「雑感」カテゴリーアーカイブ

鳥居一頼/詩集「夢織りし子らに」

詩集「夢織りし子らに」

鳥居一頼


「夢織りし子らに」

子どもらの夢の世界に遊びたい
思い描くやわらかな世界に迷いたい
やさしく安らぐ世界に包まれたい

見果てぬ夢を追う子らは
儚(はかな)さを乗り越え
流浪し 夢追う旅人となる

夢のひとしずくを 手のひらにのせ
瞳(め)を輝かせて 明日を見つめる
恐れることなく まなざしを注ぐ

凜として すこやかに いまを生きる
ひとりとして 夢をあきらめぬよう
尊き子のいのちとこころを 護りたい

生きる喜びは 夢のひとかけら
昨日とは違う今日を
今日とは違う明日に翔る
世と人を信じて生きる子は
楽しき夢を織る

1


「好奇心を刺激する」

好奇心が刺激された
心のうちをちょっと覗いた
果たしてギューッと心が鷲づかみになる
その手応えを感じてみる

好奇心が湧いた
未知なる世界へと誘う
果たしてピンときた直感を信じたい
その強さに身を預けたい

好奇心が動いた
やる気がその気にさせる
果たしてガーンとスイッチが入る
その反動を感じたい

好奇心が研ぎ澄まされる
求めるものの正体が現れる
果たしてキリキリした緊張感が心地よい
その反応に身を投じたい

好奇心が育てる
成長のバロメーターに変わる
果たしてドキドキした探求心で満ちてゆく
その渇望に精気をもらおう

好奇心は枯渇させてはならない
生きていることの感性への刺激
生きていくことへの思索への刺激
生きることへの共生共存への刺激

2


「保育に生きる世界」

溌剌とした空気感がいい
颯爽とした様子もいい
無双な環境がさらにいい

世に命のほとばしるど真ん中に生きる
幸せを共に育む真ん中を生きてきた
無償の愛をど真ん中に幼子に注いで生きている
羅列すれば保育のど真ん中を真っ直ぐに生きる

にこっと笑う幼子に心が和む
困ったようすの幼子に心が揺れる
凜とする眼力の幼子に心が掴まれる

幸いなるかな求められ求めて人を得た
小さき瞳に魅せられて純心を持ち続けた
壊れそうな命のぬくもりを護ることを天命とした
子どもの園は今日も明るい声がする
どの子も安心して心も身も遊ばせる
もっと何かできるもっと何かしてあげたい
エンドレスの保育は幼子がど真ん中に育つ世界だ

3


「お外で遊ぶ」

園長先生
雨が降っても風が吹いてもお外で遊んでね
雪が降っても寒くなってもお外で遊んでね
なかに閉じこもっていないでお外で遊んでね

みんなお外が大好き
鬼ごっこしたり走り回ったり
鉄棒したりおしゃべりしたり

みんなお外が大好き
園庭いっぱいに遊び回る
園庭いっぱいに笑顔が広がる
園庭いっぱいに歓声が響く

園長先生
お外で遊ぶ子大好き
陽を浴びる子大好き
風に吹かれる子大好き
雨に負けない子大好き
寒さに挑む子大好き

ここは子どものパラダイス
たくさんたくさん遊ぼうね
げんげん元気な体力つけよう
思いっきりの笑顔がいちばんさ
げんげん元気に大きく育とう

4


「大人になれたら」

腹が満たされない
2食も食べられない時代があった
食べることが生きがいだった

ガザの子は言った
大人になったら…ではなかった
大人になれたら…何と答えよう
腹をすかせ明日の命も危ういのだ
余りに多くの人の死を見てしまった

命を奪われそうになっても抗えない
大人になる前に死が迫っている
大人になる前に飢餓にもだえる
大人になる前に非道を知りすぎた
力なき子らは食べ物を探す

祈りを唱えても何も変わらない
大人になれたら何を手にするのか
大人になれたら憎しみを抱くのか
大人にもしもなれたら自由と平和を…
力なき子の希望は泡とついえる

戦時下に生きる子どもらをいたぶる
異教も思想もただの幻想でしかない
政治の具として抗争と犠牲を強いる

大人になれたら…爆撃でかき消される
大人になれたら…傷ついて動けない
大人になりたい…奇跡的に生きている

5


「なんかへん」

なんかへん
小さなつぶやきが聞こえた
やっぱりなんかへん
真剣な表情に変わった

どこがへんなの
だってなにがいけないのかわからない
みんなそうおもっているからね
みんながそうおもうとそうなるの
だれもへんだとはおもってないから

そこがへんだよね
なにがへんなの
だってだれもへんだとおもわないから
それでいいんだよ
よくないよ
そうおもってもひとりじゃね
ひとりじゃいけないの
そうはいってはいないけど

みんなってだあれ
ここにいるみんなだよ
ひとりひとりきいてみた
きかなくてもわかることだよ
へんだなってだれもおもわないの
いけないことだとしってるからね
へんだなっておもっちゃいけないの

ほんとにいけないことかな
みんなとちがっちゃいけないの
みんなとちがうとどうなるの
みんなといっしょならいいの
みんないっしょってへんだよ
みんながほんとにそうおもっているの
だれもきもちわるいっておもわないの

ボクはいやだな
みんなということばがこわい
みんなというくうきがこわい
みんなという大人がこわい

ボクはみんなになりたくない
なんかへんだよっていえないもん
ボクはボクでいたい
なんかへんだっていえるもん
ボクはボクになっていく
なんかへんだとおもう子に

6


「でもね」

でもね ちょっとちがうんだよね
うまくはいえないけど
ちがう気がする

でもね まちがっていないよ
よくわからないけど
そんな気がする

でもね うそはついていないよ
いたずらっこだけど
しょうじきな気がする

でもね いじわるしてないよ
くちはわるいけど
やさしい気がする

でもね らんぼうはしないよ
えばりんぼうだけど
まけずぎらいな気がする

でもね ずるはしてないよ
みえをはるけど
がんばってる気がする

でもね まだゆめがないよ
考えてはいるけど
なんだかちっぽけな気がする

でもね このままではないよ
いろいろといわれるけど
なにかできそうな気がする

7


「とちゅうだもん」

じぶんことする
うまくできないよ
ほらむりでしょ
だってできるとちゅうだもん
だまって見てて

じぶんこと
なんでも不思議が溢れる
じぶんこと
なんにでも首を突っ込む
じぶんこと
回り道寄り道大好きなんだ

じぶんことしたい
できないとべそをかきそう
あきらめないでやってもみて
やってみたい子が大好き
そんならもいちどやってみる
いまはできるとちゅうだもん
だまって見ててね

じぶんこと
やりたいことが見つかった
じぶんこと
おもしろいことが見つかった
じぶんこと
いまはとちゅうとお茶目が可愛い

じぶんこと
できると思った
じぶんこと
だれかが手を貸した
じぶんこと
いまもとちゅうと言いはった

幼子のじぶんことの言葉が嬉しい
幼子の自信満々のどや顔が愛おしい
幼子のいまはとちゅうと偉そうなのがたまんない

8


「だはんこく子」

なぜダメっていうの
なぜやりたいことをさせないの
なぜすぐじゃまするの
なぜひとりでしちゃいけないの
なぜはなしをきいてくれないの
なぜたくさんやくそくさせるの
なぜできないってきめつけるの
なぜほしいといちゃあいけないの
なぜいやなことをさせるの
なぜできないのにさせようとするの
なぜいうことをきかないっておこるの
なぜわかってるのにくどくどいうの
なぜいつまでもいやなことおぼえてるの
なぜおわったことまでもちだすの
なぜやりたいように自由にさせてくれないの
なぜそんなにしんぱいするの
なぜしっぱいするのをいやがるの
なぜともだちとくらべたがるの
なぜべんきょうすればいい子になるの
なぜあの子とあそんじゃだめなの
なぜだらだらしちゃいけないの

なぜがなぜかたくさん
なぜがなぜだかしらないけれど
なぜかボクをしばってしまう
だからだはんこく(わがままになる)
ボクのせいいっぱいのていこう

9


「小さな制裁」

もういいかい
まあだだよ

もういいかい
もういいよ

どこにかくれてるのかな
おかしいいな
どこにいったんだろう
だれもいなくなった

どこにいるの
だれかへんじして
どこにいったのか
だれかおしえて

なぜかひとりぼっちになっちゃった
だれももうあそんでくれない
なぜかひとりぼっちにしちゃった
だれももうあそばない

ひとりぼっちにされちゃった
友だちにいじわるしちゃった
ひとりぼっちにするしかない
友だちをいじめちゃいけない

なぜひとりぼっちになったのか
その子がいちばんよくしっている
なぜひとりぼっちにしたのか
その子のせいだとしっている

ひとりぼっちになっちゃった
どんなにいいわけしてもうそっぽい
友だちにこころからごめんってあやまろう
なぜかひとりぼっちにしちゃった
友だちだからわかってほしかったんだ
でもなんだかかわいそう
ねえもうゆるしてあげようか

10


「ぶっちゅーんしようよ」

魔法の呪文ぶっちゅーん
みんなのこころに魔法をかける

涙をいっぱいためたきみ
お友だちにいじわるされたの
まずは泣き虫やっつけよう
きみの涙にぶっちゅーん
たちまち笑顔になっちゃった

つぎはいじわるしたきみ
いじめ虫をやっつけよう
きみのえばった顔にぶっちゅーん
たちまちごめんとあやまった

失敗してしまったきみ
お友だちに笑われてしまったの
まずは恥ずかし虫をやっつけよう
きみの赤い顔にぶっちゅーん
たちまち勇気がわいてきた

つぎは笑ったお友だち
小バカ虫をやっつけよう
にやにやほっぺにぶっちゅーん
たちまち恥ずかしくて逃げ出した

なくしものをしたきみ
大切にしていたものだったの
まずは困った虫をやっつけよう
きみの泣きそうな顔にぶっちゅーん
たちまち見つかるまで頑張るぞ
大事なものをかくしたきみ
いたずら虫をやっつけよう
ずるがしこい顔にぶっちゅーん
たちまちごめんと差し出した

悲しそうなきみ
ママが風邪を引いて寝てるんだって
まずは心配虫をやっつけよう
きみのべそをかいた顔にぶっちゅーん
たちまち笑顔がもどってきたね

つぎは寝ているママ
風邪の虫をやっつけよう
はなれてママへぶっちゅーん
たちまち元気が戻ってきたよ

困った顔のお友だち
ひとりで悩んでいたんだって
まずはひとりぼっち虫をやっつけよう
きみのさびしい顔にぶっちゅーん
たちまち大丈夫とみんなが言った

魔法の呪文ぶっちゅーん
涙をふきとばすぶっちゅーん
みんなのこころにきっとある

11


「やくそくしてね」

おりこうさんにするってやくそく
ボクおりこうさんだよ
いいつけもまもってるよ
なぜやくそくしなきゃいけないの

まもらないかもしれないしょ
ボクのことしんじてないんだ
そうじゃないけど
やくそくすればまもろうとするでしょ
やくそくしなくてもちゃんとしてるのに
それはわかっているけれど
やくそくするってふたりがしんじあうことなの
やくそくしなきゃしんじられないんだ

いやだな
しんじられるためのやくそくなんて
いやだな
しんじてほしいためのやくそくなんて
いやだな
やくそくよりもたいせつなことがあるのに

たいせつなことってなあに
やくそくがなくてもしんじることさ
やくそくというきまりがないといけないの
やくそくということばはほんとにいいの
やくそくってボクだけのことなの
やっぱりへんだよ
ボクにだけやくそくさせるってなんかへん
ボクをやくそくでしばろうとしているみたい
ボクはやっぱりやくそくしなくてもちゃんとする

ボクはしっぱいすることもある
ボクはできないこともたくさんある
でもね
ボクが大きくなるたねだよね
やくそくしたからだいじょうぶにはきっとならない
やくそくがおおきなたねにはならないからね

たいせつなのはいっしょに大きくなるたねをみつけること
たいせつなのはいっしょにボクがおおきくなるようしんじてくれること
やくそくできることはいまはないかな

12


「またあとで」

おとなのくちぐせ
またあとで

いつもあとまわし
いつもおいてきぼり
いつもだまされたきぶん

おとなのくちぐせ
いそがしいからあとでね

いつもはなしはちゅうぶらりん
いつもはなしはちゅうとはんぱ
いつもはなしはそれまでなのさ

おとなのくちぐせ
いまはごめんね

いつものこととあきらめる
いつものむしとしっている
いつもごめんできいてはくれない

おとなのくちぐせ
いいかげんにしなさい

はなしをきいてもらいたい
はなしをしつこくする
はなしにきれてしかられる

おとなのくちぐせ
すこしがまんしてね

ずっとがまんをしてきたけど
ずっとまっていたけど
いつのまにかわすれてしまった

13


「夢ってなあに」

夢ってなあに
なぜ夢をみにゃきゃいけないの

それはね
まわりのひとやまわりのことがいいなって
こころがうごいてしまうの
なんだかウキウキしてワクワクするの
それをあこがれっていうんだよ

だからね
こんなひとになりたい
こんなことをしたい
そうねがうことが夢なの
夢があるとすごくげんきがでてくるんだよ

そこでね
夢をかなえようとがんばるんだよ
なにもしないでいてはなにもはじまらない
夢にちかづきたくてがんばるんだよ
なにもしなければ夢はちぢんでしまんだ

でもね
おおきくなると夢はかわることもあるんだよ
あこがれがかわることもあるからね
もっとおおきな夢をみたいとおもうんだ
こころがふくらんでドキドキしてくるんだよ

夢ってこころをおおきくさせるちからなんだ
夢ってこころをあったかくするちからなんだ
夢ってこころになくてはならないえいようなんだね

14


「みっともない」

そんなかっこうしてたら
みんなにわらわれるよ
みっともないからやめてね
みんなってだあれ?

そんなたべかたしたら
みんながいやなかおするよ
みっともないからよしてね
みんなってだあれ?

そんなことしたら
みんなにばかにされるよ
みっともないからしないでね
みんなってだあれ?

そんなこといったら
みんながあきれるよ
みっともないからいわないでね
みんなってだあれ?

そんなかってなことしたら
みんなにそっぽむかれるよ
みっともないからみんなとあわせてね
みんなってだあれ?

だれかにみられている
だれかのかおいろをうかがっている
だれかにあやつられている
そうとはしらずに
みっともないとしつけする

じゆうにやりたいように
やらせてよ
じゆうにおもったことを
いわせてよ
じゆうにみっともないことしたいな

15


「お母さんが多すぎる」

お母さんが 車にはねられた
お母さんが 病院のれいあんしつにねかされていた
お母さんを かそうばへつれていった
お母さんが ほねになってしまった
お母さんを 小さなはこにいれた
お母さんを ほとけさまにおいた
お母さんを まいにちおがんでいる

小学4年生の母をなくした子の詩である
担任は「お母さんは最初の1行書けばいい」と指導した
子どもは書き直そうとはしなかった

子どもの母への強い慕情を受け止められなかった
詩のテクニックをここぞとばかり指導する担任
子の切ない悲しみは連続する「お母さん」に表れる

子どもの感性の鋭さを知らずして技法に走る
子どもの切実な訴えを軽視して技法に拘る
子どもは書き直しを拒絶する

どんなに母を呼んでも二度と会えない
その悲痛なおもいに寄り添いたい
試されるのは担任の死生観なのだ

教師の指導の怖さを知らされた
詩集に掲載し評価されることを念頭に置く
教師の指導の質を子は見切った
母を亡くした強い喪失感を繰り返し訴えた
教師の指導に屈せず子は自分を主張した
吐いた言葉の重さこそその子の本心を物語る

※朝日新聞「日曜に想う」(21 年 2 月 21 日)で紹介された児童詩集「青い窓」から子どもの詩を引用。

16


「お行儀がいいわね」

お行儀がいいわね
いつもほめられる
だからママもやさしくなるよ

お行儀がいいわね
ほんとはそうしたくない
だってママがこまったちゃんになる

お行儀がいいわね
たまにそういわれる
いつもママはそうしてねって

お行儀がいいわね
すきなおばちゃんだからね
だからママはあきれたかおをするよ

お行儀がいいわね
つかいわけするからね
だってママからごほうびでるんだ

お行儀がいいわね
そうしてればしかられないもん
いつもママはピリピリしてるからね

お行儀よければ
だれからもほめられる
お行儀悪いと
だれもがいやな顔をする
一番困った顔をするのはママ
内緒だよ
ママを助けてあげてるんだ

17


「とろくさい」

あそんだあとのおかたづけ
まだちらかってるよ
めんどうくさってふくれっつら
キミのそのかおもかわいいね
ひとつずつでいいからね
ゆっくりでもいいからね
ひとりでやってごらん
もうママは手はかしてあげないよ

ひとりでできれば
すこしおおきくなったということ
ひとりでしなければ
いつまでもあかちゃんかな
ひとりでやれたら
これかもあそべるよ

あそんだあとのおかたづけ
さあもうすこしだね
キミががんばるかおがすきなんだ
だんだんいいかおしてきたね
ママはおしごとするけどいいかな
もうそばにいなくてもいいよね

