阪野 貢 のすべての投稿

阪野 貢/「時間」と「空間」の座標・尺度で「生きる」ということについて考えるために―建築家・内藤廣の「ちから」3部作に学ぶ―

〇稚拙で荒っぽい思考であるが、筆者(阪野)は過日、「時間」と「空間」の座標や尺度のなかに我が身が存在しない、というような体験をした。全身麻酔(一時的な昏睡)による手術である。麻酔が切れたその時、眠りから覚めた(覚醒)という感覚は一切なかった。そこに存在したのは「死」であったのであろうか。それ故に、我が身の「生」(あえて言えば「生き抜く力」)の「時間」と「空間」について考えることが求められる。本稿を草することにしたひとつのきっかけであり、思い(想い)である。
〇筆者の手もとにいま、「文章を書く建築家」のひとりである内藤廣(ないとう・ひろし)の本が3冊ある(しかない)。(1)『建築のちから』(王国社、2009年7月。以下[1])、(2)『場のちから』(王国社、2016年7月。以下[2])、(3)『空間のちから』(王国社、2021年1月。以下[3])、がそれである。編集者の思いによる3部作であるが、そこにはその時々の信条や心象を言葉にした、哲学的で、専門的知識に裏打ちされた玉稿が収められている。それ故に、洞察の深い文章は筆者にとって難解である。
〇内藤は、[1]で「建築の本懐(本意)は、その誕生にあるのではなく、その後、時代と共に生きていく時間の中にこそある」(18~19ページ)。「大衆が心から望むものと建築家が実現しようとするもの、そのベクトルが一致する時、建築は街を変え、人びとを変えていく力となる」(20ページ)、と説く。[2]で「建築の依って立つところ、それは大地だ。大地とその場所に生きる人間だ」(12ページ)。いま、建築という価値が大きく毀損(きそん)され、本質的な意味で「建築の冬の時代」(12ページ)が到来しつつある。そんななかで必要とされるのは、「場所の持っている内在的な力、人を生かしめる内発的な力」(20ページ)である「場のちから」であり、それを全身で受け止めるような体験である(12ページ)、という。 [3]で「空間の本性は、『和解の場』のことなのかもしれない」。「建築や環境が内包する空間とは、(「人と自然」、「生と死」、「過去と未来」、「復興と街造り」など)全てのものが流れ込み、もつれあい、そしてその和解を用意する場のことなのではないか」(34ページ)、と問う。そして、建物の空間や街の空間を豊かなものにするのは、可能な限り「時間が生まれ育っていくような空間」をつくることだけである(236ページ)、と言い切る。
〇3冊の本に通底する基本的な言説のひとつは、次のようなものである。すなわち、「建築」(architecture)は「人間」の「身の置き所」([3]206ページ)を「構築する意志」であり、「建物」(building)はそのための道具、具体的なモノである([3]232~233ページ)。大切なのは(守るべきは)、「空間」と「時間」によって織りなされている「建築」という名の意志である。本来の建築の価値は、「人の生きる長さを越えて何事かを伝える」([3]5ページ)ところにあり、メッセージを伝えることによって建築は生命を与えられる。その際の(本当の)価値は、「生み出すものではなく、生まれてくるものであり、なおかつきわめて個人的なもの」([3]89ページ)である。
〇そして、内藤にあっては、建築について自分の思考を磨き、建物が生み出された内実について(技術や経済や制度の側から)説明すめためには、言葉の助けが必要となる。「文章を書く」ひとつの所以でもある。内藤はいう。「建物を建てる際の現実的な体験は、建築に対する思い込みに修正を迫る。現実と思考、そのやりとりの試行錯誤が言葉になり文章になる」。「建築と文章とは切っても切れない関係にある」([1]82ページ)。
〇本稿では、[1][2][3]における論点や言説から、例によって我田引水的であるが、「まちづくりと市民福祉教育」に関して「使える」であろう・留意したい一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

