阪野 貢 のすべての投稿

防げないオミクロン株と沖縄海兵隊

防げないオミクロン株
恐れていた市中感染が始まった
見極められない感染対策
苦労してここまできたのもつかの間
欧米の感染拡大を見るにつれ
かなり強い感染力で列島を制覇するのも近い
正月明けから2週間後の数値が怖い
結果は緊急事態宣言発令も想定されよう

沖縄は米海兵隊のクラスターに侵される
いまも占領軍気取りでルール無視する者たち
海兵隊員の素行の悪さは評判通りか
検疫対象外で国内も自由に往来する
土も水も空気も海も汚され続ける沖縄は
この先も米国の統制続く占領地
いまも思いやり予算でたかられる
いまはコロナ水際戦線をにたり顔で突破する
泣き寝入りを強要する卑屈な者らは迷惑顔して
怒ったふりしてカタチばかりの抗議で済ます

〔2021年12月25日書き下ろし。来日する米軍兵士は、フリーパスで遊び回る。沖縄の脅威はなくなることはない。国内の米軍基地もその傘下にあり日本政府は制御不能。コロナでさもしい米国とへつらう日本のみじめなつながりがくっきり見える〕

付記
福岡でオミクロン株市中感染 京都、大阪でも新たに5人
福岡県は25日、新型コロナウイルスの新変異株「オミクロン株」に、県内に住む20代男性が感染しているのを確認したと発表した。九州でのオミクロン株確認は初めて。男性に海外渡航歴はなく、感染経路が不明で、市中感染とみられる。25日は福岡のほか、京都府で3人、大阪府で2人の市中感染とみられる事例が新たに確認された。
市中感染は3府県のほか、東京でも確認されている。年末年始の帰省や旅行で人の移動が増え、感染拡大に拍車がかかることが懸念される。
福岡県は26日から県民を対象にした無料のPCR検査を始める。男性は18~20日に大阪や京都などを新幹線で訪問した。(共同通信社2021年12月26日)

たぎる情熱を

逆巻く流れに身を委ねし若者よ
交わした誓いに殉じる若者よ
愚弄されようと立ち向かう若者よ
力の限り人生を切り拓こう

くじけることなく身をたぎらせよ
老獪な生き方を拒み夢をたぎらせよ
無尽に湧き出る創造力をたぎらせよ

新しき人生にいまの決心を刻もう
二人の世界は愛を信じる心が試される
新しき人生に希望を託そう
二人の世界は愛を明日へのパワーに変える
新しき人生に果敢に挑もう
二人の世界は愛の試練を自らに与える

