切関わっていない物(モノ)や事(コト)など一つもない。政治、経済から医療、福祉、衣食住、教育、科学、技術、エネルギー、社会活動、等々まで、どんな分野のどんな物事にも、すでにデザインがある」(74ページ)。「人がなし得る全ての企てには、計画的であるか否かにかかわらず、必ずデザインが及んでいる」(75ページ)。「デザインは全ての人間の営為を成り立たせるために必要なもの」(77ページ)である。本稿では、佐藤のこのような視点を首肯したうえで、留意したい言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「人の営み」とデザイン
デザインは日常ありとあらゆるところに隠れている。意識化されるデザインなど、そのごく一部にすぎず、ほとんどのデザインに対して我々は無意識である。(8~9ページ)
どんな技術にせよ情報にせよ、人に届けるためには何かしらのデザインを必ず経なければならない。これは、それぞれの人の思想や好き嫌いの問題ではなく、人が人として生きていく上でどうしても避けられない事実である。(9ページ)

「弾性」と「塑性」
「柔(じゅう)よく剛(ごう)を制(せい)す」という言葉がある。しなやかな柔軟さが一見強そうな堅さを結果的には負(ま)かしてしまうものだ、を意味する。この「柔」という言葉は、さらに「弾性(だんせい)」と「塑性(そせい)」の二つの性質に分けられる。(47ページ)

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弾性とは、例えば釣り竿のように、外部から力が加わって形を変えても、その力がなくなれば元の形に戻ろうとする性質である。塑性とは、例えば粘土のように、外部からの力で凹(へこ)むと、そのままの形を保つ性質である。それは、加わった力次第でそのつど形状を変化させる。(47ページ)

「自分らしさ」と「ありのまま」
人生訓上の「柔」は、これまでは「弾性」をイメージして語られてきた。いかなることに当っても自分を見失うな、常に自分の形を忘れず、自分に戻れ、といった具合にである。(48ページ)
これに対して「塑性」は、自分の形などどうでもよく、そのつど変化してもかまわないのだ、となる。しかし、そもそも自分とは何か、自己意識はどこから来て、なぜ自分は今ここに存在するのか。人生のそんな基本についてまるで分かっていない自分に、どんな形があるものなのか。自分を分かっていない自分が、自分の形をどう決めるというのか。何を考えているにしても、すでに考えている自分が存在するのだから、「自分らしさ」を気にかける必要はなく、そのつど与えられた環境で適切に対応している自分のままがいいのではないか。(48~49ページ)
自分のままであるかどうか(自分を強く意識していないかどうか)を自覚するためには、折あるごとに自分を疑ってみなければならない。何かよい案を思いついても、その直後に、これは第三者にもちゃんと伝わるのだろうか、と自分を疑ってみる。(51ページ)

「やるべきこと」と「やりたいこと」
塑性的であるとは、社会の流れにただ身を委(ゆだ)ねることでも、無闇(むやみ)に付和雷同することでも、ましてや世の中に媚(こ)びて流行を追うことでもなく、置かれた状況を極力客観的に受け止め、適切に対応できる状態に自分をしておくことである。それは、世の中に流されない冷静な判断の下、自分が今なるべきものになる、「やるべきこと」をやる姿勢である。塑性的であれば、やるべきことが、まさに「やりたいこと」になる、と言い換えてもいい。(60ページ)

「表現」と「個性」
デザインの仕事では、とかく個性的な表現を求められる傾向がある。そこで、自分らしさとは何かと考えざるを得なくなる。(49ページ)
本来、個性は誰にでもあって、個性のない人など、この世に存在しない。表現以前の思考の段階がすでに充分個性的なので、個性は、それと意識していない状態のほうがむしろ出やすいのではないか。(54ページ)

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なすべきこと(「やるべきこと」)についてできるだけ客観的に思考し、見極めるところに、その人ならではの個性が出る。一般には、目に見える表現に個性があるとされがちであるが、それは違う。表現以前のその人その人の思考、ひいては生き方や思想に個性は確実に潜んでいる。(54ページ)

「発想」と「繋ぐ」
未知の事象が突如現れたかのように、「無」から何かを発想するなど、絶対にあり得ない。必ず「それ以前」が存在する。つまり発想とは、ある目的のために今まで繋がっていなかった事物同士を繋げる試みであり、自分が「無」から純粋に生み出すのではけっしてない。すでにあるのに気がつかずにいた関係を発見して繋ぐ営為が、発想である。(55ページ)

「仕事」と「塑性」
全ての仕事は「これから」のためにある。将来のために、今、何をしておくべきかを考え、事を為すことである。(168ページ)
あらゆる仕事という仕事の基本は、「間に入って繋ぐこと」である。(57ページ)
何かと何かの間に入って両者を繋ごうとすると、当然、繋ぎ方はそのつど異なる。臨機応変な繋ぎ方を可能にするため、一定の形を持たずにおく、それこそが塑性による「柔」の姿勢である。自分の形を持っていると、帰巣本能のようにそこに帰っておけば安心であり、その形が自分が社会的に認知される効力にもなる。(58ページ)
しかしながら、一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭めるのだと知っておくべきである。(58ページ)

「感性」と「仕事」
デザインは「感性の仕事だ」と言われる。それは、感性は特別な人にしか備わっていないといったニュアンスさえ感じられる。(62ページ)
そもそも感性とは何なのか。それが外部からの刺激、あるいは情報を感受する能力だとするなら、周囲の環境から何らかを感じ取る力に差はあれど、感性がまったくない人などいるわけがない。(62ページ)
誰にでもふつうに備わっている感性をさらに活かす能力、すなわち感じ取った内容を世の中に役立つなにものかに変換していく能力を技術として身につけているのがデザイナーの本分である。(64ページ)
感性が必要ない仕事などあり得ないのだし、感性を持たない人などいない。感性を活かすための技術が、それぞれの仕事でそれぞれに必要なのである。その技術とは、聞き・話し・見せるコミュニケーション能力であり、発想する能力であり、具体的な形にする能力である。(65ページ)。

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「ほどよい関係」とデザイン
昔から普段よく言われてきた「ほどほど」や「いい塩梅(あんばい)」などの言葉が、実は日本人が忘れてはならない大切な感性をしかと伝えている。(115ページ)
度が過ぎない、ほどのよいところを見極める(「ほどほどを極める」114ページ)、そこにこそ、デザインを考える、ひいては人の営為を考える上での大切なヒントがある。(258ページ)
秩序と無秩序、国と国民、伝統と現代、人と人、人と物事‥‥‥。それらのほどよい関係を見つけるためにこそ、人の営みにはデザインがあり続けるのである。(259ページ)

〇以上から、本稿の冒頭に記した本書の「帯」の一節に注釈を加えるとすれば、次のようになろうか。すなわち、デザインの本質は、物や事をカッコよく飾るために外から価値を付け足すこと(「付加価値」)ではない。あらゆる物や事がもともと持っている真の価値を見出し、その価値をあらゆる人間の暮しへと繋ぐ、われわれが生きる上でなくてはならない(「水のような」)ものである。デザインの本質は自己表現ではなく、何かと何かを「繋ぐ」ことである。デザイナーの仕事は、あらゆる物事を社会や不特定多数の人の間に入って、ほどよく繋ぐことであり、装飾を施す(デザインする)ことが目的ではない。
〇ここで、山崎亮の「コミュニティデザイン」(community design)の言説を思い出す。山崎によると、コミュニティデザインとは、地域コミュニティの課題をその地域の人たちが自ら解決できるよう、「場」や「しくみ」をデザインすることである。コミュニティデザイナーの仕事は、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわちコミュニティデザインを進めるために、人と人を結びつけ、なさすぎでも、ありすぎでもない「いいあんばいのつながり」(山崎亮『コミュニティデザインの時代』中央公論新社、2012年9月、10~11ページ))をデザインすることである。佐藤の言説と通底するところである。
〇佐藤は、「(政治・経済や医療・福祉、科学・芸術など全ての)人の営みの中でデザインと関わりのない物事は何ひとつないのだとすれば、必然的にデザイン教育へと意識が向かう」(216ページ)。「デザインは、我々を取り巻く地球環境を人の営みと共に気づかい(気づいて思いやる)考えることでもある」(220ページ)、という。そこで、デザインマインドを育む「デザイン」の授業を、「英語の早期導入や道徳の成績評価化の前に、むしろ国語・算数・理科・社会・体育・デザイン」として一日も早く、小学校低学年から始めてはどうか、と提案する(220ページ)。
〇また、山崎もいう。「これからの地域福祉に必要な知恵を、『わたしたち』は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。その生き方(Life)こそが、21世紀を生きていく『わたしたち』にとって最高の財産(Wealth)になるであろう」(山崎亮『縮充する日本』PHP研究所、2016年11月、355ページ)。

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佐藤と山崎のこの言説については、「まちづくりと市民福祉教育」について探究する筆者にとって、同感(首肯)するところである。
〇佐藤にあっては、「ある課題を深く掘り下げて行くために、場合によっては一定の枠(=形)をあらかじめ決めて(=持って)おく必要があることまで否定するつもりはない」(61ページ)。そう言いながらも、弾性的に自分の形あるいはスタイルを持つことには否定的である。「一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭める」、と佐藤はいう。
〇この点を「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に引きつけて言えば、その実践・研究をめぐる状況や課題は、歴史的・社会的に形成され変質する。その点を認識したうえで、「まちづくりと市民福祉教育」の科学的・体系的で学際的な深化・発展を期するためには、独自(固有)の視点や枠組み、アプローチの仕方や分析方法、言語体系や記述方法などを設定・構築することが必要かつ重要となる。とは言え、すべての実践家(学術的実践家)や研究者(実践的研究者)が同一の実践・研究方法による必要はない。それぞれの形あるいはスタイルを持つ実践・研究の成果を、「共働」の視点に立って、如何に融合化・統合化するかが重要となる。それによってはじめて、「まちづくりと市民福祉教育」の総体としての推進が図られることになる。


①「福祉教育」に固有の実践・研究方法はすでに成立・存在しているか、ということをめぐっては、例えば、日本福祉教育・ボランティア学習学会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸-学際性と変革性―』大学図書出版、2014年10月、から読み解くこともできよう。筆者は、福祉教育実践の理論化・体系化は言われるほどには進んでいないと思っている。ここ10年近くは、「先進的」「独創的」と評される実践事例の単なるモデル化や定型化による「福祉教育プログラム」の研究開発が進められてきた。そのうえに、いま、政府主導による形式的で画一的な、財源の裏付けを欠いた、理念や理想としての「地域共生社会」づくりが強調(強制)されている。気にかかるところである。言うまでもなく、地域づくり(まちづくり)を推進するためには、そのノウハウやヒト、モノ、カネが必要である。
また、「地域共生社会」については、原田正樹の次の指摘に留意したい。「これまで『総論賛成・各論反対』と言われてきたが、7・26(相模原殺傷)事件はこの『総論』でさえも全否定し、共生社会を実現していくことの難しさを思い知らされた」(原田正樹「7・26(相模原殺傷)事件を考える-事件が問いかける意味とは-」『ふくしと教育』第22号、大学図書出版、2017年2月、13ページ)。改めて、いま、福祉教育の理論的・実証的研究のあり方が厳しく問われている。
②「ふくし」の意味することについて、原田正樹は次のように述べている。「共生文化を創出していくことができる力のことを『共に生きる力』という。これが福祉

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教育の目標である。/そしてそのことを子ども達にもわかるように、福祉教育実践の先人たちは、福祉を『ふだんのくらしのしあわせ』として、メッセージを込めた。/『ふくし』の主体は、私自身である」(逗子市社協 福祉教育チーム企画・編集『みんなが「ともに生きる」福祉教育の12年~逗子での12年の実績を踏まえて~』逗子市社協、2015年8月、101ページ)。
なお、筆者が平仮名の「ふくし」(ふだんの・くらしの・しあわせ)という言葉を使い始めたのは、1990年代中頃から2000年前後にかけての時期であろうか。その直接的なきっかけは、茨城県社協主催の福祉教育セミナー(1994年2月、1998年1月、2000年1月、2001年1月)に参加したことにあるが、そこで修得したのは「ふくし」=「普通の・暮らしの・幸せ」であった。

 

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03/福祉文化活動を通した「ゆるやかな絆」
           ―今中博之(ソーシャルデザイナー)から学ぶ―

〇筆者の手もとに、今中博之(いまなか・ひろし、社会福祉法人素王会理事長/アトリエ インカーブ クリエイティブディレクター)の新刊本が2冊ある。(1)『かっこいい福祉』(村木厚子との共著、左右社、2019年8月。以下[1])、(2)『共感を超える市場―つながりすぎない社会福祉とアート―』(アトリエ インカーブ編著、ビブリオ インカーブ、2019年9月。以下[2])がそれである。[1]は、今中と村木厚子(元厚生労働事務次官)の対談本である。「自力と他力」「内閉と開放」「市場と制度」などの二項対立的なキーワードを通して、「福祉は何故、低くみられるのか」「福祉をかっこいい業界にするにはどうすべきか」を語り合う(「帯」)。[2]は、今中と松井彰彦(東京大学大学院教授)の講演と対談を中心に編んだものである。そこでは、「共感を求めすぎないこと」「閉じながら“ときどき”開くこと」の重要性を説きながら、「市場×福祉」について論じ合う。
〇[1]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

文化の市場性と福祉文化
私は、社会福祉学者の一番ヶ瀬康子氏がいう「福祉の文化化と文化の福祉化」を実践する母体としてアトリエ インカーブ(デザイン事務所)を位置づけています。彼女はそれを「福祉文化」という概念で表現しました。生活の質が問われて久しい昨今、「社会福祉の究極の目的が、自己実現への援助であり、その在り方を追求していくことであるという視点にたつならば、文化をふくみ得ない社会福祉はあり得ないといっても過言ではない」と主張します。私も同感です。ただ、文化の「市場性」については、これまであまり議論が進んでこなかった。今後の課題は、市場性を意識した福祉文化をつくっていくことです。(20ページ)

越せない溝と「かっこいい福祉」
私にとって「かっこいい」とは、クールやスマートではなく、わかりあえないと認めることだったように思います。認めるためには、たくさんの時間が必要です。私の優しさとあなたの優しさは違うってことや、私の怒りとあなたの怒りも違うってこと。共感ができなくても理解できるまで話す、聞く。ながい時間のなかでわかりあえないことがわかるようになってきます。そうして紡がれた幸せを「かっこいい福祉」、その企てを「かっこいい社会福祉」というのだと思います。(197~198ページ)

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〇[2]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

障がい者の芸術文化活動と「市場の力」
好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい。選択肢の多い市場では「差別をしない取引」が可能です。つまり、市場の中には社会的に弱い人だから差別をするという行動規範は薄いのです。ゆえに、しがらみも少ない。だからこそ市場は、国を超えて人と人をつなげていくのです。/問題は、どの程度の市場化(開き方)をするかです。共感的消費者だけにアプローチしていては、広がりません。狭くて逃げ場所のないコミュニティは差別がはびこります。かといって、つながりすぎ、共感を求めすぎては、綻(ほころ)びが出てきます。身の丈にあったいい塩梅(あんばい)。そこがポイントです。/近江商人の理念である「三方よし」(売り手良し、買い手良し、世間良し)の場合のみ取引をすることです。(203~204ページ)

アートを通じた自己実現と相互実現
インカーブでは、社会福祉事業として障がい者の芸術文化活動を進めていくために「閉じながら“ときどき”開く」ことを心がけてきました。(中略)インカーブの事業の目的は、知的に障がいのあるアーティストの日常が作品制作を通して平安であることです。/アートの商業的価値を慮(おもんぱか)ることは、共感を超える市場につながります。その実現のためには、つながりすぎないこと、共感を求め過ぎないことではないでしょうか。(205ページ)

〇以上のメモに関して、若干付言しておきたい。先ず、「市場」についてである。市場は、需要者と供給者が出会い、契約と取引が行われ場である。松井の言によれば、「いろんな人が集まって、一定のルールのもとにお互いにプラスになるように取引する場である」([2]88ページ)。当然、そこでの人間関係は対等である。市場では、この対等な「契約関係」とともに、人と人との「信頼関係」も必要かつ重要となる。信頼関係は、相手との対等な関係を築くための人間関係であるが、それゆえに「倫理性」(「一定のルール」)が要求される。今日の市場経済社会では、契約関係だけでなく、それ以上に信頼関係が重要となる。この点を含意するのが、今中がいう「好きな人がいれば手を組めばいいし、嫌いな人なら手を切ればいい」という言説であろう。しかし、簡単に「嫌いな人なら手を切ればいい」とはいえないのも人間社会である。そこで求められるのは、「仲間をつくる営為であり、(たとえ嫌いであっても・嫌いになっても)仲間外れにしないという行動」である。それを「福祉」と呼んでいい。
〇次に、「共感的消費者」についてである。共感的消費者とは、商品の品質ではなく、「障がい者がつくった」という商品の背景に思い入れをもって購入する人たち

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をいう(神谷梢[2]6ページ)。「社会福祉の事業者は、『共感的消費者』にアプローチしてきた。ただ、その範囲はとても狭く、見慣れた仲間うちに限られている。共感的消費者だけに依存し続ければ、マーケットは永遠に広がることはない。これが社会福祉の市場化の限界点である」([2]200ページ)と今中はいう。周知の通り、消費には「機能的消費」「記号的消費」「共感的消費」の三つの形態がある。ブランドネームなどの付加価値を消費する記号的消費ではなく、その商品の機能や効用を消費する機能的消費と、その商品への“こだわり”や“想い”に共感して消費する共感的消費が肝要である(ちなみに筆者が運転する車は、単なる移動の手段として考える大衆車であり、絶滅危惧種のマニュアル車、しかも走行距離は15万キロを優に超えている)。
〇いまひとつは、「福祉文化」についてである。前述の一番ヶ瀬がいう「福祉の文化化」に関していえば、それは、社会福祉それ自体をいかに質・量ともに豊かな、文化的なものにしていくか、文化の香りのするグレードの高いものにしていくかということを意味する。そこから、福祉文化とは、日常生活の量的拡大と質的充実を図り、人びとの健康で快適な生活と情感の安定を保証する生活の質としての文化であるといえる。別言すれば、人びとの日常生活に心の潤いや安らぎ(内面的豊かさ)、社会的・経済的・文化的豊かさなどの「平安」をもたらす文化である。そういう福祉文化を創造するためには、人と人との“であい”“ふれあい”“ささえあい”が必要かつ重要となる。
〇こうした「福祉の文化化」をより確かなものにするためには、福祉政策や行政の文化化を図ることが肝要となる。「福祉政策・行政の文化化」のねらいは、住民の参加と合意形成のもとに、障がい者などを含めたすべての住民の主体的・自律的な文化活動の推進を図り、すべての住民が文化を享受し創造するための条件整備や環境醸成をおこなうことにある。
〇「文化の福祉化」に関していえば、文化は人びとの日常的な生活行為のなかに現れ、創られるものである。そこから、障がい者などを含めた、生活主体としてのすべての人が、文化の創造主体であり、活動主体であるといえる。しかし、例えば、芸術文化についていえば、今日においてもまだ、一定の条件に恵まれた一部の人だけのものであるとか、特定の場所や機会にふれるものであるという認識が強い。こうした芸術文化状況の偏りを是正し、とりわけ芸術文化の貧困のもとに置かれてきた障がい者などに対しては、芸術文化を享受する機会の確保・拡充や芸術文化活動(創作活動)への主体的参加を促す環境醸成を図ることが肝要となる。
〇アトリエ インカーブでは、創作活動と日常生活が共存している。作品制作を通して平安(福祉)を追求している。それはまさに「福祉文化」である。その実践は、荒廃したいまの日本社会を変革し、新たな地平を開く視点や力を生み出している。
〇本稿のタイトルに使った「ゆるやかな絆」は、大江健三郎(文)・大江ゆかり(画)の『ゆるやかな絆』(講談社、1996年4月)による。それは、[1]と[2]を

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読むなかで思い至ったものである。ただし、記号的消費(使用)ではない。
〇なお、「ゆるやかな絆」をめぐって大江は、次のように述べている。僕らは「ゆるやかで、人を束縛するところは少しもなく、その両端にいる同士はお互いにひそかな敬愛の心を抱いているが、それを口にしないまま時が流れて行き、……というような、真の家族についての感情教育」を受けていたのである(講談社文庫、1999年9月、111ページ)。

 

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04/「自分と世界について考える」ということ
             ―池田晶子(哲学者)から学ぶ―

・編みものは、スーッとほどいてまた一本の糸に戻すことができます。そして同じ材料でまったく違う形、異なる用途のものを編み上げることができます。社会はなかなかそうはいきませんが、思いきって一本の糸にし、もう一度ていねいに編み直しましょうと提案したいと思います。(中村桂子編『編む』5ページ)
・池田晶子さんが、大人は子供に社会を教えようとするけれど、子供が本当に知りたいのは社会ではなく世界だと書いていらして、なるほどと思いました。/基礎に世界観がないと、社会はめちゃくちゃになるでしょう。(『同上書』52、53ページ)
・ていねいに編んで/できあがった世界を/ゆっくりとほぐすと/幸せがのぞく。(『同上書』270ページ)

〇筆者は中村桂子編『編む』(JT生命誌研究館、2012年3月)を読んだ。中村桂子(なかむら・けいこ)は、「生命誌」の提唱者であり、大阪府高槻市にあるJT生命誌研究館の館長を務めている。「生命誌」(Biohistory)は、人間も含めたさまざまな「生きもの」(生命)の38億年の歴史を知り、「生きもの」の世界がもつ「つながり」や「広がり」、すなわち「生きもの」の発生・進化・生態系を探究する。そして、一人ひとりが幸せに生きる、心豊かな人間社会をいかに作っていくかを考える(JT生命誌研究館ホームページ参照)。その学問の基本には、自然(宇宙・地球・生命)はすべて生成する(生れ出る)ものであると捉える「生命論的世界観」がある。
〇『編む』では、生命誌の中心的なテーマである「生命・人間・自然・科学技術の間の関係」をめぐる研究報告がなされている。「生きもの」の細胞や遺伝子などのミクロの世界の話は、筆者にとってはちんぷんかんぷんであり、字面を追うのがやっとであった。ただ、興味をそそられるものもあった。たとえば、江戸時代の花鳥画や動物画について解読研究する今橋理子(いまはし・りこ、美術史学)の話や、ウナギの産卵地を突き止めた塚本勝巳(つかもと・かつみ、海洋生物学)の話、そして研究者の生い立ちや研究の足跡、解明するための思考や実験の話などがそれである。
〇そんななかで、冒頭の文章やフレーズ、とりわけ「池田晶子」の名前に目が留まった。そこで、久しぶりに池田の著書『14歳からの哲学―考えるための教科書―』(トランスビュー、2003年3月。以下[1])を読み返すことにした。池田晶子(いけだ・あきこ)は、日本語による「哲学エッセイ」を確立したと評される、稀有(けう)な自称文筆家である。『14歳からの哲学』は、長年にわたり、年代を超えて読み継がれている池田の代表作である。なお、池田は、2007年2月に46歳の若さで亡くなっている。

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〇[1]は、哲学の歴史や哲学者の考えを紹介・解説するものではない。「14歳以後、一度は考えておかなければならないこと」(「帯」)として、「考える」「言葉」「自分とは誰か」などの30のテーマについて、哲学の専門用語を使わず、平易な文章で読者に語りかけ・問いかける。本稿では、次の3つのテーマについてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

目に見えない「社会」は観念であり、観念が変わらなければ現実社会は変わらない
目に見えないのに存在するもの、それは思いや考えである。思いや考えのことを、ここではまとめて「観念」と呼ぶことにしよう。(82ページ)
「社会」というのは、明らかにひとつの「観念」であって、決して物のように自分の外に存在している何かじゃない。「社会」は、観念として、自分や皆の「内に」存在しているものなんだ。(82ページ)
社会を変えようとする場合、先ず自分が変わるべきなんだ。社会は、それぞれの人の内の観念なのだから、現実を作っている観念が変わらなければ現実は変わらないんだ。(83ページ)
世のすべては人々の観念が作り出しているもの、その意味では、すべては幻想と言っていい。社会がそうなら、国家というものもそうなんだ。人は、「日本」という国家が、外の物のように存在していると思って、それが観念であるということを忘れて、その観念のために命を賭(か)けて戦争したりする。観念のために命を捨てるなんて芸当ができるのは、生物のうちでも人間だけだ。これはとても不思議なことだ。(83、84ページ)
「社会」というのは、複数の人の集まりという単純な定義以上のものではない。それ以上の意味は、人の作り出した観念だということだ。複数の人が集まれば、複数の観念が集まり、混合し、競い合って、その中で最も支配的な観念、つまり最も多くの人がそう思い込む観念が、その集団を支配することになる。これが言わば「時代」というものだけれど、これも人々が自分で作り出している観念であることに変わりはない。「社会の動き」とは、つまり「観念の動き」であると見る習慣を身につけよう。(84ページ)

「自分」を愛するということがそのまま、「世界」を愛するということである
自分であるところのもともとの自分は、ただ自分であるということ。ただ自分であるということは、他人がいるから自分であるのではなく、他人がいてもいなくても、他人がいるかいないかに関係なく、その自分としてあるということだ。他人の存在は、自分が自分であると気づくためのきっかけにすぎない。自分の存在は他人の存在に依(よ)ってはいないのだから、その意味で、自分というのは絶対的な存在なんだ。(66ページ)
「世界」つまりすべてのことは、自分の存在に依っている。自分が存在しなければ、世界は存在しないんだ。自分が存在するということが、世界が存在するということなんだ。世界が存在するから自分が存在するんじゃない。世界は、それを見

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て、それを考えている自分において存在しているんだ。つまり、自分が、世界なんだ。(67ページ)
嫌いな人、イヤな人は、ああ、そういう人なんだな、丸ごと認めて受け容れてあげるんだね。むろん大変なことだよ。でも、それが自分のためなんだ。それができなければ、君が自分を本当に愛することはできない。自分を愛していない人生を生きるというのは、とても苦しいものだ。だって、嫌いな人からは離れればいいけど、誰が自分から離れることができるだろう。嫌いな自分と四六時中一緒にいるなんてことが、苦しくないわけがないじゃないか。(104ページ)
自分とは世界なのだ。だから、自分を愛するということが、そのまま、世界を愛するということなんだ。だから、もしも君が世のため人のために何かをしたいと願うのなら、一番最初にしなければならないことは何か、もうわかるはずだ。(104ページ)

「思う」ことではなく、「考える」ことこそが全世界を計る正しい定規になる
わからなくて不思議なことを、それが本当のことなのかどうかを知ろうとして、人は「考える」といことを始めるんだ。「考える」は、それまでの、ただなんとなく「思う」ということとは全然違うことなんだ。(8~9ページ)
考えるというのは、それがどういうことなのかを考えるということであって、それをどうすればいいのかを悩むってことじゃない。(9ページ)
自分が思っていることが、ただ自分がそう思っているだけではなく、本当に正しいことなのかどうかを知るためには、考えるということをしなければならないんだ。「本当にそう思う」ということと、「本当にそうである」ということとは、違うことだ。(14、15ページ)
人は、「考える」、「自分が思う」とはどういうことかと「考える」ことによって、正しい定規(尺度、基準)を手に入れることができるんだ。自分ひとりだけの正しい定規ではなくて、誰にとっても正しい定規、たったひとつの正しい定規だ。(16ページ)
その定規は、君が、考えれば、必ず見つかるんだ。正しい定規はどこだろうってあれこれ探して回っているうちは、それは見つからない。考えることこそが、全世界を計る正しい定規になるのだとわかった時に、君は自由に考え始めることになるんだ。(17ページ)
考えるということは、答えを求めるということじゃないんだ。考えるということは、答えがないということを知って、人が問いそのものと化すということなんだ。謎が謎として存在するから、人は考える、考え続けることになるんだ。(196、197ページ)

〇以上のポイントは、「社会は観念として、自分の内に存在している」(82ページ)。「自分が世界であり、世界(すべてのこと)は自分において存在している」(67ページ)。「自分は自分でしかないことによってすべてである(絶対的存在)」(68ページ)。「自分を愛するということがそのまま、世界を愛するという

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ことである」(104ページ)。「本当に生きるということは、わからないことをわからないと思わないで、誰にとっても正しいことを、考える・考え続けるということである」(23ページ)、となろうか。これらは、「市民福祉教育」にも通底する基本的視点でもある。留意したい。
〇ところで、福祉教育の世界で多用される言葉のひとつに、「共生」「共に生きる」がある。ここで、「生」とともに、「死」に関しても一言しておくことにする。
〇山折哲雄(やまおり・てつお。宗教学)は、柳美里(ゆう・みり。小説家)との対談本である『沈黙の作法』(河出書房新社、2019年6月)のなかで、「死生観」について次のように述べている。「死生観」という言葉は、「死」が「生」の前にある。「死生観」という言葉の背後には、死を覚悟して生きる、死ぬことが即ち生きることであるという思想が控えている(32ページ)。柳が著書『自殺』で言うように、死を忌避(きひ)するのではなく、人生のなかに明確に位置づけることが大きな意味を持つ⦅「死を忌(い)み嫌うのではなく、生の中に死が潜(ひそ)んでいるということを意識することが大事なのである」(65ページ)⦆(33ページ)、と。
〇さらに付言すれば、山折は、著書『わたしが死について語るなら』(ポプラ社、2010年3月)のなかでこう述べている。「『共に生きる』という口当たりのよい言葉だけ掲げて、『共に死ぬ』ということはほとんど言わない」。「すべての人間がひとりで死ぬ運命の中に投げ出されている。だから『共に死ぬ』ということになる。『共に死ぬ』すなわち『共死』とはそういう意味なのである」(54ページ)。山折にあっては、「共生」は「共死」である。
〇また、柳は、著書『自殺』(文藝春秋、1999年12月)のなかでこう述べている。「自分とは何かと考察するとき、死はその入口であり、また出口である」(121ページ)。「生が死を内包しているという事実を、意識のレベルにまで高めることによって、死を自分のものにできるのではないか」(173ページ)。柳にあっては、「死はひとの内部で生と共存」(188ページ)している。いま求められているのは、殺人や交通事故、天災などによる「外部」の力によってもたらされる死ではなく、「死を人間の内側から捉え直す思想」(186ページ)である。
〇山折と柳の考えとともに、池田が著書『人間自身―考えることに終わりなく―』(新潮社、2007年4月)と『人生は愉快だ』(毎日新聞社、2008年11月)のなかで説く「死」についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

生死は平等であり、人は生まれたから死ぬのである
多くの人は、生死を現象でしか捉えていない。死に方のあれこれをもって死だと思い、本意だ不本意だ、気の毒だ立派だと騒いでいる。しかしいかなる死に方であれ、「死に方」は死ではない。現象は本質ではない。本質とは、「死」そのもの、これの何であるか。これを考えて知るのでなければ、まともに生きることすらでき

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ないではないか。(『人間自身』26ページ)
生死の本質は、年齢も経験も現在の状況も関係ない。生死することにおいて、人は完全に平等である。すなわち、生きている者は必ず死ぬ。(『同上書』26ページ)
癌(がん)だから死ぬのではない。生まれたから死ぬのである。すべての人間の死因は、生まれたことである。(『同上書』26ページ)

自分の死はないのであり、死は向こうから来るものである
人が死を認識できるのは、他人の死を見る時だけです。自分が死んだ時は、自分はもういないのだから、自分が自分の死を知ることはできない。自分の死は、「ない」のです。多くの人が死をどうイメージしているかというと、「どうやら自分が無くなる」というものです。でも、自分がないことをどうやってイメージするのか。「無」というものを考えられたら、無ではなくなってしまうわけです。ないものは考えられない。死は、ないのです。(『人生は愉快だ』278ページ)
人はよく「死に方」と「死」を一緒にしてしまっている。死に方とは、ギリギリのところまで生の側にあります。どんな死に方をしても、死ぬまでは生きているわけですから。「死に方」は選べても、「死」は選べない。死は向こうから来るものです。(『同上書』278ページ)

〇なお、池田の著書のなかから「人生」「幸福」「愛と孤独」などの11のテーマを設定し、それに関する言葉のエッセンスを集めた本(名言集)がある。池田晶子著・NPO法人わたくし、つまりNobody編『幸福に死ぬための哲学―池田晶子の言葉―』(講談社、2015年2月)がそれである。「池田晶子の世界」のとば口(入口)であろうか。

補遺
池田晶子が著書『新・考えるヒント』(講談社、2004年2月)のなかで述べている「生きることと道徳」に関する一文を紹介しておくことにする(抜き書きと要約)。

先般、子供向けの哲学の教科書(『14歳からの哲学』)を書いた際、超越的根拠なしに道徳を教えることは不可能であることを、つくづくと思い知った。人に道徳を教えるとは、そもそもどういうことなのか。(210ページ)
自分とは何か、死とは、生とは、生命とは何かという問いの提起から説く起こし、最終的に、善悪、すなわち人生の意味を考えることへと導いたつもりである。もしそれが成功しているなら、人は、自分が自分であると思っているその自分が、いかに自明なものではないか、自分が自分であると思っているものの根拠は、実は自分にはないと、気がついてくれたはずである。道徳についての思索(しさく)は、こ

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の気づき、この不可解への気づきからしか始まらないのである。(211ページ)
いま現に生きているこの自分とは、いったい誰なのか、何なのか、この謎をまっすぐに考え詰めてゆく、あるいは強く感じようと努めてみるだけでも、問いの解がないと知ることによって、問いの向こうへと開かれるとでもいうべきか、ある種の永遠的感覚を自身として知る経験である。このとき超越的なものは内在的なものである。外在的教条など必要ないのである。(211~212ページ)
語られている言葉の背後にあるものは、誰が誰であり、何が何であると言うことができない、万物が照応(しょうおう)する混沌である。その混沌を混沌として認識し、これを畏怖(いふ)するところにこそ、道徳的感覚は発生するといってもいいだろう。(212~213ページ)

付記
本稿でとり上げた本の一覧である。
(1)中村桂子編『編む』JT生命誌研究館、2012年3月
(2)池田晶子著『14歳からの哲学―考えるための教科書―』トランスビュー、2003年3月
(3)山折哲雄・柳美里著『沈黙の作法』河出書房新社、2019年6月
(4)山折哲雄著『わたしが死について語るなら』ポプラ社、2010年3月
(5)柳美里著『自殺』(文春文庫)文藝春秋、1999年12月
(6)池田晶子著『人間自身―考えることに終わりなく―』新潮社、2007年4月
(7)池田晶子著『人生は愉快だ』毎日新聞社、2008年11月
(8)池田晶子著・NPO法人わたくし、つまりNobody編『幸福に死ぬための哲学―池田晶子の言葉―』講談社、2015年2月
(9)池田晶子著『新・考えるヒント』講談社、2004年2月

 

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05/「自然と人間の結び合い」としての日本的共同体
            ―内山節(哲学者)から学ぶ―

〇内山節(うちやま・たかし、哲学者)の『主権はどこにあるのか―変革の時代と「我らが世界」の共創』(農山漁村文化協会、2014年7月。以下[1])を読んだ。内山は[1]で、混沌と分裂の時代にあるこんにち、国家の運営に依存しない世界、多様性や多層性をもった結び合いの世界(「我らが世界」)をいかに創るかが問われている。その「主権」は、私や国家や地域にあるのではなく、「関係性のなかにある」、という。次の言説に留意しておきたい。

「国家か、地域か」を超えて「結び合い」のなかに生きる世界を創る
地方分権とか地域主権、地域づくりという言葉を使うときに、権限を国が持つのか地方が持つのかという議論がよく起きる。地方がもっと自主性を持ってやっていけるようにするのは大事だと思うが、国か地方かという発想自体がもう古いのではないか。
私は、国は信頼するに足らないものだということがこれからより明確になっていく時代だろうと思う。その国に依存していては駄目だが、国の対極にあるのは地域とか地方ではなくて、あくまで結び合いとしてのローカリズム、どういう結び合いのなかに我々の生きる世界を創るのかということである。それは地域としての結び合いもあるが、外部の人たちとの結び合いもある。結び合いがあるから地域も成り立っている。そういう形をこれからはつくっていかなければならない。国か地域かという二分法ではない。(41ページ)

主権は「私」にあるのではなく「関係性」のなかにある
「地域主権」という言葉は、この間「地方分権」とともにずいぶん使われてきたが、その主権はどこに存在するのか。(中略)
人間が主権者であるという欧米近代のとらえ方それ自体に欠陥があったのではないかという気がしている。(中略)
農業の場合も私に主権があるのではなく、自然との関係のなかに主権がある。あるいはいままでの歴史を積み上げてくれた先祖である死者たちとの関係のなかに主権があるし、消費者と結ばれていれば、そういう人たちとの関係のなかに主権がある。このように主権は実は関係のなかにあるのに、「主権は私にある」という何か大きな錯覚をしてしまったのではないか。
主権は結び合いのなかにある、あるいは関係性のなかにある。そういうとらえ方をしていく必要があるのではないかと思い始めている。本当の主権は私のところにはない、関係性のなかにある。関係の積み上がったものを風土と呼ぶならば、主権は風土のなかにあると言ってもよい。

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このように関係のなかにある主権を風土主権と呼んでもいいかもしれないし、ローカリズム主権という言い方をしてもいい。
かかわり合いが「我らが世界」を創っていく、そこに主権があるという展望を持ちながら、変革の時代を生きていきたい。(43~44ページ)

〇併せて、内山の『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』(農山漁村文化協会、2010年3月。以下[2])を読み返した。[2]では、マッキーヴァー(Robert Morrison MacIver、1982年~1970年)のコミュニティ論や大塚久雄(1907年~1996年)の『共同体の基礎理論―経済史総論講義案』(岩波書店、1955年7月)などとは異なり、伝統と風土に支えられた「共同体」論が展開されている。その特色のひとつは、内山自身の群馬県上野村での生活経験から、「自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神」(32ページ)に共同体の本質を見出していることにある。すなわち、日本の共同体の基盤や特徴は、「コミュニティとアソシエーション」(注①)や「エリア型コミュニティとテーマ型コミュニティ」などといった、共同体の「かたち」や「機能」にあるのではない。「自然と人間」「生と死」が一体化した関係性(「つながり」)のなかで、その時代を、その地域の人々といかにして「ともに生きる」かという「精神」こそにある、と内山は説いている。以下に、内山の重要な言説のいくつかを記しておくことにする。

共同体は小さな共同体が積み重なる「多層的共同体」である
地域共同体とは何なのであろうか。地域というひとつのものにすべてのメンバーが統合されていると考える地域共同体論は正しいのだろうか。(中略)
私は共同体は二重概念だと考えている。小さな共同体がたくさんある状態が、また共同体だということである。ひとつひとつの小さな共同体も共同体だし、それらが積み重なった状態がまた共同体だとでもいえばよいのだろうか。このような共同体を私は多層的共同体と名づける。共同体のなかに、小さな共同体が多層的に積み重なっている、多層的共同体とは、そんな共同体のことである。(76~77ページ)

共同体は人々がともに生きる「小宇宙」である
日本の共同体は自然と人間の共同体として、生の世界と死の世界を統合した共同体として、さらに自然信仰、神仏信仰と一体化された共同体として形成されていた。ここには進歩よりも永遠の循環を大事にする精神があり、合理的な理解よりも非合理的な諒解に納得する精神があった。人々は共同体とともに生きる個人であり、共同体にこそ自分たちの生きる「小宇宙」があると感じていた。(16ページ)

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共同体の基層には自然と人間が結ぶ「精神」がある
自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神が、共同体の古層には存在している。それが共同体の基層であり、この基層を土台にして時代に応じた、地域に応じた共同体のかたちがつくられる。ゆえに共同体が壊されていくというとき、その意味は、自然と人間が結び人間たちが共有世界を守りながら生きる精神が壊されていくことを意味するのである。(中略)共同体はその「かたち」に本質を求めるものではなく、その「精神」に本質をみいだす対象である。(32ページ)

共同体の「精神」の本質は「ともに生きる世界があると感じられること」である
私たちがつくれるものは小さな共同体である。その共同体のなかには強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。その中身を問う必要はないし、生まれたり、壊れたりするものがあってもかまわない。ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。だから単なる利害の結びつきは共同体にはならない。群れてはいても、ともに生きようとは感じられない世界は共同体ではないだろう。
課題は、ここにともに生きる世界があると感じられる小さな共同体をいかに積み重ねていくか、なのである。それが積み上がっていけば、小さな共同体同士の連携もまた形成されていくだろう。ここに共同体があると感じられる時空も生まれていくだろう。
ひとつのものにすべてが結合されている状態という古い共同体のイメージは一掃されなければならない。それは歴史的にみても、適切な認識ではない。(168~169ページ)

〇筆者はこれまで、関東や東海、北陸のいくつかの自治体や社会福祉協議会において、福祉のまちづくりやそのための計画策定、その主体形成を図る福祉教育実践などに関わってきた。その際、必ずしも十分とはいえないものの、市町村レベルの共同体のみならず、そのなかの集落や地区といった地域共同体の自然をはじめ歴史や文化、伝統、慣習などにも関心を払ってきた。また、「地域福祉」の推進や「まち」の再生を図るためには、科学的根拠に基づく「制度」や「システム」の変革や創造のみならず、住民意識の醸成や改革などが必要かつ重要である、と考えてきた。この点に関して内山は、「システムを変えれば世のなかはよくなる」という発想ではなく、「生きる世界の再創造を通してシステムの変革を求める」という考え方が肝要である(166ページ)、という。すなわち、内山にあっては、共同体の基層には自然と人間が結ぶ「精神」がある。その「精神」は「ともに生きる」という意識であり、それがその共同体(地域や住民)のなかでどれだけ醸成され共有されているかが重要になる。その土壌(基盤)があってこそ、その共同体に合った、その共同体ならではのシステムの導入や変更が可能となる。そして、「生きる世界の再創造」が図られる。内山の言説から改めて再認識したことのひとつである(注②)。

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➀ 内山の共同体論と欧米の古典的なそれとの違いを知るために、テンニース(ドイツ)とマッキーヴァー(アメリカ)のコミュニティ論に関する内山の説述を紹介しておくことにする。

共同体についての古典的な本としては、テンニェス(F.Tönnies)の『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887年)がある。ゲマインシャフトは一般に共同体と訳されることが多いが、地縁、血縁などで結ばれた有機体を指している。対してゲゼルシャフトは利害関係や目的意識などでつくられた人間の社会を意味しており、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行が歴史の発展としてとらえられていた。それは近代形成過程の理論だったといってもよい。
このゲマインシャフトとゲゼルシャフトの関係をコミュニティとアソシエーションの関係として考察した、これも古典的な本に、マッキーヴァー(R.M.MacIver)の『コミュニティ』(1917年)がある。ただしテンニェスとマッキーヴァーとでは内容は大きく異なっている。マッキーヴァーにとってコミュニティとは共同的な生活が営まれている場であり、社会のあり方や文化などが共有されている結合体である。そしてその内部にはさまざまなアソシエーションが内包されている。アソシエーションはある目的を実現するための組織とでも述べておけばよいのだろうか。(78ページ)

マッキーヴァーのコミュニティのとらえ方は、コミュニティの内部に共同の関心を追求する組織体=アソシエーションが多様に存在しているというものである。テンニェスのようなゲマインシャフト(コミュニティ)からゲゼルシャフト(アソシエーション)へ、というような位置づけではない。とすると今日の日本でしばしば語られている「コミュニティが必要だ」という議論のなかで用いられている「コミュニティ」とは、むしろマッキーヴァーのいう「アソシエーション」の方であろう。なぜなら現在の日本で語られている「コミュニティ」は、人間たちの協力関係をつりくだすという関心にもとづいて進めようとしている活動であり、社会組織の模索だからである。(80ページ)

前述したように、内山にあっては、「共同体」とは「共有された世界をもっている結合であり、存在のあり方」をいう。共同体は、そのなかに小さな共同体を内包する「多層的共同体」である。「アソシエーション」を積み上げても、共同体は生まれない。理由のある組織を積み上げても、理由のある社会がつくられるだけである。内山はそれを共同体とは呼ばないのである(82~83ページ)。重ねて指摘しておきたい。

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② 本稿に関連する文献として、内山節『内山節のローカリズム原論―新しい共同体をデザインする』(農山漁村文化協会、2012年2月)も興味深い。
そこにおいて内山は、「ローカリズム」とは、「自分たちの生きている地域の関係を大事にし、つまり、そこに生きる人間たちとの関係を大事にし、そこの自然との関係を大事にしながら、グローバル化する市場経済に振り回されない生き方をするということ」(106ページ)である、と規定する。そして、内山は、「関係の網によって結ばれた世界」が「ローカルな世界」であり、そこにこそ人間たちの生きる基盤をつくらなければならない。このローカルな世界を「共同体」といってもよいし、「コミュニティ」として捉えてもかまわない、という(109ページ)。

 

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06/「対話」とその技術
             ―山口裕之(哲学研究者)から学ぶ―

〇筆者が最近読んだ本のなかで“面白い”と思ったものに、山口裕之(やまぐち・ひろゆき、徳島大学、哲学研究者)のそれがある。『コピペと言われないレポートの書き方教室―3つのステップ―』(新曜社、2013年7月。以下[1])、『「大学改革」という病―学問の自由・財産基盤・競争主義から検証する―』(明石書店、2017年7月。以下[2])、『人をつなぐ 対話の技術』(日本実業出版社、2016年4月。以下[3])、である。
〇[1]は、「レポート」を書くにあたって、「コピペ」と言われないためには具体的にどうすればよいのかを、「最重要ポイント」のみに絞って解説したものである。その根底には、学部学生らに「自分の意見を根拠づけて主張する力」を身につけてもらいたい、という願い(「思い」)がある。「おわりに―民主主義とレポート」(93~98ページ)は深く、読む意義は大きい。
〇[2]は、政財界主導で進められている「大学改革」(国家権力の過度の介入、学長トップダウン体制の構築、競争主義や成果主義の強化、研究予算の削減や組織の統廃合、等々)の単なる反対論ではない。いわんや「潰(つぶ)れる大学」「大学の生き残り策」といった類の「読み物」ではない。[2]は、大学改革における論点を整理し、あるべき姿を追求するための見取り図を提示する、総合的で本格的な「大学論」である。「教育は、消費者が欲するものを提供するサービスではなく、何を欲するべきかを考える力を与えるための営みである」(248ページ)。大学に求められる機能(大学の存在意義)は、民主主義的な市民社会を支えるために、「さまざまな問題について、その背景を知り、前提を疑い、合理的な解決を考察し、反対する立場の他人と意見のすり合わせや共有を行う能力」(148ページ)、「正しく考え、議論し、他人と意見を共有する技能」(221ページ)を育成する(習得させる)ことである。留意すべき言説である。
〇[3]は、そのタイトルから「マニュアル本」と思われるが、民主主義の思想や歴史、民主主義国家の形成やあり方などにも言及する学術書(「人文書」)である。そこでは、人々の対話を阻(はば)み、人々を分断させている日本社会の現状分析を通して、「対話による合意形成」の重要性が一貫して主張される。その論述に関して山口は自らを、「意地の悪い揚げ足取り」(159ページ)「へそ曲がり」(161ページ)などと言うが、そこに批判性やオリジナリティがあり、また[3]の魅力(“面白い”)のひとつがある。

〇本稿では、「まちづくりと市民福祉教育」にも通底する(使える)、[3]における山口の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

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対話のねらいは合意形成と妥当な結論の発見にある
対話は、立場や意見を異にする人と話しあい、互いに納得できる合意点を見つけることである。対話は、相手の立場を理解し、多面的な見方を知ることで、妥当な結論を出すための方法である。対話は、憶測や思いつきではなく、客観的な根拠にもとづいて進めなくてはならない。対話は、自分と相手を成長させ、人と人とをつなぎ、ひいては民主的な社会全体を支えるのである。(はじめに、263ページ)

民主主義の本質は対話であり多数決ではない
民主主義とは対話である。民主主義の本質は多数決でなく、すべての人が対等な立場で自分の意見を根拠づけて主張し、討議し、お互いに納得できる合意点を探るところにある。多数決は、合意を形成するための手段の一つに過ぎない。無造作な多数決は、「多数派の専制」とほとんど同義である。それは、少数者の権利を侵害することになる。民主主義は、共同体のメンバーの人権を保障するための制度である。(40、51、116ページ)

民主主義はすべての市民が賢くなることを要求する
民主主義を支える一般市民は、対話に先立ってあるいは対話の過程で、普段から自分の思考力を鍛えるべく、努力する必要がある。それは、一面的な感情にとらわれない、多面的なものの見方や論理的な思考(「人間の日常生活における論理的思考」「日常的思考」)である。民主主義とは、すべての市民が賢くならなければならないという、無茶苦茶を要求する制度である。大学やその他の教育機関は、その無茶苦茶を実現するために存在しているのである(47、117、146ページ)

一般意思は多数派の意思ではなく理性によるものである
「一般意思」とは、「多数派の意思」ではなく、「実際にメンバー全員が持っている意思」でさえない。それは、「論理的に考えて共同体を設立し維持するために必要な条件」であり、各人に理性(論理的思考力)があれば、メンバー全員がこれを意思するはずのもの(「論理的思考力がある人間なら誰しも納得するはずのもの」)である。その点で、「一般意思」は基本的人権と表裏一体であり、それをお互いに守ることが「一般意思」である。(65、67、107ページ)

権利は義務の対価ではなく義務を伴わない
基本的人権(自由権、平等権、社会権、参政権など)とは、人間が人間らしく生きていくために不可欠のものであり、義務を伴うものではない。「権利」(ライツ:rights)の対義語としての「義務」(デューティ:duty)は、「誰かから要求されたわけではなく、人として当然果たすべきこと」である。「ライツ・アンド・デューティズ」と言えば、「人間として当然要求できることと、人間として当然果たすべ

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きこと」という意味であり、「権利は義務の対価」という意味ではない。ライツとデューティは、表裏一体の「人間として当然のもの」である。人権とは、国家権力が課した「義務」(オブリゲーション:obligation)を果たしたことの対価として、国家権力から恵与されるものではない。(76、77、78ページ)

「人それぞれ」は対話を拒み連帯を妨げる
最近の風潮として、「人それぞれ」が蔓延(まんえん)している。「人それぞれ」という言葉は、相手(個性)を尊重するかのようであるが、他人の意見をよく聞かずに切り捨てる言葉である。それは、人々に対話を拒否させて合意形成をしない、人々の連帯を妨げるものであり、民主主義社会の根幹を掘り崩してしまいかねない。民主主義の理念とは、他人と協力することで、一人で生きていくよりも安全で快適に生きていくことである。そのために、自分たち自身で妥当なルールを決め、それを共有することである。(137、155、156ページ)

個性の尊重は微妙な差異の競い合いにすぎない
「個性重視」をめぐって、「みんなちがって、みんないい」(金子みすず:私と小鳥と鈴と)というフレーズや、「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」(槇原敬之:世界に一つだけの花)という歌詞を見聞きする。多様性を尊重することは重要である。「個性」や「その人らしさ」は、個人の属性ではなく、個人間の関係性である。また、それは、成長する過程で、社会に流通している既存の価値観を選択することで形成されるものである。「もともと特別」などということはない。「個性」や「その人らしさ」は千差万別というよりは、社会的に許容可能な範囲内での変異に収まる。それゆえ、「個性」や「その人らしさ」の尊重とは、ある許された範囲内での微妙な差異の競い合いということになる。(162、163
ページ)

真の道徳教育は対話の教育である
現在、社会全体が「感情」や「思い」を尊重し、「心」を重視する方向に進んでいる。感情は個人的で、その人の立場に依存するものであり、誰しもが認める「正しさ」の根拠とはならない。共有できる「正しさ」は、感情ではなく、客観的な事実と合理的な予測にもとづいた対話によって作っていかなければならない。また、「思い」は、強いことが評価される傾向にあるが、強ければよいというわけではない。「何を思うか」のほうが大切である。そして、「心」が重視されるなかで、(内発的な動機が無視され)特定の徳目(道徳内容)を押しつけ、刷りこむ道徳教育が推進されている。徳目を覚えたからといって、その徳目を実践できるとは限ら

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ない。徳目の一方的な刷りこみそのものが、非道徳的である。道徳教育にとって重要なことは、「正しさ」(何が正しいことか)を判断する能力や技術を身につけることである。それは対話の能力であり、「対話の技術」である。(173、264、267、274ページ)

〇ところで、[3]で山口は、「ネットで一番ヒットするのは『普通の人』の意見」という見出しの一節で、次のように述べている。「ネットで情報発信するためには何の資格も学識もいらないので、ネット上のサイトや掲示板には、憶測や妄想にもとづくいい加減な記述があふれかえっている。パソコンの画面に表示されたからといって、それは権威あるものではなく、その辺の居酒屋での世間話や、個人の思いをつらねた日記などと同等の信用性しかないものが大部分なのである」(237~238ページ)。
〇また、社会学者の宮台真司(みやだい・しんじ)も、『まちづくりの哲学―都市計画が語らなかった「場所」と「世界」―』(ミネルヴァ書房、2016年6月)という本のなかで次のように述べている。 「ネットが同じ穴のムジナだけが集う<劣化空間>を提供する。<劣化空間>でつけあがる輩(やから)が、電子掲示板や、ブログのコメント欄や、ツイッターなどのSNSを、炎上させる。<劣化空間>は『馬鹿にとっては逃避先』であるが、『馬鹿でない人々にとっては真っ先にそこから逃げ出したい場所』である。ネット上では、見識の深い作家や批評家の発言と、劣化した人々の発言とが、等価になる。そうしたコミュニケーション空間では、見識の深い作家や批評家から順番に退却していく道理である」(51ページ、要約)。
〇筆者はこれまで、ブログ(「市民福祉教育研究所」)を通して、「まちづくりと市民福祉教育」に関する議論のための素材や情報の提供によるひとつの「問いかけ」を行なってきた。その際、「知識は体系になって、はじめて力を発揮するのであって、断片の寄せ集めは単なる雑学である」([3]228ページ)こと、すなわち知識や情報の構造化・体系化が厳しく問われることについては、多少なりとも留意してきた。しかし、“多少”では困るのである。ここで改めて、肝に銘じておきたい。

補遺
山口は[3]で、「対話の技術」(どのように対話すればよいのか)について、その要点を次のように「まとめ」ている(259~260ページ)。
①自分から見て、どんなに不正だと思える相手についても、その人なりの立場や感情があるはずなので、まずはそれを理解しようとすることが大切である。
②それから、問題となる事態を具体的に特定し、それが事実に反する思いこみや、中身のない言葉だけのものではないかを検討する。

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③人間の思考にはバイアス(偏り)がかかっていることを自覚する。
④自他の要求を明確化することで、争点を明確化する。
⑤要求が、事態の改善につながる因果関係を持っているかどうかを検討する。
⑥相手の思考の体系を理解したうえで、その問題点を指摘し改善策を提示するような建設的な質問をする。
⑦自分自身の立場を反省する。
⑧事実認識を共有する。そのためには、ネット情報に頼らず、学術的な研究や一次資料を確認する。
⑨共有されている価値観を確認し、価値観同士が両立しえない場合には、どの程度のところまでが許容範囲なのかについて合意形成する。現実をその許容範囲に収束させるための適切な手段を検討する。

 

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07/「共感には善玉と悪玉がある」ということ
             ―ポール・ブルーム(心理学者)から学ぶ―

「共感には善玉と悪玉がある」
「共感は道徳的指針としては不適切である」
「私たちは(共感の時代ではなく)理性の時代に生きている」(ブルーム)

〇筆者は、ポール・ブルーム(Paul Bloom、アメリカ・イェール大学心理学教授)著/高橋洋訳『反共感論―社会はいかに判断を誤るか―』(白揚社、2018年2月。以下[1])を読んだ。それは、いま社会的風潮として(福祉教育の世界においても)「共感」や「共生」、とくにその「心」が強調されるなかで、いかにして「感情」(「共感」)と「理性」のバランスをとるかが問われている、という認識に基づいている。筆者は、「共感」と「理性」にはそれぞれ限界があり、その両者の漸進的な共働によってよりよい“まちづくり”を進めることができる(進めなければならない)、と考えている。
〇ブルームによると、「共感」(empathy)は「情動的共感」と「認知的共感」に分けられる。「情動的共感」は、「他者が感じていると思しきことを自分でも感じること」すなわち「他者の経験を経験する」(10ページ)という意味での共感(感情的な働き)である。「認知的共感」は、「他者の心のなかで起こっている事象を、感情を挟まずに評価する能力に結びつけてとらえる」(25ページ)という意味での共感(理性的な働き)である。ブルームは、前者の情動的共感に反対し、後者の認知的共感を評価する。「共感には善玉と悪玉がある」(20ページ)。「共感(情動的共感)は愚かな判断を導き、無関心や残虐な行為を動機づけることも多い」(9ページ)。「共感は道徳的指針としては不適切である」(9ページ)。「私たちは(共感の時代ではなく)理性の時代に生きている」(19ページ)、別言すれば“他者を思いやる善き人になりたいのなら、あるいは世界をもっとよい場所にしたいのなら、理性を行使すること(理性に基づく判断や行動)が重要である”(9ページ、第6章)、などがブルームの主張である。
〇ブルームは、[1]の要点について次のように簡潔に述べている。

共感とは、スポットライトのごとく今ここにいる特定の人々に焦点を絞る。だから私たちは身内を優先して気づかうのだ。その一方、共感は私たちを、自己の行動の長期的な影響に無関心になるよう誘導し、共感の対象にならない人々、なり得ない人々の苦難に対して盲目にする。つまり共感は偏向しており、郷党性(きょうとうせい。同郷のよしみ)や人種差別をもたらす。また近視眼的で、短期的には状況を改善したとしても、将来悲劇的な結果を招く場合がある。さらに言えば数的感覚を欠き、多数より一人を優先する。かくして暴力の引き金になる。身内に対する共感は、戦争の肯定、他者に向けられた残虐性の触発などの強力な要因になる。人間関

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係を損(そこ)ない、心を消耗させ、親切心や愛情を減退させる。(17ページ)

〇この「要点」の理解を深めるために、ブルームの「反共感論」の論点や言説について、その一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

共感のスポットライト的な特質――共感はその射程が限定的であり、数的感覚を欠いている
●私たち人間にとって、共感はスポットライトのようなものである。つまり、焦点が絞られ、自分が大切に思っている人々は明るく照らし出し、見知らぬ人々や、自分とは違う人々や、脅威を感じる人々はほとんど照らし出さないスポットライトなのだ。
共感は、大勢の人々が関わる問題に直面すると黙して語らず、共感は大勢よりたった一人を重視するよう私たちを仕向ける。
共感は、特定の個人ではなく統計的に見出される結果に対しては反応を示さない。(45ページ)
スターリンは、「一人の死は悲劇的だが、100万人の死は統計的だ」と述べたと言われている。またマザー・テレサは、「大衆を見ても、私は決して行動しないでしょう。でも、一人を見れば行動します」と言った。道徳的判断において数の重要性が認められるのなら、それは理性のゆえであって感情のゆえではない。(112ページ)
●共感を含めた他者に対する反応は、既存の偏見、嗜好(しこう)、判断を反映するものである。この事実は、共感が無条件に私たちを道徳的にするわけではないことを示す。(88ページ)
●スポットライトの問題の一つは、焦点の狭さだ。またもう一つの問題は、向けた場所しか照らし出さないことである。だからバイアス(偏った見方)の影響を受けやすい。(112~113ページ)
●スポットライト的な性質のゆえに、共感はバイアスの影響を受けやすい。また、焦点の狭さ、特定性、数的感覚の欠如という特質を持つがゆえに、自分の注意を惹くもの、人種の好みなどの影響をつねに受けている。私たちが少なくともある程度の公平さや公正さを保てるのは、共感の作用から免(まぬか)れ、規則や原理、あるいは費用対効果の計算に依拠した場合に限られる。(119ページ)

共感と思いやり――共感と思いやりは独立しており、ときには対立することさえある
●心理学者のヴィッキー・ヘルゲソンとハイディ・フリッツは、「他者に過剰に配慮し、自分のニーズより他者のニーズを優先する」ことを「過度の共同性」(unmitigated communion)と呼んだ。(165ページ)

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「共同性」(過度なタイプではなく適切な共同性)が高い人と、「過度の共同性」が高い人の違いはどこにあるのか? どちらのタイプの人々も、他者を気づかう。しかし「共同性」が、配慮や思いやりとも呼べるものに対応するのに対し、「過度の共同性」は共感、もっと正確に言えば共感的苦痛(empathic distress)、つまり他者の苦しみに苦しむことにより強く結びついている。
私は、「過度の共同性」の高さが、共感力の高さとまったく同じであるとは思っていない。とはいえそれらのいずれも、他者との関わりという点では、同じ根本的な脆弱性をもたらす。自身の生活を阻害する過剰な苦痛を本人に引き起こす。(167~168ページ)
●共感と思いやり(compassion)の区別は、非常に重要である。(中略)あるレビュー論文のなかで、神経科学者のタニア・シンガーと認知科学者のオルガ・クリメッキは、この区別について次のように述べている。「共感とは対照的に、思いやりは他者の苦しみの共有を意味しない。そうではなく、それは他者に対する温かさ、配慮、気づかい、そして他者の福祉を向上させようとする強い動機によって特徴づけられる。思いやりは他者に向けられた感情であり、他者とともに感じることではない」。(170ページ)
「感情的な共感は、思いやりの前駆である」「最初に情動的共感を覚えない限り、思いやりを感じることはできない」と主張される。
私たちは一般に、日常生活で情動的共感を特に覚えなくても他者を気づかったり手助けしたりしていることを考えてれば、これらの主張は理解しがたい。(中略)思いやりや親切心は共感から独立しているばかりでなく、それと対立することさえあり、共感感情を抑えたほうが人はより適切に振舞える場合がある。(174ページ)

暴力・残虐性と共感――暴力と残虐性の要因は必ずしも「共感の欠如」ではない
●暴力行為にはさまざまな原因があり、私は犠牲者の苦難に対する共感が、それ以外の原因より重要であると言い張るつもりはない。しかし共感は暴力と無関係ではない。ヒトラーがポーランドに侵攻したとき、彼を支持したドイツ人は、ポーランド人による同胞のドイツ人の殺害や虐待のストーリーに激怒していた。(234ページ)
私は平和主義者ではない。無実の人々の苦難は、アメリカが第二次世界大戦に参戦したときのように、場合によっては軍事介入を正当化すると、私は考えている。それでもやはり、共感は暴力行為を選好する方向へと、あまりにも強く人々を傾(かたむ)かせると言わざるを得ない。共感は私たちが戦争の恩恵を考慮するよう仕向ける。それを通じて被害者のために復讐し、危機に直面している人々を救い出させようとする。(235ページ)

感じることと考えること――「共感」に代わる道徳的指針・行動基準は「理性」である
●情動の本性が過大評価されている。私たちは直観力を備える一方、それを克服する能力(理性的熟慮の能力)を持つ。道徳問題を含めものごとを考え抜き、意外な結論を引き出すことができるのだ。ここにこそ人間の真の価値が存在する。この能力

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は、人間を人間たらしめ、互いに適正に振舞い合えるよう私たちを導いてくれる。そして苦難が少なく幸福に満ちた社会の実現を可能にする。(14~15ページ)
善き行ないには、あらゆる種類の動機が存在する。それには、より包括的な関心、思いやりなどがある。(中略)また、名声に対する関心、怒りの感情、プライド、罪悪感、信仰、世俗的な信念体系などがある。私たちには、正しい行ないを動機づける要因として、あまりにも性急に共感をあげる傾向があるようだ。(126~127ページ)
善き人であるためには、他者への気づかい、すなわち他者の苦しみを緩和し、世界をよりよい場所にしようとする心構えと、何が最善かを見極められる理性的な能力の組み合わせが必要である。(127ページ)
●「私たちは共感をはじめとする直感の影響を受けても、その奴隷ではない」。開戦するか否かを決定する際に費用対効果分析に依存する、あるいは自分の子どもに愛情を注ぎ、赤の他人には特に何も感じなくても、彼らの命も自分の子どもの命と同じく重要であることを認識するなど、私たちはもっとよいことができる。(258ページ)

〇本書の原題は、“Against Empathy”(2016)である。「反共感」には一瞬ギョッとするが、ブルームは、“Empathy Is Not Everything”(「共感がすべてではない」)、“Empathy Plus Reason Make a Great Combination”(「共感と理性は偉大な組み合わせをなす」)などといったタイトルでも構わなかった、という。「自立」やそのための「自己決定」「自己責任」が強調される現代社会において、“共感の欠如”、したがって“共感性の強化”“共感力の育成”こそが最大の課題である、と言われる。それは、「共感」が無条件に肯定されていることにもよる。しかし、ことはそれほど単純ではない。「私は共感に反対する」というブルームの「具体的な見解に賛成するにせよ反対するにせよ、情動的に反応するのではなく、それについて理性的に考察し皆で議論することが肝要である」(「訳者あとがき」302ページ)。まさにそれが[1]でブルームが説くところである。ブルームの「反共感論は理性の存在を前提とする」(258ページ)。留意したい。

 

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08/「分解」と「再生」
                 ―藤原辰史(農業史)と猪瀬浩平(文化人類学)から学ぶ>―

〇母は、小さくなったセーターの毛糸を解きほぐし、それを洗い、ほかの毛糸を足して新しいものに編みなおしてくれた。その際、母は、きれいになった毛糸を大きい輪に巻いた「かせ」を私の両手にかけさせ、毛糸玉を作った。それから、棒針(ぼうばり)を巧みに動かして編み始めるのである。毛糸玉を作るときは、母と私は向き合って座っていた。その間は1メートルほどであったろうか。その時間は、外では雨が降り、百姓仕事ができない日であった。明日も雨が降ってほしいと願ったことを覚えている。
〇そんなことを思い出させてくれたのは、藤原辰史(ふじはら・たつし、京都大学、専門は農業史、食の思想史)の『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考―』(青土社、2019年7月、以下[1])である。
〇藤原はいう。サケは、北太平洋を2、3年回遊し、産卵のために再び故郷の川に戻る。衰え、傷ついたサケは、クマやカワウソ、カモメ、そして無数の森の生きものたちに自身の肉体を提供する。とくに微生物たちの餌(えさ)となって、土壌を肥やし、植物を繁茂(はんも)させ、新しい生命がよりよく育つ環境づくりに貢献する。こうした生態系の物質循環において、サケは「自己分解者」であり、生態学でいう「分解者」の一員でもある。さらに、「サケの老化現象もまた分解現象の一部ということ」ができる(258ページ)。
〇自然界における物質の循環(分解作用)は、人間界でも一般にみられる現象である。「空き瓶回収、古紙回収、鉄屑回収を担う会社はもちろん、賞味期限間際の食料を安価に、あるいは無料で貧困者に配る団体も、家畜の糞尿を土壌に戻す農業従事者も、古くなった家具、電化製品、本を売るリサイクルショップも、茶器、掛軸、絵画などを売る古物商も、分解を担う人間であり、人間である以上例外なく生物であるゆえに分解者と呼んでも間違いではない」(172ページ)。ただ、人間社会における「分解者」(たとえば落穂拾い、屑拾い、修理屋、廃品回収、牛馬の死体の処理、ごみ収集にいたるまで、素材を再利用できるまでに加工し尽くす存在など)は、「社会的にタブーとされてきた歴史的経緯もあってあまりにも軽視されている」(24ページ)。
〇いずれにせよ、藤原にあっては、「分解」とは「壊しすぎないようにした各要素を別の個体の食事行為やつぎの何かの生成のために保留し、それに委(ゆだ)ねることであり、それゆえ分解は、各要素の合成である創造にとって必須の前提基盤である」(317~318ページ)と定義づけられる。この定義には、次のような考えが包含されている。「(子どもの積み木遊びのように)積み上げることは崩(くず)すという前提のうえに成り立つ」、「分解するまでならば再利用できるが、粉々に粉砕すると再利用できない」、「(サケがクマ、カモメ、そして微生物の餌になるように)分解は個体を移動する作用である」、「死は生に属するのではなく、生は死

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に属する」、「解く(とく、ほどく)ことは結(むす)ぶこと、始まることの前提であり、分解は時間の始まりである」(317ページ)などがそれである。冒頭に記したセーターの編みなおしは、「分解と再生」の作業である。
〇藤原は、この生態学的な「分解」(decomposition)と「分解者」(decomposer)を中心概念として位置づけ、大量生産・大量消費・大量廃棄などの現代社会について人文科学的に、そして歴史(学)的視点から思考する。ここで、次の一節をメモっておく。刺激的である。

作る、生産する、積む、上げる、重ねる、生み出す、というふうに、私たちは、基本的に足し算や掛け算の世界を生きている、と思わされている。キャリアアップすることも、教養を身につけていくことも、自分を「形成」することだと思い込んでいる。子どもを産むことも、作物を育てることも、ほかならぬこの本を書くことも、「生産」と言われ、映像を制作したりゲームをプログラムしたりする人のことをクリエーターと呼ぶこともある。ナチズムもスターリニズムも資本主義は批判したが、生産そのものを批判はしなかった。どの国も生産量を分析し、国内総生産(GDP)の順位に一喜一憂しているうちに、その国の活性度の尺度と思い込まされている。年は重ねるもので、経験は積まれるものだと思われている。
けれども、宇宙がそうであるように、タネの殻が突き破られて芽が出るように、卵が破られて幼虫が顔を出すように、破水してから子宮に格納されていた子どもが外の世界へ向けてじりじりと産道を押し進むように、私たちの暮らす世界は、破裂のプロセス、すなわち分解のプロセスのなかを生きているにすぎず、そのなかにあって何かを作るのは、分解のプロセスの迂回もしくは道草にすぎず、作られたものもその副産物にすぎない。受精卵は、一個の細胞をつぎつぎに分裂させながら成長し、赤子は、垢(あか)も体液も糞尿も地に落としながら肉体崩壊へ向かう旅への門出をみなから祝福されている。生まれたときにはすでに分割と崩壊に向かっている、というよりは、分割し崩壊し始めることを生まれるというのではないか。つまり、私たちは足し算や掛け算というよりは、引き算であり割り算の世界を生きているのではないか。(28~29ページ)

〇要するに、人間社会はこれまで、「生産」「構築」「拡大」という価値観のもとに形成され、発展してきた。しかし、そもそも人間社会は、「生産」「流通」「消費」そして「廃棄」だけではなく、「分解」と「再生」を含んだシステムとして成り立っている。たはえば、資本主義の構造的矛盾が資本主義を終わらせるのではなく、資本主義を再生し強化してきたようにである。とりわけ「消費」と「分解」は分かち難い連続性のなかにある。現代社会において活性化すべきは、「生産」のプロセスではなく、「分解」のプロセスである。藤原の言説のうちで特筆すべき点である。

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〇ところで、藤原の[1]と併読することが求められるものに、猪瀬浩平(いのせ・こうへい、明治学院大学、専門は文化人類学、ボランティア学)の『分解者たち―見沼田んぼのほとりを生きる―』(生活書院、2019年3月、以下[2])がある。[2]は、埼玉県南部に広がる農的緑地空間である「『見沼田んぼ』と周辺地域の歴史を深掘りしながら、様々な存在の蠢(うごめ)きと、そこで起きる軋轢(あつれき)や拮抗(きっこう)、浸透、相互作用、すれ違いを描い」た論文とエッセイから成るものである。「そこには障害のある人の歴史もあり、そして野宿している人や、在日朝鮮人もいる」(381ページ)。
〇また、[2]は、「見沼田んぼ福祉農園」(1999年5月開園)の営農活動や「わらじの会」(1978年3月結成)による障がい児の「普通学級就学運動」(「共育共生運動」)などに取り組んだ猪瀬とその家族(両親、兄妹)の「地域と闘争(ふれあい)」(197ページ)の本でもある。「地域と闘争(ふれあい)」は、横田弘の「障害者と健全者との関り合い、それは、絶えることのない日常的な闘争(ふれあい)によって、初めて前進することができるのではないだろうか」(横田弘『障害者殺しの思想』JCA出版、1979年1月、104ページ)から引いたものである。
〇周知の通り、横田(1933年~2013年)は、「日本脳性マヒ者協会『青い芝』の会」の神奈川県連合会会長を務め、1970年代~80年代の障がい者運動を牽引した人(「分解者」)である。横田は、「何故、障害者児は殺されなければならないのだろう。/なぜ、障害者児は人里離れた施設で生涯を送らなければならないのだろう。/何故、障害者児は街で生きてはいけないのだろう。/ナゼ、私は生きてはいけないのだろう。/社会の人々は障害者児の存在がそれ程邪魔なのだろうか」(『同上書』6ページ)と問い続け、「健全者社会」に鮮烈な批判を繰り広げた。
〇ここで、「相模原障害者施設殺傷事件」(2016年7月)のことが思い起こされる。事件はすでに風化し、障がい者に対する人間社会の偏見や差別は何も変わっていない。横田は、(福祉教育を説く)われわれになんと言うだろうか。とりわけ、情緒的な「ふれあい」と市民・社会運動としての「闘争」について、である。
〇なお、[2]では、言葉だけでなく、写真(森田友希)を組み合わせた表現がなされている。それによって、「ここではないどこか、いまではないいつかとつながる世界観(イメージ)」(「帯」)を紡ぎ出している。その地域で、その時、「私とあなたの生きる場所は地続きになる」(381ページ)と猪瀬はいう。留意したい。
〇上述の藤原は[1]で、猪瀬の言説について「障害者たちが、普段ならまったく気づかない完璧でスマートな社会を、脈絡なく大声をあげたり、渋滞のなか車椅子でゆっくり道の真ん中を進んだりして、その凝(こ)りをほぐしていくことを『分解』と呼んだ」(36ページ)と解く。それに関する猪瀬の言説の一節をメモっておく。まちづくりや市民福祉教育に求められる視点でもある。

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人間は本来「生産」、「消費」、「分解」といった多面的かつ重層的な役割をもつ存在であるが、生産→消費という流れが極大化するなかで、分解の過程は見えにくくなる。そして、たとえば障害者のように、生産→消費の過程から排除された存在が出てくる。現在は、農福連携のように、排除された存在を再び「生産→消費」に包摂する議論があるが、分解という側面から個人の尊厳や、生活基盤を回復する議論は乏しい。分解という側面で、排除された存在を考えることが、今後の社会をめぐる議論に不可欠である。(388ページ)

〇猪瀬は、「分解者」と呼ばれるミミズやダンゴムシになぞらえながら、「とるに足らない」とされてきた・されている者たちが地域社会を細かく解きほぐし、豊かに編みなおす思想や運動の重要性を実証的かつ歴史的に説く。そこには、「多様性」というひとつの流行(はや)り言葉や「地域共生社会」という口当たりの良い言葉、「思いやり」といった観念的な言葉はない。あるのは、厳しい歴史のなかを生き抜いた・生きている「分解者たち」についての確かな思考と、「私たちが、如何に雑多な存在と共に生きていけるのか、そのための思想」(15ページ)である。

 

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09/社会的処方とリンクワーカー
           ―西智弘(緩和ケア内科医)から学ぶ―

〇筆者の手もとにいま、「オモロイ」(面白い)本がある。西智弘編著『社会的処方―孤立という病を地域のつながりで治す方法―』(学芸出版社、2020年2月。以下[1])がそれである。西知宏(にし・ともひろ)は緩和ケア内科医である、そのことが先ず驚きである。
〇[1]でいう「社会的処方」(social prescribing)とは、社会的孤立という現代病を、薬と同じように、「地域とのつながり」を処方することによって治すひとつの方法である。具体的には、「地域における多様な活動や文化サークルなどとマッチングさせることにより、患者が自律的に生きていけるように支援するとともに、ケアの持続性を高める仕組み」(25ページ)をいう。それは、「医療者だけの仕組みではない。市民一人一人が、お互いに支え合い、地域で元気に暮らしていくための仕組み」(11ページ)である。すなわち、「市民活動が誰かの薬になるらしい。それなら100歳まで生きてみたい」(山崎亮:[1]「帯」)と思わせる活動であり、仕組みである。[1]では、社会的処方の基本的な考え方について説述し、社会的処方が制度化されているイギリスや各地に広がりつつある日本の実践事例を紹介している。本書は一言でいえば、社会的処方に向けた啓発書である。
〇社会的処方に欠かせない存在に、「リンクワーカー」(Link Worker)と呼ばれるヒトがいる。そのヒト(職種)が社会的処方の要(かなめ)となる。リンクワーカーは、「社会的処方をしたい医療者からの依頼を受けて、患者や家族に面会し、社会的処方を受ける(処方先の)地域活動とマッチングさせる(つなげる)」(51ページ)のが仕事である。イギリスでは、1980年頃から各地で取り組みが始まり、主に非医療者がその仕事を担ってきている。そして、リンクワーカーは、研修を受けてある程度の支援スキルを認定され、フォローアップを受けながらそのスキルを維持している。
〇日本ではまだ、「リンクワーカー」は馴染みのない言葉である。リンクワーカー的な存在として、地域包括支援センターや社会福祉協議会、ボランティアセンター、保健所などのソーシャルワーカーやケアマネジャー、コーディネーター、民生委員・児童委員などを想定しておきたい。なお、京都府では2015年度に「認知症リンクワーカー」制度を設け、その養成・研修に取り組んでいる。
〇[1]から、社会的処方の基本理念について、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは一部筆者)。

「マイナスをプラスにするのではなく、プラスをダブルプラスへ」というアプローチ
社会的処方は人を「健康な状態にすること」を目的にするのではない。/「健康」というものはそもそも、人が幸せに生きていくための手段であって、それが目的と

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なるべきものではない。WHO(世界保健機関)が定義する「健康」すなわち「身体的(肉体的)、精神的及び社会的に完全に良好な状態」ではなくても、その人が幸せに生きる方法はある。社会的処方は、それぞれの身体的・精神的・社会的に不完全な部分を埋めて、完全な状態にするためのアプローチではない。むしろ、人がもつデコボコをありのままに生かし、生きがいに注目し、幸せを追求していくためのアプローチだ。マイナスをプラスにするのではなく、プラスをダブルプラスにしていく(アプローチである)。(40、41ページ)

「どんな人でも地域をよくする能力・知識・技術を持っている」という信念
(イギリスにおける社会的処方のパイオニアのひとつは、1984年に設立されたコミュニティセンターの「ブロムリ―・バイ・ボウセンター(Bromley by Bow Centre:BBBC)」である。)BBBCの基本思想としてまず押さえておきたいのは、「Asset Based Community Development:ABCD」という考え方だ。地域を「解決すべき課題の塊(かたまり)」ではなく「解決手段のための資源に溢(あふ)れたエリア」と捉え、住民が主体となって課題に取り組む参加型プログラムのこと。基盤にあるのは「どんな人でも地域をよくする能力・知識・技術を持っている」という信念。たとえば「貧しい人がいる」場合、問題なのは人ではなく「貧困があること(状況)」。それに対応し解決に向く力をつけるものはなにか? という考え方になる。/そして、地元住民とのパートナーシップを築きつつ、“right for me or other people”(私にとって正しいことなのか、他の誰かにとって正しいことなのか)を考えることが大切。どうやって住民とつながりを持つか? を考えたときに、こういった考えに基づいて多様な人が「いつでも来られる場」があることは大きい。(57、58ページ)

「自分にはできないけど、できる人は知っている」という価値
これまでも、日本では「近所のおせっかいおばさん」や「町内会長的な地域の顔役おじさん」などが、その地区の地域資源を把握し、困っている人を見つければ世話をやいたりということが普通に行われてきた。「自分にはできないけれど、できる人は知っている」というのは大きな価値だ。/日本においてリンクワーカーを養成するときに、「制度にするのか、文化にするのか」というのは悩ましい問題だ。「制度にする」というのは、イギリスのように研修システムと資格の認定を行って、その資格をもった人を中心に社会的処方を進めていくという考え。一方で、「文化にする」というのは、リンクワーカーのコンセプト(基本的な考え方)、心構えやスキルを広く共有し、できる人ができる範囲でやっていこうという考え。/「リンクワーカーらしさ」は、「人と地域に好奇心を持ち続ける」ことにある。/日本に広めていきたいのは、「文化」としてのリンクワーカーである。まちにいる誰しもが、つなげるときにつなげる範囲でつないでみる。まちのみんなが「リンクワーカー的」にはたらく社会だ。(63~64、66、70ページ)

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〇岡らにあっては、社会的処方を有効なものにするためには、リンクワーカーに4つの「スキル」が求められる。①聴く(「おばちゃん力」で入り込む)、②経験を宝にする(どんな経験もだれかの「オモロ」になる)、③笑わせる(嬉しい・楽しい・ふるえる)、④つなげる(おせっかいは大切に)、である(71ページ)。それを別言すれば、温かい雰囲気のなかで相手の話に耳を傾け、いろいろな経験に何らかの面白さを見出し、それをお互いが柔軟に受け止めて楽しみ、豊かなおせっかいをしてつなげる(仲介・調整)、というスキルである。
〇そして、その社会的処方の基盤を成す「哲学」として、岡らは次の3点を指摘する。

●まちのなかで暮らしている一人一人の存在そのものが価値であり、宝であり、それは「オモロ」につながっているということ。
● 障害や病気があってもなくても、一人一人がやりたい小さなことを気軽に口に出すことができ、それを「いいね!」と応援してくれる人たちがいる環境が大切だということ。
● まちのなかで皆が、自分なりの表現に没頭、熱中して取り組んでいく中で、結果的に多世代が交流し、つながっていくのだということ。(211ページ)

〇ここで、社会的処方についての理解を進めるために、7つの事例についてその概要を紹介しておくことにする。

●横浜市の「Co-Minkan」(こうみんかん)/Co-Minkanは私設公民館であり、地域の人たちが「つどう」「まなぶ」「むすぶ」「まちの茶の間」である。そこでは、専門家主導型ではなく、生活者主導型の「教育ならぬ共育」が行われている。
● 兵庫県・豊岡市の「モバイル屋台de健康カフェ」/医者が屋台を引いて街に繰り出し、コーヒーを配る。そこでは、世間話の延長戦上で健康相談にのることができ、屋台という装置が地域のつながりの場(「小規模多機能な場」)にもなっている。
● 福井県・高浜町の「愛煙家座談会」/座談会のスタンスは、「禁煙を促す」というものではなく、「禁煙を否定せず、喫煙を通じて健康を考え直すきっかけを提供する」というものである。「愛煙家登山」で、山頂で吸う一服は「この上なくおいしい」という。
● 京都市の「京都ソリデール」/高齢者と学生がひとつ屋根の下で暮らす次世代下宿・異世代ホームシェアである。そこでは、「若者が高齢者を支え」「高齢者も若者を支えている」という関係性がつくられている。「ソリデール」とはフランス語で「連帯の」を意味する。

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● 川崎市・武蔵小杉の「こすぎナイトキャンパス」/「本を読んでこなくてもいい」という読書会である。「本をネタにして、自分が話したいことを話す」、「本」を媒介にして本と人、人と人、新しい出会いをつくっていくことをめざしている。
● 横浜市の地域活動支援センター「ひふみ」の「アーティストとともに過ごす時間」/センターの利用者が主体になって、地域に暮らす精神障害のある人たちとともに、ミュージカルなディスコを企画・実施する。福祉イベントだから、「このくらいでいいか」という妥協はそこにはない。
● 岐阜県・可児市の「文化創造センターala」/市民が抱える生活課題や社会的課題を解決するために、「アートを通じた体験の機会」を多様に提供している。「問題校」と呼ばれた高校で演劇表現ワークショップに取り組み、それによって生徒の自己肯定感が育ち、高校での問題行動も減少している。

〇周知のように、貧困や生活環境が健康や疾病に作用する。社会・経済格差が健康格差をもたらす。これを別の観点から言えば、以上の言説は、WHOが主導する「健康の社会的決定要因」(Social Determinants of Health:SDH)に関するそれに通じる。すなわち、SDHに対していかなる社会的処方で対応するか、が問われることになる。
〇ここで、WHOが2003年に出版した『健康の社会的決定要因 確かな事実(第2版)』(Social Determinants of Health:THE SOLID FACTS,2nd edition)が想起される。そこでは、健康の社会的決定要因として次の10項目について説明している。社会的処方についての重要な視点や枠組みを見出すとともに、その内容や方法について探究することができよう(リチャード・ウィルキンソン、マイケル・マーモット編/WHO健康都市研究協力センター・日本健康都市学会訳『健康の社会的決定要因(第2版)』特定非営利活動法人健康都市推進会議、2004年)。

1.社会格差(the social gradient)
どの社会でもその最下層部に近いほど平均余命は短く、多くの疾病が見受けられる。健康政策は健康の社会的・経済的決定要因について取り組まなければならない。
2. ストレス(stress)
ストレスの多い環境は人々を不安に陥らせ、立向かう気力をそぎ、健康を損ない、ひいては死を早めることもある。
3. 幼少期(early life)
人生の良いスタートを切ることは、母子を支援することである。幼少期の発達や教育の健康に及ぼす影響は生涯続く。
4. 社会的排除(social exclusion)
貧困の中での人生は短いものとなる。貧困、社会的排除や差別は困窮、憤(いきどお)りなどを引き起こし、命を縮めてしまう。

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5. 労働(work)
職場でのストレスは疾病のリスクを高める。仕事に対してコントロールができる人ほど、健康状態が良好である。
6. 失業(unemployment)
雇用の安定は健康、福祉、仕事の満足度を高める。失業率が高まるほど病気にかかりやすくなり、早死をもたらす。
7. 社会的支援(social support)
友情、良好な人間の社会的関係、確立された支援ネットワークにより、家庭・職場・地域社会における健康が推進される。
8. 薬物依存(addiction)
アルコール・薬物・たばこを習慣とし、健康を害してしまうのは個人の責任ではあるものの、常用に至るにはさまざまな社会的環境も影響している。
9. 食品(food)
世界の市場は食糧の供給に大きく関わっているため、健康的な食品の確保は政治的問題である。
10. 交通(transport)
健康を重視した交通システムとは、公共輸送機関の整備により自動車の利用を減らし、徒歩や自転車の利用を奨励することを指している。

〇日本政府においてはいま、「自助・共助・公助」のうち、まず自助が最優先され(「自助ファースト」)、深刻な生活課題や劣悪な生活環境などを個人が引く受けることをよしとする。すなわち、格差社会や分断社会が進み、コロナ禍の真っただなかにあって、人びとにさらなる自助や共助を促している。それは、公的責任を放棄し、人びとの善意や絆にすりかえようとするものである。
〇しかも、その善意はときに、思考停止を生み、屈辱を与える。絆は包摂と排除の二面性を持ち、解放を妨げ自由を奪う。
〇社会的処方は、人びとが抱える日常生活上の現状から問題点を抉(えぐ)り出し、その原因を明らかにし、それを解決するための対策を講じる。とともに、文化や芸術などのアートと同様に、多様で柔軟な価値観や考え方を育み、人びとの生きる力を高め、地域共生や社会的包摂を創出する。それゆえに、社会的処方は、現代の政治・経済・社会が歴史的・構造的に抱える矛盾や問題点に無関心ではいられない。
〇自助や共助についての抽象的・観念的な考えをベースに、単に生活に楽しみや生きがい、潤(うるお)いをもたらすツールとして社会的処方を捉えるとすれば、そこには必然的に“限界”や“危うさ”が生じる。限界を恐れる必要はないが、事態はそれほど甘くはない。この点に留意しながら、「お医者さんが取り組む“オモロイ”はじめの一歩」の成り行きを注視したい。

 

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10/福祉はアートであり、デザインである
           ―東京藝大と東大における体験型授業から学ぶ

〇筆者の手もとに、東京藝術大学や東京大学で中高生や社会人を対象に行なわれた体験型授業の様子をまとめた本がある。東京藝術大学 Diversity on the Arts プロジェクト編『ケアとアートの教室』(左右社、2022年1月。以下[1])と山中俊治(やまなか・しゅんじ)著『だれでもデザイン―未来をつくる教室-』(朝日出版社、2021年11月。以下[2] )、がそれである。
〇[1]は、2016年より開設された、約100人の社会人と約30人の藝大生が共に学ぶ履修証明プログラム(Diversity on the Arts Project、通称:DOOR)の講義と実践の様子(体験)を記録したものである。そこでは、「アート Χ 福祉」をテーマに、共生社会を支える人材の育成とコミュニティの醸成をめざす(2ページ)。講義で取り上げる具体的なテーマは、貧困、障害、性的マイノリティ、引きこもりなど多岐にわたる。講師もアーティストや障がい者、福祉の専門家、現代社会に生きづらさを感じている当事者など多様である。
〇DOORでの「学び」は、次のようなことを基本的な考え方(コンセプト)にする。共生社会の実現には、創造性(アート)とそれが活きる環境を耕す(cultivate)ことが重要である(4ページ)。何かを学ぶうえで、「誰と学ぶのか」、学びの対象と「どう出会うのか」が重要な要素となる(5ページ)。アート(=創造性)の領域では「個人の主観」が大切にされるが、自分の主観の深いところには他者との共通点がある。アートも福祉も、多くのひとたちとの「対話」(「創造のコミュニケーション」)や「協同」のなかで、異なった何かと自分とが融合し、変化し、豊かになっていく(7、8ページ)。すなわちこれである。
〇身近にある、状態としての多様性(diversity)に対して「想像」を巡らし、対話し、歩み寄り、見えないものを知覚することによって、共生社会の「創造」に向けて動き出す(236、238ページ)。多様性が創造性(creativity)を生み、育てるのである。
〇[1]から、「まちづくりと市民福祉教育」に関して、「気になる」あるいは「使える」論点や言説のいくつかをメモっておく(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者。見出しの後の氏名は講義者)。

アートと福祉は多様性を特性とする/日比野克彦
アートと福祉は、アプローチこそ違え、視座が「多様性」を重視しているのは同じである。多様性のある社会を築いていくためには、違いを認め合う「アートの特性」を基盤にして、そのうえに福祉や経済などさまざまなものを組み立てていくことが肝要になる。(17ページ)

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被支援者との共感不可能性を共感する/奥田知志
ホームレスなどの生活困窮者を支援する際、「大変でしたね」「わかります」というと、10人にふたりくらいは「野宿をしたこともないのに何がわかるんだ」と怒る。支援活動を行なううえでは、この「共感不可能性」を常に意識していなければならない。相手との対等性をいかに保ち、共感不可能性にどれほど共感できるかが重要となる。(40ページ)

アートは既成の価値観に異議を唱えること/久保田翠
知的障害があるひとの、「よくわからない」行為も、本人が生きるために不可欠なことであり、生きている証である。知的障害のあるひとたちの存在自体がアートであり、彼らの生き様そのものがひとつの表現である(「表現未満、」)。表現やアートはできあがった作品だけをさすのではない。知的障害のあるひとたちの存在をまるごと認め、彼らに対する見方を変えこと、すなわち既成の価値観に異議を唱えることがアートである。(59、61ページ)

ALLY(アライ)の存在は重要であるが‥‥‥/松岡宗嗣
性的マイノリティの存在は「いない」のではなく、「見えていない」のである。性的マイノリティのひとびとは、「ふつう」や「あたりまえ」とされる規範的な性のあり方の枠組みから排除されることで、さまざまなライフステージごとの困難に直面する。「ALLY(アライ)」は、「支援者」「同盟」「味方」を意味する。アライになるためには、「知る」こと、「変わる」こと、そして「行動する」ことといったステップが必要となるが、誰もが誰かのアライになれる。しかしその際の、「当事者ではないが味方」という考え方は、二項対立的な考えにつながる。「かわいそうなマイノリティを助ける」という考え方は、自分自身の差別意識を不可視化する。(85、91、98、99、100ページ)

対話がつながりの回復を図る/六車由実
介護現場では、利用者の人生や経験について話を聞くことで、彼らそのものを理解し、思い出を共有すること。それと共に、個人史からそのひとたちが生きてきた時代や地域の歴史、生活のあり方を知り、伝えていくこと、が大切となる(「介護民俗学」)。利用者同士や利用者とスタッフによる平等で開かれた「対話」によって、スタッフから利用者へという一方的な固定化された関係性が修復される。介護現場で一番大切なのは、要介護度が上がらないようにする支援(自立支援介護)ではなく、「つながりの回復」を図る支援である。つながりがあれば、老いや病、認知症で体が動かなくなったとしても、ひとは最後まで希望をもって生きていける。(123、129、131ページ)

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〇[2]は、2017年に22名の中高生に対して、山中俊治(デザインエンジニア)の研究室(東京大学生産技術研究所)で行なわれた「デザイン」に関する4日間の特別授業を再現したものである。そこでは、身の回りのものをよく観察してアイデアを生み出し、「そこに新しい価値を見出し、形に落とし込み、人に伝え、一緒に完成させていくデザイナーの営み(デザインの方法)の根幹」(5ページ)が具体的に綴(つづ)られている。山中にあってはそれは、「人間がなにかを生み出す時の普遍的な方法」(6ページ)である。また、デザインは「人工物、あるいは人工環境と人の間で起こるほぼ全てのことを計画し、幸福な体験を実現すること」(43ページ)と定義づけられる。
〇デザインは、ひとびとが日常生活上のベネフィット(benefit:利益、恩恵、便益)を得て効率よく、豊かに暮らすために、安全性や操作性、格好よさや愛着、値段などをトータルにプランニングする営為である(44ページ)。それは、感覚的なものと科学的な知識を融合する営みである。その仕事を行なうデザイナーは、それが「総合的な営み」であるという点において、映画監督やオーケストラの指揮者に近いともいえる(51ページ)。
〇[2]から、「まちづくりと市民福祉教育」に関して、「気になる」あるいは「使える」論点や言説のいくつかをメモっておく(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

サイエンスとアートとデザイン/デザインする
サイエンスとアートの目的は真理の探求にある。デザインはいつも誰かをハッピーにすることをめざす。サイエンスは、客観性を追求して記述し、検証しあって知識を共有する。アートは、主観を追求して表現し、「共感」を共有する。その共感を確実なものにするために、評論が大切な役割を果たす。デザインは、サイエンスとアートの両方の知見から得たことを統合して、安全性や操作性、格好よさなどの高いモノをつくる。(47、49、51ページ)

デザインはアイデアが命である/アイデアを出す
デザインのコアになるのはアイデアである。アイデアの本質はそもそも偶然である。アイデアのヒントはいつも観察のなかに、他人の頭のなかにある。また、知識や経験、情報のなかにある。そしてアイデアは、それらを「つなぎ替える」「つなぎ直す」ことである。要するに、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」(ジェームス・W・ヤング)。(174、186、188、190、344ページ)

スケッチを描くということ/スケッチする
スケッチを描くということは、自分が何を見て、何を見ていないかを意識することである。描くということは、そこを見ることと連動していて、見ていないところは描けないし、描く時には必ず見ようとする。私たちは注目しているところ以外を見ておらず、無意識に、全部は見ないようにしている。絵を描くことで意識的に見る

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範囲を限定したり、見る範囲を決めることができる。スケッチに全ては描かない。最も重要なエッセンスを抽出して(抽象化して)リアリティを与えるということが、スケッチの表現の根幹である。(70、71、110ページ)

デザインが社会変革を促す/未来を拓く
義足をデザインしているとき、失われた体の一部を補完するというより、新しい体を作っている感覚がある。義足は障がい者のために作ったものであるが、実は、障がい者を見る社会のほうが変わるきっかけになる。義足は大量生産ではなく、一人ひとりの切断者に合わせて、「かっこよく」「美しく」作る。一人ひとりのためのデザインが、そのものに目を向けさせ、社会の意識を変え、未来を拓く。いま、みんなのためのデザインから一人ひとりのためのデザインへと、時代は流れている。(318、320、323ページ)

〇以上を要するに(一面的であるが)、アートは、多様性にアプローチしてその異なる存在を認識し、より理解を深め、問いを投げかける(自己表現、問題提起の)営みである。デザインは、過去や「いまここ」から学び、一人ひとりに合わせたものの存在を生み出し、社会変革をもたらす(他者実現、問題解決の)営みである。その点においてアートとデザインは、「まちづくりと市民福祉教育」が内包する営みでもある。留意しておきたい。
〇前述のように、DOORでの「学び」のキーワードのひとつは、「創造性」と「多様性」である。その点に関して、重ねて次の一節を引いておく(抜き書き)。

アート=創造性は、誰のなかにでもある。ひとはどんな苦境においても、創造性を完全に忘れることはない。むしろ、そうした創造性に小さな喜びや希望を見出し、自己と向き合い、ときに他者とそれを共有することで、ひとはひとらしくあり続けることができ、「生きよう」とする思いをも強くできる。([1]3ページ)。

ダイバーシティ(多様性)をめざす、という言葉をよく聞く。しかし、多様性とは状態であり、すでに私たちの周りに存在しているものである。こうした多様性があるという状況を、どれだけセンシティブ(敏感)に感じとれるかということが重要になる。「さまざまなひとがこの世界で生きている」と言葉ではわかっていても、どれだけその状況を意識できるかどうかは、個々によって開きがある。多様なひとびとがいて、さまざまな世界の感じ方がある、ということをより意識できるようになってほしい。([1]232~233ページ)

〇創造性は時に、「ひらめき」すなわち偶然から生まれる。その「ひらめき」は、個々人の「記憶された知識や経験」に基づいてもいる。したがって、創造性は不確かであり、独創的である。しかしその本質は、新しい快適で豊かな未来社会を拓く

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ところにある。多様性は一面では、マジョリティ(多数派)の文化や視点から唱えられる。一方からの多様性の強調は、“出る杭は打たれる”日本社会にあって、同調圧力を強めることにもなる。しかしその本質は、マイノリティ(少数派)の文化や視点を中心に据えた共生社会を形成するところにある。そこでまずは、創造性も多様性も、そのひとがそのひとらしく、共に生きられる地域・社会を共に創ることをめざして、さまざまなヒト・コト・モノをそれぞれに「気にする」ことから始まる。付記しておきたい。

 

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11/利他主義のあり方を問う
           ―マッカスキル(哲学)とイースタリー(経済学)から学ぶ―

〇(学校)福祉教育においては相変わらず、「収集・募金活動」「訪問・交流活動」「清掃・美化活動」の“3大活動”や「疑似体験」「技術・技能の習得」「施設訪問(慰問)」の“3大プログラム”を中心にした体験活動が実施・展開されている。そのうちの例えば募金・寄付活動については、その心情や思想が超歴史的に語られ(「善意」や「助け合い」が強調され)、募金・寄付者や募金・寄付額の多寡が問われがちである。効果的な募金の方法や寄付金の使い道について、無関心であることが多い。また寄付先については、ユニセフや共同募金会、日本赤十字社などの「大きな」組織・団体や、「安心な」地元の社会福祉協議会や社会福祉施設になりがちでもある。
〇日本には寄付の文化がないと言われてきた。しかし、阪神・淡路大震災(1995年1月)や東日本大震災(2011年3月)などを契機に、寄付やボランティア・市民活動などについての意識や環境(政策・制度等)は変わったと評される。そんななかで、寄付が求められる厳しい現実の分析や、寄付についての歴史的・社会的認識が問われなければならない。本稿を草することにした筆者のひとつの思いである。
〇筆者の手もとに、ウィリアム・マッカスキル(William MacAskill、イギリス)著/千葉敏生訳『〈効果的な利他主義〉宣言!―慈善活動への科学的アプローチ―』(みすず書房、2018年11月。以下[1])という本がある。その原著のタイトルは、“Doing Good Better”(『よいことを、よりよく行う』2015年)である。ひとことで言えば[1]は、「効果的な利他主義」の手引書(ガイドブック)である。
〇「効果的な利他主義」(effective altruism)は、単なる感情によって、また自己満足や売名のために寄付や慈善活動を行うのではなく、本当の意味で人々の役に立つ・利益になるための「最高の活動」をいう。しかも、その活動に対して科学的・合理的なアプローチを取り入れ、客観的な証拠や入念な推論、そして便益の数値化を重視する。[1]ではしばしば、「質調整生存率」(QALY/Quality-adjusted Life Year/「命を救う」(寿命を延ばす)ことと「生活の質」〈QOL/Quality of life〉を向上させることのふたつをまとめた指標)や「幸福調整生存率(WALY/Well-being-adjusted Life Year/離婚や失業などによって変化する幸福度の指標)が使われる(その内容については原典にあたっていただきたい)。
〇以下に、マッカスキルが説く論点や言説のうちから、筆者が留意したいいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

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「効果的な利他主義」とは何か
「利他主義」という言葉は、単純にほかの人々の生活を向上させるという意味だ。利他主義には自己犠牲がつきものだと考える人々も多いけれど、自分自身の快適な生活を維持しつつ相手にとってよいことができるなら、それに越したことはない。(中略)「効果的」という言葉は、手持ちの資源でできるかぎりのよいことを行なうという意味だ。効果的な利他主義では、単に世界をよりよくするとか、ある程度よいことを行なうのではなく、できるかぎりの影響を及ぼそうとする。(中略)ある行動が「効果的」かどうかを判断するには、どの行動がどの行動よりも優れているかを理解しなければならない。その目的は、(中略)よいことをする最善の方法を明らかにし、その行動を最優先することにある。(13ページ)

最高の慈善プログラム
私たちは平均的に有効なだけのプログラムに寄付する必要はない。最高のプログラムだけを選りすぐって支援すれば、桁違いによいことができる。(中略)人々の役に立つという点でいえば、お金を効率的に使うのと、ものすごく効率的に使うのとの差は大きい。だから、「このプログラムはお金の効率的な使い方か?」ではなく、「このプログラムはお金の最高の使い方か?」と問うことが大事なのだ。(52~53ページ)

自然災害と慈善活動
慈善活動という点でいえば、ほとんどの人は直感に従い、昔から続いている問題よりも新しい出来事に反応してしまう。自然災害への反応はそのもっとも際立った事例のひとつだ。災害が発生すると、私たちの脳の感情中枢が燃え上がり、「緊急事態だ!」と判断する。私たちは病気、貧困、迫害のような日常的な緊急事態に慣れきっているので、常に緊急事態が起きていることを忘れてしまう。自然災害は劇的で新しい出来事なので、私たちの心をより大きく揺さぶる。その結果、私たちはそれをほかより重大で注目すべき災害だと誤解してしまうのだ。
あるニュースに心を打たれ、助けを差し伸べたいと思ったとしても、その衝動をぐっと抑えるほうがおそらく賢明だろう。あなたと同じように寄付しようとしている人はたくさいいるからだ。(中略)もちろん、自然災害が発生したときに湧き上がる感情を行動に結びつけるのはいいことだ。ただし、そんなときはふと立ち止まって、同じような災害が常に起こっていることを思い出し、もっとも注目を集めている災害ではなく、あなたのお金をもっとも役立てられる場所へと寄付することを考えてほしい。(62~63ページ)

「寄付するために稼ぐ」
寄付するために稼ぐというのは、まさしくその言葉どおりの行動だ。あなたが仕事を通じて及ぼす直接的な影響を最大化しようとするのではなくて、もっと多く寄付できるよう稼ぎを増やし、日々の仕事ではなく寄付を通じて人々の生活を向上させ

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ようとするのだ。ほとんどの人は「影響力のある」キャリアを選ぼうとするとき、この選択肢を検討しない。しかし、時間とお金はふつう交換可能だ。お金で人々の時間を買えるし、あなたの時間を使えばお金を稼げる。なので、仕事自体を通じて直接人々の役に立つキャリアだけが最高のキャリアだと決めつける道理はない。本気で世の中のためによいことをしようと思うなら、「寄付するために稼ぐ」という道も検討するべきた。(80ページ)

「効果的な利他主義」の考え方のチェックリスト
寄付や慈善活動は「どうすれば最大限の影響を及ぼせるか?」を考えるためのフレームワークやチェックポイントを提供する。
――「効果的な利他主義」にとって重要な疑問(質問)
①何人がどれくらいの利益を得るか?/②これはあなたにできるもっとも効果的な活動か?/③この分野は見過ごされているか?/④この行動を取らなければどうなるか?/⑤成功の確率は? 成功した場合の見返りは?
――どの慈善団体に寄付するべきか?
①この慈善団体の活動内容は?/②各プログラムの費用対効果は?/③各プログラムが有効であることを裏づける証拠の信憑性(しんぴょうせい)は?/④各プログラムはどれくらい適切に実施されているか?/その慈善団体は追加の資金を必要としているか?
――どのキャリアをめざすべきか?
①私とこの仕事との個人的な相性は?/②この仕事を通じて私が及ぼせる影響は?/③この仕事は私の将来的な影響力にとってどれだけプラスになるか?
――どの活動分野に取り組むべきか?
①規模。/②解決可能性。/③見過ごされている度合い。/④個人的な相性。(215~219ページ)

「効果的な利他主義者」になるためのアイデア
効果的な利他主義の考え方を取れ入れれば、一人ひとりがとてつもなくよいことをする力を手に入れられる。(中略)「効果的な利他主義者」になるためのアイデアをいくつか紹介する。
①定期的に寄付する習慣をつける。/②効果的な利他主義の考え方を人生に取り入れるためのプランを立てる。/③効果的な利他主義のコミュニティに加わる。/④効果的な利他主義を広める。(207~209ページ)

〇マッカスキルは、次のように述べている。「援助はせいぜい効果がなく、下手をすれば害を及ぼすという考え方を広めたウィリアム・イースタリー(William Easterly、アメリカ)の著書は、国際的な援助活動は時間と労力のムダだと考える懐

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疑派たちにとってのバイブルとなった」(45ページ)。イースタリーの原著のタイトルは、“The White Man’s Burden”(『白人の責務』2006年)であり、翻訳本のタイトルは『傲慢な援助』(小浜裕久・織井啓介・冨田陽子訳、東洋経済新報社、2009年9月。以下[2])である。ひとことで言えば[2]は、本当に有効な援助とは何か、を問う論争の書である。以下に、イースタリーの言説の一部を紹介する(抜き書きと要約)。
〇イースタリーにあっては、世界には2種類の「貧困の悲劇」がある。ひとつは貧困が人々を苦しめているという悲劇(「第1の悲劇」)であり、いまひとつは莫大な援助をつぎ込みながらも貧困はなくなっていないという悲劇(「第2の悲劇」)である。「第1の悲劇」については、多くの人が声を大にして語り、それなりの援助活動を行っている。しかし、「第2の悲劇」について語る人は多くない。「第1の悲劇」を少しでも改善するためには、先進国の人々は「第2の悲劇」について認識すべきである。世界の貧困問題を解決するためには、先進国が巨額の援助をする「壮大な計画」(ビッグ・プラン)を実施することではなく、その計画を改革あるいは廃止し、援助資金がそれを本当に必要とする貧しい人々に届くようにすることが必要である(6~8ページ)。
〇イースタリーは、貧困問題の援助者像について、「プランナー」(Planners)と「サーチャー」(Searchers)を対照的に提示する。プランナーは、貧しい人々の個人的なインセンティブ(誘因)や行動様式を考慮せず、援助現場から離れたところで世界レベルの政策や枠組みを策定し、トップダウン型で問題解決を図ろうとする援助者である。サーチャーは、援助現場の人々の近くに身を置いて、個々の実情やニーズを把握し、ボトムアップ型で課題の解決策を探ろうとする援助者である。プランナーは、「飢餓との戦い」「貧困の終焉」などの美しい目標を立てるが、その実現に責任を負わない。サーチャーは、フィードバック(結果・成果による改良・調整)とアカウンタビリティ(説明責任)を重視し、個別の援助行動に責任を負う(8~11、22~24ページ)。
〇ここで、イースタリーの次の主張をメモっておくことにする。

●世界が直面する複雑な諸問題を、ユートピア的な援助計画で解決できるなどと多くの人々が考え違いをしているという現実こそ、援助が抱える最大の問題である。(424ページ)
●援助で貧困を終わらせることはできない。自由市場における個人や企業のダイナミズム(活力)に基づいた途上国自身の手による開発努力こそが、貧困に終止符を打てるのだ。経済発展そのものを援助で実現しようなどという幻想を捨てるなら、貧しい人々が困っている個別の問題解決において、今以上に援助できることがあるだろう。(425ページ)
●プランはダメだ。プランではなく、途上国の実情に詳しいサーチャーに援助を任せ、施策の効果を実験的に把握し、援助がどうしたら貧しい人々の役に立つかは、貧しい人々が一番よく知っているから、彼らからのフィードバックを参考にして援助を進めるべきだ。(426ページ)

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●貧しい人々を助けたいと思うなら以下のことを実践しよう。
① 援助に従事する者は、貧しい人々の生活をよくするために自分は個別の分野で何ができるかを明らかにしておくべきである。
② 自分のできる分野の過去の経験に基づいて、どうすればうまくいくかを探求しなくてはならない。
③ いろいろ調べた結果に基づいて実験をしてみよう。
④ 目標とされる人々からのフィードバックと科学的方法に基づいてきちんと評価すべきである。
⑤ 成果が出た時は評価し、失敗した時はペナルティがなくてはならない。うまくいくプロジェクトには予算をたくさんつけ、ダメなプロジェクトの予算は減らすべきだ。援助をする組織は、自分たちのやり方がいいのだと言うことが分かるようにすべきである。
⑥ ⑤のインセンティブをきちんと確立すればステップ④が繰り返される。もしうまくいかないと、⑤のインセンティブ構造にしたがって援助の担当者はステップ①に戻る。もし失敗が続けば、新しい専門家を探さなくてはならない。(441~442ページ)
●先進国の人であれ、途上国の人であれ、貧しい人のことを考えている人には、誰でも役割がある。(中略)あなたがもし援助に関わっているなら、ユートピア的目標を捨て、貧しい人々を助けるには何ができるかを考えてほしい。貧しい人々を支援する仕事に従事していないとしても、一市民として、援助は貧しい人々に届かないことには意味がないと声を上げることはできるだろう。(443、444ページ)

〇マッカスキルとイースタリーの言説は刺激的である。視野を広げ、視点を変えることができる。また、新たな寄付や援助活動の潮流(トレンド)を生み出すものとして興味深い。ただ、マッカスキルの功利主義の立場やイースタリーの二項対立的な思考については、全面的に首肯できるものでもない。過剰な現場主義は、無軌道な暴走や非合理的な思考をもたらす危険性がある。そこで、現場のニーズに真に応えるためには、利他的行動をめぐる感情(「心」)と理性(「頭」)を如何に組み合わせるか、プランナー的なやり方とサーチャー的なやり方を如何に有機化し共働性を高めるか、などが問われることになる。また、プランナー的なやり方を如何にしてサーチャー的なやり方にシフトするかも重要な課題となる。曽野綾子は「ODA(Official Development Assistance、政府開発援助)として供与される資金のかなりの部分が相手国の指導者の懐(ふところ)に入ると考えるのが普通」(「訳者あとがき」『傲慢な援助』448ページ)だと言う。付記しておきたい。

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12/「ボランティア動員論」の落とし穴
            ―中野敏男(社会思想)から学ぶ―

〇筆者は、手もとにある中野敏男(なかの・としお、東京外国語大学)の著書『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任―』(青土社、2001年12月。以下[1])に所収の論文「ボランティアとアイデンティティ―普遍主義と自発性という誘惑―」(初出は「ボランティア動員型市民社会論の陥穽」『現代思想』vol.27-5、青土社、1999年5月、72~93ページ)を久しぶりに読み返すことにした。今またなぜ「中野敏男なのか」、「ボランティア動員論なのか」、と言われそうであるが、以下は、[1]の言説で留意したい点として筆者が再認識した、中野のボランティアをめぐる論点や言説(「動員論」)の一部である(見出しは筆者)。

「システム危機管理型国家」の方向
今日の日本で「ポスト福祉国家」の道として提示されているのは、国家の機能上の重心を「社会福祉」から政治-軍事的、経済的な「システム危機」への対応に大きく移行させた「システム危機管理型国家」とでも言うべき方向であって、それは、一方で有事を想定した安全保障のための「新ガイドライン」の導入や金融システムの危機に対する大規模な「公的資金」の投入など顕著に権力国家的・介入国家的な性格と、他方では教育や福祉などの部門に「法人化」の促進や「介護保険制度」の設立に示されるような市場原理の導入をもってする「リベラル」国家的な性格とを兼ね備えていこうとするものなのである。そしてこの道は、この国家システムに「主体」的に参与する「国民」の自発的意志をより多く必要とし、他方では、そこから外れたアウトサイダーやマイノリティに対するレイシスト(racist、差別的思想を持つ者:阪野)的な異者排除と、「福祉」や「保護」を要求する「弱者」の存在の軽視、あるいは「二流国民」化に進まざるをえないはずだし、現にそうなってきている。「国旗・国歌」法の制定(1999年8月公布・施行:阪野)から教育基本法の改定(2006年12月公布・施行:阪野)へ、そして憲法の改定へ、この一連の制度整備の動きは、現に自覚的なものになっているその方向への政策意思の表れとして読むことができる。ここで国家は、相対化されるどころか、新たにより危険な支配的機能を強化しようとしているのである。(253ページ)

ボランティアの動員
ボランティアは、言葉の意味からすれば人々の「自発性」を示すものだけれど、現在の状況下でそれを、「人間の主体の自立」の表れなどと賛美できるのだろうか。(中略)今日、ボランティア活動の意義をひときわ声高に宣揚している者とは、誰なのか。もちろんそれは、決して市民社会の可能性をポジティヴに見ようとする論者だけではあるまい。例えば、むしろ日本の文部科学省が、市民社会が対峙するはずの当の国家システムを代表する位置

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から、とりわけ精力的かつ組織的にボランティア活動の推進に努めているということがある。(257ページ)
ここに浮かびあがっているのは、国家システムが主体(subject)を育成し、そのようにして育成された主体が対案まで用意して問題解決をめざしシステムに貢献するという(「アドボカシー(advocacy 政策提案)型の市民参加」)、まことに都合よく仕組まれたボランティアと国家システムの動態的な連関である。すなわちボランタリーな活動というのは、国家システムを越えるというよりは、むしろ国家システムにとって、コストも安上がりで実効性も高いまことに巧妙なひとつの動員のかたちでありうるのである。
ボランティアは、国家システムの側の要求でもある。そう考えてみると、この要求が今日ことさら大きな声でなされているわけもよく理解できる。「福祉」などの機能をボランティアがより広範に果たすようになれば、(中略)国家の機能転換すなわち「福祉国家」から「システム危機管理型国家」への転換は、より容易になるはずだ。現在流行のボランティアの称揚は、もちろん進行中の「行政改革」や「教育改革」にも、そして「安全保障」にも、きちんとリンクしていると考えなければならないのである。そうだとすれば、それだけでも、この現在の動きにそんなに簡単に乗っかっていいのかという問いは避けられない。(258~259ページ)

ボランティアの自発性
「自発的」だからといってシステムから「自立」しているなどとは言えない(中略)。自発的なボランティアは、それの社会的機能から考えればむしろ無自覚なシステム動員への参加になりかねないのだし、ボランティアの自発性をただ称揚する市民社会論は、その点を塗りつぶすことによって、進行するシステム動員の重大な隠蔽に寄与しかねないということである。(260ページ)
現状とは別様なあり方を求めて行動しようとする諸個人を、抑制するのではなく、むしろそれを「自発性」として承認した上で、その行動の方向を現状の社会システムに適合的なように水路づける(中略)。今日、「ボランティアという生き方」がさかんに強調されるようになっているのは、実は、まさにそのような方策としてそれが採用されているということなのではないだろうか。(278~279ページ)

〇中野の言説のひとつは、「ボランティアという生き方」は、諸個人が「何かをしたい」という意志(自発性)だけがあるにすぎない。その主体=自発性は、それ自体としては「目的」や「中身」を持たない抽象的なものである。それゆえに、国家の呼びかけに応え、国家を補完する無自覚的なシステム動員への参加になりかねない。「自発的」だからといってシステムから「自立」しているとは言えない。ボランティアも、人間の主体=自発性も、「下からの公共性」(258ページ)のようにみえて、国家や行政によるいわば“下からの

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動員”のシステムに組み込まれている、というものである。そこで、中野は「今日のボランティア活動の高まりに市民社会の復権を見る論者たちは、そのようなボランティアのあり方にしっかり注意を払っているだろうか」(281~282ページ)と問いかける(批判する)。
〇ボランティアは、現状の国家や社会のシステムから自立・自律した「市民自治」をめざすものであると言われる。そうだとすれば、市民主権やまちづくり、主体形成などを説く「福祉教育論」はこれまで、「市民自治」や「まちづくり」を厳しく問い、深く考究してきたであろうか。その点に関して、中野の論考は、阪神・淡路大震災が発生した4年後に発表されたものであるが、震災後20年が経っても古さを失っていない。2011年3月の東日本大震災や2016年4月の熊本地震などが発生するなかで、むしろその重みは増していると言ってよい。

〇「ボランティア動員論」に関して、仁平典宏(にへい・のりひろ)の次の一節を付記しておきたい。「『全ての動員は悪い』と総称的に論じるより、その動員が何と接続しているのかを個別に精査/評価する方が、有意義である。文脈抜きの動員批判は、文脈抜きの協働擁護と同じぐらい認識利得が小さい。(中略)ボランティア活動が政策に『従属』していたとしても、その政策が規範理論的に擁護可能なら、その『動員』への批判は限定的に解除されてよい」(仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―〈贈与のパラドックス〉の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月、424ページ)。

〇「災害などの『有事』の際のボランティア」「日米のゆるぎない『同盟』関係」などと言われる。「有事」や「同盟」は、実質的には戦争や軍事に関する言葉である。また、国民に周知・認知されていないものに、「国民保護法」(「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」。2004年6月公布、同年9月施行)にいう有事の際の「自主防災組織及びボランティア」についての規定がある。強く認識しておきたい。「気がつけば有事になっていた」「その際には否応なしにボランティアに駆り出された」、それだけはごめんこうむりたい。

 

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13/「ボランティア拒否宣言」に思う
             ―花田えくぼ(??)から学ぶ―

〇日本社会では、民主主義が後退し、右傾化・全体主義化が進んでいる。また、「災害多発時代」や「無縁社会」「共生社会」「管理社会」などについて云々される。ボランティアに関しては、「動員」「派遣」「活用」「タダ働き」「有償」「感動体験」「やりがい詐欺」等々の言葉が躍っている。『戦争ボランティア』(高部正樹著、並木書店、1995年2月)や『ブラックボランティア』(本間龍著、株式会社KADOKAWA、2018年7月)というタイトルの本も出ている。そういうなかでいま、ボランティアや市民活動の新たな展開を図るために、「ボランティア」や「市民活動」についての本質的な議論が求められている。
〇その時宜にかなった本が刊行された。早瀬昇著『「参加の力」が創る共生社会―市民の共感・主体性をどう醸成するか―』(ミネルヴァ書房、2018年6月)がそれである。筆者は早瀬の「ボランティア」言説にすべて首肯するものではないが、この本では、市民による「自治と共生の社会」を構築するための基礎的知識や、市民参加(市民活動)の視点や考え方についてわかりやすく解説されている。そのなかで早瀬は、花田えくぼの詩「ボランティア拒否宣言」(おおさか・行動する障害者応援センターの機関誌『すたこらさん』1986年10月号)を紹介している。筆者がこの詩に最初に出会ったのは、岡本栄一「ボランティア活動の分水嶺」大阪ボランティア協会監修/小田兼三・松原一郎編『変革期の福祉とボランティア』(ミネルヴァ書房、1987年7月、251~252ページ)においてである。鋭く厳しい表現(「犬」)や言葉によるボランティア批判は、衝撃的であった。およそ30年前のことである。以下にその詩を記しておく(ルビは筆者)。

ボランティア拒否宣言/花田えくぼ
それを言ったらオシマイと言う前に
一体私に何が始まっていたと言うの
何時だってオシマイの向うにしかハジマリは無い
その向う側に私は車椅子を漕(こ)ぎ出すのだ

ボランティアこそ私の敵
私はボランティアの犬達を拒否する

ボランティアの犬達は 私を優しく自滅させる
ボランティアの犬達は 私を巧(たく)みに甘えさせる

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ボランティアの犬達は アテにならぬものを頼らせる
ボランティアの犬達は 残された僅(わず)かな筋力を弱らせる
ボランティアの犬達は 私をアクセサリーにして街を歩く
ボランティアの犬達は 車椅子の蔭で出来上っている
ボランティアの犬達は 私をお優しい青年達の結婚式を飾る哀(あわ)れな道具にする
ボランティアの犬達は 私を夏休みの宿題にする
ボランティアの犬達は 彼等の子供達に観察日記を書かせる
ボランティアの犬達は 私の我がままと頑(かたく)なさを確かな権利であると主張させる
ボランティアの犬達は ごう慢と無知をかけがえのない個性であると信じ込ませる
ボランティアの犬達は 非常識と非協調をたくましい行動だと煽(あお)りたてる
ボランティアの犬達は 文化住宅に解放区を作り自立の旗を掲げてたむろする
ボランティアの犬達は 私と社会の間に溝を掘り幻想の中に孤立させる

私はその犬達に尻尾を振った
私は彼らの巧みな優しさに飼い慣らされ
汚い手で顎(あご)をさすられた
私は もう彼等をいい気持ちにさせて上げない
今度その手が伸びてきたら
私は きっとその手に噛(か)みついてやる

ごめんね
私の心のかわいそうな狼
少しの間 私はお前を忘れていた
誇り高い狼の顔で
オシマイの向こう側に
車椅子を漕ぎ出すのだ

〇この詩については、複数のヒトがその内容を読み解いている。ここでは、筆者の手もとにある論考のうちから、岡本栄一らの解釈(総括)を紹介しておくことにする。

岡本栄一
この詩はいろいろな解釈を私たちに迫る。「障害者の自立」の問題、「一人よがりの独善的なボランティア活動」、あるいは「活動の手段化」等々。
いずれにしても、ボランティア活動を先験的、アプリオリ(自明的:筆者)に「社会的善」であるとみなしている人達には大変ショッキングな詩であろう。車イスを

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押したなら、どんな押し方でも障害者は「ありがとう」というべきものだ、と考えている人達は、きっと「傲慢」な障害者の詩だと思うだろう。私はこんな詩を書かせたこれまでのボランティア活動の「あり方」を悲しいと思う。ここには健常者と障害者とを二つに分けたままで成立するボランティア活動の姿がある。そこではお互いが成長せず、また変わりもしない、といったことがある。ともあれ、私はボランティアの側だけで「自己回転」する活動が、どんなに罪が大きいか、この詩を読んでハッとさせられたことは事実である。(岡本栄一『前掲書』252~253ページ)

筒井のり子
「かわいそう」という言葉自体は、もちろん差別語ではないが、その使われ方、使う人の気持ちいかんで、きわめて差別的な響きをもってくる。優越感の裏返しの同情は、その受け手にとって屈辱である。
次の詩はある障害者団体の機関誌に投稿されたものだが、“優しさ”から出発した援助が、結果的に相手の自立を損なってしまうことを、鋭く告発している。
「何もできない人」「かわいそうな人」「常に誰かの助けが必要な人」という決めつけは、ボランティア活動の本質をゆがめる。
たしかに現在、彼らは援助を必要としている。しかし、「援助を受ける側」という固定的なとらえ方をすべきではない。(筒井のり子『ボランティア・コーディネーター―その理論と実際―』大阪ボランティア協会、1990年3月、52、54ページ)

仁平典宏
1970年代以降、「ボランティア」は障害者から、抑圧者として尖鋭な批判を突きつけられることになった。この中で〈犬〉の記号も反復される。次の詩は、障害者運動――親や周囲の「善意」によって障害者の可能性が縮減されていく事態に対する根底的な異議申し立て――の系譜に位置づくものである。「ボランティアの犬達は」と何度もくり返されるこの詩は、それが〈贈与〉の対価として何を奪うかを、雄弁に告発している。
無償の、愛情に満ちた〈贈与〉行為こそが、「障害者」を障害者役割にとどめ、その可能性を根こそぎ奪っていく――言うまでもなくこれは、障害者運動が提起した最も重要な論点の一つであった。同時にボランティア言説の歴史も、決してナイーブなものではなく、絶えずこのような否定的なまなざしとの緊張のもとにあった。その中で、ボランティア言説は展開し鍛えられ、それなりに首肯性をもつ答えも生み出されてきた。(仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―〈贈与のパラドックス〉の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月、32、34ページ)

鳥居一頼
この詩は、たしかに衝撃が強いメッセージである。デフォルメ(歪曲:筆者)された表現であるが、そこに潜むボランティアの問題の核心を鋭く突いていることは、

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間違いない。このくらい痛烈に批判しない限り、お互いに覚醒はできないかもしれない。彼女のボランティア批判は、そこに安住した自身への憤りと悔悟(かいご:筆者)でもあり、その批判の矢は“自らに”放ったものでもあるといえよう。
その批判を裏読みすると、そこにボランティアの本質が見えてくる。逆説的に見るとボランティアとの信頼関係をどのように構築するのか、その関わり方を見事に表現しているのである。
もう一つ、ケアのあり方について問題を提起している。(中略)
この「ボランティア拒否宣言」は、まさに地域包括ケアが本格化する「ケア時代」に生きる多くの高齢者や闘病者の意思表明や自己選択・決定にかかる問題をも包含していることに気づかされる。花田の「頑固に意志を通す」生き方を考え真摯に受け止めなければ、障がい者や高齢者、そして闘病者にも、自己喪失の道を彷徨する悲劇となるであろう。(鳥居一頼「詩『ボランティア拒否宣言』に学ぶ“自立”と歪んだボランティア観~覚醒と受容そして意識変革を促す教材としての価値を探る~」『人間生活学研究』第22号、藤女子大学人間生活学部人間生活学科、2015年3月、103ページ)

早瀬昇
詩で使われている表現は激しいものではあるものの、ここで書かれているのは不信感から来るボランティアの拒否ではなく、逆にボランティアへの期待を込めた一種のラブレターだとも考えられます。というのも、この詩が掲載されたのは、障害者とボランティアが「障害の有無に関わらず、共に」より良い社会づくりを目指している団体の機関紙だからです。
とはいえ、この詩で私たちに届けようとしたボランティアへの問題提起には、真摯に応えなければなりません。ボランティアとボランティアが応援する相手との協働関係については、(中略)両者が共に生きる「共生」の関係づくりが重要になります。(早瀬昇『前掲書』93ページ)

〇いずれにしろ、この詩が発表された1980年代半ば以降は、1981年の「国際障害者年」、1983年から1992年までの「国連・障害者の10年」の取り組みや「障害者生活圏拡大運動」とともに、「障害者自立生活運動」が展開された時期である。「優生思想」「自立と自己決定」「障害文化」などについて激しく議論された。「青い芝の会」(横塚晃一、横田弘)や「札幌いちご会」(小山内美智子、沢口京子)などによる社会的差別・偏見に対する糾弾闘争が思い出される。それにしても、横塚晃一の『母よ! 殺すな』(すずさわ書店、1975年2月)はあまりにもインパクトの強い本であった。
〇そしていま、この詩の主語(「主役」)を「政府や行政」、「ボランティアの犬達」を「ボランティアの私達」に置き換えると、例えば、「国や行政は、ボランテ

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ィアの私達をアテにならないものに頼らせ、巧みに甘えさせ、優しく自滅させる」などとなろうか。そこにあるのは政府・行政主導の「地域共生社会」「地方創生」「一億総活躍社会」の実現や、ボランティアによる国民保護活動の展開(「国民保護法」)にむけた「篭絡」(ろうらく。巧みにいいくるめて人を自由に操ること)である。気がつくと、恣意的に解釈されている「積極的平和」のために「戦争ボランティア」が動員・派遣される、ということが一番怖い。
〇なお、筆者は、ボランティア活動については大まかには、「人権意識や正義感覚に基づく主体的・自律的な住民による・住民のための市民活動」である。「主体的」とは「他のものによって導かれるのでなく、自己の純粋な立場において行うさま」であり、「自律的」とは「外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること」をいう(『広辞苑』第7版)。すなわち、市民活動は、「言われなくてもするけれど、言われてもしない」(早瀬『前掲書』231ページ)活動である。ボランティア活動は、原則的に「無償」であり、「有償ボランティア」という言葉は矛盾した使用法である。「市民活動」は、(無償の)ボランティア活動と非営利・有償活動の両者を包含するものである。そして、ボランティア活動は、「ボランティアのいない地域・社会」づくりをめさず活動であり、そこにあるのは主体的権利と社会的責務としての市民活動である、‥‥‥と考えている。

 

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14/「生きづらさ」考
             ―中西新太郎(社会哲学)・他から学ぶ―

〇「生きづらさ」という言葉や概念が使われるようになって久しい。藤野友紀(ふじの・ゆき、教育学)によると、「生きづらさ」という言葉が用いられたのは、雑誌記事検索で調べてみると、1981年の日本精神神経学会総会において「主体的社会関係形成の障害と抑制」として語られたのが最初である。2000年以降、「生きづらさ」などをタイトルに掲げる論考は一挙に増え、その学問的・実践的分野や領域も確実に拡がっている(藤野友紀「『支援』研究のはじまりにあたって―生きづらさと障害の起源―」『子ども発達臨床研究』創刊号、北海道大学、2007年3月、46ページ)。
〇「生きづらさ」の近接・関連用語に「障害」や「バリア(障壁)」がある。「障害」についてWHO(世界保健機関)は、2001年5月、ICIDH(国際障害分類)に変えて人間の生活機能と障害の分類法としてICF(国際生活機能分類)の考え方を提唱した。それは、「心身機能・身体構造」「活動」「参加」の3つの次元と「環境因子」「個人因子」の2つの因子によって構成されている。「バリア(障壁)」は、一般的には「物理的バリア」「社会的バリア」「制度的バリア」「心理的バリア」の4つに分類される。周知の通りである。
〇「生きづらさ」という用語や概念は曖昧である。しかもそれは、子ども・青年や貧困者、高齢者、障がい者などに固有のものとして、個人的・主観的な心情や問題・課題として捉えられることが多い。しかしそれは、モラルハザード(道徳性や倫理観の混乱・欠如)によるものではなく、現代日本の社会構造(現代資本主義)の政治的・経済的・社会的そして歴史的な欠陥や矛盾によるものである。その欠陥や矛盾は、1990年代、2000年代以降、なんら解決・解消されることなく、むしろ多様化・多層化・多元化が進んでいる。2016年3月に施行された安全保障関連法や2018年12月に発効した環太平洋パートナーシップ(TPP)協定(経済連携協定)などによる現代版「富国強兵」政策が推進される“いま”においても、である。
〇「生きづらさ」とは、社会や組織のなかに自分の「居場所」(「要場所」)が見つからず、将来(あす)への希望や展望をもつことができない生活上の困難や不利益を被(こうむ)っている社会的排除の状態をいう。
〇「生きづらさ」は、一人ひとりが抱える困難・不利益や不安・不満を自己責任に「内閉化した問題」や「他者との関係性」の歪(ゆが)みなどとして、複雑で多面的な様相を呈している。貧困のなかで思考や意欲までも奪われる人(湯浅誠「意欲の貧困」)や、社会や組織・集団における人間関係をうまくつくれない人などが思い起こされる。そうした人たちは、社会(財界)が求める制度やシステムによって選別・分断され、排除されている。

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〇“いま”求められるのは、「生きづらさ」の正体を暴(あば)き、その今日的現状をあぶり出し、その解決策(社会参加支援や居場所支援などの社会的包摂支援)を探求することである。それは、対症療法的な単なる処方箋ではなく、「下から」のまちづくりや地域・社会改革を志向するものでなければならない。その担い手は言うまでもなく、「生きづらさ」のなかにいる一人ひとりの住民・市民であり、社会的・政治的アプローチを行う支援者や組織・団体である。そこでは、表面的な同情や共感ではなく、真の連携や共働のあり方が厳しく問われる。
〇「生きづらさ」や「生きにくさ」をタイトルにした本は、筆者の手もとに5冊ある。以下がそれである。

(1) 中西新太郎著『〈生きにくさ〉の根はどこにあるのか―格差社会と若者のいま―』(前夜セミナーBOOK)特定非営利活動法人 前夜、2007年3月(以下[1])
「苦しいけれど声が出せない日常を生きるのが若い世代の状態である」(5ページ)。本書は、その「生きづらさ」や「現代日本の抑圧構造」を確かめ、検証するために行われたセミナーの記録を中心に編まれたものである。国家主義と新自由主義とを合体させた政治体制のなかで、「まさか生存権が保障されないはずはない、という思いこみは通用しない。生きづらいと思うことさえ許されない抑圧状況はいっそう深く、広く、この社会に進行している」(6ページ)と中西新太郎(社会哲学)は説く。

(2) 湯浅誠・川添誠編『「生きづらさ」の臨界―“溜め”のある社会へ―』旬報社、2008年11月(以下[2])
本書は、社会活動家である湯浅誠と川添誠が「現代日本の生きづらさ」をテーマに、本田由紀(教育社会学)、中西新太郎(社会哲学)、後藤道夫(社会哲学)の研究者と行った鼎談を纏(まと)めたものである。湯浅は言う。「結局、私たちは『NOと言える市民・労働者・消費者になろう』と呼びかけたいんだ、と最近よく思います。こんな政治家はいらない、そんな非人間的な労働はしない、そんな商品は買わない、と個々の場面で人間(生)・労働・商品のダンピングに否をつきつけられる社会にしたい。それが言えるなら、そしてそれを言っても孤立しない、大丈夫だと感じられるようになれば、この社会の『生きづらさ』は相当程度軽減するだろう、というのがわたしの見通しです」(9ページ)。

(3) 香山リカ・上野千鶴子・嶋根克己著『「生きづらさ」の時代―香山リカ×上野千鶴子+専大生―』専修大学出版局、2010年11月(以下[3])
「現在確かに『生きづらい』状況が、人間の内側(こころ)にも外側(社会)にも蔓延している」(荒木敏夫、8ページ)。本書は、「生きづらさのゆくえ」をテーマにした講演とシンポジュウ、それを聞いた学生たちの座談会の記録である。講演では、香山リカ(精神科医)が「生きるのがしんどい、と言う若者たち」、上野千鶴

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子(社会学)が「ネオリベ改革がもたらしたもの」について「こころ」や「社会」の問題を解きほぐす。

(4) 岡田尊司著『「生きづらさ」を超える哲学』(PHP新書)PHP研究所、2008年12月
親と折り合いが悪い人、いわれのない不安に悩む人、心に空虚感を抱えている人、「絆」に縛られている人、自分が何者かわからない人、生きる意味が見つからない人。「生きづらさ」を抱える人が増えている。アルツール・ショーペンハウァー(ドイツの哲学者)、ヘルマン・ヘッセ(ドイツの詩人・小説家)、サマセット・モーム(イギリスの小説家・劇作家)らの生き方や岡田尊司(精神科医)自身の豊富な臨床経験を通して、「生きづらさ」を乗り越え、自分らしく生き抜くための哲学を描き出す。それが本書である。岡田は最後に言う。「生きるための哲学は、生きようとする営みのなかにこそある」(253ページ)。

(5) 小山真紀・相原征代・舩越高樹編『生きづらさへの処方箋』ナカニシヤ出版、2019年2月
本書は、京都大学のメンバーを中心に2014年に立ち上げた共同研究による、「生きづらさ学」からの実践的アドバイスの本である。そこでは、「過保護,性差、外国人差別、発達障害など、学生生活をメインに想定した種々の『生きづらさ』を分野横断的に分析し、克服の具体的方法を提示する」(「帯」より)。その際の「処方箋」(ヒント)は、臨床現象学をはじめ、社会学、法哲学、文化人類学、防災学、障害学生支援、精神医学、環境分析など、まさに分野横断的・俯瞰的視点に基づいている。「生きづらさ学」は「生きづらさの横軸」を探す学問であり、「生きづらさの共通性」や「他者との関係性」に留意する必要がある、と言う。

