阪野 貢 のすべての投稿

15歳、いまここに立つ~旅立ちの青春賛歌~

時は満ちた
真っ正面から 自らの持てる力で
困難に ぶつかっていくしかない
真っ直ぐな道が ここに開かれた
いま ここでたじろいでしまったら
後悔することは 自明の理

海を見よう あの広い海原の
遠くに続く 見果てぬ未来に 希望の旗を翻(ひるがえ)し
後ろを 決してふり向かず 勇気の帆を張ろう
しっかりと 心意気高く 風をつかまえよう
容赦(ようしゃ)なく 照りつける太陽に 身を焼きながらも じっと耐え
うねる大波には 逆らわずに 慌てず静かに 身を委ねる
偽言(ぎごん)や 悪口(あっこう)には 惑わされず ぶれない自分を見出すために
世の中という大海に 君の小舟を 漕ぎ出すしかないのだ

有為無常(ういむじょう)の この世であるからこそ
我を制し 世情の疎(うと)ましさを 笑顔いっぱいに引き受けながら
痛快に 人生の航海に挑む決意を示そう
昂然(こうぜん)として 勇気の帆を張ろう 
生まれた証しを この世に記すための 旅が いまここに始まる

※昂然(こうぜん):自負があって意気が上がるさま。昂然たる態度。

〔2014年8月20日。小・中学校で疎外され、いじめられてきた15歳の高校生への青春賛歌〕

ほころびを繕う

人は人によって 傷つく
ちょっとした 言葉のあやでも 
簡単に 傷つく

傷つきやすいのでは ない
人は 誰でも 傷つくのだ
傷つかないように 傷つけないように
絶えず 相手との距離をはかって 暮らす

小さなほころびは すぐに広がり 傷となる
だから ほころぶと 
すぐ繕(つくろ)わなければ 仕合わせは 続かない

気配り 心配り 目配り
その気配を察して 未然にほころびを防ぐ

なんという 気苦労か
なんという 徒労の連続か 
それが 世間に生きると いうことなのか
疲れ果て うとましく感じたそのとき はたと気づく

わたしもまた 鬱陶(うっとう)しく 煩(わずら)わしいという
世間の しがらみの中で
こころある人の
気配り 心配り 目配り によって
生かされていることを

逃げ出すことのできない 時空間に囚(とら)われた時代を
生きるしかないのなら
せめて こころのほころびを
慰藉(いしゃ)の手を持つ
あなたと
繕いながら 生きてみたい 

※慰藉(いしゃ): 悩み、苦しみ、不安などを慰めいたわること。

〔2018年10月17日。秋田県仙北市地域包括ケアシステム推進事業で披露〕

寄り合うということ

ナレーション
高橋のてつさんのとこのかっちゃんが東京から戻ってきて早3年、いまは村の自治会の世話役を買って出て、活気のなかったこの部落に新しい風が吹き始め、みんな乗せられたふりをしながらも、結構面白がっている。
今日も昨夜の「利き酒会」の話題から、民さんちでにぎやかにおしゃべりが始まった。

