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「事例紹介」の罠:「失敗事例」から学ぶことの重要性―畑村洋太郎著『失敗学のすすめ』再読メモ―

〇「アクティブ・ラーニング」(Active learning)の推進が国の教育政策の重要課題となっています。それはいま、批判的な論及がほとんどないまま、流行(はや)りや大騒ぎ(空騒ぎ)になっている感すらあります。
〇アクティブ・ラーニングは、「課題の発見・解決に向けた主体的・協働的な学び」「能動的学修」などと言われる学習形態(学習・指導方法)です。大学教育ではその質的転換に向けた方策として既に導入され推進が図られていますが、小・中・高等学校でも学習指導要領の改訂を経て、2020年度から順次取り入れられます。そういうなかで、福祉教育に関わる実践者や研究者にあっては、その是非の評価は別にして、関心事のひとつになっています。そして今後、福祉教育におけるアクティブ・ラーニングの「事例紹介」や、教材やプログラムなどの研究・開発が進められることになると思われます。
〇小・中・高等学校へのアクティブ・ラーニングの導入については、(1)能動的な学習への参加をはじめ体験活動や「言語活動の充実」(現行学習指導要領)などの「教育内容の改善」に新規性がない、(2)「教科等の目標や大まかな教育内容」(教育課程の基準)の規定を超えて、国家権力による「教育方法」への関与の拡大・強化が図られる、などと評することができます。また、(3)「生きる力」「ゆとり教育」の焼き直しであり、同じ轍を踏まないという保証はない、(4)体系的な知識の学習が軽視されるいわゆる「はいまわる経験主義」に陥らないとも限らない、(5)能動的学修についての教師や生徒の認識や姿勢・能力、学校や地域の支援体制に問題(不備、不足)があり、形骸化する恐れなしとしない。さらに、(6)生徒(学習者)の「能動性」(activity)や「能動的であること」(activeness)、学習を促進する「主体性」や「当事者意識」(責任意識に通じる)などの重要概念の定義や説明が未だ不十分である、(7)生徒の能動性や協働性などを客観的に評価することは難しく、「学修成果」を多元的・多角的に評価するための項目や基準、方法(「パフォーマンス評価」〈注①〉等)などについての研究・開発が進んでいない、などを指摘することもできます。
〇これらについての検討は別の機会に譲るとして、本稿では、「事例紹介」特に「失敗事例」の紹介に関してひとつの言説をメモることにします。そのねらいは、福祉教育におけるアクティブ・ラーニングの実践事例の紹介やプログラムの提案のあり方について考える際の視点や留意点などを理解することにあります。
〇周知の通り、福祉教育に関してはこれまで、多くの実践事例が収集・紹介され、その分析・検討を通して経験の知識化や実践の理論化が進められてきました。その際、その事例の多くはいわゆる「成功事例」であり、その裏(陰)に存在する多様な「失敗事例」については無関心だったり軽視したりする傾向がありました。
〇確かに成功事例の分析・検討は、成功の要因や条件、法則などの抽出を通して、成功の再現を促します。ただ、過去の成功事例を単になぞるだけでは、いわゆる先行事例の後追いに過ぎず、実践のマニュアル化や定型化を進めることになります。それはまた、実践者や研究者の思考停止を招きかねません。失敗事例の分析・検討については、失敗の防止や回避を図るためだけではなく、新たな成功を生み出すための積極性や探求性が求められます。「成功の鍵」は成功事例のなかにあります。また、「失敗は成功のもと」という格言があります。成功事例とともに、失敗事例も重要視する必要があります。
〇筆者(阪野)の手もとに、「失敗学」の提唱者である畑村洋太郎の本が4冊あります。
(1)畑村洋太郎『失敗学のすすめ』講談社、2000年11月(以下、[1]と略す)。
(2)畑村洋太郎『図解雑学 失敗学』ナツメ社、2006年8月(以下、[2]と略す)。
(3)畑村洋太郎『決定版 失敗学の法則』文藝春秋、2002年5月。
(4)畑村洋太郎『「想定外」を想定せよ!―失敗学からの提言―』NHK出版、2011年8月、
がそれです。以下に、15年以上も前に書かれた本ですが、「強烈なメッセージを日本社会に与えた歴史的書物である点において、本書は名著である」(educate.co.jp|失敗学のすすめ)と評される[1]と、それをわかりやすく解説した[2]から畑村の言説の要点を引用・抜き書きすることにします。

◆「失敗学」における「失敗」
失敗学では、「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」を失敗と呼ぶことにします。別の表現を使えば、「人間が関わってひとつの行為を行ったとき、望ましくない、予期せぬ結果が生じること」とすることもできます。「人間が関わっている」と「望ましくない結果」のふたつがキーワードです。([1]21~22ページ)

◆「失敗学」における基本的姿勢
「失敗学」における基本的姿勢は、私たちの身近で繰り返される失敗を否定的にとらえるのではなく、むしろプラス面に着目してこれを有効利用しようという点にあります。
つまり、失敗の特性を理解し、不必要な失敗を繰り返さないとともに、失敗からその人を成長させる新たな知識を学ぼうというのが「失敗学」の趣旨なのです。別のいい方をすれば、マイナスイメージがつきまとう失敗を忌み嫌わずに直視することで、失敗を新たな創造というプラス方向に転じさせて活用しようというのが「失敗学」の目指すべき姿です。([1]23~24ページ)

◆失敗体験による応用力の育成
吸収した知識を本当に身につけるためには、体感・実感がともなった体験学習が必要で、失敗することを厭(いと)わず、失敗体験を積極的に活用する必要があります。
これは、子どもの教育全般などにもそのままいえます。「こうすれば失敗しない、こうすれば成功する」「これはダメ、あれはダメ」という教育方法では、やはり知識の表面的な理解しかできません。そこに欠落している深い理解なしには応用力は身につかないのです。無駄を省いた合理的学習法は好んで使われているものの、その弱点についてあらためて考え直す必要があります。([1]26~27ページ)

◆失敗の現れ方と原因の階層性
まわりに与える影響の大小などを考慮すると、ひとつの失敗の原因はいくつもの要因が重なっており、それらの要因には階層性があります。図1は、失敗の現われ方の階層性と同時に、失敗原因にも同じような階層性があることを表しています。
ピラミッドの一番底辺にあるのは、日常的に繰り返されているごく小さな失敗の原因です。無知、不注意、不順守、誤判断、検討不足という言葉が並んでいますが、要するに手順ミスや思いちがいなど、失敗者個人に責任があるケースです。
実際の失敗は、ひとつの要因だけで起こることはほとんどなく、いくつかの要因が複雑に絡んで人々にとって好ましくない形で現れるのです。
図1の中間から上に向かって存在する失敗原因には、組織運営不良、企業経営不良、行政・政治の怠慢、社会システム不適合、未知への遭遇などがあります。ピラミッドの底辺は個人の責任に帰すべきものですが、上へいけばいくほど失敗原因は社会性を帯びてきます。また同時に失敗の規模、与える影響も大きくなります。([1]52~53ページ、[2]18~19ページ)
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◆「よい失敗」と「悪い失敗」
失敗には、「許される失敗」と、「許されない失敗」があります。それは、「よい失敗」と「悪い失敗」という言葉に置き換えることができます。
失敗の階層図の中で、ピラミッドの頂点にある未知への遭遇という部分だけが下から切り離されています。「よい失敗」は、この未知への遭遇の中に含まれるもので、細心の注意を払って対処しようにも防ぎようのない失敗を指します。([1]55ページ)
もうひとつの「よい失敗」は、「個人にとっての未知」への遭遇です。個人が成長する過程で必ず通らなければならない、あるいは体験しておいたほうが後々のためになるという失敗です。([2]20ページ)
人間の成長は、失敗なしに語ることはできません。成長の陰には必ず小さな失敗経験があり、これを繰り返しながらひとつひとつの経験を知識として自分のものにしていきます。さらに小さな失敗から得た知識が次の大きな失敗を起こさないための軌道修正の働きをし、さらには次の成功へと転化していきます。([1]56ページ)
「悪い失敗」は、いわゆる不注意や誤判断などの単純ミスが原因で何度も繰り返される失敗です。無意味に被害を大きくして自分やまわりに多大な迷惑をかけるのが常です。そのようなことを繰り返しているうちに、いたずらに失敗を重ねる悪癖を身につけることにもなりかねません。([2]20ページ)
また失敗の階層図でいえば、中層以上の組織不良から社会システムの不適合までのものは、いずれも「悪い失敗」といえます。([1]58ページ)

◆失敗原因の分類
失敗の原因を分類すると、次の10の項目に大別することができます。
(1)無知―失敗の予防策や解決法が世の中にすでに知られているにもかかわらず、本人の不勉強によって起こす失敗です。
(2)不注意―十分注意していれば問題がないのに、これを怠ったがために起こってしまう失敗です。
(3)手順の不順守―決められた約束事を守らなかったために起こる失敗です。
(4)誤判断―状況を正しくとらえなかったり、状況は正しくとらえたものの判断のまちがいをおかしたりすることから起こる失敗です。
(5)調査・検討の不足―判断する人が、当然知っていなければならない知識や情報を持っていないために起きる失敗や、十分な検討を行わないために生じる失敗です。
(6)制約条件の変化―なにかをつくり出したり、あるいは企画するとき、必ずあらかじめある種の制約条件を想定してことを始めます。そのとき、はじめに想定した制約条件が時間の経過とともに変わり、そのために思ってもみなかった形で起こる失敗です。
(7)企画不良―企画ないし、計画そのものに問題がある失敗です。
(8)価値観不良―自分ないし自分の組織の価値観が、まわりと食いちがっているときに起きる失敗です。
(9)組織運営不良―組織自体が、きちんと物事を進めるだけの能力を有していないために起きる失敗です。
(10)未知―世の中の誰もが、その現象とそれにいたる原因を知らないために起こる失敗です。([1]59~64ページ、[2]26~31ページ)

◆失敗情報の性質
ある失敗を次の失敗の防止や成功の種(たね)に結びつけるには、失敗が起きるにいたった原因や経過などを正しく分析した上で知識化して、誰もが使える知識として第三者に情報伝達することが重要なポイントになります。他人の失敗のみならず、自分の失敗体験から何かを学ぶときにもそのままいえることで、失敗情報を知識化することは、いわば「失敗学」の大きな柱のひとつです。
ところが、困ったことに、失敗情報には知識化を阻害する様々な性質があります。([1]78ページ)
(1)失敗情報は伝わりにくく、時間が経つと減衰する
失敗はマイナスのイメージの側面が強いため、失敗情報は時間の経過につれ、または関係部署などいくつかの経路を通って伝達するごとに、急激に減衰する。([2]46ページ)
(2)失敗情報は隠れたがる
人間の心理として、失敗はつい隠したくなるもので、失敗情報は人に知られたり表に出たりすることを極端に嫌う。
(3)失敗情報は単純化したがる
失敗情報が伝達経路をたどっていくとき、その経過や原因がひとつやふたつのフレーズに集約され、極めて単純な形でしか伝わらない。
(4)失敗原因は変わりたがる
失敗が構造的・組織的なものであっても、個人のミスとして問題を収めようとしたり、それに関わる人たちの利害によって失敗情報が意図的に歪曲化されることがある。
(5)失敗は神話化しやすい
悲劇的な物語性のある失敗情報は、一面的な見方に偏ってしまい、神話化して多くの人に伝わる傾向にある。
(6)失敗情報はローカル化しやすい
ひとつの場所で起こった失敗は、ほかの場所へは容易に伝わらない。それとほぼ同じ原理で、失敗情報は組織内の横方向にも縦(上下)方向にも伝わりにくい。([1]79~93ページ、[2]46~53ページ)

◆主観的失敗情報と客観的失敗情報
他人の失敗に学び、そこから新しいなにかを生み出そうと考えたときに、まず人が知りたいのは、誰に責任があったかということより、失敗したその人がどんなことを考え、どんな気持ちでいたかという、第一人称で語られる生々しい話です。ときとして、この中には外部の人からはうかがい知ることのできない真の失敗原因が隠されていることもあります。だから当事者に自由な気持ちで失敗を語らせることは、失敗情報を伝える上でたいへん重要なポイントになります。([1]94~95ページ)
客観的な情報は、一見すると優れたものに見えますが、経験者と同じ立場の人が見ても、残念ながらそこから新しい何かを生み出すまでにはいたりません。 
いわゆる事件や事故の報告書は、多くの場合、客観的な立場で全体を見ることができる第三者によって作成されます。そのせいか、どこか批判めいた論調であったり、糾弾するような調子になりがちです。ときには、当事者にその記述が委ねられるケースがあるものの、その際は「客観性」という名のもとで無味乾燥なものになりがちです。([1]97ページ)

◆失敗情報の伝達
ひとつの失敗から教訓を学び、これを未来の失敗防止に生かしたり創造の種(たね)にしたりするには、ひとつには失敗を事象から総括まで脈絡をつけて記述すること、もうひとつは失敗を「知識化」する作業が必要です。知識化とは、起こってしまった失敗を自分および他人が将来使える知識にまとめることで、失敗情報の正しい伝達には不可欠なことがらです。([1]98ページ)
失敗を知識化するための出発点となる「記述」は、文字どおり失敗経験を記述するという意味です。そのとき、「事象」「経過」「原因(推定原因)」「対処」「総括」などの項目ごとに書き表すと、問題が整理されて失敗の中身もクリアになります。([1]100ページ)
「事象」は、どんな失敗が起こったか、それがどのように表に現れたかを記述する。「経過」は、どのように失敗が時間の経過とともに進行したのか、ポイントになる部分をできるだけ詳しく記述する。「原因」は、失敗を起こしたその時点で考えついた推定原因を記述する。後で真の原因が明らかになった場合は追記する。「対処」は、失敗に際してどんなことをしたかという対処(応急措置)について記述する。失敗が発生する以前に行った対処(措置)もあれば記述する。「総括」は、その失敗がどんな内容のものだったかを記述する。失敗の直接の原因だけでなく、その失敗を誘発する組織としての問題点、あるいは精神的問題など、全体を総括しなければわからないものをあぶり出し、記述する。
そして、「知識化」は、失敗を分析・検討した結果、その失敗からなにを学ぶのかを抽出し、今後に繰り返さないための知識や教訓について記述する。
なお、失敗から何かを学ぼうとする人、いいかえればこの記述を読む人にとってみれば、以上の6項目のほかに、その事象が起こった全体の「背景」(失敗発生の間接的な要因となった各種背景について記述する)が知りたくなることが多々起こります。([1]101~112ページ、[2]56~61ページ)

〇畑村の言説でとりわけ注目したいのは、「失敗の階層性」と失敗「経験の知識化」です。これは「成功」にも通底する考え方です。また、「事例」は、実施時の事象や状況をイメージ化することができますが、成功の実践事例といえどもそれが紹介された分だけ鮮度は落ちてしまいます。実践のマニュアル化や形骸化を生まない“真の成功”のためには、失敗事例を積極的に取り上げ、失敗と真正面から向き合い、失敗に学び失敗を活かすことが肝要となります。「失敗は成功の母」(エディソン)「失敗こそが創造を生む」(畑村)。福祉教育の「事例紹介」に関して、本稿で強調したいのはこの点です。

注
①「パフォーマンス評価」とは、一般的には、習得した知識や技能(スキル)を使いこなす(活用・応用・総合する)能力を評価することであり、学習成果をレポートの作成や口頭発表、身体表現などによって「見える化」し、その「作品(パフォーマンス)」に基づいて思考力・判断力・表現力などについて評価する方法である、と言えます。
パフォーマンス評価については、現行の『小・中・高等学校学習指導要領解説 総合的な学習の時間編』(文部科学省、2008年6月、2008年7月、2009年7月)でもふれられています。また、中央教育審議会教育課程部会が「児童生徒の学習評価の在り方について(報告)」(2010 年3 月24 日)において、「評価規準や評価方法については,近年諸外国においても様々な研究や取組が行われて(いる)」として、次のように言及(脚注)しています。
「思考力・判断力・表現力等を評価するに当たって,『パフォーマンス評価』に取り組んでいる例も見られる。パフォーマンス評価とは,様々な学習活動の部分的な評価や実技の評価をするという単純なものから,レポートの作成や口頭発表等により評価するという複雑なものまでを意味している。または,それら筆記と実演を組み合わせたプロジェクトを通じて評価を行うことを指す場合もある。」

付記
アクティブ・ラーニングの失敗事例に関して、中部地域大学グループ・東海Aチーム編『アクティブラーニング失敗事例ハンドブック~産業界ニーズ事業・成果報告~』一粒書房、2014年11月、があります。付記しておきます。
下の図は、アクティブ・ラーニングの失敗事例調査に基づく「アクティブ・ラーニング失敗原因マンダラ」(『同報告』5~6ページ)です。
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社会参加とサービス・ラーニング―唐木清志著『子どもの社会参加と社会科教育』再読―

あらゆるものは相関連していて しかもそのひとつひとつは独自性を失わないで、各々その位置にある

〇筆者(阪野)は先月、愛知県知多郡美浜町にある杉本美術館を訪ね、杉本健吉画伯(1905年~2004年)の芸術の世界を楽しんだ。そこで出会ったのが、上記の、ウォルト・ホイットマン(1819年~1892年、アメリカの詩人)の「奇蹟」の一節である(注①)。そこには、あらゆる「ヒト」や「モノ」の存在や共生について思いを致す時空があった。“深奥”である。
〇先日、あるブログ読者から、「社会参加とサービス・ラーニング」について考える際の基礎的・基本的な資料を紹介してもらいたい旨の依頼が寄せられた。そのテーマに関する資料で筆者がまず思い出すのは、唐木清志先生(筑波大学)の次の文献である。唐木先生は、「社会科教育の理論と方法」を専門とするが、アメリカの「サービス・ラーニング(Service Learning」(以下、「SL」と略す。)の概念や理論を日本に広めたことでも知られる、SL研究の第一人者である。