ひとりになってもだいじょうぶ
みていなくてもだいじょうぶ
もうすぐだからだいじょうぶ

ひとつずつ
とろくさくともできるんだ
とろくさくてもいいんでしょ
とろくさいのもかわいいでしょ

18


「ボクの心に土足で入らないで」

二人の子がいた

サンタはいないよ
イブのプレゼントはパパやママさ
サンタが世界中の子どもに配るなんて噓さ
それを信じるなんてなんてバカなんだ

サンタはいないってなぜわかるの
ボクは夢の中でいつも会ってるよ
信じるとか信じないとかじゃないんだ
サンタはボクの心の中にいるんだ
それがどうだというんだい

サンタがいない
そういうキミもプレゼントはもらうんだろう
ただプレゼントをもらうだけのイブなんだね
サンタがいない心の中はからっぽだね
なんてさびしい夜なんだろう

サンタがいなくてもいい
噓つきよりはもっといい
信じるなんてどうかしてるよ
見たこともないことを信じるなんて
ボクは噓なんて信じない

神様をキミは信じてる?
見えなくても信じる人はたくさんいるね
見えないものはみんな噓なの

きっと信じる人には神様はいるんだよ
ボクは神様のことはわからない
でもサンタはいる
そう思うだけでもなんだかあったかい
世界中の子どもたちを想像してごらん
みんな笑顔でサンタを待っているんだ

イブは世界中でイエスキリストの誕生を祝う日
キリスト教を信じなくても祝うよね
なんか変だよね
でもなんかすごく嬉しい

心待ちにしたものをプレゼントされるイブ
ドキドキしてなかなか寝つかれない長い夜
サンタの代わりのパパでもママでもいいんだ
だってサンタはボクの心にずっといるから

だからね
サンタはいないって
ボクの心に土足で入ってこないで

信じるってね
心に夢のカタチをつくることなんだ
心に幸せのカタチを見ることなんだ
大人になってもサンタがいると信じたい

19


「閃くことば」

幼な子の発することばに耳を澄まそう
あいまいな発音でもことばが閃(ひらめ)く
いまを生きることばが閃く

幼な子の発することばに目を凝らそう
語彙が少なくともことばが瞬(またた)く
何かを訴えることばが瞬く

幼な子の発することばに身を任そう
かわいい声のことばが踊る
快く揺れることばが踊る

幼な子の発することばに心を託そう
世界がやさしくことばで包まれる
屈託のない笑顔でことばが包まれる

幼な子の発することばに感性を研ぎ澄まそう
無垢なることばの強さを感じよう
無心なることばの美しさを感じよう
幼な子の発することばに幸せをもらおう
身を委ねる甘えたことばを噛みしめよう
すべてが許されることばを噛みしめよう

幼な子の発することばに真理を見つけよう
真を問うことばにまごころで応えたい
理に導くことばにまごころを尽くした

20


「話せない子」

せっつかれても
いまの気持ちを言葉にできない
歯がゆくてどうしよう

話そうにも
言葉がすぐには出てこない
焦るだけで息を吐く

話したくても
わかってくれるかどうか
心配が先に出る

聞いてあげるよと
次から次と質問ばかり
考えがおぼつかない

言いたいことが自棄(やけ)になる
気持ちがなえてしまって
もうどうでもよくなった

肝心なときに話せない子だね
ちゃんと考えをまとめなさい
手のかかる面倒くさい子となる

話したいのはさ
こう考えているよってことを知ってもらいたかった
こうしたいってことをわかってもらいたかった
こうしたらってことを一緒に考えてほしかった

黙って聞いてくれるだけでよかった
言葉足らずでもわかってくれると思った
話したいって思ったのにうまくいかなかった
聞いてるふりでは思ってることは言えない
また後でねという決まり文句でジエンド

21


「連想する」

連想せよ
楽しきことこそつながれ
心躍る喜びが弾けていく風景を

連想せよ
面白きことこそつながれ
心惹かれ快感の虜になる風景を

連想せよ
愉快なことこそつながれ
心満たす笑顔広がる風景を

連想せよ
熱きことこそつながれ
心動くエネルギーが湧き上がる風景を

連想せよ
幼子のいのちこそつながれ
心ぬくまる優しさに包まれる風景を

連想せよ
無垢の夢こそつながれ
心強くして未来を護る人の風景を

連想せよ
自由と平和こそつながれ
心解き放し赦しを乞う人の風景を

22


「生まれたということ」

愛を知り
希望を抱き
澄んだ秋空に夢が舞う

野の花を愛でるこころこそ人なり
天地のいのちを敬うこころこそ人なり
優しさを分かち合うこころこそ人なり
助け合い支え合うこころこそ人なり
悪を憎み正義を求めるこころこそ人なり
平和を築くこころこそ人なり

様々な出会いを運命にする人でありたい
知欲がいつも湧き上がる人でありたい
生かされる感謝に満ちた人でありたい
生きる喜びを感じる人でありたい

人生エンジョイしながら真っ直ぐに
人生求めるところを果敢にトライする
人生紆余曲解だからこそめっちゃ面白い
人生未来を描くのはきみだけしかいない
澄んだこころで秋空に夢駈けろ

23


「真の協力を知る」

真夏の陽が部屋に射し込む
少女は老女の衣服を脱がす
なかなか思うように事が運ばない
額に汗が流れ始めた

特養ホームでのワークキャンプ
介護の初体験をする中一の少女
二日目の活動は入浴介助だった
ストレッチャーに乗せる支度をする

こんなに面倒だとは思わなかった
通りかかった介護士の一言で救われた
「一人でしようとしないで○○さんと協力したら」
少女はその意味を素早く理解した
一人相撲を取っていたことに気づいた

右手を少し上げてと指示し始めた
為されるがままに身体を預けていた老女が反応した
かといって大きく動くわけではない
それでも服を脱ごうという意識が勝った
ようやく脱衣させて少女は汗を拭った

少女は賢い子だった
服を脱がせてあげることではなかった
声をかけて老女の力を引き出すことだった
服を脱ぐという目的を共有することだった
達成するには二人の力を合わせることだった

一方的になにかしてあげることを当たり前と考えていた
一人で無理ならば仲間と一緒にすることが協力だと学んできた
その考え方は見事に覆され否定されてしまったのだ
老女との対等な関係から導き出された尊厳を知った
その日少女は真の協力を学んだと綴った

※ワークキャンプとは、子どもを対象にした福祉施設で実施される宿泊体験学習

24


「君がきみであるゆえん」

君は君らしさを知っているだろうか
誰かの真似事だと知った瞬間の虚しさ
誰かの考えをパクった瞬間の気恥ずかしさ
誰かの後ろに隠れていた瞬間のおぞましさ

そんな自分を拒んだ
そんな自分が嫌いだった
そんな自分に憤った

君はきみであることを明かさなければならない
他人の影ではないことを
他人に無条件で従わないことを
他人のなりふりに振り回されないことを
他人の思惑に惑わされないことを
他人の判断に身を委ねないことを
他人の醸し出す空気に流されないことを
他人の顔色をうかがう小心者でないことを

だから君がきみであるゆえんを示そう
他人にノウと声出す勇気を
他人に考えを伝える意志を
他人に心からの笑顔を

君はきみにしかなれない
だから
君はきみを信じてごらん

25


「人新世を生きる」

地球の生命は悲鳴を上げている
さりげない優しさが枯れてゆく
ほっこりしたこころが悲色に塗られる

野放しにした傲慢が自壊へと導く
世に正義は混濁し悪意に乗っ取られる
疎遠になり人のつながりが絶えてゆく

自堕落な人間の末路は残酷だった
おぞましい欲望が渦巻き黄泉の国が現出した
遺棄された後悔と懺悔は屑のように漂う

忘れることが唯一の救いとなった
嘘に彩られた時空間に縛られたまま生きる
真実は闇を彷徨い消滅する

そう遠くない時の流れの中で
時代が薄汚れてゆく
時代が虚構に飾られる
時代が終焉の時を告げる

だからこそ
人間らしく
いまを生きるのだ
いまを生きてゆくのだ
授かったいのちの限りを

そして
君らしく
心はいまを生きる
心はいま生きてゆく
共に慈しむ愛を育てながら

26


「学び続けるということ」

無知であってはならない
しかしすべてを知ることはできない
学ぶ意欲だけは持ち続けたい

どんなにあがいても知り得ない
しかし知りたいというおもいは消せない
学ぶ謙虚さだけは持ち続けたい

学び続けるということ
学ぶこころがわたしを育てる
学ぶ意思がわたしを強くする
学ぶ中身がわたしを守る
学ぶ機会がわたしを耕す

共に学び続けるということ
学ぶ出会いがわたしを豊かにする
学び合う知がわたしを奮い立たせる
学び合う友がわたしを信念に導く

さらに学び続けるということ
学ぶたびにわたしの古き殻を破る
学ぶ価値がわかればわたしをひるまない
学ぶ意味がわかればわたしは逃げない
学ぶ理由がわかればわたしは生きていける

学びは未知なる世界からのメッセージ
知ることは果てなき生存欲求
学び続けることはよりよく生きることへの誘い
知ることは自己存在の証明
ともに学ぶことは知の世界の共有
知ることは自己陶冶と相互承認

動くことでしか生まれない学びの世界
動かなければ変わらない学びの世界
動いて始めて実感する学びの世界
学びの世界に身を置きながら苦悶し続

27


阪野 貢/「地者」「曲者」「切れ者」による「自立」「自律」「内発性」のまちづくり ―岡崎昌之著『まちづくり再考』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、岡崎昌之著『まちづくり再考―現場から学ぶ地域自立への道しるべ―』(ぎょうせい、2020年1月。以下[1])がある。[1]は、自治体学会が企画して2017年2月から2018年12月にかけて東京都中央区、愛媛県内子町、大阪府豊中市、岩手県遠野市において開催された「自治立志塾」(集中講義)における講義内容と対論を再構成したもの(「まちづくり実践論」)である。そこでは、岡崎が関わった草の根的なまちづくりの事例が豊富に収録され、これからのまちづくりの視点や方向性について言及される。
〇本稿では、岡崎が紹介・解説する「まちづくり」の定義をめぐって、留意すべき基礎的・基本的な事項をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

「まちづくり」の定義
〇[1]で岡崎は、日本地域開発センター(1964年2月設立)の「地域社会研究会」が提示した定義を取り上げる。「まちづくりとは、それぞれの地域社会の歴史的、文化的な個性を基礎にして、その地域に本当に(真に)必要なものを、そこに生活する人々が自らの知恵と活力で発見し実現していく創造的な過程である」(「北海道池田町まちづくりシンポジウム―地域にみる生活と文化の再生―」1975年10月)がそれである(15、16ページ)。ここでは、「そこに生活する人々」(住民主体)の「自立(independence)」と「自律( autonomy)」の志向、「内発性(endogenous)」の発想が重視される。

「自立」「自律」「内発性」のまちづくり
〇岡崎にあっては、まちづくりにおける地域の「自立」とは、まちづくりについて「地域が決意し、主体性をもって取り組むこと(ローカル・イニシアティブ:local initiative)」であり、「自分自身や地域のもつ力量を最大限に発揮して、やり通そうとする意志(セルフ・リライアンス:self-reliance)」である。すなわち、「まちづくりにおける自立とは、自らが決意し、自らの力量で、まずは内を固め、そこを足場に外と連携するまちづくりの方策」をいう(51~52ページ)。
〇地域の「自律」とは、「反目したり、反発することもある組織間や地区間のベクトルを、地域の将来や全体の方向性を共有し、互いをおもんぱかりつつ、地域内で調整し、課題を解決しようとする力」(意識や行動力)をいう。その “ 自律 ” 的な意識や行動力は、「地域の総合的な力量を高めるうえでも、また地域における信頼関係や連携(ネットワーク)といった、いわゆる社会関係資本(ソーシャルキャピタル:Social Capital)を構築していくうえでも欠かせない」(53ページ)。
〇地域の「内発性」とは、地球規模や全国規模の地域課題に対して、単一の発展方式や全国同一の解決方式あるいは外来型の開発方式ではなく、「地域の特性や組織、課題の内容に即して、様々な解決の方向や新しい道筋をつけていこうとする試み」である(62ページ)。すなわち、「地域の良さや個性、価値を、そこに生活している人々が気づいていないものまでも、切り拓いて確認をし、その可能性を模索すること」(73ページ)をいう。
〇そして岡崎は、確かな「自立」と「自律」、「内発性」をめざすまちづくりを進めるためには、①歴史的視点からの地域の徹底的な調査(地域の歴史の探索)と、②地域が誇る資源や “ 宝 ” だけではない、地域にとって本質的な価値の模索(地域価値の模索)、そして③広域的な視点に立った、地域の “ 価値 ” や地域に “ あるもの ” の意味の模索(地域の相対化)が必要かつ重要であるという(64~70ページ)。それは、“ ないものねだり ” のまちづくりではなく、“ あるもの探しのまちづくり ” を説く結城登美雄らの「地元学」に通じるものである。
〇そのうえで岡崎はいう。「自立や内発とは、必ずしも特定地域に固執して、内にこもり閉鎖的になることではない。地域内に存在する価値や独自性を明確に認識しつつ、周辺地域や類似の価値をもつ地域とも幅広い連携を保ち、連携のなかからまた新しい価値を創出していくことが重要である。他地域との連携、関連の識者や専門家とのネットワーク形成はまちづくりには不可欠である」(71ページ)。

「地者(じもの)」「曲者(くせもの)」「切れ者(きれもの)」
〇以上のようなまちづくりの担い手についてはこれまで、「よそ者」「若者」「バカ者」の3者が挙げられてきた。従来のシステムや活動に対して批判的で、新しい見方を醸成する「よそ者」、しがらみのない立場から、新たなエネルギーによって次の時代を切り拓く「若者」、旧来の価値観の枠組みからはみ出し、既成概念を壊す「バカ者」がそれである(真壁昭夫『若者、バカ者、よそ者―イノベーションは彼らから始まる!』PHP研究所、2021年8月参照)。この点について岡崎はこういう。「それらの人たちだけではまちづくりは続きにくい。地域に根づき、持続するまちづくりを展開するためには、よそ者だけでなく『地者』、若者だけでなく、土地の事情や人間関係を(も)熟知した年配者や得意技を持つ『曲(クセ)者』、知恵と決断力をもった『切れ者』が必要とされる」(99ページ)。
〇その際、岡崎は、自治体や地域社会の「定住人口」だけではなく、「交流人口」(地域の住民とはならないまでも、その地域が自己実現した魅力にひかれてそこを訪れ、地域の人々とコミュニケーションを持つ人々)や「関係人口」(長期的な定住人口でも短期的な交流人口でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者)、それに「活躍人口」(まちづくりを担い、地域を支えようと頑張る人)をいかに拡大し、活かすかが重要となる、という(96~99ページ)。
〇要するに岡崎にあっては、まちづくりの担い手には、地域内外の人材や資源、さらには専門的な知識を有する関係人口などとの信頼関係や有機的連携のもとに、まちづくりの目標を明確に認識し、地域を歴史的かつ客観的・相対的に見る視点を持つことによって、地域の特色や個性を把握し、これまで見落とされてきた価値を見出し、地域の課題解決や将来の地域社会形成を図るための新しい方向を提示することが求められるのである(117ページ)。
〇この点に関して岡崎は、「他者への配慮、互いの信頼性、有機的連携といった社会関係資本こそ(が)、これまでのハード中心の社会資本に変わって、これからのまちづくりにとって必要な新しい資本といえる」という(140ページ)。最後に引いておきたい。

阪野 貢/「生まれる」こと、「生きる」こと―谷川俊太郎が逝った―

〇2024年11月13日、「生きる」を問う珠玉の言葉を紡ぎ続けた詩人・谷川俊太郎が逝った。享年92。「もちろんぼくは詩とははるかに距(へだ)たった所にいる」(「理想的な詩の初歩的な説明」『世間知ラズ』思潮社、1993年5月)が、世間では谷川に対する感謝とその死を悼(いた)む声が絶えない。
〇1952年6月に刊行された谷川の最初の詩集『二十億光年の孤独』(創元社)、そのなかの詩句――「万有引力とは/ひき合う孤独の力である/宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う」を思い出す。人は本質的に不安や孤独のなかに生きる。それゆえに他者を求め、引き寄せ合って生きる、というのであろう。人はひとりでは生きられない。誰かとつながり合って生きている、のである。
〇金子みすゞの詩句――「鈴と、小鳥と、それから私、/みんなちがって、みんないい。」(「私と小鳥と鈴と」『金子みすゞ全集』JULA出版局、1984年2月)もいい。または、歌人・俵万智の短歌 ――「「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ」(『サラダ記念日』河出書房新社、1987年5月)もいい。
〇それよりも、谷川俊太郎の、「生まれた」 ぼくが “ いま ” を “ ただ ” 「生きる」、の方がなおいい。次の4篇の作品を通してだけからでも、唯一無二である命(いのち)の大切さや尊さ、生きることの豊かさや意味、そして支え合って生きることの素晴らしさやありがたさについて、改めて思う。併せて、言葉は生きる力を生み出し、人と人をつなぎ、そして未来(あす)を拓くことに、改めて気づく。

生まれたよ ぼく
~『子どもたちの遺言』(田淵章三・写真、佼成出版社、2009年1月)より~

生まれたよ ぼく
やっとここにやってきた
まだ眼は開いてないけど
まだ耳も聞こえないけど
ぼくは知ってる
ここがどんなにすばらしいところか

だから邪魔しないでください
ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを
ぼくが誰かを好きになるのを
ぼくが幸せになるのを

いつかぼくが
ここから出て行くときのために
いまからぼくは遺言する
山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしい

