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「市民学習」と福祉教育―日本福祉教育・ボランティア学習学会第21回大会に参加して―

11月14日と15日の両日、日本福祉教育・ボランティア学習学会第21回大会が山口県立大学(山口市)で開催されました。年1回の大会は、貴重な“学び”の場であることは勿論ですが、全国から集まる会員(実践者、研究者)が情報交換を行い、親交を深める機会でもあり、意義深いものです。
筆者(阪野)は、東京ボランティア・市民活動センターが昨年に引き続き「自由研究発表」した「小・中・高等学校を対象とした市民学習の展開に対する支援方法の検討」というテーマ、とりわけ「市民学習」という用語(ターム)に関心をもち、その分科会に参加しました。その理由のひとつは、筆者自身が「まちづくりと市民福祉教育」「まちづくりの福祉教育学」について追究していることにあります。発表と質疑応答の時間は限られたものであり、十分に深めることはかないませんでしたが、今後も注視していきたい取り組みであることは確かです。
今回の発表を聞いて、さしあたっては次のような諸点が気になります。(1)「福祉教育」や「ボランティア学習」に加えて、いま、なぜ「市民学習」なのか。「市民学習」を説く背景と必要性は何か。(2)「市民」「市民学習」の概念をどのように規定するか。必ずしも緻密な概念規定がなされているとはいえず、未だ定見を持つには至っていないのではないか。(3)「市民学習」と「福祉教育」「ボランティア学習」「シティズンシップ・エデュケーション」「サービスラーニング」等々の類似概念との関係性をどのように捉えるか(同一性と異質性、重複的関係か相互補完的関係か、等)。(4)子どもの市民性育成についは、子どもの発達段階や発達課題に対応した学習プログラムが開発・展開されなければならないが、その内容や方法についてどのように考えるか。(5) (4)に加えて、一般住民を対象にした市民性形成の場をどこに求め、地域に根ざした、地域ぐるみの「市民学習」をどのように推進するか。また、その内容や方法をどのように考えるか。(6)「福祉教育」では十分に検討されていないといえるが、「市民学習」に取り組む学校や地域組織・団体・NPOなどのキャパシティ・ビルディング(組織の能力強化)をどのように図るか。(7)「市民学習」を促進・支援するためにはどのような組織や仕組みが必要となるか。またその人材(推進者、支援者、協力者)をどのように育成・確保するか、等々がそれです。

東京ボランティア・市民活動センターが2013年度から取り組む「児童・生徒の市民学習共同研究事業」の現状(内容)と課題は、次の通りです。

東京ボランティア・市民活動センターでは、小・中・高等学校、中等教育学校、特別支援学校等の児童・生徒と地域の人々が、地域や国際社会の一員として世の中で起こっているさまざまな事柄を自ら学び、自ら考える力を養い、さまざまな人や組織・団体との連携を図り、市民学習(市民となる学び)のあり方と方法を確立・推進する方策を検討するための委員会(「学校等における市民学習の推進方策検討委員会」)を2013年7月に設置し、検討を進めています。その一環として、2014年度から、公立小学校、中学校、都立高校、私立高校の4校を「共同研究校」として選定・指定し、パートナーシップを組んで学習プログラムを展開しています。
【取組み内容】
(1) 2013年7月:「学校等における市民学習の推進方策検討委員会」(委員長・池田幸也)の設置
(2)2013年9月:「地域における福祉教育・ボランティア学習・市民学習の取組み状況について」アンケート調査の実施
(3)2014年2月:「児童・生徒の市民学習共同研究事業実施要項」の制定・施行
(4)2014年2月~3月:「学校における福祉教育・ボランティア学習・市民学習の取組み状況について」アンケート調査の実施
(5) 2014年4月:「共同研究校」(4校)の指定
(6) 2014年6月:「学校等における市民学習推進方策検討委員会」の開催
(7) 2015年3月:「子ども参加で地域と学ぶ~市民学習共同研究校中間報告会~」の開催
(8) 2015年5月:「学校等における市民学習推進方策検討委員会」の開催
(9) 2015年7月~8月:ハンドブック及び事例集作成のためのヒアリングの実施
【課題】
(1) 学習指導要領の改訂等による「総合的な学習の時間」の時間の確保が難しくなってきた。
(2) 都立高校での教科「奉仕」が廃止され、2016年度より新教科となる。
(3) 東京ボランティア・市民活動センターが考える市民学習の要素をそれぞれの学校にどう取り込みつつ学習プログラムを展開していくかが課題となる。
(4) 多忙な学校教諭と効果的に連携を図るにはどのような方策が考えられるかが課題となる。
(「生きる力(生きていく力)を高める福祉教育(市民学習)の実践」『東社協3か年計画』東京都社会福祉協議会ホームページより)

以下に、「児童・生徒の市民学習共同研究事業」に関する資料の一部を紹介することにします。

資料1 児童・生徒の市民学習共同研究事業実施要項
平成26年2月1日 東京ボランティア・市民活動センター
1 目的
小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校等の児童・生徒と地域の人々が、地域や国際社会の一員として世の中の中(ママ)で起こっている様々な事柄を自ら学び、自ら考える力を養い、さまざまな人や組織・団体との連携を図り、市民学習(市民となる学び)のあり方と方法を確立・推進することを目的とする。
2 事業の内容
東京ボランティア・市民活動センター(以下「本センター」という)は、関係機関、団体と連携をとり次の事業を行うものとする。
(1) 児童・生徒の市民学習共同研究校の選定
ア 本センターが設置した「学校における市民学習推進方策検討委員会」で小学校、中学校及び高等学校、中等教育学校、特別支援学校等の中から児童・生徒の市民学習共同研究校(以下「共同研究校」)を選定する。
イ 共同研究校の指定期間は2か年以内とし、初年度は、指定日の属する年の4月1日から翌年の3月31日までとする。
(2) 共同研究校に対する継続的支援及び協働事業
本センターは、「総合的な学習の時間」「道徳」「特別活動」やクラブ活動その他(都立高校の奉仕)などの他、市民学習のねらいをもって実施される「教科」または「課外活動等」において、その目標の達成のため、区市町村のボランティア・市民活動推進機関と連携し次の事業を行う。
ア 学習テーマの選定や学習プログラムの計画に必要な資料の作成、情報の提供
イ 学習プログラムの実施及び体験学習の推進に必要な連絡調整
ウ 児童・生徒及び教職員の振り返り・事業評価及び分析の方法及び指標に関する情報の提供
エ 学習プログラムの推進における地域の関係機関、団体との交流の促進
オ 学習プログラムの推進に必要な費用の助成
カ その他上記の目的を達成するために必要な連携・協働事業
3 事業の実施
地域に根差した市民学習の推進のために、本事業は、共同研究校及び当該区市町村ボランティア・市民活動推進機関、地域の関係機関、市民活動団体の協力を得て実施し、一体となって学習プログラムの実施体制づくりを進める。
4 共同研究校における活動
共同研究校においては、学習指導要領による「生きる力の育成」を踏まえつつ、本センター等関係機関の協力を得て、各校、各地域の実情に合わせた学習プログラムを実施する。
(『子ども参加で地域と学ぶ~市民学習共同研究校中間報告会~報告書』東京ボランティア・市民活動センター、2015年3月、50ページ)

