阪野 貢 のすべての投稿

精彩なき聖火

まるで人目を忍んだ 逢い引きのように
聖火は気づかれぬよう 足跡だけを残して
コロナを起こさぬよう 静かに立ち去る

まるで厄をもたらす 疫病神のように
聖火は人心から見放され アリバイだけを残して
コロナに邪魔者扱いされて 音もなく立ち去る

まるでこうなると 予想が的中したように
聖火は見事に返り討ちにあい 火幻を残して
コロナに打ち勝てず 逃げるように立ち去る 

聖火がこれだけ邪険に扱われたことは なかった
世紀のスポーツの祭典こそ 心躍るイベントだった
聖火は広く喧伝のために 列島を走らねばならなかった
世紀のスポーツの祭典の ボルテージが急落する
聖火は役目を果たすことで 笑いものにされた
世紀のスポーツの祭典を 利得にした者たちのせいだった

全国の知事たちよ
聖火に現(うつつ)を 抜かしている場合か
聖火でコロナが 退散するわけでもない
聖火が萎えた人心を 奮い立たせるわけがない
億単位の税金を浪費するだけの 意味のない聖火リレーだ
信仰じみた聖火への おもいは断ち切ろう
コロナ疲れと将来への展望のなさに 苦悶している最中だ
覚めた心で頭を冷やそう

全国の知事たちよ
聖火リレーも五輪も 断念しよう
五輪どころの騒ぎではない
すでにコロナはリバウンドして 
聖火よりも早く 日本列島を縦走する
聖火は辛酸を嘗めながらも 走り続けるのか 
その道中で 魔手により尊い命が弄(もてあそ)ばれる

NHKの五輪キャッチフレーズ
「私たちは、超えられる。」
なんと虚しく響くのだろうか
「超えられる者しか越えられない」
観念の世界ではない現実を直視する
メディアの押しつけがましい振る舞いに 
〈わたし〉は 静かに平伏を拒否する

〔2021年4月1日書き下ろし。「聖火が走る」(2021年3月26日Up)の続編。たった1週間後のお粗末な事態。さらにNHKが事態を超えていく〕

付記
吉村知事『大阪市内の聖火リレー中止すべき』 大阪・兵庫に「まん延防止措置」適用へ
新型コロナウイルスの感染再拡大を受け、政府は4月5日から1カ月間、大阪府、兵庫県などに「まん延防止等重点措置」を初めて適用する方針です。
吉村知事は措置が適用された場合、大阪市内の聖火リレーを中止すべきだと話しました。
政府は大阪府、兵庫県、宮城県に4月5日から1カ月間、「まん延防止等重点措置」を適用する方針で、夕方の政府対策本部会議で正式に決まる見通しです。
まん延防止措置が適用されると、地域を限定して飲食店などに時短営業の命令を出せるようになり、違反すれば最大20万円の過料を科すこともできます。
兵庫県は4月1日に国に措置を要請していて、措置の適用が決まれば、神戸市、西宮市、尼崎市、芦屋市を対象に、午後8時までの時短営業などを要請する方針です。
「大阪市内における聖火リレーについては、中止すべきだと思います。大阪市外、まん延防止重点地域以外のところについては、感染症対策を実施して、聖火リレーを実施するということ、この調整に入りたい」
吉村知事は聖火リレーについて、「大阪市や組織委員会と協議する」と話しました。
大阪府は国が措置を適用する方針を決定したあと、すみやかに対策本部会議を開き、今後の対応を決める方針です。(関西テレビ 2021年4月1日)

高校での探究ごっこ

来春から教科書が変わります
「歴史総合」「地理総合」「公共」「情報Ⅰ」「理数」
新科目が増えます
課題を調べて考える「探究学習」を重視します

でも 生徒に探究されても困ります
それに応えるだけのキャパシティは ありません
もともと そんな教え方はしたことありません
講義型・紋切り型の 一方通行しか出来ません
知ったかぶりが 通用した世界です

教科書を教えることには 長けてます
教科書で教えることは 苦手です
能力以上のことを 求められても困ります
探究学習のノウハウは 教科書に沿うしかありません
指導力を求められても すでに限界に来ています

一教師の手腕では 探究学習もへったくれもありません
だから図説いっぱいの教えやすい教科書に なっているそうです
教えなければならない教科は 免許外でもいいそうです
そんなバカな話は ありません
本質に迫る授業を構築する力量が求められる 専門性が歪みます
免許外でもいいと 当てられた教員は貧乏くじを引かされます
探究学習のノウハウだけで 用が足りるわけがない

それならいっそ「公民」は 全教員で学び直しませんか
満18歳の生徒でも ガキ扱いするバカはきっといます
同僚との認識の違いや意識の格差も 生まれてきます
社会的認識の希薄な学校世界で 生きてきた身ですから
学校の常識 世間の非常識は 承知の上のことです

利己主義的で閉鎖的 かつボス的な方も鎮座する学校社会
ここでは 校内での力関係が裏人事で働きます
ポジティブに引き受ける人は きっと稀でしょう
さてどなたが 貧乏くじを引くことになるのでしょう
中教審の改訂のねらいが 形骸化されていく始末を予感します
振り回されやらされる生徒こそ いい迷惑です

