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阪野 貢/「障害」を「個性」として捉えることの意義と課題 ―ジョーダン・スコットの絵本『ぼくは川のように話す』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、ジョーダン・スコット文、シドニー・スミス絵、原田勝訳の『ぼくは川のように話す』(偕成社、2021年7月。以下[1])がある。あることをきっかけに、この絵本を知ることになった。感謝である。
〇[1]は、カナダの詩人ジョーダン・スコットの、自身の経験にもとづくものである。吃音(きつおん)を持つ「ぼく」は、言葉が滑らかに出ないことを悩んでいる。ぼくが話すときの、クラスのみんなの笑い声がたえられない。そんなぼくを、父が静かな川べりに連れ出す。川の流れを眺めながら、父が僕に「ほら、川の流れを見てみろ。あれが、おまえの話し方だ」と語りかける。ぼくは、「あわだって、うずをまいて、なみをうち、くだけている」川の流れに、自分の話し方を重ね合わせる。「川だってどもっている。ぼくとおなじように」。このことがきっかけに、ぼくは自分の吃音を否定的に捉えるのではなく、ありのままに受け入れ、自己肯定感を取り戻していく。ジョーダン・スコットはいう。「ぼくはときおり、なんの心配もなくしゃべりたい、『上品な』、『流暢な』と言えるような、なめらかな話し方であればいいのに、と思います。でも、そうなったら、それはぼくではありません。ぼくは、川のように話すのです」と‥‥‥。
〇この物語のポイントは、吃音を克服して流暢に話せるようになることではなく、①ぼくが吃音の困難(障害)を「個性」として肯定的に捉え直し、それを受容することの大切さにある。このメッセージは、②「流暢に話すことが善である」という社会の固定観念に疑問を投げかけ、多様なコミュニケーションのあり方を認め、その違いを許容する社会の寛容さを問いかけている。また、この物語は、③ぼくの苦しみをありのままに受け止め、ぼくの言葉をじっと待ってくれる父の姿を通して、他者に深く共感し、無条件に寄り添い、伴走することの重要性を示唆している。

〇ここで、障害の「受容」とは、単に個人の心理的な側面だけでなく、障害を社会との相互関連のなかで捉え直し、障害に対する個人の内面的な価値観(感)の転換を図るとともに、社会的な環境の改善・変革を促すプロセスであることを思い起こしたい。(⇒本ブログ:<雑感>(239)本文を参照されたい。)

〇ところで、「個性」とその関連語である「属性」と「特性」について、『広辞苑』(第7版、岩波書店、2018年1月)はこう説明する。【個性】①(individuality)個人に具わり、他の人とはちがう、その個人にしかない性格・性質。②個物または個体に特有な特徴あるいは性格。【属性】(attribute)①事物の有する特徴・性質。②〔哲〕基体としての実体に依存する性質・分量・関係などの特徴。狭義には偶然的な性質と区別される物の本質的な性質。例えばデカルトでは、精神の属性は思惟、物体の属性は延長とされた。【特性】そのものだけが有する、他と異なった特別の性質。特質。性格特性。
〇「個性」とは、その人や物にしかない独自の性質や特徴をいう。その人や物に具わる主観的な「らしさ」や他の人や物とはちがう「ユニークさ」、すなわち独自性が重視され、ポジティブなニュアンスで使われることが多い。例えば、“個性的なファッション” “独創的なアイディア”などがそれである。「属性」とは、その人や物が属する特定の集団に共通してみられる性質や特徴をいう。その人や物が持つ個別性よりも共通性が注目され、客観的な「カテゴリ」や社会的分類の「ラベル」として、価値判断を含まないニュートラルな意味合いで使われる。例えば、“性別” や “年齢”、“職業”などがそれである。「特性」とは、その人や物が持つ本質的で、他と比べて目立った性質や特徴をいう。個性や属性を構成する要素のひとつである。例えば、“生物の特性” や “製品の特性”、“性格特性”などがそれである。
〇要するに、「個性」は「その人や物ならではの独自の持ち味」、「属性」は「共通の集団に分類するための客観的な特徴」、「特性」は「他のモノと区別される顕著な性質」、と言えようか。(図1 参照)

図1 人間と個性・属性・特性

〇「障害個性論」について一言する。それは、障害を単なる身体的・機能的な欠損や問題として捉えるのではなく、唯一無二の存在である人間が持つ多様な個性のひとつとして肯定的に評価する。そして、障がい者の尊厳を尊重し、社会全体に多様な人間のあり方を認め、社会の共生を推進することをめざす考え方である。しかしそこには、障害者が現実的に直面する物理的・社会的な困難や問題が表層的な、場合によっては美的な「個性」という言葉によって矮小化される。そして、その責任が個人化され、本質的な社会構造的視点(「障害の社会モデル」:障害を社会の構造や環境によって生じるものとして捉え、社会の側に改善や配慮を求める考え方)が見落とされる恐れがある。すなわち、肯定的な意味合いを持つはずの「個性」という言葉が、社会構造的な課題に対する公的責任や共生に向けた取り組みを放棄あるいは希薄化させる危険性を孕(はら)んでいるのである。「障害個性論」は、その肯定的な側面を活かしつつ、社会の責任を厳しく追求し、いかに社会変革を促すかが問われるのである。
〇「障害は個性である」や「みんなちがって、みんないい」(金子みすゞ)といった言葉が、障がい者との共生をめざす文脈でしばしば使われる。しかし、これらの言葉は、どちらかと言えば障がい者との単なる友好関係を築くための言葉であり、障がい者に対する偏見・差別や不平等などの人権侵害を抑止・糾弾し、社会の構造を変革していく言葉ではない。ここで、こうした言説について改めて銘記したい。(⇒本ブログ:<雑感>(144)本文を参照されたい。)


付記

筆者は、「わたしは20代になって、吃音から解放されました」というN氏の言葉を思い出す。その言葉には、「大人になっても吃音で苦しみ、惨めな思いをする人はお気の毒です‥‥‥」という心の内が透けて見えるようでもあった。同じ障害を持つ人々や、異なる種類や程度、あるいは原因による障害を持つ人々の間で生じる偏見や差別(「内部差別」「当事者間差別」)、その社会構造的な背景や問題点、その解消法などについて論究することが求められる。

阪野 貢/日本の美意識が育む「まちそだち」:「奥」と「熟れ」の思想から考える ―福本繁樹著『「染め」の文化』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、福本繁樹(ふくもと・しげき)著『「染め」の文化―染み染み染みる日本の心―』淡交社、1996年5月。以下[1])がある。著名な染色家であり民族芸術学者である福本が、およそ30年も前に著した本である。言うまでもなく、「染め」は、色付けの単なる技術ではなく、作り手の手作業に宿る精神性や感性、そして社会の価値観や人々の生活様式などが深く反映される行為である。そこで、福本は[1]で、単に「染め」の技術的な側面だけでなく、日本の「染め」が持つ社会的・文化的かつ歴史的な背景や意味、すなわち「染めの文化」について探究する。その論述は、染色家としての制作経験と民族芸術学者としての視点・視野を融合させたものであり、それゆえに奥深く、興味深い。
〇本稿では、「染め」のひとつの背景として福本がこだわり、それを説く「奥」(おく)と「熟れ」(なれ)についてのみメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「奥」の文化と「染(し)みる」という作用
無意識ではあっても、自己の心に染みついた直観的なこだわりはどこかに必然性を秘めている。あるとき自然にそのこだわりが整理されて、論理的な認識となることがある。染色家の私は、これまで「染め」と「奥」とにこだわりをもって制作にとりくんでいたが、最近、日本の「奥」の文化は「染め」の文化ときわめて密接な関係があるのではないかと考えるようになった。ともに日本人に特異な美的感性にかかわる重要な文化である。(22ページ)
つつむ、箱にいれる、かさねる、覆う、などは、「奥」をつくる一連の行為と考えられる。中身にたどりつくまでの距離や段階をつくるため、遮断、隠蔽、抵抗、隔離、絶縁することである。深い「奥」を形成して、神聖な結界を設ける。そこには神や心が宿る。このような「奥」を形成する文化は、あらゆる分野にじつにひろく深く根ざし、日本独自の発展をみせたと指摘される。(26ページ)
研究や技術が、奥深い境地に達することを「堂に入る」(どうにいる)という。それに対する褒め言葉は、「奥深い」「奥行きがある」「奥ゆかしい」などとするのがいい。おなじ褒め言葉でも、「好し」「きれい」「りっぱ」「みごと」などとしても、場合によっては「お人好し」「きれいごと」などと皮肉になることすらある。「りっぱ、りっぱ」「おみごと」などといわれても、はたして心底褒められているのか疑わしいものだ。「奥」に対する価値感は絶対的だ。「奥」にこだわって、「奥深い」「奥行きがある」「奥ゆかしい」と形容できる日本文化がどれだけあるかを考えてみると、じつに多いことに気づく。また日常的にも、感情的にも、われわれは「奥」の文化と深くかかわっている。(27ページ)
奥に作用をおよぼす有効的な方法がひとつある。それが「染みる」ということだ。表面全体からジワジワと攻めて、表面に何らの傷も残さず内部に入り込み、いつの間にか全体にいきわたって、中心部にまで到達する。そして全体の色を芯から大きく変化させる。「染みる」という方法によってのみ、奥は作用をうけて変容をとげる。「染みる」ことは「奥までとどく」ことだといいかえることができる。(30ページ)
「奥」に対峙するものが「染め」であり。「奥」と「染め」は切っても切れない関係の、一組、一対のものと考えることができる。「奥」の文化を抜きに「染め」の文化を語ろうとすれば、「染め」の意義の重要部分に触れ得ないでおわってしまう。(30ページ)

〇要するに、福本にあっては、日本の文化における「奥」とは、包む、重ねる、覆うなどの行為によって中身との間に距離や段階をつくり、神聖な空間を設ける文化のことをいう。この「奥」は、日本人の特有な美的感性に関わる重要な要素であり、「奥深い」といった言葉でその価値が表現される。この「奥」に作用を及ぼす有効的な方法が「染みる」(しみる)ことである。それは、表面から徐々に内部へ浸透し、中心部にまで到達して全体を変容させる行為を指す。そしてこの「染みる」という行為は、染色という文化の根幹をなしている。従って、「染めの文化」を深く理解するためには、まず「奥」の文化への理解が不可欠であり、「奥」と「染め」は切っても切り離せない関係にあるのである。

「熟(な)れ」の美学と風化の価値
日本人の感性や芸術を語るとき、かならず問題とされるのは、日本人の自然景物への情熱的な関心であろう。(95ページ)
イギリス人ばかりでなく欧米人は、苔(こけ)をカビか金属のサビのように、汚らしいいやなものととらえるようだ。終戦後、日本家屋がアメリカ軍に強制借りあげになったが、駐留軍がひきあげたあと、古色蒼然たる館の、黒光りした素木(しらき)の柱はすっかりペンキが塗られ、苔むした庭の石灯籠はワイヤー・ブラシで真っ白に磨かれていて、日本人が「アッ!」と驚いたという。(95~96ページ)
苔への関心度、価値観、美的評価は、日本人独特の感性を顕示するものだろ。「苔むす」とは苔が生えることだが、転じて、長い年月がたつ・古めかしくなることをいう。日本人は古めかしくなることに価値をおく。日本の伝統的美意識に「色熟れ」(いろなれ)というものがあり、「馴染む」(なじむ)ことをよしとして、「風化」をよろこび、「古びる」ことに価値をおく。(96ページ
熟成・円熟・熟考・熟睡・熟達・熟知・熟慮・熟練などの熟語にみられる「熟」の意のように、完全・十分な状態に達することを「熟れる」(なれる・こなれる・うれる)という。「熟」は古びてさらに良しという意味である。(96ページ)
古色の好きな日本人は一方で清潔好きである。古色と汚れの違いは、ときとして微妙である。しかし日本人は風化と穢(けが)れを区別する。風化は自然の仕業だが、穢れは世間の仕業である。いかにも人工的な汚れが、穢れとして嫌われる。(99ページ)
「熟れる」をよしとする日本人の感性は、あらゆるものを生態のうちにとらえる資質を示すものだろう。「生態」とは生存の様式のことで、うつろう、ほろびるということはいのちがある証であり。そのいのちこそ大切だということだ。あらゆるものを「生態」のうちにとらえ、そこに「美」を見出す生態学的な感受、それが日本人の感性の基幹をなすものではないかと考える。(100ページ)

〇要するに、福本にあっては、日本人の美意識は、自然に対する深い関心と結びついており、苔を趣のあるモノとして評価するように、特に長い年月を経て味わい深くなること、すなわち「熟れる」こと、「古びる」ことに価値を置く。この「熟れ」という感覚は、清潔好きな日本人にとって、自然の仕業である「風化」を好み、世間の仕業である汚れ(穢れ)を明確に区別する。そして、あらゆるものを「いのちあるもの」として捉え、移ろいゆくその姿に美を見出すという繊細な感覚が、日本の美意識の根底をなしているのである。
〇言うまでもなく、「まちづくり」には、その “ まち ” ならではの歴史や伝統文化、自然環境、地域産業などの地域特性を活かし、そこに暮らす住民の “ まち ” に対する愛着や誇りを育むことが必要かつ重要となる。また、「まちづくり」は、住民一人ひとりが主役となって、その “ まち ” が持つ「物語」を紡ぎ、「らしさ」を育み、「夢」を織りなす、そのプロセスが重視されなければならない。それによって、その “ まち ” の個性や魅力が向上し、コミュニティの活性化が図られ、持続可能性が確保されることになる。
〇本稿で取り上げた福本の「奥」と「熟れ」についての言説(思想)は、ギスギスとした効率性や合理性を追求するだけの「まちづくり」を超え、日本の美的感性を活かした「まちづくり」の指針となり得る重要な視点であり要素である。すなわち、“ まち ” に静かに「染み込み」、時間をかけて「熟成」していくプロセスこそが、その “ まち ” の真の個性を育むことになる。また、住民一人ひとりの思いや願いが “ まち ” に染み渡り、風化を恐れず、古くなることを美と捉えるような、その “ まち ” ならではの文化を育むことになるのである。別言すれば、「まちづくり」は、単に計画されたものを「つくる」のではなく、一人ひとりの住民がその “ まち ” の生命力を引き出し、それを「そだてる」プロセスこそが大切にされるべきなのである。それは、「まちづくり」を超えた、「まちそだち」と言えようか。

