阪野 貢 のすべての投稿

ルビをふった礼状

教頭「あら、鳥居先生漢字読めないと思ったのかしら?」
担任「この間、低学年の子も読めるね、優しいねと褒めたことがあり、それからルビを打つ子が増えました。内容は読み手のことを意識しているのですが、応用を利かすことはこれからです」

自発的に書いてきた4年生の手紙
「本当(ほんとう)に今日(きょう)は、とても勉強(べんきょう)になって、とても“親切(しんせつ)にしなさい”という意味(いみ)や“ボランティアなのか?”不自由(ふじゆう)な人に人助(ひとだす)けする心(こころ)を大事(だいじ)にしなさい!と言(い)われ、そういう人(ひと)を見(み)たら人助(ひとだす)けしようと思(おも)います!」

3年生の手紙について校長先生はこう書き添えた
「心からの飾らない手紙です。3年生はもっと語りたかったようです。語り足りないところを熱く語っています。先生の後ろにいたロボット役の子は、ロボットの向こうに人のハートを見ています。彼がもし大きくなってロボットを作るなら、全ての人やもの、自然にも心くばりした製品をつくることでしょう」

3・4年生とは『ドラえもんはボランティア?』の勉強をした
「ロボットがいても、自分で出来ることは自分でやらなければならないと思います。困っている人がいても知らん顔せず、みんながやさしい心を持って助け合える世の中になるよう、わたしもがんばりたいです」

5・6年生との『めだかのめぐ』を参観した母親からの感想文
「すごい、あ~って感じがした。小1からすでにそういう感覚でいたっていたこと。自分じゃそんなこと気づいていなかったから、びっくりした。そういう感覚を早く自分の中から消し去って、自分の子にはそんなことを思わせないようにしたいです」
「ボランティアって全部同じ事で片方が何かをしてあげて片方が何かをされる側だと思っていたけど、両方で問題を片付けていく事がボランティアだと言われたときに、いままでやってきたことは何だったのかなと思いました!」

「子どもたちはもっともっと多くのことを語りたかったようです。読んでやってください。児童のこの気持ちを大事に育てていくことが、私たちに託された仕事と、決意を新たにしています。先生におかれましてはお忙しい数日間でしたが、島根の子どもたちにとっては、先生と語り合い、お考えに触れ、これからの自分たちの生き方を考えられた日々でした。また子どもたちの“おじさん”としてぜひいらしてください」

学校の空気が あたたかくゆったりと流れていた
先生たちには 子どもと向き合う心のゆとりを感じた
校長先生のおもいに 子どもを真ん中にした共育を見た

〔2021年5月23日書き下ろし。20年余も昔、共同研究者で福祉教育の牽引者である松江の山本寿子先生の導きで、市内、島根県内の小・中・高の学校で「福祉の公開授業」をさせていただいた。保護者からの貴重な感想文も手元に残っていた〕

響き合う授業

小学3年生との ボランティアをテーマにした授業だった

初めて出会う子どもたちのこころを 
あっという間に惹きつけてしまう話術
子どもたちに身近な話題を振って考えさせて
誰もが自分の答えをもって参加する面白い展開
子どもたち一人ひとりと簡単な受け答えをしながら
その子の特徴をつかみ取っていく洞察力
子どもたちの考えを抵抗なく引き出して
その気づきを生かして核心へと迫りまとめていく構想力
ボランティアという考え方を一元的に捉えるのではなく
子どもの「いまの考え」を尊重して認める包容力
子どもが生き生きと意欲的に参加する授業は
教材を通して教師と子どもが響き合っていた
参観した教師と保護者が その授業を楽しみ評価した

まとめに 子どもたちにこう訴えた
困っている人に 何かをしてあげることも大事だね
でももっと大事なことは きみの隣の人をよく知ることなんだ
いろんな人と仲良くするには お互いをよく知ることが一番かな
相手の人をよく知ることが ボランティアの勉強
友だちや先生のことをよく知ることが 学校での大事な勉強 
だから 隣の子のことをよく知ることからボランティアを始めよう

〔2021年5月21日書き下ろし。保護者も参観していただいた。ボランティア学習は人間理解学習であることを伝えた授業だった。北海道は今日東京よりも多い感染最多の727人のコロナ感染者を出す〕

授業がしたい

教員の超多忙な状況が 続いている
毎日の感染予防対策に 手は抜けない
ONLINE学習の準備だけでも
不慣れな者には 苦痛以外何ものでもない
これで学習が公平に提供されていると
思い込んでいる世間の認識が プレッシャーとなる
やっぱり対面で授業するのが 一番良い