民江 「昨日は大した楽しかったって、父さんご機嫌で戻ってきたわ。」
邦子 「うちのも、えらいめかしこんで、会館さ出かけていったわ。野良着では案配悪いって、この間嫁が送ってくれた上着ば出して、頭さ調髪料ぶっかけて、いい匂いこさせてさ。」
鈴子 「利き酒会っていうから、のんべにはいっとう楽しんだわ。うちのも、今晩の酒のさかな作ってくれっていったもんだから、会館さ届けたら、そりゃ20人ばかしもう集まっていたわ。」
幸子 「なんだか、隣町から利き酒の資格を持った酒屋の嫁さんが来るっていうんで、みんな張り切って集まったんだとさ。それにしても寄り合いには仕方なく行くのに、酒こだというと、現金なもんだね。」
民江 「うちのも酒の肴さもっていったら、たいそう旨いってみんなに褒められたって、普段褒めたことのないひとが、よっぽど嬉しかったんだね。作り甲斐があるってもんだ。」
邦子 「本当に、高橋さんとこのかっちゃんが東京から戻ってこのかた、なんだか部落も少し元気が出てきたような気がするね。これもかっちゃんが言い出しっぺだってね。」
鈴子 「そうそう。今度のことも、仕事が一段落したら一杯やってた寄り合いとはちょっと違って、利き酒で誘って、ただののんべの会から少し高尚なのんべになる会になったんじゃないの。」
幸子 「利き酒師が女の人っていうのも、いいかもしれない。ほどほどに飲んでお酒の味を楽しむという会だから、ご機嫌で帰ってくるのは、健康にもいいわね。」
邦子 「それでめかし込んで、うちのは張り切っていったんだね。年甲斐もなく。」
幸子 「女房焼くほど亭主もてず。心配ないって、お宅の旦那は。」
邦子 「よく言うわ。それ当たってるだけに、なんだか辛い。(一同笑い)。
鈴ちゃんとこは、心配で様子を見に行ったんだろう、おかずを届けるふりして。」
鈴子 「なに言ってんの。お宅よりもっとひどい。なんせうちのは女がみんな避けて通るから、仕方なく嫁にきてやったんだよ。」(一同笑い)
民江 「ところで、佐藤のかずさん、うちの人が誘いに行ったらちょっと具合悪くして寝付いていたみたいでさ。敬子さん身体弱いから、かずさんが世話焼いていたのに。いまどうしてるんだか、ちょっと気になってね。」
邦子 「そういえば、父さん今日はどこに行ったの。」
民江 「かずさんち様子見てくるわって、朝から出てた。同級生だから心配なんだわ。」
鈴子 「たいしたことにならなきゃいいけど。いつなんどき私らもそうなるか、これだけはわかんないからね。」
幸子 「鈴ちゃん、あんたんとこはまだまだ大丈夫だって。元気だけが取り柄なんだから。」
鈴子 「幸子さんは、もう言いたい放題。うちの人だって風邪ぐらい引くんだよ、人並みに。」(一同笑い。そこに民江に夫から電話がかかってくる)
民江 「どうだった。うん(うなずきながら、聴いている民江、一同注目)。2~3日寝てれば大丈夫だって。よかった、よかった。敬子さんも心配してたっしょ。はい、はい。わかったよ。」
鈴子 「なんだって?」
民江 「疲れが出たんだと。病院に行くまではないって言うから、2~3日様子見ることにするって。後で、おかずでも届けるついでに、敬子さんの様子も見てくるわ。」
鈴子 「こやって、誰かが倒れだの怪我したのだって、すぐにわかるのはいいことだね。そうやってみんなで気遣って暮らすのは、ありがたいことだよ。」
邦子 「鈴ちゃんの言うとおり。誰かが困っているのを、すぐに気づいて駆けつける。そんなつきあいがあるから、ここでもう少し頑張って暮らしていこうという気持ちがおこってくるんだね。」
幸子 「旦那たちも酒っこ飲みながら、それぞれの家のこと、家族のことしゃべりながら、みんな年取った分、いつ何時何が起こるかわかんないし、みんなと仲良く暮らしていきたいって思って、出かけていくんだわ。」
民江 「そうだね。女の気くばり、男の心くばり、部落は目くばりしながら、みんなで助け合っていくことが、一番だね。」
邦子 「うまいこというね。こやって集まっておしゃべりするのも、誰かに何かあったらすぐに駆けつけて、助け合えるように、気くばりしあってるんだね。」
幸子 「わたしが一番最後に残って、みんなのお世話を焼くから安心して倒れてください。」
鈴子 「何言ってんの?」
幸子 「憎まれっ子世にはばかる。だからいつも憎まれ口を叩くのが、私の健康法!」
鈴子 「よく言うわ。」(一同笑う)

                      ‥‥‥(幕)‥‥‥

〔2019年2月28日。秋田県北秋田市地域づくり研修会~当地の「話し言葉」で上演〕

8月6日、子どもたちへ

8月6日、アメリカが広島に原爆を落として、たった1発で約14万人の命とまちを一瞬のうちに消し去った日。9日には長崎に原爆を落として、約7万4千人の命を奪ったんだ。アメリカが、どんなに自分たちのしたことは正しいと言っても、決して許されることではない。けがれのない子どもたちの夢と希望、そして未来を奪ったのは、事実なんだ。
でも、日本はもう二度と戦争はしないって決めたんだ。この日は、日本中の大人たちがこの国の平和と君たちの未来について真剣に考える、大切な日でもあるんだよ。
君は今朝、命を奪われる不安や食べる物の心配もなく目覚めたことだろう。楽しく友だちと遊んだり学んだりすることができるのも、二度と子どもたちに悲しくつらい思いをさせたくないって、大人たちががんばってきたからなんだ。
中には、みんなに迷惑をかける自分勝手な大人、お金もうけのためなら平気で人をだます大人、自分の子どもをひどくいじめる大人、そして苦しんでいる人をあざ笑う大人、そんなさもしい大人もいるけれど、子どもの幸せを真剣に考える大人がたくさんいることを信じたいよね、信じようよ。
君もみんなと仲良く幸せに生きていきたいと思う気持ちを強くもとう。
それが「平和をつくる心」なんだ。
犠牲(ぎせい)になった子どもたちと心をひとつにする日、それが8月6日、覚えておこうね。

