阪野 貢 のすべての投稿

ポジティブに ~石狩レポート(5)

『妻の旅支度』
老夫婦の 究極の最期の別れ方を詠む
妻の夫への愛の深さと 
妻に死を受け入れていく 夫の添う姿も美しい
限られた時間(とき)に刻まれていく 夫婦の情愛
静かに 聴き入る

『きょうという日』
ときめきを失ってから
生きる時間の 浪費が始まる
そうじゃない そんな自分を否定する
そこに わたしを気遣い必要とする人がいる
手を握ってもらった それをご縁に
世間にそってみようかと 歩き出すわたし
きょうの日が それを確かめる日であってほしいと

『融和の心』
長い詩なので ラストのフレーズを紹介した
「そしていま、痛みや喜びをわかちあう“融和の心”を、
地域(ここ)に根付かせることが、大きな目標となった。
先輩らの頑張っている姿を見ながら、
身の丈に見合った応分の仕事を続けよう。
そして、いつか〈人生の恩返し〉という
民生委員・児童委員のおもいのバトンを、
“あついまなざし”をもつ次の世代に、力強く手渡したい」

『ほころびを繕う』
慰藉(いしゃ)の手を持つ人に導かれ 生かされているわたし
もしかして 
わたしの中の〈わたし〉へ 生老病死を問い続ける道程
それが 民生委員児童委員の活動かもしれない

それじゃ そろそろ行きますか?
『階段』
「今日も 団地の階段に挑む 私の体力づくり
どんなに 崇高(すうこう)な思いを 持っていても
民生委員に いま求められるのは 
この階段を上り下りする体力なのだ
この階段の先に 私を求めて待っている人が きっといる
その笑顔に 会いたくて 
一段目に 足をかけた
いつもここが 私の仕事のスタートライン」

ふりかえりの時間が来た
アンケート用紙の自由記載の欄に
感想や意見を 書いてもらう
書き終えて 参加した市町村から1名指名して発表
研修後の全員へのアンケート
赤 やろうという意欲が起こった
青 やるしかないとあきらめ 腹をくくった
白 無理だと再確認しつつ やるしかなと思った

赤が 8割近く上がった
白は 1割にも満たなかった
研修前の不安が 払拭された瞬間だった
ただ ポジティブな発問なだけに 肯定的だった
もう逃げられないお役目だとすれば
前向きに考えて 悩みも喜びも一緒に味わって行きましょう
みんないい顔をしていた
そして 最後の詩を朗読した

『めんこいしょ』
子を授かり 育てる
親になった喜びを
社会で育てる喜びを 
深く心に熱く刻んでほしかった

おまけがあった
引率で来た 市町村民児協担当者
一緒に研修を受けてもらった
担当者だけの「アンケート調査」を実施した
担当者として 前向きになれたか
今日参加して よかったか
根室と小樽では 100%肯定された
石狩の反応が 楽しみだ
道内全て回り終えたその時に
他の質問項目も併せて 分析をかけよう
全国でも稀な担当者への意識調査
結果を受けて 次を展望するのが楽しみとなった
道民児連の研修は 次を見すえたしたたかさにある
そこが 断然面白い 
残り11管内 道民児連の職員と共に
今日も午後から 十勝(帯広)行きのバスに乗る

※『妻の旅支度』:鳥居一頼の世語り(105)2019年10月28日投稿 から引用する
※『きょうという日』:鳥居一頼の世語り(1)2019年7月17日投稿 から引用する
※『融和の心』:鳥居一頼の世語り(10)2019年7月27日投稿 から引用する
※『ほころびを繕う』:鳥居一頼の世語り(8)2019年7月25日投稿 から引用する
※『階段』:鳥居一頼の世語り(95)2019年10月19日投稿 から引用する
※『めんこいしょ』:鳥居一頼の世語り(61)2019年9月14日投稿 から引用する

〔2020年1月27日書き下ろし。この研修は、道民児連の「第3次活動指針」の具現化の一つとしての取り組みでもある。丁寧な取り組みが、市町村民児協とのさらなる信頼関係を結んでいく。民児連としては、全国に2つしかない公益財団法人として、課題に果敢にトライする。その心意気と自負を持って事に当たる職員を、微力ながら応援したい〕

自分のネットワークをつくろう

民生委員一年生、先輩に指導されながら、今日も二人で地域を回る。
炉端会議のたまり場に顔を出す。

田中 「こんにちは。佐東さん いましたか」
佐東 「だあれ(奥から声が聞こえる)」
田中 「民生委員の田中です」
佐東 「どうぞ。あら、鈴木さんも一緒に。あがってください」
鈴木 「こんにちは。お邪魔します」
佐東 「今年から民生委員をしてる田中さん。そして隣町の民生委員の鈴木さん。この間、田中さんが顔出したから、今日の寄り合い教えておいたの。鈴木さんは、どうしたの?」
鈴木 「お邪魔します。すみません。話せば長いのですが、簡単に言えば、田中さん、まだ民生委員の仮免中なんです。それで慣れるまで、ついてあげているんです」
田中 「民生委員1年生の田中です。よろしくお願いします」
佐東 「挨拶の終わったところで、まあ座ってください」
南野 「初めまして、私は南野です。田中さんとはどっかでお会いしたような」
田中 「町内会が違うので、こちらの町内の方とは面識が薄くて、困っています。
どっかこっかで、お会いしているかとは思いますが」
中西 「私は中西です。きっと初めましてですね。外には買い物くらいしか出歩かないので、町会の人でもよく知らなくて」
下北 「私は、鈴木さんも田中さんよく知っていますよ。私が町会の役員をしていた時に、連合の集まりでお会いしてました。お二人とも、皆さんの意見をしっかり聞かれてお話しされたり、行事でもテキパキと指示されて、よく動いていらっしゃった」
佐東 「下北さんも、町会の仕事に熱心でお世話役さんだったから、顔も広いし、田中さんの人がらもよくご存じなんですね」
下北 「いやいやもうこの年では、皆さんのご厄介をおかけするばかりで、顔見知りの田中さんが民生委員になられたのは、本当に心強いですね」
中西 「私も出不精で、前の民生委員の方とは一度くらい訪問されてきたくらいの記憶しかなくて。こんなふうにみんなでお会いするのもいいですね」
南野 「袖ふれあうも多少の縁とは言いながら、ほとんど知らない方々とお会いして様子をうかがうというのも、田中さん、ほんとにしんどいことですね」
田中 「本当に初めてのことで、今日のように皆さんの寄り合いに寄らせていただくだけでも、ありがたいですね。この町会の様子や心配事、困りごと、そしてしんどい方の様子など、一人で歩いて聞いて回るというのも、広い地域ですから、すんなりとはいかなくて。実は失敗ばかりで、苦労しています。玄関口でけんもほろろに追い返されたこともありました」
佐東 「うちに来たとき、上がってもらってお話を聞いてね、これじゃまるでさっさと辞めてといってるような情ない町会になってしまっては、ちょっとまずいと思ったのよ」
下北 「それはいけないわね。うちの町内で邪険にして田中さんに辞められたと言われたら、それこそ恥ずかしいし、取り返しのつかないことになるわよ。
なにせ、いま民生委員のなり手もいないっていうし、これから私もお世話になることを考えれば、とってもそれは、ほってはおけないわね」
鈴木 「嬉しいですね。皆さんで田中さんを応援していただけるなんて。実は心配ですって頼まれて、一緒にきたんですが、野暮なことでした。私も1年生の時に皆さんにお会いしていたら、もっと頑張れたかもしれません。よかったね田中さん」
南野 「そう言われると、民生委員の仕事って、相手のふところに入っていかなきゃならないことだから、田中さんの心配も分かる気がする。それにしても、そもそも民生委員の仕事をちゃんと理解しないで、勝手な思い込みでいる人って、結構多くない。
私も自慢じゃないけど、きっとそう(笑)」
中西 「私も同じだと思う。主人に先立たれて独り暮らしをしていると、何かにつけて不安で、だから家に閉じこもってしまたんだけど、佐東さんの奥さんからお茶のみにおいでと誘われて、やっと家から出られるようになったというわけ。本当に民生委員の方と会う事なんてなかったから、よくわからないというのが、ほんとのところね」
佐東 「そうだと思ってね。今日お呼びしたというわけ。一人だとなかなか聞けないことも、こうしてみんなで聞いてみると、いろいろわからないことも、少し見えてくるでしょう」
田中 「ほんとに助かります。いままで前の方がお世話をしていた人とは面談してきたのですが、それでもその人の性格とか生活とかは、引き継ぎを受けて記録見ても、実際に会わない限り良くわからないというがほんとのところです。
まだ私の知らないところで心配事を抱えて、一人であるいは夫婦で悩んでいる人もいらっしゃるわけで、探すというのも実に手間も時間もかかることなんですね。もちろん私自身民生委員の仕事について、十分理解しているかという問題も確かにありますね」
下北 「本当にご苦労なことですね。みんなでこうして会ったのも大事なご縁です。私たちがお話を聞いてだけでは、さっきの邪険にした人たちの問題が解決するわけではないでしょう。こんな集まりをお知り合いに声がけしてもらって、田中さんに話してもらえれば、誤解も解けて、協力もしてもらえるんじゃないの。私の方からも、町会の役員の方に話をしてみましょう」
鈴木 「願ったり叶ったりです。田中さんよかったね。ほんとによろしくお願いします」
佐東 「そこのところが一番大事。ここからはじめて、うちの町会の人に理解してもらい協力してもらえるよう、私たちもやらなきゃいけないと思うけど、どう?(みんな口々に賛同の声) 
それじゃさっそく田中さん、どんな協力が必要なのか、作戦会議を始めましょう」
南野 「その前に、民生委員さんってどんなことをされているのか、そこから教えてください。そこがそもそもわからなくては、誰かに伝えることもできないわ」
鈴木 「田中さん、わかることから、お話してください。足りないところは後で付け足しますが、それでいいですか」
田中 「鈴木さん、ありがとうございます。それじゃお話させていただきます」

