「鳥居一頼の世語り」カテゴリーアーカイブ

熟老の断片:無言電話、焼酎と遺影、温泉を楽しむ、本音、養女、野暮用

無言電話

電話のベルが鳴る
受話器をとった
「もしもし もしもし」
「ツー…」
応答もなく いつものいたずらだと思い 電話を切った

受話器の向こうに
老婆が 受話器を握ったまま 電話の前に座っていた
孫の電話番号を思い出しては ダイヤルを回した
でも なにも聞こえてはこなかった
すでに 老婆は 何の音も 感じられなくなっていた

孫は 老婆の死後 はたと気づく
電話の主は もしかして“ばさま”だったかと
不覚の涙が 流れた


焼酎と遺影

じさまが 倒れた
木箱に入った焼酎六本を 枕元に置いた
「これ全部飲み干したら 逝っていいよ」

奇跡的に 回復した
焼酎瓶も 空になっていた

ふと顔を上げると
じさまの「遺影」(いえい)が 画鋲(がびょう)で壁にはられていた
もしもの時の用意に ばさまに預けておいたもの
元気になったじさまが 見つけた

生前に 遺影を飾って悦に入る じさま
慈愛に満ちた表情の 大好きなじさまの一枚だった


温泉を楽しむ

杖をついて 風呂場に向かう
すれ違う人が 道をあける
頭を下げ まずは おか湯をかぶる
杖を置いて ゆっくり熱い湯に入る
フーと 一息深く吐く

周りに 迷惑をかけることを 承知で
大好きな温泉を楽しむ 老い入る姿に
我もまた 行く道だと 教えられた


本音

寺での法要が 終わった 
「早く お迎えきてほしい」
老婆が 玄関口で 訴える
僧侶は 笑顔で見送った

キッキーという 車のブレーキの甲高い音
外で 老婆の罵倒(ばとう)する大声が 響いた
「わしを 殺すつもりかい!」


養女

夫が 45歳で病死した
残された子らを育て 成人させた
彼らも職に就き 家を離れた

頃合いを 見はからうかのように
義母が患い 入退院を繰り返した
仕事を持ちながらの介護は 心身ともに 辛かった
闘病十年 義母は 安らかに旅立った

義父は 葬儀を滞りなく終えた夕方 
夫のきょうだいと わたしを 仏間に呼び
わたしに ねぎらいのことばをかけた
そして 静かに告げた
「養女にする」と


野暮用

「いたかい」
「しばらく顔見せんかったね どうしてたん」
「ちょっと膝が痛くて 歩くのがね」
「まああがって あがって」
「別に用事もあるわけじゃないけど…お邪魔だった?」
「なんも なんも」
「散歩がてら 近くまで来たら なんだか顔を出して見たくなってね」
「みんなも 好き勝手にやってきて ここでおしゃべりしていくわ」

野暮用(やぼよう)の行き先と そこに知ってる人がいて
わけもなく ホッとできるだけのこと 
コミュティって こんな感じ… じゃない?

きざし

札幌の駅前で 参議院選挙の街頭演説が始まった
選挙カーから 20メートル離れた歩道で
男は その瞬間を待っていた

応援演説が始まった
男は「安倍辞めろ」と 声を吐きだした
すぐに 無言の男たちに囲まれ 声出すことを制された
あらがったが 押さえつけられ その場から排除された
彼らは 私服の警察官だった
制した理由は 「公選法違反行為」への対処であったという

戦前 治安維持法(ちあんいじほう)が 制定された 
体制に対する 多くの批判的言論が
この悪法により 弾圧(だんあつ)された
反体制の思想信条は 抹殺(まっさつ)され 
時には 拷問(ごうもん)により 虐殺(ぎゃくさつ)された

戦後 国民主権・民主主義を 標榜(ひょうぼう)した政治体制は 
74年の後 変質化した
その体制維持のために 
選挙妨害を企てる輩(やから)を 排除する片棒を
警察官に また担(かつ)がせるのかと 懐疑(かいぎ)が 深まった 
歴史は 恐怖政治の悪しき汚点を 再び刻み始める 
その兆候(きざし)を 見逃してはならない
危機的状況への 防衛感度が低下した民への 一瞬の警告!

香港のデモを 思い出した
武装した警察官が 香港市民を威嚇(いかく)し制圧(せいあつ)する
同じ市民であるにも関わらず 
職業人としての プロ意識の極限(きょくげん)を そこに見た
多くの香港市民の支持を喪失した 
林鄭月娥行政長官の 命令一下(めいれいいっか)
躊躇(ちゅうちょ)なく 制圧行動を 一糸乱れず 実行する 勇姿にである
香港市民は 中国本土の国家統制に対して 
香港の民主的な自治と自由意志を護るために 闘い続ける

翻(ひるがえ)って 
民は 「崩れそうな平和社会」の幻想(げんそう)に 耽(ふけ)続ける
「一人で声出しても なんにも変わらないよ」
そこに 突き入る隙を与えてしまった
それを 決して見逃さないのが 権力者のしたたかさなのだ

