「鳥居一頼の世語り」カテゴリーアーカイブ

習慣づける

郵便局で 書き損じハガキを交換した
枚数は8枚
ハガキよりも 切手に交換した
手数料を 始めに払い
そして 不足分を支払った
細かい硬貨を 財布から取り出す
「すいません 年寄りなもんで」
「いえいえ 大丈夫ですよ」
にこやかに応対する 女性局員
後ろには誰も 並んではいない

薬局で処方箋を出した
「お薬手帳は お持ちですか」
「いや 年ですかね 大事なことを すぐに忘れてしまいます」
 
仕事の打ち合わせの 連絡があった
自宅に来るという申し出を 断った
当日 事務所を訪ねた
「急なことで すみません」
「年寄りは 暇だし 散歩のつもりで出てきました」
彼が出向いてきて 事務所に戻るまでの 移動時間を考えた
ゆうに2時間は費やされる
その時間があれば やるべき仕事に集中できる
仕事に熱心な彼には 時間の余裕はなかった
年寄りは 現役の邪魔にならぬよう 
ささやかな応援をする

「年寄り」という言葉は
人と人を 優しくつなぐ言葉であってほしい
したたかに その言葉を使い分けることが
世間に優しさをふりまく 最期のお役目
だから身構えずに 使うことを習慣化する
もう立派な年寄りになったから 意地は捨てた
今は 年とることに慣れるよう心がけて
暮らしています 

〔2019年11月5日書き下ろし。原稿書きに困っていたらメールでヒントを与えてくれた。感謝します。いまは、ずるがしこく上手に使い分ける訓練中です〕

水があう

ある夏の日 バングラデシュのダッカから 
二百キロメートル離れた 北にある村にいた
雨期で 村中が水没していた
起伏の少ない 平地の国土の多くは 
首都ダッカも 逃れられない水の中にあった

隣の家に行くには 一本の竹の橋を渡った
村から村への移動は 船だった
まるで孤島のようだった
水の下は みな畑だった
水が来る前に 刈り取ったジュートを 
男は 水に入って細かく割いていた
女は 幼児を抱きながら 水浴びしていた

ある冬の日 ダッカから
二百五十キロメートル離れた 北の村にいた
乾期だった
夏の景色は一転し 地面が露出していた
それが当たり前の 村の地相だった
昼 ため池の周りに 村人たちが集まり
村の社交場と化した 喧噪の中にいた
子どもは 大きな鍋を洗う
女は 長い黒髪を洗う
男は 沐浴する
ため池に流れてくる水流は 見えない
朝靄が立ちこめる中 散歩に出た
ガラガラ うがいの音がした
ため池のそばに ひとり女が立っていた

村で 出会った人たち
彼らには 選択肢が限られていた
厳しい自然環境の中で 貧しい暮らしの中で
ひたすら 生きることへの渇望を 強くした
その水に合わせるしか 生きる術はなかった
その水に合うよう 生きるしかなかった
でも 底抜けに明るい笑顔に 
生き抜くエネルギーを 感じた

井戸水を 手押しポンプで汲み上げる
ゲストは その水で顔と手を洗い
ペットボトルに入った 安全な水を飲んだ
出された料理はすべて 井戸水が使われた
現地での当たり前の暮らしに 身体は敏感に反応した 
水が 合わなかった
何度出向いても 水が合わなかった
生理的に 水が合わなかった

現代という 利己主義がはびこる社会の中で
精神的に 水が合わず
生きることを 強いられた 
心も身体も敏感に 拒絶反応を起こした
選択肢が多くなった分 悩みと後悔が 襲った
処理しきれずに 心を病んだ

豊かさの中で いまを生きる
処方箋は 症状を緩和する投薬と カウンセリング
手放すことの出来なくなった不幸を 一人ひとりが抱え込む
世の中の水が 合わなくなって ずいぶんとなる

〔2019年11月3日書き下ろし。二十数年前に出向いたバングラデシュ。今はもう村の風景は一変しているだろう。経済成長は、水に合わない様々な問題と人類の不幸を一方で創り出してきたのではないか。現代の悩みの淵は深い〕