不慣れな地域回りで苦労することが多い新任の民生委員さん。地域には数人の方が寄り合うところがきっとあります。
そこにお邪魔して、理解と協力をいただくことで、地域の確かな情報が入ってくることと、地域の問題を地域の人と一緒に考えていける拠点が生まれます。
もちろん一人で行動することを不安に思う人もおられるでしょう。田中さんのように先輩にしばらくついて現場で教えてもらうのもいいですね。保健センターの保健師さん、地域包括支援センターのスタッフ、社協の職員、時には派出所のお巡りさん、などと一緒に動くことも大事ですね。
まずは、ネットワークづくりを積極的に行うことが大事ではないでしょうか。ここでは、地域のキーパーソンともいえる「佐東」さんに出逢ったことが、幸いでしたね。表だって地域の活動は特別しなくても、お茶のみ話の場所は、特に女性たちは持っているのではないでしょうか。そんな人を見つけるのも、大切です。
そのまえに、理解を得るためには、皆さんにどんなお話をされるのでしょう。肝心要のことですね。そんなところから、気負わずスタートしましょうか。

〔2019年11月26日初稿、道民児連初任者研修で初出。道内14管内の研修会参加者が演じるシナリオです。石狩レポート(4)と併せてお読みください〕

役者揃い ~石狩レポート(4)

にわか劇団「石狩浜」 登壇
『自分のネットワークをつくろう』
「こんにちは、佐東さん、いましたか」
田中役の女性が 最初に放した一声で 会場がわく
舞台に上がって 役を振り分けられ 
シナリオに目を落として すぐに開演
その第一声は 観客を見事に惹きつけた瞬間だった

会場入りしたのは 開会15分前だった
参加者名簿を渡された
受付では まだ参加者の受付をしていた
開会の挨拶が終わり 「百年の歴史」のビデオが流れた
会場を出て 受付をのぞいてみる
数人の石狩市民児協の役員が 受付の整理をしていた
そこで 市内の各地区の新任委員から
女5名男1名を 推薦してもらった
その理由は 何も言わなかった

突然指名され 何をさせられるのかもわからず
舞台に上げられて ドギマギしながら 
シナリオを片手に 即興で演じる
朝の緊張感や不安を 微塵にも見せず
6人の楽しげな会話の様子は 会場をさらに和ませた
話の中身に引き込まれながら 聞き入っていた
彼らの人選は 見事に当たった
6人は 堂々と演じきった
会場から 割れんばかしの拍手が起こった

問題を焦点化するケーススタディとして 寸劇を書いてきた
参加者と一緒に創り上げる 研修スタイルだ
でもこんな展開は 参加者も運営者も 誰も予想しなかった

このあとグループワークに入る
新人が 担当地域にどのように入っていくのか
地域のキーパーソンを 把握すること
その人の周りに集まる人たちとのつながりを知ること
そして 先輩委員のフォローアップを受けることでの 不安の解消
さらに 先輩から地域や人との関わり合い方を学ぶ 機会の設定
地域の寄り合う所こそ 最も必要とする新人教育の現場でもある
このような仕組みづくりを 市町村で取り組むのなら
1期で辞める人が 軽減されるかも知れない
そこに 民児協やその担当者の これからの対策が問われるのだ
そんな思いも込めた ケーススタディであった 

ねらいは 6人の新人の演技力によって 達成されていた
時間も 押し迫ってきた
用意した詩の選択を急ぎながら 次の展開へと移った
子どもと児童委員の関わりについてはパスして 
自宅でゆっくり詩を味わっていただくようお願いした
委員としての心づもりについて 
朗読者と司会者を指名した
『人生の棚卸し』
各グループで朗読が終わると 拍手が起こった
全てのグループに 拍手は広がり 
そして 愉しげな声が 会場を包みだした

※『人生の棚卸し』:「鳥居一頼の世語り」(124)2019年11月16日投稿 から引用

〔2020年1月26日書き下ろし。シナリオ『自分のネットワークをつくろう』は、明日紹介します。雰囲気を味わってください。石狩レポートも次でラスト。明日は帯広に向かいます〕

気概を持って

民生委員協議会の担当です
この一年 多くのことを学びました
役所では得られない 地域の福祉の情報も
困ったことや困っている人の情報も
委員の皆さんのおかげで
コンスタントに入ってきました

民生委員協議会の担当です
一番感じたことは
福祉に向き合う委員の皆さんの気概です
地域でひとりの住民として暮らしながら
困った人や困ったことを我身に感じて
無償で取り組む真摯な姿が
この仕事に誇りと自信を持たせてくれます

民生委員協議会の担当です
一番考えたことは
自分の時間を削って動く姿に触れて
この仕事に本気になっているかという
自問自答の繰り返しです
流れぬよう流されぬよう 前向きに考えています

民生委員協議会の担当です
胸を張って そう言えることが目標です
委員の皆さんを支え 活動を支えます
仕事とは割り切れない 大切な人とのつながり
これからも 丁寧に紡ぎます

民生委員協議会の担当です
地域の暮らしを護るために
地域で暮らす人を護るために
行政のなすべきことを直視して
委員の声を 関係部署に届けます

民生委員協議会に関わって
地域で頑張る委員の皆さんが
これからも つつがなく活動がなされるよう
共に環境づくりに励みます 
市民参画協働の実際を学びます
行政マンとしての 社会的資質を鍛えます
人間としての 矜持を鍛えます

この福祉を支える世界と人は
決して ないがしろにはできません
委員の改選期に 受けていただいた感謝を込めて
担当として その心意気を伝えます 

〔2019年12月23日書き下ろし。道民児連初任者研修初出。民生委員協議会の担当の心意気、ぜひ伝えてほしいと念じています。期待しています、担当さん〕

お世話焼きさん ~石狩レポート(3)

人は 様々な人に 迷惑をかけ
人は 様々な人から 迷惑をかけれらながら
生き暮らす
互いに信じ合い 助け合う
ときに うとまれ ねたまれ さいなまれる
そこから 生まれる義理人情
世間というつながりから 善くも悪くも紡がる
世間のしばりから 抜けだすことができぬなら
もっと生きやすく生きたいと思うのは 世の常か

そんな世間で生きてきた 
ひとりの老女の生き様を
語り合って見たい

最初のグループワークは
『義理を果たす』から始まった
8人のグループ編成
一人ひとり 番号をふって確認する
司会の人は 3番目
朗読の人は 6番目と 指名する
読み終わったところで 感想意見を交流する
合図と共に 始まった
読み終わったグループから 意見交換となる
時間を見計らい 2つのグループの司会者を指名して
発表してもらう
「私たちのグループでは…」
いままで当たり前にしてきたグループ発表
中身をまとめようと 努力する
でもそこには こころ動かす言葉が 力を失う
だから「あなたの思いを素直に語ってください」とお願いする

『よほど やりくりが苦しかったのかも知れない。
年に十度ほど 香典を包むという。
葬儀には出ることは出来ないが 香典だけは欠かさない。
いままでお世話になった恩返しに 香典を包む。
義理を果たすことで 報われると信じている。
暮らし向きは厳しいけれども 自分が辛抱することで 義理を果たそうとする気概。
世間に後ろ指を指されぬよう じさまにあの世でよくやったと褒めてもらえるよう
世間の習わしのなかで 懸命に生きてきたのだ。』

祖父母から聞いた田舎の話
でも 現実に起こっていること
いまの自分には とてもできない
まちばでは 義理を欠くことが当たり前
果たすというおもいは ここまで強くはなりえない
葬儀も 身内で済まし 隣近所は弔えない
寂しい別れの 儀式となった
世間のしがらみは どんどん弱くなっていく

