
序
本書は、前著『「まちづくりと市民福祉教育」の研究―その思想的系譜と変革の実践原理―』(市民福祉教育研究所、2026年6月刊)の一部を再編成し、改稿したものである。
本書は、基本的には、大橋謙策の福祉教育論を「継承」しつつ、「まちづくりと市民福祉教育」の視点から福祉教育の原理と今後の「展開」を探究するものである。「地域共生社会」の実現が叫ばれるなかで、福祉教育は、ハウツーの提供に偏る一方で、その存立基盤をなす歴史・哲学・原理の探究を等閑視してきたのではないか。また「思いやり教育」に象徴されるように、個人の内面や善意に訴えるあまり、生きづらさを生み出す地域・社会の構造への問いを欠いてこなかったか。ここでは、こうした問題意識を基盤に据えている。
継承と展開については、それを一体のものとして捉えている。継承とは、大橋福祉教育論をそのまま受け継ぐことではない。大橋は、福祉教育を社会構造への問いを含む「実践科学」として位置づけた。松岡広路の批判にも向き合いながら大橋の原理論を読み直し、核心を今日の文脈で受け止め直すことが継承である。一方、展開とは、継承した原理を現代の課題に応じて押し広げることである。大橋が「福祉でまちづくり」(2010年代以降は「福祉はまちづくり」)を説いたように、福祉教育の原理は福祉や教育の領域内にとどまるものではない。継承のない展開は根無し草となり、展開のない継承は形骸化する。両者は相互に支え合うものである。
本書は、次の順序で構成されている。
第1章「戦後福祉教育の源流」では、1950年に創設された神奈川県の社会福祉研究普及校制度と、鳥取県八頭郡社会福祉協議会の普及校事業を取りあげる。ここで見出されるのは、行政や社協が枠組みを定めて社会福祉思想の普及を図る「統治」の側面である。一方で、学校や教員が地域生活課題に根ざし、民主的な地域・社会の形成主体の育成をめざす「変革」の側面も同時に併存していたという事実である。この「統治と変革の併存」は、本書全体を貫く視点となる。
第2章「福祉教育論の再考と現代的展望」では、大橋謙策の福祉教育論を再考の基軸に据える。「社会福祉問題」「地域福祉の主体形成」「ケアリングコミュニティ」「博愛の精神」を鍵概念として大橋理論を読み解き、松岡広路による批判、原田正樹による継承、そして筆者自身の「市民福祉教育」論の位置を確認する。
第3章「『まちづくり』言説の系譜と自律的市民の位相」では、玉野井芳郎の「地域主義」、田村明の「まちづくり」、山崎亮の「コミュニティデザイン」、山下祐介の「地域学」を、思想・実践・技法・認識の動態として交差させる。そこから、学びと実践が往還するなかで自律的市民が形成される循環モデルを提示し、市民性教育が市民福祉教育へと昇華される道筋を示す。
第4章「『まちづくりと市民福祉教育』が拓く新たな地平」では、小松理虔と奥田知志の言説を補助線として、「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換を論じる。「依存の権利化」と、存在肯定から共生共創へと至る四つのステップが、その中心にある。
補論「“あいとぴあカレッジ”にみる『まちづくりと市民福祉教育』の計画化」では、1990年代の狛江市社会福祉協議会の実践を、第4章の枠組みに照らして検討する。そこで見えてくるのは、枠組みの完全な実証ではなく、住民主体の計画化がいかにして権利論・構造変革論へと展開しうるかという出発点である。
なお、本書が提示するのは、完成した体系ではなく、「道」の途上にある一つの見取り図である。読者のご批正をいただければ幸いである。
目 次
第1章 戦後福祉教育の源流
―神奈川県と鳥取県八頭郡社協における福祉教育実践―
第2章 福祉教育論の再考と現代的展望
―大橋謙策の思想的源流から―
第3章 「まちづくり」言説の系譜と自律的市民の位相
―思想・実践・技法・認識のダイナミズム―
第4章 「まちづくりと市民福祉教育」が拓く新たな地平
―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換―
補 論 “あいとぴあカレッジ”にみる「まちづくりと市民福祉教育」の計画化
―第4章の枠組みを実践に照らして検討する―
第1章
戦後福祉教育の源流
―神奈川県と鳥取県八頭郡社協における福祉教育実践―
はじめに
神奈川県は1950年に、中・高等学校生徒を対象として社会福祉への理解と関心を高め、家庭や地域社会への社会福祉思想の普及を図ることを目的として、「社会福祉研究普及校」制度を創設した。
本章の課題は、この制度の成立過程と展開を検討することを通して、戦後初期の福祉教育実践の特質を明らかにすることである。とりわけ、本制度が学校教育のなかでどのように位置づけられ、実践されたのか、また当時の道徳教育といかなる関係にあったのかを検討する。併せて、史料の制約から補助的な検討にとどまるが、同時期に展開された鳥取県八頭郡社会福祉協議会(以下、「八頭郡社協」)の取り組みを取り上げ、神奈川県の事例と対照することで、両制度の特質と相違を明らかにする。最後に、そこから浮かび上がる「統治と変革の併存」について論じる。なお、八頭郡社協については、制度そのものを指す場合は「八頭郡社協」、同社協が指定した普及校の一つである八東部中学校の実践を指す場合は「八東部中学校」と記して区別する。
福祉教育が、教育課程論の変遷や社会科教育、道徳教育、人権教育、総合的な学習(探究)の時間といった広範な教育史の文脈のなかで、いかに構造化され、また変質していったのか。これを明らかにするには、まず戦後初期における福祉教育実践の原初的な構造を解明することが肝要である。本章はそのためのひとつの試論である。
Ⅰ 戦後初期の時代状況と分析視角
1 社会福祉をめぐる状況
神奈川県の社会福祉研究普及校制度が創設された1950年は、敗戦による経済崩壊から、1949年のドッジ・ライン(デフレ政策)に伴う安定恐慌を経て、1950年の朝鮮戦争による特需ブームへと進み、量的にはほぼ戦前の水準にまで経済が復興しようとする時期であった。しかし、その拡大過程は、膨大な数の生活困窮者を沈殿・固定化させ、新たな低所得階層をも生み出した。この時期には、占領下で社会福祉の民主化政策が強力に展開され、いわゆる福祉三法体制が成立した。一方で、朝鮮戦争を機に再軍備が進み、「大砲かバターか」をめぐる議論が生じた。しかし、社会福祉の実態においては、その後しばらく理念が空転し、政策的に無力な状態が続いた。
2 社会科の成立と変遷
この時期、敗戦によって学校現場は深刻な打撃を受け、子どもも教師も虚脱と混乱のなかにあった。1947年に新学制が発足し、新設教科として「社会科」が誕生した。初期社会科は、1947年の学習指導要領(試案)に基づき、児童の生活経験を重視する「経験学習」から出発した。さらに、1951年の改訂を経て、現実の社会課題を主体的に追究する「問題解決学習」が展開された。しかし、「はいまわる経験主義」や学力低下といった批判を受け、1950年代半ば以降、知識の体系的な習得を重視する「系統学習」へと重点が移っていった。この変遷は、単なる指導法の変化にとどまらない。それは、「社会をつくり変える主体を育てるのか、既存の社会に適応する人材を育てるのか」という、民主主義の担い手の形成をめぐる国家の教育方針上の相克を象徴するものであった。
3 道徳教育の復活・強化と制度の創設
道徳教育をめぐっても、重要な動きがみられた。1950年、文部大臣天野貞祐は、学校行事における国旗掲揚および「君が代」斉唱を提唱し、愛国心教育の必要を説いた。天野はさらに、教育勅語に代わる道徳的基準の作成と、戦前の修身科に準じる道徳教科の特設を主張した。この「天野構想」をめぐっては、賛否が激しく対立した。その背景には、米ソ対立の深まりのなかで、共産主義に対抗し、国家社会に奉仕する国民を育成すべきだという認識があった。また、国民生活の混乱と人心の荒廃のもとで、青少年の非行・犯罪が急増するという事態もあった。1951年には教育課程審議会が「道徳教育振興に関する答申」を出し、それを受けて文部省が「道徳教育振興方策」を発表するなど、道徳教育の復活・強化が進められていった。
こうしたなかで神奈川県は、1950年に単独新規事業として社会福祉研究普及校制度を創設した。その理由は次のように述べられている。

また、制度創設のきっかけのひとつに、共同募金や歳末たすけあい運動に対する次のような批判があった。すなわち、それらの活動は「どちらかといえば、その目的が募集金品の量におかれ、その根本たる社会福祉事業への理解と協力、社会福祉思想の普及という面が軽くなりがちで、しかも運動の期間も一定の短時日に限られるためどうしても皮相的になりがち」である、というのがそれである(神奈川県,1964,p.2)。
4 分析視角と史料
こうした時代状況のなかで成立した二つの普及校制度を、本章では次の観点から検討し、対照する。すなわち、(1)制度の担い手と枠組み、(2)学校教育のなかでの位置づけ、(3)道徳教育との関係、(4)学校・教員の役割、(5)地域との関係と制度の継続・終焉、である。これらの観点から両制度の特質と相違を整理し、そのうえで、福祉教育に内在していた「統治」と「変革」の二つの側面について、Ⅳの最後で論じる。
なお、本章でいう「統治」は、行政や社協が枠組みを定め、学校を媒介に社会福祉思想を普及させ、社会の秩序形成に資する制度の働きのことである。ただしこれは、強制や教化と同義ではない。また「変革」とは、学校や教員が地域や社会のあり方を問い直す契機をもつことを指し、実際に社会の変革が達成されたことを意味しない。
主な史料は、神奈川県民生部社会福祉課編『社会福祉事業研究普及校10年のあゆみ』(1960年)および各年度の研究発表概要、八頭郡の社協と学校の資料である。いずれも行政・学校側の刊行物が中心で、生徒や教員の個人的記録は乏しい。これらの史料から確認できるのは、制度設計の意図と実施の外形であり、生徒の内面形成の実態ではない。この点を、本章の史料的限界としてあらかじめ断っておきたい。
Ⅱ 神奈川県の社会福祉研究普及校制度と福祉教育実践
1 制度の発足と拡大
社会福祉研究普及校制度は、当初「社会事業教育実施校」の名称で発足した。そこでは、担当教員の打合せ会や講習会、施設見学などを通じて、「社会事業教育実施要綱」の基本線に沿った福祉教育が展開された。1950年度には、試験的に都市部から公立中学校5校、公立高等学校4校、私立中・高等学校1校の計10校が指定された。指定期間は3カ年であった。指定は、公立学校は県教育庁、私立学校は県学事課が推薦し、それをもとに県民生部が各校の了解を得て行った。翌1951年度には農村部から5校(公立中学校3校、公立高等学校2校)が追加指定された。これにより、「県下各地に、社会福祉事業の理解、普及活動を指定校を中心として波及的に浸透させようとする方針が確立され全県的な意味をもって実施」されることになった(神奈川県,1960,p.3)。
また、1951年度には、制度の名称が「社会福祉事業研究普及校」、実施要綱が「社会福祉教育運営要綱」と改められ、1950年度指定校を除き指定期間は2カ年となった。この改称は、1951年の社会福祉事業法の制定と時期が重なっている。そこには、救済的・慈善的な「社会事業」観から、憲法第25条を基盤とする公的責任に立脚した「社会福祉」概念へと、教育現場の認識を移行させようとする行政側の政策的意図があったと解釈できる。
その後、名称は1967年度に「社会福祉研究普及校」と改められた。1973年度からは継続校制度(1カ年の指定延長)、1981年度からは小学校指定が加わった。そしてこの制度は、新規指定が中止される1998年度まで、およそ50年間継続実施された。表1-1は1960年度までの指定校数の推移を示したものである(阪野,1984,p.98)。
表1-1 指定校数の推移
なお、県は「社会福祉研究普及校補助金交付要綱」に基づき補助金を交付した。当初1校あたり年間1万円であった額は、1957年度に1万5,000円、1959年度に2万円に引き上げられている。
2 研究発表会
1952年2月、1950・51年度にそれぞれ指定された普及校の「研究発表会」が、平塚市の江南高等学校で開催された。その目的は、各校の成果を発表し合い、これまでの歩みを振り返ることを通して、社会福祉思想の普及と社会連帯意識の向上に寄与することにあった。発表に際しては、民生部社会福祉課が中心となり、各校の発表概要を冊子にまとめている。発表校と題目は次のとおりである(神奈川県,1960,p.14)。

この発表会から、高等学校では主として「実践活動よりも社会保障等についての研究、地域社会福祉事業についての調査、研究等」が、中学校では主として「社会福祉の精神を各分野に導入して、広範囲な実践活動」が行われていることが明らかになった(神奈川県,1960,p.4)。これは、高等学校では社会保障制度などに関する知識・理解の側面が、中学校では実践を通じた体験的側面が、それぞれ重視されていたといえる。発達段階に応じた福祉教育のあり方が模索されていたのである。
3 運営要綱と道徳的意図
県民生部社会福祉課は、1960年3月、制度創設10周年を記念して『社会福祉事業研究普及校10年のあゆみ』(以下、『あゆみ』)を刊行した。そこでは、1950年から1952年を「制度の整備期」、1953年から1960年の「現在」までを「制度の確立期」と区分し、「制度の確立期」における「運営要綱」を記載している。それは次のとおりである(神奈川県,1960,pp.5-6)。

この運営要綱の「目的」では、「道徳的意図による社会福祉教育を実施する」という記述が注目される。ここでいう「道徳」とは、国家主義的な修身への回帰を求める保守的潮流と、新教育が掲げた民主的・主体的な公徳心の形成という、二つの異なる方向性が交錯する領域であった。県が掲げた「道徳的意図」に対し、学校側はこの制度に基づく福祉教育を「道徳教育乃至は公徳教育」として活用した。道徳教育の必要性が社会的に強く叫ばれていた当時、福祉教育は「博愛精神、青少年不良化防止、敬老精神の涵養等につとめ、大いに効果を挙げ本県教育関係者の注目を浴びる」ことになり、これは当初の想定を超える反響であった(神奈川県,1956,pp.3-4)。
この「道徳的意図」は、抽象的な徳目の教授にとどまらず、具体的な社会的実践を媒介として他者への配慮や社会的責任を体得させようとする点に特徴がある。すなわち、本制度における福祉教育は、体験活動を通じた価値形成を志向する実践的・体験的な道徳教育として位置づけることが可能である。
さらに運営要綱は、生徒を通じて家族に思想を浸透させ、「将来の明るい社会建設の基盤」とすることを明記している。「相互扶助精神」の涵養は、個人の道徳形成にとどまらず、戦後の社会づくりという課題と結びつけて構想されていたといえよう。ただし、これは運営要綱などの行政側史料から読み取れる制度の意図であり、生徒が実際にどのように受け止めたかは、本章の史料からは確認できない。
運営要綱の「対象」については、当初、県は高等学校の生徒のみを想定していたが、教育関係者との協議を踏まえて、「社会に対する正義感の目覚める中学生」をも対象に加えた(神奈川県,1960,p.2)。また、生徒を通じて、その家族への「啓蒙」を図ることも狙っていた。なお、小学校の生徒がこの制度の対象に加えられ、小・中・高等学校の一貫した継続性のある福祉教育実践が展開されるようになるのは、先述のように、およそ30年後の1981年度をまつことになる。また、その後の運営要綱で、家族(家庭)に加えて、「生徒を通して家庭及び地域への啓蒙をはかる」と「地域」が挿入されるのは1969・70年度以降のことである。これは、1970年前後から地域コミュニティ問題への関心が高まり、それへの取り組みが活発化したことと無関係ではあるまい。この時期、東京都社会福祉審議会答申「東京都におけるコミュニティ・ケアの進展について」(1969年)、中央社会福祉審議会答申「コミュニティ形成と社会福祉」(1971年)などが提出されている。
運営要綱の「実施方法」については、県民生部は、側面的な協力・支援にとどめ、各指定校に実情に応じた自主的・独創的な活動を促すことを基本方針とした。ただし、この姿勢は、学校の主体性の尊重というよりも、学校側の自律性に過度に依存したもの、いわば「学校まかせ」と捉えることもできる。
4 活動の内容
ここで、『あゆみ』に記載された「社会福祉事業研究普及校の活動状況」について、その枠組み(目次)を紹介しておく。それは、活動が「教科への導入」「ホームルーム指導」「実際活動」の各領域にわたっていたことを示すためである(神奈川県,1960,pp.19-119)。

以上のように、「全教科・全領域」にわたる福祉教育の展開は、福祉教育を特定教科に限定せず、学校教育全体のなかに内在化させようとする点で先駆的であった。すなわち、各教科に福祉教育の視点を導入し、知的関心と理解を促す「機能論」と、特別活動等の時間を活用して福祉教育を独自の活動領域として位置づける「領域論」の二つによって、学校教育への福祉教育の内在化が図られていた。ただし、この内在化は一方で、各教科における位置づけの曖昧さや、教育内容の断片化を招く可能性も孕んでいた。制度としては包括的であるがゆえに、実践の質が各学校や教員の力量に大きく依存する構造を有していたと考えられる。
5 評価と制度の構造的特質
普及校への「派遣講師」としてこの事業にかかわった瓜巣憲三(1960年当時、県国府実修学校長)は、『あゆみ』のなかで、普及校活動がはからずも道徳教育の役割を果たしたこと、教育機能を学校外に拡大せざるを得ないことから「学校の社会化」をもたらしたことを指摘する。そして、「実にこの10年間の間にのぞましい実績をあげて、教育と社会福祉事業は別のものではない、表裏一体をなす社会機能であるということをその実践によって立証し、そしてユニークな存在として社会事業界の注目を浴びるにいたった」と述べる。また、こうした成果をあげた理由として、「(1)本事業研究のために、学校経営および本来の教育活動を歪めないよう、とくに留意したこと。(2)社会事業精神の意識過剰を強く警戒したこと。(3)民生部社会福祉課と教育庁指導課とのチームワークがよくとれていたこと。(4)普及校にたいする指導は、あくまでも学校の自主性、主体性を重んじて側面から援助、助言の立場をとったこと。(5)歴代の指導主事に適任者を得たこと。(6)社会事業専門講師陣が豊富であったこと」などを挙げている(神奈川県,1960,pp.128-131)。
瓜巣が挙げる「学校経営および本来の教育活動を歪めない」という要因は、裏を返せば、福祉教育が既存の学校教育システムと摩擦を起こさないための「調整」が不可欠であったことを示唆している。すなわち、神奈川県の制度が長期にわたって継続した要因は、行政主導による制度の安定性と、学校現場の自主性・主体性という一見相反する要素が、「道徳教育」を介して均衡を保っていた点にあったと考えられる。この均衡が、その後およそ50年にわたる継続を可能にした構造的な要因であった。しかしこのことは、福祉教育実践が既存の学校教育の枠組みのなかで展開されるという条件を、制度に内在させることにもなったと考えられる。
いずれにせよ、敗戦後の「総スラム化現象」ともいわれた状態からやや立ち直りつつあったとはいえ、いまだ県民生活の混乱が続くなかで神奈川県が独自にこの制度を制定・実施したことは、先駆的であり、意欲的であったと評価することができる。もっとも、外面的な福祉活動への取り組みにとどまらず、生徒たちに内面的な思考を深め、思想を身につけさせることは、教員が真剣に取り組むほど、いっそう困難であったろうことは想像に難くない。そうしたなかで、この事業・活動が継続的に展開されたのは、熱意があり、資質や能力を備えた教員が存在し、しかもその教員や学校の自主性・主体性が重視されたことによるのであろう。それは、冒頭で述べた道徳教育の復活・強化の潮流のなかでの営みでもあった。
Ⅲ 鳥取県八頭郡社協の社会福祉事業普及校制度と福祉教育実践
1 制度の概容
神奈川県の社会福祉研究普及校事業に続き福祉教育事業を実施したのは、鳥取県の八頭郡社協である。1953年度から1955年度までのわずか3カ年、神奈川県の取り組みを参考に展開された「社会福祉事業普及校」事業がそれである。
八頭郡社協は、1952年12月に「社会福祉事業普及校設置の件」について協議し、先進地(神奈川県)視察、児童福祉部会での協議、事業計画の策定および予算編成などを経て、1953年6月に八東部中学校と三角中学校の2校を普及校に指定した。以後、指定した各校に年額1万円を助成し、福祉教育の促進を図った。
引き続き、八頭郡社協は、1954年度に八頭第一中学校と智頭中学校の2校、翌1955年度に中央中学校、池田中学校、中私都中学校、山形郷中学校の4校をそれぞれ社会福祉事業普及校に新規指定した。当時、八頭郡内には15校の中学校があったが、その過半数の8校で福祉教育の研究・実践が展開されたのである。
普及校では、「民主的社会人としての人格形成に中心をおき、地域社会の成員となる生徒の福祉意識高揚をはかっている。実践面では、子守り、託児所奉仕、農業手伝いなどの家庭や地域社会の生活に密着したものをはじめ、社会福祉施設などへの慰問なども校外活動として積極的にとりくまれた」(全社協,1982,p.439)。
2 八東部中学校の取り組み
八東部中学校では、指定を受けた後、「県社会福祉協議会や事務所の民生部、郡や村の係の人々、地域社会の民生委員の方々と、全職員で社会福祉に関する①法的研究(福祉三法を中心に)、②県郡村の社会福祉協議会の性格について、③普及校としてどのような事柄を指導すればよいか、④指定校に希望し要求されること、⑤研究するのにどんな文献があるか」などについて相互研究会を開催した。また、「社会福祉教育研究委員会」と名づけて8名の委員で専門部を組織し、研究活動を行った(鳥取県社協,1955)。併せて、先進地優良校の視察研究、県内地域社会施設の視察研究、研究会・研修会・講習会・諸大会への参加研究、研究発表会の開催、文献による研究(竹中勝男『社会福祉研究』関書院、牧賢一『社会福祉協議会読本』中央法規出版、黒木利克『社会福祉の指導と実務』時事通信社、高田正己『児童福祉法の解説と運用』時事通信社)、研究収録の作成などに取り組んだ(八東部中学校,1954a,p.2)。
とりわけ、教員が「社会福祉教育」に関する研究・研修活動に積極的かつ主体的に取り組み、『社会福祉読本』の編纂や「社会福祉に関する幻灯(スライド)」(第1集、第2集)の作成などを行ったことは、専門職としての自律性の具現化として特筆される。さらに、教員と生徒と地域住民の三者が一体になって福祉教育実践に取り組むことが、研究会の方針として掲げられていた点も注目されよう。
ちなみに、研究・研修活動のうち、視察研究については、2名の教員が神奈川県下の社会福祉研究普及校に赴いている。その『社会福祉教育普及校視察報告書』(1953年)によれば、視察先は栗田谷中学校、富士見中学校、秦野中学校、江陽中学校および神奈川県民生部社会福祉課であった。報告書では、各校の概要に加え、「研究組織」「研究問題の設定」「指導方針」「実施経過」「指導上の留意点」などについて報告されている。また、「研究課題」として、社会福祉の理念と児童福祉の関連性をはじめ、「4.普及教育の方法として如何にするか/①教科カリキュラムの編成、②特別カリキュラムの編成、③特別教育活動え(ママ)の導入、④総合的活動え(ママ)の展開/5.地域社会との関連をいかにするか」等が設定されている(勝連・松田,1953,pp.8-9)。
また、研究会活動を通しては、「本校の社会福祉教育」のあり方として以下の点が指摘されている。(1)先ず教師が社会福祉の精神を理解する、(2)職員と生徒と地域が一体となって学校全体活動として取り組む、(3)指導方法としては①知識の普及と理解の指導、②協力の態度養成、③行事および事業への参加実践指導を行う、等々がそれである(八東部中学校,1954a,p.2)。
『社会福祉読本』(B5判、63頁、ガリ版刷)は1954年に編集・刊行された。それは、「社会福祉が必要になったわけ」と「国家社会は社会福祉をどのように実現しようとしているか」の2部から構成されていた。その「目次」は次のとおりである(八東部中学校,1954b,目次)。

『社会福祉読本』は、「社会福祉が必要になったわけ」では、社会生活上の諸困難をはじめ、社会福祉の歴史、諸外国の社会福祉や社会保障、現代社会における社会福祉の必要性などについて記述している。「国家社会は社会福祉をどのように実現しようとしているか」では、人間の尊厳や社会正義について説き、社会福祉の制度や財政、社会福祉への参加・協力について述べている。その内容をみると、写真や図表、年表などをおよそ140点取り入れ、視覚的にも工夫が凝らされている。ただ、「副読本を社会科の時間に当てるかホーム・ルームの時間に当てるか未だ決定していない、年中行事がある度にホーム・ルームで利用しようかと考えている、正科の時間に入れることは職員の過重負担になりはしないかと思っている」(八東部中学校,1955,p.7)という教員の声から、その利用に苦慮したことが推察される。いずれにせよ、学校現場の教員の熱意や使命感、行動力に負うところが大きかったといえよう。
こうした教員の専門的で主体的かつ献身的な取り組みを支えていたのは何か。それは、単なる指定校としての活動を超え、学校が所在する地域の歴史的背景や住民が抱える課題を自分たちの課題として共有し、地域改善(地域開放)と人間形成を不可分なものとして捉える、人間の尊厳を重視する強い意志によるものであったと考えられる。すなわち、その実践を教室内に閉じ込めず、地域社会そのものを教育の「場」へと変容させたことは、教育の本質的な役割を再定義する先駆的な試みであり、変革的な教育モデルの端緒であったと評価できる。
3 事業の終了
この取り組みは1955年度の新規指定を最後に終了し、その後、八頭郡外の他地域へ波及することはなかった。その要因のひとつは、「1957年に県社協の機構改革に伴う郡社協の統合、1961年の廃止により、未だ市町村の社協組織が未整備な状況のもと、この経験を組織的に継承する力が県及び市町村の社協には蓄積されていなかった」ことにあると考えられる(牛田,年不詳,p.1)。
併せて、学校教育現場における教育観の転換も看過できない。当時、新教育の中核を担った社会科をめぐっては、そのあり方について激しい議論が交わされていた。中学校社会科においても、1956年2月に『中学校学習指導要領社会科編』が改訂され、さらに1958年10月には学習指導要領が全面改訂された。こうした改訂の過程を通じて、既述のように、社会科教育は、子どもの生活経験や問題解決の過程を重視する経験主義的な教育から、学問的な体系性や知識の習得を重視する系統主義的な教育へと重点を移していった。こうした「問題解決学習」から「系統学習」への転換――生活に根ざした福祉的実践よりも教科内容の伝達が優先された状況こそが、社会福祉事業普及校事業が短期間で終焉を迎えた歴史的背景のひとつと考えられる。
Ⅳ 戦後初期福祉教育実践の特質
―統治と変革の併存―