〔2019年7月23日。2011年8月6日の道新「朝の食卓」掲載コラムを加筆訂正〕

民のために

いまどきのこと。ジパングという国に、民の声を聞き流すことに長けた男がいたそうな。黄金の固まりなんて怪しいものには目もくれず、周りに忖度(そんたく)されても、妻と二人清廉潔白(せいれんけっぱく)であると動じることもない。ただひたすらこの国と民のために尽くすのが大義であると、壮言大語(そうげんたいご)していたそうな。
男が長くその地位に留まったのは、幸いなるかな妄信的な取り巻きたちが、大勢いたそうな。自分の首がつながることしか考えない無能な輩(やから)は、選挙のたびに男に忠誠を誓う。その見返りに、自分らで決めた約束を反故(ほご)にして、男をその地位に居座りさせた。計算高い男は、したり顔をしたそうな。
あるとき、年金では老後は暮らせないと、役人が発表したら、男は「大バカ者が」と烈火の如く怒り、傍輩(ほうばい)がそんなものはないものとして葬ったそうな。
さてさて、民主主義という名の下に多数決を乱用し、好き勝手に法律を作っては得意顔の男の魂胆(こんたん)を見抜いた民は、すっかり愛想を尽かしてしまって、「またか」と慣れきってしまった。民はしらけて、選挙の投票にさえ行かず、自らの首を絞めた。
よって、世界の至宝「憲法第九条」を、戦争可能な条文に変えようと企む政(まつりごと)に、男とその同類たちがぞろぞろ集まり生きるジパングは、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の世界となる。
権力に取り憑(つ)かれた者たちが、「民のために」と唱えるたびに、身の毛もよだつ国となったそうな。

〔2019年7月22日。参議院議員選挙開票後の朝〕

熟老の断片:無言電話、焼酎と遺影、温泉を楽しむ、本音、養女、野暮用

無言電話

電話のベルが鳴る
受話器をとった
「もしもし もしもし」
「ツー…」
応答もなく いつものいたずらだと思い 電話を切った

受話器の向こうに
老婆が 受話器を握ったまま 電話の前に座っていた
孫の電話番号を思い出しては ダイヤルを回した
でも なにも聞こえてはこなかった
すでに 老婆は 何の音も 感じられなくなっていた

孫は 老婆の死後 はたと気づく
電話の主は もしかして“ばさま”だったかと
不覚の涙が 流れた


焼酎と遺影

じさまが 倒れた
木箱に入った焼酎六本を 枕元に置いた
「これ全部飲み干したら 逝っていいよ」

奇跡的に 回復した
焼酎瓶も 空になっていた

ふと顔を上げると
じさまの「遺影」(いえい)が 画鋲(がびょう)で壁にはられていた
もしもの時の用意に ばさまに預けておいたもの
元気になったじさまが 見つけた

生前に 遺影を飾って悦に入る じさま
慈愛に満ちた表情の 大好きなじさまの一枚だった


温泉を楽しむ

杖をついて 風呂場に向かう
すれ違う人が 道をあける
頭を下げ まずは おか湯をかぶる
杖を置いて ゆっくり熱い湯に入る
フーと 一息深く吐く

周りに 迷惑をかけることを 承知で
大好きな温泉を楽しむ 老い入る姿に
我もまた 行く道だと 教えられた


本音

寺での法要が 終わった 
「早く お迎えきてほしい」
老婆が 玄関口で 訴える
僧侶は 笑顔で見送った

キッキーという 車のブレーキの甲高い音
外で 老婆の罵倒(ばとう)する大声が 響いた
「わしを 殺すつもりかい!」


養女

夫が 45歳で病死した
残された子らを育て 成人させた
彼らも職に就き 家を離れた

頃合いを 見はからうかのように
義母が患い 入退院を繰り返した
仕事を持ちながらの介護は 心身ともに 辛かった
闘病十年 義母は 安らかに旅立った

義父は 葬儀を滞りなく終えた夕方 
夫のきょうだいと わたしを 仏間に呼び
わたしに ねぎらいのことばをかけた
そして 静かに告げた
「養女にする」と


野暮用

「いたかい」
「しばらく顔見せんかったね どうしてたん」
「ちょっと膝が痛くて 歩くのがね」
「まああがって あがって」
「別に用事もあるわけじゃないけど…お邪魔だった?」
「なんも なんも」
「散歩がてら 近くまで来たら なんだか顔を出して見たくなってね」
「みんなも 好き勝手にやってきて ここでおしゃべりしていくわ」

野暮用(やぼよう)の行き先と そこに知ってる人がいて
わけもなく ホッとできるだけのこと 
コミュティって こんな感じ… じゃない?

きざし

札幌の駅前で 参議院選挙の街頭演説が始まった
選挙カーから 20メートル離れた歩道で
男は その瞬間を待っていた

応援演説が始まった
男は「安倍辞めろ」と 声を吐きだした
すぐに 無言の男たちに囲まれ 声出すことを制された
あらがったが 押さえつけられ その場から排除された
彼らは 私服の警察官だった
制した理由は 「公選法違反行為」への対処であったという

戦前 治安維持法(ちあんいじほう)が 制定された 
体制に対する 多くの批判的言論が
この悪法により 弾圧(だんあつ)された
反体制の思想信条は 抹殺(まっさつ)され 
時には 拷問(ごうもん)により 虐殺(ぎゃくさつ)された

戦後 国民主権・民主主義を 標榜(ひょうぼう)した政治体制は 
74年の後 変質化した
その体制維持のために 
選挙妨害を企てる輩(やから)を 排除する片棒を
警察官に また担(かつ)がせるのかと 懐疑(かいぎ)が 深まった 
歴史は 恐怖政治の悪しき汚点を 再び刻み始める 
その兆候(きざし)を 見逃してはならない
危機的状況への 防衛感度が低下した民への 一瞬の警告!

