「鳥居一頼の世語り」カテゴリーアーカイブ

蠹賊たち

蠹賊(とぞく)たち
それは誰か

反逆者の賊軍は 悪なのか
為政者や体制に反旗を翻(ひるがえ)し 罪なき者を無差別に殺戮するのがテロ
独裁専制主義の転覆を謀(はか)り 武力闘争するのがレジスタンス
果たして レジスタンスとテロは 勝利者が正義を主張する

為政者や取り巻きに不都合な者は 賊将と逆賊なる
1年前 ゲーム感覚でミサイルのスイッチを押した
見事命中 暗殺を正当化し 米国は世界にその死を告げる
国を取り戻そうとする敵将は 賊将の汚名に甘んじる 
大国を後ろ盾に弾圧を繰り返す者は 強欲にまみれながら正義を偽る

賊臣は反逆者
治政者は常に震え 疑わしき者を殺戮する
法外な統制権を正当化し 恐怖政治を断行する
生殺しの手法を駆使し 法を改定して法制国家を気取る
忠信たちは賊臣にならぬよう 民主主義の芽を潰す 
香港の若者たちのあえぎが いまもなお聞こえる
北朝鮮の民衆は 貧困とコロナと災害にいまも堪(こら)える

国賊は 誰か
歴史は 天下人が正当化され 業績が書き残される
体制におもねる者たちに 正しい記述を拒まれる
敗戦後 戦争責任への不完全な処分が国賊を救った
官僚制度は 解体や批判から逃れ 根強く生き延び取り仕切る
高級官僚は 権力者におもねる失政の責任を取ることもなく
誰が権力者になろうとも 官僚体制は強固であり揺るぎない
官僚トップの遺伝子は確実に受け継がれ つけいる隙を与えない
その地位を保持し 異見を排除する国賊の芽は 
すでに国難を招く下ごしらえを終えて 次の指示を待つ

乱臣賊子はすでに廃(すた)れ 国を憂(うれ)うこともなく 
いまの定めをよしとして 従順に受け入れる
蠹賊には これほど生きやすい環境はない
それすら気づかせぬよう 民心を蹂躙してゆく
警鐘を鳴らす者には 静かに社会的な排斥を企てる
蠹賊には このくらい容易に統制できる環境はない
事の本質をずらして 大衆を誘導してゆく
非協力の者には 確実に社会的な抹殺を企てる  

蠹賊の生きやすい体制が 亡国そのもの
気づいたときには 民は隷属するしかない

※蠹賊(とぞく):物事をそこない害すること。またその者。
※賊:①そこなう。害する。傷つける。②ぬすびと。わるもの。③国・社会を乱す者。

〔2021年1月2日書き下ろし。内部にあって物事を害するものを蠹という。トランプ大統領の如し。対岸の火事とはいえぬ日本の現状もまた然りか〕

つくられていく虚像

国民的人気が高い
マスコミは 枕詞に必ずつける

TV受けする男らへの形容詞
「イケメン」
容姿だけで人気を煽る ただそれだけのこと
誰でも彼でも テロップにそうつけ流す
ファンは ミーハーもどきで 声をあげて手を振る

知見も能力も低いと露見した男に
いまもなおマスコミは 枕詞をつけて
低レベルのミーハー政治へと誘導する

政治ジャーナリストもどきは 否定する事もなく
政治もパフォーマンスしかできない男を
次期総理候補の演出に 盛んに名前をひけらかす

TVやマスコミに タレントなみに振る舞う
気取った態度に 実力なき者たちは付き従う
この程度の者を担ぐ愚弄を 冒すに足る政治家集団
そこに おのが命と国運を預けるわけには無理がある

世論調査の次期総理候補者の名前のあげ方
世論調査の設問に お粗末な政治家をタレント化して 
意図的に操作し低俗な人気投票にしてしまう怖さ
批判力を失った社会の 未熟な民主主義の終焉

マスコミで作り上げた虚像
「叩き上げの田舎者」「凄腕の官房長官」
治政能力のない指導者たちの悲哀を 
いま味わっていることを 肝に銘じたい
これ以上の人材を求めることすら すでに道は塞がれた
残るのはマスコミ受けのいい パフォーマーだけか

