「雑感」カテゴリーアーカイブ

「知的生産」:「知る」ことと「考える」こと―外山滋比古と千葉雅也の「勉強論」について―

〇「知的生産」という言葉は、梅棹忠夫(うめさおただお、専攻は民族学)の造語である。梅棹は、「京大型カード」の発案者であり、情報管理の「古典」と評される『知的生産の技術』(岩波書店、1969年7月。以下[1])を著わしている。[1]で梅棹は、エッセイふうに次のように述べている。

知的生産とは、知的情報の生産である。既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、そこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである。それは、単に一定の知識をもとでにしたルーティン・ワーク以上のものである。そこには、多少ともつねにあらたなる創造の要素がある。知的生産とは、かんがえることによる生産である。(11ページ)

人間の知的活動を、教養としてではなく、積極的な社会参加のしかたとしてとらえようというところに、この「知的生産の技術」というかんがえかたの意味もあるのではないだろうか。このような意味での知的生産であるならば、それは、現代にいきる人間すべての問題ではないか。(中略)すべての人間が、その日常生活において、知的生産活動を、たえずおこなわないではいられないような社会に、われわれの社会はなりつつあるのである。(12ページ)

〇異例のロングセラーやヒットとなっている「思考」や「勉強」に関する2冊の本がある。外山滋比古(とやましげひこ、専攻は英文学)の『思考の整理学』(筑摩書房、1983年3月。以下[2])と千葉雅也(ちばまさや、専攻は哲学)の『勉強の哲学―来たるべきバカのために―』(文藝春秋、2017年4月。以下[3])である。筆者(阪野)の手もとにある[2]は、1986年4月発行の文庫本であるが、その帯(おび)には「東大・京大で1番読まれた本」「“もっと若い時に読んでいれば…”」というキャッチコピーがある。[3]のそれには、「東大・京大でいま1番読まれている本!」「勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである」とある。ともに読者の、「学歴」(「東大・京大」)や「人生」(「過去・現在・未来」)への思いを刺激し、その感情(「後悔や希望」)を巧みに煽(あお)る。不安や不満が渦巻く現代社会(格差社会、管理社会、閉塞社会)の時流やニーズを反映した本でもある。
〇[2]で外山は、「思考」の本質と方法(具体的な“秘伝”であり、単なるハウツーではない)についてエッセイ的に解説する。その基本には、「知識よりも思考の方が重要である」という主張がある。筆者が再認識しておきたい言説には、次のようなものがある(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

グライダー能力と飛行機能力
人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。
指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。(「グライダー」13、15ページ)

思考を寝させる
アイデアと素材さえあれば、思考は進むか、というと、そうではない。これをしばらくそっとしておく必要がある。“寝させる”のである。思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない。思考を生み出すのにも、寝させるのが必須である。
努力をすれば、どんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。努力しても、できないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。(「醗酵」32ページ。「寝させる」40、41ページ)

テーマの設定
「テーマはひとつでは多すぎる。すくなくとも、二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい」。ひとつだけだと、これがうまく行かないと、あとがない。こだわりができる。妙に力(りき)む。頭の働きものびのびしない。ところが、もし、これがいけなくとも、代りがあるさ、と思っていると、気が楽だ。テーマ同士を競争させる。いちばん伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から近づいてくる。
“熟したテーマは、向うからやってくる”(「カクテル」43ページ。「醗酵」35ページ)

知識の組み合わせと順序
思考における思いつき、着想は、第一次的なものである。単独ではさほど力をもっていないようないくつかの着想があるとする。そのままにしておけば、たんなる思いつきがいくつか散乱しているに過ぎない。それに対して、自分の着想でなくてもよい。おもしろいと思って注意して集めた知識、考えがいくつかあるとする。これをそのままノートに眠らせておくならば、いくら多くのことを知っていても、その人はただのもの知りでしかない。“知のエディターシップ”(既存の知識を編集によって、新しい、それまでとはまったく違った価値のあるものにすること)、言いかえると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となるのである。
本当のカクテル論文(すぐれた学術論文)は、諸説を照合・参照して調和折衷(「新しい結合」「自由な化合」)させ、人を酔わせながら、独断におちいらない手堅さをもっている。(「エディターシップ」51ページ。「カクテル」47ページ)

知識の蓄積と忘却
頭の優秀さは、記憶力の優秀さとしばしば同じ意味をもっている。これまでの教育では、知識をどんどん蓄積することが重視されてきた。しかし、これからは、新しいことを考え出し、作り出す「創造的人間」が問題になる。頭に、勉強し習得した知識を保存保管するだけでなく、不要になったものを、処分し、整理し、広々としたスペースをとる必要がある。頭をよく働かせるには、この“忘れる”ことが、きわめて大切である。
思考の整理には、忘却がもっとも有効である。不易(不変)の知識のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりうるはずである。(「整理」110~112、115ページ。「時の試練」127ページ。「すてる」133ページ)

〇[3]で千葉は、「勉強」の原理論と実践論(「勉強を進めるための基礎的なテクニック」)について哲学的に論述する。その最初に提示する基本的なテーゼは、「勉強とは、これまでの自分の自己破壊である」。筆者がメモっておきたい言説には、次のようなものがある(要約と抜き書き。見出しは筆者)。

勉強とは「自己破壊」であり、「変身」することである
人は基本的には、家族や学校、会社、地域・社会など周りの環境の「ノリ」に合わせて生きている(環境への「同調」「適応」「順応」)。
勉強するのは、環境や同調圧力(「みんな同じようにしなさい」「出る杭は打たれる」)によって狭められた人生の「可能性」を切り開き、これまでのノリから「自由」になるためである。その意味で、勉強とは、かつての「ノっていた自分」を破壊し、わざと「ノリが悪い」人になることである。具体的には、勉強によって身につけるのは「批判的になる」ことであり、ノリの悪い「言語」を使用すること(「言語偏重」の人になること)である。それは、環境から「浮く」ことであり、周りから見て「キモい人」になることでもある。
要するに、勉強とは「自己破壊」であり、「新しいノリ」に引っ越すこと、新しい生き方に「変身」することである。(第1章「勉強と言語―言語偏重の人になる」)

勉強は情報の比較を「中断」し、「有限化」することが必要である
勉強は、いま気になっていること、「問題意識をもつ」ことから始まる。ただ、勉強にはきりがなく、「深追い」しすぎると「目移り」してしまうことがある。「深追い」(「アイロニー」「ツッコミ」)とは根拠を疑うこと、「追究」であり、「目移り」(「ユーモア」「ボケ」)とは見方を変えること、「連想」である。この二つは、「深い勉強」(「ラディカル・ラーニング」)のための思考スキルである。
勉強とは、何らかの専門分野に参加することである。専門分野の勉強は、「深追い」方向と「目移り」方向にきりがなくなる。そこで、勉強する際には、「まずこれだけ」「ここまで」「ひとまずこれを勉強した」というように勉強を「有限化」する(きりをつける)。そして、継続すること、が肝要となる。そのためには、「信頼」できる著者による「まとも」な本を読むことが基本となる。その読書から得た信頼できる情報を自分なりに考えて比較し、ある結論、しかし絶対的なものではなく仮の結論を出す。それは、自分の「こだわり」(「享楽」)によるが、この「比較の中断」「結論の仮固定」を比較の継続のなかで進めることが勉強を継続し、深めることである。
なお、「このくらいでいい」という勉強の「有限化」をしてくれる存在(「有限化の装置」)が教師である。また、勉強するにあたって「信頼」すべき他者は、「粘り強く比較を続けている人」「たえず勉強を続けている他者」である。(第2章「アイロニー、ユーモア、ナンセンス」、第3章「決断ではなく中断」、第4章「勉強を有限化する技術」)

〇「知る」ことと「考える」こと(「知識」と「思考」)は、例えば、「一次資料と二次資料」「量的データと質的データ」「既知のことと未知のこと」「伝達の言語と思考の言語」などの取り扱いや、「インプットとアウトプット」「概念くずしと概念づくり」「具体的思考と抽象的思考」「拡散的思考と収束的思考」などの取り組みが問われることになる。また、管見ながら、勉強とは、関心と疑問から始まり、ゆとりと自由のなかで知識の習得と思考の推進を図り、それを一所懸命に行い、未来(あす)の地域・社会を創るために繰り返すこと(活動と過程)である。改めて梅棹と外山、そして新たに千葉の「勉強論」を通じて再認識し、学んだことのひとつである。なお、[1][2]が長い時間を超えた「古典」と言われ、[3]が「いま」注目されるのは、その是非は別にして、単なるハウツー本ではなく、現代社会が求める「知的生産」の思想書(哲学書)であるからでもある。
〇筆者はかつて、学生たちに「住民の生活の匂(にお)いがする場に自分の身を置く」「フィールドの地べたを這(は)う」「一人ひとりの高齢者や障がい者などの人生に思いを致す」勉強や研究の重要性を説いてきた。そして、次のように言ってきた。(1)すべてを疑い、問題意識の明確化を図ること。(2)微視的かつ俯瞰的、複眼的視点をもつこと。(3)第一次的現実とともに、歴史から学ぶこと。(4)先行研究や、使える理論や方法について熟考すること。(5)量的研究と質的研究を組み合わせ、多面的・多層的に考察すること。(6)関連および周辺領域の知見を広範に参照すること。(7)協働的活動によって思考を拡散・焦点化、深化させること。(8)既存のものに偏重せず、新たな仮説の探索や設定・検証に基づくこと。(9)グラフや概念図を作成することによって、思考を視覚化すること。(10)信頼性や独創性・先駆性、そして倫理性を重視すること、などがそれである。付記しておく。

福祉教育は“教育する”ことができるのか:「差別」の権利と「共生」の義務―宮寺晃夫著『教育の正義論』読後メモ―

〇2016年4月、「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が施行された。それによって、共生社会の実現をめざして、障がい者への「合理的配慮」が行政機関や学校、事業者などに義務化された。また、国民には、「障害を理由とする差別の解消の推進に寄与するよう努めなければならない」(第4条「国民の責務」)ことが求められた。「合理的配慮」とは、障がい者から社会的障壁の除去について要請があった場合、過度な負担にならない範囲で、障害に基づく差別(区別、排除、制限など)を解消するために行う必要かつ適当な変更や調整のことをいう。法律の施行から1年以上が経った。いま、「合理的配慮」をめぐって、福祉教育が取り組むべき具体的な実践的・理論的課題は何か、その追究が厳しく問われている。
〇2016年7月、知的障害者の大規模福祉施設「津久井やまゆり園」で、「相模原障がい者殺傷事件」が起きた。マスコミ報道によると、被告(植松聖)は、「最低限度の自立ができない人間を支援することは自然の法則に反する」と言う。事件の発生から1年が経過しても、彼の思考(観念、思想)には何のブレもない。彼は、「(その施設に)3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信をもつことができました」。「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」と言い切っている。また、その施設の家族会前会長(尾野剛志)は言う。「僕が名前と顔を出して息子のことを語るのも、黙ってしまうと植松に負けたことになるんじゃないかと思うからです」。「(施設の)建て替え問題にしても、(犠牲者の)匿名の問題にしても、知的障害者を含めた障害者と言われる方々が差別されているという現実が、まず問題だと思っています」。「差別を根本的に変えるには100年かかるかもしれません」(『創』第47巻第8号、創出版、2017年8月、22~39ページ)。
〇われわれの社会はこれまで、障がい者を「排除」「隔離」「分断」してきた。いままた、優生思想や排外主義が国民生活に影を落としている。そのようななかで、共生社会とは、その実現に向けた取り組みは、そのひとつとしての福祉教育の存在意義は、などについて根源的に問い直すことが強く求められている。福祉教育は“教育する”ことができるのか。福祉教育を正当化・有効化する理論的・実践的研究は進んだのか(注①)。
〇ところで、筆者(阪野)の手もとには、「未読」や「積読」(つんどく)の本が多少なりともある。また、本の読み方も、その関心や必要性に応じて、通読や精読、飛ばし読み、拾い読み、斜め読み、あるいは目次や見出し、注釈だけを読むなど、まちまちである。今回は、宮寺晃夫著『教育の正義論―平等・公共性・統合―』(勁草書房、2014年5月。以下「本書」。)を「通読」することにした。それは、あの日から1年以上が経った「障害者差別解消法」(施行)と「相模原障がい者殺傷事件」(発生)についてのひとつの“想い”によるものである。
〇本書は、宮寺(専攻は教育哲学)が2006年から2013年の間に発表した11本の論文を編んだものである。内容的には、教育基本法の改正や教育委員会の形骸化、道徳教育の特別教科化など、教育の国家統制や右傾化の推進が図られるなかで、「正義」の理念や概念から教育のあり方(「正義の教育」)を問うている。その際の基本的なスタンスは、「平等と教育」「公共性と教育」「統合と教育」について、さまざまな考え方や立場の人びとが参加して公平に議論する「公論の場」を取り戻す(「復興」する)ことにある。宮寺が求めるのは、現在の「閉鎖的で不正義」な教育体制の打破である。
〇本書に収録されている論文に、「政治と教育は『差別』にどのように向き合ってきたか―H・アーレントの『統合教育』批判―」(以下「本論文」。初出原稿:「教育学と政治学は出会えるか―アーレントの『統合教育』批判を読む―」『近代教育フォーラム』第16号、教育思想史学会、2007年9月、221~231ページ)がある。
〇アメリカ公民権運動における重大事件(人種差別暴動)のひとつに、1957年9月に発生した「リトルロック事件」がある(注②)。その事件を素材に、政治哲学者のH・アーレント(Hannah Arendt、1906年~1975年)が、1959年の論稿「リトルロックの省察 “Reflections on Little Rock”」で「統合教育(融合教育)」批判を展開した(注③)。例えば、アーレントによると、人間の生活・活動は「個人的領域」「社会的領域」「政治的領域」の3つの領域に分けられる。それぞれの領域の支配原理は、個人的領域は「排他性」、社会的領域は「差別=識別」、政治的領域は「平等」である。学校は、社会的領域に属するものであり、白人と黒人の「人種統合教育」という政治的課題を社会的領域に持ち込むことは領域侵犯(社会的領域への政治介入)である(注④)。
〇本論文で宮寺は、アーレントの「統合教育」批判を手がかりに、「共生の強制は個人の自由と両立するか」(205ページ)という問題について、教育(論)と政治(学)との対比のもとで検討する。例えば、上述のアーレントの言説については、宮寺は、「『統合された学校』は、家庭環境、階層、人種など多様な出自と文化的背景を有する子どもに占められており、(中略)政治的実験場とみられてしかるべきである。このことにあえて着目しないアーレントは、学校論、いや教育論を、彼女の政治学のなかに正当に位置づけていない」(207ページ)。アーレントは、「あくまでも、『統合教育』の正当化を義務論の観点で追究しようとする」。「『統合教育』がもたらす効用(帰結論)には一切言及していない」(205ページ)と批判する。
〇すなわち、宮寺は、「学校が社会的領域に属する空間であるのは、あくまでも子どもにとってであり、大人にとっては、学校が同時に政治的領域にも属する」。大人は、「親として、地域社会の一員として、国家の担い手として、(個人的領域、社会的領域ばかりでなく、政治的領域にも)それぞれ異なる役割を同時に演じ、異なる責任を同時に負っている」(206ページ)と言う。また、宮寺にあっては、統合教育は「融合」をもたらし、「寛容と協和の精神」(205ページ)を芽生えさせるのである。
〇以下では、本論文の読後メモとして、「教育と政治における差別」をめぐって、アーレントと宮寺の言説のいくつかを抜き書きすることにする。それは、「福祉教育」について議論する際のひとつの視点・視座でもある。

