「雑感」カテゴリーアーカイブ

「まちづくりと福祉教育」の「当事者」の立ち位置と姿勢に関するメモ―「当事者研究」(向谷地生良)と「2.5人称の視点」(柳田邦男)、「“熱い胸”と“冷たい頭”」(一番ヶ瀬康子)、そして「住民当事者研究」などをめぐって―

〇「まちづくりと福祉教育」の「当事者」とは誰か。その当事者は立ち位置をどこに取り、どのような姿勢でその実践や研究に取り組むべきか。本稿のねらいは、この素朴で基礎的な質問にひとまず応えるための文献と、そこでの注目(留意)すべき論点や言説を紹介(再認識)することにある。ブログ読者からの「問い」に対する回答のひとつである。なお、以下の文献は、筆者(阪野)の手もとにある、限られたものであることを断っておきたい。

(1)中西正司・上野千鶴子『当事者主権』(岩波新書)岩波書店、2003年10月(以下[1])
(2)上野千鶴子『ケアの社会学―当事者主権の福祉社会へ―』太田出版、2011年8月(以下[2])
(3)日本福祉教育・ボランティア学習学会機関誌編集委員会編『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報(特集 福祉教育・ボランティア学習と当事者性)』Vol.11、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2006年11月(以下[3])
(4)石原孝二編『当事者研究の研究』医学書院、2013年2月(以下[4])
(5)柳田邦男『「人生の答」の出し方』新潮社、2004年4月(以下[5])
(6)一番ヶ瀬康子『社会福祉の道』風媒社、1972年12月(以下[6])
(7)一番ヶ瀬康子・大橋謙策編『学校における福祉教育実践 Ⅰ―保育所・幼稚園・小学校-』(シリーズ福祉教育 第2巻)光生館、1988年4月(以下[7])

〇周知のように、国(厚生労働省)によっていま、「地域共生社会政策」(「我が事・丸ごとの地域づくり」注①)が推進されている。確かで豊かな地域共生社会の実現を図るためには、行政や専門家による積極的・革新的な取り組みとともに、地域住民の学習・文化活動や「まちづくり」の主体形成、当事者の参加(参集、参与、参画)や共働が重要な課題となる。
〇「福祉教育」に関する主要な教育実践に、障害や高齢の疑似体験(車いす体験やアイマスク体験)や、障がい者や高齢者との訪問・交流活動がある。その展開に際しては、障がい者や高齢者などの当事者の参加や共働を如何に図るかが厳しく問われる。それは、場合によっては、「貧困的な福祉観の再生産」(原田正樹)を結果することになるからである。
〇「まちづくりと福祉教育」の当事者は、そこに暮らす子どもから大人までの全ての地域住民である。当然のことながら、「障害当事者」「高齢当事者」や社会福祉サービスの「必要者」「利用者」などもそれに含まれる。むしろ彼・彼女らが、「まちづくりと福祉教育」で重要な位置と役割を占めるべきである。まちづくりについていえば、地域・福祉意識の醸成・変革が求められる地域住民をはじめ、専門的な知識や技術をもつ実践者(専門家)や研究者も当事者である。学校福祉教育についていえば、子どもと教師、保護者、さらには地域住民も当事者である。
〇なお、『広辞苑(第7版)』(2018年1月)によると、「当事者」とは「その事または事件に直接関係をもつ人」をいう。「当事者」に関しては、「受益者」から「当事者」への移行、「当事者」研究から「当事者研究」への展開、などが指摘される。さらに、「当事者性」という用語に関して、当事者(障がい者等)の特性、当事者(障がい者等)の主体性、非当事者(非障がい者等)による当事者(障がい者等)の受容・共感や自己同一化の程度、などと多義的で、多様な意図をもって使われる。
〇このように「当事者」(広義)についてあれこれと思考を巡(めぐ)らしながら、[1]から[7]の文献における「当事者」とその立ち位置や姿勢に関する論点や言説の一部を紹介する(抜き書、要約)。

(1)「当事者主権」:中西正司・上野千鶴子
当事者とはだれか? 当事者主権とは何か?
ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる。ニーズを満たすのがサービスなら、当事者とはサービスのエンドユーザー(商品を使う人:阪野)のことである。だからニーズに応じて、人はだれでも当事者になる可能性を持っている。
当事者とは、「問題をかかえた人々」と同義ではない。問題を生み出す社会に適応してしまっては、ニーズは発生しない。ニーズ(必要)とは、欠乏や不足という意味から来ている。私の現在の状態を、こうあってほしい状態に対する不足ととらえて、そうではない新しい現実をつくりだそうとする構想力を持ったときに、はじめて自分のニーズとは何かがわかり、人は当事者になる。ニーズはあるのではなく、つくられる。ニーズをつくるというのは、もうひとつの社会を構想することである。([1]2~3ページ)
当事者主権は、何よりも人格の尊厳にもとづいている。主権とは自分の身体と精神に対する誰からも侵されない自己統治権、すなわち自己決定権をさす。私のこの権利は、誰にも譲ることができないし、誰からも侵されない、とする立場が「当事者主権」である。([1]3ページ)
当事者主権とは、私が私の主権者である、私以外のだれも―国家も、家族も、専門家も―私がだれであるか、私のニーズが何であるかを代わって決めることを許さない、という立場の表明である。([1]4ページ)

現代社会に必要なのは、個人個人が当事者となり、自分自身の人生に対する主権を行使することではないだろうか。そうすることで、社会は自分たちの望む方向に変わる。障害者は一歩先に自立したが、むしろ多くの非障害者はまだ自立できてはいない。世の中をこんなものさ、と受け入れていれば、自分のニーズにさえ気づかない。そのために、非障害者は当事者にさえ、なれないのだ。障害者の自立の理念に学んで、変えられないと思っている社会を変えてみようではないか。([1]205~206ページ)

(2)「当事者主権」:上野千鶴子
「当事者主権」とは、中西正司とわたしが共著『当事者主権』のなかで造語したものだが、「主権」という強い用語を当てたのは、「他者に譲渡することのできない至高の権利」という含意から来ている。人権の拡張によって得られた「ケアの権利」は、この当事者主権にもとづいていなければならない。だからこそ、ケアの権利の積極的/消極的の軸は、ケアすること/ケアされることの自己決定権の有無にもとづいて立てられたのである。([2]65ページ)
日本語の造語である「当事者主権」には、対応する英語圏のテクニカル・タームが存在しない。「自己決定権」を字義通り訳してself-determinismという訳語を対応させることは、(中略)「自己決定・自己責任」のネオリベラリズムの用語と混同されるおそれがあるため、採用を避けたい。当事者主権の訳語には、individual autonomyを暫定的に当てることとする。それは社会的弱者の自己統治権を意味するからである。([2]66ページ)

「当事者主権」という概念が障害学の分野から生まれたのは偶然ではない。というのも、「消費者主権」同様、援助の対象となっていながらその実、援助の内容についての自己決定権を長きにわたって奪われてきたのが障害者だったからである。障害者に限らず、女性、高齢者、患者、子どもなどの社会的弱者に「当事者能力」が奪われてきたことを前提に、それらの人々の「自己決定権」を主張するために、「当事者主権」という用語がつくられる必要があった。「当事者主権」とは何よりも社会的弱者を権利の主体として定位するために、必要とされた概念なのである。([2]67ページ)

(3)「当事者性」:松岡廣路
(障がい者や高齢者などの:阪野)「当事者」の学習が周辺に置かれたり、「当事者」が介在しない「非当事者」の教育・学習中心の福祉教育・ボランティア学習が推進されたりすることを懸念して、「当事者性」という考え方を、理論的なキー概念とすることも必要ではないだろうか。「当事者性」は、個人や集団の当事者としての特性を示す実体概念というよりも、「当事者」またはその問題的事象と学習者との距離感を示す相対的な尺度と捉えられるべきであろう。「当事者」またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合いといってもよい。
「当事者性が高め深められる」とは、たとえば、気軽にボランティアをはじめた後、徐々に対象者が身近な存在となり、その人との関係抜きには自分の生活を考えられなくなるような状況を指す。あるいは、「社会的に恵まれない、かわいそうな人」という発想から抜け出て、対象者の抱える問題を自分にとっての問題と捉えるようになり、対象者がともに解決のための行動を起こす仲間になったりするすることを意味する。(中略)福祉教育・ボランティア学習とは、「当事者性」を高め深めることを支援することによって、何らかの成果(問題意識・主体性・解決に向けての具体的行動)を得ようとする実践と言い換えることができるだろう。([3]18~19ページ)

(福祉教育・ボランティア学習における教育的な実践課題〈方向性〉として、次の3つを析出することができる。:阪野)ひとつは、〈包括的な当事者をいかに組織化するのか〉という方向性である。「包括的な当事者」とは、障害当事者に限定または固定化するのではなく、個人を取り巻く、親・施設職員・ソーシャルワーカーそしてボランティアや地域住民まで拡張して捉えるべきであるという考えである。包括的な当事者を組織化するということは、いわゆる当事者や家族・専門スタッフだけではなく、ボランティアあるいはそこに暮らす地域住民や子どもたち各々が、より「当事者性」の高い人たちに触れ合うことで共感・一体感・同時存在感を増し、自らの「当事者性」を高め深めていく過程を内在するものということができる。
もうひとつは、〈潜在的な当事者の意識化をいかに進めていくのか〉という方向性である。ニーズを意識化している人々のみを当事者と捉えるのではなく、問題の真っ只中に居るにもかかわらず問題を意識化しえていない人々も、潜在的な当事者であり、子どもや地域住民も、本来の当事者である。潜在的な当事者の意識化とは、己の問題状況を自覚し、それとの心理的・物理的距離感としての「当事者性」を高めるということである。
(そして3つ目は:阪野)〈いかに異なる当事者の連帯を促進するのか〉という方向性である。子ども・女性・障害者・高齢者・勤労者・在日外国人などの多様な生活者が埋没している今日の反福祉的状況を克服する包括的な力動を推進するものとして、福祉教育・ボランティア学習の意義が期待されている。当事者の連帯とは、異なる「当事者性」を重ね合い、多極的かつ有機的に「当事者性」を高め合っていくということになる。福祉教育・ボランティア学習は、そうした「当事者性」の深化・統合をいかに具体的に促進するのかを課題とする実践と同定しえるであろう。([3]16~20ページ。抜き書き、要約)
の進化
(4)「当事者研究」:石原孝二・河野哲也・池田喬
(べてるの家の実践では:阪野)「当事者性」について独特の理解がなされてきた。つまり、「自分のことは、自分がいちばん、“わかりにくい”」という理解のもとに、「自分のことは、自分だけで決めない」ということが当事者性の原則として受け継がれてきたのである。
自分が受けるサービスを自分で選択する権利を取り戻すという当事者運動における「当事者」とは異なり、べてるの家における「当事者」とは、自らの苦労を取り戻し、人とのつながりを回復することによって、自分を再発見していく人のことなのである。そうした再発見の場として機能するのが当事者研究にほかならない。(石原[4]28ページ)

当事者研究が自己を再発見していく営みであることは、べてるの家の当事者研究においても示されていたポイントである。当事者研究とは、当事者が人とのつながりの中で、苦労を取り戻し、言葉を取り戻し、自らの歴史性を取り戻していく作業であった。また、べてるの当事者研究の理念「自分自身で、共に」の「共に」には、当事者の仲間と共に、というだけでなく、専門家と共に、という意味が込められている。しかしこの場合の専門家の立ち位置は、あくまでも、当事者の主観的現実に寄り添う、ということにある。(石原[4]48ページ)。

当事者研究において目指されているのは、障害当事者が自分自身で自分の問題に取り組み、自発的に生活の質の向上を目指すことである。この形を見るならば、当事者研究の過程は、治療というよりも、デューイがいう意味での自己「学習」に近いといえないだろうか。(河野[4]84ページ)
当事者研究は、デューイの問題解決学習(Problem Solving Learning)の一種だといってしまってよいほどだ。(河野[4]87ページ)
こうした当事者による学びにおける教育者の役割は、生活の質を向上させようとする当事者の試みを尊重しながら、それが可能になるような当事者のケイパビリティ(潜在能力)を共同で開発していくことにある。何を学ぶことがどのようなケイパビリティを開発することにつながるのか、それがどのような生活の質の向上と結びついているのか。こうした学びの価値が当人にとって可視化されていることが、学習意欲を維持する。教育者は、学習目標を定めてそこへの道を教授するインストラクターではなく、当人が生活の質を高めるための選択肢を示唆するコーチでなければならない。
当事者研究は、自分の成長にかかわる知、すなわち、自己教育であり、自己教育以外に成長の道はないのである。これが当事者研究の優位性である。(河野[4]88ページ)

当事者研究が目指しているのは、当事者同士の共同的な探求の中で自己理解を深め、自分の問題に対する対処法を知ることであり、それを通して最終的に自律性を確保することである。したがって、当事者研究とは、比較不可能な個性を主張するための閉鎖的な自己表現ではありえない。当事者が、自己についての言及が絶対のものであり、無謬(むびゅう。まちがいがないこ:阪野)であると考えてしまえば、それは集団・個人の両レベルにおいて当事者の孤立を招き、最終的に当事者の活動を閉塞させてしまうだろう。
当事者研究は、当事者同士の相互援助によって障害を持った人々の共同性を確保すると同時に、その個々人の差異化と分節化を促し、自分自身で自発的に学びながら生きる手段を提供するものである。当事者が医学定義によって外から分類されるのではなく、当事者が自分の抱えている問題をどのように対処しているかという自己学習の観点からつながり合うときにこそ、当事者研究の大きな意味が明らかになる。(河野[4]109~110ページ)

当事者研究は、診断名や社会的なカテゴリーによる理解ではなく、当事者たちによる研究によって自分たちについての理解を獲得しようとする。当事者研究における当事者性とは、結局、その人その人の身体と言葉を介した生きる主体性だといえるのかもしれない。だとすると、この主体性は、健常者や研究者・専門家といったカテゴリー的理解の適用によって「私は当事者ではない」と思考するときにまさに逸(そら)されているものである。当事者とは、一人一人が、当事者研究に触れることを通じて「自分自身で、共に」なるべき何かなのである。(池田[4]146~147ページ)
当事者研究は、研究者・専門家も含めた私たちの一人一人が共に自分自身で考えるチャンスの場なのである。(池田[4]147ページ)

(5)「2.5人称の視点」:柳田邦男
私はかねて、拙著『この国の失敗の本質』(講談社、1998年12月、のち講談社文庫に)や『緊急発言 いのちへⅡ―医療事故・鉄道事故・臨界事故・大震災』(講談社、2001年9月)などで、専門化社会の専門家あるいは専門的職業人に求められるのは、ひとりひとりが「2.5人称の視点」を身につけることと、その視点を業務のなかで確実に生かせるような組織的な取り組みをすることだと提言してきた。1人称は被害者や患者や障害者本人、2人称はその家族。3人称は友人・知人や仕事でかかわり合う職業人からアカの他人まで。医療者や福祉の従事者をはじめ、行政官、法律家、教育者、ジャーナリストなどは、3人称の立場なのだが、冷たく乾いた3人称であってはならないはずだ。これからの専門的職業人には、3人称の冷静で客観的な判断をする立場を維持しながらも、被害者・患者・障害者などの弱い立場の人に対し、《自分が当事者あるいは家族だったら》という気持ちで寄り添うことも求められている。かと言って、2人称の家族と同じ気持ちになってしまったら、感情が同一化して、冷静で客観的な判断ができなくなる。そこで私は、これからの専門的職業人のあり方として、3人称と2人称の2つの立場を視野に入れた潤いのある「2.5人称の視点」の定着を提言したのだ。
そのためには具体的にどうすればよいのか。問題に取り組むときに、まず自ら現場に行き、被害の状況を実感するとともに、被害者、患者、障害者の生の声を聞くことだ。法規や理論の適用を机上で考える前に、現場を踏む。そうしてこそ本当に「わかる」という事実認識ができるのだ。そして、「法規上できない」とか、「科学的に証明されていないから何もできない」といった、ネガティブな発想を捨て、「現行の法規でも被害の拡大防止と救済の対応をする方法があるはずだ」とか、「根本的には法規をどう変えるべきか」とか、「科学的な証明はまだできていなくても、因果関係が黒に近い灰色であるなら、被害の拡大を防ぐためにまず手を打とう」(結果として白となって企業に損害が生じても、それは社会的に必要なコストとして行政が責任をとろう)というポジティブな発想をこそ優先すべきなのだ。「2.5人称の視点」の実践とは、そういう取り組みを指している。それが専門的職業人と行政・企業・学問の組織が、今まさに水俣病事件から学ぶべき課題なのだ。(5]192~193ページ)

(6)「“熱い胸”と“冷たい頭”」:一番ヶ瀬康子
“熱い胸”と“冷たい頭”というのは、私は感性的認識と理性的認識ということを別の言葉でいっているわけです。つまり“熱い胸”というのは感性的認識で、それは、大事にしないといけないけれど、そこにとどまっている限りより根本的な解決につながらないし、また自分はよいつもりでやっていても、結果的には間違っている場合もでてきます。なぜそうなったかということを深めながらより深い実践の展望を生みだすためには、なぜそうなったかという科学的認識あるいは理性的認識を媒介におかなければいけない。これが、“冷たい頭”だということです。
“熱い胸”から出発して“冷たい頭”をねりあげていきながら、“熱い胸”の正しい生かし方というものを、互いに深めていこうということの意味です。([6]57~58ページ)

(7)「感性的認識・理性的認識・主体的認識」:一番ヶ瀬康子
私は社会福祉への認識は、つぎの3つの段階をへて行われると考えている。それは、(1)感性的認識、(2)理性的認識、(3)主体的認識の3段階である。
(1)の感性的認識とは、“社会福祉”の必要を、漠然と心情的に認識している段階である。ことに自らと異なる他への認識の壁をこえつつ、他者との共感・共鳴あるいは愛情などを基底として、連帯への想いをいだきはじめる段階である。この段階での行動は、単純で、偶発的なものが多く、いわば慈善的なものにおわる場合も少なくない。しかし、自己中心的また排他的活動ではない他者との積極的関係がめばえはじめる段階である。
(2)の理性的段階とは、(1)の連帯への想いと素朴な活動が展開する過程で、そのことの意味や在り方を、より考究し有効性を検討しはじめる段階であるといえよう。それは、感性的段階での素朴な経験の集積のなかから会得し、その在り方を確認するレベルのものからはじまる。そして、他者たとえば高齢者の心理や生活上の特徴などをふまえて、その高齢者の状況を尊重しながらかかわりあうというレベル、さらにたとえば高齢者をめぐる社会福祉の在り方などにかんする矛盾の認識にいたるまで、多層でまた多様な道筋をたどるものと思われる。いずれにしても、(1)の感性的段階よりは、関係や環境との矛盾を客観視しながら、その在り方の認識に到達する段階であるといえよう。
それらに対し、(3)の主体的段階は、たとえば高齢者をめぐる問題など社会福祉の状況や矛盾に対し、積極的にかかわりながら、その充実、改善あるいは開拓、創造のための在り方を把握していく段階である。この段階では、たんに制度的な社会福祉を知っている、あるいは活用できるだけではなく、それをくみこみながら、もっと本質的な福祉を実現する社会福祉を自発的に創造していくための方向、方法に対し認識し、さらに自らのかかわり方への自覚をともなっていく段階である。つまり偶発的なボランティアとしてのレベル以上に、福祉を実現するための自発的な社会福祉(Voluntary Social Welfare)実践者としての認識の段階とも考える。
もちろん、以上のような3つの段階は、確然としているものではない。それは、発達の道筋のなかで、いわば螺旋的に、しだいにひろがりをもちつつ深まっていくのではないだろうか。([7]6~7ページ)

〇以上のうち、とりわけ[4]は、筆者にとっては何回読んでも衝撃を受け、感動を覚える本である。[4]でいう「当事者研究」は、2001年2月に北海道の「浦河べてるの家」(精神障がい者の地域活動拠点)で始まったものである。その「研究」の成立に重要な役割を果たした一人に、向谷地生良(むかいやち いくよし)がいる。
〇べてるの家の当事者研究は、障害や問題を抱える当事者に対して、医師(専門家や研究者)が診断し治療(援助)するのではない。当事者自身が自らの苦労や困難、苦悩や苦しみに向き合い、自発的・主体的に問い直し、それを言語化し、問題解決へ向けて対処(行動)する。そして最終的に自律性を確保する。その実践(作業)を「研究」という言葉を用いて、仲間や支援者とともに共同的・公共的に行い、それを通じて人や社会との「つながり」の回復を図るのである。
〇べてるの家の当事者研究では、「3度の飯よりミーティング」「手を動かすより口を動かせ」というキャッチフレーズ(理念)のもとで、「自分を語る」ことが重視される。それは、単に個人的な体験談を話すことではなく、その閉塞性からの脱却を図るために、「共同的に言葉や知を立ち上げていく」(池田[4]133ページ)のである。別言すれば、当事者は自己体験を表現する言葉が少ないがゆえに、「自分を語る」なかで仲間と共に言葉を考え、紡(つむ)ぎ、それを通して見地を見出し、知見を広げていくのである。この共同行為によって、個人的な体験が「その人だけの自己完結的なものではなくなり、普遍性とか広がりとかつながり」(向谷地[4]153ページ)を持つことになる。
〇それは、1人称である当事者が、「研究」という3人称的な立ち位置から自分の問題を外在化し、仲間と共有化していくことを意味する。この点において当事者研究は、柳田邦男がいう「2.5人称の視点」の実践であると言ってもよい。客観的で冷静な3人称(他人、専門家)の立場を踏まえながら、1人称(わたし、当事者)や2人称(あなた、家族)の心情を共感的に理解し寄り添う(当事者や家族の身になって考える)姿勢(実践)がそれである(資料①)。さらに、この潤いのある「2.5人称の視点」は、一番ヶ瀬康子がいう「“熱い胸”と“冷たい頭”」や社会福祉への「感性的認識・理性的認識・主体的認識」についての言説を想起させる。[5]と[6][7]を紹介するところである。
〇なお、[4]で河野は、べてるの家の当事者研究は「障害当事者が自分自身で自分の問題に取り組み、自発的に生活の質の向上を目指す」(河野[4]84ページ)点において、デューイの「問題解決学習の一種」(河野[4]87ページ)であるという。また、向谷地によると、当事者研究はそれをまちづくり(地域づくり)に繋げていくことによって、「足腰の強い市民社会をつくる基本」となる。浦河では「地域の課題や困難を市民みんなが持ち寄って、研究的に、アイデアを出し合って形にしていく」「町民当事者研究」を進めている(向谷地[4]174ページ)。この言説には、「まちづくりと福祉教育」に関して「2.5人称の視点」に注目するとともに、障がい者や高齢者自身が中心的な役割を果たす「まちづくりと福祉教育」を推進したり、地域住民による「地域共生社会」の「研究」という意味での「住民当事者研究」のあり方を考えたりするためのヒントがある。付記しておきたい。


