阪野 貢 のすべての投稿

高島巌先生と木谷宜弘先生のこと:木谷宜弘「学校における福祉教育を考える―5つの柱―」(1979年10月)―資料紹介―

いま、筆者(阪野)の手もとに、雑誌『ボランティア』(富士福祉事業団発行)が10冊ほど収められた手製のファイル(「高島先生の思想と哲学」)がある。雑誌の各号には、「わが国ボランティアの先駆者」(三浦富雄)と評された高島巌先生(1976年5月没、享年78)の原稿や関連記事が掲載されている。筆者は、1975年頃から児童養護施設・双葉園にお邪魔するようになった。そして、園長の高島先生から直接、「いそいではいけない/かまえてはいけない/たえることだ/まつことだ/いのることだ」という“ボランティアする心の原点”についてご指導いただいた。およそ40年も前のことである(注①)。
『ボランティア』の1979年10月号(「福祉教育を考える」)に、「日本のボランティアの父」(大橋謙策)と評される木谷宜弘先生(2012年10月没、享年83)の一文が載っている。それは、1979年8月に開催された「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」における木谷先生の報告(「まとめ」)である。その2年前に、「学童・生徒のボランティア活動普及事業」がスタートしている。その点において、この報告には、木谷先生の福祉教育への熱い思いや強い願いが込められている。以下に、編集者による前書きと木谷先生の報告を紹介する。

「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」から 
「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」が、8月7、8日、東京・大手町のサンケイ会館で開かれた。全国から約300名の関係者が参加したが、行政、社協、ボランティア推進機関担当者にまじって、小・中・高校教諭など学校関係者が出席者の半数を占め、なかでも多くの小学校長が出席して注目された。
つどいでは、福祉教育の重要性が強く叫ばれるようになった今日、これからの、小・中・高校生に対する福祉教育を、どう進めればよいのか。社会福祉、社会教育、青少年団体などで、いままで推進されてきた実績をふまえて、そのありかたを中心に、お互いの理解を深め、発展の方策をさぐった。
ここに紹介するのは、このつどいを主催した全国ボランティア活動振興センター・木谷宜弘主幹の、福祉教育についてのコメント(中略)である。
(「福祉教育を考える」『ボランティア』第14巻第5号・通巻第161号、富士福祉事業団、1979年10月、3ページ)

学校における福祉教育を考える――全国ボランティア活動振興センター主幹・木谷宜弘
「福祉には教育の支えが必要だ」と、かねがね思っている。それは、福祉の風土づくりという「百年の計」に相当する大仕事は、人間の意識変革なしには成立しえないからである。そして、この人間の意識変革は、教育活動によってなされていく。
「福祉教育」という言葉が使われるようになったのも、このような観点からで、この言葉の概念規定が論議されたのは、昭和45年度全国社会福祉会議であった。翌年に「福祉教育とは、憲法にもとづく社会的基本権としての、生活上の福祉の確保をさまたげる諸問題を、地域社会における住民が、みずからの問題として、自覚的に認識し、その解決のための運動を、継続的に展開するのを援助するための、教育的活動である」と定義づけられた(注②)。その対象は、一般成人に対して行われるものと、児童、生徒に対して行われるものとに分けられるが、学校における福祉教育は後者の教育体系の一部であるといえる。
社会福祉の分野においては、実践が理論に先行することが常で、学校における福祉教育も、その実践は終戦直後にはじまった。昭和22年、福島県(徳島県:阪野)でスタートした「子ども民生委員制度」は今日の社会福祉協力校の前身であった。「すべてのお友だちを幸福にしよう」という合言葉のもとにすすめられたこの制度は、後に、全県下の小・中学校はもとより、一部県外にまで波及した。
昭和24年、中央共同募金会委員会が、「国民たすけあい共同募金、学習指導の手引」を製作して、中学、高校に配布し、教師の協力を求めることによって、学校における福祉教育の必要性について、一石を投じた。昭和25年、神奈川県において、「社会福祉研究普及校制度」がはじめられた。この制度は、学校教育の荒廃が目立つようになった昭和40年ころから、他県へ波及しはじめ、昭和50年には、10県に広がっていた。
全国社会福祉協議会が、この制度の実現に取り組んだのは、昭和46年ごろからであったが、実際に、国庫補助が実現し、都道府県社協の協力によって、全国普及がはじまったのは、昭和52年度からであった。現在、3年目を迎え全国に638校(うち国庫補助対象校は288校)の小・中・高校がこの実践に参加している。
今回、厚生省、文部省、青少年育成国民会議の後援のもとに開催した「学童・生徒の福祉教育を考えるつどい」は、以上のような歴史的経緯を背景として実施されたもので、当日、参加した学校教師、社協職員、行政関係者、ボランティアなど300名の、貴重な実践、経験をふまえて、その中から、学校における福祉教育の今後のすすめ方、発展方策を明らかにしようというものであり、このつどいの開催とこれからの実践は、福祉と教育が1つの目標をめざして協働するという点で、画期的意味をもっている。それだけに難問も多く、じっくり腰をすえてかからなければならない「運動」であると心得ている。

5つの柱
小・中・高校生の福祉教育について、重要な点だけを、とりまとめますと、5つの柱になるようであります。
まず第1は、福祉教育の概念をどうとらえるか、ということです。これには、いろいろ論議もございますが、一応福祉教育と学校教育との「教育」という観点からみた概念は、一致してきているようであります。人間教育――心を豊かにする人間教育、あるいは市民教育、全人教育を、1人1人の主体性を確立しながら、思いやりのある、そういう態度や考え方を身につけていく。こういう点では、学校教育も福祉教育も共通である、ということが打ち出されています。
これは両者における大事な基盤です。その基盤が共通し、かつ目標等も共通するものではありますけれども、しかしまた、福祉固有の視点というのも存在するわけでありまして、その視点からいいますならば、学校教育の学習全教科、またその他学科外の活動などを、もう一度見直して、それにより福祉の理解、あるいは人権というようなものの感覚を、もっと身につける必要があるのではないかと思うのであります。
長年にわたる社会的な風潮が作られるなかで、人間の、1人1人の人権が尊重されるという状況が、だんだんと家庭や学校、地域社会の中で培われる機会がなくなってきています。で、こういう感覚を、体験学習を通して身につけさせる。学校教育に、努めてそういうあり方なり視点を持ち込むことが、学校教育全体を完成させていくということにもなるのではないでしょうか。
福祉ということは、ずいぶん変わってまいりました。昔の救貧的な福祉という考え方ではありません。気の毒だとか、かわいそうだということではなくて、すべての人たちと共存していく。そういう社会をどう作るのか。お互いに自立し、助け合える、そういう社会をどう作るのか。また、そういうものは、与えられるものではなくて、1人1人が参加し、そして求め作り出していく、という主体的な態度や考え方が、身につかなければならないことなのです。そういう意味で、福祉というものの視点を、もう一度学校教育の中で考えていただくことが、とても大事だと思われます。
2番目に、福祉教育の方法という立場から考えてみましょう。福祉教育というものは、実践と学習とを並行していくところに特徴があります。体験学習ということばが、そういう意味で、よく使われているわけですが、その「体験学習」を、あまり狭くとらえてはならない。つまり障害者、老人らと交流することが、体験学習だというふうに、狭く、それだけに限定してとらえてはならない。福祉の視点から考えてみた場合、教科の全般において、さまざまな体験学習を織り込むことができるように思います。
また、行事中心という考え方も大切ではありますが、日常生活との関連を考えていく、日常生活全般にわたって、体験学習を考えていく必要があるでしょう。生活実践のなかで、そういうものを積み上げていく、ということが大事です。
学校内だけで完結するということも、それだけではいけないのではないか。やはり家庭、地域社会、そういうところへ目を向けていくということも、大事でしょう。ボランティア実践を、単に奉仕するということではなく、その精神的な基盤である福祉の視点、あるいはお互いが自立し合い、その自立を助け合う、こういうふうな精神的な基盤についても、考えていかなければならない。そういう体験学習、実践と学習のくり返しのなかで、教育指導側は、それを積極的に推進する必要があるでしょう。
福祉教育の方法の2つ目として、学校の年間計画の中に、福祉教育を正確に位置づける。そういうことの設計図を作ることが、大事だということも打ち出されています。そして3つ目には、子どもの成長、発達の段階に応じたプログラムが、大事だということです。とくに子どもの自主性、主体性を、どう育てていくかという場合、今日の子どもたちの実態のなかで、これはなかなか難しい点もあるようです。
いったいどうやって、そういう自主性、主体性を培っていけばいいのか。福祉教育という観点のなかで、そこで出されております手がかりは、1つは共鳴と共感というものが、そういうプログラム、あるいは体験学習の中に織り込まれることによって、子どもたちは、その中から呼びさまされていく、ということが見られるのではないでしょうか。それからまた、異年齢間の交流、同学年同士ではなくて、学校でも縦の学年の交流、あるいは社会的に、老人や障害者や青年や、さまざまな縦の年代層の交流というのも、1つの手がかりになると思えるのです。
そこで、教科の中に、そういう福祉というものの視点を織り込む、そういうプログラムを織り込むと同時に、教科の中から、逆に体験学習を引き出していくということも、考えていくべきではないか。それを身近な問題から考えていく。そして取り組むということで、社会的な弱者というのは、けっして社会に存在するだけのものではなく、学校の同じクラスの、同じ仲間でも、いわば落ちこぼれがどんどん出ているのであって、こういう状況のなかで、そういう問題を考えることができるのではないだろうか。
あるいは、皆がどんなに健常だと思う状態であっても、医学的にはノイローゼになっていたり、苦しみ悩むそういう状況を、多くの子どもの中に見られるわけで、そういう状況の子どもたちに対する相互のかかわりあいという問題を、生活の中で、学校生活の中でも、いわば福祉の視点のうちに、問題としてとらえることができるでしょう。
柱の3番目は、これはどうしても、まず学校の先生がたの、意識の問題で、教師間の合意づくりを、どう進めたらよいかということです。
これは非常に、重要なポイントでありますけれど、難しいものを含んでいるといえそうです。教師のかたがたの、意識統一というものは、いっぺんに図れるわけではない。やはりそこに、非常な情熱を傾ける先生がいらっしゃらねばならない。そういう核になる先生が、まず自らの情熱を燃やすことによって、周囲を高めていく。影響を及ぼしていく。こういう存在になることが、大事ではないかということです。
郷土学習というのが、教師集団で深められていて、いろいろ例示されています。そして、その郷土学習などのなかから、学習全教科における福祉の視点を皆で考え、共通の理解が広がっていくことが期待されます。
なおまた、学級運営という側面から考えた場合、これは1人の先生の問題ではなく、すべての先生の問題になってくるでしょう。そういう1つの困難を突破した経験も語られていますが、こうして先生自身を変え、そこで当然子どもたちが変わり、非常に大きな影響力、あるいは説得力が生じることになります。子どもたちと一緒になって、福祉体験をすすめていくなかで、そういう変化を、大きく子どもたちの生活の中に生かし、影響を与えた例はたくさんあります。
4番目の大きな柱は、「学校と地域社会」ということばで表現できると思います。今日の社会は非常に閉鎖されている。縦割りになっている。管理化され、制度化がすすんでいる。したがって専門化、分化されている社会であって、ともするとお互い閉鎖的な存在になりやすいわけです。
社会福祉の分野では、今「施設の社会化」ということが、非常に強く叫ばれています。しかし家庭自体も、社会化していないのではないか、というふうなこともいわれております。学校とて、社会に開かれた存在として、開放される、開かれていくことが大事ではないでしょうか。そして、ともにそういう視点で考えた場合、お互いに結びつく接点が、生まれてくると思うのであります。
そこで学校としては、外に出て行く―福祉体験の場合、よく施設を訪問するという形で、交流が見られるわけで、それも1つのやり方ですけれども、学校の中に地域的なそういうものを呼び入れる、福祉的な資源を招き入れていくということも、大事なことではないでしょうか。老人であるとか障害者を学校に招いて、子どもたちの先達、先生として、いろいろな点での指導をしてもらうということも、逆にあっていいのではないでしょうか。
あるいはこれが、学校が地域活動に参加することにつながる。その場合、地域参加プログラムを企画する段階から、学校の先生が参加していくということが大事であり、地域社会側の配慮も必要でしょう。同時に、何といってもPTAが、その媒介となってもらいたいものです。福祉教育を課題として、PTAとともに考えるというふうなことが大事でしょう。それを通じて家庭の教育、地域社会における教育機能を進捗させることも、大いに重要でありましょう。
福祉と教育は、今相互に支え合って、はじめて相互に完結し合えるという関係にあると思います。そういう意味では、相互にどう理解し合うかという努力が必要です。よそゆきのつきあいではなく、ふだん着のままのつきあいが大事です。日ごろの人間関係づくりを、心から進めていくということが大事です。
そういう努力は、学校だけではなくて、地域社会側の努力も求められるわけです。地域社会の側としては、さまざまな社会的な問題、福祉の課題を、学校も共有化していく努力を、積極的に働きかけていく必要があると思います。確信をもって学校に呼びかけていく。誠意をもって働きかけていく。こういうことによって、学校も機能を果たすことになります。
誠意ある働きかけ、そして小さな働きかけが、割りと少ないのではないでしょうか。及び腰で、ただ頭を下げながら、働きかけるというふうな状況が見られるのではないでしょうか。そういう意味では、地域課題、福祉課題は、すべて現場にある人たちの、共通の課題と思います。それと取り組む、あるいは学習する、話し合う、そういう点を共有化していく必要があります。
そういう場合、やはり社会福祉協議会の果たす役割は、非常に大きいようです。とくに情報などを提供すること、また、いろいろな関係者を融合し、組織化する、一緒に協働し合える状態を作る、そういう共通の土俵作りに、力を尽くしている。それらをもっと掘り下げること、あるいは連絡調整というふうな問題について、より努力をする必要があるでしょう。
5番目の柱は、そういう福祉教育をするための条件づくりということです。いくつかの大事な側面が打ち出されているのですが、その1つに、今回のように全国のかたがたが話し合うという機会を持てたことが、ずいぶんと大きな支えになるようであります。学習や経験交流の場を、小地域から全国規模の地域まで、できるだけ頻繁に持つべきではないか。福祉と教育の、両者の立場の人たちが、ともに机を囲んで勉強し合い、経験を交流することが大事であるということです。
ところでこういう場合、かなり行政官の席などが目につきます。けれどもこれは、公民相互の努力により、その結果の、現場で活動する人々が、よりお互いに結びつくことによって、そういう立場の席は埋ずめていけることになるでしょう。いや両者の、もっとスムースな接近も、必要であると思うのです。福祉教育といった場合に、これは「手づくりの運動」というのが本筋だからです。弾力的に、創造的に取り組むべきです。あまり教科書的に、画一的にすすめるものではありません。
最後に、学校においても、地域社会の中にも、こういう福祉教育という視点をふまえる人が、いよいよ必要ではないかと思われます。これからはそういう人づくりを、何としてもすすめていきたい。そういう意味で、制度的にも、たとえば福祉教育主事の配置であるとか、あるいはコーディネーターの整備というふうなことを、考えるべきだと思います。
以上、今回の集いにおける出席者の発言、提案の大筋を咀嚼し、「学童・生徒の福祉教育」を考える5本の柱として、まとめてみました。
不十分ではありますが、ご報告として申し述べました。
(木谷「学校における福祉教育を考える」『前掲誌』4~8ページ)