資料2 「市民学習」とは何か
市民学習とは、地域課題や社会問題への関心や意識を醸成し、社会参加の態度を実践的に育む学習で、例えば地域に暮らす人や歴史・文化にふれたり、福祉、医療、環境、平和、安全、国際交流・支援等のテーマを取り上げたりする中で、主体的かつ段階的に学習活動に取り組むことによって、児童生徒の中に、自己の成長と市民社会とのかかわりの中に認識・体験―社会参加―社会認識―自己理解という循環構造が形成されることを通して、自己の発達と市民社会の成熟を同時的に実現できる人生観と社会観の確立を促し、もって真の市民福祉社会を実現することを期すものである。
(『日本福祉教育・ボランティア学習学会第21回やまぐち大会報告要旨集』2015年11月、61ページ)

市民学習は、以下のような学習を展開する取り組みです。
① 地域や社会の課題を把握し、課題解決のために取組み・体験する
② ①の取組み・体験を通して児童・生徒がどう成長するか学習目標を設定する
③ 児童・生徒が取組み・体験を企画し運営する機会をつくる
④ 児童・生徒が課題や取組んでいる団体について理解し、体験に必要な方法を学ぶ
⑤ 意義のある体験となるよう活動中の支援や事故の防止などを考える
⑥ 体験から何を学んだか、どのような改善が必要かを振り返る
⑦ どのように取組んだか、どのような成果があったかを評価する
⑧ 児童・生徒の取組みと社会貢献の成果を祝い(労(ねぎら:阪野)い)、その成果を関係者と共に讃え合う

◇ ①~⑧の展開は、以下の過程が想定されます。(「市民学習の学習サイクル」)
<課題発見>児童・生徒が地域や社会の課題を選択的に見出し、課題の現(ママ。うつつ、現実:阪野)の把握に取り組む→<目標設定>その取り組みから児童・生徒が自分の目標及びチームの目標を設定する→<課題の理解>さまざまな当事者や活動団体、関係者と交流し、多様な意見を収集し課題についての理解を深める→<改善への取り組み>活動を通じて課題を解決または改善するために必要な今後の方策を検討し、これに取り組む→<成果の評価>児童・生徒・教師および活動に関わった人々が相互に取り組みの成果を評価し、次の取り組みへの視座を探索する→<課題発見>
(『子ども参加で地域と学ぶ~市民学習共同研究校中間報告会~報告書』51ページ)

こうした活動は、従来から「福祉教育(学習)」「ボランティア学習(体験)」「市民学習」「シティズンシップ教育」「サービスラーニング」などの名称によって実施されてきた。その形態も教科学習、特別活動(学級活動、児童会・生徒会活動、クラブ活動、学校行事)、道徳、総合的な学習の時間、その他の課外活動(課外クラブその他)など多様に展開されてきている。これまで、社会福祉の意識啓発の一環としての福祉に関する学習活動や体験学習は、「福祉教育」「ボランティア学習」「ボランティア体験学習」といった概念で整理されてきた。検討委員会(「学校等における市民学習の推進方策検討委員会」:阪野)では、(中略)福祉教育やボランティア学習は自立した市民を育成する実践として「市民学習」の概念に包摂されると考えた。

福祉教育・・・将来の地域福祉の担い手を育てるという観点から社会福祉への関心を高める教育活動
ボランティア学習・・・ボランティア活動や環境問題、国際理解・協力などの広範な体験学習
市民学習・・・地域課題や社会問題への関心や意識を醸成し、社会参加の態度を実践的に育む学習
(『学校における福祉教育・ボランティア学習・市民学習等に関する実態調査 報告書』東京ボランティア・市民活動センター、2014年3月、5、61ページ)

資料3 学校における福祉教育・ボランティア学習・市民学習等に関する実態調査
本調査は、平成26年2月1日から3月7日の期間に、東京都内の公立小学校、公立中学校、都立高等学校、私立中・高等学校2,181校を対象として、記名式質問紙郵送調査によって実施した。発送は東京都内の各区市町村教育委員会または直接学校に送付する形式で行った。調査票の回収はFAXまたはメール添付によって行った。
郵送および委託配布された調査票全2,181票のうち、回収された票は285校であり、回収率は、13.1%であった。回収票の内訳は、公立小学校146校、公立中学校87校、都立高等学校24校、私立中・高等学校28校であった。

調査結果(「まとめ」)
(1) 市民学習等の教育活動の実施率に関しては、80%を越える実施率であり、特に調査回答をえた都立高等学校では「奉仕」の導入によって100%に達している。一方、私立中・高等学校に関しては各校の独自の教育理念、教育計画によることから実施率は5割強にとどまっており、今後、私立中高の活動把握、活動推進が課題であることが明らかになった。
(2) 実施にあたっての協力関係の中では社会福祉協議会、ボランティア・センターとの関連が最も高いが、その比率はなお4割に達していない。今後さらに連携を強化する必要が示唆されている。
(3) 児童生徒の変化の様子の把握については感想文や活動振り返りの発表など回想型の検証が主流である。
(4) 活動に関与後の教員の変化はおおむね積極的な変化が多く、特に高齢者や障害者への理解や社会福祉関係者との連携の形成などに変化が目立っている。一方で、社会福祉やNGO、NPO、市民活動への理解の深化はそれらに比べて低い比率であり、今後市民活動への理解形成への働きかけが重要であることが示唆されている。
(5) 今後の取り組みについては、積極的姿勢を示している学校が全体で約8割に達しており、全体での関心は高い。ただし、校種別では公立小学校と都立高等学校では高く、公立中学校と私立中・高等学校ではやや低い。この点は受験体制や教育課程の問題が考えられるが、中学校段階での活動プロクラムの開発が課題といえる。
(6) 社会福祉協議会、ボランティア・センターの認知度は、認知自体は約9割に達しているが、関与度は約6割にとどまっている。特に公立中学校と私立中・高等学校は他の校種と比較して相対的に関与度が低くなっている。今後、中学校と私立中高に対する積極的な働きかけが課題となる。
(7) 社会福祉協議会、ボランティア・センターに期待する関わりは、講師派遣や物品等の貸出が多く、活動内容の相談・提案やハンドブック等啓発資料等の需要については相対的に低い比率にとどまっている。教育が本務の場である学校においては必ずしもそうした需要は多くないと思われるが、多様な活動プログラムの効果や成果を示しながら活動内容面での連携の意義を伝達していくことが相互の連携強化には急務といえる。
(『学校における福祉教育・ボランティア学習・市民学習等に関する実態調査 報告書』6~7、20ページ)

ここで、大雑把なものにとどまりますが、「福祉教育」「ボランティア学習」「市民学習」等の関係性について図示しておくことにします。
図1は、上記の、「『福祉教育』や『ボランティア学習』は自立した市民を育成する実践として『市民学習』の概念に包摂される」という「学校等における市民学習の推進方策検討委員会」の言説を概念図化したものです。図2は、「学校を中心とした福祉教育」(「学校福祉教育」)と「地域を基盤とした福祉教育」(「地域福祉教育」「住民福祉教育」)、そして「市民福祉教育」の関係性を図示したものです。
23時
図3は、「福祉教育」「ボランティア学習」「市民福祉教育」等の関係性についての管見を概念図に描いたものです。それぞれの教育活動の特質を、いくつかあるうちのひとつに限定して簡潔に表すとすれば、次のようになるでしょうか。「福祉教育」は「住民・市民の社会福祉への関心と参加の促進」。「ボランティア学習」は「自主性に基づくボランティアの活動体験」。「シティズンシップ・エデュケーション」は「市民性(市民的資質・能力)の育成・形成」。「サービスラーニング」は「義務化されたコミュニティサービス(地域貢献活動)の展開」。そして「市民福祉教育」は「市民主権・市民自治に基づく福祉によるまちづくり」、です。
25時

