阪野 貢 のすべての投稿

16歳の少年

大望もなく
その日暮らしで 時間を潰す
もてないと 悩みながらも
頭と顔に なにやら液体をぶっかけて
気取ったふりして 粋がって
お洒落に時間と金をつぎ込む 16歳

勉強も 赤点取らなきゃまず安泰
家でやるのは ゲームだけ
反抗期だと 母親の愚痴は煙たがり 金の無心はお手の物
友だちと マチで遊びを覚える 16歳

この先の行く末は なにも見えない 決められない
親は大学進学も お前次第だと言うけれど
何をどうするかもわからぬままに 大学決めて何になる
もう少し高校時代を楽しみたい 中途半端な 16歳

高校に ただ行ってるだけで 
親は 子どもの教育をちゃんとしてると
それで 世間体は立つのです
親は 世間体を気にかけつつ暮らしています
稚気な世間知らずは どこ吹く風と呑気に暮らす 16歳

高校には行かず アルバイトで稼ぐ
中学を卒業してから バイト先は6つ目
早朝から出勤 大人に混じって対等に働く
早く稼ぎたかった 
社会は そんなに甘くない
自分に見合ったバイト先を見つけるまでが 苦労した
それでも そこそこで辛抱しながら頑張った
いのちの時間を削って 
夢を叶えるために 稼ぐことを決めた 16歳

親に依存することなく
早く18歳になって 自立したいと自らに檄を飛ばす
世間に依存することなく
早く18歳になって 学歴妄信の世間の空気を吹き飛ばしたい
学校に依存することなく 
早く18歳になって 同世代の者たちの甘ったれた言動を否定したい

だからいま 前を向いて自分の足で歩くことの厳しさを学んでいる
失敗を笑われようと 俺は俺の力で歩いていることを信じてひたすらゆく
16歳の誕生日 中卒を世間のさらし者にして喜ぶ輩に恩返します
16歳の誕生日 親への感謝の気持ちを大切に 心の痛みを学びます
16歳の誕生日 少し大人になった自分を ほめてあげます
そして16歳の誕生日 自分を信じる力をもっとつけるよう 社会で学びます  

