「雑感」カテゴリーアーカイブ

阪野 貢/岡崎乾二郎の『而今而後』を読んで思ったこと:“ 管理される公共性 ” ―我田引水の言―

〇私事に渡ることをお許し願いたい。筆者(阪野)は先日、岡崎乾二郎(おかざき・けんじろう)の『而今而後(じこんじご)―批評のあとさき』(亜紀書房、2024年7月。以下[1])を読んでいた。そんな折、わずかな時間ではあったが、福祉教育の実践・研究に打ち込む新進気鋭のT先生と懇談する機会に恵まれた。そこでの話は、最近の大学事情をはじめ、筆者が追究してきた「まちづくりと市民福祉教育」をめぐる実践や研究の現状や課題等々にも及び、有意義なものとなった。
〇岡崎は、著名な造形作家、批評家である。[1]の  “ 帯 ”  には、「而今而後(=いまから後、ずっと先も)の世界を見通し、芸術・社会の変革を予見する。稀代の造形作家の思想の軌跡を辿り、その現在地を明らかにする、比類なき批評集」と記されている。そして、哲学者の柄谷行人(からたに・こうじん)が、「岡﨑乾二郎は稀有な存在である。彼にあっては、芸術制作と哲学的認識、自身の生活と社会運動が一つになっている」と評している。
〇また、フランス文学者の郷原佳以(ごうはら・かい)にあっては、[1]は「広い意味での、否むしろ原初的な意味でのメディア論の集成と言える。とはいえそれは、本書でまんがや映画、絵画や建築、音楽など、幅広いメディアの芸術が扱われているという意味ではない。四〇年近くにわたる著者の膨大な批評が、近代的なメディア観を一掃しているということである」(https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/reviews/20240917-OYT8T50054/。最終閲覧日:2025年2月1日)。
〇全くの門外漢の筆者が、そんな[1]の言説やメッセージを読み解くことはそもそも不可能である。よしんば多少読み込んだとしても、それを活かすことなど叶(かな)うはずもない。そんな思いを持ちながら、T先生と別れた後、改めて[1]をパラパラと読んでみた(見てみた)。そのときに目に留まったものに、パブリック(公)とプライベート(私)をめぐって論じる一文―「雨の中に流れる涙。――“ PUBLIC ART ”の『領域』」がある。その一節はこうである。

何事のおはしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる
――よく知られた、伊勢神宮(内宮)を歌った西行の(ものとされている)一句。
そこに何があるかはわからない、けれどもかたじけなさ(恐れ多い、申し訳ない気持ち:阪野)がこみあげてきてたまらず、涙が流れる。パブリック(公)と言われる概念のつかみどころのなさを言い当てた、これほどの言葉はおそらくない。(中略)
パブリック、日本語にすれば公と呼ばれる概念は、ひどく誤解されている。たとえば、お上の意見は決して公の意見ではないし、無論衆目の一致が、公たる条件ではない。おおよそ国家であろうと国際連合であろうと=公であるわけではない。(中略)
国家をも超える、公の価値とは、個々人の主体の内側に抱え込まれるところのもの――それはたとえば人権と呼ばれる――にある。国家よりも個々人の抱える権利こそ、守るべき、公の価値たりうるというのは、それこそ憲法の基本である。(中略)
アーティストのヴィト・アコンチが、「公園の<公>園たる由縁は、そこにホームレスが住居をもうけ、アベックが人目を避けつつ交接し、ときに違法な商いや犯罪の現場になりうるゆえにである」と、あえて言わなければならなかったのは、世間がパブリックなスペースについて抱く誤解――そこは市民全員の利害および精神の一致を示す共有の場である――が、はびこっているからだった。しかし、もし、そういう市民全員の意志と生活が一つに集う幸福の場として公園を成り立たせようとするならば、かつて新宿西口広場で警官が連呼していたように「他の人の迷惑になります。ここで立ち止まらないでください」と言いつづける逆説に行き着くほかはないだろう。集団的な同調と幸福は相性が合わないし、管理によってのみ確保される公共性も公共性ではありえない。規律と強制によっては、かたじけなさも涙も得ることはできない。(232~235ページ)

〇筆者はこれまで、いわゆる「関係人口」として、地域福祉(活動)計画などの策定活動や福祉教育の研修・委員会活動などを通して、多くの地域に関わってきた。その際、<つかみどころのない>「公」について、提示し、議論してきたか。個々の住民の<抱える権利こそ、守るべき、公の価値たりうる>ものとして位置づけ、それを議論し、追求してきたか。それぞれの地域やそこに暮らす住民一人ひとりの<集団的な同調と幸福>を、「まちづくりと市民福祉教育」の名のもとで強要してきたのではないか。一人ひとりの住民の考えやそれに基づく行動を、一方向に誘導・規制してきたのではないか(それを期待したのではないか)。そして、それらは、意図的ではないにしろ結果的に<公共性>を<管理>することになっていた(なった)のではないか。
〇交流サイト(SNS)で雑多な人たちから支持を集め、厚顔無恥な振る舞いを続けるある自称政治家の顔がちらつく。警察官の<立ち止まらないでください>という声を背に、その歩を進める動員型とも言われるボランティアのある一団が思い浮かぶ。彼らには、昨日を振り返り、今日を確認し、明日を展望するわずかな時間さえも与えられず、ただ忙しそうである。そんな彼らに対しては、<かたじけなさに涙こぼるる>ことはない。
〇そんな思い・想いのなかで、岡崎の次の一節を見出した。「公共」という概念は、「特定の誰にも所属しない(誰のものでもない)がゆえに、誰にでも開かれているという点において、ユートピアという概念の実践的な展開として捉えることができる」(502ページ)。いまさらではあるが、改めて問い直してみたい言説でもある。
〇そして、我田引水の、また自分勝手の極みではあるが、T先生をはじめ本ブログの読者の皆さんには、「公共性」と「まちづくりと市民福祉教育」について議論していただきたいと思う。

阪野 貢/孤独社会とつながり ―小澤デシルバ慈子著・吉川純子訳『孤独社会』等のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、小澤デシルバ慈子著、吉川純子訳『孤独社会―現代日本の<つながり>と<孤立>の人類学―』(青土社、2024年9月。以下[1])という本がある。
〇小澤(アメリカ在住の医療人類学・心理人類学者)にあっては、「孤独」(Loneliness)とは、「一人で『いる』ことではなく、独りぼっちだと『感じる』こと」(39ページ)である。また、孤独は、個人の問題ではなく、社会の問題であり、現代の日本社会は「孤独な社会先進国」(10ページ)である。その「孤独な社会」(Lonely Society)とは、①その社会にいるたくさんの人が孤独を感じている社会、②その社会にいる人々が自分は重要でなく価値がない存在だと思わせられてしまう社会、③その社会またはコミュニティ自体が孤立していて、他の社会とのつながりがない、もしくは見捨てられている、無視されている、過小評価されている、権利をはく奪されているなどと感じてしまう社会、をいう(9~10、23ページ)。
〇こうした認識や理解に基づいて小澤は、[1]で、自殺サイトや大学生のインタビュー、東日本大震災の被災者の声などを通して、社会的な問題である孤独すなわち日本の孤独社会について分析し、個人的・社会的レベルでのいくつかの「対処法」を提案する。
〇そこで小澤は、手始めに、「孤独についての誤解」を指摘する。①孤独は、社会の新しい(心理的な)問題である。②孤独はうつ病の一種、または隠れうつ病の一症状である。③孤独とは、一人でいることである。④孤独は、主に高齢者の問題である、がそれである。
〇これらの誤解に対して小澤は、次のように説述する。①に対して、孤独は社会的な現実の一面というだけでなく、生物学的、進化論的な現実の一面でもあり、人間のなかにかなり古くからある真に生物心理社会的(bio-psychosocial)なものが関係している。②に対して、うつ病は漠然とした悲しみや絶望、落胆という感情であるのに対し、孤独は、親密な、あるいは意味のある関係やつながりのなさ、居場所のなさを感じたり認識したりすることから来る社会的苦痛の感情を伴う。③に対して、孤独とは、社会的に孤立していることを認識し、実感する感情的、主観的な現実(経験)である。孤立は一人でいることだが、孤独とはひとりぼっちだと感じることである。④に対して、高齢者にとって社会的孤立が深刻な問題であることはよく知られている事実だが、孤独が主に高齢者だけの問題であることを示すエビデンスはほとんどない、という(28~33ページ)。
〇そのうえで小澤は、孤独に関する研究文献からいくつかの定義を紹介し、そこから着想を得て、孤独を「他者や環境との関係において生じるさまざまな不満を感じること」(35ページ)と定義する。この定義では、孤独は、相互の “ 関わり合い ” や “ 絆 ”、そしてある “ 世界の共有 ” という「関係」性(つながり)において、自分が帰属していると感じられる、自分の居場所だと感じられる社会的かつ物理的な場所がないことをいう。また、孤独は、永続的ではなく、常に変化している状態であり、その形態や現れ方は「さまざま」に存在する。しかも、孤独は、一個人の心理的な作用で形成されるだけでなく、社会的・文化的・政治的な「不満」を「感じる」ことによっても形成されるのである(35~37ページ)。
〇すなわち、この定義によると、孤独は実際に社会的・物理的に孤立していることだけではなく、社会的・物理的に孤立しているという認知の仕方や感じ方にもよるのである。それは、個人やコミュニティ、あるいは社会全体の客観的な状況が変わらなくても、孤独についての認識や受け止め方、感じ方を変えることによって孤独に対処することができることを意味する(294ページ)。
〇そこで、小澤は[1]の “ 結び ” として、「個人のレベルと社会のレベルで孤独に対処するために役立つと思われる5つの提案」を行う。それをメモっておく(296~300ページ)。

(1) 孤独を受け入れる
孤独は人生においてたびたび起こる一時的な状態である。そう考えれば、それが過ぎ去るまで辛抱強く待つことができるようになる。孤独を受け入れるという実践は、むしろ自分の孤独を和らげる重要なステップになるかもしれないし、孤独に対するレジリエンス(回復力、しなやかさ)を身につけるにあたって重要なポイントなる。
(2)他者を受け入れる
孤独な人たちは、拒絶されることを恐れるあまり他者と進んで関わろうとする意欲が削(そ)がれるかもしれない。しかし、孤独は人生において誰もが共通に持つ人間らしさの一部であり、現実の人間生活において身体のサバイバル(生き延びること)を脅かす(生死に関わる)ものとはならない。その点をじっくりと考えるなかで他者を受け入れることによって、社会的拒絶に対する恐怖を和らげることができる。
(3)自分自身を受け入れる
自尊心や自己肯定感は、他者との関係に大きく左右される。一人ひとりが自分自身の内在的な価値を確信し、いかなる失敗も、実績の無さも、生産性の無さも自分の価値を無に帰してしまうことはありえないという事実を確信し、自尊心や自己肯定感を育むことが重要である。
(4)自分の居場所を見つける
孤独を体験しているとき、多くの人は自分にははっきりした生きがいがないと感じている。そういう人に生きがいを見出すよう提案するよりは、まず居場所を見つける方が容易である。人は孤独を感じていても、同じような感情や体験を持つ他者を見つけることができれば、居場所を見つけたり、創り始めることができる。
(5) 受容するシステムの構築
上記の4つの対処法は、すべて個人もコミュニティも行うことができるものではあるが、それらが最も効果的に機能するためには、社会的、文化的な制度によって支援されることが必要である。その制度は、①から④について認識し、それに基づいて対処し、支援しているかが問われる。

〇そして、小澤はいう。

ここで述べた5つの提案は教育制度に組み込まれることで最も効果的なものになるかもしれない。孤独が普遍的に存在すること、その孤独にどう対処するか、違いがあっても他者を受け入れることや烙印を押して蔑視しないことの大切さ、絆の形成と共感を培うことの大切さ、そして、子どもたち一人ひとりに内在的な価値があるということは、小学生にも教えることができる。実際、ますます多くの社会的、感情的学習プログラムが、まさにこういうことを行おうとしている。長期的には、これらのプログラムが日本における孤独の蔓延に対処するに当たって非常に有意義な役割を果たすことができるものと考えている。(300ページ)

〇小澤のこの主張を別言すればこうであろう。「孤独を直に癒す薬」は、「お互いを尊重すること、共感すること、思いやりを持つこと」によって「人と人とのつながりを育み、それを価値あるものとして認めることである」(25ページ)。「孤独に対処するために最も適切なのは、関係の中での生きる意味、そして生きがいである」(26ページ)。「生きがいを感じ、それによって生きる意味を持つことの重要な源泉は、自分の存在価値を認め、自分が他者にとって意味のある人間だと感じ、必要不可欠な存在である」と認識することである(173、274ページ)。そこに求められるのが、人との関係性によって形成される「居場所」(「要(い)場所」)であり、社会的・制度的な営みである「教育」である。そしてそれは、「市民権」(市民性)を国家との関係だけでなく社会の仲間との関係として位置づけ(300ページ)、その意識の育成を図ることによって、人間関係の希薄化が進む地域社会においてその課題解決を促すことになる。

〇筆者の手もとには、「孤独」について解明する本がもう一冊ある。ヴィヴェック・H・マーシー著、樋口武志訳『孤独の本質 つながりの力―見過ごされてきた「健康課題」を解き明かす―』(英治出版、2023年11月。以下[2])がそれである。
〇マーシー(医師、第19代アメリカ公衆衛生局長官)は[2]で、「人と人のつながりの大切さ、孤独が健康に与える隠れた影響、そしてコミュニティが持つ力」(3ページ)について説く。そして、「孤独と社会的つながり」についていう。「依存症や暴力、職場や学校での意欲の低下、政治的分極化など、私たちが社会で直面している問題の実に多くが、孤独やつながりの欠如によって悪化する。よりつながり合った世界にすることは、こうした問題や、現在私たちが個人または社会として抱えている他の多くの問題を解決するためのガキとなる」(27ページ)。「人間同士のつながりが強まると、私たちはより健康になり、レジリエンス(回復力)が高まり、生産性が向上し、より活き活きとした創造が可能になり、充実感も高まっていく」(30ページ)。その際、マーシーにあっては、「孤独」(loneliness)とは、「自分が欲する社会とのつながりが欠けている」という「主観的な感情」(40ページ)をいう。それに対して「孤立」(isolation)とは、「客観的・物理的にひとりきりで周りとの交信がない状態」(41ページ)を指す。一方で「単独」(solitude)とは、「心穏やかにひとりでいる状態や、みずから進んで周りから離れている状態」(42ページ)を指す。
〇[1]において注目したい論点や言説に、「孤独に対する4つの戦略」、「孤独の3つの領域」、「交友関係の3つのサークル」などがある。本稿では、その要点をメモっておくことにする(抜き書きと要約。一部見出しは筆者)。