タブレットの画面に一日中集中するなんて 可哀想
教室では 子どもも教師も気を抜くつぼを心得ている
冗談でも一つ二つ挟まないと 子どももやってられない
子どもたちの笑いに満ちた教室はいいな
子どもたちが真剣に聞き入る授業もいいな
子どもたちが課題に取り組む顔つきはもっといいな
子どもたちから吐き出される言葉はほんと生きてるな

授業がしたい
コロナ禍で干されてしまった
授業がしたい
教員を辞めても30年間 どっかこっかで続けてた
授業がしたい
一期一会の授業に 一身を注いだ
授業がしたい
子どもたちの食らいつき方が 半端ない
授業がしたい
担任は 子どもを見つめ直して見方が変わる

「当たり前のことを 当たり前にできる大人になりたい」
「いままで言い訳をすることが多かったけど これからはしないようにする」
「自分の気持ちに嘘をつかないように 生きていきたい」
授業の後に打ちのめされるのは いつも自分だと知りつつも
やっぱり 子どもと真剣勝負の授業をしたい

〔2021年5月20日書き下ろし。教師に見せる授業でもあった。子どもたちがどれだけ感性を研ぎ澄ますのか、どれほどのおもいをもっているか。それを引き出すのはテクニックではない。子どものおもいにただ添うだけで、子どもは持てる力を素直にぶつけてくる〕

阪野 貢/追記/「まちづくりの思想としての地域主義」を考える ―玉野井芳郎著『地域主義の思想』再読メモ―

地域というのは、人が生き、働き、思考する場であり、従って拡大し、重層する性質をもっている。地域主義というのは、その場から、その存続の可能性を信じながら、関連する全体を見通すことである。(古島敏雄。下記[4]カバー・前そで)
私たちが価値の基準を常に大都会や中央や外国において、私たち自身の生活や地域環境を軽視しつづけたこと、そのことを厳しく問い直すことがなければ、地域主義は育たないだろう。(河野健二。下記[4]カバー・後ろそで)

〇本稿は、先の拙稿――<雑感>(134)「『贈与』再考メモ―コミュニズムとアナキズム―」(2021年4月28日投稿)の「追記」「補遺」である。内容的には、玉野井芳郎の「地域主義」論の抜き書きである。そのひとつのねらいは、それによって「まちづくりの思想としての地域主義」についての理解や思考が促され、真に豊かな地域社会を再生・創造する視点・視座や方向性、そのための枠組みなどを見出すことができれば、というところにある。
〇いま筆者(阪野)の手もとにある玉野井の本は、(1)『地域分権の思想』(東洋経済新報社、1977年4月。以下[1])と(2)『エコノミーとエコロジー』(みすず書房、1978年3月。以下[2])、(3)『地域主義の思想』(農山漁村文化協会、1979年12月。以下[3])、それに清成忠男・中村尚司との共編著(4)『地域主義―新しい思潮への理論と実践の試み―』(学陽書房、1978年3月。以下[4])、この4冊である(それしかない)。
〇周知の通り、玉野井芳郎(たまのい・よしろう。1918年~1985年)は、経済学者であり、思想家、社会運動家であった。なによりも1970年代における「地域主義」「地域主義経済学」の提唱者・主唱者として著名である。1970年代は、高度経済成長(1955年~1973年)のひずみが露呈し、公害の続発や過疎・過密現象の激化をはじめ、自然環境の破壊や生活環境の悪化、住民の地域帰属意識の希薄化や連帯感の喪失などが進んだ時代であった。そんななかで地方分権や市民自治を重視する「地方の時代」や、自然・生態系や環境の保護を説くエコロジー思想などに基づく「住民運動」が注目された。
〇玉野井はいう。「現存の社会・経済システムに自然・生態系を導入することは、社会システムに〝地域主義〟(regionalism)を導入することにひとしいのである」([2]60ページ)。「60年代から70年代にかけて全国各地でまき起った激しい住民運動がなかったなら、地域主義の思想がこれほど広汎な社会的支持を得ることはなかったであろう」([3]18ページ)。「地域主義とは、<非政治的な市民文化の勃興>をこそ目指すべきものであって、そこには、市場経済的『市民社会』を突きぬけた地平(社会)に登場するであろう新たな『市民』(ビュルガー Bürger:ドイツ語)の再生が期待されている」([1]ⅲページ)。すなわち、玉野井の「地域主義」の背景には「エコロジー」や「住民運動」があり、新たな市民を再生する「社会変革」の方向が打ち出されていた。そして、玉野井の「地域主義の思想」は、「下から」の「内発的地域主義」によって、実践的に「地域共同体の構築」をめざしたのである。その理念的方向については、「地域的個性を背景としながら、独自の経済・伝統・文化の多様性を生かした地域分権的自治の自主的自発的確立」と要約される(杉野圀明「『地域主義』に対する批判(上)」『立命館経済学』第28巻第2号、立命館大学経済学会、1979年6月、22(190)ページ)。
〇本稿では、[3]を中心に、玉野井の「地域主義の思想」について個人的に留意したい議論や論点の一文をメモっておくことにする(抜き書きと要約。見出しは筆者)。