愛するたぎる情熱を決して失ってはならない
音楽へのたぎる情熱を決して失ってはならない
夢へのたぎる情熱を決して見失ってはならない

幸せは二人が感じること
幸せは二人で育て紡ぐこと
幸せは二人で確かめ合うこと
二人に幸あれと祈る

イブの日に入籍した二人に
祝福の詩を贈る

〔2021年12月24日書き下ろし。若者が慎ましく結婚した。逞しく生きてほしいと願う〕

阪野 貢/地域を知り・地域に学び・地域を創り拓く「地域学」と「地域協働教育」 ―山下祐介著『地域学入門』読後メモ―

〇筆者(阪野)の手もとにいま、山下祐介(やました・ゆうすけ。社会学専攻)の『地域学入門』(ちくま新書、2021年9月。以下[1])と『地域学をはじめよう』(岩波ジュニア新書、2020年12月。以下[2])という本がある。山下というと、『限界集落の真実―過疎の村は消えるか?』 (ちくま新書、2012年1月)や『地方消滅の罠―「増田レポート」と人口減少社会の正体』(ちくま新書、2014年12月)を思い出す。
〇人口の高齢化によって「限界集落」はいずれ消滅する(注①)、とその危機が声高に叫ばれるようになったのは2007年頃からである。そして、2014年5月、民間の政策提言組織である日本創成会議・人口減少問題検討分科会(座長・増田寛也)が、減少する若年女性人口の予測から、「2040年までに全国約1800の自治体のうち、そのほぼ半数の896の自治体が消滅する可能性がある」と発表した。いわゆる「増田レポート」である。とりわけ「消滅可能性都市」という言葉は衝撃的であり、大きな波紋を呼んだ。「消滅する」と名指しされた市町村やそこで暮らす人々の不安や恐怖、そして怒りは相当なものであった。
〇そうしたなかで山下は、「高齢化によって消滅した集落」はなく、「限界集落」問題はいわば「つくられた」ものである。増田レポートが説く「極点社会」(大都市圏に人々が凝集し、高密度のなかで生活している社会)におけるひとつの道筋である「選択と集中」は、国家の繁栄のために地方(地域)や農家の切り捨てに帰結する。地方消滅の“警鐘”にこそ地方消滅の“罠”がある、としてそのレポートの「うそ」を暴いた。以後、山下は、生身の人間の暮らしや個々の地域の歴史や現在の実像を明らかにし、そこからの学びの作業を通して「(山下)地域学」を描いてきた。[1] はその集大成である。
〇山下にあっては、地域は人間の生存の基盤であり、「足もとの地域を知ることが、自分を知ることにつながる」。自分の足下にある地域について学ぶこと、それが「地域学」である([1]11ページ)。そこで山下は、地域の実像を、「生命」「社会」「歴史と文化」の3つの切り口(側面)から捉える。「生命」では、環境社会学の視点(視座)から、地域を、一定の環境のなかで育まれる生命の営み(生態)として切り出す。「社会」では、農村社会学や都市社会学、家族社会学の視点から、地域を、そこで展開される人々の集団の営みとして描き出す。「歴史と文化」では、歴史社会学や文化社会学などの視点から、地域を、連綿と続く歴史と文化の蓄積の営みのなかに見出す([1]11ページ)。
〇そして、日本社会はいま、人々の暮らしや地域が「近代化」(「西欧化」)や「グローバル化」によって大きく変容し、「地域の殻が内側からも、外側からも、崩壊する間際にある」([1]300ページ)。そうした「地域を見直し、新たな国家とのハイブリッドとして再生させる」ための「認識運動」([1]301ページ)として山下は、「地域学」を構想する。それは、「地域の殻が破られはじめている」流れに抗(あらが)い、新しい未来を拓(ひら)く「抵抗としての地域学」([1]302ページ)であり、「生きる場の哲学」([1]308ページ)そのものである。
〇[2]は、「中高生、大学初級者向けのもので、『地域学入門』のさらなる導入編」([1]22ページ)である。そこでは、「どの地域にも固有の歴史や文化があり、人々の営みがある。それらを知っていくことで、地域の豊かさ、そして自分や自分が生きる社会、そして未来が見えてくる」(カバー紹介文)として、地域学の魅力を伝える。
〇「地域学」の類似用語に「地元学」がある。地元学を提唱する2人の言説を紹介しておきたい。まずは地元学を代表するひとりである結城登美雄(ゆうき・とみお。民族研究家)のそれである。結城は、「いたずらに格差を嘆き、都市にくらべて『ないものねだり』の愚痴をこぼすより、この土地を楽しく生きるための『あるもの探し』。それを私はひそかに『地元学』と呼んでいる。(中略)『地元学』は都市やグローバリズムへの否定の学ではない。自然とともに生きるローカルな暮らしの肯定の学でありたい」(結城登美雄『地元学からの出発―この土地を生きた人びとの声に耳を傾ける』農山漁村文化協会、2009年11月、2ページ)と説く。結城にあっては、地元学は、「理念や抽象の学ではない。地元の暮らしに寄り添う具体の学」(14ページ)であり、その土地の人びとの声に耳を傾け、そこを生きる人びとの暮らし方や地域のありようを学ぶものである。「美しい村などはじめからあったわけではない。美しく生きようとする村人がいて、村は美しくなるのである」(柳田邦国男)。(下記[3]28ページ)
〇また、地元学のもうひとりの第一人者である吉本哲郎(よしもと・てつろう。地元学ネットワーク主宰)は、「地域のもつ人と自然の力、文化や産業の力に気づき、(それを)引き出していく手法が地域学である」(カバー紹介文)。「自分たちであるもの(モノ、コト、ヒト)を調べ、考え、あるものを新しく組み合わせる力を身につけて(人、地域の自然、経済の3つの)元気をつくることが地元学の目的である」(17、22、38ページ)という。吉本にあっては、暮らしを「つくることを楽しむ」ことが大事であり(32ページ)、地域やまちの衰退は「つくる力」の衰退に起因するものである。その「つくる力」の衰退は、「考える力」の衰退であり、「調べる力」の衰退である(22、23ページ)。
〇ここで、[1] から、また例によって我田引水の誹(そし)りを免(まぬが)れないであろうことを承知のうえで、山下の「地域学」に関する論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「地域」は、固定化された空間ではなく、「私」の立場やものの見方・考え方によって認識される
「地域」はそもそも、誰かが世界の一部を切り取ることによって浮かび上がってくるものである。/何かを切り取らないと地域は出てこない(地域は境界性をもつ)。そして、その「切り取り方」にも色んなやり方があって、それは文脈にもよれば、時代によっても違う(地域は文化性・歴史性をもつ)。/そもそも世界のすべてはつながっている。どこかで切れ切れになっていて、「地域」がきれいに分かれているなどということはない。すべてはつながっているのだが、そのつながっているもののなかから、何らかの固まりを切り出してきたときに「地域」は立ち現れる。しかもそれが、全体の一部でありながら決して断片ではなく、それのみでなお一つの全体でありうるもの、それが地域である(地域は統一性・総合性をもつ)。(13ページ)/「地域」は、互いにつながりあっている世界の中から、何らかの固まりを見つけ、切り出してくる者がいるから「地域」になるのである。地域はだから、その「切り出してくる者」の立場やものの見方によって変わる。その者の見方がしっかりしていれば地域はしっかり示される。逆にその者の見方がぼんやりとしていれば、地域はぼんやりとしか見えないことになる。(13~14ページ)