教師は 癇に障ると 生徒指導と称して
意地くそ悪い顔をして にらみつけた
少年には 悲しい顔に見えた
空威張りをしている 威嚇(いかく)の顔が
あまりにも 醜(みにく)かった
だから 哀れみが憤りを抑え 反骨心を鍛えた

こびへつらって 生きていくことの
大人の辛さが 醜い顔になっていた
少年には 腹立ち紛れの汚い言葉も
惨めぽくって 余計にしんどかった
教師もまた 学校という世間に 生きていた

物わかりのよい子が 一番の喜びだった
顔色をうかがいながら いい子を演じた
物わかりが悪い子は 一番の悩みだった
勉強もせず 適度に逆らい あしらった 
物わかりのいい子は 卒業した後 
仮面を外して いい子をやめた
物わかりの悪い子は 卒業した後 
思うとおりに生きたいと 歩き出した

中学校という世間を
世渡り上手に 立ち回ってきた子は
どんな生き方をするのかを 先送りした
世渡りベタの 鈍くさい子は
監視と罵倒から解放され 夢を追いかける 

〔2019年11月2日書き下ろし。中卒で頑張る子らへ。学力で優劣をつけ、無体な人間評価する学校よりも、生きた知力を社会でしっかりと学びながら夢を追いかけてください。社会は、その子が育つ力を是非貸してください〕

決心する

福祉系の科目で ゲストに呼ばれた
40人の学生を前に 車いすに座る
マイクを持つ手は 小刻みに震える
首に青筋を くっきり浮かべ
喉から息を 絞り出すように吐いて
必死の形相で 全身を振るわせ 声を出す 
言葉にならない 響く強い音

病により 1ヶ月間生死を彷徨(さまよ)い
目覚めたときには ベッドに横たわっていた
声も出ない 動かない自分に 愕然とした
阿鼻叫喚(あびきょうかん)の苦悶から脱して
こうして大学の教室で 学生たちと向き合う
スクリーンに表示された文字を読みあげながら 必死に語る
19歳 大学1年の夏に倒れ 未来を一瞬にして奪われてしまった
悲憤慷慨(ひふんこうがい)を抑えながら 16年後のいまを語る 

学生たちは 言葉にならない声を聴きながら 画面に見入る
教室に 緊張感が満ちていた
寝ている者は いない

後日 学生は手紙を託した
大学に入って 一番こころ踊る 熱い授業でした
こういうときは 長々と気持ちを述べたほうが 伝わるのかも知れません
しかし 私の文章力では 本当に伝えたいことが ズレてしまうと思います
なので 一言だけ言います
「私の人生は あなたのおかげで変わりました」とお伝えください
後は自分の生き方で証明します

※阿鼻叫喚(あびきょうかん):阿鼻という地獄で、大罪を犯した者が剣樹・刀山などの苦しみに堪えられないで泣き叫ぶこと。
※悲憤慷慨(ひふんこうがい):世の中の不義不正や自分の不当な運命などを悲しみいきどおること。

〔2019年11月1日書き下ろし。学生はどのように彼を受け止められていいのか戸惑いながら、話に惹きつけられ、覚醒していきました。気負わず相手をあるがままに受けとめていくことが出来るのは若者の素直さですね。大学の教育系福祉系の先生方へ。学生諸君に、あなたは意識変容させる何ものかをお持ちですか?〕

バック

男には 背負うものがないことに
はたと 気づかされた

フリーで 仕事をしていた
あるとき 講演を依頼された
一度面識のある方からだった
指定された日は すでに予定が入っていた
電話で お断りをした
困っておられる様子を察し
講師を 紹介した

彼に電話し 事の次第を説明した
「私なんかで いいのですか」
謙虚に 応じた
「あなたのまちで 市民と取り組んでいることを 
あなたが代わりに お話してください」
その瞬間 彼には背負うものがあることを 
男は 初めて気がついた