「お願い 耳を澄まして聴いて」
過去の犠牲者の声は 虚空(こくう)に 消えた
悪しき時を刻む音が 冥界(めいかい)へと 誘(いざな)う

付記
道警のヤジ排除 選挙ゆがめる過剰警備
札幌市内で行われた安倍晋三首相の参院選街頭演説で、ヤジを飛ばしたり、批判の声を上げたりした2人が道警の警察官に取り押さえられ、現場から排除された。
道警は周囲の人とのトラブル防止のためだったと説明する。だが、演説が中断されるような混乱が生じたわけではない。政策批判のプラカードを掲げようとした市民団体も制止された。憲法が保障する表現の自由の侵害にあたる可能性が大きく、過剰警備だったと言わざるを得ない。
選挙違反の取り締まりなどにあたる警察には厳密な政治的中立が求められる。一方的に政権批判を封じるのでは、言論を萎縮させ、選挙の公正性がゆがめられる。
投票日は目前だ。道警は今回の行為について速やかに調査し、道民に説明すべきだ。
排除された1人は、選挙カーから約20メートル離れた場所で「安倍辞めろ」などと叫んだ。もう1人も、同じ場所で「増税反対」などと意見を表明した。
公職選挙法は、選挙の自由妨害の一つとして演説妨害を挙げる。1948年の最高裁判決では「聴衆が聞き取ることを不可能または困難にさせること」としている。
2人とも拡声器は使わず、首相の演説は続行されていた。演説妨害に該当しないことは明らかだ。注意や警告なしに排除されたとの証言もある。過度な行為なら、職権の乱用にあたる可能性も否定できない。市民団体が掲げるのを阻まれたプラカードは「年金100年 安心プランどうなった?」という内容だ。一方で安倍政権支持のものは多数掲げられていた。中立性、一貫性に乏しいのではないか。
テレビなどの政見放送と違い、街頭演説は聴衆の生の反応を受けながら行われる。その中には支持だけでなく、批判の声があるのは当たり前だ。
安倍首相は一昨年の東京都議選で、街頭のヤジに「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と反論した。そんなやりとりも有権者が投票する上で判断材料となる。
自由な言論空間は最大限に確保されるべきであり、警察がむやみに介入するのは不適切である。道警は公選法違反の有無や、プラカード掲示制止の理由について調査中としている。市民が抱く疑念の重大性を認識し、早期に説明責任を果たしてほしい。
警察の政治的中立の欠如は民主主義の根幹に関わる。真相究明は首相はじめ政治の責任でもある。

〔2019年7月19日。北海道新聞/どうしん電子版/社説〕

群像~昭和・平成・令和を生きる人たち

敗戦後 みんながみんな 貧しかった
北海道には 新しい住民もやってきた
樺太や満州からの引き揚げ者 親類を頼って身を寄せていた人もいた
厩に 家族身を寄せ合って 畑を手伝い わずかな食べ物をもらった
夏は ヤブ蚊にさいなまれ 冬は 身を切る寒さを耐えしのいだ
空襲で街を焼かれ いのちからがら 身一つで
新天地を求めて 来た人たちもいた
そこは 決して地味の良いところではない
開拓は 辛酸(しんさん)をなめる連続だった

北海道は 開拓以来 人はみな自然災害の脅威(きょうい)と闘い続けてきた
戦後も 貧しい暮らし向きは相変わらずだったが 
軍隊に 子どもをとられることはなくなった
兵隊も憲兵もいなくなり 
警察や役所が 思想や行動を弾圧・統制する力が弱まった
地域での お互いの監視や密告 ”非国民”となじりあうこともなくなった
平和が訪れたのだ

農家や漁師 炭鉱夫 工員は 強いきずなで結ばれ 厳しい労働にも耐えていた
あらゆる職場で 必死になって 男も女も 子どもも よく働いた
「からっぽやみ」(役立たず)と 大人に怒鳴られながら
仕事を要領よくこなすことを 子どもらは身をもって学んで育っていった

貧しいがゆえに 子だくさんでもあった
学校の教科書は 下の子はお下がり
上の子は下のきょうだいのために 汚さぬよう使わなければならない
だから 勉強しなかったと うそぶく
教室は 大勢の子どもでぎゅうぎゅう詰めだった
学校の勉強だけでいっぱいだったから 宿題は苦痛そのもの
日暮れまで 遊びほうけるのが 一番だった

近所も 子どもらで溢れていた
舗装(ほそう)されていない広い道路は 遊び場と化した
三角ベースボール 石蹴り かくれんぼ 鬼ごっこ 縄跳び パッチにビー玉 
だから余計に 雨の日は恨めしい 
狭い家で遊ぶのは つまらなかった
ただ 大相撲だけは ラジオから流れる中継に 一喜一憂した

裸電球が照らす下 丸いちゃぶ台を囲んだ
手垢(てあか)と鼻水で汚れた袖(そで)をまくって 
ひと皿に盛られたおかずの取り合いをする
笑い転げながら 喧嘩(けんか)しながら 子どもらは無性に明るい
叱りたしなめ、そして笑う母親の甲高い声が 狭い部屋に響く 
焼酎を美味そうに飲む 父親の満足そうな顔
ごくありふれた 家族団欒(かぞくだんらん)の風景だった
貧しさは それに抗(あらが)い立ち向かう 家族のきずなを強くした
卑劣で卑屈な自分を卑下する つまらないねたみ根性は 根絶やしにされていく
弱いがゆえに 助け合うことで生まれる 家族愛に包まれていた少年時代
ちいさな倖(しあわ)せを 分かちあう喜びで こころは満たされていった