孤独に対する4つの戦略
孤独に対処し、社会的なつながりを強化することによって、コミュニティを強固なものにし、社会を癒やしていくことができる。(6~7ページ)
(1)毎日、愛する人と時間を過ごそう。
自分にとって不可欠な人たちと毎日、少なくとも15分は、声を聞いたり顔を見たりして、つながり(交流)の時間を割こう。
(2)お互い、目の前の相手に集中しよう。
人と接するときは、気が散るものを排除するようにして、相手に全神経を注ぎ、可能であれば心から耳を傾けよう。
(3)ひとりの状態を受け入れよう。
他者とのより強いつながりを築くための第一歩として、自己認識や理解を深め、自分自身とのつながりを強めよう。
(4)助け、助けられる相互扶助を図ろう。
奉仕(サービス、支援)は人のつながりの一形態であり、与えること、受け取ることの相互扶助によって社会的な絆を強めよう。

孤独の3つの領域
研究者たちは、孤独を感じる場合にどのようなタイプの関係が欠けているのか分析する過程で、孤独には「3つの領域」があることを明らかにしてきた。これら3つの領域が満たされることで、活き活きと生きるために必要な質の高い社会的なつながりが生じる。どれかが欠けると孤独を感じる可能性がある。(40~41ページ)
(1)親密圏の孤独(感情的孤独)
愛と信頼の絆で深く結ばれた親友や親しいパートナーを欲している状態を指す。
(2)関係圏の孤独(社会的孤独)
良質な交友関係や社会的なつながりとサポートを求めている状態を指す。
(3)集団圏の孤独
目的意識や関心を分かち合える人的ネットワークやコミュニティに飢えている状態を指す。

交友関係の3つのサークル
ロビン・ダンバー(イギリスの進化心理学者)によると、人間の交友関係(つながり)は、「インナーサークル(内円)」「ミドルサークル(中間円)」「アウターサークル(外円)」の3つのレベルに分類される。これは、孤独の3つのレベル(親密圏、関係圏、集団圏)と大まかに対応している。これらのサークル(への帰属や帰属意識)は、互いに関連し合い、補完し合い、人生の質や人間としての経験を豊かにしてくれる。(323~335ページ)
(1)インナーサークル(内円)
人は誰しも、互いへの愛と信頼を持って深くつながった親しい友人や相談相手を必要としている。このサークルの人間関係は相互の絆が最も強く、親密であり、最も時間とエネルギーを必要とするものである。
(2)ミドルサークル(中間円)
人はときどき会う人で、支援やつながりをともにするカジュアルな(気楽で堅苦しくない)人間関係や社会関係も必要としている。このサークルに属する人たちは、深い秘密まで分かち合うことはないかもしれないが、関係圏における孤独を防ぐクッションとなる。
(3)アウターサークル(外円)
人は職場の仲間や知人など、集団的な目的やアイデンティティを体感する場所(コミュニティ)に属する必要がある。こうしたサークルに属する人々と目的意識や関心を分かち合っているという感覚は、集団圏における孤独を回避する助けになる。

〇[2]におけるマーシーからのひとつのメッセージはこうである。「孤独を乗り越え、よりつながりのある未来を築くことは、私たちがともに取り組むことができ、ともに取り組まねばならない喫緊の任務である」(31ページ)。「強い人間関係は私たちの健康を向上させ、パフォーマンスを高め、意見や主義の違いを乗り越え、力を合わせて大きな難題に社会として取り組んでいくことを可能にする。人とのつながりこそが基盤であり、その他すべてのものはその上に築かれる」(413ページ)。「人とのつながりが強ければ強いほど、私たちの文化は豊かになり、社会もより強固になる」(71ページ)。そしてマーシーは私たちに問いかける。「人のための時間を作ろうとしているか? 本当の自分を見せているか? 人をつなぐ奉仕の力を認識し、思いやりを持って人と接しようとしているだろうか?」(413ページ)。これは上記の孤独に対する「戦略」に通底する。例によって唐突ではあるが、“ 結び ” にかえておくことにする。

鳥居一頼/詩集「夢織りし子らに」

詩集「夢織りし子らに」

鳥居一頼


「夢織りし子らに」

子どもらの夢の世界に遊びたい
思い描くやわらかな世界に迷いたい
やさしく安らぐ世界に包まれたい

見果てぬ夢を追う子らは
儚(はかな)さを乗り越え
流浪し 夢追う旅人となる

夢のひとしずくを 手のひらにのせ
瞳(め)を輝かせて 明日を見つめる
恐れることなく まなざしを注ぐ

凜として すこやかに いまを生きる
ひとりとして 夢をあきらめぬよう
尊き子のいのちとこころを 護りたい

生きる喜びは 夢のひとかけら
昨日とは違う今日を
今日とは違う明日に翔る
世と人を信じて生きる子は
楽しき夢を織る

1


「好奇心を刺激する」

好奇心が刺激された
心のうちをちょっと覗いた
果たしてギューッと心が鷲づかみになる
その手応えを感じてみる

好奇心が湧いた
未知なる世界へと誘う
果たしてピンときた直感を信じたい
その強さに身を預けたい

好奇心が動いた
やる気がその気にさせる
果たしてガーンとスイッチが入る
その反動を感じたい

好奇心が研ぎ澄まされる
求めるものの正体が現れる
果たしてキリキリした緊張感が心地よい
その反応に身を投じたい

好奇心が育てる
成長のバロメーターに変わる
果たしてドキドキした探求心で満ちてゆく
その渇望に精気をもらおう

好奇心は枯渇させてはならない
生きていることの感性への刺激
生きていくことへの思索への刺激
生きることへの共生共存への刺激

2


「保育に生きる世界」

溌剌とした空気感がいい
颯爽とした様子もいい
無双な環境がさらにいい

世に命のほとばしるど真ん中に生きる
幸せを共に育む真ん中を生きてきた
無償の愛をど真ん中に幼子に注いで生きている
羅列すれば保育のど真ん中を真っ直ぐに生きる

にこっと笑う幼子に心が和む
困ったようすの幼子に心が揺れる
凜とする眼力の幼子に心が掴まれる

幸いなるかな求められ求めて人を得た
小さき瞳に魅せられて純心を持ち続けた
壊れそうな命のぬくもりを護ることを天命とした
子どもの園は今日も明るい声がする
どの子も安心して心も身も遊ばせる
もっと何かできるもっと何かしてあげたい
エンドレスの保育は幼子がど真ん中に育つ世界だ

3


「お外で遊ぶ」

園長先生
雨が降っても風が吹いてもお外で遊んでね
雪が降っても寒くなってもお外で遊んでね
なかに閉じこもっていないでお外で遊んでね

みんなお外が大好き
鬼ごっこしたり走り回ったり
鉄棒したりおしゃべりしたり

みんなお外が大好き
園庭いっぱいに遊び回る
園庭いっぱいに笑顔が広がる
園庭いっぱいに歓声が響く

園長先生
お外で遊ぶ子大好き
陽を浴びる子大好き
風に吹かれる子大好き
雨に負けない子大好き
寒さに挑む子大好き

ここは子どものパラダイス
たくさんたくさん遊ぼうね
げんげん元気な体力つけよう
思いっきりの笑顔がいちばんさ
げんげん元気に大きく育とう

4


「大人になれたら」

腹が満たされない
2食も食べられない時代があった
食べることが生きがいだった

ガザの子は言った
大人になったら…ではなかった
大人になれたら…何と答えよう
腹をすかせ明日の命も危ういのだ
余りに多くの人の死を見てしまった

命を奪われそうになっても抗えない
大人になる前に死が迫っている
大人になる前に飢餓にもだえる
大人になる前に非道を知りすぎた
力なき子らは食べ物を探す

祈りを唱えても何も変わらない
大人になれたら何を手にするのか
大人になれたら憎しみを抱くのか
大人にもしもなれたら自由と平和を…
力なき子の希望は泡とついえる

戦時下に生きる子どもらをいたぶる
異教も思想もただの幻想でしかない
政治の具として抗争と犠牲を強いる

大人になれたら…爆撃でかき消される
大人になれたら…傷ついて動けない
大人になりたい…奇跡的に生きている

5


「なんかへん」

なんかへん
小さなつぶやきが聞こえた
やっぱりなんかへん
真剣な表情に変わった

どこがへんなの
だってなにがいけないのかわからない
みんなそうおもっているからね
みんながそうおもうとそうなるの
だれもへんだとはおもってないから

そこがへんだよね
なにがへんなの
だってだれもへんだとおもわないから
それでいいんだよ
よくないよ
そうおもってもひとりじゃね
ひとりじゃいけないの
そうはいってはいないけど

みんなってだあれ
ここにいるみんなだよ
ひとりひとりきいてみた
きかなくてもわかることだよ
へんだなってだれもおもわないの
いけないことだとしってるからね
へんだなっておもっちゃいけないの

ほんとにいけないことかな
みんなとちがっちゃいけないの
みんなとちがうとどうなるの
みんなといっしょならいいの
みんないっしょってへんだよ
みんながほんとにそうおもっているの
だれもきもちわるいっておもわないの

ボクはいやだな
みんなということばがこわい
みんなというくうきがこわい
みんなという大人がこわい

ボクはみんなになりたくない
なんかへんだよっていえないもん
ボクはボクでいたい
なんかへんだっていえるもん
ボクはボクになっていく
なんかへんだとおもう子に

6


「でもね」

でもね ちょっとちがうんだよね
うまくはいえないけど
ちがう気がする

でもね まちがっていないよ
よくわからないけど
そんな気がする

でもね うそはついていないよ
いたずらっこだけど
しょうじきな気がする

でもね いじわるしてないよ
くちはわるいけど
やさしい気がする

でもね らんぼうはしないよ
えばりんぼうだけど
まけずぎらいな気がする

でもね ずるはしてないよ
みえをはるけど
がんばってる気がする

でもね まだゆめがないよ
考えてはいるけど
なんだかちっぽけな気がする

でもね このままではないよ
いろいろといわれるけど
なにかできそうな気がする

7


「とちゅうだもん」

じぶんことする
うまくできないよ
ほらむりでしょ
だってできるとちゅうだもん
だまって見てて

じぶんこと
なんでも不思議が溢れる
じぶんこと
なんにでも首を突っ込む
じぶんこと
回り道寄り道大好きなんだ

じぶんことしたい
できないとべそをかきそう
あきらめないでやってもみて
やってみたい子が大好き
そんならもいちどやってみる
いまはできるとちゅうだもん
だまって見ててね

じぶんこと
やりたいことが見つかった
じぶんこと
おもしろいことが見つかった
じぶんこと
いまはとちゅうとお茶目が可愛い

じぶんこと
できると思った
じぶんこと
だれかが手を貸した
じぶんこと
いまもとちゅうと言いはった

幼子のじぶんことの言葉が嬉しい
幼子の自信満々のどや顔が愛おしい
幼子のいまはとちゅうと偉そうなのがたまんない

8


「だはんこく子」

なぜダメっていうの
なぜやりたいことをさせないの
なぜすぐじゃまするの
なぜひとりでしちゃいけないの
なぜはなしをきいてくれないの
なぜたくさんやくそくさせるの
なぜできないってきめつけるの
なぜほしいといちゃあいけないの
なぜいやなことをさせるの
なぜできないのにさせようとするの
なぜいうことをきかないっておこるの
なぜわかってるのにくどくどいうの
なぜいつまでもいやなことおぼえてるの
なぜおわったことまでもちだすの
なぜやりたいように自由にさせてくれないの
なぜそんなにしんぱいするの
なぜしっぱいするのをいやがるの
なぜともだちとくらべたがるの
なぜべんきょうすればいい子になるの
なぜあの子とあそんじゃだめなの
なぜだらだらしちゃいけないの

なぜがなぜかたくさん
なぜがなぜだかしらないけれど
なぜかボクをしばってしまう
だからだはんこく(わがままになる)
ボクのせいいっぱいのていこう

9


「小さな制裁」

もういいかい
まあだだよ

もういいかい
もういいよ

どこにかくれてるのかな
おかしいいな
どこにいったんだろう
だれもいなくなった

どこにいるの
だれかへんじして
どこにいったのか
だれかおしえて

なぜかひとりぼっちになっちゃった
だれももうあそんでくれない
なぜかひとりぼっちにしちゃった
だれももうあそばない

ひとりぼっちにされちゃった
友だちにいじわるしちゃった
ひとりぼっちにするしかない
友だちをいじめちゃいけない

なぜひとりぼっちになったのか
その子がいちばんよくしっている
なぜひとりぼっちにしたのか
その子のせいだとしっている

ひとりぼっちになっちゃった
どんなにいいわけしてもうそっぽい
友だちにこころからごめんってあやまろう
なぜかひとりぼっちにしちゃった
友だちだからわかってほしかったんだ
でもなんだかかわいそう
ねえもうゆるしてあげようか

10


「ぶっちゅーんしようよ」

魔法の呪文ぶっちゅーん
みんなのこころに魔法をかける

涙をいっぱいためたきみ
お友だちにいじわるされたの
まずは泣き虫やっつけよう
きみの涙にぶっちゅーん
たちまち笑顔になっちゃった

つぎはいじわるしたきみ
いじめ虫をやっつけよう
きみのえばった顔にぶっちゅーん
たちまちごめんとあやまった

失敗してしまったきみ
お友だちに笑われてしまったの
まずは恥ずかし虫をやっつけよう
きみの赤い顔にぶっちゅーん
たちまち勇気がわいてきた

つぎは笑ったお友だち
小バカ虫をやっつけよう
にやにやほっぺにぶっちゅーん
たちまち恥ずかしくて逃げ出した

なくしものをしたきみ
大切にしていたものだったの
まずは困った虫をやっつけよう
きみの泣きそうな顔にぶっちゅーん
たちまち見つかるまで頑張るぞ
大事なものをかくしたきみ
いたずら虫をやっつけよう
ずるがしこい顔にぶっちゅーん
たちまちごめんと差し出した

悲しそうなきみ
ママが風邪を引いて寝てるんだって
まずは心配虫をやっつけよう
きみのべそをかいた顔にぶっちゅーん
たちまち笑顔がもどってきたね

つぎは寝ているママ
風邪の虫をやっつけよう
はなれてママへぶっちゅーん
たちまち元気が戻ってきたよ

困った顔のお友だち
ひとりで悩んでいたんだって
まずはひとりぼっち虫をやっつけよう
きみのさびしい顔にぶっちゅーん
たちまち大丈夫とみんなが言った

魔法の呪文ぶっちゅーん
涙をふきとばすぶっちゅーん
みんなのこころにきっとある

11


「やくそくしてね」

おりこうさんにするってやくそく
ボクおりこうさんだよ
いいつけもまもってるよ
なぜやくそくしなきゃいけないの

まもらないかもしれないしょ
ボクのことしんじてないんだ
そうじゃないけど
やくそくすればまもろうとするでしょ
やくそくしなくてもちゃんとしてるのに
それはわかっているけれど
やくそくするってふたりがしんじあうことなの
やくそくしなきゃしんじられないんだ

