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阪野 貢/「町内会」基礎考―玉野和志著『町内会』のワンポイントメモ―

〇久しぶりに「町内会」に関する本を読んだ。玉野和志の新刊『町内会―コミュニティからみる日本近代―』(ちくま新書、2024年6月。以下[1])がそれである。[1]で玉野は、多くの研究者の言説を引きながら、町内会の歴史を解明し、その特質や現状について解説する。それを踏まえて、「これからの町内会や市民団体が、どのように日本の地域社会を支えていけばよいかを展望する」(10ページ)。その概要は以下の通りである。

「町内会」の概念について、玉野は規定する。「町内会・自治会は、『共同防衛』を目的とする『全戸加入原則』をもった地域住民組織である」(28ページ)。この定義でいう「共同防衛」とは、その地域に住む人々に求められる「生活協力を円滑に安心して行うことができるように、みんなでもって気をつけて、災害や外敵の侵入、内的な秩序破壊としての犯罪の発生などを防ぐ」こと(48ページ)を意味する。この「共同防衛」と「生活協力」という本質的な機能(目的)ゆえに、町内会は全戸加入原則をもつことになる。
町内会の歴史的成立過程について、玉野は解明する。町内会は大正・昭和初期以降、政府によって、社会不安を抑えるために行政の執行過程への協力を求めることで人々を統治する形態として期待され、育成されてきた(町内会の「統治性」)。町内会が政府や行政による日本的統治の「芸術品」(58ページ)と言われる所以である。戦時中は天皇制ファシズムの底辺を支える「町内会・隣組」として、国家によって奨励され、戦争に動員された。敗戦後はアメリカ占領軍=GHQによって出された町内会の解散・禁止令をくぐり抜け、戦後も行政への協力を通して自らの存在を示してきた。こうした町内会を積極的に支えたのは、主として「都市の自営業者層」(123ページ)であった(町内会の「階級制」)。
〇1970年代になると、「都市自営業者層の一部は一方で町内会を通して行政の執行過程に協力し、他方では政治家の個人後援会組織を支えることで、政治的意思決定にもそれなりの影響力を行使することのできる存在となっていった」(150ページ)。1970年代に、現在の「町内会体制」が確立されたのである(95、151ページ)。なお、1969年9月に、内閣府の国民生活審議会調査部会コミュニ ティ問題小委員会が『コミュニティ―生活の場における人間性の回復―』という報告書を公表する。そして政府は、この報告書に基づいて1970年代のコミュニティ政策を展開することになる。そこでは、旧来からの町内会による協力が尊重された。
〇1980年代以降、経済の自由化やグローバル化、そして市民社会の台頭が進行し、都市自営業者は経済的基盤を失い、町内会に代わる市民活動団体への期待がふくらんでいく。ちなみに、特定非営利活動促進法(NPO法)が1999年12月に施行される。そんななかで町内会は、2010年代後半以降現在に至って、保守的・閉鎖的な体質への批判や若い世代の無関心、それによる町内会への加入率の低下や担い手の不足・高齢化などによって、存続の危機が叫ばれることになる。その一方で、阪神・淡路大震災(1995年1月)や東日本大震災(2011年3月)などによって、町内会への期待が高まることにもなる。また、2000年12月に北海道ニセコ町で制定された「自治基本条例」を皮切りに、「町内会を名指しにしているわけではないが、『まちづくり条例』や『自治基本条例』などを制定し、これにもとづく住民協議会などの地域自治組織を作る自治体も増えている」(156ページ)。
町内会の今後について、玉野は展望する。町内会の弱体化が進み、維持・存続が困難になっているなかで、「町内会はいざというとき、住民どうしが助け合うこと(共助)や、行政や政治に要求すること(公助)が、円滑に連動できるように、日頃からゆるやかなつながりを維持することに、その存在意義がある」(175ページ)。そこで、「町内会という日本の近代が生み出したかけがえのない資産を、行政との折衝と議会への政治的要求とを可能にする、市民の協議の場へと受け継ぐことはできないか」(173ページ)。「町内会がいざというとき、外国人も含めたあらゆる住民と行政職員、さらには議員も集まって討議=闘技する場を提供できるならば、日本の自助、共助、公助もずいぶんと違ったものになるにちがいない」(177ページ)。

〇以上の言説について一言すれば、①「都市の自営業者層」に支えられた町内会のあり様は、当時もいまも、そのまま地方の農村部の町内会にも該当した(する)とは思えない。筆者が所属する下記のS市H自治会の実態(光景)の一端からも推測することができようか。
〇②いわゆる「住民が主役のまちづくり」には、住民と行政と議会による「共働」を必要不可欠とするが、そのための具体的な条件や施策についての言及がなされていない。なかでも一般住民に、まちづくりに求められる主体的・自律的な意識や力量が備わっているとも思えない。そのための教育・啓発の推進が肝要となる。
〇③行政職員の数は他の先進諸国に比べてかなり少ないと言われ、また一般行政職員は部門を超えて幅広く頻繁に移動するなかで、町内会は下請けの分業構造のなかに位置づけられてきた(いる)と言える。とすれば、行政職員が、期待される共働活動に能動的・積極的に参加する・取り組めることができるかについても疑問を感じざるを得ない。
〇④「自助」「共助」「公助」については、公助より共助、共助より自助といったようにその優先順位が問われることがある。それよりも、自己責任や自己努力による「自助」が強調され、地域コミュニティが衰退するなかで「共助」が瓦解し、制限的な「公助」のさらなる縮小が進むいわゆる「無助社会」の実相について、その認識は不十分なものに留まっていると言わざるを得ない。
〇これらの点を別言すれば、要するに、町内会の「危機」が叫ばれ、行政と町内会や市民活動団体などとの新たな地域共働(協働)体制のあり方が探求されるこんにち、戦前からの町内会と行政との相互依存関係や行政協力制度について如何に歴史的・構造的に分析・検討するか。そしてそれを受けて、如何にして地域共働体制を時代や地域の要請に応えうるものに構築していくか、が問われるのである。

〇ところで、筆者が住むS市は、日本の中心に位置し、清流として名高い長良川が流れる豊かな自然、積み重ねられた歴史、育まれてきた文化など貴重な地域資源を背景に地場産業が栄え、刃物のまちとして発展してきた(「自治基本条例」前文、2014年12月施行)。2024年10月現在の人口は8万4,036人、世帯数は3万6,475世帯、自治会数は563団体を数える。筆者が所属するH自治会は、2024年4月現在、307世帯、3事業所で構成されている。筆者は一「個人会員」として、回覧板を回すことをはじめ、ゴミステーション清掃、自治会一斉側溝清掃、公民センター・神社清掃、春・夏・元旦祭、交通安全指導、防災訓練、そして老人クラブ例会や敬老祝賀会などの活動や行事に参加することになっている。ちなみに、個人会員(世帯単位)の会費は月額700円、2023年度の自治会決算額は約1,500万円(内、前期繰越金1,100万円、自治会費264万円、補助金113万円、入会金29万円(10世帯入会)など)、2024年度の支出予算額は約1,382万円(内、事業費・助成金等約625万円、次期繰越金約756万円など)である(「令和5年度 H自治会定期総会」資料より)。
〇このようなH自治会とそこでの活動に関して筆者は、かつて次のように書いた。地方の町内会のひとつの実相である。再掲しておきたい。

地方で暮らす筆者にとって、年度替わりが近づくと、心臓が規則正しく鼓動し肺でゆっくりと呼吸をする「静かな時間」が、多少とも揺らぐ。過日、地区の高齢者の寄り合いに参加した際、求めに応じて自分の意見を開陳することになった。話の途中で、寄り合った人たちの心模様が頭をよぎった。「空気」が支配する地域コミュニティのなかで、①歴史や文化の継承・発展や経済や生活の拡大・成長に貢献してきたという思いから、昔ながらの「つながり」(関係性)にこだわり、その制度やシステムを守ろうとする人がいる。②なるようにしかならないという思いから、ひとまず様子見して大勢に従い、いまの「つながり」をやむなしとして、それらしく振舞う人がいる。③精神的な豊かさや生活の質的充実を志向・実現したいという思いから、その時の流れやその場の力関係に異を唱え、新しく「つながり」を組み換えようとする人がいる。
今回の寄り合いも、何代にもわたって住み続けている①の圧勝、外部から移住してきた移住一代の③の惨敗で終わった。旧住民であれ新住民であれ、自らを「一般住民」や社会的地位(階層)の中位層に位置づけている②はいつも、賢い処世術で利口に日和(ひよ)る。これが、筆者が暮らす地方都市(過疎区域含む)の中心市街地の周辺地域(地区)の現実である。
蛇足ながら、その寄り合いでは、筆者の話に対して「学校の先生だったかもしれないが‥‥‥」という、聞こえよがしのつぶやき(嘲笑と愚弄)があった。「梯子(はしご)を外される」(梯子はかかっていなかった)、「出る杭(くい)は打たれる」(出る杭は抜かれる)ことも二度三度。さすがに「あほらしくってやってらんねーよ」。いまだに「世間」の「空気」が読めない自分がいる。そうであっても、「我がまち・我がこと」(さすがに「丸ごと」とはいかないが)である移住一代(筆者)が住むこの地域・社会は、持続可能か?
また、ある年度の自治会総会で、まったくもって不合理な事柄について意見を述べると、重鎮(何代も続くかつての豪農)から「先人の素晴らしい知恵に基づくものであり、まったく問題はない!」と、一蹴される。しかも、地元有力者の息子と思われる若い人から、「あんた、しゃべり過ぎだよ!」という決定打を浴びせられてしまう。重ね重ねご丁寧なことである。その後の議事は、何事もなかったかのように静かに、淡々と進められることになる。後日、一人の参加者から、「私もあんたと同じ意見なんだが‥‥‥」と話しかけられた。いつでも、どこにでもある光景であり、特筆すべきものでもないことは承知しているのだが‥‥‥。なお、日頃の寄り合いや年度総会の参加者は、そのほとんどが男性(世帯主)である。
こんな “ まち ” であり、自治会であるとはいえ、ここで、これまでの自分とこれからの自分を精一杯生きるしかない。
(<雑感>(106)あほらしくってやってらんねーよ! とはいえ:「定常型社会」と地域コミュニティ―広井良典の「定常型社会論」を読む―/2020年4月26日/一部加筆修正。⇒本文)。

備考
首都圏近郊の都市における自治会の加入率は、「2000年代の初めには50%近くになっていたと思われる」([1]13ページ)。全国の市区町村における加入率(世帯単位)は、2021年71.8%(2010年78.0%、2015年75.3%、2020年71.7%)となっている(総務省「自治会等に関する市区町村の取組に関するアンケート」2022年2月)。なお、上記のH自治会の「規約」には、「脱会の時は、(ゴミステーションや公民センターの利用など)一切の権利を放棄する」とある。

