阪野 貢 のすべての投稿

わたしに出会う

臆病者は 戸惑うばかりで 
いつも誰かの言いなりだった
オロオロするばかりで
何も自分で決められなかった

臆病者は 人影に隠れるばかりで
いつも自信なげにうつむいていた
オドオドするばかりで
何も自分から始めることはなかった

臆病者は わたしに出会った
いつか目を懲らすようになった
ドキドキするばかりで
何かが心を動かし始めた

臆病者は わたしが忘れられなくなった
いつしか強く意識しだした
ズキズキするばかりで
何かが心を叩き始めた

臆病者は わたしが何ものかを知った
いつも抑えてきた本心だった
ジリジリするばかりで
わたしが心を刺激し始めた

臆病者は わたしを忘れていた
いつも触れずにいた感性だった
キラキラするばかりで
わたしが心を揺さぶり始めた

臆病者は わたしが必要だと知った
いつもそばにいた自律心だった
清々(すがすが)しいばかりで
わたしなしでは もう生きられなくなった

臆病者は わたしに導かれていく
いつも護るべき自由意思だった
毅然とするばかりで
わたしらしく生きることの存在理由となる

〔2021年6月13日書き下ろし。人はその人なりの存在をどのように見出し変えていくのだろうか。臆病者の自分にも、ようやく少し分かりだしてきた〕

時を待つ

着古した上着を脱いで
夏の真っ赤な陽ざしの中に
心を解き放す時が来た

カビの生えた家を出て
夏の透きとおった青空の下で
心を熱く燃やす時が来た

歓喜に沸く街にいて
真夏の夢見る群れの中で
心が砕ける時が来た

歓声で沸くアリーナで
真夏以上の熱気を浴びて
心を高ぶる時が来た

夜の街の喧騒に紛れ
熱帯夜に狂気の叫びをあげて
心を麻痺させる時が来た

厭世を振り払う享楽にふけ
祭りに人に酒に酔いしれながら
心が恐怖に突き落とされる時を待つ

〔2021年6月12日書き下ろし。五輪開催はG7でも支援すると国民無視の馬鹿げた会議が行われている。恐怖の時を待つしか選択肢はないのか〕

無言の抗議

9日、党首討論 五輪「安全」根拠を語れ(8日神奈川新聞社説)
党首討論 首相の言葉が響かない(朝日社説)
党首討論と五輪 開催の意義を語れぬ首相(毎日社説)
党首討論 やはり肩透かしだった(北海道新聞社説)
国民の疑問に応える党首討論へ改革を(日経社説)
党首討論 疑問に答えぬ不誠実(東京新聞社説・中日新聞)
党首討論 国民の疑問になぜ答えぬ(西日本新聞社説)
党首討論 五輪開催へ情熱と具体策語れ(読売社説)
菅氏初の党首討論 国民の納得には程遠い(秋田魁社説)
菅首相初の党首討論 会期延長しコロナ論議を(琉球新報社説)
菅氏初の党首討論 「不安」に答えていない(沖縄タイムス社説)
2年ぶり党首討論 「丁々発止」促す制度に(中国新聞社説)
党首討論 問いに答えない不誠実(信州毎日社説)
菅首相 ワクチン接種 “希望者全員10~11月に終了へ取り組む”(9日NHKニュース)
党首討論 ワクチン邁進が最優先だ(産経主張)

一言 歳費の返納を求める

〔2021年6月10日書き下ろし。10日各社朝刊の社説等の見出しを並べた。産経だけが擁護的な論調だった〕

お題目を唱える

「国民の命と健康を守るのが私の責任」
8日も北海道は 2度目の最多19人死亡
6月だけで死者111人を数えます
なぜ死亡率が高いのか その理由を教えてください
命を守らないのは 自助能力の欠如と自己責任ですか
ワクチンが行き届かないのは 遠地だからと
子飼いの鈴木道知事は 言い訳してました
健康も 北海道は後回しにされるんですね
地域医療をないがしろにしてきてツケは 
あなた方の責任ですよね
でも五輪開催の意気込みとは えらい違いです
「国民の命と健康を賭けるのが私からのギフト」

