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阪野 貢/限界を引き受けて、なお―『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』へのリプライ―

〇この度は、拙著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』(私家版)に対して、複数のブログ読者から、丁寧かつ率直な感想と評価、さらには批判的な指摘をお寄せいただいた。拙著に目を通し、その内容について真摯に論じていただいたことに衷心より感謝とお礼を申し上げたい。本稿では、こうした評価や批判を踏まえながら、拙著におけるいくつかの論点について、筆者の意図と方法的立場を補足するとともに、そこから見えてきた今後の研究課題について述べておきたい。

 歴史的「原型」の概念規定をめぐって
〇先ず、第1章および第2章に対して寄せられた、「拡大解釈で、かなり無理がある」との批判についてである。これは、地方改良運動や郷土教育運動における一部の活動をもって「福祉教育の一つの原型」と捉えることには、思想的・理念的・歴史的な無理があるのではないか、という指摘である。
〇これに対して、筆者が拙著において試みたのは、当時の教育・教化活動を今日の福祉教育と同一視することではない。むしろ強調したかったのは、当時の活動が「上からの義務としての自治」という性格を強く帯びていたのに対し、今日の福祉教育が本来立脚すべきものは「下からの権利としての自治」であり、両者はその思想的基盤において大きく異なる、という点である。したがって、筆者がそこに見出そうとしたのは、単純な思想的・制度的連続性ではない。本文中でも「歴史的性格を検討」し、「批判的継承」の必要性を論じている通り、一見した現象的な類似性の背後にある思想的な断絶を確認したうえで、その断絶を踏まえてなお、後の福祉教育につながりうる契機を歴史的に検討しようとしたのである。
〇もっとも、「遡及的原点」という語を用いるにせよ、ある歴史的実践を、何を基準として「原点」あるいは「原型」と位置づけるのかについては、より明確な概念的・歴史的基準を示す必要がある。この点において、今回の批判は、筆者自身が「原型」(斉藤利彦「地方改良運動と公民教育の成立」1983年)という概念の設定根拠をなお十分に精緻化できていなかったことを自覚する契機となった。歴史的実践のなかに今日の福祉教育につながる契機を見出すことと、そこに「原点」や「原型」が存在したと断定することとの間には、慎重な概念的操作が必要である。したがって今後は、「原点」や「原型」という文言を、歴史的実践のなかに何が継承可能な契機として存在したのか、また今日の福祉教育との間にどのような断絶があるのかを、より具体的に検証していくことが求められる。この点は、今回の批判を受け止めつつ、今後さらに検討を加えるべき課題として引き受けたい。

 実践家の言説を思想的素材とすることの危うさと意義
〇次に、第9章において、小松理虔や奥田知志といった同時代の実践家の言説を、学術的な理論的素材として位置づけたことへの危惧についてである。これは、第7章で大橋謙策の「福祉教育原理論」を基軸として福祉教育論の系譜と課題を論じたことと、小松や奥田といった現場発の言説や思想を取り上げたこととを、学問的な厳密さという観点から同列に扱うことへの違和感であったと受け止めている。
〇この点もまた、筆者にとっては意図的な方法的選択であった。ただし、明確にしておきたいのは、学術的に体系化された理論と実践家の言説とを、その学問的地位において同列に扱おうとしたわけではない、ということである。筆者が意図したのは、両者を同じ「理論」として並列化することではなく、それぞれ異なる性格をもつ言説や思想を、今日の福祉教育を考えるための「思想的素材」として読み直すことであった。拙著で取り上げた国分一太郎の綴方教育も、小松のいう「共事者」も、奥田の実践と言説も、それぞれ異なる歴史的・社会的文脈に置かれている。しかし、それらを今日の福祉教育という問いから読み直すならば、既存の枠組みを問い直すための重要な思想的契機を見出しうると考えたのである。
〇もちろん、実践家の言説を思想的考察の素材として扱う以上、学術的な体系性や概念的整序をいかに確保するかという問題は残る。実践の言葉をそのまま思想として扱えば、概念の曖昧さや論理的飛躍を招く危険がある。その意味で、この方法には一定の「危うさ」があることを筆者も認識している。それでもなお、その危うさを引き受けようとしたのは、福祉教育を、教室や研究室の内部だけで完結する実践や理論としてではなく、地域や生活の現場において生成される実践と思想との往還のなかで捉え直したいと考えたからである。今後は、実証的資料、理論的・思想的言説、実践家の「語り」をそれぞれの性格に応じて区別し、そのうえで相互に照射させる読解の方法を、より明確に提示する必要があると考えている。

 拙著全体を貫く理論的骨格と今後の課題
〇こうした問題意識から振り返ると、拙著全体を通じて筆者が追究しようとしたのは、市民福祉教育を歴史・原理・哲学という三つの次元から捉え、それらの構造的な連関を明らかにすることである。第1章と第2章では福祉教育の歴史的性格を検討し、第7章では福祉教育論の思想的系譜を整理し、そして第9章では、小松や奥田の言説を手がかりとしながら、依存や共生をめぐる哲学的な問い直しを試みた。歴史における断絶と連続、原理における体系と継承、哲学における当事者性と構造変革――この三つの次元は、それぞれ独立した論点ではなく、相互に参照し合うことによって初めて、「市民福祉教育」という営為の全体像が浮かび上がると考えたのである。
〇そして、この歴史・原理・哲学という三つの次元を、「まちづくり」という実践の場において接続・統合し、具体的な実践構造として示そうとしたのが、第6章から第9章にかけての議論である。第6章では「まちづくり」の構造モデルを描き、第7章での議論を第9章で「依存の権利化」「権利と構造変革の教育」へ、すなわち哲学的な問い直しへと接続することを試みた。この三つの章(第6章・第7章・第9章)を通して、「まちづくり」と「市民福祉教育」を別個の実践領域としてではなく、人びとの参加、関係形成、自治、相互依存、権利の実現をめぐる一連の実践として捉え直すこと。それが拙著全体の基本的な構想であった。第8章では、「市民福祉教育」がいかに計画化され、「まちづくり」の基盤として構造化されていったかを実証的に解明しようとした。それは、第6章・第7章・第9章で展開した理論・思想モデルに対し、実際の制度や地域計画との間をつなぐ実証的な架け橋として機能させることを意図したものである。
〇第6章を「本書の肝である」と評していただいたこと、第9章について「絶望の書にも読める内容であるが、その逆の希望の書でもあろう」と指摘していただいたことは、筆者にとって印象深いものである。また、第6章以降では、議論の図表化に努めたが、最も難儀したのは第6章の図2(「『まちづくり』と自律的市民形成の循環モデル」)である。それについては、「著者の考える市民福祉教育概念が図解的に理解できた」との評価をいただいた。そして、第9章の図2(「『まちづくりと市民福祉教育』のプロセス」)において、「依存の権利化」を中核に「存在肯定(在る)→共働参加(関わる)→相互依存(動く)→共生共創(創る)」という四つの実践的プロセスを提示した試みについても、独自の理論構築として受け止めていただいたことは、いずれも大きな励みとなった。拙著には多くの不十分さや論理矛盾が残されていると思われるが、そこに込めた構想の核心を読み取っていただいたように感じている。
〇もっとも、こうした評価によって、拙著が抱える方法論上の限界が解消されるわけではない。歴史的事実の連続性をどのような概念枠組みで捉えるのか。実践家の言説をいかなる学術的手続きによって思想的素材として位置づけるのか。そして、「まちづくり」と「市民福祉教育」との関係を、単なる実践上の接点としてではなく、存在肯定、共働参加、相互依存、共生共創という観点からどこまで理論的に捉えうるのか。これらは、今回の批判によって改めて浮かび上がった、今後掘り下げるべき課題である。

おわりに――批判を次の研究への契機として
〇「研究」は、完全に完成したかたちで終わるものではない。とりわけ、歴史と理論と実践を横断しようとする試みには、概念の曖昧さや方法論上の揺らぎがつきまとう。しかし、その限界を隠すのではなく、自らの研究の限界として引き受け、そこから次の問いを立ち上げていくこともまた、研究を続けていくうえでのひとつの姿勢であると考えている。拙著は「完成した理論」を提示したものというより、歴史と理論と実践をどのようにつなぎ、そこからどのような福祉教育の可能性を構想できるのかを探ったひとつの試論である。今回寄せていただいた批判や疑問は、その試論を擁護するために退けるべきものではなく、次の研究へと開いていくための重要な契機として受け止めている。今後とも、忌憚のないご意見やご批判をお寄せいただければ幸いである。

 

K.S./敬意と苦言のあいだ ―阪野貢著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究』を読んで―

本稿は、50年来の旧友である阪野貢さんの『「まちづくりと市民福祉教育」の研究―その思想的系譜と変革の実践原理―』(市民福祉教育研究所、2026年6月。⇨ 本編)の書評的感想を綴ったものである。

第1章:明治後期の地方改良運動にみる「自治民育」の実践

本章では、福祉教育の原点を「地方自治」や「地域振興」の視点でみたとき、遡及的原点は明治40年代以後の「地方改良運動」にあるとしている。具体的には、井上友一の「自治民育」活動、その学校現場への波及としての村田宇一郎の所論が主に紹介されている。本書の中では比較的読みやすい章である。

著者は、結論としてこの時期における敬老会活動や地区衛生組織化活動の推進過程における体験活動や交流・共生、そしてその全体としての広報・教育活動の実際に、福祉教育の一つの原型(方向性で重なること)を見いだせるとしている。13頁には当時の郷土教育や敬老・清掃といった諸活動は今日の福祉教育に通ずる具体的な活動の雛形ともしている。しかし、本書の12頁では「福祉教育は福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な住民(市民)の育成を図るための教育活動である」としている。また同頁では、「その活動は自立・共生・自治の意識に基づかなければならない」としている。著者自身が言うように地方自治や地域振興という方向性あるいは活動の現象的類似性があるとしても、それらをもって福祉教育の原型の一とするには、評者にはあまりにも思想的、理念的、歴史的にも無理があると感じさせられた。

農山魚村経済更生運動へ、そして戦時体制へと進む過程は、福祉教育というより、あえて研究史的に言えば社会教育の流れに位置付ける方が無難かなという感想を持った。

 第2章:昭和初期の郷土教育運動における「社会奉仕」の位相

本章は、本書の中では最も短く、検討テーマや結論も分かりやすく得心できることが多かった。本章では満州事変以後に起きてくる「郷土教育(運動)」を中心の具体例として検討されている。著者はその運動の中に科学的な地域社会の実態解明や地域改善に寄与する実践的志向があったとし、今日的な住民主体形成のあり方、福祉教育につながる萌芽が見られるとして評価している。

具体的には昭和恐慌下にあり、戦時体制の強化が進行する中での「社会事業や奉仕活動、公徳心の現状」を理解、把握するための調査活動が重視されたことなどが地域実態の、生活課題などの把握を目的とした現代の福祉教育につながるとし、その動きを現代の福祉教育の「まちづくり」や「地域に根差す教育実践」の基礎の形成につながる一つとして評価している。しかし、もちろんそれは市民福祉教育にとっては、(批判的に)学ぶべき歴史的教訓があるという認識を付け加えることは忘れていない。当然その認識の帰結として、今日の郷土愛やボランティア精神の強調は無批判な体制補完に陥る危うさがあるとして、そうではなく体制に対して批判的・主体的な「市民」の形成をめざす「まちづくり市民福祉教育」が目指す方向であると結んでいる。当然のことであろう。評者には郷土教育運動の活動の一部をもって福祉教育の先駆の一形態としてとらえることは、前章同様に拡大解釈でかなり無理があるかなと感じたところである。

第3章:戦間期における生活綴方教育運動にみる「社会事業的」教育実践

本章は、評者には最も興味深く読めた章である。福祉教育の原点を、大正デモクラシィー期の新教育運動か地方改運動の流れかという対立点の紹介の後、国分一太郎の生活綴方運動を社会事業的活動の視点から検討を加えているのが本章の主な内容である。

社会事業から厚生事業へと福祉行政が転換していくこの時期の過程は、わが国全体でみると、とりわけ児童の貧困化が進んだ時期でもある。その中にあって国分は自らの教師としての諸限界を感じながら、「社会政策的」な見地・実践を教師に求めていたことを著者は高く評価している。著者は、国分のそれは貧困問題等を教師の「教育の内面化」に矮小化することへの痛烈な批判でもあったとしている。つまりここでは著者は彼の実践を「子どもを『救済の対象』としてのみみる従来の人道主義的教員像を否定し、社会構造を共に変革する『連帯の主体』として捉え直そうとする、福祉教育における『主体形成論』の先駆的形態」(28頁)として、子どもたちにも現実生活を客観的・社会的・科学的に把握させることが肝要であるとするその視点を高く評価しているのである。

教育を閉鎖的な教室空間から解き放ち、地域社会の構造的課題へと接続、展開させることを目的とした著者の福祉教育論では当然高く評価できる点であろう。

さらに国分の「社会事業的教師」像の具体化を、「伴走者としての教師像」(32頁)としてみることができるのは戦後の現代に通ずるというのが著者の新たな捉え方である。その意味でも国分の所論・実践は高く評価されてよいものであろう。

しかしここでの著者の結論の一つは、教育科学研究会や戦後の無著成恭らの山びこ実践との継承、比較など(あるいは当事者(当時の児童)の証言などもふくめ)多面的な検討課題が残されているとされている。評者にはそれらをさらに深められるならばさらに現代に通ずる福祉教育の源流の意味が良く分かるように感じられる。さらに言えば、評者個人では、本章ではいわゆる大正期からの「新興教育運動」(=新教育の児童中心主義の教育改良運動に位置付けられる場合があるが、プロレタリアート運動教育論)との比較検討がなされていないことが課題と考えた。冒頭に新教育の野村芳兵衛の名前があるので余計そう感じられる。また、冒頭での著者のいきなりの国分一太郎の所説の紹介は、著者自身が前述の流れに対し、どういう立場なのか少し分かりにくいものになっている。