阪野 貢/Z世代と不安社会:近頃の若者とつながりと不安の格差社会 ―舟津昌平著『Z世代化する社会』等のワンポイントメモ―

本書の結論を、“ たとえ話 ” を用いて述べれば、次のようになる。
ある村で、若者だけに感染する病が発見された。若者が次々と病気にかかっていく。それを見て、お偉いさんや親族は「これだから若者は」「若者の生活がたるんでいるのでは」「昔はこんなことなかった」などと若者を責め、病の原因を若者の資質に求める。ところが、この病気は「若者であるほど早く感染する」というだけで、実はすべての年齢層に感染するものだった。かくして、村は老若男女、この病気に侵されていくのだった。(以下[1]4ページ)

〇筆者(阪野)の手もとに、舟津昌平著『Z世代化する社会―お客様になっていく若者たち―』(東洋経済新報社、2024年4月。以下[1])がある。[1]では、新進気鋭の経営学者である舟津(「ゆとり世代」)によって、企業組織やビジネスの視点からの実証的でユニークな若者論(現代大学生論)が展開される。舟津によるとそれは、「現実を無視した印象論」ではなく、「並の若者を論じた本よりよほど丁寧な取材を経て書かれている」(303ページ)。それゆえにか、そこではインターネットやSNS(Social Networking Service)の用語や若者言葉が多用され、「団塊の世代」(1947年から1949年にかけて生まれた世代)の筆者にとってはいささか読みづらい本ではある。とはいえ、「Z世代と呼ばれる若者たちを観察することで、われわれが生きる社会の在り方と変化を展望しよう」(5ページ)とする点で、興味深い。
〇「ゆとり世代」とは一般的には、2002年4月から始まる「ゆとり教育」(「完全学校週5日制」「総合的な学習の時間」等)を受けた世代で、1987年から2004年に生まれた世代の呼称である。「Z世代」とは概ね、1990年代半ばから2010年代前半に生れた世代(1990年代後半から2012年頃に生れた世代:67ページ)で、デジタル機器やインターネットが普及している環境で育った世代をいう。なお、こうした世代(cohort)論に関しては、多様性の時代や個人化社会が進行するなかで、その世代の実体や共通性(同質性)は流動的であり、若者の真の姿を描写することが困難になっている。すなわち、Z世代の共通性を前提として、固定的・集合的に若者論を説くことは難しい、とも言えよう。それは、根拠が脆弱な単なる印象論に陥ることにもなる。
〇[1]におけるキーワードのひとつは「不安」である。舟津はいう。Z世代の若者たちは、友達に依存して生きており、友達や友達候補がいないと不安を感じ、孤独は恐怖である。そこでまず、「 友達の共感」(44ページ)を求める 。そして、黙っていて静かな、目立たない「いい子」(51ページ)になる。また、若者たちは、インターネットやSNSの開かれたネットワーク(コミュニケーション)のなかに “ 閉じられたコミュニティ ” をつくり、そのなかで互いの行動を監視・管理し合っている。友達関係は必ずしも自由なものではなく、コミュニティからの疎外や排除、追放に不安を感じているのである。筆者はここで、2005、6年頃に話題になった大学生の「便所飯」を思い出す。ひとりで食事をする “ ぼっち飯 ” に恐怖を覚え、トイレの個室で食事をする、というのである。
〇このようにZ世代は、他人を警戒し、かなり慎重に周りを観察しながら、その一方でほどよく得(とく)できる、コストパフォーマンス(費用対効果)の良い「最適」をめざす。「周りをつぶさに見て、平均を推定して、そのちょっと上になる」ことを慎重にめざして、「最適の置き所を探っている」(61ページ)。
〇この点をめぐって舟津はいう(抜き書きと要約)。

Z世代は周囲への監視の目を絶やさず、他者評価に敏感である。そして、常に「横」を見る。(何処かに)みんな行ってるなら行く、なのだ。わざわざ断るほどの主体性はない。極端なことを言えば、Z世代は他人を信じていない。他者を警戒して監視して、損しないように立ち回って、平均ちょっと上で得することをめざしているから、同世代すら信じていない。/そうでもないと、あんなに手の込んだ友達作りをするわけがない。(220~221ページ)

〇また、いまの若者たちは、就職に不安を感じ、就活を早期から始める。就職後、職場での人間関係に不安を覚え、上司からの不快な非難はぜんぶ「アンチ」であり(88ページ)、説教や叱責に恐れを感じる。また、「自分は他社や他部署(ヨソ)で通用しない」のではないか、こんな「職場では自分は成長できない」のではないかと思い、不安を抱え、転職を考えるのである(246ページ)。
〇ことほどさように、Z世代の若者たちの悩みや不安のタネは尽きない。そしてそれは、社会の変化に敏感に反応し、社会の病理が具体化・体現化されたものである。若者たちは、大人の「映し鏡」(161ページ)である。その点において、上の世代にとっても無関係ではなく、確実に影響を受けている。冒頭に記した “ たとえ話 ” の一節が意味するところである。
〇この点をめぐって舟津はいう(抜き書きと要約)。

Z世代はわれわれの――Z世代以外を含む――社会の構造を写し取った存在であり、写像(しゃぞう)である。/若者は経験が浅く、雑味(ざつみ)がなく澄んでいて、だから外からの影響を受けやすい。社会の構造なるものが生まれる――たとえば不安を利用したビジネスが横行する――とき、社会に在るわれわれは、多かれ少なかれその影響を受ける。なかでも若者は感度が高く適応が早いので、いち早く構造を反映して言動に移す。/だから、異様に見える。でも異様に見えるZ世代は決して地球外から来たエリイリアン(異星人)ではなく、社会構造をより純粋に敏感に写し取った、先端を往く者なのだ。ビジネス化する社会も、不安を利用する社会も、(何の実態もなく、意味内容の存在しない唯(ただ)の言葉しかない)唯言(ゆいごん)的な社会も、若者の方が影響を受けやすいというだけで、確実にわれわれにも影響している。(264ページ)

〇以上を要するに、[1]の結論はこうである。それは、冒頭の “ たとえ話 ” の別言である。

Z世代と、それ以外の他者としてのわれわれをつなぐかすがいは、(中略)社会の中で、われわれのあいだに同じ構造が在ることを認識し、どうやってそこから生きていくのかを一緒に考えることにあるのではなかろうか。/現代社会とはいわばZ世代化する社会である。時代の最先端を走るトップランナー(top runner)でありアーリーアダプター(early adopter:最初期に適応する人)である若者を観察すれば、われわれが置かれた社会構造がより鮮明に見える。Z世代が、意識・無意識によらず感取し現前化させたものこそ、われわれの生きる社会を表したものなのだ。(264、265ページ)

〇なお、舟津は、Z世代に巣食う病理、すなわち現代社会が孕(はら)む社会病理について、その処方箋(アイデア)をいくつか提示する。「理由を探さないで、根拠のない自信を持って生きる」(信頼や不安にはもともと根拠はない)こと、「欠落していることを自覚し、満点人間をめざさない」こと、「したたかに、余裕を持って生きる」こと、などがそれである(285~300ページ)。
〇要するに、根拠がなくても自分や他人を信頼して、(根拠のない)不安を打ち消し、日々の生活(仕事)に向き合っていくことであろう。それは、一面では社会構造的な「解」を求めたい筆者にとっては、いささか手ごたえがないモノである。そう評価する理由のひとつは、若者の価値観やメンタリティ、行動特性(「若者文化」)に焦点を当てる[1]に対して、貧困や社会的孤立のなかで生きるいまの若者を「社会的弱者」として、歴史的・社会的文脈のなかで構造的に捉えることが必要かつ重要である、と考えるからでもある。
〇最後に、Z世代に関して一言。舟津によると、[1]を読んだある読者から「Z世代は “ 炭鉱のカナリア ” である」と評されたという(注①)。言い得て妙(いいえてみょう)である。前述した「黙っていて静かな、目立たない『いい子』」や授業中「黙って座っていれば、いい子だと思ってる」(52ページ)学生は、さしずめ “ 歌を忘れたカナリア ” であろうか。「全共闘世代」(1941年から1949年生まれ)に属するとも言われる「団塊の世代」の筆者から、若者にエールを送り、若者の奮起に期待したい。

①「舟津昌平 Z世代とは日本社会を映す『鏡』である」『日経BOOKプラス』(2024年7月19日掲載)
https://bookplus.nikkei.com/atcl/column/071100393/071100001/(最終閲覧日:2024年9月30日)

〇ここで、「不安社会」に関して一言したい。筆者(阪野)の手もとに、「不安社会」に関する本が2冊ある(しかない)。奥井智之著『恐怖と不安の社会学』(弘文堂、2014年12月。以下[2])と石田光規著『孤立不安社会―つながりの格差、承認の追求、ぼっちの恐怖―』(勁草書房、2018年12月。以下[3])がそれである。
〇先ず[2]で、奥井は、「ますますグローバル化し、個人化する社会は、わたしたちの恐怖と不安の温床である。――わたしたちは今日、そういう恐怖と不安にクールに向き合うことを求められている。しかしクールに向き合うだけで、恐怖と不安が解消するわけではない。他者との連帯にクールに向き合うことが、新しいクールな課題であろう」(156~157ページ)という。これが奥井の主張である。
〇すなわち、こうである。人間はコミュニティに帰属することで「安全」を確保する。しかしそれは、「自由」の喪失を意味する。そこで、「自由」を確保するためには、コミュニティから離脱しなければならない。しかしそれは、「安全」の喪失を意味する(73ページ)。こうして、「コミュニティに埋没すること」の「恐怖と不安」と、「コミュニティから乖離すること」の「恐怖と不安」は、非常に密接で切り離せない「相即不離」(そうそくふり)の関係(87~88ページ)にある。
〇現代社会は、グローバル化し、それに伴ってコミュティの喪失と個人化が進行するなかで、社会的結合が弱体化している(116ページ)。「グローバル化=個人化社会とは別名、非コミュニティ社会である」(165ページ)。そのコミュニティのつながりの希薄化やコミュニティからの解放や離脱、拒絶や排除、すなわち社会関係の喪失や社会的分断は、「自由に自己をデザインできる」(165ページ)こと、すなわち自己選択・自己決定と自己責任を意味する。それは、人間にとって「恐怖と不安に満ちた状況」(70ページ)でもある。そこで人々は、「社会の動向と切っても切れない関係」にある「恐怖と不安」に冷静に向き合い、新たな社会的連帯を求める。別言すれば、「恐怖と不安」は社会的連帯への契機になる可能性を持つのである(142ページ)。
〇なお、奥井は、「恐怖」と「不安」を個別に捉えるのではなく、「恐怖と不安」を並列的に位置づける。つまり、奥井にあっては、「恐怖と不安」は「複雑にからみ合って」(15ページ)おり、「十分に認識したり、制御したりできないもの」(16ページ)である。そこで例えば、「死の不可避性は、恐怖と不安の最大の源泉である」(25ページ)、「恐怖と不安の最大の源泉は社会関係にある」(28ページ)、「恐怖と不安の根源は、人間の知性の限界にある」(17、160ページ)などとなる。
〇とはいえ、“ ヒトはいつか必ず死ぬ ” ことについて「不安」を感じ、“ 死を間近に控えたヒト ” は死への「恐怖」を覚える。近い将来 “ 大地震が来る ” と言われることに「不安」を感じ、“ 地震でいま、家が揺れている ” ときに「恐怖」を覚える。このことだけを考えても、「恐怖と不安」は「恐怖」と「不安」に区別して、個別の概念として捉える必要があると言える。また、ヒトは、未確定あるいは不確実なことについて無知であり、あるいは漠然としか認識できず、さらには十分に制御できず「安心」が得られないときに、「不安」を感じる。その「不安」が広がり・深まる(「不安」が増幅する)なかで「危険」な状況に直面するとき、「恐怖」を覚えるであろう。そして、こうした個人の感情である「恐怖」と「不安」は、それに対処し得る資源をそのヒトがどれだけ持っているかによって、またそのヒトが属するコミュニティや人間関係のありようによって、その感じ方(強度)も異なるであろう(「恐怖」と「不安」の格差)。それはつまり、「恐怖」と「不安」は、個人的要因だけでなく、歴史的・社会的要因について構造的に把握する必要があることを意味する。
〇次に、[3]についてである。そこで石田は、「孤立にまつわる一連の問題を、個人の決定・選択を重視する社会(個人化社会)の産物と見なし、当該社会における人間関係の問題を、孤立を中心に」論じる。その際、個人化とは、「社会を構成するさまざまな単位が個人に分割される現象」をさす(3ページ)。
〇[3]におけるキーワードのひとつは「選択的関係」(「選択的関係」の主流化)である。石田は次のようにいう。