『助かるわ』
読み手と司会者を変えて 2本目の朗読が始まる
いくつかのグループで 朗読を終えた合図か 慰労の拍手が起こる
場が 少しずつほぐれだした

『「助かるわ」「助かったわ」ということばは
他人(ひと)とのかかわりを 和ませる
そのかかわりの さりげなさが
いざというときに「助けて」って すぐに伝えることばに変わる』

「助けて」って 困っている人ほど なかなか言い出せない
その気落ちを 察してあげること
それが 御用聞きの大事な役目
世間の良さを 取り戻すことにもなるかもしれないわ 

ほっとけないお世話焼きさん
その様子をさりげなく伝えた詩を 紹介する

『小さな希望のともしびをかかげてください』
おばちゃん 遠慮せず もう少し迷惑をかけてください  
私のこれから行く道に 
おばちゃんが 世の中の風に翻弄(ほんろう)されながらも
かかげる小さな灯火(ともしび)が 
ゆるがない希望の道しるべとなるのだ
だから 明日もまた会いに行こう
「大丈夫?」 
「うん なんともないさ」
「がまんしないでね」
「あんたが 会いに来るから 大丈夫!」

世間のしがらみを よく知るばかりに 
迷惑をかけたくない
他人の手を煩わしたくはない
自分が我慢すればいい
でも構われたい気持ちも 複雑に混じり合う
世間と葛藤しながら生きる人に そっと寄り添う

話題を変える
道内の市町村の民児協事務局は その8割強を行政が所管する
その担当者の意欲如何で 民児協の活動が左右される
だから 新任委員が安心して活動できるよう 支えてほしい
心を込めて 『気概を持って』というエールの詩を贈る
そして 激励の拍手を 委員の皆さんで贈った

※『義理を果たす』:雑感「鳥居一頼のサロン」(5)/2019年6月19日投稿 から引用
※『助かるわ』:雑感「鳥居一頼のサロン」(3)/2019年4月20日投稿 から引用
※『小さな希望のともしびをかかげてください』「鳥居一頼の世語り」(20)/2019年8月5日投稿 から引用

〔2020年1月24日書き下ろし。グループワークの様子をレポート。詩の朗読を通して感想や意見を交換する。詩が媒介になって胸襟を開いていく。『気概を持って』を明日アップしておこう。レポートはこれから佳境に入っていく〕

お節介の御用聞き ~石狩レポート(2)

「みんなが 仕合わせに なりますように
世間が 生きやすく なりますように
いつも こころ穏やかに 笑顔と感謝に満ちた
時間を あなたと 過ごせたなら
どんなにか こころ癒やされることでしょう
うとましいことや ねたましいこと くやしいことも
いつか きっと忘れられます
いんでないかいって 許し合えば きっと仕合わせに なります」

民生委員児童委員へ宛てた最初のメッセージ
行の左の頭の文字を読めば 浮かんでくる言葉
ここが 初任者研修のスタートライン
会場が ざわつく
少しずつ こころをほどく

ワークショップは
19編の詩と 1本のシナリオで構成されている
配布された赤い資料集を 目で読みながら
詩で訴えている おもいを共有化していく
ただ全ての詩を 消化することはできないと 断りを入れておく
割愛した詩は 帰宅してから
今一度紹介された詩とともに 読んでほしいと言葉を添える
資料集は 詩集でもあった

はじめに
『小さな幸せを希望に紡ぐ私のまち登別』を朗読
登別の地名を 自分のまちに読み替える
わたしという存在が 行動を起こすことで
地域で生きる 地域に生きる 地域が生きる
福祉でまちづくりをめざし
躍動する市民として いまここにいることを
知らしめます

問題提起に選んだのは
『青い手帖』
委嘱されたときに手渡された 特別な民生委員の手帖
初心者マークをつけて ドギマギしながら 1ヶ月半
今日の研修は 少しでもこころのもやもやを 果たしてくれる…かも
そんな期待を持ちながら 未知なる世界に緊張しきり 
その手帖を手にしたときの 不安や葛藤に添ってみました
そして 静かに背中を押してみました

まずは知っておきたいことがあります
これからつながる人の人生の一端を
長い詩なので 黙読します。
『群像』
午後の静寂な刻が流れます
昭和・平成・令和を生きる人たちと
対話しながら つながっていきます
読み終わった頃合いを見て
民生委員の活動に 直接関わるところを朗読します

『お節介かも 知れない
けれど 手を握り返してくれたら 力を貸したい
だから 私の役目を知り ただそうするだけ
困っている人を 助けてと声に出せない人を
そのまま ほっておくことは 私にはできない
「そんな薄情な人間には なりたくない!」 
私の中の ”わたし” が叫ぶ

その声に 突き動かされたように
同じおもいを持つ 仲間に支えられ
きょうも 明るく笑顔で 心配事の「御用聞き」
私のボランタリーな活動が 始まる』  

お節介を 否定する人
そんなお節介は 無用です
公に お節介の「御用聞き」 
民生委員のボランタリーな活動です

聞いてばかりでは 眠くなってきました
そろそろ 皆さんにも動いてもらいましょう

※『小さな幸せを希望に紡私のまち登別』:「鳥居一頼の世語り」(37)/2019年8月21日投稿 から引用
※『青い手帖』:「鳥居一頼の世語り」(148)/2019年12月10日投稿 から引用
※『群像』:「鳥居一頼の世語り」(2)/2019年7月19日投稿 から引用

〔2020年1月23日書き下ろし。石狩レポート第2弾。参加者の緊張感や不安がまだ充満しています。次の一手がこの空気を一掃していきます。お楽しみに〕

できる/できない:「いまさら見えても困ります!」―立岩真也の言説のワンポイントメモ―

A:「生まれながらにして目が見えないのです。普段は、何も見えない生活ですから、いまさら見えても困ります。」
B:「高校生の時に全盲になりました。視力が徐々に低下していく時が一番怖かった。もう一度、故郷の景色を見たいものです。」
C:「私は、自分が脳性マヒであることを誇りに思っています。だからこそ、いまの生活や活動ができるのです。」

〇筆者(阪野)の机の上に、1年近くも積ん読のままになっている本が複数冊ある。そのうちの一冊で、読みづらいと思い込み、読みあぐねてきた本がある。それは、多面的・多角的な視点の提示や問題提起をはじめ、縦横無尽で複雑な論理の展開、思考過程の多岐にわたる詳細な言語化、それに個性的で独特の文体(文章のスタイル)の駆使などによるのであろう。それは実は、「障害」や「病」をめぐる社会のあり様とその問題点や課題などについて、読み手に対して誠意を尽くし、慎重かつ丁寧に解明しようとする「仕事」である。そこには、「誰もが不利益を不当に被る」ことのない「公平な社会」のための「強靭(きょうじん)な思想」がある(「帯」)。その本は、立岩真也(たていわ・しんや。社会学専攻)の『不如意の身体―病障害とある社会―』(青土社、2018年11月。以下[本書])である。「不如意」(ふにょい)とは、「思うようにならないこと」をいう。
〇本書を読み進めるなかで、立岩の言説のうちから次の2点に留意しておきたい。ひとつは、社会に対する基本的な視点や考え方である。一部を引いておく。

近代を問題にするとはこの(次の)二つをともに問題にすることである。一つは、この社会における所有に関わる規則とそれに関わって生じる現実の財の配置である。一つは、人とその行ないと行なうことのできることの間の関係を巡る価値――能産的であることにおいて人は価値を有するという価値――である。(98ページ)

〇平易に換言すれば、「私たちの社会は自分ですることに価値を置いており、生産した分、あるいは能力・生産に応じた分(だけを)取ることを正当としそれを社会のきまりとしている」(368ページ)。要するに、この社会は、能力と業績を基準にして評価する社会、「その基本に『能力』に関わる価値と規則を有している社会」(97ページ)である。そして立岩は、この能力主義・業績原理に強い異議を唱える。
〇立岩は、その社会で生きるにあたっては、障害によって「できない」ことがあっても、「(1)自分でする、自分でできるようになる。そのために「学習する」とか「訓練する」とか「なおす」ことがなされる。(2)自分ができるために、自分以外の人・設備を使って、補う。(3)他人にやってもらう」(362ページ)という方法がある。「自分でできないこと、その代わりに他の手段を使うこと、他の人にさせることは常にその本人にとってマイナスではない」(309ページ)。障害は「ないにこしたことはない」と言うが、立岩にあっては、それは大切な主題ではない。「あるものはあるのだから、あとはどうやって生きていくか、生きていくための方法を考えること」(298ページ)が重要になる。「障害があるのはよいことかわるいことかといった議論に加わらず、まず障害者が生きていけるためにすべきことをすること」(317ページ)である。「そう簡単に障害はない方が(本人にとって)よいと言ってほしくない、言うべきでない」(318ページ)と立岩は訴える。
〇いまひとつは、立岩は、「障害とは何か」、とは問わない(101ページ)。「障害とは何か」を定義することは必要ないとして、「不如意の身体」(思うようにならない身体)の「障害と病に関する契機」を挙げる。「(1)機能の差異があり、(2)姿形・生の様式の違いがあり、(3)苦痛があり、そして(4)死の到来がある。加えれば、(5)加害性がある」(21ページ)というのがそれである。
〇この5つの契機のうち、立岩にあっては、「障害」は、(1)機能・能力、その有無・差異(「できないこと」)と(2)姿形・生の様式、その差異(「異なること」)に関わり、加えて(5)加害性(「加害的であること」)が懸念されてきた。それに対して「病」は、伝染の可能性等によって(5)加害性(の可能性)が恐れられ、「社会防衛」(収容・隔離)の対象になってきたのでもあるが、(3)「苦しいこと」と(4)「死に至ること」、あるいはそれを惹起させるものである(21、37、102ページ)。
〇5つの契機のうち、「歴史的現実的には相当に大きな部分を占めてきた」(102ページ)のが「加害性」である。その点に関する立岩の言説の一部を引いておく(抜き書きと要約)。

