阪野 貢 のすべての投稿

学校教育・サービスラーニング・福祉教育―中央教育審議会答申等―

学校教育・サービスラーニング・福祉教育―中央教育審議会答申等―


学校教育・サービスラーニング・福祉教育

中央教育審議会
〇サービスラーニングは、教育活動の一環として、一定の期間、地域のニーズ等を踏まえた社会奉仕活動を体験することによって、それまで知識として学んできたことを実際のサービス体験に活かし、また実際のサー ビス体験から自分の学問的取組や進路について新たな視野を得る教育プログラム。サービスラーニングの導入は、①専門教育を通して獲得した専門的な知識・技能の現実社会で実際に活用できる知識・技能への変化、②将来の職業について考える機会の付与、③自らの社会的役割を意識することによる、市民として必要な資質・能力の向上、などの効果が期待できる。
(中央教育審議会「用語集」『新たな未来を築くための大学教育の質的転換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~(答申)』2012年8月、38ページ)

日本福祉大学
〇サービスラーニングとは、1980年からアメリカで始まった教育活動の一つであり、「社会活動を通して市民性を育む学習」です。具体的には、「見返りを求めない伝統的なボランティアの概念に基づくものの、しいて言えば『学習』を見返りとして、ボランティアサービスを提供する学生側とそれを受ける側とが対等の互酬関係に立ち、学生がボランティア活動の経験を授業内容に連結させ、学習効果を高めるとともに、責任ある社会人になる為に行うボランティア活動」といえます。
〇サービスラーニングでは、社会を見つめる基本的な力や課題について理解を深め、広い意味で仕事をするために必要なものの見方や判断力を身につけながら、市民性を育むことを目的としています。
〇サービスラーニングは、『学生が直接、自分自身で意味ある経験をすること』『その経験を教員の指導のもと熟考し、ふりかえり、分析すること』という二つの過程を結び付けた学習方法です。
〇サービスラーニングは、しばしばボランティア活動と混同されます。ボランティアは自発的な活動であり第三者の評価はありません。しかし、サービスラーニングは、あくまでも教育活動の一環であり、授業として評価を伴います。このように、大学教育としてカリキュラムに位置づけられた評価を伴う点が異なります。
(「日本福祉大学サービスラーニング」Webサイト)

筑波大学
〇サービスラーニングは、教室で学ばれた学問的な知識・技能を,地域社会の諸課題を解決するために組織された社会的活動に生かすことを通して,市民的責任や社会的役割を感じ取ってもらうことを目的とした教育方法、と定義されます。具体的な事例としては、教室でコンピュータ科学の知識・技能を身に付けた高校生・大学生が、小学生や高齢者にコンピュータの使い方を教えるという社会的活動を通して、地域社会で自分にできることを学び、市民としての責任を感じていく、といった教育実践を挙げることができます。
〇大切にされるべきは、教室で学んだ学問的な知識・技能を社会的活動の中で最大限に生かすこと、活動現場へ足を運ぶことを一度きりで終わりにせず何度も繰り返すこと、活動の中で見たこと・聞いたこと・感じたことをしっかりと振り返ることなどです。
(「筑波大学人間学群 サービスラーニング」Webサイト)

『新 福祉教育実践ハンドブック』
〇サービスラーニングは、「学習活動と社会貢献活動を意図的、計画的に結びつけ相乗効果を生むことにより、社会の主体としての市民を育むことを目的とした教育プログラム」といえます。
〇アメリカには、サービスラーニングを国家が推進する根拠となる法律「全国および地域サービス信託法1993」(National and Community Service Trust Act of 1993)があります。この法律においてサービスラーニングは、次のような4つの要件を備えたものと記述されています。
(a)児童・生徒や学生の社会貢献活動における教育的要素を高め、学校カリキュラム(教育課程)に組み込まれて行われる。
(b)初等、中等、高等教育機関と地域の連携によって行われる市民としての責任意識を育む取り組みである。
(c)地域ニーズに応じて綿密に組み立てられた社会貢献活動を通して、児童・生徒や学生たちの学習と発達を促す手法である。
(d)児童・生徒や学生たち、または参加者が、社会貢献活動をふりかえるための時間を組み込んだ取り組みである。
〇サービスラーニングを最も狭くとらえる場合、上記の4つの要件が同時に備えられていることが求められます。この場合、学校の取り組みとして行われる社会貢献活動であっても、課外活動として行われる取り組みは、サービスラーニングとはいわないことになります。
〇サービスラーニングを最も幅広くとらえる場合、上記の(d)の要件、ふりかえりを行っていればサービスラーニングといえます。
〇アメリカでは、「ボランティア」と「コミュニティサービス」という言葉を厳格に使い分けています。コミュニティサービスというのは地域貢献活動であり、サービスラーニングのなかで行われる教育活動そのもので、一定のノルマや枠組み、評価がともなう枠組みのなかで行うものです。
〇ボランティアとコミュニティサービスはしっかり使い分けることが大事です。サービスラーニングはコミュニティサービスをしっかりと使った授業であり、ボランティアを使ったものではないのです。
コミュニティサービスという意図的・計画的につくられた地域貢献の体験を使いながら授業をしていく。ここの違いをまず前提としてしっかり押さえることが大切です。
(上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、114~121ページ)