どんな質問がとんでも お題目を唱えます
「安心安全を守る」
そのためには どんな対策をするんですか
「安心安全な対策です」
五輪は本当に開催するのですか
「安心安全を守ればできます」
海外からの入国者を規制できますか
「安心安全に守ります」
ボランティアや国民に感染するリスクはありますか
「安心安全を守れば大丈夫です」
無観客なら東京で開催する必要がありますか
「安心安全をアピールします」
コロナで多くの方が犠牲になっています
「安心安全だからその程度ですんでいます」
五輪開催に世論は半々になってきています
「安心安全を守ることが理解された結果です」
世論操作はお手のものですね
竹中平蔵さんも熱く応援されてるとか いい風向きですね
「私自身の安心安全を守るために全力で尽くします」

「国民の命と健康を守るのが私の責任」
「安心安全を守る」
たった2つのフレーズで 局面を乗り切る
身の丈さを超えた責務の重さと
見苦しさをさらけ出しながら
そう言い続ける虚しい生き様に
この男の哀しい執念を見ている

〔2021年6月9日書き下ろし。今夕不毛な党首会談がある。10日には緊急事態宣言の解除日程について協議される。いよいよ五輪強行カウントダウン開始。その前に都議選あり。それ以上に札幌市厚別区選出の本多平直衆院議員は「認識不足」で次はない〕

付記
立憲・本多氏「認識不足で不快な思いさせた」 性交同意発言で謝罪
立憲民主党の本多平直衆院議員(56)=比例道ブロック=は8日、国会内で記者団に対し、刑法の性犯罪規定見直しを巡る自らの発言について「私の認識不足の発言で多くの方を傷つけ、不快な思いをさせたことを心からおわびしたい」と謝罪した。7日に謝罪と発言撤回のコメントを出していたが、初めて取材に応じた。本多氏は5月10日の党ワーキングチームの会合で「50歳近くの自分が14歳の子と性交したら、たとえ同意があっても捕まることになる。それはおかしい」と発言していた。(北海道新聞2021年6月8日)

記者は特ダネを狙

なぜ危険極まりない東京に 行こうとしてるんだ
黒歴史に刻まれる悪魔の祭典を 見逃すわけにはいかないしょ

かなり報道機関も 規制や拘束がかかるっていうぜ
アホらしい ルールなんぞ守ってられるかい
そんなお行儀のいいやつなんぞ いるはずはない
日本人はお人好しだから コロリと騙(だま)される

何を取材するんだよ
コロナで死にかかっている〈都市風景〉ってやつかな

五輪の取材は?
公式発表やらで インタビューなんか簡単に手に入る
家でテレビ観戦している連中の うっとうしさとか
炎天下 外で仕事している連中の やるせなさとか
熱中症で倒れていく連中の 顛末だとか
コロナで苦しんでいる連中の 病棟戦記だとか
夜の酒場で盛り上げっている連中の 厭世感だとか
東京の街で 生き死にしている人間の懐に入って
残酷かつ奇妙な滑稽さと異常さを 世界に発信するのさ

待てよ それって少しおかしくないか?
日本中が五輪で苦しんでいる様子を取材したって
面白くもおかしくもない!
そのために東京まで行く必要があるのか

そこだよ そこなんだ!
「犠牲」という本当の意味を 誰が知らせるんだ
「責任」という本当の取らせ方を 誰が伝えるんだ
五輪に現(うつつ)を抜かして 私腹を肥やす連中を
一体誰が糾弾し 誰が裁くんだ

当たり前の暮らしが 五輪で犠牲にされても
家に閉じ籠もって 熱中症になっても
救急車で運ばれて たらい回しにされても
コロナで仕事をなくし 子どもにひもじい思いをさせても
一体何のために五輪をやるのかさえ あやふやにされても
五輪への恨み辛みを抱えて 抗うことなく辛抱強く我慢する

