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阪野 貢/阪野ブックレット 「障害」考 障害理解と障害疑似体験

 


 

目 次

 


 

「障害理解」を通して人間存在の多様性と包摂、そして共生を考える

―丸岡稔典著『「障害理解」再考』のワンポイントメモ―

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〇筆者(阪野)の手もとに、丸岡稔典(まるおか・としのり)著『「障害理解」再考―他者との協働に向けて―』晃洋書房、2025年3月。以下[1])がある。現在の「障害理解」の主流は、「障害の個人モデル(医学モデル)」に相対する「障害の社会モデル」の考え方である。「障害の個人モデル」は、障害を個人の心身機能の問題として捉え、その解決を個人の努力や治療に求める考え方である。一方、「障害の社会モデル」は、障害を社会の構造や環境によって生じるものとして捉え、社会の側に改善や配慮を求めるそれである。丸岡によると、その「障害の社会モデル」には、①物理的・制度的バリアなどに関心が集まり個人の心身機能の障害が軽視されやすい、②健常者を中心とした社会の価値観や文化に対する批判的視点や反省が十分ではない、などの課題がある(2ページ)。
〇この点を念頭に置きながら、丸岡は[1]で、障がい者運動をはじめ、障がい者のライフストーリー、障がい者と介助者の介護関係、障がい者と健常者による芝居作り、福祉のまちづくり、などの具体的な事例分析を行う。それを通して、①アイデンティティの視点から、「障害のある身体についての経験」(障害に基づく経験、障がい者としての経験)を検討する。そして②障がい者と健常者の相互作用の視点から、障害理解や障害と健常の違いを超えた相互理解の可能性を検討する。さらに③地域における健常者と障がい者の協働の視点から、協働や相互理解の過程、ならびに現実のまちづくりへの影響などについて検討する(12~14ページ)。[1]のテーマは、この3つの視点からの「障害理解」再考である。
〇ここでは、例によって我田引水的であるが、丸岡の言説のうちから、①障害学における「平等派」と「差異派」の議論、②「身体的存在としてのアイデンティティ」と障害理解、③まちづくりの「協働」と「異化としてのノーマライゼーション」に関するそのいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

➀障害学における「平等派」と「差異派」の議論
障がい者と健常者の格差の是正をめざす「障害の社会モデル」はしばしば、「平等派」とされる。これとは別に、平等派を健常者社会への同化志向であると捉え、障害のある身体を肯定することや障害を個性や文化であると考えることを重視する「差異派」と呼ばれる視点が存在する。(20ページ)

「差異派」の主張を支えているものに「障害にこだわる」障がい者運動がある。それは、障がい者が健常者と「同じ人間」「同じ市民」であることをめざすなかで、健常な身体に価値を置く健常者を中心とした社会の支配的な価値観に同化を強いられ、障害のある自己の身体を否定する結果をもたらしてしまうことを警戒する。また、それは、「健常者と障がい者」というマジョリティ・マイノリティ関係のなかで「排除―序列化」される差異としての障害と、自らの身体における他者である領域としての障害という、アイデンティティと他者との相克の二側面に同時に向き合いながら、障害のある身体を否定しないアイデンティティ像を提起し、共有することをめざす。(20~21ページ)

➁「身体的存在としてのアイデンティティ」と障害理解
障害があるというだけで社会は、障がい者に対してネガティブなレッテルを貼り、その人の本来の姿とは違う否定的な見方をしてしまう。(阪野)/こうした否定的な社会的アイデンティティ(個人的属性や職業、所属などに対するアイデンティティ:阪野)は、障がい者がそれを内面化することによって、自分自身に欲求の自己規制や自己否定感を生じさせ、行動を制限させる。/また、障がい者は、「普通の人と同じである自己」と「普通の人と異なる自己」の2つの自己了解、すなわち異なった自我アイデンティティ(個人的アイデンティティ)を形成する。これがまた障がい者に健常者と異なる自己を意識させ、自己否定感を生じさせる。(175ページ)

障がい者がもつ障害の種類や程度、障害の発生時期や要因などは様々であり、日常生活への影響も多様である。したがってまた、障がい者の自己の障害に対する認識や他者の障害に対する認識も様々であり、アイデンティティの確立と変容のプロセスも様々である。(67ページ。阪野)/そこで、集合的な障害カテゴリーから離れて一人ひとりの障がい者の経験を取り上げ、それに向き合うことは、健常者が障がい者の固有の経験について理解を深め、自らの健常者としての立場を振り返ることにもなる。障がい者の経験や出来事が、「対話」を通して一人ひとりの固有の経験として語られたり、聞かれたりすることが、障害理解を図るうえで重要である。(180ページ)/その際の「対話」は、障がい者に対するスティグマ(負のレッテル貼り)を障がい者と健常者の間で可視化、共有化し、その解消を促すひとつの技法といえる。(121ページ)

人は、障害の有無にかかわらず、身体的に、自分の意志でコントロールできる部分(能動性)と自分の意志ではコントロールできない部分(他者性)の2つの側面を持っている。(37~38ページ。阪野)/この「身体の能動性」と「身体の他者性」を併せた「身体的存在としてのアイデンティティ」(38ページ)の獲得は、障がい者に障害は「身体の他者性」としての自己の一部であることを了解させる。とともにそれは、障がい者に、自分の存在に価値があるという認識をもたらし、自己規制や自己否定を解消することにつながる。こうした意識変革や、それに基づく健常者との相互理解や関係変容は、障がい者に対する新しい社会的アイデンティティの形成を可能にする。(176ページ)

➂まちづくりの「協働」と「異化としてのノーマライゼーション」
福祉の専門職や専門的職業人ではない一般の健常者と障がい者が、「理解する・支援する―理解される・支援される」という主体―客体の関係とは異なる関係のもとで、共通の目標に向かってお互いに協力し合うことを「協働」という。(12ページ)

健常者と障がい者が同じ地域の市民としてまちづくりの活動に参加する関係がつくられ、活動を通して両者の対等な協力関係が形成されるとき、両者の相互理解が促される。/また、障がい者と健常者が相互に影響を与え合う関係のなかで、健常者による自分の立場や価値観の振り返りが生じる。/すなわち、まちづくりにおける健常者と障がい者の協働によって、両者の相互理解の過程で、「異化としてのノーマライゼーション」(健常者を中心とした社会の価値観の反省)が生じることになる。(177ページ)/つまり、社会のなかに存在する「普通」や「当たり前」を批判的に見つめ直し、それを異質なものとして捉えること(「異化」)を通して社会のバリア(障壁)を解消するための具体的な行動が促され、共生社会が構築・創造されるのである。(阪野)

福祉のまちづくりが「福祉に力点を置いたまちづくり」ではなく、「まちづくりの一部としての福祉のまちづくり」であるとき、それは地域住民の生活に関わる問題であり、まちづくりへの住民参加の一部として、障がい者や障がい者団体の参加も可能となる。/別言すれば、福祉のまちづくりに障がい者の参加がなされるとき、福祉のまちづくりの理念や条例が一般市民に普及する可能性や福祉のまちづくりが障がい者や高齢者など一部の人のためだけのものでなく、まちづくり全体として一般の地域住民にもつながるものと認識される可能性が生じる。(172ページ)

〇「まちづくりと市民福祉教育」の体験活動・体験学習のひとつとしてしばしば取り組まれるものに、「疑似体験」がある。丸岡は、健常者の障害理解を目的とした「障害疑似体験」について、批判的に説述し問題提起を行なう。その一文を付記しておく。

障害疑似体験についてはこれまで、(障がい者が)できないことを体験するため否定的な障害観が形成されやすいこと、物理的な障壁に注目が集まりやすく、背景にある社会構造への理解が不十分になりやすいことなどが批判されてきた。(中略)障害疑似体験で「健常者は障がい者のことを理解しようとするが、健常者自身については不問に付し、自分たちの立場、ひいては自分たちの存在そのものまでも不可視化してしまい、自分たちを忘却してしまっている」(横須賀俊司)と指摘される。/こうした問題を解決するためには障がい者だけを客体化するのではなく、健常者が主体の座から降りて、自らを対象化、客体化する作業が不可欠となる。(10~11ページ)

〇以上の言説のうちから、障害学がいう「平等派」と「差異派」の議論に関して一言する。すなわちこうである。「障害にこだわる」障がい者運動は、社会が障害を排除や序列化の対象とみなす考え方に異を唱え、その解消をめざすとともに、障害のある自分自身の身体を否定しない肯定的なアイデンティティ像を障がい者と健常者の間で共有することをめざす運動である。その運動は、社会的・構造的な側面と身体的・アイデンティティの側面を併せ持ち、その両者を統合的に捉えることで、より包摂的で多様な共生社会の実現を志向するものである。それは、住民・市民による社会活動や社会運動としての取り組みが求められる「まちづくりと市民福祉教育」において、健常者の障害や障がい者に対する、また障がい者の自分自身の障害や他の障がい者やその障害に対する認識や態度の変容を促す重要な視点を提示するものである。そしてそれは、人間存在の多様性と包摂、そして共生についての認識と態度につながる。留意したい。


 

「障害とともにいかに自由に生きるか」という視点

―田島明子著『障害受容再考』のワンポイントメモ―

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障害の受容とはあきらめでも居直りでもなく、障害に対する価値観(感)の転換であり、障害を持つことが自己の全体としての人間的価値を低下させるものではないことの認識と体得を通じて、恥の意識や劣等感を克服し、積極的な生活態度に転ずること(上田敏「障害の受容―その本質と諸段階について」『総合リハビリテーション』第8巻第7号、医学書院、1980年7月、515~521ページ。下記[1]39ページ)。

〇本稿は、<雑感>(238)「障害理解」を通して人間存在の多様性と包摂、そして共生を考える ―丸岡稔典著『「障害理解」再考』のワンポイントメモ―/2025年7月14日投稿、の追補である。
〇筆者(阪野)の手もとに、田島明子(たじま・あきこ)著『障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ―』(三輪書店、2009年6月。以下[1])がある。久しぶりの再読である。
〇「障害を受容していない」「障害を受け入れなければ、何も始まらない」「障害を乗り越えるためには、まずそれを受け入れることだ」などと言われる。田島は[1]で、リハビリテーションの臨床現場や学問の世界で、また障害学の分野で使用されるこの「障害受容」という言葉・概念を深く掘り下げ、新たな視点を提示する。そこでの主張・言説のひとつは、こうである。

能力主義的障害観(感)
リハビリテーション臨床では、障がい者に対して「できる」ことを増やすことに注力するあまり、障害受容が押し付けられ、無意識のうちに「できる」「できない」という「能力主義的障害観(感)」(108ページ)が助長され、結果的に「できない」こと、すなわち障害の存在そのものを否定することになってはいないか。

動的プロセスとしての障害受容
障害受容は、一度到達すれば不変で固定化されるもの(状態)ではなく、新たな否定的・差別的経験(「スティグマ経験」50ページ)や障がい者を取り巻く環境変容などに起因する障害に対する自己認識や感情の変化によって、障害に対する否定的な感覚や羞恥感情が再熱しうる流動的で継続的なプロセスである。

障害受容の心理的・行動的・社会的側面
障害受容は、障がい者が自身の障害を認識し、それによって生じる個人的で内面的な感情や心理の変化(心理的側面)だけでなく、日常生活や社会参加における具体的な課題解決を図るための態度や行動の変容(行動的側面)を促し、他者や社会との積極的な関わり(社会的側面)を構築する能動的で主体的なプロセスである。

内在的・外在的な障害観(感)と「障害との自由」
田島は、「障害受容」の代替概念として「障害との自由」(障害とともに、楽にいられる・生きられること)(125ページ)の概念を提示する。それは、「『障害』を否定する一切の外在的な障害観(感)を捨てて、その人の内在的な障害観(感)の萌芽を探し、それを外在的な障害観(感)へまで流通させる過程」(180ページ)をいう。すなわちそれは、能力主義的な障害観(感)である「外在的な障害観(感)」や障害へのとらわれ(障害に意識を向けること)から自由になり、障がい者自身がその体験や身体性を通して感じている「障害」の意味や捉え方、あるいはそこから生まれる新たな障害観(感)(「内在的な障害観(感)」)の育成を図り、それを社会全体に還元し共有化を図るプロセスをいう。

〇要するに田島は、障害受容を単に個人の心理的な側面だけでなく、社会との相互関連のなかで捉え直し、個人の内面的な受容と社会的な環境の改善・変革を図るプロセスとして考える。そこに提示されるのが、「障害受容」の代替概念としての「障害との自由」である。そしてその概念は、例によって唐突であるが、障がい者を「まちづくりと市民福祉教育」の客体ではなく、その重要な担い手として捉え、そのための知識や技術・技能の習得・共有をいかにして図るかを問うことになるのである。さらに言えば、個人の内面的な受容と社会的な改善・変革の内在-外在の関連性のなかから、また知識や技術・技能の習得・共有のプロセスを通して、田島がいう「再生のためのエネルギー」(182ページ)、すなわち障がい者の自己変革と社会貢献を可能にする障がい者の内的な意欲や能力を引き出すこと(エンパワーメント)ができるのである。


 

障害疑似体験の落とし穴

―村田観弥「障害疑似体験を『身体』から再考する」のワンポイントメモ―

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〇福祉教育実践ではこれまで、「訪問・交流活動」「収集・募金活動」「清掃・美化活動」の“3大活動”や「疑似体験」「技術・技能の習得」「施設訪問(慰問)」の“3大プログラム”を中心にした体験活動が実施・展開されてきた(されている)。圧倒的に多いのは、障害や高齢の疑似体験、なかでも車いす体験やアイマスク体験、インスタントシニア体験である。相変わらず「慰問」という施設訪問も多い。これらの体験活動は場合によっては、誤解や思い込み、偏見を助長し、「貧困的な福祉観の再生産」(原田正樹)を促すことになる。
〇ここで、障害疑似体験の陥穽(かんせい。落とし穴)について、村田観弥の論考――「障害疑似体験を『身体』から再考する」佐藤貴宣・栗田季佳編『障害理解のリフレクション―行為と言葉が描く〈他者〉と共にある世界―』ちとせプレス、2023年3月、123~153ページ。――から先行研究と村田の言説の一部をメモっておくことにする(抜き書きと要約)。
〇なお、本稿は、 新訂「まちづくりと市民福祉教育」論の体系化に向けて―その哲学的思考に関する研究メモ―(2024年5月10日/本文)のなかの 06「しょうがい」と疑似体験の陥穽 に追記されている。

西舘有沙らは、できないことに目が行き過ぎて事実誤認やミスリードを引き起こし、障害者へのネガティブな態度を植えつける点、障害者の能力を特別視する傾向が強まる点など、障害者の姿を誤って捉え、障害に対する認識のゆがみを強固にする側面を挙げ、この検討をせずに教育方法としての疑似体験を採用すべきでないと指摘する。そして改善策として、➀体験の目的を具体的かつ明確に定める、②できないことばかりを体験させない、④事後指導の時間を設ける、④指導者の指導技術を高める、を提案する。(124ページ)

松原崇と佐藤貴宣は、障害学や障害当事者からの視点として、➀政治・社会的構造の要因の看過(個人にばかり焦点を当てる)、②差別的な見方の強化(障害者の無力さが強調され、障害者や障害にネガティブな価値づけが生じる)、③体験の精度の低さ(疑似体験できるのは、個人が突然身体機能の障害を負ったときの状態やそのときの感情のみで、症状の不安定さや症状の進行などの可変的状態がシミュレートできない)、④障害者への倫理的問題(試しにちょっとやってみる程度に扱われ、しばしば楽しい遊びやゲームのように行われる)、を批判として挙げる。そこで対策として、障害者自身がファシリテーターとなる手法や、注意深くブログムムをデザインすることでネガティブな効果を回避する事例など、学習を始める参加者が「現実」を対象化するきっかけとして、プログラムの一部や出発点として位置づけることを提案する。そして、社会構成主義的な協働体験として再構成し(体験は人々の間のコミュニケーションを通じて協働的に構成されると考える社会構成主義の観点に依拠し)、①問題を障害者個人でなく、外部環境へと問題帰属する文脈を用意する、②障害者が企画者として参加する、③障害者を含む参加者間での対話を喚起する、の3点の「仕掛け」を挙げている。(124~125ページ)

障害当事者である鈴木治郎は、体験し経験して知ることはけっして無駄ではないとしながらも、「その場限りの経験」になることや、企画者が「役に立つことだから善いこと」だと押しつける点を指摘する。そして、誰もが「当たり前」を共有化できる場づくりのための「互いの差異を認め共に出会う教育」が必要だと述べる。それを受け谷内孝行は、障害理解プログラムは、障害を理解することに重きを置くのではなく、障害から個性の尊重、共生の重要性、社会変革などを学び、新たな価値を創造する場であるとする。(128ページ)

細馬宏通は、アイマスク体験の主役は、アイマスクをつくる人ではなく、ナビゲーター(ガイドヘルパー)側だと述べている。(148ページ)

村田観弥はいう。
● 操作的に経験された疑似体験は、障害者への偏見をもってはいけないとする常識的な規範意識に囚われ、障害/健康の枠組みを強固にし、特別な存在とする見方を先鋭化することにもなりうる。また場合によっては、その経験は個々に異なるにもかかわらず、障害当事者の発言があたかも正解のように伝わることもある。(126~127ページ)
● 障害を疑似的に体験する活動をたんに問題とするよりも、その経験を自分自身の「日常」や「身体」について考えるきっかけとしての「学びの契機」(「障害者理解」でなく「自己理解」の体験)とする論を試みる。(130ページ)
● 他人の経験を生きるという試みは困難である。であるならば、体験が疑似(似て非なるもの)であることを問題にするよりも、疑似であることの可能性(誰かの立場になって考えたことによる意味の変化や視野の広がり等)に視点をずらすことで、思い込みや誤解が生じるプロセスに気づき、みずからの問題として考える教育的契機にできるのではないか。(144ページ)
● 体験活動は、「意図的に制限した身体を生きる」という体験を、「まずは実践してみる」ことに重点を置く。特定の障壁を感じることなく生きてきた同質性の高い日常から外へ出て、そうでない世界に身を投じる。「健常者」として規格化された身体を崩すことで、「差異化」の体験過程が言語化され、新たな「私」が再構成される。体験は「他人の身体を生きる」ということとは程遠いけれど、何かが生まれるきっかけにはなる。疑似体験では誤解や思い込み、偏見が生起しやすい。あえて誤解や偏見が顕在化する「場」として提示することで、それが我々の日常に遍在し、気づきにくく、見えない壁をつくっており、そこへ意識を向けることで壁を動かすことには有効かもしれないと考える。(151ページ)
● まず己の身体を通した困惑や不安、違和感といった感覚に向き合ってみる経験こそが、「私も同情や特別視をしているのではないか」との気づきにつながり、誤解や偏見と生きる自分自身に向き合うことになるのではないだろうか。(152ページ)