それを 意のままに動かし傀儡に祭り上げる
重鎮たちには 引退を勧告したい
同時に 薄っぺらなパフォーマーはきっと淘汰される
それが 政治変革の道を拓く時流になるかもしれない

〔2021年1月2日書き下ろし。「国民的人気」が実力に裏付けされている意味で使われているのなら納得出来きる。マスコミに誘導される怖さを感じている〕

我是他非

いつも 正しいとは限らない
人は ときどき過ちを冒す
でも 私が正しいから あなたが間違っている
そう思う心に さもしい傲慢さを感じる
正しいのかどうか 心に手をあてる勇気はあるか

一つのことを為したときに
その考え方ややり方が 正しいのかどうかは
その結果として 明らかにされるだろう
考え方が正しくとも 方法に間違えがあれば
結果が良くても 決して正しいとはいえない
そもそも考え方が間違っていれば
方法も結果も 論外となる
それを承知でやろうとする悪意に 平伏してはならない

正しさとは何か
道理にかなわぬことを 正しいと主張する
卑しいことを 正しいと嘯(うそぶ)く
貶(おとし)めることを 正しいと偉ぶる
贔屓(ひいき)にすることを 正しいと味方する
差別することを 正しいと見下す
優遇することを 正しいとゴマをする
批判されることを 正しいとごり押しする

彼らのおもいは ただ一つ
私は正しく 他人は間違っている
数の力を頼りに 
そう信じ込ませることこそ
民主主義を冒涜し 民意と離叛する
亡国の政治なり
 
虚言に惑わされず 妄信を排除する
道理の是非を判断し 間違えを正すことこそ 
正義なり

〔2021年1月2日書き下ろし。民の賢さが試される年の始まりである〕

撫でる力と愛でる力

嗚咽を堪える背中が 震えていた
そっと背中に手をあて 静かに撫でる
激しくあげた泣き声で 背中が揺れた
無言でゆっくり 背中を撫でた
呼吸はやがて 平時に戻ってゆく

弾(はじ)けたような笑顔が 全身を躍動させた
胸に飛び込んできた背中を 静かに撫でる
喜びの声を耳元で聞きながら 手に力がこもってくる
無言で力強く 背中を撫でた
頬はやがて 一筋の涙を感じる

癒やしの年
2021年(令和3年)が明けた
悲しみにくれた子らに
背中を撫でる人が そばにいてほしい
喜びに落涙する子らに
心を愛でる人が そばにいてほしい

まだまだ続くコロナ禍に暮らす子らに
「心配しないで」
言葉不要の 撫でる力を
不安や恐れに震えている子らに
「大丈夫だよ」
言葉以上の 撫でる力を
めげずくじけず夢織る子らに
「きみに会えてよかった」
言葉と共に 愛でる力を

〔2021年1月元旦書き下ろし。言葉以上の撫でる力と愛でる力をつけなければならない〕

大晦日の晩餐

コロナ禍で 多くの人が 苦しみと悲しみ
そして憤りを抱きながら 生きてきたことだろう
大晦日もなく正月もなく 日々コロナと闘う
エッセンシャルワーカーの方々へ 感謝と敬意を払いたい
闘病生活を強いられている方々へ 一日も早い回復を祈りたい
不幸にも亡くなった方々には 心より冥福を祈りたい
経済的不安を抱えながら年を越す方々へ もう少しの辛抱だと
伝えることが出来るなら どんなにかいいだろう
不安が明ける夜を じっと待つしかいまはない
厳しい年越しの日に 希望の光を感じたい