「地方分権」は「地域分権」、「地方の時代」は「諸地域の時代」を意味する
「中央」そのものが地方分権、いや正しくは地域分権の確立を中央集権的に達成するというのは、もともと論理的矛盾ではないだろうか。すなわち、国が権力とカネをもって地域分権を達成するという道筋には、ほんらい大きい限界が横たわっているものとみなければならない。しかもその道筋には、国からのカネとモノの画一的な大量投入にともなう地域の混乱と荒廃が、いつものことながら待ち受けているはずである。([3]14ページ)
各自治体は、地域住民の総意を体現して、「地方の時代」にふさわしい自主・自立の姿勢を国にたいして表明しなければならないように思われる。最近、「国と地方は上下の関係でなく、対等の立場でそれぞれの機能を生かした協力関係でなければならない」と適切に提言されている。(それは)「地方」といわれるものが、単数の「国」と同一平面上にある単数の「地方」ではなく、「国」とは次元を異にして、歴史と伝統を誇る複数的個性の諸地域――そこには人間の生き生きとした生活感情がある――からなっていることを是認することにほかならない。「地方の時代」とは、正しくは「諸地域の時代」を意味するのである。([3]14~15ページ)

「地域主義」は実践的に地域共同体を構築することをめざす
国が「上から」提唱し組織する「官製地域主義」と区別して、「内発的地域主義」の私なりの定義を掲げておこう。――それは、「地域に生きる生活者たちがその自然・歴史・風土を背景に、その地域社会または地域の共同体にたいして一体感をもち、経済的自立性をふまえて、みずからの政治的・行政的自律性と文化的独自性を追求することをいう。」
この定義をめぐって、まず経済的自立というのは、閉鎖的な経済自給を指しているのではなく、とりわけ土地と水と労働について地域単位での共同性と自立性をなるべく確保し、そのかぎりで市場の制御を企図しようとしている。次に政治と行政については「自律」という表現を用いているように、地域住民の自治が強調されている。最後に、地域に生きる人びとがその地域――自然、風土、歴史をふまえたトータルな人間活動の場――と「一体感」をもつという重要な思想が語られていることに注意してほしい。([3]19ページ)
地域主義はもはや論理的構築というよりも実践的・歴史的構築の対象といってよい。([2]60ページ、[3]181ページ)

「地域主義」は地域生活者による「生活づくり」を最大の課題とする
地域主義のエコロジー基礎は、当然のことながら大気系と水系と土壌生態系より構成される。だからその地域性は、同時に季節性を含むことになる。地域主義における〝地域〟とは、このようなに空間的地域と時間的季節性によって特徴づけられる人間の生活=生産の場所と考えなければならない。([3]10ページ)
「地域主義」はなによりもまず地域共同体の構築をめざすことを提唱する。この提唱にたいして、「地域主義」とはかつての農村共同体の復活をはかる封建的反動だなどと非難するなら、それは見当違いもはなはだしいといわなければならない。こんにち求められている町づくりや村づくりはこれまでのような「ものづくり」ではない。町や村に棲む人びとの「生活づくり」こそが最大の課題なのだ。地域共同体の構築という「地域主義」の課題は、「ものづくり」から「生活づくり」への転換という時代の展望を含意するものであることが知られなければならない。([4]9ページ上・下段)
人間生活の日常性にかかわる諸問題については、その決定の主体は、国や社会のレベルにおける抽象的個人ではなくて、諸地域のレベルに位置する地方自治体であり、正しくはそれを構成する地域住民=地域に生きる生活者でなければならない。([3]22ページ)

「諸地域の時代」とは諸自治体が「憲法」や憲章などを制定する時代のことである
地域に生きる人々の文化・生活権は国レベルの法律ではなくて、地方の各自治体においてこそ確立されるべきものである。地方の時代とは諸地域の時代のことであり、諸地域の時代とは諸自治体がそれぞれの本格的な「憲法」、憲章、または条例を制定する時代のことであるといってよいのではなかろうか。なるほどこれらは、いずれも法律の下位規範であるかもしれない。しかし、何が地域の生活者=住民にとって真に共通の利益となるべきものであるかを自分自身の手で書くということは、法律にまさるとも劣ることのない「よきしきたり」をうちたてることを意味する。これが自治体の自己革新でなくて何であろう。([3]38~39ページ)

