阪野 貢 のすべての投稿

『1984年』と『茶色の朝』、そして “いま”―読後メモ―

タイトルは文章の顔である。タイトルを効果的なものにするためには、文章の内容を正確かつ簡潔に表現するとともに、現実性や普遍性、そして訴求性の高い用語を使うことが重要となる。『1984年』と『茶色の朝』は、今回再読した本のタイトルである。

『1984年』(高橋和久訳、早川書房、2009年7月)は、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの小説である。「情熱と暴力と絶望」(トマス・ピンチョン「解説」507ページ)に満ちた小説であり、読み進めると“緊張と憂鬱と恐怖”が襲う。
この小説の舞台は、主人公のウィンストン・スミスが住む「3強国」のひとつ、オセアニアである。その「党」は、3つのスローガン「戦争は平和なり/自由は隷従なり/無知は力なり」を掲げている。
「戦争は平和なり」(war is peace)は、戦争はその継続化によって存在しなくなる(見せかけの平和)。「真の恒久平和とは、永遠の戦争状態と同じ」(307ページ)である、という意味である。「自由は隷属なり」(freedom is slavery)は、権力に隷属(屈従)すれば、思想・良心に従って行動する真の自由ではなく、監視下の自由(錯覚の自由)が保障される。「隷属は自由なり」(409ページ)、という意味である。「無知は力なり」(ignorance is strength)は、知識のない思考は空虚であり、思考のない知識は盲目である。従属(服従)は思考停止と洗脳によって実行される。「階級社会は、貧困と無知を基盤にしない限り、成立しえない」(293ページ)、という意味である。
いまひとつ注目しておきたい党のスローガンに、「過去をコントロールするものは未来をコントロールし、現在をコントロールするものは過去をコントロールする」(56ページ)というのがある。過去は記録と記憶のなかに存在するが、権力者は歴史を書き換え捏造(ねつぞう)する、という意味である。

『茶色の朝』(藤本一勇訳、大月書店、2003年12月)は、フランスとブルガリアの二重国籍をもつ心理学者フランク・パヴロフによって書かれた寓話である。これは、ファシズムや全体主義を批判した小さな物語であり、「私たちのだれもがもっている怠慢、臆病、自己保身、他者への無関心といった日常的な態度の積み重ねが、ファシズムや全体主義を成立させる重要な要因であることを、じつにみごとに描きだして」(高橋哲哉「メッセージ」41ページ)いる。
この寓話に登場する俺と友人のシャルリーが住む国では、犬や猫をはじめすべてのもの、朝までもが「茶色」でなければその存在が許されなくなっていく。「茶色」はナチスや極右の人びとを連想させる色である(高橋「同上」35ページ)。俺は言う。
それから俺たちはテレビをつけた。/そのあいだ、/茶色の動物たちは横目でおたがいの様子をうかがっていた。/どちらのチームが勝ったかもう覚えていないが、/すごく快適な時間だったし、すっかり安心していた。/まるで、街の流れに逆らわないでいさえすれば/安心が得られて、面倒にまきこまれることもなく、/生活も簡単になるかのようだった。/茶色に守られた安心、それも悪くない。(14ページ)
ひと晩じゅう眠れなかった。/茶色党のやつらが/最初のペット特別措置法を課してきやがったときから、/警戒すべきだったんだ。/けっきょく、俺の猫は俺のものだったんだ。/シャルリーの犬がシャルリーのものだったように。/いやだと言うべきだったんだ。/抵抗すべきだったんだ。/でも、どうやって?(28ページ)

そして“いま”、日本は確実に、オセアニアの「党」のスローガンや「茶色党」の政治とは無縁ではない状況、すなわちファシズムや全体主義国家への道を歩んでいる。例えば、国旗掲揚と国歌斉唱の強制(国旗国歌法:1999年8月施行)、有事体制づくりと国民への戦争協力の強要(国民保護法:2004年9月施行)、道徳教育と愛国心教育の推進(新教育基本法:2006年12月施行)、情報公開の抑制と国民の知る権利の侵害(特定秘密保護法:2014年12月施行)、個人情報の一元管理と国民監視の強化(マイナンバー法:2015年10月施行)、そして平和主義の空洞化と「戦争ができる国」への転換(安全保障関連法案:2015年7月衆議院本会議可決)、などがそれである。とりわけ最近では、立憲主義(憲法によって国家権力を制限し、国民の人権を保障する思想)が否定され、議会制民主主義や熟議民主主義が危機に瀕している。日本の政治の劣化であり、国家の疲弊である。

『1984年』と『茶色の朝』は、ウィンストンと俺の“いま”の心情を表した次の一節で終わる。悲しみと恐怖、そして怒りが込みあげてくる。
万事これでいいのだ。闘いは終わった。彼は自分に対して勝利を収めたのだ。彼は今、<ビッグ・ブラザー>を愛していた。(463ページ)
だれかかドアをたたいている。/こんな朝早くなんて初めてだ。/‥‥‥/陽はまだ昇っていない。/外は茶色。/そんなに強くたたくのはやめてくれ。/いま行くから。(29ページ)

上記の高橋が『茶色の朝』に寄せるメッセージは、「やり過ごさないこと、考えつづけること」である。唐突ながらそれは、“まちづくり”についても言える。それは、それぞれの地域や住民に求められる、主体的で自律的な姿勢や態度、行動である。言い換えれば、地域・社会における歴史的・社会的事象の存在に気づかないふりをせず、それを常に意識し、自分たちの知識と思考で対応することである。そこでは、地域主権や住民(市民)主権の観点が重要となり、「上から目線」で“地方創生”を図ろうとする権力者は不要となる。深く心に刻みたい。

“土の人” として地元に学び、地域を創る:教育再生やアクティブ・ラーニングへの思い―資料紹介―

筆者(阪野)は、去る7月31日、富山県社協主催の「平成27年度富山県福祉教育セミナー」に参加する機会に恵まれた。セミナーの前半では、(1)砺波市福祉センター北部苑の「施設の現況と地域との交流」、(2)富山県立南砺福野高校(福祉科)の「地域と繋がるボランティア」、(3)小矢部市社協の「小矢部市社協における福祉教育推進に関する取り組み」について、実践報告がなされた。各報告における鍵となる項目や考え方は、(1)「信頼と熱意により地域が繋がる!/地域が有機的に結ばれる!」、(2)「地域での活動は必要/高校生も、地域の住民の一人として人と関わり、地域づくりに貢献できる」、(3)「福祉教育サポーター養成確保モデル事業(小矢部方式)の取り組み/福祉教育サポーターの選出と養成講座の実施」、などであった。後半では、その報告を受けて、「各取り組みからこれからのヒントを探る」というテーマのもとでシンポジウムが行われた。
筆者は、それぞれから多くの気づきと学びを得ることができた。とりわけ、次のような事柄について思いを致すことができたのは有意義であった。「地元学」(「水俣地元学」)の提唱者である吉本哲郎の言説、文部科学省において小・中・高校への導入が検討されている「アクティブ・ラーニング」と呼ばれる学習・指導方法、そして富山県社協や小矢部市社協などにおける「福祉教育サポーター」養成カリキュラムの研究開発、などがそれである。本稿では、それらの関連資料(論点や言説)の一部を紹介することにする。

(1)吉本哲郎『地元学をはじめよう』岩波書店(岩波ジュニア新書)2008年11月
地元学の目的は、自分たちで(地元に:阪野)あるものを調べ、考え、あるものを新しく組み合わせる力を身につけて(町や村の:阪野)元気をつくることです。(22ページ)

地元の人たちによる地元学を「土の地元学」とします。これが地元学の基本となります。
地域の風土と暮らしは、外的要因、内的要因による変化をつねに受けています。その変化を適正に受けとめ、地元になじませていくのは、当事者であるそこに住む人たちです。(中略)
地元学はあるものを探すことからはじまります。そのときに、地元の人(「土の人」:吉本)たちだけではひとりよがりになってしまうので、外の人(「風の人」:吉本)たちといっしょにやっていくことが必要です。
地域のもっている力、人のもっている力を引き出すことが、外の人たちの役割です。(中略)この外の人たちによる地元学を「風の地元学」といいます。(36~37ページ)

地元学は、ないものねだりはしません。あるものを探し、それを磨いたりして価値のあるものにしていきます。その第一歩は、地元を調べることです。地元の風土や暮らしに「あるもの」(地域情報:阪野)を探していくのです。あるものとは「あるもの、あること、人」のことをまとめて言っています。(38ページ)

地元学は、調べる・考える・まとめる・つくる・役立てる、と言う順にすすめられます。(35~80ページ)
つくる・役立てるのは、ものづくり、地域づくり、生活づくりの三つの分野です。
ものづくりは、地域資源を活用して、草木染め、木工品、野の幸の加工品などをつくります。
地域づくりは、つぎのようなステップを踏んでいきます。①これまでを読む、②変化の風を読む、③これからを読む、④手をうつ。
生活づくりは、地域の素材を使ったり、遊んだりして、地域の暮らしを楽しんでいくことです。でも、生活づくりでだいじなことは家族づくりです。(65~66ページから抜き書き)

「地元学」は、単にその地域(地元)の自然や歴史、文化、産業などについて学問的に調査・考察するものではない。それは、地域の暮らしのなかにあるモノを探し、それを如何に使いこなすかを考え、新たな地域ブランド(「あるもの、あること、人」)を創造・開発するものである。換言すれば、地域づくりのための「実践や運動としての地元学」である。
地元学の主役は、子どもをはじめ高齢者や障がい者、外国籍住民などを含めた、そこに暮らす全ての「土の人」である。その人たちが、「共生・協働(共働)」の理念のもとに、「風の人」の視点や支援を得ながら、歴史・文化・風土に裏打ちされた新たな地域づくりに主体的・能動的・自律的に関わることが肝要となる。それゆえにまた、民俗学や福祉(学)の視点から地域づくりやそのための人づくりについて追究することが求められることになる。
この点に関して、岡村重夫の「民俗としての福祉」概念をめぐる言説を思い起こす。「われわれは老人福祉の法制を語るまえに、老人福祉の習俗を知らねばならず、さらにこの習俗を発展させるための道徳教育について考慮をめぐらせねばならない」と述べ、「老人福祉の民俗学」の必要性を説くのがそれである(岡村重夫「新隠居論序説」『社会福祉論集』第17・18号「生活福祉の諸問題」、大阪市立大学生活科学部社会福祉研究会、1979年3月、157ページ。注①)。岡村が思い描いた「老人福祉の民俗学」の内容については不明であるが、そこには地域・住民の「習俗」(習慣化された生活様式)と社会福祉の関係や教育(「徳教」)の問題が提起されている(柴田周二「宮本常一の民俗学(一)―慣習と人格形成―」『京都光華女子大学研究紀要』第43号、京都光華女子大学、2005年12月、41~42ページ)。それに付言すれば、地域づくり(まちづくり)研究においては、例えば「福祉の民俗学」や「地域づくりの教育学」の構造化や体系化の推進を図ることが求められよう。その課題の追究に際しては、戦前・戦後の郷土教育や生活綴方教育、社会科教育などの歴史的評価や現代的解釈について十分に留意する必要があることは多言を要しない。