旧来的な農村のように、強固な役割構造を内包する集団に人びとが埋め込まれている社会では、そこに暮らす人が人間関係を選択・決定する自由はきわめて少ない。生命の維持と共同が結びついていた社会では、所属集団の拘束は絶大なものであった。人びとは血縁・地縁といった中間集団への埋没と引き替えに、自らの生命を維持していたのである。この時代の人間関係を、さしあたり、「共同体的関係」としておこう。/一方、現代社会のように、人びとの生活を消費および国の提供する社会保障サービスが補償するようになると、人びとが固有の人と付き合う必然性は低下する。それとともに、私たちを縛り付けていた血縁や地縁の拘束は揺らぎ、人間関係には感情の入る余地が増してゆく。私たちは今や「自らの好み」に応じて関係を形成・維持する自由を手に入れたのである。このようなつながりを「選択的関係」としておこう。「選択的関係」の主流化は現代社会における孤立不安と密接に関連する。(4ページ)

〇これが、石田の言説(立論)の基本的視点・視座である。それに基づいて石田は、現代社会の「選択的関係」の主流化による孤独・孤立に関する諸問題(婚活、孤立死、コミュニティ活動、育児・介護など)を、学説や量的データを用いて分析・検討し明らかにする。それらの結果は次のように “ まとめ ” られる((a)(b)(c)は筆者)。

(a)人間関係が選択化するなか、私たちのつながりを支える基盤は、社会的な役割から個人的な感情に変わってゆく。感情を仲立ちとした関係は、相手からの承認の獲得という課題を押しつけ、人びとの孤立への不安を拡大する。同時に、「選択的関係」の主流化は、他者から選ばれる人・選ばれない人を明確にし、つながり格差をもたらす。/(b)その一方で、個人の決定をとりわけ重視する社会は、選ばれないことによる孤立も、自らの選択の帰結として処理してゆく(自己責任:筆者)。しかし、その背後には、個々人の行動様式(自己への関心)、親の養育方針(面倒の見方)にまで浸透した排除が潜んでいる。/(c)孤立問題を解決する切り札として期待される地域のつながりは、高度経済成長がひと段落した1970年代に、すでに動揺が指摘されていた。私たちは、地域の人たちとつきあわなくても生きていけるように、社会の諸システムを整備してきたのである。こうしたなかで、地域での活動に携わる人びとは、いかにして地域住民の共同性を再編させるか頭を悩ませている。(209~210ページ)

〇この “ まとめ ” を別言すると、こうである(見出しは筆者)。

(a)他者から「必要とされる」資源の多寡(たか)が孤立に結びつく
「選択的関係」の主流化は、私たちの心に「選ばれない恐怖」を植え付け、つながり獲得の行動へと駆り立てる。その一方で、選択のなかに埋め込まれた〝 選別性 〟は、「選ばれる資源」(学歴や収入など、選ばれるために相手の欲求を満たす資源:筆者)をもたない人びとを振り落としてゆく。かくして恵まれない人ほど孤立の恐怖に取り込まれてゆくのである。(76ページ)

(b)自己への関心(自己理解)や親の養育態度が孤立に影響を及ぼす
自己への関心が高い人、親による面倒見の多かった人ほど、孤立していない傾向が見られる。(124~125ページ)/学歴の高い人、暮らし向きのよい人、親によく面倒を見てもらった人ほど、自己への関心(自己理解:筆者)が高い。(中略)そういう人ほど、関係形成に望ましい生活態度を身につけている。(126~127ページ)/親子の経済資本(経済力)、人的資本(学力)に加えて、文化資本(養育指針、生活態度)が相まって、社会経済的地位の低い人びとを孤立に貶(おとし)めてゆく。(130~131ページ)

(c)地域住民の共同性をいかに再編するかが問われている
高齢化の進展、単身世帯の急増、財政の逼迫により地域の互助に対する期待は年々高まっている。にもかかわらず、互助を期待しうる「濃密な関係」は、地域や近隣には見られない。つまり、孤立への打開策として、近隣に期待するのは難しいということだ。これが量的データで鳥瞰的にあぶれ出された地域の実情である。(166ページ)

〇「恐怖」と「不安」が個人化され、その格差が生じている。それがまた、「恐怖」と「不安」をいっそう増幅させている。そんななかで、社会的連帯の方途を見出すことは難しい。石田がいうように、「孤立不安社会としがらみ不満社会を超克(ちょうこく)しうる『第三の道』へは、そう簡単には到達し得ない」(232ページ)。(c)に関して石田は、新たなつながりを生み出す契機として、新たな互助関係としての「ボランティア」、目的集団としての「趣味縁」、所有よりも必要性に根ざした「シェア」、が期待されるとする(228~229ページ)。この提示に関しては、ここに至って、それまでの学説や量的データに基づく石田の論理展開は、影を潜(ひそ)める。指摘しておきたい。
〇例によって唐突であるが筆者は、構造的に生み出される社会的現象としての「恐怖」と「不安」に対処するための理論的根拠のひとつに「共生」論や「ソーシャル・キャピタル」論があり、社会的仕掛けのひとつに「まちづくりと市民福祉教育」がある、と考えている。
〇なお、「共生」論のひとつに、「共生」とは「二つ以上の異なる主体間でお互いに依存しあうなかに、『特定の利益』が共有される状態」をいう、という言説がある(金子勇『格差不安時代のコミュニティ社会学―ソーシャル・キャピタルからの処方箋―』ミネルヴァ書房、2007年11月、43ページ。本書で金子は、『格差不安社会』の典型は『少子化する高齢社会』であるという)。「ソーシャル・キャピタル」(社会関係資本)論とは、知らない人を含む一般的な人々に対する「信頼」、“  お互いさま ” という想いから互いに支え合う互酬性の「規範」、人々の協調行動を活発にする「ネットワーク」(社会的つながり)によって、コミュニティの諸問題が解決され、よりよい統治が進み、豊かなコミュニティが創り出される、という考え方をいう。付記しておきたい。

あなたは、日頃の生活の中で、悩みや不安を感じていますか。それはどのようなことについてですか。
日頃の生活の中で、悩みや不安を感じているか聞いたところ、「感じている」とする者の割合が75.9%(「感じている」の割合34.8%と「どちらかといえば感じている」の割合41.1%との合計)、「感じていない」とする者の割合が15.5%(「どちらかといえば感じていない」の割合12.4%と「感じていない」の割合3.2%との合計)となっている。
日頃の生活の中で、悩みや不安を「感じている」、「どちらかといえば感じている」と答えた者(2,335人)に、悩みや不安を感じているのはどのようなことか聞いたところ、「老後の生活設計について」を挙げた者の割合が63.6%、「今後の収入や資産の見通しについて」が59.8%、「自分の健康について」が59.2%と高く、以下、「家族の健康について」(50.7%)、「現在の収入や資産について」(47.0%)などの順となっている(注②)。

②「日常生活での悩みや不安」「悩みや不安の内容」内閣府『国民生活に関する世論調査(2023年11月調査)』(2024年3月19日掲載)
https://survey.gov-online.go.jp/r05/r05-life/2.html#midashi13(最終閲覧日:2024年9月30日)

阪野 貢/「まちづくり学習」考:「中野伸彦論文」に寄せて ―「まちづくり学習」論稿のワンポイントメモ―

〇「まちづくり学習」に関する多くの論稿のうち、いま筆者(阪野)の手もとにあるのは次の5本である。

(1)竹内裕一「まちづくり学習において地域問題を教材化することの意義」『千葉大学教育学部研究紀要』第52巻、千葉大学教育学部、2004年2月、57~67ページ(以下[1])。
(2)玉田洋「『まちづくり教育』の現状についての考察―『まちづくり』を『教育する』ことにおける課題―」『21世紀社会デザイン研究』第12号、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科、2014年1月、93~102ページ(以下[2])。
(3)吉水裕也・ほか「社会科におけるまちづくり学習の研究動向と展望」『兵庫教育大学研究紀要』第55巻、兵庫教育大学、2019年9月、1~10ページ(以下[3])。
(4)伊藤裕康「『まちづくり学習』の動向と課題―総合的な学習の時間を中心にして―」『文教大学教育学部紀要』第54集、文教大学、2020年12月、27~42ページ(以下[4])。
(5)中野伸彦・森和弘「福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ『ともに生きる力』~」『研究紀要』第17巻第1号、長崎ウエスレヤン大学(現・鎮西学院大学)地域総合研究所、2019年2月、45~58ページ(以下[5])。

〇本稿では、[1]と[2]についてはその概要、[3]と[4]については筆者が留意したい点をそれぞれメモっておくことにする(抜き書きと要約)。[5]については別稿(<まちづくりと市民福祉教育>(74)中野伸彦・森和弘/福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ「ともに生きる力」~/2024年9月〇日)でその全編を掲載する。