〇疑似体験には「有効論」と「有害論」がある(杉野昭博)。前者は、疑似体験は障がい者への配慮や支援の仕方について理解することを通して、障がい者への共感性を高めることになる、というものである。後者は、疑似体験は障がい者個人の機能障害(インペアメント)が強調され、社会の偏見や差別についての理解が進まず、障害や障がい者に対するネガティブな価値づけがなされてしまう、といものである。いずれもそこでは、一面的なあるいは一時(いっとき)の障害理解や障がい者体験にとどまり、計画的・継続的なまちづくりや社会変革への視点が弱いと言わざるをえない。再認識したい。

【一言】

―「まちづくりと市民福祉教育」の視点から―

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〇「まちづくり」において「共働」(「協働」)は不可欠な要素である。それは、専門家や健常者、あるいは子どもなどが、障がい者を「理解する・支援する―理解される・支援される」という「主体―客体」の構図ではない。根底からその解体を図る営為である。「まちづくり」に参加(参集、参与、参画)する市民(専門家、健常者、障がい者、子どもなど)が向き合うべきは、単なる理解や支援の手法ではない。自らの身体のなかに存在する「能動性」(自分の意志で制御できる部分)と「他者性」(自分の意志では制御できない部分)との葛藤である。障がい者の経験(障害に基づく経験、障害がい者としての経験)を「特別な誰かの苦難」として突き放すのではなく、人間存在に遍在する普遍的な「身体のゆらぎ」として捉え直す(内面化する)とき、人は初めて健常者という特権的な主体の座から降り、対等な地平に立つことができる。
〇この「主体変容」は、単なる個人の意識改革にとどまらない。それは、他者との対話を通じて、蓄積されたスティグマや偏見を可視化させる。そして、社会が疑わなかった「当たり前」というバリアを突き崩す具体的な力へと転化する。この個人の気づき(内在的障害観の変容)と社会構造の変革(外在的な障壁の解消)が、螺旋状に重なり合いながら上昇していく循環こそが、真の意味での「ふくし」を地域に根付かせる土壌となる。「市民福祉教育」は、この循環を加速させるための対話の「場」であり、「エンジン(機能)」である。また、誰もが障害という個性(属性)とともに自由に生きられる、成熟した市民共生社会を創造するための絶えざる運動である。

阪野 貢/阪野ブックレット 「他者」考 他者と生きる、差別と共生

 


 

目 次

 


 

他者と共に生きることによって自分らしく生きる

―磯野真穂著『他者と生きる』のワンポイントメモ―

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〇人は、2020年1月に始まるコロナ禍において、疫学理論や統計解析手法などを用いた新型コロナウイルスの感染予測(流行予測)に一喜一憂し、罹患のリスクを避けようとした。そんななかで、普段の暮らしにおいて如何に「自分らしく」生きるかを問い、それができる社会システムを求めたのは、昨日のことのようである。筆者(阪野)の手もとに、磯野真穂著『他者と生きる』(講談社新書、2022年1月。以下[1])がある。[1]において磯野は、前者の概念を「統計学的人間観」、後者のそれを「個人主義的人間観」と呼び、また「生の手ざわり」(生きていることの実感や経験)を求めて、前者に関して「“正しさ”は病を治せるか?」、後者に関して「“自分らしさ”はあなたを救うか?」([1]帯)と問う。

〇磯野は、現代社会における人間観、すなわち「人とは何か」「人とはどのような存在であるか」という問いに対して、3種類の人間観を措定する。統計学的人間観、個人主義的人間観、そして「関係論的人間観」がそれである。[1]におけるひとつのキーワードである。本稿では限定的になるが、それに関する一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。
〇磯野はいう。「人間の病いと生き死に、及びそれをいかに避けるか、引き受けるかをめぐる問題の諸相の根底には、この3つの人間観の錯綜(さくそう)があると捉えるべきである。つまりあるひとりの人間の病気や死をめぐって、本人とその人を取り巻く人々の間で行き違いが起こる時、その問題に関わる人それぞれが、思考の根底で異なる人間観を前提としながら、同じ人、同じ問題について語っている可能性がある。ある問題に複数の関係者が存在する時、関係者それぞれがどのような人間観を持っているかで、立ち上がる価値と倫理は異なる。したがって、そこのすり合わせが意識的にも、無意識的にも起こらない話し合いは、どこまでも平行線を辿るだろう」(180~181ページ)。

統計学的人間観――病気の事前予測や予防的介入に価値を与える人間観
統計学的人間観は、主に疫学の文脈で提示されるが、例えば50代以上の男性は高血圧だと脳梗塞に罹患する確率が高いというように、統計学的にある集団を数量化することによって導かれた、社会のなかの平均的な人間像(「平均人」:アドルフ・ケトレ)に基づく人間観をいう(150ページ)。その「平均人」は、ある集団の特徴を客観的に表すとみなされながらも、実体としてそれはどこにも存在しない。複雑な計算式を通して現れる架空の物言わぬ人である。それはどこにでもいることにされているが、どこにもいない。誰でもあるが、誰でもない(153ページ)。統計学的人間観は、計算式の上に成り立つ極めて抽象度の高い人間観であり、その最大の特徴は、ある集団の行く末を予想することが可能になるという点にある(184ページ)。

個人主義的人間観――「自分らしさ」(=「私たちらしさ」)を礼賛する素地となる人間観
個人主義的人間観は、自分の内発的な選択や動機によって、社会規範や世間の当たり前に逆らって自分の望みを実現する・表明するといった意味の「自分らしさ」や個性という価値によって支えられる人間観をいう(162、163ページ)。しかし、その「自分らしさ」は、ある選択や行動が「自分らしい」と認められるためには、その選択や行動に社会的承認が伴う必要がある(165ページ)。すなわち、「自分らしさ」が達成されたと思われる時、実際そこで起こっているのは「私たちらしさ」の発現であり(212ページ)、「自分らしさ」はその響きとは裏腹に、合意の形成に他ならない。その点を捉え損ねると、「自分らしさ」は、「それはあなたが決めたこと」という過度の自己責任論や責任回避の機能を生み出したり、「異なる他者といかに生きるか」という共生への省察を欠くことになる(176ページ)。

統計学的人間観と個人主義的人間観の協働と相互支援
統計学的人間観は個々人の価値を棄却する冷たい人間観であり、個人主義的人間観は個々人の価値を大切にする温かい人間観であるように思える。しかし、このふたつの人間観は、一見相反するように見えながら、実は背後(裏)で手を結び協働しあいながら、互いの存在を支え合っている(186ページ)。それはそこに、「生物的な命が存続することが何よりも素晴らしい」という絶対性を帯びた倫理が存在することによる(226ページ)。すなわち、統計学的人間観は、個人のかけがえのなさに絶対的な価値を置く個人主義的人間観に基づいて立ち上がっている(支えられている)のである(193ページ)。

関係論的人間観――自分と他者との「関係性」の生成や変化に価値を見出す人間観
関係論的人間観は、個人主義的人間観の特殊性を浮き立たせるために措定されたカテゴリであるが、他者との関わりのなかではじめて生まれる者として「自分」(個人)を捉える人間観をいう(212ページ)。そこにおいて、この人間観は、自分と他者との関係性の生成や変化に注目することになり、「他者とは何か」「出会いとは何か」「他者と生きるとはどういうことか」などを問うことになる。「他者」とは、分かり合えるかもしれないという存在であり、同時に分かり合えないかもしれないという両義的な存在である(232ページ)。そういう他者との関わり(つまり出会い)は、不安や恐れなどをもたらすが、他者との言動の相互行為を通してどのように他者と共に在るか、共に在り続けるかについて互いの間に規則性が生成される。この相互行為の場や規則(「共在の枠」:磯野)を前提に出会いは進展するが、未来に向かって共に在り続けるためにはその「共在の枠」を変化させていく身構えと身振り(「投射」:磯野)が必要となる(238~241ページ)。その意味において、「他者と生きる」とは、「共在の枠」を共有する自分と他者が、「投射」(相互行為の姿勢や態度)によってその関係性を維持し、新たな関係性を生み出すことによって、出会った他者と共に生きていく「私」/「あなた」が存在することをいう(251ページ)。

〇要するに、一見相反するかのように見える統計学的人間観と個人主義的人間観は実は、一緒になって「生物的な命が存続することが何よりも素晴らしい」という絶対的な倫理観や価値観を創り出す。そしてそれは、絶対性を帯びているがゆえに、人々の営みを制約する。そこにおいて磯野は、両者の人間観を二項対立的な図式で措定するのではなく、両者は協働関係にあるという。そして(そのうえで)、3つ目の人間観として、自分と他者との関係性の生成や変化に注目する関係論的人間観を考えるべきである、という。それが、「他者とともに生きる」すなわち「自分らしく生きる」ことに繋がる。これが磯野の言説であり、視座である。
〇磯野は[1]の最後でいう。「ひとつの尺度で他者の生の長さ(人生の長さ:阪野)を測り、それを価値付け、生き方に介入する際には、唯一の生への畏怖(いふ)を宿した慎み深さが求められる」(269ページ)。留意したい。
〇この指摘から、例によって唐突であるが、これまでの福祉教育の実践や研究は真に「唯一の生への畏怖を宿した慎み深さ」をもってきたか。さまざまな人間観をすり合わせる地道な・丁寧な作業を行ってきたか。特定の人間観を強要し(押し付け)てはこなかったか。そんな疑問が頭をよぎる。


「差別はいけない」と断じて終えるのではなく
「差別を考える」文化の醸成が肝要である

―好井裕明著『他者を感じる社会学』のワンポイントメモ―

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〇筆者(阪野)の手もとに、好井裕明著『他者を感じる社会学―差別から考える―』(ちくまプリマ―新書、筑摩書房、2020年11月。以下[1])がある。[1]における言説を理解するに際しては例えば、好井自身による「他者性」についての次の一節が役立つ。

社会学とは「他者の学」だ。私たちが社会を構成するメンバーとして生きるとき、他者といかに交信でき、繋がれるのかが “ 解くべき重要な問題 ” となるだろう。ただ私たちは他者を本当に理解しきることなどできるのだろうか。他者理解がいかにして可能かと問うことは、翻って他者を理解することがいかに困難であるのかを確認することとなる。さまざまな「ちがい」をもつ他者が出会い、せめぎあう。この出会いやせめぎあいの様相を克明に見つめていけば、他者理解を邪魔しているさまざまなものが見えてくる。そしてさまざまなものをさらに考えていくとき、道徳や倫理の次元で差別や排除を否定するのではなく、世の中で起きてしまう必然として、社会学的考察の対象として、差別や排除を考えることができるようになる。/「他者理解の学」というよりむしろ「いかに他者理解が困難であるのかを考える学」としての社会学の「面白さ」。差別を考える社会学の魅力。『他者を感じる社会学』(2020年)で私が伝えたかったことの一つだ。(好井裕明「社会学的想像力をいかにしたら伝え得るのか―私が新書を書き続ける理由(わけ)―」『フォーラム現代社会学』第21号、関西社会学会、2022年5月、76ページ)

〇この記述をより広く深く理解するために、[1]のなかから次の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。語尾変換)。

・差別は、他者理解――あるいは他者理解の難しさ――という深遠なコミュニケーションの過程で生じてしまう “ 必然 ” であり、私たちが他者を理解しようとし、他者と何かを共有し、伝え合おうとするときに(すなわち、他者とつながろうとする過程で)生じてしまう “ 摩擦熱 ” のようなものである。(20ページ)

・私たちは普段、人間として「素晴らしい」「豊かな」存在がいるし「つまらない」「貧しい」存在もいると考えるが、それはあくまで、そのような評価の対象となる人間の営みやその人が表明する価値観や思想に由来するものであり、その人の存在自体に張り付いている属性ではない。(81ページ)/また、「貴(とうと)い―賤(いや)しい」「浄(きよ)い―穢(けが)れている」という伝統的で因習的な人間の見方があるが、廃棄すべきである。(82ページ)

・(性別や年齢、人種や民族、障害、被差別地域など)ある人々や集団、地域や状況を「きめつける」さまざまなカテゴリー化が「あたりまえ」のこととして、その時々の支配的社会や文化に息づいている。(70ページ)/文化や社会の「あたりまえ」や「普通」に息づいているものの見方や価値観こそが差別や排除をうみだす原因なのである。(208ページ)

・多様なセクシュアリティを生きる人々が性的少数者という「カテゴリー」を生き、独自に歴史を創造していく主体であるという事実を見失うことなく、私たちは、常に支配的文化や価値を相対化する「くせ」を身につけていくべきである。(128ページ)

・部落差別は、身分差別や職業賤視(せんし)、地域への偏見が密接に絡み合っており、日本の中世以前からの歴史や文化に根ざした奥の深い問題である。(88ページ)/部落差別は、本当に「不条理で」「理屈にあわない」営みである。それを背後から支えているのが、「貴(き)―賤(せん)」という人間を “ 分け隔てていく ”  見方であり考え方なのである。(90ページ)

・「差別を考える」とは、「あたりまえ」や「普通」のことと見逃している「決めつけ」や「思い込み」をあらためて洗い出し、自分自身がより優しい気持ちで他者と出会い、つながり、気持ちよく生きていくために自分の「あたりまえ」や「普通」をつくりかえていく、ということである。(246ページ)

・日常生活に生起する偏見や差別をなくすためには、まずは自分自身で「差別を考える」 “ くせ ” を身につけることが必要であり、それによって “ 差別などしない自分らしさ ” を身につけることになる。さらに「みんな」で「差別を考える」ことを模索し、そうした営みの延長に、しなやかでタフな「差別を考える」文化が息づく日常が私たちの前に立ち現れてくる。(252ページ)

・差別を受ける人々の「リアル」に対する想像力の圧倒的な欠如、貧困がある。/他者への想像力が枯渇するとき、差別は繁殖する。今、まさに「他者へのより深く豊かで、しなやかでタフな想像力」が必要とされている。(255ページ)

〇こんにち、ネット時代におけるコミュニケーションの変化や社会の分断化・個別化が指摘されるなかで、多様な存在としての「他者」と向き合う対面の人間関係(つながり)が希薄化している。そんななかでまた、自分と向き合う機会も少なくなっている。それは好井にあっては、他者を尊厳あるひとりの「人間として感じない」ゆゆしき事態であり、そこから日常生活における差別や排除が生起する。その改善や改革を図るためには、「他者を感じる」「差別を考える」ことが必要不可欠となる(11ページ)。また、「差別はいけない」と断じて終えるのではなく、「今、ここ」(現在進行形)で「差別を考える」ことによって私が「かわり」、「みんな」が「かわる」のである(252ページ)。好井からのメッセージである。
〇この点を福祉教育の実践や研究に引き寄せて言えば、例えば障がい者差別についてその歴史や現状(実態)、原因や背景などをしっかりと押さえてきたか。障がい者は憐憫(れんびん)や同情の対象ではないとしても(いまだにそうであることが多い)、「あたりまえ」のように「思いやり」の対象として直截的に認識させてきたのではないか。障がい者差別はよくないこととして、反省すべき問題であり、反省すれば「それはそれでよし」としてこなかったか。
〇また、福祉教育実践や研究は、上述の「貴―賤」に関する部落問題(さらには天皇制)について、「家柄」や「血筋」といった人間の地位や場所、属性だけで評価するという “ 偏った ” 他者理解の仕方に言及してきたか。間違っても「寝た子を起こすな」という考えはないと思うが、どうだろうか。「浄(じょう)―穢(え)」に関して言えば、伝統的で因習的なジェンダーをめぐる知識や規範、性的少数者( LGBTQ)というカテゴリーを生きる人たちの理解について関心を持ってきたか(持っているか)。福祉教育実践や研究において、「他者を感じる」「差別を考える」問題は山積している。


完全には理解できないからこそ他者と共に生きていける

―奥村隆著『他者といる技法』のワンポイントメモ―

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〇筆者(阪野)の手もとに、奥村隆著『他者といる技法―コミュニケーションの社会学―』(筑摩書房、2024年2月。以下[1])がある。人は、多くの他者といっしょにいながら(その場を「社会」と呼ぶ)、そのためのさまざまな「技法」を用いて暮らしている。[1]は、そのさまざまな技法(「他者といる技法」)について体系的に論じたものである。ここでは、それらのうちから、「理解」できない(わかりあえない)「他者」とともにいるための技法の一節をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。なお、[1]は、単行本(日本評論社、1998年3月)を文庫化したものである。
〇その点に関する奥村のひとつのメッセージはこうである。「私たちは、『わからない他者』と『いっしょにいる』技法を、ていねいに考えていかなければならない」。「そこにはたくさんの居心地が悪い世界があるかもしれないが、どうやらそもそも他者といるということはそういうことなのだ。そして、それができることは、他者といるということを、もっとずっとゆたかなものにしてくれるように、私は思う」(298ページ)。

①「わかってくれない」ことと「わからないこと」は、他者といるときによく起こる問題である
「理解」は、他者と共存するためのひとつの有力な「技法」である。私たちは、これをよく知っており、じっさいにいつも行っている。また、それと関係するある苦しさも知っている。私たちは、よく「私のことを理解してくれない!」と嘆いたり、「私はあの人を理解できない!」と叫んだりする。わかってくれないこととわからないこと、このふたつは、他者といるときによく起こる問題である。そして、わかられたいこと、わかりたいことが、私たちがしばしば望むことである。(254ページ)