(1)唐木清志著『子どもの社会参加と社会科教育―日本型サービス・ラーニングの構想―』東洋館出版社、2008年11月
(2)唐木清志著『アメリカ公民教育におけるサービス・ラーニング』東信堂、2010年2月
(3)小島弘道監修/唐木清志・西村公孝・藤原孝章著『社会参画と社会科教育の創造』学文社、2010年10月
(4)唐木清志・岡田泰孝・杉浦真理・川中大輔監修/日本シティズンシップ教育フォーラム編『シティズンシップ教育で創る学校の未来』東洋館出版社、2015年3月

〇ここでは、必読書である文献(1)から、唐木先生の「社会参加」と「SL」についての論点や言説の一部を紹介(引用、抜き書き)することにする。その詳細は原典にあたっていただきたい。

◆社会科の本質としての社会参加
これからの教育改革の進むべき方向性は、社会の形成に参画できる市民を育成するために、子どもの学びの場を教室から社会へと広げ、さまざまな意思決定の場に参加できる機会を子どもに保障していくことが必要である。(25ページ)

社会科教育とは市民の教育を意味し、協力して社会の共同福祉を実現できる人間の育成こそを目指すべきである。それを見失った社会科は、もはや社会科とは言えない。
社会科の教師として、公民的資質(注②)の中核に社会参加を位置付けておくことは重要である。そのような理解に基づくことで、教師は、自らが計画・実践した社会科授業が子どもたちの「よりよい社会の形成に参画する資質や能力」の育成に有効であったかどうかを点検することができる。(32~33ページ)

「社会参加」を社会科の方法として利用することは重要である。社会参加を社会科の方法として捉えることの意義は二つある。
一つ目は、社会参加することによって得られる社会的有用感は、社会の一員としての自覚を深めるのに必要不可欠であるということである。ここでは社会的有用感を「個人の社会参加活動が社会のさまざまな意思決定に影響を及ぼすことができるという感覚」と捉えておきたい。
二つ目は、社会認識の質は社会参加という具体的な経験を通してさらに高められるということである。社会認識とは、何よりも社会的事象を知ることを意味する。社会的事象を正確に知ることが社会認識の第一歩であるということに異論を挟みこむ余地はない。(33~34ページ)

◆日本型サービス・ラーニングとその必要条件
SLを「地域社会の課題解決を目指した社会的活動(サービス活動)に子どもを積極的に関与させ、子どもの市民性(シティズンシップ)を発達させることをねらいとした一つの教育方法」と捉えることにする。(51ページ)

カーネとウェストハイマー(Josepf kahne & Joel Westheimer)は、数多く存在するSL実践には、「慈善(Charity)」を志向したものと「変革(Change)」を志向したものの二つがあることを主張する。
慈善を志向するSL実践では、子どものサービス活動を慈善活動と捉え、子どもの態度形成に力点が置かれている。一方、変革を志向するSLでは、子どものサービス活動を変革活動と捉え、子どもの批判的思考力の育成と変革活動に必要な諸技能の習得に力点が置かれている。どちらも価値のある実践であるが、本書では後者の「変革を志向するSL」こそが、市民性(シティズンシップ)の育成を目指す教育として、SLでは特に大切にされるべきだと考える。(60~61ページ)

SLは政治教育的な性格を有する教育方法でもある。この背景には、アメリカではSLを市民育成のための教育として理解していることがある。このことは、日本にSLを導入する際には、SLの可能性として考慮すべき視点でもある。SLを慈善活動(ボランティア活動)を中心とした「心の教育」の道具として用い、福祉施設への訪問や清掃活動だけで終わらせるのは非常に残念な話である。SLを通じて、子どもたちをどのような市民に育て上げることができるのか。社会科教育では、そのことを中心的に論じていく必要がある。(62ページ)

(アメリカのSLをそのままのかたちで日本の社会科教育や学校教育に導入することはできない。)「日本型サービス・ラーニング」を誕生(成立)させるには、アメリカのSLの性格を生かし、日本の社会的・教育的文脈を考慮しながら、次の五つの必要条件が必要である。
(1)地域社会の課題を教材化すること
SLでは、地域社会の課題を「地域社会のニーズ」という言葉で表現する。そこには、SLで取り上げる地域社会の課題は地域社会の住民の多くが早急な解決を強く望んでいる課題でなければならない、という意思が働いている。
社会科で取り上げる課題は、教科書の中ではなく、地域社会の中に存在する。その認識なくして、SLはスタートできないだろう。また、そのような認識を深めるためには、まずは教員自らが地域社会へ足を運び、地域社会を知り、地域社会の課題を追究していく必要がある。
なお、地域社会の課題は「教育」「犯罪と安全」「健康と福祉」「環境」「まちづくり」に分類される。
(2)プロジェクト型の学習を組織すること
地域社会の課題が見つかったら、その教材研究を進めながらも、次の段階として単元開発をしなければならない。
日本型SLの単元は、子どもの学習活動がプロジェクト型となるように開発される必要がある。
日本型SLにおいては、「Ⅰ.問題把握」→「Ⅱ.問題分析」→「Ⅲ.意思決定」→「Ⅳ.提案・参加」の四段階を子どもが辿(たど)ることができるよう、教師は授業を組織していかなければならない。Ⅰの段階では、事態の深刻さの理解と課題解決意欲の喚起、Ⅱの段階では、問題の状況・実態の理解と原因の追究、Ⅲの段階では、課題解決方法の有効性や実施されている公共政策の有効性の検討、Ⅳの段階では、解決方法や公共政策の提案や、課題解決活動への参加・関与、などをすることになる。
プロジェクト型の学習の諸段階は、大人社会でも通用するものである。
(3)振り返りを重視すること
SLでは振り返りの時間を十分に確保することを強調する。
SLでは「読む」「書く」「為す」「話す」の四つの振り返りの手法を効果的に利用することが必要である。
振り返りの場面が体験の後に設定されるとは限らない。それは体験の前でも、体験中でも組織することができる。
(4)学問的な知識・技能を習得、活用する場面を設定すること
地域社会の課題を分析するためには、さまざまな学問的な知識が必要となる。「学問的」とは、地域社会の課題を多面的・多角的に理解するための理論的枠組みを意味する。
SLでは「サービス」という体験だけでなく、「ラーニング」という学び(認識)も大切にする。子どもが地域社会の課題に関心を持ち、その課題の解決に向けて提案・参加をしていく過程で、学問的な知識が必ず必要とされる。子どもは習得した学問的な知識を実際に活用することによって初めて、「生きて働く知識」を身に付けることになるのである。
(5)地域住民との協働を重視すること
SLがSLであるゆえんは、日本型SLの学習段階の「Ⅳ.提案・参加」の存在にある。この学習段階を充実したものとしていくためには、必ず地域住民との協働が必要となる。
子どもに重要な役割を担わせることで、地域社会も発展することができる。小学生も中学生もすでに「子ども市民」であり、大人と同じあるいはそれ以上の役割を担わせても、立派に地域社会を支えていくことができる。
SLの授業では、地域住民と子どもたちが同じテーブルで活発に意見交換する学習場面を設定したい。それが「協働」という発想である。(62~71ページ)

〇周知の通り、アメリカのSLの基礎(原型)は、ジョン・デューイ(John Dewey、1859年~1952年)の「経験主義教育」(注③)に見出される。アメリカでは、1970年代に「参加学習」、1990年代に「コミュニティサービス」の教育方法が注目される。そして、1990年に制定された「国家及びコミュニティ・サービス法(National and Community Service Act)」によって、SLが広く実践されることになる。類似の教育活動は、イギリスやフランスでは「シティズンシップ教育」、韓国では「自願奉仕」として1990年代後半以降に導入されている。
〇日本では、2000年以降、全国各地の学校・地域で社会参加学習を導入し、子どもの「市民性」や「公共性」を育成する先進的な教育実践が展開されることになる。お茶の水女子大学附属小学校の「市民」(2002年度設置)をはじめ、東京都杉並区立和田中学校の「よのなか科」(2003年度設置、2008年度「よのなか科NEXT」改編)、大阪教育大学附属池田中学校の「市民科」(2003・2004年度実施)、東京都品川区立小・中学校の「市民科」(2006年度設置。小中一貫教育)、東京都立高等学校の「奉仕」(2007年度設置。2015年度「人間と社会」改編)、京都府八幡市立小・中学校の「やわた市民の時間」(2008年度設置)等の学校設定教科・科目の開設などがそれである。その取り組みは、学校や教員、教育行政などのかかわり方によって多様である。また、社会科をベースにするか、道徳・特別活動・総合的な学習の時間として位置づけるか、地域社会や住民との協働をどのような形態で推進するか、などによって特色のある、地域性を生かした教育が展開されている。
〇また、2008年3月に改訂され、2012年4月から全面実施された中学校学習指導要領の「社会」「地理的分野」中の「身近な地域の調査」に、「身近な地域における諸事象を取り上げ,観察や調査などの活動を行い,生徒が生活している土地に対する理解と関心を深めて地域の課題を見いだし,地域社会の形成に参画しその発展に努力しようとする態度を養う」ということが記述された。続いて、2009年3月に改訂され、2013年4月から学年進行で実施された高等学校学習指導要領の「特別活動」において、「ボランティア活動などの社会奉仕の精神を養う体験的な活動や就業体験などの勤労にかかわる体験的な活動の機会をできるだけ取り入れること」が明示された。それらを受けて、さまざまな社会参加型の授業(体験的学習)が開発されるに至っている。
〇さて、唐木先生が文献(1)で提案するのは、「社会参加教育」といった新しい教育ではない。あらゆる教育を貫く「串」として「社会参加」を機能させることである(注④)。社会科教育に求められるのは「社会の変化に対応する教育」ではなく、「社会の変化を創造する教育」である。新・教育基本法(2006年12月公布・施行)が第1条(教育の目的)でいう「平和で民主的な国家及び社会の形成者」は、社会の変化を「創造する」教育においてこそ育てられる(154ページ)。これが唐木先生の主張である。
〇また、唐木先生は、「日本型」という概念を用いて、日本の社会的・文化的背景や学校教育(社会科教育)の現状に即したSLを提案する。しかも、「社会参加」と「SL」はいわゆる体験学習の一種であり、「教育方法」のひとつであるとして、授業づくりや学習活動について例示的・具体的に説く。そこにある唐木先生のテーマ(あるいは思想)は、「地域社会を意識した市民(community-minded citizen)」(166ページ)の育成である。それは、地域性に基礎を置きながら普遍性に通じるものである(注⑤)。
〇先行研究の少ないテーマや分野の研究では、「アメリカでは~」「イギリスでは~」といういわゆる「出羽の守(でわのかみ)」のパターンに陥りがちである。文献(1)はそうではない。「日本型」の提言の書であり、その具体化を志向する。また、唐木先生は、日本の「未来を創る子どもたち」や学校教育・社会科教育における「社会参加」について「熱い胸」を抱き、「冷たい頭」で探究する。初版から10年近くが経った今日でも、その問題意識や研究の姿勢は変わらない。文献(1)が「必読書」の所以でもある。僭越ながら敢えて付記しておきたい。

注
① 「すべてのものは相関連し、しかも、おのおの独自のものをもって、その定めの位置にいる。」(「奇蹟」ウォルト・ホイットマン著/長沼重隆訳『世界の詩集10 ホイットマン詩集』角川書店、1967年12月、189ページ)
② 「社会科の目標は、取りも直さず『公民的資質の育成』である。社会科の目標で公民的資質という言葉が初めて使われたのは1968(昭和43)年度版『小学校学習指導要領』である。『公民=市民+国民』と理解する枠組みは、今日まで継承されていると考えられる。公民という言葉の解釈次第では、社会科の使命が国家や社会に都合のよい人間を育てることだと曲解される可能性もある。社会科の教師であるなら、そのことは知っておいた方が良い。」(唐木 文献(1):30~31ページから抜き書き)
③ 「教育とは、経験の意味を増加させ、その後の経験の進路を方向づける能力を高めるように経験を改造ないし再組織することである」(デューイ著/松野安男訳『民主主義と教育(上)』岩波書店、1975年6月、127ページ)
④ 図1は、「〇〇教育と社会参加の関係性」を示したものである(唐木 文献(1):155ページ)。図2(「市民福祉教育と社会参加と共働の関係性」)は、図1をベースに、筆者の「市民福祉教育」に関する管見の一部を図示したものである。図中の「市民福祉教育」の横断部分は、国際理解教育や情報教育など、さまざまな教育(「〇〇教育」)と共通の基盤をもつことを意味する。「共働」は、共通の目標に向かって対等な立場で相互に協力・補完し合い、相乗効果をあげる活動を意味する。そこでは、横断的で緩やかなネットワーク(プラットホーム)の形成が重要となる。「市民」は、民主主義(自由・平等・人権)や公共性の感覚・意識を体得し、地域・社会全体の利益や福祉向上のために行動することのできる住民を意味する。
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⑤ この言説は、筆者の「市民福祉教育」にも通底する。SLは、市民福祉教育を充実・発展させるためのひとつの考え方であり、教育方法(educational method)である。

補遺
中央教育審議会は、2012年8月の「新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて―生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ―」という答申のなかで、大学教育におけるSLの必要性を強調している。その際、SLの用語について次のように説明している。

教育活動の一環として、一定の期間、地域のニーズ等を踏まえた社会奉仕活動を体験することによって、それまで知識として学んできたことを実際のサービス体験に活かし、また実際のサービス体験から自分の学問的取組や進路について新たな視野を得る教育プログラム。
サービス・ラーニングの導入は、①専門教育を通して獲得した専門的な知識・技能の現実社会で実際に活用できる知識・技能への変化、②将来の職業について考える機会の付与、③自らの社会的役割を意識することによる、市民として必要な資質・能力の向上、などの効果が期待できる。(「用語集」『同答申』38ページ)

なお、SLの考え方や実践について論じるときに、「コミュニティサービス(community service)」という用語(概念)が使われる。それは、「地域貢献活動」をはじめ「社会的活動」「サービス活動」「社会奉仕活動」などと訳される。コミュニティサービスは、意図的・計画的に展開される地域貢献活動(サービス=貢献活動)であり、SLにおいて利用される教育活動である。従ってそれは、一定の枠組みやノルマ(単位や卒業要件など)のなかで取り組まれ、「振り返り」や「評価」の作業が組み込まれる。周知のように、「ボランティア」は、活動の動機として個人の自発性や主体性が重要視される。

コミュニティ・スクールと地域づくり―仙台市立七北田小学校「地域共生科」の実践紹介―

〇学校教育に関して、国や教育委員会の主導のもとに、「地域に開かれた学校」から「地域とともにある学校」(づくり)への転換が図られている。それは、学校・家庭・地域・行政(教育委員会)の四者が一体となって、四輪駆動で進められている。その有効なツールのひとつに学校運営協議会制度と学校支援地域本部事業がある。

〇学校運営協議会制度は、一定の法令上の権限や責任を持ちながら、保護者や地域住民が学校運営に参加するための制度(仕組み)である。2004年9月に導入された。学校運営協議会は教育委員会の下部組織として各学校に設置され、その指定は教育委員会が行う。学校運営協議会の委員は、教育委員会が任命し、その身分は非常勤特別職の地方公務員である。学校運営協議会の主な役割は、①校長の作成する学校運営の基本方針の承認(必須)、②学校運営に関する教育委員会または校長に対する意見(任意)、③教職員の任用に関する教育委員会に対する意見(任意)、である。これらの承認や意見は委員の合議による。学校運営協議会を設置している学校は通称「コミュニティ・スクール」と呼ばれる。
〇国や教育委員会はいま、コミュニティ・スクールの普及啓発や導入促進に積極的に取り組んでいる。その一環として、2011年2月に、コミュニティ・スクールを指定する教育委員会の教育長を中心に「全国コミュニティ・スクール連絡協議会」が創設された。また、2012年3月には、文部科学省によって「コミュニティ・スクール企画委員会」と「コミュニティ・スクール推進員」(CSマイスター)が設置されている。さらに、2015年12月には、中央教育審議会によって、「全ての公立学校においてコミュニティ・スクールを目指すべきであり、現在任意設置となっている学校運営協議会の制度的位置付けの見直しも含めた方策が必要」である旨が提言された(「これからの学校教育を担う教員の資質能力の向上について~学び合い、高め合う教員育成コミュニティの構築に向けて~(答申)」)。
〇2016年4月現在、コミュニティ・スクールの指定校数は2,806校を数える。学校種別の内訳(括弧内は全公立学校に占める割合)は、幼稚園109園(2.6%)、小学校1,819校(9.3%)、中学校835校(8.9%)、義務教育学校(小中一貫校)7校(31.8%)、高等学校25校(0.7%)、特別支援学校11校(1.0%)、である。294市区町村および9道県の教育委員会がコミュニティ・スクールの指定を行っている。そのうち114市区町村が域内全ての小・中・義務教育学校をコミュニティ・スクールに指定している。
〇学校運営協議会制度を導入した学校では、その成果として、①学校と地域が情報を共有するようになった、②地域が学校に協力的になった、③地域と連携した取り組みが組織的に行えるようになった、④特色ある学校づくりが進んだ、などが挙げられている。その反面、①制度に対する一般の教職員や地域住民の認知度や関心が低い、②制度を導入する地域や学校種別に偏りがある、③学校運営協議会では学校側からの説明や報告が多くなりがちで、協議が形骸化している、④学校運営協議会の取り組みを計画的・継続的に進めるための人材育成や財政的な措置が不十分である、などが指摘されている。

