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二項対立の思考:「分かりやすさ」の罠―仲正昌樹を再読する―

我々は、自分の周囲にある様々な事物を個別に認識するに際して、ほぼ不可避的に「二項対立」的あるいは「二分法」的な思考をしている。自分の周囲にある物の位置関係を確認する時は、自分の現在の位置から見ての「右/左」「上/下」「前/後」の三つの二項対立軸が不可欠になる。位置が特定された対象の属性を認識する際には、「大/小」「重/軽」「白/黒」の二本の軸、人間同士の関係でも、「男/女」「年長/年少」「親しい/疎遠」‥‥‥といった各種の二項対立図式が働いている。我々はそうした無数の対立軸を組み合わせながら、この「世界」を自分にとって認識しやすいように(再)構成しているわけである。(仲正:24ページ要約)

「分かりやすさ」という名の思考停止が蔓延している。知識人ですら、敵か味方かで「世界」を線引きする二項対立図式にハマり込んでいる。悪くすると、お互い対立する中で「敵」の思考法が分かるようになり、「敵」に似てきてしまう。こうした硬直した状況を捉え直す上で、アイロニカルな思考は役に立つ。アイロニーは、敵/味方で対峙する“前線”から距離を置き、そこに潜む非合理な思い込みを明らかにする。(仲正:カバー裏書き)

〇福祉教育はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常児(者)と障がい児(者)、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生などの「二項対立」的な「分かりやすさ」のなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがち(なりがち)であった。しかも、「包摂」や「共生」の概念的・抽象的な思考や理解にとどまり、日常の地域生活場面においてその感覚化や行動化を促すことに、必ずしも主体的・積極的であったとは言えない。
〇そしていま、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が声高に叫ばれるなかで、「包摂」や「共生」が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を「思考停止」に陥らせたり、ある種の「刷り込み」を可能にする恐れなしとしない。その要因や背景については、①福祉教育が自らの思想や哲学について十分に言及せず、実践(実践科学としての性格)を重視(尊重)してきたこと、②福祉教育がその固有性や自律性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと、③福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙する議論を十分に展開せず、未整理の部分が多いこと、などを挙げることができる。
〇それらの結果として、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して、統制的で定型化された実践活動が展開されている(されようとしている)。それはちょうど、国や県が建設・管理する道路のルートに沿って、カーナビの指示通りに車を走らせる「ヒト」(福祉教育)のようでもある。先日、筆者(阪野)が長野県上田市からの帰途、心地よいスピードで、自動運転車にでも乗っているような気分のなかで思ったことである(蛇足ながら、筆者の車は絶滅危惧種のマニュアル車である)。
〇帰宅後、ふと仲正昌樹(なかまさ・まさき、政治思想史)を読みたくなった。そこで、仲正の『「分かりやすさ」の罠―アイロニカルな批評宣言―』(筑摩書房、2006年5月)を再読することにした。以下は、その言説の一部である(抜き書きと要約)。

なぜ二項対立にハマるのか?
二項対立というのは、いろいろな意味で使われる言葉だが、政治的にネガティヴな意味で使われている時は、おおよそ①実際にはいろいろ複雑な争点があって単純にイエス/ノーを言えないはずのところを強引に単純に割り切って敵と味方で全面的に対立している(かのような)構えを見せること、②対立している双方の論理が、相手方の言い分のイエス/ノーをそのままひっくり返しただけで、第三者的には、合わせ鏡のように左右対称になっているように見えてしまうこと――を指している。(13~14ページ)

二項対立をやっている人たちは、なぜ、ステレオタイプ(型どおり)な台詞(せりふ)を語り続けるのだろうか? 答えは“簡単”である。斎藤貴男(ジャーナリスト)が指摘しているように、相手方が単純なレトリック(修辞、言い回し)で庶民の目をくらまし、複雑な現実に目を向けさせないようにしているので、自分たちも庶民にまず“目をさまして”もらうため仕方なく、庶民が振り向いてくれるような庶民にとって分かりやすい単純な言葉で語っている、というのである。しかし、それではまるで、庶民には全然主体性がなくて、右から何か吹き込まれたら右になびき、左から吹き込まれたら左になびくので、たくさん言ったもの勝ちだと言っているようなものである。(15ページ)

カンタンに二項対立している人たちに対して、第三者的な立場から批評を加えると、「自分の問題としてではなく、他人事のように語っている」などという拒絶反応をする人々がいる。二項対立の一方の側に身を置いていないのは、高見に立ったつもりになって無責任なことを言っている不真面目な輩(やから)である、という妙な価値観が働いているのである。「今はもう冷戦的な二項対立的発想の時代ではない」と言いながら、自分自身はますます二項対立的な図式にハマり込んでいる大小の評論家が増殖している。(17ページ)

人はどうして分かっていながら「二項対立」図式に自らハマっていき、そこから抜け出せなくなってしまうのか。「世界は複雑であり、二項対立では片づけられない」ことを多くの人は抽象的には理解しているが、いざ自分の考えを表明すべき立場に立たされると、何らかの形で「世界」を、自分にとっての「敵/味方」に単純に切り分けて、“分かりやすい答え”を出して、安心しようとする。その安心感を振り切って、複雑さを再認識するのは非常に困難になる。「哲学」は、思考を単純化してしまう「分かりやすくて心地よい言葉」に抵抗してきたと言えるが、現代日本において顕著に見られるように、時として哲学者自身が自覚的無自覚的に、二項対立的な「分かりやすさの罠」にハマってしまうことがある。(17~18ページ)

すべての二項対立が悪ではない
最近では、「敵/味方が最初から決まっていて妥協や歩み寄りの余地がない二項対立的な論争は不毛だ」という感じで、“二項対立”が悪者扱いされることが多いが、「二項対立的になる」ことは常に悪いことであるとは限らない。単なるフリートークではなく、一つの「答え」を出すことを目的として論議する場合、イエス/ノーに意見がはっきりと分かれるような二項対立的な問題設定をどこかでする必要がある。(31~32ページ)

特定の価値観・世界観を持っている人々が、自らの価値観・世界観を直接的に反映する形で論争の土俵を設定すると、最初から妥協や、自らの立場を変化させる余地がなくなってしまうことになりがちである。そうした世界観レベルの二項対立とは一応切り離した形で、最初の時点で便宜的にイエス/ノーの立場を二項対立的に設定しておいて、議論を進めていくうちに互いに(立場を)移動し合ったり、第三、第四の立場を設定できる可能性を認めることができるのであれば、(暫定的で変動可能な)二項対立的論争形態はむしろ有用であると言うべきだろう。(34ページ)

修辞的アイロニーと哲学的アイロニー
フリードリヒ・シュレーゲル(1772年~1829年、ドイツ初期ロマン派の思想家)は、単なる修辞的アイロニーと哲学的アイロニーを分けている。修辞的アイロニーというのは、自分の言葉を洒落(しゃれ)たものに見せるためにちょっとだけ逆説的に聞こえる表現(皮肉)を使ってみるというようなことであり、思考の枠組みにおける大きな変容を伴っていないようなものである。それに対して哲学的アイロニーは、「対話」などの形を取りながら、「哲学する主体」が無自覚に依拠している「秘密の意図」を“反省”的に明らかにして、“主体”の視野を拡げていく営みである。(188ページ)

「アイロニー」の語源になったギリシャ語の<eironeia>は、(相手の思考が生まれるのを助ける)「産婆術」(ソクラテスの対話形式の哲学)を意味していた。(190ページ)

〇二項対的な思考は、議論における相違点や対立点を鮮明にする。しかし、その反面、議論に参加する人々の立場や立ち位置を硬直化させ、議論それ自体を不毛なものにしてしまう危険性がある。そこで、自分自身の古い思考の枠組みを解体して再構築(「脱構築」)しながら、自分の立場や立ち位置から一歩踏み出し、思考する。それによって、硬直化した二項対立を俯瞰(ふかん)することができ、「敵/味方」の両極がそれぞれ持つ非合理な思い込みを明らかにすることができる可能性が開かれる。これが仲正がいう「アイロニカルな思考」であろうか。仲正の「アイロニー」は単なる「皮肉」(修辞的アイロニー)ではない(ちなみに、筆者に対する「皮肉」のひとつに、「字が達筆すぎて読めない‥‥‥」がある)。
〇二項対立には、多かれ少なかれ「グレーゾーン」(中間領域、境界領域)が存在する。そのことを前提に、あるいはそれに着目して議論することも必要かつ重要となる。グレーゾーンの発生は、議論の条件や状況が不明確であったり(認識の限界)、それに対する判断や基準に差異があり(認識のずれ)、それらを特定化できないことなどによる。とはいえ、その判然としないグレーゾーンを新たな視点で整理することによって、汎用性の高い思考やその枠組みを生み出すこともできよう。留意しておきたい点である。
〇また、不毛な二項対立を克服するためには、議論の前提や条件などについて事前に予備的に調査・吟味し、“かみ合った”議論が実現可能かどうかを検討する必要がある(フィージビリティ・スタディ/実現可能性調査:feasibility study/略 FS)。例えば、正/誤や真/偽などの「結論」だけを議論する二項対立は、双方の立場や立ち位置による「正当性」を主張するにとどまり、新たな結論や合意を得ることは難しい。双方が、前提条件や状況について、幅広い情報のもとに多面的・多角的に思考し、理解や認識を深めることができれば、正当性のある判断をいくつか見出す可能性(選択肢)が広がる。それが、冷静かつ複眼的な思考による議論を促すことになる。付記しておきたい。
〇以前にも増して、多様性を包摂する「地域共生社会」の実現に向けた福祉教育プログラムの研究・開発が求められている。またそれを社会的に普及・発展させるための枠組みを如何に構築するかが問われている。そういうなかで、今はもう、二項対立的に、概念的・抽象的に「排除と包摂」や「対立と共生」などを唱え(説い)て「コト」が済む時代ではない。
〇例えば、「社会的排除」には、経済的・社会的・政治的・文化的な次元や領域があり、それらが複合的に組み合わさっている。また、国や地域社会、家族、個人などの各レベルでその様相は異なる。さらには排除が排除を生む「累積的排除」や複数の「ヒト・モノ・コト」による同時「並行的排除」などがある。「包摂」には、「排除」と“闘う”知識や能力、時間や資源を必要とする。また、事後的かつ予防的な対策や主体的かつ積極的な事業・活動などが重要となる。
〇「排除と包摂」を「カンタンに、キレイに、分かりやすく」説くのではなく、その複雑な具体的事象を複雑なままに思考・理解し、その状態やプロセスから本質を見出すことが必要かつ重要となる。二項対立的な単純な発想を越え、関係性を重視し、当事者意識(当事者性)を尊重する「第三者」的な立場や立ち位置を、新しく自覚することが肝要となる。仲正の言説を通して再認識した、「二項対立の思考」に関する基本的な事項である。

〇〇先生への手紙:「学校の地域化」「地域の学校化」と福祉教育研究の課題―“真田の郷”で考えたことども―

〇12月2日と3日、長野県上田市の長野大学を会場に、日本福祉教育・ボランティア学習学会第23回大会が開催された。大会テーマは、「共生社会の実現にむけた地域づくりと福祉教育・ボランティア学習」であった。開催に先立ち、大会実行委員長の川島良雄先生(社会福祉学部長)は、「開催要項」に次のような一文(「歓迎のごあいさつ」)を寄せている。

今、改めて問う。ともに悩み、考える機会に!
今、日本の「地域」「福祉」「ボランティア」は、どこへ向かおうとしているのか。ボランティアとは、そもそも何なのか。こうした事を改めて問う必要に迫られているように感じます。
長くなりますが、2つの文章を引用します。じっくり読んで頂き、大会を通して考えてみて頂けると幸いです。
● 「子供・高齢者・障害者など全ての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創り、高め合うことができる『地域共生社会』を実現する。このため、支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティを育成し、福祉などの地域の公的サービスと協働して助け合いながら暮らすことができる仕組みを構築」する。(平成28年6月/閣議決定「ニッポン一億総活躍プラン」より)
● 「『他人事』になりがちな地域づくりを地域住民が『我が事』として主体的に取り組んでいただく仕組みを作っていくとともに、市町村においては、地域づくりの取組の支援と、公的な福祉サービスへのつなぎを含めた『丸ごと』の総合相談支援の体制整備を進めていく必要」がある。(平成28年7月/「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部」の設立趣旨より)
従来の「地域」「福祉」「ボランティア」の概念とは、異なるように感じられます。大会主旨にもありますように、地域における共生社会の示す理念や長野県などの事例を検討し、どのように地域住民や多様な主体が「我が事」として参画し、世代や分野を超えて「丸ごと」つながってきたのか、つながっているのか、あるいはつながろうとしているのかを明らかにして、今後のアプローチをともに悩み、考える機会にしていけたらと思います。

〇筆者(阪野)が「長野大会in信州うえだ」で考えたこと、引き続き考えなければならないことは、「『学校の地域化』と『地域の学校化』―学校統廃合と地方創生による『新しい地域づくり』の功罪―」であろうか。本稿は、その「思い」や、そのための若干の「資料」を記したものである。



資料(1)
地域力強化検討会 最終とりまとめ~地域共生社会の実現に向けた新しいステージへ~
平成29年9月12日
地域における住民主体の課題解決強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(地域力強化検討会)


他人事を「我が事」に変えていくような働きかけをする機能(第106条の3第1項第1号関係)
[中間とりまとめの要点]
②「地域で困っている課題を解決したい」という気持ちで、様々な取組を行う地域住民や福祉関係者によるネットワークにより共生の文化が広がる地域づくり
[中間とりまとめ 2(1)住民で身近な圏域での「我が事・丸ごと」(「我が事」の地域づくり)(P.8)関係]
<②の促進に向けて>
〇 ②の促進においては、①、③を活発化し地域に関心を持つ人を増やしていくことが重要である。そのためには、地域包括支援センターや保健センターなども含めた市町村、社会福祉協議会等が、地域の状況や活動等について把握している情報を数値化・可視化し、提供することで、「我が事」の認識が深まっていったり、地域生活課題の解決につながるボランティア活動等を具体的に示すことで、実際の活動に取り組みやすくなる。
〇 また、教育委員会や社会教育委員等と連携して、社会教育や学校教育の中で、福祉教育の機会を提案し、障害や認知症、社会的孤立の理解等に関して学ぶことを通じて、地域や福祉を身近なものとして考える機会を提供することも重要である。
〇 その際、単に知識を学ぶだけでなく、その人を多面的に理解し、お互いの人間関係をつくるようなプログラムや、地域生活課題を共有し解決していけるような学習が必要であり、学習者の状況に応じて、段階的に取組を進めていくことも大切である。
〇 地域生活課題の学習や研修機会の提供に当たって、社会福祉事業を実践している社会福祉法人や社会福祉協議会、NPO法人などが積極的にその役割を担うことが期待される。

社会福祉法改正案(第4条、第5条、第6条)
(地域福祉の推進)
第4条 地域住民、社会福祉を目的とする事業を経営する者及び社会福祉に関する活動を行う者(以下「地域住民等」という。)は、相互に協力し、福祉サービスを必要とする地域住民が地域社会を構成する一員として日常生活を営み、社会、経済、文化その他あらゆる分野の活動に参加する機会が確保されるように、地域福祉の推進に努めなければならない。
2 地域住民等は、地域福祉の推進に当たつては、福祉サービスを必要とする地域住民及びその世帯が抱える福祉、介護、介護予防(要介護状態若しくは要支援状態となることの予防又は要介護状態若しくは要支援状態の軽減若しくは悪化の防止をいう。)、保健医療、住まい、就労及び教育に関する課題、福祉サービスを必要とする地域住民の地域社会からの孤立その他の福祉サービスを必要とする地域住民が日常生活を営み、あらゆる分野の活動に参加する機会が確保される上での各般の課題(以下「地域生活課題」という。)を把握し、地域生活課題の解決に資する支援を行う関係機関(以下「支援関係機関」という。)との連携等によりその解決を図るよう特に留意するものとする。
(福祉サービスの提供の原則)
第5条 社会福祉を目的とする事業を経営する者は、その提供する多様な福祉サービスについて、利用者の意向を十分に尊重し、地域福祉の推進に係る取組を行う他の地域住民等との連携を図り、かつ、保健医療サービスその他の関連するサービスとの有機的な連携を図るよう創意工夫を行いつつ、これを総合的に提供することができるようにその事業の実施に努めなければならない。
(福祉サービスの提供体制の確保等に関する国及び地方公共団体の責務)
第6条(略)
2 国及び地方公共団体は、地域住民等が地域生活課題を把握し、支援関係機関との連携等によりその解決を図ることを促進する施策その他地域福祉の推進のために必要な各般の措置を講ずるよう努めなければならない

