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時代の危うさのなかで意志すべきもうひとつの視座:「無自覚な自発」と「下からの動員」―読後メモ―

〇宮崎県都城市は、県の南西部、鹿児島県との県境に接し、都城盆地の中央に位置している。農林畜産業が盛んで、人口約16万4,000人、世帯数約7万世帯(2016年12月現在)、高齢化率28.8%(2014年1月現在)を数える、県内第2の都市である。
〇旧・都城市は、1989年10月に全国の自治体で初めて「ウエルネス都市」(注①)宣言を行い、「市民が主役」「ソフト先行」のまちづくりを積極的に進めてきた。1995年度には、「都城市地域福祉構想」を策定し、「長寿福祉都市」を実現するための総合的・体系的な施策を展開してきた。
〇旧・都城市社協では、1995年度に「都城市地域福祉活動計画(ふくしみらい21都城)」、1998年度に「地区社協構想」を策定し、地域福祉活動の推進や地区社協の組織化などを図ってきた。2000年度から2001年度の2年間、全社協の「地域福祉計画モデル事業・モデル地区指定」を受諾したことを契機に、以後(2006年1月以降の新・都城市においても)、地域福祉計画(2003年度)や地域福祉活動計画(第2次・2004年度、第3次・2015年度)の策定に先進的・積極的に取り組んできている(注②)。
〇筆者(阪野)の「都城」のイメージは、市民主体・市民主導の「まちづくり先進地」「福祉先進都市」である。
〇旧・都城市社協では、1980年度から「社会福祉普及協力校」事業(国庫補助事業による「学童・生徒のボランティア活動普及事業」)に取り組み、2004年度に市内全学校の指定を終了した。2003年度からは、地域ぐるみの福祉教育活動の充実をめざして、地区指定による「福祉教育推進事業(県社協地域指定事業)」の推進を図っている。また、都城市教育委員会では、まちづくりの一助として、2013年度から全小・中学校に「都城市学校運営協議会」を設置し、学校・家庭・地域社会が一体となって学校づくりに取り組んでいる。学校運営協議会を設置している学校を通称「コミュニティ・スクール」(注③)と呼ぶが、地域に開かれ地域に支えられる学校、地域のなかの学校づくりである。
〇福祉教育推進事業やコミュニティ・スクールによる「地域連携教育」に取り組む「まち」、これも筆者の「都城」のイメージである。
〇去る11月25日から27日にかけて都城市の中学校を会場に、日本福祉教育・ボランティア学習学会第22回大会が開催された。大会会場が教育現場の中学校であったことと、大会が開会される前日にその中学校で「公開授業」や「授業研究」などが行われたことは、1995年10月の学会創設以来、画期的なことであった。筆者は、都城で積極的に取り組まれている「福祉教育とコミュニティ・スクール」について議論する分科会に参加した。大会の主旨は時宜にかなった有意義なものであり、多くの研究報告(「特別課題研究(みやざき企画)」等)や大会運営などを通して、先入観のせいでもあるまいが、地域・住民の“思いと力”の豊かさと強さを痛感した。
〇都城から拙宅に戻ったあと、手もとにある中野敏男(東京外国語大学)の著書『大塚久雄と丸山眞男―動員、主体、戦争責任―』(青土社、2001年12月)に所収の論文「ボランティアとアイデンティティ―普遍主義と自発性という誘惑―」(初出は「ボランティア動員型市民社会論の陥穽」『現代思想』vol.27-5、青土社、1999年5月、72~93ページ。陥穽(かんせい)おとしあな:阪野)を読み返したい気になった。今またなぜ「中野敏男なのか」「ボランティア動員論なのか」と言われそうであるが、以下は、留意すべき重要な点として筆者が再認識した、中野のボランティアをめぐる論点や言説(「動員論」)の一部である(見出しは筆者)。

「システム危機管理型国家」の方向
今日の日本で「ポスト福祉国家」の道として提示されているのは、国家の機能上の重心を「社会福祉」から政治-軍事的、経済的な「システム危機」への対応に大きく移行させた「システム危機管理型国家」とでも言うべき方向であって、それは、一方で有事を想定した安全保障のための「新ガイドライン」の導入や金融システムの危機に対する大規模な「公的資金」の投入など顕著に権力国家的・介入国家的な性格と、他方では教育や福祉などの部門に「法人化」の促進や「介護保険制度」の設立に示されるような市場原理の導入をもってする「リベラル」国家的な性格とを兼ね備えていこうとするものなのである。そしてこの道は、この国家システムに「主体」的に参与する「国民」の自発的意志をより多く必要とし、他方では、そこから外れたアウトサイダーやマイノリティに対するレイシスト(racist、差別的思想を持つ者:阪野)的な異者排除と、「福祉」や「保護」を要求する「弱者」の存在の軽視、あるいは「二流国民」化に進まざるをえないはずだし、現にそうなってきている。「国旗・国歌」法の制定(1999年8月公布・施行:阪野)から教育基本法の改定(2006年12月公布・施行:阪野)へ、そして憲法の改定へ、この一連の制度整備の動きは、現に自覚的なものになっているその方向への政策意思の表れとして読むことができる。ここで国家は、相対化されるどころか、新たにより危険な支配的機能を強化しようとしているのである。(253ページ)

ボランティアの動員
ボランティアは、言葉の意味からすれば人々の「自発性」を示すものだけれど、現在の状況下でそれを、「人間の主体の自立」の表れなどと賛美できるのだろうか。(中略)今日、ボランティア活動の意義をひときわ声高に宣揚している者とは、誰なのか。もちろんそれは、決して市民社会の可能性をポジティヴに見ようとする論者だけではあるまい。例えば、むしろ日本の文部科学省が、市民社会が対峙するはずの当の国家システムを代表する位置から、とりわけ精力的かつ組織的にボランティア活動の推進に努めているということがある。(257ページ)
ここに浮かびあがっているのは、国家システムが主体(subject)を育成し、そのようにして育成された主体が対案まで用意して問題解決をめざしシステムに貢献するという(「アドボカシー(advocacy 政策提案)型の市民参加」)、まことに都合よく仕組まれたボランティアと国家システムの動態的な連関である。すなわちボランタリーな活動というのは、国家システムを越えるというよりは、むしろ国家システムにとって、コストも安上がりで実効性も高いまことに巧妙なひとつの動員のかたちでありうるのである。
ボランティアは、国家システムの側の要求でもある。そう考えてみると、この要求が今日ことさら大きな声でなされているわけもよく理解できる。「福祉」などの機能をボランティアがより広範に果たすようになれば、(中略)国家の機能転換すなわち「福祉国家」から「システム危機管理型国家」への転換は、より容易になるはずだ。現在流行のボランティアの称揚は、もちろん進行中の「行政改革」や「教育改革」にも、そして「安全保障」にも、きちんとリンクしていると考えなければならないのである。そうだとすれば、それだけでも、この現在の動きにそんなに簡単に乗っかっていいのかという問いは避けられない。(258~259ページ)

ボランティアの自発性
「自発的」だからといってシステムから「自立」しているなどとは言えない(中略)。自発的なボランティアは、それの社会的機能から考えればむしろ無自覚なシステム動員への参加になりかねないのだし、ボランティアの自発性をただ称揚する市民社会論は、その点を塗りつぶすことによって、進行するシステム動員の重大な隠蔽に寄与しかねないということである。(260ページ)
現状とは別様なあり方を求めて行動しようとする諸個人を、抑制するのではなく、むしろそれを「自発性」として承認した上で、その行動の方向を現状の社会システムに適合的なように水路づける(中略)。今日、「ボランティアという生き方」がさかんに強調されるようになっているのは、実は、まさにそのような方策としてそれが採用されているということなのではないだろうか。(278~279ページ)

〇中野の言説のひとつは、「ボランティアという生き方」は、諸個人が「何かをしたい」という意志(自発性)だけがあるにすぎない。その主体=自発性は、それ自体としては「目的」や「中身」を持たない抽象的なものである。それゆえに、国家の呼びかけに応え、国家を補完する無自覚的なシステム動員への参加になりかねない。「自発的」だからといってシステムから「自立」しているとは言えない。ボランティアも、人間の主体=自発性も、「下からの公共性」(258ページ)のようにみえて、国家や行政によるいわば“下からの動員”のシステムに組み込まれている、というものである。そこで、中野は「今日のボランティア活動の高まりに市民社会の復権を見る論者たちは、そのようなボランティアのあり方にしっかり注意を払っているだろうか」(281~282ページ)と問いかける(批判する)。
〇ボランティアは、現状の国家や社会のシステムから自立・自律した「市民自治」をめざすものであると言われる。そうだとすれば、市民主権やまちづくり、主体形成などを説く「福祉教育論」はこれまで、「市民自治」や「まちづくり」を厳しく問い、深く考究してきたであろうか。その点に関して、中野の論考は、阪神・淡路大震災が発生した4年後に発表されたものであるが、震災後20年が経っても古さを失っていない。2011年3月の東日本大震災や2016年4月の熊本地震などが発生するなかで、むしろその重みは増していると言ってよい(注④)。
〇ところで、筆者の手もとに、小林啓治(京都府立大学)の『総力戦体制の正体』(柏書房、2016年6月)と題する本がある。本書は、「地域社会が1930年代以降の戦争にいかに巻き込まれ、あるいはそれを支えてきたかを、主として村の行政(村役場文書:阪野)を中心に明らかに」(327ページ)したものである。「全体主義的権力の基盤となる地域社会」「行政機構を通じた住民自治の破壊」「住民の主体化と動員の裏表(うらおもて)」等が含意するところに留意しながら、小林の言説の一部を付記(紹介)しておくことにする。文脈を無視した、牽強付会(けんきょうふかい)な引用と評されることを恐れずに、である。ただ、中野と小林の論考を併読すると、1930年代以降に地域・住民の内面を染め上げた政治・経済や教育(啓蒙)の、現代の状況との類似性が浮かび上がってくる。

満州事変(1931年9月~1933年5月:阪野)を契機に総力戦体制の構築が具体化し始めると、兵事行政は軍事行政として把握されるようになり、日中戦争(1937年7月~1945年8月:阪野)を契機に軍事援護も包括した軍事行政へと完全に変貌した。軍事援護の末端を統括したのは市町村行政であり、その活動が府県の通牒によって指示される以上、取り組みに対する熱意の差はあれ、それにしたがわざるをえないことは自明であった。その意味で、行政機構を通じた総力戦体制こそが自治を窒息させたと言えよう。(329ページ)

地域から見た総力戦を考える際に、1920年代以降の地域における自治意識や自治的活動の高まりをどう評価するか。30年代の農村で中心的な課題となったのは、恐慌下で沈滞した経済の立て直しであった。(そこで政府は、1932年から経済更生運動をスタートさせた。:阪野)。経済更生運動は行政村に依拠した「村中心」意識を涵養することによって、それを目指そうとした。
経済更生運動と軍事的組織化が同時期に進行していった。軍事的組織化は経済更生運動の成果を取り込みながら展開していったと言える。経済更生運動の過程で形成されつつあった村の一体性や「村中心」意識と、運動を進めるにあたって必要とされた統制的側面が、総力戦体制の構築にとってまたとない好条件となったことは否定できない。
地域社会における総力戦体制のための組織化は複線・複合的かつ重畳的展開としてとらえるべきである。(332~335ぺージから抜き書き)

総力戦体制は国民動員の究極的な形態である。戦争を総力戦たらしめたのは、基本的には資本主義が生み出した科学技術と生産力の発達であり、国家の組織力あるいは動員力が一定の高さに到達することが必要であった。そのためには、強制力だけではなく、主体化の契機が不可欠となる。国民としての主体化と動員は表裏一体をなすと考えるべきである。(339ページ)

地域社会は決して単一構造ではない。「場所」のコミュニティも多層・多様なものとして想定されるべきだが、それらが国家行政システムにどのように向き合うのか、あるいはどのような関係を構築していくのかが意識的な問題化されなければならない。さもなければ、(中略)現実の政治・経済的権力に押し流されてしまうだけだろう。災害・治安・国防(安全保障)などの回路によって、統合・統治・総動員に回収される契機は地域社会に内包されていることに配慮が必要である。その意味でも「総動員」は決して歴史的産物となったのではない。(345ページ)

〇いま、「グローバル神話の崩壊」や「新自由主義の終焉」が指摘されている。「一億総活躍社会」(2015年10月に発足した第3次安部晋三改造内閣のキャッチフレーズ。)や「アメリカ・ファースト」(2016年4月にアメリカ大統領候補者のドナルド・トランプが表明した外交政策の原則。)が唱えられている。その先にあるのはどのような国や社会なのだろうか(注⑤)。また、どのような福祉や教育をつくるべきなのだろうか。その点について追究し探究することが、「市民自治」や「まちづくり」についての地域・住民の思いや願い(感性)、知識や能力(理性)が再び国家にのみ込まれないために、強く求められている。国や政府関係者が好んで使う言葉(セリフ)である「丁寧な説明」「国民的議論」などを字義通りのものにする取り組みにおいて、である。


①ウエルネス(wellness)とは、「プラス発想と自己責任のもと、今よりも良くなろう、より良い状態になろう」という意味で使用。一言でいうと「元気」。広義は「個人の身体的健康から精神的健康、人間性を含む概念」「健康行政から文化、アメニティ(快適性:阪野)をも含む積極的な概念」となっている(都城市「第58回市町村職員を対象とするセミナー 都城市レジュメ」厚生労働省、2006年9月)。
ウエルネス運動とは、旧都城市において、「市民が主役」と「元気な心づくり」を基本に取り組んだ、「ウエルネス都城」を都市目標像とした、市民主導のまちづくりのための運動(『都城市地域福祉計画』都城市、2010年3月、8ページ)。
②都城市における「地域福祉の流れ」は次の通りである(都城市社協報告)。
平成 8年 第1次都城市地域福祉活動計画(社協) 
平成10年 地区社協構想、同モデル事業
平成14年 都城市地域福祉計画・11地区計画(行政計画)
平成15年 第2次都城市地域福祉活動計画(社協)
平成16年 「第10回地域福祉実践研究セミナー」(日本地域福祉研究所:阪野)
平成18年 一市四町社協法人合併
平成21年 第2次都城市地域福祉計画(行政計画)
平成23年 新燃岳噴火、災害VC設置
平成27年 第3次都城市地域福祉活動計画(社協)
(『日本福祉教育・ボランティア学習学会 第22回みやざき大会in都城 報告要旨集』2016年11月、52ページ)。
③文部科学省は、すべての公立学校がコミュニティ・スクールをめざすべきであるとして、「コミュニティ・スクール推進員(CSマイスター)」(2016年4月現在、全国で33名、小・中学校長、学校運営協議会長、大学教員、教育委員会教育長など)の派遣事業などを通して、コミュニティ・スクールの推進やその普及・啓発に努めている。
④ここで、仁平典宏の次の言説を紹介しておきたい。