男には 背負うものがなかった
一人仕事で ひたすら歩いてきただけだった
彼には 市民とともに耕し続けてきた
地域福祉の確かな実践があった

男には 背負うものがなかった
さも知ったかぶりをして 語ってきた男には
暮らしの実感から 乖離していた 

彼には 暮らしを共にする 市民というバックがあった
彼には 語るべき多くのことがあった
彼には 語らなければならない責務があった
なんて いい仕事をしているのだろう

男は 唖然と立ち尽くした
 
〔2019年10月31日書き下ろし。誰の代弁者になり得るのか。そもそも根無し草のような者が代弁していいのか。謙虚であらねばならない人たちの代弁である〕

秋深まる

今夜は サンマだった
高級魚と化したサンマを 今年初めて味わった
魚体は小さく 脂ののりもさほどでは なかった
でも甘い大根おろしとの 相性はぴったりだった
これで 今年のサンマの味見は終わった

イカも高かった
イカ刺しは 数度しか口に入って来ない
たまに 小瓶の塩辛を 買ってきた
自分で漬けた塩辛を 
ふかしたジャガイモにのっけて
心ゆくまで味わいたかった

カニは 全く目には入らなかった
せいぜい カニ風味の練り物で 我慢する
舌を騙すのは ちょろいものだった

タコは 歯が立たなくなった
前歯をいからせて 硬いものは噛み切れない
老化は 日々身体のあちこちを浸食する
でも歯だけは あと十年は勘弁してほしかった

その分 イクラは安かった
例年の七割くらい 今秋最大の贅沢
卵の甘みを最大限生かし 手作りした
瞬く間に みんなの味覚を愉しませた
小さな命を分け合いながら 合掌

身の程を知って 慎ましく暮らす 
身の丈に合わせた 私の暮らし方
食への小さな不満を残しつつ 秋は深まる

〔2019年10月29日書き下ろし。萩生田光一文部科学相の英語民間試験をめぐる「身の丈」発言。己の身の丈と身の程をわきまえた真摯な発言を政治家に求めることはきっかいか。英語よりも日本語の検定試験を受けてみてはいかが?〕

自死からの目覚め

死に神に取り憑かれていると 51歳の彼は語り出した
発病以来20年間 鬱病の病歴を持つ
いま通院している精神科の医者と ウマが合いそうと笑う
投薬される鬱症状を コントロールする抗鬱薬が合うという
ただ副作用で 記憶力集中力は落ち 過眠の傾向もある
いまでも薬は手離せないが 現在減薬中だという

合わないとどうなるかって?
やばいでしょう
自死願望が強くなるんだよ

意識しないときに 死にたい気持ちに突然襲われた
準備をした
生命保険 家の権利書を 妻名義に変えた
「もういいかな」
自宅で自死を図った

幸い妻に発見され 妻により心肺蘇生が施された
1週間後、病院のベッドで覚醒した。
「生きている 申し訳ない」と泣いた
自死から目覚め 死んだときが寿命だという死生観を抱き
自分には まだやるべき事があるから 生かされたのだと考えた

いまでも不安発作が起こる
自死願望が 甦る瞬間だ
それを避けるために 好きな音楽を聴く
やさしめの曲や少しノリのいい曲 
落ちているテンションを高揚させる曲もいい
ユーチューブで映像を通して流れる曲も 気持ちを和らげる
アル中ではないが 昼酒も飲む
家の近くのコンビニで 酎ハイを買って そこで飲む
飲みたいときに 我慢しないで飲むことは
自己解放することになるって 言い訳しておこう
店の人も事情を知っていて よくしてくれる

仕事?
一度一般の会社に勤めたが プレッシャーを感じて 無理だとわかった
いまは 手を抜きたいときに抜けられる職場にいる
病んでるときには そっとしてもらう
仕事を任せてもらうこともあり 自己肯定感情が湧き
受け入れられたという喜びも湧く
ただ給料は、雀の涙ほど
でもいまは 仕事のメリハリのバランスをどうとるのか 課題も生まれた
タイトな仕事のときには 仲間の下支えができるようになったことが 素直に嬉しい