そして人はここにやってきた日のことを
忘れずにいてほしい

 

一人きり
~『子どもたちの遺言』(田淵章三・写真、佼成出版社、2009年1月)より~

ぼくはぼくなんだ ぼくは君じゃない
この地球の上にぼくは一人しかいない
もしかする半径百三十七億光年の宇宙で
ぼくは一人きり

生れる前もぼくはぼくだったのか
死んだ後もぼくはぼくなのか
どこへ行ってもぼくはぼく
いつまでたってもぼくはぼく
ぼくはぼくが不思議でしかたがない

ぼくはいま本を読んでいる
ぼくは息をしている
妹はいま大声で泣いている
妹も息をしている

いまから千年前
ここには誰がいたんだろう
いまから千年後
ここには誰がいるだろう

 

生きる
~『生きる』(岡本よしろう・絵、福音館書店、2017年3月)より~

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

 

ただ生きる
~『詩の本』(集英社、2009年9月)より~

立てなくなってはじめて学ぶ
立つことの複雑さ
立つことの不思議
重力のむごさ優しさ

支えられてはじめて気づく
一歩の重み 一歩の喜び
支えてくれる手のぬくみ
独りではないと知る安らぎ

ただ立っていること
ふるさとの星の上に
ただ歩くこと 陽をあびて
ただ生きること 今日を

ひとつのいのちであること
人とともに 鳥やけものとともに
草木とともに 星々とともに
息深く 息長く

ただいのちであることの
そのありがたさに へりくだる

〇シンガーソングライター・さだまさしの「いのちの理由」もいい。はじめてコンサートに行って聴いた詞(うた)、心の琴線にふれる言葉が紡がれる(ルビは筆者)。

いのちの理由
~オリジナル・アルバム『美しい朝』(ユーキャン、2009年6月)より~



〇そして、思う。生まれることは生きること、生まれることでそのすべてが始まる。人は、きのう(過去)を振り返り、あす(未来)を想い描き、きょう(現在)を思い考える。そして人は、自分の体験や人生のなかに、幸と不幸を見出す。それが、喜びや悲しみをもたらす。また人は、支え合って、いま・ここで・わたしを生きる。それが、安らぎや豊かさをもたらす。ときに、苦しみや困難をもたらす。あなたもわたしも、これからもずっと。‥‥‥ということを。
〇そして、気づく。わたしはいま、ひとまずすべてを飲み込んだことにして、幸か不幸かではなく、自分らしくわたしを生きてきたかどうか、その証(あかし)を探し求めている。それは例えば、エーリッヒ・フロムがいう「もつこと」か「あること」か(※)ではなく、その混沌のなかに、である。‥‥‥ということに。

※「もつこと」と「あること」
人間の存在(あり方)には、「もつこと:to hove」と「あること:to be」の2つの様式がある。「持つ存在様式は財産と利益を中心とした態度であって、必然的に力への欲求――というよりは必要――を生み出す。(中略)ある様式においては、それは愛すること、分かち合うこと、与えることの中にある」(117~118ページ)。すなわち、「もつ様式」は、富や名声や権力などを持つことを指向する存在様式をいい、「ある様式」は、何ものにも束縛されず自分らしく生きることを指向する存在様式をいう。(エーリッヒ・フロム、佐野哲郎訳『生きるということ』(原題:To Have or to Be?)紀伊國屋書店、1977年7月)

 

追記
〇谷川俊太郎の詩を改めて読む・味わうなかで、「言葉は生きる力を生み出す」ことを改めて認識した。そんななかで併せて、ノンフィクション作家の柳田邦男の『言葉の力、生きる力』(新潮文庫、2005年7月)を読み返した。その本の最後で、柳田はいう。「人生後半に入っている今は、自分の心の座標軸を次のように明確に語ることができる。/<私の心には自分の境遇を幸福か不幸かという次元で色分けする観念も意識もない。あるのは、内面の成熟か未熟かという意識だ。そして、内面において様々な未成熟な部分があっても、あせることなく、人生の終点に到達する頃に、少しでも成熟度を増していればよしとしよう>――と」(272ページ)。柳田が65歳の時に書いた「『成熟』という心の座標軸」(2001年9月)の一節である。
〇「わたしを生きる」ことと「内面の成熟と未熟」とは、どのようにかかわるのであろうか。人生の最期を迎える頃に、わたしを生きたことのいくらかでも認識できれば、それでよしとするのであろうか。(2024年12月4日記)

阪野 貢/大空小学校と木村泰子の「みんなの学校」に学ぶ ―木村泰子著『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』等のワンポイントメモ―

「人権って空気みたい」(子ども)。「どうして空気なん?」(大人)。「えー、だって空気なかったら人間死ぬでー」(子ども)。(以下[3]24ページ)

〇前稿(<雑感>(216)阪野 貢/「ふつう」再考:「ふつう」は “ 障害 ” を排除し、社会秩序を維持する ―信濃毎日新聞社編集局著『ルポ「ふつう」という檻(おり)』のワンポイントメモ―/2024年11月2日/本文 )において、「周りの子が豊かに育てば、障害は長所に変わる」という小見出しで、大阪市立大空小学校と初代校長・木村泰子の言説と実践について記した。それを機に改めて、木村の本を読むことにした。
〇筆者(阪野)の手もとに、木村泰子の本が4冊ある(しかない)。

(1)木村泰子著『「みんなの学校」が教えてくれたこと―学び合いと育ち合いを見届けた3290日―』小学館、2015年9月(以下[1])
(2)木村泰子著『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』家の光協会、2019年7月(以下[2])
(3)尾木直樹・木村泰子著『「みんなの学校」から「みんなの社会へ』岩波ブックレット、2019年4月(以下[3])
(4)木村泰子・高山恵子著『「みんなの学校」から社会を変える―障害のある子を排除しない教育への道―』小学館新書、2019年8月(以下[4])

〇大阪市立大空小学校については周知の通りであるが、[2]から紹介しておくことにする。

大空小学校は、2006年創立の大阪市住吉区にある公立小学校。/初代校長を務めた木村泰子と教職員たちが掲げた「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」という理念のもと、さまざまな個性をもつ子どもたちがともに学び合う姿が、(2015年2月に)ドキュメンタリー映画『みんなの学校』として公開され、大きな話題となった。/校則はなし。あるのはたった一つの約束「自分がされて嫌なことは人にしない。言わない」のみ。/木村校長在任中の9年間に転校してきた特別支援の対象となる児童は、50人を超えたが、不登校はゼロ。/地域に開かれた学校として、教職員のみならず、地域住民や学生ボランティア、保護者をはじめ多くの大人たちが、つねに子どもたちを見守っている。(7ページ)

〇大空小学校の「すべての子どもの学習権を保障する」という教育理念について、木村はいう。「これがパブリックの学校の目的です」([2]51ページ)。「学校教育の目的は一つしかありません。どれだけ貧困であれ、どれだけ重度の障害があれ、どれだけ人を殴ってしまう子であれ、目の前の一人の子どもが『安心して学んでいる』という事実をつくること。そのために必要な教員の資質とは、『人の力を活用する力』をどれだけつけるか」([2]87ページ)。そのためには、学校だけに子どもをまかせるのではなく、「地域の住民、保護者、教職員、子どもたち自身がつくる『自分の学校』でなくてはなりません」([2]28ページ)。
〇大空小学校の「たった一つの約束」である「自分がされて嫌なことは人にしない。言わない」について、木村はいう。「この約束は、すべての子ども、すべての大人のためにあるものです」([1]201ページ)。「子どもはこの約束を破ると『やり直す』ために、(説教部屋ではない)『やり直しの部屋』と呼ばれる校長室へとやってくる」([1]3ページ)。「『たった一つの約束』を破った時に待っているのは、罰でも、お説教でもないんです。自分のために、やり直す。これしかないんですよ」([4]179ページ)。やり直しには「決まったやり方があるわけではなく、何をやるべきかは一人ひとりが考え、行動します。そして、(下記の)『四つの力』全部を使ってやり直すんです」([4]180ページ)。
「地域に開かれた学校」について、木村はいう。「学校は地域のもの。地域でつくられる『みんなの学校』」([2]102ページ)。「『みんなの学校』とはパブリックの学校、つまり『地域住民のための学校』という意味」です([3]6ページ)。「学校はそこにあるものではなくて、つくるものです。学校は、『みんながつくる、みんなの学校』を合言葉に、『自分』がつくるのです」([3]14ページ)。「子どもだけじゃない。学校というのは、先生も親も地域の大人も、みんなが学びにいくところ、自分を変えるところ。だから学校は楽しいんです」([2]111ページ)。
〇また、大空小学校では、点数や数値で測れる「見える学力」ではなく、「見えない学力」すなわち「自分から、自分らしく、自分の言葉で語れる、なりたい自分になれる、そのために必要な力」を「四つの力」として育てることを優先順位の一番にしている([4]60ページ)。木村はいう(抜き書きと要約)。

大空小学校では「ふれあい科」という独自の教科をつくりました。/人と出会うと、そこに必ずふれあいがあるでしょ。ふれあうと、かかわりを持つ。するとそこに学びが生まれる。/その根本にあるのが、大空小学校の教育のキーワード「学び・感動・愛」。([2]153ページ)/そういう空気の中で、どんな力を身につけたら、子どもたちが将来「なりたい自分」になれるか。そう考えて、辿りついたのが「四つの力」でした。一つめは「人を大切にする力」。二つめは「自分の考えを持つ力」。三つめは「自分を表現する力」。四つめは「チャレンジする力」です。/これら四つの力は、すべて「なりたい自分になる力」であり、「誰かと共に生きる」ための力です。「ふれあい科」の目的は、この四つの力を身につけることです。([2]154~155ページ)

〇大空小学校にあっては、「四つの力」は「なりたい自分になる力」であり、「誰かと共に生きる」ための力である。そして木村は断言する。「『見えない学力』を育てていると、自然に『見える学力』も育ってくる」([4]63ページ)。
〇また、大空小学校には特別支援学級はないが、「『障害』のレッテルを貼られた子」がたくさん通っている。「すべての子どもの学習権を保障する」という教育理念の「すべての子ども」とは、文字通り「すべての子ども」を意味する。すなわち、障害の有無にかかわらず、多様な個性や特性を持った子ども同士が学び合い、育ち合うために、子どもを主語にして物事を考える。「教師が主語」ではない、「子どもが主語」の教室・学校づくりを進める、のである。木村はいう(抜き書きと要約)。

学校が「障害があるから別の学校・教室へ」という考えを持ったら、それは差別や偏見を教えているのと一緒ではありませんか?/いろんな子どもがいつも一緒にいるからこそ、多様な社会で生きていく力を学べる。/分断は、障害がある子だけでなく、むしろその周りの子の大事な力を奪うことになります。いろんな特性を持った多様な人と一緒に社会をつくる大人になる。そのための力を小学校、中学校の義務教育で獲得していくんですから。([2]35ページ)/彼ら(障害がある子)に一番必要なのは、周りの子どもたちとどう対等に繋がるかっていうこと。それが「社会で生きる力」でしょう。/障害を長所に変えるための方法は、大空小学校では一つしか見つけられませんでした。その子の周りの社会をどれだけ育てるか。それだけなんです。/周りが育ては、障害は「個性」に変わる。/そして周りを育てるということは、すべての子が育つということ。障害のある子がたくさんいるから、自分も育つんだとわかれば、迷惑だなんて誰一人思うはずがないでしょ?([2]37ページ)

〇「『ふつうの子』なんて、どこにもいない」。「『迷惑な子』なんて誰一人いません」。「分断は、障害がある子だけでなく、むしろその周りの子の大事な力を奪うことになります」。蓋(けだ)し至言である。そして、木村はいう(抜き書きと要約)。

車椅子体験、目隠し体験などは、自分と違う人のことを考える最初の一歩といわれています。が、それでわかったつもりになってはいけない。思い上がってはいけません。/みんなそれぞれ違いがあって、自分にない違いをもっている友だちがいる。/「自分はこうだけど、友だちはこうなんや。じゃあ、どうしたらいいか」([1]85ページ)/大空の子どもたちは、そういったことをいつも考え、試みる機会がいっぱいありました。/「この子のことを知ろう」と思いさえすれば、みんなつながれる。/「その子」を排除することは、かけがえのない学びを捨てるのといっしょ。([1]86ページ)

〇「みんなの学校」では、「ふつう」や「あたりまえ」を疑いそれに抗(こう)する(すなわち「自分を生きる」)こととともに、多様性を受け入れ学び合い・育ち合うことを可能にする工夫や場づくりを進める(すなわち「みんなと生きる」)ことなどを問い、求める。それは、例によって唐突であるが、「思い上がり」と紙一重の単なる「思いやり」の心を育てるのではなく、「みんなの社会」をつくる「まちづくりと市民福祉教育」に通底する。本稿の「結びにかえて」おきたい。

阪野 貢/「ふつう」再考:「ふつう」は “ 障害 ” を排除し、社会秩序を維持する ―信濃毎日新聞社編集局著『ルポ「ふつう」という檻(おり)』のワンポイントメモ―

「ふつう」とは、「こうあるべき」にも似ています。親、教師、学校の「こうあるべき」が息子を追い詰めたのだと思います。(保護者からのメール。下記[1]206ページ)

学校では、多様性を認める動きの広がりを感じる一方で、支援級の増加に表れているように、障害がある子の「緩(ゆる)やかな排除」が同時に進んでいるように思います。(教師からのメール。同上、210ページ)

高校卒業後は職を転々としました。職場で「おまえのどこが障害者だ? 障害者手帳を返上するつもりで働け」と言われたりしました。今は、無職の私ですが、自殺せずに、精いっぱい生きています。(ASD、LD、知的障害を持つ人からのメッセージ。同上、216、217ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、信濃毎日新聞社編集局著『ルポ「ふつう」という檻(おり)―発達障害から見える日本の実像―』(岩波書店、2024年7月。以下[1])がある。[1]の “ 帯 ” は、「学校で、職場で。『ふつうであること』をめぐって葛藤を抱える人たち、それを支える人たちの姿を丹念に描き出し(た)」と記す。また 、“ カバー・そで ” では、発達の「特性がある人が負った心の傷、『ふつう』をめぐる本人や保護者の葛藤、学校教育のゆがみ‥‥‥。増え続ける発達障害の周辺を、地方新聞の記者たちが丹念にルポ。人が自分らしく生きることを阻む、生きづらい令和時代の日本を深堀りした」とある。なお、「発達障害」には、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害(LD、限局性学習症ともいう)などが含まれる(41ページ)。
〇ある教師は「連載記事を読みながら、胸が詰まり涙が出ました」(209ページ)。ある保護者は「胸をえぐられるような思いで連載記事を読みました」(212ページ)、と投書する。取材に参加した記者たちは、「自分が多数派であり、自分の中に『ふつう』があることに無自覚ではいられませんでした。自分自身をえぐりながら記事を書いていきました」(ⅷページ)と吐露(とろ)する。そしていう。

デジタル技術や人工知能(AI)は、人により速く、効率的に生きることを求めています。だからと言って、発達の特性を「障害」とし、生きづらい人たちに苦しさの原因と結果を背負わせているだけでは、社会は立ちゆきません。まずは、その生きづらさの根っこにあるものを、当事者も周囲の人たちも「異(い)なもの」とせず、心に置いてみること。そして「聴く」こと。そうすることで、多くの人が感じる生きづらさの背景にある社会の構造、そこにつながる私たちの意識の中の「ふつう」に目を向ける道が開かれるのではないか――。取材班は、希望へのヒントにたどり着きました。(ⅷページ)

ある小学生に、「どんな人がそばにいたらいい?」と尋ねたことがある。その子は「うちの犬みたいに、黙って話を聴く人」と言った。「犬は、私の言ったことを良いとか違うとか、言わない」/小さな声が胸に刺さった。聴くより前に、自分の意見を言っていないか。人のことを分かったような気になっていないか――。(190ページ)

取材班の記者たちの中にも「ふつう」はあり、それは容易に解体されないし、報道機関はむしろこの社会の秩序を補強する側にあるのだろう。だが、「ふつう」を凝視することは、社会の構造を問う態度につながる。そのきっかけは、生きづらさの語りを「聴く」ことから始まる。それが、取材班が身をもってたどり着いた差しあたりの終着点だった。(222ページ)

〇この社会はどこまでも、健康で、普通の学校に行き、仕事に就き、家庭を築くことなどを「ふつう」のこととして求める。その社会が求める「ふつう」の生き方が困難で、そこに「生きづらさ」を感じている人たちがいる。その人たちの “ 語り ” を「聴く」ことが、「生きづらさ」を共有し、それを生み出す社会の背景や構造を問うことに通じる。これが[1]の基底的な視点・視座である。
〇その点を踏まえて、[1]のなかから、「ふつう」という「檻」に閉じ込められていること、すなわち「ふつう」に縛られて発達特性(障害)を否定的に考えることに関して、その論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

責任を持って「ふつう」という言葉を使う
「多様性」や「共生」といった言葉が流布し、誰もが肯定するに違いありませんが、現実社会ではそれはいかに心許ないものか。自分が発達障害ではないかと恐れ自死した男性の娘の中学生は、「普通」という言葉への怒りを作文にぶつけました。「己の『普通』が他の人の人生にどのような影響を及ぼすのか、責任を持って『普通』という言葉を使ってほしい」(ⅷ~ⅸページ)/私たちが目を凝らして見つめるべきことは、社会が「ふつう」とする物差しに合わせられるかどうか、なのでしょうか。問われるべきなのは、自分は「ふつう」の側にいると思っている一人一人、社会そのものではないのでしょうか。(ⅹページ)

