「鳥居一頼の世語り」カテゴリーアーカイブ

秋冬春夏~市街地編

木々が色づき 秋が深まる
このあたりも ずいぶん空き家が多くなった
町内会活動で 空き家の見守りが 日課となった
車が 駐車してある
誰かが 訪ねて来たみたいだ
声をかける
「いつもありがとうございます」
そこの息子が 父親のものを取りに来たという

冬 雪降る寒い日だった
空き家の玄関に 喪中の紙が貼られた
父親は 自分の家に ようやく戻ってきた
町内会で 葬式を手伝った
「ありがとうございました」
息子は 深々と頭を下げた 

空き家の庭に こぶしの白い大きな花が 咲いた
春のお彼岸 父のお骨を納めに来た
町内のお世話になった方々に 菓子折を持って挨拶回り
律儀な父親譲りの 息子だった

暑い陽ざしが照りつける 夏の昼下がり
ブルが 空き家の解体作業を始めた
数日で 綺麗な更地になった
看板に「売地」と書いてあった
この土地には なかなか買い手はつかないだろう
それでも 更地にしてもらうだけ ありがたい
放置されたら 朽(く)ちるだけでなく 
ここが 廃(すた)れいく 風景に化す

せめて 残すもの
葬式代と家屋の解体費用 300万円 

〔2019年8月9日書き下ろし。離郷と地域の空洞化を考える〕

夏秋冬春~酪農村編

草むす匂いが 夏空に充満する
トラクターは 広い草地を駆動し 
ロール状に 牧草を梱包(こんぽう)していく
北の牧場の 風物詩

男の家の納屋は がらんどうだった
牛舎は すでに解体され 
残されたサイロだけが 牛飼いの家であった当時を忍ばせる
酪農経営の大型化と 後継者問題が 男の判断を急がせた
借金だらけの経営を 子どもに譲るわけにはいかなかった
大型化するには 土地と機械を買わねばならない
借金は 雪だるま式に 増えるだけだった
夏風が 草原を吹き渡る

日が短くなり 遠くで牛の鳴く声が聞こえた 
乳搾(ちちしぼ)りが 始まる合図だった
そんな秋の夕方 帰宅の途中に 立ち寄った
男は 一人で暮らしていた
久しぶりの来客に 話し足りないようすだった
80歳を超えているにもかかわらず 仕事で鍛えてきたせいか
まだまだ 矍鑠(かくしゃく)としている

突然 電話がかかってきた
車が はまってしまったという
除雪のバケットをつけたトラクターを 走らせ駆けつけた
町で用足しをして 戻ってきたら
国道から家までの道が 午後に降った雪でふさがれていた
そこに 強引に突っ込んだ 
道路脇の側溝に はまったというのだ
国道は 除雪されるが そこから自宅までの私道は
自前で除雪を しなければならない
生活の足の 車の出し入れが出来なければ 死活問題
そろそろ 男の暮らしも この冬限りだろうか

水芭蕉(みずばしょう)が 男の家の沼地に咲きほころんだ
毎年 家族で観に出かけた
男も 嬉しそうに出迎えた
今日は 町からも男の知り合いが 友だちを連れて来ていた
少し賑やかになった 
もう少し ここで頑張ろうと そんな男の笑顔だった

一番草の 草刈りが始まった
その草むした香りが 空いっぱいに満ちたとき
男の息子夫婦が 都会から戻ってきた
退職したのを機に 田舎でのんびりと 暮らしたい
親父のこともあるからねと 
私をねぎらいながら そう話した

私も 少し手抜きをさせてもらいましょう

※矍鑠(かくしゃく):年老いても丈夫で元気なさま。

〔2019年8月8日書き下ろし。都会で痛めた心を大自然の中で癒やすU・Iターンも歓迎〕

春夏秋冬~商店街編

寂(さび)れていく商店街の シャッターに
アートだかなんだか 若い者がやってきて 書き殴って行った
まちおこしにも ならんかった ただのいたずら書き

それから 何度目の春を数えたろうか
下駄屋のおっちゃんは 
シャッターのおりた家の奥で いまはひとりで暮らす
軒下まで積もった雪も ようやく融けて
窓に陽ざしが 差し込むようになったある日
様子を見に 伺(うかが)った
茶の間一部屋で 全てをまかなっていた
冬の間こもっていたので 体調がいまいちだという
病院に付き添う約束をして お暇(いとま)した