ただ 子どもが独り立ちするには 社会問題に向き合うことです
自ら知と智の学びを 主体的に取り組むしかありません
でも その学びの時間の保障と導く指導者の力量には期待できません
まずは 教科書をしっかり教える力を身につけるしかありません
どうぞ 自ら探究学習を性根をすえて探究してください
教えることは 学ぶことのほんのひとつかみでしかありません

〔2021年4月1日書き下ろし。高校の教科書の検定が終わった。9年ぶりに22年度から新学習指導要領に基づいて探究学習が重視されるという。子どもも教師もやらされる方は大変です〕

ついにきたか

やっぱりね
そうきたか
そうするよりなかったか
それでやるしかないのか
迷惑千万顧みず ついにきた

ゴリ押し通す環境省
例外的に 受け入れすれば
後は なし崩しに運ばれる
内地の 核ゴミもPCB廃棄物も産業ゴミも
一括道内で 処理されるのは自明の理

北海道は 内地の産業振興の尻拭い
一番危険で汚い廃棄物の処理場に使い回される
内地の人が 安全で安心して暮らすための防波壁
津軽海峡を渡れば 内地の大事は済まされる

室蘭の処理施設の処理能力が試される
本当に無害化できるのか あり得ない
安心と安全は 確実に保障されるのか あり得ない
環境省は 放射性物質の除染や処理の説明を省き
最大で同1ベクレル程度 日常的に触れても安全性は確保される
それなら 内地で処理施設をぶったててでも対応可能だろう

札びらを見せられ 金欠の自治体は背に腹はかえられぬ
役人は さももっともらしい科学的根拠を持ち出して  
いくらでも 言い訳は用意する
いつもの汚いやり口が またまかり通る

カネさえ払えば御の字 あとは泣き寝入り
もしもの事もありながら 文句は言わさぬ
そうです そうです
そうして 国にかしずいた黒い歴史を繰り返す
どうぞ 国の思うがままに
ゴミの大地づくりに邁進してください
それが 内地を助ける役目なら
道民こぞって このいのち差し出しましょう

北海道が 死の島とならぬよう
核のゴミも有毒の産業ゴミも
簡単に受け入れてはならない

〔2021年3月28日書き下ろし。室蘭で仕事していたときに内地の産業ゴミが処理される施設の稼働を知った。道内には室蘭しかない。予想は出来たが、問題は期日だった〕

付記
福島PCB処理 安全性の説明が先決だ
福島県内にある高濃度ポリ塩化ビフェニール(PCB)廃棄物を室蘭市内に搬入し、来年1月ごろから国関連の専用施設で処理する計画を環境省が明らかにした。
廃棄物は、東京電力福島第1原発の事故後に国が指定した「汚染廃棄物対策地域」で生じた。この地域の廃棄物は放射性物質汚染の恐れがあり、国が域内で収集・処理するのが原則である。だが現地には対応できる施設がなく例外的に室蘭に搬出する。汚染が一定基準以下の廃棄物に限定するため、室蘭市は安全確保を条件に受け入れる姿勢だ。
今回の計画公表は唐突感が否めない。市民が健康への影響に不安を抱くのも無理はない。
環境省は科学的根拠を示し説明を尽くすべきだ。市も不安解消へ手だてを講じなければならない。対象となるPCB廃棄物は同県双葉町など11市町村にあるコンデンサー(蓄電器)や蛍光灯の安定器などだ。原発敷地内のものは含まないというが、心配なのは放射性物質による汚染の程度である。
環境省によると、室蘭に送る廃棄物は表面の放射性物質の汚染密度が1平方センチ当たり4ベクレル以下に限る。医療機関などの放射線管理区域の物品に関し、国が定めた数値に準じるという。今回の廃棄物は最大で同1ベクレル程度で「日常的に触れても安全性が確保される」との説明だ。
PCBは毒性が極めて強い。健康被害を招いたカネミ油症事件を契機に1972年に製造が中止されたが、今も環境汚染が続く。
2001年施行のPCB特措法に基づき、国が全額出資する特殊会社「中間貯蔵・環境安全事業」(JESCO)が全国5施設で広域的に無害化処理してきた。
室蘭の施設は道内や東北、関東など20都道県の廃棄物に対応する。福島も担当区域だったが、原発事故以降受け入れていなかった。国の基本計画により、室蘭での高濃度PCB廃棄物の処分期間は23年春までと定められている。
その時期が迫る中、福島の廃棄物が問題となるのは自明だったろう。にもかかわらず環境省は今まで計画を公表しなかった。放射性物質の除染や処理の手順を巡る安全性確保について、環境省が果たすべき説明責任は重い。
室蘭市は住民の疑問に答えるとともに、安心や安全の担保を最優先しなければならない。
過去にPCB処理施設を誘致した経緯がある道にも、不安解消の責務があるのは言うまでもない。(北海道新聞社説2021年3月28日)