① 2016年10月に厚生労働省に設けられた「地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(地域力強化検討会)」(座長・原田正樹)が、2017年9月、『地域力強化検討会 最終とりまとめ~地域共生社会の実現に向けた新しいステージへ~』を発表した。そのなかで、「地域づくりの3つの方向性」について次のように整理し、「これら3つの地域づくりの取組の方向性は、(中略)互いに影響を及ぼしあうものということができる。『我が事』の意識は、その相乗効果で高まっていくとも考えられる」と述べている(7ページ)。
(1)まちづくりに広がる地域づくり
「自分や家族が暮らしたい地域を考える」という主体的、積極的な姿勢と福祉以外の分野との連携・協働によるまちづくりに広がる地域づくり
(2)ネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
「地域で困っている課題を解決したい」という気持ちで、様々な取組を行う地域住民や福祉関係者によるネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
(3)一人ひとりを支えることができる地域づくり
「一人の課題から」、地域住民と関係機関が一緒になって解決するプロセスを繰り返して気づきと学びが促されることで、一人ひとりを支えることができる地域づくり
なお、原田は、この「地域づくりの3つの方向性」を、(1)まちづくりにつながる「地域づくり」、(2)福祉コミュニティとしての「地域づくり」、(3)一人を支えることができる「地域づくり」、と別言している(『平成30年度 地域福祉推進セミナー―基本資料―』島根県社協・島根県社協地域福祉推進委員会、2018年10月、93ページ)。

資料

補遺
「障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)とは簡単に言えば、障害、障害者を社会、文化の視点から考え直し、従来の医療、リハビリテーション、社会福祉、特殊教育といった『枠』から障害、障害者を解放する試みである」(石川准・長瀬修編著『障害学への招待―社会、文化、ディスアビリティ』明石書店、1999年3月、3ページ)。その「障害学」の成立の背景について、次の言説によって確認しておくことにする。「『まちづくりと福祉教育』の当事者」について思考する際に留意すべき点のひとつである。

医療・教育・福祉などの領域での各種専門職の働きかけが抑圧的なものであったという経験が、1960―70年代以降、障害者自身によって各国で語られ始めた。「〈障害〉を持つ障害者たちの「語り」ではなく、彼らを援助することの権限を与えられてきた専門家たちの「語り」が〈障害〉という現実を構成する支配力」を有してきたことが告発され始めたのである。障害者は、医療では治療やリハビリテーションによって「正常性」へと近づけるべき存在として、教育では社会への適応を支援すべき存在として、福祉では保護の対象となるべき存在として、非障害者の専門家によって位置づけられてきた。このことが、結果として障害者に否定的なアイデンティティを押し付けることにつながったという現実が、障害当事者からの強い批判の的となった。
そこには、問題の「代弁」や「共感」といったことに潜む危険性への自覚がある。これまで障害をめぐって「問題」とされたのは、多くの場合、障害者を取り巻く周囲の人々が「問題」としてとらえた事柄であって、障害者自身にとって「問題」と感じられた事柄ではなかった。したがって、問題解決を志向する取り組みは必ずしも障害者自身にとって望ましい方向に向かうものであるとはいえなかった。このような背景の下、ディスアビリティ・スタディーズは障害者自身による問題の定義づけを重視し、当事者の手による調査研究の重要性を強調したのである。それにあたっては、従来とは異なるオルタナティブな研究目標の探求も必要であるとされ、社会的抑圧の経験から出発して政治的取り組みを促進することへの貢献が一つの目的であるとされた。(星加良司「当事者性の(不)可能性―ディスアビリティ・スタディーズの存在理由」崎山治男・伊藤智樹・佐藤恵・三井さよ編著『〈支援〉の社会学―現場に向き合う思考―』青弓社、2008年11月、212ページ)

障がい者差別と生の思想:「自分の存在意義を問う」(「“ただ生きる”ことの保障」×「“よく生きる”ことの実現」×「“つながりのなかに生きる”ことの持続」)―野崎泰伸「生の無条件の肯定」思想についての福祉教育的視点からのメモ―

〇筆者(阪野)は、福祉教育実践や研究の重要な課題のひとつでもある「障がい者差別と生の思想」に関して、野崎泰伸(倫理学専攻)の本を読み返すことにした。『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から―』(白澤社、2011年6月。以下[1])と『「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!―』(筑摩書房、2015年3月。以下[2])がそれである。再読のきっかけのひとつは、盟友(S氏)からの次のような返信メールである。「阪野さんがいう福祉教育に哲学や思想、倫理がないという話は、『保育指針』にそれがないということと重なります。何をどう教えるかはあっても、なぜそれが必要なのかは“自分の問題”として掘り下げられて来なかった。だから、児童福祉施設でありながら保育所は、社会福祉の『人権や社会正義、多様性の尊重‥‥‥』というような基本理念と重ならないのです」(2018年10月)。いまひとつのきっかけは、国会議員(杉田水脈・すぎたみお)による笑止千万の妄言(「LGBTのカップルは子供を作らない、つまり『生産性』がない」『新潮45』2018年8月号)や、中央省庁や地方自治体などによる「障害者雇用水増し問題」の発覚(2018年8月)にある。さらには、「相模原障害者施設殺傷事件」(2016年7月)を引き起こした元施設職員の「この世から障害者がいなくなればいい」という言葉を思い出すことによる。
〇[1]は、「障害学」の視点から、障がい者にとって「正義」とは何かを問い、生を肯定する「倫理」を新たに構想しようとしたものである。野崎は言う。この社会で障がい者が「生きづらい」のは、軽減・克服すべき個人の身体(障害)に問題があるのではなく、健常者を「正常」とする価値観にとらわれている社会に責任がある。従って、その「生きづらさ」を解消するためには、障がい者を分断・排除している社会が負担を負わなければならない。また、「障害はないほうがよい」という言説がある。その多くは「障害者は存在しないほうがよい」という議論にすりかわってしまう。その「すりかえ」は、社会的負担の拒否を表明するものである。1970年代の「青い芝の会」などの障がい者運動は、「障害からの解放」ではなく(障害によってこうむる)「差別からの解放」を求めた。それらの運動は、「障害者の生存を無条件に肯定する」という「当たり前のことを当たり前に」要求したものであり、その主張に「学問」は学ぶべきである。改めて確認しておきたい野崎の言説のひとつである。
〇[2]は、「犠牲」という視点から、障がい者が抱える諸問題(「生きづらさ」)を検討することによって、「生の無条件の肯定」という思想の構築を図ろうとしたものである。野崎は言う。この社会では、経済成長至上主義や功利主義(「最大多数の最大幸福」)の考え方のもとで、貧富の格差や少数者の犠牲が前提・容認されている。そうしたなかで、障がい者が抱える「生きづらさ」の問題が私事化・矮小化され、障がい者やその家族、支援現場は犠牲を強いられ、追い詰められる。そして、閉鎖的な関係性が形づけられ、そこでのみ「生きづらさ」が共有されることになり、「共倒れ」が引き起こされていく。そしてまた、「何を言っても」「どうせ」この社会は変わらないという諦(あきら)めが、自分の暮らしを守ることに傾注させ、異質な存在(他者)を排除することを促す。こうした「犠牲の構造」のもとに障がい者を差別・抑圧し、捨て置くこの社会に抗するには、「生の無条件の肯定」という正義が問われ、倫理が求められなければならない。改めて押さえておきたい野崎の言説のひとつである。
〇野崎の言説について、筆者にとって意味不明や理解不能な点がいくつかある。例えば、野崎の言説の原点でもある「青い芝の会」の運動の「愛と正義を否定する(愛と正義のもつエゴイズムを鋭く告発する。人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉である)」や「問題解決の路を選ばない(安易な問題解決は危険な妥協ヘの出発である。問題提起を行なうことのみが、われらの行ない得る運動である)」という「行動綱領」([1]40ページ)。「障害はないほうがよい」という言説が「障害者は存在しないほうがよい」という議論に「すりかえ」られるという、その構造。「生の無条件の肯定」が起きるのは「奇跡であり、狂気の瞬間でもある」([1]197ページ)が、それは「感情や気持ちの問題」ではなく、広く「社会構造の問題」をも問うものであるという思考。WHOのICIDH(国際障害分類)からICF(国際生活機能分類)への移行について論究しないこと、等々がそれである。これらに関する分析や理論(論理)の展開については今後に期待することにして、以下では、福祉教育実践や研究に思いを致しながら、再確認あるいは再認識したいいくつかの論点や言説を紹介しておくことにする(引用、抜き書き。見出しは筆者)。

(1)『生を肯定する倫理へ―障害学の視点から―』
障がい者問題の本質と「障害をもつ者ともたざる者との断絶」
障害者問題は特殊な問題ではなく、みんなの問題である。そのことを説明するために、次のようなことが言われる。みんな老いていくし、不慮の事故で障害者になったりする。あるいは、昨今では精神的な病になってしまう者も多い。このことから、誰もが障害や老いによっていつしか自分の身に社会的なハンディを背負わされるようになる。([1]8ページ)
こうした理解は「いま障害をもっていない者への説明」としては適切だ。だが、現に障害を有する者にとっては、こうした言われ方が生ぬるいと感じられるのもまた事実である。実際に「明日障害をもつかもしれない人」にとって「いままで障害を有してきた身体/精神がこの瞬間感じるもの」を感じ取ることは不可能である。障害をもつ者ともたざる者との間のこの断絶は、あなたと私が違う人間である以上、けっして完全に埋めることなどできないはずである。まずは、この断絶の存在を深く認識しなければ、なにも始まらない。
それでは「どのように」障害者の問題は〈私たち〉の問題であるということができるのであろうか。それは次のように考えることができる。現在の私たちの社会が、障害者を生きにくくさせていること、障害があるだけで人間扱いされないような社会に、あなた自身も、私も住んでいることを、あなたや私はどう考えるのか、を問わなければならないのである。そして、これこそが、障害者問題が〈私たち〉の問題であるという理由のもっとも基本的な部分なのである。([1]9ページ)
障害者を排除する社会にあなたや私が住むということ、そしてそのことをあなたや私はどう考えるのか、というところに問題の本質があると述べた。この問題には、2つの側面があると思われる。1つは、社会の正しさの問題、つまり正義の問題であり、もう1つは、こうした問題を自身から引き離さず、棚上げすることなく考えるという要素である。([1]10ページ)

障害学と「障害はないほうがよい」という言説
障害学とは、多くの健常者が考えるような発想、すなわち障害はなおしたり、克服すべきものだという視点を基本的にはもたない。そうした視点は、障害を「異常なもの」と考える発想であり、この社会で生活したければ、健常者のように「正常」になるように努力しなさい、という結論を導きやすい。なぜならば、この社会が健常者中心で回っているからである。これに対して、障害学の視点とは、まず「この社会で障害者が〈人間らしく〉生きていくためには、(障害者のほうではなく)社会はどのようにあるべきか」を考えるのである。([1]19ページ)
障害学では、障害を障害者個人のインペアメント(機能障害:阪野)の治療という枠組みから、社会における障壁が障害者を無力化するという枠組みへの変更を促す。([1]20ページ)
(障害についての2つの考え方である:阪野)医学モデル(個人モデル)と社会モデルとの違いは、次のように言うことができる。障害の医学モデル――障害者が〈生きづらい〉のは障害者本人の責任である。だからこそ、障害は本人が軽減・克服すべきものなのである。障害の社会モデル――障害者が〈生きづらい〉のは社会の責任である。したがって、障害者本人の〈生きづらさ〉の解消のためには、社会が負担を負わなければならない。
障害を社会的文脈において理解するということは、障害者の〈生きづらさ〉を誰が負担すべきか、つまり「帰責性の問題」が中核的な議論となる、と言えよう。([1]26ページ)
「障害はないほうがよい」という言説は、その多くが「障害者は存在しないほうがよい」という議論にすりかわってしまうことに注目すべきである。社会モデル的に考えれば、「障害はないほうがよい」という問いに対する答えは定まらないはずである。([1]27ページ)
「障害はないほうがよい」が「障害者は存在しない方がよい」にすりかわってしまう背景には、社会的負担の問題がある。つまり、「障害はないほうがよい」を「障害者は存在しないほうがよい」にすりかえるのは社会的負担の拒否を表明しているのである。そのように考えたとき、「障害はないほうがよい」を問わせる場自体が、「すりかえ」も含めて、私たちが構築したものにすぎないとも言えるはずである。([1]27ページ)

障がい者運動と「障がい者の生存を無条件に肯定すること」
1970年前後に、重度障害者が個々の場面において声をあげ始めた。(中略)(そうしたなかで:阪野)特に注目されるのが、脳性マヒ者の団体である「青い芝の会」の活動であろう。([1]36ページ)
(「青い芝の会」の:阪野)障害者本人が訴え、求め続ける障害者解放とは、障害からの解放ではなく、(障害によってこうむる)差別からの解放なのである。これは障害学でいうところの「医学モデルから社会モデルへ」というパラダイムシフト(支配的な考え方の劇的な変化:阪野)に符号している。([1]37ページ)
日本における戦後障害者運動を(中略)思想的に見ていけば、とりわけここ40年間の障害者本人による運動に胚胎(はいたい。芽生え、きざすこと:阪野)するのは、障害者の生存を無条件に肯定することであると言える。私は、この運動が面白いのは、当たり前のことを当たり前に言っていることにあると思っている。彼らの主張はしばしば非論理的であると言われたりもするが、私は明快な筋が通っていると考えている。障害者によって主張されたから意味があるのではなく、障害者によって主張された数々の主張が、社会において普遍性を帯びるからこそ、この運動には意味があると私は考えている。まず学問がなすべきことは、障害者運動の主張を学ぶことであり、それによって学問自身をとらえ返すことにあると、私は考える。([1]45~46ページ)

「当事者研究」と当事者が語ること
近年、「当事者研究」というものがなされている。それは、当事者自身の手によって、当事者が直面する問題を、当事者内部にとどまらず、当事者と(当事者を捨て置く)社会との関係によって考察していこうとするものである。([1]166ページ)
当事者が語り出すとき、さまざまな点で考えるべきことがある。まずは、そこに行きつくまでにその当事者がいかなる困難を経験してきているかは、想像すべきであろう。([1]167ページ)
語り出した当事者を勇気があると賞賛することも問題である。まず、誰が、何がそこまで当事者を語れなくさせてきたのかが問われるべきである。(中略)語り出す当事者を英雄化してしまうのは、「語ることのできる主体」を期待するだけの非当事者であると言わずに、他になんと言えようか。それはまた、いまだ沈黙せざるを得ない当事者たちへ向けた無言の圧力でもあるのだ。([1]167ページ)
そもそも、語り出す当事者の主張が、当事者一般の意見を代表するわけでもない。また、いったん語り出した当事者の主張の内容が、当事者であるというだけで正しさを担保されるわけでもない。ではなぜ、当事者の主張が大切になってくるのか。ここまでの理路をたどってくれば、当事者の(生きづらさ)を捨て置く学問体系や私たちの社会が不正義であるからだ、ということができる。それを正すためには、これまでの学問体系や私たちの社会に、ただ単に当事者の主張をつけくわえたもので満足してはならない。それだけでは語る主体の物語で終わってしまう。([1]167~168ページ)

正義と倫理的命令としての「生の無条件の肯定」
正義というものが存在するのであれば、それはどのような生が生きることをも無条件に肯定しなければならない。生の無条件の肯定が、倫理的命令である。([1]193ページ)
(1)「生の無条件の肯定」は、感情や気持ちの問題ではない。「生の無条件の肯定」は、広く社会構造の問題をも問うものであり、条件をつけながら特定の存在だけを「生きる価値がある」とする社会構造に反対するものだと言える。(2)「生の無条件の肯定」は、生命の神聖性原理ではない。生命の価値を、他の価値と比べて絶対で最高の価値であるとする「生命の神聖性」という原理とも一線を画し、それがなければ他の、自由や平等などといった価値が実現しないという意味で、基本的かつ原初的な価値であると言える。(3)「生の無条件の肯定」は、スティグマを与えるものではない。当事者にスティグマを与えたり、スティグマを黙認する社会のようなものが、「生の無条件の肯定」を体現するはずもない。(4)「生の無条件の肯定」は、現前するものではない。「生の無条件の肯定」は、いまだ達成されたものでもないし、将来達成されるものでもないからこそ、正義なのである。([1]194~198ページ抜き書き)

(2)『「共倒れ」社会を超えて―生の無条件の肯定へ!―』
「生きづらさ」と共依存による「共倒れ」の社会
困っているとき、弱っているときに、誰かに何かをお願いしたり頼ったりすることを妨げてはなりませんし、誰かにSOSを発信すること自体はけっして悪いことではありません。(中略)〈生きづらさ〉をひとりで抱え込む必要などないからです。他方で、ある特定の相手と閉じた関係性が形づくられ、そこでのみ〈生きづらさ〉が共有されるような場合、「共倒れ」の危険性が出てきます。というのも、弱っている相手、支えが必要な相手を支えたくても支えきれなくなった場合、もはやそれは「共に生きる」状態ではなく、「共倒れ」と呼ぶにふさわしい状態だからです。([2]75ページ)
Xという条件を満たしていなければ生きる価値などないと思わせるような構造や価値観がこの社会に存在しているからこそ、共依存による「共倒れ」が起こってしまうのだと私は考えています。(中略)ですから私は、共依存による「共倒れ」を防ぐには、家族や近親者だけに責任を負わせてはならないと考えています。誰もが無条件に生きてよいというメッセージを社会が発し、それを可能にするような制度を整えることが、より根本的な解決法であろうと思うのです。([2]76~77ページ)

「犠牲のシステム」と「豊かに」生きられる社会
犠牲とは、交換や譲渡ができないもの、しないものを、その社会において、それができるようにする力のことである、と言ってよいのではないでしょうか。そして、真の「豊かさ」とは、交換不可能性、譲渡不可能性を源泉とする価値のことなのです。であるなら、交換不可能性、譲渡不可能性に基づく価値を、自発的にせよ強制的にせよ、社会に差し出してはならないのであり、それらの価値を守るために、交換可能な価値は存在すると考えることもできるのではないでしょうか。ここで私は、(中略)
交換不可能な価値を差し出さなくてもすむような社会を創出するためにこそ、交換可能な価値を使う必要があると述べているのです。
交換可能な価値の代表が貨幣であり、交換不可能な価値の代表が身体や生命、環境、尊厳です。交換可能な価値は、使用することによって価値が生まれ、交換不可能な価値は、そこに存(あ)るだけで
本源的な価値を有していると言えるかもしれません。([2]96ページ)
「豊かに生きる」とは、すべての生が、先述のような意味において犠牲にならないことであると私は考えています。人の生命や尊厳など交換不可能なものを、貨幣など交換可能なものに「交換」させ、それを「美談」に仕立て上げ、そうした「交換」を社会に埋め込んでいく装置が、「犠牲のシステム」なのです。([2]96~97ページ)
他者を犠牲にしない、そして私という存在も犠牲にされない社会(「犠牲のない社会」:阪野)こそが、他者と共に「豊かに」生きられる社会であると言えるのではないでしょうか。([2]97ページ)

障がい者の「生そのもの」を選別する「教育」と「観念」
日本の道徳教育においては、「生命の尊さを理解し、かけがえのない自他の生命を尊重する」(中学校学習指導要領:阪野)などと、生きることや生命を尊重することの大切さを児童・生徒に理解させることが重視されている。([2]190ページ)
(分離教育を前提とするこの国の:阪野)学校教育においては、障害のある「生そのもの」が、「学校教育に順応できる(順応させるに値する)」かどうかが、当人および家族の意向よりも優先的に問われることになるのです。つまり、障害のある「生そのもの」は、「この社会で生きるに値する/生きさせるに値する」かどうかが問われることになるわけです。こうして、障害をもつ子どもの「生そのもの」は、一般化・抽象化された「生命」観に基づく価値序列によって選別の対象となっていくのです。
こうした動きを、根本のところで推し進めているのは、政治や法律であるというよりはむしろ、「障害者の「生そのもの」は、生きるに値する/生きさせるに値するかどうかが問われても仕方がない」という、広く私たちを覆う観念なのではないでしょうか。そして、そのような観念は、世論によって強化され押し広げられ、私たちを、障害をもつ人を、「犠牲の構造」へと巻き込んでいくのです。([2]194~195ページ)

「生の無条件の肯定」と「権力に抗する倫理の姿」
一般化・抽象化された「生命」ではなく、個別・具体的な「生命」に目を凝らしてみると、ただそこに存在しているだけで、それは絶対的なのです。個別・具体的な「生命」は、ある空間と時間において間違いなく存在し(ています:阪野)。だからこそ、それは比類がないのであって、絶対的なのです。(中略)この「生きているということそのもの」(「生そのもの」)こそ、あらゆる生の原形であって、私たちはこうした「生そのもの」を無条件に肯定しなければならないのではないでしょうか。なぜなら、「生そのもの」の否定は、原理的な水準において、すべての生の否定を意味するからです。こうした理由によって「生命の価値」「生命の尊厳」といった一般的・抽象的な次元よりもいっそう深い水準において、「生そのもの」を無条件に肯定する必要があるのではないかと私は考えているのです。([2]191~192ページ)
権力は「生そのもの」を、一般化・抽象化された「生命」に基づく価値序列に当てはめ、「生きるに値する生/生きさせるに値する生」であるかどうか選別していきます。その過程で権力は、「生そのもの」に「尊厳」を付与することで、「生そのもの」を肯定する回路を絶ってしまいます。だからこそ私たちは、そうした力に抵抗しなければならないのです。「生そのもの」を、それ自体として受け取ること、したがって、一般化・抽象化された「生命」として受け取ってはならないということ、「生そのもの」を無条件に肯定すること。それこそが、「生の無条件の肯定」が指し示す倫理の地平なのです。([2]200ページ)