「地域主義」がめざす地域共同体は市町村レベルにおける「開かれた共同体」である
私たちの生活の小宇宙は、中央からの権力や金(かね)の支配から独立した、なによりも自立的な共同体でなければならない。これが第一の眼目と思われるが、それにとどまるものではない。第二には、この共同体は外にたいして開かれたものでなければならない。行政単位の面からすると、「わたしのまち」「わたしのむら」を代表する市町村は、都道府県の自治体レベルにたいして、「下から上へ」の情報の流れを根幹とする開かれた行政システムの基礎単位となるべきものであろう。([3]124ページ)
地域主義がめざす地域共同体は開かれた共同体でなければならない。開かれたという意味は、上からの決定をうけいれるというより、下から上への情報の流れをつくりだしてゆく。そればかりか地域と地域との横の流れを広くつくりだしてゆくことをも意味する。([4]9ページ下段)
それは、「中央」を否定して無政府の混乱した体制をつくりだすというのではない。それは「中央」を、個性的諸地域の自立にもとづく地域分権に照応する、あるべき「中央」へと復位させるものといってよい。([3]17ページ)

「内発的地域主義」は「行政への住民参加」ではなく「住民への行政参加」をめざす
地域主義とは、金(かね)や政治権力の優位するMacht(権力:ドイツ語)の世界から、あらためて真のRecht(法と正義:ドイツ語)の世界を復位させてゆく努力を開始しなければならない時代と考えられる。([1]ⅲページ、[3]118~119ページ)
地域主義とは、単なる地方主義の域をこえて、内発的地域主義であるということを確認しなければならない。となると、自治体行政と住民との関係も、まさしく主客を転倒させなければならない。行政への住民参加ではなく、住民への行政参加ということとなり、ここに自立的主体による内発的地域主義の主張があらわれる。([3]119ページ)

〇地方分権改革は、1993年6月に衆参両院で「地方分権の推進に関する決議」がなされたことから始まる(それを起点とする)。1999年7月にはいわゆる「地方分権一括法」(2000年4月施行)が成立し、国と地方の関係が上下・主従の関係から対等・協力の関係に変わり、機関委任事務制度が廃止され、国の関与の新しいルール化が図られた。2021年3月、「第11次地方分権一括法案」が閣議決定されている。
〇「自治基本条例」が全国で最初に施行されたのは、2001年4月、北海道ニセコ町の「ニセコまちづくり基本条例」である。自治基本条例は、他の条例や施策の指針となる、自治体の自治(まちづくり)の方針と基本的なルールを定める条例であり、「自治体の憲法」と言われる。2021年4月現在、全国397自治体(全国1718市町村)で制定されている。
〇玉野井の「地域主義」は、一面では、これらの動きを生み出すものでもあった。しかし、「地域主義」は、1970年代を中心にひとつのブームを巻き起こしたが、その後はいわれるほどの進展はみせなかった。その原因は奈辺にあるのか。その点をめぐって例えば、①自然環境や生態系と人間との関係性(破壊と脅威)や、巨大な独占資本による経済とそれに支配される地域経済(第一次産業や地方小工業など)との関連性(競争と収奪)などについての実証的分析なしに、規範的議論や主張(べき論)がなされている。②市場経済や政治・官僚・産業機構(癒着体制)がもたらす現実の地域社会の構造的矛盾について、科学的分析が不十分なまま、抽象的な議論にとどまっている。③「地方分権」(「地域分権」)という政治や行政に関わる議論でありながら、現実の政治・権力構造や政治・行政過程の分析を欠いている。④地域共同体が消滅しているなかで、また現実の中央集権的な行政システムのなかで、如何にして「地域主義」の実現を図るかという方法論が不明確である。⑤「まちづくり」の方向と展望は、その地域に自分を同一化する「定住市民」を必要とするが、その能動性や主体性を如何に育成・形成するかという論理が欠落している、などと評されることによるのであろう。これらを総じて別言すれば、地域・住民が地域の実態を踏まえて主体的・自律的に統治権を行使する(国の地方への関与を縮小するという「地方分権」と対峙する)「地域主権」(regional sovereignty)の「社会変革」の課題や方法、展望が見いだせない、ということであろう。
〇玉野井の「地域主義」に共感するところは多い。「地域主義」は、公害反対運動や生活環境を守る住民運動、それに「まちづくり」の実践・研究などに大きな示唆を与えた。しかし、それが規範的であるがゆえに、理論構築については厳しい評価を受けた(受けている)ことも確かである。(筆者による)以上の諸点はその一部であり、相互に関連し重なり合っているが、「まちづくりと市民福祉教育」に関する課題に通底するものでもある。そしてそれは、新たな「社会像」としての「コミュニズム」(共同体主義)や「地域主権社会(国家)」とそのための「市民」の育成・確保のあり方を問うことになる。あえて付記しておきたい。