礼儀の国であるがゆえの約束で 邪悪(よこしま)な歴史を刻む
為政者たちは 常に歪曲した報道管制をしく
真実を隠蔽するのは 分かりきっている
そこに メスを入れなければ 暴かなければ なんぼのもんだ
ありのままを 見たままを 聞いたままを 感じたままを
ひとりの人間として ジャーナリストとして「記録する」

ルールを 破るんじゃない
そもそものルールが 間違っていることを証明する
そのためにも 街に出ていく
その覚悟がなければ 黒歴史の立会人にはなれない
東京の狂気に満ちた祭典の顛末を 報道するのがオレの仕事だ
火中の栗を拾わなければ 真実は逃げていく
五輪中止を訴えきれなかった せめてもの償いかもしれない

そうか 強制出国にならぬよう気をつけろよ
心配ない 楽勝!
大勢で規制を破るから 警備のしようがない
いろんな国の 記者連中がとっ捕まるから
警察には通訳が足りなくて 即刻根を上げる
五輪で通訳は手一杯だから お咎めなしで放免される
日本の警戒体制なんぞ戦場とは雲泥の差 いいとこ限界だね
まずは東京から送るスクープ 楽しみにしてくれ
「潜入東京五輪 管(すが)下統制で隠蔽された真実」

〔2021年6月6日書き下ろし。プレーブック(規則集)の順守など誰が信じますか。特にジャーナリストには、無理です。どんな特ダネが報道されるのか、不埒な想像をする〕

付記
五輪開催は「安全なTOKYO2020オリンピック・パラリンピック」と表記したのみだった。
政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長は3日の参院厚生労働委員会で、東京五輪・パラリンピックについて「こういうパンデミック(世界的大流行)でやるのが普通ではない。やるなら強い覚悟でやってもらう必要がある」と話し、徹底した感染対策を求めた。近く専門家の考えを示すことも明らかにするなど、開催ありきの政府や五輪関係者にくぎを刺す発言が相次いでいる。
尾身氏は、五輪開催時は全国から会場への観客の移動、パブリックビューイングなどでの応援といった要因から新たな人の流れが生まれると分析。「スタジアムの中だけのことを考えても感染対策ができない」と指摘した。「ジャーナリスト、スポンサーのプレーブック(規則集)の順守は選手より懸念がある」と、来日する大会関係者らの行動制限にも不安を漏らした。…(東京新聞2021年6月3日)

出る杭であれ

出る杭を打った
杭は 小心者には脅威だった
杭の才覚を無力化するのに 血眼をあげた

出る杭を打たなければならなかった
序列が混乱することは 放置できなかった
秩序を攪乱(かくらん)することは 許せなかった
権威が侮蔑(ぶべつ)されることを 阻止した
業績を評価することなく 無視した

出る杭は徹底的に打たれた 
異議を訴えるのは 御法度だった
バカ正直だったばかりに 恨まれ疎(うと)まれた
狡猾(ずる)さがないばかりに 冷や飯を食わされた
器量は 日に日に輝きを失っていった
いつも出鼻を挫かれ いつかタダの人になった 
 
出る杭にはなりたくなかった
同調圧力を甘受し追従する
他者承認を常に意識し振る舞う
自己主張を封印し依存する

出る杭は隠さなねばならない
平凡さを身に纏(まと)い ふつうを装う
世渡りの媚(こび)の売り方を 倣(なら)う
適当にあしらい おくびにも出さない
いつか杭は朽ち果て 魂の抜け殻だけが残された

渇望 出る杭でありたい
自己感応 自己判断 自己決定
自由意思を追認する
自己目的 自己評価 自己責任 
自己の存在を再認する
自己肯定 自己開発 自己成長
思考と行動を解放する

熱望 出る杭であれ
わたしがわたしである理由がそこにある
わたしがあなたと違う理由がそこにある
わたしがわたしとして生きる理由がそこにある
あなたがわたしと生きる理由はきっとみつかる