社会運動と「民主的アプローチ」
多くの社会運動は、「他者と共に豊かに生きられる社会」の実現を目指しています。裏を返せばそれは、この社会が、まだそうなっていないことを意味しています。(中略)現安倍政権は、異質な人間を排除し、同質な人間をのみ成員とする社会を作ろうとしているように思えてなりません。異質な人間を異質なまま、この社会のメンバーとして受け入れようとせず、同質化を強要し、それに従わない人は構成員とみなさず、放遂しようとしているのです。それによってこの社会は、他者と出会う機会を失っていき、同質な人間だけで完結した、閉じた社会になっていくのではないでしょうか。([2]180ペジ)
社会運動にかかわる上で肝要なのは、ある属性をもつ人びとを差別し、見殺しにするこの社会を、「犠牲の構造」の上に成り立つこの社会を絶対に許さないという思いと、いつの日か、そうした社会を変革することができるという信念ではないかと私は思うのです。([2]215~216ページ)
いくら「来るべき社会」について議論をしても、その基底に「正しさ」がなければ、何の意味もありません。人びとがもし、「政治的な力による調整」によって多数派を形成することこそ民主主義の実践だと考えているとすれば、端的に言ってそれは誤りです。結局のところそれは、政治的に力の強いものこそが「正しい」と言っているのと同じです。複数あるプランのうち、もっとも論拠が確かで妥当性が高いのは何かをめぐって、意見交換をしながら合意を形成し、それに基づいて社会を運営していくというのが、あるべき民主主義の姿ではないでしょうか。([2]222ページ)

〇野崎の言説の核心は、「『生の無条件の肯定』は正義であり、倫理的命令である」という点にある。それを[1]では「障害者」の視点に立って、[2]では「犠牲」という視角から論究するのであるが、その主張を際立たせようとするあまり、論理の飛躍や混乱、不整合が散見される。例えば、野崎は「負け惜しみではなく、障害がないほうがよい、とは思わない障害当事者も存在する」ことから「『障害はないほうがよい』という問いに対する答えは定まらない」([1]27ページ)と言う。その意見については、筆者にも「自分がCP(Cerebral Palsy:脳性マヒ)であることを誇りに思っている」(本ブログ「雑感(20)」2014年10月1日投稿)という知人がいるが、一般論としては首肯しかねる。「障害はないほうがよい」。
〇とはいえ、必ずしも新味性があるとは言えないが、野崎の言説から福祉教育実践や研究が学ぶべき論点や主張も多い。例えば、「身体や生命は、そこに在るだけで本源的・絶対的な価値を有している」。「一般化・抽象化された『生命』ではなく、個別・具体的な『生命』に目を凝らすことが重要である」。「学校教育においても、障害のある『生そのもの』は価値序列によって選別の対象となっている」。「生きる・生きさせるに値するかどうかを問うという考え方は、世論によって強化・拡大されていく」。「これまでの学問体系や私たちの社会に、ただ単に当事者(障がい者)の主張をつけくわえるもので満足してはならない。それだけでは語る主体の物語で終わってしまう」、などがそれである。
〇最後に、野崎の言説に通じるものでもあるが、本稿のタイトルとりわけ「自分の存在意義」(自分が存在している意味や価値。レーゾンデートル)に関して、平易に次のように言っておきたい。「人がそれぞれ、他者とともに豊かに生きるということ」=「人はそれぞれ、いま、ここに生きているというそのことに本源的な価値がある」(「ただ生きる」ことの保障)×「人にはそれぞれ、やりたいこと・やれること・やらなければならないことがある」(「よく生きる」ことの実現)×「人はそれぞれ、社会や歴史、自然・環境などとのつながりのなかに生きている」(「つながりのなかに生きる」ことの持続)。

補遺
野崎泰伸は、「倫理」と「倫理学」そして「哲学」について次のように述べている。
「倫理」とは、「人としてあるべき道についての掟」のようなものである。「倫理学」とは、「いかに生きるべきか」について考える学問である。「哲学」とは、人生のあらゆる出来事について、その根源にさかのぼって探究する学問である。倫理学は哲学のひとつの領域である([2]49ページ)。「障害とは何かを問うていく営為は哲学的であり、障害者とともに生きる社会はどうあるべきかを考える営為は倫理学的でもある」([1]21ページ)。

鳥居一頼のサロン(1):ボランティアという世界を生きて―いま、災害ボランティアについて思う―

私は、来週から秋田県に入り、ボランティア研修会と福祉教育(福祉の授業と地域福祉の推進)の仕事で、3市2町を回ります。
帰路、新潟県の聖籠町(せいろうまち)に行って、「スマイル」というボランティアグループの懇親会に参加します。中学生・高校生だった頃の彼・彼女らに、久しぶりに逢うことになります。彼・彼女らは、20年前に出会った子どもたちですが、毎年夏にボランティア活動を続けているもう30代半ばの青年たちです(拙著『子どもと学ぶボランティア』大阪ボランティア協会、2008年、164~166ページで紹介しているグループです)。
その仲間のひとりが障がい児を産んだときに、仲間たちが「聖籠においで。俺たちが子育てを手伝ってあげるから」と誘いました。それに応えて、その夫婦は聖籠町に移り住みます。ボランティア仲間の絆の強さを感じます。私は、7年前に1歳のその幼子を抱いたのですが、今回の訪問で再会できるのを楽しみにしています。その子はもう小学3年生になっています。
「スマイル」の20周年をみんなで祝うことと、私が参加することで遠くから駆けつける青年たちがいることは、私にとっては大きな宝物をいただく気分です。ボランティアという世界を生きてきた私の人生を、彼らが証明してくれているのです。その橋渡しをしている方こそ、本物のボランティアコーディネーターで、ご自身も子どもたちのおかげで共に成長しているといつも話される聖籠町社協職員の本田恵さんです。彼女のおかげで、私はいつも誰かに生かされているという事実に突き動かされているのです。
胆振(いぶり)東部地震の余震もいまだ続いています。被災地の厳しい現状も、支援している仲間たちやニュースによって伝わってきます。私は被災6日目に現地に入りました。安平町(あびらちょう)のボランティアセンターでは、若い人たちが一生懸命頑張っている姿に、本当に頭の下がる思いで感謝して戻ってきました。私と共に活動してきた仲間とも再会しました。
安平町早来(はやきた)地区では、私は30代の頃地元の小学校に勤めていたこともあり、その保護者を訪ねて安否の確認をしてきました。その中で、理・美容院をしている保護者のお宅をお邪魔すると、昨日水道が復旧したので今日から店を開けているとのことでした。店内には2人の老婦人が髪のセットをしておりました。そうした小さな日常を取り戻していくことが大切であり、そのことで気持ちが前向きになることを改めて感じました。
次に会った私と同年配の二人は、まちの連合自治会のトップでもありました。そこでの話は、これからの支援をボランティアだけに頼み、口を開けて待っていれば何かを与えてくれるという考えや姿勢では、「生活再建」には向かっていかないということになりました。支援物資の配給にしても、ボランティアセンターに依存していては、きっと滞ってしまうのではないか。また、それだけの手があるとは思えない。いま必要なヒト・モノ・カネ・情報と、これから必要になるヒト・モノ・カネ・情報は当然違ってきます。それぞれの段階に生ずる個々の多様なニーズを把握するには自治会を機能させることが重要であり、まずは連合自治会の会長等を招集して、被害状況を含めて情報の交換をすることで動き始めようということで話を終え、別れました。
その後、厚真町(あつまちょう)の避難所に向かいました。しかし、道路事情が悪く不通になっている箇所が多く、一番大きな被害を受けた地区は入場制限が行われているため、一般人は入れませんでした。また、避難所は多くの車両が道にあふれ、報道機関も多く目立ち、ニュースで観る情景そのままです。問題は、そこに行くには一本の橋を渡るしかアクセスできないということです。ボランティアは事前登録制でしか対応しないのは、人数が集まっても車の渋滞によって現地に入れない可能性が大きいことを思い知らされました。必ずといっていいほど、私のような「見学者」もいるのです。
後日、ボランティアが活動先を指示されるまで2~3時間も待たされたというニュースがありました。さもあらんというのが私の見立てでした。被災地の地勢によって必要な支援が行き渡らない状態が起こったことは、東日本大震災でも同様でしたが、今後しっかりと検証すべき課題です。
2000年の有珠山噴火の災害時も、本部に陣取った道社協や市町村社協からの応援メンバーは、日報の事務処理に追われたといいます。行政が求める情報の処理に多くの人と時間が割かれ、本来の支援のあり方が問われたのです。同様なことは、今回でもある町役場で本部機能が全く働かず、統制も出来なかった職員が、さも仕事をしたとの書類作成に走り回っていたという事態が起こったといいます。その町役場ではいろいろな失態がありました。停電のために断水した地域に給水車を出し、地区会館の前で役場職員が給水活動を始めました。そこで、地区の方がここまで歩いて来られないし、水のボトルを持つことも出来ない人がいる。だから、その職員に運んでやってほしいとお願いしたところ、ここまで取りに来てくれないと給水できないと断ったそうです。水は生命に関わる問題です。住民の生命を守ることを最優先にしなければならない行政の一員がと、開いた口がふさがらなかったそうです。地域の住民がその方に水を届けたのは、当然です。さてこの職員の言動を許せますか? 
目的は被災者の救援活動であり、給水はその手段です。給水することを優先して、本来の目的が何であるのかを見失ってしまうような事態が、災害の時には往々にして起こります。東日本大震災でも、自転車がほしいというニーズが1,000件あり、全国に呼びかけて集めたところ、500台の自転車が駐車場で野ざらしになっていたのです。なぜかと行政の担当に尋ねると、必要な人が1,000人いるので、1,000台集めてから渡さないと不公平になるという答えが返ってきたのです。ここで公平性が問題になりますか? そのことを担当以外の職員も見ていながら問題なしと考えていたのではないかと想像すると、なんともやりきれない思いがします。
災害では様々な状況が起こってきます。目的と手段をはき違えることがないよう、事に当たらなければならないと、多くの失敗から学んでいるはずです。しかし、やはり「他人事」で済まされてきたことに一因があろうかと思います。また防災や災害発生時のマニュアルを作成していても、いざというときはその通りにはいかないことも多々あります。行政マンには、臨機応変に対処できる「現場力」を身につけてほしいものだと、つくづく思います。
有珠山噴火災害のとき、私たちのグループは、ヘルメットを内地の自動車工場から寄贈を受け、洞爺湖温泉地区や虻田(あぶた)地区に住む方々の帰宅解除の際に身につけてもらうよう避難所に配布しました。また、冬期間仮設住宅に住む高齢者を対象に、全国から寄せられたボランティア支援金を使って1,000個の「湯たんぽ」の配布を行いました。子どもたちのメッセージカードをつけて実施したのです。それは、私が阪神淡路大震災のおりに、神戸の埋め立て海浜地区にあった仮設住宅で「寒さ」を訴えられたことによります。その話を聞いて女性スタッフが「湯たんぽ」を提案したのでした。北海道はこれから寒くなります。今回の地震災害が冬の期間でなくてよかったというのが率直な思いです。
仮設住宅もいま建設中ですが、抽選で決まります。これも非情なことです。東日本大震災の被災地で仮設住宅にお邪魔した際に、行く当てのない方々の苦渋を知り、そこでサポートする方々の行政への憤りを痛く感じてきたこともありました。雪降る前に避難生活から解放されるよう行政には踏ん張ってほしいと切に願うばかりです。全国からも大きな注目を浴びていることからも、生半可なことはできないでしょう。がんばれ! 行政!
今回の全道一円の停電は、まさか遠方の根室管内で酪農を営む乳牛の生命を奪うなど想像もつきませんでした。冬期間の停電であれば、生命にかかわる重大な事態です。北電が非難の的になっていますが、3日間で95%の通電を達成した現場の電気工事に携わった方々の労苦はいかばかりかと、深謝するばかりです。暮らしを取り戻すことにプロとして懸命に取り組む人こそ、企業は優遇すべきであると声高く訴えたいのです。人々の日々の暮らしを前線で身体を張って踏ん張り護る人たちの存在を、災害のときほど強く意識させられますが、それはとても恥ずかしいことです。それだけ漫然と、この暮らしを享受してきたことへの猛省を求められた、今回の災害でもありました。
安部首相が早々に現地視察をしました。それは、総裁選の前のアピールであることは見え見えでしたが、そのとき和歌山県や奈良県の山奥では、台風21号による停電の復旧が遅れているという事態が発生してずいぶん時間が経過していたのです。停電は近畿2府4県で9月9日現在約3万2,660戸を数え、倒木、土砂崩れなどで作業は困難を極め、復旧の長期化も取りざたされていました。それにもかかわらず、お連れの者を引き連れての“ご視察”でした。先の内閣改造で「全員野球内閣」がスタートしたと言われますが、全く期待感が湧かないのはなぜでしょうか。それは、停電の時に、不眠不休の状態で一刻も早く通電するために懸命に働いた、北海道電力職員の、その道のプロとしての仕事ぶりを評価しているからです。いまの政治家の薄っぺらい言動には、いつも裏切られています。沖縄の知事選ではありませんが、政治家の薄っぺらさに抗する市民の「社会力」を日頃から身につけていくことが、いま最も私たちに強く求められているのではないでしょうか。まずは、全国の被災地の復旧・復興を優先してスピードアップを図ってほしいと願うばかりです。願い事が多くなりましたが、それがいまの私の立ち位置なのです。
今日は台風25号が低気圧に変わりましたが、札幌はまだ雨が降り続いています。JRは札幌から遠方の路線は全面運休です。風が少し強くなってきました。これからは日本全国で「ご無事ですか」が挨拶になるのでしょうか。皆さんのご無事を祈るばかりです。

〔鳥居一頼/2018年10月7日〕

大田堯×中村桂子:大田教育学の「生命の視点」に学ぶ―『百歳の遺言―いのちから「教育」を考える』読後メモ―

〇筆者(阪野)にとっては珍しい事態であると思っているが、いま、机の上に20冊ほどの本が未読のまま積んである。いわゆる積読(つんどく)である。その原因のひとつは、本ブログの「ディスカッションルーム」(70)~(79)に、「あの頃の福祉教育、その記憶と記録(1)~(10)」(2018年5月16日~9月1日投稿)という題目のもとで資料紹介を行ったことによる。資料の検索と整理、通読や拾い読みは、「あの頃」を思い出す楽しいもの(作業)であった。ただし、ブログにアップした資料によって、筆者の福祉教育の実践や研究についての視点や考え方が問われることは承知している。
〇20冊ほどの本のなかに、B6変型判、135頁の手ごろな本がある。大田堯(おおた・たかし、教育研究者)と中村桂子(なかむら・けいこ、生命誌研究者)の対談本『百歳の遺言―いのちから「教育」を考える』(藤原書店、2018年4月。以下[1])がそれである。その「帯」の文章(「帯文」)は、次の通りである。「『生きる』ことは『学ぶ』こと/生命(いのち)の視点から教育を考えてきた大田堯さんと、40億年の生きものの歴史から、生命・人間・自然の大切さを学びとってきた中村桂子さん。教育が『上から下へ教えさとす』ことから『自発的な学びを助ける』ことへ、『ひとづくり』ではなく『ひとなる』を目指すことに希望を託す」。
〇[1]の内容は深くて広い。生命(いのち)とは何か、人間とは何か、教育とは何かについての対談は、本質的かつ学際的であり、鮮(あざ)やかで心地よいものでもある。ここでは、[1]から次の2つの文章だけを紹介しておくことにする(見出しと<注>は筆者)。

教育は生命の「根源的自発性」を補助する「アート」である
学習権の学習とは、食事や呼吸とおなじく、情報を自ら獲得したり、発信したりする営みである。いわば脳・神経系の行う新陳代謝の一つであり、人間が生きつづけていくうえでの生存権の一部、基本的人権のことをいう。子どもは生まれると同時に情報の新陳代謝を始める。情報は姿、形のないものだが、それなしには生きること、成長、発達すらもありえない。
教育はその天賦の学習力、生命の根源的自発性を補助する技(アート)である。したがって、上から与えられ、受けるものではなく、むしろその子その子(大人)に与えられたユニークな学習力に寄り添って、ひびき合い、「ひとなる」、一人前になるのを助ける重要な役柄を果たすものである。めいめいが自分の学習力の流儀で、教育を選び取る権利が保障されなければならない。それが「学習権を保障する教育への権利」だということになる。マララさんがテロへの唯一の武器として使った、エデュケーションの訳語としての教育は、この生存権としての学習権の保障を求める「教育」なのである。(大田、122~123ページ)

<注>マララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai):2014年のノーベル平和賞を受賞したパキスタンの人権運動家。次の一節は、2013年7月に国連本部で行った演説のなかの名言である。
One child, one teacher, one book and one pen can change the world. Education is the only solution. Education first.(1人の子ども、1人の先生、1冊の本、1本のペンで世界を変えられる。教育こそがただ一つの解決策である。エデュケーション・ファースト。)

教育は「ひとなり」であり、「人づくり」ではない
「ひとなる」に対する言葉は「ひとづくり」でしょう。政府の看板政策として「人づくり革命」という言葉が使われています。それには「生産性革命」が並んでいますから、効率よい労働に従事する人材(この言葉も気になるものです)獲得を目的とする「人づくり」であることがわかります。
生きものは多様であるところに意味があり、もちろん人間にも多様性が重要です。(中略)私たち人間も生きものの一つとしてこの歴史の中で生まれてきたのですから違いをもつ一人ひとりが存在することに意味があるのです。その一人ひとりが思いきり生きることを応援するのが社会の役割でしょう。現代社会は、効率を求め、人間を機械のように見てしまう恐さがあります。大田先生の「ひとなる」という言葉には、均一のものを早くつくるという見方に対して、生きものとしての時間を大切にし一人ひとりが個性を生かして育っていく過程を見つめる眼を感じます。
生きものにとって大事なのは続いていくことであり、今一番望むことは次世代、その次の世代と続く未来の人々に誰もが生き生きと生きられる社会を渡すことです。(中略)今やるべきことは、もっともっと人間について考えることなのではないでしょうか。(中村、128、129~130、134~135ページから抜き書き)

〇[1]を読んだあと筆者は、芋(いも)づる式に、大田が[1]のなかで紹介している(14ページ)『地域の中で教育を問う』(新評論、1989年11月。以下[2])と、[2]のなかで紹介している(2ページ)『教育とは何かを問いつづけて』(岩波書店、1983年1月。以下[3])を再読することにした。その理由は、大田の「戦後の教育と教育研究」の足跡を再認識することにあり、それを通して[1]の理解を深めたいという思いからでもある。大田によると、「『地域の中で教育を問う』ということは、ふつうの人、人民(ピープル)に教育をゆだねるという心をこめたもの」([1]19ページ)であり、「『教育とは何かを問いつづけて』は、戦後の私の教育探求の跡を一思い(ひとおもい)に学生諸君に語ったのが基となって」([2]2ページ)いる。
〇ここで、[2]と[3]からそれぞれ、一つの文章を紹介しておくことにする(見出しは筆者)。

教育は「地域」からの教育改革の「土俵づくり」が重要である
子どもたちが、単に親のものでなく、まして国家に従属するものではない。人類という動物種の一員であることを考えると、子育てという事業は、種の持続という最も広い意味での公的事業だというべきである。
一大事業としての教育は、当然地域を基盤として進められる。地域は幼年期から学童期、青年期、壮老年期を通じての人間発達の社会的胎盤である。(中略)かりに、中央権力のもとでどんな理想的な教育改革の構想がねられたとしても、この地域からの改革の土俵づくりなしにはその実現は不可能である。この土俵づくりに決定的な役割を果たすのが地域の親と教師とである。
「子は天からの授かりもの」、みんなで育てるほかはない(中略)。そういう中で、はじめて親は過大な身勝手な注文を抑制し、教師もみんなの知恵を借りて子を育てるということで、親の参加に寛容になる。こういう親や教師の、子育てをめぐる協力の中での自己変革なしには、教育改革の土俵はできあがるはずはない。([2]341、343~344ページから抜き書き/付記(補巻)369、370~371ページから抜き書き)

教育は人間という「種の持続」を図ることをめざすものである
私自身の戦後の歩みも、(中略)人間にとって「教育とは何か」ということを尋ね続ける旅であったともいえそうです。
そのあげく、いま辿りついているのは、教育を人間という種の持続の問題の一環として捉えるということです。子育て・教育という次の世代への働きかけも、その時代、その社会のさまざまな要求を無視することはむろんできません。それらは教育にとって必要不可欠なものです。けれども、そういうあらゆる当面の諸要求に優先して、教育は人を人らしくすること、種の持続をはかることをめざすものだということです。
平和を願い、戦後にこだわりながら、教育とは何かを求めての私の旅は、これからも続けられます。それにしても、うかつにも教育という大それた研究課題を選んだ私としては、子育て・教育が統治者の便宜のためのものでないこと、教育学者や教師のためにあるのでもないこと、突き上げられるような実感なしに、軽々しく人権としての教育を口にしないことなどを心にとめつつ、さまざまの試練に耐えて、子どもの人としての自立を励ます親や教師たちの努力に学びながら、種の持続のいとなみとしての教育を問いつづけたいと考えています。([3]216、227ページから抜き書き)