いやだな
しんじられるためのやくそくなんて
いやだな
しんじてほしいためのやくそくなんて
いやだな
やくそくよりもたいせつなことがあるのに

たいせつなことってなあに
やくそくがなくてもしんじることさ
やくそくというきまりがないといけないの
やくそくということばはほんとにいいの
やくそくってボクだけのことなの
やっぱりへんだよ
ボクにだけやくそくさせるってなんかへん
ボクをやくそくでしばろうとしているみたい
ボクはやっぱりやくそくしなくてもちゃんとする

ボクはしっぱいすることもある
ボクはできないこともたくさんある
でもね
ボクが大きくなるたねだよね
やくそくしたからだいじょうぶにはきっとならない
やくそくがおおきなたねにはならないからね

たいせつなのはいっしょに大きくなるたねをみつけること
たいせつなのはいっしょにボクがおおきくなるようしんじてくれること
やくそくできることはいまはないかな

12


「またあとで」

おとなのくちぐせ
またあとで

いつもあとまわし
いつもおいてきぼり
いつもだまされたきぶん

おとなのくちぐせ
いそがしいからあとでね

いつもはなしはちゅうぶらりん
いつもはなしはちゅうとはんぱ
いつもはなしはそれまでなのさ

おとなのくちぐせ
いまはごめんね

いつものこととあきらめる
いつものむしとしっている
いつもごめんできいてはくれない

おとなのくちぐせ
いいかげんにしなさい

はなしをきいてもらいたい
はなしをしつこくする
はなしにきれてしかられる

おとなのくちぐせ
すこしがまんしてね

ずっとがまんをしてきたけど
ずっとまっていたけど
いつのまにかわすれてしまった

13


「夢ってなあに」

夢ってなあに
なぜ夢をみにゃきゃいけないの

それはね
まわりのひとやまわりのことがいいなって
こころがうごいてしまうの
なんだかウキウキしてワクワクするの
それをあこがれっていうんだよ

だからね
こんなひとになりたい
こんなことをしたい
そうねがうことが夢なの
夢があるとすごくげんきがでてくるんだよ

そこでね
夢をかなえようとがんばるんだよ
なにもしないでいてはなにもはじまらない
夢にちかづきたくてがんばるんだよ
なにもしなければ夢はちぢんでしまんだ

でもね
おおきくなると夢はかわることもあるんだよ
あこがれがかわることもあるからね
もっとおおきな夢をみたいとおもうんだ
こころがふくらんでドキドキしてくるんだよ

夢ってこころをおおきくさせるちからなんだ
夢ってこころをあったかくするちからなんだ
夢ってこころになくてはならないえいようなんだね

14


「みっともない」

そんなかっこうしてたら
みんなにわらわれるよ
みっともないからやめてね
みんなってだあれ?

そんなたべかたしたら
みんながいやなかおするよ
みっともないからよしてね
みんなってだあれ?

そんなことしたら
みんなにばかにされるよ
みっともないからしないでね
みんなってだあれ?

そんなこといったら
みんながあきれるよ
みっともないからいわないでね
みんなってだあれ?

そんなかってなことしたら
みんなにそっぽむかれるよ
みっともないからみんなとあわせてね
みんなってだあれ?

だれかにみられている
だれかのかおいろをうかがっている
だれかにあやつられている
そうとはしらずに
みっともないとしつけする

じゆうにやりたいように
やらせてよ
じゆうにおもったことを
いわせてよ
じゆうにみっともないことしたいな

15


「お母さんが多すぎる」

お母さんが 車にはねられた
お母さんが 病院のれいあんしつにねかされていた
お母さんを かそうばへつれていった
お母さんが ほねになってしまった
お母さんを 小さなはこにいれた
お母さんを ほとけさまにおいた
お母さんを まいにちおがんでいる

小学4年生の母をなくした子の詩である
担任は「お母さんは最初の1行書けばいい」と指導した
子どもは書き直そうとはしなかった

子どもの母への強い慕情を受け止められなかった
詩のテクニックをここぞとばかり指導する担任
子の切ない悲しみは連続する「お母さん」に表れる

子どもの感性の鋭さを知らずして技法に走る
子どもの切実な訴えを軽視して技法に拘る
子どもは書き直しを拒絶する

どんなに母を呼んでも二度と会えない
その悲痛なおもいに寄り添いたい
試されるのは担任の死生観なのだ

教師の指導の怖さを知らされた
詩集に掲載し評価されることを念頭に置く
教師の指導の質を子は見切った
母を亡くした強い喪失感を繰り返し訴えた
教師の指導に屈せず子は自分を主張した
吐いた言葉の重さこそその子の本心を物語る

※朝日新聞「日曜に想う」(21 年 2 月 21 日)で紹介された児童詩集「青い窓」から子どもの詩を引用。

16


「お行儀がいいわね」

お行儀がいいわね
いつもほめられる
だからママもやさしくなるよ

お行儀がいいわね
ほんとはそうしたくない
だってママがこまったちゃんになる

お行儀がいいわね
たまにそういわれる
いつもママはそうしてねって

お行儀がいいわね
すきなおばちゃんだからね
だからママはあきれたかおをするよ

お行儀がいいわね
つかいわけするからね
だってママからごほうびでるんだ

お行儀がいいわね
そうしてればしかられないもん
いつもママはピリピリしてるからね

お行儀よければ
だれからもほめられる
お行儀悪いと
だれもがいやな顔をする
一番困った顔をするのはママ
内緒だよ
ママを助けてあげてるんだ

17


「とろくさい」

あそんだあとのおかたづけ
まだちらかってるよ
めんどうくさってふくれっつら
キミのそのかおもかわいいね
ひとつずつでいいからね
ゆっくりでもいいからね
ひとりでやってごらん
もうママは手はかしてあげないよ

ひとりでできれば
すこしおおきくなったということ
ひとりでしなければ
いつまでもあかちゃんかな
ひとりでやれたら
これかもあそべるよ

あそんだあとのおかたづけ
さあもうすこしだね
キミががんばるかおがすきなんだ
だんだんいいかおしてきたね
ママはおしごとするけどいいかな
もうそばにいなくてもいいよね

ひとりになってもだいじょうぶ
みていなくてもだいじょうぶ
もうすぐだからだいじょうぶ

ひとつずつ
とろくさくともできるんだ
とろくさくてもいいんでしょ
とろくさいのもかわいいでしょ

18


「ボクの心に土足で入らないで」

二人の子がいた

サンタはいないよ
イブのプレゼントはパパやママさ
サンタが世界中の子どもに配るなんて噓さ
それを信じるなんてなんてバカなんだ

サンタはいないってなぜわかるの
ボクは夢の中でいつも会ってるよ
信じるとか信じないとかじゃないんだ
サンタはボクの心の中にいるんだ
それがどうだというんだい

サンタがいない
そういうキミもプレゼントはもらうんだろう
ただプレゼントをもらうだけのイブなんだね
サンタがいない心の中はからっぽだね
なんてさびしい夜なんだろう

サンタがいなくてもいい
噓つきよりはもっといい
信じるなんてどうかしてるよ
見たこともないことを信じるなんて
ボクは噓なんて信じない

神様をキミは信じてる?
見えなくても信じる人はたくさんいるね
見えないものはみんな噓なの

きっと信じる人には神様はいるんだよ
ボクは神様のことはわからない
でもサンタはいる
そう思うだけでもなんだかあったかい
世界中の子どもたちを想像してごらん
みんな笑顔でサンタを待っているんだ

イブは世界中でイエスキリストの誕生を祝う日
キリスト教を信じなくても祝うよね
なんか変だよね
でもなんかすごく嬉しい

心待ちにしたものをプレゼントされるイブ
ドキドキしてなかなか寝つかれない長い夜
サンタの代わりのパパでもママでもいいんだ
だってサンタはボクの心にずっといるから

だからね
サンタはいないって
ボクの心に土足で入ってこないで

信じるってね
心に夢のカタチをつくることなんだ
心に幸せのカタチを見ることなんだ
大人になってもサンタがいると信じたい

19


「閃くことば」

幼な子の発することばに耳を澄まそう
あいまいな発音でもことばが閃(ひらめ)く
いまを生きることばが閃く

幼な子の発することばに目を凝らそう
語彙が少なくともことばが瞬(またた)く
何かを訴えることばが瞬く

幼な子の発することばに身を任そう
かわいい声のことばが踊る
快く揺れることばが踊る

幼な子の発することばに心を託そう
世界がやさしくことばで包まれる
屈託のない笑顔でことばが包まれる

幼な子の発することばに感性を研ぎ澄まそう
無垢なることばの強さを感じよう
無心なることばの美しさを感じよう
幼な子の発することばに幸せをもらおう
身を委ねる甘えたことばを噛みしめよう
すべてが許されることばを噛みしめよう

幼な子の発することばに真理を見つけよう
真を問うことばにまごころで応えたい
理に導くことばにまごころを尽くした

20


「話せない子」

せっつかれても
いまの気持ちを言葉にできない
歯がゆくてどうしよう

話そうにも
言葉がすぐには出てこない
焦るだけで息を吐く

話したくても
わかってくれるかどうか
心配が先に出る

聞いてあげるよと
次から次と質問ばかり
考えがおぼつかない

言いたいことが自棄(やけ)になる
気持ちがなえてしまって
もうどうでもよくなった

肝心なときに話せない子だね
ちゃんと考えをまとめなさい
手のかかる面倒くさい子となる

話したいのはさ
こう考えているよってことを知ってもらいたかった
こうしたいってことをわかってもらいたかった
こうしたらってことを一緒に考えてほしかった

黙って聞いてくれるだけでよかった
言葉足らずでもわかってくれると思った
話したいって思ったのにうまくいかなかった
聞いてるふりでは思ってることは言えない
また後でねという決まり文句でジエンド

21


「連想する」

連想せよ
楽しきことこそつながれ
心躍る喜びが弾けていく風景を

連想せよ
面白きことこそつながれ
心惹かれ快感の虜になる風景を

連想せよ
愉快なことこそつながれ
心満たす笑顔広がる風景を

連想せよ
熱きことこそつながれ
心動くエネルギーが湧き上がる風景を

連想せよ
幼子のいのちこそつながれ
心ぬくまる優しさに包まれる風景を

連想せよ
無垢の夢こそつながれ
心強くして未来を護る人の風景を

連想せよ
自由と平和こそつながれ
心解き放し赦しを乞う人の風景を

22


「生まれたということ」

愛を知り
希望を抱き
澄んだ秋空に夢が舞う

野の花を愛でるこころこそ人なり
天地のいのちを敬うこころこそ人なり
優しさを分かち合うこころこそ人なり
助け合い支え合うこころこそ人なり
悪を憎み正義を求めるこころこそ人なり
平和を築くこころこそ人なり

様々な出会いを運命にする人でありたい
知欲がいつも湧き上がる人でありたい
生かされる感謝に満ちた人でありたい
生きる喜びを感じる人でありたい

人生エンジョイしながら真っ直ぐに
人生求めるところを果敢にトライする
人生紆余曲解だからこそめっちゃ面白い
人生未来を描くのはきみだけしかいない
澄んだこころで秋空に夢駈けろ

23


「真の協力を知る」

真夏の陽が部屋に射し込む
少女は老女の衣服を脱がす
なかなか思うように事が運ばない
額に汗が流れ始めた

特養ホームでのワークキャンプ
介護の初体験をする中一の少女
二日目の活動は入浴介助だった
ストレッチャーに乗せる支度をする

こんなに面倒だとは思わなかった
通りかかった介護士の一言で救われた
「一人でしようとしないで○○さんと協力したら」
少女はその意味を素早く理解した
一人相撲を取っていたことに気づいた

右手を少し上げてと指示し始めた
為されるがままに身体を預けていた老女が反応した
かといって大きく動くわけではない
それでも服を脱ごうという意識が勝った
ようやく脱衣させて少女は汗を拭った

少女は賢い子だった
服を脱がせてあげることではなかった
声をかけて老女の力を引き出すことだった
服を脱ぐという目的を共有することだった
達成するには二人の力を合わせることだった

一方的になにかしてあげることを当たり前と考えていた
一人で無理ならば仲間と一緒にすることが協力だと学んできた
その考え方は見事に覆され否定されてしまったのだ
老女との対等な関係から導き出された尊厳を知った
その日少女は真の協力を学んだと綴った

※ワークキャンプとは、子どもを対象にした福祉施設で実施される宿泊体験学習

24


「君がきみであるゆえん」

君は君らしさを知っているだろうか
誰かの真似事だと知った瞬間の虚しさ
誰かの考えをパクった瞬間の気恥ずかしさ
誰かの後ろに隠れていた瞬間のおぞましさ

そんな自分を拒んだ
そんな自分が嫌いだった
そんな自分に憤った

君はきみであることを明かさなければならない
他人の影ではないことを
他人に無条件で従わないことを
他人のなりふりに振り回されないことを
他人の思惑に惑わされないことを
他人の判断に身を委ねないことを
他人の醸し出す空気に流されないことを
他人の顔色をうかがう小心者でないことを

だから君がきみであるゆえんを示そう
他人にノウと声出す勇気を
他人に考えを伝える意志を
他人に心からの笑顔を

君はきみにしかなれない
だから
君はきみを信じてごらん

25


「人新世を生きる」

地球の生命は悲鳴を上げている
さりげない優しさが枯れてゆく
ほっこりしたこころが悲色に塗られる

野放しにした傲慢が自壊へと導く
世に正義は混濁し悪意に乗っ取られる
疎遠になり人のつながりが絶えてゆく

自堕落な人間の末路は残酷だった
おぞましい欲望が渦巻き黄泉の国が現出した
遺棄された後悔と懺悔は屑のように漂う

忘れることが唯一の救いとなった
嘘に彩られた時空間に縛られたまま生きる
真実は闇を彷徨い消滅する

そう遠くない時の流れの中で
時代が薄汚れてゆく
時代が虚構に飾られる
時代が終焉の時を告げる

だからこそ
人間らしく
いまを生きるのだ
いまを生きてゆくのだ
授かったいのちの限りを

そして
君らしく
心はいまを生きる
心はいま生きてゆく
共に慈しむ愛を育てながら

26


「学び続けるということ」

無知であってはならない
しかしすべてを知ることはできない
学ぶ意欲だけは持ち続けたい

どんなにあがいても知り得ない
しかし知りたいというおもいは消せない
学ぶ謙虚さだけは持ち続けたい

学び続けるということ
学ぶこころがわたしを育てる
学ぶ意思がわたしを強くする
学ぶ中身がわたしを守る
学ぶ機会がわたしを耕す

共に学び続けるということ
学ぶ出会いがわたしを豊かにする
学び合う知がわたしを奮い立たせる
学び合う友がわたしを信念に導く

さらに学び続けるということ
学ぶたびにわたしの古き殻を破る
学ぶ価値がわかればわたしをひるまない
学ぶ意味がわかればわたしは逃げない
学ぶ理由がわかればわたしは生きていける