子どもの成長が 親の生きがいだった
戦前戦中 学校に行きたくとも行けなかった親たちは 我が子の教育に 熱心だった
小学校では伸び伸びと遊んでいた子どもらも 中学ではテスト勉強に追われた
過酷な受験競争の まっただ中に放り込まれた
中学を卒業してすぐふるさとを出て 都会に集団就職する友だちを見送った
高校を卒業してすぐふるさとを出て 都会に就職する友だちを見送った
大学に進学するのは ほんの一握り 卒業後都会に出て行った
ふるさとに残った人たちが 踏ん張って 踏ん張って ふるさとを守り 育てた

高校や大学に進学した子どもらの 学費を稼ぐために 親たちはより働いた
景気がよくなり 暮らし向きも少しずつよくなっていった
子どもが いっちょ前(一人前)になっていくときに こう諭(さと)した
「親の面倒を見ることを考えずに 自分の好きなことに一生懸命頑張んなさい」
親もまだ若かった
親の言葉に背中を押された
高度経済成長という時代は 多くの若者を ふるさとから切り離し遠ざけていった
子どもらは かの地で家庭を持ち 住み暮らし 子育てした
そこが ふるさととなった

数十年後 老いた父母は 厳しい老後の暮らしを迎えていた
子どもらの多くは 父母のいるふるさとへ戻ることは なかった
子を送り出した 律儀(りちぎ)な父母たちは 
ふるさとを継承してきた 一人ひとりでもあった
決して 弱音を人前で吐くことはない
人の世話を焼いてきた人は 自分が人の世話になることを よしとはしない
子どもに迷惑をかけることは すまないと 自責の念にかられる
だから 倒れるまで 助けてとは 言わない 言えない
それが 貧しい時代を生き抜いてきた 父母の世代の生き方であり誇りだった
最後の最後まで 生きることをあきらめない 生命力に溢れた世代でもあるのだ

ふるさとで懸命に働き 子育てして 社会に送り出した人たち
ふるさとの地で 老いてもなお暮らし続けることを覚悟した人たち
ふるさとの自然とひとのぬくもりを 大事に慈(いつく)しんできた人たち
ふるさとに 生きる希望と生きがいを 見出してきた人たち
ふるさとから 人生と愛郷心を 授けられた人たち
そして ふるさとで生きる覚悟をした 次世代の若き人たち
ふるさとの地で 子育てすることを選んだ かけがえのない若き人たち
さまざまな人が 出会いと別れを繰り返し 複雑に絡み合う
ふるさとの ”人生交差点”は いまだ往来(おうらい)が絶えない

いま ふるさとで 生き暮らした先代たちが 老いていく
当たり前の世代交代に 戸惑うことなく 先代の意志を継ぎ 
倒れそうな人を 支えていくことを決心した
一日でも長く ふるさとの我が家で暮らし続けるための手助けを そのおもいを
次の世代に手渡していくために ”ここで動く人”たち

いま ふるさとで 若き人たちが 子育てに奮闘する
子育てに悩み苦しんだ先に 咲きほころぶ喜びが 訪れることを願って
決してひとりぼっちには しない なってほしくない
そばに寄り添ってあげられるだけかもしれないけれど
でも 明日への夢を 希望にかえてあげたいと ”ここで動く人”たち

お節介かも知れない
けれど 手を握り返してくれたら 力を貸したい
だから「私の役目」を知り ただそうするだけ
困っている人を 助けてと声に出せない人を
そのままほっておくことは 私にはできない
「そんな薄情(はくじょう)な人間にはなりたくない!」 
私の中の ”わたし”が 叫ぶ

その声に突き動かされたように
同じおもいを持つ仲間に支えられ
きょうも 明るく笑顔で 心配事の「御用聞き」
私のボランタリーな活動が 始まる   

いままでここで頑張ってきたんだから 
一人で悩まず 少し肩の力を抜いて 一緒に考えましょう
別れ際「ありがとう 頼むね」って 声がけする
「頼むね」って 一体なにを頼まれたの?
一瞬 戸惑うあなた
ただ人は何かを頼まれたことで 一方的な弱者の立場から 逃れられる
人は「からっぽやみ」になることを 恐れる
世間に顔向けできる 心くばりのキーワード「頼むね」 
その人にも 大事な「役目」を持って生きている証のことば

少し前向きに ”いま”を あなたと生きたい
それが このまちで生き暮らす 
わたしのちいさな願いなのだと 得心(とくしん)がいった 
だから 自分に「頼むね」って いつも声がけしながら
あなたと 向き合う

きょうという日

にがてなこと
やりたくないこと
あきらめたこと

いやでにげだしたこと
とちゅうで なげだしたこと
あとでしようと ほったらかしたこと

それは みんな ほんとは しなきゃいけないこと
しなきゃいけないって おもっていたことばかり
きょう しなければならないことを
さきのばしに したことで
またきょうの日を むかえた
そして きょうの日も なにもしないで またすぎる

いつも いつでもやれるんだと
あんじを かけていた
いいわけだけが うまくなった
そして いつのまにか あたりまえに しなくなった
だから きのうも きょうも あしたも なんにもかわらない

なにもやっても むだだと
さもさも わかったようなふりをして
なんにもかんがえない なんにもしない なんにもかわらない 
“わたし”

このままずっと こうしていたら どうなるんだろう?
とつぜん そんな気もちに おそわれた
なんだか あたまも こころも からっぽになったような気分
それが 生きてるってこと?