② 他者に「理解」されない「私だけ」の領域があるとき、そこに「自由」や「私」が存在する
これはありえない想定であるが、完全に他者の「こころ」(思いや考え:阪野)が「理解」できたとしたら、どうなるだろう。完全に私の「こころ」が他者によって「理解」されたとしたら、なにが起きるのだろう。(272ページ)/なにもかも「理解」されてしまうとき、私たちは「こころ」を自由に働かせることはできないだろう。むしろ、私たちの「自由」は、他者に「理解」されないことを条件にするようだ。もちろん、他者に「理解」されることと両立する「自由」もある。しかし、両立しない「自由」もたくさんある。たとえば、「まちがえる自由」。他者に「こころ」をすべて「理解」されるとき、私たちは決して「まちがえる」ことはできない。しかし、「理解」されない領域があるとき、私たちは「こころのなか」でいくらも「まちがえる」ことができる。「まちがえる」ことが、私たちにたくさんの「自由」を、可能性を与えてくれる。完全に理解されてしまうとき、私たちはその可能性をもちえない。/また、完全に理解されてしまうとき、「私」など存在しない。「私」のこころのすみずみまで他者によって「理解」されるとき、「私」のなかに「私だけ」の場所などどこにもないことになる。(中略)私は、他者の理解によって、どんどん蒸発していってしまう。逆にいえば、他者に「理解」されない場所をもつことによって、「私」は「私」でありはじめる。(274ページ)

③「理解」の素晴らしさ(「理解の過少」)には敏感であるが、「理解」の苦しさ(「理解の過剰」)には鈍感である
私たちは「理解」のすばらしさはよく知っているが、「理解」が生む苦しみは(感じていても)あまり論じないのではないか。「理解の過少」という事態には敏感だが、「理解の過剰」という事態にはひどく鈍感なのではないか。人がわかりすぎてしまったり、わかられすぎて苦しんでいるときにも(他者の「こころ」が全てわかってしまったと感じたり、他者に自分の「こころ」が全てわかってしまったと感じたりして苦しんでいるときにも:阪野)、もっとわからなければ、もっとわかられなければと思い込み、かえって「理解の過剰」の苦しみを増幅するということが頻繁にあるのではないか。そして、「理解」を断ち切って別の技法を探すことをあまりせず、「理解」の技法が有効でない場面においてもこの技法を使用しているのではないだろうか。(284~285ページ)

④「理解の過少」と「理解の過剰」の苦しみと、「完全な理解」と「適切な理解」の基準はそれぞれ異なる
「理解」にはふたつの異なる基準がある。ひとつは、「完全な理解」という、原理的な基準である。ここから見れば現実に存在するすべての「理解」は「過少」である。もうひとつは、それよりも「理解」が「過少」でも「過剰」でも苦しみを感じる、ある実践的な基準――「適切な理解」とでも呼ぼう――である。そして、このふたつの基準はまったく異なる。(中略)私たちはときに、「完全な理解」が「適切な理解」であると取り違える。「完全な理解」が達成されたら(それは原理的に絶対に経験できないから確かめようがないのだが)どれだけすばらしいだろう、と思い込む。しかし、これはと取り違えである。原理的な「完全な理解」を誤って実践的な「適切な理解」とするとき、私たちはいつも「理解の過少」だけを発見し、「理解の過剰」は絶対に発見できないことになる。/私は、「理解の過少」の苦しみと「理解の過剰」のそれをしっかりと区別しなければならないと考える。また、「完全な理解」という基準と「適切な理解」という基準が異なることを明確に自覚しなければならないと考える。これができないとき、私たちは、それでは解決できなかったりかえって苦しみを増す問題までも「より多くの理解」という技法で解決できると思い込み、それを使用してしまう。(286~287ページ)

⑤「わかりあえない」けれど「いっしょにいる」ための技法、すなわち「理解」とは異なるかたちで他者と「共存」するための技法が必要である
私たちがよく知っているのは、「わかりあう」から「いっしょにいられる」という状態だ。だから、「わかりあえない」とき、「いっしょにいる」ために「もっとわかりあおう」とする。それは、おそらく「社会」という領域のある部分では、必要なことだし大切な成果を生むだろう。しかし、この技法しかもたないとき、「わかりあえない」と私たちは「いっしょにいられなく」なってしまう。おそらくもうひとつの技法があるのだ。「わかりあえない」とき「もっとわかりあおう」とするのではなく、「わかりあえない」けれど「いっしょにいる」ための技法、「わかりあえない」ままでひとつの「社会」を作っていく技法。私は、「他者」といること、「社会」を形成することの少なくともある領域において、このような技法を探すことが必要だと思う。「わかりあわない」と「いっしょにいられない」、「社会」がつくれない、という技法は、私たちの「社会」の可能性を大きく限定する。「理解」は「他者」との「共存」のためのひとつの技法でしかなく、このふたつは別のことなのだ。私たちはときに、他者との「共存」よりも「理解」のほうを目的として設定してしまう。しかし、「理解」できない他者と「社会」を作る場面はあり、そのとき「理解」に囚われることは、私たちを「共存」できなくさせてしまう。私たちは「理解」を断ち切り、それ以外の「共存」のための技法を開発し始めなければならない。(290~291ページ)

⑥「話しあう」技法を身につけているとき、人は「わかりあわない」ときにも「いっしょにいる」ことができる
「他者はわからない」という想定を出発点として、他者といることを模索する技法、そのひとつは、ごく素朴でありふれているが、「話しあう」ということである。/「話しあう」ということは、次のふたつからなりたつ。ひとつは、「尋ねる」「質問する」ということ。これは、いうまでもなく、「わからない」とき、その「わからなさ」につきあっていこうとするときにのみ、開かれる。もうひとつは、「答える」「説明する」ということ。これも、相手が私を「わかっていない」と感じるときにしか、始まらないことだ。(294ページ)/「話しあう」こと。「質問しあい」「説明しあう」こと。――これは、じつに居心地の悪い時間を私たちに開いてしまう。(中略)このことは「わからない!」と相手にはっきり伝えることからしか始まらず、ひとつひとつ「質問し」「声明する」ことは双方にこころの負担をかけることだし、「わかりあっていない」ことを自覚しながらいっしょにいる時間をずいぶん長く共有することになる。しかし、この「話しあう」技法を身につけているとき、人は「わかりあわない」ときにも「いっしょにいる」ことができる。(294~295ページ)

⑦ 早く「わかる」ための技法よりも、「わからない」でもゆっくりとしていられる技法が大切である
私たちは、「わかりあおう」とするがゆえに、ときどき少し急ぎすぎてしまう。しかし、「わからない」時間をできるだけ引き延ばして、その居心地の悪さのなかに少しでも長くいられるようにしよう。その間に、「わかりあう」ことが自然に開かれる場合も、「話しあう」ことを意識的に開く場合も、「わかりあわないまま」ただいっしょにいるだけという場合もあるだろう。しかし、「わかる」ことを急ぎすぎ、その時間を稼げないと、私たちは多くの可能性を閉ざしてしまう。私たちは「わかる」ことにすぐに着地したがる。しかし、より困難で大切なのは、「わかる」ための技法よりも、「わからないでいられる」ようにする技法であるように私は思う。(中略)これをもたないとき、「わからない」とすぐに「なぐりあう」=「暴力」を振るうことをしてしまったり、すぐに「わかろう」として乱暴な「類型」に他者をひきつけるような「理解」に着地する=「差別」することをしてしまったりする(すぐに「わかろう」として高齢者や障がい者、女性などの「類型」によって他者を理解することは、独自性を欠いた部分的な理解にとどまり、差別することになる:阪野、259ページ)。しかし、「わからないでいる」のが常態であり、そこにゆっくりといられるのなら、私たちは「なぐりあう」ことも「差別」することもずっとしなくてすむだろう。(296ページ)

〇人は、他者を理解したい・わかりたい、他者から理解されたい・わかってもらいたいと望む。しかし、他者を完全に理解すること・わかること、他者から完全に理解されること・わかってもらうことは、原理的には不可能である。そこで人は、他者を「ああいう人」「こういう人」や「高齢者」「障がい者」などの「類型」(常識的な思考の構成概念:259ページ)にはめ込むことによって、他者を理解しようとする。しかし、それも部分的・表層的なものにとどまり、他者を完全に理解すること・わかることにはつながらない。むしろ「類型」を利用することによって、他者から離れたり、他者を排除したりする。あるいは、苦しい思いをしながらも他者と共にいることによって、他者への偏見や差別を引き起こすことにもなる。
〇しかし人は、他者と共にいることによって、「生」(生命、生活、人生)の営みを続けることができる。それによってしか、できない。そこで奥村は、理解できない・わからない他者といっしょにいるための技法について考える。理解できなくても・わからなくても、異なるかたちで他者とともにいっしょにいるための技法について言及するのである。
〇上記の見出しを再掲する。

①「わかってくれない」ことと「わからないこと」は、他者といるときによく起こる問題である。
②  他者に「理解」されない「私だけ」の領域があるとき、そこに「自由」や「私」が存在する。
③「理解」の素晴らしさ(「理解の過少」)には敏感であるが、「理解」の苦しさ(「理解の過剰」)には鈍感である。
④「理解の過少」と「理解の過剰」の苦しみと、「完全な理解」と「適切な理解」の基準はそれぞれ異なる。
⑤「わかりあえない」けれど「いっしょにいる」ための技法、すなわち「理解」とは異なるかたちで他者と「共存」するための技法が必要である。
⑥「話しあう」技法を身につけているとき、人は「わかりあわない」ときにも「いっしょにいる」ことができる。
⑦  早く「わかる」ための技法よりも、「わからない」でもゆっくりとしていられる技法が大切である。

〇以上のうちとりわけ、②の、他者に「理解」されない「私だけ」の領域があるとき、そこにたくさんの「自由」や可能性があり、「私は(が)私である」ことの自己理解(認知)がすすむ。⑤の、「わかりあわない」と「いっしょにいられない」、「社会」がつくれないという技法は、私たちの「社会」の可能性を大きく限定する。「理解」は「他者」との「共存」のためのひとつの技法でしかない。そして⑦の、早く「わかる」ための技法よりも、「わからない」でもゆっくりとしていられる技法が大切である、という指摘に注目したい。それが、他者といるということを、もっと、ずっと、きっと豊かなものにしてくれるのであろう。
〇福祉教育実践における高齢や障害の疑似体験は、高齢・障害理解や高齢者・障がい者理解を通して、共存や共生、共存社会や共生社会のあり方を問う。その際の高齢・障害「理解」や高齢者・障がい者「理解」に関して、奥村の議論に留意したい。例によって唐突であるが、付記しておく。


【一言】

―「まちづくりと市民福祉教育」の視点から―

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〇「まちづくり」において「共感」は不可欠な要素である。それは、単なる感情的な同調ではなく、地域に生きる主体の多様性を前提とする。そして、それらを排除せずに「共働」(協働)するための関係形成の基盤である。
〇そのため「まちづくり」においては、効率的な課題解決や安易な合意形成を目的化するのではない。互いの「わからなさ」を尊重し合い、「差別を考える“くせ”」(好井裕明)を身に付け、その文化化を図って地域に根付かせることが重要となる。
〇「市民福祉教育」は、他者を「わかる」ためではなく、他者との差異を抱えたまま、それでも共に生きるための知識や技法、価値観を育む営みである。この教育は、「まちづくり」の前提条件であり、その過程そのものである。


 

「他者」考
他者と生きる、差別と共生

発 行:2025年12月25日
著 者:阪野 貢
発行者:田村禎章・三ツ石行宏
発行所:市民福祉教育研究所

 


 

阪野 貢/阪野ブックレット 「政治」考 政治リテラシーと市民福祉教育

 


 

目 次

 


「政治リテラシー」考:
啓蒙主義的主権者教育と
保守主義的主権者教育、市民性教育と国民性教育

―関口正司著『政治リテラシーを考える』のワンポイントメモ―

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〇筆者(阪野)の手もとに、関口正司編『政治リテラシーを考える―市民教育の政治思想―』(風行社、2019年2月。以下[1])がある。[1]では、「政治リテラシ―」について原理、思想史、実際の取り組みという3つの観点から検討する。政治リテラシ―とは、政治に関する基本的な知識、政治に関与する際に求められる基本的な技能、そしてその知識や技能を積極的に用いる意欲や態度、それらの総体(15ページ)を意味する。すなわち、政治の営みに関する知識・技能・態度の複合体をいう(8ページ)。そして、関口らはこれまでの「主権者教育」に対して、「政治リテラシー教育」の必要性を説く。
〇主権者教育とは、主権者としての、「社会参加」の促進と「政治的リテラシー(政治的判断力や批判力)」の育成を図るための教育をいう。日本国憲法の下では、主権(国を統治する権力)を有する者は国民である。(付記参照)
〇[1]には、施光恒(せ・てるひさ)の論稿「主権者教育における責任や義務―よりバランスのとれた理想的主体像の必要性―」([1]61~89ページ)が収録されている。そこでは、学校における主権者教育がめざす主体像について、その「啓蒙主義的側面」と「保守主義的側面」のバランスの取れた理想的主体像として「相互作用的主体像」を設定すべきであるという。この点をめぐって、言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

現在の主権者教育における主体像―社会の合理的選択者・変革者としての主体像―
現在の主権者教育の目標とされている(理想的)主体像とは、社会の合理的選択者ないし変革者としての性格を色濃く持ち、積極的に社会に影響を及ぼしていく主体だといってよいであろう。つまり、政治に関する知識と関心を持ち、自分たちの権利や利害に自覚的であり、他者と議論を交わし協働し、積極的に政治参加し、政権や政策を選択し、社会を合理的に変革していく人々だと言えるであろう。(68ページ)

啓蒙主義的主体像と保守主義的主体像―その相互作用的な関係性―
現行の主権者教育における理想的主体像とは、政治思想的に見れば、啓蒙主義の影響を強く受けたものだといえる。自分の権利や利害について自覚的であり、それを守るために、他者と協力・結託し、社会や国家を意識的に構築し、変革していく主体である。しかし人間は、社会や国家を意識的に構築する主体というだけではない。逆に、ある社会や国家に生まれ落ち、その文化や伝統から学び、それによって一人前の知的思考や各種の活動が可能になるという側面もまた有している。/政治思想史的に述べれば、伝統や文化から影響を受け、自己が形成されるという側面を強調してきたのは保守主義の考え方である。保守主義を簡潔に規定するとすれば、人間の理性や知性の限界を強く意識し、国や地域の文化や伝統、慣習などを重視する立場だと言えるであろう。/人間と社会との関係は、啓蒙主義が強調するように、人間が社会を作り出し、また変革を加えるという側面ももちろんある。しかし同時に、保守主義が重視するように、人間の理性や知性が社会の文化や伝統を通じて形作られるという側面もある。(72~73ページ)

今後の主権者教育がめざすべき主体像―バランスの取れた相互作用的主体像―
主権者教育の目指すべき主体とは、「啓蒙主義的側面」と同時に「保守主義的側面」にも目配りし、どちらの育成も目指すものとして、つまり「相互作用的主体」として設定されるべきである。すなわち、政権や政策を選択し、社会や国を変革しようとする積極的意思を備えた存在であると同時に、社会や国の伝統や文化から恩恵を受けてきたことを認識し、その恩恵を将来も享受できるように、よりよき形で社会や国を次世代に手渡していく責任や義務が我々にはあるという自覚を有する主体こそ、今後の日本の主権者教育が目指すべき主体像だと言えるのではないだろうか。/こうした主体像からは、自己の権利や利益に自覚的であり、社会や国に積極的に働きかけていく能動性とともに、社会や国に対する責任や義務の意識も円滑に導くことが可能である。(79ページ)

〇筆者の手もとに、石田雅樹の論稿「『市民性』を陶冶する教育、『国民性』を育む教育―ジョン・デューイにおけるナショナリズムと教育」(『年報政治学』第71巻第2号、日本政治学会、2020年12月、237~255ページ。以下[2])がある。[2]では、第一次大戦期(1914~1918年)におけるジョン・デューイのテクストを主な対象として、能動的な市民を育成する「市民性教育」(citizenship education)と国民性(国民としての資質・能力)を育む「国民性教育」(national education)の言説を比較検証し、その教育論におけるナショナリズム(国家や民族の利益を強調する思想や運動)の位置づけを明らかにする。
〇[2]のうちから、石田の言説(デューイの教育論の理解・考察)のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

市民性教育は、デモクラシーを絶えずリニューアルし深化させる「市民」の育成を図る
デューイにおいて「市民性教育」とは、単に統治者にとって従順な市民を再生産することではなく、デモクラシーを構成する一員として社会に参入する手助けとなるものであった。/(すなわち)デューイにあって「市民」になるということは、単に有権者としてのみならず、家族・労働者・コミュニティの一員として社会に関わることであり、自分と異なる多様な他者と共に包括的に社会に参与し続けることで、デモクラシーを絶えずリニューアルする存在になることに他ならなかった。/(この点を踏まえると)デューイが「市民性」を涵養する「市民性教育」と、生活の糧を得る「職業教育」とを一体的に捉えることも(は)必然であった。(240ページ)

国民性教育には、国の歴史を学び直し、自らのアイデンティティを問い直し、建設的な愛国主義を涵養することが必要となる
デューイは、第一次大戦期の軍事教練や国民兵役などに言及するなかで、「国民性教育」は国民的統合や公共心(public mindness)の涵養を促すものであり、そのためには真のナショナルな社会理念が必要であると説く。また、その具体的プラン(国民性教育の構成内容)については、アメリカの歴史を学び直すこと、自らのアイデンティティを問い直すこと、建設的な愛国主義を涵養することなどの必要性や重要性を指摘する。(247~249ページ)

「市民性教育」論と「国民性教育」論は相互補完的な関係にある
「市民性教育」は、形式的な法遵守や空疎な知識の獲得ではなく、「職業教育」と一体化することで、社会生活における「デモクラシー」を実践する技能を涵養するものであり、他方で「国民性教育」は、アメリカ国民のアイデンティティそれ自体を「デモクラシー」として再定義することで、デモクラシーとナショナリズムとの接合を行うものであった。両者は共に、自由で平等な「市民/国民」から成る社会こそが、アメリカであることを再認識させるプロジェクトを共有している。そうした点で、デューイによる「市民性教育」論と「国民性教育」論は相互補完的な関係にある。(250ページ)