竹内裕一「まちづくり学習において地域問題を教材化することの意義」2004年
● まちづくり学習は、さまざまな体験を通して子どもたちが自分たちの生活する地域を知り、地域の良さや問題点を見いだし、地域の形成者の一人として主体的にまちづくりにかかわっていこうとする態度を培うことを目指す学習である。
● まちづくり学習では、身近な環境との親交を深め、それへの愛情をふくらませ、自ら変容していくために、子どもたちが楽しみながらさまざまな「まち体験」を積み重ねていくことを重視する。そのため、学習過程が重要視され、「体験重視型」学習(AOL:Action Oriented Learning)の学習形態をとる。(⇒補遺)
● 従来のまちづくり学習は、いくつかの問題点を孕(はら)んでいた。
第1は、楽しく体験することを重視する余り、ゲーム的要素が強くなりすぎ、学習内容が浅薄なものになってしまう危険性がある。
第2は、学習過程をゲーム仕立てにするために、実際の現実を抽象化モデル化し過ぎてしまい、正確な事実認識に基づいた学習が展開されにくい。
第3は、「体験重視型」学習だけでは、地域に生起する厳しい意見対立を伴うような地域問題に対して、有効な解決策を導き出し得ない。
第4は、まちづくり学習の場が主に「学校外」であったため、どうしても参加者が限られてしまう。(57ページ)
● 子どもたちは、地域社会において生起する様々な問題を、自らの問題として捉え、その解決策を模索することを通して、自立した市民として鍛え上げられる。地域形成主体、良き市民の育成という視点から、まちづくり学習の対象を、地域のまちづくりにある程度問題意識を持った一部の「目覚めた」子どもたちから、地域に生活する「すべての」子どもたちに拡大していくことが不可欠である。
● 地域で生活する人々にとって、地域問題は決して避けて通ることはできない切実で深刻な問題である。地域住民の一人である子どもたちが、地域問題を正面から受け止め、他人事ではなく自らの問題として捉えることができてこそ、真に自らを地域形成主体として立ち上げることができる。(58ページ)
● 地域問題を学校教育の場で扱う際、次のような視点が重要となる(地域問題を教材化するする視点)。
① 地域問題を地域の人々とともに学ぶ
地域社会において、子どもたちを地域構成主体として育んでいくには、地域の大人たちとともに学ぶことが決定的に重要である。その際、子どもたちは、地域問題の持つ多様性を、「大人を通して」学ぶとともに、「大人たちと対等な立場で」学ぶことによって、地域社会の抱える問題やその解決策について考え、話し合い、行動することを通して、真の地域形成主体としての資質を獲得していく。(59、60ページ)
② 地域問題を日常的個別的問題と社会問題を媒介する教材として位置づける
地域に生起する様々な問題は、個人の日常生活に直接関わる問題である一方、地球規模の問題へとつながる社会問題でもある。地域問題は日常的個別的な問題と社会問題との中間に位置し、いわば両者を媒介する存在である。そのため、地域問題学習こそ、学習内容を「自分ごと」としてとらえる視点と、「他人ごと」としてとらえる視点を統一して学習できる場である。
③ 地域問題を一般化相対化する視点を導入する
地域問題を他地域に生起する同種の問題と比較検討する、地域問題をより広い地域レベルの問題として把握する、地域問題を日本全体や世界の抱える問題のひとつとして位置づける等の作業を学習過程に組み込むことにより、子どもたちは地域問題をより多面的、多角的、構造的に理解することができ、広い視野から一つの立場に偏らないより公正で妥当な判断を下すことができるようになる。(60ページ)
● 学校教育、とりわけ社会科学習の場でまちづくり学習を推進するにあたっての最大の課題は時間の確保である。現実的には、既存の社会科の学習内容にまちづくり学習的な視点を導入していくことが考えられる。また、社会科学習だけでなく家庭科や技術科、図工科・美術科などまちづくり学習に関連する他教科や選択教科、総合的な学習の時間などのカリキュラムの統合や連携を図りながら学習内容を整備していくことも必要である。(65、66ページ)

玉田洋「『まちづくり教育』の現状についての考察―『まちづくり』を『教育する』ことにおける課題―」2014年
● 「まちづくり教育」とは、まちを知る・郷土愛を育むことなどを目的に、自治体の協力のもと、主に小中学校などで実施されている学習のことをさす。他に様々な名称でも語られるが、いずれも正規の教科ではなく、「総合的な学習の時間」「生活科」「社会科」の中で、90年代以降、数多く実施されている。(93ページ)
●「まちづくり教育」は、その内容によって、「ハード(物的環境)型」(都市計画アプローチ)と「ソフト(社会的環境)型」(地域活性アプローチ)に分けられる。(95ページ)
●「まちづくり教育」は、その主体の目的によって、「まちづくり」教育(「地域」主体:自治体、地域のNPO等/主な目的:地域人材の育成)とまちづくり「教育」(「教育」主体:教育委員会、小中学校等の教育機関/主な目的:思考力・判断力・表現力の育成)に分けられる。(96ページ)
●「まちづくり教育」は、その内容(ハード・ソフト)と主体(地域主体・教育主体)の組み合わせによって、①ハード型「まちづくり」教育、②ソフト型「まちづくり」教育、③ハード型まちづくり「教育」、④ソフト型まちづくり「教育」の4つに分類できる。
●「まちづくり教育」は、①~④の全体が想起されるわけではなく、それぞれの立場(地域、教育機関)によって異なる。(97ページ)
●「まちづくり教育」の学習段階は、①まちを知る→②まちを好きになる→③まちに対する考えを持つ→④考えの共有→⑤行動する、と整理することができる。(98ページ)
●「まちづくり教育」の学習段階を考えると、「まちを知る」などの低いレベルにとどまる傾向にある。「まちづくり教育」の効果については、まだ明らかとなっていない部分が多く、それはそもそも検証しにくいものでもある。(99、101ページ)
●「まちづくり教育」は、学校などの教育機関で進行すると、子どもたちの「地域からの離脱」(若者の人口流出)を促進する要素を本質的に持っている。すなわち、「まちづくり教育」は、二つの主体(地域主体と教育主体)に目的の違いがあり、それがジレンマを生んでいくという課題を抱えている(東井義雄「村を捨てる学力」「村を育てる学力」1957年。「子どもと地域の乖離」が進んでいる今日においてはなおさらのことである。:阪野)。
●「まちづくり教育」は、ローカルに根差した「まちづくり」と、ナショナルな価値観の育成やグローバルな価値観への接続を孕(はら)む「教育」の二つが習合した概念、もとから両義性が存在する概念であり、「まちづくり教育」の成立には自ずから困難を伴う。(100、101ページ)
●「まちづくり教育」に可能性があるとすれば、「教育」という“上からの視点”ではなく、教育を受ける子どもたちの自主性が発揮された場合のみである。「まちづくり教育」は、大人たちのそれと同様に、子どもたちが、自分から参加し、楽しみながら主体的に取り組めるようなデザインがなされるべきである。(101ページ)

吉水裕也・ほか「社会科におけるまちづくり学習の研究動向と展望」2019年
● まちづくり学習とは、まちづくりの担い手を育成するために、自分自身が暮らしているまちを対象とし、まちに起こっている課題を他の地域やより大きなスケールと関連づけな がら認識し、自らが主導してハードとソフトの両面から総合的なまちづくり実践を行う学習と位置づけられる。(1ページ)
● 小学校社会科におけるまちづくり学習実践では、これまでのまちや今のまちの認識が強調され、これからのまちという未来の視点が弱い。また、これからのまちを考える際には、少子高齢化など予測可能な事象だけではなく、発生することが不確実な事象を組み合わせて、未来のシナリオを考えさせる未来予測型授業も必要である。
● 中学校社会科におけるまちづくり学習は、認識論的には、まちを所与のものと捉える学習が主流であり、目標論的には、まちづくりに関する知識・理解の獲得が中心である。しかし、まちが変化するものであること、まちづくりができる資質・能力を育むことを考えると、それでは不十分である。授業で生徒が追究する「問題(課題)」の取り上げ方に関しては、教師の「問題(課題)」か、子どもの「問題(課題)」か、という違いがみられる。また、取り上げる「問題(課題)」の種類(質)に関しては、スケールの違いがみられる。さらに解決策の導き方に関しては、グループや個人で自分(たち)にできることの提案、自治体などが行っている政策の妥当性の評価、代替案の創出という違いがみられる。なお、小・中を通じて、外国の研究を参照したものはみられない。(9ページ)

伊藤裕康「『まちづくり学習』の動向と課題―総合的な学習の時間を中心にして―」2020年
●「まちづくり学習」は、自分が暮らすまち(地域)を知って愛着を覚え、まちの良さや問題を見いだし、まちの問題を自分たち事として解決していこうとする中で、まちづくりを担う力を育む学習である。(28ページ)
●「まちづくり学習」をこのように規定すると、「まちづくり学習」は12のタイプに大別される。①環境・命まちづくり学習、②防災まちづくり学習、③すまいまちづくり学習、④建築・都市計画まちづくり学習、⑤景観まちづくり学習、⑥TOSS型観光まちづくり学習、⑦福祉まちづくり学習、⑧キャリアまちづくり学習、⑨食農まちづくり学習、⑩ESDまちづくり学習、⑪人権まちづくり学習、⑫総合まちづくり学習、がそれである。(30~36ページ)

● 「まちづくり学習」の深まりは、①まちへの関心をもつ→②まちを知る→③まちを好きになる→④まちに対する夢やこだわりをもつ→⑤まちに対するビジョンをもつ→⑥まちの様々な問題に対する解決策を提案する、の段階を経る。(29~30ページ)
●  深い学びの「まちづくり学習」を実現するための要件として、①外部の機関や地域の人々を巻き込んだ学びであること、②特定のテーマでの「まちづくり学習」であっても、モノ、コト、ヒトに係わる広範囲な学びであること、③教師や地域の人々の支援を受けながらも、子ども主導で学習活動が展開される学びであること、④(子どもの日常生活や実際の社会的場面における活動に基づく:阪野)本物(真正)の学びであること、が挙げられる。(36ページ)
● 持続可能な「まちづくり学習」を実現するための要件として、①全校での取り組みであること、②地域ぐるみの取り組みであること、③外部との連携体制が整えられること、が挙げられる。(37ページ)

中野伸彦・森和弘「福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ『ともに生きる力』~」2019年
<まちづくりと市民福祉教育>(74)中野伸彦・森和弘/福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ「ともに生きる力」~/2024年9月6日/本文

〇まちづくり学習についての以上の論述から、そのあり方について考える際に留意すべきいくつかの点を再掲しておくことにする。以下のそれは「まちづくりと市民福祉教育」に関しても通底しよう。