「地域」という存在を欠き、国家と個人しかない認識は、危うい認識であり生き方である
いまや国民の多くは、空間的にも時間的にも、また暮らしにおいても仕事においても地域から切り離されて存立しており、地域を見出すどころか、地域とできるだけ無縁なまま暮らしている。/多くの人にとっては、日常の中に「地域」を認識しづらい状況にあり、宙ぶらりんな社会の中で、個人が国家やグローバル市場にだけ向き合って暮らしているかのような錯覚が、むしろ一般的な認識となってしまった。/実にちっぽけな一人一人の人間が、実に大きな装置の中で生きるようになっている。暮らしを成り立たせている環境が、広く際限のないものになっている。/こうした装置(や環境)を実際に保持し、また動かしているのは地域である。それは具体的には地方自治体であり、様々な事業体の集積であり、地域社会(村や町内社会)の形をとる。国はただ、これらが作動する条件を整えるのにすぎない。(286ページ)/いまを生きる私たちは、こうした地域のありようを想像力を働かせて再認識せれば、いったい自分がどんな基盤の上にいるのか、まったく気付かないような環境の中に暮らしている。それどころか、一部の人々の視野にはすでに地域は存在せず、国家と個人しかない認識さえ確立されているようだ。だがそれは、すべてを国家に委ね、依存するしかないという危うい認識である。自分がどのように生きているのかもわからぬままただ生きているとすれば、これほど危うい生き方はない。私たちは地域を知るきっかけを取り戻さなくてはならない。(286~287ページ)

専制主義国家であり、民主主義国家でない日本社会を変革するのは、「地域主義」(地域ナショナリズム)である
弱者批判や地方切り捨て、国家の高度武装化、トップの専横の容認や全体主義の礼賛といった言説が、政治学者でも政治家でもないふつうの人々の間で展開されている。そこではどうも、この国の挙国一致体制をさらに進めてより完全なものとし、海外との経済競争に打ち勝つべくしっかりとした体制を整えよという主張さえ広がっているようだ。/国家というものは、具体的には下から、国民や地域の現実の力によってはじめて作られていくものである。排除や分裂を伴う(自分の内部にあるものを否定し、その一部を排斥する)国家は危うい。(295ページ)/個人主義の中から立ち現れるナショナリズム(nationalism、国家主義)に対して、むしろ個人主義をさらに強く推し進めることで国家そのものを否定していこうという、コスモポリタニズム(cosmopolitanism、世界市民主義)の立場も表明されている。この超個人主義=脱国家主義的なコスモポリタニズムははたして、ナショナリズムを解消し、国家のない世の中をつくる適切な道筋になるのだろうか。(296ページ)/敵国と自国との差異だけを強調し、個人と国家の関係のみを際立たせる国民国家ナショナリズムの思考法には根本的な欠陥が潜んでいる。他方でそれをコスモポリタニズムによって解消しようとしても、それで問題が解決するものでもない。国家ナショナリズムにも、コスモポリタニズムにも、どちらにも大切なものが欠けている。(297ページ)/それは地域である。危険な一国ナショナリズムに対抗できるのは、コスモポリタニズムではなく、その内部に確立される地域主義――地域ナショナリズム――である。(297~298ページ)

地域の人材を育てること、「地域教育」は学校の持つ大切な役割である
学校はそもそも地域のためのものではなく、国家のために必要な人材をつくる機関として設立された。そしていま国家が必要としているのは、この国が苛烈な国際競争を勝ち抜くのに必要な経済力・生産力を実現する人材である。学校教育は、地域教育などのためではない。この国の国際競争力を、人材育成という場から高めるために、一丸となって敵(海外の企業群)に立ち向かうためである。子供たちには、地域の人間であるよりは国家人として、さらには国際人・コスモポリタン(世界主義者)として育つことが強く求められている。(287~288ページ)/学校は外向きにだけではなく内向きに、すなわち国内の運営バランスを実現するために、子供たちを適切に教育して各所に配置する装置でなければならない。そのためにも、一人一人が自分の人生の調整を自ら適切に実現できるよう、人としての成熟をうながすものであるべきだ。私たちの暮らしはいまも地域と国家の両方でできている。地域の人材を育てることは、学校の持つ大切な役割である。だが、現実には近年、国家だけが尊重され、地域が極度に軽視されてきた。(288ページ)/学校が今後とも地域を継承する人材を育てる場であるのか、それとも地域と子供たちのつながりを断ち、国家や国際社会対応の人材供給の場になるのか、私たちはその分岐点にいる。(249ページ)