第4章:徳島県・平岡国市における「子供民生委員」制度にみる「民生村造り」

本章は戦後の福祉教育の源流の一つとして、戦後初期を中心とした平岡国市の「子供民生委員制度」の内容や理念等々を、平岡の生涯の経歴や活動歴を含め、新たな発掘資料などから詳述されている。またそれと対比される形で木谷宣弘らの「みつばち」運動もとり上げられている。具体的で分かりやすい章である。

平岡はその活動精神を5つ(平和、助け合い、尊敬、健康・勤勉、奉仕)とし、(45頁)、これらの活動は、子どもと大人、地域と学校、福祉と教育を限りなく接近させ、そのつながりの中で、「民生村造り」、すなわち現代的には福祉コミュニティーづくりを進めたという評価が著者からは成されている。子供民生委員活動は「這いまわる経験主義」の一例として、その後は教育界からは批判的に退けられていくが、その後の子ども会活動や初期社会科教育活動とのつながる過程が重要であり、その流れも本章では興味深く分析されている。

本章の「おわりに」では、子供民生委員活動から8つの大きな課題(意義)を抽出している(62頁~68頁)。その中では実践例としての「佐古プランの特徴」を現代につながる大きな意義として、特に子どもを通して社会を改造していこうという流れや、理科と社会の中心学習をコアとしたコアカリキュラムなどが触れられている。8つの課題ではとりわけ、①「生きる力」と何かという問いに対し、著者の「自分を生きる力」と「共に生きる力」の両面があるという考えは、今日の福祉関係者の共通概念(理解)にすべき重要な指摘と思われる。また、②として福祉教育ネットワーク、③福祉教育の指導主事やアドバイザー・サポーター、④情報提供と住民啓発・教育、⑤集団的実践主体の形成、福祉教育運動、⑥子ども会などの地域組織活動、⑦教育福祉の問題状況のそれへの取り組みの必要、⑧「市民」的資質の育、等を「今日の福祉教育実践や研究の課題」としている。これらの課題は大変であるが、ネットワークの形成の具体化にも触れられている本章は、この諸活動がその後の「市民福祉活動」につながる子ども期からの活動として、今日的評価としてもきわめて重要という指摘は当然に思われる。

この諸活動の歴史の中に、市民福祉教育運動につながるその萌芽がほとんどあるという著者の評価は妥当に思われるが、ネットワークには共通の価値認識が必要であるが、その認識は諸活動から結果的に(自然に)形成されるのか、価値観が共通するからネットワークが作られるのかは評者にはいまだに良く理解できない点である。

福祉や医療、人権活動等々の世界では、一人の力が地域や他のおおぜいの人全体を動かすという例が多いが、平岡国市もそうした一人であろう。評者には確かに、彼の理論・実践等をその歴史的・地理的制約や限界と共に、その先駆性は正当に評価して良いように思われた。

第5章:神奈川県と鳥取県八頭郡における福祉教育実践の成立と展開

本章では、神奈川県の社会福祉研究普及校制度や鳥取県八頭郡社会福祉協議会の活動が主に紹介されている。前章につながる福祉教育の歴史的研究の一環である。本章に関しては、評者も一時期神奈川県の通信制高校および専修学校に勤務していた時代があり、本章にとり上げられている神奈川県下の中・高校名等と共に「社会福祉研究普及校制度」は懐かしく思い出す制度である。この制度について著者は、「生徒は福祉活動への参加を通じて、自発的に相互扶助や博愛の精神を発揮する主体として形成されるが、この自発性そのものが制度的に設計されているのである」(79頁)と痛烈に批判的総括がなされているが、当時現場に近い所にいたものとしては、中学生、高校生には「思いやり」教育もそれなりに意味があるように感じて眺めていた記憶がある。ただもちろん、著者の言葉を借りれば、(官製の上からの)行政主導型の教育活動(しかも短期間・短時間)のそれはほとんど身につかない、内面化されない結果を生むということはその通りと思えることである。

一方で、鳥取県のそれは著者によれば、地域改善(地域開放)と人間形成を不可分のものとしてとらえ、教室内の閉鎖的な空間での知識の伝達に自己完結させるのではなく、地域社会の文脈に即した実践的課題の解決が、地域改善と人間形成を不可分のものとして構造化していたことが高く評価されている(83頁、86頁)。ちなみに、86頁の図1は、福祉教育に限らないが、教育(学校)における一般的な教師の立ち位置を示すものとして、教師(学校)と社会との緊張関係を示し、社会変革か社会統治かのどちらに自己の比重をかけるかが対比されていて分かりやすい。しかしそれは裏返せば、著者も言うように、教師の役割、力量がきわめて重要なポイントとなることも示しており、その関りにあいまいさや構造的な弱さも生むものととらえることができるものである。

いずれにせよ、これらの活動はのちの全国社会福祉協議会等による福祉教育の全国化(全年齢化)のさきがけになったことは言うまでも無い。

第6章:「まちづくり」言説の系譜と自律的市民の位相

著者の「まちづくり」概念と「市民福祉教育」の関連が構造的にわかりやすく明らかにされ、学ぶことが多い章である。ここではその説明として、玉野井芳郎、田村明、山崎亮、山下祐介の4人の所説の詳しい解説により、評者のような専門外の人間にも理解でき興味深かった。本章はこれら4人の言説を土台に、著者自身の「まちづくりと市民福祉教育」の概念とその理論的基盤を明示しようとした意欲的な章である。

4人の言説を一言でまとめれば、玉野井は新たな市民の再生、田村は市民政府の構想、山崎はコミュニティーデザインによる地域での人間関係の再構築、そして山下は地域学を地方消滅に対抗して創案したとされている。しかしこれらの4人の言説は、共通(一貫)して住民=与えられる存在から、市民=自律的に参加して自治を担う主体への転換を要請しているとし、「この主体形成のプロセスこそが、筆者が探究する『まちづくりと市民福祉教育」の根幹である」(92頁)と著者はまとめている。これらの丁寧な解説を読み、104頁の図2(「まちづくり」と自律的市民形成の循環モデル)をみると、著者の考える市民福祉教育概念が図解的に評者にも理解できたことはうれしい読後感である。

ちなみに著者によれば、玉野井は市民を国家に絡み取られた存在ではなく、地域での生活に責任を持つ生活者として措定され、地域はそれぞれの歴史と伝統を誇る自立した主体の集合体であるとまとめている。

田村は、「都市計画」から「まちづくり」というひらがなの概念を社会に定着させる役割を果たした人として紹介されている。そこではまちづくりは人間の共同生活の自治化を目指すものとして理解される。具体的は、モノ,シゴト、クラシ、シクミ、ルール、ヒトづくり、コト起こしの7つが展開されるというイメージであるとし、「市民政府は、市民参加の到着点でもある」(96頁)とされる。著者による理解は、こうしたまちづくりは究極のところ人づくりに行きつくと解される。

山崎のコミュニティーデザイン論の与えたその後のまちづくり、過疎の克服策、計画等々の策定過程や方法などの影響は今日でも大きいが、著者はこれを地域の課題を地域の人たちが解決するための場をつくることとし、箱もの行政ではなく、地域の人間関係の再編に構造転換させた人物として高く評価している。地域活動に楽しさをもとめた山崎の所論は、その後の今日までつづくいわゆるコンサル行政のあり方にも大きな影響をあたえるものであった(皮肉にもコンサルがさかえ、地域は消滅であるが)。

山下の地域学は、消滅可能性自治体論に対抗したものとしてよく知られている。著者によれば、地域の実像は生命、社会、歴史と文化からなるものとして認識され、地域は、相互扶助の構造と機能を持つ場であると認識される。国家ナショナリズムから地域ナショナリズムへの転換を説くとされている。当然そこには地域固有の(伝統的な)福祉文化がある。

著者は、4人(地域主義、まちづくり、コミュニティーデザイン、地域学)についてその限界と効用を丁寧にまとめている(103~104頁)。その通りと思われるが、では、というところで、104頁において、まちづくりと自立的市民形成の循環モデルが提示され、105頁においてその解説が示されている。評者には、著者の市民福祉教育論の考え方が本書中で一番よくわかる図であると感じた。円環状に結ばれるプロセスそのものが著者の言う「市民福祉教育の実態」であり、その中心冠の核において形成されるものこそが、自律的市民に他ならない、とする結論は評者のような門外漢にも理解できる。著者の考えが具体的(直観的)に理解できるレベルで説明された本章は、本書の肝であると感じられる。歴史研究的な部分を除き、抽象化されて分かりにくい著者の福祉教育論の見える形での具体化の一つである、と評者は高く評価したい。

第7章:福祉教育論の再考と現代的展望

本章は福祉教育論の概念や定義等について、大橋謙策、原田正樹、阪野貢の3人の論を中心に検討されている。いずれも地域福祉の主体形成を重視する立場は共通するが、著者は大橋の論を、「地域福祉計画策定主体、実践主体、利用主体、社会保障制度契約主体」の4つに課題を整理して考察し、大橋の福祉教育論への批判も含め詳しく紹介されている。原田については「協同実践」がその本質であるという理解であり、地域福祉の下位概念・従属概念ではないとすることに同意を示している。原田に関しては共に生きる、支えあうというその関係性や地域性が重視されるということがポイントであるとされる。

一方、大橋福祉教育論を継承する(したい)という著者の福祉教育論は、あくまで「市民福祉教育」論がその理念・方向性の根幹である。著者は、市民福祉教育を「福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人権の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」(117~118頁)。としている。

大橋と共通する点や、句点(。)の少ない意味の取りにくい定義であり、大橋の福祉教育概念と重なる部分もあるが、独自のものである。著者のなかでは、協働は行政主導や専門化主導の枠組みの中での活動であるが、共働は市民が主体的・自立的に、対等な立場で互いに働きかけ、共に新たな価値を創造していく能動的な関係を意味するとされている(118頁)。

さらに、市民福祉教育は、理念・目的・目標、学習者、指導者・支援者、素材・教材、教育内容・方法、教育評価などによって構造化されるとしている。120頁の市民福祉教育の理念と構造を示す図1によれば、それは、定型教育、不定型教育、非定型教育、市民・文化活動(運動)に関連し、その統合・結節点的なものとしてイメージ化されている。121頁には、大橋、原田、阪野のそれぞれの「福祉教論の特質」が、定義の基軸、キーワード、学習の主眼、地域・社会観、実践のアプローチの5つの項目で整理されており、それぞれの特質が分かりやすく説明されている。

しかし一方で、著者は福祉教育の研究者としての3人に共通する志向性として、「地域福祉と福祉教育の不可分性と有機的連携」、「主体形成の重視と市民参加の促進」、「まちづくり・社会変革の推進と地域共生社会の実現」、「実践と理論の往還的関係の重視と実践研究の推進」がそれであるとしている(122頁)。門外漢の評者にはこうした理解が本当に正しいのかどうかの判断ができないが、この3人(著者も含む)は、学述的な系譜を形成しているとの自負はむしろ貴重であろう。

本章は、著者によれば、市民福祉教育を市民自治による社会変革モデルとして再定義したい(125頁)としたものであり、そのことの意欲には敬意を払いたい。

第8章:「まちづくりと市民福祉教育」の計画化と実践的展開

本章にとり上げられている狛江市での「あいとぴあカレッジ」が行われてい1990年代当時のことは、評者も、筆者やその後の報告などを通して聞き及んでいたことであり、記憶が鮮明である。今回、本章で改めて著者の当時の想いや体系的、献身的努力を知り、強く敬意を払う次第である。

あいとぴあカレッジは「地域福祉活動計画」の一部であるが、単発的な学習や実践ではなく、体系的な福祉教育実践という位置づけで、目的意識的に取り組まれたことが第一の大きな意義である。著者によれば福祉教育研究は、①実践事例の検討、②教育内容・方法、③地域福祉との関連の理論的研究、の3つに大別できるとされている。しかし、従来の研究ではいかにしてそれが「地域福祉計画」の中で構造化されるのか、さらに「計画過程」そのものの分析は十分ではなかったという問題意識を持っている。著者の問題意識には、計画化⇒そのプロセスの構造化⇒まちづくりへの具現化という一連の流れとして把握されるべきだということがある。

著者は、福祉教育は事業計画、施設整備計画、マンパワー計画、財政計画の4本の柱で構成されるとし、住民の生活実態、課題、住民の学習要求、学習機会の地域での提供状況などにふまえた上での「目標の明確化」が最も大事であるとする。あいとぴあカレッジでは事務局に企画小委員会や作業部会が設けられ、作業が進行していく様子が詳述されている。140頁には15回にわたったカレッジの学習テーマおよび学習内容が表として掲載されているが、総論、各論、方法論がまちづくり、その担い手づくりという方向に向けて、当時の時代背景の中で周到に準備されていたことがわかる。

評者はこの計画の実践過程を読み、今日ではなかなか実現が難しい状況があると感じた。例えば、公的機関が行う学習会では今日では実費徴収が通常だと思われるが、学習者から参加意識の醸成も含め4000円を徴収したという点や、15日間という長い期間であったにもかかわらず、年齢や属性がそれなりにばらけた30名という受講者数が確保できたこと、評価の観点は満足度等ではなく実際に普段の暮らしの中で変化を起こしたかなどであるとされていることなどがその例で、その独自性を高く評価したい。