(2)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する答申」2012年8月
生涯にわたって学び続ける力、主体的に考える力を持った人材は、学生からみて受動的な教育の場では育成することができない。従来のような知識の伝達・注入を中心とした授業から、教員と学生が意思疎通を図りつつ、一緒になって切磋琢磨し、相互に刺激を与えながら知的に成長する場を創り、学生が主体的に問題を発見し解を見いだしていく能動的学修(アクティブ・ラーニング)への転換が必要である。すなわち個々の学生の認知的、倫理的、社会的能力を引き出し、それを鍛えるディスカッションやディベートといった双方向の講義、演習、実験、実習や実技等を中心とした授業への転換によって、学生の主体的な学修を促す質の高い学士課程教育を進めることが求められる。学生は主体的な学修の体験を重ねてこそ、生涯学び続ける力を修得できるのである。(中央教育審議会答申「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて―生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ―」2012年8月28日、9ページ)

「アクティブ・ラーニング」(active learning、能動的学習)は、上記の2012年8月の中央教育審議会答申(「質的転換答申」)にその用語が登場し、それ以降、大学の学士課程教育への導入・展開が図られている教授・学習方法である。その導入・展開の背景には、知識を使って主体的に考え、行動できるグローバル人材の育成・確保を必要とする経済界からの要請がある。また、大学を取り巻く経営環境の変化や学生の資質・能力の低下などの教育現場の実態がある。
アクティブ・ラーニングの概念は包括的であり、多様な名称(「学生参加型授業」「協調・協同学習」等)が用いられる。そういうなかで、「質的転換答申」では次のように解説されている。「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた教授・学習法の総称。学修者が能動的に学修することによって、認知的、倫理的、社会的能力、教養、知識、経験を含めた汎用的能力の育成を図る。発見学習、問題解決学習、体験学習、調査学習等が含まれるが、教室内でのグループ・ディスカッション、ディベート、グループ・ワーク等も有効なアクティブ・ラーニングの方法である」(同答申「用語集」)。
大学の学士課程教育の「質的転換」は、古典的で受動的な「学修」から主体的・能動的な学修への転換である。そのための教授・学習方法のひとつがアクティブ・ラーニングである。しかし、それは、必ずしも言われるほどの新味性を有するものではない。また、総合的・包括的な概念であるがゆえにか、その整理や構成要素の検討が不十分なままである。その計画・実施・評価のプロセスの進め方、とりわけ評価の観点や方法も曖昧である。何よりも、学士課程教育の教育内容・方法の改善を抽象的に説くにとどまり、学修時間そのものの質量ともにわたる増加・確保策についての言及がない。いずれにしろ、学士課程教育の改善・充実(質的転換)を図るためには、教育方法のひとつであるアクティブ・ラーニングをいかに教育課程のなかに位置づけ、その機能を十全に働かせるか。大学内外の学修支援や協働(共働)の体制をいかに整備・強化するか、などが問われることになる。その点への追究を欠くと、アクティブ・ラーニングはいっときの流行や奇をてらった単なる「用語」に終わることになる。

(3)中央教育審議会「アクティブ・ラーニングに関する諮問」2014年11月
新しい時代に必要となる資質・能力の育成に関する(中略)取組に共通しているのは、ある事柄に関する知識の伝達だけに偏らず、学ぶことと社会とのつながりをより意識した教育を行い、子供たちがそうした教育のプロセスを通じて、基礎的な知識・技能を習得するとともに、実社会や実生活の中でそれらを活用しながら、自ら課題を発見し、その解決に向けて主体的・協働的に探究し、学びの成果等を表現し、更に実践に生かしていけるようにすることが重要であるという視点です。
そのために必要な力を子供たちに育むためには、「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと、「どのように学ぶか」という、学びの質や深まりを重視することが必要であり、課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や、そのための指導の方法等を充実させていく必要があります。こうした学習・指導方法は、知識・技能を定着させる上でも、また、子供たちの学習意欲を高める上でも効果的であることが、これまでの実践の成果から指摘されています。
また、こうした学習・指導方法の改革と併せて、学びの成果として「どのような力が身に付いたか」に関する学習評価の在り方についても、同様の視点から改善を図る必要があると考えられます。(中央教育審議会諮問「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」2014年11月20日)

アクティブ・ラーニングの学習・指導方法についての検討が、2020年度(小学校)から順次実施される次期学習指導要領の改訂作業のなかでも進められている。その際の改訂の視点は、学校教育の重点を「何を教えるか」から「どのように学ぶか」へと転換することである。また、学習の成果として「どのような力が身に付いたか」を評価することである。しかし、それは、小・中・高校ではすでに「総合的な学習の時間」における学習方法や、各教科・領域における「言語活動の充実」を図る学習指導として取り組まれているものでもある。
いま、なぜ、新たに「アクティブ・ラーニング」(「課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習」)なのか。学校教育において「生きる力」(1996年7月の中央教育審議会答申)から「確かな学力」(2003年10月の同答申)、そして「道徳力」(道徳の「特別の教科」化、2014年10月の同答申)へと路線変更が進むなかで、その真のねらいや本質を見極める必要があろう。アクティブ・ラーニングでは、児童・生徒の主体性、能動性、活動性、協働性などの育成が重視される。アクティブ・ラーニングの導入は「生きる力」の育成強化策であるとも評される。この点については、教育改革の切り札として2002年度から完全実施された「総合的な学習の時間」における学習活動は低調であり、「這い回る経験主義」という批判にさらされた(さらされている)ことに留意したい。また、アクティブ・ラーニング(学習・指導方法)の画一的な推進は、教育現場の自立性や創造性が損なわれ、学校教育の「改革」や活性化には繋がらない危険性があることを付記しておきたい。

(4)阪野貢「富山県福祉教育サポーター養成カリキュラム(私案)」2015年4月
① オリエンテーション(サポーター養成研修の意義理解、仲間づくり)
② わが“まち”の歴史と文化を学び、個性と魅力を再発見する
③ 子どもと保護者の生活実態を把握し、学校教育をめぐる問題を考える
④ 自律と協働の共生社会を構想し、生涯学習とそのあり方を考える
⑤ 福祉教育のあゆみと現状を理解し、問題点と今後の方向性を探る
⑥ 住民主権・住民自治の認識を深め、福祉によるまちづくりを考える
⑦ コーディネーションとファシリテーションの考え方と展開方法を学ぶ
⑧ フィールドワーク(1)―福祉関係の施設・機関の見学と交流活動―
⑨ フィールドワーク(2)―教育関係の施設・機関の見学と交流活動―
⑩ 選択科目(1)―福祉文化とまちづくに―
⑪ 選択科目(2)―教育文化とまちづくり―
⑫ 福祉ネットワークの現状を理解し、福祉によるまちづくりを展望する
⑬ 学習の総括と今後の取り組み(学習発表)

富山県社協では、2014年度から小矢部市、上市町、入善町の各市町社協をモデル地区指定し、「福祉教育サポーター」の確保とそのための養成カリキュラムの研究開発を進めている。その経緯については、本ブログ(市民福祉教育研究所)に所収の「富山県における福祉教育の取り組みの経緯と今後の方向性」(2013年8月20日投稿)を参照されたい。
上記の項目は、養成カリキュラムのねらいや内容を「私案(素々案)」として示したものである。各市町社協では、地元住民が主体となって、その地域ならではのカリキュラムの編成・実施について協議している。今後は、学習目標の設定をはじめ、学習のテーマや内容・方法、学習の時間や場所、協働・支援体制などについての具体的な検討が必要となる。その際、学習者(福祉教育サポーター)の学習への興味・関心・意欲を引き出すとともに、学習内容の生活性や地域性を考慮し、学習成果の実践化や日常化を図ることなどが肝要となる。
なお、福祉教育サポーターとは、「① 福祉や教育、そしてまちづくりに関心のある多くの人が、② 地元や職場での日々の生活や活動などで得た知識や経験を、③ さらに確かで豊かなものにするために学習(研修)を行い、④ それによって自分や自分たちの能力と地元の魅力を再発見し、⑤ 求められる見識(判断力、考え方)と企画・実践力(福祉力、教育力)、そして意欲(情熱、向上心)を活かし、⑥ 何よりも自信と誠意と信念をもって、⑦ 行政をはじめ学校や社会福祉協議会(以下、社協)、社会福祉施設、公民館、NPО、自治会・町内会、企業などが行う、地元ならではの、新しいまちづくりとそのための「福祉教育」の事業・活動を支援する人をいう」。また、福祉教育サポーターは、「高校生以上の地元住民をはじめ、ボランティアやボランティアサポーター、NPО職員、民生委員・児童委員、福祉推進委員、地域(福祉)活動者、とりわけ団塊世代や高齢者・障がい者」などから選任され、「地区社協に若干名配置し、活動の場は主として地元の小学校区」である(富山県社協「『福祉教育サポーター』養成確保事業要綱」2013年8月1日)。福祉教育サポーター制度の要点のひとつは、サポーターを属人的に捉えるのではなく、個々の地元住民の属性や地元との関係性などに留意しながら、サポーターとしての機能や役割、活動のプロセスを重視するところにある。しかも、福祉によるまちづくりの観点に立ったそれである。

筆者は、8月3日から5日の3日間、福井県立大学大学院の集中講義に出講し、院生と「市民福祉教育」について対話・議論した。ひとりの院生は、軽度の認知症を抱える一人暮らしの母親を毎日のように訪ね、近所の住民の理解や支援を得ながら介護を続ける60歳代の男性であった。氏のテーマは、厚生労働省が2015年1月に策定した「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」を素材に、「認知症への理解を深めるための普及・啓発」や「認知症の人を含む高齢者にやさしい地域づくり」などの推進方策について福祉教育の視点・視座から実証的・実践的に研究しようとするものである。大学院修了後は、その研究成果を踏まえて、地域づくりの市民活動に取り組みたい、という。前述の、ボランティア活動を通じて地域と繋がる南砺福野高校(福祉科)の生徒たちの自信に満ちた実践報告とともに、院生の研究意欲と姿勢には頭が下がる思いであった。
ところで、周知の通り、2015年4月1日から、新教育委員会制度がスタートした。内容的には、教育委員長と教育長を一本化した新「教育長」が首長によって直接任命され、新教育長の権限強化と国の意向の教育行政への反映が図られることになった。それは、教育(教育行政)の政治的中立性と継続性・安定性を損なうものである。また、4月6日に、文部科学省が中学校の社会科教科書の検定結果を公表した。それによって、教科書検定は政府の歴史認識や見解を尊重・宣伝するものであることがより明らかにされた。そしてまた、安全保障関連法案をめぐって、政府・自民党議員による不適切な発言が続いた。「考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ない。我が国を守るために必要なことを、日本国憲法がダメだと言うことはありえない」(磯崎陽輔、7月26日)、「SEALDs(注②)という学生集団が自由と民主主義のために行動すると言って、国会前でマイクを持ち演説をしてるが、彼ら彼女らの主張は『だって戦争に行きたくないじゃん』という自分中心、極端な利己的考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うが、非常に残念だ」(武藤貴也、7月30日。注③)がそれである。政治家の劣化であり、民主主義の空洞化である。
こうした国による教育への不当な介入と管理統制の強化、国会議員による傲岸不遜(ごうがんふそん)な発言や反知性主義の態度こそが、「戦後教育のせいだろう」。前述の高校生や地域住民たちは、“土の人” として、地べたを這いずり回って、コツコツと真摯に地域づくりや教育づくに取り組んでいる。それは、集権的で上からの「地方創生」や「教育再生」とは違う、地域に根ざした“地元学” の確かで豊かな実践である。