『建築のちから』
「建築の力」は空間や時間と人びととの開放的な共感のなかに現れる
われわれは、建物の完成にこだわり、品質にこだわり、意図したものができ上がる作品性に神経質になり、その結果、いちばん大切なことを見失ってはいまいか。社会制度の命ずるところ、資本主義経済が望むところ、そうしたものに対する律儀さが建物の質に無意識のうちに現れているのなら、人びとは建物から距離を置くだろう。なぜなら、建物が社会や資本に顔を向けて、人びとに背を向けているからだ。
「建築の力」(建築のなかに生まれてくる価値:阪野)はそういうところには現れない。「建築の力」は人びととの共感の中に現れる。それは、発注者、建設関係者、設計者、住民、不特定多数の人びと、よりよい社会を目指すそうした人たちの運動体、そうしたものの中で初めて兆(きざ)すはずだ。そのためには建築という価値は「完結的」であってはならない。開かれていなければならない。空間的に開かれている、あるいは時間的に開かれている必要がある。いちばん望ましいのは「空間にも時間にも開かれている」ということだ。そう誰もが感じられるような状況となった時、「建築の力」は熱湯がいきなり泡立つように内側から湧き上がってくる。([1]19ページ)

建築には空間に身を置き時間のなかに生きる人間に対する洞察が不可欠である
おそらく建築の中には、「わかりやすい価値」と「わかりにくい価値」が存在する。「わかりやすい価値」はわかりやすいのだから容易に広まる。([1]233ページ)
一方、「わかりにくい価値」は伝わりにくいから、いくら声を大にしてもなかなか広まらない。建築に時代を超えていく本質的な生命力というようなものが存在するとしたら、それはこの中にしかない。多くの場合、「わかりにくい価値」は空間の中にある。空気の肌触り、陰影の深さ、音、匂い、そうした目に見えない空間の質に価値の重点が置かれた場合、そこに表現されたもの、建築家が精魂込めて託したもの、それはきわめて高度でわかりにくいものになる。その空間に身を置き、時を過ごし、体験しなければわからない。メディアも写真家もこうした価値には不親切であり続けた。
しかし、このあり方は、誰にでも開かれているわけではない。これを現実のものとするには、才能が要る。たくさんの要素を同時に想像し、それを空間の中に結び合わせなければならないからだ。経験と直観が必要なことはいうまでもないが、それが一級のものになるためには、何より、その空間に身を置く人間というものにたいする深い洞察が不可欠で、それだけのものを身につけた建築家はめったにいない。([1]233~234ページ)

『場のちから』
建築は空間の「湿り気」・人の感情の総体と向き合わなければならない
モダニティ(近代性、近代的なもの:阪野)は、わたしたちの身の回りを覆い尽くしつつある。それは、世界的な経済構造や社会構造と連動して、いまだに生活の隅々にまで浸潤し続けている。便利さ、明るさ、速さ、安さ、そしてなによりわかりやすさ、この力には抵抗し難いものがある。しかし、人という存在は、それだけでは遥(はる)かに足りない。人の感情を受け止め、人が尊厳を保持しうる空間とは、そんなものに支配された空間ではないはずだ。
モダニティがもたらす空間は何故か乾いている。現代建築も乾いている。雑誌で目にする様々な作品には、明らかに「湿り気」が欠落している。([2]123~124ページ)
空間に「湿り気」を求めたい。ここで言う「湿り気」とは、感情の襞(ひだ)や心の陰影を受け止める空間の質のことだ。([2]124ページ)
建築という価値も、本来はそうした人の感情に生起する様々な質に内包すべきである。そのためには設計は、喜び、夢、希望、愛着、悲しみ、打算、矛盾、裏切り、葛藤、追憶、といった人の感情の総体と向き合わねばならないだろう。この態度は設計者に多大の忍耐を強いるが、結果として、出来上がる空間に「湿り気」をもたらすはずだ。この困難さに耐えることは、それ自体が「建築に感情を取り戻すための戦い」なのだ。([2]124ページ)