〇筆者はこれまで、「まちづくりと市民福祉教育」に関して、「まちづくり―みんなが主役のまちづくり―」や「まちづくり―みんなであるもの探しのまちづくり―」というキャッチコピー(スローガン)を使用してきた。一面的あるいは部分的には、「みんなが主役のまちづくり」は上述の「啓蒙主義的主権者教育」と「市民性教育」、「みんなであるもの探しのまちづくり」(ないものねだり、ではない)は上述の「保守主義的主権者教育」と「国民性教育」に通底するものであろう。なお、「まちづくり」に関して大橋謙策は、1970年代からスローガンのようにいわれていた「福祉のまちづくり」が90年代から「福祉でまちづくり」へと変わり、さらに2010年代には「福祉はまちづくり」といわれる時代へと移行した、という(山崎亮『縮充する日本―「参加」が創り出す人口減少社会の希望―』PHP新書、2016年11月、331、335ページ)。付記しておきたい。
〇本稿に関連する拙稿(記事)に次のようなものがある。併せてご参照いただければ幸いである。

①<雑感>(151)阪野 貢/「主権者教育」「シティズンシップ教育」の一環としての「市民福祉教育」を考えるために―新籐宗幸著『「主権者教育」を問う』再読メモ―/2022年4月16日/本文
②<雑感>(187)阪野 貢/追補/憲法上の「国民」:主権者・有権者・市民について考える ―駒村圭吾著『主権者を疑う』のワンポイントメモ―/2023年9月16日/本文
③<雑感>(96)戦争が始まる“臭い”がする:「愛国」「愛国心」に関するワンポイントメモ―将基面貴巳を読む―/2019年10月8日/本文
④<雑感>(97)いじめ・愛国心・道徳教育:「道徳的価値ありきの、国家のための道徳教育」を問う―大森直樹著『道徳教育と愛国心』読後メモ―/2019年11月5日/本文

付記
主権者に求められる資質・能力(主権者教育の内容)については、上記の①<雑感>(151)の拙稿と併せて、例えば次の資料を参照されたい。


「教育の公共性」を考える:
「まちづくりと市民福祉教育」は政治の課題である


―宮寺晃夫著『教育の正議論』のワンポイントメモ―

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〇筆者(阪野)の手もとに、宮寺晃夫著『教育の正議論―平等・公共性・統合―』(勁草書房、2014年5月。以下[1])がある。[1]では、経済・社会システムの自由化と市場化が促され、自助の強要と共助や公助の機能低下が進むなかで、教育の格差や不平等が深刻化している。そういう現状認識のもとで、「教育の正義」を問うのではなく、「正義」の名のもとで教育のなされ方を問い質(ただ)す。宮寺はいう。「『正義』の名で取り戻さなければならないものがあるとすれば、それは、『平等と教育』、『公共性と教育』、『統合と教育』をめぐる討議に、さまざまな考え方、さまざまな立場からの参加を人びとに保障する公論の場である。(中略)『行政の効率化』と、『住民に対する直接的な責任』の名のもとで、教育に関する公論の場を不必要とし、成り立たなくしている状況が、教育のイッシュー(課題、問題)を教育のプロフェッショナルだけで解決しようとする閉鎖的な状況とともに、不正義なのである」(ⅲページ)。
〇すなわち、[1]は、「教育に関して公論の場を維持するのが危うくなってきている」なかで、「平等・公共性・統合」という「議事項目」から一連の教育政策を分析し、それによって「公論の場」の復興を求める。そして、教育をめぐって「自由」と「平等」のあり方が問われる時代にあって、「自由のなかでの平等」をいかに実現するかを探るのである。なお、[1]は、2006年から2013年の間に書かれた論稿を編んだものであり、しかも「時論」としての性格をおびたものであると宮寺はいう。
〇ここでは[1]のなかから、「教育の公共性」をめぐる論点や言説に限って、そのいくつか(以下の②から⑤)をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

①「教育への希望」は、潜在的な能力や、生れや境遇などの個人的なものではなく、人びとの互恵的関係のもとで連帯意識を育む社会的課題である
貧困が、子どもの希望をいかに限られた範囲に押しとどめているか。それをもっともよく示しているのは、児童養護施設で生活する子どもたちの事例である。養護施設の子どもの多くは、みずからの意思で、大学進学を希望しない。成就できない希望は、はじめから選択肢に入っていない。だからこそ、希望の抱き方を広げ、いままで選択肢に入ってこなかった項目にも可能性を開いていくこと、つまり「希望への教育」がなされなければならない。それは、財政の裏づけを通して人びとの「社会的」連帯意識なしには実現しない。(48ページ)/どのような境遇の子どもも、進路の選択のさい、生れと境遇の不平等のために、はじめから視野に入ってこないような選択肢がないようにしていく責任が、政策立案者にはある。選択を可能にする財政的な基盤の整備をふくめて、人びとに、負担を共有させていく責任もある。「教育への希望」は、人びとの互恵的関係なしには実現しない。子どもの教育は、親個人の責任というより、人びとの連帯意識をはぐくむ「社会的」課題なのである。(49~50ページ)

② 教育の公共性には「公共的な理由」を添え、他者の立場からも受け入れ可能な自己利益をお互いに示し合うことが必要である
自己利益を考慮に入れない個人としての市民、その市民がつくりだす公共性。そうした市民的公共性が成り立っていると想定される公共圏(国家権力や市場経済システムから独立し、誰もが参加できて、人々の共通の関心事について語り合える空間:阪野)(108ページ)の内部でさえ、個人としての市民が特定の信条や宗派の教義など、要するにそれぞれの文化的背景に従った生き方をしており、それが個々の選択の準拠となっている。政治的な決定は、そうした多様な善き生を認め合ったうえでなされるのであって、公共圏の構成員としての市民は、背景的文化をいっさい洗い流した抽象的な個人でなければならないということはない。(109~110ページ)/市民は、自分の子どもの教育にかかわる決定については、さまざまな方針を有し、たがいに自己利益に突き動かされている。そうした多様な期待が重なり合うなかで、市民の間で合意形成を図るためには、人びとが主張を述べ合うとき、裏づけとなる理由、しかもその理由が、他の人、いや反対者の側に立っても受け入れられる理由(「公共的な理由」:ジョン・ロールズ)を添え、他者の立場からも受け入れ可能な自己利益をおたがいに示し合うことを通して、公共財としての教育の分配に、責任を分け合っていくことが必要である。(110~111ページ)

③ 教育の公共性は、外部に排除された/退出した人びとの批判にも開かれた自己批評的なものでなくてはならない
私的領域で享受される自由、とくに思想・信条・信念の自由、幸福感の自由、将来の見通しの自由など、個人の生き方に関わる多様な自由がそのまま公共領域に持ち込まれると、途端に多元的な状況が現出する。その公共領域に多元的な状況が現出すると、各自の自由な主張とその根拠はたがいに共約項を持たないまま文字どおり行き交うことになる。しかし、この多元的状況の現実から目を逸(そ)らすべきではない。この現実から新たな可能性が生まれてくることがありうるからである。その可能性は、なによりも共約項を持たない他者との討議を続けるなかから開けてくる。教育の公共性は、囲い込まれた市民的公共性を超えて、外部に排除された/退出した人びとの批判に開かれた自己批評的な公共性でなければはならないであろう。(154ページ)

④ 教育の公共性には、教育の私事化の流れが強まるなかで、教育機会の実質的な平等を確保するための公論の場を確保することが求められる
教育は「生存を維持する」ために必要とされる基本財であり、その限り共通に供給されなければならない面もある。「教育機会の均等」はその最たるものである。しかし、それ以上に教育は、「才能を開花させる」ための必要に根差しており、才能がさまざまであるように、必要の中身はさまざまで、公的支援で一律に満たされることはない。それゆえ「教育の公共性」は、単に統一性、平等性を指標にして語りつくされる主題ではない。それは、わたしたち一人ひとりの個別の必要と決定を、わたしたち全体がどこまで認めることができるかという問題ともかかわっている。(157ページ)/親の責任でなされる教育に重みが掛けられるなど、教育の私事化の流れが強まる一方で、社会全体で子育てに責任を果たすことを示すため、巨額の公費主出がなされようとしている。そうした逆巻く潮流がつくりだす渦のなかで、公共領域の教育に子どもを留める人と、私的領域の教育に委ねる人が、それぞれ立場(を)入れ換えて、たがいの教育意思の「正当化」(個人が自分の要求を相対化し、それが差し向けられる相手側(場合によれば反対者)からみても「正当だ」と認められる理由を示すこと。:157ページ)を図るフォーラム(公開討論)が必要になる。それを築くことが「教育の公共性」論の使命である。(160ページ)/(すなわち)すべての親が、“自分の子どもだけは‥‥‥”といい出しかねない個人化の時代だからこそ、自由のなかで平等性を確保する議論が求められる。その議論がなされていくには、なによりも、当事者が対等な立場で参加できる公論の場を、「正義」の名で確保していかなければならない。(187ページ)

⑤ 教育の公共性は、教育の多様性がもたらす諸問題(共生の強制は個人の自由と両立するか)について政治的解決が求められる課題である
(白人と黒人の生徒などを同じ学校で平等に教育する)統合教育は、良い効果が得られるからといって、正当化されるわけではない。問われなければならないのは、自由、すなわち、個人の幸福追求の自由とアソシエーションの自由を前提にしたうえで、なおかつ相反する生き方の人と暮しを共にさせることがどこまで正当か、という憲法的枠組みにかかわる根本的な問題である。要するに、共生の強制は個人の自由と両立するか、という問題である。(205ページ)/大人は、学校に対しても、親として、地域社会の一員として、国家(の憲法的枠組み)の担い手として、それぞれ異なる役割を同時に演じ、異なる責任を同時に負っている。/大人はわが子の親であるとともに、国家のすべての子どもの保護者でもある。このとき学校は、個人的領域でも、社会的領域でもなく、まさに政治的領域(ハンナ・アーレントの学校の3領域論)に属する公共の機関となる。教育の公共性とは、教育が多様性に対して開かれており、多様性を受け入れる準備ができているという「開放性」と「準備性」を意味するが、多様性がもたらす諸問題の解決は個人間の利害調整を超えて、全体的な公正性の観点から図られなければならず、それは政治の課題である。(206~207ページ)

⑥ 時代と社会によって変化する教育の価値規準は、社会的に複合化されたものであり、その単一化を急ぐべきではない
いま求められるのは、手品のようにハンカチのなかから教育の価値規準を取り出してみせることではないであろう。教育という財は社会の所産であり、社会の他の財を分配していく財でもある。何を「教育」と呼ぶかも時代と社会により変化していく。それゆえ教育の場合、価値規準自体が社会的な複合物であることを避けられない。そこで、価値規準の単一化をあえて急がずに、他の分野の価値規準との関連、競合、接続などを経たうえで、それらを統合する端的な規準を手探りでみつけていく努力が、まだまだ必要とされるのではないか。(255ページ)

〇以上の論点や言説は、「まちづくりと市民福祉教育」の実践や研究に通底するものでもある。⑤に関連して一言すれば、「まちづくりと市民福祉教育」はこれまで、政治的領域に位置づけて論じることに必ずしも積極的であったとはいえない。まちづくりは、公共性をはじめ地域性や多様性、自律性や共働性などが厳しく問われる活動であり運動である。教育や学校は、国家による巨大な政治システムであり、そのもとでの教育行政の重層構造に組み込まれている。そうであるがゆえに、「まちづくりと市民福祉教育」には、多くの市民一人ひとりに、また地域の多様な主体に改善や改革についての確かな決意や覚悟、そして行動が求められる。
〇そして、「いま」の政治へのアプローチなくして、「いま」の、また「新しい」「まちづくりと市民福祉教育」の推進を図ることは難しい。その点で、「まちづくりと市民福祉教育」は政治的な課題であり、政治的設定を必要とする。また、それが展開される場は、参加する市民に対して、「まちづくりと市民福祉教育」の意義をいかに受け止めるかが問われ、異なる価値観をもつ多様な人々が共に生きる 「開かれた共生社会」をいかに探求するか(⑥)が問われる「政治的実験場」(207ページ)となる。そこにおいて、多くの市民一人ひとりに、「希望」をつなぐ(①)「まちづくりと市民福祉教育」の推進か図られるのである。留意したい。


【一言】

―「まちづくりと市民福祉教育」の視点から―

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〇 「まちづくり」において「政治リテラシー」(政治的判断力と批判力)は不可欠な要素である。それは、単なる政治的知識の蓄積を意味するものではない。地域の生活課題を主体的・能動的に捉え、解決策を構想する政治的判断力と、既存の制度や価値観、社会状況を多角的・客観的に検証する批判的思考力とを指すものであり、民主的な合意形成に不可欠な要素である。こうしたリテラシーの習得は、社会を合理的に変革しようとする能動的・啓蒙主義的主体としての側面と、地域の伝統や文化を自覚し、次世代へと引き継ぐ受動的・保守主義的主体としての側面を併せ持つ、「相互作用的主体」を育む営みに他ならない。すなわち、政治リテラシーとは、革新と保守のいずれかに偏ることなく、その緊張関係を内包しながら思考し行動する力である。
〇「福祉はまちづくり」(大橋謙策)であると語られる現代において、その核心は、一人ひとりの「ふくし」を個人の自己責任や自助努力の問題へと矮小化しない点にある。むしろそれは、「みんなが主役」となって社会を変革し、新たな価値を創造する能動性と、「みんなであるもの探し」を通じてその地域に固有の特性や文化を再発見し、未来へと繋ぐ思慮深さの調和によって実現される。この両輪を備えた政治リテラシー、別言すれば革新と保守の動的な均衡があってはじめて、「まち」は単なる居住空間ではなく、主権者としての「市民」が生きる公共空間となる。そこにおいて求められるのが、対立を過度に回避するのではなく、多様な意見や価値観を社会の活力として受け止め、共生の地平を切り拓こうとする「市民福祉教育」である。しかもそれは、一過性の静的な取り組みではなく、社会の内側から動かし続ける、不断に展開される実践的な運動として構想されなければならない。

阪野 貢/阪野ブックレット 「言説」考 福祉教育と教育福祉とまちづくり

 


 

目 次

 


新美一志

福祉教育における「当事者性」と「相互主体性」に関する一考察

―松岡広路、阪野 貢、鯨岡 峻の言説をめぐって―

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はじめに

〇超少子高齢・人口減少・多死社会と評される現代社会は、少子高齢化の進展をはじめ、貧困や社会格差の拡大、SNSトラブルの多発、環境破壊や災害の激甚化、グローバル化の進行、ダイバーシティ(多様性)の推進などによる複雑・多様な社会福祉問題に直面している。このような状況において、個々人がそれらの問題に主体的・自律的に関与し、共生社会を築き上げていくための教育、すなわち「福祉教育」の役割は一層その重要性を増している。この文脈において、「当事者性」と「相互主体性」という2つの概念は、福祉教育の理念と実践を深く規定する核心的な要素として位置づけられる。当事者性は、ある問題に直面する個人の経験や視点を尊重し、その問題への意識的な関与を促すものである。相互主体性は、他者との関係性のなかで自己と社会を認識し、共に課題解決を図る姿勢を育む基盤となる。

〇本稿では、福祉教育におけるこれら2つの概念の重要性を踏まえ、「当事者性」を説く松岡広路、「当事者性」や「他者性」に言及する阪野貢、そして「関係発達論」を提唱する鯨岡峻の3氏の言説を検討する。すなわち、それぞれの概念に対する3氏の独自のアプローチを明らかにし、それを通して福祉教育における当事者性と相互主体性の多角的な理解を深め、今後の実践と研究に資する知見を得ることをめざす。

Ⅰ 福祉教育における「当事者性」の概念と意義

1) 当事者性の概念規定と歴史的背景

〇「当事者」という言葉は、一般的には、ある問題に直面している人々を指すものとして理解される。「当事者性」という言葉は、単に問題に直面しているという事実だけでなく、その問題への関わり方や意識のあり方を質的に表現する概念である。例えば、障がい者の問題について言えば、障害のある人やその家族は第一義的な当事者として認識される。しかし、障害の社会モデルの視点から見れば、障害は個人の特性に起因するものではなく、社会の構造や環境が作り出す問題であるため、社会全体がその問題の当事者であると捉えることができる 。

〇中西正司・上野千鶴子は、その著書『当事者主権』(岩波新書、2003年10月)において、当事者を「ニーズを自覚している人たち」と規定した。この規定は、本人のニーズを専門家などの他者が本人に代わって規定することを許さないという立場から、重要な意味を持つ。しかし、この規定には、社会的な問題を特定の人に固有の問題として囲い込む「当事者/非当事者」という二項対立を生む危険性や、自覚していない当事者の存在を軽視あるいは無視してしまう可能性が指摘されよう。

〇福祉教育における当事者性は、単に問題に直面している事実だけでなく、その問題に対する当事者意識を持ち、課題解決に向けて自覚的に行動していく過程として捉えられる。この認識は、社会的格差と不平等、社会的分断と排除などが拡大・深刻化する現代社会の危機的状況を背景とする。そのような状況下で、社会の矛盾を的確に把握し、変革への道筋をつけることができるのは、先ずは不利益を意識化している人たち、すなわち自分たちの生命や生活が脅かされている人たちである。そして、彼らの主張に耳を傾け、共感し、連帯・協働(共働)することは社会の正義であり責務であるという認識が、当事者性の重要性を一層高めることになる。

2) 松岡広路の当事者性論:相対的尺度としての理解

〇松岡広路は、当事者性を固定的な実体概念としてではなく、より動的かつ関係的な視点から捉える。松岡によれば、当事者性とは「個人や集団の当事者としての特性を示す実体概念というよりも、『当事者』またはその問題的事象と学習者との距離感を示す相対的な尺度」、「『当事者』またはその問題との心理的・物理的な関係の深まりを示す度合い」と規定される(松岡広路「福祉教育・ボランティア学習の新機軸―当事者性・エンパワメント―」『日本福祉教育・ボランティア学習学会年報』Vol.11、万葉舎、2006年11月)。