運動会の朝

雨が続いていた
グランドでの練習は出来ず 学年別に体育館でした
前々日の総練習も 小雨にはなっていたが無理だった
日曜の天気予報は 曇りだった 雨は上がる

当日の朝 グランドに5時半集合し ゴーサインが出た
6時 数発の花火を上げた
それから9時の開会まで グランド整備大作戦が始まった
グランドにいくつもの穴を掘って 雨水を誘導した
水が溜まるたびに バケツでグランドの外に捨てた
席取りに来ていた保護者が 次々と助っ人に加わった
子どもたちが安心して 思い切って走れるようにと
トラックコースは 雑巾がけと砂場の砂がばら撒かれた
新しい白線が 手際よく引かれていく
三々五々集まった子どもたちも 嬉しそうに見守る
高学年の子どもたちは 係活動の準備に忙しく立ち働く

開会式に臨んだ先生も見守る保護者も 汚れたジャージ姿だった
子どもたちの笑顔で埋まった運動会は 最高の贈り物となった
保護者にも 順延すると休みの取れない事情があった

曇天は 晴れることはなく 降ることもなかった
「無理だと思うのではなくどうすればやれるのかを考えるってことですね」
「まさかグランドを雑巾がけするとは思いもよりませんでした」
「子どものためにと思うとみんな凄いパワーを出すんですね」
「本当にいい運動会になりました」
子どもたちはきっと 大人ってすごいなって感じたことだろう
本物の共育力を 教師も保護者も実感した日となった

〔2021年5月19日書き下ろし。昔こんなことをやったっけ〕

ヤングケアラーの君へ

学校に行く前も 帰ってきてからも
当たり前にしてきた ばあちゃんのお世話

朝起きたら真っ先に ばあちゃんの顔を見に行く
いま目覚めたばかりだというのに
ニコッと笑って 
おはよう 今日も頼むね
その一言が たまらなく嬉しい

トイレに連れて行って オムツを外して
便座に腰掛けさせる
きれいに拭いてあげると
また笑顔で ありがとう
今日は 調子がいい様子
部屋でオムツを取り替えると 
スッキリしたと また笑顔

台所から母のご飯だよの声
ばあちゃんをいつもの席に座らせる
右があたって不自由なばあちゃんも
左手でご飯を運ぶ
またいい笑顔で 美味しいね
ゆっくり食べてね 
食事を切り上げ 身支度する

元気に行ってきます
母の声が 背中を押す
放課後 頼むわね
今日は仕事が遅くなる日
だから 授業が終わると直帰する
部活も ここしばらくは 出たり出なかったり
そのうち顧問から どうするって呼び出し喰らうだろう

ただいま
ばあちゃんのおかえりの声を聞き 顔を出す
ニコッと笑う 嬉しそう
着替えてすぐに トイレに直行
いつも すまないね
慣れた手つきで オムツを取り替える
ほんとにありがとう

日中は誰もいない家で
誰とも話すことなく テレビで時間をつぶす
学校の様子や友だちの話が大好きで 聞き上手
滑舌が悪くなっても 孫とのおしゃべりを楽しむ
母はばあちゃんとゆっくり話すことができない
仕事が忙しくて 朝の支度だけで精一杯
ただばあちゃんをお風呂に入れるのは 母の役割
そこできっとスキンシップをしてるのかな?

今夜は 私が夕食を作る
遅くなる日は 母は前もって食材を用意しておく
そこんところはいつも感心する
段取りをきちんとしなければ 落ち着かない性格らしい

ばあちゃんは倒れるまで 主婦してた
小さいときに 母は離婚して実家に戻った
だからばあちゃんは 子育てに家事に休みなく働いた
だから安心して 母子は家事から開放されていた
母は仕事をいつ辞めさせられるかわかんないって 頑張るしかなかった
私も自分のことは出来るようになったし
ばあちゃんの手をわずらわせることも少なくなって
少しでも楽をさせたいと思っていた矢先
事態は一転した
母と私で分担しながら お世話するバトンをもらった

いままでいっぱいいっぱい甘えた分を恩返し
ばあちゃんの笑顔は 世界一
いつまでもこうして暮らせるよって 安心させたい
その一心で 母とのチームワークはバッチリ決まる

不満とかストレスとかって 友だちに聞かれるけど
ばあちゃんとのこんな暮らしが当たり前だから 特にない
母がいるときには 友だちとも遊べるし大丈夫
勉強は 学校で集中することにしている
宿題は 臨機応変に対応します
いまはただ 一日一日ばあちゃんの笑顔が絶えぬよう
私も元気に明るく笑顔でいることが モットーです