そんな“わたし”に ようやくいやけがさしはじめた
するか しないか かんがえてきめるのは “わたし”
“ない ない ない”という 
こころのからを わらなきゃいけないって 気づいたら
むずかしくかんがえないで こころのままに ちょこっとうごいてみよう
いままでとは ちょっとちがった“こころの景色”が 見られるかも…
そこにきっと 信じられそうな“わたし”が 見つかるかも‥‥しれない

えっ! だれかが“わたし”の手をにぎった!?

鳥居一頼のサロン(8):「福祉の授業の醍醐味」

「福祉の授業の醍醐味」

福祉の授業を終えて 校長室に戻った
校長は ソファに座ったまま 一言も発しなかった
沈黙が しばらく続く
耐えかねて 一緒に参観した教員が 口を開いた
「校長先生 そうですよね!」
校長は ただうなずいた
「どうしたんですか?」
「あの子らが 一人ひとり 自分の意見を発表するのを 初めて聞いたんです」

6年生45人との授業は 約束事が二つあった
ひとつは 
意見のある子は 挙手せず 必ず立つこと
自分の意見を聞いてほしいという 意思表示のカタチ
だから立つ
ふたつに ある子の発言を受けて 「同じです」という言葉を 禁句にしたこと
「同じです」と答えた子どもに 
「君の言葉で 言ってごらん」と促すと
少し意味が違った言葉が 返ってくる
「ほら 友だちとは少し違うね まったく同じではないね 
まったく同じには 決してならないんだ 
それが 人とは違う“きみ”である ということなんだよ」
子どもは 嬉しそうに 笑顔を見せた

そこから 子どもらは「自分の言葉」で 話さなくてはならなくなった
質問した
全員が立つまで 待った
見ている教員らは いぶかる
最後の一人が 不安げに立った

さあ 答えよう
順番に 自分の言葉で 答えていく
自分の番が終わると 緊張感から解放されてか ほっとため息を吐く
順番が進むにつれ 言葉につまりながらも 発言は続く 
前の子が何を言ったのかを 頭の中で反芻(はんすう)しながら 言い終える
残り十余人 山場を迎えた
「これから発表する子は 大変だね
だって みんなが言葉を 出し尽くしてしまった後に 
どんな言葉を使ったらいいのか すごく悩んじゃうね
最初に考えていた 自分の言葉を使われてしまったら 
また別の言葉で 考えなくてはならない
今まで発表してきた子よりも 
頭の中のコンピュータが ものすごい勢いで高速回転して 
言葉を探しているんだ 
すごいだろう 
だから がんばれって 応援してあげて」

その瞬間 自分の番が終わって ホッとした子どもたちの 目の色が変わった
「自分の言葉で話す」 
その大変さと面白さを 教室のみんなで 初めて味わう喜び
もがきながらも 言葉を生み出す苦しみを 共有した瞬間だった
最後のひとりの発表が終わると
期せずして 歓喜の拍手が起こった
やり遂げたという 充実感と満足感が 笑顔になって 教室を満たした
 
「あの6年生は 自分の意見を 自分から進んで発表する子どもたちでは ないんです」
何度も うなずく校長
「一人ひとりが 真剣に言葉を探しながら 自分の意見を堂々と発表したんですね」
強く うなずく校長
「僕ら教員が 打ちのめされた授業だったんです」
下を向いて うなずくしかない校長

子どもたちは 「自分の意見を持てず 進んで発表できない子」だと
烙印(らくいん)を押されたまま 6年間 学校に通ってきた
そう勝手に思い込んだ 教員集団は 子どもたちを洗脳(せんのう)し 
“出来ない子”のイメージを 植え付けてきた
だから 自信なげに 誰かに追従し 周りに調子を合わせる  
みんなと“同じです”が いつも逃げ道となり 卒業のときを 迎えていた

きょうの日が 子ども自身も教員も 変えた
取り返しのつかない “思い違い”をしていたことを 初めて知らされたのだ
そこには 彼らが求めてきた“子ども”たちが 実在していたのだった
予想外の展開は 教員の思惑(おもわく)から外れ
“以外だ”と いままで片付けてきた 教員の思い上がりや思い違いに 
気づかせるのは 容易なことではない
でも 子どもらは いとも簡単に 集団でやってのけた
自分にも仲間にも そして教員にも ポジティブな言動で 
見事に 他人(ひと)とは違う“わたし”であることを 意思表示したのだ 

教室での同調圧力が 子どもを圧迫し 
どれだけ その成長を阻害(そがい)してきたことか
子どもを理解するチャンスを 
どれだけ 見逃してきたことか
教員も子どもも その思い込みを変える機会を 
どれだけ 放棄(ほうき)してきたことか
子どもが身につけた能力や態度を引き出すことに 
どれだけ 手抜きしてきたことか
子どもに 負のレッテルを貼って 貶(おとし)めてきたことへの 深い悔恨(かいこん)
それが 重い沈黙の理由だった 

教員が思い込む その頑(かたく)なさを 打破しなければ 
子どもは いつまでも 彼らの思惑の中でしか 生きられない
彼らこそが 意識を変えなければならない存在そのもの
子どもと向き合うということは 
子どもの多様な有り様を共に見て 理解し合うということ
そこに 陶冶(とうや)の正否が 問われるのだ