玄関の前の小さな庭に 向日葵(ひまわり)が咲いていた
縁台に座って 紫煙(しえん)をくゆらす
弁当の来るのを 待っているという
つかの間のおしゃべり 体調はいいという
配食ボランティアが やってきた
ご苦労さんと受け取って ひとり家に入った

氏神さまの 秋祭り
商店街の通りには まばらに花飾りが揺れる
店主はみんな年をとったが 店はなんとかあけている
下駄屋のおっちゃんは 長く祭典の役員をやっていた
宵宮(よいみや) 神社の階段で転び 足を骨折した
見舞いに 行った
長い入院はままならず 数日で退院
ギブスをしたまま 家に戻された
商店街の仲間の 助けを借りて
秋も深まったころ ようやくギブスが外れた

新しい年は 無事越せたかに 思った矢先
風邪をこじらせ 寝ていた
昼間だというのに 雪が窓を塞(ふさ)いでるせいで 薄暗い
一日中ストーブは 焚(た)きっぱなし
換気も悪く 体調が悪くなるのも もっともだ
咳もつき 熱も高い
すぐに 救急車を呼んだ
しかし 玄関口までの狭い路地に 車は入ってこられない
担架で 運ぶ
救急隊員も 厳冬期の搬送は 重労働だ
急性肺炎と診断され 今度は少し長い入院となった

主(あるじ)のいない家は 降る雪の重みに 耐えていた
主は 老いる体と仲良くしながら いまを耐えていた
民生委員の私は 一日も早い回復を祈り 春を待つ

〔2019年8月11日書き下ろし。北国の冬を越すには、老いたひとり身には厳しい。民生委員や社協マン、ボランティア、救急隊員にも厳しい仕事を強いる。現場人よ、頑張れ!〕

書く

文字を 小学校で習った以来
手紙すら書くこともなく
出す相手も いなかった わたし
勉強だって 好きじゃなかったから
本を読むのも 苦手だった
乳飲み子の妹をおぶって 通った学校
勉強に飽きたら
妹を泣かせて 校庭に退避した

年頃になり 口減らしで 隣村の貧しい農家に嫁いだ
山間の小さな村の 村はずれの小さな藁葺き土壁の家
朝から晩まで 野良仕事 子育てに追われる 毎日だった
そんな暮らしに こころがポカっと あいたまま ただ流された
誘われて 村の若妻会に ある晩顔を出した
農家の女も 自分のおもいを溜め込まないで
思ったことを 何でもいいから「書いてみれ」
そこに招かれた「女先生」に言われた

書くこと
考えた事もなかった
書くこと
ひらがなしか 書けなかった
書くこと
そったら時間なんか あるわけなかった

衝動が走った
「書きたい」
理由なんか ない
「書きたい」
暮らしの足しに なるはずない
「書きたい」
見返りなんか 期待もしない
「書きたい」
自分のいまのおもいを ぶつけたい

夜半 子どものちびた鉛筆を 手にした
おそるおそる 思い浮かぶコトバを 書きだした
小学校以来 初めて書いた綴り方
なんだか 嬉しくなった

この紙一枚の世界に 自分の書いたひらがなが 踊っていた
ただそれだけで こころが 休まるように 感じた
この紙一枚の世界に 自分の本音を 吐き出した
ただそれだけで こころが 落ち着いた
この紙一枚の世界に 嫁の過酷な苦しみから 一時(いっとき)逃れられた
ただそれだけで こころが満たされた

この一枚の世界だけが “わたし”という存在を明かす 自己の証明(しるし)
この一枚の世界だけが “わたし”に許された 思考の時間(とき)
この一枚の世界だけが “わたし”のこころを解放した 自由な空間(ばしょ)

「書く」ということ
文字を知った人間の 本質的な行動
それを 阻(はば)むことは 決して許されない
「書く」ということ
誰にも与えられた わき上がってくるおもいの表現方法
それを 拒(こば)むことは 決して許されない
「書く」ということ
社会的身分や血筋家柄 学歴や貧富を越えた 自由意志の世界
それを 否定する人は 
人間辞めなさい

〔鳥居一頼/2019年8月4日〕

※<雑感>(92)鳥居一頼のサロン(9):「書く」/2019年8月4日 を再掲。
※2019年8月16日改訂版。

二十五万円と銀婚式

十九歳の娘が バイトで二十五万円を貯めた
父は お前のバイト分は出してやるからやめろ という
叱られて 悔しくて でもやめずにバイトした

父が 娘の行動を干渉することは 稀だった
いつも 遠くから見守っていた
だから 娘は 親の引いたレールを歩くこともなく 
自分なりに自分らしく 人生の寄り道や道草を楽しんだ
ハラハラドキドキ 心配をかけても 
娘を信じてくれた 父や母のおかげだと いまさらながらに思う
だから 人の痛みのわかる人間になれるならば 
自信を持って 二人には誇りに思える子だと 娘は思う