ゆらぎを生きる~道民児連民生委員児童委員初任者研修レポート その5

心揺さぶられて 戸惑い ゆらぐ
心乱れて 弄(もてあそ)ばれ ゆらぐ 
心騒いで 落ち着きなく ゆらぐ 

そのゆらぎを 引き受けなければならない
そのゆらぎは 理解を促す力となる
そのゆらぎが 生きることの証ともなる

いまゆらぎ始めている参加者に
そのゆらぎの意味を 問いかける
「あらがい動く」
あらがいなからも 世の中に添うことの真意は
動いてはじめて 見出されてゆく

心を揺さぶられたこの日を 覚えておいて欲しい
「きょうという日」
後回しにしてきたこと
途中で放り出してきたこと
先延ばしにしてきたこと
みんなやらなければいけないことだった
自分の弱さや不甲斐なさに気づきながら
一歩踏み出すことに勇気をもらった きょうという日
誰かが手を握った日のことを 覚えておいて欲しいと

慰藉(いしゃ)の手をもつ 民生児童委員は
慰藉の手に 導かれる人かも知れない
「ほころびを繕うということ」
うとましいと思っていた世間のしがらみの中で
自分もまた心ある人の 気くばり心くばり目くばりによって
生かされていることを 知らされる
人との心のほころびを繕う人こそ あなたなのだと

慰藉の心は 相手との心の距離を縮める
ラブレター「心の詩になる」
そんな心の詩を歌う人でありたい
「君だけのうた」
悲しいとき 辛いとき 嬉しいときに歌う 君だけの歌がある
励まし 勇気づけ 仕合わせにする力がある
人生に希望をもたらし 今日を生きる歌がある
カラオケに興ずる人たちに おもいを馳せながら
十八番(おはこ)を友にして 慰藉の手を差し伸べて欲しいと願った

どんな人にも どんなときにも 人は夢を見る
「夢のひとしずく」   
心のままに生きる水を 枯らしてはならない
日々の暮らしを慎ましく生きる人と 見る夢もある

「ゆらぎ」を朗読した
この研修の水脈をなす詩である
ゆらぎとは 分身との対話 本意との対立 本心の確かめ
ゆらぎつつ 生きる本質に迫ってほしいと 静かに訴えた

さあそろそろ出かけましょうか
見えない階段はどこにでもあり 活動のバリアかもしれない
「階段」
今日も団地の階段に挑む 私の体力づくり
どんなに崇高なおもいを持っていても
いま求められるのは この階段を上り下りする体力なのだ
この階段の先に 私を待っている人がきっといる
その笑顔に会いたくて 一段目に足をかけた
いつもここが 私の仕事のスタートライン
私とあなたのかかわりは ここからしか始まらない
そこに私は 何を求められるのか
民生委員の日々の労苦に 心惹かれる

ようやくエピローグを迎えた
やはり 子どもから心離れない自分がいる
「この子らに」
「きみがただいるだけで」
ひとり静かに 声に出して読んで欲しいと預けた
「めんこいしょ」
ラストメッセージを朗読した
宇宙永劫の一瞬に 奇跡の命を生き 
人間社会に 人として生きるいまを
次代を生きる子らに どう引き継ぐのか
その課題に挑んで生きる人たちへの エールでもある
自らの誕生と注がれた親の愛を抱きしめる人たちに
福祉でひとづくりとまちづくりへの夢を託した

参加者と参観の役員 そして運営されたスタッフに
コロナ禍で 研修が無事出来た事への感謝と健勝
これからの活動への期待を込めて 〆とした

※「慰藉(いしゃ):悩み、苦しみ、不安などを慰めいたわること」

※「あらがい動く」:「鳥居一頼の世語り」2020年9月1日アップ
※「きょうという日」:「鳥居一頼の世語り」2019年7月17日第1回の記念の日
※「ほころびを繕うということ」:「鳥居一頼の世語り」2019年7月25日アップ
※「心の詩になる」:「鳥居一頼の世語り」2020年8月16日アップ
※「君だけのうた」:「鳥居一頼の世語り」2020年6月21日アップ
※「ゆらぎ」:「鳥居一頼の世語り」2020年8月27日アップ
※「階段」:「鳥居一頼の世語り」2019年10月18日アップ
※「この子らに」:「鳥居一頼の世語り」2019年12月31日アップ
※「きみがただいるだけで」:「鳥居一頼の世語り」2020年8月11日アップ
※「めんこいしょ」:「鳥居一頼の世語り」2019年9月14日アップ
※参考「自助・共助・公助」:「鳥居一頼の世語り」2020年9月19日アップ
※参考「後ろめたさ」:「鳥居一頼の世語り」2020年9月18日アップ
※参考「改革への道」:「鳥居一頼の世語り」2020年12月16日アップ
※参照「民生委員信条に生きる」:「鳥居一頼の世語り」2021年3月19日アップ
※参照「正しく怒ろう」:「鳥居一頼の世語り」2021年3月20日アップ
※参照「先の景色を見る」:「鳥居一頼の世語り」2021年3月22日アップ

〔2021年3月29日書き下ろし。参照の3つの詩は、厳しい現実を事実に基づいて描いた詩である。民生委員児童委員には是非とも読んでいただきたい〕

心ない世間~道民児連民生委員児童委員初任者研修レポート その4

なぜ引き受けたのか
人は 心ない人たちに 傷つけられる
人は 妬(ねた)まれて 嘖(さいな)まれる
なぜなのか その理由(わけ)すら分からず 自責の念にかられる

なぜ引き受けたのか
人は たじろぎ立ち止まり 考える
人は やる気も失せて 辞めるタイミングを探る
そこまでして やらねばならない理由が 薄らいでいく

でも なぜ引き受けたのか
人は 人から受けた恩を世間に返すと 考えた
人は 世間のしがらみから逃れられないと 腹をくくった
だから もう少し我慢しようと 諦めるしかなかった