著者は本章では、現代社会の福祉問題の多重化=制度的対応ではできない、あるいは制度自体が存在しない、SNSに代表される情報環境、学習環境の大きな変化にあった「福祉教育」の意味を問うている。確かに現代社会の大きな問題は、近年の格差の拡大をきっかけに、自己責任論の横行や関係性の断絶、偏見・差別という現状を生み、その結果、価値観そのものが人により異なることや、地域課題の解決のためのゴールをどこにするかなどの合意形成が難しくなってきているということがある。評者も、極論すれば、著者が自明に使う「基本的人権」、「平和」、「社会正義の実現」という言葉に内包される意味や共通認識が分かりにくくなっていることを認めざるを得ない。社会のあらゆる分野でいわゆる「暗黙知」「共通イメージ」ということが失われつつあり、そのことが「福祉教育論」の現代的共通理解の妨げになっていると感ずる一人である。

第9章:「まちづくりと市民福祉教育」が拓く新たな地平

本章は、今日における思いやり的な「福祉教育」の実践内容や現場の問題点を整理・克服し、新たなあり方を模索した章である。40年近くに渡り「福祉教育」の研究者の一人としてその分野をリードしてきた著者の現代の福祉教育への「絶望の書」にも読める内容であるが、その逆の希望の書でもあろう。著者はそれらの多くある課題を、①理論的課題、②実践的課題、③哲学的課題の3つに整理して論述している。

それらの内容は、著者の言葉を借りるならば、理論的課題には「自立は依存先を増やすこと」(熊谷晋一郎)という新たな福祉観との抵触、実践的課題では相変わらずの教室内での実践(学習中心)の限界、哲学的課題では従来からの単なる共感的学習にとどまり、地域そのものを変革するという主体形成の視点がないことなどがあげられている。

福祉における「依存と自立」の理論的課題や実践的課題を深めるために、本書では小松理虔をあげている。彼は東日本大震災を経験した中で得た当事者か否かという分け方ではなく、「中途半端さ」を認めた関係上での「共事者」という概念を提起する。(いわゆる最近よく使われる「関係人口」ではなく)地域にあってもこうした緩い関係による「地域共生社会」を構想していることを著者は評価している。哲学的課題については、奥田知志をあげている。奥田の問題意識は、現代では自己責任論のあげく「助けて」と気楽に言えない社会があるとし、「伴走型支援」として誰も一人にしないまちづくり、希望のまちづくり、「なんちゃって家族」のまちを目指していることなどを紹介している。著者はこれら二人(共事者の連帯,不可解性の受容)の交差点にこそ、まちづくりの新たな方向性がるとしている。著者によればそれは、自立から相互依存へ、さらにその依存の権利化をとなえ、慈恵的な思いやりでない闘争的な愛,共働的な愛の対置である。これができる社会が結果的に「インクルーシブ社会」になることは評者に首肯するところである。また、こうした相互のあり方を内実化させるために、著者は共感を大切にするが,その共感とは情緒的なものを超え、「他者に対して共に・関わり・関心を持ち続ける『共闘』意識の醸成である」と結論している(163頁)。

本章では他に、鯨岡峻の相互主体性も紹介されているが、関係性を上下でとらえるのではなく、それぞれが主体として機能する能動的な発展的な関係が説明されている。

 本章の「おわり」には、本書全体につながる結論として、まちづくりと市民福祉教育は「個人の内面を耕すという次元を超え、誰もが安心して依存し受援し合える地域共生社会を共創するための、自治的・共働的な社会変革の実践である」と結んでいる(171頁)。さらに173頁では、「教育の本質は、社会に厳然と存在する不条理や構造的課題を『生きた教材』として提示し、多様な価値観が交錯するなかで、『対話と共働』を継続させる場を保障することにある」ともしている。教師だけでなく、専門家、保護者、施設管理者等々に求められる視点でもあろう。

本書は、筆者が50年近く継続的にその実践・研究に携わってきた「まちづくりと市民福祉教育」の集大成である。福祉教育を支える歴史・哲学・原理の再考を狙いとした本書は、評者には正直なところかなり難解であった。しかし、福祉教育に関心のある者、福祉教育研究者、地域福祉の研究・実践に携わる研究者や行政マンには基本的知識としてぜひ読んで、部分的にも実践してもらいたい。

阪野 貢/「自由の実践としての教育」と「学びの共同体」を考えるために ―ベル・フックス著『学ぶことは、とびこえること』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、ベル・フックス著、里見実監訳、朴和美・堀田碧・吉原令子訳『学ぶことは、とびこえること―自由のためのフェミニズム教育』(原題:Teaching to Transgress, Education as the Practice of Freedom, 1994。ちくま学芸文庫、2023年5月。以下[1])がある。[1]は、アメリカの批評家・フェミニスト理論家であるベル・フックス(bell hooks)による教育論のエッセイ集である。フックスは、パウロ・フレイレの『被抑圧者の教育学』( ⇨ 参照 )の影響を受けつつ、教育とは教師による一方的な情報・知識の伝達・注入(「銀行型教育」)ではなく、抑圧的な構造(人種・階級・ジェンダー)を超えていく営為(「自由の実践としての教育」)であり、教師と学生が互いに主体として、双方向的に関わり合いながら(「関与の教育」)、全人的な成長・発達をめざす営為である、と説く。
〇本稿では、[1]のなかから、フックスの言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「学びの共同体」と「わくわく」感:授業は学生と教師の共同作業である
授業は刺激的な場でなければならない。絶対に退屈な場であってはならない。(18ページ)/刺激的な学びを創造するためには、そこで語られている内容が刺激的であるだけでは、まだ十分ではない。教室という場はひとつの共同体であるから、「わくわく」を生み出す能力は、わたしたちがお互いに関心をもちあうこと、相互の声に耳を傾け合うこと、他者の存在を認め合うことと、深く関わり合っている。(中略)教師が一人ひとりの存在を真に大切に思わなければならない。クラスにいる全員が授業のダイナミズムに関係しており、みんながそれに寄与しているのだという認識がなくてはならない。このみんなの寄与が、資源なのだ。この資源を有効に活かせば、学生たちはどんな授業においても、開かれた「学びの共同体」をつくりだす能力を自ら高めていくのだ。(20~21ページ)

「自由の実践としての教育」と「越境」:教育は既存の境界を越え、自由を実践する営みである
長年にわたって授業という場は、学ぶというよりも他人を出し抜くための踏み台として教育を利用しようとする教師や学生たちによって、さんざんに蝕(むしば)まれてきた。(中略)わたしたちのだれもが精神と心を開き、通念のとばり(既成の考え方や常識が、その先にある知を覆い隠している、仕切りとなる垂れ幕――引用者注)を越えた知に迫り、思考し、さらに再思考し、新たなヴィジョンを創出していくことを願いながら教える。この越境を可能にする教え――境界を逸脱し、それを踏み越えていく精神のこの運動こそが、教育を自由にする実践なのだ。(28ページ)

「関与の教育」と「告白」:教師もまた自らを語り、さらけ出す存在である
教育が自由の実践である以上、分かち合い、告白を求められるのは一方的に学生だけであってよいはずはない。関与の教育学(教師も学生も、知識を一方的に伝達・受容するだけの関係ではなく、互いに全人格(知性・身体・精神)をもって主体的に授業に関わり、共に学び合い、成長していこうとする教育――引用者注)は、単に学生のエンパワーメントだけを追い求めているのではない。ホリスティック(全人的――引用者注)な学びの方式を使った授業は、その授業を通して、教師が成長しエンパワーされる場でもあるはずだ。(中略)教師が自らの経験を授業で語るということは、つまりは、すべてを知りつくした沈黙の尋問者として振る舞う可能性を放棄するということなのだ。教師がまずリスクを負って自分の経験を告白し、それを学問的な議論と関連づけることで、経験というものが学問の理解を高め、興味深いものにするかを示すならば、そのことでしばしば豊穣な学びが生まれてくる。でもそのためには、教師は授業のなかでもっと傷つきやすい存在になること、心とからだと魂の全体をさらす存在として、学生たちの前に立つことを求められる。(46~47ページ)

「多文化主義の教育」と「差異」:教室内の多様性は学びの資源であり、教育を問い直す出発点である
(人種・階級・ジェンダーなどの差異による――引用者注)多文化的な集団では、ときとして、それぞれに違った学び方や認識方法があり、それを受け入れなければならないことを、教師も学生も思い知らされる。/考え方を変えることは、教師にとって難しいように、学生にとっても難しい。(77ページ)/多文化主義の立場に身をおくと、教育に携わる者は、知識がこれまでどんなに狭い枠組みのなかで教えられたり学ばれたりしてきたかを、いやでも自覚せざるをえなくなる。ありとあらゆる種類の偏向を受け入れ、維持してきた、その共犯者が自分自身であることに気づかざるをえなくなる。学生たちは、知ることの前に立ちふさがっている障壁を突破したいと熱心に望んでいる。既存の知識を問い直す批判的な精神、惰性に逆らう知的探求の論理に、すすんで自らを委ねたいと欲している。多文化的世界の認識をふまえたラディカルな教育変革を、わたしたち教育者がしたそのときに、学生は、自分たちが希求し、また当然享受してしかるべき教育を、手にできるだろう。わたしたちは自由に表現できる空気を、意識を変える授業を、創り出すことができるだろう。それこそが、真に開放的人間教育の神髄なのである。(81~82ページ)

〇いささか牽強付会で(けんきょうふかい)はあるが、フックスの以上の言説を「まちづくりと市民福祉教育」の文脈に読み替えてみると、次のようになろうか。そこには、地域を「学びの場」として捉え直すためのいくつかの示唆が見えてくる。すなわち、まちづくりとは単に地域の施設や環境を整備することではなく、そこに暮らす人びとが互いに学び合い、関わり合いながら、自分たちの地域のあり方を問い直し、新たな関係と未来を創っていく教育的営為でもあるのである。
〇第1に、「学びの共同体」の思想は、まちづくりにおける住民参加の理念に通底する。授業が刺激的な場であるためには、内容の充実だけでは不十分であり、教室にいる全員が互いに関心を持ち合い、その存在を認め合うことが必要である、とフックスはいう。これはまちづくりにおいても同じであろう。まちづくりを「わくわく」する営みにするのは、行政や専門家が用意した計画そのものではなく、そこに暮らす住民一人ひとりがこのまちの担い手であると認識し、互いの声に耳を傾け合う関係性である。住民の存在と関与そのものが、まちづくりの資源なのである。
〇第2に、「越境」の思想は、行政や専門家と住民のあいだに引かれてきた境界線を問い直す視座を与えてくれる。授業という場が、学ぶことより他人を出し抜くことの道具として蝕まれてきたように、まちづくりや市民福祉教育の現場においてもまた、支援者と受援者、専門家と素人という固定的な役割分担によって、相互に学び合いながら新たな関係をつくる可能性が狭められてきたのではないか。既成の枠組みを越え、共に新たなヴィジョンを創り出していく実践こそが、「自由の実践としての教育」であり、市民福祉教育のめざすところである。
〇第3に、「告白」の思想は、専門家・支援者の側にも自己開示や、自らの弱さ・脆さを隠さない開かれた姿勢を求める。フックスは、教師がすべてを知りつくした沈黙の尋問者であることをやめ、自らの経験を語る存在になることを説く。まちづくりと市民福祉教育の現場においても、支援する側が一方的に支援を与える立場に留まり続けるのではなく、自らも弱さや迷いを抱えた一人の住民として認識することが求められる。専門家が持つ専門知と住民が持つ生活知という価値が対等に響き合う、相補的なパートナーシップが構築されてはじめて、共働としての「関与の教育」が始まるのである。
〇第4に、「差異」の思想は、地域社会の多様性をそのまま、まちの資源として捉え直す視点を与えてくれる。年齢、障害の有無、国籍、生活背景などの差異ある住民が集う地域は、フックスのいう多文化的な教室と重なり合う側面がある。それぞれの差異を問題や障壁としてではなく、まちを豊かにする資源として受け止め、既存の枠組みを問い直す姿勢、すなわち「多文化主義の教育」の実践こそが、真に開かれた「まちづくりと市民福祉教育」の神髄であろう。

〇フックスの「自由の実践としての教育」は、学校という場だけに閉じられた・限定された教育論ではない。人びとが共に生き、共に学び、共に地域・社会を創っていくための実践論である。「学びの共同体」「越境」「告白」「差異」という4つの視点は、「まちづくりと市民福祉教育」を、行政や専門家が住民に提供するものとしてではなく、住民、専門家、行政などが互いに学び合いながら、共に地域・社会を創っていく「開かれた学びの場」として捉え直す手がかりになる。すなわち、学校や施設だけが教育の場なのではなく、「まち」そのものが、人びとが出会い、関わり、学び合いながら現状を批判的に捉え直し、共に社会変革を促していく創造的な営みの場、「学びの共同体」となり得るのである。

阪野 貢/「コモンズ」基礎考 ―オストロムの「8つの設計原理」と李妍焱の「市民的コモンズ」についてのワンポイントメモ―

「まちづくりと市民福祉教育」は、地域の空間や資源を共同で利用・管理するだけでなく、その共同実践(共働)を通じて人と人との関係性や市民性を共有資源として形成・蓄積していく、重層的なコモニングの過程として捉えることができる。