〇学校支援地域本部事業は、地域住民等の参加により、学校の教育活動を支援する仕組み(本部)をつくり、さまざまな学校支援活動を実施する。とともに、その活動を通じて地域住民の生涯学習や自己実現を促し、地域の連携を強化し、地域の教育力の向上を図るものである。2008年度に国の委託事業(都道府県・指定都市に委託、都道府県は市区町村に再委託)としてスタートし、2011年度からは国・都道府県・市町村が3分の1ずつ負担する補助事業として継続されている。学校支援地域本部は、原則として中学校区に設置され(標準は1中学校、2小学校。1学校毎の設置や複数校区をまたぐ設置も可能)、基本的には「地域教育協議会」「地域コーディネーター」「学校支援ボランティア」によって構成される任意団体である。地域教育協議会は、学校支援の方向性について議論し、情報共有、共通理解を図る。地域コーディネーターは、学校側とボランティアの連絡調整を行い、学校のニーズに応じてボランティアを派遣する。学校支援ボランティアは、学校管理下における学習支援、部活動指導、環境整備、登下校安全確保、学校行事支援などの活動に参加する、ものである。
〇2015年8月現在、学校支援地域本部事業を実施する市町村は642を数える。学校支援地域本部の設置数は4,146本部、本部事業を実施する学校数(括弧内は全公立学校に占める割合)は小学校6,568校(32.4%)、中学校3,039校(31.5%)、高等学校35校(1.0%)、特別支援学校70校(6.6%)、である。
〇学校支援地域本部事業の推進を図るためには、①本事業に対する学校・教職員や保護者、地域住民等の理解の促進、②学校支援地域本部の設置状況の地域格差の改善、③地域コーディネーターや学校支援ボランティアの資質・能力の向上と養成・確保、④生涯学習関係機関・団体との連携・協働による地域の教育力の向上と地域の活性化、などの方策を講じる必要があるとされる。

〇2014年度において、コミュニティ・スクールの指定を受けている小・中学校のうち、学校支援地域本部事業にも取り組んでいる学校は約4割を数える。今後、「地域とともにある学校」づくりや「学校とともにある地域」づくりを学校ぐるみ・地域ぐるみで推進するためには、コミュニティ・スクール(地域住民等の学校運営への参加。意思決定機関)と学校支援地域本部(地域住民等による教育活動等への支援。実施機関)の連携・協働を進め、その機能の統合化・一体化を図ることが求められている。

〇以上が、学校運営協議会制度と学校支援地域本部事業についての概要と動向である(図1、図2参照)。

コミュニティ・スクールと地域づくり/9月1日

〇個性的で魅力的な学校づくりや地域づくりには、各学校や地域の特性や実態に応じた柔軟性と多様性が確保されることが必要かつ重要となる。柔軟性と多様性が学校や地域の豊かさを創るのである。
〇国や教育委員会による学校運営協議会制度と学校支援地域本部事業の取り組みは、保護者や地域住民の学校経営への参加を促す。とともに、具体的な内容とマニュアル化された方法を「上から」示すものでもある。その徹底の仕方によっては、画一的で硬直的な学校づくりや地域づくりが進められ、学校や地域がコントロールされる契機となる恐れなしとしない。すなわち、学校運営協議会制度と学校支援地域本部事業は、この両義的性格を持ち合わせているのである。校長が取り仕切る学校の運営基本方針の承認や学校管理下における学校支援ボランティアの取り組みは、住民の参加・協力と住民に対する管理・統制の両義性が想起される。唐突な言い方であるが、政治的・経済的・社会的分野における「地方分権」(権限移譲)や「規制緩和」の“光”に照らされて大きく伸びる“影”に留意したい。
〇住民は地域の主役である。しかし、学校づくりや地域づくりに関しては「素人」である。そこで先ずは、住民が学校運営協議会制度や学校支援地域本部事業について関心を持ち、理解を深めるための取り組みが必要かつ重要となる。加えて、学校運営協議会委員や学校支援ボランティアなどがその役割や責任を果たすために、如何にして意識・態度の育成と資質・能力の向上を図るかが問われることになる。そこに求められるのは、主体的・自律的な「人づくり」とそれを推進する「教育づくり」である。それは、上意下達の管理主義システムではなく、ボトムアップの民主的なシステムや体制に基づくものでなければならない。それ故にまた、活力ある学校づくりや地域づくりには、「協調」「協働」する住民に加えて、監視や批判、要求をリードする「自律した」「闘う」住民の存在が必要かつ重要となる。
〇学校経営や学校支援においては、学校や地域の現状や実態を踏まえ、教職員や保護者・地域住民等の思いや願いが適切に反映されることが肝要である。そのためには、例えば、如何にして教職員と保護者・地域住民の対等な信頼関係と共働体制を構築するか、教職員の専門性を重視するとともに保護者・地域住民のエンパワメントを形成・支援するか、PTAや青少年団体等の社会教育関係団体をはじめボランティア団体や自治会といった住民組織などのネットワーク化を図るか、なども問われることになる。そこに通底する視点や考え方のひとつは、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本)のそれである。教職員と保護者・地域住民等が社会的に豊かにつながり(「ネットワーク」)、それに基づいて互いに信頼しあい(「信頼」)、お互いさまの支え合い(「互酬性の規範」)によって学校や地域の諸問題が解決され、より良いガバナンス(共治)が進み、学校や地域の活性化が図られるのである。
〇また、加えて、特別支援学校におけるコミュニティ・スクールの導入が少ない現状を考えるとき、如何にして学校と地域が共働し、基本的人権(教育を受ける権利、教育を受けさせる義務等)の尊重や、ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンの思想に基づいた共生の学校づくりや地域づくりの推進を図るかが厳しく問われる。
〇いずれにしろ、学校の教職員や保護者、地域住民などによる内発的で自律的な学校づくり(学校経営)や地域づくり(地域経営)を進めるためには、いま改めて学校運営協議会制度と学校支援地域本部事業の意義やあり方などについて厳しく検証する必要がある。

〇ところで、学校と地域の連携・協働をめぐってはこれまで、学校と地域を並列的あるいは領域的に捉える傾向があったといってよい。例えば、福祉教育に関して言えば、「学校における福祉教育」と「地域を基盤とした福祉教育」という思考がそれである。学校や地域における豊かな学びと快適な暮らしを創造するためには、地域ぐるみの学校経営支援と学校ぐるみの地域経営支援の「共働」を必要不可欠とする。筆者がかねてより主張してきている「市民福祉教育」が含意するところである。
〇ここで、学校と地域の連携・協働(相互支援)のもとで、全学年に「地域共生科」という新たな教科を設定し、「社会の中で、よりよく生きる力」を育むためのカリキュラムの研究開発を行った仙台市立七北田(ななきた)小学校の取り組みの概要を紹介することにする。それは、市民福祉教育のあり方や、「地域とともにある学校」づくりや「学校とともにある地域」づくりの方向性などを追究するためである。
〇地域共生科についての研究開発は、2009年度から2011年度の3年間、文部科学省の「研究開発学校制度」による学校指定を受けて行われたものである。2009年9月には、「七北田小学校支援地域本部」(通称:にこにこ本部)が設置されている。2010年度からは、「生活科」(第1学年~第2学年)の授業時数の約半分と「総合的な学習の時間」(第3学年~第6学年)の全授業時数が地域共生科の授業時数に充てられている。なお、七北田小学校は、1873(明治6)年に創立された古い歴史を持つ学校であり、2016年5月現在の児童数は648名、学級数は23学級(特別支援学級を含む)を数えている。

◆地域共生科の目標
地域社会の具体的な事象や課題に対する学習と地域社会づくりの体験活動を通して、地域社会に対する愛情を深め、地域社会の課題に対して主体的に取り組み、さまざまな価値観や考えをもつ人々と共生するために必要な基礎的・基本的な知識及び技能を身に付けさせるとともに、他者の考えや社会的価値観と照らし合わせながら、自ら考え判断する能力や、社会貢献活動のための基礎的な能力を育成する。
◆地域共生科で育みたい力
地域共生科で育みたい力は「社会貢献力」「思考力」「知識・技能」である。社会貢献力は、地域社会を構成する人々や事象に関心をもち、その一員として地域社会の課題に主体的に取り組み貢献する能力である。思考力は、地域社会の課題を他者の考えや社会的価値観と照らし合わせて自ら考え、話し合い、判断する能力である。知識・技能は、地域社会に貢献し、共生するための基礎的・基本的な知識・技能である。
◆地域共生科の学習ステップ及びサイクル
地域共生科は5つの学習ステップ及びサイクルをもつ。すなわち、地域を知る→地域を調べる→地域を考える→地域に発信する→地域で行動する……→地域を知る、である。実際の地域社会づくりに参画する活動を「地域で行動する」として、特に重視する。
◆地域社会と学校の学びの循環
児童に地域社会づくりの活動を体験させ、自分たちの活動が地域貢献につながっているという意識をもたせる。これにより児童の自己肯定感を高め学習の社会的意義を実感させる。また、このような児童の活動の積み重ねが、地域社会の活性化や地域社会のよりよい地域社会づくりにつながるものと考えている。さらに、児童の活動は地域の人たちの地域貢献への意欲を喚起し、学校に対して、地域の教育力を積極的に提供していただけるようになると考えている。これを「地域社会と学校の学びの循環」と呼び、地域共生科の授業を進める原動力とする。
◆各学年の学習プログラムの概要(学年/授業時数/単元名/活動の概要)
1年/50時間/まつりだ わっしょい!! inななきた~子どもの力で 地域を元気に~/地域の人々とともに、“まつり”をつくる。地域の人々を明るく元気にするには、どうしたらよいか考え、自分たちで作ったおみこしを担いで地域に飛び出す。
2年/50時間/見せるぞ! おにいさん・おねえさんパワー~つくろう えがおの町~/幼稚園や保育園(所)に行き、小さい子どもとのかかわり方を学ぶ。園児を楽しませる遊びを考え、園児や園のために自分たちでできることに挑戦する。
3年/70時間/おじいちゃん おばあちゃん わたしたち~いっしょに笑おう いっしょに学ぼう~/地域のお年寄りと交流したり、アンケート調査を行ったりして、お年寄りを理解する。お年寄りと共に学び合い、高め合えるような教室をつくる。
4年/70時間/すぎだっちゃ! 七北田~見つけよう 伝えよう 私たちのふるさと~/地域の昔のくらしを調べたり、歴史の跡を辿ったりして、ふるさとのよさを理解する。創作劇などの表現活動をとおして地域の人々にふるさとの魅力を伝える。
5年/70時間/よりよい未来を思い描こう~つくろう! 素敵な自分 素敵な地域~/地域を支える人々の生き方や願いにふれ、理解したことをコミュニティFM局の番組から発信する。そして、よりよい地域社会づくりのために自分たちができることを考え、実行する。
6年/70時間/私たちでつくろう 住みよい七北田~“つながろう! みんなの街”プロジェクト~/地域社会の課題を調べ、関係機関などと連携しながら、地域社会の活性化に貢献する。活動をとおして地域社会における共生の意義を理解する。
特別支援/70時間/わたしたちの町~地域の人となかよくなろう~/地域で活動する人々とふれあい、地域とのつながりを深める活動に取り組む。
◆学習・指導の形態と指導方法
グループ編成
地域共生科では地域社会づくりに参画する体験活動を学校内外で多く実践していくことから、友達や顔見知りの方々に限定されない学習が日常的に展開されていく。学校内においても、より多くの他者とかかわり、他者の考え方を吸収したり受け入れたりする経験を積ませるために、意図的に学級枠を外したグループ編成を行う。
「パートナー」の導入
地域共生科では、パートナーと共に学習する時間を設けている。パートナーとは、児童と共に一つの目標に向かって話し合い、共に創り上げていく大人のことである。パートナーは、話合いの中で児童の考えが一般的な常識から外れることのないように導く役割も果たす。パートナーには児童が気付くことのできない視点から意見を述べてもらい、より現実味のある話合いにしていくようにする。また、児童の自己満足で終わる学びではなく、社会でよりよく生きるための資質と能力を養うことを目指していることから、パートナーを活用することで児童は思考を深めると共に、より現実に生きる考え方を学ぶことができるのではないかと考える。
パートナーを交えた話合いにおいては、折り合いながらよりよい考え方に変えていく合意形成の場や、友達やパートナーの考えを聞きながら自分の考え方を批判思考する場が生まれていくことをめざしている。大人ならではの支援や巧みな切り返し等を期待すると共に、児童に意図的・計画的に深みのある思考の場を与えたいと考えている。
オリエンテーション、振り返りの確実な実施
児童に地域共生科の学習の意義を理解させ、一年間の学習の見通しをもたせるために、学習の始めに「地域共生科 学習の手引き」を活用しながらオリエンテーションを行う。
最終的に自己の生き方についての考えを深め、自己を生かす能力を養うことをめざすことから、学びの各段階に児童が自分自身を振り返る場を設ける(自己評価・他者評価)。パートナーから賞賛してもらったり、児童が互いに認め合ったりする場を意図的に位置付け、有用感を得ること、またその積み重ねによって児童自身の自己肯定感が高められていくことを意識した指導を行っていく。
◆評価方法の基本的な考え方と具体的な評価の方法
評価方法の基本的な考え方
指導と評価の一体化を図ることを念頭に置き、地域共生科における児童の学習や体験活動の様子を適切に評価する方法を確立し、児童の変容や成長を評価し、自己の課題の把握や自己肯定感の高揚につなげる。
具体的な評価の方法
信頼される評価にするために、評価の観点、方法を教師間で確認する。学習段階の中で、重点を置いて指導することを中心に評価する。
児童の発表や話合いの様子、学習や活動の状況などの観察による評価。児童のレポート、ワークシート、ノート、作文、絵などの制作物による評価。児童の学習活動の過程や成果などの記録や作品を計画的に集積したポートフォリオ。評価カードなどによる児童の自己評価や相互評価。教師やパートナー等の記録による他者評価、などの評価方法を適切に組み合わせる。

〇七北田小学校の取り組みについて先ず注目されるのは、新たな教科「地域共生科」を設定し、「社会の中で、よりよく生きる力」を確実に育むためのカリキュラムや学習内容、指導方法、評価方法などについての研究開発である。「社会の中でよりよく生き、よりよい社会をつくる能力」の育成を図るためには、全教科・全領域における取り組みを総合的・有機的に進めることが必要かつ重要となる。地域共生科の設定は、学校と地域の連携・協働体制を継続的なものにするであろうが、運営の仕方によっては教育の画一主義や硬直化をもたらす可能性もある。それは、子どもや保護者、地域住民などの日常の生活現実に根ざしたカリキュラム形成などに、保護者や地域住民が如何に関わるかを問うことでもある。保護者や地域住民がそのカリキュラム形成に関わる際には、文部科学省が進める道徳の「特別の教科」化をめぐる動きについても思い起こしたい(小学校は2018年度、中学校は2019年度から完全実施)。一定の価値観や規範意識の押し付けについてである。
〇いまひとつ注目されるのは、「体験活動と学習の重視」「地域社会と学校の学びの循環」「パートナー(ゲストティーチャーとは異なる)の導入」である。これは、学校内での授業や学びのあり方に再考を促すものであり、教職員や保護者、地域住民などの関係を問い直すものでもある。ただ、その際、子どもの体験活動が一面的で抽象的な社会貢献や地域づくりを促すだけのものでは意味がない。また、保護者や地域住民の学校支援活動が同じく一面的で限定的な学校経営や学校づくりを期待(依頼)するだけのものでも意味がない。そこには、学校と地域の豊かな「共働」関係は生まれない。学校や地域住民が抱える多様で厳しい生活課題と向き合い、その歴史的・本質的な要因を考究し、その解決策について追究するなかでこそ、地域コミュニティを構成する様々な個人(子ども、高齢者、障がい者、外国籍住民等)や組織・団体などとの真の「共働」関係が構築されるのである。

注
(1)コミュニティ・スクールと学校支援地域本部事業については、文部科学省のホームページと次の文献を参照。
①金子郁容・鈴木寛・渋谷恭子『コミュニティ・スクール構想―学校を変革するために―』岩波書店、2000年12月
②文部科学省初等中等教育局初等中等教育企画課教育制度改革室『コミュニティ・スクール事例集』2008年3月
③佐藤晴雄編著『コミュニティ・スクールの研究―学校運営協議会の成果と課題―』風間書房、2010年3月
④コミュニティ・スクールの推進等に関する調査研究協力者会議『コミュニティ・スクールを核とした地域とともにある学校づくりの一層の推進に向けて~全ての学校が地域とともにある学校へと発展し、子供を中心に据えて人々が参画・協働する社会を目指して~』文部科学省初等中等教育局参事官付、2015年3月
⑤文部科学省初等中等教育局参事官付『コミュニティ・スクール 2016―地域とともにある学校づくりのために―』(コミュニティ・スクールパンフレット)2016年
⑥文部科学省初等中等教育局参事官付『コミュニティ・スクールって何?!~魅力からつくり方まで、お教えします~(「学校運営協議会」設置の手引き)』2016年7月
⑦佐藤晴雄『コミュニティ・スクール―「地域とともにある学校づくり」の実現のために―』エイデル研究所、2016年8月
(2)仙台市立七北田小学校の「地域共生科」については、文部科学省の「仙台市立七北田小学校報告書(要約)」(『平成23年度研究開発実施報告書(平成21~23年度指定)』所収)を参照。