老爺心お節介情報/第73号(2025年8月15日)

「老爺心お節介情報」第73号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

暑い日がまた戻ってきましたが、皆様お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第73号をお届けします。ご活用ください。

2025年8月15日  大橋 謙策

〇立秋が過ぎたというのに、いまだ酷暑が続きます。皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇私の方は、7月は各地のCSW研修で東奔西走しましたが、8月に入り、お盆までのんびりと過ごせ、英気を養うことができました。毎日の家庭菜園、庭木への水やりをする他には、週2回ほど地域の囲碁クラブに出かけ、対局を楽しみました。
〇また、このところ筋力の衰えを実感していましたので、8月より近くの民間のスポーツジムNASの会員になり、機器を使って筋力トレーニングを始めました。80歳の筋力は、20歳代の半分だといわれていますので、“年寄りの冷や水”かもしれませんが、チャレンジしたいと思っています。通うのが楽しい日々になりました。
〇8月20日から22日まで、ソウル特別市社会福祉協議会の金玄勲会長(日本社会事業大学の学部、大学院での教え子)の招聘により、韓国・ソウル市を訪問することになりました。
〇当初は、拙著『地域福祉とは何か』を金玄勲さんがハングル語に翻訳してくれ、その出版記念会への招聘でしたが、20年振りくらいに日韓地域福祉学術交流をしようということになり、日本地域福祉研究所からも田中英樹副理事長や原田正樹日本福祉大学学長なども参加されることになりました。
〇学術交流としての訪韓は久しぶりなので、今回の訪問では、金成垣・金圓景・呉世雄編著『現代韓国の福祉事情』(法律文化社、5700円)を読んで、学習していきました。その本を読んでの私の韓国理解の概要を下記にまとめてみましたのでご参照ください。
〇今日は、終戦後80年の節目の日です。今、日本では「排外主義」の主張が高まっていますが、今年は「日韓国交正常化50周年」ですし、「村山談話」発出30周年です。
〇改めて、日本が戦前の軍国主義の時代に行った様々な蛮行に思いを致し、蹂躙された国の方々の辛い、悲しい思いに心を寄せ、二度とあのような蛮行の過ちを繰り返さないためにも国民レベルの平和友好交流を強めたいとしみじみと思いますし、誓いました。
(2025年8月15日、終戦の日に平和共生を祈念して)

Ⅰ 韓国の社会福祉の現状

〇筆者が韓国と学術交流していたのは、1990年代後半のアジア通貨危機の時代から2008年の韓国の介護保険である長期療養保険制導入時代である。
〇1990年代後半に、日本地域福祉研究所を中心に「韓日地域福祉実践研究セミナー」をソウル市、大邱市、釜山市、光州市などで開催してきた。
〇また、日本社会福祉学会会長、日本地域福祉学会会長時代の2000年初頭には学会の学術交流協定や日本介護保険制度に関わる学術交流をしてきた。
〇今回の訪韓は、学術交流としては久しぶりで、この20年間近い期間に韓国の福祉事情が大きく変化してきていることを『現代韓国の福祉事情』を読んで実感した。
〇『現代韓国の福祉事情』の編著者である、東大教授の金成垣先生の論文は大変参考になった。
〇金成垣先生の学説は、韓国の社会福祉・社会保障は、資本主義先進国で確立した従来の「福祉国家」体制ではなく、新しい「社会サービス国家」ともいえるもので、「社会保険でない制度」、「準普遍主義」に基づく政策が展開されているのだと指摘している。それを可能にさせているのが、「総合社会福祉館」、「老人福祉館」、「障害者福祉館」で、そこを拠点に地域福祉活動が展開されているのが特色だとも指摘している。
〇筆者は、日本地域福祉学会会長の時代(2000年代初頭)に「地域福祉実践・研究に関する日本と韓国の学術交流協定」を締結したが、相手の韓国の学会名は「韓国地域社会福祉学会」である。
〇韓国は、その当時、市町村の権限、役割も弱く、市町村社会福祉協議会の位置づけも法的にはない状態だった(韓国の市町村社会福祉協議会が法制化されたのは、確か2021年?)。
〇筆者は、地域福祉における日本との比較研究をする枠組の要は、「総合社会福祉館」等のセツルメント実践の流れである地域福祉施設が重要なのではないかと指摘してきた(ただし、「総合社会福祉館」の設置は人口10万人に1か所が目安)。
〇日本でも、近年の「地域共生社会政策」の中で、子ども、障害者、高齢者を問わず誰もが通い、集い、時には泊まれる全世代対応型の「小さな拠点」の設置の必要性がうたわれ、既に高知県などにおいて「ふれあいあったかセンター」の実践が、限界集落、人口減少地域で大きな成果を上げていることを考えると、韓国の「総合社会福祉館」や農村部の「マウル館」等と日本の「小さな拠点」施設との比較をしつつ、地域住民のインフォーマルケアをどう位置付けるかの比較研究をする必要性がある。
〇いずれにせよ、金成垣論文を読んで、日韓地域福祉比較研究の枠組みが大変明確になった。
〇ただ、金成垣先生は、従来の社会保障関係の学説である“現金給付とサービス給付は代替関係にある”という学説に囚われず、韓国では現金給付とサービス給付との関係は代替関係ではなく、補完関係にあると考え、新しい「社会サービス国家」という考え方を打ち出した。その在宅福祉サービス(韓国では在家老人福祉事業)を「総合社会福祉館」等で現物給付する形で提供しているのが特色だと指摘している。
〇金成垣先生の学説は、日本の在宅福祉サービスの開発、研究を牽引してきた三浦文夫先生がイギリスのティトマス等に学び、貨幣的ニーズでは対応できない非貨幣的ニーズの必要性が都市化、工業化、核家族化の中で生活ニーズとして登場してきており、その対応が必要であると論述してきたことや江口英一先生が1960年代の不安定就業層に対する地方自治体での福祉サービスの整備が必要であると論述した考え方との関りや整合性を改めて検討する必要があるのではないかとの感想を持った。
〇日本では、現在、1960年代末から指摘されてきている「新しい貧困」の問題がより深刻化し、生活のしづらさを抱えている家庭の生活技術能力や家政管理能力などへの支援の必要性が増大してきているし、かつ、「ひきこもり」と称される人が246万人にいると推計され、孤立・孤独問題が深刻化している。更には、一人暮らし高齢者、一人暮らし障害者の増大に伴うそれらの人々の身元保証問題、入退院支援、終末期支援、死後対応サービスの必要性が喫緊の大きな課題になってきている。
〇これらの問題も含めて、韓国の「社会サービス国家」論と日本の「地域共生社会政策」との比較研究が必要だと思った。
〇『現代韓国の福祉事情』に基づき、日本との比較の視点も入れて韓国の福祉事情の特色、特徴を述べるとすれば、以下の点を挙げることができる(概要で述べる内容は、『現代韓国の福祉事情』の中に書かれていることで、一つ一つ引用個所を明示するのは煩瑣になるので省略させて頂いた。ご了承頂きたい。なお、日本の記述は筆者の考えである)。

➀韓国は、人口が2022年時点で5169万2000人、2000年に高齢者人口比率が7%になり、高齢化社会になった。2017年には高齢者人口が14%を超え、高齢社会になっている。日本以上に速いスピード(日本は24年で到達)で高齢化が進んでいる。
子どもの合計特殊出生率は、OECD諸国の中で最低の0・78(2022年)で、日本の1・26よりはるかに低い。
韓国では、高学歴化における受験戦争の激化、ソウル一極集中における住宅難、不安定就業による生活の見通し不安等の要因が影響して少子化が改善されていない。

➁韓国では、就業形態別の雇用保険の加入率が、正規労働者で78・1%、非正規労働者で44・4(2019年)と低い。かつ、不安定就業層が多く、臨時雇用者の割合が2019年で24・4%、かつ自営業者の割合が24・9%と多く、「福祉国家体制」の下になる正規の常用雇用者による社会保険制度の成熟度が進んでいない。
韓国では、1999年に「国民皆保険・皆年金」体制が実現したが、2015年時点で、非正規労働者の年金加入率は37・0%、医療保険は43・9%、雇用保険は42・1%である。
日本では、高齢化社会に入った1970年前後に、急激な都市化、工業化、核家族化の中で、家族が高齢者を経済的に扶養できず、かつ年金も未だ成熟していていない時代であったこともあり、国が低所得層の高齢者に「老人福祉手当」を支給したことと同じように、韓国でも社会保険だけでカバーできない部分を国が税金によってサービスを現物給付する形態で賄っている。

➂日本の公的扶助制度である生活保護制度に該当するのが、現行の韓国では2000年10月に施行された「国民基礎生活保障制度」である。
韓国では2022年までは、「扶養義務者基準」が厳しく(扶養義務者の所得(年収1億ウオン以上)、および資産(保有不動産価格9億ウオン以上)があれば扶養義務基準を適用)、適用されていた。
他方、勤労能力のある貧困者には、多様な働く場としての自活事業が用意されているし、創業教育、機能訓練及び技術・経営指導等の創業支援、自活に必要な資産形成支援等が展開されている。
この自活事業の多様なプログラムは、韓国で2007年に制定された「社会的企業育成法」に基づき育成支援されている「社会的企業」、「協働組合」、「マウル企業」、「ソーシャルベンチャー企業」の取組とも関わっていて、「自活企業」だけでも2021年時点で997企業が経営されている。
日本では、生活困窮者などに対する支援で、“一般就労”支援が中心になっているが、韓国のように、新しいプログラムを開発しながらの支援は日本でも大いに参考にすべきである。
韓国では、このような状況もあり、社会福祉士養成カリキュラムに「プログラムの開発及び評価」、「社会福祉資料分析論」が取り入れられている。かつ、「総合社会福祉館」には、社会福祉士が義務設置化されていて、外部資金の獲得や地域資源の開発・連携に取り組んでいる。
筆者、コミュニティソーシャルワーク研修において、「問題解決プログラムの企画立案」や「地域福祉・地域包括ケア基本情報シート」の作成を取り入れているが、考え方は全く同じである。日本の社会福祉士の養成カリキュラムが“時代錯誤”なのである。

➃韓国では、「長期療養保険制度」がドイツ、日本に学び2008年7月から導入された。
しかしながら、日本で2006年に始められた介護予防事業は制度化されていない。
韓国の介護予防事業は、全国に357か所あり、300万人の会員を擁している「老人福祉会館」で展開されている。その活動を支える従事者が14000人配置されている。
日本では、1990年代に全国社会福祉協議会が主導して全国各地の市町村社会福祉協議会が「住民参加型福祉サロン」を創設し、活発な活動を展開していた。
しかしながら、2000年の介護保険制度の実施の際に、国民の理解を得るためか、福祉サロンに通う高齢者も介護保険制度のデイサービスを利用できるようにしたことにより、「住民参加型福祉サロン」は衰退していく。
ところが、介護保険財政が厳しくなると、2006年に介護予防事業制度を導入し、再度「住民参加型福祉サロン」を推奨させるようなシステムを作り出す。
韓国では、一貫して介護予防は老人福祉館で行われている。老人福祉館は、1989年にモデル事業として取り組み始められた。
老人福祉館の基本事業は、「生涯教育支援事業」、「趣味余暇支援事業」、「相談事業」、「情緒生活支援事業」、「健康生活支援事業」、「社会参加支援事業」、「危機および独居高齢者支援事業」、「脆弱老人保護連携網構築事業」の7つである。
選択事業としては、「敬老堂革新プログラム」、「高齢者住居改善事業」、「雇用および所得支援事業」、「家族機能支援および統合支援事業」、「地域資源の開発と連携、高齢者権益増進事業」の5つがある。
この老人福祉館は「地域食堂」の機能も持っており、安価な3000ウオン程度で利用でき、かつ生活困窮者には無料で昼食が支給されている。
老人福祉館の個人の利用料は3か月で2万ウオンから4万ウオン程度である。老人福祉館の運営費は、市区町村からの補助金の他、共同募金、協賛会費などで賄われている。

➄日本でも「離別によるひとり親世帯における非養育者の養育費不払い問題」は深刻で、母子家庭における養育費を支払っている非養育者の比率は28%と言われている。
韓国でも同じような問題を抱えており、2014年に「養育費履行確保法」が制定され、かつ2020年からはそれがより強化され、「行政制裁として、運転免許停止処分及び出国禁止、身元公開(氏名、年齢、職業、住所、養育費債務不履行期間、養育費債務額)」が規定され、かつ刑事罰まで法制化された。
日本でも、行政が代執行して養育費を支払わせる制度の確立が望まれている。

➅日本では、2023年5月に「孤独・孤立対策推進法」が制定され、孤独問題担当大臣を設置するほど孤立・孤独問題は深刻化している。
筆者が、孤立・孤独問題に関心を寄せたのは、旧自治省系の自治行政センターの依頼を受けて、「行政とボランティア活動との関係に関する調査研究」で、三浦文夫先生とヨーロッパ諸国を訪問した1982年である。
その際、スウエーデンを訪問したが、スウエーデンのソーシャルワーカーが日本の老人クラブの実践を学びたいと話をした。その理由が、スウエーデンではその当時、高齢者の孤立・孤独問題が深刻で、日本の老人クラブ活動に学びたいということであった。
当時の日本の老人クラブへの加入率は75%程度(現在は17%程度)あり、地域の老人たちがクラブ活動をすると同時に、地域の一人暮らし老人たちへの友愛訪問活動をしていることを参考にしたいという話であった。
その後、イギリスでは2018年に孤独担当大臣を設ける等、ヨーロッパ諸国での孤立・孤独問題は深刻化していった。
韓国では、2020年3月に「孤独死予防法」が制定された。これに先立つ対策として、2007年に「老人福祉法」が改正され、独居高齢者支援が法定化された。
2020年には、「老人個別型統合サービス」に統合整理され、安全支援、社会参加、生活教育、日常生活支援という「直接サービス」、生活用品支援、住居改善、健康支援等の「連携サービス」、孤立型グループ、抑うつ型グループへの「特化サービス」の業務が展開されるようになった。
「老人個別型統合サービス」の実施機関は2023年時点で全国681か所あり、その中で「特化サービス」を実施している機関は191か所である。
「老人個別型統合サービス」の実施機関には、専担社会福祉士と生活支援士が配置され、対象者選定とケアマネジメント及びソーシャルワーク機能を担当している。

