阪野 貢 のすべての投稿

「偏見」を助長し、「逆差別」を生み出す福祉教育実践(第2報)―Y氏の雑感―

「雑感」(2014年2月10日)にアップした拙文――「『偏見』を助長し、『逆差別』を生み出す福祉教育実践」に関して、早速、熱心なブログ読者のY氏から次のようなメールをいただきました。それを、議論を深めることができればという思いから、「Y氏の雑感」としてアップすることにしました。

前段について‥‥‥
(1)聴講者が「重度の障がい者がその障害を乗り越えて‥‥」を前提にした「講演」として聴いたことは、否定できないことかもしれません。また、おっしゃる通り、その場限りの「人生の応援歌」であるかもしれません。しかし、少なからぬ人々に感動を与えたのではないかと思います。正直、自分の障害を話題(ネタ)にしているといえばそれまでですが、少なくとも私は、他の人に対してあれだけの「人生の応援歌」を熱唱することはできません。あのような「人生の応援歌」を期待し、それを待っている人(聴講者)がいるということを考える必要があると思います。要は、障害のあるなしではなく、その人がその人の生き様を、どんな内容で話ができるかが重要だと思います。
(2)私は、「障碍」(人が困難に直面していること)は、なにも「障がい者」だけにあるものではないと考えます。それぞれの人がそれぞれの障碍を抱えています。そして、「障碍とともに生きることが人生である」といえるかと思います。「障碍を乗り越える」、それは自分自身のことであっても、多くの人々の力を借りながら乗り越えていることは確かなことだと思います。このことは彼女も私も同じです。
(3)講師を務めた彼女の今の生き方は誰が決めたのでしょうか? 彼女自身であると考えます! もし、人によって決められたものであるなら、それは至極悲しいことです。彼女自身も解ったうえで、今の活動をしているのかもしれません。彼女に対し最も偏見や差別のない第三者は、ご両親ではないでしょうか? ご両親は、今の彼女の生き方をどう思っていらっしゃるのでしょうか?
 
中段について‥‥‥
(4)彼の「普段の、普通の暮らし」の話に関して、前段の彼女の話は、「普段の、普通の暮らし」の話ではないということでしょうか? 福祉教育実践は、「普段の、普通の暮らし」の話が必要不可欠であり、彼女のような華やかな話は必要ないということでしょうか? 確かに一部の華やかな話に惑わされて、「普段の、普通の暮らし」が隠れてしまってはいけないことだと考えます。
(5)彼女の様子と比較するために、あえて次の一文を入れられたのでしょうか?
「彼は、一杯のお茶をストローで啜(すす)り、車椅子に乗ってひとりで帰っていかれました。」

後段について‥‥‥
(6)先生が今回の「雑感」で真に伝えたいことは、「社会福祉協議会による福祉教育の取り組みが、障害や障がい者に対する『偏見』を助長し、『逆差別』を生み出してきたのではないか。また、障がい者間の偏見や差別の問題を見過ごしてきた、いやあえて避けてきたのではないか。」ということだと理解します。
これは、社会福祉協議会の福祉教育実践に関して、核心を突いたご指摘であり、重要な問題提起だと思います。
(7)「障害」「障がい者」「障がい者の暮らし」についての理解の仕方と、「共に『活きる』 」まちづくりにつながる具体的な実践方法などについて、ご一緒に考えたいと思います。
(8)私は、何も分からぬままにこの仕事に就いたとき、「障がい者のあいだにも偏見や差別がある!」ことに驚きと寂しさを強く感じました。しかし、その偏見や差別に抗する術(すべ)はありませんでした。障がい者に対する福祉教育も重要だと考えています。

筆者(阪野)から、若干のコメントを付しておきます。
(1)に関して‥‥‥
「人生の応援歌」を全否定するつもりは毛頭ありません。筆者も、彼女のような「人生の応援歌」を大熱唱することはできません。
自分の人生について熱く語ることができる人がいる反面、何らかの事情によって語れない人、あるいは語りたくない人がいることも事実です。そこに偏見や差別が存在するであろうことも、想像に難くないと思います。
「障害のあるなしではなく、その人がその人の生き様を、どんな内容で話ができるかが重要だと思います」。このご指摘には同感であり、異を唱えるものではありません。
「講演」は、「関心」と「感動」、そして何よりも「変化」と「行動」を呼び起こすものでありたいものです。
(2)に関して‥‥‥
「障碍(人が困難に直面していること)とともに生きることが人生である」。心に留めておきたいフレーズです。
(3)に関して‥‥‥
誤解を恐れずにいえば、「障害」や「障がい者」に対する偏見や差別のうちで最も強いものは、家族のそれかもしれません。
親子の「血の繋がり」や家族の「絆」という言葉(美辞麗句)のもとで、日常的に無自覚に偏見・差別や抑圧・強制などが行われ、障がい者本人の自立と自律(二つの「じりつ」)が妨げられていることも事実ではないでしょうか。
ここでは、「基調」講演を企画した福祉関係者の「福祉教育観」こそが、厳しく問われるべきだと考えます。
(4)に関して‥‥‥
彼女と彼の「普段の、普通の暮らし」の話に注目すべきです。それよりも、ここでとりわけ目を向けてほしいのは、「地域・地元で偏見や差別と闘っている」彼の暮らしと、障がい者自身による市民運動としての差別撤廃運動や福祉の(による)まちづくり運動についてです。そして、障害があるなしに関わらず、同じ思いや志(こころざし)を持つ者同士が「共闘」することです。さらには、それを通して「共生」の道を探求することです。
(5)に関して‥‥‥
その通りです。彼女の講演は、「福祉教育」の分科会で、「基調」講演として行われたものです。しかし、その内実は「記念」講演というべきものでした。当日は、複数の分科会が準備され、著名な方々が基調講演を行っていました。そういうなかで、何故か、花束が贈呈されたのは彼女だけでした。たかが花束ですが、筆者はこの点を看過することはできません。
(8)に関して‥‥‥
障がい者と地域住民等との連携・協働とともに、障がい者や障がい者団体等の相互の連携・協働も必要かつ重要です。また、障がい者の自立生活運動や自立支援運動の推進を図るための福祉教育のあり方を問う必要があるのではないでしょうか。
筆者は、以前から、福祉サービスの利用者とともに、福祉従事者に対する「市民福祉教育」の必要性と重要性について指摘してきました。その際の市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉の(による)まちづくりの主体形成(市民性形成)を図るために行われる意図的な活動をいいます。

「偏見」を助長し、「逆差別」を生み出す福祉教育実践

福祉教育の研修会で、重度の身体障害のある女性の講演を聞くことになりました。彼女は、普段あまり見かけない車椅子に乗って、颯爽(さっそう)と登壇し、美しい声で話し始めました。舞台の脇には、マネージャーと思われる人がそれらしい姿で立っていました。講演の終盤に差しかかると、彼女は色紙にサインをし、最後には花束を抱えて、満面の笑みを浮かべながら退場していかれました。まるでアーティストの全国ツアーのひとコマのようでした。講演は、自身の著作に記されている過去の “出来事” についての話に終始していました。その内容は、「ありがとう」「笑顔」「支え合い」「絆」をキーワードに、自分の “生い立ち” とこれまでの “頑張り” を説く、その場限りの「人生の応援歌」でした。
  
学校における福祉教育実践の場で、脳性マヒ者の男性の講話を聴く機会に恵まれました。彼は、地域・地元で偏見や差別と闘っている普段の、普通の暮らしについて話し始めました。生徒たちは、彼の吃りながらの、重みのある一言一言に何かを見出 し、何かを掴みとろうと、真剣に耳を傾けていました。講話の内容は、障がい者は特別の存在ではなく、健常者と障がい者が共に「活きる」ためには、互いを知りあうことが大切である。とりわけ障がい者は、地域社会の一員として、地域のみんなに自分の意思を伝えることが大事である。それが、明日につながる、福祉のまちづくりのための障害者運動である、というものでした。講話が終わると、彼は、一杯のお茶をストローで啜(すす)り、車椅子に乗ってひとりで帰っていかれました。

筆者(阪野)は、彼女と彼の生き方については、とやかく言えないし、言うつもりもありません。このことを断ったうえで、あえて言えば、彼女の基調講演と彼の講話が、ともに社会福祉協議会の催 しによるものであることが気にかかります。両者の違いについて考えるなかで、関係者の「福祉教育観」を厳しく問い直す必要があるのではないか。そして、これまでの福祉教育実践は、障害や障がい者に対する「偏見」を助長し、「逆差別」を生み出 してきたのではないか。また、障がい者間の偏見や差別の問題を見過ごしてきた、いやあえて避けてきたのではないか。そんなことを考えてしまいます。また、それ故にか、彼の、福祉のまちづくりをめざして 「 共に『活きる』 」、 という言葉の重みが心に響きます。それは筆者だけでしょうか。

“車椅子”のつぶやき

ブログ読者 (K氏) からメールをいただきました。意味深長なものであり、アップすることにしました。ご感想やご意見等をいただければK氏にもお伝えしたいと思っています。