 

(参照)
原田正樹/地域の課題に取り組む―サービスラーニングを理解する―/<原田正樹の福祉教育論>アーカイブ(2)講演録(1)/2021年3月2日/本文
上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、114~121ページ。


 

ICFの視点と福祉教育―ICFの構成要素間の相互作用―

ICFの視点と福祉教育―ICFの構成要素間の相互作用―


ICFの視点と福祉教育

ICF(International Classification of Functioning, Disability and Health, 国際生活機能分類)は、2001年5月にWHO総会で採択された。 ICF の前身である ICIDH(国際障害分類、1980年)が「疾病の帰結(結果)に関する分類」であったのに対し、ICF は「健康の構成要素に関する分類」であり、 新しい健康観を提起するものとなった。

※ICIDH(1980)
病気・変調(disease or disorder)が機能障害(impairment)を引き起こし、その機能障害が能力障害(disability)を引き起こす。そして、機能障害と能力障害が社会的不利(handicap)の要因になる、という考え方。

※ICF(2001)
心身機能・構造(body functions and structures)だけでなく、活動(activities)や参加(participation)も含めて、それらに問題を抱える状態を障害として捉える。そのうえで、環境因子(environmental factors)と個人因子(personal factors)という要素を入れ、それらが障害に影響を与えている、という考え方。

ICFは、障害を3つのレベルで把握しようとする点はICIDHとなんら変わらないが(ICIDH/ICF=機能障害/心身機能・構造、能力障害/活動、社会的不利/参加)、「生活機能」というプラス面からみるように視点を転換し、さらに環境因子や個人因子の観点を加えたことが評価される。すなわち、障害のみの分類ではなく、生活機能と障害の分類となり、あらゆる人間の生活と人生に関することのすべてを対象とするものとなったことや、障害は本人(当事者)の問題として捉えられていたものを、環境によって社会的不利がつくられるという批判のもとに、環境因子と個人因子を「背景因子」として取りあげたこと、などに留意したい。

2006年12月、第61回国連総会において採択された「障害者の権利に関する条約」(Convention on the Rights of Persons with Disabilities)では、障害者(当事者)については、handicappedやdisabledではなく、一貫して、Persons with Disabilities (障害のある人)という表現を用いている。

 

(参照)
阪野 貢『Lecture Notes  地域福祉・まちづくり・市民福祉教育』市民福祉教育研究所、2021年7月、8~10ページ。


 

障がい者差別の諸相―障がい者は「役に立たない」という烙印

障がい者差別の諸相―障がい者は「役に立たない」という烙印


障がい者差別の諸相―障がい者は「役に立たない」という烙印

(1) 障がい者は「役に立たない」という烙印
誰かに対して「役に立たない」という烙印を押すとき、そこには自分は何かの役に立っているという認識(ときに思い上がり)がある。誰かの役に立つことは、役に立たない人を見つけ、その人を見下すことにもなる。

(2) 障がい者は「遠慮すべきである」という暴力
障がい者に「遠慮すべきである」というとき、その人の命や人生に大きな影響を与えることにもなる。遠慮や謙遜は美徳であるといわれる。しかし、人に命や人生に関わる遠慮を強いるのは暴力である。

(3)「障害は個性」「みんなちがって、みんないい」という言葉
「障害は個性」「みんなちがって、みんないい」という言葉は、障がい者との共生をめざす文脈で語られる。しかし、この言葉は、障がい者と情感的に仲良くするための言葉であり、障がい者差別と闘う言葉ではない。

(4)「障がい者も同じ人間である」というフレーズ
「障がい者も同じ人間である」というフレーズは、障がい者(少数者)に、障害のない人(多数者)の考え方や価値観を押しつけたりする言葉ともなる。そのフレーズは、すべての人に認められている参加と平等の権利は、障がい者にも十全に認められなければならない、という意味内容で使われるべきである。