(1) 「差別=識別」と「差別=分断」/識別の軽視は画一化や等質化を進め、逸脱者を排除する/「みんな違うけど、みんな仲間」
日本語で表わせば、どちらも「差別」と訳される英語に、「ディスクリミネーション」(discrimination、差別=識別)と「セグリゲーション」(segregation、差別=分断)がある。(192ページ)
人びとの間には、身体や性向や能力や育ちなどの点で、さまざまな差異がみられる。差別=識別(ディスクリミネーション)とはその差異の見極めのことであり、それに基づいて、人びとはそれぞれ交渉の相手を選び、交際の範囲を画する。誰とでも等しく付き合うべきだ、と言われても、仕事を一緒にしたり、休暇を共に過ごしたりする相手や仲間は、やはり差異の見極めに基づいて絞(しぼ)られていく。そうすることで社会が成り立っている、とアーレントは次のように断言する。「どのような程度にしろ、なんらかの差別=識別がなされないならば、社会はすぐに存在しなくなるであろうし、人と人との自由な結びつき(フリー・アソシエーション)や仲間づくり(グループ・フォーメーション)といった大変重要な可能性もなくなるであろう。」そうした差別=識別、すなわち差異の見極めが軽視されていくと、人びとは“誰でも一緒”という画一主義(コンフォーミズム)におちいり、やがてそれは国家の構成員を等質性(ホモジャニーティ)へと導いていくことになる、とアーレントは言う。(中略)アーレントにとって、国家の構成員の等質化は、とりもなおさず人種的少数者の言論と行為を封殺し、かれらを異邦人に仕立ててしまうことにつながる。それだけに、等質にみえる人びとの間に差異を再認し、異化しつづけていくことは、国家の構成員が画一主義に同調していかないために重要である、とアーレントはみている。(192~193ページ)
この差別=識別が、いわれのない偏見と結びつくと、人びとの間に分断を生じさせる。(193ページ)

(2) 教育と政治における「差別」/理念と現実、本音と建前は乖離する/「賛成と反対を超える」
教育(論)の現場では、「差別をしてはいけない」のは証明が不要な“公理”であり、それが目的にすえられる限り、「なぜ差別してはいけないのか」という発問は、差別意識を取り除くための反問として使われることはあっても、「差別は社会的権利である」という“命題”に展開されていくことはまずない。それに対して、「差別する人もいる」、「そういう人を無くすことはできない」という複数性(さまざまな立場からの討議)を踏まえて差別問題に取り組むのが政治学である。ここには、明白なズレがある。政治と教育の間には容易に越えられない溝があり、そこに架橋するには、実践的だけでなく、理論的にも重要な課題が残されている、とアーレントは示してくれているように思われる。(210ページ)

(3) 社会変革と「進歩主義の教育」/児童中心主義の教育は、大人の責任を子どもに転嫁する/「共生社会づくりは、みんなの手で」
アーレントにとって、社会を変革していかなければならない主体は(中略)子どもではない。社会の矛盾を正していかなければならないのは大人(中略)である。大人の教育責任は(中略)自分たちの社会に子どもを導き入れていくことにある。大人はこの責任を逃れて、社会変革の可能性を将来の大人に期待している。これは責任転嫁にほかならないが、大人の責任放棄に支持を与えてしまっているのが、アーレントによれば進歩主義の教育である。それは「子ども中心主義」とも呼ばれ、ジョン・デューイの教育理論の代名詞ともされている。社会が長年にわたり解決しようとしながらも、未解決のままに残されている難題を、「子ども中心主義」の名で子どもに押し付けているのが進歩主義の教育である、とアーレントはみている。そうした難題に、人種差別の解消と人種の融合がふくまれている。「統合教育」は、まさに大人の、いや人類の宿題を子どもに託するようなものである。(199ページ)

〇一般的に使われる「差別」という言葉は、国籍や障害、性的指向などの差別対象の多様化や、知る権利やプライバシーの権利、自己決定権などの人権概念の拡大が進むなかで、その定義づけが難しくなっている。「差別」には、政治的権力(法制度や行政施策など)と社会的権力(企業やメディアなど)、そして個人などによる差別がある。また、実態的差別(差別の行動や生活実態)と心理的差別(差別の観念や意識)がある。差別意識には、現実の差別実態に基づいて形成(学習)されたものと、支配者側の権力によって差別思想が注入されたものとがある。
〇これまで、福祉教育は、「社会福祉問題」としての「差別」を実践・研究対象としてきた。しかし、そこでの議論は、「共生社会の実現」という視点からのものが多く、「差別」の実態を深く鋭くえぐれ出し、それを広く社会に“告発”して「社会問題」化してきたか。また、権力に強く“対抗”してきたかというと、疑問符が付く。さらに言えば、これまでの福祉教育論では、高齢者や障がい者、外国籍住民などの「差別される側」の視点に立った議論に留まり、「差別される側」に内在する「差別」(「被差別者間差別」)や「差別する側」の問題について十分に議論されてきたであろうか。これまた、疑問とするところである。
〇福祉教育は、「啓発」と「教育」、「学校を中心とした領域(学校福祉教育)」と「地域を基盤とした領域(地域福祉教育)」、「福祉教育事業」と「福祉教育機能を有する事業」のように大別されてきた。福祉教育は、市民主体のまちづくりを進める教育事業・活動であり、子どもや高齢者、障がい者などすべての市民(住民)の参加を必要とする。また、福祉教育は、地域の社会福祉問題を素材とすることから、それぞれの教育領域や事業・活動だけで自己完結はしない。連携・協働(「共働」)が重視される。これまでの2分法の止揚をめざす「市民福祉教育」の探究が求められるところである。
〇「弱者である障害者に思いやりの心で接するのは健常者として当然のことです」。これは、「差別する者」と「差別される者」がその場(教室)にいないことを前提にした、T市の学校福祉教育(障がい者との交流授業)における教員の指導である。「われわれは社会の底辺にいるお年寄りのために援助の手を差し伸べるべきである」。これは、S市の地域福祉計画策定委員会における策定委員(高齢者)の見下し(みくだし)発言である。筆者がそこで感じたことのひとつは、違いを認めない「同調意識」や「同調圧力」であった。福祉教育の“怖さ”でもある。


① 福祉教育では、共生や共生社会について、「総論賛成、各論反対」という言い方をしてきた。「相模原障がい者殺傷事件」は、総論そのものを否定し、総論自体の合意形成が図られていない現実を露呈させたと言われる。いま、単なる実践プログラムやHow toではなく、福祉教育本質論についての歴史的・理論的研究が求められる(市江由紀子・戸枝陽基・原田正樹「〈鼎談〉地域共生社会の実現に向けて―障害差別と偏見に向き合う―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』第28号、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2017年6月、18ページ)。
② 宮寺は、「リトルロック事件」をめぐるアーレントの論稿について次のように解説している。

論文「リトルロックの省察」(1959)は、南部のアーカンソー州の州都リトルロックの公立高校での「統合教育」(インテグレイテット・エデュケーション)、つまり白人生徒と黒人生徒の共学の実施をめぐり、これまで入学を認められなかった黒人生徒の入校を妨害しようとして起きた“暴動”の鎮圧に、州政府(フォーバス知事)が消極的であったこと、いや、単に消極的というよりも、州兵を出動させて黒人生徒の入校を阻止したことに対して、連邦政府(アイゼンハワー大統領の共和党政権)が連邦正規軍を投入して、黒人生徒の入校を確保したことにふれて書かれたものである。リトルロックの“暴動”は、「統合教育」の徹底により人種差別の撤廃を図る中央政府と、それに消極的な州政府との対立を象徴する出来事として、全米の注目されるところとなった。アーレントは、論文「リトルロックの省察」で、中央政府による「統合教育」の強行実施に批判的なスタンスをとっている。とはいえ、もちろん州当局による「分離教育」の続行を支持しているわけでもない。学校という社会と地続きの空間を、政治的な力を行使してまで平等化しようとすることが、どこまで正当か、という問題をアーレントは提起するのである。(196ページ)

③「リトルロックの省察」は、「リトルロックについて考える」と題して、ハンナ・アレント著/ジェローム・コーン編/中山元訳『責任と判断 “Responsibility and Judgment”』(筑摩書房、2007年2月、253~277ページ)に収録されている。以下は、「訳者あとがき」の一節である。

「リトルロックについて考える」は、リトルロック事件の直後にアレントが書いた文章であり、(中略)リベラル派を刺激し、アイヒマン裁判のときにおとらぬ激しい批判にさらされた文章である。同時代の事件について書いていたアレントにはよくみえない事実などもあったようだが、アレントのスタンスは明確であり、黒人の生徒たちを人見御供(ひとみごくう。生贄(いけにえ)として差し出すこと:阪野)のようにして、白人と黒人の教育の分離の問題を解決させるのは間違いだというものである。
この事件が公民権運動にもたらした影響はきわめて大きく、生徒たちは結局は「ヒーロー」となり、黒人の権利回復に貢献することになった。結果としてはアレントの見込み違いという側面もあるのはたしかだが、このアレントの判断の背後には、幼い頃のユダヤ人としての経験があることも見落とすべきではないだろう。(中略)当時のドイツでは反ユダヤ主義的な傾向が強かったが、アレントの母親は学校において教師が反ユヤダ主義的な発言をした場合には、アレントに直ちに退席して帰宅して報告するように告げていた。そして母親は校長に抗議の手紙を送るのだった。しかし仲間の生徒たちから反ユダヤ主義的なからかいをうけても、ただひたすら耐えるようにと告げていたのだった。
アレントはこの母親の教えの背後にある基本的な考え方を、この論文では明確な原則として作りあげている。学校という領域は政治的な原則と社会的な原則が交錯する場である。教師は平等性を原則とする政治的な立場に立たされている。しかし仲間の生徒たちとアレントは、差別を原則とする社会的な領域で生きているのである。この原則の違いは明確なものであり、公民権運動にたいするアレントのスタンスを明確にする上で役立っているのである。(390ページ)

④ この点をめぐって、アーレントは次のように述べている。その前段で彼女は、「政治体において平等はそのもっとも重要な原則であるが、社会におけるもっとも重要な原則は差別である。社会とは、政治的な領域と私的な領域にはさまれた奇妙で、どこか雑種のようなところのある領域である」(『責任と判断』266ページ)と言う。

大衆社会とは、差異の境界をあいまいにして集団の違いを均(な)らす社会であり、これは個人の全人格的な一体性よりも、社会そのものに危険をもたらすものである。個人的な全人格的な一体性の〈根〉は、社会的な領域の彼方にあるからである。しかし順応主義は大衆社会だけの特徴ではなく、すべての社会でみられるものである。その集団を集団たらしめる差異の全般的な特徴に順応しない人々は、その社会的な集団にうけいれられないのである。アメリカにおける順応主義のもつ危険性は(これはアメリカ合衆国の建国以来の危険性である)、住民がきわめて不均質であるために、社会的な順応主義が絶対的な力を発揮して、国民としての均質性に代わる傾向があることだ。
いずれにせよ政治体にとって平等が不可欠なものであるのと同じように、社会にとっては差別と差異は不可欠なものなのだ。だから重要なのは、どうすれば差別をなくすことができるかではなく、どうすれば差別をそれが正当に機能する社会的な領域のうちにとどめておくことができるか、そして差別が破壊的な力を発揮する政治的な領域や個人的な領域にはいり込まないようにできるかということにある。(『責任と判断』267ページ)

「対話」考―暉峻淑子著『対話する社会へ』読後メモ―

〇周知の通り、まちづくりの進展に関して、「統治(government)から共治(governance)へ」、「参加(participation)から協働(collaboration)へ」、そして「行政主導から住民主導へ」などと言われてきた。今後は、「市民主導」(citizens’ initiative)による「共働」(coaction)のまちづくりが要請される。その際には、多様な人々や集団・組織・団体などの、多様なあるいは特別の思いや願いを紡ぐ「対話」が不可欠となる。より具体的には、そのための「機会」や「場」をいかにつくるかが問われることになる。「対話」は民主主義の基本であり、まちづくりの根幹的な技法である。
〇いま、筆者(阪野)の手もとに、「対話」をテーマにした 暉峻淑子(てるおか いつこ)の新刊『対話する社会へ』(岩波新書、2017年1月、以下「本書」)がある。暉峻は、「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話」である(ⅰページ)。「対話は、人類が持つ特権の一つであり、人間の本性(ほんしょう)にもっとも添ったコミュニケーションの手段」である(ⅴページ)。「対話する社会とは、多様な思考、多様な感受性に出会い、想像力を豊かにする社会」である(164ページ)、という。暉峻は卒寿(90歳)を前にしている。
〇暉峻の著作といえば先ず、『豊かさとは何か』(岩波新書、1989年9月)を思い出す。日本は経済大国であるが、「豊かな国」ではない。日本は「豊かさへの道を踏みまちがえた」(16ページ)、という。およそ30年前の本である。次に、『豊かさの条件』(岩波新書、2003年5月)を思い出す。「21世紀の私達の課題は、グローバルな競争にあるのではなく、また武力によって解決することにあるのでもなく、助け合う互助にある」(240ページ)、という。この2冊の本で暉峻が告発した課題の多くは、いまなお未解決のままであり、より一層深刻化してもいる。警鐘を鳴らした「格差や不公正の拡大」や「好戦的社会の到来」などが現実となっている。3冊目として、『社会人の生き方』(岩波新書、2012年10月)がある。この本は、暉峻にあっては「前著2冊の最終章」(240ページ)である。暉峻はいう。「社会に支えられると同時に、社会をより良く変えていく社会人の生き方の中に、未来への希望を見出したい」(ⅳページ)。
〇本書は、地域・社会の分断・対立や格差を超え、公正な社会を実現するための「対話」について説く、「警世の書」である。そこには、真の「豊かさ」や「まちづくり」の姿が見えてくる。以下に、本書の読後メモとして、筆者なりに注目しておきたい論点や言説のいくつかを抜き書きあるいは要約することにする(見出しは筆者)。