なぜ 一期一会の「福祉の授業」で 子どもらは 躍動したのか
授業は 子どもらのおもいを そのままただ受けとめただけ
そこに生まれたのは “信じ合う”という空気
だから 意思表示することが 素直に面白いと感じる
自己肯定感が 仲間と共有された結果
彼らの思考と判断と行動を縛ってきた“しがらみ”から 自らを解き放った 
授業という枠組みの中で機能してきた “評価される発言”という苦痛ではなく 
自由で豊かな発想を 自らの言葉で語る喜びを 彼らは深く味わったのだ 

もしも この機会がなかったら…
彼らは 誤解されたままの 子どもたちであったに違いない
学び合うことの喜びを知ることなく “生きる”ということは 
悲劇でしかない

福祉の授業の醍醐味(だいごみ)は 
人間教師としての 「共育への道」を 探求すること
それは 
子どもが魅了(みりょう)される 学びの世界へと導く 道程となる

〔鳥居一頼/2019年7月12日〕

鳥居一頼のサロン(7):「The End of JAPAN」

「The End of JAPAN」

いつの頃から 社会に 
こうも鈍感(どんかん)な人間が 増殖蔓延(ぞうしょくまんえん)していったのか。

公害問題は 水俣病とスモッグともに過去形で語られ ジエンド。
環境問題を提起した 大津波による原発の爆発事故後の 全面停止も 
他所の原発再開で ジエンド。
政(まつりごと)のごたごたは 
為政者の誠実な説明拒否と 官僚の巧妙な忖度(そんたく)で ジエンド。
経済の振興も 数字上のバーチャルな世界を誇張(こちょう)して ジエンド。
国防も 沖縄の民の声を無視するばかりか 
ただただ 膨れあがった防衛費の浪費に 勇往邁進(ゆうおうまいしん)して ジエンド
子育ても学校教育も 子らの知情意 そして体の成長のバランスが崩れて ジエンド
医療と福祉は 保険料と年金のパイの実の奪い合いで破綻(はたん)し ジエンド。
天災地変は 国土防災力の欠如が露呈(ろてい)し 
回避不可能なため 被害甚大(ひがいじんだい)に陥(おちい)り ジエンド。

民は “鈍感力”という自衛力を 強化した。
社会に逆らわず 人ごとに干渉(かんしょう)せず
“あきらめ”という 思考停止の保護バリアを 張り巡らす。
わずかばかりの生活費を 稼ぐだけの仕事に就き 
欲をかかず ひたすら慎(つつ)ましく暮らす。  
何も考えず 不平も言わず スマホに指を走らせるだけ。
特にすることもなく 寿命が尽きて 
ジエンド。

こうして 
無為無策(むいむさく)の民は 
鈍感力で “生きにくさ”を 克服して 
静かに 終焉(しゅうえん)のときを 迎えた。
虚構(きょこう)の政を行った 権力者は 
支配する民を失い 自滅(じめつ)した……そうな。

残されたもの。 
返済不能な 国の莫大(ばくだい)な負債
都会の 廃墟(はいきょ)と化した 灰色の街並み
そして 毀損(きそん)された 戦争放棄の崇高(すうこう)な憲法
だった……とさ。

〔鳥居一頼/2019年7月6日〕

鳥居一頼のサロン(6):「国道12号線」

「国道12号線」

札幌と旭川を結ぶ幹線道路 国道12号線。
老いた男が 無謀にも横断を始めた。
信号のある横断歩道は 遠回り。
背中に小さなリュックを 背負い
左手に 12ロールのトイレットペーパーのワンパック
右手に 5箱のテッシュのワンパックと重そうなポリ袋をさげて
痩(や)せて背を丸めた 貧相な風体の男は
数台の車をやり過ごし よたよたしながら 渡りきった。
目が合うと 一瞬苦笑いを浮かべる。 
歩道を 川沿に左に折れて 家路につく。
その背を見送りながら はたと気づく。
男の向かった先には ドラックストアがあり
そこでも 手にしていた品物は 買えるのに
男は 少しでも安い 遠方の店に来たのだろうと。

老いた男の 危険な行動は 
老いの暗澹(あんたん)たる行く末を現す いまの世相そのもの。

安全な「横断歩道」を渡る余力は 民に残されることなく 
渡れるのは 一部の恵まれた者たちでしかない。 
勝者の 傲慢(ごうまん)と蔑視(べっし)。
余録も途絶え 余力も萎(な)えて 年金に頼る多くの老いた民たちは 
命がけの横断を 強いられる。 
敗者の 羨望(せんぼう)と屈辱(くつじょく)。

判断力が鈍(にぶ)り 身体能力が落ちたと 嘲笑(ちょうしょう)され
事故にあえば 自己責任が問われるだけの 
不条理な 人の世の非情。
数十円安い物を 買い求めて 
よろよろと 歩くしかない民たちが 彷徨(ほうこう)する
孤独な 人の世の無常。

権力に取り憑(つ)かれた者たちの 百年安心の 虚言に
幻想を抱かされた 老いた民たちは
リスクにさらされながら 最短のルートを 今日も歩く。
暮らし向きの 厳しい民たちの 
生死の分岐道 虚実が入り交じる 国道12号線。