以上から、読みすぎの感なきにしもあらずだが、福祉教育(学校における福祉教育と地域を基盤とした福祉教育)を捉える視点として、(1)形成的固有の視点、(2)問題解決の視点、(3)人間教育の視点、(4)生涯学習の視点、(5)市民主体の視点、(6)生活実践の視点、(7)市民運動の視点、という7つの視点を押さえておきたい。このような視点から、福祉教育の基本的な性格や特徴、構造や機能などについて多面的・多角的かつ複合的に分析・考察することが求められる。なお、7つの視点のうち、例えば(1)は、福祉教育は歴史的社会的背景と必要性のもとに形成され、それ自体としての固有性を備える教育活動である、という視点である。(7)については、木谷先生は、福祉教育は「じっくり腰をすえてかからなければならない『運動』である」。「運動を進めていくためには、運動の思想、哲学というものがなければなりません」(木谷「どう進めるか―学び合いながら―」『前掲誌』12ページ)、という。市民運動としての福祉教育「運動の思想、哲学」の構築は、今日も、ひとつの大きな課題として残されている。また、木谷先生が使用する「福祉の風土づくり」「郷土学習」という用語は、「福祉のまちづくり(運動)」につながるものとして注目しておきたい(注③)。

注
① 高島巌先生は、「児童福祉一筋の道」を歩まれ、1951年5月に制定・宣言された「児童憲章」の草案を起草したひとりである。また、「母の日」の制定に尽力されたことでも知られる。筆者が初めて双葉園を訪ねたとき先生は、開口一番、「双葉園の印象はどうですか。双葉園がこの“まち”にあることに違和感を感じられたのであれば、それは私の“負け”です」と話された。いまでも鮮明に覚えている。「施設の社会化と地域化」が議論されていたときである。
2代目園長の星野卓郎先生と3代目園長の高島昭子先生にも、格別のご指導やご支援をいただいた。双葉園にお邪魔すると、必ず玄関にはスリッパが一組並べてあった。そして、先生が出迎えてくれた。おいしいお茶をいただきながら、豊富な経験に基づく「児童養護」の理論と実践や福祉マインドなどに関する話をお聴きするのは、筆者にとっては“学び”そのものであった。また、贅沢で至福の時間でもあった。懐かしく思い出される。
② 1971年5月、全国社会福祉協議会の福祉教育研究委員会(委員長・重田信一)によって報告された「福祉教育の概念について―福祉教育に関する中間答申―」である。
「福祉教育とは、憲法にもとづく社会的基本権としての生活上の福祉の確保をさまたげる諸問題を解決し、かつ、住民の生活における福祉を増進するために、地域社会における住民が、それをみずからの、および、住民共通の課題として認識し、そのうえにたって、福祉増進の住民運動を自主的・継続的に展開するのを側面的に助けることを目的としておこなわれる教育活動である。」(阪野貢『市民福祉教育をめぐる断章―過去との対話―』大学図書出版、2011年1月、70~81ページを参照されたい。)
③ 市民運動としての「福祉の風土づくり」運動は、京都市(1973年)や横浜市(1974年)が先導的な役割を果たし、1970年代半ば以降、市民(住民)と行政の協働によって展開された。学校教育における「郷土学習」に関しては、小学校では1968年改訂(1971年度実施)、中学校では1969年改訂(1972年度実施)の学習指導要領から、「地域学習」という用語が使用されるようになった。なお、「郷土」は心情的な要素をもち、「地域」は客観的な意味をもつ用語である。

補遺――「ボランティアのはたらきの原点」「ボランティアする心の原点」(高島巌)
ボランティアのはたらきは
かまえたものであってはならない
ボランティアのはたらきは
活動ではない 
生活なのだ 
活動にはかまえがある
けれども
生活にはかまえはない
活動には限界がある
けれども
生活には限界はない

ボランティアのはたらきは
もてるものが
もたないものに
ではない
しあわせなものが
ふしあわせなものに
ではない
もてるものも
もたないものも
しあわせなものも
ふしあわせなものも
ともに考え
ともに学び
ともに生活しあうことなのだ

いそいではいけない
かまえてはいけない
たえることだ
まつことだ
いのることだ

人間はみな
ボランティアする権利をもっているのだ
その権利は人間にだけあたえられた
楽しき権利なのである

高島巌『子どもは本来すばらしいのだ』誠信書房、1963年6月

地方消滅×東京消滅×地方移住:若者を吸い込み、高齢者を吐き出す“都市”―相川俊英著『奇跡の村』の読後メモ―

896の自治体(全体の49.8%)が消滅しかねない‥‥‥。「地方消滅」という言葉を見聞きするようになって久しい(増田寛也編著『地方消滅―東京一極集中が招く人口急減―』中央公論新社、2014年8月)。次いで、「東京消滅」である。東京圏では75歳以上の高齢者が約175万人増加し、介護施設を奪いあう事態になりかねない‥‥‥(増田寛也編著『東京消滅―介護破綻と地方移住―』中央公論新社、2015年12月)。これらの言説は、“上から”目線のそれであり、地域・住民の社会・生活不安を煽(あお)り立てている。そこに登場するのが、これまた“上から”の「地方創生」である。その目玉策のひとつが「地方移住」、そのとどのつまりは“カネ”(交付金・補助金等)である。
いま、全国各地の自治体で、移住の促進策や移住者への優遇策が推進・展開されている。かつて地方から若者を吸い込んだ都市が、国策や補助金行政によって、高齢者になった彼らを地方に吐き出すのである(都市に住む80歳代の作家の、またぞろ人間性が疑われる発言「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」を思い出す)。

過日、ぶらっと立ち寄った本屋で、ジャーナリストの相川俊英が書いた『奇跡の村―地方は「人」で再生する―』(集英社、2015年10月。以下、「本書」)が目に留まり、購入した。本のサブタイトルに首肯するからである。その本は、地方の小さな書店ゆえにか、「平積み」でも「面陳列」でもなく、「棚差し」であった。ひとつの現実である。
本書では、地域特性を生かした独創的な、しかも住民主体による地域活性化策の事例が紹介されている。(1)「国内指折りの高出生率を記録した」長野県下條(しもじょう)村、(2)「消滅可能性都市」ランキングワースト1位と名指しされた群馬県南牧(なんもく)村、そして(3)「アートの棲(す)むまち」と称された神奈川県の旧・藤野町(ふじのまち/現・相模原市緑区の一部)の3地域の取り組みがそれである。
(1)の最大の功労者は、「カリスマ村長」の伊藤喜平である。伊藤は、役場職員と住民の意識改革を図り、行政と住民との役割分担による協働を推し進め、「奇跡の村」をつくりあげた。(2)で奮闘するメンバーは、村の実情を熟知し、その将来に不安を抱いていた30代、40代の若手自営業者である。彼らは、地域活性化活動に特化した組織をつくり、行政と連携・協力して、移住者誘致や交流拡大などの事業・活動に取り組んだ。(3)で特筆されるのは、住民派女性議員の草分け的存在であった三宅節子と異色の役場職員であった中村賢一である。旧・藤野町は、文化芸術による地域活性化を図るが、三宅や中村のような「人と人をつなぐ人」「人と人をつなぐ人たちをさらに結び付ける人物」(217ページ)の存在が大きかった。
3地域の活性化策の具体的な内容は本書に譲るとして、ここでは、唐突ながら「天地人」と「ヒト」の重要性に留意しておきたい。「天の時」を知り、「地の利」を活かし、「人の和」を作れる「ヒト」の存在である。本書で相川が主張する(結論づける)のは次の一節である。

「地方創生」の主役は国ではなく地方である。それも地方自治体ではなく、一人一人の住民である。地域住民が動き出すことで初めて、真の地方創生が実現できると考える。いや、地域住民が動き出さない限り真の地方創生などあり得ない。地方創生を導くキーワードは「ひと」「地域」「つながり」「環境」「自給」「共存」「多様性」「楽しむ」といったところではないか。疲弊した地方の再生に今、最も必要なものは、大きな何ものかに安易に依存せず、できるだけ地域(自分たち)で自立を図ろうという意欲と覚悟、そして実際の行動である。(220ページ)

「奇跡の村」は、一人の卓越した政治家や行政職員によってつくりあげられた(られる)ものではない(本書では特定の「ヒト」に焦点をあてた叙述がなされている)。「奇跡」や「卓越」という言葉には、危うさがつきまとう。いま問われるのは、「奇跡」の村がどこにでもある「当たり前」の村になり、その村(地域・社会)を支える多様な住民をいかに育成・確保しネットワーク化を図るか、である。その取り組み(住民主体形成)は、内発的で自律的、計画的で継続的なものでなければならない。筆者(阪野)が本稿で言いたいのはこのことである。

静岡県における福祉教育の取り組み:「地域福祉教育」の推進をめざして―資料紹介―

本稿は、あるブログ読者からの求めに応じて、静岡県における福祉教育の取り組みについて、歴史的に重要なトピックを中心に概観するものである(注1)。

1 学校における福祉教育の展開
▼「社会福祉研究普及事業」「社会福祉協力校事業」
〇静岡県における「学校福祉教育」の制度的展開は、1967年度からはじまる。県民生労働部(1969年度から民生部)によって創設・実施された「社会福祉研究普及事業」がそれである。1977年度に国庫補助事業の「学童・生徒のボランティア活動普及事業」が制度化され、全国的に実施される10年前のことである。
〇当時、神奈川県では、県民生部によって1950年度から「社会事業教育実施校」(1967年度から「社会福祉研究普及校」)事業が継続的に展開されていた。また、長野県では、県社会福祉協議会(以下、「県社協」)によって1963年度から「社会福祉普及協力校」事業が実施されていた。静岡県における学校福祉教育への取り組みは、神奈川県と長野県に次ぐ先進的なものであった。
〇静岡県の社会福祉研究普及事業は、1973年度に県教育委員会に全面的に移管され、翌1974年度をもって廃止された。
〇その後、静岡県では1977年度から、福祉教育の全国的展開が図られるなかで、新たに県社協によって「社会福祉協力校」事業が実施されることになった。その目的は、「小学校及び中学校・高等学校の学童・生徒を対象として、社会福祉への理解と関心を高め、社会奉仕、社会連帯の精神を養うとともに学童・生徒を通じて家庭及び地域社会の啓発をはかる」ことにあった。
〇社会福祉協力校事業の指定校数は、例えば1977年度第1期から2006年度第25期までで693校(小学校396校、中学校223校、高等学校74校)を数え、事業対象となる県内953校の小・中・高等学校の約73%を占めた。また、多くの指定校では、全国的な傾向と同様に、「訪問・交流活動」「収集・募金活動」「清掃・美化活動」の“3大活動”や「疑似体験」「技術・技能の習得」「施設訪問(慰問)」の“3大プログラム”を中心にした体験活動が実施・展開された。それは、「思いやりの心」や「ともに生きる力」を育むことを目標とするが、安易な疑似体験や施設訪問だけでは「貧困な福祉観の再生産」(原田正樹)を促すのではないかと問題提起されることになる(されている)。
〇この社会福祉協力校事業は、1987年度に「社会福祉教育実践校」事業、1991年度に「福祉教育実践校」事業、2007年度に「地域福祉教育実践校」事業などと名称変更を重ねながら、継続的に実施・展開された。また、県社協は、事業・活動の推進を図るために、各種の調査・研究活動をはじめ、連絡会・講演会・セミナー等の開催、実践報告書や副読本の発行、教材ビデオの製作などを行った。

▼「福祉教育実践校フォローアップ事業」「ボランティア活動・福祉教育推進担当者連絡会」
〇社会福祉協力校事業のなかで、「福祉教育実践校フォローアップ事業」と「ボランティア活動・福祉教育推進担当者連絡会」が注目される。前者は、指定終了後の学校に対してその活動を推進するために、1990年度から実施された。ちなみに、1990年度には20校の小・中・高等学校が助成(5万円)を受け、1999年度までの10年間でその学校数は、新規指定だけで314校を数えた。後者は、ネットワークの強化を図るために、県民生部、県教育委員会、県社協、それに県ボランティア協会の4者の実務担当者による定期的な情報交換や研究協議の場として、1985年度から1997年度にかけて継続開催された。福祉教育のネットワーク化は、依然として今日的な課題でもある。

▼「高校生ワークキャンプ」「サマーショートボランティア計画」
〇1977年度、静岡県では、他県に先駆けてもうひとつの福祉教育事業が実施された。学校外の福祉教育実践としての「高校生ワークキャンプ」事業がそれである。第1回の高校生ワークキャンプは、静岡市奉仕活動連絡協議会と日本青年奉仕協会によって開催された。その目的は、ボランティア活動についての学習や実践を通して、ボランティア精神の育成を図ることにあった。1977年7月、2泊3日の日程で、清水市少年自然の家で実施され、参加高校生は38名を数えた。第2回は、県社協と静岡市奉仕活動連絡協議会の共催により、1978年8月、3泊4日の日程で、県立中央養護学校で実施された。参加者は定員60名のところ120名を数えた。
〇それ以降、高校生ワークキャンプは、1991年8月に開催された第15回まで、県社協をはじめ市町村社協、県ボランティア協会、社会福祉施設などの連携・協力のもとに、県下各地で実施された。第1回から第15回までの参加者は4,808名、開催地区は106ヵ所を数えた。
〇こうした高校生ワークキャンプのほかに、静岡県では、県ボランティア協会によって、1982年度から福祉教育や社会参加活動の推進を図る事業・活動の一環として「サマーショートボランティア計画」が実施された。それは、在学青少年や一般社会人などを対象に、「夏休みや夏季厚生休暇を利用し、未体験の世界へボランティアとして挑戦し参加する事により、参加者に生きる尊さや、自分自身の生き方を考え、福祉に対する眼を育くむ機会を得ること」をねらいとした。第1回は、県下44ヵ所の受け入れ施設に、460名を超えるボランティアが参加した。
〇高校生ワークキャンプとサマーショートボランティア計画では、参加者の自主的・主体的な取り組みが期待された。しかし、活動メニューは、高齢者や障がい者との交流活動をはじめ、社会福祉施設や養護学校での「奉仕活動」、まちの「点検活動」などに限定されがちであった。したがって、一般高校生の関心や理解を広げたり、参加高校生のボランティア活動への日常的・積極的な参加を促すにはおのずと限界があった。また、ワークキャンプがどれほど地域社会と結びつき、地域社会に対してどのような働きかけをしたかという点についても疑問が残った。
〇以上の社会福祉協力校事業やワークキャンプ事業などが実施・展開されてきた主要な場は、社会福祉施設であった。多くの施設が福祉教育事業を受け入れ、また独自の展開を図ってきた。なかでも「天竜厚生会」の取り組みが注目される。天竜厚生会では、1981年度に地元天竜市の委託を受けて福祉教育事業に取り組み、5年間でおよそ1万3,000名の参加者を数えた。以後、福祉教育のハンドブックや実践報告書の作成、福祉教育プログラムの開発など、福祉教育の実践と研究に積極的に取り組んでいる(注2)。

▼「三島高等学校家庭科福祉コース」
〇学校における福祉教育の展開で忘れてはならないものに、1986年度の、三島高等学校家庭科「福祉コース」の開設がある。全国で最初の取り組みであった。ちなみに、1987年度には、兵庫県立新宮高等学校と鹿児島県の城西高等学校に「福祉科」が設置されている。その後、2003年度から、高等学校学習指導要領の改訂によって専門教育に関する科目「福祉」が創設され、高校福祉科教育が全国的に実施・展開されることになる。

2 地域を基盤とした福祉教育の展開
▼「小地域福祉教育推進事業」
〇静岡県における「地域福祉教育」の本格的な展開は、1998年度からはじまる。県社協によって新設された「小地域福祉教育推進事業」がそれである。
〇その背景には、1990年代以降、社会福祉基礎構造改革の推進が図られ、市町村における在宅福祉サービスを軸にした地域福祉が実体化するなかで、その主体形成が以前にも増して強く求められる社会的状況があった。また、いじめ、不登校、学級崩壊などの学校病理現象が広がり、子ども・青年の生活や発達の歪みが顕著になるなかで、「生きる力」(文部科学省)や「社会力」(門脇厚司)の育成が要請された。それは静岡県においても例外ではなかった。
〇小地域福祉教育推進事業は、具体的には、1996年12月から1998年3月にかけて開催された県社協の「福祉教育推進検討会議」の提言によるものである。検討会議では、1977年度からの福祉教育実践校事業の取り組みを総括し、それに基づいて福祉教育の新たな展開とりわけ地域ぐるみの福祉教育の推進方策について研究・協議された。そこでは、学校福祉教育(「福祉教育実践校事業」)の成果と課題、今後の重点方策について、次のように整理・報告された。