荒木優太著『これからのエリック・ホッファーのために』を読む―在野研究の魅力と危険性―

〇大学の現状として、入学者数の減少とそれに伴う財政基盤の悪化、国による基盤的経費の削減などが進んでいる。大学全入時代における学生の学力低下が指摘されて久しい。いわゆる「2018年問題」(18歳人口の再減少)も間近に迫ってきている。そういうなかで、大学とそこでの研究と教育は危機的状況にある。大学「教員」に関して言えば、任期制(不安定雇用)の普及・拡大などが図られ、学内行政に忙殺されて研究も教育もままならない。任期制の導入は、教員の流動性を高めて人材交流を促進することになり、それによって教員自身の能力の向上や大学における研究と教育の活性化が図られるはずであった。
〇大学は、研究と教育が一体的・体系的に展開される高等教育機関である。それが近年では、「世界的な学術研究の拠点としての大学」と「実践的な職業教育を担う大学」などの機能別分化が,競争的資金の獲得によって進展しつつある。
〇そういうなかで、大学や研究者の地域志向(地域貢献、地域協働、産学官連携など)も進んでいる。「相互の発展と地域振興のために、幅広い分野で連携する包括的連携協定が大学と地元の〇〇との間で締結された」という情報に接する。それ自体は評価されるところであるが、なかにはその立ち位置や姿勢、思惑などによって名ばかりの協定であったり、地域の住民や関係機関・団体にとっては迷惑なこともある。
〇ところで、筆者(阪野)は以前より、僭越至極ではあるが、「本籍」は福祉教育、「現住所」はその時の勤務先、研究と実践の「フィールド」は地域や地元(吉本哲郎)、と考えてきた。そして、研究のテーマを、福祉教育の「歴史」と「実践」(実践を通しての研究、実践に関する研究)に絞ってきた。それは、研究はその分野やテーマに関する歴史を学ぶことから始まる、という認識に基づいている。また、実践については、実践を通しての研究では「仮説の探索」、実践に関する研究では「仮説の検証」に留意してきた。これら(研究のテーマやアプローチ)を決定づけたのは、大橋謙策の『地域福祉の展開と福祉教育』(全国社会福祉協議会、1986年9月)である。30年も前のことである。そしていま、大橋の愛弟子である原田正樹の『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』(大学図書出版、2009年11月)や『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規、2014年10月)などから多くを学ぶことができる。筆者にとってこれらは、「幸運な偶然」(山崎亮)の積み重ねである。
〇筆者の手もとには、「研究」の志向やメソドロジー(方法論)に関する本が3冊ある(しかない)。次がそれである。

(1)岩田正美・小林良二・中谷陽明・稲葉昭英編『社会福祉研究法―現実世界に迫る14レッスン―』有斐閣、2006年11月。(以下、「1」と略す。)
(2)岩崎晋也・岩間伸之・原田正樹編『社会福祉研究のフロンティア』有斐閣、2014年10月。(以下、「2」と略す。)
(3)荒木優太『これからのエリック・ホッファーのために―在野研究者の生と心得―』東京書籍、2016年3月。(以下、「3」と略す。)

内容的には、「1」は社会福祉の研究方法、「2」は社会福祉の研究テーマ、「3」は在野研究の列伝、などについて叙述(解説、論評)している。いまの筆者には「3」が興味深い。エリック・ホッファー(Eric Hoffer、1902年~1983年)は、「沖仲仕の哲学者」とも呼ばれた、アメリカの独学の社会哲学者である。
〇「3」は、「大学や研究室や学会の外にもガクモンはある」(3ページ)という問題意識の下で、16人の「在野研究者」の評伝を通して、「在野研究」の意味と心得について説いている。その詳細は原典に譲ることにして、ここでは、とりあえず首肯できる荒木の言説と、40項目におよぶ「在野研究の心得」の項目を紹介しておくことにする。なお、当然のことながら、筆者にとっては首肯しかねる言説や心得もある。荒木が取り上げる「在野研究者」(一般的には「在野の研究者」)とは、大学に所属せず、そこから経済的に自立している者。論文的形式性のある文章を執筆している者。そして故人、である。また、その学問分野は、考古学や民俗学、哲学などの人文・社会科学系を中心に、動物学や植物学にも及ぶ。留意しておきたい

首肯できる言説
〈試行錯誤(トライ&エラー)〉こそが在野という場所で獲得できるもっとも力強い武器であり、〈なりたい〉よりも〈やりたい〉が先行するのが在野研究者第一の資質である。(8ページ)

大学でないから良い、という価値判断は、大学であるから良いという判断の反転にすぎず、所詮同じ土俵に立っている。本物の在野人として独立するには、コンプレックスを克服し、真の意味で大学から自由にならねばならないのではないか。(75ページ)

在野研究者は学術機関に属さない。それ故、専門家のチェックなしに成果を公開していく。お墨付きを拒否し、独自のスタイルで学問をつづけようとするその態度に在野の大きな可能性があることは確かだ。けれども、反面、監視の眼が入らないその空間は、勝手な捏造や放言に支配されてしまう危険性と常に隣り合わせで成立している。(105ページ)

早く研究を始めたとしても、同じく早期に挫折してしまえば、チャンスをものにすることはできないだろう。いつ始めたか、ではなく、いつまでやるか。持続が長ければ長いほど、(様々な人との:阪野)「出会い」を有意義なものにできる確率は高まる。「出会い」のチャンスを、単なるすれ違いに終わらせてはいけない。(117~118ページ)

どんなメディア(発表媒体)で自分の研究を発表していくのかという問題は在野研究者にとって決して看過できない重要なポイントだ。/わざわざ煩雑な既存の媒体に頼らずとも、自分自身で新しいメディアをつくり、そこから研究の成果を発信してしまえばいいではないか。(121、122ページ)

教育とは明らかに、社会と学問をつなぐもっともポピュラーな回路である。ただし、多くの在野研究者がしばしば学校嫌いであったことも急いで付け加えておかねばならない。学校は嫌い、だけど勉強は好き、というタイプだ。/学校から距離のある在野研究者は、その学びの姿勢を通じて、学校的制度化のプロセスに対して批評的になることが期待できる。在野研究者の多くは、学校(学者)が認めてくれるから研究するのではない。やりたい(やるべきだ)から、勝手に勉強し勝手に発表する。(195、196ページ)

在野研究の心得
(1)在野仲間を探そう。(2)資料はできるだけ事前に内容を確かめてから購入すべし。(3)就職先はなるべく研究テーマと近い分野を探すべし。(4)資料へのアクセス経路を自分用に確保しておく。(5)地位を過剰に意識するな(社会的評価を気にするな)。(6)学者の世界の政治を覚悟せよ(政治的な闘争に巻き込まれるな)。(7)家族の理解を得るべし。(8)自分の指針となるオリジナル師匠を持て。(9)コンプレックスを克服せよ(大学から自由になれ)。(10)成果はきちんと形に残せ。(11)周囲に頭がおかしいと思わせる(周囲との余計な関係性を切る)。(12)研究の手助けをしてくれる配偶者を探そう。(13)様々な人とのコネをつくっておくべし。(14)助成金制度を活用しよう。(15)在野では独断が先行しやすい(チェックやアドバイスが必要)。(16)聴講生制度を活用しよう。(17)未開拓の研究テーマを率先してやるべし。(18)論文博士を目指そう。(19)研究は細く長くつづけること。(20)発表に困ったときは自分でメディアをつくってみる。(21)在野に向き不向きの学問がある(理系の学問の在野研究は難しい)。(22)仕事場で研究の話をするのは厳禁。(23)金銭の取り扱いには慎重を期すべし、(24)資料の情報は積極的に他の研究者と共有すべし。(25)メディアと並行してコミュニティもつくろう。(26)平易な表現や文体に努めるべし。(27)複数の職歴も武器になる(研究に役立たない職業経験はない)。(28)自前メディアは類似のメディアと協力体制を調(ととの)えておく。(29)自由に開かれた勉強会を調べて積極的に参加すべし。(30)コミュニティをつくったら定期的に飲み会も開くべし。(31)専門家とコンタクトをとってみよう。(32)地方に留まるからこそできる研究もある。(33)羞恥心は研究者の天敵である(研究者にはフットワークの軽さが求められる)。(34)専門領域に囚(とら)われるな(専門知は同時に視野狭窄につながる)。(35)簡単に自分で自分の限界を設けないこと。(36)日本の外に出ることを検討する。(37)知の翻訳を心がける(外国語への翻訳と専門用語の言い換えに努める)。(38)卑屈になるくらいだったら「文士」(物書き)になれ(自信をもって研究に取り組め。大切なのは研究の中身である)。(39)先行する研究者たちの歴史に学べ。(40)この世界には、いくつもの〈あがき〉方があるじゃないか(在野研究には様々な研究のスタイルや方法がある)。(括弧内は筆者)

〇本稿を草することにしたきっかけは二つある。ひとつは、大学に所属しながら地域福祉の「実践」的研究に取り組むО氏との会話である。いまひとつは、福祉や看護の現場で働きながら「研究」を志している院生との議論である。
〇前者に関しては、大学教員などが地域にかかわった祭に時として、(1)上から目線で政府や行政などの取り組みを批判したり、(2)地域や住民の一部あるいは当面の要求や期待にのみ応えようとしたり、(3)まちづくりの正義のヒーローや救世主になったり、逆に(4)自分の労苦が報われないことで落ち込んだり、(5)住民の誰かを悪者にしたり(あるいは自分が悪者にされたり)することがあるという。一方で、「地域のみんなでまちづくり/こんな面白いことは他にない」(山崎亮)と言われる。それは、住民が主役の共働のまちづくりに関する知的で、創造的な「面白さ」である。こうしたО氏との会話を通して、まちづくりとその実践的「研究」の難しさと面白さ(醍醐味)を改めて再認識することになった。
〇後者に関しては、院生の多くは、組織的な実践活動や個人的な体験活動が展開される「現場」に身を置いている。彼らはまず、その現実や実態にひとつの疑いを差し挟む(「疑念」)。そのうえで、「観察」、「考察」し、「合理的な説明や批判」を試みる。この一連の作業が「研究」である(「1」6ページ)。院生との議論は、「研究とは何か」「研究の問題意識は奈辺にあるか」「現場からの研究をどう進めるか」などから始まる。
〇「3」において荒木は、先達の在野研究者の生涯と業績から、「在野研究の心得」を抽出する。その際、荒木は、「在野研究とは、アカデミズムに対するカウンター(対抗)ではなく、オルタナティブ(選択肢)として存在している」(「3」7ページ)という。そして、「研究」という営為の奥深さを伝えようとする。「3」の意義と面白さはここにある。最後に付記しておきたい。

「強力な単独リーダー」から「共働の複数リーダー」へ―「まちづくりと地域リーダー」のありようを考える―

〇7月から小地域ネットワーク活動に関わり始めたブログ読者のK氏から、「地域リーダー」のありようについて考えるための基礎的な視点やヒントなどを示してほしい、という連絡をいただいた。本稿は、いささかでもそれに応えようとするものである。
〇そこでまず、10年以上も前のものではあるが、今日の地域リーダー論のひとつの方向性を示した論文とコラム、しかも肩肘張らずに読めるものを紹介することにする。必読文献である。
(1)論文/鈴木輝隆「2つのタイプの地域リーダーの相互作用と自生的秩序の生成」『地域研究交流』第19巻第1号(通巻59号)、地方シンクタンク協議会、2003年7月、4~5ページ。
(2)コラム/ 小田切徳美「地域リーダーは発掘するもの」『町村週報』第2563号、全国町村会、2006年6月、1ページ。
〇周知の通り、1995年1月に阪神・淡路大震災が発生した。1998年12月にNPO法、2000年4月に地方分権一括法が施行された。それらを契機に、行政主導のハード中心の画一的なまちづくりに変わって、地域主導のソフト重視の個性的なまちづくりの推進が図られることになる。そこで注目されるのが「地域リーダー」である。そして、今日では、国や地方公共団体、民間団体、企業そして大学などにおいて地域リーダーに関する調査・研究の推進や施策・事業の展開が図られ、人材の育成・輩出などが積極的に行われている。
〇では、地域リーダーとは何か。地域リーダーに求められる資質や能力(要件)とは何か。その点をめぐっては、例えば、経済産業省の外郭団体である「中小企業基盤整備機構」(略称:中小機構)の経営支援情報センターが、「地域振興」の視点から次のように整理している(注①)。

地域リーダーの定義
地域の自主的な地域振興に向けた取り組みをビジョンとして描き、地域振興事業のメンバー及び地域内外の専門家人材や支援機関、民間企業等の人々を結集して、そのビジョンを実現するために中心となって活動することのできる人材。
地域振興事業における地域リーダーに必要な要件
(1)自らの地域をこよなく愛し、地域づくりに情熱を持っている人材
(2)地域の特性を把握して個性を活かすと共に、地域資源を活用しながら他地域との差別化を図り得る、卓越した創造力や豊かなアイディアを持って企画できる人材
(3)旺盛な行動力と実践力に秀でた人材
(4)ビジネス感覚とマネジメント能力に秀でた人材
(5)信頼性が厚くコーディネート能力に秀でた人材
(6)ネットワークが広い人材
(7)協調性があり、忍耐力が強く、私利私欲に依ることがない人材

〇また、本ブログの「ディスカッションルーム(62)」(2016年7月3日投稿)でふれた「日本・地域経営実践士協会」は、「地域経営」(まちづくり)の視点から、「地域経営実践士」(「まちづくりの匠」)には次のような資質・能力が求められるとしている(注②)。

地域経営実践士の定義
地域経営実践士とは、2011.3.11の東日本大震災の教訓を胸に刻み、日々の生活の中で小さな事起こしを自ら行うとともに、より安全、安心で住みよい新しい社会を築くために、身の丈に応じた変革の輪を周りの人とともに広げていく先導役や触媒役を実践する技量と人間力をたゆまず高める使命を担った「事起こしまちづくり」の実践士である。
地域経営実践士の要件
(1)まず、自らの一歩、「最初の当事者となるリスク」から逃げない。
(2)住んでいる地域、家庭、職場等身の回りのことを自分の事として捉える。
(3)命に関わることは気付いた者の義務、気付いた時に当事者として事起こしを始める。
(4)3.11“釜石の奇跡”(釜石市内の小・中学生のほぼ全員が津波の難を逃れたこと:阪野)に象徴される教訓を”我が地域の必然”に変える気構えを持つ。
(5)地域社会の問題と解決法をまるごとで捉える。
(6)日常生活に防災・減災を組み込んで暮らす。
(7)地域社会をまるごとで捉えるための”視点・観点・気点”を養う。
(8)地域社会の安全、安心もふくめたまるごとの豊かさへの想像力を養う。
(9)地域社会を虫の眼とアリの眼だけではなく、鳥の眼として捉える知識と経験の学習を積む。
(10)自前で回す(経営する)地域社会の”よみ・かき・そろばん”を磨く。
(11)以上の総合力を磨く方法として、自発的でみんなが合点する合意形成のための四面会議システムを習得する。

〇いまひとつ付け加えれば、全国初の地域系学部として、1996年4月に高崎経済大学に「地域政策学部地域政策学科」、1996年10月に岐阜大学に「地域科学部」が設置されている。そのねらいは、地方分権社会を担う地域リーダーの育成と、地方の国公立大学の社会的責任の実現(社会貢献)にある。その後、高崎経済大学では2003年4月に「地域づくり学科」、2006年4月に「観光政策学科」が新設されている。
〇岐阜大学では、2006年4月に「地域政策学科」と「地域文化学科」の2学科制に学部が改組されている。そして、2015年4月からは、全学共通の地域志向教育のプログラムが展開され、「次世代地域リーダー」の育成が図られている。次世代地域リーダーとは、「地域を知り」「地域の課題を見つけ」「地域の課題解決に向けて行動する」能力、すなわち「地域リテラシー」(地域を創る能力:阪野)を備え、地域で実践的に活躍し、地域のなかでリーダーシップを発揮できる人材ならびにリーダーを支援する人材を言う。そして、次世代地域リーダーには、「進める力(自立的行動力)」として計画力、実行力、管理力、「伝える力(コミュニケーション能力)」として傾聴力、発信力、状況把握力、「考える力(総合的判断力)」として課題発見力、創造的思考力、論理的思考力などの能力を有することが求められている(注③)。