「全ての動員は悪い」と総称的に論じるより、その動員が何と接続しているのかを個別に精査/評価する方が、有意義(である:阪野)。文脈抜きの動員批判は、文脈抜きの協働擁護と同じぐらい認識利得が小さい。中野敏男(1999)に端を発する近年のボランティア動員批判も、政策への従属自体を問題とする民主化要件➀(国家から自律しているか:阪野)の観点からのみ受容されていった面がある。だが、ボランティア活動が政策に「従属」していたとしても、その政策が規範理論的に擁護可能なら、その「動員」への批判は限定的に解除されてよい。(仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―〈贈与のパラドックス〉の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月、424ページ)。

この言説に関して、仁平は、「活動が、国家から自律しているか(民主的要件①)、国家が行うべき社会保障を代替していないか(民主的要件②)が、民主的とされる基準である」(418ページ)。「動員論を認知すらしない言説が圧倒的多数ということの方が、むしろ問題かもしれない」(488ページ)と述べている。
なお、ボランティアは国家・行政主導によって「動員」される受動的存在であるという中野や仁平らの議論に対して、「異議を唱える」言説に、例えば竹中健(広島国際学院大学)のそれがある。「ボランティア行為」は、本質的に「自律性」や「内的必然性」、即ち能動的側面を内包しており、行為者の「活動経験の蓄積」によって導き出される、等の言説に留意しておきたい(竹中健『ボランティアへのまなざし―病院ボランティア組織の展開可能性―』晃洋書房、2013年3月)。
⑤「災害などの『有事』の際のボランティア」「日米のゆるぎない『同盟』関係」などと言われる。「有事」や「同盟」は、実質的には戦争や軍事に関する言葉である。また、国民に周知・認知されていないものに、「国民保護法」(「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」。2004年6月公布、同年9月施行)にいう有事の際の「自主防災組織及びボランティア」についての規定がある。強く認識しておきたい。「気がつけば有事になっていた」「その際には否応なしにボランティアに駆り出された」、それだけはごめんこうむりたい。

付記
「日本福祉教育・ボランティア学習学会 第22回みやざき大会in都城」で、宮崎県社協によって報告された「宮崎県の福祉教育・ボランティア学習の推移と現状」について紹介しておく。
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「事例紹介」の罠:「失敗事例」から学ぶことの重要性―畑村洋太郎著『失敗学のすすめ』再読メモ―

〇「アクティブ・ラーニング」(Active learning)の推進が国の教育政策の重要課題となっています。それはいま、批判的な論及がほとんどないまま、流行(はや)りや大騒ぎ(空騒ぎ)になっている感すらあります。
〇アクティブ・ラーニングは、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」「能動的学修」などと言われる学習形態(学習・指導方法)です。大学教育ではその質的転換に向けた方策として既に導入され推進が図られていますが、小・中・高等学校でも学習指導要領の改訂を経て、2020年度から順次取り入れられます。そういうなかで、福祉教育に関わる実践者や研究者にあっては、その是非の評価は別にして、関心事のひとつになっています。そして今後、福祉教育におけるアクティブ・ラーニングの「事例紹介」や、教材やプログラムなどの研究・開発が進められることになると思われます。
〇小・中・高等学校へのアクティブ・ラーニングの導入については、(1)能動的な学習への参加をはじめ体験活動や「言語活動の充実」(現行学習指導要領)などの「教育内容の改善」に新規性がない、(2)「教科等の目標や大まかな教育内容」(教育課程の基準)の規定を超えて、国家権力による「教育方法」への関与の拡大・強化が図られる、などと評することができます。また、(3)「生きる力」「ゆとり教育」の焼き直しであり、同じ轍を踏まないという保証はない、(4)体系的な知識の学習が軽視されるいわゆる「はいまわる経験主義」に陥らないとも限らない、(5)能動的学修についての教師や生徒の認識や姿勢・能力、学校や地域の支援体制に問題(不備、不足)があり、形骸化する恐れなしとしない。さらに、(6)生徒(学習者)の「能動性」(activity)や「能動的であること」(activeness)、学習を促進する「主体性」や「当事者意識」(責任意識に通じる)などの重要概念の定義や説明が未だ不十分である、(7)生徒の能動性や協働性などを客観的に評価することは難しく、「学修成果」を多元的・多角的に評価するための項目や基準、方法(「パフォーマンス評価」〈注①〉等)などについての研究・開発が進んでいない、などを指摘することもできます。
〇これらについての検討は別の機会に譲るとして、本稿では、「事例紹介」特に「失敗事例」の紹介に関してひとつの言説をメモることにします。そのねらいは、福祉教育におけるアクティブ・ラーニングの実践事例の紹介やプログラムの提案のあり方について考える際の視点や留意点などを理解することにあります。
〇周知の通り、福祉教育に関してはこれまで、多くの実践事例が収集・紹介され、その分析・検討を通して経験の知識化や実践の理論化が進められてきました。その際、その事例の多くはいわゆる「成功事例」であり、その裏(陰)に存在する多様な「失敗事例」については無関心だったり軽視したりする傾向がありました。
〇確かに成功事例の分析・検討は、成功の要因や条件、法則などの抽出を通して、成功の再現を促します。ただ、過去の成功事例を単になぞるだけでは、いわゆる先行事例の後追いに過ぎず、実践のマニュアル化や定型化を進めることになります。それはまた、実践者や研究者の思考停止を招きかねません。失敗事例の分析・検討については、失敗の防止や回避を図るためだけではなく、新たな成功を生み出すための積極性や探求性が求められます。「成功の鍵」は成功事例のなかにあります。また、「失敗は成功のもと」という格言があります。成功事例とともに、失敗事例も重要視する必要があります。
〇筆者(阪野)の手もとに、「失敗学」の提唱者である畑村洋太郎の本が4冊あります。
(1)畑村洋太郎『失敗学のすすめ』講談社、2000年11月(以下、[1]と略す)。
(2)畑村洋太郎『図解雑学 失敗学』ナツメ社、2006年8月(以下、[2]と略す)。
(3)畑村洋太郎『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、2002年5月。
(4)畑村洋太郎『「想定外」を想定せよ!―失敗学からの提言―』NHK出版、2011年8月、
がそれです。以下に、15年以上も前に書かれた本ですが、「強烈なメッセージを日本社会に与えた歴史的書物である点において、本書は名著である」(educate.co.jp|失敗学のすすめ)と評される[1]と、それをわかりやすく解説した[2]から畑村の言説の要点を引用・抜き書きすることにします。

◆「失敗学」における「失敗」
失敗学では、「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」を失敗と呼ぶことにします。別の表現を使えば、「人間が関わってひとつの行為を行ったとき、望ましくない、予期せぬ結果が生じること」とすることもできます。「人間が関わっている」と「望ましくない結果」のふたつがキーワードです。([1]21~22ページ)

◆「失敗学」における基本的姿勢
「失敗学」における基本的姿勢は、私たちの身近で繰り返される失敗を否定的にとらえるのではなく、むしろプラス面に着目してこれを有効利用しようという点にあります。
つまり、失敗の特性を理解し、不必要な失敗を繰り返さないとともに、失敗からその人を成長させる新たな知識を学ぼうというのが「失敗学」の趣旨なのです。別のいい方をすれば、マイナスイメージがつきまとう失敗を忌み嫌わずに直視することで、失敗を新たな創造というプラス方向に転じさせて活用しようというのが「失敗学」の目指すべき姿です。([1]23~24ページ)

◆失敗体験による応用力の育成
吸収した知識を本当に身につけるためには、体感・実感がともなった体験学習が必要で、失敗することを厭(いと)わず、失敗体験を積極的に活用する必要があります。
これは、子どもの教育全般などにもそのままいえます。「こうすれば失敗しない、こうすれば成功する」「これはダメ、あれはダメ」という教育方法では、やはり知識の表面的な理解しかできません。そこに欠落している深い理解なしには応用力は身につかないのです。無駄を省いた合理的学習法は好んで使われているものの、その弱点についてあらためて考え直す必要があります。([1]26~27ページ)

◆失敗の現れ方と原因の階層性
まわりに与える影響の大小などを考慮すると、ひとつの失敗の原因はいくつもの要因が重なっており、それらの要因には階層性があります。図1は、失敗の現われ方の階層性と同時に、失敗原因にも同じような階層性があることを表しています。
ピラミッドの一番底辺にあるのは、日常的に繰り返されているごく小さな失敗の原因です。無知、不注意、不順守、誤判断、検討不足という言葉が並んでいますが、要するに手順ミスや思いちがいなど、失敗者個人に責任があるケースです。
実際の失敗は、ひとつの要因だけで起こることはほとんどなく、いくつかの要因が複雑に絡んで人々にとって好ましくない形で現れるのです。
図1の中間から上に向かって存在する失敗原因には、組織運営不良、企業経営不良、行政・政治の怠慢、社会システム不適合、未知への遭遇などがあります。ピラミッドの底辺は個人の責任に帰すべきものですが、上へいけばいくほど失敗原因は社会性を帯びてきます。また同時に失敗の規模、与える影響も大きくなります。([1]52~53ページ、[2]18~19ページ)
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◆「よい失敗」と「悪い失敗」
失敗には、「許される失敗」と、「許されない失敗」があります。それは、「よい失敗」と「悪い失敗」という言葉に置き換えることができます。
失敗の階層図の中で、ピラミッドの頂点にある未知への遭遇という部分だけが下から切り離されています。「よい失敗」は、この未知への遭遇の中に含まれるもので、細心の注意を払って対処しようにも防ぎようのない失敗を指します。([1]55ページ)
もうひとつの「よい失敗」は、「個人にとっての未知」への遭遇です。個人が成長する過程で必ず通らなければならない、あるいは体験しておいたほうが後々のためになるという失敗です。([2]20ページ)
人間の成長は、失敗なしに語ることはできません。成長の陰には必ず小さな失敗経験があり、これを繰り返しながらひとつひとつの経験を知識として自分のものにしていきます。さらに小さな失敗から得た知識が次の大きな失敗を起こさないための軌道修正の働きをし、さらには次の成功へと転化していきます。([1]56ページ)
「悪い失敗」は、いわゆる不注意や誤判断などの単純ミスが原因で何度も繰り返される失敗です。無意味に被害を大きくして自分やまわりに多大な迷惑をかけるのが常です。そのようなことを繰り返しているうちに、いたずらに失敗を重ねる悪癖を身につけることにもなりかねません。([2]20ページ)
また失敗の階層図でいえば、中層以上の組織不良から社会システムの不適合までのものは、いずれも「悪い失敗」といえます。([1]58ページ)

◆失敗原因の分類
失敗の原因を分類すると、次の10の項目に大別することができます。
(1)無知―失敗の予防策や解決法が世の中にすでに知られているにもかかわらず、本人の不勉強によって起こす失敗です。
(2)不注意―十分注意していれば問題がないのに、これを怠ったがために起こってしまう失敗です。
(3)手順の不順守―決められた約束事を守らなかったために起こる失敗です。
(4)誤判断―状況を正しくとらえなかったり、状況は正しくとらえたものの判断のまちがいをおかしたりすることから起こる失敗です。
(5)調査・検討の不足―判断する人が、当然知っていなければならない知識や情報を持っていないために起きる失敗や、十分な検討を行わないために生じる失敗です。
(6)制約条件の変化―なにかをつくり出したり、あるいは企画するとき、必ずあらかじめある種の制約条件を想定してことを始めます。そのとき、はじめに想定した制約条件が時間の経過とともに変わり、そのために思ってもみなかった形で起こる失敗です。
(7)企画不良―企画ないし、計画そのものに問題がある失敗です。
(8)価値観不良―自分ないし自分の組織の価値観が、まわりと食いちがっているときに起きる失敗です。
(9)組織運営不良―組織自体が、きちんと物事を進めるだけの能力を有していないために起きる失敗です。
(10)未知―世の中の誰もが、その現象とそれにいたる原因を知らないために起こる失敗です。([1]59~64ページ、[2]26~31ページ)

◆失敗情報の性質
ある失敗を次の失敗の防止や成功の種(たね)に結びつけるには、失敗が起きるにいたった原因や経過などを正しく分析した上で知識化して、誰もが使える知識として第三者に情報伝達することが重要なポイントになります。他人の失敗のみならず、自分の失敗体験から何かを学ぶときにもそのままいえることで、失敗情報を知識化することは、いわば「失敗学」の大きな柱のひとつです。
ところが、困ったことに、失敗情報には知識化を阻害する様々な性質があります。([1]78ページ)
(1)失敗情報は伝わりにくく、時間が経つと減衰する
失敗はマイナスのイメージの側面が強いため、失敗情報は時間の経過につれ、または関係部署などいくつかの経路を通って伝達するごとに、急激に減衰する。([2]46ページ)
(2)失敗情報は隠れたがる
人間の心理として、失敗はつい隠したくなるもので、失敗情報は人に知られたり表に出たりすることを極端に嫌う。
(3)失敗情報は単純化したがる
失敗情報が伝達経路をたどっていくとき、その経過や原因がひとつやふたつのフレーズに集約され、極めて単純な形でしか伝わらない。
(4)失敗原因は変わりたがる
失敗が構造的・組織的なものであっても、個人のミスとして問題を収めようとしたり、それに関わる人たちの利害によって失敗情報が意図的に歪曲化されることがある。
(5)失敗は神話化しやすい
悲劇的な物語性のある失敗情報は、一面的な見方に偏ってしまい、神話化して多くの人に伝わる傾向にある。
(6)失敗情報はローカル化しやすい
ひとつの場所で起こった失敗は、ほかの場所へは容易に伝わらない。それとほぼ同じ原理で、失敗情報は組織内の横方向にも縦(上下)方向にも伝わりにくい。([1]79~93ページ、[2]46~53ページ)

◆主観的失敗情報と客観的失敗情報
他人の失敗に学び、そこから新しいなにかを生み出そうと考えたときに、まず人が知りたいのは、誰に責任があったかということより、失敗したその人がどんなことを考え、どんな気持ちでいたかという、第一人称で語られる生々しい話です。ときとして、この中には外部の人からはうかがい知ることのできない真の失敗原因が隠されていることもあります。だから当事者に自由な気持ちで失敗を語らせることは、失敗情報を伝える上でたいへん重要なポイントになります。([1]94~95ページ)
客観的な情報は、一見すると優れたものに見えますが、経験者と同じ立場の人が見ても、残念ながらそこから新しい何かを生み出すまでにはいたりません。 
いわゆる事件や事故の報告書は、多くの場合、客観的な立場で全体を見ることができる第三者によって作成されます。そのせいか、どこか批判めいた論調であったり、糾弾するような調子になりがちです。ときには、当事者にその記述が委ねられるケースがあるものの、その際は「客観性」という名のもとで無味乾燥なものになりがちです。([1]97ページ)