本章では、戦後初期の神奈川県における社会福祉研究普及校制度の成立過程を軸に、福祉教育の原初的形態とその特質について検討してきた。神奈川県の取り組みが行政主導による組織的アプローチであったのに対し、八頭郡社協の取り組みは、民間主導の地域密着型という特色をもっていたといえる。ただし、両者を単純に二分することはできない。ここでは神奈川県の制度の検討を中心に、八頭郡社協との対照も含めて、明らかになった点を整理しておくことにする。
(1)制度構想の背景と行政連携の先進性
社会福祉研究普及校制度は、戦後復興期という極めて不安定な社会情勢のなかで、単なる救済の論理ではなく、次代を担う県民の中堅に対する「相互扶助精神」という倫理的基盤の形成を目的として構想された。当時の経済的困窮や人心の荒廃に対し、教育の場から社会福祉思想の普及を試みた神奈川県の取り組みは、行政の福祉部門(民生部)と教育部門(教育庁)の連携によって支えられていた。これは、現代において重要性が指摘される「福祉と教育の連携」が、戦後初期にすでに一定の制度的形態をとっていたことを示している。これに対し、八頭郡社協の事業は、神奈川県の取り組みを参考に、社協が中学校を指定して助成するという形で始められた。担い手は行政ではなく民間の社協であり、制度を支える組織基盤が異なっていた。
(2)教育課程における包括的実践の展開
神奈川県の制度は、福祉教育を単なる知識理解にとどめず、教科教育・特別活動・校外活動を横断する「全教科・全領域」における包括的な実践として構想した。特に中学校では、机上の学習にとどまらず、施設見学、慰問、敬老活動などの実践活動を通じて、社会福祉の理念を体験的に理解させる教育が重視されていた。このように、社会福祉を特定の枠組みに限定せず、学校教育全体で展開しようとした先駆的なカリキュラム編成は、現代の総合的な学習(探究)の時間にも通じる要素をもつ。ただし、各教科における位置づけの曖昧さや、教育内容の断片化という課題も内包していた。八東部中学校では、教員自身が研究・研修活動に取り組むなかで『社会福祉読本』やスライドを作成するなど、教材づくりに主体的・積極的であった点が注目される。
(3)初期社会科の理念と福祉教育の位置
神奈川県と八頭郡社協の両事例は、初期社会科が経験主義から系統主義へと重点を移す時期に展開され、「問題解決学習」と「系統学習」の相克という教育思潮のもとに位置づけられる。『あゆみ』には、生活課題に根ざした活動とともに教科への単元設定や導入が記されており、生活に根ざした活動と知識理解の両方が意図されていたことがうかがえる。一方、八東部中学校の教員の声からは、『社会福祉読本』を社会科とホームルームのいずれに位置づけるかが、教員の側で定まらなかったことがわかる。福祉教育の教育課程上の位置づけは、制度として一律に定められてはおらず、各学校や各教員の判断に委ねられていたため、学校現場では確定しにくい状況にあったと解釈できる。
(4)道徳教育との連関と「内面化」の課題
神奈川県では、学校現場が本制度を「道徳的意図」を伴うものとして受容した事実は注目に値する。戦後の新教育が模索されるなかで、抽象的な公徳心ではなく、具体的実践を介することで生徒の内面的な規範意識の形成が企図されたといえる。本制度は、道徳教育が復活・強化される潮流のなかで、道徳教育の「実践的・体験的な側面」を補完する性格をもっていたと考えられる。これに対し、八東部中学校の取り組みでは、道徳教育との関係について、本章で用いた史料からは前面に出てこない。ただし両者とも、外面的な活動の定型化が内面的な思想形成と乖離する危うさを孕んでいたことは否定できず、この「実践と内面化の乖離」という課題は、現代の福祉教育やサービス・ラーニングなどにも通底する問いを投げかけている。
(5)学校や教員の主体性の尊重
神奈川県の制度は、行政主導であったが、実施方法では県が側面的な支援を行うにとどまり、各校の自主的・独創的な活動を促す方針がとられた。『あゆみ』に示された活動は、長欠生徒の解消運動、校内たすけあい運動、修学旅行貸付金制度など、学校内の生活課題に根ざしたものを含んでいた。また、瓜巣が、学校の主体性の尊重を成功要因に挙げていることも先述のとおりである。これらは、学校や教員が主体的・自発的に実践を展開する余地も制度のなかに確保されていたことを示唆する。ただし、この主体性が実際の実践内容にどこまで反映されたかは、史料の限界から確定できない。八東部中学校では、全職員による相互研究会や専門部の組織、視察研究、教材の作成などに自ら取り組んでおり、教員の主体性がより具体的に確認できる。
(6)地域再生に向けた「学校の社会化」
神奈川県の制度は、「学校の社会化」という側面を内包していた。生徒から家庭、そして地域社会へと社会福祉思想を波及させようとした企図は、学校を閉じた空間とせず、地域再生(まちづくり)の拠点として位置づけようとした試みであったといってよい。ただし、地域・住民が学校運営や教育内容に参画する関係性については明示的ではない。とはいえ、1977年度からスタートした国庫補助事業としての「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(通称「社会福祉協力校」事業)の目的(学童・生徒を通じて家庭及び地域社会の啓発を図る)とは、理念上の類似がみられる。これに対し八東部中学校では、教員・生徒・地域住民の三者の一体化が研究会の方針に掲げられ、子守りや農業手伝いなど、地域生活に密着した活動が行われた。神奈川県が学校から地域への波及を構想したのに対し、八東部中学校では、ある面では地域の生活課題を起点に学校の福祉教育活動を組み立てようとした点が示唆的である。
(7)継続と終焉の相違
神奈川県の制度は、行政主導による制度の安定性と学校現場の自主性とが、「道徳教育」を介して均衡を保ったことで、およそ50年にわたり継続した。これに対し八頭郡社協の事業は、郡社協の統合・廃止に伴う組織的な継承力の欠如と、社会科が経験主義から系統主義へ移行するなかで、生活に根ざした実践が後退したことにより、1955年度の新規指定をもって終了し、他地域へ波及することもなかった。同じ時代の教育思潮のもとで、一方の制度が長期にわたって継続し、他方の制度が短期間で終焉を迎えたことは、両者の担い手と組織基盤の相違を示している。
(8)統治と変革の併存
神奈川県と八頭郡社協の両制度は、担い手や教育課程上の位置づけなどの点で異なる様相を示していたが、いずれも二つの方向を併せもっていた点は共通している。ひとつは、行政や社協が目的と枠組みを定め、指定・補助・研修を通じて学校を媒介に社会福祉思想を普及させる、広い意味での「統治」の側面である。もうひとつは、学校や教員の主体性を尊重し、生活課題に根ざした実践を通じて民主的な社会の形成者を育てる「変革」の側面である。この二つは両制度のいずれにも認められるが、神奈川県では「道徳的意図」を掲げた行政主導の枠組みが明瞭であり、八東部中学校では教員の研究・研修活動と地域に根ざした実践が前面に現れていた。ただし、両者は、「行政主導」対「地域主導」、あるいは「統治」対「変革」と単純に分けられるものではない。ともに両方の側面を併せもち、そのバランスと緊張のあり方が異なっていた、と捉えるべきである。
おわりに
本章の論述には、いくつかの限界がある。とりわけ、史料が行政・学校側の刊行物に偏り、生徒や教員の意識変容を直接的にたどることができていない。外面的な活動の反復が内面的な価値形成にどの程度結びついたかは、本章の史料では必ずしも明確ではない。こうした限界を踏まえたうえで、本章では、神奈川県と八頭郡社協の二つの普及校制度について、担い手、教育課程上の位置づけ、道徳教育との関係、教員・学校の役割、地域との関係、制度の継続と終焉などの観点から、その特質と相違を整理した。
以上の検討から、両制度は担い手や継続性を異にしながらも、ともに「統治」と「変革」の二つの方向を併せもっていたことが読み取れる。この「統治と変革の併存」という視点は、今日の地域共生社会や地域福祉計画、住民主体のまちづくりなど、「まちづくりと市民福祉教育」へと連なる歴史的源流を考えるうえで、重要な論点となる。
このように、福祉教育は、社会の秩序形成に資する働きをもつと同時に、その枠組みのなかで人びとが社会のあり方を問い直す契機ともなりうる。重要なのは、福祉教育の歴史を実践の広がりや活動内容の変化として捉えるだけでなく、そこにおいて、どのような担い手を育成し、どのような社会を形成しようとする意図があったのかという観点から問い直すことである。本章でいう「民主的な社会の形成者」は、地域や社会のあり方に主体的に関わる「市民」に通じるものである。こうした歴史的経験を踏まえ、福祉教育を、既存の社会への適応にとどまることなく、地域生活課題を社会的な問題として捉え、他者とともに地域や社会のあり方を問い直し、その変革に主体的・自律的に参加(参集、参与、参画)する市民を育む営みとして捉え直すことが求められる。ここに、「まちづくりと市民福祉教育」の歴史的・理論的基盤を見出すことができる。それは、福祉教育を個人の意識や態度の形成に限定せず、市民の主体形成を通して地域のあり方や社会の仕組みを問い直し、その変革に結びつけていく教育として構想することにほかならない。
引用・参考文献
(1)牛田昭(年不詳)『鳥取県における福祉教育の歩み』鳥取県社会福祉協議会。
(2)勝連益隆・松田豊(1953)『社会福祉教育普及校視察報告書』八東部中学校。
(3)神奈川県(1956)『昭和31年度 社会福祉事業研究普及校研究発表概要』。
(4)神奈川県(1964)『昭和38・39年度 社会福祉事業研究普及校研究発表概要』。
(5)神奈川県民生部社会福祉課編(1960)『社会福祉事業研究普及校10年のあゆみ』神奈川県。
(6)阪野貢(1984)『社会福祉教育論序説』相川書房。
(7)全国社会福祉協議会三十年史刊行委員会編(1982)『全国社会福祉協議会三十 年史』全国社会福祉協議会。
(8)鳥取県社会福祉協議会(1955)『志あわせへ』(機関紙)第15号。
(9)八東部中学校(1954a)『本校の社会福祉教育研究収録Ⅲ―社会福祉教育研究会要項―』。
(10)八東部中学校(1954b)『社会福祉読本』。
(11)八東部中学校(1955)「社会福祉教育研究会報告メモ」(B4判罫紙)。
【初出】
「神奈川県における福祉教育実践の展開」「鳥取県八頭郡における福祉教育実践の展開」『戦後初期福祉教育実践史の研究』角川学芸出版、2006年4月、101〜152頁を改題し加筆修正したものである。
第2章
福祉教育論の再考と現代的展望
―大橋謙策の思想的源流から―
はじめに
「福祉教育」の実践と研究はこれまで、一面では、子どもと高齢者、健常者と障がい者、ICIDH(国際障害分類)とICF(国際生活機能分類)、排除と包摂、対立と共生、などの二項対立的な分かりやすさのなかで論じられ、取り組まれてきた。その際、「協同実践」(参加者が相互に学び合う関係性)の重要性が指摘されながらも、主体と客体の関係性を前提にしがちであった。しかも、包摂や共生を概念的・抽象的に思考・理解することにとどまり、日常の地域生活場面においてその感覚化や生活化、行動化を促すことに必ずしも主体的・積極的であったとはいえない。
そして、「我が事・丸ごと」の「地域共生社会」の実現が叫ばれるようになって久しいが、包摂や共生が未だ「お守り言葉」(鶴見俊輔)として使用されている感がある。それは、人々を思考停止に陥らせたり、ある種の刷り込みを可能にする恐れがある。その要因や背景については、(1)福祉教育がその存立基盤となる原理論や思想・哲学への探究を等閑視してきたこと。(2)福祉教育の実践科学としての側面、すなわちハウツーや手法の提供に偏重してきたこと。(3)福祉教育がその固有性や自律性を十分に追究せず、学習内容や方法が確固たるものになっていないこと。(4)福祉教育が「政治」(福祉政治と教育政治)と対峙せず、「政治的リテラシー」(政治的判断力や批判力)についてほとんど言及してこなかったこと、などを挙げることができる。
その結果、福祉教育は、政府・行政主導による福祉・教育改革の推進が図られるなかで、以前にも増して統制的で定型化された実践活動となりつつある。その弊害は、筆者が耳にする次のような声にも顕著に表れている。すなわち、「他地域の実践事例を見聞しても、以前のように『ワクワク感』が沸かなくなってきた」「福祉教育が学校や地域の現場の課題やニーズに即した形で十分な進展を見せているとはいい難い」「現場実践と研究活動は不可分であり、両者の往還関係を構築することが肝要であるが、両者の間に乖離が生じている」などの指摘がそれである。
そういうなかで、いま求められるのは、歴史的視点や哲学的思考を重視しながら、福祉教育の原理論を探究し、福祉教育とは「そもそも何か」、それは「いかにあるべきか」、「いかに取り組むべきか」を、混迷する現場のリアリティや実践と切り結びながら、本質的・根源的に問い直すことである。
そこで本章では、日本における福祉教育研究の草分けであり、泰斗でもある大橋謙策の「福祉教育論」を再考の基軸に据え、その解説的考察を通して「大橋福祉教育論」の継承と新たな福祉教育論展開の課題や方向性を見出すことを目的とする。
Ⅰ 「大橋福祉教育論」の思想的基盤と理論構造
福祉教育とは、「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる。
1 福祉教育の概念規定
これは、周知の通り、福祉教育の「原理論」と評される大橋謙策による福祉教育の概念規定である(全社協・全国ボランティア活動振興センター「学校外における福祉教育のあり方と推進―福祉教育研究委員会中間報告―」1983年9月、15頁)。40年以上も前のものであるが、今日においてもしばしば引用される。この概念規定以外にも、「福祉教育とは何か」について論考したものは複数、捉え方によっては多数あるが、大橋のそれがよく援用される。それは、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因するといってよい。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的な定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのであろう。
周知のように、全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センターが1980年9月、「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)を設置し、翌1981年11月に「福祉教育の理念と実践の構造―福祉教育のあり方とその推進を考える―」について研究の中間成果を報告した。委員会の設置は、全国各地で福祉教育実践の進展が図られ、学校における福祉教育のあり方について一定の理論的整理が求められるようになってきたことへの対応であった。次いで、1982年9月に第2次の「福祉教育研究委員会」(委員長・大橋謙策)が設置され、翌1983年9月に「学校外における福祉教育のあり方と推進」と題する中間報告がなされた。
大橋の福祉教育の定義は、第1次ではなく、「第2次福祉教育研究委員会」(在京研究委員会)報告のなかで論述されている。そこではまた、次のように述べられている。「社会教育行政における福祉教育の促進には二つの視点が『車の両輪』としてなければならない。第一は、国民が社会福祉問題を学習し、それへの関心と理解を促進させる福祉教育活動の促進であり、第二には、今日の社会福祉問題の中心的課題を担っている障害者、高齢者の社会教育(学習、文化、スポーツ活動)の促進である」(15頁)というのがそれである。後者(「第二」)に関してはさらに、「今日の社会福祉サービスの主たる対象である障害者、高齢者の学習、文化、スポーツ活動を豊かに促進させることが、国民の障害者観、老人観を変え、ひいては社会福祉観を変えて、ともに生きていく街づくりをすすめる上で重要」(16頁)であるとされた。
ところで、大橋のこの概念規定は、全国社会福祉協議会の「第2次福祉教育研究委員会」報告以前の1982年3月、神奈川県の「ともしび運動促進研究会」(委員長・大橋謙策)が編集し、「ともしび運動をすすめる県民会議」が発行した『ともしび運動促進研究会中間報告』で述べられている(4頁)。「ともしび運動」は、当時の長洲一二県知事の提唱によって、1976年10月から展開された行政・県民協働の福祉コミュニティづくり(自立と連帯のまちづくり)運動である。具体的には、「障害者の自立促進を」「おとしよりに生きがいを」「連帯感にあふれた地域社会づくり」などをその目標とし、「『ともしび運動』によって進められるべき課題の第一は “福祉教育の促進” である」(4頁)とされた。
以上を要するに、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて高齢者や障がい者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視座に注目しないと、その定義や言説を読み解くことはできないということである。
1)福祉教育と「社会福祉問題」
冒頭に記した大橋の福祉教育の概念規定について、その構成要素を弁別すると次のようになる。(1)憲法第13条、第25条等に基づく人権思想をベースにする。(2)歴史的・社会的存在としての社会福祉問題を素材とする。(3)社会福祉問題との切り結びを通して、社会福祉制度や活動への関心と理解を進める。(4)社会福祉問題を解決する実践力を身につけるために、実践に基づく体験学習を重視する。(5)「自立と連帯の社会・地域づくり」の主体形成を図る、などがそれである。
大橋の概念規定における鍵概念のひとつは「社会福祉問題」である。大橋は、1981年2月に刊行された吉田久一編『社会福祉の形成と課題』(川島書店)所収の論文「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」で、高度経済成長期以降、「社会福祉問題の国民化と地域化」(大橋,1986,pp.3-11)が進んでいる。そうしたなかで、地域の社会福祉問題を解決するためには、それができる「住民の形成とネットワークづくり、とりわけそこにおける住民参加の問題」が重要であり焦眉の課題である、とする(大橋,1981,p.238)。そのうえで、地域福祉の主体形成のための福祉教育の必要性と、福祉行政の「地方分権主義」への転換を図り、地方自治体が自律性をもって「地域社会福祉計画」を住民参加のもとに策定することの必要性を指摘している。
福祉教育が学習素材とする「社会福祉問題」、とりわけ高度経済成長期以降のそれは、大橋にあっては「戦前の大河内一男の社会政策と社会事業という整理や戦後の孝橋正一の社会問題と社会的問題という整理でも、包含できない課題として創出されてきた」。公害・環境問題と外的な生活破壊、過疎問題と家庭破壊、過密問題と生活の共同的集団的再生産機能の減退と不安定化、合理化・機械化による生活リズムの破壊や老人福祉問題の深刻化などが、「従来の問題にくわえてあらわれてきた」ものである(大橋,1981,pp.231-234)。
地域住民のこれらの具体的な生活破壊の「状況」については、簡潔明瞭にカテゴライズしても、また他の領域や次元の「状況」で説明するだけではその本質に迫ることはできない。社会福祉問題の分析は、それを現代社会の仕組みと運動法則によって必然的に生み出される歴史的・構造的な「社会問題」として、社会科学的に捉えることによってはじめて可能となる。そうした分析のうえで、その問題解決に向けて、批判的・論理的かつ創造的に思考・判断・実践する「力」の育成・向上をいかにして図るか。そのための福祉教育実践の具体的展開について検討することが求められる。
この点を別言すれば、福祉教育における「社会福祉問題」の本質は、社会構造に起因する歴史的側面と、個々の住民が直面する具体的な地域生活上の課題という、重層的な視点から把握されなければならない、ということである。
以下に、長文にわたるが、上記の論文から「福祉教育と地域福祉の主体形成」に関する記述を抜粋(引用)する。これにより、大橋の「福祉教育の理念と実践の構造」についてその言説の基本的部分(論理的特質)を概観・俯瞰することができる。

2)福祉教育と「地域福祉の主体形成」
大橋は、岡本栄一によって「住民の主体形成と参加志向の地域福祉論」と評されるように、「地域福祉の主体形成」を重視する。その点について、大橋は、前記の著書『地域福祉の展開と福祉教育』において、「地域福祉の主体形成のしかたと主体として形成されるべき力量には、次のような7つのことが考えられる」とした。(1)社会福祉に関する情報提供による関心と理解の深化。(2)地域福祉計画策定への参加と政策立案能力。(3)社会福祉行政のレイマンコントロール(政治や行政の一部を一般市民に委ねること――引用者注)。(4)社会福祉施設運営への参加。(5)意図的、計画的な福祉教育の推進。(6)地域の社会福祉サービスへの参加(ボランティア活動)による体験化と感覚化。(7)社会福祉問題をかかえた当事者の組織化と当事者のピア(仲間、peer)としての援助、がそれである(大橋,1986,p.46)。その後、大橋は、この「地域福祉の主体形成」(「住民の主体形成」)の7つの「枠組み」を整理し、「『地域福祉の主体』形成には、4つの課題がある」として、4つの主体形成の枠組みを提示する。すなわち、(1)地域福祉計画策定主体の形成、(2)地域福祉実践主体の形成、(3)社会福祉サービス利用主体の形成、(4)社会保険制度契約主体の形成、である(大橋,1995,pp.75-82)。それは同時に、福祉教育の課題でもある。
この大橋の4つの主体形成については、7つから4つに綺麗に整理・集約された故にか、4つの側面が並列的に理解されがちで、その内的・構造的な相互関連性の把握を困難にしている。主体としての「住民」は、基本的には労働主体と(労働以外の)生活主体の統一的存在であろうが、政治主体・経済主体・文化主体であり、また地域の自治主体や変革・創造主体でもある。「住民」はこれらの側面を重層構造的にもつ存在である。地域の自治主体や変革・創造主体に関していえば、住民主体の社会福祉問題の解決や「自立と連帯の社会・地域づくり」を推進するためには、個人的主体形成のみならず集合行為主体や運動主体の形成が必要かつ重要となる。こうしたことを踏まえたうえで、地域福祉(住民)の主体形成を促進する福祉教育実践の内容や方法について具体的に検討することが肝要となる。
3)福祉教育と「ケアリングコミュニティ」
大橋の福祉教育論の基底に「ケアリングコミュニティ論」(大橋,2014)がある。「ケアリングコミュニティ」(caring community)とは、看護の領域で用いられてきたケアリング(「世話をする」「面倒を見る」「思いやる」といった行動)の考え方をコミュニティにまで広げて展開しようという考え方である。
大橋のケアリングコミュニティ論を大胆に要約すれば、次のようになる。(1)人間存在の本質に「ケアする」「ケアされる」関係性がある。(2)ケアは自己実現を図ることに関わる営みである。(3)ケアの考え方の構成要素として「6つの自立」がある(①労働的自立・経済的自立、②精神的・文化的自立、③身体的・健康的自立、④生活技術的・家政管理的自立、⑤社会関係的・人間関係的自立、⑥自律的意見表出的・契約的自立)。(4)ケアリングコミュニティをつくる考え方を「コミュニティソーシャルワーク」という。(5)ケアリングコミュニティの実現には「地域福祉の4つの主体形成」(前述)が重要になる。(6)地域福祉の「主体形成に向けての学習」が必要である、がそれである。これらのうち、特に(6)について、大橋は次のように述べる。

大橋が指摘するように、「主体形成」や市民活動は自然発生的なものではなく、それに向けての目的意識的な「学習」が不可欠である。地域福祉の主体形成は、筆者の整理によれば以下のサイクル(プロセス)を辿る。それは、(1)地域住民が地域の社会福祉問題を発見する・気づくことから始まる。(2)その問題や課題を「ひとごと」ではなく「自分ごと」として認識する。(3)それを「みんなごと」として共有し、共通認識を深める。(4)その問題や課題の本質をみんなで理解を深める。(5)組織的かつ変革的・創造的に課題解決を図ることのできる「力」を獲得する。(6)それを具体的・現実的に行使する。そして(7)その過程を振り返り(リフレクション)、(8)そこから得た知見をもとに次の新たなアプローチを試みる。こうしたサイクルによる主体形成ができなければ、福祉を学ぶことやボランティア活動は単なる「善行」にとどまり、無批判的で体制適応・順応的な住民主体を形成することにもなる。また、主体形成の強調は、その一方で国や行政の責任や役割の矮小化、地域住民への「丸投げ」を招くことにもなる。福祉教育が「両刃の剣」となり得る点については、常に留意を必要とする。
4)福祉教育と「博愛の精神」
大橋は、『新訂 社会福祉入門』(放送大学教育振興会、2008年3月)において、住民と行政との関係についてこういう。それは、「上下の関係で捉えるのではなく、住民の自立と連帯を前提にし、対等の立場で問題解決を図る新たな社会哲学、社会システムが求められ、社会福祉のような歴史的に国の『社会の制度』として発展してきたものも従来にない発想が求められている」。そして、次の3つの「思想」を取り上げる。(1)フランスの近代市民革命の際にうたわれた「博愛」の思想(「自由」と「平等」を担保する「博愛」)。(2)ノーマライゼーションやソーシャルインクルージョンといった思想(「社会的包摂」)。(3)自分たちで相互扶助組織をつくり、対応しようとする考え方(「協同組合方式」)、がそれである(大橋,2008,pp.28-30)。
そして大橋は、ソーシャルワークの根底にある価値観について次のようにいう。「ソーシャルワークを展開する際の価値の1つは、人間性を尊重し、社会正義と公正を守ることであり、人々の自由と平等を保障することであるが、それらを標榜すればするほど、人々が社会的にも、個人的にも“博愛”という社会の神聖な責務を遂行することが求められる。(中略)そのうえで、伝統的な意識と行動を尊重しつつも、新たな社会システムに必要な価値、意識として“博愛”の精神の涵養とそれを推進する福祉教育が求められる」(大橋,2008,p.227)。ここで強調されるのは、戦後日本の教育や社会システムが「自由」と「平等」の追求に偏り、3本目の柱である「博愛」を看過してきたという視点である。それゆえに、現代社会において人間性を回復させるためには、「博愛の精神」を育む福祉教育の充実が不可欠となるのである。「大橋福祉教育論」のポイントのひとつである。
ここで併せて、「博愛」に関して、次の諸点にも留意しておきたい。(1)フランス革命は、新興の「ブルジョワジー」(有産階級、中産階級)による革命である。(2)その理念は「自由・平等・友愛」であり、「自由・平等・博愛」ではない。(3)「自由」は多様性を保障する一方、放置すればアナーキズム(無政府主義)に行き着く。(4)「平等」は、突き詰めれば全体主義や共産主義となり、不自由を生む。(5)「友愛」は友を愛する理念であり、他の宗教や民族を除外する可能性がある。(6)「博愛」には、「慈善」と同様に、階級差別的な意味合いがある、などである(中川・適菜, 2017, pp.35, 98)。