〇松岡の研究テーマは、ジェンダー、子育て支援、インクルージョン、地域福祉、共生など多岐にわたり、松岡の当事者性論はこれらの広範な領域における関係性の深化を志向するものである。また、当事者性を相対的な尺度として捉える松岡の視点は、福祉教育において極めて重要な意味を持つ。この視点は、当事者性を固定的な属性としてではなく、学習者の問題、あるいは当事者との関係性の深まりとして認識することを促す。これは、学習者が非当事者から当事者へと一方向的に変化するのではなく、多様なレベルでの関与や理解の深化を許容する柔軟な枠組みを提供する。この相対的な理解は、学習者が自身の問題への関わり方を内省し、他者の経験を多角的に理解する余地を生み出すのである。

〇また、松岡の言説は、従来の当事者/非当事者という二項対立的な思考が持つ硬直性を緩和し、グラデーションのある関わり方を促進する効果が期待される。これにより、学習者が「自分は当事者ではないから」という理由で社会福祉問題から距離を置くことを防ぎ、誰もが何らかの形で問題に関わる可能性を提示する。こうした当事者性の相対的理解は、学習者の心理的・物理的距離感の意識化を促し、多様な関わり方の模索と受容へと繋がる。そして、結果として社会福祉問題への関与・参加の障壁の低減に貢献する。すなわち、インクルーシブな社会を形成するうえで、個々の住民・市民が自身の立ち位置を自覚しつつ、他者の当事者性を尊重し、共に行動するための基盤となる。そして、福祉教育において、学習者が当事者の経験を追体験するだけでなく、自身の生活のなかでの当事者性を発見するきっかけを提供し、エンパワメントへと繋がる可能性を秘めているのである。

3) 阪野貢の当事者性・他者性論:二項対立を超えて

〇阪野貢は、福祉教育における「共感」と「当事者性」、そして「他者性」という3つの概念に留意し、その相互関係を考察する。そのなかで阪野は、福祉教育における情動的な共感の強要に警鐘を鳴らす。すなわち、アメリカのポール・ブルーム(Paul Bloom)の言説から「共感には善玉と悪玉がある」「共感は道徳的指針としては不適切である」ことを指摘し、情動的共感が時に限定的・排他的なものとなり、他者の固有性を無視した一方的な思いやりにつながる危険性があることを強調する(<雑感>(185)阪野貢/「共感」再考:共感のメリットとデメリット ―山竹伸二著『共感の正体』のワンポイントメモ―/2023年8月23日/本文  )。

〇また、阪野は、当事者/非当事者という二項対立的な思考が議論を硬直化させ、思考停止を生む危険性があると批判する 。そのうえで、当事者が抱える問題は当事者だけで引き受けるべき問題ではなく、現代社会の問題であり、社会全体で引き受けるべきものであるとし、「すべての人が当事者」であるという視点の重要性を強調する。そして、例えば学校福祉教育における障がい者などとの訪問・交流活動の場においては、子どもも障がい者も、教師も施設職員も、それぞれの立場として当事者であり当事者性を持つと同時に、互いに異なる視点・視座を持つ他者であるとする。そして、この訪問・交流の場で問われるのは、子どもと障がい者の「知識と経験」、教師と施設職員の「専門性と経験」の「相互補完性」であると強調する。ここでいう「経験」は、「体験」が行為そのものを指すのに対し、それを通して得られた気づきや学び、知識や技能・技術などの総体を指す(<雑感>(223)阪野貢/再掲/福祉教育における「共感」と「当事者性」 ―ワンポイントメモ―/2025年2月10日/本文)。

〇こうして、阪野の、すべての人が当事者であるという主張は、当事者性の概念を個別の問題から社会全体の問題へと拡張するものである。これは、社会福祉問題が一部の「困っている人」の問題ではなく、社会構造全体の問題であるという社会モデルの視点を強く反映している。とともに、他者性の認識を強調することで、画一的な共感の押し付けを避け、異なる視点を持つ他者との対等な関係性のなかで相互理解を深めることの重要性を示唆している。阪野の議論は、当事者性を問題への関与の度合いとして相対化する松岡の視点をさらに発展させ、社会全体を当事者として捉えることによって、福祉教育の対象と責任範囲を広げるものである(「包括的福祉教育」とでも言えようか)。また、情動的共感の限界を指摘し、他者性を尊重する姿勢は、相互主体性の基盤となる「対等な関係性」の構築に不可欠なものである、と言えよう。

〇別言すれば、阪野の言説では、当事者/非当事者という二項対立の批判から、すべての人が当事者であるという認識の深化、そして他者性の尊重と相互補完性の重視へと繋がることで、より包括的で対等な福祉教育実践の実現が期待される。この思想は、福祉教育が単に弱者支援の知識を教えるだけでなく、社会全体の問題として福祉を捉え、多様な人々がそれぞれの立場から社会変革の主体となることを促す、より主体的・自律的で包括的な福祉教育へと進化すべきであるという強いメッセージを含んでいる。阪野が基本的・継続的に追究する「まちづくりと市民福祉教育」のねらいや意義はここにある。また阪野は、特に「対話」や「共働」、「リフレクション」などを通じて知識や技能・技術を習得・共有することの重要性を強調しており、これは相互主体性の実践的側面を明示するものでもある。

〇以上を要するに、松岡と阪野の当事者性論を対比すると、こうである。松岡は学習者の視点から見た当事者との距離感という相対性に焦点を当てる。阪野は社会全体が当事者であるという視点と他者性の重要性を強調する。両者の言説は一見異なるが、共通して当事者/非当事者という固定的な二項対立を乗り越えようとする志向がみられる。松岡は学習者の内的な関係性の深化を、阪野は社会的な関係性における相互補完性を重視しており、これは当事者性理解の多層性を示唆する。そして、このような異なる視点・視座の提示は、概念の多義性を認識させるとともに、福祉教育実践における多様なアプローチの可能性を示唆するものでもある。この対比は、福祉教育が単に、当事者が抱える日常的な生活問題や苦悩などを理解するに留まらず、学習者自身の立ち位置を問い直し、社会全体で問題解決にコミットする当事者意識を育むための多様な道筋があることを示している。また、情動的共感に依存しない、より客観的で相互関係性に基づいた当事者性へのアプローチの必要性を浮き彫りにしている、といえよう。

Ⅱ 福祉教育における「相互主体性」の概念と意義

1) 相互主体性の概念規定と関係性への視点

相互主体性」は、複数の主体(人間)が互いを単なる対象(客体)としてではなく、主体性を持ったそれぞれの存在として認識し、互いに影響し合うなかで形成される関係性や、その関係性のなかでの自己認識のあり方を指す概念である 。福祉教育において相互主体性の議論が重視されるべき根拠は、次のようなところにある。①福祉教育は、障害の有無や背景に関わらず、すべての人が地域社会の一員として尊重され、多様なつながりを再生・創造する共生社会の実現をめざす。②福祉教育は、地域住民が社会福祉問題を「自分ごと」として捉え、その課題解決に主体的・自律的に取り組むことを促す。③福祉教育では、すべての地域住民がその年齢や立場を超えて相互に学び合う関係性が重視され、多様な主体が関わるなかで新たな価値が創出され、地域社会の変革(「まちづくり」)へとつながる実践が意図される、などがそれである。すなわち、福祉教育における相互主体性の追求は、従来の、主体が客体に一方的に働きかける対立的なモデルから脱却し、主体と主体の関係性が重視される、すなわち誰もが主体性を持ち、互いを尊重し、共に学び、共に生きる社会を築いていくための重要なアプローチである。

2) 鯨岡峻の関係発達論と相互主体性:人間理解の深化

〇鯨岡峻は、従来の発達観である個体能力主義に対し、「育てる者―育てられる者」の相互的なやり取りのなかで両者が生涯に亘り変容していく過程として人の育ちを捉える「関係発達論」を提唱する。そこでの重要な概念のひとつが「相互主体性」(intersubjectivity)である。鯨岡にあっては、相互主体性は、多面多肢的な概念であるが、「間主観性」「共同主観性」「相互主体性」の3つの意味がある。「間主観性」(間主観性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」のそれぞれ独立した主観が、互いに異なることを認めつつ、両者の主観(「私」は「あなた」の主観、「あなた」は「私」の主観)が部分的に共有され理解される状態をいう。すなわち、「私」と「あなた」の「共感」の基盤となるものである。「共同主観性」(共同主観性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」がある目標や体験を共有するなかで、あたかもひとつの主体であるかのように振る舞い協働することをいう。すなわち、「私」と「あなた」の共通の目標設定や価値観の共有、さらには集団としての合意形成に繋がるものである。「相互主体性」(相互主体性の意味でのintersubjectivity)とは、「私」と「あなた」が主体としての存在そのものを深く認め合い、影響し合い、共に変容していく、より能動的で発展的な関係性をいう。すなわち、その過程を通して、「私」と「あなた」が共に新たな主体性を形成し、「私は私」という閉塞的な主体から「私は私たち」という開放的な関係性へと開かれることになる。要するに、間主観性は最も根源的な心の通い合い(共感)を、共同主観性は共通理解と協働の基盤を、そして相互主体性は自己と他者の境界を超えた関係性のなかでの変容と成長を示唆するのである(鯨岡峻『ひとがひとをわかるということ―間主観性と相互主体性―』ミネルヴァ書房、2006年7月)。

〇鯨岡が相互主体性に与える3つの意味は、単なる共感や理解を超えた、より動的で生成的・共働的な人間関係のあり方を示している。特に、相互主体性が「私は私」から「私は私たち」への変容を促すという点は、福祉教育がめざす共生の深い意味合いを提示する。これは、個人の自立だけでなく、他者との関係性のなかで自己を再構築し、共に生きる力を育むという福祉教育の目標に直接的に貢献するものである。鯨岡の理論は、発達を固定的な能力獲得ではなく、関係性のなかでの絶え間ない変容と捉える。この視点は、福祉教育において、子どもや障がい者などを「未完成な」あるいは「不完全な」存在と見なすのではなく、共に学び、共に成長する「相互理解」と「相互変容」のプロセスとして捉えることを促す。これは、阪野が説く相互補完性に通底するものである。

Ⅲ 松岡・阪野・鯨岡の言説にみる当事者性と相互主体性の統合的考察

1) 各言説の共通点と相違点:概念の多層的理解

〇松岡・阪野・鯨岡の各言説を統合的に考察すると、福祉教育における当事者性と相互主体性に関する多層的な理解が浮かび上がる。

〇共通点としてまず、3氏ともに、当事者/非当事者といった固定的な二項対立的な思考や、一方的な支援関係からの脱却をめざしている点が挙げられる。松岡は当事者性を相対的尺度として捉え、阪野はすべての人が当事者であるという視点と他者性の尊重を強調し、鯨岡は「私は私」という閉塞的な主体観から「私は私たち」への主体変容を説くことで、いずれも従来の枠組みを超えようとしている。次に、福祉教育に関連づけて言えば、個人の内面だけでなく、他者との関係性のなかで主体性や人間理解が深まることを重視している点も共通する。松岡の「距離感の深まり」、阪野の「相互補完性」、鯨岡の「関係発達論」は、いずれも関係性が教育的営みの核心にあることを示唆する。さらに、3氏の議論は、単なる概念論に留まらず、実際の福祉教育やフィールドワーク実践からの示唆や、実践への応用可能性を意識している点も共通している、といえよう。

〇相違点としては、当事者性の捉え方に違いが見られる。松岡が学習者と当事者との心理的・物理的距離感に焦点を当てるのに対し、阪野は社会全体が当事者であるという視点から、より広範な社会的責任と他者性の認識を強調する。鯨岡は関係発達論という発達心理学的な視点から、人間関係における深い心の交流と相互変容のプロセスを多層的に分析する。一方、阪野は、福祉教育実践論のなかで、対話や共働を通じた相互補完性やエンパワメントの実現を相互主体性の実践的側面として位置づける。松岡の言説は、共生やインクルージョンについての論究から、相互主体的な関係性の構築を前提としていると解釈される。

〇3氏の議論を重ね合わせると、当事者性は個人の内面的な意識や関与の度合いを指し、それが相互主体性という他者との関係性のなかで深化し、変容していく動的なプロセスとして捉えられる。つまり、当事者意識が芽生えることで他者との関わりが始まり、その相互作用を通じてより深い相互主体的な関係が築かれ、それがさらに個人の当事者性を再構築するという循環的な関係が見出される。松岡の相対的な当事者性、阪野のすべての人が当事者であるという視点と他者性、そして鯨岡の「私は私たち」への変容は、それぞれ異なる角度からこの動態的な関係性を捉えるものである。松岡は「入り口」としての当事者性の相対的な深まりを、阪野は「広がり」としての社会全体への当事者性の拡張と他者との対等な関係性を、鯨岡は「深化」としての相互変容のプロセスを描いている、と言えようか。

〇以上のように、松岡の当事者性の意識化から、阪野の他者性(他者との関係性における自己と他者の認識)、そして鯨岡の相互主体性(相互作用を通じた主体変容)へと繋がることで、より包括的な当事者意識の醸成と共生社会の実現が期待される。それはすなわち、「当事者性」と「他者性」と「相互主体性」の各概念は、それぞれが独立して存在するのではなく、互いに影響し合い、補完し合う関係にあるといえる。そして、こうした統合的な理解は、現代の社会福祉問題が複雑化・多様化さらには多層化するなかで、福祉教育は個人の単なる意識変革に留まるものではない。個人の内面的な変容(当事者性の深化)と他者との関係性における質的向上(相互主体性の構築)、そして社会構造への働きかけ(社会変革の促進)を同時にめざすべきである、という複合的な目標を明確にするものである。従ってそれは、単一ではなく、多角的な理論的・実践的アプローチが求められることになる。

2) 福祉教育実践への示唆と今後の研究課題

〇松岡・阪野・鯨岡の各言説を統合的に考察することで、福祉教育の実践と今後の研究における重要な方向性が導き出される。

〇まず、福祉教育実践への示唆として、当事者性の多層的理解の促進が挙げられる。学習者が自身の生活のなかで当事者性を発見し、他者の当事者性を相対的に理解する機会を提供することが重要となる。単なる社会的弱者としての当事者理解に留まらず、すべての人が当事者であるという視点から、社会全体の問題として社会福祉問題を捉える教育が必要とされる。

〇次に、情動的共感から理性的な他者理解への移行が求められる。安易な情動的共感を強要するのではなく、他者の他者性を尊重し、異なる視点や経験を理性的に理解し、相互補完性を図る教育実践が重要となる(ここで、イギリスのアルフレッド・マーシャル(Alfread Marshaii)が提唱した「冷たい頭と熱い心」(cool head and warm heart )という言葉を思い起こしたい)。さらに、鯨岡が提唱する相互主体性の概念に基づき、相互変容を促す関係性の構築を重視した教育プログラムの開発が不可欠となる。子どもや教師、障がい者や高齢者、保護者や地域住民などが「育てる者―育てられる者」として相互に変容し、共に成長する関係性を重視する視点を取り入れることで、より深遠な学びが期待される 。

〇さらに、阪野が強調する対話、共働、リフレクションなどを教育プロセスに積極的に取り入れ、それを通じた主体形成を促進することが重要となる。当事者や多様なステークホルダーが共に知識や技能・技術を獲得・共有し、それを利活用する場を創出することは、地域福祉における住民主体とその育成の推進にも繋がる 。

〇これらの点は、現代の福祉教育が単に知識の伝達や技能・技術の取得に留まらず、学習者の内面的な変容、他者との関係性の質的向上、そして社会全体のシステム変革を同時にめざすという、より包括的な役割を担っていることを示している。松岡・阪野・鯨岡の言説は、この複雑な役割を果たすための多面的な視点を提供している、といえよう。

〇今後の研究課題としてはまず、当事者性と相互主体性の動態的関係性の実証的研究が挙げられる。松岡・阪野・鯨岡の言説が示唆する当事者性と相互主体性の循環的・動態的関係性を、実際の福祉教育実践においてどのように測定し、実証していくかという課題である。特に、例えば外国籍の子どもや地域住民との多文化共生や、多様なニーズを持つ子どもたちとの交流活動における当事者性と相互主体性の関係を深掘りする研究が期待される。

〇次に、阪野が規定する「経験」(体験を通して得られた気づきや学び)の質をどのように評価し、それが当事者性や相互主体性の深化にどのように寄与するのかを、人々が語る物語(ナラティブ)の分析や質的調査などを通じて明らかにする必要がある 。

〇さらに、AIやオンラインコミュニケーションが普及するなかで、当事者性や相互主体性の概念がどのように変化し得るのか、新たなテクノロジーが福祉教育における関係性構築に与える影響等についての考察も必要となる。

〇またさらに、これはすでに自明のことであるが、地域福祉やまちづくりにおける住民主体を掲げながらも、地域住民の多くが無関心であったり、差別や偏見を抱く現実に対して、当事者性と相互主体性の視点からどのようにアプローチし、より多くの人々を福祉教育(阪野が言う「まちづくりと市民福祉教育」)に巻き込むことができるのか、実践的な研究が求められる。

〇以上の諸点は、福祉教育実践・研究を 単なる机上の空論ではなく、複雑化・多様化さらには多層化する現代社会において、福祉課題の解決に貢献し、未来の福祉教育の方向性を指し示すものとなろう。特に、情動的共感に依存しない理性的な他者理解、相互変容を促す関係性の構築、そして対話と共働を通じた主体形成を重視した福祉教育実践を展開していく必要がある。そして、「当事者性」と「相互主体性」という概念は、個人のエンパワメントから社会全体の共生文化の醸成に至るまで、幅広い実践領域において不可欠な要素である。この点を改めて強調しておきたい。


新美一志

福祉教育の理論と実践と研究に関する一考察

―大橋謙策と阪野 貢、原田正樹の言説をめぐって(素描)―

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老爺心お節介情報/第78号(2025年12月22日)