対話は平和をつくる
平和(平穏な生活)を支えているのは、暴力的衝突にならないように社会の中で対話し続け、対話的態度と、対話的文化を社会に根づかせようと努力している人びとの存在である。対話のない社会はいつか病み、犠牲者を出し、平和はあるとき、あっけなく崩れてしまう。(ⅱページ)/対話や討論がない社会とは、支配者にとってこの上なく都合がいい社会である。誰も批判者がいない沈黙の社会である。(130ページ)/対話がなくなれば、対話の代わりに、命令と監視が支配するという現実がやってくる。(140ページ)/人類が多年の経験の蓄積の中で獲得した対話という共有の遺産を、育て、根づかせることが、平和を現実のものとし、苦悩に満ちた社会に希望を呼び寄せる一つの道である(ⅶページ)

対話は民主主義を守る
対話や討論を軽視したり抑圧したり、無関心だったり、自粛したりする文化様式は、民主主義の価値観を標榜する現代社会に適合しない。(178ページ)/対話は、日常の中にあり、とくに多様な欲望が渾然(こんぜん)としている市場社会(効率性と利潤を追求する社会)では、対話によって、取り返しのつかない断絶が起こるのを未然に防いでいる。今や、対話はいろいろな意味で欠くことのできないコミュニケーションの手段になり、バラバラの個人をつなぎ、非人間化していく社会に人間性をとり戻し、子どもたちの個性ある人格発達の培養土となっている。対話する社会への努力が、民主主義の空洞化を防ぎ平和をつくりだしているのである。(253ページ)

対話は自由で創造的である
対話は、議論して勝ち負けを決めるとか、意図的にある結論に持っていくとか、異議を許さないという話し方ではない。対話とは、対等な人間関係の中での相互性がある話し方で、何度も論点を往復しているうちに、新しい視野が開け、新しい創造的な何かが生まれる。両方の主張を機械的にガラガラポンと足して二で割る妥協とは違う。個人の感情や主観を排除せず、理性も感情も含めた全人格を伴った自由な話し合い方が対話である。(ⅴ~ⅵページ)/対話は、上の人への忖度や自己保身のお世辞ではなく、また、一般論や抽象論でなく、人間としての対等な立場で、その時その場にもっとも必要な自分の考えや感情を、自分の言葉で語る話し合いである。そこで必要な言葉とは、その時その場にもっとも適切で、一度きりの貴重な言葉である。(131~132ページ)/言葉の本質は対話にある。(175ページ)

対話は開かれた応答である
権力による画一的な抑圧があるところに自由で多様な対話はない。権力とは政治権力のことだけではなく、利潤第一を求める効率の強制力のこともある。生徒や教師に対して自由とゆとりのない管理・監督や競争の教育環境のこともある。(111ページ)/権威主義的な話し方は、聞き手に自分の考えを押しつけ思い込ませようとする、閉ざされたものである。それに対して、対話は開かれている。お互いに応じ合う中で新しい意味が生まれ、変化し、新しい理解が生まれる可能性が広がっていく。対話はともに考えていく手段であり、そこでの理解は、一人の人間の可能性を超えるものとして、お互いの間で作られていく。こうしたことを達成するためには、対話の参加者が耳を傾け、相手に届くような応答をする必要がある。応答は言葉の持つ基本的性質なのである。その意味ではお互いの責任ある態度が対話的関係を作り出すとも言える。(123ページ)

〇生活の「豊かさ」は、安全で安心して快適に暮らせる日常の家庭・地域生活のなかにある。その「豊かさ」を獲得・実現するためには、およそ次のような条件が必要となろう。(1)基本的人権の尊重や平和と民主主義の確保を前提に、すべての人の個別具体的な発達保障と生活保障の具現化が図られること、(2)すべての人が個性的・創造的に自分を生きるために、多様な選択肢が準備され、その選択の自己決定やそのための支援がなされること、(3)自分の生きがいや自己実現のための活動にとどまらず、他者や地域・社会のための、社会変革を進める社会貢献活動に参加できること、(4)そのための個人的な尊敬と信頼に基づく対話や、人間に固有の属性である想像力によって、明るい未来が先見・開拓されること、(5)以上のことを可能にし、相互支援と相互実現、社会変革と社会創造を推進するための教育・学習がすべての人の生涯にわたって、自律的・主導的に行われること、などがそれである。筆者が暉峻の4冊から学んだことのひとつである。
〇まちづくりは、一人ひとりの市民の日常的な家庭・地域生活の営みのなかで、地道に、継続的かつ漸進的に取り組まれることが肝要である。そして、そのプロセスを通して、一人ひとりがお互いに多様な思いや願い、価値観などにふれながら、既存の価値観やシステムを無批判に受け入れるのではなく、社会変化への対応と社会変革の推進を主体的・積極的に図る市民に育つことが必要かつ重要となる。そこに求められるのは「自由な対話」と「開かれた学び」、そして「緩(ゆる)やかなつながり」である。すなわち、「対話型社会」である。
〇この国の政治は対話が拒否され、議会は多数決が強行されている。この国には「傲岸不遜」(ごうがんふそん)「厚顔無恥」(こうがんむち)の政治家(政治屋)や(自称)リーダーがあまりにも多い。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」(2017年7月1日)と発言する人と、その取り巻きたちである。その姿や言動は哀れであり、滑稽ですらある。こうした状況は身近な地域・社会においても見られる。日本の社会はあいかわらず、「上意下達」「空気を読む」社会である。それはすなわち、「忖度(そんたく)」文化の社会でもある。
〇民主主義の錬磨・再建と対話能力の育成・向上が喫緊の課題である。多様性と異質性を受け入れ、価値観や指向性の共有を前提としない「対話」がいま、極めて重要になっている。本稿を草しようと思った最初の思いである。

付記 
〇暉峻が説く「会話」と「対話」、「討論」を簡潔に言えば、「会話」は挨拶や雰囲気を和らげる雑談、「人間社会の潤滑油」。「対話」は対等な人間関係のなかで行われる双方向の、個人的な話し合い。「討論」(ディスカッション)は目的が明示され、よりよい解決のための結論が求められる話し合い、である(88~93ページ)。
〇「〈対話〉のある社会」とはどのような社会か。中島義道(元電気通信大学教授、専攻はドイツ哲学)の言説の一節を紹介しておくことにする(中島義道『〈対話〉のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの―』PHP研究所、1997年11月)。

〈対話〉のある社会とはどのような社会か。それは、私語が蔓延しておりながら発言がまったくない社会ではなく、私語がなく素朴な「なぜ?」という疑問や「そうではない」という反論がフッと口をついて出てくる社会である。それは、弱者の声を押しつぶすのではなく、耳を澄まして忍耐づよくその声を聞く社会である。それは、漠然とした「空気」に支配されて徹底的に責任を回避する社会ではなく、あくまでも自己決定し自己責任をとる社会である。それは、アアしましょう・コウしましょうという管理標語・管理放送がほとんどなく、各人が自分の判断にもとづいて動く社会である。それは、紋切型・因習的・非個性的な言葉の使用は尊重されず、そうした言葉使用に対しては「退屈だ」という声があがる社会である。それは、相手に勝とうとして言葉を駆使するのではなく、真実を知ろうとして言葉を駆使する社会である。それは、「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をグイと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔(いさぎよ )く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を期し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。(203~204ページ)/こうした社会の実現を望まない人は、自覚的無自覚的に他人の言葉を封じている。他人の叫び声を聞かない(聞こえない)耳をつくっている。真実を求めようとせず、〈対話〉を全身で圧殺している加害者である。(204~205ページ)

〇「対話」の類語に「会話」がある。「会話としての正義」を提唱する井上達夫(東京大学教授、専攻は法哲学)の言説の一節を紹介しておくことにする(井上達夫『共生の作法―会話としての正義―』創文社、1986年6月)。

コミュニケーションは達成さるべき一定の目的―情報伝達・意志決定・合意・コンセンサス・相互理解・了解・和解・宥和・融和・交感・交霊・合一・洗脳(?)等々―をもつが、会話はそのようなものをもたない。強いて会話の目的なるものを挙げるとすれば、会話自体を続けることである。/会話の唯一の目的が会話を続けることにあるとするならば、会話の歪曲とは例えば、返答を拒否し続けたり、相手に話す機会を与えなかったり、相手の話と無関係に話し続けたりすることであるが、このような場合、会話は歪曲されたのではなく消失したのである。(251ページ)/会話とは異質な諸個人が異質性を保持しながら結合する基本的な形式である。利害・関心・趣味・愛着・感性・信念・信仰・人生観・世界観等々を共有することなく我々は他者と会話できる。/会話は「分からず屋」を排除しない。「この分からず屋め!」と怒鳴り合っていつも喧嘩分かれする二人の頑固親父が、終生会話的連帯のうちにあるというほほえましいパラドックス(逆説)を会話は可能にする。また、期待を裏切る言動は言語ゲームの敵ではあっても会話の敵ではない。それを契機に意外な方向へ発展してゆくところに、人間の生の営みとしての会話の深みがある。定められた手続きに従うだけの会話は死せる会話である。(254ページ)

<実読×楽読>鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫著『おせっかい教育論』―「内田教育論」(「内田ワールド」)再考ノート―

〇樋口裕一によると、読書には二通りの方法がある。「実読」と「楽読」がそれである。「実読」とは、「何か行動に結びつけるために、情報や知識を得ようとして行う読書、つまり何かに役立てようとする読書」である。「実読」は、「何らかの意味で発信し、他者にその本の意義を示したり、その本から得た知識を他者に披露したり、その情報を実行に移したり」しなければ意味がない。「楽読」とは、「何かに役立てたいと思うのでなく、ただ楽しみのためだけに読む読書」である。樋口にあっては、「この二つの読書の両方があってこそ、人生は豊かになる」(樋口裕一『差がつく読書』角川書店、2007年6月、12、17ページ)。
〇政治(政治家)の劣化や右傾化、厚顔無恥な権力闘争がとまらない。日本の破綻や崩壊のカウントダウンが始まっているかのようである。不安感や恐怖心が増すばかりである。そんな思いのなかで、前回の拙稿(雑感(48)<国会編『密告のすすめ』強行制定に寄せて> 国家主義的教育と主権者教育:「教育の自由と良心」を考えるために―内田樹著『街場の教育論』再読メモ―/2017年6月15日)に続けて、鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫著『おせっかい教育論』140B(イチヨンマルビー)、2010年10月。以下「本書」)を読み返すことにした。教育の政治や経済からの独立性をはじめ、教育の市民性や地域性、教育現場の主体性や自律性などを如何に保証するかということに思いを致しながら、そしてひとまず焦燥感を抑えながら、「教育危機」「教育崩壊」について考えてみようということである。本稿のタイトルの枕詞<実読×楽読>にはそういう意味を込めているが、内容的には「内田教育論」についての<実読>であり、心情的には私的な<楽読>でもある。
〇本書は、関西を拠点に活躍する鷲田(臨床哲学)、内田(フランス現代思想)、釈(宗教学)、そして平松(元大阪市長)の4人による2回の座談会(2009年10月と2010年1月)の記録と書き下ろしを収録したものである。以下は、そのなかから、筆者(阪野)が留意したい内田の発言と論述を抜き書きあるいは要約したものである(見出しは筆者)。

共同体の支援/教育は公共的市民を育て共同体の維持・存続を図るための活動である
教育の基本的な機能は、子供たちを大人にして、自分たちが構築し運営している共同体あるいは自治体のフルメンバーとして、それを担い得るような公共性の高い市民を育てることである。/学校教育が今、歪んでしまったのは、自己利益を達成するために人は教育を受けるのだという思想が広まってしまったからである。教育活動を「商品」としてとらえるロジックが、教育の現場を侵食している。教育がビジネスになっている。それが教育崩壊の根本にある。/学校教育を子供たちに授けることによって、最大の利益を受けるのは共同体そのものである。共同体を支える公民的な意識を持った人間、公共の福利と私的利益の追求のバランスを考えて、必ずしもつねに私的利益の追求を優先しないようなタイプの大人を、社会のフルメンバーとして作っていくということは、共同体の存続にとって死活的に重要である。本来は、共同体の全メンバーは「ありとあらゆる機会に、子供たちを成熟に導く」という活動に身を捧げないといけない。(26~27ページ)

一般ルールの停止/学校は共同体のなかで社会的ルールが一時停止する場所である
学校は、(公共的市民の育成を図る場であるとともに)、社会や共同体が経済合理性なりある種のルールに基づいて動いているなかで、そこと断絶していて、社会のルールが通用しない場であるべきである。「ノーマンズ・ランド」(no man’s land)というか「逃れの街」というか、そうした現世のルールが適用されない場としての機能を持つべきである。「社会のルールが一時停止している場所」を作っておいて、そこにうまく社会に適応できないさまざまなタイプの才能を受け容れられるようにする。/「イノベーター(革新者)になるかもしれない子供たち」にフリーハンド(他からの制約や束縛を受けないこと)を保証するのは学校の重要な人類学的機能なのである。そういう子供たちは序列化とか格付けとかはなじまない。学校では、子供たちのなかに潜在するある種の非社会的・反社会的な部分についても、できるだけ広く受け入れ、そして面白がる余裕が欲しい。日常的な価値観が一時停止したような空間、「タイム」がかけられる場というのは、共同体のなかになければいけない不可欠な要素なのである。「一般ルールが停止する場所」は共同体の安全保障のために絶対に必要なのである。その機能はまずは学校が担わないといけない。(38~39ページ)

多様な個性/学校には生徒と教師の多様性が互いに生かされる環境が必要である
文科省は、一貫して教員たちの規格化・標準化を推し進めてきた。その結果、学校では、一定の価値観の枠内の人しか教壇に立てないようになってきている。/「教育力」というのが実体としてあって、生徒の方は真っ白な状態(「タブラ・ラサ」ラテン語:tabula rasa)で、教育力のある教師が教えればどんな子供も必ず能力が伸びるということはあるはずがない。教師(教育)の打率は1割もいかない。(しかしそれが将来どこかで、大きく花広くこともある。)教師と生徒の出会いは偶然的なものであり、教師の打率を上げるためには、訳の分からない教師がずらっと並んでいる方がいい。子供の訳の分からなさと同じぐらいの訳の分からなさの多様性が必要なのである。子供の個性と同じだけの数の個性の教師が並んでいることが理想的な教育環境なのである。それを、教師のあるべき条件を限定し、条件をどんどん狭めてゆくというのは、完全に方向が逆なのであり、教育は崩壊してしまう。/また、教育は、中枢的にコントロールしてはいけない。それをしようとすると、プログラムを標準化せざるを得ない。教育プログラムは多様であることによって機能するのである。(56、146~147、162~163ページ)