〇「コモンズ(commons)」(共有資源)への関心を呼び起こすひとつのきっかけとなったものに、斎藤幸平の『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年9月)がある。斎藤はいう。「〈コモン〉とは、社会的に人々に共有され、管理されるべき富のことを指す」。「〈コモン〉は、市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのでもなく、かといって、ソ連型社会主義のようにあらゆるものの国有化を目指すのでもない。第三の道としての〈コモン〉は、水や電力、住居、医療、教育といったものを公共財として、自分たちで民主主義的に管理することを目指す」(141ページ)。そして、「無限の経済成長ではなく、大地=地球を〈コモン〉として持続可能に管理すること」(190ページ)によって初めて、「マルクスが最晩年に目指したコミュニズム、(すなわち)平等で持続可能な脱成長型経済」(195ページ)が実現する。要するに、斎藤にあっては、資本主義によって解体されてしまった〈コモン〉を再建する「脱成長コミュニズム」――つまり国家主導・統制ではなく、市民が協同で〈コモン〉を共有し民主的に管理する社会こそが、「持続可能で公正な社会」の実現を可能にするのである。( ⇨ 参照
〇こうした「コモン(common)の議論は、より広く「コモンズ」をめぐる議論の一部として位置づけることができる。ただし、そこには系譜の異なる二つの流れがあることに注意しておきたい。ひとつは、斎藤のようにマルクス主義の系譜に立ち、資本主義批判・脱成長論として〈コモン〉を、「こうあるべき」であるというように規範的に語る思想的な議論である。もうひとつは、森林や漁場、入会地(いりあいち)や牧草地などの伝統的な自然資源から、市場(私)と国家(公)の二元論を超えて人々が協同で管理・運営する生活基盤や資源まで、その実態を実証的・制度分析的に解明しようとする研究の系譜である。
〇両者は問題意識(資本主義批判/制度の実証分析)を異にするが、いずれも「市場か国家か」という二項対立に収まらない共有・協働の可能性を探る点で通底している。前者の斎藤の議論におけるコモンは、「資本の論理から切り離し、市民が自治的に管理する共有資源」である。後者において主導的な役割を果たしたのが、アメリカの政治学者・制度派経済学者のエレノア・オストロム(Elinor Ostrom、1933~2012)である。彼女は、『コモンズのガバナンス(Governing the Commons)』(1990)などにおいて、コモンズが国家による管理や私有化に頼らずとも、利用者自身の自主的なルール形成によって持続的に運営され得ること、すなわち国家による一元的管理や私有化だけでは捉えきれない、利用者による自己統治の可能性を実証的に示し、2009年にノーベル経済学賞を受賞した。
〇コモンズについては、みんなが自由に使えば誰もが自分の利益を優先して資源を使い尽くしてしまうという「コモンズの悲劇」(ギャレット・ハーディン、1968年)が語られてきた。それに対してオストロムは、世界各地の現場(地域社会)を調査・分析し、長期にわたって安定してコモンズを維持しているコミュニティが実際に存在すること、そしてそこには共通してみられる制度上の特徴があることを見出し、それを「コモンズの8つの設計原理」として整理・提示した。
〇ここで、筆者(阪野)の手もとにある、エレノア・オストロム著、原田禎夫・齋藤暖生・嶋田大作訳『コモンズのガバナンス―人びとの協働と制度の進化―』(晃洋書房、2022年12月。以下[1])から、いわゆる「オストロムの8原理」についてメモっておくことにする(抜き書き。小見出しの括弧内と「すなわち」以下は筆者)。資本の論理から切り離し、市民が自治的に管理する共有の富

オストロムの「コモンズの8つの設計原理」
1.  明確な境界(資源と利用者の範囲が明確であること)
資源ユニットを利用する権利をもつ個人や世帯は、共的資源の境界と同様に、明確に区分されていること。(107ページ)
すなわち、資源の範囲と、それを利用できる人の範囲が明確であること。
2.  地域的な条件と調和したルール(ルールが地域の条件に適合していること)
時間、場所、技術および/または資源ユニットの量を規制する占用ルールは、地域の条件に、そして労働や資材の提供および/または費用負担を定めた供給ルールと調和したものであること。(108ページ)
すなわち、資源を利用する際のルールや、資源を維持管理するための負担のルールが、その土地の自然的・社会的条件(気候、地形、慣習など)や、利用によって得られる便益と負担との関係に配慮されていること。
3.  集合的選択への参画(利用者がルールづくりに参加できること)
運用ルールの影響を受ける人が、ルールの修正に参加できること。(109ページ)
すなわち、資源を実際に利用する人が、外部から一方的にルールを課されるのではなく、ルールの決定や変更そのものに加わることができること。
4.  監視(資源と利用状況に対する監視が適切に行われること)
監視役は、共的資源の状況や占用者の行動を積極的に監視し、占用者に対する説明責任を負っているか、自身もまた占用者であること。(110ページ)
すなわち、資源がどのような状態にあるのか、利用者がどのように資源を利用しているのかを、利用者自身または利用者に対して責任を負う者が把握する仕組みがあること。
5.  段階的な制裁(違反に対して段階的な制裁があること)
占用者が運用ルールに違反したとき、他の占用者、または占用者に説明責任を負う役員、あるいはその両方によって、(違反の深刻さと状況に応じて)段階的に制裁を科されると見込まれていること。(110ページ)
すなわち、ルール違反に対して、いきなり厳罰を科すのではなく、違反の深刻さや頻度に応じて段階的に罰則が重くなるという制裁があること。
6.  紛争解決メカニズム(紛争を身近な場所で解決する仕組みがあること)
占用者や役員は、地域の話し合いの場に低費用かつ迅速にアクセスでき、占用者間、あるいは占用者と役員の間に生じた紛争を解決できること。(117ページ)
すなわち、利用者同士、あるいは利用者と管理者の間でトラブルが起きた際、低コストかつ迅速に解決できる場(仕組み)が用意されていること。
7.  組織化における最低限の権利の承認(自治が外部から認められていること)
外部の政府権力が、占用者自らの制度づくりの権利を侵害しないこと。(118ページ)
すなわち、利用者が自分たちでルールを定め、組織化する権利を、政府などの外部の権威が一定程度認め、保障していること。
8.  入れ子状の組織(多層的な組織によって統治されること)
占用、提供、監視、実効化、紛争解決およびガバナンスが、入れ子状(多重構造――引用者注)に組織化されて行われていること。(119ページ)
すなわち、大規模なコモンズの場合、末端の小規模な地域組織からより広域の組織までが複数のレベルにわたって重層的に組織され、相互に連携していること。

〇この8つの設計原理は、オストロムによれば推論的な示唆に留まり、あらゆるコモンズへ適用すべき必要条件や一律の公式ではない。むしろ、持続的で自己統治的なコモンズの事例に観察される共通パターンを示したものである。すなわち、コモンズは、外部からの強制的な管理か、あるいは民営化かという二者択一ではなく、利用者が自分たちでルールをつくり、監視し、違反には段階的に対応し、紛争を解決する、という仕組みを持つことによって資源を長期的・共同的に維持する自己統治の可能性を持っているのである。

〇もう一冊、筆者の手もとに、李妍焱(リ・ヤンヤン)著『市民的コモンズとは何か―理論と実践者との対話―』(ミネルヴァ書房、2025年3月。以下[2])がある。李は[2]において、「市民」や「市民社会」、「コモンズ」などの議論をレビューし、また事例研究を通して、社会変革の仕組みとなる「市民的コモンズ」の概念の構築をめざす。
〇李にあっては、「市民」とは、「他者や社会、公共的な事柄と豊かにつながる生き方をする個々人」、「一種の『市民的センス』を自然に身に纏(まと)っている人」(2~3ページ)、「自分にとっての義務や経済的利益にとらわれることなく、社会的・公共的な事柄に参加する人々」(66ページ)である。その意味で、「市民とは、人間と社会がもつべき新しい価値観を意識し、一定の市民的資質を持って、所属するコミュニティにおいて主体的に実践する者であり、かつコミュニティ内に限定されないフラットでオープンな感覚を持ち合わせている存在である」(67ページ)と定義されることになる。それは、表1のように整理される(68ページ)。

表1「市民性」を物語る諸項目

〇次に、「市民社会」(「市民セクター」)について、李は次のように言う。「➀何らかの共有される課題やテーマに対して、自らの価値観と思いに基づき多様な様式で取り組む多様な人々の、➁(所有ではなく)共有と協同によって成り立つネットワーク、組織やつながり方、および➂その実践内容と構築した仕組み、といった『実体』を指し示す内容だけではなく、➃このような人々による問題提起や思潮とその社会的インパクトの側面も含めたい」(13ページ)。それは、表2のように整理される(14ページ)。

表2「市民社会」(「市民セクター」)の概念

〇そして李は、地縁的な共同体が自然資源を共同管理する「伝統的コモンズ」と、知識やデジタル領域にまで対象を広げた「新しいコモンズ」についての議論を俯瞰し、その系譜の整理を踏まえて「市民的コモンズ」について定義する。すなわち、市民的コモンズとは、「具体的な資源を媒介とするコモニーングの過程であり、多様な目的を持った多様な人々が関わり、オープンなコミュニティづくりによってエンクロージャーに抵抗し、市場システムで切り捨てられてきた価値の再構築を行い、自生する社会秩序を志向する協治の仕組みである」(152、226ページ)。
〇この定義を構成要素に分解すると、➀モノや空間などの何らかの「資源」があること、➁その資源を共同で利用するだけでなく、新たな資源やその価値を共創すること(コモニーング)、➂同じ目的を持つ人だけでなく、立場を超えた多様な人が参加すること、➃仲間内に囲い込むこと(エンクロージャー)を避け、新たな参加者を受け入れること、➄市場では価値がないとされたものを、市民が再評価すること、➅行政などが上から管理するのではなく、市民の協同実践によって秩序を形成すること、になろう。ここでは、コモンズ(共有資源)という状態・対象よりは「コモニング(commoning)」([2]では「コモーニング(communing)」と表記)、すなわち具体的な資源を媒介として、人々が共同でその利用・管理・価値づけ・関係の形成を行い、新たなコモンズと社会秩序を形成している実践・プロセスそのものが重視される。

〇以上のコモンズ論を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言する。例えば、商店街の空き店舗を利活用した居場所づくり、空き家を活用した住民の交流拠点づくり、あるいは地域のサロン活動を通じた住民同士の関係づくりなどがある。こうした実践は、単に物理的な空間を再生・活用する「まちづくり」の活動に留まらない。それは、いわば「空間的コモンズ」を形成・再生する実践であると同時に、そこへの参加や協働を通して、共感力や対等性、行動力などの市民性(表1参照)が育まれ、それらが住民同士の関係のなかで共有され、蓄積されていく「関係的コモンズ」を形成する実践でもある。公共的な空間をつくる過程と、住民同士の支え合いや学び合いの関係を育てる過程とは、同じ実践のなかで相互に結びつきながら進行しており、空間をつくることが人と人との関係をつくり、その関係がまた空間を支え、育てていく――ここに、「空間的コモンズ」と「関係的コモンズ」の相互作用を見ることができる。
〇したがって、「まちづくり」と「市民福祉教育」を二分して捉えるのではなく、「まちづくりと市民福祉教育」という不可分で一体的な実践として捉えることが重要になる。「まちづくり」が地域の公共的な空間や資源をつくり出す営みであるとすれば、「市民福祉教育」は、その営みへの参加と協働を通して人と人との関係性や市民性を育て、それらを地域の共有財産として蓄積していく営みである。両者は別々のものではなく、コモンズをつくり、育て、次の実践へとつないでいくひとつのプロセスとして理解することができるのである。
〇その点について、牽強付会(けんきょうふかい)ではあるが、オストロムの「8つの原理」を「まちづくりと市民福祉教育」の文脈に読み替えてみると、例えば次のようになろうか。1(明確な境界)は、地域の課題や資源とともに、担い手の範囲を明確にする。2(地域的な条件と調和したルール)は、地域の歴史や文化、生活実態を重視する。3(集合的選択への参画)は、子どもや高齢者、障がい者など多様な住民が参加し、共働する。6(紛争解決メカニズム)は、住民間のトラブルは当事者同士で話し合い、解決する。8(入れ子状の組織)は、自治会や地区・市町村社協、行政などと重層的に連携し、支え合う。ただ、当然のことながら、「8つの原理」を無批判的に読み替えることには限界がある。1については、都市の地域社会では流動性が高く、明確な「境界」(範囲)を設定することは困難である。2については、「地域の条件」をめぐって新旧住民間で認識のズレが生じうる。3については、住民の高齢化や担い手不足が進む地域では、「集合的選択への参加」は難しい。6については、「紛争解決」の方法や内容が住民間の力関係に左右されうる。8については、「重層性」が縦割り構造に陥りやすく、末端組織の自律性が損なわれる懸念がある。留意したい。

阪野 貢/阪野貢の経歴と研究業績:「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究の系譜―1973年4月~2023年12月―

阪野貢の経歴と研究業績
「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究の系譜
―1973年4月~2023年12月―

宝仙学園短期大学保育科  専任講師・助教授・教授(1973年4月~1997年3月)
中部学院大学人間福祉学部人間福祉学科  教授(1997年4月~2013年3月)
中部学院大学大学院人間福祉学研究科 教授(2003年4月~2013年3月)
NHK「社会福祉セミナー」講師(福祉教育等担当)(1997年8月~2009年1月)
皇學館大学大学院社会福祉学研究科 非常勤講師(2002年4月~2011年3月)
福井県立大学大学院看護福祉学研究科 非常勤講師(2003年4月~2021年3月)
文教大学生活科学研究所  客員研究員(2013年4月~2021年3月)
市民福祉教育研究所  主宰(2012年6月25日~2020年12月31日)
市民福祉教育研究所  顧問(2021年1月1日~)
日本福祉教育・ボランティア学習学会  名誉会員(2023年11月4日~)

※学歴・職歴と主な学会活動、社会活動及び「福祉教育」関連の著書・論文




附記
「『市民福祉教育』として構築し、推進することが求められている」(この人に聞く⑬)
日本福祉教育・ボランティア学習学会監修『ふくしと教育』通巻14号 大学図書出版、2013年2月、38~41ページ。



(2023年12月31日現在)