〇山下にあっては、「地域学」は抽象的な言語や普遍的な理論を学ぶものではなく、具体的な時空にいる「私」を地域のうちに“生きているもの”として浮かび上がらせ、見定めていく、そんな学びの作業である([1]16ページ)。また、私たちの暮らしや、身近な地域と国家と世界が大きく変容するなかで、その変化に対応するための最低限の認識法が「地域学」である([1]309ページ)。その認識の視点や言説のひとつが、上記のメモである。
〇筆者(阪野)の手もとにもう一冊、柳原邦光(やなぎはら・くにみつ。フランス近代史専攻)ほか編著の『地域学入門―<つながり>をとりもどす』(ミネルヴァ書房、2011年4月。以下[3])という本がある。[3]は、「地域を考える」「地域をとらえる」「地域をとりもどす」という3部構成から成っている。柳原によるとそれは、「地域」をめぐる今日の困難や課題の現状を打開するための「希望の学」として「地域学」を構想するものである。すなわち、「地域学」は、地域課題をたちどころに解決するための処方箋を提示するものではなく、「現代の諸課題の根底にある問題性を探り出し、そこから諸課題をとらえ直して、未来を考えようとする」ものである([3]2ページ)。
〇いずれにしろ、「地域学」は、日本学術会議(地域学研究専門委員会)が2000年6月に報告した「地域学の推進の必要性についての提言」(注②)などにあるように、その研究や実践の必要性は認識されていよう。しかし、その理論化や体系化はまだ緒についたばかりであろうか。筆者としては、とりわけ「実践の学」としての「地域学」に注目したい。それは、「市民福祉教育(学)」と同様に、すでに地域で展開されているさまざまな実践や、そこから生まれる新たな知見に多くを学びたいからである。
〇ところで、「地域学」の必要性は、大学に設置されている学部名からも知ることができる。大学で「地域」を最も早く学部名に取り入れたのは1996年10月に設置された、岐阜大学の「地域科学部」(1997年度開設)である。その後、鳥取大学の「教育地域科学部」(1999年度開設。2004年度「地域学部」に改組)、金沢大学の「人間社会学域・地域創造学類」(2008年度開設)などが設置され、2015年度には高知大学に「地域協働学部」が開設されている。以後、国公立大学や私立大学でいわゆる「地域系学部・学科」の新設が続き、「地域学」が大学教育の場に普及する。
〇高知大学地域協働学部の目的は、「地域力を学生の学びと成長に活かし、学生力を地域の再生と発展に活かす教育研究を推進することで、『地域活性化の中核的拠点』としての役割を果たす」ことにある。そこでは、「地域協働教育」を通じて、地域資源を活かした6次産業化を推進してニュービジネスを創造できる「6次産業化人」や、「産業、行政、生活・文化の各分野における地域協働リーダー」の育成が図られている(高知大学地域協働学部ホームページ)。
〇高知大学地域協働学部では、「地域志向教育」あるいは「地域協働教育」を通して、「地域協働マネジメント力」の育成をめざしている。「地域協働マネジメント力」は3つの能力によって構成される。(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」がそれである。(1)「地域理解力」は「地域の産業及び生活・文化に関する専門知識を活用して、多様な地域の特性を理解し、資源を発見できる力」と定義される。その能力を構成するのは、「状況把握力」「共感力」「情報収集・分析力」「関係性理解力」「論理的思考力」である。(2)「企画立案力」は「課題を発見・分析し、解決するための方策を立案し、その成果を客観的に評価する能力」と定義される。その能力を構成するのは、「地域課題探究力」「発想力」「商品開発力」「事業開発力」「事業計画力」「事業評価改善力」である。(3)「協働実践力」は「多様な人や組織を巻き込み、互いの価値観を尊重しながら、参加者や社会にとっての新しい価値を生み出す活動をリードする力」と定義される。その能力を構成するのは、「コミュニケーション力」「行動持続力」「リーダーシップ」「学習プロセス構築力」「ファシリテーション能力」である(注③)。これらの諸能力やその見方・考え方については、「まちづくりと市民福祉教育」に関するそれに通底するものでもあり、参考になろう。留意したい。
〇なお、高知大学地域協働学部がいう「地域志向教育」とは、「地域課題の解決や地域の再生、発展を目的とした教育」(下記注③、25ページ)である。[3]で取り上げられている「地域協働教育」は、「大学が教育面で地域に協力を仰ぐ地域連携教育から地域との関係を一歩進め、大学が地域と協働で学生の教育と学生参加の地域づくり活動を行うもの」。「生活に根ざして学問的知識や方法論を駆使することを会得した地域づくりの人材を大学と地域が一緒に養成していく」教育をいう(藤井正「地域に向き合う大学」[3]292、293ページ)。付記しておく。