◆失敗情報の伝達
ひとつの失敗から教訓を学び、これを未来の失敗防止に生かしたり創造の種(たね)にしたりするには、ひとつには失敗を事象から総括まで脈絡をつけて記述すること、もうひとつは失敗を「知識化」する作業が必要です。知識化とは、起こってしまった失敗を自分および他人が将来使える知識にまとめることで、失敗情報の正しい伝達には不可欠なことがらです。([1]98ページ)
失敗を知識化するための出発点となる「記述」は、文字どおり失敗経験を記述するという意味です。そのとき、「事象」「経過」「原因(推定原因)」「対処」「総括」などの項目ごとに書き表すと、問題が整理されて失敗の中身もクリアになります。([1]100ページ)
「事象」は、どんな失敗が起こったか、それがどのように表に現れたかを記述する。「経過」は、どのように失敗が時間の経過とともに進行したのか、ポイントになる部分をできるだけ詳しく記述する。「原因」は、失敗を起こしたその時点で考えついた推定原因を記述する。後で真の原因が明らかになった場合は追記する。「対処」は、失敗に際してどんなことをしたかという対処(応急措置)について記述する。失敗が発生する以前に行った対処(措置)もあれば記述する。「総括」は、その失敗がどんな内容のものだったかを記述する。失敗の直接の原因だけでなく、その失敗を誘発する組織としての問題点、あるいは精神的問題など、全体を総括しなければわからないものをあぶり出し、記述する。
そして、「知識化」は、失敗を分析・検討した結果、その失敗からなにを学ぶのかを抽出し、今後に繰り返さないための知識や教訓について記述する。
なお、失敗から何かを学ぼうとする人、いいかえればこの記述を読む人にとってみれば、以上の6項目のほかに、その事象が起こった全体の「背景」(失敗発生の間接的な要因となった各種背景について記述する)が知りたくなることが多々起こります。([1]101~112ページ、[2]56~61ページ)

〇畑村の言説でとりわけ注目したいのは、「失敗の階層性」と失敗「経験の知識化」です。これは「成功」にも通底する考え方です。また、「事例」は、実施時の事象や状況をイメージ化することができますが、成功の実践事例といえどもそれが紹介された分だけ鮮度は落ちてしまいます。実践のマニュアル化や形骸化を生まない“真の成功”のためには、失敗事例を積極的に取り上げ、失敗と真正面から向き合い、失敗に学び失敗を活かすことが肝要となります。「失敗は成功の母」(エディソン)「失敗こそが創造を生む」(畑村)。福祉教育の「事例紹介」に関して、本稿で強調したいのはこの点です。


①「パフォーマンス評価」とは、一般的には、習得した知識や技能(スキル)を使いこなす(活用・応用・総合する)能力を評価することであり、学習成果をレポートの作成や口頭発表、身体表現などによって「見える化」し、その「作品(パフォーマンス)」に基づいて思考力・判断力・表現力などについて評価する方法である、と言えます。
パフォーマンス評価については、現行の『小・中・高等学校学習指導要領解説 総合的な学習の時間編』(文部科学省、2008年6月、2008年7月、2009年7月)でもふれられています。また、中央教育審議会教育課程部会が「児童生徒の学習評価の在り方について(報告)」(2010 年3 月24 日)において、「評価規準や評価方法については,近年諸外国においても様々な研究や取組が行われて(いる)」として、次のように言及(脚注)しています。
「思考力・判断力・表現力等を評価するに当たって,『パフォーマンス評価』に取り組んでいる例も見られる。パフォーマンス評価とは,様々な学習活動の部分的な評価や実技の評価をするという単純なものから,レポートの作成や口頭発表等により評価するという複雑なものまでを意味している。または,それら筆記と実演を組み合わせたプロジェクトを通じて評価を行うことを指す場合もある。」

付記
アクティブ・ラーニングの失敗事例に関して、中部地域大学グループ・東海Aチーム編『アクティブラーニング失敗事例ハンドブック~産業界ニーズ事業・成果報告~』一粒書房、2014年11月、があります。付記しておきます。
下の図は、アクティブ・ラーニングの失敗事例調査に基づく「アクティブ・ラーニング失敗原因マンダラ」(『同報告』5~6ページ)です。
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社会参加とサービス・ラーニング―唐木清志著『子どもの社会参加と社会科教育』再読―

あらゆるものは相関連していて しかもそのひとつひとつは独自性を失わないで、各々その位置にある

〇筆者(阪野)は先月、愛知県知多郡美浜町にある杉本美術館を訪ね、杉本健吉画伯(1905年~2004年)の芸術の世界を楽しんだ。そこで出会ったのが、上記の、ウォルト・ホイットマン(1819年~1892年、アメリカの詩人)の「奇蹟」の一節である(注①)。そこには、あらゆる「ヒト」や「モノ」の存在や共生について思いを致す時空があった。“深奥”である。
〇先日、あるブログ読者から、「社会参加とサービス・ラーニング」について考える際の基礎的・基本的な資料を紹介してもらいたい旨の依頼が寄せられた。そのテーマに関する資料で筆者がまず思い出すのは、唐木清志先生(筑波大学)の次の文献である。唐木先生は、「社会科教育の理論と方法」を専門とするが、アメリカの「サービス・ラーニング(Service Learning」(以下、「SL」と略す。)の概念や理論を日本に広めたことでも知られる、SL研究の第一人者である。

(1)唐木清志著『子どもの社会参加と社会科教育―日本型サービス・ラーニングの構想―』東洋館出版社、2008年11月
(2)唐木清志著『アメリカ公民教育におけるサービス・ラーニング』東信堂、2010年2月
(3)小島弘道監修/唐木清志・西村公孝・藤原孝章著『社会参画と社会科教育の創造』学文社、2010年10月
(4)唐木清志・岡田泰孝・杉浦真理・川中大輔監修/日本シティズンシップ教育フォーラム編『シティズンシップ教育で創る学校の未来』東洋館出版社、2015年3月

〇ここでは、必読書である文献(1)から、唐木先生の「社会参加」と「SL」についての論点や言説の一部を紹介(引用、抜き書き)することにする。その詳細は原典にあたっていただきたい。

◆社会科の本質としての社会参加
これからの教育改革の進むべき方向性は、社会の形成に参画できる市民を育成するために、子どもの学びの場を教室から社会へと広げ、さまざまな意思決定の場に参加できる機会を子どもに保障していくことが必要である。(25ページ)

社会科教育とは市民の教育を意味し、協力して社会の共同福祉を実現できる人間の育成こそを目指すべきである。それを見失った社会科は、もはや社会科とは言えない。
社会科の教師として、公民的資質(注②)の中核に社会参加を位置付けておくことは重要である。そのような理解に基づくことで、教師は、自らが計画・実践した社会科授業が子どもたちの「よりよい社会の形成に参画する資質や能力」の育成に有効であったかどうかを点検することができる。(32~33ページ)

「社会参加」を社会科の方法として利用することは重要である。社会参加を社会科の方法として捉えることの意義は二つある。
一つ目は、社会参加することによって得られる社会的有用感は、社会の一員としての自覚を深めるのに必要不可欠であるということである。ここでは社会的有用感を「個人の社会参加活動が社会のさまざまな意思決定に影響を及ぼすことができるという感覚」と捉えておきたい。
二つ目は、社会認識の質は社会参加という具体的な経験を通してさらに高められるということである。社会認識とは、何よりも社会的事象を知ることを意味する。社会的事象を正確に知ることが社会認識の第一歩であるということに異論を挟みこむ余地はない。(33~34ページ)

◆日本型サービス・ラーニングとその必要条件
SLを「地域社会の課題解決を目指した社会的活動(サービス活動)に子どもを積極的に関与させ、子どもの市民性(シティズンシップ)を発達させることをねらいとした一つの教育方法」と捉えることにする。(51ページ)

カーネとウェストハイマー(Josepf kahne & Joel Westheimer)は、数多く存在するSL実践には、「慈善(Charity)」を志向したものと「変革(Change)」を志向したものの二つがあることを主張する。
慈善を志向するSL実践では、子どものサービス活動を慈善活動と捉え、子どもの態度形成に力点が置かれている。一方、変革を志向するSLでは、子どものサービス活動を変革活動と捉え、子どもの批判的思考力の育成と変革活動に必要な諸技能の習得に力点が置かれている。どちらも価値のある実践であるが、本書では後者の「変革を志向するSL」こそが、市民性(シティズンシップ)の育成を目指す教育として、SLでは特に大切にされるべきだと考える。(60~61ページ)

SLは政治教育的な性格を有する教育方法でもある。この背景には、アメリカではSLを市民育成のための教育として理解していることがある。このことは、日本にSLを導入する際には、SLの可能性として考慮すべき視点でもある。SLを慈善活動(ボランティア活動)を中心とした「心の教育」の道具として用い、福祉施設への訪問や清掃活動だけで終わらせるのは非常に残念な話である。SLを通じて、子どもたちをどのような市民に育て上げることができるのか。社会科教育では、そのことを中心的に論じていく必要がある。(62ページ)

(アメリカのSLをそのままのかたちで日本の社会科教育や学校教育に導入することはできない。)「日本型サービス・ラーニング」を誕生(成立)させるには、アメリカのSLの性格を生かし、日本の社会的・教育的文脈を考慮しながら、次の五つの必要条件が必要である。
(1)地域社会の課題を教材化すること
SLでは、地域社会の課題を「地域社会のニーズ」という言葉で表現する。そこには、SLで取り上げる地域社会の課題は地域社会の住民の多くが早急な解決を強く望んでいる課題でなければならない、という意思が働いている。
社会科で取り上げる課題は、教科書の中ではなく、地域社会の中に存在する。その認識なくして、SLはスタートできないだろう。また、そのような認識を深めるためには、まずは教員自らが地域社会へ足を運び、地域社会を知り、地域社会の課題を追究していく必要がある。
なお、地域社会の課題は「教育」「犯罪と安全」「健康と福祉」「環境」「まちづくり」に分類される。
(2)プロジェクト型の学習を組織すること
地域社会の課題が見つかったら、その教材研究を進めながらも、次の段階として単元開発をしなければならない。
日本型SLの単元は、子どもの学習活動がプロジェクト型となるように開発される必要がある。
日本型SLにおいては、「Ⅰ.問題把握」→「Ⅱ.問題分析」→「Ⅲ.意思決定」→「Ⅳ.提案・参加」の四段階を子どもが辿(たど)ることができるよう、教師は授業を組織していかなければならない。Ⅰの段階では、事態の深刻さの理解と課題解決意欲の喚起、Ⅱの段階では、問題の状況・実態の理解と原因の追究、Ⅲの段階では、課題解決方法の有効性や実施されている公共政策の有効性の検討、Ⅳの段階では、解決方法や公共政策の提案や、課題解決活動への参加・関与、などをすることになる。
プロジェクト型の学習の諸段階は、大人社会でも通用するものである。
(3)振り返りを重視すること
SLでは振り返りの時間を十分に確保することを強調する。
SLでは「読む」「書く」「為す」「話す」の四つの振り返りの手法を効果的に利用することが必要である。
振り返りの場面が体験の後に設定されるとは限らない。それは体験の前でも、体験中でも組織することができる。
(4)学問的な知識・技能を習得、活用する場面を設定すること
地域社会の課題を分析するためには、さまざまな学問的な知識が必要となる。「学問的」とは、地域社会の課題を多面的・多角的に理解するための理論的枠組みを意味する。
SLでは「サービス」という体験だけでなく、「ラーニング」という学び(認識)も大切にする。子どもが地域社会の課題に関心を持ち、その課題の解決に向けて提案・参加をしていく過程で、学問的な知識が必ず必要とされる。子どもは習得した学問的な知識を実際に活用することによって初めて、「生きて働く知識」を身に付けることになるのである。
(5)地域住民との協働を重視すること
SLがSLであるゆえんは、日本型SLの学習段階の「Ⅳ.提案・参加」の存在にある。この学習段階を充実したものとしていくためには、必ず地域住民との協働が必要となる。
子どもに重要な役割を担わせることで、地域社会も発展することができる。小学生も中学生もすでに「子ども市民」であり、大人と同じあるいはそれ以上の役割を担わせても、立派に地域社会を支えていくことができる。
SLの授業では、地域住民と子どもたちが同じテーブルで活発に意見交換する学習場面を設定したい。それが「協働」という発想である。(62~71ページ)

〇周知の通り、アメリカのSLの基礎(原型)は、ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~1952年)の「経験主義教育」(注③)に見出される。アメリカでは、1970年代に「参加学習」、1990年代に「コミュニティサービス」の教育方法が注目される。そして、1990年に制定された「国家及びコミュニティ・サービス法(National and Community Service Act)」によって、SLが広く実践されることになる。類似の教育活動は、イギリスやフランスでは「シティズンシップ教育」、韓国では「自願奉仕」として1990年代後半以降に導入されている。
〇日本では、2000年以降、全国各地の学校・地域で社会参加学習を導入し、子どもの「市民性」や「公共性」を育成する先進的な教育実践が展開されることになる。お茶の水女子大学附属小学校の「市民」(2002年度設置)をはじめ、東京都杉並区立和田中学校の「よのなか科」(2003年度設置、2008年度「よのなか科NEXT」改編)、大阪教育大学附属池田中学校の「市民科」(2003・2004年度実施)、東京都品川区立小・中学校の「市民科」(2006年度設置。小中一貫教育)、東京都立高等学校の「奉仕」(2007年度設置。2015年度「人間と社会」改編)、京都府八幡市立小・中学校の「やわた市民の時間」(2008年度設置)等の学校設定教科・科目の開設などがそれである。その取り組みは、学校や教員、教育行政などのかかわり方によって多様である。また、社会科をベースにするか、道徳・特別活動・総合的な学習の時間として位置づけるか、地域社会や住民との協働をどのような形態で推進するか、などによって特色のある、地域性を生かした教育が展開されている。
〇また、2008年3月に改訂され、2012年4月から全面実施された中学校学習指導要領の「社会」「地理的分野」中の「身近な地域の調査」に、「身近な地域における諸事象を取り上げ,観察や調査などの活動を行い,生徒が生活している土地に対する理解と関心を深めて地域の課題を見いだし,地域社会の形成に参画しその発展に努力しようとする態度を養う」ということが記述された。続いて、2009年3月に改訂され、2013年4月から学年進行で実施された高等学校学習指導要領の「特別活動」において、「ボランティア活動などの社会奉仕の精神を養う体験的な活動や就業体験などの勤労にかかわる体験的な活動の機会をできるだけ取り入れること」が明示された。それらを受けて、さまざまな社会参加型の授業(体験的学習)が開発されるに至っている。
〇さて、唐木先生が文献(1)で提案するのは、「社会参加教育」といった新しい教育ではない。あらゆる教育を貫く「串」として「社会参加」を機能させることである(注④)。社会科教育に求められるのは「社会の変化に対応する教育」ではなく、「社会の変化を創造する教育」である。新・教育基本法(2006年12月公布・施行)が第1条(教育の目的)でいう「平和で民主的な国家及び社会の形成者」は、社会の変化を「創造する」教育においてこそ育てられる(154ページ)。これが唐木先生の主張である。
〇また、唐木先生は、「日本型」という概念を用いて、日本の社会的・文化的背景や学校教育(社会科教育)の現状に即したSLを提案する。しかも、「社会参加」と「SL」はいわゆる体験学習の一種であり、「教育方法」のひとつであるとして、授業づくりや学習活動について例示的・具体的に説く。そこにある唐木先生のテーマ(あるいは思想)は、「地域社会を意識した市民(community-minded citizen)」(166ページ)の育成である。それは、地域性に基礎を置きながら普遍性に通じるものである(注⑤)。
〇先行研究の少ないテーマや分野の研究では、「アメリカでは~」「イギリスでは~」といういわゆる「出羽の守(でわのかみ)」のパターンに陥りがちである。文献(1)はそうではない。「日本型」の提言の書であり、その具体化を志向する。また、唐木先生は、日本の「未来を創る子どもたち」や学校教育・社会科教育における「社会参加」について「熱い胸」を抱き、「冷たい頭」で探究する。初版から10年近くが経った今日でも、その問題意識や研究の姿勢は変わらない。文献(1)が「必読書」の所以でもある。僭越ながら敢えて付記しておきたい。