二十五万円を 手紙とともに 父に手渡した
母に 青春を と思い立ち 
高校卒業後から バイトを始めて 貯め続けたお金
母は 義母の介護に 一生懸命だった
その後ろ姿を見ながら 育った娘は 
生き方や行動で 安心させるのが 一番のプレゼントかもしれないけれど 
今青春の真っ只中で いろんなことを吸収したい いろんなことに挑戦してみたい
そんなときだからこそ 母への感謝をいっぱい込めて 一年以上も頑張ったプレゼント

銀婚式には まだ一年早いけど お母さんの行きたいところに連れて行って
おばあちゃんのお世話は 娘二人で大丈夫!
だから お父さん 忙しいだろうけど 一週間夏休みを取って
旅行代足りなかったら お父さん出してね
お母さんにも妹にも お金のことは内緒だよ

父は 実母の葬儀の後 親しい親類が集まったところに 
家の金庫の中から 愛おしそうに 手紙を出してきた。
バイトをやめろと叱った娘に 人の道を教えられた
福祉の仕事を 生業としてきた父には 
娘のような 気高い純粋なおもいをもって 生きてきたのかを 
ストレートに 問われた手紙とお金だった
父と母には 何ものにも代え難い 自慢の娘であった

それから三十年 いまだ福祉の世界で 娘から投げかけられた問いを 
父は 生涯をかけて 追い求める
娘から贈られた「こころのときめき」は 決して失うことはない

〔2019年6月6日。恩師の逸話から。今日、8月15日は敗戦記念日。気高き若者たちに不戦を誓う日〕

空気が変わる

年に1度の お披露目
教員は 研修課題を 研究グループで子細に検討
具体的に 見せる授業の教科を決め 実施時期に照らし 単元の決定
そして 教材研究に 勤(いそ)しむ
研究グループとの 授業計画の協議に 時間をかけ
1時間の授業を 練り上げていく 
授業方法や展開の流れが 指導計画の中に 緻密に立てられていく

研究授業当日
多少緊張気味の教員を 子どもらは助けるように 意欲的に取り組む
用意された発問に すばやく反応し 答える子どもたち
ときには 想定以外のことも 起こりうる
そのとき とっさにいかに対処したのかが
参観する 同僚たちによって チェックされていく
終了のチャイムが鳴るまで 緊張は続く

職員室に戻ると 同僚たちから ねぎらいの声をかけられる
その瞬間 一年の免罪符を手にしたことを 実感する
後は 授業研究の時間をクリアすれば 仕事は終わる

授業研究が始まった
どんなに準備しても 授業は生もの 
子どもの実態は その時々で変化する
だから 無事終えることは 教員が「授業する力」を 認めてもらうチャンスなのだ
司会役の研修担当が 進める
研究グループが 授業のねらいや研究テーマとの相関性などをレクチャー
本人の授業反省と 参観者からの意見・感想と続く
一通り 授業について お褒めの言葉が並べられ それから具体的な論議に入る
そこは 授業者が 不愉快になるような意見を避ける空気が 支配する
だから 失敗した授業であっても 授業していただいてありがとうで 済まされてきた

4月に着任した校長が 口火を切った
「黙って聞いていたが つまらないね
切磋琢磨(せっさたくま)する気概(きがい)が ひとつも 感じない
おべんちゃらで 歯の浮くような意見は 授業者に失礼千万
もうこんなやり方 やめようよ 
この授業に どれだけの手間と時間をかけたことか
その点について お礼をいうのは理に叶っている
だから 授業を終えて お礼を述べたことで 区切りはついた
今までのやり方は お礼と授業研究を ごっちゃにしているから 
この授業への 問題や成果が 見えにくくなっている
もったいないと 思わないかい
授業者は 役目を終えて 授業研究する材料を せっかく提供してくれたんだ
思い切って みんなで料理して 美味しく食べてあげようじゃないか
それが 授業者や研究グループへの 礼儀というもんじゃないかな」