教育権の独立/教育危機を解消するのは教師のパフォーマンスの向上支援である
いま教育は危機的状況にある。それは、教員の努力不足や、子どもたちの無能化・怠惰化や、親たちのクレーマー(苦情を言う人)化といった個別的な原因によって起きているのではない。また、教育官僚たちは「処罰の恐怖を通じて、人を操作し、支配する」という古典的方法を手放そうとしないが、そうした文科省ひとりの責任でもない。「上の言うことに従わないものには罰を与える」という恫喝(どうかつ)の方法しか思いつかないという、私たち全員が罹患しているある種の「思考停止」の帰結なのである。/教育危機の現況の臨んで、私たちがまずなすべきことは、なによりも教育現場に「誇りと自信と笑い」を取り戻すことである。「自律的な教員の、多様な創意工夫を支援すること」である。/教員がいま必要としているのは、「敬意」であって「恫喝」ではない。「支援」であって「査定」ではない。「フリーハンド」であって「管理」ではない。/教育の危機に対処しうるのは現に教壇に立っている教師だけである。そのためには、「教師のパフォーマンスを向上させること」が肝要となる。/教師たちが、その潜在能力を発揮し、そのポテンシャル(潜在能力、可能性)を開花させ、持続的にオーバーアチーブする(期待以上の成果を上げること)以外に方途はない。だから、教育行政がなすべきことは一つしかない。それは教師たちのパフォーマンスが向上するために最良の支援を行うことである。/政治も市場もメディアも、教育のことに口を出すべきではなく、教育のことは現場に任せるべきである。一言でいえば、「教育権の独立」の実現である。(199、201、202、205、207、208~209ページ)

〇筆者(阪野)は、教育は「待つ」ことであり、相互信頼の積み上げによって互いの創造性を「引き出す」ことである、と考えている。前述の鷲田の著作に『「待つ」ということ』(角川学芸出版、2006年8月)がある。そこでの一節を紹介しておきたい。

待たなくてよい社会になった。/待つことができない社会になった。/意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をわたしたちはいつか無くしたのだろうか。偶然を待つ、じぶんを超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪(うしな)ったのだろうか。時が満ちる、機が熟するのを待つ、それはもうわたしたちにはあたわぬことなのか‥‥‥。(7、10ページ)

〈待つ〉は偶然を当てにすることではない。何かが訪れるのをただ受け身で待つということでもない。予感とか予兆をたよりに、何かを先に取りにゆくというのではさらさらない。ただし、そこには偶然に期待するものはある。あるからこそ、なんの予兆も予感もないところで、それでもみずからを開いたままにしておこうとするのだ。その意味で、〈待つ〉は、いまここでの解決を断念したひとに残された乏しい行為であるが、そこにこの世への信頼の最後のひとかけらがなければ、きっと、待つことすらできない。いや、待つなかでひとは、おそらくはそれよりさらに追いつめられた場所に立つことになるだろう。何も希望しないことがひととしての最後の希望となる、そういう地点まで。だから、何も希望しないという最後のこの希望がなければ待つことはあたわぬ、とこそ言うべきだろう。(19ページ)

〇「待つ」ことによって「時」と「場」が整えられ、新たな「動き」や「働き」が生まれる。「拙速」は教育においては最大の禁忌(きんき)である(内田、200ページ)。また、教育はすべての国民や市民のものであり、私たちの教育についての思考停止は許されない。これは、「教育」(と「まちづくり」)の底流に置くべき基本的な考え方と姿勢である。強調しておきたい。

<国会編『密告のすすめ』強行制定に寄せて> 国家主義的教育と主権者教育:「教育の自由と良心」を考えるために―内田樹著『街場の教育論』再読メモ―

〇筆者(阪野)は、20年前の1997年3月26日に、「地方回帰」する若者の動きではないが、都市部から現在の「まち」に移住してきた。(翌年1月からは「猫の額」ほどの畑を耕す「にわか百姓」を気取っている。)それを機に、全国紙の購読はやめ、地方紙の「岐阜新聞」をとることにした。その2017年5月26日号に、「互いに監視する社会に」「立憲主義廃絶への一本道」という見出しの記事が掲載されていた。以下はその一節である(抜き書き)。

共謀罪の法案成立後、政府は「隣人を密告するマインド」の養成を進め、「市民が市民を監視し、市民が隣人を密告する」システムを作り出そうとするだろう。/なぜか「国民主権を廃絶する」と明言している政党に半数以上の有権者が賛成し続けている。/私権を制限され、警察の恣意的監視下に置かれるリスクを当の市民たちが進んで受け入れると言っているのである。/それは「国民は主権者ではない」ということの方が多くの日本人にとってはリアルだということである。戦後生まれの日本人は生まれてから一度も「主権者」であったことがない。家庭や学校でも、就職先でも、社会改革を目指す組織においてさえ、常に上意下達の非民主的組織の中にいた。/日本人にはそもそも「主権者である」という実感がない。だから、「国民主権を放棄する」ことにも特段の痛みを感じない。現に、企業労働者たちは会社の経営方針は「上」が決めることであり、その適否について発言する必要がないと思い込むに至っている。

〇この記事は、内田樹(うちだたつる。思想家、武道家)が寄稿したものである。内田といえば先ず、「新書大賞2010」の授賞作品『日本辺境論』(新潮社、2009年11月)を思い出す。「政治の劣化と右傾化」「日本の財政破綻と崩壊」などが叫ばれる今日的状況のなかで、上の記事を目にしたことを機に、「街場(まちば)シリーズ」の一冊である『街場の教育論』(ミシマ社、2008年11月。以下「本書」)を読み返すことにした。
〇内田によると、本書は、「学校の先生たちが元気になるような本」(292ページ)、「教育について熱く論じるのは、よくない」ということを熱く論じている本である。また、そこで述べる唯一の実践的提言は、「政治家や文科省やメディアは、お願いだから教育のことは現場に任せて、放っておいてほしい」ということである(2ページ)。本書は、こういった皮肉(アイロニー)の効いた、刺激的なフレーズから始まる。以下は、筆者が改めて認識し、留意したい内田の論点や言説の抜き書きあるいは要約である。

「内田教育論」は4つの考え方を前提とする
(1) 教育制度は惰性の強い制度であり、簡単には変えることができない。(2) それゆえ、教育についての議論は過剰に断定的で、非寛容なものになりがちである。(3) 教育制度は一時停止して根本的に補修するということができない。その制度の瑕疵(かし。欠陥)は、「現に瑕疵のある制度」を通じて補正するしかない。(4) 教育改革の主体は教師たちが担うしかない。人間は批判された、査定され、制約されることでそのパフォーマンスを向上するものではなく、支持され、勇気づけられ、自由を保障されることでオーバーアチーブ(期待以上の成果を上げること)を果たすものである。/ざっとこれくらいのことが(内田)教育論の前提である。(22ページ)

教育改革の主体は私たちである
私たちの国の教育に求められているのは「コスト削減」や「組織の硬直化」ではない。現場の教員たちの教育的パフォーマンスを向上させ、オーバーアチーブを可能にすることである。それに必要なのは、現場の教師たちのために「つねに創意に開かれた、働きやすい環境」を整備することに尽きる。/教員たちが発明の才を発揮し、新しい教育方法を考案し、実験し、議論し、対話し、連帯することができる、そういった生成的な労働環境を作り出すこと。それが私たち(国民)に許された唯一可能な「教育改革」の方向である。(20、21ページ)

教育は時間がかかり成果も多様である
教育は「キーを押してから文字が表示されるまで長い時間がかかる」ようなシステムである。/教育は入力から出力までのあいだに「時間がかかる」。それはそこを行き交うものが商品やサービスではなく、人間だからである。/それどころではない。教育というのは「差し出したものとは別のかたちのものが、別の時間に、別のところでもどってくる」システムである。喩(たと)えて言えば、キーボート―を押すと、ディスプレイに文字が出る代わりに、三日後に友だちから絵葉書が届いたとか、三年後に唐茄子(とうなす)を二個もらったとか、そういうどこをどう迂回(うかい)したのかよくわからないような「やりとり」が果たされるのが教育というものの本義である。(27、28ページ)

教育とは外部との通路を開くことである
教育の本質は、「こことは違う場所、こことは違う時間の流れ、ここにいるのとは違う人たち」との回路を穿つ(うがつ。開ける)ことにある。/勉強しているときには、子どもたちも一瞬、無人島という有限の空間に閉じ込められていることを忘れて、広い世界に繋(つな)がっているような開放感を覚える。四方を壁で取り囲まれた密室の中に、どこからか新鮮な風が吹き込んできたような爽快感を覚える。そういうことがきっとあるはずである。/「今ここにあるもの」とは違うものに繫がること。それが教育というもののいちばん重要な機能なのである。(40ページ)

学びとは鳥瞰的視座に離陸することである
「学び」は、自分には理解できない「高み」にいる人(メンター、先達)に呼び寄せられ、その人がしている「ゲーム」に巻き込まれるというかたちで進行する。この「巻き込まれ」(involvement)が成就するためには、自分の手持ちの価値判断の「ものさし」ではその価値を考量できないものがあるということを認めなければならない。自分の「ものさし」を後生大事に抱え込んでいる限り、自分の限界を超えることはできない。知識は増え、技術も身につき、資格も取れるかもしれない。けれども、自分のいじましい(せせこましい)「枠組み」の中にそういうものをいくら詰め込んでも、鳥瞰(ちょうかん)的視座に「テイクオフ」(take-off、離陸)することはできない。それは「領地」を水平方向に拡大しているだけである。「学び」とは「離陸すること」である。(59ページ)

学びとはブレークスルーのことである
「学び」を通じて「学ぶもの」を成熟させるのは、「私には師がいる」という事実そのものである。私の外部に、私をはるかに超越した知的境位が存在すると信じたことによって、人は自分の知的限界を超える。「学び」とはこのブレークスルーのことである。/ブレークスルーとは、自分で設定した限界を超えるということである。限界を作っているのは私たち自身である。「こんなことが私にはできるはずがない」という自己評価が、私たち自身の「限界」をかたちづくる。/ブレークスルーとは、「君ならできる」という師からの外部評価を「私にはできない」という自己評価より上に置くということである。それが自分自身で設定した限界を取り外すということである。「私の限界」を決めるのは他者であると腹をくくることである。(155、156ページ)

専門家は他者とコラボレートできなければならない
専門教育とは、「内輪(うちわ)のパーティ」のことである。そこは「専門用語で話が通じる」場所、あるいは「通じることになっている」場所である。/専門家とは、他の専門家とコラボレートできることである。そのためには、自分がどのような領域の専門家であって、それが他の領域とのコラボレーションを通じて、どのような有用性を発揮するかを非専門家に理解させられなければいけない。/専門家は、他の専門家と共同作業をしないと何の役にも立たない。自分ひとりで何でもできる専門家というのは形容矛盾である。/専門家の手柄は自分の専門のことしかできないが、その代わり、他の専門家と「合体」すると爆発的なパフォーマンスを発揮するということである。/日本の教育プログラムにいちばん欠けているのは、「他者とコラボレーション」する能力の涵養である。今の日本の教育の問題というのはもしかすると、ぜんぶがこの一つの点に集約されるのかもしれない。(90、92、105ページ)

教師は学びの当事者である
教師というのは、生徒をみつめてはいけない。生徒を操作しようとしてはいけない。そうではなくて、教師自身が「学ぶ」とはどういうことかを身を以て示す。それしかない。/「学ぶ」仕方は、現に「学んでいる」人からしか学ぶことができない。教える立場にあるもの自身が今この瞬間も学びつつある、学びの当事者であるということがなければ、子どもたちは学ぶ仕方を学ぶことができない。これは「操作する主体」と「操作される対象」という二項関係とはずいぶん趣(おもむき)の違うものである。/学びの場というのは本質的に三項関係なのである。師と、弟子と、そして、その場にいない師の師。その三者がいないと学びは成立しない。/教師が教壇から伝えなけれはいけないことは、畏敬の念を抱く師がいるということ、ただ一つである。それだけで教育は十分に機能する。(142、143、152ページ)

教師は学びを起動させる
子どもの成熟は葛藤を通じて果たされる。/人間は必ず葛藤のうちにあり、人間のすべての感情は葛藤を通じて形成される。/人間は自分が学びたいことしか学ばない。自分が学べることしか学ばない。自分が学びたいと思ったときにしか学ばない。/教師の仕事は「学び」を起動させること、それだけである。「外部の知」に対する欲望を起動させること、それだけである。そして、そのためには教師自身が、「外部の知」に対する烈(はげ)しい欲望に現に灼(や)かれていることが必要である。(114、158、252、255ページ)

〇周知の通り、内田は、「稀代の論客」の一人である。いわゆる「内田本」を読むと、俊英(しゅんえい。優れて秀でていること)な視点や鋭利な知性に驚かされる。また、小気味よい論調や豊饒(ほうじょう)な言葉、広く深い造詣(ぞうけい)などに魅せられる。それらが、数多くのファンや信奉者を生み出しているのであろう。
〇ただ、内田の「議論」や「主張」「言説」は必ずしも、そのすべてが科学的・体系的なデータやエビデンス(証拠、根拠)に基づくものであるとは言えない。過剰に身体感覚的であったり、ときには論理の飛躍がある。なじみの薄い漢字や熟語、カタカナ言葉の多用や、巧みな論法の駆使は、衒学的(げんがく。学問や知識があることをひけらかすこと)でさえある。さらに言えば、「知識人の単なるプロパガンダ(政治・思想宣伝)は、読む人を惑わし、思考停止に陥らせる」という、その危険性がゼロとは言えない。土と汗のにおいがする「にわか百姓」(筆者)の、おしゃれで上品な知識人に対する全般的・抽象的な感想である。なお、10年ほど前に本書を読んだときの感想も、このようなものであったと思われる。ただ、その時代的背景や社会的状況は、いまの方がより厳しくなっていることは多言を要さない。2017年6月15日、「監視・密告社会」の到来は憂慮の極みである。
〇政治・経済・社会の危機の時代にあって、先ず強く求められるのは国家主義的教育に抗し、主権者教育を推進する「教育の自由と良心」である。そして、第一線の教育現場(学校、地域・社会)やそこでの実践に証拠や論拠を求める、教育に関する草の根の思想(考え方)や哲学(生き方)である。また、大切にすべきは、教育思想や教育哲学以前の、その「まち」に暮らす子どもや保護者、その「まち」にある学校の子どもや教師などの個々人の教育への切実な「願い」や「思い」である。
〇本稿の最初に紹介した内田の新聞寄稿文では、「立憲主義廃絶」への強い怒りや憂いに満ちた、反体制・反権力の姿勢が明示される。そして、本書で内田は、教育へのビジネスモデルの導入や市場原理主義・グローバル資本主義の教育への介入を批判し、それを通して教育の本質に迫る。また、皮相的な「あるべき教師像」ではなく、「真の教師」のあり方を探究する。その切り口はシャープである。
〇そうした内田の言説の枠組み(フレームワーク)や論点(イシュー)から、例によって唐突で我田引水ながら、「福祉教育」は多くを学び、その教育活動を検証する必要がある。福祉教育は、(1)国家主義的教育に対峙し、真の主権者教育の積極的推進を図ってきたであろうか。(2)それらの教育営為とは、無視はしないまでも、付かず離れずの立ち位置を保ち、絶妙な「間合い」をとってきたのではないか。(3)個別具体的な地域や学校の現実(実態)を丹念に掘り起こし、その問題の歴史的・社会的・文化的背景や本質、真実などをあぶり出してきたか。そこでは、(4)「思いやり育成プログラム」(「こころの教育」)の研究開発に汲々(きゅうきゅう)としてきた(している)のではないか、等々がそれである。これは、筆者自身の福祉教育実践や研究の取り組み姿勢や価値観を問うものでもある。