① 「すべてのものは相関連し、しかも、おのおの独自のものをもって、その定めの位置にいる。」(「奇蹟」ウォルト・ホイットマン著/長沼重隆訳『世界の詩集10 ホイットマン詩集』角川書店、1967年12月、189ページ)
② 「社会科の目標は、取りも直さず『公民的資質の育成』である。社会科の目標で公民的資質という言葉が初めて使われたのは1968(昭和43)年度版『小学校学習指導要領』である。『公民=市民+国民』と理解する枠組みは、今日まで継承されていると考えられる。公民という言葉の解釈次第では、社会科の使命が国家や社会に都合のよい人間を育てることだと曲解される可能性もある。社会科の教師であるなら、そのことは知っておいた方が良い。」(唐木 文献(1):30~31ページから抜き書き)
③ 「教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである」(デューイ著/松野安男訳『民主主義と教育(上)』岩波書店、1975年6月、127ページ)
④ 図1は、「〇〇教育と社会参加の関係性」を示したものである(唐木 文献(1):155ページ)。図2(「市民福祉教育と社会参加と共働の関係性」)は、図1をベースに、筆者の「市民福祉教育」に関する管見の一部を図示したものである。図中の「市民福祉教育」の横断部分は、国際理解教育や情報教育など、さまざまな教育(「〇〇教育」)と共通の基盤をもつことを意味する。「共働」は、共通の目標に向かって対等な立場で相互に協力・補完し合い、相乗効果をあげる活動を意味する。そこでは、横断的で緩やかなネットワーク(プラットホーム)の形成が重要となる。「市民」は、民主主義(自由・平等・人権)や公共性の感覚・意識を体得し、地域・社会全体の利益や福祉向上のために行動することのできる住民を意味する。
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⑤ この言説は、筆者の「市民福祉教育」にも通底する。SLは、市民福祉教育を充実・発展させるためのひとつの考え方であり、教育方法(educational method)である。

補遺
中央教育審議会は、2012年8月の「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて―生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ―」という答申のなかで、大学教育におけるSLの必要性を強調している。その際、SLの用語について次のように説明している。

教育活動の一環として、一定の期間、地域のニーズ等を踏まえた社会奉仕活動を体験することによって、それまで知識として学んできたことを実際のサービス体験に活かし、また実際のサービス体験から自分の学問的取組や進路について新たな視野を得る教育プログラム。
サービス・ラーニングの導入は、①専門教育を通して獲得した専門的な知識・技能の現実社会で実際に活用できる知識・技能への変化、②将来の職業について考える機会の付与、③自らの社会的役割を意識することによる、市民として必要な資質・能力の向上、などの効果が期待できる。(「用語集」『同答申』38ページ)

なお、SLの考え方や実践について論じるときに、「コミュニティサービス(community service)」という用語(概念)が使われる。それは、「地域貢献活動」をはじめ「社会的活動」「サービス活動」「社会奉仕活動」などと訳される。コミュニティサービスは、意図的・計画的に展開される地域貢献活動(サービス=貢献活動)であり、SLにおいて利用される教育活動である。従ってそれは、一定の枠組みやノルマ(単位や卒業要件など)のなかで取り組まれ、「振り返り」や「評価」の作業が組み込まれる。周知のように、「ボランティア」は、活動の動機として個人の自発性や主体性が重要視される。

荒木優太著『これからのエリック・ホッファーのために』を読む―在野研究の魅力と危険性―

〇大学の現状として、入学者数の減少とそれに伴う財政基盤の悪化、国による基盤的経費の削減などが進んでいる。大学全入時代における学生の学力低下が指摘されて久しい。いわゆる「2018年問題」(18歳人口の再減少)も間近に迫ってきている。そういうなかで、大学とそこでの研究と教育は危機的状況にある。大学「教員」に関して言えば、任期制(不安定雇用)の普及・拡大などが図られ、学内行政に忙殺されて研究も教育もままならない。任期制の導入は、教員の流動性を高めて人材交流を促進することになり、それによって教員自身の能力の向上や大学における研究と教育の活性化が図られるはずであった。
〇大学は、研究と教育が一体的・体系的に展開される高等教育機関である。それが近年では、「世界的な学術研究の拠点としての大学」と「実践的な職業教育を担う大学」などの機能別分化が,競争的資金の獲得によって進展しつつある。
〇そういうなかで、大学や研究者の地域志向(地域貢献、地域協働、産学官連携など)も進んでいる。「相互の発展と地域振興のために、幅広い分野で連携する包括的連携協定が大学と地元の〇〇との間で締結された」という情報に接する。それ自体は評価されるところであるが、なかにはその立ち位置や姿勢、思惑などによって名ばかりの協定であったり、地域の住民や関係機関・団体にとっては迷惑なこともある。
〇ところで、筆者(阪野)は以前より、僭越至極ではあるが、「本籍」は福祉教育、「現住所」はその時の勤務先、研究と実践の「フィールド」は地域や地元(吉本哲郎)、と考えてきた。そして、研究のテーマを、福祉教育の「歴史」と「実践」(実践を通しての研究、実践に関する研究)に絞ってきた。それは、研究はその分野やテーマに関する歴史を学ぶことから始まる、という認識に基づいている。また、実践については、実践を通しての研究では「仮説の探索」、実践に関する研究では「仮説の検証」に留意してきた。これら(研究のテーマやアプローチ)を決定づけたのは、大橋謙策の『地域福祉の展開と福祉教育』(全国社会福祉協議会、1986年9月)である。30年も前のことである。そしていま、大橋の愛弟子である原田正樹の『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』(大学図書出版、2009年11月)や『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規、2014年10月)などから多くを学ぶことができる。筆者にとってこれらは、「幸運な偶然」(山崎亮)の積み重ねである。
〇筆者の手もとには、「研究」の志向やメソドロジー(方法論)に関する本が3冊ある(しかない)。次がそれである。

(1)岩田正美・小林良二・中谷陽明・稲葉昭英編『社会福祉研究法―現実世界に迫る14レッスン―』有斐閣、2006年11月。(以下、「1」と略す。)
(2)岩崎晋也・岩間伸之・原田正樹編『社会福祉研究のフロンティア』有斐閣、2014年10月。(以下、「2」と略す。)
(3)荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために―在野研究者の生と心得―』東京書籍、2016年3月。(以下、「3」と略す。)

内容的には、「1」は社会福祉の研究方法、「2」は社会福祉の研究テーマ、「3」は在野研究の列伝、などについて叙述(解説、論評)している。いまの筆者には「3」が興味深い。エリック・ホッファー(Eric Hoffer、1902年~1983年)は、「沖仲仕の哲学者」とも呼ばれた、アメリカの独学の社会哲学者である。
〇「3」は、「大学や研究室や学会の外にもガクモンはある」(3ページ)という問題意識の下で、16人の「在野研究者」の評伝を通して、「在野研究」の意味と心得について説いている。その詳細は原典に譲ることにして、ここでは、とりあえず首肯できる荒木の言説と、40項目におよぶ「在野研究の心得」の項目を紹介しておくことにする。なお、当然のことながら、筆者にとっては首肯しかねる言説や心得もある。荒木が取り上げる「在野研究者」(一般的には「在野の研究者」)とは、大学に所属せず、そこから経済的に自立している者。論文的形式性のある文章を執筆している者。そして故人、である。また、その学問分野は、考古学や民俗学、哲学などの人文・社会科学系を中心に、動物学や植物学にも及ぶ。留意しておきたい

首肯できる言説
〈試行錯誤(トライ&エラー)〉こそが在野という場所で獲得できるもっとも力強い武器であり、〈なりたい〉よりも〈やりたい〉が先行するのが在野研究者第一の資質である。(8ページ)

大学でないから良い、という価値判断は、大学であるから良いという判断の反転にすぎず、所詮同じ土俵に立っている。本物の在野人として独立するには、コンプレックスを克服し、真の意味で大学から自由にならねばならないのではないか。(75ページ)

在野研究者は学術機関に属さない。それ故、専門家のチェックなしに成果を公開していく。お墨付きを拒否し、独自のスタイルで学問をつづけようとするその態度に在野の大きな可能性があることは確かだ。けれども、反面、監視の眼が入らないその空間は、勝手な捏造や放言に支配されてしまう危険性と常に隣り合わせで成立している。(105ページ)

早く研究を始めたとしても、同じく早期に挫折してしまえば、チャンスをものにすることはできないだろう。いつ始めたか、ではなく、いつまでやるか。持続が長ければ長いほど、(様々な人との:阪野)「出会い」を有意義なものにできる確率は高まる。「出会い」のチャンスを、単なるすれ違いに終わらせてはいけない。(117~118ページ)

どんなメディア(発表媒体)で自分の研究を発表していくのかという問題は在野研究者にとって決して看過できない重要なポイントだ。/わざわざ煩雑な既存の媒体に頼らずとも、自分自身で新しいメディアをつくり、そこから研究の成果を発信してしまえばいいではないか。(121、122ページ)

教育とは明らかに、社会と学問をつなぐもっともポピュラーな回路である。ただし、多くの在野研究者がしばしば学校嫌いであったことも急いで付け加えておかねばならない。学校は嫌い、だけど勉強は好き、というタイプだ。/学校から距離のある在野研究者は、その学びの姿勢を通じて、学校的制度化のプロセスに対して批評的になることが期待できる。在野研究者の多くは、学校(学者)が認めてくれるから研究するのではない。やりたい(やるべきだ)から、勝手に勉強し勝手に発表する。(195、196ページ)

在野研究の心得
(1)在野仲間を探そう。(2)資料はできるだけ事前に内容を確かめてから購入すべし。(3)就職先はなるべく研究テーマと近い分野を探すべし。(4)資料へのアクセス経路を自分用に確保しておく。(5)地位を過剰に意識するな(社会的評価を気にするな)。(6)学者の世界の政治を覚悟せよ(政治的な闘争に巻き込まれるな)。(7)家族の理解を得るべし。(8)自分の指針となるオリジナル師匠を持て。(9)コンプレックスを克服せよ(大学から自由になれ)。(10)成果はきちんと形に残せ。(11)周囲に頭がおかしいと思わせる(周囲との余計な関係性を切る)。(12)研究の手助けをしてくれる配偶者を探そう。(13)様々な人とのコネをつくっておくべし。(14)助成金制度を活用しよう。(15)在野では独断が先行しやすい(チェックやアドバイスが必要)。(16)聴講生制度を活用しよう。(17)未開拓の研究テーマを率先してやるべし。(18)論文博士を目指そう。(19)研究は細く長くつづけること。(20)発表に困ったときは自分でメディアをつくってみる。(21)在野に向き不向きの学問がある(理系の学問の在野研究は難しい)。(22)仕事場で研究の話をするのは厳禁。(23)金銭の取り扱いには慎重を期すべし、(24)資料の情報は積極的に他の研究者と共有すべし。(25)メディアと並行してコミュニティもつくろう。(26)平易な表現や文体に努めるべし。(27)複数の職歴も武器になる(研究に役立たない職業経験はない)。(28)自前メディアは類似のメディアと協力体制を調(ととの)えておく。(29)自由に開かれた勉強会を調べて積極的に参加すべし。(30)コミュニティをつくったら定期的に飲み会も開くべし。(31)専門家とコンタクトをとってみよう。(32)地方に留まるからこそできる研究もある。(33)羞恥心は研究者の天敵である(研究者にはフットワークの軽さが求められる)。(34)専門領域に囚(とら)われるな(専門知は同時に視野狭窄につながる)。(35)簡単に自分で自分の限界を設けないこと。(36)日本の外に出ることを検討する。(37)知の翻訳を心がける(外国語への翻訳と専門用語の言い換えに努める)。(38)卑屈になるくらいだったら「文士」(物書き)になれ(自信をもって研究に取り組め。大切なのは研究の中身である)。(39)先行する研究者たちの歴史に学べ。(40)この世界には、いくつもの〈あがき〉方があるじゃないか(在野研究には様々な研究のスタイルや方法がある)。(括弧内は筆者)

〇本稿を草することにしたきっかけは二つある。ひとつは、大学に所属しながら地域福祉の「実践」的研究に取り組むО氏との会話である。いまひとつは、福祉や看護の現場で働きながら「研究」を志している院生との議論である。
〇前者に関しては、大学教員などが地域にかかわった祭に時として、(1)上から目線で政府や行政などの取り組みを批判したり、(2)地域や住民の一部あるいは当面の要求や期待にのみ応えようとしたり、(3)まちづくりの正義のヒーローや救世主になったり、逆に(4)自分の労苦が報われないことで落ち込んだり、(5)住民の誰かを悪者にしたり(あるいは自分が悪者にされたり)することがあるという。一方で、「地域のみんなでまちづくり/こんな面白いことは他にない」(山崎亮)と言われる。それは、住民が主役の共働のまちづくりに関する知的で、創造的な「面白さ」である。こうしたО氏との会話を通して、まちづくりとその実践的「研究」の難しさと面白さ(醍醐味)を改めて再認識することになった。
〇後者に関しては、院生の多くは、組織的な実践活動や個人的な体験活動が展開される「現場」に身を置いている。彼らはまず、その現実や実態にひとつの疑いを差し挟む(「疑念」)。そのうえで、「観察」、「考察」し、「合理的な説明や批判」を試みる。この一連の作業が「研究」である(「1」6ページ)。院生との議論は、「研究とは何か」「研究の問題意識は奈辺にあるか」「現場からの研究をどう進めるか」などから始まる。
〇「3」において荒木は、先達の在野研究者の生涯と業績から、「在野研究の心得」を抽出する。その際、荒木は、「在野研究とは、アカデミズムに対するカウンター(対抗)ではなく、オルタナティブ(選択肢)として存在している」(「3」7ページ)という。そして、「研究」という営為の奥深さを伝えようとする。「3」の意義と面白さはここにある。最後に付記しておきたい。