付記
本稿をアップする数日前に、皇學館大学現代日本社会学部教授・鵜沼憲春先生から、博士論文を基にしたご高著『社会福祉事業の生成・変容・展望』(法律文化社、2015年11月)をご恵贈賜りました。社会福祉法制史研究に新しい地平を開く、有意義な労作であると高く評価することができます。「ある事由により立ち上がることができないほどのショックを受けた」(「あとがき」)先生の人となりを知る筆者(阪野)にとっては、この度の刊行はわがことのように嬉しい限りです。
本ブログ読者に、鵜沼先生のご高著の一読をお勧めします。

『1984年』と『茶色の朝』、そして “いま”―読後メモ―

タイトルは文章の顔である。タイトルを効果的なものにするためには、文章の内容を正確かつ簡潔に表現するとともに、現実性や普遍性、そして訴求性の高い用語を使うことが重要となる。『1984年』と『茶色の朝』は、今回再読した本のタイトルである。

『1984年』(高橋和久訳、早川書房、2009年7月)は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説である。「情熱と暴力と絶望」(トマス・ピンチョン「解説」507ページ)に満ちた小説であり、読み進めると“緊張と憂鬱と恐怖”が襲う。
この小説の舞台は、主人公のウィンストン・スミスが住む「3強国」のひとつ、オセアニアである。その「党」は、3つのスローガン「戦争は平和なり/自由は隷従なり/無知は力なり」を掲げている。
「戦争は平和なり」(war is peace)は、戦争はその継続化によって存在しなくなる(見せかけの平和)。「真の恒久平和とは、永遠の戦争状態と同じ」(307ページ)である、という意味である。「自由は隷属なり」(freedom is slavery)は、権力に隷属(屈従)すれば、思想・良心に従って行動する真の自由ではなく、監視下の自由(錯覚の自由)が保障される。「隷属は自由なり」(409ページ)、という意味である。「無知は力なり」(ignorance is strength)は、知識のない思考は空虚であり、思考のない知識は盲目である。従属(服従)は思考停止と洗脳によって実行される。「階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、成立しえない」(293ページ)、という意味である。
いまひとつ注目しておきたい党のスローガンに、「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」(56ページ)というのがある。過去は記録と記憶のなかに存在するが、権力者は歴史を書き換え捏造(ねつぞう)する、という意味である。

『茶色の朝』(藤本一勇訳、大月書店、2003年12月)は、フランスとブルガリアの二重国籍をもつ心理学者フランク・パヴロフによって書かれた寓話である。これは、ファシズムや全体主義を批判した小さな物語であり、「私たちのだれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、じつにみごとに描きだして」(高橋哲哉「メッセージ」41ページ)いる。
この寓話に登場する俺と友人のシャルリーが住む国では、犬や猫をはじめすべてのもの、朝までもが「茶色」でなければその存在が許されなくなっていく。「茶色」はナチスや極右の人びとを連想させる色である(高橋「同上」35ページ)。俺は言う。
それから俺たちはテレビをつけた。/そのあいだ、/茶色の動物たちは横目でおたがいの様子をうかがっていた。/どちらのチームが勝ったかもう覚えていないが、/すごく快適な時間だったし、すっかり安心していた。/まるで、街の流れに逆らわないでいさえすれば/安心が得られて、面倒にまきこまれることもなく、/生活も簡単になるかのようだった。/茶色に守られた安心、それも悪くない。(14ページ)
ひと晩じゅう眠れなかった。/茶色党のやつらが/最初のペット特別措置法を課してきやがったときから、/警戒すべきだったんだ。/けっきょく、俺の猫は俺のものだったんだ。/シャルリーの犬がシャルリーのものだったように。/いやだと言うべきだったんだ。/抵抗すべきだったんだ。/でも、どうやって?(28ページ)

そして“いま”、日本は確実に、オセアニアの「党」のスローガンや「茶色党」の政治とは無縁ではない状況、すなわちファシズムや全体主義国家への道を歩んでいる。例えば、国旗掲揚と国歌斉唱の強制(国旗国歌法:1999年8月施行)、有事体制づくりと国民への戦争協力の強要(国民保護法:2004年9月施行)、道徳教育と愛国心教育の推進(新教育基本法:2006年12月施行)、情報公開の抑制と国民の知る権利の侵害(特定秘密保護法:2014年12月施行)、個人情報の一元管理と国民監視の強化(マイナンバー法:2015年10月施行)、そして平和主義の空洞化と「戦争ができる国」への転換(安全保障関連法案:2015年7月衆議院本会議可決)、などがそれである。とりわけ最近では、立憲主義(憲法によって国家権力を制限し、国民の人権を保障する思想)が否定され、議会制民主主義や熟議民主主義が危機に瀕している。日本の政治の劣化であり、国家の疲弊である。

『1984年』と『茶色の朝』は、ウィンストンと俺の“いま”の心情を表した次の一節で終わる。悲しみと恐怖、そして怒りが込みあげてくる。
万事これでいいのだ。闘いは終わった。彼は自分に対して勝利を収めたのだ。彼は今、<ビッグ・ブラザー>を愛していた。(463ページ)
だれかかドアをたたいている。/こんな朝早くなんて初めてだ。/‥‥‥/陽はまだ昇っていない。/外は茶色。/そんなに強くたたくのはやめてくれ。/いま行くから。(29ページ)

上記の高橋が『茶色の朝』に寄せるメッセージは、「やり過ごさないこと、考えつづけること」である。唐突ながらそれは、“まちづくり”についても言える。それは、それぞれの地域や住民に求められる、主体的で自律的な姿勢や態度、行動である。言い換えれば、地域・社会における歴史的・社会的事象の存在に気づかないふりをせず、それを常に意識し、自分たちの知識と思考で対応することである。そこでは、地域主権や住民(市民)主権の観点が重要となり、「上から目線」で“地方創生”を図ろうとする権力者は不要となる。深く心に刻みたい。

わら縄―「戦争はむごいものです」―

母が白寿の祝いを前に逝きました。父は国によって殺されました。

父は、3度目の出征を控えて、手足の爪を切って残すことにしました。幼い私には、その意味を理解することはできなかったはずです。

でも、いよいよ父が家を後にするとき、私は、“わら縄“ を張って庭先の門をとざし、「父ちゃん、行かないで!」と泣き叫んだそうです。

戦争に負ける前の冬、軍の司令部に出かけた母が、白い布に包まれた小さな木箱を首から下げて帰ってきました。その木箱にはほんのわずかな爪が入っていました。

母は、がむしゃらに働きました。私も、学校を卒業する前から、母と一緒に泥田に入りました。父が残していった田んぼを守るためにです。

母は、私たちを厳しく育てました。世間の偏見に堪えました。あんなにも強く生きる母の姿をみることは、息子として悲しく、辛いことでした。

母の最期のことばは、「ありがとう。ありがとう。やっとお父さんに会える!」でした。死の間際、頬に一筋の涙が伝わりました。母の顔は穏やかで、嬉しそうでした。

父と母の結婚生活はわずかな年月でしたが、そこには確かな「絆」と深い「愛」がありました。

戦争はむごいものです。

※これは、筆者(阪野)の従兄の話です。安全保障関連法案が衆議院本会議で可決された2015年7月16日の今日、訥々(とつとつ)と語ったあの時の従兄の一言(ひとこと)が思い出され、またも胸に突き刺さります。「戦争はむごいものです」。
※2016年5月2日の今日、久しぶりに従兄と電話で話すことができました。80歳を超えた従兄の話に、以前と変わらない穏やかで強い心を感じることができました。記憶と記録の不確かさや、真に伝えたいことを述べる難しさなどを改めて痛感しながら、「わら縄」の拙文を若干、加筆訂正させていただきました。伝えたいことは変わりません。「戦争はむごいものです」。そして、「愛はつよいものです」。