「ふつう」がこの社会の「生きづらさ」の根源である
保護者や教育・福祉関係者は、良かれと思って人を「ふつう」に矯正しようとしてしまう。(219ページ)/その矯正する力に従えない人は次第に分離され、(中略)一人、個別化されて社会から漏(も)れ落ちていく。漏れ落ちないでいる人も「ふつう」に耐えながら、漏れ落ちないように、「ふつう」にしがみつく。これが、この社会の「生きづらさ」の根源そのものではないだろうか。(220ページ)/生きづらさの根源には高度な資本主義社会が横たわっていて、その社会で「役立ち」ながら生活していくために「ふつう」が私たちにすり込まれている。人材への要請と教育・社会システムは結びついていて、私たちに求められる「ふつう」のハードルは間違いなく高くなっている。令和の時代に「ふつう」であることは、とても難しいことなのだ。(221ページ)

「ふつう」からの解放が自己認識を新たにする
私は連載の経験を経て、この同僚たちを含む一人一人が多様であることを肌で感じられるようになった。みんな個性や特性があり、見た目に分からない生きづらさを感じている。人の内側には ” 深い海 ” があることを想像できるようになった。(222~223ページ)/人に対して「ふつう」という「冷たい定規」を当てはめないだけでなく、自分に対してもそうだ。自分のことを「ふつう」だと認めて安心するのをやめ、心の中で「健常であること」や「新聞社のデスク」といった自己認識を一つずつ剝(は)がしてみる。すると、本当の自分が何者か分からなくなる。むしろそこから、自分の個人的な経験が捉え直され、個性や意思のか細い声が聞こえてくる気がする。(223ページ)

「周りの子が豊かに育てば、障害は長所に変わる」
「子どもを座らせなくちゃ、静かに話を聞かせなくちゃと先生が思えば思うほど、発達障害は増えますよ」。大阪市立大空小学校初代校長の木村泰子さんは、発達障害の子が増える原因をこう指摘する。大空小は、木村さんの方針で特別支援教育の対象の子と障害がない子が同じ教室で学び、補助教員や地域住民、学生ボランティアを積極的に受け入れて運営。(中略)木村さんから見れば、言うことを聞かない子に困った先生が、子どもを「特別」な存在にしてしまう。「学校が変われば発達障害は生まれない」と言う。(70ページ)/子どもの一番の支援者は大人ではなく、「周りの子ども」であり、「周りの子が豊かに育てば、障害は長所に変わる」とも。/木村さんは、学校の最上位の目的は「すべての子に学習権を保障すること」だと強調する。(71ページ)

〇そして[1]は、「日本のインクルーシブ教育には理念とかけ離れた現実がある」と糾弾する。本稿の「まとめ」にかえておくことにする。

文部科学省は障がい児を排除しない「インクルーシブ(包み込む)教育システム」の構築を唱えるが、普通学校では学力が重視され、障がい児の受け入れに消極的である。文科省が言う「個別の配慮」はスローガンだけで、一人一人の先生の属性や理解に任されている。(74、80ページ)/特別支援学校は施設環境が貧弱であり、図書館の蔵書が少なかったり、図書館が設置されていないところもある。(99ページ)/民間のフリースクールの利用については、原則自己負担であり、保護者の経済的負担が重い。(100ページ)/民間事業者も参入する「放課後等デイサービス」については、公費の不正受給や質の確保の問題が発生している。(116ページ)/(ことほどさように)日本のインクルーシブ教育においては、理念と懸け離れた現実(分離と排除)があり、発達の特性がある子どもにとって、学校に居場所があり安心して学べるかどうかは、教師の感度や力量によって大きく左右される。それが現場の実態である。(74、105ページ)/日本の「インクルーシブ教育」とは、「ふつう」の側のための社会秩序を維持する装置なのではないか。(219ページ)

補遺
「学びの場」の枠組みと現状
義務教育の9年間の子どもたちの学びの場は、学校教育法などの法令に基づき、①小中学校の通常の学級、②通級による指導(通級指導教室)③特別支援学級(支援級)、そして④特別支援学校(小・中学部)という4つの枠組みに大きく分かれている(106~110、116ページ)。

➀小中学校などの通常の学級
最も多くの子どもが通っているのは、国や地方公共団体、学校法人が設置する小中学校や義務教育学校(小学校から中学校までの義務教育を9年間一貫して行う学校)の通常学級である。2013年度:1,005万4,000人→2023年度:894万8,000人。
②通級による指導(通級指導教室)
通常学級に在籍し学習におおむね参加できるが、比較的軽度の障害があり、一部特別な指導を必要とする子どもが通う。2013年度:7万7,000人→2021年度:18万2,000人。
③小中学校の特別支援学級(支援級)
障害がある子どものために、学校の中に通常学級とは別に設けられる学級で、小中学校の教育課程に準じつつ、子どもの状態に合わせて特別の教育課程を編成することができる。2013年度:17万4,000人→2023年度:37万2,000人。
④小・中学部の特別支援学校
学校教育法は、視覚や聴覚、知的な障害がある子ども、体が不自由な子どもや慢性的な疾患があり病弱な子どもが学ぶ場として、都道府県に特別支援学校(幼稚部、小学部、中学部、高等部)の設置を義務づけている。2013年度:6万7,000人→2023年度:8万4,000人。
⑤フリースクール
以上の他に、不登校の子どもに学習支援をしたり教育相談をしたりする民間のフリースクールがある。2015年度:474カ所。
⑥放課後等デイサービス
2012年4月に児童福祉法に位置づけられた支援(障がい児通所支援サービス)であり、障害のある子どもが放課後や長期休暇の際に通い、訓練や支援を受けることができる。原則として障害のある18歳までの就学児を利用対象とする。2012年度:3,107事業所→2022年度:1万9,408事業所。
なお、主に6歳までの未就学の障害のある子ども対する通所支援サービスに「児童発達支援」がある。2013年度:2,453事業所→2021年度:8,995事業所(厚生労働省ホームページより)。

付記
次の記事を参照されたい。
阪野 貢/「ふつう」別考―深澤直人著『ふつう』と佐野洋子著『ふつうがえらい』等のワンポイントメモ―/<雑感>(122)/2020年10月30日/本文

 

阪野 貢/「町内会」基礎考―玉野和志著『町内会』のワンポイントメモ―

〇久しぶりに「町内会」に関する本を読んだ。玉野和志の新刊『町内会―コミュニティからみる日本近代―』(ちくま新書、2024年6月。以下[1])がそれである。[1]で玉野は、多くの研究者の言説を引きながら、町内会の歴史を解明し、その特質や現状について解説する。それを踏まえて、「これからの町内会や市民団体が、どのように日本の地域社会を支えていけばよいかを展望する」(10ページ)。その概要は以下の通りである。

「町内会」の概念について、玉野は規定する。「町内会・自治会は、『共同防衛』を目的とする『全戸加入原則』をもった地域住民組織である」(28ページ)。この定義でいう「共同防衛」とは、その地域に住む人々に求められる「生活協力を円滑に安心して行うことができるように、みんなでもって気をつけて、災害や外敵の侵入、内的な秩序破壊としての犯罪の発生などを防ぐ」こと(48ページ)を意味する。この「共同防衛」と「生活協力」という本質的な機能(目的)ゆえに、町内会は全戸加入原則をもつことになる。
町内会の歴史的成立過程について、玉野は解明する。町内会は大正・昭和初期以降、政府によって、社会不安を抑えるために行政の執行過程への協力を求めることで人々を統治する形態として期待され、育成されてきた(町内会の「統治性」)。町内会が政府や行政による日本的統治の「芸術品」(58ページ)と言われる所以である。戦時中は天皇制ファシズムの底辺を支える「町内会・隣組」として、国家によって奨励され、戦争に動員された。敗戦後はアメリカ占領軍=GHQによって出された町内会の解散・禁止令をくぐり抜け、戦後も行政への協力を通して自らの存在を示してきた。こうした町内会を積極的に支えたのは、主として「都市の自営業者層」(123ページ)であった(町内会の「階級制」)。
〇1970年代になると、「都市自営業者層の一部は一方で町内会を通して行政の執行過程に協力し、他方では政治家の個人後援会組織を支えることで、政治的意思決定にもそれなりの影響力を行使することのできる存在となっていった」(150ページ)。1970年代に、現在の「町内会体制」が確立されたのである(95、151ページ)。なお、1969年9月に、内閣府の国民生活審議会調査部会コミュニ ティ問題小委員会が『コミュニティ―生活の場における人間性の回復―』という報告書を公表する。そして政府は、この報告書に基づいて1970年代のコミュニティ政策を展開することになる。そこでは、旧来からの町内会による協力が尊重された。
〇1980年代以降、経済の自由化やグローバル化、そして市民社会の台頭が進行し、都市自営業者は経済的基盤を失い、町内会に代わる市民活動団体への期待がふくらんでいく。ちなみに、特定非営利活動促進法(NPO法)が1999年12月に施行される。そんななかで町内会は、2010年代後半以降現在に至って、保守的・閉鎖的な体質への批判や若い世代の無関心、それによる町内会への加入率の低下や担い手の不足・高齢化などによって、存続の危機が叫ばれることになる。その一方で、阪神・淡路大震災(1995年1月)や東日本大震災(2011年3月)などによって、町内会への期待が高まることにもなる。また、2000年12月に北海道ニセコ町で制定された「自治基本条例」を皮切りに、「町内会を名指しにしているわけではないが、『まちづくり条例』や『自治基本条例』などを制定し、これにもとづく住民協議会などの地域自治組織を作る自治体も増えている」(156ページ)。
町内会の今後について、玉野は展望する。町内会の弱体化が進み、維持・存続が困難になっているなかで、「町内会はいざというとき、住民どうしが助け合うこと(共助)や、行政や政治に要求すること(公助)が、円滑に連動できるように、日頃からゆるやかなつながりを維持することに、その存在意義がある」(175ページ)。そこで、「町内会という日本の近代が生み出したかけがえのない資産を、行政との折衝と議会への政治的要求とを可能にする、市民の協議の場へと受け継ぐことはできないか」(173ページ)。「町内会がいざというとき、外国人も含めたあらゆる住民と行政職員、さらには議員も集まって討議=闘技する場を提供できるならば、日本の自助、共助、公助もずいぶんと違ったものになるにちがいない」(177ページ)。

〇以上の言説について一言すれば、①「都市の自営業者層」に支えられた町内会のあり様は、当時もいまも、そのまま地方の農村部の町内会にも該当した(する)とは思えない。筆者が所属する下記のS市H自治会の実態(光景)の一端からも推測することができようか。
〇②いわゆる「住民が主役のまちづくり」には、住民と行政と議会による「共働」を必要不可欠とするが、そのための具体的な条件や施策についての言及がなされていない。なかでも一般住民に、まちづくりに求められる主体的・自律的な意識や力量が備わっているとも思えない。そのための教育・啓発の推進が肝要となる。
〇③行政職員の数は他の先進諸国に比べてかなり少ないと言われ、また一般行政職員は部門を超えて幅広く頻繁に移動するなかで、町内会は下請けの分業構造のなかに位置づけられてきた(いる)と言える。とすれば、行政職員が、期待される共働活動に能動的・積極的に参加する・取り組めることができるかについても疑問を感じざるを得ない。
〇④「自助」「共助」「公助」については、公助より共助、共助より自助といったようにその優先順位が問われることがある。それよりも、自己責任や自己努力による「自助」が強調され、地域コミュニティが衰退するなかで「共助」が瓦解し、制限的な「公助」のさらなる縮小が進むいわゆる「無助社会」の実相について、その認識は不十分なものに留まっていると言わざるを得ない。
〇これらの点を別言すれば、要するに、町内会の「危機」が叫ばれ、行政と町内会や市民活動団体などとの新たな地域共働(協働)体制のあり方が探求されるこんにち、戦前からの町内会と行政との相互依存関係や行政協力制度について如何に歴史的・構造的に分析・検討するか。そしてそれを受けて、如何にして地域共働体制を時代や地域の要請に応えうるものに構築していくか、が問われるのである。

〇ところで、筆者が住むS市は、日本の中心に位置し、清流として名高い長良川が流れる豊かな自然、積み重ねられた歴史、育まれてきた文化など貴重な地域資源を背景に地場産業が栄え、刃物のまちとして発展してきた(「自治基本条例」前文、2014年12月施行)。2024年10月現在の人口は8万4,036人、世帯数は3万6,475世帯、自治会数は563団体を数える。筆者が所属するH自治会は、2024年4月現在、307世帯、3事業所で構成されている。筆者は一「個人会員」として、回覧板を回すことをはじめ、ゴミステーション清掃、自治会一斉側溝清掃、公民センター・神社清掃、春・夏・元旦祭、交通安全指導、防災訓練、そして老人クラブ例会や敬老祝賀会などの活動や行事に参加することになっている。ちなみに、個人会員(世帯単位)の会費は月額700円、2023年度の自治会決算額は約1,500万円(内、前期繰越金1,100万円、自治会費264万円、補助金113万円、入会金29万円(10世帯入会)など)、2024年度の支出予算額は約1,382万円(内、事業費・助成金等約625万円、次期繰越金約756万円など)である(「令和5年度 H自治会定期総会」資料より)。
〇このようなH自治会とそこでの活動に関して筆者は、かつて次のように書いた。地方の町内会のひとつの実相である。再掲しておきたい。

地方で暮らす筆者にとって、年度替わりが近づくと、心臓が規則正しく鼓動し肺でゆっくりと呼吸をする「静かな時間」が、多少とも揺らぐ。過日、地区の高齢者の寄り合いに参加した際、求めに応じて自分の意見を開陳することになった。話の途中で、寄り合った人たちの心模様が頭をよぎった。「空気」が支配する地域コミュニティのなかで、①歴史や文化の継承・発展や経済や生活の拡大・成長に貢献してきたという思いから、昔ながらの「つながり」(関係性)にこだわり、その制度やシステムを守ろうとする人がいる。②なるようにしかならないという思いから、ひとまず様子見して大勢に従い、いまの「つながり」をやむなしとして、それらしく振舞う人がいる。③精神的な豊かさや生活の質的充実を志向・実現したいという思いから、その時の流れやその場の力関係に異を唱え、新しく「つながり」を組み換えようとする人がいる。
今回の寄り合いも、何代にもわたって住み続けている①の圧勝、外部から移住してきた移住一代の③の惨敗で終わった。旧住民であれ新住民であれ、自らを「一般住民」や社会的地位(階層)の中位層に位置づけている②はいつも、賢い処世術で利口に日和(ひよ)る。これが、筆者が暮らす地方都市(過疎区域含む)の中心市街地の周辺地域(地区)の現実である。
蛇足ながら、その寄り合いでは、筆者の話に対して「学校の先生だったかもしれないが‥‥‥」という、聞こえよがしのつぶやき(嘲笑と愚弄)があった。「梯子(はしご)を外される」(梯子はかかっていなかった)、「出る杭(くい)は打たれる」(出る杭は抜かれる)ことも二度三度。さすがに「あほらしくってやってらんねーよ」。いまだに「世間」の「空気」が読めない自分がいる。そうであっても、「我がまち・我がこと」(さすがに「丸ごと」とはいかないが)である移住一代(筆者)が住むこの地域・社会は、持続可能か?
また、ある年度の自治会総会で、まったくもって不合理な事柄について意見を述べると、重鎮(何代も続くかつての豪農)から「先人の素晴らしい知恵に基づくものであり、まったく問題はない!」と、一蹴される。しかも、地元有力者の息子と思われる若い人から、「あんた、しゃべり過ぎだよ!」という決定打を浴びせられてしまう。重ね重ねご丁寧なことである。その後の議事は、何事もなかったかのように静かに、淡々と進められることになる。後日、一人の参加者から、「私もあんたと同じ意見なんだが‥‥‥」と話しかけられた。いつでも、どこにでもある光景であり、特筆すべきものでもないことは承知しているのだが‥‥‥。なお、日頃の寄り合いや年度総会の参加者は、そのほとんどが男性(世帯主)である。
こんな “ まち ” であり、自治会であるとはいえ、ここで、これまでの自分とこれからの自分を精一杯生きるしかない。
(<雑感>(106)あほらしくってやってらんねーよ! とはいえ:「定常型社会」と地域コミュニティ―広井良典の「定常型社会論」を読む―/2020年4月26日/一部加筆修正。⇒本文)。

備考
首都圏近郊の都市における自治会の加入率は、「2000年代の初めには50%近くになっていたと思われる」([1]13ページ)。全国の市区町村における加入率(世帯単位)は、2021年71.8%(2010年78.0%、2015年75.3%、2020年71.7%)となっている(総務省「自治会等に関する市区町村の取組に関するアンケート」2022年2月)。なお、上記のH自治会の「規約」には、「脱会の時は、(ゴミステーションや公民センターの利用など)一切の権利を放棄する」とある。