※出る杭は打たれる:①才能・手腕があってぬきんでている人は、とかく人から憎まれる。②さし出たことをする者は、人から非難され、制裁を受ける。

〔2021年6月7日書き下ろし。昨夜京都醸造株式会社製造のクラフトビールを飲んだ。赤唐辛子と花椒が入ったビールだった。ビールで初めて汗をかいた。缶のパッケージに書かれた「出る杭であれ」に触発された〕

老爺心お節介情報/第25号(2021年6月3日)

「老爺心お節介情報」第25号

〇皆さんお変わりなくお過ごしでしょうか。
〇新型コロナウイルスの件で、私が関わっている財団、社団などの理事会は軒並み書面審査かリモートによる会議で、何か味気ない雰囲気の中で終了しています。今は、我慢の時です。ワクチン接種が進み、少し交流ができるようになることを願うばかりです。
〇この間、私が頂いた資料や本で、皆さんと情報の共有化したいものを挙げます。

Ⅰ 金澤周作著『チャリティの帝国』(岩波新書、2021年5月20日発行)

京都大学教授の金澤周作先生は、2008年に出版した『チャリティとイギリス近代』で、SOMPO福祉財団の文献賞を受賞された方であるが、この度『チャリティの帝国』(岩波新書、2021年5月20日発行)を上梓された。とてもコンパクトにイギリスのチャリティの歴史、概要についてまとめられているので必読文献の1つである。

私は、ご恵贈賜ったお礼の手紙に次のようなことを記した。
(金澤先生への礼状の一部)
私は、戦後日本の社会福祉研究は憲法第89条の規定に制約され、イギリスの行政と住民のボランティア活動との関係を巡る研究が不十分だったことを指摘してきました。また、そのイギリスのボランティア活動の一番大きなものはチャリティ、金銭のボランティア活動、それも遺贈だと言ってきました。
私は、1980年代から日本には「寄付の文化」がなく、あるのは互助組織における冠婚葬祭での金銭授受であり、かつ神社仏閣への寄進であり、社会に対する、見ず知らずの人への寄付文化は育っていないと指摘し、それを変えなければ、日本の社会福祉は発展しないと言い続けてきました。
更には、1992年にイギリスで1601年に制定された「Statute of Charitable Uses 」(チャリティ用益法、P66)の存在を知り、COの事務局でその原典に触れ、大変驚きました。また、その考え方が1960年の チャリティ法や、その1992年の大改正法にも引き継がれていることに驚き、イギリスの歴史の重みを感じました。その後、日英米3か国の共同募金や寄付の文化について調査研究し、日本の社会福祉はイギリスのCAFにもっと学ぶべきと言ってきましたが、相変わらず日本の社会福祉研究は行政依存型です。
そんな日本の社会福祉研究者に金澤先生のご労作である『チャリティとイギリス近代』を読むように言ってきましたが、その内容がこのようにコンパクトにまとめられたことは嬉しい限りです。多くの人に読んでもらい、イギリスの学び方を変えてもらえればと願うばかりです。

Ⅱ 自閉傾向の強い障害者のターミナルケア(『嬉泉の新聞』第83号より)

日本社会事業大学教授であった故石井哲夫先生が、故須藤理事長と力を合わせて設立した社会福祉法人嬉泉の機関紙『嬉泉の新聞』第83号に、我々が改めて考えなければならない記事が掲載されており、とても感動した。
故石井哲夫先生のご子息で、現在、社会福祉法人嬉泉の理事長をされている石井啓氏が「自閉傾向のある人のターミナルケアを考えるーーインフォームド・コンセントの大切さー」と題して、また袖ケ浦ひかりの学園園長の松田香さんが「利用者の終末期に寄り添うーー実践を通して、援助者として思ったこと、感じたこと」を、「自分らしく生きるために」と題して、袖ケ浦ひかりの学園の鈴木雅士さんが執筆している。
袖ケ浦ひかりの学園に入園していた52歳の女性で、“自閉症のある方で、非常に拘りが強く、知的な遅れもあり、コミュニケーションをとることの難しい、いわゆる重度の方”が、定期健診で末期がんが見つかり、看取るまでの過程が記述されている。
障害のある方でも、自分らしく生きることを理念として掲げている社会福祉法人嬉泉が、家族と協働して、“がん告知”をし、延命治療をせずに、死の直前まで自らの拘りの行動、表現をされていた方を看取った記述が綴られており、大変感動した。