こうした歴史的・思想的な限界が指摘されるなかで、大橋の「博愛の精神」の涵養という主張は、単なる倫理的な呼びかけにとどまらない。大橋は、日本の文化的・歴史的背景、とりわけ閉鎖性や儒教的な排除の論理が福祉の理念形成に及ぼす影響を見据え、その克服に向けて「博愛」という普遍的価値を福祉教育の根幹に据えようとしたのである。これは、福祉教育を知識や技術・技能の伝達、あるいは個人の意識変革に限定せず、社会の文化や規範を問い直し、構造的な差別や排除に抗する「価値観の変革」をめざすものといえる。
このような価値観の変革は、「博愛」を単なる善意や慈善的な援助の精神として捉えるのではなく、他者との関係や社会のあり方を問い直す原理として捉えることによって、具体的な意味をもつ。「博愛の精神」が歴史的な排他性を克服する可能性は、他者への善意や慈善的な援助を促すこと自体にあるのではない。むしろ、援助する側とされる側を固定的に区分する関係を問い直し、誰もが対等な人格として認められる社会をめざす点にある。すなわち、他者の生活上の困難を個人の責任に帰すのではなく、社会全体で共有すべき課題として捉えることである。このように博愛を捉え直すことは、差異を理由とする排除の克服に向けて、共に生きる社会を築くための倫理的基盤となる。
2 「大橋福祉教育論」批判
以上が、「社会福祉問題」「地域福祉の主体形成」「ケアリングコミュニティ」「博愛の精神」などの鍵概念を中心にみた「大橋福祉教育論」の概括である。こうした大橋の言説に対してこれまで、「地域福祉と福祉教育」を説く地域福祉や福祉教育の研究者からの系統的な批判はあまりみられない。それは、大橋の言説が一定の理論体系を作りあげていることによるが、大橋のそれが「福祉教育原理論」として前提され、そのうえで立論されていることにもよるといってよい。そういうなかで、生涯学習やESD(持続可能な開発のための教育)の研究者である松岡広路が、論文「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」(日本福祉教育・ボランティア学習学会『研究紀要』第14号、2009年11月)において、大橋の言説に批判的考察を加えている。
松岡の大橋批判は、大橋の福祉教育の定義は「汎用的であるがゆえに、同時に、脆弱性を併せもっている」。「脆弱性を項目化すると、<未分化な学習者像>、<社会福祉活動の内実の曖昧さ>、<楽観的な社会形成ビジョン>、<教育概念の曖昧さ>と約言できる」(松岡,2009,p.13)、というものである。そして、松岡は、「脆弱性の高い『福祉教育』の定義に基づいてしまうと、時代の大きな物語に押し流され、重要と思われる要素が外延化され、体制的要素を内包とする対象化(理論化)と実践化が、当然のごとく進んでいく。福祉教育が、現実と理想の拮抗関係の中に位置することを意識し、従来の枠組みを等閑視しないという批判的な姿勢を保つことが、今まさに重要である」(松岡,2009,p.16)として、「批判的創造性」の観点の必要性と重要性を説いている。松岡の批判は必ずしも、「大橋福祉教育論」をその理論的体系化の過程も視野に入れて、総合的・体系的に行うものにはなっていない。とはいえ、「社会的・福祉的課題の解決に不可欠な『批判的創造性』が、実践における学びの目標・内容(いわゆる『学びのベクトル』)から排除されている」(松岡,2009,p.16)という指摘は、首肯されるところである。
いま少し具体的にいえば、「未分化な学習者像」という松岡の批判は、大橋にあっては、社会福祉問題の解決やケアリングコミュニティの形成についての言及が先行するあまり、学習者を単に「子ども・青年・成人」という属性で定義・議論するにとどまり、学習主体としての具体性や固有性が等閑視されているという指摘であろう。また、「批判的創造性」の欠如という批判は、福祉教育は本来、学習者が自己の価値観を揺さぶられ、既存の社会構造に疑問を抱き、社会変革を志向するという、「内的な変容」を伴うべきものである。その点の言及を大橋に期待しているのであろう。
いずれにせよ、こうした批判的視座は、未来(あす)の社会変革をめざすだけではない。現在(いま)の生活実態を直視し、現実的で具体的な地域生活課題の解決に根ざしてこそ、実践はその脆弱性を克服し、真に持続可能な深化を遂げるのである。
Ⅱ 「大橋福祉教育論」の継承と理論的展開
1 原田正樹の福祉教育論―「協同実践」と「相互実現的自立」をめぐって―
「大橋福祉教育論」の正統な発展的継承者に原田正樹がいる。原田は、地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究法について考察し、その理論化・体系化を図っている。その著作『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規出版、2014年10月)は、大橋の前記の著作『地域福祉の展開と福祉教育』の「今日的な続編でありたい」とするものでもある。福祉教育については、原田は、福祉教育の理論と実践の乖離を指摘し、それを克服するために、学際的・総合的かつ実践的なアプローチによって福祉教育の新たな理念の構築と実践構造の再検討を進める。原田にあっては、「共に生きること、共に学び合うこと」は、福祉教育が大切にしてきた・大切にすべきメッセージである。加えて、原田の、全社協主催の「全国福祉教育推進委員会」などでの取り組みは特筆されるべきものである。
ここで、原田の福祉教育論を素描する。原田にあっては、地域ぐるみの福祉教育が必要かつ重要となるなかで、「地域福祉を推進するための福祉教育とは、平和と人権を基盤にした市民社会の担い手として、社会福祉について協同で学びあい、地域における共生の文化を創造する総合的な活動」である(福祉教育推進検討委員会(委員長:大橋謙策)『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全国社会福祉協議会、2005年11月、5頁)。
この規定における鍵概念のひとつ、すなわち原田福祉教育論のそれは「協同実践」である。原田はいう。「福祉教育における『協同実践』においては、専門的な知識や技術の伝達ではなく、福祉の魅力や難しさをみんなで考える。その時には、子ども同士だけではなく、福祉教育実践に関わる大人も含めて相互の学び合いが必要になってくる」(原田,2022,p.66)。さらにそれは、学校や地域だけでなく、また障がい者や高齢者、地域のボランティアだけでなく、さまざまな関係者や関係機関・団体を福祉教育に巻き込み、「サービスラーニング」の視点による福祉教育実践を協同実践として成立させるための組織(「福祉教育推進プラットホーム」)やコーディネーター(「福祉教育推進員」)を求める。また、その実践については、「内省」(かえりみて見直すこと)し「省察」(ふりかえり考えめぐらすこと)する効果的・総合的かつ創造的なふりかえり(「リフレクション」)を不可欠とする。
原田福祉教育論のもうひとつの鍵概念に「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」がある。これは、人間の脆弱性を前提としたうえで、個人の自立や自己実現だけでなく、それを乗り越え、関係性のなかで互いに支え合いながらより良く生きること、社会全体の「共に生きる力」の育成を図ることをめざす視点である。すなわちそれは、福祉教育は地域福祉の下位概念・従属概念ではなく、個人の福祉意識を変革させ(「貧困的な福祉観の再生産」の克服)、地域を変革する力の育成を図る営為である、という主張に通底するものである。要するに、「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」という概念は、超少子高齢人口減少問題をはじめ多様で複雑な福祉課題を抱える現代社会において、従来の自立支援の限界を乗り越え、より包括的で持続可能な地域社会を構築するための新たなパラダイムを提供するものである。
この点を別言すれば、原田は、その主著『地域福祉の基盤づくり』で、「地域福祉を福祉教育によって支えあうことができる社会、ケアリングコミュニティをどう構築していくことができるかを問うことが『地域福祉の基盤づくり』である」(「はじめに」)という。これは、福祉教育と地域福祉が単なる補完関係ではなく、相互に影響し合い、変革を促すダイナミックな関係にあることを示唆するものである。すなわち、福祉教育は地域変革の主体化を図り、個人の意識変革を促す一方で、地域福祉の実践はその意識変革をさらに深化させるのである。そして、ここでいう「ケアリングコミュニティ」とは、原田にあっては、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。それは、地域福祉の基盤づくりである。そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されることを不可欠とする。
こうした原田の言説において、「協同実践」は、地域福祉の住民主体形成を説く大橋の主体形成論に、パートナーシップや共創的な意味合いを強めたものである。「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」は、大橋が説く「地域自立生活支援の体制づくり」を継承しつつ、その理念を「その体制のなかで誰もが頼り合い支え合う関係づくり」へと深化・発展させたものである、といえよう。
2 阪野貢の福祉教育論―「まちづくりと市民福祉教育」と「共働活動」をめぐって―
筆者も、「大橋福祉教育論」を継承する立場の一人である(少なくとも筆者はそう認識している)。筆者は、福祉教育の歴史研究を基盤にしながら、大橋の福祉教育論を継承し発展させつつ、「まちづくりと市民福祉教育」という概念を提示してその理論化・体系化を図ってきた。そのひとつの集大成でもある『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』(みらい、2009年10月)は、従来の学校福祉教育や地域を基盤とした福祉教育の枠を超え、「まちづくり」とそのための「市民性教育」(市民的資質・能力の育成)をめざす福祉教育、すなわち「市民福祉教育」のあり方を探究したものである。
そこにおいて筆者は、「市民福祉教育」を次のように規定する。「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉のまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」(阪野,2009,pp.70-71)。
すなわち、市民福祉教育は、「人間の尊厳」「自由・平等・友愛」「平和・民主主義・人権」といった普遍的な人間観と社会観に基づいている。また、現代社会において子どもと大人、障がい者や高齢者などすべての人々の「自立・共生・自治」が問われるなかで、「まちづくり」に参加(参集、参与、参画)する主体的・自律的な「市民」の育成を図る市民福祉教育の重要性を認識し指摘する。それは、「ふくし」は社会的支援を要求する・必要とする人や専門家だけの問題ではなく、市民一人ひとりの日常生活(「ふだんの くらしの しあわせ」)と社会全体の平和・安寧・福祉(「みんなが、満足していて、楽しいこと」)に関わる普遍的な課題であるという視点・視座に基づくものである。それはまた、大橋が指摘する「博愛」の欠如や社会の閉鎖性といった問題意識を、より普遍的な市民社会の形成という視点から継承・発展させるものでもある。なお、ここで、「福祉」をあえて「ふくし」と平仮名で表記するのは、それが専門的な制度やサービスにとどまらず、住民一人ひとりの日常的な実感(感覚化・生活化)に根ざしたものであることを強調するためである。
また筆者は、「福祉文化」の概念を、一番ヶ瀬康子の言説を引用し「福祉の文化化」と「文化の福祉化」が統合されたものとして捉える。前者は、社会福祉は質・量ともに豊かで快適な人間らしい生活を保障するものであること、後者は、障がい者や高齢者を含むすべての人々が文化創造の担い手であることを含意する。そのうえで、「福祉」が単なるサービス提供や社会的支援にとどまらず(憲法第25条)、人々の生活そのものを豊かに快適にし(憲法第13条)、社会全体の文化、人間の豊かな感性と創造性を育む福祉文化として根付かせるべきものであると主張する。これはまさに、憲法25条の生存権のみならず、13条の幸福追求権の重要性を説く大橋の「福祉原理」と通底する・共鳴するものである。
いまひとつ筆者は、「協働」(collaboration)と「共働」(co-action)の概念を明確に区別し、「対抗」から「共働」へのプロセスを支援学の視点から提示して市民自治とまちづくりの立ち位置とプロセスを考察してきた。「協働」は往々にして、行政主導や専門家主導の枠組みのなかで行われる「協力」に近いニュアンスをもつ。それに対して「共働」は、市民が主体的・自律的に、対等な立場で互いに働きかけ、共に新たな価値を創造していく能動的な関係性を意味すると考える。この区別は、単に市民を行政の活動に「参加させる」だけでなく、市民自身が「主体」として福祉を「創りあげる」という、市民参加(参画)の質的向上への強い志向性を示すものである。これは、福祉教育が市民のエンパワメントを通じて、真の市民社会を構築するための重要な手段(「思想的武器」)となる・ならなければならないという思想に基づくものである。なお、「共働」を平易に換言すれば、市民や行政、専門家などが同じ土俵(水平的な場)を新たに創ってそこに上がり、相互信頼に基づく対等な関係のもとで共通のゴールに向かって同じ汗を流すこと、といえる。
この「共働」は、既存の枠組みを追認する「協調」とも異なる。それは、現状の矛盾や不条理に対する「対抗」を不可欠な起点とする。すなわち、「共働」とは、現実の課題に真摯に向き合い、論理的に対抗し、民主的な熟議を重ねることで、既存の枠組みを乗り越えるエネルギーを獲得していくプロセスに他ならない。この過程こそが市民自治を形成する本質であり、地域変革の原動力となるのである。
以上のような思想的背景をもつ「市民福祉教育の理念と構造」は、管見によると図2-1のように整理される。ここでの要点は次の通りである。
図2-1 市民福祉教育の理念と構造
(1)市民福祉教育は、当初から福祉教育そのものを目的として実施される事業・活動である①「福祉教育事業」(意図的・直接的営為)と、福祉教育そのものを第一の目的としてはいないが、結果的に福祉教育事業・活動になる②「福祉教育機能」(非意図的・間接的営為)に分けられる。市民福祉教育ではこの2つの側面の推進を重視する。
(2)教育の形態は一般的には、①「定型教育」、②「不定型教育」、③「非定型教育」の3つに大別される。市民福祉教育においては、これらに加えて、日常生活上の市民・文化活動(運動)などが展開されるなかで生じる教育的営為として④「市民・文化活動(運動)等」を考えることができる。これは、非意図的・間接的、あるいは偶発的な学びを含むものである。同時に、それは単なる知識の習得にとどまらず、参加者が社会創造や変革のプロセスを実体験として学習していく点に特質がある。
(3)市民福祉教育(福祉教育事業)は、①理念・目的・目標、②学習者、③指導者・支援者、④素材・教材、⑤教育内容・方法、⑥教育評価などによって構造化される。教育は、その理念や目的・目標の明確化なくして、学習者の主体的・創造的な学習活動や指導者の意欲的・積極的な指導は促進されず、その成果を期待することはできない。そこから、教育の「理念・目的・目標」は、市民福祉教育の構造を成す重要な内部要素であり、「理念・目的・目標」「学習者」「指導者・支援者」「素材・教材」などは、相互に作用・影響し合い、相乗効果を生み出すものとして存在する。
ひるがえって、(4)市民福祉教育を広義に捉えるならば、その根底にある「形成」「学習」「教育」をめぐる概念そのものを再検討する必要がある。形成(広義の教育)は、人間が地域・社会生活の営為そのものによって「形づくられる」過程である。この形成は学習なしには成り立たず、学習は形成に不可欠な営為として位置づけられる。一方、教育(狭義)とは、組織的・体系的な制度のもとで展開される目的意識的な過程を指す。勝田守一が「学習のないところに教育はない」「教育とは学習の指導である」と述べたように(勝田,1990,pp.149-150)、教育と学習は密接不可分である。したがって、形成とは教育と学習の相互作用(共鳴や葛藤)が生み出す、動的な自己変革のプロセスであるといえる。
図2-2は、市民福祉教育の領域(構成要素)とその連関性を視覚化したものである。市民福祉教育は、これら4つの領域(教育形態)を重層的に包摂し、相互に連関し合うひとつの総体として構成される。
図2-2 市民福祉教育の領域
図2-3は、市民福祉教育の構造を可視化したものである。ここでは、市民福祉教育が意図的なプログラム(福祉教育事業)と地域・社会生活のなかでの学び(福祉教育機能)の両面から構成され、両者が「形成」「学習」「教育」という3つのプロセスを介して、相互に規定し合いながら動的に連動していることを示している。
図2-3 市民福祉教育の構造(相互作用モデル)

以上の考察を踏まえ、大橋・原田両氏の理論と筆者の福祉教育論における特質を対照させると、表2-1の通り整理できる。
表2-1 大橋謙策、原田正樹、阪野貢の福祉教育論の特質
Ⅲ 福祉教育の現代的課題と創造的継承
「大橋福祉教育論」の特質は、それが単なる個人の意識改革や情操教育にとどまるものではなく、社会構造への問い直しを含む「実践科学」としての枠組みをもつものである。今日、地域共生社会の実現が叫ばれるなかで、福祉教育は「頼り合い、分かち合い、支え合う」担い手の育成という狭隘な枠組みに回収されつつある。そういうなかで、大橋が強調する「博愛の精神」は、人間の尊厳を保障する社会システムそのものを変革する「力」を内包するものであり、そうでなければならない。
また、松岡による「大橋福祉教育論」への批判、とりわけ「未分化な学習者像」や「批判的創造性の欠如」は、福祉教育が学習素材論に偏重し、学習主体論への言及が必ずしも十分なものではないという指摘である。この批判は、福祉教育が単なる体制適応・順応や動員の手段として機能するリスクを孕んでいることを意味するものでもある。そこで筆者の管見では、(1)福祉教育の学習者は、個々人が抱える生活課題を地域・社会構造の課題へと連結し普遍化させるプロセスを通して、生活主体や政治主体である「市民」として再規定されることが肝要となる。(2)学習素材である「社会福祉問題」については、固定的な対象・素材として捉えるのではなく、それに対する「対抗」や「共働」のプロセスに位置づけるべきである。そこに「批判的創造性」が醸成され活用されることになる。さらに松岡が批判する(3)「教育概念の曖昧さ」については、福祉教育は単なる体験学習やその手法(ハウツー)の提供ではなく、原田がいうリフレクション(省察)を通して、市民自治を形成するプロセスが重視されなければならない。これらによって、冒頭に記した現場の閉塞感を打破し、実践の「ワクワク感(ダイナミズム)」を取り戻すことができるのである。
原田が説く「協同実践」についていえば、それは、複数の人間が地域の社会福祉問題について共有化・共通認識し、それぞれの立場の違いを大切にしながら、問題解決に向けての、双方向的な「学び合う関係性」「学びの関係づくり」(原田)を大切にした実践方法である、と理解できる。しかし、協同実践の構造や性質をはじめ協同実践が生みだす効果やそれを成功させるための方法や条件などについては、これまで必ずしも理論的かつ具体的に言及・議論されてきたとはいえない。そこで例えば、協同実践であっても、実践そのものは基本的には一人ひとりの人間のなかで営まれる。そこから、協同実践のあり方について検討する際には、一人ひとりの実践(個別性)といろいろな人たちとの実践(協同性、共同性)、そしていろいろな内容や方法の実践(多様性)という視点が必要かつ重要となる。実践の協同(共同)性を強調するあまり、その個別性とそれに基づく多様性を軽視することがあってはならない。
こうした批判的視座を共有しつつも、大橋と原田、そして筆者の福祉教育論は、基底において共通の志向性を有している。すなわち、「地域福祉と福祉教育の不可分性と有機的連携」「主体形成の重視と市民参加の促進」「まちづくり・社会変革の推進と地域共生社会の実現」「実践と理論の往還的関係の重視と実践研究の推進」といった視座である。これらは、断絶した個別の研究ではなく、相互に影響し合い、継続的に取り組まれ、学術的な系譜を形成してきたといえる。しかし、残された課題は多い。それを本章の「はじめに」で指摘した問題意識に立ち返り、根源的な理念から具体的な地域実践へと昇華させていく階層的なプロセスとして整理・体系化すると、表2-2のようになる。また、その内容は以下の通りである。
表2-2 「まちづくりと市民福祉教育」の課題の階層構造

(1)核心化(根源の探究):人間存在の再定義と深遠な哲学性の探究
大橋の「博愛の精神」や原田の「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」、筆者が提唱する「まちづくりと市民福祉教育」といった理念は、福祉教育が単なる知識や技術・技能の伝達にとどまらず、地域変革(まちづくり)や社会全体の価値観の変革、人間のあり方を問い直す哲学的な営為であるという深遠な視点を提供する。これは、福祉教育の意義を再認識するうえでも重要であり、根源的な探究を必要とする。すなわち、福祉教育は、支援・受援という固定的な役割を超越し、共生社会の構成員としての「人間存在」を再定義することを迫られる。そして、福祉教育を根源的な思想教育として捉え直すことは、混迷する現代社会において、人間としての尊厳をいかに守り抜き、連帯や共働の哲学をいかに構築するかという、最も本質的な探究へと繋がっていくのである。
(2)構造化(理論の構築):多角的視座による福祉教育理論の再構築
福祉教育学界では、教育方法・技術論的な観点からの研究は盛んであるが、福祉教育の本質に迫る理論的・歴史的論考はいまだに少ない。そうした福祉教育研究の現状と課題、その背景(要因)を明らかにするとともに、福祉教育実践・研究の新たな展開の方向性と可能性を探ることが、いま、改めて問われている。具体的には、先駆的な実践や思想がいかに形成され、変容してきたかを辿ることで現代的課題の根源を浮き彫りにする。格差や排除の社会構造のなかで、福祉教育が果たすべき連帯や共働の機能を再定義する。教える・教えられるという二元論を脱し、多様な背景や生を営む人々との対話を通じて共生の本質を理論化する、などがそれである。それらに応えるためには、多面的・多角的な視座に基づく福祉教育理論の構築や刷新に関する総合的な研究が求められる。
(3)架橋化(理論と実践の往還):理論と実践の融合に向けた「バッテリー型実践・研究」の推進
福祉教育ではこれまで、一面では理念が高尚すぎたり、概念が抽象的・情感的すぎたりすることで実践への落とし込みが難しいという課題が指摘されてきた。この課題を克服し、実践の場で生きた理論を構築するための有効なアプローチに、大橋がいう「バッテリー型実践・研究」(研究者と実践家との協働研究方法)がある。これは、研究者が客観的な視点から分析を行う一方で、実践家は主観的な現場感覚と個別の事象への洞察を持ち寄り、両者が対等なパートナーシップのもとで理論と実践の往還を繰り返す動態的な方法論である。このプロセスを通じて、理論は現場の事実によって検証・洗練され、実践は理論的な裏付けを得ることで普遍性をもつモデルへと体系化される。このように、学問的探究と現場の変革を地続きのものとして捉え直すことで、福祉教育は単なる情操教育の枠を超え、誰もが当事者として参画する社会変革のプロセスへと進化させることになる。
(4)止揚化(時代への最適化):AI・新グローバル時代における新次元の展開
AI、デジタル技術の進展や気候変動・貧困・紛争といったグローバルな社会課題は、従来の福祉のあり方や教育の枠組みを大きく変えつつある。こうしたなかで、福祉教育は、AI時代におけるデジタル技術を活用した新たな学習方法や、深刻で多様な課題が浮き彫りになっている新グローバル時代(多極化と相互依存)における異文化間理解をどう促進するかが問われる。とりわけAIについては、アルゴリズム(自動的・形式的な手順)による最適解の提示が、葛藤を伴う合意形成のプロセスを省略させ、思考停止や体制順応型の主体形成を促す危うさがあり、高度なリテラシーが求められる。逆にいえば、だからこそ対面での「共働」を通じた合意形成のプロセスが肝要となるのである。例えば、AIがデータに基づいて提示する「最短・最適ルート」の効率性をあえて保留し、寄り道や遠回りから生じる偶然の出会いのなかにこそ、効率性には還元できない人間存在の深遠な意味を見出す視点が必要である。
ここでいう「止揚」とは、従来の福祉教育の蓄積を保持しつつ、新たな時代条件のなかで一段高い次元へと引き上げることをいう。
(5)変革化(社会の共創):多様なアクターとの連携とソーシャルアクション機能の強化
福祉教育は単なる学習活動にとどまるものではない。福祉教育は、個々の地域生活課題を社会全体の課題として捉え直し、その社会を変革していくための「思想的武器」とならなければならない。そのためには、福祉関係者のみならず、企業、NPO、行政、教育機関といった多様な主体(アクター)との重層的な連携を深めることが不可欠となる。その連携においては、福祉の専門性を軸にしつつ、異分野の知見を融合させる「プラットフォーム型」のモデルが求められる。こうした多様なアクターとの共働は、福祉教育に新たな視点をもたらし、市民一人ひとりが「自分事」として社会課題に向き合う土壌を耕すことになる。さらに、福祉教育による学びや気づきを、単なる「個人の感想」で終わらせるのではなく、制度の不備を是正するための政策提言や、困難を抱える人々の声を可視化する権利擁護(アドボカシー)へと結実させていく必要がある。
なお、これらの5項目は、単線的・段階的に進行するものではない。根源的な理念の探究、理論の構築、実践との往還、時代的課題への対応、社会変革への展開が相互に作用し合う、循環的かつ重層的な課題構造として捉えられる。この点に留意しておく必要がある。
では、これらの視点・枠組みは、実際の福祉教育の現場にどのような変容をもたらすか。この5項目を、例えば「車椅子体験」という具体的な福祉教育活動に照射してみると、こうである。それは、従来の枠組みを解体し、真の意味で社会変革を志向する「新たな車椅子体験を創り出す」試みに他ならない。