精神障害や発達障害のある部分について「(自傷)他害」が問題にされてきた。ハンセン「病」や精神「病」も加害性をもつものとして社会によって扱われ、そして「防衛」の対象になってきた。なにか身体的なものに関わるよからぬもの全般が「病」という札を貼られ、その中で「機能」に関わる部分が「障害」と括(くく)られてきたのかもしれない。そして同じ施設にハンセン病療養者が入り、結核療養者が入り、結核が流行らなくなると、重症心身障害児と呼ばれる人が入り、筋ジストロフィーの子どもたちが入り、そして大人になっていった。ここで加害性(からの防衛)と負担(の軽減)は明らかにつながっている。そして「狭義の」加害性~社会防衛は現実にはどれほどの重みをもっているか。一般に反体制的な気分の社会運動においては治安が問題にされるのだが、いったい実際にはそれはどれほどのものであるのかは考えておいてよい。(30~31ページ)

加害(性)はとにかく難しいように思える。わるいことをしたら罰せられるのはよい。しかしその人がわざとやったことでなければ、自らの意志で止めることができなかったことなら、やはりその人の責任は問えないだろう。そして死刑は私はいやだ。そしてどんな手を打ったとしても、悲しいことではあるが、加害行為がまったくなくなることはない。ずっと言われ続けてきたことではあるが、加害を減らす手段は本人を罰したり介入したりする以外に、様々にある。貧乏を減らすのが本来は一番てっとり早い。そして、それをなくすため、減らすためといって、犯罪を行なう確率が高いとされる集団に属しているからといってその人(たち)を特別に扱うといったことは極力しない方がよい。(138~139ページ)。

〇すなわち、「不如意の身体」の「加害性」は、「不如意」ゆえに本人の意に反して出現する(した)「加害行為」が社会的に恐れられ、「社会防衛」の対象にされてきたことを意味する。その際の「加害行為」については、その「(自己)責任」の有無や所在、その「抑制(実施)」の可否や方法、その「(社会)防衛」の是非や負担などをめぐって、ことはそれほど単純でも簡単でもない。
〇冒頭に記したA、B、Cの(筆者の知人の)話に関して、立岩の論点や言説から、筆者なりに留意しておきたい点のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

身体障害は、動かず、不便であるだけだ。障害者は、機能や姿形においても、できる/できないにしても、違うことの受け止めにしても、生まれた時からの人と中途からの人は異なる。前者の人は、違いを意識するのは他人との比較のときで、自分については他人と違っている状態が初期値で通常の状態であって、その自身においては「同じ」である。(28~29ページ)

障害があることがマイナスであると判断されることがあることを否定しようと思わない。しかし正/負は微妙であり、しかもそれは環境によって左右される。(環境として既に存在する社会の方は健常者用の、健常者的社会ではある。)現実において、その社会において、障害はない方がよいことはある。全面否定の必要はない。できた方がよいことがあるが、しかし「本来」とまでは言えない。このことがあまりに単純化されている。だから、障害はない方がよいに決まっているという決めつけは「あまりに無神経」だといった指摘は、なにか「感情論」にすぎないと受け止める人がいるかもしれないけれど、やはり当たっているのである。(314~315ページ)

障害があることが本人にとってよいかわるいかは定まらない。この単純な意味で、障害がないこと自体がよいとは言えない。他方、周囲にとっては、(負担という点では)障害があることは確実に都合がわるく、ないことはよいことである。「本人」がこのことの隠れ蓑(かくれみの。実体を隠すための手段)?に使われ、本人だけのこととされることがある。そして当人もそんな周囲から学習し、自分のことを負担に思ったりするだろう。障害はない方がよいという主張の問題は、誰にとってという人称不明のまま、むしろ本人にとってよいことになってしまい、区別がつかない。その中で周囲の都合が優先されることがある。だからどのように異なるのかをはっきりさせる必要がある。(315~316ページ)

できた方がよいのは、一つは、自分のことは自分でというきまりのあるこの社会においてはできることが必要とされるからである。しかしそれはつまりは、人のことを手伝うのは面倒だという以外のことではない。できることは総量としてしかるべく存在すればよい。自分ができなくてはならないわけではない。「ない方がいいでしょ」という問いに「はい」と答えてもかまわないのだが、ただ、「できたらいいに決まっている」と言われるときには、できない(そしてしなくてよい)人とその周囲の人の異なりが看過されている可能性がある。いや実際看過している。だからこのことは忘れないようにしよう。(323ページ)

〇本稿のテーマに関する立岩の主張は簡潔・明瞭である。障害と病の有無や差異に関わりなく、またできなくても、なおらなくても、自分以外の人や設備によって補ってもらうことでみんなが「公平」に暮らせればそれでよい、のである。できる/できないの言説は、自分(本人)ができなくても、他人(本人の周囲の人)ができれば何とかなる、ということである。

付記
糸賀一雄:「生命あるものは輝いている。それは一片の感傷でもなく文学でもない。現実である。」(『福祉の思想』日本放送出版協会、1968年2月、116ページ)
糸賀一雄:「この子らはどんなに重い障害をもっていても、個性的な自己実現をしている。自己実現こそが創造であり、生産である。この子らの自己実現という生産活動によって、社会が開眼され、思想の変革までが生産される。もうひとつの生産活動である。」(『同上書』177、178ページ抜き書き)

糸賀一雄:「知的障害のある人を社会に出しても、私たちのアドバイスで立派にやれるだろうと思う。」(『京都新聞(デジタル版)』2019年3月13日)
糸賀一雄:「本質的にはその(性の問題の)悩みはその子が精神薄弱であろうとなかろうと、おなじである。精神薄弱であることによって生じる社会的な問題行動がないわけではないし、逆に精神薄弱児をめぐる問題の社会がないわけではない。」(『この子らを世の光に―自伝・近江学園二十年の願い―』柏樹社、1965年11月、231ページ抜き書き)

備考
「優生保護法」(1948年9月~1996年9月)は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護する」(第1条)ことを目的とし、断種手術、中絶、避妊を合法化した法律である。
1996年9月、優生思想に基づく規定が削除され、「不妊手術及び人工妊娠中絶に関する事項を定めること等により、母性の生命健康を保護する」(第1条)ことを目的とする「母体保護法」に名称変更された。

緊張と不安 ~石狩レポート(1)

石狩 江別 千歳 恵庭 北広島 5市
当別町 新篠津村

21日大雪の朝 札幌市北区にある郊外のホテルに
7つの市町村から230名の
新任民生委員児童委員が集まってきた
石狩管内民生委員児童委員初任者研修が始まった

午前中は 「済世制度、方面委員から民生委員児童委員へ」
百年の歴史をふり返るビデオ学習
委員の基本的役割や 活動記録の記入に仕方について学ぶ
まだ就任して1ヶ月半の新任たち
緊張の面持ちで 説明者の一言ももらさぬよう
メモを取りながら 真剣に聴く
2時間の時間は あっという間に過ぎ
31のグループに分けられた会場で
同じ地域の委員との 昼食と会話をひととき愉しむ

午後の研修が始まった
これから2時間 忍従を強いられる覚悟で臨む
従来ならば 学識経験者のもっともらしい講話の時間
家に戻るまでには すっかり忘却の河に流されてしまう話でもあった

ワークショップは 
『ふくしとは』の朗読から始めた
出だしから 今までの研修とは 何か違うものを予感させた
貧困にもめげずに生きる 母と子の姿
これからの地域の活動で 否応なく目にする風景
それをこころに刻んでほしいと願った プロローグ 

手元に配布された 赤いテキスト 表が青で裏が白いパンフレット
手に取ってもらって 承諾したときの気持ちを尋ねた
赤は 躊躇(ちゅうちょ)なく受けた人
青は 頼まれた人に恩義があって否応なく受けた人
白は したくはなかったが仕方なく引き受けた人
色を上げてもらうと 赤は1割程度 残りは青と白が半々だった
今の心境を尋ねてみた
赤 続けられるかどうか見極めたい人
青 早く辞めたいと思っている人
白 しかたなくあきらめている人
ネガティブな質問だった
どの色を上げても 不安と戸惑いの中にいた

