阪野 貢/大橋謙策著『そのときの出逢いが』を読んで―「民俗としての地域福祉」、その水脈と鉱脈―

〇筆者(阪野)が大橋謙策先生に、「私が出会った人―このこと、あのこと―」というタイトルの玉稿のご執筆をお願いしたのは、2025年5月11日付のメールである。その約4か月後の9月7日に、『「そのときの出逢いが」―私の生き方、考え方に影響を与えた人との出逢い―』(以下「本稿」)という玉稿を拝受した。早速、それを『大橋謙策研究/第10巻』としてアップさせていただくことにした。
〇今回の投稿で、ひとまずの「区切り」にしたい旨のご連絡をいただいたことから、改めて本稿を読み返してみた。読み進めながら筆者の脳裏に浮かんだのは、「水脈」と「鉱脈」という2つの比喩である。それは、かつて「岡村重夫の薫陶を受けた人々の幅広いつながりとその頂に位置する岡村社会福祉学の崇(たか)さ」(古川孝順)を比喩した「岡村山脈」とは、いささか異質のものである。地中を縦横に流れ、各地を潤しながら繋がり、広がっていく「水脈」としての人的ネットワークの豊かさ。そして、その流れの下に静かに、しかし確かに横たわり続けた、「社会教育と社会福祉」を貫く学際的な理論と実践の「鉱脈」。この2つが表裏一体となって、「大橋謙策」という一人の研究者・実践家の地域福祉論、「実践的研究」を形づくってきた様(さま)が、本稿から立体的に浮かび上がってくる。

1 水脈としての出逢い―全国に張り巡らされた実践のネットワーク―
〇本稿を貫く最大の特徴は、重複を除いても300〜350人程度の人物、150〜180か所程度の地域が登場するという、その数の多さである。そこには、全国各地の隅々にまで及ぶ、大橋先生の「関係人口」としての足跡が描かれている。注目すべきは、これらが単発の講演や研修における一時的な関わりではなく、多くが数年、時には40年にも及ぶ「バッテリー型研究」として継続されている点である。すなわち、島根県瑞穂町(現・邑南町)をはじめ、富山県氷見市、香川県琴平町などにおける実践や実践家との「出逢い」が、単なる人脈形成に留まらず、理論構築の現場的検証や新たな理論的課題・仮説の探索の場となっている。
〇また、大橋先生が関係人口として地域に関わる際、単に外部者として制度や施策を持ち込むのではなく、その地域固有の歴史や文化、住民の生活実態などを丹念に読み解き、民俗学が取り扱うような事象を丁寧に掘り起こし、分析の俎上に載せてこられた点も見逃せない。これは、上述の岡村が理念的ではあったものの、1976年に論じた「民俗としての福祉」( ⇨ 本文 )の実践的展開と言えよう。この地域理解の作法こそが、「バッテリー型研究」を単なる長期的な地域関与にとどめず、地域に根ざした理論構築たらしめている所以である。
〇同時に印象的なのは、恩師の小川利夫をはじめ、三浦文夫らとの協働、そして和田敏明らの畏友たちとの生涯にわたる交友である。それは、単なる縦の師弟関係でも、横の同僚関係でもない、時代を超えて人が人と関わり、それがまた新たな実践の場を生み出していく――この連鎖こそが「水脈」の名にふさわしい。相田みつをの「出逢い、そして感動……感動が人間を動かし、出逢いが人間を変えてゆく」という言葉が、本稿全体の通奏低音として響いている。