都市計画は終わりも完成もない物語(物語ること)のプロセスである
誰であれ志のある都市計画家を思うとき、その職業の難しさと悲しさを思わずにはいられない。彼らは100年を夢想し、理想を思い描き、今日の日常的な無理難題を扱う。それでいて、都市の時間に終わりのないこともよく知っている。華々しくテープを切るようなゴールなどない。すなわち、すべてはプロセスであって、目の前の現実は過ぎ去る一側面でしかない。そのことを誰よりも熟知している。また同時に、自らが夢想する未来もまた過ぎ去る一側面でしかないことも知っている。人間のそして人間社会の性(さが)を嫌というほど見ながら、それでも社会の改良を諦めない。都市計画家とはそういう存在なのだ。難しさと悲しさが浮かぶのはそれ故だ。([2]183ページ)
終わりのない都市の物語は、たとえそれがプロセスであったにせよ、そして、それがたとえ見果てぬ夢であったとしても、空間デザインを旋律(メロディー)に、そして社会システムを通奏低音に、より美しい韻律(リズム)を奏でることが出来るはずだ。ソフトウェアとはその韻律のこと。その韻律にこそ人間社会の希望がある。([2]186ページ)

『空間のちから』
建築は「つまらなくて価値のあるもの」「生き生きと生きる」を価値の中心に据える
建築が本来担わなければならない長い時間からすれば、「面白さ」は初期に求められる付加的な要素に過ぎない。([3]83~84ページ)
建築に「面白さ」を求めることは危険だ。一発芸と同じで、「面白さ」は一時もとはやされるが、すぐに「時代遅れ」になる。「面白さ」があったにしても、それはやはり建築の原理原則に適ったものでなくてはならないはずだ。しかし、それはそうたやすく手に入る類のものではない。昨日目新しく話題になった建物が、見る間に日常風景の中に飲み込まれ、忘れ去られていく様をいくつも見てきた。だから、「面白さ」を建築という価値の中心に据えていいはずがない。
世の中の公共建築を見渡してみると、「面白くて価値のないもの」ばかりが目立つようになってきている。そこで、逆説的なようだが、あえて「面白さ」を捨てて、「価値のあるもの」を目指してはどうか、また、多くの人が「生きること」、「生き生きと生きること」を価値の中心に据えてはどうか。
「面白さ」はわかりやすく、それ故伝わりやすいから流布しやすく、それ故に容易に消費されていく。とかく人の心は飽きやすい。それに対して、建築的体験の中に留まるような「わかりにくさ」は言葉になりにくい。それ故、伝わりにくい。この矛盾を乗り越える必要がある。([3]84~85ページ)

〇ここで、評論家・加藤周一(1919年~2008年)の『日本文化における時間と空間』(岩波書店、2007年3月。以下[4])を思い出す。加藤はいう。日本文化のなかには3つの異なる「時間」が共存している。①(『古事記』にみられる時間のような)始めなく終りない直線=歴史的時間、②(四季を中心とした)始めなく終りない円周上の循環=日常的時間、③(人生の)始めがあり終りがある普遍的時間、である。そして3つの時間のどれもが、「今」に生きることを強調する([4]28~36ページ)。日本における(閉鎖的な)「空間」の特徴は3つある。①(神社の建築的空間がそうであるように)空間の秘密性と聖性が増大する(人に見せず、大事にする)「オク」(奥)の概念、②(神社には塔がないように)建築は平屋または二階建てで、地表に沿って広がり、天に向かって伸びていくことはない「水平」面の強調、③(武家屋敷や都会の地下的のように)時とともに変わる必要に応じて家屋などを増やしていく「建増し」思想、である([4]164~174ページ)。これらによって「私の居る場所」、すなわち「ここ」を重視する。要するに、日本文化に内在する時間と空間の概念は、自分がいる「今=ここ」に集約され・強調される。それは「全体から部分へ」ではなく、「部分から全体へ」という思考過程をたどるものであり、日本文化の基本的な特徴(「今=ここ」の文化)である。その時間における典型的な表象・表現が現在主義であり、空間におけるそれが共同体集団主義である([4]233~238ページ)。
〇このような加藤の言説に対して内藤は、[2]において次のように要約して持論を展開する(抜き書きと要約。見出しは筆者)。留意しておきたい。