〇さて、本稿ではまず、[1]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

困難の内閉化と「自己責任論」
被害を被(こうむ)っている側に「自分に責任がある」と感じさせてしまう、つまり困難を内閉化させる抑圧様式は日本社会にいたるところで蔓延(まんえん)している。(中略)一人ひとりが抱える困難をその人の内側へと閉じこめる強烈な力がはたらいている。私には異議を申し立てる権利があると言わせない、封殺する力である。責任を偽装すると言ったほうが正確であるが、これは、きわめて深い抑圧の姿である。(58ページ)
このようなレトリック(表現の仕方)や自分に責任があるという感じ方を導く有力な言説として「自己責任論」がある。(中略)抑圧された者たちを徹底的に無力にしていく思想的回路として、自己責任論をとらえる必要がある。(59ページ)

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自立支援と「生存権」の損壊
(近年の「自立支援型政策」にいう)政策言語としての「自立」は、公的・社会的な支援に頼らずに自己責任で生きていくという意味である。(128ページ)
「権力」と「社会的無力」という不平等な関係を含んだ(自立―依存関係)が「自立」のあるべき姿として押しつけられている。(128ページ)
生存権を保障する政策は、事情があって自立できない人たちが対象であるが、自立支援型の政策では、「自立」の見込みや「意欲」の有無という新たな尺度で対象者を再分類する。(129ページ)
生存権を平等に保障するという考え方が崩れると、どのような結果が表れるか。意欲や見込みのあるなしは、権力者によって認定・選別されるから、保障を得るには、自分は意欲も自立の見込みもない「真の弱者」だと認めなければならない。(129ページ)
つまり、自立できない存在は完全に無力であるとされ、自立できぬ以上他の人よりも低い処遇に甘んじるよう社会的に強制される。「国家の慈悲によってはじめて人権を保護される」存在になる。19世紀に福祉国家の観念が出てくるまで通用してきた「残余的福祉」という考え方である。(129ページ)
「自立支援」は、「真の弱者」をあぶり出し、同時に、自立してがんばろうと思う者を「貧困な自立」の状態に固定していく、という結果を招くのである。(中略)「自立支援」という政策を使って絶対的な貧困を受け入れさせる、生存権損壊(そんかい)のスパイラル(螺旋〈らせん〉)が出現するのである。(130ページ)

〇次に、[2]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「自己責任論」と「生きづらさ」
「生きづらさ」の問題をつねに社会的次元で捉えようとするわたしたちの立場からすると、どうしても必要になるのは、現状を丁寧にあぶり出していくことで、自己責任論からの転換を図ることである。(湯浅、6ページ)
大きなレベルで自己責任論を批判することは、ある意味では易(やさ)しい。構造改革や新自由主義といった用語をもち出せば、何かが言われ、何かがわかったような気がしてくる。しかしそのことと、目の前にいる一人ひとりと向き合い、対応することが切り離されていたら、総論としては自己責任論を大いに批判する人が、各論ではその子・親族・友人にたいして自己責任論を振り回す、という悲喜劇が起こらないとはかぎらない。残念ながらそれは随所で起こっている。そうなると、現実には貧困状態に追い込まれていく人たちの数は減らない。自己責任論批判が増えて

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いったとしても、現実の場面では、個々に切り捨てられていくからである。(湯浅、6~7ページ)

「自立」が強いる「生きづらさ」
貧困者(貧困のなかにいる若者)にとって、「自立」は存在しえない。ところが、(中略)(彼らは)つねに“社会”から“家族”から「自立」を迫られている。「いつまでもフラフラしていないで、まともな仕事について早く一人暮らしをしなさい」と。彼ら自身の仕事は、本人の選択によるものとされ、彼らが抱える困難は「自己責任」によるものとされる。彼らにとっては、「自立」は目標でありながら、自分自身を締め付ける抑圧の言葉である。(河添、19ページ)
「自立」をめざせばめざすほど、彼らは非人間的な労働環境への順応を要請される。しかしながら破壊された労働環境は、彼ら自身を安定的に「自立」させるようなものではないから、破壊された労働環境によって今度は労働者の精神状態が不安定になっていく。貧困と「自立」は両立しえない。(河添、19ページ)
このように、貧困のなかにいる若者は、「自立」しようにも「自立」しようがない。貧困を根絶していくことなく、「自立」を促すことはありえない。(河添、19ページ)

「強い市民社会」と“居場所”づくり
「強い市民社会」というのは、弱肉強食の市場原理にたいしてきちんと歯止めをかけられる社会、人間の弱さを認めて受け止められる社会、弱さの認識から相互扶助・社会連帯の必要性の認識を通じて、「市場」とは異なる「社会」を構想できる社会、を言う。そういう「強い市民社会」が確立していれば、社会制度はおのずと変わっていくはずである。(湯浅、174~175ページ)
「意義申し立てする社会連帯」というのは、「これはおかしい」ということを話し、数人なり、数十人のグループができれば、それでもって社会的に訴えていく、それが当たり前に行なわれるような、そういう社会的な雰囲気をつくっていきたい。(湯浅、175ページ)
「強い市民社会」をつくるうえでの(労働)運動論的なポイントは、(中略)究極的には“居場所”である。つまり、不満を言い合って、「おかしい」と思ったことをかたちにできる場所である。(河添・湯浅、177ページ)
社会に向けて発言ができたり、ただその場にいるだけでもお互いが尊重される安心感・信頼感を感じられる空間としての“居場所”が大事だと思う。(湯浅、178ページ)
「たたかうためには、たたかわなくていい“居場所”が必要である」。(中略)たたかわなくていい“居場所”は、たたかうための必要条件みたいなものである。(中略)そういう“居場所”が社会のなかから減ってきている。(湯浅、179ページ)

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〇いまひとつ、[3]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「非行から自傷へ」と「ネオリベ改革」
社会学では社会というのは、個人の集まりではなく、ふるまいの集合である。(中略)人々のふるまいの集合に一定の規則があるから、その行動がなにを意味しているかがお互いにわかるおかげで成りたっているのが社会というものである。(上野、57~58ページ)
(1980年代から90年代頃から)いわゆる青年期の逸脱といわれるものが(中略)変化してきた。それを簡単に言うと、非行から自傷へ、である。他人を傷つけることから、自分を傷つけることへの変化である。(中略)攻撃衝動というものが、他者から自己へ向かっているのではないか。何か困ったことが起きたときになんでこんなことが起きたのか、誰が悪いのかと思ったときに「私が悪い」というしかないから、生きづらい思いをするのである。これを、「私が悪い」という代わりに「貧乏が悪い」、「社会が悪い」、「学校が悪い」、「先生が悪い」、それから「資本家が悪い」とか言えたらラクである。(上野、64~65ページ)
それなのに、誰も自分以外の人を悪いと言えず、責めることができないために、自分自身を責めるほかない。それで攻撃衝動が我と我が身(われとわがみ)に向かう。なぜそういうことが起きたのか? (それは社会学者によると)「社会が変わったから」(中略)社会環境やルールが変わったからである。(上野、65ページ)
(その一つが)いわゆる「ネオリベ改革」(「ネオリベラリズム」つまり「新自由主義」改革)と言われるものである。(上野、66ページ)
ネオリベこと新自由主義とは、ごく簡単に言うと市場万能主義のことである。公平な競争のもとで勝ち負けを争って、勝ったら勝者の能力と努力のおかげ、負けたら敗者の無能と怠惰のせい。そういう「自己決定・自己責任」の原理をさす。規制緩和をして勝者が残り敗者は退出する市場の原理に委(ゆだ)ねたほうが、財の最適配分ができるようになるという考え方のことである。(上野、67ページ)

「生きづらさ」と不安
「生きづらさ」の精神構造は、不安と似ているのである。あるいは「生きづらさ」の原因は漠然とした不安感なのではないかとさえ思う。自分自身が何者であるかの不安、自分の将来や可能性にたいする不安、人が自分をどう見ているのかについての不安、この社会の先行きに関する不安、そうしたもろもろの不安が、私たちの精神や生活を脅かし、「生きづらい」感覚をもたらしているように思えてならない。(嶋根、209ページ)
不安そのものを完全になくすことはできない。しかし不安に直面したとき、その原因が何に由来しているかを知れば、不安はやわらぐものである。同じように、私たちが何となく感じている「生きづらさ」も、他の人や他の社会と引き比べてみた

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り、その原因が私たちの外部にあることを知ったりすることで、「生きづらさ」の感覚を多少なりとも乗り越えていくことができるかもしれない。(嶋根、209~210ページ)

〇以上の諸言説のなかで、河添の「貧困者にとって、『自立』は存在しえない」「貧困と『自立』は両立しえない」([2]19ページ)という言葉から思い出すことがある。1956年11月から1963年7月にかけて、岸勇(当時・日本福祉大学)と仲村優一(当時・日本社会事業大学)との間で、公的扶助とケースワークの位置づけをめぐって展開されたいわゆる「岸・仲村論争」である。ここでは、その論争に関する加藤園子(当時・立命館大学)の一文を紹介しておくことにする。「今は昔」ではなく、「今も昔(も変わらない)」である。

岸説では「最低生活保障」と「自立助長」をあいいれるものとしてではなく、本来分離、対立したものとして位置づけている。そこでは、公的扶助にケースワークが導入される根拠となった「自立の助長」の意味について、自立の基本的要素は経済的自立であり、自立の喪失が社会的原因にもとづくものである以上、自立は国家の雇用政策によってはじめて助長されるものであること、そして、これに反して公的扶助の目的である最低生活保障それ自体は決して自立を助長するものではありえず、そこではむしろ「自立」という概念が似而非(えせ)なる意味にすりかえられ、その強調は、実は保護の制限と引きしめの意図がその背後に政策的に存在することを厳しくとらえねばならないとしている。そして「自立の助長」と関連して公的扶助にケースワークが導入された目的もまさにその民主主義的体裁によるにすぎず、保護引き締め強化による対象者の人権侵害の事実や公的扶助のもつ救貧法的本性をそれによって隠蔽・合理化することに役立てられてきているとして、仲村説と真っ向から対立することとなった。
(加藤園子「仲村・岸論争」真田是編『戦後日本社会福祉論争』法律文化社、1979年9月、91~92ページ)

 

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15/激変時代を生き抜くための原理(9+1)
              ―伊藤穣一(起業家)とジェフ・ハウ(ジャーナリスト)から学ぶ―

〇伊藤穣一(いとう・じょういち)、ジェフ・ハウ著/山形浩生訳『9プリンシプルズ―加速する未来で勝ち残るために―』(早川書房、2017年7月。以下[1])を読んだ。その原著は、Whiplash: How to Survive Our Faster Future(Grand Central Publishing,2016)である。原題の“Whiplash”は「むち打ち症」である。[1]では、常識自体が激しく変化している現代という時代を生き抜くための処方箋――「9つの原理」(9プリンシブルズ)が示されている。「しなやかさと引く知恵とコンパスを持って」(168ページ)生きる、というのがそのひとつである。
〇「むち打ち症」になりかねないほどの高速で激変する未来(あす)を生き抜くには、どうすべきか。[1]では、その原理(指針)について、イノベーション(変革)をめぐる多くのトピックやエピソードを解説しながら提示する。その論考は、圧倒的な知性を自在に操(あやつ)るものであり、深く広い。難解なところもあるが、刺激的で興味深く、おもしろい。
〇[1]においては、現代社会の特徴は「非対称性」(asymmetry)、「複合性」(complexity)、「不確実性」(uncertainty)にある。「非対称性」(不均等・偏り)は、かつては大きな力に対抗するためには、同等の組織や強さを要した。今日では、小さなものが大きなものに脅威を与えている。「複合性」は、異質性、ネットワーク、相互依存性、適応性の4つの要素から成り立っている。「不確実性」は、これまで人類の成功は正確に予測する能力と直結していた。しかしいまの時代は、未来(あす)を見通すことができなくなっており、無知を認めることのほうが戦略的に優位性を持っている(30~35ページ)、等々を含意する。
〇こうした大きな社会変革が進むなかで、今後の時代や社会において重要になるのが次の「9つの原理」である。(1)権威より創発、(2)プッシュよりプル、(3)地図よりコンパス、(4)安全よりリスク、(5)従うより不服従、(6)理論より実践、(7)能力より多様性、(8)強さより回復力、(9)モノよりシステム、がそれである。以下に、その要点を抜き書きすることにする。なお、各項目の次に記したキャッチーなフレーズは、訳者・山形によるものである。

(1)権威より創発(emergence over authority)/自然発生的な動きを大事にしよう
伝統的なシステムだと、製造業から政府まで、ほとんどの意志決定はトップが行っていた。従業員は製品やプログラムを提案するよう奨励はされても、専門家と相談してどの提案を実施するか決めるのは、管理職や権威を持つ他の人々だった。このプロセスは通常はゆっくりしており、何層もの官僚主義に包まれ、保守的な手順主

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義に妨害を受ける。
創発的なシステムは、そのシステム内のあらゆる個人がグループに役立つ独自の知性を持っていると想定する。その情報は、人々がどんなアイデアやプロジェクトを指示するか選択するとき、あるいはそうした情報を得てイノベーションに使うときに共有される。(55~56ページ)

(2)プッシュよりプル(pull over push)/自主性と柔軟性に任(まか)せてみよう
人的資源の最高の使い道は、必要なものだけを、必要とされるときだけに使って、人々をプロジェクトに引き込む(プルする)ことだ。タイミングが鍵となる。創発は問題解決に多くの人々を使うという話ではあるけれど、プルは、この発想をもう一歩先に進め、必要なものを、それがまさに最も必要とされているときにだけ使う。(75ページ)
「プル」は資源を参加者のネットワークから必要に応じて引き出し、材質や情報を抱え込んだりはしない。既存企業の管理職にとって、これは費用削減をもたらし、急変する状況に対応する柔軟性を高め、最も重要な点として自分の仕事のやり方を考え直すのに必要な創造性を刺激することになる。(80ページ)

(3)地図よりコンパス(compasses over maps)/先のことはわからないから、おおざっぱな方向性で動こう
地図は、その土地についての詳細な知識と、最適経路の存在を含意している。コンパスは、はるかに柔軟性の高いツールだし、利用者が創造性と自主性を発見して自分の道を見つけなければならない。地図を捨ててコンパスを取るという決断は、ますます急速に動くますます予測不能な世界では、詳細な地図は無用に高いコストをかけて、人を森に深く引き込んでしまいかねない、という点を認識している。でもよいコンパスは、常に行くべきところに導いてくれる。(106ページ)
地図よりコンパスを重視すれば、別の道を探究したり、回り道を有効に使ったり、予想外の宝物を見つけたりできるようになる。(106ページ)

(4)安全よりリスク(risk over safety)/ルールは変わるものだから、過度にしばられないようにしよう
現代の低コストイノベーションの可能性をすべて活用するにはこれ(安全よりリスク重視)が不可欠だ。(中略)これはますます、製造業、投資、アート、研究のイノベーションでも重要なツールになりつつある。(140ページ)
安全よりリスクに注目する潜在的な便益は、金銭的な利得をはるかに超える。(中略)これ(安全よりリスク重視)は投資と製品開発の古い階層モデルでは閉め出されていた人々にとって、各種の新しい機会を提供する。(142ページ)

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これ(安全よりリスク重視)はあらゆるリスクの高い提案を盲目的に支持しまくる必要はないけれど、イノベーターたちや投資家たちに、いま何かをやる費用と、何かを先送りにしようか考える費用とをてんびんにかけるよう促すものだ。(143ページ)

(5)従うより不服従(disobedience over compliance)/むしろ敢(あ)えてルールから外れてみることも重要
不服従、特に問題解決のような極度に重要な領域での不服従は、しばしばルール準拠より大きな見返りをもたらす。イノベーションには創造性が必要で、創造性は――善意の(そしてあまり善意でない)管理職たちの大いなるフラストレーションの源(みなもと)ではあるけど――しばしば制約からの自由を必要とする。(中略)偉大な科学的進歩に関するルールは、進歩のためにはルールを破らねばならないということだ。言われた通りにしているだけでノーベル賞を受賞できた人はいないし、だれかの設計図にしたがっていただけでノーベル賞をもらえた人もいない。(167ページ)

(6)理論より実践(practice over theory)/あれこれ考えるより、まずやってみよう
理論より実践ということは、加速する未来では変化が新しい常態となるので、実際にやって即興するのに比べ、待って計画するほうが高い費用がかかるということを認識するということだ。古き遅き日々なら、計画は――ほとんどどんな活動でもそうだけれど、特に資本投資を必要とするもの――金銭的なトラブルと社会的な後ろ指を指されかねない失敗を避けるのに、不可欠なステップだった。でもネットワーク時代では、主導的な企業は失敗を受け入れ、奨励さえしている。いまや(中略)各種のものの立ち上げは、価格面でも大きく下がり、ビジネスは「失敗」を安上がりな学習機会として受け入れるのがごく普通になっている。(194ページ)

(7)能力より多様性(diversity over ability)/ピンポイントで総力戦やっても外れるから、取り組みもメンバーも多様性を持たせよう
人はつい、ある分野で最も賢く最もよい訓練を受けた人々――専門家――がその得意分野の問題解決に一番向いていると思いがちだ。(224ページ)
さまざまな局面で、多様性のある集団のほうが生産的だと実証する研究は増える一方で、このため多様性は学校や企業やその他の組織にとって戦略的に重要となりつつある。多様性は政治的にもいいし、宣伝にもいいし、その人の人種やジェンダーの平等への取り組み次第では善行にもなる。でも各種の課題のほうでも最大限の複雑性を持ちかねない時代にあっては、多様性は単によいマネジメントだ。これは多様性が能力を犠牲にすると思われていた時代からは驚くほどの変化だ。(225ページ)

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(8)強さより回復力(resilience over strength)/ガチガチに防御をかためるより回復力を重視しよう
強さより回復力を示す古典的な例は、葦(あし)と樫(かし)の木の物語だ。台風が吹き荒れたとき、鋼鉄のように強い樫の木は砕けるが、柔軟で回復力のある葦は低くたわみ、嵐が通り過ぎるとまた跳ね起きる。失敗に抵抗しようとして、樫の木はかえってそれを確実にしてしまったわけだ。(243ページ)
長期では、強さより回復力を重視することで、組織がもっと活気ある、堅牢(けんろう。頑丈)で、ダイナミックなシステムを発達させる一助となるだろう。これはとんでもない破綻に対してずっと耐性が高い。はるか遠い偶発事に備えて資源を取っておいたりしないし、不要な手続きだの手順だのに過剰な手間暇を支出したりもしないので、予想外の嵐をも乗り切れるようにする、組織的な健康のベースラインを構築できる。(246ページ)

(9)モノよりシステム(systems over objects)/単純な製品よりはもっと広い社会的な影響を考えよう
ごく最近まで、科学は脳研究に対し、腎臓研究と同じやり方で取り組んできた。言い換えると、研究者たちは脳という器官を研究対象のモノとして扱い、その解剖学、細胞構成、体内の機能などに専門特化して生涯のキャリアとした。でもエド・ボイデン(神経科学者)
はこの学術的な伝統には属していない。(中略)かれのグループは、脳を名詞よりは動詞として扱うほうが多く、独立した器官よりはむしろ重なりあうシステムの焦点として扱い、そうしたシステムを理解するには、その機能を定義づける変化し続ける刺激群の文脈を考えねばならないとしている。(268~269ページ)
各分野のあいだやその向こうの空間は、学術的にはリスクが高くても、競争は少ないことが多いし、有望で風変わりなアプローチを試すにも必要な資源は少なくてすむ。そしていまはあまりうまくつながっていない既存分野間のつながりを開封することで、すさまじいインパクトをもたらせるかもしれない。(282ページ)

〇以上の原理(処方箋)はそれぞれ、「お互いと重なりあり、補いあうようにできている(順番は重要度とは関係ない)」。そして、「9つの原理」や[1]全体に通底する「原理」に、「教育より学習」(learning over education)がある([1]38ページ)。本稿のサブタイトルの「9+1」が意味するところである。なお、その「学習」は自分でやること、「教育」はだれかにしてもらうことをいう([1]38ページ)。
〇ここで、かつて日本建築学会が提示した「まちづくりの10原則」について思い起こしたい。(1)公共の福祉の原則、(2)地域性の原則、(3)ボトムアップの原則、(4)場所の文脈の原則、(5)多主体による協働の原則、(6)持続可能性、地域内循環の原則、(7)相互編集の原則、(8)個の啓発と創発性の原則、(9)環境共生の原則、(10)グローカルの原則、がそれである(日本建築学会編『まちづく

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りの方法』丸善、2004年3月、3~4ページ)。この「まちづくりの10原則」に「9つの原理」(「9+1」の原理)を掛け合わせて考えてみると、「まちづくりと市民福祉教育」の実践や研究の新たな視点・視座や問題あるいは課題を見出すことができようか(図1)。留意したい。それは、激しい世界の動きや時代の流れとそれが個別具体的に反映される地域・社会において、その動きや流れをおもしろいと感じ、その現状を変革する方向性を見出し、変革する力を育てることが強く求められる、と思うからである。誤解を恐れずにそれを別言すれば、“おもしろさの探究と創造”であろうか。

補遺
日本建築学会 「まちづくりの10原則」
(1)公共の福祉の原則
居住環境や町並み景観、地域経済、教育・文化など、地域社会の 公共の福祉に関わる事項を維持向上させ、安全性、快適性、保健・衛生などの基礎的な生活の場の条件、文化的な生活のための条件を整え、公共の福祉を実現する。
(2)地域性の原則
それぞれの場に存在する多様な(社会的、物的、文化的、自然的、歴史的な)地域資源とその潜在力を生かし、固有の地域性に立脚して進められる。
(3)ボトムアップの原則
公権力の行使としての都市計画や巨大資本による都市開発とは異なり、地域社会の住民と市民の発想を元に、地域社会における下からの活動の積み上げにより、その資源を保全し、地域社会を持続的に改善し、発展向上させる。

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(4)場所の文脈の原則
歴史・文化の集積としての「場所の文脈」に対する共通理解の元で、社会・空間をその延長としてデザインし維持運営する。ここで言う場所の文脈とは、歴史的に積み重ねられた行為がそれぞれの場所に集積され生活を支える基盤となっているもので、それぞれのまちの社会と空間を支える基本であるとの認識である。
(5)多主体による協働の原則
個人やそれぞれの組織が自立しつつ、補完し合い、連携・協働して、活動する。このことは、一つのまちづくり活動の内部においても、さまざまなまちづくりが連携する場面においても、共通である。
(6)持続可能性、地域内循環の原則
持続可能な社会と環境を目指して、一挙に特定の目的を達成するのではなく、時間をかけた漸進的な過程を経ながら地域社会を構成する多様な主体の参加を得て持続的に進められる。そして、資源や財産、そして人材が地域内に循環し、持続可能な地域社会を維持しながら運営される。
(7)相互編集の原則
目標とする将来像が事前確定的ではなく、個々のまちづくり活動の成果が相互作用の過程を経ながら整合的に組み立てられ、徐々に「まち」の全体を形づくる。このプロセスを相互編集、相互デザインと呼ぶ。地域の内から、そしてボトムアップで全体を編集するのであり、それを導くのが目標空間イメージの共有とその持続を支える仕組みと技術である。
(8)個の啓発と創発性の原則
住民一人一人、個々のまちづくり組織の個性と発想が生かされ、個の自立と創発性により、それぞれが高め合いながら地域が運営されまちづくりが進められる。
(9)環境共生の原則
自然、生態学的環境の仕組みに適合し、物的環境を維持発展させる。そして、個々のまちづくりの活動の集積が広域的な生活圏、例えば河川の流域圏などの都市と農山漁村の複合環境体を維持向上させ、さらにそれらの集積である地球環境システムの維持に貢献する。
(10)グローカルの原則
地域性に立脚しながらも、常に地球的な視野で構想し、さまざまなネットワークに自らを位置づけ、活動する。まちづくりも、地域という境界を越えボーダレスな情報や知恵の交換が進められ、まちづくりの境界を越えて相互編集される。21世紀のグローバル社会の中では、地域性の原則を維持し、しかし地域に閉じこもるのではなく、拓かれた活動としてのまちづくりが展開されている。グローバルで、かつローカルな視点と行動が求められているのである。
(日本建築学会編『まちづくりの方法(まちづくり教科書第①巻)』丸善、2004年3月、3~4ページ)

 

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16/「知的生産」:「知る」ことと「考える」こと
                 ―外山滋比古(英文学)と千葉雅也(哲学)から学ぶ―

〇「知的生産」という言葉は、梅棹忠夫(うめさお・ただお、専攻は民族学)の造語である。梅棹は、「京大型カード」の発案者であり、情報管理の「古典」と評される『知的生産の技術』(岩波書店、1969年7月。以下[1])を著わしている。[1]で梅棹は、エッセイふうに次のように述べている。

知的生産とは、知的情報の生産である。既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、そこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである。それは、単に一定の知識をもとでにしたルーティン・ワーク以上のものである。そこには、多少ともつねにあらたなる創造の要素がある。知的生産とは、かんがえることによる生産である。(11ページ)

人間の知的活動を、教養としてではなく、積極的な社会参加のしかたとしてとらえようというところに、この「知的生産の技術」というかんがえかたの意味もあるのではないだろうか。このような意味での知的生産であるならば、それは、現代にいきる人間すべての問題ではないか。(中略)すべての人間が、その日常生活において、知的生産活動を、たえずおこなわないではいられないような社会に、われわれの社会はなりつつあるのである。(12ページ)

〇異例のロングセラーやヒットとなっている「思考」や「勉強」に関する2冊の本がある。外山滋比古(とやま・しげひこ、専攻は英文学)の『思考の整理学』(筑摩書房、1983年3月。以下[2])と千葉雅也(ちば・まさや、専攻は哲学)の『勉強の哲学―来たるべきバカのために―』(文藝春秋、2017年4月。以下[3])である。筆者の手もとにある[2]は、1986年4月発行の文庫本であるが、その帯(おび)には「東大・京大で1番読まれた本」「“もっと若い時に読んでいれば…”」というキャッチコピーがある。[3]のそれには、「東大・京大でいま1番読まれている本!」「勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである」とある。ともに読者の、「学歴」(「東大・京大」)や「人生」(「過去・現在・未来」)への思いを刺激し、その感情(「後悔や希望」)を巧みに煽(あお)る。不安や不満が渦巻く現代社会(格差社会、管理社会、閉塞社会)の時流やニーズを反映した本でもある。
〇[2]で外山は、「思考」の本質と方法(具体的な“秘伝”であり、単なるハウツーではない)についてエッセイ的に解説する。その基本には、「知識よりも思考の方が重要である」という主張がある。筆者が再認識しておきたい言説には、次のようなものがある(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

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グライダー能力と飛行機能力
人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。
指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。(「グライダー」13、15ページ)

思考を寝させる
アイデアと素材さえあれば、思考は進むか、というと、そうではない。これをしばらくそっとしておく必要がある。“寝させる”のである。思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない。思考を生み出すのにも、寝させるのが必須である。
努力をすれば、どんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。努力しても、できないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。(「醗酵」32ページ。「寝させる」40、41ページ)

テーマの設定
「テーマはひとつでは多すぎる。すくなくとも、二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい」。ひとつだけだと、これがうまく行かないと、あとがない。こだわりができる。妙に力(りき)む。頭の働きものびのびしない。ところが、もし、これがいけなくとも、代りがあるさ、と思っていると、気が楽だ。テーマ同士を競争させる。いちばん伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から近づいてくる。
“熟したテーマは、向うからやってくる”(「カクテル」43ページ。「醗酵」35ページ)

知識の組み合わせと順序
思考における思いつき、着想は、第一次的なものである。単独ではさほど力をもっていないようないくつかの着想があるとする。そのままにしておけば、たんなる思いつきがいくつか散乱しているに過ぎない。それに対して、自分の着想でなくてもよい。おもしろいと思って注意して集めた知識、考えがいくつかあるとする。これをそのままノートに眠らせておくならば、いくら多くのことを知っていても、その人はただのもの知りでしかない。“知のエディターシップ”(既存の知識を編集によって、新しい、それまでとはまったく違った価値のあるものにすること)、言いかえると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさ

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して問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となるのである。
本当のカクテル論文(すぐれた学術論文)は、諸説を照合・参照して調和折衷(「新しい結合」「自由な化合」)させ、人を酔わせながら、独断におちいらない手堅さをもっている。(「エディターシップ」51ページ。「カクテル」47ページ)

知識の蓄積と忘却
頭の優秀さは、記憶力の優秀さとしばしば同じ意味をもっている。これまでの教育では、知識をどんどん蓄積することが重視されてきた。しかし、これからは、新しいことを考え出し、作り出す「創造的人間」が問題になる。頭に、勉強し習得した知識を保存保管するだけでなく、不要になったものを、処分し、整理し、広々としたスペースをとる必要がある。頭をよく働かせるには、この“忘れる”ことが、きわめて大切である。
思考の整理には、忘却がもっとも有効である。不易(不変)の知識のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりうるはずである。(「整理」110~112、115ページ。「時の試練」127ページ。「すてる」133ページ)

〇[3]で千葉は、「勉強」の原理論と実践論(「勉強を進めるための基礎的なテクニック」)について哲学的に論述する。その最初に提示する基本的なテーゼは、「勉強とは、これまでの自分の自己破壊である」。筆者がメモっておきたい言説には、次のようなものがある(要約と抜き書き。見出しは筆者)。

勉強とは「自己破壊」であり、「変身」することである
人は基本的には、家族や学校、会社、地域・社会など周りの環境の「ノリ」に合わせて生きている(環境への「同調」「適応」「順応」)。
勉強するのは、環境や同調圧力(「みんな同じようにしなさい」「出る杭は打たれる」)によって狭められた人生の「可能性」を切り開き、これまでのノリから「自由」になるためである。その意味で、勉強とは、かつての「ノっていた自分」を破壊し、わざと「ノリが悪い」人になることである。具体的には、勉強によって身につけるのは「批判的になる」ことであり、ノリの悪い「言語」を使用すること(「言語偏重」の人になること)である。それは、環境から「浮く」ことであり、周りから見て「キモい人」になることでもある。
要するに、勉強とは「自己破壊」であり、「新しいノリ」に引っ越すこと、新しい生き方に「変身」することである。(第1章「勉強と言語―言語偏重の人になる」)

勉強は情報の比較を「中断」し、「有限化」することが必要である
勉強は、いま気になっていること、「問題意識をもつ」ことから始まる。ただ、勉強にはきりがなく、「深追い」しすぎると「目移り」してしまうことがある。「深

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追い」(「アイロニー」「ツッコミ」)とは根拠を疑うこと、「追究」であり、「目移り」(「ユーモア」「ボケ」)とは見方を変えること、「連想」である。この二つは、「深い勉強」(「ラディカル・ラーニング」)のための思考スキルである。
勉強とは、何らかの専門分野に参加することである。専門分野の勉強は、「深追い」方向と「目移り」方向にきりがなくなる。そこで、勉強する際には、「まずこれだけ」「ここまで」「ひとまずこれを勉強した」というように勉強を「有限化」する(きりをつける)。そして、継続すること、が肝要となる。そのためには、「信頼」できる著者による「まとも」な本を読むことが基本となる。その読書から得た信頼できる情報を自分なりに考えて比較し、ある結論、しかし絶対的なものではなく仮の結論を出す。それは、自分の「こだわり」(「享楽」)によるが、この「比較の中断」「結論の仮固定」を比較の継続のなかで進めることが勉強を継続し、深めることである。
なお、「このくらいでいい」という勉強の「有限化」をしてくれる存在(「有限化の装置」)が教師である。また、勉強するにあたって「信頼」すべき他者は、「粘り強く比較を続けている人」「たえず勉強を続けている他者」である。(第2章「アイロニー、ユーモア、ナンセンス」、第3章「決断ではなく中断」、第4章「勉強を有限化する技術」)

〇「知る」ことと「考える」こと(「知識」と「思考」)は、例えば、「一次資料と二次資料」「量的データと質的データ」「既知のことと未知のこと」「伝達の言語と思考の言語」などの取り扱いや、「インプットとアウトプット」「概念くずしと概念づくり」「具体的思考と抽象的思考」「拡散的思考と収束的思考」などの取り組みが問われることになる。また、管見ながら、勉強とは、関心と疑問から始まり、ゆとりと自由のなかで知識の習得と思考の推進を図り、それを一所懸命に行い、未来(あす)の地域・社会を創るために繰り返すこと(活動と過程)である。改めて梅棹と外山、そして新たに千葉の「勉強論」を通じて再認識し、学んだことのひとつである。なお、[1][2]が長い時間を超えた「古典」と言われ、[3]が「いま」注目されるのは、その是非は別にして、単なるハウツー本ではなく、現代社会が求める「知的生産」の思想書(哲学書)であるからでもある。
〇筆者はかつて、「住民の生活の匂(にお)いがする場に自分の身を置く」「フィールドの地べたを這(は)う」「一人ひとりの高齢者や障がい者などの人生に思いを致す」勉強や研究の重要性を説いてきた。そして、歴史的・社会的事象に相対する際に求められる姿勢は、「関心と感動」「緊張と集中」である。また、次のようにも言ってきた。(1)すべてを疑い、問題意識の明確化を図ること。(2)微視的かつ俯瞰的、複眼的視点をもつこと。(3)第一次的現実とともに、歴史から学ぶこと。(4)先行研究や、使える理論や方法について熟考すること。(5)量的研究と質的研究を組み合わせ、多面的・多層的に考察すること。(6)関連および周辺領域の知見を広範に参照すること。(7)協働的活動によって思考を拡散・焦点化、深化させること。(8)既存

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のものに偏重せず、新たな仮説の探索や設定・検証に基づくこと。(9)グラフや概念図を作成することによって、思考を視覚化すること。(10)信頼性や独創性・先駆性、そして倫理性を重視すること、などがそれである。付記しておきたい。

 

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ワンポイントメモ23+3/日本社会・まちづくり・教育づくり/視点と論点

 

まえがき

筆者はここ数年、「まちづくりと市民福祉教育」の思想や哲学、原理や価値についてどう考えるか、市民福祉教育の実践や研究の根底にはいかなる生命観・人間観、世界観を必要不可欠とするか、「まちづくり」や「教育づくり」について探究するにあたってその前提として「日本社会」や地域・社会の実態をどう把握するか、そんなことを考えてきた。見るべき成果は皆無であり、 慚愧(ざんき)に堪えないが、本冊子はそのとてつもなく大きな課題にアプローチしてきた際のひとつのメモでもある。
ここでは、ウェブサイト(「市民福祉教育研究所」)を開設した頃に参加した愛知県T市のボランティア研修会(テーマ「まちづくり・ボランティア・市民福祉教育」)における拙い話(講演録)を転載し、「まえがき」にかえることにする。裏テーマは、「滅私奉公・滅公奉私・活私開公」である。

*  *  *

公共哲学や社会思想史がご専門の、哲学者である山脇直司(やまわき・なおし)という先生が書かれた本に、『社会とどうかかわるか』とい本があります。2008年11月に、岩波ジュニア新書の一冊として刊行されておりますので、ご一読いただければと思います。
山脇先生は、その本で、「社会とのかかわり方」には3つのパターンがある。「社会とのゆがんだかかわり方」は「滅私奉公」(めっしほうこう)と「滅公奉私」(めっこうほうし)というライフスタイルや価値観である。「社会との理想的なかかわり方」として推奨したいのは「活私開公」(かっしかいこう)というライフスタイルや社会観である、といっています。
「滅私奉公」は、自分も他者も、国や会社、規律やイデオロギーのために犠牲となることを強いられるような、「社会とのかかわり方」です。そこでの人間関係は、一人ひとりの「私」を活かすようなものではなく、国家の命令、会社組織、学校の規律、党のイデオロギーなどによって支配されています。
「滅公奉私」は、他者とのつながりを切断するか、あるいは、他者とのつながりに興味を示したとしても、自己利益の追求の延長でしかないような「社会とのかかわり方」です。滅公奉私を生きる人にとって、身内や友だちや仲間以外の他者は、赤の他人にすぎません。このような「社会とのかかわり方」では、公共世界の重要な要素である福祉などの「公共善」をつくっていくことについては、きわめて消極的な姿勢しか生まれません。
「活私開公」という「社会とのかかわり方」においては、「一人ひとりの個性を活かすような」仕方で他者とコミュニケーションをし、平和、人権、福祉など、共有しあえる「公共善」の実現を願います。また、戦争、人権弾圧、貧困、差別、環境破壊などの公共悪や、地震、津波などの災禍の現状をできるだけ的確に認識し、その除去や救援のためになんらかの努力をします。
要するに、「滅私奉公」は、自分を犠牲にして、国や地域・社会のために尽くす精神を意味します。この考えや行動は、全体主義につながります。この考えやライフスタイルは、1930年代以降戦時体制が進むなかでのものですが、それは戦後日本においても形を変えて生き残っています。
「滅公奉私」は、社会全体に関することつまり「公共」(public)のことを無視して、自分と身内や仲間の利益だけを追求する精神を意味します。この考えや行動は、利己主義を蔓延させることになります。そこでは、「公平」(equity)や「公正」(fairness)が失われます。
「活私開公」は、一人ひとりの個人の生き方を尊重し、「私」(個性)を活かしながら、共に分かち合い、共に手を携えて豊かに生きる地域・社会を創る(「開花させる」)精神を意味します。この考えや行動は、社会福祉の原理のひとつであるノーマライゼーションや社会的包摂(ソーシャルインクルージョン)の思想につながります。それはまた、ボランティア活動の4原則ともいわれる(1)自発性・主体性、(2)社会性・連帯性、(3)無給性・無償性、(4)先駆性・開拓性に通じることにもなります。
いうまでもなく、「活私開公」という考え方やライフスタイルは、誰もが、自然に身につくものではありません。そこには教育や学習が必要になります。国や行政に対しては、一定の距離を保ち、ある種の緊張関係をもちながら、一人ひとりの住民が主体的・自律的・自治的に、いわば「下からの公共」「草の根からの公共」を創りあげて行くことが強く求められます。それこそが本当の、質の高い「公共」といえます。
そこに求められるのは、「市民」(citizen)としての自覚と資質・能力を育てるための「市民性形成」、福祉に引き付けていえば「市民福祉教育」です。
ボランティアは、市民「参加」やボランティア「派遣」という名の「動員」や、行政の「下請け」や「補完」を行うものではありません。ボランティアは、主体的で自律的・自治的な、そして「草の根」(grass roots)の活動や運動である、ということに思いを致していただければ幸いです。
なお、蛇足ですが、「滅公奉私」という言葉は1980年に社会学者の日高六郎(ひだか・ろくろう)が造った言葉であり、「活私開公」という言葉は山脇先生の友人である韓国人の金泰昌(キム・テーチャン)という方の造語である、と山脇先生はおっしゃっています。

                             2022年6月25日/阪野 貢

 

ⅰ~ⅱ

ⅲ~ⅳ

 

01/「相当やばい国」日本
            ―「奇跡」の幻想と「経済発展」の死語―

〇筆者の手もとに、本田由紀(ほんだ・ゆき、教育社会学専攻)の、中・高校生向きに書かれた『「日本」ってどんな国?―国際比較データで社会が見えてくる―』(〈ちくまプリマー新書〉筑摩書房、2021年10月。以下[1])という本がある。[1]で本田は、「家族」「ジェンダー」「学校」「友だち」「経済・仕事」「政治・社会運動」「『日本』と『自分』」の7つのテーマを取り上げ、系統的に国際比較データを提示しながら日本という国の特殊性や後進性などをあぶりだす。日本は、「奇妙な国」「相当やばい国」である。そんな日本という国のあり方を真面目に考え、諦(あきら)めないでこれからの「進み行き」を少しでも良くしていきたい。「あきらめたらすべては終わりです。日本も、世界も、そして個々の人間――あなたも、私も」(257ページ)。本田の、中・高校生に対するメッセージである。それはそれ以上に、大人に対するものでもある。
〇本田が各テーマごとに提示する、世界の潮流から乖離した統計データ(とりわけ下位に位置する統計項目のデータ)と、その分析に基づく主要な論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。統計データの出典は一部のみ)。

家族
●日本における家庭生活の満足度は31カ国中、男性では27位、女性では29位と、非常に低い位置にある。(ISSP〈国際社会調査プログラム〉、2012)
●若者(13歳から29歳)が父親・母親との肯定的もしくは親密な関係性について、「あてはまる」と答えた比率は、日本が7カ国中、最低である。(内閣府、2018)

日本では、一方では古い家族観が根強く、政府も家族を美化したり様々な社会的責任を押しつけたりするようなふるまいが著しい。他方では現実の家族は成立や維持が難しくなったり、家族間の関係が不十分であったり壊れていたりし、また家族が人々の間の格差や分断を生み出し続けているという問題も抱えている。(50~51ページ)

いま必要なのは、古い家族像を理想化したり、家族が担い切れないほどの負担を負わせたりすることではなく、どのように異例な「家族」であったとしても、あるいは一人で独立して生きていく場合であっても、安心して、かつ尊重されて人生を送れるようにすることである。そのためには、個々人を単位として、生命と生活を維持することができるためのモノ(住居や食品など)やサービス(医療や教育など)が、普遍的に確保できるような方向に向かっていくしかないのである。(51ページ)

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ジェンダー
●国会議員に占める女性比率は37カ国中、最下位、企業の管理職に占める女性比率も33カ国中、最下位である。(OECD〈経済協力開発機構〉、2019)
●日本の15歳から64歳の男性の1日当たりの無償労働時間(家事・育児・介護など)は41分で、30カ国中、最低である。女性は224分で、男性との落差は大きい。(OECD統計より本田作成)

日本の女性は総じて「公的」な立場から排除され、仕事の世界でも男性との不平等は根強い。男性の「家庭進出」が停滞し、今なお「男は仕事、女は仕事も家庭も」が望まれている。「女性活躍」は実現されていないのである。(65~69ページ)

何より重要なことは、男性であっても女性であってもセクシャルマイノリティであっても、誰もが対等な人間であり、誰もが他者から敬意を払われ、自分の望みを表明したり行動に表したりできるような社会にしてゆくということである。そのためには、男性/女性という区分を、ぐらつかせていくことが必要となる。体のつくりが自分とは少し異なるだけの相手を、侮蔑(ぶべつ)したり依存したり憎悪したりすることが、いかに愚かなことか。何かの「らしさ」にはまらなくとも、あなたはあなたであるだけで十分なのである。男性/女性「らしさ」に捉われているのは本当につまらないことである。(94、95ページ)

学校
●日本は34カ国・地域中、「試験不安」(テストが難しいのではないか、悪い成績をとるのではないかという心配)は高く、「学習への動機づけ」は非常に低い。(OECD・PISA〈生徒の学習到達度調査〉、2015)
●日本の中学校における1学級当たりの児童生徒数は、33カ国中、32人と最多である。(OECD、2020)
●日本の中学校の教員は、1週間当たりの労働時間は48カ国中、最長の56時間を数え、文字通り世界一、多忙である。(OECD・TALIS〈国際教員指導環境調査〉、2018より本田作成)
●2009年と2018年において、日本の学校では内外におけるコンピューターやインターネットの(ICT:情報通信技術)の活用が、他国と比べて非常に遅れている。(OECD、2009、2018)
●「求めるスキルをもつ人材が採用できない」と回答した企業の比率は、26カ国中、一番高い。(Manpower Group、2015)

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日本の教員たちは授業をうまく行うことにはかなり長(た)けており、それによって日本の生徒は国際学力調査で高い成績を示すことができている。しかし、日本の教員は、個々の児童生徒の学習状況を個別にフィードバックしたり、学ぶことの価値や物事を根底から考えさせたりすること(「学習の価値」「批判的思考」)については、うまく行えていない。その背景には、教室内の児童生徒数が多いことや、教員の多忙さ、ICT化の遅れ、異常に厳しいルールで児童生徒をしばる行為などがある。(113~114、121、127ページ)

他国と比べて特殊で「異様」な面がたくさんあり、国全体を覆う巨大なシステムである「学校」を変えることはとても難しい。だからこそ、当事者である児童生徒や教員、保護者を含め、多くの人たちに、変えるべきことは変えてゆくという決意や行動が必要とされる。(138ページ)

友だち
●「家族以外の人」(「友人、職場の同僚、その他社会団体の人々」)との交流が「ない」と答えた人の割合は、日本では15.3%と、20カ国中、最も高い。(OECD、2005)
●1週間当たりの「社会的交流時間」(家族との交流を含む)は2時間、日本は24カ国中、とびぬけて最下位である。(OECD、2020)
●「過去1カ月の間に、助けを必要としている見知らぬ人を助けましたか?」という質問に「はい」と答えた比率は、日本では25%、調査対象国140カ国中、139位である。(アメリカの世論調査会社・Gallup社、2015)
●「暮らし向きの良い人は、経済的に苦しい友人を助けるべきだ」への賛否について、「そう思う」と答えた比率は、30カ国中、他国を引き離して最下位である。(ISSP、2017より本田作成)

日本の社会は、他国に比べて、人への冷淡さや不信が強い。日本では「絆」とか「団結」とかが称賛されることがしばしばあるが、社会の実態はそれらとはほど遠く、ばらばらに切り離され相互に警戒し合うような関係のほうが、広がってしまっている。「友だち」に関する日本の特徴は、「友だち」の少なさや格差、それらが人生のあとになるほど著しくなること、「友だち」が同質的な相手に限られがちであること、そして「友だち」以外のより広い他者との関係も希薄であることなどである。(166、169ページ)

ちょっと話す、ちょっと笑う、互いに傷つけない関係が少しあるだけで十分な人もいる。自分と全然ちが属性や境遇の人の存在に触れてみるだけでもよい。型にはまらない、いろいろな関係が可能な社会にするにはどうすればいいか、この難題について考えることが求められる。(170ページ)

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経済・社会
●1週間当たり49時間以上(長時間労働)働いている人の比率は、やや減ってきているとはいえ、16カ国中、飛びぬけて高い比率が続いている。(労働政策研究・研修機構データ、2019より本田作成)
●2016年におけるGDP(国内総生産)に占める労働市場政策への公的支出(失業者の救済や職業紹介・訓練など)は、17カ国中、米国に次いで2番目に少ない。(リクルートワーク研究所、2020)
●「仕事をするうえで大切だと思うもの」について、日本以外の8カ国では「高い賃金・充実した福利厚生」が重視されるのに対して、日本では「良好な職場の人間関係」が選択比率1位である。(リクルートワーク研究所、2012)

日本の働き方は、「世界標準」から見れば異様ともいえるような側面が多々見いだされる。長時間労働や正社員と非正社員の間の賃金格差をはじめ、勤続年数が長くなるほど賃金が上がっていく度合いの大きさ、転職の少なさ、企業規模間の賃金格差の大きさ、教育機関を卒業する以前に就職先が決まっている(新卒一括採用)割合の大きさ、職場でスキルを活かせている度合いの低さ、正社員のなかでの男女間賃金格差の大きさ、管理職の女性比率の低さなど、日本の働き方・働かせ方の特徴は枚挙にいとまがない。このような日本の特徴をひとことに集約した言葉として、最近、「メンバーシップ型雇用」という表現が頻繁に使われる。これと対比される「世界標準」的な働き方が「ジョブ型雇用」である(注①)。それは、職場の「メンバー」に入れてもらったあとは組織に身を委ねる、という働き方(「メンバーシップ型雇用」)ではなく、賃金や勤務時間、働く場所、オフィス環境など、様々な事柄に対して会社と交渉し、企業側とすりあわせて納得がいった場合にそこで働くという働き方である。(185~187、194ページ)

これからは、企業に溶け込んでお任せしっぱなしの働き方ではない、個人としての誇りと主張、確実なスキルをもった働き手が増えていく必要がいっそう高まる。それは、専門性の発揮だけでなく、働く側が、輪郭の明確な「ジョブ」に即した自律性や自由を取り戻すきっかけになる。(197、198ページ)

政治・社会運動
●国政選挙における投票率は、他国と比べて日本では(2014年衆議院選挙の投票率)52.66%で、200カ国中、150位である。(国際IDEAのサイトから本田作成)
●7カ国の若者(13歳から29歳)の政治意識について、「政治への関心」「社会問題の解決」「政策決定への参加」「子どもや若者の意見の反映」「社会現象の変革」「政府の決定への影響」などは、日本は軒並み、最小の数値が並んでいる。(内閣府、2018)

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●「医療の提供」「高齢者の生活保障」「低所得家庭の大学生への援助」「住居の保障」「自然環境保全」について「政府の責任」とみなす度合いは低く、35カ国・地域中、最下位である。(ISSP、2016データより本田作成)

日本の人々は政府に対して、医療や教育、住居など生命と生活を守るための基本的な条件を整えることや、失業者や高齢者や低所得家庭の大学生を助けたり、男女平等を推進したりといった、「公平さ」を実現する役割を強く求めていない。経済や物価だけちゃんとまわしてくれればいい、あとは自分たちで稼いで生きていくから、といった意識が、他国と比べて強い。(220~221ページ)

人々の自活・自助を当然視し、政府はそのための経済的な環境を整えてさえいればよい、社会のなかに苦しい人や不平等があったとしても、その是正は政府の役割ではない、という考え方。これは、政府が長年にわたり明に暗に発してきたメッセージそのものである。
それは人々が、生命と生活を守るために、政府に対して監視・批判・要請を十分に行ってこなかったということでもある。確固たる民主主義のもとで、生命と生活を守って生きてゆくために必要な施策や制度を、政府に対してあきらめずに強く要請し続けていかなければならない。(222、224ページ)

「日本」と「自分」
●高校1年生への「生きる意味」の問いに対して、「何のために生きてるのかわからない‥‥‥」といった虚無的な回答が73カ国・地域中、日本は最低である。(OECD・PISA、2018)
●「親世代より生活水準は上がるだろう」という質問に対する日本の若者(16歳から24歳)の肯定率は、30カ国中、最下位である。(IYF〈国際若者基金〉とCSIS〈戦略的国際研究センター〉、2016)

「自分はハッピーだから日本という国のことなんて関係ねぇ!」とはほど遠く、日本の若者のなかには、日本固有と言っていいようなネガティブな人生観や自己認識、不安などが色濃く観察される。この国で生きる若者たちは、知らず知らずのうちに傷ついている。日本という国の仕組みによって打ちのめされている。その結果、若者には強そうで安定した存在には従順に従う傾向がある。そうした「もじれた」(もつれる・こじれる・もじもじするなどを合わせた本田の造語)状況こそが、実は若者の自己意識の暗さの中核にあるのかもしれない。(238、245~246ページ)

「もじれた」現状から脱するためには、みんなが薄々気づき始めていたり、いろいろなデータによって否応なく突きつけられたりする、日本の現実を、まずは直視す

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ることからしか、何も始まらない。そして、高度経済成長期に成立し、その後の日本の経済社会を支えてきた「戦後日本型循環モデル」が1990年代以降破綻していることを認識し、新たな社会モデルを構想する必要がある。(246、248~249ページ)
なお、「戦後日本型循環モデル」(注②、補遺)とは、「教育」「仕事」「家族」という3つの社会領域が、互いに一方向的に資源を流し込む形で緊密に結びついた社会構造をいう。新規学卒一括採用、日本的雇用慣行(終身雇用、年功賃金・企業別組合)、性別役割分業、教育への私費負担の大きさ、社会保障の家族関連支出の少なさ、などを特徴とする。これからの日本を立て直してゆくためには、過去の「循環モデル」に決別し、教育・仕事・家族、そして福祉や政府の関係を、一方向的な循環ではなく双方向的な連携やバランスの関係へと組み替えていくしかない。(249~250、253ページ)

〇筆者は、「世界標準」を “すべてよし” として、それに倣(なら)うべきである、とは考えない。しかし、[1]では、「相当やばい国」日本の「いま」があぶりだされるなかで、“然(さ)もありなん”と思わざるを得ない。しかも、こんなことを思う。戦後日本の「エコノミックミラクル」(経済的復興と高度経済成長)を経て、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」「一億総中流社会」などと言われたのは、今は昔である。その際、誰にとっての「ミラクル」(奇跡)であったのか。また、その奇跡は誰の犠牲のうえに成り立ったのか、が問われなければならない。そして「いま」、「経済発展」という言葉も死語と化している、等々がそれである。
〇本田はいう。「それぞれのテーマに関する国際比較データは、現在の日本社会が、人と人との関係という点でも、物事の合理的な進め方という点でも、非常に多数の問題を抱えていることを表している。(お上〈政府〉)による)気分的な『愛国心』に浸っているひまなどなく、もし本当にこの国を大切に思うのであれば、それらの問題を、たとえ気が遠くなるほど難しくとも、“直視”して是正してゆく覚悟が必要」(248ページ。括弧内は阪野)である。本田の覚悟であり、若者と大人に求められる覚悟でもある。そして本田は断言する。「あきらめるという選択肢がないということだけは確か」(271ページ)である、と。
〇そこで問われるもののひとつは、本田も言及する、危機的状況にあると言われる日本の「いま」の民主主義のありようである。具体的には、自律的で自由な市民の社会参加(参集・参与・参画)は拡大しているのか、政治権力に対する監視・批判や責任追及は強化されているのか、が問われる。
〇宇野重規(うの・しげき、政治思想史・政治哲学専攻)は著書『民主主義とは何か』(〈講談社現代新書〉講談社、2020年10月)で、民主主義について次のようにいう。(1)民主主義は多数決であるが、すべての人間は平等であり、多数派によって抑圧されないように少数派の意見を尊重しなければならない。(2)民主主義(国

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家)は選挙を通じて国民の代表者を選ぶだけでなく、自分たちの社会の課題を自分たち自身で解決していくことである。(3)民主主義は国の具体的な制度であるが、平等な人々がともに生きていく社会をつくっていくための、終わることのない理念でもある(244、247、252ページ)。留意しておきたい。
〇なお、[1]における「相当やばい国」日本の言説は、一面では個別具体的な「やばいまち」の問題状況に基づくもの(それを積み上げたもの)であり、その事象とデータを社会学的な考察の俎上に載せて分析・整理し、国際比較したものである。それらを、「まちづくりと市民福祉教育」に引きつけて一言すれば、「やばいまち」の問題状況や課題を踏まえ、それを“直視”することがまず必要かつ重要となる。そのうえで、理念的・抽象的な「思いやり教育」「共生教育」としての「福祉教育」(学校福祉教育、地域福祉教育)ではなく、批判的思考に基づく、自律的改革のための「まちづくりとしての市民福祉教育」のあり方やその推進方策が厳しく問われることになる。その際、「いま」流行(はやり)の、「我が事・丸ごと」の地域共生社会の実現に向けた政策や事業展開から、政府の「我が事」(自助・互助、絆)と「丸ごと」(規制緩和、福祉の市場化・福祉サービスの商品化)の思惑(真のねらい)に敏感であることが求められる。再確認しておきたい。
〇さらに付言すれば、筆者はこれまで、「まちづくりと市民福祉教育」に関して、「まちづくりは人づくり 人づくりは教育づくり」である、と言ってきた。そこには、「教育づくりは政治づくり」が含意される。主権者である国民一人ひとりが政治に対する関心と意識を深め、「いま」の政治を変えない限り「いま」の教育は変わらない、という厳しい現実において「政治づくり」はなおさらのことである。
〇ここで、大阪市淀川区の市立木川南小学校の久保敬校長が2021年5月、松井一郎大阪市長に送った「大阪市教育行政への提言:豊かな学校文化を取り戻し、学び合う学校にするために」を思い出す。「提言書」で久保はいう。「学校は、グローバル経済を支える人材という『商品』を作り出す工場と化している。そこでは、子どもたちは、テストの点によって選別される『競争』に晒(さら)される。そして、教職員は、子どもの成長にかかわる教育の本質に根ざした働きができず、喜びのない何のためかわからないような仕事に追われ、疲弊していく。さらには、やりがいや使命感を奪われ、働くことへの意欲さえ失いつつある」。教育現場の現役校長の悲痛な叫びである。
〇久保は続ける。「今、価値の転換を図らなければ、教育の世界に未来はない」。「本当に子どもの幸せな成長を願って、子どもの人権を尊重し、『最善の利益』を考えた社会ではない」。「『生き抜く』世の中ではなく、『生き合う』世の中でなくてはならない」。「子どもたちと一緒に学んだり、遊んだりする時間を楽しみたい」。「『競争』ではなく『協働』の社会でなければ、持続可能な社会にはならない」。この至極当然の言に対して、「政治的権力を持つ立場にある人にはその大きな責任が課せられている」ことに多言を要しない。松井大阪市長は、マスコミ報道

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によると、「この校長は現場がわかっていない」「子どもたちは、競争する社会のなかで生き抜いていかなければならない」「ルールに従えないなら、組織を出るべきだ」などと述べたという。その意向を受けて、2021年8月、大阪市教育委員会は久保に「文書訓告」の処分を強行する。この恥ずべき愚行は、子どもや教員、保護者、地域社会などの利益や福祉に大きく反するものである。そして、国民が国の政治を決定する権利をもつという国民主権の「政治づくり」、その必要性と重要性をより一層根拠づけることになる。強調しておきたい。
〇福祉教育の関心はこれまで、学校内や学校が所在する地域内の狭義の「ふくし」に留まりがちで、地方自治体や国、さらには国際レベルの「政治づくり」について十分に議論してこなかった。福祉教育は、混迷・荒廃する「いま」の教育に揺さぶりをかけ、その改革を図り、教育の本来の目的や目標をよみがえらせる長期的な教育戦略でもある。その具現化のひとつが政治教育(主権者教育)や政治活動であるが、福祉教育はこれまで、その取り組みに積極的であったとは言えない。付記しておきたい。


①「メンバーシップ型雇用」「ジョブ型雇用」については、その用語の提唱者でもある濱口桂一郎(はまぐち・けいいちろう。労働法・社会政策専攻)の次の本を参照されたい。
・濱田桂一郎『新しい労働社会―雇用システムの再構築へ―』〈岩波新書〉岩波書店、2009年7月
・濱口桂一郎『ジョブ型雇用社会とは何か―正社員体制の矛盾と転機―』〈岩波新書〉岩波書店、2021年9月
②「戦後日本型循環モデル」については、本田の次の本を参照されたい。
・本田由紀『社会を結びなおす―教育・仕事・家族の連携へ―』〈岩波ブックレット〉岩波書店、2014年6月
・本田由紀『もじれる社会―戦後日本型循環モデルを超えて―』〈ちくま新書〉筑摩書房、2014年10月

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補遺
本田が説く「戦後日本型循環モデル」と「新たな循環モデル」は下図の通りである。

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02/「脱成長社会」、節度ある豊かさの創造
            ―セルジュ・ラトゥーシュの「脱成長」論を読む―

〇筆者の手もとに、フランスの経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュ(Serge Latouche)の「脱成長」論に関する本が4冊である。(1)中野佳裕訳『脱成長』(白水社、2020年11月。以下[1])、(2)同訳『経済成長なき社会発展は可能か? ―<脱成長>と<ポスト開発>の経済学―』(作品社、2010年7月。以下[2])、(3)同訳『<脱成長>は、世界を変えられるか? ―贈与・幸福・自律の新たな社会へ―』(作品社、2013年5月。以下[3])、(4)ディディエ・アルパジェス(Didier Harpagès)との共著、佐藤直樹・佐藤薫訳『脱成長(ダウンシフト)のとき―人間らしい時間をとりもどすために―』(未来社、2014年6月。以下[4])、がそれである。
〇[1]は、21世紀に入りフランスから世界へと普及した脱成長運動の歴史的背景や理論研究を整理・分析し、「簡素な生活と節度ある豊かな社会」を構築するための方策などについて解説する。ラトゥーシュの資本主義批判と脱成長論の集大成である。[2]は、「ポスト開発」の経済思想について論述する単著と、脱成長運動の骨子を整理する単著の2冊が収録されている。ラトゥーシュ思想の決定版である。[3]は、20世紀後半から世界で展開されている産業文明批判の思想を脱成長論の視点から議論し、経済成長なき社会発展の方法と実践を整理する。「脱成長の道」を描く思想書である。[4]は、生産至上主義による資本主義経済・社会の発展によって人間は、「時計」時間に隷属するようになったと、人間と時間との関係性について論じ、人間らしい時間の再征服(reconquête、レコンキスタ)を説く。若者向けの啓蒙書である。
〇ここでは[1][2][3]から、ラトゥーシュの「脱成長」(仏:décroissance、デクロワサンス。英:degrowth、デグロース)の言説について、その一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「脱成長」という言葉と「脱成長社会」
脱成長という語は、概念ではない。また、経済成長の対義語でもない。脱成長は何よりも論争的な政治スローガンである。その目的は、我々に省察を促して限度の感覚を再発見させることにある。特に留意すべきは、脱成長は景気後退やマイナス成長を意図していないという点だ。したがって、この語は文字通りの意味で受け取ってはならない。(中略)「脱成長派」(脱成長運動の賛同者)は、生活の質、空気や水の質、そして経済成長のための経済成長が破壊してきた多くの物の質を向上させることを望んでいる。(中略)脱成長という語を「経済成長を崇拝しない態度(acroissance)」を指す語として使用しなければならないだろう。まさしく、進

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歩・発展という信仰や宗教を捨て去ることなのだ。([1]8~9ページ)

脱成長は、別の形の経済成長を企図するものでも、(持続可能な開発、社会開発、連帯的な開発など)別の形の開発を企図するものでもない。それは、これまでとは異なる社会(「節度ある豊かな社会」「ポスト成長社会」「経済成長なき繁栄」)を構築する企てである。言い換えると、脱成長は経済学的な企てでも別の経済を構築する企てでもなく、現実としての経済および帝国主義的言説としての経済から抜け出すことを意味する社会的企てである。([1]12ページ)

<脱成長>というスローガンは、成長を際限なく追求することを徹底的に放棄することを至上命題とする。つまり、資本移動を規制緩和しながら利潤を追求し、自然環境と人類に壊滅的な結果をもたらすその目的を破棄することである。/<脱成長>はマイナス成長ではない。(中略)ただ単に成長の速度を緩めるだけでは社会が混乱に陥ることは周知の事実である。失業は増加し、必要不可欠な最低限の生活の質を保障するところの社会、保健、教育、文化、環境の各分野におけるプログラムを破綻させることになる。(中略)雇用のない労働社会ほど最悪なものはないことと同じように、成長を約束できない成長社会ほど危険な社会はない。(中略)<脱成長>は「<脱成長>社会」においてのみ、つまり〔成長想念(思想)とは〕別の論理に基づいた体制においてのみ思考可能であるといえる。/厳密に言うならば、理論レベルでは、(中略)成長の減少・緩慢化・衰退(dé-croissance)よりも「無成長」(a-croissance)について語るべきである。何よりも重要なことは、経済・進歩および発展といった信仰ないし宗教を破棄することである。([2]140ページ)

<脱成長>は、蓄積、資本主義、搾取、略奪の縮小のほかにはない。/<脱成長>は断固として反資本主義の立場をとる。/多かれ少なかれ自由主義的な資本主義と生産主義的な社会主義は、成長社会という同一のプロジェクトの2つの類型である。/(<脱成長>における)発展、経済、成長からの脱出は、経済と関わっている社会制度のすべてを放棄するのではなく、むしろそれら諸制度を別の論理に組み込むことを意味する。<脱成長>はおそらく「エコロジカル(生態学的)な社会主義」と見なすことができるだろう。([2]245、246、248ページ)

われわれが構想し求めなければならないのは、経済的価値を中心的な価値(あるいは唯一の価値)とはしない社会、つまり経済を増大させることを前提とするようなこの狂気じみたシナリオを放棄しなければならない。このことは、地球環境の決定的な破壊を回避するためだけではなく、現代に生きる人間の心理的かつ道徳的な貧困から脱出するためにも必要である。([2]123ページ)

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愛他主義はエゴイズムよりも重視されるべきである。同様に、際限なき競争よりも協力が、労働への執着よりも余暇の快楽と遊びの精神(エトス)が、制約のない消費よりも社会生活の大切さが、グローバルなものよりローカルなものが、他律性よりも自律性が、生産主義的な効率性よりも素晴らしい手作りの作品を好むことが、科学的合理性(le rationnel)よりも思慮深さ〔実践倫理〕(le raisonnable)が、そして物質的なものよりも人間関係が重視されるべきである。真実への配慮、正義の感覚、責任、民主主義の尊重、差異の称賛、連帯の形成、既知に富んだ生活。これこそが何物に代えてもわれわれが取り戻さねばならない価値である。([2]172ページ)

〇以上のようにラトゥーシュは、開発・発展による地球環境の破壊や、資本による人間の支配・搾取などをもたらす資本主義から脱出し、そのためのオルタナティブな(それに代わるもうひとつの新しい)価値体系に基づく人間の生き方や社会像について議論し構想する。その際、脱成長を「『経済成長社会から抜け出す』」という否定の側面からだけでなく、『節度ある豊かさ(abondance frugale)』という創造すべきプランの価値の側面からも」([1]153ページ)説いている。留意すべき視点・視座である。

「脱成長社会」へ移行するための具体的なプログラム
経済成長社会との断絶、すなわち脱生産力至上主義社会の構想は、簡素な生活の「好循環」の形をとる。以下の8つの目標(「8つの再生プログラム」)は、生産力至上主義および消費主義の論理と対照を成す重要な点に触れており、相互に依存している。8つの目標は、穏やかで、自立共生的で、持続可能な簡素さから成る「自律社会」(脱成長社会)へ向かう推進力となる。([1]61~68ページ。[2]170~185ページ)
(1)再評価する(réévaluer)
経済成長社会におけるそれとは異なる価値観を再評価することである。例えば、エゴイズムよりも愛他主義が、競争よりも協力が、労働への執着よりも余暇の快楽と遊びの精神が、制約のない消費よりも社会生活の大切さが、グローバルなものよりもローカルなものが、物質的なものよりも人間関係が重視されるべきである。また、自然に対しては侵略者のような態度を改め、庭師(にわし)のような態度をとり、自然と人間との調和を図らなければならない。
(2)概念を再構築する(reconceputualiser)
諸価値を問い直すこと(価値観の変革)は、われわれの世界と実在を理解する諸概念を問い直すことにつながる。特に考慮しなければならないのは、豊かさはお金だけに還元されないということである。本当の豊かさは、何よりもまず、よく機能する社会関係の組織のなかから生まれる。豊かさを問い直すことは、貧しさについて

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考え直すことも意味する。貧しさもまた、経済的次元や物質的な極貧状態の次元にのみ還元されてはならない。
(3)社会構造を組立て直す〔再構造化〕(restructurer)
変革された価値観に応じて、生産の仕方が変わる。つまり、われわれが生産するものや生産関係(生産に関わる法的・制度的・慣習的な構造)が変わり、社会関係の調整が行われる。ここで重要なことは、<脱成長>社会へ向かうことである。こうすることで、資本主義から脱出するための具体的な問題提起が行われる。
(4)再分配を行う(redistribuer)
生産関係や社会関係の構造が変われば、再分配の仕組みも必然的に変わる。再分配は、階級間、世代間、諸個人の間といった各社会の内部にとどまらず、北側諸国と南側諸国との間における富および自然資産へのアクセス(利用する権利)の分配も含む。再分配は、直接的には「グローバルな消費階級」の権力と手段を削減する。間接的には、誇大妄想的な消費への勧誘を消滅する。
(5)再ローカリゼーションを行う(relocaliser)
地域のニーズ充足のために地域レベルでなされるあらゆる生産活動は、地元企業を通じて、地域単位で実現されなければならない。商品と資本の移動は必要不可欠な範囲に制限されなければならない。地域レベルで実行可能なあらゆる経済的、政治的、文化的な決断が、地域規模でなされなければならない。
(6)削減する(réduire)
われわれの生産様式と消費様式が生物圏に与える影響を縮小しなければならない。われわれの生活習慣となっている過剰消費を制限することをはじめ、ゴミの廃棄や保健衛生上のリスク、ツーリズム(観光旅行)などを削減する必要がある。とりわけ、仕事をしたいと望むすべての人々が雇用されるようにワークシェアリング(仕事の分かち合い)を実施したり、余暇、芸術・製作活動、遊び、会話、生の喜びなどのために、労働時間の削減は肝要である。「仕事」中毒を解毒することである。
(7)再利用する(réutiliser)/(8)リサイクルを行う(recycler)
抑制の効かない美食を制限し、設備の周期的な廃棄を止め、直接には再利用不可能なゴミをリサイクルすることが必要である。物や機械を廃棄せず再利用することは、資源浪費を削減するために必要なだけでなく、物の本当の価値を学び直し、寛大な自然が与える贈与に愛着をもつためにも必要である。最後に、再利用できないものはリサイクルするように努めるべきである。

「8つの再生プログラム」と「贈与」の精神
贈与の精神は脱成長社会構築の要石(かなめいし)である。贈与の精神は、自律社会(脱成長社会)という具体的なユートピアの建設のために提案された好循環を形成する8つの再生プログラム(8つの「R」)のそれぞれの中に顕在している。わ

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けても最初の再生プログラムである「再評価」が特徴的だ。なぜなら市場社会の諸価値―悪化する経済競争、我利我利(がりがり。自分の利益だけを営むこと)の精神、富の際限なき蓄積―と自然に対する略奪的思考に代わり、利他主義、互酬性、コンヴィヴィアリテ(convivialité、楽しい生活を創造し分かち合う倫理)、自然環境の尊重などの諸価値を導入することが大切である。(中略)つましさの中でも分かち合いを行えば万人が満足し、さらには生きる楽しみも生まれるが、我利我利の精神と結びついて豊かさは不幸を生む。そこで2番目の再生プログラム「概念の再構築」は豊かさと貧しさを再考する必要性を重視す。「本当の」豊かさは人間関係からなる様々な財によってつくられる。例えば相互扶助、分かち合い、知識、愛情、友情に基づく財のことである。反対に不幸は何をおいても心理的なものであり、近代社会が連帯的共同体の代わりにもたらした「孤独な群衆」の中の孤独感からもたらされる。([3]88~89ページ)

〇ラトゥーシュにあっては、以上の「8つの再生プログラム」はどれも、ある種のユートピア(希望と夢の源泉)である。そして、その実現は、地域社会という具体的な場所において生起し、地域社会の基本的なニーズの充足をめざすことに収斂される。その点で、「再ローカリゼーション」は、「具体的なユートピアにおいて中心的な位置を占める」([2]186ページ)ものであり、「脱成長」の要諦(ようてい)である。
〇ラトゥーシュは、日本社会について、次のように評している。「日本は新興工業国が台頭する以前に西洋型経済成長を遂げた最後の偉大な社会である」([1]24ページ)。「日本は独自の<脱成長>社会を創造するに相応しい位置にいるように思われる。なぜなら日本には、古(いにしえ)から続く東洋の文化が凶暴な西洋化によって完全に根絶されることなく残っており、そのような伝統文化が現在の経済危機を契機に復活する可能性があるからである」([2]17ページ)。
〇自然環境の破壊や資源の枯渇が進行し、人間(人類)社会は存続の脅威にさらされている。貧困や格差・分断が深刻化し、民主主義が機能不全に陥り、しかもコロナ禍で社会全体が未曽有の危機的状況にある。そんななかで日本社会はいまだ、「経済成長」信仰の呪縛(じゅばく)から逃れられないでいる。オルタナティブな「脱成長」社会の創造は、人間と自然との関係性の再構築とともに、地域社会の政治・経済の自立性や歴史・文化の独自性を模索し再発見・再生することから始まる。それは、グローバルな経済成長や物質的な充足に価値をおく社会とは異なる論理の構築と展開を必要とし、住民自身の主体的・自律的で、連帯的・共働的な地道な実践(「生活基盤の再ローカル化」)に基づく。しかもその活動や運動は、日本の経済や社会に回収されてしまうのではなく、「節度ある豊かな地域社会」の創造に集約されなければならない。
〇本稿で取り上げたラトゥーシュの3冊の本の訳者である中野佳裕は、次のように述べている。「訳者として最も望むことは、ラトゥーシュ思想を通じてわれわれが

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戦後日本の社会発展の歴史を国際的な文脈で再検討し、その結果として、日本の(玉野井芳郎らの)地域主義や(宮本憲一らの)地方自治論等のオルタナティブな日本を求める思想潮流がより統合された形で急進化され、地域社会の自律自治を再生する実践が活性化されることである」([2]332ページ)。付記しておきたい。

 

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03/「情けは人の為ならず」×「北風と太陽」
            ―山岸俊男を読む―

〇「情けは人の為ならず」(ことわざ)は、「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いが来る。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」という意味である。「人に情けをかけるのは自立の妨げになりその人のためにならない、の意に解するのは誤り」(『広辞苑』第七版、2018年1月)である。
〇「北風と太陽」はイソップ寓話のひとつである。物事を「やたらにきびしくおしつける」よりは、「おだやかにじっくりいってきかせる」ほうが大きな効果を得ることができる、という。
〇筆者の手もとに、山岸俊男(1948年1月~2018年5月、社会心理学者)が書いた本が6冊ある。

(1)『社会的ジレンマのしくみ―「自分1人ぐらいの心理」の招くもの―』サイエンス社、1990年10月(以下[1])
社会のなかでは、自分1人得をしようとしたことが、思いがけない大問題になることがある。例えば、違法駐車・ゴミ問題といった身近なものから、オゾン層破壊・地球温暖化といった環境問題や、資源枯渇まで、みなその例といえるのではないか?/これらの、「結局は自分で自分の首を絞める」といった現象は「社会的ジレンマ」と呼ばれ、社会心理学において個人と社会をめぐる重要なテーマとして、研究が進められている。/本書では、このような問題の根底にある人間心理をとらえて、人間が社会生活を営んでいる限り、どうしても避けて通ることのできない「ジレンマ」を解説し、その処方箋を示している。(カバー「そで」)
(2)『社会的ジレンマ―「環境破壊」から「いじめ」まで―』(PHP新書)PHP研究所、2009年11月(以下[2])
違法駐車、いじめ、環境破壊等々、「自分一人ぐらいは」という心理が集団全体にとっての不利益を引き起こす社会的ジレンマ問題。/「社会的ジレンマ」は、一人一人の個人ではなく、集団や社会全体が「わかっちゃいるけどやめられない」状態だと言える。つまり、皆が何をしなければならないかをわかっていても、必要なことができないために起る結果に苦しんでいる状態である。/数々の実験から、人間は常に「利己的」で「かしこい」行動をとるわけではなく、多くの場合、「みんながするなら」という原理で動くことが分かってきた。本書では、この「みんなが」原理こそ、人間が社会環境に適応するために進化させた「本当のかしこさ」ではないか、と説く。(カバー「そで」。14~15ページ)

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(3)『日本の「安心」はなぜ、消えたのか―社会心理学から見た現代日本の問題点―』集英社インターナショナル、2008年2月(以下[3])
現代の日本社会が直面している倫理の喪失とは、実は、倫理の底にある「情けは人のためならず」のしくみの喪失の問題である。/倫理的な行動、あるいは利他的な行動は、それを支える社会的なしくみがなくなってしまえば、維持することは困難である。たとえ他人に親切にしても、それが自分の利益につながらないのであれば、誰も利他的に行動しなくなる。/「情けは人のためならず」は、無私の心を称揚する武士道的な倫理観とは相容れない。/本書では、「モラルに従った行動をすれば、結局は自分の利益になるのだよ」という利益の相互性を強調する商人道(「正直さ」の原理)こそが、人間の利他性を支える社会のしくみを作ることができる、と言う。(「まえがき」4~5ページ)
(4)『信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム―』東京大学出版会、1998年5月
信頼は人々の間の、あるいは組織の間の関係を可能とする社会関係の潤滑油であり、信頼なくしては、社会関係や経済関係を含むすべての人間関係の効率はいちじるしく阻害されることになる。この意味で、信頼は個人の生活を豊かにしてくれる私有財としての関係資本(social capital、社会関係資本)であると同時に、我々の社会を住みやすい場所にしてくれる公共財としての関係資本でもある。本書は、ロバート・パットナム(Robert D.Putnam)らの社会科学者が強調する、このような関係資本としての信頼の理解を、個人の認知や行動といった心理学者や社会心理学者が扱う信頼の理解と何とかして結びつけようとした、信頼についての研究成果をまとめたものである。(「まえがき」ⅰページ)
(5)『安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方―』(中公新書)中央公論新社、1999年6月
社会の流動化や人間関係の希薄化が進むなかで、日本はいま「安心社会」(信頼を必要としない社会)の解体に直面し、自分の将来や日本の社会・経済に大きな不安を感じている。/日本はもうこれまでのように、安定した社会関係が提供する、閉鎖的な集団主義の温もりのなかで「安心」して暮らし続けることはできなくなる。/「信頼」とは、「相手がやるといったことをやる気があるのか」「もしかしたら裏切られるかも知れない」という不確実性があるなかで、相手に対してどの程度信用し、どの程度期待するかということである。/集団主義的な「安心社会」の解体はわれわれにどのような社会をもたらすか。本書は、開かれた「信頼社会」の構築をめざす、社会科学的文明論、斬新な「日本文化論」である。(カバー「そで」。8、13、15~18ページ)
(6)『「しがらみ」を科学する―高校生からの社会心理学入門―』(ちくまプリマ―新書)筑摩書房、2012年3月
社会は「しがらみ」である。/「しがらみ」は、自分の考えや行動に対するまわりの人たちの反応を予測して、その予測に自分の行動を合わせる必要があるということである。/「しがらみ」は、多くの場合、私たちが実は望んでいない行動を取るように私たちをしむける。いじめを止めさせたいと思いながら、いじめを傍観して

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しまう子どもたちのように。/そうした行動を取るのは、社会のなかで私たちが、自分で自分の自由を「しばり」つけているからである。それが(社会の一番基礎にある)世間としての(契約や法律に基づく公的な組織や制度に基づく)社会の本質である。/そうした「しばり」から多少なりとも自由になることができれば、日本の社会にもっと活気が出てくるのではないか、と本書は述べる。(3、186、187ページ)

〇本稿のテーマに関して、以上を大胆に要約すれば次のようになろうか。すなわち、社会秩序の基本原理は、監視し合い、互いに不利益なことをした者を追い出すという、相互監視と相互規制である。日本人は必ずしも、和をよしとし、協調し、信頼しやすい心の持ち主ではない。コントロールしあえる関係を信頼し、集団の秩序に従って行動することによって安心を獲得してきた。閉鎖的な「安心社会」は過去のものである。現代社会には、違法駐車、いじめ、環境破壊等々、“自分一人ぐらいは”という心理で人々が自分の利益や都合だけを考えて行動すると、社会的に望ましくない状態が生じてしまうという葛藤(「社会的ジレンマ」)の問題が存在している。その誘因(「インセンティブ」)は、特定の行動を取る個人の心のなかにではなく、人間を取り巻く環境のなかに見出される。そこに求められるのは、相手の信頼性を見極める社会的知性を身につけ、他人との信頼関係を積極的に結ぶことができる、外に向けて開かれた「信頼社会」の構築である。
〇ここで、[1]における山岸の主張の概要を紹介しておくことにする(一部要約。語尾変換)。

まず、人々が「利他的利己主義」を身につけることが必要である。教育によって、人々に利他的利己主義を植えつけることは、あまり難しいことではない。少なくとも、自分の利益を無視して他人のために行動せよという利他主義を植えつけるよりは、ずっと簡単なはずである。
それに、社会的ジレンマの解決のためには、利他主義よりも利他的利己主義の方が有効な場合が多くある。利他主義者は非協力者をのさばらせてしまうことになるが、利他的利己主義者を相手にすれば、ガチガチの利己主義者も、一方的に相手を詐取(さしゅ)し続けるわけにはいかないことを悟るようになるからである。
それと同時に、社会的ジレンマでは、みなが非協力的な行動をとり続ければ、結局はみなが損をするという「因果応報」の構造を、人々、特に利他的利己主義者たちに知らせることも必要である。自分で自分の首を絞めるような結果は避けたいと思っている利己的利己主義者たちも、ある状況が社会的ジレンマ状況であることに気づかなければ、「協力的な」行動をとろうと思わないからである。たとえばフロン入りのスプレーを使うことが、環境破壊につながることを知らなければ、誰もそのような行動を差し控えようとはしないであろう。

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次に重要なのは、利他的利己主義者が進んで協力するようになる環境を作ることである。そのためには、「わけのわかった」利己主義者である利他的利己主義者――たぶんほとんどの人々がこの範疇に入ることになると思うのだが――に対して、「協力しても自分だけ馬鹿を見ることはない」という保証を与えることが最も重要であり、そのためには非協力者が少数のうちに何とかコントロールするための手を打つ必要があるであろう。
もちろんこれだけですべての、あるいはほとんどの社会的ジレンマの解決に直接つながるとは限らないであろうが、社会的ジレンマ解決のためには最低限これだけは必要なのではないかと思う。(227~228ページ)
なお、筆者(山岸)が一番心配しているのは、様々な社会的ジレンマの解決を求める声によって、全体主義的な強権の発動を人々が望むようになる日が、そのうちにやってくるのではないかということである。(226ページ)
たとえば外国人の単純労働者が大量に流入し、「少数民族問題」が重大な社会問題化する日は遠くないであろう。そうなった場合に、相互信頼と「内発的な」相互協力によってではなく、相互規制システムにより社会的ジレンマ問題を解決してきた日本社会で、これまでの相互規制システムがうまく機能しなくなってしまう可能性がある。その時、「強権」によって「少数民族問題」を押え込もうという動きが出てくるのは目に見えている。そうなる前に、何とか「強権」を使わなくても、様々な社会的ジレンマ問題が解決できるような体制を整えておくことが必要だと、筆者は強く考えている。(227ページ)

〇「情けは人の為ならず」という「利他的利己主義」について一言する。それは、「最終的に自分自身の利益を考えて、表面的には他人のためになる行動をすること」を意味する。この「海老(えび)で鯛(たい)を釣る」行動をとる人(「わけのわかった」「かしこい」利己主義者)は、「偽善者」と呼ばれ、軽蔑されることもある。しかし、その利己主義的な行動やエネルギーが社会的ジレンマを解決し、集団や社会全体の利益をもたらすことになる([1]47、107ページ)。
〇こうした考え方に立つ山岸は、それゆえに、人間性の変革を図るという社会的ジレンマの「精神主義的」な解決に疑問を呈する。山岸はいう。「自分の身を犠牲にして他人のためにつくす」愛他的な心を育むような人々を教育する、あるいは説教する必要はない。社会的ジレンマを解決するためには、自分の利益だけを追求するよりも、全体の利益を考えて行動するほうが結局は大きな利益が得られるという社会環境を整備(相互協力関係の構築)することが肝要である。そのような環境のなかでは、リスクはつきものであると認識しながら、誰もが協力的に行動するようになり、長期的な利益を確保することになる([2]210~211ページ)。他者との豊かな人間関係を自主的・積極的に結ぶ「信頼社会」の構築である。そこにおける有効なモラル(道徳律)は、「安心社会」(閉鎖社会)のなかで「清貧の思想」や「無私の精神」を説く「武士道」のそれではなく、「正直」で、誰とでも協力しあう

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「商人道」のそれである([3]4~5、238~259ページ)。
〇求められるのは、上意下達の国家統制的教育ではなく、時間をかけて一人ひとりの人間の持ち味を引き出し、それを育むための環境整備である。そのなかで、「情けは人の為ならず」の教育すなわち利他的利己主義教育にゆっくりと、しかも着実に取り組むことである。また、「北風と太陽」の話は、旅人が服を脱ぐのは個人的・内発的な要因によるのではなく、強い北風と優しい太陽が競争する(環境の)なかで引き起こされたインセンティブ(誘因)の話でもある。唐突ながら、市民福祉教育に通底する考え方として留意しておきたい。

 

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04/ケア現場の虐待や暴力が問う「地域共生社会」
           ―渡邊琢を読む―

〇「相模原障害者施設殺傷事件」(2016年7月)の被告・植松聖は、「重度障害者は不幸を生む」「人生でやるべき事が見つかって、目の前が輝きだした」と嬉しそうに当時を思い出す。また、「(自分の考え方が)既に世の中に伝わっていると思う」と自信を見せる。そして、「事件を起こして良かったと思うのは、いろんな人が話を聞くために会いに来ること。ぼくもついに、ここまで来たんだ」と口元をゆがめて笑った、と報じられた(「虚栄/相模原事件面会記録(上)(下)」『岐阜新聞』2019年12月26日、27日朝刊)。
〇あの衝撃的な事件から3年半が経ったいま、障がい者や「障害(者)福祉」をめぐる社会的議論は深められず、社会の関心は薄れ、風化が確実に進んでいる。そんななかで、渡邉琢(わたなべ・たく)の『介助者たちは、どう生きていくのか―障害者の地域自立生活と介助という営み』(生活書院、2011年2月、以下[1])を再読し、新刊本の『障害者の傷、介助者の痛み』(青土社、2018年12月、以下[2])を読んだ。渡邉は、日本自立生活センター(JCIL、京都市)事務局員、NPO法人日本自立生活センター自立支援事業所介助コーディネーター、ピープルファースト京都(知的障害をもつ当事者の団体)支援者である([2]帯)。
〇[1]は、「障害者の地域生活に根ざした介助という営み、その歴史と現状をつぶさに見つめつつ、『介助で食っていくこと』をめざす問題群に当事者(介助者である渡邉)が正面から向き合った」([1]帯)本である。具体的には、「障害者介助に関わる介助者たちのこと、制度のこと、障害者介護保障運動の歴史のこと、労働運動との関係のこと、そして自立生活運動のさまざまなあり方のことなどを包括的に論じ、(中略)今でも色あせることのない充実した内容」([2]15ページ)である。「関東方面では『青本』と呼ばれ、運動や制度の歴史が簡潔にまとまったものとして、厚労省の役人も参考書にしている」([2]14ページ)とも言われる。
〇[2]は、「相模原障害者殺傷事件は社会に何を問いかけたのか。あらためて、いま障害のある人とない人がともに地域で生きていくために何ができるのか。障害者と介助者が互いに傷つきながらも手に手を取り合ってきた現場の歴史をたどりながら、介助と社会の未来に向けて」([2]帯)論考する。特筆すべきは、生々しいケア現場の視点から、介助者の障がい者に対する虐待・暴力だけでなく、障がい者の介助者に対する虐待・暴力があり、介助者も障がい害も加害者と被害者のどちらの立場にもなり得ると説く。そのなかで渡邉は、介助者と障がい者の信頼関係(相互理解と相互信頼)の回復と構築・深化を図ろうとする貪欲な姿勢と強い意志を示す。その際のキーワードは、「つながり」(他者とのつながり、社会とのつなが

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り、自分自身とのつながり)であり、その「断絶からの回復」を強調する。そこでは、皮相浅薄な「地域共生社会」論はいとも簡単に打ち負かされる。
〇[1]と[2]のなかから、「市民福祉教育」に通底する、あるいはそれを論じる際に留意すべきであろう渡邉の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

障がい者介助の運動と労働
「介助」は2000年代に入って成立した新しい職業形態である。雇用の非正規化、フリーターの増加などが社会的に認知されはじめた時期とだいたいかぶっている。介助者は、多くの非正規労働者と同様に、その将来も不確定だし、現状も不安定である。けれども、今、この障害者介助を生業として、生活を組み立てている人が少なくない規模で存在する。([1]20、25ページ)
障害者介助には、運動という側面と、労働という側面の二つがある。これまでの障害者運動においても、その両者は互いに拮抗しあっていたように思われる。それは無償で自立生活を支えていた時代からそうであったように思う。運動が盛り上がっている時期は、支援者、介護者も大勢集まってくる。けれど、いったん盛り上がりが鎮(しず)まると、あるいは時代の流れが悪くなると、支援者たちはさーっと潮のようにひいていってしまう。すると残された者たちに介護の重労働がのしかかってくる。運動というよりも、介護の重荷ばかりが強調されるようになる。(中略)運動の裏側にはそうした介護の「シンドサ」というのがコインの裏側としてあったと思う。([1]43ページ)

地域自立生活保障と介助者・介護者研修
介助者・介護者に何らかの研修が必要だとしたら、それは、障害者の地域自立生活の保障のための研修だろう。現在のところ介護福祉士の講師陣には地域自立生活の保障に関わっている人はほとんどいない。研修課程の中にも地域自立生活のことはほとんど含まれていない。
私たちに必要なのは、現在地域生活が難しいとされる重度の知的障害者、身体障害者、難病者、精神障害者などが、いかに地域生活を実現・継続していけるか、についての研修だろう。
あるいは、そのうち施設送りになりそうな障害者、高齢者がいかに地域で暮らし続けていけるか、それを学んでいくことが必要だろう。施設で研修して、施設でのケアを学び、そして施設を守るための研修だったら、それはいらない。([1]338ページ)

「つながり」をつくる
おそらく、自立生活運動は今分岐点に来ている。これまで自立生活、当事者主権ということで、運動が強く推進されてきたけど、現場では、むしろポスト自立の問題

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がテーマとなっている。施設や親元を出る、それは確かに自立である。けれど、その先に何が待っているのか、どのような人間関係、そして社会が待っているのか。現在、「無縁社会」、「孤立」が社会問題となっている時代である(さらに手のかかる患者などは病院から在宅への追い出しがはじまっている)。人とのつながりをいかにつくっていくかが新しい時代のテーマだろう。
自立は、「~出る」ということだけが至上の価値ではない。やはり「出てその先~」を求めて出るのである。その先の関係こそが自立の内実を決めていく。([1]414~415ページ)

支援とつながりの模索
入所施設にいる知的障害者たちとつながるということは、残念ながらぼくらもいまだにほとんどできていない。けれども、せめて入所施設に入らないための支援に尽力するということが、ぼくらにとっては目の前の課題である。施設関係者や施設入所者の家族は、ぜひ本人の地域生活の可能性を模索してほしい。地域が頼りないのなら、その地域を頼りあるものにする提言をしてほしい。そして地域生活支援に関わる人たちは、ぜひぎりぎりの状況にある当事者や家族が「入所施設しかない」と思うことがないよう、支援を模索していってほしい。それらはつながりを取り戻す模索であり、またつながりを断たないための模索でもある。([2]24ページ)

障がい者の被害と加害
「加害」とどう向き合い、どう対処していくかは、障害者の地域生活支援に取り組む上でとても重要なテーマだ。加害に及ぶから、あるいは加害に及びやすいから、自分たちの団体や地域から排除して、施設や精神病院にいってもらおうとするとすれば、それはあまりに安直だろう。少なくともそれは、インクルーシブ社会を目指す態度ではないと思う。そして、そういう拒絶的な態度こそが、さらにその人の攻撃性を強めることだって十分に考えられるのだ。
他者を排除しやすい社会は加害者を生みやすいし、当然同時に被害者を生みやすい。私たちがインクルーシブ社会、誰しも排除されない社会、誰しもが尊厳とつながりを奪われることのない社会というものを目指すのだとすれば、誰にも被害を被(こうむ)らせないことと、誰にも加害に及ばせないこととは同時に考えていかないといけないように思う。自分たちに危害を加えかねない人をも、インクルーシブ社会の包摂の対象と考えていく、一面で大変苦しく胆力(たんりょく。ものに恐れず臆せぬ気力)のいる作業でもある。([2]74~75ページ)

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障がい者と介助者の痛み
街の中で、障害者が人から奇異な目で見られる、無視される、さまざまなところにアクセスできない、そういう環境に置かれて、毎日のように障害者自身が傷を負わざるをえないのがまだまだこの社会の現状だろう。その傷が、障害者の目の前にいる介助者にある程度転化していくのもある意味では受け止めざるをえない。この場合、障害者、介助者双方に傷を負わせているのは、この地域社会の責任だろう。長い目で見るならば、障害者に深い傷を負わせているこの社会の差別的なあり方こそ、改善されていかないといけないはずだ。だから、障害者としても目の前にいる介助者に都合よく痛みを転化し、留飲(りゅういん)を下げる(不平や不満を晴らして心を落ち着かせる)だけでは、決して深い傷の要因が取り除かれることはないだろうし、また介助者としても、単にキレやすいめんどくさい障害者と見るだけでも問題は解決されないだろう。([2]101ページ)

当事者同士による熟議
今もしそれぞれの生活が切り崩されており、それぞれなりのしんどさを抱えている時代状況なのだとしたら、そして、その中で相互のつながりを模索し、ともに生きていこうとするのだとしたら、「双方の関係のなかで詰めあっていく努力をして、それぞれの立場の違いを自覚した上で、双方がお互いの生活をみあっていくという関係が無いかぎり、お互いに認め合った関係」は成立しえないだろう。
当事者主体、当事者主権という主張が一方にあり、それによって自立生活運動等は進展してきた。その主張がある一定段階に達したとしたら、それぞれのニーズや立場の異なる当事者同士による相互の詰め合いの努力が今後不可欠となってくると思われる。それはおそらく「熟議デモクラシー」という言葉で指し示されている事態とも通底しているだろう。自立や自己決定は、当事者個人や当事者団体の主張に収斂(しゅうれん。一つに集約すること)されるものでもなく、次いで「熟議」を呼び起こしていくものだろう。([2]213ページ)

「共に生きる」可能性と希望
「殺すぞぉ!」「出てけぇ」は、障害のある人たちの生得的な攻撃性を示したものではなく、ある状況下におかれたら障害者、健常者関係なく、人間として普通の反応なのだ。([2]363ページ)
見えざる暴力の暴力性を認識しそれと対決しつつ、その暴力に苛(さいな)まれふりまわされている人々に手を差し伸べ、「共に生きる」姿勢を示し続けること、少なくともじっとそばに居続けること、あるいはその社会的暴力を察知しつつその暴力が発現しにくい環境をつくっていくこと、そのためにはきれいごとではすまされない人間のおぞましい側面とも向き合う忍耐や深い洞察が必要となるけれども、そうしたことが「共に生きる」社会をめざすうえで必要な態度なのであろう。

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奪われた「つながり」を取り戻すことはもちろん安易なことではない。当事者、支援者双方ともに苦難の道を歩まないといけないだろう。その途上において深い断絶や絶望、激しい感情を感じることもしばしばあるだろう。(中略)私たちはひとりぼっちではない。つながりを取り戻す可能性は開かれているのだろう。([2]364ページ)

〇唐突であるが、[1]と[2]から再確認・再認識したことについて、これまでとは異なる文体(文章のスタイル)で本稿を結ぶことにする。

「ふくし」の共働と共創
すべての住民が多様なかかわりのなかで/豊かに快適にそれぞれを生きる/その場が地域・社会であり/そのための労働や活動・運動が「ふくし」である。
福祉が福祉を閉じるとき/地域が福祉を拒むとき/「ふくし」は霧消する。
地域が地域を開くとき/地域が福祉を解するとき/「ふくし」を志向する。
福祉と地域が互いにつながるとき/地域と福祉が互いを包み込むとき/ひとつの土俵のうえで/相互理解に基づく相互支援と相互実現が図られ/「ふくし」が共創される。

「つながり」の熱意と誠意
障がい者に対する一方的な「思いやり」や「善意」の押し付けではなく/厳しい福祉現場で“働く”介助者の「つながり」への一途な願いや祈りに触れるとき/強い“熱意”と真の“誠意”があることを思い知らされる/そこには口当たりのよい言葉は不要である/そこに至難の「地域共生社会」への志向性を見る。

 

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05/思考のない探索の時代を生きる
               ―柴田邦臣著『<情弱>の社会学』を読む―

〇筆者の机の上には、最近買い換えたばかりのパソコンがある。手もとにはノートパソコンとアイパッド、それにスマホがある。それらは常時接続されており、容赦なく多様な情報が大量に入ってくる。必要に応じて、あるいは惰性的にそれらのディスプレイを見つめる日々が続いている。それは、情報量が増大・巨大化するなかで、大容量のデータを収集し活用することが前提となる社会、すなわち「ビッグデータ社会」を有意義に生きたい(生きている)というものではない。情報過多の大海原(おおうなばら)を溺れそうになりながら漂流している、といった姿である。そして、それが何よりも問題なのは、情報を整理・分析することなく、“答”についていろいろと思考することを停止あるいは放棄し、ひたすらひとつの“答”を探し回ることである。人はいま、思考のない探索の時代を生きている。「探しものは何ですか?」「まだまだ探す気ですか?」。井上陽水の「夢の中へ」の歌詞を思い出す。
〇情報は大雑把には、①それに対するニーズを認識し、必要な情報の性質や範囲を決定することから始まる。次いで、②多様な情報源や多量の情報量から利用可能なものを確定し、アクセスする。③選択・収集した情報を整理し、分析・評価し、それを新しい情報として編集・組織化して既存の知識体系に統合する。そして、④それによって批判的思考や新たな客観的・論理的思考を促し、ニーズの充足や問題の解決を図る。その際の新しい情報については、新奇性(目新しいこと)をはじめ、具体性や普遍性、社会性や文化性、現場性や歴史性などが重視されることになる。情報についてのこうした常識的な理解でとりわけ重視されるべきは、情報の「編集力」と「新奇性」であろうか。それによってその情報は情報力を高めることになる。
〇筆者の手もとにいま、柴田邦臣(しはだ・くにおみ、社会学専攻)の『<情弱>の社会学』(青土社、2019年10月。以下[1])という本がある。「情弱」=情報弱者について、おそらく日本ではじめて論じた本である。
〇「情弱」といえば、ネガティブな言葉として、障がい者や高齢者、外国籍住民などを想起しがちである。彼らはその環境や状況のもとで、情報弱者の典型となる。しかしときに、最先端の情報処理技術を活用し、あるいは大仰(おおぎょう)な装置ではなく本人の工夫などによって多様な情報を効率よく、正確かつ迅速に活用することができる(活用している)。それよりも、多くの人は、「『情弱』であったりそう呼ばれたりすることを、徹底的に嫌悪し強迫的に回避すべく、必死にスマホを叩きディスプレイを見つめ続ける」(19ページ)、「情報強迫性障害」とでも呼ぶべき過度の「情報」至上主義にある(35ページ)。

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[1]は、情報に関する脅迫的な恐怖を生み出しているビックデータ社会において、人はどのような存在になるのか、すなわち人間の存在と「生きる」意味を問う。そして、生きることを情報システムによって管理・調整したり、排除あるいは統制したりする「生きることの情報化」や、自らが自立し現代社会を生き抜くためのリテラシー、すなわちツールの利用法=「生の技法」を探る。
〇[1]では、「生きる」ことそのものをめぐって、特定健康診査やマイナンバー、介護保険などのビックデータ化の成否や功罪について議論する。[1]の核心のひとつである。ここでは、断片的であるという誹(そし)りを免れないであろうが、それらの議論に通底するいくつかの論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

テクノロジーの発展が人間の「生きる意味」の追究を求めている
私たちは、テクノロジーが明確な一線を越えつつあることを、より強く認識すべきである。私たちが生きているのは、テクノロジーが有史以来はじめて、人間の存在とその「生きる」意味に隣接し越境しようとしている時代なのである。私たちの身体や生活の逐一(ちくいち)が、情報技術によってログ(記録)され、ないしはサジェスト(提案)されるようになるのは、長い時を待つまでもないかもしれない。研究者や教育者が真面目に「生きる意味」を考えるべきなのは、この潮流をふまえてのことであろう。(181ページ)

ポスト・ビックデータ社会は「生きづらさ」「情報弱者」を生み出す
ポスト・ビックデータ社会(生活世界の情報化が完了する社会。「生きることの情報化」の最終局面)では、どんなに巧みに設計され、どんなに安全に実装され、どんなに善良に運営されたとしても、それは私たちの生を<擬制>し(あまりにも多様すぎる私たちの生を同一のものとみなし)、その<自粛>を強(しい)い、私たちを<適正化>するように機能する。その中で生きる主体を<弱者>とせずにはいられないということについては、他の論点にまして、考察しておくべきである。(193ページ)

情報弱者/強者に関する議論は「情報格差」の問題である
<情弱>という表現は、ある情報を正確に把握したり、情報の背後に隠された意図を見抜けないといった判断力などを揶揄したりしている面は少なくない。しかしそういった力そのものが養われたり発揮されたりするためには、ディバイス(パソコンやスマホ本体とその周辺機器・ハードウェア)やメディアを使ったり学んだりできる環境や条件が揃っていることが大前提になることは疑いもない。本質的には、情報にかんする「強者/弱者」については、個人の生まれながらの資質や、何らかの努力の結果だけではなく、社会環境の方がむしろ重要になる。情報弱者/強者にかんする議論は、情報にかんする社会的な格差(「情報格差」)の問題として、先ず考えられるべきである。(35、36ページ)

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「自立」に必要な自己決定には「自己の主体」化が肝要となる
自立のために必要なのは、「自分についての情報を自分で所有したり、自分のこと(情報)を、自分に納得いくかたちで決める」という<力>である。つまり「自分についての真理」を自らの理性で判断し語る<力>が、自らが生きるための<技>として必要である。(141、142ページ)
主体なき自己がありうるか、理性なき市民が存在しうるか、他者理解なき共存や共生が到来するのか。自己を配慮する用意のないものが他者や世界に配慮できるとは思えない。(145ページ)

「生の技法」には徹底した理屈・論理・考察を必要とする
<生の技法>において重要なのは、すでに情報社会に蔓延し、今後さらに増殖していくような、安易な同情や共感といった感覚的だったり本能的だったりするものではなく、むしろ徹底した理屈、論理、考察である。今、社会的な弱者とされてしまう人も、現在、将来の<情報弱者>も、直面しているのは社会的に構築された問題である。だから、その社会的な問題に感性的に反応するのではなく、冷徹に問題構造を把握し、限られた中でも論理的に回避したり克服したりする意識の中にこそ、生き抜く技――<生きる技法>――が生まれるのである。(198、199ページ)

〇ビックデータ社会で多くの人は、自らを情報の活用主体と位置づけ、情報強者をめざしている。しかし、その社会では、社会的・経済的・文化的発展が実現する反面、情報や生活の管理による人間疎外の促進や社会統制の強化が進んでいる。例えば、個人情報保護法(「個人情報の保護に関する法律」、2003年5月施行)やマイナンバー法(「行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律」、2015年10月施行)は、公権力が単なる行政手続きとしてのそれをはるかに越えて、すべての個人情報を丸裸にし、プライバシーを侵害する「残酷な使命」(102ページ)をもっている。めざすところは計画通りの、巧みな方法によるビッグデータ社会の構築である。
〇そのような認識のもとで、柴田はいう。障がい者や高齢者は必ずしも情報弱者に直結するものでもないが、社会的弱者であるとされている人たちのなかにこそ、情報弱者と化す多くの人たちを開放する手がかりがあるかもしれない(29ページ)。ビックデータ社会を生き残る「技法」は、はるか昔から深刻な社会問題に直面し、それゆえ自らの存在をかけて「自立」と「共生」のリテラシー=「生の技法」を鍛え上げてきたとりわけ障がい者のリアリティのなかにあるのではないか(184ページ)。そうしたことについて探究する際の基本的なもののひとつは、人間はその「価値」の有無ではなくただ「存在」することに「固有の意味」がある、という考え方である。。
〇続けて柴田はいう。命がかけがえがないのは自明であり、他者との相互理解が必要なのは不変であり、社会が多様であることは公理である(202ページ)。多様性と

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は、私たちが自らの価値観では想像も想定もできない存在の連鎖である。異質の現前(現に存在すること)こそが、その本質である(204ページ)。そもそも人間は、それ同士を比較するにはあまりにも多様すぎる、比較し選別することのできない存在である(160ページ)。人間の生は「多様で、予想外で、それゆえ自由にあふれる」(181ページ)ものである。それ故に、障がい者や高齢者などの態度や行動の「価値」が共有できなくても、理解できなくても、いや「わからない」からこそ、そこにはただ存在する「固有の意味」がある。私たちが共存し共生するために必要なのは、尊重と忍耐だけである(205、206ページ)。
〇筆者はいま、共存や共生についての「尊重」と「忍耐」に加えて、望んでいる事柄が実現するという証拠に基づく「確信」(すなわち、別言すれば「信仰」)をもつことの必要性と重要性を感じている。そして、その証拠の科学的探究と思考が続くことになる。付記しておきたい。

 

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06/同調圧力の強い「世間」 
               ―求められる「ゆるやかな絆」―

社会には秩序が必要だ。人間同士が分断され競争するなかで、秩序を保ち、社会を成り立たせるためには、国家権力のもとで上から秩序を与えるしかないということになる。権力が上から与える秩序は、同調圧力と忖度によって増幅され、人々は自由と連帯を失い上位権力のもとで委縮する。
ところが、そういう世界は、自由を捨てた人間には案外住みやすい世界になるのだ。「正しい考え方」や「正しい生き方」は上から与えられるから、自分で考えずに済む。同調圧力をもはや「圧力」と感じなくなる。そこに全体主義が生まれる。(下記、前川喜平:134ページ)

〇これは、望月衣塑子・前川喜平・マーティン=ファクラー著『同調圧力』(角川新書、KADOKAWA、2019年6月)に所収の、前川の一文である。前川は続けていう。「無意識のうちに同調圧力に屈し、忖度や委縮を絶えず繰り返す。そうした人間が増えているのが今の日本だと思う。自ら考える力を育てる教育が今こそ必要だと声を大にして、あらためて訴えたい」(141ページ)。そして、前川の結語は単純明解である。心を縛られない「真に自由な人間に、同調圧力は無力である」(142ページ)。
〇筆者の手もとに、鴻上尚史・佐藤直樹著『同調圧力―日本社会はなぜ息苦しいのか―』(講談社現代新書、講談社、2020年8月、以下[1])と、岡檀著『生き心地の良い町―この自殺率の低さには理由がある―』(講談社、2013年7月、以下[2])という本がある。
〇[1]は、作家・演出家である鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)と評論家である佐藤直樹(さとう・なおき)の対談本である。鴻上には「『空気』と『世間』」(講談社、2009年7月)、佐藤には「『世間』の現象学」(青弓社、2001年12月)という著作がある。「あなたを苦しめているものは『同調圧力』と呼ばれるもので、それは『世間』が作り出しているもの」である。新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本特有の「世間」が強化され、「同調圧力」が狂暴化・巨大化している。自粛の強制や監視、感染者に対するバッシングなどがそれである。「世間」の特徴は、「所与性」(変わらないこと・現状を肯定すること)にあり、「今の状態を続ける」「変化を嫌う」ことにある(鴻上:6、7ページ)。[1]は、新型コロナがあぶり出した「世間」のカラクリや弊害について追求する。
〇[1]で筆者が留意したい視点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

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「同調圧力」を生む「世間」:鴻上
「同調圧力」とは、「みんな同じに」という命令である。同調する対象は、その時の一番強い集団である。多数派や主流派の集団の「空気」に従えという命令が「同調圧力」である。数人の小さなグループや集団のレベルで、職場や学校、PTAや近所の公園での人間関係にも生まれる。日本は「同調圧力」が世界で突出して高い国なのである。そして、この「同調圧力」を生む根本に「世間」と呼ばれる日本特有のシステムがある。(鴻上:5ページ)

「世間」と「社会」の違い:鴻上
「世間」というのは、現在及び将来、自分に関係がある人たちだけで形成される世界のことである。分かりやすく言えば、会社とか学校、隣近所といった、身近な人びとによってつくられた世界のことである。「社会」というのは、現在または将来においてまったく自分と関係のない人たち、例えば同じ電車に乗り合わせた人とか、すれ違っただけの人とか、知らない人たちで形成された世界である。つまり、「あなたと関係のある人たち」で成り立っているのが「世間」、「あなたと何も関係がない人たちがいる世界」が「社会」である。日本人は「世間」に住んでいるけれど、「社会」には住んでいない。(鴻上:31、32ページ)

「世間」と「社会」の二重構造:佐藤
「社会」というのは、「ばらばらの個人から成り立っていて、個人の結びつきが法律で定められているような人間関係」である。法律で定められている人間関係が「社会」である。「世間」というのは、「日本人が集団となったときに発生する力学」である。「力学」とはそこに同調圧力などの権力的な関係が生まれることを意味する。日本人は「世間」にがんじがらめに縛られてきたために、「世間」がホンネで「社会」がタテマエという二重構造ができあがっている。おそらく現在の日本の社会問題のほとんどは、この二重構造に発していると言ってもいい。「社会」と「世間」を比較すると次のようになる。(佐藤:33、34、35ページ)

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「世間」を構成するルール:佐藤
「世間」を構成するルールは四つある。①お返しのルール/毎年のお中元・お歳暮に代表されるが、モノをもらったら必ず返さなければならない。②身分制のルール/年上・年下、目上・目下、格上・格下などの「身分」がその関係の力学を決めてしまう。③人間平等主義のルール/「みんな同じ時間を生きている」、すなわち「みんな同じ仲間である」と考えている。そこから、「出る杭は打たれる」ことになり、「個人がいない」ということになる。
④呪術性のルール/「友引の日には葬式をしない」といったように、俗信・迷信に逆らうことができない。こうした四つのルールからできあがったのが「世間」である。そうした人間関係のつくり方をしている国は日本しかないのではないか。(佐藤:35~50ページ)

「世間」の特徴:鴻上
「世間」には五つの特徴がある。①「贈り物は大切」、②「年上が偉い」、③「『同じ時間を生きること』が大切」、④「神秘性」(佐藤がいう「呪術性」)、佐藤の言説と同じである。加えて⑤「仲間外れをつくる」がある。それは「排他性」を意味し、仲間外れをつくることが、自分たちの「世間」を意識し、強固にすることになる。この五つの特徴(ルール)のうち、一つでも欠けた場合に表れるのが「空気」である。「世間」が流動化したものが「空気」である。「空気」に支配されるのは、それが「世間」の一種だからである。(鴻上:50~53ページ)

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〇要するに、「世間」の本質は、その暗黙のルールに従うこと、みんなと同じことをすることにある。「世間」のルール(その強さ)が、「みんな同じ」すなわち「違う人にならない」という同調圧力を生み出し、個人の行動を抑制するのである。
〇「同調圧力」とは、「少数意見を持つ人、あるいは異論を唱える人に対して、暗黙のうちに周囲の多くの人と同じように行動するよう強制すること」である。すなわち、「何かを強いられること」「異論が許されない(封じられる)状況」(16ページ)をいう。こうした同調圧力や相互監視を生み出す、別言すればそれによって支えられるのが「世間」である。この「世間」と「同調圧力」が、いまの日本社会の「息苦しさ」や「生きづらさ」の正体である。それを緩和あるいは除去するためには、「世間のルール」を漸進的に変革するしかない。そのためのひとつのヒントを与えてくれるのが[2]である。
〇[2]は、大学教員である岡檀(おか・まゆみ)が、「地域の社会文化的特性が住民の精神衛生にあたえる影響、特に、コミュニティの特性と自殺率との関係」(10ページ)を明らかにしようとしたものである。徳島県南部に位置する旧・海部町(現・海陽町)は、太平洋に臨む、人口3000人前後で推移してきた小規模な町である。その町は、全国でも極めて自殺率の低い「自殺“最”稀少地域」である。[2]は、そこに暮らす町民たちの、「生きづらさを取り除く」ユニークな人生観や処世術を、2008年から4年にわたる現地調査によって解き明かす(「帯」)。
〇[2]で筆者が注目したいひとつの言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

五つの自殺予防因子
旧・海部町ではなぜ、自殺者が少ないのか。「自殺予防因子」として次の五つが考えられる。
いろんな人がいてもよい、いろんな人がいたほうがよい
多様性を尊重し、異質や異端なものに対する偏見が小さく、「いろんな人がいてもよい」と考えるコミュニティの特性がある。それだけではなく、「いろんな人がいたほうがよい」という考え方が町に浸透している。
人物本位主義をつらぬく
職業上の地位や学歴、家柄や財力などにとらわれることなく、その人の問題解決能力や人柄によって判断するという考え方が重んじられている。
どうせ自分なんて、と考えない
町民には、自分たちが暮らす世界を自分たちの手によって良くしようという、基本姿勢がある。「どうせ自分なんて」と考える人が少なく、主体的に社会にかかわる人が多い。
「病(やまい)」は市(いち)に出せ
病気のみならず、生きていく上でのあらゆる問題をひとりで抱えるのではなく、みんなで解決しようという考え方がある。町民の、援助を求める行為への心理的抵抗が小さい。

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ゆるやかにつながる
人間関係が固定していない。町民はそれぞれが、息苦しさを感じない距離感を保ちながら、「ゆるやかな絆」のもとで連携している。(29~92ページ)

〇岡はいう。旧・海部町は江戸時代の初期、材木の集積地として飛躍的に隆盛し、「多くの移住者によって発展してきた、いわば地縁血縁の薄いコミュニティだった」(88ページ)。「人の出入りの多い土地柄であったことから、人間関係が膠着(こうちゃく)することなくゆるやかな絆が常態化したと想像できる」(90ページ)。こうした歴史的背景のもとで培われ維持されてきた「ゆるやかな絆」が、自殺予防を促している。「ゆるやかな絆」という住民気質に注目しておきたい。
〇ここで2点、付記しておきたい。ひとつは、麻生太郎副総理兼財務大臣が、2020年6月4日に開かれた参議院の財政金融委員会で、日本は他国に比べて新型コロナウイルスによる死亡者数が少ないのは「国民の民度のレベルが違う」「民度が高い」ことによる、と答弁したことについてである。その際、麻生は、「(日本は)島国ですから、なんとなく連帯的なものも強かったし、いろんな意味で国民が政府の要請に対して極めて協調してもらったということなんだと思いますけれども、‥‥‥国民性が結果論として良かった‥‥‥」とも答えている。この「民度」「連帯」「協調」「国民性」が意味するところは、「世間」による「同調圧力」であると言ってよい。今また、コロナ禍で「がんばろうニッポン」が叫ばれている。その言葉が浮き彫りにするのは、「あぶないニッポン」の姿である。ここで、2013年7月29日の、憲法改正に関する麻生の発言、「ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね………」を思い出しておきたい。
〇いまひとつは、世論がどのようなメカニズムで形成されるかを検討したE.ノエル=ノイマン(1916年~2010年、ドイツの政治学者)の「沈黙の螺旋理論」についてである。誤解を恐れずに言えば、その概要はこうである。人間はその社会的天性として、仲間と仲たがいして孤立することを恐れる(「孤立への恐怖」)。人間には意見分布の状況(「意見(の)風土」)を認知する能力がある(「準統計的感覚(能力)」)。そこで、自分の意見が多数派であると判断したときは、自分の意見を公然と表明する。逆に自分の意見が少数派であると認識した場合は、孤立を恐れて沈黙を促す(守る)。この循環過程によって意見の表明と沈黙が螺旋状に増幅し、多数派意見への「なだれ現象」(同調)が引き起こされ、多数派意見が「世論」(「論争的な争点に関して自分自身が孤立することなく公然と表明できる意見」:68ページ)として公認されるようになる。そして、少数派はますます孤立の度を深めていく。なお、ノエル=ノイマンは、少数派でありながら、孤立の脅威をものともしないで意見表明する、「ハードコア(固い核)」と名付ける活動層についても言及する。「沈黙の螺旋研究」の詳細については、E.ノエル=ノイマン/池田謙一・安野智子訳『沈黙の螺旋理論―世論形成過程の社会心理学―』(改訂復刻版、北大路

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書房、2013年3月)と、例えば時野谷浩(ときのや・ひろし)の『世論と沈黙―沈黙の螺旋理論の研究―』(芦書房、2008年3月)を参照されたい。

 

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07/「分断社会」ニッポン、「仕事」と「世間」 
        ―小熊英二を読む―

〇筆者の手もとに、小熊英二(おぐま・えいじ、歴史社会学者)の新刊本が3冊ある。(1)『日本社会のしくみ―雇用・教育・福祉の歴史社会学―』(講談社、2019年7月。以下[1])、(2)『地域をまわって考えたこと』(東京書籍、2019年6月。以下[2])、(3)『私たちの国で起きていること―朝日新聞時評集―』(朝日新聞出版、2019年4月。以下[3])、がそれである。
〇[1]は、「日本型雇用」慣行(システム)がどのように形成されてきたかを軸に、日本社会で人々を規定している暗黙のルールすなわち「慣習の束」(「しくみ」)を解明(抽出)したものである。小熊にあっては、「日本社会のしくみ」を構成する原理の重要な要素は、①何を学んだかが重要でない学歴重視(学校名の重視)、②ひとつの組織での勤続年数の重視(他企業での職業経験の軽視)、である(6~7ページ)。[1]は、「日本社会の構成原理を学際的に探究した」点において、広義の「日本論」(日本型雇用慣行の形成史に基づく日本社会論)でもある(15ページ)。
〇[1]における言説の要点のひとつをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

日本社会の「三つの生き方」―「大企業型」「地元型」「残余型」
現代日本での生き方は、「大企業型」「地元型」「残余型」の三つの類型(モデル・理念型)に分けられる。
「大企業型」とは、大学を出て大企業や官庁に雇われ、「正社員・終身雇用」の人生をすごす人たちと、その家族である。
「大企業型」は、所得は比較的に多い。しかし「労働時間が長い」「転勤が多い」「保育所が足りない」「政治から疎外されている」といった不満を持ちやすい。
「地元型」とは、地元から離れない生き方である。地元の中学や高校に行ったあと、職業に就く。その職業は、農業、自営業、地方公務員、建設業、地場産業など、その地方にあるものになる。
「地元型」は、収入はそれほど多くなかったりするが、地域の人間関係が豊かで、家族に囲まれて生きていける。政治も身近である(政治や行政が地域住民としてまず念頭に置くのは、この類型の人々である)。問題なのは、過疎化や高齢化、地域に高賃金の職が少ないことなどである。(21~22、25ページ)
「残余型」とは、所得は低く、地域につながりもなく、高齢になっても持ち家がなく、年金は少ない。いわば、「大企業型」と「地元型」のマイナス面を集めたよう

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な類型である。その象徴は都市部の非正規労働者である。現代の日本社会の問題は、「大企業型」と「地元型」の格差だけではない。より大きな問題は、「残余型」が増えてきたことである。(32ページ)
三類型の比率は、「大企業型」が26%、「地元型」が36%、「残余型」が38%と推定される。「地元型」に多い自営業の減少により非正規雇用は増えているが、正規労働者の数はさほど減少していない。大企業の雇用慣行が「企業」と「地域」という類型をつくり、日本社会の構造を規定している。(40~41、45、86ページ)

〇[2]は、移住希望者向けの雑誌『TURNS』の連載記事をベースに加筆したものである。小熊にあっては、「地域」を知るための視点として、①市区町村は行政の単位であって地域の単位ではない。②市区町村は行政の範囲であって経済の範囲ではない。③地域の集合意識(有無や強弱)は地形と関連している。④集合意識の範囲の指標のひとつは神社(祭り)と小学校区である。⑤人は単なる個人ではなく社会関係の結節点である、などが重要となる(7~18ページ)。[2]は、戦後日本の地域の歴史性について考え、持続可能な地域を構築するための今後の方向性を探究する本である。
〇[2]における言説の要点のひとつをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

地域振興の目標―「他から必要とされる地域」と「持続可能で人権が守られる地域」
地域振興を図るに際して、「かつての賑わいを取り戻す」という発想には限界があり、非現実的である。地域振興の目標は、基本的には地域住民が決めるしかないが、「他から必要とされる地域」および「持続可能で人権が守られる地域」という目標の立て方がありうる。(170、171ページ)
「他から必要とされる地域」については、改めてその地域にある資源を点検・見直し、それが外部から求められるような流れを作っていくことによって新たな賑わいを生み出すしかない。ただ、他の地域で成功したモデルを模倣しても成功しないことが多い。環境の変化に即した、その地域ならではのモデルをそれぞれ構想するしかない。(171、172ページ)
「持続可能で人権が守られる地域」については、人口減少が進むなかで、人口構成のバランスを維持するために若い世代や移住者を呼び込む。行政の仕事や(福祉)施設運営などをNPOに委託したり、農業や自営業、伝統産業の振興を図るなど、移住者が「長いスパンで働けるところを、地道に作っていく」(76ページ)。その際、「かつての賑わいを取り戻す」という目標の立て方ではなく、地域・住民の「健康で文化的な生活」(人権)を守ることを地域の維持や振興の目標とすることが重要となる。そこに求められるのは、チャレンジ精神(「やってみなければわからない」)と愛着(「それが好きだ」)である(177、182ページ)。

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〇[3]は、2011年4月から2019年3月にかけて朝日新聞に連載された「論壇時評」を編集したものである。小熊にあっては、「個別の事象の向こう側にある社会の変動をみつめ、その変動の表れとしてそれぞれの事象を位置づけるように努め」る。「その変動とは、人々の個人化が進み、関係の安定性が減少していく流れである」(4ページ)。[3]では、①「社会の変動という、世界に普遍的な傾向が、日本でどう表れているか」、②「戦後の日本で形成された『国のかたち』がどのように揺らいでいるか、次の時代の新しい合意がどのように作られうるか」、という二つの関心が通奏低音(つうそうていおん。底流に流れる考え・主張)となっている(6ページ)。
〇[3]における言説の要点のひとつをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「分断社会」ニッポン―「第一の国民」と「第二の国民」
現代日本は「二つの国民」に分断されている。「第一の国民」は、企業・官庁・労組・町内会・婦人会・業界団体などの「正社員」「正会員」とその家族である。「第二の国民」は、それらの組織に所属していない「非正規」の人々である。(218ページ)
「非正規」の人々は所得が低いのみならず、「所属する組織」を名乗ることができない。そうした人間にこの社会は冷たい。「第二の国民」が抱える困難に対して、報道も政策も十分ではない。その理由は、政界もマスメディアも「第一の国民」に独占され、その内部で自己回転しているからである。(219、220ページ)
日本社会の「正社員」である「第一の国民」は、労組・町内会・業界団体などの回路で政治とつながっていた。彼らは所属する組織を通して政党に声を届け、彼らを保護する政策を実現できた。もちろん「第一の国民」の内部にも対立はあった。都市と地方、保守と革新の対立などである。55年体制時代の政党や組織は、そうした対立を代弁してきた。今も既存の政党は、組織の意向を反映して、そうした伝統的対立を演じている。報道もまた、そうした組織の動向を重視する。新聞記事の大半は政党・官庁・自治体・企業・経済団体・労組といった「組織」の動向である。一方で「どこにも所属していない人々」の姿は、犯罪や風俗の記事、コラム、官庁の統計数字などにしか現れない。(220~221ページ)
放置された「第二の国民」の声は、どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。この問題は、日本社会の未来を左右し、政党やメディアの存亡を左右する。(222ページ)

〇ここで、[1]との関連で、あまりにも周知のことではあるが、中根千枝(なかね・ちえ、社会人類学者)が半世紀以上も前に上梓した『タテ社会の人間関係―単一社会の理論―』(講談社、1967年2月。以下[4])で説く「日本論」(「社会の

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単一性」を前提とした日本社会論)について思い起しておくことにする。[4]は、一定の社会に内在する基本原理を抽象化した「社会構造」に着目し、日本の社会構造を最も適切にはかりうるモノサシ(分析枠組み)を提出したものである(20、21ページ)。
〇[4]における言説の重要用語は、「資格と場」「ウチとヨソ」「タテとヨコ」である。その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

日本の社会構造の特徴―「資格と場」「ウチとヨソ」「タテとヨコ」
一定の個人からなる社会集団を構成する要因として、二つの異なる原理を設定することができる。「資格」(の共通性によるもの)と「場」(の共有によるもの)がそれである。「資格」とは、性別や年齢、学歴・地位・職業などのように、社会的個人の一定の“質”(個人的属性)をあらわすものである。「場」は、資格(個人的属性)の違いを問わず、一定の地域や所属機関(大学、会社等)などのように、一定の“枠”によって集団が構成される場合をさす。例えば、会社の経営者や技術者、大学の教授や学生というのはそれぞれ資格をあらわすが、〇〇会社の社員、△△大学の者というのは場による設定(位置づけ)である。日本社会では、「場」が社会的な集団構成や集団認識において大きな役割をもっている。(28、29、32ページ)
一体感によって養成される枠の強固さ、集団の孤立性は、同時に、枠の外にある同一資格者の間に溝をつくり、一方、枠の中にある資格の異なる者の間の距離をちぢめ、資格による同類集団の機能を麻痺させる役割をなす。すなわち、こうした社会組織にあっては、社会に安定性があればあるほど同類意識は希薄となり、一方、「ウチの者」「ヨソの者」の差別意識が正面に打ち出されてくる。日本人は仲間といっしょにグループでいるとき、他の人々に対して実に冷たい態度をとる。相手が自分たちより劣勢であると思われる場合には、特にそれが優越感に似たものとなり、「ヨソ者」に対する非礼が大っびらになるのが常である。(48、49ページ)
場の共通性によって構成された集団は、枠によって閉ざされた世界を形成し、成員のエモーショナル(感情的)な全面的参加により、一体感が醸成されて、集団として強い機能をもつようになる。これが小集団であれば、特に個々の成員を結ぶ特定の組織といったものは必要ではないが、集団が大きい場合、あるいは大きくなった場合、個々の構成員をしっかりと結びつける一定の組織が必要であり、また、力学的にも必然的に組織ができるものである。この組織は、日本のあらゆる社会集団に共通してみられ、筆者(中根)はこれを「タテ」の組織と呼ぶ。理論的に人間関係をその結びつき方の形式によって分けると、「タテ」と「ヨコ」の関係となる。親子関係や上役・部下の関係は「タテ」の関係であり、兄弟姉妹や同僚関係は「ヨコ」の関係である。日本社会に特徴的な場によって構成される集団は、資格(個人的属性)の異なる構成員を結びつける方法として、理論的にも当然「タテ」の関係

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となる。(70、71ページ)

〇ガタガタと揺れ動く「ポンコツ車」の現代資本主義経済に関して、改めて資本主義の「本質」を問い直し、資本主義の「倫理」を見直し、分断社会をこえる社会のあり方について考えを深めていくことが求められている(岩井克人・生源寺眞一・溝端佐登史・内田由紀子・小嶋大造著『資本主義と倫理―分断社会をこえて―』東洋経済新報社、2019年3月)。また、現代資本主義社会における都市と地方、正規雇用と非正規雇用、富裕層と貧困層、高齢者と若者、男性と女性のように、社会の「分断と格差」「対立と差別」が深刻の度を増している。
〇「分断社会」ニッポン」はどこに向かっていくのか。どのような、あるいはどうすれば分断社会への処方箋を見出せるのか。そのことを展望するために、日本社会の基底をなす構造とは何か、について考えようとしたのが本稿である。課題に対する政策的・実践的処方箋は、2011年の東日本大震災後に叫ばれた「がんばれ! ニッポン!」の一言ではすまない。しかも、その言葉は、諸刃の剣(もろはのつるぎ)になりかねない。日本には「協調性」「集団主義」というマクロ文化が存在し、「長い物には巻かれよ(ろ)」「寄らば大樹の陰」(強い権力や勢力には従う)という日本的処世術が定着している、と言われる点においてである。留意したい。

 

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08/「世間」の膨張と「空気」の支配 
        ―その「息苦しさ」からの解放―

「<活動的生活> vita activa という用語によって、私は、3つの基本的な人間の活動力、すなわち、労働、仕事、活動を意味するものとしたいと思う。労働 labor とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。労働の人間的条件は生命それ自体である。仕事 work とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。活動 action とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間 man ではなく、多数の人間 men であるという事実に対応している」(ハンナ・アレント 志水速雄訳『人間の条件』筑摩書房、1994年10月、19~20ページから抜き書き)。

〇これは、周知のように、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年~1975年、ドイツ出身の政治哲学者)の代表作『人間の条件』の冒頭部分の一節である。要するに、「労働」は生命を維持するための生物学的な行為、「仕事」は工作物を製作する職人的な行為、「活動」は多くの他者に働きかける公共的な行為、である。誤解や独断を恐れずに、さらに簡潔に言い換えれば、労働=カネを得る活動力、仕事=モノを作る活動力、活動=ヒトと関わる活動力、となろうか。

〇筆者はこれまで、数多くの地域で、「まちづくり」や「市民福祉教育」の実践「活動」に関わってきた。正直に言えば、自分が現に居住する地域での取り組みには、ある種の“息苦しさ”や閉塞感を感じてきた。その息苦しさを和らげるために“酸素”を吸入し、いま一度呼吸を整えることにした。本稿を草する(「仕事」)ねらいはそこにある。以下の抜き書きは、過去に吸ったことのある、空気よりも高濃度の酸素である。筆者には、いま所属する世間で、その流量や濃度、吸入方法を如何に考えるかが問われることになる。

(1) 阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書)講談社、1995年7月
西欧では社会というとき、個人が前提となる。個人は譲り渡すことのできない尊厳をもっているとされており、その個人が集まって社会をつくるとみなされている。したがって個人の意思に基づいてその社会のあり方も決まるのであって、社会をつくりあげている最終的な単位として個人があると理解されている。日本ではいまだ個人に尊厳があるということは十分に認められているわけではない。しかも世間は個人の意思によってつくられ、個人の意思でそのあり方も決まるとは考えられていない。世間は所与とみなされているのである。/私達は世間という枠組の中で生き

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ているのであって、誰もが世間を常に意識しながら生きているのである。いわば世間は日本人の生活の枠組となっている。/敢(あ)えていえば日本人は皆世間から相手にされなくなることを恐れており、世間から排除されないように常に言動に気をつけているのである。(13~15ページ)

世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置がそこにあるものとして生きている。/世間には、形をもつものと形をもたないものがある。形をもつ世間とは、同窓会や会社、政党の派閥、短歌や俳句の会、文壇、囲碁や将棋の会、スポーツクラブ、大学の学部、学会などであり、形をもたない世間とは、隣近所や、年賀状を交換したり贈答を行う人の関係をさす。(16~17ページ)

世間には厳しい掟がある。それは特に葬祭への参加に示される。その背後には世間を構成する二つの原理がある。一つは長幼の序であり、もう一つは贈与・互酬の原理である。/世間の掟にはもう一つ重要なものがある。それは世間の名誉を汚さないということである。/「世間」の構造に関連して注目すべきことがある。西欧人なら、自分が無実であるならば人々が自分の無実を納得するまで闘うということになるが、日本人の場合は、自分は無罪であるが、自分が疑われたというだけで、世間を騒がせたことについて謝罪することになる。このようなことは、世間を社会と考えている限り理解できない。世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな人間関係の環なのである。(17、18、20、21ページ)

(2)阿部謹也『学問と「世間」』(岩波新書)岩波書店、2001年6月
「世間」と社会の違いは、「世間」が日本人にとっては変えられないものとされ、所与とされている点である。社会は改革が可能であり、変革しうるものとされているが、「世間」を変えるという発想はない。/明治以降わが国に導入された社会という概念においては、西欧ですでに個人との関係が確立されていたから、個人の意志が結集されれば社会を変えることができるという道筋は示されていた。しかし「世間」については、そのような道筋は全く示されたことがなく、「世間」は天から与えられたもののごとく個人の意志ではどうにもならないものと受けとめられていた。/したがって「世間」を変えるという発想は生まれず、改革や革命という発想も生まれえなかった。(111~112ページ)

「世間」は差別的で排他的な性格をもっている。仲間以外の者に対しては厳しいのである。「世間」には序列があり、その序列を守らない者は厳しい対応を受ける。それは表立っての処遇ではないが、隠微な形で排除される。/「世間」の中では個性的な生き方はできない。常に「世間」の枠を意識していなければならないからである。自分と「世間」とは一体として意識されている。自分が落ちこぼれないよう

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に努力している反面で、「世間」の外に特定の対象を設定して、その対象に対して自分の優位を確認しようとする。「世間」の外にそのような対象を設定することによって、自分自身の恐れや不安を転嫁するのであり、「世間」に対する恐怖を和らげるのである。/私たち自身が「世間」の中で生きている不安を転嫁する過程で差別意識が発生してくるのである。その意味で差別意識は「世間」の産物である。(151~152ページ)

(3)佐藤直樹『「世間」の現象学』(青弓社ライブラリー)青弓社、2001年12月
社会という言葉はわが国の「近代化」と一体となったかたちで、つまり「近代化」のシステムとして展開された。ジャーナリズムや学問の世界では、あたかも西欧流の社会が実在するかのように、社会という言葉があたりを席巻した。しかしそれは、蜃気楼のようなものだった。おおかたの見方に反して、「世間」は消滅するどころか、実際に明治以降私たちの<生活世界>に実在したのは、「近代化」のシステムとしての社会ではなく歴史的・伝統的システムとしての「世間」のほうであった。(98ページ)

西欧流の「社会」と日本の「世間」のちがいを簡単にまとめると次のようになる。(94~97ページ、備考は筆者引用)

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(4)山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)文藝春秋、1983年10月
「空気」は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である。われわれは「空気」に順応して判断し決断しており、総合された客観情勢の論理的検討の下に判断を下して決断しているのではない。だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基準となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。(22ページ)

「空気」の基本にあるのは臨在感的把握である。/それは、物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けることをいう。/臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。感情移入はすべての民族にあるが、この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。従ってその前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化乃至は生活化であり、一言でいえば、それをしないと、「生きている」という実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならないのである。/臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。そして絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう、いわば「空気」の支配が起ってしまうのである。(32、33、38、40ページ)

ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人びとを現実に引きもどすことを意味している。/われわれは、「空気」を排除するため、現実という名の「水」を差す。/「水」とはいわば「現実」であり、現実とはわれわれが生きている「通常性」であり、この通常性がまた「空気」醸成の基である。そして日本の通常性とは、実は、個人の自由という概念を許さない。/われわれの通常性とは、一言でいえばこの「水」の連続、すなわち一種の「雨」なのであり、この「雨」がいわば「現実」であって、しとしとと降りつづく“現実雨”に、「水を差し」つづけられることによって、現実を保持しているわけである。従ってこれが口にできないと“空気”決定だけになる。(91、92,129、172ページ)

〇「世間」と「空気」は過去の遺物ではない。「世間」は今日も、解体・消滅することなく、そこに所属する人々の行動原理として働いている。そこで醸成される

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「空気」は、人々を支配し、ときには議論を否定し、思考を停止させる。日本の現代社会においては、「世間」が膨張・強大化し、「空気」が意思決定の主役のようにもなっている。しかもそれが、中央集権的な政治・行政システムを残したまま、国主導によって進められている。
〇「まちづくり」や「市民福祉教育」の世界ではこれまで、「世間」と「空気」の存在を前提にした議論が十分に行われてきたとは言えない。もっぱら、「地域社会」「市民社会」「共生社会」などの、翻訳語としての「社会」(society)を舞台にした議論が行われてきた。「社会」は観念的な世界であり、人はそのなかで生きているとはいえ、一定の心理的距離を置くこともできる。「世間」は日常生活における具体的な人間関係であり、一面では本音(ほんね)の世界でもある。右傾社会や格差社会、そして監視社会すなわち管理社会が進展するなかでいま、その趨勢を押しとどめ、真の市民社会や共生社会の実現を図るために、日常語としての「世間」と「空気」について探究する必要がある。「世間」と「空気」を対象化し議論することは、「社会」について論究する際のひとつの前提である。それはまた、自分の存在を意識し思考することであり、「社会」や「世間」の「息苦しさ」から自分や他の人々を解放することに通じる。本稿で言いたいのはこの点である。

 

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09/「伝統回帰」と関係による未来社会のデザイン 
        ―内山節を読む―