付記
6月15日午前7時46分、伊達忠一議長が、投票を終えた参院議員に宣言した。「(「共謀罪」)法案は可決されました」。賛成165、反対70。
2年前の安全保障関連法の成立時と比べて、抗議する人の数が少なく、社会全体が「負けるのに慣れてしまっている」ことに危機感を募らせる。(朝日新聞デジタル)

“いまどきの年寄り” が「老人クラブ」に学ぶ―機能としての、もうひとつの福祉教育―

聞き手:「老人クラブ」というと、1986年の「健康・友愛・奉仕『全国三大運動』」や、1991年の「ねたきりゼロ運動」、1992年の「在宅福祉を支える友愛活動」、2005年の「子ども見守りパトロール活動」などの全国展開を思い出します。それらは、時代の要請に応えた運動であり活動であったわけですが、国主導の政策的色彩が濃く、高齢者の本音や真のニーズに迫るものではなかったと思っています。
2014年度からは5カ年計画で、老人クラブ「100万人会員増強運動」が推進されています。その背景には、高齢者人口が増大し、超少子・高齢・人口減少・多死社会が進展するなかで、老人クラブ数や会員数は逆に1998年(クラブ数約13万、会員数約887万人)をピークに減少の一途をたどっている状況があります。直近(2016年3月末現在)の数字では、クラブ数は約10万、会員数は約590万人です。
なぜ、老人クラブは衰退してきたのか。その原因のひとつは、高齢者自身の生活や意識の変化、高齢者を取り巻く政治的・経済的・社会的・文化的そして地域的環境の変化(矛盾や歪み)、「いまどきの年寄り」についての社会(世間)の認識や理解のズレなどにあるのではないでしょうか。しばしば指摘されることですが、老人クラブの組織それ自体が、また活動や運動そのものが魅力的でなくなってきたのではないか。高齢者の興味・関心やニーズに合っていない。
そんなことを思いながら、短時間ですが、質問させていただきます。
聞き手:阪野さんは、昨年度から、老人クラブの活動に参加しているんですよね。
阪 野:そうなんですよ。昨年度、地元の老人クラブ(以下、「シニア巾」)の「会計」の“仕事”を仰せつかりました。もうそんな年齢(とし)になったんですね。
聞き手:ご自分の方から積極的にやろうと思ったわけでもないんでしょ。
阪 野:まあ、正直に言えばそうですね。実は、3年ほど前に、近所の役員の方から「あんたの番だから、やるように」という話があったんです。ただその際は、そんな年齢でもないし、関心もないので、丁重にお断りしたんです。何よりも、65歳以上になると強制的に「シニア巾」のメンバーになる、というのが納得できなくてね。老人クラブは基本的には、加入は自由であり、会員が自主的に運営し、活動の財源は主として会員の会費による、というものでしょ。老人クラブの活動は自助活動であり、ボランティア活動ですよね。
聞き手:その役員の方は困ったでしょうね。
阪 野:そうだと思いますよ。ただ、私が役員を断った後には、かなり高齢の方も役員をされていて、その方々の様子をみていると私も引き受けざるをえないかなと思ったわけです。
聞き手:引き受けてどうでしたか。
阪 野:よかったと思っています。多くの人と知り合いになれたし、途中から活動そのものも楽しくなってきました。「会計」担当ということもあって、また会長さんをはじめ役員の皆さんの人柄にもよるんですが、活動の面では自由度の高い関わり方をさせていただきました。
地域参加や地域活動で重要なのは「楽しさ」と「自由」、そして「仲間」ですね。
地域には本当にすばらしい人が沢山いらっしゃることも、再認識することができました。僭越な言い方ですが、地域には必ず、「資材」や「人材」ではなく、豊かな知恵やさまざまな技能などをお持ちの「人財」がいるものですね。まちづくりに必要な「若者・よそ者・ばか者」の「ばか者」ですかね。その人たちの尽力によって、地域は変わっていくんですね。
聞き手:どんな方がいますか。
阪 野:例えば、会長のKMさんですが、その方はリーダーシップとメンバーシップを併せ持っておられ、「仕事」の速さにも驚かされました。また、多くの役員や班長さんたちをうまく束ね、会議などで合意形成を図るタイミングやバランスは絶妙でした。
老人ホームに勤めていたKSさんは、「高齢者は地域に出なければだめなんだ」(社会参加)というのが持論で、高齢者福祉についての思想や哲学をお持ちでした。ボランティア活動(大人の紙芝居)にも熱心な方です。
長らく福祉委員(市社協)をされていたKHさんは、女性ならではのアイディアやセンスを活かして、こまごまとした準備をされました。また、広報のノウハウを駆使して、「シニア巾たより」の編集に継続的に関わっておられます。ある会議の席で、「私は『よそ者』ですから」と控えめに言ったのですが、KHさんから即座に「そういう考え方はよくない」と叱責されましたよ。
現役の民生委員のKYさんは、福祉に関する新しい情報提供やネットワークの形成に努めて下さいました。また、趣味である写真撮影では、セミプロレベルの腕前を月例会や旅行のときに存分に発揮されました。
「福祉は人なり」ですね。また、「地域は捨てたもんじゃない」ですよ。
聞き手:その人たちが連携・協働して取り組まれる活動には、どんなものがありますか。老人クラブは、基本理念として、「生きがいづくり」「健康づくり」「仲間づくり」「地域づくり」の「4つの“づくり”」活動をめざしていますよね。
阪 野:「シニア巾」は、市の老人クラブ連合会(2016年度現在、63クラブ、会員数5,513人)に所属する単位老人クラブです。毎年9月に自治会が主催する「敬老祝賀会」のような雰囲気もありますが、昨年度からは特に「ふれあい・いきいきサロン」活動に力を入れています(市社協では2015年度現在、16支部社協で実施、485回開催、延10,248人参加、1,987,612円助成)。
敬老祝賀会の雰囲気というのは、役員や班長さんたちによって、会場の設営からプログラムの企画・実施、そして後片付けまで、「至れり尽くせり」の一方的な支援がなされているという意味です。個人的には、月例会に参加される高齢者の方々が、もっと主体的・能動的にいろんな役割を担うべきだと思っています。「シニア巾」の運営の担い手にもなるべきではないでしょうか。要するに、「受け手」と「支え手」の関係を超えて、「共働」(相互支援・相互補完と相互実現)という考え方に立って「シニア巾」の活動に取り組むべきだと思います。

月1回の月例会では、茶話会と誕生会、健康体操、ゲームなどを楽しんでいます。昨年度のプログラムで特筆されるのは、年間を通して「認知症」について学習することを主軸に据え、地域でより豊かに暮らすための「学習」活動に積極的に取り組んだことではないでしょうか。これは、意図的・目的的にまちづくりの主体形成を図ろうとしたものではありませんが、結果的にはいわゆる「事業としての福祉教育」(福祉教育事業)ではなく、「機能としての福祉教育」(福祉教育機能)の取り組みになったと評価しています。

また、先ほどの「シニア巾たより」ですが、KHさんが中心になって作られ、毎月、月初めに会員全員に配布されています。内容的には、月例会の様子や身近な話題などが掲載されていますが、2010年4月に創刊され、2017年3月には90号を数えています。「シニア巾」とその活動の普及・啓発に大いに役立っています。これも特筆ものです。
今後も、「仲間をつくる」「仲間はずれにしない」という意識のもとで、双方向さらには多方向の情報発信や情報交換、そして意見交換などを行うことが必要かつ重要になるのではないでしょうか。それによって、「安全」と「信頼」、すなわち「安心」なまちづくりを進めることができるのではないかと思います。

なお、6月と10月には日帰りの小旅行、11月には文化祭の「喜楽展」、12月には地元の子どもたちを迎えてのクリスマス会、そして3月には総会などがあります。
聞き手:全老連(全国老人クラブ連合会)の資料によると、老人クラブの活動は、「生活を豊かにする楽しい活動」(健康づくり・介護予防、趣味・文化・レクリエーション)と「地域を豊かにする社会活動」(友愛・ボランティア、安心・安全まちづくり、世代交流・伝承、環境・生産・リサイクル)に大別されるようですが、「シニア巾」の活動も結構忙しいですね。
阪 野:そうですよ。そのための準備も大変でした。「会計」担当の私ですらそういう思いでしたから、会長のKMさんや、長年にわたってこの「シニア巾」の活動のコーディネートや支援を行っているKSさんやKHさんには頭が下がります。
個人的には、月例会に50名が一か所に集まる現在のいわゆる「集会所型」は、会場のキャパシティから言っても、もう限界にきているのではないかと思います。高齢者の「自宅開放型」や「空き家利用型」、あるいは気候のいい時期には屋外で行う「屋外型」もいいのではないでしょうか。また、さまざまなプログラムを異なる日程や会場で企画し、参加者がそれをチョイス(選択)することができるようにするのも一案だと思います。さらには、子どもたちとの交流を深めることも意図して、地元の小学校などで行うことも考えられますよね。そうすることによって、地域のいろんな人や他世代と関わることになり、活動もより楽しく豊かなものになるのではと思います。それがまた、高齢者の参加意欲の向上につながればいいですね。
そうそう、「おはようございます」「今日も元気で‥‥‥」という「早朝サロン」や、「お疲れさまでした」「明日も元気で‥‥‥」という「夕方サロン」もいいですよね。「元気の地産地消で暮らしを紡(つむ)ぎ、まち(ヒト、モノ、コト)を繋(つな)ぐサロン」ですかね。
こうした多様な活動を展開するためには、先ほども言いましたが、運営主体や方法、活動費や補助金等のあり方が問われることになります。
聞き手:いろんな取り組みをすると、それなりの費用がかかりますが、その点はどうされているんですか。全老連などの資料を見ると、会員一人当たりの年会費は1,200円程度が多いようですが。
阪 野:会費はいただいていません。昨年度の会計は、全体の予算が約100万円、その内、自治会からの助成金が30万円、市や市社協からの補助金が20万円、残りは春・秋の旅行などの自己負担金が50万円、といったところです。今後は、会員が増えてくるでしょうから、月例会などの費用も実費負担を考えていく必要があるのではないかと思います。

聞き手:会員数や月例会の参加者はどのくらいですか。
阪 野:自治会の会員は約280世帯ですが、「シニア巾」の会員は185名(男性84名、女性101名)、月例会の参加者は平均すると約50名、春・秋の旅行の参加者は合わせて85名、といったところです。
聞き手:月例会の参加者は全会員の3割弱になりますかね。
阪 野:そうですね。この3割という数字は実は、数年前からあまり変わっていないようです。この点をどう読み取るかが、「シニア巾」の今後のあり方を決めることにもなるのではないでしょうか。
聞き手:活動内容に関する問題点や課題はありますか。
阪 野:男性の参加者が少ないですね。また、子どもや障がい者、アパートやマンションの居住者、さらには外国籍住民などへの配慮も十分とは言えません。他の地域組織・団体・施設や学校、民間企業などとのコミュニケーション(交流)やコラボレーション(協同活動)も多くはないですね。
ただ、昨年度は、年度の途中からでしたが、地域にある小規模多機能型居宅介護施設の利用者の方が、2、3名ですがお見えになりました。相互交流が深まればいいですね。
今後は、活動内容の多様化・高度化・魅力化や、ボランティア活動やまちづくり活動への参加の促進などが課題になるのではないでしょうか。とりあえずは、先ほどの「4つの“づくり”」活動と、特にそのうちの「地域づくり」(社会貢献)活動を如何に広げ・深め・高めるかということではないでしょうか。
聞き手:最後に、何か一言ありますか。
阪 野:福祉の世界ではいま、「社会的包摂」や「地域共生社会」の実現に向けた「我が事・丸ごと」という流行り言葉をよく耳にします。繰り返しになりますが、「シニア巾」も、そういった理念や考え方に基づいて、まちづくりの担い手になっていくことが求められるのではないでしょうか。言い換えれば、「シニア巾」に集った高齢者(仲間)だけの組織や活動としてではなく、「シニア巾」とその活動の地域開放や協働(共働)化などを進め、まちづくりの活動や運動の一翼を担うことが期待されるということです。
聞き手:ありがとうございました。
阪 野:今回の私の話は、すべて個人的な認識や見解に基づくものであることを申し添えます。また、事実の見落としや誤解があろうかと思います。ご容赦下さい。わずか1年の経験(活動体験)だけでこのような話をさせていただくのは、僭越の極みです。ただ、開発・提案された「事業としての福祉教育」実践(プログラム)も重要ですが、こういった日頃の、ある意味では草の根的な「機能としての福祉教育」実践(プログラム)を積み上げることによって、新しい豊かな福祉教育実践を創り出すことができるのではないでしょうか。この点を強調させていただきたいと思います。こちらこそ、ありがとうございました。

付記
「健康・友愛・奉仕『全国三大運動』推進要綱」を紹介しておきます(「全国老人クラブ連合会」ホームページより)。

参照
<雑感>(105)笛吹けども踊らず:老人クラブ「100万人会員増強運動」―老人クラブ会則私案―/2020年3月31日/本文

「世間」の膨張と「空気」の支配―その「息苦しさ」からの解放―

「<活動的生活> vita activa という用語によって、私は、3つの基本的な人間の活動力、すなわち、労働、仕事、活動を意味するものとしたいと思う。労働 labor とは、人間の肉体の生物学的過程に対応する活動力である。労働の人間的条件は生命それ自体である。仕事 work とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。仕事は、すべての自然環境と際立って異なる物の「人工的」世界を作り出す。活動 action とは、物あるいは事柄の介入なしに直接人と人との間で行なわれる唯一の活動力であり、多数性という人間の条件、すなわち、地球上に生き世界に住むのが一人の人間 man ではなく、多数の人間 men であるという事実に対応している」(ハンナ・アレント 志水速雄訳『人間の条件』筑摩書房、1994年10月、19~20ページから抜き書き)。

