〇本稿は、先の拙稿――<雑感>(155)「私のなかにみんながいる」ということ―桜井智恵子著『教育は社会をどう変えたのか』読後メモ―/2022年7月18日投稿 の追記である。
〇内田樹(うちだ・たつる)の近刊、『複雑化の教育論』(東洋館出版社、2022年1月。以下[1])を読んだ。[1]のキーワードは「複雑化」である。内田にあっては、教育とは子どもの「成熟」を支援する営みである。成熟とは量的増大ではなく、できあいの「定型」に収まることでもない。それは、漸進的に変化し、「複雑化」すること、昨日とは違う人間になることである(36、40ページ)。複雑化とは、繰り返し脱皮して変化していくことである。そこで教師や大人は、子どもが殻(から)を脱いで剝(む)き出しの裸になっている時に、「決して傷つけない」という保証をすることが肝要となる(51ページ)。学校は、査定や格付けの機関ではなく、子どもたちの成熟すなわちより複雑なものに成長してゆくプロセスを支援する場でなければならない(35、51ページ)。
〇これが[1]のひとつの要点である。その基底には、「複雑化するのは生命の自然である」(164ページ)、「複雑化することは進化することである」、「複雑なシステムの方が複雑な現実に適切に対処できる」(165ページ)、「システムを単純化すればするほど、システムは機能不全になり、脆弱になる」(163ページ)という内田の命題がある。
〇[1]のなかで内田は、「存在承認」に関して次のように説述する。それをメモっておくことにする(抜き書き。見出しは筆者)。本稿を草したねらいのひとつはここにある。
子どもたちを歓待し承認すること
学校教育で一番大事なことは、まずは子どもたちを歓待し、子どもたちを承認することです。君はここにいる。ここにいていい。いる権利がある。君がここにいることを私たちは願っている。そう伝えることができたら、学校教育としてはもう上等だと僕は思います。(221ページ)
「あなたはそこにいる」と認められること
人間は「救援の要請」(「ちょっと手を貸して」というタイプの要請)を断ることができない。これは人類学的真理なんです。それは「救援信号の宛て先はそれを聴き取った者である」という太古からのルールがあるからです。聴き取った者が「宛て先」なんです。「宛て先」はあらかじめ決まっていたわけじゃない。聴き取ってしまった者が「宛て先」に指名されて、ただちに応答責任が発生する。その時、人は「主体」として立ち上がる。
「他者からの承認」というのは、いろいろなかたちがありますけれど、要するに「あなたはそこにいる」と認められるということです。認知的にただ「あなたはそこにいる」と言うだけでもいいけれど、「あなたがそこにいることを私は願う」という遂行的なメッセージの方がずっと承認の強度は高い。そして、「あなたがそこにいることを私は願う」というメッセージを端的に表現したのが「ちょっと手を貸して」であり、さらに端的に言えば「助けて」ということになるわけです。人間は他者からの「助けて」という支援要請を聴き取った時に主体として立ち上がる。(204、205ページ)
「ありがとう」は承認と祝福を与える言葉
「ありがとう」と言われるのは、生きる上で必須なんです。それなしでは生きられない。「ありがとう」は「あなたはここにいてよい。あなたはここにいる権利がある。私はあなたがここにい続けることを願う」という社会的承認と祝福を与える言葉ですからね。(88ページ)
続「蛇足」
「お母さん、町屋のみっちゃんが来てくれたよ」「‥‥‥」「どちらさんですか?」「町屋のみっちゃんやがな」「‥‥‥」「町屋?‥‥‥それはどこや?」「町屋に行ったかどうか、わからんなあ」「‥‥‥」「そういうたら、頭が大きい子がいたなあ」「‥‥‥」「あの子はどうしてんのかなあ?」「‥‥‥」「ええ年齢やったからな、もう亡くなってるんやろうなあ」「‥‥‥」
筆者は、<雑感>(83)“死”とどう向き合うか、「生死の教育」を考えるために/2019年6月1日投稿、の記事の「蛇足」で、50年数ぶりに、壮絶な人生を送ってきた従姉に再会したことを記した。その時の、筆者(町屋のみっちゃん)らとの会話である。
彼女には再婚後、夫の連れ子との確執、夫の服役、加えて実子の自殺などの想像を絶する・耐え難いことが矢継ぎ早に起こった。そしてそこには、絶対的な貧困があった。周りの人はみな、見て見ぬふりをし、見ぬふりをして見ていた。そんななかで彼女は、「土方(どかた)」に出て生命(生活)の糧を得、一つひとつの困難に向き合い、同時並行的にそれらに対処した(そうせざるを得なかった)。そうして彼女は、がむしゃらに生きてきた。そしていま彼女は、80歳代後半の認知症患者として「存在」する。その存在(生命の主体)を娘たちは、しっかりと承認している。だからこそ彼女はいう、「私はいまが一番幸せやなあ!」。娘たちもいう、「ありがとうなあ!」
[1]で内田は、何を、どれだけ知っているかによる「頭がいい」ことについてではない。複数の仮説を並列処理できるだけの「頭の中のスペースの大きさ」、「未決状態に耐える能力」によって、じっくりと状況を観察し、時間をかけて確かに対処することの重要性について説く(54、55ページ)。
そんなことを思い出し、また思いを巡らしながら筆者はいま、美輪明宏の「ヨイトマケの唄」(1965年)や岡林信康の「山谷ブルース」(1968年)を聴いている。涙がとまらない。