阪野 貢/「コミュニタリアニズム」基礎考 ―菊池理夫のコミュニタリアニズム論のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとには、日本におけるコミュニタリアニズム研究の第一人者である菊池理夫の著作・論考が3点ある(それしかない)。すなわち、①「日本におけるコミュニタリアニズムの可能性」(広井良典・小林正弥編著『コミュニティ―公共性・コモンズ・コミュニタリアニズム―』勁草書房、2010年1月。以下[1])、②『現代のコミュニタリアニズムと「第三の道」』(風行社、2004年3月。以下[2])、③『日本を甦らせる政治思想―現代コミュニタリアニズム入門―』(講談社現代新書、2007年1月。以下[3])、がそれである。
〇コミュニタリアニズム(communitarianism:共同体主義・共同体論)とは、人間は本来、家族や地域・社会などのコミュニティ(共同体)のなかで生きる存在であり、コミュニティの伝統や価値観によってはじめて自己を形成しうる、とする思想的立場である。それは、個人の自由や権利を何よりも優先するリベラリズム(liberalism:自由主義)の説く「負荷なき自我」(社会や歴史から切り離された、完全に自由で孤立した個人)という人間観を批判し、歴史や文化、家族や地域・社会との関係性のなかで自己を形成する「状況づけられた自我」を再評価する点に大きな特徴がある。
〇菊池は、[1][2][3]において、1980年代にアメリカの政治哲学・公共哲学として登場したコミュニタリアニズムに関する議論を網羅的かつ批判的に検討する。そのうえで、日本では、コミュニタリアニズムが全体主義的あるいは懐古主義的な思想として理解されがちであることを指摘し、そうした誤解や偏見に満ちた批判に応えるために「現代のコミュニタリアニズム」論を展開する。そこで菊池は、「現代の政治理論、政治思想のなかで、普通の人々の『つながり』を重視し、エリートの政治ではない、身近で日常的な民主主義の政治を根拠づけるのがコミュニタリアニズムである」([3]8ページ)と再定義する。菊池において、こうしたコミュニタリアニズムが理想とする社会は、完全なかたちで実現しうるものではないが、それでもなおめざすに値する「実行可能なユートピア」([2]298ページ)である。
〇そこで、本稿では、[1][2][3]のなかから、ひとまず(1)「現代のコミュニタリアニズム」、(2)その核心をなす「共通善」、(3)「コミュニティ」、そして(4)「公共の福祉」の4点をめぐって、菊池の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者。一部語尾変換)。

「共通善の政治学・政策学」としての「現代のコミュニタリアニズム」
現代のコミュニタリアニズムとは、共通の文化や伝統などを前提としながら、自由で、平等な成員(メンバー)が原則として全員がともに熟議し、共通の利益・共通の目的を実現するために参加する自治的で、民主的なコミュニティを重視し、そのようなコミュニティの実現・維持のための政策を掲げる政治思想・公共哲学といえる。それは一言でいえば、「共通善の政治学・政策学」である。([1]94~95ページ)/現代コミュニタリアニズムは、何よりも個人の自由や権利の追求が「私益」と変わらず、政治が利益集団政治になっている傾向を批判し、「共益」(共通善)を実現するための政治・政策を追求するものである。([1]95ページ)

現代のコミュニタリアニズムは、決して保守主義的なものではなく、経済的思考が強い現在のなかで、政治的なものを再興し、普通の人々が政治的に行動すること、すべきこととはどのようなことかを訴えた、その意味では民主主義を哲学的に基礎づける実践哲学としての政治哲学・公共哲学といえるであろう。([2]163ページ)

「共通善の政治学」としてのコミュニタリアニズムにおいては、「共」としての「コミュニティ」のなかで私的で特殊な利益を追求するのではなく([3]56ページ―引用者注)、民主主義的なコミュニティのメンバーがおたがいに助け合いながら、「共通善」を熟議して追求する「自治」が政治の実践である。([3]54ページ)

「連帯・相互扶助・参加」としての「共通善」
「共通善」は個人的な特定の利益ではなく、コミュニティのメンバーすべてに関し、ともに実現する共通の利益でもあり、「個人と個人のつながりや絆」をもたらす価値でもある。現代のコミュニタリアン(共同体主義者―引用者注)はコミュティの価値として、友愛や信頼などに基づく「連帯」、たがいに助け合う「相互扶助」、共通の目標を実現するために公共的活動に携わる「参加」などを重視している。この点で、「共通善」とは、コミュニティの成員(メンバー)全員が原則として「相互扶助」のために「連帯」し、「参加」して、全員の「共通の利益」(共益)としての「福祉」をめざすためのものである。([1]100ページ)

ソーシャル・キャピタル論と現代のコミュニタリアニズムは同根にある。政治的コミュニティでの政治参加や相互扶助を基礎づける「共通善」は、「ソーシャル・キャピタル」(相互利益のための調整と協力を容易にする、ネットワーク、規範、社会的信頼のような社会的特徴を表す概念)と呼ぶこともできる。([3]82、83ページ)

開放的・多元的な政治組織体としての「コミュニティ」
政治制度としては、コミュニタリアニズムは、基本的には国家や市場の役割を否定しないものの、何よりも「コミュニティ」を重視する。([3]52ページ)/「コミュニティ」とは、その成員の「共通善」を前提として形成されるとともに、その成員がともに「共通善」の実現を目的としていく人間の政治組織体である。/この点で、コミュニタリアンが主張する「共通善」、コミュニティの政治的価値とは、まず連帯(友愛)、相互扶助、政治参加、自治などである。このような政治的価値を強調することは、政治参加を強制し、個人の自由を侵害するものであるという、とりわけ価値中立的リベラルからの批判がある。([3]54ページ)/(この批判に対し―引用者注)現代のコミュニタリアニズムは、政治的価値に対して価値中立性を主張することが、実際には官僚主義や司法主義、国家のエリート支配になると批判する。([3]56ページ)

現代のコミュニタリアニズムは、個人の権利や自由を尊重し、コミュニティも閉鎖的でも、排他的でもなく、むしろ多様なコミュニティの存在を認め、その成員や各コミュニティの平等性や成員の政治参加、熟議を重視する民主主義的なものであり、その点で多くは保守主義的なものではなく、むしろリベラル・コミュニタリアンであり、「左派」ないしは「中道左派」的な性格を持ち、実際の政策にも影響を与えうるプラグマチックなものである。(中略)現在の「コミュニティ」とは決して生まれながら自然に帰属するものだけでなく、自己選択によって自発的に加入する集団も、つまり「アソシエーション」も含んで主張されている。([2]223~224ページ)

【注】「中道左派」としてのコミュニタリアン

現代のコミュニタリアニズムは(コミュニティへの帰属について―引用者注)個人が自己決定できることを否定しない。そのようなコミュニティのなかで、まず「自我」が作られていくのであり、そこから自らが帰属するコミュニティの伝統、歴史を自覚し、尊重することによって、それに対する参加か責務、またその成員の相互扶助が生まれてくると主張する。(中略)しかし、このことは伝統をすべて肯定することでもなく、参加や責務を強制することでもない。そして、このような「自我」によってコミュニティは形成され、その成員全体の「共通善」の実現に向かっていく。この点でも、現在のコミュニティはアソシエーションでもある。([2]224ページ)

現代のコミュニタリアンの地方分権化の主張、「補完性の原理」(身近な組織で解決し、不可能な場合のみ上位が補完するという基本原理―引用者注)は、中央主導の官僚主義をただし、また何よりも個人により身近な組織に権限を移譲して、より自治としての民主主義的社会を実現していくためのものである。([3]162ページ)

憲法第12条にみる共通善としての「公共の福祉」
現代のコミュニタリアンは基本的に個人の自由と権利をリベラル同様に重視する。個人の自由と権利は「共通善」である。([3]198ページ)/日本国憲法は現代のコミュニタリアンがいう意味での「共通善」を重視している。第12条の「国民は、これ「自由と権利」を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」は、いわゆる「マッカーサー憲法草案」のほぼそのままの訳であり、「公共の福祉」の原語は「共通善」(common good)である。(中略)保守派も、リベラルも「公共の福祉」と「権利」を対立させる点で間違っており、この12条は「国民は個人の自由や権利をいつも公共の福祉のために用いなければならない」と、個人の自由や権利がつねに「公共の福祉」のために存在していることを述べているのである。このことが正しく理解されれば、現在の日本に見られる傾向、つまり個人の自由や権利が自分の利益と同じものとなって、自己利益追求が絶対的に正しいものとされることや、国民全員の利益、福祉が軽視されることはなくなるであろう。([1]105ページ、[3]199ページ)

【注】憲法第12条、第13条
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
Article 12.  The freedoms and rights guaranteed to the people by this Constitution shall be maintained by the constant endeavor of the people, who shall refrain from any abuse of these freedoms and rights and shall always be responsible for utilizing them for the public welfare.

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

Article 13.  All of the people shall be respected as individuals.Their right to life, liberty, and the pursuit of happiness shall, to the extent that it does not interfere with the public welfare, be the supreme consideration in legislation and in other governmental affairs.

【注】「公共の福祉」とコミュニタリアニズム
「公共の福祉」は、現在の有力説では、人権相互間に生じる矛盾・衝突を公平に調整するための原理(人権相互調整の原理)として理解されている。これに対し、菊池の解釈は、現代における過度な権利主張を批判し、コミュニティ全体の利益や秩序を重視するコミュニタリアン的な発想を取り入れた独自の見解であり、一般的な憲法学説とは異なる。また、「公共の福祉」が英語の“common good” に由来するという理解も一般的ではない。憲法の現行英訳においては、一貫して“the public welfare” が用いられている。

〇以上の「コミュニタリアニズム」の思想は、「まちづくり」という実践の場において具体的な意味を持つ。従来の行政主導型の都市計画や地域振興策は、住民を単なるサービスの受け手として扱いがちであった。しかし、コミュニタリアニズムの視点に立てば、まちづくりとは住民自身が「参加」の主体となって、それぞれが抱える地域生活課題について共通の言語で「対話」し、「コミュニティ全体のための政治的参加や政治的熟議」([2]66ページ)を通じて地域の共通善を模索し実現していく営みである。すなわち、住民が互いの価値観の違いを認めながら、共に暮らす地域社会の現状と課題について語り合い、将来を展望するプロセスそのものが、「連帯」と「相互扶助」を育むのである。ここで重要なのは、これらの実践が特定の伝統や価値観への強制ではなく、菊池のいう「開かれた共同体」=アソシエーションとしての性格を持つ点である。

〇さらに、コミュニタリアニズムは「市民福祉教育」の理念とも深く結びつく。それは、福祉を単に行政による給付やサービスの提供に限定するのではなく、市民一人ひとりがコミュニティの一員として互いに支え合う「責任と能力」を育む教育として再定位する必要がある。菊池の思想に基づけば、福祉とは一方的に「与えられるもの」ではなく、共通善の実現に向けて市民が主体的・自律的に関わり合いながら共働で作り上げていく営みである。学校教育や生涯学習の場において、他者への配慮、公共への参加、熟議の態度を育成することは、持続可能な地域社会を支える市民を育てる基盤となる。
〇以上、菊池の3点の著作・論考から「現代のコミュニタリアニズム」「共通善」「コミュニティ」「公共の福祉」という4つの鍵概念を抜き出し、それぞれの相互関係を確認した。菊池のコミュニタリアニズム論は、リベラリズム批判にとどまらず、憲法解釈や「まちづくりと市民福祉教育」といった実践的な場面にまで接続しうる射程の広さを持つ。今後は、こうした鍵概念が具体的な「まちづくりと市民福祉教育」のプログラムのなかでどのように具現化されうるかを、事例に即して検討していく必要があろう。

付記
「20世紀にできた政治イデオロギー(主義主張)区分」を2軸の現代版に一部加筆修正すると、下図(未定稿)のようになろうか。

出所:筆者作成。縦軸=社会軸、横軸=経済軸。

「中道」は、4象限のいずれにも極端に偏らない座標上の位置を示すものであり、政治思想としての「リベラリズム」を指すものではない。リベラリズムは、「大きな政府」を志向する社会的自由主義・福祉国家論から、「小さな政府」を志向する新自由主義まで、時代や文脈によって多様な立場を含む多義的な概念であるため、図の特定の象限に一義的に対応させることはできない。

「共産主義」は、生産手段の公有化と計画経済を通じて平等な社会の実現をめざす立場であり、国家による経済管理と社会統制を強く志向する点で、図の左上(権威主義・国家管理)に位置づけた。

「ファシズム」を点線で囲んだのは、2軸モデルへの位置づけが他の3類型(共産主義・社会民主主義・リバタリアニズム)ほど一義的ではないことを示すためである。ファシズムは私的資本を温存したまま国家目的のために経済を統制する点で、生産手段の公有化を志向する共産主義とは経済構造上の性格が異なる。

「リバタリアニズム」は、経済的自由(市場重視)と個人的自由(国家からの不干渉)の双方を最大限に尊重する立場であり、しばしば「自由至上主義」と訳される。図の右下に位置づけたのは、経済軸において国家介入を最小化する市場重視の立場を取ると同時に、社会軸においても国家による統制を排し個人の自由を最大限尊重する立場を取るためである。

「社会民主主義」は、市場経済の枠組みを維持しつつ、累進課税や社会保障を通じた再分配によって格差是正と福祉国家の実現をめざす立場であり、図の左下(民主的変革/市場・再分配の併用)に位置づけた。

阪野 貢/「やまゆり園事件10年」:なぜ殺されなければならなかったのか?―「内なる差別」と共生社会の欺瞞、そして福祉教育の虚構―

〇筆者(阪野)が購読している新聞の2026年7月26日付社説、「やまゆり園事件10年:内なる差別に向き合おう」を読み、私たちのなかに潜む無意識の偏見や差別、優生思想、それらを乗り越えるための公私の施策や取り組み、そして「福祉教育」のあり方などについて、改めて考えさせられた。(⇨参照
〇事件から10年という節目を迎えるいま、被害者家族や施設職員、あるいは支援者の想いはいかばかりか。政府が進める障がい者の地域移行の施策は、実際にどこまで進展しているのか。また、障がい者との「共生」という考え方は、学校や地域・社会に定着してきたのか。とりわけ知的障害や精神障害をもつ人々は、置き去りにされてきたのではないか。そして、これまでの福祉教育は、無意識の偏見を解消するのに有効に機能してこなかったのではないか。偏見や差別の克服は教育だけでなく、社会全体で取り組むべき課題であり、学校における福祉教育に過大な期待を寄せてきた面はなかっただろうか。その学校教育としての福祉教育は、全教科・全領域での展開や、人権教育・道徳教育・平和教育などとの連携に十分な関心を払ってこなかったのではないか――。
〇こうした問いを友人や知人に投げかけたところ、さっそく熱量のこもった2通の回答をいただいた。それぞれの視点から見えてくる福祉教育の現状と課題、そして展望についての一文を、ここに紹介させていただきます(読みやすさを整えるため、文章の構成と語句を一部修正しています)。