〇これは、周知のように、ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年~1975年、ドイツ出身の政治哲学者)の代表作『人間の条件』の冒頭部分の一節である。要するに、「労働」は生命を維持するための生物学的な行為、「仕事」は工作物を製作する職人的な行為、「活動」は多くの他者に働きかける公共的な行為、である。誤解や独断を恐れずに、さらに簡潔に言い換えれば、労働=カネを得る活動力、仕事=モノを作る活動力、活動=ヒトと関わる活動力、となろうか。
〇筆者(阪野)はいま、以前に比して、狭い「世間」に住んでいる。そのひとつの世間で昨年度関わった「活動」(地域・福祉活動)に基づいて、先日、地元自治会の総会である事柄について提案した。一般的なルールに則って丁寧にその趣旨説明を行ったが、地元の名士の「これまでのものは先人の知恵であり、いまでも先進的である」という意見で、会場の「空気」は一変した。それにもめげず、さらに意見の開陳を続けたが、話に水を差す発言が相次いだ。そして、とどめの一言、「あんたは喋りすぎだ」。万事休す、である。その後、「継続審議」とはなったものの、“あやふや”と“うやむや”が交錯する会議であった。それがまた世間でもある。
〇筆者はこれまで、数多くの地域で、「まちづくり」や「市民福祉教育」の実践「活動」に関わってきた。正直に言えば、自分が現に居住する地域での取り組みには、ある種の“息苦しさ”や閉塞感を感じてきた。今回もそれである。その息苦しさを和らげるために“酸素”を吸入し、いま一度呼吸を整えることにした。本稿を草する(「仕事」)ねらいはそこにある。以下の抜き書きは、過去に吸ったことのある、空気よりも高濃度の酸素である。筆者には、いま所属する世間で、その流量や濃度、吸入方法を如何に考えるかが問われることになる。

(1) 阿部謹也『「世間」とは何か』(講談社現代新書)講談社、1995年7月
西欧では社会というとき、個人が前提となる。個人は譲り渡すことのできない尊厳をもっているとされており、その個人が集まって社会をつくるとみなされている。したがって個人の意思に基づいてその社会のあり方も決まるのであって、社会をつくりあげている最終的な単位として個人があると理解されている。日本ではいまだ個人に尊厳があるということは十分に認められているわけではない。しかも世間は個人の意思によってつくられ、個人の意思でそのあり方も決まるとは考えられていない。世間は所与とみなされているのである。/私達は世間という枠組の中で生きているのであって、誰もが世間を常に意識しながら生きているのである。いわば世間は日本人の生活の枠組となっている。/敢(あ)えていえば日本人は皆世間から相手にされなくなることを恐れており、世間から排除されないように常に言動に気をつけているのである。(13~15ページ)

世間とは個人個人を結ぶ関係の環であり、会則や定款はないが、個人個人を強固な絆で結び付けている。しかし、個人が自分からすすんで世間をつくるわけではない。何となく、自分の位置がそこにあるものとして生きている。/世間には、形をもつものと形をもたないものがある。形をもつ世間とは、同窓会や会社、政党の派閥、短歌や俳句の会、文壇、囲碁や将棋の会、スポーツクラブ、大学の学部、学会などであり、形をもたない世間とは、隣近所や、年賀状を交換したり贈答を行う人の関係をさす。(16~17ページ)

世間には厳しい掟がある。それは特に葬祭への参加に示される。その背後には世間を構成する二つの原理がある。一つは長幼の序であり、もう一つは贈与・互酬の原理である。/世間の掟にはもう一つ重要なものがある。それは世間の名誉を汚さないということである。/「世間」の構造に関連して注目すべきことがある。西欧人なら、自分が無実であるならば人々が自分の無実を納得するまで闘うということになるが、日本人の場合は、自分は無罪であるが、自分が疑われたというだけで、世間を騒がせたことについて謝罪することになる。このようなことは、世間を社会と考えている限り理解できない。世間は社会ではなく、自分が加わっている比較的小さな人間関係の環なのである。(17、18、20、21ページ)

(2)阿部謹也『学問と「世間」』(岩波新書)岩波書店、2001年6月
「世間」と社会の違いは、「世間」が日本人にとっては変えられないものとされ、所与とされている点である。社会は改革が可能であり、変革しうるものとされているが、「世間」を変えるという発想はない。/明治以降わが国に導入された社会という概念においては、西欧ですでに個人との関係が確立されていたから、個人の意志が結集されれば社会を変えることができるという道筋は示されていた。しかし「世間」については、そのような道筋は全く示されたことがなく、「世間」は天から与えられたもののごとく個人の意志ではどうにもならないものと受けとめられていた。/したがって「世間」を変えるという発想は生まれず、改革や革命という発想も生まれえなかった。(111~112ページ)

「世間」は差別的で排他的な性格をもっている。仲間以外の者に対しては厳しいのである。「世間」には序列があり、その序列を守らない者は厳しい対応を受ける。それは表立っての処遇ではないが、隠微な形で排除される。/「世間」の中では個性的な生き方はできない。常に「世間」の枠を意識していなければならないからである。自分と「世間」とは一体として意識されている。自分が落ちこぼれないように努力している反面で、「世間」の外に特定の対象を設定して、その対象に対して自分の優位を確認しようとする。「世間」の外にそのような対象を設定することによって、自分自身の恐れや不安を転嫁するのであり、「世間」に対する恐怖を和らげるのである。/私たち自身が「世間」の中で生きている不安を転嫁する過程で差別意識が発生してくるのである。その意味で差別意識は「世間」の産物である。(151~152ページ)

(3)佐藤直樹『「世間」の現象学』(青弓社ライブラリー)青弓社、2001年12月
社会という言葉はわが国の「近代化」と一体となったかたちで、つまり「近代化」のシステムとして展開された。ジャーナリズムや学問の世界では、あたかも西欧流の社会が実在するかのように、社会という言葉があたりを席巻した。しかしそれは、蜃気楼のようなものだった。おおかたの見方に反して、「世間」は消滅するどころか、実際に明治以降私たちの<生活世界>に実在したのは、「近代化」のシステムとしての社会ではなく歴史的・伝統的システムとしての「世間」のほうであった。(98ページ)

西欧流の「社会」と日本の「世間」のちがいを簡単にまとめると次のようになる。(94~97ページ、備考は筆者引用)

(4)山本七平『「空気」の研究』(文春文庫)文藝春秋、1983年10月
「空気」は非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ「判断の基準」であり、それに抵抗する者を異端として、「抗空気罪」で社会的に葬るほどの力をもつ超能力である。われわれは「空気」に順応して判断し決断しており、総合された客観情勢の論理的検討の下に判断を下して決断しているのではない。だが通常この基準は口にされない。それは当然であり、論理の積み重ねで説明することができないから「空気」と呼ばれているのだから。従ってわれわれは常に、論理的判断の基準と、空気的判断の基準という、一種の二重基準(ダブルスタンダード)のもとに生きているわけである。そしてわれわれが通常口にするのは論理的判断の基準だが、本当の決断の基準となっているのは、「空気が許さない」という空気的判断の基準である。(22ページ)

「空気」の基本にあるのは臨在感的把握である。/それは、物質から何らかの心理的・宗教的影響をうける、言いかえれば物質の背後に何かが臨在していると感じ、知らず知らずのうちにその何かの影響を受けることをいう。/臨在感の支配により人間が言論・行動等を規定される第一歩は、対象の臨在感的な把握にはじまり、これは感情移入を前提とする。感情移入はすべての民族にあるが、この把握が成り立つには、感情移入を絶対化して、それを感情移入だと考えない状態にならねばならない。従ってその前提となるのは、感情移入の日常化・無意識化乃至は生活化であり、一言でいえば、それをしないと、「生きている」という実感がなくなる世界、すなわち日本的世界であらねばならないのである。/臨在感は当然の歴史的所産であり、その存在はその存在なりに意義を持つが、それは歴史観的把握で再把握しないと絶対化される。そして絶対化されると、自分が逆に対象に支配されてしまう、いわば「空気」の支配が起ってしまうのである。(32、33、38、40ページ)

ある一言が「水を差す」と、一瞬にしてその場の「空気」が崩壊するが、その場合の「水」は通常、最も具体的な目前の障害を意味し、それを口にすることによって、即座に人びとを現実に引きもどすことを意味している。/われわれは、「空気」を排除するため、現実という名の「水」を差す。/「水」とはいわば「現実」であり、現実とはわれわれが生きている「通常性」であり、この通常性がまた「空気」醸成の基である。そして日本の通常性とは、実は、個人の自由という概念を許さない。/われわれの通常性とは、一言でいえばこの「水」の連続、すなわち一種の「雨」なのであり、この「雨」がいわば「現実」であって、しとしとと降りつづく“現実雨”に、「水を差し」つづけられることによって、現実を保持しているわけである。従ってこれが口にできないと“空気”決定だけになる。(91、92,129、172ページ)

〇「お世話になっております。昨日はありがとうございました。残念な結果になりましたが、今後ともよろしくお願いします」。前述した地元自治会の総会の翌日、筆者の口から自然と出た、隣人に対する挨拶の言葉である。「そう、残念でした。また頑張りましょう」。その隣人は、総会の席上、場の空気を読んでか、一言も発言しなかった。その人にはまた、その人なりの人間関係の世間と空気があったのであろう。筆者はその人を責めることはできない。責められるべきは筆者自身の、自分の行動についての基準や尺度を他者との人間関係に求める「世間」の認識と、その世間における「空気」を醸成するための議論についての“甘さ”である。腹蔵なく言えば、地域のボスに対する事前の根回し(空気の醸成)を欠いた、ということでもあろう。
〇「世間」と「空気」は過去の遺物ではない。「世間」は今日も、解体・消滅することなく、そこに所属する人々の行動原理として働いている。そこで醸成される「空気」は、人々を支配し、ときには議論を否定し、思考を停止させる。日本の現代社会においては、「世間」が膨張・強大化し、「空気」が意思決定の主役のようにもなっている。しかもそれが、中央集権的な政治・行政システムを残したまま、国主導によって進められている。
〇「まちづくり」や「市民福祉教育」の世界ではこれまで、「世間」と「空気」の存在を前提にした議論が十分に行われてきたとは言えない。もっぱら、「地域社会」「市民社会」「共生社会」などの、翻訳語としての「社会」(society)を舞台にした議論が行われてきた。「社会」は観念的な世界であり、人はそのなかで生きているとはいえ、一定の心理的距離を置くこともできる。「世間」は日常生活における具体的な人間関係であり、一面では本音(ほんね)の世界でもある。右傾社会や格差社会、そして監視社会すなわち管理社会が進展するなかでいま、その趨勢を押しとどめ、真の市民社会や共生社会の実現を図るために、日常語としての「世間」と「空気」について探究する必要がある。「世間」と「空気」を対象化し議論することは、「社会」について論究する際のひとつの前提である。それはまた、自分の存在を意識し思考することであり、「社会」や「世間」の「息苦しさ」から自分や他の人々を解放することに通じる。本稿で言いたいのはこの点である。
〇蛇足ながら、実は注目すべきことであるが、地元自治会の総会などが行われる会場の舞台の上手(かみて)に、「教育勅語」の全文が額に入れて飾ってある。「朕惟フニ」「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」。筆者は、不安や恐れを感じる。それにもまして、ほとんどの地元住民がその存在に気づかず、またそれが何たるかを知らないことに愕然(がくぜん)とする。「空気」は、対象の臨在感的把握によって醸成される。臨在感的把握とは、物質や言葉の背後に何か霊的・宗教的・絶対的なものが存在していると感じ、無意識のうちに、不作為にその何かの影響を受けることをいう。山本の言説に留意したい。
〇なお、下図は、「『世間』の膨張と『空気』の支配」を概念図化したもの(素案)である。

プレディクタブルな人、その協調性と独立性:もう一つの考え方―長谷川眞理子・山岸俊男著『きずなと思いやりが日本をダメにする』の読後メモ―

〇長谷川眞理子・山岸俊男著『きずなと思いやりが日本をダメにする―最新進化学が解き明かす「心と社会」―』(集英社インターナショナル、2016年12月)が面白い。本書は、進化生物学者の長谷川(総合研究大学院大学)と社会心理学者の山岸(一橋大学大学院)の対談本である。人間社会の問題を解決するに当たって人を過大評価してはならない。「心がけ」や「お説教」では社会は変わらない。革新をもたらす人は周りの「空気を読まない人」である。こういった指摘には、「まちづくり」や「市民福祉教育」について考えるヒントが示されている。
〇本書のなかから、「プレディクタブルな人」と「思いやり」や「差別」に関する二人の知見や発想の要点を、我田引水と評されることを恐れずに、紹介することにする(見出しは筆者:阪野)。

相互協調性の質
「日本人は相互協調的である」。相互協調性(interdependence)は、質的には、ポジティブなものとネガティブなものの2種類に分けられる。前者は、何かの問題について、協力して一緒に解決しようというものである。後者は、集団の問題を解決するのではなく、集団内で波風を立てないように行動するというものである。その人たちは、いわゆる「空気を読む」人であり、いつも「びくびく」している。
相互協調性と対照的なものは独立性(independence)である。独立性にもポジティブとネガティブの二つがある。ポジティブ・インディペンデンスは、他者と積極的に関わり、自己主張することに躊躇しないというタイプである。ネガティブ・インディペンデンスは、「誰も私に構わないでくれ」という、他者との関わりに消極的なタイプである。

プレディクタブルな人
「人間は社会的動物である」。ヒトは、社会なくして生きられない存在であり、自分の独立を守り維持するためには、他者とコミュニケーションを取り、協力する必要がある。その際、相手の主張や反応を予測したうえで自己主張をしないと、摩擦や衝突が生じることになる。そこに求められるのは、プレディクタブル(predictable)、つまり「予測可能な」人間(「分かりやすい人」)になることである。
プレディクタブルになるということは、自分の旗幟(きし、立場や主張)を鮮明にし、首尾一貫した行動規範に基づいて行動すること(「言行一致」)を意味する。それはつまり、他者と自分との違い(個別性)を明確にすることであり、それはまた多様性を歓迎することでもある。そうすることによって、他者から信頼・評価される存在となり、フレンド(friend)=味方=仲間を増やすことになる。

思考力のトレーニング
「個性と多様性の尊重、共生社会の実現」。いまの日本では、これらの言葉や理念が心がけや説教、スローガンとして語られ、その際には「思いやり」「絆」などが強調される。多様性のある社会や共生社会の構築は、個々人の異質性や不明性について相互に認識し、理解することから始まる。即ち、自分とは違う他者が、どのような世界観や思想を持っているかを把握する。とともに、自分なりの価値観や原理原則の確立を図り、それに基づいて一貫性のある行動をとることが求められる。多様性や共生は、「違うこと」に耐えることであり、思いやりの心の育成を図れば済むようなものではない。「みんな違ってみんないい」は、それほど簡単ではない。
「ヒトは社会システムのなかで動いている」。即ち、自分はどういう種類の人間かということを鮮明にし、お互いにそれを理解し、他者と衝突しながら言及し議論し、一緒に何かに取り組んで行く。そういうヒトにとって必要かつ重要なのは、心がけを説く「心の教育」ではない。複雑な議論を展開し、社会づくりに関する制度設計を行う「思考力のトレーニング」である。
社会を変えるには、個人レベルの心がけや行動ではなく、社会科学の知見を踏まえて物事について思考・判断・表現する人たちが、ひとつのコアを形成し、社会変革の原動力になってくれるのを期待するしかない。(以上、第7章:243~288ページ)