今後の展開に向けて~第10回検討会での各委員の御発言から~(抜粋)
原田正樹(座長・日本福祉大学)
〇 地域共生社会とは決して目新しい言葉ではなく、今までも理念的にも運動・実践的にも、福祉の現場で語られ、かつ運動・実践されてきたものです。その上で今回の意義は、法改正を踏まえて、地域共生社会を施策として今後、どう展開していくかというところに大きな特徴があります。そのために、これから関係者が考えていく方向性や論点、留意点はこのまとめの中にいろいろ盛り込ませていただきました。
〇 よって最終とりまとめには、理念や方向性だけではなく、具体的な方法や留意点、事例まで書かれています。その意味では教科書的というか概説になっています。一文一言に委員の皆さんの想いが込められているわけです。まずは関係者がこの内容を熟読していただき、討議することからスタートしてほしいと思います。この内容をベースにしながら、それぞれの地域で、これからの実践をつくっていくのか、システムをつくっていくのかを話し合って、創意工夫していくこと。同時に、「我が事・丸ごと」の視点から10年先、20年先の社会保障のあり方を考えていくこと。そのときの最初の論点整理を我々はさせていただいたと思います。
〇 委員の皆さんがおっしゃっていたように、これはまとめでも完成でもなくて、ここから始めていくという、地域共生社会の創出にむけたスタートラインに立ったということを改めて確認させていただきたいと思います。今後、どう広がっていくか、これをどう具現化していくか、定着させていくかが重要です。それを実現していくための課題は山積しているわけですが、またいろいろな機会で皆様方と議論したり、「おわりに」に示されているように厚生労働省をはじめ多くの方がこれを後押しをしていくように御期待申し上げて、検討会を閉じさせていただきたいと思います。
越智和子(琴平町社会福祉協議会)
〇 私自身は平成27年9月に出された「新たな時代に対応した福祉の提供ビジョン」に接して、これからの地域福祉の取組が変わっていくというわくわく感にあふれました。そしてこの検討会で地域福祉が施策になるという大きな流れを感じました。まとめの中に、ソーシャルワークとかソーシャルワーカーという言葉が多く書き記されました。ですが、実際にソーシャルワーク、ソーシャルワーカーがどうあるのかというのが十分に議論し尽くされていない不安があります。どこかでしっかり議論されているのであればいいのですが。
〇 地域の中では声の出せる人は町づくりに参加できますが、声の出せない人だとか、そういう弱さを持った人たちは参加できないです。これからはそうした人たちを含めた地域づくりだと思うのです。福祉としての視点で、ソーシャルワーカーがその理念に基づいて関わり、町づくりに取り組むことだと思います。また、多職種、多分野との連携を考えると、ソーシャルワーク、ソーシャルワーカーについて、実践に基づいた議論を進めていただきたい。これからのソーシャルワークについて、もっと深めていただきたい。
〇 地域福祉(支援)計画ということで、今年度に(支援)計画の策定をするところがあると思いますが、今回の内容を盛り込んでいただくとしても指針、ガイドラインを待ってとなると実際上は難しいと思うのです。最後のまとめで厚生労働省として本気でやるということであれば、とりあえず最終まとめを参考にとにかくやってほしいと強く都道府県を応援していただきたい。行政担当者は3年すると異動しますから、前回策定したときと今回では担当者が違います。今の熱も伝わりません。意義も伝わらないのではと不安になります。本気で取り組んでいくという姿勢をぜひお伝えいただきたいと思っています。
〇 最後に、社会福祉協議会の職員として、このとりまとめを読むのは行政職員であったり社協職員になるのではというご発言がありました。確かにそうなのかもわかりません。そうであるならしっかりと我々は担っていかなければならないと強く感じました。今、このときも社協職員たちは、ケアワーカーたちはそれぞれの現場で頑張っています。そうした現場にいる人たちを励ましながら、我々自身が期待される組織として社協が継続してこれからの地域づくりに取り組むことが重要だと思っています。今回のまとめを受けて、それぞれの市町村で創造的に、クリエイティブな地域づくりができるように皆さんの御指導、御支援をいただきながら取り組んでいきたいと思っています。
〇 そしてそのためには、その中に福祉教育という取組を忘れてはいけない。我々専門職だけでなく、地域の人たちに地域づくりの主体者である、主権者であるという認識をしていただけるよう取り組んでいかなければいけないと思いました。

検討会の議論では
● 「地域」の有する二面性、差別・排除、地域力の脆弱性ぬきに「丸投げ」されても困る。
● 国から押し付けられる画一的な「我が事」はおかしい。多様性をどう保障するか。
● 「制度のはざまを作ってきたのは誰か」制度だけでなく、行政、組織、専門職の責任もある。
● 「連携」という合い言葉だけではダメ。「丸ごと」にする具体的な仕組みが必要。
● 福祉分野だけでもダメで、どう広げるか。深めるか。
● 地域福祉推進の行政の責務を示す必要がある。
● ソーシャルワークの機能を示すことが重要。
※ 原田正樹「基調講演」『第23回長野大会in信州うえだ 報告要旨集』26ページ。

資料(2)
新しい時代の教育や地方創生の実現に向けた学校と地域の連携・協働の在り方と今後の推進方策について(答申)
平成27年12月21日
中央教育審議会



第1章 時代の変化に伴う学校と地域の在り方について(抜粋)
第2節 これからの学校と地域の連携・協働の在り方
1.これからの学校と地域の目指すべき連携・協働の姿
(1)地域とともにある学校への転換
社会総掛かりでの教育の実現を図る上で,学校は,地域社会の中でその役割を果たし,地域と共に発展していくことが重要であり,とりわけ,これからの公立学校は,「開かれた学校」から更に一歩踏み出し,地域でどのような子供たちを育てるのか,何を実現していくのかという目標やビジョンを地域住民等と共有し,地域と一体となって子供たちを育む「地域とともにある学校」へと転換していくことを目指して,取組を推進していくことが必要である。すなわち,学校運営に地域住民や保護者等が参画することを通じて,学校・家庭・地域の関係者が目標や課題を共有し,学校の教育方針の決定や教育活動の実践に,地域のニーズを的確かつ機動的に反映させるとともに,地域ならではの創意や工夫を生かした特色ある学校づくりを進めていくことが求められる。
これまでの提言では,地域とともにある学校の運営に備えるべき機能として「熟議」「協働」「マネジメント」の三つが挙げられており,これらはこれからの学校運営に欠かせない機能として,再認識していく必要がある。
① 関係者が皆当事者意識を持ち,子供たちがどのような課題を抱えているのかという実態を共有するとともに,地域でどのような子供たちを育てていくのか,何を実現していくのかという目標・ビジョンを共有するために「熟議(熟慮と議論)」を重ねること。
② 学校と地域の信頼関係の基礎を構築した上で,学校運営に地域の人々が「参画」し,共有した目標に向かって共に「協働」して活動していくこと。
③ その中核となる学校は,校長のリーダーシップの下,教職員全体がチームとして力を発揮できるよう,組織としての「マネジメント」力を強化すること。
(2)子供も大人も学び合い育ち合う教育体制の構築
学校,家庭及び地域は,教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに,相互に協力していくことが重要である。地域が学校や家庭と共に教育の担い手となることが社会的な文化となっていくためにも,地域の一部の人々だけが参画し協力するのではなく,地域全体で子供たちの学びを展開していく環境を整えていくことが必要であり,子供との関わりの中で,大人も共に学び合い育ち合う教育体制の構築が必要である。
地域には,学校,教育機関,首長部局等の行政機関,社会教育施設,PTA,NPO・民間団体,企業,経済・労働関係団体など,様々な機関や団体等がある。他方,個人として学校支援ボランティアに関わっている地域の人々もいる。子供たちや学校の抱える様々な課題に対応していくためにも,また,子供たちの生命や安全を守っていくためにも,子供を軸に据え,様々な関係機関や団体等がネットワーク化を図り,子供たちを支える一体的・総合的な教育体制を構築していくことが重要である。学校と地域が連携・協働するだけでなく,子供の育ちを軸に据えながら,地域社会にある様々な機関や団体等がつながり,住民自らが学習し,地域における教育の当事者としての意識・行動を喚起していくことで,大人同士の絆が深まり,学びも一層深まっていく。地域における学校との協働活動に参画する住民一人一人が学び合う場を持って,子供の教育や地域の課題解決に関して共に学び続けていくことは,生涯学習社会の実現のためにも重要である。
さらに,家庭教育の支援の観点からも,地域と学校の連携が進むことで,課題を抱えた保護者に対する支援の充実につながるとともに,孤立感を抱えた保護者を含む多くの保護者に対し,学校との連携・協働による活動に参画していく機会を作ることにつながる。
(3)学校を核とした地域づくりの推進
地方創生の観点からも,学校という場を核とした連携・協働の取組を通じて,子供たちに地域への愛着や誇りを育み,地域の将来を担う人材の育成を図るとともに,地域住民のつながりを深め,自立した地域社会の基盤の構築・活性化を図る「学校を核とした地域づくり」を推進していくことが重要である。成熟した地域が創られていくことは,子供たちの豊かな成長にもつながり,人づくりと地域づくりの好循環を生み出すことにもつながっていく。また,地域住民が学校を核とした連携・協働の取組に参画することは,高齢者も含めた住民一人一人の活躍の場を創出し,まちに活力を生み出す。さらに,地域と学校が協働し,安心して子供たちを育てられる環境を整備することは,その地域自身の魅力となり,地域に若い世代を呼び込み,地方創生の実現につながる。
一方的に,地域が学校・子供たちを応援・支援するという関係ではなく,子供の育ちを軸として,学校と地域がパートナーとして連携・協働し,互いに膝を突き合わせて,意見を出し合い,学び合う中で,地域も成熟化していく視点が重要である。子供たちも,総合的な学習の時間や,放課後・土曜日,夏期休業中等の教育活動等を通じて地域に出向き,地域で学ぶ,あるいは,地域課題の解決に向けて学校・子供たちが積極的に貢献するなど,学校と地域の双方向の関係づくりが期待される。
地域によっては,公民館等の社会教育施設を一つの拠点として,高齢者の健康維持や文化の伝承等の地域課題に関わる社会教育活動を,住民が主体となって活発に行っているところもある。学校という場を地域の人々が集い,学び合う場としていくだけでなく,このような拠点が学校とつながり,双方向の関係を持つことも有益である。
2.学校と地域の連携・協働を推進するための組織的・継続的な仕組みの構築(略)
3.学校と地域の連携・協働を推進するための体制整備(略)



※ 資料(1)(2)の文中の太字は筆者(阪野)による。

付記

(注) コミュニティ・スクールの導入状況の推移(基準日/設置校数/学校設置者数)は、次の通りである。平成17年4月1日/17校/6市区、平成20年4月1日/341校/2県63市区町村、平成25年4月1日/1,570校/4道県153市区町村、平成29年4月1日/3,600校/11道県367市区町村。

追記―〇〇先生からの手紙―(2017年12月9日)
早速、〇〇先生からご丁寧な返信をいただいた。そのなかで先生は、今日の「福祉教育」研究の課題として、(1)福祉教育の哲学、思想の研究、(2)(「我が事」のことを考えると)戦前の「地方改良」「中央報徳会」の研究、(3)ボランティア活動と市民活動との関係の研究、の3点を挙げている。相変わらずの“現役の実践的研究者”としての、「研究」への姿勢と熱意には敬服するのみである。
ここで管見を述べれば、(1)に関しては、教育は歴史的・社会的・文化的営為である。その福祉「教育」実践を通して、ソーシャルインクルージョン(「フランス生まれ、EU育ち」岩田正美)やICF(WHO)などの外国・国際機関生まれの理念や考え方、それに基づく実践方法などを問い直し、「市民福祉教育」に固有の思想や哲学を探究することが求められている。(2)に関しては、日露戦争(1904年~1905年)後に推進された地方改良運動は、報徳思想(二宮尊徳)に基づき、国力の充実・発展と国家的統合を図る官製運動であった。しかもそれは、「経済の開発」と「人心の開発」が重視され、「自治民育」というスローガンのもとで、教育・教化運動的な色彩の濃いものとして展開された。現在の政治や経済、社会、教育の動向と重なる。この官製運動が国民精神総動員運動へとつながる戦前と同じ轍を踏まないためにも、いま最も留意すべき点である。(3)に関しては、「ボランティアとは、無償あるいは低額な報酬で行う支援活動である」といった言説がある。ボランティア活動の性格(原則)のひとつは、「自主性・主体性」「無償性・無給性」である。「市民活動」は、無償のボランティア活動と有償の市民活動(狭義)を包含する。「動員」「派遣」のボランティア活動や「ちょボラ」の問題性やその背景について検討する必要がある。
筆者(阪野)はいま(“円空ゆかりの地”で)、こんなことを考えている。

続・「対話」考:山口裕之を読む―「みんなちがって、みんないい」はどこまで許容できるのか―

四里(り)の道は長かつた。(1ページ)/年齢(とし)が違ふからとは言へ、かうした境遇にかうして安(やす)んじて居る人々の気が知れなかつた。かれは将来の希望にのみ生きて居る快活な友達と、これ等の人達との間に横(よこた)はつて居る大きな溝(みぞ)を考へて見た。『まごまごしてゐれば、自分もかうなつて了(しま)ふんだ!』(188ページ)/日本が初めて欧州の強国を相手にした曠古(こうこ。前例のないこと:阪野)の戦争、世界の歴史にも数へられるやうな大きな戦争――その花々しい国民の一員と生れて来て、其名誉ある戦争に加はることも出来ず、その万分の一を国に報(むく)ゆることも出来ず、其喜悦(そのよろこび)の情(じょう)を人並に万歳の声に顕(あら)はすことすらも出来ずに、かうした不運(ふしあわせ)な病の床に横(よこたわ)つて、国民の歓呼(かんこ)の声を余所(よそ)に聞いて居ると思つた時,清三(せいぞう)の眼には涙が溢(あふ)れた。(529~530ページ)
田山花袋『田舎教師』(左久良書房版)日本近代文学館、1974年12月。

〇立身や忠誠とは無縁の「田舎教師」であった筆者(阪野)が、最近読んだ本のなかで“面白い”と思ったものに、山口裕之(徳島大学、哲学研究者)のそれがある。『コピペと言われないレポートの書き方教室―3つのステップ―』(新曜社、2013年7月。以下[1])、『「大学改革」という病―学問の自由・財産基盤・競争主義から検証する―』(明石書店、2017年7月。以下[2])、『人をつなぐ 対話の技術』(日本実業出版社、2016年4月。以下[3])、である。
〇[1]は、「レポート」を書くにあたって、「コピペ」と言われないためには具体的にどうすればよいのかを、「最重要ポイント」のみに絞って解説したものである。その根底には、学部学生らに「自分の意見を根拠づけて主張する力」を身につけてもらいたい、という願い(「思い」)がある。「おわりに―民主主義とレポート」(93~98ページ)は深く、読む意義は大きい。
〇[2]は、政財界主導で進められている「大学改革」(国家権力の過度の介入、学長トップダウン体制の構築、競争主義や成果主義の強化、研究予算の削減や組織の統廃合、等々)の単なる反対論ではない。いわんや「潰(つぶ)れる大学」「大学の生き残り策」といった類の「読み物」ではない。[2]は、大学改革における論点を整理し、あるべき姿を追求するための見取り図を提示する、総合的で本格的な「大学論」である。「教育は、消費者が欲するものを提供するサービスではなく、何を欲するべきかを考える力を与えるための営みである」(248ページ)。大学に求められる機能(大学の存在意義)は、民主主義的な市民社会を支えるために、「さまざまな問題について、その背景を知り、前提を疑い、合理的な解決を考察し、反対する立場の他人と意見のすり合わせや共有を行う能力」(148ページ)、「正しく考え、議論し、他人と意見を共有する技能」(221ページ)を育成する(習得させる)ことである。留意すべき言説である。
〇[3]は、そのタイトルから「マニュアル本」と思われるが、民主主義の思想や歴史、民主主義国家の形成やあり方などにも言及する学術書(「人文書」)である。そこでは、人々の対話を阻(はば)み、人々を分断させている日本社会の現状分析を通して、「対話による合意形成」の重要性が一貫して主張される。その論述に関して山口は自らを、「意地の悪い揚げ足取り」(159ページ)「へそ曲がり」(161ページ)などと言うが、そこに批判性やオリジナリティがあり、また[3]の魅力(“面白い”)のひとつがある。本稿では、「まちづくりと市民福祉教育」にも通底する(使える)、[3]における山口の言説のいくつかを纏めておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

対話のねらいは合意形成と妥当な結論の発見にある
対話は、立場や意見を異にする人と話しあい、互いに納得できる合意点を見つけることである。対話は、相手の立場を理解し、多面的な見方を知ることで、妥当な結論を出すための方法である。対話は、憶測や思いつきではなく、客観的な根拠にもとづいて進めなくてはならない。対話は、自分と相手を成長させ、人と人とをつなぎ、ひいては民主的な社会全体を支えるのである。(はじめに、263ページ)

民主主義の本質は対話であり多数決ではない
民主主義とは対話である。民主主義の本質は多数決でなく、すべての人が対等な立場で自分の意見を根拠づけて主張し、討議し、お互いに納得できる合意点を探るところにある。多数決は、合意を形成するための手段の一つに過ぎない。無造作な多数決は、「多数派の専制」とほとんど同義である。それは、少数者の権利を侵害することになる。民主主義は、共同体のメンバーの人権を保障するための制度である。(40、51、116ページ)

民主主義はすべての市民が賢くなることを要求する
民主主義を支える一般市民は、対話に先立ってあるいは対話の過程で、普段から自分の思考力を鍛えるべく、努力する必要がある。それは、一面的な感情にとらわれない、多面的なものの見方や論理的な思考(「人間の日常生活における論理的思考」「日常的思考」)である。民主主義とは、すべての市民が賢くならなければならないという、無茶苦茶を要求する制度である。大学やその他の教育機関は、その無茶苦茶を実現するために存在しているのである(47、117、146ページ)