➆韓国では、日本以上に少子化が進んでおり、労働力をカバーするために、日本以上に外国人労働者を受け入れている。2022年末現在で、韓国の在留外国人は224万59912人で、全人口の4・37%を占めている。
これらの在留外国人の生活支援のために、韓国では2007年に「在韓外国人処遇基本法」を制定している。また、2008年には「多文化家族支援法」を制定し、韓国の社会福祉事業による福祉的支援に法的根拠を持たせることになった。
「多文化家族支援法」では、多文化家族に対する理解促進、生活情報の提供および教育支援、家庭内暴力被害者に対する保護・支援、医療および健康管理のための支援、多言語によるサービス提供および「多文化家族向け総合情報コールセンター」の設置・運営、外国人支援を行っている民間団体への支援等が定められている。
これらの法律でいう「在韓外国人」とは、韓国の国籍を持たないもので、韓国に居住する目的で合法的に滞在している者、「結婚移民者」とは、韓国の国民と婚姻したことがある者または婚姻関係にある在韓外国人である。
一方、「多文化家族」とは、「結婚移民者または韓国の国籍を取得した者からなる家族」のことで、外国人夫婦のみの世帯、外国人労働者、留学生は含まれていない。しかし、近年では、多分化家族の定義を広く適用しているという。
韓国での在留外国人への政策は、日本でも学ばなければならない課題である。

➇韓国は、国連の世界デジタル政府ランキングで、1位、2位を競うレベルのデジタル化が進んでいて、日本の比ではない。
韓国のデジタル政府を推進する根拠法は、1995年制定の「情報化促進基本法」、2000年の「デジタル政府法」、2009年の「国家情報化基本法」によるところが大きい。
福祉業務に特化した情報システムとしては、2010年に「社会福祉統合電算網」によるところが大きい。
それは、社会保障基本法の中で、「社会保障の受給者の決定や給付管理などに関する情報を統合・連携して処理する情報システム」であり、それは保健福祉部(日本の厚生労働省に該当)の福祉事業の業務を電子処理する「幸福eウム」と各省庁の福祉事業業務の電子処理を支援する「凡政府」との2種類がある。
「幸福eウム」は、地方自治体福祉業務と連繋して、各種社会福祉サービスの給付や受給資格、受給履歴の情報を統合管理している。
この2つの情報管理により、国税庁や国民健康保険公団、国土交通部(日本の国土交通省に該当)等の公共機関の所得及び財産情報を活用して不正受給や死亡届の提出遅延、未提出による“受給の不正”を防止している。
また、この情報システムを活用して、申請主義のために、本来受給できるにもかかわらず申請できない人を発見・把握し、支援につなげられるようになった。
更には、2014年12月に「社会保障給付の利用、・提供及び受給権者の発掘に関する法律」が制定され、電気料金や水道料金の滞納等公共料金の滞納にも関わらず、社会福祉関係者がアウトリーチできていない世帯を発見・把握し、職員を家庭訪問させ、申請につなげられるようになった。
一般的に、ICT化は低所得者や低学歴の人の生活に及ぼす影響・効果は限定的で、ややもするとのその利活用から疎外されがちであるが、韓国では逆にそれらの人々へのアプローチの手段として活用できていることは注目に値する。
いまや、福祉サービスへの福祉アクセシビリティがぜい弱な人々を発見・把握するために活用する情報は、通信費滞納、金融債務滞納、健康保険料滞納等にまで広がり、44種類にも上っている。

➈「マウル館」は、“地域社会の中心地として機能し、街の集まり、地域の市場、祭りなどの各種活動ができるように一定の設備を備えた建物で、一般的に多目的ホール、小さな会議室、演劇場、キッチン、トイレ、駐車場などの設備が含まれる”施設である。
「マウル館」(韓国語辞書では、マウルとは主に田舎でいくつもの家が集まって住むところと定義されている)は、1970年代のセマウル運動のセマウル会館として全国的に設置されていったが、現在は行政上の明確な管理主体がない状態である。
現在、「マウル館」は、全国に36792か所設置されており、自宅から「マウル館」まで10分以内の距離に設置されている村が95・5%である。距離的アクセシビリティはすこぶるいい。
「マウル館」は、1階建ての単独建物が多く、「敬労堂」と複合的に運営されているところが多い。
「マウル館」でも「地域食堂」としての機能を有しており、一日1回の食事提供が最も多く、69・3%、一日に2回の食事提供するところが22・3%である。
「マウル館」の運営は、里長(自治会長)が最も多く68%、老人会長が運営するところが24・1%である。
食事の提供に関わる経費は、住民たちが分担するが30・6%、「マウル運営資金の支援」が28・3%、「政府と自治体の支援金」が19・8%である。
農村地域の高齢化率は2020年時点で46・8%となっており、冬の期間、各自の自宅で暖房をつけるのには経費が掛かるが、「マウル館」に居ればそれも節約できることから、暖房施設のある「マウル館」の冬の期間における存在意義は大きい。
韓国の228自治体のうち、113の自治体が消滅危機にあるなかで、「マウル館」を拠点にしての地域づくりは、日本の限界集落との比較研究をする上で重要である。高知県の「ふれあいあったかセンター」がその比較研究する上で最適である。

➉「総合社会福祉館」は、韓国・社会福祉事業法第2条で「地域社会を基盤に一定の施設と専門人材を備え、地域住民の参加と協力を通じて地域社会の福祉問題を予防または解決するために総合的な福祉サービスを提供する施設」と規定されている。
「総合社会福祉館」は、2023年現在、全国に479か所設置されており、人口10万人当り1か所の目安で設置されている。
当初、「総合社会福祉館」は、低所得者が密集している永久賃貸住宅団地を中心に設置が進められたが、その後戸別の住宅面積が狭い住宅団地住民の生活福利のための共同の福利施設として住宅法が改正されて、設置、利用が少し変容していく。
「総合社会福祉館」は、「地域社会の特性や地域住民のニーズを踏まえた事業」、「官民の福祉サービスを連携した事例管理事業」、「地域の福祉共同体の活性化を目指した福祉関連の資源管理や住民教育」、「住民組織化等に関する事業」等が社会福祉事業法第34条の5に規定されている。
利用対象者は、社会福祉館の位置する地域のすべての地域住民となっているが、特に国民基礎生活保障の受給者や生活困窮者、障害者、高齢者、一人親家庭、多文化家庭、保護と教育が必要な幼児・児童・青少年、その他緊急支援が必要と認められるものが優先されると社会福祉事業法34条の5で規定されている。
全国の社会福祉館479巻のうち、社会福祉法人運営が約7割(338か所)、次いで財団法人、社団法人は都築、地方自治体の運営もある。
社会福祉館は、その建物の大きさにより「ガ型」、「ナ型」、「ダ型」に分けられている。
その運営費はおおむね年間予算が10~30億ウオンである。
社会福祉館の専門人財の配置は、「事例管理」、「サービス提供」、「地域組織化」、「行政及び管理」を実施しているかどうかと、その設置されている地域が「特別市」、「広域市」、「特例自治市・道・特例自治道」の違いによっても配置される人材数が異なる。
韓国の「総合社会福祉館」の源流は、1906年アメリカの宣教師・メソジスト教会の女子宣教師であったメリー・ノールズが始めた元山での隣保館運動で、その拠点が「班列房(バンヨルバン)」であった。その後、キリスト教関係者や大学関係者によって「社会福祉館」は作られていく。
「総合社会福祉館」としての制度化は、1983年に社会福祉事業法が改正され、社会福祉館への財政支援と地域住民の利用施設としての位置づけが規定されてからである。
韓国では、1998年に社会福祉士1級国家試験制度が実施され、今では社会福祉館の採用条件に社会福祉1級を条件としているところがほとんどである。

Ⅱ 韓国で2026年3月から実施される『医療·介護など地域ケアの統合支援に関する法律(ケア統合支援法)』の概要――韓国・崔太子さん提供資料

原 良子/「つながり」に生きる―地域と福祉と教育と―

私は、「地域・福祉・教育」と「つながり」という言葉を大切にしてきました。

大学卒業時、学校ではなく、地域での仕事を選びました。当時は、就学猶予・免除という名のもとに、教育を受けられない障害児たちが地域にたくさんいたからです。けれど、東京都の職員としてはすぐに障害のある子どもたちに関わることができず、とりあえず児童館職員となりました。初めは異動希望を出していましたが、そのうち児童館での課題、やりがいも見えてきて続けるうちに、いつの間にか児童館から離れられなくなっていました。

結果的には、定年まで、児童館職員として勤務しました。子どもたち、保護者、地域の皆さんとの毎日はとても充実していました。退職後は、北区の区民相談室での勤務後、放課後子ども教室の放課後コーデイネーターの仕事をしながら、地域で絵本の読み聞かせや工作指導などのボランティアをしてきました。

コロナ禍では、高齢者はステイホームといわれ、ボランティアもできなくなりました。やがて、ステイホームも長くなり改めて何かしたいと思うようになりました。 75歳のとき、「日本語教師養成講座420時間」を受講し、無事修了しました。

現在、公立小学校で日本語を母語としない児童への日本語指導をしています。日本語教師になりたかったのは、児童館勤務だったとき、外国籍の子どもが来館してもなかなか力になってあげられなくて、彼らに日本語を教えてあげられたら、と思っていたからです。やり残したこと?をやりたいと思ったのです。

児童館時代に出会った子どもたちとの思い出はたくさんあります。でもそれらは、もう、20年以上も前のことになります。

児童館には様々な子どもたちが自分の意志でやってきます。障害のある子ども、虐待を受けている子ども、発達障害に苦しむ子ども、貧困家庭で育つ子ども、親の期待から塾や習い事に追われ「時間が怖いよ」という子ども、などなど。

保護者が子育ての様々な悩みを抱えていることも見えてきました。児童館で何ができるか。しなければならないのか。地域での子育てをどうすればいいのか。学校、保健センター、児童相談所、地域の方々などとの連携をどのように取ればよいのか。先輩たちからは、理論と実践は車の両輪だといわれましたが、両輪を支える車軸は何か、など、理論不足の私にはわからないことだらけでした。

特別支援学級が特殊学級といわれていた頃から、なぜかどの児童館へ異動しても、私の周りにはその学級に在籍する子どもたちがいました。なんとなくお互いに引き合っていたのかもしれません。児童館がそんな彼らの居場所になって欲しいと思っていました。絵本を持って彼らの学級におじゃまして、読み聞かせをしたり、一緒に給食を食べたこともありました。下校後、彼らの地域での居場所として児童館を知って欲しかったのです。

ネグレクト、虐待されている子どものことも忘れられません。夏休みなどは、子どもたちは昼食のために、12時から1時までは自宅へ帰ります。その間は私たち職員の昼食、休憩時間でした。ところが、家に帰ったはずの子どもが、30分もしないうちに児童館の玄関前にやって来るのです。暑いなか、外で待たせるのはしのびないので、冷房の効いた玄関に座って待たせることになるのですが、お昼ごはんを食べてきたわけではないのです。

それが、続くと、見かねてコンビニでおにぎりを買ってきて食べさせたこともありました。彼は1年生でした。そんな彼をいつも気にかけてはいたのですが、ある日、ランドセルを背負って来館し、「きょうはよろしくおねがいします」とお母さんが書いたメモを私に渡すのです。児童館へは学校から家に帰ってから遊びに来ることになっていたので、学童クラブの子ども以外はランドセルを背負ったまま児童館に来ることはないのです。

たまたま、子どもを送って児童館に来た保護者の方が、彼のお母さんの事情を知っていて、とりあえず彼をそのまま受け入れました。お母さんは、いろいろな事情があり、精神的に治療が必要であることを知りました。当時私は館長職であり、地域の学校、保健センター、保育園などとの「つながり」を大切にしていましたので、学校と保健センター、彼の在籍していた保育園に連絡して相談しました。彼のこれからのことを考えると、一度関係者が集まって話し合うことが必要だと思いました。

小学校の校長に相談すると快く、学校でその会議を開くことを了承してくださいました。保健センターとは、乳幼児活動を児童館でもしていたので、日常的に保健師さんと顔の見える関係を築いていました。

学校(校長、担任)、保健センター(保健師)、保育園(園長)、北区立ほっと館(母親への支援、児童相談所との連携をしている児童館。館長)、地域の児童委員(子育て相談員として児童館に来ていただいていた)、そして私(児童館長)が集まり、それぞれが情報提供し今後のことを話し合いました。

その結果、彼が学校にいるときは、学校が見守り、スクールカウンセラーも彼への面接などで状況を把握する。放課後は児童館が彼を見守り、何かあれば他機関と連携を取る。保健センターは、母親のケアをする。ほっと館、児童相談所はネグレクトなどが心配されるときは対策を進める。地域の児童委員は、家庭訪問のときに見ていた彼女の生活態度などを非難するのではなく、保健師さんと一緒になって見守っていこうということを言ってくれました。

私は、彼が3年生になるとき、この児童館で定年退職となりました。その後気にかけてはいましたが、連絡を取り合うことはありませんでした。けれど、その後、生活保護を受けていた家庭の彼が国立大学に進学した、ということを聞きました。おそらく、世帯分離をして、経済的にも学業的にも大変ななかでがんばったのだと思います。

すごくうれしかったです。皆さんに見守られ、彼もがんばって大学に進学できたのですから。現在はきっと、社会人として自立して頑張っていると思います。

いま、私は、日本語適応指導員として、中国、ネパール、バングラデシュの子どもを担当しています。子どもたちの抱える課題は様々ですが、自ら望んできたわけではない異文化の日本で、日本語学習を頑張っています。日本語教室が、彼らにとって楽しい場であるように、彼らに明るい未来が開けるように、子どもたちに寄り添って少しでも力になれればうれしいです。これからも、子どもたちと、彼らの未来と「つながり」続けられることを願っています。

 

【講評】/市民福祉教育研究所

原 良子/「つながり」に生きる―地域と福祉と教育と―
筆者の原良子氏は、大学卒業後、「地域・福祉・教育」というテーマと「つながり」という言葉を大切にしながら、児童館職員として定年まで勤務した経験を語っています。
児童館では、障害のある子ども、虐待を受けている子ども、発達障害の子ども、貧困家庭の子どもなど、さまざまな背景を持つ子どもたちと接し、その居場所となるよう尽力しました。特に、ネグレクトを受けていたある小学1年生の男の子を救うため、校長、保健師、保育園長、児童委員などの関係機関と連携し、チームで彼を見守る体制を築きました。その結果、その男の子が後に国立大学に進学したという知らせを聞き、大きな喜びを感じたと述べています。
定年退職後も、ボランティアや日本語教師養成講座の受講を経て、現在は日本語指導員として公立小学校で外国籍の子どもたちを支援しています。自身の経験から、日本語学習を通して子どもたちの未来を拓く手助けをしたいという強い思いを語り、今後も子どもたちとその未来との「つながり」を大切にしていきたいと締めくくっています。