福祉教育実践校事業の成果と課題
【成果として】
①県内学校総数の4割以上が実践校活動を実施した。
②体験学習活動が定着した。
③指定校実践の中で地域と連携し、学校教育目標と融合した先駆的取り組みが出てきた。
④新規指定校教員と当該社協職員合同のオリエンテーションの場が定着した。
⑤指定校教員と社協職員合同の情報交換・研修の場である連絡会の開催が定着した。
⑥実践校活動の記録である報告書の作成が継続的になされてきた。
【課題として】
①学校内での推進体制(公務分掌等での位置付け)
②体験プログラムの目的、効果の検証のための作業
③学校教育目標と融合した活動展開や「総合的な学習の時間」での実践
④社協からの具体的取り組み方法の提示不足
⑤市町村社協対象の研修会や研究協議、個別支援の充実
⑥学校の実践活動への具体的支援の強化
⑦福祉教育推進計画の策定や地域福祉活動計画への位置付け
【今後の福祉教育推進の重点方策として】
①地域総体で福祉教育に取り組むための方策として「小地域福祉教育推進事業」の実施。
②中・長期的な課題に対応するための計画策定の検討を行う「福祉教育推進計画策定検討事業」に取り組む。

〇こうした「成果と課題」を踏まえて、小地域福祉教育推進事業は、「教育課題や地域課題が複雑化している近年、学校指定による取り組みに加え、地域総体で福祉教育に取り組む必要があるため、モデル的な小地域を設定して福祉教育の推進を図る」ことを目的に創設された。第1回は、1998年度から1999年度までの2年間で5地区(沼津市愛鷹地区、焼津市豊田地区、藤枝市西益津地区、島田市伊久身地区、小山町藤曲・落合地区)が指定され、1地区あたり20万円が助成された。第2回は2000年度から2001年度にかけて4地区、第3回は2001年度から2002年度にかけて2地区がそれぞれ指定された。
〇小地域福祉教育推進事業の実施は、学校しかも指定校中心の学校福祉教育から、地域を基盤とした地域福祉教育の新たな方向性を生み出した画期的なものであった。しかし、指定地区と県社協や市町村社協との連携・協働体制は必ずしも十分なものではなかった。その結果、指定校制度に基づく学校福祉教育を推進してきた市町村社協や、福祉教育と直接的あるいは主体的にかかわってこなかった小地域にとっては、その取り組みに苦慮することになる。

▼「静岡県における福祉教育推進に関する基本的な指針」
〇県社協は、「小地域福祉教育推進事業」の推進をより確かなものにするために、1999年12月に次のような「静岡県における福祉教育推進に関する基本的な指針」(以下、「指針」)を策定した。
静岡県平成11年答申
〇この指針は、1998年12月から1999年12月にかけて開催された「福祉教育推進計画策定検討委員会」によって策定されたものである。指針では、地域の社会福祉問題を素材に、福祉のまちづくりの実践・運動主体の形成を図ることが「福祉教育の目標」とされた。また、「福祉教育指導者」「福祉教育推進員(アドバイザー)」の発掘・育成・登用や「福祉教育推進計画」の策定などの方針が示された。抽象的かつ総花的になりがちな指針にあって、特筆されるところである。

▼「福祉教育指導者養成研修事業」
〇県社協は、上記の指針を受けて、2003年度から「福祉教育指導者養成研修事業」に取り組んだ。それは、地域福祉教育の指導者養成研修をめざして、地域福祉教育の基礎・基本の学習とそれに基づく実践プログラムの研究・開発を行うものであった。具体的には、初年度の「基礎研修」と2年度目の「スキルアップ研修」によって、参加者の地元社協との連携・協働を図りながら、実践プログラムの開発・企画・展開・評価が行われた。参加者は、2003年度は7地区から20名、2004年度は5地区から11名、2005年度は6地区から13名をそれぞれ数えた。

▼「静岡県の地域福祉教育推進に係る基本指針」
〇2000年以降、地方分権改革や教育改革が推進されるなかで、「地域福祉」の主流化や「新たな支え合い」の拡大、「総合的な学習の時間」の導入や「ゆとり教育」の見直し、そして「教育再生」の実行などが図られた。福祉教育に関しては、ICFの視点の導入、「ふりかえり」(リフレクション)の重視、地域ぐるみの展開、地域福祉(活動)計画の策定などの「福祉教育実践の新潮流」が見られるようになった。
〇そういうなかで、県社協は、地域福祉教育の新たな展開をめざして、2012年3月に次のような「静岡県の地域福祉教育推進に係る基本指針」(以下、「新指針」)を策定した。
静岡県平成24年報告1静岡県平成24年報告2静岡県平成24年報告3
〇この新指針は、2010年10月から2012年3月にかけて開催された「静岡県地域福祉教育推進委員会」によって策定されたものである。委員会では当初、「地域福祉教育推進計画」の策定を企図していた。しかし、新指針は、「県内福祉教育関係者の総意としての『計画』に至っていない」という判断から、「福祉教育関係者に向けた提案」として纏められている。それは、「計画」から“提案”としての「指針」にトーンダウン(後退)したことや、内容的にも静岡県における「福祉教育実践の新潮流」への具体的対応が不十分であった点などにおいて、いくつかの課題を残すものとなった。

注
(1) 本稿は、拙稿「静岡県における福祉教育の史的展開」『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』(みらい、2009年、43~63ページ所収)の一部を抜粋・要約し加筆・修正したものである。
静岡県における福祉教育の史資料については、『福祉教育の明日を拓く―静岡県福祉教育40年史資料集成―』(静岡県社会福祉協議会、2007年11月)を参照されたい。
(2) 「天竜厚生会における福祉教育の取り組み―資料紹介―」(「ディスカッションルーム」(15):2013年7月18日投稿)を参照されたい。

「共生」と「共に生きる」:寺田貴美代「社会福祉と共生」再考―資料紹介―

「共生」(symbiosis:共に生きる)は、耳に心地よい言葉である。それゆえにか、まちづくりや福祉教育などのスローガンや修飾語として、多用(濫用)される。また、個人的な心がけや心情のレベルで語られたり、究極の目的や理想として位置づけられることも多い。その際には、社会的な矛盾や対立、差別や排除などの事態が隠蔽されたり、「同化」や「統合」が推進あるいは強制されたりする危険性が生じることになる。「地域共生」(regional symbiosis:地域で共に生きる)は、地域社会でのノーマライゼーションやインテグレーション、そしてインクルージョンなどの理念の実現を通して、その推進が図られることになる。ノーマライゼーション(normalization:通常化)は、一人ひとりが当たり前の普通の生活をすること。インテグレーション(integration:統合化)は、社会的に分離・隔離されてきた人たちを一般社会に受け入れ一緒に生活すること。インクルージョン(inclusion:包摂)は、すべての人を社会の構成員として包み込みみんなで生活すること、である。共生とノーマライゼーションなどの概念は対立概念や同一概念ではなく、相互に連関し補強し合う概念である。

例年のことながら、1月と2月は、地元自治会等の次年度の役員を決める時期であり、静かな日常に多少の波風が立つ。「前例の踏襲」や「異質性の抑圧」などがそれである。筆者(阪野)はかつて、その場が収まらず、“えいやあ”である役職を引き受けたことがある。その後、その仕事をするにつれ、いろいろな雑音(ノイズ)が耳に入るようになった。最後の決まり文句は、「‥‥‥だからダメなんだよ」であった。10年以上居住しても、所詮は“よそ者”であり、“少数派”である。「出る杭は打たれる」のであるが、場合によっては「抜かれる」ことになる。しかも、何代も続く「家」の、若年の「地元住民」によってである。日頃の地域生活で、障がい者やその家族などに対する偏見や差別を目の当たりにするとき、「誰もが分け隔てなく、互いを尊重しながら共生していく社会」の実現は未だ遠しと思わざるを得ない。
「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(略称:「障害者差別解消法」)が2016年4月から施行される。それを前に、『月刊福祉』(全社協)は、その3月号で「インクルーシブな社会」を特集した。インクルーシブ(inclusive)は、「包含する」「包括的」「包摂的」などと訳され、「インクルーシブな共生社会の創造」「共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育」などといわれる。
さて、本稿は、上記の雑誌が届いたのと前後して、あるブログ読者から寄せられた「福祉と共生のまちづくり」に関する基本的な視点や文献についての問い合わせに、若干なりとも応えようとするものである。そこで、ここでは、寺田貴美代の論文「社会福祉と共生」(園田恭一編『社会福祉とコミュニティ―共生・共同・ネットワーク―』東信堂、2003年3月、31~65ページ。以下「論文」)を紹介する。この論文は、寺田の博士論文の一部を抜粋して再構成したものである。その博士論文は、『共生社会とマイノリティへの支援―日本人ムスリマの社会的対応から―』(東信堂、2003年12月。以下「著書」)として出版されている。
寺田は、人間社会(「総論」)と社会福祉領域(「各論」)における「共生」の概念を整理・検討し、主要な論点として次の4つを取り上げる。①社会的差別と「共生」、②ノーマライゼーションと「共生」、③福祉コミュニティと「共生」、④生活の質と「共生」、がそれである(著書では、「情緒的理解による『共生』」を加えた5点を取り上げている)。そして、「社会福祉領域における共生概念の可能性」について考察する。その際、マジョリティ(majority)とマイノリティ(minority)については、集団に所属する人数の規模によって「多数者(派)」「少数者(派)」と訳されることが多いが、寺田は、集団に帰属する権力関係によって規定する(「優位集団」「社会的弱者集団」)。ただし、その区分はあくまでも概念上の表現であり、明確な境界によって二分されるとは限らないという(図1参照)。そのうえで、「マジョリティ文化への志向」を縦軸、「マイノリティ文化への志向」を横軸にした「共生に関する分析枠組」を提示し、「共生」へ移行する過程を「共生のプロセス」として捉え、その検討を進める。その際の主要な概念のひとつが、アイデンティティ(identity)である。それについては、「同一性」「主体性」「帰属意識」などと訳されるが、寺田は、社会や文化とのかかわりから捉えている(図2参照)。
以下に、論文のなかで注目したい論点や言説のいくつかを紹介することにする。

▽共生は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重を前提とする 
社会福祉領域における共生が、差別の克服を課題としているならば、その前提は、マイノリティとマジョリティの両方を含む、全ての人々の異質性の尊重に他ならない。共生は、マジョリティがマイノリティを同化や統合することではなく、また、マジョリティがマイノリティに譲歩や優遇措置をとることでもない。マイノリティ、マジョリティのいずれもが特権を持たず、対等な立場に立つことが基礎条件である。その上で、異質性との対峙によって生じる衝突や葛藤を強調するだけでなく、相互の認識・理解を通じて、尊重し合い、変容し合うことが求められる。(51ページ)

▽共生にはプロセスという視点が不可欠であり、そのプロセスは異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程である
現実の人々の状況は多様であり、人々がそれぞれに持つ文化的背景や社会的役割も当然のことながら異なっており、それぞれに意義や価値を有している。同じ属性や志向の者同士でさえも、人々は一枚岩ではなく、マイノリティ、マジョリティに関わらず、個々人の状況や立場に添って理解する必要がある。現代社会における文化やアイデンティティの多様化は、そこに生じる課題の多様化も意味しており、他者との葛藤や対立は、相互理解および関係の深化に伴う、相互の認識・態度の変化を引き起こす。その意味において、直接的かつ横断的な異質性との対峙は、共生に至るための契機として捉えることができよう。そして、この過程が単発的なものであっては、たとえ一時的・表面的には問題が収束したとしても、根本的な解決には結びつかない。そのため、共生にはプロセスという視点が不可欠であり、このプロセスが、より積極的に繰り返される状態を「共生の進展」、逆に、繰り返されない、あるいは逆行する状態を「共生の後退」と解釈することができる。つまり、共生のプロセスは、状況に応じて不断に変化する多様な関係の中で、異質性との接触によって引き起こされる無数の変容過程であり、この限りない営みなくして、共生社会の実現はありえないのである。(59ページ)

▽共生は、相互理解と尊重に基づき自―他の相互関係を再構築する営みであり、動態的な変容のプロセスである 
共生を定義するならば、「人々が文化的に対等な立場であることを前提とし、その上で、相互理解と尊重に基づき、自―他の相互関係を再構築するプロセスであり、それと同時に、双方のアイデンティティを再編するプロセスである」ということができると考える。そして共生社会とは、個々の異質性に対する評価や批判ではなく、理解と尊重を前提とする社会であり、決して固定化されたものではない。相互作用によって常に変容し、新しく組み直され、生まれ変わる柔軟性を持った社会である。それにもかかわらず、このプロセスが、初めから完了している社会――言い換えれば、全く変容することなく他者との共生が可能な社会を「共生社会」として考えるならば、異なる人々の価値観やアイデンティティが、恒常的に一致するということはありえない以上、共生を単なる夢物語に終わらせてしまうことになる。(中略)問題にしなければならないのは、理想ではなく、現実である。「共生社会」を「理想社会」と読み替え、現実から乖離させてはならない。現実性を持たない理念や規範として、共生を位置づけることは、現実問題を何ら解決に導かないばかりか、問題の本質を見失うことにもなりかねない。(60~61ページ)