① 周知の通り、「限界集落」という用語は、高知大学人文学部教授であった大野晃(おおの・あきら。社会学専攻)が1980年代後半から提唱してきた概念である。大野にあっては、「限界集落」は「65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え,冠婚葬祭をはじめ田役,道役などの社会的共同生活の維持が困難な状態に置かれている集落」をいう(大野晃『限界集落と地域再生』静岡新聞社、2008年11月、1ページ)。その点をめぐって山下は、「限界集落」問題はいわば「つくられた問題」としての色彩が強かったとして、次のように述べている。「『限界集落』の語をつくって注意喚起しようとした提唱者の意図に反し、その後の議論は、集落消滅を避けられない既定路線であるかのように取り扱っていった」。「『地方消滅』や『自治体消滅』は起きない」(山下祐介『地方消滅の罠』290~291ページ)。
② 日本学術会議の「提言」では、「地域学は、もっとも広義の『地域にかかわる研究』を指すものである。 現地研究(フィールド科学)に根ざして人文科学・社会科学・自然科学を統合的、俯瞰的に再編成しようとする学問的営為を、地域学と呼ぶ」。また、「提言」では、現地研究に根ざした基礎研究としての「地域学」の展開が必要とされている理由について、次の2点を指摘している。

1)わが国は明治以来、世界諸地域を相手どってそのおのおのを総合的にとらえようとする基礎研究としての地域学構築の地道な努力を十分にしないまま、いわば学理・学説としてのディシプリン(学術専門分野:阪野)だけを欧米から輸入してきた。そのために、わが国の学術専門分野は、とかく欧米の理論を追いかけるものとなってしまった面があることは否定できない。あらためて今日、もっとも基礎的な現地研究に立ち戻り、現地研究に立脚した学問を創り出す努力が必要になってきている。現地研究という「地を這う」ような地道な作業を経ないかぎり、しっかりした骨格をそなえる学問体系の構築は望めない。
2)従来の専門分化したディシプリンにしがみついているだけでは、あるいはまた、そのいくつかを寄せ集めてみる程度では、現在の世界の趨勢を的確に把握することができないばかりか、目前に危機的に発生している問題に対処し、それを解決することがむずかしくなっている。地球環境・生態系の破壊をいかにくい止めるか、世界的規模で公正をいかに実現するか、そして持続可能性・世代継承性に裏付けられた発展の道筋をいかに発見するか、など、人類的課題がつよく自覚されるなかで、水、食料、健康、人口、エネルギー、ライフスタイル、経済システム、価値観、教育、情報秩序、参加とパートナーシップ、民主主義、その他ありとあらゆる問題への取り組みが、何をとってみても、知識の統合を要求するとともに、これを具体的な場所に根ざした地域学として実現することを必須のものとしている。

③ 湊邦夫・玉里恵美子・辻田宏・中澤純治「地域協働教育への学生の意識~地域協働学部第1期生調査の結果から~」『高知大学教育研究論集』第20巻、2016年3月、25~33ページ。本稿では、高知大学地域協働学部第1期生(67名)を対象に、2015年4月に実施した調査の結果を事例として、「地域志向教育」を行う学部を選択した学生の学部教育に対する意識と将来像 について検討している。

補遺
高知大学地域協働学部第1期生調査にみる「地域協働マネジメント力」の(1)「地域理解力」、(2)「企画立案力」、(3)「協働実践力」の各構成能力について理解するために、各調査項目の質問文を紹介しておくことにする。その回答の選択肢は、「あてはまる」「どちらかといえばあてはまる」「どちらかといえばあてはまらない」「あてはまらない」の4つである。
(1)「地域理解力」
「状況把握力」
・身の回りの現状を客観的に理解して説明する方である
「共感力」
・人の話に興味を持ち、積極的に聴こうとする方である
「情報収集・分析力」
・起こった出来事や課題について理解するために、必要な情報を集めて整理しようとする方である
「関係性理解力」
・さまざまな出来事のつながりを理解しようとする方である
「論理的思考力」
・問題が起きたときに、すぐに結論を出すよりも、なぜそれが起きたのかを筋道を立てて考える方である
(2)「企画立案力」
「地域課題探究力」
・身近な地域の課題を発見し、その課題に取り組むことができる
「発想力」
・課題に対して取り組むための新しい方法を考えるのが好きである
「商品開発力」
・特産品を使って商品化することに関心がある
「事業開発力」
・自分でアイディアを思いつき、そのアイディアに基づいてイベントや事業を始めることに関心がある
「事業計画力」
・課題を解決するために必要な行動をリストアップして、その順序を決めることに関心がある
「事業評価改善力」
・自分の行動を振り返り、良い点と悪い点を見つけ出して次の行動に生かすことができる
(3)「協働実践力」
「コミュニケーション力」
・人の話を最後まで聞いてから、自分の話を始めることができる
・相手が自分の話を理解できるように話すことができる
「行動持続力」
・自分で決めたことは最後までやり通す
「リーダーシップ」
・グループにとって必要なことを自ら進んで実行することができる
・自分が提案した計画や企画を、他の人々に参加してもらいながら実現することができる
「学習プロセス構築力」
・授業時間以外にも、自分で計画を立てて学習することができる
「ファシリテーション能力」
・考えが違う相手と話し合いながら合意点を探ることができる