(5) 障がい者の「差別と区別は違う」という定型句
「差別と区別は違う」というのは、障がい者差別が起きたときにも出てくる定型句である。差別は不当にする・されるものであり、区別は不利益が生じないようにする・してもらうものである。不利益が生じる区別は差別であり、そもそも障害の有無や性別などの属性を理由に不利益を押しつけることは犯罪である。

 

(参照)
阪野 貢/言葉とフレーズと福祉教育 :福祉教育は障がい者から感動や勇気をもらい、自分を演じるための教育的営為か? ―荒井裕樹を読む―/<雑感>(144)/2021年9月19日/本文


 

「ふつう」に暮らすこと―その功罪

「ふつう」に暮らすこと―その功罪


「ふつう」に暮らすこと―その功罪

(1)「ふつう」は私とあなたの「あいだ」にある
私は、周りのあなたとの類似性を重視し、そこに安寧や安心を感じる。
私は、周りのあなたとの相異性に緊張し、そこに不安や劣等感を感じる。

(2)「ふつう」は私とあなたの「ふだん」にある
私が「ふつう」を意識するのは、日常の生活場面においてである。
しかもその現実の場面は、生活と人生のひとコマに過ぎず、常に変化する。

(3)「ふつう」の隣に「特別」がある
私には社会的に許容される独自性欲求があり、それが自尊感情を高める。
その一方で、社会意識である孤独感や差別意識・偏見を生む。

(4)- ➀  私は「ふつう」を求め、あなたを「ふつう」にさせる
私は、人並みを求め、周りから目立つあなたを攻撃する。
それが窮屈で、生きづらい地域・社会をつくる。

(4)- ➁   私は「ふつう」を捨て、あなたと「わがまま」をいう
私は、生き方や価値観を変え、あなたと権利や不満を主張する。
それが地域・社会を革め、豊かな未来を切り拓く。

 

(参照)
阪野 貢/「ふつう」別考―深澤直人著『ふつう』と佐野洋子著『ふつうがえらい』等のワンポイントメモ―/<雑感>(122)/2020年10月30日/本文
阪野 貢/「ふつう」を捨てて「わがまま」を言うこと―富永京子著『みんなの「わがまま」入門』読後メモ―/<雑感>(93)/2019年9月1日/本文


 

「豊かさ」を獲得・実現するための条件―発達保障と生活保障

「豊かさ」を獲得・実現するための条件―発達保障と生活保障


生活の「豊かさ」は、安全で安心して快適に暮らせる日常の家庭・地域生活のなかにある。その「豊かさ」を獲得・実現するためには、およそ次のような条件が必要となろう。

「豊かさ」を獲得・実現するための条件―発達保障と生活保障

(1)基本的人権の尊重や自由・平等と民主主義の確保を前提に、人々の個別具体的な発達保障と生活保障の具現化と共生や支え合いの創出が図られること。

(2)すべての人が個性的・創造的に自分を生きる(生き抜く)ために多様な選択肢が準備され、その選択の自己決定や意思決定とそのための支援がなされること。

(3)自分の生きがいや自己実現のための活動にとどまらず、他者や地域・社会のための、社会変革を進める社会貢献活動(共働活動)に参加できること。

(4)そのための個人的な尊敬と信頼に基づく熟議やさまざまな知識や経験による想像力と創造力によって、明るい社会と未来(希望)が開拓・共創されること。

(5)以上のことを可能にし、相互支援と相互実現、地域・まちづくり、社会変革と社会創造を推進するための教育・学習(市民福祉教育)が、すべての人の生活と生涯において自律的・主体的に行われること。

<雑感>(50)一部修正/2024年7月15日

 

(参照)

阪野 貢/「対話」考―暉峻淑子著『対話する社会へ』読後メモ―/<雑感>(50)/2017年7月23日/本文


人間の尊厳と存在意義―生の無条件の肯定と豊かに生きるということ

人間の尊厳と存在意義 ― 生の無条件の肯定と豊かに生きるということ


人がそれぞれ、 みんなと豊かに生きるためには、「 “ ただ生きる ” ことの保障」と「 “ よく生きる ” ことの実現」、そして「 “ つながりのなかに生きる ” ことの持続」が必要かつ重要となる。