私は車椅子です。

私を利用してくれるのはKさんです。
Kさんは、地元地域 (ホーム) で、仲間とともに偏見や差別と闘っています。
また、Kさんは、学校などで、
自分の障害や家族生活などについて話をすることがあります。
そのときのKさんは輝いているように見えます。

Kさんと外出すると、いまだに、私は多くの人びとの注目を浴びます。
後ろで、私を押してくれる人がいるときも、視線はその人に注がれます。
私を利用して移動するのはKさんです。Kさんが主役です。
主客が転倒しているように思えてなりません。

私には、 「ボランティア」 という古い友人がいます。
その友人は、最近、地震や水害などの自然災害が起こったとき、
“動員” や “派遣” という形で、大活躍しています。
その友人の性格が分からなくなってきています。

先日、私は、背の高い、美しい仲間と出会いました。
彼女は、遠方各地 (アウェイ) で講演活動をしている人といつも一緒だそうです。
タレントのようなその人の話は、「人生の応援歌」でした。
逆に、Kさんらの生き方が心配になってきます。

日常生活上の “葛藤” や “ゆらぎ” に福祉教育の本質を見出したい

昨年12月28日にアップした「よんださんの子」をめぐって、複数のブログ読者から貴重なご感想やご意見等をいただきました。そのうちのSさんとは、「ディスカッションルーム」上で、N氏の散文とそれに対する筆者(阪野)のコメントをめぐって、若干の意見交換を行いました。その際、筆者は、「厳しい差別の現実に向き合わない福祉教育」「ICFの理念に酔っている福祉教育」等の、やや自虐的なフレーズをSさんに投げかけています。それらを踏まえて、筆者は、「よんださんの子」の原稿に、新たに 「 『偏見』や『差別』の現実を軽視した『共生』と『福祉教育』への想い 」 というサブタイトルを付けることにしました。
以下に、Sさんのご感想をアップさせていただきます。議論が深まることを期待します。

私が福祉教育の実践をしていて感じるのは、子どもたちに伝えられるのはどうしても「かたち」だけにとどまりがちである、ということでしょうか。
「差別」に関しても、おっしゃるように「共に生きる」が優先され、「上辺」だけというか、「かたち」だけになりがちです。
私のつたない経験談で申し訳ないのですが、私が中学・高校生の折、筋ジストロフィーの双子が同じ学校に通っておりました。二人とも車いす生活でしたが、そのころの学校にはエレベーターなどあるはずもなく、3階まである校舎を、移動教室があるたびに、「人力」で上へ下へと移動していました。その人力として活躍したのは、双子の同級生たちであり、他学年の生徒たちでした。
いまでは安全面からそのようなことは考えられないと思いますが、彼ら双子の周りにはいつも人がいて、みんなで助け合うことが当たり前になっていたのです。助け合うことは、生徒たちのごくごく自然な心情であり、態度であり、行動でした。
高校生のときに、双子のひとりは本当に残念ながら他界されました。もうひとりの子は、国立大学を卒業したと聞いております。私自身、彼らの生き方から実に多くを学ぶことができました。そこには、「福祉」や「価値観」について、学校や教師からの一方的な押しつけなどありませんでした。
日常の暮らしのなかで、相手の気持ちを考えたり、自分の行動を見つめ直したりする。一般的には間違いであったり、悪い感情として捉えられたりするような気持ちのやり取りや「葛藤」を経験する。こうした「ゆらぎ」があってこそ、いろいろなコトや面についての新たな“気づき”や考え方の“軸”が得られ、自分らしく、豊かに「生きる」ことができるようになるのではないか。このあたりに、福祉教育のめざすべきものがありそうだと思っています。
日常のなかでそういった経験ができた私は、ある意味「しあわせもの」だったかもしれません。
子どもたちを対象とした「福祉」の体系的な学習は、福祉教育を推進する側からするとやりやすいのですが、限られた時間のなかでは福祉教育の本質には近づけないということも理解できます。福祉教育にのめり込むほどに、福祉教育についての認識と実践に関して、矛盾やジレンマ、もどかしさを感じています。

蛇足ながら、筆者から一言。
人や社会の思考と行動には、冷たさと温かさ、弱さと強さ、狭さと広さ、などが同居しています。それらとどのように向き合い、それらをどのような角度で掘り下げ、そしてそれらをいかに鋭くあぶり出すか。それによってはじめて、Sさんのいう福祉教育の「本質」に迫る“糸口”を見出すことができるのではないでしょうか。

「福祉」と “ふくし” 、そして幸福学

昨年8月にH県社協で行った講演後に、受講者のお一人(民生委員)から「福祉」と「ふくし」のことに関していま一度確認したい旨のご連絡をいただいておりました。そのことが、2013年12月末にその年の手帳を読み返していた折に分かりました。遅ればせながら、次のように回答させていただきます。

「福祉」・・・「だんの らしの あわせ」「ふくし」
「しあわせ」・・・「満足していて、楽しいこと」
「福祉」・・・自分の、そしてみんなの「ふだんの くらしの しあわせ」(「ふくし」」)について、「いま」「ここで」、自分で、そしてみんなで「考え、汗を流すこと」

「しあわせ」(「幸福」)に関して、付け加えておきます。
ご案内のように、「幸福」(happiness、well-being)についての科学的な研究(「幸福学」)は、20世紀後半以降、心理学をはじめ経済学や社会学、医療や福祉の分野などで進められてきています。その用語や概念については、多義性をはじめ多様性や重層性、そして曖昧性をも多分に含んでいるといわざるを得ません。
一般的には、「幸福」は、「主観的幸福」(subjective well-being)と「客観的幸福」(objective well-being)に分けられますが、前者は「ネットワーク」「思いやりの心」「帰属意識」、後者は「健康」「所得」「地位」などをそれぞれ内実・要素として構造化されると考えられます。また、それらの関係をあえて図示するとすれば、図1のようになるのではないかと思います。
なお、蛇足ながら、「満足していて、楽しいこと」に関して、happiness(幸福)には「楽しさ」という意味もあります。また、19世紀のスイスの哲学者であるH.F.アミエルは「幸福の真の名前は満足である」といっています。さらに、生活満足度(life satisfaction level)は、生活の豊かさやゆとり、その質などに関する生活者本人による主観的な査定に基づくものであり、幸福度(happiness level)は「満足」をベースにした、生活者本人の健康状態や社会的境遇などによる心情的な評価に基づくものである、と考えられます。

「幸福」についての研究には、そのひとつとして、ソーシャル・キャピタル(社会関係資本:Social Capital、以下「SC」と略す。)についての研究枠組みやそれに関連する知見が「使える」のではないかと思料します。そこで、以下に、かつて筆者(阪野)がSCと市民福祉教育(Citizens Socio-education)に関して記した拙文を、多少長くなりますが、再掲します。なお、「教育」は、それによって環境やその変化への適応を可能にするという意味において、間接的に幸福に寄与することもある。しかし、教育自体としては主観的幸福(感)との関連性はほとんどない、という言説もあることを付記しておきます。

〇SCとは、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(network:社会的つながり)と、そこから生まれる互酬性の「規範」(norm:「~べきである」と表現することのできる行動や判断の基準・手本。法律や道徳・倫理・ルール・慣習など)、それに一般的な人々に対する「信頼」(trust)の3つの内実・構成要素からなる状態をいう。3つの関係については、「ネットワーク」は「信頼」や「互酬性の規範」(norms of reciprocity:お互いさまの支えあい)を生み、「互酬性の規範」や「ネットワーク」から社会的な「信頼」が生まれるというように、互いに他者を増加・強化させる関係にある、といわれる。それは、SCが多く蓄積されている地域・社会では、豊かなネットワークのもとに人々の協調行動が起こりやすく、人々は互いに信頼しあい、互いに支えあって、地域・社会の発展を促す、という論理である(R.D.バットナム)。
〇SC論の中心には、人々の「個人的つながり」あるいは「社会的ネットワーク」は価値のある財産(「公共財」)である、という前提が据えられている。これは、イギリスのことわざである「(大切なのは)何を知っているかでなく、誰を知っているかだ」(It is not what you know but who you know )に通ずるものでもある。
〇SCと市民福祉教育の関係について論じる場合、先ずは、SCの形成にとって市民福祉教育はどのような役割を果たすのか、市民福祉教育の展開にとってSCはどのような意味をもつのか、ということが問われよう。
〇SCの醸成・蓄積・向上によって人々のつながりや社会的ネットワークが豊かに構築されるところでは、人々の、福祉の(による)まちづくりやそのための市民福祉教育への関心や理解、参加はその度合いを高める。また、福祉の(による)まちづくりや市民福祉教育への関わりが高い人々は、パーソナルネットワーク(個人を中心とした他者とのネットワーク)や社会的ネットワークとの親和性や価値を高め、SCの蓄積・向上を促すことになる。
〇地域に根ざした、地域ぐるみの豊かな市民福祉教育の実践はSCを形成する。豊かなSCの蓄積は、より豊かな市民福祉教育の推進につながる。換言すれば、SCは市民福祉教育を推進するためのひとつの資源であり、またSCを醸成するプロセスは市民福祉教育の推進のプロセスの一部でもある、といえよう。その点において、市民福祉教育の進展の度合いは、SCのひとつの指標になり得るといってよい。
〇SCと市民福祉教育の関係は相乗的に互いを促進しあう関係(好循環関係)になり得るが、場合によっては、その関係性がマイナスに機能することもある。例えば、前近代的な小地域において、人々の旧来のつながりが強いところでは、福祉の(による)まちづくりやそのための市民福祉教育の関心や理解、参加は抑制される。情報提供や意見交換、社会参加活動が普段のインフォーマルな関係のなかで事象的にはスムーズに行われるがゆえに、それがかえって計画的な福祉の(による)まちづくり施策の推進や系統的な市民福祉教育の展開などについての認識や理解を鈍らせることになるのである。
〇SCは、それ自体の醸成・蓄積を図るための取り組みのなかから形成されるものではない。それは、人々が抱える生活問題やその重要な一部分である福祉問題の解決を図り、福祉の(による)まちづくりを進める取り組みを通して、統治パフォーマンス(遂行能力)を高め、より良き統治を実現する、その過程のなかから生まれるものである。
〇SCと市民福祉教育の関係については、図2のように示すことができよう。
(『Lecture Notes 地域福祉・まちづくり・市民福祉教育』2012年、57~59ページ)