付記
老後に2千万円 正面から年金の議論を
90歳を超えて生きるには、夫婦の老後資金として年金とは別に2千万円の蓄えが必要だから、「人生100年時代」に備え、現役時代から資産形成を促す―。
こんな内容の金融庁金融審議会の報告書が波紋を広げている。
政府が、公的年金だけでは老後の資金は賄いきれないことを認めたのだから当然だ。
これを受け、安倍晋三首相は「不正確で、誤解を与えるものだった」と釈明した。麻生太郎金融担当相は報告書の受け取りを拒否し、実質的な撤回に追い込んだ。異例の事態と言えよう。
少子高齢化で年金財政が厳しいのは誰の目にも明らかである。
参院選をにらみ、政府・与党が火消しに躍起になればなるほど、国民の疑念は膨らむだろう。
年金の将来に不安を感じる人は多い。報告書は、これが現実のものであることを示したからだ。
政府は報告書を撤回して幕引きを図るのではなく、まず国民に丁寧に説明しなければならない。
与野党とも国会で年金制度を立て直す議論を始めるべきだ。
報告書は、平均的な無職の夫婦世帯(夫65歳以上、妻60歳以上)の場合、毎月の赤字は約5万円と試算した。20年生きると1300万円、30年だと2千万円不足することになる。
退職金が減少し、少子高齢化で年金給付水準の調整も予想され、不足額は今後拡大するという。
こうした見通しには一定の説得力があるものの、その対策として、政府が投資による資産形成を推奨するのは筋違いである。
そもそも、年金だけでは暮らせず、働かざるを得ない高齢者もいる。非正規雇用の人には、貯蓄する余裕のない人が少なくない。投資には縁遠いのが現実だ。
2004年の年金改革で、与党は「100年安心」を強調した。
多くの国民は、老後の安心の保証と受け止めたが、現実には、その趣旨は、給付の抑制を通じた年金制度の安定だったらしい。
制度の持続可能性を巡っても、公的年金の給付水準や財政見通しを試算した「財政検証」のたびに、信頼が揺らいでいる。
今年は5年に1度の財政検証の年で、既に内容が公表されていい時期である。
参院選への影響を懸念して、遅らせているとしたら、あまりに不誠実と言わざるを得ない。現実を直視して問題を正面から論じなければ、若い世代が年金保険料を支払う意欲を失うだろう。
(北海道新聞/どうしん電子版/社説/2019年6月12日)

〔鳥居一頼/2019年7月1日〕

鳥居一頼のサロン(5):「義理を果たす」「原則論の正体」

「義理を果たす」

87歳のばーさまは 14、5年前に 連れ合いが死んでから
あの家で 気丈に独り暮らしをしていたんだよ。
子どもらは 村を出ていって 家さ帰ってくることは 滅多にない。
でも若いときから よく村のために尽くしてくれた夫婦だった。
お人好しで 何でも二つ返事で引き受けてくれたもんだよ。

身体が動いて元気なときは 若妻会だといって
サロンに 歩いてよく通ってきてた。
昔話に花を咲かせていたり ゲームや体操したりして
楽しそうに身体を動かしてさ みんなと笑っていたっけ。

小さな畑さこしらえて 一人ではもうこれっくらいが丁度いいって
毎日飽きずに 畑仕事をしていたっけ。
冬支度にかかる頃には 畑の始末も上手かったね。
裏山から薪さ背負ってきては まてい(丁寧)に軒下に積んでいた。
そうなんだ 灯油は 銭っこかかるっていってね
薪ストーブ焚いていたんだわ。
薪はそれでも 知り合いに頼んで割ってもらってたね。

年金だって 月たった3~4万円だったよ。
だから よく辛抱していたね。
明るい人だったから 愚痴ってるのを あんまり聞いたことなかったけど
一度 ぽつんと しゃべったことがあったわ。

「義理は欠けないね」
「どうしたの?」
「いやいや また世話になった人が 亡くなったって知らせがきて
 香典包まねばなんないのさ」
「物入りだね」
「うんだ。この歳になると 世話をかけた人がみんな先に死んでいく。
 じさまの葬式もみんなにお世話になって出させてもらったしね。
 じさまの親戚やわしの親戚 知り合いや隣近所にも ずいぶん世話になってきた。
 恩のある人もまだまだいる。
 だけど そろそろお迎えのくる歳に みんななってきたんだわ。
 わしより若く亡くなった人もいてね。長生きすればするほど、見送らねばなんない。
 知らせがくるたんびに 義理欠くわけにはいかないしょ」
「それは大変だね」
「浮世の義理さ欠いて あの世さ行ったときに じさまに会わせる顔がない。
 死んでまでも肩身の狭い思いさ かけたくないしょ。
 これがわしの最後のお勤めなんや」
と寂しげに笑った。

よほど やりくりが苦しかったのかも知れない。
年に十度ほど 香典を包むという。
葬儀には出ることは出来ないが 香典だけは欠かさない。
いままでお世話になった恩返しに 香典を包む。
義理を果たすことで 報われると信じている。
暮らし向きは厳しいけれども 自分が辛抱することで 義理を果たそうとする気概。
世間に後ろ指を指されぬよう じさまにあの世でよくやったと褒めてもらえるよう
世間の習わしのなかで 懸命に生きてきたのだ。

務めを終えた その安らかな表情に 南無阿弥陀仏と唱え 合掌した。
夫婦の今生での義理を欠くことなく 浄土へと旅立った。
村の会館での葬儀のおかげで みんな最期の別れもできた。