戦争を知らない世代、新たな「戦前」を思う―福祉と教育―

既に周知のことであるが‥‥‥

戦争は人間が行う低劣で醜悪な行為であり、国家権力による最大の人権侵害である。

国民の生命、自由及び幸福追求の権利は、真の平和の実現によってのみ保障される。

福祉と教育は、一人ひとりの人間が世界の平和をつくるための実践であり運動である。

そして、いま言うべきことは‥‥‥

福祉と教育は、ファシズムや軍国主義に加担した痛恨の過去を繰り返してはならない、

ということである。

市民自治とまちづくり―その立ち位置とプロセスを考える―

周知のように、1998(平成10)年12月に特定非営利活動促進法(NPО法)が施行された。2009(平成21)年9月には政権交代が実現し、民主党政権によって「新しい公共」政策の推進が図られた。これらを契機に、地方自治を取り巻く大きな潮流として「ガバメント(統治)からガバナンス(共治)へ」の転換が図られ、市民運動も「抵抗・告発型から参加・自治型へ」と変質する。それは、市民は統治客体意識から脱却し、政治や行政に主体的かつ自律的に参加することが要請されるようになったことを意味する。言い換えれば、市民は、市民自治によるまちづくりを実現するために、政治や行政と前向きな議論や納得できる調整を重ねて真の合意形成を図り、また相応の責任を引き受けることが求められることになる。
以上の点に関して、湯浅誠(社会活動家)がその論考「社会運動の立ち位置―議会制民主主義の危機において―」『世界』第828号、岩波書店、2012年3月、41~51ページで、次のように述べている。参考に供しておきたい。

「こっち側」(社会運動:阪野)の役割は課題を投込むまで、そこから先は「あっち側」(政治、行政:阪野)の仕事という役割区分を過度に固定化する思考は、自分は言いたいことを言うだけ、調整と妥協という汚れ仕事のコストは回避するという形で、「あっち側」への調整コストの押しつけ・丸投げに帰結する。当然ながら満足のいく結論は出てこず、それが結論への批判と「あっち側」への責任追及をもたらし、同度に「あっち側」の世界には関わらないほうがマシという調整の忌避に至る。(47ページ)

「主体的市民による社会運動」(中略)の内実および議会制民主主義との建設的緊張関係の中身については、永遠の課題として、これまでの研究および実践の蓄積に、これからも学び続けるしかない。少なくともそれは、「こっち側」と「あっち側」の役割区分を固定的に捉えるのではなく、政治的・社会的力関係の総体を視野に入れながら、社会的領域および政治的領域における調整過程に積極的に介入し、主権者として結果に対する責任を自覚し、何かを全否定したくなる衝動を抑えながら、地道に調整を積み重ねて相反する利害関係者との合意形成を図る市民だろう。(51ページ)

次の図は、「市民自治とまちづくり」の流れをまとめたものである。そこから、市民による「現状把握・分析」から政策・制度(「あっち側」)や実践・運動(「こっち側」)による「合意形成」、「課題解決」、そして「評価・見直し」に至る過程に積極的に介入し、市民自治によるまちづくりに主体的かつ自律的に取り組む市民をいかに育成・確保するかが当面の大きな課題となるといえよう。市民自治の実践は、それへの参加そのものが教育・訓練・啓発の要素や側面をもつのである。

見直し

以上のうち、「合意形成」(consensus building)とは、それぞれの“立場”や“利害”を超えて、多様な意見や考え方をまとめ、「納得」することをいう。そのためには、(1)信頼に基づく良好な人間関係を築く。(2)異質で多様な価値観の存在を認める。(3)公正で透明性の高い情報開示(共有)を行う。(4)社会科学的・批判的な思考力や論理的・合理的な判断力を養う。(5)適正な手続き(プロセス)を踏まえた協調的な「交渉」(negotiation)を重視する、ことなどが求められよう。また、対話や交渉を支援する方法としてファシリテーション(facilitation)やメディエーション(mediation:調停)の導入も必要となる。
いまひとつ、「責任の引き受け」(take responsibility)に関していえば、政治や行政において、選挙や議会に基づく権威主義的傾向や前例主義による保守的傾向があることは否定できない。それは、市民の、政治や行政への「依存」(無関心、無理解、非協力)を反映したものでもある。「まかせておけばいい」という依存は、「責任」を伴う対等・協働(共働)の関係ではない。市民自治の主体である市民には、そうであるがゆえに政治や行政に対して積極的かつ自律的に関わり、場合によって責任を追及することが求められる。併せて市民は、当然のことながら、相応の責任を引き受けることになる。「ガバナンス」のひとつの姿である。
付記しておきたい。


熱心なブログ読者から、「最近の政治状況に抗する“能力や覚悟”は十分に持ち合わせていないが、確かな市民自治と平和で安心なまちづくりを推進するためには、その主体である市民一人ひとりがコツコツと実践や運動を積み重ねていくことしかないのではないか」というメールをいただいた。本稿はそのご意見に対するものでもある。

「現実」と「生活綴方教育」の “いま” を問う―ある若い知人へのメモランダム―

第一次世界大戦後、社会的・経済的混乱や国民生活の疲弊が深刻化するなかで、1930年代に生活綴方教育実践や教育運動が興隆しました。その実践や運動のなかに、福祉教育実践のひとつの側面や要素を見出すことができるのではないか。そんな考え(仮説の設定)のもとに、「生活綴方教育」に少なからぬ関心をもっています。
先日、佐竹直子さんの『獄中メモは問う―作文教育が罪にされた時代―』を読み、北海道綴方教育連盟事件や「治安維持法と綴方教育」への関心を高め、理解を深めることの重大さを再認識しました。
特定秘密保護法の施行をはじめ集団的自衛権の拡大解釈と行使容認、地方自治の精神や原則を無視した国政の専断、そしてメディアへの強圧的な対応や報道への介入等々が進められるなかで、佐竹さんは、「国を挙げて戦争へと突き進み治安維持法に国民が弾圧された時代を、まるで現代が追いかけて再現しているように思えてならない」と述べています。強く同感するところです。北海道綴方教育連盟事件は、「遠い過去の出来事」といい切れず、「歴史は繰り返される」ようです。“不安”を超えて“恐怖”すら覚えます。
生活綴方は、子どもが「現実」の生活と向き合い、その生活について、またその生活を通して感じたり、思ったり、考えたりしたことをありのままに書くことから始まります。それは、子どもを概念的な見方や考え方から解放し、子どもが自分自身と自分を取り巻く地域・社会を見つめ、子どもの豊かな人間性や社会性を育むための教育営為です。そこでは、教師の専門性とそれを裏付ける人間性や価値観が厳しく問われることになります。
そう考えたとき、子どもが向き合う“ナマ”の生活の「現実」をどのように捉えるかが重要な問題として浮上します。
「現実」は、形成され与えられたものであると同時に、常に新しく作り出されていくものです。既成事実として認識されているからといって、その現実を無批判的・盲目的(盲従的)に是認し、受け入れることは避けるべきです。
「現実」は、多様な要因によって構成されており、その要因は複雑に絡み合っています。現実は多様性と多次元性(多層性)を有しており、現実のひとつの側面だけが強調されることがあってはなりません。
「現実」は、その時々の支配権力が選択する方向に沿って形成されます。それに対して、反対派が選択する方向は「観念的」「非現実的」と考えられがちですが、現実を変えるためには、科学的で批判的、自由で民主的な思考や態度・行動が不可欠です。
「現実」についてのこうした考えは、60年以上も前に政治学者の丸山眞男が説いたところによるものです(引用と援用)。詳細は原典に譲ります。いずれにしろ、こんにちの政治的・社会的状況は、極めて憂慮すべき“危機”事態にあるといわざるを得ません。そういうなかで生活綴方教育(作文教育)のあり方を問うとき、「現実」の概念やその特徴について十分に留意したいものです。それはまた、日常的で具体的な地域・社会生活の「現実」と“向かい合い”、地域づくりのための主体形成(成熟した市民の育成)を図る福祉教育(市民福祉教育)にも通じることです。
今回、書きとめたいことは、いま、地域・社会生活の「現実」と向かい合う生活綴方教育(すなわち市民福祉教育)のあり方を厳しく問い、「作文教育が罪にされた時代」を二度とつくらない決意をする必要がある、ということです。