香港のデモを 思い出した
武装した警察官が 香港市民を威嚇(いかく)し制圧(せいあつ)する
同じ市民であるにも関わらず 
職業人としての プロ意識の極限(きょくげん)を そこに見た
多くの香港市民の支持を喪失した 
林鄭月娥行政長官の 命令一下(めいれいいっか)
躊躇(ちゅうちょ)なく 制圧行動を 一糸乱れず 実行する 勇姿にである
香港市民は 中国本土の国家統制に対して 
香港の民主的な自治と自由意志を護るために 闘い続ける

翻(ひるがえ)って 
民は 「崩れそうな平和社会」の幻想(げんそう)に 耽(ふけ)続ける
「一人で声出しても なんにも変わらないよ」
そこに 突き入る隙を与えてしまった
それを 決して見逃さないのが 権力者のしたたかさなのだ

「お願い 耳を澄まして聴いて」
過去の犠牲者の声は 虚空(こくう)に 消えた
悪しき時を刻む音が 冥界(めいかい)へと 誘(いざな)う

付記
道警のヤジ排除 選挙ゆがめる過剰警備
札幌市内で行われた安倍晋三首相の参院選街頭演説で、ヤジを飛ばしたり、批判の声を上げたりした2人が道警の警察官に取り押さえられ、現場から排除された。
道警は周囲の人とのトラブル防止のためだったと説明する。だが、演説が中断されるような混乱が生じたわけではない。政策批判のプラカードを掲げようとした市民団体も制止された。憲法が保障する表現の自由の侵害にあたる可能性が大きく、過剰警備だったと言わざるを得ない。
選挙違反の取り締まりなどにあたる警察には厳密な政治的中立が求められる。一方的に政権批判を封じるのでは、言論を萎縮させ、選挙の公正性がゆがめられる。
投票日は目前だ。道警は今回の行為について速やかに調査し、道民に説明すべきだ。
排除された1人は、選挙カーから約20メートル離れた場所で「安倍辞めろ」などと叫んだ。もう1人も、同じ場所で「増税反対」などと意見を表明した。
公職選挙法は、選挙の自由妨害の一つとして演説妨害を挙げる。1948年の最高裁判決では「聴衆が聞き取ることを不可能または困難にさせること」としている。
2人とも拡声器は使わず、首相の演説は続行されていた。演説妨害に該当しないことは明らかだ。注意や警告なしに排除されたとの証言もある。過度な行為なら、職権の乱用にあたる可能性も否定できない。市民団体が掲げるのを阻まれたプラカードは「年金100年 安心プランどうなった?」という内容だ。一方で安倍政権支持のものは多数掲げられていた。中立性、一貫性に乏しいのではないか。
テレビなどの政見放送と違い、街頭演説は聴衆の生の反応を受けながら行われる。その中には支持だけでなく、批判の声があるのは当たり前だ。
安倍首相は一昨年の東京都議選で、街頭のヤジに「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と反論した。そんなやりとりも有権者が投票する上で判断材料となる。
自由な言論空間は最大限に確保されるべきであり、警察がむやみに介入するのは不適切である。道警は公選法違反の有無や、プラカード掲示制止の理由について調査中としている。市民が抱く疑念の重大性を認識し、早期に説明責任を果たしてほしい。
警察の政治的中立の欠如は民主主義の根幹に関わる。真相究明は首相はじめ政治の責任でもある。

〔2019年7月19日。北海道新聞/どうしん電子版/社説〕

群像~昭和・平成・令和を生きる人たち

敗戦後 みんながみんな 貧しかった
北海道には 新しい住民もやってきた
樺太や満州からの引き揚げ者 親類を頼って身を寄せていた人もいた
厩に 家族身を寄せ合って 畑を手伝い わずかな食べ物をもらった
夏は ヤブ蚊にさいなまれ 冬は 身を切る寒さを耐えしのいだ
空襲で街を焼かれ いのちからがら 身一つで
新天地を求めて 来た人たちもいた
そこは 決して地味の良いところではない
開拓は 辛酸(しんさん)をなめる連続だった

北海道は 開拓以来 人はみな自然災害の脅威(きょうい)と闘い続けてきた
戦後も 貧しい暮らし向きは相変わらずだったが 
軍隊に 子どもをとられることはなくなった
兵隊も憲兵もいなくなり 
警察や役所が 思想や行動を弾圧・統制する力が弱まった
地域での お互いの監視や密告 ”非国民”となじりあうこともなくなった
平和が訪れたのだ

農家や漁師 炭鉱夫 工員は 強いきずなで結ばれ 厳しい労働にも耐えていた
あらゆる職場で 必死になって 男も女も 子どもも よく働いた
「からっぽやみ」(役立たず)と 大人に怒鳴られながら
仕事を要領よくこなすことを 子どもらは身をもって学んで育っていった

貧しいがゆえに 子だくさんでもあった
学校の教科書は 下の子はお下がり
上の子は下のきょうだいのために 汚さぬよう使わなければならない
だから 勉強しなかったと うそぶく
教室は 大勢の子どもでぎゅうぎゅう詰めだった
学校の勉強だけでいっぱいだったから 宿題は苦痛そのもの
日暮れまで 遊びほうけるのが 一番だった