人がそれぞれ、みんなと豊かに生きるためには

<ただ生きる>ことの保障
(人はそれぞれ、
いま、ここに生きているというそのことに本源的な価値がある)
×✖✖✖
<よく生きる>ことの実現
(人にはそれぞれ、
やりたいこと・やれること・やらなければならないことがある)
×✖✖✖
<つながりのなかに生きる>ことの持続
(人はそれぞれ、
社会や歴史・文化・環境などとのつながりのなかに生きている)

 

(参照)
阪野 貢/「連帯」再考―馬淵浩二著『連帯論』のワンポイントメモ―/<雑感>(145)/2021年10月10日/本文
阪野 貢/障がい者差別と生の思想:「自分の存在意義を問う」(「“ただ生きる”ことの保障」×「“よく生きる”ことの実現」×「“つながりのなかに生きる”ことの持続」)―野崎泰伸「生の無条件の肯定」思想についての福祉教育的視点からのメモ―/<雑感>(67)/2018年11月3日/本文


「ふくし」「しあわせ」「まちづくり」―ふだんの くらしの しあわせ―

「ふくし」「しあわせ」「まちづくり」―ふだんの  くらしの  しあわせ―



阪野 貢/「社会関係資本」と「関係基盤」:主体形成は地域社会の関係と構造のなかでなされる―荻野亮吾著『地域社会のつくり方』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、荻野亮吾著『地域社会のつくり方―社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ―』(勁草書房、2022年1月。以下[1])という本がある。[1]において荻野はいう。「社会教育は、地域での様々な活動に住民を導く環境を創出することで、地域社会における社会関係を組み替え、この過程で市民の地域社会への意識を醸成するインフォーマルな学習を促す。つまり、社会教育とは、社会関係と市民意識の醸成を通じて、地域社会を常に新たな形に創造し続ける営為である。社会教育が十全に機能することで、地域社会は、その構成員が緩やかに入れ替わりながらも、持続的に地域の課題解決に取り組む共同体として維持される」(6ページ)。この結論を導くために[1]では、社会教育と地域社会の関係をめぐる問題を理論的かつ実証的に考察する([1]は「地域社会のつくり方」のハウツー本ではない)。具体的には例えば、社会教育が社会関係資本の醸成に寄与する実態や、住民の主体形成が、必ずしも住民の「主体性」や「自発性」に基づくものではなく、地域社会の関係のなかでなされていくその過程、あるいは社会教育と地域福祉やまちづくりなどの「隣接領域との対話や交流の可能性」(260ページ、)などを明らかにする。
〇ここでは、[1]のうちから、例によって「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究に留意しながら、荻野の言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約)。

市民の能力形成に関する視点なくして地域社会に関する政策を機能させることは難しい
2000年代以降の社会教育・生涯学習に関する政策をめぐっては、「コミュニティ政策への社会教育・生涯学習の包摂」と、「学校教育の補完へのシフト」という二つの動きがある。(10ページ)/前者は、社会教育や生涯学習が担ってきた地域社会の形成や人材育成の機能に期待をかけ、まちづくりや地域社会に関する政策のなかに、その機能を包摂しようとする動きを指す。(10ページ)/後者は、学校運営協議会制度(コミュニティ・スクール)や学校支援地域本部事業など、学校・家庭・地域の連携・協力の焦点が「地域教育」から「学校支援」に定まってきたことを指す。(28ページ)/これらの政策では、地域社会への過度の期待があり、保護者や地域住民が「責任主体」として組み込まれる。(42ページ)そして、保護者や地域住民は、地域社会の活動や学校の支援の活動に参加する能力や意思を十分に有しているという「市民社会論的前提」(仁平典宏)が置かれている。(7ページ)/また、学校と地域の連携を推進する政策も、「参加」だけでなく「協働」を明確に打ち出すものであり、近年の地域社会には、「参加」よりも「協働」の役割が強く期待されるようになっていると言える。(45ページ)/これらの政策では、参加の背景(家庭や地域のつながりの希薄化や教育力の低下など)や、市民の能力が考慮されないまま、保護者や地域住民への期待が際限なく高まっている点に問題がある。(52ページ)/市民が地域社会に関わるための能力を育むという視点なくして、地域社会に関する政策を機能させることは難しい。(53ページ)