● 子どもたちを地域構成主体として育成するためには、地域問題の持つ多様性を「大人を通して」学ぶとともに、「大人たちと対等な立場で」学ぶことが重要である。また、学校ぐるみ(づくり)・地域ぐるみ(づくり)の取り組みや、そのための自治体や専門家、市民団体などの地域の関係機関等による共働的な関係の構築が肝要となる([1]59ページ、[4]37ページ)
● 地域問題は、個人の日常生活に直接関わる日常的個別的な問題と、他地域や地球規模の問題へとつながる社会問題との中間に位置し、いわば両者を媒介する存在である。そこで、地域問題学習は「自分ごと」と「他人ごと」を統一した学習となり、そのためには問題(課題)を多面的・多角的・構造的に把握し理解することが求められる。([1]60ページ)
● 学校教育におけるまちづくり学習の課題は、時間と場の確保である。まちづくり学習の場として総合的な学習(探究)の時間や社会科、生活科・家庭科などが考えられる。併せて、他教科や領域などの学習内容に、「まちづくり学習的な視点」(まちづくり学習機能を有する活動)を導入することも考えられる。([1]66ページ)
● 学校におけるまちづくり学習は一面では、「まちを知る」ことによって、子どもたちの「地域からの離脱」を促進する要素を持っている。子どもたちが豊かな地域づくりに参加(参集・参与・参画)するためには、子どもたちが地域を知り、地域の良さや問題点を見出し、主体的・自律的に、そして楽しみながら学習活動に取り組めるデザインが求められる。([2]100、101ページ)
● 子どもたちを持続可能な社会の創造主体として育成するためには、過去や現在のまちについての認識・理解に留まるのではなく、意識変革や価値観の育成などを通して、未来のまちについて考える未来予測型・未来創造型の授業も必要となる。([3]9ページ)

〇「まちづくり」をテーマや題材にすれば、それは即「まちづくり学習」として成立するわけではない。そのためにはいろいろな要件や取り組みが必要となる。まちづくり学習の目標や内容に加えて、地域の問題(課題)を発見し、理解し、解決するための主体的・自律的そして共働的な学びをどう構想するかが、子どもや教師、共働する地域の関係機関や住民などに問われることになる。その際、福祉教育実践において高齢者や障がい者がそうされることがあるように、「地域」が道具視されることがあってはならないことは言うまでもない。
〇なお、直近のまちづくり学習に関する論稿のひとつに、唐木清志の「社会系教科におけるまちづくり学習に関する評価モデル―サービス・ラーニングのパートナーシップの視点から―」(井田仁康監修、唐木清志・ほか編『Well-beingをめざす社会科教育―人権/平和/文化多様性/国際理解/環境・まちづくり―』古今書院、2024年4月、297~306ページ)がある。そこでは、まちづくり学習の可能性と課題を念頭に置きながら、まちづくり学習では多様な主体(constituency)の関係性こそが重要であるという立場から、まちづくり学習の評価モデル(まちづくり学習の全体を構造的に評価する枠組み)を検討する。
〇そのなかで唐木は、例えば、まちづくり学習の主体(子ども、教師、学校管理者(校長)、地域組織、地域住民など)に関して次の3点を指摘(提案)する。①まちづくり学習の主体を、教師が単元開発の段階で積極的に探し当てることが必要である。主体はその関係性の網の目の中に無数に存在しており、その網の目を活かしながら、まちづくり学習は成立するはずである。②主体間の関係性の質をより厳密に問うていくことが必要である。まちづくり学習では、主体の関係性が変容していくことで、単元そのものも変容を遂げると考えられるべきである。③まちづくり学習を授業づくりの次元で検討するばかりでなく、学校づくりや地域づくりの次元においても捉えていくことが必要である。まちづくり学習は、子どもや授業を変えるだけでなく、学校や地域を変える可能性を秘めているからである(304~305ページ)。
〇まちづくり学習に関連する概念に「サービス・ラーニング」がある。唐木はいう。サービス・ラーニングは、「教室で習得された知識・技能を、地域社会の課題を解決するために計画・実施される社会的活動に生かすことを通して、学習者が市民性を身に付けることを目的とした教育方法」と定義される。サービス・ラーニングを日本の学校教育の文脈に即して意訳するなら、「社会参加学習」が適切である。
〇日本型サービス・ラーニングとしての社会参加学習は、次の条件によって成立する。①地域社会の課題を教材化すること。②プロジェクト型の学習(子ども自らが問題を発見し、解決する能力を養うことを目的とした学習方法。問題(課題)解決型学習)を組織すること。③振り返りを重視すること。④学問的な知識・技能を習得、活用する場面を設定すること。➄地域住民との協働を重視すること、がそれである(298ページ)。唐木のサービス・ラーニングの言説については、<雑感>(40)社会参加とサービス・ラーニング―唐木清志著『子どもの社会参加と社会科教育』再読―/2016年10月1日/本文、を参照されたい。

〇「学校教育・サービスラーニング・福祉教育」については、<スライド版>(4)「学校教育・サービスラーニング・福祉教育―中央教育審議会答申等―」/2023年7月5日/本文、<原田正樹の福祉教育論>アーカイブ(4)講演録(1)/原田正樹/地域の課題に取り組む―サービスラーニングを理解する―/2021年3月2日/本文、を参照されたい。
〇「まちづくり学習と市民福祉教育」については、一部重複するところもあるが、<まちづくりと市民福祉教育>(11)まちづくり学習と市民福祉教育/2012年10月13日/本文、を参照されたい。

 

補遺
竹内裕一は、「社会科教育におけるまちづくり学習の可能性―子どもと地域の再生に向けて―」『千葉大学教育学部研究紀要』第47巻、千葉大学教育学部、1999年2月、55~69ページ、において「体験重視型」学習の問題点として次の4点を指摘する。その際、「体験重視型」学習は、「まちづくりに楽しくかかわる」ということを基本的コンセプトに、「楽しく参加しながら、知らず知らずのうちに、環境(まち)への思いや関心を高めていく」ことにねらいがある、という。

第1は、「楽しいだけでよいのか」という疑問である。
「体験重視型」学習はゲーム的要素が強いため、参加者が楽しむことが最大のねらいとされる。しかし、そこには「楽しい」だけで地域に生起する問題は解決できるのかという懐疑が存在する。さらに、社会科授業構成原理としての「まちづくり学習」を構想しようとするならば、教育内容の系統性を視野に入れた教科論としての展開が不可欠であろう。
第2は、ゲーム仕立てにするために、実際の現実を抽象化・モデル化し過ぎてしまい、具体的な地域の事実認識に基づいた学習が展開されにくい点である。
すなわち、地域で学んでおきながら、地域の現実を何も学ばないという結果になってしまわないのかという疑念である。第1点目とも併せて、「体験重視型」学習のカリキュラム論的検討が必要であろう。
第3は、上記2点にかかわって、実際に地域で生起する厳しい意見対立がみられるような地域問題の解決に向けて、はたしてこうした取り組みのみで地域の人々の合意を得、有効な解決策を見いだすことが可能なのかという、社会参加型学習の本質にかかわる問題点である。
地域に生起する問題は、多くの場合、住民相互に意見の相違が認められる。「体験重視型」学習では、こうした住民間の意見対立をゲーム仕立てにするわけだが、現実的な問題解決策を見いだすには、意見対立のある問題にかかわる「事実」と人々の「価値観」を考察する学習過程が不可欠であろう。
第4は、特に建築・都市計画系分野の場合、学校外における活動(ワークショップなどのイベント的催し)が中心であるため、参加者の範囲が限られる点である。
地域の具体的なまちづくりを考える場合、対象とする住民の量と質の拡大は避られない課題である。(65~66ページ)

中野伸彦・森和弘/福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ「ともに生きる力」~


出典:中野伸彦・森和弘「福祉のまちづくりと総合的な学習の時間~実践例に学ぶ「ともに生きる力」~」『研究紀要』第17巻第1号、長崎ウエスレヤン大学(現・鎮西学院大学)地域総合研究所、2019年2月、45~58ページ。
謝辞:転載許可を賜りました中野伸彦先生と鎮西学院大学地域総合研究所に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所:田村禎章・三ツ石行宏

阪野 貢/「社会的処方」再考―西智弘編著『みんなの社会的処方』のワンポイントメモ―

〇筆者(阪野)の手もとに、西智弘編著『みんなの社会的処方―人のつながりで元気になれる地域をつくる―』(学芸出版社、2024年3月。以下[1])がある。『社会的処方―孤立という病を地域のつながりで治す方法―』(学芸出版社、2020年2月。以下[2])の続編である。[2]に関しては、本ブログの<雑感>(123)社会的処方とリンクワーカー:お医者さんが取り組む“オモロイ”はじめの一歩―西智弘編著『社会的処方』読後メモ―/2020年11月27日/本文、を参照されたい。
〇西(緩和ケア内科医)にあっては、「社会的処方」(Social Prescribing:ソーシャル・プリスクライビング)とは、「薬で人を健康にするのではなく、人とまちとのつながりで人が元気になる仕組み」(3ページ)、別言すれば「病気や障害があっても無くても、子どもから高齢者まで、誰しもが自分の『やりたい!』を自由に表現でき、それが実現できるような環境を平等に享受できるようにみんなで取り組んでいく」仕組み(5ページ)をいう。「社会的処方は、もっと自由でいい。多くの人たちが気ままに自然に『自分にできること』『自分がやりたいこと、好きなこと』を持ち寄って、お互いに『いいね、いいね!』とつながっていく先に、孤独・孤立の解消がある」(6ページ)。
〇そこで西は、[1]で、社会的な孤独・孤立の問題が深刻化するなかで、「日常生活の様々な場面に社会的処方があり、暮らしているだけで元気になれるまち」(カバーのそで)、「ごちゃまぜのまち」(246ページ)をどうつくるかについて、世界と日本における社会的処方の実践の「場」(生活の動線上で、人と人とが行き交う、ハブとなる「場」:53ページ)や具体的な取り組みに学びながら、これからを展望する。
〇また、西にあっては、社会的処方の基本的理念は、「人間中心性」「エンパワメント」「共創」の3つである。西はいう。「人間中心性」(person-centeredness)については、「その方(人)がこれまでどんな人生を歩んできて、何に興味があって、そしてこれからどう生きていきたいと思っているのか、『好奇心と思いやりをもって、目の前の個人を見ていく』姿勢が大切である」(16、18ページ)。「エンパワメント」(empowerment)については、それは「誰もが本来備えている能力を、発揮できる社会を目指す思想」であるが、「目の前にいる人を信じて、気長に、本人がもっているものを一緒に見つけていくプロセスを共に過ごすことが大事である」(19、21ページ)。「共創」(co-production)については、それは「一緒に作っていくこと」であるが、「自らの社会的処方を(リンクワーカーと一緒に)自ら生み出していく」(21ページ)ことが重要になる。
〇そして、「リンクワーカー」(link worker)は、「孤立している個人やその支援者と面会し、本人の特性や興味関心などを聴取しながら、孤立の解決のために地域活動などとつなげていく役割を担う」人をいう(16ページ)。そのリンクワーカーには、医療や保健・看護・介護・福祉などの専門職や行政職員としてのリンクワーカー(「職業リンクワーカー」)のほかに、ボランティアとしてリンクワーカー的に活動する地域住民=「市民リンクワーカー」がいる。この点について西は、日本で社会的処方を進めていくうえでは、「社会的処方を文化にする」ために「住民主体型の社会的処方モデルが好ましい」(17ページ)という。これらが「社会的処方」についての西の言説、そのポイントである。
〇ここでは[1]のなかから、「社会的処方」をめぐる論点や言説のいくつかをメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。例によってそれは限定的(恣意的)であるとの謗(そし)りを免(まぬが)れないことは承知している。