一般意思は多数派の意思ではなく理性によるものである
「一般意思」とは、「多数派の意思」ではなく、「実際にメンバー全員が持っている意思」でさえない。それは、「論理的に考えて共同体を設立し維持するために必要な条件」であり、各人に理性(論理的思考力)があれば、メンバー全員がこれを意思するはずのもの(「論理的思考力がある人間なら誰しも納得するはずのもの」)である。その点で、「一般意思」は基本的人権と表裏一体であり、それをお互いに守ることが「一般意思」である。(65、67、107ページ)

権利は義務の対価ではなく義務を伴わない
基本的人権(自由権、平等権、社会権、参政権など)とは、人間が人間らしく生きていくために不可欠のものであり、義務を伴うものではない。「権利」(ライツ:rights)の対義語としての「義務」(デューティ:duty)は、「誰かから要求されたわけではなく、人として当然果たすべきこと」である。「ライツ・アンド・デューティズ」と言えば、「人間として当然要求できることと、人間として当然果たすべきこと」という意味であり、「権利は義務の対価」という意味ではない。ライツとデューティは、表裏一体の「人間として当然のもの」である。人権とは、国家権力が課した「義務」(オブリゲーション:obligation)を果たしたことの対価として、国家権力から恵与されるものではない。(76、77、78ページ)

「人それぞれ」は対話を拒み連帯を妨げる
最近の風潮として、「人それぞれ」が蔓延(まんえん)している。「人それぞれ」という言葉は、相手(個性)を尊重するかのようであるが、他人の意見をよく聞かずに切り捨てる言葉である。それは、人々に対話を拒否させて合意形成をしない、人々の連帯を妨げるものであり、民主主義社会の根幹を掘り崩してしまいかねない。民主主義の理念とは、他人と協力することで、一人で生きていくよりも安全で快適に生きていくことである。そのために、自分たち自身で妥当なルールを決め、それを共有することである。(137、155、156ページ)

個性の尊重は微妙な差異の競い合いにすぎない
「個性重視」をめぐって、「みんなちがって、みんないい」(金子みすず:私と小鳥と鈴と)というフレーズや、「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnly one」(槇原敬之:世界に一つだけの花)という歌詞を見聞きする。多様性を尊重することは重要である。「個性」や「その人らしさ」は、個人の属性ではなく、個人間の関係性である。また、それは、成長する過程で、社会に流通している既存の価値観を選択することで形成されるものである。「もともと特別」などということはない。「個性」や「その人らしさ」は千差万別というよりは、社会的に許容可能な範囲内での変異に収まる。それゆえ、「個性」や「その人らしさ」の尊重とは、ある許された範囲内での微妙な差異の競い合いということになる。(162、163
ページ)

真の道徳教育は対話の教育である
現在、社会全体が「感情」や「思い」を尊重し、「心」を重視する方向に進んでいる。感情は個人的で、その人の立場に依存するものであり、誰しもが認める「正しさ」の根拠とはならない。共有できる「正しさ」は、感情ではなく、客観的な事実と合理的な予測にもとづいた対話によって作っていかなければならない。また、「思い」は、強いことが評価される傾向にあるが、強ければよいというわけではない。「何を思うか」のほうが大切である。そして、「心」が重視されるなかで、(内発的な動機が無視され)特定の徳目(道徳内容)を押しつけ、刷りこむ道徳教育が推進されている。徳目を覚えたからといって、その徳目を実践できるとは限らない。徳目の一方的な刷りこみそのものが、非道徳的である。道徳教育にとって重要なことは、「正しさ」(何が正しいことか)を判断する能力や技術を身につけることである。それは対話の能力であり、「対話の技術」である。(173、264、267、274ページ)

〇ところで、[3]で山口は、「ネットで一番ヒットするのは『普通の人』の意見」という見出しの一節で、次のように述べている。「ネットで情報発信するためには何の資格も学識もいらないので、ネット上のサイトや掲示板には、憶測や妄想にもとづくいい加減な記述があふれかえっている。パソコンの画面に表示されたからといって、それは権威あるものではなく、その辺の居酒屋での世間話や、個人の思いをつらねた日記などと同等の信用性しかないものが大部分なのである」(237~238ページ)。
〇また、本ブログにアップした雑感(55)「『まちづくりの哲学』という本:「キキカン」と「希望」―読後メモ―」(2017年11月15日投稿)で取り上げた宮台真司も、そのなかで次のように述べている。 「ネットが同じ穴のムジナだけが集う<劣化空間>を提供する。<劣化空間>でつけあがる輩(やから)が、電子掲示板や、ブログのコメント欄や、ツイッターなどのSNSを、炎上させる。<劣化空間>は『馬鹿にとっては逃避先』であるが、『馬鹿でない人々にとっては真っ先にそこから逃げ出したい場所』である。ネット上では、見識の深い作家や批評家の発言と、劣化した人々の発言とが、等価になる。そうしたコミュニケーション空間では、見識の深い作家や批評家から順番に退却していく道理である」(51ページ、要約)。
〇山口と宮台の言説に関して一言すれば、「普通の人」「同じ穴の狢(ムジナ:穴熊)」である筆者(阪野)は、行きつけの場末(ばすえ)の酒場で安い酒をあおったり、永遠の高嶺の花である一流ホテルの高級バーでロマネ・コンティを舌の上で転がしたりしながら、「まちづくりと市民福祉教育」についての「思い」を語り合い、意見や知識を「共有」することができれば、と念じている。
〇本ブログのねらいのひとつは、議論のための素材や情報の提供による「問いかけ」にある。その際、「知識は体系になって、はじめて力を発揮するのであって、断片の寄せ集めは単なる雑学である」([3]228ページ)こと、すなわち知識や情報の構造化・体系化に留意したい。

補遺
山口は[3]で、「対話の技術」(どのように対話すればよいのか)について、その要点を次のように「まとめ」ている(259~260ページ)。
①自分から見て、どんなに不正だと思える相手についても、その人なりの立場や感情があるはずなので、まずはそれを理解しようとすることが大切である。
②それから、問題となる事態を具体的に特定し、それが事実に反する思いこみや、中身のない言葉だけのものではないかを検討する。
③人間の思考にはバイアス(偏り)がかかっていることを自覚する。
④自他の要求を明確化することで、争点を明確化する。
⑤要求が、事態の改善につながる因果関係を持っているかどうかを検討する。
⑥相手の思考の体系を理解したうえで、その問題点を指摘し改善策を提示するような建設的な質問をする。
⑦自分自身の立場を反省する。
⑧事実認識を共有する。そのためには、ネット情報に頼らず、学術的な研究や一次資料を確認する。
⑨共有されている価値観を確認し、価値観同士が両立しえない場合には、どの程度のところまでが許容範囲なのかについて合意形成する。現実をその許容範囲に収束させるための適切な手段を検討する。

『まちづくりの哲学』という本:「キキカン」と「希望」―読後メモ―

近所に住むおじいちゃんが入院された。「にわか百姓」の私に、いつも優しくまた丁寧に、農作業を指南してくれた方である。早速お見舞いに伺ったが、一週間ほどたってご子息からお礼の連絡が入った。電話で、である。

我が家には2002年3月生まれの犬(柴犬)がいる。目が見えず、耳も聞こえず、認知症の症状が顕著にみられる。ある夜、大きな声で鳴き始めた。すぐに対応したが、近所からお叱りの連絡が入った。深夜23時30分、無言電話で、であ。

私は昨年、地元の老人クラブの役員を仰せつかった。ある役員との連絡は、時にはメールで行うことがあった。いま思えば、その時の話題は少々厄介なものばかりであった。メールは、お互いの「繋がり」を深化させない、「摩擦」を避けるためのツールとして活用されたのだろうか。

〇「まちづくり」について語るとき、「遠くの親戚より近くの他人」や「向こう三軒両隣り」の日頃の付き合いとそれによる見守り活動や支え合い活動の必要性が指摘される。また、近隣住民の日常の挨拶や立ち話から始まるが、住民相互の直接的な「対話」や対面的な「熟議」によるまちづくりの意義や重要性について述べられる。上記の話は、それらに関する、筆者(阪野)が暮らす田舎町でのひとつの現実である。
〇以前にも増して、住民の個人主義的傾向が強まるなかで、匿名性の高まりと人間関係の希薄化が進んでいる。また、無関心層やフリーライダー(対価を払わず便益を享受する人)が増えている。そういうなかで、新旧住民や世代間にさまざまな葛藤や軋轢が生じ、(地縁)共同体的紐帯の弱体化が深刻な問題になっている。「まちづくり」や「コミュニティ再生」の難しさを感じざるを得ない。
〇さて、筆者(阪野)の手もとにいま、『まちづくりの哲学』という本が2冊ある。アーク都市塾企画/戸沼幸市編著『まちづくりの哲学』彰国社、1991年12月(以下[1])と代官山ステキなまちづくり協議会企画・編集/蓑原敬・宮台真司著『まちづくりの哲学―都市計画が語らなかった「場所」と「世界」―』ミネルヴァ書房、2016年6月(以下[2])である。
〇「アーク都市塾」(現「アカデミーヒルズ」)は、1988年9月に設立された民間の成人向け教育施設である。[1]は、その「塾」で開催された「まちづくりの哲学ラボ」(アドバイザー・戸沼幸市早大教授)における議論の成果を纏めたものである。そこでは、「都市のユーザーとしての生活者の視点」から社会的事象の傾向や背景を把握・分析し、それを通して「まちづくり」について多角的かつ平易に論じている。その際の基本的な考え方のひとつは、「まちづくりは生活の作法づくり」(15~20ページ)である。以下では、「キキカンと生活者によるまちづくり」に関する言説をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「キキカン」からのまちづくり
「まちづくり」への強いきっかけづくりには、大ざっぱにみて「喜楽美」と「哀怒醜」のようなポジィティブとネガティブの感性の両面のベクトルが有効に思える。
この二つの感性ベクトルを一つにまとめた表現が、「キキカン」(嬉々感と危機感の同時表現)という概念である。
単純に「胸の躍るように楽しいこと、美しいこと」(嬉々感)なら、誰でも強く魅(ひ)かれるし、逆に「不当に醜いこと、怒りや不安をおぼえること」(危機感)なら早急に対策を練ろうとするのは、当然である。であれば、この「嬉々感と危機感」を生活環境の中から発見する活動が、「まちづくり」の第一歩であると言える。すなわちこうした一人一人の素朴な思い・感性・執着心の振向けの作法が、今後の都市環境の行方を握っている鍵とも考えられる。(216~217ページ)

生活者による現代版「まちづくり」
生活者による現代的(版)「まちづくり」とは、居住者の立場から一歩踏み出し、もっと幅広い生活範囲の環境に視野を広げたときに発見する様々なキキカン(嬉々感と危機感)をテコに、理性的なプロセスに基づく共同作業を経て、因果関係を明らかにし、建設的に問題解決を図る環境創造活動である。(231ページ)

〇「代官山ステキなまちづくり協議会」は、2006年5月に設置認定された、東京の渋谷区まちづくり条例に基づく「まちづくり協議会」のひとつである。[2]は、その協議会が2011年に開催したセミナー「まちづくりの哲学」の一環として企画・実施された対談を纏めたものである。対談者は、都市計画界の重鎮である蓑原敬(みのはら けい)と、稀代の社会学者と評される宮台真司(みやだい しんじ)である。
〇その対談は、「よいまちとは何か」「どうすればよいまちは作れるのか」「なぜよいまちを求めるのか」(ⅰページ)という三つの素朴な疑問や、「未来への渇望が“希望”と呼べるのなら、まちづくりとは“まち”に“希望”を刻印する営み」(ⅵページ)であるという理念(根本的な考え方)などをベースに展開される。そして、「まちづくり」をめぐる豊富で高尚な知識や見識に基づく対談を通して、人間の幸福や生きる意味を考える。とりわけ、宮台の読書体験(膨大な知識の量と質)には圧倒される。また、個人的体験の開陳や社会風俗や事件に対する鋭い分析も興味深い。以下では、「我田引水」的な「つまみ食い」と評されることを承知のうえで、論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「微熱感」と「生き物としての場所」
街とは、建物や街路などの空間的配置だけでなく、そこを行き交う人々の内面をも含んだ、生き物のようなもの(「生き物としての場所」)である。1990年代初めの渋谷には、街全体に「微熱感」があった。分かりやすい言葉で言えば、「この街にいれば、何かができる」という感覚(「魅力」)である。当時の渋谷は、女子高校生を中心とする若者たちにとって、普段緊張を強いられ“演技”をしている家や学校や地元とは違う、「素」の自分に戻れる「解放区」「居場所」であった。(宮台:15、17ページ)
 
まちづくりと「機能的に空白の場所」
まちが計画的に作られていくと、すべての場所に目的が割り振られてしまい、その目的に従って生活することが命じられ、まちに拘束されているという感じがする。(代官山ステキなまちづくり協議会 野口浩平:ⅲ、24ページ)
1990年代半ばに「屋上論」を展開した。なぜ学校の屋上には不良や今で言うひきこもりが滞留していたのか。「機能的に空白の場所」だからである。廊下は「歩く場所」。校庭は「運動する場所」。教室は「学ぶ場所」。でも屋上にはそうした機能が割り振られていない。だから「何かをする人」でいる必要がなくなって、解放されるのである。
機能を割り振られた場所を、機能的に空白の場所へと差し戻す「屋上化」は、<我有化>(固有化、自己化、自分のものとすること)の一種である。(宮台:24~25ページ)

IT化と「感情の劣化」
インターネット元年である1995年から2010年頃までは、ネットの良さは「誰にでも開かれていること」「誰とでも繋がれること」だとされた。そのお蔭で、「新しい政治参加」「新しいコミュニティ形成」に役立つのだと喧伝された。昨今は一転。ネットが「誰にでも開かれている」からこそ政治もコミュニティも<感情の劣化>に見舞われがちになった。また、ネットが「同じ穴の狢(ムジナ)」(同類の悪党)だけが集う<劣化空間>を提供したり、(ゲートを設けて出入りを制限する)<見えないゲーテッドコミュニティ化>つまり<見えない化>が進むようになった。ネットは、「見たいものだけ見て、見たくないものは見ない」という、さもしく浅ましき営みに帰結しがちである(宮台:51、54、57ページ)
「感情の劣化」とは、真理の獲得よりも、感情の発露が優先される態勢である。それは、「感情を制御できずに<表現>よりも<表出>に固着した状態」とも言える。ちなみに、<表現>の成否は相手を意図通りに動かせたか否かで決まり、<表出>の成否は気分がスッキリしたか否かで決まる。(宮台:58ページ)

コミュニティ再生とファシリテーター
対人ネットワークが空洞化してしまった現在、コミュニティ再生のための処方箋は、エリート論でもソーシャル・キャピタル論でもなく、「熟議論」である。ただしそれは、皆で話し合えばいいという議論ではなく、熟議論の半分はファシリテーター論である。ファシリテーターが従来のエリートと決定的に違うのは、人々が「自分たちで決めた」という感覚を失わない範囲で座まわしをすることである。(宮台:130~131ページ)
ファシリテーターは「依らしむべし、知らしむべからず」(「為政者は人民を施政に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい」)の対極である。ファシリテーターには、知識や教養もさりながら、場の感情的配置やダイナミクスへの敏感さが必要である。なぜなら、これが正しいという内容的介入ではなく、「声のデカイ極端者」が場の空気を支配できないように、不完全情報を可能な限り完全化したり、発言機会をコントロールしたりする役目を果たす存在だからである。(宮台:131ページ)

「感情の教育」と「ななめの関係」
コミュニティ再生には、優秀な座回し役・呼び掛け役・巻き込み役を果たすことができるファシリテーターを養成することが必要である。そのためには、<感情の教育>が必須となる。しかしそれを国民全体のものとして構想すると、全体主義に陥ることになる。また、現在の教育人材を前提にすると、公的に制度化することは不可能である。そこで、顔が見えるコミュニティで、人格的信頼を基盤にした子どもの<感情の教育>に乗り出すしかない。(宮台:135ページ)
しかも、「何がいい人生なのか」「何がいい社会なのか」という価値への言及(価値教育)が不可欠となる。その価値を埋め込むのは、教育したがる大人を一部に含んだ子どもの「成育環境の全体」である。そのなかで例えば、親子という「縦の関係」よりは、井戸端や縁側の話とも関係するが、親戚や近所の大人との「ななめの関係」で「価値の伝承」を図ることが大切になる。(宮台:136、138~139ページ)