阪野 貢/Z世代と不安社会:近頃の若者とつながりと不安の格差社会 ―舟津昌平著『Z世代化する社会』等のワンポイントメモ―

本書の結論を、“ たとえ話 ” を用いて述べれば、次のようになる。
ある村で、若者だけに感染する病が発見された。若者が次々と病気にかかっていく。それを見て、お偉いさんや親族は「これだから若者は」「若者の生活がたるんでいるのでは」「昔はこんなことなかった」などと若者を責め、病の原因を若者の資質に求める。ところが、この病気は「若者であるほど早く感染する」というだけで、実はすべての年齢層に感染するものだった。かくして、村は老若男女、この病気に侵されていくのだった。(以下[1]4ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、舟津昌平著『Z世代化する社会―お客様になっていく若者たち―』(東洋経済新報社、2024年4月。以下[1])がある。[1]では、新進気鋭の経営学者である舟津(「ゆとり世代」)によって、企業組織やビジネスの視点からの実証的でユニークな若者論(現代大学生論)が展開される。舟津によるとそれは、「現実を無視した印象論」ではなく、「並の若者を論じた本よりよほど丁寧な取材を経て書かれている」(303ページ)。それゆえにか、そこではインターネットやSNS(Social Networking Service)の用語や若者言葉が多用され、「団塊の世代」(1947年から1949年にかけて生まれた世代)の筆者にとってはいささか読みづらい本ではある。とはいえ、「Z世代と呼ばれる若者たちを観察することで、われわれが生きる社会の在り方と変化を展望しよう」(5ページ)とする点で、興味深い。
〇「ゆとり世代」とは一般的には、2002年4月から始まる「ゆとり教育」(「完全学校週5日制」「総合的な学習の時間」等)を受けた世代で、1987年から2004年に生まれた世代の呼称である。「Z世代」とは概ね、1990年代半ばから2010年代前半に生れた世代(1990年代後半から2012年頃に生れた世代:67ページ)で、デジタル機器やインターネットが普及している環境で育った世代をいう。なお、こうした世代(cohort)論に関しては、多様性の時代や個人化社会が進行するなかで、その世代の実体や共通性(同質性)は流動的であり、若者の真の姿を描写することが困難になっている。すなわち、Z世代の共通性を前提として、固定的・集合的に若者論を説くことは難しい、とも言えよう。それは、根拠が脆弱な単なる印象論に陥ることにもなる。
〇[1]におけるキーワードのひとつは「不安」である。舟津はいう。Z世代の若者たちは、友達に依存して生きており、友達や友達候補がいないと不安を感じ、孤独は恐怖である。そこでまず、「 友達の共感」(44ページ)を求める 。そして、黙っていて静かな、目立たない「いい子」(51ページ)になる。また、若者たちは、インターネットやSNSの開かれたネットワーク(コミュニケーション)のなかに “ 閉じられたコミュニティ ” をつくり、そのなかで互いの行動を監視・管理し合っている。友達関係は必ずしも自由なものではなく、コミュニティからの疎外や排除、追放に不安を感じているのである。筆者はここで、2005、6年頃に話題になった大学生の「便所飯」を思い出す。ひとりで食事をする “ ぼっち飯 ” に恐怖を覚え、トイレの個室で食事をする、というのである。
〇このようにZ世代は、他人を警戒し、かなり慎重に周りを観察しながら、その一方でほどよく得(とく)できる、コストパフォーマンス(費用対効果)の良い「最適」をめざす。「周りをつぶさに見て、平均を推定して、そのちょっと上になる」ことを慎重にめざして、「最適の置き所を探っている」(61ページ)。
〇この点をめぐって舟津はいう(抜き書きと要約)。

Z世代は周囲への監視の目を絶やさず、他者評価に敏感である。そして、常に「横」を見る。(何処かに)みんな行ってるなら行く、なのだ。わざわざ断るほどの主体性はない。極端なことを言えば、Z世代は他人を信じていない。他者を警戒して監視して、損しないように立ち回って、平均ちょっと上で得することをめざしているから、同世代すら信じていない。/そうでもないと、あんなに手の込んだ友達作りをするわけがない。(220~221ページ)

〇また、いまの若者たちは、就職に不安を感じ、就活を早期から始める。就職後、職場での人間関係に不安を覚え、上司からの不快な非難はぜんぶ「アンチ」であり(88ページ)、説教や叱責に恐れを感じる。また、「自分は他社や他部署(ヨソ)で通用しない」のではないか、こんな「職場では自分は成長できない」のではないかと思い、不安を抱え、転職を考えるのである(246ページ)。
〇ことほどさように、Z世代の若者たちの悩みや不安のタネは尽きない。そしてそれは、社会の変化に敏感に反応し、社会の病理が具体化・体現化されたものである。若者たちは、大人の「映し鏡」(161ページ)である。その点において、上の世代にとっても無関係ではなく、確実に影響を受けている。冒頭に記した “ たとえ話 ” の一節が意味するところである。
〇この点をめぐって舟津はいう(抜き書きと要約)。

Z世代はわれわれの――Z世代以外を含む――社会の構造を写し取った存在であり、写像(しゃぞう)である。/若者は経験が浅く、雑味(ざつみ)がなく澄んでいて、だから外からの影響を受けやすい。社会の構造なるものが生まれる――たとえば不安を利用したビジネスが横行する――とき、社会に在るわれわれは、多かれ少なかれその影響を受ける。なかでも若者は感度が高く適応が早いので、いち早く構造を反映して言動に移す。/だから、異様に見える。でも異様に見えるZ世代は決して地球外から来たエリイリアン(異星人)ではなく、社会構造をより純粋に敏感に写し取った、先端を往く者なのだ。ビジネス化する社会も、不安を利用する社会も、(何の実態もなく、意味内容の存在しない唯(ただ)の言葉しかない)唯言(ゆいごん)的な社会も、若者の方が影響を受けやすいというだけで、確実にわれわれにも影響している。(264ページ)

〇以上を要するに、[1]の結論はこうである。それは、冒頭の “ たとえ話 ” の別言である。

Z世代と、それ以外の他者としてのわれわれをつなぐかすがいは、(中略)社会の中で、われわれのあいだに同じ構造が在ることを認識し、どうやってそこから生きていくのかを一緒に考えることにあるのではなかろうか。/現代社会とはいわばZ世代化する社会である。時代の最先端を走るトップランナー(top runner)でありアーリーアダプター(early adopter:最初期に適応する人)である若者を観察すれば、われわれが置かれた社会構造がより鮮明に見える。Z世代が、意識・無意識によらず感取し現前化させたものこそ、われわれの生きる社会を表したものなのだ。(264、265ページ)

〇なお、舟津は、Z世代に巣食う病理、すなわち現代社会が孕(はら)む社会病理について、その処方箋(アイデア)をいくつか提示する。「理由を探さないで、根拠のない自信を持って生きる」(信頼や不安にはもともと根拠はない)こと、「欠落していることを自覚し、満点人間をめざさない」こと、「したたかに、余裕を持って生きる」こと、などがそれである(285~300ページ)。
〇要するに、根拠がなくても自分や他人を信頼して、(根拠のない)不安を打ち消し、日々の生活(仕事)に向き合っていくことであろう。それは、一面では社会構造的な「解」を求めたい筆者にとっては、いささか手ごたえがないモノである。そう評価する理由のひとつは、若者の価値観やメンタリティ、行動特性(「若者文化」)に焦点を当てる[1]に対して、貧困や社会的孤立のなかで生きるいまの若者を「社会的弱者」として、歴史的・社会的文脈のなかで構造的に捉えることが必要かつ重要である、と考えるからでもある。
〇最後に、Z世代に関して一言。舟津によると、[1]を読んだある読者から「Z世代は “ 炭鉱のカナリア ” である」と評されたという(注①)。言い得て妙(いいえてみょう)である。前述した「黙っていて静かな、目立たない『いい子』」や授業中「黙って座っていれば、いい子だと思ってる」(52ページ)学生は、さしずめ “ 歌を忘れたカナリア ” であろうか。「全共闘世代」(1941年から1949年生まれ)に属するとも言われる「団塊の世代」の筆者から、若者にエールを送り、若者の奮起に期待したい。

①「舟津昌平 Z世代とは日本社会を映す『鏡』である」『日経BOOKプラス』(2024年7月19日掲載)
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/071100393/071100001/(最終閲覧日:2024年9月30日)

〇ここで、「不安社会」に関して一言したい。筆者(阪野)の手もとに、「不安社会」に関する本が2冊ある(しかない)。奥井智之著『恐怖と不安の社会学』(弘文堂、2014年12月。以下[2])と石田光規著『孤立不安社会―つながりの格差、承認の追求、ぼっちの恐怖―』(勁草書房、2018年12月。以下[3])がそれである。
〇先ず[2]で、奥井は、「ますますグローバル化し、個人化する社会は、わたしたちの恐怖と不安の温床である。――わたしたちは今日、そういう恐怖と不安にクールに向き合うことを求められている。しかしクールに向き合うだけで、恐怖と不安が解消するわけではない。他者との連帯にクールに向き合うことが、新しいクールな課題であろう」(156~157ページ)という。これが奥井の主張である。
〇すなわち、こうである。人間はコミュニティに帰属することで「安全」を確保する。しかしそれは、「自由」の喪失を意味する。そこで、「自由」を確保するためには、コミュニティから離脱しなければならない。しかしそれは、「安全」の喪失を意味する(73ページ)。こうして、「コミュニティに埋没すること」の「恐怖と不安」と、「コミュニティから乖離すること」の「恐怖と不安」は、非常に密接で切り離せない「相即不離」(そうそくふり)の関係(87~88ページ)にある。
〇現代社会は、グローバル化し、それに伴ってコミュティの喪失と個人化が進行するなかで、社会的結合が弱体化している(116ページ)。「グローバル化=個人化社会とは別名、非コミュニティ社会である」(165ページ)。そのコミュニティのつながりの希薄化やコミュニティからの解放や離脱、拒絶や排除、すなわち社会関係の喪失や社会的分断は、「自由に自己をデザインできる」(165ページ)こと、すなわち自己選択・自己決定と自己責任を意味する。それは、人間にとって「恐怖と不安に満ちた状況」(70ページ)でもある。そこで人々は、「社会の動向と切っても切れない関係」にある「恐怖と不安」に冷静に向き合い、新たな社会的連帯を求める。別言すれば、「恐怖と不安」は社会的連帯への契機になる可能性を持つのである(142ページ)。
〇なお、奥井は、「恐怖」と「不安」を個別に捉えるのではなく、「恐怖と不安」を並列的に位置づける。つまり、奥井にあっては、「恐怖と不安」は「複雑にからみ合って」(15ページ)おり、「十分に認識したり、制御したりできないもの」(16ページ)である。そこで例えば、「死の不可避性は、恐怖と不安の最大の源泉である」(25ページ)、「恐怖と不安の最大の源泉は社会関係にある」(28ページ)、「恐怖と不安の根源は、人間の知性の限界にある」(17、160ページ)などとなる。
〇とはいえ、“ ヒトはいつか必ず死ぬ ” ことについて「不安」を感じ、“ 死を間近に控えたヒト ” は死への「恐怖」を覚える。近い将来 “ 大地震が来る ” と言われることに「不安」を感じ、“ 地震でいま、家が揺れている ” ときに「恐怖」を覚える。このことだけを考えても、「恐怖と不安」は「恐怖」と「不安」に区別して、個別の概念として捉える必要があると言える。また、ヒトは、未確定あるいは不確実なことについて無知であり、あるいは漠然としか認識できず、さらには十分に制御できず「安心」が得られないときに、「不安」を感じる。その「不安」が広がり・深まる(「不安」が増幅する)なかで「危険」な状況に直面するとき、「恐怖」を覚えるであろう。そして、こうした個人の感情である「恐怖」と「不安」は、それに対処し得る資源をそのヒトがどれだけ持っているかによって、またそのヒトが属するコミュニティや人間関係のありようによって、その感じ方(強度)も異なるであろう(「恐怖」と「不安」の格差)。それはつまり、「恐怖」と「不安」は、個人的要因だけでなく、歴史的・社会的要因について構造的に把握する必要があることを意味する。
〇次に、[3]についてである。そこで石田は、「孤立にまつわる一連の問題を、個人の決定・選択を重視する社会(個人化社会)の産物と見なし、当該社会における人間関係の問題を、孤立を中心に」論じる。その際、個人化とは、「社会を構成するさまざまな単位が個人に分割される現象」をさす(3ページ)。
〇[3]におけるキーワードのひとつは「選択的関係」(「選択的関係」の主流化)である。石田は次のようにいう。

旧来的な農村のように、強固な役割構造を内包する集団に人びとが埋め込まれている社会では、そこに暮らす人が人間関係を選択・決定する自由はきわめて少ない。生命の維持と共同が結びついていた社会では、所属集団の拘束は絶大なものであった。人びとは血縁・地縁といった中間集団への埋没と引き替えに、自らの生命を維持していたのである。この時代の人間関係を、さしあたり、「共同体的関係」としておこう。/一方、現代社会のように、人びとの生活を消費および国の提供する社会保障サービスが補償するようになると、人びとが固有の人と付き合う必然性は低下する。それとともに、私たちを縛り付けていた血縁や地縁の拘束は揺らぎ、人間関係には感情の入る余地が増してゆく。私たちは今や「自らの好み」に応じて関係を形成・維持する自由を手に入れたのである。このようなつながりを「選択的関係」としておこう。「選択的関係」の主流化は現代社会における孤立不安と密接に関連する。(4ページ)

〇これが、石田の言説(立論)の基本的視点・視座である。それに基づいて石田は、現代社会の「選択的関係」の主流化による孤独・孤立に関する諸問題(婚活、孤立死、コミュニティ活動、育児・介護など)を、学説や量的データを用いて分析・検討し明らかにする。それらの結果は次のように “ まとめ ” られる((a)(b)(c)は筆者)。

(a)人間関係が選択化するなか、私たちのつながりを支える基盤は、社会的な役割から個人的な感情に変わってゆく。感情を仲立ちとした関係は、相手からの承認の獲得という課題を押しつけ、人びとの孤立への不安を拡大する。同時に、「選択的関係」の主流化は、他者から選ばれる人・選ばれない人を明確にし、つながり格差をもたらす。/(b)その一方で、個人の決定をとりわけ重視する社会は、選ばれないことによる孤立も、自らの選択の帰結として処理してゆく(自己責任:筆者)。しかし、その背後には、個々人の行動様式(自己への関心)、親の養育方針(面倒の見方)にまで浸透した排除が潜んでいる。/(c)孤立問題を解決する切り札として期待される地域のつながりは、高度経済成長がひと段落した1970年代に、すでに動揺が指摘されていた。私たちは、地域の人たちとつきあわなくても生きていけるように、社会の諸システムを整備してきたのである。こうしたなかで、地域での活動に携わる人びとは、いかにして地域住民の共同性を再編させるか頭を悩ませている。(209~210ページ)

〇この “ まとめ ” を別言すると、こうである(見出しは筆者)。

(a)他者から「必要とされる」資源の多寡(たか)が孤立に結びつく
「選択的関係」の主流化は、私たちの心に「選ばれない恐怖」を植え付け、つながり獲得の行動へと駆り立てる。その一方で、選択のなかに埋め込まれた〝 選別性 〟は、「選ばれる資源」(学歴や収入など、選ばれるために相手の欲求を満たす資源:筆者)をもたない人びとを振り落としてゆく。かくして恵まれない人ほど孤立の恐怖に取り込まれてゆくのである。(76ページ)

(b)自己への関心(自己理解)や親の養育態度が孤立に影響を及ぼす
自己への関心が高い人、親による面倒見の多かった人ほど、孤立していない傾向が見られる。(124~125ページ)/学歴の高い人、暮らし向きのよい人、親によく面倒を見てもらった人ほど、自己への関心(自己理解:筆者)が高い。(中略)そういう人ほど、関係形成に望ましい生活態度を身につけている。(126~127ページ)/親子の経済資本(経済力)、人的資本(学力)に加えて、文化資本(養育指針、生活態度)が相まって、社会経済的地位の低い人びとを孤立に貶(おとし)めてゆく。(130~131ページ)

(c)地域住民の共同性をいかに再編するかが問われている
高齢化の進展、単身世帯の急増、財政の逼迫により地域の互助に対する期待は年々高まっている。にもかかわらず、互助を期待しうる「濃密な関係」は、地域や近隣には見られない。つまり、孤立への打開策として、近隣に期待するのは難しいということだ。これが量的データで鳥瞰的にあぶれ出された地域の実情である。(166ページ)

〇「恐怖」と「不安」が個人化され、その格差が生じている。それがまた、「恐怖」と「不安」をいっそう増幅させている。そんななかで、社会的連帯の方途を見出すことは難しい。石田がいうように、「孤立不安社会としがらみ不満社会を超克(ちょうこく)しうる『第三の道』へは、そう簡単には到達し得ない」(232ページ)。(c)に関して石田は、新たなつながりを生み出す契機として、新たな互助関係としての「ボランティア」、目的集団としての「趣味縁」、所有よりも必要性に根ざした「シェア」、が期待されるとする(228~229ページ)。この提示に関しては、ここに至って、それまでの学説や量的データに基づく石田の論理展開は、影を潜(ひそ)める。指摘しておきたい。
〇例によって唐突であるが筆者は、構造的に生み出される社会的現象としての「恐怖」と「不安」に対処するための理論的根拠のひとつに「共生」論や「ソーシャル・キャピタル」論があり、社会的仕掛けのひとつに「まちづくりと市民福祉教育」がある、と考えている。
〇なお、「共生」論のひとつに、「共生」とは「二つ以上の異なる主体間でお互いに依存しあうなかに、『特定の利益』が共有される状態」をいう、という言説がある(金子勇『格差不安時代のコミュニティ社会学―ソーシャル・キャピタルからの処方箋―』ミネルヴァ書房、2007年11月、43ページ。本書で金子は、『格差不安社会』の典型は『少子化する高齢社会』であるという)。「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)論とは、知らない人を含む一般的な人々に対する「信頼」、“  お互いさま ” という想いから互いに支え合う互酬性の「規範」、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(社会的つながり)によって、コミュニティの諸問題が解決され、よりよい統治が進み、豊かなコミュニティが創り出される、という考え方をいう。付記しておきたい。