建築の本質は「今・ここ」を確かなものにするために「待つ」ことにある
加藤周一の「今・ここ」論を要約すると、「今・ここ」という時空の中の一点から世界の認識を広げていくという癖のようなものが(日本)文化の基層に根強くあるのではないか、という提示だ。西欧の時間と空間とは、個人という存在の外部に普遍的な尺度を設定し、自分と世界を定位しようとするが、この国の文化はそれとは違って、「今・ここ」という内部化された座標のもとに育まれてきたのだが、これがかつて戦争へと向かう精神を生み出した、というのである。([2]112~113ページ)
建築や都市に課せられた大きなテーマは、「今・ここ」の確かさではなかったか。しかし、情報化社会の出現と共にこれが急速に希薄になりつつある。今問題にすべきは、失われつつある「今・ここ」が生命を持つためにはどのようにすれば良いのかということだ。つまり、現在を起点に、時間と空間の幅を広く捉えること、それが建築や都市に課せられた大きなテーマなのではないか。([2]113ページ)
近年、建築が育んできた文化は、あまりにも一足飛びに未来を志向しすぎてはいまいか。そこには、その未来に至る持続的な時間が消去されている。どこかの時点で、建築は「待つ」ことを辞めたのである。([2]114ページ)
「待つ」という行為を通して、人は広がりのある「今・ここ」を引き出すことが出来る。([2]113ページ)
「待つ」ためには、未来を想起し、そこから現在を逆照射する逆立ちしたような意識が必要だ。「待つ」ことは建築にふたたび持続的な時間概念を導き入れることである。おそらく、「待つ」ことを想起することは、建築に新たな質をもたらすはずだ。([2]115ページ)

進軍ラッパが耳につく

国家とは軍と警察という暴力装置を
合法的に独占する主体である(マックス・ウェバー)

♪ 敵はみなみな殺せ!
♪ 敵はみなみな殺せ!

進軍ラッパが 吹き鳴らされる
殺せの命令一下 突撃開始
生死を賭けた 人海戦術
作戦が失敗しても 責任取らす
指揮官 安全地帯で生き延びる 

♪ 敵はみなみな殺せ!
♪ 敵はみなみな殺せ!

進軍ラッパが 開催を誇らしく合図する
東京五輪は コロナとの戦場に化す
東京五輪の ワクチンも竹槍もどきと化す 
東京五輪で コロナは戦線を日本中に拡大する
東京五輪を IOCは続行を無理強いする

♪ 敵は民意を無視して強行した
♪ 敵は安心安全と大嘘ついた

進軍ラッパは 
ぶん投げられ壊された
扇動のパワーを失った
抗議の怒号が渦巻いた

♪ 敵は科学を軽視して自滅する
♪ 敵はさらなる国難を招来して失脚する

コロナに打ち勝つどころか 惨敗の白旗をあげた
世界の失笑ばかりか 国威を失墜させた
戦犯は責任を互いになすりつけ合って 自壊する

コロナ戦争は まだまだ続く
五輪の感動がいまの閉塞感を打ち破り 民意は逆転する
独り合点で楽観的な言動に 振り回されるほどバカじゃない
政治家の誠実の欠片すらない言葉は 死語となり朽ち果てる 
飲食店を規制したぐらいじゃ どうにもならない
学校の休校処置も 科学的には効果なし
そもそもは
優柔不断で偏屈な指導者たちを 後生大事にした者たちの責任だった
軽率で独善的な判断が 厄をさらに大きくしただけだった

♪ 政治家たちよ 民意の下で死線を守れ
♪ 政治家たちよ 一兵卒で死線を守れ
♪ 政治家たちよ 生き残りを賭けて死線を守れ

〔2021年6月20日書き下ろし。緊急事態宣言解除後は感染拡大目に見える。五輪やるなら命懸けで国民を説得せよ。原稿読むだけの指導者たちには閉口し信用もすでにない。体たらくな野党にもうんざりだ〕