〔A〕
筆者の文章は、長年にわたる「子どもの福祉」への情熱と、「つながり」を重視する一貫した姿勢が感じられる、心温まる内容です。

 経験に基づいた説得力
抽象的な理想論ではなく、具体的なエピソード(ネグレクトの子どもを救った事例など)を通して、福祉と教育の現場のリアルな課題と、それを乗り越えるための「つながり」の重要性を説得力を持って伝えています。
 一貫したテーマ
大学卒業時から現在に至るまで、「地域・福祉・教育」と「つながり」というテーマがブレることなく、それぞれのキャリア選択に結びついています。特に、日本語教師としての現在の活動が、児童館時代に助けられなかった外国籍の子どもへの思いから来ているという点は、筆者の誠実さと人間性を感じさせます。
 希望に満ちた結び
困難な状況を乗り越えて国立大学に進学した男の子の事例は、筆者の活動の成果を具体的に示し、読者に希望を与えます。最後の日本語指導員の活動への言及も、過去の経験を活かし、未来へとつながる活動を続けている筆者の前向きな姿勢を印象づけています。

総じて、この文章は、個人の半生を振り返りながら、地域における福祉と教育の「つながり」の重要性を訴えるエッセイとして高く評価できます。

〔B〕
筆者の文章は、児童福祉、地域連携、そして生涯学習という複数の専門分野にまたがる示唆に富んだ内容です。以下に、各分野の視点から専門的な評価について述べます。

児童福祉・ソーシャルワークの視点
 多機関連携の成功事例
ネグレクトを受けていた子どもへの対応は、まさにソーシャルワークにおける多機関・多職種連携(multidisciplinary collaboration)の模範的な実践例です。学校、保健センター、保育園、児童相談所、児童委員、児童館が、それぞれの専門性を持ち寄り、情報共有と役割分担を明確にすることで、子どもとその家族に対する包括的な支援体制を構築しました。これは、個別ケースへの対応として、専門機関や専門職の連携・協力が子どもの長期的なウェルビーイングに不可欠であることを示しています。
 アウトリーチと居場所の提供
児童館職員として、特別支援学級に訪問して読み聞かせを行うなど、自ら積極的に子どもたちと関わろうとする姿勢は、施設の枠を超えたアウトリーチ(outreach)活動として評価できます。これにより、学校という場とは異なる「居場所」を子どもたちに提供し、彼らの自己肯定感や社会性の発達を支援したと考えられます。
 ライフヒストリー・アプローチ
筆者の人生を通して「つながり」というテーマが一貫していることは、専門的な視点から見ても重要です。児童館での経験が、退職後の日本語教師としての活動につながっていることは、個人のライフヒストリー・アプローチ(life history approach)として、過去の経験が現在の活動を形作るうえでいかに重要であるかを示しています。

教育学・特別支援教育の視点
 インクルーシブ教育の実践
特別支援学級の子どもたちを児童館という地域の居場所につなげようとした取り組みは、まさにインクルーシブ教育(inclusive education)の理念を体現しています。障害の有無にかかわらず、すべての子どもが地域社会の一員として「共生」できる環境づくり(まちづくり)をめざした実践として評価できます。
 教員の多職種連携への貢献
筆者は教員ではありませんが、学校と連携し、教員が気づきにくい子どもの家庭環境や行動背景を共有することで、教育現場における課題解決に貢献しています。これは、学校と地域が協働(共働)するコミュニティ・スクールの考え方にも通じるものであり、また教育と福祉の専門家が連携・協力することの重要性を示唆しています。

生涯学習・地域活動の視点
 生涯にわたる専門性の深化
75歳で日本語教師養成講座を受講し、新たな専門性を獲得したことは、生涯学習(lifelong learning)の実践例です。これは、自身の過去の経験(児童館での外国籍の子どもとの出会い)と現在の社会のニーズ(日本語指導)を結びつけることで、高齢期においても社会貢献が可能であることを示しています。
 地域におけるソーシャルキャピタルの構築
児童館職員として、保護者や地域住民、他機関との顔の見える関係を築いたことは、ソーシャル・キャピタル(social capital)の構築に貢献したと言えます。これにより、地域全体で子育てを支えるというセーフティネットが機能し、緊急時に迅速な連携が可能になったと考えられます。

総じて、この文章は単なる個人の回想ではなく、児童福祉、教育、地域活動といった専門分野における重要な実践知と理念を凝縮した貴重な記録と言えます。筆者の人生そのものが、「つながり」を基盤とした専門職のキャリアパスを力強く示唆していると評価できます。そしてまた、その「つながり」こそが、筆者が求め続けた理論と実践の両輪を支える「車軸」であると言えます。さらにこの文章は、「まちづくりと市民福祉教育」の実践・研究にも、多くの気づきをもたらしてくれます。

〔C〕
筆者の児童館職員としての活動は、単なる子どもの遊び相手や施設の管理者にとどまらず、児童福祉と地域連携の専門家としても評価されます。

 子ども理解と個別支援
筆者は、児童館に来る子どもの多様な背景(障害、虐待、貧困、発達障害など)を理解し、一人ひとりに寄り添う姿勢を貫いています。特に、ネグレクトを受けていた子どもに対し、単なる食事提供ではなく、学校や保健センターなどと連携して組織的な支援体制を構築したことは、個別ケースの課題解決能力が高いことを示しています。これは、児童館が単なる遊び場ではなく、子どもの権利を守るためのセーフティネットとして機能できることを実証した事例であると言えます。
 多機関連携の推進
児童館の機能は、その地域内の他機関(学校、保健センター、保育園、児童相談所など)との「つながり」によって最大化されます。筆者は、館長という立場で、これらの機関との顔の見える関係を積極的に築き、情報共有と協働(共働)を可能にしました。これは、地域全体で子どもを育む「コミュニティ・ケア」の理念を体現するものであり、児童館の可能性を広げる実践です。
 専門職としての成長と自己学習
筆者は「理論と実践は車の両輪」という言葉を自戒とし、常に自己の専門性について問い直し続けていました。定年退職後も、過去の経験から得た課題意識(外国籍の子どもの支援)を原動力として、日本語教師という新たな専門性を習得したことは、生涯にわたる専門職としての倫理観と学習意欲の高さを示しています。

総じて、筆者は、児童館職員の枠を超えたソーシャルワーカー、コーディネーター、そして生涯学習者としての役割を担い、子どものウェルビーイングの向上に貢献したと言えます。その実践は、児童福祉に関わるすべての専門家にとって、模範となるべきものです。

 

「講評への応答」/原 良子

この度はいろいろとありがとうございました。

「児童館職員としての活動は、単なる子どもの遊び相手や施設の管理者にとどまらず、児童福祉と地域連携の専門家」として評価してもらえたこと、すごくうれしいです。児童館は子どものあそび場、と言われることが多く、(もちろん子どもにとって遊びは主食のようなものでなくてはならないものだけど)児童福祉の現場であることはあまり意識していない人が多かったからです。

社大(日本社会事業大学)を卒業して、皆さん厳しい福祉の現場で頑張っておられるのに、子どもと遊んで楽しんでいる私は何なの? 社大で学んだことを活かしているの? といつも後ろめたさを感じていました。特別支援教育、児童福祉、ソーシャルワークの視点でも評価して頂き、私も社大の卒業生です! と初めて自信を持って言えるような気がしました。

そうなんです。いろいろ頑張ってはいたけど、私のやっていることを子どもたち、保護者、地域の人々にとってはたいしたことではないかもしれない、と思うこともよくあったのです。

でも、ちょっと自慢させてもらえるなら、
退職の時、たくさんの地域の方々がお花を持って児童館に来て下さったのです。ほんとにびっくりしました。保護者の方、地域の児童委員さん、保護司さん、高校生になった子どもたち、たくさんの花束を頂きました。あそびに来ていた子どもたちは、お祝い会を開いてくれました。もちろん、職員が企画してくれたのですが。私が気がかりだった、彼も、花束を渡す係をしてくれました。もう、涙、涙、の私でした。

学校の先生方のメッセージを、学童クラブの職員(学童クラブも児童館管轄でした)が集めて持ってきてくれました。もう、これで私は児童館でできるだけのことをやれたんだと思えました。これで、充分に評価して頂けた、と思いました。

でも、これはあくまでも当事者間のもので、客観的な評価ではありません。今回は客観的に評価して頂いて? 嬉しかったのです。

このような機会を作って頂き、本当にありがとうございました。心より、感謝申し上げます。今日はとてもうれしい温かな気持ちを抱えて過ごしています。

2025年8月8日

阪野 貢/人に「生きる力」を与える「建築」:「まちづくり」に通底する視点 ―伊東豊雄著『誰のために 何のために 建築をつくるのか』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、伊東豊雄(いとう・とよお)著『誰のために 何のために 建築をつくるのか』平凡社、2025年4月。以下[1])がある。伊東は、人間の感覚を重視し、現実社会と向き合い、建築が人間や自然といかに共存していくべきかを探求し続ける日本を代表する建築家である、と評される。
〇本稿では、伊東の多岐にわたる奥深い建築思想の内から、例によって恣意的であるが、次の3点についてメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「流れ」と「淀み」:動と静と調和の有機的共存
伊東にあっては、建築は、単なる機能的な構造物や壁で切り分けられた閉鎖的・固定的な「容器」(「部屋」)ではなく、多様な人々が自由に集い、活動し、関係性を築く開放的・流動的な「場所」である(「流れ」)。とともに、人々が立ち寄り、安らぎ、思索する空間でもある(「淀み」)。この「流れ」と「淀み」は、対立するものではなく、相互に補完し合い、調和することによってより豊かな建築空間となる。すなわち、理想的な空間とは、「流れ」(動)と「淀み」(静)がバランスよく共存する有機的な状態をいう。(25~27、38~41ページ)

「人に生きる力を与える建築」:知性と身体感覚と自然の統合
伊東は、「人に生きる力を与える建築」を追求する。それは、知的にデザインされた機能的かつ効率的な快適さだけでなく、人に感動を与え、生命力を感じさせる、すなわち身体感覚や五感を大切にする「いのち輝く」建築である。それは、その場所(地域)の風土や自然と調和し、歴史や文化と共鳴する、それゆえに人々の活気や創造性を引き出し、社会との繋がりを生み出す建築である。従ってそれは、「空間としての力強さではなく、時間として持続しうる力強さを持つ建築、すなわち生き続け、呼吸をする建築」(138ページ)でなくてはならない。そしてまた、「作家の姿が消えて自然の力が浮かび上がってくるような建築」(164ページ)でもなければならないのである。(122~125、126~134ページ)

「みんなの家」プロジェクト:公共性と社会性と共創性の融合
伊東らは、東日本大震災を契機に、被災地でみんなが集い、交流し、互いに支え合う小さな居場所として、「みんなの家」プロジェクトに精力的に取り組んでいる。それは、行政が住民に提供する空間ではなく、また建築家が設計して住民に与えるものでもない。住民が主体的に参加し、自分たちの手で創り上げていく小さなコミュニティの場である。すなわち、建築は、社会的な課題に応えるものであり、開かれた公共性とその地域・社会の文脈に根ざした社会性を持つものでもある。それゆえに建築家には、「社会の内側」に身を置き、地域・社会の課題に向き合い、人々とともに未来を創造する社会的な存在としての役割を果たすことが求められることになる。(135~141、142~150ページ)

〇伊藤の言説(建築観)は、建築を介して人々が集い、繋がり、多様性を尊重し合って豊かに「生き抜く」「生き合う」共生社会の実現を図るという、「まちづくり」の目標に通底するものである。そのまちづくりの基盤に位置づけられ、まちづくりの起爆剤や羅針盤の役割を果たすべき営みが、「市民福祉教育」であろう。[1]から読み取ったことのひとつである。

阪野 貢/追補/「障害とともにいかに自由に生きるか」という視点 ―田島明子著『障害受容再考』のワンポイントメモ―

障害の受容とはあきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり、障害を持つことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずること(上田敏「障害の受容―その本質と諸段階について」『総合リハビリテーション』第8巻第7号、医学書院、1980年7月、515~521ページ。下記[1]39ページ)。

〇本稿は、<雑感>(238)「障害理解」を通して人間存在の多様性と包摂、そして共生を考える ―丸岡稔典著『「障害理解」再考』のワンポイントメモ―/2025年7月14日投稿、の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、田島明子(たじま・あきこ)著『障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ―』(三輪書店、2009年6月。以下[1])がある。久しぶりの再読である。
〇「障害を受容していない」「障害を受け入れなければ、何も始まらない」「障害を乗り越えるためには、まずそれを受け入れることだ」などと言われる。田島は[1]で、リハビリテーションの臨床現場や学問の世界で、また障害学の分野で使用されるこの「障害受容」という言葉・概念を深く掘り下げ、新たな視点を提示する。そこでの主張・言説のひとつは、こうである。

能力主義的障害観(感)
リハビリテーション臨床では、障がい者に対して「できる」ことを増やすことに注力するあまり、障害受容が押し付けられ、無意識のうちに「できる」「できない」という「能力主義的障害観(感)」(108ページ)が助長され、結果的に「できない」こと、すなわち障害の存在そのものを否定することになってはいないか。

動的プロセスとしての障害受容
障害受容は、一度到達すれば不変で固定化されるもの(状態)ではなく、新たな否定的・差別的経験(「スティグマ経験」50ページ)や障がい者を取り巻く環境変容などに起因する障害に対する自己認識や感情の変化によって、障害に対する否定的な感覚や羞恥感情が再熱しうる流動的で継続的なプロセスである。

障害受容の心理的・行動的・社会的側面
障害受容は、障がい者が自身の障害を認識し、それによって生じる個人的で内面的な感情や心理の変化(心理的側面)だけでなく、日常生活や社会参加における具体的な課題解決を図るための態度や行動の変容(行動的側面)を促し、他者や社会との積極的な関わり(社会的側面)を構築する能動的で主体的なプロセスである。