あなたは、日頃の生活の中で、悩みや不安を感じていますか。それはどのようなことについてですか。
日頃の生活の中で、悩みや不安を感じているか聞いたところ、「感じている」とする者の割合が75.9%(「感じている」の割合34.8%と「どちらかといえば感じている」の割合41.1%との合計)、「感じていない」とする者の割合が15.5%(「どちらかといえば感じていない」の割合12.4%と「感じていない」の割合3.2%との合計)となっている。
日頃の生活の中で、悩みや不安を「感じている」、「どちらかといえば感じている」と答えた者(2,335人)に、悩みや不安を感じているのはどのようなことか聞いたところ、「老後の生活設計について」を挙げた者の割合が63.6%、「今後の収入や資産の見通しについて」が59.8%、「自分の健康について」が59.2%と高く、以下、「家族の健康について」(50.7%)、「現在の収入や資産について」(47.0%)などの順となっている(注②)。

②「日常生活での悩みや不安」「悩みや不安の内容」内閣府『国民生活に関する世論調査(2023年11月調査)』(2024年3月19日掲載)
https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-life/2.html#midashi13(最終閲覧日:2024年9月30日)

阪野 貢/「社会的処方」再考―西智弘編著『みんなの社会的処方』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、西智弘編著『みんなの社会的処方―人のつながりで元気になれる地域をつくる―』(学芸出版社、2024年3月。以下[1])がある。『社会的処方―孤立という病を地域のつながりで治す方法―』(学芸出版社、2020年2月。以下[2])の続編である。[2]に関しては、本ブログの<雑感>(123)社会的処方とリンクワーカー:お医者さんが取り組む“オモロイ”はじめの一歩―西智弘編著『社会的処方』読後メモ―/2020年11月27日/本文、を参照されたい。
〇西(緩和ケア内科医)にあっては、「社会的処方」(Social Prescribing:ソーシャル・プリスクライビング)とは、「薬で人を健康にするのではなく、人とまちとのつながりで人が元気になる仕組み」(3ページ)、別言すれば「病気や障害があっても無くても、子どもから高齢者まで、誰しもが自分の『やりたい!』を自由に表現でき、それが実現できるような環境を平等に享受できるようにみんなで取り組んでいく」仕組み(5ページ)をいう。「社会的処方は、もっと自由でいい。多くの人たちが気ままに自然に『自分にできること』『自分がやりたいこと、好きなこと』を持ち寄って、お互いに『いいね、いいね!』とつながっていく先に、孤独・孤立の解消がある」(6ページ)。
〇そこで西は、[1]で、社会的な孤独・孤立の問題が深刻化するなかで、「日常生活の様々な場面に社会的処方があり、暮らしているだけで元気になれるまち」(カバーのそで)、「ごちゃまぜのまち」(246ページ)をどうつくるかについて、世界と日本における社会的処方の実践の「場」(生活の動線上で、人と人とが行き交う、ハブとなる「場」:53ページ)や具体的な取り組みに学びながら、これからを展望する。
〇また、西にあっては、社会的処方の基本的理念は、「人間中心性」「エンパワメント」「共創」の3つである。西はいう。「人間中心性」(person-centeredness)については、「その方(人)がこれまでどんな人生を歩んできて、何に興味があって、そしてこれからどう生きていきたいと思っているのか、『好奇心と思いやりをもって、目の前の個人を見ていく』姿勢が大切である」(16、18ページ)。「エンパワメント」(empowerment)については、それは「誰もが本来備えている能力を、発揮できる社会を目指す思想」であるが、「目の前にいる人を信じて、気長に、本人がもっているものを一緒に見つけていくプロセスを共に過ごすことが大事である」(19、21ページ)。「共創」(co-production)については、それは「一緒に作っていくこと」であるが、「自らの社会的処方を(リンクワーカーと一緒に)自ら生み出していく」(21ページ)ことが重要になる。
〇そして、「リンクワーカー」(link worker)は、「孤立している個人やその支援者と面会し、本人の特性や興味関心などを聴取しながら、孤立の解決のために地域活動などとつなげていく役割を担う」人をいう(16ページ)。そのリンクワーカーには、医療や保健・看護・介護・福祉などの専門職や行政職員としてのリンクワーカー(「職業リンクワーカー」)のほかに、ボランティアとしてリンクワーカー的に活動する地域住民=「市民リンクワーカー」がいる。この点について西は、日本で社会的処方を進めていくうえでは、「社会的処方を文化にする」ために「住民主体型の社会的処方モデルが好ましい」(17ページ)という。これらが「社会的処方」についての西の言説、そのポイントである。
〇ここでは[1]のなかから、「社会的処方」をめぐる論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。例によってそれは限定的(恣意的)であるとの謗(そし)りを免(まぬが)れないことは承知している。

社会的処方ではケアされる本人が主役になれるように支援することが肝要となる
「支援する」とは、「基本的には対等な二人の人間が、そこにある課題に対して、一緒に新しい価値を生み出していくこと」である。(24ページ)/ここで大切なキーワードは「本人が『主役』になれるように」である。あくまでも、主体は本人。支援者であるリンクワーカーが何かを施して、本人を受動態の形にするのではなく、かといって本人に全ての責任を押し付けるのでもなく、「一緒に決めたよね」「私たちはあなたのことを見ているよ」といった関係性で支えるという意識が大切なのである。本人が「主役」になる、ということはその主役に働きかける脇役だって必要だし、それを見続ける観客の役割だって必要なのだから。(25ページ)/「一緒に決める」「ずっと見ている」この2つをもって、自身を取り巻く社会の中での「主役」と信じられるようにしていくことが、ここで大切にしたい支援の形なのである。(25ページ)

社会的処方にとって「アート」は人と社会をつなぐ重要な社会的営みである
人々が思いを表現した絵や造形、音楽、ダンスなどをアートという。(148ページ)/アートは人類の歴史上ずっと存在しており、人にとって欠かせないものである理由のひとつは、人が社会的動物で高度な「つながり」が必須だからだ。それは単に他者との表面的な繋がりではなく、自己の内面とのつながりを含む。人は自己信頼ができなくなるとイキイキとしているのは難しく、また、心が通う他者がいない「望まない孤独や孤立」は死を近づける。心安らかに暮らすには自分とのつながり、他者とのつながり、心身ともに安心安全な居場所が必要だ。だから人は自己と自分を取り巻く世界をつなげようと表現し、他者とともに想像を共有し、つながりを形成する力をアートの形で発展させてきたのだろう。言語を超え表現するアートは高度に社会的である人間が生きることをつなぐ、切実なものとして生み出されてきた。アートは個人の創造性と深い繋がりを持ちつつ、同時に社会的な関係性をつくるソーシャルな機能を持つのが特徴だ。(148~149ページ)

社会的処方は人々がまちなかで「わずらわしいことをする権利」を行使することを求める
いつの頃からか、「公共空間で起きている問題は行政の管轄」「そこを管轄する専門家が管理するほうが面倒くさくなく、効率的」、さらには「私たちは『税金』ってかたちでお金を払っているんだから、それくらいの『サービス』はしてくれて当然だろう?」という「社会のお客様でありたい」考えに取りつかれつつある。(206ページ)/これから必要なのは「行政のダイエット」であり、できるところは自分たちの頭で考えて何とかして、行政に頼らないことで税金もかからないようにする方が、長い目で見れば結果的に僕ら自身にもお金が残っていく。もう少し見方を変えるなら、僕らは行政から「わずらわしいことをする権利」を取り戻すべきなんじゃないか、と言える。(中略)僕らは「自分が住むまちを自分できれいに整える権利」や「公園で自由に遊ぶ権利」をはじめとした、「自分たちの暮らしを自由に彩る権利」までも奪われてしまっていると言える。それら権利を全て取り戻して(すなわち、おせっかい住民をエンパワメントして:87ページ)いくことが結果的に、僕ら自身がまちなかで面白がれる生活につながっていくのだと思う。(207~208ページ)

〇2020年7月に閣議決定された政府の「骨太の方針」に、社会的な孤独・孤立対策として「社会的処方」が明示された。2023年6月に「孤独・孤立対策推進法」が公布され、翌2024年4月に施行された。筆者(阪野)は、社会的処方の言葉や理念がイギリスからの(旧態依然とした)直輸入であることに危うさを感じる(イギリスの一般市民レベルでは「社会的処方」は必ずしも十分に認知されている状況ではないとも言われている)。また、社会的「処方」に含意される医師主導に違和感を覚え、さらには慎重さに欠ける制度化に唐突感を禁じ得ない。介護保険制度が導入された2000年4月以降、「地域包括ケアシステム」(地域住民に対して住まい・医療・介護・予防・生活支援などのサービスを一体的・体系的に提供する体制)や地域共生社会づくりのための「多職種連携」の推進が図られ、最近では(2021年4月施行の改正社会福祉法で)属性を問わない相談支援・参加支援・地域づくりに向けた支援の3つの支援を一体的に実施する「重層的支援」体制の整備が図られるなかで、いま、なぜ、社会的処方なのか。また、同改正社会福祉法で「重層的支援体制整備事業を実施するに当たっては、社会福祉士や精神保健福祉士が活用されるよう努めること」と参議院で附帯決議されるが、そんななかで、なぜ、「リンクワーカー」なのか。


〇ただ、WHO(世界保健機関)がいう、社会的処方の基底にある「健康の社会的決定要因」(SDH:Social Determinants of Health、1998年)や「ICF(国際生活機能分類)」(International Classification of Functioning, Disability and Health、2001年)の「環境因子」(environmental factors)について重視すべきであることは言うまでもない。
〇西はいう。「社会的処方を(市民の)文化にする」(17ページ)こと、すなわち地域に暮らす一人ひとりの住民が孤独な人のつなぎ手となっていくことが必要である。とはいえ、「社会的処方の効果に関する科学的な検証はまだ十分とは言えない。過度の投資や熱狂、手放しでの賞賛をするのではなく、目の前にいる一人一人を見つめ、必要に応じて適切な社会的支援を行っていく、その中のひとつの選択肢として、社会的処方の考え方があるのだと理解しておいた方が、現時点では無難であろう」(129ページ)。付記しておきたい。

 


➀ WHO(世界保健機関)は、「SDH(健康の社会的決定要因)」を次の10項目に分類している。①社会格差、②ストレス、③幼少期、④社会的排除、⑤労働、⑥失業、⑦社会的支援、⑧薬物依存、⑨食品、 ⑩交通、がそれである( WHO健康都市研究協力センター・日本健康都市学会訳『健康の社会的決定要因―確かな事実の探求―』(第2版)特定非営利活動法人健康都市推進会議、2004年)。
② 「ICF(国際生活機能分類)」については、スライド(3)ICFの視点と福祉教育―ICFの構成要素間の相互作用/本文、を参照されたい。

補遺
社会的処方の名前や概念は少しずつ広まり、2020年の政府「骨太の方針」にも社会的孤立対策の切り札として明記された。そして2024年には「孤独・孤立対策推進法」が施行され、孤独や孤立の問題は国や自治体だけではなく「国民一人一人も」力を合わせてその対策につとめていくべきとされた。([1]3ページ)

阪野 貢/辻浩の「福祉と教育」による「地域づくり」を読む―辻浩著『現代教育福祉論』等のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、辻浩(つじ・ゆたか)の本が7冊ある(しかない)。

(1)辻浩著『住民参加型福祉と生涯学習―福祉のまちづくりへの主体形成を求めて―』ミネルヴァ書房、2003年12月(以下[1])
(2)辻浩著『現代教育福祉論―子ども・若者の自立支援と地域づくり―』ミネルヴァ書房、2017年10月(以下[2])
(3)辻浩著『<共生と自治>の社会教育―教育福祉と地域づくりのポリフォニー』旬報社、2022年10月(以下[3])
(4)島田修一・辻浩編『自治体の自立と社会教育―住民と職員の学びが拓くもの―』ミネルヴァ書房、2008年8月
 本書では、自治体の自立には住民と職員の「学び」が不可欠であるという考えのもとに、住民と職員の協働による地域づくりの実践を取り上げ、自治の主体に育っていく姿を明らかにする。
(5)上田幸夫・辻浩編著『現代の貧困と社会教育―地域に根ざす生涯学習―』国土社、2009年8月
 本書では、「社会教育は社会問題教育である」(小川利夫)という考えのもとに、社会教育の本質を再認識し、今日の深刻な問題を解決するのに社会教育が有効であることを示す。
(6)辻浩・細山俊男・石井山竜平編『地方自治の未来をひらく社会教育』自治体研究社、2023年3月
 本書では、優れた実践の創造と職員の働き方は循環しながら発展していかなければならないという考えのもとに、社会教育職員の取り組みを紹介し、そのための適切な社会教育労働(公務労働)のあり方を論究する。
(7)辻浩編『高度経済成長と社会教育』大空社出版、2024年1月
 本書では、1950年代半ばから70年代初めにかけての高度経済成長期における社会教育の実践的・理論的課題をおさえながら、「地域社会教育実践史」を描く。

〇本稿では以上のうちから、辻の単著である3冊([1]から[3])を取り上げ、そこでの論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。例によってそれは、限定的で我田引水のものになることを断っておきたい。

(1)辻浩著『住民参加型福祉と生涯学習』
〇[1]のテーマは、生涯学習の視点から、「福祉のまちづくりを住民の主体的な参加ですすめるための視点や方法を明らかにする」(1ページ)ことにある。そこで辻は、住民参加による福祉のまちづくりの課題として、①批判精神と創造的情熱を統合すること、②困難を抱えている住民の参加を考えること、③住民参加を社会構造や社会規範のなかでとらえ実践的に解決すること、の3点を指摘する(1~3ページ)。そして、「当事者主体」「学習の自由の尊重」「住民と社会教育職員の学び」に焦点を当てて社会教育・生涯学習の歴史と理論と実践を提示する。その際辻は、これらの課題とめざすべき方向性について、抽象化・体系化された一般論として提起することよりも、実践者にその「苦悩や喜び」(4ページ)を語らせる(実践者の文章を引用する)というスタイルを取る。そこから、実践者とその実践に対して真摯に・誠実に向き合う辻の熱い姿勢が見て取れる。
〇併せて辻は「福祉のまちづくり」は、社会参加や自己実現を含むノーマライゼーションをめざして展開される必要がある。また、無償のボランティア活動に加えて非営利活動・市民活動も含めて住民の連帯に依拠して進められる必要がある。それはまた、住民によるインフォーマルサービスと自治体によるフォーマルサービスの関連を視野に入れて議論する必要がある。さらに、「福祉と教育」の共同性の追求とそこから生まれるその公共性のあり方を考える必要がある、という。こうしたことなどから辻は、「福祉のまちづくり」、その中心課題である「福祉に関する住民の理解を深め、誰もが社会に参加し豊かな交流がもてる地域社会をつくること」(18ページ)を、「社会参加を軸とした主体形成をめざす生涯学習」の視点(24ページ)から考察することになる。
〇その際辻は、「福祉と教育」(「教育福祉」と「福祉教育」)の関連(連携)をその歴史と実践から問い、住民の生活実態や人権問題に注目しながら追究する(論を進める)。

今日、違いが尊重される「共生」文化の育成と「協同」による地域社会経済発展に基づく地域づくりが求められる
今日、経済のグローバル化のなかで、一般労働者や「周辺地域」における貧困が深刻になってきている。構造的な失業に典型的に現れる「社会的排除」を克服するためには、地域社会経済発展の戦略が必要であり、そのための協同活動が求められている。/社会教育と社会福祉の関連を考える際、まずは社会教育の場面に参加していない人への機会の提供と、そこでの学習の内容や方法が問題となるであろう。しかし注意しなければならないのは、学習を通して住民の同質化を強要する結果になることであり、違いが尊重される共生の文化を育むことが大切である。また、経済的要因による社会的排除の問題が深刻になっているなかにあって、協同による地域社会経済発展という戦略のもとで人権問題を考えることが必要になってきている。(43ページ)

福祉教育プログラムが開発されればされるほど、「行為の中の省察」を行える「反省的実践家」が強調されなければならない
福祉教育のプログラム開発は、たんなる便利な教材づくりではなく、それを活用する視点を同時に提案してきた。しかし、プログラムが魅力的であればあるほど、福祉教育の実践者がそれに頼ってしまうという傾向も見られる。その意味で、福祉教育プログラムの活用と福祉教育の実践場面での実践者の主体的判断をどう組み合わせるかが課題となる。/そこで注目されるのが、ドナルド・ショーン(Donald Alan Schön)が提起する「行為の中の省察」(reflection-in-action)や「反省的実践家」(reflective practitioner)という視点である。(190ページ)/福祉教育プログラムが開発されればされるほど、実践者は実践を通じて「状況との対話」や「自己との対話」を行い、(自分の行為や考え方を振り返り、その改善を図りながら成長していく:阪野)「反省的実践家」が求められる。(191ページ)