以上のような「共生」や「共生社会」の実現を図るためには、社会全体が共生の意味や、その視点や実践方法(共生のプロセス)などについて認識し理解することが必要かつ重要となる。そのための教育的営為が問われる。また、共生は、個人のレベルだけでなく、集団的レベルでも展開されるものである。「異質な集団同士が接触し、相互の認識・理解が進展することによって、(中略)集団のさまざまな側面で共生が生じることになる」(61ページ)。留意したい。
ここで、図1と図2を示しておくことにする。
図1(筆者作成)は、マジョリティとマイノリティを規定するひとつの要素である「集団規模」(多数と少数)を横軸、「権力関係」(優位と劣位)を縦軸にして、その関係性を示したものである。これは素朴な理解に基づくものであるが、マジョリティとマイノリティの卑近な実態である。ちなみに、第Ⅰ象限に属する人々は、多数派で、社会的に優位に置かれる傾向にある。マジョリティの典型のひとつである。第Ⅲ象限のそれは、少数派で、社会的弱者として位置づけられることが多い。マイノリティの典型のひとつである。しかし、少数派であっても、第Ⅱ象限で示されるように社会的に強い影響力をもつ人々がいる。
 図2(寺田作成)は、共生について分析するための枠組みとして、人々の多様なアイデンティティの状況を把握する全体的な見取り図を示したものである。これは、あくまでも抽象的な類型であり、現実には多様な個人がこの4つの象限(タイプ)のいずれかに厳密に収まるというものではない。ちなみに、第Ⅰ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方共、強く志向し、その融合を図るタイプ」である。第Ⅲ象限は、「マジョリティ文化とマイノリティ文化の両方への志向が弱い、あるいは志向しない・できないタイプ」であり、「自立型」(選択的に志向しない場合)と「孤立型」(非選択的に孤立せざるを得ない場合)がある(52ページ)。
共生と共に生きる/最終版
共生は、社会福祉や教育における重要な基礎的概念である。社会福祉や教育の目的や目標を達成するためには、共生の実態や背景を科学的視点に立って歴史的・思想的に分析する必要がある。とともに、地域・社会の自然や風土、文化(暮らし)などとの関係性において、多面的・多角的に検討することが求められる。寺田の論文は、そのための必読基本文献のひとつである。
ところでいま、筆者の手もとには、寺田のもの以外に、「共生」を論じた本として井上達夫・名和田是彦・桂木隆夫『共生への冒険』(毎日出版社、1992年5月)と黒川紀章『新・共生の思想―世界の新秩序―』(徳間書店、1996年2月)がある。井上(法哲学)と黒川(建築家)は、早い時期から共生について言及している。論点(要点)の一部を参考に供しておくことにする。
井上らは、その本の「序章」で、次のように述べている。「我々のいう《共生》とは、異質なものに開かれた社会的結合様式である。それは、内輪で仲よく共存共栄することではなく、生の形式を異にする人々が、自由な活動と参加の機会を相互に承認し、相互の関係を積極的に築き上げてゆけるような社会的結合である。symbiosisをモデルとする「共生」概念と区別するために、英語で表記するなら、conviviality(コンヴィヴィアリティ)という言葉がふさわしい。日本語の表現としては、安定した閉鎖系としての「共生」は、symbiosisの旧来の訳語に従って「共棲」と表記し、「共生」という言葉は、我々のいう《共生》、すなわち、異質なものに開かれた社会的結合様式を意味するものとして使うことを、提案したい」(25ページ)。すなわち、井上らの共生概念は、「開かれた社会的結合様式」を意味し、「調和」や「協調」といった「安定した閉鎖系」は想定されていない。
黒川は、その本の「まえがき」で、「そもそも『共生』という言葉は、仏教の『ともいき』と生物学の『共棲(きょうせい)』を重ねて私がつくった概念である」(1ページ)という。黒川の共生論について、寺田は、「その定義は極めて流動的かつ曖昧である。異質な主体間に『聖域』や『中間領域』を設定し、共生ではなく『共存』あるいは『共棲』の議論に留まっている」(寺田、62ページ)として、検討対象から割愛している。筆者も首肯するところである。ちなみに、黒川にあっては、「聖域」はお互いに入ってほしくない領域で、文化的伝統の根幹をなすものであり、例えば日本の天皇制やコメづくりがそれである。「聖域があればこそ、国相互の尊敬に基づく共生が可能となる」(328ページ)。「中間領域」は、「無理やりどちらかに分類されてしまったり、あるいは排除されてしまった領域や要素である。この意味で中間領域は曖昧性、両義性、多義性を含んでおり、流動的で浮遊している」。換言すれば、中間領域とは、「対立する二項、異質な文化、異質な要素」の間に「仮設的」(tentative:テンタティブ)に設定する共通項である(330ページ)。

補遺
図3は、以上の論述に若干の管見を加えて、「地域共生」プロセスの展開過程についてとりあえず図示したものである(未定稿)。その説述については他日を期すことにする。なお、共生地域の形成にあたって、「問題の気づきと発見」から「課題解決活動と支援」の“力”をいかに育成するかが重要となることは多言を要しない。
共生プロセス(3月21日)

付記
「共生社会」に関する参考文献リストには、寺田論文の巻末(63~65ページ)に記されているもののほかに、例えば次のようなものがある。
(1) 21世紀ヒューマンケア研究機構/地域政策研究所『「新しい共生社会のあり方」に関する調査研究報告書』2005年3月、「資料編」ⅱ~ⅵページ。
(2) 共生社会形成促進のための政策研究会(内閣府)『「共に生きる新たな結び合い」の提唱』(詳細版)2005年6月、49~50ページ。
なお、同報告書では、共生社会の形成促進という観点から、めざすべき社会の姿を5つの「横断的視点」として整理している(22~31ページ)。
① 各人が、しっかりした自分を持ちながら、帰属意識を持ちうる社会
② 各人が、異質で多様な他者を、互いに理解し、認め合い、受け入れる社会
③ 年齢、障害の有無、性別などの属性だけで排除や別扱いされない社会
④ 支え、支えられながら、すべての人が様々な形で参加・貢献する社会
⑤ 多様なつながりと、様々な接触機会が豊富にみられる社会

追記
図4は、以上の論述に若干の管見を加えて、「共生のステージとプロセス」について図示したものである(2017年6月5日)。

「静」と「動」:思い出すことども

地域やそこでの暮らしは、時空のなかで「静」と「動」を行ったり来たりする。それも「内発」と「外発」によってである。

これは、筆者(阪野)が四半世紀も前に群馬県のN村で地域福祉(活動)計画の策定にかかわったときの最初の想いである。そこで出会ったのは、骨も凍るほどの孤独に生きる一人の高齢者であり、古くからの湯治場で激しく生きる一人の視覚障がい者であった。鮮烈に覚えている。
いまになってこんなことを思い出すのは、先月、富山市から帰宅後に1週間ほど病床に伏していたとき、宮嶋淳・ほか『地方都市「消滅」を乗り越える!―岐阜県山県市からの提言―』(中央法規、2016年2月)や渡辺利夫『放哉と山頭火―死を生きる―』(筑摩書房、2015年8月)などを読んだからであろうか。前者は、流行語である「消滅」を前提にし、それを「乗り越える」ための“大学人”による実践事例研究(「提言」)の本なのであろう。その読後に、N村の歴史と風土、人々の暮らしと営みを、新しい概念であった「福祉文化」の一言(ひとこと)で纏めあげようとしたこと。それは、その用語の表層を撫(な)でるばかりであったこと。そして、吉本哲郎が言う「土」と「風」の地元学についてその理解と実践が一面的で浅薄であったこと、などを思い出した。汗顔の至りである。
後者についてはたまたま、2月6日に木曽福島に蕎麦を食べに行ったとき、山頭火を思い出したことによる。周知の通り、尾崎放哉(おざきほうさい:1885年~1926年)と種田山頭火(たねださんとうか:1882年~1940年)は、自由律俳句に異才を放った俳人として著名である。「轉轉漂泊」(てんてんひょうはく)の放哉と「放浪行乞」(ほうろうぎょうこつ)の山頭火の作風は、「静」の放哉、「動」の山頭火、と対照的に評されることがある。そういうなかで、二人の生きざまに通底するのは、自己破壊による深い孤独や内界の苦悩との激しい“闘い”そのものであったろう。それは、放哉にあっては東京帝国大学(1905年9月)への入学、山頭火にあっては母親の自殺(1892年3月)で始まったのであろうか。
代表的な一句に、放哉の「咳をしても一人」。寂しい限りである。山頭火の「分け入つても分け入つても青い山」。戸惑いや孤独を想う。それ故にか、豊かな自然(この世のあらゆるモノ)との共生(共存や融和)を願う。

まちづくりに肝要なのは、「土の人」の内界に思いを致し、その思考や感情に寄り添い、「静」から「動」を引き起こすことである。この拙稿で問いたいのは、まちづくりにかかわる「風の人」の、そのための立ち位置や姿勢についてである。

「自然と人間の結び合い」としての日本的共同体:多層性と精神性―内山節著『共同体の基礎理論』を読み返す―

2月6日、筆者(阪野)は、盟友のひとりであり本ブログの熱心な読者でもあるY氏の誘いを受けて、蕎麦を食べに長野県の木曽福島に出かけた。評判通りの絶品であり、蕎麦好きの筆者にとっては大満足であった。あいにく雲がかかって御嶽山を眺望することはかなわなかったが、木曽馬の里まで車を走らせ、高山市を経由して帰宅するという、贅沢な一日を過ごすことができた。
「木曾路はすべて山の中である」(島崎藤村)ことに納得しながら、Y氏が運転する車はいくつかの峠を越え、奥深い山間(やまあい)の集落を通り抜けた。その集落(共同体)は、自然の懐に抱かれた時空の静寂と安寧のなかにあった。そう感じたのは、いまだに肩の力が抜けず、ギスギスしたいくつものコミュニティで暮らしてきた(いる)自分。命を輝かせて「自然とともに」生きることなど到底できないと思い込んでいる自分がいた(いる)からであろう。しかも、Y氏が運転する座り心地のいい車のシートに身を沈め、流れ去る景色を漫然と眺めていたからでもあろうか。(「捨てきれない荷物のおもさまへうしろ」種田山頭火)。
帰宅すると、注文していた本(ブックレット)が届いていた。哲学者内山節(うちやま・たかし)の『主権はどこにあるのか―変革の時代と「我らが世界」の共創』(農山漁村文化協会、2014年7月)がそれである。その晩のうちに、一気に読んでしまった。内山は、混沌と分裂の時代にあるこんにち、国家の運営に依存しない世界、多様性や多層性をもった結び合いの世界(「我らが世界」)をいかに創るかが問われている。その「主権」は、私や国家や地域にあるのではなく、「関係性のなかにある」、という。次の言説に留意しておきたい。

▽「国家か、地域か」を超えて「結び合い」のなかに生きる世界を創る
地方分権とか地域主権、地域づくりという言葉を使うときに、権限を国が持つのか地方が持つのかという議論がよく起きる。地方がもっと自主性を持ってやっていけるようにするのは大事だと思うが、国か地方かという発想自体がもう古いのではないか。
私は、国は信頼するに足らないものだということがこれからより明確になっていく時代だろうと思う。その国に依存していては駄目だが、国の対極にあるのは地域とか地方ではなくて、あくまで結び合いとしてのローカリズム、どういう結び合いのなかに我々の生きる世界を創るのかということである。それは地域としての結び合いもあるが、外部の人たちとの結び合いもある。結び合いがあるから地域も成り立っている。そういう形をこれからはつくっていかなければならない。国か地域かという二分法ではない。(41ページ)

▽主権は「私」にあるのではなく「関係性」のなかにある
「地域主権」という言葉は、この間「地方分権」とともにずいぶん使われてきたが、その主権はどこに存在するのか。(中略)
人間が主権者であるという欧米近代のとらえ方それ自体に欠陥があったのではないかという気がしている。(中略)
農業の場合も私に主権があるのではなく、自然との関係のなかに主権がある。あるいはいままでの歴史を積み上げてくれた先祖である死者たちとの関係のなかに主権があるし、消費者と結ばれていれば、そういう人たちとの関係のなかに主権がある。このように主権は実は関係のなかにあるのに、「主権は私にある」という何か大きな錯覚をしてしまったのではないか。
主権は結び合いのなかにある、あるいは関係性のなかにある。そういうとらえ方をしていく必要があるのではないかと思い始めている。本当の主権は私のところにはない、関係性のなかにある。関係の積み上がったものを風土と呼ぶならば、主権は風土のなかにあると言ってもよい。
このように関係のなかにある主権を風土主権と呼んでもいいかもしれないし、ローカリズム主権という言い方をしてもいい。
かかわり合いが「我らが世界」を創っていく、そこに主権があるという展望を持ちながら、変革の時代を生きていきたい。(43~44ページ)

4日後の2月10日には、自分が運転する車で富山市に行った。日本で一番標高が高い松ノ木峠パーキングエリアでひと休みし、10キロを超える飛騨トンネルをくぐり抜け、世界遺産の白川郷を眼下に望みながらの、およそ3時間のドライブであった。高速道路から見えるいくつかの集落は、深く静かな雪のなかにあった。それは、久しぶりに見る美しい風景であったが、険しい地形や豪雪という厳しい自然と対峙しながら生き抜く集落とそこに暮らす人々について思いを巡らした。そして、「自然と共生する、穏やかで豊かな暮らし」などとは軽々にはいえないと思った。脳裏に浮かんだのは「限界」や「消滅」という言葉であり、また『農山村は消滅しない』(岩波新書、2014年12月)という小田切徳美(明治大学)の言説であった。翌11日には同じ道を帰ったが、遠目ながらあちこちのスキー場は若者であふれ、元気で賑(にぎ)やかなようであった。
帰宅後、内山の『共同体の基礎理論―自然と人間の基層から』(農山漁村文化協会、2010年3月)を読み返すことにした。周知のように、本書では、マッキーヴァー(Robert Morrison MacIver、1982年~1970年)のコミュニティ論や大塚久雄(1907年~1996年)の『共同体の基礎理論―経済史総論講義案』(岩波書店、1955年7月)などとは異なり、伝統と風土に支えられた「共同体」論が展開されている。その特色のひとつは、内山自身の群馬県上野村での生活経験から、「自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神」(32ページ)に共同体の本質を見出していることにある。すなわち、日本の共同体の基盤や特徴は、「コミュニティとアソシエーション」(注1)や「エリア型コミュニティとテーマ型コミュニティ」などといった、共同体の「かたち」や「機能」にあるのではない。「自然と人間」「生と死」が一体化した関係性(「つながり」)のなかで、その時代を、その地域の人々といかにして「ともに生きる」かという「精神」こそにある、と内山は説いている。以下に、内山の重要な言説のいくつかを記しておくことにする。

▽共同体は小さな共同体が積み重なる「多層的共同体」である
地域共同体とは何なのであろうか。地域というひとつのものにすべてのメンバーが統合されていると考える地域共同体論は正しいのだろうか。(中略)
私は共同体は二重概念だと考えている。小さな共同体がたくさんある状態が、また共同体だということである。ひとつひとつの小さな共同体も共同体だし、それらが積み重なった状態がまた共同体だとでもいえばよいのだろうか。このような共同体を私は多層的共同体と名づける。共同体のなかに、小さな共同体が多層的に積み重なっている、多層的共同体とは、そんな共同体のことである。(76~77ページ)

▽共同体は人々がともに生きる「小宇宙」である
日本の共同体は自然と人間の共同体として、生の世界と死の世界を統合した共同体として、さらに自然信仰、神仏信仰と一体化された共同体として形成されていた。ここには進歩よりも永遠の循環を大事にする精神があり、合理的な理解よりも非合理的な諒解に納得する精神があった。人々は共同体とともに生きる個人であり、共同体にこそ自分たちの生きる「小宇宙」があると感じていた。(16ページ)

▽共同体の基層には自然と人間が結ぶ「精神」がある
自然と人間が結び、人間が共有世界をもって生きていた精神が、共同体の古層には存在している。それが共同体の基層であり、この基層を土台にして時代に応じた、地域に応じた共同体のかたちがつくられる。ゆえに共同体が壊されていくというとき、その意味は、自然と人間が結び人間たちが共有世界を守りながら生きる精神が壊されていくことを意味するのである。(中略)共同体はその「かたち」に本質を求めるものではなく、その「精神」に本質をみいだす対象である。(32ページ)

▽共同体の「精神」の本質は「ともに生きる世界があると感じられること」である
私たちがつくれるものは小さな共同体である。その共同体のなかには強い結びつきをもっているものも、ゆるやかなものもあるだろう。明確な課題をもっているものも、結びつきを大事にしているだけのものもあっていい。その中身を問う必要はないし、生まれたり、壊れたりするものがあってもかまわない。ただしそれを共同体と呼ぶにはひとつの条件があることは確かである。それはそこに、ともに生きる世界があると感じられることだ。だから単なる利害の結びつきは共同体にはならない。群れてはいても、ともに生きようとは感じられない世界は共同体ではないだろう。
課題は、ここにともに生きる世界があると感じられる小さな共同体をいかに積み重ねていくか、なのである。それが積み上がっていけば、小さな共同体同士の連携もまた形成されていくだろう。ここに共同体があると感じられる時空も生まれていくだろう。
ひとつのものにすべてが結合されている状態という古い共同体のイメージは一掃されなければならない。それは歴史的にみても、適切な認識ではない。(168~169ページ)