〇大田にあっては、「子は天からの授かりもの」である。子どもが育つこと、一人前になること、「人格の完成をめざす」ことを、「ひとなる」という。人間は、全ての動植物がもっている「変わる力」「自己創出力」(「根源的自発性」)によって、置かれた環境のなかで「折り合い」をつけながら生きている。それは学習を重ねることでもある。生きものの根本には学習がある。その内発性による学習(学習権)を支援・保障し、一人ひとりの「持ち味を引き出し合う」ものが、教育である。それを通して人間は、人間という「種の持続」を図るのである。そういう意味において、教育は公的な事業であり、人類の一大事業である(大田堯『大田堯 自撰集成 4 ひとなる―教育を通しての人間研究』藤原書店、2014年7月。大田堯・山本昌知『ひとなる―ちがう・かかわる・かわる』藤原書店、2016年10月、等参照)。
ここに「大田教育学(教育人間学)」の原点のひとつ(「生命」の視点)がある。
〇ところで、大田の対談相手である中村は、[1]のなかで、小学校6年生の国語の教科書に「生き物はつながりの中に」という文章を書いていることを紹介している。中村は言う。その文章を読んだ子どもたちから手紙が来る。そのなかに、「いじめられてつらいから、僕は死のうと思っていました。でも、この「生きもののつながりの中に」を読んだら、僕がもしここで死んだら、このつながりを切っちゃうことになると思えてきて、死んではいけないと思いました」というのがあった。「嬉しかったです。(中略)これだけ受け止めてもらえると感激します」([1]92ページ)。
〇その文章を紹介しておきたい(中村桂子「生き物はつながりの中に」『国語 六 創造』光村図書、2014年3月検定済、226~229ページ)。

〇大田と中村の対談([1])は、福祉教育の実践と研究における根源的な問いでもある「生命の哲学」(いのちを生きること)について思い至らせる

付記
大田は言う。教育に対する国の介入が一段と悪化している。私たち自身の内面にある「教育」の既成観念(上から同化・同調を求めて教えたがる。教えることが過剰、学ぶことが過少)を克服する必要がある。「自然の生命が求める教育とは何か」を考え合おう、というのが『自撰集成』(全4巻・補巻)発刊の背景・理由である。
(1)『生きることは学ぶこと―教育はアート』(大田堯 自撰集成 1)藤原書店、2013年11月。
(2)『ちがう・かかわる・かわる―基本的人権と教育』(大田堯 自撰集成 2)藤原書店、2014年1月。
(3)『生きて―思索と行動の軌跡』(大田堯 自撰集成 3)藤原書店、2014年4月。
(4)『ひとなる―教育を通しての人間研究』(大田堯 自撰集成 4)藤原書店、2014年7月。
(5)『地域の中で教育を問う<新版>』(大田堯 自撰集成 補巻)藤原書店、2017年11月。

暗い谷間と怖い時代に生きた・生きる「ものいえぬ」農民の思い:怒り、悔しさ、叫び、そして祈り―佐藤藤三郎の『山びこ学校』と『まぼろしの村』の底流をなす“教育”と“村づくり”の思想―

(無着先生は)教師をやめて新たな学問に専念する、といって村を出たはずだが、「有名」になったそれの看板をはずすことがなかった。もちろんそうした個人の「自由」に立ち入る権利は誰にもないが、言われたこととなすことに一貫性がなくなっていたことを知る時、信頼が厚く深かっただけにその戸惑いは大きかった。
私は『山びこ学校』の出版によって人生が狂わされたと思ったことが何度もある。マスコミによって幼い青春のかよわい心が粉々にかきまわされた傷跡がいまだふさがっていないところは確かにある。
『25歳になりました』(1960年2月)は、私の独立宣言の書であり、25歳にして山びこ学校の殻を抜け出し新しい出発をするための記念碑のようなものである。(『ずぶんのあだまで考えろ』46~47、54、70ページ)

〇「にわか百姓」を決め込んでいる筆者(阪野)は、10年近く「日本農業新聞」を購読している。その2018年4月23日号の「論点」に掲載された、「森友問題と農政改革」と題する武本俊彦(食と農の政策アナリスト)の一文が目にとまった。その一節は次の通りである(抜き書き)。本稿を草しようと思ったひとつのきっかけは、ここにある。もうひとつのきっかけは、日本が民主国家であり法治国家であることを疑いたくなるような、最近の政治や行政の実相にある。さらには、憲法が揺らぎ、平和な社会が時の政権によって壊されていく、不安を通り越した恐怖にある。

森友・加計問題などを巡る安倍晋三首相や政府の対応は、時代錯誤の縁故資本主義を体現している。官邸主導の名の下、適正な手続きを経ずに一部の権力者周辺に利益をばらまくトップダウンで、短期的成果を求める。その本質は農政改革とも共通しており、近視眼的な政策手法の弊害について検証することが必要だ。
安倍政権が官邸主導で進める農政改革は、現場で創意工夫をしている人々の存在を無視し、地域の多様性を捨象する政策体系となっている。全国の農業や農家を画一的に考え、同じように短期的成果や経済合理性を追求するという思考回路で政策を構築しているのだ。
例えば、アベノミクスの目玉とされた地方創生は、地方への権限・財源の移譲よりも、補助金の活用によって中央政府の考え方に沿って地方の底上げを図ろうとするものになっている。人口減少・高齢化社会の到来、地震・災害の多発化といった不確実性が増す中、中央政府は本来、地方の創意工夫が発揮できるように、補完的役割に徹するべきである。だが、そうなっていない。これも短期的成果を求める観点から地域の諸条件を捨象する市場原理主義の考えに立脚している結果である。

〇感覚的・情緒的な本稿のタイトルについて、一言付記しておきたい。時代(1935年と1948年)と場所(東北と中部)は異なるが、佐藤藤三郎の思いや感情と筆者のそれが重なるところがある。先ず、「ものいえぬ」は、大牟羅良の『ものいわぬ農民』(岩波新書、1958年2月)を念頭においたものである。私事にわたるが、明治生まれの筆者の父(享年87)はまさしく「ものいわぬ百姓」であった。若くして嫁にきた大正生まれの母(享年95)はいつしか、世間に抗する「強い百姓」になり、何よりも「子どもに賭ける」親になった。それは貧困と差別ゆえである。
〇佐藤藤三郎は、1948年4月に山形県南村山郡山元村立山元中学校に入学した43人(卒業したのは42人)のうちのひとりである。いまも山元村(現・上山市)に生きる百姓であり、「もの書き」である。『山びこ学校』(青銅社、1951年3月)は、周知の通り、無着成恭の指導のもとで、貧困と闘う彼・彼女らが2年生在学中に綴った生活記録(生活綴方集)である。そして、『まぼろしの村』(全5巻、晩聲社、1981年1月~7月)は、佐藤のエッセイ集である。「まぼろしの村」というタイトルについて佐藤は、次のように述べている。「この世の中の乱れを評して、村落共同体の滅亡だといい、新しい共同体の創造だとか『むら論』などということを、誰かれとなく口にしている。そして、村に残っている人にそれをやる義務があるみたいなことを、おこがましくいってくるやつがいるから、それらの人への反論として適当なことばと思ったからだ」(『まぼろしの村Ⅰ 村から日本の教師に訴える』245ページ)。
〇いま、筆者の机の上に、佐藤が書いた本が4冊ある。①『まぼろしの村 Ⅰ 村から日本の教師に訴える』(単著、晩聲社、1981年1月。以下[1])、②『まぼろしの村 Ⅱ 村から考える日本の教育』(単著、晩聲社、1981年2月。以下[2])、③『山びこ学校ものがたり―あの頃、こんな教育があった―』(単著、清流出版、2004年3月。以下[3])、④『ずぶん(自分)のあだま(頭)で考えろ―私が「山びこ学校」で学んだこと―』(単著、本の泉社、2012年12月。以下[4])、がそれである。例によって、それぞれから改めて認識あるいは確認したい言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。さらに、[1]と[2]からは、恣意的で我田引水な「つまみ食い」と評されであろうことを承知のうえで、留意したい一節(◍印)をピックアップしておく。

[1]『まぼろしの村 Ⅰ 村から日本の教師に訴える』
外圧によって破壊される子どもと親と教師
村人は、本質的には村を愛し、これからも村に生きていかなければならないと考えている。(25ページ)
が、しかし、(子どもたちや教育を破壊する力が)村のなかから起こる出来事ではなく、よそからの動きが「村」どころではないというせっぱつまったものを持ちこみ、そこに押し込んでしまう、という力があることを私は知らしめられる。そして、まぎれもなく学校教育それ自体も、村の自動的回転を促すために行なわれているのではなく、外的な動きを村に押し込んでくることの作用に力を貸しているのだ、ともいわざるを得ない。つまり今日の学校教育は、いまなお全国画一に、都市的あるいは工業的に、または無機的に行なわれている、ということである。したがって、こうした無機的な論理をすすめることは、コンクリートでかためた都市においてその効果があがることになる。別にいえば、新しい指導要領などでいう、ゆとりと充実の教育は、本来、自然に恵まれた農山村などでこそよくできる条件があるはずなのに、実はその成果がみられない、ということである。ほんとうの学力、それを評価する基準がこの世界ではまだまだ認められていないということが、親の頭を駄目にし、教師を駄目にし、教育をいけないものにしてしまっているのだ。(25~26ページ)

“解明力”を育成する学校と地域との有機的結合
初等、中等の教育は、基礎学力を身につけさせることに重点がおかれなければならないことはもちろんだが、一方的に知識をつめ込むことだけが学力を向上させることとは思わない。理解した知識をもとに、自然や社会を観察したり、批判したりする訓練の場もなければならないのではないか。そのためには、教師にはもっともっと校外に出て社会に接する機会が多くあって欲しい、と願わずにはいられない。(67~68ページ)
わたしが子どもの頃に、この村に一人のすぐれた教師がいた。その先生は、よく部落をまわって、父母たちを集めて座談会をやってあるいた。いまでいえば“社会教育”の分野にはいることかも知れない。子どもの教育のためには、親たちも一緒に教育しなければ効果があがらないと、そんなふうに考えていた先生であった。つまり、有機的な結合のなかで、その先生はものを考えていたことを、わたしはいまにして教えられる。(169ページ)。
学ぶということは、〈まねぶ〉ことともよくいわれるが、実はそこでおわるとするならば、何のために学ぶのかわからない。学ぶことの真のねらいは、解明する力をつけて新しいものを創造することである。解明するためにはまず疑いをもつことからはじまらなければならない。(185ページ)
教師自身が学校以外の社会に顔を出し、幾度となく子どもをとりまく社会に交わる機会をつくっていくなかから話題やテーマをひき出して学習にもち込むといった作業があればこそ、ことの事実にたちむかったとき、解明する力をそなえた子どもが育つのではないだろうか。(186ページ)

◍「村」はまぼろしの存在であって、現実にはそれが内部から喪失している。否、失わしめなければならないものが、村の若者の背に負いかぶさっている。それを払いのける活力は、村の若者のなかにはまだ沸騰などはしていない。(29ページ)

◍常に己が、己自身をみがこうと努力している人間の姿に触れるとき、その人間の美しさに人はみな忘れ得ぬ魅力を生涯感ずるのではないのかと、わたしは人と人との出会いやふれあいの大切さを感じさせられる。(85ページ)

◍教師自身が、自分の教育に情熱と誇りを傾けているであろうか。人間の美しさは情熱にある。その情熱こそが文句なく人から人へと伝わるものである。その大事な美しい「情熱」を燃やすことを、いま村の若者はどこでも修得できずにいる。(131ページ)

◍「地域に根ざした教育」とか「地域をおこす教育」といったようなことばを耳にする。ある校長先生のように自ら村人となる努力、あるいは、そのような実践があってこそ、教育は地域に根をおろすのではないのか。せめて、地域の人たちと酒をのみかわすことぐらい、時間のロスだなどといわないでくれ。(143ページ)

◍「地域」とか「むら」とか「共同体といったものは、そこに住む人間がつくるものである。「むら」はまず自らが作ることにこそ意義があり、必要によってつくられるものでなけれはならない。(187ページ)

◍「地域に僻地はあっても、教育の僻地は許されない」というのが、この村の学校の信条とされている。真の教育とはなにか。教師と生徒の精いっぱいの力のふれあいを、このような小さな学校にこそ見出せるように思える。(215~216ページ)

[2]『まぼろしの村 Ⅱ 村から考える日本の教育』
「村に残る教育」と「村から出る教育」、その矛盾
「村に残る教育をすればいいのか、村から出る教育をすればいいのか」。こんな問いかけをする教師がよくいる。ちょっと聞くと、「そうだなあ、村に残る教育が大事だ」と、いいたくさえなるような問いかけである。が、よく考えてみると、本来、教育にそんな差があるべきなのかという気になる。いうなれば、それは今日の教育のゆがみを認めてしまっていることになるからである。もちろん、現実的にゆがみをゆがみとして認めなければどうにもならないものがあるのかもしれないが、どうもシックリしない。(137ページ)
「村に残る」ということの意味は、まさに「百姓」として残るか、それ以外の職業に就くように指導するか、という意味である。百姓であるわたしには、「これほど多くの職業の種類があるのに、百姓だけをどうして教育の場においてまで差別しなければならないのか」と憤慨したくなる。(137ページ)
わたしは、「人間」を相手にする教育に、「村に残る」とか「村から出る」といった教育があっていいとは思わない。(そういわれるのは)日本の農業のありかたに問題があったからにほかならない。端的にいえば、農業では食えない状況下に農村はおちいったからである。(138、139ページ)
教育の中に「村を出る教育」だとか「村を守る教育」などというものがあってはならない。どこに住もうが、権利として学ぶ機会が与えられてしかるべきだし、差のある教育なんてあってはならない。(253ページ)

「住む都、ここにこそある」という地域への愛着と誇り
今夜も、シンシンと雪が降っている。わたしにとってはロマンティックな気持になる以前に、明日は、村の道路の除雪はどうなるか、ブドウ棚はつぶれないだろうか、杉の木は雪の重みで折れないか、と気にかかる。しかし一方では、こんな冬の夜に、朗々と本を読む声が聞こえてくることの楽しみを想像したり、ショパンやバッハの音楽が家々から響いてきたら、どんなにか楽しいだろうと想いうかべる。「住む都、ここにこそある」と、村びとのだれもが誇り、自らを信じて生きるよろこびが、この村にこだますることのくる日を、音ひとつない静かな部屋でひとり想いふけるのである。そして、踏まれても、蹴られても、差をつけられても、頑として、びくともしないでこの村に生きることのできる力を持っている少年少女が育つことを、「教育」にこそ期待してやまない。(253~254ページ)

◍その教育がなんであり、どうであったのか、百姓であるわたしたちには、知ることの必要などひとつも感じなかっのだ。ただ、ひとりの人間として、あるひとりのすごい情熱的な先生にめぐりあった、という事実は、どうにも動かせないこととして生きているだけなのた。(41ページ)

◍わたしがいま、お前にいいたいことはたったひとつ。「徹して学べ」。学んで「何かを期待する」などという望みは持っていない。がっちりと、自然に生える雑草のように、季節に応じておおらかにや育ってくれればそれでいい。他人にやさしく、己れに厳しい雑木のように育ってくれればそれでいい。(47、49ページ)

◍そもそも教育というものの基本理念は、国家から指図されて行なわれるものであってはならない。住民が要望するものをくみあげ、地域住民の意志を尊重し、それを教育に消化させていくという作業が“学校”というところにはなければならない。(78ページ)

◍教育は実利的なものでなければならない、などというチャチなことは考えていない。むしろ“あそび”こそが大事だと主張したい。“あそび”は、別のことばでいえば“ゆとり”である。人びとには、もっともっと無駄があってしかるべきだし、ましてや人を育てる教育には、さらにゆとりが必要だ。ゆとりというのは“余り”とはちがう。充実、ということばにほど近い。(118、120ページ)

◍もはや、教育に、個性豊かなローカル性などはない。中央がねらいとする機械的な(しかも精密な)人間がみごとにつくりあげられている。そういっても叩(たた)きつけられることはないであろう。(149ページ)

◍農民にいま必要な教育は、技術者としての力のほかに、人間としての力、つまり、「文化」というものを認識し、それを創造することのできる力をもつこと、そして政治や経済に対しては、従順であるのではなく、主体的にそれに取り組む姿勢をもつことが必要だ、ということだ。(158ページ)

◍「地方の時代」という。わたしにはそれを聞くにつけ、どうしても不満として残るものがある。というのは農業を駄目にし、都市を終末的状況に追いやったのは、どこのだれであったのか、ということを風呂敷に包んで、開こうとしないことである。(245ページ)

[3]『山びこ学校ものがたり』
教育は日常の生活や労働から遊離しては存在しない
「知識」とか「教養」といった言葉には多分に抽象的なものがある。だから「知識」や「教養」といった言葉が、実際の暮らしや生活からは遊離したものと考えがちな人が多い。しかし、そうではないのだ。事実や、生活と遊離したところに「知識」もないし「教養」もない。ましてや現実の暮らしから遊離した「教育」など意味がない、と無着先生は考えていた。21歳の若さにして、無着成恭という人間はそのようなアカデミズムを超えて、自分のイズム(「無着流教育」「無着イズム」:183ページ)を確立しようとしていたのだ、と私には考えられる。(11~12ページ)
ぼくはその授業(木の棒を使ってテコの原理を見せながら、反比例の理屈を説く「数学」の授業)を受けながら深い感動と同時に、憤怒(ふんど)の念を覚えたことが今にしてなお忘れられずにいる。「感動」を覚えたのは、「学問」とか「教養」「知識」というものは遠いところにあるのではなくて、日常の生活や、労働のなかにあるということを知ったからだ。(36~37ページ)
「憤怒」というのは、農民や土工などはいつも知識のない人間のように扱われていたが、生活や労働のなかではちゃんとそうした科学の法則を生かしている(テコは父や祖父が仕事のなかでいつも使っている)ではないか、といった悔(くや)しさからきているのだった。(37ページ)

生きるためには「知識」や「技」「術」が必要である
無着先生は、「たとえ試験の点数が悪かろうと、人間としての生き方をしっかりと教えた――」と主張した。(141ページ)
だが正直に言ってぼくはこの言葉にずいぶん悩み、疑問に思った。そしてその疑問は68歳になった今も解ききれないでいる。(141ページ)
試験の点数云々はともかく、人がより広い視野に立ち、高い人格を備え、いい仕事ができるようになるには「知識」や「技」(わざ)、「術」(すべ)をより多く身につけるための勉学や鍛錬をする必要がある。さらに思考力も判断力も、創造力もそれがあってこそ身につくのではないか、と思う。ぼくにそれらが足りないのは無着先生の教えが悪かったからだ、などと他人のせいにする気は毛頭ないが、そうしたことについて悩んだり苦しんだりしてここまで生きてきたということは確かである。(145ページ)
「知識」や「教養」を学ぶ機会に恵まれなかった悔しさがぼくの心の奥底にいまだ重く淀んでいる。(146ページ)

自分の座標をつくりそこに立つ教育が求められる
かつての学校教育の習わしにとらわれず、さらにまたアメリカ的民主主義に乗ることもなく、自らの思いのままに夢中で教育という仕事に青春を打ち込んだ無着先生の生きざまが、今の日本というこの国に改めて必要なのだ、と思えてならない。というのは今日の日本は、いわゆるグローバル化、特にアメリカという大国との共存のなかで繁栄したが、しかしそうしたなかですっかり自主と自立の道をなくしているからである。恐ろしいほどに、戦争が始まればその最前線に立たされるという危惧すら感じる。世界のなかの日本になったのではなく、グローバル化のなかで自分で立つ足場をなくしているのだ。(179~180ページ)
したがってぼくは今、自分の座標を自分でつくり、その座標のなかに自分が立って、世界の人々と交流できるようにならなければいけないのだとさかんに思っている。そうでなければ、身も心もなくしてしまうといった恐怖すら感じられてならない。そしてぼくは無着先生の20代のときの思いや活動を、余計なものは排除し、足りないものを補ないながら生かしていきたいものだと思っている。(180ページ)
中学のときに学んだ「自立した精神」「自由なる精神」をどこまで貫き通すことができたかはわからない。ただ、過疎化のまっただ中にいる村の現実のなかで、少しの田畑を耕し、少しの牛を飼い、山間地の「農」の可能性にこだわって、ぼくはぼくなりの青春の血潮をわかせる人生を送ってきたと思うのである。(199ページ)

[4]『ずぶんのあだまで考えろ』
「自分の言葉で話せ」「自分の脳味噌で考えろ」
「無着先生の言われた言葉で一番心に残っていること」は、「自分の言葉で話せ」ということと「自分の脳味噌で考えろ」ということである。(125ページ)
「自分の言葉で話す」ということは自分の考えを持つ、ということである。しかもそれが具体的でなければならない。(126ページ)
もちろん「自分の言葉で」といえば、自分のことしか考えない利己主義とか勝手すぎるということにもなりかねないが、そうではなく具体的な自分の身近なことにしっかり目を向けて考えていく、ということである。(127ページ)
とかく、「学校」というものには無着先生の言われるような「自分」(「自分の目で物事を見ろ」「自分の脳みそで考えろ」「自分の言葉で話せ」)というものの基本的なことが教えられていないような気がする。しかし一方、ともすると、無着先生にはそれがあまり強すぎているような気がしないでもなかった。いずれにしろ無着先生は教科書をそのまま教えるだけでなく、それにいつも「自分」という人間と知恵をプラスして授業をおこなったのだ。(195ページ)

「学校は楽しく生活する場である」
(昭和23年4月4日)入学式がひとまず終わり、新任の先生の紹介となった。(無着先生の)あいさつが並でなく、ふるっていたことが忘れられない。(173~174ページ)
まず「学校を勉強するところだ、などと考えたら大馬鹿者だ、楽しく生活する場なのだ」と言った。次に「先生なんて決して偉いものではない。君たちが社会に出て役に立つ人間になるための踏み台として利用するものだ」と言った。さらに「日本は戦争に負けたのだから新しく出発しなければならない国だ。だが敗戦国ゆえアメリカの教育や政策が押しつけられている。ともすると日本人はみんなアメリカの言いなりの骨抜き人間になる恐れがある。『学ぶ』ということは自分なりの生き方や、考え方を持つ骨のある人間になることだ」と、もはやテーブルの横に移って叫ぶように演説した。そして後に口調を弱め、「こんなことを言うとGHQ(連合国軍総司令部)に無着成恭ちょっと来い、銃殺だ、ドン、ということになるかも知れないけどね」といって生徒を笑わせた。だが、この演説ともいえるあいさつを聞いて、当時のすごくまじめな渡辺善正校長はきっと、生徒と一緒に笑いはしなかったという気がする。(174ページ)

