呼び寄せ高齢者、孤立から共生への途―「男おいてけぼりのひとりぼっち」から「男それぞれの舞台の立役者」へ―

私の担当地区にお住まいのHさんは、娘さん夫婦の勧めに応じて長年住み慣れたふるさとを離れ、数年前に引っ越してこられました。Hさんはそれまでの一人暮らしの生活から、お孫さんもいる家族の一員として、以前とは違う“至れり尽くせり”の生活をすることになりました。「おじいちゃん、ご飯ですよ~!」「おじいちゃん、お風呂ですよ~!」という生活です。ところが、1年近くが過ぎたころから、Hさんは体調を悪くし、そのまま寝たきりになるのではないかと思われるほどの状態になられました。
ところが、何を思ったか、スープの冷めない距離ではありますが、娘さん夫婦の家を出てアパートを借り、一人暮らしを始められました。それからのHさんは、私の、何よりも娘さん夫婦の心配に反して、俄然元気になられました。図書館から借りた本を読んだり、なんとパソコンを独学で学び始められました。また、あまり外出することのなかったHさんですが、市内にある銭湯に通い始め、何人かの友達もでき、以前とは違った楽しい、生き甲斐のある生活を始められました。
こうしたHさんの様子を目の当たりにして、民生委員研修で学んだいわゆる「呼び寄せ高齢者」のことを思い出しております。ご家族のなかではうまくいっていても、「地域」とのかかわりが希薄になると、生きる力が弱くなったり、希望を失ったりするのではないかと思います。呼び寄せ高齢者に関していわれる「孤立から共生へ」という言葉とその意味するところ(内容)が本当に重要であり、民生委員としての活動もこういった点に留意する必要があるのではないか、と思っています。先生のお考えをお伝え願えれば幸いです。
S市の一民生委員より

「呼び寄せ高齢者」に関する上記のようなコメントをいただきました。
Hさんは、読書やパソコン学習による「自分づくり」、図書館や銭湯で出会った人たちとの「仲間づくり」、そしてそこここで知り合った人との「役割づくり」の“3つのづくり”を始められ、それが生き甲斐づくりにつながって元気になられたのではないでしょうか。民生委員活動や地域活動、福祉の(による)まちづくりや市民福祉教育の実践活動のあり方について考える際に、留意しておきたい点です。

ところで、上野千鶴子さん(東京大学名誉教授)は、「男おひとりさまに生きる道はあるか?」という問いに対して、「イエス」と答え、その処方箋(「ひとりで生きる智恵と工夫」)について『おひとりさまの老後』(法研、2007年)や『男おひとりさま道』(法研、2009年)などで説いています。

『おひとりさまの老後』では、「『さしむかいの孤独』ということばがあるが、(夫婦は)ふたりでいるから(家族以外の人たちから)孤立することだってある」(32ページ。括弧内は阪野)といい、「あとがき」では、「なに、男はどうすればいいか、ですって?/そんなこと、知ったこっちゃない。/せいぜい女に愛されるよう、かわいげのある男になることね。」(263ページ)と断じています。

前段の指摘は、さしずめ「夫婦おふたりさまのひとりぼっち」ということでしょうか。ここからさらに、男とりわけ定年退職後の夫については、その俗語である「粗大ゴミ」や「濡れ落ち葉」「ワシも族」が連想されます。家庭や職場ではない第三の居(要)場所づくりや地域社会へのソフトランディング、すなわち第二の人生の新たなライフスタイルをいかに創造するかが問われるところです。

後段に関しては、『男おひとりさま道』の「あとがき」で、「困ったときに困ったといえる『かわいげのある』男おひとりさまが増えるのは大歓迎。そして世の中のしくみをその助け合いができる方向に変えていけたら、と願っている」(271ページ)と述べています。「困ったときに困ったといえる『かわいげのある』男」とは、自立・自律した男、ということでしょう。いうまでもなく、時期や状況に応じて、自立には依存が、自律には他律が必要になります。そして、「世の中のしくみをその助け合いができる方向に変えていく」ためには、それにかかわる「人づくり」と、そのための「教育づくり」が必要かつ重要となります。市民福祉教育の存立するところです。