市民の主体形成に関する研究方法を「個体論」的アプローチから「関係論」的アプローチへと切り替える必要がある
社会教育の役割は、「自発性」や「主体性」を育むことで、身近な地域社会や、より大きな社会の変革に向けた市民の「参加」を促すことにある。すなわち、市民の「自発性」や「主体性」が、既存の社会の秩序を組み替えていくうえで重要な役割を果たす。自治の担い手である市民の育成こそが、社会教育における最重要の目標である。市民の参加が、行政の公共サービスの質や量を向上させ、ひいては社会全体をより良くしていく可能性を有している。/しかし、近年では、市民の「自発性」「主体性」を利用することで、地域社会や学校への関わりを促す政策が進められている。ここに暗黙のうちに、「市民社会論的前提」が導入され、市民の主体性の形成の過程が見えにくくなっている。同時に行政組織の再編と地域社会の再編とが、相互に影響を及ぼし合いながら進められることで、市民のノンフォーマル(社会教育等の不定型)な学習や、インフォーマル(家庭教育等の非定型)な学習環境にも大きな変化が生じている。/こうした地域社会をめぐる変化を的確に捉えるには、人々が社会的な活動に関わりを持つきっかけとなる社会関係に注目し、その社会関係が埋め込まれている地域社会の構造に焦点を合わせる必要がある。(79ページ)/すなわち、主体の見方を、内発的な主体性の形成(個人の心理的な変容)を議論の中核に据え、主体を中心に置いて客体との相互作用を描き出す「個体論」的アプローチから、先に社会関係があり、社会関係のなかで事後的に主体と客体が構成されるという「関係論」的アプローチへと切り替える必要がある。(77~78ページ)/つまり、人々がどのような相互関係のなかに埋め込まれ、その関係性からどう影響を受けているのかという関係論的な視点と、その関係性自体がどのように構成されているのかという構造論的な視点によって、理論的枠組みを構築することが重要になる。(79ページ)

個人の社会的ネットワークや地域活動への参加は中間集団という地域の「関係基盤」によって影響を受ける
「関係論」的アプローチすなわち、地域社会の構成を読み解き、社会教育を通じて形成される社会関係の重要性を理解し、社会教育や生涯学習に関する政策が地域の様々な実践を通じて住民の生活にどのような影響を与えてきたかを実証的に明らかにするためには、「社会関係資本」(Social Capital)という視点や概念が有効である。(91ページ)/ここでいう社会関係資本とは、「地域社会における協調行動を可能にする、社会的ネットワークと、そのネットワークに埋め込まれた互酬性の規範や信頼」を指す。(113ページ)また、社会的ネットワークとは、「地域の日常生活のなかで築かれるインフォーマルな個人間あるいは集団間のつながり」を意味する。(114ページ)/そして、社会的ネットワークの基礎をなす考え方やそれを把握するための手段として、(地域の社会関係資本の基礎単位となる)「関係基盤」(97ページ)という概念を援用する。その「関係基盤」の主なものは、地域のさまざまな中間集団(国家・社会と個人の中間に位置する集団)である町内会・自治会などの住民自治組織や地縁組織、協同組合や公益法人、NPO法人などの市民活動団体、趣味やスポーツ、学習のためのサークル・グループなどを想定することができる。(106~108ページ)/こうした「関係基盤」、つまり地域における中間集団の布置は、それぞれの地域で異なる。ここから、各地域社会において「関係基盤」がどのような関係(「重層性」「連結性」)にあり、この「関係基盤」が社会的ネットワークの構成(形成)を経て、住民の地域活動への参加をどのように促しているのかという、社会関係資本の構造的側面を詳細に見ることが、地域社会のつくり方を考えるうえで重要な作業になる。(117ページ)/そしてこれは、地域活動への関わりの過程で形成される、相互の信頼や互酬性の規範の形成といった認知的側面における変化を、インフォーマルな学習の過程として捉えることになる。さらに、社会関係資本の蓄積過程において、行政とりわけ社会教育行政がどのような関わりを持っているかを追究することになる。(115、116ページ)/図1は、こうした地域における社会関係資本(構造的側面と認知的側面)の「実証研究の枠組み」を示したものである。(115ページ)

図1 実証研究の枠組み

公共性のないサークル・グループであってもその活動を通じて社会的ネットワークを形成し社会関係資本の醸成に寄与する
中間集団は、その集団が目的として掲げる活動を行うに留まらず、社会的ネットワークを広げることで、地域での協調行動を促す公共的な役割を担っている。特に、趣味や教養、楽しみとの関連が深いと考えられるサークル・グループへの所属は、地域での話し合いや地域の活動への参加を促し、所属する集団の種類にかかわらず、ネットワークの多様性を増加させる。(136~137ページ)/しかも、中間集団の性質と、形成されるネットワークの性質や地域活動の性格との間に明確な対応関係はない。つまり、明確に公共的な目的を掲げないサークル・グループであっても、その活動を通じて水平的・垂直的な社会的ネットワークを形成し、地域の社会関係資本の形成に寄与することで、公共的な性格を持ち得る。あるいは、団体が掲げている目的と異なる活動があっても、社会的ネットワークが広がるなかで、異なる活動への参加が促される可能性もある。(137ページ)