押しつけられた役目に 
自分なりの踏ん切りをつけるために
今日の研修に参加したのだ
午前の説明から 想像以上のプレッシャーがかかっていた
とんでもないことを 引き受けてしまったという後悔
果たして 自分に勤まるのだろうかという不安
無理せずにできることから始めてください
そう言われたことが 唯一の救いだった

参加者の不安を 少しでも和らげたい
厚かましく押しつけず
共感を持ってわかり合える
そんな小さな意識の変化を求めて プログラムにした
「情緒は私を支配する。論理よりも強く」
伊藤整の言葉を引いて 
その情緒に迫る ワークショップを開始したのだった

※『ふくしとは』:「鳥居一頼の世語り」(175)/2020年1月6日投稿 から引用。

〔2020年1月22日書き下ろし。これは民生委員児童委員初任者研修のプログラムとしては全国で初めて試みたワークショップ。北海道石狩管内対象者の実践の様子をレポートしていく。なぜ初めてかは次回以降明かされていく。主催は公益財団法人北海道民生児童委員連盟である〕

新しい国づくり

2020年の通常国会が 20日開会した
安倍晋三首相の 施政方針演説を書いた人
誰ですか?
希望と夢に満ちた演説は
思いの外 とても力強く元気にアピールされていて
国民も 安定しているこの政権に
身も心も財布も みんな預けて 安堵してます
本当に 陰に隠れて このような原稿を書き続ける
素晴らしいブレーンの皆さん 賞賛します

最低限正常な道徳性を持っておられ
国民のために国政に高い志を抱く 優秀な人たちが 
国会議員や官僚でおられるならば
つまらぬ不祥事 起こしません
事が起こる度に その打ち消しや後始末にどれだけ
言いつくろうのに 原稿書きに苦慮されていることでしょうか
その賢い頭脳を ぼんくらの国会議員や官僚のために消耗するのは
仕事とはいえ モチベーションが良く維持できますね
感心しきりです
これからの国会での答弁書 楽しみにしています

すべての不始末は 決して認めず謝らず 
誤解を与えたと 逃げの一手打てばいい
常に前向き「これからは」の一言で 事態収拾
ポジティブに物事を考え 方向性を示唆する
使い古されたシナリオの再利用 いつも凄いの一言です
議員のこれだけスキャンダラスなバカらしい事態になっても
慌てることなく冷静に 状況見極め判断し 弁解答弁起稿する
これも凄いの一言です
でも その賢い頭脳は そんなことで求められているのでしょうか

国の大事を左右する 陰の力が頼られる 
国の行く末左右する 陰の力が試される
誰がトップになろうとも 陰の力で支えきる
そこに 仕事の醍醐味と生きがい感じて 陰の力は不滅なり

表だっていいこと言う人の 空疎な言葉をもっと洗練させて
国民に悟られぬよう 思うところで国を動かす
本当に素晴らしい価値ある仕事です
憧れます
これからも 操り人形師の如く 
国政を 陰から牛耳ってください

施政方針演説
本当にいいですね
東京五輪・パラリンピックを取り上げて
虚しい「夢」や「希望」を強調しました
祭りの後は 失望と絶望という社会不安が定番です
最後に 憲法改正は国会議員の責務とぶち上げた
国民の意向は無視されて アジテーションに国会はわき上がる 
してやったりと したり顔する陰の姿が浮かびます
「美しい国づくりから 新しい国づくり」
具体的なビジョンは掲げずに
スローガンだけの いつもの空っぽなアピール
聞いていて 憤怒しかありません
 
ところで陰の人 こんな原稿書いて 
空しいって 思ったことないのかな
恥ずかしいって 感じたことないのかな
もう辞めたいって 考えたことないのかな
その頭脳 政治家に尽くすのではなく
国民に尽くすために 使ってみたらどうかな
そろそろネタも尽きてきた頃あい
本音で書いたら 新しい日本の姿が見えてくるかも知れないよ
もういい加減 政治家のお太鼓持ちは 廃業してはいかがですか
志より飯の種 捨てがたいですね
  
「パンはペンよりも強し」

〔2020年1月20日書き下ろし。陰の人たちが誇りと自信を持って国民に訴える原稿が書けるといいな。姑息な中身ばかりで優秀な頭脳がもったいない〕

藤江紀彦「人が育ち、地域をつくる、市民と進める福祉でまちづくり―登別市社協の取り組み―」

(1)登別市の概要

登別市は、北海道の南西部に位置する人口47,795人の都市です。
全国でも有数の知名度・豊富な湯量を誇る「登別温泉」や「カルルス温泉」を擁し、約400万人(平成29年実績)の観光客を迎えています。

温泉地区は、市街地から約8キロ山間にある地域で、人口は758人(人口比1.6%)です。
市街地は、鉄のまち室蘭のベットタウンとして市街化が進んだ地域で、サラリーマンの多いまちです。高齢化率16%の地域から60%台の地域があり、地域で抱えるニーズは異なります。

「地域福祉推進圏域」を小学校区8校区と定めており、市民と共に地域福祉を推進しています。まちの概況はご覧とおりです。

(2)社協事業における福祉教育の位置づけ

私たちは、「福祉教育」を大変重要視しています。
それは、社協の使命が「住民主体」による地域福祉の推進であり、そのためには、多くの市民に福祉に関心を持ってもらい、自分のまちを自分たちの手で良くしていこうとする市民協働の取組みとして進めなければならないからです。

しかしながら、それは容易なことではありません、多くの人は、福祉は障がいのある人や高齢者を助けるもので、自分には関係ないことだと思っています。

差別や偏見、貧困や孤立など、複雑に絡み合った福祉課題は「専門職」だけで解決することはできません。ましてや、人の幸せを「サービス」で満たすことなんかできるわけがありません。そこに気づいてもらわなければなりません。
いや、実は気づいていても、一人ではどうすることもできなし、言ったところで・・と、考えているのかもしれません。

私たちは、市民の福祉の学びを意識した事業展開を通じ、いま、地域で起きている現実を受け止め、その上で、よりよく生きるための手立てを自分たちの問題として考え、行動していく取り組みを進めています。
そのためのキーワードが「福祉教育」であると考えています。

(3)「福祉教育・ボランティア学習」を軸とした 福祉でまちづくりの歩み

これは、これまでの取組みを、年表に落とし込んだものです。

子どもの学び
子どもの福祉の学びを「ボランティア学習」を通して進めてきました。
そのきっかけとなったのは、昭和60年に点字図書室の開設・運営に携わり、点訳や朗読ボランティアの養成、視力障害者協会の活動を支援することになったことです。登別は、開湯160年の歴史ある温泉地があるため鍼灸マッサージを生業とする視力障がいのある方が多く暮らしており、当時は会員が30人以上いて活発に活動されていました。

協会の皆さんと深くかかわる中で、全盲であっても、家事や身の回りのことは自分で行い、人様に迷惑をかけないように一生懸命に生活をされている姿に驚きました。いくら頑張っても「見えない」ことだけはどうしようもないんだよな。決して「可哀そうな人」ではないし、無理・難題を求めているわけではない。普通にここで暮らしていきたいだけなんだよね。でも、なかなか、わかってもらえなくてさ―。当事者のつぶやきです。

幼少の頃、祖母の近所に全盲で盲導犬ユーザーの夫婦が暮らしていました。当時周囲の大人たちから、あそこには「近づくんじゃないよ」、「猛犬注意の貼り紙があるでしょ」と教えられ、近所のお年寄りからは、「めくらはうつるから近寄ったらだめじゃ」とも聞かされていました。
何の疑問も持たず受け流してきたことへの恥ずかしさと申し訳なさを痛感し、障がいや障がい者についてきちんと伝えていかなければない。誤解や偏見のない「正しい理解」を広げる必要性を強く感じました。

昭和63年に学童・生徒ボランティア普及事業の指定を受け、子どもたちと福祉の学びに取り組みことになりました。協会の皆さんやその友人の車いすユーザーの方々にボランティア講師として協力をお願いしたところ、二つ返事で引き受けて頂くことができました。
「見えない」「歩けない」という「ハンディキャップ」があっても、自分らしく、逞しく生活している、その生き様を子どもたちに伝える取り組みを通し、ボランティアは助けるという一方的なことではなく、違いを認め合い、共に生きるという人としての当たり前のことであることを学び合いました。

授業内容については、社協が間に立って、ボランティア講師と担当教諭の話し合いで決めました。「障がいの大変さ」や、ガイドヘルプや車いす等の「介助の方法」を学ばせたい、という要望でした。こちらからは、子どもたちとボランティア講師の出会いの中から、子どもたちが感じたこと、学んだことを、先生も含めてみんなで確かめ合う時間にしませんか、と提案させていただきました。
ガイドヘルプの体験についても、助けるための技術習得ではなく、目の見えない人と仲良くなるための“エチケット講座”として行い、普段から身に着けておくべきマナーとして伝えることにしました。