その不安発作の間隔が 少しでも長くなることで
死に神との 長い闘いの果てにある
「超越」へと続く道程となることを
こころから祈り 話を終えた

※実存哲学では、実存することは現存の自己を越えることでありそれを超越と呼ぶ。

〔2019年4月初稿。6月北海道民生児童委員連盟主催の現任研修で発表する〕

解説
深い悩みの淵へのアプローチ
自死の問題は深刻である。その原因も多様であり、 家族すらその兆候(サイン)を見逃し、自責の念にかられることも多々ある。
なぜそうしようとしたのかは「鬱状態」に陥ったときであり、問題は「鬱」という疾病から回復できなかったことにも起因する。そもそも「鬱」という病気そのものを精神疾患として一括りに診断を下すことはできない。発症原因や症状が個々違うからである。
なぜ鬱になったのか、ならぬようにすることが予防策とは言い切れない。その要因は現代社会にはどこにでもあり、人間関係による「強いストレス」を感じて、精神疾患を患っている人が少なくないからである。
出会った時には、まだ20代後半の若者だった。仕事のできる男だった。几帳面、責任感が強く、頑張るマンで、温厚で人のいいやつだった。5年間毎月200時間余の残業をこなしていた。異動で別の部署に配属になった。前の部署での実績は全く考慮されず、管理職は適切な指示や指導を怠り、数ヶ月放置された。ネグレクトを受けた結果、睡眠障害が起こった。それをきっかけに鬱病を発症。休職を余儀なくされ自宅に引き籠もった。その後入院加療したが回復に至らず、解雇された。社会的な役割を喪失したことで襲ってきた「自己喪失感」。深くて辛く、役立たずという強烈な失墜感。自己否定の悪しきマイナス思考のサイクルから逃れられなくなり、自己卑下し自己犠牲を強いた。
そして、深い悩みの淵から「死に神」が現れ、自死へと誘った。

当てにする

妻を 八十歳で亡くした老男がいた
家事は 全くしてこなかった
料理はもちろん 洗濯も掃除も
妻に一存して 生きてきた

妻の 心配があたった
先立たれて 途方に暮れて
そこに 地域の民生委員が 顔を出した
高齢夫婦の様子を たまに顔を出して 世間話をしていく
愚痴をこぼした
妻をなくした 喪失感
この先の 暮らしの不安を

民生委員は 動いてくれた
地域包括支援センターに 連絡した
社協にも連絡した
家事を担うホームヘルパーの派遣
デイサービスの利用
食事サービスの利用
介護保険で賄われる 在宅サービス
それ以上は 自己負担で対応可能と知った

まずは 自分の生活を作り直さねばならない
福祉サービスに依存すれば 確かに楽
でも 経済的には不安も残る
自分で少しできるまで そう決めた
自立は 完全でなくてもいい
しかし 完全な依存は 生きる気力を削ぐ

民生委員が 様子を見に時々やってきた
男の料理教室があるけど 行ってみないと誘われた
同胞相哀れむ
同じような境遇の老男たちが 集まっていた
照れも恥もない 出来ないながらに愉しんだ
誰かと何かをする 
新鮮な体験だった
一人で作って食べることは 苦痛だった
みんなで食べることの楽しさを 味わった
だから また来ることにした

民生委員は 当てにされ始めた
老男の一人の暮らしを サポートする
その人が何を求めて どうしたいのか
そのニーズを理解して 
誘いの言葉を かけてまわる
まちの情報通にならなければ 伝えられない

子ども食堂に誘った
孫たちと一緒におしゃべりして食べるのも
いつのことだったのか
一人で食べるさみしさを 紛らわした
楽しかった

地域のサロンにも 誘った
女性たちが集う 楽しい雰囲気は 感じた
でも 話し下手な自分には 合わなかった

あきらめず 外に連れ出す
それが 妻を亡くした男への暮らしのケアだと
民生委員は 情報収集とお誘いの言葉がけに
今日も 地域を歩く 

〔2019年10月27日書き下ろし。社会的孤立が心配な老男、民生委員の力に負うところが大きい。民生委員の成り手不足と3年1期でのリタイアの問題が全国共通。だから、知ってもらいたい。大きな役割と、暮らしを支える人たちの思いを〕