〔2020年2月5日書き下ろし。4日16歳になった中卒の少年の胸に去来する覚悟とは何か。嘲り笑う者たちへのしっぺ返しはつまらぬ小事。大志に生きよう〕

「解きほぐす」(分解)と「編みなおす」(再生)、もうひとつの視点―「分解論」についてのワンポイントメモ―

〇母は、小さくなったセーターの毛糸を解きほぐし、それを洗い、ほかの毛糸を足して新しいものに編みなおしてくれた。その際、母は、きれいになった毛糸を大きい輪に巻いた「かせ」を私の両手にかけさせ、毛糸玉を作った。それから、棒針(ぼうばり)を巧みに動かして編み始めるのである。毛糸玉を作るときは、母と私は向き合って座っていた。その間は1メートルほどであったろうか。その時間は、外では雨が降り、百姓仕事ができない日であった。明日も雨が降ってほしいと願ったことを覚えている。
〇そんなことを思い出させてくれたのは、藤原辰史(ふじはら・たつし。京都大学。専門は農業史、食の思想史)の『分解の哲学―腐敗と発酵をめぐる思考―』(青土社、2019年7月、以下[1])である。
〇藤原は言う。サケは、北太平洋を2、3年回遊し、産卵のために再び故郷の川に戻る。衰え、傷ついたサケは、クマやカワウソ、カモメ、そして無数の森の生きものたちに自身の肉体を提供する。とくに微生物たちの餌(えさ)となって、土壌を肥やし、植物を繁茂(はんも)させ、新しい生命がよりよく育つ環境づくりに貢献する。こうした生態系の物質循環において、サケは「自己分解者」であり、生態学でいう「分解者」の一員でもある。さらに、「サケの老化現象もまた分解現象の一部ということ」ができる(258ページ)。
〇自然界における物質の循環(分解作用)は、人間界でも一般にみられる現象である。「空き瓶回収、古紙回収、鉄屑回収を担う会社はもちろん、賞味期限間際の食料を安価に、あるいは無料で貧困者に配る団体も、家畜の糞尿を土壌に戻す農業従事者も、古くなった家具、電化製品、本を売るリサイクルショップも、茶器、掛軸、絵画などを売る古物商も、分解を担う人間であり、人間である以上例外なく生物であるゆえに分解者と呼んでも間違いではない」(172ページ)。ただ、人間社会における「分解者」(たとえば落穂拾い、屑拾い、修理屋、廃品回収、牛馬の死体の処理、ごみ収集にいたるまで、素材を再利用できるまでに加工し尽くす存在など)は、「社会的にタブーとされてきた歴史的経緯もあってあまりにも軽視されている」(24ページ)。
〇いずれにせよ、藤原にあっては、「分解」とは「壊しすぎないようにした各要素を別の個体の食事行為やつぎの何かの生成のために保留し、それに委(ゆだ)ねることであり、それゆえ分解は、各要素の合成である創造にとって必須の前提基盤である」(317~318ページ)と定義づけられる。この定義には、次のような考えが包含されている。「(子どもの積み木遊びのように)積み上げることは崩(くず)すという前提のうえに成り立つ」、「分解するまでならば再利用できるが、粉々に粉砕すると再利用できない」、「(サケがクマ、カモメ、そして微生物の餌になるように)分解は個体を移動する作用である」、「死は生に属するのではなく、生は死に属する」、「解く(とく、ほどく)ことは結(むす)ぶこと、始まることの前提であり、分解は時間の始まりである」(317ページ)などがそれである。冒頭に記したセーターの編みなおしは、「分解と再生」の作業である。
〇藤原は、この生態学的な「分解」(decomposition)と「分解者」(decomposer)を中心概念として位置づけ、大量生産・大量消費・大量廃棄などの現代社会について人文科学的に、そして歴史(学)的視点から思考する。ここで、次の一節をメモっておく。刺激的である。

作る、生産する、積む、上げる、重ねる、生み出す、というふうに、私たちは、基本的に足し算や掛け算の世界を生きている、と思わされている。キャリアアップすることも、教養を身につけていくことも、自分を「形成」することだと思い込んでいる。子どもを産むことも、作物を育てることも、ほかならぬこの本を書くことも、「生産」と言われ、映像を制作したりゲームをプログラムしたりする人のことをクリエーターと呼ぶこともある。ナチズムもスターリニズムも資本主義は批判したが、生産そのものを批判はしなかった。どの国も生産量を分析し、国内総生産(GDP)の順位に一喜一憂しているうちに、その国の活性度の尺度と思い込まされている。年は重ねるもので、経験は積まれるものだと思われている。
けれども、宇宙がそうであるように、タネの殻が突き破られて芽が出るように、卵が破られて幼虫が顔を出すように、破水してから子宮に格納されていた子どもが外の世界へ向けてじりじりと産道を押し進むように、私たちの暮らす世界は、破裂のプロセス、すなわち分解のプロセスのなかを生きているにすぎず、そのなかにあって何かを作るのは、分解のプロセスの迂回もしくは道草にすぎず、作られたものもその副産物にすぎない。受精卵は、一個の細胞をつぎつぎに分裂させながら成長し、赤子は、垢(あか)も体液も糞尿も地に落としながら肉体崩壊へ向かう旅への門出をみなから祝福されている。生まれたときにはすでに分割と崩壊に向かっている、というよりは、分割し崩壊し始めることを生まれるというのではないか。つまり、私たちは足し算や掛け算というよりは、引き算であり割り算の世界を生きているのではないか。(28~29ページ)