1月6日17時

市民福祉教育研究所/2013年のブログ/年間レポート

市民福祉教育研究所/2013年のブログ/年間レポート 

統計情報
シドニーにあるオペラハウスのコンサートホールには2,700人が収容できます。2013年にこのブログは約27,000回表示されました。オペラハウスのコンサート10回分になります。
2013年には44件の新しい投稿が追加され、このブログのアーカイブの合計は68件になりました。 139枚の写真がアップロードされました。合計6 MB になります。 これは一週間あたり約3枚の写真の計算になります。
1年のうち一番人気のあった日は7月26日で、600回表示されました。その日最も人気があった記事は「市民福祉教育の概念」です。
ちなみに、2012年6月25日にこのブログを開設して以来、2013年12月31日現在で33,913回表示されました。

注目記事
以下は、2013年に最もよく読まれた投稿です。
(1) 福祉教育におけるアウトリーチ活動―福祉の(による)まちづくりの住民主体形成を推進するために―/2012年11月
(2)地域福祉懇談会と市民福祉教育―ニーズの把握と活動への動機づけをめざして―/2012年12月
(3)天竜厚生会における福祉教育の取り組み―資料紹介―/2013年7月
(4)幼児福祉教育―狛江市社協のふくしえほん「あいとぴあ」20年のあゆみ―/2013年4月
(5)地域福祉推進の基本的視点―福祉教育実践の内容と方法を考えるために―/2013年6月
(6)介護等体験と福祉教育―介護等体験は“古くて狭い”福祉観や教育観を再生産する―/2012年10月
(7)教育における権力と権威―いじめの次は体罰か―/2013年1月
(8)パターナリズムと市民福祉教育/2012年9月
(9)「協同実践」と市民福祉教育/2012年10月
(10)社協の今後のあり方を問う―市社協の協業経営体化と地区社協のNPO法人化―/2012年11月

読者の訪問元
検索エンジンから訪問してきた方もいたようです。多くの人は、「阪野貢」「市民福祉教育」「アウトリーチ 福祉」「市民福祉教育研究所」を探してきました。

読者の所在地
合計19ヶ国です。
人気の国は、日本、大韓民国、米国、モンゴル、台湾、イギリス、フィンランド、フィリピン、スウェーデン、ドイツです。

よんださんの子―「偏見」や「差別」の現実を軽視した「共生」と「福祉教育」への想い―

「よんださんの子」
私が言われてきたことばである。地域の大人から、ことあるごとに言われてきた。
私には2歳うえの兄がいる。彼は、小学校の成績はいつもトップクラスだった。
その小学校では、学期ごとに、「級長」という名のクラスの代表が生徒の選挙によって選ばれた。彼はいつも1学期の級長を務めた。級長になると、それを記す胸章と腕章をつけて自慢げに登下校した。
その様子をみて、何よりも誇りに思ったのは、家のことについて何も知らされず、若くして嫁いできた母であったろう。
兄はまた、児童会の会長も務め、運動会の入場式では全校生徒の先頭を意気揚々と、国旗を持って行進した。また、学芸会の開会式では、大勢の父兄に向かって挨拶もした。
親にとっては自慢の長男であった。か細いながらも、はっきりとものを言う子どもであった。それ故に、親は大いに期待をし、また当然のことながら彼を溺愛した。
「あそこの兄ちゃんは、いつも級長になるなあ。児童会の会長だって。そりゃそうさ。あの母さんは教育熱心で、学校の先生に砂糖一斤、付け届けしているんだから――」。根も葉もないことがその都度、近所では囁かれていたと言う。
当時、家は、赤貧洗うが如し、の状態に近かった。親は、夜遅くまで月灯りの下で野良仕事をし、狭い土間で夜なべ仕事をしていた。それなりの人で賑わう地元の秋祭りの日は、家のカレンダーにはなかった。冬になると、親の手はひびとあかぎれで覆われ、思わず目をそむけたくなるほどであった。
そんな暮らしのなかで、付け届けができる余裕などあるはずもなかった。
親は、兄のために、近くにある大学の学生を無償で、8畳ほどの離れに下宿させ、勉強をみてもらうことにした。熱心な家庭教師であった。私には、ほとんどその機会や場は与えられなかった。
父は明治生まれ、母は大正生まれの百姓である。また、「父兄」を重んじる土地柄であり、時代でもあったといえば、それまでのことである。
いつごろからか、私は吃り始めた。それからというもの、私にとって学校は、あたかも拷問を受けるかのような場と化した。とりわけ国語の時間は、拷問のそのときであった。拷問の器具は国語の教科書一冊。しかも文章のひとつの段落であった。それで事足りた。
起立して朗読する順番が回ってくるとき、私の心臓は破裂しそうになった。朗読はわずか数分のものであったろうが、私には長い時間に思えてならなかった。その間は、教室に笑いの渦が広がった。教師もその渦のなかにつつまれ、ひとこともなく教卓のそばに立つだけだった。
数時間の拷問を受けたあと、汗だくになって着席しても、胸の鼓動はおさまらなかった。それは下校する時間になるころまで続いた。
こうした拷問は、小学校、中学校、そして高校まで続いた。教師の薄ら笑いとともに、である。
「今日は国語の時間がない」という日は、気弱な子どもではあったが、それなりに学校は楽しいものでもあった。
病気のとき以外、学校を休むことは許されなかった。それは母の強い想いであったろう。そこに、屋号でもない、特別の名称で呼ばれる家の「嫁さん」として、どんな想いがあったかどうかは、私は知らない。
兄と私は、ある高校への入学をめざして、私立の中学校に通った。そのための学費を親がどのように工面したのか、これも私は知らない。ただ、当時、学生服が木綿から合成繊維に代わる時代であったが、兄はクラスでただ一人、3年間、安い木綿の制服を着て通した。
兄のあとを追うように、私も同じ高校に入学した。
その高校に通う電車の途中駅から、学校帰りの知的障がいの子どもたちが乗り込んでくることがしばしばあった。彼らの言動には不可解なところもあった。大学進学を考え始めた3年生になりたてのころからだろうか。その言動や彼らが通う学校のことが気にかかるようになっていた。
彼らのことが不思議に思えたのである。別世界のことのようでもあり、何よりも楽しげであった。
そこで、私は、親の反対を押し切って、「福祉」と「教育」を学べる東京の大学を受験し、入学することになった。父と私の間には、幾度となく「勘当」ということばが激しく行き交った。
そのせいでもなかろうが、「お宅の次男はどこの大学にいったのかねー」という知人の問いに対して、父の応えはいつも決まっていた。「東京『の』大学だ」。「の」の字が必ず入っていた。
親にとっては、また私にとっても、「知的障がい」や「福祉」は分からないものであり、未知の世界であった。
ただ、私は、小学校以来の拷問からいっときも早く逃れたい。私のことを誰も知らないところに、また私に優しく接してくれるであろう福祉という世界に身を隠したい。その一念であった。それはまた、言うまでもなく、人一倍の劣等感によるものであった。
大学生活の4年間は、私にとっては実に楽しいものであった。学費を稼ぐための、1年365日のアルバイトも楽しかった。バイト先では、ろくに仕事もせずに、バイト代の賃上げ要求の先頭に立った。70年安保を前に、学生運動が激しさを増すときである。
仕事を終えて、東中野の四畳半の下宿に帰り着くのは、いつも夜中の11時ころだった。それから、閉店間際の銭湯の熱い湯に身を沈めた。至福のひとときであった。
大学の授業が休講になったときなどは、歌舞伎町の映画館にも通った。アンパンを食べながら、3本立ての映画を観て、バイト先に急いだこともあった。
「福祉」の「ふ」も分からない私は、その後敬愛の念を深め、強く影響を受けることになる教授たちの講義を聴いた。2年生のころからか、ほんの少しずつではあったが、福祉や世間とやらについて解かり始めてきた。いや、解ろうと努めるようになった。
そこには、大学の数少ない友達だけではなく、社会の底辺に澱みながらも、必死に生きようとする人たちやその暮らしとの邂逅があった。
私にとっては拷問の場でしかなかった学校、それも大学という学校で、学ぶことの意味や楽しさを味わうことができたのが、何よりであった。
大学の図書館に通い詰めるようになったのも、そのころからである。ときには国立国会図書館まで足を運んだ。新宿の紀伊国屋や渋谷の大盛堂へも歩いて通った。神田の古本屋めぐりも好きだった。
図書館や本屋への帰りに、その近くの喫茶店で飲む安いコーヒーは、足の疲れを取ってくれた。心の乱れを静めてくれた。格別の癒しであった。
こうした東京での生活が、私を大きく変えた。そのひとつは、何故か、吃音から解放され、話すことが自由になった。また、あれほど激しく嫌ってきた学校や教員に、多少なりとも興味を持つようになった。
そしてまた、得体のしれない権力や圧力に対しては、多少なりとも、ときには厳しくそれに対峙する心情を持つようにもなった。あの気弱な、強い無力感と劣等感にさいなまれていた私は、その影を潜めることになっていった。
その後、私は、大学紛争で卒業式もないまま、田舎教師になった。
教員時代の生活はまた、結婚をはさんで、波瀾万丈そのものでもあった。東京に戻っての結婚生活は、四畳半の安アパートで、底辺から這い上がることから始まった。しかし、ほどなくして、幸運にも私は二人の恩師に出会い、懇篤な指導を受けるようになった。それは、その後の私の教育のみならず、人生そのものを決定づけることになった。30歳前後のころである。
勤務した学校は私立ばかりで、3校変わった。3校とも、多くの教職員に惜しまれて辞めることはなかった。その理由のひとつは、権力に対峙した結果である。ただ、再び田舎に舞い戻って勤めた3校目の学校では、多くの卒業生が定年退職を祝ってくれた。それは教師冥利につきるものであった。
いま、私は、40年余の教員生活を終え、晴耕雨読の暮らし方ではない、第二の人生の過ごし方を模索している。
妻は、「あなたは人の3倍は働いたわね」と言う。それは、必ずしも褒め言葉でないことは承知している。たとえ人の3倍働いたとしても、それは貧乏が怖かったからに他ならない。
妻は言う。「あなたは文句ばかり言ってきたわね」。それは断じて違う。身勝手な権力者に対するささやかな抵抗であったのである。ただ、その抵抗は徒労に帰すことが大抵であった。また、権力者にすり寄る人に対しては、ときに冷ややかな目で見ることがあった。それは、私の悪賢い偽善者の目であったかも知れない。
そして、いま何故か、晴耕雨読を良しとしないとは言うものの、島崎藤村の文学の世界をまた彷徨っている。今日、『破戒』を読み終えた。
主人公の瀬川丑松と、何故か猪子蓮太郎の名前は、うっすらとではあったが覚えていた。