孤独酒

馴染みの店(居酒屋)の指定席
酒を飲むなら 
孤独酒(ひとりざけ)がいい

冷えたビールを一気に飲み干す
心を無にする
孤独酒がいい

酒の肴に干物の氷下魚(カンカイ)
すえた味に舌鼓する
孤独酒がいい

賑わう店の片隅で
酔客の愚痴を聞き流す
孤独酒がいい

薄暗い照明(あかり)の下で
店の雰囲気にただひたる
孤独酒がいい

升酒に塩を添えて
心の傷を静かになめる
いまは孤独酒がいい

「時代おくれ」をふと口ずさむ
男の悲哀を想い出させる
孤独酒がいい

〆の酒をゆっくり飲み干す
未練残して夜風にあたる
明日も孤独酒がいい

〔2021年6月19日書き下ろし。明日20日緊急事態宣言解除。規制の続く酒場。その賑わいはまだ先にある。2019年12月17日アップの『酒を呑む』も併せてお読みください〕

札幌で羆撃たれ哀れなり

おれは どこにいるんだ
山の中から出たのは 日の出の頃だった
えさを探して 迷ってしまった
周りの景色は 見慣れなかった 
ずいぶん遠くさ 来ちまった

おれは ここで何してるんだ
脅かすつもりは なかった
襲うつもりも なかった
何かされるかと 逃げ回った
ずいぶん遠くさ 来ちまった

おれは 山さ戻りたかった
山の匂いは なにもしなかった
動くもんがぶつかりそうで 面食らった
ずいぶん遠くさ 来ちまった

おれは ともかく逃げ出したかった
やつらが 邪魔するから仕方なかった
やつらが 襲ってくるようで怖かった
ずいぶん遠くさ 来ちまった

おれは 思いっきり走った
来た道がわからず 迷いに迷った
パニクって 探せなかった
ずいぶん遠くさ 来ちまった

おれは 追いかけられた
空には 化け物が爆音をたて浮いていた
怯えを我慢して 草藪に隠れた
ずいぶん遠くさ 来ちまった

おれは 一か八か賭けた
飛び出して走りだすと バンーと2回音がした
体が急に重くなり倒れると またバーンと音がした
ずいぶん遠くさ 来ちまった

おれは かすかに山の匂いをかいだ気がした
あそこまで 戻っていればよかった
こんなに 怖い目に合わなくともよかった
どんどん遠くに 山並みが離れていった
ずいぶん遠くさ 行くんだな

おれたちの山では もう住めない  
おれたちは 山を追い出される
おれたちの山で もうなくなる
おれたちが 里に出たらすぐ殺される
おれたちは いつからか厄介者になっていた

〔2021年6月18日書き下ろし。野生動物との共生は難しい。午前中札幌の街中に羆(ひぐま)が現れ4人が襲われて怪我をした。無事を祈りたい。その後射殺された。街に出た羆になぜか哀れを感じる〕

「第三回四国歩きお遍路喜寿紀行―後編・第三十八番札所金剛福寺~第八十八番札所大窪寺―」(2021年4月3日~4月28日)



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老爺心お節介情報/第26号(2021年6月17日)

「老爺心お節介情報」第26号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。私の方は、関係する団体の理事会、評議員会も無事終わり、ちょっと一息ついています。
〇それにしても、新型コロナウイルスの件に伴い、関係する団体の研修が軒並み中止、延期、規模縮小で赤字決算になり、頭を痛めています。内閣府が定める公益法人の財務規律では、このような時には対応ができないことを改めて実感しています。
〇社会福祉分野は、“どこかお金は降ってくる”といった認識があり、財源確保や財務関係へのアプローチや研究が弱いと思っていましたが、これからは財源確保や財務関係もきちんと分析でき、その対策も考えられる力量が実践的にも、研究的にも必要だということを再認識しています。その意味でも、前回取り上げた『チャリティの帝国』は必読書で、如何に日本の戦後の社会福祉研究が歪んでいたかが分かる文献です。
〇「老爺心お節介情報」第26号では、日本社会福祉士会のニュースの200号記念に寄稿した拙稿「これからの社会福祉士―地域共生社会政策と社会福祉士の役割」と4月に行った「四国歩きお遍路」の紀行文(後編)を添付しました。お暇な折にご笑覧下さい。関心のある関係者にもご回覧下さい。