学びは未知なる世界からのメッセージ
知ることは果てなき生存欲求
学び続けることはよりよく生きることへの誘い
知ることは自己存在の証明
ともに学ぶことは知の世界の共有
知ることは自己陶冶と相互承認

動くことでしか生まれない学びの世界
動かなければ変わらない学びの世界
動いて始めて実感する学びの世界
学びの世界に身を置きながら苦悶し続

27


阪野 貢/「地者」「曲者」「切れ者」による「自立」「自律」「内発性」のまちづくり ―岡崎昌之著『まちづくり再考』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、岡崎昌之著『まちづくり再考―現場から学ぶ地域自立への道しるべ―』(ぎょうせい、2020年1月。以下[1])がある。[1]は、自治体学会が企画して2017年2月から2018年12月にかけて東京都中央区、愛媛県内子町、大阪府豊中市、岩手県遠野市において開催された「自治立志塾」(集中講義)における講義内容と対論を再構成したもの(「まちづくり実践論」)である。そこでは、岡崎が関わった草の根的なまちづくりの事例が豊富に収録され、これからのまちづくりの視点や方向性について言及される。
〇本稿では、岡崎が紹介・解説する「まちづくり」の定義をめぐって、留意すべき基礎的・基本的な事項をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

「まちづくり」の定義
〇[1]で岡崎は、日本地域開発センター(1964年2月設立)の「地域社会研究会」が提示した定義を取り上げる。「まちづくりとは、それぞれの地域社会の歴史的、文化的な個性を基礎にして、その地域に本当に(真に)必要なものを、そこに生活する人々が自らの知恵と活力で発見し実現していく創造的な過程である」(「北海道池田町まちづくりシンポジウム―地域にみる生活と文化の再生―」1975年10月)がそれである(15、16ページ)。ここでは、「そこに生活する人々」(住民主体)の「自立(independence)」と「自律( autonomy)」の志向、「内発性(endogenous)」の発想が重視される。

「自立」「自律」「内発性」のまちづくり
〇岡崎にあっては、まちづくりにおける地域の「自立」とは、まちづくりについて「地域が決意し、主体性をもって取り組むこと(ローカル・イニシアティブ:local initiative)」であり、「自分自身や地域のもつ力量を最大限に発揮して、やり通そうとする意志(セルフ・リライアンス:self-reliance)」である。すなわち、「まちづくりにおける自立とは、自らが決意し、自らの力量で、まずは内を固め、そこを足場に外と連携するまちづくりの方策」をいう(51~52ページ)。
〇地域の「自律」とは、「反目したり、反発することもある組織間や地区間のベクトルを、地域の将来や全体の方向性を共有し、互いをおもんぱかりつつ、地域内で調整し、課題を解決しようとする力」(意識や行動力)をいう。その “ 自律 ” 的な意識や行動力は、「地域の総合的な力量を高めるうえでも、また地域における信頼関係や連携(ネットワーク)といった、いわゆる社会関係資本(ソーシャルキャピタル:Social Capital)を構築していくうえでも欠かせない」(53ページ)。
〇地域の「内発性」とは、地球規模や全国規模の地域課題に対して、単一の発展方式や全国同一の解決方式あるいは外来型の開発方式ではなく、「地域の特性や組織、課題の内容に即して、様々な解決の方向や新しい道筋をつけていこうとする試み」である(62ページ)。すなわち、「地域の良さや個性、価値を、そこに生活している人々が気づいていないものまでも、切り拓いて確認をし、その可能性を模索すること」(73ページ)をいう。
〇そして岡崎は、確かな「自立」と「自律」、「内発性」をめざすまちづくりを進めるためには、①歴史的視点からの地域の徹底的な調査(地域の歴史の探索)と、②地域が誇る資源や “ 宝 ” だけではない、地域にとって本質的な価値の模索(地域価値の模索)、そして③広域的な視点に立った、地域の “ 価値 ” や地域に “ あるもの ” の意味の模索(地域の相対化)が必要かつ重要であるという(64~70ページ)。それは、“ ないものねだり ” のまちづくりではなく、“ あるもの探しのまちづくり ” を説く結城登美雄らの「地元学」に通じるものである。
〇そのうえで岡崎はいう。「自立や内発とは、必ずしも特定地域に固執して、内にこもり閉鎖的になることではない。地域内に存在する価値や独自性を明確に認識しつつ、周辺地域や類似の価値をもつ地域とも幅広い連携を保ち、連携のなかからまた新しい価値を創出していくことが重要である。他地域との連携、関連の識者や専門家とのネットワーク形成はまちづくりには不可欠である」(71ページ)。

「地者(じもの)」「曲者(くせもの)」「切れ者(きれもの)」
〇以上のようなまちづくりの担い手についてはこれまで、「よそ者」「若者」「バカ者」の3者が挙げられてきた。従来のシステムや活動に対して批判的で、新しい見方を醸成する「よそ者」、しがらみのない立場から、新たなエネルギーによって次の時代を切り拓く「若者」、旧来の価値観の枠組みからはみ出し、既成概念を壊す「バカ者」がそれである(真壁昭夫『若者、バカ者、よそ者―イノベーションは彼らから始まる!』PHP研究所、2021年8月参照)。この点について岡崎はこういう。「それらの人たちだけではまちづくりは続きにくい。地域に根づき、持続するまちづくりを展開するためには、よそ者だけでなく『地者』、若者だけでなく、土地の事情や人間関係を(も)熟知した年配者や得意技を持つ『曲(クセ)者』、知恵と決断力をもった『切れ者』が必要とされる」(99ページ)。
〇その際、岡崎は、自治体や地域社会の「定住人口」だけではなく、「交流人口」(地域の住民とはならないまでも、その地域が自己実現した魅力にひかれてそこを訪れ、地域の人々とコミュニケーションを持つ人々)や「関係人口」(長期的な定住人口でも短期的な交流人口でもない、地域や地域の人々と多様に関わる者)、それに「活躍人口」(まちづくりを担い、地域を支えようと頑張る人)をいかに拡大し、活かすかが重要となる、という(96~99ページ)。
〇要するに岡崎にあっては、まちづくりの担い手には、地域内外の人材や資源、さらには専門的な知識を有する関係人口などとの信頼関係や有機的連携のもとに、まちづくりの目標を明確に認識し、地域を歴史的かつ客観的・相対的に見る視点を持つことによって、地域の特色や個性を把握し、これまで見落とされてきた価値を見出し、地域の課題解決や将来の地域社会形成を図るための新しい方向を提示することが求められるのである(117ページ)。
〇この点に関して岡崎は、「他者への配慮、互いの信頼性、有機的連携といった社会関係資本こそ(が)、これまでのハード中心の社会資本に変わって、これからのまちづくりにとって必要な新しい資本といえる」という(140ページ)。最後に引いておきたい。

阪野 貢/「生まれる」こと、「生きる」こと―谷川俊太郎が逝った―

〇2024年11月13日、「生きる」を問う珠玉の言葉を紡ぎ続けた詩人・谷川俊太郎が逝った。享年92。「もちろんぼくは詩とははるかに距(へだ)たった所にいる」(「理想的な詩の初歩的な説明」『世間知ラズ』思潮社、1993年5月)が、世間では谷川に対する感謝とその死を悼(いた)む声が絶えない。
〇1952年6月に刊行された谷川の最初の詩集『二十億光年の孤独』(創元社)、そのなかの詩句――「万有引力とは/ひき合う孤独の力である/宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う」を思い出す。人は本質的に不安や孤独のなかに生きる。それゆえに他者を求め、引き寄せ合って生きる、というのであろう。人はひとりでは生きられない。誰かとつながり合って生きている、のである。
〇金子みすゞの詩句――「鈴と、小鳥と、それから私、/みんなちがって、みんないい。」(「私と小鳥と鈴と」『金子みすゞ全集』JULA出版局、1984年2月)もいい。または、歌人・俵万智の短歌 ――「「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ」(『サラダ記念日』河出書房新社、1987年5月)もいい。
〇それよりも、谷川俊太郎の、「生まれた」 ぼくが “ いま ” を “ ただ ” 「生きる」、の方がなおいい。次の4篇の作品を通してだけからでも、唯一無二である命(いのち)の大切さや尊さ、生きることの豊かさや意味、そして支え合って生きることの素晴らしさやありがたさについて、改めて思う。併せて、言葉は生きる力を生み出し、人と人をつなぎ、そして未来(あす)を拓くことに、改めて気づく。

生まれたよ ぼく
~『子どもたちの遺言』(田淵章三・写真、佼成出版社、2009年1月)より~

生まれたよ ぼく
やっとここにやってきた
まだ眼は開いてないけど
まだ耳も聞こえないけど
ぼくは知ってる
ここがどんなにすばらしいところか

だから邪魔しないでください
ぼくが笑うのを ぼくが泣くのを
ぼくが誰かを好きになるのを
ぼくが幸せになるのを

いつかぼくが
ここから出て行くときのために
いまからぼくは遺言する
山はいつまでも高くそびえていてほしい
海はいつまでも深くたたえていてほしい
空はいつまでも青く澄んでいてほしい

そして人はここにやってきた日のことを
忘れずにいてほしい

 

一人きり
~『子どもたちの遺言』(田淵章三・写真、佼成出版社、2009年1月)より~

ぼくはぼくなんだ ぼくは君じゃない
この地球の上にぼくは一人しかいない
もしかする半径百三十七億光年の宇宙で
ぼくは一人きり

生れる前もぼくはぼくだったのか
死んだ後もぼくはぼくなのか
どこへ行ってもぼくはぼく
いつまでたってもぼくはぼく
ぼくはぼくが不思議でしかたがない

ぼくはいま本を読んでいる
ぼくは息をしている
妹はいま大声で泣いている
妹も息をしている

いまから千年前
ここには誰がいたんだろう
いまから千年後
ここには誰がいるだろう

 

生きる
~『生きる』(岡本よしろう・絵、福音館書店、2017年3月)より~

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木漏れ日がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

 

ただ生きる
~『詩の本』(集英社、2009年9月)より~

立てなくなってはじめて学ぶ
立つことの複雑さ
立つことの不思議
重力のむごさ優しさ

支えられてはじめて気づく
一歩の重み 一歩の喜び
支えてくれる手のぬくみ
独りではないと知る安らぎ

ただ立っていること
ふるさとの星の上に
ただ歩くこと 陽をあびて
ただ生きること 今日を

ひとつのいのちであること
人とともに 鳥やけものとともに
草木とともに 星々とともに
息深く 息長く

ただいのちであることの
そのありがたさに へりくだる

〇シンガーソングライター・さだまさしの「いのちの理由」もいい。はじめてコンサートに行って聴いた詞(うた)、心の琴線にふれる言葉が紡がれる(ルビは筆者)。

いのちの理由
~オリジナル・アルバム『美しい朝』(ユーキャン、2009年6月)より~



〇そして、思う。生まれることは生きること、生まれることでそのすべてが始まる。人は、きのう(過去)を振り返り、あす(未来)を想い描き、きょう(現在)を思い考える。そして人は、自分の体験や人生のなかに、幸と不幸を見出す。それが、喜びや悲しみをもたらす。また人は、支え合って、いま・ここで・わたしを生きる。それが、安らぎや豊かさをもたらす。ときに、苦しみや困難をもたらす。あなたもわたしも、これからもずっと。‥‥‥ということを。
〇そして、気づく。わたしはいま、ひとまずすべてを飲み込んだことにして、幸か不幸かではなく、自分らしくわたしを生きてきたかどうか、その証(あかし)を探し求めている。それは例えば、エーリッヒ・フロムがいう「もつこと」か「あること」か(※)ではなく、その混沌のなかに、である。‥‥‥ということに。

※「もつこと」と「あること」
人間の存在(あり方)には、「もつこと:to hove」と「あること:to be」の2つの様式がある。「持つ存在様式は財産と利益を中心とした態度であって、必然的に力への欲求――というよりは必要――を生み出す。(中略)ある様式においては、それは愛すること、分かち合うこと、与えることの中にある」(117~118ページ)。すなわち、「もつ様式」は、富や名声や権力などを持つことを指向する存在様式をいい、「ある様式」は、何ものにも束縛されず自分らしく生きることを指向する存在様式をいう。(エーリッヒ・フロム、佐野哲郎訳『生きるということ』(原題:To Have or to Be?)紀伊國屋書店、1977年7月)

 

追記
〇谷川俊太郎の詩を改めて読む・味わうなかで、「言葉は生きる力を生み出す」ことを改めて認識した。そんななかで併せて、ノンフィクション作家の柳田邦男の『言葉の力、生きる力』(新潮文庫、2005年7月)を読み返した。その本の最後で、柳田はいう。「人生後半に入っている今は、自分の心の座標軸を次のように明確に語ることができる。/<私の心には自分の境遇を幸福か不幸かという次元で色分けする観念も意識もない。あるのは、内面の成熟か未熟かという意識だ。そして、内面において様々な未成熟な部分があっても、あせることなく、人生の終点に到達する頃に、少しでも成熟度を増していればよしとしよう>――と」(272ページ)。柳田が65歳の時に書いた「『成熟』という心の座標軸」(2001年9月)の一節である。
〇「わたしを生きる」ことと「内面の成熟と未熟」とは、どのようにかかわるのであろうか。人生の最期を迎える頃に、わたしを生きたことのいくらかでも認識できれば、それでよしとするのであろうか。(2024年12月4日記)

阪野 貢/大空小学校と木村泰子の「みんなの学校」に学ぶ ―木村泰子著『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』等のワンポイントメモ―

「人権って空気みたい」(子ども)。「どうして空気なん?」(大人)。「えー、だって空気なかったら人間死ぬでー」(子ども)。(以下[3]24ページ)

〇前稿(<雑感>(216)阪野 貢/「ふつう」再考:「ふつう」は “ 障害 ” を排除し、社会秩序を維持する ―信濃毎日新聞社編集局著『ルポ「ふつう」という檻(おり)』のワンポイントメモ―/2024年11月2日/本文 )において、「周りの子が豊かに育てば、障害は長所に変わる」という小見出しで、大阪市立大空小学校と初代校長・木村泰子の言説と実践について記した。それを機に改めて、木村の本を読むことにした。
〇筆者(阪野)の手もとに、木村泰子の本が4冊ある(しかない)。