〇以上のような議論を踏まえて荻野は、2つの事例研究を通して、地域における社会関係資本の醸成過程を明らかにする。長野県飯田市の公民館・分館活動の事例研究と、「学校支援」の枠組みのもとで社会的ネットワークの再構築を果たした大分県佐伯市の事例研究がそれである。そして、それらから得られた知見を踏まえて、「地域社会のつくり方」のポイントを次の4点にまとめる(抜き書きと要約)。

(1)地域社会における人間関係づくりの基礎として「関係基盤」(中間集団)の創出を進めること
住民は、顔の見える距離感で継続的に活動するなかで、相互の関係を紡ぎ、自分たちの活動目的や意義に関する理解を深めている。この意味で、中間集団は、地域のために自発的な協調行動をとれる「良き市民」を徐々に育む基盤になっている。
地域社会をつくるうえで重要なのは、同じ目的を持って中長期的に活動できるような準拠集団が、私たちの身近な場にどの程度存在するかである。各地域社会の状況に応じて、どのような中間集団が必要かを判断する必要がある。(254ページ)
(2)「関係基盤」同士のつながりを紡ぐこと
「関係基盤」の相互連関や布置によって、住民の地域活動への関わりは変化する。社会関係資本論に基づき、関係の基礎にある構造的要素(中間集団への所属、社会的ネットワークの形成、地域活動への関わり)に目を向けることは、「地域社会のつくり方」を考えるうえで重要な視角になる。(254ページ)
同じ集団や異なる集団同士をどうつなぎ合わせていくかということとともに、小さく同質的な集団を、より大きな集団へとつなげていく仕組みや戦略を、地域社会の状況に合わせて立案することも必要になる。(255ページ)
(3)社会関係資本の醸成に向けて時間軸を意識したアプローチを行うこと
社会関係資本の醸成には長期間の投資や関係の蓄積が必要になることを意識し、地域の社会関係資本が摩耗し消滅する前の段階から、中長期的な戦略によって対応することが重要になる。(255ページ)
また、社会関係資本の醸成に向けた戦略を立てる際には、公民館等の社会教育施設を拠点として位置づけることに留まらず、地域社会に存在する様々な資源や社会関係資本の総合的な点検を行い、行政の所管や、研究領域にとらわれない横断的な視点を持って戦略を立案することも重要になる。(256ページ)
(4)社会教育が地域関係資本の醸成に果たす役割を有効に活用すること
地域のネットワークの「結節点」である公民館に職員を配置するとともに、「関係基盤」の創出や組み替えを通じて住民の認知的価値観の変容を間接的に促すことによって、地域社会を動態的に再構成していくことが重要である。
職員には、住民同士の水平的な関係を紡ぐだけでなく、地域社会に変化をもたらす外部の視点を持った関わりや、行政各部署との垂直的な関係を紡ぐことにもその役割を広げていくことが期待される。要するに、地域社会づくりにおける社会教育のアプローチは、各地域社会の状況に応じて「関係基盤」を創出し、「関係基盤」の「結節点」に職員や拠点となる施設をいかに位置づけるかが重要なポイントになる。(256ページ)