そこに 公開授業と授業研究が連動する意味がある
そのうえで 授業分析する力や 授業を構築する力が 培われていく
授業が大事だといいながら 授業のレベルを見極められなくては なんの進歩もない
これでは 自分たちの狭い世界でしか生きられない 籠の鳥でしかない
厳しい指摘が 教員の戸惑う気持ちと 反発心を高める
「ただ どう進めるのか いますぐにはできない
だから今日は 私が見た限りの 授業分析をしてみたい
もちろん後で 反論なり 意見を 率直に述べてほしい
料理の仕方で どれだけ美味しいものになるのかを 判断してほしい
その料理の材料を 提供してくれた先生に まずお礼を述べたい
授業者は授業後 “第三者”となって 自分の授業を 客観的に分析してほしい」

校長は メモも持たず 授業分析を始めた
その教科の専門では ない
しかし 徹底的に 教員たちの意見を 論破した 
黒板を2枚使った展開に 圧倒されたのか
反論も意見も なにもでなかった

いままでの 仲良しごっこは 終わった
教員が 年に たった1度の 研究授業にかけるおもいを 
ないがしろにはできない してはならない
大事なことは 授業を通して学び合ったその先に 
子どもの学習の保障や 学力の育成という 大きな課題があるのだ
だからこそ 教員の持てる力を発揮せずして なんの授業研究か
学校の旧弊への ささやかなレジスタンスが 始まった

2回目 専門が算数だった教頭が 黒板の前に立った
3回目 目覚めた教師集団は 主体的に運営を始めた

空気は 変わった
校長の出番は もうなくなった
それは 教員集団が優れていたことの 証ともなった

〔2019年8月7日書き下ろし。小学校での授業研究の空気を変えたエピソード〕 

ひとりぼっち

笑ってみる
ちっとも おかしくなんかない

大好きなハンバーグを 思いっきり食べる
ちっとも おいしくない

ゲームで遊ぶ
なんだか つまらない

やけくそに 友だちの名前を 叫んでみた
そしたら やたら 悲しくなった

すこし 涙が 出て来た
泣きたくなんかない
大丈夫 ぼくは 弱虫じゃない
大丈夫 ぼくは ひとりぼっちでも 怖くない
平気のへいさ へっちゃらさ
うそぶいている 自分が みじめに思えた

どんなに 強気になっても
だれももう ぼくを 相手になんかしてくれない

その理由?
みんな 知ってるんだ
ぼくが うそつきだってこと
自分にも 友だちにも 先生にも 親にも
約束しても むだなこと 
いつも かんたんに破ってしまう ぼく
自分でも いやけがさすけど 
うそつきは やめられない 

だから みんな離れていった
いまは ひとりぼっち
だれも 声をかけてくれない
だれも ぼくを見てくれない
だれも ぼくの話を聞いてくれない
ぼくは ぼくを 信じられない 
それがいちばん怖い
だから ぼくはひとりぼっちになっちゃった

〔2013年11月3日。困っている子、どこにでもいる子。そのまま大きくなった大人がいろんな世界を闊歩する。だから一緒に考えよう〕

たわごと

「知ったこっちゃない どうせ他人(ひと)ごと」
そういっちゃオシマイさ もう誰も相手にはしない
だって あんたから 世間と縁を切ったのだから
どうぞ お好きに ご勝手に
って 簡単に切れるものなら 気が楽かも

「なんで私がここまでするの…」
じゃ誰がすればいいの あんたの親の面倒
あんた もう少し近所づきあい うまくしときゃね
って あのとき 言ってあげられたら 良かったかも

「どうせ こんなことさ やっても無駄」
そのままお返しいたします
他人(ひと)に 頼んだままほったらかして
何もしないで いい加減にしなさいよ
って 思う言葉を飲み込んで 無駄でもやってみたら 

「正直者はバカをみる」
うそぶいてるけど あんた正直者だったけ?
バカ見たこともないくせに よく言うよ
あんたの親が 一番バカ見てるって 知ってる?
って ここで親がどう暮らしたか 思い出してごらん

「やんなっちゃう もうダメ」
ひとりで 頑張りすぎている あんた
肩の力 少しだけ抜いてみたら
投げ出したい 逃げ出したい
捨てきれないおもいに 苦悶(くもん)するあんた
胸のうち 聴いてもらえる人が そばにいる
って 気がついた?