① この論考で岡村重夫は、穂積陳重がその著『隠居論』(有斐閣、1915年3月)で説く「老人処遇論としての隠居論」について紹介・検討している。「老人福祉の民俗学の必要性」を指摘する直前の、岡村の次の一文を紹介しておくことにする。
今日の多くの老人処遇論は、「優老の法制」ないしは「優老の社会政策」を論ずるのに急にして、それに先だって優老の習俗や徳教や体制のあることを無視ないし軽視しているのではないか。わが老人福祉法は、いとも簡単に「敬老の日」を法律で制定したけれども、それに先だつ敬老の習俗、徳教、体制についてどれだけの対策を講じてきたか。(157ページ)
② SEALDs(シールズ)は、Students Emergency Action for Liberal Democracy – s の略称である。
③ 武藤貴也の言説に次のようなものがある。それに関する中学校教科書の記述は以下の通りである。
日本の全ての教科書に、日本国憲法の「三大原理」というものが取り上げられ、全ての子どもに教育されている。その「三大原理」とは言わずと知れた「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」である。
戦後の日本はこの三大原理を疑うことなく「至高のもの」として崇めてきた。しかしそうした思想を掲げ社会がどんどん荒廃していくのであるから、そろそろ疑ってみなければならない。むしろ私はこの三つとも日本精神を破壊するものであり、大きな問題を孕んだ思想だと考えている。
(武藤貴也「日本国憲法によって破壊された日本人的価値観」2012年7月23日)

国の政治のしくみの根本を定める法が憲法です。憲法は、政府の権力を制限して国民の人権を保障するという立憲主義の思想にもとづいて、政治権力の乱用を防いで、国民の自由や権利を守ります。立憲主義の考えは、政治が人の支配によってではなく、法によって行われることを要求する法の支配の思想とほぼ同じものです。(中略)
国民主権、平和主義、基本的人権の尊重は、日本国憲法の三つの基本原理です。
(『新しい社会 公民』<中学校社会科用教科書>東京書籍、2012年2月、36~37ページ)

大友信勝「『戦後70年』と安保法案」(2015年7月)―資料紹介―

筆者(阪野)は、大友信勝先生から、短い期間ではありましたが直接的・対面的に多くを学ばせていただきました。それは、真に幸運なことでした。あるヒトとコトに対して、一緒に闘ったことも忘れられません。(傲慢・狡猾で真摯さに欠ける反知性主義者との対峙は、そのヒトが哀れで、悲しいものでした。)
その大友先生から本日(7月18日)、以下のような「メッセージ」が届きました。そしてコメントもいただきました。恐縮至極です。ただただ頭が下がります。

少しでも、安保法案について危機感を共有できることを願って、締め切りの過ぎた原稿をわきに置いて「今書かなければ」と一気にかいたものです。「蟻の一穴」といいますが、治安維持法は数次の改正で民主主義の息の根までとめ、反対できないようにして、大政翼賛会をつくり、ひとびとを戦場に送りました。今やるべきことは戦争の準備ではありません。国際的に、紛争の原因となっている「格差と貧困」を解決し、途上国のすべての子どもたちや若者に教育と就労の場を保障していくことこそやるべきことです。人権と生命は、アメリカも日本も途上国も同じ重さです。日本の軍事費を増やし、軍事関連産業を大きくし、教育を統制し、思想・言論を引き締め、福祉を切り下げ、地球の裏側でも戦争できるというシナリオを阻止したいという一念で書きました。平和で国際貢献すべきです。

戦後70年と安保法案
安保法案が2015年7月15日、衆院特別委員会で自公による強行採決、7月16日、本会議採決と国民の声に背を向けたまま、「60日ルール」を目指して暴走しています。9月中旬までに参議院で議決されなくても、衆議院で再議決できるからです。自公の暴挙を国民がゆるし、すぐ忘れると思っているのでしょうか。
私は、安保法案反対の「学者・文化人」、「9条の会」等に加わり、意思表示を明確にしてきました。憲法解釈変更を1内閣が、1回の審議で関連法案10件の一括改正を伴い、ひとりの首相の独断で、しかも集団的自衛権行使という戦争への道を、憲法第9条を突き崩す一方的解釈変更として強行採決していく姿に危機感を抱いています。日本は、民主主義からファシズムへの変質に入ろうとしているかのようです。自民党のハト派は飛び去って、いつの間にか良識的な保守から超右寄りへ衣替えしていることにも驚きます。その自民党を「平和の党」を自称する公明党が国民の合意形成を目指す「熟議」を置き去りにし、強行採決を担い、補完し、関係者からたしなめる声もなく粛々と従っていることにも驚きを禁じえません。
現行憲法で集団的自衛権が行使できるかどうかという憲法解釈がキーワードであり、憲法学の解釈を謙虚に聞くべきです。首相の独断に耳触りの良い側近と同調者を集め、国際情勢が変化していることを理由に、戦後体制からの歴史的脱却を図ろうとしています。
「昭和の時代」、日本がアジアの国々に、世界に何をしたのか。あの大戦を二度と繰り返してはなりません。私は戦時下に生まれましたが戦争の記憶はありません。しかし、戦後の義務教育を生活綴り方(北方性教育運動)を理由に治安維持法で投獄されていた先生方から受けました。大学に入り、東大セツルメントで治安維持法違反により、6回逮捕・投獄された先生から「社会福祉総論」を学びました。何を学び、次の世代に何を伝えるのか。その役割を自覚的に自らの使命とすべきであろうと考えています。
現代史は米騒動(1918年)から始まります。普通選挙の実施と共に治安維持法(1925年)が国会を通過します。以後、治安維持法は数次の改正を繰り返し、思想・言論・結社等を取り締まり、最後は民主主義のすべてを圧殺し、大政翼賛の体制に入ります。
「昭和の時代」、複雑な社会的背景がありますが直接的にみると「満州事変」(1933年)が引き金です。世界大恐慌(1929年)による不況に対して満州(中国東北部)を「生命線」として権益確保を図った軍部の独走から始まります。兵力不足を開拓青少年義勇軍、農村不況から分村移民の奨励で行い、国策に従った人たちが敗戦時に取り残され、多くの人たちが生命を落とします。「日中戦争」(1937年)が短期決戦といいながら多くの戦死者をだし、泥沼に入り、戦線を広げ、長期化し、これが全面戦争へと進み、「太平洋戦争」(1941年)に入ります。国力の違うアメリカに「短期決戦」を挑みますが長期化し、最後は和平工作も進まず犠牲を拡大します。誰も、どこも戦争の責任を取ることなく敗戦を迎えます。
日中戦争から敗戦まで、軍人・軍属の死者、約230万人、そのうち、60%が餓死者だったという研究があります。無謀な戦線拡大で補給がなく、玉砕を命じたからです。サイパン島陥落(1944年7月)で日本軍の敗戦は決定的になります。それからの犠牲が圧倒的に増えますが敗戦を認めようとはしません。サイパン島陥落から、沖縄の地上戦、戦死者約20万人、うち、沖縄県民約94000人、沖縄出身の軍人・属約28000人、その後に本土に移り、東京大空襲で10万人、その他の都市での空襲で50万人、原爆で広島、14万人、長崎で7万人、満州は開拓民22万3千人のうち、帰国できたのは14万人、満州でも最初に逃げたのは軍隊、沖縄戦でも軍隊は民間人を守りませんでした。これだけではありません。当時、植民地だった朝鮮半島からの強制連行、従軍慰安婦、そして、戦場と化した東アジア、東南アジア、太平洋諸島で何千万人という、どれほど多くの現地の罪のない人々を巻き込み、その人権を蹂躙し、生命を奪ったことか。
戦争とは何か。水木しげるは「お国のために、といわれて考えること許されぬ時代、土色一色に塗られて死場へ送られる時代だ。人を一塊の土くれにする時代だ」と出征前の日記に書いています。森村誠一は「状況が70年前と似てきていると思います。怖いのは戦争体験者がどんどん減っていることですね。戦争では敵国だけが敵ではなくて戦場に引っ張りだす前に国民を殺す。国家によって個人の人生が破壊されてしまうんです」と「言論、思想、表現の自由」が縛られることを問題にしています。自民党の勉強会は「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」、「沖縄の二つの新聞社を絶対つぶさなあかん」と言っています。「学問の自由」に対して、首相は国立大学の入学式・卒業式で国旗掲揚、国歌斉唱を「実施すべきだ」といい、文科相も追認しています。教育への不当な介入が始まっています。
「外国人記者」の目は、マスコミの「政権批判が減った」、「損するのは市民」と政権与党の報道規制を取り上げ、すでにマスコミの権力批判の自粛が始まったと見抜いています。本年3月、ドイツのメルケル首相が訪日しました。講演会が象徴的でした。マスコミ各社から選んだのは「朝日新聞社」の招待を受ける形での講演です。講演は、歴史認識で「過去と向き合う」ことを強調し、原発について「脱原発は福島がきっかけ」と発言しました。暗に、日本の歴史認識、原発政策への批判が込められていました。第二次世界大戦の敗戦国で、日本とドイツの違いに目を見張りました。なぜなのか、を印象付けられました。
誰のための、何のための戦争なのか。国民の生命と財産を守るというが、沖縄で、満州で民衆を巻き添えにしたが守ることはしなかった。途上国に貧困と失業を作り、不安定な世界情勢を改善しないで、戦争により、先進国が紛争地帯を軍事力で屈服させて平和が来るであろうか。憎しみと復讐を増幅させ、悪循環をつくるだけではないか。政権与党の歴史認識が妥当だとは思えない。そもそも美しい戦争はありようはずがない。仮想敵国を攻撃して、国民を守るという発想は成立しない。広島、長崎の原爆、沖縄戦の地上戦、これを学ばず、また繰り返すというのであろうか。本当に、国民を守る戦争があるというのなら、強行採決ではなく、十分な時間をとり、丁寧な説明を行い、国民に信を問う総選挙を行うべきであろう。首相自らが「国民の理解が十分でない」と認める法案をなぜ、強行突破するのでしょうか。憲法第9条を変えるのであれば、解釈改憲という姑息な手段ではなく、国民の合意形成を図る手続きを取るべきであろう。憲法という一国のよって立つ指針を根本的に変える手続きを1内閣の独断でやるというのは傲慢であり、暴挙というしかないであろう。
社会福祉学は、社会的に最も困難な方々の暮らしと人権、尊厳を支えていく学問である。平和的で対等・平等な関係の中で合意形成と同意を得て取り組んでいく手続きの民主主義が生命線の学問です。ソーシャルワークはエンパワーメントを重視しており、権力による思想、表現の統制、拘束とは無縁です。権力者が口当たりのいい人、すり寄ってくる人々だけ集め、異質を排除すれば、それは独裁の始まりであり、ファシズムへの道となるでしょう。首相は、一国を左右する権限を持っていることへの謙虚さが必要であり、合意形成への限りをつくし、生命と尊厳を自国だけではなく、他の国々に対しても同様に大事にする見識が求められて当然でしょう。歴史と向き合うこととは、憲法第9条を抱くことになった真の戦争責任への自覚と反省だろうと考えます。それが第13条や第25条とつながる「大砲より人」を大事にする思想と理念というべきです。
戦後70年、私たちは歴史の転換期に立っています。権力の横暴に立ち向かい、歴史のターニングポイントをしぶしぶ見過ごし、結果として黙認するのではなく、声を上げ、手を広げ、次の世代、そしてさらに続く次の世代に「平和」を引き継げるようにしていくことではないでしょうか。東アジアの人々、先の戦争で人権と生命を奪った国々の人々に対して、不戦を誓うことではないでしょうか。民主主義と平和を求める声を権力で圧殺し、思想・言論・出版の自由を奪うことにつながる道へ逆戻りさせてはならないと危機感を抱きながら、声を上げるのは今だと考えています。東アジアとの学術的な民間交流につとめ、未来志向の関係を築いていくことから始めようではないか、と考え、ささやかなメッセージを送ります。
2015年7月17日/大友信勝