「老爺心お節介情報」第78号

地域福祉研究者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

皆さんお変わりありませんか。私は元気に過ごしています。
今年最後の「老爺心お節介情報」を送ります。
皆さん、風邪やインフルエンザに罹患しないよう気を付けて、
佳いお年をお迎えください。
本年もいろいろお世話になりました。お礼申し上げます。
年賀状は、今年の賀状で書きましたように、「賀状仕舞い」をしました。
悪しからずご了承下さい。

2025年12月22日  大橋 謙策

〇皆さんお変わりありませんか。寒暖の差が激しい気候ですが、風邪やインフェルエンザにはくれぐれも気を付けて、佳いお年を迎えましょう。
〇私の方は、今年も「草の根の地域福祉実践」を励ますべく、全国各地を東奔西走しました。
〇“地域づくりにはよくて10年は掛かる”と教えられ、焦ることなく「関係人口」として関わっていこうと思いつつも、老い先長くない私はどうしても焦って、システムづくりや研修をしがちになっています。
〇今の現役の大学教員は、社会福祉士教育の制約もあるのでしょうか、「関係人口」として「地域づくり」に丁寧に関わる教員が減ってきているように思えます。このような状況で市町村の地域福祉実践は豊かになるのだろうかということも私の“悩みの種”です。
〇他方、今年は嬉しいことが2つありました。
〇第1は、日本社会事業大学の学部、大学院での教え子の金玄勲さん(現在社会福祉法人幸福創造の理事長で、ソウル市社会福祉協議会会長)が、11月末の韓国社会福祉協議会会長選挙で、相手候補者にダブルスコアで勝ち、当選したことです。
〇私と2005年頃に「団子3兄弟」を誓った韓国社会福祉学会の元会長である金聖二先生、同じく李世哲先生が多大の応援してくれたとのこと感謝とお礼の申し上げようがありません。人のつながりのありがたさ、嬉しさを改めて実感しました。
〇第2は、日本社会事業大学、東北福祉大学大学院での教え子である大石剛史さんがSOMPO福祉財団賞を受賞することが決まったとのこと、“教師冥利に尽きる”朗報です。

忙しき 仕事仕舞に 冬至かな
山茶花に 潤い見出す 乾き街
年の瀬の 香り漂う 散歩かな
玄冬夜 轟くバイク 何を問い
(兼喬作)

(2025年12月22日)

Ⅰ 本を読んで―「関係人口」のあり方を考える

〇本屋大賞を受賞した『過疎ビジネス』(横山勲著、集英社新書、2025年7月)を地域福祉研究者は是非読んでください。
〇仙台に本社がある新聞社・河北新報の記者が、企業版ふるさと納税を悪用して小さな町を食い物にするシンクタンクの事例を取り上げた内容です。
〇地方の小さな自治体は、人口減少、趙高齢化の中で必死に打開策を見出そうと頑張っています。しかしながら、役場の職員の不足、情報収集能力の不足、企画立案力の弱さがあることは残念ながら事実で、そこに付け込んだ手口です。
〇我々、地域福祉研究者も、地方自治体の地域福祉計画づくりや地域づくりで関りを持つ「関係人口」の一員です。市町村とどのような関わりをもちながら、その市町村の地域福祉の推進に貢献できるのか、改めて考え直しました。
〇地域福祉研究者の地域づくりに関わる「関係人口」のあり方を考えないと一種の研究倫理に違背することにもなりかねません。

Ⅱ 大石剛史著『ケアリングコミュニティの理論―社会福祉の新しい地平を拓く地域福祉のメタ理論』(学文社、2024年9月刊)がSOMPO福祉財団賞を受賞

〇筆者の日本社会事業大学時代の学部生で、修士課程でも指導した大石剛史さんは、国際医療福祉大学の教員時代に東北福祉大学大学院の博士課程に進学し、筆者の下で博士論文を書いて、博士の学位を取得しました(大石剛史さんは2024年度から東北福祉大学教員、日本地域福祉研究所理事)。
〇大石剛史さんの博士論文は、筆者が1990年代から提唱してきているケアリングコミュニティについて、ノディングスやバナーのケアリング理論、あるいはハーバーマスの考え方、小林正弥や広井良典の考え方などと比較しつつ、ケアリングコミュニティ理論を深めてくれました。
〇その博士論文を整理して刊行された本が標記のものです。その著書がSOMPO福祉財団賞を受賞したとのこと大変嬉しい限りです。
〇筆者は、三浦文夫先生の後を継いで2代目のSOMPO福祉財団賞選考委員会の委員長を仰せつかっていました。この財団賞は日本社会福祉学会の「学会賞」よりも歴史が古い賞です(社会福祉学会の「学会賞」は、筆者が日本社会福祉学会の会長の時に、学会創設50周年を記念して2004年に創設したものです)。
〇財団賞の選考の方法はしっかり体系化されたもので、選考委員長として緊張をした選考過程を思い出します。
〇授賞式は、2026年3月10日に行われるということです。財団賞には、副賞としてフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」の七宝焼きが贈られるはずです。

Ⅲ 『「そのときの出逢いが」―私の生き方、考え方に影響を与えた人との出逢い』④

1. 1980年代前半―「福祉教育論」の体系化と「地域福祉活動指導員養成課程」

〇筆者が日本社会事業大学専任講師として採用されたのは、小川利夫先生の後任枠であったので、担当科目は教育原理、社会教育論で、かつ教職課程の責任者としてであった。
〇当時、地域福祉論、コミュニティオーガニゼションは鷲谷善教先生が担当されていた。鷲谷善教先生が、1980年3月に定年退職をされた機会に、筆者がその科目を担当することになり、文字通り「社会教育と地域福祉の学際研究」の科目を担当することになった。そして、この時には、助教授への昇格(1977年)も認められていた。

➀全国社会福祉協議会の「福祉教育委員会」

〇1980年、全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センターは「福祉教育研究委員会」を設置した。その委員長に筆者は任命された。それは多分、「ボランティア基本問題研究委員会」での言動や、『月刊福祉』に「福祉教育の視点と方法」(1979年3月号)という論文を書いていたからであろう。
〇福祉教育のあり方を巡っては、日本が1970年に高齢化社会に入ったことを受けて、東京都社会福祉協議会や大阪府社会福祉協議会で、一番ケ瀬康子先生や岡村重夫先生等が中心になって研究が行われ、研究報告書が出ている。その二つの報告書は、いずれも高齢化社会に入った日本の介護問題への理解の促進と必要な人材の養成確保という視点が濃厚にあった。
〇筆者は、それらの福祉教育に関する報告書を尊重しつつも、そのような“〇〇のための福祉教育”という発想ではなく、教育基本法の理念(➀世界の平和と人類の福祉に貢献する力の習得、②個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成の具現化)に、福祉教育が必要不可欠であると考えたからである。
〇当時の教育界では、人権教育、同和教育、平和教育、道徳教育など教育基本法の理念の具現化につながる教育実践、教育課程として位置づけられており、それなりに実践されてはいたが、それらはやや言語的理解に基づくものであった。
〇当時、筆者たちが指摘していた子ども・青年の発達の歪み(➀社会的有用感の喪失、②集団への帰属意識、準拠意識の希薄化、③成就感、達成感の欠如、④対人関係能力、自己実現表現能力の不足、⑤生活技術能力の不足)を改善するのには、言語的な理解の促進以上に、障害を有する人や高齢者等、普段日常的に接する機会が少なくなってきていた方々との交流とその方々への支援に関わるという“切り結び”の中で自己肯定感や社会的有用感が高まると考え、福祉教育の必要性を提起した。
〇そのような取り組みがなくて、高齢化社会の理解、人材確保という視点が先行した福祉教育の必要性をのべても説得的でないと考えた(『青少年のボランティア活動』全国社会福祉協議会・全国ボランティア活動振興センター編、1984年、全社協刊参照)。
〇「福祉教育委員会」の設置を打診された際、筆者は➀子ども・青年の発達の歪みとの関りで、学校教育と福祉教育、②学校外教育の組織化と福祉教育のみならず、③社会福祉専門職養成の在り方としての福祉教育、④成人の地域づくり、生涯学習と福祉教育も視野に入れて議論を進めるべきであると考え、委員の構成もそれらを勘案して欲しいとお願いをした。
〇その結果、「福祉教育研究委員会」の委員は、臼井孝(高校教員)、近藤正(淑徳短期大学助教授)、牧恒夫(栃木県社会福祉教育センター主幹)、阪野貢(宝仙学園短期大学助教授)、興梠寛(日本青年奉仕協会事務局次長)、山田秀昭(全社協・のちに全社協事務局長、常務理事)、木谷宜弘(全社協)で構成された。
〇牧恒夫(栃木県社会福祉教育センター主幹)さんに委員になって頂いたのは、この頃各都道府県で社会福祉研修所の充実強化が図られており、栃木県は県職員の大友崇義さんの思いもあり、かなり本格的な検討・構想で整備されていた。その社会福祉研修センターの一翼に専門職の研修のみならず、成人の社会教育の分野での福祉教育も、就学中の子ども・青年の分野でも福祉教育を入れて、推進してもらいたいと考えたからである。
〇この頃、筆者は青森県社会福祉研修所(青森県庁には日本社会事業大学の卒業生が沢山おり、野上四郎、秋田谷秀敏、中村晃、三浦裕の各氏には特段のお世話になった)、秋田県社会福祉研修所(大泉哲子日本社会事業大学卒業生)、山口県社会福祉研修所(山本圭介日本社会事業大学卒業生)などに良く招聘されていたので、社会福祉専門職の研修体系の必要性は重々理解していたが、その一翼に成人向け、子ども・青年向けの福祉教育を加えられないかと考えたからである。
〇阪野貢先生は、日本社会事業大学の後輩で当時面識がなかったが、阪野貢先生が書いた『日本近代社会事業教育史の研究』を読んでおり、社会福祉専門職教育の歴史的考察もさることながら、子ども民生委員制度や社会福祉協力校の歴史的側面を整理しておきたいとお願いし、これ以後まさに畏友としてのお付き合いをさせて頂いている。
〇近藤正先生は、東京都主任社会教育主事の経歴を有しているので、社会教育分野での福祉教育の普及を考えたからである。筆者は、1960年代から東京都教育庁の三多摩社会教育会館の事業の一環として、障害者の学習、スポーツ、レクリエーションの普及と福祉教育との取り組みをしていたし、東京都教育庁の事業である「市民参加・企画による講座」の在り方検討会で、社会福祉コースを担当していたこともあり、お願いをした。
〇この「福祉教育研究委員会」では、小学校、中学校、高校での教育課程の中に、いかに福祉教育を素材論的にも方法論的にも組み入れられるかを検討した。文部省(当時)が10年間隔で改定する学習指導要領の中に福祉教育を組み込むことは容易ではないが、各教科の学習素材として福祉教育に関わる資料や視点を組み込めないか、また障害を有している人との“切り結び”を行う方法はないかを検討した。
〇小学校は主に岩手県教育員会と小学校、中学校は島根県教育委員会と中学校、高校はある意味“一本釣り”で研究委員をお願いした。その際に知り合った山口県三田尻高校の権代敏満先生や島根県松徳女学院の山本寿子先生や静岡県の社会福祉法人天竜会の山本三郎先生、山本睦先生などとはその後も厚誼を続けて、いろいろお世話になった。
〇この「福祉教育研究員会」は、その普及・推進のために全国福祉教育研究セミナーを全国各地で行おうと企画し、その第1回が島根県松江市で行われた。
〇また、「福祉教育研究委員会」の成果は、1984年に『福祉教育ハンドブック』として全国社会福祉協議会から刊行されている。また、この研究の成果を基に、その後光生館から『シリーズ福祉教育講座』(全7巻)が刊行されている。
〇この福祉教育研究は、筆者の「社会福祉と社会教育の学際研究」の具体的成果のひとつであり、社会福祉分野において、福祉教育実践、活動の一つの領域を確立し、体系化させたと自負できるものであった。
〇この研究委員会の成果もあって、若輩なのに佐賀県の社会福祉大会に招聘された(招聘してくれたのは当時の佐賀県社会福祉協議会常務理事の大塚巌さん)。また、島根県社会福祉協議会の山本直治常務理事との交流が始まり、山本直治先生の縁で島根県邑南郡瑞穂町(当時、松江から自動車で3時間かかる町)の福祉教育に関わるようになり、日高政恵さん(後述の全社協主催の「地域活動指導員養成課程」の修了者)と肝胆相照らす仲になる。
〇日高さんは成人向けの福祉教育では、町内の集落ごとに「地域福祉デザイン教室」を開き、いまでいう地区ごとの地域福祉活動計画を策定した。また、町内の小学校で、大山先生などと福祉教育を行うとともに、ご本人は手話講習会の講師を務める等の福祉教育を多面的に展開し、“社会福祉協議会の活動は福祉教育に始まり、福祉教育に終わる”という哲学で社会福祉協議会と福祉教育を推進された(『安らぎの田舎(さと)の道標(みちしるべ)』澤田隆之・日高政恵共著、万葉舎、2000年8月刊行参照)。
〇ちなみに、日本地域福祉研究所主宰の全国地域福祉実践研究セミナーの第1回は、瑞穂町で1995年に行われた。

②全社協「地域福祉活動指導員養成課程」での出逢い

〇全社協は、1979年度から「地域福祉活動指導員養成課程」を始めた。筆者はその第1期から「福祉教育論」を担当した。
〇この養成課程は、全国の社会福祉協議会の職員が履修する通信制の課程で、各教科毎に課題に即してレポートを提出させ、講師が添削をして返却する方法で、講師にとっても負担の大きいものであった。
〇と同時に、この養成課程は期末に1週間の宿泊を伴うスクーリングがある。朝から晩までの講義とグループディスカッションは濃密なもので、履修者相互の交流の深まりもさることながら、講師との関りも濃密になり、筆者にとってはその場で全国各地の地域福祉実践の現状、情報の把握ができる場で、研究者としても貴重な機会だった。
〇更には、夜の酒を通じての懇親の機会は、お互いが一宿一飯の釜の飯を同じくした、地域福祉実践向上を志した“同志”のような気持にさせてくれるものであった。
〇筆者は、この養成講座で知り合った実践家たちにどれだけ教えられたか分からないほどの学びがあり、それが“縁”で各地での地域福祉実践向上に向けた実践研修の機会や地域福祉計画策定、社会福祉協議会の組織経営のコンサルテーション等の機会を頂けた。
〇この「地域福祉活動指導員養成課程」での出逢いがなければ、筆者の地域福祉研究は、空疎な、抽象的なものになっていたことは紛れもない。
〇その養成課程における「出逢い」の一端は、2017年に日本地域福祉学会第31回大会が松山大学で行われた際にまとめられた『地域福祉の遍路道―四国・こんぴら地域福祉セミナーに学ぶ』(2018年刊行)に収録されている拙著「地域福祉実践の真髄―福祉教育・ニーズ対応型福祉サービスの開発・コミュニティソーシャルワーク」に詳しいので参照頂きたい(阪野貢先生主宰の「市民福祉教育研究所」のブログに収録されたている)。
〇沖縄県読谷村の上地武昭さん、香川県琴平町の越智和子さん、徳島県社会福祉協議会(当時)の日開野博さん、白方雅博さん(松山市社会福祉協議会)などとの交流が始まる。
〇上地さんは、その後沖縄大学の教員になるが、沖縄県浦添市の地域福祉計画づくり(浦添てだこプラン)や沖縄県地域福祉実践セミナー、沖縄県中部市町村社会福祉協議会事務局長研修などで一緒に活動することになる。
〇越智和子さんは、琴平町がボラントピア事業を受託した1980年に琴平町へ招聘してくれた。夏の暑い日で、中学校の体育館に約1000人程度が集まる盛況で、体育館にはエアコンもなく、客席の間の通路に氷柱を立てての講演会で忘れられない思い出である。その後、琴平町が「ふれあいのまちづくり事業」を受託する1995年に、当時の町長と尋ねて来られ、それを契機に琴平町及び琴平町社会福祉協議会のコンサルテーションが続くことになる。
〇1997年には、第1回のこんぴら地域福祉セミナーを開催し、ホテルの会場に約600人の住民が参加した。その第1回のセミナーには、島根県瑞穂町の日高政恵さん、岩手県湯田町(現西和賀町)の菊池多美子さん(「地域福祉活動指導員養成課程」の修了者)もシンポジストとして登壇してくれた。
〇このように「地域福祉活動指導員養成課程」で「出逢った」社会福祉協議会職員との関りが筆者の地域福祉実践、研究を育ててくれた。その一人一人の名前を挙げることはここではできないが、改めてこの紙上で厚く感謝とお礼を申し上げる次第である。

③社会福祉とレクリエーション

〇筆者は、1960年代後半から、障害者の学習・スポーツ・レクリエーションに関心を寄せ実践的研究を行ってきた。
〇それは、社会教育法が、全ての国民が社会教育を行えるよう条件整備をすることを法律で謳っているにも関わらず、当時の社会教育では障害者や高齢者の社会教育は殆ど展開されてなく、社会教育法の趣旨に反するのではないかと考えたことと、他方、社会福祉行政における障害者施策の中に、障害者の学習・文化・スポーツ・レクリエーションに関する施策は年1回の運動会以外皆無という状況であった。
〇「社会教育と社会福祉の学際的研究」を志している筆者にとって、これらの状況は看過できない状況であった。
〇このような時代背景もあって、筆者は障害者、高齢者の社会教育の推進について論文も書き、実践も行ってきた。
〇その一環として、1980年代前半に、日本社会事業大学の垣内芳子先生や日本レクリエーション協会の薗田碩哉さん、千葉和夫さん(後に日本社会事業大学教員)と「社会福祉とレクリエーション研究会」を作り、調査研究を行った。
〇この研究活動の一環として、全国の入所型社会福祉施設の実践がレクリエーションの考え方に照らしてどうなのかという視点での調査をおこなった。その際、我々は、レクリエーションの考え方をいわゆる“チイチイパッパをすること“というレクリィエーションではなく、その人の快適な状況を創り出すという視点を大事にし、その人の生活環境を「快・不快」という視点から分析することにした。
〇1981年には、日本レクリエーション協会の機関誌『レクリエーション』(244号)に垣内芳子先生と共著で論文を書いた。垣内先生は、日本社会事業大学で体育とレクリエーションの開講科目を担当していたが、多分、この論文がある意味その後の垣内先生の研究領域、研究方法を変えたのではないかと考えている。
〇「社会福祉とレクリエーション研究会」の成果を筆者は、日本社会事業大学の紀要第34号(1988年3月刊行)に「社会福祉思想・法理念にみるレクリエーションの位置」と題して執筆している。
〇1988年の6月に行われた学校法人日本社会事業大学の理事会に出席されていた阿部志郎先生が、筆者の論文を読んでこういう考え方が必要だと評価してくれたのを思い出す。それは、阿部志郎先生や仲村優一先生等が編者として刊行した『社会福祉事典』にレクリエーションの項目がなく、それを批判したことと、権田保之助の考え方、福祉サービス提供のあり方(入所型施設で提供しているサービスを分節化して、利用者の必要と求めに応じてサービスパッケージの方法で行うことを提唱)に関心を寄せてくれたからである。
〇「社会福祉とレクリエーション研究会」の研究成果は、日本レクリエーション協会が出版社ぎょうせいから3部作として刊行したものの1冊として、1989年4月に『福祉レクリエーションの実践』として刊行されている。

