「雑感」カテゴリーアーカイブ

福祉教育、その彷徨と回顧―ある社協ワーカーとの会話から―

福祉教育にかかわっておよそOO年が過ぎ去りました。昨今の厳しい環境変化によるのでしょうか、元気がでません。進むべき方向も見失いがちで、ときには後ろに追いやられそうです。

福祉教育の指定校制度のもとでは、学校の求めに応じて車椅子を貸し出したり、疑似体験のお手伝いをしたりと、それなりに忙しくしていました。
地域を基盤とした福祉教育の時代を迎え、学校指定から地域指定になりましたが、一面では学校とのかかわりが希薄になったような気がします。

そういうなかで、学校の先生に加えて、地域の誰を福祉教育の主要な担い手として位置づけ、その育成・確保を図ればいいのか。課題山積です。
学校に丸投げしていた福祉教育を、今度は地区社協や地元の関係組織・団体などに丸投げする、という訳にはいきません。それは、社協自らが機能不全を起こし、存在そのものを否定することに繋がるからです。

振り返れば、
1970年代は、全社協などが中心になって「福祉教育の啓発・普及」が図られました。「学童・生徒のボランティア活動普及事業」が始まったのは1977年でした。
1980年代は、福祉教育実践の全国的な展開を背景に、全社協や各地で「福祉教育の理論的整理」が行われました。福祉教育のひとつの羅針盤を得ることができました。
1990年代は、学校を中心にした「福祉教育実践の具体的推進」が図られました。その後は、学校外にも広がっていきました。
2000年代は、地域福祉の主流化の進展やICFの視点の導入などにより、「福祉教育実践の新しい展開と質の問い直し」が行われました。
2010年代は、社会的包摂の理念の普及や東日本大震災を契機に、コミュニティへの関心が高まり、「コミュニティ再生と福祉教育」のあり方が問われています。

福祉教育のこうした変遷を大胆にいえば、
「教育と福祉」→「学校教育と福祉教育」→「学校外教育と福祉教育」→「地域福祉と福祉教育」→「まちづくりと福祉教育」、ということになるでしょうか。

「教育と福祉」の時代には、多くの分野の専門知識や経験などを持ち寄って、「ヒトを育て、まちを創る」という大きな夢と熱い思いを語り合ったものです。そこには、みんな違う“強い香り”がありました。
「地域福祉と福祉教育」の時代になると、崇高な理念や思想が強調されるあまり、何かがこぼれ落ち、何かに矮小化されているようです。そこには、みんな同じ“程よい香り”しかありません。
全社協が1996年に纏めた『地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』を読み返したいと思うところです。画期をなす実践から、いま改めて学ぶべきです。

福祉教育に、口当たりのいい言葉はいりません。必要なのは、厳しい現実と闘っている地域や住民の「ありのままの姿」です。
福祉教育に、ゲーム感覚で楽しんでいるだけの体験活動はいりません。必要なのは、実態をえぐり出し、問題の「本質に迫る学習」です。
福祉教育は、住民自らが、自分らしく・したたかに・しなやかに「生き抜く力」を育むための営みです。
福祉教育は、住民による、住民のための、快適な生活環境や豊かな福祉文化の「まちづくり」を志向するものです。

市民主権や市民自治の確立が求められるいま、改めて福祉教育の重要性と難しさを痛感しています。

福祉教育の歴史研究と福祉教育実践の歴史性―第20回大会に参加して―

11月8日と9日に、日本福祉教育・ボランティア学習学会の第20回大会が日本社会事業大学(東京都清瀬市)で開催されました。
筆者(阪野)は、8日午前中の「特別課題研究(とうきょう企画)」の③「福祉教育・ボランティア学習の原理を探る」という分科会で、「福祉教育の歴史研究」に関して三ツ石行宏先生(神戸親和女子大学)と “対談” する機会を得ました。50名近くの参加者とともに、多くの「気づき」と「学び」のある、有意義なひと時を過ごすことができました。
三ツ石先生は、福祉教育の歴史研究に精力的に取り組まれており、既に複数の論稿を発表されています。今回は、三ツ石先生の玉稿「福祉教育史研究の現状と課題」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』第22号、2013年11月、68~76ページ)と筆者の拙稿「地方改良運動にみる福祉教育実践―福祉教育の遡及的原点を求めて―」(『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』第13号、2008年11月、120~129ページ)をベースに、互いにその考えや思いを語るものでした。
三ツ石先生からの質問や参加者との議論のうちから、先生が最初に提示された次の質問に対する筆者の回答の概要を以下に記すことにします。「福祉教育史の研究上の課題はどこにあると思うか?」、というのがそれです。

〇福祉教育研究が科学的な研究を志向し、福祉教育の理論化と体系化を図るに際しては、福祉教育の歴史研究はその基本的部分に据えられなければならない。しかし、『学会年報』(第13号)に、「福祉教育研究は、これまで、福祉教育の歴史に無関心であった」(120ページ)と書いたが、その状況は今日においても変わっていない。それは何故か?
〇福祉教育は、その実践が先行してきたが故に、その理論的な整理や研究が “後追い” しがちであった。そういうなかで、福祉教育の歴史研究は、取り残されてきたのではないか。それは、研究者の問題意識が希薄だったのか。研究者が怠慢だったのか。あるいはまた、日本福祉教育・ボランティア学習学会における研究活動の姿勢に問題や限界があったのか、等々いろいろと考えられる。
〇福祉教育研究における歴史研究の課題については、先ずは福祉教育史研究についての問題意識を高め、研究の振興を図ることが強く求められる。その際に、 “歴史研究は理論研究を無視しては成立しない” ということに十分留意することが肝要となる。それは、「実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される。実践のない理論は空虚であり、理論のない実践は盲目である」(120ページ)という言葉をもちだすまでもない。
〇一般に、「歴史に関心が集まるのは歴史の転換期においてである」といわれる。福祉教育はこれまで、子ども・青年の発達の歪みや、高齢者や障がい者が抱える生活問題や偏見・差別の実態などに焦点をあてて実践を積み上げ、また理論化の作業を進めてきたといってもよい。
〇その子どもは、6人に1人が貧困であり、3200万人の65歳以上の高齢者は10人に1人が老後破産をしている、といわれる。障がい者に関しては、ICFの視点や社会的包摂の理念が語られてはいるが、その内実化や実現を図るにはまだ多くの時間と努力を要する。
〇高齢者や障がい者、子ども、外国籍住民など多くの人々の人権が侵害され、平和と民主主義が危機的な状況にある。政治の世界では右傾化が進み、教育の世界では例えば「道徳の教科化」が推し進められている。こうした今日的状況は、いままさに「歴史の危機的転換期」にあるといわざるを得ない。歴史が “逆方向” に進もうとしているいまこそ、歴史研究が重視されなければならない。
〇福祉教育史研究の研究方法論上の課題についていえば、福祉教育に関する歴史的事象をどういう視点や視座で捉え、分析するか。その際の枠組みをどのように設定するか。また分析の手続きや手順をどのように踏むか、等々についての議論がこれまで十分に行われてこなかった。これは福祉教育史研究の “遅れ” の何ものでもないが、喫緊の重要課題として認識することが強く求められる。
〇「福祉教育史研究の意義と課題」については、筆者は、『学会年報』(第13号)で次のように書いている。
「福祉教育研究における歴史研究は、福祉教育の歴史的事実を実証的に解明することからはじまる。すなわち、それは、たんに福祉教育の変遷を押さえるだけでなく、その変遷の意味を明らかにすることである。その際、その史実を社会的・経済的・政治的・文化的諸条件との相互関連のなかで捉えることが肝要となる。それを通じて科学的・客観的に今日の福祉教育の到達点を押さえ、それが抱える問題点や課題を発見し、その本質を把握する。そして、それを解決し克服するための適切な方向を見定め、具体的な解決策を見出す。
ここに、福祉教育史研究の意義と課題があり、研究の重要性を指摘することができる。要するに、現在を読み解き、未来を拓くための有効な方法の一つに歴史があり、歴史研究があるのである。」(120ページ)
〇福祉教育研究における歴史研究について、研究者の “問題意識の希薄” や “怠慢” などといったが、その点をめぐって実践者に関して一言付け加えておきたい。
〇社会的事象は、常にその歴史的背景や状況のもとで生じるものである。当然のことながら、福祉教育実践も、歴史性をもって存在し、展開されてきた。今後も、展開されなければならない。つまり、福祉教育実践に取り組む際には、実践者はその歴史性について常に、また強く認識することが求められる。そうでないと、確かで、豊かな福祉教育実践の展開を期待することはできない。実践者も福祉教育実践の歴史性を強く認識すべきである。