「四足(しそく)? 穢多のことを四足と言うかねえ」
「言わあね。四足と言って解らなければ、『よつあし』と言ったら解るだろう」
「むむ――『よつあし』か」

「よんださんの子」それは「四ださんの子」のことである。私はそう思っている。
いまになっては、それが「わたし」の豊かな人生を創ったとも思える。

初めて、遠くにお住いのN氏から、以上のようなメール(散文)が届きました。余計なことばやコメントは一切要らないようです。
ただ、これまでの「福祉教育」は、「同和教育」や「特殊教育」と真正面から向き合ってきたか。同和教育や特殊教育の本質やあり方を厳しく追求してきたか。そう問えば、「否」といわざるを得ないことを痛感します。
今日、同和教育は「人権教育」、特殊教育は「特別支援教育」へとその名称を変えています。しかし、人権教育の内実は、「差別の現実から学ぶ」という同和教育の理念を希薄化させ、「共に生きる」という美辞麗句のもとで、人権やその問題の一般化・抽象化を促すことになっていないか。特別支援教育のそれは、理念としてインクルージョンを指向しながらも、障害のある子どもたちに、その持てる力を発揮することを過大に求め、自己選択や自己責任に基づく「自立」を強制していないか。
さらに付け加えれば、福祉教育は、ICFの理念・モデルを重視した実践が広がってはいるが、「活動」や「参加」などの生活機能が可能になる仕組みづくりやまちづくりについて、十分に関心を払い、それに取り組んできたとはいえないのではないか。
こうした警鐘を鳴らす意見があることを、先ず真摯に受け止める必要がありそうです。また、唐突ですが、福祉的あるいは教育的ニーズの「個別性」や「多様性」ということばが、通常の、本来的な福祉や教育から一部の人たちを排除し、特定の領域に追いやり、階層化を生み出しているのではないか。これまた気にかかるところです。
「福祉教育は、福祉課題を教材として用い、年齢や教育する現場(小学校、中学校、高等学校、大学)や地域、職場などにおいて、それぞれの教育目的をもって体系的に実施するものです」。「福祉教育は福祉課題が素材であるだけに、カリキュラムとしてはより制度化しやすい体質をもっているということができます。しかし同時に知識や技術の伝達に陥りやすいことも意味します」(『NHK社会福祉セミナー』2013年12月)と述べられます。
その通りでしょう。しかし、こうした指摘だけでは、福祉教育の本質や、「教育」や「学校」をめぐる今日的な状況に鋭く切り込むには、“弱さ”や“危うさ”を感じざるを得ません。
いまこそ、いろいろな意味で、またさまざまな場面で、「寝た子を起こすな」ではなく、「寝た子を正しく起こす」。そのための「福祉教育」とそのあり方が厳しく問われている。それを深く問うことなくしては教育も学校も語れない。このように思うのは筆者(阪野)だけでしょうか。

参加型地域ふくし懇談会における懇談内容と項目

地域福祉計画や地域福祉活動計画の策定に際して、各界各層の住民の参加(参集、参与、参画)による「懇談会」の開催は欠かせません。また、懇談会のありようが計画内容の妥当性や具体性、地域性、それに計画の実現性などを決するといっても過言ではありません。しかし、これまでの懇談会は、一部を除いて、その多くは一方的な情報提供や、形式的で形骸化したものにとどまりがちであったといわざるを得ません。その原因のひとつは、参加者の発言(開陳)や対話(協議)を促し、論点の整理や課題の明確化、相互理解や合意形成などを図るためる方法・手法が必ずしも十分に検討・準備されず、また有効に活用されてこなかったことにあります。いまひとつは、懇談会における情報提供・交換や協議の過程そのものが、問題の学習や課題解決に向けた主体形成の場であること、すなわち「福祉教育」の実践であるということがいわれるほどには留意されてこなかったことによると思われます。
今回、ブログ読者から、懇談会を開催するにあたって、参加住民が自分の発言や対話の内容をより明確に認識・理解するとともに、参加者が互いに共感し、共有化するための “アイディア”  を求められました。そこで、取り急ぎ、以下のような「参加型地域ふくし懇談会における懇談内容と項目」(マトリックス)を考えてみました。
懇談会の名称を「参加型」としたのは、参加者全員が忌憚なく語りあうことができる懇談会であること。そして、参加には「参集」(いあわす)、「参与」(かかわる)、「参画」(にないあう)の3つの段階を考えることができますが、最終的には「参画」をめざすとしても、いずれの段階の参加も認めあうことを意味します。また、「地域ふくし」は、地域(地元)に暮らすすべての住民の だんの らしの あわせ についてみんなで考えあい、ともに汗を流すことを意図しています。
懇談会のテーマは、おおよそ次の4つです。懇談会では(1)のテーマから順に語りあい、1回の懇談会の時間は全体で90分から120分程度、子どもや高齢者、障がい者、外国籍住民などを含めた多くの住民が参加できる工夫や、可能な限り開催の回数を重ねるなど、意図的で計画的・継続的な取り組みが求められます。
(1)私が住んでいる「まち」の安全・安心なところ、自慢できるところ。
(2)普段の暮らしのなかで、私にとっての心配ごと、悩みごと、困りごと。
(3)私が住んでいる「まち」が、こんな「まち」になったらいいな。
(4)(3)を実現するために、私ができること、私たちがしなければならないこと。
また、次のような「行」(圏域、機関・施設・団体)と「列」(属性)からなるマトリックスを作成してみました。このマトリックスのねらいは、自分や他の参加住民の発言や対話の内容が、行と列が交差するどの「セル」に位置するかを明らかにすることにあります。それによって、発言や対話の内容の明瞭化や共有化が促され、それを通して自分や自分たちが抱える地域の問題を明確化し、共有化していくことになります。さらには、課題解決の着眼点や着想が導き出されことが期待されます。こうした一助になれは幸いです。
なお、「行」の「圏域」は、隣近所の圏域/組・班の圏域/自治会・町内会の圏域/小学校区の圏域/中学校区の圏域/市町村支所の圏域/隣接支所の圏域/市町村の圏域/隣接市町村の圏域/県域、です。「機関・施設・団体」は、組・班/自治会・町内会/小学校/中学校/公民館等/NPО・ボランティア/市民活動センター/地区社協/市町村社協/市町村支所/市町村/隣接市町村/県・国/その他、です。
「列」の「属性」は、自分/家族/親戚/地域住民(子ども/高齢者/障がい者/子育て世帯/ひとり親家庭/地元定住者/移住者/移住定住者/外国籍住民/その他)、です。
ここで、一例を示しておきます。
「高齢者や障がい者などの災害弱者に対する災害時の援護に関して、すでに自治会長や民生委員・児童委員などとのあいだで情報を共有しています」という発言は、[A]、[(1)A](括弧内の数字は、懇談会のテーマ(1)から(4)を表示します。) のセルに位置づきます(記入します)。
「隣に外国人が引っ越してきました。よそ者扱いはしたくないのですが、考え方や生活習慣などについてよく分からないので、どのように付きあったらいいのか困っています」という発言は、[B]、[(2)B]のセルに位置づきます。
「まち全体を総合的にバリアフリー化し、お年寄りや障がいのある方など、だれもが気軽に行き来し、明るく、楽しいまちづくりを進めてほしいと思います」という発言は、[C]、[(3)C]のセルに位置づきます。
「最近、お隣のご主人がお亡くなりになり、奥様は一人暮らになりました。これまであまりお付きあいはなかったのですが、これからは毎日、ご挨拶をしようと思っています」という発言は、[D]、[(4)D]のセルに位置づきます。
「学校での “いじめ” があとを絶ちません。地域の大人たちが、学校や先生方と協力して、その解決や未然防止を図るための仕組みづくりに、積極的に取り組む必要があるのではないでしょうか」という発言は、[E]、[(4)E]のセルに位置づきます。