(1)木村泰子著『「みんなの学校」が教えてくれたこと―学び合いと育ち合いを見届けた3290日―』小学館、2015年9月(以下[1])
(2)木村泰子著『「ふつうの子」なんて、どこにもいない』家の光協会、2019年7月(以下[2])
(3)尾木直樹・木村泰子著『「みんなの学校」から「みんなの社会へ』岩波ブックレット、2019年4月(以下[3])
(4)木村泰子・高山恵子著『「みんなの学校」から社会を変える―障害のある子を排除しない教育への道―』小学館新書、2019年8月(以下[4])

〇大阪市立大空小学校については周知の通りであるが、[2]から紹介しておくことにする。

大空小学校は、2006年創立の大阪市住吉区にある公立小学校。/初代校長を務めた木村泰子と教職員たちが掲げた「すべての子どもの学習権を保障する学校をつくる」という理念のもと、さまざまな個性をもつ子どもたちがともに学び合う姿が、(2015年2月に)ドキュメンタリー映画『みんなの学校』として公開され、大きな話題となった。/校則はなし。あるのはたった一つの約束「自分がされて嫌なことは人にしない。言わない」のみ。/木村校長在任中の9年間に転校してきた特別支援の対象となる児童は、50人を超えたが、不登校はゼロ。/地域に開かれた学校として、教職員のみならず、地域住民や学生ボランティア、保護者をはじめ多くの大人たちが、つねに子どもたちを見守っている。(7ページ)

〇大空小学校の「すべての子どもの学習権を保障する」という教育理念について、木村はいう。「これがパブリックの学校の目的です」([2]51ページ)。「学校教育の目的は一つしかありません。どれだけ貧困であれ、どれだけ重度の障害があれ、どれだけ人を殴ってしまう子であれ、目の前の一人の子どもが『安心して学んでいる』という事実をつくること。そのために必要な教員の資質とは、『人の力を活用する力』をどれだけつけるか」([2]87ページ)。そのためには、学校だけに子どもをまかせるのではなく、「地域の住民、保護者、教職員、子どもたち自身がつくる『自分の学校』でなくてはなりません」([2]28ページ)。
〇大空小学校の「たった一つの約束」である「自分がされて嫌なことは人にしない。言わない」について、木村はいう。「この約束は、すべての子ども、すべての大人のためにあるものです」([1]201ページ)。「子どもはこの約束を破ると『やり直す』ために、(説教部屋ではない)『やり直しの部屋』と呼ばれる校長室へとやってくる」([1]3ページ)。「『たった一つの約束』を破った時に待っているのは、罰でも、お説教でもないんです。自分のために、やり直す。これしかないんですよ」([4]179ページ)。やり直しには「決まったやり方があるわけではなく、何をやるべきかは一人ひとりが考え、行動します。そして、(下記の)『四つの力』全部を使ってやり直すんです」([4]180ページ)。
「地域に開かれた学校」について、木村はいう。「学校は地域のもの。地域でつくられる『みんなの学校』」([2]102ページ)。「『みんなの学校』とはパブリックの学校、つまり『地域住民のための学校』という意味」です([3]6ページ)。「学校はそこにあるものではなくて、つくるものです。学校は、『みんながつくる、みんなの学校』を合言葉に、『自分』がつくるのです」([3]14ページ)。「子どもだけじゃない。学校というのは、先生も親も地域の大人も、みんなが学びにいくところ、自分を変えるところ。だから学校は楽しいんです」([2]111ページ)。
〇また、大空小学校では、点数や数値で測れる「見える学力」ではなく、「見えない学力」すなわち「自分から、自分らしく、自分の言葉で語れる、なりたい自分になれる、そのために必要な力」を「四つの力」として育てることを優先順位の一番にしている([4]60ページ)。木村はいう(抜き書きと要約)。

大空小学校では「ふれあい科」という独自の教科をつくりました。/人と出会うと、そこに必ずふれあいがあるでしょ。ふれあうと、かかわりを持つ。するとそこに学びが生まれる。/その根本にあるのが、大空小学校の教育のキーワード「学び・感動・愛」。([2]153ページ)/そういう空気の中で、どんな力を身につけたら、子どもたちが将来「なりたい自分」になれるか。そう考えて、辿りついたのが「四つの力」でした。一つめは「人を大切にする力」。二つめは「自分の考えを持つ力」。三つめは「自分を表現する力」。四つめは「チャレンジする力」です。/これら四つの力は、すべて「なりたい自分になる力」であり、「誰かと共に生きる」ための力です。「ふれあい科」の目的は、この四つの力を身につけることです。([2]154~155ページ)

〇大空小学校にあっては、「四つの力」は「なりたい自分になる力」であり、「誰かと共に生きる」ための力である。そして木村は断言する。「『見えない学力』を育てていると、自然に『見える学力』も育ってくる」([4]63ページ)。
〇また、大空小学校には特別支援学級はないが、「『障害』のレッテルを貼られた子」がたくさん通っている。「すべての子どもの学習権を保障する」という教育理念の「すべての子ども」とは、文字通り「すべての子ども」を意味する。すなわち、障害の有無にかかわらず、多様な個性や特性を持った子ども同士が学び合い、育ち合うために、子どもを主語にして物事を考える。「教師が主語」ではない、「子どもが主語」の教室・学校づくりを進める、のである。木村はいう(抜き書きと要約)。

学校が「障害があるから別の学校・教室へ」という考えを持ったら、それは差別や偏見を教えているのと一緒ではありませんか?/いろんな子どもがいつも一緒にいるからこそ、多様な社会で生きていく力を学べる。/分断は、障害がある子だけでなく、むしろその周りの子の大事な力を奪うことになります。いろんな特性を持った多様な人と一緒に社会をつくる大人になる。そのための力を小学校、中学校の義務教育で獲得していくんですから。([2]35ページ)/彼ら(障害がある子)に一番必要なのは、周りの子どもたちとどう対等に繋がるかっていうこと。それが「社会で生きる力」でしょう。/障害を長所に変えるための方法は、大空小学校では一つしか見つけられませんでした。その子の周りの社会をどれだけ育てるか。それだけなんです。/周りが育ては、障害は「個性」に変わる。/そして周りを育てるということは、すべての子が育つということ。障害のある子がたくさんいるから、自分も育つんだとわかれば、迷惑だなんて誰一人思うはずがないでしょ?([2]37ページ)

〇「『ふつうの子』なんて、どこにもいない」。「『迷惑な子』なんて誰一人いません」。「分断は、障害がある子だけでなく、むしろその周りの子の大事な力を奪うことになります」。蓋(けだ)し至言である。そして、木村はいう(抜き書きと要約)。

車椅子体験、目隠し体験などは、自分と違う人のことを考える最初の一歩といわれています。が、それでわかったつもりになってはいけない。思い上がってはいけません。/みんなそれぞれ違いがあって、自分にない違いをもっている友だちがいる。/「自分はこうだけど、友だちはこうなんや。じゃあ、どうしたらいいか」([1]85ページ)/大空の子どもたちは、そういったことをいつも考え、試みる機会がいっぱいありました。/「この子のことを知ろう」と思いさえすれば、みんなつながれる。/「その子」を排除することは、かけがえのない学びを捨てるのといっしょ。([1]86ページ)

〇「みんなの学校」では、「ふつう」や「あたりまえ」を疑いそれに抗(こう)する(すなわち「自分を生きる」)こととともに、多様性を受け入れ学び合い・育ち合うことを可能にする工夫や場づくりを進める(すなわち「みんなと生きる」)ことなどを問い、求める。それは、例によって唐突であるが、「思い上がり」と紙一重の単なる「思いやり」の心を育てるのではなく、「みんなの社会」をつくる「まちづくりと市民福祉教育」に通底する。本稿の「結びにかえて」おきたい。

阪野 貢/「ふつう」再考:「ふつう」は “ 障害 ” を排除し、社会秩序を維持する ―信濃毎日新聞社編集局著『ルポ「ふつう」という檻(おり)』のワンポイントメモ―

「ふつう」とは、「こうあるべき」にも似ています。親、教師、学校の「こうあるべき」が息子を追い詰めたのだと思います。(保護者からのメール。下記[1]206ページ)

学校では、多様性を認める動きの広がりを感じる一方で、支援級の増加に表れているように、障害がある子の「緩(ゆる)やかな排除」が同時に進んでいるように思います。(教師からのメール。同上、210ページ)

高校卒業後は職を転々としました。職場で「おまえのどこが障害者だ? 障害者手帳を返上するつもりで働け」と言われたりしました。今は、無職の私ですが、自殺せずに、精いっぱい生きています。(ASD、LD、知的障害を持つ人からのメッセージ。同上、216、217ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、信濃毎日新聞社編集局著『ルポ「ふつう」という檻(おり)―発達障害から見える日本の実像―』(岩波書店、2024年7月。以下[1])がある。[1]の “ 帯 ” は、「学校で、職場で。『ふつうであること』をめぐって葛藤を抱える人たち、それを支える人たちの姿を丹念に描き出し(た)」と記す。また 、“ カバー・そで ” では、発達の「特性がある人が負った心の傷、『ふつう』をめぐる本人や保護者の葛藤、学校教育のゆがみ‥‥‥。増え続ける発達障害の周辺を、地方新聞の記者たちが丹念にルポ。人が自分らしく生きることを阻む、生きづらい令和時代の日本を深堀りした」とある。なお、「発達障害」には、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害(LD、限局性学習症ともいう)などが含まれる(41ページ)。
〇ある教師は「連載記事を読みながら、胸が詰まり涙が出ました」(209ページ)。ある保護者は「胸をえぐられるような思いで連載記事を読みました」(212ページ)、と投書する。取材に参加した記者たちは、「自分が多数派であり、自分の中に『ふつう』があることに無自覚ではいられませんでした。自分自身をえぐりながら記事を書いていきました」(ⅷページ)と吐露(とろ)する。そしていう。

デジタル技術や人工知能(AI)は、人により速く、効率的に生きることを求めています。だからと言って、発達の特性を「障害」とし、生きづらい人たちに苦しさの原因と結果を背負わせているだけでは、社会は立ちゆきません。まずは、その生きづらさの根っこにあるものを、当事者も周囲の人たちも「異(い)なもの」とせず、心に置いてみること。そして「聴く」こと。そうすることで、多くの人が感じる生きづらさの背景にある社会の構造、そこにつながる私たちの意識の中の「ふつう」に目を向ける道が開かれるのではないか――。取材班は、希望へのヒントにたどり着きました。(ⅷページ)

ある小学生に、「どんな人がそばにいたらいい?」と尋ねたことがある。その子は「うちの犬みたいに、黙って話を聴く人」と言った。「犬は、私の言ったことを良いとか違うとか、言わない」/小さな声が胸に刺さった。聴くより前に、自分の意見を言っていないか。人のことを分かったような気になっていないか――。(190ページ)

取材班の記者たちの中にも「ふつう」はあり、それは容易に解体されないし、報道機関はむしろこの社会の秩序を補強する側にあるのだろう。だが、「ふつう」を凝視することは、社会の構造を問う態度につながる。そのきっかけは、生きづらさの語りを「聴く」ことから始まる。それが、取材班が身をもってたどり着いた差しあたりの終着点だった。(222ページ)

〇この社会はどこまでも、健康で、普通の学校に行き、仕事に就き、家庭を築くことなどを「ふつう」のこととして求める。その社会が求める「ふつう」の生き方が困難で、そこに「生きづらさ」を感じている人たちがいる。その人たちの “ 語り ” を「聴く」ことが、「生きづらさ」を共有し、それを生み出す社会の背景や構造を問うことに通じる。これが[1]の基底的な視点・視座である。
〇その点を踏まえて、[1]のなかから、「ふつう」という「檻」に閉じ込められていること、すなわち「ふつう」に縛られて発達特性(障害)を否定的に考えることに関して、その論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

責任を持って「ふつう」という言葉を使う
「多様性」や「共生」といった言葉が流布し、誰もが肯定するに違いありませんが、現実社会ではそれはいかに心許ないものか。自分が発達障害ではないかと恐れ自死した男性の娘の中学生は、「普通」という言葉への怒りを作文にぶつけました。「己の『普通』が他の人の人生にどのような影響を及ぼすのか、責任を持って『普通』という言葉を使ってほしい」(ⅷ~ⅸページ)/私たちが目を凝らして見つめるべきことは、社会が「ふつう」とする物差しに合わせられるかどうか、なのでしょうか。問われるべきなのは、自分は「ふつう」の側にいると思っている一人一人、社会そのものではないのでしょうか。(ⅹページ)

「ふつう」がこの社会の「生きづらさ」の根源である
保護者や教育・福祉関係者は、良かれと思って人を「ふつう」に矯正しようとしてしまう。(219ページ)/その矯正する力に従えない人は次第に分離され、(中略)一人、個別化されて社会から漏(も)れ落ちていく。漏れ落ちないでいる人も「ふつう」に耐えながら、漏れ落ちないように、「ふつう」にしがみつく。これが、この社会の「生きづらさ」の根源そのものではないだろうか。(220ページ)/生きづらさの根源には高度な資本主義社会が横たわっていて、その社会で「役立ち」ながら生活していくために「ふつう」が私たちにすり込まれている。人材への要請と教育・社会システムは結びついていて、私たちに求められる「ふつう」のハードルは間違いなく高くなっている。令和の時代に「ふつう」であることは、とても難しいことなのだ。(221ページ)

「ふつう」からの解放が自己認識を新たにする
私は連載の経験を経て、この同僚たちを含む一人一人が多様であることを肌で感じられるようになった。みんな個性や特性があり、見た目に分からない生きづらさを感じている。人の内側には ” 深い海 ” があることを想像できるようになった。(222~223ページ)/人に対して「ふつう」という「冷たい定規」を当てはめないだけでなく、自分に対してもそうだ。自分のことを「ふつう」だと認めて安心するのをやめ、心の中で「健常であること」や「新聞社のデスク」といった自己認識を一つずつ剝(は)がしてみる。すると、本当の自分が何者か分からなくなる。むしろそこから、自分の個人的な経験が捉え直され、個性や意思のか細い声が聞こえてくる気がする。(223ページ)

「周りの子が豊かに育てば、障害は長所に変わる」
「子どもを座らせなくちゃ、静かに話を聞かせなくちゃと先生が思えば思うほど、発達障害は増えますよ」。大阪市立大空小学校初代校長の木村泰子さんは、発達障害の子が増える原因をこう指摘する。大空小は、木村さんの方針で特別支援教育の対象の子と障害がない子が同じ教室で学び、補助教員や地域住民、学生ボランティアを積極的に受け入れて運営。(中略)木村さんから見れば、言うことを聞かない子に困った先生が、子どもを「特別」な存在にしてしまう。「学校が変われば発達障害は生まれない」と言う。(70ページ)/子どもの一番の支援者は大人ではなく、「周りの子ども」であり、「周りの子が豊かに育てば、障害は長所に変わる」とも。/木村さんは、学校の最上位の目的は「すべての子に学習権を保障すること」だと強調する。(71ページ)