Ⅲ 『ICFの視点に基づく自立生活支援の福祉用具』(伊藤勝規著、中央法規、3300円)

日本社会事業大学の学部卒業生である伊藤勝規さんが描いた本です。ICFの視点に基づくマネジメントの重要性と必要性を非常にわかりやすく書いています。この本は、日本社会事業大学社会福祉学会の木田賞に選ばれました。

Ⅳ シルバー産業新聞の4月版、5月版に連載した原稿を添付しておきます。

(1)シルバー産業新聞の4月版
「求めと必要と合意に基づく支援」

(2)シルバー産業新聞の5月版
「家族・地域の介護力、養育力の脆弱化とソーシャルサポートネットワークの必要性」

添付資料(1)
シルバー産業新聞連載記事第4回

「求めと必要と合意に基づく支援」

福祉サービスを必要としている人々への支援において、よほど気を付けないと無意識のうちに“上から目線”の世話をしてあげるというパターナリズムになりがちになる。
福祉サービスを必要としている人はさまざまな心身機能の障害や生活上の機能障害において要介護、要支援の状態に陥っているので、ついつい福祉サービス従事者はその機能障害を改善、補完するために“いいことをしてあげる”という意識になりがちである。それは、一見“善意”に満ちた行為として考えられがちであるが、福祉サービスを必要としている人の意思や主体性を尊重しての“誠意”ある行為といえるのであろうか。
また、福祉サービスを必要としている人で、家族と同居している人の場合には、福祉サービスを必要としている人本人の意思よりも、同居している家族が自分の“思い”、“願い”を福祉サービス従事者に話され、その家族の希望が優先され、ややもすると本人の意向や意思は無視されがちになる。ましてや、福祉サービスを必要としている人は、日常的に同居している家族に普段から迷惑をかけているからという“負い目”もあり、家族に遠慮して、自分の意向、意思を表明しない場合が多々ある。
イギリスのブラッドショウは1970年代に、住民の抱える生活上のニーズを4つに類型化(①本人から表明されたニーズ、②住民は生活上の不安や不満、生活のしづらさを抱えているが表明されていないニーズ、③住民は気が付いていないか、表明もしていないが専門職が気づき、必要だと考えられるニーズ、④社会的にすでにニーズとして把握され、対応策が考えられているニーズ)した。この類型化されたニーズにおいて、日本の社会福祉分野において気を付けなければならないニーズ把握は、②の住民の生活上様々なニーズがあるにも関わらず気が付いていないか、自覚しておらず、表明されていないニーズである。
日本の“世間体の文化”、“忖度の文化”、”もの言わぬ文化”に馴染んで生活してきた国民は、自らの意思を表明することや自らの希望や願いを表明することに多くの人が躊躇してしまう。したがって、本人が自分の意見や気持ちを表明しないのだからニーズがないのだろうと解釈するととんでもない間違いを起こすことにもなりかねない。それらのニーズは潜在化しがちで、対応が遅れることになる。
一方、専門職が気づき、必要と判断するニーズにおいても、社会生活モデルに基づくアセスメントやナラティブに基づく支援方針の立案が的確に行われていればいいが、上記したようなパターナリズムでのアプローチをしている場合には専門職の判断が必ずしも妥当であると言えない場合が生じてくる。
イギリスでは、1990年の法律により、福祉サービスを提供する際には、その援助方針やケアプラン及び日常生活のスケジュール等を事前に本人に提示し、本人の理解を踏まえて提供することが求められるようになったが、2005年の「意思決定能力法」ではよりその考え方を重視するように法定化された。
日本の民法の成年後見制度や社会福祉法の日常生活自立支援事業は福祉サービスを必要としている人が自ら意思決定できないことを前提にして制度設計されているのと違い、イギリスの「意思決定能力法」は日本と逆の立場を取っている。
「意思決定能力法」は①知的障害者、精神障害者、認知症を有する高齢者、高次脳機能障害を負った人々を問わず、すべての人には判断能力があるとする「判断能力存在の推定」原則を出発としており、②この法律は他者の意思決定に関与する人々の権限について定める法律ではなく、意思決定に困難を有する人々の支援のされ方について定める法律であるとしている。その上で、➂「意思決定」とは、(イ)自分の置かれた状況を客観的に認識して意思決定を行う必要性を理解し、(ロ)そうした状況に関連する情報を理解、保持、比較、活用して (ハ)何をどうしたいか、どうすべきかについて、自分の意思を決めることを意味する。したがって、結果としての「決定」ではなく、「決定するという行為」そのものが着目される。意思決定を他者の支援を借りながら「支援された意思決定」の概念であるとしている。(註)
日本だと、“安易に”、あの人は判断能力がないから、脆弱だから“その意思を代行してあげる”ということになりかねない。言語表現能力や他の意思表明方法を十分に駆使できない障害児・者の方でも、自分の気持ちの良い状態には〟“快”の表情を示すし、気持ち悪ければ“不快”の表現ができる。福祉サービス従事者は安易に“意思決定の代行”をするのではなく、常に福祉サービスを必要としている人本人の意思、求めていることを把握することに努める必要がある。
その上で、本人が自覚できていない人、食わず嫌いでサービス利用の意向を持てていない人に対し、専門職としてはニーズを科学的に分析・診断・評価し、必要と判断したサービスを説明し、その上で、両者の考え方、プランのあり方を出し合って、両者の合意に基づいて援助方針、ケアプランを作成することが求められている。(2021年3月12日記)