近所も 子どもらで溢れていた
舗装(ほそう)されていない広い道路は 遊び場と化した
三角ベースボール 石蹴り かくれんぼ 鬼ごっこ 縄跳び パッチにビー玉 
だから余計に 雨の日は恨めしい 
狭い家で遊ぶのは つまらなかった
ただ 大相撲だけは ラジオから流れる中継に 一喜一憂した

裸電球が照らす下 丸いちゃぶ台を囲んだ
手垢(てあか)と鼻水で汚れた袖(そで)をまくって 
ひと皿に盛られたおかずの取り合いをする
笑い転げながら 喧嘩(けんか)しながら 子どもらは無性に明るい
叱りたしなめ、そして笑う母親の甲高い声が 狭い部屋に響く 
焼酎を美味そうに飲む 父親の満足そうな顔
ごくありふれた 家族団欒(かぞくだんらん)の風景だった
貧しさは それに抗(あらが)い立ち向かう 家族のきずなを強くした
卑劣で卑屈な自分を卑下する つまらないねたみ根性は 根絶やしにされていく
弱いがゆえに 助け合うことで生まれる 家族愛に包まれていた少年時代
ちいさな倖(しあわ)せを 分かちあう喜びで こころは満たされていった

子どもの成長が 親の生きがいだった
戦前戦中 学校に行きたくとも行けなかった親たちは 我が子の教育に 熱心だった
小学校では伸び伸びと遊んでいた子どもらも 中学ではテスト勉強に追われた
過酷な受験競争の まっただ中に放り込まれた
中学を卒業してすぐふるさとを出て 都会に集団就職する友だちを見送った
高校を卒業してすぐふるさとを出て 都会に就職する友だちを見送った
大学に進学するのは ほんの一握り 卒業後都会に出て行った
ふるさとに残った人たちが 踏ん張って 踏ん張って ふるさとを守り 育てた

高校や大学に進学した子どもらの 学費を稼ぐために 親たちはより働いた
景気がよくなり 暮らし向きも少しずつよくなっていった
子どもが いっちょ前(一人前)になっていくときに こう諭(さと)した
「親の面倒を見ることを考えずに 自分の好きなことに一生懸命頑張んなさい」
親もまだ若かった
親の言葉に背中を押された
高度経済成長という時代は 多くの若者を ふるさとから切り離し遠ざけていった
子どもらは かの地で家庭を持ち 住み暮らし 子育てした
そこが ふるさととなった

数十年後 老いた父母は 厳しい老後の暮らしを迎えていた
子どもらの多くは 父母のいるふるさとへ戻ることは なかった
子を送り出した 律儀(りちぎ)な父母たちは 
ふるさとを継承してきた 一人ひとりでもあった
決して 弱音を人前で吐くことはない
人の世話を焼いてきた人は 自分が人の世話になることを よしとはしない
子どもに迷惑をかけることは すまないと 自責の念にかられる
だから 倒れるまで 助けてとは 言わない 言えない
それが 貧しい時代を生き抜いてきた 父母の世代の生き方であり誇りだった
最後の最後まで 生きることをあきらめない 生命力に溢れた世代でもあるのだ

ふるさとで懸命に働き 子育てして 社会に送り出した人たち
ふるさとの地で 老いてもなお暮らし続けることを覚悟した人たち
ふるさとの自然とひとのぬくもりを 大事に慈(いつく)しんできた人たち
ふるさとに 生きる希望と生きがいを 見出してきた人たち
ふるさとから 人生と愛郷心を 授けられた人たち
そして ふるさとで生きる覚悟をした 次世代の若き人たち
ふるさとの地で 子育てすることを選んだ かけがえのない若き人たち
さまざまな人が 出会いと別れを繰り返し 複雑に絡み合う
ふるさとの ”人生交差点”は いまだ往来(おうらい)が絶えない

いま ふるさとで 生き暮らした先代たちが 老いていく
当たり前の世代交代に 戸惑うことなく 先代の意志を継ぎ 
倒れそうな人を 支えていくことを決心した
一日でも長く ふるさとの我が家で暮らし続けるための手助けを そのおもいを
次の世代に手渡していくために ”ここで動く人”たち

いま ふるさとで 若き人たちが 子育てに奮闘する
子育てに悩み苦しんだ先に 咲きほころぶ喜びが 訪れることを願って
決してひとりぼっちには しない なってほしくない
そばに寄り添ってあげられるだけかもしれないけれど
でも 明日への夢を 希望にかえてあげたいと ”ここで動く人”たち

お節介かも知れない
けれど 手を握り返してくれたら 力を貸したい
だから「私の役目」を知り ただそうするだけ
困っている人を 助けてと声に出せない人を
そのままほっておくことは 私にはできない
「そんな薄情(はくじょう)な人間にはなりたくない!」 
私の中の ”わたし”が 叫ぶ