オリジナル12月17日

table2-2Dmatrix-color

また、「私たちの自治会では、班の活動として、班に在住の高齢者が中心になって、小学生の登下校時に交差点に立ち、子どもたちの安全確保を図っています」という発言は、3次元のマトリックスでは[F]のセルに位置づきます。

sakano_3Dmapping20131216s

佐賀県鹿島市における福祉教育の取り組み経過と課題

佐賀県鹿島市では、1995年9月22日、市議会において「福祉のまちづくり宣言」が決議された。翌1996年3月25日には、「鹿島市福祉教育に関する条例」(以下、「鹿島市福祉教育条例」と略す。)が公布された。爾来、鹿島市では、教育委員会が中心となって、すべての小・中学校を福祉教育推進校に指定し、「福祉のまちづくり」のための福祉教育が計画的・継続的に実施・展開されている。独立条例に基づく福祉教育の取り組みは、筆者(阪野)の知る限り、他に例がない。
今日、中央教育審議会などにおいて教育委員会の廃止論や不要論等、制度のあり方をめぐる議論がなされている。それは、教育の政治的中立性と継続性・安定性の確保を危うくする可能性をはらんでいる。福祉のまちづくりに関しては、地方分権改革や社会福祉制度改革の推進が図られるなかで、全国の地方自治体で行政主導による条例制定の取り組みがなされている。しかし、その条例の多くはいわゆる理念条例にとどまり、そこには一定の限界がみられる。福祉教育については、学校福祉教育から地域福祉教育への移行が叫ばれているが、その実態はいまだ学校における、疑似体験を中心にした「思いやりの心」の育成に偏りがちである。
こうしたなかで、鹿島市における福祉教育の取り組みの経過を跡づけることは、今後の学校福祉教育、とりわけ福祉の(による)まちづくりの主体形成を図るための学校福祉教育のあり方について検討する際の、ひとつの視座や視点を見出すことが期待される。そこで、本稿では、基礎的な作業としての資料紹介を中心に行い、それをめぐって若干の所見を述べることにする。
以下に、「福祉のまちづくり宣言」から今日までの福祉教育の取り組みの経過に関する資料を時系列順に紹介する。

「福祉のまちづくり宣言」決議/1995年9月22日
すべての市民が人間として尊重され、社会参加の機会を平等にもち、自立した生活を送られる社会を実現することは、私たちの願いであります。
こうした社会実現のためには、一人ひとりが人間として尊重されることを基本に等しく社会のサービスを受けることができ、意欲や能力に応じて社会参加の機会が平等に与えられなければなりません。
このため、私たちは高齢者や障害者等からこれらの機会が奪われがちなさまざまな妨げを取り除き、すべての人が自らの意思で自由に社会参加できる「福祉のまちづくり」を目指します。
このような自覚と認識にたち市民が安心して生活できる人にやさしい「福祉のまちづくり」に積極的に取り組むことを宣言します。
以上、宣言する。
平成7年9月22日
佐賀県鹿島市議会

「鹿島市福祉教育条例」制定についての市長の提案理由説明要旨/1996年3月4日
今後、行政・住民一体となって考えていかなければならないことの一つに福祉の問題があります。その一つの試みとして、平成8年度から福祉教育実践委嘱事業を始めます。予算的には小さな事業でありますが全国でも初めての取り組みだと思います。高福祉・高負担、このジレンマから抜け出るためにもボランティア活動の日常化を図る必要があり、小学生・中学生全員にボランティアの実体験を通して学習をするプログラムを組みました。いわば、義務教育内での必須科目的にボランティアを取り入れようということであります。長い時間がかかると思いますが、継続することによりやがて鹿島市が、福祉の心にあふれる人で一杯になることだろうと、私は今から胸を躍らせているわけです。
(『市議会定例会・平成8年度施政方針及び市長提案理由説明要旨』1996年3月、3ページ)

「鹿島市福祉教育条例」制定についての質疑、討論、採決/1996年3月14日
O議長(青木幸平君)
日程第1、議案第10号、鹿島市福祉教育に関する条例の制定についての審議に入ります。
O福祉事務所長(平野俊和君)
この条例は、9月22日に決議した「福祉のまちづくり宣言」の一環として、人づくりを基本とした豊かな福祉社会の実現を目指して制定するものである。
福祉のまちづくりについては、全体の施策が必要と思われるが、当面教育に限って制定するものである。
条例は7条から成るが、精神的なものを中心としている。第1条の目的については、すべての市民が福祉に関する理解や意識高揚を図り、福祉のまちづくりに結びつけたいということである。第2条は、市が市の責務として、福祉教育の推進についてあらゆる機会を提供するというものである。第3条は、直接かかわる福祉団体等における福祉教育の推進について規定したものである。第4条は、市民の福祉教育への参加について、端的には市民の責務という形で規定したものである。第5条は、学校における福祉教育、特に教育委員会なり各学校についての取り組みを規定したものである。第6条は、あらゆる階層から必要に応じて市民福祉推進委員会を設置し、調査、審議をするというものである。第7条は、この条例の施行に関して必要なものについては別に定めるという委任事項である。附則は、平成8年4月1日から施行するということである。
O市長(桑原允彦君)
この条例を教育委員会の方で担当するか福祉の方でするかという議論もした。将来的には教育現場に限ったことではないというスタンスをとるためにも、福祉事務所の方でこの条例を作成した。
子供たちが一生懸命福祉に対して頑張っている姿を大人が見れば、必ず我々もやらなければという気持ちになるだろう。そういう気運の中から全市民的な動きも出てきてくれればという期待を込めている。また、ぜひそうあらねばならない。9月の定例議会において福祉のまちづくり宣言を行ったが、それを受けた形になっている。そういう意味でも、将来的には全市民的な取り組みがぜひ必要である。
O教育長(迎 昭典君)
今日、生涯学習、生涯教育がいわれている。福祉もまさにそれに一致するものであり、福祉教育こそは学校教育を基盤としながらも、生涯にわたってやるだけの値打ちのあるものである。
予算については、福祉教育推進校に対して、小学校に5万円、中学校に10万円つけたい。社会福祉協議会からも予算がつく。
将来的には、学校教育だけでなく、生涯学習の一環として福祉教育を推進していくことになると、一層の予算の手だても必要になってくる。
O市長(桑原允彦君)
この条例は全市民的に波及するということを位置づけている。今回の計画に対して、霧の役目をまず子供たちにしてもらう。そこからこれを波及しようという手法を想定している。
O教育長(迎 昭典君)
当然、年間計画や指導計画、あるいは事後の評価報告は伴う。しかし、文部省や県教委が求めるような、あのような煩雑な報告は求めない。
学校の先生の負担は免れない。しかし、今心配なのは、各地区の方々の協力が得られるかどうかである。地域の方々の協力なしには、学校の先生の指導だけではできない。できるだけ子供を地域に返す、地域の実態に学ばせるという姿勢が根本にある。地域の方々の力添えを得ながらやっていきたい。
学校の過重負担にならないように十分気をつけていきたいし、いかなければならない。
O生涯学習課長(大串昭則君)
福祉教育に関し、今後は6地区公民館合わせて、事業の充実を図っていきたい。
O市長(桑原允彦君)
地方の時代の到来のためには地方が自立し、民と官が一体となって自分たちのまちづくりをやらなければならない。地方分権の究極は、国は助けてくれないということである。行政の一番大きな役割は、住民が乗ってくれるような、あるいは乗りやすいような仕組みづくりを、あるいは提案をいかにしていくかということが重要な仕事になってくる。今回の条例も、住民に対する提案であり、執行部の決意である。
O市長(桑原允彦君)
児童・生徒たちが認知症や寝たきりの老人と接する。そこから人間教育が始まる。
福祉の理念の中には、受ける側に感謝の気持ちを持てという要素は入れる必要はない。受け手側の人間性、道徳感、考え方の問題は、別に論じるべき問題である。
今回のことは簡単にできるとは思っていない。特に学校現場は大変だと思う。方向性や理念が確かであればとにかくやろう。現実的な課題や問題点は走りながら考えよう。このように思っている。
O福祉事務所長(平野俊和君)
福祉教育を大上段に振りかぶることなく、民生委員会や地域懇談会などいろいろな機会をとらえて、福祉教育についてのお願いや要請を今後もしていきたい。
O議長(青木幸平君)
起立全員であります。よって議案第10号は提案のとおり可決されました。
(『鹿島市議会定例会会議録』鹿島市議会事務局、1996年3月、306~320ページ)