ある日、ボランティア講師の協会の会長さんが私に嬉しそうに話してくれました。「福祉の授業を始めてから、毎日のように子どもたちから挨拶されるようになり、外出が楽しくて仕方なくなりました」この間も、店の前に自転車が停まっていて立ち往生していたら、気づいた子どもたちが声をかけてくれて、安全なところまで導いてくれました。その子は、福祉の授業を受けた小学5年生の男の子で一緒にいた友達のことも紹介してくれたそうです。「挨拶は、声を掛けたら正面から名前を言って、握手するんだよ」、「盲導犬はハーネスを付けているときは仕事中だから触っちゃいけないんだよ」と、友達に一生懸命も教えてくれて、とても嬉しい気持ちになったそうです。これからも子どもたちと一緒に福祉の授業を頑張りたいと言われました。

ボランティア指定校から始まった「福祉の授業」をきっかけに、平成4年からは、夏休みを利用した宿泊体験学習「ワークキャンプ研修会」に取り組みました。多くの関係者の協力を得て、小学生は「養護老人ホーム」、中学生は「地域に暮らす障がいのある方々との交流」、高校生は「特別養護老人ホーム」をフィールドにした1泊3日の体験プログラムで行いました。

子どもたちが体験から得た感動や心の変容、小さな胸に刻まれた大きな決意は、体験文集や学校や地域で開いた発表会等を通じて、多くの地域関係者や学校関係者に伝えられ、体験学習の大切さ、福祉の学びの重要性が認識されました。
平成5年には、その成果を踏まえ、待望のボランティアセンターを設置できることになり、子どもから大人まで世代を超えたボランティア活動の振興に取り組むことになりました。

子どもたちの豊かな学びを大人の方々にも・・との思いで、市民ボランティア講座を開講しました。「みんなでつくるあったかい街」をテーマに、暮らしの中にある大切な福祉を学び合う体験型研修として全11講座を9か月間で学び合うものです。当時、先駆的な取組まれていた釧路市社協の取組みを参考にさせていただきました。

子どもたちも大人の方々も、福祉の学び合いの中から、仲間意識が生まれ、「何とかしたい」「なんとかしなきゃ」との課題意識をもって、いくつものボランティアサークルが誕生し、そのほとんどが現在でも活動されています。NPO法人として活動している団体もあります。四半世紀前に始めた福祉の学習が今日の登別のボランティア活動の土台となっています。

ワークキャンプ研修会をきっかけに、高校生や学生たちのボランティアサークルも誕生しました。彼らは、「デパートでショッピングしてみたい」や「観覧車に乗ってみたい」といった仲間たちの願いを叶えるためのプロジェクトに取り組みました。

車椅子でJRに乗れるのか、エレベーターはあるか、車いす用のトイレはあるか、横になれる休憩場所はあるか、盲導犬は入れるかなど、仲間の不安や自分たちの疑問を取り除くために、旅程の下見を行い、行った先々の関係者に会って対応策を相談するなどして、自分たちの手で困難をひとつひとつ乗り越えて、プロジェクトの実現に尽くし成し遂げていきました。

大人の学び
ボランティアセンターを担当していて、ボラセンの取組みが、地域の活動と連携できないことにもどかしさを感じるようになりました。それは、ボランティア活動は、福祉センターで行うもので、地域の活動とは違うものだ。と思われているように感じたからです。

ボランティア活動は、志ある人が集い活動するものなので、当然なのかもしれませんが、好きな人だけが行えば良いものではなく、まちを良くする取り組みとして地域に定着させていく必要があると考えていたからです。そうしなければ、無知で無関心、誤解や偏見にまみれた地域は変わらないと思っていたからです。

その頃、平成7年の合併特例法にはじまった「平成の大合併」で、「福祉の切り捨て」を危惧する声が全国各地から聞こえてきました。
役員研修で伺った地域では、合併後の行革という名の事業縮小によって、生活に欠かすことのできない福祉サービスが次々と廃止され、再開を求める住民の声も数の原理で聞き入れられず、不便な生活を強いられている現状を聞かされました。
危機感を覚えた私たちは、暮らしを護るための福祉は、住民の手でつくらなければならない。そのためにも地域が「意志」を持たなければならない。ということを強く感じました。

このような経過を経て、平成14年から、今一度、社協の原点に立ち戻り、住民主体の福祉のまちづくりをどのように進めていくべきかの議論をはじめ、平成17年に登別市地域福祉実践計画(愛称「きずな計画」)の策定がスタートしました。
市民で組織する「福祉のまちづくり推進会」が中心となって、住民座談会やアンケート調査等を通して、地域の福祉課題を住民自らが発見・共有し、課題解決に向けた福祉活動を計画化、策定後は、「きずな推進委員会」として再発足し、計画の推進と進捗管理を担っています。

この私たちの想いを具現化できたのは、ここにおられる鳥居一頼さんのお力添えがあったからであります。構想の段階からご助言いただくだけではなく、当時、小学校の校長として登別に赴任されたことを契機に、一市民として推進会に参加いただき、委員長として登別市民の福祉活動をけん引していただきました。現在も「きずな大使」としてご指導いただいております。

(4)きずな計画策定を通しての“地域づくり”の実践と挑戦

この取り組みの最大のポイントは、住民同士が我がまちに必要な福祉を考え、自らの行動を計画し実践するというもので、社協はその取り組みを全力で支え、共に行動することを内外に宣言することであります。

そのための住民福祉活動の組織化は必須であり、住民同士の繋がりを深め、より強固なものにしていくための地域福祉推進圏域の設定が必要と考えました。
地域住民との度重なる協議によって、5つの中学校区でスタートしましたが、第2期計画では、住民同士が顔の見える関係を大切に、より地域に根差した活動を進めたいとの想いから、圏域を8つの小学校区に細分化するとともに、計画の構成を校区計画と全市計画の二層構造とすることにしました。
また、地域が抱える課題が多様化・複雑化するため校区の取り組みを専門職がサポートする仕組みが必要となり、社会福祉法人や福祉事業所、相談機関等でつくる「専門委員会」も誕生しました。

このように、地域住民が福祉関係者を巻き込み、地域が一体となって「福祉でまちづくり」を進めています。このきずなの推進は、そこに暮らす「地縁的なつながり」から、志を同じくする全ての者が協働して福祉を創りあげていく市民協働の取り組みであることから、住民主体ではなく「市民主体」という表現を用いることにしています。

(5)地域の支え合いを計画化するプロセス

この図は、山積する地域の福祉課題を踏まえ、市民自らが取り組むべき活動を選択し、行動していくためのプロセスをイメージしたものです。

きずな計画は、市民が取り組む市民のための福祉活動計画であります。市民の暮らしを護るために必要な取り組みは、市民自らが選択し取り組みます。地域だけではどうしようもできないことは、社協や専門機関、行政にしっかり対応してもらわなければなりません。公私の役割とその責務を明確にする計画でもあります。

登別社協では、このことをしっかり受け止め、それぞれの校区が大切にする取り組みの支援、地域格差が起きないように全市に普及しなければならない取り組みの推進、そして、地域の課題解決に向けて、従来の福祉の枠を超えた新たな協働の仕組みづくりにもチャレンジしています。

(6)日常的な参加の方法を一般化する

これは、きずな計画を進めるためのアクションプランです。
きずな推進委員会は、計画をつくるだけではなく、市民の手で計画の推進と進捗管理を担っており、長年にわたる試行錯誤のなかから、このようなサイクルが出来上がりました。

全市委員会は、計画推進のための決定機関として、その年の具体的な活動方針や取り組みの評価を行うとともに、各校区の進捗状況を共有する場として開催しています。
リーダー会議は、執行部にあたるもので、8校区と専門委員会の正副リーダーによって随時行われています。
プロジェクトチームは、各期で掲げる重点目標を進めるため、テーマに精通する委員と外部から有識者を招聘し、調査研究や新たな事業の企画に取り組んでいます。

私たちが計画づくりから一貫して大切にしている取組みが二つあります。
その一つは、「まちの小さき声を聴く」ための住民座談会です。各校区で定期的に開催しており、会場づくりから参加案内、当日の進行からまとめに至るまで、委員の皆さんが主体的に取り組んでいます。
そして二つ目は、「きずなシンポジウム」の開催です。前年度の各校区の活動報告と次年度に向けた決意を発信するとともに、きずな活動を全市へ広げるための講演やパネルディスカッション等を行い、市民のさらなる活動喚起に取り組んでいます。