ときに民生委員は 世間の風をまともに受ける
世間の無理解から生じる 偏見と批判の的となる
納得することが出来ぬまま 沈黙する
諍(あらが)うことを避け 感情を抑え品性を保つ

引き受け手がいない
後継者が育たない
短期間でリタイヤする
綺麗事ではすまされない 厳しい現実の前に 
民生委員は立ち尽くす

葛藤しながらも 強く心動かすものは何か
薄っぺらな同情心や憐憫の情ではない
その地でともに生きることへの渇望を 汲み取るだけのこと
福祉の崇高な理念や制度での救済ではない
その地にともに果てるまで 暮らし続けるだけのこと
微力であるがゆえに 為すべき事をするだけのこと
その地がともによき故郷となるよう 働き続けるだけのこと

まずは具体的な問題を処理しよう
「無報酬です」
「自治会は地域の自治組織」
無理解や誤解から 批判めいた発言をする地域の人
疎ましさを感じつつ モチベーションも下がる
だから せめて反論の根拠を示しておきたい
2編の詩は 自治会役員と民生委員の違いを明確に論じる
一人ひとりに じっくりと読み込んで欲しいとお願いした

「融和の心」
取り上げたエピソードは 世間の困りごとを
民生委員に押しつけて 高みの見物の決め込む世間の実態
それでも 生きる痛みや喜びを分かちあう融和の心を
地域に根づかせることを「人生の恩返し」にしようと挑む
「恩はいただいた方に返すのではなく世間にお返ししなさい」
そのことばが重い

人間の心の闇は 周りには何も見えない
コロナ禍で自死する人も多く 十代の自死も痛ましかった
全国の民生委員も参加する 自死を防ごうという運動は続く
道内では いのちの電話相談の限界も報道された
深い悩みの淵にあった 自死未遂者との語らいから生まれた
「自死からの目覚め」
気がかりな少年の自死に関心を向けさせた
いじめにより孤立した少年が選んだ自死の現実
「乾いた笑い」
あえて朗読をしてもらった少し表現の硬い詩
「生きたいという心」
自死を思いとどまって欲しいという 切ない願いを込めた

悲痛なテーマが続く
心痛なおもいが会場を包む
現実の問題から 目を背けることなく向き合う
その力を どのように引き出すのか
ナーバスに陥った心情のまま
ここで終わっては この研修の意味はなくなる
あらがいながらも 活動を続けることの意味を見出さねばならない
それこそが ファシリテーターとしての役目だった

※「無報酬です」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年3月10日アップ
※「自治会は地域の自治組織」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年3月11日アップ
※「融和の心」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2019年7月27日アップ
※「自死からの目覚め」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2019年10月31日アップ
※「乾いた笑い」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年11月13日アップ
※「生きたいという心」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年11月23日アップ
※参考「泣き寝入り」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年11月8日アップ
※参考「命を断つ子ら」ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年11月30日アップ
※参考「もう泣かないで」ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年12月10日アップ

〔2021年3月28日書き下ろし。ナーバスになった心境からどう立ち上がるのか、研修は終盤へと向かう。テキストでは紹介できなかった子どもの自死についての詩を参考に記す〕

子どもと生きる~道民児連民生委員児童委員初任者研修レポート その3

「妻の旅支度」は 強烈なインパクトを与えた
80代の夫婦が 添い遂げる実話を描いた詩である
病に冒され 余命3年と宣告された妻は
一人残される夫のために 千日のカレンダーを作り
そこに 家事一切を教えるプログラムを書き込む
覚悟の旅支度は 夫へのレッスンに費やされた
妻の愛の深さと夫の純情さは 静かに情感を揺さぶる
地域で慎ましく生きる老夫婦と オーバーラップしたかも知れない

今回は 民児協担当者の参加はなかった
「気概を持って」は割愛した
ただ道内の市町村単位民児協の担当は その9割余が行政である
2~3年で異動する担当者の気概の有無は 活動を根底から揺るがす
この詩を紹介する意図だけは 伝えた

シナリオ「自分のネットワークを作ろう」は出来なかった
初めて一人で地域を回るのは どれだけ勇気がいたことだろう
初めて一人で当事者と対面したときには どれだけドキドキしたことだろう
そんなときサポートしてくれる先輩がいたら どれだけ心強いことだろう
新人をどのように育てていくのかによって 人材の確保が左右される
道民児連の抱える 人材育成と定着の課題に直結するキーワード
「ひとりぼっちにしないさせない」ことに尽きる
「男女ペアの訪問活動」
「特別じゃない」
「マップづくりと新任民生委員」
この三本は 道内の民児協に出向き 人材を育てる取り組みを取材した
その中で「特別じゃない」を朗読してもらった
定例会での発言に尻込みする新任たちへの配慮は
決して特別なことではなかった
思っていることを 腹にためることなく吐き出すだけだった
この詩は 参観している役員の方々へのメッセージでもあった
他の二本も 長い間継続されてきた取り組みが
いかに人材の育成と定着に寄与しているかを如実に語っている