突然ばあちゃんが
食い入るような目をして 
いつも迷惑かけて ごめんね
笑顔の裏にある お世話されることの辛さを吐露した
あんたがやりたい大事な時間を取ってしまって
そんなの気にしないで 遠慮なくなんでもいってよ
あんたはこれからどうするのか それが気がかりなんだ
なりたいことを 決してあきらめちゃいけないよ
それこそ心残りになるようなら 私のせいだ
なんだかしんみりしてきたから そんな心配ご無用!って
ばあちゃんのお世話で 何もできない孫だって思わないで
私にもやりたいこと なりたい夢はあるんだから
大丈夫! ばあちゃんが応援してくれたら きっと叶うから

きっぱりと ばあちゃんの不安を断ち切った   
そう だから夢は決して捨てない あきらめない
ばあちゃんに見せるためにも 頑張るしかない
それがばあちゃんを元気づける 大事な三人の夢だと知った
今夜母が戻ったら 夢を語り合うことにしよう
中3の私 母似の段取りの良さで受験勉強に取り組もう 
ヤングケアラーって呼ばれているけど 
これからのばあちゃんの介護や 三人の生活のこと
ちゃんと話していこう

しっかりと現実を見て前向きに考えている君って ステキな女の子だね
3人でそうしてコミュニケーションをとるって とても大事だね
それが おばあちゃんにもとてもいいことだと思うよ
それでね 地域包括支援センターに相談してみてはどうかな?
介護保険の在宅サービスを受けることで
おばあちゃんをお世話するお手伝いができると思う
君は 自分のことに時間が割(さ)けるでしょう
おばあちゃんも 君への負担を軽くすることで少し楽になるかも知れないね
お母さんにも 少しだけ楽をしてもらおうよ
お母さんや君が 怪我をしたりコロナに罹ったりしたらどうしょう?
そんなときに困らないように 誰かに相談しておくことも必要だよね
三人で仕合わせに暮らしていくための 大事なこと
そこんところを 三人で是非話し合ってほしいな

〔2021年5月18日書き下ろし。在宅ケアを支えるヤングケアラーの実態を丁寧に把握して、適切な介護支援を是非お願いしたい。老人福祉施設や福祉サービス事業所にも社会貢献活動(公益事業)としての取り組みの是非を検討していただきたい〕

付記
ヤングケアラー相談拡充 政府、初の支援策
大人の代わりに家族の介護やきょうだいの世話を担う子ども「ヤングケアラー」への支援策を17日、厚生労働省と文部科学省のプロジェクトチームがとりまとめた。SNSを使った相談の充実や、子どもの負担軽減に配慮した福祉サービスの提供などが柱だ。
政府がヤングケアラーの支援策をまとめるのは今回が初めて。重視したのが、支援の入り口となる相談体制の充実だ。地方自治体が支援団体と連携して行うSNS相談などについて、国が来年度以降の財政支援を検討し、子どもが相談しやすい体制をつくるとした。
担当する学校の教員と行政機関のつなぎ役となる「スクールソーシャルワーカー」(SSW)らの配置を支援し、困難を抱えた子どもや家庭を見つけて支援につなげていくことも盛り込んだ。
さらに、介護保険などの福祉サービスなどを提供する際は、ヤングケアラーを家族内の「介護力」とみなさずにサービス内容を決めるよう自治体や現場に周知することも明記した。福祉や介護などの現場では、ヤングケアラーに関する研修も進める。
厚労省が4月に公表した初めての全国調査では、公立中学の2年生の5・7%、公立高校2年(全日制)の4・1%と約20人に1人が家族の世話をしていることが明らかになった。こうしたヤングケアラーは学校のある平日に1日平均4時間を家族の世話にあてており、学校を含め、相談したことが「ない」との回答がヤングケアラーの3分の2程度にのぼった。(朝日新聞2021年5月18日)

IT改革で国民統制します

デジタル庁の法案が通った 
国民が国家統制システムに組み込まれる構築に 一歩進んだ
マイナンバーで 個人情報保護法崩壊して 丸裸
健康保険 生命保険 年金 預金 資産 そして借金
確定申告も要らなくなって 税金は確実に取る

図書館の貸出カードの検閲も お手のもの
思想的にマークする人物の 趣向を探る
すでに苫小牧市立図書館で 発覚した
新聞報道やニュース TVのワイドショーの発言も
今でもチェックされ ヤバいと速攻クレームいって時々バレる

バレても否定するだけ 白状することは断じてない
記憶にない記録にないと言い張るのは 彼らの常套手段
権力は尻尾を出しても 下の者に責任取らせて裏で優遇する
だから世間が忘れた頃には 高給国民生活を送っている 