〇宮台がいう「感情の教育」は、道徳教育やそれを基盤とした「心の教育」などにかかわることから、慎重に取り組むことが求められる。それは、個人の主体性や自律性を軽視あるいは無視したり、現在の政治・経済・社会の状況や情勢を無批判的・肯定的に捉え、個人の社会への順応や適応を重視するもの(偏狭な「社会化」)であってはならない。「感情の教育」に求められるのは、「コミュニティの再生や創造」に向けた批判性や創造性、革新性である。
〇地域貢献活動と学習活動を通して市民性を育むサービス・ラーニング、学校・保護者・地域住民が連携・協働して進めるコミュニティ・スクール、地域課題の発見・解決に向けた能動的学修のアクティブ・ラーニング、そして「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現。いままさに、「体験学習」と「共生社会」の時代であり、「地域ファースト」と「一億総活躍社会」(皆が包摂され活躍できる全員参加型社会)の時代である。しかしそれは、政府・行政主導の、学校や地域に対する「強制」や「動員」あるいは「下請け」や「丸投げ」であってはならない。「まちづくりの哲学」の構築が求められるところである。外発的で他律的・依存的な、しかも哲学のない「まちづくり」は地域を亡ぼす。それは、「市民福祉教育」においても然りである。
〇なお、筆者は、「まちづくり」と言うと山崎亮と田村明を思い起こす。山崎は、全国各地で、「自立的共同体」づくりを支援する「コミュニティデザイナー」として活躍している。田村は、総合性や文化性のある都市計画づくりをめざして、平仮名の「まちづくり」を提唱した「都市プランナー」であった。[2]で、宮台は山崎について、蓑原は田村についてそれぞれ言及している。留意しておきたい(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

山崎亮と「コミュニティデザイン」
行政が山崎亮を呼ぶ目的は明白である。一口で言えば、地域住民にとって自治体行政が持つ意味を一変させること。「金を持ってこい」「予算を組んで何とかしろ」と政治家や行政に要求するかわりに、「邪魔しないでくれ」「自分たちの自立的活動をサポートする枠組みやインフラを整えろ」と要求するように、変える。とはいえ、霞が関エリートや自治体エリートには、山崎亮的なコミュニケーションをする能力も機会もない。
行政が「個人を」サポートして共同体を空洞化させるのでなく、行政が「(個人を包摂する)共同体を」サポートする。「弱者への再配分」から「(参加と包摂に向けた)動機づけへの再配分」へのシフトである。行政の山崎亮支援はこれである。(宮台:144ページ)

田村明と「まちづくり」
総合的な都市計画ではなく、法定外の協議型・参加型の都市計画が平仮名のまちづくりの代名詞になってしまっている。
平仮名のまちづくりが独立してしまうと、漢字の都市計画とは切れてしまい、補助金も使えないし、使えても微々たるものしか出してもらえない。国の縦割り組織との対立や国法の解釈をめぐる厳しい領域には立ち入らない、弥縫的なことになる。与えられた枠のなかで、自分たちが活動できる領域のみで行動して、それで「やれた。やれた。成果だ。成果だ」と言う。平仮名の共同体のスケールのまちづくりと、漢字の権力的なガバナンスが避けられない都市計画をトータルに考えるべきである。(蓑原:198~199ページ)

付記
この<世界>は、低迷し、奥深い混沌が支配している。そこから脱出し、幸せを追求する一つの道筋として、広い意味での「まちづくり」がある。その道筋は、「都市計画」や狭い「まちづくり」の障壁を超えて、自然生態系と折り合いながら、人のつながりを再構築しながら、身の回りの生活環境を立て直す行動に僕らを誘っている。(蓑原:363~364ページ、抜き書き)
 

生き方をデザインする:「塑(そ)する」ことと「繋(つな)ぐ」こと―佐藤卓著『塑する思考』読後メモ―

デザインの本質は、物や事をカッコよく飾る付加価値ではありません。あわゆる物や事の真の価値を、あらゆる人間の暮しへと繋ぐ「水のような」ものなのです。(「帯」)
 
〇筆者(阪野)の手もとに、日本を代表するグラフィックデザイナーの一人である佐藤卓が書いた『塑する思考』(新潮社、2017年7月。以下「本書」)がある。本書は、デザインのノウハウ本ではない。佐藤がデザインに関する「仕事」を高く積み上げ、それを深く掘り下げることによって体得した「思考」について論じたものである。その際の重要なキーワードは「塑(そ)する」である。また、注目したいキーワードに「繋(つな)ぐ」がある。本書はつまりは、人間の「生き方」すなわち「哲学」の書である(筆者にとって「塑する」とは馴染みのない言葉である。連想するのは「粘土・彫塑」「木材・彫刻」といった程度である)。
〇佐藤は言う。「人の営みの中で、デザインが一切関わっていない物(モノ)や事(コト)など一つもない。政治、経済から医療、福祉、衣食住、教育、科学、技術、エネルギー、社会活動、等々まで、どんな分野のどんな物事にも、すでにデザインがある」(74ページ)。「人がなし得る全ての企てには、計画的であるか否かにかかわらず、必ずデザインが及んでいる」(75ページ)。「デザインは全ての人間の営為を成り立たせるために必要なもの」(77ページ)である。本稿では、佐藤のこのような視点を首肯したうえで、留意したい言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。「です・ます」調を「である」調に変換。見出しは筆者)。

「人の営み」とデザイン
デザインは日常ありとあらゆるところに隠れている。意識化されるデザインなど、そのごく一部にすぎず、ほとんどのデザインに対して我々は無意識である。(8~9ページ)
どんな技術にせよ情報にせよ、人に届けるためには何かしらのデザインを必ず経なければならない。これは、それぞれの人の思想や好き嫌いの問題ではなく、人が人として生きていく上でどうしても避けられない事実である。(9ページ)
 
「弾性」と「塑性」
「柔(じゅう)よく剛(ごう)を制(せい)す」という言葉がある。しなやかな柔軟さが一見強そうな堅さを結果的には負(ま)かしてしまうものだ、を意味する。この「柔」という言葉は、さらに「弾性(だんせい)」と「塑性(そせい)」の二つの性質に分けられる。(47ページ)
弾性とは、例えば釣り竿のように、外部から力が加わって形を変えても、その力がなくなれば元の形に戻ろうとする性質である。塑性とは、例えば粘土のように、外部からの力で凹(へこ)むと、そのままの形を保つ性質である。それは、加わった力次第でそのつど形状を変化させる。(47ページ)

「自分らしさ」と「ありのまま」
人生訓上の「柔」は、これまでは「弾性」をイメージして語られてきた。いかなることに当っても自分を見失うな、常に自分の形を忘れず、自分に戻れ、といった具合にである。(48ページ)
これに対して「塑性」は、自分の形などどうでもよく、そのつど変化してもかまわないのだ、となる。しかし、そもそも自分とは何か、自己意識はどこから来て、なぜ自分は今ここに存在するのか。人生のそんな基本についてまるで分かっていない自分に、どんな形があるものなのか。自分を分かっていない自分が、自分の形をどう決めるというのか。何を考えているにしても、すでに考えている自分が存在するのだから、「自分らしさ」を気にかける必要はなく、そのつど与えられた環境で適切に対応している自分のままがいいのではないか。(48~49ページ)
自分のままであるかどうか(自分を強く意識していないかどうか)を自覚するためには、折あるごとに自分を疑ってみなければならない。何かよい案を思いついても、その直後に、これは第三者にもちゃんと伝わるのだろうか、と自分を疑ってみる。(51ページ)

「やるべきこと」と「やりたいこと」
塑性的であるとは、社会の流れにただ身を委(ゆだ)ねることでも、無闇(むやみ)に付和雷同することでも、ましてや世の中に媚(こ)びて流行を追うことでもなく、置かれた状況を極力客観的に受け止め、適切に対応できる状態に自分をしておくことである。それは、世の中に流されない冷静な判断の下、自分が今なるべきものになる、「やるべきこと」をやる姿勢である。塑性的であれば、やるべきことが、まさに「やりたいこと」になる、と言い換えてもいい。(60ページ)
 
「表現」と「個性」
デザインの仕事では、とかく個性的な表現を求められる傾向がある。そこで、自分らしさとは何かと考えざるを得なくなる。(49ページ) 
本来、個性は誰にでもあって、個性のない人など、この世に存在しない。表現以前の思考の段階がすでに充分個性的なので、個性は、それと意識していない状態のほうがむしろ出やすいのではないか。(54ページ)
なすべきこと(「やるべきこと」)についてできるだけ客観的に思考し、見極めるところに、その人ならではの個性が出る。一般には、目に見える表現に個性があるとされがちであるが、それは違う。表現以前のその人その人の思考、ひいては生き方や思想に個性は確実に潜んでいる。(54ページ)
 
「発想」と「繋ぐ」
未知の事象が突如現れたかのように、「無」から何かを発想するなど、絶対にあり得ない。必ず「それ以前」が存在する。つまり発想とは、ある目的のために今まで繋がっていなかった事物同士を繋げる試みであり、自分が「無」から純粋に生み出すのではけっしてない。すでにあるのに気がつかずにいた関係を発見して繋ぐ営為が、発想である。(55ページ)

「仕事」と「塑性」
全ての仕事は「これから」のためにある。将来のために、今、何をしておくべきかを考え、事を為すことである。(168ページ)
あらゆる仕事という仕事の基本は、「間に入って繋ぐこと」である。(57ページ)
何かと何かの間に入って両者を繋ごうとすると、当然、繋ぎ方はそのつど異なる。臨機応変な繋ぎ方を可能にするため、一定の形を持たずにおく、それこそが塑性による「柔」の姿勢である。自分の形を持っていると、帰巣本能のようにそこに帰っておけば安心であり、その形が自分が社会的に認知される効力にもなる。(58ページ)
しかしながら、一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭めるのだと知っておくべきである。(58ページ)

「感性」と「仕事」
デザインは「感性の仕事だ」と言われる。それは、感性は特別な人にしか備わっていないといったニュアンスさえ感じられる。(62ページ)
そもそも感性とは何なのか。それが外部からの刺激、あるいは情報を感受する能力だとするなら、周囲の環境から何らかを感じ取る力に差はあれど、感性がまったくない人などいるわけがない。(62ページ)
誰にでもふつうに備わっている感性をさらに活かす能力、すなわち感じ取った内容を世の中に役立つなにものかに変換していく能力を技術として身につけているのがデザイナーの本分である。(64ページ)
感性が必要ない仕事などあり得ないのだし、感性を持たない人などいない。感性を活かすための技術が、それぞれの仕事でそれぞれに必要なのである。その技術とは、聞き・話し・見せるコミュニケーション能力であり、発想する能力であり、具体的な形にする能力である。(65ページ)。

「ほどよい関係」とデザイン
昔から普段よく言われてきた「ほどほど」や「いい塩梅(あんばい)」などの言葉が、実は日本人が忘れてはならない大切な感性をしかと伝えている。(115ページ)
度が過ぎない、ほどのよいところを見極める(「ほどほどを極める」114ページ)、そこにこそ、デザインを考える、ひいては人の営為を考える上での大切なヒントがある。(258ページ)
秩序と無秩序、国と国民、伝統と現代、人と人、人と物事‥‥‥。それらのほどよい関係を見つけるためにこそ、人の営みにはデザインがあり続けるのである。(259ページ)

〇以上から、本稿の冒頭に記した本書の「帯」の一節に注釈を加えるとすれば、次のようになろうか。すなわち、デザインの本質は、物や事をカッコよく飾るために外から価値を付け足すこと(「付加価値」)ではない。あらゆる物や事がもともと持っている真の価値を見出し、その価値をあらゆる人間の暮しへと繋ぐ、われわれが生きる上でなくてはならない(「水のような」)ものである。デザインの本質は自己表現ではなく、何かと何かを「繋ぐ」ことである。デザイナーの仕事は、あらゆる物事を社会や不特定多数の人の間に入って、ほどよく繋ぐことであり、装飾を施す(デザインする)ことが目的ではない。
〇ここで、山崎亮の「コミュニティデザイン」(community design)の言説を思い出す。山崎によると、コミュニティデザインとは、地域コミュニティの課題をその地域の人たちが自ら解決できるよう、「場」や「しくみ」をデザインすることである。コミュニティデザイナーの仕事は、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわちコミュニティデザインを進めるために、人と人を結びつけ、なさすぎでも、ありすぎでもない「いいあんばいのつながり」(山崎亮『コミュニティデザインの時代』中央公論新社、2012年9月、10~11ページ))をデザインすることである。佐藤の言説と通底するところである。
〇佐藤は、「(政治・経済や医療・福祉、科学・芸術など全ての)人の営みの中でデザインと関わりのない物事は何ひとつないのだとすれば、必然的にデザイン教育へと意識が向かう」(216ページ)。「デザインは、我々を取り巻く地球環境を人の営みと共に気づかい(気づいて思いやる)考えることでもある」(220ページ)、と言う。そこで、デザインマインドを育む「デザイン」の授業を、「英語の早期導入や道徳の成績評価化の前に、むしろ国語・算数・理科・社会・体育・デザイン」として一日も早く、小学校低学年から始めてはどうか、と提案する(220ページ)。
〇また、山崎も言う。「これからの地域福祉に必要な知恵を、『わたしたち』は、どこで学ぶのか。現場で学べばいい。地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得(えとく)することに勝る教育はない。その生き方(Life)こそが、21世紀を生きていく『わたしたち』にとって最高の財産(Wealth)になるであろう」(山崎亮『縮充する日本』PHP研究所、2016年11月、355ページ)。佐藤と山崎のこの言説については、「まちづくりと市民福祉教育」について探究する筆者にとって、同感するところである。
〇佐藤にあっては、「ある課題を深く掘り下げて行くために、場合によっては一定の枠(=形)をあらかじめ決めて(=持って)おく必要があることまで否定するつもりはない」(61ページ)。そう言いながらも、弾性的に自分の形あるいはスタイルを持つことには否定的である。「一つの自分の形を持ってしまえば、それ以外のあまたの可能性を狭める」、と佐藤は言う。
〇この点を「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に引きつけて言えば、その実践・研究をめぐる状況や課題は、歴史的・社会的に形成され変質する。その点を認識したうえで、「まちづくりと市民福祉教育」の科学的・体系的で学際的な深化・発展を期するためには、独自(固有)の視点や枠組み、アプローチの仕方や分析方法、言語体系や記述方法などを設定・構築することが必要かつ重要となる。とは言え、すべての実践家(学術的実践家)や研究者(実践的研究者)が同一の実践・研究方法による必要はない。それぞれの形あるいはスタイルを持つ実践・研究の成果を、「共働」の視点に立って、如何に融合化・統合化するかが重要となる。それによってはじめて、「まちづくりと市民福祉教育」の総体としての推進が図られることになる(注①)。例によって我田引水ではあるが、あえて一言付け加えておきたい。
〇最後に、蛇足ながら付記すると、言葉は人の考えや感情をデザインするものである。筆者がこれまでに多少なりとも関わった「仕事」(まちづくりと市民福祉教育)を通じて使うようになった言葉やキャッチコピーに、例えば、次のようなものがある。「ふくし」(ふだんの・くらしの・しあわせ/福祉の意味/注②)、「あいとぴあ」(であい・ふれあい・ささえあい+ユートピア/狛江市社協:地域福祉活動計画/1990年3月)、「みんなのなかにわたしがいる みんなとともにわたしがいる」(自立と共生/三重県社協:小学生からの福祉読本/2004年3月)。これもデザインである。


①「福祉教育」に固有の実践・研究方法はすでに成立・存在しているか、ということをめぐっては、例えば、日本福祉教育・ボランティア学習学会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸-学際性と変革性―』大学図書出版、2014年10月、から読み解くこともできよう。筆者は、福祉教育実践の理論化・体系化は言われるほどには進んでいないと思っている。ここ10年近くは、「先進的」「独創的」と評される実践事例の単なるモデル化や定型化による「福祉教育プログラム」の研究開発が進められてきた。そのうえに、いま、政府主導による形式的で画一的な、財源の裏付けを欠いた、理念や理想としての「地域共生社会」づくりが強調(強制)されている。気にかかるところである。言うまでもなく、地域づくり(まちづくり)を推進するためには、そのノウハウやヒト、モノ、カネが必要である。
また、「地域共生社会」については、原田正樹の次の指摘に留意したい。「これまで『総論賛成・各論反対』と言われてきたが、7・26(相模原殺傷)事件はこの『総論』でさえも全否定し、共生社会を実現していくことの難しさを思い知らされた」(原田正樹「7・26(相模原殺傷)事件を考える-事件が問いかける意味とは-」『ふくしと教育』第22号、大学図書出版、2017年2月、13ページ)。改めて、いま、福祉教育の理論的・実証的研究のあり方が厳しく問われている。
②「ふくし」の意味することについて、原田正樹は次のように述べている。「共生文化を創出していくことができる力のことを『共に生きる力』という。これが福祉教育の目標である。/そしてそのことを子ども達にもわかるように、福祉教育実践の先人たちは、福祉を『ふだんのくらしのしあわせ』として、メッセージを込めた。/『ふくし』の主体は、私自身である」(逗子市社協 福祉教育チーム企画・編集『みんなが「ともに生きる」福祉教育の12年~逗子での12年の実績を踏まえて~』逗子市社協、2015年8月、101ページ)。
なお、筆者が平仮名の「ふくし」(ふだんの・くらしの・しあわせ)という言葉を使い始めたのは、1990年代中頃から2000年前後にかけての時期であろうか。その直接的なきっかけは、茨城県社協主催の福祉教育セミナー(1994年2月、1998年1月、2000年1月、2001年1月)に参加したことにあるが、そこで修得したのは「ふくし」=「普通の・暮らしの・幸せ」であった。