参考文献
20周年記念リーディングス編集委員会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸―学際性と変革性―』大学図書出版、2014年10月。

生きざまを語り、まちづくりに取り組む―木本光宣さんとの往復メール―

9月27日と28日、「第23回全国ボランティアフェスティバルぎふ」が岐阜市で開催されました。筆者(阪野)は、28日の午前中は「ふくしのこころで地域を変える~福祉教育のめざすもの~」というテーマの分科会に参加し、多くの気づきと豊かな学びを得ることができました。感謝です。分科会の開催趣旨等は次の通りです。

福祉教育を進めるには、社協、学校だけでなく、自分から地域課題の解決に取り組んでいく人、すなわち、「ふくしのこころ」を持ち、地域にかかわる「市民」を育成することが必要になります。また、推進者が福祉についてどのように考えているのか、どのような目的で福祉教育を行っているのかが重要となります。この分科会では、改めてそれぞれの考える「福祉」を再確認し、福祉教育の目的を明らかにすることで、福祉教育の先にある、安心して暮らせるまちづくりをみなさんと考えます。
講師・コーディネーター
阪野 貢さん(市民福祉教育研究所 主宰/岐阜県)
シンポジスト
野田 智さん(富山県社会福祉協議会地域福祉・ボランティア振興課 課長/富山県)
木本 光宣さん(NPO 法人 ユートピア若宮 理事長/愛知県)

28日の夜、筆者は、木本光宣さんに次のようなメールを送信しました(要約)。

この度は、格別のご高配とご懇篤なるご指導を賜り、誠にありがとうございました。
木本さんの「子育て」と「まちづくり」の神髄に迫る意味深いレクチャーは、 “こころ” 揺さぶられるものでした。会場の皆さんもそうであったと思います。おかげさまで本当に有意義な分科会となりました。ありがとうございました。
木本さんにあっては、「福祉教育実践に際して『工夫』されていることは何ですか?」というフロワーからの質問について、福祉教育やそれに基づくまちづくりの科学的方法論(方法原理)が問われることになるのではないでしょうか。言い換えれば、木本さんの福祉教育実践が「脳性マヒ者であるご自身やご家族の生きざまだけを語る」ことにとどまっているとすれば、遅かれ早かれ限界が生じる(壁にぶち当たる)のではないかと案じます。
まちづくりに取り組む福祉教育実践者(運動家)としての、ますますのご活躍を祈念いたします。ご自愛専一に。

早速、木本さんから次のような返信が届きました。紹介させていただきます(要約)。

いろいろお疲れ様でした。本当にお役にたったかどうか分かりませんが、分科会に参加された皆さんの表情を見ている限り、まあまあうまくできたのではないかと思っております。
阪野さんがおっしゃるように、私の手法では限界があるのは承知しております。むしろ、早く終わりにしたいところです。しかし、良し悪しは別にして、未だにそれなりの評価を受けるということは、福祉教育の停滞?、迷走?を表しているのではないでしょうか。
何故そうなるのか? その点を私たち障害者や教育関係者、社協をはじめとする福祉関係者などが本気で議論しないと、福祉教育の終焉論や不要論が唱えられ、取り組みそのものがなくなってしまうのではないでしょうか。場合によっては、偏狭な〇〇教育に取り込まれてしまうかもしれません。
私の手法に限界が来る前に、まちづくりのための新たな福祉教育の必要性や重要性を認識・理解し、豊かな実践や運動に取り組む若い世代を育てていきたいと思います。これまでとは違う、しっかりとした思想や理念、原理に裏付けられた福祉教育実践・運動に若者とともにチャレンジしていきたいと考えています。
とりあえずは、私の手法の限界を見届けることができれば、それは幸いなことだと思っています。ありがとうございました。

木本さんのレクチャーは、「関心と感動」「緊張と集中」を促すものでした。“感動とはいっときの気持ちの揺れ” ともいえますが、木本さんの話は、障がい者としてのライフ(Life:生命・生活・人生)に関する思いや実践・運動に裏打ちされたものであり、それゆえに深い感動を覚え、強い確信が持てるものでした。木本さんがかつて筆者にいった次の言葉が思い出されます。「自分がCP(Cerebral Palsy:脳性マヒ)であることを誇りに思っています」。
木本さんは、“地元” で、まちづくりの実践や運動を推進するために、福祉教育に関する現状把握と問題理解そして課題形成に努められています。課題解決に向けての新たな、自主的・自律的な取り組みが期待されるところです。