困難を抱えた住民が社会参加するためにはまず、人と人が語り合い受け止め合える地域社会をつくることが必要である
現代社会は困難を抱えた人たちが社会から孤立し、存在証明を喪失するという現実を生み出している。また、そのような現実を生み出す装置として「世間」が機能し、困難を抱える人たちの異議申し立てを許さない精神的な構造がつくられている。さらに、そのような「世間」に向かって異議申し立てをした場合には、自分とは別の困難を抱えた人を差別する結果に陥ることが多いということも重要である。これらの議論から見えてくる現代社会の課題は、困難を抱えた人々が自分たちで語りあい、受けとめあえる関係をつくり、その関係を地域社会が認め、そこから何かを学ぶことではないだろうか。(217ページ)/福祉教育が主催者の意図に反して差別意識の助長につながる可能性があることは時に指摘されるが、その歯止めをどのようにかけるは難しい。住民誰もが自分らしく生きることのできる地域をつくるためには、一足飛びに人権や共生という価値やそれを実現する方法を提起するのではなく、困難を抱えた住民がまずは親密圏をつくり、そこでの話し合いや活動を地域が認めていくことが、遠回りに見えて意外に近道なのではないだろうか。(218ページ)

大人が地域の福祉に参加しながら共同意志を形成し、子どもとの関係をつくる教育改革が求められる
障害をもつ人への差別意識や偏見をなくすためにはできるだけ早い時期に障害をもつ子どもともたない子どもが触れ合うことが大切だといわれ、「総合的な学習の時間」の導入にともなって、子どもへの福祉教育の機会が増えてきている。(222ページ)/今日の教育改革に関する中央教育審議会の議論は、子どもを学校教育、社会教育、家庭教育でどのようにしていくかに議論が偏り、大人の学習や成長が子どもの発達や地域の教育力を高めるという文脈はほとんど見られない。しかも、子どもへの期待の核心は、経済のグローバル化のなかでますます激しくなる競争にうち勝つ「たくましい日本人」である。(223ページ)/このように、子どもの意見を聞かず、社会の退廃への有効な手立てを示さないまま、一部の大人が特定の価値にもとづいて、未来の国民像を議論しているところに、今日の教育改革に関する議論の欠陥がある。/まずは大人が地域の福祉に参加しながら、地球的な課題を考え、他者の声を「聴く」ことをはじめれば、そのことをもって、子どもとの対話が生まれ、大人と子どもの共同の関係が築けるのではないだろうか。(224ページ)

(2)辻浩著『現代教育福祉論』
〇[2]の課題は、「教育と福祉が連携して、すべての子ども・若者の豊かな人間発達を保障する道筋を明らかにすること」(ⅰページ)にある。その際、「子ども・若者の自立支援と地域づくり」というサブタイルが示すように、「困難をかかえた子ども・若者の自立支援の一環で、教育の機会均等を実現するための方策に思われがちな教育福祉から、人間発達にかかわる教育的価値と誰をも排除しない地域づくりにかかわる教育福祉にまで視野を広げて検討する」(ⅲページ)。そこで辻は、教育福祉を次のように定義する。「教育福祉とは、教育と福祉が連携して、子ども・若者あるいは成人が安定した生活基盤のもとで豊かな人間発達を実現することをめざす概念である。しかしそれは、静態的なものではなく、社会構造の中で生み出される問題を見据え、制度・政策を求め、実践を展開する動態的なものである。教育福祉は、困難をかかえる子どもにも等しく教育の機会を提供するためのものと見なされがちであるが、それだけではなく、教育全体のあり方を見直す視点であり、さらには、地域づくりの視点を提供するものでもある」(1ページ)。
〇そして辻は、この定義に基づいて教育福祉における4つの論点を提起する。①すべての子ども・若者にかかわる教育福祉(教育福祉は困難をかかえた子ども・若者の課題だけではなく、すべての子どもの幸せにつながる教育のあり方を全体的に検討することが必要である)。②「地域と教育」という視点からの教育福祉(教育福祉は学校内に限定されるものではなく、学校と地域が連携するなかで子ども・若者にかかわる多様な人々が共通に学ぶべきものであると考える必要がある)。③まちづくりにつながる教育福祉(教育福祉は困難をかかえた子ども・若者の課題解決のためにまちづくりと連動する必要があるが、それだけではなくまちづくりをすすめる契機としても考えることが必要である)。④社会教育・生涯学習の本質としての教育福祉(教育福祉は社会教育・生涯学習に内包されるが、その意義が大きくなるなかで教育改革と地域づくりに迫ることが必要である)、がそれである(4~9ページ)。こうした広く・新しい視野・枠組みのもとで辻は、これまでの教育福祉の歴史的・理論的な展開を丁寧かつ誠実に振り返り、そして今日的な課題に焦点を当てながら「現代」教育福祉論を展開する。

「開かれた学校づくりにおける教育福祉」と「生活と地域からの教育改革としての教育福祉」をつなぐ理論的探求が求められる
教育福祉は便宜上、学校を中心に行われる「学校教育福祉」と地域を中心に行われる「地域教育福祉」に区分され、それぞれに個別領域の中で実践するタイプと領域横断的に実践するタイプがある。(34ページ)/「開かれた学校づくりにおける教育福祉」を追求する学校教育福祉と「生活と地域からの教育改革としての教育福祉」を追求する地域教育福祉は連携できることが多い。困難をかかえた子どもに対して社会的な制度や地域の力も活用して支援しようというスクールソーシャルワークと、住民やNPOが地域の現実を見つめ学習しながら子どもを支援する実践をつくってきていることが連携することで、今日の教育の全体を見直し、「学習権保障論としての教育福祉論」を大きく発展させることができる。/個別領域を重視した「学校・学級経営の中での教育福祉」や「成人教育の機会均等をめざす教育福祉」は課題が単純でわかりやすい。しかし、子ども・若者の生きづらさが問題となり、その解決が切実な社会の課題になっている中で、多機関連携重視の教育福祉論の発展がめざされている。すなわち、「開かれた学校づくりにおける教育福祉」と「生活と地域からの教育改革としての教育福祉」をつなぐ理論的探求が求められているのである。(36ページ)

社会福祉のなかには具体的に問題を解決する「教育福祉」よりも、意識改革で問題を乗り切る「福祉教育」を重視する発想がないとは言い切れない
小川利夫の教育福祉論は、「教育福祉と福祉教育の関連」について、一つに、福祉教育が現実の教育福祉問題から切り離されてはならないこと(現実は切り離されていることが多いことへの批判を含む)、二つに、教育福祉と関連する福祉教育は、国家権力が支持するものと困難をかかえた民衆が支持するもののせめぎ合いの中で展開されていることを指摘した。(51ページ)/今日では学校教育と並んで車の両輪のように見られることが多い社会教育であるが、歴史的には学校教育を刺激し改革するものとして社会教育が存在した。それは社会の民主化と関連することであるが、必ずしもそうでないこともあった(近代日本の感化救済事業や社会事業は、生活支援のための「物質的救済」には消極的で、「精神的救済」に重要な位置が与えられた:53ページ)。このことは社会福祉が教育福祉を軽視して福祉教育に力を入れることを警戒しなければならないという指摘につながる。具体的に問題を解決する教育福祉よりも、意識改革で問題を乗り切る福祉教育を重視する発想が、今日の日本の社会福祉の中にないとはいいきれない状況の中で忘れてはならないことである。(53ページ)

今日、教育福祉は「教育運動」と「当事者主体」と「地域づくり」の交わりによって展開されるようになっている
今日、教育福祉は「教育運動」と「当事者主体」と「地域づくり」の交わりによって展開されるようになっている(図1:162ページ)。ここでは、一つに、教育運動を当事者が中心となって展開するようになってきていることが注目される(①の領域)。二つに、当事者が自らの権利を行使できるようになることを支援する地域での取り組みが見られることが注目される(②の領域)。三つに、ボランティア活動やNPOの力で、福祉のまちづくりとして子ども・若者の困難と教育にかかわる実践が展開されるようになってきていることが注目される(③の領域)。(そして)これらの根底に、自治の力による教育福祉のまちづくりがある(④の領域)。(161~163ページ)

図1 教育福祉をめぐる重層構造

教育運動や当事者主体と結びついた地域づくりを進めることによって、真に自治的な地域づくりが可能になる
今日、高齢社会や生活困窮者の増加、過疎化、地域保全などに対応するために、政策として「行政と住民の協働(公私協働)」の必要が強く求められている。それは当初、財政的に厳しい中で地域課題を解決しなければならないという側面と、住民が自分たちのくらしを見つめかかわることの大切さという側面が融合したものであったが、今日、それに加えて、日本の国づくりの方向に積極的に協力する国民形成という色合いが強くなってきているように思われる。/このような福祉のまちづくりと「公私協働」の複雑な状況の中で、政策に振り回されない歯止めが求められている。そして<図1>のように、教育運動や当事者主体と結びついた地域づくりをすすめることは、一つの歯止めになると考えられる。切実な課題をもった人のことを念頭におき、その人たちの発達を中心に地域づくりをすすめれば、国づくりの方向性に疑問が生じることもあり、真に自治的な地域づくりが可能になる。(163ページ)

(3)辻浩著『<共生と自治>の社会教育』
〇[3]の目的は、「すべての人が社会に参加して人間らしく生きることができる地域社会を、住民と職員(社会教育職員)の学びに依拠してつくるための実践的な課題を明らかにすること」(3ページ)にある。その際の視座は、「社会教育」をはじめ「共生」「自治」「教育福祉」「地域づくり」というキーワーで表される。辻はいう。「教育福祉と地域づくりの取り組みに含まれる学習を通して、人びとは<共生と自治>の力を身につけ、社会教育(「権利としての社会教育」)はそこで重要な役割を果たす」(5ページ)。「教育福祉」とは、「困難をかかえた人に対して、教育と福祉、すなわち豊かな人間発達の保障と生活基盤の安定をともに追求することである」(3ページ)。<共生と自治>は、「共生のために自治が必要であり、共生によって自治が高まる」(5ページ)という関係にある。こうした思考に基づいて辻は、<共生と自治>の視点から、戦後日本の社会教育論と社会教育実践を問題史的通史として跡づける。加えて、今日的な社会教育実践について、自らの理論的・実践的探究を丁寧かつ真摯に振り返りながら論究する(6ページ)。

「権利としての社会教育」では「学習の自由」と「教育の機会均等」と「人びとのつながり」を追求することが求められる
戦後日本の学習と教育の権利保障の動き(自己教育と条件整備を求める動き:阪野)は、1950年代後半から、その運動にかかわる住民と職員、研究者の間で「権利としての社会教育」と呼ばれるようになった。/「権利としての社会教育」は近代社会の中で確立した自由権と社会権を求めるものだったが、1970年代にユネスコで(自由権と社会権に続く:阪野)第三世代の人権(連帯の権利)が議論され、80年代に入って日本の社会教育でもそれに依拠した議論がはじまる。競争に苛(さいな)まれて人と人とがつながれなくなる一方で、障害のある人たちの社会参加が唱えられ、新たに定住する外国人が増えてくる中で、「連帯の権利」は社会教育を考える新しい視点となった。/しかし今日の状況を見ると、施設の貸し出しや講師の選定、展示内容、配架図書などをめぐって自由が侵害される事案が生じ、争いが起きないようにあらかじめ自己規制することも多くなっているように思われる。また、所得格差が他の要因とも絡(から)んで意欲格差にまで及んでいる中で、等しく教育機会を保障するとはどういうことかが問われている。したがって、社会教育研究は自由権と社会権の追求をないがしろにするわけにはいかない。「権利としての社会教育」では「学習の自由」と「教育の機会均等」と「人びとのつながり」を追求することが求められている。(30~31ページ)

住民参加による福祉のまちづくりはその実践が住民の統制や動員に転じないかを見極めることが重要である
福祉のまちづくりは、困難をかかえた人が地域とかかわりながら自己実現をめざすノーマライゼーションの理念にかなうものであるが、一方で、高齢化によって福祉予算の増額が必要であるにもかかわらず、財政構造を抜本的に改革できないことから、「自助」と「共助」で乗り切ろうとする側面がある。また、「地域包括ケアシステム」をつくるには住民への説明が必要であるが、はじめから政策的にゴールが設定され、そこに辿(たど)り着くことが求められる学習は主体的な学習ということはできない。福祉のまちづくりをめぐって、地域課題を学び実践することでかかわった人びとの人格や能力が豊かに形成されるのか、それとも地域課題への動員的な参加が恒常化し義務的な雰囲気にすらなっていくのか、それを見極めることが重要である。(73ページ)

「学習の自由」「教育の機会均等」の実現と「関係形成」「相互承認」を結びつけた社会教育論の展開が求められる
今日、多様な価値観を認めあってともに生きることができる社会をめざすことが求められ、仲間とともに主体的に課題に取り組むことも大切なことと考えられている。このような中で、「学習の自由」や「教育の機会均等」への関心をもたず、(障害のある人とない人、高齢の人と若い人というように、立場の違う人が交流し、共感することができる:142ページ)「関係形成」や「相互承認」のみに注目する社会教育の考え方もある。(81ページ)/このような中で、「学習の自由」や「教育の機会均等」という課題を捨象して「関係形成」や「相互承認」を追求する社会教育論は、一つに、今日起きている問題に目を閉ざしている点で、二つに、課題は残っているとはいえ今日の状況をつくってきた歴史的な努力に思いを馳(は)せない点で、三つに、これまで関係形成や相互承認ができなかったことが個人の責任にされてしまう点で、気づかないうちに今日的な新しい権力的統制に追随することにならないだろか。「学習の自由」と「教育の機会均等」を今日的な状況の中で実現することと「関係形成」「相互承認」を結びつけた自己教育運動に注目した社会教育論が求められる。(82ページ)

地域・自治体づくりには、学習をはじめ、住民のエネルギーとネットワーク、住民と職員の協働、一般住民の理解と合意などを生み出す仕組みや仕掛けが必要である
(「住民主体」で地域・自治体づくりをすすめる)長野県阿智村では、さまざまな課題をもつ住民が学習を通して共通認識をつくり、そこで出てきた課題を自治体職員もともに考える仕組みがある。地区の計画づくりや広報説明会、村の予算概要の配布を通して、住民が地域課題を自覚して、それを職員とともに考えることができ、公民館や社会教育研究集会で取り上げられることで、その課題を全村的に共有し、解決に取り組もうとする住民の出会いが生まれる。そして、具体的な活動は村づくり委員会や地域自治組織で取り組まれ、協働活動推進課がそれを後押しして、議会は政策をつくる。このようなことを通して、課題に取り組む住民のエネルギーが蓄積され、職員も住民とともに活動する意識をもち、そのことが労働組合で交流されている。(193~194ページ)/ここで注目すべきことは、このような学習と計画策定と情報発信を通して、地域の中で多くの住民から理解を得て合意をつくっていくということである。また、活動にかかわる住民のネットワークが形成され、そのことで当初の目的を達成した後も新しい展開があることも注目される。(194ページ)

アクション・リーチでは➀実践の流れを阻害しない、②実践者の執筆を支援する、③研究を受け止めてもらえる基盤をつくることが重要となる。
社会教育を研究する者の多くが、研究と実践のかかわりを求めて、フィールドをもって研究に取り組み、その方法論(アクション・リサーチ)をめぐる議論もなされている。(157ページ)/実践にかかわる研究者は、細かい事情を理解して鮮明な課題を提起するようになっていく実践者に対して、「負い目」を感じることもある。(161ページ)/実践の根幹にせまるアクション・リサーチのためには、(現在の取り組みだけに注目するのではなく)その実践が生まれる歴史的背景や社会的文脈を知らなければならないし、実践をつぶさに把握している実践者に学ばなければならない。(162、163ページ)/(研究者が実践者とアクション・リサーチを進めるためには、次のようなことが必要かつ重要となる:阪野)第一に、実践をリードする気持ちを抑えて、実践の流れを阻害しないようにするということである。研究者が実践の流れの中に身を置き、求められることに何とか応えていく中で、その先駆性や意義を察知して、それを住民や職員に伝えていくことは、研究者の認識の変容をともなう研究につながると考えられる。(210、211ページ)第二に、実践者が研究者に先立って論稿を書き、場合によっては実践者が執筆できる機会をつくったり、執筆を支援したりすることが大切であるということである。優れた実践を展開しそこに研究者を巻き込むのは力量の高い実践者であり、実践の経緯やその中で感じ取ったことを発信する力ももっている。実践をつぶさに知っている実践者や住民が先に執筆してこそ、研究者が書くべきことが見えてくる。(211ページ)第三に、アクション・リサーチを受け止めてもらえる基盤をつくりながら研究をすすめることが必要であるということである。研究の成果は本来、直接的であれ、間接的であれ、新しい政策の立案や優れた実践の広がりに貢献するものでなければならない。(そのためには)自分の研究を受け止めてもらえる状況を意識的につくることが必要になってきている。(212ページ)