筆者はこれまで、関東や東海、北陸のいくつかの自治体や社会福祉協議会において、福祉のまちづくりやそのための計画策定、その主体形成を図る福祉教育実践などに関わってきた。その際、必ずしも十分とはいえないものの、市町村レベルの共同体のみならず、そのなかの集落や地区といった地域共同体の自然をはじめ歴史や文化、伝統、慣習などにも関心を払ってきた。また、「地域福祉」の推進や「まち」の再生を図るためには、科学的根拠に基づく「制度」や「システム」の変革や創造のみならず、住民意識の醸成や改革などが必要かつ重要である、と考えてきた。この点に関して内山は、「システムを変えれば世のなかはよくなる」という発想ではなく、「生きる世界の再創造を通してシステムの変革を求める」という考え方が肝要である(166ページ)、という。すなわち、内山にあっては、共同体の基層には自然と人間が結ぶ「精神」がある。その「精神」は「ともに生きる」という意識であり、それがその共同体(地域や住民)のなかでどれだけ醸成され共有されているかが重要になる。その土壌(基盤)があってこそ、その共同体に合った、その共同体ならではのシステムの導入や変更が可能となる。そして、「生きる世界の再創造」が図られる。内山の言説から改めて再認識したことのひとつである(注2)。

注
(1) 内山の共同体論と欧米の古典的なそれとの違いを知るために、テンニース(ドイツ)とマッキーヴァー(アメリカ)のコミュニティ論に関する内山の説述を紹介しておくことにする。

共同体についての古典的な本としては、テンニェス(F.Tönnies)の『ゲマインシャフトとゲゼルシャフト』(1887年)がある。ゲマインシャフトは一般に共同体と訳されることが多いが、地縁、血縁などで結ばれた有機体を指している。対してゲゼルシャフトは利害関係や目的意識などでつくられた人間の社会を意味しており、ゲマインシャフトからゲゼルシャフトへの移行が歴史の発展としてとらえられていた。それは近代形成過程の理論だったといってもよい。
このゲマインシャフトとゲゼルシャフトの関係をコミュニティとアソシエーションの関係として考察した、これも古典的な本に、マッキーヴァー(R.M.MacIver)の『コミュニティ』(1917年)がある。ただしテンニェスとマッキーヴァーとでは内容は大きく異なっている。マッキーヴァーにとってコミュニティとは共同的な生活が営まれている場であり、社会のあり方や文化などが共有されている結合体である。そしてその内部にはさまざまなアソシエーションが内包されている。アソシエーションはある目的を実現するための組織とでも述べておけばよいのだろうか。(78ページ)
 
マッキーヴァーのコミュニティのとらえ方は、コミュニティの内部に共同の関心を追求する組織体=アソシエーションが多様に存在しているというものである。テンニェスのようなゲマインシャフト(コミュニティ)からゲゼルシャフト(アソシエーション)へ、というような位置づけではない。とすると今日の日本でしばしば語られている「コミュニティが必要だ」という議論のなかで用いられている「コミュニティ」とは、むしろマッキーヴァーのいう「アソシエーション」の方であろう。なぜなら現在の日本で語られている「コミュニティ」は、人間たちの協力関係をつりくだすという関心にもとづいて進めようとしている活動であり、社会組織の模索だからである。(80ページ)

前述したように、内山にあっては、「共同体」とは「共有された世界をもっている結合であり、存在のあり方」をいう。共同体は、そのなかに小さな共同体を内包する「多層的共同体」である。「アソシエーション」を積み上げても、共同体は生まれない。理由のある組織を積み上げても、理由のある社会がつくられるだけである。内山はそれを共同体とは呼ばないのである(82~83ページ)。重ねて指摘しておきたい。
(2) 本稿に関連する文献として、内山節『内山節のローカリズム原論―新しい共同体をデザインする』(農山漁村文化協会、2012年2月)も興味深い。
そこにおいて内山は、「ローカリズム」とは、「自分たちの生きている地域の関係を大事にし、つまり、そこに生きる人間たちとの関係を大事にし、そこの自然との関係を大事にしながら、グローバル化する市場経済に振り回されない生き方をするということ」(106ページ)である、と規定する。そして、内山は、「関係の網によって結ばれた世界」が「ローカルな世界」であり、そこにこそ人間たちの生きる基盤をつくらなければならない。このローカルな世界を「共同体」といってもよいし、「コミュニティ」として捉えてもかまわない、という(109ページ)。

雑誌『ふくしと教育』と福祉教育実践研究―資料紹介―

多くの教育、福祉関係者の閉塞感は時代を反映しているとはいえむしろ、その実践者の孤立感やよって立つ新たな実践モデル、実践理論の不充足にあるともいえる。
今、この雑誌を創刊することは、福祉教育とボランティア学習について、多くの実践者と研究者が異なる立場、異なるフィールド、異なる実践を交差させ、情報交流、理論交流、そして人間としての交流を通して、共生の文化を育み、市民社会を形成する理論、実践方法を形成することにつながっていくと信じている。

雑誌『ふくしと教育』(以下、「本誌」)は、日本福祉教育・ボランティア学習学会の監修のもとに、2008年10月に大学図書出版から創刊されました。それは、全社協・全国ボランティア活動振興センターが1982年3月に創刊した『ボランティア・福祉教育研究』がわずか2号で廃刊となってから、四半世紀後のことです。
上記は、本誌の創刊号の巻頭を飾った上野谷加代子先生(当時の学会会長、同志社大学)の「『ふくしと教育』創刊によせて」の一節です(本誌、2ページ)。筆者(阪野)にとっては、理論と実践をつなぐ雑誌の刊行は一日千秋の思いで待ち望んでいたことであり、また上野谷先生の決意表明にも似た力強い言葉は、将来への展望が開けるものでした。
巻末では、津田英二先生(神戸大学)が「創刊によせて」、「人間中心の実践は、従来こだわってきた社会福祉や教育の概念を中心に置いていたのでは不十分である」。「新しい雑誌は、従来の枠組みでは捉えきれなかった、あるいは従来の枠組みの中に埋もれてしまっていた課題について、人間中心主義的視点を大切にしながら、悩みつつ理念の実践化の努力をしている人たちが声を出していく場になって欲しい」(本誌、57ページ)という願いを述べています。懐かしく思い出されます。
周知のとおり、雑誌の良し悪しを評価する基準・指標のひとつにインパクトファクター(impact factor:文献引用影響率)があります。それは、雑誌に掲載された論文(記事)の被引用回数を平均値で示す尺度です。誤解を恐れずにいえば、その雑誌が「流行(ハヤリ)に乗っているかどうか」を示す指標です。すなわち、それは、個々の論文や研究者の学問的レベルを評価するものではなく、雑誌の評価指数として用いられるものです。
本誌は、そうしたインパクトファクターや、その時の流行や話題性にとらわれるものではありません。本誌は、実践現場の要求と必要に応じて、信頼性の高い記事(情報)をいかにきめ細かく、かつ論理的に提供・発信するかが問われる雑誌です。しかも、実用性を重視したハウツー誌ではなく、福祉教育の実践者や研究者が豊かな実践事例を共有し、実践仮説の検証や理論的抽象化に取り組むことを要請する雑誌です。いいかえれば、本誌は、実践者と研究者が共働して、現場実践と理論研究の相互浸透を促進するひとつの「土俵」である、といえます。それは、創刊号の編集責任者が「この雑誌を通して学び合い、励まし合うことで実践を豊かにしていく」「双方向の雑誌づくりをめざしたい」と記すところです。蛇足ながら、相撲の土俵は、二人の力士(ここでいう実践者と研究者)がぶつかり合い、その技を磨き高め合う真剣勝負の「場」です。それは、角界(ここでいう「ふくしと教育」界)の隆盛と発展を期す「舞台」です。
情報の命(いのち)は信頼性である、といわれます。本誌は創刊以来、掲載記事の信頼性を最重要視しながら、実践事例の紹介に努めています。ただ、その事例は、「〇〇モデル」という、手本となる(とする)実践であると考えるべきではありません。個々の実践事例は、地域や学校などのその現場ならではのものであり、その現場の内発的で歴史的・社会的表出であり、反映でなければなりません。そして、その事例報告は、現場での実践活動をひとつの事実として正確に記録し、複数の事実と時系列的あるいは並列的に比較検討し、その事実の一般化を志向することが肝要となります。その作業や過程を経ないと、その実践活動はすぐに忘れ去られてしまう一過性のもので終わり、新たな価値や変革を生み出すことはできません。本誌の社会的意義に関して留意しておきたいところです。
 
先日、定期購読している本誌が届きました。今号で早20号を数えます。そこで本稿では、この機会に、創刊号以後の各号の特集テーマと論文の一覧を作成し、参考に供することにします。特集テーマの設定は、時局を背景にした実践的な問題や課題に対応するものであり、また先を見据えた研究課題を提起するものでなければなりません。その意味では、特集テーマの設定は雑誌(本誌)の特徴やレベルを表示するものでもあります。こうした点をより明らかにするためには、特集テーマの内部領域や構成についての考察や、特集論文の分析・評価などが必要になりますが、それは他日を期すことにします。

創刊号/いま、福祉教育・ボランティア学習の実践に求められるもの/2008年10月
〇対談:いま、福祉教育・ボランティア学習の実践に求められるもの
〇福祉をめざす教育へ~学習指導要領改訂をふまえて~
〇地域福祉の最近の動きと福祉教育
〇ボランティア・NPOの活動と最新の動向

第2号/地域と学校で取組む福祉教育/2009年1月
〇<特集巻頭言>感じ取り合うことのできる関係づくり
〇地域に教育の「場」を創造する福祉教育の取組み
〇小平市が取組む地域と学校のつながり
〇地域と学校のつながり「長崎ふれあい学習」
〇地域を基盤とした福祉教育~地域と学校のつながりを考える~
〇地域福祉教育プラットフォーム~共生社会の形成に向けた新たな仕組みとして~

第3号/食育と福祉教育/2009年4月
〇<特集巻頭言>?!!食育と福祉教育??!
〇座談会:子ども達の実態を食生活からみる―箸の使い方でみえる食卓、食でつながる食育と福祉教育を語る―
〇フードファディズムと食生活
〇食べることでつながる福祉教育実践~名古屋市立吹上小学校の取り組みを通して~
〇子どもを見守り育てる食育実践~さいたま市立大久保小学校の実践~

第4号/高校生が福祉を学ぶ/2009年7月
〇<特集巻頭言>高校生が福祉を学ぶ意味
〇新学習指導要領をどう読むか―その特徴と課題
〇高校福祉科の現状と新学習指導要領のポイント
〇フォーラム報告:いま、改めて高校福祉の源流を語る

第5号/ワークキャンプ~地域が変わり、人が変わる~/2009年10月
〇<特集巻頭言>ワークキャンプの歴史と魅力
〇山村地域におけるワークキャンプ実践―京都府南丹市美山町の山村生活支援型WCを中心として―
〇ESD実践としてのワークキャンプ―ぼらばんワークキャンプを事例として―
〇大学を拠点としたワークキャンプ実践―災害時のボランティア実践からの展開―
〇座談会:若者たちが語るワークキャンプの魅力
〇受入れ先が語るワークキャンプの魅力

第6号/教師も育つ福祉教育/2010年1月
〇<特集巻頭言>教師も育つ福祉教育とは
〇小学校の教育活動を通しての私の変容
〇中学教師・海外体験を活かし日々の生活の中に学び続ける
〇JRCとの出会い、地域自主活動を通しての私の変容
〇高校での授業実践・地域での活動を通しての私の変容
〇教師はどのように育つのか

第7号/社協がやらねば誰がやる/2010年4月
〇<巻頭言>社協の福祉教育機能の広がりと基本
〇社協と学校の連携の実際―長崎県の学童・生徒のボランティア活動の歴史と課題―
〇社協事業の中の福祉教育(的な)機能① 地域福祉活動計画づくりを通した福祉教育
〇社協事業の中の福祉教育(的な)機能② 住民による個別支援活動がもつ福祉教育機能について
〇社協事業の中の福祉教育(的な)機能③ ふれあい・いきいきサロンの実践から
〇社協事業の中の福祉教育(的な)機能④ コミュニティソーシャルワークにおける(地域)福祉教育機能の可能性 
〇社協の福祉教育事業の確立① 夏のボランティア体験学習のすすめ
〇社協の福祉教育事業の確立② 福祉教育研究集会の「子どもの豊かな育ち」の取り組み
〇社協の福祉教育事業の確立③ 定年退職者への働きかけ「団塊世代キャリア活用事業 大人の学校」
〇福祉教育を通じて社協が伝えたいこと① その人らしい暮らしを支えていく
〇福祉教育を通じて社協が伝えたいこと② 子ども達とシチズンシップ
〇福祉教育を通じて社協が伝えたいこと③ 福祉教育にもたらされる意識の変化こそ!
〇福祉教育を通じて社協が伝えたいこと④ 福祉は土佐の山間より

第8号/見えにくい・わかりづらい障害へのアプローチ/2010年7月
〇<巻頭言>新たな福祉教育の地平への扉をひらく
〇見えづらい・わかりづらい障害の理解について
〇精神保健福祉と福祉教育の実践―子ども達は精神障害をもつ人との交流の中でどのように学んでいくのか―
〇疑似体験を通して伝える知的障害・発達障害の子ども(人)の気持ち
〇地域ぐるみで認知症の理解に取り組む

第9号/いま、改めて教育福祉を問う/2010年10月
〇<巻頭言>教育と福祉の“谷間”の諸問題にどう向き合うか
〇「不安定層の増大」から教育福祉を考える―教育福祉の今日的位置づけをめぐって―
〇スクールソーシャルワーカーとしての実践から
〇ともに学びともに育つ学校づくりと『障がい理解』の転換
〇「自分に何ができるか」を問う実践―MYPの教育理念に基づくコミュニティとサービスを事例として―

第10号/ボランティアをめぐる10の論点/2011年1月
〇<巻頭言>ボランティア国際年から10年、改めてボランティアの論点を問う
〇論点① ボランティアと現代社会
〇論点② ボランティアとまちづくり
〇論点③ ボランティアとライフサイクル
〇論点④ ボランティアと有償サービス
〇論点⑤ ボランティアと企業
〇論点⑥ ボランティアと奉仕活動体験
〇論点⑦ ボランティア学習の評価(中高校生)
〇論点⑧ ボランティア学習のファシリテート
〇論点⑨ ボランティアコーディネーターの評価~コーディネーターを活かすための組織と位置づけ
〇論点⑩ ボランティアの推進組織~大学ボランティアセンターでの実践から
〇論点総括 ボランティア・未来への視座
〇資料 全国ボランティア活動実態調査結果の概要

第11号/震災ボランティア/2011年9月
〇<巻頭言>笑顔や希望を取り戻すことを願って
〇鼎談/現地報告:震災から1か月半 そのときCLCはどう動いたか
〇震災の学び・支援を深める―時系列で見た災害支援からの学びと展望―
〇津波で崩壊した地域を支えた保育園~岩手県大槌町吉里吉里地区の保育園芳賀カンナ副園長のインタビューから
〇大震災・被災地から学ぶ避難と支援~会津若松市・北茨城市にみる信頼の人間関係・ネットワーク力

第12号/企業が取組む福祉活動/2012年2月
〇<巻頭言>企業の社会貢献活動と市民教育
〇ユニクロの「全商品リサイクル活動」で高校生が学んだこと
〇一般企業で福祉的視点をもって働くということ~イオンリテール株式会社で働く唐沢さんの場合
〇企業と福祉の架け橋に「きょうと福祉パートナー事業」
〇「まごころ宅急便in大槌」の実現と福祉活動の実際~ヤマト運輸、町県社協、地元スーパーの協働を見つめて

第13号/震災の学び、支援を深める/2012年8月
〇<巻頭言>震災経験から学び、新たな社会を構想する
〇福祉を学ぶ高校生がつなぐ被災地支援の輪~届けよう! 大阪と宮城の高校生の協賛プレゼント
〇東北福祉大学のボランティア会による災害支援活動
〇宮古市災害ボランティアセンターの現地報告
〇トヨタの被災地復興支援ボランティア活動

第14号/社会的つながりをつくる若者支援/2013年2月
〇<巻頭言>子ども・若者への切れ目のない支援ネットワークを!
〇高校生の進路指導を徹底支援するエンカレッジスクール
〇若者の自立支援に関わるエンド・ゴールの取り組み
〇いが若者サポートステーションによる自立支援とエンパワーメント
〇シティズンシップ教育と若者支援