喪主の子も 老齢期を迎えていた。
母親が この村に残した人とのぬくもりを きっと感じていたであろう。
その義理を果たすことはできないと 親不孝を恥じ入るかもしれない。
失って初めて知らされる 母の温情と恩情が漂う しめやかな葬儀となった。

付記
贈与慣行は互酬という性格をもっているために、一種の相互扶助の感情を生み出すことになる。吉本隆明はこのような共同体のあり方についてつぎのようにいう。

そこでの共同体のあり方は、人類の理想といえる面をもっているのです。なぜならば、そこにおける村落共同体のあり方のなかには、相互扶助共生感情と、相互の親和感が豊かにあります。人間が人間として孤立している。民衆が相互に孤立をしたり矛盾しあったりする。そういう近代社会の病理とは遠い平安もあります。

「世間」の贈与・互酬という関係は、同時に「相互扶助共生感情」つまり「助け合いの精神」が宿る関係でもある。ただしそれは「無償」の助け合いではなく、いわば「有償」の助け合いである。それは義理・人情とよんでもいい。
(佐藤直樹『「世間」の現象学』青弓社、2001年12月、47ページ)

〔鳥居一頼/2019年6月18日〕

「原則論の正体」

2018年9月6日、胆振東部地震発生。
突然、停電になった。
水が出ない。断水だ。
ポンプアップしているから、停電になると地下水を汲み出せない。

役場の広報車が回ってきた。
「今日午後3時、地区会館に給水車が来ます。水を入れる容器を持って来てください」
広報車は、繰り返し給水車が来ることをふれ回る。

3時、部落の人たちが給水車を囲んだ。
口々に停電が復旧しないことに、愚痴をこぼす。

給水に張り付いていた役場の職員に、
「そこのおうちのおばあさん、足も腰も悪くて、ここまで水を取りにくることできないの。悪いけど、そこのお宅まで水を届けてあげてください」
丁寧にお願いした。
「それはできないね。給水車のところまでこれないと、水をあげるわけにはいかない。
それが決まりなので」
「それじゃ、歩けない人、病気で寝ている人、腰が悪くて重たいものを持てない人、みんなここには来られないわ。その人たちにここまで来て持っていけって言うの。それって、本当に規則なの。困っている人を少しでも楽にしてあげるのが、役場の仕事でないの」
「そう言われても、ルールはルールなので」
上から目線で、規則だと繰り返す職員と押し問答が続く。
一向に埒(らち)があかない。
非常事態にこそ機転を利かし、動かなければならないのに……失望。
あきらめて、そこで汲んだ水をおすそ分けした。

気分は最悪。
公僕も、ただの木偶坊(でくのぼう)になったというつまらないお話……ではなかった。

もつれた糸が解けたように、はたと気づいた。ここが分水界(ぶんすいかい)だったと。
歩けない人、病気で寝ている人、腰が悪くて重たいものを持てない人。
水を取りに、来られない人たちと来られる人の分水界。
ここまで水は運んでやるよ。
ここから先は、行政の仕事じゃない。
決まりがある以上、一線越えたら、みんなに公平にサービスしなきゃならないだろう。
そんなことしたら、人手もお金もパンクする。
だから住民の裁量で、どうぞお好きにやってください。
非常事態こそ、「住民の助け合い」を実現するチャンス。
心を鬼にして、規則遵守して仕事しているだけなので、責めないでください。
「われわれは施しを与えている」のだからという、高飛車な態度も意に介さない。
いままで行政がしてきたことの、延長線上にしかない対応の根っこにあるのは、
暮らしの実態や市民意識との乖離(かいり)だと、ようやく悟った。
彼らもまた、地域で暮らす者たちにも関わらず、
仕事への虚(むな)しさをなぜ覚えないのか、不思議に感じたが、
お上に庇護(ひご)された安定した暮らしがあるからだと、納得する。

役場だけではない。お国の事情も同じ。
役人は権力者に忖度(そんたく)し、民をほっぽり出していても、誰の文句も届かない。
権力者は、金がない、人手もかかる、だからみんなで助け合えと、法の下に号令をかける。
上流の水が濁(にご)れば、下流の水も濁る。
納めた税金が、施しの水に変わったとしても、
もらえる人ともらえない人がいる、歪んだ再配分という悪しき事態が、これからも続く。
情けないと、自らをさいなむあきらめ顔の、不条理な国に生きる心優しき民たち。

しかし、思考停止してはならない。
刹那主義(せつなしゅぎ)に陥ってはならない。
利己主義に陥ってはならない。
いまこそ利他主義に立つ、民の底力が試される。
お上の尊大な態度ややり方に、泣き寝入りはできない。
現状に我慢し、耐え忍ぶことを、美徳とはしない。
あきらめず、めげず、果敢に問題に立ち向かう。
解決には、民の才知と才覚を集めるしか道はない。
そこが、お上の思う壺であろう。

それでも、無作為に放置したら、後世まで悔(く)いる。
だから、やるしかない。
たった一度の人生、その主役は、自分。
追い込まれても、追い込まれても、負けない、負けたくない。
同じ思いを持つ、一人でも多くの心優しき民たちよ、
こころ一つにして、この世に、この地に、したたかでしなやかな民の力を集めよう。
誰もが人として、ここで幸せに生きるために。