〇そして[1]は、「日本のインクルーシブ教育には理念とかけ離れた現実がある」と糾弾する。本稿の「まとめ」にかえておくことにする。

文部科学省は障がい児を排除しない「インクルーシブ(包み込む)教育システム」の構築を唱えるが、普通学校では学力が重視され、障がい児の受け入れに消極的である。文科省が言う「個別の配慮」はスローガンだけで、一人一人の先生の属性や理解に任されている。(74、80ページ)/特別支援学校は施設環境が貧弱であり、図書館の蔵書が少なかったり、図書館が設置されていないところもある。(99ページ)/民間のフリースクールの利用については、原則自己負担であり、保護者の経済的負担が重い。(100ページ)/民間事業者も参入する「放課後等デイサービス」については、公費の不正受給や質の確保の問題が発生している。(116ページ)/(ことほどさように)日本のインクルーシブ教育においては、理念と懸け離れた現実(分離と排除)があり、発達の特性がある子どもにとって、学校に居場所があり安心して学べるかどうかは、教師の感度や力量によって大きく左右される。それが現場の実態である。(74、105ページ)/日本の「インクルーシブ教育」とは、「ふつう」の側のための社会秩序を維持する装置なのではないか。(219ページ)

補遺
「学びの場」の枠組みと現状
義務教育の9年間の子どもたちの学びの場は、学校教育法などの法令に基づき、①小中学校の通常の学級、②通級による指導(通級指導教室)③特別支援学級(支援級)、そして④特別支援学校(小・中学部)という4つの枠組みに大きく分かれている(106~110、116ページ)。

➀小中学校などの通常の学級
最も多くの子どもが通っているのは、国や地方公共団体、学校法人が設置する小中学校や義務教育学校(小学校から中学校までの義務教育を9年間一貫して行う学校)の通常学級である。2013年度:1,005万4,000人→2023年度:894万8,000人。
②通級による指導(通級指導教室)
通常学級に在籍し学習におおむね参加できるが、比較的軽度の障害があり、一部特別な指導を必要とする子どもが通う。2013年度:7万7,000人→2021年度:18万2,000人。
③小中学校の特別支援学級(支援級)
障害がある子どものために、学校の中に通常学級とは別に設けられる学級で、小中学校の教育課程に準じつつ、子どもの状態に合わせて特別の教育課程を編成することができる。2013年度:17万4,000人→2023年度:37万2,000人。
④小・中学部の特別支援学校
学校教育法は、視覚や聴覚、知的な障害がある子ども、体が不自由な子どもや慢性的な疾患があり病弱な子どもが学ぶ場として、都道府県に特別支援学校(幼稚部、小学部、中学部、高等部)の設置を義務づけている。2013年度:6万7,000人→2023年度:8万4,000人。
⑤フリースクール
以上の他に、不登校の子どもに学習支援をしたり教育相談をしたりする民間のフリースクールがある。2015年度:474カ所。
⑥放課後等デイサービス
2012年4月に児童福祉法に位置づけられた支援(障がい児通所支援サービス)であり、障害のある子どもが放課後や長期休暇の際に通い、訓練や支援を受けることができる。原則として障害のある18歳までの就学児を利用対象とする。2012年度:3,107事業所→2022年度:1万9,408事業所。
なお、主に6歳までの未就学の障害のある子ども対する通所支援サービスに「児童発達支援」がある。2013年度:2,453事業所→2021年度:8,995事業所(厚生労働省ホームページより)。

付記
次の記事を参照されたい。
阪野 貢/「ふつう」別考―深澤直人著『ふつう』と佐野洋子著『ふつうがえらい』等のワンポイントメモ―/<雑感>(122)/2020年10月30日/本文

 

阪野 貢/「町内会」基礎考―玉野和志著『町内会』のワンポイントメモ―

〇久しぶりに「町内会」に関する本を読んだ。玉野和志の新刊『町内会―コミュニティからみる日本近代―』(ちくま新書、2024年6月。以下[1])がそれである。[1]で玉野は、多くの研究者の言説を引きながら、町内会の歴史を解明し、その特質や現状について解説する。それを踏まえて、「これからの町内会や市民団体が、どのように日本の地域社会を支えていけばよいかを展望する」(10ページ)。その概要は以下の通りである。

「町内会」の概念について、玉野は規定する。「町内会・自治会は、『共同防衛』を目的とする『全戸加入原則』をもった地域住民組織である」(28ページ)。この定義でいう「共同防衛」とは、その地域に住む人々に求められる「生活協力を円滑に安心して行うことができるように、みんなでもって気をつけて、災害や外敵の侵入、内的な秩序破壊としての犯罪の発生などを防ぐ」こと(48ページ)を意味する。この「共同防衛」と「生活協力」という本質的な機能(目的)ゆえに、町内会は全戸加入原則をもつことになる。
町内会の歴史的成立過程について、玉野は解明する。町内会は大正・昭和初期以降、政府によって、社会不安を抑えるために行政の執行過程への協力を求めることで人々を統治する形態として期待され、育成されてきた(町内会の「統治性」)。町内会が政府や行政による日本的統治の「芸術品」(58ページ)と言われる所以である。戦時中は天皇制ファシズムの底辺を支える「町内会・隣組」として、国家によって奨励され、戦争に動員された。敗戦後はアメリカ占領軍=GHQによって出された町内会の解散・禁止令をくぐり抜け、戦後も行政への協力を通して自らの存在を示してきた。こうした町内会を積極的に支えたのは、主として「都市の自営業者層」(123ページ)であった(町内会の「階級制」)。
〇1970年代になると、「都市自営業者層の一部は一方で町内会を通して行政の執行過程に協力し、他方では政治家の個人後援会組織を支えることで、政治的意思決定にもそれなりの影響力を行使することのできる存在となっていった」(150ページ)。1970年代に、現在の「町内会体制」が確立されたのである(95、151ページ)。なお、1969年9月に、内閣府の国民生活審議会調査部会コミュニ ティ問題小委員会が『コミュニティ―生活の場における人間性の回復―』という報告書を公表する。そして政府は、この報告書に基づいて1970年代のコミュニティ政策を展開することになる。そこでは、旧来からの町内会による協力が尊重された。
〇1980年代以降、経済の自由化やグローバル化、そして市民社会の台頭が進行し、都市自営業者は経済的基盤を失い、町内会に代わる市民活動団体への期待がふくらんでいく。ちなみに、特定非営利活動促進法(NPO法)が1999年12月に施行される。そんななかで町内会は、2010年代後半以降現在に至って、保守的・閉鎖的な体質への批判や若い世代の無関心、それによる町内会への加入率の低下や担い手の不足・高齢化などによって、存続の危機が叫ばれることになる。その一方で、阪神・淡路大震災(1995年1月)や東日本大震災(2011年3月)などによって、町内会への期待が高まることにもなる。また、2000年12月に北海道ニセコ町で制定された「自治基本条例」を皮切りに、「町内会を名指しにしているわけではないが、『まちづくり条例』や『自治基本条例』などを制定し、これにもとづく住民協議会などの地域自治組織を作る自治体も増えている」(156ページ)。
町内会の今後について、玉野は展望する。町内会の弱体化が進み、維持・存続が困難になっているなかで、「町内会はいざというとき、住民どうしが助け合うこと(共助)や、行政や政治に要求すること(公助)が、円滑に連動できるように、日頃からゆるやかなつながりを維持することに、その存在意義がある」(175ページ)。そこで、「町内会という日本の近代が生み出したかけがえのない資産を、行政との折衝と議会への政治的要求とを可能にする、市民の協議の場へと受け継ぐことはできないか」(173ページ)。「町内会がいざというとき、外国人も含めたあらゆる住民と行政職員、さらには議員も集まって討議=闘技する場を提供できるならば、日本の自助、共助、公助もずいぶんと違ったものになるにちがいない」(177ページ)。

〇以上の言説について一言すれば、①「都市の自営業者層」に支えられた町内会のあり様は、当時もいまも、そのまま地方の農村部の町内会にも該当した(する)とは思えない。筆者が所属する下記のS市H自治会の実態(光景)の一端からも推測することができようか。
〇②いわゆる「住民が主役のまちづくり」には、住民と行政と議会による「共働」を必要不可欠とするが、そのための具体的な条件や施策についての言及がなされていない。なかでも一般住民に、まちづくりに求められる主体的・自律的な意識や力量が備わっているとも思えない。そのための教育・啓発の推進が肝要となる。
〇③行政職員の数は他の先進諸国に比べてかなり少ないと言われ、また一般行政職員は部門を超えて幅広く頻繁に移動するなかで、町内会は下請けの分業構造のなかに位置づけられてきた(いる)と言える。とすれば、行政職員が、期待される共働活動に能動的・積極的に参加する・取り組めることができるかについても疑問を感じざるを得ない。
〇④「自助」「共助」「公助」については、公助より共助、共助より自助といったようにその優先順位が問われることがある。それよりも、自己責任や自己努力による「自助」が強調され、地域コミュニティが衰退するなかで「共助」が瓦解し、制限的な「公助」のさらなる縮小が進むいわゆる「無助社会」の実相について、その認識は不十分なものに留まっていると言わざるを得ない。
〇これらの点を別言すれば、要するに、町内会の「危機」が叫ばれ、行政と町内会や市民活動団体などとの新たな地域共働(協働)体制のあり方が探求されるこんにち、戦前からの町内会と行政との相互依存関係や行政協力制度について如何に歴史的・構造的に分析・検討するか。そしてそれを受けて、如何にして地域共働体制を時代や地域の要請に応えうるものに構築していくか、が問われるのである。

〇ところで、筆者が住むS市は、日本の中心に位置し、清流として名高い長良川が流れる豊かな自然、積み重ねられた歴史、育まれてきた文化など貴重な地域資源を背景に地場産業が栄え、刃物のまちとして発展してきた(「自治基本条例」前文、2014年12月施行)。2024年10月現在の人口は8万4,036人、世帯数は3万6,475世帯、自治会数は563団体を数える。筆者が所属するH自治会は、2024年4月現在、307世帯、3事業所で構成されている。筆者は一「個人会員」として、回覧板を回すことをはじめ、ゴミステーション清掃、自治会一斉側溝清掃、公民センター・神社清掃、春・夏・元旦祭、交通安全指導、防災訓練、そして老人クラブ例会や敬老祝賀会などの活動や行事に参加することになっている。ちなみに、個人会員(世帯単位)の会費は月額700円、2023年度の自治会決算額は約1,500万円(内、前期繰越金1,100万円、自治会費264万円、補助金113万円、入会金29万円(10世帯入会)など)、2024年度の支出予算額は約1,382万円(内、事業費・助成金等約625万円、次期繰越金約756万円など)である(「令和5年度 H自治会定期総会」資料より)。
〇このようなH自治会とそこでの活動に関して筆者は、かつて次のように書いた。地方の町内会のひとつの実相である。再掲しておきたい。

地方で暮らす筆者にとって、年度替わりが近づくと、心臓が規則正しく鼓動し肺でゆっくりと呼吸をする「静かな時間」が、多少とも揺らぐ。過日、地区の高齢者の寄り合いに参加した際、求めに応じて自分の意見を開陳することになった。話の途中で、寄り合った人たちの心模様が頭をよぎった。「空気」が支配する地域コミュニティのなかで、①歴史や文化の継承・発展や経済や生活の拡大・成長に貢献してきたという思いから、昔ながらの「つながり」(関係性)にこだわり、その制度やシステムを守ろうとする人がいる。②なるようにしかならないという思いから、ひとまず様子見して大勢に従い、いまの「つながり」をやむなしとして、それらしく振舞う人がいる。③精神的な豊かさや生活の質的充実を志向・実現したいという思いから、その時の流れやその場の力関係に異を唱え、新しく「つながり」を組み換えようとする人がいる。
今回の寄り合いも、何代にもわたって住み続けている①の圧勝、外部から移住してきた移住一代の③の惨敗で終わった。旧住民であれ新住民であれ、自らを「一般住民」や社会的地位(階層)の中位層に位置づけている②はいつも、賢い処世術で利口に日和(ひよ)る。これが、筆者が暮らす地方都市(過疎区域含む)の中心市街地の周辺地域(地区)の現実である。
蛇足ながら、その寄り合いでは、筆者の話に対して「学校の先生だったかもしれないが‥‥‥」という、聞こえよがしのつぶやき(嘲笑と愚弄)があった。「梯子(はしご)を外される」(梯子はかかっていなかった)、「出る杭(くい)は打たれる」(出る杭は抜かれる)ことも二度三度。さすがに「あほらしくってやってらんねーよ」。いまだに「世間」の「空気」が読めない自分がいる。そうであっても、「我がまち・我がこと」(さすがに「丸ごと」とはいかないが)である移住一代(筆者)が住むこの地域・社会は、持続可能か?
また、ある年度の自治会総会で、まったくもって不合理な事柄について意見を述べると、重鎮(何代も続くかつての豪農)から「先人の素晴らしい知恵に基づくものであり、まったく問題はない!」と、一蹴される。しかも、地元有力者の息子と思われる若い人から、「あんた、しゃべり過ぎだよ!」という決定打を浴びせられてしまう。重ね重ねご丁寧なことである。その後の議事は、何事もなかったかのように静かに、淡々と進められることになる。後日、一人の参加者から、「私もあんたと同じ意見なんだが‥‥‥」と話しかけられた。いつでも、どこにでもある光景であり、特筆すべきものでもないことは承知しているのだが‥‥‥。なお、日頃の寄り合いや年度総会の参加者は、そのほとんどが男性(世帯主)である。
こんな “ まち ” であり、自治会であるとはいえ、ここで、これまでの自分とこれからの自分を精一杯生きるしかない。
(<雑感>(106)あほらしくってやってらんねーよ! とはいえ:「定常型社会」と地域コミュニティ―広井良典の「定常型社会論」を読む―/2020年4月26日/一部加筆修正。⇒本文)。

備考
首都圏近郊の都市における自治会の加入率は、「2000年代の初めには50%近くになっていたと思われる」([1]13ページ)。全国の市区町村における加入率(世帯単位)は、2021年71.8%(2010年78.0%、2015年75.3%、2020年71.7%)となっている(総務省「自治会等に関する市区町村の取組に関するアンケート」2022年2月)。なお、上記のH自治会の「規約」には、「脱会の時は、(ゴミステーションや公民センターの利用など)一切の権利を放棄する」とある。