「経済優先主義の教育に勝てなかった」
私はいま、私なりに「学校」ないしは「学校教育」といったものを「どこかおかしい」と思うことがしばしばある。「いじめ」の問題、そして自殺、さらには教師の酒気帯び運転だとかセクハラ事件といったものが、「またか、またか」と後をたたないからである。そしてそれらの根元はみんな同じところにある、と思えてくる。つまり、そこには「教育の自由」がなく、与えられ、押しつけられる「不自由さ」だと思えてくる。(210ページ)
明治5年にはじまる日本の「学校教育」というものは国民の要望や要求によってつくられ、できたものではない。(211ページ)
学校ないし教育は「民」が主であるのではなく「国家のため」、「権力」によって強制的に作らせられたものであった。(211ページ)
私たちはちょうど「敗戦」を挟んで学校生活をおくり、満たされない教育環境の中で育った。しかし幸か不幸か、敗戦によってアメリカ式の教育制度ががとり入れられ、押しつけられたものとはいえ、その制度は日本の学校教育を完全なものにはしていなかった。したがって無着先生のような一見勝手にも見えるほどの独創的な教育ができたのだ、といえば無着先生は「それは違う」と怒るかも知れないが私にはそう思える。(211ページ)
(2012年で85歳になられた)無着先生からのはがきの文面には「日本の学校教育は経済の競争優先のみに力が入れられていて、この国と人間の命をだめにしている」と書かれ、ちょっと寂しげに「おれはその経済優先主義の教育に勝てなかった」というようなことが記されていた。(212ページ)

〇筆者の書斎の本棚に、佐藤の本が4冊並んでいる。⑤『村に残ったぼくらの抱負』(共著、明治図書、1965年3月。以下[5])、⑥『村に居る―新しい文化を創る―』(単著、ダイヤモンド社、1996年6月。以下[6])、⑦『25歳になりました』(単著、百合出版、1960年2月。以下[7])、⑧『底流からの証言―日本を考える―』(単著、筑摩書房、1970年3月。以下[8])、がそれである。
〇[5]は、青年が村を見捨てざるを得ない農業政策が推進されるなかで、農村の革新や農業の体質改善を図ろうとする全国の農村青年たちの手記を編んだものである。[6]は、「父母」や「村」「花」「旅」などをめぐって、還暦を過ぎた佐藤自身の若かりし頃のことどもをときには烈しく、ときには静かに語る。そして、「農」と「村」のゆくえを案じる。[7]は、『山びこ学校』が世に出てから10年、その間の、佐藤の「若い農民としての生きざま」を綴ったものである。「今後、農山村に暮らす人びとにとっては、いっそうきびしい生活が余儀なくされる」という。そして[8]は、「貿易の自由化」などが進められるなかで、農民がいだく不安は一刻一刻と強まり、村を追われている。その「底流」をなす「時代」の「動き」のなかで、どうにかして人間らしく生きようともがいている佐藤の鼓動と叫び声が聞こえる。
〇[5]のなかに次のような一節がある。あえて引いておきたい。

農民も人間であるという主張を通し、生きていくための仕事であり、職業であるものをうんと大事にしていかねばならない。いままでのわたしたちは、生産、と価格、それを別々に考えていたように思われるが、自分の生産したものに対する正当な価格の要求は、生きる権利への要求であるのではないか、と、ほんきになって考える。(145ページ)

〇私事であり蛇足であるが、筆者(阪野)は父と向き合って会話をした記憶がほとんどない。しかし、「百姓ほどバカバカしい仕事はない。汗水たらして作った野菜の値段は、自分ではなく、他人によってつけられる。ときには肥料代にもならない。大雨や大風で、それまでの努力が一日でふいになる。百姓にだけはなるんじゃないぞ」。この口癖をいま、思い出している。父が野菜をリヤカーにのせて市場に運んでいった翌日、自転車のペダルを2時間近くもこいで「仕切り(金)」をもらいに行く。小学生の頃からの、筆者に課せられた仕事であった。ズボンのポケットに入れて持ち帰るのはいつも小銭であった。そして、その金額を知ったときの落胆した父の顔が、いまも脳裏に残っている。
〇[6]のカバーの「裏そで」で、佐藤は次のように述べている。「いま、村に居続けたことを、ぼくは、これでよかったと思っている。大きな味噌蔵こそ持てない暮らしだったが、山里ゆえのゆたかさを満喫しながら生きてきた」。そう思うのは、佐藤の「反権力の闘争心」や「深く広い思考」、「鋭い分析と表現力」、そして「豊かな感性」などに拠るのであろう。それに比して、筆者の両親は「ゆたかさ」を感じたときがあったのであろうか。何かを祈る「ゆとり」など、まったくなかったのではないか。それ以前に、「祈り」について知ることも、考えることもできなかったのではないか。
〇以下は、筆者が読んだ佐藤の8冊の本のなかで、一番好きな一節である。福寿草の生きざまとともに、土の温もりや豊かさを感じる。複数の地域(農村や都市)で「まちづくり」や「福祉教育」に関わってきた筆者にとって、その意味するところは深い。心に刻んでおきたい。

福寿草は残雪を割るようにして芽を吹き出し、花を開く。咲いた花はガリガリと凍る強い霜が降りても、その冷たさに萎(しお)れることもなく強く生きる。そして黄金色に輝きながら派手ぶることもなく黒い土に根を据(す)えて地味に生きている。そんな姿を見ていると、自らの過去にそれを重ね合わせ、悔(く)いというか罪というか、それ以上に自らの惨(みじ)めさのようなものが胸を締め付けてくる。
福寿草は土を選ぶのか、吸う水に好き嫌いがあるのか、とてもよく繁(しげ)るところと育ちにくいところがある。その植生は花のやさしさにも似合わぬ頑固さを想わせ、表には立たないが、それでいて頑(かたく)なな精神を宿している。
だがその頑固一徹そうな草花であっても、他の雑草が繁ってくると、その居場所を他の草に譲(ゆず)るようにして身を隠してしまい、どこに生えていたのかもわからなくなる。([4]75~76ページ)

「熊野古道(中辺路・伊勢路)紀行」(2018年4月3日~4月15日)

謝辞
本稿は、2018年4月19日に拝受した「熊野古道/中辺路・伊勢路/紀行/(草稿)/2018年4月3日~15日」の「紀行文」と、5月2日に拝受した写真を先生のご了解を得てアップしたものです。編集上、若干手を加えさせていただいております。(2018年5月2日)

文部科学省著『注文の多い料理店』:「レシピ」(学習指導要領)通りに作る「コース料理」(官製教育)は本当に美味しいか?―小針誠著『アクティブラーニング』読後メモ―

〇先ず最初に、本稿の天邪鬼(あまのじゃく)なテーマに関して一言しておきたい。「アクティブ・ラーニング」は、多様性と協働性、能動性と創造性が重視される教育方法である。そして、子どもと教師双方の主体性や自律性、当事者性を引き出し、動機づけを高め、学習過程への参加(関与)を広め、深めることが重要となる。これが真意である。
〇文部科学省は、ほぼ10年ごとに学習指導要領を改訂している。学習指導要領は、法的拘束力をもって教育現場に、教育の内容や方法について一方的な、多くの「注文」をする。いま、宮沢賢治の童話『注文の多い料理店』を思い出す。2人の若い紳士が鉄砲を担いで山奥に狩りに出かける。腹がすいたので西洋料理店の「山猫軒」に入る。そこでいろんなことを「注文」されるが、自分たちが食べられることに気づき、あわてて逃げ出す。レストランは煙のように消え、2人は草のなかに立っている、という話である。「(恐ろしさのあまり)さっき一ぺん紙くずのようになったふたりの顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんでした」(宮沢賢治『注文の多い料理店』〈イーハトーヴ童話集〉岩波書店、2000年6月、70ページ)。最後の一節である。
〇2016年12月、中央教育審議会が学習指導要領の改訂に向けた最終答申を行った。それを受けて文部科学省は、2017年3月、小・中学校の学習指導要領を改訂・告示し、小学校学習指導要領は2020年4月から、中学校のそれは2021年4月から全面実施されることになる。小学校では2018年4月から、2011年4月に必修化された5・6年生の「外国語活動」が教科化され、3・4年生にも導入(先行実施)されている。
〇2018年2月、文部科学省は、2022年4月から年次進行で実施される高等学校学習指導要領の改訂案を公表した。55科目中、新設や見直しが27科目を数えるという大幅な改訂である。内容的には、従来の知識偏重から思考重視への移行、すなわち「思考力・判断力・表現力等」の「新しい学力観」に立つ教育の推進である。また、「愛国心」や「領土問題」について踏み込んだ記述がなされている。「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」(前文)、「自国を愛し、その平和と繁栄を図る(中略)大切さについての自覚などを深める」(新設科目「公共」の目標)などがそれである。
〇今回の改訂で注目されることのひとつは、小・中学校の学習指導要領と同様に、「主体的・対話的で深い学び」の実現に向けた授業改善の「視点」が強調されていることである。そのひとつのきっかけは、2008年3月の中央教育審議会大学分科会制度・教育部会の「学士課程教育の構築に向けて(審議のまとめ)」や、2012年8月の中央教育審議会答申(「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~」)における「提言」である。前者では「学生の主体的・能動的な学びを引き出す教授法(アクティブ・ラーニング)」、後者では「学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)」について言及された。
〇その後、「アクティブ・ラーニング」は、用語の多義性などに基づく多様な懸念や批判を受けて、「主体的・対話的で深い学び」と表記が変えられる。それは、「アクティブ」という用語の後退であるが、教育や学びの「方法」から授業改善の「視点」への転換であり、逆に小学校から大学までの、しかもすべての教育活動への「アクティブ・ラーニング」の導入を意味する。そこには、超少子高齢人口減少多死社会と政治・経済のグローバル化、高度情報化などがさらに進展するなかで、国際競争力を強化するための財界の思惑や要請が透けて見える。
〇もうひとつ注目されるのは、現行の教科「公民」中の選択科目「現代社会」を廃止し、必修科目として「公共」が新設されることである。しかも、学習指導要領の総則(第7款)に新たに「道徳教育に関する配慮事項」を示し、科目「倫理」並びに「特別活動」とともに、道徳教育の充実を図るための「中核的」な科目として「公共」を位置づけている。高等学校における道徳教育の強化、特定の価値観や生き方の強制である。小学校では2018年4月から、中学校では2019年4月から「特別の教科 道徳」(「道徳科」)の授業が始まっている(始まる)。
〇高等学校学習指導要領の改訂案でさらに注目されるものに、「カリキュラム・マネジメント」の重視がある。カリキュラム・マネジメントとは、各学校が設定する教育目標の実現に向けて、生徒や学校、地域の実態を踏まえて教育課程を編成・実施・評価し、改善していくことを通して、組織的・計画的に各学校の教育活動の質の向上を図っていくことをいう。それはあくまでも、教育課程(カリキュラム)の「最低基準」であり、法的拘束力を有する学習指導要領に基づいたマネジメント(運用)である。
〇いま、筆者の手もとに、小針誠(こばりまこと)の『アクティブラーニング―学校教育の理想と現実―』(講談社、2018年3月)がある。本書では、「現代日本の学校教育で、なぜアクティブラーニングまたは主体的・対話的で深い学びが提起、導入されようとしているのかを歴史的に解き明かし、批判的に考えて」(8ページ)いる。その際、小針にあっては、「アクティブラーニング」とは「さまざまな活動や体験を採り入れることも含めて、アクティブな視点で学習者の主体的で能動的な学びを促進し、深めていくこと」をいう(18ページ)。アクティブ・ラーニングについての表層的な入門書や概説書、ハウツー本などは多く見られるが、その教育効果を十分に実証するものには出会わない。そうしたなかで本書は、アクティブ・ラーニングに関する注目の一冊である。
〇以下では、例によって、小針の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。「です・ます」調を「である」調に変換。見出しは筆者)。

アクティブ・ラーニングをめぐる5つの幻想
アクティブラーニングや主体的・対話的で深い学びには、次のような「幻想」がある。「幻想」とは根拠のない空想や、現実にならないことを思い描くことをいう。
第1の「幻想」は、先行き不透明な未来社会を生きる子どもには、アクティブラーニングが必要で、これまでの教育では目標を達成できないだろうというものである。
第2の「幻想」は、活動的な学び(アクティブラーニング)をおこなえば、子どもたちは主体的・能動的に学ぶこと(アクティブラーニング)ができるだろうというものである。
第3の「幻想」は、学校でアクティブラーニングを経験すれば、知識や技能を活用できる新しい学力(思考力・判断力・表現力)、学ぶ意欲や「生きる力」が高まるだろうというものである。
第4の「幻想」は、研修や指導を通じて教師自らが主体的に学ぶ機会を提供すれば、どの学校や学級でもアクティブラーニングが達成可能になろだろうというものである。
第5の「幻想」は、以上の4点より、アクティブラーニングは好ましく、国の教育政策として導入されるべきだというものである。(5~6ページ)

文部科学省が言う「主体的・対話的で深い学び」
文部科学省の説明や学習指導要領の記述をもとに、「主体的・対話的で深い学び」について説明しておく。
「主体的な学び」とは、学ぶことに関心をもち、自己のキャリア形成とも関連づけながら、見通しを持って粘り強く取り組み、自己の学習活動をふりかえりながら、つぎにつなげる学びを言う。「対話的な学び」とは子ども同士の協働、教職員や地域の人との対話、先哲(昔の優れた思想家や書物)の考え方を手がかりに考え、自己の考えを広げ深める学びを指す。そして「深い学び」とは、それぞれの教科や領域などの特質に応じた「見方・考え方」にもとづいて、知識を相互に関連づけてより深く理解したり、情報を精査して考えを形成したり、問題を見出して解決策を考えたり、思いや考えをもとに創造することに向かう学びを指している。(50~51ページ)

アクティブ・ラーニングとカリキュラム・マネジメント、そして「ふとり教育」
(今回の学習指導要領の改訂によって)いずれの学校段階や教科教育さらには教科外教育でも、教師は一方的な説明だけに終始せず、グループディスカッション、グループワーク、課題解決型学習などを採り入れつつ、主体的・対話的な学びを通じて、さらに学びを深めることが求められる。(59ページ)
アクティブラーニングの視点を導入すれば、学校教育は20年前の「ゆとり教育」から、教師も児童・生徒もじゅうぶんに消化しきれないほど盛りだくさんの「ふとり(太り)教育」になることは目に見えている。(59ページ)
「ふとり教育」の肥大した部分をどうするかは、「カリキュラム・マネジメント」をおこなう学校の裁量に大きく委ねられることになり、学校(校長)や教師それぞれが責任を負うことになる。(60、62ページ)

「参加しない自由」と“必然性のある学び”の重要性
能動的な参加ということは、学習者自らが積極的に参加し、他者と関わらないかぎりは、対話的な学習がはじまらない。しかし、そうであるならば、「参加しない自由」が担保されなければならないのではないか。仮に参加しない自由が認められないとすれば、それは他者からの「学びの強制」であり、字面通りに解釈すれば、主体的な学び(アクティブラーニング)にならないばかりか、個人の内面に対する過剰な介入になってしまう。(239ページ)
また、他者との協働を通じた対話的な学びばかりではなく、個々の子どもたちによる個別的な学びの機会も同じように大切にされ、認められなければならない。さもなければ、協同(協働)学習の試みは、個の自立よりもむしろ集団への強制的な同調や埋没を促すだけの実践に陥りかねないからである。(240ページ)

新学習指導要領とアクティブ・ラーニングの問題点
今回実施される学習指導要領では、細部にわたって教科指導・教科外指導のあり方を規定しているため、学校、教師、子どもの「自由」「個性」「ゆとり」「自主性」がじゅうぶんに確保されていない。それが今回のアクティブラーニングの決定的な弱点であり、問題点である。学校教育史上、教師と子ども双方にとって、もっとも主体性を喪失させ、じゅうぶんな対話のない学びになる可能性さえある。
これまでの日本の学校教育の歴史を顧みて言えば、〈アクティブラーニング〉の導入が試みられた時代こそ、ほぼ共通して、大人(国や社会)の一方的な希望や期待が子どもやその教育に非常に強く反映された社会であった。つまり、子どもを学びの主体や主人公とすることを教育の理念として掲げながら、そのじつは子どもを操作可能な存在とみなし、子どもに対して自発性や活動・体験への参加を過度に要求し、大人の意に従わせてきたと言えるのではないだろうか。(257ページ)
(今回の学習指導要領では)名ばかりの「主体的・対話的で深い学び」に対して、「受動的・他律的・雑談的で浅い学び」を教師や子どもたちに強いて、学校は、ただ現状を追認するだけの政治的・経済的人材の育成に向けて、子どもたちを飼い慣らしていくことになるのではないだろうか。(258ページ)

〇以上から、学校教育改革の動向について管見を加味し、単純化して示せば次のようになろうか。

また、教育の政策化に際しては、もはや時代錯誤ではあるが、<人口増加×経済成長>を前提とする資本主義の原理的な理解や認識がある。その一方で、<人口減少×定常経済>という現代資本主義社会の「定常状態」(活発な社会・経済活動が展開されているものの、その規模自体は拡大していない状態)についての現象的理解・認識がある。そして、その狭間で揺れ動く国や政府の教育政策(その本質は市場主義の論理に基づく政策)がある。とりわけ政治主導で進められる近年の、管理・統制社会へのベクトルを強化する学校教育改革は怖い。
〇最後に、唐突の感は免(まぬが)れないが、管理・統制教育の対極にある(あるべき)真の「アクティブ」で「深い」学びとは何かということに関して、議論すべき点のひとつとして、1985年3月に採択されたユネスコの「学習権宣言」を思い起こしておきたい。学習権とは、「想像し、創造する権利」「自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利」「あらゆる教育の手だてを得る権利」であり、「人間の生存にとって不可欠な手段である」。真の「アクティブ」で「深い」学びは、形式的なものではなく、この学習権の行使と保障について個々の子どもと教師双方がいかに理解・認識し、態度・行動に表すかが問われる課題である。言い換えれば、学習権についての内的な思考と結果の表出(外化)、その過程(思考過程と表出過程)が問われるのである。しかも、子どもと教師に、学習や教育の名ばかりの「主体」ではなく、自己決定権を有す「主権者」であることを求める。留意したい。

付記
〇「学習指導要領改訂の方向性」を図示したものである(文部科学省「中央教育審議会答申(補足資料)」2016年12月、6ページ)。

〇「主体的・対話的で深い学びの実現について」図示したものである(文部科学省「中央教育審議会答申(補足資料)」2016年12月、13ページ)。

〇大学におけるアクティブラーニングの「失敗結果」と「失敗原因」を図示したものである(中部地域大学グループ・東海Aチーム編『アクティブラーニング失敗事例ハンドブック~産業界ニーズ事業・成果報告~』一粒書房、2014年11月、3~6ページ)。

〇高校福祉科のアクティブ・ラーニングに関しては、藤田久美編著『アクティブラーニングで学ぶ福祉科教育法―高校生に福祉を伝える―』一藝社、2017年3月、がある。

竹端寛:「枠組み外し」(概念くだき)×「学びの渦」(螺旋的発展)=「無理しない」地域づくり(ガチンコのまちづくり)―そして、そのためのいくつかの「ワークシート」―

〇筆者(阪野)にとって3月は、ここ数年来、地域活動に関する無力感や挫折感、息切れや息苦しさを感じる時期である。「地元」では余計な口を挟(はさ)まず、ルーティンを淡々とこなすことに終始する。さもないと、「出る杭(くい)は打たれる」のではなく「抜かれる」、という自虐的な思いでもある。そんななかで、遅ればせながら、「どうせ」「しかたない」という「諦めの壁」を超える方法論を提示し、「地域づくり」の“風”や“土”を感じさせる、ホッとする本に出合った。竹端寛(たけばた・ひろし)の『枠組み外しの旅―「個性化」が変える福祉社会―』(単著、青灯社、2012年10月。以下[1])と『「無理しない」地域づくりの学校―「私」からはじまるコミュニティワーク―』(編著、ミネルヴァ書房、2017年12月。以下[2])がそれである。勇気が湧いてくる。
〇僭越の極みであるが、腹蔵なく言えば、[1]と[2]の言説には、刺激的かつ魅力的な言葉(「魂の脱植民地化」「箱の外に出る」「エクリチュール〈仕事や肩書きとの同一化〉など)で新味を演出するものの、内容的にはさほど目新しさはない。必ずしもそれを否定するものではないが、「まちづくり」に関する既存の言説の仕立て直し(焼き直し)が散見される。とはいえ、なぜかホッとする。それは、確かで豊かな現場実践に基づいて紡ぎ出された言葉(言葉づかい)であり、言説であるからである。また、「市民福祉教育とまちづくり」の実践や研究に関わってきた筆者にとって、私事的なことどもが回顧されるのは、[1]と[2]には、その細部にわたる支持・不支持についてはひとまず措(お)くとして、再認識や再確認したい(すべき)いくつかの論点や言説が見出されることによるのであろう。
〇「我が事・丸ごと」の地域づくりが“上から”丸投げされ、「まちづくりと福祉教育」の定型化・標準化が推進されている。そういうなかで、本音の「私」発の、「手づくり」の「地域づくりの学校(学び)」という思想(考え方)にはとりわけ留意したい。ただ、[2]の「『無理しない』地域づくりの学校」(岡山県社協)の実践の体系化や理論化を図るためには、いま少し実践の蓄積と実践知の集約が必要とされよう。
〇本稿のタイトルに関して、誤解を恐れずに一言(いちごん)すれば、思考の「枠組み外し(「ときほぐす」)とは「概念くだき」(国分一太郎)のことでもある。「学びの渦」の創発とは、好循環を生み出す思考であり、弁証法的・螺旋的な発展(思考)を意味する。「無理しない」地域づくりは、地域に生きる「私」の内発的動機からはじまる。そのためにはまず、自分と向き合い、自己覚知することが肝要となる。そして、「自分事」として地域にかかわり、地域の課題に取り組むことが求められる。
〇[1]からは、次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「枠組み外し」と「個性化」と「社会変革」
「枠組み外し」とは、私達が「当たり前の前提」としている、「変えられない」と思い込んでいる「常識」「暗黙の前提」そのものを疑うことである。「どうせ」「しかたない」とわかった振りをせず、なぜ「しかたない」とされるのか、本当に変容可能性はないのか、どうすれば変える事が可能なのか、を徹底的に考え続けることである。これは、極めて個人的な、時として「反社会的」な営みである。だが、その枠組み外しをし続ける中で、絶対に変わらないと思っていた強固な常識の固い岩盤が崩落し、その下に、別の新たな可能性を見つけ出す瞬間が訪れる。この別の可能性との出会いのことを、ユングは「個性化」と名づけた。この「個性化」を果たす中で、実はあなたや僕自身が、より大きな社会の中で開かれていき、そこから社会が少しずつ変わり始める。つまり、あなたや僕自身の「個性化」を通じて、あなたや僕という一主体が、社会を変える渦の発生源となることも可能なのだ。(17ページ)