差別の利得
「差別は偏見から生まれると思われている」。しかし、差別の原因は偏見ではない。差別と偏見は切り離して考えるべきである。
社会のなかで差別が行われるのは、そこに何らかのメリットがあるからである。少なくとも、当初の段階ではメリットがあり、それによって差別が構造化され、継続的に行われてきた。逆に言えば、差別することによってデメリットやコストが増えるのであれば、そうした差別は生まれない。従って、差別をなくすには、差別をすることによって得られるメリットよりも、差別をしないことで得られるメリットを大きくすることである。差別は感情ではなく、利得の問題である。そういう意味では、競争社会は「差別をなくす社会」であり、競争なき社会は「差別の社会」「差別を温存する社会」であると言える。

差別構造の追及
「差別問題を『心でっかち』で考えてはならない」。差別は、第一義的には、社会構造の要因によって起こるものであり、その結果である。社会に差別構造があると、それによって差別を正当化する現実が生まれ、その現実が差別構造をさらに補強していく。そしてますます、差別は正当化され、固定化されていく。
差別の解消は、個人の意識(「心がけ」)を変えたり、スローガンを叫ぶだけでは不可能である。差別の現実(「結果」)を直視し、それを生み出してきた(いる)社会構造(社会システム)を追及し、制度改革を進めることが肝要となる。(以上、第5章:181~203ページ)

〇以上に基づいて、「プレディクタブルな人=個性的であり、多様性を歓迎する人」(257ページ)すなわち「社会変革の原動力になる人」(288ページ)のあり方について考える際の視点や枠組みを、筆者なりに図式化(素案)しておくことにする。

〇なお、プレディクタブルな人は、フレンド=味方だけではなく、エネミー(enemy)=敵をつくることにもなる。「出る杭(くい)は打たれる」。「和を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ」である。それは、相互協調性を意味するが、他者からの承認欲求(独立性)の裏返しでもある。付記しておきたい。

補遺
中島義道著『「思いやり」という暴力―哲学のない社会をつくるもの―』(PHP研究所、2016年2月)も、同意できない点もあるが、痛快で面白い。言説の一部を紹介(抜き書き)しておくことにする。なお、本書は、中島著『<対話>のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの―』(PHP研究所、1997年11月)のタイトルを変えたものである。

わが国の人間関係において、最も重視されるのは、「他人を思いやる」ことであり、そのためには「本当のことを言わないこと」である。この国では、「お上」は「思いやり」や「優しさ」といった人間の根源的価値に関してまで個人のなかに踏み込もうとする。「思いやり」を持つことがなぜ必要なのかという問いを忘れて、「思いやりを持とう!」という掛け声だけが列島にこだまする。この国では、「思いやり」や「優しさ」を声高に唱え、人々から生き生きとした思考力を奪っている。「思いやり」や「優しさ」という名のもとに、とりわけ弱者の叫び声は完全につぶされつづける。風通しの悪い社会である。(4、11、13、76、165ページ)

この国では、「思いやり」はほとんどの場合「利己主義の変形」として機能してしまう。自分の身に危険がふりかからない範囲での「思いやり」など、気楽な「思いやり」である。この国では、みんな「思いやり」という名のもとに真実の言葉を殺している。「対話」を封じている。しかも、ほとんどの者はその暴力に気づいていない。(166~168ページ)

この国では「優しさ」は今やエスカレートして熱病にまでなっている。これほどまでに「優しさ」が叫ばれている空気のなかで、弱い人間は「優しさ」によって殺されてゆく。精神的に破綻してゆく。最新型の「優しさ」の特徴をなすものは、他者との対立や摩擦を徹底的に避けることであり、この目的を達成するために「言葉」を避ける。ひとことで言うと、自分に異質な者としての他者を徹底的に恐れるのである。(183~184ページ)

「対話」(「哲学的対話」)とは、各個人が自分固有の実感・体験・信条・価値観にもとづいて何ごとかを語ることである。正真正銘の「対話」とは、身分・地位・知識・年齢等々ありとあらゆる「服」を脱ぎ捨てて、全裸になって「言葉」という武器だけを手中にして戦うことである。「対話」とは全裸の格闘技である。(120、141~142ページ)

「対話」のある社会は、「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をぐいと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔(いさぎよ)く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を消し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。(228~229ページ)

この国で要求されるのは「和の精神」である。「和」とは、現状に不満をもつ者、現状に疑問を投げかける者、現状を変えてゆこうとする者にとっては最も重い足かせである。「和の精神」はつねに社会的勝者を擁護し社会的敗者を排除する機能をもつ。そして、新しい視点や革命的な見解をつぶしてゆく。かくして、「和の精神」がゆきわたっているところでは、いつまでも保守的かつ定型的かつ無難な見解が支配することになる。(61~62ページ)

[体験記―大学の風景―]
中島先生が本書で紹介する「沈黙する学生の群れ」の「授業風景」は、筆者(阪野)も経験したところであるが、示唆的である。筆者のそれらもいまとなっては面白い。筆者の体験記(伝聞も含む)にもつきあっていただきたい。

※自慢話―AO入試のコツ―
「あなた自身の自慢をしてくれますか」/「‥‥‥」/「じゃあ、あなたの高校の自慢をして下さい」/「‥‥‥」/「それじゃあ、あなたは何学部を志望ですか」/「野球部です!(志望学部だよ~)」/入学式に彼の姿はなかった?

※餌づけ―ゼミの神髄―
R教授がお菓子と飲み物の入った大きなビニール袋を両手にさげて来た。/「どうされたんですか?」/「1年のゼミ生に元気がなくてね。そこで、途中で休憩を入れて、お茶の時間にするんですよ」/「先生も大変ですね!(餌づけかよ~)」/学習集団は仲良しこよしの集団ではない。

※計略―「私語」の撲滅―
「2年生のこの授業科目は選択ですので、やる気のない人の履修はお断りします」(初回の授業)/この一言で、履修希望者は半減する。/「毎回、『自己点検・評価票』を記入してもらいます。それを出席票に替えます」(2回目の授業)/これでまた希望者は減り、最終的に履修者は2、30人程度になる!(大成功~)/授業中の「私語」はない。

※世の習い―「空気」の研究―
某大学の教授がN教授の指導のもとで博士号(社会福祉学)を取得することにした。/審査委員のM教授が、研究科長のA教授の顔色を窺って一言、「研究の視点も枠組みも曖昧です」。複数の若手の教員も同調。/それ以前に、M教授が筆者との立ち話で放った一言は、「専門外の論文を読むのは苦痛ですね」であった。/件(くだん)の教授はその後、学位申請を取り下げ、日本を代表する大学に申請して学位を取得!(おめでとう~)/阿諛追従(あゆついしょう)は世の習いである。

※エッ―?×!―
元高校校長が事務局の課長に就任した。その後、兼担講師 → 教授 → 学部長(専門外)へと「ごぼう抜き」の出世。/茶坊主とお友達だけがわが世の春を謳歌する。/ほとんどの教員は自分たちの専門性が否定されている「暴力」に気づいていない。気づいていても語らない!(ケセラセラ~)/沈黙は最大の保身である。

※納得―研究室今昔―
日頃ほとんど話すこともなかったM准教授が突然、筆者の研究室にあらわれた。/そのときの最初の一言が忘れられない。「あらー、大学の先生の研究室みたい!(あんたは何なんだよ~)」。/彼女の研究室は若人がたむろする喫茶店だった。/また、筆者が1階下のM准教授の研究室を訪ねたとき。/ドアを開けると、そこはゴミ屋敷だった。/彼にメールを送っても、返信はいつも1週間以上を要した!(江戸時代の飛脚じゃあるまいし~)」。/今は昔、研究の翁(嫗)といふものありけり。

※連携協定―「包括」の意味―
「昨日、街頭募金活動をしたんだけど、『包括連携協定』とやらを締結しているはずのあんたのところからは、お願いしても、誰も来なかったな」。「それは失礼しました。明日は卒業式なんですが、私がでるようにします」/「そんなわけで、明日の学位記授与式は失礼いたします‥‥‥」。「その話は事務局長に通してくれませんか」/「いえ、先ずは学科長と学部長に連絡をと思って‥‥‥」。「いえいえ、先ずは事務局長に」/「東日本大震災支援募金にご協力をお願いします!(東日本大震災支援募金にご協力をお願いします!~)」/頭巾(ずきん)と見せて頰(ほお)かぶり。

※社長―改革と倒産―
「お昼休みの時間に集まっていただいて恐縮です。来年度に改組されるわが学部・学科について、簡単に説明します」。「‥‥‥」/「学長先生、こんな説明でよろしかったでしょうか」。「はい。先生方、ご苦労様でした」/国の主導のもとで、トップダウンによる効果的・効率的な大学経営がはじまっている(50年、100年先も生き残れる大学はいずこにおわす~)。/「合併」「身売り」「倒産」による社名変更。

「包摂」×排除=「共生」×管理―「お守り言葉」と福祉教育―

〇雑誌『ふくしと教育』(第22号、大学図書出版、2017年2月)が届いた。特集は「七・二六(相模原殺傷)事件を考える」である。それは、8人の執筆者の確かな視点と視座に基づく重厚な実践と研究に裏付けられた、読み応えのある論考によって構成されている。各執筆者の真摯な姿勢と熱い思いが、行間からひしひしと伝わってくる。やむを得ないこととはいえ、紙幅の制約が残念至極である。
〇例えば、村上徹也(編集長)の巻頭言の次の一節は、正鵠(せいこく)を射た指摘である。それは、この事件の報道に接したときに筆者(阪野)が覚えた大きな違和感と無力感に通じるものでもある。

7・26事件では、被害者の個別的な輪郭は、人権上の配慮からほとんど伝わっていない。このことの是非を考えることも、ノーマライゼーションのあり方として必要だと思いつつ、もう1つ気になるのは、様々な面で社会に重い問いを投げかけている忘れてはならないはずの7・26事件の重大さが、多くの人々の記憶に深く刻まれていかないのではないかということだ。すでに、報道を含めて、7・26事件は世間ではほとんど忘れられているのではないだろうか。
被害者1人ひとりの輪郭が不鮮明だということは、1人ひとりのかけがえのない命の証も曖昧になってしまい、事件が単に犠牲者の数の記録としてのみ残ることになれば、これを教訓として社会を変えようという努力も長続きはしないだろう。(3ページ)

〇例によって唐突であるが、筆者は、この特集論考から、哲学者の鶴見俊輔(1922年~2015年)が雑誌『思想の科学』1946年5月号(創刊号)に発表した論考「言葉のお守り的使用法について」(鶴見俊輔『鶴見俊輔集―3 記号論集』筑摩書房、1992年1月、389~410ページ所収)を思い出す。次はその言説の一節である。

言葉のお守り的使用法とは、言葉のニセ主張的使用法の一種であり、意味がよくわからずに言葉をつかう習慣の一種類である。言葉のお守り的使用法とは、人がその住んでいる社会の権力者によって正統と認められている価値体系を代表する言葉を、特に自分の社会的・政治的立場をまもるために、自分の上にかぶせたり、自分のする仕事の上にかぶせたりすることをいう。このような言葉のつかいかたがさかんにおこなわれているということは、ある種の社会条件の成立を条件としている。もし大衆が言葉の意味を具体的にとらえる習慣をもつならば、だれか煽動する者があらわれて大衆の利益に反する行動の上になにかの正統的な価値を代表する言葉をかぶせるとしても、その言葉そのものにまどわされることはすくないであろう。言葉のお守り的使用法がさかんなことは、その社会における言葉のよみとりの能力がひくいことと切りはなすことができない。(390ページ)

政治家が意見を具体化して説明することなしに、お守り言葉をほどよくちりばめた演説や作文で人にうったえようとし、民衆が内容を冷静に検討することなしに、お守り言葉のつかいかたのたくみさに順応してゆく習慣がつづくかぎり、何年かの後にまた戦時とおなじようにうやむやな政治が復活する可能性がのこっている。言葉のお守り的使用法を軸として日本の政治が再開されるならば、国民はまた、いつ、不本意なところに、しらずしらずのうちにつれこまれるかわからない。(399~400ページ)

〇「お守り言葉」は、国家や社会(組織)の権力者が、実質的な内容や価値を伴わないままに、その言葉をスローガンのように振りかざして大衆を黙従させ、煽動するものである。「言葉のお守り的使用法は、言葉の煽動的使用法の一種である」(392ページ)。鶴見によると、戦前・戦中の「国体」「日本的」「皇道」や、戦後アメリカから輸入された「民主」「自由」「デモクラシー」などがそれである。こうした言葉を使った演説や作文は、その言葉についての理念的・実践的探究がなくても、正統化され、自分の社会的・政治的立場を守ることができるのである。
〇福祉教育の世界で多用される言葉に「包摂」と「共生」がある。7・26事件との関連で筆者が言いたいのは、福祉教育において「包摂」や「共生」は「お守り的使用」がなされてはならない。そのためには、「包摂」による“排除”や「共生」による“管理”が進んでいる現実(実態)を的確に把握し、その内実を抉(えぐ)り出す。そのうえで、共働して“排除”や“管理”と真に闘うことが肝要となる。福祉教育の意義と目的はここにある、ということである。
〇鶴見の言を借りれば、「その社会における言葉のよみとりの能力」を高め、「お守り言葉の内容を冷静に検討」し、その「言葉の意味を具体的にとらえる習慣をもつ」ことに、とりわけ福祉教育は強く意識しなければならない。それは、福祉教育が「ヒト」の生命(いのち)と暮らしと人生に直接的に関わる教育的営為であること。しかも、一人ひとりの生命を守り、暮らしと人生を豊かにするための、「批判」的思考力や「変革」的実践力の育成を図る営為であること、による。
〇いま、政府は、「積極的平和主義」や「日米同盟」、「地方創生」や「一億総活躍社会」、そして「多様で柔軟な働き方」などの「お守り言葉」を自覚的に多用する。「不本意なところに、しらずしらずのうちにつれこまれ」ていると感じるのは、筆者だけであろうか。
〇いずれにしても、雑誌『ふくしと教育』の今回の「特集」は重い。SNSに書き込まれた「彼のような悪魔が絶対に生まれない世の中は実現できないとしても‥‥‥」(村上、2ページ)という一節が苦しい。

附記
厚生労働省は、2016年8月に「相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム」(座長:山本輝之 成城大学法学部教授)を設置した。その検討チームが同年12月8日に「報告書~再発防止策の提言~」をとりまとめ、公表した。ここで、事件の再発防止策の検討に当たって重視された3つの視点と、再発防止のための具体的な提言のうち、「共生社会の推進に向けた取組」(概要)について紹介しておく。