学校で楽しく過ごす方法

自分に 正直であること
だから 自分には嘘はつきません
子どもに嘘は いいんだね 
その通りです
だから先生しています

好奇心 旺盛であること
時間を惜しんで 好きな本を読みます
教育書 決して手にはいたしません
スマホで 時間を忘れて
指を使って 好奇心を刺激しています

笑顔で接し 協調性が高いこと
作り笑いしかできません
協調性って 空気読むことでしょ
それこそ しっかり教え込まなければならない
教育課題です

忍耐力があり あきらめないこと
やるときめたら へこたれません とことんやります
ポジティブだって
いえいえ いかにさぼるか いかに遊ぶか
長期の休みの前は もうわくわくしています

授業準備を 怠らないこと
本業は授業だって 新聞にも書かれているんだから
建前は そうしておいてください
生徒指導は 雑用です

几帳面であり 気配りができること
ずぼらだと 上司にバカにされます
気配りって 自分にとって都合のいい人を どう選ぶかってことでしょ
どこかの校長 誰につくんだって 
バレなきゃ 当たりだったよね

夢を持ち 目標を高く掲げること
夢 そんな青臭いこと いまさら言えますか
大過なく無事にが 一番
これ以上望んだら お天道さまに叱られます
あっ 目標あった
校長先生になること
だって あんな人でもなれるんだから
 
どうぞ 御身お大事に 
校務は ほどほどになさって
本音を隠して 上手に取り入り 
自己愛に 生きてください

〔2019年10月27日書き下ろし。7つのことが、一つでも真剣に考えてもらえると嬉しいけれど、子どものことは二の次のご様子。そこが学校という世間に生きるってことかな〕

妻の旅支度

妻は 脳に腫瘍が見つかり 手術した
余命三年と 宣告された
三年分 千日のカレンダーを 作った

妻は 結婚以来 夫に尽くすことが 本分だった
上げ膳据え膳で 家事を一切担ってきた
だから 夫は何もできない
買い物一つ できない
コーヒーすら 入れられない
ご飯も炊けない ないないないの 出来ない夫

緑内障を患っている夫の片目は もう危ない状況だ
残された夫を 不憫(ふびん)に想い
生かされた時間のすべてを
夫がひとりになっても 困らぬよう
カレンダーに書き込まれた 家事一切の教育プログラム

まず買い物から 始まった
メモを手に スーパーに毎日出かける
これも 妻の戦略だった
健康維持のために 散歩を習慣化した
もう一つ ボランティアを薦めた
小学生相手の将棋クラブを 老人クラブで支援している話を聞いて
夫に仕向けた
そうすれば しばし寂しさを紛らわせることができるだろうと

包丁を片手に野菜を切り 味噌汁づくりを伝授した
妻は美味しいと だされた料理は 笑顔でいただく
これも 料理は人を喜ばせることを伝える 大きな戦略
焼き魚も簡単そうで 目の悪い夫には
ガスレンジの魚焼き器の様子を 判断するのは難しかった
一つひとつ確実に習得するまで 夫も妻に意を汲み 辛抱強く取り組んだ
後片付けが 一番苦手だった
まだ仕事が残っているとおもうと
食後の満喫感が損なわれ こころは重かった

一人前に 家事全般をこなせるまでに 夫は成長した
妻の余命の三年は 幸いなるかな 過ぎていた
神様がくれた お駄賃
しばらく 夫の手料理を味わう 至福のときを謳歌(おうか)した

そして 二年後突然別れが来た
一人で暮らす覚悟を学んだ 妻の最期のレッスン 
しっかりと噛みしめて いまを生きる

〔2019年10月26日書き下ろし。私の先輩のご夫婦の実話です。夫婦愛に感動し、かくありたいと想うこの頃です〕