2 鉱脈としての学際研究―「社会教育と社会福祉」を貫く理論の一貫性―
〇もうひとつの読みどころは、こうした広範な水脈の下に、一貫して掘り進められてきた理論的な「鉱脈」の存在である。大橋先生の研究の出発点は、1960年代に芽生えた「社会教育と社会福祉の学際研究」という問題意識であった。この問題意識は、朝日訴訟と関わるなかでの、憲法第13条(幸福追求権)と第25条(生存権)の関係をめぐる若き日の発言に始まり、それが生涯を通じて一貫して深められていく。
〇福祉教育論、ボランティア論、地域福祉計画論、コミュニティソーシャルワーク論、ケアリングコミュニティ論、災害支援ソーシャルワーク論[――これらは決して相互に切り離された研究テーマではない。いずれも「福祉でまちづくり」(「福祉はまちづくり」)という根底の思想を共有し、「求め」と「必要」を見極めながら地域社会の「合意」を形成していく、重層的な地域福祉論の展開として位置づけられる。また、「社会福祉プロパーの研究ではない」と酷評されながらも、日本地域福祉学会や日本福祉教育・ボランティア学習学会の創設、日本学術会議での「統合科学としての社会福祉学」の提起へと結実していく過程は、周辺から中心を切り拓いていく学問形成のダイナミズムそのものである。さらに、「自立と連帯の社会・地域づくり」をめざす「ボランティア活動の構造図」(1980年)の根底には「思想」(「博愛の精神」)が据えられているが、それは大橋先生の諸言説に通底する学際研究の原点をなすものでもある。
〇加えて、山梨県茅野市の保健福祉サービスセンターが後の地域包括支援センターのモデルとされたように、各地の先進的な制度的取り組みや地域現場における実践家らの「職人芸」的実践を、全国的なシステムとして昇華させていく手法は、大橋先生が常に強調される「研究と実践の往還」の理念そのものである。それは、鉱脈を掘り当てただけでなく、それを精錬し、社会全体に還元していく大橋先生の姿勢を象徴するものである。

3 水脈と鉱脈の往還―「民俗としての地域福祉」の実践・研究の流儀―
〇本稿を読んで改めて痛感したのは、「水脈」と「鉱脈」が決して別物ではなく、互いに浸透し合っている点である。全国各地の「出逢い」がなければ、理論は単なる抽象論に終わっていたであろう。逆に、一貫した学際的な理論的視座がなければ、無数の「出逢い」は単なる交遊録に終わっていたであろう。大橋先生自身が、1979年度から全社協が始めた「地域福祉活動指導員養成課程」での出逢いがなければ、「筆者の地域福祉研究は、空疎な、抽象的なものになっていたことは紛れもない」と率直に述べている通りである。
〇大橋先生は、80歳を超えてもなお、全国の社協や被災現場などへ東奔西走し続けている。「押しかけアドバイザー」「提案型コンサルタント」として、でもある。こうした主体的・積極的な姿勢は、地域福祉実践・研究における「関係人口」概念のひとつの体現でもある。同時にそれは、現場とどう向き合い続けるべきかという、地域福祉の研究者や実践家への厳しい問いかけでもある。
〇水脈は広く浅く流れるだけでは涸れてしまう。鉱脈は深く掘るだけでは地表に届かない。大橋先生が「民俗としての地域福祉」の実践・研究において、「水脈」と「鉱脈」の2つを絶えず往還し続けてきたところにこそ、その独自性と重みがある。
〇本稿を読み終えたとき、そこに見えてくるのは、単なる人生の回顧録ではない。「大橋謙策地域福祉論の形成と発展」を物語る、ひとつの研究史であり、実践史である。改めて、大橋先生の「実践的研究」「バッテリー型研究」の重さと広がりを感じ入る次第である。

おわりに―今後への期待―
〇なお、本稿は、戦後日本の地域福祉実践・研究史を知る一次資料として極めて高い資料的価値を持つ。しかし、それをどのように読解するかということについて、筆者の読解は、大橋先生への深い敬意が先立つあまり、賛辞に傾き、先生の実践・研究を無批判に肯定する論調になっている。そう評されることは承知している。
〇事実、本稿を丹念に読み返せば、実のところ「うまくいかなかった」という記述も随所に見出すことができる。「ふれあいのまちづくり事業の活動成果は、はかばかしくなかった」、「老人保健福祉計画の評価研究について、体系的な研究成果は打ち出せなかった」といった一節がそれである。こうした率直な自己言及が随所に挟み込まれていること自体、本稿の誠実さを示すものであろう。
〇大橋先生には、もしご負担でなければ、今後機会があれば、こうした不本意な結果に終わった経験について、いま一歩踏み込んだ分析をしていただければ幸いである。また、本稿に登場する数々の事項についても、外部資料や関係者・第三者の証言と照らし合わせながら、その歴史的背景や経緯をより重層的に跡づけていく作業が、今後求められよう。そうした地道な検証の積み重ねによってこそ、本稿の一次資料としての価値は、より確かな、揺るぎないものになっていくと考える。その意味で、本稿はまだ終わっていない――われわれにとって、ここから始まるのである。