改めて、田村明を読む―「まちづくり3部作」について―

〇筆者(阪野)の手もとに、鈴木伸治編『今、田村明を読む―田村明著作選集―』(春風社、2016年4月)がある。本書には、田村明(1926年~2010年)の環境開発センター・横浜市役所時代(1963年~1968年、1968年~1981年)の「初期の論考」から、都市やまちづくりについての「思考の軌跡」をたどることができる8編が収録されている。
〇田村は、都市計画・都市政策の実践者・改革者であり、「(実践的)都市プランナー」「地域(政策)プランナー」「自治体プランナー」などと言われた。また、「まちづくり」という言葉を一般に広めたことでも知られる(1ページ)。鈴木によると、「田村が我が国の都市計画に遺した功績は、主に横浜市における実践と、法政大学に移って以降の『まちづくり』を世に広める活動の2つに分けられる」(27ページ)。
〇田村の著作に「まちづくり3部作」と呼ばれるものがある。(1)『まちづくりの発想』(1987年12月)、(2)『まちづくりの実践』(1999年5月)、(3)『まちづくりと景観』(2005年12月)、がそれである。いずれも岩波新書として刊行されたものであるが、そのねらいは、「まちづくり」の思想の普及啓発と全国におけるの実践の紹介にあった。鈴木が、「田村はまちづくりや自治のあり方を説いて回る伝道師のような存在でもあった」(24ページ)と評するところでもある。ただ、「3部作」は内容的には、単なる啓蒙書に留まるものではなく、学術的な専門書である。
〇本稿では、鈴木の編著をきっかけに再読した「3部作」のなかから、再認したい田村の言説の一部を紹介することにする(抜き書きと要約)。言うまでもなく、田村が思考と実践を重ねた時代背景や政治的・社会的状況は、現在では大きく変わっている。こんにち、貧困と格差が拡大し、不安感や閉塞感が漂うなかで、「地方創生」「一億総活躍」「人づくり革命」などのスローガンが声高に叫ばれている。そうした「今、田村明を読む」のは、田村の「まちづくり」の思想と実践から改めて何を学びなおし、何が「使える」かを探ることでもある。

■ 『まちづくりの発想』
まちづくりの構造
「まちづくり」とは、一定の地域に住む人々が、自分たちの生活を支え、便利に、より人間らしく生活してゆくための共同の場を如何につくるかということである。その共同の場こそが「まち」である。(52~53ページ)
共同の場(「まち」)とは、目に見える広場や美しい町並みもあるし、共同で利用できる上下水や街路などの施設もある。さらに、地域に住む人々が互いに知らない間でも守ってゆけるルールや意識も、見えない共同の場といえるだろう。(53ページ)
「つくる」とは、新しくつくるだけではなく、風土と歴史の上に立ってこれを修復したり、守ることも含まれる。「つくる」対象としては、(1)モノづくり、(2)シゴトづくり、(3)クラシづくり、(4)シクミづくり、(5)ルールづくり、(6)ヒトづくり、そして(7)コトおこし(イベントを起こす)、の7つをあげることができる。(54ページ)
「つくる」には、「見えるまちづくり」と「見えないまちづくり」の両面があり、それらが不即不離(ふそくふり。つかずはなれず)で働くのが、まちづくりである。また、「つくる」には、逆に「つくらない」こと、「つくらせない」こともふくめておきたい。無用な開発を抑制したり、自然を保全したり、歴史的な遺産を破壊しないようにするということも必要である。(87ページ)

まちづくりの基本理念
「まち」とは市民全体が共有のものとして自覚でき、共同に利用、活用できる場の総称である。「まちづくり」とはその共同の場を、市民が共同してつくりあげてゆくことである。
共同の場とは、(1)共同空間、(2)共同施設、(3)共同システム、(4)共同サービス、(5)共同イベント、(6)共同文化、などの総称である。
これらの共同の場をつくり、働かせてゆくことが「まちづくり」の目標であり、それには次のような基本理念をもってのぞむことが必要である。
(1)トータルの理念―まちは、個々ばらばらでなく、全体としてひとつである。
(2)システムの理念―まちは、複雑な要素が相互に絡みあい関係しあっている。
(3)共有環境の理念―まちは、市民の共有の空間であり環境である。
(4)市民共用・共益の理念―まちは、特定の人々のためではなく、市民全体に利用され、その共同利益のためにある。
(5)市民共存・共生の理念―まちは、多数の異なる人々が矛盾をもちつつも、互いの相違を認めあって生活する場である。
(6)市民協働・共責の理念―まちは、一人の手ではなく、市民の共同作業により、共同責任でつくられるものである。
(7)市民共感・共愛の理念―まちは、市民が共通した誇りと愛情をもてるものである。
(8)相互交流の理念―まちは、市民相互はもちろん、他の多くの人々、外国の人々を含めた交流の場である。
(9)内発性の理念―まちは、他からの強制ではなく、市民や自治体の自発的な発想と行動を主力にしてつくられるものである。(121~122ページ)

まちづくりの基本的発想
「まちづくり」は、「まちづくりの基本理念」を具体化し、次のような6つの基本的な発想に立っている。
(1)人間環境の思想
都市づくりや地域開発を、巨大な物としてではなく、まず生物としての人間の環境としてとらえ、都市や地域を人間にとってより望ましいトータルな環境(自然環境と人工環境)として創造してゆくべきだという考えである。人工環境も、巨大で機能だけを充たすものであってはならない。美しさや魅力、たのしさ、おもしろさ、安らぎといったものも必要である。(124~125、128ページ)
(2)市民自治の思想
ただ市民が集まって意見をいうとか、市民の意見を行政が吸(す)いとるというだけでは、ばらばらの矛盾した意見や思いつきの羅列に終わる。それらの市民の意見や行動がまとまった市民共通のものとなるのが、市民自治の考えである。それには、市民にせよ自治体行政にせよ、総合的なチエと行動力をもった人々と、その人々が働けるシクミが必要である。(139~140ページ)
(3)総合的主体性の思想
「まちづくり」は、自治体や公的機関、民間企業、市民などによってばらばらに行なわれてきたものを明確な目標の下に結集させ、「まち」が主体となって総合性を発揮しようという考えである。自治体がまちを全部つくることはできないし、そんなことはできるはずがない。まちは多くの主体が協働し、共同の責任でつくってゆくものである。(140、141ページ)
(4)地域個性確立の思想
各地にはそれぞれの個性があり、そこに歴史があり、多くの固有な地方文化を育ててきた。「まちづくり」は、自分の足もとの地域を見直し、そこから地域の特性を引きだし、これを広い未来的視野に立ってて伸ばし育てることである。「まち」の風土と歴史から、その地にふさわしい個性を見付けだし、また創造してゆくことである。(145、151ページ)
(5)継続的創造性の思想
「まちづくり」とは息の長い、未来に向けての作業である。「まちづくり」という考えは、単発的で短期的な物の考え方ではなく、長期にわたり、終りのないものである。だから夢がある。それは、新しい価値を将来に向かって創りだしてゆく作業である。まちづくりは、未来に向けた創造である。(152、154ページ)
(6)実践の思想
「まちづくり」は、たんなる観念やヴィジョンに終わらせるものではない。時間をかけても実践してゆくものである。「まちづくり」の思想は、あくまでも実践に方向性を与え、その力になり支えとなるものである。「まちづくり」は未来につながる今日に生き、今日の行動の中に未来を生みださなくてはならない。(158、159ページ)

まちづくりと地域経営
「まちづくり」「地域づくり」は、地域内にある土地、金、物、そして人やチエを生かし、組合わせながら、長い目で見て、暮しやすい、住みやすい場をつくることである。それは、地域資源を活用して目標を達成しようという一種の経営である。地域の土地や資源は限られているから、一時的に利用して効率がよければよいというのではない。長期性、未来性の見地からみた経営であり、短期の効率性ではなく、長期の効果性に重点をおく経営でなければならない。
長期的でトータルな地域全体の発展に目を向けなければならない。そして、地域全体を公平な目でとらえ、永続的に市民全体の代表として考えられる自治体が、地域経営の責任をもつべきであろう。自治体にとっての「まちづくり」は、ここでいう意味の地域経営である。(176、177ページ)

■ 『まちづくりの実践』
まちづくりの意味
平仮名の「まちづくり」は、従来の価値観を変える挑戦をしようというものである。「まちづくり」の用語は、次のような意味をもっている。(1)官主導から市民主導へ。(2)ハードだけでなくソフトを含めた総合的な「まち」へ。(3個性的で主体性ある「まち」へ。(4)すべての人々が安心して生活できる人間尊重の「住むに値する」まちへ。(5)マチ社会とその仕組みづくり。(6)「まちづくり」を担うヒトづくり。(7)環境的に良質なストックとなる積み上げ。(8)小さな身近な次元の「まち」に目をむける。(9)広域的に考え、世界の「まち」と繋がる。(10)理念や建前だけでなく実践的なものへ、である。「まちづくり」とは、これらの全部が関係しあっていて、その全体を含む意味である。
なお、10項目中の(5)「マチ社会とその仕組みづくり」は、異質で多様な価値観をもつ人々が、互いに個性や自由を尊重しながら、その相違を超えて結合できる新しい社会(「マチ」)と仕組みをつくるのも、「まちづくり」の重要な目的である。(7)「環境的に良質なストックとなる積み上げ」は、使い捨てのフロー(流れ。流入と流出)中心システムではなく、限られた環境資源を有効に回して、継続的に使えるよい蓄積を積みあげてゆけるシステムに変えるのが「まちづくり」である、と言う意味である。(33~37ページ)。

まちづくりの実践の意味
「まちづくりの実践」とは、行動を通じて環境を意識的に変化させることである。「まちづくり」の実践の基本には「理念」や「理想」がある。それが「現実」と食い違うときに、現実を理念に近づけるようにする行動の全体が実践である。理念とか理想をもたない場合には、どんなに大きな事業でも、既定路線上の機械的な「実行」に過ぎない。(41ページ)
また、混迷を深める時代(現代社会)において、「まちづくりの実践」は次のような意味をもつ。(1)自己中心主義からの脱皮。(2)国際性を育てる。(3)人間環境を守り育てる。(4)人生を豊かにする。(5)新しい自由な人間の結びと出会いの場をつくる。(6)未来と対話する、である。
なお、以上のうち、(1)「自己中心主義からの脱皮」は、「まちづくりの実践」は、身近な自然や人間への関わりと、その思いやりから始まる。人と自然、人とモノ、人と人との関係を見直すことである。(6)「未来と対話する」は、「まちづくりの実践」は過去から未来への時間のなかの現在として行われるものである。一人の小さな人間も、「まちづくり」を通じて、心は空間的にも時間的にも無限に広がることができるし、そのなかに自分の小さな位置を発見することもできる、と言う意味である。(200~206ページ)

■ 『まちづくりと景観』
景観の特性
景観は「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。景観の主体は生活者である市民である。景観は市民の協働の作品である。景観は歴史的な存在であると同時に、現在の社会の状態をそのまま反映している。景観は自然を加工し、人工物を加えた総合的な姿として示される。景観はそれぞれの地域の個性である。景観はコミュニティのつながりを保つ手段にもなる。「景観」とは、「地表のあるまとまった地域をトータルに捉えた認識像」である。(33、34、85、93、105、112、119、216ページ)

景観づくりの原則
都市景観は、自覚ある市民が思いをこめて協働し、長年にわたってつくりあげていく作品である。次の留意点は、「美しい都市景観づくりのための19原則」である。(1)自然の地形を尊重し、できるだけ生かしていく。(2)特色ある自然の山・川・海・湖などを極力意識的に見せる。(3)連続した時間の証明者である歴史的遺産を尊重し、現代に生かす。(4)都市を拡散させないで、できるだけコンパクトにして、豊かな田園を保持する。(5)都市の上空は市民総有の空間としてコントロールする。(6)都市を一望で捉えられる眺望点を確保し、市民が都市の実感をもてるようにする。(7)協働作品としての都市景観に、個性ある統一性を求める。(8)統一を乱さない範囲の多様性を奨励し尊重する。(9)道路は人間のためにあることを確認し、歩行者空間を拡大する。(10)都市のシンボルをつくり、市民が一致できる共感点を育てる。(11)都市に潤いとくつろぎを増やすため、緑と花と水場を増やす。(12)「まち」に優れたアートやデザインされたストリート・ファニチュア(街具。ベンチ、標識、バス停など)を置く。(13)地域の素材をできるだけ使い、地域の色彩を見つける。(14)地域にふぐわない不良物を排除し、その侵入を防ぐ。(15)人々が楽しく安心して動き、憩う場を作り、市民の交流を深める。(16)都市を舞台にして、伝統の祭り、魅力的な新しいイベントを繰り広げる。(17)日常生活の中で、市民の愛情ある手がいつも加えられていること。(18)ヒトやモノへの人々の優しい気持ちを育てる。(19)子供のときから老人まで「まち」への関心を深める教育・学習を行う、である。
以上の原則を実現するには、地域を総合的に運営できる①「市民の政府」(自治体を変革して「市民の事務局」に変え、さらに進めて「市民の政府」にしていく必要がある。141ページ)の存在と、②市民が協働作品をつくっていく総合的なシステムとルールが必要だが、そんと言っても、③市民の「まち」への思いが大前提になる。(218~222ページ)

〇田村によると、平仮名の「まちづくり」という用語は、1970年代後半(昭和50年代)になって一般化してきた。それは、「ハード」と「ソフト」の両面を含む総合的な「市民的な用語」であるが、「まちづくり」にはもうひとつ「時間の軸」がある。時間軸は、過去が現在を通して未来を求めていくものである(『実践』ページ)。すなわち、「まちづくり」は、今日の「場」における地道な作業(実践)の積み上げを必要とするが、「夢」のある未来を実現するための行為であり、運動である。「まちづくり」には未来を夢みるロマンがある(『発想』3ページ)。
〇これからの「まちづくり」の課題は、「人が住むに値する場」(「共同の場」)を如何に創り、長期にわたって継続的に維持するかである。そのためには、「まちづくり」の主体である子どもから大人までの実践的な「市民」をはじめ、「まちづくり」の専門家や現場のリーダーを如何に育てるか(「ヒトづくり」)が問われることになる。その際の「市民」は、「自主的に自治をつくる人」「自覚と責任ある市民」を言う。
〇「まちづくりの実践」とは、ヒトが自分以外の外部のヒトやモノなどに対して働きかけて行うものであり、「人間環境」を意識的に変化させることである。すなわち、「まちづくり」は、自然やヒトやモノを相手にする「他者実現」である(『実践』205ページ)。「まちづくり」のプランナー(専門家)は、建築家のように作品を残すことを目的にしていない。皆の力が結集して動いていることと、結果としてよい「まち」が形成されるようにするのが、その仕事である(『実践』174ページ)。
〇そして、「まちの景観」は、「まちづくり」の入り口であり、結果でもある。「景観」は市民の協働作品であり、コミュニティのつながりを保つ手段にもなる。美しい景観は、「人間らしく生き生きと、誇りをもって生きてゆくためのものである」(『景観』227ページ)。
〇以上を要するに、田村の言説は、「まちづくり」のプランナーとしての豊富な経験(横浜市における行政経験)と全国各地の実践例の検証に基づいた、帰納的で未来志向型の思考によるものである。とともに、多様な地域現場の歴史的風土や文化を踏まえた、総合的な発想による、市民主導・市民主体の「まちづくり」論である。それは、地方自治(「市民の政府」)の問題として論じられる。また、「まちづくり」は「ヒトづくり」であることを含意する。改めて再認識しておきたい。
〇なお、田村は『まちづくりの実践』において、「『まちづくり』の動態的構造」の模式図(158ページ)を示している。そして、「『まちづくり』には、市民が主導し協働して行うルートが重要である」。「行政の都合による市民参加は、『みせかけ』あるいは『「宥(なだ)めすかし』という意味になりかねない」。「市民協働の動きが活性化することは、市民が市民としての自覚をもって自治体を他治体から本来の市民政府へと変えてゆく動きになろう」。「市民政府は、市民参加の到達点でもある」、と説述する(158~159ページ)。それらを参考に、「まちづくりと市民参加」の「動態的な構造」に関する管見を「模式化」して図示しておくことにする(図1)。

付記
(1) 冒頭に記した鈴木伸治編『今、田村明を読む』のなかに、「計画行政における市民参加」と題する論文(日本都市計画学会『都市計画』第72号、1972年9月、6~16ページ)が収録されている(127~150ページ)。「市民参加」については、アメリカの社会学者であるS.R.アーンスタインが1969 年に発表した8つの「市民参加の階梯」(図2)が有名である。年代的にはそれを参考にしていると思われるが、田村は、「市民参加の9段階」(図3)を提示している(138ページ)。