子どもについて 児童委員への問題提起を綴る
「まっすぐな まなざし」
数年に渡り 学級・学校崩壊と関わった
学校経営を揺るがす問題行動を起こした子らが
小学校を卒業するときに贈った詩である
弾けてしまった子らにも 
まっすぐなまなざしを向けて 生きていくことを信じたい
祈りの詩(うた)ともなった
「ふくしとは」
母子家庭の母と子を描いた詩である
「ふだんの・くらしの・しあわせ」づくりを読む
その一節「ただね 靴が小さくなって 歩くと少し痛い」
想像力を喚起することを強いた
貧しさを静かに訴え 堪える子どもの吐いた言葉を
受けとめる感受性が 求められているのではないかと

そして「この子よい子だ」を歌い出した
シンブルマザーの子育ての様子を
『竹田の子守唄』のメロディーに乗せた
♪「この子泣くなよ わが身がつらい この子笑えば 救われる」
「男の子守唄」は 最後の歌詞だけ披露した
♪「母の残り香 嗅ぐ子に添って メロディーあやしき 子守唄」
参加者が心で歌うことにより 
痛みを分かち合い響き合う場が 静かにつくられていく

子どもの問題は 教育福祉の課題でもある
学校が その機能を充分に果たしているとは言い難い
学校とのパイプ役であることも 伝えなければならない
「地域と学校のパイプ役になる」
さらに子育てで苦労する母親に 焦点を当てながら
社会の寛容性を呼び起こす 乳飲み子の存在を訴えた
「泣く子と寛容」
「乳飲み子は寛容の心の拠り所」と綴りながら
コロナ禍で子育てする母もまた 親として強く育つことを願った

子どもと生きる
子どもに教えられ 人としての道を学ぶ
子どもに信頼され 人としての道を歩む
子どもと生きる
子どものまなざしに 人としての誠心を問われる
子どものまなざしに 人としてのあり方を問われる
子どもと生きる
子どものいのちを 人として守らねばならない
子どもの明日を 社会として護らねばならない

※「妻の旅支度」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2019年10月28日アップ
※「気概を持って」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年1月25日アップ
※「男女ペアの訪問活動」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年10月29日
※「特別じゃない」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年10月27日アップ
※「マップづくりと新任民生委員」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年10月28日アップ
※「まっすぐな まなざし」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2019年7月29日アップ
※「ふくしとは」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年1月6日アップ
※「この子よい子だ」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年6月2日アップ
※「男の子守唄」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年6月9日アップ
※「地域と学校のパイプ役になる」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2019年10月24日アップ
※「泣く子と寛容」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年4月15日アップ

〔2021年3月28日書き下ろし。子どもを中心としたレポートになった。日本の子どもの置かれる貧困の問題にも焦点を当てた〕

うなずき~道民児連民生委員児童委員初任者研修レポート その2

今年の研修は グループワークを回避して
道内9カ所で ステージ型の展開を想定した
コロナで 研修時間も40分短縮され 
用意した教材(詩編)を消化するのは 至難の業だった 

昨年のステージ型では 舞台に上がった参加者数人に
朗読の後その場で 感想を聞き意見交換するカタチをとった
そうすることで 登壇した参加者のおもいは 
館内の参加者と共有され 共感が広がり一体感が生まれた

会場は広い会議室だった
14名は 長テーブルにひとりずつ座った
距離間は確保されたが 協議はままならない状況にあった
提示する一つひとつの詩編に おもいを語ることもできなかった

一人ひとりの心情に訴えることを 主たるねらいにした
40遍の詩編を制限された時間内に どれだけ伝えられるかを課題とした
民生児童委員とその活動に深く敬意を払いながら ここいることを伝えた
「心に響く詩 心を開く詩 心を守る詩」を描くことの己の役目を
「心守詩」により語った

プロローグは「コロナ禍から暮らしを護る」
道民児連の情報誌「アンテナ」に掲載された詩である
コロナ禍で厳しい人たちに寄り添う 全国の民生児童委員へのエールである
そして「はじめに」の章 シナリオ「稼いで半人前」は台詞の一部を紹介した
「仕事をして半人前 他人(ひと)様のために動いて半人前 これでようやく一人前」
委員の依頼を受ける場面を演じることができず やもえず割愛したのだ

「希望」という言葉が これほど意識された1年はなかった
「つながる つなぐ」
「小さな幸せを希望に紡ぐ福祉のまち」
福祉やまちづくりに関わる存在の尊さを訴えた
「地域で生きる 地域に生きる 地域が生きる」
そんなまちにする一人ひとりであることへの 希望を添えた

民生児童委員に委嘱された時の心情は それぞれが事情を負う
「青い手帳」は 静かに個々で振り返ってほしいと預けた
「群像」は 関わる人たちの時代背景やその人生を辿(たど)る
長編の詩文は 関わる人へのイメージを膨らませる手がかりとしてお願いした
そして やりくりがしんどい中 香典を包む一途な生き方をする老いた姿を描いた
「義理を果たす」の一部を紹介し 心にとめていただいた
貧しくとも 夫婦が受けた世間の義理を欠くことをよしとしない
頑なな老女の生き方に 夫との霊魂の交感すら感じられるすごみに 
衝撃を受けた エピソードでもあった