〇筆者はかつて、東京都狛江市社協と岐阜県八幡町社協(現・郡上市)の地域福祉活動計画の策定(狛江市社協「あいとぴあ推進計画」1990年3月、八幡町社協「みんなでやらまいか 八まん福祉文化プラン21」2001年3月)と、その計画に基づく福祉教育事業・活動の立案・実施(狛江市社協「あいとぴあカレッジ」1991年5月開講、八幡町社協「福祉文化カレッジ」2003年5月開講」)に関わった。カレッジ開講のねらいはいずれも、まちづくりの担い手を育成することにあり、住民に対してまちづくりのための実践や運動を動機づけるものであった。そして、その学習をひとつの契機に、またその過程を通して社会的ネットワークを広げ、地域福祉活動やボランティア活動へ参加・共働することが期待された。
〇また筆者は、2016年4月から5年間という短い期間ではあったが、地元の老人クラブの運営に関わった。そのうちの1年は、年間を通して「認知症」について学習することを主軸に据え、地域でより豊かに暮らすための「学習」活動に取り組んだ。それは、意図的・目的的にまちづくりの主体形成を図ろうとするものではなかったが、結果的にはいわゆる「事業としての福祉教育」(福祉教育事業)ではなく、「機能としての福祉教育」(福祉教育機能)の取り組みになったと、手前味噌ながら評価している(我田引水的な自己満足でないことを願っている)。荻野がいう「関係論」的アプローチによるものであろうか。そしてまた、老人クラブ活動を通して、「地域参加や地域活動で重要なのは『楽しさ』と『自由』、そして『仲間』である」という教訓を得ている。
〇それらのことを思い出しながら筆者はいま、[1]の議論から、老人クラブはそのあり様によって、具体的には活動プログラムのねらいや内容・方法などによって地域のネットワークの結節点となり、社会関係資本の醸成を支える「関係基盤」(中間集団)として一定の機能を果たすことが期待されると思っている。しかしその現実は厳しいものがある。全国的に老人クラブの数や会員数が減少の一途をたどっている現状とその背景や要因を考えると、また荻野が指摘するように個人の行動の「自由」を制限する各地域の「しがらみ」(社会関係資本の「負の側面」、177~178ページ)や、「付き合い」や「お互い様」という感覚によって維持される積極的ではない地域活動(「遠慮がちな社会関係資本」、180ページ)を考えると、なおさらのことである。同じようなことが、市町村社協の事業・活動に参加する住民の意識や行動に見出される。それが、「社協の位置が絶対的に地盤沈下している」と評される、いまの社協の姿でもある。誤解を恐れずに、[1]の読後感のひとつとして付記しておくことにする。
〇厚生省と全社協が1977年度より「学童・生徒のボランティア活動普及事業」(通称「社会協力校」事業)を始め、都道府県や市町村による単独指定事業も加わり、学校を中心にした福祉教育実践は全国各地に拡大、定着していった。宮城県(1980年)や秋田県(1981年)、長野県(1983年)では、福祉教育の地域住民への広がりを求めて公民館を福祉教育推進施設として指定し、社協と学校と公民館との連携のもとに地域福祉教育の推進が図られた。時代が変わり・世代が代わり、今は昔‥‥‥なのであろうか。

書籍目録

【 書籍目録:Book Catalog 】

◆市民福祉教育研究所(ブログ)開設10周年記念◆
Commemorating the 10th anniversary of the Institute for Citizen Welfare Education


※(10)『福祉教育の探究』⇒ 全編


※(9)『福祉教育・ボランティア学習の新機軸』全編


※(8)『福祉教育・ボランティア学習と教育支援・教育協働』全編


※(7)『〔増補〕地域福祉実践の神髄』全編


※(6)『福祉教育実践の基礎 』全編


※(5)『過疎化SDGs・社会システム(仕組み)の力/ダイジェスト版』全編
※(4)『過疎化SDGs・社会システム(仕組み)の力/本編』全編


※(3)『まちづくりと教育づくり、周辺領域からのアプローチ 』全編
※(2)『日本社会・まちづくり・教育づくり』 ⇒ 全編
※(1)『まちづくりと市民福祉教育 』全編文

阪野 貢/スライド一覧―ひとつの基本的理念とアプローチ―

【 スライド一覧:Slide List 】

◆ひとつの基本的理念とアプローチ◆
One Basic Philosophy and Approach


人間の尊厳と存在意義 ― 生の無条件の肯定と豊かに生きるということ ―
人がそれぞれ、 みんなと豊かに生きるためには、「 “ ただ生きる ” ことの保障」と「 “ よく生きる ” ことの実現」、そして「 “ つながりのなかに生きる ” ことの持続」が必要かつ重要となる。

(参照)
阪野 貢/「連帯」再考―馬淵浩二著『連帯論』のワンポイントメモ―/<雑感>(145)/2021年10月10日/本文
阪野 貢/障がい者差別と生の思想:「自分の存在意義を問う」(「“ただ生きる”ことの保障」×「“よく生きる”ことの実現」×「“つながりのなかに生きる”ことの持続」)―野崎泰伸「生の無条件の肯定」思想についての福祉教育的視点からのメモ―/<雑感>(67)/2018年11月3日/本文


「豊かさ」を獲得・実現するための条件―発達保障と生活保障―
生活の「豊かさ」は、安全で安心して快適に暮らせる日常の家庭・地域生活のなかにある。その「豊かさ」を獲得・実現するためには、およそ次のような条件が必要となろう。

(参照)