スーパーには正月の食材が 大量に並べられていた
北海道は 正月のおせち料理よりも
大晦日の晩に 一番のご馳走をいただく
慣習は いまも食卓を賑わす

母は忙しく立ち振る舞った
父は子どもらを銭湯に連れて行く
戻ってくると丸いちゃぶ台一杯に
料理上手の母の手料理が並べられていた

満面の笑みを浮かべながら
四人の子らは ご馳走をよそいでもらう
年に一度の贅沢な食事に 舌鼓を打つ
必ず子ども一人ひとりにつけるのは 鯛のお頭つきの焼き魚
大阪生まれの母の こだわりの一品だった
絶品は銀杏を入れた茶碗蒸し
弟は鶏肉のアレルギーで 母と同様肉なし
仕合わせな時間は あっという間に過ぎてゆく
8畳間に二つの布団を敷いて 子どもらが寝る支度
母は台所で片付けに忙しい
その音を聞きながら 眠りにつく
傍らで 父は独酌で飲み続ける
枕元には 正月の晴れ着もどきが置かれていた

貧しかった
余計に大晦日のご馳走は いまも鮮明に残る
新年を迎える旧年のケジメの大晦日
家族の1年間の無病息災を感謝した 神仏への祝いの膳
そこに仕合わせな時間が
確かにあったことだけは 揺るぎない事実だった

ものが豊かになり 季節感も消滅し
いつでも美味しいものを たらふく食べられる飽食の時代
大晦日の晩餐に満たされる 豊穣な〈時の喜び〉は知るよしもない
不幸な時代に生まれたことを知らず 心貧しく正月を迎える

大晦日 冬型の気圧配置が強まり 強烈な寒波が列島を襲う
コロナとと共に自然の脅威が 傲(おご)った人間たちを叩き続ける

〔2020年12月30日書き下ろし。大晦日の一家団欒の記憶の中に、心が満ち足りてくる時間があった〕

間違えがわかるということ

自分で考えて
自分で動いて 感じてみて
ほんとにそれでいいのか 立ち止まってみて
考えたとおりになったら 一番だね
でももしかして 間違えていたらどうする?

そこが肝心なことなのさ
人から指図されて 動くときは
上手くいったとしても 感動も達成感もきっと宙ぶらりん
間違えにも きっと気がつかないでスルーする
もし間違えても 自分のせいじゃないって言い訳できる
そのときに 間違えを正さず
自分に嘘をつくようなことを 平気ですることを覚えると
自分も人も騙し続けて 生きることになるんだよ

でも自分で考えて決めて動いたときには
これでいいのかなって 少し心配しながら
自分で決めたんだから やるしかないと頑張れるんだ
上手くいったら 感動も達成感も半端ない
でも 間違えてしまったらどうしよう!

間違えるのは誰でもあるけど そこなんだ
立ち止まって考える 
考えていたことと違う こんなはずじゃなかった
このまま続けられない 続けてはいけない 
誰かに迷惑をかけてしまう
大事なのは 
自分で決めたことだから 間違えに気づくんだ

間違えは いつでも誰にでも起こる
自信を持ってすることって 滅多にないよね
ときには誰かの助言も 必要かも知れない
結局は 自分で決めてすることだから
諦めたくなければ 間違えを正して やり直すしかない

自分で考えて動くということは
正しいと思うことに 心が動かされていくこと
でも間違えが分かるというのは 
正しいかどうかを判断する力が 
自分のなかに育っているということなんだ
心の物差しで測る力が 備わってきている証拠だよ

大人になるまでに
たくさん失敗しながら
正しいかどうかの心の物差しを身につけること
正しいと思うところを判断して 行動すること
いま君が自分で考えることを 人に委ねていたならば
君は君自身ではなく その人に操られる人形だね
そもそも そこから間違えに気づかなきゃいけないんだ

大人になるって
自分で決めることや
責任を持って行動することを
少しずつ増やしていくことなんだ
でも残念な大人は 子どもに失敗させまいと 
先回りして いい思いだけをさせようとするんだ
なんでも出来るって 変な自信を持ってる子っていないかい
だから 間違えが何かも知らず
失敗すると立ち上がれない やわな子がたくさん育ってしまうんだね

でも君は違う
間違えを間違えとわかるだけでも 凄いことなんだ
失敗にめげずに 自分で決めたことにトライする
そうして大人になったときに
自分が何をすべきか きっと分かって生きていくことだろう