(註)菅冨美枝「自己決定を支援する法制度・支援者を支援する法制度――イギリス2005年意思決定能力法からの示唆―」法政大学大原社会問題研究所雑誌No822、2010年8月所収。

添付資料(2)
シルバー産業新聞連載記事第5回

「家族・地域の介護力、養育力の脆弱化とソーシャルサポートネットワークの必要性」

戦後日本の社会福祉問題は、1970年頃を境に大きく変質する。1960年代末から1970年代にかけて、「新しい貧困」という考え方が登場する。
従来の貧困は、経済的貧困であり、労働経済学的視点に基づく対応策が考えられ、ほぼ金銭瀬的給付をすれば問題は解決できると考えられていた。そのような中で、江口英一は「不安定就業層」という新しい考え方を提示し、労働者世帯の生活の不安定さは労働経済的対応策だけでは不安定な生活の問題解決につながらず、地方自治体における様々な対人援助サービスの整備が必要であることを指摘した。1970年頃“ポストの数ほど保育所を”というスローガンの下に、保育所増設運動が全国各地で台頭したのはその一つの現れである。
また、金銭的給付では解決できない「新しい貧困」への対処も求められるようになってくる。農業中心の時代には、家族も多世代同居家族であり、地域においても農業を通じての地縁・血縁関係が豊かにあり、様々な生活問題があってもそれらへの対処は家族や近隣での助け合いの中で問題解決が行われ、行政による社会的対応策が求められなくても済んだ。
しかしながら、急激な工業化、都市化、核家族化の進展により、家族構成員の抱える生活問題への対処力が脆弱化していく。
第1には、家族の構成員が抱える様々なショックをやわらげ、慰め、励ます機能が家族形態の変容と核家族化することにより脆弱化していく。人間は弱い動物であり、日常的に受けるショックを和らげてくれる機能や慰め、励ましてくれる機能が身近になければ一人で対処することは大変なことである。筆者は、家族構成員が受けるショックを和らげ、慰め、励ましてくれる機能を自動車の乗り心地の良さを左右するショックアブソーバー(衝撃緩衝装置)にたとえ、家族が持っていたショックアブソーバー機能が脆弱化することにより、家族とその構成員の精神的不安定さと生活問題対処力の脆弱化が増大していることを指摘した。離婚が増え、一人親家庭が増大していくと、家族のショックアボソーバー機能は家族内にはほとんどなくなり、かつ社会的にも“支援”がなく、孤立していく。また、それとともに精神疾患の増大も深刻化していく。
第2には、急激に核家族化されたことにより、親の世代から引き継ぐべき生活文化、生活様式、生活習慣といったものの“世代間継承”ができず、生活力の弱い核家族が増えることになる。塩月弥栄子の『冠婚葬祭入門』が1971年に刊行され、ベストセラーになったのも、松田道雄等の『育児書』が刊行され、重宝されたのも、この生活文化、子育ての文化の“世代間継承”が断絶したことの一つの証左であろう。高度経済成長に必要な労働力として、“金の卵”として全国から集められた中卒集団就職者にとっては、自らの生活力を豊かに育む生活環境を持てず、厳しい生活にさらされる。