阪野 貢/「対話」考―暉峻淑子著『対話する社会へ』読後メモ―/<雑感>(50)/2017年7月23日/本文


「ふつう」に暮らすこと―その功罪―


(参照)
阪野 貢/「ふつう」別考―深澤直人著『ふつう』と佐野洋子著『ふつうがえらい』等のワンポイントメモ―/<雑感>(122)/2020年10月30日/本文
阪野 貢/「ふつう」を捨てて「わがまま」を言うこと―富永京子著『みんなの「わがまま」入門』読後メモ―/<雑感>(93)/2019年9月1日/本文


障がい者差別の諸相―障がい者は「役に立たない」という烙印―

(参照)
阪野 貢/言葉とフレーズと福祉教育 :福祉教育は障がい者から感動や勇気をもらい、自分を演じるための教育的営為か? ―荒井裕樹を読む―/<雑感>(144)/2021年9月19日/本文


ボランティア学習―日本青年奉仕協会研究室等―

(参照)
長沼 豊『新しいボランティア学習の創造』ミネルヴァ書房、2008年12月、145~146ページ。


ボランティア―それは生活であり、権利である―

(参照)
高島 巌『子どもは本来すばらしいのだ』誠信書房、1963年1月。
阪野 貢/高島巌先生と木谷宜弘先生のこと:木谷宜弘「学校における福祉教育を考える―5つの柱―」(1979年10月)―資料紹介―/<ディスカッションルーム>(59)/2016年4月19日/本文


主権者教育・シティズンシップ教育・政治リテラシー教育


(参照)
阪野 貢/「主権者教育」「シティズンシップ教育」の一環としての「市民福祉教育」を考えるために―新藤宗幸著『「主権者教育」を問う』再読メモ―/<雑感>(151)/2022年4月16日/本文
阪野 貢/「政治リテラシー」考:啓蒙主義的主権者教育と保守主義的主権者教育、市民性教育と国民性教育―関口正司編『政治リテラシーを考える』のワンポイントメモ―/<雑感>(209)/2024年7月1日/本文
阪野 貢/追補/憲法上の国民:主権者・有権者・市民について考える―駒村圭吾著『主権者を疑う』のワンポイントメモ―/<雑感>(187)/2023年9月16日/本文


福祉と教育、福祉教育と教育福祉―辻 浩の「地域づくりと教育福祉」論に学ぶ―

(参照)
阪野 貢/辻浩の「福祉と教育」による「地域づくり」を読む―辻浩著『現代教育福祉論』等のワンポイントメモ―/<雑感>(212)/2024年8月1日/本文
辻浩/私の「社会教育」実践と研究―地域と福祉と学校をつなぐ「社会教育」研究のこれまでとこれから―/2024年8月3日/本文


学校教育・サービスラーニング・福祉教育―中央教育審議会答申等―

(参照)
原田正樹/地域の課題に取り組む―サービスラーニングを理解する―/<原田正樹の福祉教育論>アーカイブ(2)講演録(1)/2021年3月2日/本文
上野谷加代子・原田正樹監修『新 福祉教育実践ハンドブック』全社協、2014年3月、114~121ページ。


ICFの視点と福祉教育―ICFの構成要素間の相互作用―

(参照)
阪野 貢『Lecture Notes  地域福祉・まちづくり・市民福祉教育』市民福祉教育研究所、2021年7月、8~10ページ。


ユネスコ学習権宣言/サラマンカ宣言/ハンブルグ宣言
ユネスコ学習権宣言

<ユネスコ「学習権宣言」(抜粋)「第4回国際成人教育会議」(フランス・パリ)1985年3月採択。国民教育研究所 訳>


サラマンカ宣言 ― インクルーシブ教育 ―

<ユネスコ「サラマンカ宣言」(抜粋)「特別ニーズ教育世界会議:アクセスと質」(スペイン・サラマンカ)1994年6月採択。国立特別支援教育総合研究所 訳>


ハンブルグ宣言 ― 成人学習 ―

<ユネスコ「成人学習に関するハンブルグ宣言」(抜粋)「第5回国際成人教育会議」(ドイツ・ハンブルグ)1997年7月採択。三宅隆史 訳>


社会福祉法/教育基本法/社会教育法
社会福祉法

<「社会福祉法」は、1951年3月に制定された「社会福祉事業法」の名称と内容が改正され、2000年5月に公布・施行された。>


教育基本法

<「教育基本法」は、1947年3月に制定された「(旧)教育基本法」が全面的に改正され、2006年12月に公布・施行された。>


社会教育法

<「社会教育法」は、1949年6月に公布・施行された。>