「強力な単独リーダー」から「共働の複数リーダー」へ―「まちづくりと地域リーダー」のありようを考える―

〇7月から小地域ネットワーク活動に関わり始めたブログ読者のK氏から、「地域リーダー」のありようについて考えるための基礎的な視点やヒントなどを示してほしい、という連絡をいただいた。本稿は、いささかでもそれに応えようとするものである。
〇そこでまず、10年以上も前のものではあるが、今日の地域リーダー論のひとつの方向性を示した論文とコラム、しかも肩肘張らずに読めるものを紹介することにする。必読文献である。
(1)論文/鈴木輝隆「2つのタイプの地域リーダーの相互作用と自生的秩序の生成」『地域研究交流』第19巻第1号(通巻59号)、地方シンクタンク協議会、2003年7月、4~5ページ。
(2)コラム/ 小田切徳美「地域リーダーは発掘するもの」『町村週報』第2563号、全国町村会、2006年6月、1ページ。
〇周知の通り、1995年1月に阪神・淡路大震災が発生した。1998年12月にNPO法、2000年4月に地方分権一括法が施行された。それらを契機に、行政主導のハード中心の画一的なまちづくりに変わって、地域主導のソフト重視の個性的なまちづくりの推進が図られることになる。そこで注目されるのが「地域リーダー」である。そして、今日では、国や地方公共団体、民間団体、企業そして大学などにおいて地域リーダーに関する調査・研究の推進や施策・事業の展開が図られ、人材の育成・輩出などが積極的に行われている。
〇では、地域リーダーとは何か。地域リーダーに求められる資質や能力(要件)とは何か。その点をめぐっては、例えば、経済産業省の外郭団体である「中小企業基盤整備機構」(略称:中小機構)の経営支援情報センターが、「地域振興」の視点から次のように整理している(注①)。

地域リーダーの定義
地域の自主的な地域振興に向けた取り組みをビジョンとして描き、地域振興事業のメンバー及び地域内外の専門家人材や支援機関、民間企業等の人々を結集して、そのビジョンを実現するために中心となって活動することのできる人材。
地域振興事業における地域リーダーに必要な要件
(1)自らの地域をこよなく愛し、地域づくりに情熱を持っている人材
(2)地域の特性を把握して個性を活かすと共に、地域資源を活用しながら他地域との差別化を図り得る、卓越した創造力や豊かなアイディアを持って企画できる人材
(3)旺盛な行動力と実践力に秀でた人材
(4)ビジネス感覚とマネジメント能力に秀でた人材
(5)信頼性が厚くコーディネート能力に秀でた人材
(6)ネットワークが広い人材
(7)協調性があり、忍耐力が強く、私利私欲に依ることがない人材

〇また、本ブログの「ディスカッションルーム(62)」(2016年7月3日投稿)でふれた「日本・地域経営実践士協会」は、「地域経営」(まちづくり)の視点から、「地域経営実践士」(「まちづくりの匠」)には次のような資質・能力が求められるとしている(注②)。

地域経営実践士の定義
地域経営実践士とは、2011.3.11の東日本大震災の教訓を胸に刻み、日々の生活の中で小さな事起こしを自ら行うとともに、より安全、安心で住みよい新しい社会を築くために、身の丈に応じた変革の輪を周りの人とともに広げていく先導役や触媒役を実践する技量と人間力をたゆまず高める使命を担った「事起こしまちづくり」の実践士である。
地域経営実践士の要件
(1)まず、自らの一歩、「最初の当事者となるリスク」から逃げない。
(2)住んでいる地域、家庭、職場等身の回りのことを自分の事として捉える。
(3)命に関わることは気付いた者の義務、気付いた時に当事者として事起こしを始める。
(4)3.11“釜石の奇跡”(釜石市内の小・中学生のほぼ全員が津波の難を逃れたこと:阪野)に象徴される教訓を”我が地域の必然”に変える気構えを持つ。
(5)地域社会の問題と解決法をまるごとで捉える。
(6)日常生活に防災・減災を組み込んで暮らす。
(7)地域社会をまるごとで捉えるための”視点・観点・気点”を養う。
(8)地域社会の安全、安心もふくめたまるごとの豊かさへの想像力を養う。
(9)地域社会を虫の眼とアリの眼だけではなく、鳥の眼として捉える知識と経験の学習を積む。
(10)自前で回す(経営する)地域社会の”よみ・かき・そろばん”を磨く。
(11)以上の総合力を磨く方法として、自発的でみんなが合点する合意形成のための四面会議システムを習得する。

〇いまひとつ付け加えれば、全国初の地域系学部として、1996年4月に高崎経済大学に「地域政策学部地域政策学科」、1996年10月に岐阜大学に「地域科学部」が設置されている。そのねらいは、地方分権社会を担う地域リーダーの育成と、地方の国公立大学の社会的責任の実現(社会貢献)にある。その後、高崎経済大学では2003年4月に「地域づくり学科」、2006年4月に「観光政策学科」が新設されている。
〇岐阜大学では、2006年4月に「地域政策学科」と「地域文化学科」の2学科制に学部が改組されている。そして、2015年4月からは、全学共通の地域志向教育のプログラムが展開され、「次世代地域リーダー」の育成が図られている。次世代地域リーダーとは、「地域を知り」「地域の課題を見つけ」「地域の課題解決に向けて行動する」能力、すなわち「地域リテラシー」(地域を創る能力:阪野)を備え、地域で実践的に活躍し、地域のなかでリーダーシップを発揮できる人材ならびにリーダーを支援する人材を言う。そして、次世代地域リーダーには、「進める力(自立的行動力)」として計画力、実行力、管理力、「伝える力(コミュニケーション能力)」として傾聴力、発信力、状況把握力、「考える力(総合的判断力)」として課題発見力、創造的思考力、論理的思考力などの能力を有することが求められている(注③)。

〇地域に対する住民意識・関心の低下や、地域のつながりの希薄化が指摘されて久しい。そういうなかで、以上からは、例えば、豊かなまちづくりの推進を図るに際して、こうした万能型の地域リーダーを発掘したり、育成したりすることは可能か。そもそもこうした資質や能力を総合的に持つ「強力な」地域リーダーを発想すること自体に、無理があるのではないか。まちづくりの具体的かつ現実的な実践プロセスを通して、その活動や運動を担い得るリーダーは育つのではないか。しかもそれは、長いスパンで考え、総合的かつ計画的に取り組む必要があるのではないか。また、地域リーダーは、地域内外に存在する多様な組織や集団との協調・葛藤関係のなかで、リーダーシップ、フォロワーシップ、メンバーシップという3つの「シップ」(姿勢)や「エンパワーメント」(潜在能力を引き出すこと)をいかに向上させるか。そのためには、何を基本にして育成内容や方法を考えるべきか。より具体的には、ワークショップ形式の研修(学習)にとどまらず、実際のまちづくりの現場や場面にいかに関わるか等々、いろいろな論点を指摘するができる。
〇ところで、鈴木輝隆(江戸川大学)の言説によると、地域リーダーに望まれる要件は、「地域への愛情」「豊かな人間性」「未来への先見性」「果敢な行動力」「ネットワークと情報」「優れた感性」「仲間と助け合う協調性」などである。そして、地域リーダーには、その地域の風土や歴史、文化などによって地域住民のなかから生まれるいわゆる「住民リーダー」と、行政や公的機関・組織などに属するいわゆる「組織リーダー」の2つのタイプが存在する。鈴木は次のように説述している(注④)。

「住民リーダー」は息が長く、言葉より生き方や行動によって気持ちを伝えていく。情報発信力のある事業家や人間関係づくりが得意な人、行動的な世話役である人が多い。役割は、先端情報の提供、日常のしがらみから創造的な日々への解放、あるいは地域の課題へ住民意識を集中させるなどである。住民リーダーは、地域の中から自然に生まれ、仲間によって成長していく。土地柄と人柄、地域の風土が生みだす。ただし、年功序列社会による若手資質者の出番のなさや、女性リーダーへの認知度の低さ、新住民と旧住民のすれ違いなど、単に資質問題に帰結しない「地域の懐の深さ」が課題であることも事実だ。
「組織リーダー」はスパンが短く、強い言葉で住民に情報を伝える役割を持つ。オピニオンリーダーと言われる人や行政、商工会、農協など公的機関に属している人が多い。彼らに求められるものは、方向性の決定やビジョンの策定、明快な目標・戦略・手法などで、内的関係の調整から外的関係の調整までのプロデュース能力である。資質として、人間的な魅力と包容力、理念と目的意識、率先行動力、人情と誠実さ、情報収集力に加え、公平性を保つための第三者的視点を持ち合わせていることが要求される。
組織リーダーは、地域の状況で、その時、ふさわしい人が発見され、選び出され、現場で学ぶことによって育っていく。しかし、人事や短いローテーションが弱点となり、専門的な力を身につけることができない場合もあり、必要に応じて外部登用もする気概も必要だ。地域内における組織リーダーの力は大きく、地域づくりの本質が理解できない場合やセンスのない人が間違って選ばれることもあり、前例やしがらみに囚われ住民リーダーを押さえつけることもある。組織リーダーは、肌理の細かい確かな情報や迅速な行動をもっている住民リーダーの存在をなくして、魅力的な地域づくりができない。混迷の時代の地域リーダー像は、2つのリーダーの組み合わせにヒントがある。

〇要するに、「住民リーダー」と「組織リーダー」は、地域・住民が抱える生活課題が多様化・複雑化・深刻化している今日、相互連携・協力の関係に置かれ、「共働」することが求められている。そういうなかで、いかにしてまちづくりへの情熱と未来を見通す力(先見力)を持つ地域リーダーを発掘し育成・確保するか。併せて、多様で多層な住民や関係機関・組織などを結びつけ、多様で多彩な個性や能力が発揮される場や機会を創出する地域リーダー(プロデューサー)を育成・確保するか、などが問われている。
〇筆者はかつて、本ブログの「雑感(19)」(2014年7月28日投稿)で、T市社協が主催した地域福祉活動計画策定のための住民懇談会におけるレクチャーについて、次のように記している。

皆さんは、ヒーローやヒロインのような唯一の強いリーダーとしてではなく、メンバーシップやフォロワーシップを兼ね備えた一人のリーダー、地域住民として活動することが期待されます。「この地域には強いリーダーがいないからダメだ」という嘆きの言葉を聞くことがありますが、そうでしょうか。強力なリーダーがいない地域は「ダメ」な地域ではなく、強力なリーダーを必要とする地域が実は「不幸」な地域であるかも知れません。

〇この点に関して、小田切徳美(明治大学)は、地域リーダー像について次のように述べている。かつての地域リーダーは、「圧倒的なパワーを持って、孤軍奮闘もできるタイプが多かった。しかし、最近では、複数の者が、いわば『リーダー群』として地域を支えている姿が一般的である」。「リーダーは普通の人々の中にいる。だから、『リーダーは(養成するものでなく:阪野)発掘するもの』なのである」。また、小田切は、地域リーダーの役割について、「合意形成型リーダー」「カリスマ型リーダー」「会計型リーダー」「なんでも屋リーダー」そして「知恵袋型リーダー」の「リーダー5人衆」として説明している。そして、「地域リーダーの機能は、このように複数の人間で分担することが可能である」と説いている。以下がその全文である(注⑤)。

地域を訪ねた際に最も多く問われるのは、「地域のリーダーはどうしたら育てられるのか」という質問である。私は、それに対しては、「リーダーは養成するものでなく発掘するもの。皆さんの中や皆さんの身近に必ずリーダーはいる」と答えている。
それには少し説明が必要であろう。かつてのリーダー像は、圧倒的なパワーを持って、孤軍奮闘もできるタイプが多かった。しかし、最近では、複数の者が、いわば「リーダー群」として地域を支えている姿が一般的である。
そして、その複数のリーダーの役割であるが、しばしば「リーダー5人衆」として、次のように説明されている。まず、「合意形成型リーダー」である。議論の落とし所を見つけることに長けた者は地域に欠かせない。第2に、「カリスマ型リーダー」であり、普段の寄合や会議では多くは発言しないが、重要な意識決定の時に、まさに決定的な発言をする住民である。また第3に、「会計型リーダー」も必要である。「会計係」を担うということだけでなく、活動の現実を冷静に見極め、時には過熱ぎみの活動を抑制することができる者である。第4のタイプは、「なんでも屋型リーダー」である。機動力に優れており、「昨晩決まったことを今朝には実行している」というタイプである。そして、第5には「知恵袋型リーダー」も求められている。地域の歴史から行政の仕組みまでの多くの知識を持っており、それを基にして新たな活動のアイデアを出すことができる者である。
地域リーダーの機能は、このように複数の人間で分担することが可能である。しかし、これはある意味では当然のことでもある。たとえば企業であれば、これらの役割は、順に社長、会長、経理課長、総務課長、企画課長が当たり前に分担している。
このように考えると、複数の機能をたったひとりの人に期待し、そうしたタイプの人を「養成しよう」という発想自体に無理がある。それは、スーパーマン・リーダーだけができることであろう。そうではなく、「5人衆が、それぞれの得意分野で活躍するのがリーダーだ」と考えた時に、リーダーの要件は、スーパーマンから普通の人々で担えるもの変わっていく。ひとりの役割を得意とする者は、多様化した地域社会の構成員の中には、かならず存在すると言っても過言ではない。
リーダーは普通の人々の中にいる。だから、「リーダーは発掘するもの」なのである。

〇まちづくりには「若者・よそ者・ばか者」が必要であると言われる。魅力的なまちづくりを進めている地域には、必ずと言っていいほどに、「ばか者」(地域・地元 に根を張って、内発的な地域活動や住民運動に熱心に取り組む人)がいる。その意味では、地域リーダーは発掘するものである。しかし、各地で行われている地域リーダーの養成講座などに参加した人が、まちづくりの地域活動や運動に取り組んでいることも事実である。
〇都市部と農山村部の地域特性や、その地域が抱える生活課題やまちづくりの理念や方向性などは多様である。そこから、地域リーダーに求められる資質や能力、従ってその育成・確保のありようも多様となる。しかも、地域リーダーの育成・確保は、漠然とした必要性によるものではなく、具体的な地域課題に基づき、その課題解決を図るためのものである。従ってそれは、組織的・継続的・計画的に行うことが求められる。また、地域リーダーの育成・確保は、まちづくりの基盤をなすものであり、横断的・総合的な枠組みのなかて取り組むことが肝要となる。さらには、持続可能なより豊かなまちづくりを推進するためには、地域内外の多様な地域リーダーのネットワーク化を図ることも必要かつ重要となる。
〇以上の諸点について留意しておきたい(注⑥)。


① 「地域リーダーにみる『戦略性』と『信頼性』―地域振興とリーダーの役割に関する調査研究―」『中小機構調査研究報告書』第5巻第3号(通号22号)、中小企業基盤整備機構経営支援情報センター、2013年3月、8ページ。
② 「日本・地域経営実践士協会」ホームページより。
③ 「岐阜大学」ホームページより。
④ 鈴木輝隆、4ページ。
⑤ 小田切徳美、1ページ。
⑥ 下図は「単独リーダー」と「複数リーダー」の概念図である。(赤)はリーダー、(緑)はフォロワー(リーダーの補佐)、(青)はメンバーを表示する。
単独リーダーと複数リーダー(7月20日最終版)