わら縄―「戦争はむごいものです」―

母が白寿の祝いを前に逝きました。父は国によって殺されました。

父は、3度目の出征を控えて、手足の爪を切って残すことにしました。幼い私には、その意味を理解することはできなかったはずです。

でも、いよいよ父が家を後にするとき、私は、“わら縄“ を張って庭先の門をとざし、「父ちゃん、行かないで!」と泣き叫んだそうです。

戦争に負ける前の冬、軍の司令部に出かけた母が、白い布に包まれた小さな木箱を首から下げて帰ってきました。その木箱にはほんのわずかな爪が入っていました。

母は、がむしゃらに働きました。私も、学校を卒業する前から、母と一緒に泥田に入りました。父が残していった田んぼを守るためにです。

母は、私たちを厳しく育てました。世間の偏見に堪えました。あんなにも強く生きる母の姿をみることは、息子として悲しく、辛いことでした。

母の最期のことばは、「ありがとう。ありがとう。やっとお父さんに会える!」でした。死の間際、頬に一筋の涙が伝わりました。母の顔は穏やかで、嬉しそうでした。

父と母の結婚生活はわずかな年月でしたが、そこには確かな「絆」と深い「愛」がありました。

戦争はむごいものです。

※これは、筆者(阪野)の従兄の話です。安全保障関連法案が衆議院本会議で可決された2015年7月16日の今日、訥々(とつとつ)と語ったあの時の従兄の一言(ひとこと)が思い出され、またも胸に突き刺さります。「戦争はむごいものです」。
※2016年5月2日の今日、久しぶりに従兄と電話で話すことができました。80歳を超えた従兄の話に、以前と変わらない穏やかで強い心を感じることができました。記憶と記録の不確かさや、真に伝えたいことを述べる難しさなどを改めて痛感しながら、「わら縄」の拙文を若干、加筆訂正させていただきました。伝えたいことは変わりません。「戦争はむごいものです」。そして、「愛はつよいものです」。

反知性主義と熟議:2015年7月15日の「権力の暴走」に思う―資料紹介―

地域の懇談会や行政の委員会などに参加すると、深い議論や合意形成を阻害するような物言いや振る舞いをする人に出会うことがある。「よく分かりませんので、多数決に従います」(住民)。「私たちはこのように考えていますので、その点だけはよろしくお願いします」(組織代表者)。「そのような前例はありませんが、貴重なご意見として今後の参考にさせていただきます」(行政職員)。「専門家としての知見や経験から言えば、このように考えるべきだと思います」(学識経験者)、などがそれである。これらは、合理的思考や理性的判断の停止、目先の利害の優先、大勢への迎合を意味する。それは、子どものいじめや“危険な政治家”による反対意見の圧殺などで指摘される「反知性主義」(anti-intellectualism)の態度である。
いま、筆者(阪野)の手もとには、「反知性主義」に関する本が3冊ある。取り急ぎ、それぞれにおいて注目したい論点や言説を紹介することにする。

(1) 森本あんり『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―』新潮社、2015年2月
「知性」とは、単に何かを理解したり分析したりする能力ではなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む、ということだろう。知性は、その能力を行使する行為者、つまり人間という人格や自我の存在を示唆する。知能が高くても知性が低い人はいる。それは、知的能力は高いが、その能力が自分という存在のあり方へと振り向けられない人のことである。(260ページ)

「反知性」とは、知性が欠如しているのでなく、知性の「ふりかえり」が欠如しているのである。知性が知らぬ間に越権行為を働いていないか。自分の権威を不当に拡大使用していないか。そのことを敏感にチェックしようとするのが反知性主義である。もっとも、知性にはそもそもこのような自己反省力が伴っているはずであるから、そうでない知性は知性ではなく、したがってやはり知性が欠如しているのだ、という議論もできる。どちらにせよ、反知性主義とは、知性のあるなしというより、その働き方を問うものである。(261~262ページ)

知性と権力との固定的な結びつきは、どんな社会にも閉塞感をもたらす。現代日本でこの結びつきに楔(くさび:阪野)を打ち込むには、まずは相手に負けないだけの優れた知性が必要だろう。と同時に、知性とはどこか別の世界から、自分に対する根本的な確信の根拠を得ていなければならない。日本にも、そういう真の反知性主義の担い手が続々と現れて、既存の秩序とは違う新しい価値の世界を切り拓いてくれるようになることを願っている。(275ページ)

(2) 内田樹編『日本の反知性主義』晶文社、2015年3月
「知性的な人」たちは単に新たな知識や情報を加算しているのではなく、自分の知的な枠組みそのものをそのつど作り替えている(中略)。知性とはそういう知の自己刷新のことを言うのだろうと私は思っている。(内田樹:20ページ)

知性というのは個人においてではなく、集団として発動するものだと私は思っている。知性は「集合的叡智」として働くのでなければ何の意味もない。単独で存立し得るようなものを私は知性と呼ばない。(内田樹:22ページ)

反知性主義を決定づけるのは、その「広がりのなさ」「風通しの悪さ」「無時間性」だということである。
反知性主義者たちにおいては時間が流れない。それは言い換えると、「いま、ここ、私」しかないということである。反知性主義者たちが例外なく過剰に論争的であるのは、「いま、ここ、目の前にいる相手」を知識や情報や推論の鮮やかさによって「威圧すること」に彼らが熱中しているからである。彼らはそれにしか興味がない。(内田樹:41ページ)

反知性主義の際立った特徴はその「狭さ」、その無時間性にある(中略)。長い時間の流れの中におのれを位置づけるために想像力を行使することへの忌避、同一的なものの反復によって時間の流れそのものを押しとどめようとする努力、それが反知性主義の本質である。(内田樹:60ページ)

知性とは、自分の頭で吟味し、疑い、熟考する能力や態度のことである。それは「結論先にありき」の予定調和や、紋切り型でお仕着せの思考を拒絶する。知性の発動に「ショートカット(近道)」はあり得ない。(想田和弘:243~244ページ)

知性が間断なく活発に発揮されるためには、苦労して到達した地点にしがみつくことなく、いつでも捨て去り更新する勇気や気力を維持することが必要になる。(中略)
反知性主義に陥らないためには、私たちはこのような知性の習性を充分に理解し、肝に銘じなければならない。のみならず、絶えず自らの態度を点検し、観察し、注意深く振り返る作業が不可欠である。(中略)反知性主義的態度は、本人がそう自覚せずとも、知らず知らずのうちに忍び寄るものだからである。
可能な限り先入観と予断と予定調和を排し、自分を含めた「世界」をよく観て、よく耳を傾けること。目的やゴールはとりあえず忘れて、目の前の現実を虚心坦懐に観察すること。
そのような姿勢こそが、反知性主義の解毒剤たりうるのだと思う。(想田和弘:257~258ページ)

(3) 佐藤優『知性とは何か』祥伝社(祥伝社新書)、2015年6月
反知性主義を大雑把に定義するならば、「実証性や客観性を軽視もしくは無視して、自分が欲するように世界を理解する態度」である。
新しい知識や見識、論理性、他者との関係性などを等身大に見つめる努力をしながら世界を理解していくという作業を拒(こば)み、自分に都合が良い物語の殻(から)に籠(こ)もるところに反知性主義者の特徴がある。合理的、客観的、実証的な討論を反知性主義者は拒否する。
もっとも、反知性主義者が、自分の物語に閉じ籠もっているだけならば、他者に危害は加えないが、政治エリートに反知性主義者がいると、国内政治、国際政治の両面でたいへんな悪影響を与え、日本の国益を毀損(きそん)することになる。(16ページ)

反知性主義者は、知性を憎んでおり、筋道が通った、論理的かつ実証的な言説を受け止める気構えがない(中略)。それだから、反知性主義者を啓蒙(けいもう)によって、転向させるという戦略は、ほとんど無意味だ。知性の力によって、反知性主義者を包囲していくというのが、筆者が考える現実的な方策である。(86ページ)

実証性、客観性を軽視もしくは無視しているので、事実に基づいた反証を反知性主義者は受け入れないのである。知性による説得ということ自体を拒否している。反知性主義者は、閉ざされた世界観の中で自己充足しているので、外部を持たない。本質において、対話が不可能なのである。
したがって、反知性主義者に対しては、こういう人々が力を背景に自らの心から生じた政治路線、経済政策を他者に強要していくことを、公共圏の力で封じ込めていくという方策しか取れないのだと思う。(146ページ)

反知性主義の罠にとらわれないようにするための処方箋は難しくない。知性を体得し、正しい事柄に対しては「然(しか)り」、間違えた事柄に対しては「否(いな)」という判断をきちんとすることだ。その場合の実践的な技法を、(中略)三箇条にまとめておく。
第一は、自らが置かれた社会的状況を、できる限り客観的にとらえ、それを言語化することだ。(中略)
第二は、他人の気持ちになって考える訓練をすることである。
第三は、(中略)「話し言葉」的な思考ではなく、頭の中で自分の考えた事柄を吟味してから発信する「書き言葉」的思考を身につけることだ。(中略)
このような知性を強化する作業を継続することによって、信頼、希望、愛など「目には見えないが、確実に存在する事柄」をつかむことができるようになれば、もはや反知性主義を恐れる必要はなくなる。(264~265ページ)