〔鳥居一頼/2019年6月19日〕

鳥居一頼のサロン(4):「優しすぎる友よ」

「優しすぎる友よ」

いま退院してきたと 携帯の先で語り出す友
老人ホームで 酔っ払って転んで 
右目の下 七針縫った
アルコール依存症って診断されて 系列の精神病院に強制入院

C病棟 精神疾患の重い人たちが
いき場所もなく もう何年も措置入院している 最後の収容所
相部屋に入るも 会話も成り立たない彼らと 二ヶ月過ごす
精神疾患の病名も 個々バラエティに富む
中には 知的障がいを併せ持つ人もいた
誰も ここから二度と 社会に復帰することは ない
終の住処のC病棟で 生き地獄を見たという
隔絶された狂気の世界に 彼はいた

退院の朝 看護師たちに混じって
患者たちが バイバイと 別れの手を振った
彼らと情を通わせた彼の姿に 看護師たちは驚いた
彼は 言い放った
障がいがあろうが こころの病気だろうが 彼らも人間なんだよ と

こころの闇と生きる痛みを知る者同士が 通じ合えるサインがあるとすれば
互いに傷つけ合わないという 暗黙の了解なのか
医師も看護する者も 心神制御・管理統制・行動規制することが ここでの仕事
彼は患者として 彼らと関わることで 初めて出会った彼らの理解者となった

バイバイ もうここには戻ってくるな
バイバイ おれも連れていってくれ
バイバイ また会いたい 元気でね 
 
バイバイ 忘れないよ
バイバイ 憤怒(ふんぬ、ふんど)と憐憫(れんびん)の情が 渦巻いた
バイバイ おれは… 自戒とそして自壊の前兆の涙が 頬(ほお)をつたう

施設に戻った
無断で コンビニから酒を買ってきて 二ヶ月ぶりに飲んだ
やりきれない虚しさからの 自己逃避 
いつもの おれの弱さの証明
彼らも おれも 救われない不条理の世界で いまも生きている

優しすぎる友よ
自死願望が強くなったときも 仕事を失ったときも 
酒に身をまかせて 弱音を吐いてきた
だから 絶望しないためにも 電話しておいで 
いつでも 回線はつながっている
安心して かけておいで

優しすぎる友よ
他人(ひと)のことで いつもこころを砕き 自滅する
それが 君の生き方 いまさら 変わることは ない
だから 酒に逃げず 電話しておいで 
いつでも 回線はつながっている
遠慮しないで かけておいで
 
優しすぎる友へ
いろんな人に 悪気なく迷惑をかける
なんて 憎めないやつなのか
奈落の底に 何度落ちても 這(は)い上がってくる
なんて 生命力の強いやつなのか
何度失敗しても 何度失望させても 君を信じる人がいる
なんて 幸せなやつなのか

優しすぎる友へ
君は つねに誰かに生かされて きょうまできた
六十五の歳を過ぎ 財産も 社会的地位も 
そして家族も 全てを失った 悲惨な人生
それでもなお 優しすぎる君だからこそ
伝えなければならぬことがある
若き学生たちに 強さと弱さが同居した “素のおのれ”を晒(さら)しながら
生まれてきたことの 生きていくことの 意味を問い続けよ
それこそが 君がこの世に生かされている そもそもの理由なのだ
そこに“人間教師”としての生き様に触れ 人は惹(ひ)かれる

そして 優しすぎる友よ
君が 人を魅了するのは
いまの世の中で 失いつつある
弱き者たちへそそぐ 慈愛のまなざしそのもの
だから 自らのおもいのなかに 生きよ

〔鳥居一頼/2019年5月31日〕

鳥居一頼のサロン(3):「助かるわ」

「助かるわ」

夫婦二人のところに
精米した新米が たんと送られてきた
すぐには食べきれんから ご近所さんに ちょっとお裾分け
「お米嬉しい 助かるわ」
「なんもさ うちも助かるんだから」

買い物の帰りに 町会の人の車に 乗っけてもらった
小雨がぱらついてきて 荷物もあったから
「助かったわ」
「なんもさ 雨の中 ほっとかれんからね」

家のもんが だれもいなくて ひとりでいたら
突然胸が苦しくなって 消防に電話した
「助けて!」
サイレンならして 救急車が飛んできた
したら 隣の奥さんが 駆けつけて来て
「大丈夫?」っていいながら 病院まで付き添ってくれた
「本当に助かったわ」って こころから感謝したら
「お互い様だよ」って 返ってきた

「助けて!」って 相手に負担をかけると 知っているから
なかなか 言いだせないことば
「助かるわ」って すぐに出てくる 感謝のことば

「助かるわ」「助かったわ」ということばは
他人(ひと)とのかかわりを 和ませる
そのかかわりの さりげなさが
いざというときに「助けて」って すぐに伝えることばに変わる

だから 「助かるわ」「助かったわ」は
お互いの助け合いや支え合いを 身近に感じることばとなる
そのこころは あなたを信じ 分かち合いから生まれ 育まれて さらに豊かになる

それは 一人ひとりに宿る こころの風景そのもの
わたしのまちの 「愛ことば」
「助かるわ」「助かったわ」「なんもさ」「お互い様」
愛ことばの往来が
わたしのまちを ぬくもりあるまちへと 突き動かす

〔鳥居一頼/2018年10月28日〕