(2) 筆者(阪野)の手もとに、田村明著『都市プランナー 田村明の闘い―横浜〈市民の政府〉をめざして―』(学芸出版社、2006年12月)がある。
「大都市のなかで最も優れた都市デザインでしられる横浜市。今から40年前、その礎を築いた男がいた。量のみを求める建設行政、あと先を考えない開発優先、中央官庁のタテワリ支配に反旗を翻し、地域や市民の立場に立った市民の政府としての自治体、ハードもソフトも、便利さも美しさも考えるまちづくりをめざした闘いの記録」(学芸出版社)である。その男が、革新市長・飛鳥田一雄のもとで辣腕(らつわん)を発揮した田村明である。本書から、地方自治と「まちづくり」のひとつの原点を見出すことができる。
「横浜市はいつから独立国になったのかね」「憲法(宅地開発の憲法のような「宅地開発要綱」)をつくったそうじゃないか」「そんなに言うこと聞かないなら、補助金はやらないぞ」(152~154ページ)。国(建設省、現在の国土交通省)の役人の言である。それに対して、田村が国との交渉のなかでよく使ったセリフは、「そんなことを言っても市民が黙っていない」(370ページ)であったと言う。生々しい。
(3) 田村の言説のひとつに、「市民の政府」論がある。それを纏めた一冊が『「市民の政府」論―「都市の時代」の自治体学―』(生活社、2006年8月)である。国による「官治」「集権」の自治体運営とは対極の、市民自身が主体となる真の地方自治の有り様(ありよう)を論じている。
周知のとおり、2000年4月から「地方分権一括法」が施行され、国と地方の関係は「上下・主従」の関係から「対等・協力」の関係に再編された。また、北海道ニセコ町の「まちづくり基本条例」(2001年4月1日施行)を嚆矢として、2006年4月1日現在、64の市町村(全市町村1,820の3.5%)で「自治体(まち)の憲法」としての「自治基本条例」が制定・施行されている(2016年10月10日現在では、全市町村1,718の21.0%にあたる361市町村で制定・施行されている)。こうした状況下で、田村にあっては、「市民の政府」について認識する市民も自治体関係者もごく少なく、現在の自治体はまだ「市民の政府」と言えるものではない。
以下に、田村の言説の一部を紹介しておくことにする。なお、「市民政府」ではなく、「市民の政府」と「の」を強調するのは、市民自身が自治体を自分のモノと思えるようにするためである。
 
 「市民の」政府とは、一口で言えば、「政府が市民の所有物である」という意味だ。国の下請け機関や出先機関ではなく、市民が自立して自分の政府をつくり、自ら所有するということを意味する。(74ページ)

 「市民の政府」の必要条件は、まずは、市民も自治体もその自覚を持つことである。
 「市民の政府」の十分条件には、次の3つがある。
 ① 外部条件  中央統制や関与の排除、財政自主権の確立
 ② 内部条件  市民の参画、情報の公開、説明責任の遂行、政策立案の自主的能力
 ③ 市民条件  市民の信頼、共同意識、市民としての自己責任(75ページ)

 「市民の政府」は、かつての民衆を支配した「お上」の対極にある。混乱する地域と孤立化した人間を支えるには欠かせない、ヒトのココロを優先させる地域経営の装置である。真の人間性と英知による「民治」の「市民の政府」が期待される。(86ページ)

「知的生産」:「知る」ことと「考える」こと―外山滋比古と千葉雅也の「勉強論」について―

〇「知的生産」という言葉は、梅棹忠夫(うめさおただお、専攻は民族学)の造語である。梅棹は、「京大型カード」の発案者であり、情報管理の「古典」と評される『知的生産の技術』(岩波書店、1969年7月。以下[1])を著わしている。[1]で梅棹は、エッセイふうに次のように述べている。

知的生産とは、知的情報の生産である。既存の、あるいは新規の、さまざまな情報をもとにして、それに、それぞれの人間の知的情報処理能力を作用させて、そこにあたらしい情報をつくりだす作業なのである。それは、単に一定の知識をもとでにしたルーティン・ワーク以上のものである。そこには、多少ともつねにあらたなる創造の要素がある。知的生産とは、かんがえることによる生産である。(11ページ)

人間の知的活動を、教養としてではなく、積極的な社会参加のしかたとしてとらえようというところに、この「知的生産の技術」というかんがえかたの意味もあるのではないだろうか。このような意味での知的生産であるならば、それは、現代にいきる人間すべての問題ではないか。(中略)すべての人間が、その日常生活において、知的生産活動を、たえずおこなわないではいられないような社会に、われわれの社会はなりつつあるのである。(12ページ)

〇異例のロングセラーやヒットとなっている「思考」や「勉強」に関する2冊の本がある。外山滋比古(とやましげひこ、専攻は英文学)の『思考の整理学』(筑摩書房、1983年3月。以下[2])と千葉雅也(ちばまさや、専攻は哲学)の『勉強の哲学―来たるべきバカのために―』(文藝春秋、2017年4月。以下[3])である。筆者(阪野)の手もとにある[2]は、1986年4月発行の文庫本であるが、その帯(おび)には「東大・京大で1番読まれた本」「“もっと若い時に読んでいれば…”」というキャッチコピーがある。[3]のそれには、「東大・京大でいま1番読まれている本!」「勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである」とある。ともに読者の、「学歴」(「東大・京大」)や「人生」(「過去・現在・未来」)への思いを刺激し、その感情(「後悔や希望」)を巧みに煽(あお)る。不安や不満が渦巻く現代社会(格差社会、管理社会、閉塞社会)の時流やニーズを反映した本でもある。
〇[2]で外山は、「思考」の本質と方法(具体的な“秘伝”であり、単なるハウツーではない)についてエッセイ的に解説する。その基本には、「知識よりも思考の方が重要である」という主張がある。筆者が再認識しておきたい言説には、次のようなものがある(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

グライダー能力と飛行機能力
人間には、グライダー能力と飛行機能力とがある。受動的に知識を得るのが前者、自分でものごとを発明、発見するのが後者である。両者はひとりの人間の中に同居している。グライダー能力をまったく欠いていては、基本的知識すら習得できない。何も知らないで、独力で飛ぼうとすれば、どんな事故になるかわからない。
指導者がいて、目標がはっきりしているところではグライダー能力が高く評価されるけれども、新しい文化の創造には飛行機能力が不可欠である。(「グライダー」13、15ページ)

思考を寝させる
アイデアと素材さえあれば、思考は進むか、というと、そうではない。これをしばらくそっとしておく必要がある。“寝させる”のである。思考の整理法としては、寝させるほど大切なことはない。思考を生み出すのにも、寝させるのが必須である。
努力をすれば、どんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。努力しても、できないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。(「醗酵」32ページ。「寝させる」40、41ページ)

テーマの設定
「テーマはひとつでは多すぎる。すくなくとも、二つ、できれば、三つもって、スタートしてほしい」。ひとつだけだと、これがうまく行かないと、あとがない。こだわりができる。妙に力(りき)む。頭の働きものびのびしない。ところが、もし、これがいけなくとも、代りがあるさ、と思っていると、気が楽だ。テーマ同士を競争させる。いちばん伸びそうなものにする。さて、どれがいいか、そんな風に考えると、テーマの方から近づいてくる。
“熟したテーマは、向うからやってくる”(「カクテル」43ページ。「醗酵」35ページ)

知識の組み合わせと順序
思考における思いつき、着想は、第一次的なものである。単独ではさほど力をもっていないようないくつかの着想があるとする。そのままにしておけば、たんなる思いつきがいくつか散乱しているに過ぎない。それに対して、自分の着想でなくてもよい。おもしろいと思って注意して集めた知識、考えがいくつかあるとする。これをそのままノートに眠らせておくならば、いくら多くのことを知っていても、その人はただのもの知りでしかない。“知のエディターシップ”(既存の知識を編集によって、新しい、それまでとはまったく違った価値のあるものにすること)、言いかえると、頭の中のカクテルを作るには、自分自身がどれくらい独創的であるかはさして問題ではない。もっている知識をいかなる組み合わせで、どういう順序に並べるかが緊要事となるのである。
本当のカクテル論文(すぐれた学術論文)は、諸説を照合・参照して調和折衷(「新しい結合」「自由な化合」)させ、人を酔わせながら、独断におちいらない手堅さをもっている。(「エディターシップ」51ページ。「カクテル」47ページ)

知識の蓄積と忘却
頭の優秀さは、記憶力の優秀さとしばしば同じ意味をもっている。これまでの教育では、知識をどんどん蓄積することが重視されてきた。しかし、これからは、新しいことを考え出し、作り出す「創造的人間」が問題になる。頭に、勉強し習得した知識を保存保管するだけでなく、不要になったものを、処分し、整理し、広々としたスペースをとる必要がある。頭をよく働かせるには、この“忘れる”ことが、きわめて大切である。
思考の整理には、忘却がもっとも有効である。不易(不変)の知識のみが残るようになれば、そのときの知識は、それ自体が力になりうるはずである。(「整理」110~112、115ページ。「時の試練」127ページ。「すてる」133ページ)

〇[3]で千葉は、「勉強」の原理論と実践論(「勉強を進めるための基礎的なテクニック」)について哲学的に論述する。その最初に提示する基本的なテーゼは、「勉強とは、これまでの自分の自己破壊である」。筆者がメモっておきたい言説には、次のようなものがある(要約と抜き書き。見出しは筆者)。

勉強とは「自己破壊」であり、「変身」することである
人は基本的には、家族や学校、会社、地域・社会など周りの環境の「ノリ」に合わせて生きている(環境への「同調」「適応」「順応」)。
勉強するのは、環境や同調圧力(「みんな同じようにしなさい」「出る杭は打たれる」)によって狭められた人生の「可能性」を切り開き、これまでのノリから「自由」になるためである。その意味で、勉強とは、かつての「ノっていた自分」を破壊し、わざと「ノリが悪い」人になることである。具体的には、勉強によって身につけるのは「批判的になる」ことであり、ノリの悪い「言語」を使用すること(「言語偏重」の人になること)である。それは、環境から「浮く」ことであり、周りから見て「キモい人」になることでもある。
要するに、勉強とは「自己破壊」であり、「新しいノリ」に引っ越すこと、新しい生き方に「変身」することである。(第1章「勉強と言語―言語偏重の人になる」)

勉強は情報の比較を「中断」し、「有限化」することが必要である
勉強は、いま気になっていること、「問題意識をもつ」ことから始まる。ただ、勉強にはきりがなく、「深追い」しすぎると「目移り」してしまうことがある。「深追い」(「アイロニー」「ツッコミ」)とは根拠を疑うこと、「追究」であり、「目移り」(「ユーモア」「ボケ」)とは見方を変えること、「連想」である。この二つは、「深い勉強」(「ラディカル・ラーニング」)のための思考スキルである。
勉強とは、何らかの専門分野に参加することである。専門分野の勉強は、「深追い」方向と「目移り」方向にきりがなくなる。そこで、勉強する際には、「まずこれだけ」「ここまで」「ひとまずこれを勉強した」というように勉強を「有限化」する(きりをつける)。そして、継続すること、が肝要となる。そのためには、「信頼」できる著者による「まとも」な本を読むことが基本となる。その読書から得た信頼できる情報を自分なりに考えて比較し、ある結論、しかし絶対的なものではなく仮の結論を出す。それは、自分の「こだわり」(「享楽」)によるが、この「比較の中断」「結論の仮固定」を比較の継続のなかで進めることが勉強を継続し、深めることである。
なお、「このくらいでいい」という勉強の「有限化」をしてくれる存在(「有限化の装置」)が教師である。また、勉強するにあたって「信頼」すべき他者は、「粘り強く比較を続けている人」「たえず勉強を続けている他者」である。(第2章「アイロニー、ユーモア、ナンセンス」、第3章「決断ではなく中断」、第4章「勉強を有限化する技術」)

〇「知る」ことと「考える」こと(「知識」と「思考」)は、例えば、「一次資料と二次資料」「量的データと質的データ」「既知のことと未知のこと」「伝達の言語と思考の言語」などの取り扱いや、「インプットとアウトプット」「概念くずしと概念づくり」「具体的思考と抽象的思考」「拡散的思考と収束的思考」などの取り組みが問われることになる。また、管見ながら、勉強とは、関心と疑問から始まり、ゆとりと自由のなかで知識の習得と思考の推進を図り、それを一所懸命に行い、未来(あす)の地域・社会を創るために繰り返すこと(活動と過程)である。改めて梅棹と外山、そして新たに千葉の「勉強論」を通じて再認識し、学んだことのひとつである。なお、[1][2]が長い時間を超えた「古典」と言われ、[3]が「いま」注目されるのは、その是非は別にして、単なるハウツー本ではなく、現代社会が求める「知的生産」の思想書(哲学書)であるからでもある。
〇筆者はかつて、学生たちに「住民の生活の匂(にお)いがする場に自分の身を置く」「フィールドの地べたを這(は)う」「一人ひとりの高齢者や障がい者などの人生に思いを致す」勉強や研究の重要性を説いてきた。そして、次のように言ってきた。(1)すべてを疑い、問題意識の明確化を図ること。(2)微視的かつ俯瞰的、複眼的視点をもつこと。(3)第一次的現実とともに、歴史から学ぶこと。(4)先行研究や、使える理論や方法について熟考すること。(5)量的研究と質的研究を組み合わせ、多面的・多層的に考察すること。(6)関連および周辺領域の知見を広範に参照すること。(7)協働的活動によって思考を拡散・焦点化、深化させること。(8)既存のものに偏重せず、新たな仮説の探索や設定・検証に基づくこと。(9)グラフや概念図を作成することによって、思考を視覚化すること。(10)信頼性や独創性・先駆性、そして倫理性を重視すること、などがそれである。付記しておく。

福祉教育は“教育する”ことができるのか:「差別」の権利と「共生」の義務―宮寺晃夫著『教育の正義論』読後メモ―

〇2016年4月、「障害者差別解消法」(「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」)が施行された。それによって、共生社会の実現をめざして、障がい者への「合理的配慮」が行政機関や学校、事業者などに義務化された。また、国民には、「障害を理由とする差別の解消の推進に寄与するよう努めなければならない」(第4条「国民の責務」)ことが求められた。「合理的配慮」とは、障がい者から社会的障壁の除去について要請があった場合、過度な負担にならない範囲で、障害に基づく差別(区別、排除、制限など)を解消するために行う必要かつ適当な変更や調整のことをいう。法律の施行から1年以上が経った。いま、「合理的配慮」をめぐって、福祉教育が取り組むべき具体的な実践的・理論的課題は何か、その追究が厳しく問われている。
〇2016年7月、知的障害者の大規模福祉施設「津久井やまゆり園」で、「相模原障がい者殺傷事件」が起きた。マスコミ報道によると、被告(植松聖)は、「最低限度の自立ができない人間を支援することは自然の法則に反する」と言う。事件の発生から1年が経過しても、彼の思考(観念、思想)には何のブレもない。彼は、「(その施設に)3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信をもつことができました」。「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」と言い切っている。また、その施設の家族会前会長(尾野剛志)は言う。「僕が名前と顔を出して息子のことを語るのも、黙ってしまうと植松に負けたことになるんじゃないかと思うからです」。「(施設の)建て替え問題にしても、(犠牲者の)匿名の問題にしても、知的障害者を含めた障害者と言われる方々が差別されているという現実が、まず問題だと思っています」。「差別を根本的に変えるには100年かかるかもしれません」(『創』第47巻第8号、創出版、2017年8月、22~39ページ)。
〇われわれの社会はこれまで、障がい者を「排除」「隔離」「分断」してきた。いままた、優生思想や排外主義が国民生活に影を落としている。そのようななかで、共生社会とは、その実現に向けた取り組みは、そのひとつとしての福祉教育の存在意義は、などについて根源的に問い直すことが強く求められている。福祉教育は“教育する”ことができるのか。福祉教育を正当化・有効化する理論的・実践的研究は進んだのか(注①)。
〇ところで、筆者(阪野)の手もとには、「未読」や「積読」(つんどく)の本が多少なりともある。また、本の読み方も、その関心や必要性に応じて、通読や精読、飛ばし読み、拾い読み、斜め読み、あるいは目次や見出し、注釈だけを読むなど、まちまちである。今回は、宮寺晃夫著『教育の正義論―平等・公共性・統合―』(勁草書房、2014年5月。以下「本書」。)を「通読」することにした。それは、あの日から1年以上が経った「障害者差別解消法」(施行)と「相模原障がい者殺傷事件」(発生)についてのひとつの“想い”によるものである。
〇本書は、宮寺(専攻は教育哲学)が2006年から2013年の間に発表した11本の論文を編んだものである。内容的には、教育基本法の改正や教育委員会の形骸化、道徳教育の特別教科化など、教育の国家統制や右傾化の推進が図られるなかで、「正義」の理念や概念から教育のあり方(「正義の教育」)を問うている。その際の基本的なスタンスは、「平等と教育」「公共性と教育」「統合と教育」について、さまざまな考え方や立場の人びとが参加して公平に議論する「公論の場」を取り戻す(「復興」する)ことにある。宮寺が求めるのは、現在の「閉鎖的で不正義」な教育体制の打破である。
〇本書に収録されている論文に、「政治と教育は『差別』にどのように向き合ってきたか―H・アーレントの『統合教育』批判―」(以下「本論文」。初出原稿:「教育学と政治学は出会えるか―アーレントの『統合教育』批判を読む―」『近代教育フォーラム』第16号、教育思想史学会、2007年9月、221~231ページ)がある。
〇アメリカ公民権運動における重大事件(人種差別暴動)のひとつに、1957年9月に発生した「リトルロック事件」がある(注②)。その事件を素材に、政治哲学者のH・アーレント(Hannah Arendt、1906年~1975年)が、1959年の論稿「リトルロックの省察 “Reflections on Little Rock”」で「統合教育(融合教育)」批判を展開した(注③)。例えば、アーレントによると、人間の生活・活動は「個人的領域」「社会的領域」「政治的領域」の3つの領域に分けられる。それぞれの領域の支配原理は、個人的領域は「排他性」、社会的領域は「差別=識別」、政治的領域は「平等」である。学校は、社会的領域に属するものであり、白人と黒人の「人種統合教育」という政治的課題を社会的領域に持ち込むことは領域侵犯(社会的領域への政治介入)である(注④)。
〇本論文で宮寺は、アーレントの「統合教育」批判を手がかりに、「共生の強制は個人の自由と両立するか」(205ページ)という問題について、教育(論)と政治(学)との対比のもとで検討する。例えば、上述のアーレントの言説については、宮寺は、「『統合された学校』は、家庭環境、階層、人種など多様な出自と文化的背景を有する子どもに占められており、(中略)政治的実験場とみられてしかるべきである。このことにあえて着目しないアーレントは、学校論、いや教育論を、彼女の政治学のなかに正当に位置づけていない」(207ページ)。アーレントは、「あくまでも、『統合教育』の正当化を義務論の観点で追究しようとする」。「『統合教育』がもたらす効用(帰結論)には一切言及していない」(205ページ)と批判する。
〇すなわち、宮寺は、「学校が社会的領域に属する空間であるのは、あくまでも子どもにとってであり、大人にとっては、学校が同時に政治的領域にも属する」。大人は、「親として、地域社会の一員として、国家の担い手として、(個人的領域、社会的領域ばかりでなく、政治的領域にも)それぞれ異なる役割を同時に演じ、異なる責任を同時に負っている」(206ページ)と言う。また、宮寺にあっては、統合教育は「融合」をもたらし、「寛容と協和の精神」(205ページ)を芽生えさせるのである。
〇以下では、本論文の読後メモとして、「教育と政治における差別」をめぐって、アーレントと宮寺の言説のいくつかを抜き書きすることにする。それは、「福祉教育」について議論する際のひとつの視点・視座でもある。