〇要するに、人間社会はこれまで、「生産」「構築」「拡大」という価値観のもとに形成され、発展してきた。しかし、そもそも人間社会は、「生産」「流通」「消費」そして「廃棄」だけではなく、「分解」と「再生」を含んだシステムとして成り立っている。たはえば、資本主義の構造的矛盾が資本主義を終わらせるのではなく、資本主義を再生し強化してきたようにである。とりわけ「消費」と「分解」は分かち難い連続性のなかにある。現代社会において活性化すべきは、「生産」のプロセスではなく、「分解」のプロセスである。藤原の言説のうちで特筆すべき点である。
〇ところで、藤原の[1]と併読することが求められるものに、猪瀬浩平(いのせ・こうへい。明治学院大学。専門は文化人類学、ボランティア学)の『分解者たち―見沼田んぼのほとりを生きる―』(生活書院、2019年3月、以下[2])がある。[2]は、埼玉県南部に広がる農的緑地空間である「『見沼田んぼ』と周辺地域の歴史を深掘りしながら、様々な存在の蠢(うごめ)きと、そこで起きる軋轢(あつれき)や拮抗(きっこう)、浸透、相互作用、すれ違いを描い」た論文とエッセイから成るものである。「そこには障害のある人の歴史もあり、そして野宿している人や、在日朝鮮人もいる」(381ページ)。
〇また、[2]は、「見沼田んぼ福祉農園」(1999年5月開園)の営農活動や「わらじの会」(1978年3月結成)による障がい児の「普通学級就学運動」(「共育共生運動」)などに取り組んだ猪瀬とその家族(両親、兄妹)の「地域と闘争(ふれあい)」(197ページ)の本でもある。「地域と闘争(ふれあい)」は、横田弘の「障害者と健全者との関り合い、それは、絶えることのない日常的な闘争(ふれあい)によって、初めて前進することができるのではないだろうか」(横田弘『障害者殺しの思想』JCA出版、1979年1月、104ページ)から引いたものである。
〇周知の通り、横田(1933年~2013年)は、「日本脳性マヒ者協会『青い芝』の会」の神奈川県連合会会長を務め、1970年代~80年代の障がい者運動を牽引した人(「分解者」)である。横田は、「何故、障害者児は殺されなければならないのだろう。/なぜ、障害者児は人里離れた施設で生涯を送らなければならないのだろう。/何故、障害者児は街で生きてはいけないのだろう。/ナゼ、私は生きてはいけないのだろう。/社会の人々は障害者児の存在がそれ程邪魔なのだろうか」(『同上書』6ページ)と問い続け、「健全者社会」に鮮烈な批判を繰り広げた。
〇ここで、「相模原障害者施設殺傷事件」(2016年7月)のことが思い起こされる。事件はすでに風化し、障がい者に対する人間社会の偏見や差別は何も変わっていない。横田は、(福祉教育を説く)われわれになんと言うだろうか。とりわけ、情緒的な「ふれあい」と市民・社会運動としての「闘争」について、である。
〇なお、[2]では、言葉だけでなく、写真(森田友希)を組み合わせた表現がなされている。それによって、「ここではないどこか、いまではないいつかとつながる世界観(イメージ)」(「帯」)を紡ぎ出している。その地域で、その時、「私とあなたの生きる場所は地続きになる」(381ページ)と猪瀬は言う。留意したい。
〇上述の藤原は[1]で、猪瀬の言説について「障害者たちが、普段ならまったく気づかない完璧でスマートな社会を、脈絡なく大声をあげたり、渋滞のなか車椅子でゆっくり道の真ん中を進んだりして、その凝(こ)りをほぐしていくことを『分解』と呼んだ」(36ページ)と解く。それに関する猪瀬の言説の一節をメモっておく。まちづくりや市民福祉教育に求められる視点でもある。

人間は本来「生産」、「消費」、「分解」といった多面的かつ重層的な役割をもつ存在であるが、生産→消費という流れが極大化するなかで、分解の過程は見えにくくなる。そして、たとえば障害者のように、生産→消費の過程から排除された存在が出てくる。現在は、農福連携のように、排除された存在を再び「生産→消費」に包摂する議論があるが、分解という側面から個人の尊厳や、生活基盤を回復する議論は乏しい。分解という側面で、排除された存在を考えることが、今後の社会をめぐる議論に不可欠である。(388ページ)

〇猪瀬は、「分解者」と呼ばれるミミズやダンゴムシになぞらえながら、「とるに足らない」とされてきた・されている者たちが地域社会を細かく解きほぐし、豊かに編みなおす思想や運動の重要性を実証的かつ歴史的に説く。そこには、「多様性」というひとつの流行(はや)り言葉や「地域共生社会」という口当たりの良い言葉、「思いやり」といった観念的な言葉はない。あるのは、厳しい歴史のなかを生き抜いた・生きている「分解者たち」についての確かな思考と、「私たちが、如何に雑多な存在と共に生きていけるのか、そのための思想」(15ページ)である。