Ⅱ 再発防止策の検討に当たって重視した3つの視点
本チームは、事件の再発防止策の検討に当たって、次の3つの視点を重視した。これらの視点は、個々の具体的な再発防止策を貫く基本的な考えである。
1 共生社会の推進 ~差別意識のない社会と、障害者の地域での共生~
〇今回の事件は、障害者への一方的かつ身勝手な偏見や差別意識が背景となって、引き起こされたものと考えられる。こうした偏見や差別意識を社会から払拭し、一人ひとりの命の重さは障害のあるなしによって少しも変わることはない、という当たり前の価値観を社会全体で共有することが何よりも重要である。そのためには、障害のある人もない人も、地域の人々も、障害者施設で働く人も、全ての人々が、お互いの人格と個性を尊重し合いながら共生できる社会の実現に向けた取組を進めていくことが不可欠である。
〇政府においては、障害の有無に関わらない多様な生き方を前提にした、共生社会の構築を目指す姿勢を明確に示すことが必要である。また、学校教育の段階からあらゆる場において、人権や共生社会に係る教育を進めることや、障害者の地域移行や地域生活の支援を進めていくことが必要である。
〇社会福祉施設等においても、これまで、共生社会の考え方に基づき、障害者を地域から切り離すのではなく、地域に対して開かれた存在となり、地域と共存することを基本として運営がされてきた。今回の事件を機に、社会福祉施設等が利用者を守ろうとするあまり、厳重な防犯設備で地域との交流を遮断してはならない。
〇また、事件を実行した施設の元職員である男(以下「容疑者」という。)は、精神障害による他害のおそれがあるとして措置入院となっていたが、今回の事件は極めて特異なものであり、地域で生活する精神障害者の方々に偏見や差別の目が向けられることは断じてあってはならない。これまでも精神障害者については、「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律」(昭和25 年法律第123号。以下「精神保健福祉法」という。)の理念に沿って、医療機関や保健福祉関係機関において、できるだけ地域社会での生活への移行や地域社会との交流・共生を進めてきた。こうした流れは、決して揺るがしてはならず、地域社会での生活を支えるための精神保健医療福祉等の支援体制の底上げや、関係機関等の協力、理解が不可欠である。
2 退院後の医療等の継続的な支援を通じた、地域における孤立の防止 ~容疑者が措置入院の解除後、通院を中断したことを踏まえた退院後の医療等の支援の強化~
(略)
3 社会福祉施設等における職場環境の整備 ~容疑者が施設の元職員であったことを踏まえた対応~
(略)

Ⅲ 再発防止のための具体的な提言
Ⅱの視点を踏まえ、本チームは、以下の5点に分けて、再発防止策の方向性をとりまとめた。
第1 共生社会の推進に向けた取組(概要)
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第2 退院後の医療等の継続支援の実施のために必要な対応
(略)
第3 措置入院中の診療内容の充実
(略)
第4 関係機関等の協力の推進
(略)
第5 社会福祉施設等における対応
(略)

福祉教育は「批判」と「変革」を必要要件とする:「福祉教育と批判的教育研究」に関するメモ―日本福祉教育・ボランティア学習学会の新体制に寄せて―

〇日本福祉教育・ボランティア学習学会は、2016年11月、原田正樹先生(日本福祉大学)を会長とする新役員体制をスタートさせた。原田先生の会長就任の挨拶は、名実ともに「存在感のある学会」をめざす強い信念や決意そして覚悟がにじむものであった。注目されたのは、学術・研究活動や実践・ネットワーク活動については当然のこととして、学会のソーシャルアクション機能についての言及であった。その時々の福祉・教育政策や関連分野・領域の動向分析と、それに基づく問題提起や政策提言・権利擁護(アドボカシー、注①)などの活動を学会内外に向けて行っていきたい、というものであった。福祉教育の研究・実践活動や学会活動に閉塞感や憂鬱(ゆううつ)を感じている筆者(阪野)にとっては、「原点に立ち返る時である」という意味においても、原田先生の所信表明には今後に期待するところ大なるものがある。
〇ところでいま、筆者の手もとに、「批判的教育学」(Critical Pedagogy)の必読書であるマイケル・W・アップル、ジェフ・ウィッティ、長尾彰夫編著『批判的教育学と公教育の再生―格差を広げる新自由主義改革を問い直す―』(明石書店、2009年5月)がある。そこには長尾の論稿「教育改革のポリティックス分析―新たな『教師論』の構築に向けて」が収録されている。
〇本稿では、原田先生の所信表明(とりわけ福祉・教育政策の分析やソーシャルアクションの展開についての言及)を機に、長尾の言説のなかから、筆者なりにいま一度再認識しておきたい一節を抜き書きあるいは要約する(見出しは筆者)。

(1)新自由主義・新保守主義と公教育の破壊
自由経済と強い国家を追求する新自由主義と新保守主義(注②)の勢力は、一方で「民主主義」を口にしつつ、他方では民主主義の意味そのものを根底から変え、さらなる格差や不平等を作り出している。また、「伝統」を声高に叫びつつ、それに異を唱えるものは徹底的に排除する。こうした「改革」がもたらす最大の問題は、公教育の破壊である。(3ページ)
(2)批判的教育学・批判的教育学者の使命
批判的教育学は、新自由主義と新保守主義による政策と実践が子どもや教師に与える影響(問題状況)を明らかにする。究極的には、非民主的な「改革」を押し戻し、真の「民主主義と市民性」に基づく「改革」を推し進める。そのために、進歩主義的な社会運動と協力しながら行動する。それが批判的教育学や批判的教育学者の使命である。(3~4ページ)
(3)現代の教育改革の特徴
教育改革はしばしば、官邸・内閣を中心とした時の政治的権力によって推進される(中曽根内閣が1984年8月に設置した「臨時教育審議会」や安倍内閣が2006年10月に設置した「教育再生会議」等)。それは、従来型の、文部科学省の官僚的・行政的権力による教育改革とは異なる。しかも、その両者の間には、共通性(点)と異質性(点)が存在する。現代における教育改革は、こうした微妙にして深刻な矛盾と対立を含んだ権力構造の分析なしには、その実像と特徴を捉えることはできない。(151ページ)
(4)ポリティックスの意味
ポリティックス(politics、政治学)とは、政党や政治が行っているような狭い意味での「政治的な事柄」「政治活動」を意味するのではない。ある事態や事柄をめぐって、それに関わる様々な人々や集団が、それぞれの利益と被害に関わるパワー(権力)を行使していく過程、およびそれによって生み出されていく(権力的な)諸関係をいう。(152ページ)
(5)教育改革のポリティックス分析
教育改革のポリティックス分析では、教育改革に関わるさまざまな集団や組織の利害や権力(パワー)が、どのように複雑に作用しているかというその状態(権力作用の関係)を具体的・現実的に分析する。その際、何のためにポリティックス分析を行うのかという、ポリティックス分析のめざすべきところをどこに設定するのかを明らかにしておくことが重要となる。(154ページ)
(6)教育改革と教師の「批判的権力」
教師は、教師としての視点と立場に基づくパワー(権力)を行使しながら、教育改革に関わっていくことが求められる。そのパワーの根底に据えられるべきは、教師が実際的な教育現場に関わっていくという専門性であり、それを基礎に、教育政策を批判的に捉え対象化していくいわば「批判的権力」である。教育改革のポリティックス分析では、教師が「批判的権力」をいかに獲得していくか、それを可能にする「教師論」とはいかなるものかが重要な課題となる。(163~164ページ)

〇「学校における福祉教育」は、歴史的・客観的な評価・分析を行わないまま、「指定校制度」を過去のものにしつつある。それに代わって登場した「地域を基盤とした福祉教育」は、ただ時流に乗ることを優先し、曖昧な「地域指定」や「実践主体」のもとで進められている。その当然の帰結として、一部の社協(職員)や学校(教師)を除いて、社協と学校の関係が表層化・限定化し希薄化している。そしていま、福祉教育関係者は、文部科学省が進める「コミュニティ・スクール(Community School)」や「アクティブ・ラーニング(Active learning)」に何の躊躇もなく、無邪気に秋波を送っている。
〇こうした動向や実態(課題)を生み出したその時々の福祉・教育政策に対して、福祉教育の実践(実践者)や研究(研究者)は、十分な関心を持って臨んできたであろうか。それぞれの福祉・教育政策の真の狙いを抉(えぐ)り出すことなく、それらを無批判的・盲従的に是認し受容する。そのうえで福祉・教育政策に適応(適合)する福祉教育実践のあり方を探究してきたのではないか。長尾の言説から、福祉教育の実践や研究のあり方を厳しく問ういくつかの示唆を得ることができる。
〇筆者の手もとには、もう一冊、ヘンリ―・A・ジルー著、渡部竜也訳『変革的知識人としての教師―批判的教授法の学びに向けて―』(春風社、2014年1月)がある。本書は、アメリカの批判的教育学者であるジルー(Henry A. Giroux)が1970年代から80年代にかけて発表した論文を集録し刊行(1988年)したものの全訳である。
〇訳者の渡部によると、ジルーの教育論は「二部構成」から成っている。そのひとつは、「生徒(特にこの場合、被抑圧者たちの子どもたち)が日頃慣れ親しんでいる文化的経験に結びつく仕方で自分たちの社会的ポジションを力動的に捉えていけるような知の枠組みを提供していくアプローチ」即ち「批判の言説」である。いまひとつは、「必要ならばその社会的ポジションの変革に向けて文化的経験の読み替えを行い(既存の社会体制に疑問を呈するような新たな解釈可能性の発見)、同じ問題意識に立つ外部の団体などと協力して実際に変革への力をつけていくためのアプローチ」即ち「可能性の言説」である。この二つの言説を換言して要約すれば、「日常言説の自明性を疑うための批判的分析と新たな可能性の提言」となる。(383ページ)
〇ジルーの批判的教育学については原典に当たっていただくことにして、ここでは、本書のタイトルでもある「変革的知識人」(transformative intellectuals)に関する次の一節を付記するにとどめる。

(1)学校は論争的領域である
学校は実際のところ、政治や権力から隔離された客観中立の装置などではなく、権威の諸形態、知識の型、道徳的規則の諸形態、過去の見方や未来の展望などのうちのどれを正当化して子どもに伝えていくべきかという問題をめぐる闘争を具体化して表現した論争的領域である。学校は決して中立的な場ではなく、教師も同じく中立的な立場にいることなど不可能である。(237ページ)
(2)教師は教育改革の主体である
教師は教育改革の主体である。教師は学校の官僚的組織のなかで、専門職化された技術職ではない。即ち、教師は単に、前もって定められた目標を効果的に達成するために職業的に準備をするパフォーマーとして見なされるようなことはあってはならない。教師は、知への価値に対して特別に貢献し、また若者の批判的パワーを高めること(思慮のある能動的な市民を育成すること)に自由でなければならない。(230、235ページ)
(3)教員養成の変革が求められる
教師が生徒を活動的・批判的市民に育てるためには、教師が変革的な知識人となるべきである。現在の大学や教員養成ではしばしば「ハウ・ツー」が優先され、そのような仕事をどのようにこなすのか、与えられた知識体系を教授するのに最善の手法をどのようにマスターするのか、といったところに力点が置かれている。「変革的知識人」としての教員養成のあり方を問う必要がある。(232、237ページ)

〇ジルーの言説に関しては、教育は本質的に政治であり、権力である。学校は現実的にも、政治や権力の構造と機能を持っており、それゆえに子どもの批判的主体性の育成や能動的市民性の形成を図る場として存在する。学校教育は「政治的中立性を確保しなければならない」「権力と結びつくことがあってはならない」というのは、幻想である。学校教育では、学校外部の地域・社会におけるそれ(政治や権力)との関わりで、どのような理念や目的や価値観を有する政治や権力の場として学校を位置づけるかが問われることになる。これらの点を再認識しておきたい。
〇ジルーがいう「変革的知識人としての教師」については、少なくとも社会科教師にはそのあり方が問われることになるが、全ての教師にその素養や能力が求められるとは言い難い。この点を「市民福祉教育」に引き寄せて言えば、先ずは、福祉教育担当の学校教員や社協職員、そして「活動する市民」「市民エリート」(坂本治也)などが福祉・教育政策を批判し変革する知識や能力を身につける必要があろう。その際の福祉教育は、「思いやり」などの特定の価値観を押し付ける道徳主義や、「共に生きる」などの口当たりの良い言葉を唱えるスローガン主義に基づくものでないことは言うまでもない。
〇福祉教育は、人権尊重や社会正義の価値を基盤に、福祉・教育政策を批判し変革するソーシャルアクションやアドボカシーについての思考(批判的思考)と実践(変革能力)を必要要件とする。本稿で再認識したいのはこの点である。


①アドボカシー(advocacy)は、元々は「擁護」や「支持」「唱道」などを意味する言葉である。やがて、「政策提言」や「権利擁護」など、特定の政策を実現するために社会的な働きかけを行う活動を示すようになった。また、「政府や自治体に対して影響をもたらし、公共政策の形成及び変容を促すことで、社会的弱者、マイノリティー等の権利擁護、代弁の他、その運動や政策提言、特定の問題に対する様々な社会問題などへの対処を目的とした活動」とも定義される(「日本アドボカシー協会」ホームページより)。
②「新自由主義」と「新保守主義」については、取りあえず次のように理解しておくことにする。「新自由主義」は、「小さな政府」による社会保障・福祉・介護の縮小・削減を進め、大幅な規制緩和や市場原理主義を重視する経済思想。安倍内閣は、財政支出の拡大を図る「大きな政府」を志向している。「新保守主義」は、日本においては中曽根内閣(アメリカではレーガン政権、イギリスではサッチャー政権)を代表例とする政治思想で、「小さな政府」の立場を取り、日本の歴史や伝統文化を重視し、憲法改正の推進や日米関係の強化などの傾向を示す。

付記
本稿について、原田正樹先生から次のようなコメントをいただいた。いつもながらの心遣いに感謝したい。

クリティカル(critical)という概念をどう受け止めればいいのか。クリティカル・リフレクション(critical reflection、批判的省察(せいさつ))といわれる実践をみたとき、自分自身を批判的にリフレクションするか、あるいは他人事として社会を批判するだけのリフレクションになっているのが気になります。
クリティカルというのは「批判」という意味だけでなく、論理的検証にもとづく「推察」とでもいいましょうか。ひとつの思考の枠組みを疑ってみて、違う論理の組み立て方ができないか、複数の視点から検討してみる。本来はクリティカルというのはそうした思考方法だと思うのです。ところが、実際には批判に留まっているだけです。
そこで、クリティカル・リフレクションからクリエイティブ・リフレクション(creative reflection)という提案をしてみました。創造的リフレクションというのは、提言や提案をする、ということになります。つまり、アドボケイトやクリエイティブなものです。
福祉教育では、そうした点が十分でなかったために、「社会」への指向性が弱かったのではないかと考えています。(原田正樹「福祉教育・ボランティア学習における創造的リフレクションの開発」『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』Vol.20、2012年11月、41~52ページ)

なお、原田先生は、その論文で「リフレクションの展開」を以下のように整理している。また、「創造的省察とは、現時点から過去の行為をふりかえるだけではなく、近未来の自分や社会を創り出すという視点から、リフレクションをしていくことである。同時にリフレクションを通して、近未来を創り出していくという指向性を有している」(43~44ページ)と述べている。
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