内在的・外在的な障害観(感)と「障害との自由」
田島は、「障害受容」の代替概念として「障害との自由」(障害とともに、楽にいられる・生きられること)(125ページ)の概念を提示する。それは、「『障害』を否定する一切の外在的な障害観(感)を捨てて、その人の内在的な障害観(感)の萌芽を探し、それを外在的な障害観(感)へまで流通させる過程」(180ページ)をいう。すなわちそれは、能力主義的な障害観(感)である「外在的な障害観(感)」や障害へのとらわれ(障害に意識を向けること)から自由になり、障がい者自身がその体験や身体性を通して感じている「障害」の意味や捉え方、あるいはそこから生まれる新たな障害観(感)(「内在的な障害観(感)」)の育成を図り、それを社会全体に還元し共有化を図るプロセスをいう。

〇要するに田島は、障害受容を単に個人の心理的な側面だけでなく、社会との相互関連のなかで捉え直し、個人の内面的な受容と社会的な環境の改善・変革を図るプロセスとして考える。そこに提示されるのが、「障害受容」の代替概念としての「障害との自由」である。そしてその概念は、例によって唐突であるが、障がい者を「まちづくりと市民福祉教育」の客体ではなく、その重要な担い手として捉え、そのための知識や技術・技能の習得・共有をいかにして図るかを問うことになるのである。さらに言えば、個人の内面的な受容と社会的な改善・変革の内在-外在の関連性のなかから、また知識や技術・技能の習得・共有のプロセスを通して、田島がいう「再生のためのエネルギー」(182ページ)、すなわち障がい者の自己変革と社会貢献を可能にする障がい者の内的な意欲や能力を引き出すこと(エンパワーメント)ができるのである。

老爺心お節介情報/第72号(2025年7月15日)

「老爺心お節介情報」第72号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

お変わりありませんか。
「老爺心お節介情報」第72号を送ります。
皆様ご自愛ください。

2025年7月15日   大橋 謙策

〇6月末から酷暑が続き、この夏が思いやられると思っていたところ、梅雨の戻りかと思える気候になり、体調管理が難しいこの頃ですが、皆様にはお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇7月12日~13日に、高知県黒潮町で第22回四国地域福祉実践セミナー(こんぴらセミナーから通算すると28回目)が開催されました。現地の会場参加者が約400名、オンライン参加者が約100名で、盛会裡に行われました。お馴染みの地域福祉俳句にも投句しました。

黒潮の 藁焼きカツオ 半夏生  兼喬

〇今回の黒潮町での第22回地域福祉実践セミナーで学びたいと思っていた点は、大きく3つありました。
〇第1点は、南海トラフ地震で黒潮町には34メートルの津波が押し寄せるという予測で、その防災政策がどうなっているかという点、第2点目は、黒潮町は人口約9800人の町で、厚生労働省の地域共生政策の一つのモデルとされた全世代対応型の、かつ集い、通い、時には泊まることもできる「小さな拠点」が6つもあり、その実践がどうなっているかということでした。 第3点目は、人口減少、趙高齢化社会、限界集落が進むなかで、子ども・青年が地域にどう関わっているのか、その一環としての子ども民生委員活動の状況を知りたいと考えたことです。
〇2日間に亘る素晴らしい四国地域福祉実践セミナーを開催してくれました黒潮町社会福祉協議会坂本あや会長はじめ黒潮町社会福祉協議会の職員の皆様、また物心両面でセミナーを支えてくれた大西勝也町長はじめ黒潮町の役場の職員の皆様、更には共催団体としてこちらも物心両目に亘って支えてくれた高知県社会福祉協議会の白石研二局長をはじめとした職員の皆様や後援してくださった近隣市町村の社会福祉協議会関係者に対し、心より感謝とお礼を申し上げる次第です。
(2025年7月15日記)

Ⅰ 住民主体の居場所づくり・ふれあいあったかセンターの実践

〇高知県には「ふれあいあったかセンター」が現在55か所ある。この「ふれあいあったかセンター」は、富山県の共生型デイサービスをモデルに、高知型に再編したという。
〇四国地域福祉実践セミナーで、過去に津野町の床鍋地区の廃校の小学校を活用した集い、通い、泊まれる機能をもったセンターの実践や四万十市の大宮地区でのJA撤退後のガソリンスタンド経営、ATMの設置運営の事業などの実践が報告されていたので、筆者は集落活性化事業(集落活性化センター)と「ふれあいあったかセンター」の機能とを同じものと考え、記憶していたようである。確かに当初は、その両者は一体的に考えられ、推進される予定であったが、「ふれあいあったかセンター」の設置が先行し、結果的に各々が別の形態で運営される羽目になった面があるといわれ、納得した。
〇今回のセミナーでは、黒潮町の6か所の「ふれあいあったかセンター」のうち、4か所を運営しているNPO法人しいのみの実践(残りの2か所は黒潮町社会福祉協議会が運営)と佐川町のNPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」の実践が大変参考になった。
〇NPO法人しいのみの実践は、2014年2月6日から開始されている。その実践の信条は①子どもから高齢者、障害者、誰でもオッケー、②365日いつでも地域づくり、人づくりオッケー、③集い、移送支援、買い物代行、子ども食堂、地域食堂、居場所づくり、地域のお祭りの手伝い、歌謡ショーの企画、男の料理教室、手芸などの趣味活動支援、認知症カフェ等地域の中の必要なことが何でもできる素敵な仕組みを掲げている。
〇発表されたNPO法人事務局長の濱村美香さんは、実践の「まとめ」として、ⅰ)「ふれあいあったかセンター」事業の活動は、すべて「人づくり」、「地域づくり」につながっている、ⅱ)“一人の人も取りこぼさない”を守りぬくためには、決まりや制度だけでは限界がある。だから地域が大事。ⅲ)災害時には必ず役に立つつながりができている、ⅳ)取り組んでみて、自分自身が一番つくられた等を挙げていた。
〇NPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」は、黒潮町と同じ2014年から運営開始されている。
〇高知県には、34市町村があるが、2024年度段階で、高知市、香南市、梼原町の3市町にはなく、あとの市町村にはすべて設置されていて現在55か所になっている。個所数は、55か所であるが、各々の「ふれあいあったかセンター」が小地域にブランチを設置しているので、実際の個所数はもっと多いという。
〇現在の「ふれあいあったかセンター」の運営は1か所、ほぼ1500万円の補助で運営されており、その運営費は高知県と設置市町村とが50%づつ支出してくれている。
〇佐川町の人口は、約11000人で高齢化率は41・9%である。佐川町は5つの地区からなりたっていて、「とがの(斗賀野)」地区は、人口2965人で、高齢化率41・2%である。
〇NPO法人とかの元気村は、地区内にあった35団体が協議を重ね、2005年に一つにまとまり、NPO法人とかの元気村をつくった。2017年には、集落活動センターあおぞらが設立され、地域の課題、ニーズに応じて様々な活動に総合的に取り組む地域づくりの拠点になっている。
〇NPO法人とかの元気村が運営している「ふれあいあったかセンター」は、そのような地域住民の地域づくりの流れの一環として、地域住民たちが斗賀野地区にも「ふれあいあったかセンター」が必要ではないかという住民の要望、主体的取り組みの中で設置されたという。
〇佐川町には、5つの地区に各々「ふれあいあったかセンター」が設置されている。
〇「とがのふれあいあったかセンター」は、センターの必須事業として求められている①全世代対応型の集い、②見守り等必要な方への訪問、③生活の困りごとへの生活支援、④日常生活の困りごとの相談、⑤保健・医療・介護などの専門機関へのつなぎの機能の他に、「とがのふれあいあったかセンター」独自の取組としてⅰ)一時的ショートステイ、ⅱ)拠点への送迎の他に、買い物支援や外出支援、ⅲ)保健や医療のミニ講座や地域の文化活動を行っている人を招いての生涯学習、Ⅳ)小学校、幼稚園、保育園などとの交流活動を行っている。
〇生活支援サービスでは、「あったかお助け隊」と呼ばれるボランティアスタッフが約40人登録されていて、有料ではあるが窓ふき、換気扇の掃除、草刈り等もする。それらのニーズを把握するために、民生委員を中心に“あったか利用者独居・高齢者世帯、障害者へのニーズ調査”を訪問で行い、必要に応じていろいろな機関へつないでいる。これらの活動には、子どもや学生も参加しているという。また、高知大学とも連携して、学生たちが参加しているという。2024年度には、「あったかお助け隊」活動に93人が参加してくれた。
〇「とがのふれあいあったかセンター」の目指す姿は、「ともに支えあいながら誰もが排除されることなく、安心して自分らしく暮らせる地域づくり」、「一人ひとりが、住み慣れた大好きなこの地域で、生きがいややりがいを感じ、つながり支え合いながら暮らせる地域づくりを目指します」である。今まさに求められている「地域共生社会」の構築に向けた実践は素晴らしいものであった。
〇高知県の「ふれあいあったかセンター」の実践は、本当に素晴らしいもので、全国の人口減少地域、超高齢化社会地域、限界集落の関係者に是非学んで欲しいと思った。黒潮町の大西勝也町長が“黒潮町の福祉を日本一にする”と言う発言が納得できる実践、町政が黒潮町で実感できた。
〇今、全国の市町村、地区集落で、地域づくりの担い手がおらず、自治会活動も停滞し、まさに“限界集落”という集落機能が崩壊寸前になってきている。
〇そのような中、総務省は「地域づくり協議会」の政策を打ち出し、自然発生的に成立してきた町内会や自治会機能を再編成しようとしている。
〇黒潮町のセミナーの前日、筆者は香川県丸亀市社会福祉協議会に招聘されて、丸亀市飯山南コミュニティセンター協議会の実践を見聞きすることができた。
〇丸亀市社会福祉協議会は、4年前から市民向けに社会福祉協議会の活動報告会を開催しており、その講師、アドバイザーを筆者が務めてきた。それは、丸亀市社会福祉協議会の業務を理事会、評議員会で承認されればいいというものではなく、住民から会費を頂いているのだから、住民の皆様に直接社会福祉協議会活動を報告し、理解、評価して頂き機会として4年前に始められた。
〇他方、丸亀市社会福祉協議会は、地域福祉担当職員と訪問介護等介護担当職員で「地域担当制」を敷いて、市内17地区(地域包括支援センターは市直営で5か所)毎に活動を展開している。各地区担当職員は、各地区の民生委員協議会の会合やコミュニティセンターの会合、行事に参加し、潜在化しがちな住民のニーズを発見したり、関係者とともに相談や支援の活動を展開している。
〇そのような関わりもあり、この7月11日に飯山南コミュニティセンター協議会の活動と丸亀市社会福祉協議会の飯山南地区担当職員の活動報告が行われた。
〇飯山南コミュニティセンター協議会は、総務省の「地域づくり協議会」の活動であるが、高知県黒潮町や佐川町の「ふれあいあったかセンター」と同じ様な活動を展開している。
〇飯山南地区は、人口約6000人弱である。この地区には、大化の改新で作られた口分田の条里制がきれいに残っている地域である。水害ハザートマップのために空撮された写真には物の見事に一辺110m(1丁)の四角い条理が映し出されている。この地域には、飛鳥時代か奈良時代初期に作られたという「法勲寺」後もあり、歴史を感じさせる地域である。
〇飯山南コミュニティ協議会には、総務環境美化部、ふれあい交流部、防災部、福祉部、文化育成部、健康スポーツ部、実行委員会(法の郷ふれあいまつり、広報委員会)が設置されている。職員は非常勤も含めて4名が勤務している。人件費補助は、人口割によって違うが、コミュニティセンターの指定管理料として、2025年度は市から年間約1600万円が支給され、そのほとんどが人件費として支出されている。
〇飯山南コミュニティ協議会の活動は、現在「法の郷第4次まちづくり計画―みんなで育てる住みよいまち法の郷―」に基づき運営されている。活動費の予算規模は市からの補助金約370万円を含めた年570万円ほどで運営されている
〇飯山南コミュニティセンターは、「予約なしで、いつでもおしゃべりができる居場所づくり」、「セルフコーヒーメーカーで挽きたてのコーヒーが飲める」をモットーに、地域食堂、絵本の読み聞かせをしているライブラリー、高齢者等移動手段支援事業、避難行動要支援者避難訓練等の活動を展開している。更には、30分500円の有料ではあるが草抜き、ゴミ出し、散髪、ちょっとした大工仕事等の住民参加型の生活支援サービスをしているし、その他、農繁期の忙しい時の農村食堂や夏休み子ども学習支援食堂などのユニークな活動もしている。
〇飯山南コミュニティ講義会の広報誌は、全国公民館報コンクールで金賞、特別賞を受賞するなど高い評価を得ている広報誌であるが、モットーは“現在の地域課題を提起し、知ってもらう”で、自治会未加入世帯にも情報発信をしている。
〇黒潮町、佐川町、飯山南コミュニティ協議会の実践を見聞きして、筆者は戦後初期の公民館活動を思い浮かべた。
〇戦後初期に、文部省公民課長、社会教育課長を歴任し、文部次官通牒「公民館の設置運営について」(昭和21年7月5日、発社第122号、各地方長官あて)について深く関わり、かつ1946年に『公民館の建設ー新しい町村の文化施設』を上梓している寺中作雄が考えた公民館は社会教育の機関であり、社交娯楽の機関であり、自治振興の機関であり、産業振興の機関であり、青年養成機関であるといった多面的な機能を持った文化施設である。
〇寺中作雄が考えた公民館の事業は町村の特殊性や町村民の要望に応じて決定される事で、必ずしも画一的にすべきものではないが、一応の形態としては,教養部、図書部、産業部、集会部が考えられ、其の他必要に応じて、体育部や社会事業部や保健部等の設置が考えられるとしている。
〇また、公民館の維持に関わる経費は、一般町村費及び寄付金によるものを原則としているが、公民館維持会を設立して、公民館に積極的な熱意を持った篤志家の支持を得る事も一法であり、その際には町村の一般会計とは切り離して、特別会計にすることが必要であるとも述べている。
〇更には、公民館の組織運営は最も自治的な機関であり、全町村民から選ばれる公民館委員会によって全町村民の参加と支持によって為される。・・町村自体が自治体であり、公選町村長によって運営されるものであるが、其の自治行政が法規に制約されて不円滑不活発に陥りがちな現在、公民館は或る程度法規の制約からも自由に、官憲の監督からも解放されて、純粋に自治的に運営されることによって、町村民に対し「真の自治とは何ぞや」との観念を正しく誘導し、町村自治に新しい血を通わしめ、爽快な涼風を吹き送る役目を担当するものである“と、一種の”自治的な原始社会“ともいえるコミューンのような思想、哲学を掲げている。
〇ところで、文部次官通牒「公民館の設置運営について」は昭和21年7月5日に発出されているが、同じ昭和21年12月18日付で「公民館経営と生活保護法施行の保護施設との関連について」が各地方局長あてに、文部省社会教育局長、厚生省社会局長の連名で発出されている。
〇その通知では、公民館で宿所を提供する事業や託児事業、授産事業を行うことができるし、その際の費用は生活保護法に基づき国が費用の10分の8、都道府県が10分の1を負担するとも述べている。
〇また、公民館運営委員と民生委員とは協力して社会事業と社会教育との緊密な関連を図るよう配慮することが明記されている。