〇久し振りに内山節(うちやま・たかし、在野の哲学者)の世界を旅し、楽しんだ。立ち寄ったのは(読んだのは)、(1)『民主主義を問いなおす』(内山節と語る 未来社会のデザイン①。以下[1])、(2)『資本主義を乗りこえる』(同②。以下[2])、(3)『新しい共同体の思想とは』(同③。以下[3])の3部作である。これは、35年余にわたって、毎年2月に行われている「東北農家の二月セミナー」の2017年、18年、19年の勉強会での内山の報告を書籍化したものである。農文協から、2021年3月に刊行されている。
〇[1]で内山はいう。世界はいま、分解と混乱を深めている(48ページ)。近代国家とそのもとでの民主主義や「自由・平等・友愛」(フランス革命)などの理念の限界が露呈している。そんななかで、行き詰まる近代的世界を超え、どのような未来社会を構想するか。そのひとつの答えは、農山村や地域社会などにおいていろいろなかたちで始まっている「伝統回帰」に見出せる。伝統回帰とは、昔のかたちに戻ることではなく、近代以前から学ぶということ、「過去に未来のヒントをもらうこと」(10ページ)である。これからの社会のあり方を一言でいえば、「伝統回帰の時代」(50ページ)である。
〇[2]で内山はいう。資本主義は末期的になってきた(14ページ)。貨幣の増殖とその手段としての資本の拡大再生産を追求する資本主義経済が暴走し、世界を荒廃させている。資本主義は「カネでカネを殖やす」仕組みにすぎない(69ページ)。それに対して伝統的な経済は、「自分の利益だけを追求しない」(87ページ)、「皆の利益」「皆があってこその利益」(98、100ページ)を追求する。資本主義が終焉の方向に向かっているなかで、カネに振り回されない、自然や共同体(コミュニティ)ととともにある経済への伝統回帰が始まっている。
〇[3]で内山はいう。ヨーロッパの文明思想が限界を迎えた(14ページ)。ヨーロッパが近代につくりだした思想が、国家・国境や貨幣などの「虚構」に支配されたいまの社会構造・文明世界をつくった。近代的世界が行き詰まるなかで(113ページ)、自然と人間や人間同士がつながり結び合って暮らす共同体的世界・生き方を取り戻すことが求められている。いま、「自然」「労働」「経済」「暮らし」「地域」「文化」「信仰」などがバラバラにではなく、相互性をもって一体的に展開できる、「実体」として存在する共同体的世界への伝統回帰の試みが生まれている。
〇[1]は内山の政治・社会論(民主主義論)、[2]は経済論(資本主義論)、[3]は思想論(共同体論)である。そこに通底するのは、民衆が培ってきた土着・伝統の信仰や思想、文化などへの伝統回帰に基づく「未来への構想力」であり、新しい「変革の思想」である。

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〇内山は「伝統回帰」という言葉を好んで使う。その「伝統回帰論」とともに、内山にとって重要な言説のひとつに、人間の本質は「関係」のなかにあるという「関係本質論」がある。その要点はこうである。人は、自然や神仏、社会との関係や、人間同士のさまざまな関係のなかで生きている。その関係を足したもの、いろいろな関係の総和・全体がその人の本質をつくっている。関係がすべてを存在せしめ、関係が実体をつくっている([3]60、73ページ)。つまり「関係こそが真理である」([3]72ページ)。
〇要するに、内山にあっては、日本の伝統的な発想には、「我々はいろんなものとつながって生きている」という生命観や社会観がある([2]100ページ)。しかも、あらかじめ自然があり、神仏や人(他者)が存在するからではなく、自然や神仏、人と関係を結んでいるから自然があり、神仏や人が存在するのである。すなわち、自然や神仏、人間同士の関係を通して社会をつくっているのである([1]104ページ)。
〇本稿でみた内山の「伝統回帰論」や「関係本質論」の展開の前提には、国民国家と市民社会、そして資本主義についての厳しい現状認識がある。内山はいう。近代社会は国民国家、市民社会、資本主義の3つのシステムが三位一体となるかたちでつくられている。その土台にあるのは、国民、市民、労働力などとして成立する個人である。三位一体の体制である以上、ひとつが限界に達すれば、他のふたつも限界にならざるをえない([1]8、9ページ)。現在では、そのすべてが限界を迎えている。国家はいま、国家権力が巨大化し、人びとを煽動しながら政治を進めるデマゴーグ政治(衆愚政治)に陥り、「たそがれる国家」「国家が意味を失っていく時代」([1]19ページ)にある。市民社会については現在は、個人がバラバラになって孤立しており、正義感に満ちた生き生きした社会をつくるという「神話性がはがされていく時代」([1]11ページ)である。資本主義については、経済発展が格差を生んで人々の生活を破壊し、地域・社会を衰退させ、「資本主義が国民全体を支えるという時代」([3]114ページ)は終わっている。
〇こうした内山の議論や視点は、いま流行(はやり)の「コモンズ(共有資源)論」や「脱成長コミュニズム(共同体主義)論」を思い出させる。また、国民国家・市民社会・資本主義の三位一体のシステムについては、「市民社会論」の一環として「まちづくりと市民福祉教育」について論じる際に留意すべき視点でもある。付記しておきたい。

 

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10/まちづくりと「キャパシティ・ビルディング」 
           ―まちづくりの方向性と側面―

筆者の手もとに、「まちづくり」というタイトルの本が5冊ある。(1)織田直文『臨地まちづくり学』(サンライズ出版、2005年3月。以下[1])、(2)西村幸夫編『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』(朝倉書店、2007年4月。以下[2])、(3)日本福祉のまちづくり学会編『福祉のまちづくりの検証―その現状と明日への提案―』(彰国社、2013年10月。以下[3])、(4)日本都市計画学会関西支部新しい都市計画教程研究会編『都市・まちづくり学入門』(学芸出版社、2011年11月。以下[4])、(5)株式会社オオバ技術本部『まちづくり学への招待―どのようにして未来をつくっていくか―』(東洋経済新報社、2015年5月。以下[5])、がそれである。

〇[1]から[5]を一瞥すると、まちづくりの実践例を紹介するものが多い。しかも、「まちづくり」とはいうものの、その論述はハード面を中心とした都市計画論や土木・建築工学などの専門領域に限定されていたりする。また、「まちづくり学」とはいうものの、実践経験やそれに基づく知識や知見を教科書風に整理・総括したものもある。さらには、個別的・技術的なまちづくり実践の研究と総合的・俯瞰的なまちづくり学の研究が混同されている場合もある。いずれにしろ、「まちづくり学」の成立については未だしの感なきにしもあらず、といったところである。
〇こうしたまちづくり研究の現状認識のもとで、以下に、織田直文(おだ・なおふみ)の「1」、西村幸夫(にしむら・ゆきお)の「2」、日本福祉のまちづくり学会の「3」を中心に、注目したい論点や言説を紹介する(抜き書きと要約)。ここでは、取り敢えず3つの項目立てを行う。1.まちづくりとまちづくり学、2.まちづくりの潮流、3.まちづくりの進め方、がそれである。

1.まちづくりとまちづくり学
<A>「まちづくり」とは、住民や行政、企業などの地域構成員が、地域を良くするために心を通わせるコミュニケーションの場を形成する活動であり、<B>多様で複雑なまちづくりの課題をこの場を手がかりとし、地域の実態に即して解決しつつ、住民(議会、コミュニティ、既存の地域団体、NPO等を含む)、地元行政、企業(産業界を含む)などの地域構成員が、歴史・自然などの地域の固有性に着目し、地域という空間・社会・文化環境の健全な維持と改善・創造のために主体的に行う連続的行為である。これらの意味から、<C>まちづくりは、人々が心を通わせ、その場に臨んで、具体的な問題を解決していく活動である。([1]24~25ページ)

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まちづくりの本質とは何か、それは都市計画や都市整備とはどう違うのか。まちづくりは、地域を統合的にみることを特徴とする。まちづくりの統合的な視点やアプローチを都市計画と比較してみると、表1のようになる。(西村幸夫[2]1、7ページから抜き書き)

表1 まちづくりと都市計画の違い(18日22時)

まちづくりとは、「地域における、市民による、自律的・継続的な、環境改善運動」である。重要なのは、「地域における」、「市民による」という点にある。地域市民が安全・安心、福祉・健康、景観・魅力のための環境改善運動を、自分たちが自律的に、継続的にやり続けることが「まちづくり」である。(小林郁雄[2]83ページ)

「臨地まちづくり学」とは、臨地、すなわちまちづくりの現場での調査研究を重視し、住民主体で地域課題の解決を図る、または将来目標を獲得するための思想、知識・技術を開発する学問であるといえる。
その学問を行う主体は地域社会の構成員である、住民、市町村行政、地域企業、諸団体、NPO、大学等であり、研究者は準構成員としてまちづくりの現場に関わりながら事業支援を行い、研究開発の進展に貢献するのである。この学問はあくまで地域に息づく市井の人々に役立つことをめざして取り組むことを基本とする。([1]46~47ページ)

2.まちづくりの潮流
人間の個々人の欲求が集合体として社会化し、それに符号する形の「まちづくり」が現出する。戦後のまちづくりを辿ると次のようになる。1960年代、環境破壊や公

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害の発生などの高度経済成長による歪みに対して、生活環境整備や福祉の充実への希求が高まり、イデオロギーを背景にした新しい社会運動が登場した(「告発・要求型まちづくり」)。1970年代、地方・地域の過疎的状況の中で、独自の産業振興を図り雇用の確保、人口の定住をめざして地域振興が取り組まれた(「地域経済振興型まちづくり」)。1980年代後半から1990年代前半、地域住民の地域への誇りと愛着の醸成や、経済とは切り離されたところでの芸術・文化活動の活発化などで、自己実現をめざす人間的欲求の発露の結果として地域の社会・文化開発がなされた(「自己実現型まちづくり」)。今後は、多様で複雑な地域課題を解決するためには、国や県、地域外企業などが行う「外発的地域開発」(exogenous regional development)と市町村行政や住民などが主体的・主導的に行う「内発的地域開発」(endogenous regional development)を結合させ、両者の長所を合わせ持った「ひらかれた内発的地域開発としてのまちづくり」が必要となる(「課題解決型まちづくり」)。([1]114~127ページ)

これまでの福祉のまちづくりは、障害者の住まいや介助問題を発端に、移動、交通、少子高齢社会の急速な到来に対するさまざまな地域課題を環境整備や法制度の構築、市民運動というかたちで発展させてきた。
今日、福祉のまちづくりの対象は拡大し、子ども、高齢者、障害者、外国人などへの多様な対策をはじめ、健康づくり、防災、安全・安心のまちづくりなど、その範囲を広く捉えることができる。さらにまた、東日本大震災は、日本のこれまでの社会経済活動のあり方を根本的に問い直し、地域とは何か、共助とは何か、過疎化、高齢化する地域における市民の役割、福祉のまちづくりの役割を問うこととなった。90年代までとはまったく異なるステージに突入したといえる。
福祉のまちづくりのゴールとは、地域やまちづくりの分野ですべての人が「分け隔てのない共生社会」(注①:阪野)の実現を図ることである。「弱くて脆い社会」(注②:阪野)をそろそろ脱皮する必要がある。([3]10~24ページ)


①「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」、2013年6月公布、2016年4月施行)は、「障害を理由とする差別の解消を推進し、もって全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に資することを目的とする。」(第1条)。
日本は、2014年1月、「障害者の権利に関する条約」(Convention on the Rights of Persons with Disabilities、2006年12月国連総会採択)を批准した。本条約は、「全ての障害者によるあらゆる人権及び基本的自由の完全かつ平等な享有を促進し、保護し、及び確保すること並びに障害者の固有の尊厳の尊重を促進すること」(第1条)

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を目的とし、締約国は「この条約において認められる権利の実現のため、全ての適当な立法措置、行政措置その他の措置をとること。」(第4条1(a))を定めている。
② 「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」(「国際障害者年行動計画」(第63項)1980年1月国連総会決議)。

福祉のまちづくりに関する流れを概観すると、福祉のまちづくりは、①当初、障害者自身の自発的な活動すなわち住民主導型から始められたが次第に行政主導型に変化していったこと(「主体の変化」)、②福祉のまちづくりそのものの概念が時代とともに変化していったこと、すなわち当初の「福祉」は障害者を主体的に捉えていたが後年は全ての市民を対象にしていること(「概念の変化」)、③「まちづくり」の目的が道路や建築物といったハードを整備することからまちの中で生活できることへと進化していったこと(「対象の変化」)、④当初は法的拘束力がほとんどなかったが条例の制定等で次第に法的拘束力が強められていったこと(「法的拘束力の変化」)が理解できよう。([3]200ページ。野村勸「建築分野からみた福祉のまちづくり」『福祉のまちづくり研究』第13巻第2号、日本福祉のまちづくり学会、2011年7月、13ページ)

3.まちづくりの進め方
臨地まちづくりを進める場合の要諦としては、次のような点がある。
① 地元の住民や行政の主体性、独創性を最も重要視する。
② 地域社会を生態的、動態的に扱う。
③ 現地の状況を客観的かつ感覚的、総合的に認識する。
④ 住民の深層内面的コンセンサスが得られるまちづくりの進め方、提案をする。
⑤ 地域の現状・課題把握、政策立案、実施をスピーディに行う。ただし、現場のペースを著しく乱してはならない。
⑥ 政策内容、事業展開に柔軟性を持たせる。現場の事情に応じて対応していく。しかし、基本コンセプト等はできるだけ崩さない。([1]53ページ)

〇以上を要するに、まちづくり([1]でいうひらかれた内発的な課題解決型まちづくり)は、地域の歴史性・固有性、地域住民・行政などの主体性・自律性、実践活動の総合性、計画性、運動性、継続性などにその特性を見出すことができる。まちづくりは、地域(地元)の住民をはじめ行政、組織・団体、NPO、企業などの主体の形成なしにはありえず、主体形成を本質とする。まちづくりは、住民主体・住民

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主導の内発的な取り組みを基本とするが、その推進を図るためには個々の住民(個人的実践主体)の主体形成にとどまらず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上するための取り組みを必要とする。まちづくりの重要な主体である地元行政や地域の組織・団体・NPO・企業などは、如何にして、ひとつの組織体として「まちづくりの力」を発揮するか、組織体相互の連携・協働(共働)を図るか、が問われる。そしてまた、まちづくりの主体を形成(育成)するための教育的営為(「まちづくり教育」「まちづくり学習」「市民性形成」「市民福祉教育」など)のあり方も問われることになる。なお、福祉のまちづくりは、高齢者や障がい者などの社会的弱者に限らず、すべての人が安全で安心して快適に、共に暮らせるまちづくり(「共生のまちづくり」)の推進を図るものである。その意味においては、これまで使われてきた福祉「の」「で」「による」まちづくりは、総合的・包括的な概念である「まちづくり」に包含されることにもなろうか。
〇ここで、以上との関連で、「まちづくりの方向性と側面」と「キャパシティ・ビルディング」について一言付け加えることにする。
〇図1は、1990年代以降の地方分権改革の潮流に対応した住民参加・市民主導のまちづくりの方向性と側面(内容)について表示したものである。第1象限(市民主導/行政・専門家支援×創造・変革)が、推進することが志向されるまちづくりである。しかし、現状では、第2象限や第4象限にとどまったり、旧態以前とした第3象限(行政・専門家主導/住民参加×守旧・伝統)に位置づく取り組みが多い。2000年代に入るとまちづくりへの住民参加が制度化されるが、参加主体の多様化や多層化が進み、かえって参加が形式化・形骸化している実態もある。また、内容的には、ハード・ソフト両面にわたって総合的かつ有機的に地域課題を解決することが重要であるといわれるが、個別的・縦割り的なものも多くみられる。

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〇まちづくりは、それに参加する住民の「個別の能力強化」だけでなく、NPOや地域組織・団体、企業などの組織的な能力の形成・強化・向上を図る取り組み(キャパシティ・ビルディング、capacity building)とそれを促進・支援する専門的人材の育成やシステムの構築が必要かつ重要となる。キャパシティ・ビルディングは、「組織の実績と効果を高めるために、組織強化するプロセス」(「組織の能力強化」)と定義される。それは、NPOや市民活動団体、民間企業などが組織体として、まちづくり活動を推進するために、組織・人材・財源などの組織基盤・基礎体力(キャパシティ)を構築(ビルディング)・強化することを意味する。キャパシティ・ビルディングの取り組みでは、①リーダーシップ力(組織のリーダーのもつべき能力で、発想し、優先順位づけを行い、意思決定し、方向を決めて革新を行う能力)、②適応力(組織が抱える内外の環境変化を観察・評価し、対応する能力)、③マネージメント力(組織のもつリソース(資源)について、効果的・効率的に活用する能力)、そして④技術力(組織が組織運営上あるいはプログラム実施上の機能を発揮する能力)の4つの組織能力が必要とされる(「2」98~99ページ)。
〇キャパシティ・ビルディングは、東日本大震災を契機に地域の再生・創造が叫ばれ、まちづくりのあり方が改めて問われている今日、注目すべきアプローチのひとつである。

補遺
〇織田直文は、「臨地まちづくり学」の「臨地」について次のように述べている。

そもそも「まちづくり」そのものが現場性の高いものであって、もともと「臨地」ではないかとの指摘もある。しかしながら、まちづくりには現場から離れた基礎的研究や理論研究もあり、それも対極として重要である。あるいは、まちづくりの現場では、当事者たる住民やそこで地域貢献をする事業者などの自覚と、主体的な取組こそが重要であるとの自戒を促す意味も込めて、あえて「臨地」という言葉で強調しているのである。
さらにそのことを認識したうえで等しく大学の研究者、学生、ジャーナリストといった、外部からの観察者・提案者たちも<まち>を対象に研究をするのであり、その者たちが「その地に臨むこと・現地に出かけること」によるまちづくり研究も、「臨地まちづくり学」なのである。([1]49ページ。織田直文「臨地まちづくり学の理論と実践―京都市山科区における臨地まちづくりによる地域活性化と教育実践の分析―」『政策科学』第15巻第3号、立命館大学政策科学会、2008年3月、42ページ)

〇この説述は、研究者や実践者(事業者)の立ち位置や研究・実践姿勢に視点・視座を置くものである。「まちづくり学」は「実践の学」「主体形成の学」であり、その基本的な性格は臨地性と実践性にある。また、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別されるが、この両者を循環的に組み合

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わせ、相互作用を引き起こすことによって理論の構築が可能となる。とすれば、「まちづくり学」の臨地性を「あえて『臨地』という言葉で強調する」必要はもともとない、といえよう。

 

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11/「シビックプライド」と社会変革 
        ―「あなた自身があなたのまちです」―

〇10年ほど前から、地方自治体の営業活動(「売り込み」:牧瀬稔)を意味するシティプロモーション(和製英語)の劇的な進展が図られ、それとの関連や、公共空間デザインやまちづくりの現場などにおいて「シビックプライド(Civic Pride)」(株式会社読売広告社の登録商標)という言葉や概念が注目されている。
〇その背景には、少子高齢化や人口減少、経済の低成長などによって特徴づけられる「縮小社会」の到来、とりわけ地域経済の低迷と地方財政の逼迫化、地域コミュニティの担い手不足がある。とともに、地方分権化の推進による都市間競争の発生、より具体的には持続可能なまちづくりを進めるために必要な経営資源(ヒト・モノ・カネ)の確保・調達をめぐる地域間の競争の激化がある。そしてまた、社会事象として地域コミュニティの衰退や地方崩壊が進む反面、地域や地方に新たな生き方や働き方を求め、自らの存在価値を見出そうとする人々の価値観の転換、などがある。
〇筆者の手もとに「シビックブライト」に関する本が3冊ある。(1)伊藤香織(いとう・ かおり)・柴牟田伸子(しむた・のぶこ)監修、シビックプライド研究会編『シビックプライド―都市のコミュニケーションをデザインする』(宣伝会議、2008年11月。以下[1])、(2)伊藤香織・柴牟田伸子監修、シビックプライド研究会編『シビックプライド2【国内編】―都市と市民のかかわりをデザインする』(宣伝会議、2015年9月。以下[2])、(3)牧瀬稔(まきせ・みのる)・読売広告社 ひとまちみらい研究センター編著『シティプロモーションとシビックプライド事業の実践』(東京法令出版、2019年3月。以下[3])、がそれである。
〇シビックプライドとは、「市民」(主体的・能動的で自律的な活動主体)が都市(地域)に対してもつ誇りや愛着のことである。それは、単なる「まち自慢」ではなく、また地域(地元)への親近感や情感的な郷土愛とも多少ニュアンスを異にする。つまり、シビックプライドは、自分自身が関わっている「この場所」(まち)をより良くしていこうとする、ある種の当事者意識に基づく自負心を意味する([1]164、[2]126、[3]50ページ)。その点において、例えば小学校社会科中学年の「地域学習」の推進や、行政や社協などによる「市民協働のまちづくり」「市民主体のまちづくり」への住民参加(参集、参与、参画)は、シビックプライドを醸成する重要な要因になる。ソーシャル・キャピタル論や共生社会論、そして「まちづくりと市民福祉教育」に通底するところでもある。
〇シビックプライドは、「この場所」を「知る」ことによって、「誇り」に気づき、「愛着」がわくことから始まる。その気づき(情報や気持ち)を対話型のコミュニケーションを通じて他者に伝え、「自分ごと」(「自分ごと化」)を「自分た

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ちごと」(「みんなごと化」)にする。人と人がつながり、まちの多様なヒト・モノ・カネ・コト・情報などとの関係性をつくりだす。それは、時間や空間を超えて広がり深まる。そして、より良いまちづくりのアクション(行動)を起こす。さらに、その活動を評価、改善し、Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Action(改善)のPDCAサイクルを効率的に回しながら継続的に取り組む。
〇すなわち、シビックプライドは、「誇りの種を探す」「魅力を掘り起こす」ことから始まる。シビックプライドは、一人ひとりが抱くまちへの思いであり、それに基づくアクションである。そして、それらの連鎖や関係性を広め、共働化・継続化することによって、その思いやアクションは次代のシビックプライド(誇りや愛着の醸成・向上)になる。シビックプライドでまちは変わるのである。([2]136~139ページ)。
〇筆者の手もとには[1][2][3]のほかに、木下大生(きのした・だいせい)・鴻巣麻里香(こうのす・まりか)編著『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう!―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』(ミネルヴァ書房、2019年9月。以下[4])がある。[4]には、「このままではいけない」(危機感をもつ、問題提起する)を「なら、こうしよう」(社会を変える行動、ソーシャルアクションを起こす)に変えた人々のリアルなストーリ(実践事例)が収録されている。[4]の編著者である鴻巣にあっては、ソーシャルアクションとは、「誰にとっても住みよい社会をつくるための行動」である。また、[4]のキーワードである「当事者」とは、「ある問題、あるいは困難が生じた時、その問題から直接影響を受ける関係者」である。「当事者力」とは、「『私は』で始まる語り(Narrative,ナラティブ。ライフストーリー)から生まれる力」、換言すれば、何かの困難の当事者である・あった経験によって芽生え、揺り動かされた感情や行動力、を言う。そして[4]は、「あなたのアクションは本の中にはありません。フィールドに出かけましょう」と、読者に訴える(「ちょっと長めのはじめに」ⅰ~ⅶページ)。
〇[4]のもうひとりの編著者である木下は、「ちょっと長めのおわりに」のなかで「『社会を変える』ことについての試論的総論」を論じている。木下の言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

社会を動かすのは最終的には「当事者力」である
「社会を変える」きっかけを作るのは必ずしも当事者とは限らないが、その後の行動・活動には必ず当事者が介入するべきである。
当事者不在のソーシャルアクションは、活動・行動している人の自己満足に終始してしまう可能性を孕(はら)み、場合によっては当事者をより窮地に追い込む状況を作り出さないとも限らない。変えられるべき社会的課題の被害を最も被っている当事者の意見を聞かなかったり、蔑(ないがし)ろにするべきではなく必ず何かしらの形で当事者の関わりを担保することが求められる。(220ページ)

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社会を変えるには「変換力」を持つ人が必要である
「社会を変える」とは、①法律を作る・変える、②状況(状態)を変える、③慣習を変える、④人々の意識を変える、ことである。そのためには、①変えたいことの明確化・具体化(問題をカタチにする)、②状況についての具体的な語り(自分の状況を具体的に語れるようになる)、③目的の設定(何をめざすのかを明らかにする)、④仲間を作る(同じ仲間意識がある人とつながる)、⑤理解者を増やす(社会の人々に知ってもらう)ことが求められる。これらは、社会を変えようとする際に最低限必要とされる要素であり、「社会を変える」具体的なやり方・方法である。(211~212、223ページ)
社会を変えようとする場合に必要なのは、自分の何かしらの体験を、権利が侵害・抑圧され、生活に困難を来たしている当事者の経験や感情に「変換する力」を持つ人である。別言すれば、当事者(他者)の生きづらさや社会課題を緩和・解決するためにその問題状況を自分に引き付け、当事者に寄り添い、直接的あるいは間接的な行動・支援を起こす・行う人である。この「変換力」は「共感力」あるいは「権利意識」と言ってもよい。(219、230ページ)

〇本稿で押さえておきたいことのひとつは、「あなた自身があなたのまちです(You are Your City)」([1]164ページ)、「社会を変えるとは人のつながりを結びなおすことである([4]帯)というフレーズである。

 

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12/合意形成とマルチステークホルダー・プロセス 
                       ―「総論賛成・各論反対」を打開するために―

〇筆者の手もとに、まちづくりにおける「総論賛成・各論反対」の状況を打開するための「合意形成」に関する資料として、3冊の本と1通の報告書がある。
(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月。(以下[1])
(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月。(以下[2])
(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月。(以下[3])
(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月。(以下[4])

〇本稿では、それぞれの資料のなかから、個人的に注目したい論点や言説のいくつかを紹介することにする(抜き書きと要約)。なお、[2]には「合意形成学関連書籍リスト」が掲載されている。

[1] 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月
仮に「市民は政策判断に必要な知識をもっていない」という前提を認めたとしても、そこから「専門家が市民に代わって意思決定すべきである」という結論を導く論理は飛躍している。「市民が必要な知識を専門家から学び意思決定に関与する」という論理も同時にありうる。国づくり、まちづくりに関わる喜びは専門家だけの特権ではない。(小林清司:13ページ)

合意とは、必ずしも形成するものではない。自然と形成されるものでもある。それゆえ、土木事業者が自らの信頼性を保ち、毅然とした態度をとり、人々の良識を信頼し、そして人々の信頼を確保することで人々の公共心による議論が成立するのなら、長期広域の影響をもつ土木事業においてすら、「決める」までもなく「決まる」ことも少なくないのかもしれない。
合意形成論、それは、人間の社会の根幹に関わり、そのあり方そのものを問うきわめて重大な意味をもつ議論である。(中略)いま、ここに居るわれわれにできることがあるとするのなら、それは、真の合意の達成を信じたうえで、社会全体を巻き込む合意形成の言論とその実践、それらを、各人の領分と役割の中で、一つずつ真摯に重ねていくことのほかは、ない。(藤井聡:43~44ページ)

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意を同じくするのが同意であり、意を合わせるのが合意だとするなら、同意は自らの良識に基づく判断の結果として人々の意が同じくなる半ば必然的な現象を意味し、合意には何らかの妥協や打算も入り混じったうえで意を合わせるという社会的行為を意味するものではないか(中略)。「良い社会とは何か」という途方もない問題を考えるにあたり、あり得る一つの、あるいはともするなら唯一の回答は、打算と妥協を交えた合意の形成ではなく、先人たちと子々孫々との共有を前提とした良識に基づく同意の形成ではないか、と考えるに至りました。
良い社会に向けた同意の形成、そのためには、さまざまな社会的役割の中で責を負われている方々の、その責を前提とした具体的行動が、いま、ただちに、一つでも多く必要とされているのではないか、と思われてなりません。(藤井聡:173~174ページ)

[2] 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月
合意形成とは、多様な意見の存在を踏まえ、対立が紛争に至ることを回避し、より高次の解決に導くための創造的な話し合いのプロセスである。したがって、合意形成は、たんなる説得や妥協、討論のための討論ではない。また、論者のだれかが勝利を収めるための論争ではない。関係者のだれもが納得する解決策を創造するための協働的な努力である。(桑子敏雄:189ページ)

社会的合意形成とは、(特定利害関係者の間の合意形成ではなく:阪野)、社会基盤整備のように、ステークホルダー(事業に関心・懸念を抱く人びと)の範囲が限定されていない状況での合意形成である。すなわち、不特定多数の人びとのかかわる合意形成である。(桑子敏雄:179ページ)

社会基盤整備のような不特定多数を対象とする合意形成プロセスの構築は、3つの大きな要素で構成される。すなわち、制度と技術と人である。このことは、この3つの項目に対応する人びとの関係の構築であるといってもよい。すなわち、制度を代表する行政機関に属する人びと、技術や知識をもつ専門家の人びと、および事業の影響を直接受ける人びとや一般市民である。(桑子敏雄:180ページ)

「合意」は、(全員の意見の一致を意味するのではなく:阪野)、①全員が賛成すること、②反対者がいなくなること、③反対者を少なくすること、④反対者を少なくするよう努力すること、というように、幅をもってとらえられる。(猪原健弘:266ページ)

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[3] 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月
参加者の討議技術の違いを乗り越えて、参加者が建設的な議論ができるように、中立的な立場で議論の手助けをする立場の人がプロセスの進行を司ることが必要です。この立場の人を「ファシリテーター」と呼びます。(225ページ)

ファシリテーターには次のようなことが求められます(ファシリテーターが持つべき基本的スキル)。
①課題となるテーマから中立であること。
②すべての参加者が自分の意見を述べることができるように工夫すること。
③不公平感をもたれないようにとりまとめること。
④時間の管理に十分に留意すること。
⑤参加者と十分に打ち解け、コミュニケーションがとれていること。
⑥参加者の真意を聞き出すテクニックを持っていること。(228~230ページ)

合意形成プロセスの参加者に求められる能力としては、大きく4つの能力があると考えます。
第一に、論理的思考力です。論理的思考力をさらに細分化すると、帰結を考える力、理由を考える力、論点整理する力などが該当します。論理的思考力が欠けていると、思い込み、鵜呑み、ムダが起こります。
第二に、発想力です。発想力は、発散思考力、結合思考力に分けられます。発散思考力とは、自分でさまざまなアイディアを思いつく能力といえます。結合思考力とは、一見関係のないようなアイディアをくっつけて新しいアイディアをつくりだす能力といえます。発想力が欠けていると、過去の事例にとらわれてしまうこと、自分の考え方に固執してしまうことが起こります。
第三に、対応力です。対応力は、即応力と適応力からなります。即応力とは、すぐに対応できる力です。適応力とは、場に応じた対応ができる力です。対応力が欠けていると、タイミングを逸してしまうこと、空気を読めない行動をしてしまうことが起こります。
第四に、コミュニケーション力です。コミュニケーション力とは、認識力(聴く力)と表現力(話す力)からなります。コミュニケーション力が欠けていると、他人の考え方を十分にくみ取れないこと、自分の意図を他人に伝えられないことが起こります。(240~242ページ)

[4] 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月
マルチステークホルダー・プロセス(Multi-stakeholder Process:MSP)とは、平等代表性を有する3主体以上のステークホルダー間における、意思決定、合意形成、

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もしくはそれに準ずる意思疎通のプロセスをいう。ここでいう平等代表性(equitable representation)とは、マルチステークホルダーにおけるあらゆるコミュニケーションにおいて、各ステークホルダーが平等に参加し、自らの意見を平等に表明できるということであり、また、相互に平等に説明責任を負うということである。(61ページ)

マルチステークホルダー・プロセスが適する条件は次の3点である。
①参加主体間に、対話が不可能であるまでの対立が発生していないこと。
②取り扱われるテーマがある程度具体性を帯びているものであること。
③最終目的が参加主体間で共有され、かつ、対話を経ることにより目的が達成される合理的な可能性(reasonable probability)があること。(61ページ)

マルチステークホルダー・プロセスによって得られるメリットは次の5点である。
①対話や情報共有等を通じて、参加主体間に一定の信頼関係が醸成されるとともに、相互にとって最善の解決策を探ろうとする姿勢(win‐win attitude)が創出される。
②広範なステークホルダーが参画することによって、対話の成果である決定や合意等への幅広い正当性(Legitimacy)が得られる。
③各ステークホルダーが主体的に参画することにより、それぞれの主体的な取組が促される。
④単独の取組もしくは二者間の対話のみでは解決できない、もしくは、十分な効果が得られない問題が、3主体以上の関与によって解決可能になる。
⑤各ステークホルダーが自己利益のみを目指して行動した場合、結果として各主体の利益が損なわれるという“囚人のジレンマ”的な状況にある問題が解決可能になる。(62ページ)

〇まちづくりにおける合意形成については、以上のうちとりわけ[2]の「社会的合意形成」と[4]の「マルチステークホルダー・プロセス」の言説が注目される。ここで、それとの関わりで、2、3の基本的事項について若干述べることにしたい。
〇「まちづくりにおける合意形成は、さまざまな人々の異なる思いを『つなぐ』過程の積み重ねである」([1]158ページ)といわれる。合意をめざす社会的事象や意見、意思などの多様性を考えると、まちづくりにおける合意形成は、例えば、①どのような社会的事象や社会的課題をテーマにするのか、②ハードあるいはソフトを中心に考えるのか、両者を組み合わせた総合的なものをめざすのか、③地元の自治会・町内会から市町村全域に至るどのレベルの範域を対象にするのか、④参加主体を特定の利害関係者に限定するのか、一般市民まで広げるのか、等々によって合意の目標や内容、合意形成プロセスの進め方、合意形成のための方法や技術などが異なる。これが1点目である。

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2点目は、まちづくりにおける合意形成では、「時間」と「空間」と「ヒト」のバランスを図ることが肝要となる、ということである。「時間」については、現在の課題や市民だけでの合意ではなく、将来の課題や市民のことを考える。「空間」については、自分の地域(地元)だけでの合意ではなく、他地域を含めた広域(市域、県域など)のことを考える。「ヒト」については、活動的な市民や有識者が主体となった合意ではなく、社会的弱者や無関心層などに十分配慮する、ことが大切になる([3]151ページ、土木学会コンサルタント委員会合意形成研究小委員会『社会資本整備における市民合意形成』科学技術振興機構Webラーニングプラザ、2007年3月、5ページ参照)。
3点目は、合意形成を推進するためには、[3]が説くファシリテーターや参加主体に求められる“技術”や“能力”を有する「人材」をどのように育成・確保するかが重要な課題となる、ということである。その点に関して、例えば、学校教育においては、小・中学校国語科の「話すこと・聞くこと」領域で合意形成を図る(めざす)学習が取り組まれている。また、シティズンシップ教育においては、コミュニケーション力とともに合意形成力を育てる学習が重視される。なお、[3]には、大学の授業や各種企業研修などにおいて使える「参加者の能力を高めるためのアクティビティ」(「スピーチアンドクエスチョン」「全員参加型ディベート」「ロジックゲーム」「ディスカッションバトル」「ロールプレイング会議」「ネゴシエーションゲーム」)が紹介されている([3」242~260ページ)。
〇いずれにしろ、多数決による安易な合意ではなく、多様な参加主体が相互信頼に基づいて深く議論(熟議)し、適切な方法やプロセスを踏まえて「納得」する合意を積み重ね、自律的・主体的に行動することがまちづくりの真骨頂(本来の姿)である。
〇最後に、以上で紹介したことをベースに、若干の管見も含めて、「合意」「合意形成」「マルチステークホルダー・プロセス」の関係性を図示することにする(図1)。本稿のねらいは、資料紹介に併せて、この作図にある。

NSP7月1日最終版

 

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13/「キキカン」と「希望」 
        ―『まちづくりの哲学』という本―

・近所に住むおじいちゃんが入院された。「にわか百姓」の私に、いつも優しくまた丁寧に、農作業を指南してくれた方である。早速お見舞いに伺ったが、一週間ほどたってご子息からお礼の連絡が入った。電話で、である。
・我が家には2002年3月生まれの犬(柴犬)がいる。目が見えず、耳も聞こえず、認知症の症状が顕著にみられる。ある夜、大きな声で鳴き始めた。すぐに対応したが、近所からお叱りの連絡が入った。深夜23時30分、無言電話で、であ。
・私は昨年、地元の老人クラブの役員を仰せつかった。ある役員との連絡は、時にはメールで行うことがあった。いま思えば、その時の話題は少々厄介なものばかりであった。メールは、お互いの「繋がり」を深化させない、「摩擦」を避けるためのツールとして活用されたのだろうか。

〇「まちづくり」について語るとき、「遠くの親戚より近くの他人」や「向こう三軒両隣り」の日頃の付き合いとそれによる見守り活動や支え合い活動の必要性が指摘される。また、近隣住民の日常の挨拶や立ち話から始まるが、住民相互の直接的な「対話」や対面的な「熟議」によるまちづくりの意義や重要性について述べられる。上記の話は、それらに関する、筆者が暮らす田舎町でのひとつの現実である。
〇以前にも増して、住民の個人主義的傾向が強まるなかで、匿名性の高まりと人間関係の希薄化が進んでいる。また、無関心層やフリーライダー(対価を払わず便益を享受する人)が増えている。そういうなかで、新旧住民や世代間にさまざまな葛藤や軋轢が生じ、(地縁)共同体的紐帯の弱体化が深刻な問題になっている。「まちづくり」や「コミュニティ再生」の難しさを感じざるを得ない。
〇さて、筆者の手もとにいま、『まちづくりの哲学』という本が2冊ある。アーク都市塾企画/戸沼幸市編著『まちづくりの哲学』彰国社、1991年12月(以下[1])と代官山ステキなまちづくり協議会企画・編集/蓑原敬・宮台真司著『まちづくりの哲学―都市計画が語らなかった「場所」と「世界」―』ミネルヴァ書房、2016年6月(以下[2])、がそれである。
〇「アーク都市塾」(現「アカデミーヒルズ」)は、1988年9月に設立された民間の成人向け教育施設である。[1]は、その「塾」で開催された「まちづくりの哲学ラボ」(アドバイザー・戸沼幸市早大教授)における議論の成果を纏めたものである。そこでは、「都市のユーザーとしての生活者の視点」から社会的事象の傾向や背景を把握・分析し、それを通して「まちづくり」について多角的かつ平易に論じ

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ている。その際の基本的な考え方のひとつは、「まちづくりは生活の作法づくり」(15~20ページ)である。以下では、「キキカンと生活者によるまちづくり」に関する言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「キキカン」からのまちづくり
「まちづくり」への強いきっかけづくりには、大ざっぱにみて「喜楽美」と「哀怒醜」のようなポジィティブとネガティブの感性の両面のベクトルが有効に思える。
この二つの感性ベクトルを一つにまとめた表現が、「キキカン」(嬉々感と危機感の同時表現)という概念である。
単純に「胸の躍るように楽しいこと、美しいこと」(嬉々感)なら、誰でも強く魅(ひ)かれるし、逆に「不当に醜いこと、怒りや不安をおぼえること」(危機感)なら早急に対策を練ろうとするのは、当然である。であれば、この「嬉々感と危機感」を生活環境の中から発見する活動が、「まちづくり」の第一歩であると言える。すなわちこうした一人一人の素朴な思い・感性・執着心の振向けの作法が、今後の都市環境の行方を握っている鍵とも考えられる。(216~217ページ)

生活者による現代版「まちづくり」
生活者による現代的(版)「まちづくり」とは、居住者の立場から一歩踏み出し、もっと幅広い生活範囲の環境に視野を広げたときに発見する様々なキキカン(嬉々感と危機感)をテコに、理性的なプロセスに基づく共同作業を経て、因果関係を明らかにし、建設的に問題解決を図る環境創造活動である。(231ページ)

〇「代官山ステキなまちづくり協議会」は、2006年5月に設置認定された、東京の渋谷区まちづくり条例に基づく「まちづくり協議会」のひとつである。[2]は、その協議会が2011年に開催したセミナー「まちづくりの哲学」の一環として企画・実施された対談を纏めたものである。対談者は、都市計画界の重鎮である蓑原敬(みのはら・けい)と、稀代の社会学者と評される宮台真司(みやだい・しんじ)である。
〇その対談は、「よいまちとは何か」「どうすればよいまちは作れるのか」「なぜよいまちを求めるのか」(ⅰページ)という三つの素朴な疑問や、「未来への渇望が“希望”と呼べるのなら、まちづくりとは“まち”に“希望”を刻印する営み」(ⅵページ)であるという理念(根本的な考え方)などをベースに展開される。そして、「まちづくり」をめぐる豊富で高尚な知識や見識に基づく対談を通して、人間の幸福や生きる意味を考える。とりわけ、宮台の読書体験(膨大な知識の量と質)には圧倒される。また、個人的体験の開陳や社会風俗や事件に対する鋭い分析も興味深い。以下では、論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

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「微熱感」と「生き物としての場所」
街とは、建物や街路などの空間的配置だけでなく、そこを行き交う人々の内面をも含んだ、生き物のようなもの(「生き物としての場所」)である。1990年代初めの渋谷には、街全体に「微熱感」があった。分かりやすい言葉で言えば、「この街にいれば、何かができる」という感覚(「魅力」)である。当時の渋谷は、女子高校生を中心とする若者たちにとって、普段緊張を強いられ“演技”をしている家や学校や地元とは違う、「素」の自分に戻れる「解放区」「居場所」であった。(宮台:15、17ページ)

まちづくりと「機能的に空白の場所」
まちが計画的に作られていくと、すべての場所に目的が割り振られてしまい、その目的に従って生活することが命じられ、まちに拘束されているという感じがする。(代官山ステキなまちづくり協議会 野口浩平:ⅲ、24ページ)
1990年代半ばに「屋上論」を展開した。なぜ学校の屋上には不良や今で言うひきこもりが滞留していたのか。「機能的に空白の場所」だからである。廊下は「歩く場所」。校庭は「運動する場所」。教室は「学ぶ場所」。でも屋上にはそうした機能が割り振られていない。だから「何かをする人」でいる必要がなくなって、解放されるのである。
機能を割り振られた場所を、機能的に空白の場所へと差し戻す「屋上化」は、<我有化>(固有化、自己化、自分のものとすること)の一種である。(宮台:24~25ページ)

IT化と「感情の劣化」
インターネット元年である1995年から2010年頃までは、ネットの良さは「誰にでも開かれていること」「誰とでも繋がれること」だとされた。そのお蔭で、「新しい政治参加」「新しいコミュニティ形成」に役立つのだと喧伝された。昨今は一転。ネットが「誰にでも開かれている」からこそ政治もコミュニティも<感情の劣化>に見舞われがちになった。また、ネットが「同じ穴の狢(ムジナ)」(同類の悪党)だけが集う<劣化空間>を提供したり、(ゲートを設けて出入りを制限する)<見えないゲーテッドコミュニティ化>つまり<見えない化>が進むようになった。ネットは、「見たいものだけ見て、見たくないものは見ない」という、さもしく浅ましき営みに帰結しがちである(宮台:51、54、57ページ)
「感情の劣化」とは、真理の獲得よりも、感情の発露が優先される態勢である。それは、「感情を制御できずに<表現>よりも<表出>に固着した状態」とも言える。ちなみに、<表現>の成否は相手を意図通りに動かせたか否かで決まり、<表出>の成否は気分がスッキリしたか否かで決まる。(宮台:58ページ)

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コミュニティ再生とファシリテーター
対人ネットワークが空洞化してしまった現在、コミュニティ再生のための処方箋は、エリート論でもソーシャル・キャピタル論でもなく、「熟議論」である。ただしそれは、皆で話し合えばいいという議論ではなく、熟議論の半分はファシリテーター論である。ファシリテーターが従来のエリートと決定的に違うのは、人々が「自分たちで決めた」という感覚を失わない範囲で座まわしをすることである。(宮台:130~131ページ)
ファシリテーターは「依らしむべし、知らしむべからず」(「為政者は人民を施政に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい」)の対極である。ファシリテーターには、知識や教養もさりながら、場の感情的配置やダイナミクスへの敏感さが必要である。なぜなら、これが正しいという内容的介入ではなく、「声のデカイ極端者」が場の空気を支配できないように、不完全情報を可能な限り完全化したり、発言機会をコントロールしたりする役目を果たす存在だからである。(宮台:131ページ)

「感情の教育」と「ななめの関係」
コミュニティ再生には、優秀な座回し役・呼び掛け役・巻き込み役を果たすことができるファシリテーターを養成することが必要である。そのためには、<感情の教育>が必須となる。しかしそれを国民全体のものとして構想すると、全体主義に陥ることになる。また、現在の教育人材を前提にすると、公的に制度化することは不可能である。そこで、顔が見えるコミュニティで、人格的信頼を基盤にした子どもの<感情の教育>に乗り出すしかない。(宮台:135ページ)
しかも、「何がいい人生なのか」「何がいい社会なのか」という価値への言及(価値教育)が不可欠となる。その価値を埋め込むのは、教育したがる大人を一部に含んだ子どもの「成育環境の全体」である。そのなかで例えば、親子という「縦の関係」よりは、井戸端や縁側の話とも関係するが、親戚や近所の大人との「ななめの関係」で「価値の伝承」を図ることが大切になる。(宮台:136、138~139ページ)

〇宮台がいう「感情の教育」は、道徳教育やそれを基盤とした「心の教育」などにかかわることから、慎重に取り組むことが求められる。それは、個人の主体性や自律性を軽視あるいは無視したり、現在の政治・経済・社会の状況や情勢を無批判的・肯定的に捉え、個人の社会への順応や適応を重視するもの(偏狭な「社会化」)であってはならない。「感情の教育」に求められるのは、「コミュニティの再生や創造」に向けた批判性や創造性、革新性である。
〇地域貢献活動と学習活動を通して市民性を育むサービス・ラーニング、学校・保護者・地域住民が連携・協働して進めるコミュニティ・スクール、地域課題の発見・解決に向けた能動的学修のアクティブ・ラーニング、そして「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現。いままさに、「体験学習」と「共生社会」の時代

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であり、「地域ファースト」と「一億総活躍社会」(皆が包摂され活躍できる全員参加型社会)の時代である。しかしそれは、政府・行政主導の、学校や地域に対する「強制」や「動員」あるいは「下請け」や「丸投げ」であってはならない。「まちづくりの哲学」の構築が求められるところである。外発的で他律的・依存的な、しかも哲学のない「まちづくり」は地域を亡ぼす。それは、「市民福祉教育」においても然りである。
〇なお、筆者は、「まちづくり」と言うと山崎亮と田村明を思い起こす。山崎は、全国各地で、「自立的共同体」づくりを支援する「コミュニティデザイナー」として活躍している。田村は、総合性や文化性のある都市計画づくりをめざして、平仮名の「まちづくり」を提唱した「都市プランナー」であった。[2]で、宮台は山崎について、蓑原は田村についてそれぞれ言及している。付記しておきたい(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

山崎亮と「コミュニティデザイン」
行政が山崎亮を呼ぶ目的は明白である。一口で言えば、地域住民にとって自治体行政が持つ意味を一変させること。「金を持ってこい」「予算を組んで何とかしろ」と政治家や行政に要求するかわりに、「邪魔しないでくれ」「自分たちの自立的活動をサポートする枠組みやインフラを整えろ」と要求するように、変える。とはいえ、霞が関エリートや自治体エリートには、山崎亮的なコミュニケーションをする能力も機会もない。
行政が「個人を」サポートして共同体を空洞化させるのでなく、行政が「(個人を包摂する)共同体を」サポートする。「弱者への再配分」から「(参加と包摂に向けた)動機づけへの再配分」へのシフトである。行政の山崎亮支援はこれである。(宮台:144ページ)

田村明と「まちづくり」
総合的な都市計画ではなく、法定外の協議型・参加型の都市計画が平仮名のまちづくりの代名詞になってしまっている。
平仮名のまちづくりが独立してしまうと、漢字の都市計画とは切れてしまい、補助金も使えないし、使えても微々たるものしか出してもらえない。国の縦割り組織との対立や国法の解釈をめぐる厳しい領域には立ち入らない、弥縫的なことになる。与えられた枠のなかで、自分たちが活動できる領域のみで行動して、それで「やれた。やれた。成果だ。成果だ」と言う。平仮名の共同体のスケールのまちづくりと、漢字の権力的なガバナンスが避けられない都市計画をトータルに考えるべきである。(蓑原:198~199ページ)

 

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14/ユネスコスクール・ESD・子ども民生委員活動 
           ―大牟田市立中友小学校における福祉教育の取り組み―

〇「子ども民生委員」をインターネット検索すると、複数の学校(小学校)の取り組みがヒットする。徳島県石井町立藍畑小学校の「藍畑子供民生委員会」「藍畑子供民生委員活動」は、1946年12月に平岡国市が創案した子供民生委員制度の系譜につながるものとして有名である。福岡県大牟田市や高知県土佐清水市、熊本県天草市、島根県江津市二宮町などにおける「子ども民生委員活動」等の取り組みも注目される。なかでも、大牟田市立中友小学校のそれは、「ユネスコスクール」(注①)としての「福祉教育」を軸にした取り組みであり、興味深い。
〇周知の通り大牟田市では、2011年度から「ユネスコスクールのまち おおむた」を合い言葉に、市立のすべての小・中・特別支援学校(2016年4月現在、小学校20校、中学校9校、特別支援学校1校)がユネスコスクールに加盟し、「持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)」(注②)を推進している。
〇大牟田市におけるESDの取り組みは、エネルギー・環境学習、国際理解学習、世界遺産・地域学習、福祉教育などを通して、次のような児童・生徒の資質や能力の育成・向上を図るものである(注③)。
(1) 他者の立場や考えなどに共感し、協力して物事をすすめようとする態度
(2) 人・もの・こと・社会・自然などと自分のつながりを大切にしようとする態度
(3) 自分の発言や行動に責任をもち、物事に主体的に参加しようとする態度
(4) 情報や資料等をもとに公平に判断し、深く考え、肯定的に受けとめたり、代わりの案を考えたりする力
(5) 人・もの・こと・社会・自然などのつながりやかかわりを理解し、総合的に考える力
(6) 人の気持ちや考えを大切にしたり、自分の気持ちや考えを伝えたりする力
〇中友小学校は、ESD の一環として、「地域に根ざした福祉教育」を1、2年生の「生活科」と3年生以上の「総合的な学習の時間」において、6年間にわたり段階的・継続的に実施している。そういうなかで、5年生が「子ども民生委員活動」に取り組んでいる。それは、「他者との関係性・社会との関係性を認識し、高齢者世代・保護者の世代・児童の世代の3世代の交流を促進させ、世代間の『つながり』や『かかわり』を大切にした活動」(注④)である。そのねらいは、児童・生徒を地域社会をつくる担い手として捉え、学校と家庭、地域との信頼関係を深め、地域の教育力も高めることによって、豊かな共生社会を構築することにある。
〇筆者はかつて、徳島県の子供民生委員制度(活動)について、次のように評したことがある。「子どもの生活と社会に根ざした子供民生活動は、『子どもと大人』

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『地域と学校』『福祉と教育』を限りなく接近させ、その組織的なつながりのなかで活動の究極の目標である『民生村造り』すなわち福祉コミュニティづくりを進めたのである」(注⑤)。中友小学校の取り組みはそれに通底するものであると言えよう。
〇以下に、中友小学校が発行した『平成26年度/ESD 「子ども民生委員活動」ハンドブック~「総合的な学習の時間」のステージで~』のなかから、「総合的な学習の時間全体計画」(資料1)、「ESD全体計画」(資料2)、「ユネスコスクール全体計画」(資料3)、「子ども民生委員活動」(資料4)を抜萃して紹介する。

中友小学校資料1/6月20日

 

中友小学校資料2/6月20日

 

中友小学校資料3/6月20日

 

中友小学校資料4/6月20日

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〇以上から、中友小学校では、児童・生徒の実態に応じた横断的・総合的で、系統的かつ計画的な「地域に根ざした福祉教育」が展開されている。しかもそれは、ユネスコスクールの理念やESDのねらいにかなうものである。評価されるところである。言うまでもなく、ESDが求める「持続可能な社会」を構築するのは「ヒト」(子どもから大人までの「市民」)である。学校教育のねらいのひとつは、地域との「つながり」や「かかわり」のなかで、「地域に学び、地域に生かし、地域を創る」ことにある。改めて認識しておきたい。
〇学校福祉教育は、地域の「社会福祉問題」(中友小学校がいう「地域素材」)を学習素材とし、「体験学習」を重視する教育活動である。従ってそれは、本来、学校内で自己完結するものではない。また、児童・生徒の発達課題や生活課題に対応して全教科・全領域で取り組まれ、地域を基盤とした学校経営の視点を持つことが必要不可欠となる。すなわち、学校福祉教育は、学校教育の根幹に位置づくものであり、学校を挙げて体系的・組織的に取り組むべきものである。
〇さらに付言すれば、地域に根ざした学校福祉教育をより豊かなものにするためには、「住民の暮らし理解とまち学習」「生き抜く力と共に生きる力の育成」「市民性形成のための教育営為」「ICFの理念に基づくまちづくり」「地域を基盤とした福祉教育推進プラットホームの構築」などについて思考し、取り組む必要があろう。その際に問われるのは、行政や、社会福祉協議会をはじめとする関係機関・団体・施設などの意欲と力量であり、それらと学校との「共働」である。


① ユネスコスク−ルでは、ユネスコの理念(国際平和と人類の共通の福祉)の実現をめざして、(1)地球規模の問題に対する国連システムの理解、(2)人権、民主主義の理解と促進、(3)異文化理解、(4)環境教育などのテーマについて、質の高い教育が実践されている。2015年6月現在、世界182か国の国や地域に10,422校のユネスコスクールがある。日本国内の加盟校数は、2016年3月現在で939校を数えている。文部科学省と日本ユネスコ国内委員会では、ユネスコスク−ルをESDの推進拠点として位置づけている(「ユネスコスクール」文部科学省ホームページ)。
② ESDは、「現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む(think globally, act locally)ことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すこと、そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動」である。言い換えれば、ESDは、地球上で起きている様々な問題が、遠い世界で起きていることではなく、自分の生活に関係していることを意識づけることに力点をおくものである。地球規模の持続可能性に関わる問題は、地域社会の問題にもつながっている。だからこそ、身近なところから行動を開始し、学びを実生活や社会の変容へとつなげることがESDの本質である(『ESD(持続可能な開発のための教育)推進の手引(初版)』文部科学省国際統括官付/日本ユネスコ

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国内委員会、2016年3月、4ページ)。
ESDは、2002年に開催された第57回国連総会において、我が国が提唱した。また、2005年から2014年を「国連持続可能な開発のための教育の10年(DESD:United Nations Decade of Education for Sustainable Development)」とすることが決議され、以降、ユネスコを主導機関として世界的にESDの推進が図られている。
学習指導要領に関しては、2008年3月(小・中学校)と翌2009年3月(高等学校)に公示されたそれにおいて、「持続可能な社会の構築」の観点が盛り込まれた。以後、ESDの普及・促進が図られることになる。
「ESDと福祉教育・ボランティア学習」に関しては、『日本福祉教育・ボランティア学習学会 研究紀要』Vol.14(2009年11月)で、「持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」が特集されている。参照されたい。
③「『ユネスコスクールのまち 大牟田』について」大牟田市教育委員会ホームページ。
④ 『平成26年度/ESD 「子ども民生委員活動」ハンドブック~「総合的な学習の時間」のステージで~』大牟田市立中友小学校、2014年10月、2ページ。
⑤ 阪野貢『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、29ページ。

謝辞
本稿をアップするにあたって、大牟田市立中友小学校の校長・本村勝則先生と教頭・上田幸子先生には格別のご高配を賜りました。ここに記して深く感謝の意を表します。

 

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15/まちづくりの発想と実践 
        ―田村明の「まちづくり3部作」を学び直す―

〇筆者の手もとに、鈴木伸治編『今、田村明を読む―田村明著作選集―』(春風社、2016年4月)がある。本書には、田村明(たむら・あきら、1926年~2010年)の環境開発センター・横浜市役所時代(1963年~1968年、1968年~1981年)の「初期の論考」から、都市やまちづくりについての「思考の軌跡」をたどることができる8編が収録されている。
〇田村は、都市計画・都市政策の実践者・改革者であり、「(実践的)都市プランナー」「地域(政策)プランナー」「自治体プランナー」などと言われた。また、「まちづくり」という言葉を一般に広めたことでも知られる(1ページ)。鈴木によると、「田村が我が国の都市計画に遺した功績は、主に横浜市における実践と、法政大学に移って以降の『まちづくり』を世に広める活動の2つに分けられる」(27ページ)。
〇田村の著作に「まちづくり3部作」と呼ばれるものがある。(1)『まちづくりの発想』(1987年12月)、(2)『まちづくりの実践』(1999年5月)、(3)『まちづくりと景観』(2005年12月)、がそれである。いずれも岩波新書として刊行されたものであるが、そのねらいは、「まちづくり」の思想の普及啓発と全国におけるの実践の紹介にあった。鈴木が、「田村はまちづくりや自治のあり方を説いて回る伝道師のような存在でもあった」(24ページ)と評するところでもある。ただ、「3部作」は内容的には、単なる啓蒙書に留まるものではなく、学術的な専門書である。
〇本稿では、鈴木の編著をきっかけに再読した「3部作」のなかから、再認したい田村の言説の一部を紹介することにする(抜き書きと要約)。

〇言うまでもなく、田村が思考と実践を重ねた時代背景や政治的・社会的状況は、現在では大きく変わっている。こんにち、貧困と格差が拡大し、不安感や閉塞感が漂うなかで、「地方創生」「一億総活躍」「人づくり革命」などのスローガンが声高に叫ばれている。そうした「今、田村明を読む」のは、田村の「まちづくり」の思想と実践から改めて何を学びなおし、何が「使える」かを探ることでもある。

『まちづくりの発想』
まちづくりの構造
「まちづくり」とは、一定の地域に住む人々が、自分たちの生活を支え、便利に、より人間らしく生活してゆくための共同の場を如何につくるかということである。その共同の場こそが「まち」である。(52~53ページ)
共同の場(「まち」)とは、目に見える広場や美しい町並みもあるし、共同で利用できる上下水や街路などの施設もある。さらに、地域に住む人々が互いに知らない間でも守ってゆけるルールや意識も、見えない共同の場といえるだろう。(53ページ)

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「つくる」とは、新しくつくるだけではなく、風土と歴史の上に立ってこれを修復したり、守ることも含まれる。「つくる」対象としては、(1)モノづくり、(2)シゴトづくり、(3)クラシづくり、(4)シクミづくり、(5)ルールづくり、(6)ヒトづくり、そして(7)コトおこし(イベントを起こす)、の7つをあげることができる。(54ページ)
「つくる」には、「見えるまちづくり」と「見えないまちづくり」の両面があり、それらが不即不離(ふそくふり。つかずはなれず)で働くのが、まちづくりである。また、「つくる」には、逆に「つくらない」こと、「つくらせない」こともふくめておきたい。無用な開発を抑制したり、自然を保全したり、歴史的な遺産を破壊しないようにするということも必要である。(87ページ)

まちづくりの基本理念
「まち」とは市民全体が共有のものとして自覚でき、共同に利用、活用できる場の総称である。「まちづくり」とはその共同の場を、市民が共同してつくりあげてゆくことである。
共同の場とは、(1)共同空間、(2)共同施設、(3)共同システム、(4)共同サービス、(5)共同イベント、(6)共同文化、などの総称である。
これらの共同の場をつくり、働かせてゆくことが「まちづくり」の目標であり、それには次のような基本理念をもってのぞむことが必要である。
(1)トータルの理念―まちは、個々ばらばらでなく、全体としてひとつである。
(2)システムの理念―まちは、複雑な要素が相互に絡みあい関係しあっている。
(3)共有環境の理念―まちは、市民の共有の空間であり環境である。
(4)市民共用・共益の理念―まちは、特定の人々のためではなく、市民全体に利用され、その共同利益のためにある。
(5)市民共存・共生の理念―まちは、多数の異なる人々が矛盾をもちつつも、互いの相違を認めあって生活する場である。
(6)市民協働・共責の理念―まちは、一人の手ではなく、市民の共同作業により、共同責任でつくられるものである。
(7)市民共感・共愛の理念―まちは、市民が共通した誇りと愛情をもてるものである。
(8)相互交流の理念―まちは、市民相互はもちろん、他の多くの人々、外国の人々を含めた交流の場である。
(9)内発性の理念―まちは、他からの強制ではなく、市民や自治体の自発的な発想と行動を主力にしてつくられるものである。(121~122ページ)

まちづくりの基本的発想
「まちづくり」は、「まちづくりの基本理念」を具体化し、次のような6つの基本的な発想に立っている。

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(1)人間環境の思想
都市づくりや地域開発を、巨大な物としてではなく、まず生物としての人間の環境としてとらえ、都市や地域を人間にとってより望ましいトータルな環境(自然環境と人工環境)として創造してゆくべきだという考えである。人工環境も、巨大で機能だけを充たすものであってはならない。美しさや魅力、たのしさ、おもしろさ、安らぎといったものも必要である。(124~125、128ページ)
(2)市民自治の思想
ただ市民が集まって意見をいうとか、市民の意見を行政が吸(す)いとるというだけでは、ばらばらの矛盾した意見や思いつきの羅列に終わる。それらの市民の意見や行動がまとまった市民共通のものとなるのが、市民自治の考えである。それには、市民にせよ自治体行政にせよ、総合的なチエと行動力をもった人々と、その人々が働けるシクミが必要である。(139~140ページ)
(3)総合的主体性の思想
「まちづくり」は、自治体や公的機関、民間企業、市民などによってばらばらに行なわれてきたものを明確な目標の下に結集させ、「まち」が主体となって総合性を発揮しようという考えである。自治体がまちを全部つくることはできないし、そんなことはできるはずがない。まちは多くの主体が協働し、共同の責任でつくってゆくものである。(140、141ページ)
(4)地域個性確立の思想
各地にはそれぞれの個性があり、そこに歴史があり、多くの固有な地方文化を育ててきた。「まちづくり」は、自分の足もとの地域を見直し、そこから地域の特性を引きだし、これを広い未来的視野に立ってて伸ばし育てることである。「まち」の風土と歴史から、その地にふさわしい個性を見付けだし、また創造してゆくことである。(145、151ページ)
(5)継続的創造性の思想
「まちづくり」とは息の長い、未来に向けての作業である。「まちづくり」という考えは、単発的で短期的な物の考え方ではなく、長期にわたり、終りのないものである。だから夢がある。それは、新しい価値を将来に向かって創りだしてゆく作業である。まちづくりは、未来に向けた創造である。(152、154ページ)
(6)実践の思想
「まちづくり」は、たんなる観念やヴィジョンに終わらせるものではない。時間をかけても実践してゆくものである。「まちづくり」の思想は、あくまでも実践に方向性を与え、その力になり支えとなるものである。「まちづくり」は未来につながる今日に生き、今日の行動の中に未来を生みださなくてはならない。(158、159ページ)

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まちづくりと地域経営
「まちづくり」「地域づくり」は、地域内にある土地、金、物、そして人やチエを生かし、組合わせながら、長い目で見て、暮しやすい、住みやすい場をつくることである。それは、地域資源を活用して目標を達成しようという一種の経営である。地域の土地や資源は限られているから、一時的に利用して効率がよければよいというのではない。長期性、未来性の見地からみた経営であり、短期の効率性ではなく、長期の効果性に重点をおく経営でなければならない。
長期的でトータルな地域全体の発展に目を向けなければならない。そして、地域全体を公平な目でとらえ、永続的に市民全体の代表として考えられる自治体が、地域経営の責任をもつべきであろう。自治体にとっての「まちづくり」は、ここでいう意味の地域経営である。(176、177ページ)

『まちづくりの実践』
まちづくりの意味
平仮名の「まちづくり」は、従来の価値観を変える挑戦をしようというものである。「まちづくり」の用語は、次のような意味をもっている。(1)官主導から市民主導へ。(2)ハードだけでなくソフトを含めた総合的な「まち」へ。(3個性的で主体性ある「まち」へ。(4)すべての人々が安心して生活できる人間尊重の「住むに値する」まちへ。(5)マチ社会とその仕組みづくり。(6)「まちづくり」を担うヒトづくり。(7)環境的に良質なストックとなる積み上げ。(8)小さな身近な次元の「まち」に目をむける。(9)広域的に考え、世界の「まち」と繋がる。(10)理念や建前だけでなく実践的なものへ、である。「まちづくり」とは、これらの全部が関係しあっていて、その全体を含む意味である。
なお、10項目中の(5)「マチ社会とその仕組みづくり」は、異質で多様な価値観をもつ人々が、互いに個性や自由を尊重しながら、その相違を超えて結合できる新しい社会(「マチ」)と仕組みをつくるのも、「まちづくり」の重要な目的である。(7)「環境的に良質なストックとなる積み上げ」は、使い捨てのフロー(流れ。流入と流出)中心システムではなく、限られた環境資源を有効に回して、継続的に使えるよい蓄積を積みあげてゆけるシステムに変えるのが「まちづくり」である、と言う意味である。(33~37ページ)。

まちづくりの実践の意味
「まちづくりの実践」とは、行動を通じて環境を意識的に変化させることである。「まちづくり」の実践の基本には「理念」や「理想」がある。それが「現実」と食い違うときに、現実を理念に近づけるようにする行動の全体が実践である。理念とか理想をもたない場合には、どんなに大きな事業でも、既定路線上の機械的な「実行」に過ぎない。(41ページ)
また、混迷を深める時代(現代社会)において、「まちづくりの実践」は次のような意味をもつ。(1)自己中心主義からの脱皮。(2)国際性を育てる。(3)人間環境を守り

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育てる。(4)人生を豊かにする。(5)新しい自由な人間の結びと出会いの場をつくる。(6)未来と対話する、である。
なお、以上のうち、(1)「自己中心主義からの脱皮」は、「まちづくりの実践」は、身近な自然や人間への関わりと、その思いやりから始まる。人と自然、人とモノ、人と人との関係を見直すことである。(6)「未来と対話する」は、「まちづくりの実践」は過去から未来への時間のなかの現在として行われるものである。一人の小さな人間も、「まちづくり」を通じて、心は空間的にも時間的にも無限に広がることができるし、そのなかに自分の小さな位置を発見することもできる、と言う意味である。(200~206ページ)

『まちづくりと景観』
景観の特性
景観は「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。景観の主体は生活者である市民である。景観は市民の協働の作品である。景観は歴史的な存在であると同時に、現在の社会の状態をそのまま反映している。景観は自然を加工し、人工物を加えた総合的な姿として示される。景観はそれぞれの地域の個性である。景観はコミュニティのつながりを保つ手段にもなる。「景観」とは、「地表のあるまとまった地域をトータルに捉えた認識像」である。(33、34、85、93、105、112、119、216ページ)

景観づくりの原則
都市景観は、自覚ある市民が思いをこめて協働し、長年にわたってつくりあげていく作品である。次の留意点は、「美しい都市景観づくりのための19原則」である。(1)自然の地形を尊重し、できるだけ生かしていく。(2)特色ある自然の山・川・海・湖などを極力意識的に見せる。(3)連続した時間の証明者である歴史的遺産を尊重し、現代に生かす。(4)都市を拡散させないで、できるだけコンパクトにして、豊かな田園を保持する。(5)都市の上空は市民総有の空間としてコントロールする。(6)都市を一望で捉えられる眺望点を確保し、市民が都市の実感をもてるようにする。(7)協働作品としての都市景観に、個性ある統一性を求める。(8)統一を乱さない範囲の多様性を奨励し尊重する。(9)道路は人間のためにあることを確認し、歩行者空間を拡大する。(10)都市のシンボルをつくり、市民が一致できる共感点を育てる。(11)都市に潤いとくつろぎを増やすため、緑と花と水場を増やす。(12)「まち」に優れたアートやデザインされたストリート・ファニチュア(街具。ベンチ、標識、バス停など)を置く。(13)地域の素材をできるだけ使い、地域の色彩を見つける。(14)地域にふぐわない不良物を排除し、その侵入を防ぐ。(15)人々が楽しく安心して動き、憩う場を作り、市民の交流を深める。(16)都市を舞台にして、伝統の祭り、魅力的な新しいイベントを繰り広げる。(17)日常生活の中で、市民の愛情ある手がいつも加えられていること。(18)ヒトやモノへの人々の優し

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い気持ちを育てる。(19)子供のときから老人まで「まち」への関心を深める教育・学習を行う、である。
以上の原則を実現するには、地域を総合的に運営できる①「市民の政府」(自治体を変革して「市民の事務局」に変え、さらに進めて「市民の政府」にしていく必要がある。141ページ)の存在と、②市民が協働作品をつくっていく総合的なシステムとルールが必要だが、そんと言っても、③市民の「まち」への思いが大前提になる。(218~222ページ)

〇田村によると、平仮名の「まちづくり」という用語は、1970年代後半(昭和50年代)になって一般化してきた。それは、「ハード」と「ソフト」の両面を含む総合的な「市民的な用語」であるが、「まちづくり」にはもうひとつ「時間の軸」がある。時間軸は、過去が現在を通して未来を求めていくものである(『実践』ページ)。すなわち、「まちづくり」は、今日の「場」における地道な作業(実践)の積み上げを必要とするが、「夢」のある未来を実現するための行為であり、運動である。「まちづくり」には未来を夢みるロマンがある(『発想』3ページ)。
〇これからの「まちづくり」の課題は、「人が住むに値する場」(「共同の場」)を如何に創り、長期にわたって継続的に維持するかである。そのためには、「まちづくり」の主体である子どもから大人までの実践的な「市民」をはじめ、「まちづくり」の専門家や現場のリーダーを如何に育てるか(「ヒトづくり」)が問われることになる。その際の「市民」は、「自主的に自治をつくる人」「自覚と責任ある市民」を言う。
〇「まちづくりの実践」とは、ヒトが自分以外の外部のヒトやモノなどに対して働きかけて行うものであり、「人間環境」を意識的に変化させることである。すなわち、「まちづくり」は、自然やヒトやモノを相手にする「他者実現」である(『実践』205ページ)。「まちづくり」のプランナー(専門家)は、建築家のように作品を残すことを目的にしていない。皆の力が結集して動いていることと、結果としてよい「まち」が形成されるようにするのが、その仕事である(『実践』174ページ)。
〇そして、「まちの景観」は、「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。「景観」は市民の協働作品であり、コミュニティのつながりを保つ手段にもなる。美しい景観は、「人間らしく生き生きと、誇りをもって生きてゆくためのものである」(『景観』227ページ)。
〇以上を要するに、田村の言説は、「まちづくり」のプランナーとしての豊富な経験(横浜市における行政経験)と全国各地の実践例の検証に基づいた、帰納的で未来志向型の思考によるものである。とともに、多様な地域現場の歴史的風土や文化を踏まえた、総合的な発想による、市民主導・市民主体の「まちづくり」論である。それは、地方自治(「市民の政府」)の問題として論じられる。また、「まちづくり」は「ヒトづくり」であることを含意する。改めて再認識しておきたい。

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〇なお、田村は『まちづくりの実践』において、「『まちづくり』の動態的構造」の模式図(158ページ)を示している。そして、「『まちづくり』には、市民が主導し協働して行うルートが重要である」。「行政の都合による市民参加は、『みせかけ』あるいは『「宥(なだ)めすかし』という意味になりかねない」。「市民協働の動きが活性化することは、市民が市民としての自覚をもって自治体を他治体から本来の市民政府へと変えてゆく動きになろう」。「市民政府は、市民参加の到達点でもある」、と説述する(158~159ページ)。それらを参考に、「まちづくりと市民参加」の「動態的な構造」に関する管見を「模式化」して図示しておくことにする(図1)。

付記
(1) 冒頭に記した鈴木伸治編『今、田村明を読む』のなかに、「計画行政における市民参加」と題する論文(日本都市計画学会『都市計画』第72号、1972年9月、6~16ページ)が収録されている(127~150ページ)。「市民参加」については、アメリカの社会学者であるS.R.アーンスタインが1969 年に発表した8つの「市民参加の階梯」(図2)が有名である。年代的にはそれを参考にしていると思われるが、田村は、「市民参加の9段階」(図3)を提示している(138ページ)。

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(2) 筆者の手もとに、田村明著『都市プランナー 田村明の闘い―横浜〈市民の政府〉をめざして―』(学芸出版社、2006年12月)がある。
「大都市のなかで最も優れた都市デザインでしられる横浜市。今から40年前、その礎を築いた男がいた。量のみを求める建設行政、あと先を考えない開発優先、中央官庁のタテワリ支配に反旗を翻し、地域や市民の立場に立った市民の政府としての自治体、ハードもソフトも、便利さも美しさも考えるまちづくりをめざした闘いの記録」(学芸出版社)である。その男が、革新市長・飛鳥田一雄のもとで辣腕(らつわん)を発揮した田村明である。本書から、地方自治と「まちづくり」のひとつの原点を見出すことができる。
「横浜市はいつから独立国になったのかね」「憲法(宅地開発の憲法のような「宅地開発要綱」)をつくったそうじゃないか」「そんなに言うこと聞かないなら、補助金はやらないぞ」(152~154ページ)。国(建設省、現在の国土交通省)の役人の言である。それに対して、田村が国との交渉のなかでよく使ったセリフは、「そんなことを言っても市民が黙っていない」(370ページ)であったと言う。生々しい。
(3) 田村の言説のひとつに、「市民の政府」論がある。それを纏めた一冊が『「市民の政府」論―「都市の時代」の自治体学―』(生活社、2006年8月)である。国による「官治」「集権」の自治体運営とは対極の、市民自身が主体となる真の地方自治の有り様(ありよう)を論じている。
周知のとおり、2000年4月から「地方分権一括法」が施行され、国と地方の関係は「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係に再編された。また、北海道ニセコ町の「まちづくり基本条例」(2001年4月1日施行)を嚆矢として、2006年4月1日現在、64の市町村(全市町村1,820の3.5%)で「自治体(まち)の憲法」としての「自治基本条例」が制定・施行されている(2016年10月10日現在では、全市町村1,718の21.0%にあたる361市町村で制定・施行されている)。こうした状況下で、田

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村にあっては、「市民の政府」について認識する市民も自治体関係者もごく少なく、現在の自治体はまだ「市民の政府」と言えるものではない。
以下に、田村の言説の一部を紹介しておくことにする。なお、「市民政府」ではなく、「市民の政府」と「の」を強調するのは、市民自身が自治体を自分のモノと思えるようにするためである。

「市民の」政府とは、一口で言えば、「政府が市民の所有物である」という意味だ。国の下請け機関や出先機関ではなく、市民が自立して自分の政府をつくり、自ら所有するということを意味する。(74ページ)

「市民の政府」の必要条件は、まずは、市民も自治体もその自覚を持つことである。
「市民の政府」の十分条件には、次の3つがある。
① 外部条件  中央統制や関与の排除、財政自主権の確立
② 内部条件  市民の参画、情報の公開、説明責任の遂行、政策立案の自主的能力
③ 市民条件  市民の信頼、共同意識、市民としての自己責任(75ページ)

「市民の政府」は、かつての民衆を支配した「お上」の対極にある。混乱する地域と孤立化した人間を支えるには欠かせない、ヒトのココロを優先させる地域経営の装置である。真の人間性と英知による「民治」の「市民の政府」が期待される。(86ページ)

 

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16/内発的なまちづくりとコミュニティデザイン 
        ―山崎亮の「コミュニティデザイン論」について―

〇筆者が地域福祉計画・地域福祉活動計画の策定に関わったのは、1988年7月、東京都狛江市社会福祉協議会が設置した「狛江市ボランティア活動推進事業運営委員会」(委員長・大橋謙策)の末席を汚したことが最初である。爾来、福祉教育実践の視点・視座に留意しながら、各地の社会福祉協議会の事業・活動や計画づくりに参加してきた。そこでは、いろいろな人たちとの「幸運な偶然」(山崎亮『まちの幸福論』119~122ページ。注(1))があり、それを通して実に多くの気づきや学びがあった。そんなことを思い出しながら、山崎亮(やまざき・りょう)の本を読み返すことにした。以下がそれである。

(1) 山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年5月。(以下[1])
(2) 山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』NHK出版、2012年5月。(以下[2])
(3) 山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中央公論新社(中公新書)2012年9月。(以下[3])

〇周知の通り、山崎は、「日本でただひとりのコミュニティデザイナー」「地方再生の救世主」などと紹介されることもあるという、斯界の第一人者である。山崎によると、コミュニティデザイナーとは、「モノをつくらないデザイナー」「地域の課題を、地域の人たちが解決するための場をつくるデザイナー」([2]9、16、122ページ)である。また、「コミュニティデザイナーは『救世主』ではない。この仕事は〝主〟になってはならない仕事だ。まちづくりの主体となるのは、その地域で暮らす住人である。(コミュニティデザイナー:筆者)がリーダーシップを発揮して、『みなさんでこういうまちをつくりましょう』と言ってしまったら、住民主体のまちづくりはできなくなる」([2]122ページ)。要するに、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわち「コミュニティデザイン」を進めるために、人と人を結びつけ、その関係性を深める“しくみ”を「デザイン」(注(2))することが、コミュニティデザイナーの仕事である。その際、いわれる「地方消滅」をただ不安がり嘆(なげ)くのではなく、いわゆる「活動する市民」(注(3))を如何に確保・育成するかのプロセスをデザインすることが肝要となる。山崎は次のよういう(抜き書きと要約)。

社会の課題を解決するためのデザインについて考えるとき、2つのアプローチがあるような気がする。ひとつは直接課題にアプローチする方法。困っていることをモノのデザインで解決しようとする方法である。(中略)

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一方、課題を解決するためにコミュニティの力を高めるようなデザインを提供するというアプローチもある。(中略)
コミュニティデザインに携わる場合、後者のアプローチを取ることが多い。コミュニティの力を高めるためのデザインはどうあるべきか。無理なく人々が協働する機会をどう生み出すべきか。地域の人間関係を観察し、地域資源を見つけ出し、課題の構成を読み取り、何をどう組み合わせれば地域に住む人たち自身が課題を乗り越えるような力を発揮するようになるのか、それをどう持続させていけばいいのかを考える。([1]246~247ページ)

コミュニティデザイナーは、コミュニティデザインという方法によって、そのまちに暮らす住民自らがまちの現状を把握し、問題を理解し、課題を解決していくプロセスをデザインする、地域支援(まちづくり支援)の専門家である。その方法は、山崎によると、基本的には次の4段階によって進められる。

第1段階:ヒアリング
ヒアリングの内容は大きく分けて、「どんな活動をしているのか」「その活動で困っていることは何か」「ほかに興味深い活動をしている人がいたら紹介してくれないか」の3点である。
地域の情報を調べ、人の話を聴き、地域の人間関係を把握し、現地を歩いて回るうちに、その地域でどんなことをすればいいのかが少しずつ見えてくる。
第2段階:ワークショップ
地域の特徴や課題を整理、共有し、取り組んでみたいプロジェクトやその実現の方法などについて話し合う。
その手法は、ブレーンストーミング、KJ法、ワールドカフェ(カフェのようなリラックスした空間で次々とテーブル=カフェを移動しながら、違う人とミーティングを重ねる手法)など、話し合う内容や集まったメンバーによって決める。
第3段階:チームビルディング
アイデアが出そろった段階で、「誰がどのプロジェクトを担当するのか」を決めることになる。その際、自分が取り組みたいプロジェクトを選んでもらいつつ、メンバーの調整を行いながら、担当チームをつくる。
チームごとに構成員の役割を決めて、本人たちが協力してプロジェクトが進められる体制を構築する(チームビルディング)。
第4段階:活動支援
できあがったチームの活動(特に初動期の活動)を支援する。チームが活動を進めるために相談に乗ったり、情報提供を行ったり、必要なスキルを得る機会を設けたりなどする。

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初動期のサポートは、チームの活動内容を見ながら徐々に減らしていく。自分たちだけで活動できるようになるのが最終目標なので、チームにできることが増えたらコミュニティデザイナーは手伝いを減らす。([3]180~195ページ)

〇まちづくりには、地域の特性や課題に応じたクリエイティブな思考やオリジナルなアイデア、斬新なセンスなどが求められる。そこから、コミュニティデザイナーには、それらを生み出す知識や情報(事例)、態度や行動、そしてアイデアを“かたち”にしブラッシュアップする(磨き上げる)技能(スキル)などが必要となる。また、個々の住民(個人的実践主体)の主体形成のみならず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上させるためのメソッド(手法、やりかた)を身につけることも肝要となる。
〇なお、山崎においては、アメリカの心理学者ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)の「社会的知性」(SQ:Social Intelligence Quotient)に関する所説を引用し、コミュニティデザイナーには次のような能力が求められることになる。(1) “読み取り能力”(「社会的意識」:ゴールマン)、すなわち「他人の感情を読み取る能力」「人の話をしっかり聴く能力」「相手の意図や思考を理解する能力」「社会のしくみを知る能力」の4つの能力と、(2) “そのうえでどう行動するか”という能力(「社会的才覚」:ゴールマン)、すなわち「相手と同調する能力」「自分の意図を効果的に説明する能力」「他者に影響を与える能力」「人々の関心に応じて行動する能力」の4つの能力、がそれである([3]219~220ページ。ダニエル・ゴールマン 土屋京子訳『SQ 生きかたの知能指数―ほんとうの「頭の良さ」とは何か』日本経済新聞出版社、2007年1月、130~158ページ)。
〇いずれにしろ、まちづくりには、「まちの人たちが主体となれる方法論で(地域の:筆者)課題を解決していける人材」、つまり「ファシリテーター」が必要となる([2]154ページ)。周知の通り、全国には、2009年度から実施されている国(総務省)の「集落支援員」や「地域おこし協力隊」の事業などを活用し、地域の課題解決やまちづくりに取り組む人材を積極的に導入している地方自治体がある。2014年度における(専任)集落支援員は221団体(5府県216市町村)、858人(自治会長などとの兼務の(兼任)集落支援員は3,850人)、地域おこし協力隊員は444団体(7府県437市町村)、1,511人を数える。その数は増加傾向にあるが、決して多くはない。また、受け入れ態勢の不備や地域(地元)住民との意識のズレなどによって、その制度が十分に機能しているとはいえない。
〇まちづくりのソフト事業である人材育成は、何よりも地域が取り組むべき課題である。そこでは、まちづくりをファシリテート(支援、促進)する人材の確保・育成とともに、「活動する市民」や一般住民へのまちづくに関する意識啓発・教育が必要かつ重要となる。 2014年度に東北芸術工科大学(山形市)に日本で最初の「コミュニティデザイン学科」(学科長・山崎亮)が開設された。学科の合言葉は、「ふるさとを元気にするデザインを学ぼう!」であるという。コミュニティデザイン(まちづくり)の本格的な人材育成は始まったばかりである。

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〇フランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の『21世紀の資本』(山形浩生・他訳、みすず書房、2014年12月)がベストセラーになっている。そこでの言説のひとつは、先進国では経済的格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因は保有する資産の多寡にある。資産家は投資によってさらに資産を増やし、その一方で低所得者は、賃金が上がらない限り資産形成を行うことができない、というものである。同じような言い回しをすれば、地域では生活環境の格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因のひとつは、住民主体のまちづくり(コミュニティデザイン)とその啓発・教育の事業・活動の実施度にある。住民主体のまちづくりが活発な地域は、その実態(実情)や特性を活かした新たなまちづくりを推し進める。その取り組みが低調な地域では、地域の課題を発見し、それを解決するための「人のつながり」(山崎)が広がらない。筆者が本稿でいいたいことのひとつはここにある。それは、市民福祉教育に通底するものでもある。

 (1) 「幸運な偶然」について、山崎は次のように述べている。「『偶然』と『幸運』はイコールではない。偶然を一時的な出来事で終わらせてしまうか、それとも自分の人生を豊かにする幸運に変えられるかは、本人次第である。(中略)偶然を幸運に導いてくれるのが、(肯定から入る:筆者)〝Yes,and〟のコミュニケーションでもある。(中略)『幸運』は天から与えられるものではなく、人が自分の意志で見つけていくもの」である([2]121~122ページ)。「まちづくりで最も重要なことはコミュニケーション能力である」([1]91ページ)。留意しておきたい言説である。
(2) 山崎にあっては、「デザイン」とは「社会的な課題を解決するために振りかざす美的な力」である。すなわち、多くの人たちに関係している課題を見つけ、それをたくさんの人が共感するような“美しい方法”で解決しようとする行為をいう([3]233ページ)。
(3) 「活動する市民」とは、まちづくりについて主体的・自律的・能動的な態度・行動を有する住民をいう。

補遺
山崎は、「コミュニティデザインとまづくりは同じではない。(中略)横文字を組み合わせたコミュニティデザインよりはまちづくりのほうが理解してもらいやすい。(中略)まちづくりという言葉は馴染みがあるのだろう。それならそれでいい」([3]213~214ページ)としながら、次のように述べている。

(地域のさまざまな:筆者)人の集まりが力を合わせて目の前の課題を乗り越え、さらに多くの仲間を増やしながら活動を展開することを支援するのが(中略)コミュニティデザインである。これは、コミュニティの力を増幅させるという意味で「コミュニティエンパワメント」や「コミュニティオーガニゼーション」と呼ばれ

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る手法に近いのかもしれない。あるいは、社会福祉の分野でいわれる「コミュニティワーク」や、開発途上国支援の分野でいわれる「コミュニティディベロップメント」に近い方法なのかもしれない。いずれも「つくることを前提としないコミュニティづくり」であるから、今後はこうした分野の知見を活かしながら、コミュニティデザインの実践を続けたいと思う。([3]123ページ)

前述の「コミュニティデザイン学科」の創設は、コミュニティデザインという学問領域の成立を前提にする。実践の単なる積み重ねによる実践知だけでなく、学問としての体系化を図るためには、先ずはコミュニティデザインの精緻な概念整理や「コミュニティの力」の構成要素の分析・考察、そしてコミュニティエンパワメント等との関連性の検討などが求められよう。
なお、筆者は、取り敢えず本稿ではまちづくりとコミュニティデザインをほぼ同義に捉え、記述している。

 

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17/「批判的思考」と「変革能力」 
                 ―福祉教育し「批判」と「変革」を要件とする―

〇筆者の手もとに、「批判的教育学」(Critical Pedagogy)の必読書であるマイケル・W・アップル、ジェフ・ウィッティ、長尾彰夫編著『批判的教育学と公教育の再生―格差を広げる新自由主義改革を問い直す―』(明石書店、2009年5月。以下[1])がある。そこには長尾の論稿「教育改革のポリティックス分析―新たな『教師論』の構築に向けて」が収録されている。
〇本稿では、長尾彰夫(ながお・あきお)の言説のなかから、筆者なりにいま一度認識しておきたいいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

(1)新自由主義・新保守主義と公教育の破壊
自由経済と強い国家を追求する新自由主義と新保守主義(注②)の勢力は、一方で「民主主義」を口にしつつ、他方では民主主義の意味そのものを根底から変え、さらなる格差や不平等を作り出している。また、「伝統」を声高に叫びつつ、それに異を唱えるものは徹底的に排除する。こうした「改革」がもたらす最大の問題は、公教育の破壊である。(3ページ)
(2)批判的教育学・批判的教育学者の使命
批判的教育学は、新自由主義と新保守主義による政策と実践が子どもや教師に与える影響(問題状況)を明らかにする。究極的には、非民主的な「改革」を押し戻し、真の「民主主義と市民性」に基づく「改革」を推し進める。そのために、進歩主義的な社会運動と協力しながら行動する。それが批判的教育学や批判的教育学者の使命である。(3~4ページ)
(3)現代の教育改革の特徴
教育改革はしばしば、官邸・内閣を中心とした時の政治的権力によって推進される(中曽根内閣が1984年8月に設置した「臨時教育審議会」や安倍内閣が2006年10月に設置した「教育再生会議」等)。それは、従来型の、文部科学省の官僚的・行政的権力による教育改革とは異なる。しかも、その両者の間には、共通性(点)と異質性(点)が存在する。現代における教育改革は、こうした微妙にして深刻な矛盾と対立を含んだ権力構造の分析なしには、その実像と特徴を捉えることはできない。(151ページ)
(4)ポリティックスの意味
ポリティックス(politics、政治学)とは、政党や政治が行っているような狭い意味での「政治的な事柄」「政治活動」を意味するのではない。ある事態や事柄をめぐって、それに関わる様々な人々や集団が、それぞれの利益と被害に関わるパワー(権力)を行使していく過程、およびそれによって生み出されていく(権力的な)

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諸関係をいう。(152ページ)
(5)教育改革のポリティックス分析
教育改革のポリティックス分析では、教育改革に関わるさまざまな集団や組織の利害や権力(パワー)が、どのように複雑に作用しているかというその状態(権力作用の関係)を具体的・現実的に分析する。その際、何のためにポリティックス分析を行うのかという、ポリティックス分析のめざすべきところをどこに設定するのかを明らかにしておくことが重要となる。(154ページ)
(6)教育改革と教師の「批判的権力」
教師は、教師としての視点と立場に基づくパワー(権力)を行使しながら、教育改革に関わっていくことが求められる。そのパワーの根底に据えられるべきは、教師が実際的な教育現場に関わっていくという専門性であり、それを基礎に、教育政策を批判的に捉え対象化していくいわば「批判的権力」である。教育改革のポリティックス分析では、教師が「批判的権力」をいかに獲得していくか、それを可能にする「教師論」とはいかなるものかが重要な課題となる。(163~164ページ)

〇「学校における福祉教育」は、歴史的・客観的な評価・分析を行わないまま、「指定校制度」を過去のものにしつつある。それに代わって登場した「地域を基盤とした福祉教育」は、ただ時流に乗ることを優先し、曖昧な「地域指定」や「実践主体」のもとで進められている。その当然の帰結として、一部の社協(職員)や学校(教師)を除いて、社協と学校の関係が表層化・限定化し希薄化している。そしていま、福祉教育関係者は、文部科学省が進める「コミュニティ・スクール(Community School)」や「アクティブ・ラーニング(Active learning)」に何の躊躇もなく、無邪気に秋波を送っている。
〇こうした動向や実態(課題)を生み出したその時々の福祉・教育政策に対して、福祉教育の実践(実践者)や研究(研究者)は、十分な関心を持って臨んできたであろうか。それぞれの福祉・教育政策の真の狙いを抉(えぐ)り出すことなく、それらを無批判的・盲従的に是認し受容する。そのうえで福祉・教育政策に適応(適合)する福祉教育実践のあり方を探究してきたのではないか。長尾の言説から、福祉教育の実践や研究のあり方を厳しく問ういくつかの示唆を得ることができる。
〇筆者の手もとには、もう1冊、ヘンリ―・A・ジルー著、渡部竜也訳『変革的知識人としての教師―批判的教授法の学びに向けて―』(春風社、2014年1月。以下[2])がある。[2]は、アメリカの批判的教育学者であるジルー(Henry A. Giroux)が1970年代から80年代にかけて発表した論文を集録し刊行(1988年)したものの全訳である。
〇訳者の渡部によると、ジルーの教育論は「二部構成」から成っている。そのひとつは、「生徒(特にこの場合、被抑圧者たちの子どもたち)が日頃慣れ親しんでいる文化的経験に結びつく仕方で自分たちの社会的ポジションを力動的に捉えていけ

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るような知の枠組みを提供していくアプローチ」即ち「批判の言説」である。いまひとつは、「必要ならばその社会的ポジションの変革に向けて文化的経験の読み替えを行い(既存の社会体制に疑問を呈するような新たな解釈可能性の発見)、同じ問題意識に立つ外部の団体などと協力して実際に変革への力をつけていくためのアプローチ」即ち「可能性の言説」である。この二つの言説を換言して要約すれば、「日常言説の自明性を疑うための批判的分析と新たな可能性の提言」となる。(383ページ)
〇ジルーの批判的教育学については原典に当たっていただくことにして、ここでは、[2]のタイトルでもある「変革的知識人」(transformative intellectuals)に関する次の一節を付記するにとどめる。

(1)学校は論争的領域である
学校は実際のところ、政治や権力から隔離された客観中立の装置などではなく、権威の諸形態、知識の型、道徳的規則の諸形態、過去の見方や未来の展望などのうちのどれを正当化して子どもに伝えていくべきかという問題をめぐる闘争を具体化して表現した論争的領域である。学校は決して中立的な場ではなく、教師も同じく中立的な立場にいることなど不可能である。(237ページ)
(2)教師は教育改革の主体である
教師は教育改革の主体である。教師は学校の官僚的組織のなかで、専門職化された技術職ではない。即ち、教師は単に、前もって定められた目標を効果的に達成するために職業的に準備をするパフォーマーとして見なされるようなことはあってはならない。教師は、知への価値に対して特別に貢献し、また若者の批判的パワーを高めること(思慮のある能動的な市民を育成すること)に自由でなければならない。(230、235ページ)
(3)教員養成の変革が求められる
教師が生徒を活動的・批判的市民に育てるためには、教師が変革的な知識人となるべきである。現在の大学や教員養成ではしばしば「ハウ・ツー」が優先され、そのような仕事をどのようにこなすのか、与えられた知識体系を教授するのに最善の手法をどのようにマスターするのか、といったところに力点が置かれている。「変革的知識人」としての教員養成のあり方を問う必要がある。(232、237ページ)

〇ジルーの言説に関しては、教育は本質的に政治であり、権力である。学校は現実的にも、政治や権力の構造と機能を持っており、それゆえに子どもの批判的主体性の育成や能動的市民性の形成を図る場として存在する。学校教育は「政治的中立性を確保しなければならない」「権力と結びつくことがあってはならない」というのは、幻想である。学校教育では、学校外部の地域・社会におけるそれ(政治や権力)との関わりで、どのような理念や目的や価値観を有する政治や権力の場として

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学校を位置づけるかが問われることになる。これらの点を再認識しておきたい。
〇ジルーがいう「変革的知識人としての教師」については、少なくとも社会科教師にはそのあり方が問われることになるが、全ての教師にその素養や能力が求められるとは言い難い。この点を「市民福祉教育」に引き寄せて言えば、先ずは、福祉教育担当の学校教員や社協職員、そして「活動する市民」「市民エリート」(坂本治也)などが福祉・教育政策を批判し変革する知識や能力を身につける必要があろう。その際の福祉教育は、「思いやり」などの特定の価値観を押し付ける道徳主義や、「共に生きる」などの口当たりの良い言葉を唱えるスローガン主義に基づくものでないことは言うまでもない。
〇福祉教育は、人権尊重や社会正義の価値を基盤に、福祉・教育政策を批判し変革するソーシャルアクションやアドボカシー(註➀)についての思考(批判的思考)と実践(変革能力)を要件とする。本稿で再認識したいのはこの点である。


①アドボカシー(advocacy)は、元々は「擁護」や「支持」「唱道」などを意味する言葉である。やがて、「政策提言」や「権利擁護」など、特定の政策を実現するために社会的な働きかけを行う活動を示すようになった。また、「政府や自治体に対して影響をもたらし、公共政策の形成及び変容を促すことで、社会的弱者、マイノリティー等の権利擁護、代弁の他、その運動や政策提言、特定の問題に対する様々な社会問題などへの対処を目的とした活動」とも定義される(「日本アドボカシー協会」ホームページより)。

 

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18/国家主義的教育と主権者教育 
           ―内田樹著『街場の教育論』を再読する―

〇筆者は、20年前の1997年3月に、「地方回帰」する若者の動きではないが、都市部から現在の「まち」に移住してきた。(翌年1月からは「猫の額」ほどの畑を耕す「にわか百姓」を気取っている。)それを機に、全国紙の購読はやめ、地方紙の「岐阜新聞」をとることにした。その2017年5月26日号に、「互いに監視する社会に」「立憲主義廃絶への一本道」という見出しの記事が掲載されていた。以下はその一節である(抜き書き)。

共謀罪の法案成立後、政府は「隣人を密告するマインド」の養成を進め、「市民が市民を監視し、市民が隣人を密告する」システムを作り出そうとするだろう。/なぜか「国民主権を廃絶する」と明言している政党に半数以上の有権者が賛成し続けている。/私権を制限され、警察の恣意的監視下に置かれるリスクを当の市民たちが進んで受け入れると言っているのである。/それは「国民は主権者ではない」ということの方が多くの日本人にとってはリアルだということである。戦後生まれの日本人は生まれてから一度も「主権者」であったことがない。家庭や学校でも、就職先でも、社会改革を目指す組織においてさえ、常に上意下達の非民主的組織の中にいた。/日本人にはそもそも「主権者である」という実感がない。だから、「国民主権を放棄する」ことにも特段の痛みを感じない。現に、企業労働者たちは会社の経営方針は「上」が決めることであり、その適否について発言する必要がないと思い込むに至っている。

〇この記事は、内田樹(うちだ・たつる、思想家・武道家)が寄稿したものである。内田といえば先ず、「新書大賞2010」の授賞作品『日本辺境論』(新潮社、2009年11月)を思い出す。「政治の劣化と右傾化」「日本の財政破綻と崩壊」などが叫ばれる今日的状況のなかで、上の記事を目にしたことを機に、「街場(まちば)シリーズ」の1冊である『街場の教育論』(ミシマ社、2008年11月。以下[1])を読み返すことにした。
〇内田によると[1]は、「学校の先生たちが元気になるような本」(292ページ)、「教育について熱く論じるのは、よくない」ということを熱く論じている本である。また、そこで述べる唯一の実践的提言は、「政治家や文科省やメディアは、お願いだから教育のことは現場に任せて、放っておいてほしい」ということである(2ページ)。[1]は、こういった皮肉(アイロニー)の効いた、刺激的なフレーズから始まる。以下は、筆者が改めて認識し、留意したい内田の論点や言説のメモである(抜き書きと要約)。

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「内田教育論」は4つの考え方を前提とする
(1) 教育制度は惰性の強い制度であり、簡単には変えることができない。(2) それゆえ、教育についての議論は過剰に断定的で、非寛容なものになりがちである。(3) 教育制度は一時停止して根本的に補修するということができない。その制度の瑕疵(かし。欠陥)は、「現に瑕疵のある制度」を通じて補正するしかない。(4) 教育改革の主体は教師たちが担うしかない。人間は批判された、査定され、制約されることでそのパフォーマンスを向上するものではなく、支持され、勇気づけられ、自由を保障されることでオーバーアチーブ(期待以上の成果を上げること)を果たすものである。/ざっとこれくらいのことが(内田)教育論の前提である。(22ページ)

教育改革の主体は私たちである
私たちの国の教育に求められているのは「コスト削減」や「組織の硬直化」ではない。現場の教員たちの教育的パフォーマンスを向上させ、オーバーアチーブを可能にすることである。それに必要なのは、現場の教師たちのために「つねに創意に開かれた、働きやすい環境」を整備することに尽きる。/教員たちが発明の才を発揮し、新しい教育方法を考案し、実験し、議論し、対話し、連帯することができる、そういった生成的な労働環境を作り出すこと。それが私たち(国民)に許された唯一可能な「教育改革」の方向である。(20、21ページ)

教育は時間がかかり成果も多様である
教育は「キーを押してから文字が表示されるまで長い時間がかかる」ようなシステムである。/教育は入力から出力までのあいだに「時間がかかる」。それはそこを行き交うものが商品やサービスではなく、人間だからである。/それどころではない。教育というのは「差し出したものとは別のかたちのものが、別の時間に、別のところでもどってくる」システムである。喩(たと)えて言えば、キーボート―を押すと、ディスプレイに文字が出る代わりに、三日後に友だちから絵葉書が届いたとか、三年後に唐茄子(とうなす)を二個もらったとか、そういうどこをどう迂回(うかい)したのかよくわからないような「やりとり」が果たされるのが教育というものの本義である。(27、28ページ)

教育とは外部との通路を開くことである
教育の本質は、「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ、ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つ(うがつ。開ける)ことにある。/勉強しているときには、子どもたちも一瞬、無人島という有限の空間に閉じ込められていることを忘れて、広い世界に繋(つな)がっているような開放感を覚える。四方を壁で取り囲まれた密室の中に、どこからか新鮮な風が吹き込んできたような爽快感を覚える。そういうことがきっとあるはずである。/「今ここにあるもの」とは違うものに繫

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がること。それが教育というもののいちばん重要な機能なのである。(40ページ)

学びとは鳥瞰的視座に離陸することである
「学び」は、自分には理解できない「高み」にいる人(メンター、先達)に呼び寄せられ、その人がしている「ゲーム」に巻き込まれるというかたちで進行する。この「巻き込まれ」(involvement)が成就するためには、自分の手持ちの価値判断の「ものさし」ではその価値を考量できないものがあるということを認めなければならない。自分の「ものさし」を後生大事に抱え込んでいる限り、自分の限界を超えることはできない。知識は増え、技術も身につき、資格も取れるかもしれない。けれども、自分のいじましい(せせこましい)「枠組み」の中にそういうものをいくら詰め込んでも、鳥瞰(ちょうかん)的視座に「テイクオフ」(take-off、離陸)することはできない。それは「領地」を水平方向に拡大しているだけである。「学び」とは「離陸すること」である。(59ページ)

学びとはブレークスルーのことである
「学び」を通じて「学ぶもの」を成熟させるのは、「私には師がいる」という事実そのものである。私の外部に、私をはるかに超越した知的境位が存在すると信じたことによって、人は自分の知的限界を超える。「学び」とはこのブレークスルーのことである。/ブレークスルーとは、自分で設定した限界を超えるということである。限界を作っているのは私たち自身である。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価が、私たち自身の「限界」をかたちづくる。/ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということである。それが自分自身で設定した限界を取り外すということである。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることである。(155、156ページ)

専門家は他者とコラボレートできなければならない
専門教育とは、「内輪(うちわ)のパーティ」のことである。そこは「専門用語で話が通じる」場所、あるいは「通じることになっている」場所である。/専門家とは、他の専門家とコラボレートできることである。そのためには、自分がどのような領域の専門家であって、それが他の領域とのコラボレーションを通じて、どのような有用性を発揮するかを非専門家に理解させられなければいけない。/専門家は、他の専門家と共同作業をしないと何の役にも立たない。自分ひとりで何でもできる専門家というのは形容矛盾である。/専門家の手柄は自分の専門のことしかできないが、その代わり、他の専門家と「合体」すると爆発的なパフォーマンスを発揮するということである。/日本の教育プログラムにいちばん欠けているのは、「他者とコラボレーション」する能力の涵養である。今の日本の教育の問題という

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のはもしかすると、ぜんぶがこの一つの点に集約されるのかもしれない。(90、92、105ページ)

教師は学びの当事者である
教師というのは、生徒をみつめてはいけない。生徒を操作しようとしてはいけない。そうではなくて、教師自身が「学ぶ」とはどういうことかを身を以て示す。それしかない。/「学ぶ」仕方は、現に「学んでいる」人からしか学ぶことができない。教える立場にあるもの自身が今この瞬間も学びつつある、学びの当事者であるということがなければ、子どもたちは学ぶ仕方を学ぶことができない。これは「操作する主体」と「操作される対象」という二項関係とはずいぶん趣(おもむき)の違うものである。/学びの場というのは本質的に三項関係なのである。師と、弟子と、そして、その場にいない師の師。その三者がいないと学びは成立しない。/教師が教壇から伝えなけれはいけないことは、畏敬の念を抱く師がいるということ、ただ一つである。それだけで教育は十分に機能する。(142、143、152ページ)

教師は学びを起動させる
子どもの成熟は葛藤を通じて果たされる。/人間は必ず葛藤のうちにあり、人間のすべての感情は葛藤を通じて形成される。/人間は自分が学びたいことしか学ばない。自分が学べることしか学ばない。自分が学びたいと思ったときにしか学ばない。/教師の仕事は「学び」を起動させること、それだけである。「外部の知」に対する欲望を起動させること、それだけである。そして、そのためには教師自身が、「外部の知」に対する烈(はげ)しい欲望に現に灼(や)かれていることが必要である。(114、158、252、255ページ)

〇周知の通り、内田は、「稀代の論客」の一人である。いわゆる「内田本」を読むと、俊英(しゅんえい。優れて秀でていること)な視点や鋭利な知性に驚かされる。また、小気味よい論調や豊饒(ほうじょう)な言葉、広く深い造詣(ぞうけい)などに魅せられる。それらが、数多くのファンや信奉者を生み出しているのであろう。
〇ただ、内田の「議論」や「主張」「言説」は必ずしも、そのすべてが科学的・体系的なデータやエビデンス(証拠、根拠)に基づくものであるとは言えない。過剰に身体感覚的であったり、ときには論理の飛躍がある。なじみの薄い漢字や熟語、カタカナ言葉の多用や、巧みな論法の駆使は、衒学的(げんがく。学問や知識があることをひけらかすこと)でさえある。さらに言えば、「知識人の単なるプロパガンダ(政治・思想宣伝)は、読む人を惑わし、思考停止に陥らせる」という、その危険性がゼロとは言えない。土と汗のにおいがする「にわか百姓」(筆者)の、おしゃれで上品な知識人に対する全般的・抽象的な感想である。なお、10年ほど前に本書を読んだときの感想も、このようなものであったと思われる。ただ、その時代

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的背景や社会的状況は、いまの方がより厳しくなっていることは多言を要さない。
〇政治・経済・社会の危機の時代にあって、先ず強く求められるのは国家主義的教育に抗し、主権者教育を推進する「教育の自由と良心」である。そして、第一線の教育現場(学校、地域・社会)やそこでの実践に証拠や論拠を求める、教育に関する草の根の思想(考え方)や哲学(生き方)である。また、大切にすべきは、教育思想や教育哲学以前の、その「まち」に暮らす子どもや保護者、その「まち」にある学校の子どもや教師などの個々人の教育への切実な「願い」や「思い」である。
〇本稿の最初に紹介した内田の新聞寄稿文では、「立憲主義廃絶」への強い怒りや憂いに満ちた、反体制・反権力の姿勢が明示される。そして、[1]で内田は、教育へのビジネスモデルの導入や市場原理主義・グローバル資本主義の教育への介入を批判し、それを通して教育の本質に迫る。また、皮相的な「あるべき教師像」ではなく、「真の教師」のあり方を探究する。その切り口はシャープである。
〇そうした内田の言説の枠組み(フレームワーク)や論点(イシュー)から、「福祉教育」は多くを学び、その教育活動を検証する必要がある。福祉教育は、(1)国家主義的教育に対峙し、真の主権者教育の積極的推進を図ってきたであろうか。(2)それらの教育営為とは、無視はしないまでも、付かず離れずの立ち位置を保ち、絶妙な「間合い」をとってきたのではないか。(3)個別具体的な地域や学校の現実(実態)を丹念に掘り起こし、その問題の歴史的・社会的・文化的背景や本質、真実などをあぶり出してきたか。そこでは、(4)「思いやり育成プログラム」(「こころの教育」)の研究開発に汲々(きゅうきゅう)としてきた(している)のではないか、等々がそれである。これは、筆者自身の福祉教育実践や研究の取り組み姿勢や価値観を問うものでもある。

 

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19/「生死の教育」を考える 
            ―大谷いづみと松田純の言説―

〇日本における「生命倫理教育」の草分けであり、「尊厳死」言説の研究に優れた業績をあげていると評されるひとりに、大谷いづみ(おおたに・いづみ)がいる。筆者が大谷の論考にふれたのは、松原洋子・小泉義之編『生命の臨界―争点としての生命―』(人文書院、2005年2月)に所収の「『いのちの教育』に隠されてしまうこと―『尊厳死』言説をめぐって―」(論文)と「『問い』を育む―『生と死』の授業から―」(語りおろし)が最初である。
〇印象に残っている大谷の「語り」に、次のようなものがある(抜き書きと要約)。それぞれの語り口(切り口)はシャープであり、多くの示唆を得る。また、本質を突いた文や単語は聞き手(読み手)をハットさせる。

◍私は高校教師時代から、「人権」「平和」「民主主義」の三語は極力使わないで授業をしてきた。この三語はすでに答えるべき解答が用意されている、思考停止を引き起こす言葉でしかないからである。(143ページ)
◍ロリ・アンドリュース(ヒトゲノム解析機構)は出生前診断を「この世への入会審査」と言ったが、だとすれば尊厳死言説はこの世の「会員審査」だということである。自由な自己決定によって自らが会員制クラブの維持のためにクラブ外に出ていくこと、すなわち自らの質の低さを自認して自らを死へと廃棄することを納得するための概念装置が、「犠牲」「尊厳」なのではないか。(144、145ページ)
◍会員制クラブの正会員や準会員、員数外も、「何か」に怯(おび)えている。そのひとつが、役に立つ人間でなければならないという強迫観念である。その強迫観念は、役に立たないと見なせる人間への憤怒(ふんど)や憎悪(ぞうお)と表裏一体のはずである。その憤怒と憎悪を、妬(ねた)みや嫉妬(しっと)と連動させて正当化したのが、まさにナチズムだったのではないか。(150ページ)
◍ジェンダー論や障害学に期待するところはあるが、それが旧態然とした「人権」の話しに終始するのだとしたら、結局は「告発する被差別者」のスティグマを自ら招いて終わるだけで、さしたる展望はもてない。(151ページ)
◍世の中を支えているのは現場で日々賽の河原(さいのかわら:無駄な努力)のような労働にたずさわっている「小さき人々」なのであって、「天下国家を机上で脳天気に論じている高等遊民とその卵たち」に何がわかるか、という思いがないわけではない。現場の「上がり」が研究生活であるかのような、現場・研究双方の一部の見方にも抵抗がある。(中略)他方で、現場の体験に自閉しているだけでは閉塞

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感を深めていくばかりだろうというのも実感としてある。(154ページ)

〇今回改めて、大谷のその「論文」と「語り」を読むことにした。以上の「語り」に加えて、留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「癒し系授業」と「悩ませ系授業」
「いのちの教育」「死の教育」は、実は癒しブームと連動した「癒し系授業」だと見なせなくもない。子どもたちの生と死をめぐって、現実に起きる「事件」が、へたな小説を凌駕(りょうが:上回る。超える)してしまったような現代にあって心身疲れ果てた教師が、感動の涙に至る「癒し系授業」に活路を見いだしたくなるのは、わからないでもない。これに対して、バイオテクノロジーと先端医療の発達がもたらす生と死の問題群の、倫理的・法的・社会的ディレンマに向き合う生命倫理教育は、「悩ませ系授業」だと、わたしは本気で考えてはいるが、一見価値中立にその是非を問いつつ、結果、先端医療技術のつゆ払い(つゆはらい:先導して道を開く)役を果たす意味において、両者が補完関係を形成するであろうことは、見逃せない点である。(論文:95ページ)

「いのちの輝き」と「自分らしい死」
「いのちの教育」は、それだけが独立して作用するわけではない。だから、授業者や世間が期待するほど、生徒に影響力をもつわけではないことを、安心してもいる。しかし、一方では、「安楽死」や「尊厳死」が自己決定権にもとづく権利として教科書に叙述されて語られ、「自分らしい死」が「いのちの輝き」とともに語られる。他方では、少子高齢社会への懸念がつぼ型に移行しつつある人口ピラミッドとともに語られる。生老病死(しょうろうびょうし)を語るその枠組みは、太田典礼が著書で安楽死を提案した枠組みと重なってはいないだろうか。(論文:118ページ)

「自分は生きる」と「他者を殺す」
生老病死をディベイトのような二項対立の是非で問う問い方を批判し続けてきた。答は多様にあるはずなのに、たった二つの答に収斂(しゅうれん)させる問い方

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に、最初から、生理的嫌悪感を感じていたのだが、最近ようやく、その理由がはっきりした。生命倫理問題に関して、是か非か、という問いに答えることを強要することは、究極、自分が死ぬか生きるか、他者を生かすか殺すかという問いへの答を強要することに他ならない。しかも、「生命は尊いにしても、先端医療の発達した現在の、その尊さの複雑困難な状況」を、これでもかと提示した条件の下に答えさせるわけで、一見価値中立に見えるが、実際には、問い自体が「自分は生きる、他者も生かす」ことが肯定されにくい位置に置かれているわけである。このような問いは、問い方それ自体がまったく倫理的ではない。(語り:132~133ページ)

先端医療や高齢社会のつゆ払いと後始末
生死にかかわる問いは、教師の意図や教育技術がどうであれ、また意識的であれ無意識であれ、教師生徒双方が何らかの形で、「自分自身」を問題に織り込むことを余儀なくする。(136ページ)
ただ、当然落とし穴もある。生命倫理問題のディレンマを討論させたり考えさせたり、死に直面した人の話を聞いたり遺書を書かせ感性と体験に訴えたりして、教室の空気が「動く」ことに、教師は目を奪われがちである。(中略)だからこそ、考えたり感動したりした「その先」が何なのか、それを考える必要がある。生命倫理教育と死の教育は、一歩間違えば、先端医療と高齢社会のつゆ払いと後始末を相補的に成す危険性と隣り合わせである。(語り:137ページ)

「生命倫理教育」「死の教育」と「生死の教育」
学校での「生死の教育」は今後どうなっていくべきか。第一、大きくは生命倫理教育と死の教育に二分されている現在の生死の教育を止揚して、自己を問い、他者に問いかけ、社会を変革してゆく地平を切り拓くものにしていくこと。第二に、そのためには、生命倫理学と死生学だけを親学問にするのではなく、医療社会学や文化人類学、科学技術社会論、社会福祉学やジェンダー論、障害学など、近接領域、関連領域からの知見を貪欲かつ批判的に取り入れてゆくこと。第三に、生死の教育が、言挙げ(ことあげ:言葉を発すること)できない「小さき人々」の、言葉にならない言葉を掬(すく)い取ってゆくことである。
(語り:140ページ)

〇以上の大谷の、鋭い考察と深い洞察、そして強い筆力には驚嘆させられる。語るべきは「美しく死ぬ作法」ではなく、「みっともなくても生きのびろ」ということである(語り:139ページ)、という。大谷の論点や言説は「市民福祉教育」に通底するものが多い。市民福祉教育のねらいのひとつは、「生きる力」ではなく、「生きのびる力」を育てることにある。それが豊かなまちづくりを促す。再確認してお

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きたい。
〇さて、筆者の手もとに、松田純(まつだ・じゅん)著『安楽死・尊厳死の現在―最終段階の医療と自己決定―』(中公新書、2018年12月。以下[1])と梶田叡一(かじた・えいいち)著『〈いのち〉の教育のために―生命存在の理解を踏まえた真の自覚と共生を―』(金子書房、2018年6月。以下[2])がある。
〇[1]で松田は、「21世紀初頭、世界で初めてオランダで合法化された安楽死。同国では年間6000人を超え、増加の一途である。容認の流れは、自己決定意識の拡大と超高齢化社会の進行のなか、ベルギー、スイス、カナダ、米国へと拡散。他方で精神疾患や認知症の人々への適用をめぐり問題も噴出している。“先進”各国の実態から、尊厳死と称する日本での問題、人類の自死をめぐる思想史を繙(ひもと)き、「死の医療化」(患者の「死ぬ権利」ではなく、法の下で医師が死を管理すること:阪野)と言われるその実態を描く」(「帯」より)。
〇松田は、「安楽死」を三つに区別する。①狭義の安楽死――医師が患者に致死薬を注射して生命を終結させる行為など。②医師による自死介助――医師が患者に致死薬を処方し、患者が自らそれを服用して生命を終結させることなど(服用でない形もある)。③生命維持治療の中止――「消極的安楽死」とも呼ばれ、臨床上の方針として、生命を維持するためのさまざまな治療を中止あるいは開始しないこと、がそれである(「はじめに」ⅱページ)。世界では①②③を「尊厳死」と呼ぶが、日本では「安楽死」と区別して、③のみが一般的に「尊厳死」と呼ばれている。
〇松田によると、現代の安楽死論の論調に、「自分の生命に対する処分権(死ぬ権利)」(205ページ)、すなわち自己決定権(憲法13条から導出される人権のひとつ)に基づく安楽死正当化論がある。しかし、そこには、「本人の自発的な要望による安楽死から、非自発的な安楽死の強制へのなし崩し的な拡大」、すなわち「『死ぬ権利』から『死ぬ義務』への転換」(208~209ページ)という危うさが潜んでいる。いわゆる「すべり坂」(〈安楽死を〉公共政策化すると、障害などを抱えた弱い立場にある人が、本人の意思に反して、家族や社会の負担とされ、被害を受ける可能性が増大すること)への懸念である(28ページ)。別言すれば、「なし崩し的な運用」への不安である。
〇また、松田によると、自己決定の判断をするためには、「自律」(autonomy)が鍵概念となる。その点について松田は、「自律」至上主義的な考え方に対して、「自律・独立と依存は表裏の関係にある」「人間は自由にして依存的な存在」(215ページ)であることを重視する。
〇松田にあっては「自律」とともに、「健康」(health)がいまひとつの鍵概念になる。「健康」については、WHO(世界保健機関)憲章「前文」の「身体的・心理的・社会的に完全に良い状態」という定義を想起する。それに対して松田は、健康を「完全に良い状態」という静止状態として捉えるのではなく、「立ち直り、復元力、適応力」として動的に捉えることが重要であるとする(222ページ)。オランダ

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の女性医師マフトルド・ヒューバーが提唱する新しい健康概念、つまり「たとえ病気で苦境に陥ってもなんとか事態に適応し、人々の支援を受け入れ(=依存を受け入れ)、気落ちすることなくポジティヴに生きていくという健康観」(230ページ)である。

〇松田がいう「自律」と「健康」に留意しておきたい。「死」について考えることは、「生」の意味やあり方を問うことでもある。
〇次に、[2]における梶田の言説については、次の一節だけをメモっておくことにする。「尊厳死」思想に通底する根本的な言説である(見出しは筆者)。

「いのちの教育」はヒトがそこに存在していること自体を理解し承認することから始まる
「人間としての尊厳=ヒューマン・ディグニティ」という言葉は、「能力があるから」でなく、「役に立つ」からでなく、ましてや「美しいから」とか「感動を与えるから」でもなく、人間一人ひとり、そこに存在していること自体として、かけがえのない大切さがある、ということです。(「プロローグ」2ページ)
私自身と同じように、他の人も与えられた〈いのち〉を精いっぱい生きている存在なのだ、という根本的立場の同一性の認識がなくては、一人ひとりの個性や能力や社会的位置づけ等々の違いを乗り越えて互いが互いを無条件に尊重する、といった事態は生じないのではないでしょうか。(「プロローグ」3ページ)

 

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20/「まなびほぐす」ことと「誤解する権利」 
             ―鶴見俊輔に学ぶ―

〇戦後言論界の中心人物の一人であった哲学者の鶴見俊輔が、2015年7月20日に亡くなった(享年93)。雑誌『思想の科学』や「ベ平連」、「九条の会」などが思い出される。
〇筆者の手もとには、鶴見の本は3冊しかない。(1)『教育再定義への試み』(岩波書店、1999年10月。以下[1])、(2)『誤解する権利―日本映画を見る―』(筑摩書房、1959年12月。以下[2])、(3)『学ぶとは何だろうか―鶴見俊輔座談―』(晶文社、1996年3月。以下[3])、がそれである。この3冊も、他の著作と同様に、豊富なテーマや項目について自在に考えが述べられ、語られている。その思考は、拡散的思考から最終的には収束的思考(ジョイ・ギルフォード)に導かれる。とりわけ[1]では、生涯にわたって自分らしさをつくり、守るための「自己教育」論が展開される。[2]では、議論や論争は誤解のうえに成り立っていることを理解する(注①)。そして[3]では、豊かな感性と柔軟な思考、多様な他者(幅広い分野)との繋がりや関わりの重要性を思い知らされる(注②)。
〇これらから、「まちづくりと市民福祉教育」に関するいくつかの視点や論点を読み取り、今後の立論の参考にしたい。以下に、[1]と[2]から、鶴見の言説の一部を紹介する(抜き書きと要約)。

[1] 『教育再定義への試み』
教育は、連続する過程であり、相互にのりいれをする作業である。教える―教えられる、そだつ―そだてられるは、同時におこり、そして一回でおわるのでなく、その相互作用はつづいていく。(43ページ)

教育は、それぞれの文化の中で生き方をつたえるこころみである。それは、あたらしく生まれてくるものにとっては、まえからくらしている仲間をまねることからはじまる。(中略)教えようとおとながこころみるときに、相手の失敗、抵抗、逸脱などから、自分の生き方への思いなおしのいとぐちを見つけることがある。それが、教育が連続する過程であるということであり、教える―教えられるという相互的な過程であるということだ。(中略)
私の言いたいことは、今の日本は学校にとらわれすぎているということ。学校がなくても教育はおこなわれてきたし、これからもおこなわれるだろう。学校の番人である教師自身がそのことを心の底におけば、学校はいくらかは変わる。(45~46ページ)

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たくさんのことをまなび(learn)、たくさんのことをまなびほぐす(unlearn)。それは型どおりのスウェーターをまず編み、次に、もう一度もとの毛糸にもどしてから、自分の体型の必要にあわせて編みなおすという状景を呼びさました。ヘレン・ケラーのように盲聾唖(もうろうあ)でなくとも、この問題は、学校にかよったものにとって、あてはまる。最後にはみずからのもうろくの中に編みこまなければならない。これがむずかしい。今の自分の自己教育の課題となる。(107~108ページ)

教師が教師であることによって、尊敬されるべきだと考えている教師は、教育をになう条件を現代では失っている。親が親であることによって、尊敬されなくてはならないという考えも、現代では考えなおす必要がある。
生徒の前に、自分自身をもっと前に出す方法を考えたらどうだろう。(131ページ)

死ぬことの準備までを自己教育とし、人間の絶滅までを見すえて自己教育の中にいれる。(中略)自己教育の道しるべ(こざかしく言えば、措定)を、終わりに書く。
一 くらしそのものは、くらしの意識より大きい。そしてもっと重大なものを含んでいる。私自身のくらしは、私の考えをこえる重さをもつ。
二 記録にのこるわずかの数の個人を越える偉大な個人が人間の総体にいる。人間の総体は、どんな偉大な個人より偉大である。
三 専門の思想家の仕事をこえる仕事が、専門の思想家外の人の仕事にはある。教育専門家以外の人たちによって大切な教育がこれまでになされてきたし、今もなされている。(186~187ページ)

「人は生きているかぎり、今をどう生きるかという問題をさけることができない。今生きているということが、問題をつくる」(132ページ)。鶴見にあっては、そういう人生のさまざまな問題に個々人が立ち向かうときに支えとなるのが、「教育」である。すなわち、教育は、学校教育に焦点化された狭いものではなく、一人ひとりの人間の「くらしそのもの」に関わる、生涯にわたる「自己教育」である。
鶴見は言う。教育(自己教育)は、それぞれの文化のなかで「生き方」を伝える試みであり、それは「まねる」ことから始まる。また、教育は、学んだことを解(ほぐ)す――「まなびほぐす」(ヘレン・ケラーの言葉)ことであり、解したものを自分の寸法に合わせて編みなおす営みである。それによって、教育の目的である「自分らしさ」(integrity)を構築することになる。その自分らしさとは、ひとつに纏められた「全体」(total)ではなく、そっくりそのままの「まるごと」(whole)を意味する(34~43ページ)。

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〇要するに、教育は、「集団として型にはめこむ」(34ページ)ものではなく、従って教師(「教育専門家」)の専有物ではない。教育がもつ本来の姿は、すべての世代の人による教える―教えられるという相互行為のなかに、連続的に見出される。鶴見が説くところである。

[2] 『誤解する権利』
学問および評論を商売にするようになってから、とうぜんに論争の中にまきこまれることになり、いかに多くの論争が、誤解の上になりたっているかに気がつかざるを得ない。(中略)
誤解する権利と逆に、誤解される権利というものがある。われわれは、自分たちの心情を直接的にみんなに手わたしすることはできないので、何らかの行動に託して手わたしするほかない。だが、この行動というのは、ずいぶんでこぼこした形のもので、見方によってちがう仕方で光を反射し、どんな動機をその行動の背後に想定するかによって、ぜんぜんちがった意味をもつ行動として映ずる。(中略)
誤解をとくという消極的な作業は、精神衛生的によくないばかりか、客観的に無益でもある。論争という活動がもともと誤解する権利の活発な行使を前提としている以上、むしろわれわれは、誤解される権利を十分に活用して、自分で考えて意味のあると思う行動をどんどんつみかさねてゆくべきではないか。日常のつきあいの世界でも、誤解される権利をもっと活発に行使してゆくほうが、からっとした空気をつくれるように思う。(239~240ページ)

〇住民参加型のまちづくりでは、住民相互の対話や意見交換が重要な役割を果たす。ときにはそれが、議論や論争に発展することがある。それは、住民個々人の意見や見解の相違を尊重し前提にする限り、至極当然のことであり、無益なことではない。
〇鶴見は、論争は「誤解する権利」と「誤解される権利」の行使である。「誤解をとく」ことは「客観的に無益」である、という。論争は、妥協点を見つけるものではなく、争点や立場の明確化とその認識の共有化を図ることによって新しい価値を創造することに意義がある。「誤解する権利」と「誤解される権利」を活発に行使することによって、自主的・自律的を思考や行動を促すことになる。「まちづくりと市民福祉教育」に関して、鶴見の言説に首肯するところである。
〇以上を要するに、(1)まちづくりの主体形成は、住民が相互に学び―学び合う過程であり、学んだことを解(ほぐ)し、編み直す過程である。(2)まちづくりのための議論や論争は、「誤解する権利」と「誤解される権利」を活発に行使することであり、それによって新しい価値を創造する。筆者が鶴見の言説を通して学んだポイントである。
〇ところで、唐突であるが、2015年9月19日未明、安全保障関連法が参議院本会議で可決・成立し、日本の立憲主義・民主主義・平和主義に大きな傷痕を残すことにな

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った(注③)。「戦争をしない国」から「戦争ができる国」への転換である。この事態を鶴見はどのように評価し、どのように開陳したであろうか。それを読んだり学んだりすることはもはやかなわないが、いま、[1]の次の一節を思い出す。

私の息子が愛読している『生きることの意味』の著者高史明の息子岡真史が自殺した。
『生きることの意味』を読んだのは、私の息子が小学校四年生のときで、岡真史(一四歳)の自殺は、その後二年たって彼が小学校六年生くらいのときだったろう。彼は動揺して私のところに来て、
「おとうさん、自殺をしてもいいのか?」
とたずねた。私の答は、
「してもいい。二つのときにだ。戦争にひきだされて敵を殺せと命令された場合、敵を殺したくなかったら、自殺したらいい。君は男だから、女を強姦したくなったら、その前に首をくくって死んだらいい。」(170~171ページ)


① 本書は、その副題「日本映画を見る」から分かるように、「大衆映画の時評」を集成したものであり、「誤解する権利を使うことによって成りたっている」(241ページ)。
② 本書は、鶴見の対談集「鶴見俊輔座談」全10巻(晶文社)のうちの1巻である。対談者は、谷川俊太郎をはじめとする19名であるが、いずれも「学ぶ」ということを対談テーマにはしていない。ブックカバーの表紙裏書には、次のように記されている。「あたえられたものをそのままのみくだす人間になりたくない。つねに新しい自分のいまの状況のなかから考えていきたい。ああも言えるこうも言える、別の見かたがありうるというその揺れを大切にする。‥‥‥自分自身が何かを求めていることが大切なのであって、すでにそれを得たと思ってしまうのは、まずいんじゃないですか」。これが鶴見が言う「学ぶ」ということである。
また、鶴見は、本書の「あとがき」で次のように述べている。「書かないことが、書くことの中心にあり、話さないことが話の中心にある。書く当人自身が書けないことがのこり、話す当人が話せないことがのこるというだけでなく、書く当人が書かないと自分できめていることがあり、話す当人が話さないと自分できめていることがある」(441ページ)。含蓄のある言い回しである。「書いてないこと」「言わなかったこと」を心にとめるのが「学ぶ」ということなのだろう。それは、「行間」や「言外」の真意を読み取ることでもある。
③ 福澤諭吉は『学問のすすめ』で次のように述べている。付記しておきたい。

ダメな政府に対して取るべき手段
人民も政府もそれぞれの役割を果たして仲良くやっているときは申し分ないが、そうではなくなって、政府がその役割を逸脱して暴政を行うこともある。その場合、

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人民がとるべき行動は以下の三つのみである。
すなわち、信念を曲げて政府にしたがうか、力をもって政府に敵対するか、身を犠牲にして正義を守るか、この三か条だ。
第一の「信念を曲げて政府にしたがう」のは、たいへんよくない。
天の正しい道理にしたがうのは、人たる者の仕事である。なのに、その信念を曲げて、政府が作った人造の悪法にしたがうというのは、人たるものの仕事を放棄したことになる。
さらに、一度信念を曲げて、不正の法にしたがったならば、後世の子孫に悪い例を残し、天下に悪い習慣を広めることになる。(中略)
第二に「力をもって政府に敵対する」のは、もちろん一人の力でできることではない。必ず仲間が必要になる。これがすなわち内乱である。これは決して上策とは言えない。
現に戦いを挑んで政府に敵対するときは、物事の道理はしばらく放っておかれ、ただ力の争いになる。(中略)
第三の「身を犠牲にして正義を守る」とは、天の道理を信じて疑わず、いかなるひどい政治のもとで、どんなに過酷な法で苦しめられようとも、その苦痛に耐え、くじけずに志を持ち、何の武器をも持たず、少しの暴力も使わず、ただ、正しい道理を唱えて政府に訴えることである。以上、三つの策の内、この第三の策をもって上策の上とする。(福澤諭吉/齋藤孝訳『現代語訳 学問のすすめ』筑摩書房(ちくま新書)、2009年2月、96~98ページ)。

付記
鶴見の『学ぶとは何だろうか』と同じようなタイトルの本に、第27代東京大学総長を務めた政治学者の佐々木毅のエッセイ『学ぶとはどういうことか』(講談社、2012年3月)がある。佐々木は、「学ぶ」ということは、一定の時間と空間のなかで行われる人間の活動である。人間は「学び続ける動物」であり、「学びは人生と歴史の構成要素」である、と捉える。そして、「学びの4段階」ついて説いている。第1段階:事実ないし確実とされている知識や情報を「知る」こと、記憶すること。第2段階:知識や情報の内容を「理解する」こと。第3段階:事実や事実の関係とされている知識や情報を「疑う」こと。第4段階:既存の知識や情報を「超える」こと、がそれである(79~106ページ)。あえて付記しておくことにする。

 

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21/「ふだんの  くらしの  しあわせ」と「共働活動」
                 ―「協同実践」と「ふつうに  くらす  しあわせ」―

筆者が平仮名の「ふくし」(ふだんの・くらしの・しあわせ)という言葉を使い始めたのは、1990年代中頃から2000年前後にかけての時期であろうか。その直接的なきっかけは、茨城県社協主催の福祉教育セミナー(1994年2月、1998年1月、2000年1月、2001年1月)に参加したことにあるが、そこで修得したのは「ふくし」=「普通の・暮らしの・幸せ」であった。(『まちづくりと教育づくり、周辺領域からのアプローチ』市民福祉教育研究所、11ページ)

〇「地域福祉は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」といわれる。その「福祉教育」について、2004〈平成16〉年9月に全社協に設けられた「社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会」(委員長・大橋謙策)の『報告書』(2005〈平成17〉年11月発行)は、「地域福祉を推進するための福祉教育とは、平和と人権を基盤にした市民社会の担い手として、社会福祉について協同で学びあい、地域における共生の文化を創造する総合的な活動である」と定義している。この定義におけるキーワードのひとつは、「協同で学びあう」ことと「共生の文化」であろう。
〇『報告書』は、「協同で学びあう」とは、「一方的に誰かが誰かに教えるのではありません。さまざまな立場の住民が、お互いに議論し、研鑽しあうなかで、相互に気づきあうことが重要です。そのためにはフォーマルな学びの場だけではなく、たとえば日常の活動のなかにある学び(インフォーマルな側面)が大切にされる必要があります。つまり地域福祉を推進する福祉教育とは、地域のなかで教える場をつくることだけではなく、学ぶ活動を豊かにしていくことです。このことを意図した福祉教育の実践方法を『協同実践』といいます」(『報告書』、8ページ)。「共生の文化」とは、「一人ひとりのいのち(存在)が大切にされ、お互いがそれぞれの違いと存在を認めあい、何人も排除されることなく、豊かに共に生きていくことができる地域社会を創造することに価値をおき、重視する文化のこと」(『報告書』、9ページ)、と説いている。
〇ここで、『報告書』がいう「学びの場」に関して、P・H・クームス(P.H.Coombs)がWorld Educational Crisis,1968(『世界の教育危機』)において、教育の形態を大きく次の3つに分けていることを確認しておくことにする。①定型教育(formal):制度化された学校において、構造化されたカリキュラムに基づいて教師と生徒の関係によって展開される教育活動。学校型教育。②不定型教育(non-formal):定型教育(学校型教育=学校の教育課程として行われる教育活動)の外部において、一定の学習者に対して、ある学習目的を達成するために意図的・組織的に行われる教育活動。日本の「社会教育」に極めて類似した概念である。③非定

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型教育(informal):日常的な生活経験(体験)や環境によって、知識や技能などを習得する無意図的・非組織的な教育。家庭・職場・遊び場等での学びや、テレビの視聴による学びなどがそれである。
〇福祉教育とりわけ筆者がいう「市民福祉教育」は、この3つの形態の教育・学習のすべてを包摂する総合的、統一的な展開が図られなければならないことはいうまでもない。また、「共生の文化」について『報告書』は、「一人ひとりのいのち(存在)が大切にされ、お互いがそれぞれの違いと存在を認めあい、‥‥‥」(下線は筆者)と述べる。「共生の文化」は、そうした「存在」にとどまらず、一人ひとりが、そしてお互いが自分のいのちを、いま、“よりよく生きる”という「実存」を含意する、と理解したい。そうした実存を否定、排除しないのが「共生の文化」である。
〇さて、本稿では、福祉教育の推進方法のひとつとされる「協同実践」(cooperation)について考える。そこで先ず、用語について述べることにする。『広辞苑』(第6版、岩波書店、2008年)をみると、「協同」とは「ともに心と力をあわせ、助けあって仕事をすること。協心」とある。類似・関連する言葉に「共同」「協働」「共働」などがある。「共同」とは「二人以上の者が力を合わせること。『協同』と同義に用いることがある。二人以上の者が同一の資格でかかわること」、「協働」とは「協力して働くこと」、さらに「共働」については「相互作用に同じ」とし、「相互作用」とは「互いに働きかけること。二個または二個以上の事物・現象が相互に作用しあって原因となり結果となること。交互作用」と説明されている。いずれにしろ、協同は、2人以上の者が心をあわせ、助け合いながらことを行う場合に用いられる言葉であるといえよう。
〇ここで、「協働」という言葉について付言しておくことにする。「協働」は、アメリカのインディアナ大学の政治学者であるヴィンセント・オストロム(Vincent Ostrom)が1977年に刊行した著作―Comparing Urban Service Delivery Systems(『都市サービスの配達システムの比較』)のなかで、「地域住民と自治体職員とが共同して自治体政府の役割を果たすこと」を意味する言葉としてcoproduction(co「共に」、production「つくる」)という造語を用いたことを起源とする、といわれている。日本で最初にcoproduction理論が紹介されたのは、1985〈昭和60〉年12月の荒木昭次郎の論文(「公的サービスの協同生産理論モデル―その実際的適用への批判的分析と評価―」『季刊行政管理研究』第32号、行政管理研究センター、1985年、30~41ページ)においてである、といわれる。荒木は、そのなかで、「公と私のパートナーシップ」に関して「市民と市職員との協働的活動」という言葉を使っている。次いで、荒木は、1990〈平成2〉年10月、『参加と協働―新しい市民=行政関係の創造―』(ぎょうせい)を出版し、コプロダクション理論について論述する。
〇「協働」に関する英語は、こんにち、coproduction とは違った cooperation や