車椅子体験に参加する障がい者は、単なる「講師」ではなく、筆者がいう「共働」の「パートナー」として位置づけられる。参加する子どもや障がい者は、段差という物理的障壁に直面した際、それを個人の心身機能の欠損に帰属させるのではない。大橋の「博愛」や原田の「相互依存」の理念に基づき、解消すべき課題は「社会の側」にあることを認識する。この活動には、社協職員等の専門職や地域活動家が参画し、大橋のいう「バッテリー型実践・研究」の手法を導入する。これにより、参加者の主観的な意識変革や発見された個別の困りごとを、地域全体の共通課題へと「翻訳」することが可能となる。さらに、その調査過程では、AIやデジタル技術を積極的に利活用して、歩行空間の危険性や安全性、利便性を客観的にデータ化・評価し、例えばバリアフリーマップや行政への要望書などを作成する。その際、AIが導き出す「合理的な移動」を目的化するのではなく、車椅子を利用するパートナーと共にあえて時間をかけて地域を歩くという非効率的なプロセスのなかで、身体を通じた気づきや共感的な対話を深めていく。そして、これらのエビデンスを基に行政や関係機関へ政策提言を行い、具体的なソーシャルアクションを展開していく。このように、従来の車椅子体験が陥りがちであった「利用者の不便さを知る」「善意を喚起する」という同情的な理解の枠組みを超え、参加者一人ひとりが地域共生社会を共創する主体へと変革するのである。
おわりに
-「まちづくりと市民福祉教育」の地平と今後の展望-
本章の主張のひとつは、大橋が唱える「博愛による価値変革」、原田が提唱する「相互依存的な関係変革」、そして筆者が主張する「市民自治による社会変革」を統合・昇華させ、「市民福祉教育」を真の「社会変革モデル」として再定義することにある。これは、単なる知識の伝達や「福祉の心」の醸成といった既存の枠組みを超え、市民としてのリテラシー(批判的創造性)を研ぎ澄ます「動態的な融合プロセス」の構築を意味する。ここで立ち現れるのは、構造的な課題の解決に向けて既存の社会システムを問い直し、自律的にデザインし直す「変革主体」としての市民像である。それは、「ふだんの くらしの しあわせ」を自らの手で紡ぎ出す、子どもから大人までを包摂する存在に他ならない。
こうした「社会変革」を確固たる社会体系として根付かせるためには、福祉教育そのものの学問的基盤を問い直す作業が不可欠である。しかし、昨今の福祉教育における実践や研究の動向を見渡すと、一抹の危機感を禁じ得ない。その根底にあるのは、福祉教育を支える「歴史・哲学・原理」という三位一体の洞察が等閑視されているのではないか、という懸念である。具体的には、例えば、福祉教育は「いかなる歴史的・社会的背景によって生み出されたのか」「いかなる変遷を経て今日に至ったのか」など、その歩みについて検証してきたか(歴史)。「福祉教育とはいかなる教育的営為か」「共生の本質とは何か」など、根源的な問いを設定しそれに応答してきたか(哲学)。「人と人の繋がりはいかにして形成されるのか」「地域社会のエンパワメントはどのようなプロセスで生じるのか」など、そのメカニズムの理論化を図ってきたか(原理)、等々についてである。
本来、これらは独立したパーツではない。「歴史」から「哲学」が析出され、その「哲学」が実践の「原理」を導き、「原理」に基づいた実践が次なる「歴史」を創り出す。この循環的な連動性(構造)こそが、福祉教育を単なる手法に留めず、学問たらしめる生命線(条件・要諦)である。
本章の主題に据えた「福祉教育論の再考と現代的展望」とは、単なる学術的な回顧にとどまるものでも、根拠のない理想を語るものでもない。それは、真に持続可能な豊かな地域共生社会を市民が自律的・主体的にデザインし直すための、科学的で哲学的な営みである。既存の枠組みを超えた新たな理論構築と、現場に即した多角的な実践展開、そして「まちづくりと市民福祉教育」の新たな地平を切り拓く今後の研究に期待したい。
その探究の途上において、常に立ち返るべき座標軸(指針)がある。研究や実践の現場でしばしば語られる、次のような言葉がそれである。「実践は歴史によって創られ、理論は歴史によって試される」「実践のない理論は空虚であり、理論のない実践は盲目である」「哲学なき実践は凶器であり、実践なき哲学は遊戯である」。さらには、「独りで歩めば速いが、共に歩めば遠くまで行ける」「地球規模で考え、足元から行動せよ」といった言葉もその指針に他ならない。
引用・参考文献
(1)大橋謙策(1981)「高度成長と地域福祉問題―地域福祉の主体形成と住民参加―」吉田久一編『社会福祉の形成と課題』川島書店。
(2)大橋謙策(1986)『地域福祉の展開と福祉教育』全国社会福祉協議会。
(3)大橋謙策(1995)『地域福祉論』放送大学教育振興会。
(4)大橋謙策(2008)『新訂 社会福祉入門』放送大学教育振興会。
(5)大橋謙策編著(2014)『ケアとコミュニティ―福祉・地域・まちづくり―』ミネルヴァ書房。
(6)大橋謙策(2022)『地域福祉とは何か―哲学・理念・システムとコミュニティソーシャルワーク』中央法規出版。
(7)勝田守一(1990)『能力と発達と学習』国土社。
(8)阪野貢ほか編著(1998)『福祉教育論―「共に生きる力」を育む教育実践の創造―』北大路書房。
(9)阪野貢監修、新崎国広ほか編著(2006)『福祉教育のすすめ―理論・歴史・実践―』ミネルヴァ書房。
(10)阪野貢(2009)『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』みらい。
(11)中川淳一郎・適菜収(2017)『博愛のすすめ』講談社。
(12)原田正樹(2009)『共に生きること 共に学びあうこと―福祉教育が大切にしてきたメッセージ―』大学図書出版。
(13)原田正樹(2014)『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』中央法規出版。
(14)原田正樹(2022)『福祉教育の理論と実践方法―共に生きる力を育むために―』全国社会福祉協議会。
(15)松岡広路(2006)『生涯学習論の探究』学文社。
(16)松岡広路(2009)「福祉教育・ボランティア学習とESDの関係性」『研究紀要』第14号、日本福祉教育・ボランティア学習学会。
第3章
「まちづくり」言説の系譜と自律的市民の位相
―思想・実践・技法・認識のダイナミズム―
はじめに
日本社会における「まちづくり」という営為は、高度経済成長がもたらした深刻な産業公害や都市問題、地域社会の崩壊などに対する異議申し立てとして、1960年代後半から70年代にかけて本格化した。かつての都市計画は、「中央」による画一的な国土開発(ハード・モノづくり)を主眼としていた。それに対し、平仮名で表記される「まちづくり」は、そこに暮らす「生活者」の視点から、人間らしい生活環境の回復をめざす運動として生み出された。
しかし、今日、まちづくりをめぐる状況は一層の複雑さを増している。少子高齢化の進展に伴う「限界集落」の頻出、2014年の「増田レポート」に端を発した「地方消滅」論の席巻、さらには格差社会の固定化による地域連帯の希薄化など、地域・社会は内側と外側の双方から崩壊の危機に直面している。こうしたなかで、まちづくりは単なる環境整備の域を超え、人口減少という所与の条件を受け入れつつ、いかにして住民の生活の質を充実させるかという「縮充」(山崎,2016)への挑戦が叫ばれて久しい。
本章が考察の対象とするのは、こうした半世紀に及ぶ「まちづくり」の底流に流れる「思想」と「方法」の系譜である。具体的には、1970年代に内発的発展論の「地域主義」を説いた経済学者・玉野井芳郎、「まちづくり」という言葉を一般に広めた、自治体プランニングの草分けである田村明、現代の「コミュニティデザイン」を牽引するコミュニティデザイナーの山崎亮、そして「地域学」の構築を試みる社会学者・山下祐介、これら4人の言説を相互に交差・対比させる。
「まちづくり」という概念が多義的である理由は、それが「思想」(あるべき姿)であり、「実践」(変えるための活動)であり、それを支える「技法」(実務的・技術的な手段)、同時に「認識」(現実をどう捉えるか)でもあるという多面的な性質をもつからに他ならない。
玉野井が提唱した「地域主義」は、市場経済的な「市民社会」を突き抜け、自然や生態系と共生する「新たな市民」の再生を説く、根源的な「思想」を提示した。一方、田村は、横浜市における行政改革を通じ、まちづくりを「市民の政府」による地域経営の「実践」へと結実させ、制度的・構造的な基盤を整備した。さらに、山崎は「コミュニティデザイン」という「技法」を用い、モノをつくらないデザイナーとして、人と人の関係性を編み直すプロセスを確立した。そして山下は、「地方消滅」という国家的言説の罠を暴き、足元の生活基盤を学び直す「地域学」を、中央集権に対する抵抗としての「認識」運動として位置づけたのである。
これら4人の言説は、時代背景こそ異なるものの、一貫して「住民」(与えられる存在)から「市民」(自律的に参加し自治を担う主体)への転換を要請している。この主体形成のプロセスこそが、筆者が探究する「まちづくりと市民福祉教育」の根幹である。
福祉教育の原理を問うことは、福祉教育が「何を、誰のために、どのような社会をめざして」行われるのかを問うことである。それは同時に、「市民とは誰か」「共に生きるとは何か」といった、実践のなかで自明視されがちな問いを、その前提にまで遡って問い直す哲学的な営みでもある。この問いに関していえば、大橋福祉教育論は「福祉でまちづくり」(2010年代以降は「福祉はまちづくり」)を説き、福祉教育を地域福祉の主体形成と不可分のものとして位置づけてきた。とすれば、福祉教育の原理は、福祉や教育の領域内に閉じ込めることなく、「まち」と「市民」をめぐる思想・実践・認識の系譜のなかで検討されなければならない。本章が「まちづくり」言説を辿るのは、そのためである。
ひるがえって、これまでの「まちづくり」論は、都市計画論、コミュニティデザイン論、地域社会学など、それぞれの領域で個別に議論されがちであった。しかし、それらが内包する主体形成のプロセスを包括的に捉えた議論は必ずしも十分とはいえない。そこで本章では、玉野井、田村、山崎、山下の言説を再読・整理し、「思想・実践・技法・認識」の動態として相互に接続・対照させることで、地域・住民が拓き、創る「まちづくりと市民福祉教育」の理論的基盤を明示することを目的とする。
別言すれば、本章における「思想・実践・技法・認識」の4区分は、各論者の理論を固定的に分類するためのものではなく、まちづくりにおける自律的市民形成の契機を比較・分析するために筆者が設定した分析枠組みである。したがって、各論者の議論はそれぞれの区分に限定されるものではなく、相互に重なり合い、補完し合う多層的なものとして捉える。本章の課題は、これらの言説を自律的市民の形成という共通の観点から再構成することによって、まちづくり論と市民福祉教育論を接続する理論的可能性と、その限界を明らかにすることにある。
Ⅰ 玉野井芳郎と「地域主義」の思想
1970年代は、日本社会にとって決定的な転換点であった。1955年から1973年まで続いた高度経済成長は国民生活に物質的な豊かさをもたらしたが、その一方で、深刻な公害問題の発生、過疎・過密の激化、そして伝統的な地域コミュニティの解体などの「ひずみ」を引き起こした。また、経済合理性と中央集権的な資源配分が優先されるなかで、各地の「自然・歴史・風土」は収奪の対象となり、住民の地域に対する帰属意識は希薄化の一途を辿っていた。このような状況下で、経済学者・思想家である玉野井芳郎が提唱した「地域主義(regionalism)」は、単なる地方振興の策ではなく、近代西欧的な価値観や市場経済システムそのものに対する根源的な「知の組み替え」を迫るものであった。その思想の核心的な特徴は、次の諸点に見出される。
1 エコロジーと「生活づくり」
玉野井の地域主義において最も独創的な点は、経済システムの基盤に「エコロジー(生態学)」を据えたことにある。玉野井にあっては、「現存の社会・経済システムに自然・生態系を導入することは、社会システムに〝地域主義〟を導入することにひとしい」(玉野井,1978,p.60)のである。近代経済学が、自然環境を「外部経済」として系の外側に置いたのに対し、大気、水、土壌といった生態系こそが、人間の生存と生産を規定する不可欠な「コモンズ(共有財・共有圏)」である。
この視点に立てば、地域主義における「地域」とは、単なる行政区分としての空間ではなく、空間的な「地域性」と時間的な「季節性」によって特徴づけられる「人間の生活=生産の場所」(玉野井,1979,p.10)である。こうした地域主義は地域共同体の構築をめざすが、その本質的な課題は、市場原理に主導された「ものづくり」から、生命の再生産を優先する「生活づくり」への価値転換を図ることにある(玉野井ほか,1978,p.9)。これらの認識は、現代の「サステナビリティ(持続可能性)」の議論を先取りする先見性を備えている。
2 「内発的地域主義」の理念
玉野井は、国が権力と資金によって地方を牽引しようとする「官製地域主義(上からの地域主義)」に対し、明確な限界を指摘した。中央からの画一的な資源投入は、むしろ地域の混乱と荒廃を招くというのである。これに対置されたのが「内発的地域主義(下からの地域主義)」である。
「内発的地域主義」は、「地域に生きる生活者たちがその自然・歴史・風土を背景に、その地域社会または地域の共同体にたいして一体感をもち、経済的自立性をふまえて、みずからの政治的・行政的自律性と文化的独自性を追求することをいう」(玉野井,1979,p.19)。ここでいう「経済的自立」とは、閉鎖的な経済自給を指しているのではない。土地、水、労働という生存の基本要素を地域単位での共同性と自立性として確保し、資本の論理(市場)による無制限な浸食を制御しようとするものである。また、「政治的・行政的自律」は住民自治の強調を意味し、「一体感」は地域というトータルな人間活動の場への能動的な帰属を意味している。
こうした玉野井の「内発的地域主義」は、後年のコモンズ論と接続することで、その理論的射程をより明確に捉えることができる。アメリカの生態学者ギャレット・ハーディン(Garrett Hardin)は1968年、「コモンズの悲劇」――共有資源は各人の利己的利用によって必然的に荒廃するという命題――を提起した。これに対しアメリカの政治学者エレノア・オストロム(Elinor Ostrom)は、世界各地の実証研究を通じて、住民自身が資源やその利用者について明確な境界を設定したり、地域的な条件との調和を図ったりすること(「コモンズの8つの設計原理」)によって、コモンズは国家の管理や市場化(私有化)に頼らずとも持続的に維持し得ることを示した(オストロム,2022)。玉野井が説く「内発的地域主義」における住民の共同性・自立性の追求は、この住民自身によるコモンズの自主的協治という発想を、日本の地域社会の文脈において先駆的に提示したものと位置づけることができる。
3 「開かれた共同体」と住民中心主義
玉野井は、地域主義の議論が陥りやすい「閉鎖的な共同体主義」への批判に対し、明確に「開かれた共同体」を掲げた。「わたしたちのまち」を代表する市町村は、「『下から上へ』の情報の流れを根幹とする開かれた行政システムの基礎単位となるべきもの」(玉野井,1979,p.124)である。とはいえ、地域間の横の繋がりを重視するこのモデルは、中央を否定して無政府状態をつくりだすものではない。むしろ、自立した諸地域が中央を「あるべき姿へと復位させる」試みなのである(玉野井,1979,p.17)。
また玉野井は、自治体行政と住民の関係についても、「住民への行政参加」という主客転倒の論理を提示した(玉野井,1979,p.119)。これは、行政が設けた枠組みに住民が参加する「行政への住民参加」ではなく、住民の自律的な活動のなかに、行政が「資源」として介入していくという、徹底した住民中心主義の表明であった。
4 「新たな市民」の再生と社会変革
玉野井の思想がめざした地平は、単なる地域の存続ではなく、地域主義を通じた新たな人間像の構築であった。それは、「市場経済的『市民社会』を突きぬけた地平に登場するであろう新たな『市民』(Bürger)の再生」である(玉野井,1977,p.ⅲ)。
近代の「市民」は、抽象的な権利と義務を背負う「国家の一員」として規定されがちであるが、玉野井のいう「市民」は、具体的な地域の風土に根ざし、そこで展開される生産と生活に責任をもつ「生活者」である。この「市民」は、非政治的な市民文化の勃興を担う主体であり、その市民が地域共同体を実践的に構築していく過程こそが、玉野井のいう社会変革の本質であった。
5 「地域分権」と「諸地域の時代」
玉野井にあっては、「地方分権」は「地域分権」、「地方の時代」は「諸地域の時代」と言い換えられなければならない。単数の「地方」は、常に「国」を頂点としたピラミッド構造における末端という上下関係を示唆する。これに対し、複数の個性として語られる「地域」は、それぞれの歴史と伝統を誇る自律した主体の集合体である(玉野井,1979,pp. 14-15)。
この「諸地域の時代」において、玉野井が実効性を期待したのが自治体独自の「憲章」や「条例」の制定であった。たとえ形式上は法律の下位規範であっても、「何が地域の生活者=住民にとって真に共通の利益となるべきものであるかを自分自身の手で書くということは、法律にまさるとも劣ることのない『よきしきたり』をうちたてることを意味する」。これが「自治体の自己革新」である、と玉野井は説く(玉野井,1979,p.38)。これは2000年代以降に広がる「自治基本条例」の制定運動を20年以上先取りした、極めて先駆的な制度論であった。
以上、玉野井が説いた「地域主義」は、公害反対運動や生活環境を守る住民運動に対し、強力な理論的・思想的バックボーンを提供した。一方で、その議論が多分に「規範的(べき論)」であったため、後の研究者からは実証的分析の欠如や方法論の不明確さを指摘されることにもなった。しかし、玉野井が残した「ものづくりから生活づくりへ」という転換、そして「地域に生きる生活者」を主体とする共同体構築の視座は、現代のまちづくり論において色褪せることはない。以下で詳述する田村明の実践、あるいは山崎亮のコミュニティデザイン、山下祐介の地域学という系譜は、玉野井が遺したこの地域主義の思想を、いかにして具体的な「社会の仕組み」へと結実させるか、その過程として捉えることができよう。
Ⅱ 田村明と「まちづくり」の実践
玉野井が地域主義を「思想」として打ち立てた同時期に、行政の内部から都市のあり方を根本的に変革しようとした人物がいた。それが田村である。田村は、建築家や行政官という枠組みを超え、自らを「都市プランナー」「自治体プランナー」と称した。田村が1960年代後半から横浜市で展開した実践は、それまでの「都市計画」という官僚主導のハードウェア整備に対し、住民の主体的関与を前提とした「まちづくり」という平仮名の概念を社会に定着させる決定的な役割を果たした。田村にとって「まちづくり」とは、単なる建設行政ではない。それは「一定の地域に住む人々が、自分たちの生活を支え、便利に、より人間らしく生活してゆくための共同の場をいかにつくるかということである」。その「共同の場」こそが「まち」である(田村,1987,pp.52-53)。
ここで、近代日本を規定してきた「都市計画」と、田村らが主唱した「まちづくり」の概念的相違を概括的に整理しておくことにする。従来の「都市計画」は、国家や行政が主導し、法律(都市計画法等)に基づき、インフラ整備や用途地域設定を行うハードウェアのコントロールを主眼としていた。そこでは住民は計画の客体であり、開発による利便性の享受者、あるいは立ち退き等の補償対象に過ぎなかった。これに対し、平仮名で開かれた「まちづくり」は、土地や建物の物理的配置にとどまらず、そこに展開される生活空間の持続性を、住民自らが主体となって形成していくプロセスのデザインである。つまり、都市計画が「空間の機能的秩序化」をめざすのに対し、まちづくりは「人間の共同生活の自治化」をめざすのである(表3-1参照。西村,2007,p.7)。
表3-1 まちづくりと日本型都市計画のアプローチの違い
1 「共同の場」としての「まち」の構造
田村によれば、こうした「まち」の構築対象は、物理的な(1)モノづくり、にとどまらず、(2)シゴトづくり、(3)クラシづくり、(4)シクミづくり、(5)ルールづくり、(6)ヒトづくり、そして(7)コトおこし(イベントを起こす)、の7つをあげることができる。これを別の切り口から考えると、(a)機能づくり、(b)個性づくり、(c)魅力づくり、(d)活力づくり、(e)意識づくり、(f)イメージづくり、となる(田村,1987,p.54)。
また、田村は、「まちづくり」の「つくる」という意味について、「見えるまちづくり(ハード)」と「見えないまちづくり(ソフト)」の不即不離の関係として捉えた。さらに田村は、無用な開発を抑制する「つくらない/つくらせない」こともまた、まちづくりの重要な構成要素であると説き、自然保全や歴史的遺産の破壊阻止に論理的根拠を与えたのである(田村,1987,p.87)。この点は特筆に値する。
2 まちづくりの基本理念
田村にあっては、「まちづくり」は「共同の場」を市民が共同してつくりあげていくことであるが、その「共同の場」は、(1)共同空間、(2)共同施設、(3)共同システム、(4)共同サービス、(5)共同イベント、(6)共同文化、などの総称である。これらの「共同の場」をつくる際には、次のような基本理念をもってのぞむことが必要となる。(1)トータルの理念(まちは、個々ばらばらではなく、全体としてひとつである)。(2)システムの理念(まちは、複雑な要素が相互に絡みあい関係しあっている)。(3)共有環境の理念(まちは、市民の共有の空間であり環境である)。(4)市民共用・共益の理念(まちは、特定の人々のためではなく、市民全体に利用され、その共同利益のためにある)。(5)市民共存・共生の理念(まちは、多数の異なる人々が矛盾をもちつつも、互いの相違を認めあって生活する場である)。(6)市民協働・共責の理念(まちは、一人の手ではなく、市民の共同作業により、共同責任でつくられるものである)。(7)市民共感・共愛の理念(まちは、市民が共通した誇りと愛情をもてるものである)。(8)相互交流の理念(まちは、市民相互はもちろん、他の多くの人々、外国の人々を含めた交流の場である)。(9)内発性の理念(まちは、他からの強制ではなく、市民や自治体の自発的な発想と行動を主力にしてつくられるものである)、がそれである(田村,1987,pp.121-122)。
田村は、こうした「まちづくり」観に基づき、単なる都市整備の枠を超え、住民自らが「共同の場」を主体的に形成し維持していくための具体的な実践プロセスを、行政の内部から構築したのである。
3 市民参加の階梯と「協働」
田村は、「まちづくりと市民参加」についてこういう。「『まちづくり』には、市民が主導し協働して行うルートが重要である」。「行政の都合による市民参加は、『みせかけ』あるいは『宥(なだ)めすかし』という意味になりかねない」。「市民協働の動きが活性化することは、市民が市民としての自覚をもって自治体を他治体から本来の市民政府へと変えてゆく動きになろう」。「市民政府は、市民参加の到達点でもある」(田村,1999,pp.158-159)。
すなわち、田村にあっては、市民参加は単なる「意見聴取」の儀礼ではない。田村は、アメリカの社会学者シェリー・アーンスタイン(Sherry Arnstein)が1969年に発表した8つの「市民参加の階梯」を参考に、「市民参加の理論的9段階」の参加モデルを提示した(図3-1参照。鈴木,2016,pp.134-141)。このモデルにおいて重要視されたのは、行政への「住民参加」ではなく、住民の自発的活動への「行政参加」という、主客を転倒させた協働のあり方である。これは玉野井の地域主義とも深く共鳴する視点であり、行政を「市民の事務局」(田村,2006,p.55)として再定義する試みであった。
図3-1 田村明の市民参加の段階論
4 市民自治の思想と「市民の政府」論
田村の理論の頂点にあるのが「市民の政府」論である。「市民の」政府とは、「政府が市民の所有物である」という意味である(田村,2006,p.74)。すなわち、田村は、自治体を単なる「国の下請け機関」や「中央の出先機関」とみなす従来の地方自治観(「官治」)を真っ向から否定した。田村が理想としたのは、市民が自立・自律して自らの政府を所有し、運営する「民治」(田村,2006,p.85)の場としての自治体である(「官治」から「民治」へ)。
田村は「市民の政府」が成立するための条件として、外部条件(中央統制や関与の排除、財政自主権の確立)、内部条件(市民の参画、情報公開、説明責任の遂行、政策立案の自主的能力)、そして市民条件(市民の信頼、共同意識、市民としての自己責任)の3層を挙げた(田村,2006,p.75)。特に「市民の」という所有格を強調したのは、住民が自治体を「お上」ではなく「自分たちの所有物」として認識することを求めたためである。この徹底した自治の精神は、後に全国の自治体に広がる「自治基本条例(自治体の憲法)」の先駆的モデルとなるのである。
以上、田村が説いた「まちづくり」論は、「まちづくり」のプランナーとしての豊富な経験(横浜市における行政経験)と全国各地の実践例の検証に基づいた、帰納的で未来志向型の思考によるものである。とともに、多様な地域現場の歴史的風土や文化を踏まえた、総合的な発想による、市民主導・市民主体の「まちづくり」論である。それは、地方自治(「市民の政府」)の問題として論じられる。
田村の言説を要約すれば、まちづくりとは「ヒトづくり」に行き着く。どれほど優れた「モノ」や「シクミ」を整えても、それを使いこなし、共同責任を負う「市民」がいなければ、「まち」は持続しない。田村が横浜で闘い、著作を通じて説き続けたのは、自律した市民が都市の未来(あす)を展望し、創造的な意志をもって主体的に「まち」に関わる姿であった。玉野井が思想として描いた「新たな市民」は、田村の実践によって「自律的市民」という具体的な主体として顕在化したのである。この市民主体をいかに組織化し、地域の課題解決に繋げていくか、その手法のひとつが、山崎が説く「コミュニティデザイン」である。
Ⅲ 山崎亮と「コミュニティデザイン」の技法
2000年代以降、急速な人口減少と少子高齢化、さらには地方自治体の財政難に直面するなかで、既存の「ハコモノ行政」は限界を露呈する。そこに登場したのが、山崎が提唱する「コミュニティデザイン」である。山崎は、自らを「モノをつくらないデザイナー」と定義する。その仕事は、広場や建物の形状を設計することではなく、「地域の課題を、地域の人たちが解決するための場をつくる」ことにある。これは、まちづくりのパラダイムを「施設(ストック)」の完成から、そこを使いこなす「人間関係(フローとネットワーク)」の構築へと決定的にシフトさせた。コミュニティデザインとは、いわば地域の人間関係を観察し、地域資源を掘り起こし、住民自らが課題を乗り越えるための「しくみ」をデザインする方法の体系である。コミュニティデザイナーは、地域の課題を住民自らが解決するための「場」をデザインするファシリテーターである。