その声に突き動かされたように
同じおもいを持つ仲間に支えられ
きょうも 明るく笑顔で 心配事の「御用聞き」
私のボランタリーな活動が 始まる   

いままでここで頑張ってきたんだから 
一人で悩まず 少し肩の力を抜いて 一緒に考えましょう
別れ際「ありがとう 頼むね」って 声がけする
「頼むね」って 一体なにを頼まれたの?
一瞬 戸惑うあなた
ただ人は何かを頼まれたことで 一方的な弱者の立場から 逃れられる
人は「からっぽやみ」になることを 恐れる
世間に顔向けできる 心くばりのキーワード「頼むね」 
その人にも 大事な「役目」を持って生きている証のことば

少し前向きに ”いま”を あなたと生きたい
それが このまちで生き暮らす 
わたしのちいさな願いなのだと 得心(とくしん)がいった 
だから 自分に「頼むね」って いつも声がけしながら
あなたと 向き合う

もうひとつの「共生」:一人ひとりが大切にされ、「もろとも」の関係性で生きるということ―折戸えとな著『贈与と共生の経済倫理学』読後メモ―

有機農業によって自然と和解し、価格をつけない流通を成立させることによって貨幣の呪縛(じゅばく)から自由になる。それを実現させた一人の農民の営みを見ながら、本書は人間が自由に生きるための根源的な課題を提示している。(内山節:本書「帯」)

〇筆者(阪野)はいま、畑に作付けした夏野菜を収穫している。トマト、キュウリ、ナス、ピーマン、トウモロコシ、オクラ、サヤインゲンなどである。夕食の食卓が賑(にぎ)わしい。有機栽培には程遠いが、土作りや肥料は牛糞堆肥と生ごみ発酵肥料、少しばかりの化学肥料、農薬は一切使っていない。そのせいか美味しい、そう思っている。ただ、トマトの元気が突然なくなったり(今年はとくに色づかない)、キュウリがびっくりするほど大きくなったり、トウモロコシを虫にご馳走したり、ナスのお礼肥(おれいごえ)を忘れたりと、いろいろである。別の畑では20輪ほどのヒマワリが、日照時間が少ない日々が続くなかでも、太陽に向かって伸びている(頑張っている)。
〇筆者(阪野)の手もとに、積読(つんどく)本の一冊であった、折戸えとな著『贈与と共生の経済倫理学―ポランニーで読み解く金子美登の実践と「お礼制」―』(ヘウレーカ、2019年1月。「本書」)がある。「贈与と共生」「お礼制」という言葉に興味・関心をもって購読したものである。
〇本書が事例として取り上げるのは有機農業運動である。有機農業運動は、「食と農を切り口として近代化、産業化、さらに国家主導の市場経済が牽引する経済合理性」(21ページ)へのひとつの抵抗運動である。この有機農業のモデル地域として注目されている“まち”に、埼玉県比企郡小川町(ひきぐんおがわまち)の下里(しもざと)地区がある。小川町は埼玉県中部に位置し、「和紙のふるさと」(「小川和紙」)としても有名な、人口約3万弱の町である。その下里地区における有機農業の取り組みに先進的・主導的な役割を果たしたのは、1971年に就農し、いま有機農業の第一人者と評される金子美登(かねこ よしのり)である。金子は、多くの消費者や地元の(農薬・化学肥料を使用する)慣行農家、企業経営者などとの「もろとも」(相共にすること)の関係性を重視しながら、「有機の里」霜里(しもさと)農場を営んでいる。
〇日本の有機農業運動では、生産者と消費者が直接農産物を流通させる方法を「提携」と呼ぶ。その「提携」のひとつの形態・手法として霜里農場で導入されたシステムに、「お礼制」と呼ばれるものがある。特筆される取り組みである。
〇「お礼制」は、「生産者と消費者が直接に関係を取り結び、両者が農産物の授受を行う仕組みのことをいう。基本的には農産物を『売買』するのではなく、生産者は農産物を消費者に贈与し、消費者側は各々の『こころざし』に基づいて農産物への『お礼』をする(おのおのがお礼の金額を考えて渡す)、ということから『お礼制』という名前がついている」(21ページ)。この方法は一般的な「提携」の方法ではなく、特異なものである。
〇「お礼制」とそのなかに埋め込まれている「もろとも」の関係性に関する重要な言葉が二つある。ひとつは、農場主の金子が折戸のインタビューに応えた言葉である。「『お礼制』に切り替えたことで精神的に安定し、百姓として人間的に開放されたみたい」(22ページ)。いまひとつは、福島第一原発事故に起因する放射能汚染問題が取り沙汰されるなかで、「お礼制」の消費者であった尾崎史苗が折戸のインタビューの際に語った言葉である。「心配は心配なんですけどね、金子さんのはね、“もろとも”と思いますよ」(24ページ)。金子に「人間的に開放された」と言わせた「お礼制」を解明し、尾崎に「もろとも」と言わせたその「関係性」の理論化を試みたのが本書である。
〇折戸は言う。市場原理主義の思想が「社会の非倫理化、社会的紐帯の解体、文化の俗悪化、そして人間関係自体の崩壊」(18ページ)などをもたらしている。その波は、近年「儲かる農業」「強い農業」などと喧伝(けんでん)される農業分野のみならず、「教育、医療など生活世界全体を覆う勢いで影響を及ぼし続けている」(18ページ)。「今人びとが生きる世界の中で『倫理』という言葉が盛んに使われるようになった」。それは、「他者をいたわり、自然への配慮を忘れずに、自分が属する社会のすべての構成員の幸福のために、責任を果たしつつ生きていくこと」を可能にするための規範として、「倫理」(「いかに生きるのか」「より善く生きるとは」)が模索されているからである(19ページ)。
〇このように説く折戸は、「お礼制」に内包されている「もろとも」の関係性の「倫理」的意味を考察する鍵概念として、「贈与」(互酬)と「共生」を用いる。「贈与」は「他者との関係性を豊かにすること」である。その際の「他者」とは、「私」以外の“人”と“自然”、「今」を生きるなかでの“過去”と“未来”などである。「共生」とは「もろとも」の関係性のなかで生きることである。その「もろとも」の関係性には、「自由・責任・信頼」が不可分に埋め込まれている。「自由」は能動的で自律的なそれ(別言すれば、消極的な「~からの自由」ではなく積極的な「~への自由」)であり、「責任」を担うことによってもたらされる。「責任」は「信頼」に報いることであり、「信頼」は「責任」を果たすための根本的な条件である。こうした「贈与」と「共生」には「覚悟」が必要である、と折戸は言う。
〇ここで、筆者が留意したい折戸の論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(一部抜き書き。見出しは筆者)。