第15号/福祉教育とボランティア活動の源流を探る―木谷宜弘先生を偲びながら/
2013年8月

〇<巻頭言>福祉教育とボランティア活動推進の源流を探る意義
〇福祉教育の礎としての木谷宜弘の思想
〇子ども達と共に、木谷ボランティアイズム
〇社協のボランティアセンターの歩み―黎明期からネットワークの成立まで
〇市民によるボランティア活動推進の源流を探る

第16号/社会的包摂と福祉教育/2014年2月
〇<巻頭言>「社会的包摂」と「社会的排除」のあいだ
〇学会シンポジウム:社会的包摂と福祉教育・ボランティア学習
〇全国社会福祉協議会における「社会的包摂にむけた福祉教育」の検討経過
〇オール滋賀社協による生活困窮者支援の考え方と実践活動
〇自転車レンタル事業「ハブチャリ」における地域づくり

第17号/障害理解と福祉教育/2014年8月
〇<巻頭言>インクルーシブな環境、当事者視点こそ!
〇精神障害者フットサルを通した交流体験がもたらす障害理解
〇「ICF」の視点からの福祉教育プログラム開発
〇発達障害の理解について―事例から学ぶ発達障害理解のポイント―
〇地域の中で共に育つ・育てる環境をつくる―神戸大学「のびやかスペースあーち」

第18号/これまでとこれから―日本福祉教育・ボランティア学習学会創立20年の節目からの多角的検討/2015年2月
〇<巻頭言>これまでの20年を振り返りこれからを模索する
〇今後の放課後・土曜日等の教育活動と福祉―子ども達の豊かな学びのための教育環境づくり―
〇中学校における福祉教育・ボランティア学習
〇高等学校にみる福祉教育・ボランティア学習のこれまでとこれから
〇学生のボランティア活動の20年とこれから~市民教育の視点から見た高等教育機関の役割を考える
〇サービス・ラーニングのこの20年とこれから
〇社会教育にみる福祉教育・ボランティア学習の関わりと課題
〇福祉教育・ボランティア学習とボランティアコーディネーター
〇福祉教育と社会福祉協議会―福祉を専門家だけのものにしないために
〇社協の現場からみたこの20年とこれから
〇共同募金と福祉教育
〇赤十字を通して思いやりの心を育む~青少年赤十字活動の実際~
〇子どもの貧困と地域づくりのこれまでとこれから
〇「社会的な孤立」を越えて―「当事者」と「当事者性」のエンパワメントにみる「地域・まち」づくり―
〇世代間交流活動―シニア世代の生き方づくり

第19号/福祉教育・ボランティア学習の地域ネットワークの再構築/2015年8月
〇<巻頭言>逆風と向き合い、追い風を捉えよう
〇貧困格差社会を生きる子ども達の学習支援と地域福祉実践―埼玉県/三芳町VGによる子ども達の学習支援教室「テゾーロ」の活動等―
〇高知県社協「福祉教育の新たな展開に向けた検討委員会」報告
〇共生文化創造への「あいち・なごや福祉教育・ボランティア学習研究会」
〇群馬県の「V・市民活動支援実践研究会」と「福祉教育実践研究会」の取り組み

第20号/福祉読本・ワークブックをどう“つくるか”“つかうか”/2016年2月
〇<巻頭言>社会的排除に福祉教育はどう向き合うか
〇福祉教育教材作成にかける想い・構成上の留意点―大阪府教育委員会福祉教育指導資料集『ぬくもり』改訂過程を通して―
〇市内小中学校で福祉教育をすすめる志木市社協の取組み
〇地域・学校・社協ですすめる福祉教育ハンドブック
〇福祉教育推進に向けた教材の作成と今後の展開―福岡県社協の福祉教育教材「ともに生きる」のねらい、つかい方―

以上を一瞥すると、特集テーマの設定は、現実を見据えた手堅いものになっています。また、その内部領域は、実践現場に目配りした焦点化の努力や工夫が図られています。しかしそれは、逆にいえば、従来の地域「福祉」や「学校」教育の一定の領域・分野にとどまりがちであるということです。その証左として、特集テーマの巻頭言や論文の執筆者(累計延べ人数150人)の所属先は「大学・研究機関」が38%、「社協・ボランティアセンター」が31%、「小・中・高校」が11%を占めていることを挙げることができます。次いで、「NPO・ボランティア団体」と「行政・公的機関」がそれぞれ5%、「社会福祉施設・団体」が2%、そして「社会教育施設・団体」は皆無です。この数字は、その限りにおいて、必ずしも学際性や新規性、あるいは革新性の高いテーマ設定にはなっていない、ということを意味するのでしょうか。今回の20号の発行を機に、一人の読者として、いくつかの観点や視角から「ふくし教育」や「市民福祉教育」の展望を行うことができるよう、誌名の『ふくしと教育』の「ふくし」に込められた理念や思い(こだわり)について再考したいものです。
なお、福祉教育の研究・協議は、本誌の他に、日本福祉教育・ボランティア学習学会による「全国大会」の開催や「研究紀要」の発行、全社協/全国ボランティア・市民活動振興センターによる「全国福祉教育推進セミナー」の開催や「福祉教育のあり方研究会」等の設置などを通して行われています。その動向を概観すると、いま、いかにしてそれぞれがその独自性や専門性を発揮し、そのうえでより豊かな連携・協働(共働)を図るかが改めて問われているのではないか。そう思うのは筆者だけでしょうか。例によって唐突ですが、あえて付記しておきます。

謝辞
本誌の紙面づくりにご尽力いただいている学会会員の皆様と、雑誌の電子版化が進むなど出版状況が急激に変化し一段とその厳しさを増すなかで、きめ細かな配慮の行き届いた編集・発行にご支援いただいている大学図書出版に対して、一人の会員ならびに読者として衷心より厚くお礼を申し上げます。
また、本稿をアップするにあたって、日本福祉大学の原田正樹先生と大学図書出版の藤原雄進様には格別のご厚情とご高配を賜りました。ここに記して深く感謝の意を表します。

地域を生きる・地域を拓く・地域を創る:「内発的発展論」と「内発的ESD」を読む―資料紹介―

「ないものねだりは愚痴である。あるものを探して磨くのが自治である」。「地元学は時間がかかる。人が育つ時間が必要だからである」。これは、「地元学」の提唱者である吉本哲郎の言葉である。筆者(阪野)は、ときにこのフレーズを思い出しながら、「地域」とかかわってきた。その際、自分のなかに設定したテーマは常に、「まちづくりと福祉教育」であった。また、「まちづくりは人づくり、人づくりは教育づくり」「まちづくりは市民主権・市民自治の理念に基づく市民運動」であることを念頭に置いてきた。
「地元学」に関連して思い及ぶものに、鶴見和子の「内発的発展論」や赤坂憲雄の「東北学」、原田正純の「水俣学」、あるいは山崎亮の「コミュニティデザイン」などがある。鶴見は2006年7月に鬼籍に入るが、赤坂との対談を中心に編まれた『地域からつくる』(藤原書店)が2015年7月に出版された。中央から(政府主導の)「地方創生」が推進され、「地方版総合戦略」(「都道府県まち・ひと・しごと創生総合戦略及び市町村まち・ひと・しごと創生総合戦略」)の策定が要請されているこんにち、「中央」でも「地方」でもなく、「地域からつくる」が重要な意味をもつ。
『地域からつくる』を入手した機会に、鶴見の『内発的発展論の展開』(筑摩書房)の再読と岩佐礼子の『地域力の再発見』(藤原書店)の通読を行うことにした。本稿は、例によって、3冊について筆者が関心をもった論点や言説の一部を抜き書きし、紹介するものである。

(1) 鶴見和子『内発的発展論の展開』筑摩書房、1996年3月
▽内発的発展は多様性に富む社会変化の過程である
内発的発展とは、目標において人類共通であり、目標達成への経路と創出すべき社会のモデルについては、多様性に富む社会変化の過程である。共通目標とは、地球上すべての人々および集団が、衣食住の基本的要求を充足し人間としての可能性を十全に発現できる、条件をつくり出すことである。それは、現存の国内および国際間の格差を生み出す構造を変革することを意味する。
そこへ至る道すじと、そのような目標を実現するであろう社会のすがたと、人々の生活のスタイルとは、それぞれの社会および地域の人々および集団によって、固有の自然環境に適合し、文化遺産にもとづき、歴史的条件にしたがって、外来の知識・技術・制度などを照合しつつ、自律的に創出される。したがって、地球的規模で内発的発展が進行すれば、それは多系的発展であり、先発後発を問わず、相互に、対等に、活発に、手本交換がおこなわれることになるであろう。(9~10ページ)

▽内発的発展は地域を単位とし伝統の再創造を図る
(内発的発展の単位は地域である。)地域とは、定住者と漂泊者と一時漂泊者とが、相互作用することによって、新しい共通の紐帯を創り出す可能性をもった場所である。(25~26ページ)
内発的発展には、文化遺産、またはもっと広くいえば伝統のつくりかえの過程が重要である。伝統とは、ある地域または集団において、世代から世代へわたって継承されてきた型(構造)である。伝統にはさまざまな側面がある。第一は、意識構造の型である。世代から世代へ継承されてきた考え、信仰、価値観などの型が含まれる。第二は、世代から世代に継承されてきた社会関係の型である。たとえば、家族、村落、都市、村と町との関係の構造等が含まれる。第三は、衣・食・住に必要なすべてのものをつくる技術の型である。少なくともこれら三つの側面について、古くから伝わる型を、新しい状況から生じる必要によって、誰が、どのようにつくりかえるかの過程を分析する方法が、内発的発展の事例研究には不可欠である。(29ページ)
地域の小伝統の中に、現在人類が直面している困難な問題を解くかぎを発見し、旧いものを新しい環境に照らし合せてつくりかえ、そうすることによって、多様な発展の経路をきり拓くのは、キー・パースンとしての地域の小さき民である。その意味で、内発的発展の事例研究は、小さき民の創造性の探究である。(30ページ)

▽政策としての内発的発展という表現は矛盾をはらんでいる
政策としての内発的発展という表現は、矛盾をはらんでいる。地域住民の内発性と、政策に伴う強制力との緊張関係が、多かれ少なかれ存続しないかぎり、内発的発展とはいえない。たとえ政策として取り入れられた場合でも、それが内発的発展でありつづけるためには、社会運動の側面がたえず存続することが要件となる。(27ページ)

(2) 赤坂憲雄・鶴見和子『地域からつくる―内発的発展論と東北学』藤原書店、2015年7月
▽地域学は内発的発展論に支えられた知の運動である
地域学は、それぞれの地域に生きる人々が、外なる人々とも交流しながら、みずからの足元に埋もれた歴史や文化や風土を掘り起こし、それを地域資源としてあらたに意味づけしつつ、それぞれの方法や流儀で地域社会を豊かに育ててゆくことをめざす、野(の/や)の運動である。(赤坂、37ページ)
内発的発展論とは、それぞれの地域に暮らす人々が、みずからの足元に埋もれている歴史や文化や風土を掘り起こすことを通じて、内からの力を呼び覚ましながら、明日の地域社会を協同して育て創造してゆく、そのための実践的な導きの理論であり、東北学はそうした内発的発展論に支えられた知の運動である。(赤坂、12ページ)
地域学と内発的発展論とは、「汝の足元を深く掘れ、そこに泉あり」(ニーチェ)という促しの声において重なり、共鳴しあっている。(赤坂、37ページ)

▽内発的とは自治の精神に基づき時間をかけて立ち向かうことをいう
内発的発展論という言葉だけ聞くと、それは狭い地域やムラなり共同体なりに閉じこもり、外部の人間たちに対して、それを寄せ付けない狭い意識をもった発展の形なのではないかと誤解されてしまう怖れがある。内発的と外発的を区別するのは主体の在り方である。つまり、内発的とは、その土地に暮らす人々が内発的な欲求や自治の精神をもって、何かに立ち向かうことをいう。(赤坂、191ページ)
その土地で長い間、何代にもわたって生きてきた人たちの暮らしの流儀とか知恵とかをきちんと汲み上げる形で、もう一度、内発的に作り上げていく努力が必要なのである。外発的に、そこに暮らす人々をさしおいて頭越しに、性急に外から押し付けられるものは信頼できない。(赤坂、194、197ページ)
内発というのは発酵する、熟成する期間を必要とする。(鶴見、195ページ)

▽内発的であるには異質なものに対して開かれた態度が求められる 
内発的であるとは、内に閉じ籠もり、地域ナショナリズムを主張することではない。むしろ逆に、外に向けて、それゆえ異質なるものにたいして開かれた態度が求められる。
ムラ社会を巡回する漂泊者の群れこそが、ムラ社会存続の不可欠の要件である。漂泊者との交流、つまり漂白と定住とのたえざる相互作用があってはじめて、地域社会は活力を保つことができるのである。
ムラ社会にとって、漂白する人々は異質なるものであり、異文化を背負って登場する訪れ人である。鶴見さんはそこに、ムラ社会が活性化されるための不可欠の要件を認める。創造への豊かな契機が、漂白という異質なるものとの出会いのなかに隠されている、という発見でもある。(赤坂、218~219ページ)

▽内発的発展論は教育学であり教育民俗学である
内発的発展論は、分野としては社会学よりも教育学である。社会学でいえば、社会化の理論である。人間のひとりひとりの可能性を実現、顕在化していく、伸ばしていく。それが教育である。(鶴見、98ページ)
その土地に暮らす地元民がその土地の歴史や文化を掘り起こし、それを日常に、生活に役立て、それを伸ばしていく。これは民俗学であるが、教育民俗学であり、民俗学的教育である。それが内発的発展論である。(鶴見、115~116ページ)

周知のように、内発的発展論は、1970年代中頃に提起された理論である。それは、従来のいわゆる「外来型開発」を批判し、住民の自治と参加による、住民主体の地域発展のあり方を問うものである。それを主導したのが鶴見和子である。その後、1990年代以降、新自由主義(市場原理主義)を背景に、自立自助や規制緩和を前提とした地域開発(地域社会)政策の展開や制度改革が推進されることになる。その内実は行財政改革であり、その一環として地方分権改革や福祉・教育改革が進む。そしてこんにち、その流れのなかで、内発的発展の概念や言説が政府主導の「地域振興」や「地域間競争」「地方創生」などをめぐる論理に内包化されている。すなわち、内発的発展の政策的推進が図られている。それは、一面では、外来型開発への対抗理論として措定され展開された内発的発展論の、理論としての特徴や歴史的意義、理論的有効性が問われることを意味する。
そもそも、グローカル化や高度情報化の時代にあって、地域の発展が「内発性」だけで完結する地域は存在しない。現実的には、その多少にかかわらず地域外の資源などに目を向けざるを得ない。地域資源を主体としつつも必要な外部資源の活用や導入を図ることを通じて、その地域の資源が生かされ、また新しく創り出されることになる。すなわち、地域のより豊かな持続的発展を指向するには、「内発性」と「外発性」を二項対立的に捉えるのではなく、その有機的連携や協働(共働)を図ることが必要かつ重要となる。それは必ずしも、地域住民の主体性や主導性としての「内発性」自体を軽視したり、狭隘に追い込んだりするものではない。
鶴見の言を俟つまでもなく、内発的発展を外部からの強制力によって政策的に推進することは、論理的には矛盾をはらんでいる。だからといって、ただひたすらに自立・自律による「内発性」を強調し、「外発性」を軽視あるいは否定することは、地域住民が直面している問題状況や地域課題の客観的把握を困難にする。とともに、地域住民がもつ内発的発展の潜在的能力を低下させ、発展の方向性を見失うことにもなる。すなわち、ここでは、地域住民の内発力と政策に伴う強制力との緊張関係のなかで、地域住民の主体性・能動性や自律性を厳しく問うことが必要かつ重要となる。それは、内発的発展の実践過程における、地域住民の地域づくり主体としての力量形成とそのあり方を問うことを意味する。鶴見が、「漂泊(者)と定住(者)の交流」を説き、「内発的発展論は教育学であり、教育の方法である」と強調するところである。
内発的発展は、政府や行政機関による「上から」の啓蒙・啓発ではなく、地元住民の「下から」の気づきや疑問、興味や関心などを基盤とする。したがってまず、個々の住民(鶴見がいう「キー・パースンとしての地域の小さき民」)の、地域づくり(まちづくり)主体としての個人的力量をいかに形成するかが重要となる。そして、個人的対応での課題や限界が生じたり、集団的・組織的対応を必要とする場合に、地域内・外の他者や他機関との交流や連携・共働のための(による)集団的力量形成が肝要となる。例えば、「地域住民―地域組織・団体―行政(職員)」の連携・共働関係の構築とそのための(それによる)教育は不可欠なものとして考えられなければならない。そこには、新しい、「共通の価値、目標、思想等」としての「共通の紐帯 (common ties)」(『内発的発展論の展開』25ページ)を創り出す可能性がある。
いずれにしろ、内発的発展の現実的な実践過程において最も重視されなけれぱならないのは、地域づくり(まちづくり)のための個人的・集団的主体形成(力量形成)であり、地域住民によるそのための不断の自己教育・相互教育である。それは、鶴見がいうように、「発酵・熟成」する期間や過程を必要とする。それによって、地域づくりのより確かで豊かな運動としての展開が推進されることになる。