1 コミュニティデザインの4段階
山崎にあっては、コミュニティデザインの方法は、基本的には次の4段階によって進められる。第1段階は「ヒアリング」、第2段階は「ワークショップ」、第3段階は「チームビルディング」、第4段階は「活動支援」である(山崎,2012,pp.180-195)。
第1段階:ヒアリング(情報の深掘り)
単なるアンケート調査ではなく、地域のキーマンや「面白い活動」をしている個人の話を直接聴くことで、目に見えない地域の人間関係や資源を可視化する。
第2段階:ワークショップ(課題の共有と拡散)
ブレーンストーミングやワールドカフェなどの手法を用い、水平的な対話の場を創出する。ここで重要なのは「正しい結論」を出すことではなく、多様な意見が混ざり合い、住民同士の「共感」が生まれるプロセスそのものである。
第3段階:チームビルディング(主体の組織化)
出されたアイデアを実現するために、誰が何を担うのかを決定し、実行チームを構築する。この際、リーダーシップをデザイナーが振るうのではなく、住民が自発的に役割を引き受けるよう促す。
第4段階:活動支援(伴走と自立)
チームの初動期を支えつつ、徐々にデザイナーの介入を減らしていく。最終的にデザイナーがいなくなっても、住民たちが自立して活動を継続できる状態(自律的運営)がゴールとなる。
こうしたプロセスを実践するうえで、コミュニティデザイナーには次のような能力が求められることになる。「他人の感情を読み取る能力」「人の話をしっかり聴く能力」「相手の意図や思考を理解する能力」「社会のしくみを知る能力」という4つの「読み取り能力」と、そのうえでどう行動するかという能力、すなわち「相手と同調する能力」「自分の意図を効果的に説明する能力」「他者に影響を与える能力」「人々の関心に応じて行動する能力」の4つの能力、がそれである(山崎,2012,pp.219-220)。
2 「縮充社会」における参加の論理
山崎の言説における重要なキーワードのひとつに、「縮充」がある。これは、人口や税収が「縮小」しながらも、地域の営みや住民の生活が「充実」していく状態をいう(山崎,2016,p.17)。この縮充を実現するための最大のエンジンが、主体的・創造的な活動を行う「市民」の「参加」である。 参加には、「参加」→「参画」→「協働」(コラボレーション)の発展性がある(山崎,2016,p.68)。この参加を確かなものにし、課題解決の道を開くのは、地域現場での「学び」である。「地域の活動に参加して、人と人とのつながりのなかで体験し、発見し、感動し、共感しながら知恵を会得することに勝る教育はない」(山崎,2016,p.355)、と山崎はいう。
そして、行政への住民参加(住民活動の原動力)には、「住民がやりたいこと」「住民ができること」「行政が求めていること」の3つがある。この3つの輪が重なるところに、縮充の時代に求められる「参加」「参画」「協働」のヒントがある(山崎,2016,p.146)。山崎によれば、この3つの輪を「自分がやりたいこと」「自分にできること」「社会が求めていること」と書き換えれば、人生を傾けて取り組める活動を探り当てることができるのである(山崎,2016,p.426)。
また、山崎は、「楽しさなくして参加なし」「参加なくして未来なし」と断言する(山崎,2016,pp.18-19)。「楽しさ」は参加型社会の重要なキーワードである。かつての住民運動が「反対」や「防衛」という悲壮感を伴う正義感に支えられていたのに対し、山崎が説く参加は「楽しさ(喜び)」を原動力とする。どんなに正しい取り組みであっても、つまらなければ継続しない。活動そのものが個人の生活や人生を豊かにし、他者との交流と協働のなかに価値を見出せる「活動」へと発展したとき、「参加」は社会変革の有効な手段となるのである。
こうした山崎の「縮充」という捉え方と軌を一にする概念として、小滝敏之による「縮減社会」の言説が挙げられる。小滝は、人口減少に伴う「縮減社会」の到来を単なる量的縮小として捉えるのではなく、その背景にある社会の質的変化と、それに対抗するための「地域自治・生活者自治」の理念を歴史的・理論的に論述する。
小滝はいう。縮減社会について論じるにあたって危惧すべきは、質的縮減の側面である。すなわち、家族機能や地域における共助機能の縮減であり、社会的連帯やコミュニティ意識の縮減である。こうした地域社会をどうしていくのか、どう変えていくのかを決める主役は、政治家や行政官などではなく、地域社会の生活者住民に他ならない。地域で暮らす生活者住民(小さき民)の「内発性と自治」こそが、自らの基盤である地域社会を守り育てていく根幹である(「生活者自治」)。共助や連帯の精神を再生・創造するのは、中央や地方の政府の権限や責務以上に、住民自身の責務であり、生活者住民の主体的努力と自治意識である(小滝,2016,pp.133,188)。
この生活者住民の生活世界を考えていくにあたっては、「他律」対「自律」、「統治」対「自治」、「競争」対「協力」という対立図式ではなく、また一方的に「自律」や「自治」の優位性を説くのみではなく、最終的には、「他律」と「自律」の両立・共存をめざし得る「相互律(アレロノミー)」の観点が必要となってくる(小滝,2016,pp.ⅵ-ⅶ)。
以上のように、山崎が提示したコミュニティデザインや小滝が理論化した「生活者自治」の思想は、玉野井や田村が追求した「地域主義」や「市民自治」を、現代の「縮小・縮減の時代」においていかにして「充実」へと転換させるかという、ひとつの回答である。 「縮充する時代の行方には、正解もなければゴールもない。『学び』というインプットと『活動』というアウトプットを、つねに市民が繰り返している状態にこそ大きな意味がある」(山崎,2016,p.440)と、山崎は結論づける。まちづくりは終わりのないプロセスである。このプロセスにおいて形成される「活動する市民」のあり様が次の山下によって問われる。
Ⅳ 山下祐介の「地域学」と抵抗の認識論
人口の高齢化によって「限界集落」はいずれ消滅する、とその危機が声高に叫ばれるようになったのは2007年頃からである。2014年、増田寛也らによるいわゆる「増田レポート」が公表され、「地方消滅」という言葉が日本中を席捲した。若年女性人口の減少率を指標に、2040年までに全国の約半数の自治体が消滅の危機に瀕するという予測は、地方自治体にパニックに近い衝撃を与えた。
そうしたなかで山下は、「高齢化によって消滅した集落」はなく、「限界集落」問題はいわば「つくられた」ものである。増田レポートが説く「極点社会」(大都市圏に人々が凝集し、高密度のなかで生活している社会)におけるひとつの道筋である「選択と集中」は、国家の繁栄のために地方(地域)や農家の切り捨てに帰結する。地方消滅の “警鐘” にこそ地方消滅の “罠” がある、としてそのレポートが孕む欺瞞性を暴いた。以後、山下は、この国家的プロジェクトに抗うために、住民が自らの地域を「消滅するもの」としてではなく、「生き続けてきた場所」として捉え直す、根本的な「認識の転換」が必要であると説く。そして、生身の人間の暮らしや個々の地域の歴史や現在の実像を明らかにし、そこからの学びの作業を通して「地域学」を描くのである。
1 「地域の殻」と地域を捉える3つの層
山下にあっては、地域は人間の生存の基盤であり、「足もとの地域を知ることが、自分を知ることにつながる」。自分の足元にある地域について学ぶこと、それが「地域学」である(山下,2021,p.11)。山下が提唱する「地域学」の核心は、地域をひとつの「殻」として捉える視座にある。この殻は、外部(国家や市場)からの過度な干渉を遮断し、内部の生命活動を守るための防壁である。近代化の過程で、地域はこの殻を剥ぎ取られ、国家という巨大なシステムのなかに直接組み込まれてしまった。その結果、地域特有の知恵や慣習、自治の能力は「非効率」として切り捨てられた。山下は、「地域の殻を破らせまいと補修し、地域を外側の圧力から守り、内側の体制を固める運動」が地域学(「抵抗としての地域学」)である、と主張する(山下,2021,p.301)。それは閉鎖的な排除ではなく、自らの生活基盤を自ら決定するという「自己決定権」の奪還に他ならない。
そして山下は、地域の実像を、「生命」「社会」「歴史と文化」の3つの切り口(認識の層)から捉える(山下,2021,p.11)。「生命」では、環境社会学の視点・視座から、地域を、一定の環境のなかで育まれる生命の営み(生態)として切り出す。地域は人間が食べて寝て、生命を維持する基盤であり、生命の再生産の場である。「社会」では、農村社会学や都市社会学、家族社会学の視点から、地域を、そこで展開される人々の集団の営みとして描き出す。地域は、相互扶助の構造と機能をもつ場である。「歴史と文化」では、歴史社会学や文化社会学などの視点から、地域を、連綿と続く歴史と文化の蓄積の営みのなかに見出す。地域は時間的・空間的なつながりによって確立される場である。これら3層の認識を深める方法が「地域学」であり、それは「上(中央)」からの統計値に依存しない、自律的な知の構築である。
2 学校教育の分岐点と「地域学」の意義
山下は、学校教育のあり方が「国家・国際競争への貢献」と「地域社会の継承」という二項対立の分岐点にあることを指摘し、真の学びの意義を問い直す。現代の学校では、国際競争に勝ち抜くための経済的・生産的戦力となる国家人や国際人の育成が最優先され、地域社会の視点が軽視されている。学校は単なる人材供給装置である以上に、一人ひとりが自律的な人生を送れるよう「人としての成熟」を促す場であるべきである。人々の暮らしが地域と国家の双方で成り立っている以上、地域を担う人材を育てることは学校にとって不可欠な役割である(山下,2021,pp.287-288)。
教育が「国家・国際社会への人材供給」に偏るなかで、山下が提唱する「地域学」は、「抽象的な言語や普遍的な理論を学ぶものではなく、具体的な時空にいる私を、地域のうちに “生きているもの”として浮かび上がらせ、見定めていく、そんな学びの作業である」(山下,2021,p.16)。
3 国家ナショナリズムから地域ナショナリズムへ
現在の日本社会では、弱者批判や地方の切り捨て、挙国一致体制の強化を容認するような、全体主義的・専制主義的な言説が広がっている。しかし、国家とは本来、地域の現実や国民の力によって「下から」形成されるべきものであり、排除や分裂を伴う国家体制は危うい(山下,2021,p.295)。
国家と個人の関係のみを重視する「ナショナリズム(国家主義)」には根本的な欠陥がある。一方で、国家そのものを否定しようとする、超個人主義=脱国家主義的な「コスモポリタニズム(世界市民主義)」も、現実的な解決策にはなり得ない。両者には、人々が実際に生活を営む基盤である「地域」という視点が欠落しているからである(山下,2021,pp.296-297)。
危険な一国ナショナリズムの暴走を食い止め、社会を変革する鍵は、コスモポリタニズムではなく、国家の内部に「地域主義(地域ナショナリズム)」を確立することにある。地域という具体的な現場から国家を捉え直すことで、現在の閉塞した国家体制を克服できるのである(山下,2021,pp.297-298)。
山下の地域学は、「認識」の主権を取り戻すことを迫る。国・中央が決めた「消滅」のカウントダウンに従うのか、それとも足元の土に根ざした「生存」の物語を紡ぎ直すのか、である。山下の説く「抵抗」とは、暴力的な拒絶ではなく、自らの足元の地域について知ること、考えることに基づく自治の表明である。国家と個人の二極化が招く全体主義的な危うさを回避するためには、抽象的な世界市民をめざすのではなく、地に足のついた「地域の自律」こそが、不健全なナショナリズムへの有効な対抗手段になるのである。
ここで、山下が提唱する「地域学」の認識運動を、より住民の日常的な実践へと引き寄せた先駆的試みとして、吉本哲郎や結城登美雄らによる「地元学」の言説を交差させておく必要がある。吉本らの「地元学」は、「ないものねだり」の地域づくりから「あるもの探し」への転換を提唱し、住民自らが地域の自然、文化、そして人々の「暮らしの技」を「聞き書き」等によって調査・再発見していく活動である(吉本,2008。結城,2009)。これは山下のいう「生命・社会・歴史と文化」の3つの層を、行政や研究者の統計データとしてではなく、住民自身が五感を使って身体化していく「土着の認識運動」に他ならない。とりわけ、地域の高齢者がもつ生活の知恵や歴史を「地域の資源」として光を当てるプロセスは、高齢者を単なる「福祉の客体(要介護者)」から「地域の主体・表現者」へと反転させる。このように、「地域学」が提示するマクロな抵抗の認識論は、「地元学」というミクロな生活現場の技法を媒介することによって、住民自らが主体的・能動的に取り組む持続可能な地域づくり(コミュニティデザイン)の実践へと接続されるのである。
Ⅴ 「まちづくり」と自律的市民形成の循環モデル
―「楽しさ」と「抵抗」が拓く「ふくし」―
1 4つの理論の限界と統合
以上のように、従来の「まちづくり」研究は、多様な領域において蓄積されてきた。しかし、その多くは個別領域ごとの議論にとどまり、相互の理論的接続は必ずしも十分ではなかったといえる。玉野井らによって提唱された「地域主義」論は、1970年代を中心にひとつのブームを巻き起こしたが、その後はいわれるほどの進展はみせなかった。その要因のひとつは、地域共同体が消滅していくなかで、また現実の中央集権的な行政システムのなかで、いかにして「地域主義」の実現を図るかという方法論が必ずしも明確ではなかったことにあった。
田村らによって論究されてきた「まちづくり」論は、都市計画論や地域計画論を中心に展開される傾向が強く、土地利用、景観形成、インフラ整備、制度設計といった「空間管理」の問題に重点が置かれてきた。住民参加や協働の重要性が指摘されているものの、行政計画への参加手法として位置づけられるに留まり、「地域を担う主体がいかに形成されるのか」という市民形成の問題については十分に掘り下げられているとはいえない。
一方、山崎らによって展開される「コミュニティデザイン」論は、人口減少社会における地域再生の具体的方法論として大きな影響力をもってきた。ワークショップ、対話、チームビルディングなどを通じて住民参加を促し、地域課題の解決を図るその実践は、従来のハード中心型のまちづくりを転換する重要な契機となった。しかしその反面、参加を促進する技法やファシリテーションの側面に議論が集中しやすく、その実践を支える思想的・政治的基盤、あるいは主体形成論との接続については十分に理論化されているとは言い難い。
また、山下らによる「地域学」論は、「地方消滅」論への批判や、地域を足元から学び直す認識運動として重要な意義をもっている。地域を「生命」「社会」「歴史と文化」の重層的空間として捉えるその視座は、中央集権的な地域認識を問い直す強力な批判性を有している。しかし、地域学論においても、その学びがどのように地域自治や実践的市民形成へと接続されるのかという教育的・組織論的視点は、なお十分に展開されているとはいえない。
このように、これら4人に代表される「地域主義」「まちづくり」「コミュニティデザイン」「地域学」に関する言説は、それぞれ固有の領域において多大な成果を蓄積してきた。しかしその一方で、地域を支える自律的市民の形成という核心的な共通の課題に対しては、部分的なアプローチに留まり、包括的・横断的に論じる視座は必ずしも十分ではなかったといえる。そこで、4人の言説を単なる個別の理論としてではなく、「思想/玉野井」「実践/田村」「技法/山崎」「認識/山下」という相互補完的な要素として捉え直し、その動的な結びつきに焦点を当てて整理する。これにより、それぞれの立論展開の限界を互いに補い合いながら市民形成を促す「『まちづくり』と自律的市民形成の循環モデル」(図3-2参照)として構造化することが可能となる。
図3-2 「まちづくり」と自律的市民形成の循環モデル
2 循環モデルの具体的な構造
まず、外円(外層)は、玉野井が提唱した「地域主義」である。これは、地域の自然・風土・生命の再生産を支える思想であり、すべての営みが立脚する「基盤」を象徴している。この基盤の上に位置する中円(中層)は、田村が説いた「まちづくり」である。これは、市民が主体的かつ共同的に「実践(活動)」を展開する「土俵」であり、学びや実践が一時的な流行に終わらず、自治の制度化を志向する枠組みを意味している。そして、この自治の円環内部で展開される2つの動的な矢印が、本章の核心である。左側の上昇する矢印は、山下が説く「地域学」による「インプット(認識・学び)」のプロセスである。地域の方向性(行方)や持続可能性(持続)、消滅の是非(限界)などに抗う「知」を構築する。一方、右側の下降する矢印は、山崎が提示した「コミュニティデザイン」による「アウトプット(実践・活動)」のプロセスである。ワークショップなどを通じて関係性を編み、具体的な課題解決を形にする。
この「学び」と「実践」が、自治の土俵の上で絶えず往復し、円環状に結ばれるプロセスそのものが、筆者の提唱する「市民福祉教育」の実体である。そして、この絶え間ない循環の「核(中心)」において形成されるものこそが、自らの生と地域を自律的に構築する主体としての「自律的市民」に他ならない。
また、この循環モデルにおいて、4人の言説を底流で結びつける共通のキーワードは「コモンズ」である。玉野井の「生態系」、田村の「共同の場」、山崎の「関係性」、山下の「地域の殻」は、いずれも国家や市場に囲い込まれない「地域社会の共有財」に他ならない。本モデルが示す自治の円環とは、住民自らがこのコモンズを共同で管理・運営していくプロセスである。すなわち「自律的市民」とは、共有財への能動的な責任を引き受け、その維持発展を担う主体として定義されよう。
同時に、これら4人の言説は、時代背景やアプローチこそ異なるものの、その深部において「自律的主体の形成」と「地域の再生」という共通の地平をめざしている。玉野井が求めた「新たな市民」は、市場経済の抽象的な個人を超え、エコロジーと風土に根ざした「生活者」であった。その思想を受け、田村は行政の内部から「市民の政府」を提唱し、住民が自治の責任を負うための具体的な制度的枠組みを提示した。さらに山崎は、縮充社会という現代的課題に対し、「コミュニティデザイン」という手法を用いて、楽しさを媒介とした「関係性の再構築」を実現した。そして山下は、国家主導の「消滅論」という認識の罠を暴き、足元からの「地域学」を抵抗の知として再定義したのである。これら4人に共通するのは、地域を単なる「管理の対象」や「サービスの享受場所」とみなす客体化を拒絶し、そこを「人間が自らの生を自律的に構築する舞台」として奪還しようとする強烈な意志である。
本章で探究する「まちづくりと市民福祉教育」は、これら4人の言説が交差する点に立ち上がる、新たな教育・実践のパラダイムである。それは、既存の学校教育や福祉制度の枠内で行われる「知識の伝達」ではない。市民福祉教育とは「自分たちの暮らしの幸せを、自分たちの手で創り出すための知識と技能を、地域という現場での実践を通じて学び合うプロセス」そのものである。
山下が説く「地域学」というインプットの場と、山崎が説く「コミュニティデザイン」の場が、田村が整えた「自治の制度」の上で円環状に結ばれるとき、住民は「教えられる存在」から、自らの生活圏をデザインする「市民」へと脱皮する。この「学び」と「実践」の不断の往復こそが、市民福祉教育の本質に他ならない。
3 本モデルがめざす実践と「ふくし」
現代日本が直面する人口減少や資源の制約は、一見すると「福祉の後退」を意味するように見える。しかし、本章が考察してきた言説を補助線に引けば、それは一面では、真の「ふくし」へ立ち返る好機であると捉え直すこともできる。外部資本や公的制度に過度に依存するのではなく、地域にある未利用の資源を「発見」し(山下)、住民同士の「関係性を編み直し」(山崎)、それを支える「自治のルールを創設」し(田村)、その営みのなかに「自然との共生という倫理」を組み込む(玉野井)。このプロセスは、経済的な拡大を至上命題としてきた近代モデルからの決別であり、豊かさの質を「縮充」へと転換させる試みである。
「まちづくりと市民福祉教育」がめざす地平は、誰かに守られるだけの弱者を見出し支援する場所ではない。互いの弱さを認め合いながら、ともに「共同の場」(コモンズ)を創造・運営していく強さをもった市民・主体を育む場所である。そこでは、住民一人ひとりが自らの足元を学び直し、住民同士が対話を重ね、みんなで小さな実践を積み重ねることによって共通認識や信頼関係(ネットワーク)という土台を築くことが肝要となる。「まちづくり」とは終わりのない学びと実践のプロセスである。
「楽しさ」と「抵抗」を胸に、自律的な市民が「ふだんの くらしの しあわせ」を語り合い、形にしていく。その連鎖・共働の先に、消滅することのない、持続可能な地域社会への道筋が開かれるのではないか。ただし、ここまでの議論は、4人の言説を「まちづくり」の側から再構成し、学びと実践が往還するモデルとして提示したにとどまる。このモデルの核に置いた「自律的市民」は、いかなる教育的契機を通して形成されるのか。それは、なぜ「市民福祉教育」として捉え直されるのか。次のⅥでは、これらの問いを市民性教育の観点から検討する。
Ⅵ 「まちづくり」における市民性教育の諸位相
―市民性教育から市民福祉教育への昇華―
1 市民性教育の展開と限界
「市民福祉教育」は、突如として現れた固有の教育実践ではない。それは、近代以降の国家・社会が要請してきた「市民性教育(シチズンシップ教育)」のパラダイム転換と、本章で系譜化した「まちづくり」言説のダイナミズムが交差する地平において見出せる実践的学問領域である。その際の市民性教育とは、民主的な社会の一員として主体的に生きるために必要な資質や能力(「市民性」)の育成・形成を図る教育をいう。ここで、本モデルの核となる「自律的市民」の形成プロセスを教育学的な側面からさらに精緻化するために、市民性教育の現代的位相について論究しておくことにする。
従来の日本社会における市民性教育(あるいは学校教育における公民教育、主権者教育)は、多分に国家ナショナリズムの補完や既存の法秩序の維持を前提とした「良き国民」の育成に主眼が置かれてきた。そこでの理想像は、国家が定めた法や制度の仕組みをその求めに応じて正しく認識し、与えられた権利と義務を適正に行使する「従順で秩序を乱さない主体」であり、社会の構造的課題に批判的に介入し、それを主体的に変革していくような能動性はむしろ抑制される傾向にあった。山下が厳しく批判したように、現代の学校教育が「国家・国際競争への人材供給装置」へと純化し、地域社会の継承という視点を切り捨てていくプロセスは、まさにこの「上からの市民性教育」の最たる例であるといえる。
しかし、1990年代以降のグローバル化の進展や市場原理の徹底化、さらには少子高齢化に伴う地域コミュニティの機能不全などによって、こうした近代型の他律的な市民性教育の限界が露呈している。国家という単一の枠組みや行政の施策だけでは捉えきれない、格差の固定化や社会的孤立といった複合的課題に直面するなかで、「アクティブ・シチズンシップ(能動的市民性)」を育む教育への転換が強く叫ばれるようになっている。思考を停止した従順な市民ではなく、社会問題の構造的原因を批判的に分析し社会変革をめざす市民の育成がそれである。
2 4人の言説における市民性の内包
このアクティブ・シチズンシップの要請は、本章で系譜化してきた4人の「まちづくり」言説の深部に内包されていた市民像と共鳴する。すなわち、「まちづくり」のこれまでの歩みは、そのまま市民性教育がその対象を「学校」という閉ざされた空間から「地域・生活現場」という開かれた空間へと拡張し、その質を「他律的な制度学習」から「自律的な実践学習」へと深化させてきたプロセスとして再定義することができるのである。
4人の言説を「市民性」の観点から再読すると、そこに明確な主体形成の契機を見出すことができる。第1に、玉野井の「地域主義」が求めた市場経済的市民社会を突き抜けた地平に位置する「新たな市民」とは、抽象的な権利義務の背後にある「国家の一員」ではない。それは、地域の自然・歴史・風土という具体の生活世界に責任をもつ「地域生活者としての市民」の復権であった。第2に、田村が「市民の政府」論で展開した「民治」の思想は、自治体を「お上」や「他治体」から自分たちの所有物へと奪還する運動であった。それは、行政の客体としての住民を、自らルールやシクミを創設し自治の経営を担う市民、すなわち「統治主体としての市民」へと反転させる実践的シチズンシップの提示であった。第3に、山崎の「コミュニティデザイン」は、ワークショップやチームビルディングという対話の手法を通じて、個人の「楽しさ(喜び)」を原動力としながら、それを公共的な課題解決への連帯へと接続する「関係性の教育技法」を確立した。そこに描き出されるのは、他者と結びつき行動する「連帯・共働する市民」である。そして第4に、山下の「地域学」は、「地方消滅」という国家的プロジェクトが孕む欺瞞性を暴き、足元の生身の暮らしや歴史から「知」を再構築する市民性教育のあり方を明示した。それは、与えられた言説を疑い、足もとから知を編み直す「批判的探究者としての市民」の提示であった。このように、4人の言説はそれぞれ、市民性教育が備えるべき「風土の思想」「制度への参画」「関係性の実践」「批判的認識」という不可欠な構成要素を、まちづくりの文脈において精緻に体現しているのである。
3 自律的市民を形成する4つのプロセス
では、これら4つの要素を統合した「まちづくりにおける市民性教育」は、いかなる構造によって住民を「自律的市民」へと変容させ、本章の主題である「市民福祉教育への昇華」を成し遂げるのだろうか。その根底やプロセスには、住民が主体的・創造的な「市民」へと生まれ変わるための、次のような「教育的契機」が存在する。そしてそれは、住民が主体的に向き合う「教育の内容」と、その学びや変容を保障する具体的な学習・実践プロセスである「教育の方法」が有機的に一体化することで機能する。以下では、教育内容と教育方法が不可分に結びついた「教育的契機(内容と方法)」として4つのプロセスを整理する。
第1は、地域の歴史や住民の地域生活の知恵・技術を学び直すプロセスである。これは単なる過去の回顧ではなく、玉野井のいう「風土に根ざした生活世界」の回復を通じて、近代化の過程で剥奪されかけた地域の自律性と、そこに生きる固有の「生」の価値を再発見するプロセスに他ならない。第2は、田村が提示したルールや仕組みを通じた自治の制度化のプロセスである。住民自らが条例制定などの制度構築に主体的に関わり、「社会は自分たちの手で変えられる」という自治能力を高めることで、一過性の活動ではない持続可能な自治システムを確立する。第3は、山崎のコミュニティデザインが実践する、対話を通じた社会的連帯(ソーシャル・キャピタル)の醸成プロセスである。孤立を排し、住民同士がフラットに共感し共働する場(公共圏)を創り出すことで、希薄化した地域社会のつながりを編み直していく。第4は、山下の地域学や吉本らの地元学にみる、政治的リテラシーと批判的思考力の獲得プロセスである。地域の危機を運命として受動的に受け入れるのではなく、その構造的背景を問い直し、提示された言説に依存せず足もとから知を編み直す。それによって、住民自身が地域の課題を自分事として捉え返し、主体的に関与する市民へと成長する契機となる(表3-2参照)。