鵡川の若き語り部

1月苫小牧で 鵡川高校3年生に 出会った
胆振東部地震で 人生の道を見つけたという

地震の朝 家族4人 外に飛び出し 無事を確認した
家の窓ガラスは割れ 室内は家具が倒れ モノが散乱していた
大きな余震が来るという フェイクニュースが流れた
だから 車内で4日間暮らした
親戚知人から 食料が届けられた
人の恩にすがるありがたさを しみじみ知らされた

町の復旧作業が進んでいった
高校生といえども やるべきことがあった
コミュニティビジネスに 惹かれ参加した
町を復興させる一つの手立て
産業振興が これからの鵡川に必要だと考えた
1年経って 進学を決めた
選んだ学部は まちづくりに関わる地域振興

淡々と話した
初めて震災からの心の内を 他の町の人に聞いてもらった
自分の人生を決めた経緯を 気負いなく語った
その語り口が 聞く者たちのこころに素直に響いてきた
そして 迷うことなく 将来を語った
大学で学んだあと 故郷に帰ることを 決めていた
若者のその清々しさに こころが洗われた

震災から1年4ヶ月
この高校生の純な決意を もっと早く知りたかった
彼の決意が きっと多くの人の希望となるだろう
飾らない語りが 共感を呼ぶ 
こんな子が ふるさとの明日を救う

〔2020年2月4日書き下ろし。胆振東部地震で被災した若い人たちの声を、丁寧に聞き取ることをしてきただろうか。金や物品をつぎ込むだけに終始する復興以上に、若者の声に耳したい〕
 
付記 
コミュニティビジネスとは
「コミュニティビジネスとは、地域の課題を地域住民が主体的に、ビジネスの手法を用いて解決する取り組み」と捉えています。近年、“ソーシャルビジネス”という言葉が使われるケースが増えていますが、“ソーシャルビジネス”が社会的課題全般の解決を目指すのに対し、“コミュニティビジネス”はそのうちの地域的な課題に特に着目しています。従って、“ソーシャルビジネス”は“コミュニティビジネス”を包含する概念ということもできます。
コミュニティビジネスの組織形態・活動分野とも特に決まったものはありません。組織形態では、NPO法人が比較的多くを占めますが、個人、会社組織、組合組織等、様々な形態が存在します。また、活動分野としては、まちづくり、環境、介護・福祉、IT、観光、地域資源活用、農業、就業支援等、あらゆる分野に活動が拡がっています。形・数などの定量的側面ではなく、地域課題解決というミッションを第一義に活動していることが、コミュニティビジネスたる所以です。
コミュニティビジネスの効果については、地域課題解決のためのビジネスの場を形成することで、地域における創業機会・就業機会を拡大する効果が望まれます。また、地域住民自らが主導し実践することによって、地域社会の自立・活性化、地域コミュニティの再生などの効果が期待されると同時に、活動主体たる地域住民にとっては、社会活動へ参画することで自己実現を図ったり、生き甲斐を得る機会となります。(「経済産業省関東経済産業局」ホームページから引用)

つづきがつづく

頑なに 福祉教育を続けた
信じたおもいに 一念もって
一心不乱にひたすら 歩き続けた
未知なる道に挑む 自分がいた

名声欲も くそくらえ
出世欲も くそくらえ
物欲も くそくらえ
人生の大半を費やし 前のめりになって 歩き続けた
世間の物差しでは はばける(はみだす)自分がいた

うまくかわすことに 不器用だった
言い訳することに 不器用だった
世渡りすることに 不器用だった
それでも ここまで信念を曲げずに 歩き続けた
世情に流されぬ 剛直な自分がいた

自分に嘘をつくのは いやだった
人のやらない やれないことを 考えるのは痛快だった
人を決して裏切らず 生きることをよしとした
逆境に陥っても 人の手を借りて 歩き続けた
仲間の支えの中で生きた 情愛に熱い自分がいた

私利私欲で生きたなら お里が知れた
へつらい媚びて生きたなら 世と仲間に捨てられた
理念なく生きていたなら 成就することはなかった
排除しようとする者たちと闘い 歩き続けた 
不条理に逆らい 道理をかざした自分がいた