“三原色” の思考と “仲間時間” の実践―住民懇談会報告―

今日は、平日の10時から12時の時間帯にもかかわらず、自治区の区長さんや役員の方をはじめ、コミュニティ会議福祉健康部会の皆さん、民生委員やボランティアの皆さん、老人クラブの会長さん、障がい者福祉施設の施設長さん、中学校の校長先生、市議会議員の先生など、40名ほどの方々にお集まりいただきました。前回の住民懇談会にも増して、有意義な懇談会となりました。また、私自身も多くのことを学ばせていただきました。ありがとうございました。
感想めいたことになりますが、少しお話をさせていただきますと‥‥‥。
先ず、今日のグループワークはいかがだったでしょうか。赤・黄・青の付箋紙をうまく活用されてカードワークを行い、夢や希望について話し合い、意見などを出し合い、活発な議論がなされていたと思います。そして、この地区がめざすべき福祉のまちの姿・かたちや中身(内容)を、皆さんでイメージ化することができたのではないでしょうか。
社協が準備しましたワークシートも良くできており、活用しやすかったのではないでしょうか。70分ほどの短い時間ではありましたが、皆さんの議論が弾んでいたと思います。「色(色材)の三原色」といわれる色は、赤・黄・青と記憶しておりますが、信号機の色ではありませんが、「赤」(「こんな地域になったらいいな」)のところでは、しっかりと立ち止まって夢を語る。「黄」(「自分ができること」)のところでは、周りのことなどを気に留めながらも、まちづくりのために一歩踏み出す。「青」(「地域として、皆で取り組んでいくべきこと」)のところでは、まちづくりのために皆で力強く歩みを進める。社協は、こんなことを念頭に置いて、あえて赤・黄・青の三原色を使ったワークシートと付箋紙を用意したのではないか。多少深読みの感無きにしも非ずですが、社協の方、いかがですか。
赤・黄・青の三原色の心理的な作用や効果については、色彩心理学などでどのような所説があるか知りませんが、この三原色をうまく使うことによって、皆さん方の思いや考えをお互いに、豊かに引き出し合うことができたのではないでしょうか。
それぞれのグルーブでは、「光の三原色」の赤・緑・青のうちの、「緑」(「理想とする福祉の“まち”」)のところで、キャッチフレーズを考えていただきました。第1グループは「世代が継がり住民が力を発揮できる住み続けたい結(ゆい)の町」、第2グループは「ふれあいを大切に明るい声がひびくまち」、第3グループは、キーワードですが、「老若男女 ふれあい つどい やさしい 美しい 犯罪のないまち」、第4グループは「声かけと思いやりのあふれるまち」というものです。それぞれのフレーズには皆さん方の夢が、またこの地区ならではの「理想とするまち像」が表現されているのではないかと思います。
この4つのフレーズを、社協の職員(コミュニティソーシャルワーカー)が「みんなの力とみんなの声を感じながらふれあい豊かに住み続けられるまち」と、うまく纏めてくれました。先ほどの説明を伺っていて、「みんな」「力」「声」そして「住み続けられる」という文言には、誰もが腑に落ちる「確かさ」と「強さ」があると感じました。
先日、ある地区にお邪魔したときに、このキャッチフレーズについて、「こんなことを考えて何の意味があるのか。地域の問題をひとつひとつ“潰していくこと”が必要であり、そのことを考えるべきであって、抽象的な言葉遊びは無駄である」というお叱りを受けました。「問題を潰す」という言葉は気になりますが、それはひとまず置くとしても、私はキャッチフレーズの作成は不必要だとは思っておりません。それは、福祉のまちについて夢を語り、福祉のまちづくりについて思いをひとつにし、「軸」がブレない取り組みを皆で進めていくためにも必要なことだと思います。
夢は語るものですが、追い求めるものでもあり、また育むものです。夢を語った以上は、その夢の実現をめざして、皆で汗を流すことが求められます。真摯に夢と向き合い、積極的に夢を追い求める住民が増えれば、地域にとって、それぞれの地区にとってプラスになるのではないでしょうか。
皆さん方には、夢を実現するために、地域のリーダーとして主導的な役割を果たすことが求められると思います。ただし、ヒーローやヒロインのような唯一の強いリーダーとしてではなく、メンバーシップやフォロワーシップを兼ね備えた一人のリーダー、地域住民として活動することが期待されます。「この地域には強いリーダーがいないからダメだ」という嘆きの言葉を聞くことがありますが、そうでしょうか。強力なリーダーがいない地域は「ダメ」な地域ではなく、強力なリーダーを必要とする地域が実は「不幸」な地域であるかも知れません。
この地区は、高齢化率が約13%と市内で一番低く、若い人が多いまちです。子どもや若者たちと一緒になって、子どもや若者の夢を育むための活動にも頑張っていただければと思います。また、今日はお見えになっておりませんが、子どもたちや障害のある方々、外国籍住民の皆さん、さらには福祉サービスを利用されている方々、できる限り多くの方々にお声かけいただき、お出かけ願えるような懇談会を、皆さんの手で今後も計画的・継続的に開催していくことが必要であり重要であると思います。
2点目ですが、いささか蛇足めいたことになりますが‥‥‥。
今回初めて気づいたのですが、男性の皆様はそのほとんどの方が腕時計をはめておられます。しかし、ほとんどの女性の方ははめておられません。どうしてでしょうか。男性の方は、退職された方が多いと思いますが、いまはこの地元で、約1万人の地区住民のために活動されている方々だと思います。男性の方は、会社勤めのときには腕時計の時間で、会社の時間で仕事中心の生活をされていたのではないでしょうか。「時計時間」の生活が長く続きますと、そういう生活から、腕時計の時間に拘束された生活から抜け出すことが難しいのではないでしょうか。生活習慣といえばそれまでのことですが。
それに対して、女性の方々は、この地元を中心に、隣り近所の方々をはじめいろんな方々との関わり合いのなかで暮らしておられると思います。多くの友達や仲間がこの地元にいらっしゃる。そういう方々とご一緒に、明確な時間の流れというよりは自由でゆったりとした、融通の利いた時間、「仲間時間」あるいは「地元時間」といいますか、そんな時間のなかで生活をし、趣味活動や地域活動などに取り組んでおられる。だから、わざわざ腕時計をする必要もないのではないか。そんなことを思った次第です。
そして、地域活動へのはじめの一歩は、趣味や特技、あるいは経験や知識を活かした身近な活動に、できるときに、できるところで、気心の知れた仲間と一緒に取り組む。そんなことが重要であるともいわれますが、いかがでしょうか。
今回の地域福祉活動計画に基づく福祉のまちづくりは、時計時間と仲間時間(地元時間)がうまく織りなされるなかで、この地区ならではの、「私発」の、そして1万人の「住民総参加」の活動や運動として進められていかなければならないのではないか。男性の方も女性の方も、会社人間であった方も、この地元地域・社会の住民として皆で、豊かな知識と長年の経験に基づく知恵、そして「力」を出し合って、福祉のまちづくりにこれまで以上に関わり合っていくことが必要ではないか。そんな感想をもち、またそんな思いがしました。
雑駁ですが、以上です。ありがとうございました。
10時

【注】
(1)T市社協が主催したH地区における第2回住民懇談会は、(1)第1回の振り返り(20分)、(2)意見交換/グループワーク(70分)、(3)全体会/グループ報告・地区のキャッチフレーズの決定・まとめ(30分)の内容と時間で開催されました。本稿は、筆者(阪野)の役割であった最後の「まとめ」を記憶に基づいて整理したものです。
(2)T市社協が作成したワークシートでは、「赤」(「理想とするべきまち像」)、「黄」(「自分としてできること」)、「青」(「地域としておこなっていくべきこと」)、「緑」(「理想とするまち像」)となっています。当初、2回目の懇談会のテーマは「(3)私が住んでいる “まち” が、こんな “まち” になったらいいな」「(4)(3)を実現するために、私ができること、私たちがしなければならないこと」とされていました。本文中と上記のワークシートの文言は、筆者なりに加筆・修正したものであることをお断りしておきます。