表3-2 4人の言説と昇華される市民像
これら4つの教育的契機(内容と方法)、すなわち「地域の歴史や生活世界の学び直し」「自治の制度化への参画」「関係性の編み直し」「批判的思考力の獲得」は、孤立したものではなく、相互に関連し合いながら連動している。この有機的な連動のプロセスにおいて、「住民」は単なる地域社会の構成員から、自らの地域生活世界を自律的に統治する「市民」へと変容する。そしてこの自律的市民による地域社会の創造が、まさに「ふくし=ふだんの くらしの しあわせ」を根底から支える「市民福祉教育」の地平へと接続され、高次へと昇華される。すなわち、これら4つの教育的契機(内容と方法)の有機的な連動プロセスそのものが、市民福祉教育の核心的な内容と実践的な論理を担保する強固なフレームワークを形づくるのである。
したがって、市民福祉教育とは、地域に生きる人々が地域生活世界を起点として自治・連帯・批判的思考を往還しながら「ふくし」を共働創造していくための主体形成の営みである。すなわち、市民福祉教育は、市民性教育が育成してきた主体形成を継承しつつ、その目的を民主社会への参加から地域生活世界の「ふくし」の創造へと拡張するものである。その意味において、市民性教育は市民福祉教育へと昇華されるのである。
なお、ここでいう「自律的市民」は、大橋が主体形成論の到達点として示した「市民」「公民」としての力量(地方自治体のあり方に参画し、「博愛」と「社会契約主体」を身につけて行動できる主体)と、基底において重なる。大橋は、主体形成は自然発生的に生じるものではなく、「主体形成に向けての学習」が必要であると説いた。本章の循環モデルにおける学びと実践の往還は、この学習の場を「まち」という現場で描き直したものと言える。ただし、両者の出発点は異なる。大橋の主体形成論が、社会福祉問題の解決を起点とし、福祉の領域から出発したのに対し、本章のモデルは、地域の自然・歴史・風土という生活世界そのものを起点として、思想・実践・技法・認識の交差から構成されたものである。したがって、本章は大橋の主体形成論を「まち」の全体へと開く試みであると同時に、別の入口から同じ地点、すなわち自律的市民の形成に至る道筋を示すものでもある。両者の重なりと差異を確認することは、福祉教育の原理を福祉の領域の内と外の双方から問い直す作業に他ならない。
おわりに
本章では、玉野井の「思想」、田村の「実践」、山崎の「技法」、山下の「認識」を交差させ、学びと実践が自治の土俵の上で往還するなかで自律的市民が形成される「まちづくりと自律的市民形成の循環モデル」を提示した。このモデルは、従来個別に論じられてきた「まちづくり」言説を、自律的市民の形成という一点で接続する試みであり、市民性教育が市民福祉教育へと昇華される道筋を示すものである。
このモデルを机上の空論に終わらせず、実際の地域社会で機能させるためには、今後いくつかの重要な課題に対応することが求められよう。ひとつは、「まちづくり」の活動や担い手の固定化を防ぐために、いかにして多様な市民を巻き込み、連携・共働していくかという点である。一部の層に依存しない、多様な主体が緩やかにつながる仕組みづくりが不可欠となる。いまひとつは、住民の主体性・自律性を引き出し、それを側面から支える「伴走型」の支援体制をいかに確立するか、である。行政や専門職には、主導ではなく、市民の力をいかに引き出し、共働するかという役割転換が求められる。今後は、これらの課題を踏まえ、SNSを用いた多様な主体のネットワーク化や、AIの利活用による地域課題の可視化や効率的な伴走支援など、デジタル技術の進展に伴う時代変化に対応した持続可能な仕組みへとこのモデルをアップデートしていく必要がある。
本章のモデルが核に据えた「自律的市民」は、他者の弱さや依存とどのように向き合い、「生きづらさ」を生み出す社会構造をどう編み直していくのか。この問いは、次章「『まちづくりと市民福祉教育』が拓く新たな地平」において、「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換として検討する。
引用・参考文献
(1)小滝敏之(2016)『縮減社会の地域自治・生活者自治―その時代背景と改革理念―』第一法規。
(2)鈴木伸治編(2016)『今、田村明を読む―田村明著作選集―』春風社。
(3)玉野井芳郎(1977)『地域分権の思想』東洋経済新報社。
(4)玉野井芳郎(1978)『エコノミーとエコロジー』みすず書房。
(5)玉野井芳郎(1979)『地域主義の思想』農山漁村文化協会。
(6)玉野井芳郎・清成忠男・中村尚司編(1978)『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試み―』学陽書房。
(7)田村明(1987)『まちづくりの発想』岩波新書。
(8)田村明(1999)『まちづくりの実践』岩波新書。
(9)田村明(2006)『「市民の政府」論―「都市の時代」の自治体学―』生活社。
(10)西村幸夫編(2007)『まちづくり学―アイディアから実現までのプロセス―』朝倉書店。
(11)山崎亮(2012)『コミュニティデザインの時代―自分たちで「まち」をつくる―』中公新書。
(12)山崎亮(2016)『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP研究所。
(13)山下祐介(2021)『地域学入門』ちくま新書。
(14)結城登美雄(2009)『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』農山漁村文化協会。
(15)吉本哲郎(2008)『地元学をはじめよう』岩波ジュニア新書。
(16) エレノア・オストロム、原田禎夫・齋藤暖生・嶋田大作訳(2022)『コモンズのガバナンス―人びとの協働と制度の進化―』晃洋書房。
第4章
「まちづくりと市民福祉教育」が拓く新たな地平
―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」への転換―
はじめに
「福祉教育」の実践と研究はいま、大きな転換期を迎えている。従来の福祉教育は、ともすれば高齢者や障がい者に対する福祉の心の育成を図ろうと、子どもたちの個人の内面や道徳心に訴えかける「思いやり教育」に重きが置かれてきた。また、福祉教育活動が、(1)高齢や障害による不自由や困難についての疑似体験や、(2)車椅子利用者や視覚障がい者などの生活を支援するためのガイドヘルプ技術の習得、(3)福祉施設などに暮らす高齢者や障がい者との訪問・交流活動、という3つの形態に限定されがちであった。そこには、少なくとも3つの深刻な課題が見出される。
第1の理論的課題は、「依存を否定する自立観の超克」である。福祉教育は「支援する側の優越感」(思いやりが思いあがり)を育むことになり、高齢者や障がい者の「依存する権利」や「自立は依存先を増やすこと」(熊谷晋一郎,2012)という考え方を不可視化させていないか、という点である。 第2の実践的課題は、「まちづくりとの乖離の解消」である。福祉教育は教室内での知識学習や一過性の体験学習にとどまり、日常生活が営まれる地域・社会そのものを変革しようとする志向性が脆弱である、という点である。そして第3の哲学的課題は、「主体変革としての教育観の確立」である。福祉教育を単なる知識や技術・技能の習得や情動的な共感教育に終わらせるのではなく、学習者が地域・社会の課題を自らの問題として捉え直し、地域・社会を創り変える主体(変革主体)へと成長していくプロセスを、いかなる人間観や教育観(理念的・哲学的な根拠)に基づいて構築していくべきか、という点である。
これら3つの課題は、個別に存在するものではない。新しい自立観という「理論」を携え、地域・社会の変革という「実践」を積み重ねるプロセスを経て、子どもから大人までを含む地域住民は、真の変革主体という「哲学」を体現する主体へと成長を遂げる。すなわち、「まちづくりと市民福祉教育」を一体的に捉えるための分析枠組み(視座)こそが、地域共生社会を共創する鍵となる。ここでいう「まちづくり」とは、単なるインフラの整備やハード面の構築を指すのではない。その「まち」に住む人々が互いの権利をどのように認め合い、どのようなルールで共に暮らすかという地域共生社会の設計そのものである。一方、「市民福祉教育」とは、単なる知識や技術・技能の習得ではなく、その設計に主体的・自律的に参加(参集・参与・参画)するための自治力と共生力を育成するための教育的営為をいう。つまり、教育によって市民のパラダイムの転換を図ることは、暮らしの社会的基盤や共生の作法を書き換えることを意味し、それが結果として地域・社会の仕組み(構造)の変革を促すのである。
そこでまず、1980年前後から「福祉で町づくり」を説き、福祉教育とボランティア活動のあり方を追究してきた大橋謙策の言説の原点に立ち返り、2010年代以降は「福祉はまちづくり」の時代にあることを認識することが肝要となる。そして、そこでは、「市民福祉教育はまちづくりの基盤であり、まちづくりは市民福祉教育の実践の場である」という考え方が重要になる。すなわち、「まちづくり」と「市民福祉教育」は、車の両輪の関係にある。前者は、誰もが排除されない仕組み(ハード・ソフト)を構築する営みである。後者は、その仕組みを動かし、更新する主体(市民)を育む営みである。そして、両者を媒介するのは、学習を個人の内面に留めず、地域の変革へと開いていく「学習の外化(社会化)」の概念である。従来の福祉教育は学校の子どもたちを中心とした領域に留まりがちであったのに対し、本章が提起するモデルは、単なる社会参加ではなく、地域・社会の不条理や生活課題そのものを生きた教材とし、その解決のプロセス(まちづくり)そのものを学習過程として位置づける点にその構造的な特質を見出すのである。
なお、本章が批判の対象とする「思いやり教育」は、大橋福祉教育論そのものではない。大橋の理論は、社会福祉問題の構造的把握と主体形成を核とする点で、むしろ「権利と構造変革の教育」の先駆をなす。批判の対象は、その理論の一面(体験学習や交流活動)のみが流通し、定型化された実践の総体である。
本章では、文献研究(文献解釈・思想分析)を通じて、「まちづくりと市民福祉教育」の理論的再定位を試みる。具体的には、下記の2人の著作を一次資料とし、中心的な概念についてその語義や文脈、背景を総合的に解釈し、それを手がかりに思想の構造的特質を抽出する。そのうえで、両者の言説を横断的に分析し、共通する問題意識や理論構造を明らかにすることで、「市民福祉教育」を「まちづくり」と一体的に捉えるための分析視角を構築したい。
2冊を取り上げる理由は、①被災地と困窮者支援という性質の異なる現場から、②同時期(2025年)に、③依存・関係性・共生を主題とする著作として刊行されており、異なる文脈から共通の構造を見出しうるかを検討できる点にある。なお、両書は研究書ではなく実践者の語りである。そのため本章は、これらを理論の実証資料としてではなく、従来の自立観や共感観を問い直す「思想的教材」(Ⅲ参照)として扱う。本章が導く知見は、一般化が可能な結論ではない。この限界を補うため、本書では、第1章で戦後福祉教育の歴史的源流を、第2・3章で大橋福祉教育論とまちづくり言説の系譜を検討し、補論で一つの実践事例を本章の枠組みから読み直している。本章の枠組みは、2冊の読解のみによってではなく、これらの歴史的・思想的・実践的な検討との往還のなかで位置づけられる。それでもなお、本章の成果は、今後の事例研究や聞き取り調査によって検証されるべき仮説的な分析枠組みである。
別言すれば、本章の課題は、従来の「思いやり教育」が、現代社会の構造的課題(生産性、自己責任論)を補完・温存してきた側面がないかを批判的に検討し、これに代わる「権利と構造変革の教育」(一人ひとりの尊厳を守り、そのために社会を編み直す教育)としての可能性を提示することにある。ここでいう「構造変革」とは、単なる政治・行政主導の「改革」という名のシステム変更にとどまらない。それは、生きづらさを抱える当事者をはじめ、住民、専門家、行政などの多様な主体が、権利としての参加を草の根から実践し、社会の仕組みを主体的に再構築していく意識的・関係的「変革」のプロセスを指す。また、本章でいう「共働」とは、協力・協同・協働とは異なり、対等な主体が差異を保ったまま、水平的な関係のもとで相互に働きかけ合うことをいう。
なお、これまでの福祉教育研究が積み残してきた「情緒的共感への偏重」や「当事者性の固定化」(支援・受援の固定化)という2つの空白に対し、2人の思想が有効なオルタナティブを提示している点に、本章で両者を検討する意義がある。両者の思想は、特異なフィールド(被災地、困窮者支援)から生まれたものであるが、そこには「自己責任論」や「関係性の断絶」といった現代社会共通の構造的課題が露呈している。本章では、こうした課題を乗り越える視座として、小松理虔の「共事者の連帯」、奥田知志の「不可解性の受容」に注目する。
・小松理虔著『小名浜ピープルズ』里山社、2025年5月。
・奥田知志著『わたしがいる あなたがいる なんとかなる―「希望のまち」のつくり
かた』西日本新聞社、2025年8月。
Ⅰ 小松理虔:共事者の連帯
―「中途半端さ」と「共事者」が“弱い紐帯の強み”を生む―
ここでは、「はじめに」提示した「まちづくりとの乖離の解消」という実践的課題に対し、小松の「共事者」概念がいかなる回答を提示し得るかについて検討する。
[思想的分析]
地域活動家である小松が描くのは、2021年、つまり東日本大震災から10年を経た後の小名浜で生きる人たち(「小名浜ピープルズ」)と「ぼく」(小松)が交わした生の声、すなわちリアリティである。そこで小松が問いかけるのは、今後も、どこかで起こりうる災害や出来事を、いかにして「自分事」として捉え、関わっていくことができるか(小松,2025,p.183)、という点である。
小松が使用する言葉に「中途半端さ」と「共事者」がある。「中途半端さ」についていえば、こうである。小松にあっては、東日本大震災で直接的な被害を免れたものの、被災地に住む者として当事者というレッテル(「被災地でがんばっている男性」)を貼られ、そのことが中途半端な当事者としての葛藤であった。そのような状況下で、地元でのさまざまな活動や人々との関わりを通して、この「中途半端さ」を否定するのではなく、それを受け容れ、むしろそこに意味を見出すようになる。すなわち、当事者と非当事者との間で揺れ動く存在を肯定的に認める。しかし、その立ち位置は、当事者でも専門家でもないという中途半端で曖昧なものである。またそれゆえに、それは多様な視点から物事を捉え、異なる立場の人々を結びつけ、新たな価値や役割(「新たな世界」)を生み出す。その存在を小松は「共事者」と名付ける。
「共事者」とは、「当事者の周囲にいて、関心を寄せたり、興味をもったり、事の推移を見守ったりしている。つまり『事を共に』する」人のことである(小松,2025,p.177)。小松はいう。「被災者とは言えないけど被災地に生きている。被災地に生きているわけではないけどその土地に思いを寄せている。被災とは別の、でも似たような悲しみや苦しみを感じている。そんな『中途半端な人たち』が、ぼくたちの身近なところにたくさんいるということを忘れてはいけない」(小松,2025,p.18)。
このように、小松が提唱する「中途半端さ」とは、ある出来事において直接的な当事者ではないものの、無関係でもないという複雑で曖昧な立ち位置にある状態を指す。葛藤を経て紡がれた「共事者」の概念は、当事者か非当事者(部外者、傍観者)かという二項対立を超え、より多角的で多様な「当事者性」や「共事者性」を認める視点・視座を提供する。小松はまた、当事者に完全には「寄り添えない」ことを自覚したうえで、なお関わり続ける姿勢を重視する。
[実践的意義]
この「中途半端さ」を肯定する視点・視座は、「まちづくり」において大きな意味をもつ。それは、特定の専門家や一部の熱心な地域活動家だけでなく、それぞれが抱える「中途半端さ」や「曖昧さ」を認め合い、緩やかな連帯や共感のネットワークを構築しようとするなかで「事を共にする」という、新たなコミュニティ形成のあり方を提示する。これは、ロバート・パットナム(Robert Putnam)が説いた、異なる属性をもつ人々をつなぎ、互酬性の規範を醸成する「橋渡し型」の社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)の現代的な再構築に他ならない(パットナム,2006)。そして、関わり続けることが、社会的分断を溶かす基盤となる。
小松の言葉は、市民福祉教育においても、次の3点で重要な意味をもつ。第1に、「中途半端さ」を否定せず受け容れて意味づけることは、自己肯定感の醸成につながる。第2に、「共事者」という立ち位置は、他者への無関心を乗り越え、「事を共にする」連携・協働の姿勢を促す。第3に、「寄り添えなさ」を認めることは、他者理解の限界を自覚しつつ、継続的な傾聴と対話を通じて他者と向き合う態度の習得につながる。
一方で、小松の言説にはひとつの限界も見て取れる。それは、個々人の内面的な変容や緩やかなネットワーク形成に重きを置くあまり、既存の不当な権力構造や硬直化した制度と具体的に対峙し、それらを変革していくための「政治的運動論」としての側面が弱い点である。
Ⅱ 奥田知志:不可解性の受容
―「不可解性の受容」と「なんとかなる」が“希望のまち”を創る―
ここでは、「はじめに」提示した「主体変革としての教育観の確立」という哲学的課題に関し、不可解な他者を受容することこそが主体のあり方を根底から変容させるという奥田の視座から、その理論的含意を明らかにする。
[思想的分析]
奥田は、生活困窮者(ホームレス等)に対して、信仰(神学)に支えられた深い洞察とそれに基づく個別的で包括的かつ持続的な「人生支援」を行っている。奥田の有名な言葉に、「自己責任論の社会が私たちから奪ったものがある。それは『助けて』という一言である」(奥田,2012,p.37)がある。奥田は先に記した本で、その活動の歩みから、支援の現場で培われた思想・哲学、そして誰も取り残さない「まち」をめざす未来への提言までを綴る。それは、北九州市の特定危険指定暴力団の本部事務所の跡地という「怖いまち」の象徴だった場所を、「なんとかなる」「希望のまち」に再生する物語である。
奥田が指摘するまでもなく、いま、孤立と分断、困窮と格差、偏見と差別が常態化している。自己責任や身内の責任が必要以上に強要され、「助けて」といえない人が増えている。自分の利得のみを優先させる「自分病」(奥田,2025,p.79)が蔓延している。そのような構造的な問題を抱える現代社会にあって、奥田が理事長を務める認定NPO法人「抱樸(ほうぼく)」では、人と人との横の「つながり」を大切にし、「出会いから看取りまで」という伴走型支援を実施してきた。そしていま、「誰もひとりにしない」まち、「なんちゃって家族」のまち、「助けて」といえるまち、の実現をめざして、(「なんとかする」ではなく)「なんとかなる」を合言葉(モットー・哲学)に「希望のまち」プロジェクトの推進を図っている。奥田はいう。「『希望のまち』は、『縦の成長』を羨望しつつも『横の成長』で共存するまちでありたい」(奥田,2025,p.235)。
「誰もひとりにしない」まちは、経済的困窮(ハウスレス)だけでなく、社会的孤立(ホームレス)の解消を最大の目標とする(奥田,2025,p.174)。「なんちゃって家族」のまちは、家族機能を社会化し、他人同士が緩やかに関わり合う新しい共同の暮らしを創る場をめざす(奥田,2025,pp.224-226)。「助けて」といえるまちは、誰もが互いに「助けて」といえる相互扶助・支援の関係性が機能する社会の実現をめざす(奥田,2025,p.240)。そして、「希望のまち」は、「助ける」と「助けられる」という営みが「いいかげん(ちょうど良い加減)」になるなかで創られ、どんな人も取り残すことのない「地域共生社会」をいう(奥田,2025,p.245)。
その「地域共生社会」について奥田は次のようにいう。長文にわたるが、その思想の核心に関わる部分であるため、引用しておきたい。これは奥田からの愛あるメッセージであり、奥田の確かな覚悟である。

奥田にあっては、人はその複雑さゆえに、互いの存在を完全に理解するには限界がある。人を安易に二項対立的に分類したり、ある概念に押し込めることはできない。それぞれが、それぞれの違いを認め合い、理解できないそれぞれの部分も受け容れることが真の共生の基盤となる。
[実践的意義]
この考え方を市民福祉教育の観点から捉え直せば、真の共生を実現するための市民福祉教育は、この「不可解性」を学ぶ教育でなければならない。その目的は、自分にとって「不可解」な他者を排除せず、その存在を尊重できる市民的資質・能力を育成すること(市民性形成)にある。これは、「多様性」や「共生」を表面上・抽象的に語る姿勢を超え、生きづらさが社会構造的に常態化している現実と対峙することにつながる。そして、この「不可解性の受容」を出発点として、誰もが生きやすい土壌を地域に耕し、構造的な変革としての「まちづくり」を推進することが、いま、真に求められているのである。「対峙」とはただ向き合うことだけではない。自分をつくり変え(再構築)、「まち」をつくり変える(再設計)、創造のプロセスをいう。
奥田はいま、「誰もひとりにしないまち」の実現をめざして、「希望のまち」づくりを進める。建物・施設としての「希望のまち」は、救護施設や交流スペースなどの複合的な機能を内包しながら、「地域の中に施設がある。施設の中に地域がある」(奥田,2025,p.259)という、日常に開かれた空間をめざすものである。この「まち」の重要な機能は、「なんちゃって家族」の関係性の創出であり、「助けて」といい合えるコミュニティを地域に根差した日常の生活圏で構築することにある。この思想は、特別な活動ではなく、誰もが孤立しない何気ない日常を創り出すことにある。この点を市民福祉教育に落とし込むならば、そのための教育的営為は、特定の施設・機関や活動のなかだけにあるのではなく、日常の生活圏全体を学びのフィールドとして、みんなの生涯にわたる「ふだんの くらし」のなかでこそ育まれるべきものである。
また、奥田がいう「なんとかなる」は、無責任・無批判な楽観論ではない。また、「なんとかする」という自己完結的な責任論でもない。それは、「わたしがいる、あなたがいる」から「なんとかなる」という、他者への信頼を基盤とし、人と人との関係性(「つながり」)のなかで共同体的な問題解決を志向するものである。市民福祉教育の文脈では、市民一人ひとりが困難に直面した際に、自己責任論に陥ることなく、誰かとつながっていれば「なんとかなる」と信じられる地域的な安心感を醸成する営みといえる。この安心感こそが、誰もが「助けて」といえる「希望のまち」(みんながつながるまち)を築く土台となるのである。
一方で、奥田の主張は、キリスト教的隣人愛に由来する個人的な倫理観や精神的紐帯に依拠した理論構成という側面が強く、一定の限界を抱えている。それは、個人の献身的な支援を美化し、本来行政が担うべき公的扶助の不備を看過させる恐れなしとしない点である。
ここで、小松の提示する「共事者の連帯」と奥田の説く「不可解性の受容」の関連性について一言しておきたい。これら両概念の交差点にこそ、本章がめざす「構造変革」の真髄があるからである。
従来の福祉教育における「共感」は、相手を「理解できる存在」として前提に置いてきた。しかし、奥田が指摘するように、他者は本質的に「不可解」な存在である。この「分からなさ」に直面したとき、多くの市民は自らを門外漢や部外者の枠に閉じ込め、当事者との間に境界線を引いてしまう。ここで、小松の「共事者」概念が補助線として機能する。
「共事者」とは、中途半端なまま、未完成なまま「事を共にする」主体である。相手を完全に理解(コントロール)できないという「不可解性」を絶望の理由にするのではなく、むしろ「分からないからこそ、隣で共に居続ける」という、積極的な保留の姿勢へと転換させるのである。
この両者が結合することで、市民福祉教育は「思いやり」という情緒的満足を脱し、不可解な他者と共に、理不尽な構造(「まち」)を書き換えるという共創の実践へと昇華される。それは、互いの「不全」(弱さ・分からなさ)を排除せず、むしろそれを紐帯として、既存の生産主義や能力主義を至上命題とする社会構造を揺さぶる「不全の連帯」の創出に他ならない。この「弱さ」「分からなさ」を抱えたままの連帯こそが、自己責任論を解体し、真の地域共生社会を支える構造変革のエネルギーとなるのである。
Ⅲ パラダイムシフトと「構造変革」の推進
―「自立」の解体と「依存の権利化」による共生社会の再設計―
1 思想的教材と「権利と構造変革の教育」
教育には、学習者の認識を進化させるための「教材」が欠かせない。本章で小松と奥田の言説を取り上げるのは、それらが単なる体験談にとどまらず、従来の社会通念(自立の定義や共感の限界)を揺さぶり、自己変革を迫る「思想的教材」となるからである。これは、パウロ・フレイレ(Paulo Freire)が『被抑圧者の教育学』(新訳版、亜紀書房、2011年)で提示した、教育者が学習者に知識を一方的に注入する「銀行型教育」からの脱却と、現実を批判的に捉え直し変革を試みる「問題提起型教育」への転換という志向性を、現代の福祉教育において具現化しようとする試みでもある。また、かつて玉野井芳郎が「地域主義」において提唱した、中央集権的な生産性至上主義から生活圏の自律を取り戻そうとする思想的営為を、現代の福祉教育の文脈で発展的に継承するものでもある。
また、本章において「当事者性」を強調する意図は、単に相手の立場に立って同情したり、思いやったりする感情移入の促進ではない。当事者の発する「助けて」という声を、個人の困りごとを超えて社会の不備を告発する権利の訴え、すなわち「構造的欠陥の証言」として捉え直し、教材化することにある。こうした教材化による認識の進化こそが、従来の「自立」概念を解体し、「相互依存」へと再構築するパラダイムシフト(枠組みの転換)の契機となるのである。
そして、この転換を実践へと接続し、社会構造に働きかける学習デザインを、本章では「権利と構造変革の教育」と提唱する。そのフィールドは学校に限定されない。主たるフィールドは、住民自治組織や社協、NPO、福祉施設、企業・事業者、そして行政などが、地域社会という枠組みのなかで共に学び合う「プラットフォーム」である。そこでの主体は、子どもから大人までを含む地域住民のみならず、社会福祉協議会のコミュニティソーシャルワーカーやNPOスタッフ、福祉施設職員、医師・看護師、行政職員、そして教員といった専門職たちである。彼らには、「教える側」という特権的な立場を脱ぎ捨て、自らも地域の不条理に直面する「共事者」として、住民と共に課題を教材化することが求められる。なお、「共事者」は、小松においては、当事者の周囲にあって関心を寄せ、事を共にする人々を指す概念である(小松,2025,p.177)。本章はこの概念を、専門職や教育行政、さらには学習者一般にまで拡張して用いている。この拡張は小松自身の議論ではなく、本章の理論的な再定義であり、「中途半端さ」を引き受けたまま、地域の不条理に責任をもって関与し続ける主体という含意に着目したものである。