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collaboration、あるいは partnership などといった言葉が用いられている。その訳語としてあてられる日本語もまちまちである。また、行政と市民の連携・「協働」が叫ばれるなかで、「行政活動を市民が補完・代替する」こと、「市民活動を行政が補完・代替する」ことが問われている。とともに、一面では「協働」という名のもとで行政の「下請け化」が進行しているともいわれる。留意しておきたい点である。
〇ところで、福祉教育に関して「協同実践」という言葉・概念を最初に使ったのは原田正樹である。原田は、最近の論稿で、協同実践について次のように解説している。「福祉教育に関する一連の実践を担当者個人が担うのではなく、プロセスそのものを、複数の人間が互いにかかわり合いながら進めていくという実践方法である。(中略)さまざまな立場のメンバーがかかわりながら実践をつくり上げていくのである。実は、この異なったスタッフ同士で企画をすることから、すでにスタッフ間の『学び』が始まる。この学び合いを大切にしながら進められるプログラムでは、参加者相互の学びが大切にされる。この双方向的な『学び合う関係性』を大切にした実践の方法が『協同実践』の特徴である」(岩間伸之・原田正樹『地域福祉援助をつかむ』有斐閣、2012年、199~200ページ)。
〇要するに、福祉教育でいう協同実践とは、複数の人間(住民、市民)が地域の社会福祉問題について共有化・共通認識し、それぞれの立場の違いを大切にしながら、問題解決に向けての、双方向的な「学び合う関係性」「学びの関係づくり」(原田)を大切にした実践方法である、と理解できよう。しかし、協同実践の構造や性質をはじめ協同実践が生みだす効果やそれを成功させるための方法や条件などについては、これまで必ずしも理論的かつ具体的に言及・議論されてきたとはいえない。協同実践の方法やその研究をめぐっては、たとえば次のような疑問や課題が残る。

(1)協同実践の展開によってグループのメンバー間により親密な人間関係が形成され、 より高いレベルの積極的・主体的な活動が新たに生みだされたことをもって協同実践に特有の効果とみなすのか。
(2)協同実践ではグループの大きさやメンバーの多様性はどの程度が効果的なのか。
(3)協同実践の効果は一時的なグループにおいては現れにくいであろうが、効果を生むためのグループの継続性や凝集性についてはどう考えるか。
(4)協同実践にはさまざまな協同のレベル(同調、協調など)が存在するであろうが、それぞれのレベルに対応した相互活動はどうあるべきか。
(5)協同実践では個々のメンバーが強い主体性をもつことを認めないのか。あるいはどの範囲や程度までメンバー個々人の主体的活動を認めるのか。
(6)協同実践の展開過程におけるメンバー間の相互作用のダイナ ミックスについてどう考えるか。

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(7)協同実践において生起するであろう離合集散についてどう考え、対応するか。
(8)協同実践に必要な専門的技能(対人技能、集団技能など)とは何か。メンバーはその技能をどのように習得するか。
(9)協同実践には複数の人間がかかわり、またそれゆえに意見の調整などに多くの時間と労力を要する傾向にあることを考えると、必ずしも単独実践に比べて協同実践が効果的な実践方法であるとはいいきれない。問題の種類や内容によっては単独実践の方が効果的な場合もある。この点についてはどう考えるか。
(10)協同実践であっても、実践そのものは基本的には一人ひとりの人間のなかで営まれる。そこから、協同実践のあり方について検討する際には、一人ひとりの実践(個別性)といろいろな人たちとの実践(協同性、共同性)、そしていろいろな内容や方法の実践(多様性)という視点が必要かつ重要となる。実践の協同(共同)性を強調するあまり、その個別性とそれに基づく多様性を軽視することがあってはならない。この点についてはどう考えるか。

〇周知のように、教育界では、ノーマライゼーション理念の浸透を背景に、インクルーシブ教育の推進やそのためのシステムの構築の必要性が指摘され、「協同学習」という教授法・指導方法の理論や技法についての研究が重視されている。たとえば、アメリカでは19世紀から協同学習の活用が図られているが、日本では、2004〈平成16〉年5月に「日本協同教育学会」が設立され、「互恵的な信頼関係を基盤とした協同に基づく教育・学習環境の創造・実践・普及を通し、民主社会の健全な発展に寄与する」ための実践・研究が行われている。
〇協同実践に類似・関連する用語・概念である協同学習について、以下に2つの言説の一部を紹介する。ひとつは、デイヴィッド・W・ジョンソン(D.W.Johnson)、ロジャー・T・ジョンソン(R.T.Johnson)、イデッス・ジョンソン・ホルベック(E.J.Holubec)の言説である。D・W・ジョンソンらによると、「協同学習とは、スモール・グループを活用した教育方法であり、そこでは生徒たちは一緒に取り組むことによって自分の学習と互いの学習を最大に高めようとする」ものである。「協同学習の場面では、生徒たちの目標達成のしかたは相互協力関係になっている。すなわち、生徒たちはグループの他の生徒も一緒に目標を達成した時だけ、自分たちの目標に到達できたと考えるようになっている」。「競争学習と個別学習は、それらが適切なものである限りは協同学習を補完してくれる」のであり、「3つの学習事態のうち協同学習がもっとも重要である」(D・W・ジョンソンほか、杉江修治ほか訳『学習の輪―アメリカの協同学習入門―』二瓶社、1998年、18~20ページ)。
〇そして、D・W・ジョンソンらは、「協同学習」と「旧来のグループ学習」のそれぞれがもつグループの特徴の違いを次のようにまとめている。協同学習グループは、①相互協力関係がある、②個人の責任がある、③メンバーは異質で編成、④リ

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ーダーシップの分担をする、⑤相互信頼関係あり、⑥課題と人間関係が強調される、⑦社会的技能が直接教えられる、⑧教師はグループを観察、調整する、⑨グループ改善手続きがとられる。旧来の学習グループは、①協力関係なし、②個人の責任なし、③メンバーは等質で編成、④リーダーは指名された一人だけ、⑤自己に対する信頼のみ、⑥課題のみ強調される、⑦社会的技能は軽く扱うか無視する、⑧教師はグループを無視する、⑨グループ改善手続きはない(32ページ)。すなわちこれである。
〇いまひとつは、関田一彦・安永悟の言説である。関田らは、「協同学習とは協力して学び合うことで、学ぶ内容の理解・習得を目指すと共に、協同の意義に気づき、協同の技能を磨き、協同の価値を学ぶ(内化する)ことが意図される教育活動」である、とする。そして、次の条件を満たす(または、満たそうと意図される)グループ学習を共同学習と定義したいとして、4項目(条件)を指摘する(関田一彦・安永悟「協同学習の定義と関連用語の整理」『協同と教育』第1号、日本協同教育学会、2005年、13~14ページ)。

(1)互恵的相互依存関係の成立
クラスやグループで学習に取り組む際、その構成員すべての成長(新たな知識の獲得や技能の伸長など)が目標とされ、その目標達成には構成員すべての相互協力が不可欠なことが了解されている。
(2)二重の個人責任の明確化
学習者個人の学習目標のみならず、グループ全体の学習目標を達成するために必要な条件(各自が負うべき責任)をすべての構成員が承知し、その取り組みの検証が可能になっている。
(3)促進的相互交流の保障と顕在化
学習目標を達成するために構成員相互の協力(役割分担や助け合い、学習資源や情報の共有、共感や受容など情緒的支援)が奨励され、実際に協力が行われている。
(4)「協同」の体験的理解の促進
協同の価値・効用の理解・内化を促進する教師からの意図的な働きかけがある。たとえば、グループ活動の終わりに、生徒たちにグループで取り組むメリットを確認させるような振り返りの機会を与えるのである。

〇ところで、筆者はこれまで、原田がいう「協同実践」に替えて、「共働活動」(coaction)という用語を使ってきた。そして、それは、グループのメンバーによって共有化された目標のもとで、各メンバーが主体的・自律的に参加して行う協同(共同)活動を意味する。その本質は、メンバー間の対等で平等な人間関係と、一体的・組織的かつ柔軟な活動を展開するための相互依存・補完・協力の相互作用にある。要するに、共働活動とは、多様な個人や集団が共生関係を形成し、多面的な

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相互作用によって社会的統合や融合を達成していく過程で展開される協同(共同)活動をいう、と述べてきた。しかし、この説述は必ずしも、説得的で、明確であるとはいえない。前述の「協同実践」に関する疑問や課題、D・W・ジョンソンや関田一彦らの言説などについて考察するなかで、共働活動の内容や特質について検討することが求められる。それは、市民福祉教育の理論と実践の展開と発展・深化を促すことになろう。
〇誤解を恐れずにあえて言えば、「共働」は、平面上に2つの円を描いた場合、「2点で交わる」2つの円の重なった部分を指すのではない。「外部にある」2つの円の両方に重なる、新たな(3つ目の)円を描き、そこで営まれる相互支援・相互補完・相互実現のための活動が「共働」である。別言すれば、それぞれの土俵(2つの円)に軸足をおきながらも、新たな土俵(3つ目の土俵)を造り、その同じ土俵に上がって両者ががっぷりと組み合い、相撲をとる。そんなイメージであろうか。

補遺
「ふつうに・くらす・しあわせ」について、清水将一の次の説述を紹介しておくことにする(清水将一『ボランティアと福祉教育研究』風詠社、2021年6月、118~122ページ)。

 

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22/「共感」とは心に人を住まわせること 
             ―金森俊朗を読む―

〇金森俊朗(かなもり・としろう)が2020年3月に亡くなった(享年73)。金森は、1969年3月に金沢大学教育学部卒業後、石川県内の小学校(小松市立小学校1校、金沢市立小学校7校)で38年間教鞭をとった。1990年前後から本格的に、「いのちの授業」(「性の授業」「デス・エデュケーション」等)に取り組んだ。それは、教育界のみならず医療や福祉の世界でも全国的に注目を集めるようになる。
〇金沢市立南小立野(みなみこだつの)小学校4年1組の「金森学級」(35人、10歳の子どもたち)が、2002年4月から1年間、NHKテレビの長期取材を受けた。それが翌2003年5月、「NHKスペシャル・こども輝けいのち 第3集・涙と笑いのハッピークラス~4年1組 命の授業~」というタイトルで放映された。それは、多くの人々の感動を呼び、国際的にも高く評価された。
〇筆者の手もとに、金森の「いのちの授業」(教育実践とその思想)に関する本が8点ある。以下がそれである。

(1)NHK「子ども」プロジェクト『NHKスペシャル こども 輝けいのち/4年1組 命の授業―金森学級の35人―』日本放送出版協会、2003年9月(以下[1])
NHK「子ども」プロジェクトの取材記録である。そのときのディレクターは言う。「放送後、5年生になったみんなと会う機会があった。番組を見たみんなの気持ちは、たぶん陽くんの言葉が一番うまくまとめている。『おもしろかった。たしかにおもしろかったけどな、オレらの1年間はもっと重たいもんやで』。ぐうの音も出なかった」(156ページ)。続けてディレクターは、「学校が持つ可能性、そして子どもたちが本来持っている力は、まだまだ捨てたものではないはずなのだ。実は私は、(全国の学校に)そのことを伝えたかった」のである、と言う(157ページ)。

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(2)金森俊朗『いのちの教科書―学校と家庭で育てたい生きる基礎力―』角川書店、2003年10月(以下[2])
金森学級では、①給食の一限目、食材の一つひとつと丁寧に向かい合う。②“包”むという漢字から、母親の心を学ぶ。③友だちの家族が亡くなったら、共に死を考える。④父母、祖父母に話を聞いて、自分史を人体図にまとめる。⑤末期ガンの患者や障がい者と、じかに語り合う。⑥どろんこサッカーや川への飛び込み、自然のなかで激しい遊びをする。⑦日々の気持ちは仲間に宛てて、「手紙ノート」に書く。これらによる「いのちの学び」は、学校と家庭で育てたい「生きるための基礎力」である、と金森は言う(カバー「そで」)。
(3)NHK「子ども」プロジェクト編『NHKスペシャル こども・輝けいのち:ジュニア版2 涙と笑いのハッピークラス』汐文社、2004年6月(以下[3])
[1]のジュニア版である。金森学級の朝は、「手紙ノート」から始まる。毎日3人ずつ交代で、クラスメイトに宛ててノートに手紙を書く。家で書いてきたその手紙を、みんなの前で読んで聞かせる。テーマは「なんでもいい」。金森は言う。「みんながやったのは、自分をわかってもらって、そして友だちをわかろうという、そういうわかり合う努力でした」(99ページ)。金森授業の核心のひとつは「つながり合う」である。
(4)金森俊朗『希望の教室―金森学級からのメッセージ―』角川書店、2005年4月(以下[4])
本書では、どこの地でも、誰でも実践しうる基本的な日常の学びが提示される。金森は言う。「私はあえて『ガキはガキらしくせい』と繰り返し言い続けた。この場合の『ガキ』とは、もっと自分にこだわり、わがままを通そうとして激しくぶつかってもいい、一見『馬鹿げたフェスティバル文化』(ボディー・コミュニケーションの遊びや活動)をいつでもどこでも展開していいよ、との意味を込めて使ったことばである」(249ページ)。
(5)金森俊朗『子どもの力は学び合ってこそ育つ―金森学級38年の教え―』(角川oneテーマ21)角川書店、2007年10月(以下[5])
「子どもたちもいっぱい悩みを抱えている」。「どのような親・教師・学校が子どもの生きる力を育てるのか」。その問いに対して金森は、「これからは、危険や災害を見通し、備える力・いざというとき瞬時に判断する力・人と人とをつないで協力する力・困難の中でなけなしの条件を引き出す力が必須である」。それらの力=真の学力は、学び合ってこそ育つ。本書では、その力を習得、発揮するための具体的なプロセスを開示する(「帯」)。
(6)金森俊朗『金森俊朗の子ども・授業・教師・教育論』子どもの未来社、2009年1月(以下[6])
金森にあっては、「子どものリアリティから学び、人間を深く捉える」。「子どものなかに社会や時代を読む」ことが、教師としての最低要件である。「子どもの内面世界を無視した外からの『モラル』『規範意識』の徹底に、子どもたちはストレスや悲しみを自他いずれかに向かって爆発させる。社会と時代の痛みを共に背負う

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深い人間的な共感があってこそ、働きかけの厳しさは子どもに受容され、力につながる」のである(294、295ページ)本書では、金森授業の教育観と哲学、実践の神髄が語られる(「帯」)。
(7)金森俊朗『「子どものために」は正しいのか』(学研新書)、学研教育出版、2010年10月(以下[7])
「子どものために」という親心が子どもを追い詰めている? 子どもの個性は、「できること」にしか認められず、「できたか、できなかったか」の成果主義評価の下で悩む現代の子どもたち。厳しい現実を生き抜くために、今本当に必要な力とは?(カバー「そで」)。この問いに対して、「金森学級には理想の子どもたちがいる」と言う。①年間数千ページの本を読む。②外で友たぢと豊かに関わり遊ぶ。③家族と自分、仲間を大切にする。④高度な言語力と思考力れをもつ、がそれである(「帯」)。
(8)金森俊朗・辻直人『学び合う教室―金森学級と日本の世界教育遺産―』(角川新書)、KADOKAWA、2017年4月(以下[8])
金森にあっては、子どもは「自ら学び、友と学び合う」ことこそが「生きる力」であると分かっている。金森学級では、子どもたちが「学ぶ力」だけでなく、仲間と学び合う、競争社会を超える「生きる力」を身につける。その金森実践の根底・源泉には、日本の教育史上で“非主流”とされてきた生活綴方教育・生活教育がある(カバー「そで」)。共著者である辻は、その歴史や理念について説述し、それに基づく金森実践の本質に迫る。生活綴方教育・生活教育は「世界教育遺産」として誇られるものであり、今日の教育状況のなかでこそ、その教育が大きな意味をもっている、と辻は言う。

〇本稿では、以上から、筆者が注目したい金森の子ども観や教育観、教育実践とその思想などをめぐって、視点・視座や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「つながり合う」と「生きる希望」
生きるということは、仲間と「つながり合う」ことである。([2]12ページ)/子どもたちが何よりも求めているのは、学ぶことの喜び、友と学び合う楽しさ、学ぶことの意義を実感することである。/それをひと言で、「生きる希望」と呼ぶ。学校は、生きる希望や夢を学ぶことによって、横並びの関係性([8]116ページ)のなかで学び合うことによって、子どもを育む場である。/この「仲間と共に希望を育む学び」に力を入れることは、決して「学力」に重さを置く教育と対立するものではない。それを内に含みつつ、はるかに超えて、生きる力に直結した言語能力や思考能力を育てていく。それが、確かな学力ともなる。/今の教育改革は、子どもを集団からばらばらにして、競争させ、自己肯定感を奪い、一緒に生きよう! という「共同の思想」をつぶすものである。([2]16ページ)

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「学び合う」と「いのち輝く」
学力とは、自分と自分を取り巻く世界を読み解き、それを自分のことばで表現し、他者に伝え、交流し合う力である。その学力は、自分の存在やこれから生きる社会や自然にどのような希望があるかを見出す力として発揮されなければならない。([4]166ページ)/(すなわち)自分の真実を知り、感動した心を自分のことばで表現し、他者に伝え、伝えたことによって、返ってきた他者の考えに耳をすませ、さらに確かなものにする。つまり、交流し合う力があって初めて学びが得られるのであり、その交流し合う力まで含めて「学力」と呼ぶ。/(そこから)教育とは、自分が深くわかる、つまり人間を理解するということが、その目的であると言ってよい。それは、「いのち(が)輝く」ことであり、そのために一番大事なことは、本物の生きざまに触れ、生の大切さを学び([2]23ページ)、人間の存在の尊厳を学ぶという視点を持つことである。([5]139ページ)

「子どもの生命力」と「生活教育」
教育とは、子ども(人間)が内に持っている成長・発達の可能性を引き出し、大きく育む営みである。([8]20ページ)/現代の子どもも、動物・哺乳動物としての原始性・野性・動物性を心身の奥に秘めている。([8]26ページ)/それは、過酷な条件のなかでも生き抜くことができる逞(たくま)しい心身の力であり、生活意欲や、命の危険を察知・予知し危険を乗りこえたり、避けたりする力である。五感を中心とする鋭い感覚や感性などを意味する。([8]30ページ)/それらが全面的に発揮される時と場所を保障すれば、子どもはまちがいなく、全身、全運動・感覚器官から喜びを放射し、友とつながり、生活意欲を高める。それは、学習意欲、表現意欲・表現力、好奇心、集中力,切り替える力などを高める。([8]37ページ)/その可能性を大きくきり拓(ひら)く教育の中心柱は、生活綴方教育であり、その土台をなす生活教育である。([8]44ページ)/生活綴方教育とは、生活のありのままの様子や日頃の思いを素直に記録することを追求した作文教育である。([8]171ページ)/生活教育とは、子どもの生活実感や経験、日常生活における場面を大事にして行われる教育実践である。([8]185ページ)

「キャッチャー」と「ピッチャー」
教育実践はもちろん、子どもに関わる仕事をしている人たちは、「キャッチャー」である。子どもは「ピッチャー」で、さまざまな球を投げてくる。([4]7~8ページ)/人間が生まれて生きるのは、それぞれが幸せになるためである。そのために学校があり、人間は学び合っている。/「仲間と一緒にハッピーに生きようぜ!」。([5]173ページ)/その思いを実現するために、大人はキャッチャーになって、子どもがピッチャーとして投げる好奇心、日々の生活からの学び、内面の喜怒哀楽を全人格と全人生をかけて受け止め、豊かに返球する。すなわち、子どもに根ざした意味ある学びと生活を創造することが大切である。/「豊かな返球」の

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なかでも、特に大切にしていて特徴的なのは、フェスティバル文化論である。学習や行事は、人と人とをつなげ、フェスティバルのように楽しく感動的でなければならない。([5]173~174ページ)

「ボディー・コミュニケーション」と「馬鹿げたフェスティバル文化」
「(土砂降りの雨が降った日、泥水のなかに飛び込む)どしゃぶりどろんこ」「(運動場に書いたS字の陣地を、片足跳びなどで移動しながら取り合う)エスケン」「(厳冬期のプールでの)イカダ乗り」「(田んぼでの)米作りや農園作り」「障がい者や妊婦・末期がん患者らとの交流体験」など、「もの・こと・人・自然とのボディー・コミュニケーション(体感・体験)」の活動([8]32ページ)は、一年間で多彩に展開する。/「どしゃぶりどろんこ」や「エスケン」「イカダ乗り」を典型とする活動をあえて、「馬鹿げたフェスティバル文化」と呼ぶ。([4])245ページ)/一見「馬鹿げた」文化は人間が持つ攻撃性を発散させたり、豊かに育むために必要なものである。とりわけ子どもにとって、その文化は、人間が本性として持つ攻撃性を、積極性や挑戦心や人や自然と交わる力に転化し、育む大きな役割を持っている。([4]247ページ)/一見「馬鹿げた」文化は、本来子どもたちに、子どもであるがゆえに無条件に保障されるべきものである。([4]248ページ)

「共感」と「共育・響育・協育」
心拓(ひら)いてわかってもらえる努力をし、それを聞いた側がキャッチする。その時に、それを批評しない、分析しない。自分のなかにある同じ悲しみ、痛み、悩みを語る。それによって一緒に担って一緒に歩いていこう、友だちのなかに自分を、他者のなかに自分を、自分のなかに他者を発見し合って生きる。それが「共感」である。いま、その関係性を築くことが求められている。(「6」60ページ)/そこから、教育は「共育」「響育」「協育」と言い換えてもよい。([8]252ページ)/「全人格と全人生(を)かけて聞かなきゃ言ってくれない」「聞いてくれる人、聞いてくれる仲間がいれば言う」。/心の世界、「聞いてくれる人」、授業でも同じである。心の世界になるともっと、とことん聞いてくれる人にしかしゃべらない。心の扉は外側から引っ張っても、開けようとしても開かない。本人が内側から開けてくれないと。心の扉は内側にしか取っ手がないのである。(「6」100ページ)/その点でまた、教育は、子どもを通して浮き彫りになる保護者の実像に、深く共感する営みである。保護者や地域の積極的な応援・協力を必要とする。そこから、子どもと保護者、そして地域が協働して「学び」を創るために、教師の人間性や専門性、市民性や社会性が問われることになる。(「6」286、287~288ページ)

〇金森の「いのちの授業」はシンブルであり、根源的である。約言すれば、「いのち」には何の約束も保証もない。しかも、一回限りである。子どもたちは、さまざ

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まな「生」や本物の「生きざま」に直に触れ、自ら学び、多くの友だちや大人との「つながり」のなかで学び合う。それによって、「生きている自分」と「生かされている自分」に出会い、人間の多様な存在と個人の尊厳について理解する。そして、自分らしく、またみんなが輝いて生きる喜びを実感する。「金森実践」は、こうしたことを子どもの心に「原風景」として刻み、「生きる希望、源泉」([7]204ページ)を育むのである。そこに見出すキーワードは、「いのちと生活」「表現と共感」「学び合いと感動」であり、それらに通底するのは「つながり合う」である。
〇本稿の冒頭に記したNHKの番組では、奥深い、感動的な学びの場面が多い。2003年2月、金森学級では、「いのちの授業」が続いていた。そんなある日、翼(つばさ)くんの父親が突然に亡くなった。光芙由(みふゆ)さんは、3歳の時に父親を奪われた。3月20日、金森学級の「しめくくりの会」(「お別れ会」)の日の様子である([1]152~153ページ、[3]96~98ページ)。金森実践の真骨頂を見る。

クラスのみんなは一人ひとりが板きれを持って運動場に集合した。光芙由と翼のお父さんに手紙を書くためだ。2メートル四方の大きな文字を運動場に刻む。
どのように手紙を出すかについて、はじめは気球に乗せて空に飛ばすという案も出されたが、時間的に間に合わないということもあり、「天国からでも見えるような」大きな手紙ノートを書くことになったのだ。
運動場の土は、思ったより硬くなかなか掘れない。「と」や「ち」など画数が少ない文字を掘り終えた子は、漢字に苦戦している仲間の応援に加わった。
手紙ノートの文章は、健太(けんた)が中心となって考えた。
光芙由のお父さんも翼のお父さんも若くして亡くなった。光芙由や翼をどんなに心配していることだろう。考えに考え抜いた言葉は、結果として、金森学級みんなの誓いの手紙となった。

光芙由と翼のお父さんへ
二人はいつも元気だ
私たちがそばに
いるから安心してね

書き終わった後、みんなでいっしょに、この手紙ノートを読みあげた。祐人(ゆうと)がぽつりとつぶやいた。
「死んでしまったら普通の手紙は届かないけど、心の手紙はきっと届くと思う」

 

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23/「無縁社会」×「統制社会」 
             ―奥田知志を読む―

「“助けて”と言えない無縁社会」×「“違った意見”が言えない統制社会」。気がつけば民主主義が民主的な手続きによって内側から壊れている。

〇2018年11月24日~25日、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第24回大会(「あいち・なごや大会」)が日本福祉大学(愛知県東海市)で開催された。
〇奥田知志(おくだ・ともし、牧師、NPO法人抱樸理事長)の記念講演―「共に生きる意味」と、それを受けて行われた大橋謙策(おおはし・けんさく、北福祉大学大学院教授、元日本社会事業大学学長)との対談―「共生文化の創造にむけた学び」は圧巻であった。宗教や実践・研究の体系を持つヒトは強くて深い。聞き手は感銘を受け、心が揺さぶられる。
〇周知のように、奥田は、生活困窮者(ホームレス等)に対して、信仰(神学)に支えられた深い洞察とそれに基づく個別的で包括的かつ持続的な「人生支援」を行っている。奥田はいう。「自己責任論の社会が私たちから奪ったものがある。それは『助けて』という一言である」(奥田知志『「助けて」と言おう―3・11後を生きる―』日本キリスト教団出版局、2012年8月、37ページ)。大橋は、地域福祉の理論と思想、方法(コミュニティソーシャルワーク)、そして福祉教育について実践的研究を進めている。大橋はいう。「新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる」(大橋謙策『新訂 社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、227ページ)。
〇筆者が奥田を知ったのは、NHKクローズアップ現代取材班編著『助けてと言えない―いま30代に何が―』(文藝春秋、2010年10月)である。その本の「帯」の一文、「言えない/孤独死した39歳の男性が便箋に残した最後の言葉は『たすけて』だった」に衝撃を受けたことを覚えている。いま筆者の手もとに、奥田が執筆した本(単著、共著、分担執筆)が6点ある。

(1)奥田知志『もう、ひとりにさせない―わが父の家にはすみか多し―』いのちのことば社、2011年6月(以下[1])
本書の内容をあえて言えば、「絆の神学」とも言うべきであろうか。しかし、それは空論ではなく、具体的な「ホームレス」との出会いの中から紡(つむ)ぎだされた「絆の物語の神学」である。この時代に「だれ」と、どのような「絆」を結んで生きるのかと、この本は問いかけている。(関田寛雄「推薦の言葉」6ページ)

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(2)奥田知志『「助けて」と言おう―3・11後を生きる―』日本キリスト教団出版局、2012年8月(以下[2])
震災以来声高に叫ばれ続ける「絆」という言葉。しかし多くの場合、そこで意味しているのは自分に都合のよい絆のこと。ホームレス支援の現場と震災支援の中で見えてきた、傷つくことを恐れて自己責任論の中に逃げ込む現代人の心のあり方を問う。(「帯」より)
(3)奥田知志・茂木健一郎『「助けて」と言える国へ―人と社会をつなぐ―』(集英社新書)集英社、2013年8月(以下[3])
ホームレスが路上死し、老人が孤独死し、若者がブラック企業で働かされる日本社会。人々のつながりが失われて無縁社会が広がり、格差が拡大し、非正規雇用が常態化しようとする中で、私たちはどう生きればよいのか? 本当の“絆”とは何か? いま最も必要とされている人々の連帯とその倫理について、社会的に発信を続ける茂木健一郎と、長きにわたり困窮者支援を実践している奥田知志が論じる。対談本。(カバー「そで」より)
(4)佐藤彰・奥田知志・宋富子/明治学院150周年委員会編『灯を輝かし、闇を照らす―21世紀を生きる若い人たちへのメッセージ―』いのちのことば社、2014年3月(以下[4])
本書は、明治学院150周年記念連続講演会(2013年11月、明治学院高校主催)を再録したものである。奥田の講演「その日、あなたはどこに帰るか?―誇り高き大人になるために」が収録されている。メッセージは、「誇り高い人類として生きたいのならば、『助けて!』と言ってください。『助けて!』は、新しい社会を創造するために欠かせない言葉です」。(77ページ)
(5)奥田知志・稲月正・垣田裕介・堤圭史郎『生活困窮者への伴走型支援―経済的困窮と社会的孤立に対応するトータルサポート―』明石書店、2014年3月(以下[5])
奥田知志によって名づけられた「伴走型支援」の思想・理念・仕組みを確認するとともに、その成果と課題を実証的に明らかにしたうえで、これからの生活困窮者支援の方向性を示す必要があると考えた。それが本書である。(稲月正「はじめに」4ページ)
(6)埋橋孝文/同志社大学社会福祉教育・研究支援センター編『貧困と生活困窮者支援―ソーシャルワークの新展開―』法律文化社、2018年9月(以下[6])
本書は、①「伴走型支援」の内容、②家計相談支援の意味と方法、③学校ソーシャルワークの背景と機能、④保育ソーシャルワークの今後の方向性など、生活困窮者および(子どもの)貧困に関するホットイシューズを取り上げている。講演記録集。(埋橋孝文「序」3ページ)

〇本稿では、以上のうちから、[1]の論考について筆者が留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

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「一人称」で語られる「安心・安全」は人を無縁へと押しやる
「安全、安心の街づくり」とは、いったい何であったのか。そもそもホームレス状態の人々を「タイプの違う人」と呼び、「治安や秩序が乱れる」と決めつけているのは差別である。「安全、安心の街づくり」が人を排除し、その人たちを死へと向かわせている。「安心・安全」が、人を無縁へと押しやっているのである。
あえて問いたい。「安心・安全はそんなに大事か」と。自分たちの「安心・安全」を追求する地域社会が、「自分の安心・安全」を守るために他者との出会いのチャンスを自ら閉ざし、敵対心を燃やす。あるいは、それを理由に無関係を装う。(92ページ)
実際の「安心・安全」は、常に「一人称」で語られる。私の安心・安全、我が町の安心・安全、我が国の安心・安全、我が家の‥‥‥。そこには、あなたの安心・安全や彼らの安心・安全は存在しない。全部が「我がこと(一人称)」なのだ。
そもそも人が出会い、共に生きようとする時、人は多少なりとも自分のスタイルやあり様を変えざるを得なくなる。すなわち、自らの都合を一部断念せざるを得なくなる。出会いというものは、その意味で自分の「安心・安全」のみを願う私たちにとって、「危険」だと言わざるを得ない。出会いによって人は学ぶ。そして学ぶと、人は変えられ、新たにされる。(93ページ)

「自己責任論」は社会の無責任を肯定し人を分断・排除する
自己責任論社会とは、困窮状態に陥ったその原因も、またそこから脱することも、すべては本人次第、本人の責任であるという考え方である。現在の社会は、この自己責任論に席巻された感がある。(162~163ページ)
自己責任論の構造は、ある人に関する責任を、ある一定の範囲に押しとどめて理解するというものである。自己責任、あるいは身内の責任は、自分自身、あるいは家族という一定の範囲に責任を押しとどめた。その結果、周囲は無責任を装えたのだ。「自己責任論」は、社会の無責任を肯定するための理屈だった。
自己責任論的な構造は、日本社会においては以前からあったと思う。しかし、当時成長を続ける社会というものが前提として存在していたゆえに、がんばればチャンスを手に入れられるという時代でもあった。すなわち、個人のがんばりが効く時代であった。自己責任という言葉は、教育的な面も含め、ある程度の意味があったのだ。
しかし、現在のような低成長期において、企業社会や家族的経営と呼ばれたものは崩壊し、終身雇用制は原則ではなくなった(賃金労働者の4割が非正規雇用である:阪野)。公の行う社会保障も先細るなかで、自己責任は「励まし」ではなく、人を分断、排除するための用語となった。(168ページ)

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「孤族」の時代は「何が必要か」とともに「だれが必要か」を問う
ホームレス支援において重要なのは、「ハウスレス」と「ホームレス」という、2つの困窮という視点である。ハウスレスは家に象徴される、食糧、衣料、医療、職などあらゆる物理的(・経済的:阪野)困窮を示す。もうひとつは、ホームレス。それは、家族に象徴されてきた関係を失っている、すなわち関係的困窮(無縁:阪野)を言う。税制と社会保障の一体的改革は、ハウスレス問題にとって重要な課題である。経済の動向がこの先どのようになるのか。労働者の権利がどのように守るのかなど、課題は山積である。しかし一方で、たとえ食べられるようになったとしても、だれと食べるのかという問題は、さらに重要な事柄なのだ。
この視点に立ち、野宿者支援をしてきた私たちが考え続けたことは、この人には今何が必要か、ということとともに、この人に今だれが必要か、ということであった。そして今日、このホームレス問題は、野宿状態という物理的困窮の有無にかかわらず、多くの人々が抱えている問題となっている。(171ページ)
「無縁社会」や「孤族」の時代は、ホームレス問題がもはや路上の問題ではないことを明示している。このホームレス化を促進したもの、その最大の要因が「自己責任論」であったと思っている。(172ページ)

「傷」つくことなしにだれかと出会い「絆」を結ぶことはできない
自己責任社会は、自分たちの「安心・安全」を最優先することで、リスクを回避した。そのために「自己責任」という言葉を巧妙に用い、他者との関わりを回避し続けた。そして、私たちは安全になったが、だれかのために傷つくことをしなくなり、そして無縁化した。
長年支援の現場で確認し続けたことは、絆には「傷」が含まれているという事実だ。(209ページ)
傷つくことなしにだれかと出会い、絆を結ぶことはできない。出会ったら「出会った責任」が発生する。だれかが自分のために傷ついてくれる時、私たちは自分は生きていてよいのだと確認する。同様に、自分が傷つくことによってだれかがいやされるなら、自分が生きる意味を見いだせる。自己有用感(自分は人の役に立っているという意識:阪野)や自己尊重意識にとって、他者性と「きず」は欠くべからざるものなのだ。(210~211ページ)
「傷つくという恵み」――国家によって犠牲的精神が吹聴された歴史を戒(いまし)めつつ、今こそ他者を生かし、自分を生かすための傷が必要であることを確認したい。(211ページ)

〇言うまでもなく、民主主義の存立基盤は「参加」「熟議」「自治」であり、「多数決」はそのひとつの要素でしかない。民主主義イコール多数決ではない。
〇日本社会はいま、福祉や教育の世界においても、規制緩和や市民参加(「我が事・丸ごと」等)が声高に叫ばれるなかで、民主主義の崩壊が進み、国家権力によ

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る管理・統制が強化されている。「地域参加による学校づくりのすすめ」(「コミュニティ・スクール」等)や市民によるまちづくり(「地域福祉計画」等)の「主体性」や「自律性」も所詮は、規制緩和と同時並行的に管理・統制の変更や強化が図られるなかでのものに過ぎないのか。こうした社会認識のもとで改めて[1]を読むと、奥田らの地べたを這いずり回り、血がにじむ取り組みにただただ頭が下がる。とともに、日本社会の危うさを痛感する。
〇福祉教育についての議論は、「学会」の界隈だけにあるのではない。個別具体的な実践や研究が展開されている福祉教育現場こそが重視されなければならない。「学会」は、最新の福祉教育実践や研究の成果を持ち寄り、多面的・多角的な視点から議論し、実践・研究の深化や発展を図る“現場”である。その“現場”ではいまだに、(岡村重夫や大橋謙策らの)権威ある学説を無条件に受け入れたり、眼前の地域・社会や新たな社会福祉問題に向き合おうとしない「報告」が散見される。高齢者や障がい者、生活困窮者、外国籍住民などを福祉教育実践や研究の「共働者」ではなく、言い古された「当事者」として位置づけるモノも多い。また、気鋭の実践家や研究者による実践・研究の学際的・総合的視点からの掘り起こしやブラッシュアップ(磨き上げること)も、必ずしも十分であるとは言えない。「あいち・なごや大会」に参加して思ったことのひとつである。

補遺
奥田の言説のキーワード・キーコンセプトのひとつに「伴走型支援」がある。奥田によるとそれは、「1988年にホームレス支援が始まり、以来、路上での生活やその後の看取りまで続く営みのなかで生まれた支援論である。学者が豊富な知識を駆使して構築した体系ではない。日々の経験が積み重ねられ、何よりも当事者から学ぶなかで澱(おり。液体の底に沈んだカス:阪野)が沈殿していくようにできた支援論である」([6]27ページ)。奥田は、生活困窮者支援における「伴走型支援の7つの理念」について次のように整理している。([5]56~72ページ抜き書き)
(1)家族(家庭)機能をモデルとした支援
家族(家庭)が持っていたと想定される機能に、①包括的、横断的、持続的なサービス提供機能、②記憶の蓄積と記憶に基づくサポートプラン策定機能、③持続性のあるコーディネート機能、④役割の担い合いによる自己有用感提供機能、がある。伴走型支援は、これらの家族(家庭)機能をひとつのモデルとした支援である。
(2)早期的、個別的、包括的、持続的な人生支援
伴走型支援は、生活困窮者が社会的に孤立状態にあり、しかも多様で複合的な課題を抱えているとの認識に立つがゆえに、早期的、個別的、包括的、持続的な支援でなければならない。それは「自立支援」にとどまらず、「人生支援」である。

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(3)存在の支援
伴走型支援は、従来の問題解決型の「対処・処遇の支援」に加えて、「伴走そのもの」を支援とする。伴走者と当事者が、向き合うこと、関係すること自体が支援である。
(4)参加包摂型の社会を創造する支援
伴走型支援は、徹底して個人に寄り添うことから始まる。当然の帰結として、社会や地域を問うことになる。困窮者支援は、経済的困窮状態にあり、社会的に孤立した「個人の社会復帰を支援する」といわれるが、問題の本質は「そもそも復帰したい社会であるかどうか」というところにある。
(5)多様な自立概念を持つ相互的、可変的な支援
伴走型支援は、生活自立や社会参加を基軸とした社会的自立、経済的自立など多様な自立概念から構成される。伴走は、助けられたり助けたりという相互的な関係である。また、助けられた者が助ける側に変われる可変性が担保されなければならない。
(6)当事者の主体性を重視する支援
伴走型支援は、当事者が自分で自分を助ける力を得ることである。当事者は「できない人」ではなく、「自分を助けることができる人(になる)」との認識に立つ。「まず自助、次に共助、最後に公助」という順番が重視されるが、自助は、公助や共助が適正に機能している状況において成立する。
(7)日常を支える支援
伴走型支援は、人生支援である。そして人生の大半は、なにげない日常である。伴走型支援は、この日常を支える支援である。伴走型支援は、「日常は問題が起こる場所である」という認識に立ち、日常を支える参加包摂型社会の構築をめざす。

 

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24/「定常型社会」と地域コミュニティ 
             ―広井良典の「定常型社会論」について―

〇地方で暮らす筆者にとって、年度替わりが近づくと、心臓が規則正しく鼓動し肺でゆっくりと呼吸をする「静かな時間」が、多少とも揺らぐ。過日、地区の高齢者の寄り合いに参加した際、求めに応じて自分の意見を開陳することになった。話の途中で、寄り合った人たちの心模様が頭をよぎった。「空気」が支配する地域コミュニティのなかで、①歴史や文化の継承・発展や経済や生活の拡大・成長に貢献してきたという思いから、昔ながらの「つながり」(関係性)にこだわり、その制度やシステムを守ろうとする人がいる。②なるようにしかならないという思いから、ひとまず様子見して大勢に従い、いまの「つながり」をやむなしとして、それらしく振舞う人がいる。③精神的な豊かさや生活の質的充実を志向・実現したいという思いから、その時の流れやその場の力関係に異を唱え、新しく「つながり」を組み換えようとする人がいる。
〇今回の寄り合いも、何代にもわたって住み続けている①の圧勝、外部から移住してきた移住一代の③の惨敗で終わった。旧住民であれ新住民であれ、自らを「一般住民」や社会的地位(階層)の中位層に位置づけている②はいつも、賢い処世術で利口に日和る(ひよる)。これが、筆者が暮らす地方都市(人口約8万8,000人、過疎区域含む)の中心市街地の周辺地域(地区)の現実である。
〇蛇足ながら筆者は、「梯子(はしご)を外される」(梯子はかかっていなかった)、「出る杭(くい)は打たれる」(出る杭は抜かれる)ことを二度三度、経験した。。さすがに「あほらしくってやってらんねーよ」。いまだに「世間」の「空気」が読めない自分がいる。そうであっても、「我がまち・我がこと」(さすがに「丸ごと」とはいかないが)である移住一代(筆者)が住むこの地域・社会は、持続可能か?
〇いま、ここで、これまでの自分とこれからの自分を精一杯生きるしかない。そんなことを思いながら、「定常型社会」を提唱する広井良典(ひろい・よしのり、京都大学こころの未来研究センター)を読み返すことにした。筆者の手もとには、広井が書いた本が7冊ある。

(1)『定常型社会―新しい「豊かさ」の構想―』(岩波新書)岩波書店、2001年6月(以下[1])
経済不況に加え、将来不安から閉塞感をぬぐえない日本社会。理念と政策全般にわたる全体的構想の手掛かりは何か。進行する少子高齢化のなかで、社会保障改革はどうあるべきか。広井は本書で、資源・環境制約を見据えて、持続可能な福祉社会のあり方を論じながら、「成長」にかわる価値の追求から展望される可能性を提示する。(カバー「そで」より)

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(2)『グローバル定常型社会―地球社会の理論のために―』岩波書店、2009年1月(以下[2])
環境問題が深刻化し、またグローバル化の進展にともなって格差が拡大するなかで、地球規模での福祉社会の実現をいかにしてめざすのか。広井は本書で、有限な地球社会において持続可能な福祉社会の実現をはかるには、経済成長を絶対的な目標としない、環境・福祉・経済を統合した新たな社会モデルを構築することこそが必要であるとする。そして、「グローバル定常型社会」という新しい世界像を提示し、かつローカルなレベルからの実現の方途を示す。(カバー「そで」より)
(3)『コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来―』(ちくま新書)筑摩書房、2009年8月(以下[3])
戦後の日本社会で人々は、会社や家族という「共同体」を築き、生活の基盤としてきた。だが、そうした「関係性」のあり方を可能にした経済成長の時代が終わるとともに、個人の社会的孤立は深刻化している。「個人」がしっかりと独立しつつ、いかにして新たなコミュニティを創造するか――この問いの探究こそが、わが国の未来そして地球社会の今後を展望するうえでの中心的課題となる。広井は本書で、都市、グローバル化。社会保障、地域再生、ケア、科学、公共政策などの多様な観点から、新たな「つながり」の形を掘り下げる。(カバー「そで」より)
(4)『創造的福祉社会―「成長」後の社会構想と人間・地域・価値―』(ちくま新書)筑摩書房、2011年7月(以下[4])
「限りない経済成長」を追求する時代は終焉を迎え、人類史上三度目の「定常期」に直面している。飽和した市場経済のもとで社会は、「平等と持続可能性と効率性」の関係をいかに再定義するべきか。「拡大・成長」のベクトルにとらわれたグローバル化の果てに、都市や地域社会のありようはどう変化するのか。そして、こうした「危機の時代」に追求される新たな価値原理とは、人間と社会をめぐる根底的思想とは、いかなるものか。広井は本書で、再生の時代に実現されるべき社会像を、政策と理念とを有機的に結びつけ構想する。(カバー「そで」より)
(5)『人口減少社会という希望―コミュニティ経済の生成と地球倫理―』(朝日選書)朝日新聞出版、2013年4月(以下[5])
高度成長期の発想や価値観の枠組みの中で、あるいはその延長線上で物事を考える限り、人口減少社会は敗北あるいは”衰退”に向けた進行としか考えられない。しかし、新たな視座で状況を見るとき、それはむしろ全く逆に、日本社会が真の豊かさを実現していくことに向けての大いなる道標として立ち現れる。広井は本書で、「ポスト成長」の時代において浮上する様々な課題や方向性を、コミュニティ、ローカル化、まちづくり、都市・地域、政治、社会保障、資本主義等々といった多様な話題にそくして論じる。そして、これからの時代において問われてくる理念や価値、あるいは世界観のありようを、「地球倫理」というコンセプトを軸に展開する。(15、16ページ)

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(6)『ポスト資本主義―科学・人間・社会の未来―』(岩波新書)岩波書店、2015年6月(以下[6])
冨の偏在、環境・資源の限界など、なおいっそう深刻化する課題に、「成長」は解答たりうるか。広井は本書で、近代科学とも通底する人間観・生命観にまて遡(さかのぼ)りつつ、人類史的なスケールで資本主義の歩みと現在を吟味する。そして、定常化時代に求められる新たな価値とともに、資本主義・社会主義・(人間と自然・環境との相互関係を考える)エコロジーが交差する先に現れる社会像を、鮮明に描く。(カバー「そで」より)
(7)『人口減少社会のデザイン』東洋経済新報社、2019年10月(以下[7])
現在の日本社会は「持続可能性」という点において”危機的”と言わざるをえない状況にある。①財政あるいは世代間継承性における持続可能性(「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という思考が根強い)、②格差拡大と人口における持続可能性(若者に対する社会保障等の支援がきわめて手薄であり、若い世代の雇用や生活が不安定になっている)、③コミュニティないし「つながり」に関する持続可能性(日本は人々の社会的孤立度が高く、それが家族あるいは自分が属する集団以外の”他人”への無関心や他者との支え合いへの忌避感を生んでいる)、などがそれである。広井は本書で、これらの問題の所在と今後の方向性を大きな視野に立って、かつ分野横断的な視点からクリアにする。そして、「持続可能性」や個人の創発性に軸足を置いた社会のあり方に転換するための具体的な方策や対応、理念、時代認識について提起する。(15~21、310ページ)

〇以上のうちから本稿では、[1][3][7]の3冊の本から筆者なりに再認識しておきたい言説や論点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。[1]は広井「定常型社会論」の原論である。[3]は新たなコミュニティの創造を問う必読書であり、[2]とセットをなしている。[7]は[1]から[6]の延長線上にある。

(1)『定常型社会』岩波書店、2001年6月([1])
定常型社会とは、「高齢化社会」と「環境親和型社会」を結びつける概念である
閉塞感が現在の日本社会をあらゆる局面において覆っている。その背景の根底には、戦後の、あるいは明治期以来の日本が一貫して追求してきた「(経済)成長」ないし「物質的な富の拡大」という目標がもはや目標として機能しなくなった今という時代において、それに代わる新たな目標やを価値を日本社会がなお見出しえないでいる、というところに閉塞感の基本的な理由があるように思われる。(ⅰページ)
「定常型社会」とは、さしあたり単純に述べるならば、「(経済)成長」ということを絶対的な目標としなくとも十分な豊かさが実現されていく社会ということであり、「ゼロ成長」社会といってもよい。(ⅰページ)

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「定常化社会」は、基本的には、経済成長の究極の源泉である需要そのものが成熟ないし飽和状態に達しつつある、ということであるが、関連する重要な要因として次の二点がある。
第一は、高齢化ないし少子化という動きと不可分のものとして、人口そのものが2007年をピークに減少に転じるということである。第二は、環境問題との関係である。資源や自然環境の有限性が自覚されるようになり、経済活動それ自体の持続性ということを考えても、経済の規模の「定常性」が”要請”されるようになった。このように、定常型社会とは実は「高齢化社会」と「環境親和型社会」というふたつを結びつけるコンセプト(概念)でもある。(ⅱページ)

定常型社会を三つのレベルで捉え、これからの社会の姿を構想していく必要がある
定常型社会という社会像を考える場合、次のような三つの意味(ないし定義)がある。
第一は、「マテリアルな(物質・エネルギーの)消費が一定となる社会」という意味での定常型社会である(「脱物質化」としての定常型社会)。消費や経済の「情報化」、つまり「情報の消費」(モノそのものよりデザインや付加価値に主たる関心が向けられるような消費)の定常化や「IT」(情報技術)化によって、経済そのものとしては「成長」を続けるという社会である。(142~143ページ)
第二は、「(経済の)量的拡大を基本的な価値ないし目標としない社会」という意味での定常型社会である。「量的拡大」よりも「質的変化」に主たる価値が置かれるような社会と言い換えてもよいし、GDP(国内総生産)などが増加しない「ゼロ成長社会」という姿ともつながっていく。(144ページ)
第三は、「〈変化しないもの〉にも価値を置くことができる社会」という意味での定常型社会である。ここで〈変化しないもの〉とは、たとえば自然であるとか、コミュニティであるとか、古くから伝わってきた伝統行事や芸能、民芸品等々といった意味である。(145ページ)

定常型社会は自ずと、社会の分権化(分権型社会)ないし分散化(分散型社会)を導くことになる
日本(特に戦後の日本)がきわめて中央集権的な社会となっていったのは、他でもなく「(経済)成長」という日本社会全体の目標と不可分のものであったと思われる。つまり「成長」という(国家あるいは国民挙げての)目標を達成するために、各種制度や経済システムその他すべてが強力かつ一元的に編成されたのであり、中央集権化はその自然な帰結であった。「成長」という目標に向けて社会全体がきわめて「求心的」なものになったのが戦後の日本社会だったのである。
逆にいえば、「成長に向けての社会全体の編成・統合」という強い推進力ないし求心的な目標が(これまでのように)機能しなくなれば、社会が「中央集権的」でな

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ければならない理由はどこにもなくなるのである。その意味で、定常型社会は自ずと社会の分権化ないし分散化を導くことになる。(164~165ページ)
逆にいえば、このことを抜きにして(つまり「成長」が日本社会全体の目標であるという価値観を維持したままで)いくら「地方分権」を論じてもそれは表層的なものになるだろう。裏返していえば、分権型ないし分散型社会というものは、「定常型社会」という社会全体のイメージとセットで考えてはじめて、より豊かでのびのびとしたものとして再定義されるのではないだろうか。(165~166ページ)

定常型社会へのソフトランディングが、新しい「豊かさ」のかたちをつくるのである
いまの日本社会に何より求められているのは、第一に「成長」後の社会の構想としての「定常型社会=持続可能な福祉国家」のビジョンであり、第二に現実的なプロセスとしての、各政党による「理念と政策」の提示と、それによって可能となる「価値の選択」をめぐる議論である。日本の場合、成長のカーブが急傾斜だったぶん、「定常化」への移行の”落差”は他の先進諸国に増して大きく、経済社会システムから人々の価値観に至るまで、それは困難をきわめる課題であろう。が、閉塞状況を抜け出す途が、「成長」のあくなき追求ではなく、「定常型社会へのソフトランディング」にあることだけは間違いない。
そしてその先に、あるいはそのプロセスのひとつひとつの歩みの中に、私たちの新しい「豊かさ」のかたちは確実に存在しているのである。(179ページ)

〇要するに広井にあっては、日本の経済・社会は「拡大・成長」志向から「成熟化・定常化」へと転回している。「定常型社会」は、「退屈で停滞的な社会」(153ページ)ではなく、真の意味での「豊かさ」を実感できる「持続可能な福祉国家/福祉社会」として構想される。それは、「個人の生活保障がしっかりとなされつつ、それが資源・環境制約とも両立しながら(資源や自然環境の有限性を自覚しながら)長期にわたって存続しうる社会」(ⅵページ)の姿のことである。そこでは、学習・文化・スポーツ・レクリエーションや「ケア」(介護、保育、健康・医療、福祉、教育、等々)、さらには「自己実現」に向けた学習・教育・趣味などに時間が消費される(「時間の消費」)。この点が[1]における本質的な論点のひとつである。
〇なお、広井は、[2]から[7]のそれぞれにおいて、人類史のなかの「定常型社会」について「概念図」を示して説述している。そこでは、要するに、「人口や経済の量的な拡大・成長の”後”の時代に、真に豊かな文化的な革新が生じる」([7]161ページ)。定常期は、「真の意味での各人の『創造性』が発揮され開花していく社会」であり、「文化的創造の時代」([4]46ページ)である。しかもそれは、人類の歴史の「長いタイムスパンをとればむしろ”常態”ともいうべきあり方であり」([2]130~131ページ)、現代という時代は人間の歴史のなかで「第3(3度目)

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の成熟・定常期への移行期」([7]161ページ)である。
〇ここで、[3]と[7]における概念図を参考のために供しておくことにする(上図:「人類史の中の『定常型社会』[3]266ページ、下図:「人類史における拡大・成長と定常化のサイクル」[7]160ページ)。

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〇広井の主張は概略こうである。人類の歴史を長い目で見ると、定常化のサイクルが3回あった。(1)約20万年前頃にアフリカでホモ・サピエンスが誕生し、狩猟採集社会の前半に一気に人口が増加した。そこには、自然信仰や「互恵的利他主義」(互酬性)が存在していた。後半になると社会は安定し、定常化していく。その過渡期の時代・狩猟採集社会の後半期、いまからおよそ5万年前の時期に、「心のビックバン」(文化の爆発)と呼ばれる現象が起こった。すなわち、フランスのラスコー洞窟の壁画や日本の縄文時代の装飾品などに代表される文化的・芸術的作品が一気に生まれた。(2)時代が下(くだ)って、約1万年前にメソポタミアで農耕が始まった。そこでまた人口が増えて「都市」が形成され、各地に波及していった。この農耕社会においても、後半は定常化していく。紀元前500年前後に、ドイツの哲学者カール・ヤスパースが「枢軸時代」(すうじく:物事の中心)と呼んだ「精神革命」(伊東俊太郎)が同時多発的に起こった。ギリシャ哲学をはじめ、インドの仏教、中国の儒教や老荘思想、中東の旧約思想(キリスト教やイスラム教の源流)などの「普遍的な価値原理」を志向する思想や宗教がそれである。(3)さらに時代が下った約300~400年前には、産業化・工業化社会が始まり、また一気に人口が増大した。そしていま、第4の拡大・成長へ向かうのか、あるいは第3の定常型社会を迎えるのか、その岐路に立っている。第3の定常型社会では、①自然や地球資源の制約や有限性、②地球全体の風土的・環境的な多様性、③「ローカル」(地域的・個別的)と「ユニバーサル」(普遍的、宇宙的)の総合化・循環的融合(「グローバル」(多様生成的))、などを内容とする価値や倫理(「地球倫理」)が要請されるのであろうか([4]236~259ページ。[7]152~161、299~303ページ)。

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(2)『コミュニティを問いなおす』筑摩書房、2009年8月([3])
閉鎖性の強いコミュニティのなかで、個人の社会的孤立が深刻化している
戦後の日本社会とは、一言でいえば「農村から都市への人口大移動」の歴史であった。都市に移った日本人は、(独立した個人と個人のつながりという意味での)都市的な関係性を築いていくかわりに、「カイシャ」そして「(核)家族」という、いわば”都市の中のムラ社会”ともいうべき、閉鎖性の強いコミュニティを作っていった。
そうしたあり方は、経済全体のパイが拡大する経済成長の時代には、カイシャや家族の利益を追求することが、(パイの拡大を通じて)社会全体の利益にもつながり、また個人のパイの取り分の増大にもつながるという意味で一定の好循環を作っていた。しかし経済が成熟化し、そうした好循環の前提が崩れるとともに、カイシャや家族のあり方が大きく流動化・多様化する現在のような時代においては、それはかえって個人の孤立を招き、「生きづらい」社会や関係性を生み出す基底的な背景になっている。(9~10ページ)

コミュニティは、生産と生活、農村と都市、空間と時間という3つの視点が重要である
「コミュニティ」というとき、①「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」、②「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」、③「空間コミュニティ(地域コミュニティ)」と「時間コミュニティ(テーマコミュニティ)」という三つの点を区別して考えることが重要である。(11ページ)
①については、都市化・産業化が進む以前の農村社会においては、「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」はほとんど一致していた。すなわち、農村の地域コミュニティが、そのまま「生産のコミュニティ」でありかつ「生活のコミュニティ」でもあった。高度成長期を中心とする急激な都市化・産業化の時代において、両者は急速に”分離”していくとともに、「生産のコミュニティ」としてのカイシャが圧倒的に優位を占めるようになっていった。経済が成熟化すると同時に、カイシャや家族という存在が多様化・流動化している現在、”地域という「生活のコミュニティ」は回復しうるか”という問いが浮上している。(12ページ)
②については、「農村型コミュニティ」とは、”共同体に一体化する(ないし吸収される)個人”ともいうべき関係のあり方を指し、それぞれの個人が、ある種の情緒的(ないし非言語的な)つながりの感覚をベースに、一定の「同質性」ということを前提として、凝集度の強い形で結びつくような関係をいう。これに対し「都市型コミュニティ」とは”独立した個人と個人のつながり”ともいうべき関係のあり方を指し、個人の独立性が強く、またそのつながりのあり方は共通の規範やルールに基づくもので、言語による部分の比重が大きく、個人間の一定の異質性を前提とするも

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のである。(15ページ)
現在の日本の状況は、集団の内部では過剰なほど周りに気を遣ったり同調的な行動が求められる一方、一歩その集団を離れると誰も助けてくれる人がいないといった、「ウチとソト」との落差が大きな社会になっている。このことが、人々のストレスと不安を高め、生きづらさや閉塞感の根本的な背景になっている。(17ページ)
日本社会における根本的な課題は、「個人と個人がつながる」ような、「都市型のコミュニティ」ないし関係性というものをいかに作っていけるか、という点に集約される。(18ページ)
③については、人間の「ライフサイクル」というものを全体として眺めた場合、「子どもの時期」と「高齢期」という二つの時期は、いずれも地域への”土着性”が強いという特徴をもっている。戦後から高度成長期をへて最近までの時代とは、一貫して”「地域」との関わりが薄い人々”が増え続けた時代であり、それが現在(超高齢社会)は、逆に”「地域」との関わりが強い人々”が一貫して増加する時期にある。(19、20ページ)
こうした意味において、「地域」というコミュニティがこれからの時代に重要なものとして浮かび上がってくるのは、ある種の必然的な構造変化である。加えて、現役世代についても、ポスト産業化時代には(職住近接、SOHO〈ソーホー/Small Office/Home Office/小さな事務所や自宅で働く事業者。テレワーク、在宅勤務〉などのトレンドの中で)地域との関わりが相対的に増加していくことになる。(20~21ページ)

〇広井は「コミュニティ」という言葉・概念について、ひとまず次のように理解する。「コミュニティ=人間が、それに対して何らかの帰属意識をもち、かつその構成メンバーの間に一定の連帯ないし相互扶助(支え合い)の意識が働いているような集団」(11ページ)、がそれである。
〇そのうえで広井は、日本の経済・社会はいま、成熟化・定常化の時代にあって、「地域」という空間を舞台にしたコミュニティの重要性が高まり、それに適応する人々の関係性(つながり)や行動様式を組み換えることが求められている、という。すなわち、人間にとって本質的で補完的な「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」、「地縁型コミュニティ」と「テーマ型コミュニティ」をいかに融合させるか。感情的・情緒的レベルのつながりではなく、集団を超えて、人と人が独立しながら、「普遍的な原理やルール」によってつながるという関係性をいかに形成するか、がいま問われている。その原理やルールは、形式的な挨拶やお礼の言葉なども含むが、「人間が(所属する集団の違いを超えて)”人として”遵守すべき規範原理であったり、言語化された共通の理念であったりする」(249ページ)。それは、前述の「地球倫理の可能性」と重なることにもなる(そして、私事ながら本稿の冒頭の話につながる。本ブログの<雑感>(105)2020年3月31日投稿、を参照されたい)。

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(3)『人口減少社会のデザイン』東洋経済新報社、2019年10月([7])
現在の日本社会は「破局シナリオ」に至る蓋然性(実現性)が高い
日本社会が持続可能性において危機的である。特に次のような点が重要ないし象徴的な事柄と言える。(15ページ)
①財政あるいは世代間継承性における持続可能性
日本政府の債務残高ないし借金は1,000兆円あるいはGDPの約2倍という、国際的に見ても際立って大きな規模に及んでおり、膨大な借金を将来世代にツケ回している。その背景には、「経済成長がすべての問題を解決してくれる」という高度経済成長時代に染みついた発想を今も根強く引きずっているという点がある。「人口減少社会のデザイン」において重要なのは、こうした「拡大・成長」型の思考の枠組みから抜け出していくことにある。(16、18ページ)
②格差拡大と人口における持続可能性
高度成長期を通じて貧困世帯は一貫して減っていったが、1995年を谷として生活保護を受ける人の割合は増加に転じ、その後も着実に増えている。日本においては若者に対する社会保障その他の支援が国際的に見てきわめて手薄であり、特に若い世代の雇用や生活が不安定になっている。そのことが未婚化・晩婚化の背景ともなり、それが出生率の低下につながり、人口減少をさらに加速させるという、悪循環が生まれている。(18、19ページ)
③コミュニティないし「つながり」に関する持続可能性
「社会的孤立」は、家族などの集団を超えたつながりや交流がどのくらいあるかに関する度合いを指している。日本は社会的孤立度が先進諸国の中でもっとも高い国ないし社会になっている。現在の日本社会は”古い共同体(農村社会など)が崩れて、それに代わる新しいコミュニティができていない”という状況にあり、そのことが「社会的孤立」という点に現れている。(19、20ページ)
日本は「持続可能シナリオ」よりも「破局シナリオ」に至る蓋然性(がいぜんせい)が高い。「破局シナリオ」という表現の主旨は、財政破綻、人口減少加速(←出生率低下←若者困窮)、格差・貧困拡大、失業率上昇(AI・人工知能による代替を含む)、地方都市空洞化&シャッター通り化、買物難民拡大、農業空洞化等々といった一連の事象が複合的に生じるということである。(21ページ)

「持続可能性」や個人の創発性に軸足を置いた社会モデルを志向する必要がある
「持続可能な福祉社会」を志向・実現するために不可避の論点を記すと、次のようになる。(「帯」より。311~313ページ)

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①将来世代への借金のツケ回しを早急に解消
②「人生前半の社会保障」、若い世代への支援強化
③「多極集中」社会の実現と、「歩いて楽しめる」まちづくり
④「都市と農村の持続可能な相互依存」を実現する様々な再分配システムの導入
⑤企業行動ないし経営理念の軸足は「拡大・成長」から「持続可能性」へ
⑥「生命」を軸とした「ポスト情報化」分散型社会システムの構想
⑦21世紀「グローバル定常型社会」のフロントランナー(先導者)日本としての発信
⑧環境・福祉・経済が調和した「持続可能な福祉社会」モデルの実現
⑨「福祉思想」の再構築、”鎮守の森”に近代的「個人」を融合した「倫理」の確立
⑩人類史「3度目の定常化」時代、新たな「地球倫理」の創発と深化

〇①から⑤は、比較的具体性が高く、⑥から⑩はより中長期的な時代認識や理念に関わる内容となっている。以上のうち、③の「多極集中」について広井は次のように説く。それは、「一極集中」でも、その対概念としての「多極分散」のいずれとも異なる都市・地域のあり方である。国土あるいは地域の「極」となる都市やまち・むらが多く存在し、その極となる場所はできる限り生活に必要な諸機能が集約され、歩行者中心の「コミュニティ空間」(歩いて楽しめる街)が重視される都市・地域のあり方をいう(122ページ)。
〇④については、次のことが指摘される。農村の過疎化等の問題は、「人口減少社会」それ自体に原因があるのではない。それは、農村(地域)がもつ固有の価値や風土的・文化的特性を活かしながら、地域の活性化に資するヒト・モノ・カネ等の流れと、それを支える公共政策や社会システムをどうつくるかという、「政策選択や社会構想」の問題である(31、51ページ)。その問題解決を図る主体はまず政府である。いま、「東京(都市)は進んでいる、地方(農村)は遅れている」という発想の転換が求められる。「若い世代のローカル志向」「高度成長期の”地域からの離陸”の時代から、”地域への着陸”の時代への変化」(52ページ)が見られる。
〇⑥の「ポスト情報化」は広井にあっては、資本主義と科学の基本コンセプトは17世紀以降、「物質→エネルギ→情報→生命」という流れで変遷・進化してきた。「情報化」には「グローバル化」を促すベクトルと、「ローカル化」ないし分散化を促すベクトルの両方が含まれているが、「情報」はすでにその成熟期に入っている。これからの「ポスト情報化」時代の科学や経済社会・生活・消費の基本的なコンセプトは、「生命/生活(life)」である(139、143、146ページ)。
〇⑦の「グローバル定常型社会」という言葉や概念の基底にあるのは、次のような認識(展望ないし視座)である。「21世紀後半に向けて世界は、高齢化が高度に進み、人口や資源消費も均衡化するような、ある定常点に向かいつつあるし、またそうならなければ持続可能ではない」(76ページ)。日本は世界一の超高齢社会である。
〇⑧の「持続可能な福祉社会」とは、(「持続可能性」は「環境」と関わり、「福祉」は富の分配の公正や個人の生活保障に関わるものなので)、「個人の生活保障

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や分配の公正が実現されつつ、それが環境・資源制約とも調和しながら長期にわたって存続できるような社会」を意味する。別言すれば、「持続可能な福祉社会」という言葉・概念の主眼は、「環境」と「福祉」の問題をトータルにとらえる点にある(282~283ページ)。
〇⑨の「福祉思想」に関する言説の大枠はこうである。江戸時代までの日本人は、神道と仏教と儒教をそれなりにうまく組み合わせて一定のバランスを保ってきた。明治維新前後から第2次世界大戦までの時期は、富国強兵と国家神道などによって「福祉思想の形骸化(政治化)」が進んだ。戦後から高度成長期をへて最近に至る時期は、「経済成長」が日本人の“宗教”ないし精神的な拠り所になり、「福祉思想の空洞化」が進んだ。そして現在の日本の状況においては、“神仏儒”の伝統的な世界観や倫理を再評価するとともに、独立した個人が個別の集団やコミュニティを超えてつながるという「公共性」(「集団を超える価値原理」)への志向が重要になっている(296~298ページ)。いずれにしろ、福祉思想や価値原理についての探究や構築が持続可能な福祉社会の実現において、強く求められる。
〇地域コミュニティの中心として特に重要視される場所は、学校や福祉・医療関連施設であろう。広井は⑨の「鎮守の森」(神社の境内やその周辺にある森林)について、それは日本人の自然観や自然信仰との関連で、「地域コミュニティの拠点として存在しており、現在の日本におけるコミュニティの再生という課題とも深い次元でつながっている」(126~127ページ)という。
〇⑩の「地球倫理」については、一部既述のように、①自然や地球資源の制約や有限性、②地球全体の風土的・環境的な多様性、③「ローカル」(地域的・個別的)と「ユニバーサル」(普遍的、宇宙的)の総合化・循環的融合(「グローバル」(多様生成的))、などを内容とする価値や倫理をいう。別言すれば、”神仏儒”の「神」(自然信仰)と「仏儒」(普遍宗教や普遍思想)、近代的な原理としての「個人」ないし「個人の自由」という価値、それに「第3の定常化時代」における「プラスα」、すなわち「伝統的な価値としての、”神仏儒”」+「近代的な原理としての個人」+「α」からなる理念や価値、世界観(すなわち思想・哲学・原理)が「地球倫理」を可能にする。(299ページ)。なお、通常「グローバル」「グローバリゼーション」という言葉が使われる場合は、世界が均質化・一様化していくといった意味で使われることが多い(302ページ)。広井がいう「グローバル」との違いに留意したい。

付記
内閣総理大臣の諮問機関であった国民生活審議会(2009年廃止)の総合企画部会が、2005年7月に『コミュニティ再興と市民活動の展開』と題する報告書を提出した。[3]が出版された4年前、いまから15年前のことである。旧聞に属するが、そこでいう「多元参加型コミュニティ」は、「地縁型(エリア型)コミュニティ」と

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「テーマ型コミュニティ」の融合を説く広井の言説に通底する。ここで、長い引用になるが、「多元参加型コミュニティ」に関する一節を紹介しておくことにする(抜き書き。見出しは一部調整)。

コミュニティを求める経済社会の変化
これまでの経済発展は、国民の生活水準の向上をもたらす一方で、企業や行政が主体となって暮らしのニーズを満たす環境を生み出した結果、身近な問題であっても地域の人々が「自立」して積極的に解決に動く意欲を希薄化させた面も否定できない。
しかしながら、近年、経済社会における変化が進む中で、このような人々の意識に大きな変革が求められている。
●暮らしにおける多様なニーズの出現
核家族化が進み、家族だけではこなしきれない高齢者の世話や育児への相互扶助に関するニーズ、地域の魅力を再認識して交流を増やしたいというニーズ、防犯・防災など暮らしの安全・安心を高めたいというニーズ、健康寿命の伸長に伴う退職後の生きがいを発揮する機会に関するニーズなど、多様なニーズが新たに出現している。
●人々の社会的孤立の深刻化
独り暮らしの高齢者やいわゆる「ニート」と呼ばれる若者など、人と人とのつながりに属さず社会的に孤立した人々が増え、高齢者の孤独死、引きこもりの増加などの問題が発生している。そうした人々をつながりの中に回帰し、共に支え合う社会へと変えていくことが急務となっている。
●企業や行政が果たす役割の限界と新たな動き
これまで経済発展の中で暮らしのニーズを満たしてきた企業や行政の対応には限界がある。そもそも、営利企業は本質的に採算を考慮せざるを得ず、社会的に重要であっても市場で評価されない財・サービスの提供について制約がある。このため、企業の社会的責任(CSR)に対する認識が高まる中で、地域活動を行う団体との協力・連携などに関心が寄せられている。一方、行政も公平性を原則とするため、均質的なサービスを提供するには効率的であっても、多種多様なニーズにきめ細かに対応することにはなじまない。加えて、昨今の厳しい財政制約の中で、これまで行政が担ってきた公共サービスの提供をより効率的な主体に任せていく動きが進んでいる。

こうした経済社会の変化の中で、企業や行政だけでなく、人々の暮らしを支える担い手としてコミュニティの役割が再び注目されている。(4~5ページ)

コミュニティ再興の必要性とその動き
●コミュニティとは、「自主性と責任を自覚した人々が、問題意識を共有するもの同士で自発的に結びつき、ニーズや課題に能動的に対応する人と人とのつながりの総

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体」のことをいう。
●経済社会の変化の中で、企業や行政だけでなく、人々の暮らしを支える主体として、自己解決能力を備えたコミュニティの役割が再び注目されている。
●同じ生活圏域に居住する住民の間でつくられるエリア型コミュニティが停滞する一方で、特定のテーマの下に有志が集まって形成されるテーマ型コミュニティが登場している。しかし、現状では、この2つのコミュニティの間において理解不足などの垣根が存在している事例が見られる。
●コミュニティを再興していくためには、①多様性と包容力、②自立性、③開放性という3つの条件を備える必要がある。
●そのためにも、エリア型コミュニティとテーマ型コミュニティとが補完的・複層的に融合し、多様な個人の参加や多くの団体の協働を促していく形が考えられ、いわば多元参加型とも呼べる新しい形のコミュニティを志向することが求められる。
●現在、各主体の連携を通じて様々な活動が進められているが、今後地域全体に広めていく上で、コミュニティ内外にネットワークを拡大・融合しうる市民活動団体の役割が期待される。(3ページ)

コミュニティ再興のために
(1)市民における公共心の育成
コミュニティ再興においては、エリア型コミュニティであれ、テーマ型コミュニティであれ、その基礎的な構成員である市民の参加が根源となる。その際に、市民の意識において、地域が抱えるニーズや課題に自ら取り組むという公共心が第一に求められる。
(2)3つの条件を満たす「多元参加型コミュニティ」の形成
経済社会の変化を背景にコミュニティの役割に対する期待が高まる一方で、旧来コミュニティの機能停滞や新旧コミュニティの対立がみられる中、コミュニティの再興のためには、形成されるコミュニティが次の3つの条件を満たすことが必要と考えられる。
●多様性と包容力
第一に、個人の自由な生活様式を前提として、幅広い世代や多様な価値観を持つ人々の参加を受け入れる大きな包容力が求められる。その際、社会的に孤立している人々もつながりの一員として受け入れることが重要である。
●自立性
第二に、地域の問題を市民自らの問題と受け止め、行政任せではなく、自立的に取り組む姿勢が必要である。課題によっては、行政に積極的に提案や働きテーマかけを行うこともありうる。資金や人材など活動に必要な資源についても自立できることが望まれる。

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●開放性
第三に、コミュニティの参加者が開放的になって、コミュニティ外との積極的な対話や交流を図ることが重要である。これにより、外部からのいわば新しい風を迎え入れるとともに、コミュニティ内部の情報を発信する機会に恵まれ、更なる協力関係の発展につながることも考えられる。

上述のような条件を満たすコミュニティの姿として、地域的に区分されたコミュニティを基礎としながら、従来のエリア型コミュニティとテーマ型コミュニティが必要に応じて補完的・複層的に融合することで、多様な個人の参加や多くの団体の協働を促す、いわば「多元参加型コミュニティ」が想定される。こうしたコミュニティの中では、主体間に厚いネットワークの層が形成されることとなろう。(9~10ページ)

 

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25/「消費社会」から「関係の豊かな社会」へ
            ―古沢広祐とバルトリーニを読む―

〇筆者の手もとに2冊の本がある。(1)古沢広祐著『みんな幸せってどんな世界―共存学のすすめ―』(ほんの木、2018年3月。以下[1])と(2)ステファーノ・バルトリーニ著、中野佳裕訳『幸せのマニフェスト―消費社会から関係の豊かな社会へ―』(コモンズ、2018年7月。以下[2])、がそれである。古沢広祐(ふるさわ・こうゆう)は環境社会経済学、イタリアのバルトリーニ(Stefano Bartolini)は経済学、中野佳裕(なかの・よしひろ)は社会哲学を専攻する。本稿では、それぞれの論述から、注目しておきたい論点や言説のいくつかを紹介しておくことにする(抜き書きと要約。[1]は語尾変換。見出しは筆者)。

(1)古沢広祐著『みんな幸せってどんな世界―共存学のすすめ―』
人類社会ではいま、生存環境の危機、グローバル社会経済システムの歪み、人間存在の空洞化(実存的危機。存在の不安定化や揺らぎ:阪野)が進行している([1]176~177ページ)。古沢は、世界が直面している経済・社会・文化・自然などの諸問題について多面的・多角的に考察し、「みんなが幸せに生きる世界」への道筋を探る。その際に拠って立つ視点が「共存」である。そして、互いの存在を受け入れ、「関係性の豊かさ」を追究する「共存学」を構想する。

「共生」と「共存」
「共存」という考え方は、これまでキーワードとされることが多かった「共生」という理想よりも緩やかな概念である。(中略)「共生」や「みんなが幸せであること」のように、全員が一つの価値観を共有することを理想とする世界は簡単には実現しないし、持続もしない。実際の世界で起きている出来事はもっと多様で複雑である。他者や他文化を許容し、受け入れ、変化を強制しないという意味で、「共存」を考えたい。多様な考え方や価値観、存在のあり方を探って困難な問題を解決に導くには、「共存」を土台に考えることこそ意味がある。
([1]11~12ページ)

「環境的適正」と「社会的公正」
新時代を象徴するキーワードとして、「持続可能な発展・開発(Sustainable Development)」という言葉が世界的に定着してきている。([1]42ページ)
持続可能な開発とは、より具体的には「環境、経済、社会について調和のとれた発展をめざすこと」と解釈されるのが一般的である。補足して言いなおすと、「発展の原動力である経済発展を、環境的適正(調和)によって、また社会的公正(貧困

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や格差の是正)によって、調和をはかる(調整される)こと」となる。([1]43ページ)

「結束型」紐帯と「橋渡し型」紐帯
人間存在のあり方については、「社会関係資本」(ソーシャルキャピタル)という考え方を手がかりにしてとらえることもできる。地域社会の基盤を強化する働きとして、近年注目されてきた概念である。人々のつながりや関係性が、地域社会の土台・基礎を形づくっている様子を示す。そこには、狭く限定的な結びつきとしての「結束型」紐帯(ちゅうたい)と、広域性をもつ多様でゆるやかな「橋渡し型」紐帯の二つのタイプがある。
地域がその存在基盤を揺るがされるとき、この二つの要素が微妙に重なりながら地域再建の動きとして展開されると考えられる。仲間内だけの狭い関係(結束型)だけに閉じこもらず、開かれた関係性(橋渡し型)が生じて、その両方がうまく連動することで思いがけない展開が生まれるのである。([1]130ページ)

「共存」と「共存学」
現代という時代が「共生」という理想ではとらえがたい状況にあり、混迷期を迎えていることへの仕切りなおし的な意味をもつ。
「共存学」では、対立や敵対を回避しつつ、より創造的な関係性への契機を含み込んだ状況に光をあてて究明していくこと、多角的視点から世界をとらえなおす取り組みをしてきた。「共存」とは、「多様な人間集団(地域社会、国家、国際社会)の存在様式において、敵対的関係(他者の否認)ではなく、互いに存在を受け入れ(存在受容)、関係性を維持しつつ多様性構築の可能性を保持する様態」ととらえている。
人間の世界は複雑な関係、安定性を欠いた緊張状態を内在させている。そこに、協調的関係と秩序が形成される過程として、対立、敵対、諸矛盾の克服・調整を経つつ、安定性や持続性に向かう共存の関係が形成されてきた。そして、共存からより安定した共生の関係が模索されてきた。それは一方向的で単純な動きではなく、複雑なダイナミズムと矛盾を秘めた多義的・重層的な諸関係を内在させている。いわば「共生」にいたるまでには多義的な経過や展開があり、その原初的形態とも呼ぶべき「共存」をキーワードに、諸問題を探る試みとして共存学は構想されたのである。([1]182~183ページ)

(2)ステファーノ・バルトリーニ著、中野佳裕訳『幸せのマニフェスト―消費社会から関係の豊かな社会へ―』
深刻な現代社会の危機は、「関係性の衰退や幸福感の低下」([2]12ページ)によって特徴づけられる。バルトリーニは、“幸せ”の問題を主観的・個人的なものとしてではなく、社会的・制度的な問題として捉える。そして、「関係性の貧困」や「防衛的資本主義」に関するデータ分析を通して、脱物質主義的な社会構想(政策

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案)を提示する(注(1):阪野)。バルトリーニはいう。「経済成長を盲目的に信頼する文化」は「古びてきている」([2]318ページ)。アメリカは模倣すべき「モデル」ではない。

「関係性の衰退(貧困)」と「防御的な経済成長(資本主義)」
幸福度に関する、1975~2004年の米国のデータによると、所得の増加は幸福度にプラスの効果を与えるが、それ以上にマイナスの効果が上回っている。その主な要因は関係性の衰退である。さまざまな指標は、孤独、コミュニケーションの困難さ、不安、孤立感、人間不信、家庭崩壊、世代間の分断の増大、連帯や誠実さの低下、社会参加・市民参加の減少、社会環境の悪化を示している。
この幸福度指標は、社会関係財という概念を統計学的に示した結果である。この指標は、社会関係を通じて得られる人間の経験の質を示している。社会関係財が幸福度に与える影響は非常に大きい。([2]27ページ)
社会関係の悪化を引き起こす傾向にある経済的・社会的組織の類型を、〈防御的な経済成長によって動かされる資本主義〉(防衛的な資本主義)と呼ぼう。このようなタイプの資本主義では、経済成長が社会関係の悪化を引き起こすとき、経済の拡大成長によって社会関係(および環境)の破壊を推進するプロセスが発生し、そのプロセスが経済成長を導く。自己展開するこのメカニズムによって、私的所有に基づく富は増加し、コモンズ―社会関係財、環境―はますます欠乏していく。([2]31ページ)
社会関係の悪化は、さまざまな意味で現代人を〈働き詰めの生産者〉と〈熱心な消費者〉に変えてしまった。現代人はアイデンティティと魂の抜けた居住区に暮らし、それゆえに社会関係の悪化に一層晒(さら)され、より多く働き、生産し、ストレスを溜(た)め込んで慌(あわ)ただしく生活し、自動車を乗り回している。それゆえ、お金が必要となる。現代人はこのように暮らしながら社会関係と環境を悪化させ、そこから逃げようとする。これこそが防御的な経済成長の悪循環だ。([2]49ページ)

「消費文化」と「外発的」動機
我々の社会関係の質に影響を与えるきわめて重要な要素は、文化だ。(中略)関係性の悪化を導く文化は「消費」文化である。
消費文化、すなわち消費主義文化は、生活における外発的動機づけを重視し、内発的動機づけは軽視する。外発的動機づけと内発的動機づけの区別は、行為の動機を支える手段の違いとして現れる。「外発的」という言葉は、お金のように、人間の活動の本質とは関係のない動機につけられる。これに対して「内発的」という言葉は、友情や連帯や市民感覚など人間の内面における動機を指す。要するに、消費主義的な価値観を採用する諸個人は、感情、社会関係一般、社交的な行動をあまり重視せず、お金、消費財、経済的成功などの外発的な目標に高い優先順位を置く。([2]34ページ)

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米国社会における社会関係の衰退の最も有力な要因は、この類の消費文化の普及である。([2]36ページ)

「社会関係財」と「社会関係資本」
社会関係財は、社会科学で広く使用されている「社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)」概念の一構成要素である。社会関係資本は、諸個人の間や個人と制度の間に存在するあらゆる種類の非経済的関係を指す。社会関係財以外にも、たとえば政治投票への参加、市民意識、制度に対する信頼などが社会関係資本に含まれる。([2]89ページ)
ロバート・パットナムは、米国の社会関係資本が1960年代以降衰弱しており、この傾向が米国内の社会的まとまりと民主主義の安定性を長期間脅かしていることを指摘している。([2]89ページ。注(2):阪野)

「ポスト・デモクラシー」と「民主主義の衰退」
コリン・クラウチ(イギリスの社会学者・政治学者)が使用する「ポスト・デモクラシー」という用語は、現代民主主義がその政治的意思決定過程において経済エリートからの大きな影響を受けている事実を示す。政治的意思決定は多くの場合、選挙で選出された政治家と経済的権益を独占する民間グループ〔=大企業など〕の間のやりとりに基づいている。その一方で、投票だけでなく討議や自主組織を通じて大衆が公共的選択に参加する可能性は著しく減っている。
ポスト・デモクラシーは民主主義ではない。なぜなら、公共的問題の管理を民主主義以前の状況―つまりは閉鎖的なエリート集団に帰属させる状況―にまで後退させているからだ。市民の役割は選挙の投票に行くだけとなった。しかも選挙は、事前に決められた限定的なテーマへと公共の議論を誘導する情報伝達の専門家たち〔=マスメディアなど〕によってコントロールされている。選挙という儀式の外で、市民は受動的で従順で無感動に生きる役を演じるように求められているのだ。([2]60~61ページ)
ポスト・デモクラシーは、防御的な資本主義の制度的支柱のひとつだ。我々に必要なのは生活可能な世界であり、より大きな経済的繁栄ではない。しかし、ポスト・デモクラシーは生活可能な世界をつくるのではなく、お金を増やすように我々を駆り立てる。([2]61~62ページ)
ポスト・デモクラシーは、お金を求める経済競争に火をつける。([2]62ページ)

〇バルトリーニによると、現代資本主義社会の病理の原因は、消費主義的価値観・文化の普及拡大による社会関係や親密な人間関係の悪化にある。その典型はアメリカに見られるが、ヨーロッパや日本においても例外ではない。そうした病んだ「消費社会」に取って代わるべきは、脱物質主義的価値観・文化に基づいて社会的共有

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財を重視する「関係性の豊かな社会」である。その社会を構築し支えるのは、内発的動機による労働である。
〇バルトリーニはいう。「消費主義の普及の主犯格は経済システムと教育制度である」([2]36ページ)。市場経済システムのもとでは、社会関係は個人的・物質的な利潤に基づくものとなる。関係性の豊かなまちづくりを進めたり、信頼・協力関係や満足度の高い労働の実現を図るためには、「連帯経済」の成長が求められる。連帯経済活動には、企業の社会的責任や非営利組織(NPO)、社会的協働組合などによるさまざまな活動があるが、それらは内発的動機づけに支えられている([2]306~307ページ)。
〇「学校は既存の体制(ステータス・クオ〈Status quo:阪野〉)を変革するためのエンジンとならねばならないのに、現在ではそれを再生産するために機能している」([2]58ページ)。「現代学校教育のキーワードは、認知能力を偏重する教育、生徒を社会から隔離する教育、課題の増加」([2]59ページ)である。「生徒が彼ら自身のニーズに応じて社会的・制度的環境を変える能力を発達させる教育を行うべきだ」([2]57ページ)。バルトリーニの教育言説である。
〇日本社会では、民主主義の根幹を揺るがす「政治の劣化」と「行政の劣化」が加速している。「地方創生」(「まち・ひと・しごと創生」)や「一億総活躍」(「働き方改革」)、「地域共生」(「我が事・丸ごと」)などの「お守り言葉」(鶴見俊輔)が多用され、乱舞している。真に成熟した社会とは到底思えず、負の現象が顕著に見られるスカスカの「定常型社会」である。アメリカ以上に深刻である。
〇最後に、[2]の訳者である中野佳裕の解説文「関係の豊かさとポスト成長社会」中の「日本への示唆―関係の豊かな社会は可能だ」([2]335~339ページ)を筆者なりに別言して、次のように述べておきたい。
グローバリズムの時代は終焉を迎え、世界各地でローカリズムの推進が図られている。しかし、日本の政界や産業界は、「経済成長神話」の呪縛にとらわれ、凋落するアメリカに追随(「アメリカ信仰」)している。そして、周回遅れの経済・社会改革や教育改革に余計な汗を流し、とりわけ現場はその「改革」とやらに振り回されている。教育は、「市場原理」や「競争原理」が導入され、政府による統制強化や右傾化が進んでいる。あるべき教育は、その時代の国家権力や経済社会のニーズに迎合することではない。いま求められるのは、主体性・創造性や自律性・内発性を重視した「関係の豊かな社会」(バルトリーニ)、「みんなが幸せに生きる世界」(古沢)の形成とそのための「市民」の育成である。


(1) 「働き方の改革」と「資本主義的労働」
バルトリーニは、「我々がもし幸福感に満ちた生活を欲するのであれば、(中略)生き生きとしたコミュニティや豊かな社会関係の発展を妨げる社会的・経済的・文化的制約を取り除く必要がある」([2]176~177ページ)という。そして、そのた

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めの政策(「幸せのための政策」)として、①「関係の豊かな都市をつくる」、②「子どものための政策」、③「広告に対する政策」、④「民主主義を変える」、⑤「働き方をどう変えるか」、⑥「健康のための政策」、などを提案する。
そのうちの、例えば⑤「働き方の改革」については、「労働満足度を改善するために何をすべきかについて明確なレシピを抽出できるだろう。それは、興味をもてるような仕事、ストレスの低い仕事、意味のある仕事、人間関係・社会関係構築の手段となる仕事の4目標に集約される」([2]237ページ)とする。そして、具体的に、①働く人の自由裁量と自律性を高める。②圧力、管理、インセンティブ(目標を達成するための奨励・刺激:阪野)など、労働組織のなかでストレスを生み出す要素を減らす、③仕事のプロセスが面白くなるように、労働内容をリデザインする、④労働と生活の他の側面を両立可能にする、⑤職場の人間関係の質を改善する、などを提案する。
例によって唐突であるが、資本主義社会(資本主義的生産様式)が根源的・恒常的に抱える「矛盾」に、「賃労働」(労働力の商品化)や「労働疎外」がある。労働疎外には、マルクスによると、①労働の生産物からの疎外、②労働行為における疎外、③(自由に意識的・創造的に活動することができる生き物である人間の)類的存在からの疎外、④人間からの人間の疎外、の4つがある(マルクス、城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』(文庫)岩波書店、1964年3月)。資本主義社会における労働は、資本によって強制される「苦役」(マルクス)であり、基本的には「内発的動機」によって行われるものではない。こうした考えに立つと、バルトリーニが説く「防御的資本主義」も資本主義社会の「矛盾」のひとつのあらわれ(現象形態)である。また、上述の対症療法的な諸提案については、資本主義社会の本質的理解に基づく議論が求められる。あえて付記しておきたい。
(2) 「社会関係資本」と「社会関係財」
バルトリーニは、「社会関係財は、社会科学で広く使用されている『社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)』概念の一構成要素である」といい、ロバート・パットナムの議論についてふれる。
アメリカの政治学者ロバート・D・パットナム(Robert D.Putnam)は、1993年に出版した『哲学する民主主義』(河田潤一訳、NTT出版、2001年3月。原題 Making Democracy Work)において、「社会関係資本」を次のように定義している。「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」(206~207ページ)、がそれである。要するに、社会関係資本は、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率を高める働きをする社会的な関係をいう。そして、その内実・構成要素は「信頼」「規範」「ネットワーク」の3つである。パットナムはいう。「信頼、規範、ネットワークのような社会資本の一つの特色は、普通は私的財である通常資本とは違い、普通は公共財である点である」(211ページ)。

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筆者はパットナムの言説から、社会関係資本は、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(社会的つながり)と、そこから生まれる「互酬性の規範」(お互いさまの支え合い)、そして一般的な人々に対する「信頼感」によって構成される、と理解している。

 

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26/『1984年』と『茶色の朝』、そして “ いま ”
            ―緊張と憂鬱と恐怖―

タイトルは文章の顔である。タイトルを効果的なものにするためには、文章の内容を正確かつ簡潔に表現するとともに、現実性や普遍性、そして訴求性の高い用語を使うことが重要となる。『1984年』と『茶色の朝』は、今回再読した本のタイトルである。

〇『1984年』(高橋和久訳、早川書房、2009年7月)は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説である。「情熱と暴力と絶望」(トマス・ピンチョン「解説」507ページ)に満ちた小説であり、読み進めると“緊張と憂鬱と恐怖”が襲う。
〇この小説の舞台は、主人公のウィンストン・スミスが住む「3強国」のひとつ、オセアニアである。その「党」は、3つのスローガン「戦争は平和なり/自由は隷従なり/無知は力なり」を掲げている。
〇「戦争は平和なり」(war is peace)は、戦争はその継続化によって存在しなくなる(見せかけの平和)。「真の恒久平和とは、永遠の戦争状態と同じ」(307ページ)である、という意味である。「自由は隷属なり」(freedom is slavery)は、権力に隷属(屈従)すれば、思想・良心に従って行動する真の自由ではなく、監視下の自由(錯覚の自由)が保障される。「隷属は自由なり」(409ページ)、という意味である。「無知は力なり」(ignorance is strength)は、知識のない思考は空虚であり、思考のない知識は盲目である。従属(服従)は思考停止と洗脳によって実行される。「階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、成立しえない」(293ページ)、という意味である。
〇いまひとつ注目しておきたい党のスローガンに、「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」(56ページ)というのがある。過去は記録と記憶のなかに存在するが、権力者は歴史を書き換え捏造(ねつぞう)する、という意味である。

〇『茶色の朝』(藤本一勇訳、大月書店、2003年12月)は、フランスとブルガリアの二重国籍をもつ心理学者フランク・パヴロフによって書かれた寓話である。これは、ファシズムや全体主義を批判した小さな物語であり、「私たちのだれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、じつにみごとに描きだして」(高橋哲哉「メッセージ」41ページ)いる。
〇この寓話に登場する俺と友人のシャルリーが住む国では、犬や猫をはじめすべてのもの、朝までもが「茶色」でなければその存在が許されなくなっていく。「茶色」はナチスや極右の人びとを連想させる色である(高橋「同上」35ページ)。俺はいう。

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それから俺たちはテレビをつけた。/そのあいだ、/茶色の動物たちは横目でおたがいの様子をうかがっていた。/どちらのチームが勝ったかもう覚えていないが、/すごく快適な時間だったし、すっかり安心していた。/まるで、街の流れに逆らわないでいさえすれば/安心が得られて、面倒にまきこまれることもなく、/生活も簡単になるかのようだった。/茶色に守られた安心、それも悪くない。(14ページ)
ひと晩じゅう眠れなかった。/茶色党のやつらが/最初のペット特別措置法を課してきやがったときから、/警戒すべきだったんだ。/けっきょく、俺の猫は俺のものだったんだ。/シャルリーの犬がシャルリーのものだったように。/いやだと言うべきだったんだ。/抵抗すべきだったんだ。/でも、どうやって?(28ページ)

〇そして“いま”、日本は確実に、オセアニアの「党」のスローガンや「茶色党」の政治とは無縁ではない状況、すなわちファシズムや全体主義国家への道を歩んでいる。例えば、国旗掲揚と国歌斉唱の強制(国旗国歌法:1999年8月施行)、有事体制づくりと国民への戦争協力の強要(国民保護法:2004年9月施行)、道徳教育と愛国心教育の推進(新教育基本法:2006年12月施行)、情報公開の抑制と国民の知る権利の侵害(特定秘密保護法:2014年12月施行)、個人情報の一元管理と国民監視の強化(マイナンバー法:2015年10月施行)、そして平和主義の空洞化と「戦争ができる国」への転換(安全保障関連法案:2016年3月施行)、などがそれである。とりわけ最近では、立憲主義(憲法によって国家権力を制限し、国民の人権を保障する思想)が否定され、議会制民主主義や熟議民主主義が危機に瀕している。日本の政治の劣化であり、国家の疲弊である。
〇『1984年』と『茶色の朝』は、ウィンストンと俺の“いま”の心情を表した次の一節で終わる。悲しみと恐怖、そして怒りが込みあげてくる。

万事これでいいのだ。闘いは終わった。彼は自分に対して勝利を収めたのだ。彼は今、<ビッグ・ブラザー>を愛していた。(463ページ)
だれかかドアをたたいている。/こんな朝早くなんて初めてだ。/‥‥‥/陽はまだ昇っていない。/外は茶色。/そんなに強くたたくのはやめてくれ。/いま行くから。(29ページ)

〇上記の高橋が『茶色の朝』に寄せるメッセージは、「やり過ごさないこと、考えつづけること」である。唐突ながらそれは、“まちづくり”についても言える。それは、それぞれの地域や住民に求められる、主体的で自律的な姿勢や態度、行動である。言い換えれば、地域・社会における歴史的・社会的事象の存在に気づかないふりをせず、それを常に意識し、自分たちの知識と思考で対応することである。そこでは、地域主権や住民(市民)主権の観点が重要となり、「上から目線」で“地方創生”を図ろうとする権力者は不要となる。深く心に刻みたい。

 

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ワンポイントメモ35+3/まちづくりと市民福祉教育/視点と論点

 

まえがき

2012年6月25日にウェブサイト(「市民福祉教育研究所」)を開設して10年が経った。当初は勝手気ままな運営・管理であったが、多くの方々のご指導とご支援を得て、それなりの体裁を整えることができるようになった。長らくご厚誼をいただいている皆様には感謝あるのみである。
筆者は5、6年程前から、ブログの読者層を福祉教育に関心をもつ大学の学部生に絞りこんで拙稿を草することにしている。「講義録」、そのメモ(草稿)である。本冊子は、それらのうちから、38本の拙稿を収録したものである。収録に際しては、改題や若干の加筆修正をほどこしている。また、日本福祉教育・ボランティア学習学会に参加した際の、次のような感想や問題意識のもとに収録している。

日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会(2019年11月)
「自由研究発表」や「課題別研究」報告などでは、ひとえに筆者の浅学菲才によるものであるが、「心を揺らす」報告はさほど多くはなかった。新味のない(使い古された)テーマについて、場所や組織、人を替えただけの、あるいは横文字や権威づけられた(古めかしい)過去の言説を多用した議論では、福祉教育実践や研究の推進は望むべくもない。歴史的・社会的・文化的実践であるはずの福祉教育実践をめぐって、その現場から乖離(かいり)した抽象的な言葉・概念や思考をこねくり回すのも、然りである。そこからは、原理や理論のない、視野が狭く定型化され、矮小化された実践が生み出されるだけである。そうした福祉教育実践さえも、厳しい時代状況に押しつぶされようとしている(されている)。意図的にか無意識的にか、それを理解・認識しない実践者(あるいは実務家)や研究者がいる。また、お互いの「傷」をなめ合い、慰め合っている人たちもいる。そこからは、福祉教育実践や研究の「展望」や「未来」は見出せない。
そこで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。「理論と実践」の関係性について探究することなく、単なる「実践(事例)」研究にとどまりがちな福祉教育研究の現状も気にかかる。

日本福祉教育・ボランティア学習学会第24回あいち・なごや大会(2018年11月)
「分科会」(自由研究発表)に参加した際、ある種の懸念や危惧が筆者の頭をよぎった。福祉教育実践や研究は、その基軸である地域性と共働性をはじめ、多様性と共通性、学際性と総合性、創造性と変革性などについての「知」と「心」と「力」の育成・共有を確かなものにしてきたか。その取り組みはタコツボ化し、硬直化しているのではないか、というのがそれである。多少具体的にいえば、福祉教育は、① その成立基盤であり構成要素でもある科学的な「社会認識」の形成、② その理念や思想とされる「社会的包摂」や「共生社会」についての単一的思考からの解放、そして③ その地域・社会の真の「あるべき姿」を展望し未来(あす)を切り開く「市民性」(市民的資質・能力)の育成、などをめぐる問題点や限界についての懸念や危惧である。

日本福祉教育・ボランティア学習学会第23回長野大会(2017年11月)
福祉教育はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常者と障がい者、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生などの「二項対立」的な「分かりやすさ」のなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがち(なりがち)であった。しかも、「包摂」や「共生」の概念的・抽象的な思考や理解にとどまり、日常の地域生活場面においてその感覚化や行動化を促すことに、必ずしも主体的・積極的であったとは言えない。
そしていま、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が声高に叫ばれるなかで、「包摂」や「共生」が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を「思考停止」に陥らせたり、ある種の「刷り込み」を可能にする恐れなしとしない。その要因や背景については、① 福祉教育が自らの思想や哲学について十分に言及せず、実践(実践科学としての性格)を重視(尊重)してきたこと、② 福祉教育がその固有性や自律性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと、③ 福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙する議論を十分に展開せず、未整理の部分が多いこと、などを挙げることができる。
それらの結果として、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して、統制的で定型化された実践活動が展開されている(されようとしている)。それはちょうど、国や県が建設・管理する道路のルートに沿って、カーナビの指示通りに車を走らせる「ヒト」(福祉教育)のようでもある。先日、筆者が長野県上田市からの帰途、心地よいスピードで、自動運転車にでも乗っているような気分のなかで思ったことである(蛇足ながら、筆者の車は絶滅危惧種のマニュアル車である)。

日本福祉教育・ボランティア学習学会についてはこれまで、格別の思いをもちながら、実に多くのことを学び、経験させていただいた。そこで多少なりとも身に付けてきた筆者なりの福祉教育実践・研究についての視点や知識、経験などはすでに、時代遅れのものになっている。そうした認識に立って、新たな視点や論点のもとでさんざんな現在(いま)を終わらせ、未来(あす)に向けて、「まちづくりと市民福祉教育」の新たな地平を拓いていただきたい、というのが本冊子のタイトルに込めた願いである。
市民福祉教育研究所の主宰者や共同研究者、そして多くの読者の皆様方には、引き続き倍旧のご厚誼を賜りますようお願い申し上げます。

                             2022年6月25日/阪野 貢

 

ⅰ~ⅱ

 

ⅲ~ⅳ

 

01/福祉教育を哲学するための初学
            ―糸賀一雄・阿部志郎・大橋謙策の言説から―

現在社会福祉の社会科学は混迷のうちにその理論的責任を放棄しがちである。それに代わって社会福祉の「価値」は一人歩きをし、ある種の無政府状態にある。「福祉の心」等が氾濫し、ソフトな精神が説かれている。戦争前夜や世紀末に、そのような精神は「慰籍」(いしゃ:なぐさめいたわること)にこそなれ、反福祉の対抗力になり得なかったことを、15年戦争で経験したことである。(吉田久一『日本の社会福祉思想』勁草書房、1994年10月、まえがき、ⅲページ)
行政は「思想」や「理論」ではなく、「思想」や「理論」に対して、行政は「禁欲」的でなければならない。社会福祉にあっては、むしろ行政と「思想」は「教育」も含めて、緊張関係が望ましい。(吉田久一『同上書』214ページ)

〇筆者の手もとに「哲学」に関する本が2冊ある。三谷尚澄(みたに・なおずみ)の『哲学しててもいいですか? ―文系学部不要論へのささやかな反論―』(ナカニシヤ出版、2017年3月。以下[1])と広井良典(ひろい・よしのり)の『福祉の哲学とは何か―ポスト成長時代の幸福・価値・社会構想―』(ミネルヴァ書房、2017年3月。以下[2])、がそれである。
〇いま、文部科学省によって、「大学改革」という名のもとで、教員養成系・人文社会科学系「学問」の「不要論」がうたわれている。また、「学問」ではなく、「実践力」の養成に特化した職業訓練機関(「専門職大学」)や資格取得機関への転換が図られている。それは、「社会」的要請によるものであるというが、その際の「社会」は(政治に大きな影響力を持つ)「財界」のことを意味する。
〇こうした潮流に対して、[1]で三谷はいう。「頼るもののない時代のただなかに、拠って立つべき足場をもたないままに放り出された人間は、どうやって日々をしのいでいけばよいのだろう。(中略)そんなときだからこそ、それほど立派でも力強くもない人間にも届くことのできる倫理の言葉を探しておく必要があるのではないか。そして、その点において、(中略)哲学と呼ばれてきた知的営みがきわめて大きな知的貢献を行なうことができるのではないか」(81~82ページ)。「論理的・批判的に思考する」能力と「箱の外に出て思考する」能力(「異質なもの」や「自分とは違った考え方や意見」に対する「感受性」や「耐性」。さまざまな状況に柔軟に対応するために必要とされる「器量」)の育成(120、151ページ)、「市民的器量(civic virtue)」「哲学の器量を備えた市民」の育成(105、195ページ)などを目的とする教育がこの国の大学から姿を消すことがあってはならない、と。

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〇政治と社会の右傾化、福祉の私事化と教育の国家統制が進んでいる。こうした現在の社会情勢のなかで、「いつか来た道」論が唱導される。しかし、その「危機」は、「時代の繰り返し」であり、歴史の繰り返しではない(吉田久一『日本社会事業思想小史―社会事業の成立と挫折―』勁草書房、2015年10月、はしがき、ⅴページ)。新しい歴史をつくるのは、草の根の民主主義であり、歴史的で社会的な内容を失うことのない「市民」による組織的・体系的な活動や運動である。
〇[2]の広井にあっては、「ポスト成長時代」の日本社会は、(a)政府の借金の際限なき累積と将来世代へのツケ回し、(b)人々の「社会的孤立」の高さ(「無言社会」)、の“危機”状況にある。と同時に、「新たなつながり」やネットワーク化を志向する動き(「関係性の進化」「関係性の組み換え」)がみられる。このような状況においてこそ、「人々の行動や判断の導きの糸となるような、新たな価値原理や社会構想が求められている」。いま、「福祉の哲学とは何か」が問われるところである(まえがき、ⅱ~ⅲページ)。なお、[2]では、「福祉」を積極的ないしポジティブな営みとして捉え、「幸福」や「公共性」「宗教」「コミュニティ」「生命」などとの関わりについて多面的・多角的な思考を展開している。それは、これまでの「福祉思想」や「福祉思想研究」とは異なる「新たな視点」からのアプローチであり、「独自の考察と構想」を提起するものでもある。付記しておく。
〇もはや旧聞に属するが、「福祉の思想や哲学」といえば筆者は先ず、「この子らを世の光に」「発達保障」の糸賀一雄(いとが・かずお)と、「ボランティアの互酬性」「コミュニティ重視志向の地域福祉」の阿部志郎(あべ・しろう)を思う。糸賀は、「福祉の実現は、その根底に、福祉の思想をもっている。実現の過程でその思想は常に吟味(ぎんみ)される。(中略)福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである」(糸賀一雄『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月、64ページ)という。阿部は、「福祉の哲学は、机上の理屈や観念ではなく、ニードに直面する人の苦しみを共有し、悩みを分ちあいながら、その人びとのもつ「呻き」(うめき)への応答として深い思索を生みだす努力であるところに特徴がある」(阿部志郎『福祉の哲学』誠信書房、1997年4月、9ページ)と主張する。二人はともに「実践的思想家」であり、それは、先駆的な現場実践(キリスト教福祉実践)を通して形成された幅の広い、奥行きの深い「福祉の思想」であり「福祉の哲学」である。なお、周知のように、「世の光」とは新約聖書(「マタイによる福音書」)の「山上の垂訓(説教)」のひとつである(「あなたがたは世の光である」)。「互酬」とは「贈与と返礼」の社会的相互行為を意味する。
〇本稿では、[1]と[2]を読んだことをきっかけに、糸賀の「この子らを世の光に」という言葉と阿部の「互酬と地域福祉」についての言説を改めて、『福祉の思想』と『福祉の哲学』から確認することにする(抜き書きと要約)。

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糸賀一雄:「この子らを世の光に」
(精神薄弱児の教育は)彼らについて何を知っているか、彼らにたいして、また、彼らのために何をしてやったかということが問われるのでなく、彼らとともにどういう生きかたをしたかが問われてくるような世界である。(51ページ)

この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。「この子らに世の光を」あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。「この子らを世の光に」である。この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。障害をもった子どもたちは、その障害と戦い、障害を克服していく努力のなかに、その人格がゆたかに伸びていく。3才の精神発達でとまっているように見えるひとも、その3才という発達段階の中味が無限に豊かに充実していく生きかたがあると思う。生涯かかっても、その3才を充実させていく値打ちがじゅうぶんにあると思う。(177ページ)

この子たちは、自己実現という生産活動ばかりではなく、もうひとつ別な新しい生産活動をしている。心身障害をもつすべてのひとたちの生産的生活がそこにあるというそのことによって、社会が開眼され、思想の変革までが生産されようとしているということである。ひとがひとを理解するということの深い意味を探究し、その価値にめざめ、理解を中核とした社会形成の理念をめざすならば、それはどんなにありがたいことであろうか。(178ページ)

阿部志郎:「互酬」と地域福祉
哲学という言葉は、「知恵の探求」という意味である。哲学は、答えそのものによってよりも、むしろ問いによって性格づけられる。哲学は学問の一分野であるが、「学問」が「問いを学ぶ」「問われて学ぶ」という字で構成されているのは興味深い。(9ページ)

福祉の哲学とは、福祉とはなにか、福祉はなにを目的とするか、さらに人間の生きる意味はなにか、その生の営みにとって福祉の果たすべき役割はなにかを、根源的かつ総体的に理解することであるが、それには、福祉が投げかける問いを学び、考えることである。それはニードの発する問いかけに耳を傾けることからはじまる。(9ページ)

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互酬は、親族・地域共同体を維持するための不可欠な行為で、今でもアジアの共同体は互酬で成り立っている。戦後の日本社会では、共同体は封建遺制として否定され崩壊の途をたどったのに、目標とするコミュニティは未だつくられていない。でも、互酬は生き続ける。香典、香典返し、結婚祝い金、引き出物、中元、歳暮の風習は、ヨーロッパ社会ではまったくみられない。しかし、共同体を維持する機能としての互酬は失われ、かつアジアの互酬を支える宗教性も日本社会にはないのが実態だ。(92ページ)

互酬制と近代型福祉、さらに伝統的ボランティアと有償型サービスとのあいだに深いギャップがあり、ときおり、雑音が聞こえぬわけでもない。アジアの共同体のなかにたくましく息づいている互酬制―分かち合いの相互扶助―に今ひとたび目を向け、そして日本の地域社会の現実を見直したうえで、自立と連帯の福祉社会を創出する発想に切り換えるのが望ましいのではないか。時代とともにニードが変わるから対応が多様化するのは当然である。その態様はどうであれ、住民が福祉を学習し、理解し、実践に参加するまちづくりを推進する必要を痛感せずにはいられない。(126~127ページ)

〇「福祉の思想や哲学」の探究は、実証的・実践的なものでなければならない。それによってその思想や哲学は広め、深められ、また新たな思想や哲学の形成が図られることになる。ここでは、筆者の姿勢が評論家的なそれであることを承知のうえで、糸賀の「この子らを世の光に」に対して伊藤隆二の「この子らは世の光なり」(『この子らは世の光なり』樹心社、1988年9月)、阿部の「ボランティアの互酬性」に対して仁平典宏の「贈与のパラドックス」(『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月)についての言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

伊藤隆二:「この子らは世の光なり」
糸賀一雄氏は戦後、最初の公立福祉施設「近江学園」をつくり、この子らの教育福祉に邁進(まいしん)し、ついに「この子らに世の光を」を「この子らを世の光に」に転回させたのである。「この子らを」というとき、われ(または、われわれ)は主体で、「この子ら」は客体になる。主体が客体に働きかけ(あるいは操作し)、「世の光に」まで高めてやるのだという発想には、ある種の傲慢(ごうまん)さがあるし、「この子ら」の本質への誤解がある。また、「この子らを世の光に」というとき、まだこの子らが「世の光」であることを認めていない。そこで教育し、きたえ、みがきをかけて、やっと世の光になりうるのだという見方である。わたくしは、この子らと長く深くかかわっているが、この子らは生まれながらにして「世の光」だと知った。正確にいうと、生まれたときから死ぬときまで、いや死んでもなお世の光でありつづける。「この子らは(そのままで)世の光である」。「この子ら」は主体であって、世を照らしつづけているのである。(223~224ページ)

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仁平典宏:「贈与のパラドックス」
阿部志郎も「互酬性」を基盤に据えたボランティア論の担い手の一人である。阿部は1973年の時点では、ボランティアの報酬性を明確に否定していたが、1994年には態度を180度と言ってもいいほど「軟化」させている。彼はまず、共同体や地域社会において不可欠な行為として「互酬性」を取り上げ、「香典―香典返し、結婚祝い金―引き出物、中元、歳暮の風習」を例示する反面、その基盤は失われてきているという。その一方で、新たに登場してきた「相互に有料で利用し、有償でサービスを提供する」「市民参加型福祉サービス」に、「互酬の近代化・組織化」を見る。彼によると、これらは「(1)会員の自主性にもとづく、(2)友愛・協同の思想にたつ、(3)有償とはいえ実費弁償的性質のもので収益を目的としない、(4)グループとして、ボランタリー・アソシエーションの性格を保つ」ことから「広義のボランティアの原則からはずれていない」と述べる。このように、ここで「互酬性」という思想財を獲得することによって、「ボランティア」という言葉は高い汎用可能性を配備することが可能になった。担い手にとって効用があると言えるなら、経験・楽しさ・友達づくり・評価・金銭的対価などを、区別なく堂々と「ボランティア」として肯定できる。<贈与のパラドックス>は、このような形で「解決」されるべきこととなった。(381~382ページ)

〇仁平の「贈与のパラドックス」(paradox:「逆説」「矛盾」)とは、贈与は行為者の真の意図とは別に、交換や見返り、偽善や自己満足などとして外部観察されがちである、という意味であろう。平易に言えば、「贈与の偽善性」「贈与の疑わしさ・怪しさ」である。ボランティアについての言説の歴史は、こうした「贈与のパラドックス」を如何に解決するかの歴史であった、と言ってよい。
〇いま改めて「福祉の哲学」の必要性を強調する一人に、大橋謙策(おおはし・けんさく)がいる(注①)。大橋は、「住民と行政との関係を上下の関係で捉えるのではなく、住民の自立と連帯を前提にし、対等の立場で問題解決を図る新たな社会哲学、社会システムが求められ、社会福祉のような歴史的に国の『社会の制度』として発展してきたものも従来にない発想が求められている」(大橋謙策『社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、30ページ)として、次の3つの「思想」を取りあげる。併せて、大橋の言説の一部を「再認識」しておくことにする(抜き書きと要約)。

大橋謙策:「博愛」の精神
第1は、フランスの近代市民革命の際にうたわれた「博愛」の思想である(自由と平等を担保する「博愛」)。

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第2は、ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンといった思想である(「社会的包摂」)。
第3は、自分たちで相互扶助組織をつくり、対応しようとする考え方である(「協同組合方式」)。(『社会福祉入門』28~30ページ)

内務省官僚・井上友一は、救済事業の精神的関係を強調して風化行政を提唱する。すなわち、救済行政は「風気善導の事、之が神髄」となり、物質的救済=経恤的行政は二の次となる。明治38(1905)年、井上らの提唱により組織された報徳会(二宮尊徳)の「教」の1つに「推譲」(すいじょう)論がある(注②)。その「貯蓄といふことと、公益、慈善といふことをば二宮翁の教では合せて推譲といふ一つの言葉で現はして居ります」とする考えと同じである。風化的救済制度は、社会事業分野だけではなく、報徳会などと結びつきながら、社会教化の役割を担っており、戦前社会教育の理論的支柱でもあった。その後の社会事業の精神性、物質性あるいは社会事業と社会教育における相違分類などに多大な影響を与えた。(大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、216~217ページ)

ソーシャルワークを展開する際の価値の1つは、人間性を尊重し、社会正義と公正を守ることであり、人々の自由と平等を保障することであるが、それらを標榜すればするほど、人々が社会的にも、個人的にも“博愛”という社会の神聖な責務を遂行することが求められる。(そのためには)伝統的な意識と行動を尊重しつつも、新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる。(『社会福祉入門』227ページ)

〇大橋はライフワークとして、全国各地で草の根の地域福祉実践の向上に取り組んでいる(「実践的研究」)が、最近の政策動向に関して、「地域福祉が“我が事”になり、その危険性を警鐘すべきである。戦前の歴史を忘れた政策は恐ろしい」という(筆者への書簡)。ここで、社会福祉の「精神性」や福祉思想による「社会教化」について思い起こしておきたい。
〇「博愛」に関しては、とりあえず次の諸点に留意したい。(1)フランス革命は、新興の「ブルジョワジー」(有産階級、中産階級)による革命である。(2)その理念は、「自由、平等、友愛」であり、「自由、平等、博愛」ではない。(3)「自由」は、多様性を保障するが、不平等を生むことにもなる。(4)「平等」は、突き詰めれば全体主義や不自由を生む。(5)「友愛」とは、他者を自分の本当の兄弟のように愛すること(社会秩序)を意味する。(6)「博愛」には、「慈善」と同様に、階級差別的な意味合いがある、などである(注③)。

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〇最後に、冒頭に記した福祉思想史研究者の吉田久一の次の一節を引いておく。

(私の)半世紀にわたる現場および研究を通じての社会福祉生活の反省と展望は、社会福祉はいつの日も社会科学に信頼を持つこと、社会福祉問題を背負いながら懸命に生きようとしている人間を見失わないこと、の二点に尽きるように思う。(吉田久一『日本社会福祉思想史』(吉田久一著作集1)川島書店、1989年9月、17ページ)

 
①「福祉を哲学する」一人に秋山智久がいる。秋山は、「福祉哲学の必要性」を次の8点に要約している。(1)平和・人権・安全の希求、(2)人間尊重の確認、(3)社会福祉の進む方向の示唆、(4)社会福祉的人間観の確立、(5)「倫理綱領」の検討、(6)実践の価値観の探求、(7)社会福祉利用者の人間としての不幸、人生の不条理の解明、(8)実践の拠り所としての価値観・人生観の提供。これらの必要性は、秋山にあっては、将来より広義の「福祉哲学」が体系化されるときに、その主要な「構成要素」ともなるものである(秋山智久・平塚良子・横山穫『人間福祉の哲学』ミネルヴァ書房、2004年6月、45~47ページ)。
②1906(明治39)年に、半官半民の「報徳会」が結成され、報徳運動が展開された。この運動では、二宮尊徳の報徳思想――「至誠(誠を尽くす)・勤労(よく働く)・分度(身をわきまえる)・推譲(世の中のために尽くす)」に基づいた、主として地主層に対する善導が行われた(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、15ページ)。
③フランス革命の理念は「自由、平等、友愛」である。「自由」は放置すればアナーキズム(無政府主義)に行き着く。「平等」は突き詰めたら全体主義や共産主義になる。「友愛」は友を愛するであり、他の宗教や民族は除外される。「博愛」とは違う(中川淳一郎・適菜収『博愛のすすめ』講談社、2017年6月、35、98ページ)。

 

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02/民俗としての福祉」と「福祉教育の目的」
        ―岡村重夫の「1976年論文」を起点に―

〇春が戻ってきた(内山節の「横軸の時間」)。筆者は、定年を契機に、年金で生計を維持しながら、80坪ほどの農地で自家用野菜を育てる(「定年百姓」「年金百姓」になれるわけがない)家庭菜園者でもある。それが、「老人」(※)である自分の新たな生きがいやレクリエーションになっている。いまは、毎晩のように食卓に上がる“つみ菜”の春の香りを楽しんでいる。昨日(3月5日)は、春ジャガイモの植え付けをおこなった。

※民俗学者の宮田登(みやた・のぼる、1936年~2000年)は、『老人と子供の民俗学』(白水社、1996年3月)で、〈おい〉には「盛りを過ぎた」という語感がある〈老い〉と、「追加する」というイメージがある〈追い〉の二つがある。落ち目になっていくというマイナスの〈おい・老い〉を意味する前に、プラスイメージの〈おい・追い〉があった、という(5~6ページ)。
※農(百姓仕事)は季節による単純な繰り返しの作業ではなく、自然を相手にした繊細で創造的な仕事である。アメリカの精神科医で老年学者のジーン・コーエンは、『いくつになっても脳は若返る』(野田一夫監訳、ダイヤモンド社、2006年10月)で、「創造性」は年をとるとより一層深まり、豊かになり得る。ガーデニングは「小さな創造性」が発揮しやすい分野である、という(225、227ページ)。

〇筆者の手もとに、安室知(やすむろ・さとる)の『都市と農の民俗―農の文化資源化をめぐって―』(慶友社、2020年2月)という本がある。この本では、「現代日本における農の存在意義について、生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度から捉え直し」ている。その際の切り口は、都市や農村における「農の文化資源化」である。「文化資源化」とは、「人が遺伝的に獲得したもの以外のすべてを文化とし、それを何らかの目的をもって資源として利用すること、および利用可能な状態にすること」をいう。安室にあっては「現代民俗学においては、文化資源化は避けて通ることができない問題である。現代において民俗伝承とされるものは、程度の差こそあれ、商品化や観光化など何らかの形で資源化されているといってよい」(9ページ)ここで筆者は、都市における「市民農園」とともに、無農薬・有機栽培野菜の商品化やグリーン・ツーリズム(農山漁村地域における滞在型の交流・余暇活動)、棚田のオーナー制度や観光などを思い出す。
〇筆者が暮らす岐阜県S市は、700年以上の伝統をもつ“刃物のまち”として知られている。まちには何故か、喫茶店と寿司屋が多い(筆者にはそう思える)。住民に

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は、労働に追われることから、また家事時間の削減を図るために喫茶店で「モーニング」の朝食をとり、夕食を外食ですませる習慣があるのであろうか。それは、S市の刃物産業は部品製造業者と工程加工業者による社会的分業体制が採られていることから、零細企業や家内工業が多いことによると思われる。また、喫茶店や寿司屋は、コミュケーションや接待・商談の場となっているのであろう。
〇喫茶店の「モーニング」といった“日常の実際の暮らし”“人間の生”を民俗学の視点で探り、それを「ヴァナキュラー(vernacular)」と称して、「現代民俗学」(「現代学」としての民俗学)の研究対象とする本がある。島村恭則(しまむら・たかのり)の『みんなの民俗学―ヴァナキュラーってなんだ?―』(平凡社、2020年11年)がそれである。この本で、島村は、「ヴァナキュラー(俗)」について次のように定義づけている。「民俗学とは、人間(人びと=〈民〉)について、〈俗〉の観点から研究する学問である」。その際の「〈俗〉とは、①支配的権力になじまないもの、②啓蒙主義的な合理性では必ずしも割り切れないもの、③「普遍」「主流」「中心」とされる立場にはなじまないもの、④(支配的権力、啓蒙主義的合理性、普遍主義、主流・中心意識を成立基盤として構築される)公式的な制度からは距離があるもの、のいずれか、もしくはその組み合わせのことをさす」(16、31ページ)。
〇別言すれば、〈俗〉とは、「対覇権主義的、対啓蒙主義的、対普遍主義的、対主流的、対中心的、対公式的な観点を集約的に表現したもの」(30、107ページ)である。それらの観点を持ち、それらの世界を研究対象とするのが「民俗学」である。島村によると、こうした観点や志向は、「日本の民俗学の基底部に確実に存在している」(29ページ)。なお、「覇権」とは「強大な支配的権力」(20ページ)を意味し、「啓蒙」とは「非合理的な世界にいる無知蒙昧な人を、明るい世界に導いて賢くすること」(17ページ)、「普遍」とは遍(あまね)く通用すること、を意味する。
〇周知の通り、「日本民俗学の創始者」と言われる人に柳田國男(やなぎた・くにお、1875年~1962年)がいる。その柳田民俗学に対して批判的な論陣を張る民俗学者に赤松啓介(あかまつ・けいすけ、1909年~2000年)がいる。筆者の手もとに、赤松の『差別の民俗学』(筑摩書房、2005年7月)という本がある。赤松は例えば、次のように批判する。「柳田系民俗学の最大の欠陥は、差別や階層の存在を認めようとしないことだ。いつの時代であろうと差別や階層があるかぎり、差別される側と差別する側、貧しい者と富める者とが、同じ風俗習慣をもっているはずがない。差別する側、富める者は、どうすれば自分の優位を示せるかを、いつの場合でも最大の関心にしている」(165ページ)。
〇赤松にあっては、民俗学は、伝承(「口頭伝承」「民間伝承」)や民俗に内在する階級性や差別論理と切り結び、それを読み解くことに意味があり、避けがたい必然がある。そして、日本社会の重層的な差別構造を見据えて、「解放の民俗学」を標榜し、「実践の民俗学」に執着する。赤松はいう。「一般の民俗学と、私たちの民俗学はどこが違うのか。

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権力や行政の民衆支配に協力するための調査、学術的研究のためという学閥的、また立身出世型のタネ探し、そうしたものがこれまでの民俗学であったといえる。(中略)解放の民俗学は、立身出世や金儲け、憐憫(れんびん。情けをかけること)などとは無縁のものである。あらゆる底辺、底層からの民俗の堀り上げ、掘り起こし、その人間性的価値の発見と、新しい論理、思考認識の道を開くということであろう。しかし、それは今後においても、とうてい平坦な道ではありえないのである」(116~117ページ)。
〇唐突であるが、ここで想起されるものに、岡村重夫(おかむら・しげお、1906年~2001年)の論稿「福祉と風土―民俗としての福祉こそ基底―」がある。日本生命済生会社会事業局発行の雑誌『地域福祉』1976年3号(通巻121号)、1976年7月、4~9ページに掲載されている。岡村がそこで指摘することは、「われわれの社会生活や個人意識は、強く日本の風土によって規定される事実、従ってまたその共同生活を基盤とする社会福祉も、日本特有の風土性をもつという事実」(6ページ上段)である。
〇岡村はその論稿で、「民俗としての福祉」について概念規定はしない。ただ、福祉を「生活の次元」で捉えれば、福祉は風土によって規定され伝承された共同生活上の「生活の知恵」「生活の工夫」であり、「風土の産物」である、とする。次の一節を引いておく。

福祉とは、すぐれた人々の日常生活上の困窮に対する地域住民の共同的な援助に由来するものであると考えるならば、それは、人々の日常生活のいとなまれる環境、すなわち歴史的であると同時に空間的、自然的な風土との関連を無視することはできないであろう。社会福祉は政府の政策である以前に、すでに生活者が共同生活を守るために工夫した、いわば「生活の知恵」であった。(4ページ下段~5ページ上段)

主として輸入文化に支えられた官製社会福祉や専門家の社会福祉論と、民俗としての社会福祉も、また二重構造的に考えられるけれども、重要なことは、民俗としての福祉こそが基底となって、その上に社会福祉政策や社会福祉文化が消長するということである。福祉の風土とは、まさしくこの基底部分であると考えられる。そしてこの基底部分が掘りくずされ、分解しないためには、外来の上部構造に対して、生活者の見解を対置させ、近視眼的な専門家や法律を鋭く批判しなければならない。(9ページ下段)

〇古くは一番ケ瀬康子(いちばんがせ・やすこ、1927年~2012年)の指摘(「社会事業諸技術の文化的基盤」『社会事業』1958年2月号、全国社会福協議会)を引用するまでもなく、欧米の社会福祉やソーシャルワークの理論や思想、価値や倫理については、直輸入的に摂取し定着を図るのではなく、日本の文化や風土、日本人の国民性、社会構造や生活環境の特質などを十分に踏まえた日本的展開が求められる。ここで思い起こしておきたい。安易な輸入理論や思想(なかでも周回遅れのそれ)への依存には、十分注意すべきである。

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〇ところで、「1976年」と言えば、岡村重夫の「福祉教育の目的」と題する論稿を思い出す。それは、伊藤隆二・上田薫・和田重正編著『福祉の思想・入門講座 ③福祉の教育』(柏樹社、1976年4月)の13~36ページに収められている。そこで岡村は、「福祉教育」は社会福祉の専門的知識や技術をもった福祉事業従事者を養成する「福祉専門教育」ではなく、一般市民の地域社会における福祉問題や社会福祉に対する関心を高めるものである(「福祉一般教育」)として、次のように述べている。

福祉教育の目的は、単に現行の社会福祉制度の普及・周知や「不幸な人びと」に対する同情をもとめることではなくして、社会福祉の原理ともいうべき人間像ないしは人間生活の原点についての省察を深めることであり、この省察にもとづく新しい社会観と人類文明の批判をも含まなくてはならないであろう。さらに言うならば、このような新しい社会観や生活観にもとづく具体的な対策行動の動機づけによって、福祉教育の目的は完結するものである。(19~20ページ)

〇そして、岡村にあっては、「真の福祉教育の目的」は具体的に以下の3点に集約される。そのなかで岡村は、次のように厳しく指摘する。福祉教育において「外在的な社会制度の欠陥を指摘する場合に、自分の内面的な偏見や人間観を自己批判することなしに、(あるいは)ひとの内面的文化を問うことなしに、単なる同情心や恩恵をよりどころとした『外面的福祉』の世論を造成することは、(それが)実現すればするほど福祉サービスの対象者は『気の毒なひと』として一般社会から疎外される結果になり終わり、福祉教育の目的は自己矛盾に陥らざるをえない」(34ページ抜き書き)。いまだに観念的な「福祉の心」や「思いやりの心」を育成する福祉教育が叫ばれ、その表層的な実践が展開されているなかで、改めて強く認識すべき指摘である。

(1)福祉的人間観の理解と体得
社会福祉は、その根底において独自の人間観に支えられねばならない。社会福祉の人間観は、社会的=全体的=主体的=現実的存在としての人間像である。この人間像の基礎にある仮説は、すべての個人が生活者であり、生活はいかなる場合にも、自己自身を貫徹してやまないということである。社会福祉の人間観は、抽象的に、あるいは観念的に「人格の尊厳」を主張するのではなく、具体的な生活者としての個人の重み、生活の重みを主張するものである。(31~32ページ抜き書き)
(2)現行社会制度の批判的評価
現在の社会制度によって福祉的人間性を無視せられ、そのような人間像による自己実現を妨げられている個人の生活実態を明らかにしなくてはならない。福祉教育の目的は、現行の社会制度から疎外され、「社会的・全体的・主体的・現実的な人間

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像」実現の機会を奪われている人が、どこに、またどれだけいるかを認識させることでなくてはならない。このことによって、福祉教育は、単なる人間観の教育よりすすんで具体的な教育目標をもつことができる。(33ページ)
(3)新しい社会福祉的援助方式の発見
福祉は本質的に社会福祉である。その「社会」とは、対等平等の個人によって形成される共同社会(コミュニティ)であり、社会福祉は、「慈善」や「施し」ではなくて、対等平等の個人が相互に援助し合う相互援助を本質とする。対等平等の個人が、全体的な自己実現の機会を提供されるように組織化された地域共同社会において、人びとはサービスの客体であると同時に主体にもなりうるような相互援助体系こそ、福祉的人間観から発展する新しい社会福祉体系である。その体系のなかで社会の果たすべき責任と個人の果たすべき責任とを明確にすることが福祉教育の第三の目的である。(35ページ抜き書き)

〇「民俗としての福祉」は、岡村の着想を手がかりに、今後洗練されるべき「形成途中の概念」(岡田哲郎)であると評される(福山清蔵・尾崎新編著『生のリアリティと福祉教育』誠信書房、2009年3月、180ページ)。また、「生活主体者の論理」を強調する岡村理論には、地域福祉の主体形成や福祉教育についての論究がほとんどみられないと言われる。そんななかで、「生活の知恵」「生活の工夫」としての「民俗としての福祉」という概念の明確化を図る。個人の社会生活の実態を生活者の目線に立ち、国の政治や経済とは別の角度や位相から捉え直す。そして、それを基底として地域住民の「相互援助の地域共同社会」に対する理解やそれに基づく行動のあり方を問う。それがいま、「福祉教育」実践や研究に改めて求められるひとつの歴史的・社会的視点や認識であろう。岡村の「民俗としての福祉」と「福祉教育の目的」の「1976年論文」は、その点においても注目すべき論稿(論考)である。「民俗としての福祉」と「(市民)福祉教育」の親和性・関連性に留意したい。
〇「人間(「民」)が遺伝的に獲得したもの以外はすべて文化」であり、「俗」である。それゆえに、民俗学はすべての学問の基底に位置づく。民俗学は非普遍や非主流、非中心などの民俗事象を研究対象とする。それゆえに、民俗学は「グラスルーツ(草の根)の学問」とも呼ばれる。また民俗学は、普遍や主流、中心などとされる側の基準によって形成された知識体系を相対化し、それを乗り越える知見を生み出そうとする学問である(島村恭規、30、256ページ)。「民俗としての福祉」の延長線上に「福祉民俗学」が構想されるとすれば、それは一面においてこうした民俗学に通底するものであろう。そしてそこに、生活主体者としての一般市民に対する福祉教育の新たな論理が見出される、あるいは見出すべきであろう。
〇なお、「福祉民俗学」を提唱するひとりに柴田周二(しばた・しゅうじ)がいる。柴田にあっては、「『福祉民俗学』を提唱する主たる理由は、福祉文化の基礎

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としての自立と協同の人間関係の根底に存在する、福祉をうけることを権利とする個人の協同を支える小集団をいかに形成するか、あるいはそれが形成されるための課題は何かを探究することである」(『福祉文化研究』Vol.24、日本福祉文化学会、2015年3月、63ページ)。別言すれば柴田は、「福祉社会を支える福祉文化の基礎を個人の自立と協同の人間関係とそれを支える小集団の形成に求め、福祉文化のあり方を、制度面だけでなく、人々の生活態度の面から考察する学問を『福祉民俗学』として位置付け、その方法と課題について」考察する(『人間福祉学研究』第10巻第1号、京都光華女子大学、2017年12月、8ページ)。
〇また、六車由実(むぐるま・ゆみ)は、「介護現場は民俗学にとってどのような意味をもつのか?」、「民俗学は介護の現場で何ができるのか?」という二つの方向性から問題提起をしようとして「介護民俗学」を掲げる。その際の問題意識のひとつは、「民俗研究者が地域で行っている聞き書きや調査が、地域の高齢者の介護予防につながる地域資源になりうるのではないか」ということにある(『驚きの介護民俗学』医学書院、2012年3月、6、227ページ)。本稿の最後に、六車の次の一節を引いておくことにしたい。

これまで民俗学は、地域の民俗の保存とそれを使った地域活性化という点で、地域づくり、まちづくりには積極的に関わってきた。高齢化がますます進み、在宅介護が地域における切実な問題となる今後は、このように高齢者が地域で暮らしていくことを支える介護予防事業に関わっていくことが、実践的な学問である民俗学に対して求められていくのではないだろうか。/だが、一方で私は、「介護予防」という言葉に少なからぬ違和感を覚えている。/介護予防という言葉には、介護は予防されるべきもの、という考え方が露骨に反映されている。/要介護状態になることは人間にとっては誰しもが迎える普遍的なことであり、(中略)介護を問題化するのではなく、介護を引き受けていく社会へと日本社会を成熟させていく(ことが必要である。)/そこで私は、「介護準備」という言葉を使ってみたい。(227~228ページ)

謝辞
本稿を草するに際しては、日本福祉大学の副学長・原田正樹先生と付属図書館にご高配を賜った。記して感謝申し上げます。

 

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03/「大橋福祉教育原論」再考の視座と枠組み
         ―新たな思考軸の構築をめざして―

福祉教育とは、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(「学校外における福祉教育のあり方と推進」全社協・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月、15ページ)。

〇ここ10年ほどの福祉教育学界は、地域福祉の主流化が進むなかで、良しにつけ悪しきにつけ、その視座が「教育と福祉」から「地域福祉と福祉教育」に矮小化され、俯瞰的議論から遠ざかっているようである。また、実践を支える理論や思想・価値、歴史などへの関心は未だ低い。実践方法の原理・原則の探究が不十分であり、理論的枠組みも不明確な福祉教育実践論が展開されているようでもある。

1 福祉教育の概念規定
〇上記の福祉教育の概念規定は、30年以上も前に大橋謙策によってなされたものである。今日においてもしばしば引用される。この概念規定以外にも、「福祉教育とは何か」について論考したものは複数、捉え方によっては多数あるが、大橋のそれがよく援用される。それは、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因するといってよい。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのであろう。
〇周知のように、全社協・全国ボランティア活動振興センターが1980年9月、「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)を設置し、翌1981年11月に「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」について研究の中間成果を纏め、報告した。委員会の設置は、全国各地で福祉教育実践の進展が図られ、学校における福祉教育のあり方について一定の理論的整理が求められるようになってきたことへの対応であった。次いで、1982年9月に第2次の「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)が設置され、翌1983年9月に「学校外における福祉教育の

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あり方と推進」と題する中間報告が行われた。大橋の福祉教育の定義は、第1次ではなく、「第2次福祉教育研究委員会」報告のなかで述べられている。そこではまた、次のように述べられている。「社会教育行政における福祉教育の促進には二つの視点が『車の両輪』としてなければならない。第一は、国民が社会福祉問題を学習し、それへの関心と理解を促進させる福祉教育活動の促進であり、第二には、今日の社会福祉問題の中心的課題を担っている障害者、高齢者の社会教育(学習、文化、スポーツ活動)の促進である」(15ページ)というのがそれである。後者(「第二」)に関してはさらに、「今日の社会福祉サービスの主たる対象である障害者、高齢者の学習、文化、スポーツ活動を豊かに促進させることが、国民の障害者観、老人観を変え、ひいては社会福祉観を変えて、ともに生きていく街づくりをすすめる上で重要」(16ページ)であるとされた。
〇ところで、大橋のこの定義は、全社協の「第2次福祉教育研究委員会」報告以前の1982年3月、神奈川県の「ともしび運動促進研究会」(委員長・大橋謙策)が編集し、「ともしび運動をすすめる県民会議」が発行した『ともしび運動促進研究会中間報告』で述べられている(4ページ)。「ともしび運動」は、長洲一二県知事の提唱によって、1976年10月から展開された行政・県民協働の福祉コミュニティづくり(自立と連帯のまちづくり)運動である。具体的には、「障害者の自立促進を」「おとしよりに生きがいを」「連帯感にあふれた地域社会づくり」などをその目標とし、「『ともしび運動』によってすすめられるべき課題の第一は“福祉教育の促進”である」(4ページ)とされた。
〇以上を要するに、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて高齢者や障がい者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視座に注目しないと、その定義や所説を読み解くことはできないということである。