平和主義と基本的人権が危ない―“ムラが子どもを育て、住民がまちを創る”を思う―

マスコミは連日のように、わが国の安全保障政策の大転換が図られようとするなかで、「集団的自衛権」について報じています。従来の憲法解釈で禁じられてきた集団的自衛権の行使に関し、その要件のひとつとして「わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される恐れがある場合」が挙げられています。福祉・教育関係者はいま、このことに最大の関心を払うべきではないでしょうか。「平和と福祉は表裏一体であり、福祉は平和のシンボルである」(阿部志郎)、「社会福祉を学ぶことは世界の平和を学ぶことに通じる」(伊藤隆二)という言葉が思い出されます。また、筆者(阪野)がいまかかわっている地域のなかには、「地域の存立が脅かされ、住民の生命、自由および幸福追求の権利」が侵害されている地域が現に存在していることを強く認識し、深く理解しないと事は進まない、と思っています。
ところで、2014年7月、生活保護法改正法が全面施行されます。厚生労働省の資料によると、今回の主要な改正点は、①就労による自立の促進、②健康・生活面等に着目した支援、③不正・不適正受給対策の強化等、④医療扶助の適正化、の4点に整理されます。そのうち、例えば①については、「安定した職業に就くことにより保護からの脱却を促すための給付金(就労自立給付金)を創設する」と説明されています。ここで筆者は、古川孝順先生の次の一文を思い出します。
1990年代以来のわが国の社会福祉基礎構造改革のひとの側面に、「ウェルフェア(支援福祉)からワークフェア(就労福祉)への移行」と呼ばれる改革がある。「社会福祉における就労の位置づけについていえば、一方の極には福祉と懲罰的な就労とを結びつける救貧法的な施策があり、‥‥‥(それは:筆者)自己責任主義的な施策である」(古川孝順『社会福祉の新たな展望』ドメス出版、2012年、148~149ページ)、というのがそれです。
今回の法改正は、2013年8月の保護基準の引き下げに加えた、保護申請の厳格化、不正受給の罰則の引き上げ、親族の扶養義務の強化などの「改悪」であることはいうまでもありません。「働かざる者食うべからず」といわんばかりです。イギリス救貧法の「就労の強制」(1601年法)や「劣等処遇の原則」(1834年法)、1874(明治7)年に制定されたわが国で最初の救貧法である恤救規則の前文の書き出し「済貧恤窮ハ人民相互ノ情誼ニ因テ其方法ヲ設ヘキ筈」なども思い出されます。
さて、筆者はいま、T市社協の地域福祉活動計画の策定作業の一環として計画的・継続的に開催されている「住民懇談会」に参加し、有意義な“学び”の時間を過ごしています。身体的な疲れは感じるものの、「福祉教育こそ、社協が展開していくべき地域福祉の原点であり、社協そのものの基礎・基盤です」「福祉教育の推進こそ、社協の本業であり、『社協不要論』を払拭する必要不可欠な手段です」「学校教育のみならず、生涯学習の一環としての、しかも福祉の(で)まちづくりの主体形成としての住民(市民)福祉教育の取り組みが必要かつ重要です」というT市社協職員(コミュニティソーシャルワーカー)の言葉と熱い想いに励まされています。
先日開催された、「限界集落」を抱えるあの地区の懇談会では、前回と同様に“地元”の中学生も「総合的な学習の時間」の一環として参加していましたが、将来に向けた建設的な意見やアイディアが出されました。その議論の多くは、参加者一人ひとりの地域に対する誇りや希望が伝わるものでした。個人的な思いや考えも含めて、その一部を紹介します。

〇この地域は観光立地の“まち”であるが、「思いやり」や「おもてなし」の心をもった住民一人ひとりも大切な観光資源(人財)である。その意識啓発や人材育成が求められる。また、滞在・交流型観光の促進を図る必要がある。
〇地域が元気になる新たな観光振興が求められる。とともに、一人ひとりの住民同士の繋がりや、地域住民と地域の歴史や伝統、文化、自然環境や社会資源などとの関係性を大切にした「関係立地」(ネットワーク形成によるまちづくり)の見直しや推進を図るべきである。
〇岐阜県高山市社協では、1月から3月の期間、冬季高齢者ファミリーホーム「のくとい館」(旧教員住宅)を活用した高齢者の共同生活を支援し、高齢者の安全・安心な暮らしの確保や生きがいの創出を図っている。冬季だけでなく夏季も含めて、参考になるのではないか(注1)。
〇山村留学は、元々は子どもの教育実践活動(教育問題)であり、受け入れ地域や学校にとってはその振興・活性化策(経済問題、学校問題等)としても注目されてきた。生涯学習社会における新たなまちづくりや「都市と山間の教育交流事業」(T市)の一環として、子どものみならず高齢者なども含めた山村・都市留学(遊学)の施策・事業化を図ってはどうか(注2)。
〇T市には「空き家登録バンク制度」がある。しかし、期待されるほどにその登録は進んでいない。そこには、先祖から受け継いだ土地や家屋、墓守や仏壇の世話などについての特別の思いがある。マスコミなどが最近、「墓じまい」について報じているが、時代や時勢だとはいえ、この地域の“地元”住民の思いを十分に踏まえたまちづくりを進めることが肝要である(注3)。
〇行政の施策・事業や資源(財源、人員等)の有効活用をはじめ、行政との連携・協働強化を図るべきである。また、住民のニーズや地域課題に対応した施策・事業の共同開発と実施展開を、地域内・外との連携と相互支援のもとに進めることも考えられる(注4)。
〇「きれいごと」をいっても、また理想論だけでは“まち”は変わらない。地域の実情や創意工夫に基づいた新たな就労の支援や雇用の創出に積極的に取り組んでいくべきである。また、ヒト、モノ、カネ、情報を呼び込み、地域経済の活性化を図る必要がある。

いずれにしても、筆者はいま、地域福祉活動計画の策定に当たっては、住民(市民)主権・住民(市民)自治の理念のもとに、“地元”の子どもから高齢者までできる限り多くの住民の皆さんとじっくり話し合い、学び合って、地域の実情を踏まえた夢と実現性のある計画を策定すべきであることを改めて強く認識しています。また、その際、「グローカル」(think globally, act locally)という造語と、ヒラリー・クリントンが引用して広まったという「ひとりの子どもを育てるには村中みんなの力が必要」(「子どもを育てるにはムラが必要」)というアフリカの諺(ことわざ)にも留意したいと思っています。この場合の「村」とは、郊外にある小さな“まち”ではなく、家族・近隣社会から国家や世界も含めた地球規模の“ムラ”(コミュニティ)やネットワークをさしています(ヒラリー・クリントン 繁多進・向田久美子訳『村中みんなで』あすなろ書房、1996年、12ページ)。さらに、誤解を恐れずにいえば、私自身の、「よそ者」としての発想や視点も大切にしたいものと念じています。