福祉事務所で生活保護業務を担当する現業員らによる調査で、生活保護世帯への救済策として金銭的給付では解決できない「新しい貧困」、“生活力“の脆弱さが指摘された。
第3には、急激な都市化、工業化の中で、住居の移動も激しく、近隣関係を構築できない、地域コミュニティを形成できない中で、多くの住民が日常的に触れ合える、支え合える近隣関係、人間関係を持てずに暮らすことになる。
2015年に施行された「生活困窮者自立支援法」は、まさにこれらの「新しい貧困」問題への対応策であり、かつ2016年から推進されている地域共生社会政策はよりその対応策を強化しようとするものである。
それは、福祉サービスを必要としている人が地域において、孤立することなく、排除されることなく“社会参加”できるようにしようとするもので、日本でもイギリスと同じように、“孤立・孤独問題担当大臣”を任命せざるを得ないほど地域においてソーシャルサポートネットワークを持てずに孤立・孤独に陥っている人々の問題は深刻化している。
地域生活している単身高齢者や単身障害者の数はますます増大しており、それらの人々への支援には、介護保険サービスや障害者サービスを“点と点を結ぶ”方式で提供しても解決できない問題が数多くあることが指摘されている。
民法の成年後見制度や社会福祉法に基づく日常生活自立支援事業もあるが、それだけでは解決できない様々な生活上の支援が必要とされている。入退院時の保証人制度や庭木の手入れ等の住宅管理保全、ゴミの分別と廃棄、看取り、死後対応事務(火葬許可書の名義、葬儀の扱い、遺骨の取り扱い)等、既存のサービスにない日常生活支援サービスが必要になっているが、それとともに重要なのが孤立・孤独問題である。
従来の家族、地域が有していた生活支援に“幻想を抱かず”、それとは別に、新たなソーシャルサポートネットワークを構築することが求められている。悲しい時に慰めてくれる人、嬉しい時に一緒に喜んでくれる人など情緒的にサポートしてくれる人の存在、生活上のちょっとした困りごとを手伝ってくれる人の存在、日々変わる日常生活上の制度などについて情報を教えてくれる人の存在、一人の人間としての尊厳を守り接してくれる人、人間として評価してくれる人の存在という4つのソーシャルサポートネットワークの機能が地域自立生活にはとても重要で、その機能の構築が地域共生社会政策として不可欠である。

(註)J・S・Houseの4つの機能、『支えあう人と人』浦光博著、サイエンス社、1992年参照。

(2021年6月3日記)

心の五味のひとあじ

怠惰な一日だった
朝から身体が重く 気だるさが心を占めた
気分転換に庭に出た
外気は25度の夏日 
陽ざしは強かったが 吹く風も強かった
長居も出来ず 冷えた部屋に戻った

