「鳥居一頼の世語り」カテゴリーアーカイブ

為すべき事がある

未練かも知れない
蒼穹に残した白雲のような
やり残した事への 憧憬(あこが)れか

未練かも知れない
曇天に流れる黒雲のような
やり損なった事への 後悔(く)いか

未練がましく すがりつく
急な岩斜面にとりつくような
全身がこわばる事の 必死さか

未練がましく 訴える
呂律(ろれつ)の回らぬ言葉のように
伝えきれない事の 苦悶(くる)しみか

未練たらしく 無常迅速に抗う
他人に陰口を 叩かれようと 
まだ為すべき事は きっとある

未練たらしく 無窮自在に動く
老いてこそ 見えてくる光が
まだ為すべき事を 指し示す 

世に 未練はきっと残る
人に 未練はきっと残す
だから 終わりのない未練に生きる

生への執着だと 知りながら
まだ為すべき事があると
ひたすら 前を向く

※無窮自在(むきゅうじざい):思いのままに振る舞う・こと(さま)。

〔2021年4月7日書き下ろし。ふと生に未練が湧いた。まだ為すべき事があるという思いが生きることに執着させる〕

欺瞞に宿る醜さ

心の醜さを 認めたくなかった
誠意を見せることに 苦心した
誠実を装うことに 執着した
言葉を飾ることに 修練した
いい人であることは 欺瞞だった

欺瞞に宿る醜さは 臆病さからだった
知恵のなさを 見透かれそうだった
だから 強がって虚勢をはった
欲の深さを 感づかれそうだった
だから ない素振りでスルーした

欺瞞が 心を満たしていった
正直になることは 不安だった
騙されることは 恥ずかしかった
馬鹿にされることは 許せなかった
弱い自分をさらけ出すのは 怖かった
いい人という鎧(よろい)を 身にまとった

欺瞞は 次第に露わになった
悪意を表すことを 黙認した
誠実さを演じることに 疲れてきた
失敗を論(あげつら)うことを 良しとした
信頼を裏切ることに 迷いはなかった

その浅ましさは すでに見抜かれていた
偽善者の仮面は 剥がされていた
上手にあしらわれていただけのことだった
騙されていたのは おのれ一人だった

有能だとかけた 自己暗示からの覚醒
我欲だけの 歪んだ動機の放棄
暴かれた 醜態からの自己嫌悪
欺瞞に宿る 罪悪感からの慚愧(ざんき)
素っ裸で立つ おのれの姿に驚愕する

いまも 自己否定できぬ者たちは
期満に満ちた世界に 惨めに彷徨(さまよ)う

〔2021年4月6日書き下ろし。どこの世界にも貪欲な者たちがいる。心を置き忘れて、自己崩壊するらしい〕

米穀通帳と新しい生活

家族と別れ 住み暮らした家を出る
きっともう二度と 暮らすことはない

身の回りの荷物を 車に積んで出る
独身向きのワンルームの ドアを開ける
冷蔵庫 チン ストーブ完備
ガスは 連絡がつかず諦めた
荷物をほどいて 整理を始めた
寒くて 急に空腹を覚えた
独り立ちの一日は あっけなく過ぎる

50年以上前 米穀通帳を持って家を出た
これが 世帯主になった証だった
親からの経済的な独立には ほど遠かったが
なにかしら 大人になったような気分がした
いまの若者が 独り立ちをした自覚は
アパートの鍵を握って ドアを開けた瞬間か

今春 若者たちが家を出た
家族の干渉から 自由になった
家族の保護から 解放された
家計をやりくりする 才覚が試される
家事をこなすのが 心配だった
ただ思うがままに 決められることが嬉しかった

学生ではない者たちは
コロナ禍の厳しい労働環境の中で
安い賃金に甘んじながら 自活を始める
親の臑をかじることを よしとせず
自分の稼ぎで暮らそうと 決めた

自立の先ある自律こそ 本当の独立
不安の先にある目的こそ 本来の志向
食べることの先にある未来こそ 本命の夢 

※米穀通帳(べいこくつうちょう):1939年4月「米穀配給統制法」が公布され、米穀を扱う商いは許可制となり、第二次大戦中から戦後にかけて,政府が米穀統制のために各世帯に配った通帳。1969年自主流通制度が発足し、やがて米穀通帳制度は形骸化していく。