内閣のブレーンの一言で実現した 自衛隊投入ワクチン接種大作戦
突貫工事のワクチン大規模接種管理システムで 予約受付が始まった
開始早々東京センターの予約システムに 重大欠陥が見つかった
「誰でも何度でも予約可能」という情報を聞きつけて
AERAの記者が試して見たら いい加減に入力した番号で予約ができた
IT革命だのシステム庁だの 得意げにしていた
舌の根の乾かぬうちに この有り様

内閣支持率のさらなる下落を防ぐには 五輪中止の英断下して
起死回生の総選挙に 打って出るしか道はない
そのためにも 高齢者の〈票〉を確保するワクチン接種
その目処をつけねば 勝負にならない
トップの焦りは 取り返しのきかない不幸な事態を引き起こす
いやもう その内閣緊急事態の最中か

防衛省ホームページに掲載されている予約システムの最下部には
システムの運営会社として「マーソ株式会社」
(Copyright © MRSO Inc. ALL RIGHTS RESERVED.)と記されている
同社の経営顧問には菅義偉首相の盟友 竹中平蔵が名を連ねていたという

金臭いところにいるのは だれかな?
ここが 一番怖い事実です

2020年度の経済成長率は4・6%のマイナス
2008年度のリーマンショックを超えて戦後最悪レベル
経済回復への道筋は 遙か彼方にもまだ見えない

〔2021年5月18日書き下ろし。昨夕AERAdot.を読んだ。一瞬頭が空白になり思考停止した。今朝入った速報で、経済成長最悪。小出しの感染失敗の紛れもない評価か〕

心躍らぬ聖火リレー

5月5日札幌でのテストマラソン後 まん延防止法が発令された
9日505(326)「まん延防止等重点措置」適用初日 初の500人台
10日409(266)
11日420(279)
12日529(352)酒類の提供「終日自粛要請」開始 2度目の500人台
13日712(499)初の700人台 ともに過去最多更新
14日593(346)「緊急事態宣言」発令決定、過去2番目
15日565(344)過去3番目
16日491(322)「緊急事態宣言」発令初日
(括弧内は札幌市内の感染者数 単位は人)

聖火ランナーに決まった瞬間 小躍りした
生涯に1度としてないチャンスに 震えた
1年延期されたが 至福の刻を待ちわびていた

冬の間は 家でストレッチを続けた
雪が融けると 人気を避けて軽くランニングを始めた
春めいて暖かくなると 身体は軽くなっていった
草木の芽がほころび桜の咲く頃から 雲行きは怪しくなってきた
札幌テストマラソンをTVで見ながら 不安が増した

連休明けコロナの感染者は 道内に勢いよく広がった
変異株が北海道に上陸して 猛威を振るいだした
まん延防止法は なんの効き目もなかった
慌てて緊急事態宣言を願いでたら 一蹴された
専門部会が反撃に出て 政府案をひっくり返した
記者会見でのしどろもどろの姿は 失笑を招いた

感染拡大は止まることなく 全国に拡大していく
五輪をやりたい一心が 世論調査で不評を買った
NHKでは内閣支持率35% 不支持率43% 五輪中止49%
共同通信は支持率41・1% 不支持率47・3% 五輪中止59・7%
朝日は支持率33% 不支持率47% 五輪中止40% 再延期40%
コロナ対策の失政や五輪の根拠なき開催発言が 支持率を急落させた

聖火リレーへの期待は 日々萎んでゆく
世界の平和をつなぐ聖火リレーに いつしか疑問すら湧いてきた
汚された五輪精神を広める片棒を掲げて走る後ろめたさも生まれた
インドでは 爆発的な感染で多くの人が苦しみ亡くなっている
中東では イスラエルとパレスチナの紛争が勃発した
ミャンマーの軍部支配は 恐怖政治となっていく
世界のマスコミも 五輪の中止を論じ始めた
現在世界の感染者の累計は1億6200万人余 死者336万人を超える

聖火ランナーを 辞退する人も出てきている
でもこんな小さなマチでは すぐに噂が広まる
やめて肩身の狭いおもいを引きずって 暮らすのは無理だ
やめるにやめられないから いっそ中止と言ってもらいたい
走るには 喜びに満ちた笑顔しかない
沿道の人たちの 温かい喝采がなければならない
いまは 求めることすらできなくなった
1ヶ月を切った聖火リレーまで 心重たく暮らす
毎日のランニングは 続けるしかいまはない
やめるにしても走るにしても 決めるのは自分ではない
そんな苦渋を想像できぬ者たちが 北海道を牛耳る