(1) 「叩く。ける。座らせる。おどかす。そのうちに自分も妙な気持になり、『赤く』なっていた」/戦時下に、作文指導に励んだ北海道の教員が次々と治安維持法違反容疑で逮捕された「北海道綴方教育連盟事件」。2013年に見つかった元教員の「獄中メモ」を手がかりに、事件の実像に迫ったルポ。70年余りの時を経て現代に問いかけるものとは―。(佐竹直子『獄中メモは問う―作文教育が罪にされた時代―』北海道新聞社(道新選書47)、2014年12月、帯より)
(2) 北海道綴方教育連盟事件:1940年(昭和15年)11月~翌年4月に、日常生活をありのまま書く綴方教育に取り組んでいた道内の教員らが、「貧困などの課題を与えて児童に資本主義社会の矛盾を自覚させ、階級意識を醸成した」などとして逮捕された弾圧事件。逮捕者は旧内務省「特高月報」によると56人、旧文部省「思想情報」では75人。12人が起訴され、11人が起訴猶予付き懲役刑が確定(1人は公判前に死亡)。後に初代の民選札幌市長となる故高田冨与弁護士が弁護人を務めた。旭川市出身の作家、故三浦綾子さんの長編小説「銃口」の題材になった。/治安維持法:「国体」の変革、私有財産制度の否認を目的とする結社や行動を処罰するため1925年(大正14年)に制定。当初は共産党や革命的労働・農民運動の取り締まりを目的としたが、適用範囲は拡大され、思想・信条や言論の自由を弾圧し、国民生活の監視に猛威を振るった。45年10月に廃止。旧司法省のまとめでは逮捕者は計約7万5千人だが、実際にはこの数倍から数十倍に上ると指摘されている。(「北海道新聞」2013年11月17日朝刊)
(3) 丸山眞男「『現実』主義の陥穽―或る編輯者への手紙―」『世界』第77号、岩波書店、1952年5月、122~130ページ。(陥穽<かんせい>⇒落とし穴、策略。)

住民主体の内発的なまちづくりとコミュニティデザイン―持続可能な地域再生と住民の主体形成―

筆者(阪野)はこれまで、多くの地域で、いろいろな人たちとの「幸運な偶然」(山崎亮『まちの幸福論』119~122ページ。注(1))を手にすることができた。先月アップした拙稿「住民主導の『地域づくり』と『教育づくり』の可能性―資料紹介―」(2015年3月5日投稿)では、「地方消滅論」などをめぐって論述し、私事ながら実践的研究に求められる「善意と誠意」について“付記”した。後日、その一環として、山崎亮の本を読み返すことにした。以下がそれである。

(1) 山崎亮『コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる―』学芸出版社、2011年5月。(以下、「1」と略す。)
(2) 山崎亮+NHK「東北発☆未来塾」制作班『まちの幸福論―コミュニティデザインから考える―』NHK出版、2012年5月。(以下、「2」と略す。)
(3) 山崎亮『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中央公論新社(中公新書)2012年9月。(以下、「3」と略す。)

周知の通り、山崎は、「日本でただひとりのコミュニティデザイナー」「地方再生の救世主」などと紹介されることもあるという、斯界の第一人者である。山崎によると、コミュニティデザイナーとは、「モノをつくらないデザイナー」「地域の課題を、地域の人たちが解決するための場をつくるデザイナー」(「2」9、16、122ページ)である。また、「コミュニティデザイナーは『救世主』ではない。この仕事は〝主〟になってはならない仕事だ。まちづくりの主体となるのは、その地域で暮らす住人である。(コミュニティデザイナー:筆者)がリーダーシップを発揮して、『みなさんでこういうまちをつくりましょう』と言ってしまったら、住民主体のまちづくりはできなくなる」(「2」122ページ)。要するに、住民主体の内発的な「まちづくり」すなわち「コミュニティデザイン」を進めるために、人と人を結びつけ、その関係性を深める“しくみ”を「デザイン」(注(2))することが、コミュニティデザイナーの仕事である。その際、上記の前稿との関連でいえば、「地方消滅」をただ不安がり嘆(なげ)くのではなく、いわゆる「活動する市民」(注(3))を如何に確保・育成するかのプロセスをデザインすることが肝要となる。山崎は次のよういう。

社会の課題を解決するためのデザインについて考えるとき、2つのアプローチがあるような気がする。ひとつは直接課題にアプローチする方法。困っていることをモノのデザインで解決しようとする方法である。(中略)
一方、課題を解決するためにコミュニティの力を高めるようなデザインを提供するというアプローチもある。(中略)
コミュニティデザインに携わる場合、後者のアプローチを取ることが多い。コミュニティの力を高めるためのデザインはどうあるべきか。無理なく人々が協働する機会をどう生み出すべきか。地域の人間関係を観察し、地域資源を見つけ出し、課題の構成を読み取り、何をどう組み合わせれば地域に住む人たち自身が課題を乗り越えるような力を発揮するようになるのか、それをどう持続させていけばいいのかを考える。(「1」246~247ページ)

コミュニティデザイナーは、コミュニティデザインという方法によって、そのまちに暮らす住民自らがまちの現状を把握し、問題を理解し、課題を解決していくプロセスをデザインする、地域支援(まちづくり支援)の専門家である。その方法は、山崎によると、基本的には次の4段階によって進められる。

第1段階:ヒアリング
ヒアリングの内容は大きく分けて、「どんな活動をしているのか」「その活動で困っていることは何か」「ほかに興味深い活動をしている人がいたら紹介してくれないか」の3点である。
地域の情報を調べ、人の話を聴き、地域の人間関係を把握し、現地を歩いて回るうちに、その地域でどんなことをすればいいのかが少しずつ見えてくる。
第2段階:ワークショップ
地域の特徴や課題を整理、共有し、取り組んでみたいプロジェクトやその実現の方法などについて話し合う。
その手法は、ブレーンストーミング、KJ法、ワールドカフェ(カフェのようなリラックスした空間で次々とテーブル=カフェを移動しながら、違う人とミーティングを重ねる手法)など、話し合う内容や集まったメンバーによって決める。
第3段階:チームビルディング
アイデアが出そろった段階で、「誰がどのプロジェクトを担当するのか」を決めることになる。その際、自分が取り組みたいプロジェクトを選んでもらいつつ、メンバーの調整を行いながら、担当チームをつくる。
チームごとに構成員の役割を決めて、本人たちが協力してプロジェクトが進められる体制を構築する(チームビルディング)。
第4段階:活動支援
できあがったチームの活動(特に初動期の活動)を支援する。チームが活動を進めるために相談に乗ったり、情報提供を行ったり、必要なスキルを得る機会を設けたりなどする。
初動期のサポートは、チームの活動内容を見ながら徐々に減らしていく。自分たちだけで活動できるようになるのが最終目標なので、チームにできることが増えたらコミュニティデザイナーは手伝いを減らす。(「3」180~195ページから抜き書き)