人生にどうケリをつけるのか

人生にどうケリをつけるのか
ケリのつけ方が問われる
ケリのつけ方に己の人生が甦る

人生に愛のきずなを見つけた人は幸いなり
人生で愛のきずなを深めた人は幸いなり
人生を愛のきずなで紡ぐ人は幸いなり

母の慈愛と父の男気に感化された人は幸いなり
伴侶の仁愛に感謝し同行する人は幸いなり
我が子への限りない情愛を抱きし人は幸いなり
朋友との信頼を固く結んだ人は幸いなり
師に人の道を示唆された人は幸いなり
同志と世直しの道を歩みし人は幸いなり

出会った人に人生を教示される人は幸いなり
出会った若者に人間愛を語る人は幸いなり
出会った子らに希望と未来を託せる人は幸いなり

己の人生にどうケリをつけるのか
きずなの深い意味を悟りし人は幸いなり
きずなを体現する人こそ幸いなり
いま死生観を突きつけられる人は幸いなり
そこに生きる意味を見出した人こそ幸いなり

〔2021年12月23日書き下ろし。人生のケリのつけ方はみな違う。そこに同行することの喜びもまたあるかと〕

聞き流す力

くだらない自慢話は聞き流す
レベルの低い話は聞き流す
グダグダと愚痴る話は聞き流す
聞きたくもない噂話は聞き流す
鼻につく嫌みな話は聞き流す
意地くそ悪いひねた話は聞き流す
言い訳がましい話は聞き流す
もったいぶった偉そうな話は聞き流す
名のある者の名をひけらかす話は聞き流す
鼻持ちならないうがった話は聞き流す
救いようのない自己中な話は聞き流す
地位や肩書きで威圧する話は聞き流す
能力があるように振る舞う話は聞き流す
信用ならない儲け話は聞き流す
金のあるのを鼻にかける話は聞き流す
合点のいかぬ話は聞き流す

人をおちょくるような話は聞き流す
人の揚げ足をとるだけの話は聞き流す
人の心配を嘲笑うような話は聞き流す
人の善意を貶(おとし)めるような話は聞き流す
人の苦しみを省みないような話は聞き流す

人を小馬鹿にしていたぶる話は聞き捨てならない
醜い顔になる悪口三昧の話は聞き捨てる
人の不幸を喜ぶような話からは遠ざかる
人の誠意を無にするような話は聞き苦しい
受けた恩を仇で返すような話は捨て置けない
媚びたように寄ってくる話には決して乗らない
言いがかりをつけくる話には身の毛がよだつ
人に強要する話からはさっさと逃げ出す
嘘をついても恥じない話ぶりには顔を背ける
胸くそ悪い話からは耳を塞いで身を守る
人格を否定する話を聞くだけで身が穢(けが)れる

放つ臭気に鈍感な者の話には鼻をつまむ
どんなに嫌われているのか
どんなに人間味が薄いのか
つまらなさを自覚することもなく
いまも変わらず臭気を放つ

〔2021年12月22日書き下ろし。人は怨憎会苦(おんぞうえく:自分が怨んだり憎んだりしている人とも会わなければならない苦しみ)を引き受ける。うまくあしらうには聞き流す力が必要か。ただ異臭を放っているのは政治の世界からか?〕

小林亮平/障害児のこれから―障害児の自己投資支援について思う―

2021年12月6日の北海道新聞の朝刊に、「障害児通所支援 再編方針」という記事を見つけました。厚生労働省は、障害のある児童が通う放課後等デイサービスを大きく「総合支援型」と「特定プログラム特化型」の二つのタイプに再編し、質の低いサービスや塾や習い事のようなケースは公費の支給対象から外す方針のようです。これについて思うところがあり、この文を書かせてもらいました。

僕は今年、ユニバーサルデザイン検定という検定試験を受け、初級及び中級に合格しましたが、その時、障害者の自己投資につながるような支援が身の回りに見当たらないということを思い知らされました。18世紀のアメリカの政治家であり科学者でもあるベンジャミン・フランクリンは、「最高の投資は自分への投資である」と言っています。しかし、残念なことに、僕の自己投資には多くの困難が伴い、その高いハードルを乗り越えるためにすべて自分でやる羽目になりました。ユニバーサルデザインの検定があるということを見つける段階から、自分なりの勉強法や試験対策など、いろいろなことについて予想以上の時間を費やすことになりました。僕自身がもっと勉強しやすい環境にいれば、またそのような環境が準備されていれば、こんなに苦労しなくてもいいのではないかと思ったことが何どもありました。