計画策定後13年になりますが、この流れがきずな活動のルーティンとして地域に定着していることは、とても大きな強みになっています。

それは、地域リーダーの皆さんが、この流れを踏まえて、校区委員会を地区連の役員研修に位置付けたり、住民座談会を地域の炊き出し訓練と一緒に開催したり、校区活動の中に「お茶の間会議」と称して、中学生と校区委員の福祉でまちづくりを語り合う授業を行うなど、創意工夫を凝らして数々の取り組みが展開されているからです。

私たちのこの活動に終わりはありません。やり続けなければならない大切な取組ですが、同じ人がいつまでも続けることは不可能です。役員改選、世代交代、新規加入など、様々な人が入れ替わるなかで進めていかなければならないものです。そのためにも、これらの取り組みを地域のルーティンとして習慣化させることで、余計なことを考えずスムーズに次の行動に移せるようになるのだと考えています。

(7)住民座談会を通して育まれた福祉教育①

住民座談会は、市民と共に福祉でまちづくりを行うための必須の取組みとして、計画策定後も、各地域で継続しており、委員の皆さんが地域へ出向き、住民同士ひざを突き合わせてより良い地域をつくるための話し合いを進めています。

いまでこそ、委員自らが先頭に立ち、当たり前のように行われていますが、決して最初から順調にいったわけではありません。
当時、地域の課題は行政が用意する「市政懇談会」で要望するものだと考える人がほとんどで、自分たちが地域のことを話し合うという場ではありませんでした。
不安と戸惑いのスタートではありましたが、生活者の目線で暮らしの困りごとや地域の気になることを話し合うことで、様々な境遇のなかで生活している人のことを知るとともに、その切実な願いは、決して他人事ではなく誰にでも共通することであることに気づくのでした。「ほっとけないよね」、「なんとかしなきゃ」という感情が参加者に芽生えはじめ、その気持ちが「きずな」活動の原動力になっています。

①は、住民座談会において、福祉教育的機能が発揮された事例として紹介しているものです。
私としては、ひとつの小さな地域の中で”地域福祉ガバナンス”が実践された事例であると考えています。当事者一人の声を地域があたたかく受け止め、同じ生活者として暮らしを見つめ直すことから、住民自らの手でとても大切な決断を下されたことに深い感銘を受けました。

美園地区という住民座談会の出来事です。委員の進行により、地域に対する各々の気持ちを話し合っていたところ、車いすユーザーの女性が、町会の文化祭に参加できなかった残念な気持ちを打ち明けました。役員は「ひと声掛けてくれたら迎えに行ってあげたのに・・・」と答えましたが、会館にはスロープがなく、車いすごと持ち上げてもらうことが申し訳なくて言えなかったのです。他にも、下肢障がいのため和式トイレは使えないこと、トイレのないところには不安で行けないという切実な声を聴き、そう指摘されると当たり前のことなのに、周囲の誰もが気づいていなかったことに申し訳なさを感じたそうです。話し合いを続けるうちに、多くの住民が玄関の段差が大変であると感じていることや、和式トイレが辛くて我慢していることがわかり、これは障がいのある人だけの問題ではなく、自分たちの問題として考える必要があることが認識されました。

丁度その年、その町会は創立50周年を迎え、町会としてどういった記念事業を行うべきかの協議が行われていました。盛大な祝賀会や記念誌の発行を訴える声が多い中、座談会に参加した役員からの提案で、会館の玄関スロープの設置と洋式トイレの改修を行うことが決定され、多くの地域住民に喜ばれることになりました。
後日、町会長さんに伺ったところ、最初は大方の役員が反対し、「集会所の改修は行政が行うべきで自分たちの金でやるべきではない」との声が多かったそうです。それでも、大規模改修の順番がいつになるかわからない状況の中、この問題をいつまでも放置していいのか、住民にとって一番有意義なものは何か、広く会員の意見を聞き、幾度もの協議を重ね、町会として決断することができた、と話されました。
このように、一人の小さき声に耳を傾け、心を寄せることによって、地域がより豊かになる選択を行った好事例であると思います。

(8)住民座談会を通して育まれた福祉教育②

②は、福祉教育的機能が発揮され、事業化した事例です。
この地域は、市街地から離れているため買物難民が増え続けています。地域では移動販売車の誘致を試みますが、収益性の乏しい地区にはなかなか来てもらないのが実情です。座談会では、身寄りのない高齢者や自力では外出できない高齢者等から、買い物支援を望む声が多く出されます。「生鮮食品は自分の目で見て買いたい」、「宅配サービスはカタログをみても注文の仕方がわからない」、「タクシーで買い物に行くのは経済的にも負担が大きい」などの切実な声が挙げられます。話し合いの中では、「自家用車で買い物に連れて行ってあげている役員の方もいるようですが、自身も高齢でいつまでも続けられない」、「何とかしたい気持ちはあっても事故や責任問題を考えたら個人では難しい」、「自分の買い物ついでに乗せてあげるのは構わないけど、毎回お礼の品を渡され、かえって負担をかけているのが心苦しい」などの意見も出され、座談会をきっかけに、校区委員会において、支え合う者同士がそれぞれの負担を軽減できる買い物支援の協議が始まりました

校区委員会では、詳しいニーズを知るため町内会の協力を得てヒアリング調査を行い、希望に応えるための支援内容や方法を検討し、必要な協力者の募集、活動に必要な研修会の企画、校区内の自動車整備工場にも協力を求め、送迎車両としてレンタカーの提供を受けるなどして、モデル事業の実施にこぎつけることができました。地域では送迎車両の確保が一番の課題でしたが地域の新たな支え合い活動の創出として民間の助成事業を活用することできたため、費用面の心配もなく取り組むことができました。
そして、1年間にわたるモデル事業の成果をもとに、翌年、対象校区を拡大して地域住民と企業等が連携した買物支援事業の本格実施に結び付くことになりました。

この取組を通して、地域では、暮らしの大変さや苦労を知っているからこそ、「共感同行」する仲間を得た住民は、同じ境遇の人や地域へ目を向けるきっかけになるのだと思います。そういった住民の思いを地域に循環させることで、「市民の地域力」に変換することができると確信しました。

(9)地域の課題を助け合いで解決

きずな計画は1期5か年の計画として、地域をより良くするために市民のための活動を計画しています。
山ほどある地域課題の中から、蔑ろにできない問題、市民が力を合わせて取り組まなければならない課題を抽出して、それを全市共通の重点課題として位置付けています。

市民主体の福祉活動に終わりはありません。自治体の枠組みが変わろうとも、ふだんのくらしのしあわせを求めて、継続していかなければならないものです。普遍的な取組であるからこそ、マンネリ化は大敵です。活動にメリハリをつけることが重要であり、各期の重点課題を掲げることは、新たな取組へのチャレンジと、市民のモチベーション維持に大きく役立っていると考えています。

重点目標は、市民の声を元に、地域の出来事やその時代の流れを捉えたタイムリーなテーマを設定するようにしています。
第1期計画では、社会的孤立の防止と早期発見・早期予防をテーマに仲間づくりと居場所づくりを掲げました。
第2期計画では、登別を襲った暴風雪による大規模停電の経験をもとに災害や緊急時を意識した平時からの支え合い活動の全市展開を掲げました。
第3期計画では、地域で暮らし続けるための生活支援サービスの開発をテーマに現在も新たな活動にチャレンジしています。

この重点目標の取り組みについては、テーマに精通する委員と外部の専門家によるプロジェクトチームを立ち上げ、課題背景の調査・分析を行い、具体的なゴールを設定し、全市展開するための活動プランを企画します。最終案は委員会で全体共有を図り、承認を得たのち事業化していきます。

(10)サロンサポーター制度の創設と第1期重点事業

第1期計画では、住民座談会や全市アンケート調査によって、孤立する高齢者の生活実態が明らかになりました。「何日も会話することがない」、「毎日あてもなく病院の待合室やショッピングセンターで過ごしている」といった孤立する高齢者が多いことに大きな衝撃を受けました。これを受けて、委員会では、重点目標に「仲間づくり」と「居場所づくりを」掲げ、いきいきサロンを広げるためのサポーター制度を創設しました。

当時、サロン活動は全国的にも注目されており、社協としても活動を呼びかけていましたが、一部の町内会しか行われていませんでした。
委員会では、プロジェクトチームを立ち上げ、サロンが広がらない背景を調査するとともに、地域がやる気を起こして、楽しくサロンに取り組むための仕掛けづくりを検討しました。

地域アセスメントの結果、サロン活動に興味・関心を持つ住民は多いのですが、新たな活動に負担を感じる町内会長が多いため、なかなか活動に踏み切れない町内会が多いということがわかりました。
社協では、地域の福祉事業は、そのほとんどが町内会長を窓口にしており、人の配置や活動の集約、活動の困りごと等は、すべて地域任せであり、住民主体という名の「丸投げ」であったことを深く反省することになりました。

プロジェクトチームでは、これらの反省を踏まえ、町内会がサロンを行うという発想ではなく、興味・関心のある人を育て、それぞれの繋がりから生まれる多様な活動を認めながら、その活動を社協職員や専門機関がしっかりとサポートする仕組みとしてスタートしました。