まちづくりには、地域の特性や課題に応じたクリエイティブな思考やオリジナルなアイデア、斬新なセンスなどが求められる。そこから、コミュニティデザイナーには、それらを生み出す知識や情報(事例)、態度や行動、そしてアイデアを“かたち”にしブラッシュアップする(磨き上げる)技能(スキル)などが必要となる。また、個々の住民(個人的実践主体)の主体形成のみならず、それを集団的実践主体や運動主体へと育成・向上させるためのメソッド(手法、やりかた)を身につけることも肝要となる。
なお、山崎においては、アメリカの心理学者ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)の「社会的知性」(SQ:Social Intelligence Quotient)に関する所説を引用し、コミュニティデザイナーには次のような能力が求められることになる。(1) “読み取り能力”(「社会的意識」:ゴールマン)、すなわち「他人の感情を読み取る能力」「人の話をしっかり聴く能力」「相手の意図や思考を理解する能力」「社会のしくみを知る能力」の4つの能力と、(2) “そのうえでどう行動するか”という能力(「社会的才覚」:ゴールマン)、すなわち「相手と同調する能力」「自分の意図を効果的に説明する能力」「他者に影響を与える能力」「人々の関心に応じて行動する能力」の4つの能力がそれである(「3」219~220ページ。ダニエル・ゴールマン 土屋京子訳『SQ 生きかたの知能指数―ほんとうの「頭の良さ」とは何か』日本経済新聞出版社、2007年1月、130~158ページ)。
いずれにしろ、まちづくりには、「まちの人たちが主体となれる方法論で(地域の:筆者)課題を解決していける人材」、つまり「ファシリテーター」が必要となる(「2」154ページ)。周知の通り、全国には、2009年度から実施されている国(総務省)の「集落支援員」や「地域おこし協力隊」の事業などを活用し、地域の課題解決やまちづくりに取り組む人材を積極的に導入している地方自治体がある。2014年度における(専任)集落支援員は221団体(5府県216市町村)、858人(自治会長などとの兼務の(兼任)集落支援員は3,850人)、地域おこし協力隊員は444団体(7府県437市町村)、1,511人を数える。その数は増加傾向にあるが、決して多くはない。また、受け入れ態勢の不備や地域(地元)住民との意識のズレなどによって、その制度が十分に機能しているとはいえない。
まちづくりのソフト事業である人材育成は、何よりも地域が取り組むべき課題である。そこでは、まちづくりをファシリテート(支援、促進)する人材の確保・育成とともに、「活動する市民」や一般住民へのまちづくに関する意識啓発・教育が必要かつ重要となる。 2014年度に東北芸術工科大学(山形市)に日本で最初の「コミュニティデザイン学科」(学科長・山崎亮)が開設された。学科の合言葉は、「ふるさとを元気にするデザインを学ぼう!」であるという。コミュニティデザイン(まちづくり)の本格的な人材育成は始まったばかりである。

例によって唐突であるが、フランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の『21世紀の資本』(山形浩生・他訳、みすず書房、2014年12月)がベストセラーになっている。そこでの言説のひとつは、先進国では経済的格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因は保有する資産の多寡にある。資産家は投資によってさらに資産を増やし、その一方で低所得者は、賃金が上がらない限り資産形成を行うことができない、というものである。同じような言い回しをすれば、地域では生活環境の格差が拡大し、固定化する傾向にある。その原因のひとつは、住民主体のまちづくり(コミュニティデザイン)とその啓発・教育の事業・活動の実施度にある。住民主体のまちづくりが活発な地域は、その実態(実情)や特性を活かした新たなまちづくりを推し進める。その取り組みが低調な地域では、地域の課題を発見し、それを解決するための「人のつながり」(山崎)が広がらない。筆者が本稿でいいたいことのひとつはここにある。それは、市民福祉教育に通底するものでもある。

(1) 「幸運な偶然」について、山崎は次のように述べている。「『偶然』と『幸運』はイコールではない。偶然を一時的な出来事で終わらせてしまうか、それとも自分の人生を豊かにする幸運に変えられるかは、本人次第である。(中略)偶然を幸運に導いてくれるのが、(肯定から入る:筆者)〝Yes,and〟のコミュニケーションでもある。(中略)『幸運』は天から与えられるものではなく、人が自分の意志で見つけていくもの」である(「2」121~122ページ)。「まちづくりで最も重要なことはコミュニケーション能力である」(「1」91ページ)。留意しておきたい言説である。
(2) 山崎にあっては、「デザイン」とは「社会的な課題を解決するために振りかざす美的な力」である。すなわち、多くの人たちに関係している課題を見つけ、それをたくさんの人が共感するような“美しい方法”で解決しようとする行為をいう(「3」233ページ)。
(3) 「活動する市民」とは、まちづくりについて主体的・自律的・能動的な態度・行動を有する住民をいう。拙稿「ソーシャル・キャピタルと市民福祉教育」(2012年8月21日投稿)などを参照されたい。

補遺
山崎は、「コミュニティデザインとまちづくりは同じではない。(中略)横文字を組み合わせたコミュニティデザインよりはまちづくりのほうが理解してもらいやすい。(中略)まちづくりという言葉は馴染みがあるのだろう。それならそれでいい」(「3」213~214ページ)としながら、次のように述べている。

(地域のさまざまな:筆者)人の集まりが力を合わせて目の前の課題を乗り越え、さらに多くの仲間を増やしながら活動を展開することを支援するのが(中略)コミュニティデザインである。これは、コミュニティの力を増幅させるという意味で「コミュニティエンパワメント」や「コミュニティオーガニゼーション」と呼ばれる手法に近いのかもしれない。あるいは、社会福祉の分野でいわれる「コミュニティワーク」や、開発途上国支援の分野でいわれる「コミュニティディベロップメント」に近い方法なのかもしれない。いずれも「つくることを前提としないコミュニティづくり」であるから、今後はこうした分野の知見を活かしながら、コミュニティデザインの実践を続けたいと思う。(「3」123ページ)

前述の「コミュニティデザイン学科」の創設は、コミュニティデザインという学問領域の成立を前提にする。実践の単なる積み重ねによる実践知だけでなく、学問としての体系化を図るためには、先ずはコミュニティデザインの精緻な概念整理や「コミュニティの力」の構成要素の分析・考察、そしてコミュニティエンパワメント等との関連性の検討などが求められよう。
なお、筆者は、取り敢えず本稿ではまちづくりとコミュニティデザインをほぼ同義に捉え、記述している。