「諦め」と「学びの渦」の創発
「学びの渦」とは、そこに関わる人びとが、世界への認識の枠組みを遷移させる学習過程に身を置き続けることを通じて、新たな何かが「創発」されること、である。(60ページ)
ある人が何かに出会い、その出会いを通じて、自らが「知らない」世界があることに気づく。そして、「どうせ」「しかたない」「無理だ」という「諦め」の壁を越え、その「知らない」世界に賭け、身を投じる。その世界固有の文脈や声に耳を傾け続ける中で、自らのこれまでの知のあり様や生き方そのものを、根本的に問い直す。その問い直しの中で、自らが囚われている枠組みの限界に気づき、それをも乗り越えて、かかわりの視点を持ちながら、関係的主体として、出会いを活かして、自らの与えられた使命に気づき、それを実現する努力としての個性化のプロセスを突き進む。その個性化が果たされた結果として、「どうせ」「しかたない」「無理だ」という「諦め」の呪縛の向こう側にある、新たな何かが、気づいたら創発されている。自らが「諦め」から解き放たれる中で渦が創発し、その渦に自分も世界も巻き込み、巻き込まれて、渦が大きく自生していくうちに、結果的に何かが変わっている。
「学びの渦」とは、このような「諦め」や宿命論から解放され、渦が創発し拡大していく「渦的プロセス」である。(213ページ)

「成解」と「正解」の好循環
「成解」とは、ローカルな文脈という「空間限定的」で、かつあるタイミングでのみ適合するという「時間限定的」な制約を持つ概念である。そして、「当面成立可能で受容可能」で、その現場を変えうる力を持つ「解」としての「成解」こそが、福祉現場にも求められる知そのものである。教科書的知識や専門職の偏見・先入観を外在的に押し付けた「正解」(=専門家主導)では、現場が大混乱する可能性は高いが、そのメガネですっきり課題が解決する可能性は、まずない。特定の現場で、当事者の声に基づき、ローカルな文脈に寄り添うという意味で、福祉政策の課題は時間的・空間的文脈に依存的である。(154ページ)
ローカルな「成解」の積み重ねは、他地域での共感を呼び、一定の普遍性を担保するようになると、ボトムアップ的な「正解」になりうる。(156ページ)
局所的な「成解」のユニバーサルな「正解」への昇華プロセスの特徴的な点は、モデルや理念先行型のトップダウン型ではなく、あくまでも当事者の声に基づく(=当事者主体の)仕組みづくりというボトムアップ性である。対人直接支援という福祉政策の領域では、何らかのブレークスルー(現状の打開、突破)は、常に局所的現場の実践解という「成解」の中に、そのヒントが隠されている。そして、それを帰納的に普遍化し、新たな制度やシステムとして「正解」として形作り、現場に演繹的に投げ返す。この「成解」と「正解」の互いのフィードバックと好循環の形成や、「成解」から「正解」を問い直すシステムの構築が問われている。(156~157、158ページ)

〇[2]からは、次の一節(「精神障害者のノーマライゼーションを模索するPSWの5つのステップ」)をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。それを「まちづくり」に引き付けて言えば、「本人」「当事者」を「地域住民」、「支援者」を「コミュニティワーカー」「まちづくりファシリテーター」あるいは「コミュニティデザイナー」(山崎亮)などと置き換える(読み替える)こともできる。

支援者と当事者の相互変容過程の「5つのステップ」
ステップ1:本人の思いに、支援者が真摯に耳を傾ける <当事者とじっくり向き合い、本音を聞く>
ステップ2:その想いや願いを「〇〇だから」と否定せず、それを実現するために、支援者自身が奔走し始める(支援者自身が変わる) <当事者の想いや願いを実現するために、模索を始める → PSW自身が変わってゆく>
ステップ3:自分だけではうまくいかないから、地域の他の人々とつながりをもとめ、個人的ネットワークを作り始める <一人では無理と気づき、問題を共有する仲間を作る → まわりの人々も変わりはじめる>
ステップ4:個々人の連携では解決しない、予算や制度化が必要な問題をクリアするために、個人間連携を組織間連携へと高めていく <仲間の連携がやがて組織や地域を動かし、居住環境や就労、所得などの側面が変わる → 地域の資源が変わっていく>
ステップ5:その組織間連携の中から、当事者の想いや願いを一つ一つ実現し、当事者自身が役割も誇りも持った人間として生き生きとしてくる。(最終的に当事者が変わる) <自信・誇り・役割意識などが当事者の中に芽生えはじめる → 当事者が変わる>(19~20ページ。<>内は[1]63~64ページ)

〇[2]のねらいのひとつは、自分と向き合い(「自己分析」)、まちづくりの「マイプラン」を作成するプロセスや手法について説述することにある(その点において[2]は[1]の実践編であると言える)。[1]と[2]における言説を、若干の管見を加えて、概念図化しておくことにする(図1)。併せて、[2]に紹介されている「シート」(注①)を転載する(資料1~6)。
〇なお、一般論として、「自己分析」の強調や偏向は、「心」や「思い」が重視されることにもなり、自己の思考が内面化し、その相対化や歴史的認識を難しく(危うく)する。まちづくりには、地域・住民の多様で多層な「要求と必要と合意」に関する認識と実践が肝要となる。また、柔軟性を欠いた「(ワーク)シート」は、形骸化や空洞化をもたらし、主体性や自律性を尊重すると言いながら、ひとつの思考や実践のみを推進することにもなる。あえて付記しておきたい。


〇最後に、例によって唐突ながら、[2]から次の2つのフレーズをメモっておくことにする。ひとつは、「福祉の人が『福祉だけ』している時代でも、『福祉の人だけ』が福祉のことをしている時代でもない。福祉を考えるにはまちづくりが、まちづくりを考えるには福祉が欠かせない」(51ページ)、である。「福祉のまちづくり」(1970年代以降)から「福祉でまちづくり」(1990年代以降)、そして2010年代は「福祉はまちづくり」といわれる時代へと移行した、という大橋謙策の考え方にも通底する(山崎亮『縮充する日本』PHP研究所、2016年11月、331、335ページ)。
〇いまひとつは、「福祉現場で働いている人が、新しい空気を取り込むために、職場以外の人たちとつながりを作るならば近くの異業種、遠くの同業種」(121ページ)、である。それは、(近くの)「異質性の協働」×(遠くの)「同質性の協同」=(緊張や葛藤の緩和・軽減による)「共働のまちづくり」の促進、ともいえる。求められるのは、外発的動機による「なれ合い」のまちづくりではなく、内発的動機を重視する「ガチンコ」(真剣勝負)のまちづくりである。それが「私」(「自己変容」)による「無理しない」地域づくりの本質であり、そのための「学び」(人づくり)の厳しさが問われるところでもある。


①「シートは50種類を超える。その中で常用しているのが15種類くらいであろうか。ただ、1か所の講座でその15種類のシートを全て配付するのではなく、講座の難易度や進行度合い、受講生の理解度に合わせて選別することになる」(尾野寛明[2]91ページ)。

補遺
福祉教育プログラムの企画ワークシートを3種類紹介しておくことにする(資料7、8、9)。本稿のねらいのひとつはここにもある。

福祉教育に関する概念図(10+2)―思考をおしゃれに視覚化することのすすめ―

〇筆者(阪野)はかつて、学生に対して、論文を書くにあたっては思考の枠組みと構造に対応させて、「書くべきこと」と「書きたいこと」を峻別し、その関係性を重視しながら「簡潔明瞭」に書くことを求めてきた。しかも、論述の内容や関係性を視覚化した「概念図」の作成を勧めた。“言うは易し行うは難し”であることを承知のうえで、「この章や節で書いていることをひとつの図で示すとどうなりますか」「文章を因数分解し、それを再構成して簡便な図を描いてみて下さい」というふうにである。それは、訴求効果を高めるだけでなく、その作業を通して思考と論理の体系化・構造化や拡大・深化を期待するがゆえである。
〇本稿では、福祉教育に関するいくつかの概念図のうちから、筆者が再認識したい基本的なものを10点選択し、それに筆者が作成した2点を加えて一覧にまとめ、各図の説述文の一節を紹介することにする(抜き書きと要約)。

図1 ボランティア活動の構造/1980年7月
ボランティア活動には、①地域の連帯力・教育力を取り戻し、再創造していくための地域づくりのボランティア活動、②地域に住んでいる自立困難な人を疎外することなく、必要な個別援助を提供し、地域の福祉を支える力となるボランティア活動、③どのような街をつくるのか、障害者や高齢者と共に生きる街をどうつくるのか、という地域福祉の街づくり計画をすすめるボランティア活動、という3つの機能がある。その3つの機能は個人のなかに有機化して内包されている場合もあれば、そうでない場合もあろう。しかし、少なくとも3つの機能は図1のように構造化され、個人もしくはグループあるいは地域のなかに有機的連携をもって存在し、統合した力を発揮できるようになっていることが必要であろう。(55ページ)

出典:大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、56ページ。初出は、全社協・ボランティア基本問題研究委員会「ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―」1980年7月、である。

図2 “福祉のいとなみ”の各局面に対応した福祉教育の課題/1981年11月

いま一度、“国民の社会福祉への関心と参加の促進”という福祉教育の出発点に立ちかえり、その根底にある教育課題を整理し直してみる必要がある。あちこちから発せられた“課題”群を有機的に関連づけ、福祉教育の理念を構造化する必要がある。そこで、“福祉のいとなみ”、そのあるべき姿、あり方をまずその構成分子にまで分解し、その上で全体構造を描いてみるとともに、その構成分子の一つ一つが要求する教育課題を見い出すという方法を試みた。要するに、“福祉のいとなみ”と、教育課題の両者を分解し、相互に関連する同士を結合した上で、再び全体を俯瞰するという工程を経て、より明確な福祉教育像を見い出そうとしたのである。図2はその作業をまとめたものである。“福祉のいとなみ”と教育課題のかかわり合いの中に“福祉人”(期待される福祉活動を正しく担いうる人間像)の要件が浮かび上がってくる。(9ページ)

出典:全社協・福祉教育研究委員会「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」(福祉教育研究委員会中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月、10ページ。

図3 現代社会の社会福祉の諸問題/2000年12月

現代社会においては、人間の関係性(「つながり」)を重視し、「ソーシャル・インクルージョン」の理念を進める必要がある。従来の社会福祉は主たる対象を「貧困」としてきたが、現代においては、①「心身の障害・不安」(社会的ストレス問題、アルコール依存、等)、②「社会的排除や摩擦」(路上死、中国残留孤児、外国人の排除や摩擦、等)、③「社会的孤立や孤独」(孤独死、自殺、家庭内の虐待・暴力、等)といった問題が重複・複合化しており、こうした新しい座標軸をあわせて検討する必要がある。図3の横軸は、貧困と心身の障害・不安に基づく問題を示すが、縦軸はこれを現代社会との関連で見た問題性を示したものである。なお、各問題は、相互に関連しあっているとともに、社会的排除や孤立の強いものほど制度からも漏れやすく、福祉的支援が緊急に必要である。(2、3ページ、「別紙」)。

出典:厚生省社会・援護局「『社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会』報告書」2000年12月、「別紙」。

図4 ICFの構成要素間の相互作用/2001年5月

障害に関する国際的な分類としては、これまで、世界保健機関(以下「WHO」)が1980年に「国際疾病分類(ICD)」の補助として発表した「WHO国際障害分類(ICIDH)」が用いられてきた。WHOでは、2001年5月の第54回総会において、その改訂版として「ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)」を採択した。ICIDHは、「障害分類」(「病気/変調」→「機能障害」→「能力障害(能力低下)」→「社会的不利」)として、「障害」のマイナス面を分類するという考え方が中心であった。それに対して、ICFは、「生活機能」というプラス面からみるように視点を転換し、さらに「背景要因」の観点を加えた。「生活機能」は「心身機能・身体構造」「活動」「参加」、「背景要因」は「環境因子」「個人因子」から構成されている。この考え方は、障がい者はもとより、すべての人々の生活活動(仕事、家事、学習・文化・スポーツ活動など)に関する保健・医療・福祉サービスや社会システムなどのあり方の方向性を示唆している。

出典:厚生労働省ホームページ参照。

図5 福祉教育とボランティア学習の構造イメージ/2003年1月

福祉教育とボランティア学習は、双方とも、人権尊重・異文化理解をべースに、共生社会・福祉社会の創造を大目標にかかげる実践である。しかし、総体としてとらえると、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがある。福祉教育は、「社会福祉問題や福祉現場とのつながり」を起点とする。それに対してボランティア学習は、かならずしも社会福祉領域に限らず、より広く、「社会的問題や市民活動とのつながり」を大事にする実践である。また、福祉教育は、より制度的かつ切迫的な現実課題に応えることが期待される実践である。このことから、福祉教育は、ボランティア学習に比べて、よりカリキュラムとして制度化しやすい体質をもっているともいえる。現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されているが、両者の特徴を総合することが求められている。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にある。(36~38ページ)

出典:地域を基盤とした福祉教育・学習活動の推進方策に関する研究開発委員会編『福祉教育ハンドブック』全社協、2003年1月、39ページ。

図6 共生に関する分析枠組 ―理論上のアイデンティティ類型―/2003年3月

社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティ(少数者・派)とマジョリティ(多数者・派)の両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。図6は、人々の多様なアイデンティティの状況を把握するための全体的な見取り図(基礎モデル)である。縦軸の変数として「マジョリティ文化への志向」の度合いを取り、横軸の変数として「マイノリティ文化への志向」の度合いを取っている。各象限のタイプは、あくまでもアイデンティティを分析し、共生へのプロセスを検討するために構成したものであり、抽象的な類型である。そのため、実在する人々が、各タイプの特徴と厳密に一致するわけではない。(51、52~53ページ)

出典:寺田貴美代「社会福祉と共生」園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、52ページ。

図7 社協事業における福祉教育の位置づけ/2008年3月

社協の使命は、「地域福祉の推進」である。そして、その主人公は「地域住民」である。社協は「住民主体の原則」を掲げ、住民自身の学びと地域福祉活動の実践を継続的に支援してきた。地域住民が地域福祉を担っていくためには、住民自身が地域の様々な課題に気付き、その解決に向けて自ら取り組んでいく手法を学んでいく、という気づきと学びのプロセスが重要である。そのことを通して、地域課題に取り組む力量を培った住民の層を厚くしていくことが、社協の使命の遂行に直結していくことになる。したがって、社協職員はあらゆる事業をすすめる際に、福祉教育の重要性を意識し、地域住民が主体的に問題解決にむけて働きかけていけるような事業の企画とプログラム展開を考えていく必要がある。 図7は、社協事業における福祉教育の位置づけを示したものである。社協の使命達成のために、福祉教育はなくてはならない実践なのである。(2ページ)。

出典:福祉教育実践研究会『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育推進のためのパンフレット)全社協・全国ボランティア活動振興センター、2008年3月、3ページ。

図8 地域を基盤とした福祉教育の展開と地域福祉活動の推進/2008年3月

図8は、「地域の中での福祉の学び」と「地域福祉活動」の関係を示したものである。(上・下図ともに)上下2つの帯があるが、上の帯は、「個々の住民に着目した、学びと活動実践のプロセス」を示している。地域課題に気づき学ぶことを重視した部分は、より「福祉の学び」( 福祉教育)の性格が濃く、課題解決を重視した実践の部分は「地域福祉活動」としての性格が濃い、ということができる。そして、福祉教育としての機能も地域福祉活動としての性格も、多少の違いはあっても、本来、決して一方が全く失われるという関係ではないとも考えられる。しかし、「学び」と「活動」との関係を重視して、常によりよい相互作用を意識して取り組まなければ、それぞれが形骸化してしまうおそれもある。そう考えると、「福祉の学び」と「地域福祉活動」の「両者の関係の継続や深まりを意図的に支援する社協(職員)の営みが福祉教育である」(下の帯)と、捉えることが大切になってくる。福祉教育にあっては、具体的な地域課題から遊離することなく、地域福祉活動の実践にあたっても学びの機能が発揮されるように、社協としての意識的な働きかけが求められるのである。福祉教育は、福祉教育の担当者のみが実践するものではなく、全ての社協職員もしくは社協組織全体で取り組んでいく基本的かつ根源的なテーマであると言える。(4ページ)「地域福祉は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」「社協活動は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」のである。

出典:福祉教育実践研究会『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育推進のためのパンフレット)全社協・全国ボランティア活動振興センター、2008年3月、5~6ページ。

図9 福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション―内省から省察、そして創造へ―/2012年11月

リフレクション(reflection)研究の萌芽は、社会学者であるG.H.ミードが提唱したことによる。彼はリフレクションを「自分自身を、距離をおいて他者の立場から見ること」であるとした。内省的な反省とは違い、自分自身をあたかも他人を見るかのように捉え返すことに特徴があると言われる。サービスラーニング研究における「リフレクション」には、多くの先行研究があるが、それらを踏まえて、やや大胆にリフレクションの展開を整理するならば、「反省的思考」→「行為のなかの省察」→「批判的自己省察」→「批判的省察」→「創造的省察」という道筋である。ここでいう創造的省察とは、現時点から過去の行為をふりかえるだけではなく、近未来の自分や社会を創り出すという視点から、リフレクションをしていくことである。同時にリフレクションを通して、近未来を創り出していくという指向性を有している。(42~44ページ)

出典:原田正樹「福祉教育・ボランティア学習における創造的リフレクションの開発」『研究紀要』Vol.20、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月、44、45ページ。なお、筆者(阪野)はとりあえず、「内省(ないせい)」は「かえりみて見直すこと」、「省察(しょうさつ)」は「ふりかえり考えめぐらすこと」と理解しておくことにする。

図10 社会的包摂にむけた福祉教育の展開/2013年3月
(1)好意的な関心をもたせる福祉教育 「無関心」→「関心」へ

「無関心」から「好意的関心」を促していくためには、漠然とした抽象的な対象理解(「障害者問題」など)ではなく、具体的な個人や地域(「その地域に居住する車椅子利用者のAさんの暮らし」など)への関心を促すことが必要である。(13ページ)

(2)「共感・当事者」を育む福祉教育 「同情」→「共感」へ

単なる「同情」から「共感」を促していくためには、「対話」を通して関係性を育みながらお互いに理解をしていくとともに、地域のなかでの意図的な「学びの場づくり」が必要である。(14ページ)

(3)包摂をめざす福祉教育 反感・コンフリクト→共存へ

「反感」「コンフリクト」(葛藤や対立)の状態から「共存」(仲良くはなれなくても排除はしない。適度な距離感を保つ)を促していくためには、反感・コンフリクトへのアセスメント(判断・評価)をして分かりあえる場をつくるとともに、アドボカシー(代弁)や通訳的な役割を担う人材の育成が必要である。(15ページ)

(4)福祉教育の展開によって当事者や地域のエンパワメントを促す

福祉教育の展開によって当事者(問題の直接の関係者)や住民、地域のそれぞれのエンパワント(主体的に問題解決を図ろうとする力の発揮と開発)、すなわち主体形成を促していくことが地域を基盤とした福祉教育の特徴であり、まさに当事者性(問題の直接的な関係者に<なる>こと)を軸とした地域福祉援助の展開である。ワーカー(コミュニティソーシャルワーカー)は地域住民の一人ひとりの意識変容を促しながら、それを地域全体に広げ、最終的には「地域の福祉力」を蓄積していく(コミュニティエンパワメント)ための働きかけが必要である。(16~17ページ)

出典:社会的課題の解決にむけた福祉教育のあり方研究会『社会的包摂にむけた福祉教育―共感を軸にした地域福祉の創造―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、2013年3月、13~17ページ。

〇「市民福祉教育」とは、学校教育における福祉教育(学校福祉教育)と地域を基盤とした福祉教育(地域福祉教育)、そして社会福祉従事者や福祉サービス利用者に対する福祉教育について、「市民」の育成という視点・視座から、それぞれの融合を図ることを志向する教育活動である。より具体的には、「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」と概念規定できる。
〇以下に、「市民福祉教育」と「市民活動」に関する概念図(拙図)を記すことにする。前者(図11)については、例えば、「福祉文化」と「共働」に関して、前述の「『社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会』報告書」(図3)から次の一節を想起しておきたい。「福祉文化の創造/社会福祉が人々の生活にかかわるものであることから、人々の生活の拠点である地域社会において、いわゆる『官』と『民』が<共働>してその推進を図る必要があり、新しい『公』の創造を提言した所以でもある。また、社会福祉が人々の生活にかかわるうえで、その人の尊厳を守り、生き方を尊重することが必要であることはいうまでもない。これらのことは、狭い意味での社会福祉の課題にとどまるものではないことから、このようなことに立脚した<福祉文化>が創造され、わが国の中に定着していくことが必要であろう」(10ページ。山括弧は筆者)。
〇後者(図12)に関して言えば、「市民福祉教育」は、その地域に居住する「一般住民」(一般住民という住民はいない)や「地域住民」と呼ばれる「住民」を福祉によるまちづくりの活動や運動に「参加」(林義樹:「参集」→「参与」→「参画」)する「市民」に育てる意図的な教育活動である。そして、まちづくりは「私」からはじまる。

図11 教育・福祉教育・市民福祉教育の関連図/2013年9月
市民福祉教育の概念図 教育は、一般的・基本的には、次の3つの視点から捉えることができる(概念図中の下段の表示)。(1)教育は、人間の「生命」すなわち「生きる力」の育成と向上を図るための活動である。その際の生きる力とは、社会的存在としての自分を、豊かな人間性と他者との相互行為のもとに主体的・自律的に築きあげていくための資質や能力のことをいう。(2)人間が生まれ、生命を終えるまで生き続けること、それは生活することである。教育は、この日常の「生活」における実際的で具体的な「活動」すなわち生活経験を通して、またそれとの関連において現実社会について学ぶための活動である。その生活経験の過程で、知識や技能が獲得され、また活用されることになる。(3)教育は、人間の「生涯」にわたる社会「参加」に基づく成長・発達のための活動である。教育の使命は、生活への準備としてのものから生涯にわたって継続するものへと変化している。要するに、「生命」「生活」「生涯」すなわちライフ(Life)は、人間の成長・発達の過程であり、それはまた教育の過程であるといえる。