Ⅰ 日本社会福祉士会ニュース第200号記念号:拙稿「これからの社会福祉士―地域共生社会政策と社会福祉士の役割」

Ⅱ 大橋謙策「第3回四国歩きお遍路喜寿紀行(後篇)」

 添付資料Ⅰ

添付資料Ⅱ
本ブログ/大橋謙策の福祉教育論:アーカイブ(4)四国遍路紀行文/本文

(2021年6月17日記)

やりたい放題

五輪に舵を大きく切った
ワクチン接種の進まぬマチには
ワクチン渡さぬと 河野太郎さんは脅しをかける

嘘の塊だった安倍晋三さん
Ⅰ億5千万円の支出の嘘がようやく固まる
党から説明と 責任逃れの道普請を終える
二階俊博さん 凄みは消えてタダの年寄りの顔と涸れた声
林幹雄さんと野田聖子さん 介助しながら時代錯誤のフォローする

脅しも凄みも言い訳も 先輩から継承した平井卓也さん
干されるNECと推奨されるACES(画像認証サービス) 
名前が挙がって迷惑至極 ベストな仕事で競い合おう
文春は 内部告発の証拠の音声データ入手した
勘違いの平井さん 信頼失せて職員は離反する 
救いは 国会閉会で逃げ追おせるとニタリとワニ顔

G7で首脳が五輪を支援すると誇らしく帰国した
なんことはない 菅義偉さんの努力を認めただけのこと
IOCは中国以上の金に群がる独裁団体 G7は全く批判なし
問題は 米国に忖度して中国との関係悪化への道を示す
いままでの「遺憾に思う」から 弾けて過激な発言に
さてこの後始末は コロナ対策以上に
外交・国防の理念なき管さんには とんと難しい

党首討論後に 内閣不信任を求めた立憲の枝野幸男さん
政権奪取も原発ゼロも なぜか信用とはほど遠い
独り相撲の総選挙への突入は 敗亡宣言準備中
まずは本多平直さん みっともない人次はない
公明党の山口那津男さん 一体どこが地盤だか
平和の党是も 形骸化の一途を辿る
高級庶民に姿を変えて 庇(かば)うは失態自民党
自民党公明山口派閥の名に甘んじ 風見鶏に徹する 

尾身茂さん 五輪への提言は近日中に発表予告とか
昨夕の立場をわきまえた慎重な記者会見 期待が薄まる
宣言解除で人流が増えれば リバウンドは当たり前
五輪とワクチン秤にかけて 大きな賭に出た
管さんリスク回避に失敗し 五輪中に緊急事態宣言発出か
IOC涼しい顔で責任放棄し国外脱出 残すのは後始末の請求書

寄り合い所帯の日本医師会中川俊男さん
五輪やるなら宣言延長が望ましい
もっともらしいが その影響力はいかがなものか
一方どこでも誰とでも 自由に遊べる特権階級
とあるリゾート地のホテルは 金持ちで潤うという
とばっちりが怖いから マスコミもリークはしない
裏も表もある命の仕切りは IOC同様札束でしかない

20日の緊急事態宣言解除は まん延防止法に移行する
ステージ3の北海道 いまだに死亡者多数 哀しく続く
ワクチン接種 約1844万人 国民全体では約15%(14日現在)
道内は 高齢者166万人中 接種率26・8%(13日現在)  
札幌の感染者は高止まりが続き 油断は許さぬ
不要不急の外出自粛と飲食店での飲酒の規制は 店も客も限界を超える
命か暮らしかではなく 命も暮らしも崖っぷちにある人を先ず救え!
昨日今国会で公務員の定年延長を決めて 老後の生活を安定させた
弱者は厳しい生活を余儀なくされる一方で うらやむばかりの厚遇法令可決  
若者の就労が拒まれる法令に果たして納得がいくのか 断じて思えない