生きること・老いること・死ぬこと―デス・エデュケーションと市民福祉教育―

筆者(阪野)は、放送大学教養学部の学生(選科履修生)である。授業には放送授業と面接授業、それにインターネット配信によるオンライン授業の3通りがあるが、もっぱらオンライン授業を受講している。ただ、その態度は褒められたものではない。半日で5、6回分の授業を視聴したり、履修登録科目以外の人文系や自然系の科目や大学院授業科目も多く視聴している。その結果、気がつけば登録した2科目4単位が修得できず、2015年度継続入学の手続きを取ることになった。
先日、「死生学入門」の15回分を一気に聴取した。そのうち、8回目の井出訓(いで・さとし)先生による「老いと死」は、その目標にかなう授業であり、前期高齢者の筆者にとっては多少なりとも興味や関心を呼び起こすものであった。「老いとともに人は肉体的な衰えを自覚し、死に対する覚悟と準備を求められる。いっぽうで老いはエリクソンが指摘したとおり、発達の最終段階としての成熟と完成に至るプロセスであり、英知という肯定的な意味を獲得しうる段階でもある。こうした老年期を生きる人々が、目の前に迫る死とどのように向き合い、何を想い、いかなる最期を迎えているのか。超高齢社会を迎えた日本社会における老いの現状をふまえつつ、老いという生の成熟と、死という生の完成について考えてみたい」というのがシラバスに記された授業内容である。
講義は、深沢七郎の『楢山節考』の一節の紹介から始まった。辰平が年老いた母おりんを背板に乗せて真冬の楢山へ捨てに行く。その帰り道、雪が舞い始める。辰平は、おりんの運の良さを告げ、「『おっかあ、ふんとに雪が降ったなァ』と叫び終ると脱兎のように駆けて山を降(くだ)った」という場面である。こうした姥捨て(棄老)は、村という社会の権力構造によって高齢者が排除され、村という社会を維持するために「弱者」を犠牲にするという“排除と差別”にほかならない。
日本は、本格的な超少子高齢・人口減少・多死社会を迎える。そういうなかで、「2025年問題」が声高に叫ばれている。「老人漂流社会“老後破産”」が深刻な状況になっている。要介護者や認知症高齢者などへの対応も後手に回っている。これらは、筆者自身の老いにかかわる問題である。またこれらから、姥捨ては形を変えて社会的・制度的に進行しており、それは伝説や小説の世界だけの風習ではない、と思えてならない。経済の効率性や生産性の回復・向上を図り、社会の一員としての社会的責任や社会貢献を果たすことが強く求められる今日の日本社会において、である。ここで、労働力の態様という観点から、高齢者を「衰退した労働力」と規定した一番ヶ瀬康子(いちばんがせ・やすこ)先生の所説を思い起こす。
授業の後半部分では、井出先生の師でありメンター(指導者)であった、看護学を専門とする中島紀恵子(なかじま・きえこ)先生へのインタビューが紹介された。中島先生の、「高齢当事者」(後期高齢者)の目線から語られる「老いと死」から多くを学んだ。中島先生の、「老いについては、死の側から生きるプロセスをみる、死から生命(いのち)を照らすという感覚がつきまとう。」「高齢者には悲哀をともなって世話になる覚悟が必要であり、依存することも自立のうちである」等々の話は意味深い。
そして、井出先生の「老いと死」のまとめは、次のようであった。「自分らしく老い、自分らしく死ぬとはどのように生き抜くことであるのか。それは、今まで自分が生きてきたように生き、そして老い、死んでいくことでしかない。」「『死生学』という視点から老いと死とを考える時、死とは何かという問いよりも、いかに老いという最後の時間を生き抜くかという、生の在り方に対する問いに軸足が置かれているべき」である、というのがそれである。
授業内容の詳細についてはひとまず置くとして、井出先生の授業による筆者の気づきや学びはおおむね以上のようなものである。ここで、宗教学者の山折哲雄(やまおり・てつお)先生の一文を想起する。

「戦後の日本の教育の主軸は、まず第一に生きる力を養うことでした。死をネガティブなものとして正面から向き合うことをしなくなってしまった。それは教育界のみならず、経済界・産業界もそうですし、宗教界までもがそうでした。気がついてみれば、生きる力一本槍で、二言目には共生、共生と言って、死という問題を真っ向から取り上げなくなった。
生きる力イデオロギーと共生大合唱の二本立てによって、いつのまにか日本人は死と向かい合う態度を忘れてしまったと言えるでしょう。
しかし冷静に考えれば、死を知ることで生の意味が本当に理解できるのであって、生きることばかり強調しても、そもそもそのこと自体に説得力がない。生きる力を磨きたいのであれば、死ぬことの意味も知っておかなければならない。」(『「始末」ということ』角川学芸出版、2011年、78ページ)

「きちんと『死』について教えない限り本当の『生きる力』は身につかないと思います。(中略)『共に生きる』という口当たりのよい言葉だけ掲げて、『共に死ぬ』ということはほとんど言わない。死んでいくときは『ひとり』、ということもあいまいになっている。(中略)すべての人間がひとりで死ぬ運命の中に投げ出されている。だから『共に死ぬ』ということになります。『共に死ぬ』すなわち『共死』とはそういう意味なのです。共に生きる者たちは当然共に死ぬ者でもある。」(『わたしが死について語るなら』ポプラ社、2010年、53~54ページ)

要するに、子どもの生活や意識、学校教育などにおいて、抽象的・理念的に「生」が語られ、「死」が遠ざけられてきた。死を見つめることによってこそ生の意味を知ることができる、というのであろう。加筆すれば、死のとらえ方には、自分自身の死(「一人称の死」)と、自分自身と関係性をもつ人の死(「二人称の死」)、そして関係性をもたない人の死(「三人称の死」)の3つがあるといわれる。死すなわち生について議論する際には、客観的で冷静な三人称の死だけでなく、むしろ一人称や二人称の視点が必要かつ重要となる。それによって、より確かな死生観や人生観の育成を図ることができるのである。
ところで、学校における福祉教育ではこれまで、高齢の疑似体験や高齢者への思いやり、そして「共に生きる」ということが強調されてきた。その際、老いについての理解を十全に行ってきたか。死そのものに向き合い、また向かい合ってきたかというと、“否”と答えざるを得ないのではないか。場合によっては、意図的に避けてきたといえなくもない。
そこで、例によって唐突の感は免れないが、本稿で筆者がいいたいのは、「デス・エデュケーション」(death education)の一環としての市民福祉教育の推進を図る必要がある、ということである。しかも、それは、子どもに対する教育営為にとどまらず、一般成人を対象にした福祉教育としての展開がより一層求められる。さらに、上述の中島先生の様にとはいわない(いかない)までも、老いと死について自分の思いや考えなどをその人らしく、その人なりに具体的に言語化できる高齢者の主体形成を図ることが肝要となる、ということである。それは、福祉教育の客体としての高齢者を解放し、高齢者をその主体に位置づけることを意味する。そこに、自立性と自律性、そして個性をもつ高齢者の姿を見出すことになる。
市民福祉教育は、デス・エデュケーションと連携していく間口と奥行きをもっている。


(1)石丸昌彦編著『死生学入門』放送大学教育振興会、2014年。
(2)一番ヶ瀬康子『社会福祉事業概論』誠信書房、1964年。
(3)「デス・エデュケーションは単なる『死についての教育』にとどまるものではなく、『死の準備教育』あるいは『死を見すえて日常の生を生きるための教育』である」(竹田純郎・森秀樹編『<死生学>入門』ナカニシヤ出版、1997年、197ページ)。

付記
日本の政治はいま、「戦争のできる国」づくりを進め、翼賛体制の構築を促している。戦争は犯罪であり、生きることと老いることを許さない死そのものである。こんなことに思いを致しながら本稿を草したことを、敢えて付記しておきたい。

神田均先生とやっちゃんの詩

神田均(かんだ ひとし)先生からまた、ご高著『福祉の細い道~八十路を歩みながら~』(2015年1月1日刊)のご恵贈を賜った。先生は、2014年、7回目の年男(うま年・84歳)を迎えられたという。ご高著の「まえがき」に次のような一節がある。