〔2021年4月5日書き下ろし。いまの若いもんも悩みながら大人の道に踏み出す。ガンバレ!ファイト!〕

お見通し

むかしのことだった
おらとこの庄屋さんは えらいお方じゃった
米がとれん年には 春に種籾(たねもみ)を配られた
亭主を亡くした家には 子どもが大きくなるまで世話も焼かれた
疫病が流行ったときには 広がらぬよう手を打ちなさった
寺の和尚には 村の子みんな手習いさせよとお願いなさった
村は貧しかったが みんないい顔して暮らしておった

庄屋さんにばかり甘えてはならんと 
村のことはみんなで手分けして それはそれは よう働いた
大水が出た年には 山が崩れてずいぶん人も亡くなり
村の外れに供養仏さつくって 忘れてはならんといいなさった
村人総出で道普請をして いまの道に付け替えたもんさ

そんでも 世の中が少しずつ変わっていってな
村の若いもんも 他所(よそ)さ出てしもうた
だんだん人の数も すくのうなってしもうても
子の代になった庄屋さんも よくしなさった
子が生まれれば お祝いまでくだされた
若い男衆には 嫁御の世話もずいぶん焼いておられた
だから人の数は 他の村よりは多かったもんさ
暮らし向きが 少し楽になったのも 庄屋さんのおかげ
村の山にな 春は春の秋には秋の山菜さ採ってな
ばさまたちが それを漬け込んで
じさまたちが まちさ売りに行って 新しい稼ぎにしたもんさ

みんなが寄り添うように 心置きなく暮らせるだけでも
ありがたいことじゃった
神仏の信仰も深くてな お寺さんの説教も心さ響いたもんさ
ここに生まれたことに感謝しなさいって 教えられたもんだ
誰かのためにやることが 自分が生かされるんだってさ
この年になれば そのことばがなんか心にしみてな
おらもちゃんとやってきたべかと 気にかかってきたもんさ

人の一生なんぞ あっという間の短いもんさ
泣いたり笑ったり してきたけんども
一つだけ分かったんは この村で暮らしてよかった
開けっぴろげで 正直に生きてこられてよかった
家のもんもみんな心穏やかに いい顔して暮らせてよかった
これもこんな村や村の人を育ててくれた 庄屋さんの仁徳のおかげ
いまようやく 思いやりの深さと心の広さ 
先を見通して事を為す人だって よくよくわかったもんさ
おらも老いて 床さ伏しているけんど
旅立つ心の始末は みんな終わった
後はお迎えが来るまで 待つとすべえ

〔2021年4月4日書き下ろし。政治とは何か。先先を見通して具体的な対策をすることでしかない〕 

旧套墨守の人たち

地域の会館に 教育勅語を飾っている
外すよう進言しても 古老は頑なに拒む
村の倫理観が 否定されるような侮蔑を抱く
己の生き方を示す至心を 信じるしか道はない

教育勅語をかざした 代議士がいた
家庭教育のあり方が いまも通用すると息まいた
女おんなを 盛んにアピールした胡散臭さは
いまは ジェンダーの旗を振る
全て票と世評頼みの身のうちなれば この変節には恐れ入る

権威や官僚制度には 縦系列の序列が整然とつくられる
持ちつ持たれつの利得では 収まりきれないカースト制
政治も行政も 論理ではなく別の力学で動かされる
旧套墨守に生きることを旨とする人たちが 世にはびこる

旧套墨守の方々は
改革の使命も喜びも 味わうことなく朽ちてゆく
改革で社会や人が変わる醍醐味を 味わうことなく去って行く
改革が世のため人のためになる仕事を放棄して つまらぬ人となり果てる

旧套墨守の方々が
お国に貢献したと自負しても
改革を排除してきた功績は 歴史によって糾弾される
いまの世を 牛耳る時が過ぎし頃
いまの世に 疑問を持つ世代にして その悪弊を卑下される
いまの世で 業績を問われることなく その存在すら否定される

旧套墨守の方々よ
改革を恐れ 判断を放棄したがゆえの最期の審判 
逃げることなく 受けて旅立てよ
我も 後から追従しよう

※旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ):旧来のやり方を見直したり,改めたりせず,かたくなに守ること。

〔2021年4月4日書き下ろし。明治維新の変革理念の指導者は江戸や大坂ではない。小さな片田舎の身分の低い者たちである。優遇された環境にのうのうといる者たちは、旧套墨守で生きるしかないのか〕 