五輪開催を 多くの犠牲の上に粛々と準備する者たち
五輪開催で 儲けを企む世界の金の亡者たち
五輪開催に 命懸けで取り組んできたアスリートたち
五輪開催は 命と暮らしのリスクを晒し蹂躙される人たち

みんなみんな日本という国の喜劇と悲劇の舞台を堪能する
みんなみんな日本という国は国民の命を賭けた怖い国だと知らされる
みんなみんな日本という国で人間の醜さと美しさのカオスを味わう

〔2021年6月16日書き下ろし。やるせなさを書き記す。愚かな指導者しかいない現実に立ちすくむしかないのか〕

分かる瞬間がいい

モヤモヤしていた
考えても考えても 答えが見つからない
寝ても覚めても 気にかかってしかたない

小骨が喉に刺さっている気分で 気持ち悪かった
すぐに 差し障りのあることでもなかった  
他人(ひと)には どうでもいいささいなことだった

いつか気にかけなくなって 忘れていた
何気ないことから 不意を突かれて答えが現れた
なんだこんなことだったのかと スッと納得をした

気がかりだったことが分かるということ
諦めかけていたことが分かるということ
理由(わけ)もなく分かった瞬間がいい

自分のたわいなさが分かるということ
自分のこだわりが分かるということ
それでも分かった瞬間がいい

イライラしていた
考えても考えても よくわからなかった
どうしたらいいのか 不安が募った

他人との つながり方だった
気持ちが 相手に伝わらなかった
ひとりぎくしゃくしてるのが 悔しかった

つながりを 切りたくなかった
何気なく悩みを つぶやいた
なんだ そんなことかと笑顔が返ってきた

自分の思い込みの強さが分かるということ
相手の懐(ふところ)の深さが分かるということ
その違いが分かった瞬間がいい

自分のことが分かるということ
相手のことが分かるということ
どちらも分かった気になる瞬間がいい

〔2021年6月15日書き下ろし。たわいないことで誤解は生じる。突然訪れる「分かる」という瞬間がいい。「分かり合う」はその先にある〕

宣言解除の吉兆か

6月 1日 緊急事態宣言の初日
全道で254人 札幌市内で162人の感染者がでた 
死者は7日連続2ケタを記録する
2日:317(201)死者8日連続2ケタ
3日:300(193)死者過去2番目18人
4日:202(112)
5日:274(159)感染者全国2番目、札幌死者最多に並ぶ13人
6日:183(125)約1か月ぶり200人下回る
7日:147(91)約1か月ぶり150人下回る
8日:120(74)死者最多並ぶ19人(札幌市も最多並ぶ13人)
9日:179(124)死者16人(札幌市2日連続2ケタ)
10日:181(113)死者11人
11日:145(72)死者17人(札幌市最多14人)
12日:124(92)死者15人(全国最多)
13日:82(59)死者4人
札幌市で60人を下回るのは 4月14日59人以来約2か月ぶり
道内で100人を下回るのは 4月19日78人以来約2か月ぶり
(括弧内は札幌市の感染者数)

解除の日までの1週間
札幌駅周辺もススキノも 人出は前週よりも減少する
道内一円にまん延したクラスターが 起こらぬ事を願うだけだ
集団接種の会場も 2カ所から3カ所増設される
一気呵成に接種を行う体制づくりが 本格化する
しかし 75歳以上の未接種者の動向が気にかかる

今週から74歳以下の接種が 年齢別の時間差で始まる
元気のいい団塊の世代だけに 予約は殺到するだろう
受付順位獲得アクセスが ヒートアップする
待ちに待ったワクチン接種に 希望をつなぐ

74歳以下の世代が打ってしまえば 鬼に金棒
接種済証を首からぶら下げて ガンガン飛び回るのは必至
街中の人出も 改善されることだろう
経済が回って行く期待が 広がる

20日緊急事態宣言を解除する
ワクチン接種で 五輪開催にこぎつける目処が立つ
暗かった1年半の 鬱憤を晴らす扉がいま開く
活発な人流が生まれて 経済が回復していく吉兆が現れる
五輪の入場券と飛行機の手配に 追われる
7月以降の札幌のホテルの予約は順調と 風の便りに聞こえてきた
内地からも ドンと五輪の観戦と観光で押し寄せてきてほしい

G7の全首脳は 熱意にほだされ力強い支持を表明した
命の危険も顧みず 五輪開催一筋に奮闘努力された
恨み辛みに怒りを買ってまでも 国難を正しく導かれた
ワクチン接種の一念が 正しいことを証明された
ヘーシンクの強さよりも 強いリーダーシップを見せつけた
東洋の魔女の活躍よりも 感動する
東京大会は 必ずや成功します!