出典:「市民福祉教育の定義と概念図」『本ブログ/ディスカッションルーム』2013年9月2日投稿。

図12 市民活動の4要素/2018年2月

「活動」は、お金を得るためにやる「労働」ではなく、モノとして残る価値をつくるための「仕事」でもなく、自ら主体的にやりたいと感じ、そこに他者が何らかの価値を見出せる行為をいう。「労働」や「仕事」ではなく、「活動」に重きが置かれてこそ、豊かな社会はつくられる(ハンナ・アレント)。「市民」は、「活動」する人たち、もしくは「活動」する意識を持った人たちをいう。広い意味で「一般の人」という場合は「住民」という言葉を使うことにしたい。その上で、地域をよくするための心理的介入を定義すると、それは「住民」を「市民」に変えていく活動ということになろう。(61~62ページ)

出典:山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所、2016年11月、145ページの図「活動の原動力となる3つの輪」を参考に筆者が作成した。山崎の言説を援用すれば、「4つの輪が重なるところに、縮充の時代に求められる『参加』のヒントがある」(146ページ)ということになろうか。なお、山崎の図に似たものに、永井美佳「市民活動の事業化」大阪ボランティア協会編『テキスト 市民活動論―ボランティア・NPOの実践から学ぶ―』大阪ボランティア協会、2011年9月、77ページの図「企画立案の3要素」がある。

(注)以上、2021年2月17日一部修正(以下の図3・6・7・9・12の横に表示されていた文章を削除)。

 

(注)以下、2021年2月18日修正(図の解像度を考慮して、2018年2月7日投稿の文章をそのまま表示)。

〇筆者(阪野)はかつて、学生に対して、論文を書くにあたっては思考の枠組みと構造に対応させて、「書くべきこと」と「書きたいこと」を峻別し、その関係性を重視しながら「簡潔明瞭」に書くことを求めてきた。しかも、論述の内容や関係性を視覚化した「概念図」の作成を勧めた。“言うは易し行うは難し”であることを承知のうえで、「この章や節で書いていることをひとつの図で示すとどうなりますか」「文章を因数分解し、それを再構成して簡便な図を描いてみて下さい」というふうにである。それは、訴求効果を高めるだけでなく、その作業を通して思考と論理の体系化・構造化や拡大・深化を期待するがゆえである。
〇本稿では、福祉教育に関するいくつかの概念図のうちから、筆者が再認識したい基本的なものを10点選択し、それに筆者が作成した2点を加えて一覧にまとめ、各図の説述文の一節を紹介することにする(抜き書きと要約)。

図1 ボランティア活動の構造/1980年7月
ボランティア活動には、①地域の連帯力・教育力を取り戻し、再創造していくための地域づくりのボランティア活動、②地域に住んでいる自立困難な人を疎外することなく、必要な個別援助を提供し、地域の福祉を支える力となるボランティア活動、③どのような街をつくるのか、障害者や高齢者と共に生きる街をどうつくるのか、という地域福祉の街づくり計画をすすめるボランティア活動、という3つの機能がある。その3つの機能は個人のなかに有機化して内包されている場合もあれば、そうでない場合もあろう。しかし、少なくとも3つの機能は図1のように構造化され、個人もしくはグループあるいは地域のなかに有機的連携をもって存在し、統合した力を発揮できるようになっていることが必要であろう。(55ページ)

出典:大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、56ページ。初出は、全社協・ボランティア基本問題研究委員会「ボランティアの基本理念とボランティアセンターの役割―ボランティア活動のあり方とその推進の方向―」1980年7月、である。

図2 “福祉のいとなみ”の各局面に対応した福祉教育の課題/1981年11月

いま一度、“国民の社会福祉への関心と参加の促進”という福祉教育の出発点に立ちかえり、その根底にある教育課題を整理し直してみる必要がある。あちこちから発せられた“課題”群を有機的に関連づけ、福祉教育の理念を構造化する必要がある。そこで、“福祉のいとなみ”、そのあるべき姿、あり方をまずその構成分子にまで分解し、その上で全体構造を描いてみるとともに、その構成分子の一つ一つが要求する教育課題を見い出すという方法を試みた。要するに、“福祉のいとなみ”と、教育課題の両者を分解し、相互に関連する同士を結合した上で、再び全体を俯瞰するという工程を経て、より明確な福祉教育像を見い出そうとしたのである。図2はその作業をまとめたものである。“福祉のいとなみ”と教育課題のかかわり合いの中に“福祉人”(期待される福祉活動を正しく担いうる人間像)の要件が浮かび上がってくる。(9ページ)

出典:全社協・福祉教育研究委員会「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」(福祉教育研究委員会中間報告)全社協・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月、10ページ。

図3 現代社会の社会福祉の諸問題/2000年12月

現代社会においては、人間の関係性(「つながり」)を重視し、「ソーシャル・インクルージョン」の理念を進める必要がある。従来の社会福祉は主たる対象を「貧困」としてきたが、現代においては、①「心身の障害・不安」(社会的ストレス問題、アルコール依存、等)、②「社会的排除や摩擦」(路上死、中国残留孤児、外国人の排除や摩擦、等)、③「社会的孤立や孤独」(孤独死、自殺、家庭内の虐待・暴力、等)といった問題が重複・複合化しており、こうした新しい座標軸をあわせて検討する必要がある。図3の横軸は、貧困と心身の障害・不安に基づく問題を示すが、縦軸はこれを現代社会との関連で見た問題性を示したものである。なお、各問題は、相互に関連しあっているとともに、社会的排除や孤立の強いものほど制度からも漏れやすく、福祉的支援が緊急に必要である。(2、3ページ、「別紙」)。

出典:厚生省社会・援護局「『社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会』報告書」2000年12月、「別紙」。

図4 ICFの構成要素間の相互作用/2001年5月

障害に関する国際的な分類としては、これまで、世界保健機関(以下「WHO」)が1980年に「国際疾病分類(ICD)」の補助として発表した「WHO国際障害分類(ICIDH)」が用いられてきた。WHOでは、2001年5月の第54回総会において、その改訂版として「ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health)」を採択した。ICIDHは、「障害分類」(「病気/変調」→「機能障害」→「能力障害(能力低下)」→「社会的不利」)として、「障害」のマイナス面を分類するという考え方が中心であった。それに対して、ICFは、「生活機能」というプラス面からみるように視点を転換し、さらに「背景要因」の観点を加えた。「生活機能」は「心身機能・身体構造」「活動」「参加」、「背景要因」は「環境因子」「個人因子」から構成されている。この考え方は、障がい者はもとより、すべての人々の生活活動(仕事、家事、学習・文化・スポーツ活動など)に関する保健・医療・福祉サービスや社会システムなどのあり方の方向性を示唆している。

出典:厚生労働省ホームページ参照。

図5 福祉教育とボランティア学習の構造イメージ/2003年1月

福祉教育とボランティア学習は、双方とも、人権尊重・異文化理解をべースに、共生社会・福祉社会の創造を大目標にかかげる実践である。しかし、総体としてとらえると、学習素材・期待される成果・手法において若干の違いがある。福祉教育は、「社会福祉問題や福祉現場とのつながり」を起点とする。それに対してボランティア学習は、かならずしも社会福祉領域に限らず、より広く、「社会的問題や市民活動とのつながり」を大事にする実践である。また、福祉教育は、より制度的かつ切迫的な現実課題に応えることが期待される実践である。このことから、福祉教育は、ボランティア学習に比べて、よりカリキュラムとして制度化しやすい体質をもっているともいえる。現在、福祉教育とボランティア学習は、ともすると、異なる文脈で実際の教育現場に導入されているが、両者の特徴を総合することが求められている。理念的にも、福祉教育とボランティア学習は相補う関係にある。(36~38ページ)

出典:地域を基盤とした福祉教育・学習活動の推進方策に関する研究開発委員会編『福祉教育ハンドブック』全社協、2003年1月、39ページ。

図6 共生に関する分析枠組 ―理論上のアイデンティティ類型―/2003年3月

社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティ(少数者・派)とマジョリティ(多数者・派)の両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。図6は、人々の多様なアイデンティティの状況を把握するための全体的な見取り図(基礎モデル)である。縦軸の変数として「マジョリティ文化への志向」の度合いを取り、横軸の変数として「マイノリティ文化への志向」の度合いを取っている。各象限のタイプは、あくまでもアイデンティティを分析し、共生へのプロセスを検討するために構成したものであり、抽象的な類型である。そのため、実在する人々が、各タイプの特徴と厳密に一致するわけではない。(51、52~53ページ)

出典:寺田貴美代「社会福祉と共生」園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、52ページ。

図7 社協事業における福祉教育の位置づけ/2008年3月

社協の使命は、「地域福祉の推進」である。そして、その主人公は「地域住民」である。社協は「住民主体の原則」を掲げ、住民自身の学びと地域福祉活動の実践を継続的に支援してきた。地域住民が地域福祉を担っていくためには、住民自身が地域の様々な課題に気付き、その解決に向けて自ら取り組んでいく手法を学んでいく、という気づきと学びのプロセスが重要である。そのことを通して、地域課題に取り組む力量を培った住民の層を厚くしていくことが、社協の使命の遂行に直結していくことになる。したがって、社協職員はあらゆる事業をすすめる際に、福祉教育の重要性を意識し、地域住民が主体的に問題解決にむけて働きかけていけるような事業の企画とプログラム展開を考えていく必要がある。 図7は、社協事業における福祉教育の位置づけを示したものである。社協の使命達成のために、福祉教育はなくてはならない実践なのである。(2ページ)。

出典:福祉教育実践研究会『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育推進のためのパンフレット)全社協・全国ボランティア活動振興センター、2008年3月、3ページ。

図8 地域を基盤とした福祉教育の展開と地域福祉活動の推進/2008年3月

図8は、「地域の中での福祉の学び」と「地域福祉活動」の関係を示したものである。(上・下図ともに)上下2つの帯があるが、上の帯は、「個々の住民に着目した、学びと活動実践のプロセス」を示している。地域課題に気づき学ぶことを重視した部分は、より「福祉の学び」( 福祉教育)の性格が濃く、課題解決を重視した実践の部分は「地域福祉活動」としての性格が濃い、ということができる。そして、福祉教育としての機能も地域福祉活動としての性格も、多少の違いはあっても、本来、決して一方が全く失われるという関係ではないとも考えられる。しかし、「学び」と「活動」との関係を重視して、常によりよい相互作用を意識して取り組まなければ、それぞれが形骸化してしまうおそれもある。そう考えると、「福祉の学び」と「地域福祉活動」の「両者の関係の継続や深まりを意図的に支援する社協(職員)の営みが福祉教育である」(下の帯)と、捉えることが大切になってくる。福祉教育にあっては、具体的な地域課題から遊離することなく、地域福祉活動の実践にあたっても学びの機能が発揮されるように、社協としての意識的な働きかけが求められるのである。福祉教育は、福祉教育の担当者のみが実践するものではなく、全ての社協職員もしくは社協組織全体で取り組んでいく基本的かつ根源的なテーマであると言える。(4ページ)「地域福祉は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」「社協活動は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」のである。

出典:福祉教育実践研究会『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育推進のためのパンフレット)全社協・全国ボランティア活動振興センター、2008年3月、5~6ページ。

図9 福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション―内省から省察、そして創造へ―/2012年11月

リフレクション(reflection)研究の萌芽は、社会学者であるG.H.ミードが提唱したことによる。彼はリフレクションを「自分自身を、距離をおいて他者の立場から見ること」であるとした。内省的な反省とは違い、自分自身をあたかも他人を見るかのように捉え返すことに特徴があると言われる。サービスラーニング研究における「リフレクション」には、多くの先行研究があるが、それらを踏まえて、やや大胆にリフレクションの展開を整理するならば、「反省的思考」→「行為のなかの省察」→「批判的自己省察」→「批判的省察」→「創造的省察」という道筋である。ここでいう創造的省察とは、現時点から過去の行為をふりかえるだけではなく、近未来の自分や社会を創り出すという視点から、リフレクションをしていくことである。同時にリフレクションを通して、近未来を創り出していくという指向性を有している。(42~44ページ)

出典:原田正樹「福祉教育・ボランティア学習における創造的リフレクションの開発」『研究紀要』Vol.20、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2012年11月、44、45ページ。なお、筆者(阪野)はとりあえず、「内省(ないせい)」は「かえりみて見直すこと」、「省察(しょうさつ)」は「ふりかえり考えめぐらすこと」と理解しておくことにする。

図10 社会的包摂にむけた福祉教育の展開/2013年3月
(1)好意的な関心をもたせる福祉教育 「無関心」→「関心」へ

「無関心」から「好意的関心」を促していくためには、漠然とした抽象的な対象理解(「障害者問題」など)ではなく、具体的な個人や地域(「その地域に居住する車椅子利用者のAさんの暮らし」など)への関心を促すことが必要である。(13ページ)

(2)「共感・当事者」を育む福祉教育 「同情」→「共感」へ

単なる「同情」から「共感」を促していくためには、「対話」を通して関係性を育みながらお互いに理解をしていくとともに、地域のなかでの意図的な「学びの場づくり」が必要である。(14ページ)

(3)包摂をめざす福祉教育 反感・コンフリクト→共存へ

「反感」「コンフリクト」(葛藤や対立)の状態から「共存」(仲良くはなれなくても排除はしない。適度な距離感を保つ)を促していくためには、反感・コンフリクトへのアセスメント(判断・評価)をして分かりあえる場をつくるとともに、アドボカシー(代弁)や通訳的な役割を担う人材の育成が必要である。(15ページ)

(4)福祉教育の展開によって当事者や地域のエンパワメントを促す

福祉教育の展開によって当事者(問題の直接の関係者)や住民、地域のそれぞれのエンパワント(主体的に問題解決を図ろうとする力の発揮と開発)、すなわち主体形成を促していくことが地域を基盤とした福祉教育の特徴であり、まさに当事者性(問題の直接的な関係者に<なる>こと)を軸とした地域福祉援助の展開である。ワーカー(コミュニティソーシャルワーカー)は地域住民の一人ひとりの意識変容を促しながら、それを地域全体に広げ、最終的には「地域の福祉力」を蓄積していく(コミュニティエンパワメント)ための働きかけが必要である。(16~17ページ)

出典:社会的課題の解決にむけた福祉教育のあり方研究会『社会的包摂にむけた福祉教育―共感を軸にした地域福祉の創造―』全社協・全国ボランティア活動振興センター、2013年3月、13~17ページ。

〇「市民福祉教育」とは、学校教育における福祉教育(学校福祉教育)と地域を基盤とした福祉教育(地域福祉教育)、そして社会福祉従事者や福祉サービス利用者に対する福祉教育について、「市民」の育成という視点・視座から、それぞれの融合を図ることを志向する教育活動である。より具体的には、「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」と概念規定できる。
〇以下に、「市民福祉教育」と「市民活動」に関する概念図(拙図)を記すことにする。前者(図11)については、例えば、「福祉文化」と「共働」に関して、前述の「『社会的な援護を要する人々に対する社会福祉のあり方に関する検討会』報告書」(図3)から次の一節を想起しておきたい。「福祉文化の創造/社会福祉が人々の生活にかかわるものであることから、人々の生活の拠点である地域社会において、いわゆる『官』と『民』が<共働>してその推進を図る必要があり、新しい『公』の創造を提言した所以でもある。また、社会福祉が人々の生活にかかわるうえで、その人の尊厳を守り、生き方を尊重することが必要であることはいうまでもない。これらのことは、狭い意味での社会福祉の課題にとどまるものではないことから、このようなことに立脚した<福祉文化>が創造され、わが国の中に定着していくことが必要であろう」(10ページ。山括弧は筆者)。
〇後者(図12)に関して言えば、「市民福祉教育」は、その地域に居住する「一般住民」(一般住民という住民はいない)や「地域住民」と呼ばれる「住民」を福祉によるまちづくりの活動や運動に「参加」(林義樹:「参集」→「参与」→「参画」)する「市民」に育てる意図的な教育活動である。そして、まちづくりは「私」からはじまる。

図11 教育・福祉教育・市民福祉教育の関連図/2013年9月
市民福祉教育の概念図 教育は、一般的・基本的には、次の3つの視点から捉えることができる(概念図中の下段の表示)。(1)教育は、人間の「生命」すなわち「生きる力」の育成と向上を図るための活動である。その際の生きる力とは、社会的存在としての自分を、豊かな人間性と他者との相互行為のもとに主体的・自律的に築きあげていくための資質や能力のことをいう。(2)人間が生まれ、生命を終えるまで生き続けること、それは生活することである。教育は、この日常の「生活」における実際的で具体的な「活動」すなわち生活経験を通して、またそれとの関連において現実社会について学ぶための活動である。その生活経験の過程で、知識や技能が獲得され、また活用されることになる。(3)教育は、人間の「生涯」にわたる社会「参加」に基づく成長・発達のための活動である。教育の使命は、生活への準備としてのものから生涯にわたって継続するものへと変化している。要するに、「生命」「生活」「生涯」すなわちライフ(Life)は、人間の成長・発達の過程であり、それはまた教育の過程であるといえる。

出典:「市民福祉教育の定義と概念図」『本ブログ/ディスカッションルーム』2013年9月2日投稿。

図12 市民活動の4要素/2018年2月

「活動」は、お金を得るためにやる「労働」ではなく、モノとして残る価値をつくるための「仕事」でもなく、自ら主体的にやりたいと感じ、そこに他者が何らかの価値を見出せる行為をいう。「労働」や「仕事」ではなく、「活動」に重きが置かれてこそ、豊かな社会はつくられる(ハンナ・アレント)。「市民」は、「活動」する人たち、もしくは「活動」する意識を持った人たちをいう。広い意味で「一般の人」という場合は「住民」という言葉を使うことにしたい。その上で、地域をよくするための心理的介入を定義すると、それは「住民」を「市民」に変えていく活動ということになろう。(61~62ページ)

出典:山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所、2016年11月、145ページの図「活動の原動力となる3つの輪」を参考に筆者が作成した。山崎の言説を援用すれば、「4つの輪が重なるところに、縮充の時代に求められる『参加』のヒントがある」(146ページ)ということになろうか。なお、山崎の図に似たものに、永井美佳「市民活動の事業化」大阪ボランティア協会編『テキスト 市民活動論―ボランティア・NPOの実践から学ぶ―』大阪ボランティア協会、2011年9月、77ページの図「企画立案の3要素」がある。

引き続き「福祉教育」してもいいですか?―“福祉を哲学する”はじめの一歩:「世の光」(糸賀一雄)と「互酬性」(阿部志郎)、そして「博愛」(大橋謙策)/補遺:大橋謙策「最終講義」レジュメ(2010年3月13日)―

現在社会福祉の社会科学は混迷のうちにその理論的責任を放棄しがちである。それに代わって社会福祉の「価値」は一人歩きをし、ある種の無政府状態にある。「福祉の心」等が氾濫し、ソフトな精神が説かれている。戦争前夜や世紀末に、そのような精神は「慰籍」(いしゃ:なぐさめいたわること)にこそなれ、反福祉の対抗力になり得なかったことを、15年戦争で経験したことである。(吉田久一『日本の社会福祉思想』勁草書房、1994年10月、まえがき、ⅲページ)

行政は「思想」や「理論」ではなく、「思想」や「理論」に対して、行政は「禁欲」的でなければならない。社会福祉にあっては、むしろ行政と「思想」は「教育」も含めて、緊張関係が望ましい。(吉田久一『同上書』214ページ)