〔2021年5月16日書き下ろし。聖火リレーに選ばれて晴れて走る日を夢見てきた人の中には、苦渋の選択を迫られている人もいるであろう〕

付記
道内聖火リレー、縮小検討 知事「組織委などと協議」
鈴木直道知事は15日の記者会見で、6月中旬に道内で予定している東京五輪の聖火リレーについて、規模の縮小などを検討していることを明らかにした。緊急事態宣言が発令された地域では公道のリレーが中止されていることを引き合いに「そういったことも考えながら、自治体や大会の組織委員会と協議しないといけない」と述べた。
道内の聖火リレーは6月13、14の両日に行われ、約200人が18市町を走る。4月に行った大阪府は公道走行を中止し、福岡県は点火セレモニーのみとするなど大幅に縮小している。(北海道新聞2021年5月16日)

小粒はピリッと…しない

男の話は 誰も親身に聞かなかった
いや親身に聞けなかった
男の話は 誰も心に響かなかった
いや心に響くものはなかった
男の話は 誰も信じなかった
いや信じるにたりなかった

男は自惚れが強かった
能力があると勘違いしていた
リーダー力があると信じていた 

男はリーダーとしては 小粒すぎた
山椒のような ピリッと辛いものはなかった
自らを過信したことで 民心は呆れた
取り巻きも小粒すぎた
言ってることやってることに 説得力はなかった
賛同しようという気など さらさらなかった

あっちみてほい こっちみてほいのような
軽い者たちの集団は サークル活動となった
理念もなく その場をしのぐしかなかった
民心の離反を理解できない 小粒の男だった
担いでいる取り巻きも 賞味期限はすでに切れていた

日本の政治は大局を読めない 小粒の集まりとなった
金と票が回れば バッジをつけて偉そうに振る舞った 
信念なき者たちは 相応しくない小粒な男を祀る
私欲に走る者たちは 民心を得られず支持率を下げる
科学を軽視する者たちは 検証することなく小粒を担ぐ
五輪開催を信仰する者たちは 前代未聞の大事を冒す

小粒に求めても からっぽの政治的求心力
次なる総選挙は この党首では勝てない
取り巻きの輝かぬ者たちも また同類
信頼できない政治の 片棒を担ぐ小心者たち
ちっちゃな度量が 不誠な政治をさらなる不信へと導く
民心は 政治からの離反を加速させていく

〔2021年5月15日書き下ろし。道内にも二人、自分の政治能力を過信する。怖くてついてはいけない。国政は、自覚なき小粒の指導者らが与野党を牛耳る〕

年寄りの可愛い強欲さ

ホームセンターの園芸コーナーは 
緊急事態宣言を前に 賑わっていた
苗を買い求めて 老夫婦の姿が目立った
巣ごもり体制に入るせめてもの慰みに
家庭菜園を楽しむしか きっとない

外に置かれた棚には
トマト キュウリ ナスビ カボチャ イチゴなど
家庭菜園のスタンダードな苗が並ぶ
まずは堆肥を2袋カートに積んだ
求める苗はトマトとゴーヤー
トマトはミニトマトと中玉を買う
大玉は食べられるまで時間がかかるのでパス
ミニはサラダや添え物と迅速に活躍する
中玉は実りがよければソーズにしたい
ゴーヤーは去年買いそびれた
別の場所の棚に置かれた苗に行き着いた
見つけてなぜか安堵した

次は種を物色しに屋内に入った
去年初めて植えて美味さを知った「札幌枝豆」
強欲さに負け2袋も買った
妻のリクエストは「はつか大根」
本当に可愛くすぐ育ち三度も種を蒔いた
興味が湧いて三種類入った種を1袋買った

心地よい陽の光を浴びて早速苗を植えた
トマトは寒さに強いからほっとかれた
ゴーヤーはビニールで手厚く囲った
収穫はいつも9月末から10月で 
10本も採れればいい方だった
きっと育て方に問題があるのだろう
義弟は本格的に家庭菜園をしていて
ゴーヤーの収穫期は1ヶ月も違う
季節外れの味を楽しむのも一興かと強がる

昨秋芝を剥ぎ取って畠に造成した
1坪農民は今年は2坪の農地を持った
種まく畠は堆肥を入れて土とかき回した
明日は雨が降るというから種まきにはグッドタイミング  
来週は気温も下がることはないとの天気予報
観察日記でもつける気分で毎朝楽しもう

去年ブルーベリーの花が見事に咲いたと歓喜したら
翌朝全て落下して結実せずに大いに落胆した
今春は多くの枝がなぜか枯れ芽も葉も例年より少ない
葉をつけ花芽が膨らんでいる枝を注視しながら
無事の開花と結実を切に祈るだけの朝の庭に立つ

コロナ禍で政治も社会も経済も教育もダークに染まる
心塞がれる毎日に年寄りは静かにして自衛する
2坪農民になって収穫倍増に貪欲に挑む

〔2021年5月15日書き下ろし。ようやく苗と種を植えられる季節(気温)になったことが嬉しい。去年の枝豆の味が忘れられず、強欲さが畠を広げる。怒りを静めるには、まあいいいか〕