(1)「のくとい」とは、岐阜県飛騨地方の方言で「あったかい」という意味である。
「のくとい館」事業の「実績・効果」については、次の点が報告されている。①高齢者の安全・安心な暮らしの確保、②地域住民との積極的な交流(世代間交流の促進)、③雪下ろしボランティアを通じた都市住民との交流(地域間交流の促進)、④特産品づくり(高齢者の生きがいづくり)、がそれである(『「ぎふ雪国の豊かな暮らし研究会」報告書』岐阜県総合企画部地域振興課、2011年、8~9ページ)。
(2)山村留学は、1976年に長野県八坂村(現・大町市八坂)で始まった教育実践活動である。2004年に860人を超えた参加者数も、「自治体合併や里親の高齢化、地元児童生徒数の減少、学校統廃合、経済状況の悪化などの社会情勢により、受け入れ学校も減少に転じ」、2012年では510人となっている(『平成24年度版 全国の山村留学実態調査報告書』NPО法人全国山村留学協会、2013年、7ページ)。
(3)T市では、「過疎化の進行が著しい中山間地域の定住対策の一環として、空き家を地域資源として有効活用し、過疎地域における定住人口を増やし、地域活性化を図ること」を目的とした「空き家情報バンク制度」が2010年3月から運用されている。また、同年4月からは、その制度により賃貸借契約が成立した空き家に対して、改修に必要な経費の一部を補助している。
(4)T市には、地域自治システムとして、2005年度からスタートした、「『私たちの地域は、私たちの手で、もっと住みやすく、おもしろく』を合言葉に、地域資源(人、歴史、文化、自然等)を活用し、地域問題の解決や、地域の活性化に取り組む団体を支援する地域活動支援制度」である「わくわく事業」と、2009年度からスタートした、「地域と行政の共働と地域内での合意形成を前提に、地域課題の解消に向けた地域意見(事業計画書)を市の施策に的確に反映し、効果的に地域課題を解決するための仕組み」である「地域予算提案事業」の2つの施策がある。
T市には27中学校区に「地域会議」(地方自治法上の地域協議会)が設置されているが、わくわく事業では1地域会議当たり年間・総額500万円までの補助金が交付され、地域予算提案事業では1地域会議にT市に対して年間・総額2000万円までの予算案提案権(地域会議が支所長に予算案(事業計画書)を提案する権限)が認められている。

「生活綴方」と福祉教育実践―徳目主義や反知性主義を憂う―

教育の世界における徳目主義の傾向や反知性主義の台頭が気にかかります。

筆者(阪野)は、久しぶりに中内敏夫著『生活綴方成立史研究』(明治図書、1970年)を読み返しました。“読み返した”というのは、「精読」したということではなく、A5判、994頁という大著を「通読」したという意味においてです。この本は、質の面でも類書を凌駕する名高いものです。例えば、今野三郎は「この分野の史料収集上、個人が為し得る一つの限界を示している」(『教育学雑誌』第7号、日本大学教育学会、1973年、84ページ)、川合章は「『この本のおかげで生活綴方の研究にとりくむ者が減るのではないか。この本は、生活綴方史研究にマイナスの役割を果すのではないか』という冗談も、ただの冗談とは受けとれないほどの迫力をもつ、内容豊かな研究である」(『教育学研究』第39巻第1号、日本教育学会、1972年、74ページ)と評しています。
生活綴方は、周知のように、日本特有の教育方法として取り組まれてきたものですが、特定の徳目や価値観を押し付け、刷り込む徳目主義や権威主義的な教育実践ではありません。それは、子どもたちが日常の生活を書き「つづる」ことを通して、ものの見方や感じ方、考え方を育み、生活に根ざした生き方を作り出していくための指導・教育方法です。それは、広い意味では大正初めに提唱されたといわれていますが、この教育方法に「生活綴方」という呼称が使われるようになるのは1930年代に入ってからです。
この本は、生活綴方に関する一次史料をひとつひとつ丹念に掘り起こし、整理・分析した成果を纏めたものであり、第2部「綴方教師の誕生」第1章「雑誌『綴方生活』創刊の史的構造」(271~891ページ)を中心に編まれています。ただ、この本全体を通して生活綴方の教育実践の実態や子どもたちの姿が具体的に詳述され、十分な分析が加えられているかというと、必ずしもそうはいえません。とはいうものの、筆者はかねてよりこの本にある種のこだわりをもっています。それは、生活綴方の教育実践のなかに福祉教育実践の側面や要素を見出すことができ、そのヒントや仮説をこの本から得ることができるのではないかと考えているからです。
ところで、上記の今野は、その「書評」で、「従来、日本近代教育史研究者の中で『生活綴方』史研究にまともにとりくむ人はきわめて稀であったといってよい」理由のひとつについて、次のように述べています。

日本近代教育史における教育思想、教育方法研究の主流が、大部分は西欧にはっきりしたモデルをもっているものを中心として手がけられてきたということである。このことは、別の面からいえば、明確なモデルをもたない教育思想、教育方法を構造的に解明し、体系化することは、きわめて困難な作業であるという研究方法上の問題から敬遠されるという結果を招来するのである。本書は、その結果の評価はともあれ、これらの研究上の困難な問題に正面からとりくんだという点に画期的な意義をもっているといえよう。(今野、88ページ)

この言説は、福祉教育やその歴史に関する研究にも通じるのではないか。そうであれば、これまで以上に、その研究に果敢に取り組むことが求められるのではないか。「日本福祉教育・ボランティア学習学会」が設立20周年を迎えたいま、筆者はそんな思いや考えを新たにしています。

例によって唐突ですが、ここで、この本を読み終えようとしていた時にたまたま目にとまった新聞記事を紹介しておきます。田中優子先生(法政大学総長)のそれです(「大学の役割は何か」岐阜新聞「現論」2014年5月17日)。以上との関連で、また筆者にかかわるいろんな意味で深く受け止めたい一節です。

「反知性主義」という言葉がある。自ら知性へ敵意をもつことと、国家が国民から知性を奪うことを意味する。いま何も考えたくない人々は、自力で調べて知識を獲得することなく、感情を刺激する根拠のない情報に興奮し、それを自分の考えとしてツイッターで広め、時にはそれに従ってデモをし、暴言を吐き、それを映像的な「ネタ」にしてブログで公開し、自己顕示欲を満足させる。反知性的なその閉じたサイクルは、主張の内容(右翼か左翼か)にかかわらずさまざまなところで起こっている。
大学はこのことに向き合わねばならないだろう。大学とは、自ら事実の確認をする手順を学び、できるだけ正確な情報を得るリテラシーを培うところだ。また、一過性の感情を超えて論理的に語る経験を得て、議論して異なる考えと出合い、言語化して自らの無知を知ってさらに知性に磨きをかける場だ。

「反知性主義」という言葉は、最近になって目につくようになった言葉ですが、要するに「客観性や実証性を十分に問いただすことなく、自分に都合の良い思考様式や価値観の世界に閉じこもる姿勢や態度」といった意味でしょうか。また、文中の「大学」を「地域」という言葉に置き換えることによって、生涯学習やその一環としての福祉教育に関するいろいろな問題に思いを致すことができます。
福祉教育実践は、子どもや大人たちの地域における実生活から遊離した思いやりや親切、助け合い、そして郷土愛などの特定の徳目を重視したり、従って主観的・観念論的な「物語」の世界に留まったり閉じこもったりする危険性なしとしない。最近になって特にそう思うのは、筆者だけでしょうか。