2 福祉教育と「社会福祉問題」
〇先に記した大橋の福祉教育の定義についてその構成要素を弁別すると、次のようになる。(1)憲法第13条、第25条等に基づく人権思想をベースにする。(2)歴史的・社会的存在としての社会福祉問題を素材とする。(3)社会福祉問題との切り結びを通して、社会福祉制度や活動への関心と理解を進める。(4)社会福祉問題を解決する実践力を身につけるために、実践に基づく体験学習を重視する。(5)「自立と連帯の社会・地域づくり」の主体形成を図る、などがそれである。
〇大橋の定義における鍵概念のひとつは「社会福祉問題」である。大橋は、1981年2月に刊行された吉田久一編『社会福祉の形成と課題』(川島書店)所収の論文「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」(231~249ページ)で、高度経済成長期以降、「社会福祉問題の国民化と地域化」(大橋謙策『地域福

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祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、3~11ページ)が進んでいるが、地域で福祉問題を解決するためには、それができる「住民の形成とネットワークづくり、とりわけそこにおける住民参加の問題」(238ページ)が重要であり、焦眉の課題であるとする。そのうえで、地域福祉の主体形成のための福祉教育の必要性と、福祉行政の「地方分権主義」への転換を図り、地方自治体が自律性をもって「地域社会福祉計画」を住民参加のもとに策定することの必要性を指摘している。
〇福祉教育が学習素材とする「社会福祉問題」、とりわけ高度経済成長期以降のそれは、大橋にあっては、「戦前の大河内一男の社会政策と社会事業という整理や戦後の孝橋正一の社会問題と社会的問題という整理でも、包含できない課題として創出されてきた」(231ページ)。公害・環境問題と外的な生活破戒、過疎問題と家庭破戒、過密問題と生活の共同的集団的再生産機能の弱まりと不安定化、合理化・機械化による生活リズムの破戒や老人福祉問題の深刻化などが、「従来の問題にくわえてあらわれてきた」ものである(232~234ページ)。
〇地域住民のこれらの具体的な生活破戒の“状況”については、簡潔明瞭にカテゴライズしても、他の領域や次元の“状況”で説明するだけではその本質に迫ることはできない。社会福祉問題の分析は、それを現代社会の仕組みと運動法則によって必然的に生み出される構造的な「社会問題」として、社会科学的に捉えることによってはじめて可能となる。そうした分析のうえで、その問題解決に向けて、批判的・論理的かつ創造的に思考・判断・実践する“力”の育成・向上をいかにして図るか。そのための福祉教育実践の具体的展開について検討することが求められる。
〇以下に、上記の論文中から、「福祉教育と地域福祉の主体形成」に関する叙述部分を記しておく。大橋の「福祉教育の理念と実践の構造」についての所説の基本的部分(特色)を概観・俯瞰することができる。

福祉教育は、国民が社会福祉を自らの課題として認識し、福祉問題の解決こそが社会・地域づくりの重要なバロメーターとして考え、共に生きるための福祉計画づくり、福祉活動への参加を促すことを目的に行なわれる教育活動である。したがって、福祉教育は少なくとも次の諸点を構成要件として意識的に行なわれてこそ意味がある。
第一は、差別、偏見を排除し、人間性に対する豊かな愛情と信頼をもち、人間をつねに“発達の視点”でとらえられる人間観の養成、第二に社会福祉のもつ劣等処遇観、スティグマ(恥辱)をなくすことが必要で、そのためには国民の文化観、生活観を豊かにすることに他ならないこと、第三に、人間は人々との豊かな交流の中で生きる以上、生活圏の狭い障害者等の社会福祉サービス受給者の生活がいかに非人間的であるかをコミュニケーションの手段も含めてとらえられること、第四に複雑な社会における歴史的、社会的存在としての福祉問題を分析できる社会科学的認識が必要なこと、第五に今日の福祉は、福祉行政の中でも細分化されているが、その

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解決には関連行政たる労働行政、教育行政、保健衛生行政などを含めて地域的課題を総体的にとらえる力が必要であること、の五つを基本に、情報の周知徹底、体験・交流などによって感覚として体得することなどが方法論的にも加味されて、はじめて福祉教育の実践といえる。
福祉教育は、住民の福祉意識を変え、福祉問題をトータルにとらえ、問題解決のための福祉計画づくり、具体的解決のための実践などを行なえる住民の形成であり、それこそ地域福祉の主体形成といえよう。(243ページ)

3 福祉教育と「地域福祉の主体形成」
〇大橋は、岡本栄一によって「住民の主体形成と参加志向の地域福祉論」と評されるように、「地域福祉の主体形成」を重視する。その点について、大橋は、前記の著書『地域福祉の展開と福祉教育』において、「地域福祉の主体形成のしかたと主体として形成されるべき力量には、次のような7つのことが考えられる」とした。(1)社会福祉に関する情報提供による関心と理解の深化、(2)地域福祉計画策定への参加と政策立案能力、(3)社会福祉行政のレイマンコントロール(政治や行政の一部を一般市民に委ねること:阪野)、(4)社会福祉施設運営への参加、(5)意図的、計画的な福祉教育の推進、(6)地域の社会福祉サービスへの参加(ボランティア活動)による体験化と感覚化、(7)社会福祉問題をかかえた当事者の組織化と当事者のピア(仲間、peer)としての援助、がそれである(46ページ)。その後、大橋は、この「地域福祉の主体形成」(「住民の主体形成」)の7つの「枠組み」を整理し、「『地域福祉の主体』形成には、4つの課題がある」として、4つの主体形成の枠組みを提示する。すなわち、(1)地域福祉計画策定主体の形成、(2)地域福祉実践主体の形成、(3)社会福祉サービス利用主体の形成、(4)社会保険制度契約主体の形成、である(大橋謙策『地域福祉論』放送大学教育振興会、1995年3月、75~82ページ)。それは同時に、福祉教育の課題でもある。
〇この大橋の4つの主体形成については、7つから4つに“綺麗”に整理・集約された故にか、4つの側面が並列的に理解されがちで、その内的・構造的な相互関連性の把握を困難なものにしている。主体としての「住民」は、基本的には労働主体と(労働以外の)生活主体の統一的存在であろうが、政治主体・経済主体・文化主体であり、また地域の自治主体や変革・創造主体でもある。「住民」はこれらの側面を重層構造的にもつ存在である。地域の自治主体や変革・創造主体に関していえば、住民主体の社会福祉問題の解決や「自立と連帯の社会・地域づくり」を推進するためには、個人的主体形成のみならず集合行為主体や運動主体の形成が必要かつ重要となる。こうしたことを踏まえたうえで、地域福祉(住民)の主体形成を促進する福祉教育実践の内容や方法について具体的に検討することが肝要となる。

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4 「大橋福祉教育論」に対する批判
〇以上が、「社会福祉問題」と「主体形成」の鍵概念を中心にみた「大橋福祉教育論」の概括である。こうした大橋の所説に対してこれまで、「地域福祉と福祉教育」を説く地域福祉研究者からの系統的な批判はあまりみられない。それは、大橋の所説が一定の理論体系を作り上げていることによるが、大橋のそれが「福祉教育原理論」として前提され、そのうえで立論されていることにもよるといってよい。そういうなかで、生涯学習やESD(持続可能な開発のための教育)の研究者である松岡廣路が、論文「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」(『持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習(日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要)』第14号、2009年11月、8~23ページ)において、大橋の所説に批判的考察を加えている。
〇松岡の大橋批判は、大橋の福祉教育の定義は「汎用的であるがゆえに、同時に、脆弱性を併せもっている」。「脆弱性を項目化すると、<未分化な学習者像>、<社会福祉活動の内実の曖昧さ>、<楽観的な社会形成ビジョン>、<教育概念の曖昧さ>と約言できる」(13ページ)、というものである。そして、松岡は、「脆弱性の高い『福祉教育』の定義に基づいてしまうと、時代の大きな物語に押し流され、重要と思われる要素が外延化され、体制的要素を内包とする対象化(理論化)と実践化が、当然のごとく進んでいく。福祉教育が、現実と理想の拮抗関係の中に位置することを意識し、従来の枠組みを等閑視しないという批判的な姿勢を保つことが、今まさに重要である」(16ページ)として、「批判的創造性」の観点の必要性と重要性を説いている。松岡の批判は必ずしも、「大橋福祉教育論」をその理論的体系化の過程も視野に入れて、総合的・体系的に行うものにはなっていない。とはいえ、「社会的・福祉的課題の解決に不可欠な『批判的創造性』が、実践における学びの目標・内容(いわゆる『学びのベクトル』)から排除されている」(16ページ)という指摘は、首肯されるところである。

5 「大橋福祉教育論」再考のための枠組み
〇ある理論や所説を、内在的にしろ外在的にしろ批判的に考察するためには、その枠組みを構造的に捉え、それを主体的に再構成することが求められる。その点において、「大橋福祉教育論」を超える新たな福祉教育論の理論的枠組みを構築し、新たな実践方法を創造するためには、先ずはいま一度「大橋福祉教育論」の理論的枠組みの構築化の過程を時系列的に把握するとともに、その枠組みの構造を総合的に理解する必要がある。そこで、以下では、そのためのひとつの方法として、大橋が行った福祉教育についての2つの「講演」からそのレジュメの枠組みと項目をみることにする。日本福祉教育・ボランティア学習学会の第2回大会と第10回大会での講演である。

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(1)福祉教育・ボランティア学習の理論化と体系化の課題(第2回大会・基調講演/1996年11月23日/日本社会事業大学)

出典:『日本福祉教育・ボランティア学習学会第2回大会』1996年11月、5~9ページ。

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〇地域づくりや地域福祉の主体「形成」は、福祉「教育」やボランティア活動(ボランティア「学習」)が推進されればそれで可能になるものではない。それは、子ども・青年や成人などの地域住民が、地域の社会福祉問題の本質を科学的に理解・分析し、変革的・創造的に問題解決を図ることのできる“力”を獲得し、しかもそれを具体的・現実的に行使することによって初めて可能となる。その主体形成ができなければ、福祉を学ぶことやボランティ活動は単なる「善行」にとどまり、無批判的で体制適応(順応)的な住民主体を形成することになる。福祉教育は「両刃の剣」になりかねない、といわれるところである。
〇そういう意味からも、上記の枠組みと項目のなかから、ここではとりわけ「形成と教育と学習」について留意しておきたい。それは、上述の松岡が、大橋の定義は「意図的な活動」と明記されていることからも「福祉教育が、ややもするとフォーマルな教育が中心であるとの理解(誤解)を許す脆弱性を有している」(15ページ)と指摘する点に関わることである。
〇大橋の指摘を俟つまでもなく、福祉教育を進めるにあたっては、その対象である子ども・青年あるいは成人などの「学習者」の発達特性や発達課題、学習者が置かれている状況などを理解すること(「学習者理解」)が重要となる。それは、「人格発達論」(「人間発達論」)にまで深められなければならない。そのうえで、子ども・青年や成人の、地域づくりや地域福祉の「形成」と「教育」と「学習」との関係を改めて考えてみる必要がある。
〇宮原誠一によると、「形成」は、人間の社会的生活における自然成長的な過程として捉えられる。それが豊かであることによってはじめて、組織的体系的な制度であり、目的意識的な過程としての「教育」が成り立つ。換言すれば、人間の「形成」の過程を、それぞれの時代の社会、政治、経済、文化の必要に基づいて「望ましい方向」に制御しようとする人間の努力が「教育」という営為である。宮原にあっては、広義の「教育」は「形成」と呼ばれるべきであり、学校教育や社会教育などの狭義の「教育」は「形成」を前提とする。すなわち、狭義の「教育」は、人間の「形成」のうちにあるひとつの営為であり、「形成」の過程に内包されるひとつの要因に過ぎない。
〇「形成」は、人間が社会的生活そのものによって“形づくられる”過程である。それは、第一次的には社会的・自然的環境によって行われる。とすれば、「形成」は「学習」なしには成り立たず、「学習」は「形成」に不可欠なものとして位置づけられる。そこから、「形成」と「教育」の関係は、「学習」と「教育」の関係になる。その関係について、勝田守一は、「学習のないところに教育はない」「教育は学習の指導である」という。勝田にあっては、「形成」にはその前提として「学習」があり、「形成」は自己の希望や意欲による目的意識的な営為である。従ってそれは、「自然成長的」(宮原)ではない(佐藤一子・ほか「宮原誠一教育論の現

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代的継承をめぐる諸問題」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第37巻、東京大学、1997年12月、311~331ページ。宮崎隆志「教育本質論における宮原誠一と勝田守一の差異について」『北海道大学大学院教育学研究科紀要』第83号、北海道大学、2001年6月、1~24ページ、等参照)。
〇いずれにしても、宮原と勝田の「形成」「教育」「学習」などをめぐる「教育」の概念や本質についての再検討は、福祉教育やボランティア学習の概念把握や本質理解に対してひとつの視座やアプローチの仕方を与えてくれるであろう。地域づくりを担う子ども・青年や成人などの多様な実践・運動主体の育成・確保が求められ、市民活動や教育活動のあり方が厳しく問われている今日、その再検討の意義は大きいと考えられる。それは、宮原と勝田は、「連帯」の概念を基底に地域を捉え、勝田は「自立と連帯」の場として地域を理解する。そのうえで、“地域づくりと教育実践(地域教育計画)”について言及するからでもある。

(2)学会の新たなる10年に向けて~福祉教育・ボランティア学習学会の今後の課題―学会創設10年の総括~(第10回大会・総括講演/2004年11月28日/神奈川県立保健福祉大学)

出典:「実践と研究の未来」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報(10周年記念)』第10号、2005年12月、91ページ。

〇学校は、「学習者」(生徒)と「指導者」(教師)、その両者を媒介する「教材」(教育内容)によって構成される。そこでの教育活動は、教科活動と教科外活動(道徳、特別活動、総合的な学習の時間)、学習指導と生活指導という2つの領域や機能に分けられる。また、教科活動と教科外活動、学習指導と生活指導はともに、学校や教育活動の理念や目的・目標を達成するうえで重要な機能を果たすものであり、学校教育において重要な意義をもつ。教育の理念や目的・目標の明確化なくして、学習者の主体的・創造的な学習活動や指導者の意欲的・積極的な学習・生

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活指導は促進されず、教育の成果を期待することはできない。そこから、教育の「理念・目的・目標」は、学校や学校教育の構造を成す重要な内部要素であるといえる。そして、「理念・目的・目標」「学習者」「指導者」「教材」は、相互に作用・影響し合い、相乗効果を生み出すものとして存在する。
〇こうした認識に立って、以上の枠組みと項目から、ここでは「福祉教育の構造」に関する研究・実践課題について一言する。
〇管見によれば、福祉教育は、(1)理念・目的・目標、(2)学習者、(3)指導者・支援者、(4)素材・教材、(5)教育内容・方法(評価を含む)などによって構造化される(「福祉教育の構造」)。それらの構成要素のうち、例えば(1)については、福祉教育(「市民福祉教育」)は、「自立(independence)と自律(autonomy)、共働(coaction)と共生(symbiosis)」という理念のもとで、「福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図る」ことを目的とする。福祉教育は、そのために、地域の「社会福祉問題」を発見・理解・解決するための横断的・重層的な実践プログラムを開発・編成し、地域を基盤とした総合的・複合的な「地域をつくる学び合い」(東京都生涯学習審議会答申「地域における『新しい公共』を生み出す生涯学習の推進~担い手としての中高年世代への期待~」2002年12月)の支援を行う教育営為である、といえる。
〇そう考えたとき、(2)に関しては、「子ども・青年」のみならず、「成人」(中高年世代)の状況について分析・理解すること(「学習者理解」)。(3)に関しては、求められる資質・能力や知識・技能とは何かを探究し、その育成・向上を図ること(「指導者・支援者育成」)。(4)に関しては、学習者の問題意識や学習意欲を喚起し、教育(学習)目標を達成するために、身近な地域・生活「素材」(具体的事象)を掘り起し、「教材」化すること(「教材開発」)。(5)に関しては、地域(「地元」)や「まちづくり」に焦点をあてたカリキュラムやプログラムを開発・編成し、実施・展開、評価すること(「プログラム編成」)、などが求められる。これらは、福祉教育における普遍的な課題でもあるが、人権侵害や立憲主義・民主主義・平和主義の後退、福祉や教育の改悪・切り捨てなどが激しく進行するいまこそ、福祉教育を体制内的な教育営為にしないためにも、自律的・批判的・創造的に取り組むことが求められる重要な研究・実践課題であるといえよう。
〇周知の通り、教育の形態は大きく次の3つに分類される。(1)定型教育(formal education:制度化された学校において、構造化されたカリキュラムに基づいて教師と生徒の関係によって展開される教育。学校教育など)、(2)不定型教育(non-formal education:学校の教育課程として行われる教育の外部において、一定の学習者に対して、ある学習目的を達成するために意図的・組織的に行われる教育。社会教育など)、(3)非定型教育(informal education:日常的な生活経験(体験)や環境によって、知識や技能などを習得する無意図的・非組織的な教育。家庭教育など)、がそれである。

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〇福祉教育はこれまで、学校における福祉教育を中心にしながらも、学校外における福祉教育、成人を対象とした社会教育における福祉教育等の多様な分野で実践展開が図られてきた。具体的には、家庭や学校をはじめ、社協や公民館、福祉施設、民生委員・児童委員、NPO・ボランティア団体、自治会・町内会、企業、その他の関連施設・組織・団体などが、多様な“機会”や“場”を設けて福祉教育に取り組んできている。これまでの経過や現状・実態を踏まえると、福祉教育は、子ども・青年や成人などの地域住民を対象に、フォーマル、ノンフォーマル、インフォーマルの3つの形態の教育活動を相互に媒介し、関連づけ、学校や地域などで展開される多様な教育活動として構造化されることになる。「福祉教育の構造」について検討し、その再構築を図るに際して、上述の5つの構成要素とともに留意すべき点である。(「付記」のマトリックス図を参照されたい。)

むすびにかえて
〇大橋は、「教育と福祉」に関する初期の著作『地域福祉の展開と福祉教育』のなかで、「本書は、学術論文というよりも実践的研究書という方があたっているかもしれない。筆者の問題関心は、教育と福祉における“問題としての事実”に学びつつ、問題、課題をどう実践的に解決するのかという点にある」(「まえがき」)と述べている。この「実践的研究」の姿勢は、その一貫性を保ちながら「大橋福祉教育論」を深化・体系化させていく。
〇いわれるように、「実践的研究」は、「実践を通しての研究」と「実践に関する研究」に大別される。前者は仮説探索型の研究であり、後者は仮説検証型のそれである。この両者を循環的に組み合わせ、相互作用を引き起こすことによって、実践性と科学性を備えた、さらにはそれらを統合した研究と理論構築が可能となる。「大橋福祉教育論」を再考し、新たな福祉教育論を展開するに際して留意すべきひとつの視点・視座である。
〇改めていうまでもなく、上記の大橋「講演」の枠組みは壮大である。同時にそれは、幅広く奥深い「大橋福祉教育論」再考に向けた多様な視点・視座とアプローチの方向性を示すものでもある。「理論」(所説)は新たな時代や現実によって不断に凌駕され、更新されていく。「大橋福祉教育論」が「福祉教育原理論」としてその普遍性と不変性を今後も保持し続けるか否かの評価についてはひとまず置くとして、「大橋福祉教育論」をいかに継承し、新しく展開するかは福祉教育の実践者や研究者に課せられた大きな課題である。

補遺
(1)大橋謙策は、福祉教育とボランティア活動の関係性について、例えば次のように述べている。

ボランティア活動の契機・動機が(中略)自己満足的なもの、慈善的なものであったとしても、多くのボランティアはその活動を通して厳しいものの見方・考え方を修得していく。

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社会福祉一つとってみても単なる人のやさしさ、情熱だけでは解決できず、制度の確立と住民の協働がなければならない。ボランティアたちはそれらに関する意識を豊かにしはじめる。/社会福祉に関する意識は、知的理解のみではなかなか変容しない。社会福祉問題を抱えた人々との交流の中で、あるいはその問題解決の実践・体験の中で変容する。それだけにボランティア活動の推進は重要である。と同時に、福祉教育が求められる背景を解決するためにもボランティア活動を豊かなものにしなければならない。
(大橋謙策「福祉教育の構造と歴史的展開」一番ヶ瀬康子・小川利夫・木谷宜弘・大橋謙策編著『福祉教育の理論と展開』(シリーズ福祉教育1)光生館、1987年9月、74ページ。)

(2)福祉教育とその近似概念である「ボランティア学習」の関係性については、例えば長沼豊は次のように述べている。参考に供しておきたい。なお、長沼は、ボランティア学習は3つの構成要素から成るという。①ボランティア活動のための学習(目的としてのボランティア活動)、②ボランティア活動についての学習(対象としてのボランティア活動)、③ボランティア活動による学習(手段としてのボランティア活動)、がそれである。

福祉教育とボランティア学習は、ある実践では領域接近的に、ある実践では融合形として、ある実践は福祉教育の発展として(結果として)ボランティア学習がある、というように、重層的、輻輳(ふくそう)的に領域や方法が重なり合っているといえるだろう。
(長沼豊『新しいボランティア学習の創造』ミネルヴァ書房、2008年12月、135ページ。)

(3)また、福祉教育とボランティア学習の「違い」と「関係」について、全社協の『新 福祉教育実践ハンドブック』では次のように述べられている。

福祉教育とボランティア学習は、(中略)双方とも人権尊重・異文化理解をベースに、共生文化・市民社会の創造を大目標に掲げる実践です。(中略)しかし概念的には、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがあるともいえます。/ボランティア学習の概念の中心に位置づけられる、「ボランティア活動に組み込まれている学び」という発想は、(中略)リアル空間での学びを強調するものです。(中略)安易な疑似体験や講話的な福祉教育への警鐘としてボランティア学習をとらえることこそが重要なのです。/現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されていますが、両者の特徴を総合することが求められています。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にあります。
(上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、32~33ページ。)

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付記
「市民福祉教育の構造」をマトリックス図で示すと次のようになる。

 

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04/生活綴方教育と福祉教育
        ―国分一太郎の「1936年論文」をめぐって―

福祉教育の歴史は終戦直後から始まると捉えるのが通説である。しかし、それは戦前の福祉教育に関する歴史をふまえたものではない。戦前に関しては、更なる検討が必要とされる2つの説があるにすぎない。それは福祉教育の遡及的原点を大正デモクラシー期の新教育運動に見出す説と、地方改良運動に見出す説である。前者に関しては村上(1994)が、大正デモクラシー期の新教育運動の中でも、とりわけ「池袋児童の村小学校」の野村芳兵衛による生活教育や修身教育の実践を、福祉教育の遡及的原点として紹介している。後者に関しては、大橋(1997)が地方改良運動の諸実践の中には今日の福祉教育と同じような実践がみられると述べている。(三ツ石行宏「<解題>福祉教育史研究の課題と展望―阪野論文に導かれて―」日本福祉教育・ボランティア学習学会20周年記念リーディングス編集委員会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸~学際性と変革性~』大学図書出版、2014年10月、52ページ)

〇筆者は、福祉教育の歴史研究に関して、1930年代の生活綴方教育の実践や運動のなかに今日の福祉教育実践の側面や要素が含まれていたのではないかという仮説を設定している。その実証的検討の端緒になるであろうと思われる論考に、太郎良信「国分一太郎による生活綴方教育批判の検討―1936年から1939年における―」『文教大学教育学部紀要』第45集、文教大学、2011年12月、21~38ページ、がある。
〇太郎良信(たろうら・しん)はその論考で、国分一太郎(こくぶん・いちたろう、1911年2月~1985年2月)は、1930年以降1935年までは綴方(作文)を通して生活の現実に学ぶ教育実践(「生活勉強」)について説いていた。1936年から1939年にかけての時期には生活綴方教育批判の立場に転じ、また綴方教師たちに地域における啓蒙活動に取り組むことを呼びかけた、と述べる。その点を太郎良は、生活綴方教育批判を主題としていると考えられる国分の7本の論文を時系列に並べ、丁寧かつ深く分析・検討することによって明らかにしている。
〇1936年は、二・二六事件が発生した年である。それは、1929年10月に始まる世界恐慌をひとつの契機に経済的・政治的・社会的矛盾と混乱が深刻化するなかで、日本が軍国主義化・ファシズム化を進め、日中戦争(1937年7月勃発)と太平洋戦争(1941年12月勃発)への道を辿るターニングポイントとなった。1936年はまた、国分にとっても特筆されるべき年である。国分がその重要な担い手であった北方性教育運動(生活綴方教育運動)が衰退傾向を示し、その運動の拠点であった北方教育社(1929年6月、秋田市に創立)が同年8月に閉鎖に追い込まれている。それは、

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「視学などの圧力と、内部的な脆弱性」(津田道夫『国分一太郎―抵抗としての生活綴方運動―』社会評論社、2010年1月、150ページ)によるものであった。なお、1936年の前年1月に、国分がその中心的役割を果たした北日本国語教育連盟(秋田市)が正式発足し、8月には国分がその組織強化活動に関わった北海道綴方教育連盟(釧路市)が設立されている。
〇さて、本稿では、太郎良が紹介・検討する7本の論文のうちから、国分が「社会事業」に関心をもち、生活綴方教育と社会事業の関係や社会事業の教育的効果などについて言及する2本の論文(以下、「1936年論文」と記す。)のポイントを紹介する。それは、福祉教育の遡及的原点をどこに見出すかということだけではない。前述の三ツ石が指摘する福祉教育史研究のひとつの課題である「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続を検討する必要性」(『前掲書』54ページ)にどう応えるかという、その端緒を開くことになればという思いによる。それはまた、福祉教育史研究が手つかずの分野・領域の史資料を収集・分析・評価し、福祉教育像を豊かなものにすることを願ってのことである。

(1)国分一太郎「社会事業的文化事業的教師として」『日本文化と国民教育』第2巻第5号、東宛書房、1936年8月、74~79ページ
かうした困難なる生活を生きる子供をかゝへて青年教師は何とするか。或る人は歴史の秩序を信ずる事によつて、この現実の中に真実を、砂の中の砂金のかけら程でもいいからみつけさせて行かうと精神的になる。ある人はこの困惑は薬だといふ。この困難にまけぬやうな意志だけが大切だと説教する。乞食根性をもつなといふ。困難はやがて幸福のもとと出世美談みたいな真理を活用する。
ある青年教師は、子供とはそんな現実主義者ではない。夢の人だといつて、のびのびと、ゆるやかに魂と身を伸さうと賢明なことを言ふ。だがその子は家に帰ると、あまりにも多産な我が母のために、その弟妹をおばねばならぬ。そして背柱湾曲と統計表に計算される。ありのまゝの現実を認識させる事だけが一番だ。あとは何も出来ないと言ふ。真実をかけ真実をみよといふ。見てどうするかと言へば答はない。あるとしても「真実のみが、未来をはらんでゐる」と深遠だ。あとはどうにもならぬとアナーキーになり、更に虚無におちいる。そこである若者どもは生活意欲をもたせようといふ。それには自分がもつ事だといふ。所が、その生活意欲とは何ぞやと質問をする先生が出る。生活意欲とは貧乏でなくなりたいといふだけものではないと答へられると、そんなら凶作の時に何故そんな事を叫び出したと叱る。もう一人はこんご、多分に空想的だと度々いふ。(76~77ページ)

そこで小学教師よ。青年教師よ。如何に生きんとするや――とせつぱつまつて来た。
曰く社会事業的教師とならん。曰く文化事業的教師とならん――とこの際答へたい。だが僕たち一人でそんな事をされるとは限らない自分の生活は困らぬから社会事業にしたがふといふわけにはいかないのが薄給中の薄給の青年教師だ。壮丁の検

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査成績がわるいとすぐ、保健省設置を提議できる陸軍とは何といふ羨しい熱心な存在だらう。我々教員は一番村に近くゐて、村の人々とも一番近い所にゐて、その子等の上にその人々の生活を知りつくしながら、医療国営一つ、生活安定一つの徹底をも、建議できない人間共である。漢字の存在や歴史的仮名遣ひが、如何に国民生活を不便にし子供を苦しめつゝありと知りながら、それが廃止の建議案をすら、直ちには出す事が出来ない。それをなし得る団結がほしい。社会事業にしても、今の担当者は村の有力者や教育者の古手であつて、青年教師の手中にはない。だが、社会事業的出発のし方は大小とりまぜて色々ある。その小さい所からはじめて、日本の青年教師が手をつないで大きな社会事業をなし得る機会をまつことが大切ではないだらうか。託児所が論ぜられ、実践され、校外教育が再吟味され、地域中心の学校施設が問題とされ、生産学校が行はれはじめたのもみな、教育が社会事業の側にうごいて来た証明できる。紙芝居の教育的実践さへもがそれである。
社会事業には、解釈の浅さはあつても、行動の重要さをとらねばならぬ。よい社会事業は、よい社会改造を目標としてゐる筈だ、歴史がゆがめる社会事業があるにはあるにしても、それを駄目だと解釈して、貧しきものは貧しきまゝにして置いていい筈はない。文化の大衆への浸透、それもまたその不可能や困難をかこつより、よい文化合理化されたそれを、小刻みに与へて行く必要は十分にあるのだ。老年教師を啓蒙することもひとつだ。
じつとしてゐるよりは行動をした方がいい。行動は社会事業的な面が一番今のところ進歩的だとしたら、青年教師はそこへ行くだらう。それをきらつて、「生活を描け描け(くの字点:阪野)」とばかりいつてるのは、「貧しい事がなくなると、よい綴方が出なくなる」と心配する事の愚に等しい。
といつて、教室からとび出し、学校をはなれて、防貧や救貧事業にのり出せとか、保健衛生事業にでかろといふのではない。「純粋の情熱」や「きれいな知性」をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬのだ。
かういふ物の考へ方を先生がもつことがそもそも大事な生き方の精神となるのだ。僕らが育てた国民が大きくなつたら、すべての代議士が退職積立金法案には賛成を無条件にするように、農業保健法は立派に制定してくれるやうにとか、小作法はにぎりつぶさぬやうにとねがひたいならば、まことに気永な話ではあるが、社会政策的見地にたつ考へ方を国民に充満させねばならぬ。それの尖兵隊は社会事業家であらう。その尖兵の行動を見習ふこともなくして、意欲がどうの態度がどうの、リアリズムがどうのといつた所で、それが単なる精神的な「覚悟」に終らなかつたら御目出度うだ。
僕達青年教師は、小さい頃、人道主義的見知で育てられたらしい。その頃の青年教師に。だが真にヒユーマニストとして生きてゐる人間は何人ゐよう。前述の如く孤立して僅かに情熱をセンチと化するが落ちではないか。逆に封建的な精神で人間、

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子供を律しようとしてゐないとは言へぬ。
青年教師が、意欲をいひ、モーラルをいふ若さは悪いといはぬ。それはよい。だが現実とそれでは、まだまだ(くの字点:阪野)距離があるやうに出来てゐるといふ方が正直だ。その距離をうづめる手段も持たないでは困るのだ。
社会を愛し、文化を愛する青年教師の全日本的聯結が、それぞれの報告にもとづいて社会事業的、文化啓蒙的教育の行動形態を建設するの急務が叫ばれて欲しい。(77~79ページ)

〇本論文は、当時25歳の国分が「青年訓導の立場から」書いたものである。
〇国分は、絶対的貧困にあえぎ、社会矛盾にさらされている東北農村の子どもたちの「現実生活」と、それに向き合う青年教師の状況を述べる。その際、「情熱と知性」を本質とする青年教師の教育実践(生活綴方教育)を、「自嘲的」「揶揄的」に描いている(太郎良「前掲論文」28ページ)。そのうえで、国分は、自分たちが育てられた「人道主義的見地」ではなく、「社会政策的見地」に立って、青年教師に「社会事業的教師」になるよう呼びかける。「『純粋の情熱』や『きれいな知性』をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬ」。「よい社会改造を目標」とする「よい社会事業」の行動は、「一番今のところ進歩的」である、と国分はいう。しかし、その言説は、青年教師に対して「社会事業家の生き方のその態度」の必要性を説くにとどまっている。国分自身の社会事業的教師として、具体的な教育実践に裏づけられたものにはなっていない、といえよう。
〇なお、「教育が社会事業の側にうごいて来た証明」についての指摘は、「教育福祉」の視点を示すものとして留意しておきたい。

(2)国分一太郎「文壇的批評と教壇的批評」『教育・国語教育』第6巻第10号、厚生閣書店、1936年10月、152~157ページ
主観的なものを客観的なものへ、個人的なものを社会的なものへ生活の眼をひらかせるの道は、つねに「現実生活」の把握によつて「現実生活」で証明し、現実生活にとかしこんで導かねばならぬ。自然発生的な社会認識をもつた子供を科学的な社会認識に導くことも、生物的人間を社会的人間にひきあげることも、すべて「生活」によつて証明しつゝ、あるひは他教科の各面に於て心づかひつゝあるひは子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ。(156ページ)

人間教育とか、純粋感情の教育とか(情操陶冶)といふレツテルを張つてやつて来た綴方教育が、産業の発達による社会的情勢の変化によつて、漸次、より広範囲な生活教育として、その直接的な武器として、生活態度の陶冶と、生活技術の鍛錬と

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にまで進展したことによるともいへるであらう。そして社会事業の方が、概念的な小学教育よりは、より教育的感化をもたらすといはれる如く、概念的な知的学科や、観念的な情操教科に比して、より現実的な綴方の方が有意義なものとされ、それには昔さながらの文壇的ひとりよがりの指導よりは、より教壇的な協働生活関係としての、生活組織器関(ママ、機関:阪野)として役立つやうに吟味されるに至つたのである。(157ページ)

僕達の綴方も、あらゆる教科が、生活を証明材料として引つさげて来り、綴方の道をゆたかにしてくれる限りは喜んでむかへるであらう。それらによつて生活の知性がたかまり、生活が充実し、生活行動が真摯になるならば、綴方にとつて其れはこのましき限りである。それよりも却つて、綴方が綴方の垣の中にとぢこもる如きは、その機能を衰微させる自己矛盾として、むしろ警戒するに価することなのである。貧しさを深刻にかいた綴方があつてくれるやうに、貧しさよ永遠に亡ぶ勿れ――等といふのは綴方の望む処ではない。貧しさのなくなるやうに、防貧事業や救貧事業が、あるひはもつと根本的な社会事業が、学校の周囲でどしどし(くの字点:阪野)と行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である。即ち、綴方の局外よ。他教科にとどまらず、学校全般、社会全般の批判も、どしどし(くの字点:阪野)と綴方の垣を越えて来てほしいのである。かくしてこそ、綴方はますます(くの字点:阪野)生活組織としての機能を発揮するに便利であらう。(157ページ)

〇本論文は、国分によると、「世代の綴方論」としては「消極的駄文」であり、「児童作品批評に於ける若干の解剖」を行う「警告的駄文」(153ページ)である。
〇国分は、子どもの綴方に対する教師の批評は、「文芸評論」の影響を受けて、優秀な、見本(サンプル)となる作品などをよしとする「文壇的批評」の傾向にある。そうではなく、個々の子どもの「現実生活」や生活認識などに留意した「教壇的批評」が重要である、と説く。加えて国分は、現実生活を客観的・社会的・科学的に把握させることが肝要であり、「子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ」という。
〇そして、国分は、生活綴方と社会事業の関係について言及する。国分にあっては、社会事業によって感化されたことを綴方(作文)に書くことは、現実生活から学び、生活行動に生かすことであり、概念的・観念的な教育に比して教育的であり有意義である。また、生活綴方は国語教育にとどまらず、学校教育や校外教育への広がりをもつことによって、子どもたちの社会事業への関心を促すことになる。すなわち、「社会事業が、学校の周囲でどしどしと行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である」。
〇以上の「1936年論文」において、国分は、生活綴方教育についてネガティブに論じている。その際、その論拠は必ずしも明確であるとはいえない。また、社会事業

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による教育・啓蒙とその教育的効果への関心と期待を示している。その際の社会事業の言辞については、観念的・抽象的なものにとどまっている。とはいえ、当時、国分は、生活綴方教育の実践や運動において指導的役割を担っていた。そういうなかで、国分の社会事業に関する関心や発言は、青年教師(綴方教師)たちにどのような影響を与え、どのような取り組みを生み出したのか。その前提として、国分がよしとする綴方教師としての「教師像」はどのようなもので、どのような特質をもつものであったか。今後の研究課題とすべきところである。
〇太郎良は、前掲の論考で、「視学等から監視や干渉を受けて、つねに弾圧をおそれていた」国分にあっては、生活綴方教育批判は「視学等の心証を良くするためのものであった可能性がある」(36ページ)という。そうだとすれば、国分の社会事業への関心は単に、そのためのものであったのか。そうではなく、ファシズムの常態である公権力による教育の支配・統制が強化されるなかで、それに対抗する教育実践として、「社会改造」を目標とする社会事業に期待したのか。興味のあるところである。
〇なお、国分は、1938年3月に教職を免ぜられた。1941年10月には、左翼的傾向をもつ北方性教育運動(「抵抗としての生活綴方運動」)の関係で警察に逮捕されている。また、1938年1月に健民健兵政策を推進するために厚生省が創設され、同年4月には人的・物的資源を統制運用するために国家総動員法が公布、5月に施行された。それを契機に、社会事業は戦時厚生事業へと変質し、戦時体制の枠組みに組み込まれていく。
〇いずれにしろ、国分が社会事業の教育的効果に関心を示したことについては、個人的にも時代的にも厳しい状況に追い込まれていったこととの歴史的文脈・関係性のなかで考究する必要があろう。国分は、1943年7月に判決が下される過程で「転向」を余儀なくされている。国分の社会事業への関心とその呼びかけは、生活綴方教育批判を行うなかでの、「抵抗」「転向」あるいは「偽装転向」としてのそれであったのか。綴方教師たちはその点をどのように受け止め、どのような社会事業的な教育実践に取り組んだのか。それとも、綴方教師に対する弾圧が強まるなかで、取り組むことができなかったのか。あるいは、教育現場の綴方教師たちは、国分の呼びかけに対して端(はな)から一顧だにしなかったのか。それらを歴史的・実証的に明らかにすることが求められよう。
〇周知のように、敗戦後の生活綴方教育は、1950年7月の「日本綴方の会」(1951年9月「日本作文の会」と改称)の発足や、国分の『新しい綴方教室』(日本評論社、1951年2月)、無着成恭の『山びこ学校』(青銅社、1951年3月)等の刊行などを契機に復活・興隆する。そして、1950年代前半にひとつの頂点を迎える。それは、戦後の新しい教育(教育の民主化)のなかで、戦前の生活綴方教育を継承・発展させようとするものであったと評される。そこでは、貧困からの脱出が最重要課題とされたが、具体的に「現実生活」がどのように把握され、「生活教育」がどのように規定されていったのか。綴方教師によって「社会事業的」な教育実践は展開されたのか。「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続」に関する研究課題のひとつである。

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〇日本はいま、戦時中の社会体制への回帰が加速し、“政治”と“教育”は「危機」状況にある。戦時体制下において、綴方教師たちによる社会事業的な教育実践は、戦時厚生事業に再編されていった社会事業と軌を一にして、戦争に協力することになったのであろうか。そうだとすれば、同じ轍を踏まないためにも、こんにちの福祉教育(市民福祉教育)のあり方は厳しく問われる必要がある。あえて付記しておきたい。


軍国主義ファシズム最頂期の1940(昭和15)年には、「治安維持法」(1925年4月公布、5月施行)によって全国で300人を超える生活綴方教育運動の指導的立場にあった教師たちが検挙・投獄され、弾圧された(乙訓稔「国分一太郎の生活綴方教育の理念」『実践女子大学生活科学部紀要』第50号、実践女子大学、2013年3月、52ページ)。

補遺
周知のように、1937年5月に「教育科学研究会」を結成した城戸幡太郎と留岡清男は、雑誌『教育』(第5巻第10号、岩波書店、1937年10月)において生活綴方教育批判を行った(1938年生活教育論争の発端)。「綴方教育は児童の生活を理解し、生活態度を自覚せしむることはできるが、彼等の生活力を涵養することはできぬ。彼等の生活力を涵養するには彼等の生活問題を解決することのできる生活方法を教へねばならぬ」(城戸幡太郎「生活学校巡礼」48ページ)。「生活主義の綴方教育は、畢竟(ひっきょう。要するに:阪野)、綴方教師の鑑賞に始まつて感傷に終るに過ぎない」(留岡清男「酪聯と酪農義塾」60ページ)、がそれである。こうした手厳しい批判に対して、「社会事業的教師」(綴方教師)たちはどのように反応し、どのような新しい教育課題を見出し、またどのような教育実践を展開したのか。こんにちの福祉教育実践にも通じるであろう点として、興味深いところである。

謝辞
本稿を草するにあたっては、文教大学教育学部教授の太郎良信先生に格別のご高配を賜った。ネット検索でも全くヒットしない雑誌『日本文化と国民教育』に掲載されている国分の「1936年論文」については、先生が私蔵されているものをコピーしご送付いただいた。記して感謝申し上げます。

 

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05/「山びこ学校」と解放制教育実践
             ―改めて無着成恭の『山びこ学校』を読む―

〇筆者の机の上に4冊の本がある。岩田正美『貧困の戦後史―貧困の「かたち」はどう変わったのか―』(筑摩書房、2017年12月。以下[1])と無着成恭編『山びこ学校―山形県山元村中学校生徒の生活記録―』(青銅社、1951年3月。以下[2])、そして佐野眞一『遠い「山びこ」―無着成恭と教え子たちの四十年―』(文藝春秋、1992年9月。以下[3])、奥平康照『「山びこ学校」のゆくえ―戦後日本の教育思想を見直す―』(学術出版会、2016年2月。以下[4])、がそれである。
〇1945年8月の敗戦(1931年9月の柳条湖事件から始まる15年戦争の終結)によって、すべての国民の生活は「飢餓状態」「絶対的貧困状態」「総スラム化現象」に陥った。[1]は、戦後日本の貧困の「増減」ではなく、その「かたち」の変容を描き出したものである。敗戦直後の貧困の「かたち」は「孤児」「浮浪者」「戦傷病者」「失業者」などであり、現代のそれは「子どもの貧困(ひとり親家庭)」「単身高齢者」「ホームレス」「ネットカフェ難民」などであろう。
〇[1]で岩田はいう。「『自立』支援という政策目標は、個人の怠惰が貧困を生むという、きわめて古典的な理解に基づいている。だが問題は、怠惰ではないのだ。貧困を個人が引き受けることをよしとする社会、そうした人びとをブラック企業も含めた市場が取り込もうとする構図の中では、意欲や希望も次第に空回りし始め、その結果意欲も希望も奪いさられていく。だから問題は、『自立』的であろうとしすぎることであり、それを促す社会の側にある」(324~325ページ)。「貧困の責任を個人が引き受け、貧困を不可視化する市場や企業の日本的な仕組みを変えていくのは困難な道程であろうが、そのような転換なしには、重なり合った貧困はますます社会から遠ざかろうとして、その『かたち』すら明確には見出せなくなるかもしれない。『かたち』が曖昧な貧困の放置は、この社会の不安と分断を不気味に拡大させていくことになるだろう」(326~325ページ)。強く首肯するところである。
〇いま、日本では「民主主義の根幹の破壊」や「教育現場への国家権力の介入」が進んでいる。それは、「公の崩壊」や「政治と行政の歪み」などと指摘される以前の、「主権者は誰か」ということが厳しく問われていることを意味する。日本人はこれまで、厳然と残るタテ社会の人間関係のなかで、真の「主権者」になった経験がないのではないか。そんなことをも思いながら筆者は、何十年ぶりかに、「戦後民主主義教育の金字塔」と評された無着成恭(むちゃく・せいきょう、1927年3月~)の[2]を読む気になった。その冒頭をかざるのが、石井敏雄の詩「雪」(1ペ

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ージ)である。「雪がコンコン降る/人間は/その下で暮しているのです」。山形県の僻地の寒村(貧しい村)で貧困と闘い、たくましく生きた子どもたちの生活綴方、なかでも江口江一の「母の死とその後」(2~18ページ)には胸が締めつけられ、重い痛みを覚える。佐藤藤三郎の「答辞」(岩波文庫版、1995年7月、297~301ページ)には、無着の生活綴方教育実践の神髄に触れる思いがする。
〇ここで、佐藤の「答辞」(1951年3月23日)の一節を紹介しておくことにする。

私たちは、はっきりいいます。私たちは、この三年間、ほんものの勉強をさせてもらったのです。(中略)
私たちが中学校で習ったことは、人間の生命(いのち)というものは、すばらしく大事なものだということでした。そしてそのすばらしく大事な生命も、生きて行く態度をまちがえば、さっぱりねうちのないものだということをならったのです。(中略)
私たちの骨の中しんまでしみこんだ言葉は「いつも力を合わせて行こう」ということでした。「かげでこそこそしないで行こう」ということでした。「働くことが一番すきになろう」ということでした。「なんでも何故? と考えろ」ということでした。そして、「いつでも、もっといい方法はないか探せ」ということでした。(中略)
私たちはもっと大きなもの、つまり人間のねうちというものは、「人間のために」という一つの目的のため、もっとわかりやすくいえば、「山元村のために」という一つの目的をもって仕事をしているかどうかによってきまってくるものだということを教えられたのです。

〇[2]に併せて、[3]と[4]を読むことにした。[3]は、「教育(教師)と宗教(僧侶)」「栄光と挫折と変節」の間で苦悩した無着と、その後の高度経済成長を底辺から支えた43人の子どもたちの人生の軌跡を描いたルポルタージュである。例えば、無着は、山元中学校に赴任して6年目の1954年4月に退職(「谷間の英雄」の「村からの追放」)し、上京する。1956年4月に明星(みょうじょう)学園に再就職し、27年間にわたって教鞭を執る傍ら、「教育タレント」活動(TBSラジオ「全国こども電話相談室」のレギュラー回答者など)を行った。石井敏雄は、農業や出稼ぎ(土建業)で生計を立て、その後、家族とともに神奈川県に移住している。江口江一は、就職した山元村森林組合で植林活動に腐心するが、32歳になる直前に生涯を終えた。残された長男は6歳、江口が父親を亡くした歳であった。佐藤藤三郎は、農業高校を卒業後、農民と著述家(評論家)として生き、「もの言う農民」(大牟羅良『ものいわぬ農民』岩波新書、1958年2月)として多くの著作を持っている。
〇[4]は、「『山びこ』実践とその思想が、日本の教育実践と理論の質的飛躍の基盤となる可能性をもっていたとするならば、それはなんだったのか。それは戦後教

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育実践・思想・理論史において、どこにいってしまったのか」(17ページ)を問うものである。それを明らかにするために、「山びこ」実践に対する教育界内外にわたるさまざまな領域の言説を検討し、その議論の跡を丹念に辿る学術書(戦後日本の教育思想史研究)である。
〇[4]で奥平はいう。「子どもたちが生活と労働に組み込まれているという点をテコにして、子どもたちを生活と学習の従属者から、学習と生活の主体者に転換していく教育、それが『山びこ』実践だった」(11ページ)。「『山びこ学校』と生活綴方への情熱は50年代後半になると急速に衰退する。衰退はまず教育研究の領域で、次に教育実践の領域に広がっていった。(中略)どうしてこれほどまでに急速に、『山びこ』実践礼賛から教科・教材研究へと、関心が絞り込まれていったのか(「生活綴方教育の縁辺(えんぺん)化」187ページ)。『山びこ』実践とその生活綴方実践は、今から見れば、一時的に流行した歴史的出来事としておけばいいのか。それとも、やはり戦後教育実践の画期をなすものであり、戦後教育の実践と研究の基本的方向を示す典型だと位置づけ、継承すべき実践だったのか。教育学が理論的賞賛の後に、理論化の努力を中断してしまったように見えるのはどうしてか。賞賛を持続するにせよ、そこから離れるにせよ、戦後実践史における位置づけができずに経過していったのはどうしてか」(8ページ)。これらの指摘は、生活綴方教育実践に今日の福祉教育実践の視点や枠組み、側面や要素が含まれていたのではないかと考える筆者にとって、興味深い。福祉教育の実践と理論のより一層の進展を図る過程で、常に留意すべきところである。民主主義が危機にさらされ、アクティブラーニングをめぐる空疎な議論やコミュニティ・スクールの無批判的な導入が進められている今日において、なおのことである。
〇以下では、[4]から、「市民福祉教育」の実践や研究に「使える」論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

教育は、歴史的・社会的で具体的な生活課題に立ち向かう子どもに、文化の継承と批判・抵抗・革新(「文化伝達と文化革新」)を促す営みである
教育という営みは疑いもなく子どもを既成文化の枠組みの中に取り込むことである。しかし教育の成功によって既成文化に取り込まれた子どもたちは、他方ではその既成文化の改革者になるように期待されてきた。文化の継承者であることと文化の革新者であることを共に実現する教育という難問、あるいは文化革新の方法を内にもつ文化継承の方法の発見という難題が、教育・学習の思想にはつきまとっている。
子ども時代は既成文化の徹底した受容・継承者に、一人前になったら文化革新者にという常識的な実践的考え方は、それなりに有効に働いているのだが、そこでは継承者から革新者への転換過程が教育学的考察の外に放り出されて、偶然に委ねられている。支配的文化に悪の浸透する危険がある社会においては、文化伝承と文化批判・抵抗・革新との転換あるいは関係の実践は、教育的計画として構想されなければならない。「山びこ」実践の継承に固執したいくつかの教育思想は、文化継承・

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革新問題にどのように悪銭苦闘したか。(18ページ)
子どもたちは歴史的具体的生活課題に立ち向かいつつある生活主体だという「山びこ」実践の基盤となっていた視点を、どこかに置き忘れてしまった。(335ページ)
教育が社会的統制であることは避けられない。しかし教育のその場において、その「社会」統制を「子ども」・学習者の歴史的生活的主体形成過程に絶えず転換する、そのような実践と制度のあり方を求め続ける教育思想の系譜が生まれていた。その教育思想の系譜を見直す必要がある。(335~336ページ)

「山びこ」実践は、個々の生活問題の主体化と客観化・社会化を通して地域・社会改革を進める、綴方による共同主体形成の取り組みであった
「山びこ」実践では、教師も子どもたちも、自分の生き方・道徳を前面に出して行動し、討論し、教育し、学習し、生活することを課題としていた。
それは、社会改革の既成理論や未来社会構想を鵜呑みにして、自分自身と子どもたちにそのまま受け取らせようとすることではなかった。社会改革=村・地域社会の改革もその未来構想も、無着自身にとって、いまだ未知の探究課題だった。無着のしたことは、生活の現実に子どもたちの目を向けさせ、子どもたちに生活現実が抱えている問題を具体的に発見させ、そして子どもたちと一緒に、村と生活をつくり直していく方法を見つけ出し、その問題解決の実践に参加していくことだった。
したがって「山びこ」実践によって形成されつつあったのは、山村社会の改革を担おうとする教師と子どもたちの共同主体だった。そして生活綴方と文集は、生活現実の認識・分析と村や学級の交流と共同を支え、促進する強力な手段だった。(70ページ)
「山びこ」学級は、教師と生徒が一緒になって、生活と学習の共同体をつくっている。そこには、多様なレベルの主体性をもつ子どもたちと教師がいて、その多様なレベルの主体が集まっていた。それら多様な主体は、無着を頂点とする共同主体となっていた。その共同主体の中で、対話、討論、協同活動・行動・遊びなどを通して、個別の主体が承認され、矛盾を醸成し、一層高いレベルの主体へと発展していく。「山びこ」実践はそういう構造をもっていたと見ることができる。個別の未熟な主体性を認め、受け入れるという指導者無着の姿勢は、子どもたちそれぞれみんなの姿勢と見方になっていった。(74ページ)

「山びこ」実践には、「解放制教育実践システム」として、限定化した「子ども」と「社会」を現実のそれに帰還(螺旋的展開)させる機能が働いていた
どのような教育システムであれ、教育を意図し計画するためには、無限に複雑多様な現実をそのまま取り込むことはできない。一定の視点をもって「子ども」と「社会」とを限定して構成して、教育の要素とせざるを得ない。学校教育がその教育計画において想定する「子ども」と「社会」は、現実の子どもと社会そのままではあ

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り得ない(159ページ)
「山びこ」実践が従来の教育実践と異なるところは、実践それ自体のなかに、絶えず現実に生活する子どもに帰り、その子どもの現実生活に帰って、「子ども」と「社会」を更新し続ける実践システムになっていたことである。現実の子どもと社会への帰還を実現する主要な方法的回路になったのが、「山びこ」実践の生活綴方だった。
現実の子どもと社会に立ち帰って、狭い枠組みの内に切りつめられた「子ども」と「社会」を拡張し、子どもたちが納得する新しい「子ども」と「社会」へと更新しつづける教育システム成立の可能性を「山びこ」実践に見ることができる。そのように、現実の子どもと社会への帰還のルートをもつものを「解放制教育実践システム」と呼び、現実への帰還の制度・方法をもたず内部完結するものを「閉鎖制教育実践システム」と呼んで区別することができる。(159ページ)
(無着は)「子ども」が現実生活の課題を背負って生活主体として学校で学習し生きることができたこと、それがいかに貴重で特色のある実践システムだったかということ、それを理解していなかった。そのために無着は数年の悪戦苦闘の後に、自身の直観と情熱によって切り拓いた教育実践の解放制システムという特色を放棄し、在来型の閉鎖制システムの範囲の実践に落ち着いてしまった。それは無着だけに生じた選択ではなくて、1950年代後半以降から60年代に続く日本の教育界の多勢に生じた選択でもあった。(160ページ)

教育は、人間形成の生活的総合性と全体目的について自覚的であり、個別領域における妥当性だけを追求する「局部的合理主義」に陥ってはならない
戦後教育学の代表的担い手の一人である宮坂哲文も、生活綴方教育実践への世間の興奮が冷めた後でも、生活綴方教育の意味を高く評価し続けた一人だった。(240ページ)
宮坂は徹底した生活教育論者だった。その「生活」は子どもの具体的で身近な生活から、子どもの所属する集団と全体社会の生活まで、全生活を意味した。その全生活過程が必要とする人間形成の有機的部分として学校の教育・学習・訓練は存在する、と見たのである。現実の子どもと子どもが生きる社会との諸関係の総和が、子どもの人間形成過程である。学校の教育過程はその一部であり、教科指導や生活指導はさらにその一部である。そうした総合的生活連関、言いかえれば人間形成の生活的総合性から切り離されて教育の目的・過程・方法・技術が設定されるとき、局部的合理主義に転落する危険が生れる。生活綴方的教育方法は子どもの具体的生活に即して教育を更新していく道筋をもっている、と宮坂は判断していた。(245~246ページ)
学校教育は歴史的社会的生活実践の一環として位置づけられなければならない。宮坂はこの点を重要なことだと考えていた。生活綴方によって、子どもの学校生活は、具体的現実的生活実践全体の一環としての位置を得ることができる。宮坂が教育実践と理論について強く警戒していたことは、教育が向かうべき全体目的についての自覚的反省を忘却し、実践の個別領域に視野を限定し、そこだけで自足する実

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践と理論になることだった。(251ページ)

〇日本の戦後教育には、「学習者の主体性を主導的性格とする教育実践と教育理論」([4]335ページ)を求める教育思想の系譜があった。それを駆動したのが無着の「山びこ」実践であり、その理論化に取り組んだのが小川太郎や大田堯、勝田守一、宮坂哲文らの教育学者であった。また、「山びこ」実践は、鶴見俊輔(哲学者)や上原専禄(歴史学者)、鶴見和子(社会学者)らの思想に大きな影響を与えた。
〇奥平は[4]で、小川太郎や鶴見俊輔らの多くの、多面的な言説を丁寧に辿り検討することを通して、「山びこ」実践や生活綴方教育実践の未発の「ゆくえ」を描き出そうとする。国や行政、社会組織やシステムなどを民間企業化し全体主義化することをねらって、政治が教育に介入し、教育内容や方法に対する統制が進められている今日において、である。
〇ここで思い出すのは、江口俊一の生活綴方「父の思い出」([2]26~31ページ。岩波文庫版、47~52ページ)の次の一節である。「みんな父のかえりを待っているところへ舞いこんだものは、昭和二十二年の秋、『戦死をした』という一片の電報だけだった。私はもちろんお母さんも、弟も、としとったばんちゃんも、若いずんつぁ(若いほうのおじいさん)も、家内中みんなが『ちきしょう』と思った。しかし、誰に『ちきしょう』といえばよいのかわからなかった」([2]28ページ)。涙がこぼれる。とともに、真の「主権者」とその教育についての思いを強くする。
〇最後に、「生活綴り方運動」の問題点や弱点を指摘しながらも、『山びこ学校』の理解者であった鶴見俊輔の次の一節を付記しておくことにする(久野収・鶴見俊輔『現代日本の思想―その五つの渦―』岩波書店、1956年11月)。

戦後の生活綴り方運動の新しい頂点をつくった無着成恭の方法は、マルクス主義的であると多くの都会的評論家から批判されたが、その創案者の無着は、マルクス主義の文献とは別個に、プラグマティズムの文献とも別個に、また生活綴り方運動それ自身の文献からさえも別個に、つまりほとんど何の文献の系統にもよらず、山形県山元村の現地の中学生に社会科を教えるというその実際上の問題を解決する努力の中から、直線的に『山びこ学校』という文集をつくったのである。(94~95ページ)
プラグマティズムというのは、行為(プラグマ)が思想に先んじることを主張する立場であるとするならば、生活綴り方運動は、哲学史上のプラグマティズムよりも、もっと徹底的にプラグマティックな運動の形をもっている。(75ページ)
アメリカのプラグマティズムが、哲学書から無意味な議論をおいだすための、「読み方」の方法としてはじめて工夫されたのにたいして、この日本のプラグマティズムは、自分の生活の真実を描くための「書き方」の理論として出発したため、環境に対する働きかけの面が強い。アメリカのプラグマティズムが〔形而上学的迷路に

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思想が入るのをふせぐためにつくられた〕防禦的プラグマティズムであるのにたいして、生活綴り方運動は、〔生活改善に目をむけさせる〕攻撃的プラグマティズムとなった。(75~76ページ)

 

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06/歴史的視点や哲学的思考を欠いた福祉教育の未来
          ―高久清吉著『哲学のある教育実践』から考える―

〇2019年11月23日~24日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第25回北海道大会が北星学園大学(札幌市)で開催された。大会テーマは、「未来へつなぐ、みんなでつなぐ。~多文化共生社会を育む福祉教育とボランティア学習~」であった。圧巻で感動的だったのは、本田優子(ほんだ・ゆうこ、札幌大学教授、アイヌ文化・アイヌ史)による「アイヌ文化からみる多文化共生社会の創造」と題する「基調講演」であった。アイヌ語に、「ヤイコシラㇺスイェ」という言葉がある。「ヤイ」は「自分」、「コ」は「に対して」、「シ」は「自分」、「ラㇺ」は「心」、「スイェ」は「を揺らす」、「ヤイコシラㇺスイェ」で「自分に対して自分の心を揺らす」となる。それは日本語の「考える」という意味である。「考える」とは「心を揺らす」こと、筆者にとって目から鱗(うろこ)が落ちる一言であった。
〇「自由研究発表」や「課題別研究」報告などでは、ひとえに筆者の浅学菲才によるものであるが、「心を揺らす」報告はさほど多くはなかった。新味のない(使い古された)テーマについて、場所や組織、人を替えただけの、あるいは横文字や権威づけられた(古めかしい)過去の言説を多用した議論では、福祉教育実践や研究の推進は望むべくもない。歴史的・社会的・文化的実践であるはずの福祉教育実践をめぐって、その現場から乖離(かいり)した抽象的な言葉・概念や思考をこねくり回すのも、然りである。そこからは、原理や理論のない、視野が狭く定型化され、矮小化された実践が生み出されるだけである。そうした福祉教育実践さえも、厳しい時代状況に押しつぶされようとしている(されている)。意図的にか無意識的にか、それを理解・認識しない実践者(あるいは実務家)や研究者がいる。また、お互いの「傷」をなめ合い、慰め合っている人たちもいる。そこからは、福祉教育実践や研究の「展望」や「未来」は見出せない。
〇そこで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」「いかに取り組むべきか」を、危機的な現場や生々しい実践との関わりのなかで本質的・根源的に問い直すことである。本稿の裏テーマ(「福祉教育哲学」の必要性を問う)が意味するところはここにある。なお、「理論と実践」の関係性について探究することなく、単なる「実践(事例)」研究にとどまりがちな福祉教育研究の現状も気にかかる。
〇そんな思いのなかで、筆者の手もとにある高久清吉(たかく・せいきち、筑波大学名誉教授、教育哲学・ヘルバルト研究)の『哲学のある教育実践―「総合的な学習」は大丈夫か―』(教育出版、2000年4月)を読み返すことにした。以下に、筆者なりに再確認・再認識しておきたい、高久の言説のいくつかをメモっておくことに

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する(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「哲学のある教育実践」という言葉
「哲学のある教育実践」という言葉に接した時、ある人は、教育についての確固とした信念や信条をもった教師による実践とか、教育の理念や理想に基づく明確な思想に貫かれた実践を思い浮かべるかも知れない。また、人によっては、考え方や判断の筋道がすっきりとした実践、教師の体系的な見方や考え方が際立っているような実践をイメージするかも知れない。いずれにしても、「哲学のある教育実践」が意味するものは、だれにも共通一様に理解されるというのはあり得ないようである。(108~109ページ)

「哲学」の意味
「哲学」の意味は、通常、大きく次のような二つに分けられる。一つは、「哲学すること」(Philosophieren)、もう一つは、「哲学」(Philosophie)である。
「哲学すること」とは筋道の通った知的活動そのもの、この活動の「過程」にこそ哲学の本質があると見る立場である。それに対し、「哲学」とは知的活動の「結果」または「所産」として導き出された内容の体系、それが本来の哲学であるとする立場である。この二つの意味は、よく「過程としての哲学」と「結果としての哲学」という言葉で表現されている。この二つを切り離して別々のものと見なすことはできないが、「哲学」の意味を、一応、この二つに分けるのは妥当である。(109~110ページ)

「哲学のある教育実践」の意味
「哲学」の意味を二つに分けるとすると、これに対応して、「哲学のある教育実践」の意味も二つに分けられる。「哲学のある教育実践」の「哲学」を「過程としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な見方や考え方が大きく作用する教育の実践、言い換えれば、教育実践上のさまざまな問題や事柄が哲学的な見方や考え方に基づいて吟味され、判断され、構想される実践ということになる。これに対し、「哲学」を「結果としての哲学」と理解すれば、「哲学のある教育実践」とは、哲学的な思考から生まれた内容、つまり、教育に関する明確な「思想」に基づく実践ということになる。
「哲学のある教育実践」のこのような二つの意味は、実は、一方がなければ、他方も成り立たないという表裏の関係にある。哲学的な考え方によって明確な思想が導き出されるし、明確な思想が前提となって、実践上のさまざまな問題や事柄についての哲学的な考え方も行われることになるわけである。(110ページ)

〇以上を簡潔に言えば、高久にあっては、「哲学」とは「いわゆる学問領域として

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の哲学やその学説内容ではない。いつでも、全体的・根本的なものを踏まえながら、実践や実際上の個々の問題を筋道立てて主体的・構造的にとらえていこうとする思考の働きそのもの」(まえがき、ⅵページ)をいう。そして、「哲学のある教育実践」は、「教育の理論または哲学と結び付き、これによって支えられ、方向づけられた教育実践」(97ページ)と定義づけられる。
〇そのうえで高久は、教育現場と教師について、次のように指摘する。「哲学をもたないで教育の実際の仕事に従事している教師たちに共通して認められる欠点は、本質と現象、全体と部分、本と末、重と軽との間の区別がはっきりせず、これらを簡単に混同してしまうことである」。「さまざまな問題や事柄への対応に追いまくられる教育現場において、教師のものの見方や考え方は強力に狭められてしまい、現象に振り回される本末軽重の見分けもできなくなってしまう」(112ページ)。そこで、現場教師に求められるのは、「教育の理論または哲学と、教育実践との生きた結び付きを求める問題意識」である(97ページ)。「教育現場にとって何よりも必要なのは、『普遍的理念』、つまり、教育の本質的・原理的なものをしっかりと踏まえ、これに基づく哲学的な考え方を展開していくことである」(112ページ)。
〇こうした指摘は、学校現場を含めた地域・社会における福祉教育(「市民福祉教育」)にも通底する。福祉教育学界(学会)が探究すべきものは、福祉教育の場当たり的な、対処療法的な方法・技術ではない。哲学的思考によって生み出される「福祉教育思想」(「福祉教育哲学」)と、それに貫(つらぬ)かれた福祉教育の「理論と実践」である。その際の哲学的思考は言うまでもなく、自律的で理性的、批判的な思考であり、その論理化と体系化が「哲学する」ということでもある。改めて再確認・再認識しておきたい。
〇アイヌは、この世の中にあるあらゆる存在を「カムイ」(神)とみなす。その神(カムイ)と人間(アイヌ)との関係は、「神ありて人あり、人ありて神あり」という、互いに相手に対して権利・義務を負う「相互扶助」(ウタㇱパ ウカスイ)の関係にある。アイヌはカムイに対して「祈り」や「供物(くもつ)」を捧げる。カムイはアイヌを「守護」し「食料」や「道具」を授ける。前述の本田は、時間軸と空間軸における「共生」の基本は互いに自分の責任を果たすことであり、そこに「人間存在の本質」をみる。
〇「人間存在の本質」の追究は、「人間について、人生について、生き方について学び考える」こと、すなわち「哲学する」ことである。それは、福祉教育実践や研究においてもその根幹をなす。この点に関して、内田樹(うちだ・たつる、神戸女学院大学名誉教授、フランス現代思想・教育論)の新刊本(『生きづらさについて考える』毎日新聞出版、2019年8月)のなかの一節を紹介しておくことにする(抜き書き)。福祉教育実践や研究、福祉教育を「哲学する」、そのための「構え」として留意したい。

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教育事業の受益者は共同体の未来である
学校教育というのは商品の売り買いではい。そこには市場における「商品」に相当するものも、「消費者」に相当するものも存在しない。
教育事業の利益は、教育を受けた若者たちがやがて人間的な成熟を遂げて、共同体の次世代を支えるという仕方で未来において償還される。教育事業の受益者は教育を受ける個人ではなく、共同体の未来である。(40ページ)

オープンマインド(開放的であること)は学びの基本の構えである
武道の教えに「座を見る・機を見る」ということがあります。座とは「いるべき場所」、機とは「いるべき時」のことです。(180ページ)
武道的な意味での「正しい場所」とは「どこにでもいける場所」のことであり、「正しい時」というのは「次の行動の選択肢が最大化する時」のことです。
「正しい位置」というのは空間的に決まった座標のことではなくて、その時々において最も自由度の高いポジションを選択できる「開放度」のことです。
生きていくうえで最も大事なのは、ニュートラルで、選択肢の多い、自由な状態に立つことです。それはできるだけ「オープンマインド」でいることと言い換えることもできます。オープンマインドこそは、学ぶ人にとっと最も大切な基本の構えです。(181ページ)
自分が理解でき、共感できることだけを聴き、自分がすでによく知っている分野についての知識を量的に増大させることは「学ぶ」とは言いません。「学ぶ」というのは、自分の限界を超えることです。自分が使っている「わかる/わからない」の枠組みを踏み抜けてゆくことです。
若い人達たちが感じている「生きづらさ」は「正しい位置」にいないことで生じた心身の歪みがもたらす詰まりや痛みです。自分が機嫌よくいられる場所はどこにあるのか、心身のどこにも詰まりやこわばりや痛みが生じないような姿勢はどうやったら見つかるのか、何よりもそれを求めて行ってほしいと思います。(182ページ)

 

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07/人間尊重と社会正義
                 ―宇沢弘文を読む―

〇日本は、相変わらずの「アメリカ追随と周回遅れの経済・社会改革」が病理化している。そういうなかで、「民意の歪曲・封じ込めと国策・政策の強行」「官僚・行政の暴走・劣化と政治・社会の荒廃」「自立・自己責任の強要と国家責任の縮小」が進んでいる。日本社会の危機的状況である。いま、「市場原理主義からの脱出と定常型社会への転換」「地域の内発的発展とローカリズムの推進」「競争教育・教育統制からの解放と共働・共創の教育改革」が強く要請される。
〇客観的な事実よりも個人的な感情や信条へのアピールが重視され(「ポスト真実」)、口当たりのよい言葉やスローガンが横行闊歩(おうこうかっぽ)している。出生前診断の拡大によって「命の選別」が懸念され、家庭や学校、福祉施設における「いじめ」や虐待など、生命(いのち)の尊厳が軽視・蹂躙(じゅうりん)されている。社会福祉は、極端な市場原理主義がいう「国家による窃盗」(下記『始まっている未来』15ページ)ではない。しかし、市場原理主義的な政策の推進によって子ども・高齢者・障がい者などの社会的弱者に対する福祉・教育の内部的矛盾が露呈し、形骸化が一層顕著になっている。とりわけ国家主権の自らの放棄(従属・植民地化)と国民の管理・統制の強化(隠蔽・制裁)が目に余る。
〇そんなことを思いながら、改めて宇沢弘文(うざわ・ひろふみ、1928年~2014年)を読むことにした。その直接的なきっかけは、筆者の周辺で見聞きした「ある種の作為を持って設置された政府系の審議会や委員会に参加することを誇りとする」某学究の“変節”。「住民主体や市民性形成の強調が社会福祉の公的責任の後退や社会保障の削減を招いている」という某検討会の委員の“短絡”。「住民参加をベースにした福祉計画策定の提案(プロポーザル)が採用されなくなった」という某シンクタンクの研究員の“嘆き”。そして、「人権侵害と過酷な労働・生活環境に置かれている現代版女工哀史」である某中国人技能実習生の“悲憤”(ひふん)の涙、などにある。
〇宇沢は経済学者・思想家であり、「ノーベル経済学賞に最も近い」と評された。1997年11月に文化勲章を受章している。宇沢の著作と言えばまず、『自動車の社会的費用』(1974年)と『社会的共通資本』(2000年)を想起する。宇沢の研究対象は「環境」「医療」「教育」「農村」など広範囲にわたった(宇沢弘文『宇沢弘文 傑作論文全ファイル』東洋経済新報社、2016年11月)。また、宇沢は、自動車が抱える問題をはじめ水俣病などの公害問題や成田空港建設の問題、地球温暖化問題、そして教育問題等々、多様な社会問題に真摯に取り組んだ。周知の通りである。

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〇筆者の手もとにある宇沢の著作は6冊である。

『自動車の社会的費用』岩波新書、1974年6月
自動車は現代機械文明の輝ける象徴である。しかし公害の発生から、また市民の安全な歩行を守るシビル・ミニマムの立場から、自動車の無制限な増大に対する批判が生じてきた。本書は、市民の基本的権利獲得を目指す立場から、自動車の社会的費用を具体的に算出し、その内部化の方途をさぐり、あるべき都市交通の姿を示唆する。(カバー「そで」より)
『日本の教育を考える』岩波新書、1998年7月
「私たちはいま改めて、教育とは何かという問題を問い直し、リベラリズムの理念に敵った教育制度はいかにあるべきかを真剣に考えて、それを具現化する途を模索する必要に迫られています」――社会正義・公正・平等の視点から経済学の新しい展開を主導してきた著者が、自らの経験をまじえつつ、教育のあり方を考えてゆく。(カバー「そで」より)
『社会的共通資本』岩波新書、2000年11月
ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を安定的に維持する――このことを可能にする社会的装置が「社会的共通資本」である。その考え方や役割を、経済学史のなかに位置づけ、農業、都市、医療、教育といった具体的テーマに即して明示する。混迷の現代を切り拓く展望を説く、著者の思索の結晶。(カバー「そで」より)
『始まっている未来―新しい経済学は可能か―』岩波書店、2009年10月
世界と日本に現れている未曾有の経済危機の諸相を読み解きながら、パックス・アメリカーナ(アメリカの力によるアメリカのための平和)と市場原理主義で串刺しされた特殊な時代の終焉と、すでに確かな足取りで始まっている新しい時代への展望を語り合う。深い洞察と倫理観に裏付けられた鋭い論述は、「失われた二〇年」を通じて「改革者」を名乗った学究者たちの正体をも遠慮なく暴き出し、「社会的共通資本」を基軸概念とする宇沢経済学が「新しい経済学は可能か」という問いへのもっとも力強い「解」であることを明らかにする。(カバー「そで」より) 内橋克人(経済評論家)との対談本。2つの「補論」を収録。
『経済学は人びとを幸福にできるか』東洋経済新報社、2013年11月
第1部:市場原理主義の末路、第2部:右傾化する日本への危惧、第3部:60年代アメリカ――激動する社会と研究者仲間たち、第4部:学びの場の再生、第5部:地球環境問題への視座、の構成で論文や講演録が全20章に纏められている。池上彰(ジャーナリスト・東京工業大学教授)の「『人間のための経済学』を追究する学者・宇沢弘文――新装版に寄せて」を収録。
『人間の経済』新潮新書、2017年4月
富を求めるのは、道を開くため――それが、経済学者として終生変わらない姿勢だ

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った(「経済学の原点は、人間が人間として人間らしく生きていくためにこそ、豊かさや、もろもろの道具としての財、つまりは経済の力が必要なのであって、決してその逆――豊かさが満たされれば人間らしく生きられる、ではない。」『始まっている未来』内藤克人:84、89ページ)。「自由」と「利益」を求めて暴走する市場原理主義の歴史的背景をひもとき、人間社会の営みに不可欠な医療や教育から、都市と農村、自然環境にいたるまで、「社会的共通資本」をめぐって縦横に語る。人間と経済のあるべき関係を追求し続けた経済思想の巨人が、自らの軌跡とともに語った、未来へのラスト・メッセージ。(カバー「そで」より) 宇沢国際学館・占部まり(宇沢の長女で内科医)の「前文」を収録。

〇本稿では、以上の著作に展開される宇沢の言説のうちから、「ゆたかな社会」「社会的共通資本」そして「教育」に関する論攷(ろんこう)を再確認し再認識することにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

ゆたかな社会とは
ゆたかな社会とその条件
ゆたかな社会とは、すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力とを充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーション(aspiration:熱望、抱負)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会である。(『社会的共通資本』2ページ)

このような社会は、つぎの基本的諸条件をみたしていなければならない。
(1)美しい、ゆたかな自然環境が安定的、持続的に維持されている。
(2)快適で、清潔な生活を営むことができるような住居と生活的、文化的環境が用意されている。
(3)すべての子どもたちが、それぞれのもっている多様な資質と能力をできるだけ伸ばし、発展させ、調和のとれた社会的人間として成長しうる学校教育制度が用意されている。
(4)疾病、傷害にさいして、そのときどきにおける最高水準の医療サービスを受けることができる。
(5)さまざまな希少資源が、以上の目的を達成するためにもっとも効率的、かつ衡平(こうへい)に配分されるような経済的、社会的制度が整備されている。(同上書、2~3ページ)

ゆたかな社会とリベラリズム
ゆたかな社会はまた、すべての人々の人間的尊厳と魂の自立が守られ、市民の基本

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的権利が最大限に確保できるという、本来的な意味でのリベラリズム(liberalism:自由主義)の理想が実現される社会である。(同上書、3ページ)

「自由主義」を英語にすると、どちらかというと Libertarianism と言うのでしょうか、自由を最高至上のものとする考え方になります。
本来リベラリズムとは、人間が人間らしく生き、魂の自立を守り、市民的な権利を十分に享受できるような世界をもとめて学問的営為なり、社会的、政治的な運動に携わるということを意味します。そのときいちばん大事なのが人間の心なのです。(『人間の経済』90ページ)

社会的共通資本とは
制度主義と社会的共通資本
(資本主義も社会主義も混乱と混迷のさなかにあって)市民的自由が最大限に保証され、人間的尊厳と職業的倫理が守られ、しかも安定的かつ調和的な経済発展が実現するような理想的な経済制度が存在するであろうか。それは、どのような性格をもち、どのような制度的、経済的特質を備えたものか。(中略)その設問に答えて、ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen、1857年~1929年)のいう制度主義(Institutionalism)の考え方がもっとも適切にその基本的性格をあらわしている。〈ヴェブレンの制度主義の思想的根拠は、これもまたアメリカの生んだ偉大な哲学者ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~1952年)のリベラリズムの思想にある。〉私たちが求めている経済制度は、一つの普遍的な、統一された原理から論理的に演繹されたものでなく、それぞれの国ないしは地域のもつ倫理的、社会的、文化的、そして自然的な諸条件がお互いに交錯してつくり出されるものだからである。制度主義の経済制度は、経済発展の段階に応じて、また社会意識の変革に対応して常に変化する。生産と労働の関係が倫理的、社会的、文化的条件を規定するというマルクス主義的な思考の枠組みを超えると同時に、倫理的、社会的、文化的、自然的諸条件から独立したものとして最適な経済制度を求めようとする新古典派経済学の立場を否定するものである。(『社会的共通資本』20ページ。〈 〉内4ページ。※)

※宇沢は、経済成長至上主義(効率第一主義)の弊害を指摘し、新古典派経済学(市場原理主義)を金儲け主義の最(さい)たるものとして批判した。「儲けようというのは企業が生存するために必要なことです。儲けることが悪いのではなくて、それによってどういう社会的、人間的な結果をもたらすかといことを常に心に留める必要がある。(中略)それぞれの職業的な規律と規範があって、それを守りながらそれぞれの営業なり、あるいは人間的な営みをすることがいちばん大事です」(『経済学は人びとを幸福にできるか』34ページ)と説いている。

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社会的共通資本(宇沢によるSocial Overhead Capitalの訳語)は、この制度主義の考え方を具体的なかたちで表現したもので、(資本主義と社会主義の二つの経済体制の枠組みを超える)二十一世紀を象徴するものであるといってもよい。(同上書、「はしがき」ⅰページ)

社会的共通資本とその類型
社会的共通資本(Social Common Capital)は、一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は、一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすものである。(中略)社会的共通資本の具体的な構成は、それぞれの国ないし地域の自然的、歴史的、文化的、社会的、経済的、技術的諸要因に依存して、政治的なプロセスを経て決められるものである。(同上書、4ページ)

社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができる。自然環境は、大気、水、森林、河川、湖沼(こしょう)、海洋、沿岸湿地帯、土壌などである。社会的インフラストラクチャー(infrastructure)は、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなど、ふつう社会資本とよばれているものである。(中略)制度資本は、教育、医療、金融、司法、行政などの制度をひろい意味での資本と考えようとするものである。(同上書、5ページ)

社会的共通資本の管理・運営
社会的共通資本は私的資本と異なって、個々の経済主体によって私的な観点から管理、運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として、社会的に管理、運営されるようなものを一般的に総称する。社会的共通資本の所有形態はたとえ、私有ないしは私的管理が認められていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理、運営されるものである。(同上書、21ページ)

社会的共通資本は、それぞれの分野における職業的専門家によって、専門的知見にもとづき、職業的規律にしたがって管理、運営されるものであるということである。社会的共通資本の管理、運営は決して、政府によって規定された基準ないしはルール、あるいは市場的基準にしたがっておこなわれるものではない。この原則は、社会的共通資本の問題を考えるとき、基本的重要性をもつ。(同上書、22~23ページ)

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社会的共通資本とコモンズ
(社会的共通資本の管理・維持の形態として、コモンズの考え方が重要となる。)コモンズ(Commons)の概念はもともと、ある特定の人々の集団あるいはコミュニティにとって、その生活上あるいは生存のために重要な役割を果たす希少資源そのものか、あるいはそのような希少資源を生み出すような特定の場所を限定して、その利用にかんして特定の規約を決めるような制度を指す。(同上書、84ページ)

伝統的なコモンズは、灌漑用水、漁場、森林、牧草地、焼き畑農耕地、野生地、河川、海浜など多様である。さらに、地球環境、とくに大気、海洋そのものもじつはコモンズの例としてあげられる。これらのコモンズはいずれも、(中略)社会的共通資本の概念に含まれ、その理論がそのまま適用されるが、ここでは、各種のコモンズについて、その組織、管理のあり方について注目したい。とくに、コモンズの管理は必ずしも国家権力を通じておこなわれるのではなく、コモンズを構成する人々の集団ないしコミュニティからフィデュシアリー(fiduciary:信託)のかたちで、コモンズの管理が信託されているのが、コモンズの特徴づける重要な性格であることに留意したい。(同上書、84~85ページ)

教育とは
教育と人間的成長
一人一人の子どもがもっている多様な先天的、後天的資質をできるだけ生かし、その能力をできるだけ伸ばし、発展させ、実り多い幸福な人生をおくることができる一人の人間として成長することをたすけるのが教育だといってよいでしょう。そのとき強調しなければならないのは、教育は決して、ある特定の国家的、宗教的、人種的、階級的、ないしは経済的イデオロギーによって支配されるものであってはならないということです。(『日本の教育を考える』10ページ)

能力の育成と人格の形成
一人一人の子どもがもっている個性的な資質を大事にし、その能力をできるだけ育てることが教育の第一義的な目的であることはいうまでもありませんが、同時に、子どもたちが成人して、それぞれ一人の社会的人間として、充実した、幸福な人生をおくることができるような人格的諸条件を身につけるのが、教育の果たすもう一つの役割でもあります。そのために、教育は、個別的な家庭あるいは、狭く地域的ないしは階級的に限定され場ではなく、できるだけ広く、多様な社会的、経済的、文化的背景をもった数多くの子どもたちが一緒に学び、遊ぶことができるような場でおこなわれることが望ましいわけです。学校教育制度が、上のような教育の理念からの必然的な帰結でもあり、現実に世界のほとんどの国々で学校教育制度がとられているのも、このような事情からです。(同上書、11ページ)

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学校教育とインネイト
インネイト(innate)という言葉は、ふつう生得的、先天的、本有的などと訳されていますが、あえてインネイトという言葉を使うのは、一人一人の子どもが生まれたときすでに、その心のなかに、これら(言葉を話すこと、数を数えること)の理解力、能力をもっていることを強調したいと思うからです。
学校教育にさいして、もっとも困難な問題は、このインネイトな理解力、能力と、子どもたちが家庭や近所で学んだ後天的な理解力、能力とが、どちらも一人一人の子どもについて個性的であり、千差万別であるということです。これらの個性的な特性をもつ子どもたちを、一つの教室に集めて、同時に教えなければならないわけです。学校教育にさいして、もっとも留意しなければならない点でもあります。(同上書、14ページ)

ジョン・デューイの教育機能(「教育の3大原則」)
ジョン・デューイは、その古典的名著『民主主義と教育』のなかで、学校教育制度は三つの機能を果たしていると考えました。社会的統合、平等主義、人格的発達という三つの機能です。
学校教育の果たす第一の機能として、デューイが取り上げているのは、社会的統合ということです。若い人々を教育して、社会的、経済的、政治的、文化的役割を果たすことができるような社会人としての人間的成長を可能にしようとすることです。(中略)
第二の機能は、平等に関わるものです。学校教育は、社会的、経済的体制が必然的に生み出す不平等を効果的に是正するというのが、デューイの主張したところだったのです。学校教育が機会の平等化をもたらし、社会、経済体制の矛盾を相殺する役割を果たす(中略)機能を、デューイは、平等主義的機能と呼んだわけです。
デューイの強調した第三の機能は、個人の精神的、道徳的な発達をうながすという教育の果たす重要な役割であって、人格的発達の機能とも呼ばれるべきものです。(中略)(同上書、45~46ページ)

学校教育制度と社会的矛盾の拡大再生産
ヴェトナム戦争を契機として起こったアメリカ社会の倫理的崩壊、社会的混乱によって、デューイの教育理念にもとづく公立学校を中心とするアメリカの学校教育制度もまた大きく変質せざるを得ませんでした。デューイの掲げた平等主義的な教育理念にもとづいてつくり出されたアメリカの学校教育制度が現実の非人間的、収奪的状況のもとで、逆にアメリカ社会のもつ社会的矛盾、経済的不平等、文化的俗悪さをそのまま反映し、拡大再生産する社会的装置としての役割をはたすことになってしまったのです。(同上書、48ページ)

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日本の学校教育と政治・官僚支配
基礎教育が社会的共通資本として位置づけられているとき、各小中学校はそれぞれ独立した社会的組織として、職業的規範にしたがって、経営されることが要請されます。これらの組織が、決して国家の統治機構の一部として官僚的支配を受けてはならないのは当然です。(中略)小中学校の教師は、教育サービスを売る労働者となり、聖職としての教師の職業的規範も誇りも失わざるを得なくなってしまいました。文部(科学)省はまた、教科書検定制度をたくみに利用して、自民党のもっていた、時代錯誤の、偏向したイデオロギーを基礎教育に持ち込んだのです。日本社会は現在、経済的、技術的観点からみて、世界でもっとも高い水準を誇っていますが、その反面、知性の欠如、道徳的退廃、感性の低俗さという面で、問題が生じています。その、もっとも大きな原因は、戦後五十年間にわたって、日本の基礎教育が文部官僚によって管理、支配されてきたことにあるといっても過言ではないと思います。(中略)日本の基礎教育制度の欠陥を象徴する「いじめ」の現象の原点はもっぱら、文部官僚による学校関係者に対する「いじめ」にあるといってもよいと思われます。(同上書、89~90ページ)

〇宇沢は、経済学の重要な理論を紹介・分析し、自身の知的探究の軌跡や思想の遍歴を回顧する。そのなかで、「社会的共通資本」の考え方や「人間の経済」(人間の心を大事にする経済学。人々がゆたかに暮らせる社会のための経済学)の理論を展開する。しかも、その要点を何度も繰り返し、丁寧に論攷する。「人間尊重と社会正義」「理知と気概」「批判と啓発」そして「痛快無比」などが、「理論経済学者」「社会活動家」としての宇沢の「世界」「宇宙」である。
〇宇沢の社会的共通資本の考え方は、医療や教育などの「現場」からは受容され、共感を得たと評される。それはひとつは、「人間尊重と社会正義」を実現するという「リベラル」の価値観を共有することによるのであろう。医療と教育(そして自然環境)は、社会的共通資本の「原点」であり、「次の世代に受け継いでいくべき聖なる営み」(『始まっている未来』32ページ)である。その観点から言えば、社会的共通資本として「まちづくりと市民福祉教育」について論究することが必要かつ重要となる。その際、宇沢は社会的共通資本の管理・運営主体を政府や市場ではなく、職業的・自律的専門家とりわけ大学人などの有識者に求めるが、コミュニティデザイナーやコミュニティソーシャルワーカーもその主体として期待されようか。
〇社会的共通資本の理論は、エビデンスに基づく実証的な分析・研究や、政策・制度を持続可能なものにするための財政運営に関心を持つ研究者や実務家からは、一定の距離が置かれている。
〇およそ30年間にわたって宇沢の「仕事」に伴走してきた岩波書店の編集者・大塚信一が、「宇沢思想入門」を「コンパクトに、一般読者向き」に書いている。『宇

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沢弘文のメッセージ』(集英社新書、2015年9月)、がそれである。大塚はいう。宇沢の「人柄と学問は一体化したもので、両者を切り離すことはできない点にこそ、宇沢の仕事の偉大さと素晴しさがある」(10ページ)と。また、大塚によると、原田正純(はらだ・まさずみ、1934年~2012年。水俣病の研究と患者の救済に献身的に取り組んだ医師)が、宇沢から「やさしくなくては学者でない」ということを身をもって教わったと書いている(同上書、216ページ)。
〇なお、『始まっている未来』の対談者である内橋克人はいう。21世紀の最大の課題は、分断・対立・競争を原理とする「競争セクタ―」ではなく、連帯・参加・協同を原理とする「共生セクター」の足腰をいかに強くしていくかにある。「共生経済」とは、F(食料)とE(エネルギー)とC(ケア)の自給圏(「FEC自給圏」)を人間の生存権として追求していく経済のあり方である。地域・社会の一定のエリア内で人々が連帯・協同し、政策決定過程にまで参加していく共生セクター(部門)を構築し、FEC自給圏を形成するに当たって、宇沢の社会的共通資本が重要な要素になることは言うまでもない(同上書、100~101ページ)。付記しておきたい。

補遺
「マルクス経済学」「ケインズ経済学」「新古典派経済学」の概略を記しておくことにする。

 

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08/福祉教育における「正義感覚」
            ―伊藤恭彦著『さもしい人間』に学ぶ―

 さもしい:①見苦しい。みすぼらしい。②いやしい。卑劣である。心がきたない。
正義:①正しいすじみち。人がふみ行うべき正しい道。②正しい意義または注解。➂(justice)㋐社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。現代ではロールズが社会契約説に基づき、基本的自由と不平等の是正とを軸とした「公正としての正義」を提唱。 ㋑社会の正義にかなった行為をなしうるような個人の徳性。(新村出編『広辞苑』(第六版)岩波書店、2008年1月)

〇周知のように、2015年6月、選挙権年齢を満18歳以上に引き下げる改正公職選挙法が成立した(施行は2016年6月)。そしていま、高校生らの政治や選挙への関心を高め、政治的教養を育む教育のあり方が問われている。
〇「まちづくりと市民福祉教育」について考えてきた筆者は、これまで、「政治」(とりわけ地方政治)を重要な検討課題のひとつとして位置づけてきた。また、各地のまちづくりにかかわるなかで、地域における政治的・社会的権力や地元住民(「有力者」)の言動に戸惑ったこともあった。そのとき、正義感をひけらかすわけではないが、「さもしい」や「正義」という言葉が脳裏に浮かんだのも偽らざる事実である。
〇筆者の手もとに、伊藤恭彦(いとう・やすひこ)の『さもしい人間―正義をさがす哲学―』(新潮社(新潮新書)、2012年7月)という本がある。この本は、政治「哲学的思考を思い切り『低空飛行』させ」(18ページ)、わかりやすく、ユーモアを交え、ときには自虐ネタをふりかけながら、「さもしさ」の正体を追う。そして、伊藤の主張(結論)は、シンプルでクリアである。「私はいろいろな考え方や生き方をする人々が、ゆるやかに共存している社会が望ましいと思う。正義という言葉を使って一人一人をお説教するのではなく、最低限の正しい制度についてみんなで考え、合意し、それを形作ることを目指した方がいい。正義は制度を通して実現される。制度とは、すべての人間を架け橋でつなぐ最低限の絆でもある」(205ページ)、というのがそれである。
〇以下に、(1)「さもしさ」と「正しさ」、(2)「お互い様」の倫理と制度化、(2)「私憤」と「公憤」、という項目を設けて、伊藤の言説の要点を紹介することにする(抜き書きと要約)。

(1) 「さもしさ」と「正しさ」
私たちは既に十分豊かであるにもかかわらず、他の人をさしおいて貪欲に利益を追

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求しているかもしれない。さらには誰かの不幸の上に自分の豊かな生活を作り上げているかもしれない。こうした態度を「さもしい」と呼びたい。(14ページ)

「さもしさ」が人と人との関係を意味しているとするならば、その反対語は「正しさ」になる。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは倫理の体系の中に「正しさ」(正義)を位置付け、それが人間関係においてとても重要であることを説いた。「不正な人と思われているのは、(1)法律に反する人と、(2)貪欲な人、すなわち、不平等な人である」という。(57ページ)

「さもしい」とは倫理的に言うと不正な人間関係を意味している。不正だと言う理由は、自分の「分」を超えて何かを得ようとするからである。一人一人が「分」を超えて欲望を追求すると、すごく不平等な人間関係ができあがってしまう。これを押さえ込むためには、一人一人の「分」を確定する基準が必要だ。しかし、この基準を確定できるほど、私たちの社会は単純ではない。そこで生きている人間はみな違い、おかれた環境もみな違うからである。(71~72ページ)
「分」とは、ある人がもっている価値であり、その人の必要性や功績や長所などにあったその人にふさわしいものをいう。不正とは自分の「分」を守らないことであり、正義とは「その人にふさわしいものを与える」ことを意味する。(59~62ページ)
各人の「分」を決めるにあたり、分かりやすい基準は、自由な行動と自己責任である。(72ページ)

自由社会(市場社会)は、競争社会である。市場社会の競争は全員に参加を強制する。競争である以上、順位がつく。かくして市場競争は必然的に不平等を生み出す。(98~99ページ)
不平等の発生を必然と捉えた上で、問題を含んでいない不平等とは何か。別の言い方をすれば、許される(倫理的に許される)不平等とは何か。これが不平等と格差(不平等が、ある限度を超し、問題を含んでいる場合の表現)を検討するときに中心に据えられなければならない問いだ。不平等に対してこうした問いを『正義論』の著者ジョン・ロールズも立てている。
ロールズは現代社会にふさわしい正義として、①「基本的な自由を全員に保障すること」、②「機会(ライフチャンス)の実質的平等をはかること」、そして、③「それでも残る不平等は社会の最も不利な人々の利益になること」、という三点を指摘している。不平等はあってもよいが、社会で最も不遇な人々の状況改善に役立たなくてはならないというわけだ。
不平等や格差を捉えるときには、視点を不平等の底辺にいる人々に定めなければな

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らない。もし、不平等の底辺にいる人々が過酷な状態に放置されているならば、その不平等は問題だと言える。(101~102ページ)

(2) 「お互い様」の倫理と制度化
共同体社会の名残として、私たちの社会には「お互い様」という考えが残っている。「困った時はお互い様」である。(106ページ)
「お互い様」は、日本的共同体関係に源をもつ言葉だと思われる。共同体的なもたれ合いという互酬性がここには含まれている。ただ、同時に「お互い様」には、相手の立場になってみるという大切な洞察が含まれている。つまり、自分の視点と他人の視点を入れ替えてみるわけだ。共同体的な倫理と正義は異なるかもしれないが、「お互い様」の倫理には公平さや正義につながる視点が含まれている。そう考えてみると、「お互い様」という美しい発想を、制度の中に組み込んでいくことは正義を満たす一つのルートになるだろう。
できることなら困っている人を助けたいとほとんどの人は思うだろう。ただ、助けることを個人に任せると、同じ苦境に立ちながらも、助けられる人と助けられない人という不公平が生じる。だから、市場社会の底辺で苦しむ人々を助けるための基本的な仕組みは、社会制度にした方がよい。(113~114ページ)

お互いに助け合うという制度は、自己責任を曖昧にするものではない。不運な人を助けることは、その人がまた自己責任に基づいて行動していく途を確保することでもある。つまり、自由な選択とか自己責任とかいった価値を、助け合いの制度は損なうのではなく、逆に輝かすことになるのだ。(123ページ)

不平等の底辺で苦しむ人々を助けることは、最低限の正義だと思う。
私たちはこのような正義感を制度にきちんと組み込む必要がある。そして、そんな制度をつくり、制度の維持に貢献したならば、後は自由に自分の欲望を追求しても「さもしい」とは言われない。(137ページ)

(3) 「私憤」と「公憤」
正義は、人を苦しめる構造、人を食い物にして利益を得てしまう構造、この構造を改革することである。正義が求めるのは、構造を規制する制度の形成や制度の改革である。(159~160ページ)

社会の中で苦しんでいる人を助けることが、正義の優先課題である。正義という規範に従って社会を構想してみること、これが今、私たちに求められることだ。(197ページ)
正義はそれを支える感情も必要としている。それは「むかつき」といった私憤では

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ない。
「私が公平に扱われていない」という怒りを、同じように社会で不公平に扱われている人々の境遇と重ねあわせることで生じる「これはおかしいだろう」という感情だ。私的なむかつきではなく、社会の不正を訴える怒りである。それは私憤ではなく、またバラバラな私憤の寄せ集めとしての興奮でもない。社会全体の不公平や不正義に対する憤り、つまり公憤だ。
不公平に対する公憤を紡ぎ合わせ、それを社会的な公平感に高めていくこと、これが現実社会に生きる私たちの正義感になる。そしてそれが制度改革を導くだろう。(197~198ページ)

〇以上から分かるように、伊藤は、社会の不公平や不平等の「さもしい」問題を解決するのは、「正しさ」(正義)にかなった公平な「制度」である。先ずは政治による制度の形成が肝要である、と説いている。そういうなかで、次の一節は大いに首肯するところである。

政治家の中にもやたら道徳的お説教をしたがる人がいる。「親を敬え」「郷土を愛せ」「公共心をもて」などと。そのメッセージ自体には問題がないとしても(本当は問題の多い道徳を語っている場合も多いが)、お説教は政治家の仕事ではない。政治家は全身全霊をかけて制度の再構築に取り組むべきだ。そのために税金で雇われている。上から目線で道徳を語るヒマがあったら、制度構築のために政治学、政治哲学、公共政策学などを学ぶべきだ。(205~206ページ)

〇ただ、制度の構築は政治(政治家)の役割であるが、そのすべてを政治に任せておけばよいというものではない。国政であれ地方政治であれ、政治をつくるのは私たち一人ひとりである。したがって、制度(法規、仕組み、きまり)の形成や運営、改革に直接的あるいは間接的に参加(参画)し、公平・公正で平等な社会を創り、それを保持するのは私たち一人ひとりである。その際、「私憤」や「公憤」を感じる能力、「正」や「不正」を判断する能力、すなわち「正義感覚(the sense of justice)」が問われることになる。
〇私たちは、親子の愛情や信頼関係に基づく親の指示や命令、禁止などを通して、道徳的な感情や態度を習得する。また、自分の身の回りや日常生活における仲間との関係で、正義や不公平(不正義)の感覚や感情を持ったり、表出したりする。それはより広い地域・社会における正義を求め、さらには政治的あるいは法的な正義を求める感覚や感情を醸成することになる。そして社会での正義感覚は、制度を遵守することに向けられ、また必要に応じてそれを改革することによってより一層の「秩序だった社会」が形成・保持されることを要請する。
〇このように、社会における正義や制度による秩序は、家庭での親子関係や集団で

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の仲間関係における正義感覚によって基礎づけられる。そして、その正義感覚は、子ども・若者が地域・社会のなかで成長するにつれて徐々に習得されていく。
〇そうだとすれば、子どもから大人までの正義感覚をいかに育成し、発達させるかが重要な問題となる。それを「まちづくりと市民福祉教育」に引き付けて言うとすれば、市民福祉教育を通じた正義感覚の育成が、(子どもから大人までの)市民の人権意識や地域における助け合いの意識を高め、市民的資質や能力(シティズンシップ)を形成し、それに基づいたまちづくりの社会的実践や運動を促すことになる。言い換えれば、正義感覚は、市民的資質や能力の重要な構成要素であり、市民によるまちづくりはそうした正義感覚に基づいた理解力と判断力、実践力を欠いては機能しない、ということである。その意味では、市民福祉教育における正義感覚の育成という課題は、シティズンシップやその教育のあり方を追求するなかでより明確なものとなる。
〇正義感覚は、家庭教育をはじめ学校教育や社会教育(すなわち生涯学習)、道徳教育や人権教育など、さまざまな場や内容・方法によって育成される。また、その社会の正義にかなった制度に関心をもったり、正義にかなう公平な制度の形成・構築にかかわるなかで、正義感覚は醸成される。
〇「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、「共生」の理念のもとで、政治や社会への参加(参画)や協働(共働)を重視してきた。しかし、「正」「不正」を判断するのに必要な正義感覚の育成・形成については、必ずしも十分に関心を払ってきたとは言えない。まちづくりの実践や運動に向けた、またその実践や運動における(子どもから大人までの)市民の正義感覚の育成・醸成が大きな課題になる。
〇本稿で言いたいのは、「共生と社会正義の教育によるまちづくり」という点(視点、視座)についてである。その教育の機会は、実質的に、(子どもから大人までの)すべての市民に平等に保障されなければならない。とともに、それぞれの市民が置かれている個別的な現実的状況(個人的要因や環境的要因)を十分に考慮しながら、教育内容や方法の適切性や公正性を追求する必要がある。さもないと(教育機会の平等保障だけでは)、「共生と社会正義の教育」という美名のもとで、市民を選別し、新たな不平等を生み出すことになりかねない。強調しておきたいところである。

補遺
〇 不平等や格差を肯定する立場に立つと、不平等や格差そのものを解消するための取り組みは消極的なものにならざるを得ない。その際の取り組みは、いわゆる勝ち組と負け組のうち、負け組の人びとに「再チャレンジ」の機会を用意することになるが、結果的には勝ち組と負け組の入れ替えをするだけに過ぎない。しかも、その機会をとらえて努力する限りでは支援(「助け合いの制度」)の対象とされるが、努力の質量によって支援の対象から外されることになる。そこにあるのは排除の論理(排除の正当化)である。

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〇そこで求められるのは、個人の「意欲」「能力」「努力」などの有無や質量を個人的・内面的なものに押しとどめるのではなく、それを下支えする多面的・重層的な社会システムをどう構築するかということである。すべての人が、その属性や帰属にかかわりなく、「自立と連帯(共生)」の社会的な互恵的信頼関係のなかで平等に扱われ、共に支え合い、それを通して社会への完全参加を果たすことが強く求められる。

 

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09/主権者教育とシティズンシップ教育
            ―新籐宗幸著『「主権者教育」を問う』を読む―

全体主義的な管理統制が強い日本社会にあって、中央集権的で巨大なシステムである学校や行き過ぎた競争と管理による教育を変えることは難しい。だからこそ、児童・生徒や教員、保護者や地域住民などが共働して政治を革め、真に自律的・主体的な主権者(国の政治のあり方を決定・実行することができる権力をもつ者。国民・市民)による政治を創る教育が求められる。

〇教育基本法(2006年12月22日公布・施行)の第14条(政治教育)は、「良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。」と謳(うた)っている。まず、この条文を押さえておきたい。
〇日本において「主権者教育」の必要性が声高に叫ばれるようになるのは、2000年代以降である。その政策化のひとつの重要な契機は、総務省が2011年4月に設置した「常時啓発事業のあり方等研究会」(座長:佐々木毅)の報告である。その「最終報告書」(2011年12月)では、子ども・若者に対する新たなステージとしての「主権者教育」の必要性と重要性を説き、現代に求められる新しい主権者像のキーワードは「社会参加」の促進と「政治的リテラシー(政治的判断力や批判力)」の向上である、とした。そして、「主権者教育」を次のように規定する。「欧米においては、コミュニティ機能の低下、政治的無関心の増加、投票率の低下、若者の問題行動の増加等、我が国と同様の問題を背景に1990年代から、シティズンシップ教育が注目されるようになった。それは、社会の構成員としての市民が備えるべき市民性を育成するために行われる教育であり、集団への所属意識、権利の享受や責任・義務の履行、公的な事柄への関心や関与などを開発し、社会参加に必要な知識、技能、価値観を習得させる教育である。その中心をなすのは、市民と政治との関わりであり、本研究会は、それを『主権者教育』と呼ぶことにする」(7ページ)。
〇いまひとつ注目すべきは、文部科学省が2015年10月、1969年10月の文部省初等中等教育局長通達「高等学校における政治的教養と政治的活動について」を廃止し、それに代わって同通知「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について」を発出したことである。1969年通達では、「国家・社会としては未成年者が政治的活動を行なうことを期待していないし、むしろ行なわないよう要請している」。「生徒が政治的活動を行なうことは、学校が将来国家・社会の有為な形成者として必要な資質を養うために行なっている政治的教養の教育の目的の実現を阻害するおそれがあり、教育上望ましくない」などとして、学

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校内外における政治的活動を「禁止」した。そのねらいは、1960年代後半にベトナム反戦運動等を契機に多発・激化した学生運動(大学闘争)やその高校・高校生への波及(高校紛争)を阻止しようとするところにあった。
〇2015年通知では、「今後は、高等学校等の生徒が、国家・社会の形成に主体的に参画していくことがより一層期待される」。「現実の具体的な政治的事象も取り扱い、生徒が有権者として自らの判断で権利を行使することができるよう、より一層具体的かつ実践的な指導を行う」などとした。その背景には、「18歳が世界標準」というなかで、選挙権年齢が「満18歳以上」(2016年6月施行)、成年年齢が「18歳」(2022年4月施行)にそれぞれ引き下げられたことがある。それに伴って、「主権者教育」の重要性が強調されることになる。
〇しかし、2015年通知の内実は、「高等学校等の生徒による政治的活動等は、無制限に認められるものではなく、必要かつ合理的な範囲内で制約を受ける」などと、学校や教員の「指導」等による、学校内外における政治的活動の規制を求めるものとなっている。すなわちそれは、基本的には政治的活動の自由化を促したり、容認したりするものではない。
〇2015年9月、総務省と文部科学省は、高等学校等の生徒向け副教材として『私たちが拓く日本の未来―有権者として求められる力を身に付けるために―』の<解説編><実践編><参考篇>と教師用の<活用のための指導資料>を作成・公表した。それは、政府主導の「主権者教育」の展開をこと細かく指示するものとなっている。また、選挙権年齢の引き下げによる「主権者教育」の強調は、「有権者教育」に縮小・限定される恐れなしとしない。そこで、民主主義を成り立たせる前提である「人権」や「思想・良心(信条)の自由」などに基づく議論が必要かつ重要となる。
〇2017年3月に小・中学校、2018年3月に高等学校の「新学習指導要領」が告示された(小学校では2020年度、中学校では2021年度から全面実施、高等学校では2022年度から年次進行で実施)。それに基づいて、小・中学校と高等学校では、児童・生徒の発達段階に応じた「主権者教育」を実施し、主権者として必要な資質・能力を教科等横断的な視点で育成することとされている。高等学校では、従来の「現代社会」に代わって、「公民」科の新しい必修科目「公共」が設けられている。
〇また、文部科学省は2018年8月、新学習指導要領の下での学校・家庭・地域における「主権者教育」の推進方策について検討するために、「主権者教育推進会議」(座長:篠原文也)を設置した。そして、2021年3月に「今後の主権者教育の推進に向けて」最終報告を公表した。そこでは、主権者教育をめぐる課題と今後の推進方策に関し、(1)(小・中学校、高等学校、大学、教師養成・研修等)各学校段階等における取り組みの充実、(2)家庭、地域における取り組みの充実、(3)主権者教育の充実に向けたメディアリテラシー(メディアからの情報を批判的・創造的に読み解く能力)の育成、などについて提言する。そして、その提言を実現するために、(4)社会総がかりでの「国民運動」としての主権者教育推進の重要性を説く。

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こうした文部科学省の取り組みは、前述の2015年通知や『私たちが拓く日本の未来<活用のための指導資料>』に示された考え方の周知を図ろうとするものであり、内容的には新味に欠ける。
〇ところで、3月13日、新藤宗幸(しんどう・むねゆき、行政学・地方自治論専攻)が亡くなった(享年75)。4月1日、「18歳、きょうから成人」である。そんななかで、新藤の著作の一冊である『「主権者教育」を問う』(〈岩波ブックレット No.953〉岩波書店、2016年6月。以下[1])を再読することにした。
〇[1]における議論・言説の要点のひとつは、こうである(抜き書きと要約)。「主権者教育」は、現実の政治の実態を棚にあげ、単に新有権者に「政治的な教養を育む教育」を説くのではない(10ページ)。「主権者教育」は、まず現実の政治が生み出している社会的問題事象の中身を学習し、政治にどのような利害が反映されているのかを学ぶことから始めるべきである(15ページ)。「主権者教育」に求められているのは、日々生起する政治的事象の内実をみる眼を養うことであり、また政治権力の行動の意味を洞察する能力を高めることである(7ページ)。「主権者教育」は、政治権力に従順な人間を育てることではない(21ページ)。
〇「主権者教育」と表裏一体で強調されるものに、「教育における政治的中立性」がある。続けて新藤はいう。政権の言説やそれを忖度した同調の「政治性」は不問に付され、それらに対する批判的言説が「政治的中立性」に反するとされる傾向にある(23ページ)。「教育における政治的中立性」という場合の「政治」とは、「政治」一般をさしているのではなく、あくまで「政党政治」を意味する(30ページ)。「教育における政治的中立性」とは、政党政治の介入を排除する規範としての意味をもつものである(30ページ)。しかも、それだけではなく、教員にあっては自らの思想・信条や専門的知識にもとづいて、物事には社会的にも学問的にも多様な見解があることを示しつつ、自らの見解を説かねばならない(31ページ)。こうした能動的な教育と教員による「政治的中立性」を保障するためには、文部科学省から校長にいたる「タテの行政系列」を改革する必要がある。同時に、首長のもとの教育行政への市民参画を徹底するとともに、学校ごとに生徒・教員・市民が参画する運営組織をつくるなどして、「教育行政の政治的中立性」が実現されなければならない(43ページ)。
〇日本においては、国家による統一的・画一的な管理主義教育や教育行政が、学校現場や教育委員会を「思考停止」状態に追いやり、生徒の自主的・主体的な活動を制約あるいは否定してきた。そういうなかで、真の「主権者教育」の推進を図るためには、如何にして生徒の政治的関心を高め、政治的教養を豊かにするか。そして、学校内外における多様な政治的問題状況に異議申し立てをし、政治的活動への参加を促すか、が問われることになる。そのためには例えば次のようなことが求められる、と新藤はいう。政治的教養を培うにあたって、若者に限らず大人たちが生活の場に生じているさまざまな市民運動や社会運動との接点をもつ(61ページ)。学

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校は地域の多様な集団と生徒の交流の場を用意し、生徒たちが地域の課題を通じて政治のあり方を考える機会とする(63ページ)。地方自治体の首長や各行政セクションの職員、教育委員会や教育長・教育委員、自治体の議会や議員などと交流し、地域政治や地域行政の役割やあり方などについて議論する(64、65ページ)。学校を「地域に開かれた学校」「民主的な学校」にするために教員は、市民としての感性を磨きつつ、教育のプロフェッション(専門職)として、市民の支援を得ながら、学校改革や教育改革に立ち上がる(59、60ページ)、などがそれである。
〇日本における「主権者教育」のモデルのひとつは、イギリスの「シティズンシップ教育(Citizenship Education)」である。それを方向づけたのは、政治学者のバーナード・クリック(Bernard Crick)らが中心となってまとめた1998年9月の政府答申「シティズンシップのための教育と学校でのデモクラシーの指導(Education for citizenship and the teaching of democracy in schools)」(「クリック・レポート」)である。イギリスでは、この答申に基づいて2002年から、中等教育段階(第7学年~第11学年。日本の小学校1年~高校1年)でシティズンシップ教育が必修化された。
〇クリック・レポートでは、シティズンシップを構成する要素として、「社会的・道徳的責任(social and moral responsibility)」「コミュニティへの関与(community involvement)」「政治的リテラシー(political literacy)」の3つが挙げられている。この3つの事柄は、相互に関連性を有し、依存関係にある。クリックによればシティズンシップ教育は、ボランティア活動の促進に偏りがちであるが、「能動的な市民(active citizen)」の育成こそがその中心に位置づけられるべきである。そのためには、「政治的リテラシー」(政治的判断力や批判力)を中核的な内容とするシティズンシップ教育が肝要となる。なお、この「3つの柱」について、クリック・レポートは次のように述べている(下記「参考文献」(3)122、123、124ページ)。

社会的・道徳的責任
子どもたちが、権威のある者ならびにお互いに対して、幼少からの自信や社会的・道徳的な責任ある態度を教室の内外で見につけることです。このような学習は学校の内外を問わず、子どもたちが集団で行動したり遊んだりするときあるいは自分たちの地域における活動に参加するときに、時と場所を選ばずに展開されるべきです。
コミュニティーへの関与
自分たちの社会における生活や課題について学び、それらに有意義な形で関われるようになることです。社会参加・社会奉仕活動を通じた学習もここに含まれます。
政治的リテラシー
児童・生徒が知識・技能・価値観といったものを通じて、市民生活(public life)について、更には自身が市民生活において有用な存在となるための手段について学ぶことです。

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〇シティズンシップ教育の一環として考える「まちづくりと市民福祉教育」についても、同じことが言える。すなわち、「市民福祉教育」が「まちづくり」のための地域貢献活動やボランティア活動、あるいはサービスラーニングなどとの関連性を問うとき、主権者・政治主体としての子ども・青年から大人までの「市民」に求められる政治的リテラシーの育成にとりわけ留意する必要がある。別の著作で述べているクリックの次の一節を引いておく(下記「参考文献」(2)199~200ページ)。留意したい。

イギリスでも合衆国でも、多くの指導的政治家たちはシティズンシップを、イギリスでは「ボランティア活動」に、合衆国では「公共奉仕学習」(サービス・ラーニング)に切り詰めようとしている。しかし、ここには難しさがある。ボランティア活動一辺倒になってしまうと、善意あふれる年寄りたちが若者に何をすべきかを言って聞かせるだけに終わってしまいかねないのだ。ボランティアに与えられた任務の目的や方法を誤っていると思ったり、つまらないことのよう思ったりしたときに、その改善策を提案してゆく責任を与えないでおいて、それを全うする責任だけを引き受けさせるということになれば、ボランティアたちは市民として扱われていないことになる。こうなれば、ボランティアは単なる使い捨ての要員にされかねないし、また彼らを幻滅させることになるだろう。

補遺
〇日本における「シティズンシップ教育」の政策化に関しては、経済産業省(委託先:三菱総合研究所)が「シティズンシップ教育と経済社会での人々の活躍についての研究会」(委員長:宮本みち子)を設置し、2006年3月に「報告書」、同年5月に「シティズンシップ教育宣言」(パンフレット)をそれぞれ発表している。「報告書」では、「シティズンシップ」について、「多様な価値観や文化で構成される社会において、個人が自己を守り、自己実現を図るとともに、よりよい社会の実現に寄与するという目的のために、社会の意思決定や運営の過程において、個人としての権利と義務を行使し、多様な関係者と積極的に(アクティブに)関わろうとする資質」(20ページ)と定義している。
〇また、「シティズンシップ教育宣言」では、「シティズンシップ教育の必要性」について、「報告書」中の説述(9ページ)を次のようにまとめている(3ページ)。

私たち研究会では、成熟した市民社会が形成されていくためには、市民一人ひとりが、社会の一員として、地域や社会での課題を見つけ、その解決やサービス提供に関する企画・検討、決定、実施、評価の過程に関わることによって、急速に変革する社会の中でも、自分を守ると同時に他者との適切な関係を築き、職に就いて豊かな生活を送り、個性を発揮し、自己実現を行い、さらによりよい社会づくりに関わるために必要な能力を身につけることが大切だと考えます。

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一方で、こうした能力を身につけることは、いかなる人々にとっても、個々人の力では達成できないものであり、家庭、地域、学校、企業、団体など、様々な場での学びや参画を通じてはじめて体得されうるものであると考えます。
上記のような能力を身につけるための教育、すなわちシティズンシップ教育を普及して、市民一人ひとりの権利や個性が尊重され、自立・自律した個人が自分の意思に基づいて多様な能力を発揮し、成熟した市民社会が形成されることを期待しています。
なお、私たち研究会の提言は、市民に奉仕活動などを義務付けたり、国家や社会にとって都合のよい市民を育成しようという目的のものではありません。

参考文献
(1)新藤宗幸『「主権者教育」を問う』(岩波ブックレット No.953)岩波書店、2016年6月
(2)バーナード・クリック、添谷育志・金田耕一訳『デモクラシー』(<一冊でわかる>シリーズ)岩波書店、2004年9月
(3)長沼豊・大久保正弘編、バーナード・クリックほか著、鈴木崇弘・由井一成訳『社会を変える教育 Citizenship Education ~英国のシティズンシップ教育とクリック・レポートから~』キーステージ21、2012年10月
(4)蒔田純『政治をいかに教えるか―知識と行動をつなぐ主権者教育―』弘前大学出版会、2019年6月
(5)日本学術会議政治学委員会政治過程分科会『報告 主権者教育の理論と実践』日本学術会議、2020年8月
(6)全国民主主義教育研究会編『「公共」で主権者を育てる教育を』(民主主義教育21 Vol.15)同時代社、2021年7月

 

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 10/「内田教育論」にみる公共的市民の育成
          ―内田樹・他『おせっかい教育論』を再読する―

〇樋口裕一によると、読書には二通りの方法がある。「実読」と「楽読」がそれである。「実読」とは、「何か行動に結びつけるために、情報や知識を得ようとして行う読書、つまり何かに役立てようとする読書」である。「実読」は、「何らかの意味で発信し、他者にその本の意義を示したり、その本から得た知識を他者に披露したり、その情報を実行に移したり」しなければ意味がない。「楽読」とは、「何かに役立てたいと思うのでなく、ただ楽しみのためだけに読む読書」である。樋口にあっては、「この二つの読書の両方があってこそ、人生は豊かになる」(樋口裕一『差がつく読書』角川書店、2007年6月、12、17ページ)。
〇政治(政治家)の劣化や右傾化、厚顔無恥な権力闘争がとまらない。日本の破綻や崩壊のカウントダウンが始まっているかのようである。不安感や恐怖心が増すばかりである。そんな思いのなかで、鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫著『おせっかい教育論』140B(イチヨンマルビー)、2010年10月。以下[1])を読み返すことにした。教育の政治や経済からの独立性をはじめ、教育の市民性や地域性、教育現場の主体性や自律性などを如何に保証するかということに思いを致しながら、そしてひとまず焦燥感を抑えながら、「教育危機」「教育崩壊」について考えてみようということである。
〇[1]は、関西を拠点に活躍する鷲田(臨床哲学)、内田(フランス現代思想)、釈(宗教学)、そして平松(元大阪市長)の4人による2回の座談会(2009年10月と2010年1月)の記録と書き下ろしを収録したものである。以下は、そのなかから、筆者が留意したい内田樹(うちだ・たつる)の発言と論述を抜き書きあるいは要約したものである(見出しは筆者)。なお、樋口がいう「実読」と「楽読」について言えば、内容的には「内田教育論」についての「実読」であり、心情的には私的な「楽読」である。

共同体の支援/教育は公共的市民を育て共同体の維持・存続を図るための活動である
教育の基本的な機能は、子供たちを大人にして、自分たちが構築し運営している共同体あるいは自治体のフルメンバーとして、それを担い得るような公共性の高い市民を育てることである。/学校教育が今、歪んでしまったのは、自己利益を達成するために人は教育を受けるのだという思想が広まってしまったからである。教育活動を「商品」としてとらえるロジックが、教育の現場を侵食している。教育がビジネスになっている。それが教育崩壊の根本にある。/学校教育を子供たちに授けることによって、最大の利益を受けるのは共同体そのものである。共同体を支える公民的な意識を持った人間、公共の福利と私的利益の追求のバランスを考えて、必ず

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しもつねに私的利益の追求を優先しないようなタイプの大人を、社会のフルメンバーとして作っていくということは、共同体の存続にとって死活的に重要である。本来は、共同体の全メンバーは「ありとあらゆる機会に、子供たちを成熟に導く」という活動に身を捧げないといけない。(26~27ページ)

一般ルールの停止/学校は共同体のなかで社会的ルールが一時停止する場所である
学校は、(公共的市民の育成を図る場であるとともに)、社会や共同体が経済合理性なりある種のルールに基づいて動いているなかで、そこと断絶していて、社会のルールが通用しない場であるべきである。「ノーマンズ・ランド」(no man’s land)というか「逃れの街」というか、そうした現世のルールが適用されない場としての機能を持つべきである。「社会のルールが一時停止している場所」を作っておいて、そこにうまく社会に適応できないさまざまなタイプの才能を受け容れられるようにする。/「イノベーター(革新者)になるかもしれない子供たち」にフリーハンド(他からの制約や束縛を受けないこと)を保証するのは学校の重要な人類学的機能なのである。そういう子供たちは序列化とか格付けとかはなじまない。学校では、子供たちのなかに潜在するある種の非社会的・反社会的な部分についても、できるだけ広く受け入れ、そして面白がる余裕が欲しい。日常的な価値観が一時停止したような空間、「タイム」がかけられる場というのは、共同体のなかになければいけない不可欠な要素なのである。「一般ルールが停止する場所」は共同体の安全保障のために絶対に必要なのである。その機能はまずは学校が担わないといけない。(38~39ページ)

多様な個性/学校には生徒と教師の多様性が互いに生かされる環境が必要である
文科省は、一貫して教員たちの規格化・標準化を推し進めてきた。その結果、学校では、一定の価値観の枠内の人しか教壇に立てないようになってきている。/「教育力」というのが実体としてあって、生徒の方は真っ白な状態(「タブラ・ラサ」ラテン語:tabula rasa)で、教育力のある教師が教えればどんな子供も必ず能力が伸びるということはあるはずがない。教師(教育)の打率は1割もいかない。(しかしそれが将来どこかで、大きく花広くこともある。)教師と生徒の出会いは偶然的なものであり、教師の打率を上げるためには、訳の分からない教師がずらっと並んでいる方がいい。子供の訳の分からなさと同じぐらいの訳の分からなさの多様性が必要なのである。子供の個性と同じだけの数の個性の教師が並んでいることが理想的な教育環境なのである。それを、教師のあるべき条件を限定し、条件をどんどん狭めてゆくというのは、完全に方向が逆なのであり、教育は崩壊してしまう。/また、教育は、中枢的にコントロールしてはいけない。それをしようとすると、プログラムを標準化せざるを得ない。教育プログラムは多様であることによって機能するのである。(56、146~147、162~163ページ)

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教育権の独立/教育危機を解消するのは教師のパフォーマンスの向上支援である
いま教育は危機的状況にある。それは、教員の努力不足や、子どもたちの無能化・怠惰化や、親たちのクレーマー(苦情を言う人)化といった個別的な原因によって起きているのではない。また、教育官僚たちは「処罰の恐怖を通じて、人を操作し、支配する」という古典的方法を手放そうとしないが、そうした文科省ひとりの責任でもない。「上の言うことに従わないものには罰を与える」という恫喝(どうかつ)の方法しか思いつかないという、私たち全員が罹患しているある種の「思考停止」の帰結なのである。/教育危機の現況の臨んで、私たちがまずなすべきことは、なによりも教育現場に「誇りと自信と笑い」を取り戻すことである。「自律的な教員の、多様な創意工夫を支援すること」である。/教員がいま必要としているのは、「敬意」であって「恫喝」ではない。「支援」であって「査定」ではない。「フリーハンド」であって「管理」ではない。/教育の危機に対処しうるのは現に教壇に立っている教師だけである。そのためには、「教師のパフォーマンスを向上させること」が肝要となる。/教師たちが、その潜在能力を発揮し、そのポテンシャル(潜在能力、可能性)を開花させ、持続的にオーバーアチーブする(期待以上の成果を上げること)以外に方途はない。だから、教育行政がなすべきことは一つしかない。それは教師たちのパフォーマンスが向上するために最良の支援を行うことである。/政治も市場もメディアも、教育のことに口を出すべきではなく、教育のことは現場に任せるべきである。一言でいえば、「教育権の独立」の実現である。(199、201、202、205、207、208~209ページ)

〇筆者は、教育は「待つ」ことであり、相互信頼の積み上げによって互いの創造性を「引き出す」ことである、と考えている。前述の鷲田の著作に『「待つ」ということ』(角川学芸出版、2006年8月)がある。そこでの一節を紹介しておきたい。

待たなくてよい社会になった。/待つことができない社会になった。/意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をわたしたちはいつか無くしたのだろうか。偶然を待つ、じぶんを超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪(うしな)ったのだろうか。時が満ちる、機が熟するのを待つ、それはもうわたしたちにはあたわぬことなのか‥‥‥。(7、10ページ)

〈待つ〉は偶然を当てにすることではない。何かが訪れるのをただ受け身で待つということでもない。予感とか予兆をたよりに、何かを先に取りにゆくというのではさらさらない。ただし、そこには偶然に期待するものはある。あるからこそ、なんの予兆も予感もないところで、それでもみずからを開いたままにしておこうとするのだ。その意味で、〈待つ〉は、いまここでの解決を断念したひとに残された乏しい行為であるが、そこにこの世への信頼の最後のひとかけらがなければ、きっと、

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待つことすらできない。いや、待つなかでひとは、おそらくはそれよりさらに追いつめられた場所に立つことになるだろう。何も希望しないことがひととしての最後の希望となる、そういう地点まで。だから、何も希望しないという最後のこの希望がなければ待つことはあたわぬ、とこそ言うべきだろう。(19ページ)

〇「待つ」ことによって「時」と「場」が整えられ、新たな「動き」や「働き」が生まれる。「拙速」は教育においては最大の禁忌(きんき)である(内田、[1]200ページ)。また、教育はすべての国民や市民のものであり、私たちの教育についての思考停止は許されない。これは、「教育」(と「まちづくり」)の底流に置くべき基本的な考え方と姿勢である。強調しておきたい。

 

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11/「大田教育学」にみる「生命の視点」
             ―大田堯・中村桂子著『百歳の遺言』の視座

〇筆者の手もとに、大田堯(おおた・たかし、教育研究者)と中村桂子(なかむら・けいこ、生命誌研究者)の対談本『百歳の遺言―いのちから「教育」を考える』(藤原書店、2018年4月。以下[1])がある。その「帯」の文章(「帯文」)は、次の通りである。「『生きる』ことは『学ぶ』こと/生命(いのち)の視点から教育を考えてきた大田堯さんと、40億年の生きものの歴史から、生命・人間・自然の大切さを学びとってきた中村桂子さん。教育が『上から下へ教えさとす』ことから『自発的な学びを助ける』ことへ、『ひとづくり』ではなく『ひとなる』を目指すことに希望を託す」。
〇[1]の内容は深くて広い。生命(いのち)とは何か、人間とは何か、教育とは何かについての対談は、本質的かつ学際的であり、鮮(あざ)やかで心地よいものでもある。ここでは、[1]から次の2つの文章だけを紹介しておくことにする(見出しと、※は筆者)。

教育は生命の「根源的自発性」を補助する「アート」である
学習権の学習とは、食事や呼吸とおなじく、情報を自ら獲得したり、発信したりする営みである。いわば脳・神経系の行う新陳代謝の一つであり、人間が生きつづけていくうえでの生存権の一部、基本的人権のことをいう。子どもは生まれると同時に情報の新陳代謝を始める。情報は姿、形のないものだが、それなしには生きること、成長、発達すらもありえない。
教育はその天賦の学習力、生命の根源的自発性を補助する技(アート)である。したがって、上から与えられ、受けるものではなく、むしろその子その子(大人)に与えられたユニークな学習力に寄り添って、ひびき合い、「ひとなる」、一人前になるのを助ける重要な役柄を果たすものである。めいめいが自分の学習力の流儀で、教育を選び取る権利が保障されなければならない。それが「学習権を保障する教育への権利」だということになる。マララさんがテロへの唯一の武器として使った、エデュケーションの訳語としての教育は、この生存権としての学習権の保障を求める「教育」なのである。(大田、122~123ページ)

マララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai):2014年のノーベル平和賞を受賞したパキスタンの人権運動家。次の一節は、2013年7月に国連本部で行った演説のなかの名言である。
One child, one teacher, one book and one pen can change the world. Education is the only solution. Education first.(1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン

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が、世界を変えられるのです。教育以外に解決策はありません。教育こそ最優先で
す。)

教育は「ひとなり」であり、「人づくり」ではない
「ひとなる」に対する言葉は「ひとづくり」でしょう。政府の看板政策として「人づくり革命」という言葉が使われています。それには「生産性革命」が並んでいますから、効率よい労働に従事する人材(この言葉も気になるものです)獲得を目的とする「人づくり」であることがわかります。
生きものは多様であるところに意味があり、もちろん人間にも多様性が重要です。(中略)私たち人間も生きものの一つとしてこの歴史の中で生まれてきたのですから違いをもつ一人ひとりが存在することに意味があるのです。その一人ひとりが思いきり生きることを応援するのが社会の役割でしょう。現代社会は、効率を求め、人間を機械のように見てしまう恐さがあります。大田先生の「ひとなる」という言葉には、均一のものを早くつくるという見方に対して、生きものとしての時間を大切にし一人ひとりが個性を生かして育っていく過程を見つめる眼を感じます。
生きものにとって大事なのは続いていくことであり、今一番望むことは次世代、その次の世代と続く未来の人々に誰もが生き生きと生きられる社会を渡すことです。(中略)今やるべきことは、もっともっと人間について考えることなのではないでしょうか。(中村、128、129~130、134~135ページから抜き書き)

〇[1]を読んだあと筆者は、芋(いも)づる式に、大田が[1]のなかで紹介している(14ページ)『地域の中で教育を問う』(新評論、1989年11月。以下[2])と、[2]のなかで紹介している(2ページ)『教育とは何かを問いつづけて』(岩波書店、1983年1月。以下[3])を再読することにした。その理由は、大田の「戦後の教育と教育研究」の足跡を再認識することにあり、それを通して[1]の理解を深めたいという思いからでもある。大田によると、「『地域の中で教育を問う』ということは、ふつうの人、人民(ピープル)に教育をゆだねるという心をこめたもの」([1]19ページ)であり、「『教育とは何かを問いつづけて』は、戦後の私の教育探求の跡を一思い(ひとおもい)に学生諸君に語ったのが基となって」([2]2ページ)いる。
〇ここで、[2]と[3]からそれぞれ、一つの文章を紹介しておくことにする(見出しは筆者)。

教育は「地域」からの教育改革の「土俵づくり」が重要である
子どもたちが、単に親のものでなく、まして国家に従属するものではない。人類という動物種の一員であることを考えると、子育てという事業は、種の持続という最

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も広い意味での公的事業だというべきである。
一大事業としての教育は、当然地域を基盤として進められる。地域は幼年期から学童期、青年期、壮老年期を通じての人間発達の社会的胎盤である。(中略)かりに、中央権力のもとでどんな理想的な教育改革の構想がねられたとしても、この地域からの改革の土俵づくりなしにはその実現は不可能である。この土俵づくりに決定的な役割を果たすのが地域の親と教師とである。
「子は天からの授かりもの」、みんなで育てるほかはない(中略)。そういう中で、はじめて親は過大な身勝手な注文を抑制し、教師もみんなの知恵を借りて子を育てるということで、親の参加に寛容になる。こういう親や教師の、子育てをめぐる協力の中での自己変革なしには、教育改革の土俵はできあがるはずはない。([2]341、343~344ページから抜き書き/付記(補巻)369、370~371ページから抜き書き)

教育は人間という「種の持続」を図ることをめざすものである
私自身の戦後の歩みも、(中略)人間にとって「教育とは何か」ということを尋ね続ける旅であったともいえそうです。
そのあげく、いま辿りついているのは、教育を人間という種の持続の問題の一環として捉えるということです。子育て・教育という次の世代への働きかけも、その時代、その社会のさまざまな要求を無視することはむろんできません。それらは教育にとって必要不可欠なものです。けれども、そういうあらゆる当面の諸要求に優先して、教育は人を人らしくすること、種の持続をはかることをめざすものだということです。
平和を願い、戦後にこだわりながら、教育とは何かを求めての私の旅は、これからも続けられます。それにしても、うかつにも教育という大それた研究課題を選んだ私としては、子育て・教育が統治者の便宜のためのものでないこと、教育学者や教師のためにあるのでもないこと、突き上げられるような実感なしに、軽々しく人権としての教育を口にしないことなどを心にとめつつ、さまざまの試練に耐えて、子どもの人としての自立を励ます親や教師たちの努力に学びながら、種の持続のいとなみとしての教育を問いつづけたいと考えています。([3]216、227ページから抜き書き)

〇大田にあっては、「子は天からの授かりもの」である。子どもが育つこと、一人前になること、「人格の完成をめざす」ことを、「ひとなる」という。人間は、全ての動植物がもっている「変わる力」「自己創出力」(「根源的自発性」)によって、置かれた環境のなかで「折り合い」をつけながら生きている。それは学習を重ねることでもある。生きものの根本には学習がある。その内発性による学習(学習権)を支援・保障し、一人ひとりの「持ち味を引き出し合う」ものが、教育である。それを通して人間は、人間という「種の持続」を図るのである。そういう意味

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において、教育は公的な事業であり、人類の一大事業である(大田堯『大田堯 自
撰集成 4 ひとなる―教育を通しての人間研究』藤原書店、2014年7月。大田堯・山本昌知『ひとなる―ちがう・かかわる・かわる』藤原書店、2016年10月、等参照)。ここに「大田教育学(教育人間学)」の原点のひとつ(「生命の視点」)がある。
〇大田と中村の対談([1])は、福祉教育の実践と研究における根源的な問いでもある「生命の哲学」(いのちを生きること)について思い至らせる

付記
大田はいう。教育に対する国の介入が一段と悪化している。私たち自身の内面にある「教育」の既成観念(上から同化・同調を求めて教えたがる。教えることが過剰、学ぶことが過少)を克服する必要がある。「自然の生命が求める教育とは何か」を考え合おう、というのが『自撰集成』(全4巻・補巻)発刊の背景・理由である。
(1)『生きることは学ぶこと―教育はアート』(大田堯 自撰集成 1)藤原書店、2013年11月
(2)『ちがう・かかわる・かわる―基本的人権と教育』(大田堯 自撰集成 2)藤原書店、2014年1月
(3)『生きて―思索と行動の軌跡』(大田堯 自撰集成 3)藤原書店、2014年4月
(4)『ひとなる―教育を通しての人間研究』(大田堯 自撰集成 4)藤原書店、2014年7月
(5)『地域の中で教育を問う<新版>』(大田堯 自撰集成 補巻)藤原書店、2017年11月

 

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12/「しんがり」:社会劣化の時代における思想
        ―鷲田清一と駒村康平を読む―

〇筆者の手もとに、鷲田清一(わしだ・きよかず、臨床哲学)が著した『しんがりの思想―反リーダーシップ論―』(〈角川新書〉KADOKAWA、2015年4月。以下[1])という本がある。[1]で鷲田はいう。「縮小社会・日本に必要なのは強いリーダーではない。求められているのは、つねに人びとを後ろから支えていける人であり、いつでもその役割を担えるよう誰もが準備しておくことである」。いま、「新しい市民のかたち」「自由と責任の新しいかたち」が問われている([1]カバー「そで」、「帯」)。
〇鷲田の論はこうである。日本は、高度経済成長の「右肩上がり」の時代から「右肩下がり」の時代に移行し、人口減少や少子高齢化などによる「縮小社会」が進行している。しかしいまだに、この国の政治・経済は「成長」を至上命題として考え、多くの人は拡大思考から解放されないでいる。
〇かつて出産から子育て・教育、看護や介護、看取りと葬送(そうそう)、もめ事解決、防犯・防災などの基本的な生活活動(生命に深く関わる「いのちの世話」)は、地域社会で住民が共同で担ってきた。しかし、高度消費社会の進展が図られるなかで、それらの活動も、納税やサービス料を支払うことによって、行政や専門家、サービス企業に責任放棄・転嫁(「押しつけ」)され、委託(「おまかせ」)されている。別言すれば、市民が「顧客」や「消費者」という受け身の存在に成りさがっている(「市民の受動化」)。それは、「責任を負う」ということをめぐっての、この社会の「劣化」であり、市民の「無能力化」を意味する。
〇いま、こうした「右肩下がり」の時代を見据えて、いかにダウンサイジング(downsizing、縮小化)していくかが問われている。そこで求められるのは、人や組織を引っ張っていく強いリーダーシップ(リーダー)ではなく、社会全体への気遣い・目配りや周到な判断ができ、「退却戦」もいとわないフォロワーシップ(フォロワー)である。それが「しんがりの思想」である。これこそが、市民が受動性から脱して「市民性」(シティズンシップ)を回復させ、それを成熟させる前提になる。「市民性」とは、「地域社会のなかで、みなの暮らしにかかわる公共的なことがらについてともに考える、そしてそれぞれの事情に応じて公共の務めを引き受ける、そんな市民・公民としての基礎的な能力」([1]88ページ)をいう。
〇そして、鷲田にあっては、「市民性の回復」すなわち(対抗的な)「押し返し」の活動は、たとえばボランティアやNPOの活動、Uターン、Iターンの動きなどに見ることができる。リーダーや市民にはいま、「しんがり」の務めと「押し返し」のアクションを行なうことが求められている。その際に重要なのは、リーダーシッ