さまざまな人が 暮らしや身の困難を抱えながらも 地域で暮らし続ける
その人たちの姿を 参加者の朗読で進めてゆく
ステージは「助けあいの本質とはなにか」を問いかけてゆく場面に変わる
「助かるわ」は「助かるわ 助かったわ なんもさ お互い様」
愛ことばの往来が ぬくもりのあるまちをつくる
「日々是好日」は 独り暮らしをしている人をほっとけない
世間でお節介といわれても 頑張る人の姿を描き出す
マイクは読み手が交替する度に消毒され拭かれ手渡される

そうして ほっとけない人たちの日常の当たり前の動きが
地域のお世話役さんとして 目にとまってゆくのである
「小さな希望のともしびをかかげてください」
民生児童委員のこころづもりと腹づもりを解いてゆく
「人生の棚卸し」
「持ちつ持たれつ」
参加者は詩の朗読を聴きながら テキストに集中してゆく
参観する10人の役員の方々も 一体となって集中してゆく
彼らの強いうなずきが 研修への期待感となって醸し出されてゆく
そのうなずきこそ かけがいのない現任者のおもいの発露であった

※ステージ型(劇場型)のワークショップの成果については、2020年3月28日にブログ「鳥居一頼世語り」にアップした「舞台を創る」を参照されたい。
※「心守詩」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年11月24日アップ。連載500回目記念の日
※道民児連の情報誌「アンテナ」№209
※ 「コロナ禍から暮らしを護る」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年5月25日アップ
※「つながる つなぐ」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2020年6月5日アップ
※「小さな幸せを希望に紡ぐ福祉のまち」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2019年8月21日アップし、テキスト掲載のため2020年11月改訂する)
※「青い手帳」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2019年12月10日アップ
※「群像」:ブログ「鳥居一頼の世語り」2019年7月19日アップ
※「義理を果たす」:雑感(84)鳥居一頼のサロン(5):「義理を果たす」2019年6月19日アップ
※「助かるわ」:(80)鳥居一頼のサロン(3):「助かるわ」2019年4月20日アップ
※「日々是好日」:「鳥居一頼の世語り」2019年12月2日アップ
※「人生の棚卸し」:「鳥居一頼の世語り」2019年11月16日アップ
※「持ちつ持たれつ」:「鳥居一頼の世語り」2020年10月21日アップ

〔2021年3月27日書き下ろし。うなずきは同意と確信を与えてくれる。研修はまだ中盤にさしかかったところである〕

聖火が走る

東京五輪の聖火リレーが 福島県を起点に始まった
世論の盛り上がりを欠く スタートになった。
そもそもは 国威発揚のために ナチスドイツが始めた
戦後は 平和の理念を継承するセレモニーとなった

エンブレム盗用疑惑
ベルギーのデザイナーが 自作を盗作されたとして訴訟を起す
国立競技場案の白紙撤回
設計デザインが 多額の建設費用がかかるとの批判を受けた
JOC会長竹田恒和の招致疑惑
マラソン会場の札幌移転では 札幌が謂れない批判を受ける
誘致運動に尽力した者たちの 不名誉な退陣
挙げ句の果ては 組織委員会長森喜朗のジェンダー騒動
全く収まる気配のないコロナ感染が 追い打ちをかける 
さらに厳しい経済不況に 暮らし向きはよくなる兆しがない

東日本大震災からの復興と コロナに打ち勝った証しと吹聴したが
IOCと放映権をもつNBCの 一蓮托生の利権に巻き込まれ
開催しかカードはなかった それだけのこと
東京五輪は 目的も廃れ汚点も暴かれ 何もかも冷え込むばかり
世界の開催への期待感も 果たしていかばかりであろうか

五輪の聖火に 希望を託すにはあまりにも心許ない
お祭り気分を味わうには 違和感ばかりでほど遠い
聖火は 47都道府県をめぐる(島根県はパスか)
約1万人のランナーがリレーして 7月23日の開会式で点火される
その予算と動員する人員も半端ない
とんでもない税金が 泡銭のように消えてゆく

開催の社会環境の条件のひとつ
コロナ対策としてのワクチン接種
ワクチンの確保や接種時期 対象の決定などが論議されるが
誰が注射を打つのか その人員の確保がままならない
職種規制で 医師と看護師しか認められていないのだ
日常の医療を差し置いて 人員を確保するなどありえない
開催までの接種人口は いまだ未確定

札幌では新規感染者の増加に加え 変異株が感染拡大をうかがう
27日から来月16日まで 外出・往来自粛が要請される
全国も解除後1カ月足らずで 同じ轍を踏むことだろう
そのとき 聖火リレーも立ち止まるしかない
国民の不安の火種では 聖火は灯せぬことを知る

それだけのことを 知らせるために
聖火は 規制された沿道を走る
 
〔2021年3月26日書き下ろし。心寂しい限りの聖火リレーの風景。ドン詰まる気配を感じざるをえない〕

老爺心お節介情報/第23号(2021年3月25日)

「老爺心お節介情報」第23号

〇桜の季節なのに、気分は今一つすっきりしない閉塞感のある日々ですが、皆さまお変わりありませんか。
〇人事異動の季節で、ちらほら聞こえてきますが、もし変更があったら教えてください。
〇 例によって、「老爺心お節介情報」第23号を送ります。
〇くれぐれもご自愛の上ご活躍下さい。