〇地域に対する住民意識・関心の低下や、地域のつながりの希薄化が指摘されて久しい。そういうなかで、以上からは、例えば、豊かなまちづくりの推進を図るに際して、こうした万能型の地域リーダーを発掘したり、育成したりすることは可能か。そもそもこうした資質や能力を総合的に持つ「強力な」地域リーダーを発想すること自体に、無理があるのではないか。まちづくりの具体的かつ現実的な実践プロセスを通して、その活動や運動を担い得るリーダーは育つのではないか。しかもそれは、長いスパンで考え、総合的かつ計画的に取り組む必要があるのではないか。また、地域リーダーは、地域内外に存在する多様な組織や集団との協調・葛藤関係のなかで、リーダーシップ、フォロワーシップ、メンバーシップという3つの「シップ」(姿勢)や「エンパワーメント」(潜在能力を引き出すこと)をいかに向上させるか。そのためには、何を基本にして育成内容や方法を考えるべきか。より具体的には、ワークショップ形式の研修(学習)にとどまらず、実際のまちづくりの現場や場面にいかに関わるか等々、いろいろな論点を指摘するができる。
〇ところで、鈴木輝隆(江戸川大学)の言説によると、地域リーダーに望まれる要件は、「地域への愛情」「豊かな人間性」「未来への先見性」「果敢な行動力」「ネットワークと情報」「優れた感性」「仲間と助け合う協調性」などである。そして、地域リーダーには、その地域の風土や歴史、文化などによって地域住民のなかから生まれるいわゆる「住民リーダー」と、行政や公的機関・組織などに属するいわゆる「組織リーダー」の2つのタイプが存在する。鈴木は次のように説述している(注④)。

「住民リーダー」は息が長く、言葉より生き方や行動によって気持ちを伝えていく。情報発信力のある事業家や人間関係づくりが得意な人、行動的な世話役である人が多い。役割は、先端情報の提供、日常のしがらみから創造的な日々への解放、あるいは地域の課題へ住民意識を集中させるなどである。住民リーダーは、地域の中から自然に生まれ、仲間によって成長していく。土地柄と人柄、地域の風土が生みだす。ただし、年功序列社会による若手資質者の出番のなさや、女性リーダーへの認知度の低さ、新住民と旧住民のすれ違いなど、単に資質問題に帰結しない「地域の懐の深さ」が課題であることも事実だ。
「組織リーダー」はスパンが短く、強い言葉で住民に情報を伝える役割を持つ。オピニオンリーダーと言われる人や行政、商工会、農協など公的機関に属している人が多い。彼らに求められるものは、方向性の決定やビジョンの策定、明快な目標・戦略・手法などで、内的関係の調整から外的関係の調整までのプロデュース能力である。資質として、人間的な魅力と包容力、理念と目的意識、率先行動力、人情と誠実さ、情報収集力に加え、公平性を保つための第三者的視点を持ち合わせていることが要求される。
組織リーダーは、地域の状況で、その時、ふさわしい人が発見され、選び出され、現場で学ぶことによって育っていく。しかし、人事や短いローテーションが弱点となり、専門的な力を身につけることができない場合もあり、必要に応じて外部登用もする気概も必要だ。地域内における組織リーダーの力は大きく、地域づくりの本質が理解できない場合やセンスのない人が間違って選ばれることもあり、前例やしがらみに囚われ住民リーダーを押さえつけることもある。組織リーダーは、肌理の細かい確かな情報や迅速な行動をもっている住民リーダーの存在をなくして、魅力的な地域づくりができない。混迷の時代の地域リーダー像は、2つのリーダーの組み合わせにヒントがある。

〇要するに、「住民リーダー」と「組織リーダー」は、地域・住民が抱える生活課題が多様化・複雑化・深刻化している今日、相互連携・協力の関係に置かれ、「共働」することが求められている。そういうなかで、いかにしてまちづくりへの情熱と未来を見通す力(先見力)を持つ地域リーダーを発掘し育成・確保するか。併せて、多様で多層な住民や関係機関・組織などを結びつけ、多様で多彩な個性や能力が発揮される場や機会を創出する地域リーダー(プロデューサー)を育成・確保するか、などが問われている。
〇筆者はかつて、本ブログの「雑感(19)」(2014年7月28日投稿)で、T市社協が主催した地域福祉活動計画策定のための住民懇談会におけるレクチャーについて、次のように記している。

皆さんは、ヒーローやヒロインのような唯一の強いリーダーとしてではなく、メンバーシップやフォロワーシップを兼ね備えた一人のリーダー、地域住民として活動することが期待されます。「この地域には強いリーダーがいないからダメだ」という嘆きの言葉を聞くことがありますが、そうでしょうか。強力なリーダーがいない地域は「ダメ」な地域ではなく、強力なリーダーを必要とする地域が実は「不幸」な地域であるかも知れません。

〇この点に関して、小田切徳美(明治大学)は、地域リーダー像について次のように述べている。かつての地域リーダーは、「圧倒的なパワーを持って、孤軍奮闘もできるタイプが多かった。しかし、最近では、複数の者が、いわば『リーダー群』として地域を支えている姿が一般的である」。「リーダーは普通の人々の中にいる。だから、『リーダーは(養成するものでなく:阪野)発掘するもの』なのである」。また、小田切は、地域リーダーの役割について、「合意形成型リーダー」「カリスマ型リーダー」「会計型リーダー」「なんでも屋リーダー」そして「知恵袋型リーダー」の「リーダー5人衆」として説明している。そして、「地域リーダーの機能は、このように複数の人間で分担することが可能である」と説いている。以下がその全文である(注⑤)。

地域を訪ねた際に最も多く問われるのは、「地域のリーダーはどうしたら育てられるのか」という質問である。私は、それに対しては、「リーダーは養成するものでなく発掘するもの。皆さんの中や皆さんの身近に必ずリーダーはいる」と答えている。
それには少し説明が必要であろう。かつてのリーダー像は、圧倒的なパワーを持って、孤軍奮闘もできるタイプが多かった。しかし、最近では、複数の者が、いわば「リーダー群」として地域を支えている姿が一般的である。
そして、その複数のリーダーの役割であるが、しばしば「リーダー5人衆」として、次のように説明されている。まず、「合意形成型リーダー」である。議論の落とし所を見つけることに長けた者は地域に欠かせない。第2に、「カリスマ型リーダー」であり、普段の寄合や会議では多くは発言しないが、重要な意識決定の時に、まさに決定的な発言をする住民である。また第3に、「会計型リーダー」も必要である。「会計係」を担うということだけでなく、活動の現実を冷静に見極め、時には過熱ぎみの活動を抑制することができる者である。第4のタイプは、「なんでも屋型リーダー」である。機動力に優れており、「昨晩決まったことを今朝には実行している」というタイプである。そして、第5には「知恵袋型リーダー」も求められている。地域の歴史から行政の仕組みまでの多くの知識を持っており、それを基にして新たな活動のアイデアを出すことができる者である。
地域リーダーの機能は、このように複数の人間で分担することが可能である。しかし、これはある意味では当然のことでもある。たとえば企業であれば、これらの役割は、順に社長、会長、経理課長、総務課長、企画課長が当たり前に分担している。
このように考えると、複数の機能をたったひとりの人に期待し、そうしたタイプの人を「養成しよう」という発想自体に無理がある。それは、スーパーマン・リーダーだけができることであろう。そうではなく、「5人衆が、それぞれの得意分野で活躍するのがリーダーだ」と考えた時に、リーダーの要件は、スーパーマンから普通の人々で担えるもの変わっていく。ひとりの役割を得意とする者は、多様化した地域社会の構成員の中には、かならず存在すると言っても過言ではない。
リーダーは普通の人々の中にいる。だから、「リーダーは発掘するもの」なのである。

〇まちづくりには「若者・よそ者・ばか者」が必要であると言われる。魅力的なまちづくりを進めている地域には、必ずと言っていいほどに、「ばか者」(地域・地元 に根を張って、内発的な地域活動や住民運動に熱心に取り組む人)がいる。その意味では、地域リーダーは発掘するものである。しかし、各地で行われている地域リーダーの養成講座などに参加した人が、まちづくりの地域活動や運動に取り組んでいることも事実である。
〇都市部と農山村部の地域特性や、その地域が抱える生活課題やまちづくりの理念や方向性などは多様である。そこから、地域リーダーに求められる資質や能力、従ってその育成・確保のありようも多様となる。しかも、地域リーダーの育成・確保は、漠然とした必要性によるものではなく、具体的な地域課題に基づき、その課題解決を図るためのものである。従ってそれは、組織的・継続的・計画的に行うことが求められる。また、地域リーダーの育成・確保は、まちづくりの基盤をなすものであり、横断的・総合的な枠組みのなかて取り組むことが肝要となる。さらには、持続可能なより豊かなまちづくりを推進するためには、地域内外の多様な地域リーダーのネットワーク化を図ることも必要かつ重要となる。
〇以上の諸点について留意しておきたい(注⑥)。

注
① 「地域リーダーにみる『戦略性』と『信頼性』―地域振興とリーダーの役割に関する調査研究―」『中小機構調査研究報告書』第5巻第3号(通号22号)、中小企業基盤整備機構経営支援情報センター、2013年3月、8ページ。
② 「日本・地域経営実践士協会」ホームページより。
③ 「岐阜大学」ホームページより。
④ 鈴木輝隆、4ページ。
⑤ 小田切徳美、1ページ。
⑥ 下図は「単独リーダー」と「複数リーダー」の概念図である。(赤)はリーダー、(緑)はフォロワー(リーダーの補佐)、(青)はメンバーを表示する。
単独リーダーと複数リーダー(7月20日最終版)

謝辞
本稿をアップするにあたって、「日本・地域経営実践士協会」と「地方シンクタンク協議会」にはいろいろとお世話になりました。ここに記して感謝の意を表します。

鳥取県智頭町「杉下村塾」10年の歩み:河原利和のレポート―資料紹介―

〇筆者(阪野)は、本ブログの「ディスカッションルーム」(61)に「地域経営実践者としての寺谷篤志の挑戦、その記録:鳥取県智頭町地域経営講座「杉下村塾」を中心に―資料紹介―/2016年6月28日」をアップした。早速、ひとりの読者から、「杉下村塾」10年間の取り組みの概要(内容)について知りたい、という連絡をいただいた。
〇そこで本稿では、10年間「先生徒」(岡田憲夫の造語)であった河原利和(当時・智頭町地域づくりアドバイザー/とっとり政策総合研究センター研究員)が『平成10年度CCPT活動実践提言書』(1999年10月)に投稿しているレポートを紹介することによって、ひとまずそれに応えることにしたい。「私と杉下村塾―興味本位の参加から価値認識の参加へ―」(第10回杉下村塾特集/論文集:1~13ページ)がそれである。また、河原は、日本海新聞(1998年10月26日)で「1997年の提言書の主な評価を箇条書きで整理」している(『平成10年度CCPT提言書』、254ページ)。杉下村塾やそこでの「学び」(「地域共育」)について分析・評価するためのひとつの視点や枠組みとして、参考に供しておくことにする。
〇なお、杉下村塾は、発足時から10年、10回の期限を設定して開講された。最終回は、1998年10月23日から25日にかけて開講されている。以下では先ず、その開講案内とプログラムを紹介する。ちなみに参加者(「先生徒」)は26名であった。その名簿には、大学教員(岡田憲夫、杉万俊夫)や地域計画コンサルタント、郵便局長、学生・大学院生などが名を連ねている。彼・彼女らの住所は、鳥取県内が12名(46%)で最も多く、東京、京都、大阪、神戸、岡山、広島、愛媛などである。

▼第10回「杉下村塾」の概要
修正15時

加筆訂正16時

10年の記録3

▼「杉下村塾」10年の歩み―河原利和のレポート―
10年の記録4

10年の記録5

10年の記録6

10年の記録7

10年の記録8

10年の記録9

10年の記録10

10年の記録11

10年の記録12

10年の記録13

10年の記録14

10年の記録15

10年の記録16

▼河原利和「『智頭発』22世紀へのメッセージ」―『平成9年度CCPT活動実践提言書』の評価―
10年の記録17

〇いわゆる「地域リーダー」(住民リーダーや専門職・準専門職)の育成・確保が地方公共団体や各種の民間団体、それに大学などによって行われている。その分野は多岐にわたり、名称や形式、内容や方法なども多様であり、「百花繚乱」の様相を呈している。それは、激動する政治・経済・社会情勢のなかで、地域が抱える課題が多種多様であり、また深刻化していることへの対応(範囲・程度等)によるのであろう。
〇本稿で紹介した杉下村塾の「地域共育」事業・活動の系譜につながる組織に、「(一般社団法人)日本・地域経営実践士協会」(理事長/岡田憲夫、理事/平塚伸治・多々納裕一・寺谷篤志)がある。それは、「身の丈にあった地域経営による主体的なまちづくりについて、自己研鑽するための地域経営実践士(まちづくりの匠)を社会に普及させること」(定款第3条)を目的に、2013年3月に設立されている。そこでは、地域経営実践士の養成・研鑽のための「地域経営まちづくり塾」が、毎年開催されている。
〇まちづくりにおいては、こうした地域リーダーの養成とともに、一般住民に対する「まちづくりの主体形成」(関心・理解・参加)が必要かつ重要であることは多言を要さない。住民主体形成に目配りしたリーダー養成と、リーダー養成に目配りした住民主体形成のあり方が問われるところである。
〇上に紹介した河原のレポートは、「地域社会を単なる感情論で捉えるのではなく、地域に科学を持ち込むことが重要である」(第2回)としている。確かで豊かなまちづくりを推進するためには、大いに首肯するところである。ただ、地域に科学を持ち込むことによって、一般住民と地域リーダーや専門職との間に緊張関係が生じることになる。それを乗り越えるためには、両者の水平的なネットワークや「共働」のシステムを構築することが必要かつ重要となる。
〇ここで、コミュニティワークで言う「主体の転換」について想起しておきたい。「主体の転換とは最初の段階ではコミュニティワーカーが地域に介入し、地域住民を援助の『対象』として位置づけていく。しかし、コミュニティワークの展開のなかで、少しずつ地域住民が力をつけていくことで、専門職の関わりの度合いを薄めていき、最終的には『住民主体』で地域福祉が推進できるようにするという考え方である。(中略)今日、社会福祉の分野では従事者の高学歴化、専門職化が進んでいる。そのことによって『合理的な事業遂行のための協働』を押しつけられたのでは、地域住民の側は迷惑である。専門職によるパターナリズムや管理的統制が強くなることへの警戒」(原田正樹『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』中央法規出版、2014年10月、218ページ)が必要である。
〇この点は、「コミュニティデザイン」を説く山崎亮の言説に通底する(山崎亮『ふるさとを元気にする仕事』筑摩書房、2015年11月)。「住民はまちの主役であっても、まちづくりに関しては素人なのです」(193ページ)。「地域の課題を住民が主体的に考えて解決するための活動を手伝うのがコミュニティデザイナーなのです」(48ページ)。「地域の人たちから必要とされなくなること―それが僕たちの手掛けるプロジェクトの最終目標なのです」(171ページ)。留意しておきたい。

付記
(1) 本稿をアップするに際して、寺谷篤志先生から丁重なメールをいただいた。先生によると、杉下村塾の特徴は、「科学者と社会人という構成にしたこと」「社会の基本的かつ本質的なことについて議論したこと」「地域主体と住民自治を貫いたこと」などにある。
(2) 第3回杉下村塾の開催期日は1991年8月30日~9月1日である。
(3) 総務省の「(第5回)人材力活性化研究会」(2014年7月10日)に提示された「地域リーダー育成に関する研修の実態把握アンケート調査」の結果概要を紹介しておくことにする。

「地域リーダー育成に関する研修の実態把握アンケート調査」について
【調査目的】
都道府県が実施している「地域リーダー」を養成する研修・講習・塾・セミナー等の実施状況についてアンケート調査により把握し、今後の基礎資料とする。
【調査対象・方法】
都道府県が実施している研修等について、企画担当部局を通じて関係各課に調査票を配布・回収した。
【調査期間】
2014年2月21日(金)~3月7日(金)
【回収数】
130件
【結果概要】
〇都道府県が実施する「地域リーダー」を養成する研修の事業としての開始年度は様々。最近の開始年度別では2011年度・11件、2012年度・23件、2013年度・24件。
〇研修形態はほぼ「通学型」。年間2回以上開催の研修が6割で、2日間以上の研修が半数以上。
〇受講対象は、「都道府県・市町村職員」を中心に、「地域住民等」「NPOや地域づくり団体」「高校生・大学生等」などと幅広いが、基本的には「都道府県内の参加」がほとんど。「県外から参加」「広く全国から参加」を受け入れる研修は少数。
〇研修内容は、「事業計画づくりやコミュニケーションなど地域マネジメント」や「リーダーシップなどの活動に関する心構えや哲学」を学ぶなどの学習型の研修がそれぞれ2割、「それぞれの地域活動の課題を取り上げ、その解決を図る」という課題解決型の研修も2割。
〇カリキュラムは、「講師の講演・講義」や「ケーススタディ」などの室内研修が主となり、「フィールドワーク」の割合は低い。また、「講師との対話やディスカッション」という割合は少ない。
〇修了生に対するフォローは約7割が実施。その内訳は「修了証の交付」が主となり、「フォローアップ研修」や「補助・助成」などの具体的な支援は少ない。
〇運営上の課題は「受講者」「財源」の確保という運営面の課題の回答が多い一方で、「ステップアップ研修」「修了後の地域づくりへの実践」「評価方法」というアフターフォローを課題とする回答も多くみられる。
〇現在実施している研修を「今後も継続する」と回答した割合は半数以上であるが、約3割の研修は「内容の充実」を希望。

なお、総務省/人材力活性化研究会は、2012年3月、『地域づくり人の育成に関する手引き』を作成・発行している。そこでは、「地域づくり人」を次のように規定している。「この『手引き」では、地域づくりに関わる全ての人を『地域づくり人』として位置づけ、その役割として、団体や活動等を統括する役割の人材を『リーダー』、各事業の担い手として主体的に活動する人材を『プレーヤー』、リーダーやプレーヤーをできることで支える人材を『サポーター』として位置づける」(2ページ)。