(1) 「差別=識別」と「差別=分断」/識別の軽視は画一化や等質化を進め、逸脱者を排除する/「みんな違うけど、みんな仲間」
日本語で表わせば、どちらも「差別」と訳される英語に、「ディスクリミネーション」(discrimination、差別=識別)と「セグリゲーション」(segregation、差別=分断)がある。(192ページ)
人びとの間には、身体や性向や能力や育ちなどの点で、さまざまな差異がみられる。差別=識別(ディスクリミネーション)とはその差異の見極めのことであり、それに基づいて、人びとはそれぞれ交渉の相手を選び、交際の範囲を画する。誰とでも等しく付き合うべきだ、と言われても、仕事を一緒にしたり、休暇を共に過ごしたりする相手や仲間は、やはり差異の見極めに基づいて絞(しぼ)られていく。そうすることで社会が成り立っている、とアーレントは次のように断言する。「どのような程度にしろ、なんらかの差別=識別がなされないならば、社会はすぐに存在しなくなるであろうし、人と人との自由な結びつき(フリー・アソシエーション)や仲間づくり(グループ・フォーメーション)といった大変重要な可能性もなくなるであろう。」そうした差別=識別、すなわち差異の見極めが軽視されていくと、人びとは“誰でも一緒”という画一主義(コンフォーミズム)におちいり、やがてそれは国家の構成員を等質性(ホモジャニーティ)へと導いていくことになる、とアーレントは言う。(中略)アーレントにとって、国家の構成員の等質化は、とりもなおさず人種的少数者の言論と行為を封殺し、かれらを異邦人に仕立ててしまうことにつながる。それだけに、等質にみえる人びとの間に差異を再認し、異化しつづけていくことは、国家の構成員が画一主義に同調していかないために重要である、とアーレントはみている。(192~193ページ)
この差別=識別が、いわれのない偏見と結びつくと、人びとの間に分断を生じさせる。(193ページ)

(2) 教育と政治における「差別」/理念と現実、本音と建前は乖離する/「賛成と反対を超える」
教育(論)の現場では、「差別をしてはいけない」のは証明が不要な“公理”であり、それが目的にすえられる限り、「なぜ差別してはいけないのか」という発問は、差別意識を取り除くための反問として使われることはあっても、「差別は社会的権利である」という“命題”に展開されていくことはまずない。それに対して、「差別する人もいる」、「そういう人を無くすことはできない」という複数性(さまざまな立場からの討議)を踏まえて差別問題に取り組むのが政治学である。ここには、明白なズレがある。政治と教育の間には容易に越えられない溝があり、そこに架橋するには、実践的だけでなく、理論的にも重要な課題が残されている、とアーレントは示してくれているように思われる。(210ページ)

(3) 社会変革と「進歩主義の教育」/児童中心主義の教育は、大人の責任を子どもに転嫁する/「共生社会づくりは、みんなの手で」
アーレントにとって、社会を変革していかなければならない主体は(中略)子どもではない。社会の矛盾を正していかなければならないのは大人(中略)である。大人の教育責任は(中略)自分たちの社会に子どもを導き入れていくことにある。大人はこの責任を逃れて、社会変革の可能性を将来の大人に期待している。これは責任転嫁にほかならないが、大人の責任放棄に支持を与えてしまっているのが、アーレントによれば進歩主義の教育である。それは「子ども中心主義」とも呼ばれ、ジョン・デューイの教育理論の代名詞ともされている。社会が長年にわたり解決しようとしながらも、未解決のままに残されている難題を、「子ども中心主義」の名で子どもに押し付けているのが進歩主義の教育である、とアーレントはみている。そうした難題に、人種差別の解消と人種の融合がふくまれている。「統合教育」は、まさに大人の、いや人類の宿題を子どもに託するようなものである。(199ページ)

〇一般的に使われる「差別」という言葉は、国籍や障害、性的指向などの差別対象の多様化や、知る権利やプライバシーの権利、自己決定権などの人権概念の拡大が進むなかで、その定義づけが難しくなっている。「差別」には、政治的権力(法制度や行政施策など)と社会的権力(企業やメディアなど)、そして個人などによる差別がある。また、実態的差別(差別の行動や生活実態)と心理的差別(差別の観念や意識)がある。差別意識には、現実の差別実態に基づいて形成(学習)されたものと、支配者側の権力によって差別思想が注入されたものとがある。
〇これまで、福祉教育は、「社会福祉問題」としての「差別」を実践・研究対象としてきた。しかし、そこでの議論は、「共生社会の実現」という視点からのものが多く、「差別」の実態を深く鋭くえぐれ出し、それを広く社会に“告発”して「社会問題」化してきたか。また、権力に強く“対抗”してきたかというと、疑問符が付く。さらに言えば、これまでの福祉教育論では、高齢者や障がい者、外国籍住民などの「差別される側」の視点に立った議論に留まり、「差別される側」に内在する「差別」(「被差別者間差別」)や「差別する側」の問題について十分に議論されてきたであろうか。これまた、疑問とするところである。
〇福祉教育は、「啓発」と「教育」、「学校を中心とした領域(学校福祉教育)」と「地域を基盤とした領域(地域福祉教育)」、「福祉教育事業」と「福祉教育機能を有する事業」のように大別されてきた。福祉教育は、市民主体のまちづくりを進める教育事業・活動であり、子どもや高齢者、障がい者などすべての市民(住民)の参加を必要とする。また、福祉教育は、地域の社会福祉問題を素材とすることから、それぞれの教育領域や事業・活動だけで自己完結はしない。連携・協働(「共働」)が重視される。これまでの2分法の止揚をめざす「市民福祉教育」の探究が求められるところである。
〇「弱者である障害者に思いやりの心で接するのは健常者として当然のことです」。これは、「差別する者」と「差別される者」がその場(教室)にいないことを前提にした、T市の学校福祉教育(障がい者との交流授業)における教員の指導である。「われわれは社会の底辺にいるお年寄りのために援助の手を差し伸べるべきである」。これは、S市の地域福祉計画策定委員会における策定委員(高齢者)の見下し(みくだし)発言である。筆者がそこで感じたことのひとつは、違いを認めない「同調意識」や「同調圧力」であった。福祉教育の“怖さ”でもある。


① 福祉教育では、共生や共生社会について、「総論賛成、各論反対」という言い方をしてきた。「相模原障がい者殺傷事件」は、総論そのものを否定し、総論自体の合意形成が図られていない現実を露呈させたと言われる。いま、単なる実践プログラムやHow toではなく、福祉教育本質論についての歴史的・理論的研究が求められる(市江由紀子・戸枝陽基・原田正樹「〈鼎談〉地域共生社会の実現に向けて―障害差別と偏見に向き合う―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』第28号、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2017年6月、18ページ)。
② 宮寺は、「リトルロック事件」をめぐるアーレントの論稿について次のように解説している。

論文「リトルロックの省察」(1959)は、南部のアーカンソー州の州都リトルロックの公立高校での「統合教育」(インテグレイテット・エデュケーション)、つまり白人生徒と黒人生徒の共学の実施をめぐり、これまで入学を認められなかった黒人生徒の入校を妨害しようとして起きた“暴動”の鎮圧に、州政府(フォーバス知事)が消極的であったこと、いや、単に消極的というよりも、州兵を出動させて黒人生徒の入校を阻止したことに対して、連邦政府(アイゼンハワー大統領の共和党政権)が連邦正規軍を投入して、黒人生徒の入校を確保したことにふれて書かれたものである。リトルロックの“暴動”は、「統合教育」の徹底により人種差別の撤廃を図る中央政府と、それに消極的な州政府との対立を象徴する出来事として、全米の注目されるところとなった。アーレントは、論文「リトルロックの省察」で、中央政府による「統合教育」の強行実施に批判的なスタンスをとっている。とはいえ、もちろん州当局による「分離教育」の続行を支持しているわけでもない。学校という社会と地続きの空間を、政治的な力を行使してまで平等化しようとすることが、どこまで正当か、という問題をアーレントは提起するのである。(196ページ)

③「リトルロックの省察」は、「リトルロックについて考える」と題して、ハンナ・アレント著/ジェローム・コーン編/中山元訳『責任と判断 “Responsibility and Judgment”』(筑摩書房、2007年2月、253~277ページ)に収録されている。以下は、「訳者あとがき」の一節である。

「リトルロックについて考える」は、リトルロック事件の直後にアレントが書いた文章であり、(中略)リベラル派を刺激し、アイヒマン裁判のときにおとらぬ激しい批判にさらされた文章である。同時代の事件について書いていたアレントにはよくみえない事実などもあったようだが、アレントのスタンスは明確であり、黒人の生徒たちを人見御供(ひとみごくう。生贄(いけにえ)として差し出すこと:阪野)のようにして、白人と黒人の教育の分離の問題を解決させるのは間違いだというものである。
この事件が公民権運動にもたらした影響はきわめて大きく、生徒たちは結局は「ヒーロー」となり、黒人の権利回復に貢献することになった。結果としてはアレントの見込み違いという側面もあるのはたしかだが、このアレントの判断の背後には、幼い頃のユダヤ人としての経験があることも見落とすべきではないだろう。(中略)当時のドイツでは反ユダヤ主義的な傾向が強かったが、アレントの母親は学校において教師が反ユヤダ主義的な発言をした場合には、アレントに直ちに退席して帰宅して報告するように告げていた。そして母親は校長に抗議の手紙を送るのだった。しかし仲間の生徒たちから反ユダヤ主義的なからかいをうけても、ただひたすら耐えるようにと告げていたのだった。
アレントはこの母親の教えの背後にある基本的な考え方を、この論文では明確な原則として作りあげている。学校という領域は政治的な原則と社会的な原則が交錯する場である。教師は平等性を原則とする政治的な立場に立たされている。しかし仲間の生徒たちとアレントは、差別を原則とする社会的な領域で生きているのである。この原則の違いは明確なものであり、公民権運動にたいするアレントのスタンスを明確にする上で役立っているのである。(390ページ)

④ この点をめぐって、アーレントは次のように述べている。その前段で彼女は、「政治体において平等はそのもっとも重要な原則であるが、社会におけるもっとも重要な原則は差別である。社会とは、政治的な領域と私的な領域にはさまれた奇妙で、どこか雑種のようなところのある領域である」(『責任と判断』266ページ)と言う。

大衆社会とは、差異の境界をあいまいにして集団の違いを均(な)らす社会であり、これは個人の全人格的な一体性よりも、社会そのものに危険をもたらすものである。個人的な全人格的な一体性の〈根〉は、社会的な領域の彼方にあるからである。しかし順応主義は大衆社会だけの特徴ではなく、すべての社会でみられるものである。その集団を集団たらしめる差異の全般的な特徴に順応しない人々は、その社会的な集団にうけいれられないのである。アメリカにおける順応主義のもつ危険性は(これはアメリカ合衆国の建国以来の危険性である)、住民がきわめて不均質であるために、社会的な順応主義が絶対的な力を発揮して、国民としての均質性に代わる傾向があることだ。
いずれにせよ政治体にとって平等が不可欠なものであるのと同じように、社会にとっては差別と差異は不可欠なものなのだ。だから重要なのは、どうすれば差別をなくすことができるかではなく、どうすれば差別をそれが正当に機能する社会的な領域のうちにとどめておくことができるか、そして差別が破壊的な力を発揮する政治的な領域や個人的な領域にはいり込まないようにできるかということにある。(『責任と判断』267ページ)

「対話」考―暉峻淑子著『対話する社会へ』読後メモ―

〇周知の通り、まちづくりの進展に関して、「統治(government)から共治(governance)へ」、「参加(participation)から協働(collaboration)へ」、そして「行政主導から住民主導へ」などと言われてきた。今後は、「市民主導」(citizens’ initiative)による「共働」(coaction)のまちづくりが要請される。その際には、多様な人々や集団・組織・団体などの、多様なあるいは特別の思いや願いを紡ぐ「対話」が不可欠となる。より具体的には、そのための「機会」や「場」をいかにつくるかが問われることになる。「対話」は民主主義の基本であり、まちづくりの根幹的な技法である。
〇いま、筆者(阪野)の手もとに、「対話」をテーマにした 暉峻淑子(てるおか いつこ)の新刊『対話する社会へ』(岩波新書、2017年1月、以下「本書」)がある。暉峻は、「戦争・暴力の反対語は、平和ではなく対話」である(ⅰページ)。「対話は、人類が持つ特権の一つであり、人間の本性(ほんしょう)にもっとも添ったコミュニケーションの手段」である(ⅴページ)。「対話する社会とは、多様な思考、多様な感受性に出会い、想像力を豊かにする社会」である(164ページ)、という。暉峻は卒寿(90歳)を前にしている。
〇暉峻の著作といえば先ず、『豊かさとは何か』(岩波新書、1989年9月)を思い出す。日本は経済大国であるが、「豊かな国」ではない。日本は「豊かさへの道を踏みまちがえた」(16ページ)、という。およそ30年前の本である。次に、『豊かさの条件』(岩波新書、2003年5月)を思い出す。「21世紀の私達の課題は、グローバルな競争にあるのではなく、また武力によって解決することにあるのでもなく、助け合う互助にある」(240ページ)、という。この2冊の本で暉峻が告発した課題の多くは、いまなお未解決のままであり、より一層深刻化してもいる。警鐘を鳴らした「格差や不公正の拡大」や「好戦的社会の到来」などが現実となっている。3冊目として、『社会人の生き方』(岩波新書、2012年10月)がある。この本は、暉峻にあっては「前著2冊の最終章」(240ページ)である。暉峻はいう。「社会に支えられると同時に、社会をより良く変えていく社会人の生き方の中に、未来への希望を見出したい」(ⅳページ)。
〇本書は、地域・社会の分断・対立や格差を超え、公正な社会を実現するための「対話」について説く、「警世の書」である。そこには、真の「豊かさ」や「まちづくり」の姿が見えてくる。以下に、本書の読後メモとして、筆者なりに注目しておきたい論点や言説のいくつかを抜き書きあるいは要約することにする(見出しは筆者)。

対話は平和をつくる
平和(平穏な生活)を支えているのは、暴力的衝突にならないように社会の中で対話し続け、対話的態度と、対話的文化を社会に根づかせようと努力している人びとの存在である。対話のない社会はいつか病み、犠牲者を出し、平和はあるとき、あっけなく崩れてしまう。(ⅱページ)/対話や討論がない社会とは、支配者にとってこの上なく都合がいい社会である。誰も批判者がいない沈黙の社会である。(130ページ)/対話がなくなれば、対話の代わりに、命令と監視が支配するという現実がやってくる。(140ページ)/人類が多年の経験の蓄積の中で獲得した対話という共有の遺産を、育て、根づかせることが、平和を現実のものとし、苦悩に満ちた社会に希望を呼び寄せる一つの道である(ⅶページ)

対話は民主主義を守る
対話や討論を軽視したり抑圧したり、無関心だったり、自粛したりする文化様式は、民主主義の価値観を標榜する現代社会に適合しない。(178ページ)/対話は、日常の中にあり、とくに多様な欲望が渾然(こんぜん)としている市場社会(効率性と利潤を追求する社会)では、対話によって、取り返しのつかない断絶が起こるのを未然に防いでいる。今や、対話はいろいろな意味で欠くことのできないコミュニケーションの手段になり、バラバラの個人をつなぎ、非人間化していく社会に人間性をとり戻し、子どもたちの個性ある人格発達の培養土となっている。対話する社会への努力が、民主主義の空洞化を防ぎ平和をつくりだしているのである。(253ページ)