「極点社会」と地域アイデンティティ

筆者(阪野)がはじめて「極点社会」という言葉にふれたのは、『中央公論』(平成25年12月号)の特集「壊死する地方都市」に収められた「増田寛也+人口減少問題研究会」の論稿「2040年、地方消滅。『極点社会』が到来する」です。そのなかで、「地方が消滅する時代がやってくる。人口減少の大波は、まず地方の小規模自治体を襲い、その後、地方全体に急速に広がり、 最後は凄まじい勢いで都市部をも飲み込んでいく。このままいけば30年後には、人口の『再生産力』が急激に減少し、いずれ消滅が避けられないような地域が続出する恐れがある」(19ページ)と、人口減少の末路が指摘されています。極点社会とは、「大都市圏という限られた地域に人々が凝集し、高密度の中で生活している社会」(27ページ)、すなわち都市が地方の人口を吸収し、大都市だけが残る国の姿を表したものです。
2014年5月8日、民間の有識者団体である「日本創成会議・人口減少問題検討分科会」(座長・増田寛也)が『成長を続ける21世紀のために 「ストップ少子化・地方元気戦略」』を発表しました。それによると、2040年の時点で、全国1800市区町村の49.8%に当たる896の市区町村が、20歳から39歳までの子どもを産む女性(若年女性)が2010年から2040年までの間に50%以上減少することによって人口が減少し、消滅する可能性があります(「消滅可能性都市」)。例えば、青森、岩手、秋田、山形、島根の5県では8割以上の市町村、東京23区では豊島区、筆者が住む東海地方では岐阜県が42のうち17、愛知県が54のうち7、三重県が29のうち14の市町村がそれぞれ「消滅可能性都市」になります(注1)。
こうした推計をふまえて、報告書では、「国民の『希望出生率』を実現すること」と「地方から大都市へ若者が流入する『人の流れ』を変えること」を基本目標として、次のような政策提言も行っています。(1)ストップ少子化戦略 ;若者(男女)が結婚し、子どもを産み、育てやすい環境を作る。(2)地方元気戦略 ;地方を建て直し、再興を図る。(3)女性・人材活躍戦略 ;女性や高齢者など人材の活躍を推進する、がそれです(21~49ページ)。

「限界集落」という言葉があります。この言葉は、大野晃先生(高知大学名誉教授)が1991年に提唱した概念であるといわれています。今回の「極点社会」「消滅可能性都市」は、「限界集落」以上にショッキングな言葉です。多少とも地域に関心をもち、まちづくりにかかわってきた筆者にとっては、「極点社会」下における「消滅可能性都市」に想いを巡らさざるを得ません。
筆者は、先の拙文「地域アイデンティティとまちづくり―自治基本条例と市民福祉教育(第3報)―」(2014年4月30日)で、「地域アイデンティティ」という言葉を使いました。この言葉は、未だ確定的な定義が存在するわけではありませんが、一般的には、ある個人(住民)の、「地域に対する帰属意識や愛着、誇り」という意味合いで使われます。その場合、それは、個人のライフスタイルやライフステージによって異なり、また本人や家族などの状態の変化に応じて変わる可能性があります。帰属意識や愛着、誇りをもちたくてももてない、あるいはもちたくないヒトもいます。またいうまでもなく、こうした意識は、特定の、固定的なものが他者から一方的に押し付けられ、強要されるものでもありません。
こうした個人的レベルの地域アイデンティティに併せて、その地域の自然や歴史、文化、産業などによって形成された、そこに暮らす多くの住民が共有する「地域の特性・個性や地域らしさ」という意味合いで、「地域アイデンティティ」という言葉が使われます。
いずれにしても、「地域アイデンティティ」は、個人的レベルと集団的レベルの両方について、またその連関について考える必要があります。例えば、まちづくりに際して、個人的レベルのそれを軽視・無視したり、集団的レベルのそれを強調したり、あるいは特定の地域アイデンティティによって地域住民を包摂しようとすると、どうなるか。少数者の、新たな「社会的排除」を生み出し、地域の人間関係や社会関係に溝や亀裂を生ぜしめることになりかねません (大堀研「ローカル・アイデンティティの複合性―概念の使用法に関する検討―」『社会科学研究』第61巻第5・6合併号、東京大学社会科学研究所、2010年、143~158ページ参照)。留意しておきたいところです。
筆者はいま、T市の地域福祉計画と地域福祉活動計画の策定にかかわっています。そろそろ、地域の活性化や再生に向けた、明確なビジョンを提示する作業に取りかからなければなりません。それは、地域の“夢を語る” “戦略を練る”ということですが、特定の、固定的な地域アイデンティティを住民に強要することなく、またそのヒト、その地域ならではの地域アイデンティティを形成する過程を通して、住民の個別具体的な生活課題や地域課題の解決に繋げることを意味します。
T市内にも、「限界集落」「消滅集落」、そして「消滅可能性都市」と同様の地域(地区)が存在します。中心市街地や合併地域、都市・農村・住宅地域などにかかわらず、地域(地元)に対して帰属意識や愛着、誇りをもちたくても、そのヒトや地域の社会的・経済的・政治的・文化的状況によってもてないこともあります。先ずは、こうした事態を悲観的に捉えるのではなく、正確かつ冷静に受け止め、客観的に認識することが肝要です。そして、地域の自然や歴史、特性などに基づいた、その地域ならではの豊かな、まちづくりの「夢」「目標」「テーマ」をいかに設定するか。それを実現・達成するための、まちづくりへの参加・共働システムをどう構築するか。そして何よりも、まちづくりリーダーやまちづくりに積極的・主体的・自律的に参画する住民(「成熟した市民」)をいかに確保・育成するか、などの問いに総合的かつ戦略的に取り組むことが重要になります。

注1 消滅可能性市町村(岐阜県、愛知県、三重県、富山県、石川県、福井県)
岐阜県(42中17)/多治見市、美濃市、瑞浪市、恵那市、飛騨市、郡上市、下呂市、海津市、養老町、関ケ原町、神戸町、揖斐川町、富加町、七宗町、八百津町、白川町、東白川村。愛知県(54中7)/新城市、飛島村、南知多町、美浜町、設楽町、東栄町、豊根村。三重県(29中14)/伊勢市、名張市、尾鷲市、鳥羽市、熊野市、志摩市、木曽岬町、大台町、度会町、大紀町、南伊勢町、紀北町、御浜町、紀宝町。富山県(15中5)/氷見市、小矢部市、南砺市、上市町、朝日町。石川県(19中9)/七尾市、輪島市、珠洲市、加賀市、羽咋市、志賀町、宝達志水町、穴水町、能登町。福井県(17中9)/小浜市、大野市、勝山市、あわら市、池田町、美浜町、高浜町、おおい町、若狭町。

愚を繰り返す “学校”―偏見と差別―

先日、インターネット上の次のようなニュース記事が目に飛び込んできました。

ダウン症児外し入学式写真 長野の小学校、校長がおわび
長野県内の公立小学校で今月初めの入学式での新入生の集合写真をめぐり、同校にも通うことになった特別支援学校のダウン症の男児が外れた写真と、加わった写真の2種類が撮影された。校長が男児の母親に対して提案した。校長は、「配慮が不足していた」として男児の両親におわびした。