〇以上の限定的なメモからではあるが、辻の言説は「生涯学習と社会教育と教育福祉」「社会教育と地域福祉と地域づくり」「学校教育と社会教育と地域づくり」「共生と自治と社会教育」「歴史と理論と実践」「研究者と実践者と住民」などの視点や枠組みのもとに、また「歴史研究と社会調査とアクション・リサーチ」の手法を用いた多面的・多角的な思考によって展開される、と言えよう。そこに通底するのは、「子ども・若者あるいは成人が安定した生活基盤のもとで豊かな人間発達を実現することをめざす」([2]1ページ)地域づくりについての熱い思いと真摯な姿勢である。
〇また、[1]から[3]を時系列に沿って見ると、辻の「生涯学習論」やそのひとつの側面である「地域づくり教育論」や「教育福祉論」の形成過程、すなわち社会教育や生涯学習の実践や研究の抽象化・体系化の方法と過程がわかる。それは、戦後日本の社会教育研究や生涯学習研究の到達点(成果)でもあり、次の新たな実践や研究への展望を開くものであると言えよう。辻は、研究者の立ち位置や方法について、地域住民や現場職員の「学習」による認識や行動を重視し、その「歴史と実践のなかから苦悩と喜びをともなって立ちのぼってくるような記述をめざしている」([14ページ])とする。強く意識したい。
〇辻の言説の特徴のひとつは、批判的精神と創造的情熱の統合と、困難を抱える住民の社会参加の重視(「当事者主体」)の姿勢にある。そしてその言説は、「社会構造の中で生み出される問題を見据え、制度・政策を求め、実践を展開する動態的なもの」([2]1ページ)である。そこでは、当事者が中心となって展開する「教育運動」が重視される。しかも辻は、「学習権保障としての教育福祉」 を主軸(前提)に、教育全体のあり方を見直す教育改革の視点とともに、主体的・自律的な住民(子ども・若者や成人)による「地域づくり」に視座を置いて「論」を展開する。例によって唐突ではあるが、これらは「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に課せられたものでもある。強く再認識したい。

追記
辻浩先生の「現代教育福祉論」理解を福祉教育の視点・視座から広げ深めるために、原田正樹先生の「福祉と教育の接近性」についての論稿を紹介しておきたい。『ふくしと教育』通巻34号、大学図書出版、2023年2月、2~3ページに収録されている。転載をご許可いただいた原田正樹先生に感謝申し上げます。

阪野 貢/自己決定と意思決定:“Nothing about us without us”(私たち抜きに私たちのことを決めるな)―大橋謙策「老爺心お節介情報」第59号の記事に寄せて― 

〇市民福祉教育研究所のブログ記事で人気の高いもののひとつに大橋謙策の「老爺心お節介情報」がある。その第59号(2024年7月6日)で大橋は、「情感的ケア観からアセスメントに基づく科学的ケア観への転換―『求めと必要と合意』に基づく支援」という見出しのもとで、イギリスの「意思決定能力法」(Mental Capacity Act 2005:MCA)について次のように論述する。本稿は、その点をめぐる一人の読者からの問い合わせに、限定的ではあるが、応えようとするものである(資料紹介)。

 イギリスでは、1990年の法律により、福祉サービスを提供する際には、その援助方針やケアプラン及び日常生活のスケジュール等を事前に本人に提示し、本人の理解を踏まえて提供することが求められるようになったが、2005年の「意思決定能力法」ではよりその考え方を重視するように法定化された。
 日本の民法の成年後見制度や社会福祉法の日常生活自立支援事業が福祉サービスを必要としている人が自ら意思決定できないことを判定するということを前提にして制度設計されているのと違い、イギリスの「意思決定能力法」は日本と逆の立場を取っている。
 「意思決定能力法」は①知的障害者、精神障害者、認知症を有する高齢者、高次脳機能障害を負った人々を問わず、すべての人には判断能力があるとする「判断能力存在の推定」原則を出発としており、②この法律は他者の意思決定に関与する人々の権限について定める法律ではなく、意思決定に困難を有する人々の支援のされ方について定める法律であるとしている。その上で、③「意思決定」とは、(イ)自分の置かれた状況を客観的に認識して意思決定を行う必要性を理解し、(ロ)そうした状況に関連する情報を理解、保持、比較、活用して (ハ)何をどうしたいか、どうすべきかについて、自分の意思を決めることを意味する。したがって、結果としての「決定」ではなく、「決定するという行為」そのものが着目される。意思決定を他者の支援を借りながら「支援された意思決定」の概念であるとしている。
 日本だと、“安易に”、あの人は判断能力がないから、脆弱だから“その意思を代行してあげる”ということになりかねない。言語表現能力や他の意思表明方法を十分に駆使できない障害児・者の方でも、自分の気持ちの良い状態には“快”の表情を示すし、気持ちが悪ければ“不快”の表現ができる。福祉サービス従事者は安易に“意思決定の代行”をするのではなく、常に福祉サービスを必要としている人本人の意思、求めていることを把握することに努める必要がある。
 その上で、本人が自覚できていない人、食わず嫌いでサービス利用の意向を持てていない人に対し、専門職としてはニーズを科学的に分析・診断・評価し、必要と判断したサービスを説明し、その上で、両者の考え方、プランのあり方を出し合って、両者の合意に基づいて援助方針、ケアプランを作成することが求められている。

〇以下では読者の求めに応じて、(1)イギリスの「意思決定能力法」と(2)「自己決定」と「意思決定」に関する4本の論稿を紹介し、そのポイントのいくつかをメモっておくことにする(抜き書き)。

(1)イギリスの「意思決定能力法」
2005年意思決定能力法は、2005年4月に成立し2007年10月から施行された、イギリスにおける成年後見制度に関する基本法である。それは、それまでのパターナリスティックな制約を課していた管理主義的な制度から、本人(成年被後見人)の意思決定を尊重し支援する本人中心主義の制度への転換を図ったものである。なお、「パターナリズム」(paternalism)については、本ブログの<まちづくりと市民福祉教育>(10)パターナリズムと市民福祉教育/2012年9月10日/本文、を参照されたい。

① 菅冨美枝「自己決定を支援する法制度、支援者を支援する法制度―イギリス2005年意思決定能力法からの示唆―」『大原社会問題研究所雑誌』No. 622、法政大学大原社会問題研究所、2010年8月、33~49ページ。
2005年意思決定能力法の最大の特徴は、①弱い(vulnerable=傷つきやすい)立場にある人々をエンパワーし保護するための、統一的な法的枠組みを与え、②「誰が」「どのような状況に限って」本人に代わって意思決定をなす権限を与えられるのか、またその際には、 ③どのような他者関与が行われるべきであり、どのような関与が禁じられるべきか、を明らかにした最初の制定法であるという点にある。(33ページ)

2005年意思決定能力法は、知的障害者、精神的障害者、認知症を有する高齢者、高次脳機能障害を負った人々を問わず、すべての人には判断能力があるとする「判断能力存在の推定」原則を出発点とし、判断能力が不十分な状態にあってもできる限り自己決定を実行できるような法的枠組みの構築を目指している。特に、契約法との関係では、契約する自由を守り、成年後見が開始されても契約能力は影響を受けない点が、わが国の制限行為能力制度にみられる法態勢(わが国の成年後見制度においては、成年後見開始の審判がなされると、本人は行為能力を制限され、民法上契約など「法律行為」をなすことができなくなる。)とは大きく異なる。(33ページ)

2005年意思決定能力法は、意思決定能力に困難を抱える人々が直面するあらゆる「決定」問題が主体的に解決されることを目的として制定された法律である。別の言い方をすれば、 2005年意思決定能力法は、他者の意思決定に関与する人々の権限について定める法律(後見人を中心とする成年後見法)ではなく、意思決定に困難を有する人々の支援のされかたについて定める法律(本人を中心とする成年後見法)である。(34ページ)

2005年意思決定能力法において、「意思決定(decision-making)」とは、①自分の置かれた状況を客観的に認識して、意思決定を行う必要性を理解し、②そうした状況に関連する情報を理解、保持、比較、活用して、③何をしたいか、どうすべきかについて、自分の意思を決めることを意味している。結果としての「決定」ではなく、「決定するという行為」そのものが着目されている点が特徴的である。また、意思決定過程(decision-making process)に焦点が当てられることによって(前述,①②③の流れ)、意思決定を他者の支援を借りながら行う「支援された意思決定(assisted decision-making)」の概念が取り入れられうるという利点がある。(34ページ)

イギリスの成年後見法態勢は、人が「自律的存在」であることを出発点とし、自分の事柄について自分で決定することが困難な状況になっても、他者の介入(お節介)を排除しながらいかにして自己決定を貫けるかを問い、自己決定を持続できるための道を開くことに焦点を当てている。一方、一般的に言って、日本社会においては、「家族共同体型」福祉観が強く(例 臓器移植について、本人の同意と独立して、家族の同意が置かれている)、また、他人に対する依存心(自ら決定を行うより、行ってもらうことを好む「甘え」の姿勢)が強いという文化的特徴があるように思われる。自己決定を支援されることよりむしろ、決断自体を他人に任せることを好む文化、あるいは、他人からの働きかけを押し付けとは受け止めず、むしろ引き入れる文化において、成年後見制度という、本質的に他者関与を前提とした制度ゆえの「内在的権利侵害性」に対して、あまり危険意識は共有されていないようにも思われる。(35ページ)

② 田中美穂・児玉聡「英国の終末期医療における意思能力法2005の現状と課題―任意後見である永続的代理権と独立意思能力代弁人の意義をめぐって―」『生命倫理』日本生命倫理学会、Vol.24 No.1(通巻25号)、2014年9月、96~106ページ。
MCA2005は、意思能力が無く、自分で意思決定できない人について、その人に代わって何かを行ったり、決定したりする方法、いわゆる成年後見制度について取り決めた法律である。次の5項目を原則としている(MCA2005の原則)(97ページ)。
1.能力を失っていると証明されない限り、人は能力を有しているとみなされなければならない。
2.当人が自ら意思決定するのを支援する実践可能な措置がすべて失敗に終わったのではない限り、その人は意思決定できないものとして取り扱われてはならない。
3.単に愚かな決定をするという理由だけで、その人は決定することができないものとして取り扱われてはならない。
4.能力を失った人のために、あるいはその人の代わりに本法に基づいて行われる行為および決定は、当人の最善の利益(ベスト・インタレスト)に基づいてなされなければならない。
5.行為や決定が行われる前に、それらの行為や決定が必要とされる目的が、本人の権利や行動の自由をより制約しない別の方法で同程度に効果的に達成できるかどうかについて、検討されなければならない。(98ページ)

(2)「自己決定」と「意思決定」
人はさまざまな事柄について「自己決定」し、自分の生活と人生を自律的に生きる権利を有している。これは自己決定権あるいは人格的自律権として、憲法第13条に規定されている幸福追求権の一部に位置づけられている。「意思決定」については、2006年12月に国連総会で採択された「障害者権利条約」(日本は2014年1月に批准、同年2月に発効)のなかで“supported decision making”(支援を受けた意思決定、支援付き意思決定、意思決定支援)という用語が用いられ、日本では2011年8月公布・施行の「改正障害者基本法」(第23条)や2012年6月公布、翌2013年4月施行の「障害者総合支援法」(第42条)に「意思決定の支援」という文言が法文化されている。なお、「自己決定」については、本ブログの雑感(85)「自己決定」と「自己責任」:いま改めてその虚飾と欺瞞について考える―小松美彦著『「自己決定権」という罠』と吉崎祥司著『「自己責任論」をのりこえる』の読後メモ―/2019年6月22日/本文、を参照されたい。

③ 遠藤美貴「『自己決定』と『支援を受けた意思決定』」『立教女学院短期大学紀要』第48号、立教女学院短期大学、2017年2月、81~94ページ。
もし自己決定を自分ひとりの意思と判断で選択・決定することであると捉えるならば、抽象的な概念の理解が難しいとされ、ことばで意思を表現することやことばで意味を受け止めることが難しいとされている知的障害当事者の自己決定は困難であるかもしれない。/ しかし、自己決定の困難さは知的障害当事者に限ったことではない。人はたくさんの選択肢の中から何かを選び、決定する時に周囲からの助言や支援を受け、判断しながら決定している。また、自分の意思というものは、自分ひとりで決めていくものではなく、周囲の人とのかかわりの中で決めていくものでもある。ただ、知的障害当事者の自己決定を考える時、これまで過小評価されてきたことや自己決定する経験が少なかったことなど、彼らが置かれてきた環境を考慮すると、 自己決定を保障するためにその経験を増やし、そのための環境を整え、社会的な認識を変え、過小評価されないようにするための社会変革が必要となる。(82ページ)

自己決定と意思決定、両者の用語の違いについて柳原清子は、「決意すること」という意味において大差はないが、原語は異なるとし、“self-determination”である自己決定とは、理解力・判断力を前提として、自己の決定に対する「主体性」「責任性」「自律性」を含む概念であり、人権・尊厳という捉えと意識が大きく関与するものであると述べている。一方、意思決定については、原語である“decision making”の“making”という語が“make”(つくる)の進行形の“~ing”であり、それは“decision”(結論・決定事項・決定)を“making”(つくり上げる)ということであることから、複数の要素とプロセスがからんでいる用語であること、ビジネスや政治など社会的に広く使われており、先の見通しを立て決断していくことを表した概念となっていると区別したうえで、自己か他者かを明確にしたい時は自己決定の語を、先のことを決めることは意思決定 の語を使うことが正しいと述べている。前者は「主体」を、後者は「対象」を指していると言える。(84ページ)

一方、知的障害当事者が自己決定の主体となった場合、その「主体」の能力・基準・条件によって自己決定か意思決定かを分ける考え方もある。例えば、柴田洋弥は「必要な判断能力に対して、本人の判断能力が十分であれば、自己決定によりその行為を行なうが、判断能力が不充分なときには、意思決定支援が必要となる」と述べている。木口恵美子もまた、「障害者の権利条約は、自分で自分の意思決定を行なう権利(自己決定権)を認めており、意思決定支援は自己決定が困難な人が意思決定を行なうための支援である」と述べており、当該当事者の判断能力が二つの用語を使い分ける基準となっている。このような判断能力に拠る分け方は個人モデルの視点であるとも言える。(84ページ)

④ 安西美咲「ソーシャルワークにおける『自己決定』と『意思決定』の理論構造の検討―日本における意思決定の支援に関するガイドラインの2つの類型―」『社会福祉学評論』第23号、日本社会福祉学会関東部会、2023年2月、31~45ページ。
最近は「自己決定」という言葉とともに「意思決定」という言葉が頻繁に使われるようになってきた。この「自己決定」と「意思決定」は同じ意味のように、または混同して使われることが多い。(34ページ)/「意思決定」という言葉の登場を整理していくと、ソーシャルワークの価値としてある「自己決定」は「意思決定」という言葉を使い分ける必要性に気づかされる。つまり、この2つの用語の理論構造を理解することが必要となる。/ここで整理をするとすれば、「自己決定」は“人権として尊重”するものであり、「意思決定」はその手段、すなわち、“能力として支援”するものとして考えるのが自然である。それぞれを独立した理論・価値として捉えることが重要である。(35~36ページ)

自己決定の権利を阻害され得る人たちは、意思決定の機会を奪われている状態だけでなく、意思決定をするための選択肢が少ない、すなわち意思形成をすることに難しさを抱えている可能性がある。そしてそれは本人の能力の問題だけでなく、経験不足によるものであったり、情報不足によるものであったりと、要因はさまざまあり得るのである。そう考えればソーシャルワーカーが行うべき意思決定の支援は、意思決定できる環境を整えていくことであり、それが「自己決定を尊重する」という価値と倫理に繋がってくるのではないだろうか。なお、そのことはただ選択肢を与え、そこから選択するということが意思決定の支援なのではなく、その選択肢をどのように持つのかという本人の価値観に寄り添った支援が必要となり、本人が選択・決定することを促し、見守るだけが意思決定の支援ではないということを示しているとも言える。(36ページ)

〇「自己決定」と「意思決定」について一言すると、自己決定についてはまず、クライエントには自分のことは自分で決定するというニーズや、自由や尊厳の基本的権利があるというバイステック(Felix P. Biestek)の「ケースワークの7原則」を思い出す。また、自己決定とは自分の考えに基づいて自由に自分らしく決定し生きることであるが(自律性)、その際の自分の考えや結論は、周囲の人や社会との関わりのなかで決めていく・決められるものである(関係性)。すなわち、自己決定は少なくとも、自律性と関係性を構成要素とする。
〇意思決定(力)は、①理解(意思決定のために必要な事柄を理解していること)、②認識(意思決定を自分自身の問題として認識していること)、③論理的思考(意思決定の内容について論理的に判断できること)、④表明(自分の意思(考えや結論)を表明できること)の4つの要素から構成されるといわれる(厚生労働省「認知症の人の日常生活・社会生活における意思決定支援ガイドライン」2018年6月、4ページ)。
〇こうした自己決定や意思決定への支援は、自己決定や意思決定を可能にするひとつの手段・方法であり、自己実現を促す行為やシステムである、と言ってよい。しかも、自己決定支援や意思決定支援は、障がい者などの判断能力や決定能力は不十分であるということが暗黙に了解されており、それを如何に覆すか、そのための環境醸成や社会改革を如何に図るかが問われることになる。
〇なお、本稿のタイトルの“Nothing about us without us”(私たち抜きに私たちのことを決めるな)は、アメリカにおける自立生活運動のスローガンとして1980年代から使われてきたものである。上述の「障害者権利条約」の策定過程においても、すべての障がい者の共通の「思い」を示すものとして使用された。胸に刻むとともに、その思いをしっかりと行動に表すべき言葉である。そしてまた、例によって唐突であるが、「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に通底する理念でもある。