その成果もあって、昨年度実績では、418人のサロンサポーターが、市内各地で45のサロンを運営し、年間3万3千人の市民が参加する取り組みへと拡大しています。

(11)小地域ネットワーク活動推進事業の再構築

第2期の重点目標は、小地域ネットワーク活動の全市展開を掲げました。
登別では、平成24年11月末に爆弾低気圧による暴風雪によって、送電線の鉄塔が倒れて市内全域が四日間にわたる停電に見舞われました。
社協では、復旧まもなく、災害発生時の地域の取組を明らかするため、暴風雪による大規模停電に関する緊急アンケート調査(平成24年12月26日実施)を行いました。

この調査によって、民生委員や町会役員など多くの人が安否確認や生活支援に取り組んだことがわかりましたが、それらの活動は一部の個人的な活動に終始するもので、地域や関係機関との連携がなかったため、支援を求める人への配慮が行き渡らなかったことが判明しました。

委員会では、調査結果を踏まえ、「普段できていないことは、災害や緊急時にはできない」ということ、「見守り活動の目的は、有事の際の命を護ること」など、停電の経験で得た教訓をもとに、プロジェクトチームを立ち上げ、災害や緊急時を意識した平時からの取り組みに向けて協議を始めました。

プロジェクトチームでは、この取り組みを全市に広げるためには、町内会・民生委員・社協・行政の四者が協力して、全市一丸となった登別独自の支え合いの仕組みをつくり、地域住民へ参加を呼び掛ける必要があると考えました。
当時、行政では、避難行動要支援者名簿の作成が義務付けられていましたが、その取り組みは一向に進んでいなかったため、きずな推進委員会から行政に対し福祉台帳と避難行動支援者名簿を集約・統合し、災害時と平常時のたすけあい活動を一体的に行うことを提案し、承認を得ることができました。

きずな推進委員会では、地域住民の福祉意識と防災意識を高めるとともに、自ら地域の支え合い活動に参加を意思表示する仕組みを整えるため、日ごろから見守りや声掛けが必要な世帯を対象に、透明な筒に登別オリジナルの「きずなづくり台帳」をセットにした「きずな安心キット」を町内会の福祉委員を通じて配布することで地域の絆を広げていきました。
こうした取り組みにより、現在78町会(実施率84%)の参加を得て、6,104人の住民が助け合いの仕組みに参加いただいています。
この取り組みは、市民が本気になって行政を動かし、本当の意味での市民協働が実践された事例であると考えています。
ちなみに、室蘭工業大学建築社会基盤計学科の調査・研究論文「登別市大規模停電における自助・共助・公助ネットワークの役割」では、今回の災害では、公助の役割は、他の行政機関との情報の共有や、避難所の設営など限られたものであり、地域住民と行政機関の間で活動を行っていたのは、社会福祉協議会や連合町内会等、共助の範疇で実施していた組織であったことが分かっている。との調査結果が報告されています。

(12)地域拠点丸ごと支え合い事業 ―日々の暮らしを支える”協同の仕組み”づくり チャレンジ !!

これまでの計画策定は、地域の課題把握を主眼とした調査に基づき取り組んできましたが、第3期計画では、地域包括ケアシステムの名のもとに、自助・共助・互助を強化する施策が進められていることを踏まえ、地域を支えている実践者と福祉事業所に焦点を当て、支える側の福祉意識や活動の実態を把握することから取り組むことにしました。

調査の結果、実践者の意見としては、今後地域に必要な取り組みは、買物や外出などの生活支援との回答が最も多く、これらの取り組みは、無償のボランタリーな活動には限界があるので、実費負担を求める活動もやむを得ない。と考える人が多いことがわかりました。これは住民座談会で出された校区の意見と同様の結果であり、地域の支え合いの最前線にいる福祉実践者は、日々地域住民と接することで、ニーズの高い取り組みや地域に不足している取組みを肌で実感していることの表れであり、実費負担の仕組みを視野に入れる必要性を示唆する結果となりました。

更に分析してみると、実費負担程度の有償化の仕組みの中で参加したいと回答した人の割合は、町内会関係者よりも町内会以外の実践者が多いことがわかりました。町内会活動の大変さが表れた結果とも受け取れますが、今後新たな生活支援サービスを構築するにあたっては、町内会関係者や民生委員等といった活動の垣根を取り払い、新たな活動者の発掘を念頭に、サービスを提供する環境や仕組みを作っていく必要があることがわかりました。

一方、福祉事業所の調査結果でも、今後地域に必要な取り組みは、家事援助や移動支援との回答が最も多く、福祉事業者と福祉実践者、それぞれの進むべき方向は合致していることがわかりました。また、7割近くの事業所が、事業所と地域関係者をつなぐ仕組みづくりを社協に求めており、社協が地域と事業所を結び付けていくネットワーカーとしての機能を十分に発揮しなければならないことを改めて確認しました。

社協では、それぞれの校区が日々の暮らしの支え合いに取り組もうとしているなか、その想いを形にして、最初の一歩を踏み出せるように支援するためには、「活動拠点の確保」、「運営体制づくり」、「担い手の発掘・育成」、「活動をサポートする協力体制の確立」、「地域福祉コーディネーターの配置」が必要であると考えました。また、それらの活動は全校区一斉に取り組みことは難しいので、進取的な意欲のある地域から協力体制を整備して、モデル事業から取り組むことにしました。

そこで最初に取り組んだのは、先ほど、住民座談会を通して生まれた福祉教育②で紹介した「移動支援サービスモデル事業」です。
高齢者の買物ニーズを満たすだけでなく、ショッピングセンターの売上貢献にもつながり、きずな活動への理解と協力の輪が広がっていきました。
モデル事業の評価では、継続を希望する高齢者が多く、買物の他にも交流を望む意見が多くありました。活動者の意見としては、活動は楽しいが頻繁になると負担になるため活動者の増員を望む声がありました。またモデル事業の報道を聞いて他校区の高齢者から利用の問い合わせが多かったことから、委員会では、モデル事業の成果を踏まえ、対象校区を拡大し本格実施する方向で検討に入ることになりました。

ショッピングセンターに引き続き対象校区を広げて継続したい意向を伝え、買物に来た高齢者等の交流スペースの確保について相談したところ、きずなの取り組みに共感していただき、空き店舗スペースを無償で提供してくれることになりました。こうして、念願であった活動拠点を確保できたことにより、高齢者の生活を応援する「地域拠点丸ごと支え合い事業」をスタートすることができたのであります。

(13)地域拠点丸ごと支え合い事業 ―幌別、幌別東、幌別西

丸ごと事業は、高齢者等の自立した生活を地域で応援する支え合い事業です。公的サービスの不足を補うための安上がりサービスではないため要介護認定等の有無は問いません。概ね75歳以上の高齢者等で頼れる親族がいない方であれば利用することができます。利用するには月額3千円の会費を負担して、月4回、ショッピングセンターでの買物と介護予防体操等による健康づくり、茶話会や福祉相談を受けることができます。利用中は運営スタッフが付き添っているため、重たい荷物も安心して買物することができます。月に1回昼食交流会が企画されており皆さん楽しみにしています。

運営スタッフは、担い手養成研修を受講した人やこの活動に興味・関心のある人であれば、誰でも登録して活動することができます。話し相手、体操やゲームの進行、買物の付き添い、送迎車両の運転など、自分の得意な部分で役割を見つけて活動しています。

活動を楽しく継続する仕組みの一つとして、丸ごと事業限定のボランティアポイント制度を導入しました。運営スタッフとして活動すると、活動1回につき1ポイントが付与され、貯まったポイントは1ポイントで500円のショッピングセンターの商品券に交換できます。毎月4ポイント、2千円まで交換できるので、最大年間2万4千円相当の商品券と交換できる仕組みとなっています。

私たちは、このボランティアポイントをショッピングセンターの商品券に交換することに協働の意義があると考えています。この事業は、地域住民・社協・協同組合の連携から生まれた取り組みですが、ショッピングセンターの善意の気持ちだけで活動拠点の無償提供を続けることは難しいと思っています。この仕組みによって地域の支え合い活動で生まれたお金を循環させることで、この活動拠点の維持・継続が実現可能になるのではないかと考えました。

手探りの中で丸ごと事業がスタートしたわけですが、取り組みが可視化されることによって他の校区や社会福祉法人から大きな関心が寄せられるようになりました。既に二つの校区から買物支援を検討したいとの意向が示され、地元町内会と連携して社協職員と共にヒアリング調査を始めると、地域の動きに触発されて社会福祉法人も協議の輪に入ってくるなど、地域の機運の少しずつ高まって来ているように感じます。

まだまだ続く険しい道のりではありますが、これからも市民と共に一歩一歩着実に福祉でまちづくりを進めていきたいと思います。

これで発表を終わります。
ご清聴ありがとうございました。