謝辞
本稿をアップするにあたって、「日本・地域経営実践士協会」と「地方シンクタンク協議会」にはいろいろとお世話になりました。ここに記して感謝の意を表します。

「パーソナル・キャピタル」と「つながりのコミュニティ」、「まち会社」と「事業としてのまちづくり」

▼学校福祉教育と「福祉のまちづくり」
〇先日、久しぶりにS市社協主催の「福祉教育担当教諭連絡会」に参加し、学校や社協の現場実践者とともに、「地域に根ざした福祉教育のねらいと実践」について“学び合う”機会に恵まれた。その連絡会の開催目的の一節は、「誰もが住みよいまちを目指すためには、福祉への理解・関心は必要不可欠なものです。とくに学校と地域が連携した取り組みは、児童生徒が福祉を学び、福祉のまちづくりを担う人づくりにつながる活動です」というものであった。そこから、福祉のまちづくりに向けた「地域福祉教育」の視点や方向性を読み取ることができる。首肯するところである。
〇筆者(阪野)が主催者から依頼されたのは、福祉教育の歴史と理論と実践、そして最近の動向などに関する基礎的・基本的事項についてのレクチャーであった。加えて、具体的な実践事例を紹介することも求められた。その際、宮沢賢治の童話のタイトル(中身ではない)『注文の多い料理店』を思い出した。「注文の多い連絡会」である。その連絡会は、危惧した通り、“一方通行”の、総花的なもので終わった感がある。それはひとえに、筆者の力量不足によるものである。
〇当日のアンケートの回答によると、学校現場の多くの先生方は、具体的な、“生(なま)”の、しかもすぐ“使える”福祉教育プログラム(実践事例)の紹介と説明を求めていた。それは、学校教育における福祉教育の意義や位置づけ、内容や方法などの本質的な問題について、未だに共通認識や定見を持つに至っていないことによる。併せて、学校福祉教育において、その取り組みの主体性や自律性、創意工夫や開拓性などを阻害する反福祉的・反教育的状況が進んでいることに起因する。そう思うのは筆者だけであろうか。ただ、一部の先生の言として、福祉教育は歴史的に形成され、社会的な状況を踏まえた教育活動であるという視点の重要性を再認識することができた、というものがあった。何よりの救いである。福祉教育は歴史的・社会的形成体であり、豊かな地域・社会の未来(あす)を切り開く教育活動である。

▼「パーソナル・キャピタル」と「つながりのコミュニティ」
〇S市社協から帰宅後、佐藤友美子・土井勉・平塚伸治著『つながりのコミュニティ―人と地域が「生きる」かたち―』(岩波書店、2011年8月。以下、「本書」)を再読した。珍しく、本書の帯(おび)が捨てずにとってあった。そのキャッチコピーは、「個人の力が集まる時、何かが始まる」である。また、表紙カバーの裏に記されている「内容紹介」は、次の通りである。「一人ひとりが持てる力を思う存分に発揮し、支えあい、楽しく、共に活き活きと生きる社会は果たして可能なのだろうか。さまざまな現場での活動を紹介しながら、人々が幸福に、心豊かに生きるための道を探る」。
〇本書は先ず、「地域の暮らしをつなぎ支える」(4件)、「地域の魅力をつくる」(3件)、「文化を創造する」(3件)という枠組みのもとに、10件のコミュニティ活動(まちづくり活動)の事例紹介を行う。その事例は、旧来とは違う新味性や、一過性ではなく継続性を念頭においたものである。次に、それぞれの活動を読み解きながら、「人々が幸福に、心豊かに生きるための道を探る」、というかたちで編まれている。これに関して一言すれば、こうした事例紹介は、ある視点やフレームワークに基づいて収集した事例の表面的な特色(個性)を記述するに留まることがある。事例「紹介」といえども可能な限り、その活動の背景や実態・内実に迫り、活動の代表性・典型性や一般化・普遍化などについても言及することが求められる。なお、その点では、ひとつの事例を徹底的に分析・評価し、失敗したことなども含めて余すところなく紹介する方が、現場の活動には真に「役立つ」ように思える。
〇本書で注目される(したい)キーワードのひとつは、「パーソナル・キャピタル」「共立の活動」である。その概念をめぐって佐藤らの言説を紹介することにする。

個人の能力が個人で完結している場合、社会的に大きな活動として広がることはない。キャピタル(資本)という言葉の意味には「剰余価値を生むことによって自己増殖する価値」がある。すなわち、個人の能力が別の個人の能力と結びつき、つながることによって増殖し、一人ひとりの能力を足したもの以上の価値を生み出していく。そんな個人の能力を「パーソナル・キャピタル」と意味付けたい。個人の体験を経て個人の資質として蓄積された資本、様々な能力は誰の目から見ても明らかに見えるものではないだろう。また、「パーソナル・キャピタル」は必ずしも資格のようなものではない。普段あたかも何もないように見えていて、何かのきっかけで顕在化するのが「パーソナル・キャピタル」である。(ⅸ~ⅹページ)

「パーソナル・キャピタル」が集まり、結びつき、つながることによって相乗効果を生み、力を発揮する状況を(中略)「共立」と定義付けた。「共立」はできることを持ち寄り、より高次なレベルの活動をつくり上げるプロセスを指す言葉である。(ⅹページ)

個々人のパーソナル・キャピタル(すなわち、物事を判断する際のモノサシとなる価値判断能力、問題解決に必要な人とのつながり方やコミュニケーション能力、場の設定能力、交渉能力、専門家の活用能力、合意形成能力、起業化力、継続力、持続力、など)をそれぞれ持ち寄り、それを結びつけることで、化学反応が起こり、課題を読み替え、解いていく。協働作業によって、より高次なレベルの活動を作り出し、新しい価値を作り出すプロセスが「共立の活動」である。それは、特別な人のものではなく、小さくても何かを持っていれば、誰にでもできることなのだ。そして、それはいつしか一人を超えて、大きな流れをつくっていく。参画した参加者は「共立の活動」の一部を担っていくことになるのである。(174~175ページ)

〇佐藤らがいう「パーソナル・キャピタル」は、地域・社会における「ちょっとしたつながり」「ゆるやかなつながり」をつくる個人の能力を意味する。それが、より高次なレベルの「つながり」(ソーシャル・キャピタル)や、それに基づくまちづくり活動や運動を創りあげることになる。そこに広がるのが「つながりのコミュニティ」である。言い換えれば、カリスマ性のある特定の「ヒト」に頼った取り組みには“危うさ”がつきまとうが、そのリスクを取り除くのが「つながり」である、ということになる。「地域に根ざした福祉教育」「地域を基盤とした福祉教育」の展開に関して留意すべきところである。

▼「まち会社」と「事業としてのまちづくり」
〇いま、筆者の手もとに、まちビジネス投資家/事業家と称される木下斉(きのした ひとし)が書いた本『稼ぐまちが地方を変える―誰も言わなかった10の鉄則―』(NHK出版、2015年5月)がある。そのブックカバーの裏に記載されている「内容紹介」は、次の通りである。訴求性が高く、興味・関心を呼び起こす。

人口減少社会でも、経営者視点でまちを見直せば地方は再生する! 補助金頼りで利益を生まないスローガンだけの「地方創生」はもう終わった。小さくても確実に稼ぐ「まち会社」をつくり、民間から地域を変えよう! まちおこし業界の風雲児が、心構えから具体的な事業のつくり方、回し方まで、これからの時代を生き抜く「10の鉄則」として初公開。自らまちを変えようとする仲間に向け、想いと智恵のすべてを暴露します。

〇木下は、その本で、地域を活性化するためのまちづくりは「活動」ではなく、「事業」として取り組むことが有効であるとする。そして、「まち会社」(注1、2)が「まちづくり事業」を成功させるための秘訣を「10の鉄則」と「10の覚悟」に纏める。その項目は以下の通りである。

まちづくりを成功させる10の鉄則
①小さく始めよ、②補助金を当てにするな、③「一蓮托生」のパートナーを見つけよう、④「全員の合意」は必要ない、⑤「先回り営業」で確実に回収、⑥「利益率」にとことんこだわれ、⑦「稼ぎ」を流出させるな、⑧「撤退ライン」は最初に決めておけ、⑨最初から専従者を雇うな、⑩「お金」のルールは厳格に(79~153ページ)
まちを変える10の覚悟
①行政に頼らない、②自ら労働力か資金を出す、③「活動」ではなく「事業」としてやる、④論理的に考える、⑤リスクを負う覚悟を持つ、⑥「みんな病」から脱却する、⑦「楽しさ」と利益の両立を、⑧「入れて、回して、絞る」、⑨再投資でまち全体に利益を、⑩10年後を見通せ(198~201ページ)

〇「10の鉄則」と「10の覚悟」は、企業・組織経営やビジネスの観点から纏めたものである。従って、この鉄則と覚悟はそのまま、「福祉のまちづくり」や「つながりのコミュニティ」づくりに通用(通底)するものでもない。とは言え、NPO法人や市民活動団体、地域組織・団体などの事業・活動に関して留意すべき事項や参考となる点を含んでいる。例えば、木下は、覚悟⑧について、「まちの活力を生み出すには、地域外から人や財を入れ、地域内取引で回して、地域から出て行く人や財を絞る。この循環をどう大きくしていけるか、というのを徹底すれば、必ず再生する」(201ページ)。⑨については、「まちづくりに事業として取り組むのは、それで儲けた資金を全て手元にとるのではなく、再投資をして地域で資金を回していくからだ。事業は課題解決方法であり、金儲けの手段ではない。すなわちまちづくり事業団体だけが豊かになっても意味がない」(201ページ)、と説述する。すなわち、まちづくり事業では、「ヒト」「モノ」「カネ」そして「情報」の社会資源(経営資源)をいかにして地域の内外から取り入れ、地域内で好循環させ、その資源や成果(果実)を“単利”ではなく“複利”で拡大させるかが重要なポイントとなる。そこに求められるのは「地域経営」の視点や姿勢である。
〇木下の著書に、『まちで闘う方法論―自己成長なくして、地域再生なし―』(学芸出版社、2016年5月)がある。その本の帯のフレーズは、「中途半端な正義感だけでは、まちを変えることはできない」である。まちをひとつの会社に見立てて経営するという観点で18年間闘い続けてきた木下の言葉は、重い。「福祉のまちづくり」や「つながりのコミュニティ」においても、「中途半端な正義感」は何の役にも立たない。


(1) 「まち会社」といっても一般には馴染みが薄いかもしれません。これは、イベント会社やコンサルタント会社、ましてやボランティア団体等ではありません。まちの不動産オーナーなどと共に設立し、各不動産や店舗の改善を行い、さらにエリアの価値を高めていくという、目的も収益源も、そして顧客もはっきりしたビジネスです。(木下、71ページ)
日本ではまだ、不動産オーナーが中心となってまちづくりを推進する、ということは主流にはなっていません。立ち上がるべき人が立ち上がっていない。(中略)まず不動産オーナーが本気にならなければ、地域はどうにもなりません。外部の人間が(中略)、どんな提案をしようとも、意思決定権は不動産オーナーが握っています。(中略)まちのオーナーシップは、不動産オーナーにあるのです。(木下、76~78ページ)
(2) 「まちづくり会社」をはじめとするさまざまな担い手と行政が連携することで、従来とは異なる新しい発想でまちづくりを進める取り組みが全国各地で実施されている。その概要については取り敢えず、『まちづくり会社等の活動事例集―活動類型別の代表的な30事例の紹介―』(国土交通省都市局まちづくり推進課、2012年3月)が参考になろう。

1%から始まる住民主導の内発的まちづくり―主体者意識に基づく「話し合い」と「学び合い」、そして「地域経営」―

4月下旬、群馬県の伊香保温泉と竹久夢二の記念館、そして栃木県足利市のフラワーパークへの一泊旅行を楽しんだ。/記念館では、夢二の多彩な作品に流れる静寂な空気、100年以上も前のオルゴールが奏でる繊細な音、その世界に没入した。窓の向こうでは、小雨が降る木々のなかで、姿をみせないウグイスが美しくさえずっていた。気がつけば、私は一幅の絵のなかにいた。記念館は、まさに美と癒し、大正ロマンの森であった。/翌日訪れたフラワーパークの藤の花は、ただ一言、圧巻であった。しばらく私は、花と香りの世界を飛翔した。/帰宅すると、注文していた本が届いていた。3年ほど前からの日常の一コマがまた、ぎこちなく回り始めた。

〇「みんなが1%、生き方を変えれば、僕たちの社会も変わっていく。」「100%と比べればほんのわずかな1%が、実は無限大の力を持っている可能性がある。」(鎌田實『1%の力』河出書房新社、2014年9月、9ページ)
▽地域で「事を起こす」にはまず、一人の「1%」が必要である。その一人の「もう1%」、そして「みんなの1%」が積み重ねられることによって、「100%」になる。ときには「100%」を超える。そこに「事が成る」。

〇「住民はまちの主役であっても、まちづくりに関しては素人なのです。」「地域の人たちから必要とされなくなること―それが最終目標なのです。」(山崎亮『ふるさとを元気にする仕事』筑摩書房、2015年11月、171、193ページ)
▽まちづくりはその素人が、いかにしてまちづくりの主体者意識を持ち、知識や技術を習得し活用するかにかかっている。そこに、「コミュニティデザイン」(まちづくりのための手法)のあり方や「コミュニティデザイナー」(専門家)の役割が問われる(注①)。

〇「地域の自立的な総合的発展を目指すためには、各地域が、ビジョンや地域の経営戦略を持って、地域の経営に取り組んでいくことが必要である。」「地域の経営は、地域の発展のために行われる運動であり、協働、連携、マネジメントがキーワードとなる。」(海野進『地域を経営する―ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ―』同友館、2009年4月、7、10ページ)
▽地域経営主体(市民、企業、地方自治体など)が連携・協働して「地域の経営」の活動や運動を展開することによって、地域にイノベーション(革新)を起こし、地域の持続可能な発展を促すことができる。

住民主体のまちづくりの実践例のひとつに、鳥取県智頭町と長野県飯田市の取り組みがある。智頭町は、面積の90%以上を山林が占めるという典型的な中山間過疎地域であり、キャッチフレーズは「みどりの風が吹く“疎開”のまち」である。2016年2月1日現在の人口は7,498人、世帯数は2,736世帯、高齢化率は37.6%を数える。飯田市は、人口10万人規模の典型的な地方都市であり、「りんご並木と人形劇のまち」としても知られる。2016年4月末現在の人口は103,762人、世帯数は39,740世帯、高齢化率は30.7%を数える。
智頭町の取り組みは、稀有(けう)な挑戦的実践者と評しうる寺谷篤志(元郵便局長)の「1%」から始まる。そこでは、まちづくり実践の理論化(「思考のデザイン」)の視点である「地域経営」と、地域課題を解決するための実践的な手法である「四面会議システム」(合意形成システム)が注目される。また、「自分をつくる」「まちをつくる」ための学習の場である「杉下村(さんかそん)塾」(1年一回2泊3日×10年)や「耕読(こうどく)会」(40回×10年)の開講、無から有を生み出す、住民主導による地域活性化運動としての「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」(注②)の展開などが特筆される。それらの概要は、寺谷篤志・平塚伸治著/鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』(仕事と暮らしの研究所、2015年3月)に纏められている。
飯田市の取り組みは、飯田という10万人規模の地方都市の住民と行政、そして地元企業などのそれぞれの「1%」が織りなす、多様で重層的なネットワークのもとに展開されている。そこでは、まちづくりを担う地域住民や行政職員、地域組織・団体などが「当事者意識」(「主体者意識」)を持ち、対等な立場で「円卓」を囲み、地域のことを語り合い、学び合いながら一緒に「事を進める」という「円卓の地域主義」(roundtable regionalism)が注目される。それは、人口減少・少子化・高齢化・地方消滅などの右肩下がりの時代であっても持続可能な地域は実現できるという、現市長・牧野光朗の信念や市政経営の考え方である。また、牧野は、21世紀の地域づくりは想像力と創造性を巡らせて人の感性に訴えるものであるべきである、という(「デザイン思考的アプローチによる地域づくり」)。それらの理念と具体的な取り組みについては、牧野光朗編著『円卓の地域主義―共創の場づくりから生まれる善い地域とは―』(事業構想大学院大学出版部、2016年2月)に纏められている。
以下に、二冊の本のなかから、注目したい(される)論点や言説のいくつかを紹介することにする。