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プではなくフォロワーシップである。
〇鷲田は[1]で、梅棹忠夫(うめさお・さだお、1920年~2010年、民俗学者)の「請(こ)われれば一差し舞える人物になれ」([1]215ページ)という一言を引いて本文を閉じる。「成熟した市民」「賢いフォロワーとなる市民」の姿である。
〇筆者の手もとにもう一冊、駒村康平(こまむら・こうへい、経済学者)が編んだ『社会のしんがり』(新泉社、2020年3月。以下[2])という本がある。[2]は、2014年度から2018年度まで慶應義塾大学で行われた全労済協会寄附講座「生活保障の再構築―自ら選択する福祉社会」をもとに、さまざまな分野や地域で、変化する社会経済が引き起こす諸課題を克服すべく格闘している「しんがり」たちの活動をまとめたものである([2]8ページ)。
〇駒村の思い・願いは、すなわちこうである。「しんがり(殿軍:でんぐん)」とは、戦いに敗れて撤退する本隊を守るために最後まで戦場に残り、敵を食い止める部隊のことである。社会や地域が大きく変化し、その対応に既存の諸制度が対応できないときに、起きている問題に格闘する人や組織は必ず必要である。そうした人々や組織を「しんがり」と呼び、「先駆け(先駆者)」だけが褒(ほ)めそやされる時代に、「しんがり」の活躍にも光を当てたい([2]8~9ページ)。
〇駒村はいう。今日の日本社会は、人口減少や格差の拡大などによる社会の劣化が進んでいる。また、戦前・戦中の適者生存や優生思想が強まり、再び危機の時代を迎えている。LGBT(性的少数者)をめぐる生産性の議論や相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月)などがそれである。そんななかで、地域社会を維持するために自ら社会問題を考え、構想し、地域の問題は住民自身で解決するという意識のもとで行動できる市民を育てる。また、平和のために時代や場所を超えて他者の困窮(困りごと)を想像し、共感できる市民を増やす、それが強く求められる。駒村が期待する「市民」は次のようなものである([2]23~24ページ)。

(1)充実した熟議ができるような市民になってほしい
社会や国に影響を及ぼす大きな政治的な諸問題について、伝統にも権威にも屈従することなく、よく考え、検証し、省察し、議論を闘わせる市民になってほしい。
(2)他者への敬意を払うような市民になってほしい
自分たちとは人種、宗教、ジェンダー、セクシュアリティが異なっていたとしても、他の市民を自分と同等の権利を持った人間と考え、敬意を持って接するようになってほしい。
(3)他者、他国の人の気持ちを想像、共感できる市民になってほしい
さまざまな政策が自分そして自国民のみならず他国の人々にとってどのような意味、影響を持つかを想像、理解できるようになってほしい。

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(4)人の「物語」を聞くことにより、人生の意義を広く、深く理解できる市民になってほしい
幼年期、思春期、家族関係、病気、死、その他、さまざまな人生の出来事について、単に統計・データとして見るのではなく、一人ひとりの人生の「物語」として、理解することによって、多様な生き方に共感できるようになってほしい。
(5)政治的に難しい問題でも自ら考え、判断できる市民になってほしい
政治的な指導者たちを批判的に、しかし同時に彼らの手にある選択肢を詳細にかつ現実的に理解したうえで、判断するようになってほしい。
(6)世界市民として自覚し、社会全体の「善」に想いをはせてほしい
自分の属する集団にとってだけではなく、社会、人類全体にとっての「善」について考えてほしい。複雑な世界秩序の一部として自分、自国の役割を理解し、人類が抱えている国境を超えた、複雑で知的な熟議が必要とされる多様な諸問題の解決を考えてほしい。

〇言うまでもなく、地域の問題は地域住民の問題であり、住民自身で解決するという意識が重要である。その地域社会(まち)のありようを最終的に決めるのは、「市民」でなければならない。その点で市民には、鷲田がいう「市民性の回復と成熟」、駒村がいう(1)から(6)の「市民性」(市民としての資質・能力)の形成が求められる。地域の問題はまた、複雑化・複合化し、多様化、困難化している。その点で市民には、多領域の専門家との「共働」が肝要となる。先ずは問題把握や解決に向けて「熟議」する公共的な“場”の構築であろう。さらに市民には、政治や行政に対する一辺倒な批判だけでなく、まちの将来展望を踏まえた課題解決活動や運動の取り組みが求められる。これらは、筆者がいう「市民福祉教育」に通底する。
〇なお、鷲田は[1]で、福澤諭吉の『学問のすゝめ』の一節、「一人にて主客二様の職を勤むべき者なり」(岩波文庫、1978年1月、64ページ)を引く。それは、「ふだんは公共のことがらを、市民のいわば代理として担う議会や役所にまかせておいてもいいが、そのシステムに致命的な不具合が露呈したとき、あるいはサービスが決定的に劣化したときには、いつでも、対案を示す、あるいはその業務をじぶんたちで引き取るというかたちで、人民が『主』に戻れる可能性を担保しておかなければならないということである」([1]197~198ページ)。これは、「顧客」「消費者」としての市民の、鷲田がいう「押し返し」である。世間から押しつけられるものではなく、地べたから立ち上がる、「責任」の新しいかたち(感覚)であ。得意げに口汚くののしるだけの市民(クレーマー)は無用であり、ときに有害でもある。付記しておきたい。

 

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13/「障がい者」:言葉とフレーズと福祉教育
         ―荒井裕樹を読む―

〇1970年代から80年代にかけて、日本脳性マヒ者協会「青い芝の会」神奈川県連合会の横田弘(よこた・ひろし)や横塚晃一(よこづか・こういち) らは、「障害者は不幸」「障害者は施設で生きるしかない」「障害者は殺されてもやむを得ない」といった固定的な価値観(常識)と闘った(下記[3]134ページ。注①②)。その後、「完全参加と平等」(1981年の「国際障害者年」)をはじめ「バリアフリー社会」「自立生活」「地域生活支援」「地域共生社会」、あるいは「共生共育」(インクルーシブ教育)などの実現をめざした障がい者運動が展開された。2016年4月に「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が施行され、同年7月にはその対極に位置する「相模原障害者施設殺傷事件」が起きた。「差別を解消するための法律を作れば、そのうち差別は克服される」といってしまえるほど、この社会は単純な仕組みにはなっていない([3]13ページ)。元施設職員の犯人・植松聖(うえまつ・さとし)は「重度障害者は不幸をばらまく存在であり、絶対に安楽死させなければいけない」と断言した。そしていま、早くも事件の風化が進んでいる。ここに障がい者差別の「現在」があり、青い芝の会の「過去」の闘争やその思想が浮かび上がる。
〇筆者の手もとに、荒井裕樹(あらい・ゆうき、専門は障害者文化論、日本近現代文学)の本が5冊ある。(1)『まとまらない言葉を生きる』(柏書房、2021年5月。以下[1])、(2)『車椅子の横に立つ人―障害から見つめる「生きにくさ」―』(青土社、2020年8月。以下[2])、(3)『障害者差別を問いなおす』(筑摩書房、2020年4月。以下[3])、(4)『障害と文学―「しののめ」から「青い芝の会」へ―』(現代書館、2011年2月。以下[4])、(5)『差別されてる自覚はあるか―横田弘と青い芝の会「行動綱領」―』(現代書館、2017年1月。以下[5])、がそれである。
〇荒井は、「この社会に存在する数々の問題について『言葉という視点』から考えること」を仕事にする気鋭の「文学者」である。専門は、厳しい境遇に追いやられている「被抑圧者の自己表現活動」([1]20ページ)である。主な研究対象(テ―マ)は、障害や病気と共に生きる人たちの「言葉」であり、障がい者運動や患者運動に関わる(関わった)人たちの表現活動である。荒井はいう。1970年代に、障がい者の苦労をわかってもらうのではなく、世間の障がい者差別と闘った「青い芝の会」神奈川県連合会の横田は、「障害者は不幸」「障害は努力して克服すべき」という考えが常識だった時代に「なんで障害者のまま生きてちゃいけないんだ?!」と言った([1]151ページ)。障がい者運動家たちからもらった最大のものは、「『正しい』とか『立派』とか『役に立つ』といった価値観自体を疑う感覚」([1]244ペー

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ジ)である。「ある人の『生きる気力』を削(そ)ぐ言葉が飛び交う社会は、誰にとっても『生きようとする意欲』が湧(わ)かない社会になる。そんな社会を次の世代には引き継ぎたくない」([1]29ページ)。荒井が依拠する基本的な視点や認識のひとつであり、ひとりの「学者」としての覚悟(姿勢)である。
〇[1]は、「言葉」に潜む暴力性を明らかにし、その息苦しさ(「言葉の壊れ」)に抗(あらが)うための18本のエッセイ集である。荒井は、「言葉の殺傷力」、特に2010年代以降に顕著になった「言葉が壊されている」現実に、猛烈な危機感を持つ。「言葉というものが、偉い人たちが責任を逃れるために、自分の虚像を膨らませるために、敵を作り上げて憂さを晴らすために、誰かを威圧して黙らせるために、そんなことのためばかりに使われ続けていったら、どうなるのだろう」([1]247ページ)。これが[1]の各エッセイに通底する問題意識である。空虚なスローガンやキャッチフレーズとともに、質疑や質問に向き合わず、討論やコミュニケーションを遮断した安倍政権の汚く卑劣な言葉やフレーズを思い出す。
〇[2]は、学術誌に掲載した論文と文芸誌やネットジャーナルに寄稿したエッセイの14本の論考から成っている。荒井の研究者人生「最初の10年間の総括」([2]222ページ)である。ほとんどの人が「車椅子の横に立つ人」を障がい者の「身内」か「介護者(福祉職)」と決めつけてしまう。障害や障がい者をめぐるある種の固定観念や思い込み(ステレオタイプ)にとらわれ、それを定型的・限定的に捉えてしまう狭い範囲での想像力は、何から生み出されるのか。障がい者が経験する現代社会における「生きにくさ(生きづらさ)」や、それをめぐる「語りにくさ(語られにくさ)」を言葉でどう捉えるのか。こうした「にくさ」が交錯(こうさく)する問題について考える端緒を開こうとするのが[2]である。そして荒井はいう。「いつか(その)正体を見極めて、ぶち壊したいと思う」([2]34ページ)。
〇[3]は、1970年代から80年代にかけてさまざまな抗議行動(闘争)を繰り広げた「青い芝の会」神奈川県連合会の問題提起を、その運動に参加した障がい者たちの言葉やフレーズ、思想や価値観などを通して丹念に振り返り、「障害者差別を問い直す」。例えば、青い芝の会が「障害者と対立関係にある健康な者」「障害者を差別する立場にいる健康な者」を「健全者」([3]73ページ)と呼んだ。あるいは、憲法第25条に規定された「生存権」を「生きる権利」「この世に存在する権利」([3]194ページ)という意味で使ったことなどに言及し、そこに青い芝の会の思想をみる。そして荒井はいう。「障害者本人たちが、障害者抜きに作られた『常識』に対して、異議申し立てを行なってきた経緯」([3]22ページ)について、その具体的な事例を一つひとつ調べていくことが重要である。障がい者差別についてあまりにも早急にあるいは短絡的に「解決」を求める発想は、「弱い立場の人に我慢や沈黙を強いたり、そうした『解決』に馴染(なじ)めない人たちを排除したりする方向へと進みかねない」([3]252ページ)。複雑に入り組んだ障がい者差別の問題につ

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いて考える荒井のスタンス(立場)である。
〇本稿では、福祉教育(とりわけその実践)に関してしばしば見聞きする言葉やフレーズのいくつかを[1][2][3]から抜き出し、荒井のその論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「障害」という言葉と定義
これまで「障害」は「不幸の代名詞」「生きにくさの象徴」のように考えられてきた側面がある。([2]192ページ)/「障害学」のなかでは、「障害」は二つに分類される。個人の身体的な欠陥や欠損、あるいは機能不全という意味の「インペアメント(impairment)」(医学モデル・個人モデル)と、社会的障壁という意味の「ディスアビリティ(disability)」(社会モデル)である。([2]187、188ページ)/「障害」は立場や見方によって定義がさまざまに変化し得る相対的なものである。([2]189ページ)
人は程度の差こそあれ、何らかの障害を抱えながら生きていると考えた方がよい。[2]190ページ)/自分には何ができて、何ができないのか。どこからが自分の手に負えない状況になってしまうのか。何かできないことに直面した際、誰に、どれだけのサポートを求めれば良いのか。自分のなかに「障害」を見出すというのは、こうした点について考えることでもある。([2]192ページ)
ここでいう「障害」とは、「ある特定の文脈や状況のなかで、他の多くの人がそれほど苦労せずにできることができず、そのことで日常生活に支障をきたすこと」という意味である。([2]194ページ)/人は誰しも「障害的要素」や「障害者的側面」をもっているはずであり、そうした内省(リフレクション(reflection))を通じて、社会を捉え返すことが大切である。([2]195ページ)

「障がい者」に対する紋切り型の表現
障害者に対する紋切り型の表現は、これまでも繰り返し批判されてきた。記憶に新しい例で言えば、Eテレの情報バラエティ番組「バリバラ(Barrierfee Variety Show)」が、日本テレビ系列の有名チャリティ番組「24時間テレビ」にぶつけて「障害者×感動の方程式」と題した番組を組み、障害者が感動や勇気を与える存在として描かれることを「感動ポルノ」(Inspiration porn)と批判したことが話題になった。([2]24ページ)
もともと「感動ポルノ」という言葉は、豪州(オーストラリア)のジャーナリスト、ステラ・ヤング(Stellar Young)のものとされている。Eテレの同企画を詳細に報じた『朝日新聞』(2016年9月3日)の記事は、当日の番組の様子を次のように伝えている。<番組では冒頭、豪州のジャーナリストで障害者の故ステラ・ヤングさんのスピーチ映像を流した。ステラさんは、感動や勇気をかき立てるための道具として障害者が使われ、描かれることを、「感動ポルノ」と表現。「障害者が乗り越えなければならないのは自分たちの体や病気ではなく、障害者を特別視し、モノと

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して扱う社会だ」と指摘した。([2]27ページ)
「不幸」や「悲劇」を健気(けなげ)な努力によって乗り越える障害者の姿が涙とともに「消費」されることは珍しくない。([2]113ページ)

障がい者の「役に立たない」という烙印
戦時中の障害者たちは、「お国の役に立たない」ということで、ものすごく迫害された。「国家の恥」「米食い虫」という言葉で罵(ののし)られた。/そうした迫害に苦しんだ人たちだからこそ、「障害者を苦しめる戦争反対!」とはならない。むしろ、なれないのだ。/迫害されている人は、これ以上迫害されないように、世間の空気を必死に感じ取ろうとする。どういった言動をとればいじめられずに済むか、自分をムチ打つ手をゆるめてもらえるかを必死になって考える。([1]104~105ページ)
誰かに対して「役に立たない」という烙印を押したがる人は、誰かに対して「役に立たないという烙印」を押すことによって、「自分は何かの役に立っている」という勘違いをしていることがある。/特に、その「何か」が、(「国家」「世界」「人類」などの)漠然とした大きなものの場合には注意が必要だ。/「誰かの役に立つこと」が、「役に立たない人を見つけて吊るし上げること」だとしたら、断然、何の役にも立ちたくない。([1]107ページ)

「障がい者はもっと遠慮するべきだ」という暴力
老若男女、障害や病気の有無にかかわらず、「遠慮」をまったく感じないでいられる人は現実的にはほとんどいない。だから、みんなが、どこかで、誰かに「遠慮」している。/それでも、障害や病気がある人の「遠慮」は、場合によっては命に関わる。([1]178ページ)
日本の障害者運動が最初に闘ったのは、「遠慮圧力」だった。/<生きるに遠慮が要るものか>というフレーズは、障害者運動の神髄だとさえ言える。/「みんな、それなりに遠慮しているのだから、障害者も弱者なんていう言葉にあぐらをかかず、もっと遠慮するべきだ」/いまでも、こうした意見を持つ人がいる。/でも、この世の「遠慮圧力」は、みんなに等しく均一にかかっているわけではない。やはり、どこかで、誰かに、重くのしかかっている。([1]183ページ)
自分たちが生きる社会のなかで、「生きること」そのものに「遠慮」を強いられている人がいることを想像してみてほしい。「遠慮圧力」が、ときには人を殺しかねないことを想像してみてほしい。/確かに、ある程度の「遠慮」は美徳かもしれないけれど、誰かに「命に関わる遠慮を強いる」のは暴力だ。([1]184ページ)

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「障害は個性」「みんな違ってみんないい」という言葉
1990年代以降、「障害は個性」や「みんな違ってみんないい」といった言葉が、障害者との共生をめざす文脈でしばしば見かけられるようになった。しかし、これらの言葉は、どちらかというと「障害者と仲良くするための言葉」であり、障害者差別という人権侵害を抑止したり糾弾したりする「闘う言葉」ではないようである。([3]231~232ページ)
ある差別について語る言葉がない(少ない)ことは、その社会に差別が存在しないことを意味しない。むしろ、差別について語る言葉が少ないほど、その社会が差別に対して鈍感であることを意味している。([3]232ページ)

「障がい者も同じ人間である」というフレーズ
障害の有無にかかわらず、人は皆、等しくかけがえのない存在であり、等しい尊厳を有した存在であるという意味において、「障害者も同じ人間」というフレーズはまったく間違ってもいなければ、無力なきれいごとでもない。([3]235ページ)
「人間」とは極めて普遍的で抽象的な言葉だからこそ、ともすると、個々人の抱えた事情を一切無視して、少数者を多数者の論理に従わせたり、多数者の価値観を少数者に受け入れさせたりする抑圧的な言葉として、いかようにも転用できてしまう。/つまり、「障害者も同じ人間なのだから」という表現は、障害者に対して我慢や自制を強いる表現としても使われかねないのである。([3]236ページ)
障害者たちが障害者運動のなかで叫んできた「障害者も同じ人間」というフレーズは、「障害者も生物学上『人間』に分類される存在である」などといった意味ではない。運動の蓄積に鑑(かんが)みるならば、この言葉は「障害者も社会のなかで共に生活する者である」といったメッセージとして育て上げられてきたフレーズである。/「障害者も同じ人間」というフレーズは、「他の人々に認められている社会参加への機会や権利は、障害者にも等しく認められるべきである」といった意味内容で使われなければならない。([3]239ページ)

障がい者の「差別と区別は違う」という定型句
「差別と区別は違う」というのは、障害者差別が起きたときにも出てくる定型句である。/「差別」は不当に「されるもの」であり、「区別」は不利益が生じないように「してもらうもの」である。/「不利益の生じる区別」は「差別」だし、そもそも属性を理由に「不利益」を押しつけることは許されない。/「差別と区別は違う」というフレーズは、「それは差別だ!」と批判された側が思わず口走るというパターンが多かったように思う。([1]124、125ページ)
この社会は「権利」という概念に鈍(にぶ)いけど、それと対になって「差別」への感性も鈍い。「差別」への感性を鈍らせないためにも、「権利」に敏感でなければならない。([1]126ページ)

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「隣近所」で生きる障がい者との「闘争(ふれあい)」
障害者が排除されるのは抽象的な「地域」ではなく、具体的な「隣近所」であることから、横田は「障害者は隣近所で生きなければならない」と言った。これは、「障害者は、目に見えて、声が聞こえる距離で生きなければならない」ということだ。障害者が身近にいない社会では、障害者はどんな人なのかといった想像力が希薄になる。([2]77ページ)
逆に、障害者にとっても、様々な人たちが混在している社会のなかで生きなければ、「自分とは何者か」「自分と社会はどのような関係にあるか」について考える機会を失う。「障害者が遠い社会」や「障害者にとって遠い社会」では、障害者について語る言葉も、障害者と語らう言葉も貧困になる。言葉が貧困なところに想像力は育まれない。([2]77、78ページ)
横田は、障害者は周囲の人々と軋轢を起こしながら・起こしてでも(「隣近所」で)生きなければならないと言った。小さな諍(いさか)いは、相手と言葉を交わし、相手が何者なのかを考える契機になる。横田が「闘争」という言葉に「ふれあい」というルビを振ったことは有名なエピソードだ。([2]78ページ)

「自己責任」という言葉とその不気味さ
「自己責任」という言葉に、おおむね次の三点において不気味さを覚えている。
一つ目は、2004年の「イラク邦人人質事件」で騒がれた時から、「自己責任の意味が拡大し過ぎている」という点だ。/これまでも、病気・貧困・育児・不安な雇用などで生活の困難を訴える人が、「甘え」「怠(なま)け」といった言葉でバッシングされることはあった。近年では、こうした場面にも「自己責任」が食い込んできた。([1]189、190ページ)
二つ目は、「自己責任」が「人を黙らせるための言葉」になりつつある、という点だ。/社会の歪みを痛感した人が、「ここに問題がある!」と声を上げようとした時、「それはあなたの努力や能力の問題だ」と、その声を封殺(ふうさつ)するようなかたちで「自己責任」が湧き出してくる。([1]190~191ページ)
三つ目は、この言葉が「他人の痛みへの想像力を削(そ)いでしまう」という点だ。/「自己責任」という言葉には「自らの行ないの結果そうなったのだから、起きた事柄については自力でなんとかするべき」「他人が心を痛めたり、思い悩んだりする必要はない」という意味が込められている。([1]191ページ)
「自己責任」というのは、声を上げる人を孤立させる言葉だ。/「従順でない国民の面倒など見たくない」という考えを持った権力者は、今後も「自己責任」という言葉を使い続けていくだろう。国民が分断されていることほど、権力者にとって好都合なことはないからだ。([1]195ページ)

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人が「生きる意味」について議論すること
人が「生きる意味」について、軽々に議論などできない。障害があろうとなかろうと、人は誰しも「自分が生きている意味」を簡潔に説明することなどできない。「自分が生きる意味」も、「自分が生きてきたことの意味」も、簡潔な言葉でまとめられるような、浅薄なものではないからである。([3]234ページ)
私が「生きる意味」について、第三者から説明を求められる筋合いはない。また、社会に対して、それを論証しなければならない義務も負っていない。もしも私が第三者から「生きる意味」についての説明を求められ、それに対して説得力のある説明が展開できなかった場合、私には「生きる意味」がないことになるのか。/だとしたら、それはあまりにも理不尽な暴力だとしか言えない。([3]234ページ)
この社会のなかで、誰かに対し、「生きる意味」の証明作業を求めたり、そうした努力を課すこと自体、深刻な暴力であることを認識する必要がある。/重度障害者に対し「生きる意味」の証明作業を求めるような価値観は、必ず、重度障害者以外に対しても牙(きば)を剥(む)く。([3]235ページ)

〇上記の[4]は、「障害者によって描かれた文学」作品を研究対象に、それらの作品が生み出された文学活動の歴史と意義について考察する。具体的には、俳人で運動家の花田春兆(はなだ・しゅんちょう)と文芸同人団体「しののめ」、詩人で運動家の横田と「青い芝の会」神奈川県連合会をとり上げる。そして、「障害者自身がいかに自己の存在意義について悩み、いかに自己と社会との関係性について折り合いをつけてきたのか、その内省的な思索の変遷過程を、可能な限り同時代の障害者自身の文学表現から読み解いていく」([4]8ページ)作業を行う。それは、障がい者や障がい者運動の「内面史」を語ることでもある。荒井はいう。戦後日本の障がい者運動のなかでは、「文学は決して周縁的・副次的な存在ではなく、人脈を繋ぎ、思想を練磨していく上で、むしろ中心的な役割を果たしていたとさえ言える」([4]8ページ)。
〇上記の[5]は、横田が1970年5月に書き上げた「青い芝の会」の「行動綱領 われらかく行動する」(「補遺」参照)の解釈を通して、その歴史や思想、その意義について考察する。「行動綱領」は、「一人の重度脳性マヒ者が、この社会に厳然と存在する障害者差別に頽(くずお)れてしまわないために、自分を鼓舞し支えようとして綴った言葉」([5]299ページ)である。「青い芝の会」の活動には、「『自分たちの苦労と悲しみをわかってもらいたい』という迎合的な姿勢や、『障害のある人もない人も、共に手を取り合ってがんばろう』といった朗(ほが)らかな雰囲気は微塵もなかった」([5]14ページ)。彼らは、差別者を容赦なく徹底的に糾弾し、非妥協的で戦闘的な姿勢を貫き通した。荒井によると横田は、差別者と対峙して自覚

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的あるいは無自覚な差別を問いただし、その壁を乗り越えて明日を切り拓き、自分自身を解き放つためには「差別されてる側の自覚から湧き上がる怒りが必要だ」([5]299ページ)とした。障がい者(被差別者、被抑圧者)の「自覚」がキーワードである。ここに、『差別されている自覚はあるか』というタイトルの意味をみる。

社会のすべてが、障害者と共生する時が来るとは私には考えられない。/私たち障害者が生きるということは、それ自体、たえることのない優生思想との闘いであり、健全者との闘いなのである。(横田:[4]225ページ)

私達は生きたいのです。/人間として生きる事を認めて欲しいのです。/ただ、それだけなのです。(横田:[5]103ページ)


① 1970年5月に起きた実母による障がい児殺害事件に対する減刑嘆願反対運動をはじめ、優生保護法改悪反対運動および「胎児チェック」反対運動(1972年から1974年)、川崎バス闘争(1977年から1978年)、養護学校義務化阻止闘争(1975年から1979年)などがそれである。その概要と詳細は[3](41~47、128~145、150~176、188~220ページ)を参照されたい。
② 横田と横塚の言説(思想)については次の著作を参照されたい。
横田弘著『障害者殺しの思想』JCA出版、1979年1月
横田弘著、立岩真也解説『障害者殺しの思想(増補新装版)』現代書館、2015年6月
横塚晃一著『母よ!殺すな』すずさわ書店、1975年1月
横塚晃一著、立岩真也解説『母よ!殺すな(増補復刻版)』生活書院、2007年9月

 

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補遺
横田の手になる「行動綱領 われらかく行動する」は、次の通りである([5]29~30ページ)。

荒井による各項目の解説文(「注釈めいたもの」)をメモっておくことにする([5]121~142ページの抜き書きと要約)。

一、われらは自らがCP者である事を自覚する
障害者運動は障害者が主体となり、障害者の主体性が発揮されるかたちでなされなければならない。そのためには自分がCP者(脳性マヒ者)であることを自覚し、CP者としての思考や考え方がなければならない。それがすべての原点である。
一、われらは強烈な自己主張を行なう
障害者が障害者のまま生きていくために、障害者としてしか生きられない自分の存在を「自己主張」すべきである。この社会の常識自体が障害者の存在を否定的に捉えている。そんな常識を<健全者エゴイズム>として捉え直さない限り、障害者は<自己解放>の道を歩むことはできない。
一、われらは愛と正義を否定する
母親がわが子を愛するが故に障害児を殺した事件が起きた。その愛を圧倒的多数の人たちが支持すれば、それは正義になる。その「愛と正義」の名のもとに、障害児は殺され、あるいは施設へと送られた(送られている)。「障害者のためを思っ

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て」という健全者だけに都合のよい「愛と正義」について、人間の心を凝視しなければならない。「福祉は思いやり」という発想も怖い。非常時に真っ先に犠牲になるのは障害者である。
一、われらは問題解決の路を選ばない
障害者が成し得ることは、「不満があるなら何か具体的な対案や代替案を示せ」という発想に応えることではなく、次々と問題提起を起こす以外にない。安易な問題解決は<安易な妥協>を生む。安易な妥協は、「正義」として受け止められ、「誰」が「何」を考えなければならないのかという点を曖昧にしてしまう。妥協は、弱い立場の者がしぶしぶ折れる(折られる)ことになる。

 

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14/「ふつう」:普通に暮らすことの功罪
         ―深澤直人と佐野洋子を読む―

(1)「ふつう」は私とあなたの「あいだ」にある
私は、周りのあなたとの類似性を重視し、そこに安寧や安心を感じる。
私は、周りのあなたとの相異性に緊張し、そこに不安や劣等感を感じる。
(2)「ふつう」は私とあなたの「ふだん」にある
私が「ふつう」を意識するのは、日常の生活場面においてである。
しかもその現実の場面は、生活と人生のひとコマに過ぎず、常に変化する。
(3)「ふつう」の隣に「特別」がある
私には社会的に許容される独自性欲求があり、それが自尊感情を高める。
その一方で、社会意識である孤独感や差別意識・偏見を生む。
(4)- ➀ 私は「ふつう」を求め、あなたを「ふつう」にさせる
私は、人並みを求め、周りから目立つあなたを攻撃する。
それが窮屈で、生きづらい地域・社会をつくる。
(4)-➁ 私は「ふつう」を捨て、あなたと「わがまま」をいう
私は、生き方や価値観を変え、あなたと権利や不満を主張する。
それが地域・社会を革め、豊かな未来を切り拓く。

〇こんなことを思いながら、深澤直人(ふかさわ・なおと)の『ふつう』(D&DEPARTMENT PROJECT、2020年7月。以下[1])と佐野洋子(さの・ようこ)の『ふつうがえらい』(新潮文庫、新潮社、1995年3月。以下[2])を読んだ。深澤は世界的に有名な(身の回りにあるさまざまな製品をデザインする)プロダクトデザイナーである。深澤のデザイナー活動のテーマや哲学は、「ふつう」という概念にある。それは、「ふつう」という価値が日本人の生活の根底をなすことによる。[1]は、その「ふつう」について雑誌に15年間にわたって連載したコラムを書籍化したものである。佐野(1938年~2010年)は、絵本作家、エッセイストであり、代表作に絵本『100万回生きたねこ』(講談社、1977年10月)がある。[2]には、佐野が自分を「生きる」ことの思いや行動を装飾のない「なま」の文章に乗せた73篇のエッセイ(「世間話」)が収められている。それらは単純明快で、歯に衣着せぬストレートなところが面白い。
〇[1]では、「ふつう」の良さに気づき、「ふつう」は「日常のあたりまえに通り過ぎる出来事を自覚したときに感じるもの」(26ページ)であるという思いに至る。そんななかから、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

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知識の世界とリアルな世界の「ふつう」/―経験に基づくリアルな世界の「ふつう」が人間を幸せにする
頭で勝手に思い込んでいるものと、目で見ているものの形は違う。人間は実際にそのものを目の前にして見ているときでさえも、思い込んだ形をしているように捉えてしまう。極端な言い方をすれば目に見えるすべてはその人の概念であって先入観が成す世界なのかもしれない。先入観を成すものは経験なしに得た情報である場合が多い。デザインをしていると二つの世界の存在が見えてくる。一つは他から得た情報とその集積の知識が成す世界。これを「常識」とか「ふつう」とか言うのかもしれない。もう一つは先入観なく見た、あるいは感じたそのままの世界。経験から得た情報とその集積としてのリアルな世界である。これも言ってみれば「ふつう」である。人間はこの二つの世界観と二つの「ふつう」を持ち合わせ、そこを頻繁に行き来している。人は後者のようなリアルな「ふつう」に出会ったとき、自己の思い込みや先入観に気付き、「あ~、な~んだ、これもふつうなんだ」などと安心したり、驚いたりしていい気持ちになる。身体は常にリアルに触れているのに、思考は与えられた情報を信じている。だから既に触れていた感触を何かによって自覚させられたとき、はっとするのだ。(中略)リアルな世界の「ふつう」に触れたとき人間は幸せになる。(52~54ページ)

「変える」ことと「変えない」デザイン/デザインはしっくりいっていないことを正し、改善することである
長く使われてきたものは、もう生活の分子になっているから簡単に変えようとしてはいけない。「保守的」といわれるかもしれないが、「保守」ということばには二つの意味がある。一つは、「正常な状態を保つこと」。もう一つは、「旧来の風習・伝統・考え方などを重んじて守っていこうとすること」。それは、まさしく長い年月を経て「ふつう」になってきたことを「ふつう」のままにしておこう(と)することだと思った。保守の反対は革新で、その意味は旧来の制度を改めて新しく変えることである。制度を改革するのであって、よいものを新しく作ることとは違う。変えるのではなく、しっくりいっていないことを正し、改善すること。デザインは「変える」こととか「新しく」作ることだと思い込んでいる人は少なくない。そういったデザインの一般論に反抗して「変えない」ということは易(やさ)しくない。「自分のデザイン」というような気持ちを捨てなければならない。でも、そうやっていいものを継承して現在の生活に合わせて少しずつ直していこうとすれば、いつか自然に新しいものがぽろっと生まれる時がある。新しいのに、ずっといいものと繋がっているようなものができる時がある。(201~203ページ)

「美しい」と「いい雰囲気」をつくるデザイン /デザインは暮らしという全体の「雰囲気」をつくることである

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椅子や家具をデザインする時も、心がけるのは、もはや「形」とか「自己表現」などでは、毛頭ない。いい雰囲気を醸(かも)し出す物かどうか、を問いながら、私はデザインする。(中略)いい雰囲気とは、調和の事かもしれない。(中略)「綺麗」とか「美しい」という事は、それがよい物かどうかを決める、最も重要な事ではない。「雰囲気がいい」事のほうが上である。物が、単一で美しい、などという事など、ないのだ。雰囲気を醸し出す物でなければ、「いいデザイン」とは言えない。新しければいい、などという事はデザインの基準ではない。/「いい感じ」を醸し出す物が、「いい雰囲気」をつくる。デザイナーは、物だけをデザインしてはいられない。暮らしという全体の「雰囲気」をつくらなければいけない。結局は、空気をつくるのだ。(310~312ページ)

〇以上を要するに、①事実(本物)に触れる経験、②「ふつう」になったものを「変えない」デザイン、③空気(意識)を醸成するデザインが重要であるというのであろう。唐突ながら、これらは「まちづくりと市民福祉教育」にも通底する。誤解を恐れずにそれを別言すれば、まちづくりはそのまちの歴史や文化によって生み出された「ふつう」を磨くことである、と言えようか。
〇[2]では、「ふつう」はシンプルであり、「えらい」は生まれてから死ぬまでの、誰もが行う人間の野性的な、普段の営みにこそあるという思いに至る。ここでは、[2]に収録されている河合隼雄(1928年~2007年。臨床心理学)の「解説」文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

ふつうの人とえらい人 /「ふつう」は「生き物であれば、誰でも持っているもの」であり、「よくいきている」ふつうの人のほうがえらい
「正しいというのは正義というのではない。」(192ページ)/「正義」の方は必ず理由をもっている。「かくかくしかじか」という理由によって正しいという。それは理由によって支えられており、その理由はイデオロギーとかによって支えられている。つまり、それは正しい理論、正しい認識、などというものによって支えられ、立派に見えるけれど、そこから知らぬ間に生きた人間が消え去ってしまう。それに対して、佐野洋子のいう「正しい」は、まず生きた人間が先行している。生きた人間の存在を通して、正しいという叫びがとびだしてくる。「私は野性の中にある知性こそが、本当の知性だ、そして、それは人間が生き物であれば、誰もが持っているものだと思う。」(193ページ)と書かれている。/「誰でも持っているもの」を言いかえると「ふつう」になる。その「ふつうがえらい」のだ。(中略)現代人は自分が「生き物」であることを忘れているのだ。うまくやったり、努力したりすれば何でもできる、と思いすぎている。今世紀になってテクノロジーが異常に発達した
ので、うまくやれば何でも可能と思いすぎているのだ。「えらい」人を見ると、自分も同じように「えらく」なろうとする。そのことによって無理をしすぎて、「生き物」である自分を見失ってしまうのだ。そのような偽物の「えらさ」ではなく、「生

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き物であれば、誰でも持っているもの」としての「ふつう」のところに、でんと腰をすえると、世間の評価と関係のない「えらさ」を獲得できる。しかし、そのためには、人はひとりひとり個人差があり、自分ではどうしようもない欠点が沢山あることをはっきりと認識する必要がある。(285~286ページ)

〇筆者の手もとに、精神科医である泉谷閑示(いずみや・かんじ)の『「普通がいい」という病』(講談社現代新書、2006年10月。以下[3])と車椅子の「障害当事者講師」である小林亮平(こばやし・りょうへい)の『普通じゃなくなった人生』(文芸社、2014年3月。以下[4])がある。[3]にこういう一文がある。

ある親御さんが、「私は、息子に普通の子になって欲しかった。ある時、息子は『普通って何!』と言った。私は、何でもいいから普通に、みんなと足並みを揃えて欲しいって思って育ててきた。普通じゃないと他人に説明できないから、ただ分かりやすい人になって欲しいという気持ちだった」と、話されたことがありました(中略)。/しかし、どんな人も、決して最初から「普通」を求めていたはずはありません。/この親御さんの場合は、ご自身が幼い頃から周囲の視線や言葉によって傷ついてきた歴史があって、「普通」でないことはこんなにもまずいことなのかと考えるようになった。それで、どこか窮屈さを感じながらも、「普通」におびえ、「普通」に憧(あこが)れ、「普通」を演じるようになった。そして、わが子もそうやって生きるべきだと考えるようになったのです。(41、42ページ)

〇この一文から、「普通」は「考えや行動が同じ」であり、「他人に説明しなくても分かる状態」をいうのであろう。また、「普通」は、「一般的」「標準的」「多数派」といった意味をもち、自分が所属する「世間」(集団や組織)との関係性の調和を重視する日本文化(日本人)の伝統的な価値観である。「普通」の認知領域や設定基準によって、積極的・肯定的、消極的・否定的、あるいは好意的・非好意的な感情や思考・行動を生む。そして、周りの人への気配りが共有され、周りの人と調和したときのポジティブな感情や思考が、幸福感や満足感(well-being)として意味づけられる。上の一文から、こうした言説を想起する。
〇小林は、大学時代、突然「小脳出血」を発症し、重篤な後遺症が残ることになる。その治療やケア、リハビリが壮絶なものであったことは想像に難くない。小林はいう。

普通に大学を卒業して、普通に就職して普通に結婚したかったです。平凡な結婚生活で、子供もできて‥‥‥。でも、もう僕の人生は普通じゃなくなりました。あんな病気さえしなければ、その望みだって叶ったかもしれないのに。あんな病気さえしなければ、大学時代の思い出をもっと作れたかもしれないのに。あんな病気さえ

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しなければ、大切な人の気持ちが離れていかないように何かしらできたかもしれないのに。ちくしょう‥‥‥。ちくしょう‥‥‥。/しばらくは、ただ何となく時間だけが過ぎていきました。新しい自分の人生を受け入れるのが嫌でも、時間というものは正確に流れていくもので、それはそれとして「とりあえず何か始めなければ」と漠然とですが、しだいにそう思うようになりました(56~57ページ)。

〇[4]で小林は、病状や治療、リハビリなどについて冷静に振り返り、また日々の出来事とその感情的な心の動き(心情)や偽りのない本当の気持ち(真情)を淡々と吐露(とろ)する。小林は、授業中に発症したときに保健室に連れて行ってくれた大学の友達と、自分の人生を受け入れて前向きに生きることを教えてくれた、一緒にリハビリをした女性、その二人の“死”に直面する。そんななかで、自らの“死”を考え、凄絶(せいぜつ)な苦悩を経験した小林は、「しっかりと生きる」ことを覚悟する。そこには、自分が周りの人との関わりのなかで、自分を引き受け、ありのままの自分を考え、人生を描き、それらを伝え合う、そしてそのなかで自分を生き抜く、それが「普通」である。また、そうでなければならない、という小林の強い意志がある。そして、「自分を放(はな)ち、自分を育(はぐく)む」小林の姿を見る。筆者にはそう思えてならない。

 

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15/「弱さ」:「弱さの強さ」と「強さの弱さ」
         ―天畠大輔と澤田智洋の思想

「ある社会がその構成員のいくらかの人々を閉め出すような場合、 それは弱くもろい社会なのである。障害者は、その社会の他の異なったニーズを持つ特別な集団と考えられるべきではなく、その通常の人間的なニーズを満たすのに特別の困難を持つ普通の市民と考えられるべきなのである。」(国連総会決議「国際障害者年行動計画」1980年1月30日採択)

〇筆者の手もとに天畠大輔(てんばた・だいすけ)の『<弱さ>を<強み>に―突然複数の障がいをもった僕ができること』(岩波新書、2021年10月。以下[1])と、澤田智洋(さわだ・ともひろ)の『マイノリティデザイン―「弱さ」を生かせる社会をつくろう―』(ライツ社、2021年1月。[2])という本がある。天畠は、四肢マヒ、発話障害、嚥下(えんげ)障害、視覚障害などの重複障害を抱える、「世界でもっとも障害の重い研究者のひとり」である。澤田は、「息子に視覚障害があるとわかってから、『強さ』だけで戦うことをやめた」コピーライターであり、「言葉とスポーツと福祉」が専門の広告クリエイターである。ともに1981年生まれの気鋭のヒトである。
〇[1]で天畠は、生活上の困難(「弱さ」)と徹底的に向き合いながら、独自のコミュニケーション法(「あ、か、さ、た、な話法」)を創り、24時間介助による一人暮らし、大学進学、会社の設立(介護者派遣事業所)、大学院での当事者研究(博士号取得)、全国各地の重度障がい者と介助者の相談支援活動など、自身の人生の軌跡と生き様を紹介する。その際のキーワードのひとつは「当事者力」「当事者研究」である。天畠はいう。「当事者力」とは、「自身の抱える困難<弱さ>を自覚し、社会にその困難<弱さ>と解決の方法を訴えていく力」(182ページ)である。「当事者研究」は、障がい者の生活が制度によって “ 囲われた生活 ” になっている状況を打開し、「個人的なこと」を「政治的なこと・社会的なこと」に結びつける。すなわち当事者研究には、障害の「個人モデル」を「社会モデル」に転換し、社会規範を変える・社会変革を促す障がい者運動を再び活性化させる可能性がある(212ページ)。
〇いまひとつのキーワードは「合理的配慮」であろう。合理的配慮とは、「障がいのある人が、過度な負担を伴わず社会参加の機会を得られるように社会の障壁を取り除き、障がい者に配慮すること」(69ページ)をいう。2016年4月の障害者差別解消法の施行をきっかけに社会で大きく注目を集めるようになった。
〇天畠の「合理的配慮」に関する論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

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「弱さ」を「強み」にする「合理的配慮」
介助者の介入ありきで論文を書きあげるという、一般的に考えられている規範(かくあるべきもの)からは外れてしまう自分の「弱い」部分にあえてスポットを当て、逆にそのことの合理性の証明を(個人的なことを徹底的に深堀りする)当事者研究によって実践してきた。そしてそれを発信することで、社会の見方を変え、すでにある合理性の考え方やその境界線を変化させること、ひいては合理的配慮の範囲を広げていくことにも繋がる、という可能性を実感した。/合理的配慮は「与えられるもの」ではない。「でき上がっているもの」でもない。当事者が自分のニーズを発信して、何が合理的であるかを社会と対話しながら、つくり上げていくものなのである。/障がい者が合理的配慮を受けるのは権利であるが、配慮を受けるためには相応の「責任を負う」。(73~74ページ)/「当事者が制度の上にあぐらをかいてはいけない」(74ページ)

介助者と協働で書いた論文は「自分の論文」と言えるのだろうか‥‥‥。介助者の能力に「依存」して、僕は自分の能力を水増しさせているのではないか‥‥‥。僕は論文執筆における「能力の水増し問題」に長く苦しめられることになった。(130ページ)/僕は「介助者と協働で論文執筆する研究方法」にみずから疑問を持ちながら、介助者と協働で博士論文を書き上げた。しかし、ある意味自分の<弱さ>と徹底的に向き合っていく作業ともいえるその過程で、誰しもが自分一人の能力で生きているわけではない、ということに気がついた。ちなみに僕は<弱さ>という言葉を、社会的規範からはみ出てしまうこと、それに付随する生きづらさという意味で使っている。(131ページ)

僕は常に介助者との関係性のなかで自己決定をしている。(204ページ)/一見すると僕の自己決定のあり方はとても特殊なように思えるが、他者とかかわりながら生きていく以上、「健常者」であっても発話が可能な障がい者であっても、基本はみんな同じである。誰もが、自分以外の他者の影響を受け、ときに〝妥協〟しながら、日々自己決定をしていると言えるのではないか。(204~205ページ)/研究の結果たどり着いたのが、「<弱い>主体としてのあり方を受け入れる」という思いである。他者の意見に左右されながら、そして協働しながら、モノを生み出していくことは、障がいがあるゆえの特別なことではなく、人間誰もがそういった側面を持っている。そのことへの気づきによって、僕の持つ生きづらさは軽減された。さらに、それがいかに合理的であるかということを論理的に分析していくことで、逆に自分の<弱さ>が<強み>になることもある、という発見に至った。(205ページ)

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今の社会で能力主義から自由に生きられる人はほとんどいないのではないか。(225ページ)/能力主義は、個人の努力や責任を求めるあり方である。しかし、重度障がい者の置かれている現状をみれば、個人の努力や責任ではどうにもならないことのほうが多いのである。/僕は介助なしでは何もできない。しかし、だから多くの人とかかわり、深く繋がり、ともに創りあげる関係性を築いていける。それが僕の<強み>になっている。能力がないことが<強み>なのである。自分だけで何もできないことは、無能力と同義ではない。(226ページ)

〇[2]で澤田はいう。だれもが持つマイノリティ性である「苦手」や「できないこと」、「障害」、「コンプレックス」は、克服しなければならないものではなく、生かせるものである。だれかの弱さは、だれかの強さを引き出す力である(12ページ)。人はみな、なにかの弱者・マイノリティであり(42ページ)、人はみな、クリエイターである。(324ページ)。そこに「マイノリティデザイン」という新して言葉と考え方を見出す。
〇澤田は「運動音痴」すなわち「スポーツ弱者」である。そこで、「スポーツ弱者を、世界からなくす」ことをミッションに、90競技以上の「ゆるスポーツ」を発案する。粘り気のあるハンドソープを手につける「ハンドソープボール」、イモムシをモチーフにした衣装を着てコート内を這う「イモムシラグビー」、穴の開いたラケットを使う「ブラックホール卓球」等々である。勝利至上主義や強者にハンデをつけるスポーツではなく、「勝ったらうれしい、負けても楽しい」「健常者と障がい者の垣根をなくした」スポーツである。その競技場には、「弱さを強さに変える」仕事をする、「(目の見えない息子の)弱さを生かせる社会」を(息子に)残したいという澤田の姿がある。
〇澤田の「マイノリティデザイン」に関する論点や言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

マイノリティデザインは「弱さを生かせる社会」を創る
「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」。トルストイの言葉である。/「弱さ」のなかにこそ多様性がある。(51ページ)/だからこそ、強さだけではなく、その人らしい「弱さ」を交換し合ったり、磨き合ったり、補完し合ったりできたら、社会はより豊かになっていく。/息子が目に見えないという「弱さ」と、自分のコピーを書けるという「強さ」をかけ合わせる。自分がスポーツが苦手という「弱さ」と、いろいろな人の「強さ」をかけ合わせる。/今、僕は「強さ」も「弱さ」も、自分や大切な人のすべてをフル活用して仕事をしている。弱さは無理に克服しなくていい。あなたの弱さは、だれかの強さを引き出す力だから。/弱さを受け入れ、社会に投じ、だれかの強さと組み合わせる――これがマイノリティデザインの考え方である。そして、ここからしか生まれない未来がある。(52ページ)/マイノリティとは、「社会的弱者」ではな

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く、「今はまだ社会のメインストリームには乗っていない、次なる未来の主役」である。(42ページ)

すべての「弱さ」は社会の「伸びしろ」
「迷惑かけて、ありがとう」。昭和のプロボクサーでありコメディアンのたこ八郎さんの言葉である。(326ページ)/迷惑とは、あるいは弱さとは、周りにいる人の本気や強さを引き出す、大切なもの。/だからこそ、お互い迷惑をかけあって、それでも「ありがとう」と言い合える関係をつくれたなら、これ以上の幸せはない。/すべての弱さは、社会の伸びしろ。(327ページ)

〇筆者の手もとに、上記の2冊のほかに、「弱さ」をテーマにした本が2冊ある。高橋源一郎(たかはし・げんいちろう)・辻信一(つじ・しんいち)の『弱さの思想―たそがれを抱きしめる―』(大月書店、2014年2月。以下[3])と、鷲田清一(わしだ・きよかず)の『<弱さ>のちから―ホスピタブルな光景―』(講談社、2014年11月。以下[4])がそれである。
〇[3]は、2010年から2013年にかけて行われた「弱さの研究」(共同研究)に基づく、高橋(作家、社会批評家)と辻(文化人類学者、環境運動家)の対談本である。その研究の「目的と意義」は次の通りである。

「弱さの研究」の目的と意義
社会的弱者と呼ばれる存在がある。たとえば、「精神障害者」、「身体障害者」、介護を必要とする老人、難病にかかっている人、等々である。あるいは、財産や身寄りのない老人、寡婦、母子家庭の親子も、多くは、その範疇(はんちゅう)に入るかもしれない。自立して生きることができない、という点なら、子どもはすべてそうであるし、「老い」てゆく人びともすべて「弱者」にカウントされるだろう。さまざまな「差別」に悩む人びと、国籍の問題で悩まなければならない人びと、移民や海外からの出稼ぎ、といった社会の構造によって作りだされた「弱者」も存在する。それら、あらゆる「弱者」に共通するのは、社会が、その「弱者」という存在を、厄介なものであると考えていることだ。そして、社会は、彼を「弱者」を目障りであって、できるならば、消してしまいたいなあ、そうでなければ、隠蔽(いんぺい)するべきだと考えるのである。/だが、ほんとうに、そうだろうか。「弱者」は、社会にとって、不必要な、害毒なのだろうか。彼らの「弱さ」は、実は、この社会にとって、なくてはならないものなのではないだろうか(かつて、老人たちは、豊かな「智慧」の持ち主として、所属する共同体から敬愛されていた。それは、決して遠い過去の話ではない)。/効率的な社会、均質な社会、「弱さ」を排除し、「強さ」と「競争」を至上原理とする社会は、本質的な脆(もろ)さを抱えている。精密な機械には、実際には必要のない「可動部分」、いわゆる「遊び」が

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ある。「遊び」の部分があるからこそ、機械は、突発的な、予想もしえない変化に対処しうるのだ。社会的「弱者」、彼らの持つ「弱さ」の中に、効率至上主義ではない、新しい社会の可能性を探ってみたい。(高橋:11~12ページ)

〇[3]では、“大きいこと”や“速いこと” などを良しとする「強さ」の思想と“小さいこと”や“遅いこと” などに価値を見出す「弱さ」の思想を対比するなかで、「弱さの再発見」を説き、「弱さの思想」の必要性が打ち出される。
〇要するにこうである。人間は、身体をもつ存在(身体的存在)であり、必ず死を迎える有限性がある、本質的に「弱い」存在である(有限性=弱さ)。それゆえに人間は、家族やコミュニティを形成し、支え合い・分かち合い・補い合うという「内なる力(パワー:Power)」によって生きている。そしてそこに、やさしさや思いやり、明るさや楽しさなどの人間的な価値や意味が見出されることになる。政府や法律などによる強制力をもつ「外なる力(フォース:Force)」ではなく、この「内なる力」こそが真の強さである(7ページ)。すなわち人間には、「弱さ」のなかに多様な可能性があり、「強さ」が潜んでいる。「弱さの強さ」である(71ページ)。
〇現代社会は、経済成長をひとつのゴールとする競争社会である。競争は、多様性を犠牲にし、均質性や効率性を重視する。そこでは「強さ」が追求され、「弱さ」が排除される。その意味で、現代社会は強者に向けて設計されている社会である(74ページ)。現実世界では、社会的・経済的・(自然)環境的な破綻が露わになり、「強さ」と信じられてきたものの「弱さ」が明らかになっている。「強さの弱さ」である。そしていま、「強さ」をめぐる競争ではなく、多様な者たち同士がお互いの「弱さ」を補い合いながら如何に豊かに生きるか、すなわち多様性を如何にとりもどすか、人間に根源的に備わっていた「弱さの思想」を如何に育てるかが問われている。それは、「弱さ」を中心とした共同体を形成すること、弱者に向けて社会を設計し直すことを意味する(95ページ)。そこでは、「弱さの思想」の入口として、競争の「勝ち」「負け」や、人間の「弱さ」や「強さ」という二元論から自由になることが求められる(203ページ)。
〇次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「弱さの思想」と社会改革
この社会は、弱いとか強いとかというふうに二元論的にできていて、強さを上に、弱さを下にした固定的なヒエラルキーでオーガナイズされている。弱さの思想とは、その「強さ・弱さ」の二元論そのものを超えていくことである。この二項対立を溶かしていく、あるいは無効化していく。それが、社会を支配・被支配のない、よりよい場所へと変えていくのに役立つことになる。社会について言えることはそのまま自分にも言えるわけで、まずは内なる二元論やヒエラルキーからいかに自ら

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を解き放つか、である。(辻:203~204ページ)

〇なお、高橋と辻は、「勝ち」「負け」や「弱さ」「強さ」の二元論から自由になるための方策、すなわち「弱さの思想」(「勝たないし、負けない」、「勝ち負け」そのものを超えるという考え方(161ページ) ) に基づく社会を実現するための具体的方策については言及しない。ここでは、そのひとつとして、社会的に弱い立場に置かれている人々の「内なる力」を育成・強化し、社会改革に向けた下からの草の根運動としてその力を臨機応変に発揮する、そのための教育的営為が必要かつ重要となる、と言っておきたい。
〇[4]で鷲田(哲学者)は、僧侶をはじめ教師、建築家、ゲイバーのマスター、性感マッサージ嬢、精神科医、医療シーシャルワーカーなど、人を「温かくもてなす」(hospitable) 仕事をする13人へのフィールドワーク(聞き書き)を通して、ケア(世話)する人がケアを必要としている人に逆にケアされるという反転(「ケアの反転」)の意味を追い、ケア関係の本質に迫る。そこでは、自分と他者の弱さを受け入れ、その存在を認め合い、信頼して他者に身をあずける関係(「存在を贈りあう関係」)が必要かつ重要となる。鷲田はいう。「『弱さ』は『強さ』の欠如ではない(松岡正剛)」(226ページ)。「弱い者には強い者を揺さぶるような力(弱さの力)がある」(210ページ)。「〈弱さ〉はそれを前にしたひとの関心を引きだす。弱さが、あるいは脆(もろ)さが、他者の力を吸い込むブラックホールのようものとしてある」(212ページ)。「ケアを、『支える』という視点からだけではなく、『力をもらう』という視点からも考える必要がある」(221ページ)。
〇鷲田による“まとめ”のエッセイ(「めいわくかけて、ありがとう」:たこ八郎)から、次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「存在を贈りあう関係」と生きる力
じぶんがここにいることがだれかある他人にとってなんらかの意味をもっていること、そのことを感じることができれば、ひとはなんとかじぶんを支えることができる。(231ページ)/じぶんの存在が、「ふつうのひと」としてではなく、看護され、介護されるべきひとという規定を受けることが、病院や施設のなかでひとをいかに生きづらくしているかは、しばしば語られてきたことである。ひとは世話をしてもらう、聴いてもらうばかりでなく、じぶんだってひとの世話ができる、じぶんだって聴いてあげられる、じふんだってここにいる意味があるのだ、という想いが閑(しず)かに湧いてくるとき、ちょっとばかり元気になるものだ。/じぶんのしていることが、あるいはじぶんの存在が、だれか別のひとのなかである意味をもっていると確認できること、そのことが生きる意味をもはやじぶんのなかに見いだせなくなっているひとがなおもかろうじて生きつづけるその力をあたえるということとともに、その逆のこと、つまり他者に関心をもたれている、身守られているのではな

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く他者への関心をもちえているということもまた、ひとに生きる力というものをあたえてきたのではないだろうか。(232ページ)

 

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16/「連帯」:人間の本来的な存在を問う
             ―馬淵浩二著『連帯論』にみる論理と倫理―

「人間の尊厳と存在意義―生の無条件の肯定と豊かに生きるということ―」について筆者は、次のように考えている。すなわち、人がそれぞれ、みんなと豊かに生きるためには、「“ただ生きる”ことの保障」と「“よく生きる”ことの実現」、そして「“つながりのなかに生きる”ことの持続」が必要かつ重要となる。

「“ただ生きる”ことの保障」は、人はそれぞれ、いま、ここに生きているというそのことに本源的な価値がある、という考えに基づいている。
「“よく生きる”ことの実現」は、人にはそれぞれ、やりたいこと・やれること・やらなければならないことがある、という考えに基づいている。
「“つながりのなかに生きる”ことの持続」は、人はそれぞれ、社会や歴史・文化・環境などとのつながりのなかに生きている、という考えに基づいている。

〇筆者の手もとに、馬淵浩二(まぶち・こうじ、倫理学・社会哲学専攻)の『連帯論―分かち合いの論理と倫理―』(筑摩書房、2021年7月。以下[1])という本がある。馬淵はまず、(1970年代以降の)新自由主義の影響のもとで消費主義をはじめ個人主義や能力主義が強化され、多元化や多様化が進み、格差や分断が拡大した現代社会にあって、「連帯」という言葉はすでに「賞味期限」が切れているのだろうか、と問う。その答えは「否」である。そのうえで馬淵は、「連帯(solidarity)」概念の類型化と最大公約数的な定義を試みる。具体的には、代表的な「社会的連帯(social solidarity)」「政治的連帯(political solidarity)」「市民的連帯(civic solidarity)」「人間的連帯(human solidarity)」についての主要な論者の連帯論を辿り、自身の「人間的連帯論」を構想する。その基底にあるのは、人間は連帯的存在であり、相互扶助的な関係のなかでしか生きられないという人間観である。すなわち、[1]の基調を成すのは「連帯は人間存在の基本構造である」(313ページ)というテーゼである。
〇馬淵は「連帯」を次のように定義する。

連帯とは、共通の性質・利益・目的を共有する複数の者たちが、あるいは他者の利益・目的の実現に関与する複数の者たちが、協働や扶助(の責任)を引き受けることで成立する結合のことである。この結合は、自然発生的であったり、目的意識的であったり、制度的であったりする。この結合には、一体感の感情が伴うことが少なくない。(50ページ)

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〇連帯とは、人々が結合し、互いに協力し支え合うことであるが、それは様々な場面や文脈において成立する。この定義には上述した連帯の代表的な類型が包摂されている。「社会的連帯」は、「接着剤のように人々を繋ぎ止め、社会の成立に資する結合関係」「同じ社会の成員であるという条件のもとで成立する連帯」を意味する。「政治的連帯」は、「政治的大義(共通の目標)の実現をめざす者たちのあいだに成立する協力関係」「同じ政治的大義に関与しているという条件のもとで成立する連帯」を意味する。「市民的連帯」は、「福祉国家の制度を介して市民のあいだに成立する相互扶助関係」「同じ福祉制度を支えているという条件のもとで成立する連帯」を意味する。「人間的連帯」は、「人類の一員である個人のあいだに成立する普遍的な道徳的関係」「人間であるという理由で成立する連帯」を意味する(42、280ページ)。
〇馬淵が構想する「人間的連帯」について加筆すれば、それは「国家、社会、政治集団といった特定の集団のなかで成立する連帯ではなく、人間あるいは人類という集団の内部で成立する連帯」(281ページ)である。それは、「全人類が結合している」ということを意味し、「人間は本来的に連帯的存在であるという人間の存在様式を表現するもの」(296ページ)である。別言すれば、「人間の存在構造」を指し示す・形容する言葉(302ページ)である。その意味において、馬淵にあっては、「人間的連帯」は他の様々な種類の連帯に通底する共通の「分母」(303ページ)であり、「母体」(312ページ)となる。
〇本稿では、馬淵の論点や言説のうちから、例によって市民福祉教育の実践・研究に「使える」あるいは「使いたい」次の5点に限ってメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それは、上記の管見に新たな視点や思考を加味したいという思いによる。

人間は本来的に「連帯的存在」である/人間の生は相互扶助や連帯によって成立している
新自由主義の過去数十年にわたる影響のもとで、自助努力や自己責任という発想が持て囃(はや)されてきた。自助努力や自己責任の主張は一面では正しい。しかし、この主張を不当に全面化することは避けなければならない。なぜなら、そのことによって、人間に関する一個の真理が覆い隠されてしまうからである。それは、他者たちに支えられなければ、人は生きられないという真理である。新自由主義は、この連帯の真理を抑圧し隠蔽(いんぺい)してきた。だが、自助努力や自己責任という発想が妥当する領域など高が知れている、それは、人間の生という氷山の一角にすぎず、その下には分厚い連帯の層が存在し、その山頂を支えているのである。新自由主義の狭隘(きょうあい)なイデオロギーに抗して、人間は連帯的存在として見出され、思考されなければならない。(15ページ)

連帯はそれ自体では「正当性」を保証しない/連帯は「共同性」以外の価値や尺度を必要とする
連帯は、ある集団に属する者たちを結合させ、支え合いを実現する。だが、連帯はそれが働く集団の性格に応じて、「悪のための連帯」として実現される可能性も残

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される。その意味で、連帯が成立しているという事実だけで連帯の正当性や倫理的正しさが保証されるわけではない。(318ページ)
連帯論には人間の共同性や利他性を強調する傾向があるが、人間はいつも共同性や利他主義にもとづいて生きているわけではない。(211ページ)
個々の連帯が正当化されうるものであるためには、連帯が帯びる共同性の価値とは別の価値や別の尺度が必要になるだろう。たとえば正義という尺度が必要になるかもしれない。連帯する者たちの一部に犠牲が強いられ、一部が特権を享受する事態が生み出される場合、その連帯は正義に悖(もと)る可能性がある。あるいは、連帯がどのような目的を実現しているのか、どのような価値を促進しているのか、集団の外部に悪しき影響を及ぼしてはいないか――そうした事柄についての思考が連帯論には必要となる。そのような事柄を思考するためには、正義以外にも自由、平等、差異、人権といった他の価値や尺度が考慮されなければならないかもしれない。(318~319ページ)
しかし他方で、連帯が他の価値を支えているという一面を忘れてはならない。人々の自由や平等が毀損(きそん)された状況を変えようとするとき連帯が生起する。自由を行使すね人物の生存が危ういとき、それを支えるのも連帯である。(325ページ)

連帯は「排除の論理」を内包する/連帯は包摂と排除という両義性を持っている
連帯が連帯であるがゆえに自身の内部に生み出してしまう負の要素のひとつとして、「排除」が挙げられる。(319ページ)
集団は、集団に属する者たちと、そうでない者たちとのあいだに境界線を引くことによって成り立つ。あるいは、境界線が引かれることによって、集団が立ち上がる。「彼ら」とは異なるものとして、「われわれ」集団が生み出されるのであ。その集団の連帯が機能するとき、それは一方で当該の集団の結合を強化するが、その結合の強化が他方で排除を生み出すことに貢献する。すなわち、集団の外部に敵を作り出してそれを攻撃したり、集団の内部から「不純」な分子を排除して外部に放逐(ほうちく)する。(319、320ページ)
そうであるなら、連帯をめぐって次のような論点が浮上する。誰が連帯によって結合するのか、誰がその結合から排除されるのか、包摂されたり排除されたりする場合の条件はどのようなものか。その線引きは正当なものか。これらの問いは、連帯の「正しさ」を判定するうえで、欠かすことのできない参照事項となるだろう。いずれにせよ、ある場面で連帯を主張するとき、かならずそこから排除される者たちが存在するという構造的事実に、連帯論は敏感でなければならない。(320、321ページ)

連帯は「感情」によって成立する/連帯は人間の感情の及ぶ範囲や程度に左右される
連帯感という言葉が存在することからも分かるように、連帯の成立にとって感情は重要な要素である。集団の成員たちによってある種の感情が共有されていなけれ

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ば、連帯が成立し持続することは困難だろう。連帯と親和的な感情は、共感や親近感や一体感といったものであろう。こうした感情が共有されず、成員たちが憎しみ合っていたり、利己主義が支配的であったりするような集団においては、連帯は成立し難いはずである。(321ページ)
だが、感情は、連帯にとって諸刃の剣である。ひとつには、感情が及ぶ範囲の問題がある。人間の感情の及ぶ範囲は狭い。規模が比較的小さな集団の内部でなら連帯は容易に成立するだろう。だが、感情が及ぶ領域を超えたところに存在する者たちとのあいだに連帯が成立することは困難になる。(321、322ページ)
人は、感情の及ぶ範囲にいる者たちだけと結び付いているわけではない。このような世界にあっては、見知らぬ者たちとの連帯がひとつの焦点となる。そのような連帯はいかにして可能になるのか。感情の広がりと関係の広がりが大きくずれてしまう世界にあって、感情の広がりの外部に存在する者たちとのあいだに、どのようにして連帯を立ち上げることができるのだろうか。連帯に刻まれた包摂と排除の問題、「われわれ」と「彼ら」を分かつ境界線の問題は、感情という問題の地平においても未決の問題なのである。(322ページ)

連帯には「水平的連帯」と「垂直的連帯」がある/連帯は権力性・階層性を排除できない
連帯の現象形態として、水平的連帯と垂直的連帯がある。水平的連帯では、(相互依存関係にある)個人が横に連なる。これに対して、連帯する個人のあいだに、垂直的な位階秩序が生み出されることがあるかもしれない。そのような垂直的な権力関係によって規制されている連帯が、垂直的連帯である。たとえば、一国の指導者が危機を乗り越えるためだと称して、国民に団結や自己犠牲を訴えることがある。それは、権力者によって組織され、動員される連帯である。(323ページ)
連帯をひとつの理念として捉え、階層性が廃棄され平等性によって特徴づけられる結合だけを連帯と呼ぶこともできる。ただし、そこでは、階層性が廃棄され、あまねく平等性によって特徴づけられる連帯が現実にどれほど存在するかという疑問が生じる。また、連帯から階層性を完全に排除できるかという問題も存在する。(323、324ページ)
かりに垂直的権力が連帯に伴うことが避けがたいことなのだとすれば、その事態にどのように対処すべきかを考えなければならない。その場合、許容される権力とそうでない権力とを識別すること、つまり、垂直的権力の許容される範囲を確定することが、ひとつの論点となる。(324ページ)

〇人間は身体と不可分な「身体的存在」(297ページ)であり、人間はその生(生存や生活)を自足できない「非自足的存在」(299ページ)である。それゆえに人間は、外部の物質(とりわけ自然)や他者に依存せざるを得ない。すなわち、人間は本来的に、他者との相互扶助や連帯の関係のなかでしか生きられない存在である。

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これが、馬淵が説く人間観の核心のひとつである。そして、(社会福祉における)自助努力や自己責任を前提とした「自立生活支援」や「依存的自立」などの言説とは異なる評価を得るところである。自助努力も自己責任も社会的レベルの連帯を通じてなされ、果たされるのである。馬淵が[1]の「あとがき」で、「私が述べたかったのは、連帯によって私たちの生が成立しているという、その事実だけである」(376ページ)という意味はここにある。
〇「人間の存在構造」に刻まれた支え合いと「分かち合いの論理と倫理」(333ページ)は、人々が連帯するときに立ち上がる。その連帯は、私と他者との相互依存関係を重視する際、「自律」や「自由」の価値を不可欠とする。人間は自律し、自由であることによって「相互に排他的であるのではなく、むしろ相互に結び付き連帯する」(108ページ)。私だけの自律や自由は、他者を支配したり、他者からの信頼や承認が得られなくなったりする。すなわち、連帯は、単なる道徳的規範や国家などの介入(強制)によるのではなく、個々人の主体的・能動的な思考や行動による自律や自由によって支えられる。同時に連帯は、個々人の自律や自由を実質化し、その実現を図るのである。さらにそれを支えるのは「平等」という価値である。
〇筆者の手もとにもう一冊、齋藤純一(さいとう・じゅんいち、政治理論・政治思想史専攻)の『不平等を考える―政治理論入門―』(筑摩書房、2017年3月。以下[2])という本がある。[2]は、格差や分断、不平等が拡大・深化する現代社会にあって、人々の「平等な関係」とは何かを根底から問いなおし、その関係を再構築するための「制度」―市民の間に平等な関係を維持するための生活条件を保障する(広義の)社会保障制度と、市民を政治的に平等な者として尊重する(熟議)デモクラシーの制度のあり方等について考察する。その際、「不平等」とは、その人に「値しない」(「ふさわしくない」「不当である」)「有利-不利が社会の制度や慣行のもとで生じ、再生産されつづけている事態」(17ページ)をいう。「熟議デモクラシー」とは、「数の力」(「選挙デモクラシー」)ではなく、「理由の力」を重んじ、「質的に異なった意見や観点を、たとえそれがごく少数の者が示すにすぎないとしても、尊重すること」(75ページ)をいう。
〇齋藤にあっては、社会保障の目的は、「たんに貧困に対処し、すべての人が人間らしいまともな(decent)暮らしが送れるようにする(事後的な保護・救済:阪野)だけではなく、深刻な社会的・経済的不平等をも規制し、平等な自由を享受しうる条件をすべての市民に保障すること(事前の支援:阪野)にある」(134ページ)。こうした「社会保障の制度を支持し、それを介して互いの生活条件を保障しようとする市民間の連帯」が「社会的連帯」である(94ページ)。その社会的連帯は、次のような理由によって必要とされ、市民によって受容されなければならない。①国力(戦力・生産力等)を増強するための「生の動員」、②人生に起こりうる病気や事故などの「生のリスク」の回避、③生まれ持った能力や境遇の「生の偶然性」がもたらす不当な格差の改善、④生・育・老・病・死という「生の脆弱性」

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によって生まれる支配-被支配関係の阻止、⑤人々の多様な生き方を促す「生の複数性」の尊重、がそれである(98、99、101、103、104ページ)。
〇そして齋藤はいう。「生の動員」を除く4つの理由はいずれも、「生きていくために人々が他者の意思に依存せざるをえない状態に陥るのを避け、市民の間に平等な関係を保つことを重視している。他者に依存しながらも、その意思に服することを強いられない自律が可能となるのは、依存とそれへの対応が人々の間に支配-被支配を生みださないようにする制度化された保障が確立されているときである」(105ページ)。すなわち、齋藤にあっては、誰もが避けられない「他者に依存すること」と、「他者の意思に依存すること」を区別し、特定の他者の意思に依存せずに生きることすなわち「自律」を可能にするための制度が(「事前の支援」としての)社会保障である(107ページ)。「私たちの生において依存関係が避けられないからこそ、『自律』が価値をもつのである」(107~108ページ)。留意したい。

 

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17/「共生」:共生のプロセス
         ―寺田貴美代の「社会福祉と共生」論文の論点と枠組み―

〇「共生」(symbiosis:共に生きる)は、耳に心地よい言葉である。それゆえにか、まちづくりや福祉教育などのスローガンや修飾語として、多用(濫用)される。また、個人的な心がけや心情のレベルで語られたり、究極の目的や理想として位置づけられることも多い。その際には、社会的な矛盾や対立、差別や排除などの事態が隠蔽されたり、「同化」や「統合」が推進あるいは強制されたりする危険性が生じることになる。「地域共生」(regional symbiosis:地域で共に生きる)は、地域社会でのノーマライゼーションやインテグレーション、そしてインクルージョンなどの理念の実現を通して、その推進が図られることになる。ノーマライゼーション(normalization:通常化)は、一人ひとりが当たり前の普通の生活をすること。インテグレーション(integration:統合化)は、社会的に分離・隔離されてきた人たちを一般社会に受け入れ一緒に生活すること。インクルージョン(inclusion:包摂)は、すべての人を社会の構成員として包み込みみんなで生活すること、である。共生とノーマライゼーションなどの概念は対立概念や同一概念ではなく、相互に連関し補強し合う概念である。
〇本稿では、「社会福祉と共生のまちづくり」に関する視点や論点をめぐって、寺田貴美代(てらだ・きみよ)の論文「社会福祉と共生」(園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、31~65ページ所収。以下[1])を紹介する。[1]は、寺田の博士論文の一部を抜粋して再構成したものである。その博士論文は、『共生社会とマイノリティへの支援―日本人ムスリマの社会的対応から―』(東信堂、2003年12月。以下[2])として出版されている。
〇寺田は、人間社会(「総論」)と社会福祉領域(「各論」)における「共生」の概念を整理・検討し、主要な論点として次の4つを取り上げる。①社会的差別と「共生」、②ノーマライゼーションと「共生」、③福祉コミュニティと「共生」、④生活の質と「共生」、がそれである([2]では、「情緒的理解による『共生』」を加えた5点を取り上げている)。そして、「社会福祉領域における共生概念の可能性」について考察する。その際、マジョリティ(majority)とマイノリティ(minority)については、集団に所属する人数の規模によって「多数者(派)」「少数者(派)」と訳されることが多いが、寺田は、集団に帰属する権力関係によって規定する(「優位集団」「社会的弱者集団」)。ただし、その区分はあくまでも概念上の表現であり、明確な境界によって二分されるとは限らないという(下記の図1参照)。
〇そのうえで、「マジョリティ文化への志向」を縦軸、「マイノリティ文化への志向」を横軸にした「共生に関する分析枠組」を提示し、「共生」へ移行する過程を

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「共生のプロセス」として捉え、その検討を進める。その際の主要な概念のひとつが、アイデンティティ(identity)である。それについては、「同一性」「主体性」「帰属意識」などと訳されるが、寺田は、社会や文化とのかかわりから捉えている(下記の図2参照)。
〇以下に、[1]のなかで注目したい論点や言説のいくつかを紹介することにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

共生は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重を前提とする
社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。(51ページ)

共生にはプロセスという視点が不可欠であり、そのプロセスは異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程である
現実の人々の状況は多様であり、人々がそれぞれに持つ文化的背景や社会的役割も当然のことながら異なっており、それぞれに意義や価値を有している。同じ属性や志向の者同士でさえも、人々は一枚岩ではなく、マイノリティ、マジョリティに関わらず、個々人の状況や立場に添って理解する必要がある。現代社会における文化やアイデンティティの多様化は、そこに生じる課題の多様化も意味しており、他者との葛藤や対立は、相互理解および関係の深化に伴う、相互の認識・態度の変化を引き起こす。その意味において、直接的かつ横断的な異質性との対峙は、共生に至るための契機として捉えることができよう。そして、この過程が単発的なものであっては、たとえ一時的・表面的には問題が収束したとしても、根本的な解決には結びつかない。そのため、共生にはプロセスという視点が不可欠であり、このプロセスが、より積極的に繰り返される状態を「共生の進展」、逆に、繰り返されない、あるいは逆行する状態を「共生の後退」と解釈することができる。つまり、共生のプロセスは、状況に応じて不断に変化する多様な関係の中で、異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程であり、この限りない営みなくして、共生社会の実現はありえないのである。(59ページ)

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共生は、相互理解と尊重に基づき自―他の相互関係を再構築する営みであり、動態的な変容のプロセスである
共生を定義するならば、「人々が文化的に対等な立場であることを前提とし、その上で、相互理解と尊重に基づき、自―他の相互関係を再構築するプロセスであり、それと同時に、双方のアイデンティティを再編するプロセスである」ということができると考える。そして共生社会とは、個々の異質性に対する評価や批判ではなく、理解と尊重を前提とする社会であり、決して固定化されたものではない。相互作用によって常に変容し、新しく組み直され、生まれ変わる柔軟性を持った社会である。それにもかかわらず、このプロセスが、初めから完了している社会――言い換えれば、全く変容することなく他者との共生が可能な社会を「共生社会」として考えるならば、異なる人々の価値観やアイデンティティが、恒常的に一致するということはありえない以上、共生を単なる夢物語に終わらせてしまうことになる。(中略)問題にしなければならないのは、理想ではなく、現実である。「共生社会」を「理想社会」と読み替え、現実から乖離させてはならない。現実性を持たない理念や規範として、共生を位置づけることは、現実問題を何ら解決に導かないばかりか、問題の本質を見失うことにもなりかねない。(60~61ページ)

〇以上のような「共生」や「共生社会」の実現を図るためには、社会全体が共生の意味や、その視点や実践方法(共生のプロセス)などについて認識し理解することが必要かつ重要となる。そのための教育的営為(「市民福祉教育」)が問われる。また、共生は、個人のレベルだけでなく、集団的レベルでも展開されるものである。「異質な集団同士が接触し、相互の認識・理解が進展することによって、(中略)集団のさまざまな側面で共生が生じることになる」([1]61ページ)。留意しておきたい。
〇ここで、図1と図2を示しておくことにする。図1(筆者作成)は、マジョリティとマイノリティを規定するひとつの要素である「集団規模」(多数と少数)を横軸、「権力関係」(優位と劣位)を縦軸にして、その関係性を示したものである。これは素朴な理解に基づくものであるが、マジョリティとマイノリティの卑近な実態である。ちなみに、第Ⅰ象限に属する人々は、多数派で、社会的に優位に置かれる傾向にある。マジョリティの典型のひとつである。第Ⅲ象限のそれは、少数派で、社会的弱者として位置づけられることが多い。マイノリティの典型のひとつである。しかし、少数派であっても、第Ⅱ象限で示されるように社会的に強い影響力をもつ人々がいる。
〇図2(寺田作成)は、共生について分析するための枠組みとして、人々の多様なアイデンティティの状況を把握する全体的な見取り図を示したものである。これは、あくまでも抽象的な類型であり、現実には多様な個人がこの4つの象限(タイプ)のいずれかに厳密に収まるというものではない。ちなみに、第Ⅰ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方共、強く志向し、その融合を図るタイプ」である。第Ⅲ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方への志向が弱

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い、あるいは志向しない・できないタイプ」であり、「自立型」(選択的に志向しない場合)と「孤立型」(非選択的に孤立せざるを得ない場合)がある([1]52ページ)。
〇共生は、社会福祉や教育における重要な基礎的概念である。社会福祉や教育の目的や目標を達成するためには、共生の実態や背景を科学的視点に立って歴史的・思想的に分析する必要がある。とともに、地域・社会の自然や風土、文化(暮らし)などとの関係性において、多面的・多角的に検討することが求められる。寺田の[1][2]は、そのための必読基本文献のひとつである。

共生と共に生きる/最終版

〇ところで筆者の手もとには、寺田のもの以外に、「共生」を論じた本として井上達夫・名和田是彦・桂木隆夫『共生への冒険』(毎日出版社、1992年5月)と黒川紀章『新・共生の思想―世界の新秩序―』(徳間書店、1996年2月)がある。井上達夫(いのうえ・たつお、法哲学)と黒川紀章(くろかわ・きしょう、建築家)は、早い時期から共生について言及している。論点(要点)の一部を参考に供しておくことにする。
〇井上らは、その本の「序章」で、次のように述べている。「我々のいう《共生》とは、異質なものに開かれた社会的結合様式である。それは、内輪で仲よく共存共栄することではなく、生の形式を異にする人々が、自由な活動と参加の機会を相互に承認し、相互の関係を積極的に築き上げてゆけるような社会的結合である。symbiosisをモデルとする『共生』概念と区別するために、英語で表記するなら、conviviality(コンヴィヴィアリティ)という言葉がふさわしい。日本語の表現としては、安定した閉鎖系としての『共生』は、symbiosisの旧来の訳語に従って『共棲』と表記し、『共生』という言葉は、我々のいう《共生》、すなわち、異質なものに開かれた社会的結合様式を意味するものとして使うことを、提案したい」(25ページ)。すなわち、井上らの共生概念は、「開かれた社会的結合様式」を意味し、「調和」や「協調」といった「安定した閉鎖系」は想定されていない。
〇黒川は、その本の「まえがき」で、「そもそも『共生』という言葉は、仏教の『ともいき』と生物学の『共棲(きょうせい)』を重ねて私がつくった概念であ

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る」(1ページ)という。黒川の共生論について、上述の寺田は、「その定義は極めて流動的かつ曖昧である。異質な主体間に『聖域』や『中間領域』を設定し、共生ではなく『共存』あるいは『共棲』の議論に留まっている」([1]、62ページ)として、検討対象から割愛している。筆者も首肯するところである。ちなみに、黒川にあっては、「聖域」はお互いに入ってほしくない領域で、文化的伝統の根幹をなすものであり、例えば日本の天皇制やコメづくりがそれである。「聖域があればこそ、国相互の尊敬に基づく共生が可能となる」(328ページ)。「中間領域」は、「無理やりどちらかに分類されてしまったり、あるいは排除されてしまった領域や要素である。この意味で中間領域は曖昧性、両義性、多義性を含んでおり、流動的で浮遊している」。換言すれば、中間領域とは、「対立する二項、異質な文化、異質な要素」の間に「仮設的」(tentative:テンタティブ)に設定する共通項である(330ページ)。

 

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18/「きずなと思いやり」:その問題性
         ―長谷川眞理子と山岸俊男の知見と発想―

〇長谷川眞理子(はせがわ・まりこ)と山岸俊男(やまぎし・としお)の『きずなと思いやりが日本をダメにする―最新進化学が解き明かす「心と社会」―』(集英社インターナショナル、2016年12月)が面白い。本書は、進化生物学者の長谷川(総合研究大学院大学)と社会心理学者の山岸(一橋大学大学院)の対談本である。人間社会の問題を解決するに当たって人を過大評価してはならない。「心がけ」や「お説教」では社会は変わらない。革新をもたらす人は周りの「空気を読まない人」である。こういった指摘には、「まちづくり」や「市民福祉教育」について考えるヒントが示されている。
〇本書のなかから、「プレディクタブルな人」と「思いやり」や「差別」に関する二人の知見や発想の要点を紹介することにする(見出しは筆者)。

相互協調性の質
「日本人は相互協調的である」。相互協調性(interdependence)は、質的には、ポジティブなものとネガティブなものの2種類に分けられる。前者は、何かの問題について、協力して一緒に解決しようというものである。後者は、集団の問題を解決するのではなく、集団内で波風を立てないように行動するというものである。その人たちは、いわゆる「空気を読む」人であり、いつも「びくびく」している。
相互協調性と対照的なものは独立性(independence)である。独立性にもポジティブとネガティブの二つがある。ポジティブ・インディペンデンスは、他者と積極的に関わり、自己主張することに躊躇しないというタイプである。ネガティブ・インディペンデンスは、「誰も私に構わないでくれ」という、他者との関わりに消極的なタイプである。

プレディクタブルな人
「人間は社会的動物である」。ヒトは、社会なくして生きられない存在であり、自分の独立を守り維持するためには、他者とコミュニケーションを取り、協力する必要がある。その際、相手の主張や反応を予測したうえで自己主張をしないと、摩擦や衝突が生じることになる。そこに求められるのは、プレディクタブル(predictable)、つまり「予測可能な」人間(「分かりやすい人」)になることである。
プレディクタブルになるということは、自分の旗幟(きし、立場や主張)を鮮明にし、首尾一貫した行動規範に基づいて行動すること(「言行一致」)を意味する。それはつまり、他者と自分との違い(個別性)を明確にすることであり、それはま

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た多様性を歓迎することでもある。そうすることによって、他者から信頼・評価される存在となり、フレンド(friend)=味方=仲間を増やすことになる。

思考力のトレーニング
「個性と多様性の尊重、共生社会の実現」。いまの日本では、これらの言葉や理念が心がけや説教、スローガンとして語られ、その際には「思いやり」「絆」などが強調される。多様性のある社会や共生社会の構築は、個々人の異質性や不明性について相互に認識し、理解することから始まる。即ち、自分とは違う他者が、どのような世界観や思想を持っているかを把握する。とともに、自分なりの価値観や原理原則の確立を図り、それに基づいて一貫性のある行動をとることが求められる。多様性や共生は、「違うこと」に耐えることであり、思いやりの心の育成を図れば済むようなものではない。「みんな違ってみんないい」は、それほど簡単ではない。
「ヒトは社会システムのなかで動いている」。即ち、自分はどういう種類の人間かということを鮮明にし、お互いにそれを理解し、他者と衝突しながら言及し議論し、一緒に何かに取り組んで行く。そういうヒトにとって必要かつ重要なのは、心がけを説く「心の教育」ではない。複雑な議論を展開し、社会づくりに関する制度設計を行う「思考力のトレーニング」である。
社会を変えるには、個人レベルの心がけや行動ではなく、社会科学の知見を踏まえて物事について思考・判断・表現する人たちが、ひとつのコアを形成し、社会変革の原動力になってくれるのを期待するしかない。(以上、第7章:243~288ページ)

差別の利得
「差別は偏見から生まれると思われている」。しかし、差別の原因は偏見ではない。差別と偏見は切り離して考えるべきである。
社会のなかで差別が行われるのは、そこに何らかのメリットがあるからである。少なくとも、当初の段階ではメリットがあり、それによって差別が構造化され、継続的に行われてきた。逆に言えば、差別することによってデメリットやコストが増えるのであれば、そうした差別は生まれない。従って、差別をなくすには、差別をすることによって得られるメリットよりも、差別をしないことで得られるメリットを大きくすることである。差別は感情ではなく、利得の問題である。そういう意味では、競争社会は「差別をなくす社会」であり、競争なき社会は「差別の社会」「差別を温存する社会」であると言える。

差別構造の追及
「差別問題を『心でっかち』で考えてはならない」。差別は、第一義的には、社会構造の要因によって起こるものであり、その結果である。社会に差別構造がある

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と、それによって差別を正当化する現実が生まれ、その現実が差別構造をさらに補強していく。そしてますます、差別は正当化され、固定化されていく。
差別の解消は、個人の意識(「心がけ」)を変えたり、スローガンを叫ぶだけでは不可能である。差別の現実(「結果」)を直視し、それを生み出してきた(いる)社会構造(社会システム)を追及し、制度改革を進めることが肝要となる。(以上、第5章:181~203ページ)

〇以上に基づいて、「プレディクタブルな人=個性的であり、多様性を歓迎する人」(257ページ)すなわち「社会変革の原動力になる人」(288ページ)のあり方について考える際の視点や枠組みを、筆者なりに図式化(素案)しておくことにする。

〇なお、プレディクタブルな人は、フレンド=味方だけではなく、エネミー(enemy)=敵をつくることにもなる。「出る杭(くい)は打たれる」。「和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」である。それは、相互協調性を意味するが、他者からの承認欲求(独立性)の裏返しでもある。付記しておきたい。

補遺
中島義道(なかじま・ よしみち)の『「思いやり」という暴力―哲学のない社会をつくるもの―』(PHP研究所、2016年2月)も、同意できない点もあるが、痛快で面白い。言説の一部を紹介(抜き書き)しておくことにする。なお、本書は、中島著『<対話>のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの―』(PHP研究所、1997年11月)のタイトルを変えたものである。

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わが国の人間関係において、最も重視されるのは、「他人を思いやる」ことであり、そのためには「本当のことを言わないこと」である。この国では、「お上」は「思いやり」や「優しさ」といった人間の根源的価値に関してまで個人のなかに踏み込もうとする。「思いやり」を持つことがなぜ必要なのかという問いを忘れて、「思いやりを持とう!」という掛け声だけが列島にこだまする。この国では、「思いやり」や「優しさ」を声高に唱え、人々から生き生きとした思考力を奪っている。「思いやり」や「優しさ」という名のもとに、とりわけ弱者の叫び声は完全につぶされつづける。風通しの悪い社会である。(4、11、13、76、165ページ)

この国では、「思いやり」はほとんどの場合「利己主義の変形」として機能してしまう。自分の身に危険がふりかからない範囲での「思いやり」など、気楽な「思いやり」である。この国では、みんな「思いやり」という名のもとに真実の言葉を殺している。「対話」を封じている。しかも、ほとんどの者はその暴力に気づいていない。(166~168ページ)

この国では「優しさ」は今やエスカレートして熱病にまでなっている。これほどまでに「優しさ」が叫ばれている空気のなかで、弱い人間は「優しさ」によって殺されてゆく。精神的に破綻してゆく。最新型の「優しさ」の特徴をなすものは、他者との対立や摩擦を徹底的に避けることであり、この目的を達成するために「言葉」を避ける。ひとことで言うと、自分に異質な者としての他者を徹底的に恐れるのである。(183~184ページ)

「対話」(「哲学的対話」)とは、各個人が自分固有の実感・体験・信条・価値観にもとづいて何ごとかを語ることである。正真正銘の「対話」とは、身分・地位・知識・年齢等々ありとあらゆる「服」を脱ぎ捨てて、全裸になって「言葉」という武器だけを手中にして戦うことである。「対話」とは全裸の格闘技である。(120、141~142ページ)

「対話」のある社会は、「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をぐいと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔(いさぎよ)く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を消し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。(228~229ページ)

この国で要求されるのは「和の精神」である。「和」とは、現状に不満をもつ者、現状に疑問を投げかける者、現状を変えてゆこうとする者にとっては最も重い足かせである。「和の精神」はつねに社会的勝者を擁護し社会的敗者を排除する機能をもつ。そして、新しい視点や革命的な見解をつぶしてゆく。かくして、「和の精神」がゆきわたっているところでは、いつまでも保守的かつ定型的かつ無難な見解が支配することになる。(61~62ページ)

 

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19/「贈与」:コミュニズムとアナキズム
         ―モース著『贈与論』の議論から―

贈与概念を初めて体系的な社会分析のために用いた研究は、マルセル・モースの『贈与論』である。その主要な問いは、贈物の中に潜むいかなる力が、貰い手に返礼させるのかというものである。これに対するモースの答は神秘性を帯びている。つまり、マオリ族が用いる「ハウ」という観念それ自体に原因を求めた。「ハウ」とは、「物の霊、とくに森の霊や森の獲物の霊」とされ、返礼されずにいると―もち主を殺してでも―元の場所に戻りたがる「贈与の霊」である。贈与者は、贈物をハウと共に送ることで、貰い手に対して神秘的で危険な力を行使していることになる。この観念を媒介として、富、貢納、贈与の義務的循環と、それを通じた社会的結合関係の維持機能を説明するというのが、かの古典的名著の主旨であった。(下記[5]、28ページ)
〇筆者の手もとに3冊の本がある。白井聡(しらい・さとし)著『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社、2020年4月。以下[1])、斎藤幸平(さいとう・こうへい)著『人新世の「資本論」』(集英社、2020年9月。以下[2])、内田樹(うちだ・たつる)著『コモンの再生』(文藝春秋、2020年11月。以下[3])がそれである。現代の日本社会は、「格差」「分断」「貧困」、そして「コロナ禍」などの言葉で語られる。その現状は、「グローバル資本主義末期における、市民の原子化・砂粒化、血縁・地縁共同体の瓦解、相互扶助システムの不在という索漠(さくばく)たる」([3]6ページ)ものである。この3冊の本は、こうした行き詰まる資本主義社会の「いま」と、向こう側の新たな「社会像」について思考する際に役立つ。
〇[1]にあっては、自立が強制され、自己決定(自己責任)が追及される現代資本主義社会を生き延びるための「武器」になるのは、カール・マルクスの『資本論』である。1980年代以降の新自由主義(ネオリベラリズム)は、「小さな政府」「規制緩和」「市場原理主義」などをキーワードに、社会の仕組みだけではなく、人間の魂や感性、センスを変えてしまった。資本による生産・労働過程のそれのみならず、労働者の魂、人間の全存在(身体・心理・文化・社会的諸側面の全体。人間の「全体性」)の「包摂」である(66、67ページ)。[1]は、『資本論』のキモを平易に解説した画期的な入門書であるが、裏にあるテーマは「新自由主義の打倒」(222ページ)である。別言すれば、「資本主義を内面化した人生から脱却するための思考法」(「帯」)である。
〇[2]において斎藤は、「マルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を〈コモン〉として持続可能に管理することであった」(190ページ)として、「資本主義の転換」を迫る。その際の〈コモン〉とは、「社会的に人々に共

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有され、管理されるべき富のことを指す」。それは、資本主義(新自由主義)でも社会主義(国有化)でもない「社会像」(「脱成長コミュニズム」)であり、「水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理する」(141ページ)ことをめざす。
〇[3]で内田はいう。新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によって、グローバル資本主義と新自由主義は大規模な修正を余儀なくされることになる。その先に取り得る選択肢のひとつが「コモンの再生」である。それは「いま」、世界各地で、共同・協働のネットワークの再評価が始まっていることからもうかがい知ることができる(270ページ)。内田にあっては、国民国家がより小さな政治単位に分割されてゆく「『地域主義』がこれからの流れ」(261ページ)になるなかで、「コモン(共有地)」とは(「私」ではなく)「私たち」による「ご近所」共同体(6ページ)である。
〇いま、資本主義社会の行き詰まりについて批判する文脈で、またコミュニティの再興が叫ばれ、「コモンズ」(共有資源)や「コミュニズム」(共同体主義)について論じられるなかで、「贈与」が注目されている。「贈与」は多義的で、多用あるいは乱用されている感があるが、その言葉で思い出すのはマルセル・モースの『贈与論』である。モース(1872年~1950年)は、フランスの社会学者・文化人類学者であり、協同組合運動を中心とする社会主義思想への共感・共鳴を示していた。1925年に出版された『贈与論』は、「バイブル的存在」(小林修一)、「現代贈与論の原点」(平尾昌宏)などと評される。周知の通りである。
〇以下では、モース著・森山工(もりやま・たくみ)訳『贈与論 他二篇』(岩波文庫、2014年7月。以下[4])におけるモースの基本的な議論・主張のうちから、(1)「贈与の3つの義務」と(2)「全体的社会的事象」についてのみ再確認しておくことにする。それは、「市民福祉教育」実践・研究に「使える」であろう理論や方法に関する筆者の個人的な関心による。
〇モースにあっては、伝統的な「贈与」は、「贈り物をおこなう義務」「贈り物を受け取る義務」、そして「受け取った贈り物に対してお返しをする義務」の3つの義務から成っている。この「贈与」「受領」「返礼」という義務のうち、その根幹に位置づけられるのは第3の義務すなわち「返礼」である。それは、「贈与」と「受領」の義務を前提としている(101ページ)。要するに、モースがいう「贈与」は、相互性(互酬性)に基づく義務的な「贈与交換」(「贈与と交換」「贈与=交換」「贈与という名の交換」)である。そして、モースによると、「贈与」「受領」「返礼」は「気前よく」(60ページ)なされねばならず、「借りを返さないままでいる」(395ページ)と劣位に置かれたり、対抗関係を生み出すことになる。この点は現代社会においても然りである。「ギフト(gift)という一つの単語が『贈り物』という意味と『毒』という意味」(37ページ)の両義性を持つといわれる所以でもある。物の贈与には悪意や敵対といった感情的要素(感情的価値)が備わっている

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のである。モースはいう。「物には依然として情緒的な価値(精神的価値:筆者)が備わっているのであって、貨幣価値に換算される価値(金銭的価値:筆者)だけが備わっているわけではない」(393ページ)。
〇「返礼」の義務の特徴は、「贈与の恩恵に浴した人には、もらったものと等価のものに、さらに何かを上乗せしてお返しすることが義務づけられるようになること」(15ページ)にある。そして、「贈与」「受領」「返礼」が果たす機能は、物の交換や流通それ自体ではなく、「贈り物を受け取るということ、さらには何であれ物を受け取るということは、呪術的にも宗教的にも、倫理的にも法的にも、物を贈る側と贈られる側とにある縛りを課し、両者を結びつける」(43ページ)ことにある。すなわち、「贈与」「受領」「返礼」の循環・体系は、個人や集団などの間に友好的な関係(紐帯)を生み出し、その維持・強化を促すのである。モースはいう。「社会が発展してきたのは、当のその社会が、そしてその社会に含まれる諸々の下位集団が、さらにその社会を構成している個々人が、さまざまな社会関係を安定化させることができたからである。すなわち、与え、受け取り、そしてお返しをすることができたからである」(450ページ)。
〇ところでモースは、「贈与」は、「社会生活をかたちづくるあらゆることが、ここで混ざり合っている」という。それは、「宗教的な制度であり、法的な制度であり、倫理的な制度である―この場合、それは同時に政治的な制度でもあり、家族関係にかかわる制度でもある。それはまた、経済的な制度である」。それゆえにモースは、これを「『全体的な』社会的現象」(「全体的社会的事象」)と呼ぶことを提唱する(59ページ)。これは、「『全体』への強い志向性にもとづいて学術的探究に臨む」(「訳者解説」476ページ)モースの社会学・文化人類学の特徴を示すものである。ここで、次の一文を引いておくことにする。「全体を丸ごと考察すること、これによって、本質的なことがら、全体の動き、生き生きとした様相を把捉(はそく)することができたのであり、(中略)社会生活を具体的に観察することのうちに、新しい諸事象を見いだす手段がある。(中略)全体的社会的事象を考究すること以上に差し迫ったものはないし、また実り多いものもない」(442ページ)。
〇上述したように、モースは[4]で、「贈与の3つの義務」に基づく贈り物が循環することによって、社会的連帯・紐帯が生み出されることを指摘した。その点に関して、私事ながら40年以上も前のことであるが、他界した伯父の「献体」のことを思い出す。「献体」という贈与行為についてはどう考えるのか。公益財団法人・日本篤志献体協会によると、「献体の最大の意義は、みずからの遺体を提供することによって医学教育に参加し、学識・人格ともに優れた医師・歯科医師を養成するための礎となり、医療を通じて次の世代の人達のために役立とうとすること」(同ホームページより)にある。現在、わが国には献体篤志家団体が62団体あり、献体登録者の総数はおよそ30万5000人を越え、そのうちすでに献体した人は約14万人に達している(2019年3月31日現在)。
〇伯父は晩年、百姓仕事などのすべてを娘婿に渡し、近くの寺院で奉仕活動に没入した。

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その伯父の献体行為は、宗教的な動機も考えられるが、見返りを求めない、利他主義に基づく不特定の匿名他者への自発的な贈与であった。また、伯父が普段所属していたアソシエーション(機能集団)やコミュニティ(共同体)に対する個人的な感情(正義、責任、義務、感謝、愛、自己実現など)の発露であったろう。しかもそれは、医学教育に参加し、医療を通じて次世代の人達に役立とうとする公的な贈与であったといってよい。さらに言えば、医学や医療技術、生命科学や生命倫理などの発展をもたらし、回りまわって伯父の家族の自己利益にもつながることが想定される。いずれにしろ、伯父の献体行為は何らかの個人的・社会的な連帯意識に基づくものであり、またその行為の結果として人々の個人的・社会(文化)的な連帯意識の形成が促される。あえて指摘するほどに目新しいものではないが、ひとつの論点として再確認しておきたい。
〇筆者の手もとに2冊の本がある。仁平典宏(にへい・のりひろ)著『「ボランティア」の誕生と終焉―〈贈与のパラドックス〉の知識社会学』(名古屋大学出版会、2011年2月。以下[5])と山田広昭(やまだ・ひろあき)著『可能なるアナキズム―マルセル・モースと贈与のモラル』(インスクリプト、2020年9月。以下[6])がそれである。そこに見いだされるひとつの論点([5]の〈贈与のパラドックス〉、[6]の「支配への抵抗」)について留意したい。
〇[5]において仁平は、「ボランティアをはじめとする参加型の市民社会の諸カテゴリーは、『善意』や『他者のため』と解釈される契機を不可避的に含むことになる。(中略)この『他者のため』と外部から解釈される行為の表象」を「贈与」と呼ぶ(10ページ)。そのうえで、「近現代の日本におけるボランティア言説の展開をたどり、参加型市民社会のあり方を鋭く問いなおす」(「帯」)。サブタイトルにいう〈贈与のパラドックス〉(paradox:逆説、矛盾)とは、贈与は行為者の真の意図とは別に、交換や見返り、偽善や自己満足などとして外部観察されがちである、という意味である。平易に言えば、「贈与の偽善性」「贈与の疑わしさ・怪しさ」である。
〇「アナキズム」には、「無政府主義」「政治的極左」「革命思想」といったイメージがつきまとう。その実は互酬性や相互扶助に基づく「支配に抗する思想」である。[6]において山田は、モースの『贈与論』を手がかりに、多くの思想家の議論・言説について言及し、「来たるべき経済」(贈与経済)社会を模索する。そして山田は、「非中心性、自主的連合、そしてつねにダイレクトに否を表明できる直接民主主義、これらはアナキズムの変わることのない基底である」(228ページ)。アナキズムは「個人的自由の追求と連帯の追求とがけっして矛盾しないと考える思想」である。「個人の自由の確保こそが真の連帯の条件である」(195ページ)、という。なお、ここで筆者は、アナキズムに関して「地域主義」(「小さな政府」)の理念を基盤に、「市民」のつながりや集まりである「地域コミュニティ」における「共働」をイメージしている。誤解を恐れずに付記しておきたい。

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アナキズムとは、個人の自由を抑圧・侵害するようなあらゆる支配権力(とくに国家権力)を否定し、上からの組織化や統制を拒否しながら、合意によって自由で調和的な社会を建設しようとする思想である。したがってその根本には、権力による支配や強制なしに、社会を運営していくことが可能だとする発想がある。方法は大別してふたつある。ひとつは直接政治の領域に入って、国家権力を打倒しようとするものであり、もうひとつは国家権力と直接対決するのではなく、権力支配とは無縁な空間を(多くの場合、小規模かつ分散的性格の自治的協同体を建設するなどの方法で)非政治領域のなかに作り上げることによって、国家による権力支配を骨抜きにしていこうとするものである。(上記[6]、195、196ページ。中見真理(なかみ・まり)著『柳宗悦―時代と思想―』東京大学出版会、2003年3月、59~60ページ。)

補遺
筆者の手もとに、在野の日本近代史家・渡辺京二(わたなべ・きょうじ)の本『幻のえにし―渡辺京二 発言集』(弦書房、2020年10月)がある。少し長くなるが、次の一文を引いておきたい。なお、渡辺は、『苦海浄土―わが水俣病』(講談社、1969年1月)などで知られる作家・石牟礼道子(いしむれ・みちこ)を「50年間一緒にやってきた戦友」(本書、119ページ)という。二人の「道行き」(歩み)については周知のことである(米本浩二『魂の邂逅―石牟礼道子と渡辺京二―』新潮社、2020年10月)。

自分というものがこの世に生まれてきて満足するような人間のあり方というのは、一人一人が独立するしかないんですよ。一人一人が独立してね、自分の主人公になってね、そういう本当に独立した人間がある地域を介してね、地域というのは土地、土地は自然ということでもあるけれども、そういうものを介して、お互いが結びついて、その土地の生活を守り抜いていくということしか無いんですよ。
要するに、僕らは自分自身をまず独立させることなんですよ。それはどういう意味かというと、自分の考えを持つことなんですね。自分の考えを持つ。(253~254ページ)
自分の頭で考えるということは、コモンセンスで考えることなんです。コモンセンス。つまり普通の良識です。生活する上での普通の理屈で考えればいいわけなんですよ。すべての事柄は。そうするとおかしい事は、いくら理論ぶって言ったっておかしいわけなんです。そういう健全な批判能力みたいなものをね、保持していこうというのが、自分が一人である事なんですよ。(255ページ)
つまり自分は一人である、自分は自分の考えで生きている、国からも支配されない、いわゆる世論からも妄想からも支配されないというあり方ができるのは、自分がある土地に仲間とともに結びついていると感じるからなんだ。ところがそういう基盤がなくなっているからね。自分が生きている土地に相当するのは、自分がともに生きてきた仲間なんだよ。

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自分がこの世の中で自分でありたい、妄想に支配されたくないという同じ思いの仲間がいる。それが小さな国である。自分が自分でありたいという自分と、同じく自分が自分でありたい人たちで作った仲間が、小さな国になっていく。そういうものをしっかり作るということが僕の思う革命なのさ。それ以外はない。(257~258ページ)

 

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20/自己決定と自己責任:その虚飾と欺瞞
        ―小松美彦と吉崎祥司の言説から―

〇1990年代後半以降、財界の要望に応える「小さな政府」を実現するために、「措置から契約へ」という社会福祉基礎構造改革の推進が図られた(1998年6月:中央社会福祉審議会社会福祉構造改革分科会「社会福祉基礎構造改革について(中間まとめ)」等)。そのなかで、「自己選択」「自己決定」すなわち「自己責任」が声高に叫ばれるようになった。また、「市場原理の導入」などの新自由主義的教育改革の推進が図られた(1996年7月:中央教育審議会「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申)」等)。そこでは、子ども・青年が抱える困難や不利益を、「自己責任」として個々人が引き受ける「生きる力」の育成が強調されるようになった。周知の通りである。
〇「自己決定」と「自己責任」は口当たりのよい言葉である。しかし、その言葉に関して、「自己」すなわち「個人」「ひとり」については曖昧であり、「共に」決定する、「共に」責任を取るなどとはあまり言わない。また、「自己決定」と「自己責任」の実相は、外見だけを飾り(虚飾)、人目をあざむき、だます(欺瞞)という危険性がある。
〇自己決定や自己責任について論述した本は、筆者の手もとには、次の4冊しかない。

(1) 小松美彦著『「自己決定権」という罠―ナチスから相模原障害者殺傷事件まで―』言視舎、2018年8月(以下[1])
本書(語りおろし)は、『自己決定権は幻想である』(洋泉社新書y、2004年7月)の増補改訂版である。旧版では、「自己決定権」の概念それ自体や「自己決定権」への無条件の信頼は非常に危ういことを論じている。旧版のインタビュー(2003年)から15年後のこんにちでは、主に医療や福祉の分野において、「自己決定権」「自己決定」という言葉と概念は当たり前のものになっている。しかし、その問題性は見えにくい形でますます拡がっている。「自己決定権」に加えて、「人間の尊厳」という言葉と概念も巧妙に作用し、差し迫った状況にある(3~4ページ)。小松美彦(こまつ・よしひこ、生命倫理学専攻)は、その問題状況をダイナミックに論考する。
(2) 吉崎祥司著『「自己責任論」をのりこえる―連帯と「社会的責任」の哲学―』学習の友社、2014年12月(以下[2])
小泉政権(2001年4月~2006年9月)によって、競争原理を基本理念とする規制緩和の推進が図られた。そのなかで、1990年代以降の「自己責任論」が、政財界においてより一層強調されるようになった。また、経済の低成長下における社会保障費の削減を理由づける
考え方として、「自立・自助論」が展開された。ヨーロッパなどと比べて、日本では、社会的責任の観念が必ずしも十分に定着しているわけではない(6~13ページ)。こうした特殊「日本型自己責任論」(13ページ)について吉崎祥司(よしざき・しょうじ、哲学専攻)は、その内容と特質を批判的に検討し、それを克服する

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ための課題と道筋を明らかにする。
(3) 高橋隆雄・八幡英幸編『自己決定論のゆくえ―哲学・法学・医学の現場から―』九州大学出版会、2008年5月
本書では、生命倫理における基本的概念のひとつである「自己決定」をめぐって、その歴史的由来や概念の意味、法的観点からの問題、医師や看護師の専門職の自律性とのかかわり、等々について多面的に論考する。そのなかで、小柳正弘(専攻は哲学)は、「『私たち』の自己決定」について、次のように述べている。自己決定の主体である「自己」は、理念としては「強い個人」が前提とされている。しかし、現実には「弱い個人」が主体として困難を引き受けているのが現状である。それでも「私」が自己決定しなければならないとすれば、私は他者によって支えられなければならない。すなわち、私が他者とともに「私たち」として決定することが必要となる。「自己が自己のことを決定する」という自己決定には、もうひとつ、「私たちが私たちのことを決定する」という自己決定の理念型が存在することを思い起さなければならない、と。(38~40ページ)。特筆しておきたい。
(4) 湯浅誠『どんとこい、貧困!』イースト・プレス、2011年7月
本書は、現代日本の貧困問題を現場から訴え続け、社会的包摂を説く湯浅誠(社会活動家)が子どもたちに書き下ろした自己責任論である。そこでのキーワードのひとつに、「溜め(ため)」がある。湯浅にあっては、それは、「がんばるための条件」「その人が持っている条件」を意味するが、基本的な「溜め」となるのは「お金」「人間関係(親や友達など)」「精神(的なもの)」の三つである。「家にお金がなくて、人間関係に恵まれないなら、社会がその人の“溜め”になればいい」。(49ページ)。また、自己責任論をふりかざす人たちに共通しているのは、「上から目線」である。自己責任論は「問い」を外に、社会に出てこないように封じ込めること、自己責任論の一番の目的、最大の効果は、相手を黙らせることである。自己責任論は、弱いものイジメが横行し、生きづらい、誰も幸せでない、満ち足りない社会をつくる(153~157ページ)。

〇さて、本稿ではまず、[1]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

自己責任論と「自己決定」「自己決定権」
政府の言う自己責任論は、国家や支配権力が、基本的に人々を強制したいと考えている事実の裏返しの表現にすぎない。自己決定をするのなら自分で責任をとれという、身の蓋もない態度の裏側には、文句を言わずに言うことを聞けという、国家の冷徹で傲慢な態度が透けて見える。(18ページ)

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自己決定と自己決定権とはまったく違うものである。自己決定イコール自己決定権だと単純に考えていると、権利という制度的な思弁の土俵の上で、思わぬ落とし穴
にはまってしまう危険がある。(19~20ページ)
私たちの行動には、「思わず~する」という無意識の行動、すなわち言葉で考えるというよりも身体全体で考えると言ったほうがよいようなものがあり、自己決定には、そういった具体的な生の実相が、まるごと含まれている。
これに対して、自己決定権にはこのような自ずからなる要素はない。自己決定権は、言葉によって普遍化された人為的な権利であり、思弁によって客観化された制度であり、さらには個別の実相を他人事に変えてしまう装置であり、したがって、いつでも政治的な恣意によって道具にされるという危険性をもったものである。(20ページ)

自己決定権批判の根拠
自己決定権という考え方には、根本的に問題がある。
①人が生きていくすべての場面において、個人が何かを決めるということは、決して個人の問題にとどまらない。自己決定権という言葉によって、人間関係の尊重すべき貴重な機微(微妙な事情・おもむき)が覆い隠されてしまっている。
②「本人の意思による」という自己決定権という言葉が謳(うた)われ、その美しい響きが無為に受け入れらてしまったことによって、(政府や政治に対する)人々の抵抗が鈍ってしまった。
③いったん自己決定権を盾(たて)にしてしまうと、さまざまなことに関して、自分のことは自分で決めればよいのだから、他人には口を出してほしくないという壁ができてしまう。その結果として、自己決定権が他者同士のコミュニケーションを遮断・排除する道具として機能する危惧がある。
④死は果たして自己決定できるのか。死は一個人に閉じ込められたものではなく、家族や医師、看護師など実に多くの人がかかわる。死は、周囲の人々すべてにまたがる、人間関係のなかでおきる事柄である。(40~49ページ)

自己決定・自己決定権と「共決定」
自己決定とは、起こっている事柄それ自体のことである。あるいは生の具体的な局面で私たちが絶えず行っている個々の判断や選択や行為そのもののことである。その意味では、人間が自己決定なしに通常の社会生活を送ることは、とてもできないと言ってよい。
自己決定権とは、自己決定することを社会や国家が、個人の権利として認めるということである。「する」あるいは「せざるをえない」のが自己決定であるのに対して、「認められる」あるいは「するために使う」のが自己決定権であると言ってよい。(98ページ)
私たちは、いつも他者とのかかわりのなかで自分の行動を決定している。同じように、自分が決定した行動は、いつもまわりの他者たちに少なからぬ影響を及ぼして

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いる。決定すればそれで終わりということは本来的にない。
自己決定とは、他者との複雑な網の目のなかで行われるしかないものであり、そういう意味では、純粋な自己決定はない。私たちの行う決定は、好むと好まざるとにかかわらず、いつも本質的に「共決定」であることを強いられているといえる。(98ページ)

「共決定」と関係性・共同性
共決定とは、猶予のある場合にそうすべきだといモデルである。そのモデルを不毛なものにしないためには、それぞれがそれぞれの立場から努力し、徹底的に話し合いながら決めていくことである。(102ページ)
関係性を大切にする立場は、まず内と外を区別しない。個々の人間的な交渉から目をそらさないことを原則として、これを守ることができるのであれば、どこまでも外に広がっていこうとする態度のことである。(103ページ)
共同性を重視する立場は、私たちは私たち、あなたたちはあなたたちというように、そもそも内と外に縁取りをこしらえておいて、二つを区分けし固定していこうとする態度のことである。(103~104ページ)
だから、関係性を重視する立場は相互の異質性を厭(いと)わないし、共同性を重視する立場では自分たちのなかにある同質性に、まず目を向けるということになる。(104ページ)
個々の人間の具体的な実存を前にすれば、抽象的な同質性などというものは、はじめからどこにもない。共同体の掲げる同質性は、いつも避けがたい抽象性を帯びてしまい、個々人の具体的な個別性にあるかけがえのなさを、共同体の意思の名をもって、裏切っていくことになる。(105ページ)

「人権」と「存在」
「人権」とは、結局、国家や社会によって与えられる人為的なものである。しかし、それ以前に、障害者にせよ健常者にせよ、その人がいるということ、「存在」していること自体が第一次的なもののはずである。これ自体は絶対に否定できない。(311ページ)
仮に、心や意識が本当に絶無のまま生きている人がいるとして、それをどう考えたらよいのか。それでもその人が“そこにいる”という厳然たる事実が、その人から被(こうむ)る迷惑と呼ばれることまで含めて、私たち自身が“いる”ことを何らかの形で支えてくれているのである。「迷惑をかける―かけられる」という関係をもてることは、実は人間の豊かさに思われる。(316ページ)
「自己決定権」にせよ、「人間の尊厳」にせよ、検討にあたって必須のことは、型どおりの「人権」的な思考ではなく、誰々がいた、あるいは誰々がいるという「存在」ベースで考え直すことである。(319ページ)

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〇次に、[2]において留意したい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

「自己責任論」の機能
「自己責任論」の機能とは、さしあたり、①競争を当然のこととし、②競争での敗北を自己責任として受容させ(自らの貧困や不遇を納得させ)、③社会的な問題の責任をすべて個人に押しつけ(苦境に立たされた“お前が悪い”)、④しかもそうした押しつけには理由がある(不当なものではない)と人びとに思い込ませ(る)ことによって、⑤抗議の意思と行動を封殺する(“だまらせる”)、というものである。そのようなものとして、「自己責任論」は、新自由主義的支配の合理化・正当化のためのイデオロギー(支配層の思想形態)であることを本質としている。(11ページ)

「自己責任論」の特徴
「自己責任論」は、次のような特徴をもっている。
①「自己責任論」は、「社会的責任」と「個人的責任」を意図的に混同したうえで、「社会的責任」を否定する、あるいは相対化する。
②「自己責任論」は、社会的責任の否定にとどまらず、社会的な問題をすべて「個人」のうちに押し込め、個人的な解決を迫る。
③「自己責任論」は、個人が抱える困難は、誰のせいでもなく、当の本人の努力や能力の不足によるもので、その事実を受け入れよと強く迫る。一生懸命努力していても報われない場合は、そもそも「能力」が不足しているからだ、と個々人の「能力」の有無・高低をあげつらう。
④「自己責任論」は、本質的に「社会問題」であるのにもかかわらず、社会的責任に蓋(ふた)をして、問題をもっぱら個人的なものに還元し、しかも困難の最終的な原因を個人の能力に求めることで、「責任」を自認させ、抗議の意思も封じる。
⑤「自己責任論」は、それが流布しやすい理由の一つに、「一人前」の人間は、他人に頼らずに自立すべきもの・自ら助けるべきもの、という「自立・自助」の世間的常識がある。誰にも頼らずにちゃんと生活をたてていけないような人間は一人前ではない、といった「自立」観を前提としている。
⑥「自己責任論」では、何にせよ、自分で決定し、選択したことの結果について自分で責任をとるのは当然であり、ある人がおかれた状況・境遇は、そうした決定・選択の結果なのだから「自己責任」であるという一見もっともらしい理屈のもとで、「自己決定=自己責任」が説かれる。

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⑦それらの結果として、「自己責任論」は、人びとの間に、多重的な分断をもたらし、個人を孤立化させるにとどまらず、たがいを敵視するように仕向ける。
これらの諸特徴をもつ「自己責任論」が通用しやすい特有の土壌(「社会文化」)が日本社会にはある。(16~17ページ)

自己決定の前提と条件
自己決定には、それを簡単に許さない前提や条件(困難性)がある。①自己決定は、社会制度や時代の支配的な社会的観念や意識、社会の風潮や趨勢、慣習や風俗などの「状況」の「圧力」や「傾向性」のもとで行われる。②「状況」の圧力や傾向性に対して自覚的・批判的であるためには、十分な情報の獲得と、「選択」の結果についての適切な判断が必要とされるが、それが困難である。③「状況」や「選択」にかかわる基本的な情報が獲得されているとしても、従属的位置にある労働者に、その特定の社会関係において自由な選択を行うことは許されない。(55~58ページ)
こうして、「自己決定」は多くの場合、疑似的で、決定者の「自己責任」を問えるようなものではない。つまり、「自己決定」は、個人の「自己責任」に直結させることができるようなものではない。真に自由な自己決定・選択が可能になる前提・条件の周到な吟味なしに、自己決定を自己責任に直結させるような「自己決定論」は、多く欺瞞をかかえるものである。(58ページ)
そこで、労働者が自己決定する際の鍵になるのは、個人が他者と「共にする決定」の場と仲間、連帯する組織を作り出すことである。(60ページ)

〇筆者はかつて、『みんなのなかにわたしがいる みんなとともにわたしがいる』(三重県社会福祉協議会、2004年3月)というタイトルの「小学生からの福祉読本」の作成にかかわったことがある。そこでの根本的な考え方は「実存」「自立」「共生」「まちづくり」「参画」「共働」などであった。
〇そのことを思い出しながら、改めて[1]における小松の言説を要約する。「自己決定」は、実際には、社会的広がりや他者との関係性(「関係としての私」「われわれのわれ」198ページ)のなかで行われる。「自己決定権は、個人主義を擬装しながら、実際には抽象化され、普遍化されることによって、いつでも国家共同体に転化・悪用されかねない危険性をもったもの」である。その意味で、「自己決定権を個々人の具体的な実存の側から見てみれば、そんなものは、はじめからないのだと極論してもよい。それをあるのだとなお言い募るのであれば、幻想としてあるのだと言うしかない」(106ページ)。これが、小松が最も強く主張する「自己決定権の欺瞞性」、すなわち「自己決定権という罠」である。

 

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21/相互支援と相互実現
        ―舘岡康雄らによる「支援学」の体系化について―

ケアリングコミュニティとは、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。筆者はそれを地域福祉の基盤づくりであると考えている。/そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されていかなければならない。こうしたケアリングコミュニティは、①ケアの当事者性(エンパワメント)、②地域自立生活支援(トータルケアシステム)、③参加・協働(ローカルガバナンス)、④共生社会のケア制度政策(ソーシャルインクルージョン)、⑤地域経営(ローカルマネジメント)といった5つの構成要素により成立している。(原田正樹「ケアリングコミュニティの構築に向けた地域福祉―地域福祉計画の可能性と展開―」大橋謙策編著『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』ミネルヴァ書房、2014年4月、100ページ)

〇筆者は、管見ながら、しかもその一部に過ぎないが、人と人が共に生き、共に支え合うこと(「相互依存」interdependence)によって自己成長と相互成長、自己実現と相互実現を促す地域社会、すなわち「ケアリングコミュニティ」(caring community)に関して次のように考えている。(1)地域のあらゆる住民が「安心」して暮らせるまちは、「安全」と「信頼」と「責任」のまちである。安心=安全×信頼×責任、である。(2)まちづくりは、そこに暮らす住民が相互に支援し合う(「相互支援」の)地域コミュニティを創造するために、意識と思考と行動の変革を図ることから始まる。まちづくりは相互支援であり福祉教育である。(3)「自立」(「依存的自立」)は、自己選択と自己決定、そして自己責任に基づく自己実現の過程を通して達成される。それは、個人的なものにとどまらず、歴史的・社会的・文化的状況や背景によって規定される。自立は自己実現のための手段であり、歴史的社会的性格(特徴)を持つ。(4) 自己決定と自己実現は、個人的営為ではなく、自分と他者との相互の認識と行動に基づいた自己成長と相互成長を通じて初めて可能となる。自己実現は「相互実現」である。(5)現在の日本社会では、格差社会や管理社会が進展するなかで、持続可能な相互支援型社会を如何に形成するかが問われている。管理は画一化や受動化を促進し、支援は多様性や能動性を尊重する。地域共生社会は相互支援型社会である。なお、これらとともに、またこれらを可能にするためには、まちづくりや地域福祉についての多様な政策・制度的対応や専門機関・専門家による対応などが必要かつ重要であることは言うまでもない。
〇筆者の手もとには、そのタイトルやサブタイトルに「支援」などの文言が含まれている本が4冊ある。

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(1) 支援基礎論研究会編『支援学―管理社会をこえて―』東方出版、2000年7月
(2) 舘岡康雄著『利他性の経済学―支援が必然となる時代へ―』新曜社、2006年4月
(3) 舘岡康雄著『世界を変えるSHIEN学―力を引き出し合う働きかた―』フィルムアート社、2012年11月
(4) 森岡正博編著『「ささえあい」の人間学―私たちすべてが「老人」+「障害者」+「末期患者」となる時代の社会原理の探究―』法藏館、1994年1月

〇本稿では、それぞれの本のなかで論じられている「支援」に関する言説について、筆者なりにいま一度押さえておきたい一節を、抜き書きあるいは要約することにする(見出しは筆者)。

(1) 支援基礎論研究会編『支援学』
〇「支援学」(Supportology)は、1993年に発足した「支援基礎論研究会」(オフィス・オートメーション学会〈現・日本情報経営学会〉の研究部会)が7年余にわたる研究活動を通して新しく開拓した学問分野である。「本書は、ハウツーを教える入門書ではなく、広く支援現象、支援行為一般の研究の指針を与えることを目的にした見取り図である」(2ページ)。ここでは、本書に収録されている今田高俊(いまだ・たかとし。現在は東京工業大学名誉教授)の論稿「支援型の社会システムへ」における言説について紹介する。

管理型社会システムから支援型社会システムへ
現在、行き過ぎた管理機構のひずみや亀裂が集中的にあらわれ、管理の限界がいたるところで露呈するようになっている。管理を中心とする運営法では、もはや活力ある社会を確保できない状態である。/意義のある人生や生活を築き上げるためには、管理に代わる社会の仕組みが必要である。管理に代わる新しい社会編成の在り方としてもっとも有望なものは支援である。支援型の社会システムへの構造転換をはかることが、現在、さまざまな形であらわれている社会問題を解決するために不可欠である。/1990年代以降、ボランティア活動やNPO(非営利組織)、NGO(非政府組織)による活動活動が高まった。これらの活動は、管理ではなく支援を、市民自身の自発的な意志によっておこなおうとする動きである。(9~10ページ)

支援の定義
支援とは、何らかの意図を持った他者の行為に対する働きかけであり、その意図を理解しつつ、行為の質を維持・改善する一連のアクションのことをいい、最終的に

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他者のエンパワーメントをはかる(ことがらをなす力をつける)ことである。(11
ページ)

支援と自省的フィードバック
支援は、自分で勝手に目標を立てて効率よくそれを達成するという、従来の私的利益の追求行為からは区別される。被支援者がどういう状況に置かれており、支援行為がどう受け止められているかを常にフィードバックして、被支援者の意図に沿うように自分の行為を変える必要がある。これができない支援は本当の意味での支援ではない。(12ページ)

支援と配慮とエンパワーメント
支援をおこなう当事者は、あくまでも自分の生き甲斐や自己実現を得るという動機が前提になっている。この意味では、私的なものである。ただし、この私的性格は、被支援者の行為の質が改善され、被支援者がことがらをなす力を高めることを前提としており、いわゆる利己的な行為ではない。私的な自己実現が、直接、他者に対する気遣い、配慮へとつながっている。要するに、支援には、他者への「配慮 care」と「エンパワーメント」が決定的に重要である。(12ページ)

支援と支援システム
実際に支援が成立するためには、一連の支援行為がばらばらになされるのではなく、それらがまとまりをもったシステムを形成することが必要である。また、支援は固定したシステムではうまくいかない。被支援者が置かれている状況変化にあわせて、システムを変えていく必要がある。/支援システムは、人的・物的・情報的資源を関係づけ、それらが支援を効果的に実現できるようなモデル(ノウハウ)を備えることが重要である。(12~13ページ)

支援学の体系化
20世紀が管理の世紀であるとすれば21世紀は支援の世紀である。今後、管理が消滅することはありえないが、少なくても支援の発想が社会のなかに組み込まれ、肥大化した管理の仕組みを縮小する方向に進まざるをえないだろう。弱肉強食型の競争主義とそのグローバル化が進みつつあるが、これがアナーキー(無秩序)な社会あるいはその反動として管理主義の強化につながってはますます住みにくい世界になる。そうならないためにも今後、支援学を深め体系化していくことが重要である。管理に代わる支援の発想を持って、グローバル時代の共生原理をつくりあげていくことが、われわれの責任である。(234ページ)

〇管理型社会から支援型社会への転換が求められている。支援は、支援者(支援主体)と被支援者(被支援主体)というセットで意味をなす行為であり、①「他者への働きかけ」を前提にして、②「他者の意図の理解」、③「行為の質の維持・改

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善」、④「エンパワーメント」を構成要素とする。支援には、支援者の「自省的フィードバック」と、被支援者への「配慮」と「エンパワーメント」が重要である。支援の実質化を図るためには、「ヒト、モノ、カネ、情報」などの資源を効果的・効率的に活用し、またそのためのモデル(ノウハウ)を備えることが必要となる。とともに、支援システムを形成し、しかもそのシステムは被支援者の置かれた状況に応じて柔軟・自在に変化・対応する(「自己組織化」する)ことができるものでなければならない。
〇支援学は管理学に対置される。支援学は、社会生活上の諸問題を解決し、被支援者の「エンパワーメント」を図ることによって自己実現が達成され、それを通じて共生社会の創造に貢献することを使命とする。
〇以上が今田の言説、その一部である。注目されるのは、支援の概念に「エンパワーメント」が含意されていることである。そこから、支援が成立するためには、被支援者の意図が優先され、支援者の支援が自己目的化してはならないことになる。今田にあっては、「自分の意思を前面にださない」「相手への押しつけにならない」「相手の自助努力を損なわない」が、「支援に要請される条件」(15ページ)となる。

(2) 舘岡康雄著『利他性の経済学』
〇本書は、とりわけその前半は、舘岡康雄(たておか・やすお、現在は静岡大学大学院)の博士論文「”支援”の理論化と実証化に関する研究―利他的なビジネスモデルがもたらす経済合理性―」(東京工業大学社会理工学研究科)がベースになっている。舘岡は1996年から「プロセスパラダイム」の概念を提唱するが、「支援」と「プロセスパラダイム」に関する言説のみを抜き書き(要約)する。

自己中心の「管理」と相手中心の「支援」
管理は、自分から出発して相手を変える、相手をコントロールする行動様式である。それに対して支援は、相手から出発して相手との関わりにおいて自分を変える、自分で(自由意志で)自分をコントロールする行動様式である。/すなわち、管理は自己中心の行動様式であり、支援は相手中心の行動様式である。/したがって、管理の被行為者は「させられている」のであり、支援の被行為者は「してもらっている」のである。(86~87ページ)

リザルトパラダイムからプロセスパラダイムへ
いま時代は、あらゆる分野で「リザルトパラダイムからプロセスパラダイムへ」と動いている。パラダイム(paradigm)とは、その時代に共通するものの見方や捉え方(価値観、枠組み、考え方)をいう。/管理行動では、管理者は計画を提示し、その計画と被管理者の結果とのズレが重要とされる。そこでは、「結果」(リザルト、result)が重視され、管理者と被管理者の関係は「させる/させられる」の一方

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向の関係にある。管理行動はリザルトパラダイムにおける行動様式である。/支援行動では、支援者は相手の刻々変わる状況を知り、それに合わせて被支援者と相互作用を行ないながら支援を達成していく。そこでは、「過程」(プロセス、process)が重視され、支援者と被支援者の関係は「してもらう/してあげる」の双方向の関係にある。支援行動はプロセスパラダイムにおける行動様式である。(87、88、93~94ページ)

〇以上が舘岡の言説、その一部である。舘岡にあっては、支援はあくまでも支援者の自由意志で行われものであり、支援をするかしないかは支援者に委ねられる。「動員による支援」「支援の管理」「支援の制度化」などは想定されていない。また、舘岡の言説で重要なのは、「プロセスパラダイム」についての提言である(91~97ページ)。相手(被支援者)の動きに合わせて自分(支援者)も動きを変える。また、相手(被支援者)にも自分(支援者)の動きに合わせて動きを変えてもらう。両者が寄り添ってこうした動き(動的な活動)をするとき、その過程(プロセス)で問題解決能力が高まり、両者は「合一の方向に向かう」(100ページ)、とされる。留意しておきたい点である。

(3) 舘岡康雄著『世界を変えるSHIEN学』
〇舘岡は、民間企業の人事部での経験を踏まえて、2001年から「SHIEN学」を提唱する。本書は、学生やビジネスマンが気軽に読める「SHIEN学の入門書」である。「支援」をあえて「SHIEN」とローマ字表記する意義、「管理」「支援」「SHIEN」あるいは「協働」などの概念の相互関連、SHIEN「学」の学問としての成立要件や理論的枠組みと体系性、などについての言及は必ずしも十分なものであるとは言えないが、要点を紹介する。

SHIENと「お互いの力を引き出し合う能力」
「支援」は上位者が下位者に、力のあるものが力のないものに、施すという概念である。/SHIENは、互いに助け合うことで、重なり(つながり、関係性)のなかったところに重なりをつくり、「してもらう/してあげる」を交換するという、新しい時代の問題解決法のひとつである。/SHIEN学では、相手の力を引き出したり、逆に相手からも自分の力を引き出してもらったりする能力を「してもらう/してあげる能力」と呼ぶ。/SHIENの原理というのは厳密なシステムではなくて、重なりがなかったところに重なりをつくったり、相手からしてもらうことと、こちらがしてあげることを、相互に交換したりすること。ただそれだけである。(13、35、58、155ページ)

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「してもらうこと」と「豊かな関係性」とSHIEN学
「してもらう」能力を高めるためには、自分の「弱みを相手に見せること」が非常に大切であり、「相手によい質問をすること」「相手を褒(ほ)めること」も有効である。それによって自分と相手との豊かな関係性を深めることができる。/「してもらう/してあげる」というのはテクニックではなく、非常にいい関係性があるからこそ生まれるものである。志が同じで、ひとつの目標に向かっていく集団があったならば、惜しみなくお互いの能力を出し合っていって、一緒につくるよろこびを感じることが、お互いが幸せになる、何よりの方法である。/「してもらうこと」がSHIEN学のスタートであり、本質である。(60~65ページ)

プロセスパラダイムの時代と競争的共存の時代
これからの、「動いているものを動くままに」捉えるプロセスパラダイムの時代は、今までのリザルトパラダイムの時代の、「善か悪か」「有か無か」「量か質か」「ハードかソフトか」といった二項対立を越えて、新しい解へジャンプすることができる自由な社会である。/そういう時に大切になってくるのは、「してもらう能力」である。新しい時代には「してもらう」ことは必須となる。/苦手なことはしてもらってよいのである。そして自分は、自分の得意なことで相手をSHIENする。また今、競争的共存の時代が来たともいえる。競争しているのだけど、同時に共存してもいるわけで、ひとり勝ちの時代はすでに終わっているのである。/人間関係でいえば、「関係をつくることに積極的」(「関係積極性」)であることが大切な時代である。(82~83、119ページ)

リザルトパラダイムとプロセスパラダイムの違い
20世紀型のリザルトパラダイムと21世紀型のプロセスパラダイムの違いは、図1の通りである。(43ページ)

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〇以上が舘岡の言説、その一部である。舘岡は、上下関係のなかでの一方向の支援(「施し」)を「支援」、対等な関係のなかでの双方向の支援を「SHIEN」とする。そして、「SHIEN」は、新しい時代(プロセスパラダイムの時代)における、「新しい働きかたを実現する行動原理」(15ページ)となる、という。
〇舘岡にあっては、「SHIEN学」でいう「SHIEN」とは、「自分よりも他人を大事にしたり、助けたりする考え方(=利他性)を軸に、行動を起こすこと全般」(18ページ)を指す。「SHIEN学の本質」「SHIENの神髄」は、「してもらう/してあげる能力」であり、お互いの力を引き出し合うことである。そこで重要になるのが、自分と相手を「つなぐ」こと、「関係性を高め合う」ことであり、舘岡はそれを「重なりをつくる」という。

(4) 森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』
〇本書は、生命倫理や法哲学、仏教哲学などを研究する5人の共同研究のプロセスを纏めたものである。読み応えのある包括的で深淵(しんえん)なテーマ設定がなされているとともに、一般にありがちな共同研究の成果報告でないところがユニークで興味深い。本書の「ささえあいの人間学」とは、人と人が互いに「ささえあって」生きるという形の社会原理を探究し、人々にささえられながら生まれ死んでいく人間の「いのち」のあり方について議論する枠組み(学問)である。ここでは、本書に収録されている土屋貴志(つちや・たかし。現在は大阪市立大学)の論稿「『ささえる』とはどういうことか」等における言説について紹介する。

「ささえ」と「ささえあい」 
人間同士の「ささえ」は、すべて「ささえあい」にほかならないのではないか。というのは、人間は必ず何らかの「他者」を必要とする存在であり、その意味で、完全に自分の力で自立しているわけではないからである。現実の「ささえ」の場面においては、一方向的な「ささえ」(「ささえる」側は自立しており「ささえられる」側は依存するだけであるような状況)が成立しているわけではなく、必ず両方向的な「ささえあい」(双方が「ささえ」「ささえられ」合っているような状況)になっているのである。/人間は何らかの他者を「ささえる」ことによってよろこびを得る存在であり、他者が何も返すことができなくてもその他者によって「ささえられている」ことになるのである。(105ページ)

「ささえる」と「ともにいる」
「ささえる」ことは、「相手にかかわっていこうとする」ことである。/「かかわり」こそ「ささえ」の基盤であり、かかわりのないところには相手もなく、したが

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って相手への働きかけもあり得ないからである。その意味で、かかわりを保っていこうとする姿勢こそ何にもまして必要なものであり、なくてはならないものである。/しかも、時間を惜しまず、傍に共にいるということ、この「ともにいる」ということこそ、かかわりの本質を表すことである。/「ともにいる」ということ、かかわっていく姿勢によって「ともにいる」ということを示すことが、「ささえる」ということの最も基本的な事項になるのである。(57~58、60~61ページ)

「かかわり」と「受容」
相手にかかわっていくとは、相手を受け容れていくことである。相手を受け容れる余裕がなければ、かかわっていくことはできない。もしその余裕がないまま無理にかかわろうとするなら、必ずひとりよがりに終わることになる。相手を受け容れるということは、結局のところ、相手に対していろいろな気持ちを抱く自分自身を受け容れることに他ならない。その意味で、いつでも、どんな相手にも、求めに応じてかかわってゆけるようにするには、つねに自分自身をみつめて、あらゆる自分を受け容れる用意が必要である。相手を受け容れる余裕は、実は自分自身を受け容れる余裕から生まれるからである。(59~60ページ)