地域経営実践者としての寺谷篤志の挑戦、その記録:鳥取県智頭町地域経営講座「杉下村塾」を中心に―資料紹介―

〇筆者(阪野)は、本ブログの「雑感」(36)に「1%から始まる住民主導の内発的まちづくり―主体者意識に基づく『話し合い』と『学び合い』、そして『地域経営』―/2016年5月18日」をアップした。そこでは、「地域経営」の視点からまちづくりに取り組む鳥取県八頭郡智頭町(ちづちょう)の実践例の概要を紹介した。
〇智頭町には、地域経営の理念を創り上げ、それを実現するための仕組みを構築し、とりわけ「学ぶ場」づくりを重視しながら自律的・能動的にまちづくりに取り組む住民がいた。その一人が寺谷篤志(敬称略、以下同)である。寺谷は、「地域経営実践の猛者(モサ)である。パイオニアでもある」と評される(岡田憲夫「本書の中の本書の書評」寺谷篤志・平塚伸治/鹿野和彦『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』仕事と暮らしの研究所、2015年3月、8ページ)。
〇筆者は、先の拙稿で、寺谷を「稀有(けう)な挑戦的実践者」と評した。いま、幸運にも、寺谷から“学び”の機会を得ている。そして、寺谷については、「稀有」「挑戦」という言葉以上のものを次のような私信メールから痛感している。「智頭では誰もやらなかったこと、何にもならんことをするな、と言われ続けた。京都も一緒ですが、私にとっては地域社会が最高の投資先であり、そこでの希少価値を模索しての人生でした」。「CCPT提言書は、地域社会で住民が葛藤し格闘した記録です。まさに闘争の記録です」。「知識は価値です。地域での価値づくり、学びは、まちづくりにとって極めて重要なものです。ささやかな『杉下村塾』ひとつとっても、地域経営であったと思います」。「私にとって学ぶことはイコール実現することです。創造的な挑戦は誇りを創ります」。寺谷はまさに「モサ」である。飽くなき「探究者」である。
〇寺谷の智頭町におけるまちづくりは、1984年7月の「杉板はがき発案」から始まる。そのまちづくりが力強く前進したのは「智頭町活性化プロジェクト集団」(CCPT:Chizu Creative Project Team)の結成(1988年5月)であり、より確かなものになったのは「杉下村(さんかそん)塾」の開講(1989年8月~1998年8月、全10回)であろう。それらを基盤に、1997年度から「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」がスタートしている。それは、「住民主導による地域活性化運動」「住民主導による徹底したボトムアップの運動」「『物言わぬ住民』を『物言う住民』に転換する運動」などと言われる。こうした取り組みには、前橋登志行(CCPT代表)や岡田憲夫(京都大学名誉教授)らとの「共鳴」があり、「共働」があった。
〇さて、本稿のねらいは三つある。(1)寺谷が本ブログのためにわざわざ書き下ろしてくれたコメントを発信することである。(2)寺谷から拝受した貴重で膨大な資料の一部(『CCPT活動実践提言書』の各巻のタイトルと目次)を紹介し、原典に繋ぐことである。そして、(3)「学ぶ場」としての「杉下村塾」(第1回:1989年8月25日~27日)についての資料紹介である。

▼寺谷篤志「鳥取県智頭町の30年にわたる『地域共育』ドキュメント」2016年6月23日
〇内発的発展論/智頭ドラマ(1)
市民福祉教育研究所の阪野貢氏がそのブログで、2015年3月に発行した拙著『「地方創生」から「地域経営」へ』(共著)を、地域の教育学(まちづくりと福祉教育)の視点・観点から分析、「介錯」して下さった。そのお返しではないが、智頭町における1989年から1998年の「地域づくり」実践を文字で紡いだ『CCPT(智頭町活性化プロジェクト集団)活動実践提言書』をお送りした。多くの方々に住民(市民)自治と地域経営について考えていただこう、という思いからである。
私は、1983年に帰郷したころを起点に、地域づくりを展開してきた。明治大学の小田切徳美教授は、1990年ごろからの智頭町の活動を題材にして、地域づくりについて言及されている。そして、先生は、「『内発性』『総合性・多様性』『革新性』という装いを持ち、地域の新しい価値の上乗せを目標としながら、『主体』『場』『条件』の三つの柱を地域条件に応じて巧みに組み合わせる体系こそが、今日求められている『地域づくり』である(小田切徳美『農山村は消滅しない』岩波書店、2014年12月、71ページ)、と解析される。
各地で展開されている地域づくりは、人口移動の指標的施策が脚光を浴たり、「ふるさと納税」による特産品をいかに売るかといったものが注目されている。しかし、それらは、地域を本質的に活性化させるものではない。その地に住む住人が自負心を持ち、その地の文化を基盤に、「地域経営」の主宰者として主体的・創造的に地域づくりに取り組むことが肝要である。中央主導、官主導の「地方創生」には大きな死角があり、限界がある。その地域ならではのオリジナルでオンリーワンの取り組みと地域内循環を構築することが、地方の地域が生きる「道」である。そこに「誇り」が生まれ、真の「豊かさ」が実現する。
智頭町で私たちが展開してきた30年の活動は、内発的発展事例として、「黎明内発期」:住民による突破型プロジェクト方式(1983年~2004年、20年間)、「イベント展開期」:ゼロイチを基盤に町長主導による行政施策のイベント方式(2000年~2009年、10年間)、「起業発展期」:住民自治に啐啄同時(そったくどうじ、またとない好機:阪野)、移住人による起業方式(2010年~、6年間)、に時期区分することができる。しかしそれは、あくまでも事業や活動による表層的な区分であり、必ずしも地域づくりの本質を捉えたものではない。
それぞれの時期に、誰が、主体的に地域の規範を形成していったか。「黎明内発期」は、CCPTを中心とした学習活動をリードした私自身である。「イベント展開期」は、住民のアイディア等を積極的に登用し施策化した智頭町長・寺谷誠一郎氏である。「起業発展期」を代表するのは、「森のようちえん/まるたんぼう」の西村早栄子氏、菌本位制を謳う(自家製天然酵母を使った)田舎のパン屋さん「タルマーリー」の渡邊格氏である。実に多士済々の住人たちが、智頭町の地域づくりを牽引してきた(いる)のである。地域づくりは人なり、である。
地域づくりでは、一般的に過去の施策を分析して論ずることがあるが、リーダーとなった個々人の思考や思想に踏み込み、そこから次代の地域づくりのヒントを見出し、それを練り上げていくことが重要である。その一助となることを願って、智頭町における30年の地域づくりの記録の一部を公開することにした。市民福祉教育研究所のブログを通して、お蔵入りさせていた記録に光が当たり、広く社会に届けられることを期待したい。
追記
『定年後、京都で始めた第二の人生―小さな事起こしのすすめ―』(岩波書店、2016年5月)を上梓した。『「地方創生」から「地域経営」へ』の合わせ鏡として読んでいただくと、地域づくりの「事起こし」や「交流・情報」の必要性、「住民自治と地域経営」の重要性などについての理解がより深まるものと思う。

〇内発的発展論/智頭ドラマ(2)
【黎明内発期】
住民による突破型プロジェクト方式(1983年~2004年、20年間)
・杉板葉書/杉名刺の発案~杉をテーマにマネジメントし、智頭木創舎など起業する。
・杉下村塾/耕読会の開講~地域リーダー、住民、行政マン、科学者の学習の場をつくる。
・青少年の海外派遣の開始~住民一人1,000円の寄付で青少年を海外に派遣する。
・ひまわりシステムの実施~高齢者の見回りを役場、郵便局、社協と連携し展開する。
・千代川流域圏会議の発足~産官学民の組織を創り、流域の活性化を図る。
・ゼロ分のイチ運動のスタート~住民自らが集落・地区の活性化計画を策定し実行する。
【イベント展開期】
ゼロイチを基盤として町長主導によるイベント方式(2000年~2009年、10年間)
・石谷邸を核とした観光事業の開始~旧家の提供によって観光の核をつくり展開する。
・森林セラピーの基地の整備~森林をホスピタリーの観点から捉え住民運動にする。
・百人委員会の展開~住民有志100人が政策提案しその実現に取り組む。
・杉小判/民泊の開始~住民個々の資源(杉材・民家)を価値化する。
【起業発展期】
住民自治啐啄同時、移住人による起業方式(2010年~、6年間)
・森の幼稚園の開園~幼児を毎日森に連れて行き保育する。
・麻の栽培特区の認定~大麻の栽培特区を指定し、麻の実・炭を生産する。
・廃校を使った女性の起業~おむすびころりん・農家レストランを開業する。
・田舎のパン屋タルマーリーの開業~菌本位制によりパン・ビールを製造する。

▼『CCPT活動実践提言書』(1989年度~1998年度)智頭町活性化プロジェクト集団、1990年8月~1999年10月
〇一 覧

(1)『ちづ杉(サン)フォレストピア=1989 CCPT活動実践提言書=』1990年8月、167、56ページ。
(2)『新社会活動を求めて=平成2年度 CCPT活動実践提言書=』1991年8月、174、57ページ。
(3)『新ライフスタイル“憩住”への提言=平成3年度 CCPT活動実践提言書=』1992年8月、184ページ。
(4)『新・地域リーダー考「エディター」の提案=平成4年度 CCPT活動実践提言書=』1993年10月、219ページ。
(5)『ゴールは近づきゴールは遠のく―新しい助走にむけて―=平成5年度 CCPT活動実践提言書=』1994年10月、217ページ。
(6)『新しい波 農山村発―偉大なる疎・密“たすきがけ”のパートナーシップをめざして―=平成6年度 CCPT活動実践提言書=』1995年10月、215ページ。
(7)『社会システム創造の時代―小さく生んで大きく育む―=平成7年度CCPT活動実践提言書=』1996年10月、231ページ。
(8)『ゆうふくシステム智頭発21世紀へ―共有主義(コモンイズム)に向けて―=平成8年度CCPT活動実践提言書=』1997年10月、189ページ。
(9)『22世紀へのメッセージ―時間・空間・人間のスパイラル―=平成9年度CCPT活動実践提言書=』1998年10月、203ページ。
(10)『居合わせた者よ いきさつの語り部となれ―心・規範・社会システム―=平成10年度CCPT活動実践提言書=』1999年10月、255ページ。

〇目 次
(1)1989(平成元)年度
目次平成元年
(2)1990(平成2)年度
目次平成2年
(3)1991(平成3)年度
目次平成3年
(4)1992(平成4)年度
目次平成4年
(5)1993(平成5)年度
目次平成5年
(6)1994(平成6)年度
目次平成6年その2
(7)1995(平成7)年度
目次平成7年
(8)1996(平成8)年度
目次平成8年その2
(9)1997(平成9)年度
目次平成9年その2
(10)1998(平成10)年度
目次平成10年その2
〇備 考
『CCPT活動実践提言書』(巻数:全10巻、冊数:全10冊、総ページ数:2,167ページ、大きさ:30㎝)は、国立国会図書館、京都大学図書館、鳥取県立図書館、智頭町立智頭図書館に所蔵されている。国立国会図書館サーチでは、キーワード「CCPT活動実践提言書」で検索することができる。

▼「地域経営講座『杉下村塾』」『1989 CCPT活動実践提言書』1990年8月、7~17ページ
智頭7ページ
智頭8ページその2
智頭9ページ
智頭10ページ
智頭11ページ
智頭12ページ
智頭13ページ
智頭14ページ
智頭15ページその2智頭16ページ
智頭17ページ

〇「まち」は、多様な個性を持つ地域・住民の創造性に基づいて内発的に発展し、持続可能な地域・社会への変革を実現する。「まちづくり」は、子どもも大人も、高齢者も、障害のある人もない人も、全ての住民(市民)が参加する「共働」(coaction)を基本理念とする。「まちづくり」には、“think globally, act locally”(グローバルに考え、ローカルに行動する)の視点や姿勢が必要である。要するに、「まち」の風土と歴史と暮らしは、新しい風を内から巻き起こし、外から呼び込むことによって、「豊かさ」へと変わるのである。
〇ここでは、「杉下村塾」についての記録のうち、次の一節を銘記しておきたい。「身の丈に応じて、つつましく、しかものびやかに」(岡田憲夫、12ページ)。「創造性は異質の組み合わせで生れる。創造性を養う方法として『複数の分野の経験』『外部との交流』『秀れた師との出会い』などが効果的である」。「地域は既に国際社会であり、地域の個性を主張することが即国際化である」(神田淳、13、14ページ)。いまからおよそ30年も前の1989年8月、鳥取県の山間の地「智頭町の最奥部の八河谷にある『杉の木村』の一個の裸電球の下に集まった」わずか22人の「ヒト」たちが議論した言説である。その後、彼らは各地で、「地域経営」の「起人」(17ページ)に育っていったのであろう。その「出会い・ふれあい・学びあい」の過程こそが、寺谷が言う「地域共育」である。

付記
(1)「日本海新聞」(鳥取市、1998年10月19日)に「最終回迎える智頭・杉下村塾/地域の「人」「科学する目」重視/柔軟に活性化策探る」という記事が掲載されている。

吉田松陰の「松下村塾」に倣って年一回開講されている「杉(さん)下村塾」が、今年も二十三日から三日間、智頭町八河谷の杉の木村で開かれる。主催は、智頭町活性化プロジェクト集団(前橋登志行議長)。発足時から十年の期限をつけており、今年が最終回だ。集団は「人」に焦点を当てた地域活性化を進めてきたが、「杉下村塾」の終わりとともに一つの区切りを迎えることになった。集団のこれまでを振り返ってみる。(西部本社・富長一郎)
平成元年スタート
集団は昭和六十三年に結成された。智頭杉を使った日本家屋の設計コンテストやログハウス群を築く「杉の木材イベント」、若者の海外派遣事業など多くのイベントを手がけた。近年は、郵便事業の新たな可能性を引き出した「ひまわりシステム」の創設に携わった。
「杉下村塾」が始まったのは、平成元年だ。当時、地域活性化は「一村一品運動」などの特産品開発や市町村の総合計画などで語られることが多かったが、集団は「人」で地域活性化を語ろうとした。インフラなどの「モノ」が地域を活性化するのではなく、人が活性化すれば地域もにぎわうとの考え方だ。
同時に「地域を科学する」取り組みを大学教授らの参加により、推し進めた。難しい問題を外部のシンクタンクなどに丸投げにするのではなく、自らで解決していった。丸投げにすれば、地域にノウハウが残らないからだ。この点が集団が異彩を放つところだ。
こうした考えに基づく「杉下村塾」だけに、ねらいは人の活性化だ。遺伝子を一つ組み換えるとまったく異なった性格となるように、地域の人が一人目覚めれば、そして「地域を科学する」目を養えば、その地域が大きく変化するのではないか。そんな思いが込められている。
2つの大きな特徴
集団には二つの大きな特徴がある。一つは、最近になって注目されているNGO(非政府組織)のような柔軟な手法を、早くから採用していた点だ。
NGOのような柔軟さとは、今夏に米子市で開催された「北東アジア経済フォーラム」がいい例だ。国交がない朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の第一線の官僚も参加し、経済交流について話し合った。
国交がない国同士の話し合いは、国レベルという公式ルートでは困難だ。しかし、NGOの旗のもとであれば、各国一流の研究者、官僚らが自由に集まり、具体策を立案することができる。そして、それぞれの国に戻って立案した策の具現化を図る。
「杉下村塾」はまさに、そのフォーラム的な存在だ。各地域の行政マンや有志が集まり、地域の活性化策を自由に論じ合い、さらに「科学する目」を養い、自らを高めていく。そしておのおのの地域に戻り、地域を変えていく。硬直した行政、古くからの習わしなどとは異なるシステムや手法で、閉塞した地域の状況を変えていこうとしたのが、集団の持つ「NGO的な柔軟性」である。
もう一つの特徴は、地域の人々、または地域の持つ力を引き出すことで活性化を図ろうとした点だ。
従来、過疎にはインフラを「たし算」することで、脱却を図ろうとしてきた。しかし、それは際限のないたし算競争をもたらした。田舎がたし算しても、都会がたし算すれば相対的には変わらない。
集団は人々の心に焦点を据えた活動を繰り広げることで、人々と地域の持つ力を引き出そうとした。地域の欠点をインフラで補うのではなく、普段見逃している地域の美点を改めて見つめ、魅力を引き出そうとした。「脱たし算競争」を実現しようとした。
融合し新たな力
「杉下村塾」は回を重ねるうちに、変化している。当初はスクーリング形式だった。手弁当で駆けつけた大学教授らが活性化に必要な方策を「教える」スタイルだった。これが五回目ごろから先生、生徒の区別なく、テーマを互いに論じ合う形式になっていった。
先生と生徒の立場がくるくる入れ替わる。集団いわく「先生徒」というスタイルだ。近年は「共有主義」を標ぼうしている。参加した「先生徒」たちが、ある概念を共有して「融合」し、新たな力を生み出す。「教える」「先生徒」「共有主義」と参加者も進化していっている。
集団の事務局長を務める寺谷篤さん(五〇)は「人々が融合したことで、新たな化学反応がこれから起きる。どんな反応が起きるかわからないが、地下のマグマが噴き出るような爆発があるのではないか」と話す。
どんな爆発になるのか。それがポスト「杉下村塾」であり、二十一世紀の地域活性化の端緒の一つになるかもしれない。そんな「爆発」を論じる最終回の杉下村塾のテーマは、「題名のない杉下村塾」だ。(『平成10年度CCPT活動実践提言書』1999年10月、255ページ)