「鹿島市福祉教育条例」公布/1996年3月25日
(目的)
第1条 この条例は、全ての市民が福祉に関する制度及び実情を正しく理解し、福祉意識を高めるとともに、市民自ら参加する福祉についての実践活動を行うことにより、福祉教育の推進を図り、もって福祉のまちづくりに寄与することを目的とする。
(市における福祉教育の推進)
第2条 市は、市民に対して生涯にわたる教育の場を通じて福祉教育の推進に努めるものとする。
(福祉団体等における福祉教育の推進)
第3条 市民福祉の向上を目的とする団体(以下「福祉団体」という。)及び福祉施設を経営する者は、その活動を通じて福祉教育を実施するよう努めるものとする。
2  福祉団体及び福祉施設を経営する者は、市及び教育委員会に対し、福祉教育に関する指導又は助言を求めることができる。
(市民の福祉教育への参加)
第4条 市民は、福祉の意義を理解し、福祉活動を実践するために、自主的に学習を行うとともに、福祉教育に積極的に参加するよう努めるものとする。
(学校における福祉教育)
第5条 教育委員会は、児童・生徒に対する福祉教育の充実推進を図るため、すべての小・中学校を福祉教育推進校に指定する。
2  福祉教育推進校は、児童・生徒に対し、計画的に福祉教育、活動の機会を設定し、福祉活動についての理解と関心を深めるよう努めるものとする。
(市民福祉推進委員会)
第6条 市は、福祉教育、活動について調査及び審議するため、市民福祉推進委員会を置くことができる。
(委任)
第7条 この条例の施行に関し必要な事項は、市長が別に定める。
附則
この条例は、平成8年4月1日から施行する。
(『平成10年度 福祉教育推進報告書』鹿島市教育委員会、1999年3月、37ページ)

鹿島市教育委員会における取り組みの経過/1995年度~2012年度
(1)平成7年度
桑原市長は、官と民が一体となった福祉のまちづくりの中で、特に福祉教育を重視した。鹿島市でも核家族化が進み、独居老人が多くなると同時に、祖父母と同居していない子どもが増加した。そのような子どもたちは、人間の情緒を育てる「生・老・病・死」に触れることもできない。そこで、お年寄りと接する機会を与えれば、その体験ができるのではないかと考え、教育委員会に提案した。教育長、市内校長会もこれに賛同した。市長、教育長、教育次長は、市内教職員へ福祉教育の意義の説明とその啓発のため、1月から3月にかけて市内全小中学校を訪問した。また、教育委員会は、関係諸機関とも連携をとった。
平成8年3月14日には、3月定例議会において「鹿島市福祉教育に関する条例」が可決成立し、正式に福祉教育の推進が決定された。
(2)平成8年度
平成8年4月から、全小中学校において教育課程の中に福祉教育が位置づけられた。特に、中学校2年生では「ふれあい活動」という高齢者との日常福祉実践活動が、民生委員の協力を得て開始された。1班6人程度でグループをつくって独居老人や老人のみの世帯を週1回~月1回程度訪問し、話し相手、肩もみ、草むしり、ごみ捨て、障子張り、網戸洗い、石運び等を行った。
初年度でいろいろな課題も出てきたが、交流、体験を通して小中学生が学んだものには計り知れない大きな成果があった。高齢者からも多くの感謝のお便りが届いた。
(3)平成9年度
福祉教育が2年目を迎え、各小中学校ともに特色ある取り組みが行われてきた。「ふれあい活動」では、中学生と高校生がごく普通にあいさつや声かけができるようになり、地域での温かい雰囲気ができてきたという民生委員からの報告もあった。また、この活動によって、将来の進路をヘルパー志望とする生徒の声もあった。一方、施設との交流も開始された。しかし、課題も多く出てきた。まず、時間の問題である。生徒たちの部活動や塾等の都合と高齢者の都合が合わず、計画がうまくできない。また、ナイフ事件で「中学生は怖いので辞退したい。」ということも出てきた。民生委員の方からは、多忙で負担が大きいという課題が出された。
(4)平成10年度
3年目を迎え、児童生徒に福祉の心が着実に育ってきた。中学生の殆どが高齢者と交流を希望し、自分の将来を考えた上で、何か手助けをしたいと考えている。これは、小学校1年生から実施している小中一貫の福祉教育の大きな成果である。特に、自発的に近所の高齢者との交流を考え、生徒自身から「何か手伝うことはありませんか。」と働きかけた。
(5)平成11年度
4年目を迎え、各学校とも地域の実態を考慮した取り組みが定着してきた。地域の高齢者、障がい者、ボランティアの人、施設の人等との交流をとおして、福祉に対する理解も広がってきた。しかしながら、「ふれあい活動」を希望してくださる高齢者の方々が減っており、お宅を訪問しての活動というものが難しくなってきた。そこで、地域のボランティアの方々が主催していらっしゃる「生き生きサロン」が増えたこともあり、そこで一緒に集団で活動させていただいた。
(6)平成12年度
5年目を迎え、小学校では学年ごとに行う実践活動が定着してきて、年間指導計画がしっかりしたものになってきた。また、手話教室や盲導犬教室も多くの学校で開かれるようになり、高齢者ばかりでなく障がい者へも対象が広がってきた。しかしながら、個別に交流を希望される高齢者世帯の方々が減少を続け、今後の「ふれあい活動」の実施について検討が必要になってきた。
(7)平成13年度
6年目を迎え、着実に児童生徒に福祉の心が育ってきたことが大きな成果であった。また、地域の中でも、小さいながらも子どもたちと高齢者等との温かい交流が生まれてきた。さらに、施設においても、受け入れの協力体制もでき、幅広い活動ができてきた。本年度は、中学生が行う「福祉ふれあい活動」の見直しを行った。まず、ふれあい希望者の減少という実態から、児童生徒が身近な活動相手を探すこととした。次に、活動の学年を学校行事等との関連から、1年生とした。これまでの教育委員会主導から、生徒自身の働きかけによる活動となり、総合的な学習とも関わらせながら理想的な福祉教育が定着してきた。
(8)平成14年度
新しい学習指導要領がスタートし、「総合的な学習の時間」が全面実施となった。その時間を活用して、活動ができるようになった。中学校1年生の活動では、生徒自身が「ふれあい活動」の協力者探しを行った。いろいろな問題にぶつかりながらも、たくさんのグループで有意義な活動ができた。小学校では、盲導犬コンサートを実施し、盲導犬や障害をもった方々とのふれあいができた。
(9)平成15年度
新学習指導要領の完全実施2年目にあたり、「総合的な学習の時間」の内容の充実と関連して各学校での福祉教育も時間を有効に使い、充実した内容になってきた。福祉講演、ふれあい活動、疑似体験等活動も多岐に広がりを見せている。また、地域のお年寄りとのふれあい活動は、どの学校でも定着してきており、日常的に交流する児童も見られるようになった。
(10)平成16年度
小学校では、新潟中越地震被災者の方への募金活動が広がった。また、3年間の地域指定を受けたエイズ(性)教育推進事業を通して「命の大切さ」や「生きることの喜び」について福祉と関連づけながら学ぶことができた。しかし、中学校では、高齢者の受け入れ先がここ数年減少しているなど今後再度検討が必要になってきた。
(11)平成17年度
市民の方から高齢者・障がい者疑似体験セットの寄贈により、小学校では疑似体験活動の広がりが見られた。10年目を迎え、福祉教育は各学校の地域性を生かした取り組みが定着している。個人情報保護条例の施行により、独居老人の住所等の情報の入手が困難になり、福祉行事の招待状や年賀状の発送が困難になってきた。情報収集から行うことも考えられるが、収集した個人情報の管理などの検討が必要になってきた。
(12)平成18年度
個人情報保護条例の施行から昨年度継続が途絶えた独居老人との交流が、地区の民生委員さんを通じて本人の承諾を得、再会できる学校が出てきた。高齢者・障がい者擬似体験セットを活用して実践する学校も多くなってきた。各教科や総合的な学習の時間との関連を図りながら中身の濃い実践ができるようになってきた。
(13)平成19年度
全校児童に呼び掛け、集めてきたプルタブで、車いすを1台購入し、プレゼントした学校が出てきた。2年以上かかったが、プレゼントできたことで「プルタブ集めを続けてきてよかった。」との感想を持つことができた。また、学校で施設や老人会と交流活動を行った後、自主的に活動を続ける意欲的な子どもたちも出てきた。
国語で盲導犬について学習し、総合の時間で実際に盲導犬を見て、また、国語でまとめの学習を行うなど、各教科や総合的な学習の時間との関連を図りながら、中身の濃い学習ができるようになってきた。
(14)平成20年度
老人会などの地域の方や福祉施設の方との交流が定着し、お年寄りの方から喜ばれている。また、子どもたちにお年寄りを思いやる身持ちが育ってきて、さらに交流を深めたいという声もあがっている。
高齢者・障がい者の疑似体験を小学校5校、中学校2校で実施し、日常生活でのたいへんさ等を身をもって学ぶことができた。
「福祉のつどい」において、中学校の「福祉ふれあい活動」の実践発表を行い、多くの市民の方々に、活動状況等を知ってもらうことができた。
(15)平成21年度
各学校では、福祉教育が計画的に実践されており、高齢者や障がい者等との交流を通して、子どもたちは自己有用感を感得し、次への意欲をもつことができた。
「福祉のつどい」において、中学校の「福祉ふれあい活動」の実践発表を今年度も実施し、活動状況等を広報した。
プルタブ回収をそれぞれの学校で行ってきたが、取組結果を子どもたちに還元できるように市全体での組織の構築が提案された。来年度、検討予定である。
(16)平成22年度
中学校の総合的な学習の時間が減少し、活動を見直す時期に来ている。これまでと同じ活動ではなく、学校教育全体でどのように福祉教育に取り組むのか検討が必要である。
長年各学校で取り組んできたプルタブ回収については、業者が回収を行わないという理由から、新たにペットボトルキャップを回収する「エコキャップ運動」に参加する学校が増えてきた。(ペットボトルのキャップを回収して再資源化事業者に販売することで得られる売却益の一部を開発途上国の子どもへのワクチン代として寄付する運動。)
(17)平成23年度
東日本大震災の被災者の方への支援活動が広がった。募金活動を行ったり支援物資を募ったり等、自分たちができることは何かを考え実践することができた。「鹿島市福祉のつどい」で鹿島小学校のファンタジーブラスバンド部がオープニングアトラクションとして演奏を披露し、皆さんに喜んでいただいた。中学校では、総合的な学習の時間が週1時間に減少したことで、前年度よりは活動時間に制限があったが、各学校の創意工夫で充実した活動ができた。
(18)平成24年度
古枝小学校、東部中学校が、ペットボトルのキャップを回収し世界の子どもたちへワクチンを届ける取組を行い、合わせてポリオワクチン100人分以上を回収することができた。「鹿島市福祉のつどい」では、北鹿島小学校の和太鼓クラブがオープニングアトラクションとして見事な演奏を披露した。鹿島小学校のボランティア委員会が青少年赤十字に加盟し、新たな取り組みを始めた。
(『平成24年度 福祉教育推進報告書』鹿島市教育委員会、2013年3月、1~3ページ)