なれの果て

あんたが どうほざこうと
いまでは どうでもいいのだ
いまさら 何をいってもおそい

あんたが そう繕おうと
いまでは どうしようもないのだ
いさまら 何も変わらない

あんたが 正しいと吹聴しても
いまでは だれも聴く耳はもたない
いまさら 目新しいこともない

あんたが いるから問題なのだ
いまでは そっぽ向かれるだけだ
いまさら おもいが変わるはずはない

あんたが もっともらしく論じても
いまでは またかと飽きられてる
いまさら 正義漢ぶるのが鼻につく

あんたが 思想を語るほど
いまでは ぞっとして興ざめする
いまさら リーダーぶるには信がない

あんたは 心変りしないから代わるしかない
いままで 散々やってきながら成果なし
いまさら 居座るのはリスクでしかない

あんたは どこにでもいる
あんたは 思い上がりでしかない
あんたが 衰退の源だ
あんたに 拠る者たちは排除できない

そこに無能な集団の バカさ加減を見せつける
そこに集う者たちの 理念なき生き様を見せつける
そこにしかいられない 保身のさもしさを見せつける

貧しくとも 学歴はなくても
人間として生を受け 
人や社会のために 身を粉にする人がいる
ことばで飾ることもなく
黙々と 為すべきことをする人がいる
決しておごらず 誇ることもせず
生かされていることに 感謝する人がいる
そんな人が なれの果てになることなど
そもそもありえない

〔2021年4月3日書き下ろし。市井には、なれの果てとはいわれない人生を歩んでいるただの人のなんと多いことか〕

春になる

ブルーベリーの雪囲いをといた
毎年大きな実をつける 唯一の果樹
去年は 花は咲いたがすぐに花心から落ちた
絨毯のように 白い花びらが広がった 
なぜが 苦かった

ブルーベリーの枝の先には 新芽がいくつか出ていた
去年は 古い枝がずいぶん枯れた
根元から生えた若い枝が 芽吹いている
なぜか 嬉しかった

白いクロッカスの花が 一輪可憐に咲いていた
妻が 花壇の煉瓦のそばに見つけた
我が庭の 従来種ではない
そっと花壇に植え替えて 風に当たらぬよう囲った
種は 3階から舞ってきたものと推察された
来春の楽しみが 一つ増えた
3階の友人に 感謝を伝え共に喜ぼう
 
春一番の楽しみは クリスマスローズ
2つ 芽を出している
咲くまでには まだしばらくはかかりそうだ
その間に5種類の紫陽花が 一斉に芽を吹く
足下では 苺が緑の葉色を枯れ葉の下からのぞかせる
シャクナゲの 色濃い緑の光沢ある葉は
茶色い庭の風景に 精気を満たす

雪に押しつぶされたラベンダー
枝を四方に だらしなく倒していた
娘が買ってきた一鉢は いまでは多くの古株に成長した
その古株を 裏から支えを入れて矯正する
下手をすると枝がすぐに折れる
だから 芽吹くまで様子見となる

ハーブ系は8種類 そこら中に生えている
害虫避けと香りを楽しむのに 買ってきた
ミントは これからが楽しみだ
ハーブティーの定番は 若葉に限る
妻と二人で 初夏の風に味わうのがいい

また春が来た
猫の額ほどの〈はたけ〉に何を植えようか
ゴーヤーは 去年苗を買い損じた
だから 今年は外さぬよう心したい
去年の枝豆は よく実をつけた
だから 今年も必ず蒔く
中玉のトマトは いつもよく実る
だから 今年もソースを作りたい

春から始まる土いじりに
ひと坪農民の血が騒ぐ

〔2021年4月2日書き下ろし。妻が方々から飛んできた落ち葉をゴミ袋4袋に集めた。その後を引き継いで半年ぶりの庭作業となった〕

精彩なき聖火

まるで人目を忍んだ 逢い引きのように
聖火は気づかれぬよう 足跡だけを残して
コロナを起こさぬよう 静かに立ち去る

まるで厄をもたらす 疫病神のように
聖火は人心から見放され アリバイだけを残して
コロナに邪魔者扱いされて 音もなく立ち去る

まるでこうなると 予想が的中したように
聖火は見事に返り討ちにあい 火幻を残して
コロナに打ち勝てず 逃げるように立ち去る 

聖火がこれだけ邪険に扱われたことは なかった
世紀のスポーツの祭典こそ 心躍るイベントだった
聖火は広く喧伝のために 列島を走らねばならなかった
世紀のスポーツの祭典の ボルテージが急落する
聖火は役目を果たすことで 笑いものにされた
世紀のスポーツの祭典を 利得にした者たちのせいだった