6月 ほんの夏の夜の悪夢の始まりです

〔2021年6月13日書き下ろし。札幌コロナ感染レポート。感動と感謝を伝える日は来るのか。解除後の予期せぬ事態が怖い〕

付記
菅首相、五輪に「G7全首脳から力強い支持」
菅義偉首相は13日午後(日本時間夜)、英コーンウォールで主要7カ国首脳会議(G7サミット)閉幕後に記者団の取材に応じ、東京オリンピック・パラリンピックの開催について「全首脳から大変力強い支持をいただいた」と述べた。
「私自身、改めて主催国の首相として、こうした支持を心強く思うとともに、東京大会をなんとしても成功させなければならない」と強調。「しっかりと開会をし、成功に導かなければならない。そういう決意を新たにした」と述べた。
サミットの首脳宣言では東京大会を「新型コロナウイルス克服に向けた世界の団結の象徴」と位置付け、「安全、安心な方法での開催」への「支持」を盛り込んだ。
菅首相はサミットの討議やG7各国首脳との個別会談で、東京大会で新型コロナウイルスの感染対策を徹底する方針を説明した。日本政府の発表によると、フランスのマクロン大統領が開会式に合わせて来日する意向を改めて示し、バイデン米大統領が開催に「支持」を示すなど、各国首脳との会談で支持を得たとしている。(毎日新聞2021年6月14日)

バッターボックスに立つ

川砂をまいたバッターボックス
軟式用の黒い木のバットで構える
グリップを赤い手袋で握りしめる
スパイクは砂に沈む

静かにスイングを始める
1回2回と数を数えながら
庭に緑濃く茂る紫陽花の葉に向かい
球筋をイメージして徐々に強く振りきる
50回で右から左にスイッチする

ワンサイクル100回
これを二度すると顔から汗が噴き出す
その汗が全身に回るところで終わる
二年ぶりの快感だ

歩くことも面倒になった
思索などとは恐れ多いことだった
走ることは出来なくなった
手っ取り早く庭で汗をかく

60を過ぎてからスポーツとは縁遠くなった
好きだった野球もソフトもしたかった
バッテングだけは庭でも十分出来た
腰回りの運動にはもってこいだった

バッターボックスは聖域だった
雑草が生えるものなら天敵とみなし退治した
狭い庭の貴重な1畳ほどのスペースは
ここ十年丹念に整備されてきた

去年腰痛でボックスに立つことが出来なかった
運動へのモチベーションも下がった
雑草が我が物顔することだけは許さなかった
いつかの日のために整備を怠らなかった

6月快晴 気温も高まりコンディションは整った
目標は1日500本
十年前は1000本振った
いまは振れるだけでも良しとする

7月末からワクチン接種を無事終えて
全道を駆け回る体力づくりを心がける
都市間バスに何時間も揺られての移動に堪える
腰の強化が目的だ

汗をシャワーで流して一息つく
庭のベンチに腰掛け太陽を見上げる
片手に炭酸多めの夏の「サッポロクラッシック」
冷えたビールを口中に一気に放り込む

バットを無心で振り汗かくだけのことが
どれだけリフレッシュされるのか
二年ぶりの爽快さをビールで盛り上げる
こんなことで救われることが嬉しかった

足できれいにならされたバッターボックス
明日の出番を待って夏風に砂が巻かれる

「2021年6月13日。書き下ろし。ビールを飲み終えた勢いで書いた。夏の仕事へのモチベーションを高めることと、コロナ禍で自宅待機の体力づくりにはもってこいの運動だ〕