(1) 寺谷篤志・平塚伸治著/鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』仕事と暮らしの研究所、2015年3月
▼地域づくりに求められる「マネジメント」「地域経営」の視点
〇地域社会の「真ん中」に立ち、主体的に地域づくりに参画していく(ためには、中略)自分の中に「よりよく生きたい」というエネルギー、あるいは「このままではだめだ」という危機感が必要になる。そして、そうしたエネルギーや危機意識を引き出すために必要な作業が「学び」であり、「考える」という行為である。それも、どのような視点で物事を見るべきなのか、鳥の眼(全体を俯瞰する)、虫の眼(現場目線)、魚の眼(過去・現在・未来を考える)を駆使して物事の本質を見る眼を養う必要があるだろう。(鹿野、22~24ページ)

〇地域は一人で成り立っているものではない。地域社会を変えるためには、他者から共感を持ってもらい、共に実践してもらうための仕掛けが必要になる。具体的には、他者と共通認識を持つためにコミュニケーション能力や、他者の意欲を喚起するためのプレゼンテーション能力が必要であり、他者と共通の場を作るための仕組みを構築する必要がある。(鹿野、24ページ)

〇地域づくりにおいても、企業が事業を推進するときと同様のマネジメント手法が必要である。(中略)企業マネジメントの基本に目標管理の手法があるが、地域づくりにおいても、目標(地域の課題)を設定(発見)し、それを達成するための計画立案(Plan)―実行(Do)―検証(Check)―改善(Action)を繰り返す仕組みを導入する必要がある。(中略)地域づくりを推進するためには(中略)、「地域マネジメント」「地域経営」の思想とシステムが必要である。(鹿野、24~25ページ)

▼地域経営=地域+ヒト+資源+新視点+技術力+起業家精神+イノベーション力
〇地域経営はヒト、文化、産業、素材、その他、地域に賦存(ふそん)するあらゆる資源の価値を発掘し、総付加価値を引き出す社会的イノベーションと捉えるべきであろう。特にヒトはイノベーションを起こす当事者にもなりえる知識・アイデアとチャレンジ精神を持った人材(財)になりえる一番大切な地域資源である。そのような人材(財)を発見し、育てる息の長い地域共育がその鍵を握っているはずだ。(寺谷、40ページ)

〇地域社会の経営の主宰者は、当然ながらその地に住む住民である。はたして地域の経営者となるべき市民(住民)は、地域の姿を決める重大な問題である地域経営をいつまでも他人事にしておくのか。詰まる所、地域経営の当事者として、お互いが相互にそこに存在する意義が問われなければならない。(中略)
地域経営を身近に引き寄せて言えば、地域における企業経営であり、組織経営であり、集落経営であり、自己経営である。それを我が事として捉え関わる当事者意識が問題となる。具体的に平たい言葉でいえば、地域経営は、その地域、ヒト、資源、新しい視点、技術力、起業家精神、それによるイノベーション力となろう。(寺谷、41ページ)

(2) 牧野光朗著『円卓の地域主義―共創の場づくりから生まれる善い地域とは―』事業構想大学院大学出版部、2016年2月
▼飯田型まちづくりのルール
〇飯田型まちづくりはシンプルなあるルールによって成り立っている(中略)。それは、円卓から始まる共創の場づくりである。(稲葉、82ページ)

▼住民の「当事者意識」と「円卓」
〇ラウンドテーブル(円卓)には意味がある。ここが上座という意識はなく、誰が偉いということでもない。貴賤の差別なくみんなが対等に話し合いをするということだ。ときには専門家にアドバイスを求め、みんなで智恵を出し合い、折り合いをつけながらまちの価値を高めていく。このような行為を私は共創と呼んでいる。共創の場、共創の時間は、共創の志から生じるものであり、その志の源泉は自分たちのことは自分たちでという当事者意識にある。(牧野、159ページ)

〇これまで、職員を含む地域の人々に当事者意識を持って事に取り組んでもらおうと円卓の整備を進めてきた。数々の深化と実践を経て、やっとのことで円卓が自生するようになってきた。議論の場をつくり、当事者意識をもった人々が円卓を囲む。まずは何をするにも円卓の整備を第一に意識してやってきた。そうしたスタイルを人々が知らぬ間に体得し実践をするようになったのだ。
それだけではない。規範や体裁に囚われず、自らの頭で考え行動に移す人が増えてきた。円卓が深化をしてそれぞれの価値を創造するようになった。共創の場が実現したのである。周囲の変化の中でも、とりわけ職員の成長は目を見張るものがあった。(稲葉、137ページ)

〇「円卓の地域主義」は、地域が当事者意識を強く持ってボトムアップで右肩下がりの時代に対応しようとする考え方であり、(中略)自分たちの地域の将来に希望を見出し、自主自発の取り組みを行うための触媒としての機能を発揮するものである。(中略)ボトムアップの社会の構築には、相当の期間が必要である。「円卓の地域主義」とは、国からのトップダウンのやり方や指令で行われるものではない。各地域それぞれが、それぞれの方法で自ら時間をかけて獲得していくものと考えている。(牧野、163ページ)

▼「地育力」による人づくり
〇こうした市民の変化は、丁寧に円卓を整備し深化させていった結果とも言えるが、これまで飯田が行ってきた人材育成の大きな成果とも言える。(中略)飯田では、進学・就職等で一度地域を離れても、将来的に飯田に帰ってきて地域を担う人材として活躍してもらう「人材サイクル」を構築しようとしている。①帰ってきて働くことのできる「産業」をつくり、②帰ってきたいと考えるような「人」を育み、③帰ってくることのできる環境・「まち」をつくる、この3つくりが「人材サイクル」構築の大きな柱である。(稲葉、140ページ)

〇地育力とは、自然や文化、歴史や産業など豊かな飯田の資源を活かして、飯田の価値と独自性に自信と誇りを持つ人を育む力である。こうした力を、行政や教育従事者だけでなく地域一丸となって育んでいこうとしている。地育力による人づくりの実践は多岐にわたる。(中略)公民館活動もその典型であるし、(中略)飯田の市民が小学生から大学生に至るまで、場合によっては大人になっても、地育力による教育を受けることができるようになっている。それらは地域の外側にも開かれている。(中略)外からやってきた人に飯田に触れてもらい、知ってもらう。地域のブランディング(ブランド化:阪野)につながる。市民は来訪者を通して外から見た飯田に向き合い、誇りと自信を獲得していく。(稲葉、140~143ページ)

「超少子高齢・人口減少・多死社会」や「地方消滅」「地方創生」などが叫ばれ、政治の右傾化と経済・社会的課題の深刻化が続いている。そういうなかで、地域の持続可能な発展を実現するために、地域住民や地元企業、行政などの多様な地域経営主体がいかにして主体者意識(当事者意識)と主体者能力(当事者能力)を持ち、連携・協働(共働)するか。そして、自立的かつ自律的な「地域経営」(regional management)の進展を図るか、が厳しく問われている。その際の地域経営の主体化(意識と態度・行動の育成と変革)の取り組みは、地域住民の個人的レベルにとどまらず、組織・団体や地域全体のレベルでのそれが必要かつ重要となる。すなわち、単に地域経営の意識や能力を持った人材を育成・確保し、地域に配置するだけでなく、地域全体としての地域経営の仕組みを構築し、その仕組みによる地域・住民の運動を戦略的・計画的に展開することが肝要となる。そのために必要不可欠なのは、多様で多層な地域経営主体の地域内外にわたる相互交流と情報共有、「話し合い」と「学び合い」であり、それに基づく豊かな知識と確かな技術、地域に対する熱い思いである。そして、それらの根底をなす理念は、「1%」から始まる一人ひとりの住民の「満足」と「楽しさ」、すなわち「しあわせ」である。本稿で言いたいのは以上の点である。


① コミュニティデザインの活動のノウハウを仕事術というかたちで纏めたものに、山崎亮+studio-L『山崎亮とstudio-Lが作った問題解決ノート』(アスコム、2015年12月)がある。
②「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」は、日本の典型的な中山間過疎地域である鳥取県智頭町で、1997年度から行われている住民運動である。これは、最小コミュニティ単位である「集落」ごとに、(10年後の:阪野)集落ビジョンを描きそれを実現しようとするものである。ビジョンを描き、智恵やお金を出すのは住民であり、行政は脇役としてサポートするにとどまっている。すなわち、住民主導による徹底したボトムアップの運動である。
ゼロイチ運動は、「0から1、つまり、無から有への第一歩こそ村おこしの精神」との理念から名付けられた。この運動は、「村の誇り(宝)の創造」を目的としており、地域経営(生活や地域文化の再評価を行い、村の付加価値をつける)、交流(村の誇りをつくるために、意図的に外の社会と交流を行う)、住民自治(自分たちが主役になって、自らの第一歩によって村を起こす)という3本の柱がある。(中略)そこには、保守性・閉鎖性・有力者支配という旧来からの地域体質を打破しようという意図が込められている。(杉万俊夫『鳥取県智頭町「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」―住民自治システムの内発的創造―』総合研究開発機構、2007年6月、要約、1ページ)
「ゼロ分のイチ」とは、(中略)岡田憲夫(京都大学名誉教授)が考案した標語であり、無から最初のイチを創出すること、すなわち、無限の跳躍を意味している。(高尾知憲・杉万俊夫「住民自治を育む過疎地域活性化運動の10 年―鳥取県智頭町「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」―」『集団力学』第27巻、集団力学研究所、2010年7月、79ページ)
「物言わぬ住民」を好む行政も、「物言わぬ住民と行政の間で利害をとりもつ」ことを存在価値とする町会議員も、ゼロイチ運動の企画を何とか握りつぶそうと最後まで抵抗した。ゼロイチ運動は、「物言わぬ住民」を「物言う住民」に転換する運動だからだ。(高尾知憲・杉万俊夫「同上論文」80ページ)

地方消滅×東京消滅×地方移住:若者を吸い込み、高齢者を吐き出す“都市”―相川俊英著『奇跡の村』の読後メモ―

896の自治体(全体の49.8%)が消滅しかねない‥‥‥。「地方消滅」という言葉を見聞きするようになって久しい(増田寛也編著『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減―』中央公論新社、2014年8月)。次いで、「東京消滅」である。東京圏では75歳以上の高齢者が約175万人増加し、介護施設を奪いあう事態になりかねない‥‥‥(増田寛也編著『東京消滅―介護破綻と地方移住―』中央公論新社、2015年12月)。これらの言説は、“上から”目線のそれであり、地域・住民の社会・生活不安を煽(あお)り立てている。そこに登場するのが、これまた“上から”の「地方創生」である。その目玉策のひとつが「地方移住」、そのとどのつまりは“カネ”(交付金・補助金等)である。
いま、全国各地の自治体で、移住の促進策や移住者への優遇策が推進・展開されている。かつて地方から若者を吸い込んだ都市が、国策や補助金行政によって、高齢者になった彼らを地方に吐き出すのである(都市に住む80歳代の作家の、またぞろ人間性が疑われる発言「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」を思い出す)。

過日、ぶらっと立ち寄った本屋で、ジャーナリストの相川俊英が書いた『奇跡の村―地方は「人」で再生する―』(集英社、2015年10月。以下、「本書」)が目に留まり、購入した。本のサブタイトルに首肯するからである。その本は、地方の小さな書店ゆえにか、「平積み」でも「面陳列」でもなく、「棚差し」であった。ひとつの現実である。
本書では、地域特性を生かした独創的な、しかも住民主体による地域活性化策の事例が紹介されている。(1)「国内指折りの高出生率を記録した」長野県下條(しもじょう)村、(2)「消滅可能性都市」ランキングワースト1位と名指しされた群馬県南牧(なんもく)村、そして(3)「アートの棲(す)むまち」と称された神奈川県の旧・藤野町(ふじのまち/現・相模原市緑区の一部)の3地域の取り組みがそれである。
(1)の最大の功労者は、「カリスマ村長」の伊藤喜平である。伊藤は、役場職員と住民の意識改革を図り、行政と住民との役割分担による協働を推し進め、「奇跡の村」をつくりあげた。(2)で奮闘するメンバーは、村の実情を熟知し、その将来に不安を抱いていた30代、40代の若手自営業者である。彼らは、地域活性化活動に特化した組織をつくり、行政と連携・協力して、移住者誘致や交流拡大などの事業・活動に取り組んだ。(3)で特筆されるのは、住民派女性議員の草分け的存在であった三宅節子と異色の役場職員であった中村賢一である。旧・藤野町は、文化芸術による地域活性化を図るが、三宅や中村のような「人と人をつなぐ人」「人と人をつなぐ人たちをさらに結び付ける人物」(217ページ)の存在が大きかった。
3地域の活性化策の具体的な内容は本書に譲るとして、ここでは、唐突ながら「天地人」と「ヒト」の重要性に留意しておきたい。「天の時」を知り、「地の利」を活かし、「人の和」を作れる「ヒト」の存在である。本書で相川が主張する(結論づける)のは次の一節である。

「地方創生」の主役は国ではなく地方である。それも地方自治体ではなく、一人一人の住民である。地域住民が動き出すことで初めて、真の地方創生が実現できると考える。いや、地域住民が動き出さない限り真の地方創生などあり得ない。地方創生を導くキーワードは「ひと」「地域」「つながり」「環境」「自給」「共存」「多様性」「楽しむ」といったところではないか。疲弊した地方の再生に今、最も必要なものは、大きな何ものかに安易に依存せず、できるだけ地域(自分たち)で自立を図ろうという意欲と覚悟、そして実際の行動である。(220ページ)

「奇跡の村」は、一人の卓越した政治家や行政職員によってつくりあげられた(られる)ものではない(本書では特定の「ヒト」に焦点をあてた叙述がなされている)。「奇跡」や「卓越」という言葉には、危うさがつきまとう。いま問われるのは、「奇跡」の村がどこにでもある「当たり前」の村になり、その村(地域・社会)を支える多様な住民をいかに育成・確保しネットワーク化を図るか、である。その取り組み(住民主体形成)は、内発的で自律的、計画的で継続的なものでなければならない。筆者(阪野)が本稿で言いたいのはこのことである。