対話は自由で創造的である
対話は、議論して勝ち負けを決めるとか、意図的にある結論に持っていくとか、異議を許さないという話し方ではない。対話とは、対等な人間関係の中での相互性がある話し方で、何度も論点を往復しているうちに、新しい視野が開け、新しい創造的な何かが生まれる。両方の主張を機械的にガラガラポンと足して二で割る妥協とは違う。個人の感情や主観を排除せず、理性も感情も含めた全人格を伴った自由な話し合い方が対話である。(ⅴ~ⅵページ)/対話は、上の人への忖度や自己保身のお世辞ではなく、また、一般論や抽象論でなく、人間としての対等な立場で、その時その場にもっとも必要な自分の考えや感情を、自分の言葉で語る話し合いである。そこで必要な言葉とは、その時その場にもっとも適切で、一度きりの貴重な言葉である。(131~132ページ)/言葉の本質は対話にある。(175ページ)

対話は開かれた応答である
権力による画一的な抑圧があるところに自由で多様な対話はない。権力とは政治権力のことだけではなく、利潤第一を求める効率の強制力のこともある。生徒や教師に対して自由とゆとりのない管理・監督や競争の教育環境のこともある。(111ページ)/権威主義的な話し方は、聞き手に自分の考えを押しつけ思い込ませようとする、閉ざされたものである。それに対して、対話は開かれている。お互いに応じ合う中で新しい意味が生まれ、変化し、新しい理解が生まれる可能性が広がっていく。対話はともに考えていく手段であり、そこでの理解は、一人の人間の可能性を超えるものとして、お互いの間で作られていく。こうしたことを達成するためには、対話の参加者が耳を傾け、相手に届くような応答をする必要がある。応答は言葉の持つ基本的性質なのである。その意味ではお互いの責任ある態度が対話的関係を作り出すとも言える。(123ページ)

〇生活の「豊かさ」は、安全で安心して快適に暮らせる日常の家庭・地域生活のなかにある。その「豊かさ」を獲得・実現するためには、およそ次のような条件が必要となろう。(1)基本的人権の尊重や平和と民主主義の確保を前提に、すべての人の個別具体的な発達保障と生活保障の具現化が図られること、(2)すべての人が個性的・創造的に自分を生きるために、多様な選択肢が準備され、その選択の自己決定やそのための支援がなされること、(3)自分の生きがいや自己実現のための活動にとどまらず、他者や地域・社会のための、社会変革を進める社会貢献活動に参加できること、(4)そのための個人的な尊敬と信頼に基づく対話や、人間に固有の属性である想像力によって、明るい未来が先見・開拓されること、(5)以上のことを可能にし、相互支援と相互実現、社会変革と社会創造を推進するための教育・学習がすべての人の生涯にわたって、自律的・主導的に行われること、などがそれである。筆者が暉峻の4冊から学んだことのひとつである。
〇まちづくりは、一人ひとりの市民の日常的な家庭・地域生活の営みのなかで、地道に、継続的かつ漸進的に取り組まれることが肝要である。そして、そのプロセスを通して、一人ひとりがお互いに多様な思いや願い、価値観などにふれながら、既存の価値観やシステムを無批判に受け入れるのではなく、社会変化への対応と社会変革の推進を主体的・積極的に図る市民に育つことが必要かつ重要となる。そこに求められるのは「自由な対話」と「開かれた学び」、そして「緩(ゆる)やかなつながり」である。すなわち、「対話型社会」である。
〇この国の政治は対話が拒否され、議会は多数決が強行されている。この国には「傲岸不遜」(ごうがんふそん)「厚顔無恥」(こうがんむち)の政治家(政治屋)や(自称)リーダーがあまりにも多い。「こんな人たちに負けるわけにはいかない」(2017年7月1日)と発言する人と、その取り巻きたちである。その姿や言動は哀れであり、滑稽ですらある。こうした状況は身近な地域・社会においても見られる。日本の社会はあいかわらず、「上意下達」「空気を読む」社会である。それはすなわち、「忖度(そんたく)」文化の社会でもある。
〇民主主義の錬磨・再建と対話能力の育成・向上が喫緊の課題である。多様性と異質性を受け入れ、価値観や指向性の共有を前提としない「対話」がいま、極めて重要になっている。本稿を草しようと思った最初の思いである。

付記 
〇暉峻が説く「会話」と「対話」、「討論」を簡潔に言えば、「会話」は挨拶や雰囲気を和らげる雑談、「人間社会の潤滑油」。「対話」は対等な人間関係のなかで行われる双方向の、個人的な話し合い。「討論」(ディスカッション)は目的が明示され、よりよい解決のための結論が求められる話し合い、である(88~93ページ)。
〇「〈対話〉のある社会」とはどのような社会か。中島義道(元電気通信大学教授、専攻はドイツ哲学)の言説の一節を紹介しておくことにする(中島義道『〈対話〉のない社会―思いやりと優しさが圧殺するもの―』PHP研究所、1997年11月)。

〈対話〉のある社会とはどのような社会か。それは、私語が蔓延しておりながら発言がまったくない社会ではなく、私語がなく素朴な「なぜ?」という疑問や「そうではない」という反論がフッと口をついて出てくる社会である。それは、弱者の声を押しつぶすのではなく、耳を澄まして忍耐づよくその声を聞く社会である。それは、漠然とした「空気」に支配されて徹底的に責任を回避する社会ではなく、あくまでも自己決定し自己責任をとる社会である。それは、アアしましょう・コウしましょうという管理標語・管理放送がほとんどなく、各人が自分の判断にもとづいて動く社会である。それは、紋切型・因習的・非個性的な言葉の使用は尊重されず、そうした言葉使用に対しては「退屈だ」という声があがる社会である。それは、相手に勝とうとして言葉を駆使するのではなく、真実を知ろうとして言葉を駆使する社会である。それは、「思いやり」とか「優しさ」という美名のもとに相手を傷つけないように配慮して言葉をグイと呑み込む社会ではなく、言葉を尽くして相手と対立し最終的には潔(いさぎよ )く責任を引き受ける社会である。それは、対立を避けるのではなく、何よりも対立を大切にしそこから新しい発展を求めてゆく社会である。それは他者を期し去るのではなく、他者の異質性を尊重する社会である。(203~204ページ)/こうした社会の実現を望まない人は、自覚的無自覚的に他人の言葉を封じている。他人の叫び声を聞かない(聞こえない)耳をつくっている。真実を求めようとせず、〈対話〉を全身で圧殺している加害者である。(204~205ページ)

〇「対話」の類語に「会話」がある。「会話としての正義」を提唱する井上達夫(東京大学教授、専攻は法哲学)の言説の一節を紹介しておくことにする(井上達夫『共生の作法―会話としての正義―』創文社、1986年6月)。

コミュニケーションは達成さるべき一定の目的―情報伝達・意志決定・合意・コンセンサス・相互理解・了解・和解・宥和・融和・交感・交霊・合一・洗脳(?)等々―をもつが、会話はそのようなものをもたない。強いて会話の目的なるものを挙げるとすれば、会話自体を続けることである。/会話の唯一の目的が会話を続けることにあるとするならば、会話の歪曲とは例えば、返答を拒否し続けたり、相手に話す機会を与えなかったり、相手の話と無関係に話し続けたりすることであるが、このような場合、会話は歪曲されたのではなく消失したのである。(251ページ)/会話とは異質な諸個人が異質性を保持しながら結合する基本的な形式である。利害・関心・趣味・愛着・感性・信念・信仰・人生観・世界観等々を共有することなく我々は他者と会話できる。/会話は「分からず屋」を排除しない。「この分からず屋め!」と怒鳴り合っていつも喧嘩分かれする二人の頑固親父が、終生会話的連帯のうちにあるというほほえましいパラドックス(逆説)を会話は可能にする。また、期待を裏切る言動は言語ゲームの敵ではあっても会話の敵ではない。それを契機に意外な方向へ発展してゆくところに、人間の生の営みとしての会話の深みがある。定められた手続きに従うだけの会話は死せる会話である。(254ページ)

<実読×楽読>鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫著『おせっかい教育論』―「内田教育論」(「内田ワールド」)再考ノート―

〇樋口裕一によると、読書には二通りの方法がある。「実読」と「楽読」がそれである。「実読」とは、「何か行動に結びつけるために、情報や知識を得ようとして行う読書、つまり何かに役立てようとする読書」である。「実読」は、「何らかの意味で発信し、他者にその本の意義を示したり、その本から得た知識を他者に披露したり、その情報を実行に移したり」しなければ意味がない。「楽読」とは、「何かに役立てたいと思うのでなく、ただ楽しみのためだけに読む読書」である。樋口にあっては、「この二つの読書の両方があってこそ、人生は豊かになる」(樋口裕一『差がつく読書』角川書店、2007年6月、12、17ページ)。
〇政治(政治家)の劣化や右傾化、厚顔無恥な権力闘争がとまらない。日本の破綻や崩壊のカウントダウンが始まっているかのようである。不安感や恐怖心が増すばかりである。そんな思いのなかで、前回の拙稿(雑感(48)<国会編『密告のすすめ』強行制定に寄せて> 国家主義的教育と主権者教育:「教育の自由と良心」を考えるために―内田樹著『街場の教育論』再読メモ―/2017年6月15日)に続けて、鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫著『おせっかい教育論』140B(イチヨンマルビー)、2010年10月。以下「本書」)を読み返すことにした。教育の政治や経済からの独立性をはじめ、教育の市民性や地域性、教育現場の主体性や自律性などを如何に保証するかということに思いを致しながら、そしてひとまず焦燥感を抑えながら、「教育危機」「教育崩壊」について考えてみようということである。本稿のタイトルの枕詞<実読×楽読>にはそういう意味を込めているが、内容的には「内田教育論」についての<実読>であり、心情的には私的な<楽読>でもある。
〇本書は、関西を拠点に活躍する鷲田(臨床哲学)、内田(フランス現代思想)、釈(宗教学)、そして平松(元大阪市長)の4人による2回の座談会(2009年10月と2010年1月)の記録と書き下ろしを収録したものである。以下は、そのなかから、筆者(阪野)が留意したい内田の発言と論述を抜き書きあるいは要約したものである(見出しは筆者)。

共同体の支援/教育は公共的市民を育て共同体の維持・存続を図るための活動である
教育の基本的な機能は、子供たちを大人にして、自分たちが構築し運営している共同体あるいは自治体のフルメンバーとして、それを担い得るような公共性の高い市民を育てることである。/学校教育が今、歪んでしまったのは、自己利益を達成するために人は教育を受けるのだという思想が広まってしまったからである。教育活動を「商品」としてとらえるロジックが、教育の現場を侵食している。教育がビジネスになっている。それが教育崩壊の根本にある。/学校教育を子供たちに授けることによって、最大の利益を受けるのは共同体そのものである。共同体を支える公民的な意識を持った人間、公共の福利と私的利益の追求のバランスを考えて、必ずしもつねに私的利益の追求を優先しないようなタイプの大人を、社会のフルメンバーとして作っていくということは、共同体の存続にとって死活的に重要である。本来は、共同体の全メンバーは「ありとあらゆる機会に、子供たちを成熟に導く」という活動に身を捧げないといけない。(26~27ページ)

一般ルールの停止/学校は共同体のなかで社会的ルールが一時停止する場所である
学校は、(公共的市民の育成を図る場であるとともに)、社会や共同体が経済合理性なりある種のルールに基づいて動いているなかで、そこと断絶していて、社会のルールが通用しない場であるべきである。「ノーマンズ・ランド」(no man’s land)というか「逃れの街」というか、そうした現世のルールが適用されない場としての機能を持つべきである。「社会のルールが一時停止している場所」を作っておいて、そこにうまく社会に適応できないさまざまなタイプの才能を受け容れられるようにする。/「イノベーター(革新者)になるかもしれない子供たち」にフリーハンド(他からの制約や束縛を受けないこと)を保証するのは学校の重要な人類学的機能なのである。そういう子供たちは序列化とか格付けとかはなじまない。学校では、子供たちのなかに潜在するある種の非社会的・反社会的な部分についても、できるだけ広く受け入れ、そして面白がる余裕が欲しい。日常的な価値観が一時停止したような空間、「タイム」がかけられる場というのは、共同体のなかになければいけない不可欠な要素なのである。「一般ルールが停止する場所」は共同体の安全保障のために絶対に必要なのである。その機能はまずは学校が担わないといけない。(38~39ページ)

多様な個性/学校には生徒と教師の多様性が互いに生かされる環境が必要である
文科省は、一貫して教員たちの規格化・標準化を推し進めてきた。その結果、学校では、一定の価値観の枠内の人しか教壇に立てないようになってきている。/「教育力」というのが実体としてあって、生徒の方は真っ白な状態(「タブラ・ラサ」ラテン語:tabula rasa)で、教育力のある教師が教えればどんな子供も必ず能力が伸びるということはあるはずがない。教師(教育)の打率は1割もいかない。(しかしそれが将来どこかで、大きく花広くこともある。)教師と生徒の出会いは偶然的なものであり、教師の打率を上げるためには、訳の分からない教師がずらっと並んでいる方がいい。子供の訳の分からなさと同じぐらいの訳の分からなさの多様性が必要なのである。子供の個性と同じだけの数の個性の教師が並んでいることが理想的な教育環境なのである。それを、教師のあるべき条件を限定し、条件をどんどん狭めてゆくというのは、完全に方向が逆なのであり、教育は崩壊してしまう。/また、教育は、中枢的にコントロールしてはいけない。それをしようとすると、プログラムを標準化せざるを得ない。教育プログラムは多様であることによって機能するのである。(56、146~147、162~163ページ)

教育権の独立/教育危機を解消するのは教師のパフォーマンスの向上支援である
いま教育は危機的状況にある。それは、教員の努力不足や、子どもたちの無能化・怠惰化や、親たちのクレーマー(苦情を言う人)化といった個別的な原因によって起きているのではない。また、教育官僚たちは「処罰の恐怖を通じて、人を操作し、支配する」という古典的方法を手放そうとしないが、そうした文科省ひとりの責任でもない。「上の言うことに従わないものには罰を与える」という恫喝(どうかつ)の方法しか思いつかないという、私たち全員が罹患しているある種の「思考停止」の帰結なのである。/教育危機の現況の臨んで、私たちがまずなすべきことは、なによりも教育現場に「誇りと自信と笑い」を取り戻すことである。「自律的な教員の、多様な創意工夫を支援すること」である。/教員がいま必要としているのは、「敬意」であって「恫喝」ではない。「支援」であって「査定」ではない。「フリーハンド」であって「管理」ではない。/教育の危機に対処しうるのは現に教壇に立っている教師だけである。そのためには、「教師のパフォーマンスを向上させること」が肝要となる。/教師たちが、その潜在能力を発揮し、そのポテンシャル(潜在能力、可能性)を開花させ、持続的にオーバーアチーブする(期待以上の成果を上げること)以外に方途はない。だから、教育行政がなすべきことは一つしかない。それは教師たちのパフォーマンスが向上するために最良の支援を行うことである。/政治も市場もメディアも、教育のことに口を出すべきではなく、教育のことは現場に任せるべきである。一言でいえば、「教育権の独立」の実現である。(199、201、202、205、207、208~209ページ)

〇筆者(阪野)は、教育は「待つ」ことであり、相互信頼の積み上げによって互いの創造性を「引き出す」ことである、と考えている。前述の鷲田の著作に『「待つ」ということ』(角川学芸出版、2006年8月)がある。そこでの一節を紹介しておきたい。

待たなくてよい社会になった。/待つことができない社会になった。/意のままにならないもの、どうしようもないもの、じっとしているしかないもの、そういうものへの感受性をわたしたちはいつか無くしたのだろうか。偶然を待つ、じぶんを超えたものにつきしたがうという心根をいつか喪(うしな)ったのだろうか。時が満ちる、機が熟するのを待つ、それはもうわたしたちにはあたわぬことなのか‥‥‥。(7、10ページ)

〈待つ〉は偶然を当てにすることではない。何かが訪れるのをただ受け身で待つということでもない。予感とか予兆をたよりに、何かを先に取りにゆくというのではさらさらない。ただし、そこには偶然に期待するものはある。あるからこそ、なんの予兆も予感もないところで、それでもみずからを開いたままにしておこうとするのだ。その意味で、〈待つ〉は、いまここでの解決を断念したひとに残された乏しい行為であるが、そこにこの世への信頼の最後のひとかけらがなければ、きっと、待つことすらできない。いや、待つなかでひとは、おそらくはそれよりさらに追いつめられた場所に立つことになるだろう。何も希望しないことがひととしての最後の希望となる、そういう地点まで。だから、何も希望しないという最後のこの希望がなければ待つことはあたわぬ、とこそ言うべきだろう。(19ページ)

〇「待つ」ことによって「時」と「場」が整えられ、新たな「動き」や「働き」が生まれる。「拙速」は教育においては最大の禁忌(きんき)である(内田、200ページ)。また、教育はすべての国民や市民のものであり、私たちの教育についての思考停止は許されない。これは、「教育」(と「まちづくり」)の底流に置くべき基本的な考え方と姿勢である。強調しておきたい。