④地域福祉計画―1990年代の市町村社会福祉行政の計画化の先取り

〇筆者は、1976年に拙稿「施設の性格と施設計画」(『社会福祉を学ぶ』、有斐閣、1976年)を執筆した時から、なぜ社会福祉行政には地方自治体ごとの社会福祉施設整備計画、社会福祉サービス整備計画がないのかと問い続けてきた。例え、社会福祉行政が機関委任事務であっても必要な社会福祉施設整備計画は必要ではないかと考えてきた。
〇その考え方は、➀社会教育行政では、市町村の社会教育計画を策定するという考え方があったこと、②1969年の地方自治法の改正で、地方自治体は基本構想、基本計画、実施計画という計画行政を展開することが求められてきたこと、③江口英一先生の指摘を考えるならば、住民は自ら住んでいる地方自治体に対し、住民の生活を守るべき計画行政を推進すること、とりわけ保育所の整備は待ったなしの状況であったことが上記のような論文を執筆するに際しての要因としてあったのかもしれない。
〇いずれにせよ、筆者は1970年代初めからに市町村行政における社会福祉計画の必要性を提起してきた。1979年に執筆した「ボランティア活動の構造図」においても社会教育計画の必要性を位置づけている。
〇筆者が地方自治体の計画行政に携わるのは、1970年に東京都稲城市での「社会教育施設モデルプラン」、社会福祉行政分野では1979年に足利市からの委託を受けて行った「足利市における社会福祉実態調査研究報告書」(日本社会事業大学地域福祉計画研究会刊)を出し、それを踏まえて1980年に「今後の足利市における社会福祉施策について(答申)」に関わったことが始めである。
〇全社協は、1983年の市町村社会福祉協議会の法制化に際し、議員立法ということもあり国会で付帯決議がなされた。その付帯決議の趣旨を踏まえて、市町村社会福祉協議会の力量を高める一つとして、全社協は地域福祉計画を策定することを考えた。それは自治体計画と相互補完的な位置づけの下に、市町村社会福祉協議会の充実強化と地域福祉、在宅福祉サービスの整備を計画的に進めようという考え方であった。
〇全社協の「地域福祉計画」策定委員会は、全社協・地域福祉推進委員会の特別部会として設置され、委員長は山形県社会福祉協議会の渡部剛士事務局長であった。
〇この委員会で、関西地区を代表して委員になった牧里毎治さんと一緒した。この委員会の研究成果は、『地域福祉計画―理論と方法』として1985年に全社協出版部から刊行された。
〇この委員会に置いて、筆者はフォーマルサービスの整備とともに、近隣住民によるインフォーマルケアが必要であることを提起したが、当時の全社協地域福祉部長の石黒チイ子さんが“大橋さん、インフォーマルケアってどういうこと”と質問されたことが鮮明に記憶されている。
〇この委員会が契機となり、牧里毎治さんに依頼されて、日本生命済生会が出版している『地域福祉研究』第12号(1985年)に拙稿「地域福祉計画のパラダイム」を執筆した。
〇このような経緯もあり、筆者は市町村や市町村社会福祉協議会の地域福祉計画策定の重要性を改めて認識し、その計画づくりにおいて地域福祉の視点に基づく新しい社会福祉サービスの開発や新しい地域福祉の視点に基づくシステムづくりを意識的に重視して入れ込んでいくことになる。筆者が、“地域福祉とは新しい社会福祉の考え方であり、新しい社会福祉サービスの提供であり、新しいシステムづくり”なのだという考え方は、この委員会での論議を踏まえたものである。
〇筆者は、この後、全国各地の市町村で地域福祉計画、老人保健福祉計画、生涯学習計画などに携わることになる。その計画づくりが抽象的な絵空事を並べたものでなく、「画に書いた餅」でないことを明らかにするために、その計画で盛られたシステムづくりや求められた実践が計画策定後豊かに展開されたことを確認するとともに、それらの計画内容と実践を広く広めるために本として刊行してきた。
〇その一端が、東京都狛江市社会福祉協議会の「あいとぴあプラン」(『地域福祉計画策定の視点と実践』(第一法規出版、1996年刊)、岩手県遠野市の「ハートフル遠野プラン」(「21世紀型トータルケアシステムの創造」万葉舎、2002年刊)、山口県宇部市の生涯学習・社会教育計画「いきがい発見のまち」(東洋堂企画出版社、1999年刊)、長野県茅野市「福祉21プラン」(『福祉21ビーナスプランの挑戦』中央法規出版、2003年)等である。
(2025年12月20日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(阪野貢、市民福祉教育研究所で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。
阪野貢先生のブログには、「大橋謙策の福祉教育論」というコーナーがあり、その「アーカイブ(1)著書」の中に、阪野貢先生が編集された「大橋謙策の電子書籍」があります。この書籍(大橋謙策研究第1巻~第10巻)は、ブログのフロントページ、右サイドバーの下段にも表示されています。

阪野 貢/「5つの物語」再考―「共感の論理」の再構築と「構造変革の教育」への昇華―

〇本稿は、『5つの物語:その思想とメッセージと覚悟―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―』2025年12月15日/本編、の補遺である。

「共事者」という視点:当事者と傍観者のあいだ
〇人はしばしば、ある事柄に対して当事者か非当事者(部外者、傍観者)かという二項対立に陥りがちである。当事者でなければ口を出してはいけないという自制や、当事者ではないことへの後ろめたさが、人々の関わりを阻害してしまうことも少なくない。小松理虔は、震災の被災地でありながら直接の被害が少なかった福島県いわき市小名浜での出来事や活動から、「中途半端さ」や「共事者」という概念を提唱する。この概念は、特定の専門家や熱心な活動家だけでなく、曖昧な立ち位置にいる多くの市民が「事を共にする」可能性を示唆するものである。自分自身の中途半端さを引き受け、当事者の傍らで関心を寄せ続ける「弱いつながり」こそが、強固な分断を溶かし、多様な人々を結びつける新しいコミュニティ(地域共生社会)の基盤となるのである。ほどよい距離感で関わり続ける「関心の継続」にこそ、新しいコミュニティの可能性があると言えるのである。

「依存」の再定義:依存を豊かにする編集術
〇白石正明や上野千鶴子の言説が示す通り、自立とは「依存先を分散し、豊かにすること」である。これを実現するためには、渡邉雅子が提唱する「多元的思考」を駆使し、現代社会を構成する「経済」「政治」「法技術(法、規範)」「社会」の異なる論理を柔軟に使い分けながら、目の前の困難を個人的な問題から社会的な「編集」(白石)の対象へと転記していく作業が求められる。また、梅川由紀が論じる「ゴミ屋敷問題」にみられるように、社会規範から逸脱した「傾き」を排除せず、その個別の文脈を尊重しながら周りの環境や構成を変える・整えるという作業・行為が肝要となる。そして、小松が説くように、「だれかの悲しみのよそ者」であることを自覚し、その「寄り添えなさ」に向き合いながら細い糸を手繰(たぐ)り寄せるように社会を編み直していくのである。

「共感の論理」の再構築:不可解性の受容
〇奥田知志が提唱する「不可解性」の受容は、他者理解を根底から覆す。人はお互いが「共感不可能」のなかに生きていることを認めることが、真の共生の出発点である。「あなたを完全には理解できないが、共にここにいる」のである。また、小松が説く「共事者」のように、中途半端で曖昧な関わりを許容する緩やかなネットワークを地域に張り巡らすことが肝要となる。このネットワークのなかで、人々は「支援者/被支援者」という二分法的な立場を脱却し、共に事にあたる『共事者』へと変容する。そこでは、「助けること」と「助けられること」が循環し、「受援」が特別な弱さではなく、共生のための作法として共有される。また、渡邉が言う「共感の論理」は、単なる同一化(かわいそうに思うこと)ではなく、相手の背景にある異なる論理を理解しようとする「多元的思考」と表裏一体のものである。それは情動に終わらず、誰もが「助けて」と言い合える社会の土壌を育み、一人ひとりが守られているという確かな安心感へと昇華されるのである。

「構造変革の教育」への昇華:市民福祉教育の視座
〇従来の「福祉教育」は、ともすれば個人の内面や道徳心に訴えかける「思いやり教育」に重きが置かれてきた。しかし、個人の善意のみに依拠するアプローチは、現状の社会構造を温存させ、かえって「助ける側(強者)」と「助けられる側(弱者)」の分断を固定化する危うさを孕んでいる。
〇渡邉が説く「共感的利他主義」(共感に基づく利他主義)は、相手の苦しみや悲しみを「自分ごと」として感じて手を差し伸べる、日本的な倫理観に基づく行動原理である。これは、辺見庸が吐露した「ケアされる側の激しい憤り」とセットで考えられなければならない。「明るいの反対はなーに?」という無邪気な問いかけが、一人の人間の尊厳を「かれらなんか」という枠に押し込める暴力となり得るのである。そこで、辺見がまた指摘した街角の「オババ」に対する無知や無関心を問い直し、不可視化された存在を地域という文脈のなかに再構成(編集)する知性が必要となる。
〇「市民福祉教育」は、単なる「思いやり」や「優しさ」を教えるのではなく、「まち」に暮らす他者の不可侵の尊厳(権利)に触れる際の、震えるような緊張感を教える場であるべきである。すなわち、市民福祉教育は、個人の「弱さ」やさまざまな「依存」を人間存在の普遍的な姿として捉え直す。そして、その条件のままに生きられるよう、白石がいう社会の「分母」(生産性至上主義、自己責任論)を問い直す。そのなかで、新しい価値観を創造する「構造変革の教育」へと昇華させる必要がある。
〇別言すれば、市民福祉教育とは、地域に潜在する「弱さ」を「輝き」に変えるための「社会の編集術」(白石)を習得するプロセスである。 「思いやり」という内面的なアプローチから脱却し、エイジズムや能力主義という社会構造を問い直す権利意識を育むこと。辺見の痛切な叫びや小松の誠実な葛藤を指針として、情動的な「共感」を論理的な「多元的思考」と連携させ、誰もが安心して依存できる「希望のまち(みんながつながるまち)」(奥田)を再設計すること。 「わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる」という確信を、個人の心ではなく地域の「構造」のなかに根付かせること。この構造変革こそが「ふだんの くらしの しあわせ」(阪野)を支える土台となる。こういった新たな「視座」を提示することが、「まちづくりと市民福祉教育」の本質であると言えよう。

備考
2026年1月4日、タイトル『5つの物語:その思想とメッセージと覚悟―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―』を、『草稿「ふだんの くらしの しあわせ」それを編み直す7つの視座―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―』に変更した。

阪野 貢/「ふだんの くらしの しあわせ」それを編み直す7つの視座―「思いやり教育」から「権利と構造変革の教育」へ―

 


 

目 次

 


「ケア」と「編集」:「弱さ」はそのままで、
いまある<傾き>として「輝き」を放つ

―白石正明著『ケアと編集』のワンポイントメモ―

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〇筆者(阪野)の手もとに、白石正明著『ケアと編集』(岩波新書、2025年4月。以下[1])がある。白石は、自身が手掛けた医学書院(出版社)の<ケアをひらく>シリーズで数々の文学賞を受賞した「名物編集者」「スター編集者」、あるいは「名伯楽」(すぐれた資質を持った人を見抜く力のある人物)などと評される。
〇[1]で白石は、「ケア」と「編集」の関連性をめぐって鋭い視点で深く洞察する。その際、白石にあっては、「ケア」と「編集」は問題点や弱点として評価されてしまう個々の<傾き>をそのままにして、その環境や文脈を変える作業・行為をいう。本人(「図」)を変えるのではなく、その背景(「地」)を変えるという意味でソーシャルワーク的である(「ソーシャルワーク的編集」37~38ページ)。
〇また、[1]で白石は、具体的なエピソードをまじえて、「ケア」にまつわる名著を興味深くガイドする。そのなかで、「自立は依存先を増やすこと。希望は絶望を分かち合うこと」(243ページ)、「自立とは依存先が分散されていることである」(61ページ)という熊谷晋一郎の言葉や、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の生きる姿から「ただ生きるために生きればいいんだ」(185ページ)、障害を肯定しても否定しても “いま、ここにわたしがいる” ことは確かであり、「評価より存在のほうが強いのだ」(31ページ)という白石自身の言葉などに、改めてハットさせられる。
〇[1]の根幹に位置づけられる思想のひとつは、北海道浦河町にある精神障がい者の生活拠点「浦河ベてるの家」で実践されてきた「当事者研究」に深く依拠している。次の一文をメモっておく(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

➀困りごとを外在化する:「他者経由のアイデンティティ」の尊重
べてるの家では、主語は「自分」ではなく、病を得た客観的な存在としての「当事者」である。そこに自分自身との距離ができる。そして「語り」ではなく「研究」である。自分の困りごとを自分の外に出して、他人事(ひとごと)のようにそのメカニズムを探るのだ。/そして最大の特徴は、当事者研究は「ひとり作業」ではないことである。必ず複数の仲間とやる。障害者運動の先人が、(親や支援者や周囲の人ではなく)「自分のことは自分がいちばん知っている」という地点から切り拓いたのが「当事者主権」という理念だ。その成果を尊重しつつ、当事者研究は「自分のことは自分がいちばん知らない」という前提からはじめる。だから自分ひとりでやるのではなく、仲間と研究する必要がある。/あえて強調すれば、「これがわたしです」と自分の思う自己像を仲間に提示するのではなく、さんざん語りあったのちに、仲間が自分について持った像を「じゃあそれを自分としよう」と後から自分に取り込む。そんな「他者経由のアイデンティティ」を尊重するところが最大の特徴だとわたしは思っている。(21~22ページ)

〇白石にあっては、当事者研究とは、困りごとを抱える当事者に対して専門家が権威主義的・一方的に治療や矯正を行うのではなく、当事者自身が自らの困難や経験を客観的に「研究」し、専門家や仲間たちとともにそのメカニズムを探求する協働的な営み(協同作業)をいう。この営みの意義は、当事者の障害や病気などについての個人的な経験や思いを、信頼すべきデータとして再定義することにある。そして、「自分のことは自分がいちばん知らない」という前提のもとに、他者との「対話」を通じて新たな自己像を構築することになる。

〇➀に加えて、白石の思想的な核心を成す3つの文章を、重複していることを承知の上でメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。そこに通底するのは、問題そのものを解決するのではなく、その問題に対するマジョリティの「モノサシ」や「背景」「分母」を変える、という考え方である。

➁「弱さ」を解放する:見方を変える行為
マイノリティ(少数派)はマジョリティ(多数派)に認められるべくがんばってきたが、もはやこれまでと諦めてうなだれたときに、足下にまったく違ったモノサシが落ちていた。それで測ったみたら、あーらふしぎ、自分は変わらなくてもモノサシを変えればいいのだった。/ここにはちょっとした発見と感動がある。そうした感動に向けて物事の組み換えを行い、モノサシ、つまり分母を変えることを目指すのが、編集という行為ではないのか?!/世間の常識(分母)から外れた人が、ふたたびその分母に合わせて自らを改変するという努力が強調されやすい。でも自分で変えられること、自分でコントロールできることなんてほんの一割くらいじゃないか? それだけをピックアップして「こうすればできます」と言うのは勝手だが、残り九割はコントロールの外にある。/コントロールできない。そんな自由きわまりない世界に生きていると思うと、深々と息ができるような気がする。(75ページ)

〇白石にあっては、個人の「弱さ」は、生産性や効率性、自己決定や自己責任などを問う既存の「モノサシ」(見方)によって測られ、克服すべき問題や排除の対象として位置づけられてきた。そうした既存の価値観や評価軸(マジョリティの「モノサシ」や「分母」)を問い直し、その転換を図ることによって、弱さは克服すべき問題から解放され、その人の存在を特徴づける個性(<傾き>)として再定義されることになる。すなわち、自分を変える努力ではなく、自分を取り巻く社会の既存のルールや評価基準を変えるという発想の転換こそが、より自由な生き方を可能にする。それは、世間の常識(分母)を問い直し、新しい価値観を創造する「編集」という行為に通じるのである。

➂ケアを編集する:「依存」を転換する視座
健康といわれる多くの人は、(中略)多くの依存先(「依存できる物」「依存できる人」など)を持っている。つまり依存症とは、依存先が一つとか二つとか極めて乏しい人のことであり、言ってみれば「依存症の人は依存が足りない」のである。/弱さや依存は「克服すべきもの」という問題設定のままであれば、弱さは強さに、依存は自立に変更されなければならない。(62ページ)/なんだかんだ言っても、「現在がよくないから、こうしなければならない」あるいは「現在はよくないが、こうすればもっとよくなる」は、どちらも「現在のままではダメ」なのだ。(63ページ)/(依存症の人が)「これしかない」と考えられているところに「こうも考えられる」という別の補助線を出して、その補助線にしたがってこれまで出ている要素を並べ直すと、景色がガラッと変わってくる。/出された問題に答えるのではなく、その問題自体を組み替えてしまうこと。あるいは、与えられた問題の外に出てしまうこと。ここで述べた例についていえば「弱さ」とか「依存」といった克服されるべき問題――なにより当人がもっとも「克服すべき」と思っている問題――に別の光を与えること。/それは編集という仕事そのものだと思う。(63~64ページ)