福祉教育の成果と課題/2012年度
1 成果
(1)各教科、総合的な学習の時間をクロスさせての実践
生活科や総合的な学習の時間を利用して実践をしているが、各教科の学習と関連を図り、高齢者や園児との交流など児童生徒の発達段階に応じた活動ができた。
(2)主体的に考える力を育てる体験活動
疑似体験自体や点字や手話などの技術習得を目的とするのではなく、高齢者や障がいのある人が安心できるサポートとは何かを考えたり、視力や聴覚に障がいのある人が社会参加を図る際のサポートのあり方を考えたり、さらに当事者とのコミュニケーションを実際に図ったりすることで、子どもたちに主体的に考えさせ、その後の振り返りをしっかりと行う取組ができた。
(3)地域の方々との交流行事として定着
中学校では、例年は交流の受け入れ先が不足し、交流相手を見つけることが難しかったが、民生委員・児童委員の方や保護者のご協力で受け入れ先をご紹介いただき有意義な交流ができた。毎年の恒例行事として、お年寄りをはじめ地域の方々にも定着してきて、楽しみに待っていただいている。老人会などの団体や地域の方と更に連携を深めていきたい。
(4)ボランティア精神の高揚
ペットボトルのキャップで世界の子どもにワクチンを届ける取組を複数校が実施し、ポリオワクチン100人分以上となるキャップを回収することができた。子どもたちは、協力の輪が広がり成果を出せた達成感と人の役に立ったという充実感を味わうことができた。
福祉の学習をとおして、高齢者なとの交流相手に喜んでもらえたことで、自己有用感を感得し、また取り組みたいという意欲が出てきた。
さまざまな福祉体験活動を通して、児童・生徒の中にお年寄りや身近な家族を気遣う気持ちが育ってきた。
2 課題
(1)時間調整の難しさ
交流する相手方の時間と学校の生活科や総合的な学習の時間を合わせることが難しい。
(2)活動の見直し
地域の方は「このようなふれあい活動を長期的・継続的に実施してほしい」と願っておられる。その期待に応えつつ、マンネリ化しないように地域の方とともに活動を見直し、児童生徒の関心・意欲を高める工夫を重ねていく必要がある。
(3)単元計画の見直し
中学校では総合的な学習の時間が35時間に減少した。限られた時間内で目標が達成できるように福祉教育のカリキュラムの改善を毎年することが大切である。
福祉教育と各教科との関連を図った単元の工夫は、今後もさらに充実させていくことが必要である。
高学年の活動が授業やカリキュラムの関係で取りにくく、活動内容が限定されてしまいがちになるなど、学年間のかたよりもあるので、全学年で継続した取組がなされるよう計画する必要がある。
中学生1年生のふれあい活動が、何らかの形で2、3年生の活動につながれば、福祉教育が更に意義あるものになると思われる。
(『平成24年度 福祉教育推進報告書』鹿島市教育委員会、2013年3月、28ページ)

以上の諸資料をめぐって若干の所見を述べ、本稿のまとめにかえることにする。
(1)鹿島市福祉教育条例は、「福祉のまちづくり宣言」の一環として、豊かな福祉社会の実現をめざして制定されたものである。そのねらいは、すべての小・中学生を対象に、「義務教育内での必須科目的にボランティア」を取り入れ、ボランティア活動の日常化を図ろうとするところにある。そのためのツール(手段)として、中学校1年生全員(2000年度までは中学校2年生)に対し、1年間にわたり継続して地域の高齢者等とふれあう「ふれあい活動」が義務づけられている。それは「福祉教育の総まとめ」でもある(『平成24年度 福祉教育推進報告書』4ページ)。なお、鹿島市には現在、小学校が9校(本校7校、分校2校)、中学校が2校ある。
鹿島市では、福祉教育が福祉のまちづくりを進めるための小中一貫の教育活動として位置づけられていることは、高く評価することができる。しかし、実際には、「福祉教育」イコール「ボランティア活動」イコール「ふれあい活動」、と矮小化されて捉えられている感がある。小・中学生にとって、地域・社会の構成員や福祉のまちの形成主体としての役割は何か。その役割を遂行できる資質や能力を育成するための、福祉教育の本質的かつ具体的な方策は何か。それをいかに実施・展開すべきか、等々について検討する余地が多分に残されている。
鹿島市の福祉教育実践の中心である「ふれあい活動」は、その活動を通して思いやりの心や感謝の気持ちを経験的に学び取らせようとするものである。したがってそこから、“知識”よりも、「ふれあい活動」のための機能的な“技術”“技能”を育てることを重視することに結果している。「福祉」や「まちづくり」に関してどのような知識を身につけさせるかについては、明確には定まっていない。また、どのような価値観の獲得・育成を図るかは、さらに不明確である。
要するに、鹿島市の福祉教育には、「ふれあい活動」にとどまらず、子どもの発達段階に応じた地域・社会への参加や問題解決活動の取り組みを進める。それを通して、地域・社会に変化をもたらし、「福祉のまちづくり」に主体的・能動的に関わろうとする子どもの育成を図る。こうした福祉教育の展開に向けて、より一層の検討と創意工夫が求められる、といえよう。例えば、①福祉教育は、学校教育の「領域」ではなく「機能」として捉え、学校外の領域においても多元的・複層的に遂行されることが必要かつ重要となる。それを前提に、福祉教育を全教科・全領域に位置づけ、学校内外のあらゆる場面で取り組むための具体的な教育内容と方法、それに評価のあり方について検討する。②これまでいわれてきた地域参加・還元型学習や問題解決型学習としてのそれだけでなく、学校と地域、知識と体験などの往還型学習としての福祉教育の学習内容・方法やカリキュラムのあり方を問う。あるいは、③福祉教育を軸とした「総合的な学習の時間」の年間指導計画に基づいて、年間を通して系統的・継続的な福祉教育活動の展開を図る。④中学校学習指導要領にいう「その他特に必要な教科」として「福祉」や「まちづくり」に関連する教科を設置する、ことなどが考えられよう。
(2)18年間の、福祉教育の取り組みの経過を概観すると、活動の「計画化」や「体系化」、「地域化」などへの指向を読み取ることができる。例えば、次のような記述がそれである。これらはまた、福祉教育活動の拡大と深化の過程でもある。