反知性主義という言葉や概念は、アメリカのキリスト教を背景にした宗教的なものである(Richard Hofstadter,Anti-Intellectualism in American Life,Knopf,1963.田村哲夫訳『アメリカの反知性主義』みすず書房、2003年12月)。それは、「知性と権力の固定的な結びつきに対する反感」「知的な特権階級が存在することに対する反感」である。反知性主義がアメリカで「力をもつ」のは、「アメリカがあくまでも民主的で平等な社会を求めるからである」(森本:262、264ページ。注①)。「反知性主義には、知識をエリートが独占していることに対する異議申し立てという民主主義的側面もある」(佐藤:4ページ)、などといわれる。
反知性主義という言葉を日本において見聞きするのは、最近のことである。しかも、それは、日本の今日的な政治状況との関わりでネガティブな言葉として使われることが多く、アメリカにおける用法と趣を異にする。
戦前の国家主義・全体主義を彷彿とさせる、強権的なやり方を採る政権中枢の政治家や、学問や知性を軽蔑・侮辱した発言をし、難解な言葉や考えを好まないと思われがちな一般市民(注②)に巧みにアピールする地方の扇動政治家(デマゴーグ)などが、日本政治の反知性主義化を促進させている。彼ら(反知性主義者)は、自分に都合のよい世界や物語の殻に閉じこもり、そこでは英雄気取りで勇ましく、雄弁に語る。しかし、広い世界で、またさまざまな物語について討論しようとはしない。そこにあるのは独りよがりの思い込みであり、単なる思い上がりである。そして、判断や行動の偏りである。彼らは現代の “裸の王様” である。
こうした反知性主義的な姿勢や態度を示すのは、(一部の)政治エリートだけではない。本稿の冒頭に記したように、身近な場や機会において、また問題をめぐって反知性主義的な思考や態度を採る学識経験者や行政職員、市民エリートや一般市民に出会う。彼らは柔軟性や融通性が乏しく、あるいは欠落し、相互理解や合意形成に向けた対話や議論に消極的であったり、拒否したりする。
反知性主義者の意識や考え方を教育・啓発によって変えるのは難しい、といわれる(佐藤:86ページ)。そうだとすれば、真の反知性主義がもつ平等主義や民主主義の側面を強く認識する。そして、真の反知性主義がその民主的機能を果たすことができるよう社会的・政治的・文化的環境を醸成し、条件を整備することが肝要となる。
そこに求められるのは、多くの当事者・利害関係者による「熟議」(熟慮し議論すること)である。物事を投票による多数決で決めるいわゆる「集計民主主義」(aggregative democracy)ではなく、信頼に基づく話し合いを通じて意見や選好が変容する過程を重視するいわゆる「熟議民主主義」(deliberative democracy)である。
ここで、「熟議の意義」について鈴木寛が整理するところを紹介しておくことにする。(1)情報洪水、過剰情報の社会のなかで、狼狽・動揺し、思考停止している自分に気づき、「我」にかえる。(2)直面する問題や現場をめぐって、自分の知らないさまざまな「経験」や「実践」があることに気づく。(3)自らのなかのいろいろな自分を発見し、自らの存在(立場や判断など)の複雑性や多様性を「自覚」する。(4)熟議を通じて、真の友人や同志を得る場や機会が生まれる。(5)熟議によって合意形成がなされるのではなく、コミュニケーションの生成とさまざまな実践が協働で始まる、がそれである(鈴木寛『熟議のススメ』講談社、2013年5月、36~41ページから抜き書き)。
こうした熟議は、「参加」と「平等」、そして「自律」を前提にすることはいうまでもない。それはまた、それゆえに、王様に向かって「でも、王さま、はだかだよ。」と言い放つ小さな子どもを育成・確保することになる。そして、それによってこそ、健全な民主主義が成立する。


① アメリカに移植されたキリスト教は、神と人間が対等な契約関係に立つというところから出発した。そうなると互いに権利と義務を有する結果になる。「つまり、人間が信仰という義務を果たせば、神は祝福を与える義務を負い、人間はそれを権利として要求できる」(森本:24ページ)。神の前で人は全て平等であり、学歴や教会の認知がなくても伝道者になれる。これがアメリカの反知性主義の根源である([書評]神戸大学名誉教授・吉田一彦が読む 森本あんり著『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―』『産経ニュース』2015年4月19日)。
② 筆者は、高い知性や豊かな教養をもち、誠実に振る舞い、“しなやか” で “したたか” に生きる市民(住民)を数多く知っている。

まちづくりにおける「合意形成」とマルチステークホルダー・プロセス(MSP)―資料紹介―

熱心なブログ読者から、まちづくりにおける「総論賛成・各論反対」の状況を打開するための「合意形成」に関して、参考になる「モノ」を紹介してほしいという連絡をいただきました。おそらくそれは、6月1日にアップした拙稿「市民自治とまちづくり―その立ち位置とプロセスを考える―」をご笑覧いただいたうえでのことであろうと推察します。
いま、筆者(阪野)の手もとにある「モノ」(資料)は、3冊の本と1通の報告書だけです。以下がそれです。
(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月。(以下、「1」と略す。)
(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月。(以下、「2」と略す。)
(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月。(以下、「3」と略す。)
(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月。(以下、「4」と略す。)

ここでは、それぞれの資料のなかから、個人的に注目したい「モノ」(言説)を2、3紹介することにします。なお、「2」には「合意形成学関連書籍リスト」が掲載されています。

(1) 土木学会誌編集委員会編『合意形成論―総論賛成・各論反対のジレンマ―』土木学会、2004年3月
仮に「市民は政策判断に必要な知識をもっていない」という前提を認めたとしても、そこから「専門家が市民に代わって意思決定すべきである」という結論を導く論理は飛躍している。「市民が必要な知識を専門家から学び意思決定に関与する」という論理も同時にありうる。国づくり、まちづくりに関わる喜びは専門家だけの特権ではない。(小林清司:13ページ)

合意とは、必ずしも形成するものではない。自然と形成されるものでもある。それゆえ、土木事業者が自らの信頼性を保ち、毅然とした態度をとり、人々の良識を信頼し、そして人々の信頼を確保することで人々の公共心による議論が成立するのなら、長期広域の影響をもつ土木事業においてすら、「決める」までもなく「決まる」ことも少なくないのかもしれない。
合意形成論、それは、人間の社会の根幹に関わり、そのあり方そのものを問うきわめて重大な意味をもつ議論である。(中略)いま、ここに居るわれわれにできることがあるとするのなら、それは、真の合意の達成を信じたうえで、社会全体を巻き込む合意形成の言論とその実践、それらを、各人の領分と役割の中で、一つずつ真摯に重ねていくことのほかは、ない。(藤井聡:43~44ページ)

意を同じくするのが同意であり、意を合わせるのが合意だとするなら、同意は自らの良識に基づく判断の結果として人々の意が同じくなる半ば必然的な現象を意味し、合意には何らかの妥協や打算も入り混じったうえで意を合わせるという社会的行為を意味するものではないか(中略)。「良い社会とは何か」という途方もない問題を考えるにあたり、あり得る一つの、あるいはともするなら唯一の回答は、打算と妥協を交えた合意の形成ではなく、先人たちと子々孫々との共有を前提とした良識に基づく同意の形成ではないか、と考えるに至りました。
良い社会に向けた同意の形成、そのためには、さまざまな社会的役割の中で責を負われている方々の、その責を前提とした具体的行動が、いま、ただちに、一つでも多く必要とされているのではないか、と思われてなりません。(藤井聡:173~174ページ)

(2) 猪原健弘編著『合意形成学』勁草書房、2011年3月
合意形成とは、多様な意見の存在を踏まえ、対立が紛争に至ることを回避し、より高次の解決に導くための創造的な話し合いのプロセスである。したがって、合意形成は、たんなる説得や妥協、討論のための討論ではない。また、論者のだれかが勝利を収めるための論争ではない。関係者のだれもが納得する解決策を創造するための協働的な努力である。(桑子敏雄:189ページ)

社会的合意形成とは、(特定利害関係者の間の合意形成ではなく:阪野)、社会基盤整備のように、ステークホルダー(事業に関心・懸念を抱く人びと)の範囲が限定されていない状況での合意形成である。すなわち、不特定多数の人びとのかかわる合意形成である。(桑子敏雄:179ページ)

社会基盤整備のような不特定多数を対象とする合意形成プロセスの構築は、3つの大きな要素で構成される。すなわち、制度と技術と人である。このことは、この3つの項目に対応する人びとの関係の構築であるといってもよい。すなわち、制度を代表する行政機関に属する人びと、技術や知識をもつ専門家の人びと、および事業の影響を直接受ける人びとや一般市民である。(桑子敏雄:180ページ)

「合意」は、(全員の意見の一致を意味するのではなく:阪野)、①全員が賛成すること、②反対者がいなくなること、③反対者を少なくすること、④反対者を少なくするよう努力すること、というように、幅をもってとらえられる。(猪原健弘、266ページ)

(3) 倉阪秀史『政策・合意形成入門』勁草書房、2012年10月
参加者の討議技術の違いを乗り越えて、参加者が建設的な議論ができるように、中立的な立場で議論の手助けをする立場の人がプロセスの進行を司ることが必要です。この立場の人を「ファシリテーター」と呼びます。(225ページ)

ファシリテーターには次のようなことが求められます(ファシリテーターが持つべき基本的スキル)。
①課題となるテーマから中立であること。
②すべての参加者が自分の意見を述べることができるように工夫すること。
③不公平感をもたれないようにとりまとめること。
④時間の管理に十分に留意すること。
⑤参加者と十分に打ち解け、コミュニケーションがとれていること。
⑥参加者の真意を聞き出すテクニックを持っていること。(228~230ページから抜き書き)

合意形成プロセスの参加者に求められる能力としては、大きく4つの能力があると考えます。
第一に、論理的思考力です。論理的思考力をさらに細分化すると、帰結を考える力、理由を考える力、論点整理する力などが該当します。論理的思考力が欠けていると、思い込み、鵜呑み、ムダが起こります。
第二に、発想力です。発想力は、発散思考力、結合思考力に分けられます。発散思考力とは、自分でさまざまなアイディアを思いつく能力といえます。結合思考力とは、一見関係のないようなアイディアをくっつけて新しいアイディアをつくりだす能力といえます。発想力が欠けていると、過去の事例にとらわれてしまうこと、自分の考え方に固執してしまうことが起こります。
第三に、対応力です。対応力は、即応力と適応力からなります。即応力とは、すぐに対応できる力です。適応力とは、場に応じた対応ができる力です。対応力が欠けていると、タイミングを逸してしまうこと、空気を読めない行動をしてしまうことが起こります。
第四に、コミュニケーション力です。コミュニケーション力とは、認識力(聴く力)と表現力(話す力)からなります。コミュニケーション力が欠けていると、他人の考え方を十分にくみ取れないこと、自分の意図を他人に伝えられないことが起こります。(240~242ページから抜き書き)

(4) 内閣府国民生活局企画課『安全・安心で持続可能な未来のための社会的責任に関する研究会 報告書』内閣府、2008年5月
マルチステークホルダー・プロセス(Multi-stakeholder Process:MSP)とは、平等代表性を有する3主体以上のステークホルダー間における、意思決定、合意形成、もしくはそれに準ずる意思疎通のプロセスをいう。ここでいう平等代表性(equitable representation)とは、マルチステークホルダーにおけるあらゆるコミュニケーションにおいて、各ステークホルダーが平等に参加し、自らの意見を平等に表明できるということであり、また、相互に平等に説明責任を負うということである。(61ページから抜き書き)

マルチステークホルダー・プロセスが適する条件は次の3点である。
①参加主体間に、対話が不可能であるまでの対立が発生していないこと。
②取り扱われるテーマがある程度具体性を帯びているものであること。
③最終目的が参加主体間で共有され、かつ、対話を経ることにより目的が達成される合理的な可能性(reasonable probability)があること。(61ページ)