「人生なんて こんなもの」
確かに 親の看取りをしていくのは 覚悟がいるね
親も 老いて 病を患い 生きていくのはしんどい
でも「なんとかなるさ」 
って おもいで 生き抜くことが いま大事かも

「昔はよかった 今はなんで…」
親も若かったし 身体もピチピチ よく働いた
あんたのこと わからなくなったって 愚痴(ぐち)るけど
親の徳で 周りに手助けしてもらえる
って ありがたいね

たわごと ごたく いいのがれ たくさん吐いても 
あんたの甘えを 許してくれる
そんなひとが ひとりでもいることが 
やりきれない やるせない 
そんなおもいで生きる あんたを 救う

人の情けは まだ廃(すた)れていない 
そう信じて もう少しここで頑張ろう

〔2018年12月2日。2019年度全道民生児童委員専門研修会で発表〕

わたしがここで暮らす理由(わけ)

いやな予感が 当たった
暴風雨の夜 
突然テレビの画面が消えて 真っ暗になった

停電は 
闇夜(やみよ)に ひとり放り出された気分
懐中電灯が もの悲しく 闇を射る

突然 どんどんどんと 強く戸を叩く音と 怒鳴り声
雨風の音に 逆らいながら
「おばちゃん、大丈夫かい! ここから逃げるぞ!」
慌てて戸を開ける
「どうした!」
「裏の川があふれるかもしんねえ。急いで逃げるぞ!」
手荷物を抱えて 降りしきる豪雨の中 車に乗った

眠れぬ朝が 静かに明けた
家は 無事だった
ほっとして 張り詰めていたこころが 緩(ゆる)んだ
「大丈夫?」と 隣の嫁さんが 声をかけてくれた

誰か彼かに 気遣ってもらいながら 今日も無事だった
仕合わせは きっと こんな暮らしの中にある
一人暮らしだけど ひとりぼっちではない

電気は まだ通じない
でも 
他人(ひと)との こころの通じ合いが 
わたしの暮らしを さりげなく 支える

だから 決めた
もう少し 甘えようと 
できれば ここで … いのち尽きたい
きっと おもいが叶うと信じて 
今日を生きる

〔2018年10月1日。秋田県小坂町地域福祉セミナー・鹿角市小地域ネットワーク活動研修会。2019年夏も台風が列島を容赦なく襲う〕

薬瓶

妻が自死した。

妻が寝る前に、睡眠薬を2粒とコップの水を枕元に置いて、眠たくなったらそれを飲むというのが、いつもしていることだった。
ただ昨日は夕食の後、友だちから久しぶりに誘われて、外に出てこいというので、妻に話したら大丈夫だから行っておいでと言うし、枕元に睡眠薬の瓶を置いて出かけた。
夜帰ってきて、寝室を見たら、電気も消えて寝ていたようなので、自分のベッドで横になった。
翌朝起こしに行くと、動かなかった。
すぐに救急車を呼んだが、間に合うはずもなかった。
睡眠薬の過剰摂取(かじょうせっしゅ)による死亡だと診断され、警察も、自死の判断をした。

葬儀は無事終了した。骨箱に収まった妻を前に、男はつぶやき始めた。

ただただ可哀想(かわいそう)で、苦労ばかりかけて、こうして死んでいくなんて…。
母さん、辛かったろう。本当になんにもしてあげられず、申し訳なかった。
母さんが寝ついてからというもの、あんたがしてほしいと思うことができない歯がゆさで、辛く当たったことが何度もあったね。
どんなにか悲しかったろう、しんどかったろう。
わたしのせいで、好きなことも出来なくなって、ごめんねって言われたときには、たまらんかった。
おれよりも、もっと我慢しているあんたの言葉は、余計にこころにしみてきた。
すまなかった…。
元気なときには、おれの親の世話や自分勝手なおれの世話で、どれだけ苦労させたことか。一緒に美味しいものを食べに行こうというのも、空約束ばかりだった。
そんな、辛抱強くやさしい母さんが、病気になって、おれより早く逝ってしまうなんて。
感謝の言葉さえ、かけることができなかった…ほんとにすまなかった…。

嗚咽(おえつ)を抑えられず、涙の流れるままに、語り続ける。

ごめん、母さん、死んだのは、きっとおれのせいだ。
いつものように、薬を2粒置いて出かけていれば、死なずにすんだんだ。
これ以上迷惑をかけたくない、自分に見切りをつけようと思っていた矢先に、瓶ごと置かれて決心したんだと、おれは思っている。
もしかして、そんな母さんの思いを感じ取って、おれも楽になりたいっていう思いがどっかにあって、瓶ごと枕元に置いたかも知れない。
そう考えたら、無性にやりきれなくて、どうしょうもなくなった。
母さん、ごめん。あんたが先を急いだのは、おれの心を見透かしていたんだろう。
母さん、ごめん。本当にバカなおれを、許してくれ。

〔2019年8月6日。筆者が中二のませたガキの時代衝撃を受けた舞台と森鴎外『高瀬舟』をモチーフに自死を考える〕