〇暮れから正月にかけて筆者(阪野)が読んだ本に、三谷尚澄著『哲学しててもいいですか? ―文系学部不要論へのささやかな反論―』(ナカニシヤ出版、2017年3月。以下[1])と広井良典編著『福祉の哲学とは何か―ポスト成長時代の幸福・価値・社会構想―』(ミネルヴァ書房、2017年3月。以下[2])がある。
〇文部科学省によって、「大学改革」という名のもとで、教員養成系・人文社会科学系「学問」の「不要論」がうたわれている。また、「学問」ではなく、「実践力」の養成に特化した職業訓練機関(「専門職大学」)や資格取得機関への転換が図られている。それは、「社会」的要請によるものであるというが、その際の「社会」は(政治に大きな影響力を持つ)「財界」のことを意味する。
〇[1]で三谷はいう。「頼るもののない時代のただなかに、拠って立つべき足場をもたないままに放り出された人間は、どうやって日々をしのいでいけばよいのだろう。(中略)そんなときだからこそ、それほど立派でも力強くもない人間にも届くことのできる倫理の言葉を探しておく必要があるのではないか。そして、その点において、(中略)哲学と呼ばれてきた知的営みがきわめて大きな知的貢献を行なうことができるのではないか」(81~82ページ)。「論理的・批判的に思考する」能力と「箱の外に出て思考する」能力(「異質なもの」や「自分とは違った考え方や意見」に対する「感受性」や「耐性」。さまざまな状況に柔軟に対応するために必要とされる「器量」)の育成(120、151ページ)、「市民的器量(civic virtue)」「哲学の器量を備えた市民」の育成(105、195ページ)などを目的とする教育がこの国の大学から姿を消すことがあってはならない、と。
〇政治と社会の右傾化、福祉の私事化と教育の国家統制が進んでいる。こうした現在の社会情勢のなかで、「いつか来た道」論が唱導される。しかし、その「危機」は、「時代の繰り返し」であり、歴史の繰り返しではない(吉田久一『日本社会事業思想小史―社会事業の成立と挫折―』勁草書房、2015年10月、はしがき、ⅴページ)。新しい歴史をつくるのは、草の根の民主主義であり、歴史的で社会的な内容を失うことのない「市民」による組織的・体系的な活動や運動である。
〇[2]の広井にあっては、「ポスト成長時代」の日本社会は、(a)政府の借金の際限なき累積と将来世代へのツケ回し、(b)人々の「社会的孤立」の高さ(「無言社会」)、の“危機”状況にある。と同時に、「新たなつながり」やネットワーク化を志向する動き(「関係性の進化」「関係性の組み換え」)がみられる。このような状況においてこそ、「人々の行動や判断の導きの糸となるような、新たな価値原理や社会構想が求められている」。いま、「福祉の哲学とは何か」が問われるところである(まえがき、ⅱ~ⅲページ)。なお、[2]では、「福祉」を積極的ないしポジティブな営みとして捉え、「幸福」や「公共性」「宗教」「コミュニティ」「生命」などとの関わりについて多面的・多角的な思考を展開している。それは、これまでの「福祉思想」や「福祉思想研究」とは異なる「新たな視点」からのアプローチであり、「独自の考察と構想」を提起するものでもある。付記しておく。
〇もはや旧聞に属するが、「福祉の思想や哲学」といえば筆者は先ず、「この子らを世の光に」「発達保障」の糸賀一雄と、「ボランティアの互酬性」「コミュニティ重視志向の地域福祉」の阿部志郎を思う。糸賀は、「福祉の実現は、その根底に、福祉の思想をもっている。実現の過程でその思想は常に吟味(ぎんみ)される。(中略)福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである」(糸賀一雄『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月、64ページ)という。阿部は、「福祉の哲学は、机上の理屈や観念ではなく、ニードに直面する人の苦しみを共有し、悩みを分ちあいながら、その人びとのもつ「呻き」(うめき)への応答として深い思索を生みだす努力であるところに特徴がある」(阿部志郎『福祉の哲学』誠信書房、1997年4月、9ページ)と主張する。二人はともに「実践的思想家」であり、それは、先駆的な現場実践(キリスト教福祉実践)を通して形成された幅の広い、奥行きの深い「福祉の思想」であり「福祉の哲学」である。なお、周知のように、「世の光」とは新約聖書(「マタイによる福音書」)の「山上の垂訓(説教)」のひとつである(「あなたがたは世の光である」)。「互酬」とは「贈与と返礼」の社会的相互行為を意味する。
〇本稿では、[1]と[2]を読んだことをきっかけに、糸賀の「この子らを世の光に」という言葉と阿部の「互酬と地域福祉」についての言説を改めて、『福祉の思想』と『福祉の哲学』から確認することにする(抜き書きと要約)。三谷の[1]のタイトルをもじって言えば、「引き続き『福祉教育』してもいいですか?」、そのための「再確認」である。その意図は、旧聞を尋繹(じんえき)して新しきを知る(創る)、にある。

糸賀一雄:「この子らを世の光に」
(精神薄弱児の教育は)彼らについて何を知っているか、彼らにたいして、また、彼らのために何をしてやったかということが問われるのでなく、彼らとともにどういう生きかたをしたかが問われてくるような世界である。(51ページ)

この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなのである。人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちのねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であるということを、認めあえる社会をつくろうということである。「この子らに世の光を」あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのものであるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。「この子らを世の光に」である。この子らが、うまれながらにしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。障害をもった子どもたちは、その障害と戦い、障害を克服していく努力のなかに、その人格がゆたかに伸びていく。3才の精神発達でとまっているように見えるひとも、その3才という発達段階の中味が無限に豊かに充実していく生きかたがあると思う。生涯かかっても、その3才を充実させていく値打ちがじゅうぶんにあると思う。(177ページ)

この子たちは、自己実現という生産活動ばかりではなく、もうひとつ別な新しい生産活動をしている。心身障害をもつすべてのひとたちの生産的生活がそこにあるというそのことによって、社会が開眼され、思想の変革までが生産されようとしているということである。ひとがひとを理解するということの深い意味を探究し、その価値にめざめ、理解を中核とした社会形成の理念をめざすならば、それはどんなにありがたいことであろうか。(178ページ)

阿部志郎:「互酬」と地域福祉
哲学という言葉は、「知恵の探求」という意味である。哲学は、答えそのものによってよりも、むしろ問いによって性格づけられる。哲学は学問の一分野であるが、「学問」が「問いを学ぶ」「問われて学ぶ」という字で構成されているのは興味深い。(9ページ)

福祉の哲学とは、福祉とはなにか、福祉はなにを目的とするか、さらに人間の生きる意味はなにか、その生の営みにとって福祉の果たすべき役割はなにかを、根源的かつ総体的に理解することであるが、それには、福祉が投げかける問いを学び、考えることである。それはニードの発する問いかけに耳を傾けることからはじまる。(9ページ)

互酬は、親族・地域共同体を維持するための不可欠な行為で、今でもアジアの共同体は互酬で成り立っている。戦後の日本社会では、共同体は封建遺制として否定され崩壊の途をたどったのに、目標とするコミュニティは未だつくられていない。でも、互酬は生き続ける。香典、香典返し、結婚祝い金、引き出物、中元、歳暮の風習は、ヨーロッパ社会ではまったくみられない。しかし、共同体を維持する機能としての互酬は失われ、かつアジアの互酬を支える宗教性も日本社会にはないのが実態だ。(92ページ)

互酬制と近代型福祉、さらに伝統的ボランティアと有償型サービスとのあいだに深いギャップがあり、ときおり、雑音が聞こえぬわけでもない。アジアの共同体のなかにたくましく息づいている互酬制―分かち合いの相互扶助―に今ひとたび目を向け、そして日本の地域社会の現実を見直したうえで、自立と連帯の福祉社会を創出する発想に切り換えるのが望ましいのではないか。時代とともにニードが変わるから対応が多様化するのは当然である。その態様はどうであれ、住民が福祉を学習し、理解し、実践に参加するまちづくりを推進する必要を痛感せずにはいられない。(126~127ページ)

〇「福祉の思想や哲学」の探究は、実証的・実践的なものでなければならない。それによってその思想や哲学は広め、深められ、また新たな思想や哲学の形成が図られることになる。ここでは、筆者の姿勢が評論家的なそれであることを承知のうえで、糸賀の「この子らを世の光に」に対して伊藤隆二の「この子らは世の光なり」(『この子らは世の光なり』樹心社、1988年9月)、阿部の「ボランティアの互酬性」に対して仁平典宏の「贈与のパラドックス」(『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学―』名古屋大学出版会、2011年2月)についての言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

伊藤隆二:「この子らは世の光なり」
糸賀一雄氏は戦後、最初の公立福祉施設「近江学園」をつくり、この子らの教育福祉に邁進(まいしん)し、ついに「この子らに世の光を」を「この子らを世の光に」に転回させたのである。「この子らを」というとき、われ(または、われわれ)は主体で、「この子ら」は客体になる。主体が客体に働きかけ(あるいは操作し)、「世の光に」まで高めてやるのだという発想には、ある種の傲慢(ごうまん)さがあるし、「この子ら」の本質への誤解がある。また、「この子らを世の光に」というとき、まだこの子らが「世の光」であることを認めていない。そこで教育し、きたえ、みがきをかけて、やっと世の光になりうるのだという見方である。わたくしは、この子らと長く深くかかわっているが、この子らは生まれながらにして「世の光」だと知った。正確にいうと、生まれたときから死ぬときまで、いや死んでもなお世の光でありつづける。「この子らは(そのままで)世の光である」。「この子ら」は主体であって、世を照らしつづけているのである。(223~224ページ)

仁平典宏:「贈与のパラドックス」
阿部志郎も「互酬性」を基盤に据えたボランティア論の担い手の一人である。阿部は1973年の時点では、ボランティアの報酬性を明確に否定していたが、1994年には態度を180度と言ってもいいほど「軟化」させている。彼はまず、共同体や地域社会において不可欠な行為として「互酬性」を取り上げ、「香典―香典返し、結婚祝い金―引き出物、中元、歳暮の風習」を例示する反面、その基盤は失われてきているという。その一方で、新たに登場してきた「相互に有料で利用し、有償でサービスを提供する」「市民参加型福祉サービス」に、「互酬の近代化・組織化」を見る。彼によると、これらは「(1)会員の自主性にもとづく、(2)友愛・協同の思想にたつ、(3)有償とはいえ実費弁償的性質のもので収益を目的としない、(4)グループとして、ボランタリー・アソシエーションの性格を保つ」ことから「広義のボランティアの原則からはずれていない」と述べる。このように、ここで「互酬性」という思想財を獲得することによって、「ボランティア」という言葉は高い汎用可能性を配備することが可能になった。担い手にとって効用があると言えるなら、経験・楽しさ・友達づくり・評価・金銭的対価などを、区別なく堂々と「ボランティア」として肯定できる。<贈与のパラドックス>は、このような形で「解決」されるべきこととなった。(381~382ページ)

〇仁平の「贈与のパラドックス」(paradox:「逆説」「矛盾」)とは、贈与は行為者の真の意図とは別に、交換や見返り、偽善や自己満足などとして外部観察されがちである、という意味であろう。平易に言えば、「贈与の偽善性」「贈与の疑わしさ・怪しさ」である。ボランティアについての言説の歴史は、こうした「贈与のパラドックス」を如何に解決するかの歴史であった、と言ってよい。
〇いま改めて「福祉の哲学」の必要性を強調する一人に、大橋謙策がいる(注①)。大橋は、「住民と行政との関係を上下の関係で捉えるのではなく、住民の自立と連帯を前提にし、対等の立場で問題解決を図る新たな社会哲学、社会システムが求められ、社会福祉のような歴史的に国の『社会の制度』として発展してきたものも従来にない発想が求められている」(大橋謙策『社会福祉入門』放送大学教育振興会、2008年3月、30ページ)として、次の3つの「思想」を取りあげる。併せて、大橋の言説の一部を「再認識」しておくことにする(抜き書きと要約)。

大橋謙策:「博愛」の精神
第1は、フランスの近代市民革命の際にうたわれた「博愛」の思想である(自由と平等を担保する「博愛」)。
第2は、ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンといった思想である(「社会的包摂」)。
第3は、自分たちで相互扶助組織をつくり、対応しようとする考え方である(「協同組合方式」)。(『社会福祉入門』28~30ページ)

内務省官僚・井上友一は、救済事業の精神的関係を強調して風化行政を提唱する。すなわち、救済行政は「風気善導の事、之が神髄」となり、物質的救済=経恤的行政は二の次となる。明治38(1905)年、井上らの提唱により組織された報徳会(二宮尊徳)の「教」の1つに「推譲」(すいじょう)論がある(注②)。その「貯蓄といふことと、公益、慈善といふことをば二宮翁の教では合せて推譲といふ一つの言葉で現はして居ります」とする考えと同じである。風化的救済制度は、社会事業分野だけではなく、報徳会などと結びつきながら、社会教化の役割を担っており、戦前社会教育の理論的支柱でもあった。その後の社会事業の精神性、物質性あるいは社会事業と社会教育における相違分類などに多大な影響を与えた。(大橋謙策『地域福祉の展開と福祉教育』全社協、1986年9月、216~217ページ)

ソーシャルワークを展開する際の価値の1つは、人間性を尊重し、社会正義と公正を守ることであり、人々の自由と平等を保障することであるが、それらを標榜すればするほど、人々が社会的にも、個人的にも“博愛”という社会の神聖な責務を遂行することが求められる。(そのためには)伝統的な意識と行動を尊重しつつも、新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる。(『社会福祉入門』227ページ)

〇大橋はライフワークとして、全国各地で草の根の地域福祉実践の向上に取り組んでいる(「実践的研究」)が、最近の政策動向に関して、「地域福祉が“我が事”になり、その危険性を警鐘すべきである。戦前の歴史を忘れた政策は恐ろしい」という(筆者への書簡)。ここで、社会福祉の「精神性」や福祉思想による「社会教化」について思い起こしておきたい。
〇「博愛」に関しては、とりあえず次の諸点に留意したい。(1)フランス革命は、新興の「ブルジョワジー」(有産階級、中産階級)による革命である。(2)その理念は、「自由、平等、友愛」であり、「自由、平等、博愛」ではない。(3)「自由」は、多様性を保障するが、不平等を生むことにもなる。(4)「平等」は、突き詰めれば全体主義や不自由を生む。(5)「友愛」とは、他者を自分の本当の兄弟のように愛すること(社会秩序)を意味する。(6)「博愛」には、「慈善」と同様に、階級差別的な意味合いがある、などである(注③)。
〇最後に、冒頭に記した福祉思想史研究の第一人者であった吉田久一の次の一節を引いておく。
 
(私の)半世紀にわたる現場および研究を通じての社会福祉生活の反省と展望は、社会福祉はいつの日も社会科学に信頼を持つこと、社会福祉問題を背負いながら懸命に生きようとしている人間を見失わないこと、の二点に尽きるように思う。(吉田久一『日本社会福祉思想史』(吉田久一著作集1)川島書店、1989年9月、17ページ)


①「福祉を哲学する」一人に秋山智久がいる。秋山は、「福祉哲学の必要性」を次の8点に要約している。(1)平和・人権・安全の希求、(2)人間尊重の確認、(3)社会福祉の進む方向の示唆、(4)社会福祉的人間観の確立、(5)「倫理綱領」の検討、(6)実践の価値観の探求、(7)社会福祉利用者の人間としての不幸、人生の不条理の解明、(8)実践の拠り所としての価値観・人生観の提供。これらの必要性は、秋山にあっては、将来より広義の「福祉哲学」が体系化されるときに、その主要な「構成要素」ともなるものである(秋山智久・平塚良子・横山穫『人間福祉の哲学』ミネルヴァ書房、2004年6月、45~47ページ)。
②1906(明治39)年に、半官半民の「報徳会」が結成され、報徳運動が展開された。この運動では、二宮尊徳の報徳思想――「至誠(誠を尽くす)・勤労(よく働く)・分度(身をわきまえる)・推譲(世の中のために尽くす)」に基づいた、主として地主層に対する善導が行われた(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、15ページ)。
③フランス革命の理念は「自由、平等、友愛」である。「自由」は放置すればアナーキズム(無政府主義)に行き着く。「平等」は突き詰めたら全体主義や共産主義になる。「友愛」は友を愛するであり、他の宗教や民族は除外される。「博愛」とは違う(中川淳一郎・適菜収『博愛のすすめ』講談社、2017年6月、35、98ページ)。

付記
2000年9月、首相(森喜朗)の私的諮問機関である「教育改革国民会議」が、その『中間報告―教育を変える17の提案―』で「奉仕活動の義務化」を提案した。その後、例えば、武力攻撃事態等の有事の際の「ボランティア活動」(国民保護法、2004年9月施行)、介護保険制度下における「介護支援ボランティア(有償ボランティア)」(介護保険法、2007年9月運用開始)、軽犯罪者に対する「社会奉仕命令」(法務省法制審議会、2010年2月答申)、更生保護対象者に対する「社会貢献活動(立ち直りを助ける社会のチカラ)」(更生保護法、2015年6月本格実施)などが提言・施策化されている。国によるボランティア政策の動向として、強い「危機」意識をもって、改めて注目しておきたい。

補遺(2018年2月16日)
「大橋謙策:『博愛』の精神」に関して、大橋の「最終講義」からその一節を紹介しておくことにする(大橋謙策「最終講義『社会事業』の復権とコミュニティソーシャルワーク」『日本社会事業大学研究紀要』第57集、2011年2月、26~28ページ。『大橋謙策学長最終講義』日本社会事業大学、2010年3月)。
以下の文中の「ミレーの『落穂拾い』」については、『旧約聖書』の次の聖句を思い出しておきたい。「あなたがたの地の穀物を刈り入れるときは、その刈入れにあたって、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの穀物の落ち穂を拾ってはならない。貧しい者と寄留者のために、それを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である」(「レビ記」23章22節)。「あなたが畑で穀物を刈る時、もしその一束を畑におき忘れたならば、それを取りに引き返してはならない。それは寄留の他国人と孤児と寡婦に取らせなければならない。そうすればあなたの神、主はすべてあなたがする事において、あなたを祝福されるであろう」(「申命記」24章19節)。

大きな「2番目」の柱(Ⅱ 戦後社会福祉の展開における制度設計思想上の誤謬・思考の箍)で言いたい戦後の社会福祉を問い直す次のポイントは、自由と平等は教えたけれども、博愛を教えてこなかったということです。われわれは、社会福祉教育において労働経済学的な視点から救貧を捉えて、1601 年以降の救貧制度をずっと教えてきます。しかし、それだけで社会福祉を本当に捉えきれるかという問題があると私は思っています。
フランスは、実は、封建的な身分差別に抵抗して、自由と平等をすべての人に保障しようという思想で市民革命を成し遂げるわけです。そのときに出てくるのは、実は、博愛です。この世に生きとし生けるものの中には、すべて幸福を追求する権利がある。日本国憲法の「憲法13条」で幸福追求権をうたい、「何人もそれを侵してはならない」とうたいました。フランスと同じように、「この世に生きとし生けるものすべての自由と平等を保障する」とうたったわけです。
しかしながら、その崇高な理念はそうだとしても、この世に生きとし生けるものの中には、生まれながらにして労働をする力を持てない者、あるいは生まれながらにしてコミュニケーション手段を十分に持てない者、あるいは生まれながらにして判断する力を十分に持てない者が当然いるわけで、その方々の幸福追求権は誰が代弁するのか、代替するのか。そのアドボカシー機能は何なのかという問題です。
労働経済学の立場から考えると二元論に考えるしかないですし、全ての人の生きる権利、幸福追求権は労働経済学では説明がつかないと考えていました。
アドボカシー機能が社会システムとしてきちんと担保されなければ、自由と平等の思想は生きてこないわけです。ある一定の線以上の人を線引きして、〝ある一定の線以上の人には幸福追求権はあるけど、それ以下の人はだめよ〟と言ったのでは、迫力を欠いてしまうわけです。その自由・平等を求める論理の帰結として、博愛が求められたと私は思っています。
フランス人権宣言あるいは憲法の中で、この博愛という語句・思想は出たり入ったりするほど社会的な位置づけは難しいものです。この博愛という哲学、思想を社会システムにどう落とし込んでいくのか、具現化させるのか。これは大変難しかったと思います。しかし、思想としては自由と平等を標榜する以上、博愛はなければいけなかったと思っています。
フランスの救済事業の歴史研究をずっとやっている方の中に、花園大学の林信明先生あるいは東大の経済学部の中西洋先生がいらっしゃいます。中西洋先生は、『<自由・平等>と≪友愛≫~“市民社会”;その超克の試みと挫折~』(ミネルヴァ書房)という本を書いています。林信明先生は、『フランス社会事業史研究』(ミネルヴァ書房)を書いていますが、いずれの本にしても、「この博愛をどう位置付けるか、大変難しい」と思っているようです。
しかし、私は、この博愛という思想・理念をきちんと受け止めていかないと、こんにち、何となく「ノーマライゼーション」とか、「ソーシャルインクルージョン」という言葉を使っていますが、その原理は何なのか、哲学は何なのかが見えてこないと思っています。
私は、クリスチャンではありませんから、原罪から説き起こすわけにはいきません。仏教徒でもありませんから、慈悲から説き起こすわけにもいきません。もう少し違う視点で考えたときに、フランスの社会を成り立たせる社会哲学として、博愛を位置付けたことの持つ意味を考えてみる必要があると私は思っています。
私は、学部時代、朝日訴訟にかかわってきて、「憲法25 条」の持つ意味はいろいろな意味で重要だということは、嫌というほど学ばせてもらいました。当時、「ジュリスト」、「判例時報」、「法律時報」を使いながら、「憲法25 条」をはじめとした生存権なり社会権の持つ意味は随分学んだつもりでいます。
しかし、ずっと腑に落ちなくて、朝日茂さんの最高裁の判決が出たあとの会合で、私は、〝どうも『25 条』だけでいいんだろうか〟という問題提起をしました。大変若いときにその話をして、当時の社大の先生から随分こっぴどく怒られたのを記憶しています。
しかし、私は、「『25 条』と同時に『13 条』も大事だ」と言ったときに、当時の朝日訴訟の中央対策委員会の事務局長をしていた長宏先生が、〝大橋くん、それは大事なことかもしれない。『13 条』というものにもっと着目しろ〟と応援をもらって、それ以来、私は、めげずに、〝『25 条』からだけ説き起こす社会福祉論はいかがなものであろうか。『25 条』の重要性もさることながら、『13 条』論はいったい何なのか〟と。それが行き着くところは、いわば、フランスの博愛であり、あるいは私がその頃使った「自己実現サービス」という言葉です。
なぜ社会福祉の自立論は狭いのだろう。もっと人間が生きとし生けるものとして、障害を持った人もこの世に生れた以上、自己実現したいという願いを持っているはずではないか。われわれは、1834 年のイギリスのニュー・プアロー(新救貧法)における劣等処遇原則を教えるけれども、日本の中でこの「自己実現」という問題についてどれだけ社会福祉の関係者が論議をしたのかが、どうもそのときからの一貫して悩みでした。
今も悩んでいるわけです。それは、中西洋先生とか、林信明先生のようなフランスの研究の泰斗でさえも十分わからないものを私がわかるとは思えませんけれども、その博愛の持つ意味を考えたいということです。
先ほど、学部時代に習ったコンドルセの名前を出しました。よくわかりませんでしたけれども、コンドルセの(『公教育の原理』(明治図書 松島釣訳))という本を、当時、小川利夫ゼミで読みました。なぜ、「子どもの教育以上に大人の教育を公の金でやるべきだ」と、大人の教育の重要性をコンドルセは指摘したのか。
行き着くところは、結局、博愛という崇高な理念を具現化できるには、〝人間はどうしてもエゴイスティックです。どうしてもわが田に水を引きがちですから〟、そこで〝理性を、社会契約の重要性を大人こそが学ぶべきだ〟とコンドルセはしきりに言うわけです。
私は、やはり生涯学習の原点は、大人たちが社会契約をできる力をもつということだと思います。幸福追求権を認める。その際に、障害を持っている人たちを排除しない。その人たちの権利を代弁し、包み込んでいく。あのジャン=フランソワ・ミレーの「落ち穂拾い」のすばらしい絵がありますが、あれは、まさに博愛の一つの具現的なシステムの現れだと思います。落ち穂を母子家庭の親が拾うという、一つのいわば営みなわけです。われわれは、ミレーの絵を見てそのすばらしさだけに目を奪われますけれども、その背後に持つ、その当時のフランスの思想について、もっと学ばないといけないと考えた次第です。