いますぐ大人にならないわけは
子どものうちから
間違えを正して 自分を正しく導き
君らしく生きる 基本のきの字の力を 
君を愛する人たちの力をもらって
自分で育てなければならないからさ
そうして 
自分を信じる強い力が 生まれてくるんだよ

〔2020年12月28日書き下ろし。間違えを正すことなく平然と嘘偽りに身を預ける輩への警告と、善なる行為も時に間違えを冒すこともあるが間違えに気づく力こそ自己成長のキーとなるのでは〕

子らが導く世界へ

子らは いまの時代に生まれて仕合わせなのか
どうしても避けられない 困難を抱えたコロナ禍社会
もがきあえぐ子らに さらなる試練と苦痛を容赦なく与える
耐えて忍ぶ子らに 母のぬくもりだけが救いとなる

乳飲み子を抱えた母に 産後鬱の病魔が襲う
呑み込まれぬよう 自死への誘惑を拒否する
まるで天使のようなまなざしに ときに己を取り戻す
泣き声に疲れた母は 一時の安らぎを求める 
されど 人とのつながりを断絶され孤立する

しばれが融けぬこころの澱に 惑わされ
苦々しくおもいも立つが 堪(こら)えて生きる
辛抱強さが この子に鍛えられる
つかの間だけど この子の満面な笑顔に救われる
かわいさが愛しさに深まる この子を授かった喜び
凜として生きることの不思議な力を 与えてくれる

遠くない明日に きっと仕合わせになれると信じて
夢中になれる子育てを 与えてくれた喜びに感謝する
今日も幼児(おさなご)が導く世界に 心遊ばそう
明日の元気をもらおうと ハグする両手に力が入る
親になった喜びと子育ての苦楽を たくさん味わいながら
運命と諦めず コロナ禍の不安を逞しく乗り越えたい

まだまだ収束しないまま コロナに翻弄されて年を越す
健気(けなげ)な幼児を護る母たちの奮闘は これからも続く
涙と笑いをかもす幼児たちは 慈愛の世界を繰り広げるだろう
いつしか 母と子の織りなす心が 仕合わせづくりの道へと導く

〔2020年12月28日書き下ろし。子どもの数が減少することを嘆くよりも、子育てをしっかりと社会が担わなければならないことを知らしめよう〕

付記
今年の出生数、85万人割れ見通し コロナで少子化加速
日本の少子化に歯止めがかからない。今年の出生数は昨年を約1万7千人下回り、85万人を割り込む見通しだ。統計を始めた1899年以降で最少となる。新型コロナウイルスへの感染が拡大する中、妊娠の届け出件数は前年を下回って推移しており、来年の出生数は80万人を割り込むとの見方も出ている。
今年1~10月の出生数(速報値)は、前年同時期を約1万7千人(2・3%)下回って推移している。厚生労働省は10月までの出生数のほか、死亡、婚姻、離婚の届け出数などをもとに、年末にその年の人口や出生数などの推計を公表している。今年は「新型コロナの影響で不確定要素が多い」として公表を見送ったが、出生数について例年の計算式に基づいて推計すると、今年は前年比2%減の84万8千人程度になる。初めて90万人を下回って「ショック」と言われた昨年の86万5239人からもう一段、落ち込む公算が大きい。
国内の出生数は、第2次ベビーブームの70年代前半以降は減少傾向が続き、16年に戦後初めて100万人を割り込んだ。国立社会保障・人口問題研究所が17年に出した人口予測では、出生数の90万人割れは20年、84万人台になるのは23年と見込んでおり、想定を超える速度で少子化が進む。(朝日新聞社 2020年12月28日)

私は何もの?