筆者(阪野)は過去に、ある特別支援学校の「学校評議員」を5年ほど務めたことがあります。上の記事をみて、学校評議員に就任した初年度の、最初の「学校評議員会」に出席した際に配付された資料のことが思い出されました。その資料は、保護者や学校関係者に配付する『学校だより』でしたが、そこには 1 か月ほど前の卒業式の集合写真が掲載されていました。その写真をみるとなんと、一人の卒業生の顔の部分がマジックで黒く塗りつぶされていました。それは親の意向に基づく、先生方の万やむを得ない “処置” であったとのことですが、怒りと悲しみ、そして虚しさがこみあげてきました。席上、その感情を抑えることができませんでしたが、上の記事をみていま、「またか……!」という思いがしてなりません。
学校評議員制度は、学校(教員)と家庭(保護者)と地域(住民)が連携・協力しながら教育活動の活性化を図り、地域に開かれた学校づくりを推進することを目的に、2000年4月に導入されたものです。学校評議員には、学校運営に関して多様な意見を幅広く開陳することが求められます。しかし、筆者が務めた5年間では、学校評議員会は各年度わずか2回の開催で、しかも短時間の授業参観と教育活動についての簡単な状況報告を受け、「学校評価アンケート」に答えるというものでした。学校評議員制度そのものと学校当局の取り組みに疑問を感じたのは、筆者だけではなかったのではないか。そんなこともいま、思い出しています。
周知のとおり、福祉教育には、①学校を中心とした福祉教育(学校福祉教育)、②地域を基盤とした福祉教育(地域福祉教育)、③社会福祉専門教育(社会福祉教育)、という3つの領域があるといわれてきました。①の領域の、児童・生徒に対する福祉教育を実施するに当たっては、先生方の障害観や障がい者観、それに福祉観などが厳しく問われることになります。しかし、これまで、学校の先生方に対する型通りの「福祉教育研修」は行われてきましたが、先生方を教育対象にした「福祉教育」については十分に言及され、系統的に実施されてきたとはいえません。また、教員免許取得希望学生たちが、一部の「介護等体験」を除いて、「福祉」にふれる機会はほとんどありません。こうしたことが上の記事や、筆者が経験したような事態を生ぜしめるひとつの要因になっている、といえるのではないでしょうか。
最近、岡本榮一先生(大阪ボランティア協会)が、雑誌『ふくしと教育』(第16号、大学図書出版、2014年2月)で、「福祉教育の展開領域」として次の4つの領域を提示しています。①成長期の学童向けの福祉教育、②一般成人向けの福祉教育、③専門職養成の福祉教育、④大学生向けの福祉教育=福祉国家論、がそれです。筆者も以前から、その内容(「福祉国家論」)については岡本先生の見解とは若干異なりますが、④の領域の必要性を痛感しています。
独立した「福祉教育」の授業科目を開設する福祉系大学が極めて少ないこともまた、大いに気になるところです。

福祉教育は “人間の尊厳” を追求する「人権教育」を基本として成り立つ意図的な教育活動である、と理解されてきました。そこには、福祉教育は “仲間をつくり、仲間を大切にし、仲間外れをつくらない” ための教育実践である、という意味も含まれています。最後に、この点を改めて確認しておきたいと思います。

「地元」への思い、それぞれ

T市は、人口約42万人、高齢化率約19%を数える、全国有数の企業城下町である。地域の自治組織や社会資源が整備され、住民の連帯意識や自治意識の高い地区も多い都市(中核市)でもある。そして、「平成の大合併」を経て、以前にも増して豊かな自然や歴史・伝統・文化など多くの地域資源に恵まれた “まち” になっている。
そのT市では、昨年7月から2か年の予定で、行政の「地域福祉計画」と社会福祉協議会(以下、「社協」と略す。)の「地域福祉活動計画」の策定に取り組んでいる。そこでは、二つの計画を一体的、戦略的に策定することとし、同時並行的にその作業が進められている。そして、地域福祉を推進するための基本的理念や目標の同一化を図り、二つの計画が相互に補完し合う関係になることをめざしている。
筆者(阪野)は昨年来、策定委員の末席を汚しながら、策定委員会やワークショップ、住民懇談会などに積極的・主体的に参加し、多くを学んでいる。
行政の地域福祉計画の策定に関しては、これまで、「地域福祉に関する市民アンケート調査」と「地域福祉計画策定に係るワークショップ」が行われた。社協の地域福祉活動計画の策定に関しては、本年の2月を中心に、「第1回/みんなが参加する『地域福祉活動計画』策定のための住民懇談会」が市内の27中学校区ごとに実施されている。
こうした取り組みは、策定のプロセスを重視し、住民参加を促すことを特徴とする地域福祉(活動)計画にあっては、とくに目新しいものではない。そういうなかで、社協では、丁寧に住民懇談会を開催し、それを福祉教育実践のひとつとして位置づけ、今後も計画的・継続的に取り組むことを予定している。それは、地域福祉活動計画の内容の主軸には福祉教育(「市民福祉教育」)を位置づけるべきである、という社協の思いや考えに基づくものである。
筆者は、先日、同じ日に開催されたA地区とO地区の住民懇談会に参加した。人口は、A地区が約8,700人、O地区が約4,000人、高齢化率はともに約34%を数える中山間地である。
住民懇談会は、往々にして行政に対する不平・不満を放談したり、要求・要望を突きつけたりする場になりがちである。それを避けるために、今回の懇談会では、先ず、懇談会開催の「趣旨説明」と地域福祉やまちづくりについての「講話」に40分ほどの時間が割かれている。それを受けて、参加者は、「(1)私が住んでいる “まち” の安全・安心なところ、自慢できるところ」と「(2)普段の暮らしのなかで、私にとっての“心配ごと” “悩みごと” “困りごと”」という二つのテーマをめぐって、それぞれがひとりの住民として、対等・平等な関係や立場で自由に話し合い(対話)を行う。具体的には、社協職員がファシリテーター(推進役)を務め、参加者個々人はKJ法を用いて地域理解・診断を行い、地域の生活問題や福祉課題についてその認識や理解を深めていくことになる。なお、今回の懇談会は、初回であるということから、地元における地域福祉リーダーの育成と彼・彼女らの福祉意識の醸成・高揚を意図して、地域組織・団体の役職者(キー・パーソン)を対象としている。
2時間の懇談会を通じて、(1)のテーマに関しては取り敢えず、A地区では「自然と歴史と文化が豊かで、人と人とのつながりが強く、郷土愛に満ちているまち、A」、O地区では「自然が豊かで、伝統があり、人の気持ちが広く、住民同士が知り合い、触れ合いのあるまち、O」というフレーズが作成された。(2)のテーマに関しては、一面では(1)の裏返しでもあり、A地区・O地区ともに、中山間地ならではの地域の生活問題や福祉課題が抽出・提示された。今後は、(1)(2)に関する住民の “生の声” を、A地区・O地区の地域特性を生かした地域福祉を推進するための基本的理念や目標に昇華・止揚していくことが求められる。とともに、課題解決のための具体的な諸事業・活動が計画化されることになる。そこで、本年の6、7月以降に予定されている2回目の懇談会では、「(3)私が住んでいる “まち” が、こんな “まち” になったらいいな」「(4)(3)を実現するために、私ができること、私たちがしなければならないこと」がテーマとなる。
ところで、A地区の懇談会には、「総合的な学習」の一環として、地元の中学校1年生を代表して5人の生徒が教師に引率されて参加した。当初は1年生全員の参加を計画したが、会場の都合で代表者に限定したということであった。生徒たちは、地元の大人たちに交じって、子どもならではの目線から(1)(2)のテーマをめぐって積極的に意見や考えを述べ、終了時には丁寧な挨拶をして学校に戻っていった。生徒を引率してきた教師もまた話し合いの輪に加わった。席上で筆者は、何故か “すがすがしさ” と “力強さ” を感じたが、それは筆者だけのことではないと思われた。
その日の夜に開催されたO地区の懇談会には、40人余の地元住民が参加した。開催するにあたって、社協支所の職員は、地元の小・中学校に赴き、懇談会への参加を依頼した。その時、教師から返ってきた言葉は、「私の『地元』ではありませんから‥‥‥」というものであった。しかも、全ての学校の教師の回答がそれであったという。O地区の小・中学校に通う生徒は地元の子どもたちである。教育は、一面において、地元の地域生活に学び、地域生活に生かすための営みである。また、教育は、今日においても、「村を捨てる学力」ではなく、「村を育てる学力」(東井義雄、1957年)を身につけるための営みであることが求められる。福祉教育もまた然りである。こう考えたとき、教師の言葉と回答に、虚しさと寂しさを感じ、失望感を禁じえないのは筆者だけであろうか。教師の「地元」はどこにあるのだろうか。まさか20坪の「教室」ではあるまい。そしてまた、学校や教師の回答から、社協支所やその職員の、「地元」に根ざした福祉教育(「市民福祉教育」)に関する考えや姿勢、これまでの取り組みがうかがい知れる。本稿でいいたいのはこの点である。