「ささえ」と「共感」
「ささえ」の根底にあるべき考え方は、「共感」が達成されるように努めるべきである、ということである。/「ささえ」の場面では、「共感」が必然的な前提になっている。/「共感」とは、相手の私的な世界を、あたかも自分自身のものであるかのように感じとり、しかもこの「あたかも‥‥‥のように」という性格を失わないことである。いいかえれば、①相手の体験を、その本人が感じているままに感じ取ること、②相手の体験はあくまでその人自身の体験であり、私自身の体験とは別であるとわきまえていること、この二つの条件を同時に満たすことである。/ただし、「共感」だけで相手を「ささえた」ことにはならない。「こころのささえ」の場面を離れて、相手が具体的な介助や援助や治療を要求している場合には、「共感」の達成だけでは「ささえあい」の達成は不十分なものとなる。(281、290~291、296、299ページ)

〇土屋にあっては、「ささえる」ということについての原則的な考え方のひとつは、「どんな事実であれ、その人に関する事実は第一義的にその人本人のことであって、他の人のことではない」(52ページ)。「事実に直面しそれを受け容れなければならないのはその人自身なのであって、他の人が代わってやることは決してできない」(50~51ページ)ということである。ある事実についての当事者性(「自分のこと」である度合い)について言えば、本人が最も「当事者」であり、身近な人ほど「当事者性」が高く(つまり、より「自分のこと」であり)、身近でない人

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ほど低い(逆に言えば、「第三者性」すなわち「ひとごと」である度合いが高い)ということになる。しかし、具体的な「ささえ」の場面では、問題になるのはつねにいま現在目の前にいる相手であり、「当事者性の序列」は問題にならない(51~53ページ)。土屋の基本的な言説として押さえておきたい点である。

〇以上の叙述を踏まえて、ここではひとまず、「支援」とは、自分・支援者(支援主体)と相手・被支援者(被支援主体)の「要求と必要と合意」「受容と共感とエンパワメント」に基づいて、「相互支援と相互作用」「相乗作用と相乗効果」「自己実現と相互実現」を図る活動(行動様式)でありプロセスである、と理解しておくことにする。その際、支援者や被支援者は、個人だけでなく、集団や組織、コミュニティ、社会などを含む。「支援主体」や「被支援主体」の意味するところである。
〇ところで、筆者はこれまで、「まちづくりと市民福祉教育」について論考する際に、「共働」(coaction)の概念を重視してきた。また、その構成要素として、①多様な個人や集団・組織・コミュニティ・社会、②目標や価値観の共有化と統合化、③新しい場(ステージ、プラットホーム)の創設、④その場への主体的・自律的な参加(参集、参与、参画)、⑤多面的な相互作用による相互補完や相乗効果、⑥社会的統合や融合の達成、などを考えてきた。
〇図2は、「支援」に留意しながら、多様な主体による「対抗」から「共働」への過程を、ひとつのモデルとして図示したものである。例えば、「対抗」段階では、内部(当事者間)における上下関係や外部(第三者)との対等(並立)な関係における競争、管理、支配を意味している。「連携」段階では、役割と責任の相互確認や協力の相互促進に向けた行動を起こす。「協働」段階では、目標の明確化を図り、舘岡がいう「重なりのなかったところに重なりをつくる」即ち「関係づくり」(パートナーシップづくり)を進め、協同することを意味する。そして、新しく設けられた「場」における相互補完やそれによる相乗効果によって協働の融合・一体化が図られ、相互支援や相互実現が成立する。それが「共働」の段階である。こうした段階の過程を通して、「創発」(単純な総和以上の成果が生み出されること)や「共創」(イノベーションによって新しい価値を共に創ること)、「共生」(すべての人の人格と個性を尊重し、共に支え合いながら共に生きること)が実現することになる。
〇筆者が本稿で言いたいのは、「相互支援」と「相互実現」、そのための「共働」が「地域共生社会」の神髄である、ということである。

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付記
上野谷加代子(同志社大学)は、人が共に支え合って生きていくためには「助け上手と助けられ上手」になることが大切である、と説く(『たすけられ上手 たすけ上手に生きる』全国コミュニティライフサポートセンター、2015年8月)。森岡正博(早稲田大学)は、人間は他からささえられてはじめて生活でき、自己決定できる存在であり、「他からささえられ、他をささえてゆく」ことこそが「人間」の本質である、と言う(森岡正博「序 方法としての『ささえあい』」森岡正博編著『「ささえあい」の人間学』20ページ)。

 

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22/愛郷心と愛国心
        ―将基面貴巳を読む―

最近、戦争が始まる “臭い” がする / あんた、戦争を知ってるか / 気をつけなよ / もうこりごりだからな。

〇筆者が、「愛国」や「愛国心」についていま改めて考えなければならないと思ったきっかけは、要介護高齢者(女性)の、痛みに耐えるようなこの“うめき声”である。そして、彼女はいつも、自分が生まれ育った「里」のことを心配している。
〇筆者の手もとに、将基面貴巳(しょうぎめん・たかし、ニュージーランド・オタゴ大学教授、政治思想史専攻)の処女作である『反「暴君」の思想史』(平凡社、2002年3月。以下[1])と、新刊本である『日本国民のための愛国の教科書』(百万年書房、2019年8月。以下[2])と『愛国の構造』(岩波書店、2019年7月。以下[3])の3冊がある。
〇[1]は、「現代日本は『暴政』への道を歩んでいるのではないか。そんな想念がこのごろしきりに脳裏をよぎる」(10ページ)という書き出しで始まる。「このごろ」とは、バブル崩壊(1991年3月~1993年10月)後10年余が経過し、小泉純一郎内閣(2001年4月~2006年9月)によって「規制緩和」や「構造改革」という名の新自由主義的政策が推進された時代であろう。
〇[1]は、「危機的様相を日ごとに深める祖国(日本)を念頭におきつつ、政治をいかに監視すべきか。不正な権力にはどのように抵抗すべきか」(232ページ)について真正面からとり上げたものである。そこにおいて、将基面は、「共通善」思想に立脚する「国民社会」の建設の必要性を説く。「共通善」(common good)とは、「社会や国家など政治共同体全体にとっての善のことを指し、ある特定の個人や集団にとっての善とは明確に区別されるものである」(10ページ)。その「共通善」の実現に国民は、直接的な責任を持たない。「それは権力担当者が引き受けるべき責務である」(35ページ)。「暴政」とは、「ある一部の権力者や権力がひいきにする特定の集団が利益を享受することを目的とする政治のことである」(10ページ)。
〇将基面はいう。「共通善思想が浸透した社会では、国民一人ひとりが、国民全体の理想と利益に対して責任を負っていることを自覚し、そうした共通の理想と利益を一人ひとりがおのおのの立場から不断に探求する。また、権力が不正を働いていることを知るならば、これを公の場ではっきりと批判し、たとえ一人であっても不正権力に立ち向かう個人がいれば、その人を『社会』」(特に社会の木鐸〈ぼくたく。指導者〉たるジャーナリズム)が援護する。権力に擦(す)り寄り、既得権益にしがみ付いてはなれようとしない者や、反社会的なビジネスを行う者や組織を公

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の場で批判し、たとえそうした行為が自らの目的にかない、自分の利益になるとしても、自らは手を出さないよう、自身をコントロールする」(232~233ページ)。このような倫理的感覚・態度をもつ人々が、日本という国家権力に対峙する存在としての「国民社会」を探求し創出することが、現代日本に求められる。将基面の主張のひとつである。
〇国家権力は、被治者を統制・強制する。「いざとなれば、自国民に対してさえ銃口を向け、私有財産を没収し、個人のあらゆる権利と自由を侵害しうる存在である」(39ページ)。国民はこのことを十分に認識し、国民社会の理想像の創出を権力担当者に一切任せてはならない。国民は、一人ひとりが「共通善」を不断に追求し、政治に対する関心を強め、権力を厳重に監視する。そして、正当性や妥当性を欠く場合には、権力に抵抗の意思を明示しなければならない。それは、「国民各自が自分の良心の問題として、悩み、決断すべき問題」(39ページ)であり、国民の倫理的義務である、と将基面はいう。
〇こうした将基面の言説は、「反時代的」(234ページ)なものであり、その底流に流れるのは以下に述べる「共和主義的パトリオティズム」の思想である。
〇[2]は、「日本人なら日本を愛するのは当然であり、自然である」という単純な社会通念に対して歴史的・哲学的に批判する、中学生でも理解できる平易な「教科書」である。内容的には、通俗的な「愛国心」や「愛国心教育」に関する言説への「解毒剤」(将基面)としての効能が期待される。別言すれば、日本の長所ばかりを見て欠点を見ようとしない「日本バカ」(65ページ)にならないための、日本の若者へのエールである。なお、[2]は[3]の「副産物」(将基面)でもある。
〇[2]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

批判的愛国者のすすめ
日本語の「愛国」「愛国心」は、英語で言うとパトリオティズム(patriotism)である。ナショナリズム(nationalism)も日本語では「愛国」と訳される。(33ページ)
現代の日本では、「愛国」「愛国心」=ナショナリズムという理解が一般的である。日本語の「愛国」は、「ナショナリズム的パトリオティズム」の意味で理解されている。しかし、ヨーロッパで「愛国」という場合、「共和主義的パトリオティズム」を指す。この考え方が世界的・歴史的には本来のものである。(44、51ページ)
ナショナリズムとは、自らのネイション(nation.国民、民族)の独自性にこだわり、それに忠実であることを求める思想である。(42ページ)
共和主義とは、市民の自治を通じて、市民にとっての共通善(特に自由や平等、そしてそうした価値の実現を保証する政治制度)を守ることを重視する思想である。(35ページ)
「ナショナリズム的パトリオティズム」は、自国を盲目的に溺愛し、自国の失敗や過ちの経験から学ぶことなく、ひたすら自国の歴史や文化を誇りに思う自画自賛

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(自国礼賛)である。(116、117ページ)
政治的・経済的に権力を持つ人たちは、批判の対象とならざるを得ない。なぜなら、権力を持たない人々にはできないことをその政治的・経済的権限で可能にできる人々は、大きな責任を背負っているからである。(120ページ)
本来の「愛国」「愛国心」とは、常に政治権力に対して批判的なまなざしを注ぎ、市民の自由や平等を守る「共和主義的パトリオティズム」である。権力に対して批判的な態度をとることが愛国的(patriotic)なのである。(123ページ)

「報道の中立性」という犯罪
報道機関の重要な役目は、強制力や影響力を持っている人たちを監視することである。
ところが、昨今ではマスメディアが「報道の中立性」という名目で権力批判をしないことが当たり前になっている。これほど甚(はなは)だしい勘違いはない。勘違いどころかほとんど犯罪的な過ちである。
報道機関は、権力を持たない人々を代弁するためにあるのである。事実を客観的に報道するだけではなく、権力を持つ人々の仕事内容を、権力を持たない人々の立場から批判するためにあるのである。それをして初めて、報道機関は仕事を立派に成し遂げたということができるのである。(121~122ページ)

〇「現代世界で静かに進行する変化の一つは、『愛国』が政治を語る言葉として復活していることである」([3]2ページ)。「愛国という問題が今日ますます徹底的な思考を要する課題として急浮上している」([3]322ページ)。そういうなかで、[3]は、欧米と日本の多様な現代パトリオティズム論を歴史的観点から批判的に検討し、その固有の性格をあぶり出し、その問題性の一端を明らかにする。約言すれば、愛国=パトリオティズムについての歴史的・哲学的な構造の解明が[3]の目的である(12ページ)。
〇[3]における言説のひとつの要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「愛のまなざし」と愛国
愛国的であることを「祖国への愛」と読み換えるならば、その「愛」は盲目なものであってはならず「愛のまなざし」という観点が重要である。自国に「愛のまなざし」を注ぐということは、「私の国」に対してあらゆる規範的な判断を停止することではない。誇るべ長所だけでなく、恥ずべき欠点も含めて正確に「私の国」を理解することが、「愛のまなざし」に含まれる。一方で、愛する自国に長所を見出すことを喜ぶが、他方で、様々な過失や過誤を見出して、そのことに悩み苦しみ、欠点を改めようと努力するのである。このような「愛のまなざし」に基礎づけられた

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愛国的態度であってはじめて、それは道徳的義務ではないにせよ、望ましいものでありうると結論づけられるであろう。(222ページ)
「愛のまなざし」(loving attention,loving gaze)において重要なのは、愛の対象を可能な限り明瞭に理解しようとする点である。「愛のまなざし」の下にある対象は、「あばたもえくぼ」ではなく、「あばた」は「あばた」として認識される。「愛のまなざし」は、まなざしの対象に、良いところを見ようと心がけつつも、長所も短所も同様に、正確に理解する。すなわち、そのまなざしが「愛」に発するために、対象に好意的に接するが、しかし、その対象を正確に理解するという意味で、対象を分析し評価することも怠らないのである。共和主義的パトリオティズムを胸に抱く市民は、祖国に対してこのような「愛のまなざし」を持っている。祖国への愛は盲目ではなく、むしろ「祖国を鋭く見つめることを要求する」のである。(170ページ)

愛国と排除の論理
愛国的であるということは、無条件に道徳的正当性を主張できるものではない。にもかかわらず、愛国的であることが国民としての当然の義務であるかのような主張を巷間(こうかん。世間)で目にすることも少なくない。愛国的であることが義務であるとする認識が広く共有されるならば、それはどのような帰結をもたらすのか。(222~223ページ)
自国のアイデンティティに基礎づけられた愛国は、極端な場合、排外的で外国人を忌み嫌ったり見下(みくだ)したりする態度に結びつきやすい。他方、自国民であっても、愛国的ではないと判定される人々は、愛国者たちによって公的な避難や攻撃にさらされることが少なくない。
愛国が熱狂化すればするほど、文化や人種、宗教的背景を共有する同一国民の間においてさえ、思想信条を異にする一部の人々を「非国民」「売国奴」であると排撃する傾向が増大することは広く認識されている。(226ページ)

国家の聖性と愛国
国家は、正統な義務を独占する「聖なる」存在である(国家は国民に様々なサービスを提供する組織、神社のように国民にとってありがたい・尊いもの、正当な暴力を独占・行使する存在である)。愛国的であることを義務として承認することは、国家という「聖なる」存在の忠実な信徒であることを意味する。
国家の聖性への信仰は、当然、国家を尊崇(そんすう)することを必要とし、国家のための犠牲を要求する。国家のために死ぬことを拒否するのは、国家の聖性を認める限り、極めて難しい。(282ページ)
現代という歴史的地点において愛国的であるということが道徳的義務であると主張しうるとすれば、それは国家の聖性を認める限りにおいてにすぎない。「国家の聖
性を認める限りにおいて」という限定条件は極めて重要である。(283ページ)

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現代において当然視されているが必ずしも自覚されていない国家信仰を掘り崩(くず)すには、政府(さらには国家)を批判する市民たちが、非国民や国賊などと罵(ののし)られても動じないことが必要である。現代日本の文脈では、「反日」などと非難罵倒(ひなんばとう)されても、これに対して、自分たちこそが愛国的なのだと応答すべきではない。なぜなら、そうした自己弁護は、すなわち「お前は反日だ」という非難を支える国家への崇拝感情を裏書きする(実証する)ことになるからである。(283~284ページ)

〇筆者の手もとには[1][2][3]のほかに、姜尚中(カン・サンジユン、東京大学名誉教授、政治学・政治思想史専攻)の『愛国の作法』(朝日新聞社、2006年10月。以下[4])や佐伯啓思(さえき・けいし、京都大学名誉教授、現代社会論・社会思想史専攻)の『日本の愛国心―序説的考察』(NTT出版、2008年3月。以下[5])がある。姜にあっては、愛国とは、自然な感情の発露としての妄信などではなく、「理にかなった信念」「自分自身の思考や感情の経験に基づいた確信」(54ページ)による行為である。愛郷は、自分が生まれ育った故郷への愛、情緒や感情によるものである。佐伯にあっては、「戦後日本の愛国心をめぐる感情は、(「あの戦争」によって)ある『負い目』を背負い、その『負い目』をめぐって展開している」(中公文庫版、2015年6月。255ページ)。そういった認識に立って「日本的精神の行方」を探求するなかで、「もうひとつの愛国心」(388ページ)を描き出そうとする。
〇将基面は、[4][5]について、「平成時代を代表する日本の愛国心論」である。しかし、いずれも「基本的には啓蒙書」であり、「愛国=パタリオティズムの包括的・体系的議論を必ずしも指向するものではない」([3]9ページ)と評している。
〇ここでは、[4][5]で言及している「愛郷と愛国」「愛国心と愛郷心」について、その一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換。見出しは筆者)。

姜尚中―「愛郷と愛国」、その微妙な共棲関係
「愛郷」と「愛国」の関係は、「微妙な共棲(きょうせい)関係」にある。
つまり、一方では、「愛郷」は、ナショナリズムという特定の歴史的段階において形成された一定の教義によって利用され、時として排斥される関係にある。
例えば、上からの「郷土教育」が説かれるのは、画一的な「愛国心」などを強制する場合に、空洞化した実感的な部分を補完する必要があるためである。『美しい国へ』の著者(安倍晋三)が「国を自然に愛する気持ちをもつ」ために、「郷土愛をはぐくむことが必要だ」と述べているのは、そうした「郷土教育」の効用を意識しているからであろう。つまり、「愛郷」は「愛国」に「自然な」感情の装いをほどこす補完的な役割を果たしていることになるのである。(154~155ページ)

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佐伯啓思―愛郷心は愛国心の換喩的表現
「愛郷心」とは「愛国心」のいわば換喩(かんゆ。比喩)的表現にすぎない。「郷」は「国」の象徴的な代理になっており、換喩的に「国」を表現している。この二つの概念を変換すれば「パトリオティズム」が二重性を帯びていることは別に不思議ではなかろう。「愛郷心」は結構だが「愛国心」は危険だ、という議論は説得力がない。
そして、「愛郷心」と「愛国心」が重なり合うという意味での「パトリオティズム」にある種の強い情緒が伴うのは、「郷」にせよ「国」にせよ、その何か大事なものが失われつつあるからではなかろうか。そこにはあの種の喪失感が付着するのではないだろうか。繰り返すが、ある国の歴史的な伝統や文化や風土がそのままそこにあり、それらに自明のものとして囲まれているとき、人は、わざわざ「愛郷心」や「愛国心」を感じる必要もないであろう。ほとんど無自覚にそれらに囲まれて生活しているだけである。それらが失われつつあるという喪失感に囚(とら)われたとき、もしくは、たとえば外地にあってそこにどうしようもない距離感をもったときにこそ、「愛郷心」や「愛国心」を感じるというべきなのであろう。(132~133ページ)
近代社会は、人々の流動性を高め、急激に都市化を行い、なつかしい風景を破壊していった。このことが近代の人々にパトリオティズムを抱(いだ)かせるのである。(133ページ)

〇もう2冊ある。市川昭午(いちかわ・しょうご、国立大学財務・経営センター名誉教授、教育行政学専攻)の『愛国心―国家・国民・教育をめぐって―』(学術出版会、2011年9月。以下[6])と鈴木邦男(すずき・くにお、政治活動家、50年以上も愛国運動をリードしてきた人物)の『〈愛国心〉に気をつけろ!』(岩波書店、2016年6月、以下[7])である。将基面は、[6]について、「戦後の愛国心論では『忠誠問題が無視されてきた』と指摘し、そこに戦後日本における愛国心論の一つの特徴を見ている」([3]121ページ)。[7]については、「72ページの小冊子(岩波ブックレット)ながら、充実した作品である。愛国心の旗印のもと現代日本で広がりつつある排外主義を的確に批判している」([2]193ページ)と評している。それぞれの一節を紹介しておくことにする。

愛国は究極的には殉国を求める
愛国心や愛国心教育の問題が敬遠されたり嫌われたりするのは、それが究極において国家に対する忠誠の問題となるからであろう。
国民国家は国民を保護し、その権利を保障する代わりに、国民に法律を守らせ、国民の自由を制約する。国家が国民の安全と国の独立を守るための共同防衛装置である以上、国民の側も国を大切に思うだけでは足りず、国防の義務に従うことが要求される。それは一旦緩急(かんきゅう。危急)ある場合には愛国だけでは不十分であり、究極的には殉国(じゅんこく。国のために命をなげだすこと)が求められる

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ということである。([6]87ページ)

〈愛国心〉を汚れた義務にしてはならない
「同じ日本人なんだから」「日本を愛する愛国心をもっているのだから」という視野の狭い仲間意識のもと、排他的な傾向が強まっている。政権を批判したり、日本の問題点などを指摘したりすると「反日!」とののしられる。「他国に学んで、日本のここを良くしよう」などと言っても、「お前は外国の肩をもつのか」と怒鳴られる。その結果、「日本はすばらしい」「日本人は最高」といった自画自賛の言葉が氾濫し、そしてその足下で排外主義が跋扈(ばっこ。強くわがままに振る舞うこと)しているのが現状ではないのか。([7]52ページ)

最近、“里” の夢をよく見る / 人っ子一人いない / おかしな空模様だ / なぜか、いつもそこで夢は終わる。

付記
本稿でとり上げた本の一覧である。
(1)将基面貴巳『反「暴君」の思想史』(平凡社新書)平凡社、2002年3月
(2)将基面貴巳『日本国民のための愛国の教科書』百万年書房、2019年8月
(3)将基面貴巳『愛国の構造』岩波書店、2019年7月
(4)姜尚中『愛国の作法』(朝日新書)朝日新聞社、2006年10月
(5)佐伯啓思『日本の愛国心―序説的考察』(中公文庫)中央公論新社、2015年6月
(6)市川昭午『愛国心―国家・国民・教育をめぐって―』学術出版会、2011年9月
(7)鈴木邦男『〈愛国心〉に気をつけろ!』(岩波ブックレット)岩波書店、2016年6月

 

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23/まちづくりの思想としての地域主義
        ―玉野井芳郎著『地域主義の思想』を読む―

地域というのは、人が生き、働き、思考する場であり、従って拡大し、重層する性質をもっている。地域主義というのは、その場から、その存続の可能性を信じながら、関連する全体を見通すことである。(古島敏雄。下記[4]カバー・前そで)
私たちが価値の基準を常に大都会や中央や外国において、私たち自身の生活や地域環境を軽視しつづけたこと、そのことを厳しく問い直すことがなければ、地域主義は育たないだろう。(河野健二。下記[4]カバー・後ろそで)

〇本稿は、玉野井芳郎(たまのい・よしろう、1918年~1985年)の「地域主義」論の抜き書きである。そのひとつのねらいは、それによって「まちづくりの思想としての地域主義」についての理解や思考が促され、真に豊かな地域社会を再生・創造する視点・視座や方向性、そのための枠組みなどを見出すことができれば、というところにある。
〇筆者の手もとにある玉野井の本は、(1)『地域分権の思想』(東洋経済新報社、1977年4月。以下[1])と(2)『エコノミーとエコロジー』(みすず書房、1978年3月。以下[2])、(3)『地域主義の思想』(農山漁村文化協会、1979年12月。以下[3])、それに清成忠男・中村尚司との共編著(4)『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試み―』(学陽書房、1978年3月。以下[4])、この4冊である。
〇周知の通り、玉野井は、経済学者であり、思想家、社会運動家であった。なによりも1970年代における「地域主義」「地域主義経済学」の提唱者・主唱者として著名である。1970年代は、高度経済成長(1955年~1973年)のひずみが露呈し、公害の続発や過疎・過密現象の激化をはじめ、自然環境の破壊や生活環境の悪化、住民の地域帰属意識の希薄化や連帯感の喪失などが進んだ時代であった。そんななかで地方分権や市民自治を重視する「地方の時代」や、自然・生態系や環境の保護を説くエコロジー思想などに基づく「住民運動」が注目された。
〇玉野井はいう。「現存の社会・経済システムに自然・生態系を導入することは、社会システムに〝地域主義〟(regionalism)を導入することにひとしいのである」([2]60ページ)。「60年代から70年代にかけて全国各地でまき起った激しい住民運動がなかったなら、地域主義の思想がこれほど広汎な社会的支持を得ることはなかったであろう」([3]18ページ)。「地域主義とは、<非政治的な市民文化の勃興>をこそ目指すべきものであって、そこには、市場経済的『市民社会』を突きぬけた地平(社会)に登場するであろう新たな『市民』(ビュルガー Bürger:ドイツ語)の再生が期待されている」([1]ⅲページ)。すなわち、玉野井の「地域主

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義」の背景には「エコロジー」や「住民運動」があり、新たな市民を再生する「社会変革」の方向が打ち出されていた。そして、玉野井の「地域主義の思想」は、「下から」の「内発的地域主義」によって、実践的に「地域共同体の構築」をめざしたのである。その理念的方向については、「地域的個性を背景としながら、独自の経済・伝統・文化の多様性を生かした地域分権的自治の自主的自発的確立」と要約される(杉野圀明「『地域主義』に対する批判(上)」『立命館経済学』第28巻第2号、立命館大学経済学会、1979年6月、22(190)ページ)。
〇本稿では、[3]を中心に、玉野井の「地域主義の思想」について個人的に留意したい議論や論点の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「地方分権」は「地域分権」、「地方の時代」は「諸地域の時代」を意味する
「中央」そのものが地方分権、いや正しくは地域分権の確立を中央集権的に達成するというのは、もともと論理的矛盾ではないだろうか。すなわち、国が権力とカネをもって地域分権を達成するという道筋には、ほんらい大きい限界が横たわっているものとみなければならない。しかもその道筋には、国からのカネとモノの画一的な大量投入にともなう地域の混乱と荒廃が、いつものことながら待ち受けているはずである。([3]14ページ)
各自治体は、地域住民の総意を体現して、「地方の時代」にふさわしい自主・自立の姿勢を国にたいして表明しなければならないように思われる。最近、「国と地方は上下の関係でなく、対等の立場でそれぞれの機能を生かした協力関係でなければならない」と適切に提言されている。(それは)「地方」といわれるものが、単数の「国」と同一平面上にある単数の「地方」ではなく、「国」とは次元を異にして、歴史と伝統を誇る複数的個性の諸地域――そこには人間の生き生きとした生活感情がある――からなっていることを是認することにほかならない。「地方の時代」とは、正しくは「諸地域の時代」を意味するのである。([3]14~15ページ)

「地域主義」は実践的に地域共同体を構築することをめざす
国が「上から」提唱し組織する「官製地域主義」と区別して、「内発的地域主義」の私なりの定義を掲げておこう。――それは、「地域に生きる生活者たちがその自然・歴史・風土を背景に、その地域社会または地域の共同体にたいして一体感をもち、経済的自立性をふまえて、みずからの政治的・行政的自律性と文化的独自性を追求することをいう。」
この定義をめぐって、まず経済的自立というのは、閉鎖的な経済自給を指しているのではなく、とりわけ土地と水と労働について地域単位での共同性と自立性をなるべく確保し、そのかぎりで市場の制御を企図しようとしている。次に政治と行政については「自律」という表現を用いているように、地域住民の自治が強調されている。最後に、地域に生きる人びとがその地域――自然、風土、歴史をふまえたトータルな人間活動の場――と「一体感」をもつという重要な思想が語られていること

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に注意してほしい。([3]19ページ)
地域主義はもはや論理的構築というよりも実践的・歴史的構築の対象といってよい。([2]60ページ、[3]181ページ)

「地域主義」は地域生活者による「生活づくり」を最大の課題とする
地域主義のエコロジー基礎は、当然のことながら大気系と水系と土壌生態系より構成される。だからその地域性は、同時に季節性を含むことになる。地域主義における〝地域〟とは、このようなに空間的地域と時間的季節性によって特徴づけられる人間の生活=生産の場所と考えなければならない。([3]10ページ)
「地域主義」はなによりもまず地域共同体の構築をめざすことを提唱する。この提唱にたいして、「地域主義」とはかつての農村共同体の復活をはかる封建的反動だなどと非難するなら、それは見当違いもはなはだしいといわなければならない。こんにち求められている町づくりや村づくりはこれまでのような「ものづくり」ではない。町や村に棲む人びとの「生活づくり」こそが最大の課題なのだ。地域共同体の構築という「地域主義」の課題は、「ものづくり」から「生活づくり」への転換という時代の展望を含意するものであることが知られなければならない。([4]9ページ上・下段)
人間生活の日常性にかかわる諸問題については、その決定の主体は、国や社会のレベルにおける抽象的個人ではなくて、諸地域のレベルに位置する地方自治体であり、正しくはそれを構成する地域住民=地域に生きる生活者でなければならない。([3]22ページ)

「諸地域の時代」とは諸自治体が「憲法」や憲章などを制定する時代のことである
地域に生きる人々の文化・生活権は国レベルの法律ではなくて、地方の各自治体においてこそ確立されるべきものである。地方の時代とは諸地域の時代のことであり、諸地域の時代とは諸自治体がそれぞれの本格的な「憲法」、憲章、または条例を制定する時代のことであるといってよいのではなかろうか。なるほどこれらは、いずれも法律の下位規範であるかもしれない。しかし、何が地域の生活者=住民にとって真に共通の利益となるべきものであるかを自分自身の手で書くということは、法律にまさるとも劣ることのない「よきしきたり」をうちたてることを意味する。これが自治体の自己革新でなくて何であろう。([3]38~39ページ)

「地域主義」がめざす地域共同体は市町村レベルにおける「開かれた共同体」である
私たちの生活の小宇宙は、中央からの権力や金(かね)の支配から独立した、なによりも自立的な共同体でなければならない。これが第一の眼目と思われるが、それにとどまるものではない。第二には、この共同体は外にたいして開かれたものでなければならない。行政単位の面からすると、「わたしのまち」「わたしのむら」を代表する市町村は、都道府県の自治体レベルにたいして、「下から上へ」の情報の

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流れを根幹とする開かれた行政システムの基礎単位となるべきものであろう。([3]124ページ)
地域主義がめざす地域共同体は開かれた共同体でなければならない。開かれたという意味は、上からの決定をうけいれるというより、下から上への情報の流れをつくりだしてゆく。そればかりか地域と地域との横の流れを広くつくりだしてゆくことをも意味する。([4]9ページ下段)
それは、「中央」を否定して無政府の混乱した体制をつくりだすというのではない。それは「中央」を、個性的諸地域の自立にもとづく地域分権に照応する、あるべき「中央」へと復位させるものといってよい。([3]17ページ)

「内発的地域主義」は「行政への住民参加」ではなく「住民への行政参加」をめざす
地域主義とは、金(かね)や政治権力の優位するMacht(権力:ドイツ語)の世界から、あらためて真のRecht(法と正義:ドイツ語)の世界を復位させてゆく努力を開始しなければならない時代と考えられる。([1]ⅲページ、[3]118~119ページ)
地域主義とは、単なる地方主義の域をこえて、内発的地域主義であるということを確認しなければならない。となると、自治体行政と住民との関係も、まさしく主客を転倒させなければならない。行政への住民参加ではなく、住民への行政参加ということとなり、ここに自立的主体による内発的地域主義の主張があらわれる。([3]119ページ)

〇地方分権改革は、1993年6月に衆参両院で「地方分権の推進に関する決議」がなされたことから始まる(それを起点とする)。1999年7月にはいわゆる「地方分権一括法」(2000年4月施行)が成立し、国と地方の関係が上下・主従の関係から対等・協力の関係に変わり、機関委任事務制度が廃止され、国の関与の新しいルール化が図られた。2021年3月、「第11次地方分権一括法案」が閣議決定されている。
〇「自治基本条例」が全国で最初に施行されたのは、2001年4月、北海道ニセコ町の「ニセコまちづくり基本条例」である。自治基本条例は、他の条例や施策の指針となる、自治体の自治(まちづくり)の方針と基本的なルールを定める条例であり、「自治体の憲法」と言われる。2021年4月現在、全国397自治体(全国1718市町村)で制定されている。
〇玉野井の「地域主義」は、一面では、これらの動きを生み出すものでもあった。しかし、「地域主義」は、1970年代を中心にひとつのブームを巻き起こしたが、その後はいわれるほどの進展はみせなかった。その原因は奈辺にあるのか。その点をめぐって例えば、①自然環境や生態系と人間との関係性(破壊と脅威)や、巨大な独占資本による経済とそれに支配される地域経済(第一次産業や地方小工業など)との関連性(競争と収奪)などについての実証的分析なしに、規範的議論や主張(べき論)がなされている。②市場経済や政治・官僚・産業機構(癒着体制)がもたらす現実の地域社会の構造的矛盾について、科学的分析が不十分なまま、抽象的

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な議論にとどまっている。③「地方分権」(「地域分権」)という政治や行政に関わる議論でありながら、現実の政治・権力構造や政治・行政過程の分析を欠いている。④地域共同体が消滅しているなかで、また現実の中央集権的な行政システムのなかで、如何にして「地域主義」の実現を図るかという方法論が不明確である。⑤「まちづくり」の方向と展望は、その地域に自分を同一化する「定住市民」を必要とするが、その能動性や主体性を如何に育成・形成するかという論理が欠落している、などと評されることによるのであろう。これらを総じて別言すれば、地域・住民が地域の実態を踏まえて主体的・自律的に統治権を行使する(国の地方への関与を縮小するという「地方分権」と対峙する)「地域主権」(regional sovereignty)の「社会変革」の課題や方法、展望が見いだせない、ということであろう。
〇玉野井の「地域主義」に共感するところは多い。「地域主義」は、公害反対運動や生活環境を守る住民運動、それに「まちづくり」の実践・研究などに大きな示唆を与えた。しかし、それが規範的であるがゆえに、理論構築については厳しい評価を受けた(受けている)ことも確かである。(筆者による)以上の諸点はその一部であり、相互に関連し重なり合っているが、「まちづくりと市民福祉教育」に関する課題に通底するものでもある。そしてそれは、新たな「社会像」としての「コミュニズム」(共同体主義)や「地域主権社会(国家)」とそのための「市民」の育成・確保のあり方を問うことになる。あえて付記しておきたい。

 

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24/「地域学」と「地域協働教育」
        ―山下祐介著『地域学入門』を基に―

〇筆者の手もとに、山下祐介(やました・ゆうすけ、社会学専攻)の『地域学入門』(ちくま新書、2021年9月。以下[1])と『地域学をはじめよう』(岩波ジュニア新書、2020年12月。以下[2])という本がある。山下というと、『限界集落の真実―過疎の村は消えるか?』 (ちくま新書、2012年1月)や『地方消滅の罠―「増田レポート」と人口減少社会の正体』(ちくま新書、2014年12月)を思い出す。
〇人口の高齢化によって「限界集落」はいずれ消滅する(注①)、とその危機が声高に叫ばれるようになったのは2007年頃からである。そして、2014年5月、民間の政策提言組織である日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が、減少する若年女性人口の予測から、「2040年までに全国約1800の自治体のうち、そのほぼ半数の896の自治体が消滅する可能性がある」と発表した。いわゆる「増田レポート」である。とりわけ「消滅可能性都市」という言葉は衝撃的であり、大きな波紋を呼んだ。「消滅する」と名指しされた市町村やそこで暮らす人々の不安や恐怖、そして怒りは相当なものであった。
〇そうしたなかで山下は、「高齢化によって消滅した集落」はなく、「限界集落」問題はいわば「つくられた」ものである。増田レポートが説く「極点社会」(大都市圏に人々が凝集し、高密度のなかで生活している社会)におけるひとつの道筋である「選択と集中」は、国家の繁栄のために地方(地域)や農家の切り捨てに帰結する。地方消滅の“警鐘”にこそ地方消滅の“罠”がある、としてそのレポートの「うそ」を暴いた。以後、山下は、生身の人間の暮らしや個々の地域の歴史や現在の実像を明らかにし、そこからの学びの作業を通して「(山下)地域学」を描いてきた。[1] はその集大成である。
〇山下にあっては、地域は人間の生存の基盤であり、「足もとの地域を知ることが、自分を知ることにつながる」。自分の足下にある地域について学ぶこと、それが「地域学」である([1]11ページ)。そこで山下は、地域の実像を、「生命」「社会」「歴史と文化」の3つの切り口(側面)から捉える。「生命」では、環境社会学の視点(視座)から、地域を、一定の環境のなかで育まれる生命の営み(生態)として切り出す。「社会」では、農村社会学や都市社会学、家族社会学の視点から、地域を、そこで展開される人々の集団の営みとして描き出す。「歴史と文化」では、歴史社会学や文化社会学などの視点から、地域を、連綿と続く歴史と文化の蓄積の営みのなかに見出す([1]11ページ)。
〇そして、日本社会はいま、人々の暮らしや地域が「近代化」(「西欧化」)や「グローバル化」によって大きく変容し、「地域の殻が内側からも、外側からも、崩壊する間際にある」([1]300ページ)。そうした「地域を見直し、新たな国家とのハイブリッドとして再生させる」ための「認識運動」([1]301ページ)として山下

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は、「地域学」を構想する。それは、「地域の殻が破られはじめている」流れに抗(あらが)い、新しい未来を拓(ひら)く「抵抗としての地域学」([1]302ページ)であり、「生きる場の哲学」([1]308ページ)そのものである。
〇[2]は、「中高生、大学初級者向けのもので、『地域学入門』のさらなる導入編」([1]22ページ)である。そこでは、「どの地域にも固有の歴史や文化があり、人々の営みがある。それらを知っていくことで、地域の豊かさ、そして自分や自分が生きる社会、そして未来が見えてくる」(カバー紹介文)として、地域学の魅力を伝える。
〇「地域学」の類似用語に「地元学」がある。地元学を提唱する2人の言説を紹介しておきたい。まずは地元学を代表するひとりである結城登美雄(ゆうき・とみお、民俗研究家)のそれである。結城は、「いたずらに格差を嘆き、都市にくらべて『ないものねだり』の愚痴をこぼすより、この土地を楽しく生きるための『あるもの探し』。それを私はひそかに『地元学』と呼んでいる。(中略)『地元学』は都市やグローバリズムへの否定の学ではない。自然とともに生きるローカルな暮らしの肯定の学でありたい」(結城登美雄『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』農山漁村文化協会、2009年11月、2ページ)と説く。結城にあっては、地元学は、「理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学」(14ページ)であり、その土地の人びとの声に耳を傾け、そこを生きる人びとの暮らし方や地域のありようを学ぶものである。「美しい村などはじめからあったわけではない。美しく生きようとする村人がいて、村は美しくなるのである」(柳田邦国男)。(下記[3]28ページ)
〇また、地元学のもうひとりの第一人者である吉本哲郎(よしもと・てつろう、地元学ネットワーク主宰)は、「地域のもつ人と自然の力、文化や産業の力に気づき、(それを)引き出していく手法が地域学である」(カバー紹介文)。「自分たちであるもの(モノ、コト、ヒト)を調べ、考え、あるものを新しく組み合わせる力を身につけて(人、地域の自然、経済の3つの)元気をつくることが地元学の目的である」(17、22、38ページ)という。吉本にあっては、暮らしを「つくることを楽しむ」ことが大事であり(32ページ)、地域やまちの衰退は「つくる力」の衰退に起因するものである。その「つくる力」の衰退は、「考える力」の衰退であり、「調べる力」の衰退である(22、23ページ)。
〇ここで、[1] から、山下の「地域学」に関する論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「地域」は、固定化された空間ではなく、「私」の立場やものの見方・考え方によって認識される
「地域」はそもそも、誰かが世界の一部を切り取ることによって浮かび上がってくるものである。/何かを切り取らないと地域は出てこない(地域は境界性をもつ)。そして、その「切り取り方」にも色んなやり方があって、それは文脈にもよ

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れば、時代によっても違う(地域は文化性・歴史性をもつ)。/そもそも世界のすべてはつながっている。どこかで切れ切れになっていて、「地域」がきれいに分かれているなどということはない。すべてはつながっているのだが、そのつながっているもののなかから、何らかの固まりを切り出してきたときに「地域」は立ち現れる。しかもそれが、全体の一部でありながら決して断片ではなく、それのみでなお一つの全体でありうるもの、それが地域である(地域は統一性・総合性をもつ)。(13ページ)/「地域」は、互いにつながりあっている世界の中から、何らかの固まりを見つけ、切り出してくる者がいるから「地域」になるのである。地域はだから、その「切り出してくる者」の立場やものの見方によって変わる。その者の見方がしっかりしていれば地域はしっかり示される。逆にその者の見方がぼんやりとしていれば、地域はぼんやりとしか見えないことになる。(13~14ページ)

「地域」という存在を欠き、国家と個人しかない認識は、危うい認識であり生き方である
いまや国民の多くは、空間的にも時間的にも、また暮らしにおいても仕事においても地域から切り離されて存立しており、地域を見出すどころか、地域とできるだけ無縁なまま暮らしている。/多くの人にとっては、日常の中に「地域」を認識しづらい状況にあり、宙ぶらりんな社会の中で、個人が国家やグローバル市場にだけ向き合って暮らしているかのような錯覚が、むしろ一般的な認識となってしまった。/実にちっぽけな一人一人の人間が、実に大きな装置の中で生きるようになっている。暮らしを成り立たせている環境が、広く際限のないものになっている。/こうした装置(や環境)を実際に保持し、また動かしているのは地域である。それは具体的には地方自治体であり、様々な事業体の集積であり、地域社会(村や町内社会)の形をとる。国はただ、これらが作動する条件を整えるのにすぎない。(286ページ)/いまを生きる私たちは、こうした地域のありようを想像力を働かせて再認識せれば、いったい自分がどんな基盤の上にいるのか、まったく気付かないような環境の中に暮らしている。それどころか、一部の人々の視野にはすでに地域は存在せず、国家と個人しかない認識さえ確立されているようだ。だがそれは、すべてを国家に委ね、依存するしかないという危うい認識である。自分がどのように生きているのかもわからぬままただ生きているとすれば、これほど危うい生き方はない。私たちは地域を知るきっかけを取り戻さなくてはならない。(286~287ページ)

専制主義国家であり、民主主義国家でない日本社会を変革するのは、「地域主義」(地域ナショナリズム)である
弱者批判や地方切り捨て、国家の高度武装化、トップの専横の容認や全体主義の礼賛といった言説が、政治学者でも政治家でもないふつうの人々の間で展開されている。そこではどうも、この国の挙国一致体制をさらに進めてより完全なものとし、海外との経済競争に打ち勝つべくしっかりとした体制を整えよという主張さえ広が

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っているようだ。/国家というものは、具体的には下から、国民や地域の現実の力によってはじめて作られていくものである。排除や分裂を伴う(自分の内部にあるものを否定し、その一部を排斥する)国家は危うい。(295ページ)/個人主義の中から立ち現れるナショナリズム(nationalism、国家主義)に対して、むしろ個人主義をさらに強く推し進めることで国家そのものを否定していこうという、コスモポリタニズム(cosmopolitanism、世界市民主義)の立場も表明されている。この超個人主義=脱国家主義的なコスモポリタニズムははたして、ナショナリズムを解消し、国家のない世の中をつくる適切な道筋になるのだろうか。(296ページ)/敵国と自国との差異だけを強調し、個人と国家の関係のみを際立たせる国民国家ナショナリズムの思考法には根本的な欠陥が潜んでいる。他方でそれをコスモポリタニズムによって解消しようとしても、それで問題が解決するものでもない。国家ナショナリズムにも、コスモポリタニズムにも、どちらにも大切なものが欠けている。(297ページ)/それは地域である。危険な一国ナショナリズムに対抗できるのは、コスモポリタニズムではなく、その内部に確立される地域主義―地域ナショナリズム―である。(297~298ページ)

地域の人材を育てること、「地域教育」は学校の持つ大切な役割である
学校はそもそも地域のためのものではなく、国家のために必要な人材をつくる機関として設立された。そしていま国家が必要としているのは、この国が苛烈な国際競争を勝ち抜くのに必要な経済力・生産力を実現する人材である。学校教育は、地域教育などのためではない。この国の国際競争力を、人材育成という場から高めるために、一丸となって敵(海外の企業群)に立ち向かうためである。子供たちには、地域の人間であるよりは国家人として、さらには国際人・コスモポリタン(世界主義者)として育つことが強く求められている。(287~288ページ)/学校は外向きにだけではなく内向きに、すなわち国内の運営バランスを実現するために、子供たちを適切に教育して各所に配置する装置でなければならない。そのためにも、一人一人が自分の人生の調整を自ら適切に実現できるよう、人としての成熟をうながすものであるべきだ。私たちの暮らしはいまも地域と国家の両方でできている。地域の人材を育てることは、学校の持つ大切な役割である。だが、現実には近年、国家だけが尊重され、地域が極度に軽視されてきた。(288ページ)/学校が今後とも地域を継承する人材を育てる場であるのか、それとも地域と子供たちのつながりを断ち、国家や国際社会対応の人材供給の場になるのか、私たちはその分岐点にいる。(249ページ)

〇山下にあっては、「地域学」は抽象的な言語や普遍的な理論を学ぶものではなく、具体的な時空にいる「私」を地域のうちに“生きているもの”として浮かび上がらせ、見定めていく、そんな学びの作業である([1]16ページ)。また、私たちの暮らしや、身近な地域と国家と世界が大きく変容するなかで、その変化に対応するた

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めの最低限の認識法が「地域学」である([1]309ページ)。その認識の視点や言説のひとつが、上記のメモである。
〇筆者の手もとにもう一冊、柳原邦光(やなぎはら・くにみつ、フランス近代史専攻)ほか編著の『地域学入門―<つながり>をとりもどす』(ミネルヴァ書房、2011年4月。以下[3])という本がある。[3]は、「地域を考える」「地域をとらえる」「地域をとりもどす」という3部構成から成っている。柳原によるとそれは、「地域」をめぐる今日の困難や課題の現状を打開するための「希望の学」として「地域学」を構想するものである。すなわち、「地域学」は、地域課題をたちどころに解決するための処方箋を提示するものではなく、「現代の諸課題の根底にある問題性を探り出し、そこから諸課題をとらえ直して、未来を考えようとする」ものである([3]2ページ)。
〇いずれにしろ、「地域学」は、日本学術会議(地域学研究専門委員会)が2000年6月に報告した「地域学の推進の必要性についての提言」(注②)などにあるように、その研究や実践の必要性は認識されていよう。しかし、その理論化や体系化はまだ緒についたばかりであろうか。筆者としては、とりわけ「実践の学」としての「地域学」に注目したい。それは、「市民福祉教育(学)」と同様に、すでに地域で展開されているさまざまな実践や、そこから生まれる新たな知見に多くを学びたいからである。
〇ところで、「地域学」の必要性は、大学に設置されている学部名からも知ることができる。大学で「地域」を最も早く学部名に取り入れたのは1996年10月に設置された、岐阜大学の「地域科学部」(1997年度開設)である。その後、鳥取大学の「教育地域科学部」(1999年度開設。2004年度「地域学部」に改組)、金沢大学の「人間社会学域・地域創造学類」(2008年度開設)などが設置され、2015年度には高知大学に「地域協働学部」が開設されている。以後、国公立大学や私立大学でいわゆる「地域系学部・学科」の新設が続き、「地域学」が大学教育の場に普及する。
〇高知大学地域協働学部の目的は、「地域力を学生の学びと成長に活かし、学生力を地域の再生と発展に活かす教育研究を推進することで、『地域活性化の中核的拠点』としての役割を果たす」ことにある。そこでは、「地域協働教育」を通じて、地域資源を活かした6次産業化を推進してニュービジネスを創造できる「6次産業化人」や、「産業、行政、生活・文化の各分野における地域協働リーダー」の育成が図られている(高知大学地域協働学部ホームページ)。
〇高知大学地域協働学部では、「地域志向教育」あるいは「地域協働教育」を通して、「地域協働マネジメント力」の育成をめざしている。「地域協働マネジメント力」は3つの能力によって構成される。(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」がそれである。(1)「地域理解力」は「地域の産業及び生活・文化に関する専門知識を活用して、多様な地域の特性を理解し、資源を発見できる力」と定義される。その能力を構成するのは、「状況把握力」「共感力」「情報収集・分析力」「関係性理解力」「論理的思考力」である。(2)「企画立案力」は「課題を発

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見・分析し、解決するための方策を立案し、その成果を客観的に評価する能力」と定義される。その能力を構成するのは、「地域課題探究力」「発想力」「商品開発力」「事業開発力」「事業計画力」「事業評価改善力」である。(3)「協働実践力」は「多様な人や組織を巻き込み、互いの価値観を尊重しながら、参加者や社会にとっての新しい価値を生み出す活動をリードする力」と定義される。その能力を構成するのは、「コミュニケーション力」「行動持続力」「リーダーシップ」「学習プロセス構築力」「ファシリテーション能力」である(注③)。これらの諸能力やその見方・考え方については、「まちづくりと市民福祉教育」に関するそれに通底するものでもあり、参考になろう。留意したい。
〇なお、高知大学地域協働学部がいう「地域志向教育」とは、「地域課題の解決や地域の再生、発展を目的とした教育」(下記注③、25ページ)である。[3]で取り上げられている「地域協働教育」は、「大学が教育面で地域に協力を仰ぐ地域連携教育から地域との関係を一歩進め、大学が地域と協働で学生の教育と学生参加の地域づくり活動を行うもの」。「生活に根ざして学問的知識や方法論を駆使することを会得した地域づくりの人材を大学と地域が一緒に養成していく」教育をいう(藤井正「地域に向き合う大学」[3]292、293ページ)。付記しておく。


① 周知の通り、「限界集落」という用語は、高知大学人文学部教授であった大野晃(おおの・あきら、社会学専攻)が1980年代後半から提唱してきた概念である。大野にあっては、「限界集落」は「65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え,冠婚葬祭をはじめ田役,道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落」をいう(大野晃『限界集落と地域再生』静岡新聞社、2008年11月、1ページ)。その点をめぐって山下は、「限界集落」問題はいわば「つくられた問題」としての色彩が強かったとして、次のように述べている。「『限界集落』の語をつくって注意喚起しようとした提唱者の意図に反し、その後の議論は、集落消滅を避けられない既定路線であるかのように取り扱っていった」。「『地方消滅』や『自治体消滅』は起きない」(山下祐介『地方消滅の罠』290~291ページ)。
② 日本学術会議の「提言」では、「地域学は、もっとも広義の『地域にかかわる研究』を指すものである。 現地研究(フィールド科学)に根ざして人文科学・社会科学・自然科学を統合的、俯瞰的に再編成しようとする学問的営為を、地域学と呼ぶ」。また、「提言」では、現地研究に根ざした基礎研究としての「地域学」の展開が必要とされている理由について、次の2点を指摘している。

1)わが国は明治以来、世界諸地域を相手どってそのおのおのを総合的にとらえようとする基礎研究としての地域学構築の地道な努力を十分にしないまま、いわば学

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理・学説としてのディシプリン(学術専門分野:阪野)だけを欧米から輸入してきた。そのために、わが国の学術専門分野は、とかく欧米の理論を追いかけるものとなってしまった面があることは否定できない。あらためて今日、もっとも基礎的な現地研究に立ち戻り、現地研究に立脚した学問を創り出す努力が必要になってきている。現地研究という「地を這う」ような地道な作業を経ないかぎり、しっかりした骨格をそなえる学問体系の構築は望めない。
2)従来の専門分化したディシプリンにしがみついているだけでは、あるいはまた、そのいくつかを寄せ集めてみる程度では、現在の世界の趨勢を的確に把握することができないばかりか、目前に危機的に発生している問題に対処し、それを解決することがむずかしくなっている。地球環境・生態系の破壊をいかにくい止めるか、世界的規模で公正をいかに実現するか、そして持続可能性・世代継承性に裏付けられた発展の道筋をいかに発見するか、など、人類的課題がつよく自覚されるなかで、水、食料、健康、人口、エネルギー、ライフスタイル、経済システム、価値観、教育、情報秩序、参加とパートナーシップ、民主主義、その他ありとあらゆる問題への取り組みが、何をとってみても、知識の統合を要求するとともに、これを具体的な場所に根ざした地域学として実現することを必須のものとしている。

③ 湊邦夫・玉里恵美子・辻田宏・中澤純治「地域協働教育への学生の意識~地域協働学部第1期生調査の結果から~」『高知大学教育研究論集』第20巻、2016年3月、25~33ページ。本稿では、高知大学地域協働学部第1期生(67名)を対象に、2015年4月に実施した調査の結果を事例として、「地域志向教育」を行う学部を選択した学生の学部教育に対する意識と将来像 について検討している。

補遺
高知大学地域協働学部第1期生調査にみる「地域協働マネジメント力」の(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」の各構成能力について理解するために、各調査項目の質問文を紹介しておくことにする。その回答の選択肢は、「あてはまる」「どちらかといえばあてはまる」「どちらかといえばあてはまらない」「あてはまらない」の4つである。
(1)「地域理解力」
「状況把握力」
・身の回りの現状を客観的に理解して説明する方である
「共感力」
・人の話に興味を持ち、積極的に聴こうとする方である
「情報収集・分析力」

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・起こった出来事や課題について理解するために、必要な情報を集めて整理しようとする方である
「関係性理解力」
・さまざまな出来事のつながりを理解しようとする方である
「論理的思考力」
・問題が起きたときに、すぐに結論を出すよりも、なぜそれが起きたのかを筋道を立てて考える方である
(2)「企画立案力」
「地域課題探究力」
・身近な地域の課題を発見し、その課題に取り組むことができる
「発想力」
・課題に対して取り組むための新しい方法を考えるのが好きである
「商品開発力」
・特産品を使って商品化することに関心がある
「事業開発力」
・自分でアイディアを思いつき、そのアイディアに基づいてイベントや事業を始めることに関心がある
「事業計画力」
・課題を解決するために必要な行動をリストアップして、その順序を決めることに関心がある
「事業評価改善力」
・自分の行動を振り返り、良い点と悪い点を見つけ出して次の行動に生かすことができる
(3)「協働実践力」
「コミュニケーション力」
・人の話を最後まで聞いてから、自分の話を始めることができる
・相手が自分の話を理解できるように話すことができる
「行動持続力」
・自分で決めたことは最後までやり通す
「リーダーシップ」
・グループにとって必要なことを自ら進んで実行することができる
・自分が提案した計画や企画を、他の人々に参加してもらいながら実現することができる
「学習プロセス構築力」
・授業時間以外にも、自分で計画を立てて学習することができる
「ファシリテーション能力」
・考えが違う相手と話し合いながら合意点を探ることができる

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25/「縮減社会」と「縮充社会」
        ―小滝敏之と山崎亮を読む―

 〇筆者の手もとに2冊の本がある。小滝敏之(おたき・としゆき)の『縮減社会の地域自治・生活者自治―その時代背景と改革理念―』(第一法規、2016年4月。以下[1])と山崎亮(やまざき・りょう)の『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』(PHP研究所、2016年11月。以下[2])である。小滝(千葉経済大学、元官僚)は、「縮減社会」の「地域自治・生活者自治」について、その背景や理念・方策などを幅広い視点で捉え、広範な学問分野の言説を多く引用しながら、歴史的、理論的かつ実証的に論述する。山崎(東北芸術工科大学、コミュニティデザイナー)は、「縮充する社会」をつくるためには、人々の主体的な「参加」が必要不可欠であるとして、「まちづくり」などの8つの分野における「参加」の潮流を、各分野を牽引するリーダーとの対話を通して纏めあげる。「縮充」とは、「人口や税収が縮小しながらも地域の営みや住民の生活が充実したものになっていく」([2]17~18ページ)ことをいう。
〇以下に、2冊の本から、筆者なりに注目しておきたい論点や言説のいくつかを紹介(引用、抜き書き)することにする。

[1] 小滝敏之/「縮減社会」における「地域自治・生活者自治」
生きた人間(実存的人間)の生活世界を考えていくにあたっては、一元論(monism)はもとより、白か黒かというような二元論では割り切れない点が多々あることを銘記しなければならない。二元論的把握を回避しようとするならば、「他律」対「自律」、「統治」対「自治」、「競争」対「協力」というごとき対立図式から、一方的に「自律」や「自治」の優位性を説くのみでは不十分である。最終的には、「他律(ヘテロノミー)」と「自律(オートノミー)」の両立・共存を目指し得る「相互律(アレロノミー)」の観点が必要となってくる。(ⅵ~ⅶページ)/「相互律」は「理屈の上では矛盾しているものが、矛盾し反撥しながらも、互いに他の存在を否定せず、これを承認し合っている」ような状態を指す言葉で、これこそが「実在の論理」である。(54ページ)

「人口減少社会」や「縮小社会」を論じるにあたっては、社会実体の量的側面のみならず質的側面についても目を向けなければならない。/最も危惧すべき質的縮減の側面は、「家族機能の縮減」であり、「地域における共助機能の縮減」であり、「社会的連帯の縮減(低下)」であり、「コミュニティ意識の縮減(薄弱化)」である。(24ページ)

「縮減社会」において設定されるべき「共通価値」(common values:社会の成員により共有される価値規範)は、「ローカリゼーション(地域社会化)」、「共助社

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会(共に助け合う社会)」、そして「実存的な生活世界におけるコンヴィヴィアリティ(共歓共生:共に歓びをもって生きること)」である。(62ページ)/今後は、「競争原理」とは対極的な「協力原理」に基づく社会システムを再生し強化していかなければならない。その方策の重要な柱が「社会関係資本」すなわち「ソーシャル・キャピタル(social capital)」の形成であり、「市民的共同体」すなわち「シヴィック・コミュニティ(civic community)」の結束強化である。(68ページ)

生活者住民が「共通価値」を実現していく上で必要なのは「生活者自治」である。「生活者自治」とは自治体主体の「地方自治」ではない。行政学的・行政法学的な既成概念としての「住民自治」とも異なり、実存的生活世界を基盤とする生活者住民の固有の自治権に基づく社会的・政治的・経済的営為を指す。人が人を動かすという意味での政治(自治)の主役、自分たちの地域をどうしていくのか、どう変えていくのかを決める主役は、政治家や行政官などではなく、地域社会の生活者住民にほかならない。(125ページ)/都市部であれ農村部であれ、地域で暮らす生活者住民(小さき民)の「内発性と自治」こそが、自らの基盤である地域社会(コミュニティ)を守り育てていく根幹である。(133ページ)

「地方政府とは地域住民である」。それは、地域住民が地方政府の主役であることを意味している。自治体の首長・職員や議員が主役のままで、住民・市民がたまに参加を求められるごとき受動的な「市民参加(citizen participation)」などではなく、住民・市民が自律的に主導する「市民参画(citizen engagement)」が求められている。/「市民参画(シティズン・エンゲイジメント)」というのは、「人びとが、一連の関心と機構とネットワークをもって、討議(deliberation)と共働行動(collective action)のために一緒に参加し、市民的一体性(civic identity)を育成し、統治過程(governance process)に人びとを巻き込むこと」を意味している。(143ページ)

実存的生活世界という場に生きる生活者、すなわち地域社会・近隣社会に生きる住民こそが、「自治生活」の主体として近代システムに振り回されることなく、人間社会に本源的な協同(協働)・連帯・共助の精神を取り戻し、真の自治と新たな生を切り拓いてゆくことができるのである。私たちは、生活する足元の地域社会や共同体に改めて目を向け、連帯・共助の精神を再生・創造していかなければならない。(181ページ)/国(中央政府)であれ自治体(地方政府)であれ「政府」の権限や責務以上に留意しなければならないのは住民自身の責務であり、生活者住民の主体的努力と自治意識である。(188ページ)

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[2] 山崎亮/「参加」が創り出す「縮充する社会」
人口が減り、少子化と高齢化によって活気を失ったまちが再び元気になるためには、そのまちに暮らす人たちの「参加」が不可欠になる。「参加なくして未来なし」である。(14~15ページ)/「楽しさ」は、参加型社会の重要なキーワードになる。「正しい」だけでは仲間は増えない。どんなに立派な取り組みでも、つまらなければ長続きはしない。活動することに、「楽しさ」を見出せてこそ、参加は市民にとって社会を変革する有効な方法となり得る。その意味で、「楽しさなくして参加なし」である。(36ページ)/「楽しさなくして参加なし」「参加なくして未来なし」を縮めて言えば、「楽しさなくして未来なし」ということになる。つまり、「楽しさ」と「未来」とを結びつけるしくみが「参加」だということになる。(19ページ)

地域をよくするための関わり方には、「物理的介入」と「心理的介入」の2つのアプローチがある。(59ページ)/ハンナ・アレント(1906年10月~1975年12月、ドイツ出身の哲学者:阪野)は、人間の生産的な行為を「労働」「仕事」「活動」の3つに分類した。お金のためではなく、モノを残すためでもなく、自ら主体的にやりたいと感じ、そこに他者が何らかの価値を見出せる行為を「活動」と位置づけた。そして、「活動」に重きが置かれてこそ、豊かな社会はつくられるとアレントは論じている。(61ページ)/「活動」する人たち、もしくは「活動」する意識を持った人たちが「市民」になる。地域をよくするための「心理的介入」(ワークショップなどで住民の生活を意識から変えていこうとする活動)は、「住民」(「一般の人」)を「市民」に変えていく活動をいう。(61~62ページ)/コミュニティデザイナーの仕事は、「住民」の意識が「市民」へと変わるように支援することである。したがって、住民の主体的な変化を促すために介入するのが役目になる。(64ページ)

「参加」には発展性がある。参加することの楽しさを知れば、「参画」する意欲が生まれる。他者がつくった計画に加わることは「参加」だが、計画の策定段階に自ら加わることは「参画」になる。「参画」の動きが活発な分野では、もっと高次元の現象が起こり得る。それが「協働」(コラボレーション)という活動である。(68ページ。図1:67ページ)

行政への住民参加(住民活動の原動力)には、「住民がやりたいこと」「住民ができること」「行政が求めていること」の3つがある。この3つ輪が重なるところに、縮充の時代に求められる「参加」「参画」「協働」のヒントがある。(146ページ。図2:145ページ)/この3つの輪を「自分がやりたいこと」「自分にできること」「社会が求めていること」と書き換えれば、人生を傾けて取り組める活動を探り当てることができるかもしれない。(426ページ)

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日本の戦後の社会福祉に欠けていたのは、「わたしたち」にとっての「教育」だった。課題というのは“当事者”の参加なしには解決できない。法律を整えたり、施設をつくったり、お金を与えたりしても、当事者である「わたしたち」に課題を解決する意欲がなければ、社会が豊かになることはない。言い換えれば、当事者が学ぶことによって課題解決の道は開かれる。/これからの地域福祉に必要な知恵を、「わたしたち」は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。(355ページ)

学校や社会教育の現場などの教育の分野がいよいよ参加型に変わろうとしている(アクティブラーニング、コミュニティ・スクール等:阪野)この動きは、あらゆる分野に影響を及ぼし、参加型社会から参画型社会、さらには協働型社会へと発展していく大きな推進力になる可能性がある。いよいよ本丸である。(358~359ページ)

市民参加の形態(「参加した市民の目的意識」)は、おおよそ3つの年代に分けて整理することができる。/(1)戦後から1970年頃までの「第1期」―「不可避的な課題の解決」のための参加:災害や公害などによる人命や健康への深刻な被害、あるいは(市民から見た)政治の暴走といった生活に及ぼす大きな影響をくい止めようとする目的意識。(2)1970年代から1995年頃までの「第2期」―「公共的な課題の解決」のための参加:一億総中流社会や福祉社会が叫ばれるなかで、「住民vs.行政・企業」ではなく、「住民&行政・企業」という視点で都市計画やまちづくりを進めようとする目的意識。(3)1995年以降の「第3期」―「関係性の課題の解決」のための参加:地域のつながりが希薄化するなかで、生活から欠落したコミュニケーションと人間関係の再構築を図ろうとする目的意識。(402~405ページ)/第4期「参加の時

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代」が2020年から始まるとすれば、その機運はすでに起きつつある。いまわれわれが感じている「新しい参加形態」は、きっと第4期「参加の時代」の胎動なのだろう。(445ページ)

〇以上を端的に纏めると、小滝は、「縮減社会」の「自治」とその役割について地域社会・近隣社会のレベルで捉え、「生活者」の視点に立って言及する。その際、成長・競争の社会理念に対して、共生・共助の地域づくりの理念を提言する。そして、地域の独自性や多様性、生活者住民の主体性や自律性などを重視した「内発的発展(振興)」や「自助努力」、「自治意識」に基づく地域づくり(「自己責任社会」への転換)の必要性を説く。そのためには、著しく低下してきた住民・市民の「公共精神(public spirit)」や「市民精神(civic spirit)」の喚起・向上を図ることが肝要となる(207ページ)、という。改めて確認しておきたい。
〇また、山崎は、日本の人口減少社会の希望は市民の「参加」にある。「縮充する時代の行方には、正確もなければゴールもない。『学び』というインプットと、『活動』というアウトプットを、つねに市民が織り返している状態にこそ大きな意味がある」(440ページ)、という。シンプルであり、それ故に訴求性の高い結論である。留意したい

補遺
(1)「アレロノミー(allelonomie)」について小滝敏之は次のように述べている。
「競争」と「協力(相互扶助)」とを両立させながら「共存」していく両立的観点―「競争」の全面否定ではなく、非情な「優勝劣敗」の原理とは異なる「共存共栄」の原理に通じる途を求める視点―こそ重要というべきであろう。/「アレロノミー」とは、経済学者の難波田春夫が、ギリシャ語由来の「ヘテロノミー(heteronomy)・他律」や「アウトノミー:オートノミー(autonomy)・自律」という概念と対照的な概念用語として造り出した言葉である。(54ページ)
(2)「コンヴィヴィアリティ(conviviality)」について小滝敏之は次のように述べている。
「コンヴィヴィアリティ」という言葉は、もともとイヴァン・イリイチの創り出した造語であり、本書では「共歓共生」ないし「共に歓びをもって生きること」と意訳しているが、「自立共生」、「自律共働」、「共愉」などと訳されることもある。(63ページ)
(3)山崎亮が「対話」した「医療・福祉」分野のインタビュイーは大橋謙策である。山崎は次のように述べている。
大橋さんの言葉を借りれば、福祉事業者や研究者の間で70年代からスローガンのようにいわれていた「福祉のまちづくり」が、90年代から「福祉でまちづくり」へと変わったのである。(331ページ)/大橋さんは、2010年代は「福祉でまちづくり」から「福祉はまちづくり」といわれる時代へと移行したと話していた。(335ページ)

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26/「市民社会論」:規範や実体としての「市民」
        ―山口定の「市民社会論」を読む―

〇筆者の手もとに、「市民社会論」というタイトルの本が4冊ある。(1)山口定(やまぐち・やすし)著『市民社会論―歴史的遺産と新展開―』(有斐閣、2004年3月。以下[1])、(2)吉田傑俊(よしだ・まさとし)著『市民社会論―その理論と歴史―』(大月書店、2005年7月。以下[2])、(3)今田忠(いまだ・まこと)著・岡本仁宏(おかもと・まさひろ)補訂『概説市民社会論』(関西学院大学出版会、2014年10月。以下[3])、(4)坂本治也(さかもと・はるや)編『市民社会論―理論と実証の最前線―』(法律文化社、2017年2月。以下[4])、がそれである。
〇[1]において山口は、「市民社会」論をめぐる戦後の問題意識とその変遷、継承すべき戦後デモクラシーの遺産を明らかにし、1990年代に本格化しはじめた「新しい市民社会」論の特徴と内容、とりわけ「市民社会(論)の再構築」の動きを整理する(「帯」、320ページ)。終章の「むすび」で山口は、「市民社会」を「国家」「市場」とは区別される第3の領域として捉えるのではなく、「理念(とりわけ平等・公正)」・「場(共存・共生の場)」・「行為(自律的行為)」・「ルール(公共性のルール)」の4つの要件の総体として捉えるのが正しいのではないか、という。そして、「市民社会」とは、「さまざまの『公共空間』・『アソシエーション空間』が出会い、政治のあり方、経済のあり方、社会のあり方について、『共存・共生』の原理の上に立って協議する『場』を用意する諸条件の総体である」と再定義する(322ページ)

〇[2]で吉田は、「マルクスは階級社会または階級闘争論の理論家とみなされているが、そうであるだけではなく、彼は一貫した市民社会論の理論家でもある。彼の理論的出立点はヘーゲルの市民社会と国家の問題にあったが、その後も、市民社会概念と階級社会概念を中軸とした歴史観(「市民社会史観」と「階級社会史観」)を形成し、近代ブルジョア的社会、国家そして将来的協同社会についての総体的理論を樹立した」(53ページ)という。その視点・視座から、吉田は、マルクス市民社会論の再構成を軸に、現代的市民社会論の理論的問題と、西欧と戦後日本の市民社会論の歴史的展開について考察する。そこにおいて吉田は、国家や市場から独立した市民社会を構築する現代的市民社会論を批判する。とともに、「歴史貫通的な<土台>としての市民社会、ブルジョアジーとともに発展する近代ブルジョア的市民

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社会、そして将来社会における協同社会としての市民社会の重層的構成をもつ」(66~67、68ページ)マルクスの市民社会論(「重層的市民社会論」)について説く。
〇[3]の著者である今田は、日本の市民社会の構築に向けて、1980年代から30年以上にわたって実践・研究し問題を提起し続けてきた「歴戦の勇士」(岡本:ⅴページ)である。長年の経験と知見を基に、その集大成として、大学学部レベルの講義を取りまとめたものが[3]である。その内容は、日本の市民社会論の歴史的展開やデモクラシー思想の変遷をはじめ、フィランソロピーとボランティア、市民社会組織、社会的経済と社会的企業、パブリックとコモンズ、市民社会と政府・企業などと広範囲・多岐にわたる。1998年9月に設立された「市民社会ネットワーク」設立趣意書で今田はいう。「市民」は「政治的・社会的権利・義務を持ち、公共性を自覚した自立・自律した個人」である。「そのような市民がつくる社会が市民社会であり、市民社会の政治のルールが民主主義である」(16ページ)。
〇[4]は、今日的な市民社会の実態と機能を体系的に学ぶ概説入門書である。具体的には先ず、市民社会について考える際の5つの基礎理論(理論枠組)――①熟議民主主義論、②社会運動論、③非営利組織経営論、④利益団体論、⑤ソーシャル・キャピタル論を解説する。続いて、市民社会の盛衰を規定する諸要因のうちから特に重要と思われる6つの要因――①市民社会を支える資源としての「ボランティア・寄付」、②人々を市民社会へと誘う「価値観」、③市民社会の発展を促す政府と市民社会組織との「協働」、④新自由主義と市民社会の関係性(「政治変容」)、⑤市民社会を規定し構造化する「法制度」、⑥市民社会に決定的な位置を占める宗教や宗教団体(「宗教」)を解説する。そして最後に、市民社会がどのような帰結をもたらしているか(「市民社会の帰結」)の実態について、ローカルな視点やグローバルな視野から解説する。[4]は、それらを通して現代市民社会論の明日を問う著作でもある。
〇本稿では、「まちづくりと市民福祉教育」に関して論及するにあたって、山口定([1])と坂本治也([4])の言説から「市民社会」「市民」について個人的に留意したい議論や論点の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

山口定の言説
目的概念としての「市民社会」の定義
われわれのいう意味での「目的概念としての市民社会」は、第1に、まず「国家」(あるいは官僚支配)から「社会」が自立するという意味での「社会の自立」を、第2に、「封建制」や前近代的な「共同体」との関係において個々人が自立するという意味での「個人の自立」を、そして第3に、「大衆社会」ならびに「管理社会」との関係において個々人が「自立」を回復し、公共社会を「下から」再構成するという意味での「個々人の自立と公共社会の回復」をその中心的内容とするものである。(12~13ページ)

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「規範的人間型」としての「市民」の概念
「市民」とは「自立した人間同士がお互いに自由・平等な関係に立って公共社会を構成するという<共和感覚>に支えられ、そうした人々の自治を社会運営の基本とすることを目指して公共的決定に主体的に参加しようとする自発的人間型」をいう。(9ページ)

「ブルジョア社会」「資本主義社会」「市場社会」と「市民社会」
90年代初頭以降、本格的に登場しはじめた「新しい市民社会」論(=現代的市民社会論)には、旧来の、そしてとりわけ戦後日本の人文・社会科学において論じられた「市民社会」論(=近代的市民社会論)とは異なるさまざまの特徴がある。(149ページ)
「新しい市民社会」論においては、中心的なキーワードである「市民社会」の概念そのものにまつわる重大な意味転換が見受けられる。すなわち「市民社会」は、これまでの「ヘーゲル=マルクス主義的系譜」の中では事実上「ブルジョア社会」と等置されてきたのだが、それに対して、90年代初頭以来、「ブルジョア社会」とは明確に区別されるばかりか、場合によっては、「ブルジョア社会」もしくは「資本主義社会」「市場社会」と正面から対立し、必要ならこれをコントロールするという方向性をもったものという位置づけが与えられている。(149~150ページ)
「新しい市民社会」論の特徴をとらえるのに重要なのは、「国家」と並んで「経済」もしくは「市場」という領域を別個に設定して、その両者に対置される独自の領域としての「市民社会」をクローズアップさせ、その意義を強調することである。(154ページ)

「市民社会組織」の4つの要件
「新しい市民社会」論においてそもそも、「団体」(あるいはアソシエーション)一般と「市民社会」団体すなわち「市民社会組織」(辻中豊)との定義上の区別は何か、つまり、どのような団体が「市民社会組織」なのか。(183ページ)
「市民社会組織」さらには「市民(運動)団体」たることを自称する場合には、①その構成員同士の自由・平等な諸権利の相互承認、②人々の自発的・自律的な合意に基づく組織運営、③情報公開が保障された上で行われる理性的討議による「公共性」の推進、④異質者間の共存・共生を可能にする多様性の相互承認の4つを、その内部組織のあり方に関する基本的なスタンスとすべきである。この要件のどれをはずしても、歴史的に形成され、維持され、かつあらためて蘇(よみがえ)ってきた「市民社会」の理念そのものの中核が失われることになるからである。(189~190ページ)

坂本治也の所説
「市民社会」の定義
今日的な文脈における市民社会は、政府、市場、親密圏(家族、恋人、親友関係)との対比において定義される。すなわち、①中央・地方の統治機構による公権力の

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行使ないし政党による政府内権力の追求が行われる領域としての政府セクター、②営利企業によって利潤追求活動が行われる領域としての市場セクター、③家族や親密な関係にある者同士によってプライベートかつインフォーマルな人間関係が構築される領域としての親密圏セクター、という3つのセクター以外の残余の社会活動領域が市民社会である。
換言すれば、公権力ではないという非政府性(non-governmental)、利潤(金銭)追求を主目的にしないという非営利性(non-for-profit)、人間関係としての公式性(formal)という3つの基準を同時に満たす社会活動が行われる領域が市民社会である(図1-1)。そして、市民社会にはさまざまな団体、結社、組織が存在しており、それらは「市民社会組織(civil society organization、CSOと略記されることもある)」と呼ばれる。(2ページ)

「市民社会組織」の具体例
市民社会組織には、個々の市民によって自発的に活動が始められた福祉団体、環境保護団体、人権擁護団体、スポーツ・文化団体、宗教団体、ボランティア団体などはもちろん、政府セクター寄りとみなされる政治団体、行政の外郭団体、社会福祉法人、学校法人、市場セクター寄りとみなされる業界団体、労働組合、農協、医療法人、親密圏セクター寄りとみなされる自治会・町内会、地縁団体など、多様性に満ちた雑多な団体・組織が含まれる。
また、一般社団法人、一般財団法人、特定非営利活動法人、宗教法人、消費生活協同組合などの特定の法律にもとづいた法人格をもつ団体はもちろん、法人格を有さない任意団体であっても、通常は市民社会組織としてみなされる。さらに、さまざまな社会運動・市民運動においてみられる、恒常的な組織としての実体をもたない運動体も、市民社会内部の存在として位置づけられる。(2~3ページ)

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規範としての「市民」「市民社会」の概念
「市民」や「市民社会」という概念は、しばしば特定の規範的立場にとっての理想的な状態や到達すべき目標を表すために用いられる。たとえば、「市民」を「自主独立の気概をもち、理性的な判断や議論ができ、能動的に政治参加や社会参加する人々」と限定的に定義するような場合である。あるいは、「市民社会」を「人々が相互に尊重し合い、理性にもとづいて対等に対話を行うことを通じて、公共問題を自主的に解決していこうとする社会」と定義するような場合である。
これらの場合、「市民」や「市民社会」は「民主主義にとって理想的な人々」「めざすべき善き社会」といった規範的ニュアンスを含むことになる。また、そのような条件を満たさない人々や社会は「市民」や「市民社会」ではない、ということになる。(6ページ)

「市民社会」の3つの機能
市民社会はアドボカシー機能、サービス供給機能、市民育成機能という3つの重要な機能を有している。(12ページ)
(1)アドボカシー機能/アドボカシー(advocacy)とは、「公共政策や世論、人々の意識や行動などに一定の影響を与えるために、政府や社会に対して行われる主体的な働きかけ」の総称である。具体的には、①直接的ロビイング(direct lobbying)=議員・議会や行政機関に対する直接的な陳情・要請、②草の根ロビング(grassroots lobbying)=デモ、署名活動、議員への手紙送付など、団体の会員や一般市民を動員するかたちでの政府への間接的働きかけ、③マスメディアでのアピール=マスメディアへの情報提供、記者会見、意見広告の掲載など、④一般向けの啓発活動=シンポジュウムやセミナーの開催、統計データ公表、書籍出版など、⑤他団体との連合形成、⑥裁判闘争、といった多様な活動形態が含まれる。(12ページ)
(2)サービス供給機能/市民社会は、政府、企業、家族と同様に、さまざまな有償・無償の財やサービスを供給する。特に、市民社会の役割が大きいのは、福祉、介護、医療、環境、教育、文化芸術、スポーツなどの領域における対人サービス供給である。これらの領域では、政府、企業、家族では十分満たされなくなったニーズを、市民社会のサービス供給によって満たす動きが昨今強くみられるようになっている。(13ページ)
(3)市民育成機能/市民社会は人々が出会い、集い、語らい、取引や交渉を行う社交の場である。家庭や職場に比べると、市民社会における人間関係は、より多様な年齢、職業、階層の人々と交わる可能性が高いものとなる。また、そこでの関係性は、基本的に公権力や貨幣価値の力によって義務的ないし強制的に発生するものではなくて、個人の自由意思にもとづいて、自発的に形成され、不要になったら解消されるものである場合が多い。
このような多様かつ自発的な人間関係が育まれる市民社会組織への参加は、人々を民主主義に適合的な「善き市民」へと育成する機能があるとされる。(14ページ)

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〇以上のメモから、「市民社会」論にいう「市民」には、「自立的」をはじめ「自律的」「理性的」「能動的」などの規範的価値や態度・行動が求められる。「自立的な市民」とは自助的自立や依存的自立をしている市民(「できる市民」)、「自律的な市民」とは自分で考え・行動し・責任を負う市民(「ブレない市民」)、「理性的な市民」とは知性や教養に基づいて合理的に判断する市民(「賢い市民」)、「能動的な市民」とは社会への参加や働きかけを行う市民(「行動する市民」)である。それらは、実体として存在する「市民」ではなく、理念的・規範的な「市民」像である。
〇また、「市民活動」と「市民運動」に関して、管見を交えて、とりあえず次のように整理できよう。すなわち、「市民活動」とは、特定の組織や団体に属さないいわゆる一般「市民」を中心に、環境・平和・人権・福祉・教育・文化・地域・まちづくりなど公共領域における広範な問題の発見と解決をめざして、協働的かつ継続的に取り組む集合行為である。そして、「市民運動」はひとつは、「市民自治」、ひいては「市民社会」の実現をめざす。
〇「市民」の要件と「市民活動」「市民運動」の成立条件でとりわけ重要なものは、「自律性」である。「自律」(autonomy)とは、権力に伏さず・権威に同調せず、自らの判断によって自らの行為を決定あるいはコントールすることである。その判断や行為決定を可能にするためには、自分が持つ知性や教養に基づいて、自分を取り巻く環境や直面している出来事・問題などについて認識・理解し、思考することが必要となる。また、自律は、自己判断に基づいて自分の行為を自分で規制・統制することから、他からの強制や拘束、妨害などを受けない、個人の自由意志を前提とすることはいうまでもない。その自由意志は、他人の言動に影響されないだけでなく、自分の欲求にも影響されずに自分をコントロールする意志を含意する。こうした自律にこそ「人間の尊厳」を見いだすことができる。
〇要するに、真に「市民社会」に求められる「市民」像は、「自律的で理性的」な市民である。一面では、それを前提に、「自立的な市民」や「能動的な市民」が存在することになる。
〇人が自ら思考・判断し、自律的に行動するためには、個々人の自由意志と社会的責任に立脚した権利意識や自治意識をもって自覚的・能動的に学び続けることが肝要となる。こうした人間(「自律的で理性的な市民」)の育成・確保は、教育が取り組むべき根本的かつ現代的課題である。そしてまた、「まちづくり」に必要不可欠な営為である。それはまさに、「市民福祉教育」の課題でもある。
〇上述のメモからいまひとつ、「市民」の要件を満たさない人々は「市民」ではない、という議論について一言したい。すなわち、日本社会はいま、分断や格差、貧困、偏見や差別が拡大し、自立が強制され、自己決定(自己責任)が追及されている。加えてコロナ禍にある。そんな社会にあって、「市民」の要件(自覚・意欲・能力など)を欠く、あるいはそれが不十分であるとみなされる高齢者や障がい者、子ども、生活困窮者、外国籍住民などがいる。形式的・外見的には市民であって

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も、実質的・本質的には市民ではない状況に追い込まれ、社会的に排除されている人々である。市民になろうとしても、あるいは市民になることが期待されても、市民になりえない人々である。
〇現代市民社会には、抑圧され排除される人々(「市民」)が存在し、それを生み出す歴史的社会構造がある。ここに、現代「市民社会論」が取り組むべき本質的な課題が存在する。「社会変革論としての市民社会論の現代的意義」([2]34ページ)が問われるところである。そして、現代市民社会が抱える歴史的社会問題を抉(えぐ)り出し、その根本的・本質的な解決を志向する「まちづくりと市民福祉教育」の内容や方法が問われることにもなる。目に見えない新型コロナウイルスによって、「存在」する意味を問う時間と空間の余裕もなく、(自分も含めて)ただ必死に生きているヒト(「市民」)がいるなかで、改めて強く認識したい。

補遺 
「市民社会」を構想する前提として、「大衆社会」からの“個人の自立”が問われることになる。「市民」と「大衆」の特性と関係性をひとつの座標図で表すと図1のようになろうか。
「市民社会」について論じるにあたって、「市民活動」と「住民活動」を区別し、その特性と関係性をひとつの座標図で表すと図2のようになろうか。

 

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27/「人新世」における「変革への途」
        ―斎藤幸平著『人新世の「資本論」』を読む―

〇いまだに積読(つんどく)を続けている本にカール・マルクスの『資本論』がある。筆者がそれを読もうと思ったきっかけは、当時、社会福祉(社会事業)を学ぶ学生の必読書であった孝橋正一の『全訂・社会事業の基本問題』(ミネルヴァ書房、1962年5月)に挑戦していたときであったと記憶している。孝橋の「社会事業とは、資本主義制度の構造的必然の所産である社会的問題」を対象にする、という一節である。(その後、筆者は、マルクス経済学者宇野弘蔵の「原理論」「段階論」「現状分析」のいわゆる三段階論にハマった時期があった。今は昔である。)
〇「資本論」という言葉が本のタイトルにあるだけで積読になっていた本が、筆者の手もとにある。斎藤幸平(さいとう・こうへい)の『人新世の「資本論」』(講談社新書、2020年9月。以下[1])がそれである。今回は、「資本論」という言葉に対するアレルギー反応が起きる前に、一気に通読することができた。それは、現代に生きる者(ヒト)として、地球を破壊するほどに進んでいる「気候変動」やその影響に関心をもたざるを得ないことによる。とともに、「気候危機」とも言われるその原因の資本主義を丁寧に解き明かし、鋭く批判し、それゆえに刺激的である斎藤の議論・主張による。とりわけ、『資本論』第1巻の刊行後に「マルクスが取り組んでいたのはエコロジー研究と共同体研究」(179ページ)であった。晩年のマルクスは、「資本主義がもたらす近代化が、最終的には人類の解放をもたらす」という「進歩史観」(史的唯物論)と決別した(152ページ)。マルクスがめざした「コミュニズムとは、平等で持続可能な脱成長型経済(定常型経済)」(195ページ)であったという、斎藤による、マルクスの再解釈・再発見(「マルクスの復権」「マルクス理解の理論的大転換」)によるところが大きい。
〇[1]のタイトルの「人新世」(ひとしんせい)とは、斎藤によると、「人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを『人新世』(Anthropocene)と名付けた。人間たちの活動の痕跡(こんせき)が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である」(4ページ)。現在の地球の環境危機は、人(ヒト)の経済活動すなわち資本主義それ自体がもたらしたものであり、地球は新たな地質時代に突入した、というのである。
〇斎藤は[1]で、環境危機を乗り越えようとする多様な主義・主張や運動に言及し、その問題点や限界を抉(えぐ)り出す。自然エネルギーや気候変動対策への公共投資によって、新たな雇用や経済成長を生み出そうとする「グリーン・ニューディール」(気候ケインズ主義)や、ロボットや人口知能(AI)の技術革新を加速させ

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れば、持続可能な経済成長が可能になると主張する「加速主義」などについてである。それとともに、斎藤は、「マルクスが求めていたのは、無限の経済成長ではなく、大地=地球を<コモン>として持続可能に管理することであった」(190ページ)という。そして、気候変動問題の解決策として「脱成長コミュニズム」を提唱する。それは、資本主義の転換を迫る、資本主義でも社会主義でもない平等で持続可能な「社会像」である(コミュニズムは一般的には共産主義と訳される)。

〇[1]から、<コモン>(共有資源)や「脱成長コミュニズム」に関する斎藤の言説について、筆者が留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

いま求められる脱成長型のポスト資本主義
資本主義は、利潤を増やすための経済成長をけっして止めることはない。/資本は、(経済成長のための)手段を選ばない。気候変動などの環境危機が深刻化することさえも、資本主義にとっては利潤獲得のチャンスになる。山火事が増えれば、火災保険が売れる。バッタが増えれば、農薬が売れる。ネガティブ・エミッション・テクノロジー(大気中の二酸化炭素を回収・除去する技術)は、その副作用が地球を蝕(むしば)むとしても、資本にとっての商機となる。いわゆる惨事便乗型資本主義だ。/このように危機が悪化して苦しむ人々が増えても、資本主義は、最後の最後まで、あわゆる状況に適応する強靭(きょうじん)性を発揮しながら、利潤獲得の機会を見出していくだろう。環境危機を前にしても、資本主義は自ら止まりはしない。/だから、このままいけば、資本主義が地球の表面を徹底的に変えてしまい、人類が生きられない環境になってしまう。それが、「人新世」という時代の終着点である。/それゆえ、無限の経済成長をめざす資本主義に、今、ここで本気で対峙しなくてはならない。私たちの手で資本主義を止めなければ、人類の歴史が終わる。(117~118ページ)
環境危機に立ち向かい、経済成長を抑制する唯一の方法は、私たちの手で資本主義を止めて、脱成長型のポスト資本主義(「脱成長コミュニズム」)に向けて大転換することである。(119ページ)
「脱成長コミュニズム」を実現する道としての<コモン>
マルクスは、人々が生産手段を<コモン>(common)として共同で管理・運営するだけでなく、地球をも<コモン>として管理する社会を、コミュニズム(communism)として構想していた。(142~143ページ)
<コモン>とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき冨のことを指す。(中略)/<コモン>は、アメリカ型新自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する「第3の道」を切り拓く鍵だといっていい。つまり、市場原理主義のように、あらゆるも

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のを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化をめざすのでもない。第3の道としての<コモン>は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することをめざす。(141ページ)
(すなわち、マルクスがそう考えたように)<コモン>の思想は、貨幣や私有財産を増やすことをめざす個人主義的な生産から、将来社会においては「協同的富」を共同で管理する生産に代わることをめざすのである。(201ページ)

「脱成長コミュニズム」を実現するための具体的方策
「脱成長コミュニズム」をどのように実現させるのか、そのためになすべきことは大きく5点にまとめられる。
(1)使用価値経済への転換/生産の目的を商品としての「価値」(儲け)の増大すなわち利潤の獲得ではなく、「使用価値」(有用性。商品やサービスの質)に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する。別言すれば、生産を社会的な計画のもとに置き、人々の基本的ニーズを満たすことを重視する。
(2)労働時間の短縮/労働時間を削減して、生活の質を向上させる。社会の再生産にとって本当に必要な生産に労働力を意識的に配分し、金儲けのためだけの、意味のない仕事を大幅に減らす。「使用価値」の経済に向けた転換には、労働時間の短縮が根本条件である。
(3)画一的な分業の廃止/画一的な労働をもたらす分業を廃止して、労働の創造性を回復させる。資本主義の分業体制のもとでは、労働は画一的で、単調な作業が多い。労働をより創造的な、自己実現の活動に変えていくためには、多種多様な労働に従事できる生産現場の設計が好ましい。
(4)生産過程の民主化/生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる。「使用価値」に重きを置きつつ、労働時間を短縮するために、開放的技術を導入していく。そのためには、一部の経営陣の意向に基づいて非民主的な決定が行われるのではなく、労働者たちが生産における意思決定権を握る必要がある。
(5)エッセンシャル・ワークの重視/使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワーク(生活維持に不可欠な仕事)を重視する。ロボットやAIでは対応しきれない、ケアやコミュニケーションを必要とする介護や看護、保育や教育などの労働がしっかりと評価される必要がある。(300~314ページ)

<コモン>と「社会的共通資本」(宇沢弘文)の違い
(<コモン>に関して、より一般的に馴染みがある概念として、宇沢弘文の「社会的共通資本」がある。)宇沢は、人々が「豊かな社会」で暮らし、繁栄するためには、一定の条件が満たされなくてはならない。そうした条件が、水や土壌のような自然環境、電力や交通機関といった社会的インフラ、教育や医療といった社会制度

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である。これらを、社会全体にとって共通の財産として、国家のルールや市場的基準に任せずに、社会的に管理・運営していこうと考えたのである。<コモン>の発想も同じだ。/ただし、「社会的共通資本」と比較すると、<コモン>は専門家任せではなく、市民が民主的・水平的に共同管理に参加することを重視する。そして、最終的には、この<コモン>の領域をどんどん拡張していくことで、資本主義の超克(ちょうこく。困難を乗り越えること)をめざすという決定的な違いがある。(141~142ページ)

〇経済成長は確かに、私たちの生活や社会を物質的に豊かにした。それは、資本主義のグローバル化が進むなかで、グローバル・ノース(北の先進国)によるグローバル・サウス(南の発展途上国)からの労働力の搾取や自然資源の収奪のうえに成り立っている。グローバル・ノースの「過剰発展」や大量生産・大量消費のライフスタイル(「帝国的生活様式」)は、グローバル・サウスの人々の劣悪な生活条件に依存している。そしてまた、グローバル・サウスはそのグローバル・ノースに依存せざるを得ない。ここに資本主義の「矛盾」と「悲劇」がある(27~30ページ)。いずれにしろ、資本主義社会は、絶えず「外部性」を作り出し、そこに負担や犠牲を強いる・転嫁することによって発展してきたのである。
〇現代の資本主義は、「不平等を一層拡大させながら、グローバルな環境危機を悪化させてしまう」。資本主義は、豊かさを生み出すシステムではなく、「私たちの生活に欠乏をもたらしている」。「持続可能で公正な社会」を実現するためには、資本主義によって解体させられた、人々が生産手段を自律的・水平的に「自治管理」「共同管理」する<コモン>を再建する必要がある。そのための唯一の選択肢が、マルクスにみる「脱成長コミュニズム」である(258、290、360ページ)。斎藤の、ラディカルな主張である。
〇それを換言すれば、生産手段を<コモン>として社会的に所有し、民主的に管理することによって、経済活動は減退するが、現代の環境危機を乗り越えることはできる。このコミュニズムの萌芽は、「21世紀の環境革命として花開く可能性を秘めている」(323ページ)、となる。ここに本書の核心があり、思考や概念の斬新さをみる。
〇そして、斎藤は、「資本の専制から、この地球という唯一の故郷を守る」ためには、「3.5%」(ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究による)の人々が非暴力的な方法で、本気で立ち上がることであるという(362、364ページ)。この点は非現実的な楽観論と評されるおそれなしとしないが、社会に大きなインパクトを与えた多くの抗議活動や社会運動は、最初は少人数で始まっている。本稿のタイトルにいう「変革への途」が含意するところでもある。

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付記
〇論拠は不明であるが、斎藤の挑発的で小気味よい指摘やフレーズに次のようなものがある。あえて付記しておくことにする。

2015年9月に国連で開かれたサミットによって採択され、各国政府も大企業も推進する「SDGs」(エス・ディー・ジーズ、Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)は、「アリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背(そむ)けさせる効果しかない。(中略)SDGsまさに現代版『大衆のアヘン』である」(4ページ)。

「高度経済成長の恩恵を受けてあとは逃げ切るだけの団塊世代の人々が、脱成長という『綺麗事(きれいごと)』を吹聴している。(中略)若いころに経済成長の果実を享受しておきながら、一線を退いたそのときから『このままゆっくり日本経済は衰退していけばいい』と言い始めたというわけである(120ページ)。(ちなみに、「平等に、緩(ゆる)やかに貧しくなっていけばいい」という上野千鶴子(うえの・ちずこ)は1948年生まれであり、「本当に豊かな生き方は『ローカル』と『定常経済』にある」という内田樹(うちだ・たつる)は1950年生まれである)。

(「定常型社会」論を展開する広井良典(ひろい・よしのり)や社会経済学者の佐伯啓思(さえき・けいし)によれば)「資本主義的市場経済を維持したまま、資本の成長を止めることができるという」(128~129ページ)。「利潤獲得に駆り立てられた経済成長という資本主義の本質的な特徴をなくそうとしながら、資本主義を維持したいと願うのは、丸い三角を描くようなものである。まさに、真の『空想主義』である。これが旧世代の脱成長論の限界なのだ」(133ページ)。

 

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28/「対話する社会」と豊かさの条件
        ―暉峻淑子著『対話する社会へ』を読む―

〇周知の通り、まちづくりの進展に関して、「統治(government)から共治(governance)へ」、「参加(participation)から協働(collaboration)へ」、そして「行政主導から住民主導へ」などと言われてきた。今後は、「市民主導」(citizens’ initiative)による「共働」(coaction)のまちづくりが要請される。その際には、多様な人々や集団・組織・団体などの、多様なあるいは特別の思いや願いを紡ぐ「対話」が不可欠となる。より具体的には、そのための「機会」や「場」をいかにつくるかが問われることになる。「対話」は民主主義の基本であり、まちづくりの根幹的な技法である。
〇いま、筆者の手もとに、「対話」をテーマにした 暉峻淑子(てるおか・いつこ)の新刊『対話する社会へ』(岩波新書、2017年1月、以下[1])がある。暉峻は、「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話」である(ⅰページ)。「対話は、人類が持つ特権の一つであり、人間の本性(ほんしょう)にもっとも添ったコミュニケーションの手段」である(ⅴページ)。「対話する社会とは、多様な思考、多様な感受性に出会い、想像力を豊かにする社会」である(164ページ)、という。暉峻は卒寿(90歳)を前にしている。
〇暉峻の著作といえば先ず、『豊かさとは何か』(岩波新書、1989年9月)を思い出す。日本は経済大国であるが、「豊かな国」ではない。日本は「豊かさへの道を踏みまちがえた」(16ページ)、という。およそ30年前の本である。次に、『豊かさの条件』(岩波新書、2003年5月)を思い出す。「21世紀の私達の課題は、グローバルな競争にあるのではなく、また武力によって解決することにあるのでもなく、助け合う互助にある」(240ページ)、という。この2冊の本で暉峻が告発した課題の多くは、いまなお未解決のままであり、より一層深刻化してもいる。警鐘を鳴らした「格差や不公正の拡大」や「好戦的社会の到来」などが現実となっている。3冊目として、『社会人の生き方』(岩波新書、2012年10月)がある。この本は、暉峻にあっては「前著2冊の最終章」(240ページ)である。暉峻はいう。「社会に支えられると同時に、社会をより良く変えていく社会人の生き方の中に、未来への希望を見出したい」(ⅳページ)。
〇[1]は、地域・社会の分断・対立や格差を超え、公正な社会を実現するための「対話」について説く、「警世の書」である。そこには、真の「豊かさ」や「まちづくり」の姿が見えてくる。以下に、[1]の読後メモとして、筆者なりに注目しておきたい論点や言説のいくつかを抜き書きあるいは要約することにする(見出しは筆者)。

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対話は平和をつくる
平和(平穏な生活)を支えているのは、暴力的衝突にならないように社会の中で対話し続け、対話的態度と、対話的文化を社会に根づかせようと努力している人びとの存在である。対話のない社会はいつか病み、犠牲者を出し、平和はあるとき、あっけなく崩れてしまう。(ⅱページ)/対話や討論がない社会とは、支配者にとってこの上なく都合がいい社会である。誰も批判者がいない沈黙の社会である。(130ページ)/対話がなくなれば、対話の代わりに、命令と監視が支配するという現実がやってくる。(140ページ)/人類が多年の経験の蓄積の中で獲得した対話という共有の遺産を、育て、根づかせることが、平和を現実のものとし、苦悩に満ちた社会に希望を呼び寄せる一つの道である(ⅶページ)

対話は民主主義を守る
対話や討論を軽視したり抑圧したり、無関心だったり、自粛したりする文化様式は、民主主義の価値観を標榜する現代社会に適合しない。(178ページ)/対話は、日常の中にあり、とくに多様な欲望が渾然(こんぜん)としている市場社会(効率性と利潤を追求する社会)では、対話によって、取り返しのつかない断絶が起こるのを未然に防いでいる。今や、対話はいろいろな意味で欠くことのできないコミュニケーションの手段になり、バラバラの個人をつなぎ、非人間化していく社会に人間性をとり戻し、子どもたちの個性ある人格発達の培養土となっている。対話する社会への努力が、民主主義の空洞化を防ぎ平和をつくりだしているのである。(253ページ)

対話は自由で創造的である
対話は、議論して勝ち負けを決めるとか、意図的にある結論に持っていくとか、異議を許さないという話し方ではない。対話とは、対等な人間関係の中での相互性がある話し方で、何度も論点を往復しているうちに、新しい視野が開け、新しい創造的な何かが生まれる。両方の主張を機械的にガラガラポンと足して二で割る妥協とは違う。個人の感情や主観を排除せず、理性も感情も含めた全人格を伴った自由な話し合い方が対話である。(ⅴ~ⅵページ)/対話は、上の人への忖度や自己保身のお世辞ではなく、また、一般論や抽象論でなく、人間としての対等な立場で、その時その場にもっとも必要な自分の考えや感情を、自分の言葉で語る話し合いである。そこで必要な言葉とは、その時その場にもっとも適切で、一度きりの貴重な言葉である。(131~132ページ)/言葉の本質は対話にある。(175ページ)

対話は開かれた応答である
権力による画一的な抑圧があるところに自由で多様な対話はない。権力とは政治権力のことだけではなく、利潤第一を求める効率の強制力のこともある。生徒や教師に対して自由とゆとりのない管理・監督や競争の教育環境のこともある。(111ペー

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ジ)/権威主義的な話し方は、聞き手に自分の考えを押しつけ思い込ませようとする、閉ざされたものである。それに対して、対話は開かれている。お互いに応じ合う中で新しい意味が生まれ、変化し、新しい理解が生まれる可能性が広がっていく。対話はともに考えていく手段であり、そこでの理解は、一人の人間の可能性を超えるものとして、お互いの間で作られていく。こうしたことを達成するためには、対話の参加者が耳を傾け、相手に届くような応答をする必要がある。応答は言葉の持つ基本的性質なのである。その意味ではお互いの責任ある態度が対話的関係を作り出すとも言える。(123ページ)

〇生活の「豊かさ」は、安全で安心して快適に暮らせる日常の家庭・地域生活のなかにある。その「豊かさ」を獲得・実現するためには、およそ次のような条件が必要となろう。

(1)基本的人権の尊重や自由・平等と民主主義の確保を前提に、人々の個別具体的な発達保障と生活保障の具現化と共生や支え合いの創出が図られること。
(2)すべての人が個性的・創造的に自分を生きる(生き抜く)ために多様な選択肢が準備され、その選択の自己決定やそのための支援がなされること。
(3)自分の生きがいや自己実現のための活動にとどまらず、他者や地域・社会のための、社会変革を進める社会貢献活動(共働活動)に参加できること。
(4)そのための個人的な尊敬と信頼に基づく熟議やさまざまな知識や経験による想像力と創造力によって、明るい社会と未来が開拓・共創されること。
(5)以上のことを可能にし、相互支援と相互実現、地域・まちづくり、社会変革と社会創造を推進するための教育・学習(市民福祉教育)が、すべての人の生涯にわたって自律的・主導的に行われること。

〇まちづくりは、一人ひとりの市民の日常的な家庭・地域生活の営みのなかで、地道に、継続的かつ漸進的に取り組まれることが肝要である。そして、そのプロセスを通して、一人ひとりがお互いに多様な思いや願い、価値観などにふれながら、既存の価値観やシステムを無批判に受け入れるのではなく、社会変化への対応と社会変革の推進を主体的・積極的に図る市民に育つことが必要かつ重要となる。そこに求められるのは「自由な対話」と「開かれた学び」、そして「緩(ゆる)やかなつながり」である。すなわち、「対話型社会」である。
〇この国の政治は対話が拒否され、議会は多数決が強行されている。この国には「傲岸不遜」(ごうがんふそん)「厚顔無恥」(こうがんむち)の政治家(政治屋)や(自称)リーダーがあまりにも多い。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」(2017年7月1日)と発言する人と、その取り巻きたちである。その姿や言動は哀れであり、滑稽ですらある。

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こうした状況は身近な地域・社会においても見られる。日本の社会はあいかわらず、「上意下達」「空気を読む」社会である。それはすなわち、「忖度(そんたく)」文化の社会でもある。
〇民主主義の錬磨・再建と対話能力の育成・向上が喫緊の課題である。多様性と異質性を受け入れ、さまざまな価値観や指向性を肯定する「対話」がいま、極めて重要になっている。本稿を草しようと思った最初の思いである。

付記 
〇暉峻が説く「会話」と「対話」、「討論」を簡潔に言えば、「会話」は挨拶や雰囲気を和らげる雑談、「人間社会の潤滑油」。「対話」は対等な人間関係のなかで行われる双方向の、個人的な話し合い。「討論」(ディスカッション)は目的が明示され、よりよい解決のための結論が求められる話し合い、である(88~93ページ)。
〇「〈対話〉のある社会」とはどのような社会か。中島義道(元電気通信大学教授、専攻はドイツ哲学)の言説の一節を紹介しておくことにする(中島義道『〈対話〉のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの―』PHP研究所、1997年11月)。

〈対話〉のある社会とはどのような社会か。それは、私語が蔓延しておりながら発言がまったくない社会ではなく、私語がなく素朴な「なぜ?」という疑問や「そうではない」という反論がフッと口をついて出てくる社会である。それは、弱者の声を押しつぶすのではなく、耳を澄まして忍耐づよくその声を聞く社会である。それは、漠然とした「空気」に支配されて徹底的に責任を回避する社会ではなく、あくまでも自己決定し自己責任をとる社会である。それは、アアしましょう・コウしましょうという管理標語・管理放送がほとんどなく、各人が自分の判断にもとづいて動く社会である。それは、紋切型・因習的・非個性的な言葉の使用は尊重されず、そうした言葉使用に対しては「退屈だ」という声があがる社会である。それは、相手に勝とうとして言葉を駆使するのではなく、真実を知ろうとして言葉を駆使する社会である。それは、「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をグイと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔(いさぎよ )く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を期し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。(203~204ページ)/こうした社会の実現を望まない人は、自覚的無自覚的に他人の言葉を封じている。他人の叫び声を聞かない(聞こえない)耳をつくっている。真実を求めようとせず、〈対話〉を全身で圧殺している加害者である。(204~205ページ)

〇「対話」の類語に「会話」がある。「会話としての正義」を提唱する井上達夫(東京大学教授、専攻は法哲学)の言説の一節を紹介しておくことにする(井上達

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夫『共生の作法―会話としての正義―』創文社、1986年6月)。

コミュニケーションは達成さるべき一定の目的―情報伝達・意志決定・合意・コンセンサス・相互理解・了解・和解・宥和・融和・交感・交霊・合一・洗脳(?)等々―をもつが、会話はそのようなものをもたない。強いて会話の目的なるものを挙げるとすれば、会話自体を続けることである。/会話の唯一の目的が会話を続けることにあるとするならば、会話の歪曲とは例えば、返答を拒否し続けたり、相手に話す機会を与えなかったり、相手の話と無関係に話し続けたりすることであるが、このような場合、会話は歪曲されたのではなく消失したのである。(251ページ)/会話とは異質な諸個人が異質性を保持しながら結合する基本的な形式である。利害・関心・趣味・愛着・感性・信念・信仰・人生観・世界観等々を共有することなく我々は他者と会話できる。/会話は「分からず屋」を排除しない。「この分からず屋め!」と怒鳴り合っていつも喧嘩分かれする二人の頑固親父が、終生会話的連帯のうちにあるというほほえましいパラドックス(逆説)を会話は可能にする。また、期待を裏切る言動は言語ゲームの敵ではあっても会話の敵ではない。それを契機に意外な方向へ発展してゆくところに、人間の生の営みとしての会話の深みがある。定められた手続きに従うだけの会話は死せる会話である。(254ページ)

 

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29/生活者とまちづくり
        ―天野正子の「現代生活者論」を読む―

〇筆者の手もとに、「現代生活者論」を説いた天野正子(あまの・まさこ、1938年3月~2015年5月、社会学者)の本が2冊ある。『「生活者」とはだれか―自律的市民像の系譜―』(中央公論社、1996年10月。以下[1])と『現代「生活者」論―つながる力を育てる社会へ―』(有志舎、2012年11月。以下[2])がそれである。
〇天野は、[1]と[2]を通して、「生活者」の概念の軌跡を辿り、理論の集大成を図るなかで、その歴史的・現代的な意味を問い直す。とともに、国家・市場経済・専門家などに支配・管理されない「生活者」の、自律的な暮らしや他者との「つながり」(共同性・公共性)のあり方を模索する。それは、「まちづくり」や「福祉教育」に通底する研究の視点・視座でもある。本稿で[1]と[2]を取り上げる理由のひとつは、ここにある。また、天野の論理的思考とその文学的表現は、訴求性やストーリー性も高く、筆者を惹きつける。
〇以下で、天野の「現代生活者論」の論点や言説のいくつかを紹介することにする(抜き書きと要約)。

日本社会が高度経済成長期をひたすら走っている頃には、生活者という言葉を、今ほど広範に聞くことはなかった。「生活者」がひんぱんに用いられるようになるのは、1980年代末から90年代にかけての時代である。([1]7ページ)/その背景には、明らかに日本社会の仕組みが「生産者」優位に偏りすぎてきたことへの反省がある。また、生活にゆとりが感じられず、「豊かな社会」のなかに、都市問題や環境・安全・資源問題などのさまざまな課題が山積していることへの不安がある。/「生活者」とは、そうした反省や疑問、不安などが入り交じった混沌のなかから生み出された、人びとの願望や期待のこめられた、新しい人間類型のラベルとみるべきである。([1]11ページ)

「生活者」という言葉が使われるのは、人びとの行動の形態や属性(消費者や勤労者、国民など)をさすのでも、また、「主婦感覚」や「庶民感覚」の持ち主といった感覚レベルの特徴をさすためでもない。「生活者」とは、特定の行動原理にたつ人びと、あるいはたつことをめざす人びとの、一つの「理想型」として使われている。([1]11~12ページ)/「生活者」の行動原理の一つは、「労働者」や「消費者」に対置され、その両方を含む全体としての生活の場から発想し、問題解決をはかろうとすることである。生活者という言葉は、生活が本来もっている全体性と、その全体を自らの手のなかにおきたいと願う主体としての人びとをさす。/もう一

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つの行動原理は、「個」に根ざしながら、他の「個」との協同により、それまで自明視されてきた生き方とは別の「もう一つの」(オルターナティヴな)生き方を選択しようとすることである。生活者とは、自分の行動に責任をもちつつ、他者との間にネットワークをつくり、「あたりまえ」の生活に対抗的な新しい生き方を創出しようとする人びとをさす。そして、「生活者」にとって、それぞれの私的な利害を異にする人びとが対話を重ね、「私」を超えていく場としての地域・市民領域へのかかわりかたが重要になる。([1]13~14ページ)

生活者という概念は時代により、さまざまな意味をこめられ、一つの理想型として使われてきた。しかし、それらに通底しているのは、それぞれの時代の支配的な価値から自律的な、いいかえれば「対抗的」(オルターナティヴ)な「生活」を、隣り合って生きる他者との協同行為によって共に創ろうとする個人――を意味するものとしての「生活者」概念である。/私たちは、いまその生活者概念の原点に立ち戻って、大衆消費財化しつつある(意味内容のあいまいなままに安売りされ、消費されている)「生活者」をとらえなおし、みずみずしく力強い響きをとりもどすことの必要な、時代を迎えているのである。([1]236ページ)

「生活者」とは、なによりも、無名であるが、しかし、それぞれに「わたし」をたずさえた、その意味で固有の名をもって存在し、生きる現場ともいうべき家族や地域の暮しを基底に、暮し方、ひいては自分の生き方を意識化し見直すことに、社会の展望拠点を求めようとする人びとである。さらにいえば自らの無名性において、他者との共通の主題・関心のもとに相互につながり、小さな共同性・公共性への回路を模索していく過程への参画を果たそうとする人たちである。/生活者は、多くの場合、すでに存在する何者かを指す概念ではない。生きる拠点である「生活」が破壊され、あるいは危機に陥ったときに、あらためて意味を担って浮上してくる概念である。そう考えるなら、生活者とは、日本社会の大きな転換過程で向きあう不安感やリスク感、日常的な暮し方への反省や疑問、新しい生き方やライフスタイルへの願望や期待の入り交じった混沌のなかから生み出された、どこにでも存在するごく「普通の人びと」である。([2]ⅰ~ⅱページ)

ネットワーク型コミュニティは、家族という親密でミクロな関係でも、国家や行政、市場というマクロな関係でもない、その中間に形成される、しゃべる、笑う、まなざす、振舞うなど、自他が身体を介して出会う<生>の現場に、小さな共同性、公共圏を創出していく営みである。([2]ⅷ、206ページ)/歴史的経験から学ぶことなしに、他者とつながる力を蓄えるのはむずかしい。状況の「破壊」と時代の転換が急速にすすむ今、ネットワーク型コミュニティの歴史的経験とそこに蓄積された経験知に学び、それを基盤に、国家や市場から自由なもう一つの共同性、

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公共性への回路を模索することがこれまで以上に重要性を増している。([2]ⅸ~ⅹページ)

東日本大震災による、地震・津波・原発事故という複合的な災害は、人間生命の再生産に最大の価値をおくジョン・ラスキン(John Ruskin、1819年~1900年、イギリスの社会思想家:阪野)の言葉――「生命のほかに富というものは存在しない」(There is no wealth but life)と、それを踏まえて、「生きること」が相互に異なる「人びととの“間”にある」こと、「つながり」を生きることと同義語であることを実践してきた歴史のなかの生活者像を、あらためて思い起こさせるものであった。/専門家支配や中央管理システム、市場経済にふりまわされない、自律的な新しい暮しのスタイルと共生のしくみをどう創りあげていくのか。その可能性はなによりも、時代を生き抜く概念として「生活者」の内実を問い、実質的な生命を与え、鍛えあげるなかから生れてくる。([2]297~298ページ)

〇筆者はこれまで、「市民福祉教育」について語る際に、基本的な考え方として、「生命」「生活」「生涯」すなわちライフ(Life)は人間の成長・発達の過程であり、それはまた教育の過程でもある、と言ってきた。天野の[1][2]の言説によってその点を加筆すれば、「生活」(Life)とは、その時代の社会、経済、政治、文化などの諸条件のもとで、生命(生きる力)の再生産を行い、自分を生き抜くための、生涯にわたる主体的・自律的で共同的・公共的な営み(具体的な行動)の過程である。そして、その過程を通して、曖昧模糊としたものであることも少なくないが、生活者の思想性(考え方)や哲学性(生き方)が形成される。しかもそれは、時間の経過(歴史性)のなかで広狭や浅深のあいだを揺らぎ、ときには要求や必要、意欲や志向を変える、ということになろうか。
〇地域に生きる一人ひとりの住民は、その生活や人生のさまざまな場面や過程で、自己責任が伴う自己選択や自己決定を行い、他者の支援を受けながら自分の人生を切り開いていく。「他者(ひと)まかせにしない、できることは自分で、一人でできないことは他者(ひと)と支えあって」というのが、生活者本来の生き方である([2]ⅳページ)。約言すれば、「自立と連帯」「自律と共生」である。しかし、住民は必ずしも、生き方について論理的・体系的に考え、自覚的・能動的に行動する(できる)とは限らない。煩雑で混沌とした日々の生活のなかで、また社会のしがらみを抱えながら、自分の思いや考えを自分のなかに閉じ込めてしまう。「長い物には巻かれろ」「郷に入っては郷に従え」であり、「沈黙」と「従属」である。それは、自分が自分の「生活」の主体であることを放棄し、自分の「生活」をみんなと共に創ることを止めることを意味する。教育的営為(「生活者教育」)が求められるところである。
〇天野は[1]で、生活雑誌『暮らしの手帖』を創刊した花森安治(1911年~1978年)の次の言葉を紹介している。「戦争に巻き込まれたのは、自分を含む民衆一人ひとりが守りたい自分の暮らしを創ってこなかったから」である([1]36~37ペー

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ジ)。
〇日本社会では、「縮小社会」「格差社会」「右傾社会」「監視社会」などが進展し、国際的には同盟関係の強化などが図られている。また、その「現場」である地域社会と「担い手」である地域住民は、生活の不安や混乱のなかにある。「地方創生」という名の地域破壊も進んでいる。そうした「いま」、花森のこの言葉(「自分の暮らしを創る」)に思いを致すことが強く求められる。それは、国家の権力や意志に抗する生活者像であり、生活に根ざした自律と変革の思想である。
〇天野によれば、生活者とは、「生産や消費、労働や余暇、福祉や環境など、『生活』を細切れではなく総体として把握し、社会の支配的な価値からの自律を求める人たち」([2]238ページ)である。これを要するに、生活者は、(1)生活の全体性を把握する主体であり、(2)自律的な新しい暮らしのスタイルと共生のしくみを創りあげていく主体である([1]13~14ページ、[2]297~298ページ)。そこで、生活者を理解するにあたっては、生活者の生活意識をはじめ、生活様式や生活構造、生活環境や生活問題、そして生活史などの、生活の実相を総合的・学際的に把握することが求められる。また、対抗的な生活をとなりに生きる他者と創りあげるためには、生活の「共同性と公共性」(つながり)の実現に向けた日常的実践や社会運動(「生活者運動」)と、その統合をめざす取り組みが重要となる。まちづくりや市民福祉教育に通底する言説のひとつである。

〇また、天野にあっては、「生活者」とは、「あたりまえ」の生活に対する「対抗的な」「もう一つの」(オルタナティヴ、alternative)新しい生き方を創出しようとする人びとである([1]13ページ)。とともに、「生活者」は、参加の自発性という点で「市民」(citizen)と、「居住すること」から問題を組み立てていく点で「住民」とを統合する視点をもつ概念である([2]240ページ)。すなわち、別言すればそれは、「対抗的自律型市民」と言えよう。

 

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30/「共生保障」としてのまちづくり
        ―宮本太郎著『共生保障』を再読する―

〇筆者の手もとに、宮本太郎(みやもと・たろう、政治学・福祉政策論専攻)の本が2冊ある。『生活保障―排除しない社会へ―』(岩波新書、2009年11月。以下[1])と『共生保障―<支え合い>の戦略―』(岩波新書、2017年1月。以下[2])がそれである。

〇[1]は、人々の生活は雇用と社会保障がうまくかみあってこそ成立するという前提に立つ。そして、雇用と社会保障を包括する「生活保障」という視点から、日本と各国の雇用と社会保障の連携を比較分析し、ベーシックインカムやアクティベーション(活性化)などの諸議論にも触れながら、日本で生活保障システムがどのように再構築されるべきかを論じる。その際、所得保障だけではなく、大多数の人が就労でき、あるいは社会に参加できる「排除しない社会」のかたちを問う。とともに、そうした社会を実現するために必要な「生きる場」(人々が誰かにその存在が「承認」されていることで、生きる意味と張り合いを見出すことができる場)が確保される生活保障のあり方について考える。なお、ベーシックインカムとは、就労や所得を考慮せずにすべての国民に一律に一定水準の現金給付を行なう考え方である。アクティベーションとは、雇用と社会保障の連携強化を図り、社会保障給付の条件として就労や積極的な求職活動を求める考え方である。
〇[2]は、[1]の延長に位置づけられ、生活保障の新しいビジョンとして「共生保障」を提示する。本稿は[2]の(限定的な)再読メモである。宮本はいう。旧来の日本型生活保障は、現役世代の「支える側」(「強い個人」)と高齢者・障がい者・困窮者などの「支えられる側」(「弱い個人」)を過度に峻別してきた。そして、双方の生活様式を固定化し、「支えられる側」を一定の基準によって絞り込みながら、 社会保障・社会福祉の支出を医療や介護などの人生後半に集中させてきた(「人生後半の社会保障」)。ところがいま、高齢世代や子育て世代、非正規や単身の現役世代を中心に、生活困窮・孤立・健康などの様々な問題を、しかもそれらを複合的に抱える事態・状況が拡大・深刻化している。そこで、「支える側」と「支えられる側」という二分法から脱却し、生活保障の新しいビジョンとして、(すべての人の福祉ニーズに応える)普遍主義的な「共生保障」の制度や政策を構築する必要がある(「補遺」参照)。これが[2]における宮本の問題意識であり、議論(提唱)である。その際宮本は、「共生保障」は、地域における人々の「支え合い」を可能にするよう、「地域からの問題提起を受けとめつつ、社会保障改革の新たな方向付けにつなげる枠組みである」(48ページ)という。
〇宮本は、[2]で「共生」について次のように述べる(抜き書きと要約)。

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(日本社会では)人々が支え合いに加わる力そのものが損なわれ、共生それ自体が困難になっている。こうした現実に分け入ることなく、規範として共生を掲げ続けるならば、それは現実を覆い隠すばかりか、困難になった支え合いに責任をまる投げしてしまうことにもなりかねない。(ⅳページ)。

共生という言葉は、その意味がいささか漠然としているゆえに、誰も反論しがたく、だからこそ都合良く使われてしまうところがある。今、社会の紐帯が根本から揺らいでいることから、「共生社会」が盛んに提起されるが、人々がどのように関わり合い、誰が何に対して責任をもつ構想なのか、はっきりしないことが多い。(223ページ)

共生や支え合いは規範として押し付けられる筋合いのものではない。一見したところ利他的な行為であっても、共生は長期的に見ると自己に利益をもたらす(「手段としての共生」)。また、人々が互いに認め認められる相互承認の関係を取り結ぶことができれば、共生はそれ自体が価値となる(「目的としての共生」)。共生や支え合いは、人々にとって手段でもあり目的でもあり、したがって本来は自発的な営みなのである。(194ページ)。

〇こうした指摘は、国(厚生労働省)がその実現を図る「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」について考える際の重要なポイントとなる。「我が事・丸ごと」の政策は、社会保障や社会福祉の国家責任が地域社会に転嫁され、社会保障・社会福祉費の削減と自助・互助による支援体制の推進が図られている。それを一言で言えば、「他人事(ひとごと)・丸投げ」である。確かな「共生」には、政府主導による「上から」の規範としてではなく、地域・住民の、地域・住民による、地域・住民のための「下から」の支え合いの戦略と、それを踏まえた事業化や制度化が強く求められる。なお、国が説く「地域共生社会」は、「制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が 『我が事』として参画し、 人と人、人と資源が世代や分野を超えて『丸ごと』つながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会」(厚生労働省「『地域共生社会』の実現に向けて 」2017年2月)をいう。耳ざわりの良い(口当たりの良い)言葉が連なる、“美しく”まとめられた一文である。ここで筆者は、中身がスカスカ(浅薄皮相)な、「活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする」(なんと白々しいことか)という「美しい国、日本」(2006年9月に召集された第165回国会における安倍内閣総理大臣の所信表明演説)という言葉を思い出す。
〇宮本は、[2]で「共生保障」について次のように述べる(抜き書きと要約)。

共生や自立というテーマが政府から打ち出されるとき、そこには行政と政治の責任が曖昧にされ、人々の助け合いや自助にすりかえられる危険もある。共生保障とは、そのようなすりかえを回避し、人々の支え合いのために行政と政治が果たすべ

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き条件を示す政策基準でもある。(219~220ページ)

共生保障は、年金や医療などを含めた生活保障のすべてに関わるものではない。それは、次のような制度や政策を指す。
第一に、「支える側」を支え直す制度や政策を指す。これまで男性稼ぎ主を中心とした「支える側」は、支援を受ける必要のない自立した存在とされてきたが、「支える側」と目される多くの人々は経済的に弱体化し孤立化し、力を発揮できなくなっている。
第二に、「支えられる側」に括(くく)られてきた人々の参加機会を広げ、社会につなげる制度と政策である。そのためにも、人々の就労や地域社会への参加を妨げてきた複合的困難を解決できる包括的サービスの実現が目指される。
第三に、就労や居住に関して、より多様な人々が参入できる新しい共生の場をつくりだす施策である。所得保障については、限定された働き方でもその勤労所得を補完したり、家賃や子育てコストの一部を給付する補完型所得保障を広げる。(47ページ)

人々を共生の場につなげ、共生の場自体を拡充していく共生保障の戦略は、それ自体が生成途上のものである。このような考え方をより具体化していくためにも、地域におけるさらなる創造的な取り組み、社会保障改革の新展開、そして両者をつなぐ共生保障の政治が必要である。生活保障の新しい理念は、そのような地域、行政、政治の連関のなかで活かされ、練磨されていくべきものであろう。(221~222ページ)

〇「支える側」を子育て支援や介護サービス、リカレント教育などによって支え直し、「支えられる側」に就労支援や地域包括ケア、生活支援サービス(見守り・外出支援・家事支援)などを通して社会への参加機会を提供する。それは、より多くの人々が共生や支え合いの「場」(居住・就労・活動の場や領域)に参入することを意味する。その「場」は、地域における居住(高齢者や現役世代などが支え合いながら一緒に暮らす、あるいは一人暮らしの高齢者が地域の生活支援を受けながら暮らす「地域型居住」)の場をはじめ、コミュニティ(共同体)や就労の場、共生型ケアの場など、人々が直接、間接に相互の必要を満たし合う場(フィールド)を指す(51、52、94ページ)。
〇宮本は、「共生保障」型の地域福祉や地域組織づくりについて、その実践事例を紹介する。「ひきこもりで町おこし」を進めた秋田県藤里町社会福祉協議会の取り組みや、「このゆびとーまれの共生型ケア」を進めた富山市の民間デイサービス事業所「このゆびとーまれ」の取り組み、「小規模多機能自治」と呼ばれる島根県雲南市の市民と行政による協働のまちづくりの取り組みなどがそれである。

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〇藤里町社協の取り組みは、ひきこもりの若者の居場所や交流拠点、働き場所として、2010年に地域福祉の拠点「こみっと」を開設し、それを特産品づくりによる町おこしへとつなげた実践である。それは、「障害や生活困窮など、働きがたさを抱えていた人々が、支援を受けつつも多様なかたちで働くことができる新しい職場環境」(82ページ)を指す「ユニバーサル就労」の考え方による。「このゆびとーまれ」のそれは、高齢者だけでなく子どもや障がい者などの誰もが利用できるデイケアハウスを1993年に開所し、それを「地域密着・小規模・多機能」をコンセプトとした共生型福祉施設、そしてその後の「富山型デイサービス」へと発展させた実践である。それは、「福祉のなかから当事者同士の支え合いをつくりだし、部分的には支援付き就労にもつなげていく試み」(106ページ)である「共生型ケア」の考え方による。それらの詳細については次の文献を参照されたい。
・菊池まゆみ『「藤里方式」が止まらない― 弱小社協が始めたひきこもり支援が日本を変える可能性?』萌書房、2015年4月
・菊池まゆみ『地域福祉の弱みと強み―「藤里方式」が強みに変える―』全国社会福祉協議会、2016年10月
・惣万佳代子『笑顔の大家族このゆびとーまれ―「富山型」デイサービスの日々―』水書坊、2002年11月
〇雲南市では、「まちづくりの原点は、主役である市民が、自らの責任により、主体的に関わることです」(雲南市まちづくり基本条例前文)という基本理念のもとに、2010年に公民館を地域づくり・生涯学習・地域福祉を担う交流センター(公設民営・指定管理)に改組する。そして、そこに自治会(地縁型組織)や消防団(目的型組織)、PTA(属性型組織)などがつながり、地域の総力を結集して地域課題を自ら解決し、住民主体のまちづくりを進める地域自主組織(小規模多機能自治)を概ね小学校区に立ち上げた。そこでは、要援護者の安心生活見守り事業や高齢者の買い物支援事業などが展開されている。地域自主組織は、市の財政支援や人的支援などを受けながら、地域間の連携や行政との協議・協働を図り(「地域自主組織取組発表会」「地域円卓会議」「地域経営カレッジ」等)、さらには2015年に「小規模多機能自治推進ネットワーク会議」を設立して全国の他地域とのネットワークを構築している。特筆されるところである。
〇なお、こうした「好事例」について、宮本は次のようにもいう。「『好事例』は、既存制度を超える『技』(『裏技』『荒業』を含めて)を備えた突出したリーダーシップによる例外的事例に留まっている」(ⅴページ)。「新聞やメディアは、地域で広がるひとり親世帯や高齢世帯の困窮、孤立をクローズアップし、時に警鐘を乱打する。その一方で、地域における困窮者支援やまちづくりの『好事例』を積極的に取り上げ、これを持ち上げる。さらに、国の社会保障改革の停滞について伝える。だが、深刻な地域の現実と一部の『好事例』と停滞する社会保障改革が、時々のトピックスに伴って代わる代わる前面に出て、相互につながらない」(ⅵページ)。「地域では、人々の支え合いを支え、共生を可能にしようとする多

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様な試みが広がっている。しかし、こうした動きは、『好事例』に留まり大きな制度転換にはつながっていない」(218ページ)。留意しておきたい。
〇「共生保障」の観点から「まちづくりと市民福祉教育」について一言しておきたい。(「支えられる側」とされがちな)高齢者や障がい者、子どもなどが自律的・能動的な地域生活を営むためには、「支える側」による個別具体的な支援とともに、安全・安心な生活環境が整備され豊かな社会関係が構築されなければならない。しかも、生活上の困難や社会的課題を抱える高齢者や障がい者、子どもにはそれゆえに、地域社会を構成する一員であるとともにまちづくりの主体であることを認識し、その役割を果たすことが期待される。その際、(まちづくりの主体である)その地域に暮らす多様な人々との相互理解や相互承認、共働や支え合い、それを保障するための仕組みが必要かつ重要となる。それが、「まちづくりと市民福祉教育」の内容や方法を決める。
〇周知の通り、(1)1970年代以降の高齢化社会の進展を背景に、高齢者の学習活動の奨励や社会参加活動の促進が図られるなかで、高齢者の学習・教育プログラムが開発、提示されてきた。(2)1960年代にアメリカで生まれた身体障がい者の自立生活運動を契機に、日本では1980年代以降、障がい者が自律的に地域生活を営むための自立生活プログラムが組織化され、その普及が図られてきた。(3)学校教育においては1980年代から「地域学習」が取り組まれ、1980年代後半には「環境教育」が注目される。2002年度から小・中学校で(高等学校では2003年度から)全面実施された「総合的な学習の時間」では、「まちづくり学習」の取り組みが行なわれるようになった。こうしたなかでまちづくり学習プログラムの開発が進むことになる(「付記」参照)。(4)1990年代以降、社会の階層化・ 分裂化が指摘され、政治や社会に積極的・主体的に参加する「能動的市民」(民主主義社会の形成者)の育成が求められた。イギリスでは 2002 年に、公教育の中等教育段階でシティズンシップ教育が必修化された。日本では2006 年に、経済産業省によって「シティズンシップ教育宣言」が出された。それをきっかけに、東京都品川区の小中一貫教育のなかでの「市民科」の設置(2006年)、お茶の水女子大学附属小学校における「市民」科の授業の取り組み(2007年)などがクローズアップされた。以後、学校教育のみならず、生涯学習の一環としてシティズンシップ教育プログラムの開発と実践が展開されることになる。
〇これらは、「まちづくりと市民福祉教育」に含まれるべき学習・教育活動であるが、市民福祉教育実践として十分に取り上げられてこなかった。共生保障としての「まちづくりと市民福祉教育」の重要な要素であり、積極的な議論の展開が求められる。

補遺
普遍主義的改革の「三重のジレンマ」
宮本は[2]で、1990年代からの社会保障改革の基調は普遍主義的改革であったが、その改革は空転し、掲げた目標のように進んでいない。それは、3つの深刻なジレンマま

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あるいは矛盾―(1)国と自治体の財政的困難、(2)自治体の縦割り行政の制度構造と機能不全、(3)「支える側」の中間層の解体と雇用の劣化のなかで進行してきたからである、という。留意しておきたい(抜き書きと要約)。

第一に、本来は大きな財源を必要とする普遍主義的改革が、(経済)成長が鈍化し財政的困難が広がるなかで(その打開のための消費税増税の理由づけとして)着手されたということである。高齢社会が到来するなかで、高齢者介護については社会保険化(介護保険)が可能だったが、障がい者福祉や保育のニーズは、介護に比べて誰しも不可避とはいえない面があり、社会保険化は困難であった。したがって、財政的困難のなかで税財源へ依拠するというジレンマがいっそう深まった。
第二に、自治体の制度構造は「支える側」「支えられる側」の二分法に依然として拘束されている面がある。にもかかわらず、普遍主義的改革においては、その自治体にサービスの実施責任が課された。
第三に、救貧的福祉からの脱却を掲げた普遍主義が、中間層の解体が始まり困窮への対処が不可避になるなかですすめられた、という逆説である。日本社会で救貧という課題が現実味を増すなかで、救貧的施策からの転換が模索されるという皮肉な展開となったのである。そして新たな目標であった自立支援は、雇用が劣化して多くの人々の就労自立が困難になるなかで取り組まれた。
すなわち、共生保障とも重なる普遍主義的改革は、財政危機、自治体制度の未対応、雇用の劣化による中間層の解体という三重のジレンマのなかで、進行したのである。この三重のジレンマこそが、普遍主義的改革の展開とその結果を方向づけた。(153~154ページ)

付記
1.子供を対象とした「まちづくり学習」の経緯
1.1都市計画・まちづくりの分野での経緯
都市計画の中で子供やその教育の問題が本格的に取り上げられるようになったのは、1970年代からであり、80年代に入ると「地域学習」への期待から、各自治体によるまちづくり関連の副読本が相次いで登場した。
80年代後半には世田谷区が主催する「まちづくりコンクール」や、杉並区での「知る区ロード探検隊」など、自治体による直接的な「まちづくり学習」の取り組みがおこなわれるようになり、90年代半ばには、自治体による子供参加のまちづくり学習の取り組みが、10府県336市区町村で640以上行なわれていた。
さらに90年代には建築学会を始め、様々な専門家、市民団体が関心を寄せ、取り組みの内容は多様化し、事例数も増加傾向にある。

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都市計画・まちづくりの分野では、これまで1)まちづくりの将来の担い手としての子供への着目、2)都市計画・まちづくりへの子供の視点の取り入れ、3)まちづくりへの子供参加が進む中で、その参加がお飾り的な物とならないために、の3点から子供に対する「まちづくり学習」が取り組まれてきた。
1.2教育の分野での経緯
一方、教育の分野では身近な地域やそこでの子供の生活、体験を教材とする「地域に根付いた教育・学習」が、繰り返し試みられ、「まちづくり学習」の素地となるものが存在すると言える。
このような取り組みは様々な理由から、これまで一般には広まらなかったが、1996年の中央教育審議会の答申によって、学校教育では、2002年から「総合的な学習の時間」の導入、体験的、問題解決的な学習の充実、地域との連携などが図られるようになり、「まちづくり学習」を行なう上での条件が整いつつあると言える。

2.「まちづくり学習」の近似概念の整理と理念の構築
2.1「まちづくり学習」の定義
「まちづくり学習」とは、「環境」のための学習であり、主な目的はまちづくりを自らの問題として捉え、関わってゆこうとする主体的意識の育成とそのために自らの「環境」を自分で判断するための価値観の育成である。
子供を対象とすることは、価値観や関心が発育の途中であるため多くの配慮が必要である点、携わる大人も共に学び合う事が可能であること(つまり「教育」と言うよりも、むしろ「学習」である)の2点においてまちづくりに関する「市民教育」と区別される。
2.2近似概念の整理
近似する概念としては、「環境教育」と「地域学習」の2つを挙げることができる。
「環境学習・教育」とは本来、人間と取り巻く環境全般に渡るものであり、「判断力」や「主体的態度」の育成を定義に含むが、日本においては公害を契機として再認識されたことから、その範囲は狭く捉えられがちで、一般的な環境問題や自然保護に偏重していた。
「地域学習」は、学校教育において1980年代から取り組まれ、身近な地域や地域社会について、地形、土地利用、公共施設、歴史、人の営み、それを守るための働きなどをテーマに「調べ学習」を行なうものである。
しかし、調べたことから思考するという発展的学習が行なわれることは非常に少ない。
つまり、まち(身近な環境)を対象とする「環境教育」であり、「地域学習」よりも一歩進んで、得た知識から考察し、まちに対して何らかの働きかけをしようとする学習である「まちづくり学習」は新しい概念であると言える。
この「環境教育」の偏りを補うべく、70年代後半から建築の分野では、イギリスにおける「環境教育」を手本とした「住環境教育」の議論が、都市計画の分野においても「まちづくり教育」「まちづくり学習」などの議論が起こっている。(以下略)

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【注】
安藤真理「子供を対象とした『まちづくり学習』の学校教育における展開の可能性に関する研究―横浜市の取り組みの分析を通して―」『2001年度/東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻・修士論文(概要)』より。
謝辞
転載許可を賜りました東京大学工学部都市工学科/大学院工学系研究科都市工学専攻 都市デザイン研究室に厚くお礼申し上げます。

 

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31/まちづくりと市民福祉教育の「当事者」
         ―向谷地生良らの「当事者研究」をめぐって―

〇「まちづくりと福祉教育」の「当事者」とは誰か。その当事者は立ち位置をどこに取り、どのような姿勢でその実践や研究に取り組むべきか。本稿のねらいは、この素朴で基礎的な質問にひとまず応えるための文献と、そこでの注目(留意)すべき論点や言説を紹介(再認識)することにある。なお、以下の文献は、筆者の手もとにある、限られたものであることを断っておきたい。

(1)中西正司・上野千鶴子『当事者主権』岩波新書、2003年10月、以下[1]
(2)上野千鶴子『ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ―』太田出版、2011年8月、以下[2]
(3)日本福祉教育・ボランティア学習学会機関誌編集委員会編『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報(特集 福祉教育・ボランティア学習と当事者性)』Vol.11、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2006年11月、以下[3]
(4)石原孝二編『当事者研究の研究』医学書院、2013年2月、以下[4]
(5)柳田邦男『「人生の答」の出し方』新潮社、2004年4月、以下[5]
(6)一番ヶ瀬康子『社会福祉の道』風媒社、1972年12月、以下[6]
(7)一番ヶ瀬康子・大橋謙策編『学校における福祉教育実践 Ⅰ―保育所・幼稚園・小学校-』(シリーズ福祉教育 第2巻)光生館、1988年4月、以下[7]