【社説】
やまゆり園事件10年―内なる差別に向き合おう
「不幸な存在」と勝手に決めつけられ、命を奪われた重度障害の人たちの鎮魂を願わずにはいられない。相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年に起きた入所者19人殺害事件から10年がたった。
事件の記憶が薄れつつある一方、人間の命に優劣をつけて「劣った遺伝子」を後世に残さないとする西洋の優生思想が形を変えて日本の社会に色濃く残る。
ユダヤ人や障害者、同性愛者らを迫害した戦前のナチス・ドイツに多大な影響を与えた優生思想は、「重度障害者はお金と時間を奪う不幸の元だから、必要ない」と凶行に及んだ植松聖死刑囚の発想に通じる。
経済合理性を重視する社会では、生産性や能力の高さで人の価値を測る風潮がはびこり、インターネットの空間は障害者を「役に立たない」「支援は税金の無駄遣い」などとする中傷であふれる。忌まわしい優生思想と地続きだ。
国は、障害者が施設から地域での生活に移行することを推進している。だが現実は、知的・精神障害者向けグループホームなどの新設に近隣住民が反対し、事業者側と対立する「施設コンフリクト」も少なくない。
偏見や差別は、誰もが大なり小なり持ち得る。障害者は不幸なのか。なぜ障害者に恐れを感じるのか。 一人一人が「内なる偏見や差別」に向き合えば、障害や能力主義に対する見方が変わるきっかけになるだろう。
人の価値を経済指標の一つに過ぎない生産性と結びつけるのは、理屈が通らない。仮に生産性で決まるのなら、乳幼児や失業者、寝たきりの人らも価値がないことになる。司法から社会に不要とされたも同然の植松死刑囚も、その一人にくくられよう。
国は障害者権利条約の批准に伴い、障害者の人権を守るための法整備を進めてきたが、福祉施設・事業所における虐待事案は増加し続けている。厚生労働省の調査では24年度に1267件と過去最多を更新し、被害者は2010人に上った。
多くの現場は慢性的な人手不足に悩まされている。職員が心身ともに疲弊し、感情の抑制が利かなくなって虐待に至るのも増加要因の一つだ。
障害福祉事業者の不正受給も拡大の一途をたどっている。指導監督権限を持つ自治体の対応は追い付いていない。ほぼ税金で賄われる障害福祉の総費用は25年度で約4兆3千億円。福祉の理念よりも利益優先の事業者の参入を招いた。
障害者向けグループホーム大手運営会社「恵」が、利用者から食材費を過大に徴収するなどしていたのは「経済的虐待」の典型といえる。
24年施行の改正障害者差別解消法は、障害者の困り事に無理のない範囲で対応する「合理的配慮」を企業に義務付けている。だが障害者への配慮や差別解消に関する研修に取り組む企業は少ない。内閣府の調査では未実施の企業が8割に上る。浸透は不十分と言わざるを得ない。
植松死刑囚が「共生社会を目指すのは間違っている」と言ったのは、差別解消をうわべだけで語る社会の欺瞞を肌で感じていたからではないか。
障害がない人本位に最適化された社会のありようを自分事として見つめ直す。それが共生社会の実現へ一歩踏み出すことにつながる。

【毛見さん】
正直に言うと、この社説を読んで少し落ち込んだ。相模原の事件からもう10年か、という感慨と同時に、自分たちは本当に何か変わったのだろうか、という疑問が拭えなかった。経済合理性、SNS上の中傷、施設コンフリクト、虐待の増加など、記事に挙がっている問題は、どれも社会の歪みの表れであると同時に、たぶん自分自身の心の中にもある何かを映し出しているのだと思う。
こうした問題に向き合うには、これまでのような福祉教育のやり方では正直足りないのではないか、と感じている。以下、思うところを書いてみたい。
まず、今の福祉教育がどうなっているかだが、学校では車椅子体験やブラインドウォーク、当事者を招いての講話といったものが定番になっている。企業でも、障害者差別解消法の施行以降、人権研修やダイバーシティ研修が少しずつ増えてきた。これ自体は悪いことではないし、一定の効果もあったはずだ。
ただ、課題も多い。
一つは、体験学習がどうしても「かわいそう」という同情で終わってしまうことだ。車椅子体験は障害の不便さを一瞬感じさせてはくれるが、下手をすると「障害者は大変で気の毒な存在」「自分は恵まれている」という優越感を裏で強めてしまう。これでは対等な関係を築くどころか、逆効果になりかねない。
もう一つは、学校で学んだ知識が実社会に出た途端に役に立たなくなることだ。内閣府の調査では、差別解消に向けた研修をやっていない企業が8割にのぼるという。学校を出れば、そこはネット上の「税金の無駄」的な言説が渦巻く世界で、教室で学んだことなど簡単に押し流されてしまう。
それから、これは自戒を込めて書くのだが、「生産性」という物差しを子どもの頃から無意識に刷り込まれている、という点も見過ごせない。テストの点数や効率で評価される日々を送っていれば、「福祉教育で優しさを学びました」くらいでは、その根っこにある能力主義的な価値観はびくともしない。
では、これからどうすればいいのか。
一番大事なのは、他人を「学ぶ」教育から、自分自身の中にある恐れや抵抗感を見つめ直す教育への転換だと思う。「なぜ自分は障害者に対してどこか身構えてしまうのか」「自分自身も『役に立たなければ』というプレッシャーに怯えていないか」、こういうことを、対話を通じてじっくりほぐしていく場が必要だ。植松の考え方を「自分とは無縁の異常者の妄想」として切り捨てるのは簡単だが、そこで思考を止めてはいけない気がする。
あと、障害を個人の問題として見る「医学モデル」ではなく、社会の側に障壁があるとする「社会モデル」の視点も、もっと当たり前に教えられるべきだろう。生産性で人を測る発想自体、健常者中心に社会が作られていることの結果でしかないのだから。
一回きりのイベントではなく、日常的に多様な人と関わり続けることも欠かせない。グループホーム建設への反対運動の背景には、結局のところ「よく知らないもの」への漠然とした不安があるのだと思う。子どもの頃から重度障害のある人と共に過ごす経験こそが、一番の土台になるのではないか。
最後に、福祉やケアの仕事の価値をどう捉え直すか、という点も避けて通れない。虐待の増加も人手不足も、結局「ケアという仕事」を社会が軽く見ていることの裏返しだと思う。経済的な生産性だけを「貢献」とみなす社会通念に対して、他者をケアすること、ただ生きていることそのものの尊さを、教育の核に据え直す必要がある。
やまゆり園の事件が突きつけたのは、口では差別解消と言いながら、裏では効率や能力で人を選別し続ける社会の欺瞞だったのだと思う。この欺瞞を超えるための福祉教育は、「障害者に優しくしましょう」という道徳の授業であってはならない。自分たちが知らないうちに飲み込んでしまっている優生思想や能力主義から、自分自身を解き放つための教育でなければ、意味がないと思う。
障害のあるなしにかかわらず、誰もがそのままで存在を肯定される社会へ。自分の中の差別から目をそらさず、問い続けることこそが、犠牲になった方々への一番の弔いになるのではないか。10年が経った今もなお、能力主義や優生思想は形を変えて残っている。ネット上の心ない言葉も、地域の施設コンフリクトも、現場の虐待の増加も、結局は私たちの中にある「内なる差別」の表れなのだと思う。植松の言葉を単なる異端者の妄言として片付けず、健常者中心に組まれた社会の歪みとして受け止め直すこと。そこから始めるしかないのだろう。

【加藤さん】
10年、という数字をどう受け止めればいいのか、よくわかりません。19人の命が奪われたあの事件から、もう10年が経ったのか。それとも、まだ10年しか経っていないのか。
事件のことを思い出すたびに、私は、いつも同じところで立ち止まります。植松死刑囚の言葉を「特殊な異常者の妄想」として片付けてしまえば、話は簡単です。でも、本当にそれでいいのだろうか。彼の言葉に、どこかで頷いてしまう自分がいないだろうか――そこから目をそらさずにいたい、といつも思うのです。
福祉教育とは何か。教科書的に言えば、障害や高齢、貧困といった困難を抱える人々への理解を深め、共に生きる社会を目指す教育、ということになるのでしょう。学校では総合学習や道徳の時間を通じて、障害理解の授業やボランティア体験、施設との交流などが積み重ねられてきました。障害者権利条約や差別解消法の考え方を受けて、インクルーシブ教育という言葉も、以前よりずっと身近になりました。障害者を「守られる存在」から「共に社会をつくる一員」へ――この意識の転換は、確かに前進してきたと思います。
けれども、意識の面でどれだけ言葉が整っても、学校という仕組みそのものは、今なお障害の有無で子どもを分ける「別学」「分離」を前提にしたままです。理念と現実の間には、まだ大きな溝が横たわっている。そのことを、私たちはどれだけ自覚できているでしょうか。
いくつか、心に引っかかっていることを書いてみます。
車椅子体験や高齢者疑似体験。あれは確かに、何かを感じるきっかけにはなります。でも、あの一度きりの体験が、「障害者はいつも助けてもらう側の人」という思い込みを、かえって刷り込んでしまってはいないでしょうか。本当に必要なのは、障害のある人自身の暮らしや思いに、日々のなかで触れ続けること。そして、障害というものが個人の内側にあるのではなく、社会との関係のなかで作られているのだと、体で分かっていくことなのだと思います。
それに、学校で何を学んでも、卒業して社会に出た途端、その学びが宙に浮いてしまうことはないでしょうか。内閣府の調べでは、合理的配慮の研修を行っていない企業が、実に8割にのぼるといいます。教室のなかでどれだけ丁寧に育てた感覚も、その先に受け皿がなければ、簡単に忘れられていく。福祉教育は、子どもたちだけのものではなく、企業や自治体、地域に暮らす大人たち全員の、生涯にわたる学びとして組み直す必要があるのではないでしょうか。
もう一つ、見過ごせないのは、障害者を取り巻く現実そのものが、まだ十分に知られていないということです。福祉施設での虐待は過去最多を更新し続けています。その背後には、慢性的な人手不足と、疲弊しきった職員の姿があります。不正受給や、いわゆる経済的虐待も後を絶ちません。福祉教育というものが、障害への理解にとどまらず、こうした制度の歪みや現場の苦しさにまで踏み込み、「その制度を支える一市民として、自分に何ができるのか」を考えさせるものであってほしい、と願わずにいられません。
では、これから先の福祉教育は、どこに向かえばいいのでしょうか。
まず、「かわいそうだから助ける」という慈善のまなざしを、手放すべきです。目指すべきは、すべての人の権利を守るという意味での人権教育への転換だと思います。障害者は支援を受けるだけの存在ではなく、自らの意思で社会に関わっていく、一人の市民なのですから。この視点に立って初めて、「生産性」という物差しで人の価値を測ろうとすること自体を、問い直せるのだと思います。
そのうえで、特別な機会ではなく、当たり前の日常のなかで関わり合う時間を増やしていくこと。同じ教室で学び、同じ町で暮らし、同じ職場で働く――そういう積み重ねのなかでこそ、「特別な存在」という眼差しは、少しずつ薄れていくものだと思います。偏見の多くは、結局「知らない」ことから生まれるのですから。
そして最後に、これが一番重要なことですが――自分自身のなかにある差別に、気づき、自覚し続けることです。差別は、決して他人だけの問題ではありません。誰の中にも、無意識のうちに能力や生産性で人を測ってしまったり、自分と違うものに不安を覚えたりする瞬間があります。それを恥じて隠すのではなく、「なぜ自分はそう感じたのか」「その感じ方は、誰かを傷つけていないか」と、問い続けること。福祉教育とは、知識を授ける営みである以上に、自分自身を絶えず省みる営みなのだと、私は思います。
やまゆり園の事件は、一人の犯人だけが抱えていた特殊な問題ではなかった。社会のなかに潜んでいた優生思想や能力主義を、私たちの前に映し出した鏡だったのだと思います。だからこそ、この出来事を風化させてはいけない。「命の価値は、生産性で決まるものではない」という、当たり前のはずのことを、これから先の世代へも手渡し続けなければならないと思います。
福祉教育とは、障害者について学ぶための教育、というよりも、自分自身の価値観を問い直し、多様な人々が互いを尊重しながら生きていく社会をつくるための教育なのだと、改めて感じています。一人ひとりが、自分のなかの差別と向き合い続けること。遠回りに見えても、それこそが、この事件を二度と繰り返さないための、確かな道になるのではないでしょうか。こんなことをいま、改めて思っています。