社会的処方ではケアされる本人が主役になれるように支援することが肝要となる
「支援する」とは、「基本的には対等な二人の人間が、そこにある課題に対して、一緒に新しい価値を生み出していくこと」である。(24ページ)/ここで大切なキーワードは「本人が『主役』になれるように」である。あくまでも、主体は本人。支援者であるリンクワーカーが何かを施して、本人を受動態の形にするのではなく、かといって本人に全ての責任を押し付けるのでもなく、「一緒に決めたよね」「私たちはあなたのことを見ているよ」といった関係性で支えるという意識が大切なのである。本人が「主役」になる、ということはその主役に働きかける脇役だって必要だし、それを見続ける観客の役割だって必要なのだから。(25ページ)/「一緒に決める」「ずっと見ている」この2つをもって、自身を取り巻く社会の中での「主役」と信じられるようにしていくことが、ここで大切にしたい支援の形なのである。(25ページ)

社会的処方にとって「アート」は人と社会をつなぐ重要な社会的営みである
人々が思いを表現した絵や造形、音楽、ダンスなどをアートという。(148ページ)/アートは人類の歴史上ずっと存在しており、人にとって欠かせないものである理由のひとつは、人が社会的動物で高度な「つながり」が必須だからだ。それは単に他者との表面的な繋がりではなく、自己の内面とのつながりを含む。人は自己信頼ができなくなるとイキイキとしているのは難しく、また、心が通う他者がいない「望まない孤独や孤立」は死を近づける。心安らかに暮らすには自分とのつながり、他者とのつながり、心身ともに安心安全な居場所が必要だ。だから人は自己と自分を取り巻く世界をつなげようと表現し、他者とともに想像を共有し、つながりを形成する力をアートの形で発展させてきたのだろう。言語を超え表現するアートは高度に社会的である人間が生きることをつなぐ、切実なものとして生み出されてきた。アートは個人の創造性と深い繋がりを持ちつつ、同時に社会的な関係性をつくるソーシャルな機能を持つのが特徴だ。(148~149ページ)

社会的処方は人々がまちなかで「わずらわしいことをする権利」を行使することを求める
いつの頃からか、「公共空間で起きている問題は行政の管轄」「そこを管轄する専門家が管理するほうが面倒くさくなく、効率的」、さらには「私たちは『税金』ってかたちでお金を払っているんだから、それくらいの『サービス』はしてくれて当然だろう?」という「社会のお客様でありたい」考えに取りつかれつつある。(206ページ)/これから必要なのは「行政のダイエット」であり、できるところは自分たちの頭で考えて何とかして、行政に頼らないことで税金もかからないようにする方が、長い目で見れば結果的に僕ら自身にもお金が残っていく。もう少し見方を変えるなら、僕らは行政から「わずらわしいことをする権利」を取り戻すべきなんじゃないか、と言える。(中略)僕らは「自分が住むまちを自分できれいに整える権利」や「公園で自由に遊ぶ権利」をはじめとした、「自分たちの暮らしを自由に彩る権利」までも奪われてしまっていると言える。それら権利を全て取り戻して(すなわち、おせっかい住民をエンパワメントして:87ページ)いくことが結果的に、僕ら自身がまちなかで面白がれる生活につながっていくのだと思う。(207~208ページ)

〇2020年7月に閣議決定された政府の「骨太の方針」に、社会的な孤独・孤立対策として「社会的処方」が明示された。2023年6月に「孤独・孤立対策推進法」が公布され、翌2024年4月に施行された。筆者(阪野)は、社会的処方の言葉や理念がイギリスからの(旧態依然とした)直輸入であることに危うさを感じる(イギリスの一般市民レベルでは「社会的処方」は必ずしも十分に認知されている状況ではないとも言われている)。また、社会的「処方」に含意される医師主導に違和感を覚え、さらには慎重さに欠ける制度化に唐突感を禁じ得ない。介護保険制度が導入された2000年4月以降、「地域包括ケアシステム」(地域住民に対して住まい・医療・介護・予防・生活支援などのサービスを一体的・体系的に提供する体制)や地域共生社会づくりのための「多職種連携」の推進が図られ、最近では(2021年4月施行の改正社会福祉法で)属性を問わない相談支援・参加支援・地域づくりに向けた支援の3つの支援を一体的に実施する「重層的支援」体制の整備が図られるなかで、いま、なぜ、社会的処方なのか。また、同改正社会福祉法で「重層的支援体制整備事業を実施するに当たっては、社会福祉士や精神保健福祉士が活用されるよう努めること」と参議院で附帯決議されるが、そんななかで、なぜ、「リンクワーカー」なのか。


〇ただ、WHO(世界保健機関)がいう、社会的処方の基底にある「健康の社会的決定要因」(SDH:Social Determinants of Health、1998年)や「ICF(国際生活機能分類)」(International Classification of Functioning, Disability and Health、2001年)の「環境因子」(environmental factors)について重視すべきであることは言うまでもない。
〇西はいう。「社会的処方を(市民の)文化にする」(17ページ)こと、すなわち地域に暮らす一人ひとりの住民が孤独な人のつなぎ手となっていくことが必要である。とはいえ、「社会的処方の効果に関する科学的な検証はまだ十分とは言えない。過度の投資や熱狂、手放しでの賞賛をするのではなく、目の前にいる一人一人を見つめ、必要に応じて適切な社会的支援を行っていく、その中のひとつの選択肢として、社会的処方の考え方があるのだと理解しておいた方が、現時点では無難であろう」(129ページ)。付記しておきたい。

 


➀ WHO(世界保健機関)は、「SDH(健康の社会的決定要因)」を次の10項目に分類している。①社会格差、②ストレス、③幼少期、④社会的排除、⑤労働、⑥失業、⑦社会的支援、⑧薬物依存、⑨食品、 ⑩交通、がそれである( WHO健康都市研究協力センター・日本健康都市学会訳『健康の社会的決定要因―確かな事実の探求―』(第2版)特定非営利活動法人健康都市推進会議、2004年)。
② 「ICF(国際生活機能分類)」については、スライド(3)ICFの視点と福祉教育―ICFの構成要素間の相互作用/本文、を参照されたい。

補遺
社会的処方の名前や概念は少しずつ広まり、2020年の政府「骨太の方針」にも社会的孤立対策の切り札として明記された。そして2024年には「孤独・孤立対策推進法」が施行され、孤独や孤立の問題は国や自治体だけではなく「国民一人一人も」力を合わせてその対策につとめていくべきとされた。([1]3ページ)

辻浩/社会問題の教育学を求めて―地域と福祉と学校をつなぐ「社会教育」研究のこれまでとこれから(その2)―

Ⅰ 社会問題の教育学を求めて











出典:辻浩「社会問題の教育学を求めて」『名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要(教育科学)』第70巻第2号、名古屋大学大学院教育発達科学研究科、 2024年3月、1~9ページ。
謝辞:転載許可を賜りました辻浩先生と名古屋大学大学院教育発達科学研究科に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所:田村禎章・三ツ石行宏


Ⅱ 研究業績(抜粋)

老爺心お節介情報/第61号(2024年8月13日)

「老爺心お節介情報」第61号

地域福祉関係者の皆様
社会福祉協議会関係者の皆様

暑い夏です。くれぐれもご自愛ください。
「老爺心お節介情報」第61号を送ります。

2024年8月13日   大橋 謙策

〇本当に暑い夏ですね。
〇“夏の暑さにも負けず”、全国各地のCSW研修で飛び回っています。
〇7月13日~14日には、徳島県阿南市で第21回四国地域福祉実践研究セミナー(「こんぴらセミナー」から通算すると第27回になります)に参加してきました。600名もの参加者で、熱気溢れる、かつ実践報告の水準も高いセミナーでした。年々、参加市町村も増え、参加者も多彩となり、地域福祉研究者としては学びの多い、嬉しいセミナーでした。
〇恒例の句会も行われ、筆者も投句しました。選者は阿南市俳句協会の関係者で、覆面で審査してくれました。筆者の投句「時鳥、阿南の郷に人を呼び」がなんと特選3句の一つに選ばれました。
〇来年の第22回四国地域福祉実践研究セミナーは高知県黒潮町で行われることになりました。黒潮町は南海トラフで34mの津波が押し寄せると想定されている町です。「地域共生社会政策」で標榜されている多世代交流の「小さな拠点」のモデルとなっている高知県ふれあいあったかセンターを6か所も運営している町です(高知県全体で55か所)。黒潮町は重層的支援体制整備事業を受託しており、急速に、かつ着実に地域共生社会づくりが進展しています。
〇黒潮町は、「藁焼きカツオ」で有名な明神水産があり、セミナーへの参加と同時に、「藁焼きカツオ」とお酒での懇親会も楽しみです。来年、2025年7月12日~13日が開催予定日です。皆さん、大いに参加してください。
〇今回の「老爺心お節介情報」は、日本社会事業大学同窓会の北海道支部の機関紙『アガペ』に連載中の「虐待問題」のその④を転載します。『アガペ』への寄稿は、後一回でおしまいにしようと考えています。
〇筆者は、酷暑ではありますが、CSW研修で8月~9月も全国を飛び回っています。私のCSW研修は4日間か5日間のコースで、「社会生活モデル」に基づくアセスメント能力の向上、アウトリーチ型のロールプレイとその気づきの検証、地域住民が抱えているニーズに対応する問題解決プログラムの開発、地域での頃地を克服するソーシャルサポートネットワークづくりの課題を学ぶことを必須としています。前期課程と後期課程との間には宿題を出し、後期課程においてその宿題へのコンサルテーションを受講生一人一人に即して行うもので、かなりハードですし、公私の力量が問われるものです。改めて、地域福祉関係者、社会福祉協議会関係者の研修のあり方を問い直すべきではないでしょうか。