「偏見」を助長し、「逆差別」を生み出す福祉教育実践(第2報)―Y氏の雑感―

「雑感」(2014年2月10日)にアップした拙文――「『偏見』を助長し、『逆差別』を生み出す福祉教育実践」に関して、早速、熱心なブログ読者のY氏から次のようなメールをいただきました。それを、議論を深めることができればという思いから、「Y氏の雑感」としてアップすることにしました。

前段について‥‥‥
(1)聴講者が「重度の障がい者がその障害を乗り越えて‥‥」を前提にした「講演」として聴いたことは、否定できないことかもしれません。また、おっしゃる通り、その場限りの「人生の応援歌」であるかもしれません。しかし、少なからぬ人々に感動を与えたのではないかと思います。正直、自分の障害を話題(ネタ)にしているといえばそれまでですが、少なくとも私は、他の人に対してあれだけの「人生の応援歌」を熱唱することはできません。あのような「人生の応援歌」を期待し、それを待っている人(聴講者)がいるということを考える必要があると思います。要は、障害のあるなしではなく、その人がその人の生き様を、どんな内容で話ができるかが重要だと思います。
(2)私は、「障碍」(人が困難に直面していること)は、なにも「障がい者」だけにあるものではないと考えます。それぞれの人がそれぞれの障碍を抱えています。そして、「障碍とともに生きることが人生である」といえるかと思います。「障碍を乗り越える」、それは自分自身のことであっても、多くの人々の力を借りながら乗り越えていることは確かなことだと思います。このことは彼女も私も同じです。
(3)講師を務めた彼女の今の生き方は誰が決めたのでしょうか? 彼女自身であると考えます! もし、人によって決められたものであるなら、それは至極悲しいことです。彼女自身も解ったうえで、今の活動をしているのかもしれません。彼女に対し最も偏見や差別のない第三者は、ご両親ではないでしょうか? ご両親は、今の彼女の生き方をどう思っていらっしゃるのでしょうか?
 
中段について‥‥‥
(4)彼の「普段の、普通の暮らし」の話に関して、前段の彼女の話は、「普段の、普通の暮らし」の話ではないということでしょうか? 福祉教育実践は、「普段の、普通の暮らし」の話が必要不可欠であり、彼女のような華やかな話は必要ないということでしょうか? 確かに一部の華やかな話に惑わされて、「普段の、普通の暮らし」が隠れてしまってはいけないことだと考えます。
(5)彼女の様子と比較するために、あえて次の一文を入れられたのでしょうか?
「彼は、一杯のお茶をストローで啜(すす)り、車椅子に乗ってひとりで帰っていかれました。」

後段について‥‥‥
(6)先生が今回の「雑感」で真に伝えたいことは、「社会福祉協議会による福祉教育の取り組みが、障害や障がい者に対する『偏見』を助長し、『逆差別』を生み出してきたのではないか。また、障がい者間の偏見や差別の問題を見過ごしてきた、いやあえて避けてきたのではないか。」ということだと理解します。
これは、社会福祉協議会の福祉教育実践に関して、核心を突いたご指摘であり、重要な問題提起だと思います。
(7)「障害」「障がい者」「障がい者の暮らし」についての理解の仕方と、「共に『活きる』 」まちづくりにつながる具体的な実践方法などについて、ご一緒に考えたいと思います。
(8)私は、何も分からぬままにこの仕事に就いたとき、「障がい者のあいだにも偏見や差別がある!」ことに驚きと寂しさを強く感じました。しかし、その偏見や差別に抗する術(すべ)はありませんでした。障がい者に対する福祉教育も重要だと考えています。

筆者(阪野)から、若干のコメントを付しておきます。
(1)に関して‥‥‥
「人生の応援歌」を全否定するつもりは毛頭ありません。筆者も、彼女のような「人生の応援歌」を大熱唱することはできません。
自分の人生について熱く語ることができる人がいる反面、何らかの事情によって語れない人、あるいは語りたくない人がいることも事実です。そこに偏見や差別が存在するであろうことも、想像に難くないと思います。
「障害のあるなしではなく、その人がその人の生き様を、どんな内容で話ができるかが重要だと思います」。このご指摘には同感であり、異を唱えるものではありません。
「講演」は、「関心」と「感動」、そして何よりも「変化」と「行動」を呼び起こすものでありたいものです。
(2)に関して‥‥‥
「障碍(人が困難に直面していること)とともに生きることが人生である」。心に留めておきたいフレーズです。
(3)に関して‥‥‥
誤解を恐れずにいえば、「障害」や「障がい者」に対する偏見や差別のうちで最も強いものは、家族のそれかもしれません。
親子の「血の繋がり」や家族の「絆」という言葉(美辞麗句)のもとで、日常的に無自覚に偏見・差別や抑圧・強制などが行われ、障がい者本人の自立と自律(二つの「じりつ」)が妨げられていることも事実ではないでしょうか。
ここでは、「基調」講演を企画した福祉関係者の「福祉教育観」こそが、厳しく問われるべきだと考えます。
(4)に関して‥‥‥
彼女と彼の「普段の、普通の暮らし」の話に注目すべきです。それよりも、ここでとりわけ目を向けてほしいのは、「地域・地元で偏見や差別と闘っている」彼の暮らしと、障がい者自身による市民運動としての差別撤廃運動や福祉の(による)まちづくり運動についてです。そして、障害があるなしに関わらず、同じ思いや志(こころざし)を持つ者同士が「共闘」することです。さらには、それを通して「共生」の道を探求することです。
(5)に関して‥‥‥
その通りです。彼女の講演は、「福祉教育」の分科会で、「基調」講演として行われたものです。しかし、その内実は「記念」講演というべきものでした。当日は、複数の分科会が準備され、著名な方々が基調講演を行っていました。そういうなかで、何故か、花束が贈呈されたのは彼女だけでした。たかが花束ですが、筆者はこの点を看過することはできません。
(8)に関して‥‥‥
障がい者と地域住民等との連携・協働とともに、障がい者や障がい者団体等の相互の連携・協働も必要かつ重要です。また、障がい者の自立生活運動や自立支援運動の推進を図るための福祉教育のあり方を問う必要があるのではないでしょうか。
筆者は、以前から、福祉サービスの利用者とともに、福祉従事者に対する「市民福祉教育」の必要性と重要性について指摘してきました。その際の市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉の(による)まちづくりの主体形成(市民性形成)を図るために行われる意図的な活動をいいます。