〇毛見さんの回答では、「能力主義」「社会モデル」「内なる差別」が強調されている。加藤さんのそれでは、「学校教育」「生涯学習」「人権教育」が注目されている。2人の考えに共通しているのは、これまでの福祉教育が陥りがちであった「車椅子体験などの一時的な同情」や「差別はいけませんという道徳的スローガン」の限界を厳しく見つめ直している点である。
〇すなわち、福祉教育は、障がい者と関わることによる「感動」や「思いやり」にすり替えることで、無意識の偏見を覆い隠してきたのではないか。車椅子体験などの「アトラクション化」によって、社会構造の問題や構造的な排除を「個人の道徳心」に回収してきたのではないか、という問い直しである。
〇人間の価値を生産性で測る社会構造(経済合理性を重視する社会)のなかで、私たち一人ひとりが抱く「不気味さ」や「恐れ」といった「内なる差別」の存在を隠さず直視すること。そして、「何ができるか(Doing)」ではなく、「ただそこに生きていること(Being)」を尊重し合う人間観に立脚すること。 福祉教育とは、障がい者や高齢者に対する「思いやりの心」を育むための教育にとどまらず、多層的・多角的なアプローチを通じて社会構造そのものについて批判的に言及し、同時に自分自身の人間性を問い直していく、実践的で持続的・総合的な営みである。
〇すなわち、福祉教育とは、社会のあり方や私たち自身の価値観を問い直し、「生産性によって人の価値は決まらない」という人権の理念を社会全体で共有していくための教育に他ならない。その点において、福祉教育は、効率や能力主義に偏りがちな現代教育の原点を問い直し、すべての人の「命」と「生」が保証され、「尊厳」を持って豊かに共に生きられる社会を拓く「学びの基盤」として位置づけられるべきであると、改めて強く認識させられた。
〇「福祉教育」の実践と研究はいまだ道半ばである、と言って立ち止まっている暇はない。福祉教育の実践と研究とは、社会の歪みを告発し、すべての人の命を護り、生を肯定し、人間としての尊厳を無条件に認め合うための、根源的な社会変革のエネルギーそのものでなければならない。したがって、福祉教育は、障害のある人やその家族を支援や学びの対象として捉えるだけでなく、自らの経験や思いを発信し、地域社会のあり方を共に考え創り上げる主体として位置づけることが重要となる。障がい者本人やその家族の声に学び、その参加(参集、参与、参画)を通じて実践を進めることが、共生社会の実現につながるのである。
〇重ねて強調しておきたい。福祉教育とは、「支援する側」と「支援される側」という固定した関係を超えて、誰もが他者との関係性のなかで生きる存在であることを学び直し、人間の価値を生産性ではなく存在そのものに見出す社会、人間の尊厳を基盤とした共生社会を構築するための批判的・共働的実践である。

阪野 貢/中村哲の「平和」考:「平和とは戦争がないことではない」 ―「人間とは命であり、自然と人、人と人の関係性のなかにしか生きられない存在である」―

〇筆者(阪野)の手もとに、中村哲に関する本が4冊ある(それしかない)。
(1)中村哲『中村哲 思索と行動―「ペシャワール会報」現地活動報告集成[上]1983~2001―』(ペシャワール会、2023年6月。以下[1])。
(2)中村哲『中村哲 思索と行動―「ペシャワール会報」現地活動報告集成[下]2002~2019―』(ペシャワール会、2024年6月。以下[2])。
(3)中村哲『天、共に在り―アフガニスタン三十年の闘い―』(NHK出版、2013年10月。以下[3])。
(4)山岡純一郎『炎と水―中村哲と名もなき人たちの旅―』(集英社、2026年2月。以下[4])。
〇[1]では、1983年のハンセン病治療から始まり、2000年の大干ばつによる人々の飢えと苦しみ、多数の幼児の死に直面して「百の診療所より一本の用水路」と唱え、命の水を引く灌漑事業を決断するに至るまでの軌跡(1983年〜2001年)が記されている(「ペシャワール会報」1号(1983年12月)~70号(2001年12月))。[2]では、 クナール河からの大用水路(マルワリード用水路)の建設、過酷な政治情勢や治安の悪化、そして2019年12月に凶弾に倒れる直前までの、中村の真骨頂である悪戦苦闘の「行動力」が克明に記されている(「ペシャワール会報」71号(2002年4月)~142号・号外(2019年12月))。[3]は、中村の、生前の最後の著作である。中村はいう。「現地三十年の体験を通して言えることは、私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人のまごころは信頼に足るということです」(5ページ)。「あらゆる人の営みが、自然と人、人と人の和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう」(246ページ)。[4]は、35年以上にわたり医療支援と灌漑事業(用水路建設)に命を捧げた偉人・中村の信念と足跡、そして彼と出会い、共に関わった「名もなき人たち」の営みを多角的に描いた評伝である。
〇中村は、「平和とは実体であり、観念の問題ではない」([2]332ページ)。「平和とは消極的なものではありません。それは戦争以上に忍耐と努力、強さが要ります。『平和』は、私たちの祖先が血を流して得た結論の筈です。弱い者に拳を振り上げて絶叫するのは、人として卑怯かつ下劣な行為です」([2]74ページ)という。中村が「好む言葉」に「一隅を照らす」([1]254ページ)がある。そして中村は、「私たちの事業は『小さくとも美しい』、『空砲ではなく実弾』〔引用者注:理念より行動を。議論より実のある支援を〕をモットーに進められてきました」([1]300ページ)という。
〇本稿では、[1]と[2]を中心に、留意すべき「平和」や「人間のあり方」についての言説を抽出し、その思想的な核(コア)のいくつかをメモっておくことにする(見出しは筆者)。

「重荷を負いあって生きる」という支援の原点-批判への答弁-
私がパキスタン行きの意志表明をするに当たり、日本では多くの人々の協力・激励と共に、批判もいただきました。(中略)これらの批判を要約すれば、
➀国内でもすべきことは沢山あるのに、なぜ外国までわざわざ出かけようとするのか。
➁現地には現地のやり方があり、彼らが自力で解決すべきで、外国人が親切の押し売りをするのは疑問である。
➂援助は現地の依頼心を助長し、独立性をうばう。
➃現地なりに安定した「平和な」生活を、近代的医療援助は破壊する。
というものであった。その他、極端な意見の中には、「帝国主義の手先である」とか、「人口増加に手をかして貧困を助長する」とかいうものまでありました。また、意地のわるい見方には、「自分の野心やロマンを美化するものだ」というものもあります。(中略)
先ず強調しておきたいことは、人は何処にあっても、どんな立場にあっても、夫々(それぞれ)のやり方で、夫々の重荷を負いあって生きてゆくように召されているという事実であります。これが私たちの出発点であり、くりかえし、たちかえってゆくべき共通点であります。そして、それはあらゆる立場、あらゆる国境を超えて全ての人間に及ぼされるものであります。(中略)
第二に、今日の日本の繁栄に限らず、全ての「繁栄」と名のつくものは、弱者の犠牲の上に築かれてきたことを否定するものはいますまい。悲しいまでに徹底したこの構造は、今日緩和されるどころか、明らかには意識されにくい形で強化されているというのが現状であります。(中略)その中にある私たちが、「自立更生が原則である」といって自ら何もしなければ、それは結局「人のことまでそうかまっておれるか」という態度の別の表現でしかないことがしばしばであります。
第三に、「近代化」というのは発展途上国においては、過去の日本と同様、今や押しとどめることのできない滔々(とうとう)たる歴史の流れであります。「平和なアジアの山村」というのは、われわれの頭の中にある一種の郷愁の産物でしかありません。「近代化」は私たちの想像をはるかにこえて、大規模な形で破壊的に進行している。問題は、いかに良き近代化を彼らと共に模索しあってゆくかということにあります。(中略)われわれの「援助」が「お恵み」ではなく、自助を助けるものであるべきことはいうまでもありません。
ついでに、医療援助が人口増加に手をかして貧困を助長するとか、社会矛盾を隠蔽(いんぺい)するものだとかいう批判について一言。世界最大の医療援助団体たるWHO(世界保健機関)の係官すら、「われわれがそれほどの力をもつことができたら!」というのが嘆きであるのが現実なのです。
最後にもう一度、それでもなお私たちは重荷を負いあい、支えあって生きるという姿勢を捨てるべきではありません。世界が金と力で動かされ、利己主義や敵意、我執(がしゅう)や妬(ねた)みで満ちているとはいえ、この世界をかろうじて破滅から守っているのは、このような「支えあう」という善意の努力かも知れません。([1]17~18ページ)

「哀れな人々に愛の手を」の傲慢 ―共に生きるということ―
ペシャワール会の活動は1992年を以て10年目に入る。(中略)
この間、国際化の声の高まりの中で、ある時は誉めそやされ、ある時は無関心の壁に泣き、ある時は心ない批評に耐え、我々如き取るに足らない一市民団体がよくここまで支えられて来たものだと思う。支える者も、支えられる者も、それぞれの思いを込めて活動に参加してきたに違いない。だが我々は、ただの一度も「哀れな人々に愛の手を」という美辞を並べなかった。それは、現地も日本も大方の者が、支えることによって自らも支えられるという単純な真理に気づいていたからである。([1]230ページ)

「希望」は事実を見据える努力のなかにある―静かで確かな覚悟―
希望や平和もまた、血や汗を流し、身を削って得られるものである。
日本もまた、この17年でずいぶん変化した。現地とは違うが、もっと根深い混乱に陥っているように見えて仕方がない。「人間に本当に希望はあるか」という基本的な問いを我々は共有している。漠たる不安や虚無感がはびこる中で、お手軽な解決策を説く大小の方法や権威に、我々はこと欠かない。人々がやすやすと、これらの餌食になる事情はどこでも、いつでも、同じである。それが政治スローガンであろうと、健康を約束する怪しげな知恵であろうと、幸福と自由を保証する何かの教えであろうと、名利や所有への没入であろうと、享楽による忘我の技術であろうと、科学技術への楽天的な信仰であろうと、同じことである。まして、巧妙な宣伝技術で消費欲をあおり、物質的欲望に耽溺(たんでき)させなければ回転できない経済構造など、見かけ倒しのフィクションである。
だまされてはいけない。希望は、決して捏造(ねつぞう)された思いこみや、野放図な自由の幻覚の中にはない。それは世の常とする虚構を超えて、不安の運動に左右されず、人間と自然の事実を見据えようとする努力の中にある。怪しげな偽りが跳梁(ちょうりょう)する時代の奔流の中で私たちのささやかな活動に何かの意味があるとすれば、困難の上に小さいが確かな憩いの場を築き、見捨てられた人々に慰めを与えてきた、そのことであろう。それによって、自分たちも希望と慰めを得てきたのである。([1]385~386ページ)

「平和は軍事力では達成できない」という教訓―平和憲法の危機―
狂気の時代である。グローバリズムが国際暴力主義と結合して、面妖(めんよう)な世情になってしまった。(中略)
滅びた「正義」に、別の「正義」がとって代わる。時には、「民主主義」や「平和」の仮面をかぶって戦争が正当化される。(中略)私たちは、いとも簡単に市民社会だとか、市民運動だとかを語るが、途上国の一般大衆には先ずもって「市民権」がないことを報告しておきたい。(中略)
平和を語るに消極的な日本の民心を眺めるとき、漠然と「生活と身を守る戦争なら‥‥‥」という無力感と不安が忍び込んでいるのを観る。戦後、日本の民心を正気に連れ戻してきたのは、我々の先人たちの無数の血の犠牲、その記憶たる戦争体験であった。日本は加害者であり、同時に被害者でもあった。そして、その限りにおいて、日本は「平和」の発言者たり得たのである。今まさに、先人の犠牲の結実たる平和憲法の改正が、現実の虚像に基づいて大した抵抗もなく受け入れられようとしているのは、耐え難いことである。(中略)
平和は軍事力で達成できないことを私たちは見てきた。(中略)敵は吾々の内にある。([2]100~101ページ)

「何をすべきか」と「何をしてはいけないか」、その相克―名誉ある孤立-
よく「日本だけが何もしないで良いのか。国際的な孤児になる」ということを耳にします。だが、今熟考すべきは、「先ず、何をしたらいけないか」です。「徳は孤ならず、必ず隣あり」(引用者注:孔子の言葉。正しい行いや道徳を身につけている人は、孤立することはなく、必ず理解し協力してくれる仲間(隣人)が現れるものであると言います。目先の利を離れ、和を唱えて孤立するなら、それは「名誉ある孤立」であり、世界の人々の良心に力強く訴え、真に国民を守る力、平和への国際貢献となるでありましょう。その時、私たちはアジア民衆の友であり、平和日本の国民であることに、胸を張ることができるでしょう。([2]150ページ)

「正気と人間らしさを保つ」ために―欲望と偏見を越える、ひとすじの祈り―
アフガニスタンで起きた出来事から今の世界を眺めるとき、世界は末期的状態にさしかかっているようにさえ見えます。無差別の暴力は過去の自分たちの姿です。敵は外にあるのではありません。私たちの中に潜む欲望や偏見、残虐性が束になるとき、正気を持つ個人が消え、主語のない狂気と臆病が力を振るうことを見てきました。
このような状況だからこそ、人と人、人と自然の和解を訴え、私たちの事業も営々と続けられます。ここは祈りを込め、道を探る以外にありません。祈りがその通りに実現するとは限りませんが、それで正気と人間らしさを保つことはできます。([2]375ページ)

「死んでも撃ち返すな」という信念―「信頼」こそが安全保障―
1992年、ダラエヌール診療所が襲撃されたとき、「死んでも撃ち返すな」と、報復の応戦を引き止めたことで信頼の絆を得、後々まで私たちと事業を守った。戦場に身をさらした兵士なら、発砲しない方が勇気の要ることを知っている。(中略)
私たちPMS(平和医療団・日本)の安全保障は、地域住民との信頼関係である。こちらが本当の友人だと認識されれば、地元住民が保護を惜しまない。
そして、「信頼」は一朝にして築かれるものではない。利害を超え、忍耐を重ね、裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる。それは、武力以上に強固な安全を提供してくれ、人々を動かすことができる。私たちにとって、平和とは理念ではなく現実の力なのだ。私たちは、いとも容易に戦争と平和を語りすぎる。武力行使によって守られるものとは何か、そして本当に守るべきものとは何か、静かに思いをいたすべきかと思われる。([3]244ページ)