(3) 岩佐礼子『地域力の再発見―内発的発展論からの教育再考』藤原書店、2015年3月
▽「持続可能な発展」は巨大な「システム社会」を前提とする
「持続可能な発展(開発)」(Sustainable Development:SD)は、大量生産、大量消費、大量廃棄に依存する資本主義や市場主義といった巨大システムからの脱却はせず、むしろそのシステムを最大限に利用し、言うなれば近代化のグリーン化を目指すものだった。換言するとエコロジー的近代化である。それは、環境保全と経済発展は両立するという前提に立って持続可能な発展を目指すことであり、環境規制の強化、環境税の導入、環境に配慮した技術革新の促進など、ドイツや北欧諸国の政策に代表される。
エコロジー的近代化には、水俣病患者が体験したような社会的差別や断絶、孤立や家族や共同体の崩壊といった社会的な問題に答える用意ができていない。そこには社会的な持続可能性についての配慮が欠如していると言えるだろう。(43~45ページ)

▽「持続可能な発展を支える教育」は多領域を横断する包括的教育である
「持続可能な発展を支える教育」(Education for Sustainable Development:ESD)は、あらゆる人々が、地球の持続可能性を脅かす諸問題に対して計画を立て、取り組み、解決方法を見つけるための、多様な分野の教育である。これを起点として多文化共生教育、ジェンダー教育、平和教育、人権教育、開発教育と、ESDはありとあらゆる教育を包含しながら複雑化し、一つの教育概念としての一貫性が疑問視されてきている。(71~72ページ)
色々な分野の教育をESDは次々と取り入れているが、どういった教育がESDではないのか、というESDとESDでないものとの境界線がぼんやりしているから生じるのである。これは〇〇教育といった、教育内容でESDを固定化して捉えるときに生じてしまう混乱であり、このアプローチには明らかな理論的限界がある。(85~86ページ)

▽「持続可能な発展のための内発的共育」は環境や社会の変動に寄り添う「共育」である
「持続可能な発展のための内発的共育」(Endogenous Education for Sustainable Development:EESD:内発的ESD)は、SDを支えるのは〇〇教育である、といった固定的な教育の捉え方ではない。発展過程の変動に寄り添って変化するような、動的なものとして教育や学習を捉えるものである。それは、人間として生きていくためには必要不可欠な、発展の変動に左右されない一貫性のある基本的な共育でありながらも、発展の過程で生じる社会変動や環境変動の際に外来の知識や知恵、技術などの要素を外から取れ入れながら、変動を乗り越えていく知恵を生み出すためにダイナミックに変化する共育である。すなわち、平常時の「静的」な動態と変動時の「動的」な動態という二つの動態を持つ共育をいう。(86~87ページ)
「ESD」という国際的に認識された教育概念は、地域レベルまで戦略的に上意下達式に地域の文脈に沿って普及し、新たな価値観を創造していくことであり、現場から内発的に立ち上がってくる教育及び学習のあり方とは根本的に異なっている。(73ページ)
「内発的ESD」は既存のESDを内発的なものに転換するという意味ではなく、あくまでも「持続可能な発展を支える内発的な共育」という意味を持つ。(87ページ)
「共育」とは、学校教育に囚われない、創造的で、相互的な、生活世界の視点から「教育」を置き換えた用語である。それは、内発的発展の過程において人々が共に学び合い教え合い育つという意味に加え、この共に育つプロセスにおいて学習と教育が一体化している状態を示す。(76ページ)

▽「持続可能な発展」は内発的で自律的な「創造的前進」をいう
持続可能な発展とは、声高に地球環境問題を唱えることや、エコタウンの建設や、化石エネルギーから自然エネルギーへの転換や、エコツーリズムによる街づくりといった可視的な「取り組み」を意味するのではなく、このような人々の普遍的な共同の祈念に導かれた、自律的で暗黙的な「創造的前進」そのものを指すのではないだろうか。風土に根ざし、しっかりと自分の立つ足元を見つめながら、今を生きるものたち、目に見えないものたち、声なきものたち、それらすべてとのつながりを身に引き受け、人間の潜在的可能性を発現しながら持続を希求するメカニズム、即ち内なる持続可能性の構築こそが「生命から内発する力」の源であり、発展を人間の成長の視角で捉えようとした鶴見が内発的発展論で追求していた真の意味ではないのか。この内なる持続可能性の構築を支えるものが、内発的発展に埋め込まれた内発的ESDである。
人間の潜在的可能性を発現するという意味での内発性とは、自分自身の主体的な力でもあり、願いや祈りを共有する仲間の力を借り、自発的に結集する力、共同性の力でもある。(372ページ)

先述の、鶴見の内発的発展論は外来型開発に対抗するものであるが、ESD は、経済発展と環境保全との折り合いをつける教育でもある。また、ESDにおいては、「環境」の概念が自然環境という狭義のものから、社会・経済・文化環境などの広義のものに拡張されてきた。それに伴って内包化(総合化)された平和教育や人権教育、あるいは福祉教育は、ESDとの親和性や同質性が強調される。その結果、ESDはそれ固有の構成要素や内容を曖昧化させ、平和教育や人権教育などの既存の教育についてはそのものの存在意義や特徴を希薄化させる恐れなしとしない。この点については、「まちづくりと福祉教育」においても、それが人権教育や道徳教育、共生教育(インクルーシブ教育)、防災・安全教育などとの親和性が高いがゆえに、強く留意すべきところである。
また、ESDは、学校や地域において総合的に展開されることが期待されている。学校教育に関していえば、2008年1月の学習指導要領改訂に関する中央教育審議会答申で、「持続可能な社会を構築することが強く求められている」として、ESDの取り組みの重要性が指摘された。この答申を踏まえて、学習指導要領にESDの視点が盛り込まれた(小・中学校は2008年3月、高等学校は2009年3月にそれぞれ改訂・公示)。以降、ESDの普及が図られるが、いわれるほどには進展していない。地域のESDについては、リーダーシップの養成やネットワークの形成(コーディネーターやファシリテーターの育成)が肝要となるが、これも進んでいるとはいい難い。その背景に何があり、その原因は奈辺にあるのか。本質論的かつ実践論的検討が求められよう。
ESDは、個人を対象とした知識伝達や能力形成のための教育として捉えられている。この従来型の教育に対して岩佐(「内発的ESD」)は、人、モノ、コト、そして自然が有機的にかかわる地域(「生活世界」)の内発的発展を支えるための、人間(地域)の潜在的可能性を発現させ、共同性や自律性そして創造性を育成する「共育」のあり方を提示する。それは、地域に暮らす高齢者や障がい者、外国籍住民など、すべての「ヒト」が「共働」する「まちづくりと福祉教育」における重要な視点・視座のひとつでもある。

付記
(1) 政府の「地方創生」策に関しては、2014年9月に「まち・ひと・しごと創生本部」(「地方創生本部」)が設置され、同年11月に「地方創生関連2法」(「まち・ひと・しごと創生法」「地域再生法の一部を改正する法律」)が公布・施行された。また、2015年度中に「地方版総合戦略」を策定することが求められている(努力義務)。
(2) 「福祉教育とESD」については、例えば、「特集 持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」『研究紀要』Vol.14、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2009年11月、7~58ページを参照されたい。

市民福祉教育研究所/2015年のブログ/年間レポート

市民福祉教育研究所/2015年のブログ/年間レポート 

統計情報
シドニーにあるオペラハウスのコンサートホールには2,700人が収容できます。2015年にこのブログは約18,000回表示されました。オペラハウスのコンサート7回分になります。
2015年には23件の新しい投稿が追加され、「まちづくりと市民福祉教育」26件、「ディスカッションルーム」54件、「雑感」32件、「研究者報告」1件、合計で113件になりました。
1年のうち一番人気のあった日は12月1日で、204回表示されました。その日最も人気があった記事は「今、改めて問われる「村を捨てる学力」と「村を育てる学力」―資料紹介―」です。
ちなみに、2012年6月25日にこのブログを開設して以来、2015年12月31日現在で72,717回表示されました。

注目記事
以下は、2015年に最もよく読まれた投稿です。
(1)福祉教育におけるアウトリーチ活動―福祉の(による)まちづくりの住民主体形成を推進するために―/2012年11月19日
(2)問題解決学習と“はいまわる経験主義”―資料紹介―/2014年4月11日
(3)地域福祉推進の基本的視点―福祉教育実践の内容と方法を考えるために―/2013年6月22日
(4)ソーシャル・キャピタルと市民福祉教育/2012年8月21日
(5)今、改めて問われる「村を捨てる学力」と「村を育てる学力」―資料紹介―/2014年3月22日
(6)障害は個性ではない―障がい者差別の解消に向けて―/2013年11月14日
(7)「滅私奉公」と「活私開公」―資料紹介―/2014年12月12日
(8)協働と共働/2013年9月16日
(9)介護等体験と福祉教育―介護等体験は“古くて狭い”福祉観や教育観を再生産する―/2012年10月24日
(10)「現実」と「生活綴方教育」の“いま”を問う―ある若い知人へのメモランダム―/2015年4月20日

読者の所在地
合計22ヶ国です。
人気の国は、日本、アメリカ合衆国、大韓民国、台湾、ドイツ、ブルネイ、イギリス、フィンランド、スペイン、中国です。

「福祉教育の歴史」についての断章:「現場実践の二極化」と「課題別研究の進展」の時代―資料紹介―

「福祉教育の歴史」の概略を知りたい、という連絡をある方から複数回いただきました。また、熱心なブログ読者(S氏)からは、最近の福祉教育の実践や研究をめぐって、「他地域の実践事例を見聞しても、以前のようにワクワク感が沸かなくなってきた。」「現場における実践的研究の重要性が認識されていない。またその研究の独自性の追求が弱い。」「教育実践と研究活動は不可分であり、往還関係で捉えることが重要である。」「現場実践と研究をつなぐ仕掛けやシステムはどうあるべきか。それはどのように機能すべきか。」「実践現場の課題と大学人らによる研究の課題設定にズレが生じているのではないか。」「研究者による実践評価の基準がよく分からない。基準の開示すらない。」「教育学分野からの福祉教育研究が期待したほどには進展しない。」「学会発表でも研究の視点や枠組み、データの収集・分析方法などに曖昧なものが散見される。」等々、実に多くの指摘をいただきました。厳しいものばかりです。
「ズレ」に関しては、筆者(阪野)は、最近の政治(政策・制度)による新しい歴史の始まりと実践現場とのズレ、個別的実践への政治的意向の反映や統制も気にかかります。「福祉教育を通していま守るべきものは何か、拓くべきものは何か」。主体的・自律的な福祉教育実践と研究の意義や方向性が、以前にも増して厳しく問われているように思うのは筆者だけでしょうか。
S氏の思い(批判)に対する回答は他日を期すことにして、本稿では先ず、「福祉教育のあゆみ」についてその一文を紹介することにします。コンパクトに要領よく説述されている原田正樹先生(日本福祉大学)のものです。併せて、関係資料と筆者の管見の一部を記しておきます。歴史的知見からS氏への回答の一部を見出すことにつながれば、という思いです。なお、福祉教育の通史と歴史研究に関しては、次の文献も参照して下さい。
(1) 阪野貢「福祉・教育改革と福祉教育のあゆみ」村上尚三郎・阪野貢・原田正樹編著『福祉教育論』北大路書房、1998年3月、2~13ページ。
(2) 杉山博昭「福祉教育の歴史」阪野貢監修/新﨑国広・立石宏昭編著『福祉教育のすすめ』ミネルヴァ書房、2006年4月、22~33ページ。
(3) 田村禎章「戦後の社会福祉・教育・福祉教育関係略年表」「資料」「参考文献」」阪野貢監修/新﨑国広・立石宏昭編著『同上書』202~246ページ。
(4) 三ツ石行宏「福祉教育史研究の現状と課題」『日本福祉教育・ボランティア学習学会研究紀要』Vol.22、日本福祉教育・ボランティア学習学会、2013年11月、68~76ページ。

「福祉教育の考え方―福祉教育のあゆみは?」
福祉教育が成立してきた背景には、児童の健全育成を意図した流れと、地域福祉の推進を意図した流れの、ふたつの大きな流れがあります。[注1]
児童の健全育成のための福祉教育
児童の健全育成を意図した取り組みは、すでに終戦直後から始まっています。当時は、人間性の信頼の回復をめざして、子どもたちに社会事業(今日の社会福祉)を通して教育しようという趣旨から始まりました。共同募金会による副読本作成や、徳島県での子供民生委員制度(子どもたちが自らの生活課題に気づき、それを解決していくことを目的に実践を展開した活動)、大阪市民生局による副読本作成や神奈川県での社会事業教育実施校制度(その後の学童・生徒のボランティア活動普及事業の原型になっていく)、日本赤十字による青少年赤十字活動(JRC)などが有名です。[注2]
高度経済成長により都市化・過疎化がすすみ、核家族も増えていきました。また1970年代頃から、「受験戦争」という用語に代表されるような偏差値重視の教育、校内暴力や家庭内暴力といった問題が顕在化してきました。子どもたちを取り巻く変化のなかで、福祉教育やボランティア活動が重視されるようになってきます。これらの取り組みが1977年の「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(国庫補助事業)開始につながります。この制度によって学校における本格的な取り組みが全国各地で行われるようになりました。[注3]
2002年には「総合的な学習の時間」が本格的に導入されるなど、子どもが自ら学び自ら考える力などの全人的な「ともに生きる力」の育成をめざし、教科の枠を超えた横断的・総合的な学習が学校・家庭・地域との連携のもと実施されるようになってきています。[注4]
地域福祉推進のための福祉教育
地域福祉の推進を意図した福祉教育実践は、1960年代の後半から始まります。高度経済成長を背景に地域や家庭の機能が変化していくなかで、地域福祉活動を推進していくために住民への啓発活動が必要になり、具体的な方法論として福祉教育が位置づけられていきます。当時の保健婦(現・保健師)による地域保健活動や公民館での社会教育活動に影響を受けながら、社会福祉の分野でも、地域のなかでの教育活動の必要性が高まっていきました。特に、社会福祉協議会はこのことを意識して取り組むようになります。
1993年には、社会福祉事業法の改正に基づいて「国民の社会福祉に関する活動への参加の促進を図るための措置に関する基本的な指針」が示されます。このなかでは「幼少期から高齢期に至るまで生涯を通じた福祉教育・学習の機会を提供していく必要がある」として、その重要性が位置づけられています。その後、全国社会福祉協議会が中心となって、地域福祉を推進するための福祉教育のあり方について研究会を重ね、報告者(ママ。報告書)や事例集などにまとめられ、市町村社会福祉協議会が中心となって地域福祉推進のための福祉教育を展開してきました。[注5]
こうした実践に対して、1980年になって「福祉教育研究」が深まっていきます。これまでの実践が整理されるなかで、考え方や構成要件などについて一定の合意ができてきました。考え方としても、児童健全育成と地域福祉推進というふたつの流れがまとめられ、福祉教育という領域が整ってきました。特に子ども・青年の発達のゆがみと福祉教育の有効性、地域福祉の主体形成と福祉教育の必要性について、実践研究と理論化がすすみました。
1995年には日本福祉教育・ボランティア学習学会が設立されます。福祉分野だけではなく、教育分野との学際的な研究が始まります。特に、今日の教育改革や福祉改革のなかで注目が高まり、各方面から期待されるようになってきました。近年では「福祉教育を通して何を学び、何を伝えるか」という質の議論がされるようになり、ICF(国際生活機能分類)やリフレクション(ふりかえり)の視点、社会的包摂を意図したプログラムの研究がなされてきています。また昨今、社会的孤立や排除などによる孤立死やひきこもりなどの今日的な課題に対しての地域福祉のアプローチとして、地域住民への福祉教育が注目されてきています。[注6]
(原田正樹「福祉教育のあゆみは?」上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会、2014年3月、12~13ページ)