1977年 小学校で青少年赤十字(JRC)の担当者になった
校内で 福祉教育やボランティア学習を論ずる
研究者ではないから 理論は軽薄かつ軟弱
理論研究するには 専門的知見に欠けた
理論武装は非力で 共感的理解を得ることは難しかった
暗中模索の中 文献を書き写し資料づくりに精を出した
全校の年間活動計画は その裏付けになる理論と実践の展望を提起した
反論もなく受け入れられ させられているという事態が続いた
学担の意識格差で 子どもの動きは全く違った
孤立無援 地団駄を踏みながら あがき続けた
ただ書くことだけは 怠らなかった
実践の拙い記録が 唯一の自己存在の証だった

転機が訪れた
1985年 札幌で開催された「ボランティア愛ランドフェスティバル」で出会った
世界のボランティアの父 アレクディクソンに教えを乞う
エピソードから 伝えるべきメッセージを導き出せと
実践の現場を持ちながら 学ばなければならないことを
学び得ていない事実を 突きつけられたのだった
才学に貧しい者が 人前で話す機会が多くなった
難しい言葉を並べて 知ったかぶりして語ることをやめた
書き物にも エピソードから学んだ福祉やボランティアのエキスを盛った
子どもとの学びの世界に 福祉教育の大きな可能性を見出していった

小さな世界に籠もっていることが 苦痛になった
1986年 道社協福祉教育専門委員会の委員を委嘱された
普及啓発に道内を 時には道外に飛んだ
話のネタはカードに記録し いまも4千枚万ほど手元に残る
依頼された原稿の資料にも 活用した
講演のテープ起こしで 不足部分を追記して原稿を書き上げた
多くは冊子や記事となり 福祉や教育の関係者の目に触れていった
北海道新聞で「ボランティアいろは塾」というコラムも連載した
たった三人で「北海道ワークキャンプ研究会」を立ち上げた
ワークキャンプの普及啓発と指導者のネットワークづくりを目指して
情報誌二千部の発行と 全道ワークキャンプ指導者セミナーを運営した
時には道日赤に依頼され 日本で初めてボランティアを全面に出した
「全道日赤ボランティアセミナー」の企画と運営を担った
92年 釧路根室管内の子どもたちを主人公に 彼らが企画運営する
「道東圏ヤングボランティアフォーラム」(通称ヤンボラ)を開催した
2003年 12年続けた事業にピリオドを打った
実行委員長だった子は 福祉を研究する大学人となった
その流れは 99年秋田県北の大館・比内・小坂・鹿角のヤンボラ開催につながり
全国でも稀な広域事業として 17年間続いた
95年1月阪神淡路大震災が起こり「ボランティア元年」と言われた
8月「ボランティア愛ランド北海道in札幌」が開催された 
七百名のキャパを埋め尽くした大ホールで 参加型のワークショップを展開した
全道各地から集まったボランティアを 歓喜の渦に巻き込んだ
98年「第30回全国ボランティア研究集会」 札幌を中心に全道各地で開催した
「わたし発ボランティア文化の創造」をテーマに 三千人近い参加を得た
その運営を担ったのは 96年札幌市民を中心に草の根運動を立ち上げた
「ボランティアネットワーク自遊人」の面々と
全道各地の社協マン そしてボランティアだった 
99年1月「自遊人」を発展的に解消した
それらの運動の集大成として 全道のボランティア振興の核になる
ボランティアコーディネーターの資質の向上とネットワークを目指し
全国に先駆けて「北海道ボランティアコーディネーター協会」を設立した
2013年 ボランティアで運営してきたNPO法人を取得していた協会を解散
ボランティア振興の一時代にピリオドを打ち 一市民に戻った

理論研究者にはなれなかった
実践者ではあった
ただ覚醒したのは 市民運動へのモチベーションだった
関係団体や機関に助言し事業を企画する
市民として福祉やボランティアを学び まちづくりへの主人公となる
市民を巻き込み 市民が動き 市民に育てる
市民運動として 40年携わってきたこと
それが 自分の本分だった
社会福祉や教育に 弱い風を送り 小さな波を起こす
一人では出来ないから 一人でも始める
共感する仲間が集まり 共に動き出す
輪は大きくなり 意識変革運動となる
喜んで参画し そこで自らを輝かせ自己実現をはかる
その成長する姿を見ることこそ 男冥利に尽きるのかも知れない
まだ余力の残っているうちに 為さねばならない事がある
余人を以(もつ)て代えがたい事のケジメを つけなければならない 