抵抗運動と「もろとも」の関係性
世界各地で大小多様な抵抗運動もまた活発化している。(中略)これらの人びとの動きは、多種多様に見えるが、その根底にある問題意識には共通点が見られる。人間の管理社会の広がりに対して自由、貧富の格差に対する平等、管理主義や全体主義に対して民主主義、恐怖や憎しみに対する相互扶助やケアといった生の根源に関わるテーマがその運動が問うている問題群である。(18ページ)
巨大システムの中で個が一括管理されていくような世界で、自然と不可分につながっている人間たちの尊厳をかけた(抵抗)運動は、私たちの生存と生きがい、生産と再生産、自由、責任、信頼にとってなくてはならない不可欠な要素なのである。その意味において、たとえすべての人が、生活全体を「もろとも」の関係性で構築することは不可能であったとしても、このような関係性のない世界では、私たちは生きることができないといっても過言ではないだろう。(335ページ)

「もろとも」の特性と「他者」
「もろとも」とは、端的にいえば「不可分性」を表する言葉である。不可分であるということは、あるものとあるものがつながっている状態を表しているが、「もろとも」とは、一体化、統一、統合ではなく、それぞれのかけがえのない唯一無二の「個」がまず存在し、それらは決して同質なものになることではないということを前提にしている。それゆえ、この「もろとも」の前提には、そもそも、一体化しえない、絶対的な外部、他者の存在が認識されなければならない。「もろとも」とは、言いかえれば別個のものが「つながりあい」、「重なりあう」状態を示しており、異なるものが融解し一つの物質のようになっている状態を表しているのではない。むしろ、決して混じりあうことのないもの同士が、その混じりあわない状態のまま、しかし、必要とされる者同士が「いかに共存するのか」ということを意味している。その意味において、「もろとも」とは「不可分性と相互補完性」の両方を併せもつ概念である。(300ページ)
他者という絶対に交わらない相手、理解できない相手を前提にしながら、相手をどう認識し、受け入れながら生きるのか。絶対的な他者の存在、その他者といかなる関係性を構築するのか、そのような関係性の構築のあり方が、(中略)「もろともの関係性」なのである。(301ページ)
時間においても、存在においても、他者とは絶対に内部化されない何か、もっと言えば決して内部化されてはならず、また私たちが容易に抹殺したり、消し去ったりすることができないなにものかとして、そこに「ある」。そして、その他者が「ある」こと(存在すること)によってのみ、自己は初めて成立できるという相互補完関係性が「もろとも」であり、その分かちがたい関係性は「もろとも」の不可分性である。この関係においては、他者は自己の存在の理由であり、条件となる。(301ページ)

「覚悟して受け入れること」と希望
(ポランニーの)resignation(覚悟して受け入れる)ということは、いかんともしがたいこの世の悲惨や社会の状況、例えば放射能汚染を単に受け身で受け入れて諦(あきら)めてしまうことでもなければ、それに順応し、何ごともなかったかのように思考停止して生きる道でもない。そのように私たち自身が何かを放棄してしまうこととは異なるのだ。その社会の現実を認識したうえで、受け入れなくてはいけないと一旦あきらめにも似た境地を通りながらも、なおかつ悪に対しては、否と言い続ける力をもち続け、より善き生き方を模索する人間の姿勢をいうのだろう。そこには、絶望ではなく、希望がなくてはいけない。ポランニーが「希望の源泉」という言葉を使ったのは、希望なきところには、そのような方向へ舵を切り、一歩を踏み出すことができないことを自らの第一次世界大戦の苦悩、そして第二次世界大戦の悲劇の中から学び取ったからであろう。覚悟して受け入れるとは、決して飼いならされて長いものに巻かれることではなく、絶望的な現実を認識しつつ、にもかかわらず、かすかであっても希望を捨てずに前進するという積極的な力の源泉となるのである。(328~329ページ)