[注1]福祉教育の源流
福祉教育の源流をどこに求めるかは、福祉教育そのものをどのように捉えるかによって見解は異なります。筆者は、明治後半期から内務省地方局主導のもとで推進された地方改良運動の「自治民育」の取り組みのなかに、福祉教育実践の側面や要素が含まれていたと考えています。また、大正デモクラシー期の新教育運動や昭和初期の郷土教育運動、そして1930年代の生活綴方教育運動などにも注目する必要があると思っています。今後の研究が俟たれるところです(「生活綴方教育と福祉教育」に関する研究への端緒:国分一太郎の1936年論文―資料紹介―/『本ブログ』2015年5月12日投稿、を参照下さい)。

[注2]戦後初期の福祉教育実践
敗戦から1955(昭和30)年にかけての福祉教育実践については、(1) 1946年12月、平岡国市による徳島県の「子供民生委員制度」の創案、(2) 1948年4月、青少年赤十字(1922年6月発足)の組織変更と奉仕活動の再開、(3) 1948年8月、中央共同募金会による教材用資料『国民たすけあい共同募金―社会科教材参考資料―』の刊行、(4) 1950年4月、神奈川県における「社会事業教育実施校制度」の創設、(5) 1953年4月、鳥取県八頭郡社会福祉協議会による「社会福祉事業教育指定校制度」の設置、(6)1949年5月、大阪市民生局による中学校社会科副読本『明るい市民生活へ―社会事業の話―』の刊行、などが有名です。定説となっているこれら以外の、全国各地における福祉教育実践(学校教育や社会教育、ヒトや組織・団体等)に関する史料の発掘が求められます。なお、(1) 子供民生委員制度については、大阪府河内市(現・東大阪市)や松原市でも設置されていましたが、その史的研究は皆無です。

[注3]福祉教育研究における2つの画期
福祉教育研究の画期をなす重要な事項を二つあげるとすれば、(1) 1970年11月に東京で開催された「昭和45年全国社会福祉会議」(全国社会福祉協議会・厚生省・中央共同募金会等主催、参加者約1,800名)と、(2) 1995年10月に設立された「日本福祉教育・ボランティア学習学会」(於・日本社会事業大学、当初会員268名)です。(1)では、「社会福祉の理解を高めるために―教育と社会福祉―」というテーマのもとに、福祉教育についての、全国レベルでは初めての研究協議が行われました。(2)は、学校現場や地域における福祉教育実践の質的向上と、福祉教育研究の学問としての体系化が求められるようになったことを背景に設立されました。

[注4]福祉教育の時期区分
福祉教育の展開を年代順に概略整理すると次のようになるでしょうか。
1970年代:各地における学校中心の福祉教育実践の促進
1980年代:福祉教育実践の全国的展開と理論化の推進
1990年代:学校や地域における福祉教育実践の拡大と多様化
2000年代:福祉教育に関する制度の硬直化と実践の形骸化
2010年代:各地における福祉教育実践の二極化と学会における課題別研究の進展

原田先生は、「福祉教育の変遷」を年代記的に次のように整理しています。参考に供しておきます。
1960年代:高度経済成長、ライフスタイルの変化、受験戦争
1970年代:学校による「こどもたちの豊かな成長を促すための福祉教育」/社協による「地域福祉を推進するための福祉教育」の先駆け
1980年代:「福祉教育とは何か」 理論・概念の議論
1990年代:「福祉と教育の接近性」厚生省や文部省の福祉教育の位置づけ
2000年代:「総合的な学習の時間」の位置づけ・とりくみの広がり/→福祉教育実践の形骸化・質の問い直し/「福祉教育を通して何を学び、何を伝えるか」 質の議論へ
(原田正樹『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版、2009年11月、32ページ)

周知の通り、歴史の時代(時期)区分は、歴史の単なる指標ではありません。それは、歴史的事象の本質的な内容や流れを把握し理解するための研究の視角や方法に基づくものでなければなりません。それ自体が重要な学術的見解(成果)です。福祉教育史研究の進展を願って、再認識しておくことにします。

[注5]全国社会福祉協議会による福祉教育の研究協議
全国社会福祉協議会によって取り組まれた福祉教育の研究協議の成果物(報告書、事例集)を紹介します。ここでの課題は、それぞれの成果物(product)を通して、研究協議の成果内容についてはもちろんですが、研究協議が要請された時代的背景や福祉・教育関係者の問題意識を把握・分析することです。それによって、福祉教育の歴史的展開の意義や問題点とその要因などを明らかにすることができます。
(1)『福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―』(福祉教育研究委員会中間報告)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1981年11月。
(2)『学校外における福祉教育のあり方と推進』(福祉教育研究委員会中間報告)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月。
(3)『学校における福祉教育の推進体制と指導案』(岩手県・島根県・山口県福祉教育研究委員会報告)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1983年9月。
(4)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編『福祉教育ハンドブック』全国社会福祉協議会、1984年11月。
(5)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編『ボランティア・福祉教育研究』創刊号、全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センタ、1982年3月。
(6)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編『ボランティア・福祉教育研究』第2号、全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センタ、1983年9月。
(7)全国ボランティア活動振興センター編『福祉教育連絡会資料集』全国社会福祉協議会、1990年3月。
(8)『学校における福祉教育ハンドブック』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1994年3月。
(9)『福祉教育推進資料集』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1995年3月。
(10)『福祉教育モデル事例集 地域に広がる福祉教育活動事例集―福祉教育の考え方と実践方法・先進的事例に学ぶ―』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1996年3月。
(11) 『福祉教育ワークブック』(福祉教育プログラム研究委員会 平成10年度研究報告書)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、1999年3月。
(12)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター/地域を基盤とした福祉教育・学習活動の推進方策に関する研究開発委員会編『福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会、2003年1月。
(13)『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、2005年11月。
(14)『社協がやらねばだれがやる「社協における福祉教育推進検討委員会報告書」』(ダイジェスト版)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター、2006年3月。
(15)『福祉教育の展開と地域福祉活動の推進』(福祉教育実践研究シリーズ①)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター・福祉教育実践研究会、2008年3月。
(16)『学校・社協・地域がつながる福祉教育の展開をめざして』(福祉教育実践研究シリーズ②)全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター/福祉教育実践研究会、2009年7月。
(17)『住民主体による地域福祉推進のための「大人の学び」』(福祉教育実践研究シリーズ③)全国社会福祉協議会/全国ボランティア・市民活動振興センター、2010年11月。
(18)『地域福祉は福祉教育ではじまり福祉教育でおわる』(福祉教育実践ガイド)全国社会福祉協議会/全国ボランティア・市民活動振興センター、2012年3月。
(19)『地域との連携によりはぐくむ ともに生きる力』(リーフレット)全国社会福祉協議会、2013年3月。
(20)『社会的包摂にむけた福祉教育~共感を軸にした地域福祉の創造~』(平成24年度社会的課題の解決にむけた福祉教育のあり方研究会報告書)全国社会福祉協議会/全国ボランティア活動・市民活動振興センター、2013年3月。
(21)『社会的包摂にむけた福祉教育~実践にむけた福祉教育プログラムの提案~』(平成25年度社会的包摂にむけた福祉教育のあり方研究会報告書)全国社会福祉協議会/全国ボランティア活動・市民活動振興センター、2014年10月。
(22)上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全国社会福祉協議会、2014年3月。

[注6]日本福祉教育・ボランティア学習学会における福祉教育研究
日本福祉教育・ボランティア学習学会の『年報』『研究紀要』の特集号「タイトル」を紹介します。福祉教育の研究課題の変遷について知ることができます。それ以上に、ここでは、福祉教育の構成要素と構造(内容)について多面的・多角的視点から精緻に考察することによって、科学的・体系的な福祉教育理論の構築が期待されます。そのためには、先を見通した組織的・継続的な課題設定と追究が必要かつ重要となります。
(1)「日本福祉教育・ボランティア学習学会設立総会・第1回大会報告」『年報』Vol.1、1996年7月(新訂改版、1998年10月)。
(2)「高等教育機関とボランティアネットワーク」『年報』Vol.7、2002年12月。
(3)「福祉科教育法の確立をめざして」『年報』Vol.8、2003年12月。
(4)「地域づくりと福祉教育・ボランティア学習実践」『年報』Vol.9、2004年12月。
(5)「学会創立10周年 これまでの10年 これからの10年」「『介護等体験』の学習支援システムの構築」『年報』Vol.10、2005年12月。
(6)「福祉教育・ボランティア学習における当事者性の位置」『年報』Vol.11、2006年11月。
(7)「福祉教育・ボランティア学習の実践を評価する」『年報』Vol.12、2007年11月。
(8)「高校福祉科の高度化と多様化」『年報』Vol.13、2008年11月。
(9)「持続可能な社会をつくる福祉教育・ボランティア学習―いのち・くらしとESD」『研究紀要』Vol.14、2009年11月。
(10)「地域を基盤とする福祉教育推進プラットホーム」『研究紀要』Vol.16、2010年11月。
(11)「学校教育における福祉教育・ボランティア学習の役割と可能性」『研究紀要』Vol.18、2011年11月。
(12)「福祉教育・ボランティア学習におけるリフレクション」『研究紀要』Vol.20、2012年11月。
(13)「メンタルヘルス課題を学習素材とした福祉教育」『研究紀要』Vol.22、2013年11月。
(14)「いのちの持続性と福祉教育・ボランティア学習」『研究紀要』Vol.24、2014年10月。
(15)「“サロン”の可能性を探る福祉教育・ボランティア学習」『研究紀要』Vol.25、2015年10月。

付記
全国社会福祉協議会/全国ボランティア・市民活動振興センター(全国ボランティア・市民活動振興センター運営委員会/社協ボランティア・市民活動センター強化方策検討のための研究委員会)が、2015年8月、「市町村社会福祉協議会ボランティア・市民活動センター強化方策2015」を策定しました。近年のボランティア・市民活動や社会福祉協議会を取り巻く情勢を踏まえて、市区町村社会福祉協議会ボランティア・市民活動センターの今後のあり方を強化方策として纏めたものです。
そのポイントが、『ボランティア情報』No.461、全国社会福祉協議会、2015年10月、2~5ページに掲載されています。そこに、上記研究委員会の委員長を務めた原田先生が一文を寄せています。「社会福祉協議会と福祉教育・ボランティア学習」について考える際のひとつの視点や視座を学ぶことができます。その一部を紹介しておきます(文中の「ボランティアの終焉」という言辞に関しては、仁平典宏『「ボランティア」の誕生と終焉―<贈与のパラドックス>の知識社会学』名古屋大学出版会、2011年2月、を参照下さい)。

「強化方策2015」は、全国の市町村社協のボラセンはこうあるべきである、という内容をとりまとめたものではありません。(中略)社協ボラセンに、今後求められるであろう「機能」を整理したものです。
その背景には大きな問題意識がありました。市町村社協におけるボラセンの位置づけの曖昧さ(二極化)があること。ボランティア支援のあり方が変化していること。ボランティア団体の高齢化や活動のマンネリ化、新しい活動層へ広がっていかない。災害時などボランティアへの期待が高まる一方で、ボランティアが安上がりなマンパワーとして制度化されつつあること。例えば「有償ボランティア」とか、ボランティアのポイント制度など、そもそもボランティアとしてありえない話が行政主導で提案され、問題意識も持たずにそれを社協が推進しているような状況は、まさにボランティアの終焉かもしれません。
あらためて「ボランティア」と「コミュニティサービス」をしっかり使い分けて考えていくこと。地域福祉の基本にある住民主体の意味とその方法を問うこと。その上で地域ニーズの変化に対応できるボラセンのあり方を模索することが大切であるという意見が交わされました。
市区町村社協が担うボラセンの最大の機能は「プラットホーム」です。社協組織本体ではすぐにつながりにくいところとも、ボラセンとして関係をつくることができます。そのネットワークが、結果として地域のなかの「協議体」の役割を果たしていくのです。(『上掲誌』5ページ)

上記の「強化方策2015」では、「福祉教育」の流れとともに、「学校教育」におけるボランティア活動に関する理念の変遷について、次のように整理しています。記述の視点や内容に気になるところもありますが、参考のために付記しておくことにします。

「学校教育」
▽学校教育におけるボランティア活動に関係する大きな流れとして、次のような理念の変遷があります。
▽2001(平成13)年に学校教育法・社会教育法が改正されました。社会教育法では青少年に対し、ボランティア活動など社会奉仕体験活動、自然体験活動その他の体験活動の機会を提供する事業の実施及びその奨励がうたわれました。
▽2002(平成14)年には中央教育審議会において、「青少年の奉仕活動・体験活動の推進方策等について」が答申されました。そこには、奉仕活動等に対する社会的気運の醸成、国民の奉仕活動・体験活動を推進する社会的仕組みの整備、18歳以降の個人が行う奉仕活動等の奨励・支援、といったことが書かれました。
▽また、ゆとり教育の導入と廃止が福祉教育の推進などに大きな影響を与えています。知識重視型の教育を経験重視の方針に切り替え、2002(平成14)年度に施行された学習指導要領による教育で具体的に実践されました(学習内容、授業時間数を3割減、完全週5日制、総合的な学習の時間の新設、「絶対評価」の導入等)。
▽同じく、2002(平成14)年の学習指導要領におけるゆとり教育の総合的な学習の時間の新設により、福祉教育の学校における活発な展開が期待されました。
▽2006(平成18)年に教育基本法が改正され、「生涯学習」が教育に関する基本的な理念として規定されました。これにより、学校がめざすべき「生涯学習社会を担う児童生徒の育成」についての二本の柱が明らかになりました。一つは、「生涯学習能力の育成、生涯にわたって学び続ける力の育成」、もう一つは「社会の形成者として必要な資質能力の育成、学びの成果を公共のために活かす力の育成」というものです。
▽2008(平成20)年の教育再生会議の最終報告書において、ボランティアや奉仕活動を充実し、人、自然、社会、世界とともに生きる心を育てることが盛り込まれました。
▽しかし、ゆとり教育が学力の低下をもたらしているという指摘がされるようになると、2008(平成20)年には、いわゆる「脱ゆとり教育」へと方向転換し授業量を増加させた学習要領が実施されることとなりました。この新しい学習指導要領では知・徳・体のバランスが重視され、道徳教育や体験学習の重要性が強調されました。(『強化方策2015』12ページ)