新聞が報じた記事は、「一般の塾などは私費での利用が通常で、障害児の場合も本来、公費負担は適さない。障害者差別解消法に基づき、障害児が利用できるよう配慮する義務が2024年6月までに塾などにも課されるため、一般の塾で受け入れが進み、私費で通うのが望ましい」というのが理由らしいのです。それが可能であれば、障害児も私費で一般の塾に通うことができればいいのですが、それを阻んでいる社会的な状況、とりわけ障害児に対する根強い偏見や差別があることを直視する必要があるのではないでしょうか。

社会の変化と共に、障害者像も変化しています。障害当事者でもある東京大学の熊谷晋一郎は言います。「自閉スペクトラム症の人はここ半世紀で、多く見積もって50倍、少なく見積もっても20~30倍に増えています。つまり、実際にいなかった自閉症者が現れたのではなく、かつて健常者だった人が新規で障害者に認定されたのです。人間の体質が変わっていなくても、社会の変化の方が速く、社会がどのような人物を理想とするか、という価値観を変えてきているわけです。(中略)かつては製造業を中心として、周囲とおしゃべりもせず、マニュアル通りに繰り返し働く状態が理想的な健常者の姿でした。今日そのような人は、コミュニケーション障害、こだわりが強いと言われてしまうわけです。まさに自閉スペクトラム症の診断基準ぴったりになってしまいます」(熊谷 2020:40~41)。

障害者像の変化とともに差別も変化しています。1992年にノーベル経済学賞を受賞したシカゴ大学のG・ベッカーは、差別に経済学的な定義を与え、検証しています。その頃の差別は、「偏見を満足させるために利益を自発的に放棄すること」という目に見やすい簡単なものでした。しかし、いまの差別は複雑化していて目に見えないのです。差別した本人も、そうとは気づかず無意識に差別していることが多々あるのではないでしょうか。

上記の新聞記事はまた、大阪府内にある放課後デイ事業所の職員は「障害特性により支援の仕方は違う。健常児しか 受け入れていないところが、子どもの力を最大限引き出す対応ができるのか」と報じ、危惧しています。同感です。

僕が勉強したユニバーサルデザイン検定の教科書に、次のような一文があります。「ここで注意しなければならないのは、一つの製品や一つのやり方ですべての人のニーズを満足させることはできないとの自覚を、つくり手側が持つことである。ある人のニーズは隣の人のそれと一致するわけではない。一人一人が少しずつ異なりながら多様なニーズの分布をかたちづくっている。それらすべてを一つの製品や一つのやり方で満足するのは不可能であり、この点で有効なのは選択肢であると考えられる。/駅等の公共交通機関では改札とホームを結ぶ上下移動手段として、階段、エスカレーター、エレベーターが設置されている。それぞれの設備には異なる特徴があり、利用者は自分のニーズに合わせてどれを使うかを選ぶことができる」(国際ユニヴァーサルデザイン協議会 2014:24)。

障害の有無にかかわらず、人が豊かに生きるためには、そのための選択肢を増やし、そこから自分に合った生き方を自律的・主体的に選ぶことができる、そんな環境を整えることが先決ではないでしようか。選択肢は増えたが、どれを選んでいいかわからないといった事態も見受けられます。また、利用者と本人に合致するサービス、その二つを結びつけるヒトやコトもいまひとつといったところです。

障害者差別解消法に基づき、障害児が利用できるよう配慮する義務が塾などにも課されるのは2024年6月。あと2年半です。

参考文献
熊谷晋一郎ほか『わたしの身体はままならない』河出書房新社、2020年。
中島 隆信『新版 障害者の経済学』東洋経済新報社、2018年。
国際ユニヴァーサルデザイン協議会『知る、わかる、ユニヴァーサルデザイン』国際ユニヴァーサルデザイン協議会、2014年。

がんばって塩野義!

朗報だった
オミクロンへの脅威が高まる中
光明がさした

朗報だった
開発者の献身的研究の成果が結実
多くの命と暮らしを救う

朗報だった
他国に依存していたワクチンも
自国開発の目処が立った

朗報だった
コロナ治療薬は
ワクチンを打てない人を救う

朗報だった
年内に承認されれば
大量生産の体制が確立する

朗報は医療者を救う
リスクに晒された環境を緩和する
朗報は国民の猜疑心を救う
気遣いあう世間のつながりを回復する
朗報は世界の貧しい国と人を救う
国は国際貢献を進めねばならぬ

〔2021年12月21日書き下ろし。塩野義製薬の研究開発者に感謝! 今朝起きがけにPCのスイッチを入れたら飛び込んできた。オミクロンへの十分な有効性が実証できれば、世界は恐怖から開放される。日本はアベノマスクのチャラいレベルをようやく脱する〕