(2024年8月13日記)

(備考)
「老爺心お節介情報」は、阪野貢先生のブログ(「阪野貢 市民福祉教育研究所」で検索)に第1号から収録されていますので、関心のある方は検索してください。
この「老爺心お節介情報」はご自由にご活用頂いて結構です。

福祉と教育、福祉教育と教育福祉―辻 浩の「地域づくりと教育福祉」論に学ぶ―

福祉と教育、福祉教育と教育福祉

―辻 浩の「地域づくりと教育福祉」論に学ぶ―


(参照)
阪野 貢/辻浩の「福祉と教育」による「地域づくり」を読む―辻浩著『現代教育福祉論』等のワンポイントメモ―/<雑感>(212)/2024年8月1日/本文
辻浩/私の「社会教育」実践と研究―地域と福祉と学校をつなぐ「社会教育」研究のこれまでとこれから―/2024年8月3日/本文


 

主権者教育・シティズンシップ教育・政治リテラシー教育

主権者教育・シティズンシップ教育・政治リテラシー教育



(参照)
阪野 貢/「主権者教育」「シティズンシップ教育」の一環としての「市民福祉教育」を考えるために―新藤宗幸著『「主権者教育」を問う』再読メモ―/<雑感>(151)/2022年4月16日/本文
阪野 貢/「政治リテラシー」考:啓蒙主義的主権者教育と保守主義的主権者教育、市民性教育と国民性教育―関口正司編『政治リテラシーを考える』のワンポイントメモ―/<雑感>(209)/2024年7月1日/本文
阪野 貢/追補/憲法上の国民:主権者・有権者・市民について考える―駒村圭吾著『主権者を疑う』のワンポイントメモ―/<雑感>(187)/2023年9月16日/本文


 

辻浩/私の「社会教育」実践と研究―地域と福祉と学校をつなぐ「社会教育」研究のこれまでとこれから(その1)―

辻浩の「地域と福祉と学校をつなぐ社会教育」実践と研究

―回顧と課題―

 

はしがき

〇筆者(阪野)は、長い間先延ばしにしてきた辻浩(つじ・ゆたか)先生のご高著を再読し、拙稿――辻浩の「福祉と教育」による「地域づくり」を読む―辻浩著『現代教育福祉論』等のワンポイントメモ―(備考参照)を草した。そこで学んだことは、表層的の誹(そし)りを免れないが、約言すれば次の通りである。

● 辻の言説は「生涯学習と社会教育と教育福祉」「社会教育と地域福祉と地域づくり」「学校教育と社会教育と地域づくり」「共生と自治と社会教育」「歴史と理論と実践」「研究者と実践者と住民」などの視点や枠組みのもとに、また「歴史研究と社会調査とアクション・リサーチ」の手法を用いた多面的・多角的な思考によって展開される。そこに通底するのは、「子ども・若者あるいは成人が安定した生活基盤のもとで豊かな人間発達を実現することをめざす」地域づくりについての熱い思いと真摯な姿勢である。
●辻の3冊の単著を時系列に沿って見ると、辻の「生涯学習論」やそのひとつの側面である「地域づくり教育論」や「教育福祉論」の形成過程、すなわち社会教育や生涯学習の実践や研究の抽象化・体系化の方法と過程がわかる。それは、戦後日本の社会教育研究や生涯学習研究の到達点(成果)でもあり、次の新たな実践や研究への展望を開くものであると言えよう。辻は、研究者の立ち位置や方法について、地域住民や現場職員の「学習」による認識や行動を重視し、その「歴史と実践のなかから苦悩と喜びをともなって立ちのぼってくるような記述をめざしている」とする。強く意識したい。
● 辻の言説の特徴のひとつは、「社会構造の中で生み出される問題を見据え、制度・政策を求め、実践を展開する動態的なもの」である。しかも辻は、「学習権保障としての教育福祉」 を主軸(前提)に、教育全体のあり方を見直す教育改革の視点とともに、主体的・自律的な住民(子ども・若者や成人)による「地域づくり」に視座を置いて「論」を展開する。例によって唐突ではあるが、これらは「まちづくりと市民福祉教育」の実践と研究に課せられたものでもある。強く再認識したい。

〇この機会に、久しぶりに辻先生にご挨拶を申し上げたが、先生から『地域と福祉と学校をつなぐ社会教育』(私家版冊子、2024年)と題する冊子をご恵贈いただいた。名古屋大学大学院時代(2018年4月~2023年3月)の玉稿の一部を収録し、思いを綴ったものである。
〇筆者は、上記のような点を再確認しながらそれを拝読するなかで、本稿のようなモノをブログ読者に紹介したいという強い思いに駆られ、急ぎ集成作業を行った。そこで、辻先生に対しては失礼の極みであるが、事後承諾を得ることで本稿を投稿・アップさせていただいた次第である。従って、その一切の責任は筆者が負うものであことは承知している。先生と関係機関に対しては、まずはお詫びするしかない。
〇いずれにしろ、読者の皆さんには是非、辻先生の以下の「論稿」と「研究業績」を通して多くを学んでいただきたい。

(市民福祉教育研究所/文責:阪野 貢)


Ⅰ 「地域と福祉と学校をつなぐ社会教育」実践と研究

―辻浩 『地域と福祉と学校をつなぐ社会教育』(私家版冊子、2024年)―


『現代教育福祉論』の刊行から6年:名古屋大学で考えたこと

                                辻 浩

1.『現代教育福祉論』刊行の経緯
〇私が最初に単著として刊行した『住民参加型福祉と生涯学習―福祉のまちづくりへの主体形成を求めて―』(ミネルヴァ書房、2003年)は、領域的には福祉教育の研究ということができる。しかし、戦前の社会教育が翼賛体制に組み込まれたことから、たとえ福祉のためとはいえ、動員的になってはいけないと考え、住民が多様で切実な課題を抱えていることを強調し、そのことを理解できるように「学習の自由」が必要であることを訴えた。
〇そしてこの本を書いている頃から、1990年代半ば以降指摘されることになった貧困や格差の広がりについて授業で話すことが多くなり、社会教育の原論のテキストとして『現代の貧困と社会教育―地域に根ざす生涯学習―』(国土社、2009年)を編集した。これは切り口が明解でありながら社会教育の全体もわかるという点で反響が大きかったが、編者としては、前半の貧困や格差がすすむ中での社会教育実践の論稿と後半の社会教育の法や行政、施設の論稿が結びついていないと思った。その後、社会教育の計画論のテキストとして、『自治の力を育む社会教育計画―人が育ち、地域が変わるために―』(国土社、2014年)を編集することになったが、ここでも前半の自治体の計画や公民館の職員の仕事に関する論考と後半の地域課題の学習についての論稿が結びついていないと思った。
〇私がこのようなことに取り組んでいる間に、子どもや若者、女性の貧困に注目した研究がぞくぞくと発表された。また、障害のある人や外国にルーツをもつ人の研究も数多く発表されるようになった。私はそれらを紹介しながら社会的排除を克服する社会教育が求められていると授業で話していたが、何年かして、恩師の小川利夫先生の議論を受け継ぐようなものが必要ではないかと思うようになり、『現代教育福祉論―子ども・若者の自立支援と地域づくり―』(ミネルヴァ書房、2017年)を著した。貧困・障害・差別の問題を、理論、歴史、国際動向、学校づくり、地域づくり、から総合的に論じるものが1冊くらいあってもいいのではないかと考え、意識的に幅の広いものにした。
〇そこでようやく、教育福祉と社会教育と地域づくりが結びつけられるようになった。また、小川先生の教育福祉論を乗り越えることは考えず、受け継いで今の時代に照らして考えれば、自ずと何か見えるのではないかと思うようになり、小川先生が存命であれば、今の時代のどういうことに注目して研究をすすめるだろうと考えるようになった。そのようにしたことで、学校教育をどのように相対化して改革できるのか、組織労働の社会変革の力が低下している中で何に依拠して実践をすすめられるのか、といったことが自分の中で課題として明確になった。