マルチステークホルダー・プロセスによって得られるメリットは次の5点である。
①対話や情報共有等を通じて、参加主体間に一定の信頼関係が醸成されるとともに、相互にとって最善の解決策を探ろうとする姿勢(win‐win attitude)が創出される。
②広範なステークホルダーが参画することによって、対話の成果である決定や合意等への幅広い正当性(Legitimacy)が得られる。
③各ステークホルダーが主体的に参画することにより、それぞれの主体的な取組が促される。
④単独の取組もしくは二者間の対話のみでは解決できない、もしくは、十分な効果が得られない問題が、3主体以上の関与によって解決可能になる。
⑤各ステークホルダーが自己利益のみを目指して行動した場合、結果として各主体の利益が損なわれるという“囚人のジレンマ”的な状況にある問題が解決可能になる。(62ページ)

まちづくりにおける合意形成については、以上のうちとりわけ「2」の「社会的合意形成」と「4」の「マルチステークホルダー・プロセス」の言説が注目されます。ここで、それとの関わりで、2、3の基本的事項について若干述べることにします。
「まちづくりにおける合意形成は、さまざまな人々の異なる思いを『つなぐ』過程の積み重ねである」(「1」158ページ)といわれます。合意をめざす社会的事象や意見、意思などの多様性を考えると、まちづくりにおける合意形成は、例えば、①どのような社会的事象や社会的課題をテーマにするのか、②ハードあるいはソフトを中心に考えるのか、両者を組み合わせた総合的なものをめざすのか、③地元の自治会・町内会から市町村全域に至るどのレベルの範域を対象にするのか、④参加主体を特定の利害関係者に限定するのか、一般市民まで広げるのか、等々によって合意の目標や内容、合意形成プロセスの進め方、合意形成のための方法や技術などが異なります。これが一点目です。
二点目は、まちづくりにおける合意形成では、「時間」と「空間」と「ヒト」のバランスを図ることが肝要となる、ということです。「時間」については、現在の課題や市民だけでの合意ではなく、将来の課題や市民のことを考える。「空間」については、自分の地域(地元)だけでの合意ではなく、他地域を含めた広域(市域、県域など)のことを考える。「ヒト」については、活動的な市民や有識者が主体となった合意ではなく、社会的弱者や無関心層などに十分配慮する、ことが大切になります(「3」151ページ、土木学会コンサルタント委員会合意形成研究小委員会『社会資本整備における市民合意形成』科学技術振興機構Webラーニングプラザ、2007年3月、5ページ参照)。
三点目は、合意形成を推進するためには、「3」が説くファシリテーターや参加主体に求められる“技術”や“能力”を有する「人材」をどのように育成・確保するかが重要な課題となる、ということです。その点に関して、例えば、学校教育においては、小・中学校国語科の「話すこと・聞くこと」領域で合意形成を図る(めざす)学習が取り組まれています。また、シティズンシップ教育においては、コミュニケーション力とともに合意形成力を育てる学習が重視されます。なお、「3」には、大学の授業や各種企業研修などにおいて使える「参加者の能力を高めるためのアクティビティ」(「スピーチアンドクエスチョン」「全員参加型ディベート」「ロジックゲーム」「ディスカッションバトル」「ロールプレイング会議」「ネゴシエーションゲーム」)が紹介されています(「3」242~260ページ)。
いずれにしろ、多数決による安易な合意ではなく、多様な参加主体が相互信頼に基づいて深く議論(熟議)し、適切な方法やプロセスを踏まえて「納得」する合意を積み重ね、自律的・主体的に行動することがまちづくりの真骨頂(本来の姿)です。

最後に、以上で紹介したことをベースに、若干の管見も含めて、「合意」「合意形成」「マルチステークホルダー・プロセス」の関係性を図示することにします(図1)。本稿のねらいは、資料紹介に併せて、この作図にあります。

NSP7月1日最終版

戦争を知らない世代、新たな「戦前」を思う―福祉と教育―

既に周知のことであるが‥‥‥

戦争は人間が行う低劣で醜悪な行為であり、国家権力による最大の人権侵害である。

国民の生命、自由及び幸福追求の権利は、真の平和の実現によってのみ保障される。

福祉と教育は、一人ひとりの人間が世界の平和をつくるための実践であり運動である。

そして、いま言うべきことは‥‥‥

福祉と教育は、ファシズムや軍国主義に加担した痛恨の過去を繰り返してはならない、

ということである。

市民自治とまちづくり―その立ち位置とプロセスを考える―

周知のように、1998(平成10)年12月に特定非営利活動促進法(NPО法)が施行された。2009(平成21)年9月には政権交代が実現し、民主党政権によって「新しい公共」政策の推進が図られた。これらを契機に、地方自治を取り巻く大きな潮流として「ガバメント(統治)からガバナンス(共治)へ」の転換が図られ、市民運動も「抵抗・告発型から参加・自治型へ」と変質する。それは、市民は統治客体意識から脱却し、政治や行政に主体的かつ自律的に参加することが要請されるようになったことを意味する。言い換えれば、市民は、市民自治によるまちづくりを実現するために、政治や行政と前向きな議論や納得できる調整を重ねて真の合意形成を図り、また相応の責任を引き受けることが求められることになる。
以上の点に関して、湯浅誠(社会活動家)がその論考「社会運動の立ち位置―議会制民主主義の危機において―」『世界』第828号、岩波書店、2012年3月、41~51ページで、次のように述べている。参考に供しておきたい。

「こっち側」(社会運動:阪野)の役割は課題を投込むまで、そこから先は「あっち側」(政治、行政:阪野)の仕事という役割区分を過度に固定化する思考は、自分は言いたいことを言うだけ、調整と妥協という汚れ仕事のコストは回避するという形で、「あっち側」への調整コストの押しつけ・丸投げに帰結する。当然ながら満足のいく結論は出てこず、それが結論への批判と「あっち側」への責任追及をもたらし、同度に「あっち側」の世界には関わらないほうがマシという調整の忌避に至る。(47ページ)

「主体的市民による社会運動」(中略)の内実および議会制民主主義との建設的緊張関係の中身については、永遠の課題として、これまでの研究および実践の蓄積に、これからも学び続けるしかない。少なくともそれは、「こっち側」と「あっち側」の役割区分を固定的に捉えるのではなく、政治的・社会的力関係の総体を視野に入れながら、社会的領域および政治的領域における調整過程に積極的に介入し、主権者として結果に対する責任を自覚し、何かを全否定したくなる衝動を抑えながら、地道に調整を積み重ねて相反する利害関係者との合意形成を図る市民だろう。(51ページ)

次の図は、「市民自治とまちづくり」の流れをまとめたものである。そこから、市民による「現状把握・分析」から政策・制度(「あっち側」)や実践・運動(「こっち側」)による「合意形成」、「課題解決」、そして「評価・見直し」に至る過程に積極的に介入し、市民自治によるまちづくりに主体的かつ自律的に取り組む市民をいかに育成・確保するかが当面の大きな課題となるといえよう。市民自治の実践は、それへの参加そのものが教育・訓練・啓発の要素や側面をもつのである。

見直し

以上のうち、「合意形成」(consensus building)とは、それぞれの“立場”や“利害”を超えて、多様な意見や考え方をまとめ、「納得」することをいう。そのためには、(1)信頼に基づく良好な人間関係を築く。(2)異質で多様な価値観の存在を認める。(3)公正で透明性の高い情報開示(共有)を行う。(4)社会科学的・批判的な思考力や論理的・合理的な判断力を養う。(5)適正な手続き(プロセス)を踏まえた協調的な「交渉」(negotiation)を重視する、ことなどが求められよう。また、対話や交渉を支援する方法としてファシリテーション(facilitation)やメディエーション(mediation:調停)の導入も必要となる。
いまひとつ、「責任の引き受け」(take responsibility)に関していえば、政治や行政において、選挙や議会に基づく権威主義的傾向や前例主義による保守的傾向があることは否定できない。それは、市民の、政治や行政への「依存」(無関心、無理解、非協力)を反映したものでもある。「まかせておけばいい」という依存は、「責任」を伴う対等・協働(共働)の関係ではない。市民自治の主体である市民には、そうであるがゆえに政治や行政に対して積極的かつ自律的に関わり、場合によって責任を追及することが求められる。併せて市民は、当然のことながら、相応の責任を引き受けることになる。「ガバナンス」のひとつの姿である。
付記しておきたい。


熱心なブログ読者から、「最近の政治状況に抗する“能力や覚悟”は十分に持ち合わせていないが、確かな市民自治と平和で安心なまちづくりを推進するためには、その主体である市民一人ひとりがコツコツと実践や運動を積み重ねていくことしかないのではないか」というメールをいただいた。本稿はそのご意見に対するものでもある。

「生活綴方教育と福祉教育」に関する研究への端緒:国分一太郎の1936年論文―資料紹介―

福祉教育の歴史は終戦直後から始まると捉えるのが通説である。しかし、それは戦前の福祉教育に関する歴史をふまえたものではない。戦前に関しては、更なる検討が必要とされる2つの説があるにすぎない。それは福祉教育の遡及的原点を大正デモクラシー期の新教育運動に見出す説と、地方改良運動に見出す説である。前者に関しては村上(1994)が、大正デモクラシー期の新教育運動の中でも、とりわけ「池袋児童の村小学校」の野村芳兵衛による生活教育や修身教育の実践を、福祉教育の遡及的原点として紹介している。後者に関しては、大橋(1997)が地方改良運動の諸実践の中には今日の福祉教育と同じような実践がみられると述べている。(三ツ石行宏「<解題>福祉教育史研究の課題と展望―阪野論文に導かれて―」日本福祉教育・ボランティア学習学会20周年記念リーディングス編集委員会編『福祉教育・ボランティア学習の新機軸~学際性と変革性~』大学図書出版、2014年10月、52ページ)

筆者(阪野)は、福祉教育の歴史研究に関して、1930年代の生活綴方教育の実践や運動のなかに今日の福祉教育実践の側面や要素が含まれていたのではないかという仮説を設定している。その実証的検討の端緒になるであろうと思われる論考に、太郎良信「国分一太郎による生活綴方教育批判の検討―1936年から1939年における―」『文教大学教育学部紀要』第45集、文教大学、2011年12月、21~38ページ、がある。
太郎良信(たろうら しん)はその論考で、国分一太郎(1911年3月~1985年2月)は、1930年以降1935年までは綴方(作文)を通して生活の現実に学ぶ教育実践(「生活勉強」)について説いていた。1936年から1939年にかけての時期には生活綴方教育批判の立場に転じ、また綴方教師たちに地域における啓蒙活動に取り組むことを呼びかけた、と述べる。その点を太郎良は、生活綴方教育批判を主題としていると考えられる国分の7本の論文を時系列に並べ、丁寧かつ深く分析・検討することによって明らかにしている。
1936年は、二・二六事件が発生した年である。それは、1929年10月に始まる世界恐慌をひとつの契機に経済的・政治的・社会的矛盾と混乱が深刻化するなかで、日本が軍国主義化・ファシズム化を進め、日中戦争(1937年7月勃発)と太平洋戦争(1941年12月勃発)への道を辿るターニングポイントとなった。1936年はまた、国分にとっても特筆されるべき年である。国分がその重要な担い手であった北方性教育運動(生活綴方教育運動)が衰退傾向を示し、その運動の拠点であった北方教育社(1929年6月、秋田市に創立)が同年8月に閉鎖に追い込まれている。それは、「視学などの圧力と、内部的な脆弱性」(津田道夫『国分一太郎―抵抗としての生活綴方運動―』社会評論社、2010年1月、150ページ)によるものであった。なお、1936年の前年1月に、国分がその中心的役割を果たした北日本国語教育連盟(秋田市)が正式発足し、8月には国分がその組織強化活動に関わった北海道綴方教育連盟(釧路市)が設立されている。
さて、本稿では、太郎良が紹介・検討する7本の論文のうちから、国分が「社会事業」に関心をもち、生活綴方教育と社会事業の関係や社会事業の教育的効果などについて言及する2本の論文(以下、「1936年論文」と記す。)の重要点を紹介する。それは、福祉教育の遡及的原点をどこに見出すかということだけではない。前述の三ツ石が指摘する福祉教育史研究のひとつの課題である「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続を検討する必要性」(『前掲書』54ページ)にどう応えるかという、その端緒を開くことになればという思いによる。それはまた、福祉教育史研究が手つかずの分野・領域の史資料を収集・分析・評価し、福祉教育像を豊かなものにすることを願ってのことである。