〇以上の言説は、戦乱と干ばつ、飢餓に苦しむアフガニスタンで展開されたものである。そこに通底するのは、「病気どころではない。まず生きておれ!」([1]416ページ)という愚直な 「命」(いのち)と「生」(せい)の肯定であり、「人間とは命であり、自然と人、人と人の関係性のなかにしか生きられない存在である」という、冷徹に現実を見つめた人間観、そして平和観である。そこでは、武器による防衛力や軍事力ではなく、地域住民と利害を超えて築きあげた「信頼こそが安全保障」に他ならないとされる。それは、人間は単独で完結する孤立した存在ではなく、他者と「重荷を負いあう関係性」において初めて人間たり得るという思想に他ならない。
〇従ってそれは、単に「人と人はつながって支えあおう」という情緒的なスローガンとは一線を画す。「他人様を助けることは何かを捨てることです。与えるとは自分の何かを失うことです」([1]127ページ)。自らの内にある欲望や偏見、そして他者の犠牲のうえに成り立つ「偽りの繁栄」の構造を厳しく自覚したうえで、なおも国境や立場を超えて互いに命を支えあうという「静かで確かな覚悟」である。自然と人、人と人との生々しい現実(事実)を凝視するなかで、お互いが「支え、支えられる」という人間の原点に立ち返ること――それこそが、狂気に満ちた世界のなかで正気と人間らしさを保ち、真の平和と希望を紡ぎ出すひとすじの道である。「支え合い」とは、「相手の立場を理解し、そのために心を砕く事」([1]177ページ)である。中村の言葉はこう教えてくれる。
〇別言すれば、中村が取り組んだNGO活動や平和への言説は、(1)「構造的な視点」の獲得:「人道支援」や「命の尊厳」といった情緒的・表層的な綺麗ごとではなく、現代の繁栄は弱者のうえに築かれているという社会構造を直視すること。(2)「内なる狂気」への内省:戦争の原因は、外部(他国や悪人)にあるのではなく、「私たちの内にある欲望や偏見、残虐性」が束になったものであるとする内省的なアプローチ。(3)「正気を保つための営為」としての支援:彼らの活動は、単なる「困っている人を助けるボランティア」ではなく、「人間が人間として正気で生きるための根源的な営み」であるという認識。(4)「共に生きる」ことへの覚悟:現代社会に溢れる形骸化した「絆」や「共生」という言葉と決定的・根源的に異なる、自らの身を削り、痛みを覚えながらも「共に生きる」ということについての「静かで確かな覚悟」、などが提示されているといえる。

付記
〇筆者の手もとに、批評家・作家である東浩紀の著書『平和と愚かさ』(ゲンロン、2025年12月)がある。そこで東は、「平和の本質は戦争をしないことにあるのではない。戦力を放棄することにあるのでもない。戦争について考えないことが許されていることにある」(22~23ページ)と指摘する。
〇一般に「平和」とは、命の危険や生活の保障、あるいは国家の存亡といった深刻な事態を心配することなく、安心して日常生活を送ることのできる状態を指す。これに対して、東のいう「愚かさ」とは、知性や判断力の欠如を意味するのではなく、そうした深刻な問題を日常的に意識せずに暮らせる状態を指す。別言すれば、人々が戦争や国家の危機について考えずに日々の生活を営めることこそが、「愚かでいられる状態」なのである。
〇こうしてみると、「平和」と「愚かさ」は、一見相反する概念のように思えるが、実は表裏一体の関係にあることがわかる。愚かであること(=深刻な問題を考えずに済むこと)が許容される状態こそが平和であり、平和であるからこそ人は愚かでいられるのである。こうした東の逆説的な視点は、単なる言葉遊びではなく、現代の平和観を問い直すひとつの見解として興味深い。付記しておく。

大橋謙策/大橋謙策研究 第11巻:中山道 六十九次 よろよろへとへと道中記

 

 































 

大橋謙策研究 第11巻
中山道 六十九次 よろよろへとへと道中記

発 行:2026年4月30日
著 者:大橋謙策
発行者:田村禎章、三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


阪野 貢/「つながり」を基盤とした市民福祉教育の展望 ―志水宏吉・ほか編著『社会関係資本を活かした学校づくり』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、志水宏吉・中村瑛仁・若槻健編著『社会関係資本を活かした学校づくり―事例とデータでみる子どもたちの「つながり」―』(ミネルヴァ書房、2025年6月。以下[1])と志水宏吉・若槻健編『「つながり」を生かした学校づくり』(東洋館出版社、2017年3月。以下[2])がある。「社会関係資本」(social capital)の概念を用いて、[1]では、子どもと子ども・教師・学級・家庭・地域との「つながり」を生かした学校づくりについて、事例調査と統計分析を通して実証的に探究する。[2]では、なぜ「つながり」が「学び」の充実につながるのか、「つながり」をどのように育んでいくか、学校は周囲との「つながり」をどのように生かせばよいか、等を20校の事例研究を通して明らかにする。その際、2007年に実施された「全国学力・学習状況調査」に依拠して導き出された、「離婚率」「不登校率」「持ち家率」の3つの要因による「つながり」の格差が学力の格差を生む、という言説がひとつの前提になっている。そして、これら[1]と[2]に共通する結論は、子どもたちを取り巻く「社会関係資本」=「つながり」を豊かにすれば、子どもたちの育ちや学びをよりよいものにする可能性が高まる([1]227ページ)、ということである。「つながり」こそが子どもを育てるのである([2]6ページ)」。
〇図1は、学校づくりに関する3つのタイプの社会関係資本(「つながり」)を示したものである([2]16~17、19ページ)。「きずな型」([1]では「絆型」と表記)は「内輪のつながり・結束の強さ」、「架け橋型」(同「橋渡し型」)は「外部とのつながり・風通しのよさ」といえる。ともに、主として「横の関係」で成立するものである。「結合型」(同「連結型」)は、学校の外部の専門家や専門機関などとの「つながり」を示すものであり、「縦あるいは斜めの関係」において成り立つタイプである([1]11~12ページ)。

図1 社会関係資本の3つのタイプと「つながり」

 

〇ここで、例によって我田引水的であるが、「まちづくりと市民福祉教育」に留意しながら、[1]と[2]の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「つながり」は学校内の「格差」を乗り越えるための資源である
家庭や個人が持つ資源は、経済資本、文化資本、そして社会関係資本という3つで把握することができる。経済資本(お金や財産)は、家庭の間に著しい格差があり、子どもたちは「豊かな家」や「貧しい家」に生まれ育つことになる。文化資本とは、親の学歴や教育観(教育というものを大事に考える姿勢・態度)から成り立つものであり、現代にはここにも大きな格差が生じている。それに対して社会関係資本は、独自の、大きな力を発揮するポテンシャル(潜在能力、可能性)を有している。子どもたちの間に存在する経済的・文化的不均衡を是正する力をもつものが、「社会関係資本=つながり」である。([1]224ページ)

地域を巻き込んだ学校づくりは子どもの「一般的信頼」と「外つながり志向」や「共生意識」を高める
学校づくりにおいては、子どもの身近な他者への信頼(「安心」)とともに、見知らぬ人も含む、幅広い他者への信頼(「一般的信頼」)にも着目することが重要である。([1]144ページ)/一般的信頼は、特定の他者との「つながり」によって育まれるが、特に地域の人たちとの「つながり」や教師との「つながり」が重要な要因となる。また、一般的信頼が育まれることによって、身内で固まるばかりでなく、外の世界に飛び出して、誰とでも交流しようとする志向性(「外つながり志向」が生まれる。加えて、多様な他者と共に生きているという感覚(「共生意識」)も高まる。([1]147~148ページ)

学校と地域の「つながり」が子どもの「レジリエンス」や「ウェルビーイング」を高める
地域との「つながり」が高い学校では、子どもの「レジリエンス」だけではなく、学校における「ウェルビーイング」も高い傾向にある。「レジリエンス(resilience)」とは、「心の柔軟性」などと訳され、さまざまな生活上の課題に粘り強く、柔軟に取り組む資質を指す。一方で、心の「回復力」とも解釈され、失敗した時や困難に直面した時に、その「ショックから回復し、状況に適応していく力」としても捉えられる。「レジリエンスが高い」とは、それらの課題や困難に柔軟に対応し、乗り越える力が大きいことを意味する。([1]199ページ)/「ウェルビーイング」とは、子どもが学校生活を含め日常生活を安心して過ごせている状態をいう。([1]202ページ)。

教師間の「つながり」(チーム指導と支援)が子どもの自尊感情やウェルビーイングを高める
教師が互いに連携・協働して、個々の生徒の状況について情報を共有しアセスメントを行ったり、学校内外の多職種と連携・協働することによって、教員集団の多様な生徒の課題・ニーズに対する感度(共振性)が高まる。こうした教職員の「チーム」としての実践は、子どもに対する集団指導と個別支援の「歯車を合わせる」ことになる。その結果、学校組織内での教師間の「つながり」が強まり、ひいては子どもの自尊感情やウェルビーイングを下支えすることになる。([1]55~56ページ)。

「つながり」は子どもの学びを豊かにするとともに市民性の涵養を促す
人と人との「つながり」なくしては、人は決して育たない。人の「学び」は、基本的に人と人との「かかわり」のなかで生じる。([2]13ページ)/社会経済文化的背景が厳しく、抱える困難が大きな「しんどい」子や地域にとって、「つながり」は決定的に重要である。([2]261ページ)/教師の役割は「つなぐこと」である。([2]256ページ)/学校と学校外の「つながり」の(「連携」ではなく)「協働」モデルは、保護者・地域の多様な思いや校種間の教育観の違いを取り込むことで学校文化を多様で子どもたちにとってより安心して育ち、豊かに学ぶものへと変容させる可能性に開かれている。([2]259ページ)/仲間を大切にすること、仲間をつくる力といった「つながり」は、「仲間とつながる力」「市民として社会を担い、社会をよくしていく力」といった市民性(シティズンシップ)の中核をなすものである。また、異年齢で交流したり、地域社会で学ぶことも市民性の涵養を促してくれる。([2]265ページ)

〇「社会関係資本」(以下、「SC」と略す)については、アメリカの政治学者パットナム(Robert D.Putnam)の研究が知られている。パットナムは、1993年に出版した『哲学する民主主義』(河田潤一訳、NTT出版、2001年3月。原題Making Democracy Work:「民主主義を機能させる」)において、SCを次のように定義した。「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」(河田潤一訳、206~207ページ)、がそれである。要するに、SCは、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率を高める働きをする社会的な関係をいう。そして、その内実・構成要素は「信頼」「規範」「ネットワーク」の3つである。具体的に言えば、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(つながり)と、そこから生まれる互酬性の「規範」(お互いさまの支え合い)、そして知らない人を含んだ人々に対する一般的な「信頼」(信じあう心)が、SCを形成するのである。
〇すなわち、いろいろな人々同士が社会的に豊かにつながり(ネットワーク)、それに基づいて互いに信頼しあい(信頼)、“お互いさま”という思いから互いに支え合うこと(互酬性の規範)によって地域・社会の諸問題が解決され、より良い統治が進み、豊かな地域・社会が創り出される、という論理である。
〇志水らは、パットナムのSC論によれば、「ネットワーク」(つながり)に焦点化して論理の展開を図る。その際、底流に流れるのは、スイスの心理学者ピアジェ(Jean Piaget)の学習観(「学びは個人の頭のなかで起こる」)ではなく、学びは他者との共同的な活動を通じた社会的なプロセスであるとするロシアの心理学者ヴィゴツキー(Lev S. Vygotsky)の学習観(「学びは人と人との間で起こる」)である([2]12~15ページ)。
〇志水らによる一連の研究は、子どもを取り巻く「つながり」が、家庭の経済資本や文化資本の格差を乗り越え、子どもたちの育ちや学びを支える決定的な資源であることを実証している。ここで示された「きずな型」「架け橋型」「結合型」という3つの「つながり」の様態は、学校教育の枠組みを越え、「まちづくりと市民福祉教育」の核心とも深く共鳴するものである。
〇「ふくし」(「ふだんの、くらしの、しあわせ」)を支える基盤は、「つながり」である。志水らによると、地域との「つながり」を持つ子どもは「一般的信頼」や「共生意識」が高い傾向にある。これは、特定の身内だけで固まる閉鎖的な互助(「きずな型」)に留まらず、多様な他者と出会い、認め合う「風通しのよさ(「架け橋型」)」が、子どもの市民性を育んでいることを示唆している。市民福祉教育の本質は、単なる「思いやりの心」の育成やボランティア活動の体験ではなく、こうした多様な「つながり」のなかで「共に生きる作法」を学び、自らのウェルビーイングと地域のそれを形作っていくプロセスにある。
〇特に注目すべきは、「つながり」が子どもの「レジリエンス」を高めるという点である。現代社会において、子どもたちが直面する困難は複雑化している。しかし、学校が地域と「つながり」、教師や学校外の専門家、地域住民などが「結合型」のネットワークを構築することで、子どもは失敗しても立ち直れる「心の回復力」を得ることができる。この「受容される安心感」こそが、市民としての自律を支えるのである。
〇今後の「まちづくり」においては、学校を、地域社会の「つながり」を醸成するひとつの「ハブ」(結節点)として再定義する必要がある。教師の役割が「つなぐこと」であるのと同様に、市民福祉教育の推進者もまた、子どもと地域、あるいは困難を抱える人たちと社会資源とを編み直す「コネクター(接続者)」でなければならない。
〇「つながり」こそが子どもを育て、「つながり」こそが地域を再生し、「まちづくり」を進める。子どもたちが学校という枠を越えて、地域の多様な大人たちと関わる。そのなかで、「自分も社会の一員であり、誰かの『ふくし』に寄与できる」という実感を積み重ねる。そのプロセスこそが、真の意味での市民性の涵養である。そこに、社会変革・社会戦略としての「まちづくりと市民福祉教育」が位置づくのである。