Ⅰ 地域福祉実践現場で行われる講演・研修の「講師」の立ち位置と地域福祉研究者の「バッテリー型研究」を行う必要性

私は、1960年代、東京都三鷹市で中卒青年等を対象とした青年学級の講師を約10年間担当した。その際に、青年たちから投げかけられた言葉はいまでも忘れられないし、忘れてはいけないと“自虐”的と思えるほど意識して研究者生活をしてきた。
その言葉は“あなたたちが大学院に進み、研究できているのは我々の税金があるからではないのか。我々は、勉強したくても家が貧困で高校へも行けなかったし、大学へも行けなかった。だから、この青年学級で学んでいる。あなた方の奨学金も我々の税金で賄われているのではないのか。そいうことを考えてあなたは生活し、研究しているのかという”問い掛けであった。
当時は、東大紛争もあったりして、このような言葉がだされたのだと思うが、この言葉は自分にとって大変身に堪えた。そうでなくても、日本社会事業大学を進路として選択する際に、そのような考えを自分でしていたものの、直接、面と向かって、このような言葉を投げ掛けられると身に堪えた。それ以来、ディレッタンティズム(もの好き)で研究するのではなく、社会に貢献できる研究者になろうと誓った研究生活であった。
そんなこともあり、私は講演や研修を依頼されると、常に参加者にどのような“お土産”を持って帰ってもらうのか、参加してよかったと思える“成果”をどう提供できるのかを考えてきた。
また、講演や研修等の頂いた機会にその地域、その組織、その自治体から何を自分が学ぶかということを常に考えてきた。それは自分自身の学びであると同時に、参加者への“お土産”の素材を掴むことにもつながっていた。
その際の私の姿勢として、自分が学んだことや自分が知っている情報を“分かち与える”という、ややもすると“上から目線”になりがちな“教える”ということではなく、参加者がこれから考える糸口、課題を整理し、学びへの関心、興味を引き出せるような契機になればということを常に意識してきた。それは、言葉で優しく言うとか、言葉で励ますとかいうことではなく、参加者が主体的に考え、行動に移したいと思えるような問題の整理と課題の提起を志すことであった。
一方、私は1985年1月に『高齢化社会と教育』を室俊二先生と共編著で上梓した。それに収録された論文の中で、生涯教育、リカレント教育、有給教育制度等に触れながら、これからは高学歴社会と高度情報化社会が到来し、従来のような知識“分与”的、情報伝達的教育や研修は変わらざるをえないことを指摘した。
今、文部科学省はアクティブラーニングの必要性をしきりに強調しているが、それはかつて社会教育が青年団を中心に提唱してきた「問題発見・問題解決型協働学習」で言われてきたことと同じである。
このような状況のなかで、地域福祉研究者は、気軽に“地域づくり”、“地域共生社会”づくりというが、どのような立ち位置で研究し、どのような立ち位置で講演や研修に臨んでいるのであろうか。
他方、筆者は地域福祉実践をしている現場の方々と“バッテリーを組んで”、その地域、その自治体、その社会福祉協議会をフィールドにして研究を行ってきた。そして、その研究は一時的なものではなく、長期に亘り、継続的に関わることによって行われるべきものだと考えてきた。
地域に住んでいる住民は、移転、移住しようにも、先祖伝来の土地、「家」のしがらみの中で生きており、気軽に移動できない状況を十分理解しないままに、外部から入り、外部の目線で“気軽に”地域づくりを言い、短期で関わりを切ってしまう研究方法は、あたかも住民の方々を弄ぶかのように思えていたからである。
筆者は、1970年に現在の東京都稲城市に移住し、地域活動を始めたが、それ以降、よほどのことが無い限り、この稲城市を離れることをしまいと決意を固めた。“地域づくり”を言うということは、それだけの重みのある取組であるべきだし、そうでないと住民の方々は納得してくれないと思ったからである。現に、そのような指摘は各地で幾度も聞いたし、聞かされてきた。
そんなこともあり、“バッテリーを組めた地域”には、長い地域では40年間のお付き合いをさせて頂いている地域もある。
ところで、このような文章を書いたのは、まさに「老爺心お節介」の最たるものかもしれないが、最近目にする論文等を読んでいて、研究者自身の立ち位置を明確にしないままに、取り組まれている実践を評価、紹介しているものが多く、地域福祉研究者として“一種の研究倫理”に抵触しているのではないかと思う論文を散見するからである。全国のいい実践は、大いに紹介し、情報共有化がおこなわれてほしいが、その場合でも紹介なのか、評論なのか、自分の学説の論証に使うのか等その位置づけは明確にしてほしいものである。しかも、その実践のアイディアは誰が出したのか、参与観察をするならばどういう立ち位置で行うのかを明確にする必要がある。最近、政治学の分野で「オーラルヒストリー研究法」が活用されているが、ある政策、ある実践がどういう形で企画され、政策化されていくのかを、その過程の力学も踏まえて研究が進められている。地域福祉研究においても、同じような研究の枠組みを作る必要があるのではないかと考え、この拙稿を書いてみた。