註1 『社会教育法解説』及び『公民館の建設』は、1995年に国土社から現代教育101選の一つとして、寺中作雄著『社会教育法解説 公民館の建設』として復刻されている。
註2 大阪府の方面委員制度を大阪府の林市蔵知事とともに1918年に創設した小河滋次郎は“救貧は教育であり、対象者の自信、自助、自尊の精神を傷つけざるとともに、彼らの市民として、公民として、国民の一人としての人格を尊重保全し、救済の必要なからしむべく、一日も早く自ら其の運命を回転向上するに至らしめんことを努むる”のが、救貧事業の使命であり、本領であると述べている。(『社会事業研究』第10巻8号、大正11(1922)年)
註3 大阪府の副知事、知事を務めた中川和雄は、1926年京都市生まれ、東京大学法学部卒業後、厚生省に入省し、社会福祉事業法の制定に関わる。その後、1957年に大阪府に出向し、1983年副知事、1991年~95年に知事を務める。中川和雄は、戦前の社会事業には精神性と物質性の両側面があったが、戦後GHQの指示もあり、社会事業の精神性は文部省に移管され、厚生省は物質的支援のみに限定させられたと筆者に話をしてくれた。
物質的援助は、生活困窮者及び生活のしづらさを抱えている人の生活技術能力や家政管理能力などの自活能力が高い時には有効であるが、様々な社会生活上のぜい弱性を抱えている人(ヴァルネラビリティを有する人)には、物質的援助だけでは問題解決につながらない。今日の生活困窮者自立生活支援法に基づく伴走型の生活支援の必要性はまさにそのことを示している。
しかしながら、公民館は1949年に制定された社会教育法により、社会教育機関としての位置に矮小化されていく。
戦前の雑誌「社会事業」等で論陣を張った牧賢一(西窓セツルメントの主事も歴任)は、戦後の全国社会福祉協議会で事務局長、常務理事などを務めるが、その牧賢一が昭和28(1953)年に著した『社会福祉協議会読本』(中央法規出版)の中で、「公民館の目的は教育活動であり、それは個人の人格の完成とその能力の育成である。しかるに、社会福祉協議会は「地域社会の完成」を目的とする。しかし、協議会と公民館とは、いろいろ違う点があるけれども、その目的及び活動において切り離すことができない密接な関連を持っている」と述べ、なぜなら、本来公民館の仕事は社会事業の領域で長い歴史をもっているセツルメント事業(隣保事業)から変形したものである。そのセツルメント事業が終戦後経費の関係で非常に不振な状態におちいったときに、文部省が公民館という形で法的裏付けをもって打ち出したので、これが社会事業ではなく社会教育事業ということになったわけである。
したがって、「公民館が社会福祉協議会がやろうとしていることまで含めて、申し分のない活動をしているなら、そこに重ねて協議会をつくることは不要である」が、実際の公民館があるべき姿になっていないので、自分たちは社会福祉協議会を作ったとしている。
同じような論説は、『公民館日報第38号』(昭和26年10月)にも掲載されている。そこでは、「最近、社会福祉協議会が町村に設置されることになって、人の面や、仕事の面で公民館とかち合うことになって困るという事情を福祉協議会の側からも、公民館の側からも訴えてきている。・・・要はその地域が明るく住みよくなればいいわけで、それがどのような形で行われようと問題ではないと思う。・・・社会教育ということは、結局我々が営む社会生活を改善し、進歩させるための機能ということができる。・・社会改良のための諸条件である政治や産業等と結びつきながら、これらを教材として人間の形成を通じて社会形成を行うところに社会教育の仕事がある」と述べている。

Ⅱ 潮町の防災教育と避難タワーでの取り組み

〇南海トラフ地震で、34・4mの津波(最大震度7、沿岸に津波が到達する時間2分)という内閣府の発表が2012年3月31日に出されたことを踏まえ黒潮町では、防災教育、防災活動が活発である。
〇黒潮町では、地域担当する職員と住民によるワークショップや避難道の点検、避難訓練等を行っている。避難行動要支援者等には、自力避難の可否、避難先への到達所要時間、避難方法、自宅の耐震性や家具転倒防止策の状況、連絡先などを記入してもらい、それを基に町、社会福祉協議会、ふれあいあったかセンターが災害時要配慮者への支援体制と其の調整を行っている。地域調整会議では、①顔の見える関係づくり、②福祉専門職の参加、③地域全体の避難ルールと整合性を持たせるために、地区防災計画との整合性を重視している。そのようなことを踏まえて、視覚障害者の「お試し避難訓練」や在宅医療機器使用者の避難訓練、高校生と行う地区避難訓練等行っている。高校生と行う避難訓練では、「逃げトレ」アプリを使用し、各地点の津波到達時間をシュミレーションしている。この高校生と行う地区避難訓練は、普段避難訓練に消極的な人たちを誘い出すのに成功している。宮崎県日向沖の地震の際の「南海トラフ地震に関する臨時情報」が出されて以降、車いすの障害者も避難タワーに車いすで上る訓練をしたり、福祉避難所「高齢者生活支援センターこぶし」の開設を要請し、事前の「おためし避難」が重要だということも認識できた。
〇防災教育と福祉教育を兼ねて、小学生には通学路などの危険個所の発見や地域で暮らす人を知ろうということで「まち歩きと危険個所の発見」のプログラム、中学生には自宅までの津波到達予想時間の視えるかをしてお知らせするプログラムをもって高齢者宅を訪問するプログラム、高校生は避難所での要配慮者への対応訓練、避難所開設運営訓練などを行った。
〇黒潮町には、6つの津波避難タワーが設置されている。その中で、最後に設置され、最も高い津波避難タワーが黒潮町の浜地区(合併前の佐賀町浜地区)の避難タワーで、18mの津波が想定されている地区である。この浜地区には、浜地区を囲む高台に避難場所が5か所設置されているが、この避難タワーは町中に設置されている。この避難タワーには、230人の避難者が想定されており、それら避難者のために必要な様々な災害用備品が備蓄されている。マット、テント、充電器、水、簡易トイレ、紙パンツ等住民の知恵、要望で準備されたもので、そのすべてが行政の補助金で購入、用意されたものではなく、河内香自主防災会長をはじめとした地域住民の努力で準備されたものも多い。
〇この避難タワーを上るのには階段とスロープを使って上ることになっている。津波の大きな衝撃にも耐えるようこのタワーを守るための衝撃防止の柱も備えられているし、屋上にはヘリコプターがホバリングしながら緊急搬送できる設備も備えられている。
〇自主防災会の河内香会長たちは、「防災かかりがま士の会」という、積極的にお節介をして防災を進め、避難活動を誘導する会を作り活動している。
〇黒潮町は、多様な防災プログラム(防災学習プログラム、防災缶詰プログラム、地域防災実感プログラム、佐賀地区津波避難タワー見学会、宿泊型夜間避難訓練プログラム)を開発し、町内外の人への防災教育を展開している。
〇今回のセミナーでは、この他、今治市の山林火災への取組も報告された。

Ⅲ 子ども民生委員活動と福祉教育

〇筆者は、1980年代に福祉教育が必要とされる背景、要因の第1に“子ども・青年の発達の歪み”を挙げている。
〇イギリスでは、アレック・ディクソンによるコミュニティボランティア協会が1962年に創設され、青少年のボランティア活動を推奨をしている。その背景には、1963年に出されたイギリス中央教育審議会の答申「HALF OUR FUTURE」と題する報告書がだされ、未来を担う若者、青年の半分の成長がゆがんでいるというショッキングなレポートがあった。アレック・ディクソンは、若者、青年の発達を取り戻すために、コミュニティに入り、高齢者等を訪問し、何かお手伝いすることがあるかどうかのニーズ調査を行い、それに応じるボランティア活動をすることが必要であると訴えた。
〇日本の福祉教育は、1970年前後に第2の波を迎えるが、それは1970年に日本がの高齢化社会になったことを踏まえたもので、その対策的意味合いもあって、その必要性が説かれた。
〇しかしながら、筆者は日本でもイギリスと同じような子ども・青年の発達の歪みが指摘され始めていた時期なので、子ども・青年の発達を保証する機会として福祉教育の推進をするべきであると提唱してきた(1978年には久徳重盛が『人間形成障害病』を上梓。筆者は1970年に青年の中に「まあね族」と「べつに族」が登場し、社会関係、人間関係が希薄化、あるいは持てない青年が登場してきている問題を指摘)。
〇子ども民生委員活動は、戦後、徳島県民生委員連盟の常務理事をしていた平岡國市が西祖谷山村で実践したのが発祥とされている。
〇現在は、日開野博先生によれば、天草市社会福祉協議会、倉敷市社会福祉協議会、土佐清水市社会福祉協議会、徳島県石井町で行われており、かつ徳島県民生児童委員協議会が毎年県内の3~5所を指定し、補助金を5万円ほど出して活動を鵜維新しているとのことです。
〇今回のセミナーでは、土佐清水市の子ども民生員活動が報告された。
〇土佐清水市は、2012年に人口が15961人であったのが、2025年には11418人となり、4543人の人口減少であった。高齢化率は逆に39・3%だったものが52・2%となり、15歳未満の子どもの数は1440人だったのが、672人に減少している。したがって、小学校数も8校から3校(2026度には2校)になる。中学校は5校だったのが1校になった。このような状況の中、一人暮らし高齢者は2421人に増大している。
〇土佐清水市社会福祉協議会では、行政と協働して、地域福祉計画づくりで市内8~10か所で住民座談会を開催、区長、民生委員児童委員、地域福祉協力員等との小地域での情報交換会を市内50地区で開催、地域住民支え合い事業を旧中学校区(市内5地区)で年間4~5回を目途に実施するなど、地域住民のニーズ把握に努めてきた。
〇子ども民生員活動は、“高齢者とふれあいたい”、“民生委員の仕事を知ってほしい”という小学校の校長や主任児童委員の発案で始められた。
〇子ども民生委員活動を始めるに当たっては、社会福祉協議会職員や民生児童委員が先生になり、福祉について学び、その後小学校管内の地区民生児童委員から小学校の児童への委嘱がおこなわれ、「子ども民生委員証」が手渡しで交付される。
〇土佐清水市子ども民生委員は、民生児童委員信条と同じように信条を持っている。信条は、①わたしたちは、地域の人に、笑顔で明るく、心をこめて元気よくあいさつします、②わたしたちは、地域の民生委員、児童委員の皆さんと協力して、地域の人たちとすすんで交流します、③わたしたちは、地域の人たちや友だちに愛情をもって接します、④わたしたちは、ありがとうの感謝の気持ちを忘れず、地域を大切にしますの4か条からなっている。
〇子ども民生委員は、この信条に基づき、高齢者宅を訪問したり、生き生きサロンを訪問して楽器演奏や歌の披露、レクリエーションなどを行ったり、会食をともにしている。その他、子ども目線での防災マップを作製したりもしている。
〇このような活動を通して、子ども目線で、地域で気づいたことを大人や地域に発信したりしている。他方、高齢者宅を訪問した際などに会話が続かない自分を自己覚知したり、相手の目を見て話すことの必要性を確認したり、話題や話し方の工夫をする必要性に気がつくなど自分自身の成長につながることを実感している。これこそ、子ども・青年の成長に必要な福祉教育の成果であり、高齢者等から「ありがとう」との言葉をもらって自己肯定感の高揚につながる実践となっている。
(2025年7月15日記)

 

阪野 貢/「障害理解」を通して人間存在の多様性と包摂、そして共生を考える ―丸岡稔典著『「障害理解」再考』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、丸岡稔典(まるおか・としのり)著『「障害理解」再考―他者との協働に向けて―』晃洋書房、2025年3月。以下[1])がある。現在の「障害理解」の主流は、「障害の個人モデル(医学モデル)」に相対する「障害の社会モデル」の考え方である。「障害の個人モデル」は、障害を個人の心身機能の問題として捉え、その解決を個人の努力や治療に求める考え方である。一方、「障害の社会モデル」は、障害を社会の構造や環境によって生じるものとして捉え、社会の側に改善や配慮を求めるそれである。丸岡によると、その「障害の社会モデル」には、①物理的・制度的バリアなどに関心が集まり個人の心身機能の障害が軽視されやすい、②健常者を中心とした社会の価値観や文化に対する批判的視点や反省が十分ではない、などの課題がある(2ページ)。
〇この点を念頭に置きながら、丸岡は[1]で、障がい者運動をはじめ、障がい者のライフストーリー、障がい者と介助者の介護関係、障がい者と健常者による芝居作り、福祉のまちづくり、などの具体的な事例分析を行う。それを通して、①アイデンティティの視点から、「障害のある身体についての経験」(障害に基づく経験、障がい者としての経験)を検討する。そして②障がい者と健常者の相互作用の視点から、障害理解や障害と健常の違いを超えた相互理解の可能性を検討する。さらに③地域における健常者と障がい者の協働の視点から、協働や相互理解の過程、ならびに現実のまちづくりへの影響などについて検討する(12~14ページ)。[1]のテーマは、この3つの視点からの「障害理解」再考である。
〇ここでは、例によって我田引水的であるが、丸岡の言説のうちから、①障害学における「平等派」と「差異派」の議論、②「身体的存在としてのアイデンティティ」と障害理解、③まちづくりの「協働」と「異化としてのノーマライゼーション」に関するそのいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