全国の知事たちよ
聖火に現(うつつ)を 抜かしている場合か
聖火でコロナが 退散するわけでもない
聖火が萎えた人心を 奮い立たせるわけがない
億単位の税金を浪費するだけの 意味のない聖火リレーだ
信仰じみた聖火への おもいは断ち切ろう
コロナ疲れと将来への展望のなさに 苦悶している最中だ
覚めた心で頭を冷やそう

全国の知事たちよ
聖火リレーも五輪も 断念しよう
五輪どころの騒ぎではない
すでにコロナはリバウンドして 
聖火よりも早く 日本列島を縦走する
聖火は辛酸を嘗めながらも 走り続けるのか 
その道中で 魔手により尊い命が弄(もてあそ)ばれる

NHKの五輪キャッチフレーズ
「私たちは、超えられる。」
なんと虚しく響くのだろうか
「超えられる者しか越えられない」
観念の世界ではない現実を直視する
メディアの押しつけがましい振る舞いに 
〈わたし〉は 静かに平伏を拒否する

〔2021年4月1日書き下ろし。「聖火が走る」(2021年3月26日Up)の続編。たった1週間後のお粗末な事態。さらにNHKが事態を超えていく〕

付記
吉村知事『大阪市内の聖火リレー中止すべき』 大阪・兵庫に「まん延防止措置」適用へ
新型コロナウイルスの感染再拡大を受け、政府は4月5日から1カ月間、大阪府、兵庫県などに「まん延防止等重点措置」を初めて適用する方針です。
吉村知事は措置が適用された場合、大阪市内の聖火リレーを中止すべきだと話しました。
政府は大阪府、兵庫県、宮城県に4月5日から1カ月間、「まん延防止等重点措置」を適用する方針で、夕方の政府対策本部会議で正式に決まる見通しです。
まん延防止措置が適用されると、地域を限定して飲食店などに時短営業の命令を出せるようになり、違反すれば最大20万円の過料を科すこともできます。
兵庫県は4月1日に国に措置を要請していて、措置の適用が決まれば、神戸市、西宮市、尼崎市、芦屋市を対象に、午後8時までの時短営業などを要請する方針です。
「大阪市内における聖火リレーについては、中止すべきだと思います。大阪市外、まん延防止重点地域以外のところについては、感染症対策を実施して、聖火リレーを実施するということ、この調整に入りたい」
吉村知事は聖火リレーについて、「大阪市や組織委員会と協議する」と話しました。
大阪府は国が措置を適用する方針を決定したあと、すみやかに対策本部会議を開き、今後の対応を決める方針です。(関西テレビ 2021年4月1日)

高校での探究ごっこ

来春から教科書が変わります
「歴史総合」「地理総合」「公共」「情報Ⅰ」「理数」
新科目が増えます
課題を調べて考える「探究学習」を重視します

でも 生徒に探究されても困ります
それに応えるだけのキャパシティは ありません
もともと そんな教え方はしたことありません
講義型・紋切り型の 一方通行しか出来ません
知ったかぶりが 通用した世界です

教科書を教えることには 長けてます
教科書で教えることは 苦手です
能力以上のことを 求められても困ります
探究学習のノウハウは 教科書に沿うしかありません
指導力を求められても すでに限界に来ています

一教師の手腕では 探究学習もへったくれもありません
だから図説いっぱいの教えやすい教科書に なっているそうです
教えなければならない教科は 免許外でもいいそうです
そんなバカな話は ありません
本質に迫る授業を構築する力量が求められる 専門性が歪みます
免許外でもいいと 当てられた教員は貧乏くじを引かされます
探究学習のノウハウだけで 用が足りるわけがない

それならいっそ「公民」は 全教員で学び直しませんか
満18歳の生徒でも ガキ扱いするバカはきっといます
同僚との認識の違いや意識の格差も 生まれてきます
社会的認識の希薄な学校世界で 生きてきた身ですから
学校の常識 世間の非常識は 承知の上のことです

利己主義的で閉鎖的 かつボス的な方も鎮座する学校社会
ここでは 校内での力関係が裏人事で働きます
ポジティブに引き受ける人は きっと稀でしょう
さてどなたが 貧乏くじを引くことになるのでしょう
中教審の改訂のねらいが 形骸化されていく始末を予感します
振り回されやらされる生徒こそ いい迷惑です

ただ 子どもが独り立ちするには 社会問題に向き合うことです
自ら知と智の学びを 主体的に取り組むしかありません
でも その学びの時間の保障と導く指導者の力量には期待できません
まずは 教科書をしっかり教える力を身につけるしかありません
どうぞ 自ら探究学習を性根をすえて探究してください
教えることは 学ぶことのほんのひとつかみでしかありません