(2) 寺谷の言説(「学習重視志向の地域経営実践論」)の基盤には、鶴見和子の内発的発展論がある。鶴見は「内発的発展論は教育学」であると言う。

内発的発展論というのはどこに行きつくかわからない。到達点がない(中略)。もうひとつは、これは教育学なんですよ。分野としては、社会学よりも教育学なんです。社会学でいえば、社会化の理論。というのは、その人間のひとりひとりの可能性を実現、顕在化していく、伸ばしていく。それが教育です。(赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学―』藤原書店、2015年7月、97~98ページ)

(3) 智頭町は面積の約93%が山林であり、「杉のまち」としても知られている。町の標語(キャッチフレーズ)は「みどりの風が吹く疎開のまち」である。1990年10月現在の人口は10,670人、高齢化率は20.0%、2016年6月現在のそれは7,466人、37.8%を数えている。なお、前後するが、2015年10月現在における全国の高齢化率は26.7%、鳥取県は29.8%である。

備考
「CCPT活動実践提言書」のPDFファイルの入手を希望される方は、「市民福祉教育研究所」のブログの「プラットホーム」からお問い合わせ下さい。ご要望があれば「宅ふぁいる便」等で送信させていただきます。

ユネスコスクール・ESD・子ども民生委員活動:大牟田市立中友小学校における福祉教育の取り組み―資料紹介―

〇「子ども民生委員」をインターネット検索すると、複数の学校(小学校)の取り組みがヒットする。徳島県石井町立藍畑小学校の「藍畑子供民生委員会」「藍畑子供民生委員活動」は、1946年12月に平岡国市が創案した子供民生委員制度の系譜につながるものとして有名である。福岡県大牟田市や高知県土佐清水市、熊本県天草市、島根県江津市二宮町などにおける「子ども民生委員活動」等の取り組みも注目される。なかでも、大牟田市立中友小学校のそれは、「ユネスコスクール」(注①)としての「福祉教育」を軸にした取り組みであり、興味深い。
〇周知の通り大牟田市では、2011年度から「ユネスコスクールのまち おおむた」を合い言葉に、市立のすべての小・中・特別支援学校(2016年4月現在、小学校20校、中学校9校、特別支援学校1校)がユネスコスクールに加盟し、「持続可能な開発のための教育(ESD:Education for Sustainable Development)」(注②)を推進している。
〇大牟田市におけるESDの取り組みは、エネルギー・環境学習、国際理解学習、世界遺産・地域学習、福祉教育などを通して、次のような児童・生徒の資質や能力の育成・向上を図るものである(注③)。
(1) 他者の立場や考えなどに共感し、協力して物事をすすめようとする態度
(2) 人・もの・こと・社会・自然などと自分のつながりを大切にしようとする態度
(3) 自分の発言や行動に責任をもち、物事に主体的に参加しようとする態度
(4) 情報や資料等をもとに公平に判断し、深く考え、肯定的に受けとめたり、代わりの案を考えたりする力
(5) 人・もの・こと・社会・自然などのつながりやかかわりを理解し、総合的に考える力
(6) 人の気持ちや考えを大切にしたり、自分の気持ちや考えを伝えたりする力
〇中友小学校は、ESD の一環として、「地域に根ざした福祉教育」を1、2年生の「生活科」と3年生以上の「総合的な学習の時間」において、6年間にわたり段階的・継続的に実施している。そういうなかで、5年生が「子ども民生委員活動」に取り組んでいる。それは、「他者との関係性・社会との関係性を認識し、高齢者世代・保護者の世代・児童の世代の3世代の交流を促進させ、世代間の『つながり』や『かかわり』を大切にした活動」(注④)である。そのねらいは、児童・生徒を地域社会をつくる担い手として捉え、学校と家庭、地域との信頼関係を深め、地域の教育力も高めることによって、豊かな共生社会を構築することにある。
〇筆者(阪野)はかつて、徳島県の子供民生委員制度(活動)について、次のように評したことがある。「子どもの生活と社会に根ざした子供民生活動は、『子どもと大人』『地域と学校』『福祉と教育』を限りなく接近させ、その組織的なつながりのなかで活動の究極の目標である『民生村造り』すなわち福祉コミュニティづくりを進めたのである」(注⑤)。中友小学校の取り組みはそれに通底するものであると言えよう。
〇以下に、中友小学校が発行した『平成26年度/ESD 「子ども民生委員活動」ハンドブック~「総合的な学習の時間」のステージで~』のなかから、「総合的な学習の時間全体計画」(資料1)、「ESD全体計画」(資料2)、「ユネスコスクール全体計画」(資料3)、「子ども民生委員活動」(資料4)を抜萃して紹介する。

中友小学校資料1/6月20日
中友小学校資料2/6月20日
中友小学校資料3/6月20日
中友小学校資料4/6月20日
〇以上から、中友小学校では、児童・生徒の実態に応じた横断的・総合的で、系統的かつ計画的な「地域に根ざした福祉教育」が展開されている。しかもそれは、ユネスコスクールの理念やESDのねらいにかなうものである。評価されるところである。言うまでもなく、ESDが求める「持続可能な社会」を構築するのは「ヒト」(子どもから大人までの「市民」)である。学校教育のねらいのひとつは、地域との「つながり」や「かかわり」のなかで、「地域に学び、地域に生かし、地域を創る」ことにある。改めて認識しておきたい。
〇学校福祉教育は、地域の「社会福祉問題」(中友小学校がいう「地域素材」)を学習素材とし、「体験学習」を重視する教育活動である。従ってそれは、本来、学校内で自己完結するものではない。また、児童・生徒の発達課題や生活課題に対応して全教科・全領域で取り組まれ、地域を基盤とした学校経営の視点を持つことが必要不可欠となる。すなわち、学校福祉教育は、学校教育の根幹に位置づくものであり、学校を挙げて体系的・組織的に取り組むべきものである。
〇さらに付言すれば、地域に根ざした学校福祉教育をより豊かなものにするためには、「住民の暮らし理解とまち学習」「生き抜く力と共に生きる力の育成」「市民性形成のための教育営為」「ICFの理念に基づくまちづくり」「地域を基盤とした福祉教育推進プラットホームの構築」などについて思考し、取り組む必要があろう。その際に問われるのは、行政や、社会福祉協議会をはじめとする関係機関・団体・施設などの意欲と力量であり、それらと学校との「共働」である。

注
① ユネスコスク−ルでは、ユネスコの理念(国際平和と人類の共通の福祉)の実現をめざして、(1)地球規模の問題に対する国連システムの理解、(2)人権、民主主義の理解と促進、(3)異文化理解、(4)環境教育などのテーマについて、質の高い教育が実践されている。2015年6月現在、世界182か国の国や地域に10,422校のユネスコスクールがある。日本国内の加盟校数は、2016年3月現在で939校を数えている。文部科学省と日本ユネスコ国内委員会では、ユネスコスク−ルをESDの推進拠点として位置づけている(「ユネスコスクール」文部科学省ホームページ)。
② ESDは、「現代社会の課題を自らの問題として捉え、身近なところから取り組む(think globally, act locally)ことにより、それらの課題の解決につながる新たな価値観や行動を生み出すこと、そしてそれによって持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動」である。言い換えれば、ESDは、地球上で起きている様々な問題が、遠い世界で起きていることではなく、自分の生活に関係していることを意識づけることに力点をおくものである。地球規模の持続可能性に関わる問題は、地域社会の問題にもつながっている。だからこそ、身近なところから行動を開始し、学びを実生活や社会の変容へとつなげることがESDの本質である(『ESD(持続可能な開発のための教育)推進の手引(初版)』文部科学省国際統括官付/日本ユネスコ国内委員会、2016年3月、4ページ)。
ESDは、2002年に開催された第57回国連総会において、我が国が提唱した。また、2005年から2014年を「国連持続可能な開発のための教育の10年(DESD:United Nations Decade of Education for Sustainable Development)」とすることが決議され、以降、ユネスコを主導機関として世界的にESDの推進が図られている。
学習指導要領に関しては、2008年3月(小・中学校)と翌2009年3月(高等学校)に公示されたそれにおいて、「持続可能な社会の構築」の観点が盛り込まれた。以後、ESDの普及・促進が図られることになる。
「ESDと福祉教育・ボランティア学習」に関しては、『日本福祉教育・ボランティア学習学会 研究紀要』Vol.14(2009年11月)で、「持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」が特集されている。参照されたい。
③「『ユネスコスクールのまち 大牟田』について」大牟田市教育委員会ホームページ。
④ 『平成26年度/ESD 「子ども民生委員活動」ハンドブック~「総合的な学習の時間」のステージで~』大牟田市立中友小学校、2014年10月、2ページ。
⑤ 阪野貢『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、29ページ。

謝辞
本稿をアップするにあたって、大牟田市立中友小学校の校長・本村勝則先生と教頭・上田幸子先生には格別のご高配を賜りました。ここに記して深く感謝の意を表します。  
                                                                            

「パーソナル・キャピタル」と「つながりのコミュニティ」、「まち会社」と「事業としてのまちづくり」

▼学校福祉教育と「福祉のまちづくり」
〇先日、久しぶりにS市社協主催の「福祉教育担当教諭連絡会」に参加し、学校や社協の現場実践者とともに、「地域に根ざした福祉教育のねらいと実践」について“学び合う”機会に恵まれた。その連絡会の開催目的の一節は、「誰もが住みよいまちを目指すためには、福祉への理解・関心は必要不可欠なものです。とくに学校と地域が連携した取り組みは、児童生徒が福祉を学び、福祉のまちづくりを担う人づくりにつながる活動です」というものであった。そこから、福祉のまちづくりに向けた「地域福祉教育」の視点や方向性を読み取ることができる。首肯するところである。
〇筆者(阪野)が主催者から依頼されたのは、福祉教育の歴史と理論と実践、そして最近の動向などに関する基礎的・基本的事項についてのレクチャーであった。加えて、具体的な実践事例を紹介することも求められた。その際、宮沢賢治の童話のタイトル(中身ではない)『注文の多い料理店』を思い出した。「注文の多い連絡会」である。その連絡会は、危惧した通り、“一方通行”の、総花的なもので終わった感がある。それはひとえに、筆者の力量不足によるものである。
〇当日のアンケートの回答によると、学校現場の多くの先生方は、具体的な、“生(なま)”の、しかもすぐ“使える”福祉教育プログラム(実践事例)の紹介と説明を求めていた。それは、学校教育における福祉教育の意義や位置づけ、内容や方法などの本質的な問題について、未だに共通認識や定見を持つに至っていないことによる。併せて、学校福祉教育において、その取り組みの主体性や自律性、創意工夫や開拓性などを阻害する反福祉的・反教育的状況が進んでいることに起因する。そう思うのは筆者だけであろうか。ただ、一部の先生の言として、福祉教育は歴史的に形成され、社会的な状況を踏まえた教育活動であるという視点の重要性を再認識することができた、というものがあった。何よりの救いである。福祉教育は歴史的・社会的形成体であり、豊かな地域・社会の未来(あす)を切り開く教育活動である。

▼「パーソナル・キャピタル」と「つながりのコミュニティ」
〇S市社協から帰宅後、佐藤友美子・土井勉・平塚伸治著『つながりのコミュニティ―人と地域が「生きる」かたち―』(岩波書店、2011年8月。以下、「本書」)を再読した。珍しく、本書の帯(おび)が捨てずにとってあった。そのキャッチコピーは、「個人の力が集まる時、何かが始まる」である。また、表紙カバーの裏に記されている「内容紹介」は、次の通りである。「一人ひとりが持てる力を思う存分に発揮し、支えあい、楽しく、共に活き活きと生きる社会は果たして可能なのだろうか。さまざまな現場での活動を紹介しながら、人々が幸福に、心豊かに生きるための道を探る」。
〇本書は先ず、「地域の暮らしをつなぎ支える」(4件)、「地域の魅力をつくる」(3件)、「文化を創造する」(3件)という枠組みのもとに、10件のコミュニティ活動(まちづくり活動)の事例紹介を行う。その事例は、旧来とは違う新味性や、一過性ではなく継続性を念頭においたものである。次に、それぞれの活動を読み解きながら、「人々が幸福に、心豊かに生きるための道を探る」、というかたちで編まれている。これに関して一言すれば、こうした事例紹介は、ある視点やフレームワークに基づいて収集した事例の表面的な特色(個性)を記述するに留まることがある。事例「紹介」といえども可能な限り、その活動の背景や実態・内実に迫り、活動の代表性・典型性や一般化・普遍化などについても言及することが求められる。なお、その点では、ひとつの事例を徹底的に分析・評価し、失敗したことなども含めて余すところなく紹介する方が、現場の活動には真に「役立つ」ように思える。
〇本書で注目される(したい)キーワードのひとつは、「パーソナル・キャピタル」「共立の活動」である。その概念をめぐって佐藤らの言説を紹介することにする。

個人の能力が個人で完結している場合、社会的に大きな活動として広がることはない。キャピタル(資本)という言葉の意味には「剰余価値を生むことによって自己増殖する価値」がある。すなわち、個人の能力が別の個人の能力と結びつき、つながることによって増殖し、一人ひとりの能力を足したもの以上の価値を生み出していく。そんな個人の能力を「パーソナル・キャピタル」と意味付けたい。個人の体験を経て個人の資質として蓄積された資本、様々な能力は誰の目から見ても明らかに見えるものではないだろう。また、「パーソナル・キャピタル」は必ずしも資格のようなものではない。普段あたかも何もないように見えていて、何かのきっかけで顕在化するのが「パーソナル・キャピタル」である。(ⅸ~ⅹページ)

「パーソナル・キャピタル」が集まり、結びつき、つながることによって相乗効果を生み、力を発揮する状況を(中略)「共立」と定義付けた。「共立」はできることを持ち寄り、より高次なレベルの活動をつくり上げるプロセスを指す言葉である。(ⅹページ)

個々人のパーソナル・キャピタル(すなわち、物事を判断する際のモノサシとなる価値判断能力、問題解決に必要な人とのつながり方やコミュニケーション能力、場の設定能力、交渉能力、専門家の活用能力、合意形成能力、起業化力、継続力、持続力、など)をそれぞれ持ち寄り、それを結びつけることで、化学反応が起こり、課題を読み替え、解いていく。協働作業によって、より高次なレベルの活動を作り出し、新しい価値を作り出すプロセスが「共立の活動」である。それは、特別な人のものではなく、小さくても何かを持っていれば、誰にでもできることなのだ。そして、それはいつしか一人を超えて、大きな流れをつくっていく。参画した参加者は「共立の活動」の一部を担っていくことになるのである。(174~175ページ)

〇佐藤らがいう「パーソナル・キャピタル」は、地域・社会における「ちょっとしたつながり」「ゆるやかなつながり」をつくる個人の能力を意味する。それが、より高次なレベルの「つながり」(ソーシャル・キャピタル)や、それに基づくまちづくり活動や運動を創りあげることになる。そこに広がるのが「つながりのコミュニティ」である。言い換えれば、カリスマ性のある特定の「ヒト」に頼った取り組みには“危うさ”がつきまとうが、そのリスクを取り除くのが「つながり」である、ということになる。「地域に根ざした福祉教育」「地域を基盤とした福祉教育」の展開に関して留意すべきところである。

▼「まち会社」と「事業としてのまちづくり」
〇いま、筆者の手もとに、まちビジネス投資家/事業家と称される木下斉(きのした ひとし)が書いた本『稼ぐまちが地方を変える―誰も言わなかった10の鉄則―』(NHK出版、2015年5月)がある。そのブックカバーの裏に記載されている「内容紹介」は、次の通りである。訴求性が高く、興味・関心を呼び起こす。

人口減少社会でも、経営者視点でまちを見直せば地方は再生する! 補助金頼りで利益を生まないスローガンだけの「地方創生」はもう終わった。小さくても確実に稼ぐ「まち会社」をつくり、民間から地域を変えよう! まちおこし業界の風雲児が、心構えから具体的な事業のつくり方、回し方まで、これからの時代を生き抜く「10の鉄則」として初公開。自らまちを変えようとする仲間に向け、想いと智恵のすべてを暴露します。

〇木下は、その本で、地域を活性化するためのまちづくりは「活動」ではなく、「事業」として取り組むことが有効であるとする。そして、「まち会社」(注1、2)が「まちづくり事業」を成功させるための秘訣を「10の鉄則」と「10の覚悟」に纏める。その項目は以下の通りである。

まちづくりを成功させる10の鉄則
①小さく始めよ、②補助金を当てにするな、③「一蓮托生」のパートナーを見つけよう、④「全員の合意」は必要ない、⑤「先回り営業」で確実に回収、⑥「利益率」にとことんこだわれ、⑦「稼ぎ」を流出させるな、⑧「撤退ライン」は最初に決めておけ、⑨最初から専従者を雇うな、⑩「お金」のルールは厳格に(79~153ページ)
まちを変える10の覚悟
①行政に頼らない、②自ら労働力か資金を出す、③「活動」ではなく「事業」としてやる、④論理的に考える、⑤リスクを負う覚悟を持つ、⑥「みんな病」から脱却する、⑦「楽しさ」と利益の両立を、⑧「入れて、回して、絞る」、⑨再投資でまち全体に利益を、⑩10年後を見通せ(198~201ページ)