➀障害学における「平等派」と「差異派」の議論
障がい者と健常者の格差の是正をめざす「障害の社会モデル」はしばしば、「平等派」とされる。これとは別に、平等派を健常者社会への同化志向であると捉え、障害のある身体を肯定することや障害を個性や文化であると考えることを重視する「差異派」と呼ばれる視点が存在する。(20ページ)

「差異派」の主張を支えているものに「障害にこだわる」障がい者運動がある。それは、障がい者が健常者と「同じ人間」「同じ市民」であることをめざすなかで、健常な身体に価値を置く健常者を中心とした社会の支配的な価値観に同化を強いられ、障害のある自己の身体を否定する結果をもたらしてしまうことを警戒する。また、それは、「健常者と障がい者」というマジョリティ・マイノリティ関係のなかで「排除―序列化」される差異としての障害と、自らの身体における他者である領域としての障害という、アイデンティティと他者との相克の二側面に同時に向き合いながら、障害のある身体を否定しないアイデンティティ像を提起し、共有することをめざす。(20~21ページ)

➁「身体的存在としてのアイデンティティ」と障害理解
障害があるというだけで社会は、障がい者に対してネガティブなレッテルを貼り、その人の本来の姿とは違う否定的な見方をしてしまう。(阪野)/こうした否定的な社会的アイデンティティ(個人的属性や職業、所属などに対するアイデンティティ:阪野)は、障がい者がそれを内面化することによって、自分自身に欲求の自己規制や自己否定感を生じさせ、行動を制限させる。/また、障がい者は、「普通の人と同じである自己」と「普通の人と異なる自己」の2つの自己了解、すなわち異なった自我アイデンティティ(個人的アイデンティティ)を形成する。これがまた障がい者に健常者と異なる自己を意識させ、自己否定感を生じさせる。(175ページ)

障がい者がもつ障害の種類や程度、障害の発生時期や要因などは様々であり、日常生活への影響も多様である。したがってまた、障がい者の自己の障害に対する認識や他者の障害に対する認識も様々であり、アイデンティティの確立と変容のプロセスも様々である。(67ページ。阪野)/そこで、集合的な障害カテゴリーから離れて一人ひとりの障がい者の経験を取り上げ、それに向き合うことは、健常者が障がい者の固有の経験について理解を深め、自らの健常者としての立場を振り返ることにもなる。障がい者の経験や出来事が、「対話」を通して一人ひとりの固有の経験として語られたり、聞かれたりすることが、障害理解を図るうえで重要である。(180ページ)/その際の「対話」は、障がい者に対するスティグマ(負のレッテル貼り)を障がい者と健常者の間で可視化、共有化し、その解消を促すひとつの技法といえる。(121ページ)

人は、障害の有無にかかわらず、身体的に、自分の意志でコントロールできる部分(能動性)と自分の意志ではコントロールできない部分(他者性)の2つの側面を持っている。(37~38ページ。阪野)/この「身体の能動性」と「身体の他者性」を併せた「身体的存在としてのアイデンティティ」(38ページ)の獲得は、障がい者に障害は「身体の他者性」としての自己の一部であることを了解させる。とともにそれは、障がい者に、自分の存在に価値があるという認識をもたらし、自己規制や自己否定を解消することにつながる。こうした意識変革や、それに基づく健常者との相互理解や関係変容は、障がい者に対する新しい社会的アイデンティティの形成を可能にする。(176ページ)

➂まちづくりの「協働」と「異化としてのノーマライゼーション」
福祉の専門職や専門的職業人ではない一般の健常者と障がい者が、「理解する・支援する―理解される・支援される」という主体―客体の関係とは異なる関係のもとで、共通の目標に向かってお互いに協力し合うことを「協働」という。(12ページ)

健常者と障がい者が同じ地域の市民としてまちづくりの活動に参加する関係がつくられ、活動を通して両者の対等な協力関係が形成されるとき、両者の相互理解が促される。/また、障がい者と健常者が相互に影響を与え合う関係のなかで、健常者による自分の立場や価値観の振り返りが生じる。/すなわち、まちづくりにおける健常者と障がい者の協働によって、両者の相互理解の過程で、「異化としてのノーマライゼーション」(健常者を中心とした社会の価値観の反省)が生じることになる。(177ページ)/つまり、社会のなかに存在する「普通」や「当たり前」を批判的に見つめ直し、それを異質なものとして捉えること(「異化」)を通して社会のバリア(障壁)を解消するための具体的な行動が促され、共生社会が構築・創造されるのである。(阪野)

福祉のまちづくりが「福祉に力点を置いたまちづくり」ではなく、「まちづくりの一部としての福祉のまちづくり」であるとき、それは地域住民の生活に関わる問題であり、まちづくりへの住民参加の一部として、障がい者や障がい者団体の参加も可能となる。/別言すれば、福祉のまちづくりに障がい者の参加がなされるとき、福祉のまちづくりの理念や条例が一般市民に普及する可能性や福祉のまちづくりが障がい者や高齢者など一部の人のためだけのものでなく、まちづくり全体として一般の地域住民にもつながるものと認識される可能性が生じる。(172ページ)

〇「まちづくりと市民福祉教育」の体験活動・体験学習のひとつとしてしばしば取り組まれるものに、「疑似体験」がある。丸岡は、健常者の障害理解を目的とした「障害疑似体験」について、批判的に説述し問題提起を行なう。その一文を付記しておく。

障害疑似体験についてはこれまで、(障がい者が)できないことを体験するため否定的な障害観が形成されやすいこと、物理的な障壁に注目が集まりやすく、背景にある社会構造への理解が不十分になりやすいことなどが批判されてきた。(中略)障害疑似体験で「健常者は障がい者のことを理解しようとするが、健常者自身については不問に付し、自分たちの立場、ひいては自分たちの存在そのものまでも不可視化してしまい、自分たちを忘却してしまっている」(横須賀俊司)と指摘される。/こうした問題を解決するためには障がい者だけを客体化するのではなく、健常者が主体の座から降りて、自らを対象化、客体化する作業が不可欠となる。(10~11ページ)

〇以上の言説のうちから、障害学がいう「平等派」と「差異派」の議論に関して一言する。すなわちこうである。「障害にこだわる」障がい者運動は、社会が障害を排除や序列化の対象とみなす考え方に異を唱え、その解消をめざすとともに、障害のある自分自身の身体を否定しない肯定的なアイデンティティ像を障がい者と健常者の間で共有することをめざす運動である。その運動は、社会的・構造的な側面と身体的・アイデンティティの側面を併せ持ち、その両者を統合的に捉えることで、より包摂的で多様な共生社会の実現を志向するものである。それは、住民・市民による社会活動や社会運動としての取り組みが求められる「まちづくりと市民福祉教育」において、健常者の障害や障がい者に対する、また障がい者の自分自身の障害や他の障がい者やその障害に対する認識や態度の変容を促す重要な視点を提示するものである。そしてそれは、人間存在の多様性と包摂、そして共生についての認識と態度につながる。留意したい。

花房 愛/新美一志氏の論考「福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察 」を読んで

〇新美一志氏の論考「福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察 ―大橋謙策と阪野貢、原田正樹の言説をめぐって(素描)―」を読ませていただきました。日本の福祉教育学界における主要な論客である大橋謙策、阪野貢、原田正樹の3氏の言説を、その学術的系譜と相互関連性に着目して分析した、示唆に富む論考だと感じました。とりわけ、「素描」であることの限界はありますが、➀先行研究の引用と解釈、➁学術的系譜の提示、➂いくつかの問題提起、においてです。

感想と評価
〇本論考の強みは、単に個々の研究者の業績を羅列するのではなく、彼らの研究が「学術的な連続性」と「相乗効果」を生み出し、福祉教育学界を活性化させてきた過程を浮き彫りにしている点にあります。特に、阪野氏と原田氏を大橋理論の単なる継承者ではなく、「批判的・発展的継承者」と位置づけている視点は重要です。これは、学問の発展が、先行研究の踏襲だけでなく、時代状況や新たな課題意識に基づいて再構築されることで深化していく様を示しています。
〇また、福祉教育実践における「疑似体験」の危険性について、3氏が共通して警鐘を鳴らしている点をあえて付記しているのも、実践や実践研究に携わる者にとって重要な示唆を与えています。形骸化した活動が逆効果を生む可能性を明確に指摘することで、今後の福祉教育実践の質的向上に向けた問題提起を行っていると評価できます。なお、この点については、新美氏の別の論考「福祉教育における『当事者性』と『相互主体性』に関する一考察 ―松岡広路、阪野貢、鯨岡峻の言説をめぐって―」も参考になりました。
〇さらに、日本福祉教育・ボランティア学習学会の設立における3氏の役割に触れ、学会が果たすべきネットワーク機能やソーシャルアクション機能のさらなる強化を提言している点は、学術団体としての社会貢献のあり方を再考させるものと言えるでしょう。

問題点と課題
〇本論考の問題点(限界)は次のような点でしょうか。それらはひとつは「素描」に起因するとも思われます。

➀論考の副題「素描」の範囲と深度が不明確であり、それゆえに期待される詳細な分析や網羅的な考察が十分に行われないままに留まっていると思います。
➁3氏の言説を丁寧に紹介し、その共通点や学術的系譜を論じていますが、個々の言説に対する批判的な視点や具体的な課題提起がやや弱いと思います。
➂重要な視点や概念がいくつか提示されていますが、それぞれがどのような福祉教育実践や研究に結びつくのかについての踏み込んだ議論が少ないと思います。
➃「バッテリー型研究」や「協働研究」の重要性は理解できますが、それをより効果的に推進するための具体的な提言が不足しているように思います。

〇本論考で示された今後の福祉教育研究の課題は、非常に本質的かつ今日的なものです。

理論と実践の乖離克服と実践研究の深化: 理念が高尚すぎたり、概念が抽象的・情感的すぎたりすることで実践への落とし込みが難しいという課題は、これまで福祉教育分野で指摘されてきました。本論考で言及されている、大橋氏がいう「バッテリー型研究」や「協働研究」の推進は、この課題を克服し、実践の場で生きた理論を構築するための有効なアプローチとなるでしょう。また、実践研究の質的向上と評価方法の確立は、今後の研究の基盤となります。

多様なアクターとの連携とソーシャルアクション機能の強化: 福祉教育が単なる学習活動にとどまらず、社会変革の「思想的武器」となるためには、多様な主体との連携を深め、政策提言や権利擁護といったソーシャルアクション機能を強化していくことが不可欠です。具体的な連携モデルや、効果的なソーシャルアクションの戦略を構築していくことが求められます。

深遠な哲学性の探究: 大橋氏の「博愛」の精神や阪野氏の「まちづくりと市民福祉教育」、原田氏の「相互依存的自己実現」といった概念を通じて、福祉教育が単なる知識や技術の伝達に留まらず、地域変革(まちづくり)や社会全体の価値観の変革、人間のあり方を問い直す哲学的な営みであるという深遠な視点を提供しています。これは、福祉教育の意義を再認識させる上で非常に重要だと思います。

グローバル化とテクノロジーの進展への対応: 気候変動、貧困、紛争といったグローバルな社会課題や、AI、デジタル技術の進展は、従来の福祉のあり方や教育の枠組みを大きく変えつつあります。こうした中で、福祉教育が「学際性」「グローカル性」「変革性」「哲学性」といった視点を再認識し、どのように再構築・再創造されるべきか、具体的なロードマップを示すことが今後の重要な課題となります。特に、AI時代におけるデジタル技術を活用した新たな学習方法や、深刻で多様な課題が浮き彫りになっている新グローバル時代における異文化間理解を促進する福祉教育のあり方など、具体的な研究テーマが考えられます。

〇これらの課題は、日本の福祉教育が直面する本質的な問いであり、新美氏が提示した3氏の言説を手がかりに、今後の研究がさらに発展していくことを期待します。

 

新美一志/福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察 ―大橋謙策と阪野貢、原田正樹の言説をめぐって(素描)―

[Ⅰ]
〇福祉教育の理論(わかる)と実践(できる)と研究(さがす)において多大な貢献をしてきた者に、大橋謙策と阪野貢、原田正樹がいる。なかでも大橋は、周知の通り、日本における地域福祉および福祉教育研究の草分け的存在であり、その貢献度は極めて高い。大橋は、1970年代以降(本格的には1980年前後から)、現場で生じる「問題としての事実」に学び、その実践的な解決をめざす「実践的研究」を志向する。 初期の著作である『地域福祉の展開と福祉教育』(全国社会福祉協議会、1986年9月)は今日においても、「実践的研究書」としての輝きを失っていない。生涯学習の視点に基づく福祉教育の実践・研究の推進と、「日本地域福祉研究所」などによる全国的規模での「福祉でまちづくり」の取り組みは特筆される。
〇阪野は、福祉教育の歴史研究を基盤にしながら、大橋の福祉教育論を継承し発展させつつ、「まちづくりと市民福祉教育」という概念を提示してその理論化・体系化を図る。そのひとつの集大成でもある『市民福祉教育の探究―歴史・理論・実践―』(みらい、2009年10月)は、従来の学校福祉教育や地域を基盤とした福祉教育の枠を超え、「まちづくり」とそのための「市民」の育成をめざす福祉教育のあり方を探究する。「ふくし」を「ふだんの くらしの しあわせ」というフレーズで捉えて表示するのは、1990年代中頃からである。「市民福祉教育研究所」(オンライン組織)での取り組みも特筆に値する。
〇原田は、地域福祉の主体形成に関わる地域福祉実践研究法について考察し、その理論化・体系化を図る。その著作『地域福祉の基盤づくり―推進主体の形成―』(中央法規出版、2014年10月)は、大橋の上記の著作の「今日的な続編でありたい」とするものでもある。福祉教育については、福祉教育の理論と実践の乖離を指摘し、それを克服するために、学際的・総合的かつ実践的なアプローチによって福祉教育の新たな理念の構築と実践構造の再検討を進める。原田にあっては、「共に生きること 共に学び合うこと」は、福祉教育が大切にしてきた・大切にすべきメッセージである。原田の、全国社会福祉協議会主催の「全国福祉教育推進委員会」などでの取り組みは特筆されるべきものである。