以上を踏まえて、ここで重要なのは、専門職が単なる伴走者にとどまるのではなく、「専門性をもった共事者」として、地域住民が抱く生きづらさ(不条理)を権利へと「翻訳」し社会化する「アドボカシー」(権利擁護、代弁)の機能を果たすことである。併せて、それと並行して、他者の権利擁護のみならず、専門職自身が抱える「生きづらさ」を社会化していく「専門職によるセルフ・アドボカシー」の実践も不可欠となる。
そこで以下では、こうした教材化の実践が、従来の「自立」概念をいかに「相互依存」へと再構築し、「当事者性」の捉え方を「構造変革」へとつなげていくのか、そのパラダイムシフトの諸相を明らかにする。なお、以下のパラダイムシフトは、いずれも確定した理論ではなく、今後の実証的検討に開かれた仮説的な視座であることをあらためて断っておきたい。今後は、異なる属性・地域・課題を対象とした複数の事例研究や、当事者への聞き取り調査などを通じて、本モデルの妥当性や適用可能性を実証的に検証していく必要がある。
2 自立から相互依存へ
上述の小松と奥田の言説を横断的に分析すると、そこには「自立」を至上命題とする近代的人間像を根本的に覆す、新たな教育哲学的基盤が立ち現れる。小松は、「中途半端さ」を否定するのではなく、そこに新しい価値が見出されると説く。奥田は、「非効率・非生産的」とされる人々の「生」のなかにこそ人間の根源的な尊厳があると説く。これらに通底するのは、個の「弱さ」や「依存」を排除するのではなく、むしろそれを他者とつながるための不可欠な「紐帯」と捉え直す思想である。これは生産主義の原理や自己責任の論理へのアンチテーゼであり、社会のあり方を「自立」から「相互依存的な共生」へと組み替える試みといえる。
ここで重要となるのが、「依存の権利化」という視点である。従来の福祉教育が、依存を「克服すべき課題」あるいは「温情的に受け入れられるべき状態」と見なしてきたのに対し、本章が提唱するモデルでは、他者に頼り、委ねることを人間存在の本質に根ざした普遍的な「権利」として再定義する。熊谷が説くように、「自立は依存先を増やすこと」であるならば、多様な依存先を社会のなかに確保することはもはや個人の努力の問題ではなく、社会が保障すべき正当な権利となる。すなわち、この「依存の権利化」は、憲法13条の個人の尊厳(自己決定権)と25条の生存権の趣旨に照らして根拠づけうるものである。そして、障害者差別解消法の7条および8条が規定する「合理的配慮」を単なる義務的・受動的な対応ではなく、誰もが相互に依存し合える地域共生社会を構築するための構造的・能動的な権利へと発展させるものである。ただし、「依存の権利」が現行の法解釈において確立しているわけではなく、本章の主張は立法論的・規範的な性格をもつことを断っておきたい。
この「依存の権利化」は、大橋謙策の主体形成論の延長上に位置づけられる。大橋は、地域福祉の主体として「社会福祉サービス利用主体」「社会保険制度契約主体」の形成を挙げ、サービスを権利として利用し、契約する主体の必要性を指摘した(大橋,1995)。これは、支援を受けることを恩恵ではなく権利として捉える視点である。本章は、この「利用・契約の主体」を、さらに「依存すること自体を権利として行使し、その保障を社会に求める主体」へと展開しようとするものである。
さらに、大橋福祉教育論を継承する原田正樹も、この方向を一歩進めている。原田は、人間の脆弱性を前提としたうえで、個人の自立や自己実現にとどまらず、関係性のなかで互いに支え合いながらより良く生きることをめざす「相互実現的自立」「相互依存的自己実現」を提起した(原田,2022)。それは、従来の自立支援の限界を乗り越え、「共に生きる力」を社会全体で育むための視点であり、依存を克服すべき欠如とはみなさない点で、本章の「依存の権利化」と問題意識を共有している。ただし、原田の議論は、依存を前提とする関係性や学び合いのあり方に力点があり、依存すること自体を権利として位置づけ、その保障を国家や社会に求めるところまでは、必ずしも明示されていない。本章は、この点を「権利」の水準へと展開しようとするものである。
その「依存の権利」を行使する対象は、第一義的には国家や行政であるが、同時に、依存を「自己責任」として切り捨てない地域社会の「承認の作法」をも包含する。制度的サービスと地域住民との関係的な依存を往還させ、それらを個人の引け目ではなく、「市民の権利」として位置づける。これを教育の核に据えることによって、学習者は支援を必要とする人々を「同情や善意」の客体ではなく、共に権利を行使し、日常を創り合う主体として認識し直すことになるのである。
3 「思いやり」から「共働的な愛」へ
ここにおいて教育は、単なる知識や技術・技能を獲得する手段ではなく、他者の弱さや依存に呼応し合う「関係性の技法」として捉え直されることになる。この技法の根底にあるべきは、現状を追認することにとどまる静的で慈恵的な「思いやり」ではない。それは、他者の尊厳を阻害する不条理な社会構造に対峙し、生きづらさを抱える人々と共にその構造を編み直そうとする、動的で変革的な実践としての「愛」、すなわちフレイレが説いた抑圧者からの解放を志向する「闘争的な愛」である。
この私的で情緒的な感情である「思いやり」を、社会的な連帯を伴う共働的な「愛」へと高めることが、教育の公共性を担保する原動力となる。この「闘争的な愛」「共働的な愛」が向けられるべき、教育現場における象徴的かつ具体的な対象のひとつに、障害の有無や能力の多寡によって学習の場を分断してきた「分離教育」がある。この制度的格差・差別を批判的に検討し、誰もが「共に在り、共に学び、共に育つ」ことを前提としたインクルーシブ教育へと再編していく。この実践的なプロセス(「思いやり」から「共働的な愛」へ)が、社会の構造的不条理を変革する「市民福祉教育」の論理を支える不可欠な要素として組み込まれなければならない。
4 専門家支配と「共関」
さらに小松と奥田の言説に通底するのは、専門家が非専門家を導くという教育構造への懐疑、すなわち専門家支配からの脱却である。小松は、専門家ではなく、当事者の周囲にいて個人的な「好き」の感情や「面白がり」の精神を基盤にして、地域課題に興味・関心をもつ「共事者」の大切さを説く。奥田は、専門家によってプログラム化された支援以上に、「助けて」といえる関係性や「伴走者」としてのあり方について説く。これらは専門的な知識や技術・技能によって対象者を操作するのではなく、教育の核に、対等な関係性のなかで実現する「相互」を据えているのである。
この「相互」のあり方を実質化させる内面的な契機として、いまひとつ「共感」がある。「まちづくり」において「共感」は不可欠な要素である。それは、単なる感情的な同調ではなく、地域・社会に生きる主体の「多様性」を前提とする。そして、それらを排除せずに「共働」するための関係形成の基盤である。そのため「まちづくり」においては、効率的な課題解決や安易な合意形成を目的化するのではなく、互いの「わからなさ」を尊重し合い、差別を考える習慣(作法)を身に付け、その文化化を図って地域に根付かせることが重要となる。市民福祉教育は、他者を「わかる」ためではなく、他者との差異を抱えたまま、それでも共に生きるための知識や技法、価値観を育む営みである。この教育は、「まちづくり」の前提条件であり、その過程そのものである。
ここで、「多様性」という言葉の危うさについて言及しておきたい。岩渕功一(2025)が指摘するように、現在の「多様性」の語りは、しばしばマジョリティ側の論理に変質し、マジョリティによる、マジョリティのための「免罪符」と化している側面がある。それは、社会に構造化された差別や不平等を解消する取り組みを封じ込め、後景化・後退させるような作用をもたらしかねない。つまり、無批判な多様性の尊重や奨励は、結果として差別や不平等を再生産し、マジョリティによる包摂と管理を強化することにつながる(岩渕,2025,p.42)。真の多様性とは、単なる個別性の尊重にとどまるものではない。それは構造化された差別を直視し、無意識にその構造に加担している「特権的な自分」を認識する実践である。したがって、「まちづくりと市民福祉教育」に求められるのは、情緒的な「共感」を超え、他者に対して共に・関わり・関心を持ち続ける「共関」意識の醸成である(岩渕,2025,p.130)。
5 当事者性と構造変革
この「共関」を単なる他者への関心にとどめず、自らの問題として自覚し、社会変革への責任を具体化していくうえで重要な概念として、「当事者性」がある。これは、単に問題に直面しているという事実を指すだけではない。その問題への関わり方や主体的な意識のあり方を質的に表現する概念である。例えば、障がい者やその家族は第一義的な当事者であるが、「障害の社会モデル」の視点に立てば、障害は社会構造や環境が生み出す不全(社会的不備、障壁)である。したがって、社会を構成するすべての個人がその問題の当事者であり、等しく責任を引き受けるべき存在となる。しかし、この「すべての人が当事者である」という普遍化は、各々が固有の視点・視座をもつ異なる存在であるという「他者性」の認識を欠いてはならない。当事者性と他者性の両義性を認識することで、安易な同情や画一的な共感の押し付けを排し、異質な他者との対等な関係性における深い相互理解が可能となるのである。
ここでさらに、「当事者性」と「他者性」に併せて、鯨岡峻が提唱する「相互主体性」に言及しておきたい(鯨岡,2006)。鯨岡にあっては、相互主体性とは、複数の主体(個人)が互いを単なる客体(対象)としてではなく、「私」と「あなた」が主体として存在することを認め合い、影響し合い、共に変革していく能動的で発展的な関係性をいう。その関係性が深まる過程を通して、「私」と「あなた」が共に新たな主体性を形成し、「私は私」という閉塞的な主体から「私は私たち」という開放的な関係性へと開かれることになる。この視点を福祉教育に適用すれば、例えば子どもと障がい者の交流活動は、主体(子ども)が客体(障がい者)を「知る・支援する」といった一方的な働きかけの対立的なモデルを脱し、双方が主体性を持ち、互いを尊重し合い、共に学び、共に生きる地域・社会を築いていくための重要なアプローチとなる。
上述の「当事者性」「他者性」「相互主体性」の概念は、三位一体となって市民福祉教育を支える概念であることに留意したい。すなわち、市民福祉教育は、個人の意識改革(当事者性の深化)のみならず、他者との関係性の質的向上(相互主体性の構築)を経て、社会構造の変革へと連動していくべきものである。
こうした認識に立てば、改めて、従来の福祉教育が個人の内面や道徳心に訴える「思いやり教育」に傾きがちであったことの限界がより鮮明に浮き彫りになる。個人の善意のみに依拠するアプローチは、既存の社会構造を補完・温存させ、かえって「助ける側(強者)」と「助けられる側(弱者)」の分断を固定化しかねない。市民福祉教育は、単なる「思いやり」や「優しさ」を教えること(学習の内面化)にとどまるのではなく、「まち」に暮らす他者の不可侵の尊厳(権利)に触れる際の、緊張感を学ぶ場であるべきである。すなわち、市民福祉教育は、個人の「弱さ」やさまざまな「依存」を人間存在の普遍的な姿として捉え直す。そして、その条件のままに生きられるよう地域・社会の基礎構造的な「分母」(生産性の原理、自己責任の論理)を問い直す。そのなかで、新しい価値観を創造する「権利と構造変革の教育」(学習の外化)へと転換していくことが求められるのである(図4-1参照)。ここでいう「外化」とは、学習を個人の内面に蓄積するにとどめず、地域・社会の課題解決や制度の変革へと開くことをいう。
図4-1 「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ
別言すれば、市民福祉教育がめざす構造変革とは、奥田がいう「助けて」といえる関係性が個人の勇気に依存するのではなく、地域の仕組み(構造)として保障される状態を創出することに他ならない。それは、行政主導によるシステムの改編や単なる個人の意識の改革ではなく、教育的実践を通して地域・社会の「分母」を書き換えていく草の根の民主主義的な社会変革である。それは、具体的には、(1)個人の生きづらさを自己責任にせず、社会の不備として地域課題へと押しあげる「可視化・共有化」、(2)当事者と住民が対等に話し合い、地域のルールや支援のあり方を共に決め直す場を日常のなかに創る「対話化・民主化」、(3)既存の制度に頼るだけでなく、互いの弱さを認め合い、共に助け合える新たな居場所や仕組みを草の根から実践する「行動化・共働化」、などによって駆動する。それを通じて住民(学習者)は社会の「受け手」から、地域・社会の文脈を書き換える「創り手」へと変革するのである。
6 両義性とリフレクション
以上を要するに、市民福祉教育とは、(1)「思いやり」という内面的なアプローチから脱却し、生産性の原理や自己責任の論理に基づく社会構造を問い直す権利意識を育むこと。(2)小松がいう誠実な葛藤を指針として、情動的な「共感」を論理的・多元的な思考と連携させ、誰もが安心して依存できる「まち」を再設計すること。(3)奥田がいう「わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる」という確信を、個人の内面的な感情に留めるのではなく、地域の「構造」そのものに根付かせること。この構造変革こそが「ふだんの くらしの しあわせ」を真に支える土台となる。こうしたパラダイムの転換を提示することが、「まちづくりと市民福祉教育」の本質に他ならない。
なお、(2)と(3)の議論に関しては、それが内包する両義性について留意したい。確かに、「中途半端さ」や「なんとかなる」といった寛容や楽観は、包摂社会を構想するうえで重要な契機となり得る。しかしその一方で、これらは責任の所在や立場の境界を曖昧化させるリスクを孕んでいる。小松がいう「共事者」は、単なる(共感的な)傍観にとどまる懸念を生み、奥田がいう「なんとかなる」は、構造的課題に対する批判精神や組織的な共働への意志を希薄化させる恐れがある。それゆえに、このリスクを回避し、真の構造変革に結びつけるためのプロセス、すなわち「曖昧な善意」を社会変革に向けた「共働意識」へと昇華させていくプロセスを必要とする。
では、いかにしてこのリスクをコントロールし、プロセスを実質化させるのか。そこには、「省察的対話(リフレクション)」の導入という教育学的な手続きが不可欠となる。具体的には、単に「共事者」として寄り添う体験に終始するのではなく、その関わりのなかで生じた「割り切れなさ」や「自身の特権性」を批判的に振り返る場を設定することである。学習者が自身の「曖昧な善意」が、既存の構造的な差別や不平等を温存させていないかを問い直す。この自己との対峙を学習過程の核心に据えることで、単なる情緒的な連帯を、社会の理不尽に対する自覚的な「共働意識」へと練り上げることが可能となる。この「問い」の継続こそが、無批判な楽観論を退け、真の構造変革へと向かう教育的営為の核心をなすのである。
ここで、以上で取りあげた2人の思想を「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて整理すると、およそ次のようになろう(表4-1参照)。小松と奥田は、フィールドやアプローチを異にするが、両者の思想には「弱さ」や「依存」を肯定し、孤立を防ぎ、地域共生社会を創るという共通の底流があるのである。
表4-1 小松理虔と奥田知志の思想比較
Ⅳ 持続可能な「まちづくりと市民福祉教育」の展開
―「依存の権利化」を具現化する4つの実践的プロセス―
本章では、小松と奥田の2人による言説を補助線にして、「まちづくりと市民福祉教育」の新たな視点・視座について検討してきた。これらの論考を横断的に捉え直すと、これまでの福祉教育観を転回させる必要性が浮かびあがってくる。そこで、ここでは、小松(「共事者の連帯」)と奥田(「不可解性の受容」)の思想を昇華し、「依存を権利として承認する教育」へと至る構造的モデルを提示する。そして、冒頭の「はじめに」に掲げた3つの課題に対応させる形で、新たな福祉教育の地平を展望したい。
1 理論的転回(3つのパラダイムシフト)
「まちづくりと市民福祉教育」は、これまでの福祉教育に、単に新たな知識や技術・技能を付け加える教育的営為ではない。それは、社会を支える「当たり前」というルールそのものを書き換えるそれであり、以下の点において、従来の福祉教育観を昇華し、新たな次元へと導く役割を担う。
第1の理論的課題である「依存を否定する自立観の超克」についてである。これまでの福祉教育は、高齢者や障がい者を弱者として、一方的な「思いやりの客体」として固定化してきた。人間は本質的に依存的な存在であり、真の自立とは「孤立した自立」ではなく、「相互依存的な自立」である。「まちづくりと市民福祉教育」は、個人の「弱さ」を固有のものとして認め、その依存を権利として保障する社会理論へと脱皮しなければならない。「依存の権利化」という視点は、決定的なパラダイムシフトをもたらす。
第2の実践的課題である「まちづくりとの乖離の解消」についてである。まちづくりと福祉教育の乖離は、小松の「共事者」の概念によって解消される。また、小松の「中途半端な」自分を肯定する視点は、子どもから大人までを含む地域住民(市民)を「まちづくり」の主体へと変革させる。この主体変革こそが、多様な主体による多層的な地域ガバナンスを構築する原動力となる。「まちづくりと市民福祉教育」は、学校の「内」や学校の「外」の地域・社会で学ぶものではなく、地域・社会というフィールドの「文脈」を書き換える実践そのものとして再定義される必要がある。
第3の哲学的課題である「主体変革としての教育観の確立」についてである。それは、奥田が説く「不可解性の受容」によって結実する。共生とは、単に相手を理解し共感することによるのではなく、「わたしがいる、あなたがいる」ことによって「なんとかなる」という信頼の関係性の構築である。「まちづくりと市民福祉教育」は、生産性や能力によって人間の価値を測る優生思想的な力学を否定する。そして、自己を「助ける/助けられる」という二項対立的な関係から解放し、地域・社会の「分母」そのものを組み替える「変革主体」へと再規定する教育に切り替えていかなければならない。
2 実践的プロセス(4つのステップ)
「まちづくりと市民福祉教育」は、この理論的視座を地域社会において具現化するために、従来の「思いやり教育」の枠組みを超え、社会構造そのものを書き換える営為へと深化を遂げる。
この構造変革への歩みは、表4-2および図4-2に示す通り、「存在肯定(在る)」→「共働参加(関わる)」→「相互依存(動く)」→「共生共創(創る)」へと至る4段階のプロセスとして体系化される。それは、個人の抱える「生きづらさ」を単なる個人的な問題に留めず、社会構造への「問い」へと転換し、他者との関係性を編み直し、新たな社会のあり方を構想する具体的なロードマップである。なお、この4段階は、既存の発達段階論や実証研究から導かれたものではなく、小松と奥田の思想の読解から、本章が試論として設定した分析上の整理である。段階の順序は固定的なものではなく、後述のとおり、各ステップを往還しながら深化することを想定している。
表4-2は、小松と奥田の言説における用語と、「思いやり教育」と「権利と構造変革の教育」における用語を各ステップに対応させて整理したものである。
表4-2 小松理虔と奥田知志の言説と「思いやり教育」と
「権利と構造変革の教育」の構造
図4-2に示すプロセスは、単なる直線的な進歩ではなく、ステップ(1)から(4)を往還しながら深化する「螺旋状の成長」をモデル化したものである。特にステップ(3)の「相互依存」において、自立を「依存を排除すること」ではなく「他者に依存する権利」として再定義・内面化したとき、初めてステップ(4)の「共生共創」は、マジョリティによる一方的な主導を脱し、双方向的な共働による「まちづくり」へと高められ、結実するのである。
図4-2 「まちづくりと市民福祉教育」のプロセス
ステップ(1)存在肯定(在る):発見と価値観の再構成
存在をありのままに受け容れることは、単なる現状肯定にとどまらない。個人が抱える「生きづらさ」や「特性」を、克服し排除すべきマイナスの課題として捉えるのではない。むしろそれを、社会のあり方や構造的な欠陥を厳しく問い直すものとして再認識し、無意識のうちに内面化している効率性や生産性という価値観を根本から揺さぶるプロセスである。
ここでは、小松が提唱する「中途半端さ」という人間の本質を寛容に受け容れることが求められる。同時に、奥田が説く「助けて」という一言を、弱さの露呈ではなく、他者と共働して社会を編み直すための「新たな価値」や「希望」として見出すことで、硬直化した自己と社会を再定義していく。そのステップである。それは、「そのままのあなたでいい」という全肯定のメッセージへとつながる。
ステップ(2)共働参加(関わる):共働と関係性の再構築
共働は、互いの「中途半端さ」や「曖昧さ」を、正すべき欠点として否定するのではない。個々人が抱える不可避なものとして、それを丸ごと認め合うことが出発点となる。自分とは異なる背景をもつ他者と、答えのない問いに対して多元的な視点で思考を深め合い、共に試行錯誤しながら、共働の経験を通じて分断された関係性を編み直していくプロセスである。
ここでは、小松が提唱する「寄り添えなさ」を認めることで、相手を自分の管理下や理解の枠に当てはめようとする独善的な支援の構図を打ち破ることになる。また、奥田が説く「わたしがいる、あなたがいる」という、個と個がそのままの姿で対峙し、互いの存在を等身大に認め合う相互承認の関係へと踏み出していく。そのステップである。それは、「できることから一緒にやればいい」という連帯の姿勢に象徴される。
ステップ(3)相互依存(動く):自立と依存の再定義
他者に依存することは、人間の尊厳に根ざしたひとつの豊かな生き方である。ここでの「真の自立」とは、一人で抱え込むことではなく、むしろ頼れる依存先を増やし、分散させることをいう。そして、「他者に依存する権利」はすべての人に等しく備わっていることを学習し、自分と他者の双方の尊厳を尊重する感性を養う。それを通して、一面では「困ったときはお互いさま」という情緒的で恣意的な(あるいは互酬性に縛られた)互助を超えていくプロセスである。
ここでは、小松のいう「事を共にする」という実践を通じ、依存を肯定することで、奥田が説く「なんとかなる」という抽象的な希望が、確信を伴った実感へと変わる。そしてその実感を、具体的な支え合いの実践へとつなげていく。そのステップである。それは、「困ったときは助け合えばいい」という権利の承認に帰結する。
ステップ(4)共生共創(創る):共創と地域生活の再編成
共生は、理解できない他者や自分とは異なる属性をもつ存在を排除するのではなく、その差異を抱えたまま共に生き、互いに頼り合い・支え合うことをいう。その循環のなかで、「わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる」と確信できる「希望のまち(みんながつながるまち)」を、他人事(ひとごと)とせず、市民一人ひとりが主体となって共に創りあげていくプロセスである。
ここでは、小松が提唱する、既存の枠組みを超えた「新たな世界」を具体的に構想する。そして、依存を自立の対極ではなく、「生の基盤」として捉え直すことで、奥田が説く孤立のない「希望のまち」を現実のものとして構築していく。そのステップである。それは、「あしたをみんなで創っていこう」という希望の宣言となる。
これら4つのステップを地域における「高齢者介護」に落とし込むと、以下のようになる。(1)要介護高齢者を憐憫の対象としての弱者、あるいは排除すべき課題とみるのではなく、その存在をありのままに受け容れる。ここでは、介護をめぐる「生きづらさ」を社会構造への問いとして発見する視座が重要となる。(2)介護を専門職だけの閉ざされた領域に留めず、地域住民がそれぞれの「中途半端さ」(できる範囲のこと)を持ち寄って、ケアを介した他者との関係性を編み直す。これは、専門職支配からケアを市民の手に取り戻す試みである。(3)頼ることを自立の喪失ではなく、尊厳ある生き方として肯定する。「依存を権利化」することで、要介護状態になっても地域で生き続けることを保障する感性を養う。(4)要介護状態の有無に関わらず、相互依存を基盤とした共同体意識を醸成し、相互扶助が内面化された地域社会を再構築する。
こうした営みは、介護を単なる「管理」や「解決」の対象から解き放ち、誰もが互いの弱さを認め合いながら共生する「福祉はまちづくり」(大橋)の実践そのものである。大橋が提起するこの命題を「権利と構造変革」の観点から捉え直せば、個人の困りごとを社会全体が向き合うべき課題として「外化(社会化)」していくプロセスに他ならない。その一連の過程を教育学的な論理として体系化することに、「まちづくりと市民福祉教育」を探究する歴史的・社会的意義を見出すことができる。
このように、「まちづくりと市民福祉教育」には、これらのステップを単なる理念としてではなく、プロセスとして共有し、日々の暮らしのなかで市民が主体的に体現できるよう、その学びと気づきの機会をデザインしていく役割が求められるのである。
いまひとつ、行政が策定する「地域福祉計画」などが単なるサービスの供給計画(「分子」)から、地域・社会全体の「分母」を書き換える実践へと進化するプロセスを描くと、こうなろう。(1)計画の策定にあたって、子どもから大人までを含む地域住民が抱える「生きづらさ」や「声なき声」を社会の構造的欠陥の証言としてありのままに受け容れ、可視化する。(2)計画の策定を専門職や一部の協力者に限定せず、多様な住民が行政などと「事を共にする」関係性を、策定プロセスそのものに組み込む。(3)支援・受援の固定化を招く従来の自立支援観を解体し、住民が他者に頼ることを尊厳ある生き方(権利)として肯定し合える仕組みを計画の根幹に据える。(4)単なる施設の整備や予算の配分(「分子」の調整)にとどまらず、誰もが「助けて」といい合える関係性を制度(構造)として保障し、住民一人ひとりが地域の文脈を書き換える変革主体として機能する社会をデザインする。
このように、自治体の地域福祉計画は、管理のための文書から、多様な住民が「共事者」として地域の文脈を書き換え、地域の未来を共創するための社会変革のロードマップへと再規定されるのである。この再規定を実現する原動力こそが、市民福祉教育に他ならない。「地域福祉計画策定のプロセスは福祉教育の実践過程である」「地域福祉は福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」といわれる所以であり、市民福祉教育が「まちづくり」の基盤であることの証左である。