阪野 貢/Z世代と不安社会:近頃の若者とつながりと不安の格差社会 ―舟津昌平著『Z世代化する社会』等のワンポイントメモ―

本書の結論を、“ たとえ話 ” を用いて述べれば、次のようになる。
ある村で、若者だけに感染する病が発見された。若者が次々と病気にかかっていく。それを見て、お偉いさんや親族は「これだから若者は」「若者の生活がたるんでいるのでは」「昔はこんなことなかった」などと若者を責め、病の原因を若者の資質に求める。ところが、この病気は「若者であるほど早く感染する」というだけで、実はすべての年齢層に感染するものだった。かくして、村は老若男女、この病気に侵されていくのだった。(以下[1]4ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、舟津昌平著『Z世代化する社会―お客様になっていく若者たち―』(東洋経済新報社、2024年4月。以下[1])がある。[1]では、新進気鋭の経営学者である舟津(「ゆとり世代」)によって、企業組織やビジネスの視点からの実証的でユニークな若者論(現代大学生論)が展開される。舟津によるとそれは、「現実を無視した印象論」ではなく、「並の若者を論じた本よりよほど丁寧な取材を経て書かれている」(303ページ)。それゆえにか、そこではインターネットやSNS(Social Networking Service)の用語や若者言葉が多用され、「団塊の世代」(1947年から1949年にかけて生まれた世代)の筆者にとってはいささか読みづらい本ではある。とはいえ、「Z世代と呼ばれる若者たちを観察することで、われわれが生きる社会の在り方と変化を展望しよう」(5ページ)とする点で、興味深い。
〇「ゆとり世代」とは一般的には、2002年4月から始まる「ゆとり教育」(「完全学校週5日制」「総合的な学習の時間」等)を受けた世代で、1987年から2004年に生まれた世代の呼称である。「Z世代」とは概ね、1990年代半ばから2010年代前半に生れた世代(1990年代後半から2012年頃に生れた世代:67ページ)で、デジタル機器やインターネットが普及している環境で育った世代をいう。なお、こうした世代(cohort)論に関しては、多様性の時代や個人化社会が進行するなかで、その世代の実体や共通性(同質性)は流動的であり、若者の真の姿を描写することが困難になっている。すなわち、Z世代の共通性を前提として、固定的・集合的に若者論を説くことは難しい、とも言えよう。それは、根拠が脆弱な単なる印象論に陥ることにもなる。
〇[1]におけるキーワードのひとつは「不安」である。舟津はいう。Z世代の若者たちは、友達に依存して生きており、友達や友達候補がいないと不安を感じ、孤独は恐怖である。そこでまず、「 友達の共感」(44ページ)を求める 。そして、黙っていて静かな、目立たない「いい子」(51ページ)になる。また、若者たちは、インターネットやSNSの開かれたネットワーク(コミュニケーション)のなかに “ 閉じられたコミュニティ ” をつくり、そのなかで互いの行動を監視・管理し合っている。友達関係は必ずしも自由なものではなく、コミュニティからの疎外や排除、追放に不安を感じているのである。筆者はここで、2005、6年頃に話題になった大学生の「便所飯」を思い出す。ひとりで食事をする “ ぼっち飯 ” に恐怖を覚え、トイレの個室で食事をする、というのである。
〇このようにZ世代は、他人を警戒し、かなり慎重に周りを観察しながら、その一方でほどよく得(とく)できる、コストパフォーマンス(費用対効果)の良い「最適」をめざす。「周りをつぶさに見て、平均を推定して、そのちょっと上になる」ことを慎重にめざして、「最適の置き所を探っている」(61ページ)。
〇この点をめぐって舟津はいう(抜き書きと要約)。

Z世代は周囲への監視の目を絶やさず、他者評価に敏感である。そして、常に「横」を見る。(何処かに)みんな行ってるなら行く、なのだ。わざわざ断るほどの主体性はない。極端なことを言えば、Z世代は他人を信じていない。他者を警戒して監視して、損しないように立ち回って、平均ちょっと上で得することをめざしているから、同世代すら信じていない。/そうでもないと、あんなに手の込んだ友達作りをするわけがない。(220~221ページ)

〇また、いまの若者たちは、就職に不安を感じ、就活を早期から始める。就職後、職場での人間関係に不安を覚え、上司からの不快な非難はぜんぶ「アンチ」であり(88ページ)、説教や叱責に恐れを感じる。また、「自分は他社や他部署(ヨソ)で通用しない」のではないか、こんな「職場では自分は成長できない」のではないかと思い、不安を抱え、転職を考えるのである(246ページ)。
〇ことほどさように、Z世代の若者たちの悩みや不安のタネは尽きない。そしてそれは、社会の変化に敏感に反応し、社会の病理が具体化・体現化されたものである。若者たちは、大人の「映し鏡」(161ページ)である。その点において、上の世代にとっても無関係ではなく、確実に影響を受けている。冒頭に記した “ たとえ話 ” の一節が意味するところである。
〇この点をめぐって舟津はいう(抜き書きと要約)。

Z世代はわれわれの――Z世代以外を含む――社会の構造を写し取った存在であり、写像(しゃぞう)である。/若者は経験が浅く、雑味(ざつみ)がなく澄んでいて、だから外からの影響を受けやすい。社会の構造なるものが生まれる――たとえば不安を利用したビジネスが横行する――とき、社会に在るわれわれは、多かれ少なかれその影響を受ける。なかでも若者は感度が高く適応が早いので、いち早く構造を反映して言動に移す。/だから、異様に見える。でも異様に見えるZ世代は決して地球外から来たエリイリアン(異星人)ではなく、社会構造をより純粋に敏感に写し取った、先端を往く者なのだ。ビジネス化する社会も、不安を利用する社会も、(何の実態もなく、意味内容の存在しない唯(ただ)の言葉しかない)唯言(ゆいごん)的な社会も、若者の方が影響を受けやすいというだけで、確実にわれわれにも影響している。(264ページ)

〇以上を要するに、[1]の結論はこうである。それは、冒頭の “ たとえ話 ” の別言である。

Z世代と、それ以外の他者としてのわれわれをつなぐかすがいは、(中略)社会の中で、われわれのあいだに同じ構造が在ることを認識し、どうやってそこから生きていくのかを一緒に考えることにあるのではなかろうか。/現代社会とはいわばZ世代化する社会である。時代の最先端を走るトップランナー(top runner)でありアーリーアダプター(early adopter:最初期に適応する人)である若者を観察すれば、われわれが置かれた社会構造がより鮮明に見える。Z世代が、意識・無意識によらず感取し現前化させたものこそ、われわれの生きる社会を表したものなのだ。(264、265ページ)

〇なお、舟津は、Z世代に巣食う病理、すなわち現代社会が孕(はら)む社会病理について、その処方箋(アイデア)をいくつか提示する。「理由を探さないで、根拠のない自信を持って生きる」(信頼や不安にはもともと根拠はない)こと、「欠落していることを自覚し、満点人間をめざさない」こと、「したたかに、余裕を持って生きる」こと、などがそれである(285~300ページ)。
〇要するに、根拠がなくても自分や他人を信頼して、(根拠のない)不安を打ち消し、日々の生活(仕事)に向き合っていくことであろう。それは、一面では社会構造的な「解」を求めたい筆者にとっては、いささか手ごたえがないモノである。そう評価する理由のひとつは、若者の価値観やメンタリティ、行動特性(「若者文化」)に焦点を当てる[1]に対して、貧困や社会的孤立のなかで生きるいまの若者を「社会的弱者」として、歴史的・社会的文脈のなかで構造的に捉えることが必要かつ重要である、と考えるからでもある。
〇最後に、Z世代に関して一言。舟津によると、[1]を読んだある読者から「Z世代は “ 炭鉱のカナリア ” である」と評されたという(注①)。言い得て妙(いいえてみょう)である。前述した「黙っていて静かな、目立たない『いい子』」や授業中「黙って座っていれば、いい子だと思ってる」(52ページ)学生は、さしずめ “ 歌を忘れたカナリア ” であろうか。「全共闘世代」(1941年から1949年生まれ)に属するとも言われる「団塊の世代」の筆者から、若者にエールを送り、若者の奮起に期待したい。

①「舟津昌平 Z世代とは日本社会を映す『鏡』である」『日経BOOKプラス』(2024年7月19日掲載)
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/071100393/071100001/(最終閲覧日:2024年9月30日)

〇ここで、「不安社会」に関して一言したい。筆者(阪野)の手もとに、「不安社会」に関する本が2冊ある(しかない)。奥井智之著『恐怖と不安の社会学』(弘文堂、2014年12月。以下[2])と石田光規著『孤立不安社会―つながりの格差、承認の追求、ぼっちの恐怖―』(勁草書房、2018年12月。以下[3])がそれである。
〇先ず[2]で、奥井は、「ますますグローバル化し、個人化する社会は、わたしたちの恐怖と不安の温床である。――わたしたちは今日、そういう恐怖と不安にクールに向き合うことを求められている。しかしクールに向き合うだけで、恐怖と不安が解消するわけではない。他者との連帯にクールに向き合うことが、新しいクールな課題であろう」(156~157ページ)という。これが奥井の主張である。
〇すなわち、こうである。人間はコミュニティに帰属することで「安全」を確保する。しかしそれは、「自由」の喪失を意味する。そこで、「自由」を確保するためには、コミュニティから離脱しなければならない。しかしそれは、「安全」の喪失を意味する(73ページ)。こうして、「コミュニティに埋没すること」の「恐怖と不安」と、「コミュニティから乖離すること」の「恐怖と不安」は、非常に密接で切り離せない「相即不離」(そうそくふり)の関係(87~88ページ)にある。
〇現代社会は、グローバル化し、それに伴ってコミュティの喪失と個人化が進行するなかで、社会的結合が弱体化している(116ページ)。「グローバル化=個人化社会とは別名、非コミュニティ社会である」(165ページ)。そのコミュニティのつながりの希薄化やコミュニティからの解放や離脱、拒絶や排除、すなわち社会関係の喪失や社会的分断は、「自由に自己をデザインできる」(165ページ)こと、すなわち自己選択・自己決定と自己責任を意味する。それは、人間にとって「恐怖と不安に満ちた状況」(70ページ)でもある。そこで人々は、「社会の動向と切っても切れない関係」にある「恐怖と不安」に冷静に向き合い、新たな社会的連帯を求める。別言すれば、「恐怖と不安」は社会的連帯への契機になる可能性を持つのである(142ページ)。
〇なお、奥井は、「恐怖」と「不安」を個別に捉えるのではなく、「恐怖と不安」を並列的に位置づける。つまり、奥井にあっては、「恐怖と不安」は「複雑にからみ合って」(15ページ)おり、「十分に認識したり、制御したりできないもの」(16ページ)である。そこで例えば、「死の不可避性は、恐怖と不安の最大の源泉である」(25ページ)、「恐怖と不安の最大の源泉は社会関係にある」(28ページ)、「恐怖と不安の根源は、人間の知性の限界にある」(17、160ページ)などとなる。
〇とはいえ、“ ヒトはいつか必ず死ぬ ” ことについて「不安」を感じ、“ 死を間近に控えたヒト ” は死への「恐怖」を覚える。近い将来 “ 大地震が来る ” と言われることに「不安」を感じ、“ 地震でいま、家が揺れている ” ときに「恐怖」を覚える。このことだけを考えても、「恐怖と不安」は「恐怖」と「不安」に区別して、個別の概念として捉える必要があると言える。また、ヒトは、未確定あるいは不確実なことについて無知であり、あるいは漠然としか認識できず、さらには十分に制御できず「安心」が得られないときに、「不安」を感じる。その「不安」が広がり・深まる(「不安」が増幅する)なかで「危険」な状況に直面するとき、「恐怖」を覚えるであろう。そして、こうした個人の感情である「恐怖」と「不安」は、それに対処し得る資源をそのヒトがどれだけ持っているかによって、またそのヒトが属するコミュニティや人間関係のありようによって、その感じ方(強度)も異なるであろう(「恐怖」と「不安」の格差)。それはつまり、「恐怖」と「不安」は、個人的要因だけでなく、歴史的・社会的要因について構造的に把握する必要があることを意味する。
〇次に、[3]についてである。そこで石田は、「孤立にまつわる一連の問題を、個人の決定・選択を重視する社会(個人化社会)の産物と見なし、当該社会における人間関係の問題を、孤立を中心に」論じる。その際、個人化とは、「社会を構成するさまざまな単位が個人に分割される現象」をさす(3ページ)。
〇[3]におけるキーワードのひとつは「選択的関係」(「選択的関係」の主流化)である。石田は次のようにいう。

旧来的な農村のように、強固な役割構造を内包する集団に人びとが埋め込まれている社会では、そこに暮らす人が人間関係を選択・決定する自由はきわめて少ない。生命の維持と共同が結びついていた社会では、所属集団の拘束は絶大なものであった。人びとは血縁・地縁といった中間集団への埋没と引き替えに、自らの生命を維持していたのである。この時代の人間関係を、さしあたり、「共同体的関係」としておこう。/一方、現代社会のように、人びとの生活を消費および国の提供する社会保障サービスが補償するようになると、人びとが固有の人と付き合う必然性は低下する。それとともに、私たちを縛り付けていた血縁や地縁の拘束は揺らぎ、人間関係には感情の入る余地が増してゆく。私たちは今や「自らの好み」に応じて関係を形成・維持する自由を手に入れたのである。このようなつながりを「選択的関係」としておこう。「選択的関係」の主流化は現代社会における孤立不安と密接に関連する。(4ページ)

〇これが、石田の言説(立論)の基本的視点・視座である。それに基づいて石田は、現代社会の「選択的関係」の主流化による孤独・孤立に関する諸問題(婚活、孤立死、コミュニティ活動、育児・介護など)を、学説や量的データを用いて分析・検討し明らかにする。それらの結果は次のように “ まとめ ” られる((a)(b)(c)は筆者)。

(a)人間関係が選択化するなか、私たちのつながりを支える基盤は、社会的な役割から個人的な感情に変わってゆく。感情を仲立ちとした関係は、相手からの承認の獲得という課題を押しつけ、人びとの孤立への不安を拡大する。同時に、「選択的関係」の主流化は、他者から選ばれる人・選ばれない人を明確にし、つながり格差をもたらす。/(b)その一方で、個人の決定をとりわけ重視する社会は、選ばれないことによる孤立も、自らの選択の帰結として処理してゆく(自己責任:筆者)。しかし、その背後には、個々人の行動様式(自己への関心)、親の養育方針(面倒の見方)にまで浸透した排除が潜んでいる。/(c)孤立問題を解決する切り札として期待される地域のつながりは、高度経済成長がひと段落した1970年代に、すでに動揺が指摘されていた。私たちは、地域の人たちとつきあわなくても生きていけるように、社会の諸システムを整備してきたのである。こうしたなかで、地域での活動に携わる人びとは、いかにして地域住民の共同性を再編させるか頭を悩ませている。(209~210ページ)