〔2020年12月27日書き下ろし。理論、実践、運動の三つを兼ね備えることは難しい。ただその流れの中から確固たる運動は生まれてくる。まだ続けるエネルギーを多くの仲間からいただいていることにただただ感謝するのみである〕

物見遊山の烏合の衆

ハレの日だった
着飾った者たちが 桜の木の下に集まった
全国津々浦々から 招待をされてやってきた
雲上の憧れの人に出会う 一生の思い出の日だった

招待客の年々増加は 私物化と批判された
早々にリストはシュレッダーにかけられ廃棄された
処理に問題なしと 菅首相は平然と嘯(うそぶ)く

前夜祭の費用の支出が取り沙汰された 
23日 安倍元首相にはお咎めなし 
秘書に過失ありと 検察は不起訴決定
記者会見 謝罪を口にしながら 時に強気のごまかし答弁
記者もツッコミ弱く だれた質問続くだけ

25日 議員運営委員会の強弁は 狂言に似て非なりか
検察の不起訴を味方に 質問のかわし方は見事なり
気勢を削がれ ポイント外され イラつく野党は非力なり
さすが手練れの国会答弁 独壇場と化し愉快なり
シナリオ通りの展開に してやったりのどや顔は眩(まぶ)しけり

知らなかった
みんな任せていた
見たことない
確認すれば済むことを することなしに
事実に反する発言
事実と異なる発言
言葉を操り 繰り返しごまかし続ける
言い方をどんなに変えようと
すべては虚言 嘘でしかない
金の出所も 秘書との関係も 釈然としない
くすぶり続ける疑念を 果たして追及できるのか

明らかになったこと
政治家の矜持(きょうじ)を捨てたこと
バッジに固執する小賢しい行いであること
嘘を言いくるめる正しい道徳を子どもらに教えたこと

謝罪の場は弁解の場となり居直り こう締めくくった
「9回選挙を戦ったが、常に圧倒的な勝利を与えられている」
ハレの日は 汚濁にまみれていった 

〔2020年12月26日書き下ろし。気勢を削がれたいつもの面々。相手は一枚も二枚も上であることの証明の場となっただけのことか〕

金澤昌子「めんけべしゃ」

ぐずって 泣ぐどご
泣き顔っこはじけで 泣き声出でくるこの一瞬
顔っこ崩れで こぼれだ涙っこ
めんけべしゃ

大きなま(・)な(・)ぐ(・)ど にらめっこ
ジッと顔見で 泣くべがと思ったこの一瞬
ニコッと まさがのほほえみ返し
めんけべしゃ

おいでってへば どだべがど
ゆっくり手っこ伸ばして 抱がさってきた この一瞬
ぽわぽわど あまいかまりの顔っこ
めんけべしゃ

匙(しゃんじ)たなぐどって 強順(ごんじょ)ぱって
顔っこ カマネゴになるこの一瞬
得意満足で にったり笑う
めんけべしゃ

ことばにならねばって 声だして
あっち見れって 手っこのべて
これがっておもちゃを とってやれば
いやいや ほれでねって頭っこふって ふくれがお
めんけべしゃ

裸っこになって 湯さ入れで
ちゃぽちゃぽ イタズラこの一瞬
にっこにこの 赤(あげ)え顔っこ
めんけべしゃ

めごくて めごくて
ただただ めごくて
包み込まれる いのちのぬくもり
めごくて めごくて
ただただ ありがとう
包み込む 二人の慈しみ

命の限り 共に行くべし

※カマネゴ:顔に食べ物をいっぱい付けた状態。地域でもほとんど使われていない様子。
※「めんこいしょ」を「めんけべしゃ」「めごいごどだなぁ」「めんこいすべ」と地域でのバリエーションも多彩。替えるとニュアンスも変わるかと(金澤)

〔2020年12月26日。翻訳「めんこいしょ」第二弾。秋田県大館市在住の金澤昌子(かねざわしょうこ)さん(一般財団法人大館市文教振興事業団大館市立栗盛記念図書館館司書)の作品です。声に出しながらご鑑賞ください〕