〇白石にあっては、依存症は依存のしすぎではなく、人や物、仕事や趣味などの依存先(依存できる対象)が少ない状態をいう。その状態を「克服すべきもの」として理解するのではなく、新しい視点・視座(「補助線」)で捉え直すことによって異なった意味や価値を引き出すことができる。例えば、「依存先を増やす」という視点に転換することによって、その人が抱える問題の本質は「依存のしすぎ」ではなく、「依存の不足」であると再定義される。このような「編集」こそが、問題解決の本質であり、「ケア」そのものである。その意味において、「ケア」と「編集」は本質的に類似した行為であると言えるのである。

➃「輝き」を引き出す:背景を変える編集術
(この本の執筆)当初は「ケアと編集は近い」という感覚だけはあったが、どこがどう近いのかはよくわからなかった。そこでいつも著者に言うように「それを探すために書くんですよ!」と自分に言ってみたら、どこかでシフトチェンジが起きたらしく、どうにか書き終えることができた。/今、ケアとは何か、と聞かれたらこう答えるだろう。/「それ自身には改変を加えず、その人の持って生まれた<傾き>のままで生きられるように、背景(言葉、人間関係、環境)を変えること」と。/編集もおそらく似たような行為なのだろう。文章に改変を加えるより先に、その人や文章の<傾き>が輝きに変わるような背景(文脈、構成)をつくっていく作業が編集の本態ではないか。そうしたやり方を、わたしはケアする人たちから学んできた。そして、それ以外の編集のやり方をわたしは知らない。(240ページ)

〇白石にあっては、ケアの利用者や個々の文章が持つ固有の<傾き>(利用者の個性、文章の癖など)を問題点や改変すべきものとしてではなく、その人や文章の重要な特性として尊重し、受け容れる。しかも、そのものに直接的な改変を加えるのではなく、その<傾き>に新たな価値や独自の魅力(「輝き」)が引き出されるよう、その背景や文脈を変える・整えることが重要となる。すなわち、その人や文章の「輝き」を引き出すために、周りの環境や構成を変えるというその作業・行為こそが、「ケア」と「編集」に共通する重要なそれであり、その本質である。

〇白石の思想を端的にいえば、社会的な関係性のなかで形成される「弱さ」の肯定である。そしてその思想は、その「弱さ」を哲学的・実践的に、個人や社会の関係性の源泉として見直し、捉え直すことを促すものである。
〇ここで、以上の視点・視座や言説を「まちづくり」に引き寄せて一言する。白石の思想は、「まちづくり」にも大きな示唆を与える。➀まちづくりは、地域・住民が抱える困りごとを、あたかも他人事のように客観的な「研究」対象として取り扱うことによって、感情に流されることなく、問題の本質やメカニズムを冷静に分析できるようになる。➁まちづくりは、地域・住民の「弱さ」や「課題」を「克服すべき問題」としてではなく、それを「特性」として捉え直し、新しい価値観でそのまちを再定義することによって、より豊かで持続可能なものになる。➂まちづくりは、地域・住民の「克服すべき問題」を新しい視点・視座(「補助線」)で捉え直し、それぞれの「依存先」を分散させる仕組みを創ることによって、地域・住民の課題解決能力を高めることになる。➃まちづくりは、地域・住民の固有の<傾き>(人間関係、環境など)を弱点として消し去るのではなく、それを活かせる背景を「編集」することによって、その魅力を引き出し、創り出すことになる、などがそれである。
〇加えて、白石の「ケアと編集」は、筆者が説く「市民福祉教育」の実践的な方法論を提供しているとも言える。地域・住民が➀自己理解を深める教育の基盤となる。➁福祉的価値観の再構築を促す教育の契機となる。➂支え合いのネットワークを構築する力の育成を図ることになる。➃多様性を尊重する地域づくりの感性を養うことになる、などがそれである。すなわち、市民福祉教育は、地域・住民が「ケア」と「編集」の視点や力を取り戻す、あるいは育むプロセスである、と言えようか。付記しておきたい。


「中途半端さ」と「共事者」が
“弱い紐帯の強み” を生む

―小松理虔著『小名浜ピープルズ』のワンポイントメモ―

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阪野 貢/「不可解性の受容」に基づく「なんとかなる」「希望のまち」づくりの社会哲学―奥田知志著『わたしがいる あなたがいる なんとかなる』のワンポイントメモ―

「生きる意味のない “いのち”」なんて、あってたまるもんか

〇筆者(阪野)はかつて、本ブログに<雑感>(70)「“助けて”と言えない無縁社会」×「“違った意見”が言えない統制社会」:気がつけば民主主義が民主的な手続きによって内側から壊れている―奥田知志を読む―/2018年12月25日/本文 をアップした。今回、久しぶりに、奥田知志の新刊『わたしがいる あなたがいる なんとかなる―「希望のまち」のつくりかた―』(西日本新聞社、2025年8月。以下[1])を読んだ。
〇奥田は、北九州市において、30年以上にわたり生活困窮者支援の最前線に立ち続けてきた。[1]は、その活動の歩みから、支援の現場で培われた思想・哲学、そして誰も取り残さない「まち」をめざす未来への提言までを綴った随筆を集成したものである。それは、北九州市の特定危険指定暴力団の本部事務所の跡地という「怖いまち」の象徴だった場所を、「なんとかなる」「希望のまち」に再生する物語である。
〇いま、孤立と分断、困窮と格差、偏見と差別が常態化している。自己責任や身内の責任が必要以上に強要され、「助けて」と言えない人が増えている。自分だけ良ければいいという「自分病」(79ページ)が蔓延している。そんな構造的な問題を抱える現代社会にあって、奥田が理事長を務める認定NPO法人「抱樸(ほうぼく)」では、人と人との横の「つながり」を大切にし、「出会いから看取りまで」という伴走型支援を実施してきた。そしていま、「誰もひとりにしない」まち、「なんちゃって家族」のまち、「助けて」と言えるまち、の実現をめざして、(「なんとかする」ではなく)「なんとかなる」を合言葉(モットー・哲学)に「希望のまち」プロジェクトの推進を図っている。奥田は言う。「『希望のまち』は、『縦の成長』を羨望しつつも『横の成長』で共存するまちでありたい」(235ページ)。
〇「誰もひとりにしない」まちは、「ハウスレス(経済的困窮)」のみならず「ホームレス(社会的孤立)」の解消を最大の目標とする(174ページ)。「なんちゃって家族」のまちは、「家族機能の社会化」によって、家族でもなんでもない赤の他人が温かく緩やかにつながって日常を共に過ごす新しい家族の形を築く場をめざす(224~226ページ)。「助けて」と言えるまちは、誰もが「助けて」と言え、「助けて」と言われる相互扶助・支援や相互実現の関係性が機能する社会の実現をめざす(240ページ)。そして、「希望のまち」は、「助ける」と「助けられる」という営みが「いいかげん(ちょうど良い加減)」になるなかで創られ、どんな人も取り残すことのない「地域共生社会」を言う(245ページ)。
〇その「地域共生社会」について奥田はこう言う。それは奥田からの愛あるメッセージであり、奥田の確かな覚悟である。

われわれは、お互いが「共感不可能」の中に生きている。それを認めることが「共生」の始まりだ。いわば「共感不可能性の共感」である。/今、世界は「わかりやすさ」を軽薄に求めているように見える。「敵か味方か」「白人か有色人種か」。性的マイノリティーを侮辱し、多様性を否定し、他の民族や文化をヘイトする。「意味のないいのちと意味のあるいのち」と簡単に言う。「わかりやすい分類」は「分断」に過ぎない。/「別の人間」が「別の人間」として共存する。そのとき「別の人間である」あなたを尊重し、出会いを喜ぶことができるか。「わかりにくさ」、つまり「不可解性への耐性」が今求められている。それこそが相互豊穣の契機となる。/抱樸が創る「希望のまち」は「別の人間」が集まる場所。「別人」であることを喜べる場所。自分は自分のまま生きていてよい場所。わかりにくいが、面白い場所。(中略)そんなまちを創りたい。(267~268ページ)

〇およそ以上が、奥田の主張・言説のひとつのポイントである。それを、「まちづくりと市民福祉教育」に引き寄せて一言(別言)しておきたい。
〇奥田にあっては、人はその複雑さゆえに、互いの存在を完全に理解するには限界がある。人を安易に二項対立的に分類したり、ある概念に押し込めることはできない。それぞれが、それぞれの違いを認め合い、理解できないそれぞれの部分も受け入れることが真の「共生」の土台となる。この考え方を市民福祉教育の観点から捉え直せば、真の共生を実現するための市民福祉教育は、この「不可解性」を学ぶ教育でなければならない。その目的は、自分にとって「不可解」な他者を排除せず、その存在を尊重できる市民的資質・能力を育成すること(市民性形成)にある。これは、「多様性」や「共生」を表面上・抽象的に語る姿勢を超え、生きづらさが社会構造的に常態化している現実と対峙することに繋がる。そして、この「不可解性の受容」を出発点として、誰もが生きやすい土壌を地域に耕し、構造的な変革としての「まちづくり」を推進することが、いま、真に求められているのである。「対峙」とはただ向き合うことだけではない。自分をつくり変え(再構築)、まちをつくり変える(再設計)、「創造のプロセス」を言う。
〇奥田はいま、「誰もひとりにしないまち」の実現をめざして、「希望のまち」づくりを進める。建物・施設としての「希望のまち」は、救護施設や交流スペースなどの複合的な機能を内包しながら、「地域の中に施設がある。施設の中に地域がある」(259ページ)という、日常に開かれた空間をめざすものである。この「まち」の重要な機能は、「なんちゃって家族」の関係性の創出であり、「助けて」と言い合えるコミュニティを地域に根差した日常の生活圏で構築することにある。この思想は、特別な活動ではなく、誰もが孤立しない何気ない日常を創り出すことにある。この点を市民福祉教育に落とし込むならば、そのための教育的営為(市民福祉教育)は、特定の施設・機関や活動のなかだけにあるのではなく、日常の生活圏全体を学びのフィールドとして、みんなの生涯にわたる “ふだんのくらし” のなかでこそ育まれるべきものである。
〇また、奥田が言う「なんとかなる」は、無責任・無批判な楽観論ではない。また、「なんとかする」という自己完結的な責任論でもない。それは、「わたしがいる あなたがいる」から「なんとかなる」という、他者への信頼を基盤とし、人と人との関係性(「つながり」)のなかで共同体的な問題解決を志向するものである。市民福祉教育の文脈では、市民一人ひとりが困難に直面した際に、自己責任論に陥ることなく、誰かとつながっていれば「なんとかなる」と信じられる地域的な安心感を醸成する営みと言える。この安心感こそが、誰もが「助けて」と言える「希望のまち」(みんながつながるまち)を築く土台となるのである。

補遺
本ブログの<雑感>(235)に、新美一志/福祉教育における「当事者性」と「相互主体性」に関する一考察―松岡広路、阪野貢、鯨岡峻の言説をめぐって―/2025年6月22日/本文 がアップされている。併せて参照されたい。

全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター/全国社会福祉協議会における福祉教育の推進

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


 

 


出所:2025年11月29日~30日に愛媛県松山市の聖カタリナ大学北条キャンパスで開催された日本福祉教育・ボランティア学習学会第31回えひめ大会において、29日に課題別研究➂として「社協職員の福祉教育実践における価値の言語化~多様な実践の蓄積から紡ぎだす基盤としての価値~」の報告がなされた。本資料は、その際、話題提供された河邉裕子氏(全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター)の報告「全国社会福祉協議会における福祉教育の推進」のレジュメである。

⇨全社協・全国ボランティア・市民活動振興センター「『福祉教育』の推進に向けた検討委員会報告書」2025年11月10日/本編

謝辞:転載許可を賜りました日本福祉教育・ボランティア学習学会と全社協・全国ボランティア・市民活動振興センターに衷心より厚くお礼申し上げます。全社協の河邉裕子さまには格別のご支援をいただきました。記して感謝申し上げます。
市民福祉教育研究所/主宰・田村禎章

阪野 貢/「ごみ屋敷」考:「ごみは、人がごみと認識したときにごみになる。」―梅川由紀著『ごみと暮らしの社会学』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、梅川由紀著『ごみと暮らしの社会学―モノとごみの境界を歩く―』(青弓社、2025年5月。以下[1])がある。[1]では、ごみを単なる解決すべき環境「問題」としてではなく、日常生活に密着した「生活文化」として捉える(「問題としてのごみの研究」から「生活文化としてのごみの研究」へ)。そのうえで、「現代日本の都市部に住む人々にとって、家庭から排出されるごみはどのような存在なのか」を明らかにする(27ページ)。具体的には、「ごみとモノの境界がどこにあるのか、時代によってその境界がどう揺れ動いてきたのか、ごみとモノの価値の違いとは何なのか」などについて、多くの雑誌や資料の分析、ごみ屋敷におけるフィールドワークを通して論述する(カバーそで)。
〇その際、梅川にあっては、モノには、「機能的価値」、「心情的価値」、「可能性的価値」という3つの価値が存在する。「機能的価値」とは「モノがもつ機能面に対する価値」(279ページ)、「心情的価値」とは「モノに与えた個人的な思い出や意味に対する価値」(281ページ)、「可能性的価値」とは「モノを所有することで得られるだろう未来の可能性に対する価値」(282ページ)をいう。モノは、この「3つの価値のいずれか、あるいは複数の価値をもつ対象(物品)」である。一方、ごみは、「モノの3つの価値を失ったもの、あるいは価値を放棄した対象(物品)」である(293ページ)。そして、梅川は、「モノとごみの間に存在し、完全にモノやごみとは言いきれない、あいまいな価値をもつ状態」(54ページ)、別言すれば「モノの3つの価値の一部を有し、一部を失った対象(物品)」(293ページ)として「マージナルな対象(物品)」というカテゴリーを想定する。それは要するに、モノとごみとの曖昧な境界領域(マージナル)に存在する中古品やリユース品などである。
〇また、梅川は[1]で、高度経済成長期の生活様式の変化によってごみと人間の関係、ごみとモノの境界がどのように変化したか、その社会的プロセスを追究する。例えば、掃除機の普及によって、掃除の仕方が「掃き出す」から「吸い取る」へ変わり、チリやホコリがごみとして意識されるようになる。その背景には、住宅構造の変化などがある。冷蔵庫の普及によって、食品を「冷やす」だけでなく「保管」することが可能になり、買いすぎや作りすぎなどによる余剰品を生み出すことになる。その背景には、食の洋風化や女性のライフスタイルの変化、マイカーの普及などがある(181ページ)。また、プラスチック製品の普及によって、モノの「古さ、汚れ、傷」を「味や風合い」ではなく劣化と捉え、使い捨ての行動を加速させることになる(210ページ)。その背景には、大量生産・大量消費の経済システムの確立や、耐久性よりも利便性や衛生・清潔を重視する社会意識の変化などがある。
〇続いて梅川は、こうしたモノとごみの境界が曖昧になり、モノの価値を放棄できない人々が抱える問題として、「ごみ屋敷」問題に焦点を当てて論を展開する。すなわちこうである。1968年には存在していたと考えられるごみ屋敷という現象が、大きく社会問題化したのは2006年頃からである(221ページ)。その問題性については、①防災・防犯機能の低下、②ごみなどの不法投棄の誘発、③火災の発生の誘発、④土壌汚染や水質汚濁のおそれ、⑤病害虫・悪臭の発生、⑥風景・景観の悪化、などが指摘されている(辻山幸宣。224~225ページ)。
〇ごみ屋敷の住人にとって、堆積された物品はごみではなく、上述の心情的価値や可能性的価値を放棄できずにいるマージナルな対象(物品)であるケースが多い。現代社会は物質的な豊かさと情報過多を特徴とし、物品やサービスの効率的な消費や短期間での更新(アップグレード)が絶えず求められる。その結果、たとえそのモノに潜在的な価値が残っていたとしても「価値を放棄する能力」(断捨離や整理能力)が社会的な規範として強く求められている(291~292ページ)。従って現代社会では、ごみ屋敷に堆積するこうしたマージナルな対象を「廃棄物=ごみ」と見なし、公的な介入による処分を促す。また、そのような合理的な行動をとることが「ふつう」と理解され、社会の機能維持に不可欠な規範として作用するのである(294ページ)。
〇すなわち、ごみ屋敷の住人は、現代社会の支配的な価値観(社会規範)、すなわちモノとごみを厳密に区別し(「モノとごみの二極化」303ページ)、廃棄することを前提とする消費社会に対して対抗的に応答する人である。その人がモノの価値を放棄できない要因は、社会的孤立やセルフ・ネグレクト(自己放任)といった生活上の課題、精神疾患(「ためこみ症」)や認知機能の低下などが複合的に絡み合って生じている(226~232ページ)。そして、この問題のより深い背景には、現代社会が抱える大量生産・大量廃棄の構造的な問題が横たわっており、ごみ屋敷は社会のひずみが個人に表れた現象として理解されるべきである。
〇およそ以上が、梅川の主張・言説のひとつのポイントである。ここから、ごみ屋敷の問題は、単なる個人的な迷惑行為ではなく、また単に「ごみを片づける」という表層的な対処に留まるものではない。そこには、その住人の価値観を尊重し、生活に寄り添いながら、生活支援や精神的ケア、地域とのつながりの再構築などを図る「福祉的対応」(238~239ページ)が不可欠となる。そして、持続可能で実効性のあるそのような支援を地域全体で実現するためには、「まちづくりと市民福祉教育」の視点・視座が重要となる。すなわち、「ごみ屋敷」問題は、地域社会全体で支え合うべき「まちづくり」の課題である。とともに、モノとごみに対する社会意識(すなわち生活文化)を変革し、住人に対する偏見やスティグマの解消を図って地域共生社会の基盤を築くための「市民福祉教育」の課題でもあるのである。