(1)国分一太郎「社会事業的文化事業的教師として」『日本文化と国民教育』第2巻第5号、東宛書房、1936年8月、74~79ページ
かうした困難なる生活を生きる子供をかゝへて青年教師は何とするか。或る人は歴史の秩序を信ずる事によつて、この現実の中に真実を、砂の中の砂金のかけら程でもいいからみつけさせて行かうと精神的になる。ある人はこの困惑は薬だといふ。この困難にまけぬやうな意志だけが大切だと説教する。乞食根性をもつなといふ。困難はやがて幸福のもとと出世美談みたいな真理を活用する。
ある青年教師は、子供とはそんな現実主義者ではない。夢の人だといつて、のびのびと、ゆるやかに魂と身を伸さうと賢明なことを言ふ。だがその子は家に帰ると、あまりにも多産な我が母のために、その弟妹をおばねばならぬ。そして背柱湾曲と統計表に計算される。
ありのまゝの現実を認識させる事だけが一番だ。あとは何も出来ないと言ふ。真実をかけ真実をみよといふ。見てどうするかと言へば答はない。あるとしても「真実のみが、未来をはらんでゐる」と深遠だ。あとはどうにもならぬとアナーキーになり、更に虚無におちいる。そこである若者どもは生活意欲をもたせようといふ。それには自分がもつ事だといふ。所が、その生活意欲とは何ぞやと質問をする先生が出る。生活意欲とは貧乏でなくなりたいといふだけものではないと答へられると、そんなら凶作の時に何故そんな事を叫び出したと叱る。もう一人はこんご、多分に空想的だと度々いふ。(76~77ページ)

そこで小学教師よ。青年教師よ。如何に生きんとするや――とせつぱつまつて来た。
曰く社会事業的教師とならん。曰く文化事業的教師とならん――とこの際答へたい。だが僕たち一人でそんな事をされるとは限らない自分の生活は困らぬから社会事業にしたがふといふわけにはいかないのが薄給中の薄給の青年教師だ。壮丁の検査成績がわるいとすぐ、保健省設置を提議できる陸軍とは何といふ羨しい熱心な存在だらう。我々教員は一番村に近くゐて、村の人々とも一番近い所にゐて、その子等の上にその人々の生活を知りつくしながら、医療国営一つ、生活安定一つの徹底をも、建議できない人間共である。漢字の存在や歴史的仮名遣ひが、如何に国民生活を不便にし子供を苦しめつゝありと知りながら、それが廃止の建議案をすら、直ちには出す事が出来ない。それをなし得る団結がほしい。
社会事業にしても、今の担当者は村の有力者や教育者の古手であつて、青年教師の手中にはない。だが、社会事業的出発のし方は大小とりまぜて色々ある。その小さい所からはじめて、日本の青年教師が手をつないで大きな社会事業をなし得る機会をまつことが大切ではないだらうか。託児所が論ぜられ、実践され、校外教育が再吟味され、地域中心の学校施設が問題とされ、生産学校が行はれはじめたのもみな、教育が社会事業の側にうごいて来た証明できる。紙芝居の教育的実践さへもがそれである。
社会事業には、解釈の浅さはあつても、行動の重要さをとらねばならぬ。よい社会事業は、よい社会改造を目標としてゐる筈だ、歴史がゆがめる社会事業があるにはあるにしても、それを駄目だと解釈して、貧しきものは貧しきまゝにして置いていい筈はない。文化の大衆への浸透、それもまたその不可能や困難をかこつより、よい文化合理化されたそれを、小刻みに与へて行く必要は十分にあるのだ。老年教師を啓蒙することもひとつだ。
じつとしてゐるよりは行動をした方がいい。行動は社会事業的な面が一番今のところ進歩的だとしたら、青年教師はそこへ行くだらう。それをきらつて、「生活を描け描け(くの字点:阪野)」とばかりいつてるのは、「貧しい事がなくなると、よい綴方が出なくなる」と心配する事の愚に等しい。
といつて、教室からとび出し、学校をはなれて、防貧や救貧事業にのり出せとか、保健衛生事業にでかろといふのではない。「純粋の情熱」や「きれいな知性」をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬのだ。
かういふ物の考へ方を先生がもつことがそもそも大事な生き方の精神となるのだ。僕らが育てた国民が大きくなつたら、すべての代議士が退職積立金法案には賛成を無条件にするように、農業保健法は立派に制定してくれるやうにとか、小作法はにぎりつぶさぬやうにとねがひたいならば、まことに気永な話ではあるが、社会政策的見地にたつ考へ方を国民に充満させねばならぬ。それの尖兵隊は社会事業家であらう。その尖兵の行動を見習ふこともなくして、意欲がどうの態度がどうの、リアリズムがどうのといつた所で、それが単なる精神的な「覚悟」に終らなかつたら御目出度うだ。
僕達青年教師は、小さい頃、人道主義的見知で育てられたらしい。その頃の青年教師に。だが真にヒユーマニストとして生きてゐる人間は何人ゐよう。前述の如く孤立して僅かに情熱をセンチと化するが落ちではないか。逆に封建的な精神で人間、子供を律しようとしてゐないとは言へぬ。
青年教師が、意欲をいひ、モーラルをいふ若さは悪いといはぬ。それはよい。だが現実とそれでは、まだまだ(くの字点:阪野)距離があるやうに出来てゐるといふ方が正直だ。その距離をうづめる手段も持たないでは困るのだ。
社会を愛し、文化を愛する青年教師の全日本的聯結が、それぞれの報告にもとづいて社会事業的、文化啓蒙的教育の行動形態を建設するの急務が叫ばれて欲しい。(77~79ページ-)

本論文は、当時25歳の国分が「青年訓導の立場から」書いたものである。
国分は、絶対的貧困にあえぎ、社会矛盾にさらされている東北農村の子どもたちの「現実生活」と、それに向き合う青年教師の状況を述べる。その際、「情熱と知性」を本質とする青年教師の教育実践(生活綴方教育)を、「自嘲的」「揶揄的」に描いている(太郎良「前掲論文」28ページ)。そのうえで、国分は、自分たちが育てられた「人道主義的見地」ではなく、「社会政策的見地」に立って、青年教師に「社会事業的教師」になるよう呼びかける。「『純粋の情熱』や『きれいな知性』をいだいて無為に過さんよりは、社会的な悪を憂い、物事を心がけの悪さからだと考へずに、社会の矛盾がなせる業だとなして活動しようとする、社会事業家の生き方のその態度を、青年教師こそ、色々の先生方の層に先んじてもたねばならぬ」。「よい社会改造を目標」とする「よい社会事業」の行動は、「一番今のところ進歩的」である、と国分はいう。しかし、その言説は、青年教師に対して「社会事業家の生き方のその態度」の必要性を説くにとどまっている。国分自身の社会事業的教師として、具体的な教育実践に裏づけられたものにはなっていない、といえよう。
なお、「教育が社会事業の側にうごいて来た証明」についての指摘は、「教育福祉」の視点を示すものとして留意しておきたい。

(2)国分一太郎「文壇的批評と教壇的批評」『教育・国語教育』第6巻第10号、厚生閣書店、1936年10月、152~157ページ
主観的なものを客観的なものへ、個人的なものを社会的なものへ生活の眼をひらかせるの道は、つねに「現実生活」の把握によつて「現実生活」で証明し、現実生活にとかしこんで導かねばならぬ。自然発生的な社会認識をもつた子供を科学的な社会認識に導くことも、生物的人間を社会的人間にひきあげることも、すべて「生活」によつて証明しつゝ、あるひは他教科の各面に於て心づかひつゝあるひは子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ。(156ページ)

人間教育とか、純粋感情の教育とか(情操陶冶)といふレツテルを張つてやつて来た綴方教育が、産業の発達による社会的情勢の変化によつて、漸次、より広範囲な生活教育として、その直接的な武器として、生活態度の陶冶と、生活技術の鍛錬とにまで進展したことによるともいへるであらう。そして社会事業の方が、概念的な小学教育よりは、より教育的感化をもたらすといはれる如く、概念的な知的学科や、観念的な情操教科に比して、より現実的な綴方の方が有意義なものとされ、それには昔さながらの文壇的ひとりよがりの指導よりは、より教壇的な協働生活関係としての、生活組織器関(ママ、機関:阪野)として役立つやうに吟味されるに至つたのである。(157ページ)

僕達の綴方も、あらゆる教科が、生活を証明材料として引つさげて来り、綴方の道をゆたかにしてくれる限りは喜んでむかへるであらう。それらによつて生活の知性がたかまり、生活が充実し、生活行動が真摯になるならば、綴方にとつて其れはこのましき限りである。
それよりも却つて、綴方が綴方の垣の中にとぢこもる如きは、その機能を衰微させる自己矛盾として、むしろ警戒するに価することなのである。貧しさを深刻にかいた綴方があつてくれるやうに、貧しさよ永遠に亡ぶ勿れ――等といふのは綴方の望む処ではない。貧しさのなくなるやうに、防貧事業や救貧事業が、あるひはもつと根本的な社会事業が、学校の周囲でどしどし(くの字点:阪野)と行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である。即ち、綴方の局外よ。他教科にとどまらず、学校全般、社会全般の批判も、どしどし(くの字点:阪野)と綴方の垣を越えて来てほしいのである。かくしてこそ、綴方はますます(くの字点:阪野)生活組織としての機能を発揮するに便利であらう。(157ページ)

本論文は、国分によると、「世代の綴方論」としては「消極的駄文」であり、「児童作品批評に於ける若干の解剖」を行う「警告的駄文」(153ページ)である。
国分は、子どもの綴方に対する教師の批評は、「文芸評論」の影響を受けて、優秀な、見本(サンプル)となる作品などをよしとする「文壇的批評」の傾向にある。そうではなく、個々の子どもの「現実生活」や生活認識などに留意した「教壇的批評」が重要である、と説く。加えて国分は、現実生活を客観的・社会的・科学的に把握させることが肝要であり、「子供達が村の社会的事業や、文化事業にかこまれてゐる事を自覚させ乍ら順次にわからせていかねばならぬ」という。
そして、国分は、生活綴方と社会事業の関係について言及する。国分にあっては、社会事業によって感化されたことを綴方(作文)に書くことは、現実生活から学び、生活行動に生かすことであり、概念的・観念的な教育に比して教育的であり有意義である。また、生活綴方は国語教育にとどまらず、学校教育や校外教育への広がりをもつことによって、子どもたちの社会事業への関心を促すことになる。すなわち、「社会事業が、学校の周囲でどしどしと行はれる事などは綴方にとつて慶賀すべき事である」。