〇本書は要するに、人間が「共に生きるとは何か」を問い、人間の「生の全体性を回復する」ためのひとつの「解」を有機農業の現場実践から提起したものである。その解は、市場原理主義が席巻(せっけん)する現代社会において、人びとに“希望”を与え、人びとを“元気”にする。
〇福祉(福祉教育)の世界ではいま、「地域共生社会」を実現するための「我が事・丸ごと」に関する実践や研究が流行(はや)りである。しかしそれらは、確固たる思想的・倫理的なバックボーンを持ち得ていない。それゆえに、社会保障費を抑制・削減するために国家責任を曖昧にしたまま、「地域生活課題」の解決に向けて自助・共助を強調し、地域社会や個人にその責任を負わせ、その「丸投げ」に加担することにもなる、といえば言い過ぎであろうか。「我が事・丸ごと」は、「もろとも」(自由・責任・信頼と共生)の視点・視座や考え方とは異なる。

補遺
「経済は社会のなかに埋め込まれている」(「埋め込み」概念)と説いたカール・ポランニー(Karl Polanyi、1886年~1964年)とその言説のごく一部を、若森みどり著『カール・ポランニーの経済学入門―ポスト新自由主義時代の思想―』(平凡社新書)平凡社、2015年8月、から紹介しておくことにする。

ポランニーは、19世紀的市場経済の行き詰まりから20世紀の激動の時代を生きた、ハンガリー出身の社会科学者(経済学・政治学・社会哲学。イギリスやアメリカで活躍:阪野)である。(中略)「社会における経済の位置」という視点から、市場社会の危機とファシズム台頭との関連や市場社会と人間の自由との関係を議論し、自由を効率の犠牲にしない産業社会の可能性を追究する著作を残している。(12ページ)

ポランニーは、歴史的、経済的、政治的、社会哲学的な深い洞察に基づく類例のない市場社会論を構築した。本書(若森)で詳しく取り上げる市場社会に関するポランニーの命題は、次の六つから構成される。
(1) 市場経済の拡大は人間の福祉と共同社会への脅威である。
(2) 市場経済の拡大がもたらす脅威に対して、さまざまな社会の自己防衛運動が動き出す。
(3) 市場経済は自然の産物ではなく政府の干渉によって構築された。
(4) 市場社会の許容する民主主義は制限されている。
(5) 市場社会が保障する平和は脆(もろ)い。
(6) 市場社会の自由は制限されている。(13ページ)

ポランニーは、経済を(1)人間と自然との相互作用の過程と(2)相互作用の制度化という二つの次元から把握する。「互酬・再分配・交換」は、人間と自然の相互作用の制度化の次元での分析概念として位置づけられており、この三つの分析概念は経済過程に安定性と統一性を与える「統合パターン」として定義される(互酬=集団や共同体における財・サービスの贈与、再分配=国家(中央)による財・サービスの取得と分配、交換=市場における自由な競争:阪野)。(207ページ)

ポランニーにとって真の自由とは、社会的自由である。それは、社会的存在としての人間は、自分と選択と行動が不可避的に引き起こす他者に対する影響の責任を引き受けることを通して自由でありうる、というもので、責任からの自由(逃走!)を支持することに無自覚な経済自由主義的な個人的自由の概念とは真っ向から対立する。(243~244ページ)

きょうという日

にがてなこと
やりたくないこと
あきらめたこと

いやでにげだしたこと
とちゅうで なげだしたこと
あとでしようと ほったらかしたこと

それは みんな ほんとは しなきゃいけないこと
しなきゃいけないって おもっていたことばかり
きょう しなければならないことを
さきのばしに したことで
またきょうの日を むかえた
そして きょうの日も なにもしないで またすぎる

いつも いつでもやれるんだと
あんじを かけていた
いいわけだけが うまくなった
そして いつのまにか あたりまえに しなくなった
だから きのうも きょうも あしたも なんにもかわらない

なにもやっても むだだと
さもさも わかったようなふりをして
なんにもかんがえない なんにもしない なんにもかわらない 
“わたし”

このままずっと こうしていたら どうなるんだろう?
とつぜん そんな気もちに おそわれた
なんだか あたまも こころも からっぽになったような気分
それが 生きてるってこと?

そんな“わたし”に ようやくいやけがさしはじめた
するか しないか かんがえてきめるのは “わたし”
“ない ない ない”という 
こころのからを わらなきゃいけないって 気づいたら
むずかしくかんがえないで こころのままに ちょこっとうごいてみよう
いままでとは ちょっとちがった“こころの景色”が 見られるかも…
そこにきっと 信じられそうな“わたし”が 見つかるかも‥‥しれない

えっ! だれかが“わたし”の手をにぎった!?