付記
オミクロン株への有効性確認 塩野義のコロナ飲み薬
塩野義製薬は20日、開発中の飲み薬タイプの新型コロナウイルス治療薬に関して、新たな変異株「オミクロン株」にも効果が確認されたと発表した。同社は最終段階の臨床試験(治験)を実施しており、年内にも承認申請して来年3月には国内で100万人分を供給する体制を整える。国立感染症研究所からオミクロン株を入手し、予備的な非臨床試験で有効性を検証し、ウイルスの活性化を抑制する効果を確認できたという。アルファ株やデルタ株については有効性を確認している。
塩野義は、2021年度内の実用化に向けて開発中の新型コロナワクチンについてもオミクロン株に対する有効性を調べている。(共同通信社2021年12月20日)

引き受けられない悲しみ

12月17日 大阪市北区北新地の心療内科クリニックが放火された
尊い命を奪われた24人の御霊に心より哀悼の意を表します

こころの病に苦しむ多くの人を救ってきた
患者のために夜間の診療も献身的に続けた
人生を取り戻した多くの人が恩人と敬った
西沢弘太郎医師への懸命な救命治療も虚しく逝った
ともに患者と向き合った看護師も職員も逝った
医師を頼りに来院した患者たちは逃げ場を失い逝った

24人の人生を初老の男が断つ
動機はいまだ不明だが結果は残酷だった
殺すという一念だけが男を支配した
院内の間取りを熟知して殺害方法を熟考した
残忍な段取りを周到に用意して迷いなく動く
死霊に取り憑かれた男は躊躇なく殺戮した
我身も阿鼻叫喚をきわめる中に置いた
男は重度の一酸化中毒で重篤だという

繰り返される許し難き自暴自棄の犯罪行為
他者の命を軽視無視する無差別殺人
反社会的な行為に憧れる者たちはにたりと笑う
俺にもやれると奮起して憎悪の刃を研ぐ

残された家族の深い悲歎にただ黙する
慟哭の怒りを
やり場のない憤りを
やりきれないおもいを
引き受けられない重さにただ黙する

〔2021年12月19日書き下ろし。大阪府警は19日未明、現住建造物等放火と殺人の疑いが持たれている重体の谷本盛雄容疑者(61)を特定した。身勝手な行動に社会はブレーキをかけることすらできない。近隣の住民すら関心のない存在感のうすい男だった〕

研究所開設10周年を準備する

昨夜久しぶりに阪野先生と長電話した
二人の語らいは話題が尽きない
世相から近況報告に至り
いま取りかかっているテーマへと向かう

来夏6月市民福祉教育研究所は10周年を迎える
阪野先生の人たらしの魅力は人を惹きつけてやまない
誘われていつの間にか自分の居場所を見つけた
バーチャルな研究所は40数名の共同研究者が集う

求められる研究所の社会的役割
阪野先生は7つのミッションを掲げた
日本の社会福祉の重鎮であられる大橋謙策先生
日本の社会福祉の牽引者である原田正樹先生
お二人の貴重な論文や大橋先生の人間味に溢れた旅行記の連載
ただただ畏敬の念を強くしながらお力添えを得ていることに感動する
お二人もまた阪野先生の人たらしに魅了されたのであろうかと

求める研究所になる課題を掲げた
若い研究者や実践者の発掘と発表の場の提供
論文やレポートの発掘と発信の場の提供
自己変革への意欲の喚起と挑戦の場の提供
未熟な研究者や実践者への助言と指導の場の提供
さらにここに集う者たちの交流の機会と場の提供

こんなおもいを電話口で語り合い胸を熱くする
来夏10周年記念のセミナーを開催しよう
どんなプログラムになるのか
阪野先生の楽しき企画の旅が始まる
同伴者は名古屋に飛んでいく日が決まるだけでいい
航空券の予約は格安のうちにゲットしておきたい

〔2021年12月19日書き下ろし。『メビウスの帯』(19年12月1日 アップ。 ⇒ 本文 )が阪野ワールドだった。好きな詩はと昨日問われた答えである〕

頼まれた代弁書

原稿を依頼された
三人にインタビューをした
ひとりは老人施設関係者
ふたりは関係するボランティア
二日間の日程が必要だった

三日目ようやく書き始めた
自由勝手に書けない原稿
様式に沿った書き方が求められる
必要な情報をコンパクトにまとめる
主張すべきところは工夫を凝らす

聞き逃した情報や必要な資料があった
ボランティアに連絡して対応してもらう
ようやくカタチが整った
ただインパクトのある文章には何かがたりない
ここで思考停止に陥った

眠りを妨げる言葉が彷徨う
目覚めたらきっと憶えてはいないはず
諦めながら再度眠りに落ちる
目覚めた時に言葉が甦った
朝から添削作業にかかった

書き終えてすぐにメールで関係者に送った
依頼された原稿を短期間に無事終えた
A4版4枚に書き込まれた代弁書
互いのおもいを言葉で表現することの面白さ
充足感を味わいながらはたと気づく

今朝アップする詩が手つかずだった
思案する間もなくいま書き上げた
よしよしこれで明朝まで自由時間
まずはボーッとしよう

〔2021年12月18日書き下ろし。ちょっと重たい依頼原稿。無事終えて自己解放する〕