「静」と「動」:思い出すことども

地域やそこでの暮らしは、時空のなかで「静」と「動」を行ったり来たりする。それも「内発」と「外発」によってである。

これは、筆者(阪野)が四半世紀も前に群馬県のN村で地域福祉(活動)計画の策定にかかわったときの最初の想いである。そこで出会ったのは、骨も凍るほどの孤独に生きる一人の高齢者であり、古くからの湯治場で激しく生きる一人の視覚障がい者であった。鮮烈に覚えている。
いまになってこんなことを思い出すのは、先月、富山市から帰宅後に1週間ほど病床に伏していたとき、宮嶋淳・ほか『地方都市「消滅」を乗り越える!―岐阜県山県市からの提言―』(中央法規、2016年2月)や渡辺利夫『放哉と山頭火―死を生きる―』(筑摩書房、2015年8月)などを読んだからであろうか。前者は、流行語である「消滅」を前提にし、それを「乗り越える」ための“大学人”による実践事例研究(「提言」)の本なのであろう。その読後に、N村の歴史と風土、人々の暮らしと営みを、新しい概念であった「福祉文化」の一言(ひとこと)で纏めあげようとしたこと。それは、その用語の表層を撫(な)でるばかりであったこと。そして、吉本哲郎が言う「土」と「風」の地元学についてその理解と実践が一面的で浅薄であったこと、などを思い出した。汗顔の至りである。
後者についてはたまたま、2月6日に木曽福島に蕎麦を食べに行ったとき、山頭火を思い出したことによる。周知の通り、尾崎放哉(おざきほうさい:1885年~1926年)と種田山頭火(たねださんとうか:1882年~1940年)は、自由律俳句に異才を放った俳人として著名である。「轉轉漂泊」(てんてんひょうはく)の放哉と「放浪行乞」(ほうろうぎょうこつ)の山頭火の作風は、「静」の放哉、「動」の山頭火、と対照的に評されることがある。そういうなかで、二人の生きざまに通底するのは、自己破壊による深い孤独や内界の苦悩との激しい“闘い”そのものであったろう。それは、放哉にあっては東京帝国大学(1905年9月)への入学、山頭火にあっては母親の自殺(1892年3月)で始まったのであろうか。
代表的な一句に、放哉の「咳をしても一人」。寂しい限りである。山頭火の「分け入つても分け入つても青い山」。戸惑いや孤独を想う。それ故にか、豊かな自然(この世のあらゆるモノ)との共生(共存や融和)を願う。

まちづくりに肝要なのは、「土の人」の内界に思いを致し、その思考や感情に寄り添い、「静」から「動」を引き起こすことである。この拙稿で問いたいのは、まちづくりにかかわる「風の人」の、そのための立ち位置や姿勢についてである。

「自然と人間の結び合い」としての日本的共同体:多層性と精神性―内山節著『共同体の基礎理論』を読み返す―

2月6日、筆者(阪野)は、盟友のひとりであり本ブログの熱心な読者でもあるY氏の誘いを受けて、蕎麦を食べに長野県の木曽福島に出かけた。評判通りの絶品であり、蕎麦好きの筆者にとっては大満足であった。あいにく雲がかかって御嶽山を眺望することはかなわなかったが、木曽馬の里まで車を走らせ、高山市を経由して帰宅するという、贅沢な一日を過ごすことができた。
「木曾路はすべて山の中である」(島崎藤村)ことに納得しながら、Y氏が運転する車はいくつかの峠を越え、奥深い山間(やまあい)の集落を通り抜けた。その集落(共同体)は、自然の懐に抱かれた時空の静寂と安寧のなかにあった。そう感じたのは、いまだに肩の力が抜けず、ギスギスしたいくつものコミュニティで暮らしてきた(いる)自分。命を輝かせて「自然とともに」生きることなど到底できないと思い込んでいる自分がいた(いる)からであろう。しかも、Y氏が運転する座り心地のいい車のシートに身を沈め、流れ去る景色を漫然と眺めていたからでもあろうか。(「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」種田山頭火)。
帰宅すると、注文していた本(ブックレット)が届いていた。哲学者内山節(うちやま・たかし)の『主権はどこにあるのか―変革の時代と「我らが世界」の共創』(農山漁村文化協会、2014年7月)がそれである。その晩のうちに、一気に読んでしまった。内山は、混沌と分裂の時代にあるこんにち、国家の運営に依存しない世界、多様性や多層性をもった結び合いの世界(「我らが世界」)をいかに創るかが問われている。その「主権」は、私や国家や地域にあるのではなく、「関係性のなかにある」、という。次の言説に留意しておきたい。

▽「国家か、地域か」を超えて「結び合い」のなかに生きる世界を創る
地方分権とか地域主権、地域づくりという言葉を使うときに、権限を国が持つのか地方が持つのかという議論がよく起きる。地方がもっと自主性を持ってやっていけるようにするのは大事だと思うが、国か地方かという発想自体がもう古いのではないか。
私は、国は信頼するに足らないものだということがこれからより明確になっていく時代だろうと思う。その国に依存していては駄目だが、国の対極にあるのは地域とか地方ではなくて、あくまで結び合いとしてのローカリズム、どういう結び合いのなかに我々の生きる世界を創るのかということである。それは地域としての結び合いもあるが、外部の人たちとの結び合いもある。結び合いがあるから地域も成り立っている。そういう形をこれからはつくっていかなければならない。国か地域かという二分法ではない。(41ページ)

▽主権は「私」にあるのではなく「関係性」のなかにある
「地域主権」という言葉は、この間「地方分権」とともにずいぶん使われてきたが、その主権はどこに存在するのか。(中略)
人間が主権者であるという欧米近代のとらえ方それ自体に欠陥があったのではないかという気がしている。(中略)
農業の場合も私に主権があるのではなく、自然との関係のなかに主権がある。あるいはいままでの歴史を積み上げてくれた先祖である死者たちとの関係のなかに主権があるし、消費者と結ばれていれば、そういう人たちとの関係のなかに主権がある。このように主権は実は関係のなかにあるのに、「主権は私にある」という何か大きな錯覚をしてしまったのではないか。
主権は結び合いのなかにある、あるいは関係性のなかにある。そういうとらえ方をしていく必要があるのではないかと思い始めている。本当の主権は私のところにはない、関係性のなかにある。関係の積み上がったものを風土と呼ぶならば、主権は風土のなかにあると言ってもよい。
このように関係のなかにある主権を風土主権と呼んでもいいかもしれないし、ローカリズム主権という言い方をしてもいい。
かかわり合いが「我らが世界」を創っていく、そこに主権があるという展望を持ちながら、変革の時代を生きていきたい。(43~44ページ)

4日後の2月10日には、自分が運転する車で富山市に行った。日本で一番標高が高い松ノ木峠パーキングエリアでひと休みし、10キロを超える飛騨トンネルをくぐり抜け、世界遺産の白川郷を眼下に望みながらの、およそ3時間のドライブであった。高速道路から見えるいくつかの集落は、深く静かな雪のなかにあった。それは、久しぶりに見る美しい風景であったが、険しい地形や豪雪という厳しい自然と対峙しながら生き抜く集落とそこに暮らす人々について思いを巡らした。そして、「自然と共生する、穏やかで豊かな暮らし」などとは軽々にはいえないと思った。脳裏に浮かんだのは「限界」や「消滅」という言葉であり、また『農山村は消滅しない』(岩波新書、2014年12月)という小田切徳美(明治大学)の言説であった。翌11日には同じ道を帰ったが、遠目ながらあちこちのスキー場は若者であふれ、元気で賑(にぎ)やかなようであった。
帰宅後、内山の『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』(農山漁村文化協会、2010年3月)を読み返すことにした。周知のように、本書では、マッキーヴァー(Robert Morrison MacIver、1982年~1970年)のコミュニティ論や大塚久雄(1907年~1996年)の『共同体の基礎理論―経済史総論講義案』(岩波書店、1955年7月)などとは異なり、伝統と風土に支えられた「共同体」論が展開されている。その特色のひとつは、内山自身の群馬県上野村での生活経験から、「自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神」(32ページ)に共同体の本質を見出していることにある。すなわち、日本の共同体の基盤や特徴は、「コミュニティとアソシエーション」(注1)や「エリア型コミュニティとテーマ型コミュニティ」などといった、共同体の「かたち」や「機能」にあるのではない。「自然と人間」「生と死」が一体化した関係性(「つながり」)のなかで、その時代を、その地域の人々といかにして「ともに生きる」かという「精神」こそにある、と内山は説いている。以下に、内山の重要な言説のいくつかを記しておくことにする。

▽共同体は小さな共同体が積み重なる「多層的共同体」である
地域共同体とは何なのであろうか。地域というひとつのものにすべてのメンバーが統合されていると考える地域共同体論は正しいのだろうか。(中略)
私は共同体は二重概念だと考えている。小さな共同体がたくさんある状態が、また共同体だということである。ひとつひとつの小さな共同体も共同体だし、それらが積み重なった状態がまた共同体だとでもいえばよいのだろうか。このような共同体を私は多層的共同体と名づける。共同体のなかに、小さな共同体が多層的に積み重なっている、多層的共同体とは、そんな共同体のことである。(76~77ページ)

▽共同体は人々がともに生きる「小宇宙」である
日本の共同体は自然と人間の共同体として、生の世界と死の世界を統合した共同体として、さらに自然信仰、神仏信仰と一体化された共同体として形成されていた。ここには進歩よりも永遠の循環を大事にする精神があり、合理的な理解よりも非合理的な諒解に納得する精神があった。人々は共同体とともに生きる個人であり、共同体にこそ自分たちの生きる「小宇宙」があると感じていた。(16ページ)

▽共同体の基層には自然と人間が結ぶ「精神」がある
自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神が、共同体の古層には存在している。それが共同体の基層であり、この基層を土台にして時代に応じた、地域に応じた共同体のかたちがつくられる。ゆえに共同体が壊されていくというとき、その意味は、自然と人間が結び人間たちが共有世界を守りながら生きる精神が壊されていくことを意味するのである。(中略)共同体はその「かたち」に本質を求めるものではなく、その「精神」に本質をみいだす対象である。(32ページ)

▽共同体の「精神」の本質は「ともに生きる世界があると感じられること」である
私たちがつくれるものは小さな共同体である。その共同体のなかには強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。その中身を問う必要はないし、生まれたり、壊れたりするものがあってもかまわない。ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。だから単なる利害の結びつきは共同体にはならない。群れてはいても、ともに生きようとは感じられない世界は共同体ではないだろう。
課題は、ここにともに生きる世界があると感じられる小さな共同体をいかに積み重ねていくか、なのである。それが積み上がっていけば、小さな共同体同士の連携もまた形成されていくだろう。ここに共同体があると感じられる時空も生まれていくだろう。
ひとつのものにすべてが結合されている状態という古い共同体のイメージは一掃されなければならない。それは歴史的にみても、適切な認識ではない。(168~169ページ)

筆者はこれまで、関東や東海、北陸のいくつかの自治体や社会福祉協議会において、福祉のまちづくりやそのための計画策定、その主体形成を図る福祉教育実践などに関わってきた。その際、必ずしも十分とはいえないものの、市町村レベルの共同体のみならず、そのなかの集落や地区といった地域共同体の自然をはじめ歴史や文化、伝統、慣習などにも関心を払ってきた。また、「地域福祉」の推進や「まち」の再生を図るためには、科学的根拠に基づく「制度」や「システム」の変革や創造のみならず、住民意識の醸成や改革などが必要かつ重要である、と考えてきた。この点に関して内山は、「システムを変えれば世のなかはよくなる」という発想ではなく、「生きる世界の再創造を通してシステムの変革を求める」という考え方が肝要である(166ページ)、という。すなわち、内山にあっては、共同体の基層には自然と人間が結ぶ「精神」がある。その「精神」は「ともに生きる」という意識であり、それがその共同体(地域や住民)のなかでどれだけ醸成され共有されているかが重要になる。その土壌(基盤)があってこそ、その共同体に合った、その共同体ならではのシステムの導入や変更が可能となる。そして、「生きる世界の再創造」が図られる。内山の言説から改めて再認識したことのひとつである(注2)。


(1) 内山の共同体論と欧米の古典的なそれとの違いを知るために、テンニース(ドイツ)とマッキーヴァー(アメリカ)のコミュニティ論に関する内山の説述を紹介しておくことにする。

共同体についての古典的な本としては、テンニェス(F.Tönnies)の『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887年)がある。ゲマインシャフトは一般に共同体と訳されることが多いが、地縁、血縁などで結ばれた有機体を指している。対してゲゼルシャフトは利害関係や目的意識などでつくられた人間の社会を意味しており、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行が歴史の発展としてとらえられていた。それは近代形成過程の理論だったといってもよい。
このゲマインシャフトとゲゼルシャフトの関係をコミュニティとアソシエーションの関係として考察した、これも古典的な本に、マッキーヴァー(R.M.MacIver)の『コミュニティ』(1917年)がある。ただしテンニェスとマッキーヴァーとでは内容は大きく異なっている。マッキーヴァーにとってコミュニティとは共同的な生活が営まれている場であり、社会のあり方や文化などが共有されている結合体である。そしてその内部にはさまざまなアソシエーションが内包されている。アソシエーションはある目的を実現するための組織とでも述べておけばよいのだろうか。(78ページ)
 
マッキーヴァーのコミュニティのとらえ方は、コミュニティの内部に共同の関心を追求する組織体=アソシエーションが多様に存在しているというものである。テンニェスのようなゲマインシャフト(コミュニティ)からゲゼルシャフト(アソシエーション)へ、というような位置づけではない。とすると今日の日本でしばしば語られている「コミュニティが必要だ」という議論のなかで用いられている「コミュニティ」とは、むしろマッキーヴァーのいう「アソシエーション」の方であろう。なぜなら現在の日本で語られている「コミュニティ」は、人間たちの協力関係をつりくだすという関心にもとづいて進めようとしている活動であり、社会組織の模索だからである。(80ページ)

前述したように、内山にあっては、「共同体」とは「共有された世界をもっている結合であり、存在のあり方」をいう。共同体は、そのなかに小さな共同体を内包する「多層的共同体」である。「アソシエーション」を積み上げても、共同体は生まれない。理由のある組織を積み上げても、理由のある社会がつくられるだけである。内山はそれを共同体とは呼ばないのである(82~83ページ)。重ねて指摘しておきたい。
(2) 本稿に関連する文献として、内山節『内山節のローカリズム原論―新しい共同体をデザインする』(農山漁村文化協会、2012年2月)も興味深い。
そこにおいて内山は、「ローカリズム」とは、「自分たちの生きている地域の関係を大事にし、つまり、そこに生きる人間たちとの関係を大事にし、そこの自然との関係を大事にしながら、グローバル化する市場経済に振り回されない生き方をするということ」(106ページ)である、と規定する。そして、内山は、「関係の網によって結ばれた世界」が「ローカルな世界」であり、そこにこそ人間たちの生きる基盤をつくらなければならない。このローカルな世界を「共同体」といってもよいし、「コミュニティ」として捉えてもかまわない、という(109ページ)。