〇「10の鉄則」と「10の覚悟」は、企業・組織経営やビジネスの観点から纏めたものである。従って、この鉄則と覚悟はそのまま、「福祉のまちづくり」や「つながりのコミュニティ」づくりに通用(通底)するものでもない。とは言え、NPO法人や市民活動団体、地域組織・団体などの事業・活動に関して留意すべき事項や参考となる点を含んでいる。例えば、木下は、覚悟⑧について、「まちの活力を生み出すには、地域外から人や財を入れ、地域内取引で回して、地域から出て行く人や財を絞る。この循環をどう大きくしていけるか、というのを徹底すれば、必ず再生する」(201ページ)。⑨については、「まちづくりに事業として取り組むのは、それで儲けた資金を全て手元にとるのではなく、再投資をして地域で資金を回していくからだ。事業は課題解決方法であり、金儲けの手段ではない。すなわちまちづくり事業団体だけが豊かになっても意味がない」(201ページ)、と説述する。すなわち、まちづくり事業では、「ヒト」「モノ」「カネ」そして「情報」の社会資源(経営資源)をいかにして地域の内外から取り入れ、地域内で好循環させ、その資源や成果(果実)を“単利”ではなく“複利”で拡大させるかが重要なポイントとなる。そこに求められるのは「地域経営」の視点や姿勢である。
〇木下の著書に、『まちで闘う方法論―自己成長なくして、地域再生なし―』(学芸出版社、2016年5月)がある。その本の帯のフレーズは、「中途半端な正義感だけでは、まちを変えることはできない」である。まちをひとつの会社に見立てて経営するという観点で18年間闘い続けてきた木下の言葉は、重い。「福祉のまちづくり」や「つながりのコミュニティ」においても、「中途半端な正義感」は何の役にも立たない。

注
(1) 「まち会社」といっても一般には馴染みが薄いかもしれません。これは、イベント会社やコンサルタント会社、ましてやボランティア団体等ではありません。まちの不動産オーナーなどと共に設立し、各不動産や店舗の改善を行い、さらにエリアの価値を高めていくという、目的も収益源も、そして顧客もはっきりしたビジネスです。(木下、71ページ)
日本ではまだ、不動産オーナーが中心となってまちづくりを推進する、ということは主流にはなっていません。立ち上がるべき人が立ち上がっていない。(中略)まず不動産オーナーが本気にならなければ、地域はどうにもなりません。外部の人間が(中略)、どんな提案をしようとも、意思決定権は不動産オーナーが握っています。(中略)まちのオーナーシップは、不動産オーナーにあるのです。(木下、76~78ページ)
(2) 「まちづくり会社」をはじめとするさまざまな担い手と行政が連携することで、従来とは異なる新しい発想でまちづくりを進める取り組みが全国各地で実施されている。その概要については取り敢えず、『まちづくり会社等の活動事例集―活動類型別の代表的な30事例の紹介―』(国土交通省都市局まちづくり推進課、2012年3月)が参考になろう。

1%から始まる住民主導の内発的まちづくり―主体者意識に基づく「話し合い」と「学び合い」、そして「地域経営」―

4月下旬、群馬県の伊香保温泉と竹久夢二の記念館、そして栃木県足利市のフラワーパークへの一泊旅行を楽しんだ。/記念館では、夢二の多彩な作品に流れる静寂な空気、100年以上も前のオルゴールが奏でる繊細な音、その世界に没入した。窓の向こうでは、小雨が降る木々のなかで、姿をみせないウグイスが美しくさえずっていた。気がつけば、私は一幅の絵のなかにいた。記念館は、まさに美と癒し、大正ロマンの森であった。/翌日訪れたフラワーパークの藤の花は、ただ一言、圧巻であった。しばらく私は、花と香りの世界を飛翔した。/帰宅すると、注文していた本が届いていた。3年ほど前からの日常の一コマがまた、ぎこちなく回り始めた。

〇「みんなが1%、生き方を変えれば、僕たちの社会も変わっていく。」「100%と比べればほんのわずかな1%が、実は無限大の力を持っている可能性がある。」(鎌田實『1%の力』河出書房新社、2014年9月、9ページ)
▽地域で「事を起こす」にはまず、一人の「1%」が必要である。その一人の「もう1%」、そして「みんなの1%」が積み重ねられることによって、「100%」になる。ときには「100%」を超える。そこに「事が成る」。

〇「住民はまちの主役であっても、まちづくりに関しては素人なのです。」「地域の人たちから必要とされなくなること―それが最終目標なのです。」(山崎亮『ふるさとを元気にする仕事』筑摩書房、2015年11月、171、193ページ)
▽まちづくりはその素人が、いかにしてまちづくりの主体者意識を持ち、知識や技術を習得し活用するかにかかっている。そこに、「コミュニティデザイン」(まちづくりのための手法)のあり方や「コミュニティデザイナー」(専門家)の役割が問われる(注①)。

〇「地域の自立的な総合的発展を目指すためには、各地域が、ビジョンや地域の経営戦略を持って、地域の経営に取り組んでいくことが必要である。」「地域の経営は、地域の発展のために行われる運動であり、協働、連携、マネジメントがキーワードとなる。」(海野進『地域を経営する―ガバメント、ガバナンスからマネジメントへ―』同友館、2009年4月、7、10ページ)
▽地域経営主体(市民、企業、地方自治体など)が連携・協働して「地域の経営」の活動や運動を展開することによって、地域にイノベーション(革新)を起こし、地域の持続可能な発展を促すことができる。

住民主体のまちづくりの実践例のひとつに、鳥取県智頭町と長野県飯田市の取り組みがある。智頭町は、面積の90%以上を山林が占めるという典型的な中山間過疎地域であり、キャッチフレーズは「みどりの風が吹く“疎開”のまち」である。2016年2月1日現在の人口は7,498人、世帯数は2,736世帯、高齢化率は37.6%を数える。飯田市は、人口10万人規模の典型的な地方都市であり、「りんご並木と人形劇のまち」としても知られる。2016年4月末現在の人口は103,762人、世帯数は39,740世帯、高齢化率は30.7%を数える。
智頭町の取り組みは、稀有(けう)な挑戦的実践者と評しうる寺谷篤志(元郵便局長)の「1%」から始まる。そこでは、まちづくり実践の理論化(「思考のデザイン」)の視点である「地域経営」と、地域課題を解決するための実践的な手法である「四面会議システム」(合意形成システム)が注目される。また、「自分をつくる」「まちをつくる」ための学習の場である「杉下村(さんかそん)塾」(1年一回2泊3日×10年)や「耕読(こうどく)会」(40回×10年)の開講、無から有を生み出す、住民主導による地域活性化運動としての「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」(注②)の展開などが特筆される。それらの概要は、寺谷篤志・平塚伸治著/鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』(仕事と暮らしの研究所、2015年3月)に纏められている。
飯田市の取り組みは、飯田という10万人規模の地方都市の住民と行政、そして地元企業などのそれぞれの「1%」が織りなす、多様で重層的なネットワークのもとに展開されている。そこでは、まちづくりを担う地域住民や行政職員、地域組織・団体などが「当事者意識」(「主体者意識」)を持ち、対等な立場で「円卓」を囲み、地域のことを語り合い、学び合いながら一緒に「事を進める」という「円卓の地域主義」(roundtable regionalism)が注目される。それは、人口減少・少子化・高齢化・地方消滅などの右肩下がりの時代であっても持続可能な地域は実現できるという、現市長・牧野光朗の信念や市政経営の考え方である。また、牧野は、21世紀の地域づくりは想像力と創造性を巡らせて人の感性に訴えるものであるべきである、という(「デザイン思考的アプローチによる地域づくり」)。それらの理念と具体的な取り組みについては、牧野光朗編著『円卓の地域主義―共創の場づくりから生まれる善い地域とは―』(事業構想大学院大学出版部、2016年2月)に纏められている。
以下に、二冊の本のなかから、注目したい(される)論点や言説のいくつかを紹介することにする。

(1) 寺谷篤志・平塚伸治著/鹿野和彦編著『「地方創生」から「地域経営」へ―まちづくりに求められる思考のデザイン―』仕事と暮らしの研究所、2015年3月
▼地域づくりに求められる「マネジメント」「地域経営」の視点
〇地域社会の「真ん中」に立ち、主体的に地域づくりに参画していく(ためには、中略)自分の中に「よりよく生きたい」というエネルギー、あるいは「このままではだめだ」という危機感が必要になる。そして、そうしたエネルギーや危機意識を引き出すために必要な作業が「学び」であり、「考える」という行為である。それも、どのような視点で物事を見るべきなのか、鳥の眼(全体を俯瞰する)、虫の眼(現場目線)、魚の眼(過去・現在・未来を考える)を駆使して物事の本質を見る眼を養う必要があるだろう。(鹿野、22~24ページ)

〇地域は一人で成り立っているものではない。地域社会を変えるためには、他者から共感を持ってもらい、共に実践してもらうための仕掛けが必要になる。具体的には、他者と共通認識を持つためにコミュニケーション能力や、他者の意欲を喚起するためのプレゼンテーション能力が必要であり、他者と共通の場を作るための仕組みを構築する必要がある。(鹿野、24ページ)

〇地域づくりにおいても、企業が事業を推進するときと同様のマネジメント手法が必要である。(中略)企業マネジメントの基本に目標管理の手法があるが、地域づくりにおいても、目標(地域の課題)を設定(発見)し、それを達成するための計画立案(Plan)―実行(Do)―検証(Check)―改善(Action)を繰り返す仕組みを導入する必要がある。(中略)地域づくりを推進するためには(中略)、「地域マネジメント」「地域経営」の思想とシステムが必要である。(鹿野、24~25ページ)

▼地域経営=地域+ヒト+資源+新視点+技術力+起業家精神+イノベーション力
〇地域経営はヒト、文化、産業、素材、その他、地域に賦存(ふそん)するあらゆる資源の価値を発掘し、総付加価値を引き出す社会的イノベーションと捉えるべきであろう。特にヒトはイノベーションを起こす当事者にもなりえる知識・アイデアとチャレンジ精神を持った人材(財)になりえる一番大切な地域資源である。そのような人材(財)を発見し、育てる息の長い地域共育がその鍵を握っているはずだ。(寺谷、40ページ)

〇地域社会の経営の主宰者は、当然ながらその地に住む住民である。はたして地域の経営者となるべき市民(住民)は、地域の姿を決める重大な問題である地域経営をいつまでも他人事にしておくのか。詰まる所、地域経営の当事者として、お互いが相互にそこに存在する意義が問われなければならない。(中略)
地域経営を身近に引き寄せて言えば、地域における企業経営であり、組織経営であり、集落経営であり、自己経営である。それを我が事として捉え関わる当事者意識が問題となる。具体的に平たい言葉でいえば、地域経営は、その地域、ヒト、資源、新しい視点、技術力、起業家精神、それによるイノベーション力となろう。(寺谷、41ページ)

(2) 牧野光朗著『円卓の地域主義―共創の場づくりから生まれる善い地域とは―』事業構想大学院大学出版部、2016年2月
▼飯田型まちづくりのルール
〇飯田型まちづくりはシンプルなあるルールによって成り立っている(中略)。それは、円卓から始まる共創の場づくりである。(稲葉、82ページ)

▼住民の「当事者意識」と「円卓」
〇ラウンドテーブル(円卓)には意味がある。ここが上座という意識はなく、誰が偉いということでもない。貴賤の差別なくみんなが対等に話し合いをするということだ。ときには専門家にアドバイスを求め、みんなで智恵を出し合い、折り合いをつけながらまちの価値を高めていく。このような行為を私は共創と呼んでいる。共創の場、共創の時間は、共創の志から生じるものであり、その志の源泉は自分たちのことは自分たちでという当事者意識にある。(牧野、159ページ)

〇これまで、職員を含む地域の人々に当事者意識を持って事に取り組んでもらおうと円卓の整備を進めてきた。数々の深化と実践を経て、やっとのことで円卓が自生するようになってきた。議論の場をつくり、当事者意識をもった人々が円卓を囲む。まずは何をするにも円卓の整備を第一に意識してやってきた。そうしたスタイルを人々が知らぬ間に体得し実践をするようになったのだ。
それだけではない。規範や体裁に囚われず、自らの頭で考え行動に移す人が増えてきた。円卓が深化をしてそれぞれの価値を創造するようになった。共創の場が実現したのである。周囲の変化の中でも、とりわけ職員の成長は目を見張るものがあった。(稲葉、137ページ)

〇「円卓の地域主義」は、地域が当事者意識を強く持ってボトムアップで右肩下がりの時代に対応しようとする考え方であり、(中略)自分たちの地域の将来に希望を見出し、自主自発の取り組みを行うための触媒としての機能を発揮するものである。(中略)ボトムアップの社会の構築には、相当の期間が必要である。「円卓の地域主義」とは、国からのトップダウンのやり方や指令で行われるものではない。各地域それぞれが、それぞれの方法で自ら時間をかけて獲得していくものと考えている。(牧野、163ページ)

▼「地育力」による人づくり
〇こうした市民の変化は、丁寧に円卓を整備し深化させていった結果とも言えるが、これまで飯田が行ってきた人材育成の大きな成果とも言える。(中略)飯田では、進学・就職等で一度地域を離れても、将来的に飯田に帰ってきて地域を担う人材として活躍してもらう「人材サイクル」を構築しようとしている。①帰ってきて働くことのできる「産業」をつくり、②帰ってきたいと考えるような「人」を育み、③帰ってくることのできる環境・「まち」をつくる、この3つくりが「人材サイクル」構築の大きな柱である。(稲葉、140ページ)

〇地育力とは、自然や文化、歴史や産業など豊かな飯田の資源を活かして、飯田の価値と独自性に自信と誇りを持つ人を育む力である。こうした力を、行政や教育従事者だけでなく地域一丸となって育んでいこうとしている。地育力による人づくりの実践は多岐にわたる。(中略)公民館活動もその典型であるし、(中略)飯田の市民が小学生から大学生に至るまで、場合によっては大人になっても、地育力による教育を受けることができるようになっている。それらは地域の外側にも開かれている。(中略)外からやってきた人に飯田に触れてもらい、知ってもらう。地域のブランディング(ブランド化:阪野)につながる。市民は来訪者を通して外から見た飯田に向き合い、誇りと自信を獲得していく。(稲葉、140~143ページ)

「超少子高齢・人口減少・多死社会」や「地方消滅」「地方創生」などが叫ばれ、政治の右傾化と経済・社会的課題の深刻化が続いている。そういうなかで、地域の持続可能な発展を実現するために、地域住民や地元企業、行政などの多様な地域経営主体がいかにして主体者意識(当事者意識)と主体者能力(当事者能力)を持ち、連携・協働(共働)するか。そして、自立的かつ自律的な「地域経営」(regional management)の進展を図るか、が厳しく問われている。その際の地域経営の主体化(意識と態度・行動の育成と変革)の取り組みは、地域住民の個人的レベルにとどまらず、組織・団体や地域全体のレベルでのそれが必要かつ重要となる。すなわち、単に地域経営の意識や能力を持った人材を育成・確保し、地域に配置するだけでなく、地域全体としての地域経営の仕組みを構築し、その仕組みによる地域・住民の運動を戦略的・計画的に展開することが肝要となる。そのために必要不可欠なのは、多様で多層な地域経営主体の地域内外にわたる相互交流と情報共有、「話し合い」と「学び合い」であり、それに基づく豊かな知識と確かな技術、地域に対する熱い思いである。そして、それらの根底をなす理念は、「1%」から始まる一人ひとりの住民の「満足」と「楽しさ」、すなわち「しあわせ」である。本稿で言いたいのは以上の点である。

注
① コミュニティデザインの活動のノウハウを仕事術というかたちで纏めたものに、山崎亮+studio-L『山崎亮とstudio-Lが作った問題解決ノート』(アスコム、2015年12月)がある。
②「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」は、日本の典型的な中山間過疎地域である鳥取県智頭町で、1997年度から行われている住民運動である。これは、最小コミュニティ単位である「集落」ごとに、(10年後の:阪野)集落ビジョンを描きそれを実現しようとするものである。ビジョンを描き、智恵やお金を出すのは住民であり、行政は脇役としてサポートするにとどまっている。すなわち、住民主導による徹底したボトムアップの運動である。
ゼロイチ運動は、「0から1、つまり、無から有への第一歩こそ村おこしの精神」との理念から名付けられた。この運動は、「村の誇り(宝)の創造」を目的としており、地域経営(生活や地域文化の再評価を行い、村の付加価値をつける)、交流(村の誇りをつくるために、意図的に外の社会と交流を行う)、住民自治(自分たちが主役になって、自らの第一歩によって村を起こす)という3本の柱がある。(中略)そこには、保守性・閉鎖性・有力者支配という旧来からの地域体質を打破しようという意図が込められている。(杉万俊夫『鳥取県智頭町「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」―住民自治システムの内発的創造―』総合研究開発機構、2007年6月、要約、1ページ)
「ゼロ分のイチ」とは、(中略)岡田憲夫(京都大学名誉教授)が考案した標語であり、無から最初のイチを創出すること、すなわち、無限の跳躍を意味している。(高尾知憲・杉万俊夫「住民自治を育む過疎地域活性化運動の10 年―鳥取県智頭町「日本・ゼロ分のイチ村おこし運動」―」『集団力学』第27巻、集団力学研究所、2010年7月、79ページ)
「物言わぬ住民」を好む行政も、「物言わぬ住民と行政の間で利害をとりもつ」ことを存在価値とする町会議員も、ゼロイチ運動の企画を何とか握りつぶそうと最後まで抵抗した。ゼロイチ運動は、「物言わぬ住民」を「物言う住民」に転換する運動だからだ。(高尾知憲・杉万俊夫「同上論文」80ページ)