〇周知のように、国(厚生労働省)によっていま、「地域共生社会政策」(「我が事・丸ごとの地域づくり」注①)が推進されている。確かで豊かな地域共生社会の実現を図るためには、行政や専門家による積極的・革新的な取り組みとともに、地域住民の学習・文化活動や「まちづくり」の主体形成、当事者の参加(参集、参与、参画)や共働が重要な課題となる。
〇「福祉教育」に関する主要な教育実践に、障害や高齢の疑似体験(車いす体験やアイマスク体験)や、障がい者や高齢者との訪問・交流活動がある。その展開に際しては、障がい者や高齢者などの当事者の参加や共働を如何に図るかが厳しく問われる。それは、場合によっては、「貧困的な福祉観の再生産」(原田正樹)を結果することになるからである。
〇「まちづくりと福祉教育」の当事者は、そこに暮らす子どもから大人までの全ての地域住民である。当然のことながら、「障害当事者」「高齢当事者」や社会福祉サービスの「必要者」「利用者」などもそれに含まれる。むしろ彼・彼女らが、「まちづくりと福祉教育」で重要な位置と役割を占めるべきである。まちづくりに

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ついていえば、地域・福祉意識の醸成・変革が求められる地域住民をはじめ、専門的な知識や技術をもつ実践者(専門家)や研究者も当事者である。学校福祉教育についていえば、子どもと教師、保護者、さらには地域住民も当事者である。
〇なお、『広辞苑(第7版)』(2018年1月)によると、「当事者」とは「その事または事件に直接関係をもつ人」をいう。「当事者」に関しては、「受益者」から「当事者」への移行、「当事者」研究から「当事者研究」への展開、などが指摘される。さらに、「当事者性」という用語に関して、当事者(障がい者等)の特性、当事者(障がい者等)の主体性、非当事者(非障がい者等)による当事者(障がい者等)の受容・共感や自己同一化の程度、などと多義的で、多様な意図をもって使われる。
〇このように「当事者」(広義)についてあれこれと思考を巡(めぐ)らしながら、[1]から[7]の文献における「当事者」とその立ち位置や姿勢に関する論点や言説の一部を紹介する(抜き書、要約)。

(1)「当事者主権」:中西正司・上野千鶴子
当事者とはだれか? 当事者主権とは何か?
ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる。ニーズを満たすのがサービスなら、当事者とはサービスのエンドユーザー(商品を使う人:阪野)のことである。だからニーズに応じて、人はだれでも当事者になる可能性を持っている。
当事者とは、「問題をかかえた人々」と同義ではない。問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から来ている。私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズはあるのではなく、つくられる。ニーズをつくるというのは、もうひとつの社会を構想することである。([1]2~3ページ)
当事者主権は、何よりも人格の尊厳にもとづいている。主権とは自分の身体と精神に対する誰からも侵されない自己統治権、すなわち自己決定権をさす。私のこの権利は、誰にも譲ることができないし、誰からも侵されない、とする立場が「当事者主権」である。([1]3ページ)
当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれも―国家も、家族も、専門家も―私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である。([1]4ページ)

現代社会に必要なのは、個人個人が当事者となり、自分自身の人生に対する主権を行使することではないだろうか。そうすることで、社会は自分たちの望む方向に変わる。障害者は一歩先に自立したが、むしろ多くの非障害者はまだ自立できてはい

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ない。世の中をこんなものさ、と受け入れていれば、自分のニーズにさえ気づかない。そのために、非障害者は当事者にさえ、なれないのだ。障害者の自立の理念に学んで、変えられないと思っている社会を変えてみようではないか。([1]205~206ページ)

(2)「当事者主権」:上野千鶴子
「当事者主権」とは、中西正司とわたしが共著『当事者主権』のなかで造語したものだが、「主権」という強い用語を当てたのは、「他者に譲渡することのできない至高の権利」という含意から来ている。人権の拡張によって得られた「ケアの権利」は、この当事者主権にもとづいていなければならない。だからこそ、ケアの権利の積極的/消極的の軸は、ケアすること/ケアされることの自己決定権の有無にもとづいて立てられたのである。([2]65ページ)
日本語の造語である「当事者主権」には、対応する英語圏のテクニカル・タームが存在しない。「自己決定権」を字義通り訳してself-determinismという訳語を対応させることは、(中略)「自己決定・自己責任」のネオリベラリズムの用語と混同されるおそれがあるため、採用を避けたい。当事者主権の訳語には、individual autonomyを暫定的に当てることとする。それは社会的弱者の自己統治権を意味するからである。([2]66ページ)

「当事者主権」という概念が障害学の分野から生まれたのは偶然ではない。というのも、「消費者主権」同様、援助の対象となっていながらその実、援助の内容についての自己決定権を長きにわたって奪われてきたのが障害者だったからである。障害者に限らず、女性、高齢者、患者、子どもなどの社会的弱者に「当事者能力」が奪われてきたことを前提に、それらの人々の「自己決定権」を主張するために、「当事者主権」という用語がつくられる必要があった。「当事者主権」とは何よりも社会的弱者を権利の主体として定位するために、必要とされた概念なのである。([2]67ページ)

(3)「当事者性」:松岡廣路
(障がい者や高齢者などの:阪野)「当事者」の学習が周辺に置かれたり、「当事者」が介在しない「非当事者」の教育・学習中心の福祉教育・ボランティア学習が推進されたりすることを懸念して、「当事者性」という考え方を、理論的なキー概念とすることも必要ではないだろうか。「当事者性」は、個人や集団の当事者としての特性を示す実体概念というよりも、「当事者」またはその問題的事象と学習者との距離感を示す相対的な尺度と捉えられるべきであろう。「当事者」またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合いといってもよい。
「当事者性が高め深められる」とは、たとえば、気軽にボランティアをはじめた後、徐々に対象者が身近な存在となり、その人との関係抜きには自分の生活を考え

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られなくなるような状況を指す。あるいは、「社会的に恵まれない、かわいそうな人」という発想から抜け出て、対象者の抱える問題を自分にとっての問題と捉えるようになり、対象者がともに解決のための行動を起こす仲間になったりするすることを意味する。(中略)福祉教育・ボランティア学習とは、「当事者性」を高め深めることを支援することによって、何らかの成果(問題意識・主体性・解決に向けての具体的行動)を得ようとする実践と言い換えることができるだろう。([3]18~19ページ)

(福祉教育・ボランティア学習における教育的な実践課題〈方向性〉として、次の3つを析出することができる。:阪野)ひとつは、〈包括的な当事者をいかに組織化するのか〉という方向性である。「包括的な当事者」とは、障害当事者に限定または固定化するのではなく、個人を取り巻く、親・施設職員・ソーシャルワーカーそしてボランティアや地域住民まで拡張して捉えるべきであるという考えである。包括的な当事者を組織化するということは、いわゆる当事者や家族・専門スタッフだけではなく、ボランティアあるいはそこに暮らす地域住民や子どもたち各々が、より「当事者性」の高い人たちに触れ合うことで共感・一体感・同時存在感を増し、自らの「当事者性」を高め深めていく過程を内在するものということができる。
もうひとつは、〈潜在的な当事者の意識化をいかに進めていくのか〉という方向性である。ニーズを意識化している人々のみを当事者と捉えるのではなく、問題の真っ只中に居るにもかかわらず問題を意識化しえていない人々も、潜在的な当事者であり、子どもや地域住民も、本来の当事者である。潜在的な当事者の意識化とは、己の問題状況を自覚し、それとの心理的・物理的距離感としての「当事者性」を高めるということである。
(そして3つ目は:阪野)〈いかに異なる当事者の連帯を促進するのか〉という方向性である。子ども・女性・障害者・高齢者・勤労者・在日外国人などの多様な生活者が埋没している今日の反福祉的状況を克服する包括的な力動を推進するものとして、福祉教育・ボランティア学習の意義が期待されている。当事者の連帯とは、異なる「当事者性」を重ね合い、多極的かつ有機的に「当事者性」を高め合っていくということになる。福祉教育・ボランティア学習は、そうした「当事者性」の深化・統合をいかに具体的に促進するのかを課題とする実践と同定しえるであろう。([3]16~20ページ。抜き書き、要約)

(4)「当事者研究」:石原孝二・河野哲也・池田喬
(べてるの家の実践では:阪野)「当事者性」について独特の理解がなされてきた。つまり、「自分のことは、自分がいちばん、“わかりにくい”」という理解のもとに、「自分のことは、自分だけで決めない」ということが当事者性の原則として受け継がれてきたのである。

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自分が受けるサービスを自分で選択する権利を取り戻すという当事者運動における「当事者」とは異なり、べてるの家における「当事者」とは、自らの苦労を取り戻し、人とのつながりを回復することによって、自分を再発見していく人のことなのである。そうした再発見の場として機能するのが当事者研究にほかならない。(石原[4]28ページ)

当事者研究が自己を再発見していく営みであることは、べてるの家の当事者研究においても示されていたポイントである。当事者研究とは、当事者が人とのつながりの中で、苦労を取り戻し、言葉を取り戻し、自らの歴史性を取り戻していく作業であった。また、べてるの当事者研究の理念「自分自身で、共に」の「共に」には、当事者の仲間と共に、というだけでなく、専門家と共に、という意味が込められている。しかしこの場合の専門家の立ち位置は、あくまでも、当事者の主観的現実に寄り添う、ということにある。(石原[4]48ページ)。

当事者研究において目指されているのは、障害当事者が自分自身で自分の問題に取り組み、自発的に生活の質の向上を目指すことである。この形を見るならば、当事者研究の過程は、治療というよりも、デューイがいう意味での自己「学習」に近いといえないだろうか。(河野[4]84ページ)
当事者研究は、デューイの問題解決学習(Problem Solving Learning)の一種だといってしまってよいほどだ。(河野[4]87ページ)
こうした当事者による学びにおける教育者の役割は、生活の質を向上させようとする当事者の試みを尊重しながら、それが可能になるような当事者のケイパビリティ(潜在能力)を共同で開発していくことにある。何を学ぶことがどのようなケイパビリティを開発することにつながるのか、それがどのような生活の質の向上と結びついているのか。こうした学びの価値が当人にとって可視化されていることが、学習意欲を維持する。教育者は、学習目標を定めてそこへの道を教授するインストラクターではなく、当人が生活の質を高めるための選択肢を示唆するコーチでなければならない。
当事者研究は、自分の成長にかかわる知、すなわち、自己教育であり、自己教育以外に成長の道はないのである。これが当事者研究の優位性である。(河野[4]88ページ)

当事者研究が目指しているのは、当事者同士の共同的な探求の中で自己理解を深め、自分の問題に対する対処法を知ることであり、それを通して最終的に自律性を確保することである。したがって、当事者研究とは、比較不可能な個性を主張するための閉鎖的な自己表現ではありえない。当事者が、自己についての言及が絶対のものであり、無謬(むびゅう。まちがいがないこ:阪野)であると考えてしまえば、それは集団・個人の両レベルにおいて当事者の孤立を招き、最終的に当事者の活動を閉塞させてしまうだろう。

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当事者研究は、当事者同士の相互援助によって障害を持った人々の共同性を確保すると同時に、その個々人の差異化と分節化を促し、自分自身で自発的に学びながら生きる手段を提供するものである。当事者が医学定義によって外から分類されるのではなく、当事者が自分の抱えている問題をどのように対処しているかという自己学習の観点からつながり合うときにこそ、当事者研究の大きな意味が明らかになる。(河野[4]109~110ページ)

当事者研究は、診断名や社会的なカテゴリーによる理解ではなく、当事者たちによる研究によって自分たちについての理解を獲得しようとする。当事者研究における当事者性とは、結局、その人その人の身体と言葉を介した生きる主体性だといえるのかもしれない。だとすると、この主体性は、健常者や研究者・専門家といったカテゴリー的理解の適用によって「私は当事者ではない」と思考するときにまさに逸(そら)されているものである。当事者とは、一人一人が、当事者研究に触れることを通じて「自分自身で、共に」なるべき何かなのである。(池田[4]146~147ページ)
当事者研究は、研究者・専門家も含めた私たちの一人一人が共に自分自身で考えるチャンスの場なのである。(池田[4]147ページ)

(5)「2.5人称の視点」:柳田邦男
私はかねて、拙著『この国の失敗の本質』(講談社、1998年12月、のち講談社文庫に)や『緊急発言 いのちへⅡ―医療事故・鉄道事故・臨界事故・大震災』(講談社、2001年9月)などで、専門化社会の専門家あるいは専門的職業人に求められるのは、ひとりひとりが「2.5人称の視点」を身につけることと、その視点を業務のなかで確実に生かせるような組織的な取り組みをすることだと提言してきた。1人称は被害者や患者や障害者本人、2人称はその家族。3人称は友人・知人や仕事でかかわり合う職業人からアカの他人まで。医療者や福祉の従事者をはじめ、行政官、法律家、教育者、ジャーナリストなどは、3人称の立場なのだが、冷たく乾いた3人称であってはならないはずだ。これからの専門的職業人には、3人称の冷静で客観的な判断をする立場を維持しながらも、被害者・患者・障害者などの弱い立場の人に対し、《自分が当事者あるいは家族だったら》という気持ちで寄り添うことも求められている。かと言って、2人称の家族と同じ気持ちになってしまったら、感情が同一化して、冷静で客観的な判断ができなくなる。そこで私は、これからの専門的職業人のあり方として、3人称と2人称の2つの立場を視野に入れた潤いのある「2.5人称の視点」の定着を提言したのだ。
そのためには具体的にどうすればよいのか。問題に取り組むときに、まず自ら現場に行き、被害の状況を実感するとともに、被害者、患者、障害者の生の声を聞くことだ。法規や理論の適用を机上で考える前に、現場を踏む。そうしてこそ本当に「わかる」という事実認識ができるのだ。そして、「法規上できない」とか、「科学的に証明されていないから何

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もできない」といった、ネガティブな発想を捨て、「現行の法規でも被害の拡大防止と救済の対応をする方法があるはずだ」とか、「根本的には法規をどう変えるべきか」とか、「科学的な証明はまだできていなくても、因果関係が黒に近い灰色であるなら、被害の拡大を防ぐためにまず手を打とう」(結果として白となって企業に損害が生じても、それは社会的に必要なコストとして行政が責任をとろう)というポジティブな発想をこそ優先すべきなのだ。「2.5人称の視点」の実践とは、そういう取り組みを指している。それが専門的職業人と行政・企業・学問の組織が、今まさに水俣病事件から学ぶべき課題なのだ。([5]192~193ページ)

(6)「“熱い胸”と“冷たい頭”」:一番ヶ瀬康子
“熱い胸”と“冷たい頭”というのは、私は感性的認識と理性的認識ということを別の言葉でいっているわけです。つまり“熱い胸”というのは感性的認識で、それは、大事にしないといけないけれど、そこにとどまっている限りより根本的な解決につながらないし、また自分はよいつもりでやっていても、結果的には間違っている場合もでてきます。なぜそうなったかということを深めながらより深い実践の展望を生みだすためには、なぜそうなったかという科学的認識あるいは理性的認識を媒介におかなければいけない。これが、“冷たい頭”だということです。
“熱い胸”から出発して“冷たい頭”をねりあげていきながら、“熱い胸”の正しい生かし方というものを、互いに深めていこうということの意味です。([6]57~58ページ)

(7)「感性的認識・理性的認識・主体的認識」:一番ヶ瀬康子
私は社会福祉への認識は、つぎの3つの段階をへて行われると考えている。それは、(1)感性的認識、(2)理性的認識、(3)主体的認識の3段階である。
(1)の感性的認識とは、“社会福祉”の必要を、漠然と心情的に認識している段階である。ことに自らと異なる他への認識の壁をこえつつ、他者との共感・共鳴あるいは愛情などを基底として、連帯への想いをいだきはじめる段階である。この段階での行動は、単純で、偶発的なものが多く、いわば慈善的なものにおわる場合も少なくない。しかし、自己中心的また排他的活動ではない他者との積極的関係がめばえはじめる段階である。
(2)の理性的段階とは、(1)の連帯への想いと素朴な活動が展開する過程で、そのことの意味や在り方を、より考究し有効性を検討しはじめる段階であるといえよう。それは、感性的段階での素朴な経験の集積のなかから会得し、その在り方を確認するレベルのものからはじまる。そして、他者たとえば高齢者の心理や生活上の特徴などをふまえて、その高齢者の状況を尊重しながらかかわりあうというレベル、さらにたとえば高齢者をめぐる社会福祉の在り方などにかんする矛盾の認識にいたるまで、多層でまた多様な道筋をたどるものと思われる。いずれにしても、(1)の感性的段階よりは、関係や環境との矛盾を客観視しながら、その在り方の認識に到達する

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段階であるといえよう。
それらに対し、(3)の主体的段階は、たとえば高齢者をめぐる問題など社会福祉の状況や矛盾に対し、積極的にかかわりながら、その充実、改善あるいは開拓、創造のための在り方を把握していく段階である。この段階では、たんに制度的な社会福祉を知っている、あるいは活用できるだけではなく、それをくみこみながら、もっと本質的な福祉を実現する社会福祉を自発的に創造していくための方向、方法に対し認識し、さらに自らのかかわり方への自覚をともなっていく段階である。つまり偶発的なボランティアとしてのレベル以上に、福祉を実現するための自発的な社会福祉(Voluntary Social Welfare)実践者としての認識の段階とも考える。
もちろん、以上のような3つの段階は、確然としているものではない。それは、発達の道筋のなかで、いわば螺旋的に、しだいにひろがりをもちつつ深まっていくのではないだろうか。([7]6~7ページ)

〇以上のうち、とりわけ[4]は、筆者にとっては何回読んでも衝撃を受け、感動を覚える本である。[4]でいう「当事者研究」は、2001年2月に北海道の「浦河べてるの家」(精神障がい者の地域活動拠点)で始まったものである。その「研究」の成立に重要な役割を果たした一人に、向谷地生良(むかいやち・いくよし)がいる。
〇べてるの家の当事者研究は、障害や問題を抱える当事者に対して、医師(専門家や研究者)が診断し治療(援助)するのではない。当事者自身が自らの苦労や困難、苦悩や苦しみに向き合い、自発的・主体的に問い直し、それを言語化し、問題解決へ向けて対処(行動)する。そして最終的に自律性を確保する。その実践(作業)を「研究」という言葉を用いて、仲間や支援者とともに共同的・公共的に行い、それを通じて人や社会との「つながり」の回復を図るのである。
〇べてるの家の当事者研究では、「3度の飯よりミーティング」「手を動かすより口を動かせ」というキャッチフレーズ(理念)のもとで、「自分を語る」ことが重視される。それは、単に個人的な体験談を話すことではなく、その閉塞性からの脱却を図るために、「共同的に言葉や知を立ち上げていく」(池田[4]133ページ)のである。別言すれば、当事者は自己体験を表現する言葉が少ないがゆえに、「自分を語る」なかで仲間と共に言葉を考え、紡(つむ)ぎ、それを通して見地を見出し、知見を広げていくのである。この共同行為によって、個人的な体験が「その人だけの自己完結的なものではなくなり、普遍性とか広がりとかつながり」(向谷地[4]153ページ)を持つことになる。
〇それは、1人称である当事者が、「研究」という3人称的な立ち位置から自分の問題を外在化し、仲間と共有化していくことを意味する。この点において当事者研究は、柳田邦男がいう「2.5人称の視点」の実践であると言ってもよい。客観的で冷静な3人称(他人、専門家)の立場を踏まえながら、1人称(わたし、当事者)や2人称(あなた、家族)の心情を共感的に理解し寄り添う(当事者や家族の身になって考

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える)姿勢(実践)がそれである(資料①)。さらに、この潤いのある「2.5人称の視点」は、一番ヶ瀬康子がいう「“熱い胸”と“冷たい頭”」や社会福祉への「感性的認識・理性的認識・主体的認識」についての言説を想起させる。[5]と[6][7]を紹介するところである。
〇なお、[4]で河野は、べてるの家の当事者研究は「障害当事者が自分自身で自分の問題に取り組み、自発的に生活の質の向上を目指す」(河野[4]84ページ)点において、デューイの「問題解決学習の一種」(河野[4]87ページ)であるという。また、向谷地によると、当事者研究はそれをまちづくり(地域づくり)に繋げていくことによって、「足腰の強い市民社会をつくる基本」となる。浦河では「地域の課題や困難を市民みんなが持ち寄って、研究的に、アイデアを出し合って形にしていく」「町民当事者研究」を進めている(向谷地[4]174ページ)。この言説には、「まちづくりと福祉教育」に関して「2.5人称の視点」に注目するとともに、障がい者や高齢者自身が中心的な役割を果たす「まちづくりと福祉教育」を推進したり、地域住民による「地域共生社会」の「研究」という意味での「住民当事者研究」のあり方を考えたりするためのヒントがある。付記しておきたい。


① 2016年10月に厚生労働省に設けられた「地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(地域力強化検討会)」(座長・原田正樹)が、2017年9月、『地域力強化検討会 最終とりまとめ~地域共生社会の実現に向けた新しいステージへ~』を発表した。そのなかで、「地域づくりの3つの方向性」について次のように整理し、「これら3つの地域づくりの取組の方向性は、(中略)互いに影響を及ぼしあうものということができる。『我が事』の意識は、その相乗効果で高まっていくとも考えられる」と述べている(7ページ)。
(1) まちづくりに広がる地域づくり
「自分や家族が暮らしたい地域を考える」という主体的、積極的な姿勢と福祉以外の分野との連携・協働によるまちづくりに広がる地域づくり
(2) ネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
「地域で困っている課題を解決したい」という気持ちで、様々な取組を行う地域住民や福祉関係者によるネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
(3) 一人ひとりを支えることができる地域づくり
「一人の課題から」、地域住民と関係機関が一緒になって解決するプロセスを繰り返して気づきと学びが促されることで、一人ひとりを支えることができる地域づくり
なお、原田は、この「地域づくりの3つの方向性」を、(1)まちづくりにつながる「地域づくり」、(2)福祉コミュニティとしての「地域づくり」、(3)一人を支えることができる「地域づくり」、と別言している(『平成30年度 地域福祉推進セミナー―基本資料―』島根県社協・島根県社協地域福祉推進委員会、2018年10月、93ページ)。

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資料
➀ 2.5人称の視点―3人称の客観性を捨てないが1人称に寄り添う姿勢―

注 柳田邦男「被害者の精神史~70年の歩みと転機のいま~」『日本記者クラブ         2015年度総会記念講演』(2015年5月27日)資料より

補遺
「障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)とは簡単に言えば、障害、障害者を社会、文化の視点から考え直し、従来の医療、リハビリテーション、社会福祉、特殊教育といった『枠』から障害、障害者を解放する試みである」(石川准・長瀬修編著『障害学への招待―社会、文化、ディスアビリティ』明石書店、1999年3月、3ページ)。その「障害学」の成立の背景について、次の言説によって確認しておくことにする。「『まちづくりと福祉教育』の当事者」について思考する際に留意すべき点のひとつである。

医療・教育・福祉などの領域での各種専門職の働きかけが抑圧的なものであったという経験が、1960―70年代以降、障害者自身によって各国で語られ始めた。「〈障害〉を持つ障害者たちの「語り」ではなく、彼らを援助することの権限を与えられてきた専門家たちの「語り」が〈障害〉という現実を構成する支配力」を有してきたことが告発され始めたのである。障害者は、医療では治療やリハビリテーションによって「正常性」へと近づけるべき存在として、教育では社会への適応を支援すべき存在として、福祉では保護の対象となるべき存在として、非障害者の専門家によって位置づけられてきた。このことが、結果として障害者に否定的なアイデンティティを押し付けることにつながったという現実が、障害当事者からの強い批判の的となった。

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そこには、問題の「代弁」や「共感」といったことに潜む危険性への自覚がある。これまで障害をめぐって「問題」とされたのは、多くの場合、障害者を取り巻く周囲の人々が「問題」としてとらえた事柄であって、障害者自身にとって「問題」と感じられた事柄ではなかった。したがって、問題解決を志向する取り組みは必ずしも障害者自身にとって望ましい方向に向かうものであるとはいえなかった。このような背景の下、ディスアビリティ・スタディーズは障害者自身による問題の定義づけを重視し、当事者の手による調査研究の重要性を強調したのである。それにあたっては、従来とは異なるオルタナティブな研究目標の探求も必要であるとされ、社会的抑圧の経験から出発して政治的取り組みを促進することへの貢献が一つの目的であるとされた。(星加良司「当事者性の(不)可能性―ディスアビリティ・スタディーズの存在理由」崎山治男・伊藤智樹・佐藤恵・三井さよ編著『〈支援〉の社会学―現場に向き合う思考―』青弓社、2008年11月、212ページ)

 

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32/「関係人口」とよそ者
        ―田中輝美と敷田麻美の論考から―

〇地域づくりに関してしばしば、「よそ者、若者、ばか者」という3者が挙げられ、その役割が指摘される。従来のシステムや活動に対して批判的で、新しい見方を醸成する「よそ者」、しがらみのない立場から、新たなエネルギーによって次の時代を切り拓く「若者」、旧来の価値観の枠組みからはみ出し、既成概念を壊す「ばか者」がそれである(真壁昭夫『若者、バカ者、よそ者―イノベーションは彼らから始まる!』PHP研究所、2021年8月参照)。そこに通底するのは、常識や固定観念にとらわれず、客観的にモノゴトを考え、前向きに行動する姿勢や態度である。彼らは地域づくりの現場で、ときに好意的・肯定的に評価され、またときには地域や組織から受け入れられず、軽視あるいは排除される。
〇私事にわたるが、筆者がいま暮らす“まち”に定住して25年が過ぎた。そして僭越ながら、ある思いや願いのもとで、地域との関わりにおいて「よそ者、若者、ばか者」の役割を多少とも果たそうとしてきた(している)。しかし、地域からの基本的な評価は、いまだに地域外からの「よそ者」(移住者)である。コトによってはある役割を果たすことが要請・期待されるが、それとて地域に住む一般的な住民とは異質な「よそ者」「見知らぬ者」に対してである。そうしたなかで、「よそ者、若者、ばか者」に無頓着・無関心に暮らす地域住民が多い。これが、多かれ少なかれ伝統的な共同性や社会関係が残る農村部や中山間地域を抱える、地方の小都市(人口約8万6,000人)のひとつの実相である。
〇また、地元の行政やJA等の広報誌などでは最近、「関係人口」に関する記事が目につくようになった。それは、移住者や新規の就農者の増加を図りたいという考えによるのであろう。また、「農福連携」の記事も散見される。農福連携とは、「障がい者等が農業分野で活躍することを通じ、自信と生きがいを持って社会参画を実現していく取り組み」である。「担い手不足や高齢化が進む農業分野において、新たな働き手の確保につながる可能性がある」(農林水産省ホームページ)という。そこでは、いわゆる「健康・生きがい就労」が強調され、劣悪な労働条件や職場環境のなかでの就労が余儀なくされている。それは、安価な労働力を補填・補充する、技能実習生として働く「低度」外国人材の非熟練労働の実態と重なる(安田峰俊『「低度」外国人材―移民焼き畑国家、日本―』KADOKAWA、2021年3月参照)。
〇筆者の手もとに、田中輝美(たなか・てるみ、ローカルジャーナリスト、島根県立大学)の『関係人口の社会学―人口減少時代の地域再生―』(大阪大学出版会、2021年4月。以下[1])がある。
〇「関係人口」という用語は、高橋博之(たかはし・ひろゆき)と指出一正(さしで・かずまさ)の二人のメディア関係者が2016年に初めて言及したものである。

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「関係人口」とは、高橋にあっては「交流人口と定住人口の間に眠るもの」、指出にあっては「地域に関わってくれる人口」をいう。その後、田中輝美は「地域に多様に関わる人々=仲間」(2017年)、総務省は「長期的な『定住人口』でも短期的な『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者」(2018年)、農業経済学者である小田切徳美(おだぎり・とくみ、明治大学)は「地方部に関心を持ち、関与する都市部に住む人々」(2018年)、河井孝仁(かわい・たかよし、東海大学)は「地域に関わろうとする、ある一定以上の意欲を持ち、地域に生きる人々の持続的な幸せに資する存在」(2020年)としてそれぞれ、「関係人口論」を展開する(73~75ページ)。
〇田中は[1]で、こうした抽象的・多義的で、農村論や過疎地域論に偏りがちな(都市部における関係人口を切り捨ててしまう)関係人口論に問題を投げかけ、関係人口について社会学的な視点から学術的な概念規定を試みる。関係人口とは「特定の地域に継続的に関心を持ち、関わるよそ者」(77ページ)である、というのがその定義である。この定義づけで田中は、関係人口を、移住した「定住人口」でも観光に来た「交流人口」でもなく、新たな地域外の主体、別言すれば「一方通行ではなく、自身の関心と地域課題の解決が両立する関係を目指す『新しいよそ者』」(69ページ)として捉える。その際、地域とどのように関わるかについて、関係人口の空間(「よそ者」)とともに、時間(「継続的」)と態度(「関心」)に注目する。
〇こうした定義づけを踏まえて田中は、関係人口が地域再生に関わった事例の分析を行い、関係人口が(1)どのように地域再生の主体として形成されていくのか、(2)地域再生にどのような役割を果たすのか(14ページ)、という2点を明らかにする。そのなかで、現代の人口減少社会における地域再生の方向性と具体的な方法論を示す。これが[1]における「関係人口」研究の目的である。なお、田中が調査対象としたのは、関係人口が島根県海士(あま)町で廃校寸前の高校の魅力化という教育課題に関わった事例、島根県江津(ごうつ)市でシャッター通り商店街の活性化という経済課題に関わった事例、そして香川県まんのう町で過疎地域の高齢者の生活支援という福祉課題に関わった事例、この3つである。
〇上記(1)の「地域再生主体の形成」について田中は、パットナム(Robert D.Putnam,アメリカの政治学者)の「社会関係資本論」をよりどころにアプローチする。社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)論とは、地域・社会における人々の相互関係や結びつきは、ネットワークや互酬性、信頼性などによって規定されるという考え方である。田中は、地域再生主体の形成過程について次のようにいう。先ず、①地域課題に関心や問題意識をもつ関係人口は、その課題解決に向けて主体的に動き出し、その際に関わった地域住民と社会関係資本を構築する過程で地域再生の当事者・主体として形成される。続いて、②その関係人口が社会関係資本を構築する過程で、最初につながった地域住民とは別の新たな地域住民が地域再生主体として形成され、両者(地域再生主体としての関係人口と同じく地域再生主体として

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形成された地域住民)の「協働」という相互作用によって地域課題に立ち向かう。そして、③その地域住民が自ら社会関係資本を構築する力をつけたことで地域内にまた、新たな地域住民や新たな関係人口との間に多層的な社会関係資本が構築され、連続的に地域課題の解決を図る(250、273、308ページ)。
〇この3つのステップ――①関係人口が地域課題の解決に動き出す。/関係人口が地域住民との間に社会関係資本を構築する。→②関係人口と地域住民との間に信頼関係ができる。/社会関係資本が別の住民に転移する。→③地域住民が地域課題の解決に動き出す。/地域住民が別の地域住民や関係人口との間に社会関係資本を構築する、これが「地域再生サイクル」(279ページ)である。ここでの要点は、地域再生主体とは「主体的に地域課題を解決する人」であり、「地域再生の主役はその地域に暮らす住民」である。田中はいう。「人口減少が前提となる現代社会の地域再生においては、『心の過疎化』に起因する主体性の欠如が報告され続けてきた地域住民が主体性を獲得し、地域再生の主体として形成されることが欠かせない。その形成を促すカギとなる存在が、関係人口である」(308~309ページ)。ここで重要なのは、地域住民が地域外の関係人口をどれだけ呼び込んで活用したかという量ではない。問われるのは、新たな地域住民が「地域再生の主体性」をどのように獲得したかという、地域住民と関係人口との間の関係性の「質」である(309ページ)。すなわち、地域住民が関係人口を資源として客体化するのではなく、地域住民と関係人口が対等な主体として「協働」していくなかで互いが、どのように地域再生主体として形成されていくかが重要になる(312ページ)。
〇上記(2)の「地域再生における関係人口の役割」について田中は、敷田麻美(しきだ・あさみ、北陸先端科学技術大学院大学)の「よそ者論」をよりどころにアプローチする。敷田の言説を引いて、田中はいう。「よそ者」とは「異質な存在」であり、地域住民との関係によってその異質性が左右される。そして、よそ者と地域住民がどのように関わるかによっていろいろな変化(「よそ者効果」)が起きる(116ページ)。その「効果」についての敷田の言説を、田中は次のように紹介・説述する。①地域の再発見効果(よそ者は地域に不慣れなことが幸いして、地域資源の価値や地域のすばらしさを見出すことができる)、②誇りの涵養効果(地域住民は地域外の視点を持つよそ者を意識することで、自らの地域のすばらしさを認識する)、③知識移転効果(地域住民がよそ者と接することで、地域にない知識や技能を補う効果が期待できる)、④地域の変容を促進する効果(地域がもともと持っている資源や知識を、よそ者の刺激を利用して変化させることができる)、⑤「地域とのしがらみのない立場からの解決案」の提案(よそ者は地域のしがらみにとらわれない立場だからこそ、優れた解決策を提案できる)、この5つがそれである(116~118ページ。各項目の表記は敷田による)。
〇田中にあっては、関係人口と地域住民との「協働」によって、このような「よそ者効果」が発現し、創発的な課題解決が可能になる。この点と上述の「地域再生サイクル」の知見から田中は、地域再生における関係人口の役割は、①地域再生主体

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の形成と②創発的な課題解決の促進の2つであることを明らかにする。以上が田中の議論である。その内容については、地域福祉論の領域から言えば必ずしも特段の新味があるものでもないが、社会学的な視点・視座から3地域の事例の質的研究を地域再生活動の発展段階に沿って丹念に行う。そして、「社会関係資本論」や(以下に記すような)「よそ者論」に依拠して「関係人口」についての整理がなされている。注目されるところであろう。
〇ここで、上述の敷田の「よそ者と地域づくり」に関する論考について若干ふれておきたい。そのひとつは、「よそ者と地域づくりにおけるその役割にかんする研究」(『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.9、北海道大学、2009年9月、79~100ページ。以下[2])である。なお、[2]の決定版として、敷田の「よそ者と協働する地域づくりの可能性に関する研究」(『江淳の久爾(えぬのくに)』第50号、江沼地方史研究会(石川県加賀市立中央図書館内)、2005年4月、74~85ページ)がある。
〇[2]で敷田は、意図的に起こる効果と意図せずとも起こる効果の両方を含めて、「よそ者の地域づくりへのかかわりが起こす変化」を「よそ者効果」とする。そして、田中が紹介・説述した5項目を次のように換言し、それらの効果は複合的に同時に起きているが、それがどのように発現するかが重要となる、という。項目の換言は、①技術や知識の地域への移入、②地域の持つ創造性の惹起や励起、③地域の持つ知識の表出支援、④地域(や組織)の変容の促進、⑤しがらみのない立場からの問題解決(89ページ)、である。
〇敷田はさらに、「よそ者効果の活用」についていう。地域づくりの本来の姿は、地域がよそ者に依存するのではなく、よそ者をひとつの「資源」として適切に活用することにあり、「よそ者活用戦略」「よそ者活用モデル」が必要となる。その際、よそ者はあくまで「有限責任」を持つ存在であり、また地域づくりには「最適解」はないことから、地域の多様な選択肢を提示することが求められる存在である。その点に留意し、地域がその主体性を発揮しながらよそ者とどのような相互関係を形成するか、そのプロセスが地域づくりでは重要となる。それによって、一方だけではなく、「よそ者と協働しながら地域もよそ者も相互変容し、それが結果的に地域を持続可能にすることにつながる」のである。敷田にあっては、その「相互変容」のプロセスこそが地域づくりである(97ページ)。この点の「協働」は、筆者がかねてから主張してきた「共働」に通底するものであろう。
〇敷田のいまひとつの論考は、「地域づくりにおける専門家にかんする研究:『ゆるやかな専門性』と『有限責任の専門家』の提案」『国際広報メディア・観光学ジャーナル』No.11、北海道大学、2010年11月、35~60ページ。以下[3])である。
〇[3]で敷田は、地域づくりの背景と変遷を分析したうえで、地域づくりにおける専門性のあり方や専門家と地域の関係性について考察する。そして、「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」について提案する。その際のスタンスは、地域づくりには専門家が必要であるというものである。なお、「専門家」とは、「ある特定の分野において卓越した知識と技術・技能を持ち(場合によってはそれらを総合

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化・体系化している)、それを表現することができる人」を指し、そこに研究者を含める。「地域」とは、「一定の地理的広がりを持つ土地や空間と、そこに居住・滞在する地域住民間の関係性」(37ページ)を表わし、社会学で用いられる「地域社会」や「地域コミュニティ」と同義とする(37ページ)。そして、「地域づくり」とは、「地域社会の課題を解決し、よりよい状態を目指すために地域社会にはたらきかけて仕組みを構築してゆくプロセスとその内容」(40ページ)をいう。
〇敷田にあっては、地域づくりはこれまで、①地域の経済の活性化やインフラの整備をめざした「地域振興型」から、②地域の特定課題の解決をめざした「テーマ型」を経て、③総合的な地域づくりのために地域社会全体のデザインをめざす「統合デザイン型」へと質的に移行してきた。それに伴って、地域づくりの専門家に求められ能力や状態も、①知識の提供や特定事業・業務の遂行・アドバイス、②対象テーマ・分野についての調査研究や実践、③地域関係者による地域づくりの課題発見や解決策の創出と課題解決、へと変化した。したがってまた、地域づくりの専門家の関与や責任も、①業務や委託の範囲内での限定責任、②自主的な活動範囲における条件つき責任、③地域との関わりの範囲と内容の拡大による無限責任、へと変化してきた(45ページ)。そのうえで敷田は、地域づくりに関わる専門家の専門性について、「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」について言及する。
〇「ゆるやかな専門性」とは、「専門家が自らの専門性の範疇だけで地域づくりに関与するのではなく、専門性を主体的に拡張や拡大することである。また自らの専門性を背景に地域内外の関係者と地域(資源)を関係づけることで、地域づくりを支援する『ゆるやかさ』を維持することである」(51、56ページ)。「有限責任の専門家」とは、総合化した地域づくりのなかで、専門家が地域づくりへの関与を主体的にコントロールして一定の期間と範囲内で地域づくりに関わり、一定の範囲に限定して責任を負うことをいう(54~55、56ページ)。住民が直接の当事者となる最近の地域づくりにおいて、この「ゆるやかな専門性」と「有限責任の専門家」の考え方は、地域の利益と専門家の役割やキャリア形成にとって重要であり、地域にも専門家にも「相利的」(55ページ)である。 [3]における敷田の主張である。
〇ここで筆者は、「福祉でまちづくり」の「スーパースター」(田中輝美の言葉)的な「関係人口」や地域づくりの専門家(「実践的研究者」)といえる大橋謙策(おおはし・けんさく、日本地域福祉研究所)の「バッテリー型研究方法」を思い出す。大橋は、全国各地の地域福祉(活動)計画の策定や地域福祉の研修会・セミナーなどに関わるが、その際の視点や姿勢はおよそ次のようなものである。以下でいう「地域」は福祉等の関係者や関係機関・組織、地域住民などを意味し、「関係人口」は大橋を指す。

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(1) 地域による実践の理論化・体系化と関係人口としての理論仮説の提起と検証(バッテリー型研究方法)を行う。
(2) 地域と長期間にわたって関わり、特定あるいは総合的・統合的な事業・活動への支援を継続的に行う。
(3) 地域による実践活動の活性化と、地域と行政や関係機関との協働を成立させるコミュニティソーシャルワーク機能(触媒・媒介機能)の展開、そのためのシステムの整備を支援する。
(4) 多種多様な、あるいは潜在的な地域課題の解決に向けた専門多職種によるチームアプローチの必要性や重要性を提唱し、その実現を図る。
(5) 地域との相互作用や相互学習の過程を通して、地域内外との交流や福祉等関係者(実践者)の組織化を促す。
(6) 地域による実践のプロセスとその結果の客観化・一般化や実践仮説の検証を図るために、著作物の刊行や地域によるそれを支援する。
(7) 地域による問題発見・問題解決型の共同学習(福祉教育)を徹底的に行い、地域(地域住民や専門家等)の社会福祉意識の変容・向上を図る。
(8) 地域との共同実践を通して地元自治体における福祉サービスの整備や、全国の地方自治体や国への政策提言を行い、その具現化の制度化・政策化を促す、

などがそれである。これらを総じていえば、地域による「草の根の地域福祉実践」を豊かなものにするために「継続は力なり」の意志を体して、理論と実践を往還・融合する探究的な「実践的研究」に取り組み、「福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク」を追究する、ここに大橋の「関係人口」としての具体的・実践的な視点や姿勢を見出すことができる。しかもそれらは、地域づくりや地域再生に「関係人口」が果たすべき役割や機能のひとつのモデルとして整理されよう。
〇なお、上記の(6)に関する文献に例えば次のようなものがある。紹介しておきたい。表記した地名は大橋が関わった地域である(それはそのほんの一部に過ぎない)。

・東京都狛江市/大橋謙策編著『地域福祉計画策定の視点と実践―狛江市・あいとぴあへの挑戦―』第一法規出版、1996年9月
・富山県氷見市/大橋謙策監修、日本地域福祉研究所編『地域福祉実践の課題と展開』東洋堂企画出版社、1997年9月
・岩手県湯田町(現・西和賀町)/菊池多美子著/『福祉の鐘を鳴らすまち―「うんだなーヘルパー」奮戦記―』東洋堂企画出版社、1998年9月
・富山県富山市/大橋謙策・林渓子共著『福祉のこころが輝く日―学校教育の変革と21世紀を担う子どもの発達―』東洋堂企画出版社、1999年1月

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・山口県宇部市/宇部市教育委員会編『いきがい発見のまち―宇部市の生涯学習推進構想―』東洋堂企画出版、1999年6月
・島根県瑞穂町(現・邑南町)/大橋謙策監修、澤田隆之・日高政恵共著『安らぎの田舎(さと)への道標(みちしるべ)―島根県瑞穂町 未来家族ネットワークの創造―』万葉舎、2000年8月
・岩手県遠野市/日本地域福祉研究所監修、大橋謙策・ほか編『21世紀型トータルケアシステムの創造 ―遠野ハートフルプランの展開―』万葉舎、 2002年9月
・長野県茅野市/土橋善蔵・鎌田實・大橋謙策編集代表『福祉21ビーナスプランの挑戦―パートナーシップのまちづくりと茅野市地域福祉計画―』中央法規出版、2003年2月
・香川県琴平町/越智和子著『地域で「最期」まで支える―琴平社協の覚悟―』全国社会福祉協議会、2019年7月

 

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33/ソーシャルワーカーとソーシャルアクション
             ―井手英策と高良麻子を読む―

所得制限は、さまざまな政治対立を生みだす原因となっている。日本の予算は、義務教育、外交、安全保障をのぞき、ほとんどが低所得層や障がい者、ひとり親世帯などの「だれかの利益」でできている。そして大半の給付には、所得制限という自助努力、自己責任の象徴である分断線が網の目のようにこまかく引かれている。受益者を限定すれば安あがりではある。だが、こうした制度設計そのものが、政府の公正さへの強い反発を生みだし、社会の分断を加速させるのである。(下記[1]222ページ)

〇筆者が「井手英策」(いで・えいさく、慶応義塾大学、財政社会学)についてまず思い出す言葉を五つ挙げるとすれば、「分断社会」「All for All(みんながみんなのために)」「ベーシック・サービス」「ライフ・セキュリティ」そして「財政改革(消費税増税)」である。
〇井手の新刊書に、『欲望の経済を終わらせる』(インターナショナル新書、集英社インターナショナル、2020年6月。以下[1])がある。そして、筆者の手もとには、単著である『幸福の増税論―財政はだれのために』(岩波新書、2018年11月。以下[2])と、柏木一惠・加藤忠相・中島康晴との共著である『ソーシャルワーカー―「身近」を革命する人たち』ちくま新書、2019年9月。以下「3」)がある。
〇[1]では、「新自由主義がなぜ日本で必要とされ、影響力を持つことができたのか、歴史をつぶさに振り返り、スリリングに解き明かす。グローバル化もあって貧困層がふえるなか、個人の貯蓄に教育も老後も委ねられる日本。本来お金儲けではなく、共同体の『秩序』と深く結びついていた経済に立ち返り、経済成長がなくても、個人や社会に何か起きても、安心して暮らせる財政改革を提言」する(カバー「そで」)。
〇[2]では、「なぜ日本では、『連帯のしくみ』であるはずの税がこれほどまでに嫌われるのか。すべての人たちの命とくらしが保障される温もりある社会を取り戻すために、あえて『増税』の必要性に切り込み、財政改革、社会改革の構想(自己責任社会から、頼りあえる社会へ)を大胆に提言する」(カバー「そで」)。
〇そして[3]では、「多くの人が将来不安におびえ、貧しさすらも努力不足と切り捨てられる現代日本。人を雑に扱うことに慣れきったこの社会を、身近なところから少しずつ変革していくのがソーシャルワーカーだ。暮らしの『困りごと』と向き合い、人びとの権利を守る上で、何が問題となっているのか。そもそもソーシャルカークとは何か。未来へ向けてどうすればいいのか。ソーシャルワークの第一人者たち(柏木・加藤・中島)と研究者(井手)が結集し、『不安解消への処方箋』を

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提示」する(カバー「そで」)。
〇本稿では、[1][2][3]を併読(再読)して、留意しておきたい井手(一部は中島)の言説(提唱、提案)のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「勤労国家」と「弱者救済」
(勤労、倹約、貯蓄という自助努力と自己責任を前提として作られた「勤労国家」にあって、)生活水準の低下、将来への不安、国際的な地位の劣化などのきびしい状況が進んでいる。この状況を乗りこえる方法は、端的にいえば、ふたつにしぼられる。ひとつは、もう一度かつてのような成長を取りもどし、自己責任で将来不安にそなえられる状況を作る、勤労国家再生アプローチである。もうひとつは、低所得層や生活支援の必要な人たちを救済し、彼らを社会のなかに包摂していく格差是正アプローチである。([2]32、34ページ)
(ところが、現在の日本は、人口の急減や超高齢化などによる経済規模の縮小が進むなかで、)「成長なくして未来なし」という、成長に依存する社会モデル(「成長依存型社会」)はもう限界に達している。また、日本社会は、共在感(「ともにある」という感覚:井上達夫)や仲間意識をもてない、利己的で孤立した「人間の群れ」と化しつつあり、格差是正や社会的包摂についての関心も低い。「弱者救済」を正義として語る時代はおわりつつある。([2]46、47、49、52、96ページ)

「頼りあえる社会」と「ライフ・セキュリティ」
消費を手びかえ、勤労、倹約、貯蓄の自助努力にはげみ、将来不安におびえて生きる自己責任社会をつづけていくのか、税による満たしあいをつうじて、だれもが安心して生きていける、経済活動も刺激する「頼りあえる社会」をめざすのか。痛みと喜びを(税で)分かちあう「頼りあえる社会」をつくりあげ、「私たち」という連帯の土台を再生しなければ、多くの人びとが感じている生きづらさはつづく。([1]174、175ページ)
そこで、消費税を軸に全員が痛みを分かちあいつつ、一定以上の収入や資産を持つ富裕層や大企業への課税でこれを補完すること、以上を財源として、すべての人びとに医療や介護、子育て、教育、障がい者福祉などの「ベーシック・サービス」(現物給付)を提供することが重要となる。そのサービスは、人びとが安心してくらしていける水準をみたす必要がある。これは、「ベーシック・インカム」(現金給付)ではなく、「社会保障」(Social Security)を超える、「生活」と「生命」の保障すなわち「ライフ・セキュリティ」(Life Security/生の保障)という考え方である。([1]222ページ、[2]84、135ページ)

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「尊厳ある生活保障」と「品位ある命の保障」
「ライフ・セキュリティ」は、「均等な人びと」というときに、「人間らしい生」という共通点に着目し、すべての人たちを受益者として等しくあつかう。人間ならばだれもが必要とする/必要としうる(可能性がある)ベーシック・サービスを、すべての人びとに均等に配分することをめざす。「尊厳ある生活保障」である。([1]223ページ)
「ソーシャル・セキュリティ」をさらに推しすすめ、すべての「命と暮らし(=life)」を保障する「ライフ・セキュリティ」に編み変えていくことは、「救済の政治」を「必要の政治」へと転換することにほかならない。つまり「困っている人を助ける」から、「みんなの必要を満たす」への政治思想の転換である。([3]23ページ)
他方、社会的、経済的条件によって、他者と均等になれない人びとにたいしては、富裕な人より少ない税負担を、富裕な人より相対的に手厚い保障を提供することをめざす。消費税とともに富裕層や大企業への課税を強化し、生活扶助、住宅手当、職業教育・職業訓練も充実させる。「品位ある命の保障」である。([1]223ページ)

「公・共・私のベストミックス」と「ソーシャルワーク」
きわめて多様になっている個別のニーズを政府によるサービス給付だけで満たすことはむつかしい。したがって、「公」が共通のニーズを満たしていくのと同時に、「共」や「私」の領域とつながりを強め、個別のニーズ、別言すれば一人ひとりの「こまりごと」をどのように解消するかもあわせて検討されなければならない。「公・共・私のベストミックス」である。([1]225ページ)
「公」の領域は、自治会やボランティア団体などのさまざまなアクター(人や組織)が交錯する場である。そこでは、さまざまな地域ニーズを満たそうとするアクターを接続する、接着剤のような機能が必ず求められる。([3]221、222ページ)
そこで注目されるのが、ソーシャルワーク/ソーシャルワーカーである。ソーシャルワーカーにもとめられているのは、たんなる福祉やサービスの提供者としての役割ではない。接着剤のような役割が求められ、その資質がハッキリと問われることとなる。([1]225ページ、[3]222ページ)
ソーシャルワークの核心は、個別の「こまりごと」にたいして、それを発生させている「環境」それ自身を変革していくことにある。またその「こまりごと」は、かならずしも低所得層の生活困難にかぎられるものではなく、介護や子育て、教育など、所得の多寡とは関係なく生じうる個別の案件と向きあうのがソーシャルワーカーの第一の任務である。([1]226ページ)

「地域変革」と「組織変革」
ソーシャルワークは、「社会の変化と開発、つながり」を促進する実践である。その際の「社会」とはどこかにあるものではない。人びとのより身近で影響をおよぼ

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せる「地域」や「組織」のなかに埋もれた資源を発掘し、ときには開発・創出(社会資源の発掘・開発・創出)しながら、他者との対話と関係構築を積み重ねるなかで形づくられる、総体としての環境、それがソーシャルワーカーにとっての「社会」である。([3]38、43ページ)
ソーシャルワークの実践では、人びとのニーズを中心に、人びとと地域社会環境との関係を調整することが重要となる。地域で暮らす多様な人びと相互の接点(対話やかかわり)を創り出すことこそが、地域社会に、お互いさまを共感し合える互酬性と多様性、人びとの信頼関係を創出し、すべての地域住民が決して排除されることのない地域変革を推進する原動力となる。([3]74、75ページ)
ソーシャルワークの中核に据えられているのは「社会環境の改善」であり、「社会変革」(social reform)である。その社会変革を個人(ミクロ)と国家(マクロ)の関係でとらえてしまうと、その実現可能性は遠のいていく。社会変革を個人と地域(メゾ)の関係でとらえれば、その実現可能性は格段に高まる。([3]65、77、78ページ)
ソーシャルワーカーの手の届かないところにある「社会変革」を取り戻すためには、まず、地域を変えていく道筋を示す必要がある。と同時に、ソーシャルワーカーが所属する組織を変革する方途も検討していかなければならない。ソーシャルワーカーの大部分は組織人である。それゆえ、経営の方針や組織内の上下関係の論理によって、彼らが状況に対して柔軟かつ迅速に対応することが難しい場合がどうしても存在する。(そこで、ソーシャルワークについて根本的に問い、共通理解を深め、)ソーシャルワーカーは連帯しなければならない。総合的な生き物である人間尊厳を守るために。([3]78、216ページ)

「社会変革」と「個人のアイデンティティ変容」
「地域を変える」には、地域社会で暮らす一人ひとりのアイデンティティの変容が重要な契機となる。個人のアイデンティティの変容は、人びとの関係構造の変容による。つまり、人びとのかかわりの密度や質、そのリアリティが、関係構造を変容させ、一人ひとりのアイデンティティをも変化させていく。([3]80、82ページ)
個人のアイデンティティの変容、すなわち人びとの関係構造の変容を求めるためには、黙殺・無理解・不安や恐怖・排除に支配された関係性を、対話・理解・信頼・包摂にもとづく関係性へと変容させていくことが肝要である。([3]82ページ)
日本のソーシャルワークには、法や制度への行き過ぎた順応がしばしば見られる。また、法や制度だけでなく、社会環境それじたいを主体的に創造・変革していくという発想が希薄である。これらが相まって、ソーシャルワークとは何か、ソーシャルワークにおける正義とは何か、という共通理解もまた深められずにいる。これらの課題を乗り越えるためには、「社会変革」と「ソーシャルアクション」(社会的活動)の考えかたが必要となる。([3]83、84ページ)

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「プラットホームの世紀」と「ソーシャルワーカー」
国や地方がさまざまな施策に細かく介入し、複雑化するニーズを一つひとつ満たしていくことには限界がある。したがって、国と地方、そして地域のそれぞれに「新たなプラットホーム」を作り直していかなければならない。([3]221ページ)
ベーシック・サーズを土台とするライフ・セキュリティによって誰もが安心して生き、暮らすという基本権が保障される。この「パブリック・プラットホーム」のうえにソーシャルワーカーの社会変革をつうじた地域の人的・制度的ネットワークという「コミュニティ・プラットホーム」が重層的に重なり合う。そうすれば、人びとの生存権も幸福追求権の双方が射程に収められることとなる。([3]221ページ)
「市場の世紀」ともいうべき20世紀は、「プラットホームの世紀」である21世紀へと大きな変貌を遂げる。その変貌の中心にソーシャルワーク/ソーシャルワーカーが存在する。([3]222ページ)

〇「地域変革」と「社会変革」の推進を図るソーシャルワーク/ソーシャルワーカーの重要なアプローチ・実践方法のひとつに、「ソーシャルアクション」がある。本稿の理解を深めるためにここで、ソーシャルアクションに関する調査報告と言説の一部を紹介しておくことにする。
〇ひとつは、日本社会福祉士養成校協会(2017年4月より日本ソーシャルワーク教育学校連盟)が2016年10月から翌年1月にかけて実施した「地域における包括的な相談支援体制を担う社会福祉士養成のあり方及び人材活用のあり方に関する調査研究事業」の<実施報告(暫定版)>(2017年3月)である。そこでは、地域包括支援センター(全数:4,729ヶ所、6,575票)と市区町村社協(全数:1,846ヶ所、2,961票)の職員を対象にした調査で、例えば「地域への働きかけ」について次のような報告がなされている。
〇「制度・施策の課題等の解決に向けて、地域住民が行政に対して働きかけを行うことを支援する」か、という質問に対して、「全く実施していない」「あまり実施していない」と答えた地域包括支援センターの職員が79.7%、市区町村社協の職員が76.2%を占めている。また、そうした支援に「対応する力量」を有しているか、という質問に対して、「全く有していない」「あまり有していない」と答えた地域包括支援センターの職員が76.4%、市区町村社協の職員が69.9%を占めている。ソーシャルワーカーによるソーシャルアクションの実践は乏しく、力量や意識は低いと言わざるを得ない。
〇また、「所属する組織の管理運営」について次のような報告がなされている。「必要な場合、組織のミッションやルールを超えた対応を行うよう、上司や同僚に働きかける」か、という質問に対して、「全く実施していない」「あまり実施していない」と答えた地域包括支援センターの職員が54.0%、市区町村社協の職員が58.0%を占めている。また、そうした働きかけに「対応する力量」を有しているか、という質問に対して、「全く有していない」「あまり有していない」と答えた地域

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包括支援センターの職員が55.7%、市区町村社協の職員が56.3%を占めている。前述した、ソーシャルワーカーによる「組織変革」に関して、留意しておきたい。
〇いまひとつは、高良麻子(こうら・あさこ、法政大学、社会福祉学)の『日本におけるソーシャルアクションの実践モデル―「制度からの排除」への対処―』(中央法規、2017年2月、以下[4])における言説である。高良にあっては、日本における「ソーシャルワークの方法としてのソーシャルアクションは、研究と実践ともに停滞して」おり、「ソーシャルアクションの実践方法を、日本の現状をふまえた形で示す必要がある」。そこで、社会福祉士によるソーシャルアクションの調査・分析を通して、「日本における社会変動およびニーズの多様化等をふまえたソーシャルアクションの実践モデルを構築する」([4]3ページ)ことを[4]の目的とする。
〇高良によると、ソーシャルワークにおけるソーシャルアクションとは、「生活問題やニーズの未充足の原因が社会福祉関連法制度等の社会構造の課題にあるとの認識のもと、社会的に不利な立場に置かれている人びとのニーズの充足と権利の実現を目的に、それらを可能にする法制度の創設や改廃等の社会構造の変革を目指し、国や地方自治体等の権限・権力保有者に直接働きかける一連の組織的かつ計画的活動およびその方法・技術である」([4]183ページ)。その主なモデルには「闘争モデル」と「協働モデル」の二つがある。
〇「闘争モデル」とは、「『支配と被支配』や『搾取と被搾取』といった対立構造に注目し、それによる不利益や被害等を署名、デモ、陳情、請願、訴訟などで訴え、世論を喚起しながら、集団圧力によって立法的および行政的措置等をとらせる」モデルである。約言すれば、「デモ、署名、陳情、請願、訴訟等で世論を喚起しながら集団圧力によって立法的・行政的措置を要求する」モデルである。「協働モデル」とは、「制度から排除されている人びとのニーズを充足する非営利部門サービスや既存制度が機能するしくみを開発し、そのサービスを当事者のアクション・システムへの参加を促進するしかけとしながら、これらの実績等によって、法制度の創設や関係構造の変革等を多様な主体と協働しながら進めていく」モデルである。約言すれば、「多様な主体の協働による非営利部門サービス等の開発とその制度化に向けた活動によって法制度の創造(創設)や関係等の構造の変革を目指す」モデルである。([4]184、183ページ)。
〇そして高良はいう。従来のソーシャルアクションは、「集団圧力によって社会福祉の制度やサービスの拡充・創設・改善を集中的に要求していく(闘争モデル)が主であった」。本研究の事例研究で明らかになったソーシャルアクションは、「集団の力でニーズを充足する非営利部門サービスやしくみを開発してその実績を示し、主に地方自治体の行政職員、議員、サービス提供事業主体等と協働しながら、新たな政府部門サービスやしくみを創っていく(協働モデル)が主であった」([4]139ページ)。
〇高良によってソーシャルアクションの「協働モデル」が提示されたことは、ソーシャルアクションの実践・研究において意義深い。ただ、高良は、「闘争モデルの

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ソーシャルアクションを、社会福祉関連法に規定される組織に属するソーシャルワーカーが被雇用者として実践することは現実的ではない」([4]189ページ)という。そうであれば、「組織に属する被雇用者」という点で、「地域変革」と「社会変革」の実現可能性は低くなる。そのような状況を打開するためには、「協働モデル」と「闘争モデル」をいかに活用するか、両モデルをいかに併用するか。あるいは、社会的弱者主体の社会福祉運動におけるソーシャルアクションにいかに取り組むか、社会的弱者の利益や権利を擁護・代弁(アドボカシー)するソーシャルアクションにいかに取り組むか、などが問われることになる。
〇いずれにしろ、社会福祉関連法制度の「縦割り」や「制度のはざま」が解消されず、「制度からの排除」が引き起こされている今日、「闘争モデル」のソーシャルアクションを展開することはソーシャルワーカーの社会的責務である。そして、今日においてもその役割は失われていない。それは、「すべてのソーシャルワーカーが避けては通れない実践課題であり、(『地域変革』と)『社会変革』の要諦」(中島[3]79ページ)である。留意したい。
〇ところで、山東愛美(さんどう・まなみ)は、ソーシャルアクションをそのプロセスに基づいて次の二つに類型化している。要求や闘争による「ダイレクトアクション」と交渉や調整による「インダイレクトアクション」がそれである。山東にあっては、その特徴は次の表のようになる。

〇そして山東は、2010年頃から、「ソーシャルアクションが論じられる際には、インダイレクトアクションをイメージすることが増えつつある」。それは、従来のソーシャルアクションとして認識されてきたダイレクトアクションの「完全な変容ではなく、分化・多様化」によるものである。こうした傾向がみられるのは、「地方分権や地域包括ケアなどの制度・政策的背景や、地域を基盤としたソーシャルワークやコミュニティソーシャルワークの台頭などの理論的動向も反映されていると考えられる」、という(山東愛美「日本におけるソーシャルアクションの2類型とその背景―ソーシャルワークの統合化とエンパワメントに着目して―」『社会福祉学』第60巻第3号、日本社会福祉学会、2019年11月、44ページ)。高良のそれとともに、留意しておきたい言説である。

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〇なお、以上のほかに、筆者の手もとに社会変革とソーシャルアクションに関する本が2冊ある。(1)小熊英二著『社会を変えるには』(講談社現代新書、2012年8月、以下[5])と(2)木下大生・鴻巣麻里香編著『ソーシャルアクション! あなたが社会を変えよう! ―はじめの一歩を踏み出すための入門書―』(ミネルヴァ書房、2019年9月、以下[6])がそれである。[5]は、「社会を変える」ということについて歴史的、社会構造的、そして思想的に考察したものである。小熊は、「思考や討論のためのテキストブックとして本書を使ってもらえればいい」(513ページ)、という。[6]は、ソーシャルアクションの実践者とその実践者を支援することで間接的にアクションを起こした人々の物語集である。鴻巣は、「あなたのアクションは本の中にはありません。フィールドに出かけましょう」(ⅶページ)、という。
〇本を読んでいると、新たな気づきや学びとともに、“確かにその通りである”(「至言」)という一文に出合うものである。それが読書の魅力や醍醐味でもある。次に、[5][6]から、筆者にとって、「社会を変える」の至言の一文のみをメモっておくことにする(抜き書き、見出しは筆者)。

「参加して何が変わるのか」「参加できる社会、参加できる自分が生まれる」
運動とは、広い意味での、人間の表現行為です。仕事も、政治も、芸術も、言論も、研究も、家事も、恋愛も、人間の表現行為であり、社会を作る行為です。それが思ったように行なえないと、人間は枯渇します。「デモをやって何が変わるのか」という問いに、「デモができる社会が作れる」と答えた人がいました。「対話をして何が変わるのか」といえば、対話ができる社会、対話ができる関係が作れます。「参加して何が変わるのか」といえば、参加できる社会、参加できる自分が生まれます。([5]516~517ページ)

誰もが何かの「当事者」であり、誰もが何かの「非当事者」である
障がい者、引きこもり、被差別部落、貧困、在日外国人、オキナワ、フクシマ、女性、LGBT。誰もが何かの「当事者」であり、誰もが何かの「非当事者」なのだ。私たちを「当事者」と「非当事者」に分断しようとする力に常に抵抗し続け、作られた境界を共に超えていこうとすることが、社会を変えることにつながるのかもしれない。([6]52ページ)

〇日本における「ソーシャルアクション」の実践や研究、それに教育は、「乏しく」「停滞しており」「脆弱である」などと評される。その背景は何か、その問題や原因は奈辺にあるか。「ソーシャルアクション」は、当事者を含む社会福祉運動なのか、ソーシャルワーカーによる援助技術なのか。「ソーシャルアクション」とコミュニティソーシャルワークやアドボカシー(擁護・代弁)の概念との関係性や整合性をどう考えるか。「ソーシャルアクション」におけるソーシャルワーカーの役割や専門性をどこに見出すか。検討すべき残された課題は多い。[5]と[6]は、これらの課題検討のひとつのとば口(入り口)にあるとも言えよう。

 

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34/断絶の時代の「分断社会」を考える
             ―井手英策・他著『分断社会を終わらせる』を読む―

〇スローガンだけの「いま」の政治では社会は変わらない。そのことを知りつつも、響きの良い言葉に淡い期待を寄せてきたのではないか。そのあいだに地域・社会では、静かに地殻変動が起こり、「断絶」(「不連続」)すなわち新たな時代への兆候が見られる。コロナ禍における地方自治体の地域主権の取り組みや、「#検察庁法改正案に抗議します」というツイッターデモなどが注目される。「いま」を「過渡期」と前向きに評価するのは、楽観的すぎるだろうか。「マネジメントの父」と言われ、グローバル化などを説いたP.F.ドラッカーの『断絶の時代―来たるべき知識社会の構想―』(林雄二郎訳、ダイヤモンド社、1969年1月)を想起する。
〇筆者の手もとに、そのタイトルに「分断」「分断社会」という文言が入っている本が4冊ある。

(1)井手英策・古市将人・宮崎雅人『分断社会を終わらせる―「だれもが受益者」という財政戦略―』筑摩書房、2016年1月(以下[1])
他人に対して冷淡で不機嫌な社会――。それが今の日本だ。世代間、地域間、性別間、所得階層間それぞれの対立が激化し、人々は、バラバラな存在へと追いやられている。永続的な経済成長をあてにする「勤労国家レジーム」が、こうした状況を生み出した。井手らは本書で、財政を通じて(財政社会学によって)日本社会の閉塞状態を解き明かし、打開策を示す。すなわち、分断社会を終わらせるべく、すべての人の基礎的ニーズを満たすという「必要原理」に基づく財政戦略を提唱する。そして、暮らしの安心の実現が、格差是正と経済成長を実現させることを説き、来るべき未来を構想する。(カバー「そで」、15ページ)
(2)塩原良和『分断と対話の社会学―グローバル社会を生きるための想像力―』慶應義塾大学出版会、2017年4月(以下[2])
マイノリティや社会的弱者への排外主義・社会的排除という風潮がある。マイノリティとは、その人が有する差異に基づいて社会的に不利な立場に固定化されてしまった人々をいう。そういう人々や、障がい者や貧困層といった社会的弱者が置かれている立場や思いに対する「想像力」が不足している。あるいは、想像すること自体を拒絶していると思わざるをえない出来事が頻発している。塩原は本書で、現代のグローバリゼーションという社会変動とそれに伴って出現する「分断」の時代状況を読み解く「想像力」と「対話」について考える。塩原にあっては、他者に対する「想像力」とは、「個人が知識を活用しながら自らの共感の限界や制限を押し広

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げて、他者を理解しようとする努力」である。急激な変化の時代においては、現状の問題点を見極め、より良い社会と人間の生き方を考えていく「批判的思考」が不可欠である。その前提となるのが、社会と歴史に対する「批判的想像力」である。塩原にあっては、「対話」とは、「人間であるかもしれないし、そうではないかもしれない『他者』との共約不可能な差異を前提としつつ、それでも他者を理解し承認するためにその声に耳を傾け、それに応答しようとする営み」である。その際の「他者」に関して、「対話」とは人間同士のコミュニケーションと、自然や歴史・科学などに注意深くあることを意味する。「共約不可能」とは、両者を単純に比較してどちらが正しいのかを比較することができないことをいう。(1、4、6、11~12、15、25、193~194ページ)
(3)井手英策・松沢裕作編『分断社会・日本―なぜ私たちは引き裂かれるのか―』(岩波ブックレットNo.952)岩波書店、2016年6月
なぜ、日本社会は正規労働者と非正規労働者、非正規労働者と生活保護受給者というように、「彼ら」と「われわれ」が引き裂かれ、分断されているのか。分断は、人々の存在を尊重することの欠如に由来する。分断が問題なのは、社会のいたるところに境界線が引かれ、相手の立場や境遇を理解する前提ともいうべき「想像力」が次第に失われていくことである。その時どきの支配者は、社会の凝集力を維持するために、もっともらしい装いをした偏ったイデオロギーによって人々を理念的に結合し、社会や国民を力ずくで「建設」しようとする。こうした分解と国家的・理念的結合が、全体主義の時代を生むメカニズムである。社会が他者への想像力をなくし、価値を分かち合えなくなったとき、社会は人間の群れとなる。井手・松沢らにあっては、分断をなくし、対立点をなくするためには、この社会に無数に引かれ、混線してしまっている分断線を一つひとつ解きほぐしていき、新しい秩序や価値を創造し、痛みや喜びを共有することを促すような仕組みを作り出していくしかない。今の「分断の政治」を「共通の政治」に変えられるかどうかである。(2、15、61、78、85~86ページ)
(4)吉川徹・狭間諒多朗編『分断社会と若者の今』大阪大学出版会、2019年3月
今の若者は「日本社会のあり方について肯定的になっている」、「価値観がゆるやかに保守回帰している」、「日常の活動が消極的でおとなしくなっている」などの傾向にあると言われる。吉川らは本書で、2015年1月に実施した「第1回階層と社会意識全国調査」のデータに基づき、さまざまなトピックから、若者(20~30代の若年成人)における「今」の捉え方に「分断」が生じていることを明らかにする。「今」の捉え方とは、今という時間や今の自分、今の社会をどのように考えているのか、ということを意味する。そこで扱う若者の意識や態度・行動は、「現在志向(将来のために努力するよりも今現在を楽しむことを重視する態度)」「権威主義的態度」「自民党支持」「消費」「幸福感」「大学進学志向」「働き方と自由」「性別役割分業意識」などである。要するに吉川らは、今の若者は一括(ひとく

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く)りにすることはできない。社会的な立ち位置(社会階層の高低)によって、それぞれの意識に強弱があり、複雑な様相を呈していることを描き出す。(2、255~258ページ)

〇以上のうちから本稿では、井手英策(いで・えいさく)の[1]と塩原良和(しおばら・よしかず)の[2]の2冊の本から、筆者なりに再認識しておきたい論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

[1]井手英策・他『分断社会を終わらせる』
「勤労国家レジーム」と「分断社会」
「勤労国家レジーム」とは、「成長や所得の増大がなければ人間らしく生きていけない枠組み」をいう。それは、所得減税と公共投資(公共事業)を骨格とする。そのもとでは、社会保障は就労ができない人向けの現金給付に集中し、育児・教育・医療・福祉・介護などの現物給付(サービス)を個人や市場原理に委(ゆだ)ね、租税負担率を低く抑えるレジーム(体制)となる。それは、財政の「限定性」(現物給付の占める割合が限定される)、「選別性」(給付が低所得層や高齢者、地方部などに集中する)、そしてその背景となる「自己責任性」(国民の自助努力と自己負担が前提となる)として特徴づけられる。それはまた、歳出の抑制・削減を意味する(25~27ページ)
高度経済成長期に原型が育まれ、1970年代に定着し、1990年代に全面化した勤労国家レジームは、長期にわたって人々の生活や考え方に強い影響を与えてきた。だが、経済環境、社会構造、財政ニーズの変化を受けて、このレジームは明らかに社会の不安定要因となりはじめている。勤労国家レジームの機能不全とその負の遺産が、所得階層間、地域間、政府=納税者間、世代間の対立を強めている。「分断社会」はこうして生み出されたのである。(41ページ)

勤労国家の「負の遺産」(「3つの罠」)
「勤労国家レジーム」の3つの性質(「限定性」「選別性」「自己責任性」)は、それぞれ複雑にからまり合いながら、「再分配の罠」「自己責任の罠」「必要ギャップの罠」を日本社会にもたらし、生きづらさや閉塞感、不安感を人々に与えてきた。(28~41、182ページ)
「再分配の罠」は、低所得層や地方住民を救済することによって受益者にし、負担者になる中高所得層や都市住民が不信感(政治不信)を強め、所得再分配への合意を難しくすることをいう。(29~30、41~42ページ)
「自己責任の罠」は、自己責任社会・日本では、経済成長が難しくなり政府の役割・期待が大きくなると、経済成長へのさらなる依存が進み、新たなニーズに対応できない政府への不信感も強まるという逆回転(負の循環)をいう。(36~37、41~42ページ)

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「必要ギャップの罠」は、例えば、現役世代(子育て)と高齢者(介護)の必要(ニーズ)がズレることによって生み出される対立の構図をいう。(38~39、41~42ページ)
「受益のないところに共感はない」というリアルな現実が人々の目の前に横たわっている。(32ページ)

「救済型の再分配」と「共存型の再分配」
所得再分配政策の肝は、受益者の範囲を広げて、社会全体で課題を共有することで対立を解消する「したたかさ」にある。これこそが日本の政治に欠けていた視点であり、限界性や選別性、自己責任性を重視してきた勤労国家の負の遺産である。
貧しい人を助ける「救済型の再分配」だけが再分配なのではない。そのような再分配だけで財政ができているわけでもない。慈善心が財政を作ったのではない。人間の必要が財政を作り出したのである。
歳をとって所得を失うリスク、失業するリスク、病気になるリスクなどは、個人で完全に対処するのは難しいし、リスクに直面すると、誰しも身動きがとれなくなる。誰にでも訪れうるリスクをメンバー全員で共有できるような再分配、困った時はお互いさまという意味での「共存型の再分配」も、財政の重要な機能である。(58ページ)

「必要原理」と「分断社会」
日本社会が陥っている「3つの罠」から抜け出すためには、人間の生存・生活にかかわる基礎的ニーズを財政が満たすというアプローチが肝要である。その核となるのが「必要原理」である。それは、経済成長を前提とした、「市場原理」に基づく「救済型の再分配」とは別物である。「人間に共通する利益」に着目し、幅広い受給者のニーズを満たしていく、「広く負担を課し、広く給付する」「だれもが受給者」という理念や財政戦略をいう。従来の「成長=救済型モデル」を「必要=共存型モデル」に取って代えることである。(32、142、182~183ページ)
中間層を受益者とすることで「再分配の罠」を乗り越える。自己負担ではなく社会でリスクを共有し合うことで「自己責任の罠」から脱出する。人間の生活に必要なサービスをライフスタイルに応じてバランスよく配分することで「必要ギャップの罠」を解消する。「誰かの利益」を「みんなの利益」に置き換え、これらを束ねた結果として経済成長や財政再建を実現する。
これは、必要原理を起点として、少しずつ受益者の範囲を拡大し、人間と人間が対立する原因を消失させ、分断社会そのものを終わらせようというものである。(183ページ)

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[2]塩原良和『分断と対話の社会学』
マジョリティの「勘違いの共感」
マジョリティ(「ふつう」だとされる人々)側に立つ人々がマイノリティに「共感」(他者の経験や感情を自分のことのように感じること)したからといって、それが直ちに「加害可能性」への気づきをもたらすとは限らない。加害可能性とは、自らが知らないうちにマイノリティにとっての加害者になっていたのかもしれないという意味である。また、共感が「連累」(れんるい)への自覚をもたらすとは限らない。連累とは、自らが受益してきた社会構造によって他者が苦しみを被ってきたという意味である。そのような共感は、マジョリティの人々が自らとマイノリティを過度に同一視し、そもそも社会構造的に異なる立場にあるかれらを、あたかも自らと同じ立場に立つものであるかのように錯覚することになりかねない。
「あなたの痛み、私にもわかる」というマジョリティ側からの共感の表明が、マイノリティ側からの「あなたに何がわかるのか」という拒絶にしばしば直面する理由がこれである。そんなとき、マジョリティの人々はマイノリティの人々の「傷つきやすさ」をわかったつもりになっているが、実は他者という鏡に映った自分自身の「傷つきやすさ」を眺(なが)めているにすぎない。要するにそれは、マイノリティの境遇に同情する「善意の」マジョリティが陥りがちな「勘違いの共感」なのである。(4、9、166~167ページ)

マイノリティの「傷つきやすさ」
マイノリティの置かれた不公正な状況の是正をめざすためには、そうした不公正がいかにして歴史的に形成され、社会的に構造化されてきたのかに注目する必要がある。それは必然的に、今を生きるマイノリティが抱える「傷つきやすさ」が、マジョリティの人々の「傷つきやすさ」と安易に同一視できるものではないという理解を導く。そしてそうした独特の「傷つきやすさ」を緩和するために、マイノリティが置かれた経済社会的なヴァルネラビリティ(不安定さ)を緩和する措置が、ときには優先的に与えられねばならなということになる。これが、マイノリティへの支援・優遇措置を正当化する論理である。(167ページ)

「とりあえず、なりゆき」任せの対話
「想像力」を養うためには、他者との「対話」が必要になる。それは、とりあえず「なりゆき」に任せてやってみることが、意外と有効で実践的な戦略である。
グローバリゼーションの時代とは、自分が始めた小さな行為がきっかけとなり、それが他者とつながることで、大きな流れになることが可能な時代である。それゆえ他者との対話と想像力を推し進めていくために、とりあえず身近な誰か、あるいは何かとの真摯な対話の試みから始めて、なりゆきに任せてみるのも悪くない。その可能性を信じる勇気と楽観性を持てるかどうかが、この見通しの悪い世界のなかで

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「リアル」でいられるか、現状追認や大勢順応に陥ってしまうのか、分かれ目になる。一つひとつの小さな対話がつながり、やがて大きな対話的想像力のネットワークになっていけばよい。それが社会(世界)を変えることになる。(207~208ページ)

〇「いま」の社会は、「地域共生社会」「全世代型社会保障」といったスローガンだけが躍り、その実は子どもから高齢者まですべての人が「生きづらい」社会である。表現の自由が失われ、監視と検閲がまかり通り、公務員やメディア関係者らも委縮する「息苦しい社会」である。近未来の全体主義社会を風刺し、警鐘を鳴らしたイギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説『1984年』(高橋和久訳、早川書房、2009年7月)を想起する。
〇正義感をひけらかして政権批判を繰り返し、政策や制度の問題点や課題をあげつらうだけでは、社会は変わらない。「批判」は、「既存の常識を疑い、それとは異なる(オルタナティブな)新しい発想、価値観、方法を創造すること」([2]14ページ)である。
〇「いま」求められるのは、「断絶の時代」認識と、「分断社会」についての“熱い胸”と“冷たい頭”すなわち感性的認識と理性的認識、そして主体的認識である(一番ヶ瀬康子)。
〇日本の政治や経済、社会は未曽有の危機にある。教科書で学んだ「先進国」や「経済大国」そして「民主国家」のニッポンは、地に落ちた。「がんばろう」「大和魂」「絆」などには危うさがつきまとう。そんななかで、ネットなどを通じた“共働”によってコミュニケーションの幅を広げ、新たな市民運動を展開することを経験している。また、「次の選挙であなたの対立候補に投票しますよ」(相澤冬樹)という言いまわしを再認識した。「ふつう」の市民が政治について自由に語り自律的に行動することが、民主主義を豊かにし、健全なものにする。その民主主義を支えるのはメディアである。その先に「生きやすい」「ゆったりとした」社会の”共創”があろう。そこで問われるのが井手や塩原らがいう「(批判的)想像力」と「対話」であり、その育成や推進である。自戒の念を込めて、改めて確認しておきたい。

 

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35/地域を生きる・地域を拓く・地域を創る
              ―鶴見和子と岩佐礼子の「内発的発展論」から―

〇「ないものねだりは愚痴である。あるものを探して磨くのが自治である」。「地元学は時間がかかる。人が育つ時間が必要だからである」。これは、「地元学」の提唱者である吉本哲郎の言葉である。筆者は、ときにこのフレーズを思い出しながら、「地域」とかかわってきた。その際、自分のなかに設定したテーマは常に、「まちづくりと市民福祉教育」であった。また、「まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり、教育づくりは政治づくり」「まちづくりは市民主権・市民自治の理念に基づく市民運動」であることを念頭に置いてきた。
〇「地元学」に関連して思い及ぶものに、鶴見和子(つるみ・かずこ)の「内発的発展論」や赤坂憲雄の「東北学」、原田正純の「水俣学」、あるいは山崎亮の「コミュニティデザイン」などがある。鶴見は2006年7月に鬼籍に入るが、赤坂との対談を中心に編まれた『地域からつくる』(藤原書店)が2015年7月に出版された。中央から(政府主導の)「地方創生」が推進され、「地方版総合戦略」(「都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略及び市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」)の策定が要請されているこんにち、「中央」でも「地方」でもなく、「地域からつくる」が重要な意味をもつ。
〇『地域からつくる』を読んだ機会に、鶴見の『内発的発展論の展開』(筑摩書房)の再読と岩佐礼子(いわさ・れいこ)の『地域力の再発見』(藤原書店)を再読することにした。本稿は、この3冊について筆者が関心をもった論点や言説の一部を抜き書きし、紹介するものである。

(1) 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年3月
内発的発展は多様性に富む社会変化の過程である
内発的発展とは、目標において人類共通であり、目標達成への経路と創出すべき社会のモデルについては、多様性に富む社会変化の過程である。共通目標とは、地球上すべての人々および集団が、衣食住の基本的要求を充足し人間としての可能性を十全に発現できる、条件をつくり出すことである。それは、現存の国内および国際間の格差を生み出す構造を変革することを意味する。
そこへ至る道すじと、そのような目標を実現するであろう社会のすがたと、人々の生活のスタイルとは、それぞれの社会および地域の人々および集団によって、固有の自然環境に適合し、文化遺産にもとづき、歴史的条件にしたがって、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に創出される。したがって、地球的規模で内発的発展が進行すれば、それは多系的発展であり、先発後発を問わず、相互に、対等に、活発に、手本交換がおこなわれることになるであろう。(9~10ページ)

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内発的発展は地域を単位とし伝統の再創造を図る
(内発的発展の単位は地域である。)地域とは、定住者と漂泊者と一時漂泊者とが、相互作用することによって、新しい共通の紐帯を創り出す可能性をもった場所である。(25~26ページ)
内発的発展には、文化遺産、またはもっと広くいえば伝統のつくりかえの過程が重要である。伝統とは、ある地域または集団において、世代から世代へわたって継承されてきた型(構造)である。伝統にはさまざまな側面がある。第一は、意識構造の型である。世代から世代へ継承されてきた考え、信仰、価値観などの型が含まれる。第二は、世代から世代に継承されてきた社会関係の型である。たとえば、家族、村落、都市、村と町との関係の構造等が含まれる。第三は、衣・食・住に必要なすべてのものをつくる技術の型である。少なくともこれら三つの側面について、古くから伝わる型を、新しい状況から生じる必要によって、誰が、どのようにつくりかえるかの過程を分析する方法が、内発的発展の事例研究には不可欠である。(29ページ)
地域の小伝統の中に、現在人類が直面している困難な問題を解くかぎを発見し、旧いものを新しい環境に照らし合せてつくりかえ、そうすることによって、多様な発展の経路をきり拓くのは、キー・パースンとしての地域の小さき民である。その意味で、内発的発展の事例研究は、小さき民の創造性の探究である。(30ページ)

政策としての内発的発展という表現は矛盾をはらんでいる
政策としての内発的発展という表現は、矛盾をはらんでいる。地域住民の内発性と、政策に伴う強制力との緊張関係が、多かれ少なかれ存続しないかぎり、内発的発展とはいえない。たとえ政策として取り入れられた場合でも、それが内発的発展でありつづけるためには、社会運動の側面がたえず存続することが要件となる。(27ページ)

(2) 赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学』藤原書店、2015年7月
地域学は内発的発展論に支えられた知の運動である
地域学は、それぞれの地域に生きる人々が、外なる人々とも交流しながら、みずからの足元に埋もれた歴史や文化や風土を掘り起こし、それを地域資源としてあらたに意味づけしつつ、それぞれの方法や流儀で地域社会を豊かに育ててゆくことをめざす、野(の/や)の運動である。(赤坂、37ページ)
内発的発展論とは、それぞれの地域に暮らす人々が、みずからの足元に埋もれている歴史や文化や風土を掘り起こすことを通じて、内からの力を呼び覚ましながら、明日の地域社会を協同して育て創造してゆく、そのための実践的な導きの理論であ

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り、東北学はそうした内発的発展論に支えられた知の運動である。(赤坂、12ページ)
地域学と内発的発展論とは、「汝の足元を深く掘れ、そこに泉あり」(ニーチェ)という促しの声において重なり、共鳴しあっている。(赤坂、37ページ)

内発的とは自治の精神に基づき時間をかけて立ち向かうことをいう
内発的発展論という言葉だけ聞くと、それは狭い地域やムラなり共同体なりに閉じこもり、外部の人間たちに対して、それを寄せ付けない狭い意識をもった発展の形なのではないかと誤解されてしまう怖れがある。内発的と外発的を区別するのは主体の在り方である。つまり、内発的とは、その土地に暮らす人々が内発的な欲求や自治の精神をもって、何かに立ち向かうことをいう。(赤坂、191ページ)
その土地で長い間、何代にもわたって生きてきた人たちの暮らしの流儀とか知恵とかをきちんと汲み上げる形で、もう一度、内発的に作り上げていく努力が必要なのである。外発的に、そこに暮らす人々をさしおいて頭越しに、性急に外から押し付けられるものは信頼できない。(赤坂、194、197ページ)
内発というのは発酵する、熟成する期間を必要とする。(鶴見、195ページ)

内発的であるには異質なものに対して開かれた態度が求められる 
内発的であるとは、内に閉じ籠もり、地域ナショナリズムを主張することではない。むしろ逆に、外に向けて、それゆえ異質なるものにたいして開かれた態度が求められる。
ムラ社会を巡回する漂泊者の群れこそが、ムラ社会存続の不可欠の要件である。漂泊者との交流、つまり漂白と定住とのたえざる相互作用があってはじめて、地域社会は活力を保つことができるのである。
ムラ社会にとって、漂白する人々は異質なるものであり、異文化を背負って登場する訪れ人である。鶴見さんはそこに、ムラ社会が活性化されるための不可欠の要件を認める。創造への豊かな契機が、漂白という異質なるものとの出会いのなかに隠されている、という発見でもある。(赤坂、218~219ページ)

内発的発展論は教育学であり教育民俗学である
内発的発展論は、分野としては社会学よりも教育学である。社会学でいえば、社会化の理論である。人間のひとりひとりの可能性を実現、顕在化していく、伸ばしていく。それが教育である。(鶴見、98ページ)
その土地に暮らす地元民がその土地の歴史や文化を掘り起こし、それを日常に、生活に役立て、それを伸ばしていく。これは民俗学であるが、教育民俗学であり、民俗学的教育である。それが内発的発展論である。(鶴見、115~116ページ)

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〇周知のように、内発的発展論は、1970年代中頃に提起された理論である。それは、従来のいわゆる「外来型開発」を批判し、住民の自治と参加による、住民主体の地域発展のあり方を問うものである。それを主導したのが鶴見和子である。その後、1990年代以降、新自由主義(市場原理主義)を背景に、自立自助や規制緩和を前提とした地域開発(地域社会)政策の展開や制度改革が推進されることになる。その内実は行財政改革であり、その一環として地方分権改革や福祉・教育改革が進む。そしてこんにち、その流れのなかで、内発的発展の概念や言説が政府主導の「地域振興」や「地域間競争」「地方創生」などをめぐる論理に内包化されている。すなわち、内発的発展の政策的推進が図られている。それは、一面では、外来型開発への対抗理論として措定され展開された内発的発展論の、理論としての特徴や歴史的意義、理論的有効性が問われることを意味する。
〇そもそも、グローカル化や高度情報化の時代にあって、地域の発展が「内発性」だけで完結する地域は存在しない。現実的には、その多少にかかわらず地域外の資源などに目を向けざるを得ない。地域資源を主体としつつも必要な外部資源の活用や導入を図ることを通じて、その地域の資源が生かされ、また新しく創り出されることになる。すなわち、地域のより豊かな持続的発展を指向するには、「内発性」と「外発性」を二項対立的に捉えるのではなく、その有機的連携や協働(共働)を図ることが必要かつ重要となる。それは必ずしも、地域住民の主体性や主導性としての「内発性」自体を軽視したり、狭隘に追い込んだりするものではない。
〇鶴見の言を俟つまでもなく、内発的発展を外部からの強制力によって政策的に推進することは、論理的には矛盾をはらんでいる。だからといって、ただひたすらに自立・自律による「内発性」を強調し、「外発性」を軽視あるいは否定することは、地域住民が直面している問題状況や地域課題の客観的把握を困難にする。とともに、地域住民がもつ内発的発展の潜在的能力を低下させ、発展の方向性を見失うことにもなる。すなわち、ここでは、地域住民の内発力と政策に伴う強制力との緊張関係のなかで、地域住民の主体性・能動性や自律性を厳しく問うことが必要かつ重要となる。それは、内発的発展の実践過程における、地域住民の地域づくり主体としての力量形成とそのあり方を問うことを意味する。鶴見が、「漂泊(者)と定住(者)の交流」を説き、「内発的発展論は教育学であり、教育の方法である」と強調するところである。
〇内発的発展は、政府や行政機関による「上から」の啓蒙・啓発ではなく、地元住民の「下から」の気づきや疑問、興味や関心などを基盤とする。したがってまず、個々の住民(鶴見がいう「キー・パースンとしての地域の小さき民」)の、地域づくり(まちづくり)主体としての個人的力量をいかに形成するかが重要となる。そして、個人的対応での課題や限界が生じたり、集団的・組織的対応を必要とする場合に、地域内・外の他者や他機関との交流や連携・共働のための(による)集団的力量形成が肝要となる。例えば、「地域住民―地域組織・団体―行政(職員)」の連携・共働関係の構築とそのための(それによる)教育は不可欠なものとして考え

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られなければならない。そこには、新しい、「共通の価値、目標、思想等」としての「共通の紐帯 (common ties)」(『内発的発展論の展開』25ページ)を創り出す可能性がある。
〇いずれにしろ、内発的発展の現実的な実践過程において最も重視されなけれぱならないのは、地域づくり(まちづくり)のための個人的・集団的主体形成(力量形成)であり、地域住民によるそのための不断の自己教育・相互教育である。それは、鶴見がいうように、「発酵・熟成」する期間や過程を必要とする。それによって、地域づくりのより確かで豊かな運動としての展開が推進されることになる。

(3) 岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』藤原書店、2015年3月
「持続可能な発展」は巨大な「システム社会」を前提とする
「持続可能な発展(開発)」(Sustainable Development:SD)は、大量生産、大量消費、大量廃棄に依存する資本主義や市場主義といった巨大システムからの脱却はせず、むしろそのシステムを最大限に利用し、言うなれば近代化のグリーン化を目指すものだった。換言するとエコロジー的近代化である。それは、環境保全と経済発展は両立するという前提に立って持続可能な発展を目指すことであり、環境規制の強化、環境税の導入、環境に配慮した技術革新の促進など、ドイツや北欧諸国の政策に代表される。
エコロジー的近代化には、水俣病患者が体験したような社会的差別や断絶、孤立や家族や共同体の崩壊といった社会的な問題に答える用意ができていない。そこには社会的な持続可能性についての配慮が欠如していると言えるだろう。(43~45ページ)

「持続可能な発展を支える教育」は多領域を横断する包括的教育である
「持続可能な発展を支える教育」(Education for Sustainable Development:ESD)は、あらゆる人々が、地球の持続可能性を脅かす諸問題に対して計画を立て、取り組み、解決方法を見つけるための、多様な分野の教育である。これを起点として多文化共生教育、ジェンダー教育、平和教育、人権教育、開発教育と、ESDはありとあらゆる教育を包含しながら複雑化し、一つの教育概念としての一貫性が疑問視されてきている。(71~72ページ)
色々な分野の教育をESDは次々と取り入れているが、どういった教育がESDではないのか、というESDとESDでないものとの境界線がぼんやりしているから生じるのである。これは〇〇教育といった、教育内容でESDを固定化して捉えるときに生じてしまう混乱であり、このアプローチには明らかな理論的限界がある。(85~86ページ)

「持続可能な発展のための内発的共育」は環境や社会の変動に寄り添う「共育」である
「持続可能な発展のための内発的共育」(Endogenous Education for Sustainable Development:EESD:内発的ESD)は、SDを支えるのは〇〇教育である、といった固定的な教育の捉え方ではない。発展過程の変動に寄り添って変化するような、動的

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なものとして教育や学習を捉えるものである。それは、人間として生きていくためには必要不可欠な、発展の変動に左右されない一貫性のある基本的な共育でありながらも、発展の過程で生じる社会変動や環境変動の際に外来の知識や知恵、技術などの要素を外から取れ入れながら、変動を乗り越えていく知恵を生み出すためにダイナミックに変化する共育である。すなわち、平常時の「静的」な動態と変動時の「動的」な動態という二つの動態を持つ共育をいう。(86~87ページ)
「ESD」という国際的に認識された教育概念は、地域レベルまで戦略的に上意下達式に地域の文脈に沿って普及し、新たな価値観を創造していくことであり、現場から内発的に立ち上がってくる教育及び学習のあり方とは根本的に異なっている。(73ページ)
「内発的ESD」は既存のESDを内発的なものに転換するという意味ではなく、あくまでも「持続可能な発展を支える内発的な共育」という意味を持つ。(87ページ)
「共育」とは、学校教育に囚われない、創造的で、相互的な、生活世界の視点から「教育」を置き換えた用語である。それは、内発的発展の過程において人々が共に学び合い教え合い育つという意味に加え、この共に育つプロセスにおいて学習と教育が一体化している状態を示す。(76ページ)

「持続可能な発展」は内発的で自律的な「創造的前進」をいう
持続可能な発展とは、声高に地球環境問題を唱えることや、エコタウンの建設や、化石エネルギーから自然エネルギーへの転換や、エコツーリズムによる街づくりといった可視的な「取り組み」を意味するのではなく、このような人々の普遍的な共同の祈念に導かれた、自律的で暗黙的な「創造的前進」そのものを指すのではないだろうか。風土に根ざし、しっかりと自分の立つ足元を見つめながら、今を生きるものたち、目に見えないものたち、声なきものたち、それらすべてとのつながりを身に引き受け、人間の潜在的可能性を発現しながら持続を希求するメカニズム、即ち内なる持続可能性の構築こそが「生命から内発する力」の源であり、発展を人間の成長の視角で捉えようとした鶴見が内発的発展論で追求していた真の意味ではないのか。この内なる持続可能性の構築を支えるものが、内発的発展に埋め込まれた内発的ESDである。
人間の潜在的可能性を発現するという意味での内発性とは、自分自身の主体的な力でもあり、願いや祈りを共有する仲間の力を借り、自発的に結集する力、共同性の力でもある。(372ページ)

〇先述の、鶴見の内発的発展論は外来型開発に対抗するものであるが、ESD は、経済発展と環境保全との折り合いをつける教育でもある。また、ESDにおいては、「環境」の概念が自然環境という狭義のものから、社会・経済・文化環境などの広義のものに拡張されてきた。それに伴って内包化(総合化)された平和教育や人権教

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育、あるいは福祉教育は、ESDとの親和性や同質性が強調される。その結果、ESDはそれ固有の構成要素や内容を曖昧化させ、平和教育や人権教育などの既存の教育についてはそのものの存在意義や特徴を希薄化させる恐れなしとしない。この点については、「まちづくりと市民福祉教育」においても、それが人権教育や道徳教育、共生教育(インクルーシブ教育)、防災・安全教育などとの親和性が高いがゆえに、強く留意すべきところである。
〇また、ESDは、学校や地域において総合的に展開されることが期待されている。学校教育に関していえば、2008年1月の学習指導要領改訂に関する中央教育審議会答申で、「持続可能な社会を構築することが強く求められている」として、ESDの取り組みの重要性が指摘された。この答申を踏まえて、学習指導要領にESDの視点が盛り込まれた(小・中学校は2008年3月、高等学校は2009年3月にそれぞれ改訂・公示)。以降、ESDの普及が図られるが、いわれるほどには進展していない。地域のESDについては、リーダーシップの養成やネットワークの形成(コーディネーターやファシリテーターの育成)が肝要となるが、これも進んでいるとはいい難い。その背景に何があり、そ〇の原因は奈辺にあるのか。本質論的かつ実践論的検討が求められよう。
〇ESDは、個人を対象とした知識伝達や能力形成のための教育として捉えられている。この従来型の教育に対して岩佐(「内発的ESD」)は、人、モノ、コト、そして自然が有機的にかかわる地域(「生活世界」)の内発的発展を支えるための、人間(地域)の潜在的可能性を発現させ、共同性や自律性そして創造性を育成する「共育」のあり方を提示する。それは、地域に暮らす高齢者や障がい者、外国籍住民など、すべての「ヒト」が「共働」する「まちづくりと市民福祉教育」における重要な視点・視座のひとつでもある。

 

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36/障がい者差別と「生の無条件の肯定」
              ―野崎泰伸の思想から―

〇筆者は、福祉教育実践や研究の重要な課題のひとつでもある「障がい者差別と生の思想」に関して、野崎泰伸(のざき・やすのぶ、倫理学専攻)の本を読み返すことにした。『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から―』(白澤社、2011年6月。以下[1])と『「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!―』(筑摩書房、2015年3月。以下[2])がそれである。再読のきっかけのひとつは、盟友(S氏)からの次のような返信メールである。「あなたがいう福祉教育に哲学や思想、倫理がないという話は、『保育指針』にそれがないということと重なります。何をどう教えるかはあっても、なぜそれが必要なのかは“自分の問題”として掘り下げられて来なかった。だから、児童福祉施設でありながら保育所は、社会福祉の『人権や社会正義、多様性の尊重‥‥‥』というような基本理念と重ならないのです」(2018年10月)。いまひとつのきっかけは、国会議員による笑止千万の妄言(「LGBTのカップルは子供を作らない、つまり『生産性』がない」『新潮45』2018年8月号)や、中央省庁や地方自治体などによる「障害者雇用水増し問題」の発覚(2018年8月)にある。さらには、「相模原障害者施設殺傷事件」(2016年7月)を引き起こした元施設職員の「この世から障害者がいなくなればいい」という言葉を思い出すことによる。
〇[1]は、「障害学」の視点から、障がい者にとって「正義」とは何かを問い、生を肯定する「倫理」を新たに構想しようとしたものである。野崎は言う。この社会で障がい者が「生きづらい」のは、軽減・克服すべき個人の身体(障害)に問題があるのではなく、健常者を「正常」とする価値観にとらわれている社会に責任がある。従って、その「生きづらさ」を解消するためには、障がい者を分断・排除している社会が負担を負わなければならない。また、「障害はないほうがよい」という言説がある。その多くは「障害者は存在しないほうがよい」という議論にすりかわってしまう。その「すりかえ」は、社会的負担の拒否を表明するものである。1970年代の「青い芝の会」などの障がい者運動は、「障害からの解放」ではなく(障害によってこうむる)「差別からの解放」を求めた。それらの運動は、「障害者の生存を無条件に肯定する」という「当たり前のことを当たり前に」要求したものであり、その主張に「学問」は学ぶべきである。改めて確認しておきたい野崎の言説のひとつである。
〇[2]は、「犠牲」という視点から、障がい者が抱える諸問題(「生きづらさ」)を検討することによって、「生の無条件の肯定」という思想の構築を図ろうとしたものである。野崎は言う。この社会では、経済成長至上主義や功利主義(「最大多数の最大幸福」)の考え方のもとで、貧富の格差や少数者の犠牲が前提・容認されている。そうしたなかで、障がい者が抱える「生きづらさ」の問題が私事化・矮小

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化され、障がい者やその家族、支援現場は犠牲を強いられ、追い詰められる。そして、閉鎖的な関係性が形づけられ、そこでのみ「生きづらさ」が共有されることになり、「共倒れ」が引き起こされていく。そしてまた、「何を言っても」「どうせ」この社会は変わらないという諦(あきら)めが、自分の暮らしを守ることに傾注させ、異質な存在(他者)を排除することを促す。こうした「犠牲の構造」のもとに障がい者を差別・抑圧し、捨て置くこの社会に抗するには、「生の無条件の肯定」という正義が問われ、倫理が求められなければならない。改めて押さえておきたい野崎の言説のひとつである。
〇野崎の言説について、筆者にとって意味不明や理解不能な点がいくつかある。例えば、野崎の言説の原点でもある「青い芝の会」の運動の「愛と正義を否定する(愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発する。人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉である)」や「問題解決の路を選ばない(安易な問題解決は危険な妥協ヘの出発である。問題提起を行なうことのみが、われらの行ない得る運動である)」という「行動綱領」([1]40ページ)。「障害はないほうがよい」という言説が「障害者は存在しないほうがよい」という議論に「すりかえ」られるという、その構造。「生の無条件の肯定」が起きるのは「奇跡であり、狂気の瞬間でもある」([1]197ページ)が、それは「感情や気持ちの問題」ではなく、広く「社会構造の問題」をも問うものであるという思考。WHOのICIDH(国際障害分類)からICF(国際生活機能分類)への移行について論究しないこと、等々がそれである。これらに関する分析や理論(論理)の展開については今後に期待することにして、以下では、福祉教育実践や研究に思いを致しながら、再確認あるいは再認識したいいくつかの論点や言説を紹介しておくことにする(引用、抜き書き。見出しは筆者)。

(1)『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から―』
障がい者問題の本質と「障害をもつ者ともたざる者との断絶」
障害者問題は特殊な問題ではなく、みんなの問題である。そのことを説明するために、次のようなことが言われる。みんな老いていくし、不慮の事故で障害者になったりする。あるいは、昨今では精神的な病になってしまう者も多い。このことから、誰もが障害や老いによっていつしか自分の身に社会的なハンディを背負わされるようになる。([1]8ページ)
こうした理解は「いま障害をもっていない者への説明」としては適切だ。だが、現に障害を有する者にとっては、こうした言われ方が生ぬるいと感じられるのもまた事実である。実際に「明日障害をもつかもしれない人」にとって「いままで障害を有してきた身体/精神がこの瞬間感じるもの」を感じ取ることは不可能である。障害をもつ者ともたざる者との間のこの断絶は、あなたと私が違う人間である以上、けっして完全に埋めることなどできないはずである。まずは、この断絶の存在を深く認識しなければ、なにも始まらない。

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それでは「どのように」障害者の問題は〈私たち〉の問題であるということができるのであろうか。それは次のように考えることができる。現在の私たちの社会が、障害者を生きにくくさせていること、障害があるだけで人間扱いされないような社会に、あなた自身も、私も住んでいることを、あなたや私はどう考えるのか、を問わなければならないのである。そして、これこそが、障害者問題が〈私たち〉の問題であるという理由のもっとも基本的な部分なのである。([1]9ページ)
障害者を排除する社会にあなたや私が住むということ、そしてそのことをあなたや私はどう考えるのか、というところに問題の本質があると述べた。この問題には、2つの側面があると思われる。1つは、社会の正しさの問題、つまり正義の問題であり、もう1つは、こうした問題を自身から引き離さず、棚上げすることなく考えるという要素である。([1]10ページ)

障害学と「障害はないほうがよい」という言説
障害学とは、多くの健常者が考えるような発想、すなわち障害はなおしたり、克服すべきものだという視点を基本的にはもたない。そうした視点は、障害を「異常なもの」と考える発想であり、この社会で生活したければ、健常者のように「正常」になるように努力しなさい、という結論を導きやすい。なぜならば、この社会が健常者中心で回っているからである。これに対して、障害学の視点とは、まず「この社会で障害者が〈人間らしく〉生きていくためには、(障害者のほうではなく)社会はどのようにあるべきか」を考えるのである。([1]19ページ)
障害学では、障害を障害者個人のインペアメント(機能障害:阪野)の治療という枠組みから、社会における障壁が障害者を無力化するという枠組みへの変更を促す。([1]20ページ)
(障害についての2つの考え方である:阪野)医学モデル(個人モデル)と社会モデルとの違いは、次のように言うことができる。障害の医学モデル――障害者が〈生きづらい〉のは障害者本人の責任である。だからこそ、障害は本人が軽減・克服すべきものなのである。障害の社会モデル――障害者が〈生きづらい〉のは社会の責任である。したがって、障害者本人の〈生きづらさ〉の解消のためには、社会が負担を負わなければならない。
障害を社会的文脈において理解するということは、障害者の〈生きづらさ〉を誰が負担すべきか、つまり「帰責性の問題」が中核的な議論となる、と言えよう。([1]26ページ)
「障害はないほうがよい」という言説は、その多くが「障害者は存在しないほうがよい」という議論にすりかわってしまうことに注目すべきである。社会モデル的に考えれば、「障害はないほうがよい」という問いに対する答えは定まらないはずである。([1]27ページ)
「障害はないほうがよい」が「障害者は存在しない方がよい」にすりかわってしまう背景には、社会的負担の問題がある。つまり、「障害はないほうがよい」を「障

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害者は存在しないほうがよい」にすりかえるのは社会的負担の拒否を表明しているのである。そのように考えたとき、「障害はないほうがよい」を問わせる場自体が、「すりかえ」も含めて、私たちが構築したものにすぎないとも言えるはずである。([1]27ページ)

障がい者運動と「障がい者の生存を無条件に肯定すること」
1970年前後に、重度障害者が個々の場面において声をあげ始めた。(中略)(そうしたなかで:阪野)特に注目されるのが、脳性マヒ者の団体である「青い芝の会」の活動であろう。([1]36ページ)
(「青い芝の会」の:阪野)障害者本人が訴え、求め続ける障害者解放とは、障害からの解放ではなく、(障害によってこうむる)差別からの解放なのである。これは障害学でいうところの「医学モデルから社会モデルへ」というパラダイムシフト(支配的な考え方の劇的な変化:阪野)に符号している。([1]37ページ)
日本における戦後障害者運動を(中略)思想的に見ていけば、とりわけここ40年間の障害者本人による運動に胚胎(はいたい。芽生え、きざすこと:阪野)するのは、障害者の生存を無条件に肯定することであると言える。私は、この運動が面白いのは、当たり前のことを当たり前に言っていることにあると思っている。彼らの主張はしばしば非論理的であると言われたりもするが、私は明快な筋が通っていると考えている。障害者によって主張されたから意味があるのではなく、障害者によって主張された数々の主張が、社会において普遍性を帯びるからこそ、この運動には意味があると私は考えている。まず学問がなすべきことは、障害者運動の主張を学ぶことであり、それによって学問自身をとらえ返すことにあると、私は考える。([1]45~46ページ)

「当事者研究」と当事者が語ること
近年、「当事者研究」というものがなされている。それは、当事者自身の手によって、当事者が直面する問題を、当事者内部にとどまらず、当事者と(当事者を捨て置く)社会との関係によって考察していこうとするものである。([1]166ページ)
当事者が語り出すとき、さまざまな点で考えるべきことがある。まずは、そこに行きつくまでにその当事者がいかなる困難を経験してきているかは、想像すべきであろう。([1]167ページ)
語り出した当事者を勇気があると賞賛することも問題である。まず、誰が、何がそこまで当事者を語れなくさせてきたのかが問われるべきである。(中略)語り出す当事者を英雄化してしまうのは、「語ることのできる主体」を期待するだけの非当事者であると言わずに、他になんと言えようか。それはまた、いまだ沈黙せざるを得ない当事者たちへ向けた無言の圧力でもあるのだ。([1]167ページ)

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そもそも、語り出す当事者の主張が、当事者一般の意見を代表するわけでもない。また、いったん語り出した当事者の主張の内容が、当事者であるというだけで正しさを担保されるわけでもない。ではなぜ、当事者の主張が大切になってくるのか。ここまでの理路をたどってくれば、当事者の(生きづらさ)を捨て置く学問体系や私たちの社会が不正義であるからだ、ということができる。それを正すためには、これまでの学問体系や私たちの社会に、ただ単に当事者の主張をつけくわえたもので満足してはならない。それだけでは語る主体の物語で終わってしまう。([1]167~168ページ)

正義と倫理的命令としての「生の無条件の肯定」
正義というものが存在するのであれば、それはどのような生が生きることをも無条件に肯定しなければならない。生の無条件の肯定が、倫理的命令である。([1]193ページ)
(1)「生の無条件の肯定」は、感情や気持ちの問題ではない。「生の無条件の肯定」は、広く社会構造の問題をも問うものであり、条件をつけながら特定の存在だけを「生きる価値がある」とする社会構造に反対するものだと言える。(2)「生の無条件の肯定」は、生命の神聖性原理ではない。生命の価値を、他の価値と比べて絶対で最高の価値であるとする「生命の神聖性」という原理とも一線を画し、それがなければ他の、自由や平等などといった価値が実現しないという意味で、基本的かつ原初的な価値であると言える。(3)「生の無条件の肯定」は、スティグマを与えるものではない。当事者にスティグマを与えたり、スティグマを黙認する社会のようなものが、「生の無条件の肯定」を体現するはずもない。(4)「生の無条件の肯定」は、現前するものではない。「生の無条件の肯定」は、いまだ達成されたものでもないし、将来達成されるものでもないからこそ、正義なのである。([1]194~198ページ抜き書き)

(2)『「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!―』
「生きづらさ」と共依存による「共倒れ」の社会
困っているとき、弱っているときに、誰かに何かをお願いしたり頼ったりすることを妨げてはなりませんし、誰かにSOSを発信すること自体はけっして悪いことではありません。(中略)〈生きづらさ〉をひとりで抱え込む必要などないからです。他方で、ある特定の相手と閉じた関係性が形づくられ、そこでのみ〈生きづらさ〉が共有されるような場合、「共倒れ」の危険性が出てきます。というのも、弱っている相手、支えが必要な相手を支えたくても支えきれなくなった場合、もはやそれは「共に生きる」状態ではなく、「共倒れ」と呼ぶにふさわしい状態だからです。([2]75ページ)
Xという条件を満たしていなければ生きる価値などないと思わせるような構造や価値観がこの社会に存在しているからこそ、共依存による「共倒れ」が起こってしまうのだと私は考えています。(中略)ですから私は、共依存による「共倒れ」を防ぐには、家族や近親者だけに責任を負わせてはならないと考えています。誰もが無

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条件に生きてよいというメッセージを社会が発し、それを可能にするような制度を整えることが、より根本的な解決法であろうと思うのです。([2]76~77ページ)

「犠牲のシステム」と「豊かに」生きられる社会
犠牲とは、交換や譲渡ができないもの、しないものを、その社会において、それができるようにする力のことである、と言ってよいのではないでしょうか。そして、真の「豊かさ」とは、交換不可能性、譲渡不可能性を源泉とする価値のことなのです。であるなら、交換不可能性、譲渡不可能性に基づく価値を、自発的にせよ強制的にせよ、社会に差し出してはならないのであり、それらの価値を守るために、交換可能な価値は存在すると考えることもできるのではないでしょうか。ここで私は、(中略)
交換不可能な価値を差し出さなくてもすむような社会を創出するためにこそ、交換可能な価値を使う必要があると述べているのです。
交換可能な価値の代表が貨幣であり、交換不可能な価値の代表が身体や生命、環境、尊厳です。交換可能な価値は、使用することによって価値が生まれ、交換不可能な価値は、そこに存(あ)るだけで
本源的な価値を有していると言えるかもしれません。([2]96ページ)
「豊かに生きる」とは、すべての生が、先述のような意味において犠牲にならないことであると私は考えています。人の生命や尊厳など交換不可能なものを、貨幣など交換可能なものに「交換」させ、それを「美談」に仕立て上げ、そうした「交換」を社会に埋め込んでいく装置が、「犠牲のシステム」なのです。([2]96~97ページ)
他者を犠牲にしない、そして私という存在も犠牲にされない社会(「犠牲のない社会」:阪野)こそが、他者と共に「豊かに」生きられる社会であると言えるのではないでしょうか。([2]97ページ)

障がい者の「生そのもの」を選別する「教育」と「観念」
日本の道徳教育においては、「生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重する」(中学校学習指導要領:阪野)などと、生きることや生命を尊重することの大切さを児童・生徒に理解させることが重視されている。([2]190ページ)
(分離教育を前提とするこの国の:阪野)学校教育においては、障害のある「生そのもの」が、「学校教育に順応できる(順応させるに値する)」かどうかが、当人および家族の意向よりも優先的に問われることになるのです。つまり、障害のある「生そのもの」は、「この社会で生きるに値する/生きさせるに値する」かどうかが問われることになるわけです。こうして、障害をもつ子どもの「生そのもの」は、一般化・抽象化された「生命」観に基づく価値序列によって選別の対象となっていくのです。

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こうした動きを、根本のところで推し進めているのは、政治や法律であるというよりはむしろ、「障害者の「生そのもの」は、生きるに値する/生きさせるに値するかどうかが問われても仕方がない」という、広く私たちを覆う観念なのではないでしょうか。そして、そのような観念は、世論によって強化され押し広げられ、私たちを、障害をもつ人を、「犠牲の構造」へと巻き込んでいくのです。([2]194~195ページ)

「生の無条件の肯定」と「権力に抗する倫理の姿」
一般化・抽象化された「生命」ではなく、個別・具体的な「生命」に目を凝らしてみると、ただそこに存在しているだけで、それは絶対的なのです。個別・具体的な「生命」は、ある空間と時間において間違いなく存在し(ています:阪野)。だからこそ、それは比類がないのであって、絶対的なのです。(中略)この「生きているということそのもの」(「生そのもの」)こそ、あらゆる生の原形であって、私たちはこうした「生そのもの」を無条件に肯定しなければならないのではないでしょうか。なぜなら、「生そのもの」の否定は、原理的な水準において、すべての生の否定を意味するからです。こうした理由によって「生命の価値」「生命の尊厳」といった一般的・抽象的な次元よりもいっそう深い水準において、「生そのもの」を無条件に肯定する必要があるのではないかと私は考えているのです。([2]191~192ページ)
権力は「生そのもの」を、一般化・抽象化された「生命」に基づく価値序列に当てはめ、「生きるに値する生/生きさせるに値する生」であるかどうか選別していきます。その過程で権力は、「生そのもの」に「尊厳」を付与することで、「生そのもの」を肯定する回路を絶ってしまいます。だからこそ私たちは、そうした力に抵抗しなければならないのです。「生そのもの」を、それ自体として受け取ること、したがって、一般化・抽象化された「生命」として受け取ってはならないということ、「生そのもの」を無条件に肯定すること。それこそが、「生の無条件の肯定」が指し示す倫理の地平なのです。([2]200ページ)

社会運動と「民主的アプローチ」
多くの社会運動は、「他者と共に豊かに生きられる社会」の実現を目指しています。裏を返せばそれは、この社会が、まだそうなっていないことを意味しています。(中略)現安倍政権は、異質な人間を排除し、同質な人間をのみ成員とする社会を作ろうとしているように思えてなりません。異質な人間を異質なまま、この社会のメンバーとして受け入れようとせず、同質化を強要し、それに従わない人は構成員とみなさず、放遂しようとしているのです。それによってこの社会は、他者と出会う機会を失っていき、同質な人間だけで完結した、閉じた社会になっていくのではないでしょうか。([2]180ペジ)
社会運動にかかわる上で肝要なのは、ある属性をもつ人びとを差別し、見殺しにするこの

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社会を、「犠牲の構造」の上に成り立つこの社会を絶対に許さないという思いと、いつの日か、そうした社会を変革することができるという信念ではないかと私は思うのです。([2]215~216ページ)
いくら「来るべき社会」について議論をしても、その基底に「正しさ」がなければ、何の意味もありません。人びとがもし、「政治的な力による調整」によって多数派を形成することこそ民主主義の実践だと考えているとすれば、端的に言ってそれは誤りです。結局のところそれは、政治的に力の強いものこそが「正しい」と言っているのと同じです。複数あるプランのうち、もっとも論拠が確かで妥当性が高いのは何かをめぐって、意見交換をしながら合意を形成し、それに基づいて社会を運営していくというのが、あるべき民主主義の姿ではないでしょうか。([2]222ページ)

〇野崎の言説の核心は、「『生の無条件の肯定』は正義であり、倫理的命令である」という点にある。それを[1]では「障害者」の視点に立って、[2]では「犠牲」という視角から論究するのであるが、その主張を際立たせようとするあまり、論理の飛躍や混乱、不整合が散見される。例えば、野崎は「負け惜しみではなく、障害がないほうがよい、とは思わない障害当事者も存在する」ことから「『障害はないほうがよい』という問いに対する答えは定まらない」([1]27ページ)と言う。その意見については、筆者にも「自分がCP(Cerebral Palsy:脳性マヒ)であることを誇りに思っている」(本ブログ「雑感(20)」2014年10月1日投稿)という知人がいるが、一般論としては首肯しかねる。「障害はないほうがよい」。
〇とはいえ、必ずしも新味性があるとは言えないが、野崎の言説から福祉教育実践や研究が学ぶべき論点や主張も多い。例えば、「身体や生命は、そこに在るだけで本源的・絶対的な価値を有している」。「一般化・抽象化された『生命』ではなく、個別・具体的な『生命』に目を凝らすことが重要である」。「学校教育においても、障害のある『生そのもの』は価値序列によって選別の対象となっている」。「生きる・生きさせるに値するかどうかを問うという考え方は、世論によって強化・拡大されていく」。「これまでの学問体系や私たちの社会に、ただ単に当事者(障がい者)の主張をつけくわえるもので満足してはならない。それだけでは語る主体の物語で終わってしまう」、などがそれである。
〇最後に、野崎の言説に通じるものでもあるが、本稿のタイトルとりわけ「自分の存在意義」(自分が存在している意味や価値。レーゾンデートル)に関して、平易に次のように言っておきたい。「人がそれぞれ、他者とともに豊かに生きるということ」=「人はそれぞれ、いま、ここに生きているというそのことに本源的な価値がある」(「ただ生きる」ことの保障)×「人にはそれぞれ、やりたいこと・やれること・やらなければならないことがある」(「よく生きる」ことの実現)×「人はそれぞれ、社会や歴史、自然・環境などとのつながりのなかに生きている」(「つながりのなかに生きる」ことの持続)。

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補遺
野崎泰伸は、「倫理」と「倫理学」そして「哲学」について次のように述べている。
「倫理」とは、「人としてあるべき道についての掟」のようなものである。「倫理学」とは、「いかに生きるべきか」について考える学問である。「哲学」とは、人生のあらゆる出来事について、その根源にさかのぼって探究する学問である。倫理学は哲学のひとつの領域である([2]49ページ)。「障害とは何かを問うていく営為は哲学的であり、障害者とともに生きる社会はどうあるべきかを考える営為は倫理学的でもある」([1]21ページ)。

 

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37/「できる・できない」を問う
             ―立岩真也の思想から―

A:「生まれながらにして目が見えないのです。普段は、何も見えない生活ですから、いまさら見えても困ります。」
B:「高校生の時に全盲になりました。視力が徐々に低下していく時が一番怖かった。もう一度、故郷の景色を見たいものです。」
C:「私は、自分が脳性マヒであることを誇りに思っています。だからこそ、いまの生活や活動ができるのです。」

〇筆者の手もとに、読みづらいと思い込み、読みあぐねてきた本がある。それは、多面的・多角的な視点の提示や問題提起をはじめ、縦横無尽で複雑な論理の展開、思考過程の多岐にわたる詳細な言語化、それに個性的で独特の文体(文章のスタイル)の駆使などによるのであろう。それは実は、「障害」や「病」をめぐる社会のあり様とその問題点や課題などについて、読み手に対して誠意を尽くし、慎重かつ丁寧に解明しようとする「仕事」である。そこには、「誰もが不利益を不当に被る」ことのない「公平な社会」のための「強靭(きょうじん)な思想」がある(「帯」)。その本は、立岩真也(たていわ・しんや、社会学専攻)の『不如意の身体―病障害とある社会―』(青土社、2018年11月。以下[本書])である。「不如意」(ふにょい)とは、「思うようにならないこと」をいう。
〇本書を読み進めるなかで、立岩の言説のうちから次の2点に留意しておきたい。ひとつは、社会に対する基本的な視点や考え方である。一部を引いておく。

近代を問題にするとはこの(次の)二つをともに問題にすることである。一つは、この社会における所有に関わる規則とそれに関わって生じる現実の財の配置である。一つは、人とその行ないと行なうことのできることの間の関係を巡る価値――能産的であることにおいて人は価値を有するという価値――である。(98ページ)

〇平易に換言すれば、「私たちの社会は自分ですることに価値を置いており、生産した分、あるいは能力・生産に応じた分(だけを)取ることを正当としそれを社会のきまりとしている」(368ページ)。要するに、この社会は、能力と業績を基準にして評価する社会、「その基本に『能力』に関わる価値と規則を有している社会」(97ページ)である。そして立岩は、この能力主義・業績原理に強い異議を唱える。
〇立岩は、その社会で生きるにあたっては、障害によって「できない」ことがあっても、「(1)自分でする、自分でできるようになる。そのために「学習する」とか「訓練する」とか「なおす」ことがなされる。(2)自分ができるために、自分以外の人・設備を使って、補う。(3)他人にやってもらう」(362ページ)という方法

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がある。「自分でできないこと、その代わりに他の手段を使うこと、他の人にさせることは常にその本人にとってマイナスではない」(309ページ)。障害は「ないにこしたことはない」と言うが、立岩にあっては、それは大切な主題ではない。「あるものはあるのだから、あとはどうやって生きていくか、生きていくための方法を考えること」(298ページ)が重要になる。「障害があるのはよいことかわるいことかといった議論に加わらず、まず障害者が生きていけるためにすべきことをすること」(317ページ)である。「そう簡単に障害はない方が(本人にとって)よいと言ってほしくない、言うべきでない」(318ページ)と立岩は訴える。
〇いまひとつは、立岩は、「障害とは何か」、とは問わない(101ページ)。「障害とは何か」を定義することは必要ないとして、「不如意の身体」(思うようにならない身体)の「障害と病に関する契機」を挙げる。「(1)機能の差異があり、(2)姿形・生の様式の違いがあり、(3)苦痛があり、そして(4)死の到来がある。加えれば、(5)加害性がある」(21ページ)というのがそれである。
〇この5つの契機のうち、立岩にあっては、「障害」は、(1)機能・能力、その有無・差異(「できないこと」)と(2)姿形・生の様式、その差異(「異なること」)に関わり、加えて(5)加害性(「加害的であること」)が懸念されてきた。それに対して「病」は、伝染の可能性等によって(5)加害性(の可能性)が恐れられ、「社会防衛」(収容・隔離)の対象になってきたのでもあるが、(3)「苦しいこと」と(4)「死に至ること」、あるいはそれを惹起させるものである(21、37、102ページ)。
〇5つの契機のうち、「歴史的現実的には相当に大きな部分を占めてきた」(102ページ)のが「加害性」である。その点に関する立岩の言説の一部を引いておく(抜き書きと要約)。

精神障害や発達障害のある部分について「(自傷)他害」が問題にされてきた。ハンセン「病」や精神「病」も加害性をもつものとして社会によって扱われ、そして「防衛」の対象になってきた。なにか身体的なものに関わるよからぬもの全般が「病」という札を貼られ、その中で「機能」に関わる部分が「障害」と括(くく)られてきたのかもしれない。そして同じ施設にハンセン病療養者が入り、結核療養者が入り、結核が流行らなくなると、重症心身障害児と呼ばれる人が入り、筋ジストロフィーの子どもたちが入り、そして大人になっていった。ここで加害性(からの防衛)と負担(の軽減)は明らかにつながっている。そして「狭義の」加害性~社会防衛は現実にはどれほどの重みをもっているか。一般に反体制的な気分の社会運動においては治安が問題にされるのだが、いったい実際にはそれはどれほどのものであるのかは考えておいてよい。(30~31ページ)

加害(性)はとにかく難しいように思える。わるいことをしたら罰せられるのはよい。しかしその人がわざとやったことでなければ、自らの意志で止めることができなかったことなら、やはりその人の責任は問えないだろう。そして死刑は私はいや

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だ。そしてどんな手を打ったとしても、悲しいことではあるが、加害行為がまったくなくなることはない。ずっと言われ続けてきたことではあるが、加害を減らす手段は本人を罰したり介入したりする以外に、様々にある。貧乏を減らすのが本来は一番てっとり早い。そして、それをなくすため、減らすためといって、犯罪を行なう確率が高いとされる集団に属しているからといってその人(たち)を特別に扱うといったことは極力しない方がよい。(138~139ページ)。

〇すなわち、「不如意の身体」の「加害性」は、「不如意」ゆえに本人の意に反して出現する(した)「加害行為」が社会的に恐れられ、「社会防衛」の対象にされてきたことを意味する。その際の「加害行為」については、その「(自己)責任」の有無や所在、その「抑制(実施)」の可否や方法、その「(社会)防衛」の是非や負担などをめぐって、ことはそれほど単純でも簡単でもない。
〇冒頭に記したA、B、Cの(筆者の知人の)話に関して、立岩の論点や言説から、筆者なりに留意しておきたい点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

身体障害は、動かず、不便であるだけだ。障害者は、機能や姿形においても、できる/できないにしても、違うことの受け止めにしても、生まれた時からの人と中途からの人は異なる。前者の人は、違いを意識するのは他人との比較のときで、自分については他人と違っている状態が初期値で通常の状態であって、その自身においては「同じ」である。(28~29ページ)

障害があることがマイナスであると判断されることがあることを否定しようと思わない。しかし正/負は微妙であり、しかもそれは環境によって左右される。(環境として既に存在する社会の方は健常者用の、健常者的社会ではある。)現実において、その社会において、障害はない方がよいことはある。全面否定の必要はない。できた方がよいことがあるが、しかし「本来」とまでは言えない。このことがあまりに単純化されている。だから、障害はない方がよいに決まっているという決めつけは「あまりに無神経」だといった指摘は、なにか「感情論」にすぎないと受け止める人がいるかもしれないけれど、やはり当たっているのである。(314~315ページ)

障害があることが本人にとってよいかわるいかは定まらない。この単純な意味で、障害がないこと自体がよいとは言えない。他方、周囲にとっては、(負担という点では)障害があることは確実に都合がわるく、ないことはよいことである。「本人」がこのことの隠れ蓑(かくれみの。実体を隠すための手段)?に使われ、本人だけのこととされることがある。そして当人もそんな周囲から学習し、自分のこと

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を負担に思ったりするだろう。障害はない方がよいという主張の問題は、誰にとってという人称不明のまま、むしろ本人にとってよいことになってしまい、区別がつかない。その中で周囲の都合が優先されることがある。だからどのように異なるのかをはっきりさせる必要がある。(315~316ページ)

できた方がよいのは、一つは、自分のことは自分でというきまりのあるこの社会においてはできることが必要とされるからである。しかしそれはつまりは、人のことを手伝うのは面倒だという以外のことではない。できることは総量としてしかるべく存在すればよい。自分ができなくてはならないわけではない。「ない方がいいでしょ」という問いに「はい」と答えてもかまわないのだが、ただ、「できたらいいに決まっている」と言われるときには、できない(そしてしなくてよい)人とその周囲の人の異なりが看過されている可能性がある。いや実際看過している。だからこのことは忘れないようにしよう。(323ページ)

〇本稿のテーマに関する立岩の主張は簡潔・明瞭である。障害と病の有無や差異に関わりなく、またできなくても、なおらなくても、自分以外の人や設備によって補ってもらうことでみんなが「公平」に暮らせればそれでよい、のである。できる/できないの言説は、自分(本人)ができなくても、他人(本人の周囲の人)ができれば何とかなる、ということである。

 

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38/二項対立の思考:「分かりやすさ」の罠
               ―仲正昌樹を引く―

〇本冊子の「まえがき」で、「二項対立」的あるいは「二分法」的な思考についてふれた。その点についての理解をいますこし深めるために、仲正昌樹(なかまさ・まさき、政治思想史)の『「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言―』(筑摩書房、2006年5月)から、次の言説を引いておくことにする(抜き書きと要約)。

なぜ二項対立にハマるのか?
二項対立というのは、いろいろな意味で使われる言葉だが、政治的にネガティヴな意味で使われている時は、おおよそ①実際にはいろいろ複雑な争点があって単純にイエス/ノーを言えないはずのところを強引に単純に割り切って敵と味方で全面的に対立している(かのような)構えを見せること、②対立している双方の論理が、相手方の言い分のイエス/ノーをそのままひっくり返しただけで、第三者的には、合わせ鏡のように左右対称になっているように見えてしまうこと――を指している。(13~14ページ)

二項対立をやっている人たちは、なぜ、ステレオタイプ(型どおり)な台詞(せりふ)を語り続けるのだろうか? 答えは“簡単”である。斎藤貴男(ジャーナリスト)が指摘しているように、相手方が単純なレトリック(修辞、言い回し)で庶民の目をくらまし、複雑な現実に目を向けさせないようにしているので、自分たちも庶民にまず“目をさまして”もらうため仕方なく、庶民が振り向いてくれるような庶民にとって分かりやすい単純な言葉で語っている、というのである。しかし、それではまるで、庶民には全然主体性がなくて、右から何か吹き込まれたら右になびき、左から吹き込まれたら左になびくので、たくさん言ったもの勝ちだと言っているようなものである。(15ページ)

カンタンに二項対立している人たちに対して、第三者的な立場から批評を加えると、「自分の問題としてではなく、他人事のように語っている」などという拒絶反応をする人々がいる。二項対立の一方の側に身を置いていないのは、高見に立ったつもりになって無責任なことを言っている不真面目な輩(やから)である、という妙な価値観が働いているのである。「今はもう冷戦的な二項対立的発想の時代ではない」と言いながら、自分自身はますます二項対立的な図式にハマり込んでいる大小の評論家が増殖している。(17ページ)

人はどうして分かっていながら「二項対立」図式に自らハマっていき、そこから抜け出せなくなってしまうのか。「世界は複雑であり、二項対立では片づけられない」ことを多くの人は抽象的には理解しているが、いざ自分の考えを表明すべき立

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場に立たされると、何らかの形で「世界」を、自分にとっての「敵/味方」に単純に切り分けて、“分かりやすい答え”を出して、安心しようとする。その安心感を振り切って、複雑さを再認識するのは非常に困難になる。「哲学」は、思考を単純化してしまう「分かりやすくて心地よい言葉」に抵抗してきたと言えるが、現代日本において顕著に見られるように、時として哲学者自身が自覚的無自覚的に、二項対立的な「分かりやすさの罠」にハマってしまうことがある。(17~18ページ)

すべての二項対立が悪ではない
最近では、「敵/味方が最初から決まっていて妥協や歩み寄りの余地がない二項対立的な論争は不毛だ」という感じで、“二項対立”が悪者扱いされることが多いが、「二項対立的になる」ことは常に悪いことであるとは限らない。単なるフリートークではなく、一つの「答え」を出すことを目的として論議する場合、イエス/ノーに意見がはっきりと分かれるような二項対立的な問題設定をどこかでする必要がある。(31~32ページ)

特定の価値観・世界観を持っている人々が、自らの価値観・世界観を直接的に反映する形で論争の土俵を設定すると、最初から妥協や、自らの立場を変化させる余地がなくなってしまうことになりがちである。そうした世界観レベルの二項対立とは一応切り離した形で、最初の時点で便宜的にイエス/ノーの立場を二項対立的に設定しておいて、議論を進めていくうちに互いに(立場を)移動し合ったり、第三、第四の立場を設定できる可能性を認めることができるのであれば、(暫定的で変動可能な)二項対立的論争形態はむしろ有用であると言うべきだろう。(34ページ)

修辞的アイロニーと哲学的アイロニー
フリードリヒ・シュレーゲル(1772年~1829年、ドイツ初期ロマン派の思想家)は、単なる修辞的アイロニーと哲学的アイロニーを分けている。修辞的アイロニーというのは、自分の言葉を洒落(しゃれ)たものに見せるためにちょっとだけ逆説的に聞こえる表現(皮肉)を使ってみるというようなことであり、思考の枠組みにおける大きな変容を伴っていないようなものである。それに対して哲学的アイロニーは、「対話」などの形を取りながら、「哲学する主体」が無自覚に依拠している「秘密の意図」を“反省”的に明らかにして、“主体”の視野を拡げていく営みである。(188ページ)

「アイロニー」の語源になったギリシャ語の<eironeia>は、(相手の思考が生まれるのを助ける)「産婆術」(ソクラテスの対話形式の哲学)を意味していた。(190ページ)

〇二項対的な思考は、議論における相違点や対立点を鮮明にする。しかし、その反面、議論に参加する人々の立場や立ち位置を硬直化させ、議論それ自体を不毛なも

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のにしてしまう危険性がある。そこで、自分自身の古い思考の枠組みを解体して再構築(「脱構築」)しながら、自分の立場や立ち位置から一歩踏み出し、思考する。それによって、硬直化した二項対立を俯瞰(ふかん)することができ、「敵/味方」の両極がそれぞれ持つ非合理な思い込みを明らかにすることができる可能性が開かれる。これが仲正がいう「アイロニカルな思考」であろうか。仲正の「アイロニー」は単なる「皮肉」(修辞的アイロニー)ではない(ちなみに、筆者に対する「皮肉」のひとつに、「字が達筆すぎて読めない‥‥‥」がある)。
〇二項対立には、多かれ少なかれ「グレーゾーン」(中間領域、境界領域)が存在する。そのことを前提に、あるいはそれに着目して議論することも必要かつ重要となる。グレーゾーンの発生は、議論の条件や状況が不明確であったり(認識の限界)、それに対する判断や基準に差異があり(認識のずれ)、それらを特定化できないことなどによる。とはいえ、その判然としないグレーゾーンを新たな視点で整理することによって、汎用性の高い思考やその枠組みを生み出すこともできよう。留意しておきたい点である。
〇また、不毛な二項対立を克服するためには、議論の前提や条件などについて事前に予備的に調査・吟味し、“かみ合った”議論が実現可能かどうかを検討する必要がある(フィージビリティ・スタディ/実現可能性調査:feasibility study/略 FS)。例えば、正/誤や真/偽などの「結論」だけを議論する二項対立は、双方の立場や立ち位置による「正当性」を主張するにとどまり、新たな結論や合意を得ることは難しい。双方が、前提条件や状況について、幅広い情報のもとに多面的・多角的に思考し、理解や認識を深めることができれば、正当性のある判断をいくつか見出す可能性(選択肢)が広がる。それが、冷静かつ複眼的な思考による議論を促すことになる。付記しておきたい。
〇以前にも増して、多様性を包摂する「地域共生社会」の実現に向けた福祉教育プログラムの研究・開発が求められている。またそれを社会的に普及・発展させるための枠組みを如何に構築するかが問われている。そういうなかで、今はもう、二項対立的に、概念的・抽象的に「排除と包摂」や「対立と共生」などを唱え(説い)て「コト」が済む時代ではない。
〇例えば、「社会的排除」には、経済的・社会的・政治的・文化的な次元や領域があり、それらが複合的に組み合わさっている。また、国や地域社会、家族、個人などの各レベルでその様相は異なる。さらには排除が排除を生む「累積的排除」や複数の「ヒト・モノ・コト」による同時「並行的排除」などがある。「包摂」には、「排除」と“闘う”知識や能力、時間や資源を必要とする。また、事後的かつ予防的な対策や主体的かつ積極的な事業・活動などが重要となる。
〇「排除と包摂」を「カンタンに、キレイに、分かりやすく」説くのではなく、その複雑な具体的事象を複雑なままに思考・理解し、その状態やプロセスから本質を

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見出すことが必要かつ重要となる。二項対立的な単純な発想を越え、関係性を重視し、当事者意識(当事者性)を尊重する「第三者」的な立場や立ち位置を、新しく自覚することが肝要となる。仲正の言説を通して再認識した、「二項対立の思考」に関する基本的な事項である。

 

 

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