〔2021年4月1日書き下ろし。高校の教科書の検定が終わった。9年ぶりに22年度から新学習指導要領に基づいて探究学習が重視されるという。子どもも教師もやらされる方は大変です〕

ついにきたか

やっぱりね
そうきたか
そうするよりなかったか
それでやるしかないのか
迷惑千万顧みず ついにきた

ゴリ押し通す環境省
例外的に 受け入れすれば
後は なし崩しに運ばれる
内地の 核ゴミもPCB廃棄物も産業ゴミも
一括道内で 処理されるのは自明の理

北海道は 内地の産業振興の尻拭い
一番危険で汚い廃棄物の処理場に使い回される
内地の人が 安全で安心して暮らすための防波壁
津軽海峡を渡れば 内地の大事は済まされる

室蘭の処理施設の処理能力が試される
本当に無害化できるのか あり得ない
安心と安全は 確実に保障されるのか あり得ない
環境省は 放射性物質の除染や処理の説明を省き
最大で同1ベクレル程度 日常的に触れても安全性は確保される
それなら 内地で処理施設をぶったててでも対応可能だろう

札びらを見せられ 金欠の自治体は背に腹はかえられぬ
役人は さももっともらしい科学的根拠を持ち出して  
いくらでも 言い訳は用意する
いつもの汚いやり口が またまかり通る

カネさえ払えば御の字 あとは泣き寝入り
もしもの事もありながら 文句は言わさぬ
そうです そうです
そうして 国にかしずいた黒い歴史を繰り返す
どうぞ 国の思うがままに
ゴミの大地づくりに邁進してください
それが 内地を助ける役目なら
道民こぞって このいのち差し出しましょう

北海道が 死の島とならぬよう
核のゴミも有毒の産業ゴミも
簡単に受け入れてはならない

〔2021年3月28日書き下ろし。室蘭で仕事していたときに内地の産業ゴミが処理される施設の稼働を知った。道内には室蘭しかない。予想は出来たが、問題は期日だった〕

付記
福島PCB処理 安全性の説明が先決だ
福島県内にある高濃度ポリ塩化ビフェニール(PCB)廃棄物を室蘭市内に搬入し、来年1月ごろから国関連の専用施設で処理する計画を環境省が明らかにした。
廃棄物は、東京電力福島第1原発の事故後に国が指定した「汚染廃棄物対策地域」で生じた。この地域の廃棄物は放射性物質汚染の恐れがあり、国が域内で収集・処理するのが原則である。だが現地には対応できる施設がなく例外的に室蘭に搬出する。汚染が一定基準以下の廃棄物に限定するため、室蘭市は安全確保を条件に受け入れる姿勢だ。
今回の計画公表は唐突感が否めない。市民が健康への影響に不安を抱くのも無理はない。
環境省は科学的根拠を示し説明を尽くすべきだ。市も不安解消へ手だてを講じなければならない。対象となるPCB廃棄物は同県双葉町など11市町村にあるコンデンサー(蓄電器)や蛍光灯の安定器などだ。原発敷地内のものは含まないというが、心配なのは放射性物質による汚染の程度である。
環境省によると、室蘭に送る廃棄物は表面の放射性物質の汚染密度が1平方センチ当たり4ベクレル以下に限る。医療機関などの放射線管理区域の物品に関し、国が定めた数値に準じるという。今回の廃棄物は最大で同1ベクレル程度で「日常的に触れても安全性が確保される」との説明だ。
PCBは毒性が極めて強い。健康被害を招いたカネミ油症事件を契機に1972年に製造が中止されたが、今も環境汚染が続く。
2001年施行のPCB特措法に基づき、国が全額出資する特殊会社「中間貯蔵・環境安全事業」(JESCO)が全国5施設で広域的に無害化処理してきた。
室蘭の施設は道内や東北、関東など20都道県の廃棄物に対応する。福島も担当区域だったが、原発事故以降受け入れていなかった。国の基本計画により、室蘭での高濃度PCB廃棄物の処分期間は23年春までと定められている。
その時期が迫る中、福島の廃棄物が問題となるのは自明だったろう。にもかかわらず環境省は今まで計画を公表しなかった。放射性物質の除染や処理の手順を巡る安全性確保について、環境省が果たすべき説明責任は重い。
室蘭市は住民の疑問に答えるとともに、安心や安全の担保を最優先しなければならない。
過去にPCB処理施設を誘致した経緯がある道にも、不安解消の責務があるのは言うまでもない。(北海道新聞社説2021年3月28日)