リクライニングチェアを倒した
読みかけの本を 手にする
効果なく 眠気が走る
iPadを手に ニュースを指であさる
集中できず あきらめる

考えることを やめた
見ることも やめた
怠惰な状態を 受け止めた
モチベーションが落下する
心の欠落 

心の五味の批判感覚
酸(すっぱい)さが ここ数日キツかった
苦(にがい)おもいが 溜まっていった
甘(あまい)くはない事態に 憤っていた
辛(からい)論調が 己の弱さを吐露した
鹹 (かん)が身体に回り 毒気に冒された

心の五味の感覚停止
悲観感ゆえの 心の痛みからの回避
無力感ゆえの 心の衰弱からの回復
閉塞感ゆえの 心の崩壊からの回生

心の五味の喪失からの再生
焦燥感ゆえの 苛立つ心の制御
失望感ゆえの 逆らう心の抑制
危機感ゆえの いのちと心の防御

※五味(ごみ):古くから言われている、酸(すっぱい)・苦(にがい)・甘(あまい)・辛(からい)・鹹 (かん:塩からい)の五種の味。

〔2021年6月3日書き下ろし。虚しさと疲れが倦怠感となった。怠惰は時に自分を見つめる機会となる〕

たかります

たかりは 恐喝の類いです
チンピラが よくやる脅しです
やり方次第で 正当化できます 

たかりが おごりにかわります
五輪貴族の 処世術です
4年に一度の開催で 大枚の金が動きます

たかりが 仕事です
家族総出で 海外で出稼ぎします
たかりは 恐喝めいても罪には問われません

脅しても賺(すか)しても 開催させねばなりません
平和の祭典なんぞとほざくのは笑止千万 幻想です
たかりのローテーションを確保維持するだけです
関係者にはそこんところは 了承済みです

中止なんて 絶対許しません
4年間の稼ぎのプランが 崩壊します
多額の賠償金で埋め合わせを 裏で画策してます
怖じけづかせて すべての責任押しつけます
1億総玉砕しようとも IOCは関知しません
ボランティアは 逃がさぬよう厳重に管理しなさい

たかりとは心外です
合法な五輪商業ビジネス 興行師の正当な報酬です
いろいろ根回ししますから 裏の金も動きます
高額であろうが 市場原理が働いてるだけです

ワイフにたかられました
東京に行けない代わりに お土産よろしくって
何がいいですかね? 
さっそく東京にプレッシャーをかけておきました
おごってくれるにしても こちらの意向を尊重しなさい
それって「お・も・て・な・し」ですよね

〔2021年6月3日書き下ろし。IOCのこけおどしに怖じ気づく者たち。たかりをおごりと言い含められた者たち。尋常ではない事態は続く〕

付記
【東京五輪】フランスのニュース専門放送局が中止を要求「大失敗のリスクがある」
フランスのニュース専門放送局「LCI」が、新型コロナ禍での東京五輪について「大失敗のリスクがある」と強い警鐘を鳴らした。
同局は新型コロナ禍の深刻化により、開催中止を求める世論が日本で高まり続けている現状を指摘。「東京五輪についての激論がずっと繰り広げられている。最新の世論調査でも日本人の80%以上がこの夏のイベントに反対しており、国際オリンピック委員会(IOC)に反対している」と世論の反対が依然として高いと分析した。
東京五輪を巡っては世界各国から数万人規模の大会関係者が来日するため、感染爆発や未知の変異種の発生など多くの懸念が出ている。さらに3日には政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が、東京五輪で感染が発生した場合に「医療制度や検査体制が非常に脆弱な発展途上国に(ウイルスが)わたる可能性がある」と言及。選手をはじめ大会関係者が日本で感染し、大会後に各国へ帰国した際に感染を広げる危険性を指摘した。こうした現状から同局は「東京五輪は大失敗のリスクがある。キャンセルした方が賢明だ」とそのリスクの大きさから中止を強く要請した。
IOCや大会組織委員会は開催強行へ〝1億総玉砕モード〟に突入しているが、相次ぐ中止への警告にもはや耳を傾けることはないのか…。(東スポWeb 2021年6月3日)