いまもやるべきことが 見えている
いまも伝えるべきことが 見えている
いまが自由奔放に生きていいと 見え出した
我が人生のミッションは 情熱が冷めぬ限りは 
あきらめず 歩き続ける
終わりの始まりではなく
いつも つづきがつづくエンドレス
だから 人生は愉快なりと 
微笑む自分が いまもここにいる

つづく者たちよ 我を踏み越えよ 

〔2020年2月3日書き下ろし。北海道における福祉教育の我がミッションに悔いなし。そのつづきを語り始めるいまがある〕

老いの道半ば

老いていく身に 世捨て人を命ずる
老いていく身を 世の趨勢から遠ざける
老いていく身が できることすら拒みはじめる

老骨に鞭打ち働くことを いさめる 
老骨は労(いたわ)られることを よしとする
老骨が世に発することを ためらう

もう 若い者たちの時代だ
その道を 邪魔することのないよう
表舞台から降板し おとなしくしていよう

だから 若い者たちに任せよう
その決心を 揺らがぬように
尋ねられたときだけ 真摯に答えよう

だた 若い者たちに伝えておこう
おれは 君たちの年には
わかったようなふりは しなかった
姑息な自分を 戒めた
ダレた自分を 鼓舞した
失敗した自分に 檄を飛ばした
自分らしく生きたいと ひたすら渇望した 

もう 出番はなくなった
もう できることもなくなった
もう 考えることも億劫(おっくう)になった
だから 迎えが来るまで 好きなことをして生きながらえよう

そこまできて はたと気づいた
好きなことって 何なのか
世の中と人と関わることしか してこなかった
だから きっと死ぬまで 
世の中と人にしがみついて 生きながらえるしかない
そんな自分も 悪くはないと悟った
出しゃばらぬよう 加減しながら いまを生きる

〔2020年2月2日書き下ろし。八十歳まで老いの道半ばです〕

国と民のこころ模様

コロナウイルスの流行
その国の人心が 暴(あば)かれていく
マスクが 品切れた
生産も おぼつかず
欲長けた者たちが マスクを買い占め
異常な高値で 転売する
貧しき者たちは 選別され
無防備な姿を 晒(さら)す

コロナウイルスの流行
彼の国の人心が 暴かれていく
災難を逃れ ようやく帰国した同国人
その一時隔離の場所をめぐって
地元の民は 受入拒否の過激な反対運動
世界に恥部を 曝(さら)け出す

コロナウイルスの流行
大国の卑(いや)しき心が 暴かれていく
疾病対策できず 防疫体制未整備で
世界中に ウイルスを拡散させた 共産党の一党独裁統治
致命的な判断ミスを冒し隠蔽した 地方統制機関の欠陥官僚
そんな国に 工場を移転していた大国の民間企業
新型ウイルスの感染恐れて 撤退せざるを得なくなり
大国に雇用が戻ると 皮算用
人命よりも 先にソロバンはじいて 
ディール(取引)に 勝つことを優先する 

コロナウイルスの流行
隣国の 民間企業の支援の心に 救われた
いち早く マスク百万個を送る道義心
民からは 「雪中送炭」と感謝された
水際の防疫体制の不備を 突かれても
経済損失五千億円と 試算されても
桜咲くまで めげることなく 堪えしのぼう
心優しき隣国よ

〔2020年2月2日書き下ろし。コロナウイルス流行は、それぞれの国や民の欲望をあらわにした。北の大地の桜の開花は五月初です。それまでに終息するでしょうか〕

世界を席巻するウイルス

コロナウイルスの 流行の勢いは止まらない
中国湖北省武漢市で発生した 新型コロナウイルス肺炎
2月1日現在 中国本土の感染者は1万1791人 死者は259人 
2002~03年に流行した 重症急性呼吸器症候群(SARS)の
世界全体の感染者数8096人を すでに越えた
日本でも 3次感染が報告されている