私は、主に20世紀を生きて来た、まさに「昭和の男」である。しかし私自身が社会人となると同時に、「福祉の道」に入ってから今日まで、「日本の福祉の歩み」を地方の片隅から、眺め続けてきた65年間でもあった。
今、日本社会は内外共に大変に多くの課題を抱えている。併し、あの戦後の混乱期を生き抜いて来た人間としては、真正面からそれらの課題に向き合って、前に進んで行くしかないと思う。
私自身に残された時間は少ないが、これからも人生の最後までボランティア精神を忘れずに、歩み続けて行きたいと思う。

先生は現在も、福祉人材養成の専門学校に出講したり、ボランティア団体の運営に関係されている。東日本大震災に際しては、自らボランティアとして現地に赴いておられる。ただただ頭が下がるばかりである。
神田先生の「生涯、ソーシャルワーカー」の生きざまをご高著から学ぶとき、15歳のやっちゃんの「ごめんなさいね おかあさん」(1975年4月)という詩に出会う。先生の「いのちの尊厳」や「いのちのつながり」の思想と実践、先生の「福祉教育の原点」を読み解くことになる詩である。以下に、転載・紹介することにする。余計なコメントは無用である。

9時
9時10分

及ばずながら福祉教育を追究し、また教師の端くれとして生きてきた筆者(阪野)にとって、やっちゃんの同級生が詩に託す「さとみは さびしい/だから 先生/もっと さとみと話して/だから 先生/もっと さとみと遊んで/だから 先生/もっと さとみをよく見て/やっちゃんが してくれたように」という思いや願いは、心に刺さる。同様に、神田先生の「八十路を歩みながら」今なお「生涯、ソーシャルワーカー」の現役のみずみずしさは、肺腑を衝く。


(1) 神田均先生に関しては、次の文献を参照されたい。
神田均・種石進「『100の知識より1つの体験』を大切にする」(対談)
『ふくしと教育』通巻11号、大学図書出版、2011年9月、38~41ページ。
神田均・武居敏「福祉に関わった宿命 生涯ソーシャルワーカーとして」(対談)
『月刊福祉』2013年5月号、全国社会福祉協議会、2013年5月、52~57ページ。
(2) やっちゃんの詩に関しては、次の文献を参照されたい。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』サンケイ出版、1978年12月。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(必読名作シリーズ)旺文社、1988年3月。
向野幾世『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(改訂版)産経新聞ニュースサービス/扶桑社、2002年6月。
(3) 「やっちゃんの同級生」の詩の「まんまんさん」は「神様、仏様の幼児語」である。

“あっ!” と直覚すること

筆者(阪野)の、暮れから正月にかけての過ごし方は、ここ数年来、布団の温もりに包まれて分厚い本や別ジャンルの本、あるいは事典などを読むというものである。今年はなんと無謀にも、西田幾多郎の『善の研究』(1911〈明治44〉年1月)などのいわゆる西田哲学を読み返すことにした。「唯一の日本発の哲学」と評される西田哲学の本を読み返すといっても、文体も内容も難解極まりないことは痛感している。今回は、数冊の入門書や解説書も併せて読んでみたが、通読はしたものの、またもや大きな力で跳ね返されてしまった。そもそも、布団の温もりに包まれて読むという姿勢そのものが、不遜である。
周知の通り、西田の思想の根底・起点に「純粋経験」という概念がある。西田は、『善の研究』の第1編「純粋経験」第1章「純粋経験」の最初の段落で次のように述べている。

純粋経験は、「例えば、色を見、音を聞く刹那(せつな:極めて短い時間)、未だこれが外物の作用であるとか、我がこれを感じているとかいうような考えのないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。それで純粋経験は直接経験と同一である。自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。これが経験の最醇(さいじゅん:最も純粋なこと)なるものである。」(西田幾多郎/小坂国継 全注訳『善の研究』講談社、2006年9月、30ページ。( )内は筆者。)

この一節について、上記の小坂国継は、次のように解説している。

「主観と客観とが分離する以前の、統一的な意識状態を指して純粋経験というのである。それだから、純粋経験は『直接経験』と同義である。われわれがある対象を見たり聞いたりするその瞬間、われわれは対象と一体になっており、われわれと対象との間に間隔はない。
例えば、野山を逍遥(しょうよう)していて、思いがけなく野辺に咲く花が目に止まり、『あっ!』と驚きの言葉を発したその瞬間の状態が純粋経験である。その瞬間においては、私と花とは一体となっていて、そこには見る私もなければ、見られる花もない。ただ一つの事実があるだけである。」(『前掲書』476ページ)

要するに、純粋経験とは、主体と客体、主観と客観が対立する以前の経験であり、「知・情・意」(知性と感情と意志)がひとつになった経験である。それは、野辺に咲く花を見て、「私は花を見ている」「その花は野菊である」「その野菊は美しい」といった判断が生ずる以前の、「あっ!」と息をのんで直覚的に感じ取る瞬間、というのであろう。合理的かつ分析的な推理や思考によらない、それ以前の経験である。「あっ!」と息をのむ瞬間は、何も特別のものではなく、日常的に経験することでもある。
ところで、西田の大学での講義について、ひとつの面白いエピソードがある。西田は講義の途中でしばらく黙って考え込んだ後、急に「わからん!」といって講義をやめ、講義室を出て行った。学生たちも「わからん」ということに感動して教室を出た、というのがそれである。西田にとって講義は真剣な思索の場であり、学生にとってその講義は極めて難解であった、ということである(藤田正勝『西田幾多郎―生きることと哲学』岩波書店、2007年3月、82~83ページ)。
西田のそれと比ぶべくもなく、僭越至極であるが、筆者は、授業の際に学生には「緊張と集中」を求め、「関心と感動」を呼び起こす授業になるよう努めてきた。しかし、汗顔の至りであるが、学生に対して「あっ!」という純粋経験やそれらしき状態を生み出すことはなかった。筆者はしばしば、「伝わっていますか?」という“問い”を学生に投げかけた。学生に伝わっていなければ、伝え方に問題がある以上に、自分が真に「わかっていない」のである。赤面の日々であった。
そこで、筆者は、大学での授業では常に、次のような「自己点検・評価票」への記入を学生に求めた。その主要なねらいは、シラバス(授業計画)や実際の授業内容・方法などについて評価・反省し、改善することにあった。

16時

はがき大のこの自己点検・評価票を丹念に読んでいたとき、「あっ!」と息をのんだことはしばしばであった。それが純粋経験やそれに近い状態であったといえるかどうかは別にして、教師冥利に尽きるものであったことは確かである。

付記
本稿を草することにしたきっかけは、大韓民国の慶北科学大学社会福祉科の尹貞淑教授によって阪野貢・木下康彦編著『福祉科教育法の構築と展開』(角川学芸出版、2007年9月)が2014年12月末に翻訳刊行されたことにある。尹先生とのやり取りのなかで、手元にある「福祉教育」に関するフォルダに「自己点検・評価票」がファイルされていることを思い出した。一片の紙に過ぎないが、何故か捨てがたい。
ところで、これまでの「福祉教育」研究は、一面では、全国各地で取り組まれている実践事例を掘り起し、それを咀嚼し、紹介することに汲々としてきた、といえばいい過ぎであろうか。紹介される事例のほとんどは、その基準を曖昧にしたままでの「先駆的」「モデル的」と評される実践である。事例の掘り起しや咀嚼の仕方が独善的な場合もある。しかも、その実践事例は、機が熟するのを待たずに流行おくれとなり、過去のものとなっていく。最近では、新しく紹介される実践事例の数も少なくなってきているように思える。自己点検・評価をベースにした、息の長い「事例研究」(「実践的研究」)を期待したい。