〇この “ まとめ ” を別言すると、こうである(見出しは筆者)。

(a)他者から「必要とされる」資源の多寡(たか)が孤立に結びつく
「選択的関係」の主流化は、私たちの心に「選ばれない恐怖」を植え付け、つながり獲得の行動へと駆り立てる。その一方で、選択のなかに埋め込まれた〝 選別性 〟は、「選ばれる資源」(学歴や収入など、選ばれるために相手の欲求を満たす資源:筆者)をもたない人びとを振り落としてゆく。かくして恵まれない人ほど孤立の恐怖に取り込まれてゆくのである。(76ページ)

(b)自己への関心(自己理解)や親の養育態度が孤立に影響を及ぼす
自己への関心が高い人、親による面倒見の多かった人ほど、孤立していない傾向が見られる。(124~125ページ)/学歴の高い人、暮らし向きのよい人、親によく面倒を見てもらった人ほど、自己への関心(自己理解:筆者)が高い。(中略)そういう人ほど、関係形成に望ましい生活態度を身につけている。(126~127ページ)/親子の経済資本(経済力)、人的資本(学力)に加えて、文化資本(養育指針、生活態度)が相まって、社会経済的地位の低い人びとを孤立に貶(おとし)めてゆく。(130~131ページ)

(c)地域住民の共同性をいかに再編するかが問われている
高齢化の進展、単身世帯の急増、財政の逼迫により地域の互助に対する期待は年々高まっている。にもかかわらず、互助を期待しうる「濃密な関係」は、地域や近隣には見られない。つまり、孤立への打開策として、近隣に期待するのは難しいということだ。これが量的データで鳥瞰的にあぶれ出された地域の実情である。(166ページ)

〇「恐怖」と「不安」が個人化され、その格差が生じている。それがまた、「恐怖」と「不安」をいっそう増幅させている。そんななかで、社会的連帯の方途を見出すことは難しい。石田がいうように、「孤立不安社会としがらみ不満社会を超克(ちょうこく)しうる『第三の道』へは、そう簡単には到達し得ない」(232ページ)。(c)に関して石田は、新たなつながりを生み出す契機として、新たな互助関係としての「ボランティア」、目的集団としての「趣味縁」、所有よりも必要性に根ざした「シェア」、が期待されるとする(228~229ページ)。この提示に関しては、ここに至って、それまでの学説や量的データに基づく石田の論理展開は、影を潜(ひそ)める。指摘しておきたい。
〇例によって唐突であるが筆者は、構造的に生み出される社会的現象としての「恐怖」と「不安」に対処するための理論的根拠のひとつに「共生」論や「ソーシャル・キャピタル」論があり、社会的仕掛けのひとつに「まちづくりと市民福祉教育」がある、と考えている。
〇なお、「共生」論のひとつに、「共生」とは「二つ以上の異なる主体間でお互いに依存しあうなかに、『特定の利益』が共有される状態」をいう、という言説がある(金子勇『格差不安時代のコミュニティ社会学―ソーシャル・キャピタルからの処方箋―』ミネルヴァ書房、2007年11月、43ページ。本書で金子は、『格差不安社会』の典型は『少子化する高齢社会』であるという)。「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)論とは、知らない人を含む一般的な人々に対する「信頼」、“  お互いさま ” という想いから互いに支え合う互酬性の「規範」、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(社会的つながり)によって、コミュニティの諸問題が解決され、よりよい統治が進み、豊かなコミュニティが創り出される、という考え方をいう。付記しておきたい。

あなたは、日頃の生活の中で、悩みや不安を感じていますか。それはどのようなことについてですか。
日頃の生活の中で、悩みや不安を感じているか聞いたところ、「感じている」とする者の割合が75.9%(「感じている」の割合34.8%と「どちらかといえば感じている」の割合41.1%との合計)、「感じていない」とする者の割合が15.5%(「どちらかといえば感じていない」の割合12.4%と「感じていない」の割合3.2%との合計)となっている。
日頃の生活の中で、悩みや不安を「感じている」、「どちらかといえば感じている」と答えた者(2,335人)に、悩みや不安を感じているのはどのようなことか聞いたところ、「老後の生活設計について」を挙げた者の割合が63.6%、「今後の収入や資産の見通しについて」が59.8%、「自分の健康について」が59.2%と高く、以下、「家族の健康について」(50.7%)、「現在の収入や資産について」(47.0%)などの順となっている(注②)。

②「日常生活での悩みや不安」「悩みや不安の内容」内閣府『国民生活に関する世論調査(2023年11月調査)』(2024年3月19日掲載)
https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-life/2.html#midashi13(最終閲覧日:2024年9月30日)

阪野 貢/「社会的処方」再考―西智弘編著『みんなの社会的処方』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、西智弘編著『みんなの社会的処方―人のつながりで元気になれる地域をつくる―』(学芸出版社、2024年3月。以下[1])がある。『社会的処方―孤立という病を地域のつながりで治す方法―』(学芸出版社、2020年2月。以下[2])の続編である。[2]に関しては、本ブログの<雑感>(123)社会的処方とリンクワーカー:お医者さんが取り組む“オモロイ”はじめの一歩―西智弘編著『社会的処方』読後メモ―/2020年11月27日/本文、を参照されたい。
〇西(緩和ケア内科医)にあっては、「社会的処方」(Social Prescribing:ソーシャル・プリスクライビング)とは、「薬で人を健康にするのではなく、人とまちとのつながりで人が元気になる仕組み」(3ページ)、別言すれば「病気や障害があっても無くても、子どもから高齢者まで、誰しもが自分の『やりたい!』を自由に表現でき、それが実現できるような環境を平等に享受できるようにみんなで取り組んでいく」仕組み(5ページ)をいう。「社会的処方は、もっと自由でいい。多くの人たちが気ままに自然に『自分にできること』『自分がやりたいこと、好きなこと』を持ち寄って、お互いに『いいね、いいね!』とつながっていく先に、孤独・孤立の解消がある」(6ページ)。
〇そこで西は、[1]で、社会的な孤独・孤立の問題が深刻化するなかで、「日常生活の様々な場面に社会的処方があり、暮らしているだけで元気になれるまち」(カバーのそで)、「ごちゃまぜのまち」(246ページ)をどうつくるかについて、世界と日本における社会的処方の実践の「場」(生活の動線上で、人と人とが行き交う、ハブとなる「場」:53ページ)や具体的な取り組みに学びながら、これからを展望する。
〇また、西にあっては、社会的処方の基本的理念は、「人間中心性」「エンパワメント」「共創」の3つである。西はいう。「人間中心性」(person-centeredness)については、「その方(人)がこれまでどんな人生を歩んできて、何に興味があって、そしてこれからどう生きていきたいと思っているのか、『好奇心と思いやりをもって、目の前の個人を見ていく』姿勢が大切である」(16、18ページ)。「エンパワメント」(empowerment)については、それは「誰もが本来備えている能力を、発揮できる社会を目指す思想」であるが、「目の前にいる人を信じて、気長に、本人がもっているものを一緒に見つけていくプロセスを共に過ごすことが大事である」(19、21ページ)。「共創」(co-production)については、それは「一緒に作っていくこと」であるが、「自らの社会的処方を(リンクワーカーと一緒に)自ら生み出していく」(21ページ)ことが重要になる。
〇そして、「リンクワーカー」(link worker)は、「孤立している個人やその支援者と面会し、本人の特性や興味関心などを聴取しながら、孤立の解決のために地域活動などとつなげていく役割を担う」人をいう(16ページ)。そのリンクワーカーには、医療や保健・看護・介護・福祉などの専門職や行政職員としてのリンクワーカー(「職業リンクワーカー」)のほかに、ボランティアとしてリンクワーカー的に活動する地域住民=「市民リンクワーカー」がいる。この点について西は、日本で社会的処方を進めていくうえでは、「社会的処方を文化にする」ために「住民主体型の社会的処方モデルが好ましい」(17ページ)という。これらが「社会的処方」についての西の言説、そのポイントである。
〇ここでは[1]のなかから、「社会的処方」をめぐる論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。例によってそれは限定的(恣意的)であるとの謗(そし)りを免(まぬが)れないことは承知している。

社会的処方ではケアされる本人が主役になれるように支援することが肝要となる
「支援する」とは、「基本的には対等な二人の人間が、そこにある課題に対して、一緒に新しい価値を生み出していくこと」である。(24ページ)/ここで大切なキーワードは「本人が『主役』になれるように」である。あくまでも、主体は本人。支援者であるリンクワーカーが何かを施して、本人を受動態の形にするのではなく、かといって本人に全ての責任を押し付けるのでもなく、「一緒に決めたよね」「私たちはあなたのことを見ているよ」といった関係性で支えるという意識が大切なのである。本人が「主役」になる、ということはその主役に働きかける脇役だって必要だし、それを見続ける観客の役割だって必要なのだから。(25ページ)/「一緒に決める」「ずっと見ている」この2つをもって、自身を取り巻く社会の中での「主役」と信じられるようにしていくことが、ここで大切にしたい支援の形なのである。(25ページ)

社会的処方にとって「アート」は人と社会をつなぐ重要な社会的営みである
人々が思いを表現した絵や造形、音楽、ダンスなどをアートという。(148ページ)/アートは人類の歴史上ずっと存在しており、人にとって欠かせないものである理由のひとつは、人が社会的動物で高度な「つながり」が必須だからだ。それは単に他者との表面的な繋がりではなく、自己の内面とのつながりを含む。人は自己信頼ができなくなるとイキイキとしているのは難しく、また、心が通う他者がいない「望まない孤独や孤立」は死を近づける。心安らかに暮らすには自分とのつながり、他者とのつながり、心身ともに安心安全な居場所が必要だ。だから人は自己と自分を取り巻く世界をつなげようと表現し、他者とともに想像を共有し、つながりを形成する力をアートの形で発展させてきたのだろう。言語を超え表現するアートは高度に社会的である人間が生きることをつなぐ、切実なものとして生み出されてきた。アートは個人の創造性と深い繋がりを持ちつつ、同時に社会的な関係性をつくるソーシャルな機能を持つのが特徴だ。(148~149ページ)

社会的処方は人々がまちなかで「わずらわしいことをする権利」を行使することを求める
いつの頃からか、「公共空間で起きている問題は行政の管轄」「そこを管轄する専門家が管理するほうが面倒くさくなく、効率的」、さらには「私たちは『税金』ってかたちでお金を払っているんだから、それくらいの『サービス』はしてくれて当然だろう?」という「社会のお客様でありたい」考えに取りつかれつつある。(206ページ)/これから必要なのは「行政のダイエット」であり、できるところは自分たちの頭で考えて何とかして、行政に頼らないことで税金もかからないようにする方が、長い目で見れば結果的に僕ら自身にもお金が残っていく。もう少し見方を変えるなら、僕らは行政から「わずらわしいことをする権利」を取り戻すべきなんじゃないか、と言える。(中略)僕らは「自分が住むまちを自分できれいに整える権利」や「公園で自由に遊ぶ権利」をはじめとした、「自分たちの暮らしを自由に彩る権利」までも奪われてしまっていると言える。それら権利を全て取り戻して(すなわち、おせっかい住民をエンパワメントして:87ページ)いくことが結果的に、僕ら自身がまちなかで面白がれる生活につながっていくのだと思う。(207~208ページ)

〇2020年7月に閣議決定された政府の「骨太の方針」に、社会的な孤独・孤立対策として「社会的処方」が明示された。2023年6月に「孤独・孤立対策推進法」が公布され、翌2024年4月に施行された。筆者(阪野)は、社会的処方の言葉や理念がイギリスからの(旧態依然とした)直輸入であることに危うさを感じる(イギリスの一般市民レベルでは「社会的処方」は必ずしも十分に認知されている状況ではないとも言われている)。また、社会的「処方」に含意される医師主導に違和感を覚え、さらには慎重さに欠ける制度化に唐突感を禁じ得ない。介護保険制度が導入された2000年4月以降、「地域包括ケアシステム」(地域住民に対して住まい・医療・介護・予防・生活支援などのサービスを一体的・体系的に提供する体制)や地域共生社会づくりのための「多職種連携」の推進が図られ、最近では(2021年4月施行の改正社会福祉法で)属性を問わない相談支援・参加支援・地域づくりに向けた支援の3つの支援を一体的に実施する「重層的支援」体制の整備が図られるなかで、いま、なぜ、社会的処方なのか。また、同改正社会福祉法で「重層的支援体制整備事業を実施するに当たっては、社会福祉士や精神保健福祉士が活用されるよう努めること」と参議院で附帯決議されるが、そんななかで、なぜ、「リンクワーカー」なのか。


〇ただ、WHO(世界保健機関)がいう、社会的処方の基底にある「健康の社会的決定要因」(SDH:Social Determinants of Health、1998年)や「ICF(国際生活機能分類)」(International Classification of Functioning, Disability and Health、2001年)の「環境因子」(environmental factors)について重視すべきであることは言うまでもない。
〇西はいう。「社会的処方を(市民の)文化にする」(17ページ)こと、すなわち地域に暮らす一人ひとりの住民が孤独な人のつなぎ手となっていくことが必要である。とはいえ、「社会的処方の効果に関する科学的な検証はまだ十分とは言えない。過度の投資や熱狂、手放しでの賞賛をするのではなく、目の前にいる一人一人を見つめ、必要に応じて適切な社会的支援を行っていく、その中のひとつの選択肢として、社会的処方の考え方があるのだと理解しておいた方が、現時点では無難であろう」(129ページ)。付記しておきたい。

 


➀ WHO(世界保健機関)は、「SDH(健康の社会的決定要因)」を次の10項目に分類している。①社会格差、②ストレス、③幼少期、④社会的排除、⑤労働、⑥失業、⑦社会的支援、⑧薬物依存、⑨食品、 ⑩交通、がそれである( WHO健康都市研究協力センター・日本健康都市学会訳『健康の社会的決定要因―確かな事実の探求―』(第2版)特定非営利活動法人健康都市推進会議、2004年)。
② 「ICF(国際生活機能分類)」については、スライド(3)ICFの視点と福祉教育―ICFの構成要素間の相互作用/本文、を参照されたい。

補遺
社会的処方の名前や概念は少しずつ広まり、2020年の政府「骨太の方針」にも社会的孤立対策の切り札として明記された。そして2024年には「孤独・孤立対策推進法」が施行され、孤独や孤立の問題は国や自治体だけではなく「国民一人一人も」力を合わせてその対策につとめていくべきとされた。([1]3ページ)