おわりに
―市民福祉教育の再定位と今後の課題―
最後に、これまでの議論を総括し、本章で提示した「権利と構造変革の教育」の理論的到達点を、実践的な文脈に即して確認しておきたい。それは、単に他者への情緒的な理解を深める学習活動を指すのではない。それは、生産性の原理や自己責任の論理の、既存の地域・社会を規定する「分母」を問い直し、人間の「依存」(他者に委ねること)と「受援」(助けを受けること)を権利として再定義するプロセスである。ここでの教育的営為とは、学習者が「共事者」として地域の不条理や他者の不可解性に直面し、その葛藤を糧に、差別や排除の構造を温存する社会システムを草の根から創り変えていく「変革主体」へと自己を再構築することを指す。すなわち、「思いやり」から「共働的な愛」へ、「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ、その転換において、注視すべきは学習のベクトルの質的変化である。前者が、学習者の内面に働きかけ、道徳的な「同情や善意」を求める「内面化のベクトル」であるのに対し、後者は、個人の気づきを地域の不条理の発見へとつなげ、具体的な社会制度やルールの変革へと向かわせる「外化のベクトル」を有するのである。このベクトルの転換こそが、教育を既存の秩序を維持する役割から、社会の構造そのものを変革する営為へと転換させる鍵となる。「まちづくりと市民福祉教育」は、個人の内面を耕すという次元を超え、誰もが安心して依存し受援し合える地域共生社会を共創するための、自治的・共働的な社会変革の実践である。
なお、本章で提示した理論的枠組みは、あくまでも分析視角の提示に留まっている。特に、その根拠を小松と奥田の2つの事例に依拠している点は、本モデルの一般化の可能性を制約する限界であることを重ねて断っておきたい。今後はこの枠組みを用い、「まちづくりと市民福祉教育」の具体的な実践を分析することで、子どもから大人までを含む地域住民が「思いやりの主体」から「構造変革の主体」へと自己を再規定していくプロセスを実証的に明らかにする必要がある。特に、学習者が「共事者」としての葛藤を経て、いかにして「依存の権利化」に向けた社会的・政治的認識を高めていくのか。また、社会構造を問い直すためのアドボカシーや政策提言にどう関わっていくのか。これらの検証を通じ、「構造変革」という抽象的概念を、教育によって駆動される具体的な「社会設計の作法(メソッド)」へと具現化していくこと。それこそが、本研究が切り拓くべき次なる地平である。
さらにいえば、「構造変革の教育」モデルの実効性について、例えば次のような課題が残されている。ひとつは、教育現場における「評価」の困難性である。内面的な道徳心とは異なり、社会構造の変革という長期的かつ多因子による事象を、いかに教育的成果として測定するかという方法論の確立である。具体的には、リフレクション・ログ(振り返りの記録)の質的分析を通じて、学習者の語彙が「情緒的な共感」から「社会構造への批判」へと変容するプロセスを評価指標として定式化することも考えられる。その際、個々人が抱える固有の課題を権利の主張へとつなげるアドボカシーの展開や、共通の課題をもつ人々が連帯して集団的な力を組織し社会に働きかける「コミュニティ・オーガナイジング」の成立過程を、「学び」が社会変革の「力」へと結実した「実践的成果」として評価体系に組み込む視点も有効であろう。
いまひとつは、学校という公教育の場において、既存の社会構造を批判的に問い直す「変革主体」の育成が、学習指導要領や行政的枠組みといかなる緊張関係のなかで共存し得るかという点である。これについては、それを「対立」としてではなく、学校教育等の既存システムの再定義を促すための創造的な摩擦として位置づけることが重要となる。教育現場において、社会の不条理を所与の条件として受け入れさせるのではなく、それを変革すべき教材として提示することは、「主権者教育」としての「まちづくりと市民福祉教育」の本来の姿である。
すなわち、「市民福祉教育」は、「まちづくり」のための単なる地域貢献活動やボランティア活動、そのためのサービスラーニングにとどまるものではない。主権者・政治主体としての子どもの社会参加の促進と政治的リテラシー(政治的判断力や批判力)の育成・向上を図る教育をいう。それは、地域の課題を通じて地域政治や地域行政のあり方などについて学び、考えることから始まる。そのためには、学校を地域に開き、多様な人々や組織・機関などとネットワークを形成し、共働する場(プラットフォーム)とすることが肝要となる。それを通して、「市民」としての資質・能力の育成(市民性教育)が図られ、地域の課題解決に向けて具体的に働きかけていく政治的運動としての「まちづくり」が展開されることになる。それは、人権と思想・信条の自由(人権教育)を前提とした、「対話と共働」の運動である。
また、教育行政や関係機関についても、単なる管理・指導の主体にとどまるのではなく、地域が抱える不条理を市民と共に担う「共事者」へとその役割を再定義し、相互補完的なガバナンスへと転換していくことが求められる。とりわけ学校は、教育基本法1条が謳う「平和で民主的な国家及び社会の形成者」を育む場であり、学校教育法21条が示す「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度」を養う場である。それゆえに、子どもから地域の大人までの市民が構造的な地域生活課題に向き合い、「連帯と共働」を通じて解決を模索する、地域共生社会の「ハブ」(結節点)ないし「プラットフォーム」としての機能を十全に果たすことが期待される。そこでは、当然のことながら、教員の専門性のあり方も問い直されることになる。
ここでいう教育の専門性とは、教育現場における「政治的中立性」の真義を問い直すものでもある。それは、特定の党派や政治団体(政党政治)への加担を排することであり、政治という社会的営為に対する沈黙や回避を意味するものではない。むしろ、安易に「中立」を標榜して沈黙することは、社会に潜む不条理や既存の抑圧構造を追認し、結果として現状維持に加担してしまうリスクを孕んでいる。教育の本質は、社会に厳然と存在する不条理や構造的課題を「生きた教材」として提示し、多様な価値観が交錯するなかで「対話と共働」を継続させる場を保障することにある。教員に求められるのは、中立という名の思考停止に陥ることでも、特定のイデオロギーを注入することでもない。自らも地域社会の一員であり、市民の一人であるという自覚を持ち、自らの価値観を絶対視することなく、子どもをはじめ地域住民や多様な専門職、行政などと共に社会を編み直すための「市民的作法」を探究し続ける。その謙虚で理性的な構えこそが、主権者教育としての市民福祉教育を担う教員の新たな専門性として確立されなければならない。これは、地域課題を自分事として捉え直す政治的リテラシーの育成・向上を図る「まちづくりと市民福祉教育」において、極めて重要な課題である。
併せて、この「変革主体」としての専門性の再定義は、教員という職種に限定されるものではない。ソーシャルワーカーもまた、そのアイデンティティの根幹に「社会変革」を据えた、数少ない専門職のひとつである。国際ソーシャルワーカー連盟(IFSW)と国際ソーシャルワーク教育学校連盟(IASSW)が2014年7月に採択した「ソーシャルワーク専門職のグローバル定義」は、ソーシャルワークを次のように規定している。「ソーシャルワークは、社会変革と社会開発、社会的結束、および人々のエンパワメントと解放を促進する、実践に基づいた専門職であり学問である」、がそれである。また、この規定の趣旨は、2020年6月に改定(採択)された日本社会福祉士会の「社会福祉士の倫理綱領」、その前文においても明文化されている。

すなわち、ソーシャルワーカーにとって、社会変革を促すことは、業務上の付随的な機能ではなく、専門職としての存在理由そのものに位置づけられているのである。この点で、教員が「主権者教育」を通じて子どもを「変革主体」へと育てる役割を担うのだとすれば、ソーシャルワーカーは自らが直接「変革主体」として、排除され孤立した人々との関わりのなかで社会そのものを問い直し、その改良と変化を促進する存在として位置づけられるのである。
この意味において、教員とソーシャルワーカーはともに、対象となる人々(子ども、クライエント)を「支援される客体」としてではなく、地域の不条理に共に向き合い、社会を編み直していく変革の当事者・共働者として位置づけ直そうとする点で、その専門性の核心を共有しているといえる。この共有された専門性は、単なる理念にとどまらず、「まちづくり」の具現化を図るに際して、教員とソーシャルワーカーの連携と共働のあり方において厳しく問われるのである。
引用・参考文献
(1)岩渕功一(2025)『多様性とどう向き合うか―違和感から考える』岩波新書。
(2) 大橋謙策(1995)『地域福祉論』放送大学教育振興会。
(3)奥田知志(2012)『「助けて」と言おう』日本キリスト教団出版局。
(4)奥田知志(2025)『わたしがいる あなたがいる なんとかなる―「希望のまち」のつくりかた』西日本新聞社。
(5)鎌田華乃子(2020)『コミュニティ・オーガナイジング―ほしい未来をみんなで創る5つのステップ』英治出版。
(6)鯨岡峻(2006)『ひとがひとをわかるということ―間主観性と相互主体性』ミネルヴァ書房。
(7)熊谷晋一郎(2012)「自立は、依存先を増やすこと 希望は、絶望を分かち合うこと」(インタビュー/鎌田晋明、編集/脇田真也)『TOKYO人権』第56号、東京都人権啓発センター。
(8)小松理虔(2025)『小名浜ピープルズ』里山社。
(9)志水宏吉ほか編著(2025)『社会関係資本を活かした学校づくり―事例とデータでみる子どもたちの「つながり」―』ミネルヴァ書房。
(10)玉野井芳郎(1979)『地域主義の思想』農山漁村文化協会。
(11)中島康晴(2019)『「出逢い直し」の地域共生社会―ソーシャルワークにおけるこれからの「社会変革」のかたち』(上巻・下巻)批評社。
(12)原田正樹(2022)『福祉教育の理論と実践方法―共に生きる力を育むために―』全国社会福祉協議会。
(13)ロバート・D・パットナム、柴内康文訳(2006)『孤独なボウリング』柏書房。
(14)ベル・フックス、里見実監訳、朴和美・堀田碧・吉原令子訳(2023)『学ぶことは、とびこえること―自由のためのフェミニズム教育』ちくま学芸文庫。
(15)パウロ・フレイレ、里見実訳(2001)『希望の教育学』太郎次郎社エディタス。
(16)パウロ・フレイレ、三砂ちづる訳(2011)『被抑圧者の教育学』(新訳版)亜紀書房。
補論
“あいとぴあカレッジ”にみる「まちづくりと市民福祉教育」の計画化
―第4章の枠組みを実践に照らして検討する―
はじめに
第4章で提示した「権利と構造変革の教育」は、小松理虔と奥田知志の言説を補助線とした分析視角であり、いまだ仮説的な視座にとどまっている。そこで本補論では、この視座に実践的な裏づけを与えるべく、東京都狛江市社会福祉協議会(以下、社協)の“あいとぴあカレッジ”(1991年開講)を事例として取りあげ、「まちづくりと市民福祉教育」がいかに計画化され、構造化されていったのかを検討する。
本補論における研究手法は事例研究であり、地域福祉活動計画「あいとぴあ推進計画」(1990年3月策定)の立案過程と実施過程に関する一次資料(会議記録、事業計画書、学習プログラム等)を分析の対象とする。ただし、あらかじめ2点を断っておかねばならない。第1に、筆者は当時の計画策定と実践に関与した当事者であり、記述には立場性による制約がある。第2に、本事例は1990年代の単一事例であり、第4章の概念との対応づけは、あくまで現在の視点からの再解釈である。当時の計画者が「共事者」や「依存の権利化」といった概念を用いていたわけではない。それゆえ、以下では、当時の事実(Ⅰ~Ⅲ)と、現在の視点からの再解釈(Ⅳ)とを区別して述べることとする。
Ⅰ 事例の概要と計画の論理
“あいとぴあ”とは、7万市民の“であい”“ふれあい”“ささえあい”を示す3つの“あい”とユートピア(理想郷)の合成語であり、市民が主体となって進める「福祉のまちづくり」の基本精神を表す。計画の策定は、1988年7月の第1回運営委員会から始まり、1990年3月に社協の基本計画として承認された。その重点事業として構想されたのが、“あいとぴあカレッジ”である。基礎課程第1期(前期)は1991年5月9日のオリエンテーションで幕を開け、1992年度からはカウンセリング、ホームヘルプ、手話の3コースによる実務課程が加わった。基礎課程は2000年度の第11期まで続き、修了者は累計209名を数える。その後、2002年度の地域版、2004年度から2009年度のマネジメントコースを経て、2018年度からは市委託事業の「福祉カレッジ」へと継承されている。
この実践の基底には、福祉教育計画をめぐる独自の論理があった。第1は、計画の内容が、事業計画(シゴト)、施設整備計画(モノ)、マンパワー計画(ヒト)、財政計画(カネ)の4つから構成され、基本をなすのは事業計画であるという点である。第2は、計画の手順である。通常の「Plan→Do→See」では、福祉教育計画は空論化し、画餅に帰しやすい。そこで、現状分析を起点とする「See→Plan→Do→See」の循環が採られた。なかでも計画の「心臓部分」とされたのが、目標の明確化である。第3は、住民の「学習要求」(学びたい)と「学習必要」(学ぶべき)の区別である。両者は福祉教育というフィルターを通して優先度がつけられ、事業化される。学習必要のみで立案すれば、住民に強制感や疎外感を与えることになるとされた。そして第4は、策定の主体が、あくまで地域住民である点である。ただし、住民に計画策定の力量が乏しいという現実に照らし、社協が住民の主体性を損なわないよう専門的に助言・援助する中核的役割を担うこととされた。
Ⅱ 立案過程にみる住民参加と合意形成
“あいとぴあカレッジ”の事業計画と学習プログラムは、多層的な委員会構造のなかで練りあげられた。1990年8月、学識経験者、ボランティア、住民団体、福祉施設、地域産業、教育機関、行政、社協の関係者27名からなるボランティア活動推進委員会が設置された。幅広い分野に参加を求めたのは、各委員の分野での働きかけを通じて、“あいとぴあ”市民運動の拡大と深化を期待したからである。小・中・高等学校の校長や教頭、教育委員会の参加は、学校における福祉教育推進の契機ともなった。もっとも、委員が多人数であったこともあり、推進委員会は実質的には承認機関にとどまった。積極的な協議の場となったのは、その下に置かれた企画小委員会(10名)と、さらにその内部に設けられた作業委員会(学識経験者と社協職員の4名)であった。作業委員会は通算4回開かれ、ブレイン・ストーミングの討議法によって、事業計画や学習プログラムの基礎的作業を担った。
企画小委員会は1990年9月から1991年2月にかけて4回開催され、そこで確認された原則が、カレッジの性格を決定づけた。第1回では、住民が寄り合って創るカレッジであるという点が再確認され、講師は市内の人材に求めること、学習資料は地域の生の資料による手づくりとすること、会場は小学校の空き教室を活用して「下駄履き」で参加できるようにすることが決められた。第2回では、学習者自身が運営に関われる「運営委員会」の設置が検討され、聴講生制度は「つまみ食い学習」では福祉のまちづくりを担えないとの考えから見送られた。第3回では、講師が自らの内面をさらけ出すことへの戸惑いが提示されたが、講師は生きざまを語ることで学習者に素材を提供し、同時に自らも住民として自己実現を図るのだという理念が、あらためて確認された。こうして、計画案は作業委員会、企画小委員会、推進委員会のあいだを幾度となく往復し、1991年2月の第3回推進委員会で、ほぼ原案通りに決定をみたのである。この過程は、各委員にとって学習と自己実現や自己変革の場でもあった。
Ⅲ 学習プログラムの編成と実施
学習プログラムの立案にあたっては、(1)「はじめに学習者ありき」という認識に立ち、学習者を地域生活主体として捉えること、(2)プログラムを単なる日程表ではなく、学習者の意欲を高める手づくりのものとすること、(3)学習を地域生活に発して地域生活に帰すものとすること、(4)立案の過程そのものを福祉教育とみなすこと、の4点が留意された。ただし、住民に対する学習要求調査は実施されておらず、中心的な学習者の想定も行われなかった。この点は、当時のプログラムの限界として明記しておかねばならない。
学習目標、すなわち学習プログラム全体のねらいは、表補論-1のように設定された。
表補論-1 “あいとぴあカレッジ”の学習目標
学習内容は、福祉のまちづくりを歴史的・社会的に学ぶ「総論」、現実の個々の生活に即して学ぶ「各論」、まちづくりのための具体的な方法や技術・技能を習得する「方法論」の3部から成っていた。学習テーマは、「児童家庭福祉」「高齢者福祉」「障がい者福祉」といった制度的区分ではなく、「あなたは一人で子どもを育てられますか」「あなたの老後の暮らしは誰がみますか」「あなたにとって障害者の問題はひとごとですか」のように、日常の言葉で個人に問いかけるものとされた。また、「楽しい仲間とティータイム~施設見学・交流活動~」も設定された。
学習方法は、講義、討議、実習を中心に、見学、話し合い、発表を取り入れ、学習者の主体的・能動的な活動を促した。講師24名は、著名度や専門度を優先せず、市内でまちづくりの実践や運動に参加する一般住民が登用され、その講話は、学習を方向づけるものではなく、学習者の自主的な学習を誘発する話題提供として位置づけられた。また、社会福祉系大学院生3名がチューター(学習援助者)として配置され、講師への依存を減らす役割を担った。
カレッジの運営体制にも、主体形成への配慮が貫かれていた。学習は第1期(5〜8月)と第2期(10〜2月)に分けて各15回、毎週木曜日の夜に、小学校の図書室で行われた。定員30名を15名ずつ2グループ、7〜8名ずつ4班に分け、班長4名が運営委員会に参加し、8名の学習者が広報委員会で学級通信を編集した。受講料は3,000円とし、これによって参加責任を明確にするとともに、10回以上の出席者には修了証を授与した。1991年5月9日、第1期の学習者は定員の30名を数えた。男性6名、女性24名で、40歳代と50歳代が6割を占め、主婦を中心に教員、学生、施設職員など多様であった。出席率は体験活動と公開講演を除き90%前後の高率を示し、28名が修了した。修了後には、修了者主催の「卒業記念パーティー」が催され、交流や学習、ボランティア活動を行う自主的なグループ「一期生の会」が発足している。
Ⅳ 第4章の枠組みから読み直す
―権利論・構造変革論への展開可能性―
以上の点を、第4章の枠組みに引き寄せて読み直せば、次のような対応を見出すことができる。ただし、これらは現在の視点からの再解釈であり、当時の計画者が意図していた内容そのものではない。また、対応の強さは項目ごとに異なる点に留意したい。
最も明確に対応するのは、計画過程そのものが学習過程であったという点である。複数の委員会は、住民参加と合意形成の場であると同時に、各委員にとって学習と自己実現・自己変革の場でもあった。これは、第4章で述べた「地域福祉計画策定のプロセスは福祉教育の実践過程である」という命題を、実践の側から支持するものといえる。ただし、この点を裏づける直接の根拠は、作業委員会・企画小委員会での討議の経過と、委員の変容を記した当時の社協事務局の記録に限られる。個々の委員の認識がどのように変化したかを示す記録(委員の感想や後年の聞き取りなど)は乏しく、ここでの「学習と自己変革」は、討議の往復と合意形成の過程から読み取った解釈にとどまる。
また、学習者を班活動や運営委員会、広報委員会の担い手とし、「一期生の会」の発足にまで至った経緯は、学習者が社会の「受け手」から地域の「創り手」へと変わる契機を、仕組みとして組み込んでいたことを示している。もっとも、示されているのは仕組みの存在であり、学習者が実際にどこまで「創り手」へ変容したかは、「一期生の会」の発足という一事実から推測するほかない。
次に、専門家支配からの距離である。著名度や専門度による講師選定を避け、住民の生きざまを語る講師と、それを聴く学習者という「語りと傾聴」の関係を軸に据えたことは、専門家が非専門家を導くという教育構造への懐疑に通じる。社協職員を住民の主体性を引き出す側面的な援助者と位置づけたことも、第4章でいう「専門性をもった共事者」の姿と部分的に重なる。ただし、これは理念上の位置づけに関する対応であり、運営の実態において社協職員がどのように振る舞ったかを示す記録は、本稿では確認していない。
さらに注目したいのは、学習テーマの設定である。「あなたは一人で子どもを育てられますか」「あなたの老後の暮らしは誰がみますか」という問いは、制度的な区分を離れ、生活上の困難を個人の責任に閉じず、「誰がみるのか」という社会的な問いとして提示している。これは、個人の生きづらさを自己責任にせず、社会の不備として地域課題へと押しあげる「可視化・共有化」の萌芽と読むことができる。根拠となるのは、学習テーマの文言と、その設定の意図を述べた企画小委員会の記録である。また、講師が自らの苦労や悩みを語り、それを学習者が聴くという場は、困難を「語ってよいもの」「共有してよいもの」とする関係性を育んだ可能性がある。第4章でいえば、「助けて」といえる関係性の素地にあたる。ただし、講師の戸惑いが企画小委員会で提示されたことは、こうした場が自明に成立したのではなく、語ることへの抵抗を乗り越える過程を要したことを示している。
加えて、運営委員会や広報委員会、班活動は、計画やルールを共に決める経験を学習者にもたらした。そこでの議論や葛藤、合意形成は、「当事者と住民が対等に話し合い、地域のルールや支援のあり方を共に決め直す」という「対話化・民主化」の小さな実践であった可能性がある。「一期生の会」の発足は、学習が集団的な行動へと展開し、「行動化・共働化」へ向かう端緒であった。ここでも、運営委員会における実際の議論の内容を示す記録が必要であり、現段階では、仕組みが設けられていたという事実から、その可能性を指摘するにとどまる。
もっとも、これらはいずれも萌芽の段階にとどまる。当時のプログラムは、困難を社会的な問いとして提示したものの、それを「権利」として明示し、制度や構造の変革へと結びつける学習課題までは組み込んでいなかった。「依存」を権利として位置づける視点や、行政・制度への働きかけ(アドボカシーや政策提言)に至る回路も、設計されていたとはいえない。また、第4章の4つのステップ(存在肯定→共働参加→相互依存→共生共創)についても、事例のなかでは「存在肯定」から「共働参加」にあたる局面が中心であり、「相互依存」「共生共創」の段階に達したかどうかは、現時点の資料からは確認できない。
ここで、第4章の枠組みに必ずしも収まらない事実にも目を向けておかねばならない。第1に、推進委員会が実質的には承認機関にとどまり、実質的な協議が下部の小委員会、とりわけ学識経験者と社協職員からなる作業委員会に委ねられたこと。第2に、住民が計画策定の主体であるとされながら、住民に策定の力量が乏しいという現実から、社協が中核的・先導的役割を担わざるをえなかったこと。第3に、学習要求調査が行われず、住民の学習要求が十分に把握されないまま、専門職や関係者の側で学習プログラムが構想されたこと、などである。これらは、「住民主体」という理念と、専門職・社協主導という現実とのあいだに緊張があったことを示している。
この緊張は、本事例の瑕疵として退けるべきものではなく、むしろ第4章の枠組みにとって重要な論点を提供する。第4章では、専門職は「教える側」という特権的な立場を脱ぎ捨て、「専門性をもった共事者」として住民と課題を教材化することが求められる、と述べた。しかし、住民の力量が育っていない段階で、専門職が「住民主体」を標榜しながら実質的に主導することがある。その主導は、住民の主体性を引き出す「触媒」にもなりうるし、「曖昧な善意」のもとで住民を既存の枠組みに導く「専門家支配」にもなりうる。この両義性を見分けるには、第4章が示した「省察的対話(リフレクション)」、すなわち、専門職自身が自らの特権性や「割り切れなさ」を批判的に振り返る場が必要となる。“あいとぴあカレッジ”では、講師の戸惑いを企画小委員会の場で確認し合ったことは、その萌芽的な試みであったとも読める。しかし、専門職の主導性そのものを問い直す場が組み込まれていたかどうかは確認できない。住民主体の理念と専門職主導の現実との緊張を、隠すのではなく学習の対象として引き受けること、これが、計画化の土台のうえに権利論・構造変革論を重ねていくための前提となる。
このことは、本事例の限界であると同時に、第4章の枠組みが事例に対して提示する課題でもある。すなわち、計画化と学習過程の構造化という土台のうえに、(1)生活課題を権利の問題として学ぶ内容の導入、(2)学習成果を制度・施策への提言や地域ルールの見直しへ接続する回路の設計、(3)「依存」を肯定し合う関係性を学習の核に据えること、(4)専門職の主導性を省察する場の組み込みを重ねていくことで、「住民主体の計画化」は「権利と構造変革の教育」へと展開しうる。この意味で、“あいとぴあカレッジ”は、第4章の枠組みを完全に実証する事例というより、その枠組みへと発展させていくための出発点として位置づけられる。
おわりに
本補論は、第4章の仮説的な視座に対し、計画化の過程という実践的な側面から、一定の裏づけを与えようとしたものである。しかし、その限界も明らかである。事例は30年以上前の単一事例であり、一般化はできない。修了後の行動変容を追跡するデータも乏しく、「一期生の会」の発足以上の成果を示すことはできない。そのうえ、筆者自身が当事者であることによる偏りも免れない。今後の課題は多岐にわたるが、ここでは、そのうち主なものを3点指摘しておきたい。第1に、現代の他地域の実践との比較や、当時の関係者や地域住民への聞き取りによる追跡的検証を通じて、第4章の枠組みを実証的に検討すること。第2に、計画化の土台のうえに、地域共生社会論・権利論・構造変革論の学習をいかに組み込むかを探ること。第3に、住民主体の理念と専門職主導の現実との間にある緊張関係を明らかにし、その関係を住民と専門職がともに問い直し、住民主体の「まちづくり」につなげていくための学習のあり方を探究することである。
【初出】
Ⅰ~Ⅲの各節は、「地域における福祉教育の計画と学習プログラム」『日本の地域福祉』第5巻、日本地域福祉学会、1992年3月、84–106頁を要約・再構成したものである。
〈改稿〉「まちづくりと市民福祉教育」論
―「権利と構造変革の教育」への道―
発 行:2026年11月1日
著 者:阪野 貢
発行者:田村禎章・三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所