[Ⅱ]
〇ここで、大橋と阪野・原田の福祉教育論の要点のいくつかを素描する。まず大橋のそれである。大橋は「福祉教育」の概念を次のように規定する。すなわち、福祉教育とは「憲法13条、25条等に規定された人権を前提にして成り立つ平和と民主主義社会を作りあげるために、歴史的にも、社会的にも疎外されてきた社会福祉問題を素材として学習することであり、それらとの切り結びを通して社会福祉制度、活動への関心と理解をすすめ、自らの人間形成を図りつつ社会福祉サービスを受給している人々を、社会から、地域から疎外することなく、共に手をたずさえて豊かに生きていく力、社会福祉問題を解決する実践力を身につけることを目的に行われる意図的な活動」と規定することができる(第2次福祉教育研究委員会(委員長:大橋謙策)『学校外における福祉教育のあり方と推進』全国社会福祉協議会、1983年9月)。
〇この概念規定は40年以上も前のものであるが、今日においてもしばしば引用される。それは、阪野によると、「人権」や「平和と民主主義」といった普遍的な理念や価値に基礎をおいた理念型の定義であり、また包括的で汎用性が高いことに起因する。具象的な定義はその解釈を狭くするが、抽象的な定義はその抽象度によって解釈を広げ、読み手の洞察によって解釈を深めることができる。そうした点で、この定義は多くの人が「使える」、多くの人にとって「使いやすい」ものになっているのである。また阪野は、大橋の福祉教育論については、一面では「子ども・青年の発達(の歪み)」を軸に体系化された教育論としても評価されるが、併せて障がい者や高齢者の「社会教育の促進」や「福祉コミュニティの形成」との関わりで福祉教育を捉える研究の視点・視座に注目しないとその定義や言説を読み解くことはできないことを指摘する。
〇大橋はまた、学校教育において「自由と平等」は教えられてきたが、「博愛」精神の教育が欠けていたことを指摘する 。そして、障害を持つ人々や社会的な支援を必要とする人々の幸福追求権(憲法第13条)と、社会全体で担う「博愛」の精神を公教育で再構築する必要性を強く訴える 。この「博愛」の再構築という主張は、単なる倫理的な呼びかけに留まらない。大橋は、日本の文化的・歴史的背景、特に閉鎖性や儒教的な排除の論理が福祉の理念形成に与える負の影響を深く見据え、その克服のために「博愛」という普遍的価値観を福祉教育の根幹に据える必要性を論じるのである。これは、福祉教育は単なる知識や技術・技能の伝達や個人の意識変革を図るだけではない。社会全体の文化や規範を「博愛」の精神に基づいて再構築することを通じて、社会の根深い構造的差別や排除の論理に抗する「価値観の変革」をめざすべきだという、極めて本質的で哲学的な課題提起である。深く留意したいところである。
〇こうした点を含めて、大橋の福祉教育論の概要や評価などについてはひとまず、阪野のブログ記事――阪野貢/「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて(Ⅵ)―大橋謙策の「福祉教育原論」に関する研究メモ―/2022年10月25日/本文を参照されたい。
〇次に阪野のそれである。阪野は「市民福祉教育」を次のように規定する。「市民福祉教育とは、福祉文化の創造や福祉によるまちづくりをめざして日常的な実践や運動に取り組む主体的・自律的な市民の育成を図るための教育活動であり、その内容は、人間の尊厳と自由・平等・友愛の原理に立って、平和・民主主義・人権と、自立・共生・自治の思想のもとに構成され、その実践では、歴史的・社会的存在としての地域の社会福祉問題を素材にし、課題解決のための体験学習と共働活動を方法上の特質とする」(ウェブサイト「市民福祉教育研究所」フロントページ/本文)。
〇阪野が提唱する市民福祉教育は、「人間の尊厳」「自由・平等・友愛」「平和・民主主義・人権」といった普遍的な人間観と社会観に基づいている。また、現代社会において子どもと大人、障がい者や高齢者などすべての人の「自立・共生・自治」が問われるなかで、「まちづくり」に参加(参集、参与、参画)する主体的・自律的な「市民」の育成を図る市民福祉教育の重要性を認識し指摘するものである。すなわちそれは、「ふくし」は社会的支援を要求する・必要とする人や専門家だけの問題ではなく、市民一人ひとりの日常生活(「ふだんの くらしの しあわせ」)と社会全体の平和・安寧・福祉(「みんなが 満足していて 楽しいこと」)に関わる普遍的な課題であるという視点・視座に基づくものである。それはまた、大橋が指摘する「博愛」の欠如や社会の閉鎖性といった問題意識を、より普遍的な市民社会の形成という視点から継承・発展させるものであるとも言える。
〇また阪野は、「福祉文化」の概念を、一番ヶ瀬康子の言説を引用し「福祉の文化化」と「文化の福祉化」が統合されたものとして捉える。前者は、社会福祉は質・量ともに豊かで快適な人間らしい生活を保障するものであること、後者は、障がい者や高齢者を含むすべての人が文化創造の担い手であることを含意する。そのうえで、「福祉」が単なるサービス提供や社会的支援に留まらず(憲法第25条)、人々の生活そのものを豊かに快適にし(憲法第13条)、社会全体の文化、人間の豊かな創造性や感性を育む福祉文化として根づくかせるべきものである主張する。
〇さらに阪野は、「協働」(collaboration)と「共働」(co-action)の概念を明確に区別し、「対抗」から「共働」へのプロセスを支援学の視点から提示して市民自治とまちづくりの立ち位置とプロセスを考察する 。「協働」は往々にして、行政主導や専門家主導の枠組みのなかで行われる「協力」に近いニュアンスを持つ。それに対して「共働」は、市民が主体的・自律的に、対等な立場で互いに働きかけ、共に新たな価値を創造していく能動的な関係性を意味すると考えられる。この区別は、単に市民を行政の活動に「参加させる」だけでなく、市民自身が「主体」として福祉を「つくりあげる」という、市民参加(参画)の質的向上への強い志向を示すものである。これは、福祉教育が市民のエンパワーメントを通じて、真の市民社会を構築するための重要な手段(「思想的武器」)となる・ならなければならないという阪野の思想を反映していると言えよう。
〇そして原田である。原田らにあっては、地域ぐるみの福祉教育が必要かつ重要となるなかで、「地域福祉を推進するための福祉教育とは、平和と人権を基盤にした市民社会の担い手として、社会福祉について協同で学びあい、地域における共生の文化を創造する総合的な活動」である(福祉教育推進検討委員会(委員長:大橋謙策)『社会福祉協議会における福祉教育推進検討委員会報告書』全国社会福祉協議会、2005年11月)。この規定における鍵概念のひとつ、すなわち原田福祉教育論のそれは「協同実践」である。原田はいう。「福祉教育における『協同実践』においては、専門的な知識や技術の伝達ではなく、福祉の魅力や難しさをみんなで考える。その時には、子ども同士だけではなく、福祉教育実践に関わる大人も含めて相互の学び合いが必要になってくる」(原田正樹『福祉教育の理論と実践方法―共に生きる力を育むために―』全国社会福祉協議会、2022年3月)。さらにそれは、学校や地域だけでなく、また障がい者や高齢者、地域のボランティアだけでなく、さまざまな関係者や関係機関・団体を福祉教育に巻き込み、「サービスラーニング」の視点による福祉教育実践を協同実践として成立させための組織(「福祉教育推進プラットホーム」)やコーディネーター(「福祉教育推進員」)を求める。とともに、その実践を「内省」(かえりみて見直すこと)し「省察」(ふりかえり考えめぐらすこと)する効果的・総合的かつ創造的なふりかえり(「リフレクション」)を不可欠とする。
〇原田福祉教育論の、もうひとつの鍵概念に「相互依存的自己実現」がある。それは、人間の脆弱性を前提としたうえで、個人の自立や自己実現だけでなく、それを乗り越え、関係性のなかで互いに支え合いながらより良く生きること、社会全体の「共に生きる力」の育成を図ることをめざす視点である。すなわちそれは、福祉教育は地域福祉の下位概念・従属概念ではなく、個人の福祉意識を変容させ(「貧困的な福祉観の再生産」の克服)、地域を変革する力の育成を図る営為である、という主張に通底するものである。要するに、「相互依存的自己実現」という概念は、超少子高齢化問題や多様で複雑な福祉課題を抱える現代社会において、従来の自立支援の限界を乗り越え、より包括的で持続可能な地域社会を構築するための新たなパラダイムを提供するものである。
〇この点を別言すれば、原田は、その主著『地域福祉の基盤づくり』で、「地域福祉を福祉教育によって支えあうことができる社会、ケアリングコミュニティをどう構築していくことができるかを問うことが『地域福祉の基盤づくり』である」という。これは、福祉教育と地域福祉が単なる補完関係ではなく、相互に影響し合い、変革を促すダイナミックな関係にあることを示唆するものである。すなわち、福祉教育は地域変革の主体化を図り、個人の意識変革を促す一方で、地域福祉の実践はその意識変革をさらに深化させるのである。そして、ここでいう「ケアリングコミュニティ」とは、原田にあっては、「共に生き、相互に支え合うことができる地域」のことである。それは、地域福祉の基盤づくりである。そのためには、共に生きるという価値を大切にし、実際に地域で相互に支え合うという行為が営まれ、必要なシステムが構築されていかなければならない。こうしたケアリングコミュニティは、①ケアの当事者性(エンパワメント)、②地域自立生活支援(トータルケアシステム)、③参加・協働(ローカルガバナンス)、④共生社会のケア制度・政策(ソーシャルインクルージョン)、⑤地域経営(ローカルマネジメント)といった5つの構成要素により成立している。
〇上述の大橋は、ケアリングコミュニティの実現には「地域福祉の4つの主体形成」が重要であるという。➀地方自治体においてどういう福祉サービスを整備するべきかという地域福祉計画策定主体の形成、➁制度化された福祉サービスをどう有効に、合理的に、過不足なく利用するかという地域福祉サービス利用主体の形成、➂地域から差別・偏見をなくし、福祉サービスを必要としている人を支える福祉コミュニティをどうつくるかという地域福祉実践主体の形成、➃対人サービスとしての社会福祉を支える社会保険制度をどうつくるかという社会保険制度の契約主体の形成、がそれである。この言説と併せて、原田のケアリングコミュニティの5つの構成要素についての議論は、阪野がいう「まちづくりと市民福祉教育」の理念や構造、内容や方法に繋がるものでもある。
〇ここで、大橋と阪野・原田がともに、福祉教育実践(体験学習)における「疑似体験」の危険性について言及していることをあえて付記しておきたい。3氏は特に、目的やねらいが吟味されない形だけの障害・高齢の疑似体験(車椅子体験、アイマスク体験、高齢者疑似体験など)は、障がい者や高齢者への誤解やステレオタイプを強化する可能性があることを厳しく批判する。形骸化した体験活動は「障がい者は不幸である」「施設にいるべきである」といった固定観念を強化し、真の理解や共生を妨げる可能性がある、と警鐘を鳴らすのである。それは、地域・地元の福祉課題を素材化(教材化)しない、地域・住民との連携・協働を欠いた、形だけの「まちづくり」や「ケアリングコミュニティ」づくりに関しても同様である。
〇なお、「疑似体験」については、「疑似体験はあくまでも疑似であり、ほとんど意味のない学習である」とう意見がある。疑似体験のあり方を追求すべきなのか、疑似体験に代わる学習方法を開発すべきなのか、ひとつの問題提起であることに留意したい。

[Ⅲ]
〇大橋と阪野・原田の福祉教育論を分析・検討(素描)すると、3氏はともに「地域福祉と福祉教育の不可分性と有機的連携」「主体形成の重視と市民参加の促進」「まちづくり・社会変革の推進と地域共生社会の実現」「実践と理論の往還的関係の重視と実践研究の推進」などを強調している。そして、3氏のそれは個別の研究ではなく、相互に影響し合い、継続的に取り組まれ、学術的な系譜を形成していることが分かる。この学術的な連続性は、そこに生み出された相乗効果として、単なる知識の継承に留まらず、先行研究の課題意識を共有し、福祉教育を取り巻く時代状況や背景に対応しながら福祉教育の理論と実践を深化させてきた、と言ってよい。阪野が大橋福祉教育論の再考を試み、原田が大橋の著作の「続編」を意図した点から、阪野と原田は大橋理論の単なる継承者ではなく、批判的・発展的継承者として新たな視点や概念を導入し、福祉教育学界の活性化に貢献してきた、とも言えようか。また、大橋を中心に阪野と原田の3氏が日本福祉教育・ボランティア学習学会の設立に大きな役割を果たしたことは、衆目の一致するところである。
〇その学会は、設立されて30年が経っている。言うまでもなく学会は、学術コミュニティの発展と社会貢献の両面で重要な役割を果たすべき組織である。その学会では、福祉教育の実践・研究の使命や目的、価値などを考えると、単なる研究発表や研究者の知の錬成の場としてのそれではなく、とりわけネットワーク機能(実践家と研究者による共同研究、異分野交流・国際的連携など)とソーシャルアクション機能(政策提言、市民社会への普及啓発など)がこれまで以上に重視されるべきである。
〇大橋と阪野・原田の連なり、すなわち「協働研究」は、福祉教育の実践や研究の質を高めるだけでなく、学術コミュニティ内での知識の創造、共有、そして発展を促進するひとつのケースである。それはまた、大橋と阪野とりわけ原田との、大橋がいう「バッテリー型研究」のもうひとつの姿であろう。また、福祉教育の学術的・学際的な深化と、実践者と研究者の協働研究による「実践研究」の今後の方向性を示すものでもあろう。なお、協働研究を平易に別言すれば、単に一緒に行う(共同)、あるいは力を合わせて行う(協同)研究ではなく、それぞれの強み・専門性を活かしながら対等な立場で協力し合って行う研究をいう。
〇また、福祉教育の実践・研究においてときに、➀概念が抽象的で情感的になりがちであり、それゆえに議論が曖昧なものになる。➁高尚な理念や理想主義的な理論が先行しがちであり、それゆえに実践への落とし込みが難しい。そして➂多様なアクター(主体)との連携・協働の深化や、社会変革に向けた「ソーシャルアクション」機能(問題提起や政策提言、権利擁護など)の強化をどう図るか。➃実践研究の質の向上と実践評価の理論と方法論をどのように構築するか、などが問われる。こうした点に留意しつつ、グローバルな社会課題(気候変動、貧困、紛争など)の深刻化、AIやデジタル技術の進展といった文脈のなかで、新たな福祉教育の実践・研究はどのような理念や構造(システムや目的・内容・方法・対象)を持つものとして再構築あるいは再創造されるべきか、さらなる探究が求められよう。とりわけ、福祉教育の理論と実践と研究における「学際性」と「グローカル性」「変革性」、そして「哲学性」についてである。