アメリカでは インフルエンザが大流行している
連邦機関の疾患予防センター(CDC)のホームページには
今シーズン少なく見積もっても 1500万人が罹患 14万人が入院
なんと 8200人の死者が出ていると 報告されている
センセーショナルなコロナウイルスの報道に押しやられた 深刻な事態
日本も インフルエンザ流行のピークを迎えた
予防接種したから大丈夫という 保障はない
インフルエンザのウイルスも 常に変異を繰り返す
いまは コロナウイルスのワクチンの開発が急がれる
未知なるウイルスに挑む研究者こそ 
人類のいのちの鎖を繋ぐ 唯一無二の頼りの綱
不眠不休で没頭している研究者 研究機関に 
ただただ すがるしかない
ガンバレ! 世界のウイルス研究者

ウイルスは 人も国も選ばない
アフリカやアジアなどの貧しい国に 蔓延してほしくはない
防疫体制も
医療機関も
医療者も
薬も
万全とは言い難い国に
インフルエンザやコロナウイルスが流行したら
どんなに悲惨な事態を引き起こすのか
過去のエボラ出血熱を想起させる

人びとの自由な往来により
奇しくもコロナウイルスは 
自国の防疫体制の不備を見事について 世界に拡散した
観光立国をめざすということは
金と一緒に ウイルスも自由に往来する
それごと引き受けていかなければならない
その事実を 突きつけてきたのだ
旅人を 排除するのではなく
旅先で 罹患した人の不安なおもいに添うあり方が
いまこそ 求められている

いまはただ 感染の終息と
罹患者の早期の快復を 祈るばかりだ

〔2020年2月1日書き下ろし。ウイルスの脅威と防疫の不備をまざまざと見せつけていることの裏で、インフルエンザがアメリカで脅威を振るう。世界がウイルスに席巻され、日本の観光経済も辟易している〕

付記 
「中国、新型肺炎感染1.1万人突破 世界62カ国が入国制限」
中国湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎の感染者は1日、中国本土で1万1000人を突破した。中国政府の同日午前0時(日本時間同1時)時点の集計で前日より2102人増え1万1791人となった。死者は湖北省で45人増えたほか、重慶市でも初めて確認され259人。感染が疑われる例も1万7988人に達した。
江西省では1人の感染者から医療関係者を含む15人に次々と感染したことが報告されるなど、感染拡大の勢いは止まっていない。
中国本土以外でも、英国やロシアなどで初の感染者が確認され、26カ国・地域の150人以上に拡大した。中国外務省は1月31日までに、62カ国が中国人に対する何らかの入国制限措置を導入したとして、国民に注意喚起。同省の華春瑩報道局長は同日深夜、米国の厳格な対応について「世界保健機関(WHO)が各国に渡航制限の回避を呼び掛けていることに反し、良くないことを先導している」と反発する談話を発表した。(時事通信2020/2/1 8:22配信)

ふくしの語り場

老いることは 情熱の枯渇
持ち続けるには 若者との語り場がいい
地域福祉の世界に入り込んだ 二人の青年らと
久しぶりに 飲み語らう

福祉の職場で 行き場を失う者たち
他市町村の者たちと 横でつながることさえしなくなった
仕事の困りごとは そのまま放置
わずらわしい人間関係は 我慢できない
指示された業務を 勤務時間に見合ってこなせば一日終わる
福祉への志のあるなしで 評価はされたくない
とりあえず 喰っていければよしとする
人間関係面倒ならば 地方に定住 拒絶して
早めにリタイヤ 次探す
自分を生かす仕事を探して 彷徨(さまよ)う迷い道
そんな世相にさからって 福祉の世界に飛び込んだ
青年二人の 社協物語が始まった

こじゃれた居酒屋に誘われ 魚三昧の夕餉にありついた
社協の女性課長 有能でおもいと行動力が半端ない 
いまも地域福祉の現場に 確かに生きる
大学を出たときから 注目していた福祉のひとだ
デスクを温める暇もなく 日中は町内を駆けずりまわり 当事者に添い続ける
道内でも希有な社協ウーマンとして 堅実に成長していた
その部下となった2人を 引き合わせてくれた語り場
ただただ嬉しいばかりで 酒がすすむ

驚いた
まだ4ヶ月と3ヶ月の新人男性二人
教育と医療の職場を経験してきた二人だが
ふくしのふの字も関わったことのない ど素人
彼女の思惑は 外の人間に会わせ 
語り尽くせない福祉のいろはを 伝えてもらおうという 
魂胆だったかもしれない
語る前に 肴とビールに酔っていた