「小学校では学年ごとに行う実践活動が定着してきて、年間指導計画がしっかりしたものになってきた」(2000年)。
「各教科や総合的な学習の時間との関連を図りながら中身の濃い実践ができるようになってきた」(2006年度)。
「『福祉のつどい』において、中学校の『福祉ふれあい活動』の実践発表を行い、多くの市民の方々に、活動状況等を知ってもらうことができた」(2008年度)。
「『エコキャップ運動』(ペットボトルのキャップを回収して再資源化事業者に販売することで得られる売却益の一部を開発途上国の子どもへのワクチン代として寄付する運動。)に参加する学校が増えてきた」(2010年度)。

周知の通り、福祉教育は、福祉文化の創造や福祉の(による)まちづくりをめざして日常的な実践活動に取り組む主体形成を図るための教育活動である。またそれは、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を学習素材とし、その解決をめざして展開される意図的な教育活動である。それゆえに、福祉教育は、そもそも学校内で自己完結するものではなく、地域に出向き、地域に軸足を置いた取り組みが求められる。とともに、体験学習が重視されることになる。ここで留意すべきことのひとつは、福祉教育の体験活動が、単なるイベント的なそれにならないよう、また体験至上主義に陥ることのないようにすることである。福祉教育は、福祉のまちづくりに関して「学び」「気づき」「ふりかえり」、そして「変わり」、「動く」ことを導き出すことが求められ教育活動である。それをより確かなものにするためには、地域の社会資源の活用やそれとの連携、さらには新しい社会資源の開発が必要かつ重要となる。これは、前述の資料「福祉教育の成果と課題/2012年度」に指摘されている諸点に通底するものでもある。
(3)鹿島市と鹿島市社会福祉協議会は、協働して、2013年3月に「鹿島市地域福祉計画・地域福祉活動計画」を一体的に策定した。この計画の特徴のひとつは、計画策定にあたって、課題解決の方策として「自助、共助、公助」の視点が重視されたことにある。また、必ずしも十分であるとはいえないものの、地域福祉計画と地域福祉活動計画の「将来像や基本目標の共有化」が図られ、「地域福祉実現の両輪」「計画の連携・補完」などと、二つの計画の相互関係に注意が払われている。一体的策定の意義のひとつはここにある。しかし、内容的には両計画を合本製本したものにとどまり、その効果には疑問が残る。
そうしたなかで、地域福祉計画では、福祉教育の「具体的な取り組み」に関して次のように記述されている(『鹿島市地域福祉計画・地域福祉活動計画』鹿島市・鹿島市社会福祉協議会、2013年3月、62~63ページ)。

◎福祉教育の推進
現状と課題(略)
具体的な取り組みと役割
①家庭や地域での福祉に関する学習機会の提供
◆家庭において親から子へと地域福祉教育がなされるために、親を対象とした地域福祉に関する勉強会の実施を検討します。また、家庭内での実践を通して、親から子へ、子から孫へと福祉に関する教育が受け継がれるように意識啓発を進めます。
◆一人でも多くの人が福祉に関心を持ち、思いやりや助け合いの精神について理解し、自らが積極的に行動することができるよう、地域福祉について学習する機会を提供します。
②学校教育における福祉教育の推進
◆学校教育の中で課外活動の時間や総合的学習の時間を活用し、社会福祉協議会などと連携しながら、体験型の福祉教育を推進していきます。
③住民や児童・生徒と福祉施設等との交流の促進
◆地域においては、住民や児童・生徒と福祉施設などとの交流を促進します。
■住民・地域・市(行政)の目指すことや役割(略)

また、地域福祉活動計画では、福祉教育に関して次のような計画化が図られている(『鹿島市地域福祉計画・地域福祉活動計画』91ページ)。

◎福祉教育の推進
①学校等における福祉教育の推進
具体的な取り組み
◆学校での福祉教育の協力
子どもの頃から福祉に対する理解と関心を高め、「福祉のこころ」の育成や地域社会との連帯意識を育むことを目的として、市内の小中学校で行われる福祉教育やボランティア体験学習の実施に協力します。
◆福祉教育の推進・学校との連携の強化
子どもたちがボランティア活動へ関心を持ち、参加意識を高められるよう、福祉教育の推進を図ります。
◆地域での福祉教育の実施
子どもから大人まで福祉に対する理解と関心を高め、地域支え合いの意識の向上を図るため、地域福祉ボランティア講座等を開催するとともに、障がいについての理解を深め、誰もが暮らしやすい地域づくりを進めるため、地域の特別支援学校等と連携して事業を実施します。
主な事業
●学校等での福祉教育への支援

以上を一瞥すると、計画内容は新味がなく、具体性に欠けるものになっていると断ぜざるを得ない。地域福祉計画については、18年間にもおよぶ教育委員会による学校福祉教育の成果や課題が、十分に反映されているとはいえない。地域福祉活動計画に至っては、社会福祉協議会にありがちな、学校福祉教育への単なる支援や紹介・斡旋にとどまっている。
今日、福祉教育は、従来の学校を中心にした福祉理解・啓発の福祉教育から、地域を基盤とした、地域ぐるみの、福祉の(による)まちづくりを進めるための福祉教育(「市民福祉教育」)の推進を図る時期にある。鹿島市社会福祉協議会の地域福祉活動計画には、主体的・自律的な、魅力ある地域福祉を推進するための福祉教育の計画化が欠落している。「地域福祉は、福祉教育ではじまり、福祉教育でおわる」といわれる。社会福祉協議会には、地域福祉やその主体形成を促すための福祉教育の本質について再認識することが強く求められよう。
周知の通り、地方分権改革や社会福祉制度改革などの推進が図られるなかで、ここ10数年来、基礎自治体としての市町村では「福祉のまちづくり条例」を制定する動きが活発化している。鹿島市は、1995年9月、「市民が安心して生活できる人にやさしい『福祉のまちづくり』に積極的に取り組むこと」を宣言した。1996年3月、鹿島市福祉教育条例の制定に際して、当時の市長は、「長い時間がかかると思いますが、継続することによりやがて鹿島市が、福祉の心にあふれる人で一杯になることだろうと、私は今から胸を躍らせているわけです」。「将来的には全市民的な取り組みがぜひ必要である」、と語っている。また教育長は、「将来的には、学校教育だけでなく、生涯学習の一環として福祉教育を推進していくことになる」と述べている。
当時の市長や教育長の福祉・教育理念や“熱い思い”を想起するとき、福祉や教育を取り巻く状況が大きく変化しているなかで、鹿島市はいま、「福祉のまちづくり宣言」の次の段階(ステージ)として、「福祉のまちづくり条例」を制定する時期にあるといえるのではないか。その際、これまでの学校を中心とした福祉教育活動の積み重ねを基盤に、子どもをはじめ高齢者や障がい者、さらには外国籍住民など、各界各層の住民の参画を得て取り組むことが肝要となる。その過程はまた、地域ぐるみの福祉教育(住民の主体形成)の実践そのものでもある。地域ぐるみの福祉教育を如何に展開するかは、鹿島市やその小地域(行政区の単位を示す「部落」等)の歴史や特性、住民の生活実態や生活意識などに即して、多くの地域住民がその同一性と多様性・異質性を意識しながら、「福祉」や「まちづくり」について互いに学び合うことにかかっている。参加型・往還型、社会還元型・問題解決型の相互教育・学習活動としての「市民福祉教育」の展開が期待されるところである。

謝辞
本稿の諸資料を収集するにあたっては、鹿島市教育委員会教務総務課学校教育係のM女史にご高配を賜った。ここに記して衷心より感謝の意を表します。

「絆」(きずな)という束縛

新しいブログ読者から、次のようなメールをいただきました。「絆」について広く、深く考えたいものです。

私どものホームページをご覧いただき、お褒めの言葉、ありがとうございました。
阪野さんのブログを拝見させていただきました。
「障害は個性ではない」(「雑感」10)。 私も同じ思いです。
また、その節、阪野さんがいわれていた “絆” の捉え方についても、まったく同感です。
「絆」はいい意味だけで使われますが、おっしゃるように「縛る」 という意味があり、絆が強ければ強いほど 「縛る力」 も強い訳です。
特に親と子の絆が強い障害者は、この絆の縛る力に苦しんできましたし、今も苦しんでいます。もっと厄介なのは、縛られていることに気づかせてもらえない方たちが多くいることです。
私たちは「青い芝」のような運動には遠く及びませんが、少しでも障害者が自由になり、社会に関われるようにと活動をしています。
そして、自由になった障害者が社会に関わることで、健常者の方ももっと自由に、もっと楽な「活き方」を見つけてもらえたらと思っています。