2.研究室年報で考えたこと
〇『現代教育福祉論』の刊行の半年後に私は名古屋大学に赴任した。まず、研究室で発行されている『社会教育研究年報』(年報)を活性化させたいと思い、自分が率先して書くことにした。『現代教育福祉論』で書くべきことは全部書いたつもりだったが、自由に書ける機会ができると、教育福祉にかかわることばかりが頭をかすめ、結果的に、『現代教育福祉論』の補遺のようなものを書き続けることになった。
〇最初に書いた「『公害と教育』に関する教育福祉研究試論―森永ひ素ミルク中毒事件における『恒久救済』をめぐって―」(年報第33号、2019年)は、公害の被害にあった人やその家族はどのように自己を形成していくのか、いわば教育福祉における人格論を考えようとしたものである。このことに取り組むのには、中坊公平『私の事件簿』(集英社新書、2000年)の中で、安い粉ミルクを子どもに飲ませたことで自分を責める母親の話を聞くと「鉛を飲んだようだった」という記述が頭からを離れなかったということがある。また、大前哲彦先生から、ここでの補償の仕方は東日本大震災での原発事故の補償でも参考になるのではないかという話をうかがっていたこともかかわっている。我が子が障害を負わされたという怒り抱きながらも、子どもたちに何を残すべきかを考えて、一時金での補償ではなく生涯にわたって必要な医療・教育・福祉を受けられる「恒久救済」という補償を求めた親たち、その運動にかかわっていく医療や教育の専門家、報道関係者、そして誠実に責任を果たし再発防止にも取り組む加害企業。社会教育は社会運動の中の学びに注目してきたが、このような社会運動における合意形成に感銘を受けた。
〇次に書いた「『教育福祉的生涯学習』から見た教育基本法解釈の課題―困難を抱えた人々の連帯による教育の改革―」(年報第34号、2020年)は、現行の教育基本法で生涯学習が教育全体の理念となり(第3条)、教育の機会均等に障害のことが入ったことから(第4条)教育基本法の全条文を読み解くととどうなるのかを考えたものである。現行教育基本法は、教育の目標が徳目的に並べられていること(第2条)、私事である家庭教育に介入したこと(第10条)、教育行政による支配の可能性がないことを前提にしていること(第16条)、教育振興基本計画によって行政の権限が強化されたこと(第17条)など、大きな問題をもっている。また、生涯学習も「その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない」とされ、個人の豊かな自己形成ではなく、社会に貢献することが中心になりかねない条文になっている。しかし、法律として存在している以上、可能な限りいい方向に向かうように解釈できないものかと、空想的ではあるが、第3条と第4条を結びつけて「教育福祉的生涯学習」という概念を設定して、そこから教育全体を考えてみた。
〇3つ目に書いた「教育福祉実践を担うNPO・市民活動と公的社会教育―新しい価値観の創造と行政的・市民的承認の地域における結合―」(年報第35号、2021年)は、NPOが最先端の教育福祉実践を切り拓いている中で、職員の異動が激しい行政の社会教育は何をすべきかを考えたものである。このことに思い至ったのは、岐阜大学での社会教育主事講習の時である。NPOが展開している教育福祉の実践の話は学生が関心をもって聞くことなのに、そこでは反応が鈍かった。なぜだろうと考えて咄嗟に思い浮かんだことは、公務員や教員である受講者にとって、最先端の実践を切り拓いているNPOのようなことをするのは無理だと思われたのではないかということであり、そうであれば、NPOと協働する公的社会教育のあり方を示す必要があるということであった。そこで思い出したのが、西東京市の公民館での困難をかかえた人のことを考える講座のことである。ここでは、子ども・若者支援でも、母子世帯支援でも、性的マイノリティのことを考える講座でも、NPOの人から優れた実践の話を聞いた後、公民館職員が受講者同士の意見交換をリードし、アフターミーティングを呼びかけ、そこからさまざまな活動が立ち上がっていく。正規の行政の社会教育職員は頻繁な異動の中でかつてのような専門性を身につけることができず、非正規の職員は社会教育実践に長年取り組んでも決定権が与えられない。このような行政の社会教育職員の置かれている状況を率直に認めて、最先端の取り組みを行っているNPOが発信してる新しい価値観を地域・自治体に定着させていくことが公的社会教育の課題ではないか考え、そこでは古い価値観と対峙することも必要で、簡単にできる仕事ではないことも指摘した。
〇4つ目に書いた、「『学校から社会への移行期』における教育福祉と学校改革―『総合教育政策』の可能性―」(年報第36号、2022年)は、社会教育や教育福祉がもっとも必要な時期として「学校から社会への移行期」について考えたものである。社会教育の歴史を思い返せば、上級学校に進学できない農村青年や勤労青年の教育に力を注いできた。今日ではほとんどの子どもが高校に進学しているが、高校を中退した若者がどのように社会に出ていくことができるかが課題となり、高校や大学を卒業しても社会でつまずいた時の立ち直りの支援も課題となっている。また、障害のある人が特別支援学校高等部を卒業した後に、大学や専門学校に進学することが少なく、学習・文化・スポーツ活動に参加することも難しい。障害者権利条約を批准したにもかかわらずこのような状態になっていることから、文部科学省でも障害者の生涯学習のあり方を検討する有識者会議を設置して、モデル事業を委嘱している。有識者会議のメンバーでもある田中良三先生が学長を務める見晴台学園大学にかかわり、そこから「障がい者生涯学習研究会」や「全国専攻科(特別ニーズ教育)研究会」に参加して、学校卒業後の社会教育の整備だけではなく、卒業後の生涯学習を見通した学校教育の改革がめざされていることに感銘を受けた。このような中で、私は中央教育審議会生涯学習分科会の委員になり、生涯学習を所管しているのが総合教育政策局であることからすすれば、初等中等教育局と高等教育局にはたらきかけて「総合教育政策」の内実をつくってほしいと機会があるたびに発言した。また、附属中学・高校の校長を併任することになり、大学受験で終わるわけではない生涯学習時代にどのようなことを考えなければならないのかを生徒に話し、『希望への学びのために―「生涯学習の校長」が学校で語ったこと―』(私家版、2023年)にまとめてみた。
〇5つ目に書いた「教育福祉から見た『働くこと』による人間発達と地域社会―『もう一つの経済循環』を視野に入れて―」(年報第37号、2023年)は、困難をかかえた人の支援として働くことを位置づけることが必要であり、そのために人間らしい働き方がどのようにつくられつつあるのかをまとめたものである。ここには、学部時代に学んだエンゲルスの「猿が人間になるについての労働の役割」や「子どもの遊びと手の労働研究会」の取り組み、障害者の共同作業所づくりの理念、大学院時代に出会った「人間発達の経済学」「内発的発展論」「地域内経済循環」の考え方が背景にある。また、前任校で地域福祉のあり方を考えている中で出会った労働者協働組合や農福連携事業の取り組みや、若者支援の最先端を切り拓いている文化学習協同ネットワークで、「働くこと」をめぐって、その時々の取り組みを教えてもらったことが影響している。そして、社会教育・生涯学習研究所で福島県飯館村や長野県阿智村にかかわる中で、地域・自治体の最大の課題である人口減少に歯止めをかけるには、若者の目から見て、自分の願いが実現できそうな働き方ができそうかどうかということがそこに住むかどうかの分かれ目になることがわかったことも大きいことだった。このような「もう一つの経済循環」は社会に参加してその人らしく生きることができる仕組みではあるが、まだ局所的であり、大きな流れにするためには、住宅政策や社会保障制度の改革を求める運動ともかかわらせる必要がある。

3.教育福祉研究において心すべきこと
〇教育福祉という用語はまだ定着していないものの、困難をかかえた子ども・若者への関心が高まり、多くの研究が発表されるようになってきている。その原因として、格差や貧困の広がりが深刻に受け止められていることがあると思われるが、一方で、安易にこの研究に関心が向けられるという側面もあるのではないだろうか。教育福祉研究によって、これまでの研究の欠けた部分を埋めることができ、次々と起きる問題とそれに対応した実践には新しさがあり、そのことに取り組むことは社会正義にもかなう。しかし、教育福祉研究は人の困難を研究材料にする罪深さがあり、困難の原因を明らかにすることでレッテル貼り・宿命論につながることもある。その意味では、教育福祉研究には、子ども・若者の権利保障の立場に立ち、その運動に参加し、痛みを感じながら取り組むことが必要であり、その上で、表層的なことではなく本質的なことを見定めて研究する必要があると考える。
〇教育福祉を提唱した小川利夫先生は、進学できる青年と働く青年という「二つの青年期」に注目し、差別的な後期中等教育を問題にした。しかしその後、子ども・若者に限定しない教育福祉の研究も行われるようになっている。私も教育福祉を成人や高齢者の課題として授業で話していた時期もあるが、『現代教育福祉論』では子ども・若者の課題として考えた。すべての世代に教育と福祉の連携が必要ということにすれば、教育福祉研究の対象が広がる一方で、学校教育の差別的構造を改革するという教育福祉がもっていた重要な視点が入らなくなるということをわかっておく必要がある。また、子ども・若者の教育福祉の研究は、奨学制度のような学校教育福祉と居場所づくりのような社会教育福祉に分けることができるが、その重なりや関連を意識して、学校教育の改革につなげることに力点を置くのか、それぞれの領域の制度や計画、技術に力点を置くのかを考える必要がある。
〇教育福祉は当初、中卒集団就職者の自立、児童養護施設入所児童の高校進学率の低さ、障害児の不就学などに、自治体労働者や福祉施設職員、教職員が取り組み、その背景に労働組合や自主的な研究会があった。しかし今日、そのような組織的な労働者の社会運動の力は低下していく。このような中で、教育福祉と地域づくり教育の担い手はどのように変化してきたのか、それぞれの時代に精一杯の実践がどのように展開されてきたのかを跡づけるために、『<共生と自治>の社会教育―教育福祉と地域づくりのポリフォニー―』(旬報社、2022年)を著した。しかし現実の公務労働者をめぐる状況はますます厳しくなり、人員が削減され、非正規・委託で働く人が増え、手薄になる地域の末端を住民が「我が事・丸ごと」考えて支えることが期待されている。このような地域・自治体の全体構造を理解しないで、教育福祉実践だけに注目すると、実践者をますます過酷な状況に追い込むことになるのではないだろうか。そこで、今日の地方自治の動向の中で、優れた社会教育実践の創造と生活ができる労働条件の確保を同時に追求する道はないものかと、『地方自治の未来をひらく社会教育』(自治体研究社、2023年)を編集したが、まだ自覚的な公務労働者の苦悩と実践をいくらか前向きに示すことしかできていない。
〇教育福祉は困難をかかえた子どもの問題に限定するにせよ、そこから競争主義的な教育全体の問題に言及するにせよ、「国民の学習権確保」の課題として提起された。しかしその後、ポストモダンの思想的背景をもった主張があらわれ、同じ目の高さで交流することや異なる他者が出会うことの豊かさを実感することなど「関係形成」や「相互承認」に価値が置かれるようになり、さらには、困難をかかえた人の権利保障の取り組みは、低い位置にいる人を人並みに救い上げていくという上下関係でものを考えているとの指摘までなされるようになった。このような「権利保障の反作用」という指摘に対して、私は「関係形成・相互承認の反作用」ということがあるのではないかと考えてきた。そして、見晴台学園大学(発達障害の子ども・青年のための無認可の学園)や専攻科で在学期間を延長しようとする取り組みに触れて、その思いを強くしている。同じ人間として豊かな関係をつくることを否定はしないが、簡単にそのようなことができるとは考えられず、マジョリティとしての贖罪(しょくざい)の意識を潜(くぐ)り抜ける必要があり、そのためには、権利保障の取り組みに参加することが必要ではないかと考える。また、恵まれない環境が今なお存在しているにもかかわらず、社会的・制度的な課題に目を向けないのは、権利保障を求めてきた人びとの歴史と今日の取り組みを蔑(ないがし)ろにするものであり、関係形成や相互承認ができるようになったことだけを評価することは、自分の至らなさを反省するという意味で、国民総懺悔的な思考を広めることになるのではないだろうか。このような問題意識をもって、『高度経済成長と社会教育』(大空社出版、2024年)を編集したが、そこでは「権利としての社会教育」の歴史的文脈と課題を再確認し、形而上学に流れることが厳しく批判されていたことから示唆を得ることができた。
〇『現代教育福祉論』から6年、名古屋大学で研究と教育をする中で、教育福祉研究にはこのように考えなければならない課題があることに気づいた。このことを個々の論文に書く込むことはできないが、研究者としてのスタンスとして意識しておく必要がある。また、若手・中堅の研究者によって、教育福祉の個々の事象を取り上げた研究がなされていくと思われるが、年長の研究者によって、教育福祉全体を歴史の大河に照らして総括されることが何年かに一度は必要なのではないかと思っている。


出典:辻浩「教育福祉研究の展開のために」『地域と福祉と学校をつなぐ社会教育―回顧と課題―』(私家版冊子、2024年)1~5ページ。


Ⅱ 研究業績(抜粋)

謝辞:本稿の掲載について辻浩先生と名古屋大学大学院教育発達科学研究科に衷心より厚くお礼申し上げます。/市民福祉教育研究所:阪野 貢
備考:<雑感>(212)阪野 貢/辻浩の「福祉と教育」による「地域づくり」を読む―辻浩著『現代教育福祉論』等のワンポイントメモ―/2024年8月1日/本文、をご参照下さい。