以上の「1936年論文」において、国分は、生活綴方教育についてネガティブに論じている。その際、その論拠は必ずしも明確であるとはいえない。また、社会事業による教育・啓蒙とその教育的効果への関心と期待を示している。その際の社会事業の言辞については、観念的・抽象的なものにとどまっている。とはいえ、当時、国分は、生活綴方教育の実践や運動において指導的役割を担っていた。そういうなかで、国分の社会事業に関する関心や発言は、青年教師(綴方教師)たちにどのような影響を与え、どのような取り組みを生み出したのか。その前提として、国分がよしとする綴方教師としての「教師像」はどのようなもので、どのような特質をもつものであったか。今後の研究課題とすべきところである。
太郎良は、前掲の論考で、「視学等から監視や干渉を受けて、つねに弾圧をおそれていた」国分にあっては、生活綴方教育批判は「視学等の心証を良くするためのものであった可能性がある」(36ページ)という。そうだとすれば、国分の社会事業への関心は単に、そのためのものであったのか。そうではなく、ファシズムの常態である公権力による教育の支配・統制が強化されるなかで、それに対抗する教育実践として、「社会改造」を目標とする社会事業に期待したのか。興味のあるところである。
なお、国分は、1938年3月に教職を免ぜられた。1941年10月には、左翼的傾向をもつ北方性教育運動(「抵抗としての生活綴方運動」)の関係で警察に逮捕されている。また、1938年1月に健民健兵政策を推進するために厚生省が創設され、同年4月には人的・物的資源を統制運用するために国家総動員法が公布、5月に施行された。それを契機に、社会事業は戦時厚生事業へと変質し、戦時体制の枠組みに組み込まれていく。
いずれにしろ、国分が社会事業の教育的効果に関心を示したことについては、個人的にも時代的にも厳しい状況に追い込まれていったこととの歴史的文脈・関係性のなかで考究する必要があろう。国分は、1943年7月に判決が下される過程で「転向」を余儀なくされている。国分の社会事業への関心とその呼びかけは、生活綴方教育批判を行うなかでの、「抵抗」「転向」あるいは「偽装転向」としてのそれであったのか。綴方教師たちはその点をどのように受け止め、どのような社会事業的な教育実践に取り組んだのか。それとも、綴方教師に対する弾圧が強まるなかで、取り組むことができなかったのか。あるいは、教育現場の綴方教師たちは、国分の呼びかけに対して端(はな)から一顧だにしなかったのか。それらを歴史的・実証的に明らかにすることが求められよう。
周知のように、敗戦後の生活綴方教育は、1950年7月の「日本綴方の会」(1951年9月「日本作文の会」と改称)の発足や、国分の『新しい綴方教室』(日本評論社、1951年2月)、無着成恭の『山びこ学校』(青銅社、1951年3月)等の刊行などを契機に復活・興隆する。そして、1950年代前半にひとつの頂点を迎える。それは、戦後の新しい教育(教育の民主化)のなかで、戦前の生活綴方教育を継承・発展させようとするものであったと評される。そこでは、貧困からの脱出が最重要課題とされたが、具体的に「現実生活」がどのように把握され、「生活教育」がどのように規定されていったのか。綴方教師によって「社会事業的」な教育実践は展開されたのか。「戦前と戦後の福祉教育史の連続・不連続」に関する研究課題のひとつである。

日本はいま、戦時中の社会体制への回帰が加速し、“政治”と“教育”は「危機」状況にある。戦時体制下において、綴方教師たちによる社会事業的な教育実践は、戦時厚生事業に再編されていった社会事業と軌を一にして、戦争に協力することになったのであろうか。そうだとすれば、同じ轍を踏まないためにも、こんにちの福祉教育(市民福祉教育)のあり方は厳しく問われる必要がある。あえて付記しておきたい。


軍国主義ファシズム最頂期の1940(昭和15)年には、「治安維持法」(1925年4月公布、5月施行)によって全国で300人を超える生活綴方教育運動の指導的立場にあった教師たちが検挙・投獄され、弾圧された(乙訓稔「国分一太郎の生活綴方教育の理念」『実践女子大学生活科学部紀要』第50号、実践女子大学、2013年3月、52ページ)。

補遺
周知のように、1937年5月に「教育科学研究会」を結成した城戸幡太郎と留岡清男は、雑誌『教育』(第5巻第10号、岩波書店、1937年10月)において生活綴方教育批判を行った(1938年生活教育論争の発端)。「綴方教育は児童の生活を理解し、生活態度を自覚せしむることはできるが、彼等の生活力を涵養することはできぬ。彼等の生活力を涵養するには彼等の生活問題を解決することのできる生活方法を教へねばならぬ」(城戸幡太郎「生活学校巡礼」48ページ)。「生活主義の綴方教育は、畢竟、綴方教師の鑑賞に始まつて感傷に終るに過ぎない」(留岡清男「酪聯と酪農義塾」60ページ)、がそれである。こうした手厳しい批判に対して、「社会事業的教師」(綴方教師)たちはどのように反応し、どのような新しい教育課題を見出し、またどのような教育実践を展開したのか。こんにちの福祉教育実践にも通じるであろう点として、興味深いところである。(畢竟<ひっきょう>⇒つまるところ、要するに。)

謝辞
本稿を草するにあたっては、文教大学教育学部教授の太郎良信先生に格別のご高配を賜った。ネット検索でも全くヒットしない雑誌『日本文化と国民教育』に掲載されている国分の「1936年論文」については、先生が私蔵されているものをコピーしご送付いただいた。感謝あるのみです。

「現実」と「生活綴方教育」の “いま” を問う―ある若い知人へのメモランダム―

第一次世界大戦後、社会的・経済的混乱や国民生活の疲弊が深刻化するなかで、1930年代に生活綴方教育実践や教育運動が興隆しました。その実践や運動のなかに、福祉教育実践のひとつの側面や要素を見出すことができるのではないか。そんな考え(仮説の設定)のもとに、「生活綴方教育」に少なからぬ関心をもっています。
先日、佐竹直子さんの『獄中メモは問う―作文教育が罪にされた時代―』を読み、北海道綴方教育連盟事件や「治安維持法と綴方教育」への関心を高め、理解を深めることの重大さを再認識しました。
特定秘密保護法の施行をはじめ集団的自衛権の拡大解釈と行使容認、地方自治の精神や原則を無視した国政の専断、そしてメディアへの強圧的な対応や報道への介入等々が進められるなかで、佐竹さんは、「国を挙げて戦争へと突き進み治安維持法に国民が弾圧された時代を、まるで現代が追いかけて再現しているように思えてならない」と述べています。強く同感するところです。北海道綴方教育連盟事件は、「遠い過去の出来事」といい切れず、「歴史は繰り返される」ようです。“不安”を超えて“恐怖”すら覚えます。
生活綴方は、子どもが「現実」の生活と向き合い、その生活について、またその生活を通して感じたり、思ったり、考えたりしたことをありのままに書くことから始まります。それは、子どもを概念的な見方や考え方から解放し、子どもが自分自身と自分を取り巻く地域・社会を見つめ、子どもの豊かな人間性や社会性を育むための教育営為です。そこでは、教師の専門性とそれを裏付ける人間性や価値観が厳しく問われることになります。
そう考えたとき、子どもが向き合う“ナマ”の生活の「現実」をどのように捉えるかが重要な問題として浮上します。
「現実」は、形成され与えられたものであると同時に、常に新しく作り出されていくものです。既成事実として認識されているからといって、その現実を無批判的・盲目的(盲従的)に是認し、受け入れることは避けるべきです。
「現実」は、多様な要因によって構成されており、その要因は複雑に絡み合っています。現実は多様性と多次元性(多層性)を有しており、現実のひとつの側面だけが強調されることがあってはなりません。
「現実」は、その時々の支配権力が選択する方向に沿って形成されます。それに対して、反対派が選択する方向は「観念的」「非現実的」と考えられがちですが、現実を変えるためには、科学的で批判的、自由で民主的な思考や態度・行動が不可欠です。
「現実」についてのこうした考えは、60年以上も前に政治学者の丸山眞男が説いたところによるものです(引用と援用)。詳細は原典に譲ります。いずれにしろ、こんにちの政治的・社会的状況は、極めて憂慮すべき“危機”事態にあるといわざるを得ません。そういうなかで生活綴方教育(作文教育)のあり方を問うとき、「現実」の概念やその特徴について十分に留意したいものです。それはまた、日常的で具体的な地域・社会生活の「現実」と“向かい合い”、地域づくりのための主体形成(成熟した市民の育成)を図る福祉教育(市民福祉教育)にも通じることです。
今回、書きとめたいことは、いま、地域・社会生活の「現実」と向かい合う生活綴方教育(すなわち市民福祉教育)のあり方を厳しく問い、「作文教育が罪にされた時代」を二度とつくらない決意をする必要がある、ということです。


(1) 「叩く。ける。座らせる。おどかす。そのうちに自分も妙な気持になり、『赤く』なっていた」/戦時下に、作文指導に励んだ北海道の教員が次々と治安維持法違反容疑で逮捕された「北海道綴方教育連盟事件」。2013年に見つかった元教員の「獄中メモ」を手がかりに、事件の実像に迫ったルポ。70年余りの時を経て現代に問いかけるものとは―。(佐竹直子『獄中メモは問う―作文教育が罪にされた時代―』北海道新聞社(道新選書47)、2014年12月、帯より)
(2) 北海道綴方教育連盟事件:1940年(昭和15年)11月~翌年4月に、日常生活をありのまま書く綴方教育に取り組んでいた道内の教員らが、「貧困などの課題を与えて児童に資本主義社会の矛盾を自覚させ、階級意識を醸成した」などとして逮捕された弾圧事件。逮捕者は旧内務省「特高月報」によると56人、旧文部省「思想情報」では75人。12人が起訴され、11人が起訴猶予付き懲役刑が確定(1人は公判前に死亡)。後に初代の民選札幌市長となる故高田冨与弁護士が弁護人を務めた。旭川市出身の作家、故三浦綾子さんの長編小説「銃口」の題材になった。/治安維持法:「国体」の変革、私有財産制度の否認を目的とする結社や行動を処罰するため1925年(大正14年)に制定。当初は共産党や革命的労働・農民運動の取り締まりを目的としたが、適用範囲は拡大され、思想・信条や言論の自由を弾圧し、国民生活の監視に猛威を振るった。45年10月に廃止。旧司法省のまとめでは逮捕者は計約7万5千人だが、実際にはこの数倍から数十倍に上ると指摘されている。(「北海道新聞」2013年11月17日朝刊)
(3) 丸山眞男「『現実』主義の陥穽―或る編輯者への手紙―」『世界』第77号、岩波書店、1952年5月、122~130ページ。(陥穽<かんせい>⇒落とし穴、策略。)