Ⅱ 「シルバー産業新聞」連載3月号添付

Ⅲ コミュニティソーシャルワーク研修モデルプログラムと関係シート添付

# このプログラムの整理には、富山県地域福祉部魚住浩二さんにご尽力頂いた。

Ⅳ 市民福祉教育研究所を主宰している阪野貢先生(元中部学院大学教授)が開設しているブログに「大橋謙策の福祉教育論」のコーナーが開設されたそうです。興味のある方は検索してください。

添付資料
シルバー産業新聞連載記事第3回

「ナラティブ(人生の物語)を大切にする自立支援」

筆者は、1970年頃から、社会福祉学研究、社会福祉実践において労働経済学を理論的支柱にした経済的貧困に対する金銭給付と憲法第25条に基づく最低限度の生活保障の考え方では国民が抱える生活問題の解決ができず、新たな社会福祉の考え方が必要であると考え、提唱してきた。
筆者が考える社会福祉とは、その人が願うその人らしさの自立生活が何らかの事由によって阻害、停滞、不足、欠損している状況に対して関わり、その阻害、停滞、不足、欠損の要因を除去し、その人の幸福追求、自己実現を図れるように対人援助することだと考えた。
その場合の“自立生活”とは、古来から“人間とは何か?”と問われてきた課題を基に6つの要件(ⅰ)労働的・経済的自立、ⅱ)精神的・文化的自立、ⅲ)身体的・健康的自立、ⅳ)生活技術的・家政管理的自立、ⅴ)社会関係的・人間関係的自立、ⅵ)政治的・契約的自立)があると考えた。と同時に、それらの6つの「自立生活」の要件の根底ともいえる、その人の生きる意欲、生きる希望を尊重し、その人に寄り添いながら、その人が望むナラティブ(人生の物語)を一緒に紡ぐ支援だと考えてきた。
戦前の生活困窮者を支援する用語に「社会事業」という用語がある。この「社会事業」には、積極的側面と消極的側面とがあるといわれてき、その両者を統合的に提供することの重要性が指摘されていた。積極的側面とは、その人の生きる意欲、希望を引き出し支えることで、消極的側面は生活の困窮を軽減するための物質的援助のことを指していた。消極的側面は、気を付けないと“人間をスポイルする”危険性があることも懸念していた。
現在の民生委員制度の原型を1918年に大阪で創設した小河滋次郎は、“その人を救済する精神は、その人の精神を救済することである“として、「社会事業」における積極的側面を重視した。しかしながら、戦後の生活困窮者を支援する「社会福祉」は積極的側面を実質的に“忘却”してしまい、物質的援助をすれば問題解決ができると考えてきた。
憲法第25条の最低限度の生活保障では消極的側面の対応でよかったのかもしれないが、憲法第13条に基づく幸福追求の支援ということでは、高齢者のケアであれ、障害者のケアであれ、生活困窮者の支援であれ、その人が送りたい“人生”、その人が願う希望をいかに聞き出し、その人の生きる意欲、生きる希望を支え、伴走的に支援していくことが求められる。
従来の社会福祉学研究や社会福祉実践では、「療育」、「家族療法」、「機能回復訓練」などの用語が使われており、その人らしさの生活を尊重し、支援するということよりも、ややもすると専門職的立場からのパターナリズム的に“問題解決”を図るという目線に陥りがちであった。
また 従来の社会福祉学や社会福祉実践では、よくアブラハム・マズローの「欲求階梯説」が使われが、この考え方も気を付けないといけない。アブラハム・マズローがいう生理的欲求、安全の欲求、愛情と所属の欲求、自尊と承認の欲求、自己実現の欲求の6つの欲求の項目の意味は重要であるが、それらの項目において、下位の欲求が満たされたら上位の欲求が生じるという“欲求階梯説”はどうみてもおかしい。人間には、自ら身体的自立がままならず、他人のケアを必要としている人であっても、当然その人が願うナラティブ(人生の物語)があり、それを自己実現をしたいはずである。
その際、福祉サービスを必要としている人自らが自分の希望、欲求を表出できるとは限らない。福祉サービスを必要としている人の中には、さまざまなヴァルネラビリティ(社会生活上のさまざまな脆弱性)を抱えている人がおり、自らの願いや希望を表出できない人がいる。更には、障害を持って生まれてきたことで、多様な社会体験の機会に恵まれず、一種の“食わず嫌い”の状況で、何を望んだらいいのかも分からない人という生活上の“第2次障害”ともいえる状況に陥っている人もいる。このような人々の場合には、その人の“意思を形成する”ことに関わる支援も必要になってくる。
まして、福祉用具のような、新しい領域では、どの福祉用具を使用したら、自分の生活がどのように変容するのかのイマジネーション(想像性)をもてない人がいる。そのような人々に対し、イマジネーションがもてるようにし、新たな人生を作り出すクリエーション(創造性)機能も重要な支援となる。
従来の社会福祉実践は、福祉サービスを必要としている人の「できないことに着目し、それを補完する目的で、してあげるケア観」に陥りがちであった。幸福追求、自己実現を図るケア観に立つと、福祉サービスを必要とする人の「できることを発見し、それを励ますケア観」が重要になる。
社会福祉実践は、その人の生育歴におけるナラティブ(narrative:身の上話、経験などに関する物語)に着目し、その人が望む人生を創り上げるナラティブ(出来事などに関する物語、語ること)に寄り添い支援することが求められている。(2021年2月14日)

(2021年3月25日記)