新人に伝えたかったこと
ひとつ まずは 与えられた仕事を確実に習得すること
ふたつ 社協の仕事をよく見聞きし 気づいたことを書きとめる習慣を身につけること
みっつ 感じたことを 決してないがしろにしてはならないこと 

学習能力が高そうな二人には 実践的な知識理解は早いだろう
書く力は 新人のいまだからこそ着実に習慣化したい力だ
成長の軌跡と実践の振り返り 
そして 抽出した課題へのアプローチへとつながる自己変革の芽
それを しっかりと書きとめる
福祉を学ぶということは 人とことへの感応力を高め人間関係力をつけていくこと
相手の痛みに共感できなければ ただのやっつけ仕事に劣化する

課長は 今日の研修に 二人を参加させる
若い福祉の人材を しっかり育て上げること
彼女の人材育成力は これから問われていく
その意を受けながら いま研修の中身の練り直しを迫られる
社協マンになって 初めての外部研修
二人もまた期待を背負って 自己研鑽に臨む

〔2020年1月31日書き下ろし。20代後半の男性が社協の職員になっただけでも幸いです。これから大事なことを伝えていく上司たちの奮闘を応援したい〕

おちゃらかす

今国会の茶番劇 
操り師に
拍手喝采 万歳三唱 花束贈呈
ついに ここまで来ましたね
その際だった レトリック
洗練された コトバ遣い
その知性と教養の狂痴を 称賛します
つい引き込まれて 感嘆の声をあげました

「募ってはいるが募集はしてない」
言う方も言う方だけど
よくぞ 言わしめましたね
操り師の面目躍如です
「美しい日本から新しい日本へ」は
見事に「美しい日本語から新しい日本語」へと
ギアチェンジさせたことを 世間に知らしめました 

国民を無知妄信させる いままでの努力が開花し
ボスから 発せられたこのコトバ
そばで聞いていて 心底身震いしたでしょう
国語辞典の改竄(かいざん)編纂は 毎日続きます
新しい日本の 国会答弁書
ボスの意向と信頼 盾にして
不真面目対応 お手の物 
国民や議員を どれだけ愚陋(ぐろう)し続けるのか
これからも 楽しみに国会中継見ています

おちゃらかす操り師 
大義を抱いて 国政を動かす黒子たち
いったいどんな人たちなのか 興味津々です 
出世ルートから外れぬように
ボスに忠誠誓い 滅私奉公…ですね
暴露本『新しい日本を手玉に取る黒子たち』 
いつか書いて見てはいかがですか

〔2020年1月29日書き下ろし。政治はコトバである。日本語が本来の言葉の意味をねじ曲げられ、民意は都合よく捨てられる新しい日本の姿が見えてきた〕

つながれ

つなごう つなごう
きみとぼくの おもいのあつさを
がまんせずに 声に出そう
たぎる希望と ふるさとの未来を語ろう

つながる つながる
きみの手とぼくの手の ぬくもり
がむしゃらに 希望に向かっていくそのときに
立ち向かう勇気を ともにふるさとに満たそう

つながれ つながれ
きみの夢と 僕の夢
がんばって ふんばって
絶えることのない ふるさとの明日に虹を架けよう

つなげたい いまつなげたい
きみのいのち そしてあなたのこころ
叶えよう ふるさとに生きる喜びを
称えよう ふるさとに生きる誇りを

だから わたしは動く
つながれ 強く
だから わたしも動く
つながれ 熱く
そして あなたも動く

つながれ つながれ
ひととひと
もっとつなごう 
信じあうひと
もっともっとつなぎたい
支え合うひと
もっともっともっとつながれ
まちに希望を満たす人
月形 
わたしのまち きみのまち
いのちとこころを 豊かに紡ぎつなぐまち
青春の夢と希望を 明日へ確かにつなぐまち

月形 
わたしの大好きなまち 
わたしたちのふるさと

〔2020年1月25日書き下ろし。北海道月形町民フォーラムの朝、参加する中学生を含め町の子どもたちへのメッセージを記す〕